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[11047] 【ネタ】しにたがりなるいずさん 第一部完+番外編 (ゼロ魔)
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2011/05/23 00:59



 ずっと苦しかった。
 私はまるで水の中で孵ってしまった雛、或いは陸に投げ出された魚だった。
 呼吸するたびに感じる、耐え難い苦痛。
 此処に在ること、それ自体に対する、絶え間ない違和感。
 それらは、いつしか私にひとつの願望を抱かせた。はじめはおぼろげに、次第にはっきりと。
 そしてそれがひとつの明確な夢となったとき、皮肉にも、私の呼吸はすこしだけラクになった。
 私の夢、それは――



 とっとと死ぬことだ。






*** しにたがりなるいずさん ***






「鬱だ、死のう」


 思わず呟くと、目の前の少年がぽかんと口を開いた。その間抜け面を無視して、私はため息をつく。ハア。

――なんで成功すんのよ。

 今は私が在籍する魔法学院の進級試験(とは厳密には違うけれど)の最中だった。内容はメイジのパートナー、使い魔の召喚。どうせ失敗するのだから、実技なしの一発不合格で構わなかったのだけど、堅物な監督教師のごり押しで一回だけルーンを唱えることになった。
 それがなぜか成功してしまったのだ。

――やっと退学できると思ったのに……。

 実家暮らしの煩わしさから逃れるために全寮制のこの学院に来たけれど、一年も経てば飽きるには十分だった。それに、完璧な劣等生である私がこのまま在籍し続けるのは、いくら実家が国一番の名家であっても、流石に無理がある。
 だからこそ、この使い魔召喚の儀式には期待していたのだ。
 座学成績では誤魔化しようのない、純粋に実技のみの試験。これに失敗すれば、学院も私も退学の立派な『理由(いいわけ)』ができる。そう思ったのに……。

――空気の読めないやつね。

 私は召喚ゲートを転がり出てきた少年をジト目で睨みつけた。私の使い魔になるような奴は、きっと面倒がって召喚になんか応じないと思っていたのに……どうやらこいつは違ったみたい。
 使い魔が人間なんて前代未聞の珍事だとはわかっていたけれど、それはわりとどうでもよかった。

 むしろ脳裏を過ぎるのは、破綻してしまったこれからの計画――公爵家の娘が『退学』ともなればさすがに世間体が悪いから、実家には戻れないだろう。そのときはなんとかして、下の姉の領地に転がり込ませてもらうつもりだった。姉が名前だけの領主となっているその土地は、辺鄙で未開の地が多く、切り立った崖や深い森が其処彼処にあり、危険な野の獣もたくさんいる。
 そういう『事故』も悪くはないわよね。なにより、他の命の糧になるというのは、すこし、ロマンチックだ。

――そうよ。せめてこいつが狼とか、野犬とかだったらよかったのに……。

 けれど今更取り替える方法も、元の場所に還す手段もない。しかたなく私は淡々とスペルを唱えると、使い魔と一生の契約を交わした。

――長い付き合いにならないといいなぁ。

 そんなことを思いながら。



「あ、熱い!」

 ルーンが刻まれているのだろう、少年が地面を転がる。

「気にしないで、それで死ぬことはないわ」

 もしそうなったら面白いわね、と思いつつ宥める。あ、だめか、使い魔が死んでも主人(わたし)が死ぬわけじゃないものね。

「気にするっての!お前、おれの体に、何をしやがったんだっ!?」
「なにって、契約のキスをしただけよ」
「そっちじゃなくて――」

 そういえば、私の使い魔ってことは――

「ねえ、あんた、もしかして――死にたい?」
「はあっ!?」

 素っ頓狂な声で、言外の否定。なんだ、主人に見合った使い魔が喚ばれるというから、てっきりこいつも『死にたがり』なのかと思ったのに、違うのね。
 がっかりしていると、何故か少年が青ざめて、ぶるぶると震え出した。今度は寒いのかしら? 使い魔になるのも大変なのね……。
 地面に尻餅をついたまま後ずさる少年――は置いておいて、私は教師に召喚と契約の成功を報告した。



***



「聞けよ、皆!ゼロのルイズの使い魔が青銅のギーシュと決闘するってよ!!」

 状況説明ありがとう、モブ君。

――なんだ、やっぱり死にたがりだったのね。

 部屋に人間を飼うスペースはないので、使い魔のことは初日から料理長に預けていた。もちろん下働きとして。
 日当は私が管理し、卒業するときにでも渡してその後の生活の元手にさせるつもりだった。特に本人の希望は聞いていないけど、もしも私の死後もこの国に留まるつもりなら、それなりの暮らしを用意してあげるのが主としての務めだから。
 実家には無駄に広大な領地をあるので、どっかの村に平民一人住ませるくらいどうとでもなるだろう、とそう考えていたのだけど――どうやらその必要はなかったみたい。

「ルイズ、あんた何処に行くの」
「部屋だけど?」
「ちょっと、止めないの!?」
「当たり前でしょう。本人がそう望んでいるなら周囲が口出しするものじゃないわ」

 食後の読書もしたいし、そうそう、それに使い魔の葬式の準備もしないといけないわね。
 そう思っていたのに、クラスメートになぜか引っ張っていかれた。無駄に活力に溢れている寮での隣人に逆らう気力もなく、引き摺られるままに広場へ向かう。
 この娘なんてそれこそ関係ないでしょうに。なんか、私とは対極の性格ね。

 驚いたことに、使い魔は剣でゴーレムを倒していた。私の目の前で――というか、私に見せつけるように?――勝ち名乗りを上げた後、血まみれで倒れる。
 私は驚いて彼の傍に行った。

「どうだ、見たか、くそ主人」

 うぐぐと唸りながら悪態を吐く少年に、私は眉をひそめる。

「ねえ、もしかして、本気で勝つつもりで戦っていたの?」
「あったりまえだろ!」
「……ふーん」

 傷だらけの顔で自慢げに笑う少年に、私はすこし――イラッとする。



 三日後、昏倒していた使い魔は無事目を覚ました。水の秘薬様々ね。

「どうして?」

 秘薬の高価さを知った馬鹿は、びっくりしたように尋ねた。というか、目覚めたときに私が傍にいたことにも驚いているみたい。――別にたいしたことじゃないわ、単に授業をさぼる口実にして、この三日ほど此処に引きこもっていただけだもの。
 それにしても、どうして治したか、ですって?

「あんた、私がどんな気持ちだったと思うの?」

 間の抜けたことを尋ねる使い魔を睨みつける。とたんに決闘のときの威勢はどこへやら、ビビる使い魔。

「だ、だって、お前、おれのことなんて、どうでもいいと思ってただろ。初日からこっち、全然かまってもこないし――」
「だからなに? あんたは私の使い魔なのよ? それが主人より先に死のうとするなんてどういう了見よ?」

 それもあんなすっきりした顔で、嬉しそうに。

「いい? 私より先に死んだら赦さないんだから!」

――まったく、こっちがどれだけ我慢してると思っているのかしら。

 つまるところ――大切なお小遣いをはたいてまで、水の秘薬を遣って傷を治してやったのは――ただの腹いせの八つ当たりだ。
 私はそれを自覚して、それでもなお、彼を責めるのを止めなかった。
 だいたい平民のくせに貴族相手に喧嘩売るなんて、主人の迷惑も考えなさいよね。私、そういう自分勝手なヤツ大嫌い。あんたの上司や同僚にだって咎が行くかもしれないのよ? それ全部私にフォローさせるつもり?

「――って、あんた、なに笑ってんのよ?」
「いや、ありがとな」
「……わけがわかんないんだけど」

 私はなんだかイラっとする少年の顔をベシとはたいて、その部屋を出た。



***



「へぇ、ツェルプストーが?」
「お、おう。どうしたらいいかな?」

 私は使い魔の給仕で午後のお茶をしていた。あの一件以来、また馬鹿なことをしでかさないように、時々顔を見るようにしているのだ。
 そして相談事。なんでも隣の部屋のクラスメート、ツェルプストーから誘惑をうけたらしい。決闘の時の姿に惚れたとか。

――ほんとうに情熱的な娘ね。

 素直にすごいと思う。真似するつもりも、できるわけもないけど。

「良いんじゃない。あの娘の家は裕福だし、縁ができるのは悪いことじゃないわ」
「えーっと、でもさ――」

 それにゲルマニア貴族は、相手が平民だろうとあまり気にしない。なにせ金さえあれば平民だって爵位を手に入れられる国だ。その辺りのことを、世間常識に疎い使い魔に説明してやる。

「だから、がんばんなさい」
「……はい、」

 激励してやったのに、なぜか項垂れて去っていく使い魔。

――もしかして、プレッシャーに弱いのかしら……?



 結局、何やらあって、虚無の曜日に買い物に出掛けることになったようだ。

「ルイズも行かないか?」
「結構よ」

 虚無の曜日は貴重なひきこもりの時間だもの。それに人混みは苦手なのだ。……あ、そうだ。

「はい、お金。向こうが全部出すでしょうけど、さすがに文無しじゃ辛いでしょう」
「え、いや、でも」

 気にしないでいいわよ、多少上乗せしたけど、元々あんたが働いて稼いだお金だし。

「残りは出世払いね」
「あ、ああ。ありがとう」



 さて、虚無の曜日。私は机に向かって『わたしがかんがえた、いちばんらくなしにかた』ノートを埋めていた。
 すると使い魔が意外に早い時間に、錆びたボロ剣を持って帰ってくる。武器屋で面白がっていたら貢がれた? へぇ、やるじゃない。
 インテリジェンスソードね、確かに面白いかもしれないけど……

「もうすこしスパッと斬れそうな方が良いわね」
「――なんか、おっかねー娘っ子だな、おい」
「剣のくせに何言っているのよ」

 とりあえずノートを仕舞って、お土産に買ってきたというパイで、ふたりと一本でお茶をした。



***



「土くれのフーケ?」
「ええ。あなた、あれだけの音がしたのに気づかなかったの?」
「ええっと――」

 不審がる隣人に、私は昨晩の記憶をたどる。昨日はあんまり薬を使わなかったから、眠りは浅かったはずよね――そういえば、外が妙に騒がしかったような――

「い、意外に剛胆ね。寮の建物だってだいぶ揺れていたでしょう」
「そうなの?」

――それで倒壊していたら後腐れもなかったのに。

「巨大なゴーレムで、宝物庫をまるごと引っこ抜いていったのよ」
「乱暴な話ねぇ。――って、もしかして貴女、見ていたの?」
「ええ、」

 最初の音がしたときに飛び出していったそうだ。ほんと、どうしてそんなに元気なの、アナタ。
 しかもフーケ討伐に立候補したとか……私はほとんど畏敬の念を持って赤毛の少女を見つめた。もうここまで来ると同じ『人間』とは思えない。
 まあ……胸とか見ても別の生物としか思えないけど……。

「それで、あなたの使い魔君を借りたいの。かまわないわよね? それとも、あなたも行く――」
「まさか。私はゼロのルイズよ?」

 私は、私を表すのに一番適した名を口にする。すると彼女はなぜかきゅっと眉を寄せて、真剣な瞳で私を見つめた。

「ねえ、あなたの使い魔はドットとはいえメイジ相手に勝ったのよ」
「? ええ、そうね」
「そんな使い魔を喚んだあなたが、よ? ただのゼロだなんて私にはもう思えないわ。きっとあなたには才能がある、他の誰にもないすごい才能が、」

 熱心な言葉の意図が掴めず、私は首を傾げた。才能がある? それがどうしたというのだろう。

「私は別にそんなことは望んでないわ」

 私は笑って、勇敢な人達を見送った。



 そして。



 無事帰還した三人の報告を聞いた私は、思わず膝から砕けてしまった。
 巨大ゴーレムの襲撃、秘書の裏切り、よくわかんないけど使い魔の活躍……。

――ああ、私ってなんて馬鹿なの! こんな明確な死亡フラグに気づかないなんて!!



「鬱だ、死のう……」



 私は舞踏会の盛況から背を向けて、バルコニーの欄干にもたれかかってため息をつく。ハア。

――いっそのこともう此処から飛び降りようかしら。

 でも、この高さじゃ足りないわ。
 どれだけ鬱っていても、どこか冷静なままの頭が、そう判断した。
 たとえ『事故』でも、死に損なうわけにはいかないのだ。まして下手を打って、死にたがっていることを誰かに気づかせるわけにはいかない。
 私は瞼を閉じて誘惑を振り払う。脳裏に、私によく似た桃色髪の女性の顔が浮かぶ。
 やっかいなしがらみだけが、私を踏みとどまらせていた。それさえも断ち切られてしまえば――

 そのとき、背後から尋ねる声。

「どうしたんだよ? なんか悪いもんでも食べたのか?」
「別に。――ねえ、どうして給仕なの? 学院長は参加してよいと仰ってたんでしょ?」

 私は使い魔の服装に目を留めて尋ねた。給仕服だ。正式な場なのでそれなりの質のものだが――少なくとも参加者のものではない。

「や、働いている方がなんか性に合ってるからさ」
「そうなの? 変な性分ね」
「そうか?」
「まあ、いいわ。――食事の用意をお願い。せっかくだからあんたも一緒に食べなさい」
「あ、うん」



 私達は月明りの下、最期から何番目かの晩餐を取った。






*** しにたがりなるいずさん ***






 翌日は二日酔いだった。

――うぅ、死ねない頭痛に意味はないのよ……。

 頭を抱えながら唸っていると、使い魔が笑いながら熱いお茶を入れてくれた。






< 了 >






いろいろ行き詰っていたら出てきた、ネタ。
ヤンデル話。
テンプレって良いな……

文字修正だけ(211102)



[11047] しにたがりなるいずさん 2
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2010/04/25 20:18
 夢を見ていた。

 小さな舟の上に幼い私がいる。泣きじゃくる私。ふと顔を上げると、体の上に覆い被さってくる男の人の影が見えた。
 やさしい声が囁く。
(いいんだよ、ルイズ。そんなに怯えないで――)
 私はその優しさに、小鳥のように胸を震わせる。
 この人なら、と思う。この人なら私の望みを叶えてくれるんじゃないだろうか、と。
 だから、近づいてくるその大きな手に願いを告げた。
(ししゃくさま、わたし、わたし――)



「死にたいの」

「え゛」



 目を開けると其処には使い魔がいた。寝台に眠る私の顔を覗き込む、黒い瞳。
 何をしているのだろう? 肩口に置かれた両手を不思議に思っていると、少年はばっと体を起こして退く。なにやら、違うんだ、とか言っているけど、何が違うのかよくわからない。
 私は、のそのそと起き上がった。寝起きでぼーっとしたまま、なぜか濡れていたまなじりを手の甲で拭う。まだ日は昇っていない。けれど東の空は既に少し明るくなっていた。

――ああ、また一日が始まるのね。

 ふう、と息を吐く。
 その間、なにやら焦ったようにわめいていた使い魔は――いつの間にか部屋の片隅で正座になっていた。

「何か叱られるようなことでもしたの?」
「えっ!? イ、イエ、何デモナイデス! 今日モ良イオ天気デスネ、ゴ主人様」
「そうね。――で、なんであんたは此処にいるわけ?」
「ギクッ」

 何言ってんのよ?
 視線をさ迷わせる使い魔を胡乱げに睨む。あんた、まさか――

「ツェルプストーの部屋と間違えたとか?」
「……」

 妙な間をたっぷりと空けた後、使い魔はコクリと頷いた。ドジねえ、と思っていると、その背中のインテリジェンスソードがなにやらガチャガチャ。

「…………なあ、相棒。俺は剣だからよくわかんねーけどよ。本当に、ホントーに、その『選択(こたえ)』でよかったのか?」
「じゃあどーすりゃよかったんだよっ!!?」

 突然泣き顔で叫び出す使い魔。近所迷惑だからやめなさいよね。

 朝から騒々しい使い魔に、気づけば私も一日の始まりの憂鬱を忘れていた。






*** しにたがりなるいずさん 2 ***






 その翌日の晩のことだった。
 そろそろ寝ようかしら、と思っていると、アンリエッタ姫殿下が自室に遊びに来た。昼間公務で学院に来られていたのは知っているけど――
 とりあえず椅子が学習机用のものしかないので、寝台に腰掛けていただく。

「自室に人を招くことがないので、申し訳ございません」
「あら。じゃあ、私が初めてのお客様なの? 光栄だわ」
「そうですね、お招きした覚えはないですけど」
「……ルイズ、つれないですわ。私達、幼なじみですのに」

 悪びれた様子もなく、ぷくぅ、と頬をふくらませる姫殿下。その仕草に幼い頃を思い出す。そういえば、昔からお忍びとか悪戯とか大好きだったわね。
 この方も私とはだいぶ違う人種だ。

 幼い頃の思い出話で盛り上がった後(半分以上私は忘れていたけど)、本題らしい相談を受けた。全てを聞いた後、どうすればいいのかしら? と問われたので答える。

「枢機卿に全てお話になれば良いんじゃないですか?」
「ルイズぅ」

 外見年齢五十代の灰色帽子に乙女の恋心が解るとは思えない、と訴える姫殿下。
 結局乙女の本意は、どうにかして誰にも知られずにブツを取り返したい、ということらしい。まあ、昔の手紙、それも恋文が他人の手に渡るのは嫌だというのは私にもわかるけど――あ、そっか。

「なら、私が取りに行きますわ」
「いいの!? ルイズ!!」
「初めからそのおつもりでしょう?」

 えへへ、と笑って誤魔化すアン。確か彼女の方が年上だったと思ったんだけど……。
 まあ、それはいいわ。というか――こんな絶好の機会を与えてくれた『おともだち』には、いくら感謝をしてもし足りないくらい。
 でも、ひとつ問題がある。
 常日頃、他人の迷惑がかからないように死ぬ方法を考えていた私には、それがはっきりとわかった。

「姫殿下。畏れながら――」

 つまり、公爵家の娘を護衛もなしに内乱中の国へ派遣するのは拙いということ――下手をすれば、私の実家が王家に叛旗を翻す。そうなれば、別のかたちで国が滅びるわ。

「そ、そうですわね。もちろん大切なおともだちに、そんな危険なことはさせません」
「有り難いお話ですわ。それでは護衛役の手配をお願いいたしますね」

 話がついたところで、帰っていただく。



――さあ、準備をしなきゃ

 少なくとも王子様と話をして手紙を受け取るのは大使である私の役目。そこまではちゃんと行き着かないとね。それと――
 一番大事な作業に取りかかる。このときのためにと用意しておいた、とっておきの上等な羊皮紙。上の姉に譲っていただいた羽ペンとお気に入りのインキを机の上に揃える。

――さて、どうしようかしら……。

 “王家に忠誠を誓う『貴族として』祖国の窮地を救う為に微力ながらも尽くしたいと思い『自ら』この御役目を申し出た”、とでも書き遺しておけば、家族も納得してくれるかな。
 私の父母も国家存亡の大事に、身内の情で徒に国を騒がすような人間ではないと思う――たぶん。



***



 翌朝、待ち合わせの場所には何故かクラスメートのグラモンがやってきた。護衛役(兼、最終的に手紙を運ぶ人間)がまさかコノ男? と思ったのだけど。
 なんでも昨晩の話を立ち聞きしていて、自分も参加したいと姫様に直接頼み込んだらしい。――使い魔といい姫様といいこいつといい、女子寮の警備ってどうなっているのかしらね。

「ねえ、グラモン。この任務が危険なことはわかっているわよね、」
「もちろんさ」
「じゃあ……もしかして、『平民』に負けて自棄になっている?」
「……ヴァリエール。君もナチュラルにひとの傷をえぐるね……。て、そう言えば、あいつは? 馬でも取りに行っているのかい?」
「使い魔のこと? まさか、連れて行かないわよ。あいつには食堂の仕事があるもの」
「え?」

 いや、でも――と何やら言っている頼りない同行者の様子に首を傾げていた私は、次に現れた人物を見て、思わず呟いていた。

「アン、ナイスだわ」
「は?」

 困惑したように首を傾げる青年貴族に、微笑み返して誤魔化す。

「お久しぶりです、子爵様」

 実家のご近所さん、ワルド子爵だった。小さい頃はよく遊んでいただいた。現在は魔法衛士隊の長を務めていらっしゃるはず――。

「ああ、すまない、すっかり無沙汰をしてしまったな。十年ぶり、かな?」
「ええ。こうして、お目にかかれて嬉しいですわ」
「そうか――もうすっかり大人になってしまったみたいだね、僕のちいさいルイズは」
「あら、そんなことはございません。ほら、今でもこうして簡単に持ち上げられてしまうんですから」

 彼の腕の中で、そのすっかり逞しくなった首や体を眺める。そのとき――

「うわ、ゼロのルイズが笑ってる……」

 グラモンの呟きに、子爵様がいぶかしげに首を傾げた。

「ゼロ?」
「私の二つ名ですわ」

 由来を聞いて、子爵様は眉をひそめる。まあ、あんまり誇れる話でもないわよね。

「他者の努力が報われないさまを嘲うとは、紳士的とは言い難いな、」
「そ、それはその――」

 なにやらグラモンを睨みつけている子爵様。いや、そんなことはどうでもいいですから……。仕方なく私はその二の腕に触れて注意を惹いた。

「子爵様。そろそろ、いきましょ?」
「あ、ああ――そうだね、僕のルイズ、」



 ***



 目的地アルビオンへはラ・ロシェールという港町を経由することになる。私は子爵様のグリフォンに乗せていただいて、その町にたどり着いた。
 子爵様が船便を確認している間、宿で落ち着いていると、しばらくしてグラモンがやってくる。

「けっこう早く追いついたわね」
「……これでも、元帥、の、息子、だから、ね、」

 ぜえぜえ、と盛大に息切れしながら言う。本気で馬を駆けさせたのだろう、自慢の金髪から汗が滴っていた。

「――はい、お水」
「あ、ありがとう」
「子爵様がいるんだから、無理しなくて構わなかったのに」
「……ほんと、キツイな、君……でも、そうはいかないよ。姫殿下と直接約束したんだ」

 なんでも姫様に「おともだちを助けてくれ」と言われたらしい。
 姫様ったら……。
 誰彼構わず、フラグをまき散らすのはあまりよろしくないと思うわ。

「なにより、君に謝らないといけないからね、」
「……なにを?」
「二つ名のことだよ、」
「別に気にしてないわよ? 子爵様はああ仰っていたけど、いくら努力をしても結果が伴わなければ意味はないんだから」
「いや、しかしだね……それを言ったら、君は座学成績では常に学年トップだ。その結果を認めないのはフェアじゃない。そうだろう?」
「そうしたら、今度は『頭でっかち』のルイズになるだけじゃない。その方がいやよ」

 眉をひそめて言ったら、グラモンは吃驚したような顔で見返した。なによ?

「君でも冗談を言うんだな。ヴァリエール」
「なにそれ」

 よっぽど馬鹿にされている気がする、と唇を尖らすと、彼はさらに笑い出した。

「いや、すまない。僕は、いや、学院の連中は皆、どうやらほんとうに馬鹿だったみたいだ、こんなに魅力的な君に気づかないなんて」
「……はあ?」
「――君は知らないだろうけど、入学当時、僕らの学年の男子の中で一番話題になった女の子はツェルプストーとヴァリエール、君だったんだよ。けどツェルプストーと違って、君は話しかけても素っ気ないし、まるで振り向いてくれなかっただろう? それですっかり皆、いじけてしまったんだ。君は手に入らない、すっぱい葡萄なんだって――でも、そんな安いプライドなんて捨てて、もっとちゃんと話してみればよかった。そうすれば今の僕みたいにすぐに気づいただろうに、」

 入学当時、ねぇ。慣れない生活で毎日が欝だった気がするわ。ていうか……そっか、私、皆から浮いていたんだ。全然気づかなかったわ。

「本当に済まなかった。これまでの無礼を謝罪するよ。その上で――どうかもう一度君の友人となるチャンスをくれないか?」
「別に、かまわないけど、」
「ありがとう。じゃあ、改めて――僕はギーシュ・ド・グラモン、二つ名は青銅だ」
「……ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール。二つ名は他に思いつかないし、ゼロのままでいいわ」

 流されるままに握手をしていると、頭上から、声がした。


「あ~ら、もしかしてお邪魔だったかしら?」


 見上げれば青い竜の背中から赤毛のクラスメートが顔を覗かせている。

「ツェルプストー。どうして此処に?」
「そりゃあ、もちろん。堅物のヴァリエールが朝も早くから男と出掛けたりするから、気になって追いかけてきたのよ――あなたも意外に隅に置けないわねぇ、」
「ねえ、それ全然理由になってないんだけど……。何しに来たのよ?」
「そうツンケンしないの――それより、ギーシュ。いいの? モンモランシーのことは」
「べ、別にこれは浮気なんかじゃないさ。僕は単にヴァリエールと友人になろうとしているだけだ」
「あ、ルイズでいいわよ、ギーシュ」

 私が言うと、ツェルプストーがにんまりと、まるでバターをなめた猫のように笑った。

「ちょっと、ルイズぅ? 私のことは『ツェルプストー』で、どうしてこいつは『ギーシュ』なのよ?」
「友人だから?」

 ……ツェルプストーは、“と思ったら、バターではなくハシバミ草だった”みたいな顔に。

「……私は?」
「隣人よね?」
「…………」
「ハハ。ルイズ、君は本当に面白――ぐへっ!?」

 グラモン、じゃなくて、ギーシュが突然、奇声をあげて潰れる。大丈夫? いえ、それよりも――

「よお、手伝いに来たぜ。ルイズ!」

 ギーシュの背中の上、意気揚々とインテリジェンスソードを構える使い魔がいた。

「………………あんた、仕事は?」
「へ? え? な、なんで怒ってるんだよ?」
「当然でしょう。自分の役目(しごと)を放棄してこんなトコロで何をしているのよ」
「いや、俺はお前が心配で――」

――はあ? 何言っているのよ。

「まあまあ、待ちなさいよ、ルイズ、」

 不真面目な使い魔を睨みつけていると、ツェルプストー――ああ、はいはい、キュルケね――が、しょうがないわねぇ、と言わんばかりの口調で口を挟んだ。

「それを言うなら、彼はあなたの使い魔なんだから、あなたの傍にいるのが当然でしょう?」
「そ、そうだよ。俺はお前の使い魔なんだから!」

 詭弁の尻馬に乗る馬鹿をジト目で睨みつけていると、両肩にぽんと手が置かれた。誰よ!――て、

「ルイズ。君はずいぶん沢山友達ができたんだね、」
「子爵様、」

 背後に、微笑ましいと言いたげな笑みを浮かべた子爵様が立っていた。いや、友達じゃなくて使い魔で…………いいや、もうめんどくさい。

――ハア、なんだか鬱になってきた。


 どうやら姫様のお忍びと私達の明け方の出立に気づいたキュルケが、双方を結びつけて、おおよその事態に気づいたらしい。好奇心と推理力、それに行動力にも有り余っているらしい彼女は、そこで、私の使い魔とドラゴンの主であるクラスメートを巻き込んで追っかけてきた、というわけだ。
 ちなみに使い魔には、私が面倒事に巻き込まれていると吹き込んだっぽい。呆れた……なんでそんなことを……。



 しかたなく、夜、個室で子爵様とふたりきりになった私は彼にひとつ、お願いをした。

「彼らを置いていく?」
「ええ、こんな危険な旅に巻き込むわけにはいかないわ。ましてやキュルケ達は他国からの留学生なのよ」

 旅の目的は私と子爵様がいれば、十分果せる。

「君の使い魔も?」
「ええ。あいつには学院の仕事もあるから」
「……君は優しいんだね、」
「あら、当然でしょう。死ぬのは私ひとりで十分だわ」

 笑いながらそう告げると、子爵様は一瞬大いに顔をしかめた後、私の両腕を掴んだ。まるで泣く子を宥めるように、穏やかに笑いかける。懐かしいその顔――(近づいてくる、大きな手)――その手が私の頬と頤を撫でる――(覆い被さる、男の人の影)――それから、優しい声で囁いた。

「君は死なないさ。僕が必ず守るからね」

――え?

「子爵様が、私を殺すのではないの?」

 思わず尋ね返した瞬間、子爵様の手がぴたりと止まった。長い沈黙の後――とびっきり優しい顔で尋ねる。

「どうして、そう思うんだい?」
「いえ、だって――」

 その声に私はようやく自分が何を言ったのか、気がついた。

「ごめんなさい、嫌だわ。夢とごっちゃになっていたのね」
「夢? まさか、僕が君を殺す夢を見たとか?」
「いいえ、違うわ、そうじゃなくて――」

 私はため息をつく。なにをしているんだろう。
 どうも、長年の夢が叶いそうになって、浮かれていたみたいだ。昔の夢をそのまま当てはめて、子爵様が私のために来てくれたと思うなんて――『白馬の王子様』じゃあるまいし。
 でも、小さい頃は何故か本気でそう信じていたのよね……。

――うぅ、鬱だわ。

 自覚すると途端に恥ずかしくなって、私は耳まで真っ赤にしながら顔を背けた。そのまま、子爵様の腕からするりと抜け出す。
 とりあえず、夜風にでも当たろう……。

 窓を開ける。






「――で? なにしてんのよ? 使い魔」
「え、えと、ちょっと窓掃除?」

 そのとき、室内から突風が吹いて、なぜか窓の外にぶら下がっていた使い魔は吹き飛ばされた。あああぁぁぁ、と夜の街に声を響かせながら、ものすごいオモロ顔で落ちていく少年――

――体張っているわねー。

 思わず私は憂鬱も忘れて、吹き出していた。



***



 翌日、宿で起きた傭兵の喧嘩に乗じて、皆を置いていく。偶々庭でいじけていた使い魔には気付かれてしまい、ついてこられちゃったけど、これはもう仕方ない。その後の道中も色々とアクシデントはあったけれど、偶然にも王子様と出会うことができたので全てよしとしよう。
 私は無事、目的の手紙を手にした。
 任務完了の達成感とともに、城の人々と最後の晩餐を味わう。
 明日の正午は総力戦だそうだ。さて、どうやって巻き込まれようかしら……

 実は無計画? いや、だってこの状況で死なないわけがないじゃない――って、誰に言い訳してんだろ、私……。



「――なあ、なんで皆、死にたがるんだ?」

 落ち着かない様子の使い魔が顔をしかめて近づいてきた。
 私は極上のワインを味わいながら――もちろん量は控えめに。こんなときに二日酔いなんて締まらないもの――答える。

「彼らは別に死にたがってわけじゃないわよ。名誉を守りたいだけ」
「名誉って――そんなに大事かよ、」
「さあ、どうかしらね」

 私は周囲で談笑する人々を見やる。これから一緒に死ぬのだと笑いあう人々。名誉のために、忠誠のために、友誼のために、仁義のためにと死を謳う人々。

――羨ましい? いいえ、そうでもないわね。

 あれでは……理屈が多すぎる。感情が、騒がしすぎる。
 死を希う心は、もっと純粋であるべきだわ。

 ほろ酔いの頭で浮かれたように思う。

 そうよ、私は自分の死に意味なんて欲しくない。
 ただ、死にたい。
 忠誠や義務や勇気や、そういうものとは無縁に。孤独で静かで豊かで、それでいて――――なにもない。
 そういうものがいい。

――なんて、ね。

 近づいてくる子爵様に目だけで微笑みかけながら、私はグラスを傾けた。
 どれほどかっこつけて、美辞麗句を並べても、それらが所詮、自己本位なわがままに過ぎないことはいやというほど知っていた。



***



「結婚式、ですか?」
「そう、皇太子に立ち会っていただくようお願いしてきたんだ、」
「え、と、いまからですか?」
「今日の正午には戦争が始まってしまうからね」

 はあ。――って、いえ、そもそも何故、私と子爵様が結婚する話に――ああ、そういえば、『そんな関係』でもあったっけ。

「子爵様。でも、『婚約(アレ)』は酔った父達の戯れ言ですわ」
「……君もそう願ってくれていると思ったのは僕の思い上がりだったのかな?」
「え? で、でででも、メリットが何もないでしょう?」

 動揺する私を、子爵様は朗らかに笑い飛ばした。

「愛にメリットなんて関係ないさ!僕はずっと君のことを愛している!いままでも、これからもね!それを始祖の下に誓う、ただそれだけさ!」
「……えっと、それはつまり、死んだ後も?」
「ああ、もちろん――え?」

 勢いよく肯いた後、子爵様はぎょっとしたように私を見た。私は、思わず一歩退く。

 死んだ後も? 私が死んでも、この人は生きている限り、永遠に私のことを想い続けるの? それって――



「……気持ち悪い」



――あ、口に出しちゃった。



***



「もちろん急な話だから、驚いてしまうのもわかる。ただ時間がないんだ。どうか信じて欲しい。この戦争が始まったら、僕は君を素晴らしい場所に連れて行こうと思っているんだ、」

 私の失言を紳士的にスルーして、子爵様は言った。

「ルイズ。いいかい、君はまだ気づいていないだろうけれど、君には才能があるんだ。素晴らしい、選ばれし才能がね。僕はそれを知っている。それを開花させる方法も――だから、僕と一緒に来てくれ。
――共にいこう、新しい世界へ」

 何やら熱に浮かされたような口調で、子爵様は私に手を伸ばす。大きな手、けれど、その手は、私を――殺してはくれないのだ。
 私は落胆をこらえて――そうよルイズ、無理を言わないの。所詮こんなのは子供のわがままなんだから――子爵様の言葉を考える。

 私には才能がある、か。……そういえば、同じようなことをいつか誰かにも言われたわね。
 そして、そのときと同じ疑問が浮かんだ。
 それがなに? と。

「君がずっと願っていたことだろう。これでもう君はゼロじゃない。それどころか、君を馬鹿にし続けてきた連中を見返すことができるんだ、」
「子爵様。私は“もう”そんなものは望んでおりませんわ、」

 思ったよりもその口調は冷ややかなものになった。
 すると一瞬、子爵様の顔は怒りにかられる。けれど彼はそれを無理矢理飲み下し、とびっきり優しい顔を作った。

「なら、君の望みは何だい?」
「簡単ですわ。私はただ、静かに死にたい」
「は?」

 驚いたような顔に、やっぱりと思う。やっぱり、あの頃の私は彼に言わなかったのね。それとも、子供の戯言と真剣に受け止めてもらえなかっただけかしら。
 もう、どちらでも構わないけど。

 ぼんやりとそう考えていると、目の前の子爵様の顔が、歪んだ。

「……わけのわからないことを。その才能が、力がどれだけ貴重なものかわからないのか? その力があれば聖地に辿り着けるんだぞ!!」
「子爵様――?」
「もういい! 君が僕を拒絶するのなら、力づくでも連れて行くだけだ!!」

 叫んだ子爵様は、杖ではなく、その手を伸ばす。やっぱり、私に危害を加えるつもりはないのだろう。
 その大きな手が、私の首に触れることはない――なら、仕方ない。
 ごめんなさい、と笑って、私は杖を構える。

「貴方とは――逝かないわ」

 私の二つ名、ゼロの由来。どんなルーンを唱えても、必ず失敗する私の魔法。そしてそれは常に『爆発』というかたちを取る。だから私は――自分の喉に杖先を当てた。

「なっ――!?」

 これなら、はずしっこないもの。

「ウル――」
「ルイズ!!」

 最短のルーンを唱えようとしたそのときだった。横の壁が吹き飛んで、子爵様と私の間に、剣を構えた使い魔が現れる――

「サイト!?」
「ルイズ! 無事か!?」

 叫ぶ少年の顔を、私はルーンを唱えることも忘れて、不思議な思いで見つめた。



***



 魔法の余波で吹き飛ばされて気を失った私は、次に気づいたときにはもう空の上にいた。ドラゴンの背に乗っている。蒼髪のクラスメート、タバサの使い魔だ。キュルケやギーシュが土だらけの顔で覗き込んでいた。

――そう。迎えに来てくれたの。

 なんでも……子爵様は、反乱軍、レコン=キスタ側のスパイだったらしい。私に『プロポーズ』をしているあのとき、アルビオンの王子様が子爵様の『偏在』によって暗殺されたそうだ。偶々それを目撃したサイトは、あのとき、その裏切りを伝えるために来たとか。

 私はその話を聞き、思わず黙り込んでしまった。ひとつの可能性が頭を過ぎる。

――もしかしたら子爵様は……、

 止めよう。過ぎたことは過ぎたことだわ。
 重い息と共に首を振り、すでに遠く離れた霧の大陸を見る。

「――サイト、手を離して」
「ダメだ。お前まだちゃんと起きてないだろ、落ちたらどうすんだ」
「落ちたいところに落ちるわ。海の上なら尚いいわね」
「いや、無理だから。風にあおられるし、陸だろうが海だろうが潰れるから、」
「そう?」
「もういいから。……ちゃんと抱えててやるから寝てろよ」
「ん、わかったわよ――」

 まるでわがままな幼児を宥めるような口調が、ちょっと気に障ったけれど。眠気には抗いがたく、私は再び瞼を閉じた。






 眠りに落ちる間際、何かが唇に触れた。






*** しにたがりなるいずさん 2 ***






「しょうがないか。初恋って実らないものだものね、」

 目を閉じたまま呟いたら、私を抱きかかえていた使い魔がぶほっと吹き出すのがわかった。
 なによ、失礼ね――



――さようなら、ししゃくさま。わたしのしにがみに、なってくれなかったひと。






<了>






ふらぐいっぱい。ゆめいっぱい。

(210816)



[11047] しにたがりなるいずさん 3
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2010/04/25 20:18
――“いち”たす“いち”は、“に”。“に”たす“いち”は、“さん”。“さん”たす“いち”は、“し”。 

――“いち”が、ドット。“に”が、ライン。“さん”が、トライアングルで。“し”が、スクウェア。 

――メイジのクラス、スペルのクラス。ふえるほどに、つよくなる。

――“みず”は、いやし、“つち”は、つくり、“ひ”は、もやし、“かぜ”は、ゆらす。

――よっつのちから、よっつのけいとう。かけあわせれば、なんでもできる。

――せかいをつくるのは、“いち”と“いち”と“いち”と“いち”。

――ひとつひとつはちいさくても、みんながつどえば、おおきなちから。



(でも、それはゼロにはいみのないおはなし)






*** しにたがりなるいずさん 3 ***






 私は額を撫でる心地よさに顔を上げた。高所ならではの爽やかな風が吹き抜ける。

――良い天気ね。

 この窓辺の読書は、このところ私の日課のひとつになっている。窓の桟に腰掛けて、枠に背をもたれ、立てた膝の上に本を置く。ちょっとはしたないけど、どうせ通りかかる人間なんていないから、気にしない。
 今読んでいるのは、古臭い一冊の革表紙。読み解くのにかなりの集中力を要する難物だ。
 ……なんだけど。
 空の青さに目を細めた私の口からは、ふぁ、と欠伸がひとつ。

――集中、切れちゃったわ。

 それでもなんとか眠気を堪えて『文字』を追う。けれど舌はもつれて、一節進むのにも難儀する有様。この様子では一頁だって読み上げることはできないだろう。
 
――ま、いっか。

 私は早々に努力を諦めて、膝の上に開いたページを指先で弾いた。そこには真っ白なページが広がっている。
 睡魔に誘われるまま、『かみさまがくれたすてきなまほうしょ』を腕の中に抱え、私は窓の縁に背を預けた。

 うたた寝は好きだ。睡魔に身を委ねた瞬間に訪れる、すう、と意識が落ちる、あの感覚がたまらない。ほんの刹那の擬“死”体験。 今も眠りに落ちた頭を支えきれずに、こてんと首が傾ぐ――
 そのとき、轟、と耳元で強い風が吹いた。

 あ。

 と思ったときには――ふわりと体が浮かび上がっている。
 その感覚に驚いてぱちと目を開くと、目と鼻の先には蒼髪の同級生。彼女を乗せたドラゴンがきゅいきゅいと鳴いている。えーっと……。

「……タバサ、よね。どうしたの?」
「……」
「ルイズ!? どうしたの、じゃないでしょう!!」
「…………なによ、キュルケ」

 見れば、さっきまで私がいた塔の窓から、キュルケが怒り顔で私を睨みつけている。

――そんなに身を乗り出すと危ないわよ?

 石造りの塔のてっぺんにぽっかりと空いたその窓には手摺りも柵もない。私が腰を据えるのにちょうどよい幅の縁があるだけだ。

「わかってるなら、こんなところで居眠りなんかするんじゃないわよ!」
「……むぅ」

 寝相が悪くて、悪かったわね。
 どうも、うたた寝の拍子に『外側に』転がってしまったようだ。そういえば一年の頃、キュルケにもこんな風に助けられたことがあったっけ。「ヴァリエール!?」なんて大きな声で叫ぶから、恥ずかしかったのよね……。

 そのときのことを思い出して、私はそっと地上を見下ろした。見えない魔法の力で胴体だけを掴まれているせいで、両手両足はぶらんと垂れている。真下に人がいたら、スカートの中身が丸見えだ。
 ……あ、よかった。見られてないみたい。
 誰もいないことを確認して、腕の中の本を抱えなおす。その間に、自ら『フライ』で追ってきたキュルケは、こんこんとお説教を始めた。空中では逃れるすべもない。……もう、うるさいわね。

――ああ、でも。そろそろ自重しないとダメかしら。あんまりやらかすと、いざってときに来れなくなっちゃうわ。

 キュルケの声を右から左に聞き流しながら、考える。彼女達ならともかく、教師にでも見つかってしまえば、きっと出入り口を封鎖されてしまう。そうしたら、『アンロック』の使えない私には手も足も出ない。
 それは困る。
 此処はこの学院で私が自力で上がれる一番高い場所なのだ。

――あー、なんか、やだな。

 こんなこと、普通のメイジなら絶対に考えないで済む苦労でしょうに、と私は、私の体を空中に浮かし続けているタバサの杖を見つめる。
 せめてこの『レビテーション』だけでも使えれば、図書館の本を取るのにも苦労しないし、いつでも何処でも『十分な高さ』を稼ぐことができるのに……。

 久しぶりに自分がゼロであることに憂鬱を感じていると、その態度を反省と見たらしく、キュルケにドラゴンの背に乗ることを許された。
 ……そもそも、貴女の使い魔じゃないでしょ。

「お邪魔するわ、」

 広い風竜の背中に正座するように着地。それを誘導した少女が、こくり、と頷く。その視線は私の胸元、腕の中に。

「それは?」

 抱えた本が気になったみたい。そういえば、彼女も相当な読書家だ。前に図書館の棚から本を取って貰ったお礼に、私の本を貸したこともある。選ぶ本もちょっと傾向が似ているようだ。でも、これはね、

「つまんないものよ、」
「――なあに、基礎教本じゃない。こんなの、貴女ならとっくに暗記しているかと思ったわ」
「ええ、まあ。ちょっとおさらいをしようと思って」

 横合いから伸びた手にかっさらわれたのは、一年のときの魔法学の教科書。私とは逆の意味で、トライアングル・メイジのふたりには意味のないものだ。
 そしてもう一冊。眼鏡の奥の蒼い瞳が興味深々でこちらを見つめているので、渡してあげる。

「……白紙」

 その通り。まっとうなひとには、てんで意味のない代物だ。
 学院長経由で王室から渡されたその本は『始祖の祈祷書』という。一応、本物らしい。お役目のときまで肌身離さず持っているようにとのお達しなので、返してもらう。

――あ、そういえば、あのまま落ちていたら大切な借り物を汚しちゃうところだったわ。あぶない、あぶない。

「タバサ。さっきはありがとう、」
「……いい、」

 簡潔な答えだ。いい子ね、と思う。

「へぇ、王女様の結婚式で祝辞(スピーチ)?」
「違うわよ。この祈祷書を詠みなさいって言われたの、」
「同じじゃない、めんどくさそう」
「まあね。いまんとこ、結婚式に相応しいような言葉も『浮かんで』こないし、」
「フーン。……貴女、ほんとうに王女様と仲が良いのね」
「……幼なじみだから」

 めんどうくさがりなタチの私がこの手のことに真面目に取り組んでいるのを不思議に思ったらしい。色々と理由はあるけれど、説明するのはそれこそめんどうなので、曖昧に誤魔化す。

 そういえば――私はひとつ、しなければならないことを思い出した。

「キュルケ、貴女の使い魔、貸してくれない?」
「フレイムを? 何で?」
「ちょっとね、」
「……変なことに使わないでちょうだいよ?」

――変ってなによ。貴女じゃあるまいし。



***



「さあ、いらっしゃい」

 隣人の使い魔であるサラマンダーを連れて、部屋に入る。キュルケにこの子を借りた理由は簡単だ――ちょっと燃やしてほしいものがあったから。

 それは暖炉の中に積み上げた、紙の山。

 学院に来てから暇潰しに始めた『しにかた』ノートが、いつのまにか、こんな量になっていたのだ。
 切ったり吊ったり落としたり焼いたりだけではすぐに終わってしまうので、無駄に凝った方法を考えていたせいだろう。もちろん魔法は使えないので、地味なカラクリばかりだけど。
 たとえば、てこの原理を応用した半自動の首吊り機とか。そういえばあるとき、それの10分の1サイズで模型を作っていたら、教師のひとりに見つかって妙に感心されてしまったことがある。あれは恥ずかしかった……。
 ていうか、このノート自体、冷静に考えると、ちょっとヤバイ。なんというか、自分の願望が赤裸々過ぎて…………うん。


 そんなわけで『いわゆる思春期特有のなんとか』には、きれいに灰になってもらうことにしたのだ。


――それに今日のとか前のみたいに、いつ『機会』が訪れるかわからないし、身の周りはなるだけきれいにしておかないとね。


 もちろん普通に燃してもいいのだけど、『サラマンダー』には前から興味があったので借りてみた。――向こうだって私の使い魔を勝手に使っているんだから、お互い様だ。

「はい、念入りにお願いね」

 暖炉を前に、ぽんぽんと頭を叩く。ぎゅるぎゅると案外かわいい声で鳴いた後、フレイムは火を吐いた。
 目の前で、ぼう、と燃え上がる橙色の焔。
 ゆらゆらと揺れる焔を眺めるのは好きなのだけど、紙の塊だから、一瞬で終わってしまう。

「なんか、もの足りないわ……」
「ぎゅる?」
「いいえ、なんでもないの。ありがとう」

 背中の鱗を撫でてやると、気持ちよいのか、フレイムは目を閉じてうっとりとした様子。その体は不思議に冷たい。日陰の石のようだ。
 生き物というよりもなんだか彫像に触れているみたいで、私はそのでっかい、ざらざらした胴体に頬を寄せる。
 香木みたいに、いい匂いがする。

「んー。やっぱり、あんたが私の使い魔だったらいいのに、」
「……ぎゅ?」

 火精の化身と言われるサラマンダーの吐いた火は、対象が燃え尽きるまで消えないという。
 けれど、実際に試してみるにはちょっと微妙すぎる間柄。
 ゲルマニアのツェルプストーと我がラ・ヴァリエールは、領自体も国境を挟んで向かい合う『おとなりさん』だ。ただし寮と違って、あの場所は両国の防衛ラインにもなるので、昔から諍いが絶えない。実を言えば、実家同士は、先祖代々の仇敵と言われていたりする。
 つまり、“そんなこと”をすれば、いらぬ誤解が生まれてしまうのは必至、というわけで。

――先に戦争にでもなっていれば、問題ないんだけどなぁ……。

 なんて不謹慎なことを考えていると、ドアの方に人の気配。思わずびくっとして振り向くと、部屋のドアが開いていた。

「……ル、ルイズ……」

 入り口のところで、サイトがなんかわなわなしている。

――え? ちょっと、いつから其処にいたのよ? 

