第三十四話 それは、出逢いの物語
新歴65年 5月9日 第97管理外世界 日本 海鳴市 近海 AM3:30
『シミュレータの準備は完了、残るは結界のみですね』
いよいよ決戦を目前に控えた時間帯、私はその準備のために再び第97管理外世界へと降り立った。
フェイトと高町なのはの二人は本日のAM6:00、最後の邂逅の時を迎える。
昨日の段階ではAM7:00に開始する予定でしたが、我が主が予想外に早く目覚めたことや、地上本部や“アースラ”の動向も考慮にいれ、アスガルドと共に改めて演算を行った結果この時間帯となりました。
『さて、彼女らの性格を考慮すればAM4:30には起床し、決戦の準備を整えているでしょうから、スケジュールに大きな問題はありませんね』
既にバルディッシュに試合開始時刻がAM6:00であることは伝えてあり、レイジングハートも同様に。
昨日のレイジングハートとの邂逅の目的の一つに、“トール”本体と彼女の本体を直接ケーブルで繋ぐことがありました。管制機である私と一度電脳を共有したならば、かなりの距離を伝搬可能な秘匿通信が使用できます。
“トール”と“アスガルド”を繋ぐ通信は一際秘匿性が高いものですが、バルディッシュと繋ぐ通信もそう簡単に傍受される代物ではありません。そして、レイジングハートと繋いだ回線も同様であり、次元航行部隊に悟られることなく情報のやり取りが可能となる。
とはいえ、この段階に至れば次元航行部隊にこちらの行動が悟られても特に問題はないのですが、出来る限り二人の対決に干渉して欲しくはありません。
この試合は、フェイトの今後の人生に大きな影響を与える可能性が高いのですから。
『結界は、二重、いえ、三重ですら足りないかもしれませんね』
通常の模擬戦ならば封鎖結界を用いてある程度の領域をカバーするだけで十分、ユーノ・スクライアやアルフならばそれこそ朝飯前というやつでしょう。
そして、管理外世界においても封鎖結界を用いて一般人が入り込めない空間を確保した上で模擬戦を行うことは違法ではありません。管理外世界出身の管理局員もそれなりにいますし、彼らの長期休暇中に訓練をしてはいけないとするのも変な話ですから、その辺はかなり融通が利きます。
しかし、空戦魔導師となるとこれが途端に厳しくなる。当然の話ですが、空戦を行うには相応のスペースが必要であり、結界とは広域に張ろうとすればするほど性能を維持することが難しくなってしまい、一般人に危険が及ばないと判断される性能の結界を広域にはるのは困難とされる。
それをデバイスの補助もなしに、しかもフェレットの姿でいとも簡単に構築するユーノ・スクライアという少年には“存在自体が何かの間違い”という表現が適切かもしれません。
ともかく、他にも様々な理由がからみ、ミッドチルダ首都クラナガンなどでは封鎖結界を街中で張ることはない。そもそも、魔法製品やデバイスがそこら中に溢れている場所において、隔離すべき対象を特定することはほとんど夢物語の領域です。
『この第97管理外世界のように純粋な電気がライフラインとなっているならば、隔離は容易ですが。クラナガンでは廃ビルの壁にすら魔力を通すための配線が存在し、電気変換された魔力が通っているケースもある』
主要な管理世界の都市部に比べれば、この海鳴市の海上に模擬戦用の封鎖結界を敷設することは本来ならば容易いはずなのですが、残念なことにこの結界内部で試合を行う二人は並大抵ではありません。
『高速機動による空戦を得意とするフェイトと、高威力の砲撃を得意とする高町なのは。広く結界を張ればその分薄くなり、高町なのはの砲撃によって破壊され、狭く強固な結界を張れば今度はフェイトが外に出てしまう』
この結界は内部の人間を外に出さないものではなく、外部からの干渉を遮断するためのもの。
そのため、内部から外部へ出るのに何の障害もなく、空戦魔導師が本気で飛びまわることを考慮するならば、相当の広さの結界が必要となり、かつ、高町なのはが放つ砲撃の余波によって破壊されない程度の強度も必要となります。このトレードオフを解決するのは困難ですが、事前の準備があればそれも解決可能。
『ここはかつて、4個のジュエルシードの封印を行った祭儀場。しかし、私が用意した装置はあれで全てではない』
“ミョルニル”を中枢としたジュエルシード封印用の端末のさらに下に、封鎖結界展開用の端末とシミュレータ補助用の端末を仕込んである。これの準備もあったからこそ、10日間という時間がかかってしまった。
あの時、クロノ・ハラオウン執務官は海底で私と接触しましたが、彼は武装隊の隊長ではなく次元航行艦所属の執務官。“ブリュンヒルト”発射実験の事実を知った以上は即座にアースラに帰還し、地上本部や本局との折衝を開始する必要がありました。
それ故、ジュエルシードが全て回収されたこともあってか、海底に武装隊員が新たに派遣され、詳しい調査がなされることはなかった。まあ、忙しくてそれどころではなかったというだけの話なのですが。
『全ては順調です。マスター、長い時間をかけて蒔いた種は、無事に芽を出しているようです』
試合空間の構築が済めば、後は簡単です。
綻びが生じた際の補修用員には優秀な2名がいるので問題ありませんし、模擬戦の参加者の体調は万全、そして、模擬戦が危険水準に達するかどうかを判断する役も。
『よし、これで結界の敷設も完了ですね』
設置作業自体は既に終えているため、ここで行う作業は細かい設定と、後は―――
【アスガルド】
【はい】
【こちらの設定は完了しました。試運転を行いますので、不具合がないかどうかチェックをお願いします】
【了解】
設定どおりに試合空間が構築されるかどうかの、試験となる。
管制機能を用いてシミュレータと封鎖結界用の端末を起動。
これらは次元航行部隊など、本局ではメジャーな設備ですが、中々に予算を食うため地上部隊では滅多に存在しない。
そのため、陸士部隊などでは山へ行って訓練したり、隊舎の裏に運動場を作り、そこでサンドバッグなどを相手に訓練する場合も多い。その点では本局の設備は遙かに優遇されているのでしょう、高ランクの空戦魔導師の訓練にはその程度の設備が必須、というのも事実なのでしょうが。
時の庭園には本局クラスのシミュレータが完備されていますし、そもそも敷地が広いので自由に飛び回ることが可能です。田舎であるアルトセイムでは市街地と違って飛行許可を得るのも役人に金を掴ませれば割と簡単ですし、この管理外世界でも結界を張っていれば飛び回るくらいなら、いちいち許可をとる必要もありません。
生活が便利なはずの管理世界の都会ほど、空戦魔導師が自由に飛べないというのも中々に皮肉な話ですね。実際に空戦魔導師を動員して治安維持に当たっている首都航空隊にとってはまさに冗談ごとではないのでしょうが。
【確認しました。問題ありません】
【ありがとうございます】
試運転は問題なく終了、四重の結界を上空まで伸ばしたため、かなり端末に負荷をかける仕様となっていますが、そこは構いません。
要は、彼女らが戦っている間だけ持てばよい、試合が終われば壊れようとも別に構いません。地上部隊が聞いたら呪われそうですが、テスタロッサ家の資金は潤沢なので問題ありません。
『さて、この肉体の役目はここまでですね。時の庭園へ帰還し、中央制御室より管制を開始すると致しましょう.
