<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[22142] 【完結】エンジェルゲーム2 (現代FT・ジャンケン)
Name: root25◆370d7ae2 ID:d7953054
Date: 2010/10/10 11:27



2012年6月6日19時50分



「はー、さっぱりした」

「うおっ、何だその格好は。さっさと服を着ろ」

「あら、ときめいた?」

「そんな歳でもあるまいし……。体を冷やすなって言ってるんだよ」

「ふふっ、すぐ着替えるわよ。……あ、冷蔵庫に高そうなプリンが。頂いちゃおうかしら」

「やらんぞ」

「ケチくさいんだから……。じゃあジャンケンで勝った方がこのプリンを食べる権利を手に入れられるってのはどう?」

「どう? じゃない。元から権利は俺にあるっての」

「それはひとまず置いといて」

「置くな! そこ重要だぞ!?」

「ねー、いいでしょー。プーリーンーたーべーたーいーのー」

「ああもう、子供かよ」

「あたしはこの美味しそうなスイーツの為なら、幼児に退行する覚悟もあるわ」

「そんな覚悟捨ててしまえ!」

「うるさいなぁ、男でしょ? いいからやるの!」

「……やれやれ。しょうがないな、お前は」

「よし、言っとくけどあたしはジャンケン強いよ?」

「そうだったか? なら、久々に本気を出そうか。ここで負けると俺に食される事を待っているアイツにも申し訳が立たないからな」

「よくぞ言ったわ。それでこそあたしの愛する人ね!」

「愛とか言うなよ、照れるだろ」

「もう、可愛いんだから。……それじゃあ行くわよ。さっいしょっはグーっ!」





「ジャンケンポン!」





《GAME START》

残り 70億5452万2989人



[22142] リトルプリンセス・前編
Name: root25◆370d7ae2 ID:d7953054
Date: 2010/09/26 00:30


2016年9月10日 北海道 根室・風蓮湖沿岸



――炎みたいだな。

目の前に広がる赤い光景を見て、真姫奈はそう思った。
天気は快晴。もう夏も終わるというのに、うだるような暑さが続いている。空を見上げると、馬鹿げた大きさの赤い翼竜――ワイバーンの集団が、背中に乗っている怪物を次々と投下していた。
地上に投下された怪物は、リザードマンと呼ばれる赤いトカゲ人間。
ワイバーン一匹につきリザードマン数十体。それらは密集し、蠢きながら真姫奈や鉄平の下へと向かい始めた。流れるようなその様子は、ワイバーンが人間という種族を燃やし尽くす為に吐いた炎のブレスにも見えた。
おそらく三千を超えているであろう赤き怪物の軍勢。だが、それを迎え撃つ人間は僅か二人だけだ。

小さな少女と、大柄な男。

少女の方は、本来ならばまだ小学校に通っている年齢だろう。
ピンク色のフリフリ服を着た、サイドポニーの女の子。愛嬌のあるその顔立ちは、戦場に似合わない可愛らしさを存分に振りまいている。
もう一人、軍服を着た三十代前半の男性は、背が高く、男らしい精悍な顔つきをしていた。ピリピリした厳格な雰囲気を纏う彼は戦場に相応しい熟練の戦士のようだった。

二対三千。

真っ当な戦いならば、およそ考えられない戦力差だったが、二人にはそうするだけの理由と、そうしなくてはならない事情があった。

「俺はワイバーンを狩る。真姫奈は雑魚共の相手だ」
「わかりました」
「終わったらすぐに加勢する……死ぬんじゃないぞ」
「はい! 鉄平さんも気をつけて」

よし、と頷くと鉄平は地面を蹴りつけワイバーンに向かって跳躍した。
真姫奈も人類のスペックを軽々と超えてはいるが、あそこまでの跳躍は無理だった。あれは人類最高のRPSFを保有する鉄平だからこそ可能な芸当だ。
空を羽ばたく翼竜の始末は鉄平に任せ、真姫奈は迫り来るリザードマンの群れに向かって跳び、先頭の一体を捕捉する。彼女がその小さく柔らかい手を振り上げると、つられる様にリザードマンも右手を振り上げた。

「最初はグーっ!」

気合を入れるために、意識して大きな声を張り上げる。これからこの集団を滅ぼさなくてはならない。しかし、いかに魔族といっても真姫奈は命を奪うという行為が好きではなかった。実感が無いとはいえ、殺している事に違いないのだから。

お互いに握り締めた拳を振り下ろし、再び顔の傍に拳を引き戻す。
これから行なうジャンケン。真姫奈の脳裏にはすでに、一つのイメージが浮かんでいた。

――パーだ。

浮かび上がったイメージ通りに自分の手を作り替えて、再び拳を振り下ろす。

「じゃんけんぽん!」

大きく開かれた真姫奈の手は『パー』、対するリザードマンの手は『グー』。真姫奈の勝ちだ。
ジャンケンに敗北したリザードマンは、その姿を光へと変え、爆発した。
爆発によって発生した激しい閃光が、避ける暇も与えずに真姫奈や周りのリザードマンを巻き込んでいく。
RPSFの消失現象。
もはやお馴染みとなったこの光景だが、最初に発見してから4年、人類は未だにこの現象を解明できていなかった。
人間や魔族の体を包むRPSFは、ジャンケンに敗北すると、本人もろとも可視光になって爆発、消滅するという奇妙な特性を持っている。発生する閃光は人体には無害であり、仮に巻き込まれても害は無く、ゼロと言っていい量のRPSFが増加するだけだ。
しかし、直接ジャンケンで勝利した者は違う。
ジャンケンの勝者は、対戦相手である敗者の持つRPSFをほぼ完全に吸収し、自身のRPSFに融合させるのだ。

「次っ」

魔族はRPSFの大きな人間を狙う習性がある。空を駆ける鉄平の動きについていけないリザードマン達は自然と真姫奈を狙い、彼女を倒そうと集まってくる。
真姫奈はそれを気にする事もなく、新たに補足したリザードマンに勝負を挑んだ。

「最初はグー! じゃんけんぽん!」

本来ならば、魔族にジャンケンを挑まれた人間はたった一度の勝利ですら自分が生きている事に感謝し、狂喜する。
しかし真姫奈は挑まれるどころか逆に勝負を挑み、次々とリザードマン達を屠っていた。

敗北したら死ぬ。しかし彼女は敗北しない。

ジャンケンで勝つ確率は三分の一。あいこを除けば二分の一だが、真姫奈は今まであいこになった事すらなかった。勝って勝って勝ち続け、魔王の出現から数えると、彼女は20万をも軽く超える魔族を殺害していた。
20万戦無敗、誰が見てもこの勝率は異常だ。
真姫奈は鉄平のように邪拳を極めているわけでもなく、竜二のように豪運で勝ち続けているわけでもない。
ならば、どうして勝てるのか?
簡単な話である、真姫奈は超能力者だった。

限定的な未来視の能力――『邪眼』。

生まれつき持っていた、ジャンケンという特殊な環境時のみ使用可能なこの能力は、自分のゲームどころか、他人が行っているゲームでさえも勝利手が事前に脳裏に思い浮かぶ。
平時ならば少し得をする程度の力だったろう。しかし、魔王出現後の地球では無敵の強さを発揮していた。それこそ彼女の生命線となるほどにまで。

「最初はグー! じゃんけんぽんっ!」

誰でも知っているポピュラーな遊びから、誰もが恐れる死の遊戯へと変貌を遂げたジャンケン。
ゲームの特徴である『公平さ』すら鼻で笑う能力を持つ真姫奈にとって、魔族は死を運ぶ化物ではなく、ただ倒すだけの的に過ぎなかった。
もちろん、魔族を恐れていないわけでもない。常人よりは低いが恐怖心もある。
だが、真姫奈は戦う。
この末期的な状況の世界においても、彼女のような年代の女子は、よほどの事がない限り戦線に送られはしない。
ARDFにはその特性上、年若い人間も多く存在するが、年齢が二桁に届いたばかりの少女を登用するほど狂ってもいなかった。そう、真姫奈という少女を除いては。
二年前の魔族の大侵攻によって、北海道に攻めてきた魔族を中標津で殺し尽くしたのが彼女と竜二の二人だった。
そして二人はARDFの生き残りに保護されて、そのまま組織に所属、今に至る。
かつては真姫奈の両親もARDFに所属していたが、『ジークフリート作戦』の際に二人とも死亡している。まだ甘えたい盛りだった彼女は基地で知らされた両親の死に深く悲しんだ。
親戚に預けられ、ろくに会うことも出来なかった両親はいつの間にか死に、その預けられていた親戚も先の侵攻で既に失っていたから。
年齢を考えれば大人びていた彼女だったが、この時ばかりは子供のように泣いた、泣きじゃくり、みっともなく周囲に当り散らす。それを慰めてくれたのは竜二だった。
真姫奈にとって、その時の事は隠しておきたい黒歴史と化している。
両親のような立派な大人になりたいと思っている彼女には、子供のような――実際子供なのだが――自分と、それを大人の対応で慰めてくれた竜二との差を感じてしまう出来事だったから。
そして、両親の死から立ち直った真姫奈は、それとなく軍に入ってくれ、とほのめかしていたARDFの願いを受け入れた。

――両親が守りたかった、そして守れなかった世界を娘の私が守ってみせる。

どうして自分にこんな能力があるのかは知らなかったが、真姫奈は神に与えられたこの力を駆使して人類を守ると決意した。
だが、『邪眼』にも弱点は存在する。機械のような非生命体の手は視る事は出来ないし、自分を超えるRPSFの持ち主の手を視る事も不可能だ。もっとも、現在の真姫奈を超えるRPSFの持ち主など鉄平と魔王の二人しかいないのだが。

「最初はグー! じゃんけんぽんっ!」

一番の問題は彼女が子供であるという事だった。
単純に、集中力が持たない。いくら勝利の手が事前に思い浮かぶといっても、間違えた手を出すと死ぬプレッシャーは相当なものがあった。
しかし、そんな甘えた事は言ってられなかった、彼女よりも条件が酷い鉄平は、どんな数の敵を相手にしても一歩も退かないし、竜二に至っては恐怖で発狂していてもおかしくはないのに。
囮になる事が目的なのだ、鉄平のように高速戦闘を行う必要はない。ゆっくりでいいから確実に、自分に群がってくる敵を倒す。
RPSFのおかげで身体能力は強化されている。これも子供である真姫奈にはありがたかった。何連戦しても疲れることがないためだ。

「最初はグー! じゃん! けん! ぽんっ!」

『邪眼』を使って勝負の結果をカンニングし、機械的にリザードマンを倒していく。
何十、何百もの赤い蜥蜴をジャンケンで沈め、RPSFの炸裂光を浴び続けていると、敵集団の後方から同じような光が見え始めた。
離れていてもはっきりわかる、強力なRPSFの波動。

「鉄平さん……」

もうワイバーンを狩りつくしたのだろう、真姫奈のように『最初はグー』を使わず、直接ジャンケンに持ち込む鉄平の殲滅速度はとにかく速い。
連続と言っていいスピードで次々とリザードマンが爆発していく、死ぬ事をまるで恐れていない鉄平の姿に、真姫奈は畏怖と悲しさを感じた。
本人に直接聞いたわけではないが、鉄平は妻を魔王に殺されたらしい。そして復讐のためにARDFに入り、今に至るまで数多くの魔族を殺し続けている。
鉄平は超能力者ではない。人間が魔族に少しでも対抗するための技術、『邪拳』の使い手だというだけだ。
平均的な邪拳使いはキルスコアが100にも満たない時点で死ぬ、天才と言える才能があっても1000に届く人間など片手で数えられる程度だ。
しかし鉄平は300万を超えるキルスコアを保持している上に、邪拳使いの天敵であるルビーナイトでさえ一蹴してしまう。
どれほどの強い思いがあれば、ただの人間があれほどまでの強さを獲得できるのだろうか、彼の妻に対する愛情を考えると、真姫奈は胸が締め付けられるような切なさを覚えた。
愛する人の意思を受け継ぎ、人類を守ると決意した真姫奈。愛する人を殺した相手に復讐を誓った鉄平。
真姫奈はまだ子供だし、鉄平の妻も知らない、だから、鉄平を間違っているなんて決して言えないが、それでも彼は大切な仲間だ、修羅のような鉄平の姿は見たくはなかった。
魔族を狩る時、鉄平は完全に無表情になる。意図的にそうしているのか、自然にそうなっているのかは知らないが、真姫奈にはそんな彼が泣いている様に思えるのだ。
力になってあげられないのが辛い。

子供と大人。
真姫奈と鉄平。

二人は共に戦っているが、その目的は大きく違っていた。

「……あと、少し」

鉄平の到着によってリザードマンの姿は加速的に減少していた。人類最強クラスの二人を相手にしているのだから、当然といえば当然の結果だ。
魔族と人間が戦えば絶対に被害が出る。兵士の必須技能である邪拳を習得していても、容赦無く人は死ぬ。
リザードマンだけでも許容できない死者が生まれるのだ、邪拳殺しのルビーナイトが来ようものならベテランの邪拳使いですらただの獲物に成り下がる。
仕方なく、ARDFは万勝不敗を誇る二人を敵の最大戦力にぶつけ、彼らの対応できなかった敵の別部隊や取りこぼしをARDF兵で倒すという戦術を使っていた。

無駄な犠牲を出さないためにも、ここで魔族を全滅させる必要がある。自分達とは違い、兵士達は脆く儚い生き物なのだから。

「最初はグーっ、じゃんけんぽんっ!」

視界はもう完全に開けていた。リザードマンの集団、その最後の一匹を倒すと、真姫奈の周りに穏やかな静けさが戻る。
だが、まだ戦いは終わったわけではない。
いくら魔族がRPSFの高い人間を優先して勝負を挑むといっても、それは絶対ではなかった。何しろ圧倒的に数が違う。
真姫奈や鉄平を無視して本土に向かった者達がいるはずだ。本隊を片付けた後はその残党狩りを始める必要がある。

既に鉄平の姿は消えていた。真姫奈に群がるリザードマンの数をある程度減らし、すぐに残党を狩りに行ったのだろう。
真姫奈は一度深呼吸して、あらかじめ決められている通信装置の置かれた場所に向かった。装置は戦場から離れた位置にある。
RPSFを纏っている通常状態では問題は無いのだが、ジャンケンに敗北した時に起こる閃光には、なぜか機械をただのスクラップにしてしまうという特性があったからだ。
RPSFについては、人類は全くといっていいほど解明できていないため、その点は諦めるしかない。
離れた場所にあるとは言っても、真姫奈も非常に高いRPSFの持ち主だ。異常な速度の駆け足ですぐに通信装置のあるビルに辿り着いた。

「えっと、もしもし、真姫奈です。敵の残党の位置を教えてください」
『本部より日下部少佐へ。敵の残党は全て王城大佐が殲滅しました。お疲れ様です、大佐と二人で帰投してください』
「……了解しました」

ちまちまリザードマンと戦っている内に、すでに鉄平は残りの敵を倒してしまったらしい。
真紀奈は鉄平の事を純粋に凄いと思っていた。
自分は襲い掛かってきた敵に精一杯なのに、彼は自分から魔族を狩りに行くほどの強さを持っているのだから。

「真姫奈」
「あ、鉄平さん」

いつの間にか現れた鉄平が真姫奈に報告してくる。

「残りの敵は始末してきた、本部からは?」
「全滅を確認したそうです。二人で戻って来いと」
「そうか……今回も良くやったな」

優しげな声でそう言った鉄平が真姫奈の頭を撫でた、これに限らず、竜二や鉄平は真姫奈の頭をよく撫でてきた。
彼女は子供扱いされるのは好きではなかったが、両親にもこうされる事が多かったためか、頭を撫でられるのは嫌いではなかった。
鉄平は真姫奈の父親に似ていたし、真姫奈は竜二のような兄が欲しいと思っていたので、暖かい気持ちになるこの行為に内心喜んでいた。

「じゃあ、帰るか」

背中を見せて屈んだ鉄平の首に抱きつき、おんぶされる。
ここから旭川基地までは結構な距離があるが、本気を出すと一回の跳躍が一キロを超える鉄平にとっては、近所の公園程度の距離に等しい。
これが最適な移動手段なのである。

「行くぞ」
「はぁい」

思わず甘えるような声を出した真姫奈を抱え、鉄平は基地に向かって跳躍した。











全ては四年前から始まった。

『魔王』こと、レッドドラゴン『ファフニール』の降臨。

2012年6月6日19時50分、何の前触れも無く、北アメリカ・ワシントンD.Cに全長30メートルを超える巨大な赤いドラゴンが出現した。
空から降ってきたわけでもなく、地下から這い出してきたわけでもない。突然何も無い空間から現れたのだ。
それがあまりに理解を超越する光景だったためか、ドラゴンを目撃した市民達は、しばらくのあいだ棒立ちだった。無理もないが。

赤く巨大な怪物は、周囲で固まる米国市民の一人に目をつけると、その大きすぎる拳を振り上げ――ジャンケンを始めた。

この時の市民達は一体どのような気持ちだったのか。
突然目の前に現れた空想上の巨大生物が、流暢な英語を喋っていきなりジャンケンを始めたのだ。自分の頭がどうにかなってしまったとでも思っただろう。
最初に目を付けられた哀れな一市民は、自分の手を出すことも出来ずに時間切れ、光となって爆散した。
ドラゴンは休むことなく近くにいた市民をジャンケンによって光に変え続ける。
ようやく我に返った市民達は、パニックを起こして一斉にその場から逃げ出した。
だが、ドラゴンはその巨体に似合わない素早い動きで彼らを追いかける。
その巨体が動くたびに、街の建物を破壊されて周囲の人間を巻き込んだ。しかし、建物の倒壊に巻き込まれた人間は何故か無傷だった。
それは決して幸運だったわけではない。コンクリートの破片で動けなくなった人間は、哀れドラゴンに補足されてしまう。
わざわざ瓦礫を除け、正々堂々とジャンケンを開始するドラゴン。
ルール上仕方が無いのだが、その様子はどこか間抜けにも見えた。捕捉された本人にはそんな事を考える余裕などまったくなかったが。
次々と光になってしまう市民を見て、逆に冷静になったのか、ジャンケンに反応する者たちも現れた。しかし、ドラゴンのジャンケンの強さは異常であり、結局この者たちも同じようにジャンケンに負けて消えていく。

やがて、人々を恐怖のどん底に突き落としたドラゴンの前に、米軍の戦闘機がその勇ましい姿を見せて現れ始める。
街を廃墟へと変貌させた破壊者への最初の挨拶は、大量のミサイルによる熱烈な歓迎。
だが、ドラゴンはミサイルなど意に介することもなく戦闘機を叩き落し、落下したそれからパイロット引きずりだしてジャンケンで消しさった。
ワシントンD.Cは地獄と化していた、地上の人間はもちろん、地下に逃げ込んだ者たちも地面ごと抉られ、地上へと強制的に連れ戻され、ドラゴンに食らい尽くされていく。
戦闘機に遅れるように到着した米軍本隊による攻撃も全く効果が見えず、逆に獲物が増えたとばかりにドラゴンの餌食になっていった。

増え続ける犠牲者に、倒す糸口の見つからないドラゴン。

2012年6月23日。ついにアメリカ大統領はワシントンD.Cから軍の撤収を決断、同時に都市の放棄を宣言した。
最強の軍事力を持つ米国は、レッドドラゴン一体に完全敗北したのだ。
この戦いで5万人以上の人間が犠牲になった。驚くべき事に、これは全てドラゴンとの一対一のジャンケンによる死亡者数である。
ドラゴンはワシントンD.Cを壊滅させた後に、近くの都市に移動せず、ずっとその場所に居座り続けている。

レッドドラゴン襲来によってパニックに陥ったのは米国だけではない。

2012年6月6日19時50分のドラゴン出現以降、世界の法則は書き換えられた。
ICUに入院するような重病人や、この時ちょうど事故にあって虫の息になっていた人間、病院に行く必要の無い程度の怪我人から、ただの風邪引きまで、あらゆる人間の病気や怪我が完全に治ったのだ。
特に交通事故でぐちゃぐちゃだった人間は、巻き戻しのように怪我が治っていったため、周辺で見ていた人間にトラウマを与えていた。
この現象はその道の研究者にとっては発狂ものだったが、別に人類に害を与えるわけではない。
悲惨だったのは、この時間以降にジャンケンをしていた者たちだった。

ジャンケンに敗北したものは死ぬ。

米国のドラゴンの事を知っていれば、ジャンケン自体を薄気味悪く思い、このような惨事は起きなかったのかもしれない。
だが情報はゼロ秒で伝わるわけではない、彼ら彼女らは運が悪いと言うしかなかった。
他人ならまだマシだったろう。友人や家族に恋人、ただジャンケンをしていただけでそれらを失ってしまった者たちは、何の非もないのに殺人者になってしまったのだ。
世界中の科学者達が国のバックアップ(人体実験)を受け、ドラゴン出現と合わせてこの奇妙な現象の原因を探し始めた。

そして2012年6月18日、ドイツ人科学者のループレヒト・シャルンホルスト博士が、人間の体を包む未知のエネルギーフィールドを発見する。
フィールドは人間の体を包み込むように張られており、その特性は人体の完全維持に身体能力の強化、のちに老化を停止させている事もわかった。

つまり、擬似的な不老不死になる。

あらゆる攻撃を、物理法則を無視して遮断。細菌やガスなどのバイオ兵器や、炎に液体窒素などの熱攻撃も無視、電流を流しても傷一つつかない。
しかし、ジャンケンに敗北するとエネルギーフィールドは可視光となって爆発し、本人もろとも消滅する。
これだけの異常な特性を持つフィールドに包まれているのに、人々は睡眠や食事などの通常通りの生活は可能だった。この行為は取らなくても死にはしない。しかし、慣習となっているために続ける人間は多かった。
またこのフィールドは新たな生をも否定し、赤ん坊が誕生しなくなった。2012年6月6日以降、妊婦は死ぬまでずっと妊娠したままだ。狂っている。人間が築き上げた科学や歴史を嘲笑っていた。

このエネルギーフィールドは博士の名前を省略して、ループレヒト・シャルンホルストフィールド――RPSFと名付けられた。

RPS(Rock,Paper,Scissors)は米国でのジャンケンの呼称でもあり、米国に居座るドラゴンがジャンケンを使っていた事も命名の理由に加味されている。
この時点で想像がついていたのだが、博士が開発した簡易RPSF観測装置によって、ドラゴンもRPSFを持っている事が証明されてしまった。
ジャンケンでしか倒せない、不老不死のドラゴン。しかし、その竜は5万人以上の人間とのジャンケン全てに勝利を収めている。
米国を筆頭にその周辺国、同盟国は頭を悩ませていた。どうすればあのドラゴンを殺せるのか、と。
ドラゴンは機械には反応しない。なので偵察のためにたくさんの装置がワシントンD.Cに送り込まれた。
そして、装置から得られた映像には、問題の赤竜が出現した時と同じように何も無い空間から現れる異形の者たちが映っていた。
赤い蜥蜴人間、ドラゴンほどではないが巨体と大きな翼を持つ赤い翼竜、そして数は少ないが全身を赤い甲冑で覆い隠した竜の騎士。
恐ろしい事に、その全員がRPSFを持っていると判明した。してしまった。
人々はレッドドラゴンを『魔王』、異形どもを『魔族』と呼び始める。
異形の者たちの集団、その中央で、凍るような目つきをしながら遠くを見つめているドラゴンは、まさに魔王と呼ぶに相応しかったのだ。
日に日に増加していく魔族たちに人類は怯え、議論は紛糾していく。やがて、核の投下も視野に入ってきた頃、問題の魔族たちが動き出す。

2012年6月27日、5万以上に膨れ上がった魔族の群れが北アメリカ各地に侵攻を始める。その動きを事前に察知した米軍は再び軍隊を派遣した。
兵器や銃器の類も使用されたが、やはり効果は無い。そして魔族はドラゴンと同じように人間にジャンケンを仕掛けてきた。
ジャンケンを挑まれると、勝負を受けた側は感覚的にそれを理解できる。こうなったらもう終わりだ、勝負をせずに逃げ出しても問答無用で死ぬ。
だから、戦うしかなかった、三分の一の確率で生死が決まる狂気の戦場で。
銃弾など一発も飛び交わない、あちこちでジャンケンを行う兵士と魔族の戦いは、どこか平和的ですらあった。
しかし、そんな幻想的な光景とは裏腹にたくさんの命が消えていった。ただ確率に従い、魔族も人間も平等に死んでいく。