 直前までの自分の行動を思い出して、つい、わたわたとする。
(なんで此処に/女の子の部屋を勝手に覗くなんて/何処まで口に出していたかしら)
 色んなことを同時に考えて、羞恥と怒りでちょっとわけがわかんなくなった私は、とりあえずフレイムと顔を並べて、覗き魔を睨みつけた。すると――

「ごしゅじんさまのうわきものおお」

 サイトは、うわぁぁぁん、と声を上げながら、去っていく。えー、何処の子供……。

――ていうか、『おれというものがありながら、』って、何の話よ?



***



 “るいずへ、おれ、いんでぃになる”



 サイトは私の机の上に短い手紙を置いて、代わりに馬上鞭を盗んでいった。……字、書けたのね。
 でも、下手くそな上に、意味がわかんない。
 どうも先日の一件で、自分は『使い魔』をクビになったと思ったみたい。けど、それでどうして鞭だけ……。
 学院の馬は全部無事だったし、盗んだ馬で走り出したわけでもなさそうだ。

 その答えはサイトの上司、料理長から知らされた。

「『宝探し』に出かけた!?」
「ええ。ツェルプストー様方と一緒みたいですぜ。うちのメイドもひとり同行しておりますから、身の回りのことは問題ありませんよ」
「……他に何か言ってた?」
「えーっと、なんでも『購(か)いたいものがある』とか……あ、あの?」

 そう、わかったわ。

「アレのことは今を限りにクビにして頂戴。面倒をかけてすまなかったわね」
「え、 あ、いや、うちは別にかまわないんで――あの。どうか叱らないでやってくだせぇ」

 それは無理。



***



「それで、これはなに?」
「ひこうき、って言って、空を飛ぶ機械です……」

 目の前で正座をしている少年の答えに、私は、ふーんと頷いた。

「これを購いたかったわけ?」
「え!? い、いや……これは、たまたま知り合いんとこで貰って……運び賃はキュルケ達に借りるつもり……デス……」

 巨大な鉄のかたまりらしいその不思議な物体を此処まで運ぶのに、ドラゴンを使ったのだ。ちなみにその運び屋さん達は、私達の話が終わるのを静かに待ってくれている。礼儀正しい人達ね。

「……いいわ。それ、私が出すから」
「え?」
「ただし、半分はあんたの持ちよ。姫様に戴いた報償、使うから」
「ほうしょう?」

 アルビオン行のお駄賃だ。サイトが拾ってきた指輪の代金として、姫様から代わりに預かっておいた。

 財布を取りに行かせている間、私はそれに近づいてみた。運び屋さん達は黙って道を開けてくれる。
 手を触れる、鉄の感触。羽ばたかない翼を持った、ひこうき、というもの。

――なんでかしら、妙に惹かれるのよねぇ。

 そう、本当のところ、『使い魔の躾』という主人の義務(しごと)も放り出して、私はそれに心を奪われていた。

 その理由は、後にサイトの話を聞いてわかった。



***



――ひこうき、ってけっこう臭い。

 私はその『ひこうき』の中で呟いた。後ろの方の席から、つうしんき、だの何だのをとっぱらってもらって作ったスペースに、持ち込んだ毛布と一緒に収まっている。
 此処で寝たい、といった私に、サイトは最初とっても変な顔をしたけれど、ちゃんと要望通りにしてくれた。

 そのサイトは今もひこうきの外側で、かちゃかちゃと作業中。点したランプが天井に影を作る。――最初はフレイムを連れて来ようかと思ったのだけど、がそりんに引火するからダメだ、とものすっごく反対された。

「ものが燃えるには、火種と燃えるものと燃やすもの、酸素が必要で、酸素がたくさんあればあるほど、ものはよく燃える――なあ、ほんとうにこんな話聞いてて楽しいか?」
「ええ、」
「そっか……」

 サイトに聞かせて貰っているのは、サイトのいた国の技術、『カガク』のことだ。
 最近になって聞いた話だけど、サイトの国にはメイジがいないらしい。だからその国のものは全部、このひこうきのようにすごく凝ったカラクリと『カガク』でできているのだという。

「――でな、火種を近づけると、ぼん、ってな具合に爆発が起こる」
「へぇ、」
「ほんとは見せてやれれば、いいんだけど……酸素ってどうやって集めるんだっけ……小学校でもできるくらい簡単な実験なんだぜ」
「ミスタにお願いしたら?」

 この場所を提供してくれた、二年の『火』の授業を担当している教師のことだ。新奇なものに関心があるらしく、サイトの持ってきた『ひこうき』の修理も手伝ってくれている。ちなみに以前、私のカラクリを褒めたひとでもある。

「あー、確かに何とかしてくれそうだな。なんせ『錬金』でガソリンまで作っちゃうんだから……」

 そう、このひこうきを飛ばすのに必要な油も、そのミスタが『錬金』で作ってくれた。なんでも材料にこだわったり、色々と工夫したらしい。
 変わり者の教師が昼間、意気揚々と見せてくれたその成果――樽一杯の液体の、くらくらする独特の臭いを思い出す。

「ねぇ、サイトの国では、がそりんはどうやって作っているの?」
「作るっていうか、元になるものは自然にできるんだよ。石油って言って、こう、土の中で昔の生き物の死体がたくさん積み重なってできるんだ、」
「死体?」
「そう、バクテリアとか、なんか、そういうやつが働いて。でも、すごい時間がかかる」
「ふーん」

――なぁんだ、どっちにしろ私には作れないのね。

 がっかりしながら、天井を眺めた。狭苦しい鉄の空間で、手足を丸める。



 それからしばらくして、音が止んで天井の影が動いたかと思うと、サイトがはしごを登って私のことを覗き込んでいた。

「――なぁ、ルイズ」
「なに?」

 珍しく真剣な声に、身を起こす。

「俺さ、元いた世界に戻りたいんだ、」

 その左手は、ひこうきの縁をきゅっときつく握り締めていた。淡く輝くルーンを抑え込むように。

「帰る方法もわかんないし、なんかすっかり定住する気になってたんだけど――タルブでこいつを見つけて、此処と日本も何処かで繋がっているのかもしれないと思ったら――そうしたらやっぱり帰りたくなった、」
「そう、」
「いいかな?」
「馬鹿ね。そんなの、断ることじゃないわよ」
「そっか……、うん、ありがとな」

 サイトは、くしゃりと顔を歪めて頷いた。
 ホームシック、なのね……。


「ま、そうは言ってもちゃんと帰れるのかどうかわかんないけどな、」
「諦めちゃだめよ、」
「うん、わかってる。――なぁ、そうだ。こっちとあっちを行き来する『道』がわかったらさ、」
「ええ、」
「ルイズも来てみないか、おれの世界に」
「……は?」
「いや、なんかお前、科学にも興味あるみたいだし、けっこう楽しいと思うんだ。……えーっと、悪い。突然過ぎたかな。ま、ちょっと考えてみてくれよ。じゃ、おやすみ」

 何やら一方的に言うだけ言うと、カンカンと音を立ててサイトは去っていく。たぶん、そこの床で眠るんだろう。食堂をクビにしたから、今の彼には部屋がない。
 私は……毛布をもう一度かき合わせて、身を横たえた。



 そして、魔法のない国からきた『空飛ぶ棺桶』の中で、赤ん坊のように丸くなって、眠る。



***



 その翌日、私達は空を飛んでいた。――戦場に向かうために。

「タルブに、世話になった子がいるんだ!」

 アルビオンの艦隊に襲われたという土地の名を、サイトが叫ぶ。ひこうきは、サイトの心を映したように、すごい速度で空を飛んでいく。

 彼方に、戦火。

 私はそれを認めて、肌身離さず抱えていた祈祷書を開いた。一番最初の『文字』を睨みつける。
 『かみさまがくれたすてきなまほうしょ』――そこには、四大に数えられない、はみ出しものの系統。始祖が操ったという幻の虚無魔法が記されている。
 けれど、最初に『詠んだ』ときから、とっくに分かっていた。
 これを唱えるには、私はあまりに――足りなすぎる。



 足りない。


 足りない。


 足りない。


 足りない。


 力が足りない。


 源が足りない。


 精神力が足りない。



 魔法の源、術者の精神力――身のうちに蓄積された全てをさらったところで、きっと、この本の中のルーンはひとつとして唱えきることはできない。


――『がそりん』が、足りないのだ。




 歯噛みしながらそう考えたとき、ぱっとひらめくものあった。




――そっか。削ればいいんだわ。


 その答えに、私はちょっぴり嬉しくなった。難しい謎々が解けた子供みたいに、笑って――さっそく目を閉じる。

 私のからだの中のからっぽで、“足りない”と訴えるそいつに、それを差し出す。



 溜め込んだ精神力は“石油”みたいなもので、かつての私の感情が澱り、凝ったものならば――足りないのはしかたない。
 そういう風に生きてきたから。
 でも、今は必要。
 だから、ミスタのやっていたようにするのだ。



 似たようなものから、作り出す。

 そのための材料は――削ればいい。

 “私”を削って、作ればいい。









――ほら、できた。






「サイト。あのフネの上に行って」
「どうするんだ」
「ちょっと、ね。虚無<ゼロ>をかけるの」






 そして、単純明快なもうひとつの答え。

 どんな数にゼロを足しても、何も変わらない。
 けれど、“いち”も、“に”も、“さん”も、“し”も、どんな大きな数でも――ゼロをかけたら、全部、ゼロになる。






*** しにたがりなるいずさん 3 ***






 全身が気怠い。指先から肘までが痺れて感覚がない。
 腰も立たない。足がないみたいだ。
 サイトが支えてくれなかったら、座っていることもできなかっただろう。
 頭の芯が痺れて、ぼう、とする。
 からだの中は今までにないくらい、からっぽだ。
 何もないだけじゃなくて、空洞がおおきくなった感じ。



 それが、なんだかきもちよかった。







 んー、なんていうか、これはあれね。
 ちょっと…………せっくすしたあとみたいだわ。






 想像だけど。






<了>






 そらをじゆうにとびたいな。

(210823)



[11047] しにたがりなるいずさん 4
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2010/04/25 20:19
 私は、目の前に立つ彼の手をとった。右の手で左の手を。左の手で右の手を。

「な、なんだ?」

 手が触れた瞬間、ぱちぱちぱち、と瞬く黒い瞳がなんだか可愛くて、笑ってしまう。すると一瞬固まった後――彼も、へにゃ、と笑い返してくれた。
 そのときだった。これまで経験したことのないような気持ちが、ぱっと胸のうちに溢れた。嬉しいような、恥ずかしいような、ひどくあたたかくて、くすぐったい。
 私は、唐突に広がったその感情に耐え切れず、思わず俯いてしまう。頬が熱い。


――照れ臭い。

――でも、やっぱり、見ていたい。


 相反するふたつの気持ちがせめぎ合い、私は中途半端に顔をあげた。上目遣いに彼のことを見つめながら、その手を持ち上げる。
 そして、自分の頚動脈へと導いた。



「ねぇ、サイト。絞めて――」






*** しにたがりなるいずさん 4 ***






 アルビオン軍による侵攻を無事退けた結果、姫殿下は我がトリステインの女王として正式に即位されることになった。ということは、ゲルマニア皇帝との婚姻もなくなるのだろう。
 祈祷書を返さないといけないわね、と考えていたところ、ちょうど姫殿下、じゃなくて、陛下から呼び出される。
 ただし、使い魔も同行するようにとのお達し。

「なんで使い魔なんか……」
「大丈夫だって。女王さんに失礼のないようにすりゃいいんだろ、お前の面子は潰さねーよ」
「……お願いだから、一言も喋らないで頂戴」

 従者にも関わらず、ちゃっかりと馬車の中に座っているサイトに、私は頭が痛い。
 アルビオンから帰還したときも、場を弁えないこいつには苦労したのだ。姫様に向かって文句をつけたりして――まあ王子様の最期を伝えたりしていたらうやむやになったけど――。

「首輪でもつけておこうかしら?」
「……あのな、犬じゃねぇんだぞ」
「犬の方がよっぽどましよ」

 サイトは、む、と一瞬口を尖らせた後――ちょっと表情を改めて、尋ねてきた。 

「なんでだよ?」
「犬なら粗相をしても主人が叱られるだけで済むでしょう、」

 いくら使い魔だ従者だと言っても、『平民(ひと)』が王宮で何かやらかしたら、そう庇いきれるものじゃない。きっと本人の首も落とされることになる。
 サイトはようやく事の重さを悟ったらしい。静かになったのに満足していると、ぽそっと呟くのが聴こえた。

「……すなおじゃねー」

 は?



 陛下の御用というのは、『ひこうき』と虚無<ゼロ>についてだった。……まあ、突然わけのわからないものが戦場へ乱入してきたのだから、お調べになるのは当然よね。
 お互いに事情を説明した結果、虚無のことは公表しないということで結論が出た。その上で、いずれまた虚無を役立てられるように、と祈祷書を内緒で下賜される。
 王家への忠誠と国への奉仕は貴族の務めだ。是非もない。
 のだけど……、

「待ってくれよ、こいつの魔法をあてにすんのはやめてくれ」

 コノ使い魔ハ――さっきまで神妙にしていたはずのサイトが、突然陛下にタメ口。ああ、もう、ホント頭が痛い。

「サイト、黙んなさい」
「ヤダね。だいだいお前はほいほい引き受けすぎなんだよ! 毎回フラフラになってるくせに――」
「サイト!!」

 鋭く叱りつけた瞬間――くらり、として、視界が狭くなる。
 貧血だ。
 まずい、と思ったときには、もう腰が砕けていた。みっともなくも座り込んでしまう。

「ルイズ!!」

――こら、王宮で、大きな声を、だすん、じゃない、の……

「ルイズ!?」

――ああ、ほら、ひめさまも……



 意識が黒く塗りつぶされる。



***



 サイトの手に触れられた私の首が、とくとく、と嬉しそうに脈打っている。私はそこに自分の手を重ね、彼の甲に刻まれたルーンに触れた。
 使い魔のルーン――私と彼の絆――『一生』の契約――つまり、それが終わる瞬間を共に迎えるための、しるし。
 これまで意識しなかったのが不思議なくらい、その考えはすとんと私の中に納まった。
 そっとその文字を撫でる。

――サイトの手って、大きいのね。これなら片手でもへし折れるんじゃないかしら?

 苦しいのは好きじゃないし、窒息した顔はみっともないから、そうしてもらおうと思った。

「ねぇ、サイト。サイトもその方がいいでしょ?」

 ちょっと照れながら、尋ねてみる。すると――サイトはなぜか顎を落として、そんな私を見つめていた。

――間抜けな顔も、可愛いな。

 ふわふわと浮き上がった頭でそんなことを考えていると、バッと彼の両手が私の首から離れた。

「なななななに、言ってんだよ!?」
「何って、サイトって可愛いなぁ、って」
「!!?」

――あれ、これは口に出していたかしら?

 まあ、どっちでもいっか。
 サイトは扼殺は好みじゃないみたいだ。それとも恥ずかしがっているだけかな?

「――ねぇ、サイトはどういうやり方が好き? サイトの好きにしていいのよ?」



***



 意識が完全に途絶えていたのは、たぶん、そんなに長い間ではなかったと思う。気づいたときには、私はソファの上に身を横たえられていた。

「……虚無の……反動……もう…………」
「もし……こいつの……俺……さない……」
「そんな……せん……から、貴方も……」

 ふたりの声が聴こえる。なんとなく様子はわかるのだけど、声も姿も霞がかったようにはっきりしない。金縛りにあったみたいに体が動かないのだ。
 昔読んだ本に載っていた、臨死体験をした女の人の話を思い出す。……魂があくがれるって、こんな感じなのかな。

 とにかく人を呼ばれなくて良かった、と思う。陛下の御前で倒れるなんて、恥以外の何物でもない――実家に知られたら、おしおきモノだわ。
 たぶん、馬車での移動が響いたのだろう。虚無を放って以来、こういったことが増えていた。インテリジェンスソードのデルフリンガーに言わせると、精神力の使いすぎらしい。時間が経てば自然と溜まるらしいけど……今のペースだと、二十年後くらいかしら?

 姫様が『治癒』のルーンを唱えるのが聴こえ、次第に聴覚がはっきりとしてくる。

「こいつ、全然自分のこと構わないし、気が気じゃなくて――」
「それで使い魔さんは――」
「ええ、まあ――」

 相変わらず無作法なサイトに、姫様は普通に会話をしている。
 そういえば、昔から色々と“こだわらない”方だった。王族、だからかしら。ちょっと、浮世離れしているのよね……。

「あ、っと。すんません。俺、女王様に失礼なことばっか言って――」
「いいえ。忠言、感謝いたしますわ。使い魔さんが仰るのもご尤もです。わたくしの考えが浅くて、彼女にはいつも迷惑をかけてしまって。それでもルイズは嫌な顔……はしますけど……なんだかんだでいつもわたくしの我儘を聞いてくれて、助けてくれました。お恥ずかしい話ですけど、わたくしはすっかりそれに甘えてしまっていたんですね」

 しみじみと語る姫様。何なのかしら――

「でもどうか、これだけは信じてください。決して彼女を好い様に利用するつもりはありません――彼女はわたくしのたったひとりの、大切なおともだちなんです」
「ええ、わかりました」
「ありがとう。貴方のような方がルイズの使い魔でほんとうに良かった。どうぞ、これからも彼女のことをよろしくお願いしますね」
「もちろんです」

 いつになく、きっぱりと頷く使い魔。そして、ソファに寝かされたまま、置いてけぼりの私。
――えーっと……ほんと、何なのかしら、この会話……。
 なぜかこの短い時間で通じ合ったらしいふたりは、さらに私を肴に盛り上がる。

「そういえば……学院でのルイズはどうですか? おともだちはいるのかしら? 彼女、ほんとうはとても優しい娘(こ)なのにすこし誤解されやすくて、あまり他人を近づけないところもあるから、心配ですの」
「あー、確かにちょっと浮いてるところもありますけど、大丈夫ですよ。ともだちも、まあ、一応できたみたいだし、」
「あら、良かった」
「ヒトミシリっぽいとこあるし、自立心があるというか、なんでもひとりでやりたがるタチだから、あんま数はいないんですけどね」
「そう。もっと他人を頼ってくれたらいいんだけど……。わたくしが頼りないからかしら?」
「いや、単に頑固なんですよきっと――」

 頭上で延々と交わされる使い魔と友人からの駄目出し。それを反論も許されないままを聞かされた私は、こういう状況を示す言葉を考えていた。ああ、そっか。

――なまごろし、だわ。

 私は胸の中だけで深いため息をついた。



***



「ああ、そっか。お前、酔ってんだな! 酔ってんだよな!」

 サイトは私を無理矢理ベッドへと押し遣った。

「今日は一杯しか飲んでないわよ?」
「いや! きっと酔ってる。だから、はやく寝ろ」

 可笑しなくらい力説するサイトに、確かにそうかもしれないと納得する。だって、こんなに楽しくて、こんなにあたたかくて、こんなに幸せな気分なんだもの。
 ええ、きっと、今の私はサイトに酔っている。
 だからその酔いが醒めないように、彼の袖にすがった。

「じゃあ、サイトも来て。一緒に寝よ、」
「え゛?」

 硬直した彼をベッドに引っ張り込む。え、え、とそれしか言わない彼は、大人しく私の隣に納まった。胸板に額を押し当てる。心臓の鼓動がいとおしい。

「あったかい」
「あああ、あの、俺、汗臭いし、あ、ああんまりひ、ひっつくと――」
「じゃあ、脱がしてあげる――」
「うえ、」

 彼の上にまたがって、シャツに手をかける。ひとつひとつそのボタンを外しながら、その瞳を覗き込んだ。

「ねぇ、サイト。サイトの好きにしていいんだからね、」

 硬直して、赤ん坊のようにされるがままの彼に、囁く。

「だから――」

 黒い瞳の中に、桃色がかったブロンドの女が笑っているのが、見える。

「その手でしっかり、私のこと、殺してね、」
「あ――」

 呆ける彼に、そっと口づけた。



***



 私はなんとか動けるようになると、そそくさと王宮を後にした。戦勝祝いで沸く城下にサイトを残して、一足先に学院へと戻る。
 くさくさしながら歩いていると、中庭に、妙に大きな穴が開いていた。

「素敵な墓穴ね、ギーシュ」
「……や、やあ、ルイズ」

 覗き込むと、ギーシュと使い魔がいた。どうやらその使い魔、ビックモールが掘った穴らしい。

「浮かない顔をして、どうしたの?」
「いや、ちょっとね……」

 どうやら何かやらかして、恋人に叱られたらしい。学年一の気取り屋のくせに、しょんぼりしてモグラに抱きついている姿は、お世辞にもかっこいいとは言えない。

――恋は盲目と言うけれど、本当ね。

 私はしみじみと思う。傍で見ている分には小さなことで、浮いたり、沈んだり。どうしてあんなに忙しないのだろう。
 ギーシュといい、キュルケといい、すごいエネルギーだわ。
 あ、そういえば――

「キュルケ? さあ? 姿を見ないな。出かけたんじゃないかい?」
「また? あの娘、出席日数足りているのかしら」
「うーん。まあ僕も他人のことは言えないけどね、」
「そういえば『宝探し』の成果は『ひこうき(あれ)』だけだったの?」
「そうだよ。ほんとエライ目にあった、」

 どうも彼は、彼女へ贈り物を買うための資金が欲しかったらしい。結果得たものは、無断欠席を補填するための大量の課題、そして、長時間放置していたことに対する恋人のご立腹。

――本当にモテるのかしら。

 私は若干疑問を抱きながら、その後もしばらく穴の上に屈みこんで、底にいる彼と会話していた。
 首筋にかすかにぴりぴりと来る視線を感じたけれど、わざと無視する。



***



 明くる朝――

 目が覚めた。

 覚めてしまった。

 なのに、いない。サイトが、いない。

 部屋をぐるりと見渡して、それを確かめた私は――もう、寝台から下りる気力もなくて、そのまま再び芋虫みたいに丸まった。

――どうして、まだ……生きているの……

 昨晩、結局サイトが何もしてくれなかったからだ。おだてても、宥めても、すがっても、何をしても――私を殺そうとはしてくれなかった。しまいに私が哀しくて泣き出してしまうと、慰めるようにずっと背中を撫でてくれたけれど、それだけだった。

 泣き疲れて眠ってしまった私を置いて、どこに行ってしまったのだろう。

 思考は空転し、心は奈落の底に落ちていく。体の中の空洞はからっぽのくせに、鉛を呑んだように重たい。寒い。冷たくて、指ひとつ動かせない。杖を取る気力もない。呼吸をするのもわずらわしい。

 ああ、死にたいな――生ける屍のように横たわったまま、呟く。
 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたいなのに死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない死ねない……

 積み重なった憂鬱に押しつぶされてあともう少しで死ぬか壊れるかできそうなときだった――

「ルイズ……? まだ寝てるのか……?」

 その声を聴いた瞬間、カチリ、と歯車がハマったみたいに、私の中の躁鬱は、強制的に切り替えられた。

――来てくれた!

 そう思っただけで、気分はたちまち晴れ上がる。
 まとっていた毛布を脱ぎすてて、ドアの傍で立ち尽くす彼のもとへと駆けよる。慌てすぎて、足がもつれてしまった。ほとんど倒れこむように、抱きつく。

「サイト!」
「うわっ、と、とと」

 重かっただろうに、それでもサイトはちゃんと抱き留めてくれた。
 それが嬉しい。
 衝動のままに、そのまま彼の首にぶらさがるようにすがりつく。鼻先を埋めると、汗くさい男の人の匂いがした。それから、かすかにまざった血の匂い。

――え? 怪我しているの?

 慌てて、その肩や胸、背中を撫で回す。何処にも傷のないことにほっとすると同時に、その拳に痕が残っていることに気がついた。腫れ方からして、なにかをでたらめに殴りつけたのだろう。

――痛めたりしていないかしら?

 手を取ろうとすると、彼は驚いて身を引いた。なかば突き飛ばされたかたちで、私は寝台に戻される。勢いに身を任せたら、ごん、といい音を立てて後頭部が壁に当たった。

「痛い……」
「あっ、わるい!!大丈夫か!?」
「……ええ、大丈夫よ」

 自分のドジっぷりが照れ臭くって、笑ってしまう。よいしょ、とそのままベッドの上に立ち上がった。

「サイト」

 ちょいちょいと招くと、おそるおそる近づいてくるサイト。寝台で稼いだ高さを利用して、その頭を抱きしめた。

「おかえりなさい」
「う、あ……た、ただいま……」

 頭頂のつむじにキスを落としてから、身を離した。

「それで――」
「う、うん?」
「――縊殺にする? 殴殺にする? それとも、焼殺?」

 わくわくしながら尋ねたら、なぜか彼は膝からへなへなと崩れ落ちてしまった。

――調子、悪いのかしら?

「……ぜんぜんなおってねぇ……」

 なんのこと?――あ、そうか。

「あのね、いさつっていうのは、首をしめて殺すことで――」
「そういうことじゃねぇよ……というか、もう、後生だから黙ってくれ、」
「――ひどい、」

 その冷たい言葉に私は俯き、ベッドに膝を抱えて座り込む。いじいじと足の先をいじっていたら、サイトがようやくこっちを見てくれた。
 一瞬だけ。

「っ!?」

 げほっごほっと派手に咳き込む。どうしたの。ほんとうに、具合が悪いのかしら?
 ベッドに四つ足をついて彼の方へとにじり寄ると、真っ赤な顔で尻をついたまま後ずさる。

「おま!!?下着はっ!!?」

 私は自分の格好を見下ろす。前かがみになっているから、寝間着代わりのキャミソールは襟ぐりが開いていた。年頃らしい凹凸もないから、おへその先まで丸見えだ。
 真ん中で、サイトに貰ったペンダントが揺れている。
 下着は――たぶん寝ている間に脱いじゃったのかな?

「締めつけられるの、嫌いだから。あ、でも、首を絞められるのは別――」
「聞いてないっつーの」

 サイトは一瞬、素に戻った後……また顔を真っ赤にしてどもる。

「と、ととととりあえず、メシ、貰ってくるから――」
「薬殺かぁ。あんまりうれしくないけど、サイトが飲ませてくれるならいいわ」
「ちがう!」

 ……ちがうの?

 私は、出ていく彼をしょんぼりと見送った。



***



「よお、ルイズ。いるか?」

 大人気ない鬱憤晴らしの後、自室に戻った私のもとへ、使い魔がやってきた。

「町、すごかったぜ。人でいっぱいでさ、お前も一緒に来たら良かったのに――」
「……」

 ずかずかと入ってくるそいつを無視して手元に集中。

「えーっと……何、作ってんだ?」
「縄よ、」
「……マフラーじゃなくて?」
「夏場にマフラーなんか必要ないでしょ?」

 そもそもそこまで器用じゃないから、そんな複雑なものはできない。
 私はゆっくりと丁寧に、細く切った布を編みこむ。色は髪に合わせて、濃い桃色を基調にしてみた。編み上げた分から、順繰り、自分の首に掛けていく。

――うん、いい出来ね。

 出来栄えを確認していると、サイトが手を出して、私の視界を邪魔した。

「ほ、ほら、お土産買ってきたんだ」

 銀色の細い鎖のペンダントだった。トップは楕円形の小さなケースで、薬入れにちょうど良いサイズ。

「『錬金』じゃない本物の細工モノだってさ」
「……宝探しに出かけてまで、何か購いたかったんでしょう。いいの、こんなとこで遣って」
「あー、それは……いいんだよ、もう、」
「あらそ。……そもそも何が欲しかったわけ?」

 ちょっと口ごもったサイトは、笑うなよ、と念を押した後――爵位、と答えた。

「ゲルマニアだと金で購えるんだろ、」
「……あんた、貴族になりたかったの?」

 意外な野心に私が首を傾げていると、サイトは照れたようにそっぽ向く。

「だって、お前、いっつも平民だなんだって言って俺をハブろうとするだろ。だから、貴族になれば対等になれるかと思ってさ」
「それだけで?」

 私は思わず呆れてしまった。負けず嫌いというか、意地っ張りというか。

「ま、いいじゃん――とにかく、着けてみろよ」

 私は言われるがまま、首にかかっていた縄の束を外した。背後に廻ったサイトが、代わりにそのペンダントをつける。金属の感触とサイトの指がくすぐったい。

「――どうだ?」
「まあまあね、」

 手の中でその小さな金属の塊は、鈍く光を反射していた。



***



 ぎし、ぎし。
 体重をかけて動く度に、腰掛けている寝台が軋んだ。

「よいしょ、と」
「……えーっと、娘っ子?ちょっと良かったら教えて欲しいんだけど」

 中空で鈍く光を放つ錆剣が言う。

「なあに?」
「いや、何してんのかなーって、」
「見た通りよ、あんたを吊ってるの」

 より正確に言えば、デルフの柄に結んだ縄を天井のランプを掛けていたフックに引っ掛けて、吊り上げている。

「……何のために?」
「だってあんた、私には大きすぎるんだもの。刃も全然立たないし」

 そう、サイトの愛剣は、私が手で持ち上げて扱うには大きすぎて、重すぎた。そのくせ、錆びた刃は、いくら肌をこすりつけても全然切れない。
 だから、天井に吊り上げて落してみようと思ったのだ。

――この重さなら、きっと私の体くらい貫けるわよね?

「や、やめねー? 俺様、きっとそういうの向いてないと思うんだ! せめてもっと別の剣を探してくるとかさ!」
「いやよ」
「どうしてよ!? きっと俺様よりいい奴がいる――」
「だって――せめてサイトのもので――逝きたいんだもん――」

 答える私の両目は、涙でにじんでいた。すん、と鼻を鳴らしながら、縄を引く力を強める。私だって、本当はこんなのは嫌だ。でも、しかたない。サイトが殺してくれないのだから――

「……あれぇ、おかしいなぁ……俺、剣なのに、なんか今大切な数値がガンガン削られてる気がする……」

 デルフが天井でなにやら呟いている。それに、助けて汚されちゃう、とかなんとか。
 その言い草にムカッときた。

「ちょこっと血がつくくらい我慢しなさいよ。こっちなんて、裂けちゃうんだから、」
「やめよーぜ、やめよーぜ。剣にだって心があるのよ、これのせいで不能になちゃったらどーしてくれんのよ」
「一緒に埋めてもらう? 貴方なら別に構わないわよ?」
「いやいやいや。あ、そうだ、とりあえずこういう危険なコトは止めて、相棒が来るの待とうぜ。な、な。きっと相棒ならもっといい方法考えてくれるって」
「ダメよ。サイトは、私のことなんてどうでもいいんだから……」

 自分で口にしたその絶望的な事実に、私は再び打ちのめされる。脱力して、思わず縄を握っていた手を離してしまった。ずさっと私の横、数サントの位置に刺さるデルフ。

「お、おおお、あぶねー」
「……サイトは私のことなんて……嫌いなんだから……」

 私はぐず、と泣き方の下手な子供のように鼻をすすった。みっともなく歪んだ泣き顔を、両手で覆い隠す。

――そうよ。だって、あんなに頼んだのに、私のこと全然殺してくれないんだもの……。きっと、私のことなんて好きじゃないんだわ。

 こんなに愛しているのに、その人に殺してももらえない私なんて、本当に何の価値もない。
 だから早く死なないと……。
 そう考えながら、それでもやっぱり未練がましくサイトを想って泣いていると――
 すこし静かになったデルフが低い声で言った。

「なあ、娘っ子。相棒は、お前さんのことが好きだよ?」
「――うそよ」
「うそじゃねぇ。相棒がこれまで戦ってきたのも、今学院中を駆けずりまわっているのも、全部お前さんのためだよ。お前さんが好きだからだよ、」
「そう、なの? じゃあ、サイト、いつか、殺してくれるのかな……?」

 ほのかな希望に、私は顔を上げる。

「…………なあ、なんでそんなにあいつに殺されたいんだ?」

 質問の意味がわからなかった。

「だって、殺すって愛しているってことでしょう?」
「……お前さんは愛している相手は殺したいのか?」
「まさか。変な誤解しないで――私がね、死にたいの。それだけよ」
「どうして?」
「どうしてって……」

 ほんと、変なことを訊く剣ね。

「死ぬより良いことって、ある?」 

 そういえば――なにか私には死ンデハイケナイ理由があったような気がする。けれど、思い出せない。
 まあ、いっか。
 そう、どうでもいいわ。殺してもくれないひと達のことなんて――。
 今はサイトだけがいればいい。サイトが私を殺してくれさえすれば、私は幸せだもの。



***



 私はクラスメートの部屋を訪ねていた。
 部屋の主は、水のドット、香水のモンモランシ。魔法薬(ポーション)作りが得意で、小遣い稼ぎに校内で売っている。私も結構お世話になっていた。

「――ああ、ヴァリエール。いつものよね。はい、どうぞ」
「ありがとう、モンモランシ」

 忙しそうに机に向かった彼女。普段どおりの完璧な縦ロールに隠されて、その顔は見えない。それでも、私はその瓶を受け取って、にっこりと微笑んだ。

――ほんとうにありがとう。



 夕食の後、サイトに寝酒用としてワインを持ってきてもらう。いそいそと私が薬瓶を取り出すと、不思議そうに覗き込む彼。

「それ、なんだ?」
「ポーションの一種よ。これを飲むと、よく眠れるの」
「へぇ」

 私はそれをワインの中にたっぷりと垂らした。
 彼女が“私のために”用意してくれた薬――それがどんな効果をもたらすのか、わくわくしながら、飲み干す。
 そして、私は――



 目の前に立っているサイトを“見た”。



***



 ようやく帰ってきたサイトは、なんだかとっても疲れて、荒んだ顔をしていた。これから出掛けるから一緒に行こう、という。

――そっか。こんな狭苦しい場処じゃなくて、表の方が気持ちいいものね。

 そう思ったけれど、口には出さないで、ただ頷いた。
 たぶんサイトは、露骨なのがイヤなのだろう。確かに昨晩からの私はちょっと急ぎすぎて、はしたなかったかもしれない。
 だから、すこし自重することにしたのだ。

「湖に行くの?」
「ああ、ラグドリアン湖ってとこだ。知ってるか」
「ええ、素敵なところよ。水底に精霊の国があるの」
「そっか――」

 ふたりでひとつの馬に乗る。私は横すわりでサイトのお腹に抱きつきながら、まだ見ぬ水底の国を思い描く。
 もしも精霊に会ったら、骨になるまで水底に置いておいて欲しい、ってお願いしてみよう。溺死体はどうしても醜いもの。そんなものを愛する人の目に触れさせるのはイヤだわ。
 でも――精霊の国を見ながら、溺れ死ぬのはきっと楽しいわね。

――早く着かないかなぁ……。

 道行には、やっぱり疲れた顔でしかもぼろぼろのギーシュと蒼褪めた顔のモンモランシもいたけれど、私は気にしなかった。



 サイト達は湖に着くと、さっそく水の精霊とお話をしていた。水の秘薬が欲しいみたい。
 私は、ぼんやりと彼らのお話が終わるのを待っていた。

――まだかなぁ……待ちくたびれちゃった……

 このところの強制的な精神の乱高下と慣れない遠出によって、私はすっかり疲れ果てていた。うつらうつらとしながら、途切れ途切れに聴こえる単語を拾う。
 どうやら、精霊が水の秘薬を分けるのを渋っているらしい。それを手に入れるために、サイトが何かすると言っている。

――私の虚無なら、精霊だって消せるのに……。

 そう思ったけれど、実行する前に話がついていた。サイトが戻ってくる。

「ルイズ、大丈夫だからな。俺が全部なんとかしてやるから。だからもう少し待っててくれ」
「うん、わかったわ」

――いい子で待ってるから、はやくしてね。

 私は言われた通り、甘くかすみがかった夢の中で、ひたすら静かにそのときを待った。そして――



「サイト。いいの?」
「ああ、ルイズ――」
「嬉しい。やっとなのね」

 満面の笑みで、出迎える。サイトの手には薬瓶。ああ、これのために秘薬が必要だったんだ、と私は理解する。

――いったいどんな『毒』を用意してくれたのかしら?

 私がサイトに抱きつくと、周囲にいた友人達は皆、礼儀正しく、視線をそらした。顔色の悪いモンモランシにギーシュ。それから、いつの間に来たのか、硬い顔をしたキュルケとタバサ。
 見上げる私をじっと見つめながら、サイトは意を決したように薬を口に含む。
 瓶が口から離れるのを待つのも惜しく、私は彼と最後の口づけを交わした。
 舌を絡めて、熱をなぶり――悦びにとろけながら――彼の口から移されたその液体を、躊躇いなく嚥下する。
 彼が与えてくれるものならば、なんでも愛おしい。
 ましてそれが私を終わらせてくれるものなら、最高だ――。

 そして私の夢は――――






――終わった。






*** しにたがりなるいずさん 4 ***






――今までで一番、最悪な目覚めだわ。

 目を開くと、サイトが天幕に寝かされた私を覗き込んでいた。その顔をさっきまで気づかなかったのが不思議なほど、げっそりとやつれている。眼の下はひどいクマだ。

「ルイズ、俺がわかるか?」
「――ええ、サイト、」
「気分は? 悪くないか?」
「大丈夫よ。そんなことより――」
「何か、欲しいもの、あるか?」

 ……ハア。

「そうね、とりあえず……説明、して欲しいわ。何なの、この状況?」

 その答えに、一斉に、安堵の息を吐く皆。

 私はサイトの向こうに見える彼らを、改めて観察した。蒼褪めた顔のモンモランシ、縦ロールが完全にほどけているところなんて初めて見たわ。ぐったりした顔のギーシュとキュルケ、ギーシュの顔には殴られたみたいな痕がいっぱいついてる。それから、無表情のタバサが私の頭上に――て、どうして、ひざまくら?

「……えっと、私、怪我でもしたの?」
「いいえ」

 タバサがそっと私の額を撫でる。キュルケがひどく優しい瞳と声で、尋ねる。

「ここ数日のことは、覚えていない?」

 私は、すこし困った顔で考える――ふりをする。

「……ええっと、あんまし」
「そう」 

 ギーシュが深いため息をついた。

「はあ、良かったよ。これでルイズにし――」

 どごん、という、いい音がしてギーシュが吹っ飛んだ。ちょっと、サイト――

「黙っとけ、くそバカップル貴族!」
「サイト!何を!?」
「ごめんなさい!ごめんなさい!」
「……モンモランシ?」

 蒼褪めた、どころか、死刑を言い渡された囚人みたいに顔を白くして『私達に』謝るモンモランシ。ギーシュは反撃するでもなく、鼻を押さえて、そんな彼女と私達を見ている。
 ようやく私がギーシュの一連の怪我の原因に気づき困惑をしていると、拳を血で汚したサイトに抱きしめられる。

「よかった、元に戻ってくれて――」
「サイト――」

 その心底疲れ果てた声と、どこか体に馴染んだぬくもりに、意識の残滓がほだされそうになるけれど――私はなるだけ『いつものように』尋ねた。



「お願い、ちゃんと説明をして」



「ほれぐすり?」

 それが、あの晩、私が飲んだ薬の正体だった。
 飲んだ後、最初に見た人間に強制的に恋心を抱かせる、操精神性の紛うことなき『毒薬』だ。
 さすがに驚いた。モンモランシが色々と面白い魔法薬作りに嵌っていることは知っていたけど、まさかそんな禁制品を作っているなんて――。

 せいぜい、病死に見せかける呪い薬くらいだと思ったのに……。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 呆れながら見れば、トリステイン貴族らしい高慢さが魅力的だった彼女は、俯いたまま謝り続けている。
 だいぶサイトに脅かされたみたいね。ギーシュのおかげで、怪我はないようだけど。代わりにサイトの八つ当たりを一身に受けた彼は、ぼろぼろだ。

「ああ、いいのよ。モンモランシ。私もちょっと迂闊だったわ、ちゃんと中身を確かめなかったから――」
「ルイズ。そうじゃねぇよ、こいつはわざと――」

 私は手を伸ばして、サイトの口をふさいだ。と言っても、手のひらを当てただけだけど。

「馬鹿ね、サイト。変なかんぐりをしないの。彼女が『わざと』変な薬を渡すなんて、するわけがないじゃない。これはちょっとした『事故』よ」

 私は彼の目を見つめて口早に言い、それから、またモンモランシに向き合った。

「誰にだって間違いはあるわ。だから、気にしないで」
「ヴァリエール……?」
「それに私、貴女のつくるポーション好きなの。こんなことくらいで止めてほしくないわ」

――だから、これからもよろしくね。

 呆然としている彼女の目を見つめて、にっこりと微笑みかける。『理解』したらしく、彼女は蒼褪めた顔で、こくりと頷いた。
 
 まあ、自業自得とは言っても、こんなことで御家取り潰しになるのは哀れだ。それに、わかってて煽ったのは私だし。
 でも――

 これだけ大騒ぎして結局手に入ったのは、いくらか溜まった精神力と、いつでも『薬』が手に入れられる環境だけ、か……。

 私は誰にも気づかれないようにため息をついた。

――あーあ、しにぞこなっちゃった。

 もちろん、もう口に出したりはしない。






<了>






 りみったーかいじょ。或いは、サイトいぢめ。

(210831)



[11047] しにたがりなるいずさん 5 前
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2009/11/15 22:25
「そういえば、明日から夏期休暇ね――」

 頁をめくる手を止めて、私はふと呟いた。

「ああ。でも帰省はしないんだろ?」
「ええ、面倒だもの。それより、あんたはどうするの?」

 体をひねって背後の使い魔に尋ねれば、洗濯物をクローゼットにしまっているところだったサイトも手を止めてこちらを見た。

「俺?」
「ひこうき、また飛べるようになったんでしょう? 『東』に行くなら早くした方がいいわよ」
「あー、まあ、そうは思うんだけどさ」
「?」
「あてがないんだよ」

 ぽりぽり、と頭をかく。
 サイトの国は、このハルケギニアとは遠く離れた、『違う世界』にある、らしい。召喚ゲートをくぐって飛び越したその距離を、再度戻るには普通の方法では難しいだろう、とサイト。
 たしかに、ただ漫然と旅をしていて行き着けるものではなさそう。

「ゼロ戦もそんなに長距離行けるわけじゃないからさ。せめてなにか目当てがあればいいんだけど」

 それに、途中で“がそりん”の補充も考えないといけない、か。

「たしかにもう少し計画的にした方がいいわね」

 行くべき先もわからないまま見知らぬ土地へ飛び立つ馬鹿はいないわ、と思っていたら――実はこの使い魔、実際にひこうきに乗り込むところまで行って、ようやくそのことに気づいたらしい。

――無鉄砲というか、考えが浅いというか……。

 『東』というのも、あくまでイメージ、とのこと。なんか適当ねぇ。

「しかたないだろ、皆目見当がつかないんだから――あーあ、また、あの銀色の鏡が出てきてくれればいいんだけどなー」
「あんたの世界から誰かが召喚魔法を使えば開くかもね――あ、でも今は私の使い魔になってるから駄目か」

 二重契約はできない。できるなら、私だって全財産をつぎ込んでもフレイムを貰っている――。

「使い魔、止めてみる?」

 私の提案に、サイトは憮然と答えた。

「俺に死ねと?」
「……嫌ならいいけど」
「……あのな」

 サイトはハア、とため息ひとつ。

「とりあえずこの休暇の間に、ゼロ戦見つけたとこにもう一回行ってみるつもりだよ――。でも、どっちにせよ、先立つものがないとなぁ」

 異世界渡るのも金次第か、と世知辛い。

「それより、もっときちんと調べたら? そうだ。あんた、文字読めたわよね? ちょうど夏休み中はフェニアのライブラリーを――」

 使わせてもらえるから、そこでその異世界とやらの手掛かりを探したらいい、と言おうとしたときだった。
 開け放していた窓から、ふくろうが飛び込んできた。

「手紙?」

 差出人を見て、即座に封を切る。一読。――無意識に、前髪をかきあげていた。

「休暇は取消ね」
「え?」

 祈祷書を取り上げ、適当な頁の間に手紙を挟みこみ、そして私はサイトに告げた。

「王都に行くわ。ちょっと手伝って」






*** しにたがりなるいずさん 5 前 ***






――ああ、死にたい。

 手紙は陛下からの命令書だった。私に、王都で平民にまぎれて働き、情報収集を行うように、とある。城下の不穏な動きや噂話などを集めて報告しろとのお達しだ。
 つまり、間諜――のようなもの。どうせ素人ふぜいが集められる情報なんて、治世に対する正直な愚痴不満くらいだけど。

――死にたいな。

「君、見ない顔だね。新人かい?」
「え? ええ――」

――死にたい死にたい死にたい。

「初々しいなぁ。こういう仕事は始めてかい? じゃあ、僕がこつを教えてあげるよ」

 私は近づいてきた手から体を離し、代わりにワインのボトルを差し出した。

――そうだ、このグラス爆発しないかしら。

「動かないでいただけますか? 不慣れですから零してしまうかも」

 有無を言わさず、注ぐ。酔漢はすこしばかり驚いた様子で、グラスを支えた。

「あ、ああ、ありがとう。それで――」
「お料理の追加はいかがです?」

 言いながら空の皿を取り上げる。あまり沢山は持てないから、汚れた食器はほとんどテーブルに残ってしまう。

――今すぐテーブルが倒れて、このナイフが喉に突き刺さればいいのに。

「それじゃあ後ほど、お持ちいたします――」

――それか足を滑らせて、頭を打って――

「あぶない!?」

――そして、この天井が落ちてくるとか。

「大丈夫かね。床で滑ったのか? 気をつけたまえ」

 髭をたくわえた紳士的な貴族が、気取った仕草で私を立ち上がらせる。腰にさげた、レイピア風の杖。衛士かしら。

――いいなあ、よく切れそう……。

「君?」
「あ。えっと、大丈夫です。その、ごめんなさい――」
「ああ、よいよい。それよりも――ほんとうに妖精かと思ったぞ。まるで羽のように軽いな」
「もしも私が羽なら、今頃は風に飛ばされて空の彼方ですわ」

――そして、そこからまっさかさまに墜ちるの。

「そうしたら私が『フライ』で追いかけてあげよう。――君、名は?」
「あ――」

 男の言葉で仕事を思い出した。二の腕に触れようとする手を、押し戻す。

「ごめんなさい、急がないと。後でお伺いいたしますわ」

 そうそう、フライ・ド・フィッシュを運ばないと――それから――
 テーブルと椅子の間を縫うように歩き、厨房へ。なぜか持ち場を離れて入口に立っていた使い魔に出迎えられた。手を背に背負ったデルフにかけている。邪魔。

「……なあ、ルイズ。お前、なんかすげー馴染んでね?」
「…………サイト? 頭に『発火』食らうのと股座に『錬金』かけられるの、どっちがいい?」
「ご、ごめんなさい」

――ああ、鬱だわ。鬱鬱鬱鬱鬱。頭を撃ち抜いて死にたい。

 サイトの間抜けな顔を見たせいで、我慢も限界になった。勝手に厨房の壁に寄り掛かって、休憩をとる。もう、歩きたくない話したくない息もしたくない。
 そもそもどうして私がこんな目に遇わないといけないのか――ああ、愚問ね。生きているからに決まっているじゃない。そうよ、やっぱり生きているのが悪いんだわ――

「ル、ルイズ。そろそろ休憩時間だから、な。 な? フロアに戻ろう? それかせめて、お、おおお願いだから、包丁片手に薄笑いを浮かべるのはやめてくれ!」

 使い魔の悲鳴じみた諫言を無視して、私は自分が身につけている『布』を見下ろす。――フリルのついた白いキャミソール。背中は大きく開き、腰で幾重にも結わわれたリボンによって、コルセットのようにぴたりと体のラインに沿う。
 チクトンネ街随一の酒場、魅惑の妖精亭のすてきな御衣装。

「……ねぇ、サイト。私、がんばったわよね?」
「う、うん?」
「だから、もう、いいわよね? がんばんなくて――」
「ル、ルイズ?」

 だって、苦しいのはイヤなの。辛いのもキライ。

「あ、こらっ! やめろ!! やめなさいっ!!」
「止めないで! もうヤなのよ――こんな格好!!」
「だからって、そんなもんで紐を切るなっ! ああっ、服を脱ぐなぁっ!!」
「締めつけられるのは嫌ー!!」
「お前のからだのどこに締めつけられる要素があんだよ!!?」

 さりげなく失礼なことを言って、使い魔は私の手から包丁を取り上げた。

「ううっ……」

 頭が痛い――割れ鐘のように鳴り響く――割れないかな。

「すこし落ち着けよ。な? 店長に言って、今日はもう上がらせてもらうから」
「だめよ。しごとはちゃんとやらなきゃ……」
「無理すんなって」

 その頭に、ぽんぽんと軽く叩くように手のひらがのせられる。そして私は――ようやく自分の『異常』の原因に気がついた。

――そっか。薬、きれちゃったんだわ。

 俯いたまま、首に提げていたペンダントを取り出す。ぱかり、と開き、その中から白い錠剤をひとつ。指で砕きながら手近なグラスの中に落とし、ワインを注いで、ぐーるぐる。
 そして――

「う、うわああああっ」

 ガシャン!!
 サイトが突然叫んで暴れ、わたしのすてきなしろいおくすりは、グラスとともに床に飛び散った――

「何してるのよ? また給料差っ引かれるわよ?」

 なんか醒めた私は、叱るというよりも忠告のつもりで告げた。私と違い、純粋にお金稼ぎ(アルバイト)に来ている彼。本業は用心棒とはいえ、お皿洗いも大切な役目だ。それでマイナスを稼いでは目も当てられない。
 けれど落ち着かない使い魔は叫ぶばかり。

「お、おおお前こそなななな何してんだよっ!! 何入れた何!?」
「何って、ちょっと、絶望に効くクスリ(抗鬱剤)を――」
「ク、ククククスリ、ダメ、絶対っ!!」
「そのへんの怪しいポーションと一緒にしないで。ちゃんとしたやつなんだから」

 休暇前にモンモランシーに頼んで作ってもらったのだ。おかげでなんとか衝動を抑えられている。ちょっとテンションがおかしくなったりもするけど。
 そう告げると、

「……また、あの縦ロールか……」

 サイトが、ゆらり、と踵を返した。手は再びデルフにかかっている。

「――どこに行くの?」
「いやな、ちょっと――あの女の頭、丸刈りにして塔のてっぺんから吊してこようかと――」
「ダメよ。あの娘今忙しいんだから。――それより仕事したら?」

 私は新しく注いだワインを飲みながら、上目遣いにサイトを見つめた。するとなにやら使い魔は青い顔に。胃が痛いらしい。大丈夫?