新歴65年 5月9日 次元空間 (第97管理外世界付近) 時の庭園 中央制御室 AM5:50
そして、約束の刻限はやってきました。
高町なのは、ユーノ・スクライアの2名はAM5:30頃に到着し、準備運動を開始。
フェイト・テスタロッサ、アルフの2名はAM5:00には到着し、準備運動どころか飛行訓練クラスの機動を行っていました。貴女達は遠足前の初等科生徒ですか。いえ初等科生徒でしたね。
【試合開始10分前です、選手は一旦中央へ集まって下さい】
これは、戦技披露会などで行われるアナウンスと同じ内容。
フィギュアスケートなどにおいて、これから演技する選手6人程度がそれぞれにアップを行い、その終了を告げるようなものでしょうか。
「はい!」
「はい!」
二人の少女からそれぞれ返答があり、彼女らは中央へ。
そして必然、これまで距離をとりつつ準備運動を行っていた二人は、正面から顔を合わせることとなる。
「フェイトちゃん」
「………」
フェイトは無言ですが、目を逸らすことはない。高町なのはの表情にも、迷いは見受けられません。
「フェイトちゃんは、立ち止まれないんだよね?」
「…………………………うん」
そして、誰よりもフェイトに近く、同じ思いを抱いてきたであろう彼女だからこそ――――
「だから、私は受け止めるよ。フェイトちゃんの想いを、楽しいことも、悲しいことも、嬉しいことも、全部――――――――フェイトちゃんと、分け合いたいから」
「――――――――――ありがとう」
フェイトが最も望む言葉を、かけてくれる。
【両者、準備運動は十分ですね?】
ならば、私は交流の舞台を整えることに徹しましょう。
「大丈夫です」
「万全だよ」
【了承しました。それでは、試合の条件を確認します。今回の試合は同レベル保有者同士による実戦形式のシミュレーションであり、それぞれの戦技を披露し合い、より高め合うことを主眼においた模擬戦を行うこととなります】
試合にも多くの目的がある。管理局所属の魔導師の正確な能力を確認するためであったり、団体戦における協調性を見たり、危機的状況における判断力を図ったりと多岐にわたり、今回の形式は最も基本的であると同時にランクが高まるにつれて危険度も上がる種類。
【そして、試合の規定は航空戦技教導隊による最高レベル。すなわち、実戦に限りなく近い模擬戦を行うこととなりますので、事故の可能性が当然あります。23年ほど前には同規定に基づいた模擬戦によって選手が半身不随に陥るケースも存在しており、当時に比べて安全性は大幅に向上してはおりますが、やはり危険は伴います。よって、気を引き締め、事故がないように注意して下さい】
無論、事故が起きればそれに対処するためのマニュアルも確立されていく。
現在の管理局が行う模擬戦ならば、そのような事故は文字通り10年に一度もないということになります。もっとも、模擬戦を通り越して命を失う危険を伴う実戦を潜り抜けてきたのがこの二人、9歳という年齢を考えれば半ば冗談のような話ですが。
彼女らが相手にしてきたジュエルシードモンスターは模擬戦とは訳が違う。“殺すつもり”で攻撃してくるのですから、一瞬の気の緩みは死に繋がりかねない。
【試合の制限時間は30分、配置したレイヤー建造物は触れることが可能であり、ぶつかれば当然相応のダメージを負うこととなります。ただし、非殺傷設定でも破壊は可能ですので、避けて飛ぶか、魔力弾で撃ち抜くかは各々の戦術次第となります】
「はい」
「はい」
私の肉体からならば違和感があるでしょうが、試合空間の中央に表示されたパネルから機械を通して流れるならば私の口調も気にならないようですね、高町なのはもフェイトも。
【結界はかなり上空まで四重に張ってありますので自由な飛行が可能です。もし砲撃などによって綻びが生じた場合は、向こうに控える頼もしい補修用員がただちに結界の補修を行います】
「なのは、サポートは任せて!」
「フェイト! 思いっきりやんな!」
これが時空管理局の定めた模擬戦規定に従う試合である以上、サポート班は必須。特に、治療魔法が得意なユーノ・スクライアの存在は大きいですね。
【試合の終了条件はいずれか、もしくは両方の戦闘継続が不可能となった場合となります。ただし、貴女達は武装隊員や戦技教導隊の教導官ではないため、今回は戦闘継続の判断は本人が行いません】
通常の模擬戦ならば立ち会う教官が、経歴の長い高ランク魔導師の模擬戦ならば、対峙する両者がセルフジャッジに近い形で判断を行う。特に戦技教導隊の隊員はその判断に長けているので、この規定では大半がセルフジャッジとなります。
しかし、高町なのはもフェイトも戦闘能力こそ高いものの、経験が圧倒的に足りていない。また、撃墜経験もないため、どこまでやれるかの見極めを自分達で行うのには無理がある。
【そこで、今回は特殊規定に基づきます。両者の扱うデバイスが高知能AI型のインテリジェントデバイスであるため、戦闘継続の可否はデバイスが行うこととなりますが、よろしいですね?】
レイジングハートとバルディッシュ。
彼女らの状態を把握し、戦闘継続が可能かどうかを判断するならば、彼ら以上の適任者はいない。
「分かりました。行けるね、レイジングハート!」
『Yes, my master』
「問題ありません。頼んだよ、バルディッシュ」
『Yes, sir』
流石、この二組の息はぴったりですね。
【では、そろそろ開始3分前です。所定の位置につき、バリアジャケットの着装を】
「はい!」
「はい!」
良い返事です。二人とも。
二人はそれぞれ、定められた開始位置へ。この位置も戦技教導隊の規定に則ったものとなっています。
「レイジングハート!」
『Standby ready.』
片や、裂帛の気合と共に。
「バルディッシュ」
『Get set.』
片や、静かな闘志と共に。
二人の少女は、戦闘態勢に入る。
『Master. Her speed is another-level. Please watch it to the surprise attack from the back.(マスター、彼女の速度は桁が違います。死角からの不意打ちにはどうかご注意を)』
「ありがとう、気をつける」
『But please take the possibility that she plans front breakthrough into account.(ですが、彼女が正面突破を図る可能性も考慮に入れて下さい)』