結局、戦闘が終わる頃には魔族とほぼ同数の5万程度の人間が犠牲になり、その生涯をジャンケンというお遊びで締めくくった。
損耗率1対1という馬鹿げた被害を出したこの戦いを見て、アメリカ大統領はついに自国の首都に核を打ち込む事を決断する。

2012年7月4日、再び魔族を増やし、侵攻を始めたドラゴンに核が落とされた。
だが結果は非情だった。直撃を受けたはずのレッドドラゴンは無傷。それどころかリザードマンの一体を倒す事すらできなかったのだ。
完全に失敗に終わった核攻撃だったが、全く無意味だったわけではない。
RPSFが核攻撃に対しても防御機能を発したため、人間が同じ人間を殺すための手段はジャンケンという遊び、ただ一つだけになった。
各国の保持する兵器が存在意義を無くし、人類の全員が対等な攻撃手段を手に入れた。
死ぬ可能性のある戦場に参加する者は多くても、二分の一の確率でどちらかが確実に死ぬ戦闘をする狂人は少ない。
RPSFのおかげで食料の心配をする必要も消え、犯罪を行うにも自身の命を失うというリスクが生まれた。
結果的に犯罪率は激減し、国家間の紛争もしだいに減少していく。

皮肉にもドラゴンの出現によって、人類は仮初めの平和を手に入れたのである。

核の投下後も悠々と魔族を増やし続けるドラゴン。英語を喋ったのはすでに確認されていたため、人類は機械を通じて対話をしようと試みた。
だが、ドラゴンはそれを完全無視、機械は破壊される事もなかったが、相手にもされなかった。その後、あの手この手を用いて何度か意思疎通のための手段が実行されたが、結果は上がらず、ドラゴンはその全てを無視した。

和平の不可能な、絶対的な人間という種族への敵対者。

共通の敵が現れると、人類は一丸となって共闘する。そんなのはお話だけの出来事だと思われていたが、異常に捻じ曲がった世界の法則によってそれが可能になった。

そして2012年8月16日、米国との距離によって危険度が違ってくるため多少の温度差はあったものの、世界各国の軍が協力体制を取り、竜を打倒するために国際的な連合軍が組織された。





Anti Red Dragon Force ――ARDFの誕生である。









[22142] リトルプリンセス・中編
Name: root25◆370d7ae2 ID:d7953054
Date: 2010/09/26 20:12



2016年9月10日 北海道 ARDF旭川基地



鉄平の超移動によって、真姫奈は根室から一時間もかからずに基地に到着した。
風によって髪がぐちゃぐちゃになってしまうのが問題だったが、この移動方法のおかげで北海道の守りは強固になっているため文句は言えない。
報告やその他の雑務をするために司令部に向かった鉄平と別れ、特別娯楽室へと向かう。
鉄平の階級は大佐、竜二と真姫奈は少佐だが、鉄平と違い協力者という形でARDFに所属している二人は軍人としての教育など受けていない。
鉄平、竜二、真姫奈の三人は『バルムンク隊』と呼ばれるエリート部隊に所属しており、その武勇は幅広い人間に知れ渡っている。
階級に相応しい功績も十分に上げているので、士気を上げるためにも二人には少佐という地位が与えられていた。あまり褒められた事ではないが、バルムンク隊は他の部隊から独立した作戦を行うので、特に問題も起こらなかった。
本人達は知らないが、三人は全員が整った顔立ちであり、残り少ない人類の守護者というのもあって人気が高い。
特に外見年齢8歳の大変愛らしい少女である真姫奈は、老若男女を問わず、誰からも愛されていた。
真姫奈の両親もARDFでは左官だったため、生前に世話になっていたという生き残った部下達も、彼女にはよくしてくれている。

「合計で1275円になります」
「はーい」

途中の購買でお菓子を買った真姫奈は、ホクホク顔で特別娯楽室に入っていく。
他の施設と少し離れたその建物には、既に先客がいた。

武藤竜二。

バルムンク隊の最後の一人である。
年の頃は中学生か高校生ぐらい。ジーパンに赤いシャツというラフな格好をした、男らしい鉄平とは違う線の細い少年。厭世的な雰囲気が綺麗な顔とはやけにミスマッチだ。
竜二は真姫奈に気付くと、読んでいた本を置いて傍に近づいてきた。

「おかえり、真姫奈」
「ただいま、お兄さん」

そして、いつものように頭を撫でてくる竜二。真姫奈はそれを目を細めて受け入れる。
鉄平に撫でられる時の安心感とは違う、甘い感情が胸に広がっていく。真姫奈にはその気持ちが何なのかはわからなかったが、気分が良くなるのには違いないので深く考えなかった。
これも二桁に上がったばかりの年齢で戦場に入り浸るようになった事の弊害なのだろうか。
学校にも通っていない真姫奈は周りの大人――特に竜二――に勉強を教わる事が多い、だが学校は勉強だけを教える場所ではない。
立場上仕方ないが、彼女にはもっと同年代の友人が必要だった。

「鉄平さんは?」
「報告に行ってます」
「そう。ま、今回もお疲れ。任務達成ご苦労様」
「はい! ほとんど鉄平さんが倒しちゃいましたけど、私も頑張りました」
「よしよし」

竜二は乱れた真姫奈の髪を手で梳かしながら、彼女と鉄平を労った。そこには本来込められているべきである感情が見当たらなかったが、真姫奈はそれに気付かない。

「じゃあ僕は飲み物でも取ってくるから、その辺で休んでてよ」

そう言って竜二は奥のキッチンに引っ込んでいく。小さなテーブルの両脇に二つのソファが並んでいるが、真姫奈はわざわざ先ほどまで彼が読書に使っていた方のソファに座った。
特別娯楽室はその名の通り、ARDFのエースであるバルムンク隊のために特別に作られた娯楽部屋だ。いや、部屋という名前はダミーに過ぎない、実際は家そのものである。
外見はともかく、中は豪華な一軒家と変わらないし、機能はもちろん様々な娯楽のための物資が置かれていた。
明らかにご機嫌取りだったが、上層部は真姫奈のような年齢の子を戦場に出している事への罪悪感を少しでも消したかったのかもしれない。竜二はともかく、真姫奈はそんな意図に気付いていないため問題は無かったが。
部屋もたくさん用意されており、特に竜二と真姫奈はここに入り浸っていて、寝泊りする事も多かった。というか竜二はここに住んでいた。
テーブルには先ほどまで竜二が読んでいた本が置かれているが、タイトルが英語だったため、真姫奈には何が書かれているのかわからなかった。
竜二はいつも難しそうな本を読んでいるのだ。

「お待たせ」

両手にアイスコーヒーとオレンジジュースを持って来た竜二が、真姫奈の隣に腰を下ろす。オレンジは真姫奈の大好物だった、RPSFのおかげで喉が渇くという事はないが、戦闘での精神的な疲労は残る。体ではなく心の渇きを潤すために、ちゅーちゅーとストローでジュースを飲み始める。

「ぷはー、この一杯のために生きてるって感じです」
「ジュース一杯が人生なんて、簡単でいいね」
「……簡単じゃないです。私、難しい女ですから」
「それ、自分で言っちゃうんだ」

なぜか誇らしげに胸を張る真姫奈を、竜二は微笑ましそうに見ていた。先ほどと違い、今度はきちんと感情を込めた瞳で。

「そういや、今回はナイトっていたの?」
「いえ、トカゲとワイバーンだけです。最近はずっとそうですね」
「ふーん、そっか……」

竜二に言われて考えてみると、確かにおかしかった。今までの魔族は基本的にリザードマンにワイバーン、そしてルビーナイトの三種類で構成されていたはず。
それがずっと、リザードマンとワイバーンだけの襲撃になっている。真姫奈と鉄平にとってはナイトですら脅威にならないため、気にしていなかったのだ。

「もしかして、RPSFが少なくなったから、召喚できなくなっちゃったのかも」
「人類が大喜びしそうな話だね。でも、まだまだ魔王様のRPSFは顕在だよ」

簡易RPSF観測装置でドラゴンを初めて調べた時、ドラゴンの持つRPSFの強度は1億FPを軽く超えていることが判明した。1FPがジャンケンを一度もした事の無い人間や、リザードマンを倒したときに得られる力なので、とんでもない数値である。
その後も観測を続けていると、魔族が召喚される際にドラゴンのRPSFが減少している事が判明した。そして、何もしていないはずのドラゴンのRPSFが何故か増えている事もわかった。
当時は原因不明とされていたが、後に魔族が人類を倒すとそのRPSFが魔王に送られているのではないかとの仮説が立てられた。あいにく完全に証明は出来なかったが、今ではそれが一応の事実として認識されている。
人類全体の総人口が一億を割りそうな現在、ドラゴンのRPSFの数値は60億FPを軽く突破していた。召喚による枯渇を望むには絶望的な数字だ。

「でも良い事ですよね? ナイトがいないなら、私たちじゃなくても十分に戦えるんですから」
「まあ、そうなんだけどね。魔王様は何を企んでいるのやら」
「例え何かあったとしても、鉄平さんがどうにかしてくれるはずです」
「何だ、僕は頼られてないのか」
「い、いえ、そういうわけじゃないです。お兄さんの事もすっごく頼りにしてます!」

そうは言ったが、真姫奈は本音では竜二に戦って欲しくないとさえ思っている。
何しろ竜二は、真姫奈の『邪眼』や、鉄平の『邪拳』のようなジャンケンに勝つための手段を保有していない。        
運だけで生き残っている彼は、あっさりとリザードマンに殺されてしまうかもしれないのだ。
竜二がいつも戦場には出ずに後方で待機しているのもそのためである。
何らかの緊急自体が発生した時にしか出撃しない、秘密兵器のような立場だった。

「……真姫奈は良い子だね」
「んっ……」

竜二は慌てる真姫奈を見て何を思ったか、優しくそう言って、彼女の頭を再び撫でてから読書に戻った。
とりあえず話はこれで終わりという事だろう。少し残念だったが、読書の邪魔をしていたのは確かだったので、真姫奈は会話の再開を諦める。
ジュースを飲み終えた彼女は、リビングから出て書斎に向かう。竜二は読書家だったので、彼に懐いている真姫奈も自然と本を読むようになっていた。
小学校は中退していたが、幸い真姫奈は聡明な頭脳を持っていたため、難しい漢字もある程度なら読める。分からない漢字や表現は竜二に聞けばいいし、彼に構って欲しい真姫奈は読書を好んでいた。
書斎には真姫奈専用の棚が置いてあった。そこに並べられている本の中から適当な物を取って、竜二の傍に戻る。

ぴったりと、くっつくようにして竜二の隣に腰を降ろすと何故か苦笑されてしまったが、追い払われはしない。
いつもそうだった、真姫奈は竜二の事が大好きだったので、四六時中くっついていたが、竜二は邪険にせずに、それを受け入れていた。いくら真姫奈が可愛いといっても、こうもベタベタされ続けては、鬱陶しがられても不思議ではないのに。
だが、竜二はそんな感情を少しも見せない。いつも優しくて、好意的だった。それが真姫奈には嬉しくて、ますます竜二の事が好きになっていく。
心地よい静寂に包まれながら寄り添う少女と少年。そのまま日が暮れるまで、二人は読書を続けていた。






「私、参上!」

豪快な声とともにリビングに侵入者が現れた。
侵入者の年齢は二十代前半ぐらい。鉄平と同じくARDFの軍服を着ている、パッツン切りの前髪に流れるようなストレートヘアの和風美人。
読書に夢中になっていた真姫奈は、彼女の登場にもうそんな時間か、と顔を上げた。窓の外は暗く、とっくに日が沈んでいた。

「こんばんは、お姉さん」
「はいこんばんはマキちゃん、今日も可愛いわぁ~。ちょっとそこの根暗! せっかく夕食を作りに来てあげた私に何の挨拶も無いの?」
「……こんばんは、美弥子さん。でも、僕は別に頼んでな」
「うっさい根暗! ちゃんと人間らしい生活しないと根暗どころかモグラになっちゃうわよ!」
「……」

木島美弥子はオペレーターで、真姫奈の両親の元部下だ。
生前二人には大変世話になったらしく、本来三人以外は立ち入り禁止のはずの特別娯楽室にも、ちょくちょく真姫奈の様子を見にやってくる。
鉄平に対しては普通の上官と部下の節度ある態度を取る彼女だが、なぜか竜二はこのような扱いをされていた。
竜二が階級などまるで気にしていない事もわかってやっているとしたら大した女性である。彼女にしてみれば真姫奈も竜二も子供にしか見えないのが原因かもしれないが。

「マキちゃんも竜二に似てすっかりインドア派になっちゃって……。お姉さん悲しい」
「読書の嫌いな女性が美弥子さんみたいになるんだったら、真姫奈をインドア派にしたのは正解ですね」
「ちょ、ちょ、なに生意気な事言っちゃってるの? ロリコンのくせに」
「誰がロリコンですか」

嫌味を言われた美弥子は、お返しとばかりに姿勢を正し、竜二に報告をした。

「は! 武藤少佐はロリコンではないのかと基地ではもっぱらの噂です」
「……え、ホントに?」
「はい! 不思議な事に女性に人気のある少佐は、彼女たちの勇気ある告白を常に一蹴しております! そしてこの特別娯楽室に引きこもり、日下部少佐とばかり一緒に過ごしている事が多いため、そのような噂が立ったのではないかと小官は愚考致します!」
「まいったな……」

それは事実だった。実際、竜二も鉄平も良くモテる、鉄平は既婚者だったため、亡き妻を今でも思っていると解釈されたのだが、竜二は本来なら女性に興味を示していて当然の年齢だ。
告白してくる女性達を一考もせずにフってしまう彼は、特殊な性癖でもあるんじゃないかと噂されていた。

「お兄さんってモテるんですか?」
「そうなのよマキちゃん、私にはこの男の何がそんなに良いのか……いや、確かに顔は悪くないわよ? でもそれだけじゃちょっとねえ、根暗だし、引きこもりだし、ロリコンだし」
「僕はロリコンじゃない」

執拗に竜二にロリコンの汚名を着せようとする美弥子。だがそんな二人に純真無垢な真姫奈が素朴な疑問を尋ねる。

「……あの、ロリコンって何ですか?」
「……」
「いい歳こいて、マキちゃんみたいな年端も行かない女の子の事が大好きな男の人、つまり竜二の事よ」
「説明すんのかよ!」
「えっ……」

美弥子に竜二が自分の事を大好きだと言われて、真姫奈は頬を赤くした。

「お兄さんが私を好きなのは、嬉しいです」
「駄目よマキちゃん、この場合の好きっていうのは性的な」
「ストップ! ストップ!」
「性的な意味で好きって事だから、こんな危ないお兄さんと二人っきりでいるなんて襲」
「続けるな! 何しに来たんですかあなたは!」
「あ、そうだった」

竜二をからかった美弥子はようやくキッチンへと向かう。
キャラに似合わないツッコミを続けた竜二は、疲れたようにソファに寄りかかった。
相変わらず嵐のような人だ、と真姫奈は思う。常に落ち着いた態度の竜二をあんな風にするのは美弥子ぐらいだ。
真姫奈はいつもの竜二も好きだったが、美弥子の相手をしているときの元気な竜二も好きだった。

「お兄さん」
「ん?」

なんとなく、ふわふわとした感情が胸に生まれて真姫奈は告げる。

「私もお兄さんの事、好きです」
「……そうかい」

竜二の口から直接、好きだと言われた事は一度も無かったが。こうして恥ずかしそうに顔を背ける彼を見ると、真姫奈は心が満たされていくのを感じるのだった。






美弥子の作ってくれた夕食――オムライスだった――を済ませ、真姫奈は彼女と二人で備え付けのお風呂に入っていた。
RPSFは汚れなども完全に取り除いてくれるため、もう風呂に入る必要はないのだが、どうにも不衛生な気がするのでこれも習慣になっていた。

「ふぃー極楽極楽」

おっさん臭い言葉を漏らす美弥子を見て、真姫奈は残念な気持ちになった。見た目だけだとおしとやかな女性なのに、彼女は言動で全てを台無しにしているからだ。
しばらく気持ちの良さそうでお風呂を堪能していた彼女は、真剣な顔つきになって真姫奈を見つめた。

「マキちゃん、ここに入り浸ってるよね? 任務以外の時は、ほとんどずっと」
「そうですね」
「竜二の事、好きなんだ」
「……はい、大好きです」

最初に出会った時から、ずっと竜二は優しい、聞いても答えてくれないのだが、彼がARDFに入ったのも、真姫奈は自分のためだと考えていた。そして、竜二はその時から変わらずに傍に居続けてくれている。
真姫奈は竜二を兄のように思っていた、そして、鉄平は父のように。
幼くして家族と親戚を失った真姫奈は、鉄平と竜二にその役割を求めたのだ。彼らは強く、簡単には死なない。だからこそ、安心して傍にいられる。
もっとも始めから存在しない、兄の役割を求めた竜二に対する感情は、しだいに変化していったのだが。

「真面目な話、あいつはやめといた方が良いと思うわよ」
「やめるって、何をですか?」
「だから、その、あいつを好きになるのを、さ」

もごもごと口を濁すようにそう言った美弥子に、真姫奈は怪訝そうな顔をして聞き返す。

「それは、お兄さんがロリコンだからって言う話ですか? でも、さっきも言った通り、お兄さんが私を好きでいてくれるのは、私にとっては嬉しい事です」
「むしろロリコンだったほうが良かったのかもしれないわね……そうじゃなくて、あいつ、危ないのよ」
「……?」
「王城大佐も危うい雰囲気はあるけど、あいつはもっと危険よ。根本から私達とは違う気がするの、私たちのことを見る目が、なんかこう、変なのよ」
「お兄さんは危険な人なんかじゃありません、優しいです」
「優しい、ね……」
「お姉さんの見る目がないだけです、なんでそんな事言ってくるんですか? いくらお姉さんでも私、怒りますよ」
「ごめん、マキちゃん。でも、お姉さん心配なのよ、可愛いマキちゃんが、あんなヤバそうな人間に惚れちゃってんのを見てると」
「えっ」
「え?」
「私が、お兄さんに、惚れているんですか?」
「えーっと、そうじゃないの? さっきも告白してたじゃない」
「こ、告白……」

美弥子がそう思うのも仕方なかった、鉄平に甘える真姫奈は父と娘にしか見えなかったが、竜二に対する真姫奈の態度は、誰が見ても恋する少女のそれだったからだ。
あれは家族に対する感情を伝えたものだったが、第三者にそんな事がわかるはずがない。
真姫奈の心臓は早鐘を打ち、クラクラするほど頭に血が上り顔が真っ赤になっていく。ぶっきらぼうに真姫奈に『そうかい』と言った竜二を思い出す。
確かに、あそこで彼が『僕もだよ』といっていたら完全に恋人同士の会話に見えるだろう。
あの時、竜二は明らかに照れていた。つまり、そういった意味に勘違いされていたとしても、真姫奈の事を好意的に思っている事になる。

「……」
「あのー、マキちゃん?」

突然黙り込んだ真姫奈を見て、美弥子が心配そうに声を掛けるが、彼女には聞こえていなかった。

「……」
「もしもーし」

――そうか、そうだったんだ。

鉄平に対しての思いと、竜二に対する思いの違いに、真姫奈は気づいた。
自分が、竜二に恋をしているのだと。胸に広がる感情は、恋の甘さだったのだと。
そして、それを決して嫌だとは思わなかった。

「えへへ」
「おーい、大丈夫かー」
「きゃっ!」

あっちの世界に旅立った真姫奈を連れ戻すために、美弥子は彼女の貧相な胸に手を伸ばし無遠慮に揉む。真姫奈は突然そのような狼藉を働いてきた美弥子に非難の声を上げた。

「何するんですか!」
「いや、さっきから話しかけてるのに全然答えてくれないから、仕方なく」
「あ、すいません、ちょっと考え事してました」
「考え事って竜二のこと?」
「はい、お姉さんが言ってくれたので、ようやく自分の気持ちに気付きました」

家族への愛だと思っていたものが、恋であったと。

「……え?」
「私、ずっとお兄さんの事を家族みたいに思ってたんです。でも、違ったんですね。お兄さんが初恋だったから、自分でもわかってなかったんだ……」
「ちょ、ちょっとマキちゃん」
「ありがとうございます、全部お姉さんのおかげです」

いままで見たことのない笑顔で、美弥子にお礼を言う真姫奈。
そして美弥子は悟った、忠告するはずだったのに、完全に裏目に出てしまったのだと。

「や、やぶへびだった……」

がっくりと肩を落とす美弥子をよそに、真姫奈はニコニコしながら再びあっちの世界に旅立っていくのだった。






意気消沈して特別娯楽室から去って行った美弥子を見送ると、真姫奈はリビングではなく、二階にある自分の部屋へと戻っていた。
竜二にどんな態度で接すればいいのか決めかねていたのだ。風呂上りに彼が読書をしている姿を見かけると、胸は高鳴り、顔も真っ赤になってしまった。これじゃあ竜二に気付かれてしまう。
頭を冷やすためにも、今日はもう会わないほうが良いだろうと判断した。

「ふふ、お兄さん……」

今まで竜二に対してとってきた行動を思い出す。ベタベタひっついて甘えたり、好きだ好きだと臆面もなく言っていたが、彼の反応は決して悪いものではなかった。
自分がどう思われているのかはわからないが、嫌われていないとは断言出来る。というか、その可能性は最初から除外していた。真姫奈は自分に甘かった。
美弥子の話だと、竜二は告白してきた女性を一蹴しているらしい。ならば彼をほとんど独占していて、まったく拒絶されていない自分はどうなのだろう、もしかして脈があるのではないか? そんな事さえ考えてしまう。

「竜二さん、好きです」

キャー、キャーと自分の発言に照れてベッドの上でジタバタとする真姫奈。
普段から大人びた振る舞いをしようとしている彼女のそんな姿は、基地の人間が見たら卒倒してしまう程の破壊力があった。目撃者が美弥子だったら心停止を起こしていたかもしれない。

これが『恋』なのか。

真姫奈は、自分と竜二が、尊敬していた両親のように仲睦まじく、寄り添いながら生きている姿を想像する。それはどんなに素晴らしいのだろうかと。

あんな風に、二人で、ずっと。

年相応の少女に戻った真姫奈は、初めての恋を全力で楽しんでいた。この時の彼女は、今までの人生で一番幸せだったのかもしれない。

しかし、得てしてそのような幸せは長く続かないものである。








何も知らない、小さなお姫様。





夜は、更けていく。
この世界に生きる、僅かな人間たちを平等に包み込んで。








[22142] リトルプリンセス・後編
Name: root25◆370d7ae2 ID:d7953054
Date: 2010/09/27 20:34



2016年9月11日 北海道 ARDF旭川基地



けたたましい電子音を耳にして、真姫奈は目を覚ました。
音の発生源は、部屋に備え付けられている内線電話からだ。
昨日、興奮してあまり眠れなかったため頭はまだぼんやりとしていたが、彼女はベッドから這い出し、のそのそと動いて電話を取った。

「……はい、私です」

いくら寝ぼけているとはいえ酷い応対である。

『ごめんね、まだ寝てた? 召集かかってるから、ブリーフィングルームに来て』
「わかりました」

電話を切る。
ぼんやりとした意識のままピンク色のお子様パジャマからお気に入りのワンピースに着替えて、真姫奈は洗面所に向かった。
あまり時間は取れない、冷水でサッと顔を洗って気付けをして歯を磨くと真姫奈は一階に降りていく。
これも習慣になっている行為だった。必要は無くてもそうしないと落ち着かないのだ。
リビングにはすでに竜二が居た。いつものようによくわからない言葉で書かれた難しい本を読んでいる。どんな内容なんだろうか。

「おはよう、真姫奈」
「お、おはようございます、お兄さん」

一晩開けて少しは落ち着いたが、まだ真姫奈の態度はぎこちなかった。
頬が熱く、ドキドキとする。見慣れた竜二の顔が、ひどく愛しい。こんな事は今まで無かったのに。恋を自覚しただけで、こんなにも変わってしまった。

「じゃあ、行こうか」
「あ、お兄さんも呼ばれたんですね」
「うん」

という事は自分を待ってくれていたのだろう。そんな小さな事でさえ今の真姫奈には嬉しく思えた。竜二が自分の事を、考えていてくれるのだと。
本を置いて特別娯楽室を出て行く竜二の隣に並び、真姫奈は意を決して彼の手に自分の手を重ね、指を絡ませる。いわゆる恋人つなぎだ。密着しあった指の感触に溶けてしまいそうになる。
こうして手を繋ぐのはかなり久しぶりだった。何しろ竜二は滅多に外に出ないのだから。