 そのままふたりでぐたぐだしていたら、店長の娘に、サボるな、と叱られた。
 ハア。



 そもそもなぜ私がお役目のためとはいえ、こんなところで働いているかというと――話は休暇初日に遡る。
 陛下の命令を受け取った私は、とりあえずタバサに近場まで送ってもらい、王都に入った。買い出しなんかで偶に王都に来ているサイトに街を案内してもらい、それらしい服を買ったり――そこまでは順調だった。

「で、後は? 何がいるんだ?」

 手紙の指示には、平民のふりをして宿をとり、花売り等をして目立たないように暮らすように――とある。

「というわけで、花街に案内して」
「おう!任せとけ――え?」

 それまで自信満々に私の手をとって街中を引っ張りまわしていたサイトが、急に停止。

「花?」
「ええ。仕事仲間に連れていってもらったことくらいあるでしょう?」
「あ。ああ!お花屋さんか!」
「……なにボケてんのよ。花街って言ったら男が女を買うところに決まってるでしょうが」

 サイトが口をぱくぱくさせた後、よくわからない動きで、ぐるぐると両手を動かしたり体をひねったりし始めた。新しい芸?

「お、おおお前っ!? 何しらっとした顔ですっとぼけたこと言ってんのよ!!?」
「だって『花』を売れって――」
「あ、あのな! どこの世界にたかが噂集めのために親友に身売りをさせる姫様がいる!! 花売りって言ったら、あれだろ? 道で籠に花入れて売ってる――」

 ああ、あれもそうね。確かに花を売っているわ――

「もっと素直に考えろよ!」
「考えたわよ?」
「じゃあもう考えんな、感じろ!……ていうか、どんな世間知らずだ、おい」
「なんでよ? 街の情報を集めるなら色街が一番ってお父様も仰ってたわ」
「……娘になんつー教育をしとんじゃ、お前の親父さんは」
「ただの世間話よ」

 貴族としての心得や領地経営における心構えなんかを説いている途中――嫡男がいないので、その代替としてだろう、父は時折そうした話を娘(わたし)にした――ちょっとした流れでそんな話になっただけだ。
 もっとも――たしかにそのお話をした翌日、杖も持たずにお空高くまで遊覧飛行『させられて』たけど……。

「そうか、お前、あれだな」
「なによ?」
「あれだよ、本ばっか読んでわかった気になってる『頭でっかち』」
「なっ!」
「気をつけろよー。箱入り育ちのお嬢様にはわかんねーだろうけど、社会ってのはアブナイんだからな……。下手なとこに迷い込んだら、お前なんかカンタンに騙されてほんとに売られちまうぞ」
「う、うううるさいわね。余計なお世話よ」

 自分だって学院に来るまでは奉公にも出ていなかったくせに、妙に年長ぶる使い魔が腹立たしい。ぎりぎりと歯をかみ合わせて堪えていると――殊更にため息をついたりする。

「不安だ激しく不安」
「いいから、さっさと適当な店に連れて行きなさい」
「適当って――」
「宿があって働けて、『お役目』に適う場処。代案がないなら最初の予定通りよ」
「阿呆、それは諦めろって。そもそもお前のその年齢不相応な体型でだな――」

 なにか非常に失礼なことを言いかけた使い魔は、

「あ」

 唐突に呟いた。そして、ぱっと顔をほころば……にやけさせる。
 なにかロクでもないことを考えているらしい。私はその胡散臭い顔を見つめる。すると彼はわざとらしく咳をひとつした後、表情を改めて重々しく告げた。

「あー、実はな、チクトンネ街に、前に同僚のコに教えてもらった店があるんだ」
「どんなとこ?」
「まあ、食事処だな。酒も出す。そんで、若い女の子を給仕に雇っている。たくさん」
「……なるほどね」

 まあまあ良さそうだと考えた私は、さっそく案内させることにした。すると――再び私の手を掴んだサイトが一言。

「やっぱ、カンタンじゃん」

 その意味は、店長との面接後、採用が決まって職場に案内されたときに理解した。



「……主人を身売りするなんて、ほんと最低な使い魔だわ」
「おにーちゃん、だろ?」
「『フライ』、逝っとく?」

 毎日平民に混ざって働いているせいか、あるいは『兄妹』という設定(ウソ)に乗じて軽口の増えた使い魔のせいか、最近言葉遣いが荒くなっている気がする。
 私は髪に櫛を入れながら、すこし反省。

 そうね、この衣装は、パーティ用のドレスだと思おう。
 コルセットじみた服も、そう思えば慣れたモノ。むしろ動きやすさを考えれば、丈が短い分、実家で着せられていたものに比べればずっとラクだ。そう、ヒールで動き回るのも、ダンスの練習だと思えば――。

 自分を誤魔化しながら、狭い室内で、今日も身支度を整える。

 家出のワケアリ『兄妹』を名乗るふたりに、与えられた住居は屋根裏だった。元は物置だったらしい天井の低い空間には鏡台と、申し分程度に傾いだベッドがある。そこにぼけっと座って、私が着替えるのを見守っていたサイトが話しかけてきた。

「でもすこしは慣れたみたいじゃん」
「まあね。だいぶ粗相は減った、と思うわ――あいかわらず話すのは苦手だけど――」

 くるくると表情を変えながら基本笑顔で、様々なお客の不条理としか思えない言動に、易々と対応している店の女の子達は、ほんとうにすごいと思う。
 これが正式の席なら私も相応に振る舞えるんだけど――『公爵家令嬢』として、冷笑して拒絶すればいいだけだから。
 今はせいぜい笑みを浮かべながら、睨みつけるくらいだ。
 これなら、話なんかしないで体だけ差し出していればいい郭の方がどれだけラクだったか。

――あ、でも、そこで情報を手に入れるなら話しかけないとだめよね。ここなら耳を澄ませていればいいわけだし。

 客には貴族もいれば平民もいる。酔えば口もゆるむし、乞わなくても話したがる連中ばかり――そう考えると、なんだかんだで、この店はお役目に最適なのかもしれない。
 私は渋々ながら、それを認めた。頭でっかちの箱入りと言われるのもしかたない……かもしれない。
 
「まあそんなに気にするなよ。人気も、ちょっとだけだけど、出てきたみたいだぜ。なんか妙な迫力があるって――」
「なにそれ?」
「さあ? でもそのうち、馴染み客とかできるんじゃないか?」

 お客の顔なんていちいち覚えていないわよ、と言うと、サイトに笑われた。

「とにかく、これならレースもいいとこいけるんじゃないか?」
「チップレースのこと? 関係ないわよ」
「でも優勝者には『魅惑のビスチェ』が貸し出されるって――」

 レースの説明のときに店長が着ていた優勝賞品を思い浮かべる。ぱっと見には単に可愛いだけの黒いビスチェだけど、実際は『魅了』の魔法がかけられた特別製だ。そんなものを着て店に立てば、チップが稼ぎ放題になるだろう。でもね、

「あのね、私にそんなものがいると思う?」

 何のためにここにいると思ってるのかしら。
 ただでさえ当初の目的とは外れて、順調に貯/溜まっていくチップと精神力には辟易しているというのに――。

「…………あー、たしかに。要らないな、お前にゃ」

 たっぷりとこちらを見つめた後、ようやく頷く使い魔。最近寝不足だとかで、どうも、反応が鈍い。前も着替えを手伝わせていたら、なんか顔を真っ赤にして熱を出していたし。

――私に付き合ってアルバイトなんかしなきゃいいのに。

 休暇はどうしたのだろう、と内心思いつつ、私は鏡台に向き直った。最後の仕上げに髪を高く結い上げる。



***



 タバサとモンモランシーが店にやって来たのは、ちょうど徴税官ご一行か店を占領してたっぷりと飲み食いして帰った二日後のことだった。

 ずいぶんと気前のいい客で、私もご相伴にあずかり、けっこう高級なお酒をいただいた。最後の支払いで少々トラブルが起きたみたいだけど――金貨がないなら、悪趣味な時計と服と帽子と杖を置いていけばいいのに――最後に、サイトが女王陛下からの任官状を取り出し、説得。無事、一件落着した(サイトは「さすが『アオイの紋所』」とかなんとか)。
 その結果、なぜかチップレースでは私が優勝してしまい、優勝賞品の代わりに一日分の休みをいただいた。用心棒としてきちんと働いたサイトも、同じく休みをもらって。

 けど、私はサイトにしこたま怒られた。

 どうも酔っぱらって、無意識に杖を出してしまったらしい。そういえば目の前で中途半端に残った髪の毛が目障りだったから、きれいに吹き飛ばしてしまったような――。
 しかもお客の膝上に乗ってた? ああだから、目についたのね。

「とにかく!お前は酒禁止!!いいな!!」

 というわけで、薬に加えてお酒まで絶たれた私は、彼女達が来たとき、少々不機嫌だった。

「ヴァ、ヴァリエール? そ、そそそその格好は――」
「ルイズって呼んでちょうだい。それより、モンモランシー。差し入れがほしいの」
「な、なに?」
「象も一瞬で眠り込んで耳元で行軍ラッパが大合奏しても起きない眠り薬。液体と錠剤両方ね」

 挨拶代わりにお願いしたら、顎を落として硬直してしまった。

「冗談よ」

 とりあえずそう誤魔化すと、毒を含んだような表情できょときょとと視線をさまよわせる。

「ね、ねえ、どうしてこんなところで働いているの? まさか借金でも――」
「違うわよ。ただの暇つぶし」

 私ではなく、陛下の、だけど。

――ほんと、こんな迂遠ないやがらせをするくらいなら、さくっと刺しに来てくださればよろしいのに。

 嘆息しつつ注文を訊き――おごり、と知ると遠慮ないのは平民も貴族も変わらない――タバサから手渡された『差し入れ』を抱えて、厨房へ戻る。
 ひょこ、と顔を出したサイトが首を傾げていた。

「あいつらにここで働いていること言ったのか? 秘密じゃ」
「大丈夫よ。口止めはしてあるから――」

 今日は二人にお願いしていたことの中間報告に来てもらったのだ。

「なんだ? 夏休みの宿題でも頼んだのか?」
「いいえ、もっと個人的なこと」
「ふーん?」

 タバサにはその読書量を見込み、フェニアのライブラリーの調査を――同じような内容に関心があるらしく、私の代わりにとライブラリーの閲覧許可をあげたら、快諾してくれた。
 そして、モンモランシーには魔法薬の知識と、なにより代々『水の精霊』の巫女を務めたモンモランシ家の一人娘という立場を見込んで、情報収集を――ポーション実験のための資金と一緒に、きちんと笑顔で頼んだら、やっぱり二つ返事で頷いてくれた。

 モンモランシーへの『お願い』はともかく、ライブラリーに関しては、夏期休暇を使って自分で調べるつもりだった――そのために学院長に頼み込んで普段は入れないライブラリーの閲覧許可をもらったのだ。
 けれどすべて、気紛れな姫様のおかげでご破算になってしまった。

――ほんと、タバサがいてくれて、助かったわ……。

 ついつい我慢できず、渡された『レポート』をぱらぱらとめくりながら思う。そう言えば――

――あの娘はどうして『水』の先住魔法に興味があるのかしら?

 けれどレポートの内容に、すぐにその疑問は失せた。
 さすが学年一の読書家、いい仕事ぶりだ。ハシバミ草は大盛りにしてあげよう。

「じゃあ、キュルケとギーシュは?」
「?」

 サイトに指さされて気づいた。あら、一緒に来てたの?


「あんたって、とことんマイペースよね!」
「別に無視したわけじゃないわよ。目に入らなかっただけで」
「同じ事でしょうが!」

 ぷりぷりと怒り、私を自分の隣に座らせるキュルケ。酌をしろっての?

「ええ、そうよ。これで私は、ラ・ヴァリエールに酌をさせた最初のフォン・ツェルプストーになれるわ」
「はいはい。私ももらうわよ」
「こら!」

――ちっ。

 手酌は、目敏い使い魔に阻まれた。さらに事情を聞いた友人一同は――私から一斉にグラスとボトルを遠ざける。

「ちょっと、なんで」
「――あんたねぇ、サイトを虐めるのもほどほどにしなさいよ」
「はあ?」
「混ぜるな危険」
「なによ、タバサまで……」

 キュルケは思いのほかまじめな口調、モンモランシーは青ざめて口をつぐみ、ギーシュは彼女を慰め、タバサはじっと私を見ている。その視線は……なんか、重たい……。
 居心地の悪くなった私は、大人しく椅子の上で身を丸めた。そこへさらに、こんこんと説教を垂れるキュルケ・フォン・ツェルプストー。

 どうやらこの扱いは惚れ薬の一件が原因らしい。それについては忘れたふりをしているので、うまく反論できないのが歯がゆい。
 たしかに“ああ”なったのを全部クスリのせいにして、適当に誤解されるように仕向けたのは私だけど……。
 傍目にはせいぜい“笑顔が増えた”程度だったはず。なのに、どうして皆が皆、そこまで怯えるのかしら――?
 
「だいたいね、あの件はあんたも悪いのよ? 気安く他人の『いちばん』に手を出して、いっそ殺されても文句は言えないわ」

――そんなことは、わかってるわよ。

とは言えず、顔を背ける。自分でもあのやり口は悪趣味だった自覚があるので、反論できない。けど――『事故』で片がついたものをいまさら蒸し返されてもね。と、もう一方の当事者を伺うと、なぜかそこには顔が真っ赤なのと、きょとんとしたのがいた。

「あ、あああの、そそそそういうことを当人の前で言うのはちょっとやめてほしいんだけど――」
「……『いちばん』?」

「「バカップル貴族は黙ってろ」なさい」

 息の合ったキュルケとサイトに、モンモランシーとギーシュは黙らされた。


 そんな感じでなんとなく悪くなった空気。それを変えるためか、次第に場の話題は当たり障りのない、学院の昔話へと流れた。
 私は適当に仕事もしながら、聞き役に回る。彼らと知り合ったのは進級してからだから、一年の頃の話題となるとまるでわからない。ところが、話がキュルケとタバサが友人になったきっかけに及んだとき、なぜか私の名も上がった。
 
 『微熱』のキュルケと『雪風』のタバサ――ぱっと見正反対ながら妙に息の合った親友同士。そんなふたりも、入学当初には色々といざこざがあって、仕舞いにはちょっとした誤解からすわ決闘か、というところまで仲が拗れたことがあるらしい。
 けれど私には、そのいざこざの場となった入学式も新入生歓迎パーティもまるで記憶がない(たぶん見えない鬱と戦うのに忙しかったんだろう)。なのになぜ私が関わるかというと――、
 
「その決闘中に、ルイズが『降って』きたのよねぇ」
「「「は?」」」
「……そう、だっけ?」

 なんでも、二人が決闘をするべく中庭で向かい合っていると、不意に空から本が降ってきたのだという。それを咄嗟にタバサがレビテーションで受け止め――何が起きたのかと見上げたところに、さらに私が墜ちてきた、と。
 決闘の時に余所見をしてていいの、と思ったけれど、口に出すとまた叱られそうな気がしたので、やめる。 

――そういえば、そんなこともあったわね。

 以前、塔で居眠りをしていたときと同じような話だ。たしか、あのときは本を読んでいて手が滑って――窓の外に落ちてしまった本に咄嗟に手を伸ばした結果、そうなった。
 ツェルプストーにレビテーションで受け止められたことは覚えている。よりにもよって仇敵の家柄に助けられるとは思わなくてずいぶん驚いたから。……そういえば、その時ほかにも誰かいて、スカートの中身を見られたんじゃなかったっけ?

「もしかして、一年の時、レイナール達が『天使が降ってきた』とか騒いでいたのはそれのことかい?」

 ギーシュがちょっと引きつった顔で尋ねる。
 それはふたりの仲違いの原因となった連中で、決闘のときも覗き見していたらしい。結局キュルケにそれがバレて、怒り狂った『微熱』に頭を丸禿げにされたとか。

「でも、天使様を探すんだとかわけのわからないことしか言わなかったから、誰も理由がわからなかったんだ。アレにそんな真相があったなんて――」

――あまりに恐ろしい目にあって、気が触れたのかしら?

「ま、馬鹿どものことなんてどうでもいいわ。とにかく、それでタバサと私は友達になって――いけ好かないヴァリエールの三女が、ドジでおっちょこちょいでお間抜けなルイズ・フランソワーズに変わったのよ」
「そんなオチなんてつけなくていいわよ」

 そんな感じで、その後も友人達は私のおごりで私を肴にしてさんざん盛り上がった挙句、宿をとって一泊していった。

――なんて傍若無人なんだろ。

 ため息をついていると、サイトが横に来て一言。

「いいダチじゃん。大事にしろよ?」
「……うっさい」

 最近、本当に保護者気取りだ。


***


「ほんと、ひでぇ大根だったな。あれ」

――また言ってる。

 今日はサイトに誘われて、オペラ座の劇を観に行った。劇場で観るお芝居は生まれて初めてで、よくわからなかったけれど――サイト曰く、あまり出来は良くなかったようだ。
 それがだいぶ不満だったようで、店に戻って一日仕事をした今になっても、彼はそれを口にする。

「悪かったな、あんなんにつき合わせて」
「なんであんたが謝るのよ。そんなに悪くなかったわよ?」

 なにせ初めてのことだから、役者の技倆は私にはわからない。まあ、結末がわかりきっている筋立てだな、とは思ったけれど――。

「じゃあ、すこしは楽しかった?」
「ええ」
「……そっか、よかった」

 ようやくほっとしたように言う。ほんと、何をそんなに気にしているのだろう、と私はすこし可笑しくなった。

「やっぱせっかく出かけるなら楽しい方がいいだろ?――それより、まだ寝ないのか?」
「もう少しかかるわ。先、寝てて」
「ん、」

 言いながら、ランプの灯りをすこし細くする。陛下への報告書をまとめているところだった。
 後ろで、先にベッドに入ったサイトがもぞもぞと寝返りを打つ。

「なあ――」
「なに? 眠れないの?」
「いや。あのさ。実は俺、ここで働くの、けっこう好きなんだよな。楽しいし」
「へえ、奇特ね。たしかにいいお店だとは思うけど。毎日遅くまでくたくたになるまで働いて、挙句に寝るところはこの埃だらけで狭苦しい屋根裏、ていうのが楽しいの?」
「まあ、学院の寮の方がなんぼかきれいだけどさ。でも、ここには……いるし、」

 サイトはうにゃうにゃと呟いた後、もう一度、寝返りを打った。

「で、お前はどうなんだ? 毎日鬱だ何だって言ってるけど――」

 私はペンを動かす手を止めた。そして、ちらりと壁に掛けられた衣装を眺める。そうね――。

「――そっか、よかった」

 サイトがまた、嬉しそうに呟く。まだ何も言ってないわよ、と言いかけて、丸くなった毛布から出た黒髪に、私は口をつぐむ。

「……おやすみなさい、サイト」
「ああ、おやすみ、ルイズ。お前も早く寝ろよ」
「はいはい」

 ほんとうに過保護なんだから、と苦笑しつつ、私は窓を開けて合図を送った。ふくろうがやってきて、私の手紙を持って行く。その代わりに彼が置いていったのは、いつもの百合の封蝋がついた封筒。
 中を読み、ふと――そう言えば子供の頃、姫様もよく『お芝居ごっこ』をしたがったな、と思い出す。なりたがる役はいつもお姫様。現実でも王女様であるのに、おかしな話だと思ったものだけど……。
 
「やっぱり今もお好きなのね、姫様は」

 独りごちた後――もう一度頭から読んで中身を全て覚える。そして封書ごと、ランプの火につけて燃やした。すべて灰になったのを確認して、ランプを消す。
 それから、私はいつものようにベッドへ――サイトの隣へと潜り込んだ。


 数日後。
 私は最初の日に購入した衣装に袖を通していた。お役目のために、と選んだものの、ずっと放置していたやつだ。店の衣装より、さらに頼りない布地。その代わり、締め付けが少ないのがいい。

「よお、どこに行くんだい?」
「デルフ」

 刀身に布を巻かれただけでベッドの足下に立てかけられていた錆び剣が、不意に声をかけてきた。

「やれやれ主人のお出かけってのに、相棒はねんねか。情けないねぇ」
「たまにはいいでしょう。最近眠れてなかったみたいだから――ゆっくり寝かしておいて」

 どうせ耳元で行軍ラッパが大合奏しても起きやしないけど。
 私はベッドでぐっすりと眠りこけるサイトの黒髪をくしゃりと撫でた。そして、枕元からグラスを片づける。

「そうだ。後で起きたら、こいつにコレ、渡しといてくれない?」
「何だい?」
「今まで稼いだチップと姫様からの今回の活動資金の余り。私には要らないものだから」
「自分の手で渡したらいいじゃねーか。そもそも俺様剣だから、『渡す』とかできないしな」
「はいはい」

 私はうそぶく剣の言葉を聞き流し、彼の枕元にそのずっしりとした袋を置いた。
 いつもこんなものしかあげられない主人で申し訳ないけど――まあ、お金はあって困るものじゃないしね。

「あ、あと、伝言もお願い」
「なんだい?」
「『あのときは、キスしてごめんなさい』って伝えてくれない?」
「ハ。それこそ自分で言えよ。きっと――ぶん殴ってもらえるぜ?」
「……え。そう?」

 意外な言葉にきょとんとしてしまった私に、錆剣は自信満々に告げた。

「ああ、間違いないね。いくらどーしようもなくヘタレでチキンな相棒でも、んなこと言われたらきっとキレるよ。ブチっとキレちまうよ」
「そう、」
「…………まあ、好きにすればいいさ。どうせ俺達はただのモノだからな、」

 その言葉に、私は、六千年この世界に在り続けたという剣を見る。錆びついた刀身。彼も時には**たいと思うことがあるのだろうか?
 なんとなく、それを尋ねるのは失礼な気がして私は口をつぐんだ。代わりに、告げる。

「ねぇ、デルフ。私、あんたのことけっこう好きだったわ」
「剣だから、だろ?」
「……まあね」

 苦笑い。私は祈祷書と紙の束をまとめて手にとると、眠り続けるサイトを残し、ひとり、店の裏口から街に出た。


***


 それから――王城の方へと向かう。

 王城のほど近くには、人目を忍ぶように一台の馬車が停まっていた。周囲には衛士達。私はそれらが見える位置に行くと、そっと口の中でルーンを唱える。

 虚無魔法の難点はなによりも、ルーンが長大で詠唱に時間がかかることだ。一方、その利点は、四大系統のどれにも属さないために、四大では見破ることも防ぐこともできないこと。

 そんなことを考えながら、出来上がった魔法を衛士達に囲まれた幼なじみへ向けた。



<続>



[11047] しにたがりなるいずさん 5 後
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2010/04/25 20:20
 女王陛下の突然の『消失』に騒然となる人々を尻目に、私は悠然とその場を離れた。

 人の流れに沿いながら、ゆっくりと街を歩く。あらかじめ下見をしておいたルートを辿って、とある下町の一角へ。汚臭の染みついた道に顔をしかめながら、待つ。
 季節に合わない外套はすでに脱いでいた。身に着けているのは肩の出たキャミソール。一応買った中でも、この辺りで商売をしている少女達に見えそうなのを選んでみたのだけど……。

――ほんとうにこれ、下着じゃないのかしら……?

 なんとも頼りない布地と落ち着かない裾を手でなだめていると、向こうから合図が来た。
 私は『何も見えない』空間に向かって杖をふり、かけていた虚無――『透明』のまやかし――を解く。

「大成功ですわ、ルイズ」

 透明人間からその麗しい姿に戻った姫様は、笑顔で告げた。






*** しにたがりなるいずさん 5 後 ***






「本当に凄いわ、貴女の魔法は――」

 安っぽい宿の中、しかも、あの屋根裏よりも汚いという、とてつもない部屋にもかかわらず、姫様はとても楽しそうだった。街中の衛士達をまんまと出し抜いたことが愉快らしい。

――ほんと、悪戯好きなんだから。

 現在王都中は、密かな/大騒ぎとなっているだろう。けれど、この『女王陛下誘拐』という大事件の被害者兼主犯は、どこまでもマイペースに――ぺたぺたと自分の顔を手でなぞるばかり。
 もちろん、しょせん『幻』なので、触れることはできない。
 虚無のひとつ、『幻影(イリュージョン)』。術者の記憶を再現し、幻を作り出す魔法だ。その幻で今、彼女は――『サイト』の姿になっていた。

 私は、ため息をこらえながら、それを見る。
 しかたないのだ、男女のセットでないとこの手の宿には入れないから――とは思ってもやっぱり。

――あいつの顔で上品に笑って女言葉で話されると……すっごく……背筋がぞわぞわするわ。

 歪みそうな顔をこらえながら、我慢していると――ようやく飽きたのか、手をとめた姫様が妙なことを言い出した。

「ねぇねぇ、ルイズ。昔、お芝居ごっこをしたときは、私がいつもお姫様役をやらせてもらいましたわよね」
「え、ええ――」

 そして、私は、そのお姫様を助けるために戦う騎士とか、その騎士に仆される悪い竜の役なんかをやっていた。

「それ、今夜は貴女に譲りますわ」
「は?」

 奇妙な笑みを浮かべてそう告げた姫様/『サイト』は、不意に、真剣な表情になる。
 そのとき、それが来た。

「おい、開けろ!巡邏のものだ」

 『犯罪者』を探しているから部屋を改めさせよ、と言う。ええ此処におりますわ、と思いつつ、素直にドアを開けようとした私は――連れに押し戻された。

――ちょっと!?

 抗議の声は、口で塞がれる。そのまま盛りのついた犬に押し倒されたような格好で、私は寝台に押し込められた。
 口の中に割り入ってくる感触に唖然としているうちに、痺れを切らした衛兵達が部屋に押し入ってくる。咄嗟に握っていた杖を死角に隠したのは、我ながら上出来だけど――んっ。

――息ができない、

 性急な口づけに対応しきれず、今度は別の意味で目を白黒させる羽目になった。それが逆に、らしかったのだろうか。そんな闖入者にも気づかない『男女』の様子に、衛兵達は呆れて出て行ってしまった。
 完全に足音が遠ざかったのを確認した後、ようやく唇が離れる。私の体の上で、ふぅ、と満足げに息を吐く――その『サイトの顔』を思わず睨んでしまった。
 けれど相手はあくまで楽しそうに、笑みを浮かべるばかり。

「うまく騙せたな、ルイズ」

 『彼』のわざとらしい声色に、私は深いため息をつくと――虚無を解いた。杖を手放した両手で、彼女の肩を押し返す。

「冗談はほどほどにしてくださいませ」
「なんだもう終わりかよ――と、あらあら、怒らせてしまいましたか?」

 可笑しがるような声に、思わず口を曲げる。すると、ますます姫様は愉しそうに笑った。

――なにかしら。すごく、疲れるわ。

 なんだか起き上がる元気もなく、しばらく休ませてほしい、と言おうとしたときだった。



「でも、そうですわね。こんなもの、不快なだけですわ――」

 不意に姫様の声音が変わった。

「ひめさま?」

 皮膚がちりちりする。見上げれば、姫様はひどく昏い瞳で嗤っていた。

「ニセモノが何をしようと何を語ろうと、なんの意味もない。不快なだけ。そうでしょう?」

 頬に触れるてのひら。冷たい湖の底に沈んだような白い手が、私の顔を挟み込む。ぞくぞくと背筋を駆け上る感覚を――私は努めて無視した。

「ねぇ、ルイズ。だから私、あのとき誓いましたの。こんなことをするひとは赦さないって――」

 覗き込む姫様の瞳。吸い込まれそうだ、と思う。まるで夜の水面、崖のふち。或いはまるで、あの晩の湖のような。

「私は、あの夜に関わった全ての人を、国を、決して赦しはしない――」

 そう、それらを彼女は赦さない。そんな必要はない。だって、この娘は――『いちばん』に手を出されたのだから。

「だから、まずはこうして一番手近な輩から、狩り出すことにしましたわ。あの忌まわしい事件を手引きした下手人のひとりを――」

 ゆっくり、ゆっくり、絞り出すように姫様は告げる。

「もちろん、それだけでは終わりません。ええ。きっと、必ず、全てのモノに報いを受けさせる――」

 その哀しい声に――私は、ええ、と頷いてあげた。


 だから、私のこともこの場で殺したければ殺せばいいわ、と。


 そのために、今日一日、私はずっと顔を隠さずにいた。街中をさらえば、いくらでも目撃証言は出てくるだろう。実家に迷惑をかけるのは心苦しいから、それだけはどうにかして欲しいけど。女王陛下を誘拐した大罪人として、骨も残さずに焼き葬られるなら――個人的には問題はない。

 私は自分が持ってきた荷物をちらりと見る。紙の束。友人達に頼んで集めてもらった『例の指輪』に関する資料。それは、きっと彼女の『報復』に役立つだろう。
 そう、それと――自分の指にはまっていた王家のルビーを見る。これと始祖の祈祷書は、きちんとお返ししないとね。

 けれどそんな私の配慮は、姫様の言葉でさえぎられた。

「でもね、ほんとうは私、わかっているんです――」
「?」
「ええ、わかっているんですわ。こんなことをしても、何の意味のないことは――何をしても、誰を憎んでも、どうせなにもかえらない――」

 昏い、渇いた声。目前の昏い水面が揺れて、零れ落ちる、透明な雫。
 私は目をしばたかせながら、それを受ける。

――ああ、そっか。

 そして、ようやく自分の思い違いに気づいた。同時に、その『不幸』を悟って、小さく息を吐く。

――この娘は本当は殺したがっているんじゃないのね。

「ほんと、なんて、ひどいお話。こうして、おともだちの貴女を巻き込んで、たくさんの人を死なせて、そして仕舞いには戦争だって起こそうというのに――私はとっくにその意味がないことを知っている――けど!」

 泣きすがろうとして、それもできずに、嗤う。そこには、そっと夜中に覗き込んだ鏡のように、私にそっくりな瞳をしたひとがいた。

「それを、しないでいることもできないのです」
「……」

――ええ。ほんとうに、ひどい話ね、アン。

 手は無意識に伸びて、そのさらさらとした髪を撫でていた。昔すこし憧れた、真っ直ぐな髪。途端に彼女は、ぽろぽろと泣き出してしまった。

 ほんとうにひどい、不幸な話だ。
 どんなに『死にたがって』も、彼女には、私以上に『死ンデハイケナイ理由』がある。彼女は『王』で、しかも今は、彼女の他に王家直系の子がいない。

――私が男だったら、どうにかしてあげられたかな……。

 公爵家の嫡男ならば、女王の婿となる資格はあっただろう。そうして正式な直系の跡継ぎが生まれれば、姫様も解放される――。

 馬鹿馬鹿しい妄想ね、と内心で首を振る。そんなことを、この娘が望むわけがない。恋愛劇が大好きで、物語のお姫様のように愛する騎士と結ばれることを願っていたお姫様。
 でももう、その人はいない。

――私はなにかできるかしら?

 そう考えて、あまりの白々しさに吐き気がした。何をぬけぬけと――。

 思い出す、あの雨の晩を。
 姫様が、レコン・キスタの手によるモノによって『誘拐』された、忌まわしい夜。今と同じように、蒼白い顔をした姫様。その傍らには彼女の『いちばん』大切な人がいて――そして、その人を、私が消した。



***



 雨が降っている。
 瞳を濡らし頬を伝う雨滴の向こうに、整った白い顔をした青年が立っている。
 それは、かつて亡国の城で出逢った、金髪碧眼の王子様――。

「ねぇ、サイト。ウェールズ王子は亡くなられたのよね……」
「ああ」

 サイトが硬い声で頷く。先刻彼からその話を聞かされたときからずっと感じていた不安。それが的中したことを知る。

 私が例の薬で呆けている間、サイト達がラグドリアン湖の水の精霊から聞いた話だ。
 数年前、精霊の元からあるマジックアイテムが盗まれた。盗んだのはクロムウェルと呼ばれる男を含む一味だという――レコン・キスタの首領の名だ。そして、盗まれたマジックアイテムの名は『アンドバリの指輪』。
 それは、水の精霊の強大な力を秘め、『死者に偽りの生命を与えることができる』指輪。

 雨が降っている。
 身を濡らし骨を凍えさせるその雫とともに、私の中に浸み込み、溢れ出すものがある。

「ルイズ、見逃して頂戴。お願い――」

 雨が降っている。
 身を打ち地を叩くその音にかき消されて――全ての声が遠のく。

「――ルイズ!――これは命令――――」

 そして、私はただ己の内側で鳴り響くその音だけに、耳を澄ませた。脳裏に蘇る無数の文字の中から必要なものを択び取る。
 目の前には、サイトの背中。私はそれを見つめながら、長い長いルーンを唱える。

 足りないものなどなかった。
 唱えるたび、消費するたびに、次々と溢れ出すものがそれを満たし続けた。

――ユルサナイ。



***



 あの晩の私には、忠義も友情もなかった。ただ怒りだけがあった。でも、それもしかたない。だって、あいつらは――

(私の『いちばん』に手を出したのだから)

 今、たとえば時間が巻き戻って、あのときにもう一度戻れるとしても、それでもやっぱり、私はあの魔法を唱えるだろう。
 それを否定したりはしない。けど、そのお詫びにせめてちゃんと殺されようなんて――

――ろくでもない『おともだち』もあったものね。

 ふう、と息を吐く。私には彼女に同情する資格もない。ならせめて、ろくでなしに相応しいやり方で、役に立とうか。
 


「ねぇ、アン」

 なるだけ優しく囁いた。

「正しいとか間違っているとか、意味があるとかないとか、そんなこと考えてもしかたないわよ」
「……え、」

 ゆっくりとその瞳を覗き込みながら、言い聞かせる。

「あのね、他人にとってはどれだけ馬鹿げた夢でも愚かな願いでも、それがなければ生きていけない、そういうものって“ある”の。貴女にとってのそれが『報復(そう)』だったってだけ。それは“どうしようもない”ことだわ」

 ぽんぽん、とその背を軽く叩きながら、笑いかける。

「だから、気にしてもしかたないわ。それより、もっと“前向きに”それを叶えることを考えましょう」

 笑いながら、誤魔化しの嘘を教える。この娘の『いちばん』の願いは、叶えることができないから。

「たとえば、ね。報復をするにしてもきちんとやり方を考えないといけないわ。無理をすれば、途中で失敗してしまうから。きちんと準備をして、その機会を決して逃さないように。そのためには信用できる味方を増やさないといけないわね。いつまでも私しか駒がないんじゃ、先は知れているわよ」
「ル、ルイズ。そんな冗談は――」
「冗談じゃないわ。だって、しかたないでしょう?――やめられないならせめて、きちんと成功させないと」
「!」

 私の言葉がよっぽど意外だったのか、姫様はぽかんと固まったまま私を見返す。

「そのために手段を選んではだめ。だから、私のこともちゃんと使って。私は貴女の杖よ」
「つ、杖?」
「そう、杖。貴女の好きなように使っていいの。使われない杖なんて、それこそ意味がないでしょう」

 冗談めかしながら、囁く。そうだ、このともだちに、私がしてあげられることがあるとすれば、きっとこれくらい。

「ためらう必要も、気を使う必要もないからね。だって、きっとそのための私<ゼロ>だから――」

 呆然としている彼女の手をとり、指を絡める。彼女の手に嵌っている透明な風のルビー。そこに、私が預かっている青い水のルビーを近づける。かつては、隣国の王子様とこのお姫様自身のものだった、二つの指輪。
 風と水が合わさって、虹が架かる。

「約束するわ。私が貴女の夢を手伝ってあげる。ね?」

 上目遣いに見上げれば、七色の光に魅入る少女がいた。淡く照らされたその顔はまるで子供のようだ。私はその表情にすこし息を呑み、そして、ちょっと関係のないことを思ってしまった。

――この娘って、ほんとうにきれいね。

 外ではいつの間にか、いつかのように、冷たい雨が降り出し、建物全体を覆う雨音が、私達を包み込んでいた。



***



 私はひとりオペラ座の二階席に座って、ぼんやりと劇を眺めている。改めて観ると、確かにつまらない芝居。

 舞台上で演じられているのは、今夏流行の題目、『トリステインの休日』。とある国の王女と王子が互いにそれと知らずに出会い、恋に落ちるという――記憶にある通りの、わかりきった不幸なお話だ。

 違うのはせいぜい客席の様子だけ。
 階下には、男と女が隣り合って腰掛けている。舞台そっちのけで語らうその姿は――睦言には遠い。

「――」
「私に罠を仕掛けるなど百年早い。そう言っているだけですよ」

 立ち上がった男は得意げにうそぶくと、ぽんと手を叩いた。三下役者の合図――その程度のもので、舞台の進行が止まるわけもない。

「な――!?」

 なおも淡々と進行する演目に男が十分に間抜け面をさらした後、主役から合図があった。私は――舞台の上にかけていた『幻影』を解く。
 現れたのは、からっぽの舞台と、それから、銃をかまえた女衛士達。

「高等法院長肝いりの役者さん達は、残念ながらあまりに演技がまずいので舞台を降りていただきましたわ――ですから、今宵は全て私の演出で進行していただきます――宜しいですわね? リッシュモン卿」

 自身の誘拐を手引きした売国奴を前に、堂々と告げる今宵の主演女優――アンリエッタ・ド・トリステイン。
 麗しき、トリステインの白百合。

――拍手でも送ってあげるべきかしら。

 幼なじみの勇姿に、私はすこし微笑む。

 ほんとうに、あの娘はきれいだ。この薄暗い劇場でも、あの小汚い部屋の中でさえ、生まれ持った高貴さは損なわれることはない。
 でもやっぱり、彼女にはきれいな王宮が一番相応しい。
 高く空を飛ぶ猛禽もいれば、地上で美しく囀る小鳥もいる。在るべき場所が有るものは、在るべき場所に在るべきだ。そして損なわれるのは、無いものがいい――。

 私は耐えきれなくなって、座席の狭間に腰を落とした。座席の背もたれにすがりながら、なんとか虚脱した体を支える。たぶん、いや、確実に、みっともない格好だった。

――やっぱり、日に三回はきついわね……。

 暗い劇場でひとり、ぐらぐらする頭を支える。

 そうしていると、なんだか無性に笑い出したいような泣き出したいような気分になって――それを、強く唇を噛みしめてこらえた。
 階下の銃声も詠唱も遠のく。ただあの雨音だけが聴こえる。雨音。水音。昏い水底から、滔々と流れ出す、記憶。






*** しにたがりなるいずさん 5 後 ***






 降り注ぐ雨の中、私の『解呪』を受けた彼らは、ぱたり、と仆れた。
 まるで糸を失ったマリオネットのように、力なく地に臥したその屍に、女が泣きすがる。
 私はその姿をぼんやりと見つめながら――再び――杖を構えた。
 ゆっくりと、雨滴にかき消されるほどの小さな声で、呟く。
 もう二度とそれらが忌まわしい行いを受けることのないように――。
 祈るように、虚無を唄う。






――エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ――






 死者は語るな。






<了>






 きみはともだち/きせきなんていらない

(210927)



[11047] しにたがりなるいずさん 6 前
Name: あぶく◆0150983c ID:966ae0c1
Date: 2010/04/25 20:20


 その日、呪いをかけられた。




***



 私は、うとうとと夢を見ていた。



 屋敷の中を幼い私が駆けている。――いくつのときのことだろう。何をして遊んできたのか、なんだかひどい格好だった。スカートのすそは破れているし、まるで茂みにつっこんだかのように顔にはひっかき傷をつけている。
 それでも、私は笑っていた。何が楽しいのか、唇の端をつりあげるようにして笑ったまま、ぱたぱたと軽い足音をたてる。
 おてんばな少女は、その両の手を胸の前で重ねるようにして、大事に大事に『なにか』を持っていた――何を持っているのか、夢を見ながら考えるが思い出せない――。
 そんな格好で、そんなに急いで、母や長姉や家庭教師達に見つかったらどうするつもりかしら。きっとひどく叱られて、鞭でその手をぶたれてしまうだろうに。
 けれど懸念は外れ、幼い私は無事、誰にも見つかることなく目的の場所にたどり着いた。

 そこは次姉の部屋だった。“だいすきなちいねえさま”のお部屋。
 両手がふさがっている私は――すぐに声をかけることをせず――、まずはそっと扉の隙間から中を見た。暗い廊下から、やせっぽちの子供の鳶色の瞳が覗き込む。

 中には姉がいた。だいすきなちいねえさまと、それに姉様が。

 はりついていた笑顔が崩れ、むぅ、と唇が尖る。そう言えば幼い頃の私は、その厳格で物言いのキツイ長姉のことが大の苦手だった。

――もう、ちいねえさまだけにおつたえしたいのに。

 不満顔で思う。そう、私は次姉にごあいさつをするつもりなのだ。たいせつなごあいさつを。
 その素敵な思いつきを思い出して、再び私の顔は笑みをかたどる。

――ちいねえさまに、はやくおつたえしたいな。あのね、わたし、きめたのよって。

 うふふ、と笑いながら、両手を自分の胸の前に持ち上げる。まるでお祈りをするような姿勢で笑う。

――るいず、しんじゃうの。そうきめたのよ。

 見開かれたままほとんど瞬かない鳶色の瞳と、ひっかき傷が残る血の気が失せた白い頬。

――ちいねえさまはびっくりして、きっと、どうして、っておたずねになるわね。そうしたら、なんておこたえしようかしら?

