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[19315] 【チラ裏から】扼神八波の厄介事体験記【オリジナル・コメディ?】
Name: 黒条非日◆42027da6 ID:0d323c6d
Date: 2011/05/18 09:31
板移動しようと思ったらミスって消えた。
指摘頂いていた皆さんには申し訳ありません。本当にすいませんでした。
……何故か新規で投稿できなくなったので、前作を借りた上で更新させて頂きます。
まぁ、実際この作品を下敷きにした作品ではあるのであながち間違いでも無いんではないかなと。

えー、この作品は応募目的で書かれた物ですので、皆さんの忌憚ないご意見、ご感想をお待ちしています。どうぞ宜しくお願いします。
尚、もらった指摘に関しましては、続きを上げつつその部分を修正させて頂きます。

キャラが弱い。文章が拙いなどいろいろと問題点はあり、理想郷における皆様方の肥えた目には些か、と言うより結構なお目汚しとなるとは思いますが、少しでも楽しんで頂ければ幸いで御座います。



[19315] 田中君の世界考察
Name: 黒条非日◆42027da6 ID:0d323c6d
Date: 2011/05/18 11:37
田中君の世界考察








全く、世界はなんでこんなに退屈なのか。平凡な高校一年生―田中次郎は、朝のHRで何となくそんなことを考えた。

――次、山田~いるか?

――はーい

代わり映えのない日常だ。何時も通り日は昇り、何時も通りのサイクルを繰り返す。
グレートな先生も居ないし、支持率98%の生徒会長も居なければ、十三までの組もない。
家の銅鏡をたたき割ったところで、行けるのはパラレル三国志ではなく、爺さんによる説教部屋だ。
全く持って、世界は退屈だ。

――小林~

――うぃ~

使いすぎて暴走する力も持ってなければ、かといって魔法が使える道具が落ちている訳でもない。
落ちれば変な効能がある温泉もたぶん無いし、絵本の中から凶暴化したキャラは飛び出さない。
全く世界はどうしようもない。

――菊池

――おっす!

時を止めれるメイド長も居なければ、知っていることだけは知っている委員長も居ないし、何の理由もなく人を殺す殺人鬼も居やしない。
池袋では黒バイクは走らないし、ポストだってしょっちゅう飛ぶ訳じゃない。
はてさて、どうしたものだろうか。

――佐藤ー

――はっ!

空を走るギアも無く、女たちの王国もない。
バチカンにはきっと対化物機関はないし、ロストグラウンドはニードレス。
ファミレスには常識的な店員が一杯だ。

――則巻!

――ほっほほーい!

――返事はハイだ!

――ほーい!

家の蔵からは、妖怪を縫い止めた槍は見つからないし、たこ焼き好きな魔法使いも存在しない。
剣も魔法も架空の幻想。ぶち壊してくれるような右手は残念ながら誰ももってくれちゃあいない。

「田中!」

「……ハイ」

呼ばれて返事を返す。
我ながらこんな事を考えながら返事が出来るのは割と凄いな、と次郎は思う。
そのまま手は机の中に。中には何時も通り本が入っている。
これだけが日常から逸脱した世界を垣間見せてくれる。

創作、想像、妄想。そう呼ぶことは簡単だけど、それを簡単に語って欲しくはない。
何故ならソレは新しい世界を作ることと同義だからだ。

この世界では、戦闘機のエンジンを組み込んだバイクなんて物は俺の知る限りでは存在しないし、あっても俺なんかじゃそいつで壁には突っ込めない。
俺は残念ながら銃使いではないし、国家特別銃取締局も無い。
無い無い無い無い、何もない。
在るのは今までとこれからだけ。望んでも漫画や小説のような展開は有り得ない。
敷かれたレールは逸脱しないまでに多岐に別れて俺の目の前に広がっている。
なぁなぁに生きて、それとなく満足して死んでいくんだろうなと夢も希望もないことを思う。

――あぁ、今日も糞ッタレなくらい世界は平和だ。

そう、次郎は思っていた。このHRの終わりまでは。








「それじゃ、コレでHRは終わりだがお前らに一つビッグニュースだ。なんと! 今日から転校生がこのクラスに来てくれることになったぞ!」

担任がニヤニヤと笑いながら、楽しそうに生徒に告げる。教室全体がざわめき出す中、次郎だけは話に耳を傾けながらも、騒ぐこともなく本を読み続けていた。

大体にして、転校生がなんだというのか。そんなモノには一ミクロンの興味も存在しない。閉鎖空間に入って赤い玉になれるって言うのなら話はまた別だが。

そんなことよりも今は本の続きが気になった。
白黒の世界で色を取り戻しに旅立った一人の少年の紡ぐ幻想。
まぁ、マイナーすぎて誰も知らないのだろうが、ソレはソレで優越感に浸れるのが本読みの性だ。

「喜べ男子諸君! 転校生は女子だ!」
『おぉ~!』
「よし! それじゃ入ってこい、神威」
「!?」

名字を聞いて、次郎は初めて本から目を離した。その顔には訝しげな表情が張り付いている。未だかつて聞いたことのない名字だ。
そして、入ってきた少女を見て次郎は更に驚愕を深めた。

窓から入る風に、銀糸が涼やかに靡く。
こちらを見る目は両方とも色違い。しかも金と銀のオッドアイとは何の冗談だろうか。
その相貌もまた異質だった。人形のようななんてありふれた表現じゃ誰も納得しないだろう。
鼻梁はスッと通り、唇は艶やかな赤い色をしている。透き通るような白い肌がソレを更に際立たせる。

クラス全員が男女問わず見とれる中、次郎だけは心底信じられないと言う眼で彼女を見ていた。

――銀髪オッドアイとか、普通にいて良い人間じゃないだろう!

そんな内心も虚しく、誰からのツッコミも入らない。
一人狼狽する次郎を置き去りに、彼女は黒板に向き直り、チョークで名前を書いていく。

『神威零那』

――字面格好良すぎだろ!

頭痛がしてきたような気がして、次郎は額を抑えた。
一体全体なんだというのか、騎士と書いてナイトと呼ぶほどじゃないが、コレはコレでキツイ。

「神威零那(かむいれいな)と言います。ヨロシクね?」

零那はクラス全員を見回して、ニコッと笑った。

小林に100のダメージ!
山田に100のダメージ!
佐藤に100のダメージ!
菊池に100のダメージ!
以下省略。
パーティーは全滅した!

――気づけば、教室内の生徒は次郎を残して全員が赤面して下を向いている。

「オイオイオイオイオイオイオイ」

異常事態、此所に極まれり。担任でさえ気まずさげにそっぽを向いて顔を赤くしている。
35歳既婚者の筈だが、ソレは不味いのでは無かろうか。
担任の家庭の不和と、教育者の犯罪事件に思いを馳せていると、前方から視線を感じる。

そちらに目を向けると、神威がこちらを驚いたように凝視している。
何を驚いているのか、驚いているのは俺だろう、と疑問を眼に現すと、神威は再びニコリと笑う。
それに次郎は曖昧な笑みを返す。正直何故笑みを向けられたのか分からなかったからだ。
誠に残念ながら、平々凡々とした己の容姿に興味を抱かれる事など、深見真がガンアクションと同性愛ものを止めるぐらいに有り得ない。
悲しい現実から逃避し、また本の世界に潜り込む。現実は何時だって残酷で、幻想は何時だって美しい。

本を読み始めた次郎は気付かない。
目を離した後も神威は興味深げな視線で彼を見ていたことを。
――そして、ソレを見ている男子生徒の殺意を帯びた視線にも。
時には気付かない方が幸せなこともある。その典型的な例だった。








時間をすっ飛ばして既に放課後。次郎は鞄に道具を詰めながら人知れず溜息を吐いた。
溜息の原因は転校生。別に彼女が何をしたという訳でもない。ただ、見ているだけでも疲れたと言うだけだ。

体育の授業をしてみれば、100mを十一秒フラットで走りきり、息も切らせぬその姿からは手加減しているのが丸見えだった。
蘊蓄好きな教師が出したシュレディンガーの猫って分かるかの質問には完璧に答えきる。
小テストをすればオール100。どこに文句をつければいいのか分からない完璧超人ッぷりだ。

自分とのえらい違いに、トラウマになりそうだ。
100m=13秒後半。
シュレディンガーの猫=名前だけは知っている。
小テスト=オール70。
神様ってのは存外不公平らしい。否、きっと彼に与えられた才能は、平凡で在れという物だったのだろう。

再び溜息。鬱だ、死のう――とは流石に思わないが、今日はもう帰って寝たいようなそんな気分だ。
席を立つ。もう疎らな教室内、鞄を持って出口に向かおうとすると、何かがハラリと落ちた。

「ん?」

落ちたソレを次郎は手に取った。どうやら手紙らしい。
裏を見ると名前が書いてある。

――『田中次郎君へ』

「俺?」

自分の名前が書いてある手紙。もしや、コレが今や廃れつつあるラブレターという物なのだろうか。
自分で考えて、ソレはないなと笑い飛ばす。

自分宛の手紙なら、見ても咎められる事はない。そう思い、次郎は手紙の封を開いた。
折りたたまれた紙を、一抹の期待と、多大な好奇心で開いていく。

『ちょっとお話ししたいことがあります。もしよろしければ屋上まで来てくれませんか?』

内容はそれだけ。そして書かれた差出人の名前は――。








「で、何か用事でもあるのか? 神威」
「用事が無ければ呼ばないよ」

それはそうだと、次郎は納得したように頷いた。しかし、ソレにしたって何の用だろうか。
勉強は教えられないし、逆上がりは俺も出来ない。お薦めの本を教えてと言われても、ラノベを勧めるのは気恥ずかしい。
取り留めもなくそんな思考を走らせると、神威が次郎に微笑みを向ける。

本日三度目。顔に何か面白い物でもついているのかと思って手をやるが、特に何もついていない。
顔の作りが面白いってのなら、残念ながら対処は不可だ。整形費用をくれるって言うのなら考えないこともないが。

神威に目を向けると、何かを考え込んでいるようだった。
考え込むのは良いが、用件を早く話してもらいたい。
辺りは既に逢魔時。ありふれた表現では在るが、まるで血のように赤い夕日が沈んでいく。
何となく眺めていると、前からの衝撃に押し倒される。

「何だ!? 敵襲か!」
「そうよ! 敵襲よ!」

押し倒した犯人に目をやると、揺れる銀髪。そもそも二人しかいないのだから当たり前だ。
俺のモテ期か、コイツの発情期か。どちらかは分からないが、押し倒されたのは人生初だな、と次郎は感慨に耽ってみる。

視界の端に襤褸が過ぎる。
ちょっと視線を上げると、随分色白な足が見えた。理科室の骨格標本に似ている足だ。ちゃんとご飯を食べているのか心配になる。

視界に顔を映そうと更に目線を上げてみれば、其処にはガリガリに痩せて頭蓋骨が見えている何かの姿。
どうやらご飯はあんまり食べていないらしい。

「えーっと、Hello?」
「GAAAAAAAAAA!!」
「暢気にやッてんじゃないわよ!」

吠えられた。英語はお気に召さなかったらしい。唾が飛んでくるかと思いきや、飛ばない。と言うか、唾液を出せる訳もない。
異文化交流を試みていた次郎に、怒鳴り声と共に浮遊感。ついで衝撃。神威に投げ飛ばされたらしかった。
一言文句を言ってやろうと、辺りを見ると其処には、鎌を構え、襤褸を纏う暫定外国人。
それに対する、銃剣を両手の指に挟んで持つ神威。なんだ貴様は、どこの第七位かと突っ込もうとするが――。

「エェェェェイメェェェェン!」

――違った。神父様の方のようだ。
投げられた銃剣は狙いを違う事無く襤褸を貫いた。
しかし、骸骨は堪えた様子もない。元々隙間だらけなので、銃剣はその隙間を貫通しただけらしかった。
骸骨は空気さえも断つかのような勢いで、鎌を袈裟懸けに神威へと振り下ろす。
神威が何処かから再び取り出した銃剣を交差させ、受ける。
横薙ぎ、唐竹、切り上げ、逆袈裟。骸骨は次々と鎌を振るっていく。
それを神威が受ける、受ける、受ける。
金属のぶつかり合う甲高い音が、屋上に鳴り渡る。ぶつかり合う度に暗くなった世界に火の花が咲いていく。
目にも止まらないというのはこの事を言うのだろう。次郎に分かるのは残響した音だけで、その軌跡を見ることは叶わない。

戦いは、始まりも唐突ならば、終わりも唐突だった。
遂に受けきれなくなったのか、神威が右手の銃剣を取り落とす。

「――あっ!」

ニヤリと骸骨が笑ったような気がした。
そのまま骸骨は鎌を大上段に構え、振り落とそうとするが――。

「――なんてね♪」
「!?」

落とした銃剣を、神威が蹴り上げる!
寸分違わず、その刃は額へと突き刺さった。仰け反る骸骨に好機を見た神威はそのままの勢いで――。

――斬!

宙にクルクルと白い頭骨が舞う。夜空に浮かぶ頭骨はまるで月のようだった。
ただ、顎を落としたその顔は間抜けでもあったのは否めないが。
月が屋上に落ち、霧散する。地に残っていた身体ももう跡形もない。
残ったのは少年と少女だけ。

「――アレは何だ?」

少年が少女に問いかける。
クルリと、本物の月をバックに神威が振り向いた。
月光に輝く銀の髪は、昼間見たときよりどこか幻想的だ。

「別に何でもないわ。強いて言うならアレもあたしね」
「?」
「あたしは、あんたたちの夢よ」
「???」

ピピピピ。電波を受信中。とりあえず早急にすべきことは人一人包める大っきい絆創膏の用意だった。
こういう人種は下手に刺激してはいけない。次郎はとりあえず話を聞くことにした。

「あたしは、この世界に現存する全ての漫画やアニメの技や技術を使えるわ。そう望まれたから。
さっきの化物もその弊害ね。敵がいなきゃそもそも技が使えないし、だからああいうのが出てくる
あたしに倒される為だけにね」
「ほう。なるほど」

――痛い痛い。

「あんたたちは分かっていないかも知れないけど、存外そう言う設定の主人公もキツイのよ。
似たような設定がその世界にあれば叩かれるし、パクリだろ―とか何とか。
それにあんたたちに分かる!?
パソコンで初めてSSを見て自分の存在に絶望したあたしの気持ちが!? 滅茶苦茶叩かれてんじゃないのよ!!」
「ふむふむ」

――あいたたたた。

「世界間は普通に渡れるけど、それも結局、創作物の世界限定だしね。
二次元と三次元の世界を本当の意味で超えたのはきっとあたしが初めてじゃないかしら」
「マジでか」

――こっちが悶死しそうな話だ。

「――そう言う訳で、世界間を超えられる私は全厨二主人公の代弁者としてこの世界に来た訳なのよ」
「そいつはスゲェ! マジぱねぇッス、先輩」
「でしょう! あたしの使命は全人類から厨二病罹患者を根絶すること!
これ以上哀れな厨二病主人公を増やさない為に、やるわよ―!!」
「ウイッッス! 影ながら応援させて戴きます、先輩! ……で帰って良いッスか」

そろそろ付き合っていられなくなった次郎が本音を漏らす。
それを聞いた神威が不思議そうな顔をして次郎を見返した。

「は? 何言ってんのよ? アンタも手伝うのよ?」
「why?」
「アンタ可笑しいのよね。あたしが微笑んであげても何も感じなかったでしょう?」

随分上から目線の台詞だった。
微笑んであげてもって、美人ではあるがそれだけ。分不相応な高嶺の花は望まないのが吉だ。

「まぁ、大して」
「でしょう!? ニコポが効かないなんて初めてだわ。希少種か何かなのかしらねぇ?」

――そこ、問いかけられても。

人を檻の中の白ライオンか何かに向けるような眼で眺めるのは、正直止めて欲しかった。
ひとしきり次郎を眺めて、納得したように頷くと神威は次郎の手を掴んで引っ張り上げた。

「うおっ!? 何だ、何をするつもりだ神威!?」
「ん~? 零那で良いわよ。許可してあげる」

――何様のつもりだコイツは。

そのまま神威――零那は、屋上を走り出す。次郎も引っ張られ、半ば引きずられるようについて行く。
その先には――勿論何もない。あるのは、柵だけだ。
加速加速加速。止まる気はどうやらないらしい。
人生終了のアラームが鳴る。電波ちゃんと屋上から投身自殺。今までの人生からは有り得ない、劇的な死に方だ。
滅茶苦茶強い力で掴まれているので振り解けない。迫る柵。近づく死。遠ざかる平凡な人生。
BGMは天国と地獄。つい最近まで知らなかった曲名だが、運動会で多用されている。
死ぬ間際に聞くには、些かアップテンポだが曲名的には相応しい。

遂に柵まで一メートル。激突か飛翔か。出来れば激突希望。
そんな次郎の思いを無視して、零那は最後の一歩を思いっきり踏み込んだ。

――アイキャンフライ。

地上の重力を置き去りにする。
直ぐに追いつかれて、今までずっと一緒に過ごしてきたマイラバーに熱烈なキスをかます羽目になりそうだ。

――?