「ん、何だい?」
「あ、あの、手をお繋ぎしてもよろしいでしょうか!」
「いや、もう繋いでるじゃないか。別にいいけど」
「ありがとうございます!」
「……え、何? どうしたの?」
「ど、どうもしないです。普通です」

明らかに様子がおかしい真姫奈を竜二は怪訝そうに見てくるが、真姫奈はそんな竜二の視線を黙殺して歩き続けた。
それなりに早い時間だったが、すでに基地には人影がちらほらと見えていた。
誰もが知っているARDFの有名人の二人、その内の一人、小さな少女が顔を真っ赤にして、俯きながら年頃の少年と恋人繋ぎで歩いている。
これでは誤解するなというほうが無理だ。噂が経つのも当然と言えば当然である。
二人を目撃した人たちは噂を確信へと変え、新たな噂を流布し始める。こうして竜二のロリコン疑惑はさらに深まっていくのだった。

そんな周りの視線を無視する竜二と、全く気付いていない真姫奈。

対象的な二人だったが、見ていて和む光景ではある。
ブリーフィングルームにつく頃には、普段の倍以上の時間がかかっていた。わざとゆっくり歩いていた真姫奈のせいだ。
到着と同時に竜二にやんわりと手を離されて、真姫奈は少し残念な気持ちになったが、さすがに室内で手を繋いでいるわけにいかない。諦めて中に入る。
そこでは鉄平と、軍服を着た初老の渋い男性――迫水源太准将が何かを話をしていた所だった。

「来たか」

二人に気付いた源太は外見どおりの渋い声を出した。
鉄平と同じような軍人然とした軍人。真姫奈は源太とはあまり話した事がなかったので、強面の彼が少し苦手だった。

「――では、ブリーフィングを始める」

源太の説明は、小学生である真姫奈にもわかるように、通常の詳細な説明ではなく簡潔にまとめられたものだ。
要するに、昨日全滅させたばかりだというのに、一日も間をおかず再び根室に魔族が攻めて来るという話だった。
今度はルビーナイトの姿も確認されている。規模は昨日とそう変わらないらしい。
不自然な魔族の動きを疑問に思ったのか、竜二は源太に質問する。

「それは妙ですね……。連中が来たのは日本だけですか?」
「いや、世界各地に同時に仕掛けている」
「本格的に攻めて来たにしては、数が少ないですね。ファフニールはどうなってます?」
「動いていない、いつものように魔族を量産しているだけだ」
「魔王様は相変わらず、と」
「我々にはファフニールの考えなどわからないからな、結局は場当たり的に魔族の迎撃に当たるしかない」

攻撃から防衛へ。
ジークフリート作戦の失敗によって人類は弱気になってしまっていた。魔王を倒さない限り、人類は滅びを迎えると理解しているはずなのに。逃げに走ってしまった。

「魔族の到着予測時刻は三時間後だ。王城大佐と日下部少佐はすぐに出撃してもらう。武藤少佐は基地待機。以上だ、何か質問は?」

源太が三人をぐるりと見渡すが、全員が沈黙したままだった。

「よし、では各自任務にかかれ」
「了解」
「了解しました」
「了解です」

二日続けての急な呼び出し、真姫奈は竜二も参加するのではないかと思っていたので、彼が基地待機という事にホッとする。
連続侵攻の意図は掴めないが、いつも通り魔族を蹴散らしてくればいいだけだ、何も問題は無い。でも少し、不安だった。そんな真姫奈の様子を見たのか竜二が声をかけてくる。

「大丈夫? 真姫奈」
「あ、はい。大丈夫です」

そんな言葉とは裏腹に、真姫奈は竜二に抱きつき、子供のように彼のお腹に顔をうずめた。どさくさにまぎれて積極的な行動をとっているわけではない、突然そうしたくなったのだ。

「真姫奈?」

竜二の不思議そうな言葉には答えず、しばらく抱きついたまま何かのパワーを補給する。

「これで、バッチリです。元気出ました」
「そう」

体を離し、笑顔でそう言った真姫奈に竜二が簡潔に答える。そんな二人を見て何を思ったのか、鉄平が竜二に尋ねた。

「俺には何かないのか?」
「何言ってんですか、おっさん」

竜二が呆れるようにそう返すと、鉄平は残念そうにそうか、と呟いた。
真姫奈はそんな二人を見てクスリと笑う。そしてようやく不安が吹き飛んだのか、出発の言葉を告げた。

「じゃあ、行って来ます、お兄さん」
「うん、頑張ってね、真姫奈。鉄平さんもお気を付けて」
「ああ」

真紀奈は気付かない。
竜二は頑張れと言ったが、出撃する二人に死なないで、とも、生きて帰って来い、とも今まで一度として言ってない事に。
そして、死地に向かう二人を見送っているのに彼の表情は全く変化していない。
鉄平の背中に負ぶさり、竜二に小さく手を振る真姫奈。
竜二はそんな彼女に手を振り返して、基地を離れる二人の後ろ姿をじっと見つめていた。



◇ ◇ ◇



2016年9月11日 北海道 根室・風蓮湖沿岸



風蓮湖に到着して二時間ほど経過すると、遠目にもワイバーンの群れがこちらに向かってくるのが見えた。
それを確認した鉄平がいつもの様に真姫奈に指示を出す。

「俺はワイバーンを狩る。真姫奈はナイトを優先的に倒せ」
「わかりました」

ルビーナイトは邪拳使いの天敵であるが、鉄平にそれは当てはまらない。しかし、リザードマンよりは危険度が高いのも事実だったで、無敵の『邪眼』を持つ真姫奈に相手をさせるのは当然の判断だった。

「終わったらすぐに加勢する……。油断するなよ」
「了解です! 鉄平さんも、無茶しないでくださいね?」

真姫奈の言葉に頷き、鉄平は地面を蹴ってワイバーンの群れに飛び込んでいく。
踏みつけたコンクリートの地面が抉れている。相変わらずとんでもない男だった。

鉄平がワイバーンを真っ先に狩るのは理由がある。

ワイバーンは背中の荷物を降ろすと魔王の元に帰ってしまう習性を持っていた。だから、ここである程度数を減らしておかないと、再び荷物を背負って戻ってくるのだ。
日本は鉄平を抱え込んでいるので簡単に対処しているが、彼のように高いRPSFの持ち主がいない世界各国は、ワイバーンの対処にいつも苦労していた。ヘリだのカタパルトだのを使って必死に撃退している。

鉄平が上空に飛び上がってからすぐに、彼が倒したワイバーンの背中から落下した魔族の集団が真姫奈に向かって襲い掛かってくる。
敵集団は大量の蜥蜴人間と少数の赤い鎧を着た竜騎士によって構成されている。お世辞にも少ないとは言えず、いつものように一人で対処するには多すぎる数だ。
真姫奈はRPSFによって強化された身体能力を駆使し、サイドポニーを揺らしながら軽々とリザードマンの頭上を跳び越え、ルビーナイトの前に降り立った。
ルビーナイト。
真っ赤な鎧を着込んだリザードマン。容姿だけではなく、肉体的な強さもリザードマンとは桁違いだ。

「最初はグーっ、じゃんけんぽんっ!」

拳を掲げて、振り下ろす。単純な動作によって成り立っているはずのそれは、ルビーナイトが行うことによって、異常な事態を引き起こした。
真姫奈とルビーナイト、二人の拳が振り下ろされた瞬間、何かが爆発したような音が鳴り、不可視の衝撃波が周囲に撒き散らされていく。

ルビーナイトの拳が音速を突破したのだ。

どんな筋力があれば、僅かな距離で音速を超える事が出来るのか。ルビーナイトのRPSFはリザードマンより高いとはいえ、未だに謎である。

しかし、勝負の結果は真姫奈が『パー』で、ルビーナイトが『グー』。

拳を振り下ろす速度が音速を超えるルビーナイトは、確かに邪拳使い全ての天敵だろう、あれに勝てる鉄平はどうかしていた。
だが、勝利の手が事前に見えている真姫奈にとっては、誰もが恐れる赤い竜騎士も、リザードマンとなんら代わりのない相手だ。
どんな手を出すかが事前に見えているのだから脅威にはなり得ないのだ。
勝負に負けた赤い騎士の姿が光の爆発によって消えると、すぐに真姫奈は次の獲物に狙いを定めた。

ゆっくりと、だが、確実に。

そうやって彼女は『邪眼』の力を存分に発揮し、次々とルビーナイトを消滅させていく。
何も問題は無い、もう少し時間が経てば鉄平が戻ってきて敵を一掃してくれるだろう。それまで真姫奈はルビーナイトを片付けながら囮になっていればいい。
魔族を倒して、人々を守る。そうすれば皆に褒めてもらえるし、竜二にだって一杯甘える事が出来る。
彼女は両親の思いを受け継いで人類の守護者になると公言していた。実際そのように行動しているし、彼女自身もそう思っていた。

しかし、結局、真姫奈の精神は幼い子供のままだったのだ。

誰かに愛されたい彼女は、人々の愛情を受け続ける事を望み、誰のためでも無く、自身のために魔族を倒し続ける。
今の真姫奈の頭は竜二で一杯だった。武藤竜二。初恋の少年。自分が愛されるだけではなく、自分も愛している唯一の人。
慣れというのは恐ろしいものである。戦場で他の事に気を取られるなどあってはいけない、それが例え実力差の開いた相手だったとしてもだ。
そんな事だから、彼女はその異変に気付く事が遅れてしまった。

ルビーナイトの一体が突然発火し、周囲のリザードマンを巻き込んで炎の塊へと姿を変えるその異常な様子に。

人に仇なす魔王のように、全てを燃やす炎のような、その姿。
真姫奈がそれに気付いた時にはすでに接近された後だった。

「なんですか、これは」

自身を覆い隠す鎧は愚か、肉体すら失った赤い騎士は、炎そのものとなって真姫奈に襲い掛かった。
彼女は幾多の戦場に参加していたが、こんな化物は今まで見たことが無かった。嫌な予感を感じてその場から逃げようとするが、すでにそれが遅い事を知った。

――捕捉されてる!

真姫奈のRPSFが、もはや眼前へと迫った炎の塊が彼女に勝負を仕掛けてきた事実を告げてくる。
すぐに逃亡を諦め、炎塊へと相対する真姫奈は再び驚愕の事実に気付いた。すでに捕捉されているというのに、一向に勝利のための手が浮かんでこないのだ。
いや、正確には浮かんではいるが、次々とその手が変化していき使い物にならない。真姫奈はこの現象をすでに知っていた。
『邪眼』の弱点である、機械などの非生命体における戦いと同じ反応だ。機械に負けても死ぬ事は無い。しかし、この敵は魔族だった。

負ければ、死ぬ。

死。

「う、嘘、やだ、やだ!」

突然訪れた命の危機。それによって半ばパニックに陥る真姫奈を無視し、炎塊はその一部を人間の手に変え拳を振り上げた。

『――じゃんけんぽん』

機械的な、しかしはっきりとした日本語で炎塊は死の宣告を口にする。
真姫奈は恐怖で握り締めた拳をそのまま突き出し、慌てて『グー』を出す。
対する炎塊も炎を拳へと変えて『グー』を出した。

結果はあいこ。

不意打ちじみた攻撃だったが、どうにかしのぐ事は出来た。

だが、ジャンケンはどちらかが死ぬまで終わらない。

再び拳を振り上げる炎塊を目にした真姫奈は、絶望的な気持ちになった。

――怖い。

『邪眼』というジャンケンにおける絶対的な力を持つ彼女は、それが使えなくなる事によって、初めてこのゲームの恐ろしさと残酷さを思い知ったのだ。
ジャンケンは、『グー』『チョキ』『パー』で構成されている。
この三つの手のどれかをプレイヤーは出し、勝敗を決める簡単なゲームだ。
しかし、ドラゴンの降臨によってルールは凶悪に改変され、勝敗そのものが死に直結するデスゲームになってしまった。
そこには何の慈悲も無い。個人の思いも、それまで築き上げてきた人生さえも嘲笑い、ただ、命を失って、死ぬ。
『邪眼』の使えない真姫奈はただの少女だ、『邪拳』なんて使えるはずもなく、三分の一で命を失うこのゲームを続けなければいけない。

――死にたくないっ!

それは誰もが持つ、根源的な恐怖だった。終わりたくないと、まだ続きたいと思う人間の基本的願望。
全身はガタガタと震えて、体が驚くほど冷えていく、真姫奈は自分の足が地面についてるのかすらわからなくなっていた。その愛らしい顔は恐怖に染まり、蒼白になっている。

「……鉄平さん……竜二さん……助けて」

発する言葉は力なく、彼女の思いは届かない。
炎塊はそんな彼女の様子など全く気にする事も無く、再び呪いの言葉を口にする。

『――じゃんけんぽん』

変化した炎の手は『パー』。

そして、よろよろと突き出された真姫奈の手は再び『グー』。

単純に、運が悪かった。
三分の一の確率で勝てた勝負を、三分の一の確率で負けた、ただそれだけ。
不敗を誇った彼女は、未知の魔族に敗北を喫したのだ。

「あっ……ああっ!」

膝をついて、その場に崩れ落ちる真姫奈。体に全く力が入らない。

――26万3652戦26万3652連勝。

一人の人間のジャンケンにおける成績としては、あまりにも異常なこの数字は、ここに終止符を打った。
敗北者となった真姫奈を包むRPSFは、彼女の体の中心に集まり、その力を溜めていく。
常人より遥かに強大なその力の収縮は、彼女の最後を一瞬だけ遅らせていた。

「竜二、さん」

初恋の少年の名を呟く、全てはこれからだったのに、彼女は負けてしまった――終わってしまった。
自分が死んだら、彼は悲しんでくれるだろうか? 私のために泣いてくれるのだろうか?

大切だと、思ってくれていたのだろうか?

意識が薄れる。
胸に集まったRPSFのエネルギーは一瞬停止し、急激に膨れ上がっていく。

そして、彼女を倒した炎塊に赤い騎士、リザードマンの群れすらをも巻き込み、風連湖を覆い尽くすような光の爆発が――

「あ――――」









こうして、誰もが愛する、小さなお姫様はゲームから退場する。
望みは叶わず、道半ば。

次の主役は王城鉄平。愛に囚われた男の話。







[22142] キング・前編
Name: root25◆370d7ae2 ID:a0125701
Date: 2010/09/28 20:44



2016年9月11日 北海道 根室・風蓮湖沿岸



消えない。

消えない。

消えない。


炎のように、いつまでも燻る濁った感覚が鉄平の体を突き動かす。
ワイバーンの背中に飛び乗った鉄平は、周囲を飛んでいる別の翼竜にジャンケンを挑んだ。

「ジャンケンポン」

ワイバーンは人間の手に相当する部分が翼になっている。
翼を完全に折りたたんだ状態が『グー』、半開きが『チョキ』、全開状態が『パー』だとすでに判明している、この簡単な構造は邪拳使いにとっては倒しやすいため、戦闘力だけならワイバーンは最弱だと認識されていた。

『邪拳』。

ARDFが、ジャンケンという非常識な手段で人類抹殺を企む魔王に対抗するために取り入れた戦闘技術。

魔王出現後のジャンケンには厳格なルールが存在する。
まず、ジャンケンを行う二人は互いの姿を認識し合い、お互いに手を出せる状態でなければいけない。この条件を満たしていると、いわゆる『捕捉』という状態に移行する。
『捕捉』状態の次は実際の戦闘だ、ジャンケンは世界各国で少しずつ違っているが、魔族はその全てに対応している。
戦闘で絶対に守らなければいけないのは二つだ。

一つ目は、すでに振り下ろされた相手の手を見て自分の手を変える、いわゆる『後出し』をしてはいけないということ。
言うまでもなくこれは反則。相手の手を見ていなくても、ジャンケンの宣言後に一定時間手を出さずにいると、これも後出し扱いされて反則となる。

二つ目は、自分自身の意思で手を出さなければいけないということ。
体に取り付けた機械を使って邪拳の真似事をすると使用した本人が反則になる。
相手の拳を握るなどの直接的な干渉で相手の手を変えると、それを行なったものが反則となる。これには超能力も含まれていた。サイコキネシスなどがそうだ。

この二つのルールを守らなければ問答無用で死亡する。
また、対決する二人が二人ともルール違反している場合はゲームとみなされないのか、無効試合になる。

ゲームの前提としては当たり前のルールだったが、逆に言えば、これさえ守れば何をしても良いという事でもあった。
極端な話、捕捉状態に持ち込めばお互いが後ろを向いてジャンケンをしても勝負は成立してしまうのだ。勝敗の判定をしているのは当事者同士ではないのだから。
真姫奈のような予知能力者がジャンケンに参加しても死なないのは、この二つのルールを守っているからだった。ルールに違反した超能力者は皆死んでいる。
『邪拳』は、このルールの隙をついたものだ、拳を振り上げてから振り下ろされるまでの形の変化を見て、相手の手を予測し、それに勝てる手を出す。たったそれだけの技。

だが、言うのは簡単でも、これを実戦で使うには凄まじい精神力が必要だった。
ARDFは兵士に『邪拳』を確実に習得させるために、リザードマンよりもかなり速いスピードで拳が振り下ろされる専用のトレーニングマシンを製作した。
相手の手を完璧に読みきれるまで延々とジャンケンを続ける不毛な訓練を行ったが、多くの兵士達は実力を発揮することなく戦場で命を落とす。
敵の手を読み間違えれば死に、手を出すのが遅れても後出しになっても死ぬ。そして敵は一人ではない、次々と襲い掛かってくる。
これで失敗するなというのが無理な話だ。それでも優秀な人間というのはどんな環境にもいるのだが。
鉄平はそんな者たちの中でもトップクラスの実力者だった。
邪拳使いの天敵、ルビーナイトの音速を超える拳ですら鉄平は読みきってしまうのだから、とんでもない話である。

「ジャンケンポン」

敵を捕捉するために空を駆け、また別のワイバーンの背に移る。そうして、一匹、また一匹と翼竜を始末していく。
人類最高のRPSFを持ち、『キング』とまで呼ばれる王城鉄平。
しかし、彼は真姫奈のように人類を守るという立派な志しなど欠片も持っていなかった。

ただひたすらに魔族を殺す。

愛する妻を失い、心にぽっかりと穴が開いてしまった鉄平が今も生き残っているのは、それだけのためだった。
未来を失った彼は、過去への感傷のためだけに戦い続ける。

きっと自分は救われると、そう信じて。

そんな思いを胸に、順調にワイバーンの数を減らしていく鉄平。あと少しで全滅だという、そんな時に異変は起こった。
風蓮湖全体を覆い尽くすような巨大な光の爆発。何が起きたのか、彼のような人間でも一瞬呆然としてしまう、そしてすぐに、ずっと感じていた強大なRPSFの気配が消滅している事に気付く。

「真姫奈っ!」

ワイバーンを蹴りつけて、真姫奈がいたと思われる位置に跳ぶ。
囮になっているはずの真姫奈の姿は見えず、赤く密集した魔族の群れは、本土への移動を始めようとしていた。
すぐに魔族の群れの中に降り立った鉄平は、地面に倒れている真姫奈の姿と、いつの間にか自分を捕捉している炎の化物の姿を見つける。

――なんだ、こいつは。真姫奈はどうして倒れている?

真姫奈の様子は気になったが、ひとまず鉄平は周囲の魔族の殲滅を優先する。こんな状態で真姫奈が捕捉される可能性は無いはずだが、万が一もあるからだ。

『じゃんけんぽん』

炎の塊は体の一部を人間の手に変えて振り下ろしてきた。輪郭がぼやけていたので判断しづらかったが、敵の手はすぐに読めた。

鉄平の手は『パー』、炎塊は『グー』。

鉄平の勝ちである。

あっさりと炎の塊を消し去った鉄平は、自分に群がってくる魔族の集団を屠り始めた。

「邪魔だ」

鉄平は超能力者では無いが、昔からある一点において他の人間を超えている部分があった。
それは、神経パルスの高速伝達による、意識の超加速。
一瞬と言えるような短い時間でも、彼は頭の回転を極限まで増加させ、時の流れが緩やかに見えるほどにまで意識を加速する事が出来たのだ。
レッドドラゴン降臨の前からたびたび『邪拳』を使っていた彼は、元々ジャンケンで無敵の強さを誇っていた。ズルをしているので当然といえば当然だったが。
愛する妻を失い、恐怖心の欠如した鉄平は、次々と『邪拳』を使い魔族を倒し続けた。RPSFによって肉体が完全に維持されるようになったおかげで、本来なら脳に異常が発生しそうな速度まで思考を加速する事に成功していたからだ。
運も良かったのだろう。最初にルビーナイトと戦っていたら、彼は間違いなく死んでいたはずだ。相手の手が読めても、音速で拳を変えなくてはならないから。
最初期の頃はルビーナイトの数は今より遥かに少なく、滅多に戦う事など無かったので、それが幸いした。
鉄平がルビーナイトと初めて戦った時には、すでに多数のリザードマンのRPSFを吸収した後だった。ギリギリ後出しにならない速度をこの時点で彼は確保していた。

そうやって敵を倒し、RPSFを吸収しながら鉄平は強くなっていった。いつの間にかルビーナイトの音速拳ですら圧倒できるほどに。
他人が見れば鉄平の動きは素早く、信じられないような速さで敵を倒しているように見えるのだろう。だが、彼の主観では膨大な時間が消費されている。
だから、驚異的なスピードで周囲の魔族を減らしていく鉄平は、内心焦れるような気持ちだった。早く真姫奈の安否が知りたい、と。
ワイバーンの残りは放置した、あそこまで減らしたら再攻撃はないと判断して。だから、鉄平は地上の敵を狩る事に専念する。
先ほどの炎塊の姿はもうどこにも見えない、地上には、リザードマンと僅かなルビーナイトの姿だけ。
何百体と自分に向かってくる魔族を全て倒し、ようやく鉄平は真姫奈の容態を確認する。

「真姫奈! 真姫奈!」

耳元で呼びかけても反応は無い、だが胸に耳を当てると心臓の鼓動も聞こえたし、息もある。
とりあえず死んではいないようなので鉄平はホッとしたが、状況から考えると彼女はあの炎の塊に敗北したのだろう、ならばなぜ消えないのか?
鉄平にはそれがわからなかったが、まだ彼には仕事が残っていた。

本土に向かった魔族の始末である。

放置するわけにはいかない、鉄平の心は過去に囚われていたが、助けられる人類をあえて見捨てるほど非情でも無かった。
真姫奈を背負った鉄平は、適当な民家を見つけて彼女をベッドに寝かせると、近くの通信装置を用いて本部から敵の位置情報を聞き、すぐに残党狩りに戻っていった。
 


◇ ◇ ◇



2016年9月11日 北海道 ARDF旭川基地



RPSFのおかげで医療関係者は一気に職を失ったが、完全に無くなったわけではない。そのまま研究者の道に進んだ者達もいる。
基地に戻った鉄平は、真姫奈を医務室に運んでいた。部屋には女医の他にも竜二に源太、美弥子の姿もあった。
真姫奈は天使のような寝顔で眠り続けている。だが、一向に目を覚まさない。

「先生……マキちゃんは大丈夫ですよね?」
「わかりません、ジャンケンに敗北して消滅していないというだけで奇跡なのですから、いつ目覚めても、あるいは死んでもおかしくない状態です」
「そんな! どうして!?」
「調べてみたところ、日下部少佐のRPSFの値が異常に低下して……いえ、ほとんどゼロと言っていい数値にまで落ちています。不死性は保たれていますが、目を覚ます可能性は限りなく低いと思われます」
「嘘……」

医者の冷静な報告を聞いた美弥子はその場にへたり込む。

「RPSFの機能が悪い方向に働いています……この状態では捕捉も出来ませんから、最悪、このまま永遠に眠り続ける事も……」
「嘘よ!」

美弥子が聞きたくない、とばかりにイヤイヤと頭を振る。真姫奈の身に降りかかったあまりの事態に、竜二を除いた部屋にいる全員が沈痛な面持ちをしていた。

「どうにかならないのか?」
「私たち人間にはRPSFを観測することは出来ても、干渉する事は出来ません。医療技術で治療をしようとしても、RPSFがそれを防いでしまうので、残念ながら……」
「そうか……」

源太が深いため息をついた。真姫奈を戦いに参加させている以上、死の可能性がある事ぐらいわかっていたはずだ。しかし、これでは死んだほうがマシだった。やりきれない気持ちなのだろう。

