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[2605] 運命の使い魔と大人達(「ゼロの使い魔」×「リリカルなのは」ほぼオリキャラ化) 完結
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/12/21 12:58
 この作品は、J・エルロイ風味に擦り切れた「リリカルなのは」のフェイト・T・ハラオウンが、「ゼロの使い魔」の世界に召喚され、ノワールな活躍をするSSです。なお、基本的に精神的に大人なキャラが活躍する事になりますので、あまりほのぼのした話にはなりません。
 あらかじめ、毒性が強い旨、お断り申し上げさせていただきます。

12月21日、ゼロの使い魔板の設置にともない、移動させました。



[2605] 運命の使い魔と大人達 第一話
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/02/08 00:32
 一

 25年物のラガヴーリンをグラスに乱暴に注ぐと、彼女は、震える手で水も氷もなしにビート臭が鼻に付くそれを一気に煽った。きつい57%を超えるアルコールが喉を焼き、久しく冷感症と化した身体に熱をもたらしてくれる。灰色の世界に色が戻り、同時に脳細胞のシノプスの活動が混乱していくのが心地よい。
 フェイト・T・ハラオウンは、義兄でもあり、直属の上司でもあるクロノ・ハラオウンとのいつも通り内実のない不毛なやりとりの末、指揮下の捜査官達の配置を独断で変更する旨、詳細な捜査項目と同時に各種の資料をまとめて関係各所にメールを送り終えて帰宅したところであった。すでに時間は午前一時を過ぎ、義理の娘のヴィヴィオは連日午前様のフェイトを待つ事もせずに寝てしまっている。いい加減食事をとるのも億劫になっていたフェイトは、居間のソファーの上に脱いだ服を投げ捨てると、下着にワイシャツ一枚の姿で、ここ数年の習慣となってしまっている睡眠薬代わりのアルコールの摂取に努めることにした。
 時空管理局という、立法、行政、司法の三権を独占し、多くの平行世界を管理するという名目で支配する絶対権力機関の執務官であるフェイトは、統括執務官である義兄の指揮の下で内部監査という名目で管理局内幹部職員の私生活を監視し、内偵し、つまるところなんらかの弱みを握る仕事に従事していた。権力は腐敗し、絶対権力は絶対に腐敗する。その言葉の通り、幾多の管理世界を統括し支配する時空管理局もまた例に洩れず、数多くの美辞麗句に飾られた組織の存在理由の裏側で、金と女と利権の奪い合いに終始する権力闘争に明け暮れていた。彼女の仕事は、義兄の目となり耳となり、そして時には外套と短剣の持ち手として「敵」を「無力化」することであった。
 フェイトの活躍のおかげもあってか、義兄は管理局内では最年少で統括執務官の地位に這い登り、フェイトもそのおこぼれとして佐官待遇の執務官として日々を仕事に費やしている。30前の小娘がそれだけの地位を獲得できたのは、十代の頃に挙げた赫々たる武勲と同時に、その後の十年間で人間の最も汚い薄汚れた弱みを嗅ぎ当てる才能を発揮してきたからに他ならない。
 そしてその日々の積み重ねは、今ではくたびれきってアルコールに耽溺する女を一人作り出しただけであった。

「これ以上は、クロノに類が及ぶのに」

 最初の一杯を胃に流し終わり、ぐらぐらと不安定な視界の中で、フェイトはそう独り言ちた。
 義兄の命令で進めている男女問わず年少者を売り物にする売春組織への内偵は、同時に義兄が裏で経営している売春組織へのルートを明らかにしてしまう。まして、義兄が幼い頃の自分に似た少女を相手に行っている、陵辱というのも生温い性的暴行が捜査線上に浮かんでしまえば、いかな腐敗しきった管理局であっても表の法に則って厳重に処罰される事になる。
 いつの間にか自分が、そうした唾棄すべき行為について一切心が動かなくなってしまっている事に気が付いたのはいつ頃だったろうか。フェイトは、二杯目のラガヴーリンを今度はゆっくりと舌の上で転がしつつ、自嘲の暗い笑いに喉を震わせた。
 最近の義兄が妻と上手くいっていないのを、義母から聞かされているだけに、そうした裏事情を知るフェイトにとっては全てが疎ましい。独断で捜査官の配置を変えたのも、結局は義兄の保身のためと同時に、自分自身の身の安全を確保するためでもあった。自分を養女として迎え入れてくれたハラオウン家の庇護がなければ、三日とたたずに死体も残さず「捜査中の事故により行方不明」というステキな未来が待っている。そんな自分の薄汚さに胃の内容物をぶちまけたくなり、それを抑え込む為にグラスの残りを一気にあおる。

「結局、ドブ泥の中をはいずって、クソにまみれて死ぬのが私の運命(フェイト)なのね」

 つまらない冗談に苦い笑みが浮かび、手荒く次ぎの一杯をグラスに注ぐ。
 せめて、義理の娘のヴィヴィオだけでも明るい陽の当たる世界で生きて欲しい。なのに娘は、高等学校に進学してから管理局への入局をしきりに希望し、フェイトと言い争いにばかりなっている。
 管理局に所属するという事がどういうことかはっきりと説明できないもどかしさが、最近の酒量の増加につながっているのは明確な因果関係にあろう。だが、こんな薄汚れた自分の正体を、せめて娘にだけは見せたくは無かった。
 いい加減、思考がマイナスのスパイラルに入り始めたその時、突如フェイトの目前に銀色に輝く鏡の様なものが浮かび上がった。彼女は瞬時に宿舎を防護している結界の状況を確認し、目前の鏡に探知魔法をかける。その結果は、政敵による魔法行使が行われた形跡はなく、しかもこの鏡が異界へのゲートらしいということであった。ほっと安堵の溜め息をつくと同時に、ふっとこのゲートをくぐれば、もしかしたら今の希望を失い擦り切れていくしかない生と別れを告げられるかもしれない、そんな思いに駆られる。
 高濃度のアルコールによって思考機能が麻痺しかけているフェイトにとってそれは、抗い難い誘惑であった。そのままふらふらと立ち上がると、グラスと酒瓶を手に銀色の鏡に身を投じる。
 最後に一瞬、驚愕した表情で自分を見ている娘のヴィヴィオの姿が見えた様な気がしたが、すぐにそれもアルコールで麻痺した脳髄のどこかに意識されない記憶としてしまいこまれてしまった。


 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、その日十何度目にかなる使い魔召喚の呪文を唱えていた。同級生達はすでに自分の使い魔の召喚を終わらせ、契約も済ませてしまっているというのに、自分だけが何度召喚の呪文を唱えても一向に使い魔が現れない。

「次の授業もある。ミス・ヴァリエール、君の召喚は補習という事で放課後に行うということでどうかね?」

 引率役の教師、ジャン・コルベールにそう諭され、ルイズは持ち前の癇癪を炸裂させそうになった。この魔法学院では数少ない、自分を蔑んだ目で見る事のない教師であるコルベールの言葉で無かったならば、ルイズはそれこそ百万言を費やしてでも召喚の儀式の続行をまくし立てたであろう。
 だが、自分に対して好意を抱いてくれている数少ない味方を相手にわがままを押し通すほどには、彼女は愚かではなかった。

「判りました。あと一度だけ挑戦してみて駄目でしたら、補習ということでお願いします」

 地の底から響くようなどすのきいた声で、それでも一生懸命丁寧に答え、ルイズはあらん限りの精神力を込めて杖を振りかざした。

「宇宙の果てのどこかにいるわたしの僕よ。
 神聖で美しく、そして、強力な使い魔よ!
 わたしは心より求め、訴える!
 我が導きに、答えなさい!」

 なかばヤケクソ気味に聞こえなくもないが、ルイズにしてみれば切実な問題である。これで失敗すればそれこそ同じクラスはおろか、学年中の笑いものになるのは明らかなのだから。というより、すでにしてクラスメイトの嘲笑の声が雨霰と浴びせかけられているのだ。

 ゼロのルイズ、と。

 そんな彼女に神なり始祖なりなんなりが味方したのであろう、爆発とともにルイズが思わず一回転してひっくり返り、尻餅をついたまま身体を起こすと、目前のひと際大きな焦げが出来た跡に一人の女性がへたり込んでいた。
 腰まである温かみのある金髪を先端で黒いリボンでまとめ、黒い下着に黒いストッキングの上からワイシャツを一枚羽織っただけの姿である。両手には酒瓶とグラスを握り締め、光を宿さない真紅の瞳がじっと地面に転がっているルイズを見つめている。
 何と言うか、あまりに扇情的なその女性の姿にルイズのクラスメイトの少年らは、おおう、とも、ほう、ともつかぬ声をあげて食い入る様に見入り、女生徒らは悲鳴とも嬌声ともつかない声をあげて両手で顔を隠している。
 そんな混乱状況の中で最初に我に返り動いたのは、教師のコルベールであった。
 素早く彼女が何者がディティクトマジックによって確認し、その宿す膨大な魔力量に驚きつつも一切害意の感じられない様子から近づいても大丈夫と自身の過去の経験から判断し、自身の上着を脱いで半裸に近い彼女にかぶせたのだ。

「ミス・ヴァリエール、それでは契約の儀式を」
「ええっ!? そんな、だって平民の女性となんて!」

 コルベールの冷静なひと言に、跳ね上がるように立ち上がったルイズは、心外といわんばかりに叫んだ。
 確かに召喚の儀式は成功したとはいえ、呼び出したのが半裸で平民のよっぱらいの女性では、いくらなんでも面白おかしすぎる。

「ミスタ・コルベール! お願いです、もう一度召喚の儀式を!!」
「そういう訳にはいかない。二年生に進級する際、君達は「使い魔」を召喚する。その「使い魔」は君達の属性を決定し、今後の専門課程へと進む際の指標となるんだ。一度呼び出した「使い魔」を変更する事は許されない。何故ならば、春の使い魔召喚は神聖な儀式だからだ。好むと好まざるに関わらず、君は彼女を使い魔とするしかない」
「でも! 平民を使い魔とするなんて聞いたことがありません!」

 すでに周囲のルイズをはやし立てる声は絶頂に達しているのだ。やれルイズが娼婦を召喚しただの、痴女呼びのルイズだの、百合のルイズだの。ここで妥協してしまえば、これから先どれだけ周囲に馬鹿にされることか。
 だが、コルベールは穏やかに、しかしきっぱりと断固として言い切った。

「これは伝統なんだ。ミス・ヴァリエール。確かに古今東西人間を使い魔にした例というのは寡聞にして聞かない。だが、春の使い魔召喚の儀式のルールは全てに優先する。君がどうしてもやり直しを要求するのであれば、留年してもらわねばならなくなる」
 さすがに留年は困る。それこそ、厳格な両親や長姉に何と言って叱られることか。
「……わかりました。それでは」

 ゆっくりと大きく息を吸い込むと、ルイズは意を決した声で朗々と呪文を唱える。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我が使い魔となせ」

 それからルイズは目を瞑って、きょとんとしている女性の唇に自分の唇を重ねた。


 フェイトは、銀色の鏡に身を投じ意識を手放しかけつつも、何か巨大な力によって自分がある一点に引き寄せられる感覚に呆然としていた。確かに召喚士の知人もいるし、大規模な儀式魔法は自分の得意とするところである。だが、それにしてもこの魔法の力の規模の大きさは、そんな彼女をして呆然とさせるほどに大掛かりなものであったのだ。
 呆然としたまま周囲に爆発が発生し、グラスの中のアルコールがこぼれ地面に吸い込まれていく。自分が完全に異界に召喚された事実よりも、お気に入りのラガヴーリンがこぼれてしまった方が気になってしまう。そしてそちらに酔った頭のわずかなリソースを振り向けてしまっていたため、目前の少女が自分の唇に彼女の唇を重ねてきた事に反応する事ができなかったのだ。
 少女の唇が離れると同時に、額に激しい痛みと熱が走り、持っていたグラスを地面に落としてしまう。思わず悲鳴を上げそうになるのを噛み殺し、何事かと目前の少女を見上げた。全身が浸っていた心地よい酔いが一発で消え去り、いつもの、眼ではなく肌で周囲の状況を認識する捜査官としての自分が戻ってくる。

「すぐ終わるわ。「使い魔のルーン」が刻まれているだけだから」

 平然と言い捨てる少女に、フェイトは半ば本気で一発ひっぱたいてやろうかと考えた。
 そこで手が出なかったのは、右手に持っていたラガヴーリンの瓶をひっくり返すのが嫌だったのと、どうやら半裸に近い自分に上着をかけてくれたらしい中年男性の心遣いを無視するのはよろしくない、という判断があっての事であった。

「どうやら「コンクラクト・サーヴァント」は上手くいったようだね。……ふむ、珍しいルーンだな。しかも額とは珍しい」

 中年男性は、あくまで純粋な好奇心からであろう、フェイトの額に浮かび上がったルーンを手元のノートに書き写してゆく。

「さて諸君、次の授業までもう時間がない。急いで教室に向かうように」

 さっさと自分の用事を済ませたコルベールが生徒を促し、自分も宙に浮かび上がったその時であった。

「失礼、ミスタ・コルベールと仰いましたね?」
「その通り、私は当魔法学院の教師のジャン・コルベールだが、何かね?」
「いえ、実は何が起きているのか、ここがどこなのか、そもそも自分の身に何が起きたのか、さっぱり判らないのです。よろしければ納得のいく説明をお願いしたいのですが」

 他の生徒らが宙を飛んで次の授業を受けるべくこの場を離れていく中、フェイトは、あくまで最後まで冷静さを失わず、ルイズと呼ばれた少女に儀式を最後まで続けさせたこの中年教師が一番まともに話が通じる相手と判断して声をかけた。
 そのルイズといえば、召喚者である自分を無視して真っ先にコルベールに声をかけたのが気に入らないのか、フェイトの隣りでものすごい勢いで何かまくし立てている。そんな彼女をなだめすかしながらコルベールは、うなずいてフェイトを案内するように歩き始めた。

「確かに。突然呼び出されて使い魔にされたとあっては、確かに納得のいく説明を受けたいと思うのは当然ですな。それではミス・ヴァリエールと一緒にこちらにどうぞ」


「つまり、ここは私の居た世界とは別の世界であり、しかも元の世界に戻る事は不可能に近い、ということですか」

 頭が痛い。なんというか、頭痛が痛いというレベルで偏頭痛がする。
 フェイトは、手元のラガヴーリンの瓶を見つめ、一瞬その誘惑に負けそうになり、それでもなんとかぎりぎり一歩手前で踏みとどまった。それに、異世界ということはこれを飲み干したらそれで終わりな訳でもあるし。

「まことに痛ましい話ではありますが、そういう事になります。貴女には不本意でしょうが、しばらくで結構ですので、当トリステイン魔法学院の生徒であるミス・ヴァリエールの使い魔をやっては頂けないのでしょうか? 貴女が元の世界へ帰るための手段は、不肖このジャン・コルベールめが探す事をお約束いたしますので」

 本当に済まなさそうな表情で、そう言って何度も頭を下げるコルベール。見事につやてかなその頭頂を見つめつつ、フェイトはハルケギニアに来て何度目になるかも判らない溜め息をついた。視線を傍らに座っているルイズに向けると、少女はむくれた表情であさっての方向を向いていたりする。

「それはまあ、こうなってしまった以上私としても異存はありませんが」

 なにしろ、酔っ払っていたとはいえ召喚のゲートに自分から飛び込んでしまったのだ。責任の一旦は確実に自分にもある。
 しかし薄汚い研究室だな、と、フェイトは周囲に視線を走らせる。フラスコ、ビーカーといったお約束の道具から、各種生物の標本、何かの部品と思われる金属製の加工物の山、山、山。ついでに無数の各種薬品の臭気が混じりあって、なんというか女の自分にとってはかなり居心地が悪い。

「それで、私が使い魔をするとして、雇用契約はどういう形になるのでしょうか?」
「あー、それにつきましては、召喚者であるミス・ヴァリエールとお話頂けないでしょうか?」
「こようけいやく? なんで使い魔とそんなもの結ばないといけないんです、先生!!」

 あ、爆発した。
 召喚の儀式からこのかた、ずっと不機嫌そうにぶすっとした表情でいたルイズが、もう我慢できない、という表情で椅子をけり倒して立ち上がる。
 そんな表情をしなければ、とっても素敵な美少女なのに。残念ね。
 怒りのあまりかわなわなと震えているルイズを横目で見ながら、フェイトは羽織っているローブの生地の材質や織りをのんびりと指先で確かめていた。
 さすがにコルベールの上着一枚、という格好でいるわけにもいかないので、普段彼が着ない教員用のローブを貸してもらったのだ。ちなみに、フェイトとコルベールでは若干フェイトの方が背が高いせいか、着ていてほとんど違和感もない。ついでにいうと素足のままでは足裏が痛いので、サンダルも借りていたりする。

「ミス・ハラオウンは人間だよ? 例え使い魔と主人の関係であっても、人間同士であるならば互いの関係はきちんとしておくべきだ。しかも彼女は、異世界から本人の意思を無視して召喚され、こちらでは一人で生きていく事もできない身なのだからね」
「そ、それは、確かにそうですが……」

 あら。
 フェイトは諄々とルイズを諭すコルベールの論理に少なからず驚いていた。魔法を使う貴族が魔法を使えない平民を支配する、というこの強権的階級社会において、人間という観念と契約という概念が存在する事に。そうするとこの世界の文明は、思ったよりも高いのかもしれない。
 ハルケゲニアという世界について思索をもてあそんでいるフェイトは、この何から何まで例外づくめで一杯一杯になってしまっている少女を、実はどう扱うか決めかねていた。
 確かに悪い子ではなさそうだが、貴族、という単語に付きまとうイメージそのままに高慢でわがままで自己中心的な性格をしているのが判る。しかも、常識外の状況をなんとか自分の常識の範疇に押し込めようとして、ままならない現実を前にヒステリーを起こしてしまってもいる。使い魔、というからには、普通は何かファンタジーな幻獣でも呼び出すのが常識なのであろうし、そうなれば扱いはペットみたいなものなのであろう。それが人間の女性、それも自分より年上の女性を呼び出してしまっては、どう自分の中で整合性をとったら良いのか、混乱するのも仕方がない。
 というより、この異常な状況において、あくまで冷静さを保っているコルベールが異常に有能なのだろうが。さすがに使い魔の召喚という、一歩間違えれば大惨事になりかねない儀式の監督を任されるだけのことはあるということか。

「ミス・ヴァリエール、よろしいでしょうか?」

 あくまで穏やかに、柔らかな微笑みを浮かべてフェイトはうぐぐぐとか令嬢には相応しくない唸り声を上げている少女に声をかける。

「なによ?」
「使い魔と主人、という関係に違和感があるのでしたら、使用人と主人、という関係にとらえなおしてみてはいかがです?」
「なるほど、確かに使い魔と主人の関係は、主君と家臣の関係に近いものがあるからね。まあ、ミス・ハラオウンがミス・ヴァリエールに忠誠契約を行うわけにはいかないだろうが、使用人という立場で使い魔の役割に代えるのはありかもしれない」

 ぽん、と手のひらを叩いて、コルベールが感心したようにうなずく。

「そ、そうね。まあ無理矢理呼び出してしまった責任もあるし、あくまで使用人として仕えてもらうのでも構わないわ」
「そういえば、留年云々というお話もお聞きしましたし、対外的には使い魔という事で私は構いませんから大丈夫ですよ」

 うぐっ。
 フェイトに軽く釘を刺され、思わず口の端が歪むルイズ。なんというか、自分を置いて状況が進んでいる現状が気に食わないらしい。

「それでは、これからについてお話をさせて頂いてよろしいでしょうか?」

 あくまで穏やかさを保ちつつ、柔らかな口調で話しかけてくるフェイトに、ルイズは自分がとんでもない人間を召喚してしまったのではないかと、今更ながらに冷や汗が流れるような思いであった。
 



[2605] 運命の使い魔と大人達 第二話前編
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/02/08 00:27
 二
 
 やわらかな朝日が窓からそそぎ、小鳥の鳴き声が耳に心地よい。久しぶりにすがすがしい思いで目が覚めたルイズは、思い切り伸びをすると窓をあけた。朝のまだひんやりとした空気が肌に心地がよい。

「うーん、なんか今日は一日よい事がありそう」

 と、そこまではいつも通りといってもよい目覚めではあった。
 意識がはっきりしてくるにつけ、すえたアルコール交じりの臭いのかたまりが部屋の一隅に転がっているのが目に入る。時々頭を抱えて身じろぎしているからには、生きているのは間違いないだろう。机の上には空になった酒瓶が二本転がり、空の水差しが何か荒廃した雰囲気をかもし出している。

「えーと、昨日は、春の召喚の儀式があって、それでわたし、平民を召喚して……」

 そしてコルベールの研究室で三人でこれからを話し合い、この部屋の片隅に転がっている女性と対外的には使い魔、普段の生活においては使用人として契約をしたはずであった。

「……お目覚めですか、お嬢様。お早うございます」

 どろりと光の無い死んだ魚のような目をした女が、片手で顔を抑えつつゆらりと幽鬼の様に立ち上がる。

「……おはよう。きがえは?」
「こちらに」

 彼女が指差した先には、きちんとたたまれた下着から制服、マントまで一式がそろえられている。

「そちらのたらいに洗顔用の水も用意できております。今、タオルをお持ちします」
「ううん、じぶんでとるからいいから」

 ルイズは、何かが起きている、でも何が起きているのか分からない、分かりたくない、という表情でぶんぶんと首を左右にふった。少なくとも、今この瞬間、この幽鬼に半径三メート以内に近づいて欲しくは無い。

「ええと、あなた、だいじょうぶ?」

 見れば大丈夫じゃないのは判るが、大丈夫じゃないのなら速攻医務室に追い出し、否、休ませにいかせたい。少なくともこの状態の彼女を、使い魔と称して身近にはべらせるのは絶対に嫌だ。

「ただの二日酔いです。もう少しすれば落ち着きますので、ご心配いただかなくても大丈夫です」
「そう、むりはしなくていいから」

 まったく、最低の朝だった。


「で、フェイト、あなた本当に大丈夫?」
「二日酔いの薬が無いのは残念ですが、今はもう大丈夫です」

 廊下に差す朝の日差しの中で、ルイズがフェイトと呼んだ女性は、先ほどの幽鬼の様な姿とうって変わってどこから見ても非の打ち所の無い完璧なメイド姿となって彼女のを一歩後ろに控えている。
 暖かみのあるやわらかい色合いの腰まである金髪の先端を黒いリボンでまとめ、すらりと通った鼻筋と切れ長の眼。抜けるようなしみひとつない白磁の肌に、唇の朱色が大人を感じさせる。ルイズよりも頭ひとつ背の高い彼女は、すっきりと背筋を伸ばして足音を立てずついてくる。
 これで深紅の瞳がどろりと濁って光が無いのでなければ、どれほど良かったことか。精霊を召喚したと言っても通じるくらいの美女がメイド服を着て傍らに控えているのだ。平民だのなんだの悪口雑言を浴びせかけられようと、鼻で笑い返してやれるのに。だが、この死んだ様な眼を見れば、彼女が精霊ではなく幽鬼であると言われても反論のしようがない。
 さて食堂に、と歩き出そうとしたところで、隣の部屋の扉が開く。
 中から、褐色の肌と燃え上がるような赤毛の美少女が、虎程もある巨大なサラマンダーを連れて廊下に進み出た。

「おはよう。ルイズ」
「おはよう。キュルケ」

 キュルケと呼んだ少女の制服のブラウスのボタンが二つ三つ外されて、豊かなそれがのぞいているのから眼をそらしつつ、ルイズも挨拶を返す。
 くそっ、なんで今この瞬間に。
 内心で大貴族の令嬢にあるまじき言葉が浮かぶが、あくまで優雅にド・ラ・ヴァリエール公爵家令嬢に相応しく振舞う。多少口の端がゆがんでいたり、声が震えていたり、眉がよったりしたかもしれないが、それはまあそれとして。

「あなたの使い魔って、それ?」
「そうよ」

 ルイズは切なくなって心の中で身構えた。
 どうせこのキュルケに笑われて、からかわれるに違いないのだ。

「……ふーん、人間を召喚するなんてすごいじゃない。……へえ、額にルーンがあるの。珍しいわねえ」

 ルイズにとって以外な事に、キュルケは真剣な目つきでフェイトに遠慮なく視線を投げかけ、上から下まで何かを探るような目つきで見つめている。
 かといって、当のフェイトはキュルケと視線を合わさないようにしつつ、わずかに口の端を持ち上げて笑みめいたものを浮かべて黙って立っている。
 何よ、この緊張感?
 ルイズには、何が起きているのかが全く理解できない。

「使い魔さん、お名前は?」
「フェイト、と申します」
「そう。本当にルイズの使い魔なんだ」
「はい」
「……あっそう。じゃ、ルイズをよろしくね」
「ありがとうございます、ミス」
「キュルケ・フォン・ツェルプトー。キュルケでいいわよ~。じゃ」

 おいでフレイム。
 そう声をかけてキュルケは、腰まである癖の強い赤毛をかき上げて立ち去った。なんというか、とてつもない疎外感をルイズは感じる。自分だけがこの使い魔の本当の価値を判らなくて、周りだけが理解している、という疎外感。とりあえず、持ち前の癇癪が爆発しかけるのを押さえ込んで、後ろに控えるフェイトに向き直った。

「なによ、今の?」
「さて、判りかねます。値踏みをされたのは事実でしょうが」

 うー
 それはまあ、そうだろう。キュルケがフェイトの何が気になったのか、彼女本人でもなければ判らないのであって。

「まあいいわ、とりあえず食堂までついてきて」


 さて、このトリステイン魔法学院は、裕福な貴族の子弟に教育をほどこす事を目的として建てられた教育機関である。当然、内部の調度もそれ相応に格式のあるものとなっている。
 ルイズとフェイトが到着した食堂は、机には豪華な飾りつけがなされ、ロウソクやら花やら果物を盛り付けた籠やらが並んでいる。壁のそれも見事なもので、さらには壁際には多数の自動人形が並べられている。
 机にかけられたリネンのテーブルクロスに染みひとつ無いのを確認して、フェイトはこの学院の機能を維持するために投入されている労力の事を思い、皮肉とも自嘲ともつかない笑みを浮かび上がらせた。

「トリステイン魔法学院で教えるのは、魔法だけじゃないのよ」

 まるで自分の屋敷を自慢するかのように、胸をはり、鳶色の瞳を輝かせているルイズ。

「メイジはほぼ全員が貴族なの。「貴族は魔法をもってしてその精神をなす」のモットーのもと、貴族たるべき教育を、存分に受けるのよ。だから食堂も、貴族の食卓にふさわしいものでなければならないの」
「はい」

 ずらりと並んだ豪勢な食事に視線を走らせ、フェイトはつい一言、口にしてしまう。

「大変に見事な朝食ではありますが、起きぬけに皆様、これを残さず召し上がられるのですか?」
「ううん、さすがに全部は無理よ。でもハルケギニアの正餐は朝なのよね。あなたのところでは夕飯が正餐なんだったっけ?」
「はい。昼飯が正餐の地方もありましたが。大体は朝はお昼までもてばいい、という程度でした」
「ふーん。夕飯が正餐なんて、おなかがもたれて夜眠れなくなったりしないの?」
「ですから、夜食は食べない方が多かったですね」

 世界が違うと食事も違うのねー
 ルイズはほほに指をあて、鳶色の瞳をくるくると回している。
 フェイトは、この朝食が奢侈のひとつであるかと思ったのであるが、どうやら違う様子である。そこで一旦思考を切り離し、肝心の事を質問する。

「それでは私も食事に参りますが、使用人の食卓はどちらでしょう?」
「食堂の裏に厨房があるから、そこで食べて。私の使い魔だって言えばなんか出してくれるでしょ」
「了解しました。それでは後ほど」

 一礼して、フェイトはさっさと食堂を出た。
 文化の違いとはいえ、こうして子供が無駄に甘やかされているのを見ると、まるで自分が義理の娘のヴィヴィオを甘やかしていた頃の事を思い出させられる。そのことでは何度も親友の高町なのはと言い争いになったが、なのはが隊付として前線に出る事が多く、結局はフェイトが主に義娘を育てる事になっていた。
 かつての自分が、良かれと思ってヴィヴィオを甘やかし、後に反抗期を迎えてからは百八十度変わって厳しく当たるようになった事は、娘にどんな影響を与えたのだろうか。それを思うと、ようやく収まりかけている頭痛がぶり返してきそうになる。
 ぐらりと視界がゆがみ、まっすぐに立てない。
 フェイトは、廊下の壁に身体をあずけると、こみ上げてくる吐き気を必死になって押さえ込もうとした。

「大丈夫ですか?」

 フェイトは、はっとして声の方に視線を向けた。いくらアルコールに耽溺しているとはいっても、ここまで近づかれるまで気配を察知できなくなっている自分に、腐臭にも似た感情が湧き上がり、ぎちり、と、奥歯が鳴る。
 ぼやける視界の焦点を合わせようと努力した先には、黒髪を切りそろえたメイドの少女がおびえた様子で立っていた。

「……あ、あの」
「ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったわ。私はフェイト、ミス・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔です。貴女は?」
「シ、シエスタといいます。あの、本当に大丈夫ですか? 顔色が真っ青ですけど」
「ありがとう。色々あって身体が疲れているのね。食事を摂れば良くなりますから」

 優しげな笑顔という仮面をかぶり、目前の怯えている少女にあたりさわりの無い答えを返す。

「食事ですね! こちらにいらっしゃってください。賄い食ですけれど、温かいものがありますから」

 本当に良い子。
 見ず知らずの他人である自分の手を引いていく彼女が、とてもまぶしくて美しいものに見える。
 フェイトは、自身の腐臭がシエスタに移ってしまう恐怖に手を振りほどきたくなる衝動をなんとか押さえ込みながら、彼女に連れられて行った。


 授業は使い魔と一緒に受けるもの。
 そう言い渡されてフェイトは、ルイズと一緒に教室に入っていった。そんな二人を見て、先に教室に入っていた生徒達が一斉に振り向き、くすくす笑い何やら思わせぶりに噂話を始める。ゼロだの百合だの、あまり芳しくない単語が聞こえるあたり、二人を嘲笑しているのであろう。こういうところはどこの学校でも変わらないと思いつつ、フェイトは教室の一番後ろの壁際に下がろうとした。

「何そっちいっているのよ。あなたはわたしの使い魔なんだから、隣に座りなさいよ」

 ちょっとむっとした表情で、ルイズがフェイトに振り向いた。

「よろしいのですか?」
「メイジの実力はその使い魔を見よ、っていうの。あなたが傍にいないと使い魔だって判らないでしょ」
「確かにおっしゃるとおりですね。それでは失礼を」

 フェイトは、柔らかな笑顔という仮面をかぶり、視線だけで教室内を観察し始めた。
 室内は、なんというか、これぞファンタジー世界といわんばかりに各種の幻獣やらなんやらがひしめき合っている。バシリスク、バグベアー、スキュア、etc、etc。さすがに竜種はいないか、と、知人の召喚士の事を思い出し、もう一度視界がゆがみそうになる。
 と、一瞬だけ、朝出会ったキュルケという少女と視線が絡む。周囲に多くの少年をはべらせ女王のごとく振舞っている彼女がフェイトに向ける視線は、感情ではなく意思のこもった強い視線。その強い視線は、彼女のかぶっている仮面を貫き通し、周囲を冷徹に観察している本当の彼女自身を見つめているように思える。
 フェイトは、あえて両手の平をキュルケに見せて、害意はありませんよ、と、ジェスチャーで示した。それに合わせてキュルケも軽く鼻を鳴らして、周囲の少年らをあしらうのに戻る。

「何キュルケとやってるのよ」

 不機嫌そうに視線をぶつけてくるルイズに、フェイトは、困惑したかのような微笑みを浮かべてみせた。

「心当たりはないのですが、ミス・ツェルプトーは私に何か含むところがおありの様子です」
「あなた、別に彼女に何もしてないわよね? それとも何かやったの?」
「ですから、心当たりはない、と」

 うーむ、と腕を組むルイズ。

 そんなこんななやり取りをしていると、扉が開いて中年の女性が入ってきた。紫色のローブに身をつつみ、帽子をかぶっている。ふくよかな頬が優しい雰囲気を漂わせている。

「皆さん、春の使い魔召喚は、大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に、さまざまな使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 うつむきそうになるルイズに、フェイトはそっとささやいた。

「ご安心を」

 へ?
 ぽかんとした表情で顔を上げたルイズに、フェイトは優しげに微笑んでみせた。

「おやおや。変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール」
「ゼロのルイズ! 召喚できないからって、その辺歩いていた平民を連れてくるなよ!」

 教室中がどっと笑いに包まれる。
 ルイズがきっとした表情で立ち上がろうとするのを、片手で制し、フェイトは優雅に立ち上がるとルイズをゼロ呼ばわりした少年の目をまっすぐに見据えた。ただし、表情はあくまで柔らかく優しく、年齢相応に年上の女性の余裕を見せて。

「お初にお目にかかります、ミスタ。ミス・ド・ラ・ヴァリエールお嬢様の使い魔として召喚されましたフェイトと申します。よろしければミスタの使い魔にもご挨拶を申し上げ、親交を深めたいのですが」

 顔全体に浮かべた笑みはそのままに、視線に徐々に力を込めていく。ただし、あくまで殺気は乗せず、少年の視線をずらさせないように気をつけて。

「あー、ぼ、ぼくは、マリコルヌ、二つ名は「風上」だ。それで、僕の使い魔は……」

 今や教室中の生徒らは、このフェイトと名乗る女性が、マリコルヌを視線だけで圧倒し、格の違いを見せ付けていることを思い知らされていた。あくまで表情は優しく態度は丁寧で優雅であるが、その静かな声の迫力と、どろりと濁って底の見えない瞳の深淵からにじみ出る何かが、皆の本能的な何かを刺激する。

「はいはい、使い魔同士の自己紹介は後になさい。それにミスタ・マリコルヌ、お友達をゼロと呼んではいけません。わかりましたか?」

 凍りついた空気の教室に、穏やかなシュヴルーズの声が響き、フェイトとマリコルヌの間にあった緊張感は胡散霧消した。フェイトはシュヴルーズに向かって優雅に一礼し、何もなかったかのように席に座り、マリコルヌは脂汗を顔全体に浮かべながら、腰を抜かすように自席にへたりこんだ。

「えー、よくやったわ、とほめるべきなのかしら」

 どこか棒読み調なルイズの小声に、フェイトはわずかに口の端をゆがめる様な笑みを浮かべて小声で答える。

「大人気ない真似をしました。が、お嬢様の名誉のためです。お許しください」

 ルイズは、一瞬ぽかんとした表情を浮かべたが、すぐ軽く顔を上気させて黒板に視線を向けた。

「さすがはわたしの使い魔ね」
「光栄です」

 少なくとも自分の主人は馬鹿ではない。その事実を確認したフェイトは、仮面ではない素の感情の笑みを浮かべた。それはあくまで昏く、歪んではいたが、しかし笑みではあった。
 その笑みを見ていたのは、離れた席に座って気配を殺してフェイトを観察していたキュルケだけであった。


 それはとても見事な爆発であった。
 フェイトは親友の高町なのはの家でテレビで見たニュース映像で、ゲリラのこもるビルの一室を戦車が砲撃し吹き飛ばすシーンを見た事があったが、そのゲリラが見ていたのは今の情景なのだろうな、と、何故か微笑みが浮かぶ。

「だから言ったのよ! あいつにやらせるなって!」
「もう! ヴァリエールは退学にしてくれよ!」
「俺のラッキーがヘビに食われた! ラッキーが!」

 ちなみにシュヴルーズといえば、倒れたまま動かない。たまに痙攣しているから、死んではいないようだ。
 煤で真っ黒になったルイズが、むくりと立ち上がる。見るも無残な格好だった。ブラウスが破れ、華奢な肩がのぞいている。スカートが破け、パンツが見えていた。

「ちょっと失敗したみたいね」

 顔についた煤を、取り出したハンカチで拭きながら、淡々とした声で言う。

「ちょっとじゃないだろ! ゼロのルイズ!」
「いつだって成功の確率、ほとんどゼロじゃないか!」

 蜂の巣をつついたような大騒ぎの教室の中で、フェイトは冷静に何が起きたか時系列にそって振り返ってみていた。
 まず、ルイズがシュヴルーズに指名されて錬金の魔法を行う事になった。ここでキュルケが止めに入るが、シュヴルーズがそれをおしてルイズに魔法を使わせ、錬金の対象の小石に彼女が魔法をかけると、かくのごとく大爆発が起きた。以上。
 子供らはぎゃんぎゃん大騒ぎをしているが、フェイトはルイズから放射される魔力の流れを思い出し、今の現象が失敗というよりも、何か別の結果であるということを結論として導きだしていた。
 フェイトの使用する魔法の体系は、ミッドチルダ式といわれるこのハルケギニア世界のそれとは全く別のものである。しかし、万物を構成する根源である魔力を自らの意思で抽出し、その意に沿った形に変換する、という過程においては違いは無い。その体系によって向き不向きはあるとして、根本的なところは変わってはいない事は今のルイズの魔法行使で確認できた。
 問題は、呪文という自己暗示によって導き出されるはずの結果が、意図したものとは別の結果に終わった事にある。呪文とは、共同幻想を共有した上での自己暗示によって、魔力に一定の方向性を持たせるための行為に他ならない。だが、ルイズだけがその共同幻想の共有がなされていないとするのであれば、彼女はそもそもがハルケギニア式とは別の形態の魔法体系を、自覚しないまま行使しているということになる。

「これが、わたしがゼロと呼ばれる理由よ」

 つかつかと席に戻ってきたルイズがフェイトの隣に座ると、まっすぐ黒板を見つめたままそう呟いた。

「何故爆発という結果にいたるか、指摘されたことは?」
「?」

 フェイトのいつになく真面目な口調に、ルイズはきょとんとする。

「物事には、必ず原因、経過、結果という過程が存在します。そして結果だけが意図しない形で発生する。しかもそれが限りなく常に、ということであれば、そこには何か齟齬が発生しているはずです。その齟齬について指摘された事は?」
「……無い、わ」

 何故?
 フェイトは隣のルイズを、観察の対象として見つめる。魔力を行使する上で肉体的になんらかの変異があるようには見えないし、人為的に何らかの改造が加えられたようにも見えない。四肢を循環する魔力の流れも、この世界の他のメイジらと変わるところは無いように見える。

「これついては、後日」
「う、うん」

 フェイトの瞳に浮かんだ冷徹な観察者としての色彩に、ルイズは、初めて自分の使い魔に恐怖を覚えた。



[2605] 運命の使い魔と大人達 第二話後編
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/02/10 00:31
 ルイズが爆破し罰として片付けを命じられた教室を、キュルケは外の木の上から眺めていた。
 本来ならば授業中なのであるが、そこは自主休校という事で都合良く忘れておくことにしている。それより今は、ルイズが召喚したメイドの方が重要だった。
 キュルケ・フォン・ツェルプトーは、もともとはトリステインの北方にあるゲルマニアという国の大貴族の娘である。しかしながら生来の奔放な性格とこよなく自由を愛する嗜好をもって、色々と外聞をはばかる騒動を巻き起こして元居たゲルマニアの魔法学院を自主退学する羽目になり、親に強制的に結婚させられそうになったのから逃げ出すために、この隣国のトリステイン魔法学院に留学してきたのであった。いつもならば、数多くの男子生徒をはべらせて楽しい時間を過ごすのであるが、そんなある種決まりきった退屈な日常を吹き飛ばすような事件が起きたのである。
 ルイズの召喚した使い魔、召喚の儀式の時にそれに気がついたのは、キュルケ以外にはどうやらコルベールだけのようだが、彼女は人外といっても過言ではない魔力を持った存在であった。さらにはキュルケ自身にとって認めがたいものがあるが、あの絶世といっても良い美貌。これで耳が長くとがっていたら、エルフを召喚したと言われても信じてしまったであろう。

 そして、あの全てに絶望し、濁り腐った深紅の瞳。

 キュルケも多少なりとも火遊びをしてきて、ちょっとくらいは裏側の世界について見知ってはいる。だが、あそこまで壊れた眼をした人間に出会った事はほとんどなかった。そして、そういう人間を、裏側の人間達が腫れ物を触るかのように扱うのも小耳にはさんではいた。
 そんな、ある意味爆裂弾みたいな存在がこの学院に現れたのである。これに興味を抱かなくて何に興味を持てというのか。
 先ほどの授業中にマリコルヌがメイドのひと睨みで腰を抜かしていたが、それも当たり前である。キュルケ自身も彼女の瞳を正面から覗き込むのは結構怖かったりするのだ。しかも普段は非の打ち所の無いメイドとしての仮面をかぶり、穏やかな年上の女性として演技している。

「で、どう? タバサ」

 キュルケは、自分の隣でちょこんと木の枝に座っている友人に声をかけた。
 タバサと呼ばれた少女は、自分の身長より長い節くれだった杖をかかえたまま、感情の起伏の無い声で答えた。

「ここからでは、彼女の魔力の流れは感知できない。あと、彼女は私達がここから彼女を観察している事に気がついてる」
「やっぱり。で、あなたなら勝てる?」
「不可能」

 ぱっと見では十歳そこそこにしか見えない小柄なタバサであるが、底の見えない深い色の蒼い瞳が彼女が肉体年齢よりもはるかに成熟した精神を持っている事を表している。キュルケは、そんな彼女だからこそ、わざわざ頼み込んで授業をサボらせてまでルイズの使い魔ウォッチングに引きずり込んだのだ。
 それにしても、魔法戦士としては自分よりも実力は上であり、実戦経験も豊富なはずのタバサをして、難しい、とか、困難、とかではなく、不可能と言い切らせるあたり、あのメイドは文字通りの化け物である。

「なんで? 魔力量がどれくらいかは判らないんでしょ?」
「彼女との戦いは、殺し合い以外にはない。この距離で木陰に隠れている私達に気がつける彼女と、気配を消しての接近戦での不意の打ち合いになる。私では、どのフィールドでも彼女を先に見つけることは極めて難しい。そして接近戦では速さと体力の勝負になる」

 つまり、あのメイドは絶対に正面からの対決には応じず、必ず死角からの不意打ちで攻めて来る、ということらしい。そうなったら、タバサの体力と体術では彼女に対抗できないということなのだろう。しかも正面きっての魔法戦闘に持ち込めば勝機が生まれるかといえば、キュルケが見た通りならば、一対一でエルフと魔法戦をやるようなもので、それこそ勝率なんて砂粒を砕いた粉一粒ほどにも無いことになる。

「これはますますもって、放ってはおけないわねえ。ルイズったら、自分の使い魔がどれだけ危険な存在か、全然気がついていない様子だし」
「近づかない方がいい」

 キュルケを見上げるタバサの瞳は、あくまで真摯で真面目であった。本心から友人の事を心配しているのが、その無表情な声がわずかに硬い事からも判る。
 だがキュルケは、あっさりと言ってのけた。

「危ないからこそ、燃え上がるものがあるのよ。何しろ、わたしの二つ名は「微熱」だし」
「男遊びとは違う」
「ええ、タバサ、あなたの言う通り。でもね、アレはもうこの学院の中に入り込んで来てしまっているの。なら、誰かが猫に鈴をつけないといけないじゃない?」


 ジャン・コルベールはトリステイン魔法学院に奉職して二十年、中堅の教師である。彼の二つ名は「炎蛇のコルベール」。「火」系統の魔法を得意とするメイジである。
 彼は先日の「春の使い魔召喚」の際に、ルイズが呼び出した女性の事が気にかかっていた。何しろスクエア級のメイジにすら史上いるかいないか、という大魔力を内に秘め、身に着けていた衣類はハルケギニア世界のそれを技術的にはるかに上回り、そしてその瞳は自分も良く知る忌まわしい色彩を帯びていたのだ。
 そして、その額に現れたルーン。
 彼も随分と長く「春の使い魔召喚」の立会いをやってきたが、あの様なルーンは全く記憶に無い。見たところ、随分と古い字体のルーンであり、それがどうにも気になって仕方が無かったのだ。
 というわけで、彼女との約束もあって、先日以来事実上図書館に篭りっぱなしでそのルーンについて調べていたのである。
 手に取った書籍は数百冊、それこそ教師が閲覧するにも許可が必要な書籍まであさって一心不乱にページをめくっていた。
 そして、その努力はついに報われたのである。それは、始祖プリミルが使役した使い魔たちが記述された古書であった。その中に記された一節に彼は目を奪われた。何度も繰り返して確認し、彼女の額のルーンのスケッチと見比べる。
 コルベールはほとんど墜落同然に床に降りると、本を抱え学院長室に向けて走り出した。


 学院長室は、トリステイン魔法学院にある五本の塔のうち、真ん中の本塔の最上階にある。
 学院長を務めるのは、白いひげと長髪の齢百年とも三百年とも噂されるオールド・オスマンと呼ばれる魔法使いであった。
 そんな数々の伝説に彩られた大魔法使いたるオスマンは、後ろ手に窓の外を見ながら重々しく秘書に語りかける。

「実に平和かつ平穏な日々が続いておるのう」
「同意しますので、ネズミを机の下に忍ばせるのはお止めください」

 視線すらオスマンに向けず、秘書の女性は書類を次々と処理していく。

「こう、平和な日々が続くとな、時間の過ごし方というものが、何よりも重要な問題になってくるのじゃよ」
「お暇なのは判りましたので、わたくしのお尻を撫でるのはやめてください」