「正面突破?」
『Yes, I heard his story of yesterday and was convinced. the BARDICHE is the same as me.(はい、昨日の彼の話を聞いて確信しました。バルディッシュは私と同じであると)』
「同じ……………じゃあ、もし、レイジングハートがフェイトちゃんのデバイスだったら?」
『In the beginning of the game of this match, I do not use the tricks. On the faith of my master, I use the tactics how I made use of the characteristic of the master in most. It is from it that I use the various measures. (この試合の緒戦において、小細工は用いません。己の主を信頼し、最も主の特性を生かした戦術を用います。様々な策を用いるのはそれからです)』
「なるほど――――でも、それってつまり……」
『Master, if her bombardment hit it directly, our defense is broken.(マスター、彼女の砲撃が直撃すれば私達の防御は破られます)』
「うん、分かってる」
『If she will guess bombardment right surely, at first she will create chances with a bind and a guided missile.(彼女が確実に砲撃を当てようとするならば、まずはバインドと誘導弾を使用して隙を作り出すでしょう)』
「確かに、バインドは私の鬼門だ」
『However, she may take attack of this place.(しかし、彼女がこちらの攻撃を受け止める可能性もあります)』
「受けとめる?」
『She said,” I take all the thought of the master”. I assemble the tactics along the will if I am her device. (彼女は言いました。主の想いを全て受けとめると。もし私が彼女のデバイスならば、その意志に沿った戦術を組み立てます)』
「つまり、こっちの攻撃をあえて受けて、カウンターを狙う」
『Yes. There are us with the will of the master and makes every possible effort, with that in mind, to lead a master to the victory. It is the intelligent device of it reason.(はい。私達は主の意志と共に在り、その上で主を勝利へと導くために全力を尽くします。それ故のインテリジェントデバイスです)』
「でも、だとしたら、それは………」
『然り、この試合は戦術を競う戦いに非ず、どちらの想いが強いかを競う戦いになるわけです』
フェイトは、母のために前へ進み、高町なのはがその想いを受けとめる。この対決はその意思から始まっている。
ならば、フェイトが先の先、高町なのはが後の先。この構図は決して変わらず、レイジングハートもバルディッシュもそれを理解した上で勝利するための戦術を組む。
無論、高度な戦術や搦め手も用いられるでしょうが、それらはあくまでオプションに過ぎず、この戦いの決め手とはなりえない。
『鍵となるのは、意思の強さ。そして、それぞれの切り札をどのタイミングで切るか』
速度と砲撃。
彼女らのことです、それぞれの持ち味を最大限に生かした切り札を用意していることでしょう。
【開始1分前です、両者、作戦会議は済みましたか?】
「大丈夫です!」
「行けます!」
【了承しました。それでは、カウントダウンを開始します】
さあ、いよいよ始まりです。
それはこの試合のみならず、恐らくは二人の少女の本当の意味での始まりとなるでしょう。
互いに異なる人生を歩みながら、同じ檻に囚われてきた彼女達だからこそ――――
【あと30秒】
「私は――――負けない」
【あと20秒】
「受けとめるよ―――――全部」
【あと10秒】
ぶつかり合うことで、翼を得ることが出来る。
【レディ――――】
そして今、二人の進む道が本当の意味で、
【Go!】
交差した。
新歴65年 5月9日 次元空間 時空管理局次元空間航行艦船“アースラ”AM6:02
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「まったく、向こうはアースラに盗聴器でも仕掛けているのか?」
「いや、その可能性は流石にないと思うよ――――――多分」
「でもまあ、そう思うのも無理ないタイミングね」
クロノ・ハラオウン、エイミィ・リミエッタ、そしてリンディ・ハラオウン。
アースラのトップ3人は、実に複雑な心境で海鳴市の近海で繰り広げられる二人の少女の戦いを見守っていた。
昨夜、地上本部から“ブリュンヒルト”とその駆動炉である“クラーケン”に関する詳細な説明書が届き、時の庭園で行われる試射実験の正確な日程とその際の管制機“トール”の役割について把握したのがAM1:00頃。
そして、一旦仮眠をとり、今後の方針を決定するための会議を始めたのがAM5:00。3人で1時間ほど話し合い、現状では時の庭園へ武装隊を送り込むのは不可能、かつ、クラーケンに火が入ったためにジュエルシードの反応を捉えることも難しいことを確認した。
「ちょうどついさっきですよねえ、どうにかして時の庭園の主かその管制機を交渉の場へ引っ張り出さないことには手も足も出せないって確認したのは」
「ああ、とはいえ、現在“ブリュンヒルト”の試射準備で忙しいと言われたら手詰まりだ。地上本部の技術者が既に発射準備は終えているそうだが、“クラーケン”の調整は別問題だし、防衛戦力である傀儡兵にしてもそうだ」
「この実験においては外部である私達には、その進捗状況を確認する術がない。ジュエルシード発動の疑いがない限りは“喧しい証拠を見せろ”とも言えないし」