「恐らく、日下部少佐の保有していたRPSFの数値が桁違いだった事が原因だと考えられます。ですが、この理屈だと王城大佐や武藤少佐も敗北時に同じ状態になるかもしれません」

女医が名前を上げた二人だが、その悲惨な宣告にも動じる事はなく、竜二は相変わらず無表情で、鉄平は苦虫を噛み潰した表情で俯いていた。

――俺のせいだ。

鉄平は真姫奈の事が好きだった。
彼女が自分に亡くした父親の代わりになってくれる事を求めているのは知っていたが、無垢なその感情を向けられるのは心地良かったし、子供に恵まれなかった彼は、真姫奈のような娘が欲しいとずっと思っていた。

――俺が一人で戦っていれば良かったんだ。

妻に続いて娘とも言える存在を失った鉄平の思考は、深い闇の中に落ちていく。
鉄平はそう思っているが、実際彼一人で魔族の侵攻を防ぐのには無理があったし、彼を失うわけには行かないARDFがそんな無謀な事を許すはずがない。
何より真姫奈自身が戦場に参加する事を望んでいたのだ。例え彼女が死んでも、誰も鉄平のせいになどにはしないだろう。彼自身も命懸けで戦っているのだから。
しかし、鉄平は自分を責める。人類最高のRPSFを保有する彼にとっては、ARDFなど何の言い訳にもならない。
ジャンケンが強いという事はそのまま権力が強いという事でもある。
事実、真姫奈と竜二を除けば、鉄平に勝てそうな人間など軍には、いや、世界中のどこにも存在しなかった。
実際に二人と戦っても鉄平が勝つだろう。つまり、鉄平に命令できるものなど本当は誰もいないのである。
ARDFが真姫奈を戦わせたいと思っても、鉄平が駄目だといったら従うしかない。後は真姫奈を説得すればいい。

でも鉄平はそれをしなかった。

真姫奈が彼に父親の姿を求めたように、彼女に娘の姿を求めた鉄平は、戦場で彼女を参加させる事により、彼女をわざと危険な目に合わせ、それを自分が救う事で親が子を守るという行為を演出していたのである。
愚かなマッチポンプ。妻を失った鉄平の精神は、醜悪なまでに歪んでいた。

「意識は完全に無いんですか?」
「はい。深い睡眠状態なので、夢も見ていないでしょう」
「そうですか」

竜二の質問に女医が答える。
それは死んでいるのと何が違うのだろうか? 鉄平は再び自責の念に駆られて顔を俯ける。だから、竜二が一瞬安堵の表情を浮かべていたのに気付かなかった。

「すまない、皆……。全部、俺のせいだ」

鉄平は誰かに責めて欲しかった。
思えば彼の妻が死んだ時も、誰一人彼を責める者はいなかった、彼女の両親でさえも彼に同情し、あまつさえ慰めの言葉をかけてきたのだ。
自分には、そんな資格などないのに。

「大佐の責任ではない、責があるとしたらこの私だ」

あえて責任を問うなら確かに源太だろう、だが鉄平はそんな言葉が聞きたいわけじゃない。

「そうです、医者だというのに、このような時に何も出来ない私だって……自分が情けない」

正確には彼女は医者ではなく科学者だ。
鉄平は恐らく自分を最も恨んでいるであろう美弥子に視線を向ける。

「王城大佐が悪いっていうなら、私はもっと悪いです……私はマキちゃんに何もしてあげられなかった。代わりになれるのなら、いくらでも代わりになってあげたかったのにっ……!」

憔悴した様子で、しかし鉄平が望んでいない事を彼女は言った。

――何故だ。

――何故責められない。

己が罪深い存在だなんて、誰よりも自分自身が知っている。それなのに、誰もがお前は悪くない、あなたのせいじゃないと言ってきた。
この生ぬるい空間に、鉄平は自分の胸にある濁った感情が膨れ上がり、猛烈な吐き気がこみ上げてくるのを感じた。
そして鉄平は、逃げ出した。医務室から飛び出し、目的地も定めず、一人きりになれる場所へと走り続けた。

逃げるのは、得意だった。



◇ ◇ ◇



2016年9月11日 北海道 某所



鉄平はその身体能力で走り続け、どこともしれないゴーストタウンの道路に座り込み、膝を抱えていた。

「すまない、すまない、すまない、すまない」

人類最強の邪拳使いにして、生き残った人々の希望である『キング』。
鉄平は、普段の彼からは考えられないほど弱々しい声で、ひたすら誰かに謝り続けていた。

――皆を守りたい。

そう言って、人々の未来の為に戦い続けた真姫奈。
過去に囚われ、歩みを止めてしまった鉄平には、彼女の存在はあまりにも眩しかった。
鉄平、竜二、真姫奈の三人で構成されたバルムンク隊、その中で鉄平は一番強く、そして、一番弱い存在だった。

あまりにも脆弱な精神。

竜二の足元にも及ばない、幼い少女である真姫奈にすら劣るその心の弱さ。

英雄ともてはやされている鉄平も、四年前までは普通の民間人だった。
妻の死をきっかけにARDFに志願した彼は、常に最前線への参加を望み、魔族を殺して殺して殺して殺し続けた。
自らの命を少しも省みない、常軌を逸した戦いぶり。
それからも彼は休むことなく戦いに身を投じ、ジークフリート作戦でARDFが大打撃を受けた時もひたすら殺し、人類滅亡が迫った今でも魔族の虐殺を続けていた。
鉄平の事を少しでも知っている人間ならば、彼の凶行は、妻を魔王に殺された事への復讐のためだと納得するのだろう。
だが、復讐のために殺しているのなら、おかしい点が存在する。

どうして彼はドラゴンに戦いを挑まないのか?

ARDFとしては、日本防衛の要である鉄平を、勝てるかどうかわからないドラゴンと対決させる気など毛頭なかった。
だから彼がそうしないのはありがたかったのだが、それを疑問に思っている者も多い。デリケートな問題なので口に出したりはしないが。
復讐を口にする鉄平は、心の底ではそんな事を望んですらいない。その事に本人にも気付かない、いや、気付いていても無視していた。

鉄平は、哀れな男だった。

「皐月……」

茜色に染まった空を見上げて、ポツリと呟く、愛する妻――王城皐月の名前を。

幼馴染だった鉄平と皐月は、それこそ赤ん坊の時からずっと一緒にいた。
比較的大人しかった鉄平を、年上で活発な皐月が連れまわす、そんな関係。
鉄平はそんな彼女を好ましく思っていたし、皐月も彼を手のかかる弟だ、と可愛がっていた。引越しなどもなく、互いを大切に思いあっていた二人は、やがて恋人同士になる。
その頃――恋人同士だった学生時代には、二人で身を寄せ合い、こんな綺麗な夕日を眺めていた事もあった。
誰もが羨む、仲の良いカップル。喧嘩をしてもいつも謝るのは鉄平だったが、喧嘩の原因ですら、自分にあまり構ってくれないなどという可愛いものだったため、苦笑しつつもそれを許していた。

付き合い始めたのは、高校生の頃だった。

子供から大人へと、いつの間にか彼女の身長を超えるほど立派になっていた鉄平は、素敵な男性に成長していた。そして、同年代の異性から好意を集め始めたのである。
これに皐月は焦った、『皐月ちゃん、皐月ちゃん』と自分の後をずっと付いて来た(と、勝手に思っている)少年が自分の手から離れていってしまいそうになったからだ。
好意など子供の時から持っていたため、以前にも増して鉄平にくっつき始めた彼女は、ある日、鉄平の部屋で彼を押し倒した。
積極的な女性である。
鉄平も彼女の事は憎からず思っていたので、めでたく恋人同士に。
互いに互いの事を良く知り合った幼馴染の二人。交際は順調に進み、問題も無く時は過ぎ、やがて二人は大人になる。
プロポーズは、鉄平の方から。この時ばかりは、いつもお姉さんぶっていた彼女も涙を流していた。
残念ながら子宝には恵まれなかったが、それでも二人で、暖かな夫婦生活を過ごした。
ずっと、幸せだった。鉄平の人生には彼女はいなくてはならない大切な存在だったのだ。

でも、彼女は死んだ。

「辛いよ」

今すぐにでも彼女に会いたかった。しかし、そんな事が自分に許されるわけがない。最愛の女性を失った鉄平は、一人この世界に取り残され、当ても無くさまよい続ける。

どうすればいいのかわからない。

どうしたいのかもわかならい。

歩むべき道を、示して欲しかった。幼い時から手を引っ張ってくれていた愛する彼女に。







光を失った、孤独な王様。

夕焼けが、彼の体を包みこむ。
慰めるように、優しく、優しく。









[22142] キング・中編
Name: root25◆370d7ae2 ID:a0125701
Date: 2010/09/30 20:31



2016年9月11日 北海道 ARDF旭川基地



日が暮れて、夜の闇も完全に深まった頃に鉄平は基地へと戻ってきた。兵舎には戻らず、特別娯楽室に向かう。

竜二に、会いたかった。

彼はいつもそこにいる、一日中その場所に引きこもっている。
鉄平には竜二が何を考えているのかはわからなかったが、彼の事は嫌いではなかった。基本的に他者へ干渉しない竜二は、自分と真姫奈にはなぜか構ってくる事が多かった。
人々に頼られ、同時に恐れられてもいる鉄平にとって、友達と言える存在はいない。かつてのバルムンク隊にはそうした人間もいたが、すでに死んでしまっている。
年は離れていたが、そんな竜二は鉄平にとって、友達……なのかもしれない。

彼ならばきっと――

竜二はもう眠っていてもおかしくない時間だったが、幸い彼はリビングに居た、いつものように難しそうな本を読んでいる。

「ん? 鉄平さん、おかえりなさい」
「ああ……」

真姫奈を失ってしまったというのに、普段の態度で鉄平に挨拶をしてくる竜二。
突然医務室から飛び出て行った鉄平に気を使っているのか、あるいは、真姫奈の死など竜二にとって大した事でもなかったというのだろうか。
鉄平は、そんな竜二に医務室で言った言葉を再び投げかける。彼の答えだけは聞いていなかったから。

「……すまない、竜二。俺のせいで真姫奈が……」
「そうですね」

即答だった。
鉄平は、一瞬何を言われたのかわからなかった。竜二は本を置いて、そんな彼の目をじっと見ながら、言葉を紡ぐ。

「全部、鉄平さんのせいです、真姫奈がああなったのは」
「……っ」

容赦の無い竜二の言葉だったが、鉄平は感激に身を震わせていた。
その言葉こそ、彼が求めていたものだったから。

「あんな小さな女の子を見殺しにしたのに、なんであなたはまだ生きてるんですか? どう考えてもあなたが死ぬべきだったでしょ。生きてて恥ずかしくないんですか、鉄平さんは」

淡々とした様子で、竜二は言葉を紡ぎ続ける。
鉄平は、そんな竜二の言葉を聞いて思わず手で口元を覆い隠した。

――全部俺が悪い。死ぬべきだったのも俺の方だ。

ずっと、誰かに、そう言って欲しかった。
王者という地位を得てしまった彼に、そんな言葉を吐ける人間など最早存在しない、竜二を除いて、他の誰にも。
許しではなく、責められる事こそが、鉄平の望みだから。

「死ねよ」

綺麗に澄んだ、少年の声が。

「死んでしまえ」

鉄平の心に染み渡っていく。

――死ね、死んでしまえ!

それは、鉄平が何度も自分に向かって言い続けた言葉。
だが、彼はその手段を取る事は出来なかった。そしてそれは、決して彼が死にたくなかったからではない。

「まだ、死ぬのは、駄目なんだ」
「どうして」

竜二は無表情に、何かを観察するように鉄平に尋ねる。

「消えないから」
「……?」
「消えないんだ、いくら、殺しても。これじゃあ、皐月に会えない」
「皐月って、奥さんですか」
「そうだ、俺だって出来るものならとっくに死んでいる。でも、まだ俺には彼女に会う資格が無いんだよ」
「意味がわかりません」

その通りだった。竜二に罵られて気分が高揚しているのか、鉄平は他者には理解できような事を口走っていた。

「まだ、終わってないんだ。俺は魔王に復讐しなければ……」
「えーっと、僕にはそこが良くわからないんですよね。復讐がしたいんなら、なんで魔王を殺しに行かないんですか? 鉄平さんなら一人でも辿り着けるでしょう?」

誰もが思う、その疑問。竜二はいい機会だと思ったのか、鉄平の核心に触れるような発言を容赦無く浴びせてきた。

「……」

鉄平は黙り込む、何か都合の悪い事を指摘されたように。

「まさか残った人類を守るためだなんて言ませんよね、鉄平さんともあろうお方が」
「それは」

どこか皮肉げにそう言った竜二は、鉄平に向かって、最後の言葉を告げた。

「もう一つ、こっちが最大の疑問なんですけど、鉄平さんの奥さんってあなたが殺したんですよね? それがどうして魔王に対する復讐になるんですか? ただの八つ当たりでしょ、それじゃ」












◇ ◇ ◇













2016年10月14日 北海道 ARDF旭川基地 医務室



真姫奈が倒れてから約一ヶ月。
鉄平は、彼女が眠っている医務室に来ていた。
ベッドの横にパイプ椅子を運んで座り、安らかな寝顔を見つめる。

「真姫奈……」

竜二とはあれ以来話していない。彼は今も特別娯楽室で読書をしているのだろうが、今は会わせる顔がなかった。

本当はわかっていたのだ。自分の行動が復讐なんてものじゃなかった事ぐらいは。
竜二は八つ当たりと言っていたが、鉄平の目的は八つ当たりですらない。

消えない。

消えない。

消えない。

周りにも散々言われたように、誰も彼が悪いなんて思っていない。鉄平が妻と行なったのはただのジャンケンだ、それが世界改変の直後だったというだけ。
だが、周りが許したとしても鉄平自身がそれを許せなかった、彼の人生で欠けてはいけないはずの最愛の女性を、他でもない自分の手によって消し去ってしまったのだから。

軽い気持ちで行なったジャンケンの後に、突然消滅した妻。

すぐに鉄平は妻の姿を半狂乱になって探したが、結局見つかる事はなかった。
ジャンケンが終了し、決着がついた時点で、彼は薄々感づいていたのだ。もう妻はこの世界には存在しないと。

その後、最初に感じたのは虚無感だった。生きる意味を失った鉄平は、外界との接触を断って自宅で膝を抱えていたが、やがて自分を傷つけ始める。
しかし、RPSFがその虚しい行為を防いでしまった。傷つかない体を不思議に思った鉄平は、情報を集めた。
そしてすぐに、アメリカに現れたドラゴンが全ての元凶だと判明する。

次に感じたのは怒りである。鉄平は妻を失う原因となった赤い竜を憎み始めた。この頃にはちょうどARDFが組織され始めたばかりだったので、鉄平は喜んでそれに志願した。必ず殺してやると。

最後に感じたのは絶望だった。戦場に出た鉄平は、初めてリザードマンを殺した時に気付いてしまったのだ。

妻を殺した時の感触が、今でも残っていると。

鉄平は絶叫した、怒りなんてどこかに吹き飛び、狂ったように魔族に戦いを挑み、殺戮した。

それでも、消えない。

何匹殺しても、妻を殺したその感触が消えない。

そして、妻から奪ったRPSFが、魂が、自身のRPSFに混ざり合っているという事実も消えなかった。

あるいは真姫奈ならば、最愛の人がいつも自分を見守ってくれている、とポジティブに解釈していたのだろうか。
しかし、鉄平には無理だった。自殺も考えたが、実行する事が出来なかった。はっきりと妻殺しを自覚している自分が、どのような顔をして死んだ彼女に会えばいいというのか。

――出来ちゃったみたい、女の子だって。

幸せそうに、そう告げてきた彼女。しかしその矢先に起こったのは、取り返しのつかない事件。
たかがプリンのために妻と子供を殺した自分。
許せない。許せるはずがない。だから鉄平は、魔族を殺し続けた。
少しでも多くの命を奪い、妻を殺した感触を忘れるため、混ざり合ったRPSFを混沌に染めるために。
そうすれば、いつか妻の下へ向かえる、と。それが、魔族を何百万体と殺し続けた男のたった一つの願いだった。
魔王と戦わなかったのは、魔族をもっと生み出して貰わないと困るからだ。

「すまない」

だが、そのせいで真姫奈は死んだ。
娘のように思っていたのに。また、失ってしまった。

「すまない、すまない……」

ポロポロと、涙を零して彼女に謝罪する鉄平。
大の男が少女に泣きながら謝っているのはかなり異様な光景だろう。だが、真姫奈は何も答えない、死んだように眠り続けている。
真姫奈はあくまで自身の目的のために戦っていたのだ、周りが言うように鉄平の責任ではないだろう、だけど、謝らずにはいられなかった。

――俺が、魔王を倒していれば。

竜二に問い詰められるまで、ずっと気付かないフリをしていた。四年間ずっと魔族を倒し続けていた鉄平。しかし、いつまで経っても彼の望むような救済は得られなかった。
何匹殺しても穢れは消えず、心は磨耗していく。それでも彼は、戦い続けるために、自身の浄化を復讐という都合のいい題目に摩り替え、魔王すらも利用し、己の願いを叶えようとした。

もう、わかっていたのに。
こんな事を繰り返していても、何にもならないと。

「巻き込んで、すまない」

すでに鉄平の妻はこの世からいない。ならば後を追うなり、新たな人生を歩むなりすれば良かったのだ。
だが鉄平はそのどちらも選ばなかった、命を捨てるのは怖くなかったが、妻に拒絶される事だけは耐えらない。しかし、妻のいない人生を歩む事なんて出来るはずがない。
だから、その場でずっと足踏みを続けた。

鉄平は、弱い人間だった。

「いくら謝っても、お前は戻ってこない。だから、お前の望みを、お前の意思を俺が継ぐよ」

涙を手でぬぐって、呟くように、しかしはっきりとした声で告げる。
妻を殺した自分は、その妻にこそ責められるべきなのだ。
彼女が自分を責めている姿を思い浮かべると、全身がバラバラになってしまうようなおぞましさを感じる。
でも、向き合わなきゃいけない。それが、自分の罪なのだから。
ここまで追い詰められた状況になって、ようやく鉄平は決断した。

「魔王を、倒そう」

不毛な自傷行為はもう終わり。
魔王を倒しても、あるいは魔王に倒されても、妻に会いに行こう。

逃げずに、精算する。

二年という僅かな期間だったが、真姫奈は自分を父のように慕ってくれたのだ。
最後くらい、格好いい所を見せてあげよう。
それが、この少女に報える唯一の事だと思うから。



◇ ◇ ◇



2016年10月14日 北海道 ARDF旭川基地 ブリーフィングルーム



部屋に集まっているのは源太に鉄平、そして竜二。
源太は重苦しい、鉄平は覚悟を決めた、竜二はいつものように何を考えているのかわからない無表情という、三者三様の面持ちだった。

「ではブリーフィングを開始する」

始まった説明は、鉄平はすでに知っているものだ。この場で知らないのは竜二だけだった。

2016年9月11日に起きた魔族の連続侵攻。
それを境にして魔族の侵攻はぱったりやんだ。これまでは一月に十数回というペースを保っていたため、明らかな異常事態である。
そして訪れた仮初めの平和に、人類は恐怖した。
魔王によって生み出されていた魔族は、ある程度の数に達すると世界各地に送られていく。
送られた魔族の分を補給して、また出荷、と魔王の行動は出現当初の時期を除き、ここ四年間ほとんど同じだった。
現在、ワシントンD.Cの魔王が生み出した魔族の群れは、すでに3000万体を超えている。
魔王の傍には常に500万体ほどの魔族が配置されているが、それを除いてもこの数は洒落になっていない。
そのうえ魔族は、今もなお増え続けているのだ。

「このまま何もせずに魔族の召喚を続けさせるわけにはいかん。そこで我々ARDFはファフニールに対する攻撃作戦を行う事に決めた」
「攻撃ですって? 正気ですか?」

そう尋ねる竜二に、源太は苦しそうに言葉を漏らした。

「もう、限界なのだ。このまま守りに徹していても人類が滅ぶのは目に見えている。魔王は滅びずに延々と魔族の召喚を続けるのだから」
「そりゃそうですけど、良くそんなこと上層部が決断しましたね、ジークフリート作戦で相当懲りてる思ってましたけど」
「本当に後が無いからな、仕方がない」

残る人類の総人口が一億の瀬戸際なのだ。魔族の数が3000万を超えている時点で終わっているも同然だったが、確かに後が無い。
いよいよ魔王が本気で人類を滅ぼしにかかってきたのだろう、このまま待っていても、ジークフリート作戦の時とは違い、今度は確実に人類が滅ぶ。

「で、今度はどれぐらいの戦力で行くんですか?」
「約900万人、ほぼARDFの全戦力になる」
「うわ、よくそんなにかき集めましたね。またRD教団に襲われるのでは?」
「連中はもう滅んだはずだ」
「そうですかねぇ……」
「作戦名は『べオウルフ作戦』だ。三日後の正午二時に全軍を率いてワシントンD.Cのファフニールを攻撃する」
「なるほど、頑張ってください」
「……君も、作戦に参加だ」
「断ります」

竜二は簡潔に、そして明確に作戦への参加を拒否した。

「何だと?」
「そういう条件でしたよね、僕がARDFに協力しているのは」
「そんな事を言っている場合ではないだろう、魔王を倒すのは君にとっても悪い事ではないはずだ」
「どうでもいいです、そんなの。納得できないなら理由でも作って上げましょうか? 今回の作戦が失敗した時に、一人もバルムンク隊のメンバーが残ってないのはマズイでしょ、保険ですよ、保険」
「失敗など考えない、成功させなければ終わりだ」
「いくら言っても無駄ですよ、ARDFなんて個人の戦う意思によって成り立っている組織なんですから。戦いたくない人間を無理矢理戦わせるなんて出来るわけがない」

竜二の言う通りだった。
彼を強制参加させるには、鉄平を使って殺すぞとでも言えばいいのかもしれない。しかし貴重な戦力である竜二を殺す事など無理な話なので、脅しだと簡単にばれてしまう。
それにそんな事をして竜二にARDFを去られてしまっては元も子もない。

「武藤少佐は、日下部少佐とは仲睦まじかったと記憶しているが、君は彼女にあんな惨い仕打ちをした魔王に対して何も思わないのか?」
「思いませんね」

即答だった。

「……くっ、大佐も何か言ってやってくれ」

やれやれ、と源太が鉄平にも話を振ってくる。

「准将には申し訳ないのですが、自分にも少佐を説得するのは不可能だと思われます。ならば少佐の提言通り作戦失敗時の保険にしたほうがよろしいかと」
「君もそんな事を言うのか……」

鉄平も、自分の目的のためにドラゴンを放置していた口だ、そんな人間が竜二を説得するなど、鼻で笑われてしまうだろう。
人類の滅亡がかかっているという極限の状況でも、普段と同じ行動を貫き通す竜二の強さは、鉄平には羨ましく思えた。
あるいは、弱さなのかもしれなかったが。

「少佐が参加しないというのなら、私がその穴を埋めて見せます。必ず、魔王を倒してみせましょう」
「はぁ……わかった。誠に不本意だがべオウルフ作戦への参加は王城大佐のみとする、武藤少佐はいつも通り基地待機だ」
「了解」
「了解です」
「出発時刻は追って連絡する。以上、解散」

源太が疲れた様子でブリーフィングルームから退出していくと、竜二と鉄平が示し合わせたようにそこに残った。
こうして顔を合わせるのもほとんど一ヶ月ぶりである。

「本当に倒すんですか」
「ああ」
「八つ当たりで?」
「違う、真姫奈のため……それと、自分のためだろうな」
「へえ」
「お前のおかげだよ」
「何がですか?」
「ずっと、虚しかった。四年間、泥の底に沈んでいる気分だったんだ。でも今は違う、人類が滅びかかっているのに不謹慎かもしれないが、とても、穏やかな気持ちなんだ……」
「僕は鉄平さんに何かしてあげた覚えはありませんが」
「してくれたのさ。お前は、お前だけが俺を責めた。ずっと、誰かにそうして欲しいと思っていたんだ。誰も責めてくれないなら、自分で自分を責めるしかない。情けない話だが、初めて他人に責めてもらった事で、ようやく妻と向き合う気持ちになったんだ」
「……」
「ごめんな。あんな事言うの、本当は嫌だったんだろ?」
「別に……」