 名残惜しそうに秘書から離れると、机の下から出てきた小さなハツカネズミがオスマンの肩にまで上ってくる。ポケットからナッツを取り出し、ネズミの顔の前で振った。

「気を許せる友達はお前だけじゃ。モートソグニル」

 ネズミはナッツを齧り始める。

「で、どうだったかの? そうか、白か。純白か。うむ。しかし、ミス・ロングビルは黒が似合う。そう思わんかね? 可愛いモートソグニルや」

 ロングビルと呼ばれた秘書は、無言で立ち上がると、そのまま上司を蹴りまわし始めた。

「ごめん。やめて。痛い。もうしない。ほんとに」

 オスマンは、頭を抱えてうずくまる。ロングビルは、荒い息で老魔法使いを蹴り続ける。

「オールド・オスマン!!」
「なんじゃね?」

 コルベールが息を切らせて学院長室に飛び込んできた時、ロングビルは何事もなかったかのように机に座って黙々と書類を片付けており、オスマンは後ろに手を組んで重々しく闖入者を迎え入れた。
 今の今まで学院長室内で何があったか知らぬコルベールは、荒い息をなんとか整えると、抱えてきた書物をオスマンに手渡した。

「これをご覧下さい!」
「これは「始祖プリミルの使い魔たち」ではないか。で、こんな古い文献を探し出してきて、さてはて何があったというのかね?」
「これもご覧下さい」

 コルベールが手渡したフェイトの額に現れたルーンのスケッチを見た瞬間、オスマンの表情が変わった。今の今までの好々爺然とした雰囲気は一瞬で消え、大魔法使いとしての厳しい空気が周囲に満ちる。

「ミス・ロングビル、席を外しなさい」

 ロングビルは、何も言わずに退室してゆく。

「さて、詳しく説明してもらおうかの。ミスタ・コルベール」


 ルイズが吹き飛ばした教室の片付けが終わったのは、お昼休みも直前であった。罰として魔法を使って片付ける事が禁止されたため、女二人の細腕ではそれだけ時間がかかってしまったのである。といっても、ルイズは魔法が使えなかったし、フェイトはあくまで平民として振舞っているのであまり意味はなかったが。
 片付けを終わらせたルイズとフェイトは食堂に向かった。

「で、さっきの話は何よ?」

 ずっと気にかかっていたのであろう、ルイズは自分より頭ひとつは背の高いフェイトを見上げた。
フェイトは、相変わらずルイズの一歩後ろを足音を立てずについてきている。そんな彼女の様子が癇にさわって知らず知らずのうちに声が荒くなる。

「ですから、後日、と」
「気を持たせないでよ。とにかく簡単でもいいから聞かせて」

 これまで散々「ゼロのルイズ」として馬鹿にされ続けてきたのだ。もしかしたら自分が魔法を使えるようになる突破口になるかもしれない。そう思えばいてもたってもいられなくなる。そんな主人の焦りを知ってか知らずか、あくまでフェイトは答えようとはしない。

「あんた、わたしの使い魔なんでしょ!」

 ついに癇癪を起こしルイズは叫んだ。目尻にはうっすらと涙さえ浮かび、強く握られたこぶしがわなわなと震えている。これまで受けてきた屈辱を思えば、目前の使い魔の態度はあまりにも自分を侮辱しているように見えたのだ。

「確証のない事は申し上げられません」

 そんな彼女の様子に、あくまで自動人形の様に言葉を繰り返していたフェイトであったが、初めて伏せていた眼を上げ、ルイズの瞳をまっすぐ見据える。

「後程、お嬢様の身体を精査させていただきます。その上でお答え申し上げます」
「せいさ?」
「身体を流れる魔力の流れ、身体や内臓の状況、血も抜かさせて頂きます。それらを調べた上でないと、お答え申し上げられません」
「……まるでアカデミーが、実験動物を扱うみたいね」
「近いものがありましょう。なにしろ、あの魔法行使の結果は異常ですから」

 フェイトの濁った眼の底に、何か昏い揺らぎが見える。ルイズは、自分の使い魔が意地悪をしているのではなく、本当に自分自身を何か異常な存在と認識しているのを確信した。その瞳は、主人を見る眼ではなく、あくまで実験動物を見るものに近い。
 ルイズは、内心の恐怖を押し殺して低い声で宣言した。

「それで何か判るというのなら、好きにしていいわ。でも、確実に答えを出しなさい。いいわね?」
「努力いたします」

 深々と一礼するフェイト。
 この使い魔は、信用できる。しかし、信頼できるかどうかは判らない。
 ルイズは、自分の内心に感じた恐怖を、そう結論づけた。彼女はあまりに人間として大切な何かが欠落している。慇懃無礼とかそういうのではなく、本当に何かが欠けているのだ。その何かが判るまで、彼女を信頼するのはやめておこうと、ルイズは決心した。


「で、なんでギーシュと決闘する事になったの?」

 ルイズは、わずかに口の端をゆがめてうつむいている自分の使い魔に、できるだけ落ち着いた声でそう質問した。まさか自分が彼女を信用しても信頼はしない、と決めた事を心でも読んで、こんな嫌がらせをしてきたのか、とも思う。

「ミスタ・グラモンが、メイドのシエスタ嬢に八つ当たりをしておいででした。その仲裁に入りましたために、八つ当たりの矛先が私に向いたのでしょう」
「あのね、平民が貴族に勝てるわけがないでしょう?」
「お嬢様の仰る通りです。魔法の有無は、絶対的な力の差となって抑圧的支配を可能にさせます」
「なら、なんで平民のあんたが決闘を受けるわけ!?」

 ああ、本当に腹が立つ。
 ルイズは、目前の使い魔が、貴族というものに対してわずかほども敬意を抱いてはいない事を感付いてはいた。だが、まさかここまで舐めているとは、想像の範疇の外であった。

「ミスタ・グラモンは、二股をかけていたのがばれて周囲から笑われ、その鬱憤を無力な平民にぶつけて憂さを晴らそうとしたというだけの事です。シエスタ嬢にはご好意を受けました。変わって憂さ晴らしの対象になろうかと」
「あんた、もしかして貴族舐めてる? 殺されるわよ」
「まさか」

 ああ、フェイトの口の端が歪んでいるのは、笑っているからだ。この学院内にいる全てのメイジを嘲笑している笑みだ。たとえギーシュが全力を振るっても、自分を倒す事はできないと確信しての哂いだ。
 ルイズは、自分の使い魔が一度本気で痛い目に遭えばいいと、そう心から思った。

「ならば、憂さ晴らしの対象になんてなるのは許さない。絶対に勝ちなさい。これは命令よ」
「承りました、マイ・マスター」

 
 決闘の場であるヴェストリ広場は、魔法学院の敷地内、「風」と「火」の塔の間にある中庭である。西側にある広場なので、そこは日中でもあまり日が差さない。つまりは何をやってもあまり目立たないという事でもあって、本来は禁止されている決闘にはうってつけの場所であった。

「諸君! 決闘だ!」

 噂を聞きつけて集まってきた生徒らに向かって、金髪の巻き毛の少年が高々と薔薇の造花を掲げる。フリルのついたシャツの上にマントを羽織り、いちいちそれをひるがえしては、芝居がかった様子で演説を行う。

「ゼロのルイズの使い魔である彼女は、僕の敬愛する二人のレディの名誉を傷つけた! これからその償いをしてもらう事になる! まあ相手は妙齢の女性だからね。そこまで手荒な事をするつもりはないよ」

 そう格好をつけて指先を唇にあてる。
 それから、やっとその存在に気がついた、といわんばかりにフェイトの方に向いた。

「とりあえず、逃げずに来た事には、心から賛辞を送らせてもらおう」

 そして、なんとも気障っぽくウインクすると、こう付け加える。

「その勇気に免じて、ここで二人のレディに謝罪するならば、許してあげようじゃないか」
「お断りいたします」

 淡々と、しかしきっぱりと断るフェイト。相変わらず彼女は眼を伏せたまま、口の端を歪めている。

「私は、ミスタに弄られているシエスタ嬢の名誉のために参りました。八つ当たりをなさいたいというのでしたら、どうぞご存分に憂さをお晴らし下さいませ」

 周囲の見物人から、どっと笑いが起きる。平民が名誉だなどと、あまりにも思い上がった言い草に嘲笑が沸き起こったのだ。
 こうなってしまっては、ギーシュとしても後には引けない。妙齢の女性に暴力を振るうのは気が向かないが、平民ごときが名誉を口にするなど、トリステインの貴族として許しうる範疇を超えた暴言である。

「そうか、ならば本気でいかせてもらうよ?」
「ご存分に、と、申し上げました」

 こいつは僕を舐めている。
 ここまで言われれば、フェイトがギーシュを歯牙にもかけていないのが、誰にだって判る。

「僕はメイジだ。だから魔法で戦う。よもや異論はあるまいね?」
「ご存分に、と、申し上げました」

 ことここにいたっても、まだフェイトは顔を上げようとはしない。ただ、口の端を歪めて立っているだけである。淡々と感情のない声で同じことを繰り返し続ける彼女は、まるで自動人形の様でもある。ギーシュは、さわやかな笑顔のままありったけの嘲笑を込めて叫んだ。

「僕の二つ名は「青銅」。青銅のギーシュだ。従って青銅のゴーレム「ワルキューレ」でお相手しよう!」

 ギーシュが薔薇の造花を一振りすると、花びらが一枚地面に落ち、それが女戦士の形をした青銅のゴーレムへと変身する。

「では、始めよう!!」


 それは、決闘というよりも一方的な暴行であった。ゼロのルイズの使い魔は、一度として防御の姿勢をとることなく、ただ一方的にワルキューレに殴られ続けている。顔を、腹を、腕を、脚を、ただひたすら殴り続けている。そしてどこかに拳がめり込むたびに、血があたりに飛び散る。
 だが、誰もこの一方的な暴行を止めようとはしなかった。否、できなかった。

 フェイトは嘲っていた。眼をギーシュに合わせようともせず、嘲っていた。

 いかな人間大とはいえ、青銅製の拳である。身体にめり込めばその部位を壊すのは当然である。だがフェイトは、その痛みがこたえようもなく心地よかった。
 身体が苦痛に悲鳴をあげるたびに、自分がまだ死んでいない事を実感する。
 赤い血が飛び散るたびに、それでも自分が人間である事を確認できる。
 熱い。焼けるように熱い。
 なのに、心が冷たい。
 ああ、駄目だ、これでは倒れられない。
 こんな生ぬるい打撃では心が折れない。
 親友の一撃はもっと重かった。
 もっと熱かった。
 圧倒的だった。
 誰かが笑っている。
 煩い。
 つまらない。
 こんなのは闘いではない。
 ただの、お遊びだ。

 フェイトは、初めて視線をギーシュに向けた。
 そこに居るのは、ただただ怯えて人形を操るガキでしかなかった。
 だからフェイトは、遊ぶのを止めた。


 学院長室の壁にかかった大鏡には、ヴェストリ広場の決闘の様子が映し出されている。
 オスマンとコルベールは、決闘の始まりからずっと黙って鏡を見つめ続けていた。

「彼女は、ミス・ヴァリエールの使い魔は、人間なのでしょうか?」

 コルベールがぽつりとつぶやいた。

「さて。あれだけ殴られて、まだ膝すらつかないのは、大したものじゃのう。というより、本当にそのルーンは彼女の額に現れたのかの?」
「間違いありません。私自身が模写したものですから」

 二人の間には困惑めいた空気がただよう。

「さてはて、これで彼女が「ガンダルーヴ」というならば納得もいくが、「ミョズニトニルン」というのとはちと違う様に思えるのう」
「神の頭脳。知恵のかたまり。神の本。そして始祖プリミルの助言者」
「そう、それが「ミョズニトニルン」であるはずじゃ。だが彼女はまるでガーゴイルかバーサーカーそのものじゃ」
「そんなはずは……。! 動きました!!」


 フェイトは、顔面めがけて繰り出されたワルキューレのパンチをわずかに腰を落として避けると、一瞬だけ、ほんの半呼吸だけ全身に魔力をいきわたらせ、一瞬でギーシュとの距離を詰めた。
 全身が痛みを訴え、焼きごてを当てられたかのように熱い。
 激痛に意識が四肢のコントロールを手放そうとする。
 それを意思の力だけでねじ伏せ、振りかぶったギーシュの右腕を両腕で掴み、自身の右足で彼の右足を払って地面に転がす。
 ギーシュの肩からとても耳に楽しい音が鳴り、その口から心地よい豚の様な悲鳴があがる。
 フェイトは、うつ伏せに転がったギーシュを左足で蹴り転がして仰向けにすると、その上に馬乗りになり、ひたすら殴り始めた。

 ヴェストリ広場に詰めていた生徒達は、ただただ呆然とギーシュが殴られ続けるのを眺めていた。
 ギーシュの顔は、すでに彼自身とは見分けがつかないほど腫れ上がり、意識も失っている。当然、杖でもある薔薇の造花は手から落ち、ワルキューレも今では元の花びらに戻ってしまっている。
 だが、ギーシュに馬乗りになっているフェイトは、全く表情を変えず口の端を歪めたまま、どろりと濁った死んだ魚の様な目をして、彼を殴り続けていた。すでに彼女の拳自体も皮はずり剥け、骨すら見えているというのに、一向に殴るのを止める気配がない。
 そのあまりの惨状に、本当の意味での血なまぐさい暴力を始めてみる生徒達は、ただただ恐怖に呆然としているしかできなかったのであった。
 だが、それでも動きえた人間がいた。
 金髪の巻き毛の少女が、フェイトに飛びついたのだ。

「もう止めて! あなたが勝ったのは判ったから! もう許して!!」

 そんな少女を、フェイトは振り払い、ギーシュを殴り続ける。

「止めろ! モンモランシー! 殺されるぞ!!」

 生徒の誰かが彼女を見物人の列に引き戻そうとするが、モンモランシーと呼ばれた少女は、その手を振り払ってギーシュの頭を抱え込んだ。
 そして、フェイトの拳が、モンモランシーの身体に降りそそぐ。
 フェイトにとって、モンモランシーも、ギーシュも、すでに見えてはいなかった。
 ただ、何か、心の中に澱となっている何かを殴り続けているだけであった。
 殴る。
 殴る。
 殴る。
 殴れば殴るほど、その姿が鮮明になっていく。

 そしてフェイトが、自分が殴り続けているのが、何者か知った。

「ヴぃヴぃおぉ?」

 そこには、顔をぐしゃぐしゃにして泣いている、義理の娘の顔があった。

「があっ!」

 初めてフェイトが吼えた。

「おおおおおおおっっ!!」

 その叫びは、まるで傷ついた獣のごとき咆哮であった。
 のけぞり、叫び続ける彼女に、生徒らはただひたすら恐怖におののくしかできない。

「あ、あ、あ、ああ、ごめんなさい」

 ゆらり、と、フェイトが立ち上がる。
 血まみれの右手で顔を掴み、見開いた眼で転がっている少年と少女を見下ろす。

「ごめん、な、さい。ご、め、ん、な、さ、い」

 フェイトはずるりと脚を引きずると、その場から逃げ出す。
 あまりのことに生徒らは、彼女の行く手から逃れるように道を明け、ただただ恐怖に怯える視線を向けるだけである。そんな中を、フェイトはぶつぶつと「ごめんなさい」と呟き続けながら身体を引きずってゆく。

 どれほど歩いたであろうか、もう誰も居ない石畳の通路で、フェイトは壁に寄りかかるようにして足を止めた。そのまま、ずるりと崩れ落ち、床にうずくまる。全身の熱が内臓を焼き、吐き気をこらえる事ができない。床に赤黒い血の塊混じりの胃の中身をぶちまけつつ、それでも彼女は呟き続ける。

「ヴィヴィオ。ヴぃ、ヴぃ、ぉお」

 ああ、そうか、私は彼女を愛していなかったのか。
 自分ではなく、親友にこそなついていた娘を憎んでいたのか。
 愛していると思っていたのに。
 愛されていると思っていたのに。

「……助けて、お兄ちゃん」



[2605] 運命の使い魔と大人達 第三話前編
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/02/13 23:07

 三

 今、トリステイン中の貴族を恐怖に陥れているメイジの盗賊がいる。「土くれ」の二つ名を持つ盗賊、フーケという。
 フーケは、時に繊細に跡も残さず獲物を盗んだかと思えば、別荘を粉々に破壊して大胆に盗み出したり、白昼堂々王立銀行を襲ってみたり、夜陰に乗じて邸宅に侵入する。あまりに大胆不敵、千差万別のやり口に、トリステインの治安を預かる王室衛士隊の魔法衛士達も、一方的に振り回されるがままになっていた。
 そんなフーケであったが、その名がトリステインに知れ渡ったのには二つの理由があった。
 ひとつには、フーケは狙った獲物が隠されたところに忍び込むときには、主に「錬金」の魔法を使う。「錬金」の呪文で扉や壁を粘土や砂に変え、穴を開けてもぐりこむのである。もしくは、巨大な土ゴーレムを使う事もある。その身の丈はおよそ三十メイル。城でも壊せそうな巨大な土ゴーレムである。いかな王室衛士隊の魔法衛士であっても、そう簡単にはどうにかできるやわな相手ではない。「土くれ」とは、そんな盗みの技からつけられた二つ名なのである。
 そして、犯行現場の壁に「秘蔵の○○、確かに領収いたしました。土くれのフーケ」と、ふざけたサインを残していくこと。
 かくのごとき仕儀により、何か盗まれかねない秘蔵の名品を保有する貴族達は、夜も安心して眠ることができない有様なのであった。


 朝日が眼に差し、フェイトは眼を覚ました。いつもこの瞬間襲ってくる二日酔いの頭痛に身構えるが、いつまでたっても痛みはこない。不思議に思い目を開いてみれば、そこは記憶にある部屋であった。確かルイズと呼んでいる自分の主人の部屋である。そして自分はご主人様のベッドに横たわり、ご主人様は椅子に座り机に突っ伏して寝ていた。
 口の中がからからに乾き、全身が水分を欲している。フェイトは上体を起こし、ゆっくりとベッドから降りた。机の上の水差しを取りコップはないかと見渡すが、ルイズの愛用のグラスしか置いていない。さてこれを無断で借りてよいものか、少しためらったところでノックがある。

「どうぞ」

 シエスタであった。フェイトを厨房に案内し、食事を供してくれた平民の少女である。相変わらずのメイド姿で、カチューシャで髪をまとめている。
 彼女はフェイトを見ると微笑んだ。銀のトレイの上に、パンと水がのっている。

「もうお身体の具合はよろしいのですか? フェイトさん」
「ええ。……ところで、何があったのでしょうか?」
「あれから、ミス・ヴァリエールがここまであなたを運んで寝かせたんですよ。先生を呼んで「治癒」の呪文をかけてもらいました。大変だったんですよ」

 何故? 自分がそんな大怪我を負った記憶が無い。
 フェイトは、自分がこのハルケギニアという異世界に召喚され、そこで寝ているルイズという少女の使い魔兼使用人になった事までは覚えている。この少女の二つ名は「ゼロ」。あらゆる魔法が爆発という結果に至る特異な存在の少女である。そして、目の前にいるシエスタという名前の少女。この魔法学院で働いている使用人で、彼女によくしてもらった事も覚えている。
 だが、そこから先の事が、何故か明確な記憶として認識できない。
 突如として無表情になり黙り込んでしまったフェイトの顔を、シエスタは心配そうな表情で覗き込んだ。

「あの、まだどこかお身体の具合でも?」
「いえ、実は何故そんな怪我を負ったのかが思い出せないのです。一体全体何が起きたのでしょうか?」

 呆然としたままフェイトの顔を見つめているシエスタ。
 そんな少女の姿を見て、取り繕うようにフェイトは暖かく優しげな微笑みを顔面に貼り付けた。

「多分、怪我による一時的な記憶の混濁でしょう。しばらくすれば思い出してくるはずです。大丈夫、身体は本当に大丈夫です。むしろ、こんな目覚めの良い朝は久しぶりなくらいです」
「本当に? あの、頭を強く打ったらしいですから。もう一度先生に見ていただいた方がよいのでは?」
「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから」

 フェイトは、シエスタから銀盆を受け取ると、ルイズの寝ている机に音を立てずにそれを置き、かわりにルイズを抱きかかえてベッドに寝かせた。そのままカーテンを引いて、朝日が彼女に当たらないようにする。

「わざわざ食事を持ってきて下さったのですね。ありがとうございます」
「いえ、フェイトさんを看病なさっていたのは、ミス・ヴァリエールですし。三日三晩ずっと眠り続けていて、目が覚めないんじゃないかって、皆で心配していたんです」

 ああ、いつの間にそんな大怪我をしたのやら。
 多少の事ならば、時空管理局にいた頃に受けた訓練で怪我に至らせないようにさばけるはずであるし、そこまでの敵ならば、それなりの戦い方で無力化できているはずである。まして、クロノ・ハラオウン統括執務官の汚れ役専門の部下として「ハラオウンの猟犬」とまで呼ばれた自分である。あらゆる戦技において洗練と効率化で勝っているはずの訓練を受けたはずの自分が、不覚をとるなどどうしても想像ができない。

「皆といいますと?」
「厨房の皆です……」

 シエスタは、それからはにかんだように顔を伏せた。

「あの、すいません。あのとき、逃げ出してしまって」
「?」

 本当に何があったのだろう。もどかしさばかりが心を揺さぶる。

「ほんとに、貴族は怖いんです。私みたいな、魔法を使えないただの平民にとっては……」

 シエスタはぐっと顔をあげた。その目がキラキラと輝いている。
 フェイトは、そんな尊敬と憧憬の交じり合った視線が辛くて、そっと目をそらす。この子は、私の眼が怖くはないのだろうか。この濁って腐り、輝きを失った眼が。そんな思いに心が痛む。

「でも、もう、そんなに怖くないです! 私、フェイトさんを見て感激したんです。平民でも、貴族に勝てるんだって!」
「そう、ですか」

 私は貴女達のいう平民でもなければ、魔法が使えないわけでもないんです。この身は、ただ敵をあらゆる方法で無力化する訓練を受けた「猟犬」なんです。「猟犬」にとっては「人」は獲物でしかないんです。だから、勝ったのは当然の結果のはずなんです。
 そう心の中で呟きつつ、実際に口に出したのは一言であった。

「では、いただきます」


 トリステイン魔法学院の教師は、通常はアルヴィーズの食堂の中二階にあるロフトで食事をとる。一応は食事中の生徒の挙動を監督するため、という名目であるが、実際には絢爛たる食堂の眺めを楽しみつつ食事をとるためであった。そんなロフトの片隅で、コルベールは、学院長の秘書であるロングビルとともに昼食をとっていた。

「なるほど、それはとても興味深いお話ですわね」
「いやいや、なにしろこの学院も設立以来随分と長いですからな。それはもうガラクタ同然のものから、各国の王室すら保有していない魔法の品々まで、色々とあります」

 楽しそうに微笑むロングビルに、何気に女っ気の無いコルベールは嬉しくて仕方が無い、という様子で宝物庫に収められている秘蔵の品について語っていた。なにしろこんなに楽しそうに自分の話を聞いてもらえるのは中々無い事である上、相手はうら若く知的な美しさをもって学院中に知られるロングビルである。これで舞い上がらなければ、むしろ男性として何か問題があると言われてもおかしくはあるまい。

「そういえば、今お話下さった「破壊の杖」ですが、ミスタ・コルベールはご覧になられた事はおありでしょうか?」
「ああ、あれですか。まあ名前こそ「破壊の杖」などと大層なものですが、なんと申しますかぼろぼろの金属製の杖に、宝玉が埋め込まれただけの代物でしたな」
「まあ。でもそうしますと、とても古い魔法の品なのかもしれませんね。金属がぼろぼろになるということは、もしかしますと始祖の時代から伝わるものかも」

 ヒラメの香草包みに舌鼓をうちつつ、ロングビルは色々なコルベールの話にちょっとした意見をさしはさむ事で、さらにコルベールの舌をなめらかにしていく。

「それにしても、宝物庫についてよくご存知でいらっしゃいますこと。目録作りは、私などよりミスタ・コルベールの方が適任かもしれませんね」
「ははは、いや、僕ももうこの学院で教鞭をとって二十年になりますから。これくらいは」
「いえ、ミスタ・コルベールは優秀な火系統のメイジと噂をお聞きしますし、例えば「土くれのフーケ」が襲ってきても大丈夫でしょう」

 いかにも頼りになる殿方、という視線を送られて、コルベールはもう有頂天になっていた。

「まあ、なんですな。メイジである限りあの塔に侵入するのは不可能ですな。なにしろ、スクエア級の魔法使いが数人がかりで固定化の魔法をかけておりますからな。ただ」
「ただ?」
「まあ、これは僕の仮説に過ぎないのですが、物理的な力でもって無理やり破壊してしまえば、と」
「なるほど。でもそれは無理でしょうね。それこそ、城砦すら壊しかねないゴーレムでないと」

 本当に楽しそうに、ロングビルはにっこりと微笑んだ。

「ミスタ・コルベールのそばにいらっしゃる女性は、幸せでしょうね。だって、誰も知らないような事をたくさん教えて下さるのですから」


 食事時の厨房は、それこそ戦場の様な忙しさである。用意しなければならない食事の量が半端ではない上、相手が貴族の子弟とあっては、その肥えた舌にあった食事を用意しなくてはならないからである。
 そんな皆が一糸乱れぬ動きで働いているのをぼんやりと眺めつつ、フェイトは出された賄い食をゆっくりと咀嚼しつつ飲み込んでいた。味は多分とても良いのだろう。ただ、ここ何年か強いアルコールに耽溺しているせいか、今ひとつ物の味というものが判らなくなってしまっている。

「どうですか? 今日のシチューは」

 そんな厨房の中で、シエスタがそばでかいがいしく給仕を務めてくれている。

「美味しいです。とても。それに出来立ての暖かい食事は良いですね」

 管理局にいた頃は、現場で指揮をとる事も多く、ゆっくりと暖かい食事をとる事は中々できなかった。自宅に戻っても、義理の娘のヴィヴィオと一緒に食事をする機会もほとんど無く、自分で料理するとしても精々が酒のつまみ程度であったのだ。

「でも、良いのですか? 私に付き合って下さって。本当はこんなお忙しい時に、お邪魔するのは心苦しいのですが」
「かまいやしないぞ。ここを任されている俺が許すと言ったんだ。あんたはいつでも来たい時に来て、たんと食っていってくれ」

 フェイトにその広い背中を見せつつ、この厨房を仕切るコック長のマルトーがそう声を発した。そのついでか、忙しく働いている厨房の全員が、一斉に同意の声をあげる。

「なにしろあんたは、シエスタの名誉のために貴族と戦ってくれたんだ。そのあんたを粗略扱っちゃあ、この俺達の名誉に関わるってもんだ」

 大貴族の子弟の通う魔法学院のコック長ともなれば、そこらの貧乏な貴族よりよほど羽振りはよい。そしてマルトーもまた、羽振りの良い平民の例にもれず、貴族と魔法を毛嫌いしていた。そしてフェイトは、そんな貴族の八つ当たり同然の言いがかりでいじめられていたシエスタをかばい、あげく貴族に向かって「シエスタの名誉のため」と大見得を切って決闘を受けてたったのである。ついでに、生意気な貴族のガキを素手でふるぼっこにぶちのめして、きっついお灸をすえたのだ。
 貴族の横暴に泣かされている平民は少なくない。その貴族を正面から拳でぶちのめしたフェイトは、まあ確かに色々と問題はあるにせよ、この魔法学院で働く全ての平民の希望の星となってしまっていたのであった。
 加えて、精霊もかくやという美貌である。これで人気が出ない方がおかしい。

「いえ、か弱い女の子がいじめられているのを、黙って見過ごすわけにはいきませんし」
「聞いたか!? さすがは本物の達人だ! なあ、あんたどこでそんな戦い方を習ったんだ?」
「いえ、私のいたところでは、心身の鍛錬に武道を習うのはごく当たり前の風習でしたから」

 確か、親友のいた世界は、というか国は、そういう風習だったはずだ。

「お前達! 聞いたか!」
「聞いてますよ! 親方!」

 マルトーの怒鳴り声に、若いコックや見習い達が一斉に怒鳴り返す。

「本当の達人というのは、こういうものだ! 決して己の腕前を誇ったりしないものだ! 見習えよ! 達人は誇らない!」
「達人は誇らない!」

 コック達が嬉しげに唱和する。

「やい、「我らの拳」。俺はそんなお前がますます好きになったぞ。どうしてくれる」

 本当に心からそう思っている表情で、マルトーは料理の手を止めて振り向いた。

「でも、親方もこんなに美味しい食事で、皆さんを感動させられますし。料理も別に魔法とそう変わるものでもないでしょう」
「いいやつだな! あんたはまったくいい奴だ!」

 自分が実はこの世界の魔法使いなど足元にも及ばない強大な魔法を使える上、権力の狗であったし、あげく殺人技術の第一級の専門家である事を黙っているのが、何故かこの気の良い親父相手では嘘をついているようで気が引けて、ついついそんな事を言ってしまう。
 それはもう嬉しそうにマルトーは、フェイトがしまったと思うより早く、彼女の首根っこにぶっとい腕を巻きつけてきた。

「なあ、「我らの拳」! 俺はお前の額に接吻するぞ! こら! いいな!」
「ごめんなさい。その呼び方と接吻は許してください」

 というわけで、フェイトの食事は、本人にとってはどうかは判らないが、とてもにぎやかで楽しい雰囲気の元で進むのであった。 


 フェイトがわざわざ厨房の忙しい時に食事をとりにくるのには理由がある。ご主人様であるルイズが授業に出ている間、そばに付き添っていなくてはならないからだ。なにしろフェイトの対外的な立場は、あくまでルイズの使い魔である。そしてギーシュとの決闘で見せたフェイトの狂態から、ルイズはフェイトを絶対に自分の近くから離そうとはしなくなっていた。
 かといって、ルイズがフェイトを信頼するようになったという事ではない。むしろ逆であり、もし自分が眼を離せば、また何かしらの騒動に巻き込まれるに違いない、と思い込んでの事であった。
 なにしろフェイトは、心底貴族を嫌っているというか、馬鹿にしている。舐めている。嘲笑っている。普段は柔和な表情でごまかしているが、その光の無い、濁って腐った眼に浮かぶ軽蔑の色が全てを語っているようにルイズには思えた。

 そんなフェイトを従えてルイズが教室に入ると、一斉に皆が口を閉じる。わざとらしく視線を外し、あえてそこに誰もいないように振舞う。もっともただ一人の例外がいるが。

 あの決闘以来、フェイトに対する興味を完全に隠そうともしなくなったキュルケ・フォン・ツェルプトーである。
 とにかく、気がつくとどこかしらからフェイトの事を観察しているのだ。彼女が学院内で派手に男遊びに呆けているのはルイズも知っているが、まさかそっちの気があっての事ではないくらいは判る。キュルケのフェイトを見る視線は、あくまで戦士としてのそれに近い。いかにしてフェイトと戦うべきか、その隙を見つけようとする様な。

 もはや誰もルイズの事を正面きって「ゼロ」と馬鹿にする者はいなくなった。生徒の誰もが、ギーシュの様に顔面の骨がぐずぐずに砕けるまで殴られたくはないからだ。平民の名誉のためにそこまでするならば、主人であるルイズの名誉に関わる事ならば、どれほどの暴力にさらされる事か。

「ミス・ヴァリエール。それでは「ウィンド」の魔法を実践してみたまえ」
「申し訳ありません、ミスタ・ギトー。わたしが魔法を行使すると、必ず爆発という結果に至ります。危険ですので他の誰かにお願いいたします」

 そしてルイズは、授業での魔法の行使を徹底的に控えるようになった。
 それもフェイトとコルベールの助言があっての事である。決闘の後、フェイトが復調してから、約束通り「なぜルイズの魔法は爆発という結果に至るのか」という問題を徹底的に調べたのだ。まずコルベールの研究室に二人で赴いて助力を願い、ルイズの肉体をフェイトが徹底的に調べるのを手伝ってもらった。その結果は、ルイズの肉体は全く普通のメイジと変わらない事が明らかになっただけであった。
 次にフェイトは、ルイズにあらゆる呪文を行使させた。それこそごくごく基本的なコモン・マジックから、二年生になってようやく習う高度な呪文まで全て。その過程をコルベールとフェイトは徹底的に観察し、いかなる魔法行使の過程が発生するか、調べたのである。

 結論は、ルイズが四大系統の魔法使いではなく、別の系統の魔法使いであるという事。

 コルベールは、仮説として「虚無」の系統を提唱し、フェイトもまたそれに反対はしなかった。彼女曰く、魔法の体系とはその世界の住人の共同幻想の具現化であり、例え歴史の彼方の伝説であったとしても伝説として現在に伝えられている以上、意識的にではなくても、無意識的に伝承されているはずである、というのだ。
 それが何を意味するのかルイズにはさっぱり判らなかったが、何か血統的な因子によって偶然発現するものであるのでしょう、という彼女の言葉にうなずくしかなかったのであった。
 となると、ルイズとしては授業で魔法の実技を行うわけにはいかなくなる。そもそもが四大系統の魔法使いではないのであるならば、知識としての四大系統を学ぶ事に意味はあっても、実際には行使できないのであるから、やるだけ無駄という事になる。それに、もし偶然衆人環視の中で「虚無」の系統に目覚めてしまったら、とんでもない騒ぎになる。なにしろ伝説の復活である。下手をすると王宮まで動くかもしれない。

 というわけでルイズは、ひたすらフェイトとコルベールの監督下で放課後に魔法行使を繰り返す生活が始まったのであった。

「やはり、広域にかける魔法は、狙った場所にすら発現しませんね」

 盛大に本塔の外壁が爆発するのを見て、フェイトが特に感慨も無さげに手元のノートに色々と書き込んでゆく。

「というより、発現はあくまでミス・ヴァリエールの視界内で発生している。つまり、発動の瞬間に彼女の意識の焦点がどこにあるか、それを調べてみようじゃないか」

 コルベールは、あくまで研究者として結果の再現性の確認にしか興味がない様子である。

「ごめんなさい、今日はここまでみたいです」

 とはいっても、ひたすら魔法を唱え続けていたルイズの身体の方がもたなければどうしようもない。さすがにへとへとになってふらついている彼女を見れば、これ以上は無理と大人二人が判断しても仕方がない。

「うむ、有為な結果には至りませんでしたが、未知の成果ひとつに至るには、千の失敗が背景にあるのです。無駄に思えるかもしれませんが、これからも努力していただきたい」

 いつも通りのコルベールの励ましというか、挨拶とともに解散となる。
 これからルイズは夕飯を食べに食堂に行き、それからフェイトと一緒に体力の練成の訓練に付き合う事になる。
 最初はフェイトが、自身の身体を鍛えなおしたい、と夜間の自由行動の許可をルイズに求めたのであるが、フェイトから一瞬でも目を離したくないルイズによってそれは却下されたのであった。が、これに関してはフェイトは頑として譲らず、結果としてルイズもフェイトに付き合う羽目になる事になったのであった。
 最初の三日間は、それこそフェイトについていくことどころか、途中でへたばって転がったまま、彼女が身体から湯気を立てつつ見たこともない体術を繰り返すのを見ているだけであった。少なくとも、今でもフェイトが走りこむ距離を完走する事すらままならなかったりする。

「あんた、本当に何者?」
「ですから元いた世界では、心身の鍛錬のために武道を修めるのは当然の風習であった、と申し上げました」
「あんたの居た世界は、なんてゆうかとんでもない世界だと思うわ」
「代わりといっては変ですが、魔法はほとんど存在しない世界でしたので」
「ミスタ・コルベールに聞いたわよ。魔法の代わりに技術とやらが発達しているんだって? ほんと、世界は驚きに満ちているわ」

 全身筋肉痛でぶっ倒れたまま、脚さばきで瞬時に十メイルもの距離をつめる事を繰り返しているフェイトとそんな事を話す。とにかく膝が笑ってまともに立っていられないのだ。
 そんなルイズにフェイトは、三ヶ月も走りこめばそんな事もなくなりますよ、と言ってくれてはいるが、とてもそんな日がくるとは思えない。ただ、ここまでくると半ば自棄みたいなもので、ご主人様としての意地が彼女を支えているのである。

「なんていうか、毎晩毎晩がんばるわねえ」
「走りこみは基本」
「うるさい! キュルケ、あんたボーイフレンド達はどうしたのよ!?」

 そして、彼女が意地を張り続ける理由のひとつが現れる。
 キュルケは、何故かタバサをともなってフェイトとルイズの夜の鍛錬に顔を出すようになったのだ。なんでもキュルケに言わせれば、ルイズがぶっ倒れているのを見るのが楽しいのだとか。タバサは一言「付き合い」とだけ言って、あとは杖の先に明かりを灯して本を読んでいるだけである。

「あら、あたしの二つ名は「微熱」よ? この胸の炎をかき立ててくれる殿方がいなくて、それをあなたがかき立てるのだから、仕方がないじゃない」
「あんた、いつからそっち側に転向したのよ」
「とんでもない。ただ今はあなたの方が興味深いだけよ」
「どーだか」

 とはいっても、荒い息で芝生にぶっ倒れたままにらみつけては迫力も半減である。
 互いに口には出さねども、つまりはフェイトに興味があるというだけの事なのだ。
 あの決闘の時のフェイトは、どうみても発狂したとしか言いようのない有様であった。二人ともあえて口に出さないが、平民が貴族と決闘して素手でぶちのめしたという結末は、学院中の人間に知れ渡ってしまっている。あの決闘を直接見ていない生徒が、フェイトを闇討ちしようとしてもおかしくはない。
 となれば、好機はこの夜の鍛錬の時となる。なにしろ一人で暗闇の中にいるのであるから、集団で襲って半殺しの目に遭わせても、誰が犯人かばれる事はない。
 ただし、フェイトは強い。彼女が本気でギーシュを叩きのめすつもりであったならば、あんな風にゴーレムに一方的に殴られるという無様は見せなかったであろう。今目前で彼女が行っている一瞬で十メイルもの距離を縮める歩法と、瞬時にギーシュの右腕をへし折り地面に転がした体術、そして、室内にいながら室外から見られている事にすら気がつける鋭敏さがあれば、この学院の生徒では瞬時に返り討ちに遭うのが関の山であろう、とも、二人とも判っている。
 そんな二人の思惑を知ってか知らずにか、フェイトは自身も汗だくになったところで鍛錬を終わらせる気になったらしい。全身の柔軟運動を始め、鍛錬でこわばった身体をほぐしていく。

「お二人とも、大変に仲が良くていらっしゃるのですね」
「そんなこと、絶対に無いから!」
「と、ムキになる彼女が面白いから見に来ているだけよ」

 がぁーっ! と吠えるルイズと、余裕綽々なところを見せるキュルケの姿を見ていると、フェイトは何か色々なものが思い出せそうになるのだが、それがどうしても思い出せない。
 先日の決闘騒ぎの事といい、自分がとうとう壊れてしまったのだな、という自覚がある。特に管理局にいた頃の事、特に交流関係を思い出そうとすると、酷い頭痛に襲われるのである。クロノ・ハラオウンとその母親リンディ、自分が一時期保護者であったエリオとキャロ、親友の八神はやてとその守護四騎士達。そこから先がどうしても思い出せない。
 ここ数日は睡眠薬代わりのアルコールも度数の低いワインを一、二本程度におさめ、こうして鈍ってしまった身体を鍛え直す事で、少しでも思い出すのを拒否している記憶を取り戻そうとしているのであるが、今のところ全く効果は出ていない。
 シエスタに頼んで分けてもらった綿布で自作した作務衣の上を脱ぎ、同じく自作したTシャツをめくってタオルで汗をぬぐいつつ、フェイトは、自分がいつまで正気を保っていられるのだろうかと、不安と恐怖に訳のわからぬ衝動にパニックを起こしそうになる。
 全身を痛めつけなければ、自分自身でいられなくなる。フェイトは、自分が何をすればよいのか、途方にくれていた。


「しかし、「虚無」の系統が今この時に復活するとはのう」
「やはり王政府に判断を仰ぐべきなのではないでしょうか?」

 学院長室でオールド・オスマンとコルベールの二人は、壁にかけられている遠見の鏡に映るフェイト達の姿を見つつ、真面目な表情で声を抑えて話をしている。
 放課後のルイズの魔法行使に付き合った後、コルベールは、夜食をオールド・オスマンととりつつルイズとフェイトについて報告するのが、ここ最近の日課となっていた。二人とも、ヴェストリ広場での決闘でフェイトが見せた狂態を見過ごすつもりはなかったのだ。
 確かに彼女の額に現れたルーンは、知恵を司る「ミョズニトニルン」である。これに間違いはない。ならばあの人とは思えぬ体術と、自身がどれほど傷つこうと意に介せず闘い続けた狂気はなんなのか。こちらに召喚される前になんらかの訓練を受けていたとしても、ただ人にあんな事ができるのか。
 数多くの人外の者達と出会い、数々の冒険をこなしてきた大魔法使いであるオールド・オスマンと、この学院に来る前は血臭の只中にいたコルベールだからこそ、フェイトの持つ危険性がひしひしと理解できたのだ。

「前にも言うたが、王政府に二人の事を知られれば、必ず戦争の駒とされるわい」
「確かに仰る通りですが、しかし、私では彼女がそのつもりになった時、とても抑えられません。学院長ならば、なんとかお出来になられるのでしょうが」
「ふん、儂も年じゃ。できる事とできん事があるわい。しかしアルビオンのアホどもがあの通りじゃからの、王政府のボンクラどもとしては藁にもすがりつきたい気分じゃろうて」

 そういうものですか、と呟いて、コルベールは唇をワインで湿らせた。

「しかし、「炎蛇」のコルベールでも手も足も出ぬか。それほどの魔力と技量か」
「はい。あれはトライアングルだのスクエアだのペンタだの、そういうレベルを超えております。あえて言うならば、火トカゲと老韻龍を比べるようなものでしょうか。幸い彼女は、人としての良識と常識の持ち主です。平民の少女をかばったあたり、そこから義理と情でなんとかできるかするしかないのでしょうな」
「うむ、儂としてもそれ以外には無いと思うておる。もしくは、いっそ表舞台に出られないような立場に立ってもらうとかのう」

 そして二人は、そろって大きなため息をついた。

「なんじゃのう。そろいもそろって、王政府のボンクラどもとなんで同じ発想になるのかのう」
「なんと申しますか、その、人として嫌になりますな。こんな事には二度と関わるつもりは無かったのですが」
「そうじゃ! いっそお主の研究室に助手として引き取ってしまうというのはどうじゃ? 彼女の給料分くらいは、儂の方で立て替えてやろう」
「なるほど! さすがは学院長。それは素晴らしいアイデアです! 問題は、ミス・ヴァリエールが承諾してくれるかどうかですが」
「なに、それくらいはこの老いぼれがなんとかしてやろう。さすがにそこまでは耄碌はしておらんからの」

 オールド・オスマンとコルベールが、大喜びでワインのグラスを掲げたその瞬間、本塔を大きな揺れが襲った。


「「ええええええっ!?」」
「大きい」
「ですね」

 フェイト達四人の目前にそびえ立つそれは、身の丈三十メイルはある土ゴーレムであった。その巨大なゴーレムが、本塔の壁をひたすらに殴りつけている。
 ルイズとキュルケは、口をあんぐりとあけて呆然としてそれを見つめ、タバサは一度口笛を吹いてからあとは、黙ってフェイトの方に視線を送っている。そしてフェイトは、一通り汗を拭き終わると、困りましたねえ、といわんばかりの表情を浮かべてゴーレムを観察していた。
 そんなこんなのうちに、本塔の壁に大きな穴があけられ、中に人影が入っていくのが月の光で映しだされる。

「ちょっと、フェイト、あんた何ぼさっと見ているのよ!」

 痛む身体を気力で押さえ込んだのだろう、ルイズが飛び起きる。

「と申されましても、私ではなんともできませんし」
「そーゆー意味じゃなくって! あんた平民なんだからさっさと逃げなさいよ! 踏み潰されるわよ!!」
「あ、そちらの意味でしたか。お気遣い、まことにありがとうございます」

 優雅に一礼するフェイトを見て、ルイズは心底こう思った。
 やはりこいつは、世の中舐めていやがる。
 そして、こうも思った。
 ギーシュみたいな甘ったれたガキじゃない、本当の貴族の姿を見せてやる、と。

「とにかくあたしが時間を稼ぐから、あんたキュルケとタバサを連れて逃げなさい!」
「了解いたしました。それではミス・ツェルプトー、ミス・タバサ、こちらへ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ、ルイズ! 魔法も使えないあなたがどうやって足止めするっていうのよ! あなたも一緒に逃げなさいよ!!」

 さすがに我に返ったキュルケが、慌ててルイズに走り寄る。しかしルイズは、キュルケが伸ばした手を払いのけると、まっすぐゴーレムをにらみつけつつ、はっきりと言い切った。

「わたしは貴族よ。魔法を使える者を貴族と呼ぶんじゃないわ」

 そして、袖口から杖を抜き、ゴーレムに向ける。

「敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!!」

 一小節の呪文。
 しかしそれは、ゴーレム頭部を盛大に吹き飛ばした。


 突然聞こえてきた爆音と衝撃波に、土くれのフーケは、手にした「破壊の杖」の収められた箱を取り落としそうになった。少なくとも彼女の知識では、炎上させる魔法はあっても、爆発させる魔法は存在しない。
 一瞬、錬金で火薬を組成し、それを爆破させたのかとも思ったが、自分の作ったゴーレムがそう簡単に他のメイジの魔法で錬金されるはずがないし、万が一そうなってもすぐに自分には判るはずである。
 とりあえずゴーレムを修復し、壁の影から周囲の状況を観察する。
 と、ゴーレムの胴体にいくつも爆発が起こる。その爆発の箇所から、魔法をかけている相手のいる方向を把握し、そちらに向けて「魔力探知」の呪文を唱える。
 いた。生徒とおぼしき三人と、平民が一人。その生徒らのうちの一人が、しきりと杖をこちらに向けて呪文を唱えている。さすがに月明かりだけでは、その三人が何者かは判らなかったが、しかし今の自分にとっては脅威である事に違いはない。
 一瞬、ゴーレムで踏み潰させようかとも思ったが、四人は舞い降りてきたウインド・ドラゴンの背に乗ると、空中に舞い上がってしまう。こうなっては仕方が無い。このゴーレムを囮に、ここから逃げ出すほかはない。
 フーケは、空中の四人から自分の姿が見えないようにゴーレムを動かすと、そのまま地面に向けて飛び降りた。