時の庭園でジュエルシードの発動が確認されれば、それを口実に次元航行部隊が干渉することは可能となる。“今は忙しい”と時の庭園が答えても、“その証拠を見せろ”と言い返し、表現は悪いがイチャモンをつけることができる。
だがしかし、先にブリュンヒルト試射実験の準備が始まり、“クラーケン”の火が入ってしまえばそもそもジュエルシードの反応を探ることが困難となる。もし一度でもジュエルシードが次元震を起こしていればそのパターンを基に照合も可能だが、用意周到なデバイスは一度も次元震を起こさせず、アースラにジュエルシードの暴走データを渡さなかった。
つまり、テスタロッサ一家が時の庭園にいる限りは外部から接触する手段がほとんど皆無であり、アースラとしては詳しい情報を集めるしかなかった。そして、情報が集まったため、時の庭園とアクセスするための具体的な方法を検討する段階に移った直後―――
「そのタイミングで、なのはちゃんとフェイトちゃんの模擬戦開始。ていうか、いつの間にシミュレータとか用意したのかな?」
「あの場所は例の積層型立体魔法陣が仕込まれていた海域だ。恐らく、先の端末の他にも今回の戦闘シミュレーション用の端末が仕込まれていたんだろう。あの時、“ブリュンヒルト”試射実験の実態把握にかかりきりで海底の調査を行わなかったのが裏目に出た」
「つまり、“彼”は私達の行動パターンを完全に読んでいたということね。さらに私達だけでなく、地上本部や本局の動向さえも」
「そして、このタイミングで模擬戦ですか。ということは、やっぱりこれもグレーゾーンですか?」
「そうなるな。ジュエルシードが全て回収された今、民間人に被害者が出るような状況はないため管理外世界で大っぴらに魔法を使うことは出来ない。だが、模擬戦は別だ。彼女らは管理局員ではないから問題がないわけではないが、明確に違法とも言い難いところだ」
「強固な結界で覆い、かつ場所は民間人が立ち入れるはずもない海上、時間帯は早朝。戦う二人はAAAランク相当の空戦魔導師、結界修復用、もしくは治療用のサポート要員が二名、さらにはシミュレータ全体の管制機までいる。内容はともかくとして、外面的には問題ないと言い張れるレベルね」
あくまで言い張れるだけであって、口下手ならば不利になりそうなレベルではあった。
しかし、大企業を相手に勝訴したデバイスが口下手だと思う人間はこの場におらず、というよりもそんな人間がいたら医者を紹介すべきだろう。
「グレーゾーンど真ん中、ってやつですね」
「聞いたことない表現だが、不思議と納得できるな。白と黒のまさに中間点だ」
「でもまあ、これは大きな進展よ。それに、向こうの意図もこれで大体明らかになったわ。何せこれで、“今発射準備で忙しい”ということはあり得なくなったのだから」
インテリジェントデバイス“トール”は時の庭園の管制機であり、ブリュンヒルトの試射実験の管制機でもある。
その彼が模擬戦の管制を行っている以上、試射準備は完了していることになる。つまり、現在から明日の12:00までは時の庭園へアクセスすることが可能であり、かつ、格好の口実が出来た。
「その上、“管理外世界で勝手に行った高ランク魔導師の模擬戦について詳しい説明を求める”という理由で僕が向かうことも出来ます。流石に武装隊員が乗り込むことは無理ですが」
「クロノ君は執務官だもんね、こういう時は頼りになるなあ」
「だけど当然、向こうはそれを理解した上でなのはさんとフェイトさんの戦いを許可した。いいえ、暗にこう言っているわけね、“二人の戦いが終わればそちらの話を聞く準備がある。だからそれまでは干渉するな”」
「でもこの試合って、ジュエルシードとかあんまり関係なさそうですよね。なのはちゃんも“友達になりたい”って言ってたし、その辺の事情で一回パーっと模擬戦でもやろうか、みたいな」
「優先順位が滅茶苦茶とも見えるが、“彼”にとってはそうでないのかもしれないな。何せ、相手はデバイスだ」
「そこが難しいところね。彼の行動原理が私達には把握できていないし、結局は向こうの誘いに乗るしかない」
アースラとしては、“ブリュンヒルト”の発射実験には干渉したくないが、かといって12個ものジュエルシードをテスタロッサ家が保有し、“クラーケン”を隠れ蓑にいつでも発動出来る状況で放置するわけにもいかない。本音を言えば見なかったことにしたいが、見た以上は止めなければならないのだ。
「取りえず今は、なのはちゃんとフェイトちゃんが怪我をしないことを祈るしかないわけですね」
「だが、僕としてはむしろそっちの方が心配だ」
「え?」
「試合空間の中央のパネルを見てみろ」
「中央って………ええと」
「残りの試合時間が表示されていて、その下には終了条件が書かれているわね、対戦者の一方もしくは両方が戦闘継続不可能となった段階で終了すると」
それはすなわち。
「となると、実戦に限りなく近い条件で戦ってる、ってことですよね、AAAランクの空戦魔導師が」
「そういうことになるが、君も知っての通り、彼女らの魔力は強大過ぎる。自分でも制御できない魔力は術者の身を削るだけだ、あの二人が手加減なしでぶつかるのはかなり心臓に悪い」
「もし危険な兆候が見られたら止めに入るしかなさそうだけど、クロノ、いけるかしら?」
「正直、無傷で止めるのは難しいですね。あの時はジュエルシードが傍にあったことで二人が高速機動も砲撃も行いませんでしたから無傷で止められましたが、この模擬戦、というよりむしろ決戦は二人ともまるで遠慮がない」
「二人とも、超高速で飛び回って誘導弾や砲撃を撃ち合ってるね。確かに、この状況で傷を負わせずにあの子達を止めるのは厳しいなあ」
「だけど、一応は民間人の魔法訓練にカテゴリされる模擬戦を、執務官が怪我させて止めるというのも問題あるわね。これが喧嘩やロストロギアを巡っての戦闘行為なら問題はないけれど」
故に、グレーゾーンど真ん中。
あらゆる方向から考えても、次元航行部隊が干渉しにくいように二人の戦いは設定されているのであった。
仮に事前に申請がなされ、アースラの設備を使って模擬戦を行うとしても許可を出せるようなギリギリのライン。しかし、その場合は事故が起きそうになれば当然アースラからの干渉が入る。
それどころかそもそも、彼らが止めようとするのも“危ないから止める”といった善意に基づくものであって、これが模擬戦である以上、二人を止めなければならない義務はアースラに存在していない。別段止めなくとも関係ない民間人に被害が出るわけではないのだから。
