光あるところ影がある。
王都トリスタニアもまた華やかな王都であるからには人々集まり、その輝きの下に影を作り出す。
私が呼び出しを受けて向かった先は、街の外れのあるエリアだった。
時刻は間もなく日付が変わろうかと言うあたりであるが、そのエリアに近づくにつれ、徐々に人通りが増え、明りも勢いを増していく。
白衣の小娘がうろついているとやたらと目立つかと思えば、ここではどんな格好をしていても馴染んでしまうから不思議だ。
チクトンネ街のさらに奥。官憲も迂闊に手が出せない、不文律と言う法で縛られたエリア。
通称『夜の城通り』。
新宿の歌舞伎町やリュティスの暗黒街に比べればささやかなものだが、それでもトリスタニア最大の暗部。
その道では有名な花街は、今日もきらびやかな光を放っていた。
「ごめんよ」
ひときわ大きい娼館『香魔館』の玄関口で声を上げると、出迎えの男が寄って来て私を胡乱な眼で見る。
髪はオールバックで目つきは鋭い。絵に描いたようなヤクザ者だ。
程なく正体を思い出して態度が急変する。
「これはこれは先生、ようこそのお運びで」
「話は通っているのかい?」
「もちろんでございます。どうぞこちらへ」
やたら丁寧に案内され、私は館の中に入った。
媚薬の匂いたなびく館内。多くの男女がよろしくやっている空間と言うのは、何となく空気からして違う。
幼児体験のせいか、そういうものにはおよそ興味がないと言うか、むしろ嫌悪感が先に立つ私としては何回来ても居心地が悪い建物だ。
この手の仕事は人類最古の商売だと言うが、2番が王様、3番が泥棒とくると、医者と言うのも結構古いんじゃないかと思いながら私は歩みを進める。
黄金の女体像だの噴水だの植え込みだのと、やたら金がかかった広い庭を通り、離れに辿りつくと、予想外に落ち着いた室内に一人の老人が床に伏せっていた。
短髪白髪の、目つきが鋭い男だった。
まるでその男の生きざまのような太い声で私に言った。
「やあ、先生。よく来てくれたな」
「まだくたばっていなかったようだね、ハインツの」
だいぶ生気は抜けているものの、まだまだ頑丈そうな老人だった。
名をゲルハルト・ハインツ。
トリスタニアに巣くう、ゲルマニア系マフィア『ハインツファミリー』の大親分。
町内会の伝手で知り合った大立者だ。
「何、俺も歳だ。だいぶガタが来たところにこのありさまだ。流石に俺もここまでかと思ったぜ」
布団をめくると、炭化寸前の酷い火傷が体の半分を覆っていた。
ガーゼには体液が滲んで布団まで汚している。
重度の熱傷。恐らくファイアボールの直撃を受けたのだろう。
「運がいいこった。一個しかない命だが、大事に使えば一生持つよ。気をつけるんだね」
私は治療用の道具を出しながら今度は鋭い視線をハインツに向ける。
「ハインツの。最後の確認だ。その怪我、組織同士の喧嘩出入りのものじゃないね?」
「ああ、俺の手下だったはねっ返りの仕業さ。裏で糸引いてる奴はいるかも知れねえが、俺が生きてるとなっちゃ、自分がそいつらにやらせましたと言う馬鹿はいねえよ」
「トリステイン系の連中の恨みでも買ったかい?」
「トリステインとゲルマニアが嫌い合ってるのは、王族も俺たち筋者も変わらねえよ」
私は頷いて治療を始めた。
裏の世界と接点を持った時、私は『完全中立』を標榜した。
その負傷が組織間の抗争の結果であった場合、不干渉を貫くために一切の面倒は見ないと言うことは関係者には一貫して伝えてある。
そうじゃなければ幾つ命があっても足りやしない。人の恨みはどこで買うか判らないのが世の中だ。
ヤッちゃんの世界では、若手が元気がよすぎると途方もない馬鹿なことをやらかしたりするものだが、今回もそのケースらしい。
ファミリーの新進気鋭の若手の火の魔法使いが、何を考えたのか親父に向かって杖を向け、幹部数人もろともハインツを焼いた。
この辺の話は、町内会で『武器屋』から聞いて裏を取ってある。
私が呼ばれたのも、その時に子飼いの水の魔法使いが死んだためだとのこと。
やってることは国もマフィアも変わりはない。最後にものを言うのは金か暴力だと言うことだ。
ちなみに、マフィアと町内会の間には、ある種の不可侵条約が成立している。
みかじめ料だのショバ割りだのと不当に商人を苛めて回るのがマフィアのようではあるが、ここはトリスタニア、下手なマフィアよりおっかない商人が少なくない。
それでも何回か小競り合いを起こしているが、ある意味最大派閥のマフィアとも言える町内会を敵に回して無事に済むはずもなく、構成員が軒並み毒を食らって全滅する組織もかつてはあったらしい。