「ああもう! なんて修復速度なのよ!!」
「材料が土」
「ですから、材料はそこら中にありますしね。あとは慣れでしょうか」
「あなた達、何気に息があっていない?」

 タバサが呼んだ使い魔のウインド・ドラゴンの背で、四人はぎゃんぎゃんとかしましく、しかし学院の外へと逃亡するゴーレムの周囲を飛行しつつ追跡を行っていた。
 ゴーレムの歩行速度はそれほどでもなく、飛行速度がうりのウインド・ドラゴンならば追跡するのにさほど苦労はない。ゴーレムの拳の届く範囲の外を周回しつつ、ルイズがひたすら「錬金」だの「浮遊」だの一小節の呪文を唱えて、ゴーレムのあちこちを爆破している。しかし、やはり材質が土のためであろう、あっという間に爆破されえぐれた箇所が修復されてゆく。

「ミス・タバサ、申し訳ありませんが、私をここで下ろしてはいただけないでしょうか?」
「夜の森で追跡は無理」
「まあ、そこはなんとかいたしますので。このままですと、あと少しであれは森にたどりついてしまいますし」
「あんたら、何の話をしているのよ?」

 さすがに魔力が尽きたのか、呪文を唱えるのをやめたルイズが、汗だくの上に荒い息でフェイトとタバサに視線を向けた。

「いえ、多分盗賊は我々に見えないよう、ゴーレムの影に隠れて移動していると思われます。ゴーレムが森に着いたら、後は森の中を隠れ家に向けて逃げていくのではないかと」
「でも、森の闇では足跡は追いきれない」
「ですから、そこはなんとかしますから」
「あんた、絶対に世の中舐めているわね。ねえ、そうでしょ」

 それでもにこにこと微笑んでいるフェイトを、ルイズは杖の先でつつきまわす。
 と、草原を行くゴーレムがぐしゃっとつぶれ、土の山と化した。四人はその土の山の近くに降り立ったが、すでにあたりに人影は見えない。

「逃げられた」
「ですね。多分土の中を移動しているのでしょうが。探知系の魔法で見つけられます?」
「無理」
「そうですか。では本格的な追跡は夜が明けてからですね」

 冷静に淡々と話をしているフェイトとタバサを見て、キュルケとルイズは盛大にため息をついた。

「ねえキュルケ」
「何、ルイズ?」
「もしかして、私、道化?」
「……努力は尊いものよ。あたしは今回なにもできなかったし」

 そして二人は、もう一度大きなため息をついた。 



[2605] 運命の使い魔と大人達 第三話後編
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/02/17 17:14
 「土くれ」のフーケが見事トリステイン魔法学院の宝物庫から「破壊の杖」を強奪した翌朝、学院は蜂の巣をつついたかのような騒ぎになっていた。
 なにしろ、秘宝の「破壊の杖」を、巨大なゴーレムが壁を破壊する、という大胆不敵な方法で盗んでいったのである。幾重にも魔法で強化された城壁ほどもの厚みのある壁を、強引にぶち抜いて侵入するなど、誰も想像もできなかった事態であったのだ。
 というわけで学院中の教師が集まって、壁にあいた大きな穴を見て、口をあんぐりをあけて呆然としていたのであった。
 ちなみに、というか、当然のごとく壁には「土くれ」のフーケの犯行声明が刻まれている。

「破壊の杖、確かに領収いたしました。土くれのフーケ」

 とりあえず一通り茫然自失の状態が過ぎると、次は責任のなすりあいとなる。

「衛兵は何をしていたんだ!」
「衛兵などあてにならん! 所詮は平民ではないか! それより当直の貴族は誰だったんだね!」

 シュヴルーズは震え上がった。昨晩の当直は、彼女であったのだ。まさか魔法学院を襲う盗賊がいるなどとは夢にも思わずに、当直をサボって自室でぐうぐう寝ていたのである。本来ならば、夜通し門の詰め所に待機していなければならないのに。

「ミセス・シュヴルーズ! 当直はあなたなのではありませんか!」

 教師の一人が、さっそくシュヴルーズを追求し始めた。オールド・オスマンが来る前に責任の所在を明らかにしておこうというのだろう。
 シュヴルーズは、とうとう泣き出してしまった。

「も、申し訳ありません……」
「泣いたって、お宝は戻ってはこないのですぞ! それともあなた「破壊の杖」の弁償ができるのですかな!」
「わたくし、家を建てたばかりで……」

 シュヴルーズは、よよよと床に崩れ落ちた。

「これこれ、女性を苛めるものではない」

 はやシュヴルーズに対する糾弾大会になりそうになったその時、オールド・オスマンが登場した。とりあえずシュヴルーズに対する非難の声はおさまったが、皆口々にオスマンに訴える。

「しかしですな! オールド・オスマン! ミセス・シュヴルーズは当直なのにぐうぐう自室で寝ていたのですぞ! 責任は彼女にあります!」

 オールド・オスマンは、長い口ひげをこすりながら、口から唾を飛ばして興奮しているその教師を見つめた。

「ミスタ……、なんだっけ?」
「ギトーです! お忘れですか!」
「そうそう。ギトー君。そんな名前じゃったな。君は怒りっぽくていかん。さて、この中でまともに当直をしたことのある教師は何人おられるかな?」

 オスマン氏は、あたりを見回した。教師達はお互いを見合い、そして恥ずかしそうに顔を伏せた。名乗り出る者はいなかった。

「さて、これが現実じゃ。責任があるとするなら、我々全員じゃ。この中の誰もが、もちろん儂も含めてじゃが……、まさかこの魔法学院が賊に襲われるなど、夢にも思っていなかったのじゃ。何せ、ここにいるのは、ほとんどがメイジじゃからな。誰が好き好んで、虎穴に入るのかっちゅうわけじゃ。しかし、それは間違いじゃった」

 オールド・オスマンは壁にぽっかりあいた穴を見つめた。

「この通り、賊は大胆にも忍び込み、「破壊の杖」を奪っていきおった。つまり、我々は油断していたのじゃ。責任があるとするならば、我ら全員にあるといわねばなるまい」

 シュヴルーズは、感激してオールド・オスマンに抱きついた。

「おお、オールド・オスマン、あなたの慈悲のお心に感謝いたします! わたしくはあなたをこれから父とお呼びすることにいたします!」
「ま、それはさておき、犯行の現場を見ていたのは誰だね?」

 とりあえずシュヴルーズのお尻をひと撫でしてから、オールド・オスマンは、ぐるりと周囲の教師らを見回した。

「この三人です」

 コルベールがさっと進み出て、自分の後ろに控えていた三人を指差した。
 ルイズにキュルケにタバサの三人である。フェイトもそばにいたが、使い魔なので数には入っていない。

「ふむ……、君達か」

 オールド・オスマンは、興味深そうにフェイトを見つめた。そのフェイトといえば、目を伏せたまま、相も変らぬ口の端をわずかに歪めた表情で黙って主人であるルイズの後ろに控えている。

「詳しく説明したまえ」

 ルイズが進み出て、見たままを述べた。

「あの、大きなゴーレムが現れて、ここの壁を壊したんです。そして、あいた穴から黒いメイジがこの宝物庫の中から何かを……、その「破壊の杖」だと思いますけれども……、手に持ってゴーレムの影に隠れました。ゴーレムは城壁を越えて歩き出して……、最後には崩れて土になっちゃいました」
「それで?」
「後には土しかありませんでした。黒いローブを着ていたメイジは、影も形もなくなっていました」
「ふむ……」

 オスマン氏はひげを撫でた。しばらく無言でそうしていると、気がついたようにコルベールに尋ねた。

「ときに、ミス・ロングビルはどうしたね?」
「それがその……、朝から姿が見えませんで」

 オールド・オスマンはコルベールに軽く目配せすると、少々声のトーンを高めた。

「この非常時に、どこに行ったのじゃ」
「どこなんでしょう?」

 同じように軽く目配せして答えたコルベールが、なんというか困った様子で答える。
 と、そんな風に噂しているところに、ロングビルが駆け込んでくる。

「ミス・ロングビル! どこに行っていたんですか! 大変ですぞ! 事件ですぞ!」

 興奮した調子で、コルベールがまくし立てる。しかし、ロングビルは落ち着きを払った態度でオールド・オスマンに告げた。

「申し訳ありません。朝から、急いで調査しておりました」
「調査、かね?」
「そうですわ。今朝方、起きたら大騒ぎじゃありませんか。そして、宝物庫はこの通り。すぐに壁のフーケのサインを見つけたので、これが国中の貴族を震え上がらせている大怪盗の仕業と知り、すぐに調査におもむいたのです」
「仕事が早いの。ミス・ロングビル」

 そこにコルベールが割って入り、慌てた調子で促した。

「で、結果は?」
「はい。フーケの居所と申しますか、隠れ家がわかりました」

 おおう、と、教師達からどよめきが起きる。

「誰に聞いたんじゃね? ミス・ロングビル」
「はい、近在の農民に聞き込んだところ、近くの森の廃屋に入っていった黒ずくめのローブの男を見たそうです。おそらく、彼はフーケで、廃屋は隠れ家ではないかと」

 ルイズが叫んだ。

「黒ずくめのローブ? それはフーケです! 間違いありません!」

 オールド・オスマンは目を鋭くして、ロングビルに尋ねた。

「そこは近いのかね?」
「はい、徒歩で半日。馬で四時間といったところでしょうか」
「すぐに王室に報告しましょう! 王室衛士隊に頼んで、兵隊を差し向けてもらわなくては!」

 コルベールが叫んだ。
 しかしオールド・オスマンは首を振ると、目をむいて怒鳴った。年寄りとは思えない迫力であった。
「馬鹿者! 王室なんぞに知らせている間にフーケは逃げてしまうわ! その上……、身にかかる火の粉を己で払えぬようで、何が貴族じゃ! 魔法学院の宝が盗まれた! これは魔法学院の問題じゃ! 当然我らで解決する!」

 ロングビルは微笑んだ。まるで、この答えを待っていたかのようであった。
 オールド・オスマンは咳払いをすると、有志を募った。

「では、捜索隊を編成する。我と思う者は、杖を掲げよ」

 誰も杖を掲げない。困ったように顔を見合すだけである。

「おらんのか? おや? どうした! フーケを捕らえて、名を上げようと思う貴族はおらんのか!」

 ルイズはうつむいていたが、それからすっと杖を顔の前に掲げた。

「ミス・ヴァリエール!」

 シュヴルーズが、驚いた声をあげた。

「何をしているのです! あなたは生徒ではありませんか! ここは教師に任せて……」
「誰も杖を掲げないじゃないですか」

 ルイズをきっと唇を強く結んで言い放った。その毅然とした表情と、真剣な目をした彼女は凛々しく、そして美しかった。そんな主人の姿を見て、ずっと黙ってうつむいていたフェイトは、わずかに微笑みらしきものを浮かべた。
 ルイズがそのように杖を掲げているのを見て、キュルケもさっと杖を掲げた。

「ミス・ツェルプトー! 君は生徒じゃないか!」

 驚いた声をあげたコルベールに、キュルケはつまらなさそうに言った。

「ふん。ヴァリエールには負けられませんわ」

 キュルケが杖を掲げるのを見て、タバサも杖をかかげる。

「タバサ。あんたはいいのよ。関係ないんだから」
「心配」

 キュルケは感動した面持ちで、タバサを見つめた。ルイズも、唇をかみ締めてお礼を言った。

「ありがとう……。タバサ……」

 そんな三人の様子を見て、オールド・オスマンは莞爾とした笑みを浮かべた。

「そうか。では、頼むとしようか。よいな、諸君」
「オールド・オスマン! わたしは反対です! 生徒達をそんな危険にさらすわけには!」
「では、君が行くかね? ミセス・シュヴルーズ?」
「い、いえ、わたしは体調がすぐれませんので……」
「彼女たちは、敵を見ている。その上、ミス・タバサは若くしてシュヴァリエの称号を持つ騎士だと聞いているが?」

 タバサは返事もせずに、ぼけっと突っ立っている。教師達は驚いたようにタバサを見つめた。
 キュルケも驚いている。王室から与えられる爵位としては最下級の「シュヴァリエ」の称号ではあるが、たかだか十五歳の彼女がそれを与えられるというのが驚きである。男爵や子爵の爵位ならば、領地を買うことで手に入れる事も可能であるが、シュヴァリエの称号だけは違う。純粋に業績に対して与えられる爵位であり、実力の称号なのだ。

「ミス・ツェルプトーは、ゲルマニアの優秀な軍人を数多く輩出した家系の出で、彼女自身の炎の魔法も、かなり強力と聞いているが?」

 キュルケは得意げに、髪をかきあげた。
 それから、ルイズが自分の番だとばかりにかわいらしく胸を張った。

「そして、ミス・ヴァリエールは数々の優秀なメイジを輩出したヴァリエール公爵家の息女で、その爆発魔法は強烈無比と聞いておるが?」

 まさしくものは言い様である。かなり微妙な言い回しに、ルイズは思わずオールド・オスマンから目をそらした。その威力を身をもって味わったことのある教師らが、一斉に納得したようにうなずく。

「しかもその使い魔は、平民の身でありながら、あのグラモン元帥の息子であるギーシュ・ド・グラモンと決闘して勝ったという噂だが」

 すっと目を細めてフェイトを見つめるオールド・オスマンに、彼女はあくまで目を伏せたまま、口の端を歪めただけであった。
 そんなオールド・オスマンの言葉に、教師達はすっかり黙ってしまった。オールド・オスマンは威厳のある声で言った。

「この三人に勝てるというものがいるのならば、前に一歩出たまえ」

 誰もいなかった。もっとも、オールド・オスマンとコルベールが再度何か視線でやりとりしたのに気がついた者も誰もいなかったが。
 オールド・オスマンは、フェイトを含む四人に向き直った。

「魔法学院は、諸君らの努力と貴族としての義務の完遂に期待する」

 ルイズとキュルケとタバサは、真顔になって直立すると「杖にかけて!」と同時に唱和した。それからスカートの裾をつまみ、恭しく礼をする。フェイトはというと、相変わらず黙ってうつむいたまま、口の端を歪めているだけであった。

「では、馬車を用意しよう。それで向かうのじゃ。魔法は目的地につくまで温存したまえ。ミス・ロングビル」
「はい。オールド・オスマン」
「彼女達を手伝ってやってくれ」

 ロングビルは頭を下げた。

「もとよりそのつもりですわ」
「うむ、頼んだぞ。ではこれにて解散とする。各々担当に戻りなさい。破壊された壁の修復は儂がやっておくからの」

 オールド・オスマンの言葉に三々五々に散っていく教師らを尻目に、老魔法使いはフェイトに歩みよった。

「というわけじゃ。くれぐれも「皆」を頼んだぞ」
「「皆」ですか。よろしいのですか?」
「うむ。こんなつまらん事件で、騒ぎを外へと広げたくはないからの」
「……承りました」


 四人は、ロングビルを案内役に早速出発した。
 馬車といっても、屋根無しの荷車のような馬車であった。襲われた時に、すぐに外に飛び出せるほうがいいということで、このような馬車にしたのである。
 ミス・ロングビルが御者を買って出た。
 キュルケが、黙々と手綱を握る彼女に話しかけた。

「ミス・ロングビル……、手綱なんて付き人にやらせればいいじゃないですか」
「いいのです。わたくしは、貴族の名をなくした者ですから」

 ロングビルはにっこりと笑って答えた。キュルケはきょとんとして質問を重ねた。

「だって、貴女はオールド・オスマンの秘書なのでしょ?」
「ええ、でも、オスマン氏は貴族や平民だということに、あまり拘らないお方です」
「差しつかえなかったら、事情をお聞かせ願いたいわ」

 ロングビルは優しい微笑みを浮かべた。それは言いたくないのであろう。

「ミス・ツェルプトー。それ以上は許して差し上げてはいただけないでしょうか?」

 馬車に乗ってからずっと黙ったままであったフェイトが、優しげな声をかける。ぎょっとしてキュルケは、フェイトの方に振り返った。
 フェイトは珍しく顔をまっすぐに上げ、柔和な微笑みを浮かべてキュルケを見つめていた。

「えーと、あのね、暇だからちょっとおしゃべりしようと思っただけよ。他意はないから」

 柔和な微笑みの後ろに鋭い警告の意味を察し、キュルケは慌てた様子で弁解する。そして、ばつが悪くなったのか、ルイズの方に向き直ると、とってつけたように憎まれ口をきいた。

「ったく……、あなたがカッコつけたおかげで、とばっちりよ。何が悲しくて泥棒退治なんか……」
「とばっちり? あんたが自分で志願したんじゃないの」
「あなた一人じゃ、危なっかしくてみてられないじゃない。ま、あなたがあのゴーレム相手にあたふたするのが見たくてついてきたようなものだし」
「なによ、今日のわたしは一味違うわよ! 昨日みたいに、魔力がつきる直前だったり、筋肉痛でへたばっていたりしていないんだから! 朝ごはんもしっかり食べてきたんだから!」
「はいはい。でも、あなたの魔法は通用しなかったわねえ」

 二人は再び火花を散らし始めた。タバサは相変わらず本を読んでいる。
 そんな二人を見ながら、フェイトはまた視線を伏せた。ただ、浮かんだ微笑は消えることはなかった。


 馬車は深い森に入っていった。鬱蒼とした森が、ルイズ達の恐怖をあおる。昼間だというのに薄暗く、気味が悪い。

「ここから先は、徒歩で行きましょう」

 ミス・ロングビルがそう言って、全員が馬車から降りた。
 森を通る道から、小道が続いている。

「フェイト、どうしたの? なんかさっきから遅れているじゃない」
「申し訳ありません。この靴では歩きにくくて」

 ルイズが振り返り、最後尾をついてくるフェイトに向かって声をかける。何しろフェイトは、時々立ち止まっては、地面を見やったり、耳をつけたりと、どうも皆から遅れがちであったのだ。
 そんなフェイトの様子を、タバサとロングビルは真剣な表情で見つめていた。


 一行は、ひらけた場所に出た。森の中の空き地といった風情である。およそ魔法学院の中庭ぐらいの広さであった。そして真ん中に、確かに廃屋があった。元は木こり小屋かなにかであったのだろうか、朽ち果てた炭焼き用らしき窯と、壁板が外れた物置が隣に並んでいる。
 五人は小屋の中から見えないように、森の茂みに身を隠したまま廃屋を見つめた。

「わたしくしの聞いた情報ですと、あの中にいるという話です」

 ロングビルが廃屋を指差して言った。外から見る限りでは、人が住んでいる気配はまったくない。

「それでは、ミス・ロングビルと私とで中を探って参ります。お嬢様はフーケが飛び出してきたら魔法で足止めをお願いいたします。ミス・タバサはウインド・ドラゴンで上空から周辺を監視してください。ミス・ツェルプトーは、周囲にフーケが隠れていないかどうか、捜索をお願いいたします。
 皆様、とにかくフーケを見つけたら、自分ひとりで相手をしようとせず、必ず大声を出して皆に知らせて下さい。皆が力を合わせれば、いかな「土くれ」のフーケといえどかないはしないのですから」

 それまで皆の後ろについてくるだけであったフェイトが、顔を上げ、真面目な表情で全員に指示を下す。その光の無い視線の重さと強さに、思わず全員がうなずいてしまっていた。


 小屋の中には、真ん中に埃の積もった机と、転がった椅子、そして部屋の隅に薪が積み上げられていた。その薪の隣にチェストがあった。木でできた、大きい箱である。中には人の気配はなく、人が隠れられるような場所はなさそうであった。
 フェイトは先に小屋に入ると、ロングビルを中に招きいれ、後ろ手に扉を閉めた。

「どうやら誰もいないようですね」

 部屋の中をぐるりと見回して、ロングビルがそうつぶやいた。

「はい。というわけでミス・ロングビル、お手数をおかけしますが、外に声が漏れないように魔法をお願いできますでしょうか?」
「何故です? 早く「破壊の杖」を探しませんと」
「どうせそれは、そこのチェストの中に入っていますから。それよりも、ちょっとした「話し合い」をさせて頂きたいのですが。ミス・フーケ」

 すっとロングビルの顔から表情が消え、彼女の杖がフェイトに向けられる。

「なんの事です? そういう侮辱は看過しえませんが」
「それは失礼いたしました。ならば、時間の経過と足跡の付け方にはもっと慎重になられた方がよろしいかと」
「……つまり、最初から気がついていた?」
「疑ってはおりました。貴女であると確証を得たのは、学院に戻られた時間によってです。もう少し遅く、汚れた格好で戻ってこられるべきでしたね」

 その瞬間フェイトが浮かべた笑みに、ロングビルは背筋が凍りついた。目尻の下がった昏く濁った瞳にどろりとした殺気がこもり、弧を描いた唇は耳まで裂けそうにゆがめられている。脅しとは判っていても、ロングビルは突きつけた杖の先が震えるのを止められなかった。素手でぼんやりと立っている様に見えても、彼女はロングビルが呪文を唱えるより早く、文字通り致命的な一撃を送り込めるのであろう。
 長いこと裏街道を渡り歩いてきた彼女であるからこそ、フェイトの殺人者としての技量を見誤ることはなかった。一体全体どれだけの数の人を殺めてきたのか見当もつかないほどの血臭が、部屋に満ちたように彼女には感じられた。

「判ったよ。で、何を話し合おうっていうんだい?」

 ロングビルという皮を脱いだのか、はすっぱな口調と表情になって、フーケはため息をついた。そして、フェイトの要求通りに部屋全体に「サイレント」の呪文をかける。

「いえ、そう込み入った話ではないんです。ただ、「裏側」でやっていくための手助けをして欲しいんです」
「は? あんた、ヴァリエールのお嬢ちゃんの使い魔なんだろ? ヴァリエール公爵家といえば、この国でも一、二をあらそう大貴族だよ。何を好きこのんで陽の当たらないところにもぐりたがるんだか」
「だから、ですよ」

 それまでの従順な使い魔という仮面を脱ぎ捨てたフェイトは、昏い微笑みを浮かべて楽しそうに声を低くめた。

「こちらの召喚される前は、権力の狗として反吐が出そうなほど楽しい毎日を送ってきました。今更、愛玩犬として飼われたくはないんですが」
「くくっ! 随分と贅沢な事を言うねえ。明日のおまんますらままならない身になってどうするのやら」

 心底可笑しそうに、嘲りの笑いを漏らすフーケ。フェイトの言い草が余りに甘っちょろいものに聞こえたのであろう。だが、フェイトの続けた言葉に、その嘲笑はすぐに消えた。

「何しろ上官の利権のために、政敵の弱みを握り、作り出して脅し、それでも駄目なら事故に見せかけて消えてもらうとか、そんな濡れ仕事ばかりしてきたんです。貴族に飼われるということは、結局はそういう仕事をさせられる事になるでしょうし。ならば、まだ仁義が通じる裏側の世界の方がマシですから。それに、この世界では平民である限り貴族のおもちゃにされるのが判りきっていますし」
「……あんた、随分と楽しい人生を送ってきたみたいだね」
「重大犯罪人の娘として犯罪の片棒を子供の頃から担がされてきて、恩赦と引き換えに「猟犬」として濡れ仕事をしてきたんです。折角ですから、一度くらいは自由というものを満喫してみたくて」

 濁り腐って光の無い瞳のまま、そう微笑むフェイト。
 そんな彼女を冷たい視線で見つめたまま、フーケは低い声で呟いた。

「で、あたしを裏切らない、という保障は?」
「互いが互いを必要とする間は、互いに裏切る必要はないかと」
「いいねえ、いい答えだ。あんた、いい悪党になれるよ」

 くっくと哂うフーケ。次第にその哂いは高まっていく。

「判った。こんなドジを踏んだ以上、盗賊ごっこも店じまいにするしかないからね。で、あんた何か稼ぎネタはあるんだろうね? わざわざあたしを仲間に引き込もうっていう事は」
「ええ。なにしろそういうネタを嗅ぎまわるのが仕事でしたから」

 心底嬉しそうに微笑むフェイト。そしてフーケに向かって右手を差し出す。その手を同じく右手で握り返したフーケは、まっすぐフェイトの瞳を見つめ返し言った。

「どうやらあたし達は、いいコンビになれそうだよ。よろしくね」
「はい。末永く「お友達」でいられるとよいですね。よろしくお願いしますね」


 しばらく微笑みあいながら握手をしていたフェイトとフーケ。そして手を離したフーケはつまらなさそうな表情であごをしゃくってチェストの方に視線を向けた。

「それにしても、あの「破壊の杖」、なんだか判るかい? あたしには全く使えなかったんだけれども」
「ああ、それでわざわざ戻ってきたんですか」
「そ。学院の教師なら、誰か杖の使い方を知っているかと思ってね」

 フェイトは、チェストに近づき、蓋を開けた。
 中に入っているのは、ぼろぼの金属製の杖。
 その杖の先端の方に埋め込まれている水晶体を見ると、彼女は突如震え始めた。

「おいおい、大丈夫かい?」

 これまでとあまりに違ったフェイトの様子に、フーケが眉をひそめて近づこうとする。
 だがフーケは、数歩近づいたところで歩みを止めざるを得なかった。
 フェイトは笑っていた。
 右手で顔を掴み、両目を狂気にも似た輝きに見開き、唇はめくれ上がり犬歯がのぞいている。

「あぁあっ!!」

 一声吠える。

「ぁはああああああああぁっっ!!」

 そのまま仰け反り、一層狂気に満ちた声で吼える。

「ああっ、もう、本当に何でこんなところにまでッ!!」

 じろりとフーケに向けた眼は、大きく見開かれ、血走り、そして瞳孔が開いている。額のルーンがこうこうと輝き、フーケの瞳を焼く。
 フェイトのそんな表情を初めて見るフーケは、恐怖のあまり後ずさり、扉に背をぶつけた。思わず「ひいっ」と声にならぬ悲鳴が漏れ、膝が震える。
 そんなフーケの様子を見て、ぐにゃりと笑ったフェイトはあくまで優しい声で語りかけた。

「確かにこれは貴女では使えないでしょうね。だって、これは私の世界の「杖(デバイス)」ですから」

 そして、杖を両手で握ると、そっと呪文を唱える。

「Recovery」

 ぼろぼろだった杖が光り、まるで新品同様の輝きを取り戻す。

「Set Up」

 杖に埋め込まれた水晶体にルーンが浮き上がり、膨大な魔力がフェイトと「破壊の杖」との間で循環する。
 その有様に、フーケはただひたすらおののき、震えて見ているしかできない。

「ミス・フーケ」
「ぁひぃ」
「そんなに怯えないで下さい。ひとつお願いがあるのですが」
「な、なにさ」
「これの元の状態の物と同じ形状のモノを「錬金」してもらえます?」
「あ、ああ。ちょっと待っとくれ」

 フーケは震える手で杖を振り、手近の薪から元のぼろぼろの状態の「破壊の杖」を造りだした。
 フェイトはそれを拾うと、水晶体を中心に魔力を込め、細かいところを手直ししてゆく。その間、彼女の額のルーンは、こうこうと輝き続けている。
 新品同様になった「杖(デバイス)」と、元のぼろぼろの「破壊の杖」を見比べ、フェイトは満足そうに微笑んだ。一瞬前の狂気そのままの笑みは消え、普段の穏やかな微笑みに戻っている。

「Hold」

 「杖(デバイス)」は、光とともに小さな宝玉と化した。フェイトは、それをポケットにしまうと、「破壊の杖」を抱えてフーケを促した。

「「破壊の杖」も取り戻しましたし、学院に戻りましょうか」


 フェイトとロングビルが小屋の外に出ると、そこにはルイズ達三人が杖を構えて待ち構えていた。先ほどのフェイトの発した魔力が、三人にフーケが出現したと思わせたらしい。
 二人は、普段学院で振舞っている通りの表情と物腰で、三人に向かって微笑みかけた。

「大丈夫ですよ。どうやらフーケは一旦「破壊の杖」を隠して、どこかに移動したみたいですね」

 ロングビルがそう言って、三人を安心させる。フェイトも、抱えていた杖を三人に見せて、穏やかに微笑む。
 ルイズ達は、ほっと安心した様子で、杖を下ろした。

「なんか、あっけなかったわねえ」
「皆無事で良かった」

 ゆっくりと息を吐いたキュルケに、ほっと一息ついたタバサがまとめる。

「それにしても、すごい魔力だったわ。やっぱり、その「破壊の杖」?」
「みたいですね。今ではただのぼろぼろの杖ですが」

 ルイズが破壊の杖を覗き込むと、フェイトはそれをご主人様に手渡した。

「へ? 取り返したのは、あんたとミス・ロングビルでしょ? あんた達が持っていきなさいよ」
「いえ、奪還に志願なさったのは、お嬢様方ですから。どうぞお持ち下さい」
「あー、気持ちは嬉しいけど、手柄を横取りするつもりはないから」

 あさっての方を向き、困ったようにぽりぽりと指先で頬をかくルイズ。そんな主従二人に、ロングビルもフェイトに同意してみせる。

「教師の皆様さえしり込みした任務を、見事果たされたのです。どうぞミス・ヴァリエールがお持ちになって下さいな」
「そ、そう? うーんと、じゃあ、手柄はみんなのものだからね。あくまであたしが持つだけってゆう事で」
「ま、そんなところねー」
「妥当なところ」

 照れた様子で杖を受け取ったルイズは、しっかりと「破壊の杖」を抱きしめると、あらためて皆に向かって頭を下げた。

「ありがとう、みんな。助けてくれて」


 学院長室で、五人はオールド・オスマンに事の顛末を報告していた。

「ふむ、そういう事ならば仕方がないの。まずは皆が無事に戻ってこれた事を始祖に感謝しようて」

 うんうん、と、満足がいった様子で、オールド・オスマンは目尻を下げた。

「さてと、君達はよくぞ「破壊の杖」を取り返してきた」

 誇らしげに、フェイトとロングビルを除いた三人が礼をした。

「「破壊の杖」は、無事に宝物庫に収まった。一件落着じゃ」

 一瞬、フェイトとロングビルに視線を向けてから、オールド・オスマンはルイズ達三人を一人づつ頭を撫でた。

「君達に褒美として、ささやかではあるが、単位について考慮するよう各教員に伝えておいた」

 三人の顔がぱあっと輝いた。なにしろ実技の授業が壊滅的成績なルイズと、自主休校の多いキュルケとタバサにとっては、下手な勲章よりもありがたいご褒美である。

「ほんとうですか?」

 キュルケが驚いた声で言った。

「ほんとじゃ。いいのじゃ。君達は、そのぐらいの事をしたんじゃから」

 ルイズは、先ほどから黙って後ろに控えているフェイトを見つめた。

「……オールド・オスマン。フェイトには、何もないんですか?」
「うむ、当然彼女にも考えておる。で、だ、それにはミス・ヴァリエールの許可が必要での」
「はい?」

 そこで、傍らに控えていたコルベールが前に進み出る。

「あー、その、なんですな。ミス・フェイトを正式に魔法学院の職員として迎え入れたい、と、そう考えておるのです。ただ、彼女はメイジではないので、教員ではなく、私の助手という形でですが」
「「えええっ!?」」

 さすがに驚きの声をあげるルイズとキュルケ。貴族の子弟の通うこのトリステイン魔法学院で、一介の平民を職員として迎え入れるという事がどれほど大変なことか、判らない二人ではない。ロングビルも、唖然とした表情でフェイトとオールド・オスマンの顔を交互に見やっている。
 で、肝心のフェイトといえば、何が起きているのかさっぱり判らない、という困ったような表情をして固まっている。

「で、ミス・ヴァリエール、どうかの?」
「え、え、えーと、フェイトは、わたしの使い魔で平民ですよ?」
「うむ、それを踏まえた上で、じゃ」
「その、……フェイトが良いなら、わたしも異存はありません」

 その場の全員の視線が、フェイトに集まる。
 心底困った表情でしばらく考え込んでいたフェイトは、意を決した様に微笑むと、オールド・オスマンに一礼した。

「私はあくまでルイズお嬢様の使い魔です。その上での雇用であるならば、謹んでお受けさせていただきます」
「うむ、判っておる。主人と使い魔は一心同体。生涯を通じてのパートナーじゃ。それを邪魔するつもりは毛頭ないから、安心してよいぞ」
「まあ、そういう訳ですので、これからもよろしくお願いいたします。ミス・フェイト」

 同じようにフェイトに向かって一礼したコルベールを見やりつつ、オールド・オスマンはうんうんとうなずいて、次にロングビルに目を向けた。

「というわけで、じゃ。ミス・ロングビル、お主にも何か褒美をと考えたわけじゃが、どうかの、これくらいの昇給ということで」

 そう言ってオールド・オスマンは、一枚の書類をロングビルに手渡した。

「……この額は、トライアングル級の教員と同額ではないですか」

 唖然として、オールド・オスマンの顔を見やるロングビル。
 すっと眼を細めたオールド・オスマンはそれでものうのうと言ってのけた。

「何、お主にはそれくらいが妥当かと思うがの? どうじゃろ」

 すっ、と、冷や汗が一筋額を伝うロングビル。あわてて取り繕うように眼鏡をなおすと、深々と一礼し、震える声で答えた。

「ご厚情、まことに感謝いたします」
「うむ、というわけで事は一件落着じゃ。さてと、今日の夜は「フリッグの舞踏会」じゃ。この通り「破壊の杖」も戻ってきたし、予定通り執り行う」

 キュルケの顔がぱっと輝いた。

「そうでしたわ! フーケの騒ぎで忘れておりました!」
「今日の舞踏会の主役は君達じゃ。用意をしてきたまえ。せいぜい、着飾るのじゃぞ」

 三人は、一礼するとドアに向かった。ルイズは、フェイトに視線を向けた。そして、立ち止まる。

「お先にお行き下さいませ、お嬢様。これから、雇用条件についてお話がありますので」
「そう、じゃ先に行っているわ。あんたも来るのよ。ドレスなら、キュルケので合うだろうし」
「そうね、じゃ、先に行って似合いそうなのを用意しておいてあげるわ」

 やっぱりフェイトに似合うのは黒よねー、などと話しを弾ませつつ、三人は出て行った。


 扉が閉まると、オールド・オスマンはフェイトに向き直った。

「さて、何か儂に聞きたそうじゃな?」
「はい」

 フェイトはうなずいた。

「言ってごらんなさい。できるだけの力になろう」

 ちらりとコルベールとロングビルに視線を向けてから、フェイトは口を開いた。

「あの「破壊の杖」は、私が元いた世界のものです」
「なるほど。そうすると、儂の命の恩人も、お主の世界から渡ってきたという事になるのか」
「恩人、ですか?」
「左様。今から三十年前の話になるかの。森を散策していた儂は、ワイバーンに襲われた。そこを救ってくれたのが、あの「破壊の杖」の持ち主じゃ。彼は「破壊の杖」でワイバーンを吹き飛ばすと、ばったりと倒れた。怪我をしていたのじゃ。儂は彼を学院に運び込み、手厚く看護した。しかし、看護の甲斐なく……」
「死んでしまった、と」
「うむ」

 四人の間に、沈黙が降りる。

「彼はベッドの上で、死ぬまでうわごとのように繰り返しておった。「ここはどこだ、元の世界に帰りたい」とな。結局、どんな方法で彼がこっちの世界にやってきたのか、それすらも最後までわからんかった」
「そうですか」

 フェイトは、そっと目を伏せた。
 オールド・オスマンは、フェイトの前髪をすくいあげた。

「お主のこのルーン……」
「はい。このルーンはなんなのでしょうか? 気にはなっていたのですが」
「……これはの、「ミョズニトニルン」の印じゃ。伝説の使い魔の印じゃよ」

 はっと息を飲む、コルベールとロングビル。コルベールの視線は厳しく細められ、ロングビルは顔色がわずかに蒼ざめている。

「伝説、ですか」
「そうじゃ。その伝説の使い魔は、ありとあらゆるマジックアイテムを使いこなしたそうじゃ」
「なるほど」

 相変わらず目を伏せたまま、感情のこもらない声でフェイトは答えた。

「ただ、儂に判るのはここまでじゃ。力になれんですまんの。ただ、これだけは言っておく。儂はお主の味方じゃ。ミョズニトニルンよ」

 オールド・オスマンはそういうと、フェイトを抱きしめた。

「よくぞ恩人の杖を取り戻してくれた。改めて礼を言うぞ」
「とんでもありません。ただ私は、お嬢様のお手伝いをしたに過ぎません」
「お主がどういう理屈で、こっちの世界にやってきたのか、儂なりに調べるつもりじゃ。でも……」
「いえ、そのお気持ちだけで十分です」
「すまんの、だが何も判らなくても恨まんでくれよ。なあに、こっちの世界も住めば都じゃ。婿さんだって探してやる」
「それはご遠慮させていただきます」


 フェイトが退室した後、残された三人は互いに向き合った。ロングビルの顔は蒼ざめ、どうしようかと考えあぐねている様子である。そして、最初に口を開いたのは、オールド・オスマンであった。

「さて、土くれのフーケが、思ったより頭の良い男で助かったわい」
「……そうですね。しかし学院長、何故、生徒と私を探索に送り出したのですか?」
「ふむ、そうじゃの。ミスタ・コルベールでは奴を殺さずには捕らえられんと思ったからじゃ。理由としてはこれで十分じゃろう?」
「なるほど」

 ロングビルは、隣のコルベールに視線を向けた。コルベールは、相変わらず暢気そうな顔をして困った様な表情でつっ立っている。
 彼女は、コルベールが何故「炎蛇」というどうみてもそぐわない二つ名を持っているのか、ようやく得心がいった。世の中には、恐ろしい人間があちこちに隠れているものだと、心底思い知らされる。

「というわけでじゃ。ミス・ロングビル。ちょいと給料分の仕事を頼みたいのじゃがの」
「なんでしょうか、オールド・オスマン」
「何、そんな難しい事ではない。お主もミスタ・コルベールの助手になってはくれんかの?」

 つまり、あのフェイトという猫につける鈴になれ、という事か。
 ロングビルは、フェイトと交わした約束を思い、心底安堵した。同じ鈴をつけるにせよ、フェイトとはすでに「お友達」としての間柄である。彼女に自分が鈴である事を知らせておけば、上手く振舞ってくれるに違いない。

「判りました。そういう事でしたら、喜んでお受けいたしますわ」

 とにかく目一杯の虚勢を張って、にっこりと微笑んで一礼する。
 そんな彼女の内心を知ってか知らずにか、オールド・オスマンは、ほっほと嬉しそうに笑い、付け加えた。

「なに、儂の不埒な振る舞いに耐えかねた、とでも言っておけば、周りの連中も納得するじゃろうて」



[2605] 運命の使い魔と大人達 幕間その1
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/02/20 02:31
※今回のお話は、大変に毒の詰まった黒いお話です。特に「リリカルなのは」ファンの方で、ノワールに脳を犯されていない方はお読みになられない事を警告させて頂きます。
 あくまで「リリカルなのは」の原作イメージを大切にしたい方は、絶対にお読みにならないで下さい。




 時空管理局第103師団(カテゴリーC相当)分遣業務隊隊長八神はやて2等陸佐の一日は、業務隊先任陸曹兼守護騎士のヴィータに起こされるところから始まる。

「はやて、起きろ。局旗掲揚に遅れるぞ」
「あー、あと五分だけ寝かせてやー」

 とりあえず布団を引っぺがされる前にもそもそと起き出すと、はやては、眠そうに目をこすりながら作業服に着替える。これが一桁師団やカテゴリーAの戦闘即応師団なら従卒がつくところであるが、生憎三桁師団の上、器材管理師団にはそんな隊員の余裕はなかたっりする。

「なんや、晴れかー あー、隊内放送で済ませられへんなー」

 ヴィータが持ってきた本日の業務予定表にざっと目を通すと、かまぼこ型隊舎の前に整列している隊員らのところに悠々と歩いていく。

「局旗掲揚! 気ぉをぉつけっ! 頭ぁー、中ッ!!」

 ヴィータの号令とともに、全員が気をつけの姿勢を取り顔をポールに向ける。当番の隊員が、するすると時空管理局局旗を揚げてゆく。

「頭ぁあー、戻せ。休めっ。隊長訓示っ!」
「はい、お早うございます。本日の業務内容ですが、442連隊への需品発送があります。1300に輸送機が到着予定やから、フォークリフトの充電と発送品の間違いが無い様、きちんと確認しておくように。あと、午後から第3分隊は警衛訓練があります。事故や怪我のないよう、各員気ぃつけるように。隊長からは、以上」
「気ぉをぉつけっ! 業務開始!!」

 隊員達が、ひじを九十度に曲げるとばたばたと各自の部署に走っていく。ここでもたもたしていると、鬼より怖い先任陸曹のヴィータに怒鳴られたあげく、無限腕立て伏せが待っているので皆真面目である。
 全員部署に向かったのを確認すると、はやては、ひときわ大きなあくびをひとつして、ヴィータに向かって拝むように右手を顔の前に上げた。

「んじゃ、書類のほう、頼むわー」
「おう」

 はやての午前中は、大体のところ副官兼守護騎士のシグナムと一緒に、近くの川で釣りをして過ごす。とりあえず、隊員に新鮮なたんぱく質の供給を、というのがお題目なので、誰も文句はつけない。というより、カテゴリーC師団らしく一日の食事のうち一食は必ず期限切れ直前の戦闘糧食になるので、隊長と副官に対する隊員の期待はとっても大きかったりする。

「シグナム、なんか釣れたー?」
「イワナが八のヤマメが四」
「あー うち、オケラやぁ」

 昼食の時間になると、釣り道具一式かついでまず厨房に向かう。午前中の戦果を糧食係に渡し、幹部食堂兼応接室に向かい、幹部ら全員、といっても副官のシグナムと隊付医官兼守護騎士のシャマル、そして通信班長のリィンフォースの三人で他愛も無いおしゃべりをしつつ、暖められた戦闘糧食を食べる。ちなみにはやての好みは、たくあんとチキンステーキと赤飯である。冷えた赤飯は食べられた代物ではなくなることもあって皆あまり好きではない様子で、はやては毎日大喜びである。これくらいは隊長特権だとか。
 守護騎士ザフィーラは、相変わらず犬の格好で、皆と同じく暖かい戦闘糧食を三人と一緒に食べていたりする。ちなみに、はやてが「犬には塩気がきつすぎんかー」とか聞いたところ、ニヒルに笑って「大事無い」とか返してくるので、皆と同じものを出させていたりする。
 なおヴィータは、この時間でも大抵は書類整理が忙しくて、自分だけ執務机でモニターに向かいつつ仕事中の事が多い。

 さて食後のお茶を済ませると、今日は需品搬送がある事もあって、はやては需品倉庫に向かい、担当班長に業務手順の確認をとった。

「手順はどないなっとるー?」
「搬入順にこの通り並べ終わりました。伝票はこの通りです」
「了解ー。それでええよ。じゃ、頼んだでー」

 はやては、ここで隊長執務室兼隊事務室に初めて向かい、ヴィータに書類関連の確認をとる。ヴィータは何気に書類仕事が早くて上手いので、ざっと目を通しただけでサインをして隊長印をぺたぺた押し、画像に取り込んで関係各所にメールを送って、はい終わり、となる。
 そうこうしているうちに、442連隊の輸送隊指揮官が需品受領の書類を持ってくるので、それにサインして隊長印を押してこれも終わる。

「んじゃヴィータ、警衛訓練の方、頼んだでー」
「おう」

 そしてはやては、自分宛のあちこちからのメールに目を通し始める。

「あー、304部隊から五トントラックのトランスミッション二十台分かー えーと、うちの「倉庫」にはー、あ、八台分しかないんか。しゃあないなあ。あ、そうだ、前に23師団飛行隊のOHのギアボックス融通したってやったか。23師団の補給隊に吐き出させるかー。えーと、代わりに燃料とオイルと訓練実包融通させてっと」

 大抵の場合、後方部隊間での「員数外物品」のやり取りのメールである。実は何気にあちこちに顔の利くはやては、あちこちの隊や師団にたくさんの「お友達」がいて、山ほど貸しを作っていたりする。おかげでこの業務隊は、年度末に暖房用燃料や車両用燃料に不足した事は一度として無い。
 ちなみに年度末は、どの部隊も、訓練用はおろか、幹部の車両移動のための燃料すら不足する事になるので、はやては大もてだったりした。

「で、と、お、クロノはんからの「定期連絡」か」

 今までのほほんとした表情でメールをさばいていたはやてが、一瞬だけ真面目な表情となる。そのメールだけデバイスのメモリーに解凍もせず移し、さっさとキャッシュも含めて端末やサーバの中から完全に消去する。
 そして、室内にリインフォース以外誰もいないのを確認してから、結界を張り、デバイスを起動させた。


 時空管理局本局武装隊直轄独立第503空中強襲大隊大隊長である高町なのは2等空佐は、第38管理世界で起きた暴動事件の半年間にわたる鎮圧任務が終了し、ミッドチルダにある官舎に戻ってきたばかりであった。大隊本部付の黒塗りセダンで官舎に到着したところで、自室に明かりが灯っている事に気がつく。

「ご苦労様。誰が尋ねて来ました?」
「はいっ、お疲れ様です。ハラオウン統括執務官殿と、御令嬢がお待ちです」

 官舎の警衛隊員の答えを聞いて、なのはは、足早に自室へと向かう。
 制服のポケットからもどかしげにカードキーを取り出し、扉を開け、中に飛び込む。

「クロノ君! ヴィヴィオ!」
「ママ!!」

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、なのはの胸に飛び込んできたヴィヴィオの様子に、一瞬何があったのか緊張が彼女の顔に浮かぶ。
 そんな二人を光の無い昏い目を優しげに細めて見つめているクロノは、抑揚の無い声でヴィヴィオに話しかける。