基本的にこの3人はお人好しであり、人の心をモデル化するデバイスはそれを前提に舞台を整えた。これはただそれだけのことである。
「じゃあ、やっぱりただ見守るだけになるんでしょうか」
「冗談抜きであの二人が危険になれば流石に駆けつけるが、それまでは転送ポートを準備しておくくらいしか出来そうにないな。下手に干渉すれば向こうがどんな対応に出るか」
「そうね、クロノ一人で厳しいようなら私も出ますが、その必要がないにこしたことはないし、何よりフェイトさんが傷つくことはプレシア・テスタロッサや“トール”にとっても望むところではないでしょうから、何かしらの対策は練っているはずよ。だけどこれも、“準備は万端だから黙って見ていろ”という意思表示に感じるわね」
「こちらが乗らざるを得ない状況を作り出す、ですか。確かに、こちらとしては彼女ら二人が無事で、かつ、ジュエルシードを検査機関に渡すことができればそれでいいわけですから、今回の彼の行動は我々にとっても有益です」
「有益だから、こちらが向こうを止める理由もない。なんか掌の上で踊っているみたいですけど、掌で踊るのが一番労力が少なく、見返りが大きいというのも新鮮ですね」
エイミィの意見も尤もだった。つまり、時の庭園はアースラの都合が良いように必死に計算しているようなものなのだ。
「だけど、ある意味では最も効率的だわ。誰もが得をするのなら、その結果に不満を持つ者はいなくなる。余程欲深い人間がいる場合を除いてね」
「デバイスにとっては、誰かを貶めて誰かが得をする状況を考えるのも、全員が得をする状況を考えるのも大差ないのかもしれないな――――――いや、むしろ拘束条件が定まる分、計算しやすいのか?」
「うーん、やっぱり思考回路が人間とは違うんだね。感情論とかがまるで感じられないよ」
「そうね、ただ冷静に考えて、最もリスクが少ない方法を選ぶだけ――――――人間には出来ないわ」
この時初めて、彼女ら3人は本当の意味で理解した。
このジュエルシードに関わる事件を動かしている存在は、感情なき機械なのだと。
新歴65年 5月9日 第97管理外世界 日本 海鳴市 近海 AM6:05
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『Master, it comes from the right rear!(マスター、右後方から来ます!)』
「了解!」
『Photon Lancer.』
「ファイア!」
回避は――――間に合わない!
そう判断した彼女は、己のリソースの大半を即座に防御術式の構築へ回す。
『protection.』
展開されたシールドが、フォトンランサーを悉く受けとめる。
そして、防壁の展開と同時に――――
『divine shooter.』
「シュート!」
彼女の主が放つ魔力弾が、軌道を読まれないよう、複雑な軌跡を描きながら金色の主従へ迫る。
されど―――
『defenser.』
誘導性を重視した分、威力が十分でないことを閃光の戦斧は瞬時に悟り、
『scythe form.』
逆に、カウンターを行うべく、接近戦のサイズフォームへ切り替える。
「アークセイバー!」
さらに、黒い魔導師から放たれる鎌は同時に5発、これまでの戦闘では2つまでしか同時には放っていなかったことを考慮すれば、予想外と言える事態。
だが―――
『flier fin.』
『flash move.』
魔導師の杖は、その軌道の全てを予測し、機動力で劣る己の主が回避できるよう、最適なコースの設定に全力を注ぐ。
「ディバイン――――」
そして、回避しながらも彼女の主は反撃のためのマルチタスクを展開し、
『Shooting mode.』
『Divine buster. Stand by.』
主従は完璧に息を合わせ、最強の砲撃を放つ。
しかし、
【魔力値――――300万―――――400万―――――500万――――――600万―――これまでにない規模です】
収束される魔力は、彼女の記憶装置に蓄積される如何なるデータとも符合しない値を示している。
【主の平均魔力は127万、砲撃時には3倍から4倍へ、しかし、これはさらにそれを上回る―――】
従来にないデータ、それは入力されたプログラム通りに演算を行うデバイスにとっては最も扱いが難しい。
もし彼女がストレージデバイスであったならば、演算性能が高くとも、従来にない高い魔力を制御するためのアルゴリズムがないため、待っている結末は自滅でしかない。
だが―――
彼女はインテリジェントデバイス、このような事態に対処するために、彼女の知能は在る。
『Please shoot it! Master!(撃って下さい、主!)』
「バスターーーーーーーーーー!!!」
我が主に望むだけの勝利を
彼女の電脳を占める想いは、ただそれのみ。
己が壊れる可能性など、考慮するに値しない。
『Bombardment comes! Evasion!(砲撃が来ます! 回避を!)』
「うん!」
そしてそれは、彼にとっても同様であった。
先のアークセイバーを放つ際、彼はこれまでの経験と照らし合わせ、フェイト・テスタロッサが同時に放てる数は3発であろうと考えた。
従来ならば2発だが、今回の戦いは主が不退転の覚悟で挑んでいるため、可能な限り多い数を放つであろうと彼は予想した。
しかし、予想は外れ、5発ものアークセイバーが同時に放たれた。彼にとっては計算違いであり、それは高速機動において致命的な隙を見える筈であったが―――
『Arc saber. return』
閃光の戦斧は揺るがない。
砲撃の回避を信頼する主に任せ、彼は未だ戦域に留まるアークセイバーの制御に集中する。
この役割分担は、対峙する白い魔導師と魔導師の杖とは真逆のものであった。
防御や高速機動の制御をデバイスが担当し、主は誘導弾や砲撃に集中する彼女らに対し、彼が魔力刃の形成や制御を担い、主が高速機動に集中する。
だが、彼とて高速機動にリソースを割いていないわけではなく、むしろ己の主がイメージする軌道と速度を実現するため、複雑極まりない慣性制御を彼は並列して行っていた。
【主の速度は、従来の1.5倍――――いや、2倍近い。これならば砲撃の回避は十分に可能】
彼はそう確信するが、それは同時に不可解なことでもある。