 ふわふわと浮かれた様子で考えながら、もう一度室内を確認する。ああ、はやくでていかないかしら。邪魔者はいつまでも、ちいねえさまの枕元で腰掛けている。ちいねえさまはベッドから体を起こして、その邪魔者とお話中だ。

――なにをおはなししていらっしゃるのかな?

 焦れながらそう考えたとき、その声が聞こえた。

 だいすきなちいねえさまの声、まるで小鳥のさえずりのように可憐な声だ。いつも私をなぐさめ、励まし、そしてゆるしてくれる。優しくて甘くて、あたたかい声――なのに、扉の向こうの私はその声を耳にした瞬間、びく、と身を震わせた。

(「ねぇ、お姉様。いつまで私はこうなのかしら?」)
(「カトレア」)
(「お姉様、私、怖いの。私――」)



(「××××××」)






――ぱっ、と目が覚める。



「ルイズ! ちょっと聞いているのかしら!?」
「ふえ、」

 その瞬間襲いかかった、びりびり、と耳を破るような剣幕に私は振り向いた。途端に金髪の女性の吊り上った鳶色の瞳に刺される。決して狭くはない馬車の中で、なぜか私のすぐ隣まで迫っている彼女――。

「な、なんでしょうか、エレオノール姉様」

 我が長姉だった。
 その迫力におされて私は元々顔をつけていた窓へと、さらに身を押しつける。けれど所詮、無駄なあがき。

「なんでしょうか、じゃないでしょう! まったく相変わらずぼんやりとした娘ね!! 私の話はまだ終わってなくてよ!!」

 言葉とともに、のばされる白い手。諦観を覚えるより早く、長姉の指は、しか、と私の頬をつかみ、そして、揉んだ。

 むにむにむにむにむにむにむにむにむにむにむにむにむにむに――と。

――痛い。






***しにたがりなるいずさん 6 前 ***






 王都のアカデミーで働いているこの長姉が、学院を訪ねてきたのは今朝方のことだった。
 休暇でもないのに、一緒に実家に帰れと言う。入学以来一度も帰省せずにいたのが、さすがにまずかったのか。でも。

――遠いのよねえ。

 めんどうがっていると、姉も同調するように、息を吐く。

「相変わらずのようね、ちびルイズ」
「はあ。姉様もお変わりなく――」

 ぴり。
 私の言葉に、鳶色の目を普段以上に鋭くして、姉は言った。

「貴女、しっかり勉強はしているんでしょうね?」
「はい。それが務めですから」
「そう。――ところで、どうしてそんなに離れているのかしら?」
「ええっと――それでは、準備をして参りますね」

 私は姉との間にある3メイルほどの距離をさらに後ずさって拡げながら、そそくさとその場を離れた。
 ぴり。
 首筋を無意識に手で撫でながら、自室へ向かう。面倒だろうと何だろうと、こうしてあの姉が出てきた以上、逆らっても無駄なことはよくわかっていた。抵抗するだけ、体力と時間がもったいない。

――ああ、そうだわ。

 私はたまたまやってきた使い魔をつかまえる。

「よお、ルイズ。あの女の人って――」
「サイト、実家に行くの。一緒に来て頂戴」
「へ? 実家?」
「ええ、家族に紹介したいから」

 一瞬、変な顔になったサイトに目をすがめる。

「妙な期待はしないでよ?」

 田舎だから面白いものはないわよ、と釘を刺す。

「わ、わかってるって」
「そう。じゃあ急いで――」



 そうして私達がそそくさと荷物をまとめたころには、姉によって侍女の手配も済んでいた。その姉が選んだ学院のメイドとサイトを先導の馬車に乗せ、私は家紋がついた馬車に姉と乗る。
 学院からラ・ヴァリエール領内の実家までは、片道で都合二日はかかる。その長い道のりでできることと言えば、姉のおはなし(私への苦言と姉の職場でのあれこれ)を聞くくらいだ。
 窓の外には田園地帯――懐かしいような、知らないような、広くて、閉じている風景。延々と続くそれをぼんやり眺めているうちに、だんだんと警戒を忘れて、うっかりうたた寝してしまったようだ。

――迂闊だったわ。

 頬をつかまれたまま、反省。馬車の中だと逃げ場がないのよね。



***



「……ほうひへば、あでひゃま。てひゃみはひょんでくだひゃいまひたか?」
「何を言っているかわからないわ。ちゃんと言いなさい、ちびルイズ」

――手を離してくださればいいのになぁ。

と思いつつ、私は言う。

「てひゃみでふ」

 ようやく伝わったときには、姉の眉間には深いしわが刻まれていた。

「あれが手紙ですって? レポートの間違いでしょう!」

 またすこし力が強くなった指で、私の頬を、むにぃーとひっぱる姉様。うーん、いくら伸び縮みの良い私の頬でも、そろそろ本気で痛いです。
 とにかく、フェニアのライブラリーを漁る中で見つけた、いくつかの古い症例や治療法に関するレポートは、ちゃんと姉のもとに届いたらしい。アカデミーの水治療の専門家に託してくださったそうだ。

「まあ。学生風情のレポートなんてたいしたものではないでしょうけど――」

 そう言って、肩をすくめる姉。ようやく解放された私はこれ以上捕まらないように、頬を両手で押さえながら、頷いた。

「はい。すべて、私の自己満足です。煩わせてごめんなさい」
「……わかっていればいいのよ」

 姉の言うとおり、そんなことで問題が解決できるなら、とうの昔に父母やこの姉が見つけているだろう。諦めることはないけれど、期待しすぎても辛いばかり。年長者の意見には、素直に頷く。
 それからはレポートの内容や私が持ってきた本について話をすることで、なんとか平和に道のりを消化できた。のだけど――、



 出発して二日目の昼。ようやく領内に入って旅籠のある村に着いたとき、また、やらかしてしまった。いつの間にか疲れて、注意力散漫になっていたらしい。村人達の話が中途半端に耳に入った私は、次姉からの手紙にあった『あること』を思い出した。ああそういえば、と、深く考えもせず彼女に呼びかけてしまった。

「そうだ、姉様、」
「なにかしら?」

 カップを口に運んでいた姉が手を止めて、こちらを見てくれたので、私もしっかりと瞳を見て、笑いかける。そして、

「ご婚約、おめでとうございます――」

 心からの祝辞を口に出した途端、びりびりびりと皮膚に違和感が走った。あれ? なんで皆、息を呑んでいるのかしら――?

「……今、何と言ったのかしら?」
「え、あの……?」

 気づけば、ひさしぶりの姉様の笑顔だった――口の端がひきつって、眉が吊り上り、こめかみで血管が脈打つ、羅刹女の笑み。

「あなた、知らないの? それとも、知っていて言っているのかしら!?」

 がし、と両の頬をつかまれる。え、何が? 何で――?
 目をぱちぱちさせていると、姉がその疑問を解消してくれた。一言一言、はっきりと区切りながら、力強く、告げる。

「婚約は・とっくに・解消・よ! か・い・しょ・う!!」

 あ、またですか――、と言いかけた途端、思いっきり――限界を超えて――ひっぱられた。



――あうぅ。ごめんなさい……。



「え、と大丈夫、か? ひどい目にあったな……」
「……ん。まあ、わたひがわるひのよ」

 ようやく解放された私に、サイトが濡れタオルをくれた。それで、腫れあがった頬を冷やす。頬をしっかりとつねりあげられたまま、長々とお説教を受けたせいで、なんだか顔の形が変わってしまった気がするわ……。
 姉曰く、私には気遣いが足りないらしい。ついでに、思慮も足りない、そもそも一年以上帰省もしないなんて何を考えているのか、ひさしぶりに寄越したと思えば手紙は素っ気ない、だいたい用があるなら直接会いに来たらどうなのいえ来るべきよ、云々。
 よくよく思い返すと、ほとんど、さっきの失言とは関係ない気もするけど。まあ、それはともかく。

――まさかもう、断られていたなんて。姉様も難儀ね……。

 頬をしっかりとタオルにうずめたまま、これで何度目だろう、と考える。

 すらりとした細身に、私と違って混じり気のないブロンドを持つ姉は、身内の欲目を差し引いても、美しい人だ。魔法の才、礼節、教養――公爵家の令嬢として欠けるものは何一つ無い。けれど、なぜか、なかなか結婚できないでいる。決まって相手方に断れてしまうのだ。
 今では年齢もかさんでいるし、プレッシャーは酷いだろう。それを抉ってしまったのだから、これくらいの報いは当然だ。

――でも、困ったわね……。

「姉様に結婚していただかないと我が家、断絶しちゃうのよね、」
「――あれ? でも、三人姉妹なんだろ?」
「下の姉は生まれつきお体が弱いの。それに、私はゼロだから子を残すわけにはいけないでしょう?」
「……え?」

 私は、もう、と唇を尖らす。

「どうして、トリステインの貴族って皆、器がちっちゃいのかしら……」

 なんでも婚約破棄の理由は、婚約者が『限界』だからだそうだ。
 たしかに美人で優秀な姉には、攻撃的で容赦ない気性がアクセントでついているけど。

――それくらい、男なら受け止めてほしいわよねー。

と思っていると、隣でサイトが、いやいや、と首を振った。

「あのおねーさんに耐えられる人間は、たぶん人間じゃねぇぞ?」
「あのね。あんた、埋められたいの?」

 口を慎みなさい、と告げたそのとき、不意に、バタンと音を立てて宿屋のドアが開いた。姉が戻ってきたのかと思って二人してびくっと振り向くと、そこには春風のように優雅にドレスをまとった淑女。私と同じ、桃色がかったブロンドの――。

「ちいねえさま?」
「まあ、やっぱり。ルイズなのね!」

 現れたのは、二番目の姉だった。相変わらず、年上なのにまるで年下のように見える、可愛らしい顔立ちで、満面の笑みを浮かべている。私も思わず笑顔になりながら、同時に、頭の片隅で関係のないことを考えていた。

――ラ・ヴァリエールの三姉妹、勢ぞろいね。



***



「わたしの小さいルイズ、ほんとうにひさしぶりだわ。元気だった?」
「ええ、」

 次姉もずいぶんとお具合が良さそうだった。陽気な様子で話しかける。そんな彼女に、私はさっそく『お土産』を見せることにした。

「ちいねえさま。私の使い魔を紹介いたしますわ、」

 ぼけっ、としていたサイトを姉の前に引っ張り出す。ほら、ちゃんとご挨拶して――。

「まあ、この方がそうなの?」

 まあ、まあまあ、と言いながら、気軽に近づく次姉。その顔は予想以上に嬉しそうだった。まるで新しくやってきた子犬を歓迎するように、サイトの顔をぺたぺたと触る。
 なんでこんなに楽しそうなのかよくわからないけど――手紙でお話ししたときから、ずいぶんとご興味があったみたいだったし、連れてきた甲斐があったわね、と思いながら、脇に突っ立っていると――。
 また首筋が、ぴり、ときた。

「ちょっと、ルイズ。どうしてわたくしには紹介がなかったのかしら――」
「え?」

 きょとんと振り向くと、なぜか長姉がご機嫌ななめな様子。あれ?

「姉様も興味、ありましたか?」

 尋ねた途端、またまた眉が吊り上る。うわ。

「――っ、貴女ね!」

 声をうわずらせる長姉に、咄嗟に頬を押さえたまま後ずさる。するとそこへ、お姉様も一緒にご挨拶すればいいじゃない、と次姉がのんびりと笑って口を挟んだ。

――それはいいですけど……。

 あんまり構いすぎると使い魔が怯えるんで、ほどほどにしてくださいね。



 それから次姉の馬車に皆で乗って、屋敷へ向かった。次姉の馬車は大きく、中ではいつものようにたくさんのペット達が遊んでいる。ちいねえさまの動物好きも相変わらずのようだ。さまざまな種類の犬や猫が遊びまわっていたり、むっくりとした小熊が長姉の隣に腰掛けていたり……。
 姉のペット達は皆、賢く大人しいので、特にキケンはない。けれど、

――太ももよりも太い蛇が天井から落ちてきたら、そりゃ驚くわよね。

 慣れない娘には酷だったわ、と思いつつ、気絶してしまった哀れなメイドの介抱をサイトに任せて、私は前の席で寝そべっていた虎のところに行く。
 悠々と欠伸をする、その口を覗き込む。真っ赤な口の中に、鋭く並んだ牙が、ひぃ、ふう、みぃ……。
 迷惑そうな『彼』を無視してそんな風に暇を潰していると、白くて細い手がのびてきた。

「まあ、ルイズ、そんなところにいないで。姉さんの傍に来て頂戴。お話をしましょう」
「ちいねえさま」

 子猫のように襟首をつかまれて、優しく招かれる。そのまま、私はすっぽりと次姉の腕の中におさまった。華奢だけれど柔らかであたたかい感触に包まれる。ラ・ヴァリエールの女の中で、なぜかこの次姉だけは、ちゃんとふくらんだ胸を持っていたりするのだ。

――それに、いい匂いがするのよね。いつも動物に囲まれていらっしゃるのに。

 すん、と鼻を鳴らすと、次姉はくすぐったそうに笑った。優しくて甘い、その香り。

「ねぇ、ルイズ。私、最近つぐみを拾ったのよ」
「そうなの?」

 楽しそうに話しかける姉につられて、私も笑いながら、おしゃべりに応じた。



 結局屋敷に着いたのは夜、晩餐の時間だった。待っていてくれた母に姉妹三人で並んで挨拶をし、ついでに無沙汰を詫びる。父は明朝、帰るらしい。長姉が私のことを、しっかり叱ってもらわなきゃ、と言う。

――何を?

 私は首を傾げる。けれど長姉は視線を合わそうとしない。尋ねるのは面倒なので、放っておくことにした。

――ま、何かあるなら向こうから言ってくるでしょう。 

 そう思いつつ、席に着く。後ろにサイトを控えさせ、複数の給仕達が音もなく料理を運んでくるのを待つ。生まれたときから慣れ親しんだ、実家の晩餐だ。学院と違って社交は義務でないので――食事中は終始、無言。
 私は普段以上に作法を意識しながら、ふと、胸の内で首を傾げる。名門公爵家の晩餐、もちろん、饗される食材も調理も厳選された上等なものだ。でも。

――学院の食事の方が、美味しかった、かな?

 舌が落ちたのかしら、と疑問に思いつつ、淡々と目の前の食事を口に運ぶ。



 晩餐の後は、乞われて次姉の部屋へいった。寝台にそろって腰をかけ、髪の梳かしっこをする。母ゆずりの姉の髪は、櫛を入れるまでもなく、淡い桃色に輝いている。私は、ほれぼれとしながら、呟いた。

「ちいねえさまの髪はお綺麗ね、」

 途端に姉は、ぷっと、可愛らしく吹き出した。

「まあ、ルイズ。あなたと同じ髪じゃない、」
「ううん。色は一緒でも、ちいねえさまの方が綺麗だわ」
「おかしなことを言うのね、何も変わらないわ、ほら――」

 姉の手が、私の髪をゆっくりと丁寧に梳かす。私はそれをじっと受け入れる。

「ねぇ、ルイズ。学院のおともだちのお話を聞かせてくれる?」
「ええ。もちろんですわ」

 姉のお願いに、約束だもの、と私は頷いた。

 そもそも、あのトリステイン魔法学院に通うのを私に勧めてくれたのはこの姉だった。姉自身はお体が弱いので、領内から出たことがない。だから私が通って学院の話を聞かせてほしい、とそう仰ったのだ。

「あ。でも、手紙で送ったことの繰り返しになっちゃうかも」
「かまわないわ、あなたの口から聞きたいの。ね、お城に閉じこもっている姉さんに外のお話を聞かせて頂戴」
「ええ、それじゃあ――」



「――フォン・ツェルプストーのお嬢さんって楽しい方ね。いつかお会いしたいわ」
「うーん、此処に連れてくるのは難しいかも」
「そうね、きっとお父様達に反対されちゃうわね」
「うん。私も……ツェルプストーと友人になったなんて言ったら勘当になるかな?」
「まあ。娘におともだちができたことを怒る親なんていないわ」

 姉はくすくすと笑いながら、私の頭を撫でた。
 いつまでもこども扱いね、と少し不満に思うけど、それを振り払う気にもならず、私は大人しく顔を下げる。

「ああ、そうだわ。ねぇ、ルイズ。わたしの新しいおともだちを紹介するわね」
「あ、うん」

 不意にそう言って姉が示したのは、白い布の上に寝かせられた小鳥だった。羽には丁寧に白い包帯が巻かれている。馬車の中で話していたつぐみだろう。力なく、啼く。
 その弱々しい姿に、きゅっと胸が詰まった。

「……羽、折れてしまったの?」
「ええ。でももう大丈夫よ」

 すぐに飛べるようになるだろう、と言う。この手のことに関する姉の見立ては正確だ。私はほっと息を吐いた。
 なんでも――馬車で通りかかったとき、羽を傷つけて苦しんでいるこの子の声が聞こえたのだという。森の様々な鳥の鳴き声の中から、それを聞き分けて気づく。そんなことができるひとを私はこのひとしか知らない。

「ちいねえさまはやっぱりすごいわ! この子はちいねえさまに見つけていただいて幸せね、」
「ふふ。持ってみる?」
「ううん、いいわ」

 姉に微笑み返しながら、私は両の手を体の後ろに回すと、そっとその子から離れた。姉は小鳥の籠を元に戻すと、今夜は一緒に寝ましょうね、とまた私の頭を抱きしめた。

 その言葉通り、私はその晩、昔のように姉に抱かれながら眠った。優しくて甘い香りに包まれて――。






 そして夢の続きを見る。






 広い屋敷の中を、幼い私がとぼとぼと廊下を歩いている。しょんぼりとした様子で小さな頭を傾げながら、ぽそぽそと呟いている。

(「……にたいのに、……たくないの?」)

 呟きは小さく、声は外には響かない。ただ口の中だけで言葉を転がしている。

(「……んでしまえばいいの。だってわたしは……だから、きっとよろこんで……もう……しくないし……ちいねえさまも……でも、ちいねえさまは……っていう……きっとわたしが……っていったら……ちいねえさまは……」)

 ぐるぐると言葉は回る。混乱した私は、痛む頭を押さえようとした。そして、手がふさがっていることを思い出す。
 立ち止まり、そっと胸の前で両の手を開く。やわらかく握りしめていた“それ”が、鳶色の虚ろな瞳に映る。

(「……どうしたらいいの……?」)

 けれど、答は返らない。
 素晴らしい天啓のように思えたその考えは、この日得たもうひとつの言葉によって、すっかり塗りつぶされてしまった
 いつまでもいつまでもぐるぐるとその言葉が、私の頭を流れ続ける。だいすきなちいねえさまの、小鳥のさえずりのような可憐なお声が。






(「姉様。私、怖いの。死ぬのが怖い。『死にたくない』の」)






 その日、呪いをかけられた。
 呪いの名は『死にたがり』。
 かけたのは私のだいすきなひと。




*** つづく ***

(211129)



[11047] しにたがりなるいずさん 6 中
Name: あぶく◆0150983c ID:b1aa8c43
Date: 2010/08/29 14:57



 そこには森があった。
 森ばかりでない、広大な領地の中には山も川もあった。風に波打つ草原も。一面に淡いブルーの花が咲く丘も。季節がくれば黄金の穂を揺らす畑も。
 城下に広がる景色は、果てなく広く、同時に閉ざされている。

 彼女は、いくつだったろう。

 その夏は、すぐ上の姉がひどい熱を出してなかなか治らなかったため、屋敷の中はいつも以上に慌ただしかった。大人達は――家族も使用人も医者も――皆、その姉にかかりっきりになっていた。
 一方、彼女はと言えば、彼らと同じようにその姉のことを案じてはいたけれど、かといって、その輪の中に入るには幼かった。同時に、四六時中面倒を見られなければならないほど小さくはなかった。

 結果、彼女はひとり放っておかれる。

 仲間外れにされる不満はあれど、淋しくはなかった。むしろ誰にもかまわれず誰にも見つからないまま、ひとり気ままに過ごすことは楽しくさえあっただろう。

 少女は国一の権勢を誇る家門に生まれつきながら、貴族の貴族たる所以である『魔法』が大の苦手だった。習いだして、もうずいぶん経つのに、一番易しい魔法でさえ一度も成功したことがない。優秀な家族の中で、彼女だけがみそっかすだ。
 それでも、彼女はそれで腐るようなことはなかった。むしろ毎日努力を怠らず、常に一生懸命だった。なのに、上手くいかない。どれだけ努力しても叶わないことを叱られ、呆れられるのはツライことだった。泣き出したくなるほど苦しいことだった。
 息詰まる日々。だからこそ、彼女にとってそれが、久しぶりにほっと息がつける時間であったことは想像に難くない。

 束の間の夏休み。
 宿題を放置したまま遊びほうけるような、愉快で楽しく、同時に透明な不安を抱えこんだ日々。

 そんなある日、彼女は屋敷のそばにある森の傍を通りがかった。

 甲高い音が耳をつく。小鳥の啼き声だ。少女はぱっと顔を上げ、きょろきょろと見回した。
 大きな樹の枝のひとつに、それはいた。まだ目も開いていない雛だ。小さな嘴で、ピィ、ピィ、とか細い声で訴える。
 雛がいる枝よりももっと高い場所、梢近くに巣が見える。 あそこから落ちたのだろう。まだ気づいていないのか、親鳥の気配はない。

 少女は即座に、たすけてあげなきゃ、と思う。

 同時に、姉の顔を思い浮かべる。生き物が好きで、たくさんの動物をおともだちと呼んで可愛がっている姉。姉ならきっとあのこを助けられるだろう。けど――。
 今朝方ご挨拶にうかがったときのことを思い出し、少女の小さな胸がきゅっと詰まる。すっかり痩せて、熱を持った肌は薄く、骨まで透けそうだった。あの儚げな姿。
 いまはだめだわ、と自分の考えに首を振る。

 そうしてたったひとり少女が甘えられる相手を除いてしまうと、もう、他に誰も思いつかなかった。

 使用人達は、みそっかすの末娘のことを軽んじている。もちろん、決して表立って侮るような真似はしない。けれど、それをちゃんと少女はわかっていた。公爵家の使用人として自身の職にプライドを持っている彼らは、主と認め得ない相手に対してはごく冷淡だ。それを、自身の至らなさのせいだ、いつか見返さなければならない、と頭では解っていても、少女が彼らに隔意を抱いてしまうのもまた当然の道理だった。

 だれにも、頼れない。
 なら、わたしがどうにかしなきゃ――。

 少女はそう決心すると、かつての姉の行動を思い出しながら、杖を取り出した。必要なのは基本のコモンスペル、それだけだ。レビテーション。それであのこを浮かせて、引き寄せるだけ。

 けれど、スペルを唱えかけた舌は、途中で凍りついた。

 頭に浮かんだのは、半分に裂かれた絵本のことだった。それから、中綿が弾けたお気に入りのぬいぐるみ。(大切なものなら、)(うんと集中すれば、)と祈るように唱え、積み上げた『失敗』の数々。
 きゅっと握りしめた手が震え、きつく噛んだ唇から血がにじむ。

 鳶色の瞳に、空と梢が映る。






*** しにたがりなるいずさん 6 中 ***






 あくる日、私は青空の下にいた。

――良い天気だわ。

 すこし埃っぽいのは難だけれど、と頬を撫でる風にひとりごちる。

 屋敷から四半刻ばかり馬で移動した先にあたるここは、別段なにがあるわけでもない、ただの拓けた土地だ。昔は青々とした草が茂る、気持ちの良い丘だったのだけれど、今ではむき出しの乾いた地肌に砂礫が転がるばかり。趣のかけらもない。
 それなのになぜこんな場所にいるのかというと……、ほんとうは私自身、よくわかっていない。たぶん、身に染みついた習慣の結果なのだと思う。
 と言うのも、ここは学院に入る前に私が魔法の練習に遣っていた場所なのだ。家庭教師の授業が終わった午後は、毎日ここまで馬で通って、ひとりで魔法を唱えた。……おかげで今日も、馬丁達は何も疑わずに馬を出してくれた。

――まぁ、“練習”なんて言っても、成功したことなんて一度もなくて、毎日精神力が尽きるまで、延々と失敗し続けただけなんだけど……。

 おかげで、この一帯はもう草も生えない。

 ちなみに、無意味なこの習慣は、学院に入った後も空き地を借りて続けていた。一日分の精神力が尽きるまで唱えきると、体の中がからっぽになって少し軽くなる。思えば、最後の方はその感覚が得たくてやっていた気もする。
 でも、それも最近やめてしまった。精神力を溜めないといけないからだ。戦争に行って、姫様の役に立つと誓ったから。けど。

――それも無駄になっちゃったわね。

 ハア、と深く息を吐く。空が高かった。高くて、閉じている。

 失敗魔法を受け続けてすり鉢状に抉れてしまった土地の底から、私はそれを見上げる。深さがあるので周囲から見えないのをいいことに、地面に直に横たわり、大の字になっていた。
 視界を占めるのは、どこまでも青い空。端っこにわずかに、ぐるりと囲む、土と砂礫の円い縁が見える。

――困ったわ……。

 今朝方、父が帰宅した。久しぶりに家族全員で囲んだ朝食の席、その場で私は『謹慎』を言い渡された。
 理由は、家長に黙って従軍を決めたこと。先に徴兵令が発動された、対アルビオン侵攻戦のことだ。
 父は、ひどく怒っていた。もともとこの戦争には反対だったらしい。学院を辞めろと言われ、ついでに結婚しろと言われた。私が従軍は姫様とのお約束だからと言っても、まるで聞いてはくれなかった。
 確かに、勝手に参加しようとしたのはいけなかったかもしれないけれど……。

――喜んでくださると思ったのに。できそこないの末娘がようやく貴族としての務めを果たせるようになったのだから。

 ところが、私がそう言うと、家族はそろってひどく怖い顔になった。ただひとり、ちいねえさまだけが優しく声をかけてくださったものの、私はといえば、その目を前になにも言えなかった。なにもできずに、こうして逃げ出してしまった。

――ほんとダメね、私って。

 つくづく思う。

 昔から、そうだ。私には姉や母や父の言葉が“わからない”ことが多かった。

 たとえば、私が魔法の練習をしに行こうとすると、姉や父が別のことをするようにと言う。本を読んだり、ダンスの練習をしたり、珍しい東方のお茶を飲んだりしなさい、と言う。けれど私は、そんなことより練習の方が大事だと思う。
 さんざん逆らって、叱られて。結局私の『心得違い』に呆れ果てた姉から、貴族となるためにはそれらも魔法と同じくらい大事なことだ、と事細かに理を説かれて、ようやくその『道理』を理解する始末。
 そんなことが幾度となくあった。それで、自分にはどうも『貴族』というものがわかっていないのだとわかって――だから、勉強は一生懸命頑張ったのだ。
 コモンひとつできないできそこないの身でも、ちゃんと勉強をして、お父様や家庭教師の話をたくさん聞いて、せめて貴族としての振る舞いだけは身につけようと……。でも、

――しょせん、『頭でっかち』だったのかなぁ……。

 それだけ努力して身につけた知識を遣っても、今回のことをどうして彼らがあんなに怒るのか、私にはわからなかった。


 父は、私の従軍の話を王宮で聞いたらしい。真偽を質され、素直に私が認めた途端、朝食の席にただよっていた静かな空気は一変した。即座に下された『謹慎』命令に私は最初あっけにとられ。それから周囲の様子に気づいてさらに驚いた。
 母と長姉も父と同じ目をしていた。皆、私が戦争に行くことに反対らしい。

――どうして?

 正直、わけがわからなかった。

「どうして、よろこんでくださらないのですか? せっかく貴族としての務めを果たせるようになったのに……」

 思わず恨みがましく呟いてしまう。

――これでやっと、わたしも貴族になれるのに。

 けれどそれは父の逆鱗に触れたようだった。怒気もあらわに、叱責される。

「馬鹿を言うな! 娘が死にに行くことをよろこぶ親が何処にいる!」
「え?」

 私は予想外のその言葉に、再び、ぽかんとしてしまった。

「……よろこんでくださらないのですか?」
「当たり前だ!」

――やっと、皆の望みも、私の夢も叶うのに?

「…………よろこんで、くれないの?」
「ルイズ!! お前は私の話を聞いているのかね!!?」

 もちろんだ。ずっとこの父や母や姉の話を聞いて、私は育ってきた。貴族とは、戦う者だと。領をおさめること、民をまもること、敵とたたかうこと、それが貴族の務めだと。そう教わった。
 だからメイジでなく戦う力がない私は、貴族としてどうしようもない“できそこない”だった。
 公爵家の娘として傅かれたところで、その価値がないことは誰よりも自分が知っている。それは、とても苦しいことだった。どれほど大切に育てられても、どれほどそのことに感謝をしていても、その期待に応える術がない。それは苦しくて苦しくてくるしくて、いきができないほどくるしくて、きがくるいそうなほどくるしくて――

 けど、それももう終わり。
 もう、私はちゃんと戦える。 戦って、そして。

――それなのに、どうしてこの人達はよろこんでくれないのかしら?

 やっと、この苦しいのが終わるのに。
 やっと、やっと、貴族として、堂々と『死ねる』のに……。

「ルイズ。落ち着いて、ゆっくり呼吸をして――」

――ちいねえさま?

 気がついたら、だいすきなちいねえさまが目の前で私の顔を覗きこんでいた。美しく澄んだ鳶色の瞳で、私を見つめる。細い手が近いので、私は、

 邪魔にならないように、と一歩退いた。

「ルイズ、」

――どうしてちいねえさまは、こんなに哀しそうな顔をしていらっしゃるのかしら?

 私は首を傾げる。ちいねえさまは心配事をもったり、思い悩んだりしたらいけないのに。そんなことで万が一でもお体の具合が悪くなったら、いけないわ。

「大丈夫よ、そんなに焦らないで。お父様達はね、貴女を心配しているだけなのよ」

 ちいねえさまは、その哀しそうな笑みのまま、私に話しかける。

「皆、貴女を愛しているだけなのよ」

 ちいねえさま? それはおかしいです。
 だって、あいしているのなら、 あいしているのなら、どうして、わたしを――
(でも、ちいねえさまは――)

「ルイズ」

(ちいねえさまに――××××なんて言ったら――)

 気がつけば、私ののどはひゅうひゅうと奇妙な音を立てていた。それから……それから……?



 ……その先は、もうよく覚えていない。その場を退くのに、ちゃんと許可を得たのかどうかも。気づいたときには、私は馬に乗って駆けていた。

――でももう、次はないわね。

 今回出てこられたのは、ほんのすこしタイミングが良かっただけ。数時間もしたら、私は戻らないといけない(馬丁達に迷惑をかけることはイケナイことだ)。そして戻れば、後はもう父の命令通り、私は屋敷の中に閉じこめられてしまうだろう。

 ハア。

 深く、深く、息を吐く。そうしないと、なんだか息をしても、しても、苦しくて――ああ、足りないな、と思う。


 足りない。


 足りない。


 足りない。


 足りない。




 『さんそ』が足りない。




 昔からそうだ。四歳で杖を与えられた。それから毎日少しずつ、周囲の『さんそ』がなくなっていくような気がしていた。
 それは今も、なにも変わらない。
 景色はどこまでも広がり――空はどこまでも高くて――けれど――“閉じている”。
 私はいつまでたっても、この空を飛ぶことを覚えられない。

「……」

 いつのまにか、右手を持ち上げていた。
 いつものように、杖を掴んでいる手。
 いつかのようにそれは、くるりと杖先を『私』に向け、そして、


――エ、


 一音。そのとき、青空の向こうから、おおーい、と呼ばう声がした。


――え?


「あー、 やっと見つけた!」

 脳天気な声が響く。

「お前な、もうちょっとわかりやすいヒントを寄こせよな! すげー無駄に走り回っちまったじゃねぇか!!」

――は?

 逆光に人影。騒がしく文句を垂れながら、ざー、と砂混じりの土の縁を滑って底まで降りてくる。
 背中にデルフを担いだサイトだった。

「……どうして、ここがわかったの?」
「あ? そりゃあ、お前、」

 サイトは、ちょっと言いよどんだ後、ばちん、と得意げに左目をつぶった。 親指立てて、言い放つ。

「使い魔なめんな!」

――わ、わけがわかんない……。

 なんでキメ科白? なんでウィンク? しかも似合ってないし、と思いつつ、私はのろのろと上体を起こした。
 ここには家族も近づかないのに、ほんとにどうやってたどり着いたのだろう? ……まさか。

「匂いをたどってきたとか……?」
「あのな! 人を変態みたいに言うんじゃねーよ、」

 ぶーたれるサイト。
 いつまでももったいぶるので、私はくるくると手の中の杖を廻してやった。すると、ようやくネタばらしをする。

「ときどき左目に映るんだよ。お前の見てるもんが、」
「……使い魔の視覚共有?」
「たぶんな。――でも、よくわかんねーんだよな、なんかいっつも変なタイミングで映るから」
「へぇ」

 私は使い魔の視界なんて見たことがない。

「で、どうした?」
「なにが?」

 差し出された手を、ぼけっと見ていたら、サイトが焦れた様子で私の前に腰を下ろした。そして。

「うわっ、柔らけーな。すげー伸びる。もちみてぇ」

 なぜか、私の頬を掴んで笑った。

「……あにひてんのひょ」

 半眼で睨みつける。けれど無視された。私の顔の真ん前で、サイトは新しい玩具を見つけた子供みたいに、笑う。

「あー、こりゃ、あのきっついお姉さんの気持ちもわかるな。なんつーか、思わず触りたくなる柔らかさ?」

とかなんとか言いながら、ふにふに。 妙に上機嫌だ。というか……、浮ついている?

――あんたね、

 私は、無礼な使い魔を叱りつけようとして口を開きかけた。けど、

「──」

 すぐに閉じてしまう。

 自分達の格好を客観的に考えて、馬鹿馬鹿しくなってしまったのだ。
 抉れた地面の底でふてくされながら、向き合った使い魔に頬をつままれている自分。

――ほんと、なにしてるのかしらね。

「そうそう、せっかく美人なんだから笑ってろよ、」
「……」

 ふにふに、と人の頬をつまんだまま、のほほんと笑う少年。――ここまで邪気が無いと怒る気にもなれないわね。
 もう……。
 その間も彼は、ふにふに、ふにふに、ふにふにふにふに……ハア。

「……いいはへんにひなひゃい(いい加減にしなさい)」

 えいっ、と私は乗馬靴を履いたかかとを、おもいっきり目の前のサイトにくれてやった。途端に、きゃん! と仔犬のような悲鳴を上げて離れるサイト。そのまま、地面にうずくまる。

「……お、おまえ、よりによってひとの、せつない部分を…………」

 その間に私は立ち上がり、ぱっぱっと服についた土埃を払った。

――あーあ、せっかくちいねえさまに梳かしてもらったのに、髪、汚れちゃったわ。

 もまれすぎた頬がすこし腫れて、熱を持っている気がしたけれど――たいしたことじゃないわね。
 そのまま身だしなみを整える私に、低いところから使い魔が叫ぶ。

「こら、無視すんなっ。この、恥ずかしがりやさんめ!!」
「あのね、誰が恥ずかしがりよ。恥ずかしいのは、あんたでしょーが」
「ちぇっ。ちょっと気を許したかと思えばこれだもんなー、」
「…………あんた、結局なにしにきたわけ?」
「探しに来たに決まってんだろ!」

 前屈みのまま告げる使い魔に、首を傾げる。 

「お父様達に何か言われた?」
「違うって。言われたからじゃねーよ。……まあ、ちょっとヒントはもらったけど……」
「?」

 苦い顔のサイト。不審げに見つめる私に気づいて、なんでもねえ、と唇を尖らす。そして、今度は彼の方がふてくされた表情になって、地面にどかりと座った。

――なによ?

「なあ。お前、家族と喧嘩したんだって?」
「……喧嘩じゃないわ、」

 正確には、喧嘩にすらならなかった、だ。
 私が簡単にいきさつを説明すると、サイトは納得顔で頷く。

「戦争に行くな、か。……なんだ、けっこうマトモじゃん」
「なにがよ? 従軍は貴族の義務。まして私の場合は王命なのよ、」

 知ったような口を利く使い魔にムッとして言うと、サイトはあっさりと答えた。

「だって、家族はお前の『虚無』のこと知らないんだろ?」
「それがなに?」
「なに、って、つまり、家族はまだお前が『魔法を使えない』と思っているんだろう。そりゃあ、心配するって――」

――あ。

 ぽかんと口を開けた私を、サイトが呆れ顔で見返した。

「って、お前……あたりまえだろ……」

 咄嗟に言い返せず、ちょっと顔をそらす。
 確かに、彼の言葉はもっともだった。

「そ、そそうね。そんな『役立たず』を戦場に送り込んだら、家の名誉に関わるわよね」
「……」

 皆が心配するのも当然だと納得する。ああ、でも……、

――それがわかっても、どうしたらいいの? だからって、虚無であることを告げるわけにはいかないし……。

 むっつりと考え込んでいると、サイトがぼそりと呟いた。

「なあ。もう帰らねぇか?」
「……」

 私が無言で見返すと、サイトはちょっとバツの悪そうな顔になった。その表情に、フウ、と無意識にまたため息をひとつ、こぼす。
 杖をしまい、代わりに馬を呼び寄せようと顔をあげた私の耳に、歯切れの悪い声が届いた。

「……いや、悪い。その、お前にとっちゃ家族だし実家だし、こんなこと言うべきじゃないのもわかってんだけどさ……」
「なによ、」

 促せば、珍しく苦みばしった、しかめ面で言う。

「俺、ここ、なんかダメだ。早く“学院に”帰ろうぜ」
「え?」

 サイトの言葉に、私はほうけてしまった。てっきり屋敷に連れ戻しに来たのかと思ったのに。
 帰る? 学院に?

――なにかあったのかしら?

 改めて使い魔を観察する。ちょっと寝不足気味、かな? 昨日は晩餐の後、すぐに引き取らせたから、十分休めたはずだけど……。
 そういえば、屋敷の者に世話をするよう言うのを忘れていた、と思い出す。

――もしかして……ごはん、もらえなかったのかしら……?

「わかったわ。あんたとあのメイドは帰すように言っておく」
「そうじゃなくて、お前も一緒に――」
「無理よ。私は家族から許可を貰わないと、ここを離れられないもの」
「んなもん無視すりゃいい」
「あのね、馬鹿言わないで」

 呆れて返せば、もっと呆れ果てた様子でサイトが、ハァ、とため息を吐いた。ぼりぼりと頭をかきながら、顔をあげる。
 その表情は――本当に珍しく――息を呑むくらい真剣なものだった。

――え?

「そっちこそ馬鹿言うんじゃねーよ。お前、今、自分がどんな顔してるかわかってるのか?」
「な、なによ?」

 真剣そのものの、その顔で、サイトは告げた。

「すげーブス」

 瞬間的に、顔が引きつる。

――な……、なななんですってっ!?

 思わず、姉様のようにまなじりをつり上げていた。

――よ、よよよりによってっ、こここの馬鹿犬っ! は! ごごご主人様に喧嘩を売るつもりなのかしら……っ!?

 気づけば、杖をきつく握りしめていた。わななく。唇の端が歪む――ソウダワ、此処ハ久シブリニ、ヒトツ魔法ノ練習デモシマショウ――と、その機先を制するように、ぽん、と額の上になにかが置かれた。

 サイトの手のひらだった。まるで目隠しをするように、軽く私に触れている。

「なぁ、前も言っただろ、『考えるな』って。お前はいつも考えすぎなんだよ。だから、にっちもさっちも行かなくなっちゃうんだろ? そりゃ、相手は家族だし、大事にしたいのも、わかるけどさ。……遠慮ばっかりじゃ行き詰まるだけだぞ?」
「……う」
「ん?」
「う、ううううるさいわよっ。なんであんたなんかに説教されないといけないのよ!」

 手を振り払う。ほとんど触れる必要もなく、それはどかされる。

「説教じゃねえって。ちょっとしたアドバイスだ」

 というわけで、とサイトは再び似合わないウィンクをひとつ。

「逃げちゃおうぜ」

 悪戯っぽく私を覗き込む瞳に、目を逸らす。
 『というわけ』って、どういうわけよ?――とそう思っていたのに、口からこぼれたのは別のことだった。

「……どうやって?」

 サイトは、ニッと笑って、自信満々に答えた。

「そんなもん、俺がどうにかしてや――」
「……」
 
 ……やっぱり。

 私は予想通りの答えに、目をほそーくして、得意満面に鼻を膨らませているおばかを睨んだ。

――どうせ、そんなことだろうと思ったわ。

「あのね、どうにかってどうする気よ? ここから学院まで、どんだけあると思ってんの? 『ひこうき』なんてないのよ?」
「そんなもん、どうにでもなるだろ! ほらっ、ごちゃごちゃ考えんなって!!」
「あんたは考えなさすぎよ!」

おもろ顔に、ぺしっと杖を当てる。

「いい! 帰るなら――」
「んだよ!」
「馬車が必要だわ。なんとか気づかれないように、手に入れないと、」
「……りょーかい、」

 ニヤっと笑って、言うがはやいがサイトは腕をのばした。ひょい、と私を抱き寄せ――え?

「ちょ、ちょちょちょちょっと――!?」

 荷袋のように肩に担ぎ上げられる。
 サイトの左手が、しっかりとデルフリンガーを握っているのが見える。

「善は急げだ。しっかり、つかまってろよー」

 呑気な警告とともに、穴底から一気に飛び出す。舌を噛みそうになって、あわてて口をつぐんだ。

――うわ、なにこれ。馬より速いかも。


***


 虚無の使い魔『ガンダールヴ』のルーン。その効果は武器を手にすることによって発動する。ルーンによって強化されたサイトの身体能力は、風のスクウェアメイジとも渡り合う、でたらめなものだ。
 当然、それを以て全力で走れば、その速度は常識外のものとなる。
 ほんとうに風のように、領地を駆け抜ける。
 どんどん後方に流れていく光景に目を奪われていた私は、不意にあることに思い至った。

――ああ、そうだわ。

 思いつくまま、自分自身に『レビテーション』をかける。サイトにかかる負担が減るように、彼がもっと速く動けるように、とそう思ったのだ。
 虚無に目覚めてから出来るようになったコモンマジックは、何の問題もなく効果を発揮した。ふわり、と体が軽くなる。たぶん羽根一枚分、風が吹けばどこへなりとも飛び立てそうな軽さに。

「え!?」

 その途端、なぜかサイトが上擦った声を上げた。

「お、おい!ちょっと待て!!」

――は?

 突然焦りだした彼は“両手で”、私の腰を抱きとめた。当然、手は剣の柄を離れ、ルーンの恩恵も――『消える』。
 結果。サイトはそれまで自分の出していたスピードに維持できず、バランスを崩してスッ転――

――って、何してんのよっ!?

「だあぁっ!」「きゃあっ!!」

 ふたり揃って、情けない悲鳴をあげる。サイトと一緒にもつれるように転がった私は、額と地面をごっつんこ。ついでに杖もどこかへ吹き飛んだ。

――なんなのよ、もう!

 イタイ、と強かに打った額と鼻の頭をおさえながら、私はこの理不尽な仕打ちに憤る。

「ちょっと! どういうつもりよっ!?」
「お、お前こそ、どこ行く気だよ!?」
「どこって――」

 どうも背負っている『荷』が、突然軽くなったせいで驚いたらしい。なんて間抜けな――

「すこし、あんたの負担を軽くしようとしただけじゃない」
「馬鹿っ、妙な気を遣うなよ!全然重くねーよ!」
「馬鹿とはなによ、馬鹿とは! だいたいあんた、さっきから――」

叱りつけようとした私は、サイトの次の言葉に口をつぐむ。

「……どっかに消えちまうかと思ったじゃねーか……」

――なに、言っているのよ。

「……消えるわけないでしょう、人間が。ほんと馬鹿ね、」

 なぜかその言葉に動揺して、私はとりあえず憎まれ口を叩いてしまう。
 サイトの反応はない。先程倒れた姿勢のまま、彼は私の腰を両手でしっかり抱きしめた状態で、私の体の上で潰れている。その顔はみぞおちのあたりに乗っかっていて、見えない。

――あ! こら、調子にのるんじゃないわよ、馬鹿犬!

 さらにそのままぎゅっと腕に力を込めだした使い魔に、私は慌てて体を起こす。けれど、サイトは逃がすまいとするようにさらに力をこめる。動けない。それはまるで迷子が母親にすがりつくような必死さで。私はその強さと、熱くなる自分の頬に、さらに混乱する。ちょっと、ほんとうにどうしたのよ、こいつ――、

「と、ととにかく、いったんどきなさ――」
「イヤだ」
「イ、イイ『イヤ』じゃないでしょっ、ってどこ触って――」

 そのとき、ビュン!としなる鞭のような音を立てて、突風が吹いた。

 同時に、ふぎゃんっ!と再び小犬のような悲鳴をあげて、サイトが『ひっぺがされる』。

「サ、サイト!?」

 顔をあげると、視線の先には皆が――お父様、お母様、姉様、それに屋敷中の執事とメイド達――勢揃いしていた。

「ふぇ?」

――なに、しているんだろ……?

 ぽかんとしていると、全く同じことを父から尋ねられた。

「あー、ルイズ。何をしているのかね?」
「お父様、」
「いや、いい。何も言わんでいい」

 尋ねたくせにすぐに私を無視して、なぜか筆頭執事に向かって『台』の作成を命じるお父様。なにかを飾るつもりらしい。ついでに、私を塔に閉じこめると言う。

――あ……。

「さあ、ルイズお嬢様、こちらに――」

 父の命を受けて近づいてくるメイド達を前に、私はからっぽの手をさ迷わせる。――杖――杖は――どこ?

「ちょっと待ってくれ!!」

 いつの間にか立ち上がったサイトが、私と彼らの間に割って入る。その手に、私の杖を持って。
 私はあわててその手に近づく。

「ルイズのお父さん! こいつの話もすこしは聞いてやれよ!!」

 相変わらず礼儀の礼の字も知らないサイトに、当然、父も黙ってはいない。「貴様に父と呼ばれる筋合いはない!!」とかなんとか……。

――えーっと、なに、言っているのかしら?