「ちょっとなのはと話があるから、今日は先に寝ていなさい」
「ねえ、何があったの?」
「ヴィヴィオが寝たら、な」

 珍しく制服姿でありながら、ネクタイをほどき、ジャケットをソファーの上に放り出したままぐったりと座り込んでいるクロノの姿は、何があったのかは判らなかったが、とても疲れている様になのはには見えた。
 泣きじゃくるヴィヴィオを寝室に連れて行き、寝かしつけると、なのはは何度も深呼吸をしつつクロノの元へと戻った。
 当のクロノは、自分で持ち込んだのであろう、スキットルからそのまま中身を喉に流し込んでいる。

「まずは生還おめでとう。相変わらずの有能ぶりで、本局でも噂になっていたよ」
「挨拶はいいわ。何故ヴィヴィオがあんなに泣いているの?」
「相変わらずだな。「クールダウン」が済んでないのか?」
「そうじゃなくて!!」

 くつくつと嘲うクロノの姿に尋常ではない何かを感じ、なのはは彼に詰め寄った。戦技教導官としてエリート部隊をあちこち廻り、その有能さを買われ、彼女を崇拝する隊員を集めて編成された503大隊を率い、極めて危険な任務に投入され続けている彼女の迫力は、常人をして容易に震え上がらせる迫力を持っている。
 しかしクロノは、よほどに強い酒を飲んでいるにも関わらず、冷酷さすら湛えた瞳でなのはの瞳を見返した。
 しばらくそうしてにらみ合いが続き、そしてなのはが目をそらす。

「判ったわ。だから説明して」
「ああ。フェイトが失踪した」
「!?」

 愕然としてクロノの顔を見つめるなのは。本当に嬉しそうに彼女の表情を楽しむと、クロノは話を続けた。

「銀色に輝くゲートに飛び込む彼女を、ヴィヴィオが見ている。呼ばれて確認したが、未確認の管理外世界からの召喚ゲートの様だったよ。一応関係者に口外は禁止したが、まあ本局ではそういう噂ほど早く伝わるという事さ」

 そこで何が可笑しいのか、げらげらと笑い出すと、クロノはもう一度スキットルに口をつけた。その強烈なアルコール臭に、なのはは眉をひそめる。

「一応公式には、俺の命令で無期限の単独潜入捜査にあたっている、という事で書類上の処理は終わっている。もっとも、彼女の配下の捜査官連中は、新しいボス犬探しにやっきになっているがね」
「あなた、一体全体何をフェイトちゃんに捜査させていたの?」
「なんて事はない。年少者の売春組織に本局の幹部が絡んでいてね。それを追いかけさせていた」
「で?」

 射殺さんばかりの殺気に満ちた視線を向けてくる彼女に向かって、クロノは心底嬉しそうに下卑た表情を浮かべ、歌うように答えた。

「その幹部が俺だった」
「嘘!!」

 ソファーの背もたれに両腕を回し仰け反りながら狂ったように笑うクロノの姿に、なのはは、幼馴染でもあり二児の良い父親であるはずの、彼女の知る彼とは余りに違う様子に呆然とし、そして一歩退いた。そんな彼女の姿が嬉しくてならないのか、クロノの表情は卑しく歪んでいく。

「事実さ。もっとも我が麗しの義妹は、俺を守るために肝心なところで捜査官を引き上げさせてくれたがね。最初はおとり捜査用に作った組織だったんだが、実入りが良い上、色々と弱みを握るのに都合が良くてね。おかげで随分と楽をさせてもらったよ。ついでに俺もたっぷり楽しんだがね」

 まったく、子供は犯れば犯るほどやみつきになる。
 そう口を歪めつつ、クロノはなのはに聞かせるともなく呟いた。

「まあそういうわけで、本局の内勤連中で後ろ暗い事をしていた連中は、大喜びで踊りまわっているわけさ。ああ、お前とヴィヴィオは大丈夫だ。統幕の三部長に話をつけておいた。身の安全は保障されているから、今まで通り楽しく戦争ごっこにいそしんでてくれ。なに、その方がフェイトも喜ぶだろうさ」

 なのはは、苦いものが口の中に広がる感触に、目の前でたわ言を呟き続ける男に心底からの嫌悪感を感じた。自分の視線が汚物か毒虫を眺めるようなものになっていくのが、はっきりと自覚できる。
 そういえば、前に武装隊戦技教導隊のある幹部が酔ったついでになのはに洩らした事がある。クロノ・ハラオウン提督は、超一級の頭脳と邪悪なユーモア精神の持ち主である、と。その時は酔った勢いの事と聞き流していたが、今目の前にいる虫けらは、まさしく狡猾で邪悪であった。
 そんななのはの内心を見透かし、楽しむ様に呟き続けるクロノ。

「判ったわ」

 これ以上この虫けらを自分の傍に這わしておきたくはない。
 その一心で殺気と軽蔑を込めた一瞥を送る。

「心からお礼を言わせて貰うわ。ありがとうございました、お兄ちゃん」

 その瞬間であった。
 クロノの光の無い昏い瞳に熔けた金属の様な重い輝きが戻る。
 なのはが本能的に首から下げているレイジングハート・エクセリオンに指令を送ろうとする瞬前、全身を光の輪が拘束し、雷撃が神経を焼いた。全身を走る痛みに視界がぼやけそうになるのをこらえ、バインドを解こうと魔力を放出する。

「いい眼だ。いきり立つ」

 ぎりりと奥歯を噛み締めつつ、なのはは答える。
 ゆらりと立ち上がり、近づいてくるクロノの姿が、歪んでまともに見れない。

「ペドに欲情されても嬉しくないわね」
「生憎と、女房とはもう三年はご無沙汰でね。駄目なんだよ、そういう眼をした女じゃないと」


 のろのろとネクタイを締め、制服のジャケットを着ると、クロノは今しがた欲望のままに踏みにじった女を見下ろした。
 その乱れた姿に、いつも義妹に似た少女を陵辱した後に感じる寂寥感を感じ、甘い自己嫌悪の感情に身をゆだねる。

「知っている事全ては、はやてに知らせてある」

 感情のこもらない声を吐き出した欲望で汚した女にかけ、クロノは、リビングを出た。
 そこには、声を殺して泣き続けているヴィヴィオが座り込んでいた。

「ごめんな、ママをいじめて」

 顔を伏せたまま肩を震わせている少女に手を伸ばしかけて、自分にはそれは許されない冒涜であることを思い出す。
 クロノは、代わりにジャケットから一枚のカードを抜き出すと、ヴィヴィオの前にそれを置いた。

「ここに本局の帳簿には載っていない非合法捜査用の資金がプールしてある。お前の名義で、だ。あと、フェイトを召喚したゲートについてのデータの入ったメモリー」

 一瞬、肩を震わせるのを止めた少女に、いつも通りの優しい感情が戻ってくる。
 クロノは、そのまま部屋を出て行った。


 本局にあるクロノの執務室は、資料ファイルで壁一面が埋め尽くされているだけの、本人の内面に似た殺伐とした風景の部屋であった。
 クロノは執務机のPCを起動させると、統括執務官に許されているアドミン権限で、自分が関係した全ての捜査データを部内サーバーと各捜査官の端末から消去し始めた。すでに全てのデータは八神はやてに送っておいてある。関係各所と取引できる材料は全て使い尽くして、なのはとヴィヴィオと、そして妻と子供達の安全は確保した。
 全てのデータを消去し終わり、サーバーのバックアップデータの分も消去し終えた事を確認すると、モニターに個人用フォルダから次々と写真を呼び出す。
 それは、もう二十年以上も前、初めてなのはやフェイトに出会った頃の写真であった。無垢ではにかんだ表情をした三人の姿に、何故だか判らないが胸が切なくなる。その切なさに耐えかねて、机から封を切っていないジタンを取り出し、一本くわえて火を点ける。ゆっくりと煙が流れる様をなんとはなしにみやりながら、クロノは、自分とフェイトが一緒に並んで写っている写真を画面一杯に映し出した。

「ごめんな、莫迦なお兄ちゃんで」

 フェイトが本当に望んでいたのは何か、それを自分が闘いとってやれなかった事が後悔として心をさいなむ。
 不思議と、妻や子供らへの感慨は沸いてはこなかった。最後の方には、扇情的な下着を身に着け、安娼婦のような奉仕までして、夫婦生活を維持しようとしてくれた健気な女であったのに。
 結局自分は、良い子としての仮面をかぶり続ける事に疲れただけなのだろう。
 そう結論を出し、フィルター近くにまで火が通ったジタンを執務机に押し付けて消した。
 そして、机の中から母親と妻が住んでいる世界で流通しているそれを取り出し、口に咥える。

 銃声とともに、血が、モニターに映るはにかんで笑っている十一歳の頃のクロノとフェイトの姿を汚した。


 八神はやては、鉛色の空の下、せめて雨が降らなかった事を、誰とも知らぬ存在に心から感謝していた。
 目前の墓標には、ただクロノ・ハラオウンという名前と生年月日と没年月日、それだけが刻まれている。
 クロノの妻と子供らは、義母のリンディ・ハラオウンにすがり付いて泣き続けており、親友の高町なのはとその義理の娘のヴィヴィオは、一切の感情を消したまま黙って墓標を見つめていた。他にも故人と関係のあった者が、黒い影となって陰鬱な風景を形作っている。

「それでは、皆さん、今日はこれで」

 ハンカチで目尻を押さえながら、リンディがそう散会の宣言を下した。
 ようやくこれで解放される。そんな思いにはやては、シグナムとヴィータに視線だけで促すと、本局から借りてきた黒塗りのセダンに乗り込もうとした。

「はやてちゃん、いいかしら?」

 声をかけてきたのは、目尻を真っ赤に泣きはらしたリンディ・ハラオウンであった。

「エイミィはん達についていてあげなくて、いいんです?」
「なのはちゃん達がついていてくれるっていうから」
「そないなら、うちでよろしければ」

 シグナムが運転席側の扉を開けてリンディを乗せてハンドルを握り、ヴィータが助手席に座る。はやては心から悲しんでいる様に見える表情を浮かべ、あらためてお悔やみを述べた。

「クロノはんは、優秀な執務官でした。お亡くなりになられた事を心よりお悔やみ申し上げます。うちでよろしければ、できる限りの事をさせていただきますから」
「ありがとう。本当にはやてちゃんは良い子ね。貴女という友人を得られて、あの子も幸せだったでしょう」
「いえいえ、ほんまうちはなんもお力になれませんで」

 リンディが心から悲しんでいるのは事実だろう。だが、それと同時に何か自分に話がある、というのも判らないはやてではなかった。二人はそれだけの長い付き合いであったのだ。はやては、この本局と部隊の間を行き来して中将まで昇進し、しかも無事退役できた、という彼女について全く油断してはいなかった。
 なにしろ、使えるものは自分の一人息子すら使い潰せる女なのだから。

「あのね、はやてちゃんはクロノから何か聞いていなかった? フェイトちゃんのこと」

 それか。
 はやては、心底残念そうに首を左右に振ると、悲しそうに答えた。

「いえ、何しろ挨拶や近況のメールのやりとりしかしておりませんでしたし。うちも今回お話を聞くまでは、何も聞いておりませんでした」
「そうなの。本当にヴィヴィオには悲しい思いをさせてまで」
「ほんま、無事でいてくれるとええんですが」

 さて、そろそろ本題がくるか。
 そうはやては察して、手持ちの札を数え直す。うん、なんとか逃げようと思えば逃げ切れるはず。

「それでね、はやてちゃんにお願いがあるの」
「なんでっしゃろ? うちにできる事でしたらよいのですけど」
「クロノとフェイトちゃんは、本当に良い仕事をしてくれたの。本局の中を綺麗さっぱり」
「そら、あの二人なら、それくらいお茶の子さいさいでしょ」
「ええ、だからあの二人の仕事を引き継いで、はやてちゃんに内部監査部に入って欲しいの」

 やはりそう来たか。
 はやては、しくしくと泣きながらしれっと重大な事をもちかけてきたリンディに向かって、これまた心底残念そうに首を左右に振った。

「うちみたいなぼんやりした女に、そんなしんどい仕事は無理です。今みたいな裏方がせいぜいで」
「そう? でも貴女、とっても「お友達」がたくさんいるし。きっとその「お友達」が助けてくれるわ」
「せやけど、うちは執務官資格を持っておりませんし」
「それなら大丈夫。指揮幕僚課程は出ているでしょう? あれを出ていれば、執務官資格保有者と同じポストにつけられるから」

 あ、そっちから手ぇまわしよったんか。
 はやては内心で激しく舌打ちした。なにしろ六課の一件で大ドジ踏んでから、せめて同じ失敗はしないようにと、高級幹部教育課程を受講していたのだ。何しろ師団以上の規模の部隊で幕僚や指揮官になるのには、絶対に受講していないとならない課程である。その内容は極めて実務に即したものであったのだ。

「はぁ。で、部長はどなたに?」
「あのね、はやてちゃん」
「はい?」
「だからね、はやてちゃん」
「いえ、うち統括執務官試験なんて受験すらしてませんし」
「それは大丈夫。最高評議会にね、お話をもっていったら、部長心得ということでいいって」

 相変わらず制度の抜け道を見つけるのが上手いおばはんやなあ、と、はやては心底感心した。
 確かに部長を置かず、代行を置いて一時的に組織の機能不全をなんとかする、というのは、よくある事ではある。しかし、本局のこれだけ重要な部署でそれを通すとは、一体全体どれだけのコネがあることやら。

「はあ、で、何をしたらよろしいんでしょ? うち、本局勤めはもう長い事やってませんし、何がなんだかさっぱり」

 そんなはやての直球そのままの質問に、リンディはこう答えた。

「あのね、私、「中央委員会」の事務局長に、ってお話が来ているの」

 中央委員会。次元管理局を実質的に支配する三提督の集まりの事を、局員は非公式にそう呼んでいる。つまりリンディは、複役するのではなく、文官として次元管理局の予算と人事の権限を実質的に握る事になる、という事である。
 つまり自分は、彼女の文字通り目となり耳となり、長い手になれ、という事なのだ。
 しかもそれは、三提督まで話が通っているという事でもある。

「そら、おめでとうございます。クロノはんの件は、仕事で忙しければそれだけ辛さも減りますでしょうし」

 この化け物が。
 はやては内心で散々毒づきながら、表情だけはにっこりと笑ってみせた。

「だからね、是非はやてちゃんに助けて欲しいの。ね、お願い」

 すがるような目つきでそう「お願い」してくるリンディの瞳の奥にゆらぐ何かに気がついたはやては、あえて地雷となるであろう一言を発した。

「はあ、それは了解しました。で、引継ぎはどないしましょ?」
「あのね、まずはフェイトちゃんを探し出して欲しいの。彼女はクロノと文字通り一心同体だったから、捜査内容については全て知っているでしょうし」
「なるほど」
「それでね、なのはちゃんにも同じ事をお願いしたの。そうしたら、是非に、って」

 はやては、脳内に危険信号がはっきりと点滅するのを感じた。
 あの葬儀の時のなのはとヴィヴィオの様子から、何かとんでもなくヤヴァイ地雷が潜んでいそうな気がする。

「なるほど。それでは二人でできる限りの事はしますから」
「本当? 嬉しいわ。本当にお願いね」

 今までの悲しそうな表情はどこへいったのか、心底嬉しそうに微笑むリンディ。
 はやては、必死になって思考を回転させた。
 そして、ある結論に至る。

「それでは、そろそろお帰りに」


 リンディを転移ゲートの近くに下ろしたはやては、車内にリンディが何か仕掛けていかなかったか探知魔法を使って確認すると、運転席のシグナムに問いかけた。

「尾行車は?」
「大丈夫だ」

 それから、今まで被っていた仮面を脱ぐと、厳しい表情でヴィータに指示する。

「ダッシュボードの中のファイル」
「おう」
「それが、フェイトはんが召喚されたゲートの先と考えられる管理外世界のデータや。シグナム、今度竣工する次元巡航艦な、艤装委員長と配備予定先の分艦隊司令にたっぷり「貸し」がある。公試が終わったら、長期の試験航海の命令を出してもらうさかい。それに同乗して、なのはより先にフェイトを探し出し、確保せえ」
「了承した」
「ええか、多分リンディはんは腹の底ではフェイトを許しておらん。何か上手くたきつけて、なのはに消させるつもりや。そうなる前にこっちで保護するんや」

 どす黒い表情ではやては呟いた。

「ちっ、クロノの野郎、死んだ後まで面倒を押し付けやがって」



[2605] 運命の使い魔と大人達 第四話前編
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/02/24 14:21

 四

 コルベールの研究室に入ることになったフェイトとロングビルであるが、三人が最初に手をつけたのは、なんと代数と幾何、解析、つまり数学のごくごく基礎的な部分の勉強であった。
 実はハルケギニアにおける数学のレベルは、フェイトからすると決して高くは無かった。ようやく方程式という概念がガリアのアカデミーで生まれ、地球文明におけるユークリッド幾何学に相当するものに応用が始まり、建築物の構造強度計算に用いられ始めた段階である。また、二つの実数を平面状の点の位置、すなわち座標として表すという方法がゲルマニアで発明され、地図の測量への応用が可能になるのではないか、という段階でもあった。つまるところ、集合論や数理理論からようやく抜け出そうとしている、というレベルなのだ。
 フェイトは、ここに構造論、空間論、そして微分積分論を持ち込み、さらには少なくない数の定理の証明を提示してみせたのであった。
 フェイトの開陳する近代数学理論、もっともそれは二十一世紀地球文明においては高等学校で教えるレベルのものではあるが、それにコルベールは文字通り身も心も奪われたといっても良い有様であった。ちなみにロングビルは、何気に力学系の学習にその才能を発揮し、構造概念をコルベールよりも先に理解してみせたりしている。

「失礼します」

 というわけで、授業も何もほっぽり出して位相幾何学の初期概念の理解に夢中になっているコルベールと、連続力学系の概念をなんとか理解しようとフェイトとロングビルが額をつき合わせている最中に、シエスタが朝食を持って入ってくる。ちなみに、彼女の挨拶に三人とも気がつかないのか、返事がないのはいつものことである。
 床一面に各種の定理の証明やら方程式とその証明と解やらが書き込まれた紙で、床は足の踏み場も無かった。とりあえず紙を踏まない様につま先立ちでそっと中に入り、机の空いている空間に色々な具を挟んだ山盛りのサンドイッチと、大きな水差しを置く。そして、これまで歩いてきたのと同じ場所を後ろ向きにそっとたどって出て行くのだ。
 とりあえず、眠くなったら寝て、身体が痒くなったら風呂に入り、腹が空いたらシエスタの置いていったサンドイッチを口にする。そんな生活を三人は二週間近く続けていた。


「ミス・ロングビル」
「なにさ?」

 教員用の風呂の浴槽でぐったりとしているロングビルに、フェイトもぷかーと仰向けに浴槽に浮かんだまま声をかけた。疲れているせいか、ロングビルの口調は完全に素のままになってしまっている。
 ちなみに、本来ならば夕飯中の時間である事もあって、風呂場には二人の他には誰もいない。文字通りの一番風呂という奴である。とりあえず貴族の子弟を教育する学院の職員、それも美貌と抜群のスタイルで有名な二人がそういうだらけた姿をさらすのは、こんな時くらいしかない。

「まさか貴女がこんなに学問に打ち込まれるとは、思ってもみませんでした」
「そりゃ、あたしもだよ。でもね、あの構造力学って奴は、土のメイジとしちゃあ、とんでもなく面白いんだよ。アレをもっと昔に知っていたら、「仕事」もずっと楽だったのが肌で判っちまうんでねえ」

 そのままぶくぶくと泡を吹きながら浴槽内に沈没する。フェイトは慌ててロングビルを浴槽内から引きずり起こした。視線があらぬ方向を向いたまま、彼女は逝ってしまった目で何かぶつぶつと呟いている。どうやら学院の宝物庫の壁の構造強度を計算し、それを貫通するのに必要な運動エネルギーを計算している様だ。
 フェイトは、よいしょっと声をかけてロングビルを浴槽から引っ張り出すと、ぺちぺちと頬を叩いた。

「もうそちらの「仕事」からは足を洗ったんですから、そういう物騒な計算はやめて下さい」
「……ああ、そういやそうだったね。でもね、これが一番理解しやすいんだよ」

 どうやらこの学院の宝物庫は、ロングビル、いや「土くれ」のフーケにとっては一番の難敵であったらしい。それを頭の中で攻略しようと計算するのは、長く続いた職業病みたいなものなのであろう。
 ある意味、骨の髄まで技術者になってしまっているあたり、何気にロングビルと学問の相性は良いのかもしれない。

「というわけでミス・ロングビル」
「……なにさ?」
「……そろそろ新しい「仕事」の話をしたいのですけれど、どうします?」
「えー、と、そういやあたしら、そういう仲だったんだねえ。すっかり忘れてた」

 思ったよりこの人は善人なのかもしれない。
 フェイトは、このままコルベールの研究室で三人で、大統一場理論の完成まで研究を続けるのもよいかな、などと一瞬思ってしまった。何しろ給料も下手な貴族の年収よりも高かったりするわけであり。
 が、フェイトには、もっと遠大な目標があったのだ。
 そのためには、それこそ王政府の歳入ほどもの金を稼ぎ続けねばならない。となると、それこそ相当大規模な経済活動を行わねばならず、その最初の事業資金を作り出す必要がある。何事も事業を始めるにあたっては、まず資本金の準備が必要なのだ。


「蒸留酒?」

 風呂から上がってきたばかりでさっぱりとした顔をしたコルベールが、鸚鵡返しに問い返した。

「はい、これを一口どうぞ。もう随分アルコールも飛んでしまっていますが」

 そういってフェイトは、もうわずかにしか残っていないラガヴーリンを、三つのグラスに注いだ。

「確かに、アルコールは抜けてしまっています。しかし、元はかなり癖の強いお酒みたいですね」

 軽く香りを嗅いでから、一口だけ口にふくんで飲むロングビル。同様にコルベールも、ふんふんと匂いを嗅いでいる。

「これは、泥炭が地層に含まれた地方で湧き出した水を使って、大麦の麦芽を醸造して作ったお酒を、さらに蒸留したお酒です。私のいたところでは、モルト・ウイスキーと呼んでいました」
「なるほど、ワインがブドウの糖分を元に発酵させて作るのと同様に、大麦の麦芽を発酵させた物を蒸留するのか。つまりは、エールになる前の段階で手を加えるわけだね?」

 さすがにコルベールは、この手の実践的なもの相手には理解が早い。

「はい、その通りです。それで、穀物であれば大抵のものは醸造できるわけで、それを蒸留する事でよりアルコール濃度の強いお酒を作れるのです」
「ふーむ。で、これをどうしたいのかね?」

 今ひとつ得心がいかない、という様子で、コルベールがフェイトを見つめ返した。なにしろお酒といえば、醸造酒であるワインとエールしかないハルケギニア世界で、蒸留によってよりアルコール度数の強い酒を造って、それが何になるのかさっぱり理解できないのだ。

「そうしますと、ワインも蒸留できるわけですか?」

 眼鏡を一瞬きらりんときらめかせて、ロングビルが問い返した。
 フェイトは、その問いに満面の笑みを浮かべて嬉しそうに答えた。

「はい、当然ワインを蒸留したお酒も存在します」
「そうすると、良いワインを蒸留したら、そのワインの良いところ取りした蒸留酒が造れる、と」
「その通りです」

 フェイトとロングビルの二人が、何かやたらと盛り上がり始めたのを見て、コルベールは、こほんと二人の注意を引いた。

「それで、ミス・フェイトはその蒸留酒を製造して、何がしたいのだね?」
「決まっています。当研究室の研究資金に充てるのです」
「!?」

 がーん!! とでも背景に稲妻でも落ちたかのように衝撃を受けた表情をするコルベール。そういう発想がはなから浮かばないあたり、彼はあくまで研究一筋の学者なのである。
 そこの追い討ちをかけるように、ロングビルがたたみかける。

「実はわたくしは、こちらに奉職する前は酒場で給仕をしておりました。そこをオールド・オスマンに是非に、と、秘書に雇っていただいたのです」

 ショックの抜けきらないところにそんな裏話を聞かされて、あのエロジジイ、などとコルベールは頭を抱えて呟いたが、それを上品に微笑んで無視してロングビルは話を続けた。

「その経験から申し上げさせて頂きますと、酒飲みは、ある程度弱い酒に慣れてきますと、より強い癖のある酒を欲しがるようになります。そして、そうした酒がなくなると、今度は量を求めるようになるのです」

 ずずい、と、コルベールに顔を近づけるロングビル。

「というわけで、各種の蒸留酒を製造して販売する事ができるようになれば、これは相当に売れるでしょう。ええ、わたくしが保証いたしますわ」

 それこそ、天使の様な美しい清らかな微笑みを浮かべて、フェイトとロングビルはコルベールに向かって胸の前で手を合わせて声をはもらせた。

「「これを製造するのは、名だたる「炎蛇」のコルベール先生以外のどなたにできるというのでしょうか?」」

 コルベールが、研究室で蒸留酒の試験的製造を認めるまで、一呼吸半かかった。


 アルヴィーズの食堂で、ルイズはぶすっとした表情のまま夕食をナイフとフォークでがしがしとつついていた。そんな彼女の発するどす黒いオーラに、周囲の生徒達は文字通りどん引きになって食事をしている。

「なによ、あの莫迦、ご主人様を放り出しっぱなしで」

 つまりルイズは、一日一回朝起きた時に起こしに来る以外はコルベールの研究室にこもりきりの自分の使い魔に腹を立てているのであった。
 ルイズは「破壊の杖」奪回の一件以来、何気にキュルケやタバサと仲が良くなっている。放課後の魔法行使の練習だって、夜の身体の鍛錬だって、三人で欠かさず行っている。魔法行使はタバサが、身体の鍛錬はキュルケが、色々と教えてくれるのだ。もっとも使える魔法は爆発魔法だけではあったが。
 最近は、歩くのをはさめばフェイトが走りこんでいた距離を完走する事だってできるようになった。呪文だって、彼女の歩法を真似して前後左右に動きつつ、三小節程度の呪文を唱えて発動できるようにもなっている。当然、爆発の威力もそれに応じて増しているのだ。
 人一倍努力する事が幼い頃から当たり前であったルイズにとって、ほんの短期間ではあったがフェイトから学んだことはとんでもなく大きかったのである。

「まあ、そうかりかりしないことよ。なんでも、あのシエスタというメイドの話だと、三人とも世紀の大発見をしたとかしょっちゅう大喜びしているそうじゃない。もしかしたらアカデミーから年金が出るかもね」

 そうしたら、魔法が使えなくても学者として爵位が貰えるかもしれないじゃない。なんならあたしがゲルマニアのアカデミーに紹介してあげてもいいわよ?
 いつの間にかルイズの隣で食事をするのが当たり前になってしまっているキュルケが、優雅に肉を切り分けつつそう言ってルイズを一層ヒートアップさせる。

「我々は魔法に頼りすぎ」

 フェイトの体術に思うところがあったのか、タバサは、何か思考しつつルイズとキュルケからゆずってもらったハシバミ草のサラダを口にしながらそう呟いた。どうもギーシュを素手で叩きのめした一件に関して、よほど大きく世界観が変わった様子である。
 フェイトの夜の鍛錬の時も、本を読んでばかりいたように見えて、何気にその体術を観察していたらしい。いつも手放そうとしないタバサ自身の身長よりも長い節くれだった杖を使って、キュルケと模擬戦を繰り返していたりする。ちなみにルイズが一度相手をしてみた時には、二秒で自分の杖を飛ばされ、タバサの杖の尖った先を喉に突きつけられて負けたわけであったが。
 とまあ、最近三人で集まって話をする事といえば、大体がフェイトの事ばかりである。
 常にルイズの後ろに気配を消して控えていただけのメイドのはずなのに、いなくなってみるとこんなにも寂しさがつのる。

「ゼロのルイズ! どうやら平民の使い魔にすら見捨てられたみたいだな!」

 むう、と、ルイズが口いっぱい含んだサラダをもっきゅもっきゅと咀嚼しているところに、横からマリコルヌが、いらぬちゃちゃを入れる。
 なにしろ、ようやくあの物騒なメイドがルイズに付っきりでなくなったのだ、その反動もあってか、近頃またルイズをゼロ呼ばわりする連中が出てきている。
 キュルケは、はぁ、と一息ため息をついてルイズをつついた。

「どーするの?」
「弱い犬程よく吠えるだけよ」

 ごっくん、と、咀嚼物を飲み込んだルイズは、平然と言い切ってちぎったパンにバターを塗り始めた。とにかくしっかり食べておかないと、魔法と体術と、双方で身体がもたないのだ。これで少しは身体、特に胸とかの特定部位が成長してくれれば嬉しいのだが、つくのは全身の筋肉ばかりである。
 もっともキュルケは、ウエストとヒップが細くなった、と、喜んでいたりするが。

「誰が犬だよ、ゼロのルイズ!」

 かちんときたのか、マリコルヌがやたらと絡んでくる。
 ルイズは、視線だけマリコルヌに向けると、にっこり微笑んだ。突如天使の様な美少女に微笑まれて、彼は口をあんぐりあけて黙ってしまう。

「ねえ「風上」のマリコルヌ。ちょっと食堂の空気がこもっていると思わない?」
「そ、そうだな」

 もう一度にっこりと微笑むと、ルイズは席を立ち、まっすぐに食堂の南面にある大きな両開きの窓を、よいしょっ、と可愛い掛け声をかけて開けた。食堂で食事をしていた全生徒と、ロフトで食事をしている教員らが一斉に彼女に視線を向けた。
 ルイズは、五十メイルほど先の地面に向かって、先日学んだゴーレム作成の長い呪文を唱え始める。ルイズが何をやろうとしているのか即座に理解したキュルケとタバサは、さっと机の下に隠れた。
 そして、呪文の完成とともに起こる大爆発。それは、最低でも半径十メイルはあるクレーターをつくり、その衝撃波は窓ガラスをびりびりと割れんばかりに震わせた。開いた窓から吹き込む爆風が、呆然としている教員らのロフトにまで吹き込む。
 窓を閉めなおすと、ルイズはまっすぐマリコルヌのところに戻ってくる。
 そして、ぽかんと口をあけて呆然としている彼に向かって、もう一度可憐な微笑みを浮かべて、可愛らしい声で質問した。

「ねえ、ミスタ・マリコルヌ。わたしの二つ名はなあに?」

 その瞬間、食堂の空気が凍りついた。
 誰もが息を呑み、そして次の瞬間に起こるであろう惨劇を予想して、恐怖に震え始める。

「……ぜ、」
「ぜ?」

 全身を脂汗でぐっしょりと濡らしているマリコルヌと、あくまで可憐な微笑みを浮かべているルイズ。

「さすがだね、「天使」のヴァリエール!!」

 この凍りついた空気を溶かしたのは、なんと先日フェイトとの決闘で顔面粉砕骨折と右腕脱臼で一週間以上も医務室に収容されていたギーシュ・ド・グラモンであった。
 よほど大量に水の秘薬を使って治療したのか、決闘前の気障ったらしい顔つきと右腕の動きに全く変わりが無かったりする。ちなみにその秘薬の代金は、フェイトの主人という事でルイズが支払っていた。
 そんなギーシュは、相変わらず気障ったらしく薔薇の造花の杖をくるくると回すと、ルイズに向かって優雅に一礼してみせた。

「ミスタ・マリコルヌは、どうやら君の美しさ、可憐さに言葉もない様子だ。その天使のごとき清らかな君の美を僕が代わって讃えよう。だから、どうか彼を放してやってはもらえないかね?」

 おおうっ! と食堂中からギーシュを讃えるどよめきが起こる。それに薔薇を振って答えると、ギーシュは、もう一度ルイズに向き直った。
 ルイズは、ギーシュに向かって優雅に淑女の礼をすると、変わらぬ可憐な微笑みを浮かべて答えた。

「薔薇を愛でる事について、ミスタ・グラモンにかなう者はいないようね。私に相応しい新しい二つ名に、心からの感謝を」

 そうして、ギーシュに向かって右手の甲を差し出す。
 ギーシュは優雅な足取りで近づくと、うやうやしくその手を取り、そっと唇を当てた。
 食堂に万雷の拍手が巻き起こり、皆が口々に二人を讃える。
 そんな騒ぎの中、机の下から這い出してきたタバサが一言呟いた。

「使い魔そっくり」


 もうちょっと威力を落とすべきだった、と、心底後悔しつつ、ルイズは、自分の起こした爆発で中庭全体に巻き散らかされた土砂を猫車にスコップで盛っていた。
 いかにマリコルヌに侮辱されたとはいえ、あの爆発はやりすぎであろう、と、クレーターを魔法無しで埋めて元に戻す事を罰として言い渡されたのである。なにしろ直径二十メイルのクレーターである。巻き上げられた土砂の量も半端ではない。本来ならば多数のゴーレムを使って埋め戻すべきような工事なのだ。

「しっかし、あなた、いつの間にこれだけ威力が増したのかしらねえ」
「毎日の努力の賜物」

 とりあえず作業しやすい様に「ライト」の呪文で中庭を照らしてくれているキュルケが、心底感にたえない様子でルイズに声をかける。タバサといえば、相変わらずその明かりで本を読んでいるわけであったが。

「とりあえず、今はこれが最大威力よ。でも四、五発は撃てそうだから、まあ、役に立たないわけじゃないと思うわ」
「あなた、二つ名は「ゼロ」のままでよかったんじゃない? 後にぺんぺん草も生えない、という意味で「ゼロ」」
「……それ、全然嬉しくないから。まだ「天使」の方がすてきだわ」

 額に手ぬぐいで鉢巻し、マントも脱いでブラウスを腕まくりし、汗みどろになりつつ、猫車を押してクレーターを土砂で埋め戻しているルイズが、じと目でキュルケに答える。いつもならば思い切り噛み付いているところであるが、わざわざこうして付き合ってくれている以上、その好意を無碍にはできない。

「しかし、本当に手伝わなくていいのかい?」

 ルイズに新しい二つ名を贈ったギーシュが、腕組みしながらルイズに心配そうに声をかける。

「罰なんだから、しょうがないじゃない。自分のやらかした事は、自分で後始末するわよ」

 ルイズは、空になった猫車を戻しつつ、きっぱりとギーシュに宣言してのけた。こういうところで意地を張らなくて、どこで張るというのか。本当はギーシュのゴーレムの助けが心底欲しいのではあるが、そこをぐっとこらえるのがヴァリエール家の誇りというものであると、ルイズは内心自分に言い聞かせていたりする。正直言って、全身が疲労と筋肉痛でとっても辛かったりするのだ。そうとでも自分に言い聞かせないと、正直しんどくて、何もかも放り出して部屋で横になりたくてたまらなくなる。

「ギーシュ、あんたモンモランシーのところに行ってあげなくていいの? 彼女とよりを戻したんでしょ?」

 フェイトとギーシュの決闘の際、ひたすら殴られ続けているギーシュをかばってフェイトに何度も殴られたモンモランシーは、初めて自分に振るわれた暴力にショックを受けて、しばらく寝込んでしまい、授業にすら出てこれなかったのであった。最近ようやく復帰したものの、とにかく絶対にルイズとフェイトからできる限り離れたところにいようとする。
 そんなモンモランシーをひたすら慰め、力づけ続けた事で、ギーシュとモンモランシーの仲は恋人といってもよいところにまで発展していた。

「さっきの爆発でまた彼女が怯えてしまってね、君がまた何かやらかさないか見てきて欲しいんだと。まったく、今の君は全校最恐の存在だからね。ミス・ヴァリエール」
「わたしより、フェイトの方がよっぽど怖いわよ。平民だけれど」
「使い魔と主人は一心同体じゃないか。君ら二人で学院史上最恐の主従ということで、皆の意見は一致しているんだよ」
「そうよねえ。今のあなたでフリゲート艦一隻分の火力ですもの。このまま順調に火力が増せば、ハルケギニア史上に名前が残るかもね」

 ギーシュとキュルケが好き勝手言っているのに、ルイズは内心、そんなんで歴史に名前を残したくはないわ、と、心の底から本気で思った。自分がなりたかったメイジとしてのあるべき姿は、もっと優雅で美しいものであって、人間砲台としてのそれではない。
 ご主人様が、こんなに切ない気持ちで肉体労働に励んでいるというのに、自分の使い魔は何をやっているんだろう。
 ルイズは、作業を適当なところで切り上げて、コルベールの研究室にフェイトに会いに行くことに決めた。


「くさっ!!」

 とりあえず一風呂浴びて汗を流したルイズが、コルベールの研究室の扉を開けた瞬間、中からあふれてきた空気の余りの臭いに、ルイズは思わず鼻をつまんだ。一緒についてきたキュルケやタバサやギーシュも、目を白黒させて鼻をつまんでいる。

「おや、諸君、こんな晩くに何かね?」

 なにやら炎の魔法を精緻に操り、湯とフラスコの入った鍋の温度を一定に保つ作業にいそしんでいるコルベールが顔をあげた。
 かたやロングビルは、いくつものビーカーに入った液体に何かの魔法をかけており、フェイトは、何種類もの曲線と膨大な数値の書かれた黒板と机の上の書類の間をいったり来たりしている。

「ええと、ミスタ・コルベール。これは何の実験なのでしょうか?」

 鼻をつまんだままルイズが質問すると、コルベールは、心底嬉しそうな表情で答えた。

「うむ、君達はちょうど良いところに来たね。我が研究室は、またもや新たな発明に成功したところなのだよ。ミス・ロングビル、一番熟成の進んだものを、皆に試飲させてあげなさい」
「はい。皆さんこちらへどうぞ」

 ロングビルは、棚から出した四つのビーカーに少しづつ琥珀色の液体を注ぎ、ルイズら四人に手渡した。なんというか、あまりの事に四人とも口の端がひきつってしまっている。

「まあ、この臭気ではよく判らないかもしれませんが、香りを楽しみつつ口に含んでみて下さい」

 ロングビルに薦められた通りに、ビーカーの中身の臭いを嗅ぎつつ、少しだけ口に含んでみる。

「「「ええええっ!?」」」

 とにかく強い。そのままのどに流し込んでしまったなら、思わずむせてしまっていたであろう。だが、その強さに慣れてくると、ワインとは比べ物にならない芳醇な香りと、深みのある味わいに、愕然となる。一度この味に慣れてしまうと、学院で出されるワインがみな水みたいな安っぽい酒にしか感じられなくなってしまうのではないか。

「な、なんです、このお酒!?」

 真っ先に声をあげたのはキュルケであった。なまじ色々な遊びをしてきただけに、この酒がどれほどのものか理解するのも早かった。ルイズやギーシュは、目を白黒させたまま、ちびちびとビーカーから舐めるばかりで、タバサにいたっては、どう判断してよいのか判らない様子で呆然としている。

「うむ、これはミス・フェイトの発案で試作した、白ワインを蒸留し、熟成させたお酒だ。元のワインに含まれている夾雑物を取り除き、ワインの持っている香りと味わいをより深めたものだよ。君らの試飲したものは、ミス・ロングビルが五年相当熟成させたものかな」
「そうですね、大体、四年から五年相当になりますか」
「フェイト、あんたの発案!?」
「はい、お嬢様」

 思わず叫んだルイズに、書類と格闘していたフェイトが初めて顔をあげてうなずいた。

「……その、あんたがお酒好きなのはわかってたけど、まさか自分で作っちゃうなんて……」
「そうですね、この研究室の研究員として、給料分のお仕事はしませんと」
「それにしても、これ、凄いわよ!」

 唖然としているルイズを尻目に、キュルケが叫んだ。すでにキュルケの手にしているビーカーは空になっている。

「ねえ、ミスタ・コルベール、このお酒の製造と販売の権利、是非ともツェルプトー家に譲っていただけないないでしょうか? 相応の代価はお支払いいたしますから」

 生徒というより、領地を経営する貴族の顔で、キュルケがコルベールに詰め寄る。
 コルベールは困った表情でフェイトの方に視線を向けた。

「いや、この酒の権利は、ミス・フェイトが所有している。交渉は彼女としてもらえないかね?」
「なんでです? これはこの研究室で開発されたものでしょう?」
「あー、その、なんだ、アイデアから製法まで、実は全てミス・フェイトが発案したものでね。私もミス・ロングビルも、彼女の言う通りに作っているだけなんだ」

 それこそ狩人を思わせる目つきで、キュルケは、フェイトに向き直った。彼女の輝きの無い濁った眼を、はっしとにらみつける。

「どう、ミス・フェイト? このお酒の権利を譲って下さるならば、相応の代価と、ゲルマニアの爵位を用意しますわ」
「まことに申し訳ありませんが、このアルコールの販売で、当研究室の研究費用を捻出する予定なのです。ただ、ゲルマニア国内における販売権については、お嬢様の許可があれば、お話させて頂きたいと思いますが」

 室内にいる全員の視線が、ルイズに向かう。
 ルイズは、ぐっと言葉につまった。正直、ツェルプトー家はヴェリエール家の数百年来の宿敵である。国境を挟んで対峙してきた両家は、何度も杖を交え戦ってきた仲なのだ。このお酒の権利がツェルプトー家ではなくヴァリエール家にもたらされれば、どれほどの利益があがるか、今のキュルケの鬼気迫る勢いからみても明らかであった。
 だがキュルケは、破壊の杖奪回からこのかた、ずっと一緒にいて、色々と世話を焼いていてくれている。ルイズとしては、その友情を無碍にはしたくはなかった。

「キュルケ」
「何、ルイズ?」

 互いに真面目な表情で向き合うルイズとキュルケ。

「トリステインのヴァリエール家の娘としては、ゲルマニアのツェルプトー家にこの話を許す事はできないわ」

 でしょうね。
 キュルケはうなずく。それだけの因縁が両家の間にはあるのだ。

「でも、あたしの友達のキュルケになら、構わない。どう?」
「……友達だから?」
「そう、友達だから」

 キュルケは、はっしとルイズを抱きしめ、感極まった様子で呟いた。

「まったくもう、あなたって娘は」

 そんな二人を、皆は微笑ましく見まもっていた。


 とりあえず、この蒸留酒、フェイトはブランデーと名づけたが、そのゲルマニア国内での販売権はキュルケ個人が獲得し、製造元その他についてはツェルプトー家には内緒、という事で話がついた。当然、ヴァリエール家にも詳細は内緒という事になる。
 契約の成立にコルベールが音頭をとって皆で乾杯をしたところで、フェイトが、シエスタやマルトー親父にも試飲してもらいたい、と提案し、全員一致でそれに賛同する。なにしろこの二週間、ひたすら研究室に篭りっぱなしであったフェイトとコルベール、ロングビルの世話をしてくれていたのはシエスタであったのだから。
 というわけで七人は、ブランデーを入れたビンを手に意気揚々と厨房を訪れた。

「ミスタ・マルトー! ミス・シエスタはいるかね? 是非お二人に試してもらいたいものができたんだ!」

 厨房に入って声をあげたコルベールのうきうきした声に、厨房からは全く反応はなかった。
 その重苦しい雰囲気に、七人ともいぶかしげに黙る。

「おや、コルベール先生。なんでしょう?」

 なんというか、やるせない怒りをたたえた眼をしたマルトー親父が、厨房の奥からのっそりと現れる。手にはワインのビンを持ち、今の今まで飲んでいたところのようである。

「……何か、あったのかね?」
「ま、よくある事ですわ」

 今は話をしたくはない、そんな雰囲気を漂わせながら、マルトー親父がアルコールで濁った眼で皆をねめつける。

「私がお話を伺っておきますから、ここはひとまず」

 フェイトは、皆に小声で退出をうながすと、コルベールは黙ってうなずき、ルイズ達に外へ出るように促す。皆が厨房を出て行ったところで、フェイトはマルトー親父の隣に座った。

「シエスタ嬢に何かあったのですか?」
「……まあ、な」

 フェイトは、黙ってマルトー親父が言葉を続けるのを待つ。親父は、ワインのビンに直に口をつけて一口あおると、一息吐いてから呟いた。

「シエスタは辞めたよ」
「……まるで無理やり連れ去られた様子ですね」
「ま、そんなところだ」

 まるで自分の無力さに怒りをこらえきれない様子で、マルトー親父は吐き捨てた。

「モット伯爵って大貴族様が、シエスタを一目見て気に入ってな、半分脅すみたいな感じで身請けしたのさ。まあ、平民のメイド一人のために、オールド・オスマンも突っ張りきれなかった、と、そういう事だ」
「何者です、そのモット伯という貴族は?」
「よくは知らん。ただ、王政府の勅使を勤めるお偉いさんで、やたらと平民の娘を使用人として身請けしては、慰みものにしているっていう噂だ」

 フェイトは、一瞬眼をつむった。
 しばらくそのまま身じろぎもしないまま、黙っている。
 そして、眼を見開いたとき、マルトー親父が自分をすがる様な眼で見ているのに気がついた。
 フェイトは、そんなマルトー親父を安心させるかのように、口の端を歪めて微笑みというには余りに獰猛なそれを浮かべてみせた。彼女の光を失い濁った眼の底に熱を帯びた澱みが波打つのを見て、親父は両手を膝につけて頭を下げた。

「頼む」
「頼まれました」

 フェイトの答えは即座で、そしてなんのためらいも無かった。すっくと立ち上がり颯爽とスカートを翻して厨房を立ち去る彼女の後姿に、マルトー親父はずっと頭を下げ続けていた。



[2605] 運命の使い魔と大人達 第四話後編
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/02/27 22:29
 二つ月の照らす夜道を、黒いローブをまとった二人を乗せて、馬が疾走している。
 手綱をとり、馬を走らせているのは、久しぶりに仮面を脱いだ「土くれ」のフーケ。その後でフーケの腰に手を回して相乗りしているのは、同じく仮面を脱ぎ捨て氷の微笑みを浮かべたフェイト。二人の瞳は、あくまで冷たく冴えた殺気を放っている。

「そこの道を左にまっすぐ進めば、モット伯の屋敷さ。あたしは指示通り「仕込み」にトリスタニアに行く」
「ええ、お願いします。それで、モット伯が「飲む」「打つ」「買う」の三つを趣味として伊達男を気取っているというのと、マザリーニ枢機卿のお気に入り、というのは確実ですね?」
「ああ、あたしの頭の中には、トリステイン中の大貴族のネタがしっかりつまっているのさ」