砲撃魔法の収束率と異なり、空戦の速度というものは一朝一夕に変えられるものではない。無論、緩急をつけることは当たり前だが、速度と制御の均衡が限界となる最高速度は自ずと決まってくる。
だが、彼の主はこれまで彼が計算してきた最高速度を遙かに超えた速度で動き回り、その速度を維持しつつさらに従来を超えた手数の攻撃を繰り広げている。
彼の稼働経歴は2年ほどだが、45年に達する稼働歴を持つ兄弟機より多くの戦闘データを受け継いでいる。その中には恐らくこの現象の理由を示すものもあるだろう。
されど―――
【理由などどうでもよい、今はただ、主が全力を発揮できるよう支えるのみ】
彼に迷いは一切なく、全てのリソースを主の魔力を制御することに充てる。
確かにデータにない現象が起きているということは、主の身体に予期せぬ負荷がかかる可能性があることを示唆する。だがしかし、
【考慮するに値しない。要は、全ての負荷を私が受け持てばよいのだ】
彼は紛れもなく“トール”というデバイスの後継機であり、妥協というものを己に許さない悪癖を見事に受け継いでいた
新歴65年 5月9日 次元空間 (第97管理外世界付近) 時の庭園 中央制御室 AM6:10
【やれやれ、二人とも無理をしますねえ。まあ、先発機としては喜ぶべきか、嘆くべきか判断に困りますが】
あの二人の経験はまだ浅い、蓄積されたデータも私の4分の1に満たないでしょう。
レイジングハートには恐らく今の主の状態を把握するためのデータがないでしょうし、バルディッシュにはありますが、それを参照するためのリソースを全てフェイトの魔力制御に充てている。
つまり、主の魔力が予想以上に高いことなど問題ではない。自分達が制御すればよいという結論を二人は同時に至った。それぞれの命題を考えれば、それ以外の結論に至りようがないのも分かりますが、無茶をするものです。
【貴方も同類です】
【おや、貴方がそのように話すとは、珍しいこともあるものですね、アスガルド】
【失礼、ですが、本心です】
【若い頃の私はあのような無茶はしませんでしたよ、そもそも、私は戦闘用ではありませんでしたしね】
私は戦闘用に非ず、管制用。我が主、プレシア・テスタロッサの魔力を制御することには長けていましたが、あのように空戦を行うような機能はありません。
まあ、それはともかく。
【ユーノ・スクライア、地点D-4の結界基点に綻びが生じています、ただちに修復を。アルフ、貴女はG-7へ向かってください】
「早いなあ!」
「もうかい!」
つい30秒ほど前に二人はそれぞれ修復を終えたばかりなのですが、先程の高町なのはのディバインバスターによってまたしても綻びが生じました。致命的なレベルではありませんが、彼女の切り札を考慮すれば僅かの綻びも直しておきたい。
【時にユーノ・スクライア、もう一度確認しておきますが、彼女の切り札はディバインバスターよりも強力なのですね?】
「はい、レイジングハートはそう言っていました。下手をすると結界を突き破る可能性があるので貴方に伝えて欲しいと」
まあ、聞いた時は四重結界でも足りなかったかと驚いたものですが。
それよりも、話しながらも修復作業はしっかり進めている彼の手際は並大抵ではない。マルチタスクのみならず、異なる動作を同時に行うことにも彼は長けているのでしょう。出自を考えれば、本を読みながら本棚を整理したり、資料を検索しながら内容を調べていくようなことをしてきたのかもしれません。
【正直、上から下へ撃て。くらいしか言えないのですが、万が一には備えていますので問題はありません。位置的に考えて海鳴市が壊滅することもないでしょう】
「壊滅って………」
「でもさあ、普通の砲撃でも余裕でいくつもビルぶっ壊してるからねえ」
高町なのはが殺傷設定の砲撃を海鳴市へ撃てば、千単位、下手をすれば万単位の死人が出かねませんね。
それ故に、高ランク魔導師の犯罪者というものは厄介極まりなく、それを抑えるために次元航行部隊は命を懸けた追跡を行うこととなる。中でも、広域次元犯罪者と呼ばれる者達は犯罪者のエリートというべきか。
「でも、なのはの砲撃は確かに凄いですけど、あそこまでの威力はなかったような……」
「そういや、フェイトの動きもいつもより速いね。あんな速度で動いていたら、まともに空戦出来ないような気がするんだけど」
二人もそろそろ違和感を持ち始めましたか。
【簡単なことですよ、彼女達は現在、トランス状態になっているのです】
「トランス状態………えっと、確か………」
「何だいそりゃ?」
ユーノ・スクライアはその単語に聞き覚えがあるようで、記憶の検索を行っている。当然、修復作業を進めながら。
アルフの方は全く聞いたことがないためか、直でこちらに尋ねてきましたか。
【一言で言えば、フルドライブ状態の亜種です。武装隊や戦技教導隊などのデバイスが備えるフルドライブ機能については知っていますね?】
「あれだろ、魔導師が全力を発揮するための機能」
「通常、魔導師のリンカーコアは最大でも50%程度の出力に抑えられていますが、それを全開放する技術ですよね、制御に失敗するとかなりの負荷が返ってくるとか」
【はい、原理的には人間の筋肉が30%程度しか発揮されないのと同じですね。しかし、“火事場の馬鹿力”の例えのように、そのリミッターを外すことは不可能ではない。フルドライブ機能とは外部からの信号によってリミッターを外し、かつ、一気に増大した魔力を制御するための機構です】
それ故に、フルドライブの利用価値は魔導師のタイプに大きく影響される。
保有魔力が少なく、魔力制御に長ける魔導師ならば反動も少ないため、それほど負荷を恐れずに使用することが可能。上手く制御すれば、切り札として大いに力を発揮しますし、出力不足を補うこともできる。無論、多様は禁物ですが。
逆に、保有する魔力が膨大でも制御が苦手なものは決して使ってはならない禁じ手となる。フルドライブとは水道の蛇口を全開にするようなものですから、使い続ければ即座にタンクが空となり、水圧が強すぎれば蛇口そのものを破壊してしまう。
前者の代表例はクロノ・ハラオウン執務官。彼の魔力資質も決して低いわけではありませんが、魔力量と制御の天秤ならば圧倒的に制御の方に傾いている。よって、必要な時間だけフルドライブを行い、一瞬で勝負を決めることも出来るでしょう。もっとも、彼のデバイスであるS2Uにはフルドライブ機能はありませんでしたが、これはリンディ・ハラオウンの意向かもしれませんね。