ちなみにピエモンはそのころからの武闘派だと聞いた。
そんなピエモンが私を町内会に加えた理由だが、独自の情報網を持つ彼のことだ、恐らく私の出自を知っているからだろう。それが彼のどういう得になるかは私には判らんが。
麻酔をかけて炭化した部位をそぎ落とし、組織に水の秘薬を用いて再生を促す。
治癒の魔法を並行することで真皮から筋組織までこんがりやられた傷を修復していく。
2時間ほどで治療は終わり、ハインツはようやく落ち着いてため息を吐いた。
「終わったよ。3日くらいは大人しくしてるんだね。薬は後で取りに来させとくれ」
「助かったぜ。金はすぐに届けさせる」
「出張手当はちょっと弾んでもらうよ。見送りは要らないからあんたは寝てな」
「すまねえな」
私が帰ろうとしたその時だった。
離れの入り口で案内役をしてくれた男が突然燃え上がった。
何事かと見れば、黄金の女体像の陰から目つきが悪い男が杖を手に姿を見せた。
蛇のような粘っこい目をした男だった。
親分のボディガードが飛び出してくるが、それらが背後から矢を食らって倒れる。
離れの周囲にも数人の敵がいるらしい。
もったい付けたような口ぶりで男が言った。
「余計なことをしてくれたな、先生」
私は驚いた顔も見せずに背後にいる親分に言った。
「ハインツの、追いかけてたはずのはねっ返りにあっさりこんなとこまで迫られるたあ、あんたも焼きが回ったかね。文字通り」
「違えねえ」
ハインツは無理やり起き上がり、杖を手に取った。
そんな私たちをつまらなそうに眺めながら男は言った。
「先生よ、あのままそのジジイががおッ死んでくれれば、俺が頭を張れたんだ。その報い、受けてもらうぜ」
「あいにく、こっちも治してナンボの商売さ。お前さんみたいな仁義外れを治す方法は一つしか知らないけどね」
「水の魔法使いが火の俺に勝てるかよ。御托はあの世で並べなよ、先生」
男が放ったファイアボールを、私は水の壁を繰り出して防ぐ。
すさまじい音と水蒸気が立ち込めた。
「月並みだな。そんなちんけなシールドじゃ俺の火の前じゃもたねえよ」
馬鹿はたいてい饒舌だから助かる。
私は己の中のイメージを練り上げる。
Empty your mind, be formless,
shapeless - like water.
Now you put water into a cup, it becomes the cup,
you put water into a bottle, it becomes the bottle,
you put it in a teapot, it becomes the teapot.
Now water can flow or it can crash.
Be water, my friend.
男が続いてファイアボールを練ろうとした時、私の詠唱が一瞬早く完成した。
私の杖の先から一直線に走る細いレーザーのような銀光が男を杖ごと横に薙いだ。
男の目がくるりと裏返り、横一文字に両断された男のパーツがぼとぼとと庭に崩れ落ちた。
背後の女体像がゆっくり傾いで、その上に音を立てて倒れ伏した。
水の鞭の魔法を元に、医療用にウォータージェットメスを研究していて身に着いた魔法だ。
太さ0.1ミリの水流を数万気圧の高圧で打ち出すとこういうことができる。
現実世界でも金属の加工に使われている理屈だ。
土に続く質量系の魔法である水魔法を舐めちゃいけない。
医療用に考えていた魔法を攻撃用に転用しようとしたのは、ある偉大な悪の帝王のアイディアが元だ。
その方の御尊名はディオ様と言う。
「主、御無事で?」
「終わったのかい?」
「既に」
音もなく現れるは我が忠臣。
私が一人片付ける間に野郎の手下数名を片づけてくれていた。
マフィアの本拠地じゃ先に手を出す訳にはいかなかったから、相手に先に手を出させての事後処理だ。
ディルムッドは嫌がったが、これも通すべき筋と言うものだ。
騒ぎを聞きつけて人が集まって来た。後始末は任せてもいいだろう。
警備担当の奴の責任はどうなるのかね。
小指の問題ならまだいいけど、ここはハルケギニアだからなあ。
コンクリの靴とかあるのかしら。
「ハインツの、とりあえず、今回のは貸しにしとくよ?」
「高えもんにつきそうだな、おい」
「だったらこれに懲りて、身の周りはしっかり守るか、年波に従って引退するんだね」
「考えとくよ」
「ああ、徹夜明けの午後の太陽って黄色いわあ」
「夜遊びばっかりしてるからです」
結局一睡もできず、珍しく怒っているテファに鞄を持ってもらいながら、午後の往診に向かう。
そんな一日。