 きっぱり言い切って、フーケは、にやりと凄みのある笑みを浮かべた。

「なにしろお偉いお貴族様をあたふたさせるのが、「土くれ」のフーケが怪盗と呼ばれている所以だからね」
「では、今回も存分にお楽しみ下さい」
「楽しみにしてるよ。で、あんたの指示通りに作った「それ」、なんなのか後で説明しておくれよ」
「ええ。何しろ今回の「ヤマ」の肝ですから」

 フェイトはわずかに眼を細めると、走る馬の上から地面に飛び降りた。そのまま地面を一回転して立ち上がると、停まることすらなくフーケに指示された道を走り始める。フーケは、フェイトに視線だけで挨拶すると、そのまま王国の首都トリスタニアに向けて駆け去った。


 モット伯は、寝室でゆったりとソファーの上でくつろぎながら、ガリア産ポートワインのヴィンテージを楽しんでいた。時折グラスを傾けては、内面に残る澱のすじを楽しむ。三十年もののそれの肴は、目前で控えている今日屋敷に連れてきたメイドの少女である。胸元を大胆にVの字にカットし、スカートも膝上二十サントにまで短くしたメイド服にも見えないことは無いそれは、あくまで主人の目を楽しませるためのものであって、実用性などかけらもありはしない。
 シエスタという名前の少女は、これから起こる事に怯えているのか、ノースリーブのメイド服もどきからのぞく肩が細かく震えていた。

「くくっ、そう怯える事はない」

 モット伯は、わずかに口ひげをひねって、声色だけは優しげにシエスタに声をかける。
 もっとも、その酔いの回って赤くなった瞳は獣欲にぎらぎらと光り、シエスタの怯える姿を楽しんでいる様がありありと判る。

「何、痛いのは最初だけだ。すぐに気持ち良くなる。何しろこのジュール・ド・モット、何人もの生娘に天国を味合わせてやったからなあ」

 びくっと震えて、顔をうつむかせるシエスタ。
 モット伯は、少し声を低めてあごをしゃくった。

「それ、そこで顔を下げるでない。せっかくの可愛い顔を楽しめぬではないか」

 その言葉に、シエスタは、嫌々そうに顔を上げる。
 そんな姿に一層嗜虐心を刺激され、さてどういう手順で楽しもうかと、あれこれ算段を始めるモット伯。
 と、そんな彼がもてあそぶ淫らがましい妄想は、寝室の扉を叩く無粋な音でやぶられた。軽く舌打ちすると、モット伯は苛立たしげに声を張り上げた。

「何だ! 誰も邪魔してはならぬと命じたであろうが!!」
「それがお館様、ただいま玄関に来客が」
「こんな夜更けに何者だ。かまわぬ、追い返せ!」
「それが、……ヴァリエール家の方から参られた、と」
「何!?」

 ヴァリエールといえば、トリスタニア王家とも血縁の、この王国随一の格式と伝統を誇る大貴族である。その当主は、現宰相であるマザリーニ枢機卿と仲が悪く、早々に隠棲して領地にこもってしまってはいる。だがしかし、今だ国内の古参の大貴族らには大きな影響力を持つ、非常に厄介な相手であった。
 モット伯とて、王政府の勅使役としてマザリーニ枢機卿の手足となって動いている身である。ここでヴァリエール家の関係者を無碍に扱い、いらぬ騒動を巻き起こすほど愚かではなかった。むしろ、この夜更けに前触れも無しに屋敷に押しかけてきた無礼をとがめ、何がしかの貸しを作る方が賢いというものであろう。

「まあよい。すぐに戻る故、ここで待っているがよい」

 シエスタにそう命ずると、モット伯はガウンの上からマントをまとい寝室を出て行った。
 一人残されたシエスタは、緊張の糸が途切れたのか、床の上に座り込み声にならない嗚咽をもらし始めた。


「余がジュール・ド・モットである。貴公、ヴァリエール家より参ったと申したな。この夜更けに何用か?」

 その者は、全身をすっぽりと黒いローブでつつみ、わずかに朱色の唇がのぞいている。わずかにのぞくその唇の端はゆがんだまま、杖を持ち周囲を取り囲む家人らの威圧感にもまったく臆する様子がない。
 玄関ホールの階段の踊り場から見下ろすモット伯は、その者が余程の手だれである事を確信した。自らも水のトライアングルのメイジである彼は、その者がまとう黄金色の魔力のオーラの力強さに、まずはヴァリエール公爵の懐杖であろうと見当をつけた。

「夜分、突然の来訪にも関わらず、面会をお許し下さいました伯爵閣下のご厚情、まこと感謝にたえませぬ」

 その声は、聞く者の背筋をそろりとなで上げる様な艶に満ちていた。女はその場でローブをするりと脱ぐと、床にそれを落とす。

「……ほう」

 周囲を囲む家人のみならず、モット伯自身も感嘆のため息を漏らした。
 それほどに目前の女は美しく、また官能に満ちていた。女は、その豊かで形の良い胸から、細くくびれた胴を経て引き締まり張りのある腰までの肢体のラインを見せ付ける黒く長いドレスに身を包み、深い胸元を惜しげもなくさらしている。その肌は室内灯でもよく判る程に白く透きとおり、きめ細かくなめらかであった。彫りの深い顔立ちの中で、深紅の瞳が、細められた切れ長の眼の中で光もなく、のぞき見る者の魂を深淵へと誘い込む様な深さをたたえている。温かみのある金髪が腰までうねり、この女の艶気を一層際立たせている。
 モット伯は、直感的に、この女がヴァリエール公爵の愛人であろうとあたりをつけた。少なくとも、これだけ官能的な女に手をつけずに傍に置いておける男が想像もできない。この女のためならば、さてどれほどの男達が持ち得る全ての財を投げ打とうとするであろうか。

「では、用件を伺おうか」

 あくまで女の美貌に興味はない、という風をよそおいつつ、モット伯は傲岸に言い放った。
 この様な女は、己の美貌に感嘆し腑抜けるような男など眼中にすら入れないものである事を、モット伯とて知らぬではなかった。

「それでは、伯爵閣下のご厚情に甘えさせていただきまして」

 女は艶然と微笑みつつ、しかし一切の媚を含ませぬ声で答えた。

「本日、伯爵閣下が身請けなさいました少女、実は主の気に入りの使用人にございます。再度こちらにて身請けさせて頂くように、と、命じられて推参つかまつった次第にございます」
「ほう。かの平民の娘を、か」
「何しろ良く気のつく娘でございます故」

 ふむ、と、考え込む様子を女に見せるモット伯。この女が先に手札をあっさり切って見せた事が気になる。光の無い女の瞳を見つめるうちに、彼は、すっと引き込まれる様にある一つの考えに至った。
 つまりヴァリエール公爵は、この女を使って自分を味方に引き入れようとしている、と。
 シエスタの様な、まあそこそこの美貌の田舎娘ごときに、わざわざヴァリエール公爵程の男が動くわけがない。むしろ、魔法学院から何らかの形で話を聞いた公爵が、この宮廷内で権勢を誇る自分を味方に引き入れる事で、これより起こるであろうマザリーニ枢機卿との権力抗争に先手を打つつもりなのであろう。
 現在進行中のアルビオン情勢をめぐって、王宮と地方の大貴族らの間の意見の溝は深い。まずは大貴族らを束ねるヴァリエール公爵が先に動いた、というところか。

「それで?」
「はい。ただご厚情に甘えさせて頂くだけでは失礼な上、伊達にて知られる伯爵閣下の興をそぐかと」
「ほほう。つまり、あの娘に換えて、という事か」
「ご明察の程、まさに感嘆にたえませぬ」

 女が一礼する様に、自分の見立てが間違っていなかった事を確認して、モット伯はニヤリと笑った。
 が、そこで女の表情に挑戦的な何かが浮かぶのを見て、モット伯は、やはりこの女が一筋縄ではゆかぬ公爵の懐杖である事を思い知らされた。

「いかがでしょう? ここは一つ、伯爵閣下の伊達振りを拝見させていただきとうございます」
「構わんぞ。余の器量を貴公の主に知って貰わねばなるまい」

 女は、今でははっきりと挑戦的な微笑みを浮かべ、はっきりと言い放った。

「トリスタニアに、面白い店がございます。なんでも、現金をチップに換金する事なく賭け事を楽しめるとか。いかがでございましょう? 伯爵閣下は使用人の娘を、こちらはこの身を賭けるという事で」
「ほう、それは面白い。だが、余とてあの娘を気に入って身請けしたのだ。そうだな、一万エキューから値いをつけさせて貰おうか」
「さすれば、この身は一千エキューという事でいかがでございましょう?」

 やはりそういう事か。
 モット伯は、すでにシエスタの事などどうでもよくなっていた。目前のこの女が自分の下で乱れる姿を脳裏に思い描き、知らず知らずのうちに笑みが浮かんでくる。公爵は恐妻家と聞くが、それ故にこの愛人を上手く処理する方法を見つけた、という事なのであろう。

「それは貴公の値いとしては百分の一にも足りぬとは思うがな。だが、貴公がそれで良いというならば、この勝負受けてたとう」


 通常、都市を囲む城壁の門は、夜は閉じられ余程の事が無い限り人の出入りが許される事はない。だがモット伯は、王政府勅使という身分をもって、あっさりと深夜のトリスタニアに馬車を乗り入れさせた。大貴族らしく豪奢に飾り立てられた馬車には、モット伯と、公爵の愛人、シエスタ、そして護衛のシュバリエが二人、乗り込んでいる。
 モット伯は、シエスタが女の顔を見た瞬間にその名前を呼ぼうとしたのを、女が制した事が気になっていた。今になって思えば、女は一度として己が何者が名乗ってはいない。そもそもが、ヴァリエール公爵家ゆかりの者とすら名乗ってはいないのだ。あくまでヴァリエールの名前は、家人に伝えた時のみ口にしただけ。
 だが、そうしたモット伯の疑問も、目前で女とシエスタが睦み合う姿を見れば脳裏から吹き飛ぶ。
 女は、シエスタを隣にはべらせると、指先や唇を使ってそのまだ脂の抜けきってはいない青い肢体をいじっては楽しんでいる。時々、我慢できなくなったシエスタの荒い息が、馬車の中にこぼれる。護衛として連れてきたシュバリエどもなど、三本目の杖の方が元気なくらいである。

「それ、余の騎士らをそうからかってくれるな。役に立たぬではないか」

 これから賭け事にのぞむというのに自分の頭が熱くなってしまっては、いくら女の側にそのつもりがあったとしても、賭けに勝てるわけがない。そうなれば、この女を愛人にできても、確実にこの女を通じてヴァリエール公爵にいいように操られるだけになってしまう。

「申し訳ございませぬ。なにせこの娘、余程に怯えておりますゆえ」

 そうぬけぬけとうそぶいて、シエスタの頭を自分の胸の抱きしめる。たわわに跳ねていた双球がシエスタの頭で押しつぶされ、さらにその瑞々しさを男どもの脳髄を揺さぶった。

「さて、そろそろでございます」

 女がシエスタを手放し、モット伯の目を正面から見据えた。その目には媚や艶は一切なく、なんの表情も無い深淵がのぞいているだけである。
 モット伯は、この女がまさしく男を弄ぶ術に長けた魔女である事をしっかりと心に焼き付けた。
 だが同時に、こういう思いも持ち上がってくる。この魔女に良いように弄られたならば、それはそれでこれまで味わった事の無い快楽となるのではなかろうか、と。そしてこうも思う。この魔女をヴァリエール公爵から身も心も奪うことができたならば、どれほどの愉悦か、と。


 馬車が止まったところは、貴族や裕福な大商人らがよく訪れる歓楽街の片隅であった。ここから通り一本隔てれば、そちらは平民用の歓楽街となる。
 馬車から降りたモット伯の前に、黒いローブに身を包み、顔を伏せた女が立っていた。
 ゆったりとしたローブゆえに、はっきりとは判らないが、この女も中々の上玉である。馬車の中の女が豪奢さを顕すとすれば、目前の女は触れなば切らんとする刃物の如き危なさを顕しているというべきか。さすがはヴァリエール公爵、王国の貴族について知らぬことはないと自負してきたこのモット伯すら知らぬ懐杖、それもこれだけ美しい女を二人も囲っていたとは。

「こちらへどうぞ」

 いかにも理知的な声で、目前の女がモット伯に向けて腰をかがめる。一瞬、月明かりに眼鏡のレンズが照り返し、この女が声の印象を違えぬタイプの美女である事を示した。
 月明かりと、店の窓や戸口からこぼれる明かりの中を、眼鏡の女は迷う事なく裏通りへといざなう。その歩みは一切迷いはなく、この女がこうした世界に慣れているのが明らかであった。そして女は、一件の商館ともおぼしき建物の地下へと通じる扉の前で止まった。何事か合言葉をやり取りすると、そっと扉が開かれる。
 眼鏡の女は、ローブの下、表情をうかがわせぬまま扉の中へと手を差し伸ばした。

「では、とくとお楽しみ下さいまし」


 建物の地下室は、よく吟味された上品な調度の談話室を思わせるつくりの部屋であった。照明は薄暗く、それぞれの机の上だけに明かりが当たるようになっている。そこでは、カードやサイコロ、そうした諸々の賭け事が行われ、少なくない数の金貨がやりとりされている。部屋の中でたゆとう葉巻の煙と、時々鳴るクリスタルグラスの音が、ここの客が誰もが相応の身分の貴族か裕福な大商人である事を示していた。
 モット伯は、店の従業員の案内で一番奥の部屋へと通された。そこには作りの良いソファーとチーク材の机、そしてグリーンのフェルトの敷き布と封を切っていないカードの箱があった。

「それではお客様、よろしければ室内をお確かめ下さいませ」

 つまり、探知魔法で何かいかさまの仕掛けがされていないか確かめろ、という事である。モット伯の護衛の一人が杖を振るい、特に何も仕掛けが無い事を確かめる。感じられるのは、それぞれの身体が発する魔力のみ。

「お連れ様はこちらへ」

 モット伯の護衛二人が、従業員に連れられて別室へと去る。モット伯がソファーに傲然と座るのを待ってから、女は彼の向かいに座った。シエスタは、モット伯と同じソファーの端に座る。

「それでは、何かお飲み物をご用意させて頂きますが」

 戻ってきた従業員が、うやうやしく頭を下げる。
 モット伯は、左手を振って従業員を下がらせた。

「伯爵閣下はカードがお得意だとお聞きいたしました。それゆえ、カードを用意させて頂きましたが、よろしかったでしょうか?」
「構わぬ。むしろ貴公の心遣いが嬉しいぞ」

 にやりと笑って、モット伯はカードの箱を手に取った。そして、封を切って中のカードをあらためる。ごく普通のカードで、特に何か仕掛けがある様には見えない。もっとも、このゲームそのものが茶番である以上、カードに仕掛けをする事自体があり得ないわけであるが。 

「ベットが十エキュー、一回のレイズの上限が百エキュー、こんなところでいかがでしょう?」
「そうだな、それが妥当だろう。それではまずは余が「親」で始めようか」

 モット伯は、護衛に持たせてきた金貨をテーブルの上に積み上げ、慣れた手つきでカードをシャッフルし始める。それにあわせて、女もあらかじめ店に用意させておいたのであろう、自分の手持ちの金貨を場に並べ始めた。

「では、始めようか」


「コール」
「二十」
「……十九」

 モット伯の手元から、場に積み上げられた金貨の山が女の元へと引き寄せられる。女はまるであらかじめ知っているかの様に、無造作にベットとレイズを繰り返し、着実にモット伯の金貨の山を崩してゆく。
 何故かは判らないが、どうしても場の流れがつかめない。モット伯は、内心の焦りが表情に出ないようにするので精一杯であった。勝率そのものは互いに五分前後で女の側に極端に偏っているという事はない。だが、何故か手持ちの金貨は着実に女の元へと流れてゆく。

「ベット」

 十エキュー分の金貨の山を場に積み上げる。女もそれに合わせて十エキューを場に積み上げる。最初の二枚のカードが互いに配られる。
 モット伯のカードは、六と八。

「ヒット。……レイズ、百」

 女がカードを求め。配られたカードをちらりと確認すると、後は口の端を歪めたまま、金貨の山を場に積み上げた。しめて百十枚の金貨が、女の場に積み上げられてる。
 モット伯も、カードを一枚手元に引く。三。微妙な数値だ。

「レイズ、さらに百」

 モット伯と女と、同時に金貨の山を積み上げる。

「スタンド。レイズ、五十」
「スタンド。レイズ、さらに百。コール」

 女の開いたカードは、六と六と七。

「十九」
「……十七」

 さらに三百六十枚の金貨が、女の元へと引き寄せられる。

「くっ!」
「如何なされましたか? 伯爵閣下」

 全く感情を感じさせない声で、ゲームの最初から変わらぬ表情のまま、女が声をかける。モット伯は、怒鳴り散らしたくなるのを必死になって押さえ込むと、あくまで冷静さを保っている風を見せつつ答えた。

「何、今日は調子が悪くてな」
「それはそれは。そういえば、こちらにいらせられる前に、随分とお酒を召していらっしゃったご様子でしたが。酔い覚ましを持ってこさせましょうか?」
「いや、それには及ばぬ。もう酔いは醒めておるゆえ」

 そう、すでに酔いは醒めている。
 ここまで一方的にあしらわれるなど、初めての経験である。女がイカサマをしていない事は判る。それならば、もっと余分な動きや気配が現れるはずだ。しかし、女は淡々と配られるカードと金貨の山をさばくだけ。
 どこかでこの流れを崩さないと、このまま一方的に負けて終わる事になる。

「ベット」

 女の表情の無い声に、モット伯の背筋に一筋冷たい汗が流れた。


「コール。十九!」
「二十一」

 モット伯の手元から、最後の金貨が女の元へと引き寄せられる。
 怒りの余り右手で顔を掴み、なんとか表情を悟られまいとするモット伯。余りにもあっけない敗北であった。時間にすれば半刻とかかっていないであろう。
 と、自分の手元に一万枚の金貨が戻される。

「それでは、使用人はこちらの席でよろしゅうございますね?」

 つまり、シエスタは女に取り戻された、という事になる。と、女を見やれば、その光の無い瞳に、この程度の男であったか、と言わんばかりの冷たい澱みが見て取れる。あまりの屈辱に、モット伯はぎりりと奥歯を噛み鳴らした。

「……これで終わりというわけではあるまい。ゲームを続けさせて貰うぞ」
「はい。ですが、よろしいので?」
「構わぬ。ここで終えては、貴公の主も余を見限ろうよ」
「承りました。そういえば……」
「なんだ、申してみよ」

 女はこの部屋に入ってから、初めて嬉しそうな表情で微笑んだ。

「いえ、伯爵閣下は私めに十万エキューの値いをつけて下さいました。いかがでございましょう? この身を見事実力で身請けしては頂けませぬでしょうか?」

 そういえば、そんな事も言ったか。
 モット伯は、ぎらりと輝く眼で女を正面から見据えた。それをまっすぐに受け止めて揺らぎもしない女の深紅の瞳。彼は、この魔女をなんとしても弄らずには済ませまい、と、固く心に誓った。このままでは逆に、ヴァリエール公爵にマザリーニ枢機卿へのカードとして使い捨てられてしまう。

「では、始めようか。今度は貴公が「親」だ」
「はい。ではベットとレイズの金額を、それぞれ十倍に」
「良かろう」

 女も、慣れた手つきでカードをシャッフルし始めた。


「レイズ一千!」
「レイズ、さらに一千。コール、十六」
「くッ、十五!」

 モット伯の手元から、またも最後の金貨の山が女の手元に移った。

「さて、伯爵閣下、み気色も優れぬご様子ですし、今日はこのあたりでいかがでしょう?」

 憐れみのこもった声で、女がシエスタを促して腰を上げようとする。

「……待て。たかだか十万やそこら負けたくらいで、余が貴公をあきらめると思うてか」
「そこまで高く評価して頂きまして、まことに嬉しゅう思います。ですが、よろしいのですか?」
「構わぬ」
「ですが、もうお手元には金貨はございませぬご様子ですが」
「……ぬう」

 両手で頭を抱えるモット伯。と、女はわずかに口の端をゆがめると、ごくごく慣れた様子で卓上の水晶の鈴を鳴らす。同時にノックの音と、入ってくる従業員。

「お呼びになられましたでしょうか、お客様」
「借用書を。十万エキュー」
「了解いたしました。ただ今お持ちいたします」

 女は、優しげに微笑むと、モット伯に向かってなだめるような調子で話しかけた。

「それでは、十万エキューご用意させていただきましょう」

 すぐに戻ってきた従業員が差し出した書類の一番下の空欄を指差し、女は言葉を続けた。

「では、こちらにサインと花押を」 


 モット伯は、両腕の肘を机につき、頭を抱えて突っ伏していた。
 あれから何度も女に金を巻き上げられ、その度ごとに借用書にサインと花押を記させられていた。

「これで合計二百二十万エキューとなりますが、いかがいたしましょう?」

 いかな宮廷で権勢を誇るモット伯といえど、今すぐに用意できる金ではない。いっその事、踏み倒そうかと思い、女をにらみつける。

「今すぐ用立てが必要ではあるまい」
「はい。借用書には毎年二十二万エキュー、十年で完済となっております」
「ほう。随分と気の利いた事をしてくれる」

 十年もの間、生真面目に金を返し続けるわけがあるまい。そう内心思い、手っ取り早くはした金をくれてやってこの場から逃れる事を考えるモット伯。だが、女の次の言葉に、何もかもが脳裏か吹き飛び、愕然とした。

「利子ですが、年利一分、二十二万エキューとなります。借用元はロマリアのコルレオーネ商会となりますね」
「な、なんだと!? 借用書を見せてみよ!!」

 女が鈴を鳴らすと、従業員が借用書の束を持って現れる。その借用書をよくよく見れば、確かに借用元はロマリアのコルレオーネ商会であり、借金全額の十パーセントづつを利子として毎年支払う事、と書いてある。そして、自分のサインと花押。
 コルレオーネ商会といえば、ロマリアの宗教庁と仲も深く、その金融関係の事業の多くを手がけているハルケギニア最大の金融商会のひとつである。相手がロマリアの宗教庁とあっては、いかにトリステインの王宮勅使である自分であっても、所詮は一貴族に過ぎない扱いをされよう。
 そして何より、この事がマザリーニ枢機卿の耳に入ったならば、即座に自分は切り捨てられる事になるのが目に見えている。かといって、こんな醜態を見せた今となっては、ヴァリエール公爵も自分をあえて拾おうとはしまい。つまり、自分はすでに公爵の使い捨ての駒という事になる。
 呆然としてぼんやりとソファーにへたり込んだまま、モット伯の脳裏は、真っ白になってしまっていた。もはや何も考える事すらできはしない。
 そんなモット伯に対して、女は改めて姿勢を直す。その深紅の瞳に、初めて獲物にしっかりと喰らいついた猟犬の様な熱が灯る。

「伯爵閣下、それではよろしければ、改めてビジネスについてお話させて頂きたく思いますが。決して悪い話ではございませぬゆえ」
「……なんの話だ?」
「いえ、この借用書をコルレオーネ商会に持ち込まずに、かつ借金を返済できるように、というお話でございます」


「で、こちらの条件は全部呑ませたんだね?」

 シエスタが、タバサのウインド・ドラゴンに乗って学院に向かって去っていくのを見送ってから、フェイトとフーケの二人はローブを被ったまま、トリスタニアの裏通りを二人して歩いていた。

「利子を半分にする代わり、こちらの指定する商会に、各種アルコールの国内での自由販売と国外への輸出の権利を認めさせる。そして、酒造組合や販売組合、衛士からの干渉は、モット伯がこれを押さえ込む、という事で」
「なるほどねえ。で、モット伯のお仲間に、例のブランデーを広めさせるわけかい」
「はい。あれだけの本数のブランデーを手土産に持たせました。売れた酒の利益の五パーセントがモット伯に支払われる、という事にしておきましたから、彼としても必死になって売り込んでくれる事でしょう」
「いや、なんとも痛快だねえ。あの店に一千エキューも支払った甲斐があったというものさ。本当に、実際にこの目で見ておきたかったよ」

 それはもう嬉しくて仕方が無い、という表情で、フーケが腹を抱えて笑い転げた。フェイトも、心底嬉しそうに微笑んでいる。

「で、例のブツは一体全体なんのマジックアイテムだったんだい?」
「ああ、あれですか。単純です」

 そう言ってフェイトは、両眼に指をつけると、何か透明の膜を取り出した。

「錬金して頂いたこの膜に、光を波長ごとに分解する魔法をかけました」
「波長?」
「はい。光は、プリズムを通す事で紫色から橙色へと、虹の様な色彩に分解されます。その色を、カードに印刷されているインクが持つ熱量ごとに分けて見られるようにしたのです」
「つまり、カードの裏側が見える、っていうアイテムかい」
「ええ。発する魔力は微弱ですので、私が発する魔力に邪魔されて、気がつかれなかったみたいですね。まあ、アルコールも入っていましたし、いやらしい格好で挑発もしましたし、色々と集中するのを邪魔しましたから。これで賭け事に勝てなければ、私もよほどの馬鹿という事になりますね」

 まあ、二度と使うつもりはありませんが。
 フェイトはそう呟くと、手のひらで魔法のかかった膜を握りつぶし、ローブのポケットにしまった。そんな彼女を見て、にやりと笑うフーケ。

「さて、で、これからあたし達がやるべきは」
「ええ、蒸留酒の大量生産のための醸造所の建設と、その販売を担当する商会の設立ですね」

 二人は互いの眼を見合わせると、しっかりとした表情でうなずきあった。

「あたしはこれからガリアに向かう。あそこはジョゼフ王の粛清で、貴族の名前を失ったメイジがごろごろしているからね。掘り出し物がたくさんいるだろうさ。連絡は欠かさないから、何かあったらよろしく頼むよ」
「よろしくお願いします。私は、ブランデー以外の蒸留酒の開発にあたりますので」

 そしてフェイトは、十二万エキュー相当の小切手をフーケに手渡した。

「これを活動資金にしてください。このお金を「洗って」足がつかないようにするのは、できますよね?」
「当然さ。そうでなくっちゃ、これまで領収してきた「お宝」を売りさばくなんてできやしないからね」

 フェイトとフーケは、互いに右手を差し出しあい、しっかりと握り締めあった。

「貴女の協力がなければ、こんなにも上手く話は進みませんでした」
「あたしも、あんたと仲間になれなければ、今頃牢獄送りか、どこぞの貴族の飼い犬だったろうさ」


 夜風が半裸に近いシエスタにはとても辛そうであった。だからタバサは、自分のマントを彼女にまとわせ、その上で自分のウインド・ドラゴン、名前をシルフィードと呼んでいるが、その背に乗せて一路魔法学院へと向けて飛んでいた。

「それで、どう進んだの?」
「あの、すみません、フェイトさんに固く口止めされているんです。下手に噂が広まったら、わたしの命が危ない、って」
「大丈夫、秘密は守る。キュルケやルイズにも話さない」

 タバサは、自分の背中にぴったりと身体を寄せ、腰に手を回しているシエスタから、事の顛末を聞きだそうとしていた。
 なにしろ、マルトー親父の元から戻ってきたフェイトが、開口一番「シエスタさんを取り戻しにいきます。手伝って下さる方は?」と、全員に向かって宣言したのである。真っ先に手を上げたのがなんとロングビルであり、続いてその場の勢いでキュルケもルイズもギーシュも、そしてコルベールまで手を挙げたのだ。キュルケが手を貸すと宣言した以上、自分もそれに付き合おうと思い、手を挙げたのも事実ではあるが。
 そしてフェイトは、ロングビルに何かを錬金させ、ギーシュに馬を用意させ、キュルケにもっとも煽情的でいかがわしいドレスを用意させ、そしてルイズに「モット伯の門をくぐるのに、一度だけヴァリエールの名前を使うのを許して欲しい」と頼み込んだのだ。ちなみにタバサには、取り戻したシエスタを魔法学院まで安全に連れ帰る、という任務が割り当てられたわけであるが。なお、コルベールはシエスタを研究室の専属メイドにするよう、オールド・オスマンにかけあうという仕事を割り振られていたりする。

「ええと、そうですね、秘密ですよ」
「大丈夫」

 それから、シエスタが堰を切ったように話し始めた内容は、さすがのタバサも唖然とするしかない内容であった。まさかフェイトが、モット伯を博打で身包み剥いで、その借金をかさに例の蒸留酒の独占販売の権利を王政府に保障させるとは。
 自分もガリア王国のシュヴァリエとして、色々と裏側の世界について見知ってはいる。だがしかし、こうも見事に権力者に取り入り、それを裏切れないように諸々で縛りあげて、道具として使うやり方を平然と行えるとは。フェイトのあの濁って腐りきった瞳の後ろには、こんな奸智に長けた犯罪者の顔があったとは。
 タバサは、フェイトの表の顔しか知らない仲間達の事を思い、自分が彼女という猫につける鈴になるしかない、と、そう確信した。少なくとも、ちょっと不良なだけのキュルケや、世間知らずのルイズやコルベールでは、フェイトが何かやろうとしたときに抑えにすらなれまい。ましてロングビルは、「破壊の杖」事件の諸々の挙動からして、「土くれ」のフーケである可能性が高いのだ。多分、フェイトとフーケの二人は、あの時点で同盟を組んでいる。つまり、今回の一件も、シエスタの一件が丁度よいきっかけだったので、モット伯をはめただけなのであろう。
 それはもう、フェイトに対する限りない賛辞を話し続けるシエスタを背中に、タバサは、キュルケが一番最初にフェイトの危険性に気がついたその事に心から感嘆しつつ、友人のこれからを案じていた。


 シエスタが魔法学院に戻ってから一週間後。
 トリスタニアの飲み屋街の一角で、四人の男女が顔合わせをしていた。そのうちの二人は、フェイトとフーケである。そして残りの二人は、一人は銀髪の線の細い若い美男子。もう一人は修道女の格好をした金髪の少女。

「紹介するよ。彼はトマ。ガリアの王都で闇賭場の用心棒をやっていた男で、オルレアン公の使用人の息子だった」

 酒場の片隅で、周りに声が漏れないようサイレントの魔法をかけた机で、フーケがそうフェイトに男を紹介する。

「彼女は、リュシー。同じくオルレアン公のシュヴァリエの娘で、父親は処刑されている。水のスクエア級のメイジだが、貴族じゃあない」

 二人は黙ってフェイトに向かって頭を下げた。

「過去、色々と大変な経験をなさった様ですね。これから、是非お二人の力をお貸し下さい」

 フェイトは、ほんのりと優しく二人を気遣う様な微笑みを浮かべ、自身も頭を下げた。

「自分の恩人の死に水をとっていただいただけでなく、こうして無事トリステインに脱出させて下さいました。そのご恩は必ずお返しいたします」
「私も、ただ復讐の思いに身を焦がしつつ何もできずにいたのを、簒奪者ジョゼフへの復讐の機会を与えてくださって心から感謝しております。なんでも構いません、是非この身をお役立て下さい」

 二人の瞳には、深く暗い復讐の意思が炎となって澱んでいる。そんな彼らを頼もしげに眼鏡越しにみやりつつ、フーケはフェイトに向かって言った。

「というわけで、新たに立ち上げる「ラグドリアン商会」の総支配人にはトマ。研究室で蒸留酒と薬品の開発にはリュシー。これでどうだい?」
「結構です。お二人ならば、きっと期待以上の成果を出してくださいますでしょう」
「ああ、あたしもそう思っているよ。それじゃあ、新たな仲間に乾杯といこうじゃないか」

 四人は、血の様に赤いワインの入った杯を掲げ、唱和した。

「貴族どもに目にものを!」



[2605] 運命の使い魔と大人達 第五話
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/03/02 20:58
 五

「猫の首に鈴をつけたはずだったのだがのう」

 オールド・オスマンは、ため息とともに本塔最上階の執務室の窓から、眼下の風景を見下ろしていた。彼が見下ろしているのは、魔法学院のそれぞれの塔と同じ大理石で作られた見事な研究施設である。魔法学院の各塔と違うのは、その研究施設の屋根が緋色の瓦で葺いてあることであった。

「いやまあ、何しろ研究課題も増えましたし、生徒に教えたい事も増えまして」

 オールド・オスマンの後ろで縮こまっているのは、その研究施設の長であり責任者でもあるコルベールであった。
 コルベールは、とにかく研究と発明に没頭している時が一番幸せ、という典型的な学者であった。そのためシエスタを連れ戻してきたフェイトが、蒸留酒の蒸留工場の建設とそのための器材製作用の工場を建てたい、ついては、膨大な項目にわたる必要な基礎研究を行えるだけの研究所の建物を建てたい、と申し出てきた時、一も二もなく同意してしまったのである。そして、オールド・オスマンにシエスタの身柄の保護も兼ねて研究所専任のメイドにしたい、という希望と同時に、新しい研究棟の建設を行いたい、と申し出て許可を得たのであった。
 その結果が、眼下に広がる一大研究棟の群れであったのである。
 コルベールをはじめとする研究所員らの居住室や、図書室、講堂、実験室、その他諸々の設備が学生達に開放されている講義棟。
 各種の有機物を発酵させる醸造室や、高さ十メイルにも及ぶ連続蒸留塔、各種秘薬や薬品の開発を行う研究室などで構成される「水」の研究棟。
 高さ二十メイルにも及ぶ高炉や、石炭をコークスにするため蒸し焼きにする無気燃焼炉、各種の生成物を分析したり検査したりする研究室で構成される「土」の研究棟。
 そして、生成された石炭、コークス、各種油脂類、化学物質の調査や、その化合物について研究する研究室、さらに各種の燃料を用いた熱動力機関の開発や、それを用いた動力機械の開発を行う開発工房で構成される「火」の研究棟。
 元はコルベールの研究室と称する掘っ立て小屋しかなかった本塔と「火」の塔と「土」の塔の間の空間一帯には、これらの四つの研究棟が並び、これらの建物から何本もの塔や煙突が伸びている。ちなみに「風」の研究棟の敷地も確保されていて、いつでも着工できるように準備が進んでもいる。その施設群は、なんというか一介の教員に過ぎないコルベールが保有するには余りにも大掛かりな施設であった。

「それで、このハルケギニアでも有数の研究所が、あっという間に建ってしまうとはのう。あの「ミョズニトニルン」は、わしらが思っていたよりも余程にとんでもない存在だったようじゃ」
「いやまあ、しかし、魔法学院もその恩恵を十分享受でておりますから、それはそれでよいのではないでしょうか?」
「……使用人棟の事かの?」
「はあ。いや、なんと申しますか、こんな身近なところから自分の研究が役に立つとは思ってもみませんでした、はい」

 ぽりぽりと頭をかいてかしこまるコルベール。なんというか、彼自身も気がついたら大研究所の所長になってしまっていて、何がなんだかわからない状態であったりするのだ。

「まあ、おかげで使用人達から随分と感謝されておるようじゃ。良い事じゃて」

 オールド・オスマンは白く長いあごひげをしごきつつ、本塔の北側の使用人用宿舎に視線を向けた。そこは、これまであった建物に付け加えられるように長い煙突が何本も立つ建物が隣接して建てられている。
 その新設された建物は、コルベールが設計した石炭やコークスを使用するボイラーや、そこで発生させられた蒸気を使って動く井戸から水をくみ上げる動力ポンプ、くみ上げた水を濾過する浄水塔、そして建物の屋根に作られた石造りの貯水槽、そういった施設が収められている。
 おかげで使用人達は、洗濯や料理に常に温水を使用できるようになり、料理を作るのに大火力のコークスを利用でき、蛇口をひねればきれいな水が出てくる、という非常に快適な仕事環境が与えられたのであった。ちなみに、使用人専用の風呂も作られ、一日の労働の疲れを暖かい湯につかって癒すことも可能となっている。しかも石炭から抽出された可燃性のガスによって、朝も夜も十分な明かりが灯される。
 おかげでコルベールは、マルトー親父をはじめとする全使用人達から「我らの賢者」と呼び称され、それこそ王侯のごとく敬われていたりするようになっていた。

「まあ、それはありがたいのですが、しかし、これらの施設も結局はアイデアは彼女と討議してのものですので」

 とにかく燃料を用いた動力機関の製作に全力を尽くしてきたコルベールに、その動力機関をいかにして実用化するか、そして実用化された動力機関をいかに生活に役立てるか、その具体的な部分のアイデアを喚起したのがフェイトであった。基本的に使用人らがどういう仕事をしているか全く知らなかったコルベールにとって、井戸から水をくみ、洗濯や掃除、料理のために運ぶといった作業を全て自分の手で行い、冷たい水にあかぎれを作って仕事をしている使用人達の存在は、文字通り目からうろこが落ちる思いであったのである。
 自分の発明がもっとも身近なところで仕事をしている人々の役に立てる、というその機会に、コルベールは文字通り寝食忘れてフェイトとともにこれらの各種設備を開発したのであった。

「とりあえず「ミョズニトニルン」の醸造所からの地代もばかにならん額じゃし、これらの施設の建設費用全てが彼女の懐から出たわけじゃ。なんというか、もはやわしらには彼女が何をやらかそうと止めるのは難しかろうて」
「ですが、彼女は基本的に善人です。手段を選ばない、という欠点はありますが、上手に法の網の目をくぐり、関係者全員に利益を分配するよう立ち回っております。例のモット伯の一件も、子供らはモット伯を彼女が「嵌め込んだ」としか見ていませんが、実はモット伯も蒸留酒をめぐる利権から利益を得られるように気を配っていますし、伯爵もそれに気がついているでしょう。自分としては、彼女を信用し、信頼したいと思っています」

 オールド・オスマンの懸念に対し、コルベールはロングビルからの報告と、自分自身彼女を短い間ではあったが接触した経験から、そう答えた。だが、オールド・オスマンの反応は、コルベールとは全く正反対であった。

「だからこそ、彼女は恐ろしいのじゃよ。前にどんな職についておったのかは知らぬが、諸々の利権で人をからめとり、本人の知らぬうちに自分の手駒としてしまっておる。彼女が王政府内に参加しておらんで、わしは心底安心しておるわい」
「そういうものですか」

 基本的に研究者であって、政治や事件というものにあまり興味を持たないコルベールにとっては、フェイトが王宮内にいたとして、何ができるのだろうか、と、考えた。なんというか、王太后や王女、宰相や大臣らの間を行き来して話し相手になったり、助言を求められたりしているくらいしか、思いつかない。

「ミスタ・コルベール。とにかく彼女の一挙一動、絶対に目を離してはならんぞ。無いとは思うが、このトリステイン王国を裏から乗っ取ってもおかしくは無い相手じゃからな。なにしろ神の知恵「ミョズニトニルン」じゃ」


 さてその頃、オールド・オスマンの懸念の相手であるフェイトといえば、ご主人様であるルイズと一緒にトリスタニアの街に出かけていた。
 本日は虚無の曜日というハルケギニアにおける休日なのである。ルイズは、フェイトとギーシュの決闘で怪我した二人の治療費でお小遣いがすっからかんになってしまっていたのを、フェイトが「ブランデーが良い値で売れましたので」と全額返済してくれたおかげで、久々に街に遊びに出かける事ができるようになったのであった。

「やっぱりクックベリー・パイは最高ね!」
「だからって、丸々一ホール食べるのは、食べすぎよ」

 自身もアンズとクリームのパイをつつきつつ、キュルケがルイズの食欲にあきれている。

「まあ、色々とありましたから。好きなものをお腹一杯食べられる幸せを満喫するのもよろしいかと」

 ルイズの隣に座ったフェイトが、ソルトクッキーをお茶請けにハーブティーを楽しみつつ合いの手を入れる。

「食べた分、運動すれば大丈夫」

 わざわざ街にでかけてまで、ハシバミ草のサラダを山盛り口にしているタバサが、本のページから顔を上げた。

「そうそう、タバサの言うとおり! よく食べて、いっぱい身体を動かす! これが一番ね!」
「あなた、最近脳まで筋肉になりつつあるんじゃないでしょうね?」
「そういうキュルケだって、最近腹筋割れてきてるじゃない」
「私のは、プロポーションを維持するのが目的だからいいの」

 ばーん、と、胸を張って、ボリュームの差を強調してみせるキュルケ。大胸筋が鍛えられたせいか、一段と張りが良くなっているように見える。ぐうの音も出ないまま、うー、とかうなりながら、ルイズは、がしがしとパイをつつくしかできない。そんな彼女をタバサが慰める。

「人それぞれ」

 プロポーションで言うなら、それこそ自分よりも子供子供したタバサに言われても、なんというか慰められている気にもなれない。ルイズは、じと目でフェイトの方を見やった。ここにも強大な敵がいる。大きさだけならキュルケの方が大きいかもしれないが、形の良さはフェイトの方が上である。あと、こう、なんていうか色気とか艶気とか。

「でも、生地問屋とか、女性専門の仕立て屋とか、そういう店を見て回りたい、っていうのもねえ」
「そうですね。何故かについては、実際に仕立て屋に参りましてからご説明を」

 キュルケが不思議そうにフェイトの足元の大きな鞄に視線を向ける。その中には、生地問屋で買い込んだ絹布やら綿布やらなんやらが入っているのだ。
 相変わらず何を考えているのか判らない微笑を浮かべ、フェイトは、ルイズに向かって言った。

「大きければ、大きいなりに色々と苦労があるのです」
「それはわたしに対する挑戦?」

 がりっ、とフォークを思わずかじってしまうルイズ。
 そんな彼女を横目でみつつ、キュルケもフェイトに同意した。

「そうそう。運動すると振り回されて痛いし、ちょっと気を抜くとすぐ垂れてくるし、ほんとこのプロポーションを維持するのって大変なんだから」

 うがーっ と、とうとうルイズが吠え始める。皆はさっさと自分の分を片付けると、席を立った。

「ほら、いつまでも食べてないで。店に行くわよ」


 仕立て屋の主人は、ちょととうのたった眼鏡をかけた女性であった。奥の工房にも何人ものお針子が縫い仕事にいそしんでいるが気配でわかる。
 ルイズ達は、店の中に飾られているドレスや生地を見ては、ああでもないこうでもないと、どう着飾ろうかと話に華を咲かせている。
 フェイトは、女主人に向かって鞄から自分がハルケギニアに召喚された時に身に着けていた下着を取り出して見せた。

「初めて拝見させていただく下着でございますね?」
「そうですか。それでは、この下着をお預けいたしますので、私と彼女の体型に合ったものを仕立てて頂けますでしょうか?」
「それは。……こちらの胸当てでしょうか、解いてしまってもよろしいのでしょうか?」

 フェイトの差し出したブラジャーを手に取り、女主人は細かいところまで、縫製や材料、曲面、そういった諸々を確認してゆく。フェイトは、ドレス用の生地を見繕っていたフェイトを呼び寄せた。

「実際にお身体に召されたところを拝見させていただいてもよろしゅうございましょうか?」
「はい。疑問に思われたところは質問して下さい」
「えーと、胸当て?」
「はい。これを着けますと、かなり楽になります。ミス・ツェルプトーもご一緒にいかがでしょうか?」
「面白そうね」

 フェイトとキュルケは、女主人に案内されて、試着室へと入っていった。そんな二人をルイズは、心底羨ましそうに見ているしかなかった。


 問屋で買ってきた生地や材料を仕立て屋に預け、フェイト達は仕立て屋を出た。ルイズはなにかもやもやしたものを感じて注文をするのをやめにし、タバサは最初から興味が無い様子であった。とりあえず一人盛り上がっているのがキュルケである。

「ねえ、ちょっと借りて着けてみたけれど、ちゃんとサイズのあった胸当てならかなり楽そうね。仮縫いが今から楽しみだわ」
「そうですね。私もこちらに来てからちゃんとした下着を身に着けられませんでしたから。やはり何枚かないと困りますし」
「ねえ、それにしてもあの下着を着けたところ、なんていうか、こう、いいわよね。やはり女は下着ひとつおろそかにしちゃ駄目よね」
「そうかもしれませんね」

 うー。
 ルイズとしては、こう、キュルケとフェイトが仲良く話をしているのを見ているだけなのが気に食わない。彼女はあくまで自分の使い魔であって、自分の隣にいるのが正しいあり方のはずなのに、と、思ってしまう。
 そんなルイズは、ふと路地の向こうに注意を引く看板を見つけた。

「ねえフェイト。あんた、研究用に実際の鉄製品を見たい、とか、言っていたわよね?」
「はい、お嬢様」

 ルイズの言葉に、足を止めて振り返るフェイト。

「そこの路地の奥に武器屋があるわ。どう? 見て行かない?」
「はあ? 武器? フェイトが振り回すの? そんなの似合わないわよ、ルイズ」

 キュルケが、またまたこの娘は、といわんばかりに手を振って、呆れた様に笑う。
 だがフェイトは、興味深そうにその看板を見つめると、ルイズに軽く一礼した。

「それは面白そうですね。よろしければ是非」
「あらま。でも、トリステインの鉄はそんな大したものじゃないわよ? 鉄といったらゲルマニアが一番なんだから」
「別に、フェイトに買ってあげるわけじゃないわよ。あくまで参考に、よ」

 両手を腰に当てて、ルイズはキュルケをにらみつけた。そんなルイズを見て、キュルケはにやりと笑って指を振った。

「そうね、多分ゲルマニアから輸入された剣もあるでしょうし、実際の技術の違いってやつを見てもらうのもいいかもね」

 そんな二人のやりとりを見ながら、タバサはフェイトに向かって呟いた。

「嫉妬」
「果報者ですね、私は」
「かもしれない」


 武器屋の中は、雑然と色々な武器が積み上げられたり、壁に立てかけてあったりして、あまり繁盛している様には見えなかった。もっともハルケギニアにおいては、武器はあくまで平民の使うものである以上、先ほどの仕立て屋のごとくディスプレイに気を遣う必要もないわけであるが。