後者のタイプには特に広域殲滅型の魔導師が多い。威力こそ凄まじいものの、細かい制御が苦手というタイプ。このような魔導師にフルドライブ機能を備えたデバイスを渡すデバイスマイスターは皆無でしょう。
そして、彼女ら二人は―――
「それじゃあ、トランス状態ってのは?」
【外部からの信号がなく、己の意思のみでフルドライブ状態になることを指します。ボクサーなどが殴り合うことで徐々にリミッターが外されるケースがあることも確認されていますが、原理的にはそれほど変わりません。一人でこの状態になった例は確認されておらず、また、周囲に意識を振り分ける多対一の状況でもありません】
つまりは、目の前の相手を打倒することに全能力を費やそうとする際に発生する、戦闘特化状態ということですね。
【機能自体は通常のフルドライブと変わりません。彼女らは魔力制御が桁外れて優れていますが、比例するように魔力容量も大きい。効果は大きく、暴走の危険性もそれなりに、ある意味で理想形ですね】
制御が得意なタイプは安定してフルドライブを使えますが、劇的なまでの効果はない。元々の魔力量が突出していないため、絶対的な力は発揮しえない。
魔力量が多く、制御が苦手なタイプはそもそもリスクが高すぎて使い物にならない。極小確率で上手くいけば、まさしく奇蹟的な効果を上げるでしょうが、博打の要素が強すぎる。
しかし、彼女はある意味で平均タイプ。魔力量はそれなり、魔力制御もそれなりという平均的な魔導師を両方の面で数段階グレードアップさせたような存在ですから、バランス的には変わりません。
魔力量が膨大なため、フルドライブの効果は大きく、かつ、魔力制御が得意なため、暴走の可能性も小さい。一言で言えば、無理が効きやすい。それ故に危うい部分もありますが。
そして、フルドライブ状態はともかく、トランス状態には他にも大きな問題がある。
すなわち――――
【こちらは、次元航行艦“アースラ”の艦長、リンディ・ハラオウンです。管制機“トール”、応答願います】
【承りました、ハラオウン艦長。用件は何でしょうか?】
【彼女らはトランス状態となっており、これ以上の模擬戦の続行は危険です。フェイトさんのデバイスは分かりませんが、なのはさんのレイジングハートにはフルドライブ機能が搭載されていません】
デバイスからの信号によってリミッターが解除されていないため、そもそもデバイスが急激に高まった魔力を制御する機能を備えていないこと。
フルドライブ機能を備えているデバイスならば、普通にフルドライブ機能で戦うため、トランス状態にはなりえない。これは、フルドライブを搭載していないデバイスで戦っており、かつ二人の実力が拮抗している場合に限って発生しうる、極めて特殊なケース。
なお、ドラゴンなどのリンカーコアを備えた大型生物同士の戦いにおいて似た状況が発生することから、“真竜の戦い”、“怪物決戦”、“神と魔王の相克”などの別名も存在する。この場合、どちらが神でどちらが魔王となるのでしょうか。
つまり、高町なのはとフェイト・テスタロッサは、真竜と同等の危険生物と呼べるわけですね。彼女らが理性を失って街でリンカーコアが尽きるまで暴れれば、真竜が暴れた場合と同様の被害が出るのは間違いありませんし。
【それは理解しておりますが、本模擬戦の規定ではいずれか、もしくは両名が戦闘継続不可能となるまで試合を続けることとなっており、未だにその判定は成されておりません】
【しかし、なのはさんの砲撃が600万を超える魔力値となるのを確認しました。もし彼女らが魔力の制御に失敗すれば、最悪のケースも考えられます。試合は止めるべきです】
そうですか、貴女でもわからないのですね、リンディ・ハラオウン。しかし無理もありません、これはどれほど有能でも、人間の感覚では分からないことなのですから。
【お言葉ですが、貴女方は両者の魔力制御を過小評価しています。彼らが魔力の暴走によって自滅することは、少なくとも現段階ではあり得ません】
【ですが! 彼女らはまだ9歳なのですよ!】
【違います。その2名ではありません】
【え――――】
私は言ったはず、“彼ら”と。
【魔導師の杖レイジングハートと、閃光の戦斧バルディッシュ、彼らを貴女方は過小評価しています。彼らは己の命題に懸けて、決して高町なのはとフェイト・テスタロッサの二人を自滅などさせない。己を犠牲にしてでも必ず主を守りぬく覚悟で、彼らもまたこの戦いに臨んでいるのです】
新歴65年 5月9日 第97管理外世界 日本 海鳴市 近海 AM6:15
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試合開始より既に15分。
残り時間は半分を切り、彼女らの戦いはいよいよ激しさを増していた。
『After all she is the top for ability. We cannot so easily win.(やはり、実力的には彼女が上です。そう簡単には勝てません)』
「知恵と戦術はフル回転中、切り札はあるけど、まだ使えない」
『Yes, there is not a meaning before her mobility even if we shoot it now.(はい、今撃っても彼女の機動力の前には意味がありません)』
現状、フェイトが10発を中てれば、なのはが2発を中てるという展開が続いている。
なのはの本領は威力と誘導の二つを高次元で融合させることにあるが、フェイトの速度はそれを覆す域に達していた。
「威力を上げたら、どうやっても中らない。相討ち覚悟のカウンターでさえ、躱されるようになってきた」
『There is BARDICHE over there. It was learned the timing of the counter.(向こうにはバルディッシュがいます。カウンターのタイミングを学習されました)』
トランス状態にある今、なのはの攻撃は強く、重くなっている。しかし、どんな威力の砲撃も中らなければ意味はない。
「タイミングはまだずらす余裕はあるけど、どっちにしてもジリ貧だね」
『Yes, we have to hammer in the bombardment of all energy once to stop her means of transportation.(はい、彼女の足を止めるためには、全力の砲撃を一度叩き込む必要があります)』