何時になっても衝撃はこない。恐る恐る目を開けると、目の前には目も覚めるような美貌。
――まぁ、ニヤニヤと笑っているので魅力は半減だが。

「何、ビビッてんのよ~? あたしが空ぐらい飛べない訳無いでしょう?」
「マジでか」

……薄々感づいては居たが、さっきの話はマジらしい。
空まで飛ばれると信じない訳にもいかない。
お姫様だっこをされながら次郎は深々と溜息を吐いた。

「アンタ、珍種っぽいからねぇ。気に入ったわ、今日からあたしの助手ね!」
「……勘弁してくださいよ」
「さぁ、行くわよ! 目指すは全人類非厨二化!」
「聞こえないですか、そうですか」

溜息を吐いて次郎は身体から力を抜いた。抵抗は全く意味をなさないようだ。ノイズキャンセリング機能搭載らしい。
お姫様だっこというかつて無い屈辱と、濃度の濃い一日に完璧に次郎は参ってしまっていた。
月に目をやる。何時もと代わり映えしない、普通の月だ。今はそれが憎らしい。
自分の世界は、かつて有り得ないほどに変わってしまったというのに、他が変わらないというのはどこか納得いかない。
最後にまた溜息を吐いて、次郎は目を閉じた。この感覚に身を任せるのも今日は悪くない。

「……はぁ、全く持って――」

――世界は思い通りにはならないようだ。























2.



世界は俺程度じゃ左右されない。
少年――田中次郎は心底そう思う。

自分が死んだ程度じゃ、悲しむのは両親と、三つ下の妹ぐらい。
クラスメイトは葬式には出てくれるだろうが、悲しんでくれているかと言えば、そんなことはきっと無いだろう。
自分が死んでも世界は滅亡しないし、他の人間を犠牲にしてまで生き返らせてくれる人間も居ない。
誰も弔いの砲撃をぶっ放してはくれないし、閻魔さんの処に怒鳴り込んでもくれないだろう。

世界は廻り続ける。所詮、一部品が欠けたところで、どうにかなる訳でもない。
ましてや、それが自分の様な代替がいくらでも可能なTHE・一般人では尚のことだ。

――世界は人程度じゃ左右されない。

次郎はそう信じていた。次に目を覚ますまでは。









「……」

爽やかな朝だった。鳥の囀りと朝の日差しが気持ちいい。
運命のあの日、とでも言えば良いだろうか。神威零那が転校してきてから早二週間が過ぎていた。
どうしようもなく振り回されると思いきや、そんなこともなく何の問題もなく今日までの時が過ぎていた。

今では、実はアレは夢だったのではないかとも思う。
きっとそうなのだろう。骸骨の化物も、空を飛ぶ少女も全ては脳内の幻だったのだ。

軽く伸びをして、居間へと歩を進める。
其処には両親と妹がいて、朝ご飯でも食べているのだろう。
新聞を見ながら飯を食べている父と、半分寝惚けながらパンを囓る妹が目に映るようだった。

居間の前についてドアを開く。其処に待っているのは何時も通りの光景で――

「あー」
「ちょ、待て! 止めなさい、響! あっ、次郎良いところに! 助けてくれ!」

――は無かった。
何とも名状し難い光景ではあるが、端的に言えば――

――新聞を持った父が、妹に齧り付かれている。

次郎はとりあえずドアを閉め、眉間を揉んだ。
イメージ映像と些か違っていたが、概ねの方向性に間違いはない。
二度深呼吸する。欲を言えば顔を洗いたいところではあったが、洗面所は居間の向こうだ。
居間を通らずして、顔は洗えない。
再び、次郎はドアに手を掛けた。開ければ其処は何時も通りの世界に違いない。
そして次郎はドアを開ける。その先には――

「あー」
「あー」

――増えてた。
二人とも虚ろな表情で、こちらに両手を突き出し、ノロノロと歩いてくる。
次郎は顔を引きつらせて、ドアを叩きつけるように閉めた。
父親にぶつかったような声がしたが気にしない。
階段を駆け上がり、自分の部屋に飛び込み、鍵を掛けた。

一体全体どういう事態なのか。朝起きたら家族が変になっていた。あの調子だと母も駄目だろう。
あーあー言っているに違いない。
そこでふと思いつく。

――コレって家だけの現象なのか?

急いでパソコンを立ち上げる。パスワードを入れる手間までも惜しいくらいだが、焦りすぎてもしょうがない。
立ち上がったパソコンをすぐさまネットにつなげる。
最新のニュースを見るといかにもヤバ気な記事が一つ。

『全世界同時バイオテロか!?』

恐る恐る開いてみる。報道動画が始まる。

『ニュースを御覧の皆様! 落ち着いて聞いて下さい! そしてこのニュースを見た後は決して家からでないようにお願いします!」

切羽詰まったような声音で、女性レポーターがカメラに向かい、声を上げている。
周りには厳つい装備の兵士がスタンバイしている。

『今、世界中で謎の症状が蔓延しています! 御覧下さい! アレが罹患者です!」

カメラがそちらに向けられる。其処に居たのは虚ろな表情で呻いている人間達。
その数十人の罹患者が手を突き出し、ゆっくりとカメラに向かって歩いてくる。

あくまで元民間人。軍隊も発砲は許可されていないらしく。ノロノロ動く集団を取り押さえるので精一杯だ。
しかし、そうは言っても数が違う。一人を取り押さえている兵士に向かい、何十人かが群がっていく。
画面の向こうで兵士が何か騒いでいる。だが、人数が多すぎて誰も助けに行くことが出来ない。
そして――

『あぁっ!』

リポーターが悲痛な叫びを上げる。兵士が全身を囓られている。
暫くすると気が済んだのか、一人また一人と罹患者達が離れ、カメラへと再び向かう。

『は、速く逃げないと!』

徐々に近づく彼らに、リポーターが焦ったように声を上げた。しかし――

『か、囲まれてる!?』

――些か遅すぎたようだ。
何処かから現れた大量の罹患者に、既に兵士達もどうすることも出来ない。
狭まる包囲網。リポーターが恐怖に顔を歪める。これから待つのは悲惨な運命だけだった。

『イヤァァァァァァァァァァ!!!!』

――ブツン。
カメラが壊されたらしく、画面には砂嵐が走っている。ザーザーと流れる雑音に一抹の恐怖を覚えた。
ゾンビか、ゾンビなのかと次郎は最近、癖になりつつある頭痛が走る頭を抱えた。

――ドン!

飛び跳ねるようにして振り向く。連続してドアが叩き続けられる。
向こう側にいるのはきっと元家族達だろう。少なくとも味方では無いはずだ。
とりあえずいそいそと次郎は学生服に着替えた。
聡明な画面外の諸君は、そんなことをしている暇ではないだろうと思うだろう。
しかし、もしコレが壮大なドッキリニュースだった場合や、日本での罹患者は家の家族が初と言うことになると、次郎は猫柄のパジャマを衆目に晒すことになる。

――それはないわ。

思春期の少年として、次郎は断言した。それはない。そんなことをしたら次の日あだ名が物凄いことになってしまう。

だんだんドアが悲鳴を上げ始める。壊されるのも時間の問題だ。
窓を開け、屋根に移る。幸いなことに近くに良い感じの木が立っている。
その木を伝い、とりあえず地上に降りようとすると、遂に部屋のドアが破壊される。
緩慢とした動きで動く父と母。妹はと言うと――

「ああああああああああ!」
「おわぁ!?」

――ダッシュである。
長い髪を振り乱し、手を前に突き出したままこちらに走り寄ってくる。
正直な話、ビビリまくり次郎は飛び降りるようにして庭に着地する。
急いで上を見ると、妹はこちらを見てその場に佇んでいる。どうやら飛び降りることは出来ないようだ。

降りるにしても時間が掛かるだろうが、用心して走って家の外に逃げる。
門の外に出ると、その先に広がっていたのは――

「あー」
「あーあー」
「あーあーあー」
「あぁぁぁぁああ」

――it's crazy

街自体は何時もと何ら変わることはない。見慣れた世界そのままだ。
しかし、街の住人が異様すぎる。視界に映る全ての人間が両手を突き出し、呻き声のフルコーラス。
バスからソプラノまで、全ての音があーあーあーあー言っている。イッツ、シュール。

――ピピピピピピ。

携帯電話が電波を受け取る。こんな時に暢気に電話が出来る人間がいるとは驚きだが、蜘蛛の糸の可能性にかけ、液晶を覗く。

『神威零那』

何となく口元が引きつった気がしたが、とりあえず電話に出る。

『ハローハロー? 聞こえてますかぁ~?』
「聞こえてるよ! というか、無事かお前?」

近くの路地に隠れ、小声で話す。あのゾンビはどうにも音か何かに反応している節があるからだ。
ついでに安否確認。あんなのでも一応女の子だ。心細くて不安になっている可能性も――

『無事も何も、絶好調よ! 今ならあのアーカードさえも殺しきれるッて位のハイテンション! 最高にハイって奴ね!』

なかった。と言うかこんな日に異様なハイテンションだ。遂に頭の螺子が吹っ飛んだのかと心配になる。
そこで次郎の脳裏で何かが閃いた。疑念を挟む余地もなく、むしろどこか確信を抱いて、聞く。

「……お前、この騒ぎに一枚かんでいないだろうな」
『へ?』

惚けたような声を上げる零那。その意外なことを聞いたかのような声音に、次郎が疑ってしまったことに対する罪悪感を抱いた直後に――

『――何、寝惚けたこと言ってんの? 噛んでるって言えばそりゃあガチガチに噛んでるわよ。むしろ主催?』
「は?」

次に惚けた声を上げたのは次郎だ。主催? この女は何を言っているのか。
そんな次郎の状態を見ているかのように、零那は得意げに説明し始める。

『あったり前でしょう? 私の目標を忘れたの? 全厨二撲滅よ、ぼ・く・め・つ。でね、十日ぐらい前にふと思いついたのよ』
「……何を」

頭痛が酷くなってきた気がする。これ以上話を聞く気もしないし、家に帰って眠りたいところだ。
だが、それも許されない。帰ったところで妹か両親に囓られ次郎もゾンビの仲間入り。話を聞かなきゃ物語も進行しない。

――強制イベント発生!

つまりはそう言うことだ。

『いや、いちいち厨二とそれ以外を見分けるのも面倒だからね? もう人類滅亡させちゃおうかなって』
「なんと」

――コイツ、実はバカだろう。

そう思うが突っ込めない。今や世界はコイツの手のひらの上。
下手なことをして機嫌を損ねると、バッドエンディングを見ることになる。
それにしても、めんどくさいから人類滅亡とは、何ともスケールのでかい女である。

『で、傘マークの製薬会社と協力して出来たのが、今世界中にばらまいてるウィルスなのよ。名前はT2―ウィルス』
「バイオテロしてんじゃねーよ!」
『特筆すべき効果としては、肉体を仮死状態にして、そのままで動き回ること。そして噛まれると他の人間に感染すること。後は――」

相も変わらず、人の話を聞かない奴だ。得意げに症状を解説するのに耳を傾けていると、家の方向から父の声が大音量で響いてきた。

――か~め~は~め~波ぁぁぁ!

『一定の期間で発作が起き、自分の黒歴史を晒すっていう恐ろしい効果があるわ』
「鬼か、お前は!?」

子供の頃やってしまった父の姿を想像し、物悲しくなる。
軽く道路の方を覗くと、同じように発作がきたのだろう。

――霊丸!

――螺旋丸!

――卍・解!

「…………」

不覚にも涙が出てきてしまう。だって男の子だもん。
いくら何でも可哀想だが、別にやってると認識していないのだからまだ良いだろう。
公衆の往来で、こんな姿をさらしていたとなれば軽く自殺物だ。

「おい、零那。お前今どこにいる?」
『ん~、学校。誰もいないけどね。まぁ、高みの見物って奴よ』
「この惨状を元に戻す気は?」
『皆無!!』

とてつもなく良い返事に若干イラッときたが、今はそんな場合でもない。次郎は一つの提案を彼女にすることにした。

「――賭をしよう」
『……へぇ。どういう賭?』
「俺がお前の処まで無事辿り着いたら、世界を元に戻す。駄目だったら俺はゾンビ」
『……』

零那は思案するように黙り込む。そもそも彼女にメリットがない賭だ。乗ってくれるかどうかから既に賭の領域である。
しかも、乗ってくれたところでこのラクーンシティ並みにゾンビが溢れる街中を俺が無事に学校まで辿り着けるかどうかも問題だ。
ハラハラしながら次郎が答えを待っていると、電話の向こうで零那が口を開いた。

『……OK。乗ったわ。その代わり負けたらアンタは一生私の奴隷ね♪』
「……了解」

――後は俺次第か。

同じ舞台には乗せてやった。これからの展開は次郎次第。
世界に待つのは、滅亡か回帰か。

――今、世界の運命は一人の少年に委ねられた。











3.



「「「ああぁぁぁ!!」」」
「うあぁぁぁあああ!!?」
『なんかすっごい愉快な声が聞こえてくるんだけど?』
「喧しいわ!」

緊急事態、緊急事態。
はっきり言って怒鳴る暇さえ惜しいのだが、しかし電話口の先のこの騒動の仕掛け人に、次郎は怒鳴らずにはいられなかった。
現在進行形で中学生のゾンビ集団に追っかけ回されている。
何がヤバイかというと、他のゾンビと違って走るのだ。しかも結構な勢いで。

「何でゾンビの速さに個体差があんだよ!?」
『ん~? あぁ、その走るゾンビね? それ、ゆとりゾンビね』
「そんなゾンビ初めて聞いたぞ!」
『風情も糞もないゾンビなのよ。まさにゆとり。そもそも様式美ってモノを理解できてないのよね。
ゾンビが走れば格好良くね? っていうその発想が既に頭悪いわよね。
ゾンビってのは迫り来る恐怖の体現だと思うのよ、私は。だけどそいつらってば――』
「どーでもいい」

訥々とゾンビについて語り始めたバカを止める。何か思い入れでもあるのだろうか、コイツは。大体にして自分もゆとり世代だろうに。
しかしながら、存外走りながら喋るというのは疲れる。御陰でゾンビに追いつかれそうだ。
もしかしてコレも策略なのだろうか? それなら中々の策士である。
しかし、次郎も莫迦ではない。携帯の電源を切れば済む話だと思い、電源を切ろうとするが――。

『だが断る!』
「電源切れない!?」
『ハッハー! まさか切れるとでも思ったのかい、次郎君? 甘い甘い。まるでコーラに砂糖一袋を足したような甘さだね!』
「何で切れないんだよ?」
『其処は、不思議パゥアーと言わせてもらいましょう』
「頼むから死んでくれ」
『だが断る!』

余りのウザさに辟易として、携帯を地面に叩きつける。コレで声が聞こえなくなると思うと清々――

『はろー? ねぇ、わざわざ携帯叩き壊したのに、私の声が聞こえてくるってどんな気持ち? ねぇ、どんな気持ち?』
「コイツ、うっぜー」

忍び笑いが聞こえるのが気に障ってしょうがない。
息切れが酷くなってきている。後ろのゾンビ共に囓られるのも時間の問題だった。
その時だった。街の電気屋、点きっぱなしのテレビから流れてくるのは往年の名曲。

『スリラー』

『や、ヤバイ!?』
「は?」

零那が焦ったような声を上げる。
走る音が何故か止まった後方を振り向けば、一糸乱れぬ整列を見せるゾンビ達。
俯き気味に動きを止めて、首を小刻みに振り始める。
それは正に――

「――スリラー……!」
『あぁ! あんたたち何やッてんのよ―! 早くコイツを囓り倒しなさい!』

叫ぶ零那の声にも、聞く耳も持たずに一心不乱に踊り続けるゾンビ。
完璧な振り付けにはもう格好良ささえも覚える光景だ。
しかし、魅入っていてもしょうがない。PVでも最後には襲われるし。
もう何か走るのも莫迦らしく思えてきた次郎は、ゆっくりと歩き始めた。

「で、なにゆえ?」
『ああー、あのバ科学者! 何が発明にも遊びが必要よ! 肝心のことが出来なきゃ意味ないでしょうが!』
「ぷっ」
『何笑ってんのよ!』

獅子身中の虫とはまさしくこの事だろう。どうやら身内に足を引っ張られたらしい。ざまぁ。
こんな事なら、いくら苛ついても携帯は捨てるべきではなかったと思う。スリラー流しまくりのイージークリアだったというのに。
後悔は先に立たず。歩いているゾンビから遠いところに音が鳴るように石を放る。
ガラスが割れて音が出ると、ゾンビはそちらに歩いて行く。やはり音に反応しているらしかった。
まぁ、そんなことはスリラーで踊り出したときに分かってはいるのだが。

『む、気付いたようね。ゾンビが音に反応するということを!』
「気付かない奴がいるのだろうか」
『うっさいわね! コレで終わりだと思わないで欲しいわ。本番はこれからよ!』
「さいですか」

やれやれとバカにしたように次郎が首を振ると、視界の端にまたゾンビが映る。

「なん…だと…?」

其処に居たのは全身を真っ赤に塗りたくったゾンビ。額にはプラススチックの角が付いている。
どうやら赤はペンキらしいが、角は作ってつけたのだろうか? しかしどこか見覚えのあるような配色と角である。