「いらっしゃい。……これは、貴族のお嬢様。うちは真っ当な商いしかしておりませんが」
「客よ。わたしの侍女の護身用になにか」
「これは失礼いたしました。そうですね、そちら様ですと、こちらの短剣などいかがでしょう?」

 最初は胡散臭そうな目でルイズ達を見ていた店主であったが、客と知ってからは表情を商売用のものに変えて、カウンターの上に何振りかの短剣を並べてみせた。どれも装飾の綺麗な、武器というより装飾品にしか見えない。
 フェイトは、並べられた短剣を失礼にあたらない程度に確かめると、全て店主へとおしやった。

「それでは、店内の商品を少々拝見させていただきます」
「はあ。では、ごゆっくりどうぞ」

 何か鼻白んだ表情で、店主は色々な武器を手にとっては確かめているフェイトを眺めている。

「どう? 何か面白そうなものはあった?」
「そうですね、基本的に鋳造品を鍛えたものばかりですね。最初から鍛造したものは無いようです」
「それってどう違うの?」

 フェイトにぴったり寄り添っているルイズが、不思議そうにたずねる。

「例えばこの剣は、鋳型に熔けた鉄を流し込み、ある程度冷えたところで叩いて強度を確保し、水とかで冷やして硬くした様ですね。ですのであまり続けて斬りますと、刃がもたずに刃こぼれする可能性があります。芯は刃と比較して柔らかいので折れませんが曲がりやすく、刃は硬いので曲がりませんが折れやすい、というところですか」
「ふーん、鉄にそんな色々種類があるのね」
「はい。まあ、こちらの剣ですと、刃は飾りみたいなもので、実戦では剣の重みで殴り倒すのが実際の使い方になりますか。そのために、曲がりはしても折れないように、均質に鍛えてある様ですし」

 実際に剣を抜いて見るだけで、これだけ色々と見て取れるとは。ルイズはあらためてフェイトの知識量と観察力に驚いていた。フェイトの額のルーンがうっすらと輝いているあたり、使い魔「ミョズニトニルン」としての能力を使っているのであろう。

「大したものね。で、何か気になったものはある?」
「そうですね……」
「よう、大した目利きじゃねえか」
「?」

 突如、無造作に立てかけてある剣の山の中から、フェイトに向かって声がかけられる。
 フェイトら四人は、声の方向に向けて一斉に視線を向けた。そこには誰もいない。

「おいデル公、お嬢様方の邪魔をするんじゃねえ!」
「は、碌に遣えもしねえ目も利かねえ野郎に振り回されるんじゃあ、剣の方も願い下げってもんだ!」
「やかましい! その減らず口を叩くのを止めねえと、溶かしちまうぞ!!」

 突如として、店主と剣の山との間で怒鳴りあいが始まり、ルイズ達四人は目を白黒させてしまう。

「ねえ、何、そのデル公って?」

 キュルケが、店主に向かって質問する。

「いやあ、ちょいと訳ありの代物でしてね。誰が作ったんだか、しゃべくる剣なんでして」
「あら、面白い」
「はっ、お嬢ちゃんに面白がられる様じゃあ、この俺様もやきがまわったってもんだ」
「……確かに口の減らない剣ねえ」

 鼻で笑うかの様な台詞を聞かされて、キュルケの口の端がひきつる。
 そんなやりとりの中、フェイトは剣の山の中からしゃべる剣を探し出すと、すらりと抜いてみた。と、額のルーンがこうこうと輝き始める。

「……なるほど、これは興味深いですね」

 すっと眼が細まるフェイト。
 その錆だらけの片刃の大剣の鍔がかたかたと驚いた様に鳴る。

「ほほう。こいつはおでれえた! お前さん、「ミョズニトニルン」の癖に、随分と遣えるな? よし、俺を買っていけ」
「「えええ!?」」

 なんというか、あまりにあつかましい剣の言い草に、うわなにこいつ、と言わんばかりに声を上げるルイズとキュルケ。タバサといえば、じっとフェイトと剣の両方に視線を送っている。
 フェイトは、しばらく眼を細めて何事か考えていたかと思うと、店主の方に向き直った。

「こちらの得物は、お値段はいかほどでしょう?」
「あんた、これ買うの!?」
「はい。非常に興味深い剣ですので。そうそう、あと特注で打って頂きたいものがあるのですが」

 フェイトは、店主になにやらあれこれと細かい注文をし始めた。どうやら投げナイフの一種を作らせるつもりらしい。店主も、製法の細かいところにまで注文をつける彼女の言葉を、いちいちメモをとっていたりする。

「それでは、代金はこれでよろしいのでしょうか?」
「はい。そちらの剣はおまけいたしますので。出来上がりはこれくらいになります」
「判りました。それではその頃に受け取りに参りますので」

 ポケットからエキュー金貨をじゃらりと並べたフェイトに、ルイズは唖然とした。こんなぼろぼろで口の減らない変な代物に、そんな大金を支払うのが信じられない。

「ねえ、本当にそれでいいの?」
「はい、私にとっては、非常に興味深い相手ですので」
「はっは! そりゃあそうだろう! なんたって六千年ものの剣だからな!」
「うわー、なんかうそ臭い」

 馬鹿野郎、俺様の事を舐めるんじゃねえやい。
 いやもう、ルイズ達女の子がどん引きに引くくらい口の悪い剣である。

「お嬢様、あまりやかましい様でしたら、きっちり鞘に押し込めればしゃべらなくなります」
「判りました。それでは」
「おい、ちょっと待て!」
「そうそう、名前をお聞きしていませんでしたね?」
「おう、俺様の名はデルフリンガー。お前さ……」

 フェイトは、デルフリンガーに皆まで言わせず、さっさと鞘に押し込めた。そして、剣を左手に持つと、ルイズ達に向き直る。

「それでは、そろそろ陽も暮れてまいりましたし、帰るといたしましょうか」


 フェイトら四人がタバサの風竜シルフィードの背に乗って魔法学院に帰ってきてみると、なんとルイズの姉が学院を訪れていた。どうやら虚無の曜日という事で会いに来たらしい。先触れすら無い突然の来訪ではあるが、まさか妹が街に遊びに行っているとは思っていなかったらしい。ルイズがフェイトを連れて自室に戻った時には、かなり厳しい表情をして待っていた。

「エ、エレオノールお姉さま!」
「随分と長いこと留守にしていた様子ね、ちびルイズ」
「い、いえ、今日は虚無の曜日ですから、街に色々と買出……ひゃん!」

 エレオノールは、部屋の入り口で固まっているルイズの元へつかつかと近づくと、そのままルイズの頬をつまんで引っ張り上げた。
 金髪を綺麗にまとめ、きりりとした目元の、美人ではあるがルイズのきつさを煮詰めて固めて成長させた様な雰囲気の女性である。細長い銀縁の眼鏡が、一層彼女のきつさを強調しているようにフェイトには見えた。

「それで、あなたの従者のフェイトというのは、後ろの彼女?」
「ひゃ、ひゃい」

 つまんでいたルイズの頬を離すと、エレオノールは、すっと眼鏡を直すと、はっしとフェイトをにらみつける。

「あなたが、ミスタ・コルベールの助手のフェイトね?」
「はい。ミス・ヴァリエール」
「……ミスタ・コルベールから、あなたが「光波動説」を提唱したと聞きました。それについて、詳しい説明を聞かせなさい」

 フェイトは、エレオノールの前でかちかちに固まっているルイズに視線を向けた。なんというか、あのいつも誇り高く胸を張っているルイズが、こうも縮こまっているというのは初めて見る姿である。どうやら、余程この姉が苦手らしい。

「お嬢様、よろしいでしょうか?」

 ぴくり、と、エレオノールの眉が動く。
 どうやら、フェイトが自分の言う事よりもルイズの意思の方を尊重します、という意思表示をしたのが癇に障った様子である。びしっと睨みつけてくるエレオノールの視線を、風に柳と受け流しつつ、フェイトは穏やかな微笑みを浮かべつつルイズの返答を待っている。
 なんというかぎちぎちに固まった空気に、ルイズは脂汗をたらしつつ、ようやく震える声でフェイトに答えた。

「お、お姉さまの、疑問に答えて差し上げ、なさい」


 それからの数刻は、ルイズにとっては氷の中に閉じ込められた様に感じられた数刻であった。
 エレオノールがわざわざ魔法学院を訪れたのは、現在ハルケギニアで主流となっている数々の学説をひっくり返すようなコルベールの論文が、王都トリスタニアにある王立アカデミーを揺るがす大騒動を引き起こしたかららしい。そこで論文の名義人であるコルベールの元へ押しかけたわけである。だが、なにしろそれらの論文は、元はといえばフェイトがもたらした知識を下敷きにしているわけであって、コルベール自身がその理論の根本を理解しきっているわけではない。
 散々コルベールを問い詰めたあげく、数々の疑問点が解決されなかった上、それらの理論の出元が自身の妹の使用人と知って、ルイズの部屋に駆けつけた様である。そして、肝心の妹の使用人が出かけてしまっていると知り、今の今までずっと待っていた、というわけである。
 元々が大貴族の娘として、思うがままにふるまって来たエレオノールである。散々に使用人風情に待たされて、かなりヒートアップしている様子であった。それはもう、親の敵を相手をする様に、ありとあらゆる学説について、フェイトにその理論の証明を要求してくる。

「つまりあなたは、二つの物体間には常に互いを引き寄せあう力が存在し、それが物が落下するという現象を引き起こしている、と、主張するのね?」
「はい。物体は通常重量を持ちますが、これはこのハルケギニアの大地と引き寄せ合う力がどれだけかかっているか、という指数という事になります」
「では、このグラスはハルケギニアに引き寄せられていると同時に、ハルケギニアもグラスに引き寄せられている、と言うのね?」
「はい。ただし、そのグラスの持つ質量と、ハルケギニアの大地が持つ質量に非常に大きな差がありますので、ハルケギニアが引き寄せられている分はほとんど無視しても良い数値になるだけとなります」
「つまり、重さが同じならば、物が落下する速度はどんな物であっても変わらないというのね?」
「はい。そのグラスが落下する速度は、空気抵抗がありますので他の物体と一概に同じとは言えませんが、真空中においては、落下する速度は変わりません。実際のところ、この地上に存在する全ての物体は、その質量がハルケギニアの質量との引き合う力によって接近しあうため、重力の相互作用という点で同一である以上、同じ速度で引き合う事になります」
「では、重たい物の方が早く落下するわけではない、と?」
「はい。重たい、というのは、ハルケギニアの大地の質量を基準として、どの程度質量の違いがあるか、という指数となります」

 そしてフェイトは、白紙の一枚を取ると、重力場方程式についてさらさらと書き記す。
 その万有引力理論の説明を、必死の形相で理解しようとするエレオノール。
 そんなエレオノールに、きちんと観測されたわけではないので、あくまで仮説ですが、と前置きして、フェイトは、万有引力定数を元に、2つの物体の間には、物体の質量に比例し、2物体間の距離の2乗に反比例する引力が作用する事を計算してみせた。ついでに、重力加速度を運動方程式から導き出し、ハルケギニアの大地の重力が全ての物質に働く加速度が同じ値である事を証明してみせる。

 ようやく方程式という概念が発見された段階のハルケギニア世界の研究者であるエレオノールにとっては、フェイトの説明する方程式の世界は余りにも理解を隔絶していた。
 元々が魔法をいかにして応用するか、新しい呪文を開発するか、が、研究の主眼であるアカデミーにとって、この全く未知の理論世界は、まさしく新世界の発見にも等しかったのである。

「……………」
「いかがなさいました?」
「フェイト、あなた、アカデミーに来なさい」
「お断りします」

 エレオノールの命令を、言下に拒否するフェイト。彼女を見るエレオノールの視線は、それこそ射殺さんばかりに厳しくなる。だがフェイトも、そんな厳しい視線を正面から受けて、いつも通りの穏やかな微笑みを浮かべて受けてたっている。

「何故? 名誉ある王立アカデミーの研究員たる私が、直々に招いているのよ。平民のあなたがそれを断る権利があるとでも?」
「私は、すでに当トリステイン魔法学院の職員として雇用契約を結んでおります。また、この身はルイズお嬢様の使い魔であって、主人であるルイズお嬢様以外の方の命令を聞くつもりは毛頭ございません」
「私は、ルイズの姉にしてヴァリエール公爵家の長女よ!?」
「私は、ルイズお嬢様の使い魔です」

 もう許して欲しい、と、本気でルイズは泣きそうになった。室内の空気は緊張で鋼鉄のごとく重く硬く冷たくなり、フェイトとエレオノールの間でぎちぎちと軋みを上げているのが聞こえるようである。

「……あの、おねえさま」
「何? おちび」

 ひいっ
 ルイズは、思わず心の中で泣きべそをかきながら、それでもなけなしの勇気を振り絞ってエレオノールの顔を見る。その厳しい表情になえそうになる気力を必死に振り絞って、ルイズは言葉を続けた。

「フェ、フェイトは、わたしの使い魔です。それに、ミスタ・コルベールの助手として、この学院になくてはならない人材です」
「彼女は、平民ながら、たかだか魔法学院ふぜいには過ぎた人材よ。彼女の学説を体系化できるならば、ハルケギニア世界の魔法のあり方は、根底から変わるわ。それをこんなところに置いておけというの?」
「そ、それでも、フェイトは、この学院に必要なんです! それに、平民だからと蔑む様なところに、行かせるわけにはいきません!!」

 ばんっ、と、机を叩いて立ち上がるエレオノール。それに対抗するかの様に、ルイズも仁王立ちとなってエレオノールを正面からにらみつける。

「あなたは、ヴァリエール家としての誇りを忘れたの!?」
「ヴァリエール家の娘だからこそ、わたしの使い魔を渡したりしません!!」

 半分泣きべそをかきながら、ルイズは姉の視線をはっしと受け止める。
 そんな二人を、相変わらずの光の無い濁った深紅の瞳で見つめていたフェイトは、ゆっくりと立ち上がった。ルイズとエレオノールの視線が、フェイトに向けられる。

「どこへ行くの?」
「食事をお持ちします。誰しも、空腹の時は気持ちがささくれ立つものですから」

 予想外の答えに、ルイズとエレオノールはぽかんとした表情で部屋を出て行くフェイトを見送るしかなかった。


 結局、エレオノールは、フェイトをアカデミーに連れ帰る事をあきらめる事になった。
 ルイズの部屋での騒ぎは廊下にまで響き渡り、他の女生徒達が山なりとなって事の成り行きを見に来ていたのである。そして、フェイトは夕食を持ってくると同時に、なんとオールド・オスマンも連れてきて、エレオノールの矛先をこの喰えない老人に向けさせたのであった。そして、のらりくらりとその矛先をそらし、あげく「当学院は、彼女無しには多くの研究が止まってしまうのじゃ。どうしてもと言うのなら、その研究を肩代わりしてくれる人材を代わりに送ってもらわねばの」と、絶対にできない要求を逆につきつけてのけたのである。

「全く、人使いの荒い事じゃ」
「お手を煩わせまして、まことに申し訳ございません。これ以上騒ぎを大きくするのも問題かと思いまして」

 学院長執務室に戻ったオスマンは、目前で頭を下げているフェイトに向けてひらひらと手を振ってみせた。

「ま、悪いのは、お主の許可もなく、論文を発表したミスタ・コルベールじゃな。彼には儂からひとこと言っておくからの」
「できればお手柔らかにお願いいたします」
「判っておるわい。あれはあれで、悪意があってやった事ではないしの」

 ほっほ、と、パイプを吹かしつつ、オールド・オスマンはフェイトに視線を向ける。

「それにしても、ミス・ヴァリエールがあそこまで踏ん張るとはの。この短い間で随分と変わったものじゃ」
「はい。お嬢様には、いくら感謝してもし足りるという事はございません」

 そう微笑んだフェイトを、オールド・オスマンは、にやりと笑ってみせた。

「それにしても、お主は抜け目ないの」
「何のお話でしょうか?」

 本当に判らないのですが、と、言わんばかりの表情で、フェイトは小首をかしげてオールド・オスマンを見やった。

「なに、これだけ学院に貢いでくれてはな、到底お主を他の自由にはさせられまい。例え王政府がお主を引き渡せ、と言ってきても、今更それもできぬくらいじゃ」
「そこまでの事は、した覚えはございませんが」
「ほっほ。何、本当にお主無しには、もうこの学院は動かせぬ様になってしまっておるのじゃよ。あの使用人らの施設といい、ミスタ・コルベールの研究所といい、お主のビジネスがあって初めて機能するものじゃからな」

 オールド・オスマンの言葉に、フェイトは黙ったまま答えずに、ただ微笑んで済ませた。


 部屋に戻ってきたフェイトを、ルイズは涙目で出迎えた。

「もう、本当に怖かったんだから!!」
「はい、お嬢様。ありがとうございます。最後までかばってくださって」
「あんたは私の使い魔なんだもの。自分の使い魔を守れなくて、主人を名乗るなんてできないもん」
「ありがとうございます」

 フェイトは、深々とルイズに向かって一礼した。
 そんなフェイトに、ルイズははっきりと宣言してのけた。

「あんたは、わたしの使い魔なんだから、絶対にわたしが守るわ」

 フェイトは、心の底から嬉しそうな微笑を浮かべてみせた。


 その部屋は薄暗く、そして窓も無かった。
 中央に机が置かれ、その周囲に椅子がいくつか並んでいる。その椅子は、四人の男女によって埋められていた。

「というわけで、ブランデーは今年の生産予定分は全て予約が入りました。ジンはまだ予定在庫に余裕がありますが、それもいつまでもつか判りません。とにかく、予想よりも早く在庫が無くなるのは確実です」

 ラグドリアン商会の総支配人であるトマが、手元の書類をめくりつつ、淡々と説明を続けている。さらに、いまだハルケギニアでは一般化していない複式帳簿をめくりながら、財務状況についても説明を加える。

「当初予定の利益額を、ここまで大きく上回るとはね。まったく、金はあるところにはあるもんだ」

 フーケが、軽く鼻を鳴らして呆れた様に呟いた。

「どうでしょう? 醸造所の稼動を予定より早めては?」

 リュシーが、そうフェイトに向けて提案する。

「いえ、稼動開始は予定の日時で行います。今の試験運用の段階を縮めては、この秋からの全力稼動時にどんな不具合が発生するか、判りませんから。問題点は、今のうちに全て出し切っておきませんと」

 無表情なまま、そう結論を出すフェイト。その瞳にも、全く表情というものがない。そして、リュシーに視線を向けたまま、言葉を続けた。

「それで、レシピ通りのリキュールは醸造できそうですか?」
「期日には間に合います。しかし、ニガヨモギを使用するのは、毒性が強い様に思います」
「いえ、それで良いのです。アプサンの販売先は、あくまでガリア国内に限定しますから。できることならリュティス限定で」
「……なるほど、ならば逆に毒性は強くないとならないですね。あとアルコール濃度も高めでないと」

 フェイトの言わんとする事を理解したリュシーは、復讐者の瞳でうなずいた。

「とりあえず、ガリア国内の白ブドウの農園十一箇所と販売契約を結べました。しかし、どうしても輸送や関税などのコストがかさみます。なんとかトリステイン国内に、大規模な白ブドウの農園を確保できないでしょうか?」

 トマが話を元に戻す。

「努力はします。しかし、トリステインではあくまで貴族のみが、土地の売買を許されています。新しく貴族を誰か引き込む必要がありますね。そちらは、私の方でなんとかしましょう」

 フェイトは、視線をトマに向け、そう答えた。すでにモット伯は完全なフェイトのコントロール下にあり、積極的にラグドリアン商会の後見人として宮廷内で活動してくれている。だからといって、農園の確保までモット伯にさせるつもりはフェイトにはなかった。それでは彼我の力関係の逆転を招きかねない。

「いっそ、ブランデーの生産量は現状維持として、ジンや、この秋から生産に入るウイスキー、ウオッカを商品の主力としてはどうです? それならば、利益率は下がりますが、原材料の入手は確実です」

 トマの提案に対して、フェイトは首を横に振った。疑問の表情を浮かべる彼に、代わってフーケが説明する。

「蒸留という技術は、そう遠くないうちに今いる醸造所の人間から外に漏れるだろうね。そうすれば「錬金」し易いジンやウォッカは、パチモンが大量に出回るだろうさ。あくまでうちらは、偽物を作りづらいブランデーやウィスキーで勝負するべき、というわけさ」
「了解しました。それでは、当初の予定通りの比率で生産を進めます」
「それで、「貧窮院」計画の進捗状況はどうです?」

 トマの疑問に対する答えはこれで十分とばかりに、フェイトは話を変えた。

「施設の土地と建物については、目処が立ちました。あとは、収容する貧民への、読み書きと職工技術の教育要員を集める段階に入っています。こちらは、若干予定よりも遅れが出ています」
「了解しました。とりあえずまだ時間的に余裕はあります。あせらず、しかし確実に計画を進めて下さい」

 トマに向かって、フェイトは軽くうなずいてみせた。


 赤い夕日が綺麗だと、そう炎の使い手であるキュルケは、空を見ながら思った。

「それで、あたしに秘密の頼みごとってなに? フェイト」

 隣を歩くフェイトに顔を向け、キュルケは突然呼び出されてヴェストリ広場に来させられた理由を聞いた。少なくとも、親友のタバサや、フェイトの主人であるルイズにも秘密の頼みごととは、穏やかではない。

「ミス・キュルケ。商会の立ち上げは順調ですか?」
「まあね。名前も決まったわ。アルゴー商会というの。いい名前でしょ? 支配人も、信用のできる人が見つかったわ」
「それはおめでとうございます。ラグドリアン商会から出荷されるブランデーですが、予定通りの期日と量をお引渡しできそうです」

 穏やかに微笑んで、フェイトはそうお祝いを述べた。キュルケは、その言葉の裏に、何か重大な秘密がある事を感じ取った。相変わらずフェイトの瞳に光はないが、しかし、その奥の澱みが何かを理由に揺らいでいるのが見て取れたのだ。

「で、あたしに何をさせようっていうの?」
「はい。今、アルビオンでは王党派と貴族派で内戦の真っ最中です」
「ええ。で、王党派は相当劣勢みたいね。多分そう遠くないうちにチューダー王家は廃絶じゃないかしら」
「はい。仰るとおりでしょう」

 フェイトの表情と瞳のちぐはぐさに、キュルケは背筋を冷や汗が一筋流れるのを感じた。

「こちらに、新しい技術の説明書と、新型銃と新型砲の設計図が入っています。費用はラグドリアン商会持ちで、これらを火急速やかに、作れるだけ生産して、王党派に売り込んではいただけないでしょうか?」
「……内戦を、引き伸ばそうっていうの?」
「いえ、天秤を王党派の側に傾けて、貴族派の後ろに誰がいるのか、それを調べます。それは、トリステインにとっても、ゲルマニアにとっても、必要な情報ですので」

 すっと、フェイトの面から表情が消える。キュルケは、しばし目をつむって考えた。確かにこれは、他の誰にも秘密にしないとならない。

「判ったわ。でも、貴族派についての調査は、フェイトの方でお願いするわ。あたしみたいな子供が手を出して無事に済む話じゃなさそうだし」
「はい。あくまで危険はこちらで被ります。むしろ、危険を感じたら、すぐに手を引いて下さって結構です。とにかく自分自身の安全の確保を最優先して下さい。ミス・キュルケ」
「ありがとう。しかし……」
「なんでしょう?」
「ここまで信用して貰える、というのは、光栄に思うべきなのかどうか、ちょっと悩んじゃうわね」

 キュルケは、フェイトに感じた危機感の様なものが、もう一度戻ってくるのを感じていた。彼女は、あくまで何か別の理由によって、アルビオンの内戦を利用しようとしている。色々と動いているのは判るが、それが最後にどういう風にまとまるのか、全然見当もつかない。
 キュルケは、心の中でルイズに向けて祈った。
 彼女が、この恐るべき存在をなんとかしてくれるように、と。



[2605] 運命の使い魔と大人達 第六話
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/03/05 20:10

 六

 ガリア王国。
 大陸西方に位置する国家群の中にあってひときわ強大な国力を誇り、さらには魔法によって構築された文明のこの世界の中で、最も進んだ魔法文明を有する王国である。北方の新興国家郡を纏め上げて生まれたゲルマニア帝国や、南方の三本の半島に群雄割拠する宗教国家ロマリアをはじめとする都市国家郡に挟まれつつも、その広大かつ肥沃な国土とそれにみあった人口とによって、ハルケギニア世界最大の強国とされている。
 その王国の首都リュティスは、西方の外海に向かって流れる大河、シレ河沿いの内陸部にあり、国土の中心に位置している。人口三十万を数える大都市リュティスの郊外に、この王国の中枢となる王宮ベルサイテル宮殿がある。ハルケギニア最大の国力を誇る王国の王宮に相応しく、多くの贅を凝らした数々の宮殿で構成されるその一角に、王女イザベラの住まうプチ・トロワと呼ばれる小宮殿があった。
 王家の貴色である蒼い大理石をふんだんに使ったグラン・トロワと呼ばれる国王ジョゼフの住まう宮殿と違って、薄桃色の大理石で作られ華麗な装飾を施されたその小宮殿は、しかしその外見とは裏腹にどんよりと重苦しい空気が漂い、少なくない数の警護の騎士や衛士、使用人達が何か腫れ物に触るかのような微妙な雰囲気をまとって詰めていた。
 その中心にいたのは、御歳十七歳になられようかという見目麗しき少女であった。真蒼の絹糸のごとき直ぐの長髪が腰下まで流れ、服越しにもわかる歳相応ながらもこれから女としてどれほど魅惑的に育つかを思い起こさせる、柔らかくめりはりのある曲線を描いた肢体。切れ長の蒼い瞳に、薄くすっと通った鼻筋。その鼻先がわずかに上向きなのが、少女の美貌をぎりぎり冷たいものから愛らしいものにと変えている。全体のバランスこそ適切なれど少し大きめかと思わせる口と、長髪を全て背中に流してしまっているが故のあらわになっている理知的な生え際が、どちらかというと少女のきつさを強調していた。
 だがその美少女のしぐさといえば、その容姿容貌にどうみても相応しくない。イライラとしたせわしなく歩き回り、眉根をよせて目尻をはねあげ、時々、

「あーッ!」

 とか、

「まだなのかいッ!!」

 とか吼えていたりなどする。どうにも高貴さとか優雅さとか、そうした一国の王女としては必要な気品が絶対的に欠けた雰囲気の少女であった。
 部屋に詰めている多くの侍女や使用人達は、そんな美少女を無用に刺激しまいと無表情のまま身じろぎすらせずわずかに距離を置いて控えている。

「シャルロット様、ご到着にございます」
「だからッ! あたしの前でッ! あいつの名前を呼ぶなって言っているだろうがあっ! 七号と呼べと言っているだろうっっ!!」

 自分を待たせた相手の到着を告げた侍女に、殺気すらこもった視線で怒鳴りつける。
 その癇癖に侍女は、ひぃっ、と声にならない悲鳴を洩らし、腰を九十度に曲げて頭を下げた。

「も、申し訳ありません! 七号様、ご到着でございますっ」
「もういい、下がりな」

 じろりと睨みつけて侍女を追い払うと、あごをしゃくって他の侍女や使用人達も下がらせる。
 誰も彼もが部屋を出ると、ほっとした表情になり、互いに視線だけでこの宮殿の主人について愚痴めいたなにかをやりとりした。
 そうした使用人らと入れ替わりに入ってきたのは、長く節くれだった杖を手にしたタバサであった。相変わらず表情の無いまま、無言で王族に対する四十五度の角度に腰を曲げる礼を行い、その後は黙ったまま背筋を伸ばして立っている。その蒼い瞳は、あくまで深く澄んだままいかなる感情もうかがえない。
 そんなタバサをだまって睨みつけていた少女は、ふんっ、と鼻を鳴らすと、羨望や憎悪、憤怒といった負の感情に彩られた蒼い瞳をそらした。しばらくそのまま、蒼い少女二人の間に重い沈黙が澱む。

「相変わらずガーゴイルみたいな女だね」

 互いに挨拶の言葉すらない。それが当たり前のやり取りとなってしまっているかの様に、少女はつぶやいた。そんな侮辱の言葉にも、タバサの瞳になんら感情の変化は現れなかった。

「随分と待たされたが、お前も急いで来たんだろ。机の上のそいつを飲みな」

 少女があごをしゃくった先のマホガニー製の豪華な彫刻の施されたサイドテーブルの上に、澄んだ薄緑色の液体の入ったクリスタルグラスが置いてある。
 タバサはてくてくと机に近づくと、無造作にそれを取り、まず一口、口に含んだ。

「飲めと言っただろう」

 低いどすの利いた声で少女は、タバサをにらみつけた。タバサは、逆らう事なく口に含んだ分を飲み干す。と、その無表情の白い面に朱がさし、わずかに足元がふらつく。

「残りも全部飲みな。最近になって、そいつがリュティスに大量に流入してきている。おかげで平民どもがどいつもこいつも飲んだくれて、あげく朝昼晩関係無しに騒動が起きている。今のところは各花壇騎士団が総出で治安維持に当たっているが、このままだと暴動が発生する」

 心底忌々しげに、少女は、吐き捨てるようにタバサに向けて言葉を重ねる。花壇騎士団とは、このガリア王国の国王直轄の近衛騎士団の別称である。ベルサイテル宮殿には多数の花壇があり、その花壇を守護する騎士団、という由来でつけられた名前だとか。その近衛騎士団を総出動させねばらなないほど、王都リュティスの状況は不穏であるというのだ。
 少女の命令通り息を止めて残りを全て飲み干すタバサ。と、同時に足に来たのかぐらりと倒れかける。そんなタバサの様子を見て、初めて微笑らしい形に口を歪め、少女は言葉を続けた。

「そいつがどこから持ち込まれているのか、調べるのが今回の任務だ。すでに四人、北花壇騎士が消息を絶っている。そのつもりで気張りな」

 行け。あらゆる負の感情で濁った目を細め、少女は、タバサに退出をうながした。
 タバサは、ふらつきながらも再度一礼すると、杖にすがりつくようにして出て行った。その後ろ姿を少女は、睨みつけつつ送りだした。


 タバサを送り出した後、少女は侍女を呼び、王女としての正装に着替え、プチ・トロワを出た。向かう先はグラン・トロワ。ジョゼフ王の住まう宮殿である。

「父上、お願いがあって参上いたしました」

 少女が通されたのは、グラン・トロワの謁見室ではなく、私室の方であった。その個人の私室というには余りに広い部屋の中央に、ハルケギニア大陸西方を精密に再現した地理模型が置かれ、その上に無数の小さな人形が並べてある。騎兵、槍兵、銃兵、砲兵、工兵、輜重兵、それに空中艦隊や竜騎兵など、このハルケギニア世界にある全ての兵科のミニチュアが存在する。
 そのミニチュアをうんうんうなりながらあちこち動かしている男がいる。見た目の歳の頃は三十台半ば、上背も高く肩幅も広い、見事に鍛え抜かれた筋肉質の身体をしている。少女に父上と呼ばれた男は、少女と同じ蒼い色の美髭をいじりつつ完全に地理模型の上に意識を集中させている。

「父上ッッ!!」

 本来ならば宮殿内では無礼とされるような怒気をすら含んだ大声で、少女は父親を呼んだ。

「ん、なんだ、イザベラか」
「……父上、お願いがございます」

 ぜいぜいと肩で息をしつつイザベラと呼ばれた少女は、感情の見えない父親の瞳をにらみつけた。このイザベラが父と呼ぶ男こそ、このガリア王国の国王であるジョゼフ・ド・ガリア本人であった。

「うむ、どうした。またか」
「はい。北花壇騎士団長として、予算と人員の増加をお願いにあがりました」
「ふむ、先日もそうおねだりされて、増やしてやったではないか」

 すでに興味無さげな表情で、地理模型の方に視線を向けるジョゼフ。

「増員されました二名は、消息を絶ちました。捜査費用は既に予算を大幅に超え、わたしの宮殿の予算から流用しております」

 この大馬鹿野郎、とでも怒鳴りたげな口調で、イザベラはジョゼフに低めた声で現状を説明する。

「捜査は、他の花壇騎士団か衛士隊かに引き継がさせればよかろう」
「その各花壇騎士団と衛士隊では手がつけられぬ、と、回された捜査です。各尚書よりも早急に事態の打開を求める旨、わたしに直接要求が来ております」
「ふむ」

 本当に興味なさげに、ジョゼフは、右から左に聞き流している。イザベラは、もう一度噛んで含めるように言葉を繰り返した。

「すでにリュティスの治安は、悪化という段階を超え、騒乱状況に陥りつつあります。早急にこの状況を招いた例の酒の流通経路を明らかにし、流入を防がねば」
「無駄だろう」
「何でですッッ!!?」

 あっさりと言ってのけた父親に、イザベラは、とうとう臨界点を突破したのか、怒鳴りあげた。
 ようやく重い腰をあげ、ジョゼフは地理模型から離れて娘の前に立った。そしてその見事な美髭をいじりつつ、あっさりと言ってのけた。

「簡単だ。平民はこれまでためにためた不満を、酒の力を借りて発散しているだけだからだ。現状で酒の流入を絶ったとして、今度は別のもので、アブサンといったか、その酒の代わりの酒を作るだけだろう」
「では、王政府としての対応は?」

 むすっ、とした表情で、イザベラはジョゼフを見上げた。娘も比較的背の高い方ではあるが、父親はそれにもまして背が高い。

「尚書どもの仕事だろう、それは」
「……なるほど、よく判りました。それでは、それぞれの尚書と協議の上、改めてご報告に参上いたします」
「うむ。で、それだけか?」

 余はこれでも忙しいのだ。今現在足元で起こっている状況に微塵も興味なさげにジョゼフはそう言うと、イザベラに背を向けた。ぎりっ、と、歯を噛み鳴らすと、イザベラもジョゼフに背を向けた。

「そうそう、イザベラ」
「なんでしょう、父上」

 スカートの裾を持ち上げ一礼し、さっさと部屋から出ようとしたイザベラに、ジョゼフはなんでもないという風に言葉をかけた。

「北花壇騎士団の使い方を間違っている。あれはあくまで「裏方」だ」
「……存じております」

 イザベラは、悔しげに答えると、足音も高く部屋を後にした。


「ああっ、くそっ、どいつもこいつもっ!!」

 プチ・トロワに戻ったイザベラは、自室に戻ると忌々しげにドレスを脱ぎ捨て、下着姿のままベッドの上の枕を掴んで壁に投げつけた。もふっ、と間抜けな音がして、イザベラの足元に枕が転がってくる。それを今度は見事なつま先蹴りで壁にぶつけると、侍女が用意している私室用のドレスに着替えなおす。
 そのまま枕を掴んでベッドに飛び乗ると、枕を抱えて顔を羽根布団にうずめた。そしてぎりりと歯を噛み鳴らすと、ベッドの上で身体を起こし、「出て行けっ!」と一言吠えて、控えている侍女達を私室から追い出す。

「「無能王」がっ! 「無能王」の無能娘がっ!」

 父親と自身の事を、そう羽根布団に顔をうずめたまま叫ぶと、歯を食いしばったまま目をつむる。

「魔法の使えない無能な王様と、ドットの中でも群を抜いて魔法の下手くそな王女の組み合わせがっ!!」

 イザベラの口からこぼれる言葉は、この魔法先進国であるガリア王国の宮廷で、国王とその王女がどういう目で見られているかを端的に表していた。
 なまじに魔法の研究と運用でハルケギニアの最先端をいく国だけに、その頂点に立つ国王と王女がろくにどころか全く魔法が使えないというのは、余りにも冗談が過ぎた状況であった。当然のごとく、宮廷を構成する貴族達は、陰で国王とその娘の事を「無能」呼んであざ笑っている。
 そんな中で、「無能王」は貴族らの陰口などどこ吹く風といわんばかりに趣味に没頭し、国事を部下に丸投げしていた。だがイザベラは、本当に完全に魔法の使えない父親と違って、水のメイジである。今ではその努力も放棄してしまったが、それでもなんとか、スクエアやトライアングルは無理でもせめてラインメイジに、と、がんばっていた時期もあったのだ。
 しかし、代々強力な魔法の使い手が生まれるはずの王家の娘のはずなのに、どうしてもドット、それもぎりぎり最低限の魔法しか使えないという状態から上に進む事ができなかったのである。
 ならばせめて政務において功績を、と、ジョゼフに官位を願い出れば、与えられたのは「裏方」の北花壇騎士団の団長職である。本来は、王国の秘密警察の役割を担っている陰の騎士団でありながら、当初構成員はわずかに七名。何度も増員を受けてはいたが、すでに殉職するなり消息を絶った者を差し引けば、今では三名しか残っていない。
 気がつけば、今や秘密警察の親玉として王国のほとんどの貴族の憎悪と嘲笑を一心に浴び、さらには暗殺された王弟オルレアン公シャルルの派閥に所属し、粛清後地下に潜った連中から命を狙われるありさまでもある。何しろオルレアン公には、天才として知られている風のメイジの娘がいる。彼女をかついでクーデターを起こそうと考える貴族だって、少なくはなかろう。

「ガーゴイルめっ! 七号めっ!」

 嫉妬と羨望に狂った声がイザベラの口から漏れる。

「なんであたしじゃなくてシャルロットがっ!」

 その名前を口にした瞬間、とうとう我慢ができなくなったのであろう、イザベラの閉じられた目から涙がこぼれた。
 シャルロット、つまりタバサは、優れた風のトライアングルのメイジである。その使い魔は幼いとはいえウインド・ドラゴン。魔法の才能で言うならば、若干十五歳でこれとは、まさしく天才以外の何者でもない。本来は「裏方」の北花壇騎士団などではなく、表の華舞台に立つ各花壇騎士団の団員であってもおかしくはないのだ。
 だがタバサは、今や壊滅しつつある北花壇騎士団の中では、イザベラに預けられた騎士団員の中では最古参の中核といってもよい団員となっていた。

「……あの頃に戻りたい」

 涙をこぼしながら、イザベラは呟いた。そのまま歯を食いしばって嗚咽が漏れるのをこらえながら、羽根布団に顔をうずめたまま、イザベラは涙をこぼし続けた。


 娘のイザベラが足音も高く退出してすぐ、一人の男がジョゼフの私室に入ってきた。このハルケギニア世界のものとしては珍しく飾りの無い上下に、白衣をまとっている。男は金色の瞳をジョゼフに向け、にやにやとたった今のやり取りを面白がるような笑みを浮かべていた。
 ジョゼフは、男が挨拶も無く入ってきたのをとがめるでもなく、視線だけ向ける。

「王女殿下も、気苦労が絶えないでおられる様子ですな」
「余に似たのだろう。そろそろ諦めてもおかしくはない頃合なのだがな」
「諦めを踏み越えた先にこそ、陛下のごとく道が開けるでしょう」
「ふむ? 例の「素体」にでもするのか?」

 白衣の男は相変わらずにやにや笑いを浮かべたまま、わずかに肩をすくめてみせた。

「まさか、そんな無駄には使いませんよ。元々は王女殿下こそが、陛下の代わりに「虚無」に目覚められるはずだったのです。むしろ、陛下が目覚められた事こそが異常であり、研究対象として興味深いですね」

 ほとんど大逆罪並みの内容を平然と口にする白衣の男。だがジョゼフもそれをとがめだてする事もなく、地図模型から離れて男に向き直った。

「ふむ、興味深いな。で?」
「とりあえずアカデミーの研究結果待ちです。何しろ、何をどうすればよいかは判ってはいても、それを為すための技術が無い」

 男は、困ったものです、と、肩をすくめて両手の平を上に向けて見せる。

「まあ、それは仕方があるまい。余が「虚無」に目覚めてわずかに四年。むしろこの短期間によくぞここまで研究を進めたものだ。さすがだな」
「まだ結果は出せておりませんのでね。出てから全ては始まりますので」

 ジョゼフに向かって、そう言い放つと、男は白衣のポケットに手を入れ何かの小箱を取り出した。

「そうそう、例の指輪を調査して私なりにコピーしてみたものです。それにしても大したものですね、この「先住魔法」というのは。このガイア生命体の生態系そのものが、全にして個、個にして全の意思を持つ魔法的認識思念体であるというのは非常に興味深い。次は是非とも、エルフですか、「先住魔法」の使い手の協力を得たいものです」
「ふむ、それについては考えておこう。で、その偽物をどうするつもりだ?」
「何、コピーしてみただけで、使い物にはならない代物です。むしろ、その機能を利用して計画を別の方向からアプローチしてみますよ」

 男がジョゼフに手渡した小箱の中には、水色の宝石がはめ込まれた指輪が入っていた。

「でだ、ドクター。余のワルキューレはどうなっている?」
「結局、戦闘に使わざるを得なくなりました。どうもゲルマニアから王党派に大規模な支援があった様子ですね」

 現状ではメンテナンスの問題があるので、あまり戦闘に使っては欲しくはないのですが。まあ仕方が無いのでしょう。
 そうドクターと呼ばれた男は困った表情で肩をすくめる。ジョゼフは、ふむ、と呟いて、再度地理模型の方に視線を向けた。しばし黙考し、それからドクターに向き直る。

「指し手が現れたな」

 その声にはこらえきれない愉悦がこもっている。ジョゼフは、初めて嬉しそうな表情を浮かべて声を高めた。

「そうだ、指し手だ! なるほど、そう考えれば全てのつじつまが合う! 素晴らしい! 余が今まで気がつかぬ程に、密かに、慎重に、そして大胆に用意を整えていたのだ! うむ、素晴らしい!!」
「指し手ですか」
「そうだ、指し手だ。余のワルキューレの存在を知られたとなると、さて次の一手はどう打ってくる? すでにガリアは王都の騒乱でしばらくは動けぬ。ゲルマニアの欲張りにこれだけの知恵はない上、内戦が終わったばかりだ。トリステインの枢機卿か? いや、奴は臆病だ。こういう「裏」のやり方で一手を差す度胸はあるまい。そうなると、ロマリアか」

 もはや、目前の男の事は完全に無視して、自分の思考に没頭してしまっているジョゼフ。ドクターは、やれやれ、という風に首を振ると、部屋を出て行こうする。
 そのドクターにジョゼフは、呟くように確認した。

「余のワルキューレは、あと何回戦闘に耐えられる?」
「もって四回。できれば二回に収めて欲しいですね。その後しばらくは、長期間メンテナンスで使えなくなりますから」
「そうか」


 イザベラの命令を受けたタバサは、まずは王都リュティスの下町に宿をとった。王女に命じられて一気飲みさせられたアプサンのせいで、頭ががんがんし視界がちかちかする上、足腰に力が入らない。そんな彼女を背中におぶって運んでいる女性がいた。

「もう、意地悪が酷いのね、従姉妹姫は! あんな毒みたいなお酒をお姉さまに一気飲みさせるなんて!」

 タバサの蒼い髪と比べるならば、むしろ青い、と評すべき髪の女性である。見たところ二十歳くらいではあるが、口調や雰囲気は年齢よりもずっと幼さを感じさせる。

「黙って。響く」
「……きゅい」

 ふらふらになったタバサは、宿に到着すると、そのままベッドに倒れこんだ。顔は赤く、息は荒い。青い髪の女性は、おろおろとどうしたら良いのかわからないまま、部屋の中でうろうろしていた。
 宿の外では、酔っ払って放吟する者や、喧嘩をする者、そうした喧騒というにはいささか激しすぎる騒動の音が聞こえてくる。時々、笛の音が鋭く鳴り響き、衛士達と酔っ払いどもの間で衝突が発生し、さらには花壇騎士が魔法で酔っ払いの集団を制圧する音すら聞こえてくる。

「水、あと、酔い覚まし」
「すぐに持ってくるのね! もうちょっと我慢するのね!」

 ばたばたと部屋を出て行く彼女を耳で聞きつつ、タバサはぐるぐるちかちかと回る視界の中で、頭痛に耐えつつ飲まされたアプサンの流通ルートについて考えていた。
 アルコール濃度六十八パーセントにして、ニガヨモギを主原料とし、各種の香草を、何度も蒸留したアルコールに浸漬して再度蒸留した酒である。問題は、アプシンソールやツヨンといった、アルコール依存症や幻覚症状を引き起こす成分が大量に含まれており、あまり多飲すると精神を侵される事になる極めて危険な酒でもある。
 そして、この酒を作っているのが、よりにもよってトリステイン魔法学院の研究助手であるフェイトであり、その流通ルートを維持しているのが、かつてオルレアン公爵邸の料理長の息子であったトーマスであるという点が、タバサにとっては非常に困ったポイントであった。
 トーマス、今ではトマと名乗っているが、彼が世話になっていた闇賭場を潰したのは、実はタバサ本人であったりする。その後、イカサマ博打がばらされた闇賭場の支配人は報復を受けて死に、トマは九死に一生を得て、よりにもよってトリステインで大貴族の保護を受けた商会の総支配人に収まっているのだ。

「お姉さま! 水と酔い覚ましなのね!」
「ありがとう」

 とりあえず酔い覚ましを飲み、水差しの水を一気飲みする。

「シルフィード」
「なに、お姉さま?」

 心配そうにベッドの横に座っている青い髪の女性、実はタバサの使い魔であるウインド・ドラゴンのシルフィードが人間の姿に変身したものなのだが、彼女へと視線を向ける。なんども瞬きするが、まだ酔い覚ましは効いてこないようで、目の前がちかちかする。

「魔法学院に帰る」
「え? 捜査はしないの? きゅい」
「違う。取引」

 これまでフェイトという猫の首につける鈴になろうと、密かに学院内で聞き込みを続け、稼動を始めた醸造所に出入りする人間の後をつけたりして調べた結果、ラグドリアン商会が事実上オルレアン公関係者を中核に構成されている事にたどりついたのである。
 しかも、大貴族系ではなく、平民や下級のシュバリエといった者を中心に取り込んでいるあたり、フェイトが非常に明確な意思をもってラグドリアン商会を運営している事が判る。とすれば、彼女がガリア王宮内についての情報と引き換えに、一時的にアプサンの出荷を差し止めるか、ダミーの流入ルートをいけにえに差し出してくれる可能性は大きい。
 ガリア王政府が本格的に調査と弾圧に動くとすれば、小国であるトリステインとしてもこれ以上の深入りはしなくなるであろう。そこに、取引の余地がある。