二年ほど竜二の仲間としてやってきた鉄平だが、竜二があのように人を傷つける言葉を吐くのを聞いたのは初めてだった。
勝手な推測だが、本心では嫌がっていたのかもしれない。鉄平にはなんとなくそんな気がしていた。

「真姫奈の事、なんとも思ってないなんて嘘だろ?」
「……」
「俺にはお前の考えなんてわからないが、それだけは確信できるよ。お前が真姫奈を大切に思っていたなんてのは」
「……」

鉄平の言葉に、竜二は押し黙る。しかし、否定をしないということは、その沈黙こそが彼の答えではないのだろうか。

「お前と話すのもこれで最後かもしれない。どうなるにしろ、最後まで真姫奈の傍に居てやってくれ」

ぐしぐしと、竜二の頭を撫でる鉄平。
竜二は鬱陶しそうにしていたが、やがてポツリと呟いた。

「……鉄平さん」
「なんだ?」
「願いが、叶うといいですね」
「ありがとう、竜二」









[22142] キング・後編
Name: root25◆370d7ae2 ID:a0125701
Date: 2010/09/30 20:34



2016年10月17日 北アメリカ上空



鉄平は軍用ヘリに乗って青く澄み切った北アメリカの空を飛んでいた。
天気は良好。ジャンケンに天候は関係無いと思われがちだったが、邪拳使いにとっては雨よりも晴れの方が好都合だった。
べオウルフ作戦はジークフリート作戦に次ぐ人類の大規模攻撃作戦だ。



ジークフリート作戦とはARDFが大打撃を与えられた攻撃作戦の名称である。
レッドドラゴンがワシントンに出現してから約二年、人類は順調に数を減らし、三十億の大台を割っていた。それは魔族だけが原因ではなかったが、異常な損耗率である。
ARDFは世界各地に支部を置き、魔族による侵攻を防いだり、隙をついてドラゴンに対する攻撃を行うなどをしていたが、効果は見られず、いたずらに兵士の命が消費されるだけだった。
魔王は強すぎたのだ。 
ジャンケンには年齢や性別は関係ない。魔王や魔族に親しい人を殺され、復讐に燃えてARDFに入隊してくる人間は多く、志願兵には困らなかったが、兵士が増えてもすぐに消費してしまう。
魔族の召喚数や速度は、出現当初に比べると爆発的に増えていた。しかし一向にRPSFの解析は進まずに、魔王は魔族を生み出し続ける。

人類滅亡。

その四文字を誰もが思い浮かべるようになった頃に、ARDFは一大決心をする。
ARDFのほぼ全軍、約9000万もの兵を率いて魔王に総攻撃を仕掛けるのだ、と。
狂っているとしか思えないが、実際、ちまちまと魔王に対して攻撃をしても倒せそうになかった。
力で駄目なら数で勝負、ジャンケンに力が関係あるのかはわからないが、このまま座して死を待つよりはマシだ、という玉砕魂から発案された人類最大の作戦。

失敗したら後はない、だが失敗を恐れて滅亡するわけにもいかない。

この頃の人類はどうかしていたのだろう、『ジークフリート作戦』と名付けられたこの作戦は、命を賭けているARDFの兵士達にもすんなり受け入れられた。
受け入れられたというより、もう楽になりたかっただけなのかもしれなかったが。
とにかく作戦は迅速に実行された。そして二ヶ月以上にも及んだその作戦は、驚くべき事に成功し、そして失敗した。

増え続ける魔族に数を減らされながらも、勇敢に魔王へと勝負を挑むARDF兵。
魔王の力は絶対的で、送り込まれた兵士達はただの消耗品の様に次々と消えていく。
9000万人もいたはずの兵士は1000万人を下回り、誰もがドラゴン撃破を諦め始めた時、信じられない出来事が起こる。

アメリカ人兵士、ブラッド・ウェスティングハウス少尉がドラゴンに勝利したのだ。

ブラッド少尉にジャンケンで敗北したドラゴンは、轟音を立ててその場に崩れ落ちた。
死で満ちていた空間は一瞬静まり返り、すぐに爆発的な歓声が広がっていく。
この時の彼らの心情は、どのようなものであったかは想像に難くない。しかし、すぐに彼らの歓声は絶望の悲鳴へと変わっていった。

倒れていたドラゴンが再び起き上がったのである。

確かに、ブラッド少尉はドラゴンに勝利を収めた。だが忌まわしき魔王は、それでも死ななかった。
倒れて、起き上がった。ただそれだけ、RPSFの数値すら僅かも減っていなかった。そして敗北したにも係わらず再び人間に牙を剥き始めたのだ。
起き上がったドラゴンによってブラッド少尉はすぐに殺され、意気消沈した残りのARDF兵達も同じように死んでいく。

こうしてジークフリート作戦は終了。約9000万人の命を投入したこの戦いでは、ドラゴンを一度殺したが、殺しきる事は出来なかったのだ。
ちなみにこの時の鉄平の目的はドラゴンを殺す事ではなかったため、上層部に強く提言し、魔族を殲滅して魔王への道を開く任務に就いていた。

今回のべオウルフ作戦はその時よりも悲惨な状態での戦いになる。
なにしろ敵の数はすでにこちらの三倍以上。
人類最高のRPSFを持つ鉄平がいると言っても、彼が万全の状態で殺せるのはせいぜい4、5万体がいいところだろう。
それに、彼の任務は前回と違い、雑魚の掃討では無くドラゴンの直接撃破だったので、魔族は兵士達が受け持つ事になる。



地上にびっしりと敷き詰まった魔族の姿が見え始めると、ヘリに向かってワイバーンの大群が押し寄せてくる。
おそらく体当たりを仕掛けてヘリを撃墜させる魂胆なのだろう。

「では、行ってくる」
「ご武運をお祈りします。王城大佐」
「君達もな」

ヘリから飛び出し、ワイバーンの群れに飛び込む鉄平。
まともに相手をする気はなかった。目的は雑魚の殲滅ではなく魔王の殺害。一刻も早く魔王の下へと向かい、それを滅ぼさなくてはならない。

「ジャンケンポン」

空中を駆けて、翼竜の背を伝って前へ、前へと進む。自身を捕捉してきた敵だけを殺し、歩みは決して止めない。
やがて空へ浮かんだ翼竜の道が途切れると、鉄平は地面へと降り立ち、全力の跳躍によってワシントンD.Cへと向かった。
ドラゴンが破壊し、核によって瓦礫の溢れる荒野と化したその場所へ。
蟻の様に密集した魔王の軍勢も、鉄平にとっては脅威ではない。
バッタの如く戦場を飛び跳ねる彼には、無限の軍勢も、簡単に飛び越せる障害物とそう変わらなかった。
後方では各地から送り込まれているARDFの兵士達が魔族と戦っているのだろう、人類を守るために自ら死地へと志願した勇敢な人間達が。

音さえも置き去りにして鉄平は突き進んでいく。
全ての始まりであるレッドドラゴン。

――決着をつけよう。

ここまで自らを運んできたヘリの何倍もの速度で戦場を駆けた鉄平は、ついにワシントンD.Cへと辿り着いた。

そして彼は見る。光沢さえ現れている美しい鱗、触れれば切れてしまう鋭さを持つ、鋼のような爪と、禍々しい牙。振るだけでビルを一撃で砕いてしまうであろう大きな尻尾に、それを遥かに上回った巨大な体。
遠くからでもはっきりと確認できる、人々を恐怖に陥れた赤い竜の姿を。
地上に集結した魔族の群れは、異常な数に達し、もはやそれ自体が赤い地面と化していた。彼らを無視して、鉄平はドラゴンへと近づいていく。

――一撃で決める。

ドラゴンの周りにポッカリと開いた空間。そこに向かって跳躍を終えた鉄平は、すかさずドラゴンの巨体を捕捉してジャンケンを挑んだ。
赤いドラゴンはそんな鉄平を冷たい視線で見下ろし、鉄平と同じようにその巨大な手を振り上げた。

「ジャンケン――」

思考を加速させる鉄平。偉大なる魔王の拳速はルビーナイトの音速拳よりなお速く、通常の邪拳使いでは残像すら捉えることは叶わなかっただろう。
しかし、鉄平は最強の邪拳使いである。
相手が速いというのなら、自分は更に速くなればいい。限界を超えた処理速度によって魔王の拳は観測され、鉄平の選んだ手は『チョキ』。

「――ポン!」

巨大な質量が音速を突破した事によって生まれた衝撃波は、ワシントンD.Cの地面をなめ尽くし、コンクリートの破片や砂埃を巻き上げる。

ドラゴンの巨大な手は鉄平の読み通り『パー』を示していた。

鉄平の勝ちだ。

人類最強の男の技は魔王に届き、鉄平は魔王に勝利を収めたのである。
音を立てて崩れ落ちる赤竜の巨体。だが鉄平はこれで終わりだとは思っていなかった。
RPSFの消失現象が起こっていないためだ。ジークフリート作戦でドラゴンを一度殺したブラッド少尉の時と同じだった。

捕捉状態はいまだに解除されていない、つまり、魔王はまだ生きている。
気を緩めずに倒れた巨体をしばらく見つめていると、やがて、ゆっくりとドラゴンが前足をついて再び立ち上がった。

《貴様、我の手を盗み見たな》

突如、鉄平の脳に直接、しわがれた男性のような声が響いてきた。

《邪拳使いか、それも極上の》
「お前が、話しかけてきているのか?」

鉄平の声には答えずに、ドラゴンは憎しみの篭った目つきで彼を睨んでくる。

《忌々しい邪拳使いめ、我は貴様らの存在を許さぬ》
「……それはこちらの台詞だ、人類はお前の存在を許さない」
《ジャンケンとはそういうゲームではない。我らは正々堂々と勝負をしているのに、何故人間どもは摂理を超えた手段を用いてくるのだ》

魔王の言葉の通りに、魔族は人間のようにジャンケンの手を途中で判断するような、卑怯とも言える手段は使ってこない。ましてや超能力などという反則的な能力も何も持ってはいなかった。
彼らはただ愚直に自分の決めた手を出しているだけである、拳速に違いはあったものの、それで不都合になるのは邪拳使いだけだった。

「正々堂々だと? ふざけているのか? ならば何故お前は負けない! 殺されても死なないんだ!」
《貴様らがそれを言うのかっ! 我は何度も何度も何度も何度も貴様らを殺し続けているというのに、どうして貴様らは死なぬのだっ!!》

うおおおおおおおおおおん! と、体に響くようほどに嘶いたドラゴンの絶叫がワシントンに響き渡る。
鉄平には彼の言葉が理解出来なかったが、そこに隠そうともしない深い憎しみがあるのはハッキリとわかった。

《もうよい、あと少しなのだ。邪魔はさせぬ》

話を打ち切り、ドラゴンが再び手を振り上げた、鉄平はそれを見て、同じように手を掲げる。
一度で倒せないのならば、何度でも倒せばいい。ドラゴンを邪拳で倒せるのは確認済みだ、ならば後は死ぬまで殺し続けるのみ。

《ジャンケン――》

だが、魔王は甘くなかった。
再び思考を加速させ、ドラゴンの拳を観測しようとした鉄平の目に映ったのは、全てを焼き尽くす炎の赤。
ドラゴンと同じその赤色は、超高熱を伴って鉄平の視界を埋め尽くし、荒野となったワシントンを更に焦がす。RPSFによって守られている鉄平の肉体や服には一切影響はなかったが、これでは相手の拳の変化など見えるわけがない。

竜王の息吹――ドラゴンブレス。

この四年間一度も使われなかった竜の奥義が、最強の邪拳使いを相手にして初めて放たれたのだ。

《――ポン》

突然閉ざされた視界に反応を遅らせてしまった鉄平は、慌てて炎から逃れようとした。しかし、その隙は致命的であり、邪拳を使用する前に、無情にも竜の言葉が終わりを告げる。

鉄平の手は『グー』。
ドラゴンの手は『パー』。

鉄平の、敗北だ。

RPSFが収縮していく、彼の命の源である、心臓に向かって。

「くそっ……。やられちまったか、情けない」

確かに鉄平は、宣言どおり魔王を倒した。しかしこのドラゴンはいまだ健在である。完全に滅ぼさないと意味は無い。

意識が薄れる。

鉄平の胸に集まったRPSFのエネルギーは一瞬停止し、急激に膨れ上がっていく。
そして、彼の強大なRPSFは、眼前の巨大な竜や魔族達を巻き込んで、ワシントンの全てを覆い尽くすような光の爆発を引き起こした。

光が全てを白に染める、それがやがて薄れ、消えていっても、ドラゴンはその場に佇んで鉄平の姿を見下ろし続ける。

何故、消滅したはずの鉄平を、いつまでも見ているのか。

ジャンケンに負けると人は消滅する。しかし真姫奈は永遠の眠りについたが姿は消えなかった。ならば彼女を遥に超えるRPSFを持つ鉄平はどうなのだろうか?


【100万体撃破のボーナスが発動しました。保有RPSF99%と引き換えに個体名『王城鉄平』を復活させます】


その答えは簡単だった。鉄平の体は今も魔王の足元に残り、そして、立ちあがろうとしていた。

「……はっ……ははっ、なんてことだ……」

システマチックな音声を聞き、ゆっくりと立ち上がった鉄平は、再び竜と対峙する。
まるで、ゲームではないか。
ひょっとすると、真姫奈よりRPSFの高い自分は一回では死なないのではと思っていたが、悪趣味な冗談みたいな現象に鉄平は怖気を感じた。

だが、これはチャンスだ。

もう後は無い、自分を包むRPSFの強度は以前に比べて大幅に低下していた。今度敗北したら確実に死ぬだろう。だが、鉄平には引くつもりはなど毛頭なかった。

《本当に、忌々しいな。邪拳使いという者は》
「悪いな」
《今度こそ、完全に滅ぼしてやる》
「それも、こっちの台詞だ」

鉄平と魔王、一人と一匹が同時に手を振り上げる。
気のせいか、魔王の顔に焦りの色が見えた気がした。
鉄平はそれを見逃さない、焦っているということは、ドラゴンは不死ではないのだろう。それは、人類にとっては確かな希望となる。

《ジャン――》

再び放たれた勝負の合図とともに、意識を加速させ、鉄平は大きく横に跳んだ。
だがドラゴンはそれを予想していたのか、鉄平の跳躍後を狙って炎のブレスを吐き出す。

「ちぃっ!」

視界を埋め尽くそうとする炎を振り払うように、鉄平はさらに別方向へと跳躍する。
体を包む炎からは逃れたが、ドラゴンの姿がどこにも見えない。

《――ケン――》
「上かっ!」

ドラゴンのいた場所が爆弾でも落ちたかのように抉れていた。
おそらくブレスを吐いた直後に空へ向かって跳び上がったのだろう。ゆっくりと進む時の中、上を見ると、空に向かって上昇していく竜の姿が見えた。
RPSFの低下した鉄平は己の持ちえる全ての力を振り絞り、追いかけるように青空へと飛翔する。
今の鉄平ではあの高さまで跳ぶのは無理だった。しかし、届かずとも、手の形さえわかればそれでいい。

そして鉄平は、ピンポン玉ほどに小さくなった竜の姿を捉え、拳を盗み見ようとして、気付く。

《――ポン》

ドラゴンの全身が、燃えている。

憎しみの感情をそのまま発火させたように、轟々と燃えさかるその姿。輪郭など影も形も残っていない。

あれは、炎だ。

真姫奈を仕留めた敵と同じ。
一つの炎塊と化したドラゴンの手は炎に埋まり、変化を捉える事など到底不可能だった。

時間切れの前に、がむしゃらに出した鉄平の手は、最初と同じ『チョキ』。
彼には見えないが、ドラゴンの出した手は『グー』。

この日、二回目の敗北だった。

「ああ――」

RPSFの収縮が始まる。先ほどよりも、ずっと早く。

「すまない、真姫奈」

人類を守れなかった。
魔王は死なず、魔族の数は絶望的なまでに多い。

鉄平は、失敗したのだ。

胸に集まったRPSFのエネルギーは一瞬停止し、急激に膨れ上がっていく。
簡単に倒せる相手ではないとわかっていた。だが、最後に定めた目的ぐらいは果たしたかった。
鉄平のRPSFが、再び地上に降りてきた竜や魔族達を巻き込み、今度は小規模な光の爆発を引き起こす。

これで、終わり。

ずっと逃げていた男は、最後は逃げ出さずに戦い抜いた。結果は残念だったが、それだけは褒められていいだろう。

魂が、溶けて消えていく。

――335万8621戦335万8621連勝。

人類最強の男の人生はここで終わる。忌むべき魔王の手によって。



そして鉄平は自身から放出される光の先に、愛する女性の姿を見た。



「――皐月」















こうして、愛に囚われた、孤独な王様はゲームから退場する。
死によって彼が救われたのかは、誰にもわからない。

次の主役は武藤竜二。愛を知らない少年の話。








[22142] ドラゴン・前編
Name: root25◆370d7ae2 ID:a0125701
Date: 2010/10/01 20:33



2016年11月11日 北海道 ARDF旭川基地



炎に焼かれるような痛みを感じて、竜二は頬を撫でた。
RPSFによって治ったはずの傷は、今でも彼に幻痛を伝えてくる。
壊れてしまった心は、もう戻らないのだろうか。
特別娯楽室に引きこもり、読書を続ける竜二。
一見なんでもない光景のように見えるが、こうして彼が今を生きているのは奇跡にも等しい。
ドラゴンは関係ない。彼は、同じ種族である人間たちに殺されそうになったのだ。






1997年4月4日。
魔王も魔族の気配もまるで見当たらない、人類が地上の覇者として大量に存在していた平和な時代に竜二は生まれた。
本来誰もに祝福されるべき赤ん坊という存在。だが、竜二の両親は彼を生んだ時点で、まともな夫婦とは言い難い状態になっていた。
原因は父親だ。竜二の父はとにかく女好きで、すでに結婚しているにも関わらず浮気を繰り返していた。妻にばれている自覚していたのにも関わらずだ、とんでもない男である。
竜二の母は、そんな最低な男に引っ掛かった犠牲者だった。
男の一番のお気に入りだった彼女は、結婚すればその悪癖は治ると思っていたのだが、見事にあてが外れていた。男の浮気性は根深く、浮気は続く。
こんな人間の何がいいのか、竜二の母親は男にべた惚れだった。だから、彼が自分を放って他の女と愛し合っているのが我慢できない。
口論になる事も増え、そんな彼女に嫌気がさしたのか、男はさらに浮気を繰り返すという悪循環が起きる。

竜二の母が妊娠していると判明したのはそんな時である。
これに彼女は喜んだ、子供がいれば少しは男も家へと目を向けてくれるのだろうと。
しかし、男は子供が出来たのが嫌だったのか、ますます女遊びにのめり込んでいった。
彼女はそれでも子供を生めば少しは変わるのではないかと思い、竜二を出産する。

こうして、親の愛など欠片も無い状態で竜二は誕生した。してしまった。

だが、彼が生まれても状況は変わらず竜二の父は浮気を繰り返す。自然と母親の怒りは竜二へと向かうこととなる。

――この役立たず、と。

そして、生まれて間もない赤ん坊に暴力を振るい始めた。父親が最低なら母親も外道だった。
運が良かったのか、それとも手加減していたのか、竜二は三歳になるまでどうにか生き延びていた。
もっとも、動物的な本能で母親を求めた彼に与えられていたのは、常に暴力と罵声だったため、まともな人間に育ったとは言えなかったが。
自分の身を守るために、竜二は三歳にして親を見限る。母との接触を避けて、彼女の暴力がどういった時に発生するのか観察を続けた。
哀れなことに、竜二の知能レベルは高かったのだ。あるいは愚鈍ならば、幸せだったのかもしれないのに。

――どうもコレは(女が母と名乗らなかったため、この頃の竜二は母だと認識していない)たまに来るアレ(父親である)が気に喰わないらしい。

そう気付いた竜二は、父が家に来るたびに警戒レベルを上げて母親の接近を防いだ。
母親は父親が出て行った後に、竜二を使って気晴らしをする習性を持っていたため、竜二の態度に苛ついていた。
家中を探し回ったが、結局、竜二の姿が見当たらなかったので、さらに彼女のストレスは溜まっていく事になる。

互いが互いを人とも思っていない、歪な親子関係。

外に出たことがない竜二にとって、この家だけが彼の世界だった。
家には凶悪な魔物が住み着いていたが、彼は姿を隠し、息をひそめて生き延びていた。

事件が起きたのは、ある日、父親が家に帰ってきた時の事だ。
竜二は母親が口論している隙をついて食料の確保にあたっていた。もはや完全に育児放棄をされていた彼は、食料も自分で用意するしかないためだ。
だが、母親もそれを感じ取っていたのか、あっけなく見つかってしまう。
ついに竜二を捕らえることに成功した彼女は、父親がいるにもかかわらず竜二を虐待し始めた。

そして彼女はなんと、キッチンのガスコンロで竜二の顔を焼き始めたのである。

さすがの竜二もこの時は命の危機を感じたのか、滅茶苦茶に叫んだ。父親も突然凶行を始めた母親に呆然としていたが、慌ててそれを止めに入る。
この時点で母親は狂っていたのかもしれない、彼女は何を思ったか、キッチンに置いてあった包丁で父親を刺殺し、自分の腹に父親を殺した包丁を突き刺した。
彼女は気絶した竜二を死んだと思っていたのか、とにかく竜二は生き残り、焼け爛れた顔や、暴行を加えられた体の痛みに苦しみながらも食料の確保に成功する。
それからしばらく経つと、家に見知らぬ人間がやってきた。その人間はキッチンで死んでいる竜二の両親を発見すると悲鳴を上げ、警察を呼んだ。
すぐに警察が来て、自宅の捜査が始まると、家に潜んでいた竜二は簡単に発見された。
虐待の傷や火傷は手当てなどされているはずもなく、竜二は入院する事になる。

入院時代は彼の幼年期で一番平穏だったのかもしれない。医者は最低限の治療をして、後は放置。
黙っていても食事は出るし、自分に害を与えてくる存在もいない。ロクな病院ではないが、竜二とっては家よりずっとマシな居場所だった。その生活も長くは続かなかったが。
怪我が治った竜二は病院から出ることになった。だが、彼の両親は祖父母からすでに勘当状態で、殺人事件を起こした親を持つ彼を引き取りたがる親戚も存在しない。
結果、四歳になった竜二は施設に入れられることになる。

施設の子供たちは彼にとっては初めて会う同年代の他者である、竜二は当然のように彼ら彼女らを警戒した。
竜二にとって他者とは自分を害する存在か、何もしてこない存在かの二種類しかなかったからだ。
そんな態度を取り続け、顔面の半分を覆う醜い火傷の傷をもつ竜二は、すぐにいじめの標的になった。
いじめは竜二にとって命を脅かすほどのものでは無かったため放置していたが、そんな彼を不気味に思ったのか、子供たちは竜二から距離をとって嫌がらせを続けた。
職員の間でも人殺しの親を持ち、また可愛げのない子供であった竜二の評判は悪く、いじめも半ば傍観されていた。

――化物! 化物!