「すいません、目の前に変態、もとい真っ赤なのがいるんですが」
『シャ○専用ね。三倍よ』
「中に乗ってんのかよ!?」
『そうよ。MIBの一作目の宇宙人みたいに、顔の部分が開く仕組み』

中には小っちゃい少佐がいるらしい。シュールだ。
気付くと専用ゾンビがじっと此方を見ている。
仲間になりたい訳では無さそうなのだが、どうしたのだろうか? この距離なら声も聞こえないはずだし――

『あぁ、分かってないのかも知れないけど――』
「何が」
『三倍って全ての能力だから、聴覚もよ?』
「マジでか」
「「「ああああああああああ!!」」」
「うぉぉおぉおおおぉお!!?」

――逃走再開。どうやら学校まで走り続けることになりそうだ。















「はぁ、やっと着いた」
『キング・クリ○ゾン! 過程は吹き飛び、結果だけが残る!』
「じゃかしい」
『いやいや、まさか彼処でバナナの皮で滑るとか有り得ないし! 結局知能は三倍にはならないってオチなのね』
「お前が思考能力奪ったんだろーが」

突っ込んだ途端に、口笛を吹いて惚け始める零那に溜息を吐く。
もう家を出てから二時間経っている。何故歩いて20分くらいにある我が校に、六倍も掛けて走ってこなければならないのか。
あの後、会うゾンビ会うゾンビが個性的に過ぎた。

――裸に黒コートの、無数に身体を分かつどこか某教授に似たゾンビ。
――やたら右手で此方を殴りつけようとするツンツン頭のゾンビ。
――偽テニール船長etc.etc。

何を基準の配役なのか等々、疑問は尽きないが、何はともあれ終着点である。

見慣れた学校にはゾンビは誰もいない。逆に不自然ではあるが、さっさと元凶を探し出さないことにはこの異常な世界は終了しない。
校門をくぐり、玄関まで続く並木道を歩きだす。もう青葉が美しい季節だというのに、自分は何をやっているのかと少し悲しくなった。
しかし、人気が全くなく、物音一つしない学校というのも割と不気味な物である。
学校の怪談と言う物は、勿論何処にでもある物だが、何故学校が舞台なのだろうか。次郎は疑問に思う。

そもそも学校というのは、人に溢れる空間だ。
生徒、教師、事務員。種類としてはそんな物だが、しかしその人数は膨大だ。
学業がしやすいように光量さえも明るく設定されている空間で、何故独自の怪談という物が発生するのか。
一つ上げるとするならば、それは子供達の精神であるだろう。

学校というのは、明るいからこそ暗いところが目立つのだ。
階段、トイレ、倉庫。夜の学校などは常人でさえ恐ろしい。
日常からの逸脱とでも言えばいいのか。明るさの中の暗さというのは存外、子供の精神に影響を与えると言うことだろう。
だからこそ、『花子さん』や『十三階段』などの話が生まれるわけで――。

「た、田中?」
「え?」

益体も無く、学校という空間と、そこで発生する怪談の因果関係について次郎が考察していると、後ろから聞き慣れた声が聞こえた。
振り向くと、其処にいたのはクラスメイトの志波浩二(しばこうじ)。
何故か異様に苦しそうに右腕を押さえる志波に次郎は訝しげに目を細めた。

「右手、どうしたんだ。志波」
「に、逃げろ田中! 力の使いすぎで暴走しちまう! 右手がもう言うことを聞かないんだ!」
「…………」

『エ○ァ、シンクロ率200%…300%…よ、400!!?』
『ま、まさか……暴走!?』

暴走モード突入!
とりあえず大当たりが確定した。右手を押さえ苦しげに蹲る志波を、次郎は冷たい目で観察した。
発作にしては何かおかしいが、一体どうしたというのか。

『おっ! 出たわね、厨二! 見てなさい、次郎。こっからがこのウィルスの真骨頂よ!!』
「ふーん」
『反応薄いわよ』
「いや、もうどうでもいいや。どうせたいしたこと無いんだろ」

どうせ、銀髪になるとか、目の色が変わるとかその辺だろう。
そう高を括っていると、志波の身体に変化が現れた。
右手は溶け出すように、崩れはじめ、中から目玉のような物が出てきている。
胴体は盛り上がり、人間が作れる筋肉の限界を超えたかのようになっている。

唖然、呆然、当然愕然。
驚いて声も出ない状態というのを、次郎は初めて体験した。
顎が下がりっぱなしの次郎に、志波はゆっくりと右手を挙げていく。
どう好意的に見たって、ハイタッチやら挨拶やらの友好的な仕草ではないのは一目瞭然だ。

「――ヤベッ!」

振り下ろされる右手。次郎はその場から無理な体勢にも構うことなく、跳んだ。
後ろからとんでも無い風圧と、近所迷惑な轟音が鳴り響く。
自分でも引きつっているのが分かる顔で、恐る恐る振り向けば、無惨にも抉れた地面。
そして今までに無い程、グロテスクな元同級生。

「GUOOOOOOOO!!」

世界の中心で何かを叫ぶゾンビ。今年の映画賞を総ナメすること間違いなしだ。結局世界の中心が何処なのかは知らないのだが。
今日は走ってばっかりだな、と頭の片隅で思考して、三度、次郎は学校の内部へと向かって走り出した。

「おい! 志波がもの凄いことになってるぞ!? 何だ、あの森光蘭と戸愚呂弟を足して割ったような奴は!?」
『フッフッフッ! それこそが厨二病罹患者の最終形態。某ゲーム風に言うとタイラ○トよ』
「オイオイ」

一体何の冗談か。一般人Aぐらいの実力しかない次郎にこいつを倒せる様なスキルは皆無だ。
後ろから叫びを上げつつ追いかけてくる志波をチラリと横目で見て、頭痛の酷くなってきた頭を抑える。
走って、走って玄関を通り抜ける。志波は靴箱が邪魔だったのか吹き飛ばしながら次郎を追っている。
明日、校長が来たら卒倒すること請け合いだ。一体今からどれぐらい学校が破壊されるか分かったモンじゃない。

何処にいるのかもイマイチ分からない零那を探して、校内を走り続ける。
物的被害が徐々に凄いことになっているのだが、まぁ、命を大事に、だ。
溜まっている疲労がもう少しでピークなのだが、言ったところで聞いてくれる訳もなく、端から諦めていると、後ろから志波が何かを喋っているのが聞こえた。

「主人公の名前は鳴神鋼我。幼いときに両親をある組織に殺され――」
「……何か喋り始めたんですけど」
『発作ね。今回は自作小説の主人公の説明らしいわ。出だしが既に恥ずかしい気がするけど』
「もういっそ殺してやってくれよ……」

惨めだ。こんな時だけ口調が元に戻るのが何よりも惨めだ。
どうやら聞くところに寄ると、鋼我君は覚醒すると目の色が金色になり、人間以上の力を発揮するらしい。
あと居合いの達人で目にも見えない速さで剣を振るとか。微笑むと女の子が赤くなるとか。
武器は五尺の大太刀、名前は『鋼牙』、彼が生まれたときに一緒に打たれた為、名前を漢字違いにした兄弟のようなモノだとか。

……ネーヨ。
因みに補足ではあるが、大太刀に分類されるモノは基本的に刀身が三尺(約90㎝)である。
太平記という古典文学において出てきた一番長いもので九尺三寸(約282㎝)。
まぁ、上記の刀よりは些か現実的(笑)ではある。
しかし、その長さのモノで居合いというと、鞘からどうやって抜くのかはいまいち分からないが。そもそも重量が……。

「設定が痛いよ」
『あー! そう言うこと言っちゃ駄目でしょ! 本人は一生懸命なんだから!』
「お前は厨二病患者を撲滅したいんじゃなかったのか」
『そーいう問題じゃないの! 人情の問題よ! 後ろ見てみなさいよ!』
「――!?」

後方、志波が体育座り。
今の容姿でやられると、とんでもなく変な光景なのだが、その体からは言いようのない哀愁が漂っている。
……何か罪悪感を覚え、次郎は志波に声を掛けた。

「あー、何だ。アレだ、格好良かったぞ、お前の考えた主人公……」
「――っ!!」
「あっ、志波! 此所三階――」

階数にも関わらず、窓を突き破り逃走する志波。物凄い勢いで逃げていく。心なしか泣き声が聞こえる気さえする。
沈黙。ぶっ壊れた廊下に佇む次郎はこの上なく、ばつの悪そうな顔をしている。

『追い打ちかけるとか、鬼ね』
「言ってくれるな……」

零那の言葉が罪悪感にとどめを刺したような気がした。














もう辺りも薄暗くなってきている中、次郎は屋上に繋がるドアを開いた。

「お疲れー」
「あぁ、もうクタクタだよ」

暢気に笑いながら次郎に声をかけたのは、この騒動の仕掛け人。
計画が失敗したというのに、その顔に悔しがるような色は一切見えない。

「いやー、笑わせてもらった。良い逃げッぷりだったわ。感動した!」
「そんなことで感動されても」

ほぼ一日フルマラソン。今すぐ倒れて眠りたいところではあるのだけど、事態の収束が先だ。

「俺の勝ちだ。世界を元に戻してもらおうか」
「おっけー」
「は?」

多少なりごねるか、最悪反古にされることを覚悟していたのだが、零那はあっさりと頷いた。
右手をゆっくりと天に掲げ、指を弾く。小気味いい音が鳴った。

「はい、終わり―」
「簡単なんだな、随分」
「嘗めないでよ、これぐらい起床前よ」
「斬新な例えだ。と言うか、嫌にあっさりしてるけど何か企んでないだろうな」

次郎が不審げな声音で問いかける。この少女にしては嫌に聞き分けが良いのだが――

「まぁ、大体の目的は終了してるし」
「は?」
「此所だけの話、ゾンビ中の記憶は残るのよね」
「なんだとぉ!」
「まぁ、一般人は割とうっすら夢現状態なんだけど。タイ○ントやら、特殊系の奴はがっつりと」
「……じゃあ、志波は」
「可哀想にねぇ。っていうか、そもそも人類滅ぼす気は無いし。そんな事したら、素晴らしい創作物の数々が無くなっちゃうじゃない。
厨二は嫌いだけど、人間の想像力の素晴らしさは無くしちゃいけないでしょ。今日の騒動はあくまで余興よ。次郎の慌てる様子が見られて楽しかったわ―」

ニヤニヤと微塵も悪びれない口調で語る零那を横目に、次郎は脱力して座り込んだ。
深く深く溜息を吐く。今日一日の苦労はほぼ無駄に終わったらしい。
まぁ、結局こんなモノなのだろう。
一般人Aには、世界は変えられない。そういうことだ。
世界を変えられるのは、一部の力を持つ人間だけ。目の前のバカやら、次郎じゃ想像もつかないようなそんな人間だけ。
今日の騒動だって、人と一緒に起こしたモノには違いない。零那は主犯格ではあるが、共犯者もいるのだ。

――世界は俺程度じゃ左右されない。

それは間違いないだろう。
だけど――

――世界を左右するのは、人なのかもしれない。

目の前で笑う零那を見て、苦笑を零しながら次郎はそう思った。










――後日談。

世界は元通りになったが、人はそうでもないらしい。
妹はこっちを見つめて「美味しそう……」などと洩らすようになったし、父は妹を見ると怯える。
母は、父の黒歴史を見て何を思ったのか、滅多に見せない子供っぽさにときめきみたいなモノを覚えてしまったらしい。
最近、弟か妹が欲しくないか聞いてくるようになった。次郎としてはもう要らないのだが、とりあえずお茶を濁しておいた。

街じゃ、次郎を見かける度に赤面する奴がちょこちょこいる。主に○ャア専用ゾンビだった奴らとかだが。男に赤面されても困るというモノだ。
それと一時期、全国的に行方不明者が増えていた。中高生がほとんどなのだが、その中に志波もいた。
家族の話だと、家出して三日ほどの記憶がないらしい。気付いたら家の前にいたとのこと。
次郎の顔を見ると気不味そうだが、話せないほどではない。あのときの記憶はないようなのだが……。

「正直、何した」
「いや、死なれても困るし。それにしても、みんなして樹海にロープとか芸がないわよね。これぞ劇画っていう死に方は出来ないのかしら」
「お前がやれよ」

――と言うことらしい。
本人曰く、頻繁に行かれても困るので記憶は操作したらしい。
まぁ、ちゃっかり厨二退行予防策ははってあるらしいが。何かトラウマのようなモノにしてあるとか。
結局、計画は順調に進行中といったところだろうか。本人は満足げだった。

――と、次郎は事の顛末を思いだしながら、牛乳を啜っていた。
まだ、あれから零那が次の事件を起こすような様子はない。日常的に横で煩かったりするのだが。
どうやら学生生活を満喫しているようで何よりだ、と次郎はグラウンドで走り回る零那に目を向けた。
周りの生徒がソニックブームで吹き飛ばされているのは些細な問題だろう。きっと。
平穏がいつまで続くかは全く分からない。それも結局あいつの匙加減。次郎に決定権は皆無である。
最早、零那のことを考えるだけで痛みを訴える頭を無視して、次郎は空を見上げて一言呟いた。

「……カムバック 平穏」

――まぁ、無理な話なのは、彼にも分かっているのだけど。












4.


――『貴方たちには、今から殺し合いをしてもらいます』










――神様は、世界に居るのだろうか?

次郎はそんなことを考える。世界は神様で溢れている。
国があるところに神はいる――否、国産みの神話があるのだから、それは違うのかも知れない。神が居るところに国があるというのが正しいのだろうか?

しかし、それにしたって世界に神は多すぎる。
日本だけでも八百万。世界の神話を拾うとするのなら、その数は膨大だ。
それに、神は一柱だけとする宗教だって存在する。信じるべき物は一体どの神様なのか?
全く持って、ややこしくて分かりゃしない。

だが、神を人に伝えたのは誰なのか。それはまた人である。神話が伝承であるように、一神教の開祖が神の声を伝えるように。
と言うことは、もしかすると神は人の居るところにできるのではないだろうか?

――神が居て、国ができ、人が住む。

――国が建ち、人を呼び、神が創られる。

――人が居り、神を観て、国が興る。

神が先か、人が先か、国が先か。
鶏が先か、卵が先か。同じ事だ。

「…………」

――思考中断。事、此所に至って結論など出やしないだろう。鶏と卵の結論が出せないような人間には、難しすぎる内容だ。

今にも煙が出そうな頭を次郎は労るように触った。酷使しすぎて、脳に抗議デモでも起こされたら困りものである。
年中無休で稼働していてもらわないと困るのだ。労働基準法などガン無視だ。

結局の処、居る居ないが問題ではないのだ。
大事なのは、何をしてくれるかと言うことだ。神様が人間様に、どういう事をしてくれるのか。それだけが求めるところだ。
神様は何かしてくれただろうか? 
世間に流れる悲惨な報道の一つでも救えるのだろうか? 
飢餓と貧困をこの世から無くしてくれるのだろうか?

否、否、否、否、否である。
まぁ、現代日本に生きる次郎はそんなことを求めちゃいない。学生時代にありがちな、根拠のない猜疑と、反骨の末の極論だと思ってくれてればいい。
しかし、もし、もし神様が居たとして、それが何のアクションも起こさないというのなら――

――それは、この世界に必要なのだろうか?