「寝る」
「ああもう! お姉さまはシルフィードに心配ばっかりかけて、いけないのね! 帰ったらお肉たくさんなのね!!」

 シルフィードの言うお肉たくさんがどれほどのものか考えて、タバサは、この世の中を動かしているのは、魔法ではなくお金である事を切実に実感していた。


 最近はめっきり密談の場として利用されるようになってしまっているヴェストリ広場で、タバサはフェイトと二人きりで歩いていた。
 タバサは、フェイトのメイド服姿を見て、この世界の誰が彼女が今やハルケギニア世界の裏側の世界を支配しかけている人間だと納得できるだろうかと思った。

「それで、二人きりで秘密の相談とはなんでしょうか? ミス・タバサ」
「今、リュティスは騒乱状況にある」

 とりあえずは軽く探りを入れてみる。

「ミス・タバサは、ガリア出身でいらっしゃいましたか」

 こくり。うなずいて同意するタバサ。

「つまり、ガリア政府のシュヴァリエとしての相談ですか」
「覚えていた」
「ええ。何しろ、よく訓練されていらっしゃいますし、その訓練も、一般の軍人とは少々毛色が違うものでしたので」
「私の「裏」も「洗った」?」

 フェイトは、そこで穏やかににっこりと笑って首を横に振った。

「私はできることなら、お嬢様にも、ミス・ツェルプトーにも、そしてあなたにも、良い思い出になる学院生活を送っていただいて、卒業していただきたいと思っております」
「ならば、取引を」
「まことに残念ですが、状況は既に私の手を離れています」

 フェイトの笑みは変わらないのに、タバサにはそれが余りにも邪悪に見えた。フェイトの光の無い瞳は、気がつくのが遅すぎたですね、と、ガリア政府の対応の遅れを嘲笑う色すら見て取れたのだ。

「ちなみに、アプサンの醸造施設は、元々あそこではありません」

 フェイトの指差した先には、西の門の先に見える森の中に乱立する蒸留塔や浄水塔が見える。今そこでは、全力で各種の蒸留酒が生産されているはずである。

「そして、ラグドリアン商会を関わらせてはおりません」

 タバサは絶望的な状況に、必死になって思考を回転させた。相手はすでに予想よりも二手三手先を行っている。ガリア政府からの外交的圧力、という切り札は、この時点ですでに切り札ではなくなっている。

「ちなみに、ビジネスとしての「信義」があります。取引先の情報を漏らすわけには参りません」
「……貸しでいい」
「ミス・タバサの今のガリア政府内での所属と地位は?」
「……………北花壇騎士団団員、シュヴァリエ」

 なるほど。ぽん、と、手を打つフェイト。どうやら思い当たる節があるらしい。

「恐るべき使い手が四人いました。彼らがそうだったのですね」
「……まさか」
「はい。私が「処分」しました」

 タバサは、いつも握っている節くれだった杖を握る手のひらが汗でびっしょりと濡れてくるのを自覚せざるを得なかった。自分は彼女の一挙一動に目を配っていたはずなのに、いつの間にそれだけの「濡れ仕事」をこなしていたというのか。
 今この瞬間、自分がフェイトに「処分」されていないのは、単に彼女に自分を殺す理由が無いだけだからなのだろう。
 どうすればよいのか。虎子を得ようとして虎穴に入り、母虎を目前にしている様なものだ。なんとかして、この場を逃れ、かつ彼女を敵に回さないようにしないとならない。

「あなたの直属上官はどなたです?」
「王女イザベラ・ド・ガリア」
「なるほど。そういう事ですか。……王女殿下も焦っておられるようですね。それに、流通ルートよりも、もっと先に調べる必要な事があるわけですが」
「?」
「アプサンが、何故危険か、という事です」

 それは判っている。だが、何故それが重要なのか、それが判らない。

「つまりですね、アプサンから危険な成分を取り除いた蒸留酒を開発し、それを今のアプサンより安く販売する事で今の危険なアプサンを市場から駆逐する事が一番確実なわけです。その上で、アルコールにかける税金を少しづつ高めていって、最終的には騒乱状況に至らない程度にアルコールの入手を難しくすればいいわけです」

 というわけで、極秘裏にイザベラ王女殿下との会見のセッティングをお願いできますでしょうか?
 そう「お願い」するフェイトの微笑みは、吐き気がするほど美しく、怖気が走るほど暖かった。


「このっ! このっ! この大間抜けがあっっ!!」

 タバサは、何度も何度もイザベラに張り飛ばされ、床に転がされる。
 タバサはイザベラに、国内外の蒸留施設を調査し、そこからアプサンの販売ルートにつながりそうな人間を見つけた事を報告した。しかし、相手に自分が北花壇騎士団である事、その直属上官がイザベラである事も知られてしまった事も正直に報告したのだ。
 イザベラとしては、これで王政府の尚書らとの会談でなんらかの得点を稼ぐ事が絶望的になってしまった事に、目の前が真っ暗になる思いであった。その怒りはそのままタバサに向かい、イザベラは、タバサが北花壇騎士として自分の指揮下に入って以来初めて自らの手で暴力を振るった。確かに色々と意地悪はしてきた。だが、こうした暴力を振るう事だけは絶対につつしんできたのに。

「なんでそんなドジを踏んだんだ!!」
「北花壇騎士団員四名の行方不明者は、その相手が「処分」していた。相手は取引を望んでいる。私が生きて戻ってこれたのは、それが理由」
「……なんだって? 取引?」
「現在流通しているアブサンを市場から駆逐し、その上でアルコールにかける税金を段階的に高めていく。そのアルコールの商品としての流れは、帳簿や伝票を調べる事で判る」
「つまり、最初からこの仕事は、北花壇騎士団が出張る内容じゃなかった、というのかい」

 こくり。頬をはらしたまま、タバサは黙ってうなずいた。
 イザベラは、尚書らが自分にこの話を持ち込んた事そのものが、北花壇騎士団を連中が嵌めるための陰謀に他ならなかった、という事実に愕然とした。この状況そのものは、表の役所だけで十分対処が可能な案件でしかなかったのだ。思わず足腰から力が抜け、その場にへたり込む。ジョゼフ王の言っていた「北花壇騎士団の使い方を間違っている」というのは、こういう意味であったのか。

「……大間抜けは、あたしの方かい」

 タバサは、へたり込んでいるイザベラを黙って見つめ続けていた。


「お初にお目にかかります、王女殿下。謁見を賜り光栄に存じます」

 そこは、ラグドリアン湖のほとりにある数多くあるガリア王家の別荘のひとつであった。フェイトは、黒いドレス姿でイザベラの前にひざまずいている。相手をするイザベラは、蒼い王家の貴色のドレス。あくまでお忍びであるので、王冠その他、目立ちそうなものは一切見に付けていない。

「そんな王宮内でやらかすような挨拶は別にいい。取引を持ちかけてきたのはそっちで、こっちはお前らに逆に頭を下げないといけない側なんだ」

 フェイトを見下ろすイザベラの眼は、憎しみにこうこうと輝いている。
 そんなイザベラの瞳を、死んだ魚の様な澱んだ瞳で見つめるフェイト。その昏さに、イザベラは、自分もタバサも、所詮は子供でしかないことに絶望に近い何かを感じた。そして、目前の女がロマリア地方の出身らしいとも見当をつけた。この暖かみのある金髪や肌のきめの細かさは、北方のゲルマニア女ではなく、南方のロマリア女の特徴である。

「あたしはイザベラ。こいつから聞き出した通り、北花壇騎士団の団長さ」
「フェイト、と申します」
「で、そっちの持ちかけてきた取引内容とは、アプサンを駆逐するアルコールの専売権かなにかかい? それとも、アルコール税の徴収権かい?」
「いえ、その様なつまらないものは別に」

 フェイトは、あくまで優しい微笑みを浮かべたまま、イザベラの瞳をまっすぐ見つめる。その暗い澱みに、イザベラはどうしても恐怖に身が震えるのを抑える事ができない。

「で?」

 このフェイトと名乗る女が、何を要求してくるのか、それがどうしても予想がつかない。

「ガリア王国内の情報を、こちらの提供させていただく情報と、交換しあう窓口となってはいただけないでしょうか?」
「……………」

 イザベラは、必死になって考えていた。相手が欲しているのは情報であって、金ではない。つまり、自分よりも北花壇騎士団の使い方については、このフェイトという女の方がよく理解しているという事になるのか。しかも、あくまで交換という形での取引である。今の事実上壊滅した北花壇騎士団にとっては、喉から手が出るほど欲しい申し出である。
 なけなしのプライドが全力でそれを否定しようとするのを、イザベラは唇の一部を噛み切る事で押さえ込んだ。なにしろ相手はこちらの予想をはるかに上回る実力の持ち主である。下手に欲をかけば、確実になんらかの不利益をこうむることになるであろう。
 それよりも、そう自分が即位した瞬間に蜂起するであろうオルレアン公派の残党が、イザベラの真の敵である。現国王ジョゼフの実弟であり、水の天才魔法使いにして英邁かつ高潔な王族の鑑であった彼が殺された後、粛清によって貴族としての地位と名誉と生命を失い地に潜った者達の憎悪に対抗できるだけの力が欲しい。
 そのためだったら、悪魔にだって魂を売ってやる。
 蒼い視線を正面からフェイトの深紅の瞳に叩きつけ、イザベラは微塵もそう思っていない声で答えた。

「あたしとお前の間に不幸な行き違いが起きないよう、できる限りの事はするよ」
「ありがとうございます、イザベラ殿下」
「ただし、アプサンをどうにかするための酒の蒸留施設、こいつが欲しい。あとアプサンの正確なレシピと生産方法と」
「承りました」

 それからイザベラは、上から下までためつすがめつ舐める様に見つめる。

「これはあたし個人の借りだ。「裏」の組織の使い方を教えろ。おかげで今回尚書どもに嵌められて、えらい大恥をかかされた」
「承りました」


「それで、簒奪者の娘をおめおめと帰してしまったのですか?」

 リュシーが、腰まである金髪を憎悪のオーラに揺らがせながら、フェイトに詰め寄った。

「リュシーさん達、旧オルレアン公派の者らの目的は、殺された肉親や失った地位や名誉、財産に対する復讐であり、それを達成する目標はジョゼフ王の暗殺なのではないのですか?」

 そんな怒り猛るリュシーを前に、いつも通りの柔らかな微笑みを浮かべているだけのフェイト。

「ジョゼフ王は一代の英傑です。イザベラ王女が持ち帰った蒸留技術ですが、それもすでに概念そのものは入手し終えていて、大方こちらの一手を無効化する手段を用意している最中だったでしょう」
「何故、あの簒奪者が英傑なのです!?」
「私の大したことの無い経験と知識でも、無能と馬鹿にされつつ、しかし権力を維持できているというのは、恐るべき有能さの証拠です。まして、あの娘を見れば、いかほどの器量かも知りえます。ジョゼフ王こそ、今のハルケギニア各王家において最高の指導者でしょう」

 リュシーは、呆然とした。
 噂に聞くジョゼフ王とイザベラ王女は、少なくともそこまでフェイトが手放しで褒めるような人物には見えない。道楽と放蕩で国の財政を傾ける狂王と、小さな宮殿に自分だけの世界を作って、使用人に威張り散らかす我侭娘ではなかったのか?

「時に「無能」という蔑称は、政治的には最高の財産たりえます。ましてそれが陰謀を得意とする者であれば、何にもまして換えがたい財産でしょう」
「では、簒奪者の王位は必然であったと!?」
「多分。先王の人物眼は確かであった様ですね」

 そこでフェイトの表情が厳しくなり、声に殺気がこもる。

「敵は、それだけ恐るべき、油断ならぬ相手です。復讐という目的、ただその一点に意思を集中させ、研ぎ澄まさねば、到底かなわない相手です」

 ご覚悟を。
 フェイトの視線にリュシーは、一歩後ずさった。そして、もう一度自らの内心の憎悪をかきたてる。父親を処刑台に送り、家族を四散させた簒奪者への憎悪を。
 

 グラン・トロワのジョゼフ王の私室で、国王と王女は二人きりの会見を行っていた。

「なるほど、故に国内全ての商会と銀行の帳簿と伝票を閲覧できる権限が欲しいというのか」
「はい、お父様。もはやリュティスが酔っ払いの巣となってしまった以上、酒の流入を絶てば逆に暴動が起きましょう。故に王宮の管理のできる範囲でアルコールを供給し、それによって一定程度の治安を維持する方向にもっていくべきかと」

 感情を押し、無表情さを保ちつつ、屈辱を噛み締めた声で、イザベラはそう父親に説明した。

「まあ、酒税に関しては議会に諮ることになるが、簡単に話は通るだろう。連中も今のリュティスの状況には頭を痛めている様子だからな」

 お気に入りの地理模型には視線すら向けず、ジョゼフ王は娘のことを興味深そうに見つめている。

「で、王立の醸造所の建設か。そこでアブサンと同様の各種の薬草酒を蒸留した酒を生産し、大量に売りさばき、アプサンに膨大な税金をかけることで、事実上アブサンの流通を潰す、と」
「はい。つきましては、その醸造所の経営の権限を北花壇騎士団に」
「足りぬ予算をそれで補うか」
「はい」

 そこまで話を聞いて、ジョゼフ王は心底愉快そうに大笑した。

「見事、見事だぞ、イザベラ! まさしく満点だ!! そう、それでよいのだ。よくぞここまで成長したな。父は見違える思いだぞ。うむ、まことに愉快だ!! こんなに愉快なのはなんとも久しぶりだ!!」

 そして、げらげらと笑いつつ、地理模型の横のサイドテーブルの引き出しから、一冊の書類綴りを取り出し、イザベラに渡す。

「尚書どもとの会見はまだであったろう? 今から北花壇騎士団で調べるには時間が足りまい。これを持って行くがよい」

 その書類綴りのページをめくっていくうちに、イザベラの面から血の気が引いてゆく。

「こ、これは、国内のアルコールの流通経路!?」
「うむ、どうせ人の欲なぞ、女と金、せいぜいがそんなものだ。余は無粋ではないのでな、女ではなく金の流れの方に興味をもったのだ」
「……父上は、最初から全てをお見通しであったのですか?」

 そんなわけがなかろう。ジョゼフはその蒼い美髭をしごきながらなんでもなさそうにに言ってのけた。

「お前がいちいちアブサンアブサンとうるさいから、調べてみただけだ。まあ、それの使い方を間違えることが無いのであれば、それでよい」

 イザベラは思った。自分が預けられた北花壇騎士団は、本当の北花壇騎士団ではない。その本体はジョゼフ王の手元で今でも活発に活動している。かつて王弟であったシャルル・オルレアン公爵を暗殺し、その派閥を微塵も残さず殲滅してのけた父親の長い手は、今も闇の中に潜んでいるのだ。

「それでは、これはありがたく頂戴いたします。父上の深い愛情に、娘として心からの感謝を」
「なに、娘の欲しているものを与える事ができるのは、父親として最高に喜ばしいことだ」


 イザベラが退出してすぐに、ドクターがジョゼフの前に現れた。どうやら部屋の見えないところで全てを聞いていた様子である。ドクターは、その金色の瞳の目を愉快そうに細め、口の端を楽しげにゆがめている。

「なるほど、見事ですね」
「うむ、貴様の言うとおり、見事諦めを踏破してのけた。我が娘とは思えぬ強さだ」

 これも愉快そうに目を細めて、ジョゼフ王が答える。

「ドクター」
「なんでしょうか?」
「娘にもっと贈り物をしてやりたい。余のワルキューレの使う「力」などどうだろう?」
「よろしいのですか?」

 吐き気をもよおすほど美しく、怖気が走るほど暖かい微笑みを浮かべ、ジョゼフ王はきっぱりと言ってのけた。

「貴様らの「力」は、「杖(デバイス)」によって引き出されるのであろう? 娘に「杖(デバイス)」を作ってやってくれ。多分、とっても愉快なことになろうな。そう、この世界を揺るがし、在り方を根底から変えるような、愉快なことに」
「了解しました。それでは早速新しいプロジェクトを立ち上げましょう」
「頼んだぞ。ドクター・スカリエッティ」

 そして、はるか遠くを見る眼でジョゼフは呟いた。

「フェイト、というのか。そのロマリア女の指し手は」



[2605] 運命の使い魔と大人達 第七話前編
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/03/12 23:57
 七

 ルイズの実家、ラ・ヴァリエール公爵家の領地は、魔法学院から馬で三日ほどのところにある。その屋敷の中庭に、あまり人が寄り付かない池があった。池の周りには季節の花が咲き乱れ、小鳥が集う石のアーチとベンチがある。池の真ん中には小さな島があり、そこには白い石で造られた東屋が建っている。
 島のほとりに一艘の小船が浮かんでいた。かつてはルイズは家族と舟遊びをして遊んだものであったが、しかし今ではもうこの池で舟遊びを楽しむ者はいない。姉達はそれぞれ成長し、魔法の勉強で忙しかったし、軍務を退いた父親は、近隣の貴族との付き合いと狩猟以外に興味は無かった。母は、娘達の教育と、その嫁ぎ先以外、目に入らない様子である。
 そんな理由で忘れ去られた中庭の池と、そこに浮かぶ小船に気を留めるものは、この屋敷にルイズ以外にはいない。ルイズは、叱られるたびにこの小船の中に逃げ込むのだった。
 幼いルイズは小船の中に忍び込み、用意してあった毛布に潜り込む。そんな風にしていると、中庭の島にかかる霧の中から、一人のマントを羽織った立派な貴族が現れた。歳の頃は十六くらいだろうか? ルイズが六歳ぐらいの背格好だから、十くらい年上に見えた。

「泣いているのかい? ルイズ」

 つばの広い、羽根つき帽子に隠れて、顔が見えない。でも、ルイズは彼が誰だかすぐに判った。子爵だ。最近、近所の領地を相続した、年上の貴族。ルイズは、ほんのりと胸が熱くなった。憧れの子爵。晩餐会をよく共にした。そして、父と彼との間で交わされた約束。

「子爵さま、いらしてたの?」

 ルイズは慌てて顔を隠した。みっともないところを憧れの人に見られてしまったので恥ずかしかった。

「今日はきみのお父上に呼ばれたのさ。あのお話のことでね」
「まあ! いけない人ですわ。子爵さまは……」
「ルイズ。ぼくの小さなルイズ。きみはぼくのことが嫌いかい?」

 帽子の下の顔が、にっこりと笑った。そして、そっと手を差し伸べてくる。

「子爵さま……」

 ルイズは立ち上がり、その手をと握ろうとした。
 そのとき、風が吹いた。

「あ」

 一瞬目をつむり、視界が戻ると、そこは全く違う風景となっていた。
 昏い、混沌とした空に覆われた、黒い色の石造りの広間。そこには何重にも重ねられた同心円状の魔方陣が描かれ、その中心に一人の金色の髪の少女が立っていた。歳の頃は十歳前だろうか、今の自分が十六だから、十歳近くは歳下に見える。
 少女は、自分の背丈よりも長い、禍々しく輝く金色の宝玉が埋め込まれた黒いハルバートの様な武器を振り回している。否、正確にはそれを杖として空中に魔方陣を描き、周囲に浮かぶ球形のガーゴイルから放たれる光る魔法の矢を避け、そらし、受け止め、自らも魔弾を放って反撃している。少女は、時々魔法の矢が突き刺さっては吹き飛ばされ、床に転がるが、すぐに立ち上がり手にした杖と呼ぶには余りに禍々しいそれを振って防御と攻撃に魔力を放ち、周囲に金色に輝く魔方陣を形成する。
 ぼろぼろになり傷だらけになっても、それでも深紅の瞳から光は消えず、少女はひたすら闘い続けている。
 そして、唐突に戦闘は終了した。
 球形のガーゴイルは消え、広間には少女が一人残された。もう体力の限界であったのであろう、少女は床に倒れこんだ。
 ルイズは、我に返ると少女に駆け寄りひざまずき、その身体を抱き上げた。

「大丈夫? 怪我は? 痛いところは?」
「……大丈夫、非殺傷指定だから、怪我は、ない」

 少女は、薄い胸を激しく上下させながら、喘ぐようにルイズに答えた。その深紅の瞳は、これだけ身体を痛めつけられたにも関わらず、それでも輝きを失ってはいない。

「……お姉さんは、だれ?」
「ルイズ。ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール。あなたは?」
「……フェイト」

 ルイズは、黒いリボンで二つにまとめられた金髪の頭をゆっくりと優しく撫でた。それに安心した様にフェイトは目をつむる。

「なんで、こんな事をしてるの?」
「……母さんが」
「お母様が?」
「きっと、昔みたいに、笑ってくれるから」

 ルイズは、その瞬間、夢から眼がさめた。
 そこは、トリステイン魔法学院の女子寮の自室のベッドの上であり、二つの月が窓から光を室内に投げかけている。本棚と衣装棚、ベッドの横のサイドテーブルと、部屋の真ん中の丸机と二脚の椅子。そして、部屋の片隅にマットレスを敷き、毛布に包まっているルイズの使い魔。
 フェイト。

「そんなはずは無いわよね」

 今見た夢は余りにも鮮明で、そして生々しかった。今でも少女の身体の感触が手に残っている。
 そして少女は名乗ったのだ、フェイト、と。

「……なんで、そんな眼になっちゃったんだろう?」

 自分の使い魔のフェイトは、寝る時も寝巻きではなく、シャツとパンツの黒い作業衣で毛布に包まって寝る。そして枕元には必ずデルフリンガーを立てかけて。
 そうでないと安眠できないのだそうだ。マットレスの位置も、衣装箪笥と壁の間、扉を開けた時に陰となる場所である。光の差さない暗い場所でないと、部屋の開口部の陰でないと、安眠できないのだという。
 マットレスだって、ルイズが説得して持ち込ませたのだ。最初はベッドを入れようとしたのをフェイト本人ががんとして嫌がったのを、妥協点としてマットレスを床に敷く、という事で決着をみたのである。
 まるで獣の様だ。
 ルイズは、そのフェイトの安楽さを頑として拒絶する姿勢を見て、そう心から思ったものである。野生の獣の様に、寝る時も安心して眠ることを拒絶する姿は、人としては頑なに世界を拒絶しているようで、ルイズはどうしても理解することができなかった。ここは安全なのだ。誰もフェイトのことを殺しには来ないのだ。
 どうして?
 ルイズは、月明かりの中、ずっと影の中に潜むかのように眠るフェイトのことを見つめていた。


「いや、苦労したよ」

 自分の研究室のソファーに白衣を着たままぐったりとだらしなく横になって、ロングビルは、眼鏡を外して眉根を何度ももんだ。研究室には壁一面に書類綴りや書籍が押し込められた本棚が並べられ、それらはあふれ出た挙句、床にも山と積み重なっている。そして、製図台とその周辺に散乱する何かの図面。

「幾何公差と寸法公差を両立させるのが、これほど大変とはねえ。まあ、勉強にはなったけれどもさ」

 最近二つ名を「製鋼」と名づけられてしまったロングビルは、眼鏡をかけ直すと、すっと冷たい視線を向かいのソファーに座っているフェイトに向けた。相変わらずの黒いメイド服を着たフェイトは、光の無い死んだ魚のような深紅の瞳をして、二つのソファーの間の机の上にある、革張りのケースの中身に見入っている。

「注文通り銃身は、クロームモリブデン鋼を鍛造した上で内側をクローム鍍金した。硬度や剛性よりも、靭性を重視してある。他のパーツ自体は、同じクロームモリブデン鋼を使ったけれど、硬度と剛性を重視した焼入れ処理をしたよ」

 革張りのケースの中には、銃口周辺ですら太さ二五ミリ近くはあろうかという重銃身の、ほぼ直床に近い銃床のボルトアクション式の小銃が収まっている。ライフリングは八条右回り。

「口径は八ミリ。銃弾は、高硬度炭素鋼の弾芯を入れて先端を平らにした鉛弾に、銅の覆いをかぶせて椎の実型にして、底をすぼめてある。その銃身で試射した結果、一〇〇〇メイルで左右四〇サント、上下一二〇サントの公算誤差ってところさ」

 つまり、きちんと照準し、気象条件がよければ、確実に人間に命中させられる精度を持っている、という事になる。弾丸収まっているあたりですぼまった真鍮製の薬莢は、底の直前に掘り込みがしてあり、そこにつめをひっかけて薬莢を外に放り出せる様になっている。そして薬莢の底の中央に撃発用雷管が収められている。装薬はニトロセルロース。

「銃床は、胡桃の木板を張り合わせて気象条件による歪みが最小限になるようにしたよ。で、銃身は銃床から浮かせてある。重量バランスをとって、薬室あたりに重心位置が来るように設計するのは、結構難儀したよ。あと、薬室の後ろ直線上に銃床が来るようにするのもね。おかげで、銃床にあんたの手のサイズに合わせて親指を通す穴を開ける羽目になった。まあ、ニスも接着剤も最高級の楽器用のものを使ったから、経年劣化による歪みも最小限に抑えられると思う」

 合板構成とする事で、ある方向へと木材に歪みが発生するのを、それぞれの歪みで相殺されるようにしたというのだ。そして、その銃床の先端に、折り曲げ式の太い二脚が装着されている。

「弾倉式で弾数は一〇発。もっとも、四、五発も撃てば銃身が加熱して陽炎が浮くから、銃身の上に陽炎防止のバンドを張らないと、そんだけ弾数があっても無駄かもしれないがね。というわけで、陽炎防止用のバンドを装着できるようにしたよ」

 そこまで説明を聞いたところで、フェイトは銃を手に取り、バランスを確かめる。確かに自分の手にしっくりと馴染む上、肩付けした時に銃自身の重さからは信じられないほど楽に照準ができる。

「照準用望遠鏡は、口径四五ミリの四倍から十倍の可変式で、一〇〇〇メイルで一メイルの寸法になるよう、メモリをつけてある。まあ、この望遠鏡は実質あんたが作った様なものだから、説明するまでもないだろうけどさ」

 実際に銃の機関部上部に固定されているスコープをのぞくと、上下左右にメモリが記してある。つまり一ミル単位での修正が可能という事だ。中心部にはメモリも十字線もなく、一ミル分の空間が空いている。つまりこの中に目標を収めれば、静止している状態ならばほぼ確実に命中させられる、ということになるのだ。

「完璧です、ミス・ロングビル。これならば、私が使えばいかなるメイジといえども打ち倒す事が可能となりましょう」
「喜んでくれて嬉しいよ。こいつを元に、もっと精度を落として数を作りやすくした奴を開発する。それでいいんだね? 本当に?」
「はい。そして貴族らは、自らが最早絶対の存在ではないことを思い知らされる事となりましょう」

 心底嬉しそうに口の端を歪めたフェイトの眼は、狂喜に濁り、いとおしそうに銃を撫でている。

「で? その銃をなんと銘づける?」

 ふん。そんなフェイトの狂態を見て鼻を鳴らしたロングビルは、わずかに目を細めて問うた。
 フェイトの答は瞬時で、そして何のためらいも無かった。

「バルディッシュ」


 さてその頃、午前中の授業を受けていたルイズは、心底つまらなさそうな顔でギトー教諭の「風」の講義を聞いていた。
 このやたらと「風」の系統を誇るギトーは、何かというと「風」の系統こそ最強であると演説したがる癖があった。今も教壇で酔った様に演説を行っている。

「最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプトー」

 で、あげく生徒にこうして因縁を吹っかけるのだ。

「「虚無」じゃないんですか?」

 キュルケもいい加減付き合うのが面倒なのか、投げやりに答える。

「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いているんだ」
「「ルイズ」の系統に決まっていますわ。ミスタ・ギトー」

 そこでわたしに振るかよ、この女。
 ルイズは、思わず机に突っ伏した。周囲の生徒といえば、一斉に納得したようにうなずいている。
 突っ伏したまま恨めしそうな目つきでキュルケを見ると、キュルケは、任せた、といわんばかりに右手をサムズアップしている。

「ほ、ほほう? どうしてそう思うね?」

 それでもなんとか威厳を保ちつつ、ギトーはキュルケに向かって問いを重ねる。

「いえ、実際そうですし。疑問でしたら、実際に「ルイズ」の系統を試されてはいかが?」

 あー、めんどくせー、という様子で、キュルケはあくまでルイズに話を振ろうとする。ギトーといえば、散々心のうちで葛藤を重ねた様子ではあったが、それでもあえて自らの矜持に従う事に決めた様子であった。

「ミス・ヴァリエール。試しに、この私に君の得意とする魔法をぶつけてきたまえ」
「お断りします」

 即答であった。ギトーの見栄のために、ルイズには殺人を犯すつもりは毛頭ない。

「どうしたね? 言っておくが、オールド・オスマンより申し送りがあっても、私の授業の単位はそれではやれんぞ?」

 教室の生徒らが一斉に机の下に隠れる。前の方の席にいる生徒は、全速で教室から逃げ出した。
 皆の思いはひとつであった。
 ギトーの自殺に付き合わされるのはごめんだ。

「えー、その、それでしたら条件があるのですが?」
「何かね?」
「破壊した教室の片付けは私の責任じゃない、というのと、単位を保障していただけるのと。あと、ミスタ・ギトーの怪我の責任は、あくまでわたしには無いという事と」
「……よかろう。では、来たまえ!」

 あー、うぜー。もうなんかやさぐれた表情でルイズは杖を引き抜くと、ギトーの足元に「固定化」の魔法をかけた。コモンマジックである事もあって、今のところこれが一番威力が小さいのだ。
 ギトーも杖を引き抜き、何か魔法を唱えようとして、そして足元で起きた爆発に天井まで跳ね飛ばされ、そのまま落下し床に叩きつけられる。爆風は教室全体を吹き荒れ、全ての窓ガラスと扉を吹き飛ばした。
 とりあえず瓦礫の山の上に転がっているギトーが生きているのを確認すると、ルイズは、はあ、と、大きなため息をついて恨めしげな目でキュルケをにらみつけた。

「まったく、なんでわたしに振るのよ?」
「いや、なんか面倒だったし」
「怒られるのは、わたしなのよ? まったく!」
「大丈夫よ。生徒全員が証人になってくれるから」
「そーゆー問題じゃないし!」

 ルイズとキュルケが瓦礫の山の中で言い合っているところに、緊張した顔のコルベールが飛び込んできた。

「ミス・ヴァリエール! 何をしたのです!?」
「ミスタ・ギトーが、わたしが魔法を実践しないと単位を下さらないと仰いましたので、嫌々ながらも仕方が無く」

 あくまで責任は自分にはない、と、主張するルイズ。そうよね、と言わんばかりに教室中を見回すと、皆が一斉に同意の声を上げた。なにげにギトーは嫌われている上、ルイズの機嫌を損ねようなどという命知らずは、今ではこの教室にはほとんどいない。

「……そ、そうですか。それでは仕方が無いですね。とりあえず君達、ミスタ・ギトーを医務室へ運びなさい」

 ギトーの性格をよく知っているコルベールは、心底脱力した表情で教室の外に脱出していた生徒らに指示を下した。それから、こほんと一息入れてから表情を変え、生徒全員に重々しい様子で告げる。

「本日の授業は全て中止となりました!」

 おおっ、と、教室中から歓声が上がる。その歓声を抑えるように両手を振りながら、コルベールは言葉を続けた。

「皆さん、本日、恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問のお帰りに、この魔法学院に行幸なされます」

 さすがに教室がざわめいた。

「したがって、粗相があってはなりません。急なことではありますが、今から全力を挙げて、歓迎式典の準備を行います。そのために本日の授業は中止。生徒諸君は正装し、門に整列すること」

 生徒達は、緊張した面持ちになると一斉にうなずいた。コルベールはうんうんと重々しげにうなずくと、伝達事項を続ける。

「姫殿下は、明日予定されている二年生の使い魔品評会を閲覧されるとの事です。諸君が立派な貴族に成長したことを、姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! 御覚えがよろしくなるように、しっかりと杖を磨いておきなさい!」


「というわけで、明日の使い魔品評会なんだけれど、どうしたらいいと思う?」

 自室に戻ったルイズは、フェイトに手伝わせて正装に着替えながら、そう質問していた。フェイトといえば、何か嬉しいことがあったのか、いつもよりも微笑みが柔らかいように見える。

「そうですね。私は「平民」なので、特に王女殿下にお楽しみ頂けるような「芸」は持ち合わせておりませんし」
「あー、もう、いっそ御進講とかしちゃう? ほら、前にお姉さま相手にやったみたいに」
「でも、王女殿下は学問について造詣が深くていらっしゃるのでしょうか?」
「えー、……それについては、臣下の身としては答えられないわ」

 何しろルイズは公爵家の三女である。つまり、家系図をたどれば王家につながる身なのだ。そのためもあって、かつてアンリエッタ姫のお遊び相手を務めたこともある身である。その当時のいかにして家庭教師の御進講をさぼるか二人して知恵をめぐらせていたかについては、あまり人には語りたくはない。

「そうしますと、本当に何もできませんね」
「うーん、ほんとあんたも、わたしと同じで徹底的に実践向けだものね」

 最近のルイズは、学院卒業後は近衛連隊のどれかに入ろうかと本気で考えていたりする。なにしろ使えるのが爆発魔法だけなのだ。戦争以外で何か役に立つとも思えない。ルイズの系統は「虚無」であろう、と、フェイトとコルベールは言ってくれるが、発現の条件が明らかでない以上、現実問題として軍人にでもなるしかないではないか。
 しかもフェイトといえば、最近は何やらコルベール発明の蒸気機関を使って、色々とたくらんでいる。というか、何か開発しているらしい。これで何か秘密兵器でも開発していれば、まさしくもっけものである。
 と、ふと思いついた事を、ルイズはフェイトに向かって問いかけた。

「ねえ、フェイト。わたし、ミスタ・コルベールの研究所で研究員になれると思う?」
「可能でしょう。ただし、大変な努力が必要とされるでしょうけれども」
「どういう努力?」
「コルベール研究所では、まず最新の数学理論と化学理論と物理理論を学び、それからそれぞれの属性に合わせて配属先が決まります。この三つの理論を学ばねばならないのがひとつ。そして、お嬢様の属性は「虚無」である以上、まず「虚無」の系統を発現させねばならないのがひとつ。これらをクリアできれば、正規の研究員となれるかと」

 それは大変そうね。ルイズは正装の上にマントを羽織り、ペンタグラムの文様が浮かび上がるブローチでそれを留め、しゃんと背筋を伸ばした。

「でも、それなら軍人になるよりもいいかもね。あんたとずっと一緒にいられるし。勉強は嫌いじゃないし」
「はい、お嬢様」

 フェイトが微笑みながらもわずかに頬を染めたのを、ルイズは初めて見た。


 魔法学院の門をくぐったアンリエッタ王女の馬車は、金の冠を御者台の横につけ、馬車のところどころに金と銀とプラチナでできたレリーフがかたどられている。そしてその豪華な馬車を牽いているのは、ただの馬ではない。頭に一本の角を生やした、ユニコーンであった。無垢なる乙女しかその背には乗せないといわれるユニコーンは、王女の馬車を牽くのに相応しいとされているのであった。
 そして、王女の馬車の後ろには、先王亡き今、宰相としてトリステインの政治を一手に握る、マザリーニ枢機卿の馬車が続いている。その馬車も王女の馬車に負けず劣らず立派だった。否、王女の馬車よりも立派であった。その馬車の風格の差が、今現在のトリステインの権力を誰が握っているのか、雄弁にものがたっていた。
 その二台の馬車を出迎えて、整列した生徒達は一斉に杖を掲げた。
 そうした簡易ながらも王女を迎える儀典を行っている最中、フェイトは、使用人棟の厨房で皆に先んじて朝食と兼用の昼食にありついていた。ちなみに、ロングビルも一緒である。午前中は、「バルディッシュ」を実際に射撃して照準調整をするのに大忙しであったのだ。
 厨房は、これから執り行われる王女殿下を迎えての昼餐の準備に大忙しであり、いつも通りシエスタがフェイトにつきっきりで給仕をしてくれるという事はない。むしろ朝食の余り物を適当に暖めなおしたものを、ロングビルと一緒に食べていたのであった。

「すまねえ「我らの女神」さすがに今は忙しくて手が離せねえんだ」

 料理長のマルトー親父が心底済まなさそうにフェイトに頭を下げる。

「いえいえ、こちらこそ、こんなにお忙しいところにお邪魔して申し訳ありませんでした」
「シエスタも、今大食堂の飾りつけでな。本人は残念がっていたんだが」
「まあ、突然のお話でしたから」

 あのモット伯からフェイトに助け出されて以来、シエスタは、完全にフェイトを信仰するようになってしまっていた。少なくとも、宮廷勅使を勤める大貴族を相手に、見事博打で身包み剥いですってんてんにしてシエスタを取り戻してくるなど、並みの人間にできる事ではない。というわけで、同僚の女の子らからは「そっちに目覚めた」などと言われるほどにフェイトに傾倒しきってしまっているのである。
 もっとも、それを言うなら使用人棟に居住する使用人全てが、フェイトを信仰しているといえば信仰していたりするのであるが。

「それにしても、野菜の火の通りが良くなりましたね。料理はやはり火なのでしょうか?」

 冷えてしまった朝食の温野菜を、それでも美味しそうに口にしているロングビルが、幸せそうな表情で咀嚼している。彼女は何気に根野菜が好きであった。ニンジンとかカブとかジャガイモとか。

「葉野菜の調理は、やはり火力でしょう」
「ああ、そうだ。最近思いついたアイデアがあるんです。調理器具の」
「どういうものです?」

 温め直したシチューにパンをひたして食べているフェイトが、幸せそうに目を細めているロングビルに問いかける。

「クロム鋼で磁性鉄をサンドイッチにした鋼材で、鍋を作るんです。それで、蓋を固定化できるようにして、内部圧力を高めるんです。鍋の構造強度以上の蒸気は、安全弁を通して逃がすようにして」
「なるほど、高温高圧の蒸気で確実に材料の芯まで火を通す事ができるようにするのですか」
「そうなんです。きっとポトフなんてとても美味しくなりますよ」

 フェイトとロングビルは、今から湯気の立つ芯まで火の通ったポトフを想像してとても幸せそうな表情になった。やはり食べ物は人の心をなごませるものらしい。

「それはとても美味しそうですね」

 厨房の入り口から声がする。
 厨房の全員がそちらに目を向けると、そこにはなんとアンリエッタ王女が立っていた。すらりとした気品のある顔立ちに、薄いブルーの瞳。高い鼻が目を引く瑞々しい美少女であった。王女はそれに加え、神々しいばかりの高貴さを放っている。

「王女殿下!!」

 忙しく立ち働いていた厨房の全員が一斉に膝をつく。フェイトとロングビルも、席を立って膝をついた。

「皆さん、お仕事を続けてください」
「それでは、御前ではありますが、失礼いたします」

 マルトー親父が恐縮しきった様子で、厨房の全員に向かって持ち場に戻れ、と、声を張り上げると、皆が一斉に今までやっていた作業に戻る。

「お二人が、ミス・フェイトとミス・ロングビルですね。お食事中、邪魔をしてしまって申し訳ありません。どうぞお食事を続けてくださいな」
「恐縮でございます、王女殿下」

 フェイトとロングビルは席に戻ると、立ったままアンリエッタ王女の次の行動を見守る。いくら許可が出たといっても、王女の前で食事を続けるほど礼儀知らずな二人ではない。
 そのアンリエッタ王女は、後ろにぞろぞろとお付の貴族と教師を引き連れ、厨房内の設備についてコルベールから説明を受けている。特に蛇口をひねると温水と冷水が出てくるところには、かなり驚いている様子であった。
 そして、アンリエッタ王女のすぐ後ろにつき従う、灰色のローブをまとった僧侶と思しき白髪白髭で痩身の男。歳の頃はまだ四十台とも六十を越えているとも見える。どうやら彼がマザリーニ枢機卿らしい。彼もコルベールに色々と質問しては、納得したようにうなずいている。ただその目だけは、一切感情をたたえず冷たい光を放っている。この国の政治を実際に取り仕切っている、という噂は、そのいかにも切れ者らしい雰囲気からも明らかであった。
 アンリエッタ王女の一行は、そうやってしばらく厨房を見学すると、最後に「皆さん、ご苦労様です」と一声挨拶をして去っていった。

「なんだったんだろうねえ、今の?」

 ロングビルの疑問に、フェイトは首をかしげるしかできなかった。


「王女殿下が厨房にいらっしゃった?」
「はい。皆さん驚いていましたよ。こういう裏方に貴族や王族の方が来られるのは、普通は無いのだとか」

 ルイズの私室に戻ったフェイトは、アンリエッタ王女臨席の昼餐から戻ってきたルイズの着替えを手伝っていた。
 そのルイズといえば、どうも心ここにあらずという様子である。

「そういえば、あんたとミス・ロングビルについてミスタ・コルベールに色々質問していたみたい」
「私、ですか?」
「そ。やっぱりエレオノール姉様から伝わったのかしら」

 うーん、と、小首をかしげて考え込んでいるルイズ。
 フェイトは、自分の名前が王宮にまで伝わってしまっている事に、予定よりも早かったな、と、頭の中で諸々の計画を修正するのに手一杯であった。やはりコルベールの論文が、ひとつの転機となったのか。

「やはり、明日の品評会ですが、御進講ということでいかがでしょう?」
「そうね、そこまで有名なら、いっそそっちの方がいいかも。でも、何を講義するか考えているの?」
「はい。全く関係ない理由で用意した器材ですが、それがありますから、それを使おうかと思います」

 フェイトは、ロングビルや自分の研究室に置いてある諸々の器材のうち、一番当たり障りの無いものを頭の中でリストアップした。とりあえず、今の王室には絶対に知られたくない研究の隠蔽は済ませてあるが、どんな研究が一番役に立たず、しかし相手を驚かせられるか。

「それでは、ちょっと研究棟に行ってまいります」
「えーと、あたしも一緒に行っていい?」

 ルイズも、どうやら興味がわいた様子である。

「ええ、それではまずお嬢様に見ていただきましょう」


 フェイトの研究室は、講義棟の中にある。彼女はメイジではないので、系統ごとの研究棟には部屋を置いてはいないのだ。
 ルイズは、フェイトの研究室がさぞかし混沌とした空間であろうと予想していたのだが、そこが戸棚が列をなしている単なる物置の様な部屋で、しかもきれいに整理整頓されているのに驚いた。これだけ多くの発明に関わったのに、余りにも何も無さ過ぎる。一応、机と椅子がありはするが、使われている様子はほとんどない。

「これですね。でも、四百人近い聴衆の皆さんにご覧頂くには、小さすぎるかもしれません」

 フェイトが戸棚のひとつから取り出してきたのは、箱に入った三角形と円柱形のガラスの塊であった。

「何これ?」
「プリズムといいます。では、ご覧頂きましょうか?」

 フェイトが黒い傘をかぶせたランプを手に取った時、研究室の扉をノックする音が響いた。

「どうぞ、開いています」

 フェイトの声と同時に、そっと扉が開き、黒いローブの小柄な人間が室内にすっと入ってくる。そしてすぐに扉を閉めると、後ろでに鍵を閉めた。いぶかしげに見つめるフェイトとルイズの前で、その者はローブのフードだけ脱ぐ。
 入ってきたのは、アンリエッタ王女であった。

「姫殿下!」

 ルイズは慌てて膝をつく。それに合わせてフェイトも膝をつき、一礼した。
 そんな二人に口元に指をあてて、しっ、と静かにするように伝えると、マントの隙間から杖を取り出し軽く振る。

「「探知」?」

 ルイズがたずねた。アンリエッタ王女がうなずく。

「どこに耳が、目が光っているか判りませんからね」

 部屋のどこにも、聞き耳を立てる魔法の耳や、どこかに通じるのぞき穴が無いことを確かめると、アンリエッタ王女はローブを脱いだ。

「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ」

 そう口にするとアンリエッタ王女は、感極まった様子でひざまずいているルイズを抱きしめた。

「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」
「姫殿下、いけません。こんな下賎な場所へお越しになられるなんて……」

 ルイズはかしこまった声で言った。

「ああ! ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち! おともだちじゃないの!」
「もったいないお言葉でございます。姫殿下」

 ルイズは硬い緊張した声で言った。フェイトは、そっと二人から離れると、自分の机の上に置いてあるバルディッシュを収めてある革のケースを机の下に移した。そして、棚の中から試作品のバイオレットリキュールの入ったを取り出すと、二つのグラスに注いだ。女性向けに口当たりを柔らかくして、甘みを強めたアルコールである。
 そんなフェイトのことを無視して、ルイズとアンリエッタ王女の二人は、いつの間にか打ち解けた様子で昔話に花を咲かせている。

「感激です、姫さま。あんな昔のことを覚えてくださってるなんて…… わたしのことなど、とっくにお忘れになったかと思っていました」

 もう一度、しっかりとルイズを抱きしめてアンリエッタは深いため息をついた。そして、深い憂いを含んだ声で呟く。

「忘れるわけないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。何にも悩みなんかなくって」
「姫さま?」

 ルイズは心配になって、アンリエッタの顔をのぞきこんだ。

「あなたが羨ましいわ。自由って素敵ね。ルイズ・フランソワーズ」
「なにをおっしゃいます。あなたはお姫様でいらっしゃいますのに」
「王国に生まれた姫なんて、籠に飼われた鳥も同然。飼い主の機嫌ひとつで、あっちに行ったり、こっちに行ったり……」

 アンリエッタは、窓から見える夕日をまぶしそうに目を細めて眺めて、さびしそうに言った。ルイズは、困った様子でフェイトの方に視線を送る。
 フェイトは、そっとささやくようにルイズに言った。