竜二は良くそう呼ばれていた。滑稽な話である、彼にとってはそんな人間たちのほうこそが化物であったというのに。
母親のおかげで他人の感情に敏感である竜二は、施設の人々からそうした負の感情を受けてすくすくと育っていった。
他者は竜二を見かけると嫌悪をするか暴言を吐くか無視するかのほぼ三種類の反応しかしないため、自然と情報収集の手段は書物を読む事へと偏っていく。
竜二が読書好きなのはそのためだ。
同世代の子供より遥かに頭の良かった竜二は、簡単に文字や言葉を覚えることに成功した。
そういった事も化物呼ばわりされる原因の一部にはなっていたが、それが彼のせいだというのは酷な話だろう。
様々なジャンルの本を読み漁っていた彼には、どうしても理解できないものがあった。御伽噺や恋愛小説などの、知識ではなく娯楽のための書物だ。

生まれてからこれまでの間、悪意と無関心のほぼ二つの感情しか向けられた事のない竜二は、愛情や好意といったものが理解できなかったのである。
小学校の高学年になっていた彼は、本屋や市の図書館も利用して、そこに置かれいていた文献から人間の脳内物質がその類の反応を引き起こすと知った。
知っただけで理解はしなかったが。

中学に上がると、施設の仲間達による彼に対するいじめもエスカレートし始めた。体と心が成長しても、人間のやることなど決まっている。同種族を迫害して喜びを得る、狂った種族なのだから。
一人ずつ再起不能にする事も出来たのだが、この頃の竜二は人生や人間そのものに失望していた。何をされようが、どうでもよくなっていたのだ。
まともな反応をしめさない彼が気に食わないのか、いじめはどんどん深刻なものになっていく。
命を危険に晒す事が何度もあったが、運がいいのか悪いのか、竜二は奇跡的に生き延びて、ついにその日を迎える。

レッドドラゴンの降臨。

人々の体はRPSFに包まれ、あらゆる怪我が回復し、ジャンケンのみで生死が決まる異常な種へと進化する。
竜二の顔面を覆っていた火傷の跡もさっぱりと消えてなくなり、醜い火傷が消えた彼は、本来の美少年顔を取り戻す。
それと同時に、いじめも無くなった。
RPSFによって暴力が意味を無くしてしまい、さらにジャンケンというある意味究極の武力を人類全てが手に入れてしまった以上、いじめなど危険すぎて出来るはずがない。
自身の命を賭けてまで他人を迫害するほどの気概を持ったいじめっ子はいなかったのだろう。
ともかく、いじめも無くなり、その原因となっていた顔の傷も消えた竜二は平穏な生活に身を置く事となった。
すると今度は、元から同年代の子供達より落ち着きがあって、頭も良く大人びていた竜二は、あっという間に女子たちの人気を得てしまったのだ。
竜二は突然態度を変えた彼女達を興味深く観察していたが、やがて理解した事実に顔をしかめる。

どうやら、この女どもは自分に欲情しているらしい。

気持ち悪かった。今まで自分を嫌悪していたはずの女が、今度は性欲を向けてきているのだから。
自分に言い寄ってくる女は徹底的に無視した。しかしそれがクールだ、とさらに人気が上がったため、裏目に出てしまったが。
変わった竜二の環境を良く思っていない人間もいる。施設でずっと彼の事をいじめていた少年達だ。
彼らのストレスは日に日に溜まっていった。とことん周りの人間に恵まれない竜二は、ある日、限界に達した彼らに襲われてしまう。
いじめっ子達は竜二を押さえつけて、強制的に彼の手を変えた上でジャンケンを挑んだ。
まさに化物だ、常に被害者だった竜二を痛めつける事が不可能になった彼らは、竜二を殺しにかかったのである。
そしてジャンケンは実行され、竜二を除く全ての少年が消滅した。
相手の手を変えるのは重大な反則だが、そもそも対人のジャンケンは禁止されているのだ。
人間に使われる状況が殺人のみに限られているこの反則は、あえて一般人には知らされていない。この期に及んで人を殺そうとする犯罪者は死ね、そういう事だ。
そんなわけでいじめっ子たちはほぼ全員が消えた。いまだ施設に通っていた竜二は、彼らが行方不明になった際に真っ先に疑われ、そして、恐れられた。

――次は、自分の番じゃないか?

施設の人間は全員、竜二に負い目があったため、一人残らず彼に恐怖した。消えた少年達のようにいつ殺されてもおかしくないのだから。
そんな彼らの感情は手に取るようにわかっていたが、竜二は何もしなかった。
そもそも最初から竜二は、彼ら彼女らに危害を加える行動など一度もした事がない。
人を傷つける事が悪だというなら、施設の人間は救いがたい悪人であり、竜二は聖人と言っていいほどの善人だった。

それから一年ほどは、常に恐怖されていた以外は比較的穏やかな日々が続いた。
ドラゴンの活動は激しくなり、人類滅亡へのカウンダウンが進んでいたが、それに反比例するように竜二は平和な日常を手に入れたのである。

しかし、再び事件が起きる。

ARDFが全兵力を率いて行なった『ジークフリート作戦』。
作戦に参加せず日本に残っていた僅かな兵達も、その機を伺っていたRD教団に襲われて壊滅し、ARDFは大打撃を浴びてしまった。

RD教団はレッドドラゴンの信奉者達が集まって作られたカルト教団だ。
ドラゴンを神と呼び、同じ人類に牙を向く彼らは、最も効果的な時を狙ってドラゴンの敵であったARDFに大ダメージを与える事に成功したのだ。
魔王はこの隙を逃さず、魔族を次々と送り込んできた。
前線とは程遠い日本にさえ、過去に見なかったほどの魔族の群れが送られてきたのだから、かなり本気だったのだろう。

侵攻してきた魔族は、当時、竜二と真姫奈が住んでいた中標津を襲い始める。

夕日も沈み、竜二がいつものように自室で本を読んでいると、突然悲鳴のようなものが外から聞こえてきた。何事か、と外を見ると、瞳に映ったのは魔族の大群に次ぐ大群。
事前に避難警告すら出ていなかったこの襲撃に、街はパニックに陥った。あちこちで閃光が巻き起こり、街から人間の姿が消えていく。
それとは逆に数を増やし始めた魔族の群れは、ついに竜二の住む施設にも牙を剥いた。
職員はドアの全てに鍵を掛け、中にも簡単なバリケードを作ったが、魔族に簡単に破壊されてしまった。
RPSFによって保護されている体は、そのまま最硬の武器となるのだから当然である。

なだれ込んできた魔族はRPSFを貪欲に求め、職員を殺すと子供たちにも襲い掛かってきた。
中には運良く何連勝もした者もいたが、結局数に負けて消滅してしまう。そんな光景が繰り広げられていても竜二は冷静だった。

人の死を見ても、自分が死の危険に晒されていても、どうでもよかった。

むしろ現状を楽しんでいた節さえあった。魔族やジャンケンの事はすでに知っていたが、実際に自分の目で見るのは興味深かったから。
やがて魔族の一匹が竜二に勝負を挑んでくる。竜二は適当に手を出し、それに勝利する。必死に魔族と戦っている他の人間と違って、どこか投げやりに。
パッと見ただけでも魔族は数え切れないほど集まっていた。その内の一体を倒しても焼け石に水だ。竜二は更に襲い掛かってきた別の魔族とジャンケンをして、また勝利を収める。

それからも竜二は魔族と戦い、勝ち続けた。

彼は適当に相手をしていただけだったが、何故か負けなかった。
RPSFがどんどん増加していくに従って、勝負を仕掛ける魔族の数も激増したが、その全てに勝利してしまったのである。
施設を取り囲んでいた魔族が全て消えると、竜二は施設の外をぶらつく。
すでに街の住人の姿は影も形もなく消えていた、中標津は完全に魔族に支配されてしまったのだ。
外に出た竜二に再び魔族達が群がってくるが、彼はそれを適当にあしらった。

いつ死んでも不思議ではないのに、どうしても負けない。
あいこにすらならないのだ。竜二もさすがに自分はどこかおかしいんじゃないか、と思っていたが、別に害はないので深く考えなかった。
外に出たのも特に理由があるわけでもない。
街がどうなったのか観察したかった、ただそれだけ。
夜が明け、朝日が昇る頃までそうやって魔族達の相手をしつつもふらふらしていると、やがて、前方で何度も光の爆発が起きている事に気付いた。
まだ誰か戦っている奴がいるのか、と竜二はわざわざ魔族の群れに近づいて、酔狂な人間の顔を拝みに行った。

その人間はまだ幼い少女だった、ぐすぐすと泣きながらひたすらジャンケンを続けている。あいこが一度も出ない、竜二に似た、異常な強さ。

魔族は少女を狙うものと竜二を狙うものに分かれた。さすがにうんざりとしてきたが、それを迅速に始末しつつも少女の観察を続行する。
おねむの時間だったのか、服装はパジャマ姿で、髪はストレートに下ろしている、少女の顔は美少女と言っていい程整っていたが、竜二は人間の容姿になど興味は無い。
少女の感情を探ると、驚きと若干の喜びが混ざっているのが感じ取れた。竜二は自分を見てストレートに喜びを感じる人間は初めてだった。少女に対する興味がますます高まっていく。
竜二のジャンケンでの殲滅速度はとにかく速い、何も考えずに適当に手を出しているだけなので当たり前なのだが、その速度は本気になれば鉄平すら超えていた。
自分に群がっていた敵を倒し、少女に集まっていた魔族もサッと消し飛ばす。
結果的に竜二は少女を助けた(ように見えただろう)、少女はそれが嬉しかったらしく、彼にお礼を言ってきた。良く出来たお子さんである。

「あ、あの、お兄さん、ありがとうございます」
「ん? うん」

少女が新たな感情を向けてきた。それは感謝であったが、竜二は心から人に感謝された事がなかったため、それに戸惑い、馬鹿な質問をしてしまう。

「どうしたの? こんな所に一人で」
「あっ……」

少女の顔が一瞬で歪み、声を押し殺しながら涙を流して泣き始めた。
当たり前である。
竜二は自分の失言に気付き、しばらくどうするべきかと悩んだ。そして何かの本に書かれていた子供のあやし方を思い出し、彼女の頭を撫でてあげた。

「ぐすっ……ごめんなさい」
「いいよ」

しばらくそうしていると、ようやく少女は泣き止んだ。
ポケットからハンカチを取り出して涙を拭ってやると、落ち着いたのか、彼女は竜二に話しかけてきた。

「私は、日下部真姫奈って言います」
「僕は武藤竜二だ。住んでいた施設が襲われてね、誰か生き残りがいないかと思って街を探していたんだ」

竜二は嘘をついた。

「私は、叔父さんと、叔母さんと一緒に逃げていた所をっ……」
「無理しなくていいよ」

まったく懲りない男だった、再び泣き出しそうになった真姫奈の言葉を止め、優しげな言葉をかける。
そもそも彼にはなぜ真姫奈が泣いているのかが疑問だったのだ。
知識としては身内を失った事を悲しんでいるとわかるのだが、なぜ身内を失うと悲しいのかが理解できない。

「で、これからどうする気なの?」
「わかりません……お兄さんに着いて行っていいですか?」
「別にいいけど」

とはいえ、竜二には目的なんて無かった。このままぶらぶらしていては怪しまれるだろう。
それならそれで良いのだが、竜二は真姫奈に興味を持っていたので、あまり彼女が離れていきそうな行動は取るべきではないと考えた。

「もう魔族も消えたし、ここが一番安全だと思うけど、真姫奈は人に会いたいかい?」

いきなり名前呼びだった。しかも呼び捨て。

「はい。あっ、そうだ。お母さんとお父さんが旭川のARDF基地にいるので、会いたいです」
「旭川か……かなり遠いな」
「そんなに遠いんですか?」
「まあ、いっか。送ってあげるよ」
「ありがとうございます!」

知らない人間に着いていく真姫奈はかなり無用心だったが、彼女は竜二が自分を助けてくれたと思っていたし、その後も優しく慰められていた。
さらに両親に会うための手伝いをしてくれるという竜二は、彼女の中ですでに信頼できる人間へと昇格されていた。
大人びた態度を取ろうとしているが、真姫奈の本質は甘えん坊であり、ゴーストタウンと化したこの街には彼女と竜二以外の人間が見当たらない。
それは彼女みたいな年の少女には心細い事だったろう、何よりも竜二は、変質者にはまるで見えない美少年だったのである。真姫奈が無用心なのも仕方ないと言えば仕方ない。
竜二は空き家から金をかき集めて、真姫奈の服を適当に用意し。人の車を堂々と盗んでそれに乗り込んだ。

彼は運転などした事はなかったが技術は知っていた。どうせ事故っても死なない身である、真姫奈を助手席に乗せて、気楽に車を動かしながら旭川に向かう。
真姫奈は最初涙目だったが、それもすぐに慣れた。
途中で寄った近くの町も見事に壊滅していた、人の姿は全く見えず、真姫奈の心はどんどん不安の色に染まっていく。
嫌な気分を払拭するためか、同年代の少年より遥かに大人びていた竜二に、真姫奈は甘え始める。竜二はそんな真姫奈を楽しそうに観察する。
竜二にはARDFに急いで向かう理由は無い。
食事や睡眠などの人間らしい生活は続けていたし、途中で何度か魔族に襲われ、車が破壊されるような事もあった二人は無理せずに進んでいた。
そのさい真姫奈は終始べったりと竜二にくっついていたため、それなりに長い時間を一緒に過ごす事になる。
彼女はいつも優しい竜二に好意の類の感情を向け、竜二は真姫奈が向けてきた感情が理解できず、しかし本能ではそれを求めていたのか、好意を引き出すための態度をとり続ける。

すっかり竜二に心を許した真姫奈は、数台目の車で旭川に近づき、あまり被害の無い街に到着しても、彼と二人で進みたいと告げてきた。ここからは歩いていきましょうと。
ARDFに着いたら竜二と別れなくてはならない、と思っていた彼女は、少しでも彼と一緒に居たかったのだ。
移動速度を落とした二人だったが、そこから旭川までは大して離れていなかったため、結局すぐに基地に到着してしまった。
夜になる頃に基地に着いた竜二が門兵に確認すると、二人は簡単に中に通された。真姫奈は知らなかったが、彼女の両親はかなり階級が高く、兵からも人気があったためだ。
中に入ると二人は別室に別れ、竜二はこれまでの経緯を聞かれる事になる。
なぜ壊滅した中標津にいるはずの真姫奈と一緒に、ここまで来れたのかと。すでに北海道の東側は全滅したと思われていたため、当然の疑問だった。
隠す事でもなかったので竜二は、襲われたが返り討ちにした旨を伝えた。
すると、彼に質問していた男はどこかに電話を掛けた。しばらくすると別の男が何かゴーグルのような機械を持って部屋に入ってくる。

簡易RPSF観測装置。

彼らはそれを使って竜二のRPSFを計測すると、驚きの声を上げた。何しろこの時点で竜二のRPSFは1万FPを超えていた、明らかにまともじゃない数値だ。興奮した彼らは矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。
『どうやったらこんなに勝てるのだ』だの『邪拳がどうたら』だの。竜二は普通にジャンケンをしていただけだったので、そう言っていたのだが彼らは納得しない。
そのやり取りにうんざりしていると、また別の人間が部屋に入ってきて、竜二を呼び出した。

いわく、『真姫奈を何とかして欲しい』とのこと。
真姫奈の両親はRD教団の襲撃の際に死亡していたらしく、ARDFの高官がかなり彼女に気を使って事実を伝えようとしたのだが、彼女は手が付けられないほど泣き出してしまったと言うのだ。
何故僕が、と竜二は思ったのだが、真姫奈の反応には興味があったので、それを快く承諾。
そして彼女がいる部屋に入ると、鼓膜を貫かんばかりの声が彼の耳に入ってきた。
叔父と叔母を亡くして泣いていた彼女とはまるで別人のようだった。
泣き声はほとんど絶叫に近く、真姫奈がどれほど両親を大切に思っていたのかが見るもの全てに伝わった。
両親の死を告げたであろうARDF高官である初老の男性も、どう慰めようかと彼女の近くで手をこまねいている。

しかし、それが伝わらないのが竜二だった。

悲しんでいる理由はわかるが、何故悲しいのかがわからない。
泣き叫びながら、周りにあるものに当り散らす真姫奈。
これほどまでに強い悲しみの感情は初めてだった、やはり彼女は興味深い、と竜二は上機嫌で真姫奈に近づいていく。
前回と同じように優しく頭を撫でてあげると、その手は鬱陶しそうに撥ね退けられてしまう。失敗だった。
どうしようかと思い、今度は暴れている彼女の体をそっと抱き寄せた。
真姫奈はそれでも暴れて竜二の体を攻撃してきたが、どうせ痛みなど感じない身だ。
抱きしめたまま頭を撫で続けていると、彼女は竜二のお腹に顔を押し付け、すすり泣き始める。
寂しい時や、悲しいときは人の温もりを感じるのが一番だと何かの書物で呼んだ事があった。そしてそれは彼女のような子供には、効果覿面だった。

竜二は真姫奈を抱きしめてあやしていると、自分の心に今まで抱いた事のない感情が表れていることに気付く。未知の感情だったが、嫌な気分ではない。
色々聞きたいこともあったのだろうが、初老の男性は落ち着いてきた真姫奈を刺激したくなかったのか、今日はもう休んだほうが良いと言った。
彼の部下に部屋へと案内された二人だが、真姫奈が竜二から離れなかったため、同じ部屋に入ることになってしまった。
室内のベッドに腰掛けても、ずっと竜二の腕を抱きしめて離れようとしない真姫奈を横目に、彼は考えをめぐらせる。
今まで負の感情しか向けられてこなかった彼は、正の感情にとことん疎かった。それがあるとは知っていたが、自分がその手の感情を受けるとは思っていなかったのだ。

確かに顔の傷が治った頃に好きだと言ってきた女は存在する。
しかし、母親の恋愛感情が原因で死にかけた竜二にとって、恋など馬鹿馬鹿しくて話にもならない。その手の好意は無意識に切り捨てていたのだ。
だが真姫奈の感情は暖かく、気持ち悪いと拒絶していた女たちのものとは違う。
彼女たちと真姫奈を比較して、ようやく竜二は気付いた、これは家族に対する愛情なのだと。
今も隣にいる真姫奈からは、寂しさや悲しさ、そしてもう一つ、竜二を思う暖かい感情が伝わってくる。
彼女は両親や親戚を亡くしている、失ってしまった家族の愛を求めようとする心情は理解できた。
つまり彼女は竜二自身ではなく、歳が微妙に離れている自分を兄と定義して、その定義上の兄を愛し、愛される事によって家族の愛を手に入れようとしているのだ、と。
随分ひねくれている考え方だったが、これは竜二が自分は愛されるような人間だとは微塵も思っていなかったためである。

腕にしがみついていた真姫奈はいつの間にか眠っていた。
彼女は竜二に害を与える存在ではなかったし、その感情も興味深い、彼女が自分に兄を求めるのなら、そのように振舞ってあげてもいい。
竜二はそう結論を出して、彼女と一緒に眠りについた。

翌日目覚めると、真姫奈はそれなりに落ち着いていた、泣きじゃくってすっきりしたのかもしれない。
二人はすぐにARDFの高官に呼び出され、色々と話をされた。どうも二人に入隊して欲しいようだった。竜二には直接的に、真姫奈には回りくどくそう伝えてきた。
竜二には魔王も魔族も人間もどうだっていい。目下、最大の興味は真姫奈にある。だから彼女が決断するまで沈黙した。
真姫奈の決断は早かった、どうやら両親の意思を継ぐらしい。そんな彼女を観察するために、竜二もARDFへの入隊を決める。
二人は『バルムンク隊』と呼ばれるARDFのエリート部隊に配属される事に決まった。バルムンク隊は先の作戦で鉄平しか生き残っていなかったので、キルスコアが一万を超えている二人は大歓迎された。

そして竜二は鉄平と出会う。
彼もまた、竜二にとって興味深い存在だった。強大な負の感情を持っているのがわかるのだが、それが全て己自身に向かっているのである。
色々と鉄平の事を調べてみると、どうも魔王が原因で妻を殺してしまったらしく、その復讐のために戦っているという情報を耳にする。
しかしそれなら何故、負の感情が内向きなのか、どうして魔王を倒さないのかという疑問が起こる。それを理解するために竜二は鉄平の観察も始めた。
それからの二年は竜二にとって最高の時間だったのかもしれない。
自分を害する人間は存在せず、面白い人間が二人も近くにいるし、趣味である読書の時間も思う存分取る事が出来る。

真姫奈の擬似的な家族愛も心地良く。
鉄平が矛盾し、懊悩する姿を見るのは楽しかった。

やがて竜二は、自分が二人の事を気に入っている事に気付く。
二年も一緒にいたせいか、情が湧いていたのだ。特に真姫奈はずっと竜二に好意を持ち続けていたので、竜二も兄の代役として彼女を可愛がっていた。

だから、二人を不憫に思った。

ドラゴンの降臨によって安息の時を得た竜二にとって、ARDFは味方ではなく、むしろ敵に近い。
生まれつき、地球という名の地獄に存在していた竜二。
彼にとって人とは愚かで、他人を傷つける事に喜びを見出し、争いに幸福を見出す化物そのものだった。
確かにドラゴンの出現によって、世界各国は協力し合いARDFという組織が作られた。

だが、国同士が結託しても、人間同士は力をあわせることが出来なかった。
たった二年で世界の人口は半分以下に減少した。これは何も魔族のせいだけではない。
RD教団のようなレッドドラゴン信奉者はどこにでも湧き、同じ人間を殺した。魔族による被害よりも人間同士で潰しあった被害の方が遥かに大きかったぐらいだ。
滅びが望みなら勝手に死ねばいい、しかし彼らは他人を巻き込み、健気に生きる人間を殺し続ける。
このような極限状態でも人間は同族を殺す事に喜びを感じることができる種族なのだ、ならばドラゴンを倒してしまうとどうなるのだろう。
人類の人口が一億に近づいてくると、さすがにドラゴン信者は姿を消しつつあった。魔族の襲撃を除けば人類同士の戦いは起こらず、平和と言える。

真姫奈は人類を守りたいと言った。
では、ドラゴンを倒し、守ったはずの人類が再び同族同士で戦い始めたら、彼女はどう思うのだろうか。
今の真姫奈は竜二といられる事でそれなりに幸せそうにしていた、それなら夢を追い続けて、幸福のうちに死んだほうが彼女にとって良い事ではないのか。
魔族の侵攻を防ぐために戦いに出る彼女を見るたび、竜二はそう考える。
鉄平にしてもそうだ、竜二の分析はすでに終わり、彼の望みは死によってしか叶わないと、なんとなく理解していた。

自分で手を下すのは無理だ。
魔族を操れるわけでもないので、選択肢は傍観するか、唆すかの二つしかない。

だから竜二は真姫奈の戦いを傍観し、鉄平を唆した。

鉄平に暴言を吐くのは母親を思い出して嫌な気分になったが、我慢するのは得意だった。それで感謝されるとは思ってもいなかったが。

悪意では無く、善意で見殺しにした。

その結果、真姫奈は終わり、鉄平は消える。






そして現在、竜二は一人だ。










[22142] ドラゴン・中編
Name: root25◆370d7ae2 ID:0593a267
Date: 2011/01/16 11:59



2016年11月11日 北海道 ARDF旭川基地


ARDF兵約900万人を導入して行なわれたべオウルフ作戦は、魔王を一度殺し、3000万を超す魔族をほぼ全滅させるに至った。
だが、いまだに魔王は健在、再び魔族は姿を増やし始め、その数は2000万に届こうかとしている。
僅かに残ったARDF残党は、兵の徴収を辞めた。
もう、終わりだと悟っていたから。
人類は残りの余生を静かに過ごしている。もっと荒れるかと思っていた竜二の考えは外れだった。

「……まったく」

真姫奈が眠り続けるようになって、竜二の心にある感情が現れ始めた。
そもそも彼が願ったのは彼女の消滅、消えずに眠り続けるなんて想定外だ。意識が無いというのは竜二にとっては朗報だったが。
先の作戦で鉄平が死んで、ますますその感情は強くなっている。趣味の読書にも集中できないほどに。
竜二は自分の感情が何であるかを知っていた、両親が死んだ時の真姫奈や、普段の鉄平が感じていたそれを、彼は観測していたのだから。

「寂しいのか、僕は」

バルムンク隊が竜二を残すだけとなった今、特別娯楽室には彼の姿以外誰もいない。

それが、ひどく寂しい。

ただの観察対象だったはずだ。二人は自分の好奇心を満たすためだけの存在で、気に入ってはいたが、ここまで心を動かす存在ではない。
そんな彼の考えは、正しくもあり、間違ってもいた。
常に他者を観察していた竜二。それは母から生き延びるために身に着けた術だったのだが、母が死んだ後も観察は続けられていた。

理解したかったのだ、人間を。

竜二は他者からの暴力や拒絶に耐え続けた、しかしそれは耐えられるだけであって、何も感じなかったわけではない。
根本的に善人だった彼の精神は環境によって捻じ曲がり、しだいに人という種族に絶望していく。
だが、自分がいつ死んでもいい、と考えるようになっても自殺だけはしなかった。
それは彼が求めていたからだ。
竜二は観測し、他者から感情を求めるが、決して自分から感情をぶつけようとはしない。
最初から悪意を向けられるのには慣れている、しかし自分が相手に感情を示してもなお悪意を持たれ続けたら?