無宗教を自認する次郎には、縋る先さえ必要ない。それなら彼にとって神とは居ても居なくても同じ存在なのだ。

結論――


――「居ても居なくても、俺には関係ない」









燦々と、鬱陶しさすら覚える夏の日差しを、次郎は屋上でその身に受け止めていた。
うだるように暑い。そんな中、何故わざわざ屋上なんて、無駄に日当たりの良いところにいるのかと問われると――。

「弁当と言えば屋上でしょう」
「どこで喰おうと味は変わらないだろ」
「あんたバカァ!? 雰囲気の問題よ、雰囲気の! 屋上があればそこで弁当を食べるなんてのは常識でしょう!?」
「すまんが初耳だな」
「コレだから次郎は……」

心底がっかりしたと言わんばかりの雰囲気を醸し出して、深々と溜息を吐くコイツ――零那の所為である。
毎日屋上まで引っ張られる方としては、正直堪ったモノじゃない。
楽しい昼時の筈なのに、何故こんな不快な汗をかかなくてはならないのか、不思議でしょうがなかった。
早く涼しいところに移る為に、次郎は黙々と箸を進めていく。
そんな中、いきなり零那が声を上げた。

「――そうだ!」
「なんだ、京都に行こうってか。それなら、土産は八ッ橋以外でお願いしたいな。正直飽きた。何かセンスの良いモノを頼む」
「そうそう。八ッ橋だけってのも飽きるわよね。ん~、センスの良いモノかー……。――ペナントと提灯で良い?」
「お前のセンスには脱帽だよ。絶望と言い換えても良い」

親戚にお土産で買っていって苦笑いされそうなセンスだ。今時集めてる人の方が珍しいと思う。

「やーね、褒めても何も出ないわよ? さーて、それじゃひとっ走り行ってきますかね――って、違うわ!」
「正直、土産の件は本気だったろ」
「そそそそそそそんなんちゃうわ」
「そうかい」

鎌を掛けてみると、普通に引っかかった。額に汗をかきつつ、目線は彷徨い、声はどもっている。
此所は流してやるのが優しさだろう。次郎にも人並みに良心はあるのだ。

「そうだってのは、あれよ。厨二撲滅の新たな一手を思いついたのよ!」
「次は何をする気だ、貴様。厨二対象のリアル鬼ごっことかか? 何にしても俺に迷惑の掛からないようにやってくれ」
「何よ。私がいかにもあんたに迷惑掛けたみたいな言い種ね」
「……」

コイツは知らないだろうが、最近コイツとこうやって飯を食うことで、他の男子諸君が異端審問委員会を創っている。
因みに、近場のイベントとして企画されているのは、田中次郎限定リアル鬼ごっこらしい。それはただのリンチだ、と突っ込んでくれる奴は誰もいない。
最近、割と命の危機をヒシヒシと感じているのだ。

「……で、一体どんなアホなことを思いついた」
「バトルロワイアルしよう」
「なるほど。良い脳外科医を知っている。紹介してやろ―か」
「頭は正常よ」
「精神はイカレてるけどな」

次郎が鼻で笑うと、鼻先を銃弾が通り抜ける。
いつの間にか、彼女の手には、13ミリ口径の対戦車拳銃『ドア・ノッカー』。
全く、どこの陸軍情報部第3課の隊員かと。
青ざめた顔で、もう一度鼻を鳴らし、次郎は両手を挙げた。

「――要求を聞こう」
「あんたの鼻の穴を六つに増やす事よ」
「それは、脅しに使うべき台詞だ」
「何? 後ろの穴増やして欲しいって?」
「すいません、自分ちょーしこきました先輩」

とりあえず土下座。プライドじゃ、命は買えない。
というか、その銃で撃たれたら、穴増えるどころの話じゃすまないのである。
人の頭を踏みつけ、恍惚としている零那に内心青筋を立てながら、問いかける。

「で、バトロワって何やるんすか? 先輩」
「卑屈ねぇ。プライドはないのかしら」
「プライドでお前が殺せるなら、考えなくもない」

本音を思わず漏らしたら、踏みつける力が強くなった。

「イテェ」
「大丈夫よ。砕けたら、新しい顔を焼いてあげるわ」
「パンじゃね―から!」
「私がパンと言えばパンなのよ」

何という暴王。次郎を見下し過ぎて、見上げている状態なのが滑稽だが。

「おい、儂の紹介は一体何時になるのじゃ」

誰もいないはずの屋上から、しゃがれた声が聞こえてくる。
そちらに目をやると、白いローブに身を包んだ老人。蓄えた髭が、どこか偉そうだ。
というか、後光が差している。胡散臭くも神々しい老人だ。ゼウスとか言われても納得しそうな感じである。

「どなた?」
「神様よ」
「どーも、神です。主に転生とか担当してまーすっ☆ 趣味はトラックで人を事故死させて、他の世界に送って観察することでっす☆」
「コイツ、やべ―よ」

色んな意味でヤバイ。
どんな悪神だ。アンリ・マユもびっくりだろう。
語尾の☆が頭にきてしょうがない。殴っても良いだろうか。

「殴っちゃいかんよ」
「……何で分かった」
「心ぐらい読めるのがデフォじゃろ」

フォフォフォ、と笑う自称神様。あんまりメタなことは言って欲しくないのだが。そこら辺を気にしないのは流石神様である。
屋上に人が三人。老人と少女と少年。言い換えるのなら、神様と、厨二と、一般人。
カオスだ。

「今回の協力者よ」
「協力者ってお前……。なぁ、神様も厨二、嫌いなのか?」
「いや、儂厨二製造器じゃし。嫌いだと思うか?」

逆に問いかけられて、次郎は首を振った。まさかそんな訳はないだろう。
しかし、だと言うのなら何故、協力しているのか。

「脅されてのう。……あと面白そうじゃし」
「最後も聞こえてんだよ! 結局愉快犯か!」

小声でぼそっと呟かれた一言に、次郎は思いっきり突っ込んだ。
割と自主的な参加だった。何とも俗物的な神様である。
だんだんと頭痛がしてきたような気がする。ここ最近は落ち着いていたはずなのだが、ぶり返したらしい。
頭を抑える次郎を見て、自称神が声を掛ける。

「大丈夫かのう、少年」
「大丈夫よ、持病みたいだし」

さらりと、言い放つ零那に軽く殺意を覚える。
持病になったのは、間違いなくこいつが現れてからだ。

「悩みがあるのなら、何とかしてやろうか?」
「できんのか?」
「まぁ、神様じゃし」

フハハハハ、と笑いながら大仰に頷く神様。別にどうでも良いことなのだが笑い方は統一して欲しい。
もし、本当にできるのなら願ってもいないことだった。
隣で手持ちぶさたにしている少女をどうにかしてもらおうと話しかけようとするが――

「あ、それ無理」
「何故に!?」
「もうあれ、儂とか超越しちゃっておるもん」

神様苦笑い。神さえも超越するこの女は一体何なのか、次郎の背中に戦慄が走る。
あと、いい歳して『もん』とか止めて欲しい。次郎の背中に悪寒が走る。
じゃあ、何ならできるのか、と神様に問いかけてみる。

「ギャルのパンティーおくれ! とかなら朝飯前じゃぞ」
「不老不死は?」
「できるぞ。むしろデフォじゃろ?」

不思議そうに聞いてくる神様。世の転生者は不老不死が大好きなのだろうか?
他には、剣製とか直死とか多いのぅ。とぶつぶつと呟いている。転生者物騒だ。

「まぁ、とりあえずギャルのパンティーをやろう」
「いらんわ!」

青と白の縞パンを高らかと掲げる神様。神々しさも糞もない。ぱっと見ただの変態だ。
俺に押しつけようとするのを押さえつけていると、視界の端に何かもぞもぞとやっている零那が映る。
零那の顔が徐々に赤くなってきている。恐る恐る此方に目線を向ける零那。
ばつの悪そうな色を移す瞳が、神の持つパンツで止まった。

「「ッッ!!」」

瞬間、吹き出す殺気。男二人が凍り付く。
出所は言うまでもなく零那だ。Dr.ジャッカルでも出せるかどうか分からない殺気を全身から洩らしている。
まさかと思い、神に目を向ける。

「適当にやったから一番近くの物が来たらしいの。テヘッ☆」
「――なんてことを」

零那がだんだんと近づいてくる。
次郎は思わず、すれ違いざま死を覚悟したが、スルー。まっすぐ神の前に進んでいく。
零那は神の前でぴたりと足を止めた。
零那の顔を見て、恐怖に絶望の表情を浮かべる神様。

「あんたは一体何をやっているの?」

怒りを押し殺した優しい声で、零那が神に問いかける。
その様子が逆に恐ろしく、次郎は一歩も動くことができなかった。

「ゆ、許してくれ! 故意じゃないんじゃ! コレを返せば文句は無いじゃろう! 許して、ねっねっねっ」
「許すか許さないか、心を読んでみればいいじゃない」

パンツを掲げ、神が無様に許しを請う。
それに冷たく答えを返した零那の心を読む為に、神は冷や汗を流しながら集中した。

『No! No! No! No! No!』

「質問よ……。右の拳で殴るか、左の拳で殴るか。当ててみなさい」
「ひ、ひと思いに右でやってくれ」

がたがたと、震えながら神が絞り出すように答える。

『No! No! No! No! No!』

「ひ……左?」

『No! No! No! No! No!』

もう一度、問いかけるが答えは違ったらしい。震えと冷や汗が酷くなる。
――そして行き着くのは、最悪の答え。

「り……りょうほーですかああああ~」

『Yes! Yes! Yes! Yes! Yes!』

「もしかしてオラオラですかーッ!?」

最後まで見ておられず、次郎は手で目を覆い、とどめの一言を呟いた。

「Yes! Yes! Yes! ”OH MY GOD”」
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラァ!」
「ブギャー!」










再起不能(リタイヤ)

「やれやれだわ」

TO BE CONTINUED!











番外


以前、世界は退屈だと次郎が評したことを覚えているだろうか?
しかし、人の価値観を粉砕するにはたった一つの出来事があれば十分だ。否、十分に過ぎる。
小説の主人公よろしく、実際に神威零那という非常識に価値観を粉砕されたモノとして、次郎は考える。

――日常とは、尊いモノである。
結局のところ、逸脱した非日常はストレスの元なのだ。
美味しいものも食べ続ければ飽きてしまうように、何事も過ぎてしまえば毒になる。
まぁ、神居零那という人物は、それ単体で既に毒と評しても良いような人間なのだが。
常に毒とあるモノとして、もう一度この言葉を繰り返そう。
――日常とは、尊いモノである。
そして、もう一つ。
毒とは、進入したと同時に、身体全体に広がっていくモノでもあるのだ。











日曜である。もう一度言おう。日曜である。
日曜と言えば、全国全ての人間の休日。無論、学校も、教員も休み。もう一度言おう。学校が休みである。
それがどういう答えに行き着くかと言えば――

「今日は零那に会わなくて済むな」

そういうことである。つまり休日とは次郎の精神衛生上、必ず必要なモノに他ならない。
家にいれば、あの忌まわしい厨二少女に会わなくても良いのだ。
いや、次郎は彼女が嫌いという訳ではない。ただ単純に苦手なのだ。
学校での彼女との日々は、今この瞬間でも瞼の裏に映し出せるようだった。

――バレーボール。スパイクで吹き飛ぶクラスメイト。抉れる体育館。半壊。次の日には元通り。

――サッカーボール。シュートで生死の境を彷徨うゴールキーパー。リンゴ好きな死神が蘇生させてくれた。

――野球。ピッチャー厨二。デッドボール。死亡。ザオリク。復活。そいつは野球部を辞めた。ボールを見ると身体が震えるらしい。

――校外ランニング。先生が撥ねられた。合掌。

「……殺人兵器め」

次郎は苦々しく吐き捨てた。因みに、何故体育関係ばかりかというと、勉強面では他者に被害が及ばないからだ。
大体にして、みんな異常だ。それほどの被害にあっておいて、微笑み一つで懐柔されるのだから困ったものである。

其処まで考えて、次郎は零那のことを考えるのを止めた。
何故休日まで、自分から頭を痛くしなくてはならないのか。今日ぐらいは、バファリンを呑まずに一日を終えたいものだ。

一回にあるリビングからは、掃除機を掛ける音。きっと母親に邪険にされながらも、父はそこで新聞を見ていることだろう。
妹の響は、日課のランニングにいっているだろう。我が妹ながら、中々に真面目な奴である。次郎には到底真似できない。日記を三日で投げた経験があるくらいだ。

「ただいま~」
「お帰り」

どうやら、響が帰ってきたらしかった。元気の良い声が聞こえ、思わず次郎も笑みを浮かべた。

――嗚呼、コレこそが日常だ。

しかし、何やら下が騒がしい。
耳を澄ませば、何か驚愕の後、話し合っているらしかった。
居間のドアが勢いよく開く音が聞こえ、誰かが階段を駆け上がってくる。
まぁ、このタイミングで来る奴と言えば――

「たのもー!」
「ノックしてからドアを開けろと何時も言っているだろ? その頭は帽子を乗せる台か何かか?」
「違うよ! カチューシャを乗せる台だよ!」
「ツッコミどころが其処なのが、お前の可哀想なところだよ」

古来より、馬鹿な子ほど可愛いとは言うが、その場合この妹を次郎はどれぐらい可愛がるべきなのだろうか。
ドアを蹴破るというアクションスター張りの荒技を披露して現れた妹に、次郎は一つ苦笑いを零した。

「で、何だよ?」
「……えとね、あのね? 兄ちゃん」

用件を問うと、途端にもじもじとし始める我が妹。

――畜生、可愛いじゃないか……

「――ハッ!」
「な、何!? 私、まだ悪い事してないよ!?」

ありゃりゃぎさんに精神汚染されたところを、何とかコントロールを取り戻す。
いや、でも、割と可愛いんだぜ、と言い訳だけでもしてみる。

落ち着きを取り戻した上でよく見ると、響は後ろ手に何か隠し持っているようだった。
もしかすると、捨て犬か何かでも拾ってきたのかも知れないと思い至り、響へと次郎は問いかけた。

「何だ、犬か何かでも拾ってきたのか」
「う、うん。でね? お母さんとお父さんは、兄ちゃんが良いって言ってくれたら飼っても良いって……」
「そうか」

不安げな上目遣いで此方を見つめる響。畜生、可愛いじゃ――違った。
普段から我が侭を言わない子だし、この捨て犬か何かに関しても、可哀想で見過ごすことが出来なかったのだろう。

まぁ、実質、両親が良いというのなら次郎としても反対する要素は特にない。
その優しさに敬意を表して、許可を出してやろうとして――

「てけり・りー」
「――駄目だ。元の場所に返してきなさい」
「えーーーーーー!!」

――聞こえてきた鳴き声に、即意見を覆した。
この妹何というものを拾ってきてくれたのか。ショゴスか、ショゴスなのか。
というか、どこで拾ってきたのだろうか。南極までランニングしてきたのだろうか? パネェ。

「可愛いんだよ? 見てから決めたって良いじゃない!」
「駄目だ。お前は家族に反旗を翻すような生物を飼う気か」
「動物が反旗なんて翻す訳ないでしょ!」

――そもそも、動物じゃねーんだよ

妹が差し出したショゴスは、まるでドラクエのスライムを一つ目にしたかのような造形。
まぁ、可愛いのは可愛いのだが、ラヴクラフト関係者ともなると油断は大敵である。
だって、今も触手っぽいのをブンブン振り回しているし。触手なんて男の夢……ゲフンゲフン。
そんな物騒な装備を持っている奴を、妹のそばに置いていく訳にもいかない。

「つーか、どうする気だそれを。ベッドにでもするのか?」
「だーかーらー! 動物なんかベッドにしたら死んじゃうでしょ!? 兄ちゃん今日おかしいよ? 頭ダイジョーブ?」
「どちらかというと、コレを何の疑問もなく飼おうとしている、お前ら家族の頭を疑いたい」
「お母さーん! 兄ちゃんがぶっ壊れたー!」
「斜め四五度に手刀入れれば直るわよ―!」
「母さん、それはテレビの直し方だ。響、そういうときは一回再起動してだな……」
「そりゃパソコンの対処法だ、クソ親父」
「次郎、お前父に向かってその口の利き方は何だ。いくら父さんでも怒りが頂天に達するぞ」
「血管切れて死ね」
「母さーん! 次郎が反抗期だ」

一階に駆けていく響。二階と一階で繰り広げられる壮絶な舌戦。
母の鶴の一声でそれが収まった頃には、ショゴスはどこにもいなかった。













日曜日も終わり、月曜日。
結局、日曜日もバファリンの服用を止めることは出来なかった。頭が痛い。

「おっはよー! ん? 今日も今日とて元気がないようだねぇ、次郎くんは」
「黙れ。お前と話すと疲労がラディカル・グッドスピードより速く溜まっていくんだよ」
「何? 何でそんな苛々してんのよ―。……生理?」

次郎の口元が引きつる。デリカシー以前に常識がない。コイツの頭は涌いているんじゃないかと思うこともしょっちゅうである。
零那は隣でごそごそと鞄をあさると、見覚えのあるものを取り出した。

「はい」
「……なんだそれは」
「ショゴス」
「……何に使うんだ」
「ベッド」
「……日曜日、そいつはどうしていた」
「さぁ? でもベッドとして使おうとしたらいなかったわね。夜になったら戻ってきたけど」

次郎は静かに上を向いた。空は呆れるほどの晴天だ。しかし、次郎の上だけはしとしとと雨が降っているようだった。

「……あんた、何泣いて――」
「雨だ」
「いや、だって――」
「雨だ」
「い――」
「あ・め・だ」
「……そうね、雨ね」

呆れたように零那は溜息を吐いて、遂に折れた。
そもそもの元凶なのだから、其処は折れてもらわなきゃ困るというものだ。

雨は暫くすると止んだようで、次郎は赤い目を擦りながら教室まで進んでいく。
その後ろを、訝しげに歩いていた零那が次郎に声を掛けた。

「具合悪いなら休んでなよ。ほら、ショゴス貸してあげるからさ。割と寝心地良いんだよ?」
「…………」
「てけり・り?」

ショゴスと見つめ合う。そのつぶらな瞳には悪意など欠片も感じないが、しかし、頭痛の種になるというのもはっきりとした事である。

「てけりり」
「てけり・り~」
「てけりーりー」
「てけり・り」
「……何をやってんのよ」
「もういい、ほっといてくれ」

異文化交流を試みるが失敗。所詮、人間である次郎には其処が限界だということだろうか。
ショゴスを抱えたまま、次郎は歩く向きを変え、屋上へと歩き出した。

「コラッ! 授業サボる気ー?」
「今日はもう無理だ。偶にはバファリンなしで過ごさせてくれ」

最近、頓に感じるバファリンの優しさ成分に若干の嫌気を覚え、次郎は今日だけ考えると言う行動を放棄した。
もう無理だ、もう駄目だ。神様、明日からまた頑張りますから、今日だけは常識から外れることをお許し下さい。