 杖を手にしてすこし余裕が出た私は、その間の抜けている遣り取りにこっそりと思う。お父様もだいぶ頭にきているみたいね……。
 これでは、冷静になって話を聞いてもらうなんて、絶対にできないだろう。
 それなら――、ときょろきょろと周囲を見渡す。そこはすでに屋敷の中庭だった。

――ああ、アレなら……

 私は、彼らの大音声の陰にかくれて、こっそりと虚無のルーンを唱えた。そして、準備万端になったところで、サイトの陰から姿を現す。

「お父様!」
「ルイズ! さっさとその不埒な男から離れ――」
「ご心配をおかけして申し訳ございません。けれど、どうかご安心くださいませ。私は変りました。もう今までの、お父様達が知っている“できそこない<私>”とは違うのです、」

 その言葉に、父の顔色が変った。私はそれに、すこし嬉しくなる。

――良かった、少なくとも私の言葉も耳には入っているみたい。

 その事実に背中を押されて、返ってきた怒声にも怯まずに済んだ。

「ル、ルルルイズッ!? そ、そそそれはっ、どーいういみだっ!!?」
「今、その証拠をご覧に入れますわ」

 なるだけ優雅に笑って、それから、杖を振る。私と父達のちょうど間にある小さな池を目掛けて、虚無を(もちろん、手加減して)放つ。
 水面に浮かぶ、うち捨てられた小舟の上に白い光が生まれた瞬間――、


 どっかーん!と冗談みたいな音を立てて、池の水が一気に爆発した。


 水柱が上がる。きゃあ、とメイド達が一斉に悲鳴をあげる。跳ね上げられた水が転じて、雨水のように降り注ぐ。
 私はそれらを無視して、叫んだ。

「サイト!」
「任せとけ!!」

 私は再びサイトに抱き上げられた。にわか作りの雨滴が地を叩く中、突然の爆音に本能的に身構えた父達の脇を、サイトは疾風の速さで駆け抜ける。
 あまりの出来事に、それを、ぽかんと見送る父達。
 その間の抜けた顔に思わず笑い出しそうになって、私はぎゅっとサイトの首に抱きついた。



***

***



 長い逡巡の後、少女は――杖をしまった。
 代わりに、身長よりも高いところに張り出した、大きな枝をじっと睨みつける。挑むように。
  そして、からっぽになった両手をのばし、思いっきりジャンプした。



***つづく***

(220425)



[11047] しにたがりなるいずさん 6 後
Name: あぶく◆0150983c ID:698cc379
Date: 2010/09/12 16:59
「はぁ、はぁ……やっと、ついた……」

 息を切らせながら、少女は顔をあげた。汗ばんだ額に爽やかな風が吹き抜ける。
 彼女は今、地面を遠く離れた大木の枝の上にいた。瞳に映る空が、いつもよりずっと近く感じられる。
 己の背よりも高い位置に張り出した枝に飛びつき、すがりつき、よじ登って、ようやくたどり着いたのだ。
 悪戦苦闘の結果、枝にまたがる細い足には擦り傷がついていた。硬い木の皮に懸命にしがみついた手も、じんじんと痛い。
 それでも、辛くはなかった。遠く離れた地上を見下ろしても、怖くはなかった。
 抑えきれない笑みを浮かべながら、彼女は枝の先へ、より細い方へと向かう。その先で、か細い声をあげる雛へと近づいていく。

「さあ、もう大丈夫よ」

 大人ぶった声をかけながら、そっと手を伸ばした。
 開かれたふたつの手のひらがゆっくりと近づき、その身を捕らえる。

「おとなしくして――そう、いい子ね、いい子」

 無意識に姉の口調を真似ながら、雛を持ち上げる。
 そのブラウスの袖は土に汚れている。この夏におろしたばかりのスカートの裾も、先程引っかけて破ってしまった。大人達に見つかったら、間違いなく叱られるだろう。けれど今の少女にとって、そんなものは些末事に違いない。
 大切なものはただひとつ――その手の中におさまった、小さな温もりだけ。
 とくとくとく、と小さくて速い鼓動を感じる。力を入れればすぐに壊れてしまいそうな、か弱い存在。彼女はその唯一の庇護者にして支配者だった。

「もう、そんなに怯えないの」

 ピィピィと声高に啼く雛を、偉ぶった声でたしなめる。

「大丈夫よ。わたしが助けてあげるわ」

 そうよ、と彼女は胸の内で頷く。姉でもなく、使用人でも、両親でもなく、自分がこの子を助けるのだ、と。そう思うと、不思議と力が沸いてきた。
 睨みつける。高い梢の先にある巣。どんなにがんばっても、あそこには届かないだろう。だったら、と彼女は下を見る。いくつもの枝の先、隙間に覗く地面。

「……魔法なんて使わなくたって……」

 呟き――震える雛を手に、樹を降り始める。
 木登り自体ほとんど初めての彼女にとって、両手を使わずにそこから降りていくのは大変な難事だ。慎重に慎重に足を動かし、体を肘で支え、お腹を幹にへばりつかせ、ゆっくりと降りていく。額に再び汗が浮かぶ。
 類いまれな集中力を発揮し、なんとかその試練も達成――するかにみえた、そのとき。

 最後の一歩でしくじった。

 近づいた地面に安堵して、不用意に足を下ろした先は、芽生えたばかりの若い枝。細すぎる枝から、ずるっと足が滑る。体が、幹から離れる。

「きゃあっ」

 悲鳴と共に背中から落ちた。どすん、と衝撃が走る。息が詰まる。

 しかし幸いなことに、そこは落ち葉が積もってできた土の上だった。柔軟な子供の体は怪我らしい怪我もなく、すぐに起き上がる。けれど

――痛い、

 起き上がった少女が涙目になるのも、しかたのないことだった。幼い頬にはひっかき傷。落ちる途中で擦った足にも、血がにじんでいる。慣れない類の運動に全身は疲れ果て、背中は痛い……。
 そこで、はっと思い出した。

「あっ、ごめんなさいっ!」

 思わず素の言葉で叫ぶ。あわてて手元を覗き込めば――ピィ、と小さな応え。
 どうやら大事はないようだった。速い鼓動もしっとりとした感触も生命の温度も、何も変わらずその手の中にあった。
 よかったぁ、と少女は安堵の息をもらす。それから、自身の血に気づいて、ぎょっと息を呑んだ。慌てて袖でおさえる。
 ピィ、と雛がまた啼いた。

「だ、大丈夫よ! これくらいたいしたことないんだから!」

 雛にか自分にか、あまり意味のない強がりを口にする。それから、改めて立ち上がった。イタタ、と思わず漏れた声はご愛敬。
 痛みを気にすまいと、ことさらに背筋を伸ばし、まず屋敷の方を見た。思考を巡らす。

 屋敷の大人達は忙しい。まして医者達は、末娘のお願いなんて取り合ってはくれないだろう。
 なら、どうすればいいか?

 先程と同じ問題に立ち戻る。けれど、その答えはもう、さきほど木登りに挑戦しながら見つけていた。狭い世界に生きる彼女に、ひとつだけあった心当たり。この夏休みの間にできた、もうひとつの愉しみ。
 屋敷から視線を外し、森を見やる。鳶色の瞳で木々の作る濃い陰の向こうを透かして、にこりと笑う。

 そして、少女は森の中へと消えていった。






*** しにたがりなるいずさん 6 後 ***






 サイトに抱えられたまま前庭へ出ると、跳ね橋の前でちいねえさまが待っていた。

「ルイズ、こっちよ」
「ちいねえさま?」

 驚く私を、姉はにこにこと笑いながら手招く。

――ちょ、ちょっと、はやく下ろしなさいよ!

 私はあわてて、ぼけっとしているサイトの頭をはたき、下ろさせた。生意気な抗議の声は無視して、姉の元へと自分の足で駆け寄る。こんな風のあるところで、病弱な姉を待たせるわけにはいかなかった。
 けれど、お具合が特別良いのだろうか、ちいねえさまはいつも以上に優しい笑顔でそんな私を見つめている。その穏やかな鳶色の視線を前に、私は、

――あ……、

 悪戯が見つかった子供みたいに、高揚がすっと醒めるのを感じた。

――私、何をしてるのかしら……?

 一瞬の戸惑いの後、自分を取り戻す。

――学院に戻る? 馬鹿じゃないの? それでその後はどうするのよ? 家長<お父様>の言葉に逆らって出征なんて、できるわけないじゃない。

 何をうかうかと使い魔の口車に乗せられているのか。自分の浅はかさに恥ずかしくなる。けれど、自己嫌悪に陥る私に、小鳥のさえずりのように優しい声は言った。

「ルイズ。大丈夫よ」

――え?

 姉が微笑んでいる。

「ほら、どうしたの? 使い魔さんと学院に戻るのでしょう?」
「えっ、あ、あの――――そっ、そうなの! そのっ、急に学院に戻らないといけなくなって」
「そう」

 思わず口にしてしまった拙い言い訳は、柔らかく受け流され。ますます恥ずかしくなって顔を伏せた私は、そのために、そのときの姉の表情を見逃した。

「なら、なおさら馬では遅すぎるわね。よかったわ、準備しておいて――」
「へ?」

 妙に楽しげな声に顔を上げれば、橋の先を示される。
 そこでは学院から連れてきたメイドが、馬車に繋がれたドラゴンの手綱を握っていた。

――は?

 ぽかんとする私に、姉が言う。

「これなら速いでしょう?」
「え、ええ、そうですわね――て、ちいねえさま!?」
「なあに?」
「どどどうして、あんなものがっ!?」
「貴女に必要だと思って」

――え!?

「あ、あのっ、でも、でもっ! お父様が……」

 焦ってうまく言葉の紡げない私を――内側から溢れるひとつの感情に揺さぶられている私を――姉は咎め立てもせず、ただ、笑う。

「ルイズ、いいのよ。――ねぇ、貴女はとっても良い子ね。優しくて、我慢強くて、辛いことがあってもいつも黙って耐えてしまう」
「ち、違うわ、私、別に――」
「いいの」

 穏やかに、姉は私の反論を封じ込める。笑って、こんな私をゆるしてしまう。

――本当に違うのに。私は貴女の言うような良い子なんかじゃないのに。

 声に出せないまま、胸の内にますます大きく膨れあがる、その感情。
 卑怯者の自分を責める内なる声。

――私《アンタ》にこんな風に優しくされる資格なんてナイのに。

「いつも何もできない頼りない姉さんでもね、妹のたまの『お願い』くらいは叶えてあげたかったのよ、」

 ちいねえさまはそう言って、こんな私を変わらぬ優しさで抱きしめる。抱きしめてしまう。頭を撫でる――魔法が上手くできずに『まだ』私が泣いていた頃、よくそうしてくれたように――私に、触れてしまう。

(「ねぇ、ルイズ」)

――ダメ、なのに。

(「自分をダメだなんて決めつけないで――」)

「愛しているわ、ルイズ」

 思わずその華奢な腕を振り解きそうになって、私は身を強張らせる。――もちろん、そんなことできるわけがない。
 臆病で卑怯な私は、されるがままに姉の豊かな胸元に顔を預けた。すると、いつものように姉の香りに包まれる。息を吸えば、肺腑の奥まで満たされる。満たされて、もう息もできない。

(「貴女は私の大切な宝物」)

 鼻の奥がつんと痛んで、そっと唇を噛んだ。

 そう――いつだって、私をなぐさめ、励まし、ゆるしてくれたこの香りは、同時にどうしようもない息苦しさもこの身にもたらしてきた。優しくて甘い香り。病弱な姉の、骨身にまで染みこんだ薬の匂い――。

(「いつかきっとわかるときがくるわ」)

「……」

 静かに心を殺していると、ようやく解放された。

「さあ、もう時間がないわね――行ってらっしゃい。使い魔さんが待っているわ」

 見れば、姉の言葉通り、サイトが橋のなかばのところに立ってこっちを見ていた。

――……なによ、あの顔。

 なぜか、ものすごく不機嫌そうだった。
 ぼんやりしている私に、はやくしろ、と言わんばかりに手招く。ああ、追いつかれるのを心配しているのか。もうちょっとだから、待ってよ――。

「元気でね、ルイズ」
「あ、はい。その、ちいねえさまも、」

 朗らかに別れを告げる姉に、私も、使い魔のことをいったん頭から追いやる。
 顔には自分にできる一番の笑顔を浮かべていた。
 姉に心配はかけたくない。ただでさえ弱い彼女の身を、損なうような何かにはなりたくない。
 その一心で、精一杯、笑う。

「……ねぇ、ルイズ。もう平気よね?」
「?」

 不意に問われた意味はよくわからなかったけれど、とりあえず大きく頷いた。

「ええ、もちろんですわ」

 そして背を押されるまま、いってきます、と手を振って最愛の姉と別れる。
 駆け出した先、青い空と橋の間にサイトが待っていた。



***

***



 少女が森の中を駆けていく。

「ねぇ、ちいねえさま!」

 小さな両手を胸の前で結んで、たったっ、と傷だらけの足も意に介さずに駆けていく。

「わたし、わかったわ。ちいねえさまのおっしゃっていたこと――」

 あたりは奇妙に静かで、誰もその姿を咎め立てる者はいない。

「わかったの!」

 少女は己の手を見る。ゆっくりと両手を広げる。

「魔法なんて、魔法なんて関係ない――」

 花開くように、少女は微笑む。



***

***



 教育の行き届いた学院のメイドも、さすがにドラゴンが牽く馬車を御した経験はなかったらしい。かなり怖がっていて危なっかしいので、サイトに手綱を持たせる。二人がかりなら、なんとかなるでしょう。
 一方、馬車の中におさまった私は、せっかくひとりきりなので、いそいそと靴を脱いで座席の上に寝そべった。ふかふかのクッションを抱きよせる。

――んー、なんだか、疲れちゃった。

 考えなければいけないことがいっぱいある気がしたけれど、とりあえず全部放り出して、私は目をつぶる。

「……あれ、眠ちまったのか?」

 しばらくすると御者役にも慣れたのか、サイトが窓を開いて馬車の中を覗き込んできた。

「んー、ん」
「どっちだよ」

 まあ、正直、半分くらい眠気に負けていた。そして、それに抗う気にもなれない。
 魔法を使いすぎたときの、いつものあの虚脱感とは違う。なんだかとても心地よい疲れだった。ひきこまれるまま、うとうととする私にサイトが話しかけてくる。
 それも、不快ではなかった。

「それにしてもさー、お前の家族って皆、おっかないのな!」
「そう?」
「ああ。なあ、誰が一番怖いんだ? やっぱ、あのきっついお姉さんか? それとも親父さん? お袋さんとはほとんど喋んなかったけど、あのひともなんかただ者じゃないって感じだったよな、」

 失礼な質問ね、となかば寝ぼけた頭で苦笑する。
 誰がいちばん怖い、か。
 私は、わざとなのか偶々なのか、サイトがたったひとりだけ挙げなかったひとを思う。

「ちいねえさま」

「…………何、だって?」
「だから――『ちいねえさま』よ。私がいちばん怖いのは、ちいねえさま」
「な、なんでだよ!?」
「だいすきだから」
「はぁ!? なんだよそれ!!――って、おい! ルイズ!?」

 ああ、もう眠っちゃうな――意識がすぅと引き込まれていくのを感じる。私はその心地よさにうっとりとしながら、同時に、ほんのすこしだけ、どうしてサイトがこんなことに動揺するのか、不思議に思う。
 こんな、当たり前のことに。



(「ねぇ、ルイズ。確かに、貴女は他の人よりも魔法が苦手かもしれないわ。でもね、今それがうまく使えないからって、自分をダメだなんて決めつけないで――」)



 だいすきなちいねえさま。
 誰よりも優しくて、賢くて、お可哀相なちいねえさま。

 生まれたときから、お体が弱かった。たくさんのお薬と魔法で体のいろんなところを治しながら、なんとか命をつないできた。ひどい熱を出したり、呼吸が苦しくて眠れない晩が何日も続いたりするたびに「いつ死ぬかわからない」、その恐怖にさらされて。

 ほんとうはずっと抱えてきたのだろう。毎晩、病に震え、毎朝、死に怯えながら――それでも私が近づけば、いつものように誰よりも優しく、なぐさめ、励ましてくれた。

 私はそんな姉がだいすきだった。誰よりも、何よりも。愛していた。尊敬していた。あこがれていた。

 だから……怖い。あの人に、この望みを知られてしまうのが、いちばん怖い。だって、

――そんなことを知られたら、きっと嫌われてしまうもの。

 ……本当になんて、嫌な子なんだろうと思う。
 でも本当に、それだけが怖いのだ。
 息ができないよりも何よりも、あのひとに嫌われる、そのことがいちばん怖い。

(「『死にたくない』」)

 かつて姉がもらした言葉が、今もこの胸に突き刺さっている。『死にたがり』の呪いとなって、私をここに留めている。

 そう、私はただの『死にたがり』だ。
 死を希いながら、自ら死ぬこともできない、矛盾だらけの半端者。
 なんて情けない、臆病者の卑怯者。



――でも、もしも……、

 自己嫌悪と自家撞着で身動きすらとれない暗い眠りの底――私はふと思う。

――もしもちいねえさまが……ったなら、

 ある『未来』を夢想して、ほのかな希望に心が明るくなるのを感じる。

――もう何もなくなるわね。私が思い留まる理由は全部、だから……、

 たがの緩んだ心は、身勝手な祈りをこぼす。
“どうか、ちいねえさまが早くお元気になれますように。”と。


(……本当に嫌な子ね。やっぱり、私はぜんぜん良い子なんかじゃない。あんな風に愛される資格なんてナイ、)


(「ルイズ、貴女は素敵な女の子よ。私の大切な宝物。大好きな妹。今は難しくても、いつかきっとわかるときがくるわ。だから――」)


――ええ、ちいねえさま。ちゃんとわかっているわ。






 空の遠くの方で、小鳥が啼いていた。
 虚ろな夢の中で微笑みながら、私はそれを無視した。









*** しにたがりなるいずさん 6 後 ***









 森の中で、男がひとり、暮らしていた。
 彼は森の番だ。その生業と生きる術の大半を、彼は父から教わった。無口な父だった。だから彼も無口な息子になった。父の死後はずっとひとりで、教わった通りに暮らし、教わった通りに生きている。
 自分で建てた小屋で、自分で作った家具に囲まれ、自分で育てたものと自分で狩ってきた獲物を食べ、自分で取り上げた犬達を傍に置く。
 簡素な暮らしだ。もちろんそこには魔法も存在しない。

 ひとりぼっちの冒険の果てにその小屋へとたどり着いた少女は、故に、魅了された。

 以来こっそりと訪れては、鳶色の瞳をまん丸に開いて、その奇妙な暮らしを観察するのが日課となった。まるで野ウサギのような、臆病さと好奇心のいりまじったその視線に、気づいているのかいないのか。男は、彼女がやって来ても邪険にすることも、殊更に構えることもしなかった。
 その無関心さ――ただ在ることを許され、何も為すことを望まれない時間――も、彼女には不思議に心地よい。

――それはなぁに? これはどうやって使うの?

 次第に大胆になって色々と尋ねたりもするが、答えが返ることはあまりない。
 階級が違うふたりは、遣う言葉も異なる。特に少女が高い声で話す貴族言葉は、彼にはあまり馴染みがないらしい。しかし、そんな一方的な会話も、少女にはじゅうぶん楽しかった。


 しかし、その日は違った。彼女には彼に伝えなければならないことがあった。


 彼の小屋を訪れた少女は、いつも以上に忙しなく、甲高く、熱心に話しかけた。その勢いに、彼も手を止めて少女を見る。

「――ちいねえさまに――今は――だから――わたしが――」

 細い腕を一心にのばして、彼にそれを見せる少女。

「たすけたいの」

 懸命の声に応えて身をかがめる男に、彼女はそれを押しつけた。大きな手に隠れる、小さな黒い羽のかたまり。

 少女はほっと息を吐く。

 一方、彼は自分の少年時代を思い出していた。彼もかつてこんな風に雛を拾ったことがあった。そのとき父はどうしたか――。思い出しながら、彼は器用なその指で、雛の細い首を掴んだ。
 そして、きゅっと力をこめた。


「え?」


 ぽかんと口を開けた少女の上に、男の影がかかる。屈み込んだ男は大きな手を伸ばし――差し出した格好のまま固まっていた彼女の手の上に、それを戻した。
 鳶色の瞳がいっぱいに見開かれる。


「…………どう、し、て?」


 尋ねられた男は、とつとつと語った。

――一度人の手に触れた雛を巣に戻しても、親鳥は世話をしないこと。
――雛は寒いのが苦手で、兄弟と一緒でないとすぐに凍えて死んでしまうこと。
――飛べない人間に飛び方を教えることはできないこと。

 そして低い声で、昔聞いた父の言葉を繰り返した。






「だから、こうしてやった方がいい」



***



 少女が森の中を歩いていく。

「――ちいねえさま――」

 小さな両手を胸の前で結んで、てくてく、と傷だらけの足も意に介さずに歩いていく。

「――おっしゃっていた――まほうがつかえないからだめなんじゃないって――」

 あたりは奇妙に静かで、誰もその姿を咎め立てる者はいない。凍りついたその瞳に、気づく者はいない。

「――だから――そう――」

 少女はからっぽの瞳で己の手を見る。ゆっくりと両手を広げる。

「――まほうは――かんけいない――」

 こわばった頬を歪ませて、少女は微笑む。




「――わたしがだめなのは、まほうがつかえないからじゃない――」








 天啓がそこにあった。






<了>






 てのなかのことり

(220829)



[11047] しにたがりなるいずさん 7の1
Name: あぶく◆0150983c ID:698cc379
Date: 2011/01/30 18:19



――鬱だ。

 ふと気がついたら、さっきから同じことしか言っていなかった。

 フゥ。気分を変えようと、小さく息を吐いてみる。ついでに体も揺らしてみる。
 けれどこんなささやかな改革では、なんの意味もなかった。なにも起こらないし、なにも変わる気配がない。

――……もう。

 口を尖らせ、眉間に皺を寄せる。

 しょぼい天幕だけど一応個室を与えられ、それなりの待遇を受けているはずだった。なのに、ぜんぜん快適じゃない。妙に息苦しいし、変に寒々しくて、マントをかきよせてもぜんぜん効きやしないのだ。
 私は藁とシーツの寝台の上に座り、自分の膝をかかえこむ。せせこましく自分の体温で熱をとりながら、この憂鬱な時間をやりすごす。ちらりと隣を見れば、押し黙ったまま、ぴくりとも動かない背中があった。

「……ねえ、サイト」

 返事はない。彫像のようだ。……うちの使い魔はいつから置物になったんだろう。
 ハァ。また、ため息がもれた。

 このところ、サイトはずっとこんな調子だった。声を掛けても返事もしないし、食事さえ促されなければ、なかなか手をつけようとしない。

――どうしろっていうのよ、もう。

 黙りこくった人間と同じ空間にいるのは、妙に圧迫されるものだった。まして普段は騒がしいほどに明るい人間がこんな風になると――いったいどう扱ったらいいのか、まるでわからない。
 正直、途方に暮れていた。

――いつまで続くのかしら、これ……。

 終わりの見えない窮屈さに、眉間の皺はますます深くなる。

 一応、サイトがこうなった原因はわかっているつもりだ。きっと、先日の上陸作戦のせい。
 陛下との約束を果たすために、私は今ただの虚無ゼロとして、このアルビオン侵攻軍に参加している。そして上陸時の囮役は、その最初の任務だった。

『サイトのひこうきで偽の上陸ポイントに向かい、幻影まぼろしの艦隊で敵軍の目を惑わす』

 作戦それ自体はなんとか成功した。けどその過程で、私達の護衛だった中隊が全滅した。私達を守るために文字通りの盾となったのだ。
 もっともそのときの私は虚無を唱えるためにいっぱいいっぱいだったし、帰りは例によって気絶していたから、ほとんど記憶がない。
 ただ、サイトがその中隊の隊士達と顔見知りだったことは知っていた。

――でも、それがわかっても、どうすればいいのかはわからないのよね……。

 私は手持ち無沙汰に自分のつま先をつまむ。ひんやりと冷たい。

(「サイト」)

 私だってこの状況を打開するために頑張ってはみたのだ。 

(「彼らは名誉の戦死をしたのよ。それは悲しむようなことではないわ」)

 思いつく限りの言葉を並べて、落ち込む彼をなだめて、励まして――。
 でも、

(「きちんと自分の役目を果して逝ったの。讃えられるべきことよ」)

 私がなにか言うたびに、サイトの表情はどんどん暗くなっていった。

「……」

 静まりかえった天幕の中、無力な私はしかたなく使い魔にならって黙りこむ。ここですることもないけど、外へ出る気にもなれなかった。ただ、黙りこんだサイトのそばで、じっと膝を抱えて座っている。

――鬱だわ……。

 また同じ言葉を――いつもの口癖を――胸の内で呟いていた。けれど、どうしてか、その先を言葉にする気にはなれなかった。






*** しにたがりなるいずさん 7の1 ***






 結局、私がなにもできないでいるうちに、無為な時間は勝手に終わった。

 兵士が食事を持って来たので、サイトの代わりに受け取っていたときだった。不意に強い風が吹いて、天幕を吹き飛ばした。敵襲かと慌てる私達の前に降り立ったのは、王軍の印をつけた風竜。その背には何人も若い騎士達が乗っている。

――え?

 その姿に、私は凍りついた。

「第二竜騎士中隊……?」

 すこし決まり悪そうに照れた笑顔を浮かべている、サイトと同じくらいの年齢の少年達。それは先の作戦で私達の盾となって戦死したはずの騎士達だった。それが全員笑顔で、元気そうにそこにいた。

――な、んで……、

 硬直する私の背中を、声が叩く。

「あーーーーーーーーーっ!!」

 サイトだった。顎が外れそうな大口を開けて、彼らを指さしている。

「おや、きみは――」

 小太りの竜騎士――たしか、この中隊の隊長――が、こちらを見てひょいと手をあげた。その自然な仕草に、ぞっと身を震わす。
 そんな私の横をサイトは「なんで!?」と騒がしく声を上げながら、転がるように出てきた。

「お前ら! 生きていたのかっ!?」

 興奮と喜びをにじませて叫ぶ。あいかわらず直情的で、落ち着きのない――それもずいぶん久しぶりね、とそんな感慨はとりあえず置いておいて。
 動揺がすこし落ち着いた私は、迂闊なサイトの袖を掴んだ。

「サイト、だめよ。下がりなさい」
「は? なんで?」

――あのね、「なんで?」じゃないでしょう。

 ボケボケなサイトにこれ以上口を割く時間ももったいなくて、私は問答無用で彼と彼らの間に立ちふさがった。手にはすでに杖。口の中では、ひそかにルーンを唱えている。
 意識が自然と集中し、澄んでいく。他のときのようにキリキリと引き絞る必要もない。すらすらと水の流れるように、それは紡がれていく。精神力も十分だ。目の前のものを見ているだけで勝手に湧き出てくる――目の前で、血色の良い顔でぽかんとしている『死者』達のおかげで。

――ほんとうに……なんて忌まわしいのかしら……。

 湧き出る感情をそのまま魔法に換えて、できると同時に放った。勇敢な騎士達の安息を汚す、忌まわしい魔法を消すために。
 虚無『解呪ディスペル』を。



――消えなさい!






 ……。






「…………あら?」

 変ね、と私は魔法を放った姿勢のまま首を傾げた。

――手応えがないわ……。

 目の前には、いつまでもぽかんとした顔の竜騎士達。

――ゼロをかけても消えないのなら……えーっと……? あれ? あの指輪じゃ無かったのかしら?






 ……。






 …………。






 嫌な、間があった。



「お、おい。君、いま何を――」

 びっくり顔の隊長の問いかけに、私も思わず尋ね返す。

「あんた達こそ、なんで生きているのよ?」

 まるで八つ当たり――そのとき、後ろからなにかがぶつかった。

「きゃっ」

 不意をつかれた私は小さく叫んでよろめいてしまう。誰よ! と怒りをこめて振り向けば――サイトが私を睨んでいた。

「何してんだよ、お前っ!」
「な、なにって――」

 騎士達ならともかく、どうしてサイトがそんな当たり前のことを訊くのか分からず、私は目を瞬いた。

――あんたは知ってるでしょうに。

「虚無をかけたのよ」
「んなことは知ってるっ。なんでそんなことすんだよ!? こいつらは味方じゃないか! それもせっかく戻ってきた――」
「『だから』でしょう? 彼らは死んだのよ。ここにいたらおかしいじゃない、だから、」

 不意にあの夜のことが思い出された。雨の中、それまですがりついていたからだが『消えて』、呆然と顔をあげた姫様の、私を見たあの目――。けど――、
 ごくりと唾を飲む。

――しかたないわ、こいつらは『敵』なんだもの。

 そう飲み下す。でもサイトは納得しなかった。

「そうじゃないだろう! 生きてんだろうが!! お前、こいつらが死んでいた方が嬉しいのか!?」
「はあ? なに言っているのよ!?」

 妙に突っかかるサイトに私が目を白黒させていると、

「おいおい、止めたまえ」

と、当の竜騎士が割って入った。私の推測も当然だと自ら認めて、サイトをなだめにかかる。どうも先程の虚無はディテクトマジックの類だと理解したらしい。……正直、自分のカンチガイというか先走りっぷりが恥ずかしかったので、そういうことにしてもらった。
 とにかく、この奇妙な事態を報告する為に全員で大隊本部へ向かうことになった。私もついていく。ちゃんと話を聞けば、この居心地の悪い出来事も落ち着くかもしれないと思って――。
 ところが、期待に反して、大隊本部でも彼らが生還した原因はわからなかった。墜落から今まで一週間分もの記憶が、中隊の全員からすっぱりと消えてしまっていたのだ。気づけば全員無事で一頭だけ残った竜に乗っていた、とか。あやしすぎるけれど、経験豊富な軍人達に言わせると「戦場ではこういうこともある」そう。

――……なによ、それ。

 適当すぎる、と思う。
 けど、正規のディテクトマジックで調べても、わかったのは「魔法で操られているわけではない」ということだけだった。これ以上調べようもない。結局、判断を保留するしかないのだ。しかも、一頭を除いて竜を失った彼らは隊に復帰することもできず、なぜか私の護衛につくことに……。
 色々と納得はいかないまま――けれど、少なくともあの忌まわしいもののせいではないことを確認した私は、その決定に従うしかなかった。

 ちなみにそう話が決まるころにはサイトもだいぶ『落ち着いた』みたいで、大隊本部を出た途端、半泣きで隊の連中の生還を喜んでいた。
 あらためて自己紹介を始める彼らの横で、私はひとり手持ち無沙汰。ちらりとサイトを見るが、会話に夢中でまるでこちらを見ない。その様子に、ふと先程の失態を思い出した。
 なんだか妙に胸がざわざわする。

――なにかしら、これ……?

 震える手で、握ったままだった杖をこっそりと袖口にしまう。






 それからその晩は、帰還を祝うという名目で酒盛りになった。当然のように私の天幕で。

「――貴方達のことで、サイトが落ち込んで大変だったのよ」
「へえ?」

 その席で私がここのところの使い魔の様子を告げると、小太りの中隊長は「やっぱり変わっている奴だな」と笑い出した。

「いちいち気にしていたらきりがないだろうに」
「まったくよ、もう」

 私は、ひとりだけ炭酸で割ったレモネードを飲みながら、頷く。視線の先で、サイトは酔っ払った騎士達と何度も杯を合わせている。

――でも、ま……。よかったわ。

 その様子は心底楽しそうで、すっかり元通りに見えた。これでもうあの憂鬱な顔を見ないで済むと思うと、お酒を飲ませてもらえないこともあまり気にならない。


 そう、そのときはそう思ったのだ……。



***



――まだ、飲んでるのね……。

 任務から戻ってきた私は酔っ払いどもに占拠された天幕を見て、立ち尽くした。もうため息すら出ない。

「おっ、ルイズ! おかえり!! こんな時間までどこ行ってたんだよ?」
「…………うるさい」

 ぼそ、と呟いた声は酔っ払いの遠い耳には届かなかったようだ。

「え? なになに?」
「あー、おかえりなさーい」
「お嬢様も一杯いかがぁですかぁ?」
「こらっ、酒はダメだっての――ルイズ、メシまだだろ? ルネがスゲーうまいハム持ってきたんだよ、」

 赤ら顔で、上機嫌にナイフに刺さった肉の塊を振りまわすサイト。……あのね。

「それにほら、ちゃーんとお前のためのレモンちゃんも用意しといたぜ! ビタミン取っとけ、ビタミン!」

 頭が痛くなってきた。

――びたみんってなによ? そんなもんより酒をよこしなさい。だいたい……、

「……なにがレモンちゃんよ、気でも狂ってるんじゃないの?」
「確かに!」

 私の呟きに、合いの手を入れたのは赤毛の竜騎士だった。途端に少年達は一斉に笑い出し、サイトをからかい出す。
 そんな風に盛り上がる場に比例して、私はますます頭痛がひどくなる。八つ当たり気味に、手近に転がっていた空ビンを外に蹴り出した。

「静かにしてちょうだい。任務帰りで疲れているの」
「任務ー? そんなの聞いてないぞ?」
「……言う必要ある?」

 べろんべろんに酔っ払ったサイト以下を睥睨して、私は腕を組む。今、竜を無くした竜騎士に任せられるような仕事はない。それにかこつけて、の天幕で好き放題していいわけでもないけど。

「何してたんだよ?」
「偵察よ」
「偵察!? なんで俺のこと呼ばなかったんだよ!?」
「何言っているのよ。あんたのひこうき、もう使えないじゃない」

 あれは上陸作戦で弾切れなのだ。万が一偵察中に敵方に見つかって襲われたら、ひとたまりもない。
 だから偵察には小回りの利く竜を出してもらった。乗り手はロマリア人の青年。平民出の神官でありながら竜騎士中隊の長を任されている、妙な身分の青年だ。ずいぶんとおしゃべりだったけれど、腕は良かった。
 彼と偵察してきた街の様子は、すぐに『幻影』魔法で報告した(幕僚達はとても優秀で、虚無魔法を応用してどんどん作戦に役立てていく)。
 そうして任されたことを全て無事終え、ようやく休めると思ったのに――。

「しかも、あのうさんくさい奴とかよ! なに考えてんだ!?」
「あら、とっても紳士的だったわよ、少なくともあんたらよりはね」

 私の皮肉に、「おっと、これは手厳しい!」と中隊長のルネ・フォンクがおどけた仕草で額を打った。再びげらげらと笑い出す悪餓鬼共――ああ、もう。

「いい加減、出て行ってくれないかしら?」

 頭が痛い。視界が歪む。精神力を無駄にできない状況でなければ、とっくにふっ飛ばしているのに。
 じと目で睨んでいると、多少は気の利くルネが隊員達を連れ出していった。そして――へべれけの使い魔だけが残る。

「ねえ、サイト。あんたも少しは働いたらどうなの?」
「あん?」

 静かになったものの、天幕には食べかすやら中途半端に開いたボトルやらが転がったままだ。私はうんざりとした気分でそれを避けながら、寝台に向かう。

「『ひこうき』が使えなくてもできることはあるでしょう。せめて天幕の掃除くらいしなさいよ」

 小言を続けながら、ネグリジェ代わりに借りているサイトのシャツをとり、さっさと着替え始める。ちょっと任務に集中しすぎたせいで危うい目にもあって、汗をかいてしまったのだ。
 背後のサイトも反省したらしく、なにか言いたげにあーうーと唸っていたけれど、やがてもそもそ動き始めた。やれやれ……。

「なあ、偵察ってどこ行ってたんだ?」
「ん?」
「危ない目にあわなかったか?」
「――大丈夫よ。腕の良い人だったから、」
「あいつが~?」

 その口調に、私は顔をしかめる。
 一緒に一度顔合わせはしたけれど、それ以外でサイトがあの竜使いと話をしたことはないはずだ。なのにこの毛嫌いぶりはなんなのかしら。
 あの青年はたしかにちょっと胡散臭いところがある。きっと神官なのに非常にロマリア人らしい言動をするせいだろう。たとえば、初対面で私の手の甲に口づけるふりをしたりとか、容姿を大げさに褒め称えたりとか。でも、それが彼らの習慣で礼儀なのだ(だから、ロマリア男の言うことは一から百まで決して本気で取り合ってはいけない、と以前お父様にも忠告されたことがある)。

――あの軽さが馴染まないのかしらね。それとも……、

 青年の外見を思い浮かべる。女性と見まごう美しい顔に左右で色の違う目ときれいな金髪と、まるで天使絵に描かれていそうな容姿だった。ちょっとギーシュを思い出す。残念ながら言動も外見も青年の方がずっと洗練されていたけれど。
 そういえば、サイトってギーシュとも出会ってすぐに喧嘩していたっけ。その後も時々絡んでいたし……。

――もしかして……美形嫌い?

 ちょっと意外な発見だった。
 でも……別にサイトの顔もそんなに悪くはないと思う。たしかに美しいとかカッコイイとか、そういうのはちょっと違うけど。……なんていうか、ちょっと間が抜けているのよね……でも、それはそれで味があるっていうか……それに真面目な表情をしていれば、それなりに…………、

「な、なんだよ……」

 なんてことを考えながらじっと見つめていたら、サイトが戸惑ってしまったので目を逸らす。

――えーっと、何の話だっけ。

 そう、任務だ。あの青年は外見や言動はともかく、有能な人だった。エスコートもカンペキだったし……。
 むしろ私は第二中隊の騎士達の方が苦手だ。前の一件があるせいかもしれないけど、私の目には彼らはちょっと乱暴に映る。でもサイトは馬が合ったようで、こっちに来てからはじめてと言っていいくらい楽しそうだった。だから、なんとなく見逃してきたのだけれど……そろそろ釘を刺しておくべきかしら?

「――少なくとも、昼間からお酒を飲んで酔っ払っているような人じゃなかったわよ」
「へーへー、どうせ俺が悪いですよっ! ……でも、お前だってちゃんと声をかけてくれればよかったじゃないか、」
「必要なときはそう言うわよ。それにそう思うなら明日からはしっかりしてよね。最近気を抜きすぎだわ。ここは戦場なのよ」
「…………そんなもん、わかってるっての」

 妙に間の空いた返事に、ほんとうに? と思うけれど、それ以上追及することはできなかった。
 寝台に腰を下した途端、疲労が一気に襲ってきたのだ。

「ルイズ、それより何か食べないか?」
「……いらない、わ」
「そんなこと言うなよ。お前、細いんだからちゃんと食わないと――――て、ルイズ!?」

 気づけば私は、崩れるようにベッドに突っ伏していた。貧血、かな? どうしよ、体が動かない――、

「――――――ルイズ!? おいっ、どうした!? ルイズ!!」

 遠いところで、サイトが呼んでいる――それになんとか返事をしたいと思うのに――私はそのまま、意識を失うように眠ってしまった。



***



 削れば痩せ、痩せれば弱くなるのは当たり前の話で、その結果は覿面に表れた。
 手の震えに始まり、動悸、息切れ、頭痛、貧血、吐き気に失神……。日々増えていく症状に、困ったものね、と思う。
 もちろん最初から『足りない』ことはわかっていた。でも、そんなのはこの王軍の兵糧と同じで、上手くやり繰りして戦争が終わるころまでに使いきればいい。そう考えていた。
 浅はかもいいところだ。

――約束ひとつ、まともに果たせないのね。……情けない。

 この戦争のために苦労して準備を整えていた陛下のお顔を思い出す。それに家族のことも。反対を押し切って無理やり従軍したというのに、こんな有様では顔向けできない。
 そう思うと、不甲斐なさでいっぱいになった。胸が苦しい……。

――…………でも、それって変な話よね。

 思う。ある意味で私の計画は順調に進んでいるのに、それが原因で『苦しい』なんて、本末転倒もいいところだ。どうしてこんなことになっちゃったのかしら? と自問して、すぐに気がつく。
 どう考えても、安請け合いをした自分のせいだった。ただの死にたがりのくせに変な欲をかいて、『ついでに』役に立とうなんて。虫が良すぎるわ、と過去の自分をなじる。無価値なものと引き換えになにかを得ようなんて、無理に決まっているのだ。けど、それも……、

「……いまさら、よね」

 呟き、乾いた唇を撫でる。指先は冷たい。骨も肉も日々軽くなっていくのに、腕の動きは鈍くて重たかった。弱った体を横たえ、束の間の休息でだましながら、よどんだ思いをため息で吐き出す。

――あーあ。

 進軍は考えていたよりも緩やかで、いらないことばかり考えてしまう。


 ……それはもしかしたら、私だけではなかったのかもしれない。



***



 ようやく軍が進んだ先は、私が偵察した古い街だった。
 始祖が最初に降臨したというその旧跡の都は、ペンタゴンの形をした大通りと、古い都市にありがちな無節操に煩雑化した路地でできている。
 しかしそんな知識は、実際に街中に入り込んでしまったら、なんの役にも立たない。まして敵に追われて逃げ惑っている今は。

「こっちだ!」

 先を行く騎士が叫ぶ。もちろん根拠なんてないに決まっている。それでも私達はその声にしたがって、細かな路地を走り惑うしかなかった。
 背後から迫る、凶悪なオーク鬼達の唸り声。レコン=キスタはどういう手段でか、この野蛮な亜人を手懐けて兵士の真似事をさせているらしい。
 それでもこんな力まかせなだけの愚鈍な巨人なんて、ガンダールヴの敵ではないはずなのに――、

「ルイズッ、もっと速く!」

 当の使い魔が逃げ腰なせいでどうにもならない。

――いいからっ、手を離しなさい!

 私はぱくぱくと口を動かしながら、声もなくサイトをなじる。怒鳴りつけようにも叫ぶ余力は無かった。彼らの後をついていくだけで精一杯だ。
 前を行くのは、剣を構えることも忘れてひたすら私の手を引っ張る馬鹿。力いっぱい引きずられるおかげで、私はほとんど地に足がついていない。おかげでついていけるんだけど……。
 そもそもの原因を考えると、とても感謝する気分にはなれなかった。

 だって、全部サイトのせいなのだ。

 司令部の指示で事前に街中に入り込んだ私達は、主軍の侵攻開始とタイミングを合わせて陽動の虚無を放つ予定だった。けれどその作戦の直前になって、急に使い魔が危険だから止めろと言い張り、邪魔をしたのだ。

(「なんでまたそんなこと引け受けたんだよ!」)
(「潜入するだけで終わりなわけがないでしょう、いまさらなにを騒いでいるのよ?」)

 ……そう言えば、サイトには私の護衛だけを命じていて、作戦の詳細は特に説明していなかった。それで驚いていたのかもしれない。でも、だからと言って敵地のど真ん中で騒ぎ立てるなんて――ほんと馬鹿なんだから。

(「お前なっ」)
(「シッ! 声が大きいわよ、馬鹿」)
(「馬鹿はお前だ! こんなとこで無駄死にする気かよ!!」)
(「な、なによ! 失礼なこと言わないで。ちゃんと成功させるわよ!」)

 私だって自分の役目くらい理解している。王軍の重要な戦術兵器である『虚無』が勝手に作戦を放棄して死ぬわけにはいかないことくらい、ちゃんとわかっている。
 そう言ったのに、サイトは聞きやしなかった。

(「バカヤロウッ!!」)

 思わず身をすくめてしまうほどのサイトの大声は――あっさり警邏を呼び寄せてしまい、こうして護衛のルネ・フォンクら共々逃げ回る羽目になった。

「頑張れっ、こっちだ!」

 狭い路地を強引に走らされる。すり減った石畳に足が滑れば、叱咤と共に引き上げられた。背後から、気色の悪いオーク鬼の叫びが迫る。

――もう。なんで、こうなるのよ……っ!

 杖をきつく握りしめる。

「エオ」

 とっくに侵攻作戦は始まっているだろう。

「ルー」

 息が苦しい。

「スー」

 任務は完全に失敗だ。

「ヌ」

 せっかく任せてもらったのに、何の役にも立たなかった――。

「フィル」

 鼻がつんと痛んだ。

「次、右に曲がるぞ!」

 言葉通り、サイトは先に角を曲がる。強く腕を引かれる。ひっぱられて、肩が痛い。

――もう、イヤ。

 だから精一杯の力で、その手を振り払った。

「ヤルン」

 たたらを踏みながら、立ち止まる。

「サクサ――」

 ずたずたのルーンを無理やり唱えながら、くるりと向き直った――途端に醜悪なオーク鬼の顔と、振り上げた太い棍棒が見えた。思っていたよりも、ずっと近い。視線の先で、巨大な腕はまっすぐに、私の頭蓋めがけてそれを振り下ろす。風がうなる。

――……ああ。

 一瞬、何かもが止まった……ような気がしたそのとき、



「ルイズッ!!」



 悲鳴じみた声に背中を蹴られて、我に返った。

――なにしているのよ、アンタは! 今は『足止め』でしょうがっ!

 咄嗟に杖を振るう。ボンッという小さな音とともに亜人の眼前で弾ける、できそこないの爆発。

――足りな……っ!

 焦るあまり、無意味に杖を振る。そんな私を、ドン!と脇を駆け抜けた突風が突き飛ばした。弾かれる、地面を転がって、壁にぶつかって止まる。地べたを這いながら、なんとか混乱する頭を上げたときには――――サイトがデルフを振り抜くところだった。



 亜人の巨体が、どう、と倒れ、辺り一面に生臭い血が飛び散る。



――…………なによ、それ。

 私が立ち上がるよりも早く、サイトは追っ手を蹴散らした。無傷で戻り、怒り顔で手を差し出す。

「何してんだよ、お前は」

 苛立った声を――私はかすんだ瞳で睨み返した。けれどサイトは背後を振り返っていて、気づかない。

「うわっ、また来た! ほ、ほら、早く逃げるぞ!!」
「……うるさい……」
「あ?」

――ひとりで立てるわよ。

と、立ち上がった直後にいつもの目眩。視界が大きく歪み、サイトの顔と体と足がぐにゃりと混じり合う。

――ああ、もう!