彼は臆病だった。
母に拒絶された事がトラウマになり、受動的な行為しか出来なくなっていたのだ。

竜二が出会った、真姫奈という少女に、鉄平という男。

真姫奈は竜二が示す感情こそを求め。
内向きに閉じた鉄平は、他人の代わりに自分を傷つける。

竜二は自分が感情を示しても、悪意を返してこない人間を見つけたのだ。二人を気に入って当然だろう。
そして、気に入っているという事は、好意を感じているということでもある。
人間の死は竜二に何の感傷も与えない、しかし、初めて好意を感じた二人の喪失は、彼の心を動かすには十分だった。

「はぁ……」

ため息をついた竜二は、本を置いて外に出て行く。

真姫奈の姿を、見たくなった。



◇◇◇



病室についた竜二はパイプ椅子に座り、安らかに眠り続ける真姫奈の顔をじっと見つめる。

「真姫奈」

呼びかけても、反応は無い。夢さえ見ない彼女の意識は完全な闇の中だ。生きてはいるが、生きているだけ。死体と彼女の違いはほとんどない。
髪をそっと掬い、さらりと落とす。兄として振舞っていた頃には、彼女の頭を良く撫でてあげていた。

「真姫奈」

意味が無いのはわかっている、でもそうする事しか出来なかった。
両親の意思を受け継いで、人類を守ると言っていた彼女。竜二はそれが危険だとわかっていたし、いずれ死ぬだろうとも思っていた。
だけど、止めなかった。竜二ならば、彼を家族に見立てていた真姫奈を止める事が出来たはずだというのに。

未来にあるかもしれない絶望を、味わって欲しくなかったから。

でも、そんなのは可能性に過ぎない。そして竜二は人間に失望していたが、真姫奈はそうではなかった。
見殺しにしたのが自分のエゴならば、自分のエゴで助けても良かったはずだ。
だが竜二には、そこまで積極的な行動はとれなかった。彼は臆病で、不器用だったから。
苦い思いを感じながらしばらくぼんやりしていると、部屋に誰かが入って来た事に気付く。

「竜二……」
「美弥子さん」

竜二は知らないが、真姫奈が目を覚まさなくなってから、美弥子は毎日こうしてお見舞いに来ている。
美弥子は竜二にとってこれといって特筆するべき存在でもない。おどけた態度で誤魔化していたが、心の中ではどこか自分を恐れている。
害の無いタイプだが、どこにでもいるような人間だった。

「珍しいね、あんたがここに来るなんて」
「そうですね」
「なんで来たの?」
「久々に真姫奈の顔を見たくなったからですけど」
「そう」

美弥子は疲れたようにベッドの傍に立つ。今の彼女の心は、悲しみや諦め等の暗い感情に染まっていた。

「ねえ、竜二」
「何ですか」
「もう、滅びちゃうんだよね、人類は」
「そうかもしれませんね」
「誰もいなくなっても、マキちゃんはずっと一人で生き残っちゃう」
「……」

ルール上、捕捉が出来ない、捕捉をされない真姫奈はもうジャンケンを行なえなかった。しかしRPSFは残っているため死にもしない。
人類が滅んだとしても彼女は一人、眠ったまま存在し続けるのだろう。

「……竜二は、どうしてARDFに入ったの?」
「成り行きですよ。断る理由も無かったですし」
「嘘つき」
「別に、嘘じゃ」
「嘘よ。だってあんた、人類を守るつもりなんてこれっぽっちもないじゃない。それどころか、嫌っているのに」
「……」
「私には、あんたの事が理解できない。なんで悲しくないの? あんなに懐かれていたのに」
「寂しいとは、思ってますよ。でも、悲しいとは思いません」
「どうして」

竜二の言葉の意味がわからず、尋ね返す美弥子。

「これも一つの結末です。残された人間がどう思うにしろ。彼女自身にとってはこれが最良だったのかもしれません」
「こんなのが最良なわけないでしょうっ!」
「仮に彼女が生きていて、魔王を倒したとしましょうか。これで人類は大勝利、皆は幸せに過ごしました。めでたしめでたし。……本気でそうなると思っているんですか?」
「魔族の脅威に怯えている今よりはマシよ」
「人間なんて魔族よりタチが悪いですよ。魔族はただ殺すだけですが、人間は殺さずにいたぶる事を楽しむ種族なんですから」
「そんな人間ばかりじゃないわ」

確かに、残された人類の中では、そのような人間はもういないと言って良いほど少数派だろう。だが、人間の心なんていつ変わってもおかしくはない。

「でも、そういう人間はどこにでも存在する。せっかく魔王を倒して人類を守ったのに、また人間同士で争いを始めたら真姫奈は何を感じるんでしょうね。戦争でも始まったら、それこそ目も当てられない」
「……それは、可能性の話でしょう」
「そうですね、僕は美弥子さんほど人間を信じていませんが、所詮可能性です。しかし僕にはもう一つ、魔王を打倒したくない理由があります」
「魔王を打倒したくない理由ですって?」

そんなものがまだあるのか、と美弥子は竜二に訝しそうな視線を向けてきた。

「どうも、ジャンケンの法則やRPSFは魔王が原因とされているようですが、これが間違っていた場合、恐ろしい事になる」
「だって、魔王が現れたから世界はおかしくなったのよ? あいつが原因なのは明らかじゃない」
「その辺りの追求はいいです。問題は、魔王を倒してもルールやRPSFが無くならない場合です」
「……?」
「僕は高い確率でそうなると思っています。この場合、残った人間達は不老不死になります」
「そうね」
「人間が、いつまでも生き続けられると思いますか? 何百年、何千年と経てば、生そのものに飽きがくる、百万年生きろと言われたら美弥子さんだって嫌でしょう?」
「まあ……」

死にたくはない、だが生き続けたくもない。
人間とは理解できない種族だと竜二は思う。

「人によって長さは違うでしょうが、いつか全員が死を願うようになる。幸い僕達にはジャンケンという死ぬための手段があります。……ですが、ジャンケンのルール上、絶対最後に一人は生き残ってしまう」
「それは……」
「この人間は地獄ですね、誰も居ない世界に一人で生き続けなきゃいけない。眠り続けている今の真姫奈と違って、人としての意識を保ちながら」
「……」
「そしてこの役割は、生きていれば真姫奈に回ってくるでしょう。何しろ彼女は良い子だ、魔王を倒した責任を取って、その役目を自分から受けるかもしれない。ジャンケンも強いですし」
「で、でも、マキちゃんがそうするとは限らないでしょう?」
「例え真姫奈がそれを嫌がったとしても、結局は誰かにその役割は回ってくるんです。自分さえまともな人生を送ることが出来れば、他人に全てを押し付けても良いんですか?」
「うっ……」
「……もちろん、今の話は全部想像です。でも、最悪の可能性を考えたら、人類は魔王に滅ぼされるのが一番幸せなんじゃないのかと思います」

竜二の発言にショックを受けたのか、美弥子は項垂れている。彼の言葉は可能性に過ぎないが、ありえない話ではない。
魔王を倒せば、人類は救われると思っていた美弥子にとっては辛い話だった。

「でもそんなの、救いが無いじゃない。人類は滅んだほうが、幸せだなんて」
「断定はしませんけどね。最後の一人以外は、それなりに楽しんで死ぬ事が出来るんですから」
「私が、間違っていたの?」
「さあ……。もしかしたら、最後の一人になっても生きていたいと思う人間はいるのかも知れません。それに、好きな人に生きていてもらいたいと思う気持ちは人として当然なんじゃないんですか?」
「……うん。そっか、そうよね……」

美弥子が真姫奈を思う気持ちも、家族に対する愛と同じなのだろう。
竜二は、血のつながっていない人間が他人を家族のように思うという事も、真姫奈の例があったので知っていた。

「そういう先の事がなかったら、竜二はマキちゃんに起きて欲しいと思うの?」
「……そうですね。彼女がそれで幸せなら、また一緒に過ごしたいです」

そう言った竜二の答えに満足したのか、美弥子の表情が、柔らかいものになる。

「……私、あんたの事を誤解してみたいね。ずっと冷たい人間だって思ってた」
「間違ってませんよ」
「マキちゃんが、あんたを好きになったのも、何となくわかる気がするわ。私なんかよりも、ずっとマキちゃんの事考えているんだもの」

美弥子の言う通り近年の竜二は真姫奈の事ばかり考えていたが、それはあまり褒められるようなものではない。

「彼女は家族のように甘えられる人を欲しがっていましたからね、僕を兄のように思っていたんでしょう」
「あははっ……同じこと言ってる」
「何がですか?」
「あんたの勘違いよ。マキちゃんは、あんたに惚れてたんだから」
「真姫奈が、僕に?」
「というか普通気付くでしょ、あんなにわかりやすく好き好きオーラを出してたのに」
「それは、僕を兄として」
「私、本人から直接聞いてるもの。お兄さんが初恋の人です、愛してますって」
「……馬鹿な」

竜二にとって恋愛感情など、醜く、肉欲を満たすためだけの汚らわしいモノにすぎない、母親はそれが原因で人を殺しさえしたのだ。
しかし、真姫奈が彼に向けてきた感情はそれとは違い、優しく、暖かくて、彼にとって好ましいものだった。
竜二はその感情を、彼女が兄という役割そのものに向けているのだと決めつけていた、こんな綺麗な思いが、自分に向けられているはずがない、と。

「だって、真姫奈は純粋で、皆に好かれるような良い子だったのに。僕みたいな人間を好きだなんて、ありえない」
「竜二?」
「彼女は、あいつらと違う、最初からずっと僕を、いや、そんなわけ――」
「ちょっと、竜二」
「ああ、そっか、冗談だったんですね? まったく、美弥子さんはしょうがない人だな。大体、真姫奈の歳で恋だの愛だのあるわけないでしょう」
「あんた……」
「僕を騙すなら、もうちょっと上手な嘘をついてくださいよ」

突然豹変した竜二に驚きながらも、美弥子は反論をする。

「マキちゃんはもう12歳よ。見た目は子供だけど、そんなに不思議でもない年齢だわ」
「そうでしたっけ。でも彼女が僕を好きになる理由はないですよね」
「両親が死んでから、今まで傍にいてあげたんでしょ? それに、あんたはずっとマキちゃんに優しかったし」
「優しいって、僕が? 彼女が喜びそうな態度を選んで実行していただけなのに」
「……それでも、よ。あんたはなんでマキちゃんを喜ばせようと思ったの?」
「真姫奈の反応が珍しかったから、興味があって、そうしただけです」
「マキちゃんの反応って要するに好意よね? 好意を求めるために行動する事のどこが悪いの? 悪意よりも好意が欲しいなんて人として当たり前の事じゃない」
「……」

確かに、竜二の行動は真姫奈から好意を引き出すためのものだった。
だが好意を求める――愛されたいと願うのは人間ならば当然の事だ。
竜二がしていた事も、他者よりも自覚があったが、やってる事は普通の人間と同じだった。それを間違っているとは言い難い。
少なくとも真姫奈はそんな彼を愛したのだから。

「なんであんたは、そんなに捻くれてんのよ。好かれているなら喜べばいいじゃない。マキちゃんの事嫌いなの?」
「違う」
「じゃあ、好き?」
「わからない」
「わからないって……自分の事でしょう」
「真姫奈が僕の事を好き――兄としてだけど、そう思ってたのは知っています」
「だから違うって」
「でも、僕が彼女を好きなのかはわからない、そもそも僕が人を好きになっていいのかも、わからない」
「……それって、どういう意味?」
「ねえ、美弥子さん。美弥子さんの両親ってどうなったんですか?」

竜二は美弥子の質問に答えず、逆に彼女に聞き返した。

「何よ、急に。……二人とも、もう死んでるわ」
「そうですか。両親が死んだときに、どう思いました?」
「そりゃ、悲しかったわよ。家族なんだから当たり前でしょ」
「当たり前、ね。真姫奈も両親が死んで悲しんでいました。鉄平さんも奥さんが、家族が死んでよっぽど悲しかった事でしょう」
「さっきから、何が言いたいの?」
「僕は、悲しくありませんでした。母さんと父さん――あの時は知らなかったんですが、二人が死んだとき、悲しむどころか喜びましたよ。これで邪魔者が消えたって」
「……どうして」
「言葉の通り邪魔だったからですよ、生きるために」

竜二は話した、母の事を。
本来彼を愛し養育する立場の彼女は、竜二にとって敵でしかなかった。

「ひどい……」
「子供だったんですよね、別に生きる理由なんてなかったのに、みっともなく生にしがみついて」
「ねえ、それから、どうなったの? 誰か、良い人には会えなかったの?」
「そうですね……」

施設時代の話をする。
竜二を化物と呼んだ人間達。友情も愛情も彼の人生には登場せず、ただ悪意だけが傍にあった。

「彼らの言った事は間違っていません。愛された事がないから、愛とはどういうものなのかがわからない。僕は不完全な人間で、化物です。ねえ、こんな僕が真姫奈みたいな良い子に好かれるのも、好きだと言ってあげるのも、おかしいとは思いませんか?」

自分が異常だと知っているから、他人に対して臆病なのか。
それでも無意識に愛を求めている竜二を、愚かだと断じる事はできない。それこそが、彼が人であるという証明なのだから。

「ごめん……なさい……」

話が終わると、美弥子は泣きながら彼に謝ってくる。竜二には理解できない行動だった。
彼女が泣く所など初めて見たのだからなおさらだ。

「ぐすっ……ごめん、なさい……」
「どうして謝るんですか?」

親からの虐待などそう珍しい話ではないが、平凡な家庭に生まれ育った美弥子にとって、竜二の生い立ちは想像すらできない悲惨な話だった。
誰にも愛されず、誰も愛さずに育ってきた竜二。
ドラゴンの降臨によって、救われた人間がいるなんて思いもしなかったのだろう。
美弥子は、竜二に何かされたわけでもないのに恐怖していた自分が、彼を化物と呼んだ人々と同じだと気付いてしまったのだ。

「……私も、同じよ……あんたの事を、傷つけてきた人たちと……」
「違いますよ、直接害があったわけじゃないですから」
「……っ」

別に竜二は皮肉で言っているわけではない。本心からそう思っている。
竜二が人を信じる事が出来ないのは当然だ。
彼の境遇ならRD教団に入信していても不思議ではない。それなのに、竜二は人類に牙を剥かず、今もこうしてARDFに所属している。

「竜二……」

美弥子は竜二に近づいて、慈しむように、そっと頭を抱きしめた。
彼女はもう竜二に恐怖を感じていなかった。

「こうやって人に抱きしめられるのは嫌?」
「……嫌では、ないです」

竜二が美弥子から感じる想いは、真姫奈と同じ暖かいものだ。

同情と、もう一つ。

未知の感情だったが、しかしそれは、決して嫌なものではなかった。
美弥子は竜二を抱きしめたまま、優しく頭を撫で始める。

「あんたは、化物なんかじゃない。ただ不器用なだけの、普通の男の子よ」
「でも、僕は」
「自分が壊れているからマキちゃんに好かれるのがおかしい? そう考えること自体、彼女を大切に思っているって証拠じゃない」
「あ……」
「あなたは、優しすぎる。そして、とっても臆病な人だわ」

美弥子は彼の頬を両手で挟み、顔を近づけてじっと瞳を見つめた。
どうしてか竜二には、目を逸らす事が出来なかった。

「マキちゃんはきっと、あんたの事を受け入れてくれる。それは、あんたが一番良く知ってるはずよ」
「……」

真姫奈の純真さを、その想いを竜二は知っていた。
美弥子の言う通り、恐らく、誰よりも。

「傍にいたいと思う気持ちに、大切にしたいと思う気持ち。それを感じたあんたは、確かにマキちゃんを愛していた。そして、愛されていたのよ」

竜二も鉄平と同じだ。気付いていたのに、気付こうとしなかった。
本当に欲しかったものは、すでに手にしていたのに。
黙り込んだ竜二を、慰めるように美弥子は抱く。

竜二は思う、この感情はなんなのだろうかと。

彼にとって真姫奈は妹のような存在だ。抱きしめた事も、抱きしめられた事もあったが、その時の感情とは違う気がしていた。
年上の女性から、慈しむように抱きしめられる事などなかった。

竜二にはわからない、わかるはずもないが、それは、母性愛だった。

歪んだ生い立ちを持つ少年は、生まれて初めて、母の愛というものを感じたのである。

自分の存在を全て肯定してくれる、愛。

それは、竜二に勇気を与えてくれた。自分から一歩踏み出すための勇気を。
真姫奈は眠り続けている。だが、取り返しのつかないわけではない。
彼女を目覚めさせるのはエゴにしか過ぎないのかもしれない。それでも竜二は求めたのだ。

無様な言い訳をして、逃げていた。
本当は、誰よりも傍に居て欲しかったのに。

そのまま美弥子に抱きしめられ、長い時間が経つと、竜二は決意を固めた様子で美弥子に言った。

「……真姫奈を助けましょう」
「えっ?」
「魔王を、倒します」

ただ、愛のために。
自分勝手なエゴだとしても。

「僕が、最後の一人になればいい」

永遠でなくても、その想いを、僅かでも感じられれば、自分は生きていけると。

そんな竜二の決断に衝撃を受けた美弥子は、やがて柔らかく微笑んで彼に言った。

「あんたを一人にはしないわ。もしそうなったら、お姉さんも一緒にいてあげる」
「……勝手にして下さい」

美弥子から体を離して、竜二は医務室から出て行く。
人間の心は移ろいやすく、嘘もつくし平気で裏切りも起こす。美弥子が言っている事も真実かどうかはわからない。

だが、それが本当でも、嘘でも良かった。

この瞬間だけは、確かに自分が想われていると感じることが出来たのだから。








[22142] ドラゴン・後編
Name: root25◆370d7ae2 ID:0593a267
Date: 2010/10/02 20:23



2016年11月11日 北海道 ARDF旭川基地 司令室



「――というわけで、魔王を倒しに行ってきます」
「何を言ってるんだ、君は」

竜二は医務室を出たその足で、源太の下に直行した。
源太はデスクで憔悴していたが、突然やってきた竜二の言葉に驚きを隠せないでいた。

「……確かに、少佐は現在我々が保有する最大の戦力だ。しかし、少佐も知っているだろう? 王城大佐ですら、ファフニールには敵わなかった」
「でも、無駄ではなかった」
「何がだね?」
「魔王を一度殺した事ですよ」
「そうだな、確かに大佐はファフニールを一度殺した。しかし、ブラッド少尉がそうだったように、結局魔王を滅ぼすには至っていない」
「それですけど、仮説があります」
「……言ってみたまえ」
「僕はジャンケンで敗北すれば死ぬというルールが、魔王によって作られたものだと思っていません。意味がわからないし、それだけの事ができるなら、もっと簡単に人間を滅ぼしているはずです」

そういった説はすでに存在している。誰も証明は出来なかったが。

「では誰がこんな馬鹿げた現象を引き起こしているというのだ?」
「それは置いておきます。注目すべきは、魔王もルールに則って戦っているという事です、これはわかりますよね」
「ああ、異常にジャンケンが強いという点を除けばな」
「お互い様なのでそれも置いておきます。しかし、魔王は人間と違って倒されても死なない。というより、RPSFが消失しない」

ブラッド少尉、そして鉄平に一度ずつ殺された魔王は、いずれもRPSFの消失は確認されていなかった。せいぜい負けた後に倒れるぐらいだ。

「ここだけが、人間とも、魔族とも違う。では魔王はジャンケンでも死なない完全な不死なのか? ですが、それなら自分を守るように常に魔族を配置する必要も無いはずです」
「まあ、そうだな」
「ブラッド少尉で一回、鉄平さんで二回。次に殺されれば三回目の死を迎えることになる魔王ですが、准将はジャンケンというゲームにおいて、三回という言葉に聞き覚えはありませんか?」
「三回……? ……そうか、三回勝負かっ!」
「最初に現れたのが魔王である以上、そういった特別な権限を持っていてもおかしくはないです。ただの仮説ですが、少しは希望を持てたでしょう?」

竜二はドラゴンが不死だとは思っていなかった。
もしもドラゴンが不死身なら、魔族を生み出しながら戦い続けられるのだから、自身も戦いに参加しているはずだ。

「ああ、わかった。確かに、どうでもいい事だ。このまま待っていても人類は滅ぶだけだからな。君がそうしたいと言うのなら、足を用意してあげよう」
「ありがとうございます」
「しかし、もう兵はほとんど送れないぞ?」
「結構です、一人も必要ありません。これは完全に僕の我侭なんですから」

竜二はアメリカに渡る足が欲しかっただけだ、多少の兵士を連れて行ったとしても、あの物量の前では、ただ自殺しろと言っているのと変わらない。

「だが……」
「元々無理な話です、鉄平さんや真姫奈と違って、僕はいつ死んでも不思議じゃありませんし。いきなり魔族に殺されるような事になったら、あまりにも兵士さん達が報われません」
「わかった、わかった。君の好きにするといい」
「すいません」
「……少佐が自分からこんな事を言い出すとは思わなかった。その理由は聞かない、だが、死ぬなよ?」
「努力します」
「決行は明日の正午だ、作戦名は『ゲオルギウス作戦』、少佐は単機をもってワシントンD.Cに突撃し、ファフニールを撃破せよ」
「了解です」



◇ ◇ ◇



2016年11月12日 北アメリカ・ワシントンD.C



鉄平が生きていた頃、彼と二人で自分のジャンケンの強さについて話したことがある。
あいこを一度も出さずに魔族に勝利してきた竜二。それは鉄平も同じだが、彼には邪拳という手段があった、しかし竜二にはそれがない。

ではどうして勝ち続けることが出来るのだろうか。

その時に聞いた鉄平の考えは突拍子の無いものだったが、竜二には面白い考えだった。
ジャンケンで、あいこ無しの一発勝利をする確率は三分の一、二連勝なら九分の一と、勝利回数に従ってしだいに確率はゼロに近づいていくが、いくら勝利回数が増えたとしても絶対にゼロにはならない。
あいこ無しの一億連勝だって、可能性としてはゼロではないのだ。
しかし一人の人間がそのような低確率の結果を弾き出せるわけがない。では一人ではなく無限の人数で一億連勝にチャレンジすればどうなるのだろうか。
確率はゼロではない、ならば必ず誰かがその結果に辿り着く。
無限に連なる平行世界。
そのどこかにはジャンケンで一億連勝する人間が存在するのかもしれない。

無茶苦茶な話だったが、竜二がその選ばれた人間だというなら、確かに説明はつくだろう。もっとも、鉄平の話では魔王も選ばれているという事になるのだが。

「ジャンケンポン!」

理由なんて、別に知らなくてもいい。勝てるという事実さえあれば。
眼前に広がるのは壁のように集まった魔族の群れだ、鉄平ほどの高さで跳べない竜二はすぐに捕捉されてしまう。だから空ではなく地上を駆けてそこに突っ込むしかない。

「ジャンケンポン! ジャンケンポン! ジャンケンポン!」

魔王へと向かって、密集した魔族の群れを掻き分け突き進む竜二。
今この瞬間に敗北し、命を落としてしまうかもしれない。
だが竜二は死を恐れない。求めるものを、目的を、見つけてしまったから。

「ジャンケンポンジャンケンポンジャンケンポンジャンケンポンジャンケンポンジャンケンポン!」

竜二は自分の手も相手の手も見ていなかった。捕捉されたと感じた相手に向けて拳を放ち、瞬時に別の相手に勝負を仕掛け、なぎ倒していく。

――究極の先出し。

ジャンケンは、宣言してからお互いに手を出すという流れになっている。
後出しはわざと遅れて、相手の手を見て自分がそれに勝利する手を出すというルール違反であるが、先出しはどうなのだろうか。
魔王出現後、先出しをすれば相手が後出しをした事になって勝利できるのではないか、と考えられた事がある。
しかし、そう上手くは行かなかった。先出しした者は相手に後出しをされても敗北してしまったからだ。
人間同士の場合だとこれはすぐにわかったが、魔族に対する調査は難航した、それは何故か?