『いいんじゃね』

割と軽い神からの託宣を受け、次郎は屋上へと続くドアを開けた。
そこで、世にも奇妙なショゴスベッドに倒れ込み、次郎は改めてこう思った。

――非常識への対処法で一番正しいのは、それに飲み込まれることである。

自分もいずれ、この状態が普通だと思う時が来るのだろうかと、次郎は一抹の不安を覚えながらも、割とひんやりしたショゴスベッドに包まれ、眠りに落ちていった。







――まぁ、既に手遅れに近いことも彼自身気付いてはいるのだが。













前の奴を一つにまとめてみた。消すのもデータ無いのでもったいないし。
下の小説はこれの一話目を設定変えて引き延ばしたような物になっています。
小説の体裁がとれていればいいのですが……。



[19315] 扼神八波の厄介事体験記 序
Name: 黒条非日◆42027da6 ID:5d60ef97
Date: 2011/05/18 10:12
 時刻は午後十時。空には宝石をちりばめたように星々が輝き、三日月が堂々とその姿を晒している。
 そんな何処か幻想的に見える空の下、まるで景色を楽しむ人々に喧嘩でも売っているように、とある地方のとある学校の屋上で喧しくも悲痛な叫び声が上がっていた。


 月光の下での輪舞。そう言えばロマンチックな光景を想像するかもしれないが、現状それは聞こえてくる悲鳴から想像できるようにそんなに色っぽいものではない。
 舞踏と言うには粗暴に過ぎ、武闘と言うには拙すぎる。BGMは魅力の欠片も感じない悲鳴と空気を切り裂く刃の音。
 そしてダンスパートナーは、と言えば、この世のものとは思えない容姿をした化物。


 骸骨のように頼りない体躯を風の一吹きで飛んで行ってしまいそうなボロ布で包み込み、手には己の身体さえ遙かに超す大鎌を携えている。
 振るわれる鎌が夜気を切り裂く。ダンスを踊る当人が奏者と言うのも中々洒落た物ではあるが、勿論、ただ虚空を切り裂く為だけに化物は鎌を振っている訳ではない。


 その化物が鎌を振るう先には二つの人影があった。一つは高校生くらいの少年。もう一つは少年と比べるといささか小さな影の少女だった。
 少女は少し離れた位置に立ち尽くし、少年は生憎にも化物に標的と確定されてしまったらしくただひたすらにその刃を躱すことを強要されていた。


 縦横無尽に振るわれる斬撃の嵐とでも言うべき猛攻を、少年が避けていく。
 殺気から動き回っているせいか、汗でべたつくTシャツが嫌に鬱陶しい。
 上段からの一撃に髪を持っていかれ、袈裟に振るわれた凶器が服の一部を切り裂いていこうとも、少年がその動きを止めることはなかった。


 何故かと問われれば勿論、動きを止めることが死に繋がることを少年は知っていたからだ。
 片や少女は青ざめた顔で口元を押さえ、その身を振るわせながらその光景を見ていた。その総身に満ちるのは恐怖か、絶望か、それとも――?


 その答えを知っている少年は、少女に声を掛けずにはいられなかった。
 自分が例え、いつ命を落とそうかと言う危険な状況でありながらも、彼女の様子を見てしまっては声を掛けないと言う選択肢を彼は取ることが出来なかったのだ。


「――テメェ、扼神(やくがみ)ィ! 何、窒息寸前になるまで笑い堪えてんだよ! もうばれてんだからそれ止めろ! 何かスッゲーむかつくんだよ!」
「――ぷっ……」


 出てきたのは気遣いの言葉などではなく、悲痛ささえ含んだ怒声だった。
 その必死さに遂に耐えかねたのか、少女の口から空気が漏れ出す。少年に悪いかと思い、青ざめる程我慢していたのだがそれももう限界だったようだった。


「アハ、アハハ、アハハハハハ! す、すごい。すごい避けてるっ。もうっ、二条。運動神経良くないって言ってたのに凄いじゃん。よしッ、そこだ! 右ストレートー!」


 腹を抱えながら少年を指差し、あまつさえ野次を飛ばし笑い転げる少女。そんな彼女――扼神八波を見て、少年――二条並斗は額に青筋を浮かべた。
 笑われる方は堪ったものではない。必死にやっているところを笑われるだけでも腹が立つというのに、それが死に際していれば尚更だ。


「出来るかッ! つーか何なんだよ、コレ。この貧相な化物は一体何なんだ! 良くある現代ファンタジー系の敵キャラかッ! 夢なら夢と言ってくれ!」


 叫びながら、逆袈裟に振り上げられた鎌を大きく仰け反って躱す。また少し彼の衣服が削られた。並斗の背中を冷や汗が伝う。
 そも避けられていること自体が奇跡的だ。並斗に鎌の軌跡など見えていない。運動神経など並にしかなく、捉えられるのは精々空気を別つ音ぐらい。
 今、現在この状況はひとえに生存本能のなせる業と言っても過言ではないだろう。あぁ、素晴らしきかな、本能。


「現実逃避なんてしちゃいけないぜ、二条君。コレは虚構でも夢でも創作でも幻想でもないんだぜー? ま、とんだ災厄ではあるけどこれぐらいは日常茶飯事。鎌持った化物なんて捜せばそこら辺に溢れてんじゃん?」
「んなもんいて堪るかッ!」


 腰に手を当て、身を屈めた八波は指を小刻みに左右に振りながら彼にそんな事を語る。しかし、あまりと言えばあんまりなその戯言具合に並斗は彼女の方を向いて怒鳴り返した。
 こんなものが街中にいたら、道路は斬殺死体で一杯だ。まさか世界の果ての架空都市でもあるまいし、そんな物騒な街に住んでいた記憶は彼にはなかった。


「二条ー、余所見してると首持ってかれちゃうよー?」
「――ふおゥ!?」


 慌ててしゃがむと、首があった位置を横薙の軌跡を描いて鎌が通り過ぎていく。
 危うく首と胴が泣き別れする寸前で辛うじてそれを躱す。怒鳴りつけてる余裕など無いことを彼はすっかり失念していたようだった。


 慌てた様子でペタペタと首があることを触って確認すると、素早く並斗は化物へと向かい直る。窪んだ眼窩には光が見えず、生きているのかさえ判別することは出来ない。


 ゆらりゆらりと風に頼りなく揺れるススキのように弱々しげなその体はその実、身の丈程ある鎌を振り回せる力を秘めていた。
 乱れる呼吸。鼓動が耳に煩い程にリズムを速くする。目の前に存在する化物から今すぐ逃げ出したいが、見えるのは背を向けた瞬間真っ二つにされる己の未来予想図。


 既に足はガクガク、心臓バクバク。余裕なんてモノはとうの昔に空で煌々と輝く月の向こうへと吹っ飛んで、今自分の身体を動かしているのは死にたくないと言う精神力のみ。
 後数回のやり取りで確実に今生にサヨナラできる、と言う情けない確信が並斗の中に確固として存在していた。


「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ絶対死ぬ! つーか本当に何だよこの状況、何だよこのバトルパート! 俺は主人公って柄じゃないぞ!」


 世の不条理を呪ってひたすら喚き散らす。するとその状況を未だに笑いながら見ていた八波が、ポツリと言葉を溢した。


「えぇーっと、何って言うか二条は主人公じゃなくて序盤で巻き込まれて死ぬ友人Aって感じだよね。……顔が」
「喧しい!」


 割と酷い毒を吐く八波に、並斗は懲りずに怒鳴り返す。さっきからその度に命の危機に瀕しているのだが彼の辞書に学習能力という字は記されていないらしい。


「二条ッ二条ッ! そこでマトリックスッ!」
「――ヒィアッ!?」


 大分前の映画のワンシーンを言われたままに再現する。
 鼻の先を掠めていく鉄の刃。避けていなかったら一生CTスキャン要らずな身体になるところだ。そのまま転がるようにして急いで距離をとった。


 異形はゆらゆらと身体を揺らしながら並斗の方に身体を向け、近寄ってくる。
 速くもなく、そして遅くもないそんな動き。まるで獲物をいたぶる猫のようなそんな意地の悪さを感じる。
 化物の表情の無いはずの顔に一瞬笑みが浮かんだ気がして、並斗の背に悪寒が走った。


「扼神! コレお前の持ち込み企画だろ!? そろそろドッキリの看板持ったスタッフが来てもいい頃合いだろ。俺の心臓はドキドキしすぎて張り裂けそうなんですがッ!」


 そう、この場に並斗を連れてきたのは何を隠そう八波本人だった。
 それならばこの奇怪な事態も彼女の仕業であることに間違いはないだろう、と並斗は自分でも半ばその考えを否定しながらも、一縷の望みを持って彼女に問いかけた。


「狂言扱いとは心外だなぁ、二条。私は登校初日、初めて仲良くなった友達に親切にもこの世の真理、在るべき姿、真実ってのを教えてあげようと思っただけなのになぁ。悲しいなぁ……」


 ――しかし返ってきたのは何とも悲しげな声。見てみれば彼女はその可愛らしい顔を悲しそうに歪めている。
 だがそれがどうしたというのか。結局その言葉で分かるのは彼女が関係しているという事実のみ。残念ながら命の危機に瀕している彼には、同情する余地が寸分も見当たらない。


「悲しそうにしたって騙されないぞ! やっぱりお前何か知ってるだろ。どうにかしろよ、コレ! お前は登校初日初めて仲良くなった友達を殺す気かッ!」


 その台詞を聞くと、一転悲しそうな顔を止め八波は苦笑いしながら頭を掻く。


「いっやー、当初の予定はこんなのが出てくる筈じゃ無かったんだけどねー? 今日は割と軽めな一日だったから油断してたわ」


 アッハハー、と笑う八波に並斗は驚かずにはいられなかった。今日、と言えば何時もなら有り得ない様なことが目白押しな密度の濃すぎる一日だったと並斗は記憶していたからだ。


 勿論、今この時に比べれば比べるべくも無いが、それでもそれを『軽め』で済ますのは常人には不可能だろうことだけは確かだった。


「おっと、二条。伏せ! 跳ねて! そのまま二段ジャンプでバック!」
「に、二段ジャンッ? ――ブッ!」


 横薙ぎをしゃがんで躱し、返す刃での下段払いを宙に跳ねることで回避した。しかし最後の最後で放たれた実現不可能な注文に思わず戸惑った並斗の腹に化物の前蹴りが突き刺さる。


 肺に入っていた空気をムリヤリ吐き出させられながら、身体が屋上のコンクリートの上を転がって行く。
 二度、三度と廻る視界。都合五度目の星空を眺めながら、仰向けの状態でやっと回転が終わった。


 腹の痛みに何度か嘔吐く。転がった所為か身体の節々も熱を持ったように痛んだ。
 呻きつつ空を見上げれば、目に映るのは自分を嘲笑うかのように笑う三日月。ついでに風に流れるボロ布と月光に輝く無粋な刃。


 大上段に振り上げられた大鎌が振り下ろされる。引きつった口から意味のない音が漏れ出した。
 死を前にした所為か、嫌にゆっくりとした速度で迫る鎌の切っ先を見ながら並斗はそもそも何故こんな事になったのか、その経緯である今日一日を走馬灯の如く回想した。

































プロローグ。まだ修正し切れてないのですが、とりあえず。
上の作品に比べるとやはり勢いが足りないか。



[19315] 1.
Name: 黒条非日◆42027da6 ID:5d60ef97
Date: 2011/05/18 10:01
 

――ピピピピピピピッ!

 朝。何時も通りの目覚ましの音を聞いて、並斗は目を醒ました。
 仰向けの体勢のまま、しばらく呆ける。カーテンを透過して届く陽の光と鳥のさえずり、止まない目覚ましの音が少しずつ彼の意識を覚醒まで引っ張っていく。


「…………」


 無言のまま、手探りで目覚ましを止めた。上半身を起こし、まだ半分降りている瞼を擦りながら並斗は、あー、うー、と眠たげな声を洩らす。
 眠気も少しは醒めたのか、並斗は頭を掻きつつベッドからその気怠い身体を起き上がらせた。


 床に積まれた雑誌の束。散乱する衣服。飲みかけのペットボトルに食べかけのポテトチップス。男子らしいと言えば男子らしい部屋。その中をフラフラと覚束ない歩みで並斗は歩いて行く。


 部屋の外に出て、階段を下りて洗面所へと向かう。共働きの両親は既に家に居らず、静まりかえった家の中、ひたひたと足音だけが虚しく響いていく。
 洗面所で冷たい水に辟易としながら顔を洗い、軽く身だしなみを整えると並斗は居間へと向かった。


 廊下と同じく音のない居間へと入る。並斗が朝食のあるであろうテーブルの方に目をやると、
ダイニングテーブルの上にはスクランブルエッグとベーコンの乗った皿、それと昼食代と弁当を作る時間がなかったと言う旨の書き置きが置いてある。


 それに目を通しながら、トースターに食パンを突っ込んでテレビの電源を入れた。
 流れ始める何時も通りのデイリーニュース。並斗が今日の天気予報を眺めているとトースターが間抜けな音を立ててトーストを吐き出す。


 焼き上がったトーストにスクランブルエッグとベーコンを挟み込み口に運ぶ。出来上がった簡易のサンドイッチを咀嚼しながらまた階段を上っていく。
 お世辞にも行儀が良いとは言えないが、それを咎める人間は一人もいない。最後の一口を喉の奥へと送り込んで、並斗は部屋に入った。


 気怠そうに部屋の隅に脱ぎ散らかされた学制服に袖を通し、草臥れた鞄を手に持った。酷く軽い鞄に中身は入っていない。
 並斗自身不真面目という程ではないが、毎日教科書を持って帰るのもバカらしい。全ての教科書は学校の机の中で待機中。まぁ、学生と言えば割とそんなものである。


 時計を見れば時刻は七時半。何時も通りの時間。この時間帯に出ればまず遅刻はないと言っていいだろう。
 帰ってきたら片付けよう、と部屋の惨状から改めて目を逸らす。その思考ももう何度目か、一度も実行されたことは無いのだがそれもご愛嬌という物だった。


 階段を下り、玄関で靴を突っかける。履き慣れた靴は特に抵抗もなく並斗の足を受け入れてくれた。トントンと爪先で地面を叩き足をしっかりと靴にはめ込んで、外へと繋がるドアに手を掛ける。


「行って来まーす……」


 描くまでもない平凡極まりない日常の1ページ。少年は始まった何時も通りに何の疑いを抱くこともない。
 だってそれは当たり前。世界に特別なんて無いと並斗は思っていたし、十六年の生活でそれを実感してもいた。あるのは代わり映えしない日常と、ルーチンワーク染みた毎日だけ。それに変な期待も失望もすることなく、並斗はそう言うモノだとただ受け入れていた。


 普通に普通を積み重ねていけば、並べて世は事も無し。生きるのに特別なんて要らないという並斗は何処か夢のない少年だと言っても良いだろう。
 ――だがしかし、特別なんて物は望む望まずに関わらず、必要が無くても誰にだって起こりえることだということを彼は理解してはいなかった。


 今日一日がとんでもない物語の幕開けになることなど知る由もなく、そんな習慣になってしまった言葉を口にして、並斗は何時ものように何時も通りへと繋がるはずのドアを開けた。


























 家から歩いて五分程。最寄りのバス停に止まったバスに並斗は乗り込んでいた。
 もうすぐ発車時刻。バスの中は出勤する企業戦士と並斗のような学生で溢れかえっている。鮨詰めというのがもっとも正しい表現であることはまず間違いなかった。


 勿論、並斗もそれは例外ではなく。隣には少し頭が寂しく脂肪に富んだ中年戦士と、逆に鬱陶しいくらいに伸びきった髪を持った痩せぎすな学生が控えていた。先程から片方の髪が動く度に当たって少々うざったい。


 はぁ、と憂鬱気に溜息を漏らす。暦上春とは言え、もう五月。気温も大分暖かくなってきている。その上でベクトルは違えど何か暑苦しい二人に囲まれるのは、何というか、こう、……まぁ、詰まったところ不快だった。


 気の抜けたような音と共にバスのドアが閉まる。これから十五分程この不快な状態に耐えなければいけないのか、と並斗はいささか、否、かなりの憂鬱さを感じた。
 しかしながら、現代に生きる人間としてこれくらいの苦行に耐えられなければ生きていくことなど出来はしないことも理解している。まぁ、何時も通りのことだし我慢するしかないか、と彼が自身をむりやり納得させた時だった。


「あー! ちょっと待って~!」


 発車しようというバスの外からそんな声が聞こえる。こういう時運転手によって開いたり、そのまま発車したりと対応には差異があるのだが、今日の運転手は中々善良であったようで、閉まったはずのドアがまた気の抜ける音と共にその口を開いた。


「すいませーん! ありがとうございます!」


 何となく気になった並斗が目をやれば、乗り込んできたのは一人の少女だった。
 顔ぐらいしか見えないが歳はおそらく並斗と同じくらい。少女は車内の現状を見て「――うぉうッ!?」と驚いている。どうやら予想以上に人が多かったらしい。
 再度閉まるドア。エンジンが唸りを上げ、さぁ、出発しようかというその時だった。

 ――ガタン!