 思うようにならない体への苛立ちに、怒りと頭痛と吐き気が一緒くたにこみ上げた。

「ほら見ろ! 言わんこっちゃ無い、」

 そんな私をサイトが抱きとめる。逃げようにも膝が震えて、力が入らない。

「しっかり掴まってろよ、な?」

 そうして、軽々と抱え上げられる。なにも言い返せない私は、黙ってきつく唇を噛みしめるしかなかった。

――……なんて、役立たず。



***



 結局、味方の竜騎士隊に拾いあげられ、私達は帰還した。例の偵察で一緒になったロマリア人の竜使いが、上空から逃げ惑う私達を見つけたのだ。
 天幕へたどり着くまでの間ずっと、サイトの手で壊れ物を扱うみたいに丁重に輸送された私は――、

「いい加減にしなさいよ!」
「うわっ」

 天幕で二人きりになった途端、ため込んでいた不満を爆発させた。手近な枕をひっつかみ、ぶつける。

「おい、いきなりどうしたんだよ?」
「アンタこそ、なにしているのよっ!」
「はあ?」
「やればできるんじゃない! だったら、最初から真面目にやりなさいよ! なのにっ、なんで邪魔ばっかりするのよっ!」
「な、なんのことだよ?」
「任務に決まっているでしょ! せっかく任されたのに、なんで――っ」

 声が続かない。私が息切れして、はぁはぁと肩を上下させている間に――サイトに逆襲される。

「お前っ、馬鹿じゃないのか!? お前こそいい加減にしろよ! 貴族の義務とか名誉とか、そんなもののために命を張ってどうすんだよっ!!」
「怒鳴らないでよ! なにも知らないくせにっ」
「あー、知らないね! 知りませんよ!……ったく、くだらない」
「なんですって!? アンタねっ、私が、私がどれだけ、ここで――っ」

 不意にこめかみが引き絞られるような痛みに、言葉が切れた。ぎゅうと目をつぶってそれに耐える。顔を伏せる。ハア、と目の前のサイトが、ため息を吐くのが聞こえる。
 きっと、口ばかりの私に呆れているんだろう――。そう思ったら、ますます苦く、苦しくなった。

「……お前さ、そんな意地張って何がしたいんだよ?」
「私は、姫様と、約束をしたのっ」

 言葉が繋がらない。叫んでいるのに、まるで力が入らない。こんなんじゃ負けちゃうのに――。

「そんなのっ、それこそお前を良いように利用してるだけじゃないか! なにが『おともだち』だよっ」
「ちがうっ」

 なにもわかっていない台詞に、言いたいことが多すぎて、かえって言葉にならない。ただ「ちがう、そうじゃない、」と子供じみた口調で繰り返す。そんな情けない私に、サイトは憐れみに似た目を向ける。

「なあ、もういいじゃん。お前は十分がんばったよ。……俺らがいなくても本隊の方は上手くいったみたいだし。もう大丈夫だろ。後は本職に任せようぜ。な?」
「ちがう、ただ、私は、私は、ただ――」

 諭すような、なだめるようなサイトの言葉に、私は――利かない手で、震える足で、かすむ目で、いくら呼吸をしても『さんそ』が行き届かない頭で――必死に抗おうとする。けど、

「あのなぁっ!」

 声と同時に掴まれた。両の二の腕が、強い力で締めつけられる。その強さに、ドキッと一拍、心臓が大きな音を立てた。
 見上げれば、触れるほど近くにサイトの顔がある。怒りに赤く染めて、私を睨みつける。その険しさに思わず息を呑んだ。

「……」

 口を開くこともできない、ただ見返すしかできない。黒い目に、向き合う私が映りこんでいる。痛いほどに強い、その手の力。まるであのときみたいな距離だと、思考の片隅でだれかが囁いて――――――心臓がもう一度、勝手に跳ねた。

――あれ、私、今息しているかしら……?

 緊張のあまり、そんな馬鹿げたことを思う。そんな私の目の前で――サイトの顔がくしゃりとゆがんだ。伏せる。うなだれ、掴んだままの私の腕にすがりつく。

――え? え?

 戸惑う私の耳に、聞いたこともない力無い声が届いた。



「……なあ、頼むからさ……もうやめてくれよ…………俺、怖くてたまんねぇよ……」



 すがりつく声に、言葉を失った。



***



 目を覚ましたときは、ひとりだった。

「……」

 どれくらい寝ていたんだろう。完全に意識を失っていたらしく、時間の経過がまるでわからない。けど、わざわざ確かめる気にもならなかった。

――…………サイト?

 体を起しながら、目で自然と使い魔の姿を探す。こういうとき、いつもなら世話焼きの使い魔は枕元でぼーとしている。そして私が目を覚ますといそいそと動き出すのだ。
 そこで、思い出した。

――いるわけ、ないじゃない……。

 あまりの馬鹿らしさに、苦く笑う。
 サイトはあの後一度も目を合わさないまま、休むようにとだけ告げて天幕を出て行った。それで、することもない私は言われるがまま寝台に戻ったのだ。
 それきり、たぶん戻ってきていないのだろう。
 からっぽの天幕の中、寝台から下りることもなく膝を抱えて座り込み、見るともなしに出入り口の方を見やる。そこには、同じように置き去りにされた錆剣が立てかけられていた。

「……デルフリンガー」
「なんだい、娘っ子?」

 抜き身の剣はいつも通り、呑気な声で応えた。おかげで私もいつも通り――それに腹を立てることができた。

――なんだいじゃないわよ。

「あんた、そこでなにしているの?」
「『見張り役』らしいぜ。だあれも来ないけどな」
「……そう」

 なんの見張りだろう。私が勝手をしないように、だろうか。

「相棒はどっかに行ってる。それ以上はよくわからんね。俺様、ずーっとここにいたから」
「……そう」

 放って置かれて拗ねているのだろう。尋ねていないことまでぺらぺらと喋る剣は、ちょっと含みのある口調だ。……しかたないので、私はこのまま、寂しがり屋の剣に付き合ってあげることにした。

「――ね。あいつ、なんなのかしらね」
「ん、誰だい?」
「サイトよ、当たり前でしょう。――なんかあいつ最近、変、でしょう? どうしちゃったのかしら?」

 私は手を伸ばして自分のつま先をいじりながら、ここのところのサイトの行状を並べたてた。

「ひまなときはお酒飲んでばっかで、騒いでばっかだし。そのくせ私には、ごはん食べろとか早く寝ろとか、いちいち口出しするし。なにか言えばすぐにひねくれるし、ふさぎ込むし、態度悪いし、怒鳴るし、睨んだりも……するし……」

 尻すぼみになって、いったん息を吐く。なんだかさっきのサイトの表情がちらついて、喋るほどに落ち着かない気分になった。それを押し隠して愚痴り続ける。

「あ。あと任務も邪魔したわ! なんであんなことしたのかしら? あんなに強いのに、逃げてばっかで。ほんとやる気ないんだから! やんなっちゃうわ! しかもようやくやる気を出したと思ったら、すぐに倒しちゃうし。本当になんなのよ、もう! あれじゃあ、私はまるで――」

 ふ、と口をつぐむ。

――……まるで?

 あのとき、私は唯一の役目である虚無を撃てなかった。サイトがいなければ、逃げる皆についていくこともできなかっただろう。それどころか、私がいなければ彼らはもっと早く逃げられたはずだ。だから、せめてと足止めを買って出たけれど――それも、果たせなかった。サイトに庇われて、目の前でサイトが敵を蹴散らすのを、手も出せずに眺めていただけだった。
 そんな私はなんなのか?

 答えは簡単だ。

――ただのマヌケな足手まとい。

「……っ」

 咄嗟にかたく両手を握りしめ、自制した。みっともない自分をこれ以上さらさないために。――なんて、安っぽいプライド。
 わかってる。さっき私がサイトを怒ったのは、任務を邪魔をされたからじゃない。ただの、八つ当たり。役立たずの自分と彼を比べて、嫉妬していただけ。

――……なんて情けないのかしら。サイトが呆れるのも当然だわ。

 他人事のように自分の愚かしさを突き放す。それでも、わき上がる感情に喉がふさがれた。

(違う。私のせいじゃないわ。役に立てなかったのは、サイトが邪魔したからよ!)

――馬鹿じゃないの。そのサイトに庇われたのは誰よ?

(うるさい! 黙んなさい!!)

――あんたこそ黙りなさいよ! みっともない!

 交互に浮かび上がる感情を、身を丸めて押し殺す。自己弁護と自己嫌悪。そしてそのどちらでもない自分が、なんでこんなことになっているんだろう、と疑問に思う。なんで、こんな苦しい思いをしているのか。わけがわかんない、と。

 けれど、そんな私に気づかないデルフリンガーは呑気なものだった。

「確かに冴えなかったねえ。ルーンもまるきり反応してなかったし。まあ最後だけは別だったけどさ――」

 のんびりと語られた言葉の一節が気になって、私はぱっと顔を上げた。

「ちょっと。それ、どういうこと? ルーンの調子が悪かったの?」

――わざと、邪魔をしたんじゃないの?

「いや、調子が悪いのは相棒の方さ。てんで心が震えてない。あんなへたれっぷりじゃあ、ルーンも役立たずで当然だなー」
「心が? それって……」

 不意に心臓が凍えるような心地がした。


(「――もうやめてくれよ、俺――」)


「……ねえ、」

 口ごもりながら、尋ねる。

「サイト……さっき、言ったでしょう……『怖い』って……つまり、それって……そういうことなの?」
「ああ、そうだろね」
「そうだろねって――そんな簡単に肯かないでよ!」

 あまりにあっさりとした答えに、反射的に難癖をつけていた。寝台のふちまでにじり寄る。

「ねえ、どうして? サイトはなにがそんな怖いの?」

 途端に、ボロ剣は、おいおい、と呆れ声をあげた。

「お前さん。わかってないのかい?」
「なによ! 悪い!?」
「……すこし落ち着けよ。またぶっ倒れるぞ」
「いいから、早く教えてってばっ!」

 噛みつくように問えば、剣は淡々と答える。

「そんなもん、ちょいと自分のことを振り返ってみればわかるだろ? 娘っ子もあんとき、オーク鬼に向かっていったじゃないか。それと同じだよ」
「同じ?」

 私はそのときのことを思い出す。オーク鬼の醜悪な顔、大きな棍棒、それに自分が感じたこと。

――怖い……?

「…………わかんないわ」
「そうかい? ちゃんと知っていると思うがねぇ」
「……なによ、それ……わからないって、言っているでしょ……」
「そうか。ま、娘っ子も筋金入りのひねくれ者だからなー」

 知ったかぶった台詞に苛立ちが一気に跳ね上がった。

――いい加減にしてよっ!

「勝手なことばっかり言わないでよ! わかるわけないでしょっ、そんな曖昧なこと言われても!!」

 ばしん、と枕を投げつけ、バカ剣を倒す。結局、こいつも使い手にそっくりだ。適当で。一方的で。気まぐれで。勝手で。不愉快で。
 毛布を頭から被って丸まる。耳を塞ぐ。非難も抗議も或いは呆れ声も、もうなにも聞きたくなかった。

――なんなのよっ、あいつも! あいつも! いったいなんなのよっ!?

 ぐるぐるとお腹の中に不満がうずまいて落ち着かない。だから、私はぎゅっと小さく小さく身を丸めた。

「――わっかんないわよ、そんなもの!」

 毛布の中で吐き捨てる。子供のように唇を尖らせる。

 そう、わかるわけがなかった。同じだなんて、そんなこと、あるわけがないのだから。亜人の巨腕も、振り下ろされる棍棒も、全部、私にとっては『違う』のだから。


 私はもうずっと前から『他人ひと』とは『違う』のだから。






「……もう……なんでもいいから……はやくおわってよ……」

 聞こえないようにと零した声は震えていて――それが、どうしようもなくみじめだった。






*** つづく ***



(221123)



[11047] しにたがりなるいずさん 7の2
Name: あぶく◆0150983c ID:0f800281
Date: 2011/01/30 18:19
 ぱち。ぱちぱち。ぱち。
 かり。かりかり。かり。

 暖炉の火のはぜる音にまざって、爪が小さく音を立てる。

 かり。かりかり。かり……。
 ぱき。

 わずかなでっぱりが引っかかり、小さく折れた。

 めり。みし。みし。めりめり……。

 大きくなった凹みに指先をかけ、引き剥がす。



 先日、王軍は無事目的の都市を『解放』した。今は降臨祭のために休戦中だ。年が明けたら決戦らしい。相変わらず歩みはゆっくりとしたものだけど、全てはなんの問題もなく進んでいる。
 近頃は任務が与えられることもなくなった。
 おかげで私は、天幕の代わりに与えられたこの宿屋の一室に、引きこもってばかりだ。
 なにをしてもすぐに疲れてしまうので、外へ出る気になれない。体力がない。食欲もない。けど、いまさらどうにかしようと頑張る気力もない。

――どうせ、することもないしね。

 無い無い尽くしな私は、だから今もひとり暖炉の脇に座り込み、『薪の分解』をしている。

 めり。めりめり。めり……。

 適当な薪を一本手元に置いて、繊維にそって細く剥いでいく。目標は、針の細さで20サント以上の長さだ。失敗したものはすぐに暖炉に放り、うまくいったものだけを床に積み上げる。その山が両手で持てるくらいになったら、今度はまとめて火にくべる。以下、繰り返し。
 陰気だなんだと騒がしいボロ剣は、毛布と縄でぐるぐるに縛ってやった。部屋の中はとっても静か。私を煩わせるモノはなにもない。……だれもいない。

 かり。かりかり。かり……、がりっ!

 少し力をこめすぎたらしく、爪の隙間に木のトゲが刺さってしまった。

「……痛い」

 おざなりに呟き、むしりかけの薪を放る。小さなトゲを引き抜くと、指先に小さな穴がひとつ、穿たれていた。そこから、ぷくりと赤い血の玉がふくらんでいく。口に入れる。

――……おいしくない。

 それでも吸い続ける。鼓動に合わせ、指先がずきずきと痛む。血が止まるころには、すっかりやる気もなくなってしまった。

――もういいや。

 積み上げた木の繊維と、三分の一ほどえぐれた薪をまとめて火にくべる。
 ぽい、と投げ入れると、細い木屑は熱にあぶられて反りかえり、一瞬で黒炭となった。しばらくすると薪にも火が移り、ぼう、と炎が大きく育つ。ぱちぱちと火花。ゆらゆらと炎が揺れる。
 ゆらゆら、と。

「……」

 揺れる火をぼんやり眺めていると、なんだか床も暖炉も揺れている気がした。ゆらゆら、ゆらゆらと。……たぶん貧血の前兆ね。
 かまわず、私は火の前に座り続ける。

――ねむいなぁ……。

 炎を見つめつづけたせいで、目が痛む。まぶたを閉じると、意識はさらに遠退いた。紅い残像の残る闇の中で、ゆらん、ゆらん、と頭を揺らす。火に近づくたびに、額とまぶたと鼻と頬があぶられた。じりじりと熱い。

 ゆらん……、ゆら…………、

 一際大きく揺れたとき、

「――危ない!!」

 がしっと力強い手に掴まれた。

「しっかりしなさい!」

 男らしい声が叱咤する。たくましい腕が問答無用で私の体を持ち上げ、炎が遠ざかる。

――…………なに?

 私は、ぼんやりと瞼を押し上げた。
 最初に目に入ったのは立派な喉仏と、がっしりとした顎だった。手入れの行き届いた黒い口髭に――――真っ赤に塗られた大きな口。


「もうっ。ダメじゃない、ルイズちゃん! せっかくの可愛いお顔が焦げ焦げになっちゃうところだったわよぉっ!!」


 ばっちりお化粧をした中年の男性に野太い声で言われ、私は思わずぱちぱちと瞬いていた。
 目の前のその……奇妙な……ひとには、なんとなく見覚えがあった。そう、たしか、以前、私が働いたお店の、

「…………スカロン、店長?」
「ひさしぶりね、ルイズちゃん♪」

 逞しい体をくねくねと動かし、独特のポーズで頷く。ミスター・スカロン――通称『ミ・マドモワゼル』――に、私は再び瞬きを繰り返した。


――なんでこのひと?






*** しにたがりなるいずさん 7の2 ***






「ほんとうに奇遇だわん。こんなところで再会するなんて――」

 貧血の末の不条理な白昼夢かしら、とも一瞬疑ったけれど、どうやら現実らしかった。
 張りのあるバリトンでスカロン店長が語ったところによると――今回の休戦に合わせて、トリスタニア中の商人が前線慰問にかり出されたそうだ。それで妖精亭のメンバーもここまで出張してきたとか。既に仮店舗がこの街のそばに開かれているらしい。
 そういえば、誰かからそんな話を聞いた気がする。

 一方、彼らも私がここにいることをひとに聞いたらしい。それでわざわざ挨拶に来てくれたのかしら?
 見れば店長の娘のジェシカも一緒にいた。
 ジェシカは、見事な黒髪が特徴的な、妖精亭の看板娘だ。フロアの女の子達のリーダーでもある。私も店にいたころはよく面倒を見てもらって――失敗したりサボったりするたびに、叱られた。
 今も面白がっているような呆れているような表情で、私を覗き込む。

「火の前で居眠りなんて、あいかわらずだね。なにしてたの?」
「……まきのぶんかい」
「はあ?」

 そんな要を得ない挨拶を交わしていると、店長から近況を尋ねられた。といっても戦争の話ではなく、話題は主にここの食事情だった。……市場調査かしら?
 問われるままに、この街に来てから食べたものを思い出そうとするものの、まるで思い出せなかった。というか……“なにを食べたか”どころか、そもそも、“なにか食べたかどうか”もよくわからない。
 答えに詰まっていると、まあ!とスカロン店長は叫び声ひとつ、ポージングひとつ。

「どうりで元気がないわけだわ。腕も足もこんなに軽くなっちゃって! きっと水が合わなかったのね~、かわいそうに。とりあえずあなたもいらっしゃいな。話はその後よん!」

とかなんとか。一方的にまくし立てたかと思えば、かっさらうようにして私を連れ出した。向かう先はもちろん妖精亭アルビオン支店。

 ずいぶん強引な客引きだった。



***



「あ、ルイズちゃんだ! ひさしぶりー」

 急ごしらえの店の中は、王都のお店と変わらず大盛況だった。というより、今は降臨祭だからかな……。前線でも人は変わらず、お祭り騒ぎをしたいものらしい。王軍の士官達で溢れかえった狭い店内を、顔なじみの女の子達がいつものように笑顔で元気に動き回っている。

「へえー、今日はお客さんなんですか? じゃあ、サービスしちゃいますね」
「あら、なあに。サボり? ――ふふ、冗談よぉ。ゆっくりしていってね」
「あーあ、あんた痩せたわね。ダメじゃない、そんなんじゃまた衣装が合わないわよ」

 忙しそうに立ち働きながら、私にも入れ替わり声をかけていく。ひと夏しか働いていない私のことも覚えていてくれたらしい。一言二言返していると、ジェシカが盆を持って近づいてきた。

「はい」

 とん、と置かれたのは木製の深皿だった。あたたかな湯気とともに漂う、懐かしい匂い。野菜をやわらかく煮込んだ、妖精亭特製のスープだ。

「それ食べたら、アレ連れて帰ってね」
「……ありがとう」

 さっさと踵を返す彼女を見送って、さじを取る。息をふきかけてすこし冷まし、一口飲むと、からだの内側にあたたかさが広がっていった。
 ふぅ、と吐く息もあたたかい。

――……おいしい。

 ひさしぶりにものの味を感じた気がした。
 素朴だけれど独特の味付けのこのスープは、店長が生まれ育った村の郷土料理をアレンジしたものだそうだ。“ミ・マドモワゼルの愛情がたっぷり入っている”――そんな売り文句を思い出しながら、匙で崩した野菜をすこしずつ口に運ぶ。

 そうして、出された分をきちんと食べきることができて、ほっと一息ついていたときだった。

「あの、これ、よかったらどうぞ」
「え?」

 唐突に、知らない女の子からひざかけを渡された。見返すと、ちょっと困ったように外を示す。

「その、雪が、降っていますから」
「……ああ、ほんとうだわ」

 言われて見れば、確かに白いものが舞っている。雪の降臨祭か……。トリステインではこの時期は滅多に降らないので、生まれて初めてだ。

――初めてで……最後かな。

 そう思うと、自然と笑みがこぼれた。
 暗い空の中をひらひらと、花びらの舞うように、白い結晶が降ってくる。

「きれいですね」
「そうね」

 心から同意する。
 おなかはくちて、ひざかけはあたたかく、むきだしの頬に触れる外気は適度に頭を冷やしてくれて――ひさしぶりに穏やかな気分だった。

 そのまま、ぼんやりと外を眺めていると、ふとジェシカの言葉を思い出した。そういや、なにかしろって言っていたっけ。そう、たしか『アレ』を連れて帰れって……。

――『アレ』ってなにかしら?

 改めてジェシカに尋ねると、忙しかったらしく言葉もなく、くいと親指で店の隅を示された。
 見ると、奥の席でサイトが酔いつぶれていた。

「………………なにしてんのよ、あいつは」



***



 周囲で飲んでいたルネ達によると、どうも顔見知りの気安さに甘えて、開店前から店に居座っていたらしい。彼らがやって来たときには既にできあがっていたというから、店長達が私を無理やり引っ張ってきたのも、このせいだろう。

――お世話になった人達に迷惑かけるんじゃないわよ、もう。

 胸の内で呟きながら、私は彼に近づいた。

 だいぶ飲んだらしく、テーブルに突っ伏して意識を失っているサイトは首まで真っ赤だった。手には飲みかけのボトルが握りしめられている。さらにその傍には、ぼろぼろになったコルク屑。
 それらは“なぜか”黒っぽい粒と白っぽい粒で二つの山にきっちり分けられていた。

――……なんか、すっごい既視感だわ。

 唐突に思い浮かんだ光景――背中を丸めながら、ひとり、コルクをぷちぷちとむしっている使い魔の姿――に、私は思わず顔をしかめた。

「……けっこう根暗よね、あんた」

 相手が眠っているのをいいことに、いろいろと棚上げする。我ながらいい気なものだ。――もし彼が起きていたら、こんなふうに気安く近づくこともできないくせに、ね。
 スーピーと鼻息を立てて眠る、呑気な使い魔。その寝顔を前に、どうしたものかと立ち尽くす。連れて帰れって言われても、ひとりで抱えていけるわけもないし。

 ぐずぐずとしていると、後ろから声をかけられた。

「おや、ルイズじゃないか! 君も来てたのかい?」
「あら」

 振り向き、懐かしい顔に目を丸くする。王軍の士官姿をしたギーシュだった。

「ひさしぶりね、ギーシュ。こんなところでどうしたの?」

 なぜか大皿とジョッキをそれぞれ手に持った友人は、たはは、と困ったような顔で笑う。

「いやあ、その、彼に捕まってしまってね」
「え――」

 この戦争には人手不足を補うために、学院の男子生徒達も即席の士官として駆り出されている。ギーシュもそのひとりで、本隊に所属していた。
 降臨祭ということで遊びに出たところを、運悪く、この飲んだくれに捕まったらしい。

「さっきまで騒いでいたんだけど、いつのまにか寝入っちゃったな」
「そう……」

 悪かったと謝るのも変な気がして、私は言葉につまる。
 だいぶ悪い酒だったらしく、無理やりギーシュを引き留めてしゃべり倒したあげく、勝手に酔いつぶれたとか。おかげで僕はぜんぜん食事もできなくってさ、すっかりおなかが空いてしまった、とギーシュは苦笑しながら、席に着く。
 私も促されるまま、その前に座った。

「なにを話していたの?」
「あー、うん、それがなんだか要領を得なくてね。僕が捕まったときにはもう完全に酒が回っていたし――」

 答えもそこそこに、がつがつと食事を始めるギーシュ。その勢いに呆気にとられる。

――なんか、変わったわね。逞しくなった……?

 そういえば――例のロマリア人の竜使いから聞いたことを思い出す(以前わざわざ見舞いに来てくれたときに、すこし話をしたのだ)――たしか、ギーシュって先の作戦で叙勲しているんじゃなかったかしら? 私自身は体調を崩していて、その叙勲式には出れもしなかったけど。
 話を振ると、途端にギーシュはものすごく嬉しそうになった。

「そうなんだよ。ほら、」

と手を止めて、いそいそと胸元の勲章を示す。聞けば、初陣で一番槍を挙げたらしい。他にも戦果を挙げ、それらを認められての叙勲だそうだ。兄上に祝福をしていただいたと語るギーシュは本当に嬉しそうで、普段の見栄っ張りとは違うその様子が、なんだか微笑ましい。

「良かったわね」
「はは、ありがとう――」

 心から告げると、ギーシュは照れくさそうに応えた。

「でも、もっと手柄をあげないとね。一人前の士官になりたいんだ。モンモランシーに認められるような」
「だいじょうぶよ。きっとモンモランシーも喜ぶわ。あなたは立派な貴族だもの」

 大したことはできないけれど、お祝いにおごってあげようとジェシカに合図を送ったときだった。


「――ばっかじゃねぇの」


 隣のサイトがむくりと顔をあげた。



***



 吐き捨てるような暴言に、真っ先に反応したのはギーシュだった。音を立てて立ち上がる。

「な! 誰が馬鹿なんだね!? どうして馬鹿なんだね!?」

 上擦った声とともに、薔薇の造花のついた杖を振り回す。
 一方、サイトも負けていない。

「へ、馬鹿に馬鹿と言って何が悪いんだよ! なにがモンモランシーに認められたいだ。アホかっての!!」
「――ちょっと」

 そのあまりの言いぐさに、私も机を叩いて立ち上がった。

「止めなさい! 私の友人を侮辱するのは許さないわよ、サイト!」

 ……と、その名を呼んだとき、かすかな違和感があった。そういえば、ひさしぶりだわ。彼と向かい会うのも、その名を呼ぶのも――でも、それがなに?
 私は意識的にそれを無視し、目前の使い魔を睨みつけることに集中する。サイトは不承不承といった様子で、こっちを見た。

「……なんだよ?」
「早くギーシュに謝りなさい」

 低い声で告げると、ふて腐れた顔で視線を逸らす。

――なによ、その態度は!

 怒りに体が震え、ぎりぎりと歯噛みする。こいつったら――『使い魔』なのに――ひねくれてばかり――どうしてよ?――いつまでも――ホント、根暗なんだから――いつになったら元に戻るつもり?
 抑えきれない苛立ち。その底に、声もなく積み重なっていく別の感情がある。(……いつか、元に戻るわよね……?)

「こっちを見なさい。サイト! 聞いているの!?」

 問い詰める私に、サイトは黙って、ぐいっと手元のボトルの残りを一息に飲みほした。――はあ!?

「アンタねっ、お酒に逃げるんじゃないわよ!」
「うるせーーっ!」

 充血した目で怒鳴るサイトは、絵に描いたような飲んだくれダメ男だ。あるいは、癇癪を起こした子供か。

――もう! ほんとになんなのよ、こいつ!!

 こっちの方がよっぽど怒鳴りたい気分で、私は眉を逆立てる。そもそも私には飲むなって言うくせに、自分は堂々と酔っぱらうって――。
 禁酒の恨みもあわさって、怒り心頭に発したところへ、使い魔が偉そうにのたまった。

「たしかに俺は頭もわりぃーよ。学もネェでしょうよ。ご立派なお貴族様から見たら、そこらの石よりも無価値な平民かもしんねーな。でもなあ、俺に言わせれば、お前らの方がよーっぽど大馬鹿だねっ!」
「……どういう意味よ?」

 自分の声も、顔も、どんどん冷たく強ばっていくのを感じる。それを止める気にもなれない。
 そして、サイトもそれを無視した。

「だいたいなあ、ギーシュ。お前、モンモランシーの気持ち、本当にちゃんと考えたことあるのかよ? 手柄だ名誉だ言うけどさ、それでお前が死んじまったら、モンモランシーはどーすりゃいい? 『頑張ったのね、ステキ!』だなんて言えると思うか?」
「それは――」

「――名誉のための死よ。モンモランシーもきっと誇りに思うわ」

 絡まれ口ごもるギーシュに代わって答えると、サイトがようやく私を見た。

「なんだよ、それ。名誉の死? 名誉って、本気でそう思っているのかよ?」
「ええ。私達貴族には当然のことだわ」
「はあ? じゃあ、お前らはそのためなら死ぬのも怖くないっていうのか? 名誉のためなら誰が死んでもかまわないっていうのか?」

 その的確な言葉に、思わず、私は微笑んだ。

「その通りよ。貴族にとって、名誉は命よりも大切なものだもの。貴族の全てと言ってもいいわ。それを失ったら貴族は貴族でなくなる。だから、貴族は名誉を守るために戦う。そのために死んでも、それは誇るべきことだわ」

 謳うように、その『道理』を説く。
 誇るべき、死。だから・・・、誰も悲しんだりしない。嘆いたりしない。泣いたりしない。
 それはなんて素敵なことだろう。
 そんな思いにふけっていたせいか、次の言葉の意味がとっさに掴めなかった。

「……お前もそうなのか? それでいいのか?」
「なにが?」

 きょとんと問い返すと、サイトは意地になったように言葉を重ねる。

「だからだな、その、たとえば名誉のために死ねって命令されたら、お前は死ぬのかって訊いているんだよ!」
「当然よ。陛下と祖国に捧げた命ですもの」

 答える私をサイトが見る。酔いが消え、どこか青ざめた顔で。

「じゃあ……お前は死ぬためにここに来たのか? 死にたくてここに来たのか?」

 その通りよ、と再び頷きかけて――止まる。

――違う。

 思うと同時に、口が勝手に答えていた。

「違うわ。私は陛下のお役に立つためにいるのよ」
「でも、死んでもいいと思っているんだろ?」

 即座の返しに、まじまじとサイトを見つめる。

「あんた、一体なにが言いたいのよ?」
「……別に。……ちょっと……気になっただけだ」

 ぐずぐずと言葉を濁す使い魔に、私は再び苛立ちの目を向ける。なんなの、はっきりしないわね。

「……なあ、もういっこ、訊いてもいいか?」
「あによ」

 いい加減、絡まれるのにも飽き飽きだわ。そう投げやりになる私に、彼は言った。


「もしここで俺が死んだら、それも『誇りに思う』。そう言って、それでおしまいなのか?」



***



――え?

 不意に周囲が冷えた気がした。

――なに? サイトが死んだら……?

「な、なんで、そんなこといきなり――」
「どうなんだ? 答えてくれよ」
「し、し知らないわよ。いいいまはそんな話してないでしょ!」
「は? そういう話だろ?」
「違うわよ!」

 叫ぶ。それは私の話で――サイトが死ぬ?――そんなことあるわけない――そんなこと――巻き込んだりしない――ケド、

(『ここは『戦場』なのよ』)

 いつかの自分の声がして、喉が小さく音を立てた。

「ちがう」

 そうよ……“違う”わ。私が……間違っている。
 サイトの言うとおり、これはそういう話だ。ここは戦場。これは戦争で――そこで彼だけが死なないなんて、ありえない。いえ、それどころか……、

 私は思い出す。『ひこうき』の話。前に、サイトが話してくれたこと。戦争末期、私と同じ『ゼロ』の名を持つあの飛行機械が何に使われたのかということ。

――ああ、そうだわ。そうだった……。

 胃が絞られ、心臓が凍える。苛立ちにすり替えていた感情が、今度こそ顔を覗かせる。不安が、明確な恐怖に姿を変えて、全身を支配していく。
 ずっと目を逸らし続けてきたものが、そこにあった。サイトがあのとき「怖い」と言ったもの。私がずっと理解することを恐れていたもの。

「ねえ、サイト……」

 おずおずと開いた口の中は、冷たく乾いている。

「……あんた、もしかして……死ぬのが……怖いの……?」

 サイトははっきりと顔をしかめた。

「怖くちゃ悪いか。『死ぬのがうれしい』なんて、言う方がおかしいだろ」
「……へ、へえ、そう……そうなの……」

 無造作に吐き捨てられた言葉に、喉が締めつけられる。下手くそなフリで、なんでもない風を装ったけれど、泣き笑いの表情の内側はパニック寸前だった。

――そりゃ、そうよね。違うんだから。当たり前だわ。サイトは、私とは違うんだから。

 サイトは『死』を恐れる。ここで、この異国の――サイトにとっては異世界だ――この土地で、死ぬことを恐れる。それはとてもとても“真っ当な”考えだ。
 それくらいは、さっきまでの私にも一応理解できていた。それが『人間ひと』にとっては当たり前なことくらい、私でも“知っている”から。
 そして、私は“違う”ことも知っている。
 ……否、知っていると思っていた。でも、それは違うのだとサイトは言う。

「なあ、ルイズ。俺にはお前らの言う、名誉だの誇りだのがわかんないよ。そりゃ響きはいいだろうよ。でも、それって本当に人の命よりも大切なものなのか? そんなもののために、本当に命を捨てるのか? それよりももっと大切なものがあるって思わないのか?」

 次々とサイトが吐き出す“わからない”言葉は、鉛のように身のうちに溜っていった。それでなくとも、内から溢れるものだけで手一杯だというのに。
 耳をふさいでしまいたい。そんな衝動をこらえ、うつむく。けれど、それはいつまでも止まらなくて。

「ずっとそういう風に教わって、育てられてきたのはわかる。でも、俺の言うことも聞いてくれよ。俺はこんなのおかしいと思う。俺はそんな理由で死にたくないし、そんな理由で誰かが死ぬのも納得できない。なんで俺達が死ななきゃなんないんだ? なんでそんな風に死に急ぐ必要があるんだ? なあ、」

 私は。

「わかってくれよ。俺はただ、お前のことが――」
「やめて」

 耐えきれず、声を上げた。

「……ルイズ?」
「もういいわ。もうわかったから」
「なに、」

 サイトの言葉を押しとどめ、口早に答える。

「私が悪かったの、わかったから。ちゃんとわかったから」

 それは偽りのない本心で、事実だった。

――そう、私が悪かった。ほんとうになにもわかっていなかった。

 私は『死にたがり』だ。矛盾だらけの半端者。臆病者の卑怯者。ろくでなしのひとでなし――そんなことは知っている。
 私が知らなかったのは――理解していなかったのは――、そんな主人わたし使い魔サイトがどう思うかということを。

 己の欲のために他人ひと戦場こんなところへ連れ出すような主人を、どうして信用できるだろう?

――だから、サイトは“私を”怖いと言ったんだわ。

 気づけば、膝が震えていた。

 戦場に連れてきて、死なせるつもりはない、だなんて――とんでもない浅はかさだった。言い訳のしようもない。
 自分の愚かさが恥ずかしい。犯した過ちの重さが苦しい。無自覚な醜さに吐き気がする。そのために、たったひとりの使い魔からの信用さえ無くしてしまった。

 ぐるぐるとうずまく自己嫌悪に目が回る。

――……ヤダ、気持ち悪い。

 また貧血? 視界が歪む。手も足も冷えきって――ああ、でもここで気を失うなんて卑怯すぎる。

――逃げちゃダメ。

 拳を固め、震える体を抑え込む。これ以上過ちを重ねないために、反省するよりも先にやらなければいけないことがあった。

 唇を噛み、改めてサイトを見る。私の使い魔である平民の少年のことを。
 この人は、貴族である私なんかよりずっと立派な人だ。誠実で優しくて、何事にも一生懸命で――それを私は知っていたはずだったのに、どうして忘れていたのだろう。変わったんじゃない。私がそれだけ追い詰めていただけなのに。
 本当に、心から、恥ずかしかった。彼はそんな自分の不安さえ押し殺して、今までこんな私のそばにいてくれたのに……。

――その忠誠に、いえ、恩に報いなきゃいけないわ。

 その思いに急かされるまま、私は言った。

「サイト。あなた、トリステインに帰りなさい」
「……あ?」

 わけがわからない、という顔をしたサイトに、一言一言、言い聞かすようにはっきりと告げる。

「あなたはもう十分役に立ったわ。もう十分よ。武装のない兵器なんて、ただの荷物でしかないんだから、」

 そうだ、そんな『荷物』を役立てる方法なんて、もうひとつしかない。この勝ち戦でまさかそんなことはありえないだろう。けれど――あの優秀で合理的な司令部の軍人達が、何かのきっかけで思いつかないという保証はない。そしてそれが必要となるときが来ないなんて、誰にもわからない……。

 すぐにでもこの手を離さないと、彼は二度と自由に飛べなくなるかもしれない――。そんな不安に駆られて、私は早口になる。

「あなたの『ひこうき』と一緒に学院に戻って、それから『東』に向かいなさい」

 それが彼の本当の望みで、そのための準備も資金ももう整っているはずだったのだ。こんな場所に、私が引っ張り込みさえしなければ。
 これまでの己の、途方もない身勝手さにますます胸が苦しくなった。そんな自己嫌悪の中でむりやりに絞り出した声は奇妙に平坦で――もっとちゃんと言わないといけないのに、と歯がゆい。

「もう戦わないでいいわ、」

 今までありがとう、とそれでもなんとか感謝を伝えようとしたときだった。


「ふざけんなっ!!」


 バンッと破裂するような音とともに、サイトは両手をテーブルに叩きつけた。


「なんでそんなことを言うんだよっ!!」


 噛みつくようなその剣幕に、私は呆然と立ち尽くす。

――……またなの……?

 どうやら“また”サイトの中のなにかを刺激してしまったらしい。しかもその理由が私には“また”わからない。

――どうして、私はサイトに睨まれているの……?

「私はただ……」

 わからないまま、口を開き、言葉を探す。これで何回目だろう、こんな風に睨まれるのは。毎度のように息詰まる思いにパニックに陥りながら、必死にこの状況を打開する言葉を求める。

「ただ、その……」

 けど、なにも出てこない。握りしめたスカートのすそがくしゃくしゃと歪む。けれど……どうしよう……なにも考えられない……。顔がどんどん熱くなるのを感じる。鼻の奥が痛い。それでも、なにも考えられない。なにも……、


「どうしてわかってくれないんだよっ!?」


 必死に訴えるサイトはほとんど泣きそうにも見えて。それでも、私はなにも答えられなかった。なにも、わからない。


――どうしたらいいの……?


 途方にくれたそのとき、


「……あー、その、いい加減にしたらどうかね、君達」


 あまりの醜態を見かねた様子で、ギーシュが割って入った。

「サイト、女性をそんなに怒鳴りつけるものじゃないよ。ルイズ、君も――」
「うるさいっ。お前は邪魔すんなっ!!」

 サイトが噛みつく。それにこめかみをひきつらせながら、ギーシュはなおも態度を崩さない。

「そうはいってもね、目の前でやられちゃ口を出さないわけにはいかないだろう。ふたりともちょっと、頭を冷やしたまえ」

 言われて見れば店中の視線が集中していた。ジェシカ達にも睨まれている――ああ、迷惑をかけてしまった。
 後悔と共に、息を吐く。吸って、吐いて――なんとか冷静を装う。

「そうね、ごめんなさい、ギーシュ。サイト、とりあえず今日はもう部屋に戻っていて」
「まだ話は終わってないだろっ!」
「これ以上、皆に迷惑はかけられないわ。朝になったらちゃんと大幕営にかけあって、あなたが戻れるように手配をするから」
「まだそんなこと言うのかよ!!」

 ガン! と今度は拳を叩きつける。震える拳をテーブルに押しつけて、ぎりぎりと歯を食いしばる。

「俺は邪魔か? だからもういいっていうのか?」

 絞り出すように吐き出された問いは、また“わからない”言葉だった。



「お前の思い通りになんかさせてたまるか! 俺はお前の都合だけで動く『モノ』じゃない!!」






***つづく***






(230130)



[11047] しにたがりなるいずさん 7の3
Name: あぶく◆0150983c ID:ef19d5b3
Date: 2011/03/07 23:53

 花火が上がる。歓声が沸く。順調に盛り上がる、降臨祭の晩。
 私のまわりでは、一足早い葬式が始まっている。

「………………」
「そんなに落ち込まなくても、」
「………………………………」
「あの……聞いてる?」

 生きているうちから腐乱が始まってしまったらしい、はた迷惑な半屍体と化した私の傍で、お義理で参列してくれているギーシュは困惑しきりで呟く。
 それでも隣に留まっているのは、私を周囲の客から隠すため、だ。それくらいサイトが去った後の私は「ひどい顔をしている」そうだ。
 だから私もしっかりと顔を伏せて、そのおぞましいモノを皆に見せないように努めた。

「売り言葉に買い言葉で、ちょっと言い過ぎてしまっただけじゃないか。お互い頭を冷やせば、」
「………………………………………………」
「うーん、参ったねこれは」

 そうぼやきながらも、私がまだ生きているかのように、彼は話しかける。

「君の言い分はそんなに間違っていなかったと思うよ。彼は貴族じゃないから、わからなかったみたいだけど。ここに来た以上、覚悟を決めないといけないのはたしかだし――」

 椅子の上で膝を抱えた私は――生半な慰めに生き埋めにされている気分で――顔を伏せたまま、ぽつぽつと言葉を返す。

「……覚悟だなんて……私が無理やり引っ張り込んだのに……」
「無理やり?」
「そうよ、無理やり……勝手にあっちへこっちへ連れ回して……イヤだなんて言わせなかった……ううん、訊きもしなかった……」
「そうなのかい? でも本気でイヤなら、あいつが従うかなぁ?」

 薄目で伺うと、ギーシュは手持ち無沙汰に薔薇の杖を回している。

「もうすこしサイトの言い分を聞いてみたらどうだい?」
「……もう聞いた……死にたくないって、言ってた……」
「いや、それこそ売り言葉に買い言葉で――」
「……私も……死なせたくない……だから早く……解放しないといけないと思ったのに……」
「解放?」
「……帰してあげないといけないって……思ったのに……」

 私はぎゅっと膝を抱いて、さらに小さく背中を丸める。もっと小さくなりたい。この世のどこにも場所を取らないでいいように――。

「ちょっと待ってくれよ、ルイズ。まさか君、サイトを本気で帰すつもりだったのかい? どうして?」
「どうしてって……聞いていたでしょ? サイトは死にたくないのよ。だったら、こんなところにいちゃだめだわ……だから早く、ここから帰してあげないと……」

 言ってから、再び、後悔と自己嫌悪の沼にずぶずぶと身を沈める。

「……図々しいわよね、いまさら……そんなことで赦してほしいなんて……でも、これ以外に思いつかなかったの……」

 サイトの怒りはもっともだと思う。
 勝手に連れてきたあげく、間違いだったから帰してあげる、だなんて。身勝手過ぎる。それに……そうだわ、私、ちゃんと謝りもしなかった。……最低。
 無意識のうちに、テーブルの上を探る。でも、この喉を掻き切ってくれるナイフが見つからない。

――これで、いけるかしら……。

 木製のスプーンを片手に鬱々と思案する私に、戸惑いきった声でギーシュが呼びかける。

「えーっと、ルイズ。ちょっと、いいかな?」
「…………なに?」
「僕はさっき君が、サイトに向かって『いらない』と言ったと思ったんだが――」
「え?」
「『役に立たない、やる気のない使い魔にはもう傍にいてほしくない』と言っているように聞こえたんだけど…………違った?」
「……は?」

――なに言ってんのこのひと。

と思わず顔をあげると、ギーシュと目が合った。ごく真面目に、心底から戸惑ったその表情に、私はぽかんと口を開けて――――――――――、


(「帰りなさい」「もう十分よ」「ただの荷物」「もう」「戦わないでいい」)


 ザッ、と音を立てて血の気が引くのを聞いた。

「ち、ちちち違うわよっ!!」

 跳び上がる。ガタンッと椅子が後ろに倒れた。

「そそそんなこと言ってないっ!! そんなこと言うわけないじゃないっ!!」

 とんでもないことを言う彼に詰め寄り、その襟首を掴んだ。

「あわわわっ、わ、わかったっ。わかったよ! 誤解、僕の誤解だっ――」

 ぐえ、と声を立てるギーシュ。

「ま、まさか、サイトもそう思ったの? だから、あんなに怒ったの!?」
「んーーー!? んんーーっ!?」
「そんな、でもっ」

――そんなつもりじゃなかったのに! これじゃあ、怒って当然じゃない!!

 戦争へ連れてきて、任務に無理やり参加させて、それに反抗したから「もう帰っていい」? 自分に従わないから、「いらない」?
 そんなの、彼が道具モノ扱いされたと思って、当然だ。

 私は、自分がようやく誤解されていたことを理解した。あのときサイトが私を怒った理由を理解した。そして、“自分が決定的に嫌われた”ことも理解した。

 もう元には戻せない。

「そんな…………」

 急速に無力感に襲われ、膝を床につく。

「けほっげほっ……なんで僕はいつもこんな役回りなんだ……――――ルイズ?」

 ギーシュが、すがりついた私の手をそっと外した。

「大丈夫?」
「大丈夫……な、わけ……ない……」

 震えた声で呟く。事実、情けないくらい私は混乱していた。

――どうしたら、いいの……?

 まるで、閉じた部屋の中にいるのに気づかず、何度も壁や窓にぶつかる鳥みたいだ。右往左往しては追突して、墜落して、じたばたと床の上を滑稽にもがく。
 そこから抜け出す方法をだれかに教えてもらったはずなのに、思い出せない。いくら考えても、わからない。思考は行き詰まり、行き止まり、どこにもいけなくって――、

「まあまあ、そんなに思いつめることないって」

 与えられたのは唯一、ギーシュのお気楽そうな言葉だけだった。

「とりあえず、原因がわかったんだ。もう一度、サイトときちんと話をしてみたらいいじゃないか。今度は君が思っていることを全部、ちゃんと言葉にして――」
「無理よ」

――話なんて、もう聞いてくれないに決まっている。

「それでも、なるべく早く仲直りをした方がいいだろ?」
「無理よ」

――きっと、会うことだってできない。

 汚れた床を見つめたまま繰り返す。硬直した屍みたいに凍りついて動かない。そんな私に、それでもギーシュは辛抱強く語りかけた。穏やかに、まるでひどく年上のような態度で。



「ねえ、ルイズ。これは君達の友人として忠告するんだよ」






*** しにたがりなるいずさん 7の3 ***






「ぷっはぁーっ。おおっ、シャバだ! シャバの空気だ! うんめぇー!!」
「……ルフ」
「なんでも聴こえる、なんでも喋れる。ああ、これぞ自由。ステキ――」
「デルフリンガー」
「げっ、娘っ子!? な、なんだ。まさかまだ俺様から自由を奪う気か――……って感じでもなさそうだな。どうしたよ? なまっちろい顔をして…………ん?それは雪かい?」
「お願いがあるの」
「雪見の誘いなら喜んでつきあうぜ?」
「もし……たぶん、ないと思うけど……でも、もし……」
「……なんだい?」
「あのね。サイトが戻ってきたら、ここで待っていてくれるよう伝えてほしいの」
「相棒が? 何かあったのか?」
「お願い。私はもう行かないといけないから――」
「おい、娘っ子!?」

 外はまだ雪が降っていた。先ほどは白い花びらのようだと思ったけれど、今はただの冷たい灰にしか見えない。暗色の雲が支配する空から降り積もるそれに、道も屋根もうっすらと覆われて――。
 銀世界? 今の私にはただ邪魔なだけだ。
 目や頬については解ける水滴を袖口でぬぐいながら、私は視線を走らせる。道向かいにそれを見つけて、駆け出した。ぬかるんだ足元が泥はねを作る。でもまだ足を取るほどじゃない。

「ルネ!!」
「うわっ――と、どうしたんだい、その格好は?」
「サイトを見なかった?」
「いや、見てないよ。どうして――ああ、そういや君らまた喧嘩したんだって?」
「見かけたら教えて。お願いよ!」
「オーケー、いいよ。それより、そんな格好で寒くないの?」

 ルネ・フォンクの間延びした声を背中に聞きながら、私は次の通りに向かって走り出す。顔に当たる雪を振り払いながら、大通りと妖精亭と宿の間をぐるぐると廻る。
 心当たりなんて呼べるところはそれくらいしかなかった。
 でも、どこにもサイトの姿はない。どこへ行ってしまったのだろう? わからないまま、でも、もうこれ以上時間を無駄に潰してしまうわけにもいかなくて、雪の都をぐるぐると駆け続ける。

「だーかーらー、何度来ても一緒だよ。戻ってくるとしても、明日だって」
「ええ、わかったわ、ジェシカ。だから、戻ってきたら教えてね」
「ほんとにわかってる?」
「ええ。ごめんなさい――」

 慌しく言葉を交わし、四度、妖精亭から出て行こうとしたときだった。
 背後から、がしっと力強い手に掴まれた。

――サイト!?