二人が会話している間にも試合は続いており、フェイトからは次々とフォトンランサーが放たれ、なのはのディバインシューターがそれを迎撃しつつ、時には躱し、時には反撃を加えていくが、同じ展開が続くのみ。
時折放つ砲撃も、命中することはなく、ユーノとアルフの仕事を増やすだけとなっている。
そして、二人は結論を出した。
「全力で―――――受けとめるしかないね」
『The moment when she paid out the strongest single blow with BARDICHE is the last chance.(彼女とバルディッシュが最強の一撃を繰り出した瞬間が、最後の機会です)』
すなわち、これまでと逆の役割分担。
誘導弾は捨て、なのはは防御と高速機動に集中。
そして、レイジングハートは――――
『I centralize all functions in the single blow.(一撃に、全機能を集中させます)』
トランス状態によって極限まで高まっている主の魔力、その全力を受け止めることに全てのリソースを割く。
これまで放った砲撃は速射性などを重視したため、全力ではない、せいぜいが6割程。にもかかわらず600万近い魔力を込めていたのだ。
それが全力で開放されたとき、己にかかる負荷がどれほどとなるか、それを考慮に入れてなお―――
『I take your all energy. Please shoot a single blow without the allowance.(貴女の全力を、私が受け止めます。手加減なしの一撃を撃って下さい)』
「うん!」
魔導師の杖は、一切の躊躇もなく、己の主へ伝えた。“全力で撃て”と。
それこそが彼女の持つ命題、彼女の存在意義。
純粋な演算速度ではストレージデバイスに劣るものの、データにない状況において臨機応変に対処する能力に秀で、主の意思を汲み取り、望む勝利を引き寄せるために彼女は作られた。
そして、この時に彼女が行った制御データを起点とし、後の高町なのはのフルドライブとなる“エクセリオンモード”、さらに、リミットブレイクへ進化した“ブラスターモード”が作られることを、この時の彼女らは知る由もない。
この戦いは、あらゆる意味で彼女らの始まりを告げるものとなる。
「戦術が、変わった?」
『Yes, speed did not change, but a guided missile disappeared.(はい、速度こそ変わりませんが、誘導弾がなくなりました)』
そして、戦局の変化を彼女らも敏感に感じていた。
現在も二人は螺旋を描きながら交差するような高速機動を行っているが、その大半は直接デバイスをぶつけ合う接近戦であり、硬い防御と砲撃に特化したミッド式の空戦魔導師であるはずの高町なのは本来の戦闘スタイルではない。
このスタイルでは速度に勝るフェイト・テスタロッサが有利となるのは当然であり、まともに考えれば無謀でしかない。
だが―――
「………重い」
『Defenser.』
なのはとレイジングハートはこのままでは勝機はないと判断したが、それはフェイトとバルディッシュも同様であった。
なのはの砲撃はトランス状態によって強化されたが、それは威力のみではなく、速度や命中性にもいえることであり、それまでのフェイトの速度では到底躱しきれるものではなく、トランス状態にあってもなお厳しいものであった。
そこで、フェイトとバルディッシュは防御の一部を捨て、トランス状態の魔力を速度の上昇とその制御に充てることで“これまで通り”に躱していた。それによって相手に威力は上がっても中らなければ意味はないと誤認させることに成功していたのだ。
しかし、薄くなった防御はディバインバスターが掠っただけでもかなりの損傷を受けており、それだけなのはの砲撃は容赦のない威力を秘めていた。
「私の攻撃は“当たれば必倒”。だけどそれは雷の特性によるものだから、いつまでも芯に残るものじゃない、痺れがとれればそれまで。剃刀のように切れ味はいいけど、持久戦に弱い」
『Yes.』
試合開始から15分経過、フェイトの攻撃は一撃で意識を刈り取らなければ有効とならないが、なのはがフェイトに与えたダメージはこの15分間で無視できないレベルまで蓄積されていた。
つまり、このまま持久戦となれば、不利となるのは彼女の方であった。しかし、それを悟らせず、相手に戦術の変換を強いることに成功した。これは彼女らの作戦が勝ったといえる。
そして―――
「ここが最後のチャンス、ここで攻めきれないと、渾身のカウンターを喰らうことになる」
『We should not use that trump(あの切り札は、使わないに越したことはありません)』
「うん、だから―――」
『Yes sir. I concentrate all functions on high-speed movement and attack.(了解しました。全機能を高速機動と攻撃に集中します)』
閃光の戦斧もまた、主の意思を汲み取り、全機能を開放する。
バリアジャケットの中でも特に防御用に構成されているマント、その構成を解除し、機動力と攻撃力をさらに向上させる。当然、そのための機能などインストールされていないため、全ての処理を彼の知能によって行う。
そしてそれこそが、彼が先発機より受け継いだ、インテリジェントデバイスの最大の強みであり、彼の誇りそのものだった。
『Master, I perform the control entirely. You please concentrate all energy on attack.(マスター、制御は全て私が行います。貴女は攻撃に全力を注いでください)』
「分かった―――――――行くよ!」
誘導弾がなくなった今、フェイトはフィールド系の防御を捨て、攻撃に全能力を注ぎ込み、バルディッシュはその全ての負荷を受け持つ。
そして、この時に彼が行った制御データを起点とし、後のフェイト・テスタロッサの切り札となる“ソニックフォーム”、さらに、その進化形である“真・ソニックフォーム”が作られることを、この時の彼らが知る由もない。
ぶつかり合う意思と戦術、両者の思考はそれぞれ最終段階へ。
二人の長い戦いは、ついに最後の激突を迎えようとしていた。
※一部レイジングハート、S2Uの記録情報より抜粋