「うぉッ!?」


 急にバス全体が揺れ、その衝撃で乗客全員がつんのめる。並斗も思わず声を上げた。
 騒然とする車内。所々から聞こえる文句、時々罵声。それを聞きながら並斗は密着してきていたサラリーマンと学生を気色が悪かったので無理矢理に押し退けつつ、車掌からのアナウンスに耳を傾けた。


『……えー、お客様には大変申し訳ありませんが車に何らかの異変が発生してしまいました。誠に恐縮ではありますがお急ぎの方は次のバスをご利用してくれるようお願いします』


 車内放送を聞いて、ぞろぞろと乗客全員が降車していく。次のバスが来るまで約八分。学校には八時半までに着けばいいのでまだ時間には余裕がある。
 呆ッと並斗は辺りを見た。目に映るのは苛立たしげな様子の大人達、それと携帯音楽プレーヤーのイヤホンを耳に突っ込む学生。バスの運転手は諦めたのか縁石に座り込んで煙草を吹かしている。


 そんな中、一人の少女が並斗の目に止まった。
 よくよく見ればバスに駆け込んできた少女だった。何故か一人だけ、頭を掻きながら罰の悪そうな表情を浮かべている。それが少し気になった。


 別に彼女が乗った所為で異変が起こった、なんてそんな事ある訳がない。当たり前だ。特定の人が事件を誘発するなんてそんなのは正しく創作の出来事。現実に起こるわけもない。
 と、並斗がそんな事を考えていると気付けば八分。やっと次のバスが来た。勿論、前までのバス停で拾ってきた乗客が乗っている。


「……はぁ」


 前のバスでも十分過ぎる程鮨詰め状態だったのに、更に人数が増えることになる。正直勘弁して欲しかったがそういう訳にも行かないだろう。全く朝からツいていない。
 並斗は溜息を溢してバスに乗り込んだ。後ろから押されて奥へ奥へと追いやられる。


 車内は鮨詰めを通り越して、最早押し鮨状態。
 何とか乗り切った乗客を見て、運転手が発車を告げる。先程と同じ事態が起きないか、と乗客は内心冷や冷やしていたがそんな事はなく、バスは無事に走り出した。


 バスの外。見慣れた何時もの景色が流れていく――、なんてそんなことはなく、目の前には趣味の悪いネクタイと黄ばんだYシャツ。ついでに言うなら少し酸っぱい体臭が漂っている。吐きそうだ。


 あまりに辛い現実から並斗は逃げ出したくなる。何が悲しくて朝からこんな目に合わなければいけないのか。とんだ災難もあったものだった。
 しかし、そうやって嘆いて見たところでバスの速度が上がるわけもない。彼個人の意見としては、法定速度もぶっちぎってこの現状を一刻も早く終わらせて欲しいのだが、そんな思いも虚しく、あろう事か――。

 ――ガクン!

 何だまたか、またなのか、と。そう思った人間は並斗を含めて一体何人いたことだろうか。再びバスに急な制動が掛かり、車内で少なくない悲鳴が上がった。


『お客様方。急なブレーキを掛けてしまい、誠に申し訳ありません。只今、当バスの前方でちょっとした問題が発生しております。大変申し訳ありませんが彼らが通り過ぎるまでの間停車させて頂きます』
「きゃ~! かわいい~!」
「すっごーい!」


 聞こえてきたのは女の子の感嘆の声。カルガモの親子でも歩いているのか、と並斗は他の乗客達同様、バスの前方へとその顔を向けた。すると――。


「にゃー」
「は?」
「にゃー」「にゃー」「みゃー」「みぃ」「ふにゃぁ」「にゃ」「にゃにゃにゃ」「ニャー」
「はぁっ!?」


 猫だ。猫ネコねこ猫。止まってしまったバスの前を大量の猫が横断している。普通、車が来れば逃げそうな物だがそんな事もなく、猫たちは悠々と列を成して行進していた。
 道路上の車はもとより、歩道を歩いてる通行人さえも立ち止まりその光景を見ている。皆、十数匹並び歩く彼らを見て微笑ましそうな顔を浮かべていた。


 しかしそんな周囲の反応の反面、並斗が抱いたのは何よりも先に不気味さだった。むしろ何故他の人々が平静にコレを見ていられるのが不思議でしょうがないと言う気持ちだ。
 何がそこまでの感情を抱かせるのかと問われれば、それは色だった。


 白、茶色、灰、虎に三毛。猫の種類は数あれど、今この場にいる猫に関しては奇妙ながらたった一種類しか存在しない。
 大きさこそ違えど居並ぶ猫は、黒、黒、黒。仔猫も黒なら親猫も黒。雄も雌も区別無く見事に艶やかな毛色の黒猫が整然と並びながら目の前を通り過ぎていく。


 並斗は別に猫嫌いだと言う訳でもないのだが、それでも此所まで黒猫のみが揃うと少しばかり気持ちが悪い。昔から黒猫が前を横切ると良くないことが起こると言うが、それなら一体コレはどんな出来事の伏線だというのだろうか。
 ニャーニャーニャーニャー鳴きながら、彼らが渡ること十数分。


 やっと猫が居なくなりバスが走り始める。周りが何処か和やかな気分に浸る中、並斗だけが釈然としない気分を味わっていた。
 やはりどうにも理不尽な朝だと思う。異変に次ぐ問題。まさか一日の初めからこんなに疲れさせられるとは一体どこの誰が予想するというのか。


 走るバスの前方。やっとの事で目的のバス停が見えてくる。猫の行進の伏線を回収しきっていないことに一抹の不安を覚えながら、しかしこの朝からの陰鬱なドライブがやっと終わると思うとそこはかとない嬉しさを並斗は感じた。
 だが、まぁ、しかし。二度あることは三度ある。俗に言うお約束、てんどんなんて物はままあることであるわけで……。

 ――ドパン!

 と何処か呆れたような、そんな諦観を感じながら並斗はその音を聞いた。続いて耳障りな金属とコンクリートの擦過音。「……またか」と呟いたのは乗客かそれとも並斗か。三度流れる運転手のアナウンス。


『……ふぅ。申し訳御座いません、お客様。車両に何か問題が発生した模様です。本当に恐縮ですがお急ぎの方は次のバス停に並び、後続のバスにお乗り下さるようお願いします』


 仕舞いには運転手からも疲れたような溜息が漏れ出す始末だ。そりゃあ朝から同僚も含めて三回もバスの運行を止められていては溜息も出るという物だろう。
 バスの乗客が文句を言いながら再び車外へと降りていく。並斗も勿論降りるが、ここからなら学校まで充分歩いていける距離だ。現在時刻八時十分。割とギリギリではあるがここから十分も歩けば着くはずなので問題は無い。
 行きがけにバスを見ればタイヤが四輪全て物の見事にパンクしてしまっている。何とも珍しい出来事もある物だな、と彼が歩き出すと後ろから声が掛かる。


「ねぇねぇねぇ。そこの君ー。もしかしてもしかすると西條高校の生徒だったりすっるのっかなー?」
「へ?」


 自分の通っている高校の名前を出され、並斗は立ち止まって声のした方向へ顔を向けた。


「おぃーっす!」
「えっ? あ、あぁ。うん……?」


 いきなり馴れ馴れしい挨拶をされ戸惑いながらも並斗は返事を返した。声を掛けてきたのは紺色のセーラー服に身を包んだ一人の少女だった。
 片手を元気よく空へ向かって突き出しにこにこと笑みを浮かべている。


 セーラー服に付いている校章は自分と同じ物だったが、それでも並斗はこの少女が誰かは分からなかった。
 身長は同年代の女子に比べても低め。茶色のセミロングの髪とくりくりとした大きな目が可愛らしい少女だった。


 そもそもこんな風に話しかけてくるような親しい女子は居なかったはずだ。だがその一方で何処か見覚えのある顔のような気もする。
 何処で見たのだったか、と並斗が考えを巡らせると答えはすぐに出てきた。


「……あぁ、バスに駆け込んできた」
「うぇ、見てたのー?」
「うん」
「いや、寝て起きたらかくかくしかじかでさー」
「わかんねぇよ」


 腕を組みながら何度も頷きながらよく分からないと言うか、説明をする気の微塵も感じ無い言い訳をし出す少女に率直な感想を返す。


「で、何か用でもあるのか?」
「おぉっ。忘れてた。いや私、俗に言う転校生でさ。いまいち学校までの道が分かんなくてね?誰かに案内して貰おうかなーと考えていたところ、そこに丁度良く立っていたのが――君だ!」


 ズビシィ! と擬音でも聞こえてきそうな具合に並斗に指を突き出す。
 小柄な癖にいちいち動きが大仰な少女だった。何か物凄く楽しそうなのだが正直、朝からついていくのは厳しいテンションだ。


 朝から厄介なのに絡まれたなー、と半ば辟易としながらしかし彼も助けを求める人間を無視して見捨てる程薄情でもない。
 用件にしても大したことはなく、どうせ並斗も学校に行くのだからその後ろをついてきて貰えばそれで終わるような簡単な話だった。


「ふーん。ま、別についでだし良いけど。えーっと……?」
「――八波、扼神八波だよ。ヨロシク!」


 満面の笑みを浮かべて自己紹介した少女――扼神八波に「二条並斗。ヨロシク」とだけ返し、学校に向かうために歩き出す。


「つーか扼神さぁ。普通転校生って少し早めに学校行くもんじゃないのか?」


 横に並んで歩く八波にそんな質問をする。
 転校生なら説明やら何やら色々とあるはずなのにこんなお世辞にも早いとは言えない時間にこんな所を歩いているのはどう考えても不自然だった。
 そんな疑問に八波は苦笑いで応じた。


「イヤイヤ。早めには出てたんだよ? それでバスに駆け込んでみればバス、猫、パンクと問題続出。堪ったもんじゃないよねー。ま、でもバスガス爆発になんなかっただけマシか」
「……それに比べりゃ大抵のことはマシなような気がするけどな」
「そう? バスが縦に真っ二つにされたり、テロリストにバスジャックされてどっかの大使館に突っ込まされるのとどっちがマシ?」
「嫌に具体的だな。小説の見過ぎなんじゃないのか? それともそーゆう経験でもあんの?」
「……あっははー」


 冗談で茶化すように言ったのだが、しかし返ってきたのは否定でも肯定でもなく、渇いたような笑い声だった。表情も笑顔ではあるが目が笑っていない。その妙な様子に並斗は首を傾げた。


「……あー。そうそう! 二条は小説とかはよく読む方?」


 少し考え込むようにしてから、思いついたように八波は腰を折り曲げ下から覗き込むような姿勢でそんな事を彼に聞いた。
 その仕草に明るい茶色のセミロングが揺れる。万人の心の琴線に触れるような可愛らしい所作だった。


「ん? んー。まぁ、人並みぐらいにはって感じかな」


 露骨な話題転換に疑問を感じたが、特に追求することはせずに並斗はその質問に答える。
 誰だって話したくないことの一つや二つ持っている。初対面の少女にそんな事をツッコむ程の無神経さを、幸いながら並斗は獲得していないようだった。


「ふーん。じゃあさ、じゃあさ」


 言いながら八波はその顔にニヤリと、言っては何だが少々邪悪な笑みを浮かべた。びっくり箱を渡した直後の人間はこんな表情をするだろうという、そんな顔。
 その笑顔に並斗は背筋に寒気のようなものが走るを感じながらも次の言葉を待つ。しかし次の瞬間出てきたのはその感覚を裏切るような突拍子もない言葉だった。


「もし、もし、もしもだよ? 小説に出てくるような悪魔やら妖怪やら魔法使いがこの世界に本当に存在してるとしたらどうする?」
「……はぁ?」


 口を突いて出たのはただただ疑問の声だ。妖怪? 悪魔? 魔法使い? まさかまさかそんなもの存在するわけがない。
 正しく創作、正しく虚構。現実と虚構の世界を混合して良いのは中学二年生までと相場が決まっている。


 と、そんな事を考えるが直ぐに思い直す。まさか高校一年生にもなってそんな事を大真面目に話す奴が居るはずもない。ちょっとした話の種だろう、と並斗はそう考えた。


「まぁ、そうだな。居ても関わらない。面倒そうだし」
「うわぁ……。夢がないなぁ。それでも現役高校生?」
「うるせ。良いんだよ。そんな三文小説みたいな事なんか現実にある訳ないんだから。もし本当にいたってそんなのに関わってくのは主人公だけだ。そうだろ? 俺は間違ってもそんな柄じゃないしな」


 並斗の言葉に呆れた表情をした八波に並斗は憮然としたようにそう言った。別に夢がないことぐらい自覚しているが改めて人に言われるのは面白くはなかった。
 大体にして並斗自身そんなのに逢いたいとは思わない。


 人並み以上に運動が出来るというわけでもないので魔法使いならまだしも、悪魔や妖怪やらに出会ったなら逃げ切れずにすぐに死ねる自信があった。……何とも情けない自信ではあるが。


「ふーん。ま、二条は確かにそんな感じじゃないよね。雰囲気がモブッぽいし」
「喧しい。そんなのは十二分に自覚してんだよ」
「怒んなよー。でも私はそんなの好む好まざるに関わらず、だと思うけどね」
「へぇ。と言うと?」
「そりゃ簡単な話だよ。勿論主人公的な性格って言うの? ああいう素質を持った人間が首を突っ込みやすいってのも確かではあるけどね。その実、望む望まないなんて関係ない。来る人の所には黙ってたって来るし、来ない人の所には幾ら望もうがどうやったって来ない。それがトラブルってもんなんだよ?」
「ふーん。俺にはそんなの来たこと無いけどな。ま、モブ顔だし仕方ないのかもな?」


 澄ました顔をとりながら指を左右に振り語る八波に、並斗は先程の意趣返しも含めて そう言ってやる。
 八波は一瞬きょとんとするがすぐに皮肉に気付いたのか「やるじゃん」とでも言うように楽しそうに笑った。


「アハハ。それはどうかなー? 世界はトラブルで充ち満ちてるんだぜー? ありとあらゆる異常を受け入れて飽和して、それでも世界は廻ってるんだから。そっからこぼれたものが偶々二条に降り注いだ所で何の不思議もないでしょ?」
「事実は小説よりも奇なり、ってか?」
「私に言わせれば全ての小説が事実に基づいているんだよ。この作品はノンフィクションです。登場する人物、団体、事件、化物は全て実在するものです、ってねー」
「それが既に作り話っぽいけどな」
「いやいや、コレが実話なんだって」


 そう言って二人で笑い合う。朝から災難続きで良くなかった並斗の気分もこの頃にはすっかり平時のそれに戻っていた。八波との出会いはどうやら良い部類のトラブルだったらしい。
 しかし楽しい時間は得てして速く過ぎゆくものだ。辺りにはちらほらと学生が見え始め、もう学校も視界に入る程の距離になってきた。


「おい、扼神。あれがうちの学校だぞ」


 言って、見えてきた校舎に指を指す。八波は学校を見ると何故か驚いたような呆けたような、何か予想外なことでもあったようなそんな妙な表情をした。


「? どうした。想像より普通でガッカリでもしたのか? 残念ながらうちの学校は普通で普通な普通高校だから地下十三階まではないし、水道回せば隠し部屋が出てくるようなギミックも無いぞ」


 ついでに言えば地下に化物の封印された墓場も無い、とさっきまでの冗談の延長の様に説明してやる。
 極々普通の有り触れた普通高校。レベル的にも中の中。校舎だってピッカピカと言う訳でも風が吹けば崩れそうと言う訳でもないし、別に奇抜な建築様式と言う訳でもない。初めて見た人が驚くような要素など一つも見当たらない普通の学校だ。


「あぁ、夜な夜な妖怪が出て四角いので滅される訳でもないのね、ってそういう訳じゃないんだけどさー……?」

 それでも「えぇー……?」やら「……おっかしいなぁ」等とぶつぶつ呟いている八波に、「おかしいのはお前だ」と言わないだけ並斗は良心的と言えただろう。
 考え込みながら独り言を続ける連れ合いから、早いところ離れたいな、とそんなことを考えながら歩を進めていく。


 しかし此所まで来ると距離など殆ど無いようなものですぐに校門へと到着した。そこで隣を見れば彼女は学校に着いたことにも気付かずにまだ何事か考え事を続けている。
 その様子に声を掛けるのを躊躇うが、しかし置いていけば放課後まで此所で独り言を呟いていそうだ。それはそれで嫌なので並斗は心底嫌そうに彼女へと声を掛けた。


「……扼神さーん。学校着いたんですけどー」
「――ふぉっ!? ……すげぇ、無事に着いたよ」


 何故か感慨深げにそんな事をのたまう八波に、学校ごときに無事に着かないような事態があるのか問いただしたい気持ちに駆られながらも、聞くと更に疲れそうなので止める。
 さっさと校舎に入ろうと歩き出す彼の前に、八波が急に駆け出し彼と向かい合うようにして止まる。何事かと並斗は身構えるが彼女から出たのはお礼の言葉だった。


「いやいや、案内ありがとさん。ちょっとばかし予想の外を行ってたけど無事について何よりだよ」
「ん。どーいたしまして」
「此所まで来れば大丈夫でしょ。職員室ぐらいは自分で探すよ。そんじゃね、二条。二度と会うこともないだろうけど、息災を願ってるよん」
「んな大げさな。同じ学校なんだからそのうち会うだろ」