と振り向いた先には、真っ赤な口紅をつけてマジメな顔のスカロン店長。

「いい加減になさい、ルイズちゃん。そんな格好でこれ以上外を走り回るなんて、このミ・マドモワゼルが許さな――って、こら! 止まりなさい!」
「離して――私、行かなきゃ――」

 けれど、たくましい腕は問答無用で私を引き止めた。

「もう! こんなことをして病気にでもなったらどうするの? これ以上サイト君を心配させたいのかしら?」
「でも、でもでもでも――」
「『でも』じゃないわ。いいから、すこし落ち着きなさいな。サイト君ならこの私が後でちゃんと帰らせるから――」
「ちょっと、お父さん」

 抗議の声をあげる娘を、店長は視線だけで黙らせていた。腕を取られて動けない私はなすすべもなく、前髪からしたたる雫が床を濡らすのを見つめていた。

――もう行かないといけないのに……。

 焦る私を無視して、父娘は話を決めてしまう。

「ジェシカ。ルイズちゃんに着替えを貸してあげなさい」
「はぁい」

 止める間もなく、ぱたぱたと裏へ駆けて行くジェシカ。私はといえば、抵抗むなしく控え室のストーブのそばへ連行された。元同僚達に素早く着ぐるみはがされ、タオルを被せられる。

「まあまあ、こんなに凍えちゃって。凍傷になっていないといいけど――」
「もう、無茶しちゃだめだよぉ、ルイズちゃん」

 小言を浴びながら、ごしごしと乱暴に髪を拭かれる。
 その後、届いたのはいつものキャミソールに、独特の形をした兎毛の帽子と揃いのミトン、それに肩掛けのセットだった。純白色で揃えられたその衣装は、ジェシカの髪色によく映えそうで、特注品だと一目で分かる。

「……借りられないわ。私は毛布があれば十分だから、」
「いいから! これが一番あったかいの! ほら、ぐずぐずしないでさっさと着る!!」
「は、はいっ」

 フロアリーダーそのものの口調に気圧され、私は思わずそれを受け取った。そそくさと身につける。最後にかぶった帽子はすこし大きめで、自然と目深になって私の顔を隠した。それが今の気分にはありがたい。

「ほら、これも飲んで。あったまるよ」

 うつむく私の視界に、さらに厚手のカップが差し出された。中にはあたたかい湯気を立てた、紅い液体。フルーツとハーブを入れて作った特製ホットワイン、だそうだ。

「これを飲むと絶対に風邪ひかないんですって」
「大丈夫だよ。アルコールはほとんど飛んでるから」

 言い添える彼女達の気遣いに押されて、ミトンの両手で慎重にそれを受け取った。一口含めば、先程のスープよりもさらに深く体に染みこんでいく。
 そうして、だんだんと自分が生きていることを思い出した私は、ようやく自分の間違いも認めるようになった。

――……みんなの言うとおりだわ。

 こんな使えない体で走り回ったところで、サイトを見つけるより前に、息の根が止まってしまうのが関の山だ。それならまだ、サイトがやってくる可能性の高いこの店でじっと待っている方がいい。
 それが道理。でも……それでも、焦る心をなだめるのは難しくて、ぎゅっとカップを強く抱きしめる。

「すこしは落ち着いたー?」
「ジェシカ。……ごめんなさい、迷惑をかけて」
「はいはい。言っておくけど、あたしはルイズの味方じゃないからね!」

 言いながら、ひょいと隣の椅子に腰を下ろし、細い足を組む。

「だから、これはただの元同僚に対する親切なの。わかる?」
「ええ。ありがとう。本当にごめんなさい」
「……もう、なんか調子が狂うな」

 そんな呟きを聞きながら、私は彼女とは対照的に膝を抱えた。先程と同じように、椅子の上に身を丸め、小さくなる。妖精亭デザインの帽子はてっぺんの両端が極端に尖っていて、猫の耳のようだ。だから遠目には、大きな白猫がうずくまっているように見えるかも。

――さっきは半屍体だったことを考えれば、まだマシかしら……?

 急ぐ気持ちを抑えるためにどうでもいいことを考えながら、ちびちびとワインを飲み、体温と体力が戻るのを待つ。ぱちぱち、とストーブの火がはぜる音を聞く。

「それで――」

 不意に隣のジェシカが言った。

「やっぱり、とられて惜しくなっちゃったの?」
「……え?」
「急に必死になるもんだから、正直びっくりしてるんだよねー」

 からかう口ぶりに、私はよくわからないまま、答えた。

「私はただ……サイトに謝りたいと思って。ひどいことをしてしまったから、」

 言うならば“嫌われたままでいたくない”。ただそれだけの自分本位だ。それをジェシカはどう受け取ったのか、へー、と頷いて、さらに不思議なことを言う。

「『お姫様』っているんだねー」
「陛下がどうかしたの?」
「…………というより、お子様か」

 問いは無視して、ジェシカは手を伸ばし、猫の仔と遊ぶように私の帽子の『耳』をつまむ。……わけわかんない。
 でも、不思議と嫌な感じはしなかった。

「しょーがないな。応援もしないけど、邪魔もしないであげる」
「えっと……ありがとう?」
「どーいたしまして」

 にししと笑う彼女は、どこかキュルケに似ている。

「それにしても、どうしてあいつなのかなー? ふたりには悪いけど、あたしにはそれがいっちばん謎だわ」

 からからと明るく言う。その言動こそ謎だと内心首を傾げていた私は――段々と自分の視界が狭まっていくことに気づかなかった。



***



 どうしてももう一度、サイトに会いたかった。それもなるだけ早く。だってギーシュに言われたから。仲直りは早い方がいいって。
 あのとき彼は穏やかに、けれど断固たる口調で、臆病な私を打ち破った。

(「こんな馬鹿げた誤解で君達が喧嘩別れするなんて、あっちゃあいけないよ。だから、早く仲直りをしたまえ。それもできるだけ早くね。なぜって……ここはもうすぐまた戦場になるんだから、」)

 そのとおりだった。もう時間はない。
 だから、早く謝らなくちゃ。誤解されたままで終わらせないために。ちゃんとありがとうと伝えて。せめて最後くらいは仲直りをして。嫌われたまま終わるのだけはイヤだから。
 それだけは、どうしてもイヤだから。

――だから、早く探しに行かなくちゃ。

 強く心に決めた瞬間、ふっと目が覚めた。……いけない、寝てしまったの?
 瞬きの間に思う――ひさしぶりのワインが効いたのかしら(ずいぶん弱くなってるわね。)……でも、もう動けるわ。

「……かなきゃ」

 むくっと体を起こしかけたそのとき、
 ゴン!
と『なにか』にぶつかって私はベッドに押し戻された。

――い、いたぁ……。

 文字通り出鼻をくじかれ、私は呆然と額に手を当てた。(つけっぱなしだったらしい、ミトンが触れる。)なにが起きたのか――寝起きの鈍い頭で悩んでいると、不意に聞こえるはずのない声がした。

「ってぇ……」

 傍らでサイトが鼻をおさえて唸っていた。跳び上がるほど、びっくりした。

「ど、どどどうして……っ!?」
「あ」

 顔をあげた彼と、ばっちり目が合う。驚きに固まる私。きょときょとと視線をさまよわせる彼。

「あ、あ、あのですね……これは……」

――ほんとうに、サイト、なの……?

「ま、また寝込みをどうこうしたわけじゃなくって……た、ただちょっと猫耳がーじゃなくて! えっと――」
「…………」

 信じられない、夢じゃないかしら――とそんな思いでいっぱいで、正直、ほとんどなにも聞こえないまま、私は無意識に手をのばしていた。
 と、突然、サイトは“ずささっ”と不思議な動きで後ろへ退き、

「す、すんませんでしたーーっ!!」
「なっ、なななんで謝るのっ!?」

 わけがわからない。はっと我に返れば、そこは宿屋の一室だった。いつのまにか部屋に戻っているし。サイトはいるし。でもなんか扉に張りついているし。
 とりあえず、このまま逃げるつもりなんじゃ――と気がついた私は、慌てて声をあげた。

「待って!」

 毛布をひきはがして、追いすがる。けれど寝起きの手足はとんでもなく役立たずで、私はまともに立ち上がることもできずに、ベッドから転がり落ちてしまった。

「ふぎゃんっ!」

 無様な悲鳴とともに、肘と膝をしたたかに打つ。ジーンと痺れる痛みに、床の上で声もなく身もだえする。……い、痛……は、はずかし……。
 でもそのどんくささのおかげで、サイトは戻ってくれた。

「お、おい……大丈夫か?」

 素に戻った声と、差し延べられる手。私は、とっさにそれに飛びつく。

「サイト!!」

 なにも考えないその行動が結果としては最良だった。

「おわっ!?」

 両腕で彼の腕を捕まえる。手袋のせいできちんと掴めないから、代わりに胸元に抱え込むようにして。ぎゅっと抱き寄せる。

「行かないで! 話があるの!!」
「ル、ルイズ!? ちょっ――」
「お願いっ! どこにも行かないで!!」

 動揺するサイトを見上げながら、私は必死に訴えた。

「あなたに言わなきゃいけないことがあるの。だからお願いっ。すこしだけでいいから、ここにいて!」

 一生懸命、誠心誠意訴えた――つもりだった。なのに、

「いやぁっ、あのっ、そのですね――」

 困り果てた顔で、サイトは視線を逸らすばかり。いまだに痛むのか左手で鼻をおさえたまま、腕の中の右手は所在なさげに“もぞもぞ”と動かしている。その態度に、私はますます焦って腕の力を強めた。

「お願い。お願いだから! どこにも行かないで! ちゃんと話がしたいの!」
「ああっ!? わ、わわわかった! わかったから! 腕があた――――いや? あたってない? あれ? いや、でも、」
「……サイト?」
「え。あ。…………な、なんでもないです、ハイ」

――なぜ、かしこまる?

 その挙動不審っぷりに、おおいに戸惑う。もっとも、さっきの口論のときみたいな不安になったわけじゃなくて……変な話だけど、私はすこし懐かしかった。

――どうしてかしら……? なんだか、とってもサイトらしい感じがするわ……。

 いや、そんなことに安心するのもおかしいんだけど。

「と、とりあえず、腕は離してくれないか?」
「どこにも行かない?」
「う――うん」

 ちょっと信用できなかったけれど、これ以上嫌われたくもないので、しぶしぶ腕を体から離した。代わりにその袖口を(手袋のせいできちんと掴めなかったので)両手でぽふと挟む。……これくらいならいいわよね?
 いつまでも見上げるのはツライので座ってほしいと言うと、なぜかサイトはベッドの上に正座する。

「サイト……?」
「は、はい!」

――なんで名前を呼ぶだけで怯えるのかしら……?

と思って見つめていれば、だんだんと頬を赤らめて、もじもじし出したりなんかして……ほんと、わけわかんない……。
 挙動不審がおさまらない彼に、一度は安心した私もなんとも言えない気分になった。

 かける言葉に迷い、なんとなく視線を逸らす。代わりに部屋の中を観察する。いつのまにか戻っていた宿の部屋は、暖炉の熾火ですこしあたたかい。何時くらいなんだろう? 私達以外にひとの気配はない。――あれ? じゃあ、もしかしてサイトがここまで運んでくれたのかしら?
 そうだったらいいのに、と思いながら尋ねると、彼はあっさりと頷いた。

「よく寝ているから寝かせといた方がいいって言ったんだけど――」

 きっと店長が無理やり連れ帰させたのだろう。でも、うれしかった。ところが、サイトは「ありがとう」の一言さえ素直に受け取ってくれない。

「いや、俺はなにもして……う、うん、ナニモシテナイんで……」

 落ち着かないその様子に、私は次第に先程の懐かしさは錯覚だったのだと思うようになった。だんだんとうなだれる頭の動きに合わせて、帽子についた三角耳も垂れていく。

「ねえ、サイト……やっぱり……私のことが怖い?」
「え? へ?」
「……前にも言ってたわよね、怖くてたまらないって。でも、信じられないかもしれないけど……私、サイトのことを傷つけたかったわけじゃないの。そんなこと、一度も考えてなかったのよ」

 言って、舌を噛みたくなった。こんなことをくどくどと告げて、自分の無恥をさらして、それでなにが赦されるっていうのかしら……なんて毎度の自己嫌悪を、サイトが止める。

「んなの、わかってるよ! お前、怖いって、そんな風に思っていたのか……!?」
「…………ちがうの?」
「違うって! 俺があのとき言ったのは! 俺が怖いのは――」

 勢い込んでいたサイトは、不意にそこで一度言葉を切った。その一瞬の沈黙にまで、不安になる私。でも、


「ごめん!」


 突然勢いよく、サイトは頭を下げた。勢いよく、潔く。――私が右手を掴んでいるせいでちょっと不恰好だったけれど、そこにはもうひとつのサイトらしさがあった。

「さっきは一方的に怒鳴って悪かった! 俺もルイズに話があって、戻ってきたんだ。ちゃんと話がしたくて」
「話……?」
「うん。ずっと俺、それをさぼっていたから」

 顔を上げた彼は、打って変わって静かで、まっすぐな目をしていた。その視線に圧されて、思わず頷く。

「あの後、頭を冷やしてもらって色々と考えたんだ。なあ、ひとつ教えてくれないか?」

 ゆっくりと言葉を選びながら、彼は尋ねた。

「さっき、どうして俺に『帰れ』って言ったんだ?」

 真摯な声だった。その態度と視線に、引きずられるように私の心も静かになった。小賢しい悩みを忘れて、ありのままの答えを探す。


――使い魔を守るのは主人の義務だから?
――自分の身勝手な行為を償いたいから?
――サイトに嫌われるのが嫌だったから?

 そんな理由も確かに在ったけれど、どれも“違う”と思った。

「あのね、こんなところに連れてきて、いまさらだって思うでしょうけど……」

 まっすぐに私を映す彼の目を、私もこんな風にありたいと見つめながら、答える。

「私はサイトに死んでほしくないの」

 その答えに、サイトはすこし哀しそうな顔で笑った。そして。

「――俺も同じだ」

――え?

 瞬く私に、彼はゆっくりと繰り返す。

「同じなんだ。俺もルイズに死んでほしくない」

 まっすぐに、言葉をつむぐ。

「だから、怖かった。このままここにいたら、お前が死んじまうんじゃないかって、怖くてたまらなかった」



***



「最初は俺もわかってなかったんだ。ここに来たのも、ルイズがあんなに熱心に頑張っているんだから、俺も手伝ってやりたいって。それくらいしか考えてなかった。
 いや、本当のことを言うとさ、お前の家族や周りの連中を見返してやりたかったんだ。ここで手柄を挙げて、お前のこと認めさせて、そうしたら、お前の中のその変なコンプレックスも消えるんじゃないかって、思ってた。
 でも、最初の作戦で中隊のみんながやられていくの見て……ようやく気がついたよ。そんなもんじゃない、これは戦争なんだって。
 ……ほんと、馬鹿だよな」

 淡々と呟く。相槌さえ打てずに固まっている私に気づいているのか、いないのか。サイトは話し続ける。

「あの後、お前まで気を失っちまって、もう目を覚まさないんじゃないかと思って、あんときは本当に怖かった。ひとりきりで空を飛んでいて、どこに帰ればいいのかもわからなくなりそうだった。
 なのに、必死で帰ってきたら、お前は任務を果たして死ぬのを『名誉の戦死』だなんて言うし。生きて戻ってくるのをまるで悪いことみたいに消そうとするし。メシもちゃんと食べないで、軍人連中の言うことばっか聞いて。お前がすげーへばっているのにも気づかないような連中なのに。そんなヤツラの言いなりになって。どんどん顔色は悪くなって、無理ばっかして――」

 ぎゅっと眉を寄せ、拳を握りこむ。

「なんでそんなに投げやりなんだって思って、ムカついた。任務が何だ、名誉が何だ、そんなもののために、俺のいちばん大切なものを粗末にすんのかよって――」

 そこで一度、サイトは感情的になった自身をなだめるように言葉を止めた。おかげで、ようやく口を挟むことができる。

「待って……。サイトのいちばん大切なものって……?」

 思いもよらない話に混乱する頭で、ひとつだけ思いついた質問だった。けれど、返ってきた答えは、もっと思いもよらないもので。

「お前だよ」

 私は思わず尋ね返していた。

「……どういうこと?」
「どうって、それは……その、身勝手かもしれないけど……」

 サイトはなぜか、しょんぼりと背中を丸める。

「俺はこんなにルイズが好きで、なによりも大切に思っているのに、当のお前が自分のことをどうでもいいものみたいに扱ってるのが、本当に嫌だったんだよ……」

――え?

「……なのに、俺はそれを止めることもできないし……」

 固まった私に気づかず、サイトは話し続ける。

「そんな自分が情けなくって、しんどくって、落ち込んで……それで、お前にまで当たり散らしちゃって……ほんと情けないよな……」

 それでもまた、背筋を伸ばす。真摯に、言葉をつむぐ。

「でも、本当は俺も知ってたんだ。ルイズもそうだったんだよな。国を守りたい、役に立ちたいって真剣に思っていて――貴族としての義務を本気で大切に考えていて――」

 真摯に、誠実に。でも、もう耳に入らない。入れてなんていられない。

「ま、ままま待って!」

 その腕を引っ張って無理やり注意を引く。

「ん?」
「…………好き? 私のことが?」
「へ?」

 きょとんと私を見返したサイトは、やがて、こくんと子供じみた仕草で頷いた。

「うん」

――……って、あんた………………『うん』って…………………………………………………………………………え?

 呆然としていたら、サイトの顔もひきつり始めた。すこし青ざめる。

「あ、あれ? そこ?……もしかして、気づいていなかった? ぜんぜん?」

 私は先程と同じ真剣さで頷いた。

「うん」
「『うん』って……そ、そうか……」

 サイトはなんでもない風に頷いたけれど、全然隠せていない。その様子に、私はなんだか急いで言い訳をしないといけないような気分になった。

「だだだって! あなた、一度もそんなこと言わなかったじゃない!」
「い、言わなくたって、感じないか……?」
「な、なによそれ! そんなのわかんないわよ!」

 悪い癖が出て、思わず居直ってしまう。けれど言い返してくるかと思ったサイトは、

「そんなに俺って……男として……アリエナイ……かな…………」

 がっくりと肩を落としていた。

――なんでそうなるの!?

 しょんぼりと背中を丸める彼に、あわてて首を振る。ぶんぶんと掴んだままのサイトの右手を振り回す。

「そ、そそそそういう意味じゃないわよ! ちょ、ちょっとびっくりしただけでっ! だだだだだから、そそそその――」

 声の震えが止まらない。急にものすごく恥ずかしくなって、私も顔を伏せた。

「……わからなかったのよ。ほんとうにただ、その……わかんなかったんだもん……」

 なにを言ったらいいのかわからず、とりあえずの逃げでいじけてみせたら、

「あ! そ、そうだよな。そのっ、ごめん!」

 謝られてしまった……。ますます、いたたまれない気分。

「謝んないでよ。あなたは悪くないわよ」
「いや、ほんとごめん。ちゃんと言えなかった俺が悪いんだ」

 「……を見習わなきゃな、」となにやら小さく呟いたサイトは、またあの目を私に向ける。ただそれだけで心臓が、ズキ、と小さく痛んだ。

「改めて言ってもいいか?」

 変な確認。ちょっと間が抜けている。でも、今の私には小さく頷くのが精一杯だった。

「……う、うん」

 なんだか、サイトに見られていると、呼吸のしかたを忘れてしまうみたい。絞め殺されるような息苦しさに小さく震える。苦しい。けど、“この苦しいのをもっと感じていたい”……なんて。
 馬鹿みたいに惚けていた私は、とうのサイトに叩き斬られた。

「俺はルイズが好きだ。いちばん大切だと思っているし、失いたくない。だから――」



俺は絶対に帰らない・・・・・・・・・



 目を見開く私に、サイトはどこまでも真摯に、一方的に告げた。

「心配してくれてありがとうな。でも、決めたよ。死ぬのは怖い。けど、ルイズを失うのも同じくらい怖い。だから、俺はここから離れない。お前になんと言われても、戦場ここに残ってお前を守る。そう決めた」
「……そんな……」

 そのとき、まっさきに感じたのは『罪悪感』だった。そして、それはすぐさま強烈な焦燥と義務感に換わった。“説得しなきゃ”とそれは言う。
 なんでこんなことを……。きっとなにか変な思い違いをしているんだわ。教えなきゃ、そんなのアリエナイって。馬鹿げてるって、気づかせなきゃ。
 彼の葛藤も決意も無視して、私は思う。
 だって、私は気づいていた。前提が違うことに、サイトは気づいていない。私が『死にたがり』だと、気づいていない。
 その私を“守る”ために留まるだなんて、あまりにも馬鹿げていて、タチの悪い冗談だ。

――そうね、『冗談』だわ。間違っても真面目に受け取るようなことじゃない。

 そう決めつけ、少しだけ楽になった私は、うっすら笑みさえ浮かべた。(早く、それをサイトにもわかってもらわなきゃ――)

「もう、なにをいきなり言い出すのよ、サイト。馬鹿なことを言わないで」

 明るく、ことさら朗らかに放った声。けれど、どこか神経に障る。節々ににじみ出るのは隠しきれない本心――焦り、苛立ち、怖れ。

「そんなの理由になるわけがないでしょう。そんなものが“いちばん大切”なわけが――」

 ないわ、と歌うように言いかけて。サイトの表情に私は黙らされた。

「お前にとっては馬鹿でも、俺にとっては違う」
「サイト……」

 傷つけられた感情を無理やり押し殺しながら、彼は言う。

「あのさ、同じなんだよ。お前が『名誉』をいちばん大切なものだって思うように。お前が『名誉』を守るために戦うように。俺にはルイズがいちばん大切で、だから、お前を守るために戦うんだ」

 私はうつむき、奥歯を噛みしめる。そうでもしないと、なにかが溢れてしまいそうだった。

「ちがう、ちがうわよ。『名誉』とか、そんなのどうでもいい、私はそんなものが大切なわけじゃないの」
「……『名誉』じゃないのか?」

 うつむく私を彼は覗き込む。

「じゃあ……ルイズのいちばん大切なものは何なんだ?」
「それは、」

 言葉に詰まる。私の、いちばん大切なもの……?

――どうして、そんなひどいことを訊くのよ……?

 ふと見れば、私はまだサイトの右腕を捕まえていた。急に怖くなってそれを離す。あわてて、この身を遠ざける。(さわっちゃダメ)
 なのに、サイトは無分別にも手をのばして、この肩を掴んでしまった。

「なあ、ルイズ。もしルイズの大切なものが『名誉』じゃないなら、それなら、お前のほんとうに大切なものを俺に教えてくれよ。そうしたら俺、それも一緒に大事にするから」

 あいかわらず真摯で真剣で、強引で身勝手だった。

――なにを言っているのよ。

 なにも知らないくせに、と顔をしかめる。それがまるで泣くのをこらえているようで。
 身を縮めれば、サイトはさらににじり寄ってくる。私はいつのまにか、枕元まで追い詰められていた。イヤイヤと駄々をこねるように身をよじれば、彼の両腕が包み込むように逃げ道をふさぐ。
 その胸元に掌をあてて押し返そうとするけれど、びくともしない。

「離して」

と命令するために顔を上げる私。けれど、

――あれ……?

 途中で固まってしまった。

――なんか、顔がすごく近い……。

 睫毛の先が触れそうな距離に、サイトがいた。ドクン、と痛いほど大きく心臓が跳ねた。

――ちょっちょちょちょっとっ? これ、近すぎるんじゃない……っ!?

 胸の内で上げた声は悲鳴じみていた。急に頬が熱くなる。

「サ、サササイト……」

 あわあわと慌てる私。なのに、サイトは気づかない。まっすぐな目のまま、目の前のことだけに集中して……もしかして、本当に他にはなにも見えてないんじゃない?
 けれどそんな雑念疑いも、耳元で名前を囁くように呼ばれて、一瞬で霧散した。

「ルイズ」

 全身の熱が一気に上昇して、ぼっと音を立てる。熱だけじゃない。厚手の手袋越しにサイトの鼓動を感じて、私の中でも、ドッドッド、とへんな音が響きだしていた。

――あ、あれ? どうしよう、これ……。

 急に熱が上がりすぎて、変になっちゃったみたい。頭の中がぐるぐるする。なんで、こんなことになってんのかしら、私……? うまく考えられない。……ええっと……考えないといけないことがあるのに……なんで、こんな、ええっと……。
 熱くてぼわっとする頭と勝手にどきどきする心臓を、私は完全にもてあましていた。状況を整理しようとしても、まるでうまくいかない。胸が痛いほどに激しく脈打って――、

――と、とととにかく、離れなきゃ……。

 そう決心して、両手に力をこめる。離れないと――(そうよ“サワッテハイケナイ”)――早く手を離さないと。
 そう思うのに、うまくできない。だって……それよりももっと……“もっとそばで感じていたい”だなんて思ってしまうから…………。

「……」


(すこしだけわかった気がした。)


「なあ、何か言ってくれよ、ルイズ」
「……さい、と」

 必死に絞り出した声は、かすれていた。身を縮こめたまま、私は彼の胸元にふたつの掌を押しつける。

「ルイズ?」
「おねがい……はなれて……」
「あ」

 サイトがぴたと固まった。熱にうるんだ私の瞳にはもう、その表情まではわからないけれど、彼ののどがゴクと小さく音を立て、肩を掴んでいた手が1サントだけ、浮き上がるのがわかる。

「あの、おれ――」
「おねがい……サイトが、そばにいると……むねがドキドキして、なにも考えられなくなるの……だから、おねがい……すこしだけ、はなれて……」
「あ、あうぇ……?」


「ちゃんと考えたいの……私の、いちばん大切なもの……」


 サイトは黙って、ゆっくりと身を離してくれた。熱くて重かったその体が離れ、私はぽっかりとしたさみしさを覚える。
 その矛盾を、心に留める。

「ありがとう」

 意識的に呼吸をしながら言うと、サイトはふるふると首を振った。

「いや、こっちこそ……。ありがとうな。答え、待ってるから。聞かせてくれるか?」
「うん」

 私が約束すると、サイトはそろそろと寝台を下り始めた。そしてそのまま、ずりずりと後ろ向きに動きながら、慎重に遠ざかる。どうしたのかしら? と訝しがっているうちに、その背中がぴたりとドアに張りついた。

――……行っちゃうの?

 哀しく思っていると、サイトが告げた。キリッと真面目な表情で。

「ちょっとボクはこれからオモテで頭を冷やしてきたいと思います」
「…………はい?」
「なので、ルイズさんはきちんと休んでいてください」

 なんなのその(キモい)口調――とツッコむ間もなく、彼はがちこちと、魔力のきれかかったガーゴイルみたいな動きで、踵を返した。
 そして、自分の開けたドアに、ガン!と顔面からぶちあたる。

「だ、大丈夫!?」
「な、なんでもないっ!」

 そうは言うけれど、また鼻をぶつけたみたいで片手で押さえている。首の後ろは真っ赤だ。鼻血でも出たんじゃないかしら……。
 けれどそう心配する私をサイトは頑なに振り払い、そのままばたばたと飛び出して行ってしまった。それはもう、雪の中に頭からつっこむような勢いで――。

――なんで?

 答えはもちろんなく、私はそれを見送るしかできなかった。



 そして、沈黙。



 一転して痛いほどに静かになった部屋の中、私は先程の姿勢のまま、サイトが出て行ったドアを眺めていた。ちゃんと閉めていかないから、すきま風が火照った頬にあたる。

「あーあ、結局逃げ出しちまいやがって。相棒はほんとヘタレだねぇ……」

 ぼうっとしたまま、いつまでも動かない私に、同じく置き去りの剣が笑いを含んだ声で言った。

「……デルフリンガー」
「でも、なかなか頑張ったんじゃねーか、相棒のわりにはさ。娘っ子もこれで少しはわかっただろ?」
「…………」
「どうしたい?」
「デルフ……。どうしよう、私……」
「さて……俺様にはなんとも言えないがね。もう答えは出ているんじゃないかい?」

 知ったような口ぶりの剣を、私はか細い声で否定した。

「ちがうわよ、そういうことじゃなくて……」
「うん?」

 私は唇を噛み、ぎゅっとミトンの中の手を握りしめ、告げた。


「腰が抜けて、立てないの」


 直後、狭い部屋の中いっぱいにデルフリンガーの馬鹿笑いが響きわたった。






***つづく***







(初投稿:230306)








いつもご感想ありがとうございます。また、毎度更新が遅くてすみません。
一応次話で一区切りをつける予定で、その後には番外編をひとつ書くつもりです。
よろしければまたお付き合いください。



[11047] しにたがりなるいずさん 7の4
Name: あぶく◆0150983c ID:adac3412
Date: 2011/05/01 22:04
 
 ずっと苦しかった。
 私はまるで水の中で孵ってしまった雛、或いは陸に投げ出された魚だった。
 呼吸するたびに感じる、耐え難い苦痛。
 此処に在ること、それ自体に対する、絶え間ない違和感。
 それらは、いつから私のすべてになったんだろう。
 苦痛と違和感。此処に在るべきでないという強い思い。その根底にあるもの。
 ほんとうに考えるべきことはそこにあった。けれどそれに思いを巡らすことなく、私はただ目の前の苦しさから逃れることばかり考えていた。
 それこそが最大の過ちだったのだと、気づいたときにはもう――――取り返しはつかない。






*** しにたがりなるいずさん 7の4 ***






 私達は一緒に歩いていた。いつものようにサイトが先導し、私ははぐれないように、その袖口に掴まっている。
 あたりは大勢の人間が立てる喧騒に包まれ、すぐ前を行くサイトの声もあまり聞こえない。もっとも、正直なところ、今はまだそれでいいと思う。
 ぬかるんだ足下に気をとられているふりをして、私は終始うつむき、黙々と足を動かしていた。
 動かしながら、考えていた。




 大切なもののこと。




 本音を言えば、私にとって大切なものは、ずっと、ちいねえさまだけだった。だいすきなちいねえさまへの思いだけが、私をこの生につなぎ留めていた。
 もし、その唯一の繋がりしがらみが絶たれたのなら、私は即座に願いを叶えていただろう。すべてに背を向けて。
 貴族としての体面、家名に対する義務――そんなものはただ、愛しい姉を裏切らないための、ちょっとした重石に過ぎない。いつかそのときが来るまでの、ちょっとした命綱だ。
 姉以外のものは、すべて等しく無価値。
 そのはずだった。

 なのに、いつのまにか変わってしまった。

 前を行くサイトの背中を見る。生まれてはじめて成功した魔法が連れてきた、私の使い魔。――そう、なにも望まなかったはずのあの日、あの召喚の儀にサイトが現れて……それからなにもかもが狂い出した。

 この、おっちょこちょいで頑固でお人好しな使い魔が、なにもかもを変えてしまった。

 その予想もできない言葉で、ふらふらと死に引き寄せられる私の気をそらし、その突拍子もない行動で、つかの間この目から憂鬱を払った。
 病んだ私を前にしても逃げ出さないで――私が抱く、彼には決して理解できない願望にも気づかないまま――ひたすら私のことを私自身から守り続けた。
 それは強引だったり、間抜けだったり、ときには呆れてしまうようなやり方だったけど……そんな彼なりのやり方で、サイトは私の世界を変えた。ときにあっさりと。ときに鮮やかに。
 どこにもいけなかった私を連れ出し、いっしょに空を飛び、知らない世界を教え――そうして彼に振り回されているうちに、出会いが生まれ、友人もできて――私も、ときにはなにかの役に立てることを知った。

 きっと今ここにいられるのも、姫様のお役に立つことができるのも、なにもかも、サイトのおかげだ。




「ルイズ?」

 視線に気づいたのか、サイトが振り向く。

「ちょっと疲れたな。すこし休憩しようか?」
「そうね」

 促されるまま、木陰に並んで腰を下ろす。ぼんやりと隣りのサイトに寄り添うようにしていると、胸の中から、とくとくとくと普段よりも速い心音が聴こえた。とくとくとくとくとくとく、と。
 それはなにかに似ている。

――なにかしら……?

 目を閉じて考える。けれどその答えを思いつくより早く、サイトは落ち着かない様子で立ち上がってしまった。

「俺、先の様子を見てくるよ。すぐ戻るから」
「……うん」

 そして足早に去っていく。
 ひとり残された私は所在なく、空を仰ぎ見た。冬の冴えきった青空。手をかざせば、はめたままの指輪に陽の光が反射する。




 その光に、姫様のことを思い出す。




 最後に会ったのは、ここへ発つ直前、王城へ挨拶に伺ったときだ。すこし青ざめた顔をした幼なじみに、私は、てっきり戦の準備に追われて疲れているのだと思った。けれど、別れ際に抱き寄せられ、勘違いに気がついた。
 わななく声で小さく「ゆるして」と囁いた彼女。
 その短い言葉にこめられていたのは、『おともだち』を戦争の道具にすることに対する深い慚愧と。それを口に出さずにいられない彼女の弱さ。

 全部わかっていて、それでも、私はそれに曖昧な言葉で応えることしかできなかった。赦しを乞うのは私の方だと、言うことはできなかった。

 ……たぶん私達はよく似ているのだと思う。その浅はかさや弱さまで全部。だから、お互いにお互いの過ちを突きつけ合うこともできない。
 上っ面だけのいびつな関係……なのかな。
 少なくとも外からはそう見えるんだろう。だから、サイトにさえ理解してもらえない。

 それでも、アンは私にとって『おともだち』だった。誰になんと思われていようと……大切な親友だった。

 だって、あの娘は私のたったひとりの幼なじみだから。幼い頃、家族以外で私を必要だと言ってくれた、たったひとりの『おともだち』。




 雲ひとつない晴れ渡った空を見上げる。この空の向こうに、姫様がいる。姫様が治める国がある。
 私の国がある。




 高すぎる空は、故郷を、生まれ育った公爵領を思い出させた。
 あまりに広すぎて、どこにも行き場のないように思えたあの場所。閉ざされた世界で、幼い私は毎日、逃げ出すべきなのか隠れるべきなのかわからないまま、さ迷っていた。自分の家だというのに、どうしても馴染めなかった。それがいつも辛くて苦しくて哀しくて恥ずかしかった。

 それでも、あそこが私の家だった。あそこには私の家族がいた。

 お父様は、私に貴族の務めを教えてくれた。土地を治めること、王家に仕えること、民を守ること。その中には魔法ではできない、魔法ばかりでない、貴族たるための務めがたくさんあることを教えてくれた。
 練習のやり過ぎで倒れた馬鹿な私を、家まで運んでくれたのは、いつもお母様だった。きっとずっと、その無為を見守ってくれていた。
 上の姉様は、強情っ張りの私が間違えるたびに、それを正そうとしてくれた。不器用な力づくでも、決して諦めずに私を叱り続けてくれた。
 そして、いつも変わらず、幼い私を優しく包んでくれたちいねえさま……。

 皆、あの場所でそれぞれに私を愛してくれていた。そのすべてを受け止めるには私はあまりに小さすぎて、逃げ出すことしかできなかったけれど。
 本当はちゃんとわかっていた。




 私の国。私の大切な人達がいる国。




 家を出て知り合った人達もいる。学院の先生方と同級生達の顔を、覚えている限り、ひとつひとつ思い浮かべる。それから、一緒に旅をした友人達のこと。いつのまにか、そばにいてくれた人達。皆で食事もした。王都でサイトと働いた、失敗ばかりで叱られた、すこしだけ褒められたあのお店。親切な店長、厳しいジェシカ、明るい同僚達――。

――……そういえば、皆はどこにいるのかしら。

 右往左往する人の中に姿を探すけれど、見つからない。心配になって、探しに行こうかと腰を浮かせたとき、不意に遠くから声が聴こえた。私を呼ぶ、




「ミス・ゼロ」と。




 そのとき、雷に打たれたように、私は理解した。無意識に指をのばし、肩に提げていた祈祷書をそっと撫でる。

 『ゼロ』と『虚無ゼロ』――それは私を表す最も適した名。そして、王家の血がなぜか傍系の私に授けた、始祖の力。

 正直なところ、今まで私にはこの力の価値がまるでわからなかった。もちろん、この第零の系統が『伝説の』『奇跡の』と称されるべきことは知っている。でも、それがこの身に宿っていると思うと、とたんにその仰々しさが可笑しくなってしまうのだ。
 だってそうでしょう? たとえコレがどれほど偉大なモノだったとしても、それを扱うのはこの『私』なんだもの。しょせん、ただの『死にたがり』。なにがあっても、それが変わるわけじゃない。『ゼロ』は『ゼロ』のまま……。
 そう思っていた。

 でも、そんなのは間違いだった。彼らはちゃんと私を変えてみせた。

 もしかしたら、それは皮肉かもしれない。魔法は私を今の『私』たらしめた、はじまりのひとつでもあるのだから。
 それでも、今は素直に感謝したいと思う。

 彼らは本当に大切なものを教えてくれた。今まで私が背を向けてきた世界。友人。家族。たくさんのものがここにあること。
 そう、目を向ければ、ここに。大切なものがたくさん……。




 気づけばもう、約束した答えは出ていた。
 在るべき場所。なすべきこと。いちばん、大切なもの。
 だから――、




 再び呼ばれ、求められるままに立ち上がった。歩き出した私はもう、うつむいてはいない。ただ真っ直ぐに前を見て、急かされるままに足早に人々の群れを通り抜けていく。




 なすべきことをなすために、在るべき場所へと向かって。




***




――ねぇ、ルイズ・フランソワーズ。


 胸のうちでひとりごちる。


――たとえどれほど偉大なちからがあっても、たとえ世界中の人がそれを称賛しても、ね。きっと私はあんたを認めない。あんたは『死にたがり』。矛盾だらけの半端者。卑怯で臆病でわがままなろくでなしよ。


 でもね、とかすかに笑う。


――そんなあんたを、あの人達は大切だと言うの。私の大切な人達はあんたを愛していると言うの。だから、私もすこしだけ信じてあげる。


 うそぶきながら、告げる。


――死にたがりは止めましょう。それよりもずっと大切なものが、ここにあるんだから。


 見つめる先には、自分の手。小さく、非力なその手を。
 挑むように、睨みつける。


――私のいちばん大切なものを、あんたに預けるわ。だから、最後まで守りきりなさい。




 そして私はこの手に、司令官代行が差し出す最後の命令書を受け取った。




***




 仮設司令部の天幕を出ると、あたりは混乱の只中だった。それもしかたない。なにせ敵軍に追われて必死の逃走をしている最中なのだから。

 奇襲があったのは、まだ降臨祭の期間のことだった。王都まであとわずかというところで、一体何が起きたのか――司令部でさえ、いまだにきちんと把握できていないらしい。私もさっき初めて司令官が戦死されていたことを聞いたくらいで――わかったのは、あの日突然、万単位の味方が寝返り、同時に敵襲を受けたことくらい。

 そして今、その数万の敵軍は再び迫りつつある。

 数日前までは勝利を確信していたはずなのに、なにもかもがひっくり返っていた。兵達は皆、最初の奇襲とその後の強行軍のために、身も心もぼろぼろだ。怒号がそこかしこで響き、罵声がそれに応える。規律は瓦解し、統率は崩壊。無秩序な喧騒の中で『名誉』はとうに消え去り、エゴがむき出しになったその姿が彼らの本音を訴えている。“死にたくない”と、誰も彼もが叫んでいる。




 そんな中で、私のまわりだけがひどく静かだった。




 人の流れに逆らって歩みながら、改めて命令書を開いた。今一度、記された文字を瞳に映す。
 オーダーはシンプルだ。

『友軍の撤退を援護せよ』

 つまり、フネが逃れるまでの時間稼ぎ。街道にて敵兵を足止めしその場を死守せよと、その方法も細かく指示されている。
 殿しんがりね、と私は頷く。名誉の殿。名誉しかない御役目だ。降伏はない。撤退もない。

――でも、これは死ぬために逝くんじゃないわ。

 無意識に命令書を握りしめながら、自らに言い聞かせる。

――これは、守るために行くもの。大切なものを守りたいから、行くの。

 ゆっくりと噛み締める。
 あたりは不思議と静かだった。周囲の声も音も、なにも聞こえない。その静かな中で――――――カチカチと小さく、私の歯が鳴っていた。カタカタと小刻みに、体が震えていた。

――……………………怖い。

 いつのまにか呼吸は浅く、早くなっていた。手の中では命令書がくしゃくしゃによれている。わななく両手。それを止めることもできないくらい、私は動揺していた。心底、怖くてたまらなかった。

 ひとつの可能性が頭から離れない。

――もし失敗したら……どうしよう……。

 もしここで私がしくじったなら、きっとこの兵達は皆、殺されてしまうだろう。ううん、それだけじゃないわ。そんなことになったら、きっと祖国にだってその累は及ぶ。
 この軍を揃えるのに姫様がどれだけ無理をしてきたか、私は知っている。これだけの兵を一度に失って、私の国にはどれだけの力が残るだろうか。

 もしここで私が皆を守れなければ、きっと私の国は負けてしまう。
 大切なものがみんな、無くなってしまう。

 だから落ち着かなきゃいけない、しっかりしなきゃいけない、と思うのに。
 恐れと焦りばかりがどんどん積み上がって、私の体を重くした。“失敗するかもしれない”“大切なものを守れないかもしれない”。そんな不安が次々と浮かんで、私の心を押し潰す。

――苦しい。

 なのに。死ねばいいと。死ぬべきだと。死ぬためなのだと。そんな言い訳はもう通用しない。口の中は渇ききって、ひざはみっともないくらい震えている。



 けれどそれは、とても正しいことのように思えた。



――こういうことだったのね……。

 唇を噛みながら、私はかつてのデルフの言葉を思い出していた。

 以前、私がサイトの怖がっているものが「わからない」と訴えたときのことだ。剣はそれを、私がオーク鬼に立ち向かったのと同じ理由だと言った。
 そのときはただ『死への恐怖』のことを言っているのだと思った。(だから咄嗟に過剰に反応して、拒絶してしまった。ただ自分のことだけを考えて、死の誘惑に乗りかけたことを恥じていたから。)

 でも、デルフが本当に言いたかったのはそうじゃなかった。
 今、ようやくわかった。


 考えるべきは“死を求めた”ことじゃなくて、それでも“まだ生きている”その理由。


 あのとき、私が踏みとどまったのは――サイトの声がしたから。ルイズ、と叫んだ、その必死な声を背中に聴いた瞬間、わかった。私がここで逃げ出したら――次はサイトが殺される――だから――私はあのとき杖を振った。


 サイトが死んでしまうのが“怖かった”から。


 緊張に青ざめた頬に、思わず笑みがこぼれる。

――デルフ、すごいわ。私でもわかっていなかったのに……みんな、知っていたのね。

 そして、私は本当になにもわかっていなかった。自分のことさえわかっていなかった。

――でも、もう大丈夫。


 私はしっかりと顔を上げると、頼りない足を叱咤して、もう一度歩き出した。



***



 指示に従って、馬を借り受けた。用済みの命令書はきちんと折りたたんで、祈祷書の間に挟み込む。それから、高くなった視点を最大限に活用して、周囲を忙しく探した。
 すぐに目的のものが見つかったので、ほっと息を吐く。
 ちょうど、あちらから駆けてくるところだった。目が合うと向こうも「やっと見つけた」と言いたげに息を吐く。


「ルイズ!!」


 その声に、また、心臓がとくとくとくと動き出していた。私の意思と無関係に、とくとくとくとくとくとくと勝手に騒ぐ。
 まるで、と私は思う。

――胸の中のいちばん柔らかいところに、臆病な小鳥をつめこまれたみたい。

 活発な心臓に促されて指先に熱が戻り、肩がすこし軽くなる。でも息を整えるのは、なかなかうまくできない。

「サイト」

 向き合った彼は、むっつりとした顔で上目遣いに私を睨んだ。

「なにしてんだ、そんなもんに乗って。どこに行くつもりだよ」
「――どこにも行かないわよ。あなたを探していたの」

 そう言って馬から下りる私を、納得いかない様子で見つめるサイト。怒っているように見せたいみたいだけど、その顔はあからさまに不安げに揺れていて――私を心配していた。
 そんな不器用な優しさがくすぐったくて、つい微笑ってしまう。

――……変な感じ。サイトの顔を見たら、怖いの、どこかにいっちゃったわ。

 こんなときまでほうけてしまえる自分がおかしくて、バカみたいで、でも、嫌いにはなれなかった。

 そんな私に、サイトが顔をしかめる。

「なんだよ?」
「なんでもないわ。そんな怖い顔をしないで――話があるの」


 どこか静かに話ができるところを探して、私はすぐそばにあった教会へ彼を促した。


「……なんにもないわね」
「ああ、ずいぶん前にみんな逃げちまったみたいだな」

 きょろきょろと無人の内部を見ながら、言い合う。
 もっとも、さびれてはいても、荒んだ印象はなかった。古いステンドグラス越しにきらきらと光が降り注ぐ空間には、特有の、全てから切り離されたような静けさが残っている。
 無条件で人を敬虔にさせる、そんな場所だ。

 だというのに、私の心臓はあいかわらず気ままだった。

「それより、ルイズ。なにか俺に言うことがあるんだろ」

 サイトが私を見る。私の名前を呼ぶ――ただそれだけで、勝手気ままに騒ぎ立て始める。とくとくとくとくとくと。野の鳥のように知らぬ間に棲みついて、高すぎる熱と早すぎる鼓動で私をせき立てる。
 その正体に、私ももう気づいていた。

――……でも、いまは黙っていてね。

 大切な話をしないといけないから、とその子をなだめ、言葉を探す。

「あのね――」

 答えが見つかったの、とそう告げるつもりだった。



 だったんだけど……、



 次の瞬間、口は勝手に動いていた。




















「キスして」



















 はっと我に返ったときにはもう遅かった。


「えっと? あれ? ルイズ、今、何て――……」


 完全に予想外――そう告げるサイトの口調に、私は自分の『失言』に気づいて――みるみるうちに、赤く茹であがった。


「あ、ああ、あああの――――――っ、




















――――――い、いいまのなしっ!!」



















「………………は?」

 ぽかんと口を開けてサイトがマジマジと私を見る。耳まで赤く染めて、肩で息をしている私を。

「あ、ああああああっ、あのっ、そのっ、そうじゃなくって――」

 あうあうとうめく。なんとか言い訳をしようと焦るけど、言葉が見つからない。頭のてっぺんから湯気が出そうだった。首から上も全部真っ赤に茹で上がって――――ああもうっ!