魔族にはそもそも後出しなどという概念がなかったためだ。魔族のジャンケンに対する姿勢は、『正々堂々』まさにその一言に尽きる。
彼らは先に出された手など無視して、自分で決めた手を出す、例えそれが敗北手であっても。
竜二はこの習性を利用していた、彼には卑怯な手段をとる人間よりも、魔族の方がよっぽど信頼できる相手だったのだ。

片手どころか両手を使い、竜二は信じがたい速度で魔族を屠っていく。

「―――――――ォオオオオオオオオオオオオン!」

彼の口から高速で告げられた『ジャンケンポン』という言葉は折り重なり、意味を成さない唸り声と化していた。
人を超えた速度で疾走し、唸り声を上げながらも視界に映った魔族を光の道へと変えていく竜二。
彼のRPSFは加速的に増加していき、常に振り続けられている両手は風を巻き起こす。その光景は彼自身が吐く『ブレス』にも見えた。
かつての鉄平がそうだったように、竜二も己の目的のために魔族を殺す。殺し続ける。
立ちふさがるリザードマンも、ルビーナイトもワイバーンも、全てをRPSFの光に変えて食らい尽していく。

彼は竜だ。
一匹の竜。

苛烈とも言える竜二の動きは、ただ一人の少女への思いを表したものだろうか。
竜二の『ブレス』によって焼かれた魔族の群れは、千どころか万にも届く。そこには容赦も慈悲も無く、ただ炎のような感情が存在した。
荒廃したワシントン、その地を蹴って竜二は駆け抜ける。
人間には理解できない、しかし存在するであろう目的のために人間を殺戮する魔王。人類の敵にして、全ての始まり。

真姫奈と、彼女の両親を奪った元凶。
鉄平の人生の終着点。
竜二に安らぎを与えてくれた存在。

恨みはない、感謝してもいいくらいだった。だが、竜二は殺す。
魔族の、魔王の思惑など竜二にはわからない。
ただ、勝負を望んでいる。
理解しようとも、理解してくれとも思わなかった。お互いにお互いが邪魔なのだ。ならば答えは一つしかない。
やがて、長く続いていた魔族の道は終点に到り、竜二は赤い巨体の下に体を投げ出す。

そして彼は出会った。
自分と同じ、もう一匹の竜に。

《まだ来るのか、人間よ》
「残念ながらね」

しわがれた老人のような声から感じるのは、抑えきれない憎しみと深い絶望か。

《我は、負けぬぞ》
「僕が勝つさ」

お互いを捕捉しあい、力強く、拳を振り上げる。

「じゃんけん――」

竜二の宣言の途中で、爆音が響く。次いで視界を埋め尽くす強烈な炎によってドラゴンの姿が消えた。
しかし、関係ない、と竜二はそのまま相手を確認せずに『グー』を出す。

「――ぽん」

強大なRPSFの気配を頭上に感じる。炎が途切れ、開いた視界で見上げてみると豆粒ほどの大きさになったドラゴンの姿が遠目に見えた。
竜二の体に変化はない、という事は勝ったのだろうか。
ドラゴンは地面に激突すると、轟音を立てて鮮やかに着地する。

握られたその手は『グー』。
結果は、あいこ。

「あいこ、か……」
《……貴様、邪拳使いではないのか?》

あいこという結果にどこか納得した竜二に、失敗した、という顔でドラゴンが問いかける。
鉄平にとった対策と同じ事をしたのに、無意味だったのが悔しかったのだろうか。
例えドラゴンの手が竜二に見えていたとしても、この速さでは手を変えるのが遅くて後出しになってしまうだろう。

「どうかな、そうかもしれないよ」
《ふん、まあいい。ジャンケン――》

再び吐き出された炎のブレスによってドラゴンの姿が消えると、竜二はそれに構わず拳を繰り出した、今度は『パー』である。
すぐに頭上にRPSFの気配を感じた。やはりあの跳躍は邪拳対策らしい。

《――ポン》

脳内にドラゴンの声が響いても、竜二の体に変化はない。
そして、地上に落ちてきたドラゴンの手を見ると『パー』だった。
再び、あいこ。

「ジャンケンポン!」

今度はドラゴンの姿は消えなかった。代わりに音速を超えた巨大な拳が周囲に衝撃波を撒き散らしたが。

竜二の手は『パー』。
ドラゴンの手も『パー』。

三度目のあいこだ。

《ジャンケンポン》

『チョキ』と『チョキ』。

「ジャンケンポンッ!」

『グー』と『グー』。

《ジャンケンポン》

またあいこ。

「ジャンケンポンッ!」

何度やっても結果は同じだった、十を超え、百を超える回数の勝負が行なわれても、決着はつかない。
ジャンケンに力というものが存在するのなら、二人の力は全くの互角。
それでも二人は勝負を続けるが、それら全てがあいこという結果だったため勝負に一瞬の空白ができた。
その空白を使って、ドラゴンが竜二に話しかけてくる。

《あの男かと思ったが。貴様が本命か》
「何がですか」
《貴様が今回のゲームの『ラスボス』だ。邪拳すら使わないただの人間だというのに、この異常な強さ。間違いない》
「ゲーム……あなたはこんなものがゲームだと?」
《そうだ、ゲームだ。所詮、我も貴様も天使が行なうゲームの駒に過ぎない》
「天使、だって?」

突然、人間のような事を言い出してきたドラゴンに竜二は疑問を浮かべる。
確かに竜二は、ドラゴンより上位の存在が、この世界の法則を定めた可能性もあると考えていた。
それが天使だというのだ。ドラゴンに天使、まるで神話だ。しかし、ゲームとはどういう意味なのか。

《我は全力を持って貴様を倒そう、もはやこの世界に我の敵は存在しない。貴様を倒せばこのくだらぬゲームは終わりだ》

そう言ってドラゴンは巨大な拳を竜二の前に突き出した。
ギリギリと音が響くほど握り締められたその拳には、竜二を焼き尽くすほどの決意が込められている。

《我はグーを出す》
「――――――っ!」

ドラゴンが吐き出した言葉に竜二は身震いする。

勝負手の宣言。

あいこしか出ない戦いに見切りをつけた魔王は、ジャンケンのもう一つの側面である、手の読み合いに竜二を引き込もうとしていた。

《これまでの無限に等しい長き人生に、そして我の誇りにかけて誓おう。我は絶対にグーを出すと》

竜二を睨み付ける瞳は深く、吸い込まれそうなほどに真っ暗だ。
しかし、竜二の体を包み込むほどに強大なRPSFや、ドラゴンが放つオーラ――カリスマというものだろうか――からは、その言葉が真実であると直接魂に伝えてきた。

「じゃあ僕はパーを出します」
《何を言おうと我の決意は変わらん。我はグーを出す》

試すようにそう言った竜二の言葉にも、ドラゴンは一切揺るがない。

本当にパーを出すか、と竜二は思う。
相手がグーを出すと言っているのだから、パーを出せば勝てる。しかし、ドラゴンは宣言通りにグーを出すのだろうか。
鉄平の時と違い、いきなり邪拳使いへの対処を行なってきた事からも、ドラゴンにはもう余裕がないのがわかる。
誇りだなんだと言ってもそれでは勝負は勝てない、敵に嘘をつくのは当然の選択だし、少なくとも竜二ならそうする。
ではグーを出せばいいのか、ドラゴンの言葉が嘘ならばこれが正しい、だがそれを読まれていたとしたら――

《ジャンケン――》
「あ、ちょっと」

考えのまとまらない竜二を無視して、ドラゴンは勝負を仕掛けてきた。

《――ポン》
「くっ」

慌てて竜二が出したのは『グー』。
そしてドラゴンが出したのも『グー』。

結果は、あいこ。

《どうした、パーを出すのでは無かったのか?》
「拳の調子が悪かったんですよ、運が良かったですね」
《ほざくか、人間! 我は次もグーを出すぞ!》

ガチガチに固められた拳が竜二の鼻先へと迫る。生物ではないはずのそれは、やはり強烈な思念を彼に叩きつけてくる。

グー! グー! グー! グー! グー!

グー以外許さないと言わんばかりのその拳に、この魔王はルールなど知らず、ただこれを出したいためだけにジャンケンをしているのではないのかと錯覚させられる。
ならば次もグーを出してくるのか。
しかし、ここまではっきりと『グーを出します』と言っているドラゴンが、本当にグーを出すことなどありえるのだろうか。
確かに先ほどはその宣言や気迫に違わず、グーを出した。
だからと言って次も同じ手を出すとは限らない。最初に印象付けて、竜二がパーを出すのを誘い、チョキで仕留めてくるつもりなのかもしれない。

《ジャンケン――》

竜二はパーを出したいが、それが出来なかった。
あるいは、それこそが魔王の戦術なのか。いっそのことチョキを出してみるべきか。

《――ポン》

溺れる様な息苦しさを感じ、結局竜二は『グー』を出した。
しかし、ドラゴンの手は変わらず『グー』だった。

あいこである。

《焦っているな、人間。だが我は宣言しよう、次もグーを出すと!》

――やめろっ!

竜二は思わず叫びそうになった。
そんな竜二を嘲笑い、ドラゴンは大きく腕を振り上げた。
これで二回連続ドラゴンは言葉通りにグーを出した事になる。
だが、今度は竜二の前に拳を突き出すようなマネはせずに、最初から拳を振り上げていた。

パターンが違う。

まさか、次はグーではないのか。グー以外の手はチョキとパーの二つ、これだと竜二の出す手はチョキしかない。チョキを出すべきだ。
しかしそれこそが、罠だったら?
ドラゴンはグーを出すと宣言し、実際グーを出している。
グーではない、と判断した竜二がチョキを出せば敗北してしまう。ならパーを出せばいいのか。

《ジャンケン――》

そう、パーだ、パーを出せば勝てる。
しかし、なぜドラゴンはパターンを変えたのだろう。それが連続あいこの状態から脱出するためのサインだとしたら?
グーであいこになったのだから、竜二が出すのもグー以外、チョキとパー。これならドラゴンはチョキを出すだろう。そしてチョキはパーを制す。

パーを出せば負ける。

《――ポン》
「くそっ!」

竜二はとっさに手を変えて『グー』を出した。
対するドラゴンは、やはり『グー』。

またしても、あいこだった。

《我が怖いのか? 人間》

ドラゴンが竜二を挑発するようにそう言ってくる。

《負けるのが、怖いのか。我は敗北など恐れていないというのに》

聞くもの全てを恐怖に陥れるような鳴き声を上げ、猛り狂うドラゴン。
その姿は魔王の名を冠するに相応しかった。

《チョキも、パーも、我には必要ない! グーのみで貴様に勝利してみせる!》

力強いドラゴンの言葉。それを聞いて、魔王と自分の違いを理解した竜二は、逆に冷静になった。
あの手だこの手だと考えていても無意味なのだ。ジャンケンに答えなどあるはずがないのだから。せいぜいが思考の迷路に嵌るだけだ。

頼るべきは自分の力。

そのための布石として、竜二は魔王に負けずとも劣らないほどの意思を込めて咆哮する。

「あなたがこれまでの人生と、誇りを賭けるというのなら、僕も同じものを賭けましょう! 神に誓ってもいい、僕はパーを出します!」
《良くぞ言った! 見せてみろ、貴様の生き様を!》

竜二の宣言にも、魔王は動じなかった。
彼は竜二を何の能力を持たない人間だと思っている。しかし、竜二は人の感情を読み取れるという技能を持っていた。
それが読めたとしても、ジャンケンの手などわからない。
しかし、このドラゴンは、今まで出会ったどんな人間とも違う、『魔王』なのだ。

三連続、グー。

その全てに、凍るような絶望を溶かしてしまう熱い感情が込められていた。

『グー』

ただそれだけ、それしか考えていない。信じられない事に、このドラゴンはグーという感情を持っている!
最初からそうだった、自分が勇気を出してパーを出せば勝利していたはずなのに。

――終わりにしよう。

ドラゴンの感情を探る竜二。
振り上げられた竜の拳から感じ取れるのは、やはり『グー』という揺るがぬ意思。なら竜二が出すのは『パー』だ。

一人と一匹はこの戦いに終止符を打つために、あらん限りの声で雄たけびを上げた。

《オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!》
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


しかし、竜二は、勘違いをしていた。

ドラゴンは、魔王だ。

竜二が想像も出来ないほどの年月を生きてきた魔王は、自分の感情を偽装するなど呼吸をするよりも簡単だった。
無目的にグーを出し続けていたわけではない。相手に信じ込ませるのが重要なのだ、竜二の技能はむしろ逆効果だった。

魔王は竜二の事など知らなくても、ただ己がグーを出すと確信させればいいだけなのだから。

この三回の勝負は賭けだったのだろう。そして、ドラゴンは賭けに勝った。
天を貫くように掲げられた二つの手。勝負をせずとも結果は見える。これが振り下ろされた時こそ竜二の負けだ。
竜二のRPSFは真姫奈にも遠く及ばず、死は確定している。

そう、彼は死ぬのだ。

《ジャン――》

そして運命を決める拳が動き出そうとした時、竜二が見ている周囲の景色が急にスローモーションになり、やがて完全に停止した。

――あれ?

人間は死の淵に追いやられると、意識が加速し、周りがスローに見えることがあると言う。ならこれもそうなのだろうか。
これではまるで、自分が死ぬみたいだ、そう竜二が思っていると、いつの間にか、そう遠くない場所に二人の人間が立っているのを見つけた。

――鉄平さん。

鉄平は、同じくらいの年齢の女性と肩を並べて、こちらを見ていた。その顔は穏やかで、幸せの感情で満たされている。
竜二にはそれが羨ましくて彼に近づこうとしたが、体が動かない、手を掲げたポーズのままで固まったままだ。
それでも体を動かそうとする自分の傍にもう一人、良く知った愛らしい少女が現れていることに気付く。

――真姫奈。

彼女は優しく微笑み、ふにゃふにゃの柔らかい手で、竜二の掲げていない手をそっと握った。
そんな真姫奈が懐かしくて、竜二の胸に形容しがたい感情がこみ上げてくる。
死の直前だから、都合の良い幻覚を見ているのか。いや、違う。

竜二は理解した。
二人は自分に伝えているのだと。

魔王のRPSFと竜二のRPSF。
それを通じて鉄平は竜二の意識を加速させ、真姫奈は竜二に勝利の手を授ける。

例え幻覚だったとしても、竜二にはあまりにもこの光景が眩しかった。まるで、二人が自分に勝てと言っているようで。
RPSFは人間の魂とも言える。そして、魔王は自分と魔族が倒した人間全てのRPSFをその身に宿していた。
もちろん、他者より遥かに多かった鉄平と真姫奈のRPSFも。
魔王の感情を探った竜二は、魔王に取り込まれ、ただのRPSFと化した二人の感情を、その思いを、魂を読み取ったのだ。


――僕は、勝つよ。


そして再び、時間が流れ始める。

《――ケンポン!》

本人が気付かなくとも、今の竜二には友情があった、愛情があった。
しかし、魔王にはそれがない。
その事が最後に明確な差となって表れてしまった。


竜二の手は、『グー』。
ドラゴンの手は、『チョキ』。


竜二の、勝利。


《……》
「……」
《我の、負けか》
「僕の、勝ちだ」

ドラゴンの体は崩れ落ちなかった。代わりに、膨大な量のRPSFが巨大な体の中心へと集まり始める。

約70億人分の魂である、RPSFが。

《貴様、名前は?》
「武藤竜二」

竜二を囲む魔族の群れは、魔王の心を表すように全てが深く項垂れていた。

憎悪と絶望。

魔王の心は、最初から最後までその感情に支配されていた。

《武藤竜二、我は貴様の名を忘れぬ。これから先、貴様が我に辿り着けぬとしても、我は全力を持って貴様を滅ぼすと誓おう》
「何回やっても同じです。僕はあなたに勝ち続けてみせる」

これから先などあるのだろうか、魔王はルールに従ってここで消えるはずだ。
RPSFの収縮は止まっていた。その全てを光に変えて、解き放たれるのを今か今かと待ち望んでいる。

《次は、負けぬ》

魔王がそう告げると、天にも届かんばかりの閃光が北アメリカ全土を巻き込んで炸裂した。














こうして、一人の竜はゲームに終止符を打った。
愛を知らず、愛を欲した彼が求めたのは、一人の少女だ。
彼は彼女を救うと言った。
では、その彼女は――










[22142] エピローグ
Name: root25◆370d7ae2 ID:0593a267
Date: 2010/10/09 12:42



2016年12月25日 北海道 ARDF旭川基地 医務室



美弥子は一人、真姫奈の眠る病室に居た。

「マキちゃん……竜二、頑張ってるみたいだよ」

――2016年11月12日、ゲオルギウス作戦によってレッドドラゴン『ファフニール』は武藤竜二少佐に殺害される。

北アメリカを覆い尽くした閃光は偵察ロボットを全て破壊したが、衛星からの情報によって魔王の死が確認されると、ARDFは大いに沸いた。
許可したとはいえ、源太自身ですら勝てるとは思っていなかったのだ。彼の喜び様も凄まじいものだった。
しかし、魔王が死んでも魔族の姿は消えることも無く、竜二が危惧したようにジャンケンのルールも残ったままだ。
残った魔族のRPSFは、魔王がいなくなったせいか次第に減少していった。
ある程度時間が経てば全員消滅すると予測されたが、如何せん大量に残っていたため放置するのは非常にまずい。

魔王を倒した後も竜二は魔族を殺し、魔王から簒奪した莫大なRPSFを使って、驚くべき速度で殲滅に殲滅を重ねた。
彼は北アメリカだけには留まらず、世界各地に飛んだ。地球上に魔族が存在するのは許さないと言わんばかりに、貪欲に獲物を狩り続ける。

『ドラゴン』あるいは『ドラゴンキラー』。

常に一人で戦場を駆け抜けた竜二にはいつの間にかそのように呼ばれ始める。しかし、英雄だ、と持て囃された彼は同時に恐れられてもいた。
鉄平が死んだ現在、竜二は地球最強の生物だ。彼が人類に牙を剥けば、再び滅亡の危機が訪れる。誰もジャンケンで彼に勝てないのだから。
美弥子はそれを悲しいと思っていた。そういう人間の感情こそが、竜二を傷つけるのに、と。自分がそうだったから、良くわかる。

竜二は魔王を倒した後、真姫奈の様子を見るとすぐに魔族狩りに向かい、以後一度も帰ってきていない。
魔王が死んでも真姫奈は目覚めなかった。だから、彼は逃避をしているのか。
あるいは、真姫奈の願いを叶えようとしているのか。
美弥子はすやすや眠り続けている真姫奈を微笑みながら見ていると、扉を開けて誰かが入ってくる気配を感じた。

「お久しぶりです、美弥子さん」
「竜二!」

久しぶりに会った竜二の姿はやはり変わりなく、年頃の美少年のままだった。
しかし、その身からは隠しきれないほどのRPSFの気配が感じられる。かつての魔王さえも超えるほどに。

「やっと、終わりました」
「そう、倒したのね、魔族を」
「はい」

日本の魔族はすでに竜二によって滅ぼされていた。つまり、彼の言葉は世界中の魔族を駆逐したという意味だ。

「お疲れ様……本当に、ありがとう、竜二」
「よしてくださいよ、まだ終わってません。美弥子さんにも手伝って欲しい事があるんです」
「私に?」

そう告げた竜二は真姫奈が眠るベッドに近づくと、彼女を引っ張り出し、ベッドに腰掛けて自分の膝の上に乗せた。
親が子供を後ろから抱きしめる体勢である。

「ちょ、ちょっと何してんのよ」

美弥子が慌てるが、竜二の瞳が真剣だったので、すぐに口を噤む。

「真姫奈、起きませんよね」
「……うん」
「何故でしょう?」

竜二は胸に抱きしめた真姫奈の頭を撫でながら、美弥子に問いかける。

「ジャンケンに負けたから?」
「今の彼女のRPSFがほとんど空っぽだからです」
「あ、そ、そうよね」

とぼけた答えを返してしまった美弥子は、自身を恥じた。

「そして、RPSFが足りないなら増やしてあげればいい」
「でも、マキちゃんはもうジャンケンなんて出来ないわよ」
「そうですね。ですが、もう一つRPSFを増やす方法があります」
「え? 本当に?」
「調べればすぐにわかりますけど、RPSFはジャンケンをしている当人同士以外でも、敗北時の光を浴びていれば増えます」
「あっ」

そう言われて美弥子は思い出した。確かそんな実験結果があったはずだと。

「でも、あれってほとんどゼロに近い吸収率だったわよね?」
「そうですね、でもゼロじゃない。数字に表すと約0.0000001%程です」
「あんた、まさか」
「集めに集めましたよ、少しでも確率を上げるために、魔族の残党、最後の一匹に至るまでね。今の僕のRPSFは68億を超えています」
「68億って……」

あまりにも馬鹿げたその数値に美弥子は愕然とする。そして竜二が何をやろうとしているのかも気付いた。

「僕にジャンケンで勝ってください」

竜二は真姫奈を復活させるためだけに魔族を滅ぼしたのだ。何という少年なのだろうか。

「魔王戦に連れて行くことも考えましたが、途中で真姫奈が起きたり、僕が死ぬ可能性もありましたからね。安全策を取ることにしました」
「でも、あんたは危険じゃない」
「鉄平さんは一度死んでも蘇りました。だから鉄平さんよりもRPSFが大きい僕なら大丈夫でしょう」
「確かにそうだけど、絶対にそうだとは言えないわよ?」
「その程度のリスクぐらいは負って見せますよ」
「……」
「お願いします、美弥子さん」

真姫奈が目を覚ますのは美弥子にとっても歓迎するべき事だ。しかし、万が一、竜二が死亡してしまったら。
そう考えると怖くなる。今の美弥子は真姫奈だけではなく、竜二の事も気にかけていたから。
でも、それは自分の我侭だろう。

「わかったわ……」
「ありがとうございます」

竜二は真姫奈一人のためにここまでしたのだ。だったら、少しでも彼を手伝ってあげよう。
美弥子の返事を聞いた竜二は、真姫奈を抱きしめたまま手を掲げ、告げる。

「僕はグーを出します」
「私はパーを出せばいいのね?」

頷く竜二を見て、美弥子も手を振り上げる。
そして強く願った。上手く行きますように、と。

「ジャンケンポン!」

振り下ろされた拳は、互いの言葉のままに。

竜二は『グー』。
美弥子は『パー』。

竜二の負けだ。

「よし」

呟いた竜二は、一つにならんとばかりに真姫奈に密着する。少しでも吸収率を良くするためだろう。
ジャンケンに負けた竜二。その体を包むRPSFが、彼の中心に集まっていくのを感じる。

「竜二……」
「大丈夫ですよ」

いつもの無表情ではなく、竜二は微笑んでいた。
そして、彼が魔族から掻き集めたRPSFは収縮をやめて、爆発的な閃光となって病室を埋め尽くす。

「――っ!」

目を閉じたというのに、あまりにも目映い光に目がくらんだ、そしてしばらく身動きが取れなくなる。
やがて光が引き始めると、美弥子は自分のRPSFが信じられないほど増えていることに気付いた。

「竜二っ! マキちゃん!」
「大丈夫、ですって」

二人の体はいまだ健在だった。竜二も消えていない。
その事にホッとして、すぐに、竜二の手の中でもぞもぞ動く真姫奈の姿が目に映る。

「……ん……え、ええ!? 何ですかこの状況は!」

彼女はキョロキョロと首を回して、自分が大好きな少年に抱きしめられている事に驚愕していた。
美弥子はその姿に微笑んで、竜二は愛おしそうにそれを見ている。

「おかえりなさい、マキちゃん」
「おかえり、真姫奈」
「あ、はい、ただいま……って。あれ、何で私……?」

反射的に返事をした真姫奈だが、記憶が混乱しているのか、不審そうな顔になる。
そしてすぐに、何かに思い当たったかのようにハッとした表情を浮かべた。

「あ、そうだ……。私、ドラゴンに取り込まれて……そして、鉄平さんも……」
「……真姫奈」
「鉄平さんは、もう……」
「……いいんだよ、真姫奈。今だけは、何も考えなくても。鉄平さんは自分の願いを叶えられたんだ。後悔はしてないはずだよ」

もう戻ってはこれない鉄平を想い、気を落とす真姫奈。そんな彼女を慰めるように、求めるように抱きしめる竜二。
真姫奈は竜二の様子に何かを感じたのか。回された腕に優しく手を重ねていた。

――綺麗。

幼い少女と、優しい少年。
互いが、互いのことを純粋に想いあっている。
二人の姿を見て、美弥子は思った。もう、大丈夫だと。

「じゃあ、お姉さんは、先生呼んでくるわね。あんまりイチャイチャしてちゃ駄目よ?」
「あう……」

顔を真っ赤にして慌てた真姫奈を背にして、美弥子は部屋を後にする。しばらく二人っきりにしてあげようと。

歩きながらも、美弥子は考える。

魔王は死んだが、世界のルールは変わらずに、生は停滞し、新しい命も生まれない。
竜二の言ったように、人はまた愚かな争いを繰り返すのか、あるいは平和を望むのか。
それがどうなるのかはわからない、未来は不確定で、優しくもあり、冷たくもある。


だから、美弥子は願うのだ、


人に裏切られ続けて、ようやく愛に辿り着いた竜二、そんな彼をずっと思い続けていた真姫奈。


どうか二人が幸せでありますように、と。









《GAME OVER》

残り 8627万6325人
ライフ 0/3 
サポートスキル ファイアブレス 3/7 イフリート 0/3 眷属召喚 -/-


【Go to the Next Game】



感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.12213802337646