 本当に二度と会うことがないような物言いに苦笑を零す。だがその言葉に八波は自嘲めいた笑みを返した。


「いーや、そうであってそうじゃないね。もし二条が平和で普遍的な生活を送りたいってのなら私とは二度と会うべきじゃあ無い。近づいてきたら避けるべきだし、見かけたら逃げるべきだよ。自分から厄介事に関わっていくなんて正気の沙汰じゃない。違う?」
「…………」
「ま、そーいうこと。それじゃ今度こそバイバイ、二条。改めて息災と、良縁と、安寧を」


 先程までとは全く違う雰囲気、鬼気さえ感じるようなその様子に並斗は口を閉ざす。
 そんな彼を一瞥すると、クルリと校舎の方を振り向き後ろ手に手を振りながら八波は校舎の中へと消えていった。


 残されたのは異様な空気に気圧された一人の少年のみ。意味深な彼女の言動の真意を測りかねつつ、その意味を思考する少年の口を突いて出たのは――。


「ちゅ、中二病でもこじらせたのか、あいつ……? うわぁ、どうしようかな。会ったら他人の振りした方が良いのかもしんないな、マジで」




















































そのまま投稿。早く修正した奴を上げるようにします。



[19315] 2.
Name: 黒条非日◆42027da6 ID:5d60ef97
Date: 2011/05/18 10:06


「おはよーっす」
「おぉ、二条! タイヘンだタイヘンだヘンタイだー!」
「お前のことか、徳井」
「違うもん! 変態じゃないもん! よしんば変態だとしても俺は変態という名の紳士だし!」
「もう黙れよ」


 あの後暫く呆けていた少年が我に返り、急いで教室に入ればそれを出迎えたのは朝っぱらから何とも騒がしいクラスメイトだった。
 いかにも軽薄そうな逆立てられた金の髪。180程の身長は人に威圧感を与えそうなものだが、弧を描いた狐のように細い目と彼特有の雰囲気がどこか愛嬌のようなものを感じさせる、そんな少年だ。


 全体的な造りとしてはそう悪くはないのだが、発言からも知れるように何というか残念、と言う言葉が異様に似合う男である。
 そんなうるさい友人を一言の元に斬って捨て、並斗は自分の席に座った。そのままついてきていた友人、徳井遍司は並斗の冷たい返事をさして気にした様子もなくその後ろの机に腰掛け変わらぬ調子で話を続けた。


「オイオイオイオイ、二条君よぉー。いいのかい? 聞かないのかい? 大ニュースだぜ、大ニュース。聞かなきゃ絶対損するってー」
「分かった分かった。で何がどうしてどうしたって? まさかお前に彼女が出来たってのか?それなら腕の良い精神科医を紹介してやるから三秒以内に脳内彼女に別れを告げろ」
「ハッ、精神科医程度に消されるようなら俺の愛もそこまでだって事だろ。良いだろう、その挑戦受けてやるぜ! ……じゃなくてさー、ほーら教室の様子をよく見てみるんだ二条くん。何時もとは違うだろ?」


 男らしいんだか、そうじゃないんだかよく分からない台詞を吐く徳井に促され、並斗は教室を見渡した。言われてみれば、平時より雰囲気が浮ついているのが感じられる。主に男子。


 しきりに鏡を見たり、髪を整えたり、制汗剤を香水と勘違いした奴がひたすら自分にスプレーしている様子を見て、徳井は肩を竦め小馬鹿にしたような態度を見せる。


「な? 見ろよ、この無様に舞い上がった男子共の面を。ありもしないアバンチュールに期待する浮ついた雰囲気を! だがまぁ、コレも仕方ねぇって訳だ。入学して早一ヶ月。この中途半端な時期に何と転校生だってよ! うぉぉ! テンション上がってきたー!」


 急に奇声を上げる徳井を見て、他の男子生徒がうんうんと分かったように頷いている。どうやら男子間に妙な結束力とでも言うべきものが働いているようだ。
 逆に女子生徒達は落ち着いたもので、楽しみそうな雰囲気は出しているものの男子のようにバカ騒ぎはしていない。どちらかというと騒ぐ男子を冷たい目で見ている。温度的には真冬の早朝もかくや、と言った程度の冷たさだった。


「こんな時期の転校生なんて普通じゃない。どっかの組織の美少女エージェントか、はたまた安住の地を捜し遙か極東までやって来た美少女吸血鬼か、それともこの地に巣くう怪異を退治しに来た美少女エクソシストか! くぅぅ! 俺の脳内回路が唸りを上げるぜー!」
「碌なもんじゃないな、お前の脳内回路とやらは。そろそろ現実を見ようぜ。そんなのが現実に有り得る訳無いだろう。小説の見過ぎだっつーの、全くどいつもこいつも。それに転校生なら――」
「おぉっと! 皆まで言うな、二条。フッフッフ、どうせ転校生が女かどうか分からないって白けたこと言うんだろ? しかぁーし! その程度はとっくにリサーチ済み。西條のケヴィン・ミトニックと呼ばれた俺を嘗めるなよ!」


 ビシッ! と掌を突きつけ制止を掛ける徳井に、並斗は胡乱げな眼差しを向ける。


「ちなみに情報源は?」
「ん? あぁ、学校で迷ってる子を職員室まで案内したって隣のクラスの山田が言ってた」
「ケヴィン・ミトニックと何の関係があるんだよ。つーかお前パソコンなんてインターネット開くので精一杯だろうが」
「んなことねーよ。ゲームのインストールぐらい出来るって」
「誰でも出来るわ、んなこと」


 女子の視線も何のその。再び痛々しい叫びを上げ始めた徳井に並斗が朝出会った少女の事を話そうとすれば、何を勘違いしたのか先回りして更に見当違いな事を話し始める。
 並斗としてはこの友人にハッキングよりも先にエアリーディングを覚えて貰いたいところだ。既に女子の視線は液体窒素並の冷たさを帯び始め、教室内は温度差で嵐が発生しそうなくらいになっている。


 こういう所がモテない要因なんだろうなー、と並斗は徳井にもはや憐憫さえ感じさせる視線を向けるが、彼はそれに気付く様子など爪の垢ほども見せず更に言葉を重ねていく。


「隣の山田くん情報だとコレがスッゲー美人らしいのよ。腰まで届くロングの金髪で碧い目した子らしくてさー。外人さんだぜ、外人さん」
「へ?」


 ここに来て情報の齟齬が発生した。並斗が出会った転校生、扼神八波はちょっとばかり小柄で茶色のセミロングの髪と黒い瞳を持った少女だったはずだ。美少女という表現はまだしも、外人というのはどうにも頷きかねた。


「なんつったけなー? 何かカレーやらシチューが大好きそうな国出身だって聞いたけど」
「はぁ? インドか?」


 内心首を傾げる並斗を知る由もなく数少ない情報を思いだそうと考え込む徳井に、涌いてきた疑問はひとまず置いておくことにした。
 適当にカレーで連想した国を答えるが、インドで金髪碧眼というのはどうにもイメージ的に違う気がする。


 それにしても自称とは言え、一流のハッカーを名乗る割にはなんとも頼りない情報ばかりだ。そもそもパソコンを使えないのに何故ハッカーの名前など名乗るのか、正直最初から間違っている。
 そんなノリと思いつきだけで生きているような友人に並斗は溜息を禁じ得なかった。


「カレー、ルゥ? シチューの、ルー? るールーるー?」
「……いや、まさか無いとは思うけどルーマニアか?」
「あぁ! それそれ」


 つっかえが取れたような晴れ晴れとした様子を見せる徳井を横に並斗は机に突っ伏した。
 確かにマイナーと言えばマイナーな国ではあるが、まさか吸血鬼を語る友人がその原点でもあるヴラド・ツェペシュの出身国も知らないというのは確かに絶句するに値するだろう。


「どうした、二条。眠いのか? もうすぐHRも始まるんだから寝るなよ」
「頼むから喋るな。疲れる」
「おいおい、転校生来るってのにそんなテンションじゃ駄目だろうよ。ま、ウチのクラスに来るって決まった訳じゃないのは確かだけどな。他のクラスだったら昼休みにでも見に行こうぜー。約束な!」


 最後まで高いテンションで去っていく徳井に、人と話すのってこんなに疲れるものだったか、と今までの人生を思い返しつつ並斗は突っ伏したまま手を振ることで答えた。


 ちょうど徳井が席に着いたと同時に校内中に響くチャイム。教師はどうか知らないが、学生にとっては一日の授業の始まりを感じさせる忌々しい音色だ。


「――皆さんお早う御座います」


 遅れて数秒。教室の戸を開く音と同時に、風鈴の音色のような涼やかな声が聞こえた。
 突っ伏していた並斗が顔を上げる。流石に教師の声が聞こえてからもそんな状態を続ける気はなかった。
 入ってきたのはスーツ姿をした妙齢の女性。その女性はまるで背筋に棒でも入ったようにまっすぐな姿勢を取り、美しい歩き方の見本のような所作で教壇の前に立った。


 刀のように鋭い目つきとその凛々しい雰囲気も相まってまるで男装の麗人のようだ。短く揃えた烏羽色の髪もそれを助長しているのだろう。彼女の名を忍足忍。並斗達の担任に当たる人物だった。


 クールビューティーと言う言葉を人にしたならきっとこんな感じになるだろう、とそんなイメージを人に抱かせる女性だった。
 その容姿もあり生徒からの人気も高い。特に女子から熱烈な好意を寄せられているとは徳井の言である。徳井には珍しく説得力のある話であり、思わず納得してしまった程だ。


「皆さんに今日は嬉しいお知らせがあります。今日からこのクラスに新しい仲間が増えることになりました」
「来た来た来た来た来たー! っしゃー! これで俺にもやっと春が来――ぶっ!」
「五月蠅いですよ、徳井君。少し落ち着いて下さい」


 またぞろ叫びだした徳井の頭が急に跳ね上がる。辺りに散らばる白い粉。
 なかなか衝撃的な光景ではあるのだが、このクラスの生徒は見慣れすぎて驚く気もせずそれを為した人物へと目を向けた。
 視線を向けられた張本人。教壇に立つ忍足女史はその氷のような美貌を一切動かしていない。ただその腕だけが先程と違い、徳井の居る方向へといかにも何か投擲しました、と言った具合に伸ばされている。


「いてぇ……。愛がいてぇよ、忍ちゃん……。――あだぁ!?」
「誰が忍ちゃんですか。仮にも教師と生徒という間柄なのですから先生と呼びなさい、先生と」


 相も変わらず空気の読めていない徳井に二本目のチョークが突き刺さる。
 ここまでされて置いて周りの生徒から同情の視線が一つもないのが徳井が徳井たる所以だろう。並斗も呆れたような目を徳井に向けている。


「――……つぅう。忍せんせい! 何で俺の時だけ警告無しで迷い無くチョーク投げるんッスか? 他の奴にはちゃんと注意してからじゃないッスか」
「正直、貴方に何度も注意するよりそっちの方が効率的だからですが何か文句でもあるのですか?」
「あります! いくら俺が微Mだからって限度というものが――はうッ!?」
「HR中に不謹慎な言動は慎むように。貴方に付き合っていると朝の内に転校生の紹介が出来なくなってしまうのでもう喋らないで下さい」


 三度目。今までよりも強めに投げられたのか徳井が完全に沈黙する。心なしか投げる方の忍足女史の額にも青筋が浮かんでいるような気がする。そろそろ我慢の限界だったようだ。
 何時も通りの無表情に浮かぶ青筋というものもかなりシュールではあるが、それにツッこめる猛者は並斗も含め教室には存在していなかった。
 忍足女史は静かになった教室を見渡し、その様子に満足したように頷くと彼女が入ってきた扉へと声を掛けた。


「それではどうぞ、扼神さん」


 その声の後、ガラリと教室の戸が開く。入ってきたのは茶色の髪を肩の辺りで揃えた小柄で可愛らしい、しかし並斗にとっては見覚えのある少女だ。
 一瞬教室の男子が沸き立つが忍足女史に視線を向けられ、再び一瞬で黙る。ちなみに徳井はまだチョークをぶつけられた体勢で止まっている。どうやら気絶しているらしい。


「それでは自己紹介をお願いします」
「扼殺の扼に、疫病神の神。七転八倒の八と波乱の波と書いて扼神八波です! これからこのクラスでお世話になることになりましたので宜しくお願いしまーす!」


 満面の笑みでそう自己紹介する八波。しかしとんだ自己紹介もあったものである。
 どうやったらそこまでマイナスのイメージしか湧いてこない単語で自分の名前を表現できるのか。隣に立つ忍足女史も唖然とした雰囲気をしている。勿論無表情だが。
 もうちょっと紹介の仕方があるだろう、と呆れたように視線を向けると、その視線に気付いたのか八波が彼の方に顔を向けた。


「あっ! 二条だ! 同じクラスだったんだー? 奇遇だねー」
「? 二条君は扼神さんと知り合いなのですか?」
「へっ? あ、あぁ。朝にちょっと……」


 八波の言葉に忍足女史が首を傾げながら並斗へと声を掛けた。彼女は返ってきた答えに顎に手を当て考え込むようにすると、何かを思いついたようにぽんと手を打った。


「それなら丁度いいですね。二条君は扼神さんが学校に慣れるまで面倒を見てあげて下さい。扼神さん。二条君の後ろの席が空いているのでそこに座って下さい。何か学校のことで分からないことがあれば私か彼に聞くように」
「りょうかいでーす」


 自分の意志など関係なく矢継ぎ早に決まった処遇に並斗がぽかんとしていると、彼の後ろの席に着こうと歩いてきていた八波は並斗の前で一度止まり、からかうようにニヤリと笑った。


「必然偶然、合縁奇縁。ま、ま、ま、これも一つの良縁かもよ? そんじゃ、しばらくヨロシクねー、にっじょうくーん♪」
「……つーかお前、あんだけ意味深げな台詞吐いといてこれかよ!? 再会早すぎだろ!」


 ニヒヒ、と笑って席に着こうとする八波に並斗は彼女が入ってきた当初から我慢していた思いの丈を叫ぶが、しかし――。


「二条君、静かに」
「……すいませんでした」


 結局、忍足女史の一睨みで封殺されるというそんな何とも締まらない終わり方に落ち着くのだった。




[19315] 3.
Name: 黒条非日◆42027da6 ID:5d60ef97
Date: 2011/05/18 10:11

「いや、しかしホントあっさりと出てきたな、お前」
「二条!」
「え、なになに? もしかして二条、次会うのは何かのイベントの最中だとでも思ってたの?プププ、んなわけないじゃん。現実なんてこんなもんだよ」
「……二条くーん?」
「まぁ、そうだけどな確かに。でもあんなこと言って置いてこれって言うのもなんか、こう、釈然としないんだよな」
「二条さーん」
「まぁ、いいじゃん細かいことは。私みたいな美少女と知り合いになれただけラッキーだと思っときなよ」
「…………」
「自分で言ってちゃ世話無いな」
「純然たる事実だしー?」
「無視すんなよぉ!」


 遂に耐えかねて叫び声を上げた徳井に、そこでやっと並斗が意識を向ける。
 八波も分かっていて並斗の態度にノって無視し続ける辺り、割といい性格をしているようだ。


「喧しいぞ、徳井。教室の隅で大人しくしてろ」
「酷ぇ!? ま、まぁいい。バチカン市国並に心の広い俺はその友を友とも思わぬ発言も許してやろう。――だから早くその子に俺を紹介するんだ! ハリーハリーハリーハリー!」


 鼻息も荒く近寄ってくる徳井を押し退けつつ、このまま放って置いた場合の教室の騒音被害を考慮して八波に彼を紹介することにした。
 徳井へと指を向け――。


「これ、徳井」
「一言ッ!?」


 あまりに簡潔な紹介に徳井が驚きの声を上げる。


「ヨロシク、徳井ー」
「アンタもそれでいいのかッ!? いや、もうちょっと何かあるだろ? こう好きなタイプとか、好きな食べ物とか、何でも答えちゃうよ?」
「いやー、別にいいかなー?」
「お、俺に対する興味が塵ほども感じられないッ! 二条、二条! この傷心のソウルブラザーを慰めてッ!」
「俺はバチカンの広さも知らない奴を友達に持った覚えはない」


 徳井が膝と両手を地面について落ち込み始めたのを見て、八波が笑い声を上げる。確かに少なくとも見ていて退屈はしない少年だった。常にギャグ臭が香る男、徳井。


「くっそー。んだよ、んだよー。二人で仲良く喋りやがって。つーかなんで二条と扼神ちゃんは知り合いなわけ? もしかしてもしかすると子供の頃別れて、今になって再会した幼馴染みとかそう言う設定なのか?」


 ふて腐れ頬を膨らました徳井は、一転疑問げな表情をする。別に彼が言ったように大層な設定があるわけでもなく、朝に案内したくらいの縁なだけだ。
 そう説明しようと並斗は口を開くが――。


「そういうわけじゃなくて、朝扼神が――」
「もしかして曲がり角でぶつかるとかそんなギャルゲ的な出会いをしたってのか!? おい、二条! お母さんはそんな破廉恥なことは許しませんよ! 今すぐお母さんと変わりなさい!」