「なしって――」
「いっ、いいいでしょっ! そ、そそのっ、いいいいいまちがえたのっ!」

――って、なによ、その言い訳は!?

 理性が悲鳴をあげる。それでも私の挙動不審は止まらない。なによりも、思いがけず零れてきた本心の、その欲求の直球ぶりが、私を動揺させていた。

――キキキキスとか、なにをいきなり色呆けてるのよ、私は! もっと先に言うべきことがあるでしょうが! ほんとにもうっ!!

 恥ずかしさを誤魔化す為に必死に自分を叱りつけていると――それまでほとんど黙っていたサイトがようやく口を開いた。
 
「ルイズってさ……」
「な、ななななによっ!?」


「けっこう恥ずかしがりやさんだよな。いっつも無防備なのに」


 すごく、しみじみと言われた。

「っ!? どどどういう意味――っ」
「大丈夫か? 声、震えてるぞ?」
「わ、わかってるわよ!」

 のほほんとしているサイトに、思わず噛みつく。普段だったら私と同じくらいテンパっているはずのサイトが、妙に余裕綽々なのが、すっごくくやしい――って、そうじゃないでしょ、もうっ。
 私は、改めて自分を叱りつけた。

――しっかりなさい。今がどういうときか忘れたの? 最後なのよ。こんなバカみたいなことで無駄にしている時間はないの!

 言い聞かせて、もう一度サイトを見遣る。
 すると、さっきの『本心』の出所がわかった。ああ、そっか――……




 キスから始まったのだから、キスで終わるのが正しいと思ったのだ。
 この奇蹟のような出会いを。




(――もちろん、それだけじゃないけど)

 ため息が出そうだった。だって、わかったからと言って、今さら何食わぬ顔でそれを伝えることができるわけもない。
 そう、それは絶望的に難しかった。主にこの性格のせいで。

――ほんとうにどうしてこんな性格なのかしら……。

 頭を抱える私に、サイトが声をかける。

「本当に大丈夫か? どっか具合でも悪いんじゃ――」
「わ、悪くなんかないわよっ」

 この性格以外は――――なんて、自分でまぜかえしていたら、心底、情けなくなってしまった。ああ、穴があったら埋まりたい。決意も忘れて、いますぐ自分を爆殺したい。
 でも、そのどちらもできない私は、うう、と再びうなるしかできなかった。

――なんで、いつもこうなのかしら? こんな大事なときに、まともに話ひとつすることもできないなんて……ほんと、最低……。

 鬱々と落ち込みだしたら、見かねた様子でサイトが言った。

「ほらほら、あんまり考え込むなって――」

 うつむく私を、よしよしと慰める。

「焦らなくていいから、俺はちゃんと待ってるから。な?」

――……サイト。

 ああ、そうか、と気づく。いつもの私の悪いクセだ。小さなところでつまずいて、ひとりでぐるぐる考え込んで、自分の中から抜け出せなくなってしまう――。

 でも、そんなとき、いつもそこから連れ出してくれる手が、いまも私の頭を撫でていた。

「…………」

 深呼吸。じんわりと熱い頬をまだ少し気にしながら、私はなんとか精一杯の自制心と勇気をふりしぼって、顔を上げた。

「あ、あのね――」

 口ごもりながら、なんとかサイトの顔を見る。できるだけまっすぐに。いつかの彼のように。

「私も、やっとわかったの。ほんとうに大切なもの」
「うん――?」

 余計なものが混じらないように、急いで告げる。




「私の大切なものはね、あなたよ、サイト」




 言えた――その喜びに心臓がとくとくと跳ね回る。ちょっと得意げなその勢いに押されて、すらすらと言葉が零れる。




「前に言ってくれたでしょう、私を大切だって。それと同じようにね・・・・・・・・・、私もサイトが大切だってわかったの」




 自然と笑みを浮かべながら、心から告げる。




「ようやくわかったの――それも全部、あなたのおかげよ。ありがとう」




 それは思いがけず、誇らしい瞬間だった。
 なのに、




「………………そうか」




 そう呟いたサイトの顔は、なぜか今にも泣き出しそうに見えた。

――え……?

  戸惑う私の前で、彼は小さな声で繰り返す。



「そうか……『同じ』か……」



――サイト?

 思わぬ反応に、私はぽかんとしてしまった。

「どうしたの……?」
「うん……?」

 ぼんやりとしたその様子は、いつもの挙動不審とも違っていた。

「うん、じゃなくて…………『そっか』って、それだけ?」
「それだけって…………ああ、いや、嬉しいよ。ほんとに」

 無理に笑っているような、うつろな応えに、私はなんだか自分が悪いことをしてしまったような気になった。(ま、まさか、迷惑だった?)(で、でででも、サイトだって『同じ』ことを――)



 けれど次の瞬間、そんなものは全部吹き飛んだ。




「ルイズ――」




 突然、かすれた声で呼ばれたと思ったら、私はサイトの腕の中にいた。

――……え!?

 サイトが両腕を伸ばして私を抱きよせたのだ、と理解するより早く。ぎゅっと、一瞬息が詰まるほど強く抱きしめられる。




「サ、サイトっ!?」




 思わず、声が上擦る。けれど、サイトはただ黙って、私を抱く力を増すだけで。言葉にならない想いがその腕の力と熱に込められているみたいに――強く、強く――骨が軋みそうなほどに、強く――頼りないこのきゃしゃな体ごと全部――力強いサイトの胸元に閉じこめられるように――抱きしめられる。苦しいほどに。
 耐えきれずに目をつむり、はぅ、とその腕の中で熱い吐息をもらす。溢れるほどの幸福が全身を満たしていた。




「サイト――」




 熱に浮かされるまま、陶然と呼びかける。サイトはますますその力を強めて、私はあっさりと、その力と熱におぼれた。サイトの与えてくれる、その愛情に。我を忘れるほどの、その幸福に。おぼれて――――、










 そこに込められた想いの意味を考えることもしなかった。



***



 それから、どうやって離れたのか(どうして離れられたのか)わからないけど――私はいつのまにか、崩れた祭壇の前で彼と向き合っていた。頭の芯はまだ熱くて、片手もいまだに未練がましくその腕を掴んでいる。


 でも、そろそろ、終わりにしないといけない時間だった。


「ねえ、サイト」
「なあ、ルイズ」


 ほぼ同時に呼び合って、私達は顔を見合わせた。ぎこちない譲り合いの後、結局、私が折れた。

「あのね、私、あなたと仲直りがしたいの」
「仲直り?」
「ええ」

 いままでたくさん傷つけてしまったことに謝罪を。それでもたくさんのものを与えてくれたことに感謝を。
 だから、私は自分の右手を差し出した。『ごめんなさい』と『ありがとう』を伝えるために。

「……なんだ?」
「だから、その、仲直りの握手。……してくれない?」
「………」

 それが、私の乏しい人生の中で一度だけ友人と交わした、仲直りのしるしだった。ところがサイトは手を出すそぶりもなく、じっとその手を見つめるだけだった。

「あ、あの……ダメ、かしら……?」

 その無言につい弱気になると、妙に分別くさい苦笑いが返ってきた。

「いや、俺も仲直りは賛成だけどさー。こんなやり方じゃ、しまらないだろ?」
「え、」
「俺がもっと良い方法教えてやるよ」

 その言葉に、ドキッとする。

「そ、それって、どういう――」

 言いながら、ほのめかされたその『方法』を『推理』して、私は頬を染めた。本当は、私だってもっと別の『やり方』を望んでいた。(キスして)(もっと抱きしめて)(心臓がドキドキして、二度と止まらないようにして――)

――で、でもね! そんなことしてちゃ、ダメなんだからねっ!!

 これから大切な御役目があるんだから――なんて、この期に及んでわがままな羞恥心を発揮している私に、サイトは、無造作に片手を突きだした。



 その手には、ワインが一本握られていた。



――……へ?

「さかずきを交わすって言ってな。俺の世界じゃ、仲直りはこうやるんだ」

 呆気にとられる私に、さらにどこから持ってきたのかマグを渡し、とくとくと注ぎ始める。……な、なんでこんなものまで……もしかして、さっきからずっと隠し持っていたの……?


 さすが突拍子のなさには定評のある私の使い魔だった。


「わ、わけがわかんないんだけど……こんなときに酒盛り?」
「そうじゃないって。儀式だよ。同じお酒を飲んで、諍いは水に流して、改めて縁をつなぐんだ」
「縁をつなぐ?」
「お互いのことを許し合って、認め合って、『身内』になるって誓うこと」
「身内……」

 私は、へえ、と陶製の器の中にたまった液体を見つめる。さすが、サイトの国。不思議な習慣があるのね……。
 そう納得しようとするけれど、どうにも違和感があった。

「ねえ、サイト。それって本当に――」

 ところがサイトは、どこまでもマイペースに、戸惑っている私には気づかない様子で言う。

「昔っからの伝統的な方法なんだ。喧嘩した同士が仲直りするときだけじゃない、他人同士が家族になるときもこれをやって誓いをたてる――」
「家族?」
「つまり、結婚式とかさ」
「え、」

 あっさりと言われた言葉に、杯を落としそうになった。

「こぼすなよ」

 素早くそれをおさえつけて、サイトは私にその杯をしっかりと握らせる。その手には妙に逆らえない力があった。私はされるがままになりながら、平静を装って(同時にほとんど失敗して)尋ねる。

「け、結婚式で、お酒を飲むの?」
「こっちじゃやらないか?」
「あ、当たり前でしょ。パーティならともかく、式では飲まないわよ。始祖の名の下に誓いを立てる神聖な儀式だもの――」

 ふと、私は祭壇を飾るステンドグラスを仰いだ。きらきらと降り注ぐ天使様の光。それから、そんな私をじっと見守るサイトの目。

「この世界では、誓いはキスでするの――」

 ささやけば、サイトは笑って頷いた。

「そうか。じゃあ、それもしなきゃな。日本流とハルケギニア流の両方で『仲直り』だ」

 それは、いままで見た中でいちばん優しい笑顔だった。

「俺達らしくて、いいだろ?」

 私は、声もなく、頷いた。



***



 戦争の最中だなんて忘れてしまいそうになるくらい、なにもかもが穏やかだった。私はもう不安も疑問も失って、言葉さえ使うことも忘れて、そのひとときに浸っていた。




 そして、そのときが来る。




 儀式、と言ってもふたりきりだから、ただ寄り添うことくらいしかできない。誓いの言葉だって適当で。それでも、ステンドグラスの光がふたりを照らすさまだけは、唯一、このおままごとを真実らしく見せていた。


「ルイズ。いいか?」


 優しい声に改めて尋ねられ、私の中の『恥ずかしがりや』がまた、はにかんだ。つい、目を伏せた拍子に、手にしたままだった杯に気がつく。

――そういえば、まだ口もつけていなかったわね。

 お酒が入っているくらいがちょうどいいかもしれない。――私はその暗い水面を覗き込んでも、もう先程の違和感なんて思い出しもしなかった。

「ね、先にこっちにしましょう」
「え?」

 私が杯をちょっと掲げて示すと、サイトはすこし困った様子になった。

「かまわないでしょう? なにかまずい?」
「いや、そんなことはないけど……」

 口ごもる彼に私が訝しむと、不意に表情を切り替えて、に、と笑う。

「『あーあ、またアオズケかー』って思ってさ」

 わざとらしい口調に、私もわざと澄まして答えた。

「そんなんじゃないわよ」
「へん、そうだろ。どんだけ俺が『マテ』させられてたと思ってんだ」
「あら、本当にしてないでしょ。その、大抵は。――だいたいいつも、そっちがひとりで気を回していただけじゃない」

 なんて可愛くないセリフで応酬しながら、私は杯に口をつけた。杯を傾け、満たされたその液体をゆっくりと口の中に流し入れる。
 ぼそぼそと言う、サイトの声がかすかに聞こえていた。

「……ほんと、そうだな。俺にもようやくわかったよ。俺がどんだけここで気を揉んだって……結局みんな勝手に決めて、勝手に行っちまうんだ……だったら……」

――サイト……?

 私は、かすかな戸惑いとともに、口の中のワインを飲み込んだ。






「…………」






 ふと見ると、サイトはぼうと突っ立ったままだった。
 私は笑いながら、促す。

「どうしたの? サイトも飲んで。そういうものなんでしょう?」
「あ、ああ、うん――」

 やがて目をつぶって、自分の杯を傾ける。その様子をじっと見つめながら、私ももう一度自分の杯に口をつけた。片手でそっと、胸元の彼にもらったペンダントを握りしめたまま、そのときを待つ。
 そして――、
























 サイトが杯から口を離すのと同時に、私は不意打ちのキスを贈った。






























 最後のキスを。



















(手からこぼれた杯は床の上で、かしゃん、と軽い音を立てて壊れた。)











*** しにたがりなるいずさん 7の4 ***











(「ルイズ――……」)


 身のうちから響いた声にならぬ声に、私も声を出さずに囁き返した。

――バカね。こんな弱い薬じゃ、効かないわよ。

 そして、口の中にわずかに残っていたワインを床に吐き棄てる。それから、胸元のペンダントを痛いほどに握りしめて、眠気を払う。
 そう、長い間の習慣で、私の体にはすっかりこの手の薬に対する耐性がついていた。逆に、私が彼に口移しで与えたのは、モンモランシー特製のアレだ。
 きっと夢も見ないで眠り続けるだろう。

 そう思いながら、崩れ落ちる少年を抱き留める。

――……最初から気づくべきだったわ。サイトが私にお酒を飲まそうとするなんて、普通に考えたらアリエナイんだから。

 それにしても、どうしてサイトは気づいたのだろう。命令書はしっかり隠しておいたのに、と不思議に思いながら、私は床に散らばった破片で傷つかないように、すっかり寝入ったサイトの体を支える。

――……重たい。

 よっと勢いをつけて脇にどかした。


(――鼻をかすめる、少年の匂い――)


 それから、床に落ちていた祈祷書を取り上げる。手にしたとたん、それは風もないのにぱたぱたとめくれ出した。求めてもいないのに、そこに記された無数のルーン達がきらきらと光を放つ。

 かわいいものね、と思う。それは小さな子供が声をあげるさまに似ていた。

『みて、みて!』『ほら、ぼくをみて!』『ぼくはこんなことができるよ!』『こんなにやくにたつんだよ!!』
『だから、みて!』『ほめてよ!』『ひつようとしてよ!』『すてないで!!』

 そう、ずっと彼らは私に訴えていた。自分の有効性を。私の可能性を。……きっと、そうして私を生かそうとしてくれていたんだろう。
 私を守ろうとしてくれていたんだろう。

 でも、もう遅い。

――ごめんなさい。はやく次のご主人様を見つけてね。

 指輪を外し、本とともにサイトの懐にしまう。手を離せば、輝きはとたんに失せた。


(――外には、竜をつれた青年――)


「やあ」

 外に出ると、傍らに愛騎を従えて、気の良い中隊長がいつかのように手を挙げた。

「ルネ」

 私がその名を呼ぶと、にこにこと笑いながら尋ねる。

「どうだい? 仲直りはできたかい?」

 視線をそらす。

「……わからないわ」
「なんだい、冴えないなぁ」

 ぼやく彼に、私は用件を告げた。

「ねえ、お願いがあるの。これを、陛下の元までお返ししてくれないかしら。とても『大切なもの』なのよ」

 すると、あらかじめ知っていたみたいに、竜騎士の少年はあっさりと頷いた。

 すべてを託した竜はすぐに己の翼を広げると、音もなく空へ舞い上がる。私は、地上に取り残されたちいさな一粒となって、それを見送った。


(――竜が――でも――)


 ……それから、馬に乗って再び移動した。目的の場所にはすぐに着いた。すこしだけ実家のあの練習場所にも似ているその丘で、私は馬を放つ。どこへなりとも自由に生けるように、と。
 私のためになにかが命を落とすなんて、あってはいけないことだから。


(――正しい理屈。けど、なにかが間違っている――)


 私はささやかな物思いを振り払うと、己のなすべき役目に立ち戻った。
 丘の上でひとり、杖をタクトのように構える。待ちかまえる七万の『聴衆』に向けて。













 それは不思議な感覚だった。

 いつもなら唱えるほどに失い、放つほどに無くなっていくはずなのに。
 今はただ、失うほどに満ちていく。無くすほどに増えていく。
 身のうちはあたたかく。私を包む世界には、ただのひとつの足りないものなどなくて。

 そして――――――、


















(私は満ち足りた夢の中でその声を聴いた。)

























(「――ごめん、ありがとう、さよなら」)
















< 第一部・了 >










 とぅびー、おあのっととぅびー








[11047] しにたがりなるいずさん 番外編
Name: あぶく◆0150983c ID:adac3412
Date: 2011/05/23 01:01


 月のきれいな晩だった。






*** しにたがりなるいずさん 番外編 ***






 大陸屈指の景勝地にして偉大なる精霊の住み処、『誓約』のラグドリアン湖は、双月の加護の下、侵しがたい静寂に満ちていた。
 湖畔では、慈悲深き女王陛下の誕生日を祝し、各国の賓客を集めての大園遊会が催されている。けれど、国の威信をかけた連夜の馬鹿騒ぎも、この偉大な存在を揺るがすことはできないらしい。
 そよ風にさざ波立つ水面を、蒼の月が竜鱗の如く輝かせる。水際に連なる奇岩の一群を、紅の月が赤銅色に照らしだす。
 その岩場の陰にある浅瀬で、私はひとり、素足を遊ばせていた。
 姫様の暇つぶし相手にと招かれたものの、当の幼なじみはお呼ばればかりで私は置いてけぼり。かといって、ひとり気ままに過ごすには、あそこには“親切な”人達が多すぎて。妙ににこやかに話しかけてくる年上の貴族達を避けているうちに、いつのまにかこんなところにたどり着いていた。
 でも、どうせならもっと早くにこうしていればよかった、とも思う。こっそり持ち出した外国産の珍しいぶどうジュースを飲み、ぱしゃぱしゃと水際を蹴っていると、気分もすこしずつ上向いていく。

――そうだわ。せっかく誰もいないんだから、魔法の練習でもしましょう。

 いい思いつきだ。なにせ屋敷を出てから一度も詠唱をしていない。普段なら半日は練習にかけているのに。……きっと調子が悪いのもそのせいね。
 私はジュースを岩場に置くと、いそいそと杖を取り出した。ついで、静寂の邪魔をしないようにと小さな声でルーンを唱える。

「……デ……ル……ス……」

 その間も、足首に触れる水のやわらかな誘いが心地よい。無粋な爆発が水面を揺るがせば、より大きく打ち寄せて肌にまとわりつく。不思議な布に触れられるような、独特のくすぐったさに、私は知らず知らず笑っていた。
 もしもこのまま歩を進め、全身をこの冷たく優しい衣に包まれたなら、どんなに気持ちいいだろう?
 幾たびも波を招きながら、うっとりと思う。

――そう、つま先から頭のてっぺんまで、水の腕に優しく抱きしめられながら、静かに沈んでいくの。深く、深く。そして……、

 背中から吹く夜風がワンピースの薄い裾をはためかせ、そっと私を促した。身のうちでふくらんだ想いに引かれるまま、一歩。舞台に踊り出るプリマのように、二歩、三歩。裸の足を踏み出す。そして、あと一歩。水の色が変わる――月明かりも照らしえない深みに至る――そのときだった。

「そこでなにをしている」

 低い声に、ぎょっと身をすくませた瞬間、私は無様にその一歩を踏み抜いていた。
 ざぶん!と落ちて、つま先から頭のてっぺんまで一気に冷たい水に包まれる。思っていたよりずっと激しい水の愛撫に、背筋が震える。
 気がつけば、喉の奥底まで一息に水が入りこんでいた。ごぼっと音を立てて、空気が吐き出される。ごぼ・ごぼ・ごぼ、とあふれる、泡・泡・泡。水面に向かうそれを、ぽかんと口をあけたまま見送る、その私の顔を、白い布が覆った。スカートの裾だった。落水の勢いが強すぎて、めくれあがってしまったらしい。私は(後になって思えばなんとも馬鹿げた羞じらいにかられて)それを押さえこもうと手を動かした。けれど、裾はその努力をあざわらうようにさらに広がる。
 わたわたしていると、のびてきた手に襟首を掴まれた。

「……どんくさい娘だ」

 的確な表現とともに、強い力で引き上げられる。勢いでキュと襟が絞まるものの、一瞬でそれはほどけてしまい、放り出された先は、ごつごつと素っ気ない岩場の上。手足をつく。
 生きている……。
と、落胆するひまもなく盛大にむせる。肺の底まで這入り込んでいた水が、無理やりに出て行こうとしていた。意思の力で引き留めようにも、胸が鼻が喉が熱くて痛くて苦しい……。

 ……うぅ。

 ようやく治まったころには疲れはて、弱々しくうなるしかできなかった。みっともなくも岩場に這いつくばったまま、溺死はなるだけ避けよう、と心に決める。だって――たしかにその瞬間は心躍ったし面白かったけど――窒息ってけっこう苦しいんだもん。

――苦しいのは嫌だわ。

 そんな意気地なしを、そのひとはじっと観察していた。
 そういえば、そもそもなんで、こんなお節介を受けないといけないのかしら? 不満と疑問を抱えながら、手元にかかる蒼い影をたどる。そして私は、はっと息を呑んだ。そこに立っていたのは――、



 びっくりするほどかっこいい紳士だった。



――うわぁ……。

 思わず感嘆しながら、まじまじとそのひとを見つめる。
 こちらが岩場にへたり込んでいるせいもあって、その背はずいぶんと高く感じられた。年は、お父様よりもいくぶん若いくらいかしら……?
 にもかかわらず、その立ち姿には、公爵である父に勝るとも劣らない威厳があった。私が一目で気に入った男性的で整ったお顔も、高貴なご身分の方らしい無表情のまま、その裡の思考や感情を示すものは一切ない。
 ひるがえって私の方はといえば、さぞかし間の抜けた顔をしていることだろう。どうしてかわからないけど、一目見たきり、まったく目が離せなくなっていた。不躾と知りながら、ついまじまじと見つめてしまう。それほどに、心惹かれている。魅入られている。……ほんと、どうしてなのかしら?
 私は再び、はっと気がついた。

――そっか! 私ってメンクイなのね。

 思いがけない発見だった。いえ、実を言えば13年ばかし生きていて薄々気づいてもいたけれど――こうもはっきりと自覚したのははじめてだわ。あんがい、自分のことってわからないものねぇ……。

 なんて、のんきにバカなことを考えている私を、そのひとは変わらず、昂然と見下ろしていた。その背から照らす蒼の月が奇妙に眩しい。

――こんな狙いハズレの『釣果』に、なにを考えていらっしゃるのかしら……?

 そんなことを思いやって、ようやく我に返る。
 かえりみれば、私はびしょ濡れだった。頭から全身ぐっしょりと濡れて、薄地の布は透けて肌にピタリとはりついている。おかげで、私の幼稚な体つきが丸わかりだ。

――……どうしよう、はしたないわ。

 居たたまれなくなった私は、そそくさと逃げ出そうとした。
 ところが、呆気なく捕まってしまう。再び襟首を捕まれて、軽々と持ち上げられる。じたばたと足を動かそうにも、濡れた裾がまとわりついて自由にならない。まるきり、釣り上げられた魚だった。
 けれど、そんな醜態は気にも留まらないようで、そのひとはしげしげと私の顔を眺めた。蒼い瞳――まるで真昼でも暗い、湖の深いところみたいな。
 いままで出会ったどんなひとよりも印象的なその眼差しに、私は思わず動きを止めた。

「それで、お前はこんなところで、なにをしていたのかね?」

 改めて問う声は優しげだ。吊り下げられたまま、私はおずおずと答える。

「まほうのれんしゅうを、しておりました」
「水の中でか?」
「……音がひびきませんから」

 答えながら、そっと上目遣いに伺う。
 間近に向き合えばなおのこと、その畏き身分は明らかだった。瞳と同じ色をした髪と髭も、どこかで見たことがある。きっとこの園遊会のどこかの会場で。

――でも、あんまり気にしなくていいみたい……。

 少なくともこのひとは、私に社交界的な礼儀作法など求めはしないだろう。それはその、印象的に非人間的な眼差しを見れば、すぐにわかった。

 やっぱり、釣り上げられた魚、その程度。

 で、その『魚』のなにがこの高貴な方の興味を引いたのか。いつのまにか私は「まほうのれんしゅう」の実演をすることになっていた。
 逆らえず、浅瀬に戻って杖を構える(あの騒動のあいだも、まだ手に握ったままだった)。一方、そのひとは頭上の岩場に無造作に腰掛け、ご観覧。
 視線がものすごく気になったものの、ひとまず私は杖に意識を集中し――なるだけ遠くめがけて――ルーンを唱えた。唱えたのは『錬金』。いつも通り、どん!と空気が爆ぜる。飛沫が顔にかかって、冷たい。
 そして……それだけだ。見せ物にしてはあまりに呆気なく、つまらない。無言の間に、もういいのかと思って杖を仕舞いかけたとき、そのひとは言った。

「――発声はいいが、タイミングが悪いな。練り込んだ力を切り換えるタイミングがすこし早い」

 突然の魔法指南。でも、指摘はもっともだった。私は言外に促されるまま、改めて杖を構えなおした。慎重に力を練る。
 それから、幾たびか実践と指南が繰り返された。発音の間違い、ささやかなクセ、ルーンの解釈、そういった諸々について、そのひとは明確な指摘と的確な指導を与え、そして、

「ああ、それでいい」

 しまいに、バリトンの張りのある声が告げた。

「詠唱も力の込め方も杖の振り方もタイミングも、なにひとつ問題はない。なにもかも、完璧だ」

 謳うようなその声と同時に、あたりには爆発で舞い上がった水しぶきが、ザアアア、と盛大な音を響かせている。いつも通りの爆発。にわかの雨を頭からかぶりながら、私は小さい頃の水遊びを思い出していた。……ちょっと楽しい。
 笑っていたら、見咎められた。

「なにを笑う?」

 なにを? 一瞬、真剣に悩んでしまった。楽しかったからか、嬉しかったからか。

――強いて言うなら、その両方かしら……?

 いまだにおさまらない波に足をとられながら、思う。
 今まで、ここまで導いてくれた人はいなかった。教師達はたいてい、途中でいなくなってしまった。最後のひとりもそう。はじめは本当に熱心に教えてくれたけど、私が今と同じくらいきちんと詠唱できたとき、無言で去ってしまった。直すべき箇所も直すための方法も教えてくれず。両親には、私の無能は永遠の宿痾だと告げて。
 だから、最後までつきあってくれて、本当に助かったし嬉しかった。ただの一度も成功したことがない私にも、これが『完璧』なんだってわかったから。
 『完璧な詠唱』、その結果が相変わらぬ『失敗ばくはつ』であっても。……それは、まあ、どうでもいいっていうか。
 いまさら、そんなことに期待も絶望もしない。

 私は水面をぼんやりと眺めた。遠くに二つの月が映っていた。

――今度はあれをねらってみようかな?

 不意に寒気が走って、くちん、と小さなくしゃみが出る。ずぶ濡れのまま夜気にさらされたせいだろう。肩を震わせていると――なぜか体が勝手に移動して、いつのまにか岩場に戻っていた。(……魔法?)ぽかんとしているうちに、上着が差し出される。

「あ、あの――?」
「着なさい、風除けくらいにはなろう」

 こんな立派な御召し物を汚すわけにはいかない、と思ったけれど、断ることもできない。ぶかぶかの夜会服は、肩に羽織ると、お父様のみたいな上品なコロンと高級な葉巻の匂いがした。
 汚さないよう精一杯気を遣いながら、促されるまま、そろそろと向かいに腰を下ろす。

「飲むといい」

 差し出されたグラスは黄金色の液体で満たされていた。

「私、おさけはあまり――」

 食前酒くらいしか飲めないと断ると、彼は不思議そうに、例のジュースの入っていたボトルを示した。……『練習』していたときに見つけたらしい。ちょっと恥ずかしく思いながら、答える。

「それはぶどうジュースですわ。甘くて、ふわっとしてて、とってもおいしいんです」
「……ふむ」

 彼はすこし面白がるような顔をすると、唐突にゲルマニアの話を始めた。
 なんでも、ゲルマニアの北の方ではあまりの寒さに、枝に生った葡萄の実がそのまま凍ってしまうことがあるそうだ。そしてその凍った実からワインを作ると、独特の甘みを持った逸品になる。その飲み口はすっきりとしているが、酒精が多分に含まれており、気づかぬうちに酔いが回るので、ゲルマニアの貴族などはよく女を口説くのに使うらしい――。
 などと語る、端正な声質に私が聞き惚れていると、そのひとは小さく嗤った。

「まあいい。実は連れに置いていかれてな、少々時間を持て余している」
「はい」
「ここで出遭ったのも奇縁だ。すこし付き合いなさい」

 そうと言われて、否やはない。再度渡されたグラスを受けとり、私は彼と向き合った。けれど、

「……なにをいたしましょうか?」

 親子ほどに年の離れた相手の暇つぶしになりそうなことなんて、思いつかなかった。それで素直に尋ねれば、相手は意外なモノを求めてきた。私の話が聞きたい、と。

「私の……?」
「ああ。おしゃべりは嫌いかね?」

 からかうように尋ねる声はとても優しく、甘やかだった。

――……まるで、このお酒みたい……。

 私は熱くなる顔を隠すように、そそくさと杯を傾けた。
 いただいたお酒は、先程のジュースよりもずっと甘くて濃かった。腐りかけた果実のような、濃厚な蜜の味がする。一口飲むたびに頬は赤くなって、濡れた体もぬくもって――……おいしい。
 調子に乗ってさらに杯を重ねれば、月が煌々と輝き、腰かけた岩場もふわふわと湖上に浮かぶ――なんだか全てが楽しくなった私は、目の前の方にふふふと笑いかけながら、おしゃべりを始めた。
 この園遊会のこと。忙しいおともだち。宴席で見かけた大人達のいろいろ。参加したかった珍しい催しもののあれこれ。
 ……やくたいのない話だ。なのになぜか、そのひとは熱心につきあってくれた。こんな風に男のひとに話を聞いてもらったことのない私は妙に嬉しくなって、どんどん饒舌になった。同時に、話の内容もどんどんとりとめがなくなる。
 ここに来るまでに通った土地のこと。道々に見た風物。農民達の不思議なふるまい。郷里の人々。お屋敷の作りと、自慢の美しい庭。使用人達の勤勉さと堅苦しさ。それから、一緒に住まう家族のこと。
 領民に愛される父。使用人達が崇拝する母。学院で首席になった優秀な長姉。その彼女が、この園遊会のためにドレスをこしらえたときの、ちょっとした笑い話。
 それから、それから――だいすきなちいねえさまのこと。

「ちいねえさまは、お体がとてもよわいんです。だから、領地のそとにでることもできないし、まほうだって使ってはいけないの。でもね、ちいねえさまはいつも笑っているの。すごいでしょう?」

 ふふふ、とどこかでだれかが笑っている。無邪気ににこにこと笑いながら、お話しをしている。私はそれをどこか遠いところで聞いている。

「お美しくって、おやさしくって、いきものの世話がとてもおじょうずで――森のどうぶつもけがをしたら、ちいねえさまのところにやってくるの。そして、ちいねえさまは、そういうこたちをみんな治しちゃうのよ。ね、すごいでしょう? すごいでしょう?」

 我が事のように勢い込んで自慢しながら、その実、なにを話しているのか、だれに向かって話しているのか、わからなくなって、私は空を見上げた。ああ、そうか。きっとあの蒼い月に向かって話しているんだわ――。
 だから、それに向かって笑いかけた。

「私ね――」

 か細い声が夜に飲み込まれていく。

「あのひとのようになりたかったの」






 水を打ったような静寂に、私は我に返った。

――……あれ? えーっと……なにを話していたんだっけ?

 首を傾げたものの、継ぐ言葉も出てこない。だから代わりに視線を巡らせて、ぼんやりと対岸を見つめた。
 この湖は国境なので、あの辺りはもうよその国になる。なんて土地かは知らないけれど、きっとこちらと同じように、あそこにもたくさんの人が住んでいるだろう。けど、今は灯火のかけらも見えない。虚ろな穴のようなぽっかりとした闇が広がるばかりで。

 双月を抱いた水面だけが、奇妙なほど明るかった。

 もっとよく見ようと立ち上がると、肩から上着がずり落ちた。重石のとれた体がふらふらと前に進み、岩場の先から湖を覗く。そのまま頭から、くるり、とさかさまに落ちる。暗い水の奈落へ。どほん!!と沈み――始めるよりも早く、またも襟首を掴まれて引き上げられた。

――……レビテーション? それともフライかしら?

 なんとなくどちらも違う気がしながら、私は顔をあげた。前髪からしとどに滴る水越しに、再びあの眼差しを見る。

「不満そうだな。そんなに死にたかったか?」
「!」

 直截で不躾な言葉に、全身からさっと血の気が下がった。

「ち、ちちちちがうわっ!」

 あわてて叫べば、上擦る声。ずぶ濡れの曇った視界の中で、男が嗤う気配がする。なにが違う?と。そんな相手の態度に、私はますます必死になった。

「ちがうったら、ちがうの! そんなんじゃないのっ……そんなんじゃ……そんなこといっちゃだめなんだからっ」

 ぶんぶんと大きく首を振り――そのせいでくらくらしながら――訴える。

「だめなの。だって、そんなこといったら、ちいねえさまが……ちいねえさまは、いつもごびょうきで苦しんでいらっしゃるの……でも、笑っていらっしゃるの……だから……だから……そんなこと、いっちゃだめなんだから……っ」

 かすれた声で、あえぐ。

「……そんなこといったら……きらわれちゃう……」

 がくがくと膝が震え、吐き気がこみ上げる。全身が震えていた。なのに、金縛りにあったみたいに動けない。寒い。濡れた体に張りつく服が気持ち悪い。でも、どうしたらいいのか、なにをしたらいいのか――なんでこんなに怯えているのか――なにもわからないまま、ただ無様に震えている。

 ……それでも、もしも。もしも、だれかが手をのばして、この濡れそぼった体を抱きしめてくれたなら。或いは、この凍りついた頬をひとつ叩いてくれたなら。そうすれば、私もこんな風に震えるだけじゃなくて、もっと別のことを思い出していたかもしれない。別の……たとえば、そう、泣き方とか……。

 けれど、そのひとは何もしなかった。きっと、だからこそ、何もしなかった。
 ただ、おとなげなく笑った。

「小さいな」

 呵々と笑う。

「小さい、小さい。なんとちっぽけな悩みだ。卑しくみっともない性根だ。くだらん」

 朗々たる声で容赦なく切り捨て、それから言った。

「だが、わかるぞ」

 蒼く濁った瞳が私を覗き込む。

「ああ、そうだ。いるな。どうしようもなく、いるな。ただそこにいるだけで、どうしようもなくこの身を苛むものが。なにをされたわけでもなく、なにができるわけでもない。ただ見るたびに、聞くたびに、胸が張り裂けそうに痛んで。たしかに愛おしいのに、そばにいるだけで息もままならぬ。苦しくて、気が狂いそうなほど苦しくて、あまりの苦しさに、もう愛しているのか憎んでいるのかさえわからない」

「そういうモノがいるんだよな」

 笑う。笑いかける。その笑みの前には月さえ霞むようで――私は声を発することもできなかった。

「……ふむ」

 やがてそんな私を見限ると、彼は視線を転じた。遠く彼岸を見つめる。先程の私のように、何もないそこを見つめながら独りごちる。

「そうだな……確かにそういう道もあった。お前のようにすることもできた」

 その横顔を、見入る私の背を、沈黙する湖面を風が渡っていく。

「愚かな話だ」






「なあ、『死にたがり』の娘よ」

 しばらくして掛けられた声は、びっくりするほど優しかった。

「そう思い悩むな。いつか必ずお前の願いは叶うだろう。お前が死ににいくことを皆が認め、お前の死を誰もが望む、そんな瞬間は必ずやって来る」

 確信に満ちた口ぶりで、ひそやかに笑い、言い放つ。

「そのための舞台を、俺が作りあげてやろう」

 きょとんとしていると、優しく目を細めて、私の頭に手をのばした。

「だから、それまで良い子で待っていなさい」

 まるで幼い子にするようなそのしぐさに、頬が熱くなる。思わずへたり込んで、その手から逃れていた。ごつごつとした岩場に手がついて、ちょうど最初に出遭ったときの構図になる。
 その姿勢のまま混乱する頭を抱えていると、彼が言った。

「……美しいな」
「?」

 聞き間違いかと思って顔を上げれば、そのひとは私のブロンドを示した。

「濡れた髪に紅の月が映えて、まるで、血を被ったようだ」
「え――」

 その瞬間、ぐにゃりと世界が歪んだ。ア、と身構える間もなく、硬い岩場も、まばゆい月明りも、奈落のような水面も、なにもかもが渦巻き、私を飲み込んだ。
 ふだんの貧血を、ずっと酷くしたようだった。熱と悪寒に震える頼りない体に、喉をせばめる吐き気と、意識を失う直前のとろけるような陶酔が一緒くたにこみ上げる。なすすべもなく、翻弄される。けれど、そこには恐怖と嫌悪よりも、不思議な安堵があった。
 混濁した意識が、私にあることをささやく。まるで啓示を受けるように、私はそれを思い出す。

――ああ、そうだわ。ここは……。

「……どうして……」
「うん?」

 かすれた声が、無意識に尋ねていた。

「……どうして……やさしくしてくださるの……?」

 そのひとが、笑いながら答える。

「なに、たいしたことではないさ」






 蒼の月を従えて、蒼髪の美丈夫が笑う。『誓約』の湖のほとりで。









「俺には弟がいた。それだけのことだ」









*** しにたがりなるいずさん 番外編 ***









 鐘が鳴っている。
 大きな鐘が打ち鳴らされている。
 だれかがお弔いの鐘を打ち鳴らしている。
 それを私は棺の中で聞いている。


 鐘楼の直下に寝かされて。


――……ちょっと、しんかんさま……。

 なによこの位置は、と思わず棺の中で眉間に皺をよせる。ありえない。巨大な金属製の鐘のゴォオンゴォォンという音が、棺を越えて私の腐りかけた小さな頭まで揺らしている。というか、これはもう頭の中で鳴っていると言っても過言ではないわ……。とってもうるさい。ほんとうにうるさい。あまりにうるさくて、三回続けて言いたいくらい。

――うるさいうるさいうるさーいっ!!

 せっかく死んでいるのにこの仕打ちはないんじゃない、と私がうなったとき、

「あら」

 涼やかな少女の声がした。

「やっと目が覚めたのね、ルイズ。もう、おねぼうさんなんだから、」
「…………」
「ふふふ、起きていないフリをしたってダメよ。ちゃんとわかってるんだから!」

 爽やかな声のだめ出しが、鈍い頭に突き刺さる。目を覚ますならオーク鬼の唸り声の方がよかった、と思いながら、私は鬱々と瞼を押し開いた。
 とたんに、眩いほどの室内の灯りが脳髄を刺し、悲鳴をあげる。あわててもう一度、目を瞑った。……まるで吸血鬼ね。(――あの亜人達はちょっと眩しい光があれば死ねるって本当かしら。うらやましい――)
 今度はさらに慎重に、ゆっくりと薄目を開ける。

「おはよう、ルイズ。もう晩だけど」
「…………………………………………アン」

 朝日のように明るく笑う友の姿に、私はすぐさま枕に顔を押し当てる。
 すると、ひんやりとした手が額に触れた。

「ルイズ?……だいじょうぶ? やっぱりお医者様を呼びましょうか?」

 心配そうな声にいつものように首を振りかけたら、また鐘の音が頭いっぱいに響いた。今度ははっきりとした苦痛とともに。

「ルイズ――」
「だ、だいじょう……ぶ……」

 苦痛を堪えながら発した声は、声というより、その絞りかすみたいだった。

「でも――」
「……おねがい……それより……おみず……」
「わかったわ!」

 明るい声がグサリと脳天に突き刺さった。ひゃう、と思わず息を呑む。

――わ、わざとなの……?

 再び薄目を開けて伺えば、幼なじみはいそいそと杖を振って、空中から水を精製するところだった。コップいっぱいになみなみと、あふれるばかりの真水が差し出される。
 さあ、どうぞ……って。
 苦労して、こぼさないように口をつける。すこし頭を起こしただけで酷い痛みに襲われ、また悲鳴をあげた。金槌で頭を、脳漿が飛び出る勢いで殴られたみたい――しかも忌々しいことに実際に出ることはない――唸りながら枕に顔を埋めると、アンが笑いながらコップを取り上げる。

「ほかにはなにかいる? 子守唄でも歌いましょうか?」
「……アン」
「なあに? 遠慮しないでなんでも言って」

 その口調に、私は疑いを確信に変えた。

「……どうして……そんなに……たのしそうなの……?」

 友は悪びれもせずに、笑った。

「だって、ルイズがこんなに参っているとこ、初めて見たんだもの」
「……」
「二日酔いって大変なのねえ……」

 しみじみと呟きながら、私が寝るベッドのふちに腰掛ける。というか、そもそも彼女のものなのだけど。両親に見つからないように、匿ってもらっているのだ。
 ふとあることに気づいて、私はゆるゆると彼女の方へ首を巡らせた。

「アン……もしかして……おこってるの……?」

 迷惑かけちゃったものね……と反省していると、アンは視線を泳がせた。

「そ、それは――」
「どうしたの……?」
「だって、ルイズったらひどいわ。ひとりで湖に行っちゃうなんて! 私も行きたかったのに――」

――……そっちか。

 なんでも、私は昨晩(もう、おとといかしら?)ひとりで湖に遊びに行ったあげく、ちょっとお酒を過ごして帰ってきた……らしい。というか、本当は覚えていないんだけど。
 ちょっと熱も出たらしく、一日寝込んで、気づいたらこんな状態だったのだ。

――覚えてないことを責められてもね……。

 むしろ、どうしてこんな目に遭わないといけないのか。私だってだれかに八つ当たりしたい気分だわ。でも……たしかに姫様の暇つぶし相手はまともにできていないし……。

「……行ってきたら、いい……」
「え?」
「……どうせ、ここにいるから、私が、身代わりに……」

 身代わりに寝ているからこっそり抜け出せばいい、という意図は、なんとか伝わったらしい。ぱっと明るく笑う彼女に、私は再びゆるゆると頭を枕に戻した。そこへ――、

「ありがとう、ルイズ!」

――ヒィッ!

 感謝の叫びとともに、抱きつくアン。……い、いっそ、絞め殺してくれないかしら……。
 二日酔いの頭を盛大に揺らしてくださりやがったおともだちはそのまま、いつのまにか育った胸を私に押し当てながら、くすくすと笑ってささやく。

「ねえ、ルイズ。あなた、まだお酒くさいわ」

――う、うるさいってば……。

 眉間に皺を寄せると、ようやく離れてくれた。ていうか香水、あんなに使ったのに……。いったいどんだけ飲んだのよ、と私は私をお酒漬けにしたおとといの私を罵る。
 一方、その間に、いそいそと身支度を始める幼なじみ。バタバタとクローゼットを開け閉めする音が、追い打ちのように響いた。ああ……もう……。

――……わたし、どうしてこんな目にあってるのかしら?

 訝しむけれど、役立たずの頭痛に邪魔されて、なにも思い出せなかった。というより、なにか思い出そうとするたびに、甘い濃い香りが思考を霞ませて……。

――……まあ、いっか。

 きっとたいしたことじゃないわ、と早々に諦めて、毛布をたぐり寄せた。亀が甲羅にひっこむようにその下におさまる。アンが、メイドの目を誤魔化すために髪を染めて――、とか言っているけれど、無視する。

「じゃあ、ちょっと行ってきますわ」
「ええ。いってらっしゃい」

 言ってから、ちょっと考えて付け加える。

「――よい夜を。きっといいことがあるわ」

 見えないところで、彼女がにっこりと笑った気配がした。



「ありがとう。じゃあ、ルイズも――」








 どうか、よいゆめを。








< 了 >









 あなたににたひと――someone like you



















以下、あとがきを少々








以上、この番外編含めて『しにたがりなるいずさん』第一部は完結です。
皆様、ご愛読ありがとうございました。
死にたがりルイズのひとつの幸せな結末のかたち、いかがでしたでしょうか?

ずいぶんと時間がかかりましたが、これで作者的には一区切り……のつもりです。
ちなみに第一部完!と銘打つと、どうしても某バスケ漫画が思い出されたりするのですが、
一応、第二部のプロットも書きたい気持ちもまだありますので、いつか戻ってきたいと思っています。
しかしその前に……ずーっと放置していた『夏休みの宿題』的なやつがあるので、そろそろそっちを進めようかと……正直ちゃんと書けるのかどうか、自分でもわからないのですが……。

このところ、書けば書くほどにSSの書き方からわからなくなってきているので、
もし物語の感想だけでなく、文章や構成上、気になった箇所がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。

何卒よろしくお願いいたします。



ではでは




(230523)


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