 徳井が見事に台詞を被せてきた。本当に空気を読まないことと、人の話を聞かないことに掛けてだけは一流の男だ。惜しむらくはそのどちらも褒められた特技ではないということだろうか。


 大体にして誰がお母さんだ、誰が。
 ギャーギャー喚く徳井を尻目に、この展開を八波はニヤニヤと楽しげに見ている。もうその表情から助け船を出す気が更々無いのが見て取れた。本当にいい性格をしている。


 そんな会話の所為か、段々と他の男子が並斗を見る目も刺々しいものになってきている。主に嫉妬と羨望で。
 こんな下らないことで男子生徒に敵視されるのも正直嫌なのでとりあえず並斗は徳井を静かにさせることにした。


「落ち着け、徳井」
「痛いッ!? ぼ、暴力に訴える気か! だが俺は屈しないぞ、今こそ声高らかに言論の自由をっ――アウチッ!」


 心底うざったい徳井に二発目の拳を叩き込みつつ、時計に目をやる。もうすぐ一時限目の授業が始まる時間だった。そのことを喚く徳井にしょうがなく伝えてやる。


「早く席に着けよ、徳井。もうすぐ授業だぞ」
「一時限目は国語だったっけ。つーことはヅラの桂だな」
「えっ? なに、ヅラなのその先生」
「いや、ヅラっぽいだけでそうかどうかは実際分かってないけどな」


 徳井発信の胡散臭い情報に八波が過剰な反応を示す。国語の桂教諭の頭は確かに少しばかり作り物めいているが、決めつけるのも早計だと生徒間では保留になっている話だ。


「いやいや、間違い無くヅラだってアレは。先輩に聞いたけど年中アイツ七三から髪型がシフトしないらしいし、髪伸びないらしいし」
「いいからお前は席に戻れよ」


 そう言い、徳井を促すと徳井は不本意そうに席に戻っていく。何度も名残惜しげに此方を振り向く仕草が地味にうざったい。
 仲間にでもなりたいのだろうか。正直並斗としては遠慮したいところではあるが。


「しっかしヅラねー。二条、もしかしたら次の時間面白いことになるかもよ?」
「? 面白いことって何だよ?」
「そりゃー見てのお楽しみでしょう。ま、どうなるかは知ったことじゃないけど。っと来たッぽいよ」


 教室の扉が開き、一人の教師が入ってくる。眼鏡に七三、きっちりとスーツに身を包んだいかにも教師然とした壮年の男性だ。話題に出た桂教諭だ。ちなみに嫁は無し、三十五歳独身。
 日直の号令と共に席を立ち、下げたくもない頭を下げて再び席に着く。


「はい、おはよう。今日は転校生も居るようだから自己紹介をしておこうか、国語担当の桂だ。よろしく扼神さん」
「ヨロシクお願いしまーす!」
「ん。元気があっていいな。それじゃあ授業を始めよう。先週の続きだ、教科書の40ページを開きなさい」


 始まる授業。国語と謳いながら接続詞、形容詞、助動詞、未然、連用、終始に已然。サ行にカ行の変格活用と来ればもう既に理解できない異国語に聞こえるから不思議なものではある。
 黒板に文字を書くカツカツと言う音と合わせて、人によっては子守歌にも聞こえるようだった。授業が始まって十分もすれば机に突っ伏して寝息を立てている生徒も所々に見られた。


 いつもと同じ授業風景。まるで世界が永遠に繰り返されているかのようにすら感じられる。
 欠伸が口を突いて出る。この将来役に立つかも分からない勉強にどれほどの意味があるのか。分かるのはただただ退屈というどうしようもない現状だけだった。
 退廃的な思考に身を浸しながら、授業の前の八波の台詞を思い出す。なにが面白いことが起こる、だ。何も起こらない、起こるわけがない。


 あと何十分か、ノートをまとめながら授業を聞いて、それで終わり。それが、それでこそ普通で不変で、当たり前な日常というものだ。
 停滞して、代わり映えがしないからこそ日常。そう簡単に手のひらを返されては今までその日常を過ごしてきたものとして立つ瀬がないというものだろう。


「――であるからして、サ行変格活用は基本的に覚えることが少ないのでこれぐらいは暗記しておくように。――んっ、ゴホン、この教室空気が乾燥してるみたいだな」


 授業も中盤だろうか、桂教諭はそう言って一つ咳を零すとおもむろに窓際へと歩み寄った。どうやら窓を開ける心算らしい。
 彼が窓を開くと、教室の淀んだ空気が春らしい爽やかなそよ風に追い立てられ、変わって新鮮な空気が中へと注ぎ込まれる。
 その空気を思いっきり吸い込み、桂教諭は満足げに息を吐いた。


「ふぅ。いいか、君達。こうやって小まめに空気を入れ換えないと空気が乾燥して、風邪なんかをひきやすく――」


 それは神の悪戯か、それとも悪魔の所業だろうか。それまでは穏やかにそよいでいた風が、一瞬烈火にも似た激しさを見せた。
 俗に言う春一番である。
 予期せぬ自然現象。そして事件とはいつでも予想の遙か斜め上を行くものだ。


 その風はカーテンを激しくはためかせ、一部の生徒の教科書と教壇の上の教材を一瞬にして床へと運んで行った。……ついでにヅラも。
 教室を支配したのは沈黙だ。生徒の視線は床に無残に屍を晒した毛髪もどきと、まるで水面のように暖かい陽光を照り返す国語教師の頭部を行ったり来たりしている。


「? どうした、そんなに先生のことを見て。それにしてもすごい風だったな。ほら、教科書が落ちた生徒は早く拾いなさい。……ん?」


 ぺたり、と。多分乱れたであろう髪を直すつもりだったのだろう。桂教諭が生徒に注意しながら己の頭へと手をやった。
 しかし返ってきたのは髪の感触ではなく、剥き出しの皮膚の感触だ。それはそうだろう。あるべき頭髪は教室の入り口付近に転がっているのだから。
 桂教諭は何度も確かめるように、その潮が引いたように髪が後退した頭部に手を這わせた。その度に顔が色を失っていく。


「づ、ヅラが吹っ飛んだズラ……」


 追い打ちを掛けたのは徳井だ。この局面でそんな台詞が出せる辺り、流石と言わざるを得ない。やはり常人から少し外れている。


「こりゃやべぇズラ」
「大変だズラ」
「どうするズラ?」


 更にノリのいいクラスメイトが言葉を重ねていく。死者に鞭を打つような言動に桂教諭の顔が青を通り越して、熟れる前のトマトのような色に変わっていく。


「――ッッ!」


 それまで一切動きを見せなかった桂教諭がいきなり動き出した。黒板に何かを書き殴り、ライオンに追いかけられる草食動物を彷彿とする素早さで、カツラを拾い上げて教室の外へと逃げ出していく。その後を煌めく雫が追っていった。
 生徒はそれを黙って見送る。いくら何でも被り直して授業を続けろ、なんて酷なことは誰も言えなかった。むしろ、心境的には授業が潰れて御の字だ。


「オーノーだズラ。ありゃもう駄目だズラ。学校中に知れ渡っちまうズラ。っていうか自習だってよ、二条。まぁ、折角だからあそこまで進行した場合カツラを被るのと、潔くスキンヘッドにするのとどっちがマシか討論でもしようか? ちなみに私はスキンヘッド派ね」
「……そりゃ、どっちかと言えばスキンヘッドだろ。つーか面白いことってコレか? 面白いとか以前にすげぇ後味が悪いんだけど。あんなに簡単に飛んで良いもんなのか、ヅラって」
「さぁねー。それこそ髪のみぞ知るッて感じじゃん?」


 教室に騒がしさが戻り始める。と言っても話の内容はもっぱら桂教諭のカツラの話だったが。
 思いもしない彼女曰く、『面白いもの』。確かに退屈だとは思ってはいたが、誰もこんな超展開を望んではいなかった。感じるのは愉快さよりも、悲哀と憐憫。どうにもこうにも始末が悪い。
 ……結局その後、一時限中に桂教諭が教室に戻ってくることはなく雑談が続き、鐘の音と共に終わりを告げるのだった。



















































「いっやー、しかしまさか三、四時間目まで潰れるとは思わなかったね。これぞ正に珍事って感じだわ」
「まともに授業できたのが二時間目だけだしな。……大丈夫だったらいいなぁ、又谷先生」
「…………」
「何神妙な顔で手を合わせてんだ、扼神」
「黙祷。又谷先生のご冥福を祈ってるんだよ」
「死んでねーよ」
「でもねぇ? 踏切板に足を滑らせて跳び箱に股間を強打って、もう色んな意味で再起不能でしょ。体育教師の股間に関わる問題だよねー」
「沽券な、沽券。昼間っからいい歳した女子が下ネタ飛ばすんじゃありません」
「以後気をつけまーす」
「……はぁ」


 場所は屋上。まだ肌寒さを感じるような気温ではあるが、それを補ってあまりある程太陽は燦々と輝き、並斗と八波の身体を暖めてくれている。
 五月ともなれば桜も散り、屋上から見える景色はただ街並みを俯瞰するだけの場景で大して面白いものでもない。


 それでも何故彼らがそこにいるかと問われれば、そんな大した理由があるわけでもなく単に八波が妙なこだわりを見せた為、ここで昼食を取ることにしただけだった。
 本人曰く、「学校で昼食と言えば屋上でしょ!」とのことだ。まぁ、分からなくもないが。


 時折強く吹く風に少し身を震わせ、購買で買ったコロッケパンを口にしながら、午前の授業風景を思い返す。実害こそ無かったが少し疲れる騒がしさだった。
 体育教師は病院に搬送され、国語教師は書き置きを残して旅に出た。要は再起不能である。


 並斗がコロッケパンと共に諸行無常を噛みしめていると、八波は弁当を食べ終わったのか寝転がって空を仰いだ。
 空には桜の花びらのように細かな雲が浮かぶばかりで、概ね快晴。夜には美しい星空が見えることだろう。
 そんな空を見上げて、八波は気の抜けた声を零す。


「……あー、平和だぁ」


 当たり前のことを感慨深く呟く八波を横目に見ながら、最後の一口を飲み込む。
 何がそうさせるのかは分からないが、八波は嬉しそうな、幸せそうな、そんな表情をしていた。


「平和、ねぇ? 俺にしてみれば激動の一日って感じだけどな」
「ま、結局は主観だからね。私と二条の感想が違うのは当たり前。あー、それにしても良い気分だわ。今日ぐらいは神様信じてあげても良いかもー」
「何だよ、普段は信じてないのか」
「私、日本人だもーん」
「それはそれで偏見に満ちた意見だな」


 日本人の宗教観念が薄いのは確かなことだが、中には熱心な信者もいるわけで日本人の一言で片付けるのはあまり戴けない。
 まぁ、日本人の宗教観念なんてものは困った時の神頼み、と言う言葉が何よりも良く表しているだろう。そもクリスマスからハロウィンまでこなす国の人間にそんなものを期待する事自体間違っている気がしないでもないが。


 並斗は屋上を囲む鉄柵にもたれ掛かり、八波のように空を見上げ何とはなしに流れていく雲呆っと眺めた。
 無言の時が流れていく。気まずさはなどは感じないただゆっくりとした時間の中、並斗も八波も一言も発することなくただ空を見上げ続けた。
 どれくらいその状態が続いただろうか、一分か、十分か、流石に一時間と言うことはないだろう。ふと、八波が口を開いた。


「……朝の続きじゃあ無いけどさ。二条は本当に一度も創作の世界に憧れたことはなかったの?」


 そう聞かれれば、並斗も一度もないとは言えない。血湧き肉躍る幻想の世界に憧れたことが無かったかと言われれば勿論、答えは否だ。

 小説の主人公のようになりたいと思った時期は確かにあった。苛烈な剣戟と魔法の世界に、鮮烈な冒険と闘争の世界に、熾烈な銃撃と硝煙が薫る世界に、身を投じてみたいと思わない男の子がいるだろうか。勿論、答えは否だ。

 だが、そんなことが現実に有り得るだろうか。実際に現代の少年がそんな世界に身を投じて、剣で、魔法で、銃で、己の未来を切り開くことが出来るだろうか? 
 答えは――否だ。


「そりゃあ、俺も男の子だぜ。勿論あったさ。だけどさ、どうしようもないだろ? 世界に魔法なんてものは無くて、ドラゴンは空を飛ばない。夢を見る時期はもうとっくに過ぎたんだ」


 幻想への憧憬は何時しか過去の思い出になる。
 風化していく思い出の先に見えるのはどうしようもない現実だ。夢は消え、子供は現実へと向けたくもない目を向ける。
 それが大人になるということだ。取捨選択。何時だって捨てられていくのは夢、理想、憧れ。拾わなければいけないのは欲しくもないものばかりだ。


 だが、それも仕方ないと並斗は思う。
 夢だけでは食べていけない。
 理想だけでは生きていけない。
 憧れだけでは何になることも出来はしない。
 だからこそ、それは重荷になっていく。


 だから彼は早く夢を捨てることにした。何時までも背負っていても叶うことのない夢は自分の重荷にしかならないと気付いたからだ。
 人は何かを諦める度に大人になっていく。それは確かにつまらないことだが、しかし必要なことなのだ、と並斗はそう考えていた。


「もし、いたら?」
「朝も言っただろ? どうもしないさ。自分の分くらい弁えてる」


 今更、それらが目の前に現れたところでどうこうしようという気にはならなかった。
 成績は良いとこ中の中。運動神経も人並み。特にコレと言った特技もない。そんな人間がそんなものと相対したところで何が出来るというのか。何も出来はしないだろう。


「ホント、二条は冷めてるなぁ。高校生にしては達観し過ぎじゃない? ここは徳井みたいにすんごい妄想を語る場面でしょ」


 八波はジトッとした目を並斗へと向けた。確かに徳井なら「そりゃあ、襲われてる女の子を華麗に助けてフラグ立てるだろ!」やら「遂に俺が主人公になる時代が!」などと妄想逞しく語ってくれるだろうが、同じ反応を並斗に期待されても困るというものだ。


「好き勝手言ってくれるけどな、じゃあお前はどうなんだよ。もしそんなのにあったらどうするんだ?」


 そこまで言うのならさぞかし大層な答えなんだろうな、とそんな意思をこめながら逆に問い掛ける。それに少しも考える素振りも見せず八波はすぐに答えを返した。


「状況に身を任せる!」
「は?」


 思わずそんな声が出た。いまいち真意を測りかねる答えに間抜けな顔を晒す並斗に、八波は出来の悪い生徒に言い聞かせる教師のような、そんな素振りで続けた。


「だから状況に身を任せるんだよ。逃げも隠れもしないでさ」
「意味が分からないんだけど……」
「だからさー、魔法少女になってと言われれば魔法少女になるし、指輪を火山の火口に捨ててくれと言われれば捨てに行く。それだけの話だよ?」
「そんなことして何の得があるんだよ」


 その言葉に八波は両手を上げ、首を振り溜息を吐く。なかなか勘に触る仕草に少しイラッとしながらも並斗は先を促すような視線を八波に送った。


「損得じゃないんだよなー。その時すでに賽は投げられてるんだからさ、後は私の匙加減でしょ。そんな貴重な体験が出来るんだからどうせなら楽しまなきゃそれこそ損だよ」
「それで危ない目に会うかもしれないのにか?」
「もち! 後悔だけはしたくないじゃん。あのときあーすればよかったーとか、格好悪いでしょ? そう思うくらいなら自分は精一杯やったと思いながら死んだ方がマシだよ」
「英雄の考え方だぜ、それ。ほとんどの奴がそうしたいって思ってるさ。でも現実はそうはいかない」
「大事なのはやるかやらないかだと思うけどなー」
「現実でそんな事する奴を何て言うか知ってるか? 愚者(バカ)って言うんだよ」
「賢い傍観者であるよりは格好いい愚者(バカ)で在りたいと私は思うけどね」
「俺は勇敢でイカした英雄より臆病な傍観者でいたいんだよ」
「飛ばない鳥はただの臆病者(チキン)だぜー、二条」
「身の程を知らないで太陽に翼をローストされるよりはマシだね」


 そこまで話して、並斗はハッと我に返ったようにしてばつが悪そうに頭を掻いた。半ば睨み合うように合わせていた視線を恥ずかしげに八波から逸らす。
 自分は何をやっているのだろうか。こんな話で向きになるなんて、いくら何でも子供過ぎる。ましてや女子を睨み付けるには大人げないにも程がある理由だった。


「……つーかさぁ、何でこんなくだらない話を大真面目にしてんだ、俺らは? 昼休み丸々使って不毛な会話してどーすんだよ」
「はぁ? 昼休みに限らず学生の会話なんて大体不毛なもんでしょ。これからの世界情勢について話したって面白くないでしょうが。それとも桂先生の行方の話でもする?」
「それはマジで不毛な話だ」


 きっと嵐でも飛ばないカツラを探す旅に出たのだろう、勝手な想像を話し合う。
 この会話も不毛そのものではあるのだが、失礼な話学生に建設的な会話をしろと言うのも土台無理な話だと言うことだろう。
 そのまま昼休みが終わるまでくだらない会話は続いた。
 


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