「悩みは、誰かに聞いてもらえるだけでも、随分と楽になるものです」

 ルイズはうなずくと、アンリエッタの顔をあらためて見つめた。

「よろしければ、お話だけでもうかがわさせて頂けますでしょうか?」
「ああ! ルイズ、ルイズ、本当にあなたは素敵なおともだちだわ!」

 フェイトは、アンリエッタに椅子を勧めると、ルイズを手近な木箱を椅子代わりに勧めた。二人の間に机代わりの木箱が置かれ、そこにバイオレットリキュールの注がれたグラスが並べられる。

「試作品ですが、味は悪くはありません。よろしければお召し下さいませ」


「結婚するのよ、わたくし」
「……おめでとうございます」

 その声の調子に、なにか悲しいものを感じたルイズは、沈んだ声で答えた。

「わたくし、ゲルマニアの皇帝に嫁ぐことになったの」
「ゲルマニアですって!?」

 ゲルマニアが嫌いなルイズは、驚いた声をあげた。

「あんな野蛮な成り上がりどもの国に!」
「そうよ、でもしかたがないの。同盟を結ぶためなのですから」

 アンリエッタは、ハルケギニアの政治情勢をルイズに説明した。
 アルビオンの貴族達が反乱を起こし、今にも王室が倒れそうなこと。反乱軍が勝利を収めたら、次にトリステインに侵攻してくるであろうこと。
 それに対抗するために、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶことになったこと。
 同盟のために、アンリエッタがゲルマニア皇室に嫁ぐことになったこと。

「そうだったんですか……」

 ルイズは沈んだ声で言った。アンリエッタが、その結婚を望んでいないのは、口調からも明らかである。
 ルイズは、フェイトの方に視線を向けた。それに気がついたアンリエッタが、初めて気がついた様子でフェイトの顔を見つめる。

「ごめんなさい、あなたがミス・フェイトですね。アカデミーで噂になっているのを聞きました。なんでもハルケギニアの魔法学を全て書き換えるような発見をしたのだとか」
「お言葉、恐縮でございます。ですが、それはあくまでミスタ・コルベールの功績でございます」
「ルイズの姉に聞きましたよ。それらの論文の発想は、全てあなたから出たのだとか」

 アンリエッタは、たった今までの憂い事を忘れたかのように、立ち上がってフェイトの手をとった。

「本当に誇らしいですわ。魔法学の先進国であるガリアではなく、このトリステインからそんな大発見がなされるなんて!」

 バイオレットリキュールが効いてきているのであろう、アンリエッタの面がほんのりと桜色に染まっている。そしてアンリエッタはルイズに向き直ると、こんどはルイズの両手をとった。

「ルイズ・フランソワーズ。あなたって昔からどこか変わっていたけれど、本当にすごいわ。使い魔を見れば、主人の実力が判るとはいうけれど、こんな素晴らしい使い魔を召喚できるなんて、きっとあなたも歴史に名前が残るわ!」

 アンリエッタにぶんぶんと両手を振り回されて、ルイズはひきつった笑いを浮かべるしかなかった。
 まあ、確かにフェイトの功績は素晴らしいものがあるし、見た目だけは精霊の様な美女であるし。それに、魔法の使えない自分が、どうやら「虚無」の系統であるらしい事を示唆してもくれたし。もっとも、おかげで今や学院で最も恐れられる「爆発」魔法使いとなってしまったのであるが。ああ、でも今のわたしの二つ名は「天使」。そう「天使」のルイズなんだから。
 そんなルイズの内心を知ってか知らずか、アンリエッタは今度はルイズを抱きしめて、涙ぐんだ。

「ああ、なのにアルビオンの貴族たちは、トリステインとゲルマニアの同盟を邪魔しようと、わたしの婚姻をさまたげるための材料を、血眼になって探しています」

 ぐすっと鼻をすすりあげたアンリエッタは、今度はルイズに頬すりし始める。

「おお、始祖ブリミルよ……、この不幸な姫をお救い下さい……」
「言って! 姫さま! いったい、姫さまのご婚姻をさまたげる材料ってなんなのですか!?」

 どうやら完全にアルコールが回ってしまったのであろう。アンリエッタは、内心ずっと秘めていた憂いを、どうやら全てルイズに話してしまうつもりらしい。同様に酔いが回ってきたルイズも、ひっしとアンリエッタを抱きしめて興奮した様子でまくしたてる。
 そんな二人の様子を見てフェイトは、バイオレットリキュールではなく、何かフルーツジュースを出せばよかったと、本気で後悔していた。これでどうやら、主従そろって王家の秘密に関わらざるを得なくなること確定である。場合によっては、自分は秘密を知りすぎたとして王室から命を狙われかねない。とりあえず諸々の計画を、根底から変更しなくてはならなくなったのは、確実であった。

「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです」
「手紙?」

 アンリエッタの説明では、どうやらゲルマニア皇室に渡ったら、この婚姻は破談、当然同盟の話も立ち消えという非常に危険な手紙らしい。ルイズは、息せきってアンリエッタの手を握った。

「いったい、その手紙はどこにあるのですか? トリステインに危機をもたらす、その手紙とやらは!」
「それが、手元にはないのです。実は、アルビオンにあるのです」
「アルビオンですって! では! すでに敵の手中に?」
「いえ……、その手紙を持っているのは、アルビオンの反乱勢ではありません。反乱勢と戦っている王家のウェールズ皇太子が……」
「あの、凛々しい王子さまが?」

 アンリエッタは、ルイズの胸に顔をうずめると、涙ぐんで震えだした。

「ええ、今はまだ王軍は反乱軍となんとか対峙しています。ですが、遅かれ早かれウェールズ皇太子は反乱勢に囚われてしまうわ! そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう! そうなったら破滅です! 破滅なのです!」

 ルイズは息をのんだ。そして、フェイトに顔を向けた。
 フェイトは、肩を落として一息溜め息をつくと、アンリエッタに向けて声をかけた。

「直答をお許し頂けますでしょうか? 王女殿下」
「? ええ。構いませんわ」

 突然、話の外にいたフェイトが話しかけてきて、面食らった様子でアンリエッタは顔を上げた。

「その手紙のことは、マザリーニ枢機卿にお話なされたのですか?」
「……いえ、これは私とウェールズ皇太子の間だけの秘密なのです」
「そうですか。……事はもはや国事となっております。宰相たるマザリーニ枢機卿にご相談なさっては?」
「……そうするべきなのでしょうが……」

 アンリエッタは、心底困った様子でうつむいた。どうやら、今回のゲルマニアとの婚姻の話を進めている主導者は、マザリーニ枢機卿のようである。となれば、まさか肝心の王女が、アルビオンの皇太子となにやら訳ありというのは、確かに話しづらいものがあろう。
 それは王女ではなく、少女としてのためらいであることが判らないほど、フェイトも女である事を捨ててはなかった。だが、そこでアンリエッタを甘やかせるほど、無責任にもなれないのもまた事実であった。

「今ならまだ遅くはありません。アルビオンの王党派は、ゲルマニアの援助を受けて、なんとか戦線を持ちこたえています。時間ならば、まだいくらか残っております。マザリーニ枢機卿とご相談なさって、善後策をとられるのがよろしいでしょう」
「……ええ、確かにあなたの言う通りなのでしょう。ミス・フェイト」

 うつむいたまま、肩を震わせているアンリエッタ。
 そんなアンリエッタの姿に、ルイズはすっくと立ち上がると、アンリエッタに向けてきっぱりと言い切った。

「姫さまがウェールズ殿下に送った手紙は、恋文ですね!?」

 びっくりした表情で、アンリエッタはこくこくとうなずく。
 それを見たルイズは、酔いの回った桃色の顔で、びしっとフェイトに向けて問うた。

「わたしとあんたの二人で、その手紙を取り返せる可能性は?」
「……お嬢様、アルビオンは現在内戦中であり、極めて危険です。少なくとも、現地に潜入させた支援チームがあり、訓練された遠距離偵察小隊がその支援を受けて、初めて成功の確率が計算できます。現地の情報もろくになく、女二人、それもろくな訓練を受けたことも無く、人を殺した経験も無いお嬢様を連れてでは、失敗の可能性しかないと言えましょう」
「そこをなんとか成功させる作戦を考えなさい。一騎当千のあんたならばできると、わたしは信仰している!」

 ルイズの決意をたたえた瞳に見つめられ、フェイトは再度肩を落として大きな溜め息をついた。

「お嬢様にも覚悟をして頂くことになります。闇に潜み、泥の中をはいずり、機をうかがい、人を殺す、という覚悟を」
「あんたに鍛えてもらった分では足りないとでも?」
「あそこから、あと三年はしごきたいところではありますが」

 くっ。ルイズは、唇を噛んで悔しそうにうつむいた。自分ではこれだけ鍛えたつもりであっても、フェイトにとってはまだまだ自分は小娘に過ぎないという。
 ギーシュのゴーレムを相手に一歩も引かず、あげくその拳をくぐり抜けてギーシュを殴り倒した実力は、一朝一夕には得られないという事を思い知らされる。
 と、その瞬間であった。

「姫殿下! その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンにも仰せつけ下さいますよう!!」

 ばたんと扉が開けられ、飛び込んできたのは、何故かギーシュ本人であった。


「はあ!?」
「……………」
「はい!?」

 突然の闖入者に、思わずぽかんとしてしまうルイズ。額に手を当て、頭痛が痛い、といわんばかりの表情をするフェイト。そしてアンリエッタは、きょとんとした顔でギーシュを見つめている。

「薔薇のように見目麗しい姫さまのあとをつけきてみればこんな所へ。それでドアの鍵穴からまるで盗賊のように様子をうかがえば、女性二人ではとても不可能な任務とお聞きいたしました。ならば、このギーシュ・ド・グラモン、一命に変えましてもこの任務、成功に導いてご覧に入れましょう!!」

 薔薇の造花を振り回して叫ぶギーシュに、フェイトは黙って机に立てかけてあったデルフリンガーを左手に持った。そのまま親指で鯉口を切り、腰を落とし、右手の肘を少し曲げる。そんなフェイトの様子を見ようともせず、ルイズはギーシュに指を突きつけて叫んだ。

「なに馬鹿言っているのよ! フェイトに一方的にぼこられたくせして、あんたに何ができるっていうの!!」
「何を言っているんだ。ぼくの本気はまだまだあんなもんじゃないぞ! お願いだ、ぼくも仲間に入れてくれ!」

 どうします?
 フェイトは視線だけでアンリエッタに問うた。フェイトの光の無い昏く澱んだ瞳に秘められた殺気と、左手の大剣の様子から、彼女がアンリエッタの許可が出ればギーシュを斬るつもりなのが彼女にも判った。フェイトは、国事に関わる秘密を知ってしまったギーシュを、始末する覚悟があるという事なのだ。
 アンリエッタは、今更ながらに自分が酔いに任せてしゃべってしまった秘密の大きさに戦慄していた。確かに、フェイトがマザリーニ枢機卿に相談しろ、と、言ったのも今となっては理解できる。事はそれだけ重大なのだ。
 だからアンリエッタは、すっくと立ち上がると、覚悟を決めた表情で口を開いた。

「あなたは、あのグラモン元帥の係累ですか?」
「はい、息子でございます。姫殿下」

 ギーシュはひざまずき、うやうやしく一礼する。

「あなたも、わたくしの力になってくれるというの?」
「任務の一員にくわえてくださるなら、これはもう、望外の幸せにございます」
「ありがとう。お父様も立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようね。では、お願いしますわ。この不幸な姫をお助け下さい。ギーシュさん」

 姫殿下がぼくの名前を呼んでくださった、と、感動のあまり涙ぐんでのけぞり、失神するギーシュ。
 そんなギーシュを心底呆れた様子で見ていたルイズは、改めてフェイトに向き直った。
 フェイトは、デルフリンガーを鞘に収めなおすと、机に立てかけたところだった。

「なるほど、それがあんたの言う「覚悟」ってわけね」
「その一端に過ぎませんが」

 必要とあれば、主人の学友といえども斬る。そのフェイトの内に秘めた凄惨な覚悟に、ルイズは改めて思った。何故フェイトが安眠することを是としないのか。彼女は猟犬なのだ。主人の命令とあらば、即座に敵の喉笛に喰らいつく覚悟をもった。

「ならば、わたしはあんたの「覚悟」を信じる。やれるわね?」
「判りました。ならばご命令を」

 うなずいたルイズは、今度はアンリエッタに向き直る。
 アンリエッタも同様に、覚悟を決めた表情でルイズの瞳を正面から見つめた。ルイズはアンリエッタの前にひざまずき、言葉を待つ。

「ルイズ・フランソワーズ。これは王女としての命令です。アルビオンに大使としておもむき、我が王国とゲルマニアの同盟の障害となる手紙を回収してくるように」
「勅命、承りました。誓って、手紙を取り戻して参ります」
「ウェールズ皇太子は、アルビオンのエッジヒル付近に陣を構えていると聞き及びます」
「了解しました。以前、姉たちとアルビオンを旅したことがございますゆえ、地理には明るいかと存じます」

 うなずいたアンリエッタは、机に向かうと、フェイトの万年筆とパルプ紙を使って、さらさらと手紙をしたためた。
 アンリエッタは、じっと自分が書いた手紙を見つめていたが、そのうちに悲しげに首を振った。

「姫さま? どうなさいました?」

 怪訝に思ったルイズが声をかける。

「な、なんでもありません」

 アンリエッタは顔を赤らめると、決心したようにうなずき、末尾に一行付け加えた。密書だというのに、まるで恋文でもしたためたようなアンリエッタの表情だった。ルイズはそれ以上何も言うことができず、じっとそんなアンリエッタを見つめるしかできなかった。
 アンリエッタは書いた手紙を巻いた。杖を振る。すると、どこから現れたものか、巻いた手紙に封蝋がなされ、花押が押された。その手紙をルイズに渡す。

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」

 それからアンリエッタは、右手の薬指から指輪を引き抜くと、ルイズに手渡した。

「母君から頂いた「水のルビー」です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って旅の資金にあててください」

 ルイズは深々と頭を下げた。

「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、あなたがたを守りますように」



[2605] 運命の使い魔と大人達 第七話中篇その一
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/03/16 22:03

 ガリア王国の首都リュティス。この街は、シレ河沿いの中洲に作られた旧市街と、対岸のベルサイテル宮殿のある新市街とに分けられる。かつてはシレ河を主要な防壁とした城砦都市であったこの街も、今ではほとんどその面影すら残ってはいない。
 その旧市街の裏通りを、イザベラは、黒いローブをまとって足早に歩いていた。護衛は北花壇騎士団のシュバリエが二人。
 そして、一軒のいかにも貧民窟の木賃宿とおぼしき建物の前で足を止めた。

「ここに間違いないね?」
「はい」

 護衛のシュバリエが、ローブの下でうなずく。
 イザベラは、自ら先頭に立って建物へと入っていった。


 その男の泊まっている部屋は、アプサン特有の独特な臭みで満ちていた。空になったアプサンのビンが、床やベッドサイドテーブルの上に転がっていて、足の踏み場もない。もっとも、ベッドが占める面積が、部屋全体の面積のほとんどである小さな部屋でしかなかったが。
 男は、アプサンの酔いが回った譫妄状態特有の眼をしたまま、ベッドの上でぐったりと横になっていた。

「フランシス・ウォルシンガムだね」

 ベッドの上の男に、イザベラは開口一番そう言い放った。
 男は、わずかに視線だけイザベラに向けると、わけのわからない事を呟いた。なんでも、お迎えが来ただの、告死天使にしちゃ下品だの。
 イザベラは、杖を振るうと部屋中の水分を集め、ウォルシンガムと呼んだ男の顔面にぶちまけた。ほとんど氷水に等しい冷たい水をかけられて、男はそのままベッドから床に転がり落ちた。そのまま頭をしたたかに打ち付けたのか、目を回して意識を失ってしまう。

「ちっ、仕方が無いね。おい、こいつを運び出しな」

 忌々しげに舌打ちをしたイザベラは、護衛のシュバリエに向かいあごをしゃくって指示を下した。二人は「浮遊」の魔法をかけ、ウォルシンガムを部屋から運びだす。部屋の外で待っていた宿の主人に、イザベラは、一掴みのエキュー金貨を握らせた。

「滞納分はこれで足りるね?」
「はい、十分過ぎるほどでございます、お嬢様」

 ぺこぺこと頭を何度も下げる主人に一瞥も与えず、イザベラは、この臭く汚い宿から三人とともに足早に立ち去った。


 旧市街の一角に、イザベラが架空の商会の名義で保有している建物がある。北花壇騎士団の予算の大半を占めるにいたった蒸留酒の販売で得た売り上げから、帳簿を操作して作った裏金で購入した建物であった。
 その一室の暖炉のある部屋で、ウォルシンガムは下着姿の上から毛布一枚を巻きつけた姿で、火に当たっていた。アプサンによる酔いは、すでに北花壇騎士団員のシュバリエの魔法によって覚まさせられている。そのウォルシンガムの目前で、イザベラは古びてきしみを上げる椅子に座って醒めた冷たい視線を向けていた。ほこりっぽいその部屋には、イザベラとウォルシンガムの二人しかいない。

「酔いは醒めたかい?」
「ええ、お嬢さん」

 まるで死んだ魚のような濁って光の無い眼で、ウォルシンガムはイザベラを見上げている。その瞳にフェイトのそれと同じものを感じたイザベラは、内心の恐怖感と嫌悪感を押し殺して、言葉を続けた。

「フランシス・ウォルシンガム卿。アルビオンのモード大公の懐杖だったそうじゃないか」
「昔の話ですよ。今はただの平民の酔いどれです」
「ただの平民の酔いどれは、そういう言い方はしないもんだ。違うかい?」

 ウォルシンガムは、無表情のまま、黙ってイザベラの瞳を見つめている。
 二人の間の粘つくような沈黙の中、ぱちぱちと暖炉の薪がはぜる音がする。

「で、この酔いどれになんの御用でしょう? イザベラ殿下」

 イザベラが彫像の様に動かないのを見て、ウォルシンガムはまずは一石を投じてみた。

「モード大公が何故、兄のジェームズ王に討伐されたのか、そいつが知りたい」

 イザベラの言葉は、その蒼い視線のごとく冷たく鋭かった。
 だが、ウォルシンガムは、それを平然と受け止めてみせた。

「ジェームズ一世陛下は、ウェールズ皇太子殿下の即位の邪魔となる大公殿下を排除したかったのでしょう」
「モード大公は、討伐された時点では、公式には結婚もしていないし庶子すらいない事になっている。加えて兄とさほど変わらぬ歳の上、ウェールズはアルビオン空軍の本国艦隊の提督として、次の国王として十分な実績と人望を集めていた」

 感情の抑揚を感じさせない調子で、イザベラは、即座にウォルシンガムの言葉を斬って捨てた。

「となりますと、たかだか陪臣に過ぎぬ小生めには、とんと判りかねますな」

 ぬけぬけとそう言ってのけたウォルシンガムの表情は、その口調とは裏腹に全く何も浮かんではいなかった。
 そのまま、また二人の間に沈黙が降りる。
 長い長い沈黙の末、薪が燃え尽き、部屋を闇が閉ざす。明かりといえば、わずかな月明かりだけ。

「合格だ。ここでぺらぺら喋られちゃ、わざわざお前を選んだあたしの眼が節穴だったと、あいつに笑われるところだった」

 本当に、聞こえるか聞こえないかの小さな囁き声で、そうイザベラは呟いた。
 カーテン越しに差し込む月明かりが、イザベラが口を歪めて笑みとおぼしき表情を浮かべているらしい事を、陰影をつけてウォルシンガムに見せていた。

「で?」

 あくまで無表情のまま、ウォルシンガムは、イザベラの次の言葉を促した。

「お前をあたしの「杖」にしてやる。たっぷりと「趣味」に浸らせてやろう。お前が好きで好きでたまらない陰謀にね」
「名にしおうガリアの北花壇騎士団団長殿が、アルビオン人の元貴族をですかな?」
「だからさ。お前は北花壇騎士団に属するわけじゃない。あくまであたし個人の「杖」だ」

 イザベラの瞳に、屈辱の惨めさに憤る冷たい炎が灯る。
 そう、彼女は「師」であるフェイトに言われたのだ。「殿下がお持ちでいらっしゃるものは、全て与えられたものでしかございません」と。つまり、自分が持っていると思っていた全ては、父であるジョゼフ王の所有物のおこぼれであり、その長い手の中で王女としてぬくぬくとしていると言われたに等しい。
 その言葉は、イザベラの頬を張り飛ばすかのような威力を持っていた。
 何故自分が、こうも周囲に当り散らさずにいられないのか。それは、怯えているからだ。何も自分自身の手で得たものを持たず、ただ与えられたものにすがり付いているだけだからだ。

「ほう」

 初めて、ウォルシンガムの面に感情らしきものが浮かぶ。
 それは、愉悦であった。何も知らぬ生娘が、精一杯背伸びして、女らしく振舞っているのを見透かす様な愉悦。

「選ばせてやろう。アプサンに浸るか、「趣味」に浸るか」
「素晴らしいですな」

 また無表情に戻ったウォルシンガムが、抑揚の無い声で呟く。

「殿下を調教しているのが誰だかは存じ上げませぬが、中々良い腕の持ち主とお見受けいたしました」
「そうさ。だからお前は、そいつと争う事になる。どちらがこのあたしを自分好みに調教できるか、ね」

 イザベラは、ウォルシンガムに向かって右手の甲を差し出した。
 ウォルシンガムは、その手を押し頂くと、軽く口付けをする。

「それではイザベラ殿下、この「杖」を存分にお振るい下さいませ」


 朝もやの中、フェイトとルイズとギーシュは、馬に鞍をつけていた。そしてフェイトとギーシュの鞍には、下着や肌着の換えや、その他もろもろの雑貨の入った背嚢がくくりつけられている。ちなみにフェイトの馬の鞍には、それらに加えて大きな革のケースとデルフリンガーもくくりつけられていた。
 ルイズとギーシュの二人はごく普通に貴族が着る乗馬服姿であったが、フェイトは栗毛の馬の色に合わせたかのような、厚手の木綿で仕立てた土茶色のジャケットとパンツを身に着けていた。しかも全てのボタンが外側から見えない比翼仕立てであり、あちこちに大きなポケットがついている。髪の毛は、まとめてつば広の木綿の帽子の中にたくしこんであった。
 そんな風に出発の用意をしていると、ギーシュが困ったように言った。

「お願いがあるんだが……」
「なによ?」

 ルイズは馬の鞍に荷物をくくりつけながら、ぎろっとギーシュをにらみつける。せっかくのアンリエッタ王女からの密命に横入りしてきたギーシュを、まだ許してはいない様子である。

「ぼくの使い魔を連れていきたいんだ」
「別にいいわよ。それで、どこにいるの?」
「ここ」

 ギーシュは地面を指差した。

「いないじゃないの?」

 ルイズが、乗馬鞭を片手にすました顔で言った。
 ギーシュはにやっと笑うと、足で地面を叩いた。すると、モコモコと地面が盛り上がり、茶色の大きな生き物が、顔を出した。
 ギーシュはぱっと膝をつくと、その生き物を抱きしめた。

「ヴェルダンデ! ああ! ぼくの可愛いヴェルダンデ!」

 ルイズは心底呆れた声で言った。

「あんたの使い魔ってジャイアントモールだったの?」

 はたしてそれは、巨大モグラであった。大きさは小さいクマほどもある。

「そうだ。ああ、ヴェルダンデ、きみはいつ見ても可愛いね。困ってしまうね。どばどばミミズはいっぱい食べてきたかい?」

 モグモグモグ、と嬉しそうにに巨大モグラが鼻をひくつかせる。

「そうか! それはよかった!」
「ねえ、ギーシュ。駄目よ。その生き物、地面の中を進んでいくんでしょう?」
「そうだ。ヴェルダンデはなにせ、モグラだからな」
「そんなの連れて行けないわよ。わたしたち、馬で行くのよ」

 さすがにルイズは困ったように言った。

「結構、地面を掘って進むの速いんだぜ? なあ、ヴェルダンデ」

 巨大モグラは、うんうんとうなずく。

「あのね、わたしたちは、これからアルビオンに行くのよ。地面を掘って進む生き物を連れて行けるわけないじゃない」

 ルイズがそう言うと、「ああ、何てことだ!」とギーシュは心底悲しそうに地面に膝をついた。
 そのとき、巨大モグラが鼻をひくつかせた。くんかくんか、とルイズに擦り寄る。

「な、なによこのモグラ」

 巨大モグラはいきなりルイズを押し倒すと、鼻で身体をまさぐり始めた。ルイズは、身体をモグラの鼻でつつきまわされ、地面をのたうちまわる。
 巨大モグラは、ルイズの右手の薬指に光る「水のルビー」を見つけると、そこに鼻を摺り寄せた。

「この! 無礼なモグラね! 姫さまに頂いた指輪に鼻をくっつけないで!」
「なるほど、指輪か。ヴェルダンデは宝石が大好きだからね」

 うんうん、と、納得したようにうなずくギーシュ。
 と、それまで黙々と馬の鞍に荷物をくくりつけていたフェイトが、つかつかと巨大モグラに近づき、そのどてっぱらを靴底で蹴飛ばしてルイズから引き剥がした。

「ぼくのヴェルダンデに何をするんだ!」
「ならば、もう少し淑女に対する礼儀というものを教えておいて下さいませ」

 じろりとフェイトの光の無い深紅の瞳でにらまれて、ギーシュはそのまましゅんとなってしまった。さすがに、フェイトにマウントポジションからフルボッコに殴られて気絶させられた事実は、まだまだ生々しく記憶に残っている様子である。
 と、朝もやの中から、ぱちぱちと手を叩く音が聞こえた。中から現れたのは、羽帽子をかぶった長身の貴族である。

「誰?」
「姫殿下より君達に動向することを命じられてね。君達だけではやはり心もとないらしい。しかし、お忍びの任務であるゆえ、一部隊つけるわけにもいかぬ。そこで僕が指名されたって訳だ」

 ルイズの誰何に、長身の貴族は、帽子を取ると一礼した。

「王女殿下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ」
「ワルドさま……」

 立ち上がったルイズが、震える声で言った。

「久しぶりだな! ルイズ! 僕のルイズ!」

 ワルドは人懐っこい笑みを浮かべると、ルイズに駆け寄り、抱き上げた。ルイズはというと、頬を染めてワルドに抱きかかえられている。

「お久しぶりでございます」
「相変わらず軽いな君は! まるで羽のようだね!」
「……お恥ずかしいですわ」
「彼らを紹介してくれたまえ」

 ワルドはルイズを地面に下ろすと、再び帽子を目深にかぶって言った。

「あ、あの、級友のギーシュ・ド・グラモンと、使い魔のフェイトです」

 ルイズは交互に指差して言った。ギーシュとフェイトは深々と頭を下げた。

「君がルイズの使い魔かい? 噂には聞いていたが、本当だったんだね。僕の婚約者がお世話になっているよ」
「恐縮でございます。こちらこそ、お嬢様にはよくして頂いております」

 あくまでワルドとは目を合わせず、曖昧な微笑みを浮かべて挨拶するフェイト。そんな彼女を鋭い目つきで見つめると、ワルドはにっこりと笑った。

「僕は武人だから、昨日の君の発表はほとんど判らなかったが、大した博識ぶりだね! 大丈夫、僕も腕には覚えがある。きっと任務を成功させてみせるさ!」

 そう言って、あっはっは、と豪傑笑いをした。その拍子にワルドの形の良い口ひげがゆれる。なんというか、ギーシュの様なひょろひょろとした優男ではなく、逞しい体つきの、いかにも大人の男、という感じの快男子であった。

「こちらこそ、道中よろしくお願いいたします」

 もう一度、深々と頭を下げるフェイト。
 ルイズは、そんな二人を見てなんとなく居心地が悪くなった。フェイトがこういう慇懃な態度を示すときは、大抵相手を警戒しているときであることを、短い付き合いながらも知っていたからだ。

「子爵様、ひとつ質問をよろしいでしょうか?」
「うん? なんだい?」

 フェイトは、相変わらず使用人らしい態度でワルドと目を合わせようとはしない。

「今回の任務については、マザリーニ枢機卿猊下は、ご存知なのでしょうか?」
「ああ、そのことか。大丈夫。猊下も致し方なしとして、僕が参加するのを認めて下さったよ」
「ありがとうございます。不躾な質問を失礼いたしました」
「いや、君がそれを気にかけるとはね。さすがは僕のルイズの使い魔だ!」

 どうやらワルドは、フェイトのことを気に入ったらしい。にやりと男くさい笑みを浮かべてうなずいている。フェイトもようやく顔をあげて、にっこりと微笑んでみせた。
 そんな二人を見ていて、ルイズはなんとなく胸の中にもやもやしたものが広がるのを感じた。
 ルイズのそんな心中をおもんぱかってか、ワルドはぴっと一声口笛を吹いて、朝もやの中からグリフォンを呼び出した。鷲の頭と上半身に、獅子の下半身がついた幻獣である。立派な羽も生えている。
 ワルドはひらりとグリフォンにまたがると、ルイズに手招きした。

「おいで、ルイズ」

 ルイズはちょっとためらうようにして、うつむいた。その仕草が、なんとも恋する少女らしく初々しくて可愛らしい。
 ルイズはしばらくモジモジしていたが、ワルドに抱きかかえられ、グリフォンにまたがった。ワルドは手綱を握り、杖を掲げて叫んだ。

「では諸君! 出撃だ!」


 アンリエッタは、出発する一行を学院長室の窓から見つめていた。
 目を閉じて、手を組んで祈る。

「彼女たちに、加護をお与えください。始祖プリミルよ……」

 隣では、オールド・オスマンが鼻毛を抜いている。そしてそれをあえて見ないふりをして、冷たい光をたたえた瞳のままルイズら四人を見送るマザリーニ枢機卿。
 アンリエッタは、振り向くとオールド・オスマンに向き直った。

「見送らないのですか? オールド・オスマン」
「ほほ、姫、見ての通り、この老いぼれは鼻毛を抜いておりますのでな」

 アンリエッタは首を振った。

「トリステインの未来がかかっているのですよ。なぜ、そのような余裕の態度を……」
「すでに杖は振られたのですぞ。我々にできることは、待つことだけ。違いますかな?」
「そうですが……」

 それでも心配そうな様子を隠せないアンリエッタ。そんな彼女に向かって静かな声でマザリーニ枢機卿がつぶやく様に語りかけた。

「ワルド子爵の二つ名は「閃光」。かの者に匹敵する使い手は、「白の国」アルビオンにもそうそうはおりますまい」
「そういえば、彼はルイズの婚約者でしたわね」
「はい。ご存知の上で選ばれたのでしたな」

 淡々と受け答えするマザリーニ枢機卿の声には、その事実についていかなる感想を抱いているのかもうかがえない。

「ま、あの使い魔ならば、道中どんな困難があろうとも、切り抜けられるでしょうな。あいだっ!」

 オールド・オスマンは鼻毛を抜きながら言った。その様子をアンリエッタは呆れ顔で見つめた。

「彼女は学者ではありませんか! 本来ならば、アカデミーに招かれてしかるべき人材ですのに……」

 アンリエッタは首を振った。昨日の使い魔品評会でフェイトは、リュシーをアシスタントに本塔にある大講堂で「光の波長ごとの境界面屈折と虹の発生の原理について」という題名で実験発表を行ったのである。
 三角形のプリズムの一方から光を当てて、その境界面で波長ごとに光の屈折率が変わり、七色に光が分解されるのを見せ、さらに円形のプリズムに光を当てることで、そのプリズムの周囲を七色の光が覆うのを見せた。その上で「水」のスクエアメイジでもあるリュシーに台上で霧を発生させ、そこに光を当てて虹を作って見せたのであった。そしてそれらの原理について図式と数式で全てを説明してのけたのである。ちなみにルイズは、各種の図式と数式のフリップをかかげる、という形でアシスタントを務めている。
 本来は使い魔品評会というのは、主人と使い魔のコミュニケートとコンビネーションを競い合う場である。そうした原則から、優勝は、タバサとその使い魔ウインド・ドラゴンのシルフィードとなった。だが、「光粒子説」が主流であるハルケギニアにおいて「光波長説」を証明してみせたフェイトの発表は、王女自らに特別賞を与えられるという名誉にあずかったのであった。

「かの使い魔には、色々と噂があるようですな」
「えーおほん。彼女は、とにかくよく頭が回りますでな。その知恵をもってすれば、と、いうことですな」

 フェイトにまつわる諸々の活動について、あえて知っていることを言外ににじませるマザリーニ枢機卿に対して、オールド・オスマンは咳払いひとつしてすっとぼけてみせた。
 そんな二人のやりとりにアンリエッタは、緊張の含まれた空気を振り払うように首を振った。

「ならば祈りましょう。知恵と勇気を持つかの者達に、幸運の風が吹くことを」


 魔法学院を出発して以来、ワルドはグリフォンを疾駆させっぱなしであった。フェイトとギーシュは途中の駅で二回馬を交換したが、ワルドのグリフォンは疲れを見せずに走り続ける。乗り手のようにタフな幻獣であった。

「ちょっと、ペースが速くない?」

 抱かれるような格好で、ワルドの前にまたがったルイズがたずねた。雑談を交わすうちに、ルイズのしゃべり方は昔の丁寧な言い方から、今の口調に変わっていた。ワルドがそうしてくれ、と頼んだせいもある。

「ラ・ロシェールの港町まで、止まらずに行きたいんだが……」

 ワルドは後ろを向いた。ギーシュは、半ば倒れるような格好で馬にしがみついている。フェイトといえば、馬を疾走させることよりも、周囲を警戒することに注意をはらって馬を走らせている。

「無理よ。普通は馬で二日かかる距離なのよ」
「へばったら、置いていけばいい」
「そういうわけにはいかないわ」
「どうして?」

 ルイズは、やれやれといった様子で首を振った。

「だってわたしたちは旅の仲間でしょう? それに、使い魔を置いていくなんてメイジのすることじゃないわ」
「やけにあの二人の肩をもつね。彼は君の恋人かい?」

 笑いながら冗談めかしてそんなことを言うワルドに、今度こそルイズは大きく溜め息をついた。

「ねえワルド。お願いだから変なところで意地を張ったりしないで。ギーシュには恋人がちゃんといるの。それにフェイトは、未熟なわたしを支えてくれる大切な使い魔なのよ」
「そうか、悪かったよ。確かに僕らは殿下に任務を授かった仲間だしね。それに……、婚約者に恋人がいるなんて聞いたら、ショックで死んでしまうところだったよ」

 そう言いながらも、ワルドの顔は笑っている。

「もう、そんな冗談を言うんだから」

 顔を赤らめて、ぷい、と横を向くルイズ。

「おや? ルイズ! 僕の小さなルイズ! 君は僕のことが嫌いになったのかい?」

 昔と同じ、おどけた口調でワルドが言った。

「もう小さくないもの。失礼ね」
「僕にとっては、いまだに小さな女の子だよ」

 ルイズは、先日見た夢を思い出した。生まれ故郷のラ・ヴァリエールの中庭。忘れられた池に浮かぶ、小さな小船。
 そして、親同士が決めた結婚。婚約者。
 あの頃は、その意味がよくわからなかった。ただ、憧れの人とずっといっしょにいられることだと教えてもらって、なんとなく嬉しかった。今ならその意味がよくわかる。彼と結婚するのだ。
 と同時に、夢で見たフェイトの事が思い出される。あんな小さな頃から、ひたすら戦うことを強いられてきた彼女。そのことにルイズは、胸が切なさを覚えた。

「僕はずっときみのことを忘れずにいたんだよ」

 そんな切なげな想いが表情に出たルイズを見て、遠い目をしてワルドは思い出を語る。ランスの戦いで父親が戦死したこと。そして領地と爵位を相続して軍に入隊し、一生懸命努力し、とうとう魔法衛士隊の隊長にまで上りつめたこと。

「そして、立派な貴族になって、君を迎えにいくって決めていたんだ」
「冗談でしょ。なにもわたしみたいなちっぽけな婚約者なんか相手にしなくても……」

 ルイズは、激しく動揺していた。こんな立派で格好良い彼が、ずっと自分のことを思っていてくれていたなんてとても信じられなかった。
 何しろ、魔法衛士隊といえば、トリステインの若い貴族、男女問わずに憧れの対象である。男子は魔法衛士隊に入隊することを望み、女子はその隊員と結婚することを望む花形なのだ。自分みたいな、つい先日までゼロと呼ばれていた、そして今も爆発魔法以外は使う事のできない半人前のメイジに想いを寄せていてくれているなんて、とても信じられない。
 それにルイズにとってワルドは、あくまで遠い思い出の中の憧れの人であって、現実に自分のことを想ってくれている婚約者だということが、どうしても実感できなかったのだ。

「旅はいい機会だ」

 ワルドは、落ち着いた声で言った。

「いっしょに旅を続ければ、またあの懐かしい気持ちになるさ」


「もう半日以上、走りっぱなしだ。どうなってるんだ。魔法衛士隊の連中は化け物か」

 ぐったりと馬に身体をあずけたギーシュがぼやいた。

「荷物を背負って徒歩で行軍するよりは楽ですよ。ミスタ・グラモン」
「あー、その、なんだ。よければ名前の方で呼んで欲しい」
「よろしいのですか?」

 相変わらず周囲への警戒を怠らない様子で、フェイトが答える。

「君は正式な決闘で僕を倒したんだ。その実力は認めるべきじゃないか」
「ありがとうございます。ミスタ・ギーシュ」
「できれば……、ミスタものぞいて欲しい」
「では、ギーシュ様」

 うう。あくまで融通を利かさないフェイトの態度に、ギーシュはさらに疲れたようにぐんにゃりと馬の首に身体をあずける。そんな彼の様子を、フェイトはわずかに微笑みながら見ていた。

「恋人のいらっしゃる方を気安く名前でお呼びするのも、馴れ馴れしすぎましょう」

 そう一声かけると、フェイトは馬の尻に蹴りを入れてワルド達のグリフォンに向けて駆け去った。


「前路斥候かい?」
「はい。お願いできますでしょうか」

 港町ラ・ロシェールは、トリスタニアから早馬で二日、アルビオンへの玄関口である。港町でありながら、狭い峡谷の間の山道に設けられた、小さな街である。だが、アルビオンと行き来する人々で非常に多くの人々が闊歩し、活気に溢れた街であった。
 そのラ・ロシェールの入り口で、フェイトは、ワルドに向かって峡谷を上方から偵察してもらえないかと頼んでいた。すでに陽も落ちかけていて、あたりを夕闇がつつもうとしている。

「王党派に雇われていた傭兵が、大挙してトリステインに渡ってきていると聞きます。敗軍の兵ですから山賊化している可能性が高い上、峡谷は絶好の待ち伏せ場所でしょう。一応、安全を確認していただきたいのですが」
「日中、ずっと警戒を怠らなかったのは、それが理由かい?」
「はい。子爵様」

 確かに一理あるね。ワルドは感心したようにうなずいた。その鷹のように鋭い目がフェイトをじっと値踏みするように見つめている。しばらくそうして見つめたあと、ワルドは破顔一笑した。

「どうやら、婚約者と久しぶりに出会えて浮かれすぎていたようだ。確かに君の言う通りだね。ではひとっ飛びしてくる。ルイズ、君はここで待っていてくれ」

 ルイズを降ろすと、ワルドはグリフォンを飛び立たせた。

「相変わらず隙がないわね、フェイト」

 ルイズが、にやりと笑ってフェイトをほめる。どうやら、自分の使い魔が役に立つところをワルドに見せることができて嬉しいらしい。
 
「何もなければ、それに越したことはありませんが」
「姫さまの密命ですもの。慎重過ぎるということはないわ」

 それこそ親指を立ててグッジョブとかやりかねないくらい、ルイズは上機嫌であった。そんな主人の様子に、フェイトも穏やかに微笑んでいる。

「しかし、君らは本当にタフだな」
 
 そんな主従を見つつ、ぐったりとした様子のギーシュが呟いた。さすがに丸一日走りづめで、体力の限界にきている様子である。

「あんたの鍛え方が足りないのよ。へたばっているのはあんただけじゃない」

 ルイズにじと目で見られて、一層しょんぼりしてしまうギーシュ。そんなやりとりをしていると、ワルドが戻ってきた。

「フェイトの言う通りだった。峡谷の少し入ったところの崖の上に、山賊の集団が待ち構えている」
「! もしかしたら、アルビオンの貴族の仕業かも……」

 ルイズがはっとした声で言う。だがワルドはそれに首を左右に振って否定した。

「連中は、松明と弓矢を用意していた。貴族ならばどちらも使わないだろう」
「では、どう対処なされます? 子爵様」

 フェイトが、軽く首をかしげて質問をする。

「そうだな、すまないがフェイトとギーシュには囮になってもらえるか? 僕とルイズが、上空から魔法で攻撃をしかける。ギーシュ、君の系統は?」
「「土」です。ワルド子爵」
「なおさら結構だ。僕らが奴らの後方上空に達したら、ルイズがハンカチを振る。それを合図に峡谷に進入してくれたまえ。「土」の系統なら「土壁」で矢は防げる。いいね?」
「はい、判りました」

 これまでの疲労はどこにいったやら、ギーシュは、背筋を伸ばしてワルドの指示にうなずいた。フェイトも同じようにうなずく。

「では、ルイズ、行こうか」
「はい!」

 やる気満々でルイズはグリフォンの背にまたがった。それと同時にワルドはグリフォンを飛び立たせる。フェイトは鞍の背からデルフリンガーを抜き、ギーシュは造花の薔薇を構えた。

「相棒、寂しかったぜ。鞘に入れっぱなしはひでえや」
「では、少しはその悪口毒舌を控えてください」

 フェイトは余裕なのか、デルフリンガーと軽口を叩き合っている。緊張から肩に力の入っていたギーシュは、そんな彼女と大剣のやりとりに可笑しくなって笑い出しそうになった。なんとういか、そのまま緊張がほどけ、肩の力が抜ける。
 しばらくすると、向こうの岩山の陰から、二人乗りのグリフォンの影が現れる。そして、小さい方の影が、白いハンカチを振っているのが見えた。

「では行きましょう。ミスタ・グラモン」
「ああ」

 二人が馬を進めようとしたその瞬間であった。上空からばっさばっさと何かが羽ばたく音が聞こえ、同時に崖の上から悲鳴が聞こえてくる。どうやら、いきなりの奇襲に壊乱している様子である。
 フェイトとギーシュが上空を見ると、グリフォンはまだ攻撃を仕掛けてはいない。
 と、崖の上から男達が吹き飛ばされ転がり落ちてゆき、したたかに地面に身体を打ち付けてひっくりかえってゆく。
 月をバックに、見慣れた幻獣が姿を見せた。ギーシュが驚きの声をあげる。

「シルフィード!」 

 確かにそれはタバサのウインド・ドラゴンであった。地面に降りてくると、キュルケがシルフィードから飛び降りて、髪をかきあげた。

「お待たせ」


 捕縛した山賊達をそのまま捨て置いて、ルイズ達一行はラ・ロシェールの街へと入った。尋問したところただの物取りだと判明したためで、ならばアルビオンに渡るのを優先すべきだ、と、ワルドが主張したためでもある。

「まったくもう! あんたたち、何しに来たのよ!」
「助けにきてあげたんじゃないの。朝方、窓から見てたら、あなたたちが馬に乗って出かけようとしているもんだから、急いでタバサを叩き起こして追いかけてきたのよ」

 確かに寝込みを叩き起こされたらしく、タバサはパジャマ姿であった。それでもタバサは気にした風もなく、本のページをめくっている。
 頭痛が痛い、という表情で、ルイズは首を左右に振った。

「あのね、キュルケ。これはお忍びなの」
「お忍び? だったらそう言いなさいよ。言ってくれなきゃ判らないじゃない。とにかく感謝しなさいよね。危機一髪のところを助けてあげたんだから」
「てゆーか、獲物をもろ横取りされたって感じなんだけど!」
「やーねえ。細かいことをいちいち気にしていたら、成長が止まるわよ? 特に胸とか」
「胸は関係なーいっ!」

 ラ・ロシェールで一番上等な宿「女神の杵」亭に泊まることにした一行は、一階の酒場でくつろいでいた。というより、ぐでっていた。無理も無い。一日中馬に乗って走りづめだったのだ。さすがにくたくたになっている。
 それでも舌戦を交わさずにいられないのがルイズとキュルケであって、ぴかぴかに磨き上げられたテーブルの上に二人ともくたーっと突っ伏しながらも、舌の止まることがない。
 そこに「桟橋」へ乗船の交渉に行っていたワルドが帰ってきた。
 ワルドは席につくと、困ったように言った。

「アルビオンに渡る船は、明後日にならないと出ないそうだ」

 うんしょっ、と、身体を起こしたキュルケがワルドに問いかける。

「あたしはアルビオンに行ったことないからわかんないけど、どうして明日は船が出ないの?」
「明日の夜は月が重なるだろう? 「スヴェル」の月夜だ。その翌日の朝、アルビオンが最もラ・ロシェールに近づく」

 そしてワルドは、鍵束を机の上に置いた。

「さて、じゃあ今日はもう寝よう。部屋をとった。キュルケとタバサは相部屋だ。僕とギーシュが相部屋。で、ルイズとフェイト」

 全員が納得したようにうなずく。

「ただ、僕はルイズと大事な話がある、すまないが、しばらく席を外していてくれないか、フェイト」
「了解しました。私はこちらにおりますので、お話が終わりましたらお呼び下さい」

 相変わらず感情をうかがわせない光の無い眼で、フェイトはワルドにうなずいてみせた。


 フェイトとルイズの部屋は、さすがに貴族向けの宿だけあってかなり立派なつくりであった。
 テーブルに座ると、ワルドはワインの栓を抜いて杯についだ。

「君も腰掛けて一杯やらないか? ルイズ」

 ルイズは言われるままに、テーブルについた。ワルドがルイズの杯にワインを満たしていく。

「二人に」

 ルイズは、ちょっとうつむいて、杯をあわせた。

「姫殿下から預かった手紙は、きちんと持っているかい?」
「……ええ」

 ルイズは、可愛らしい眉をへの字に曲げた。アンリエッタが最後の一文をしたためた時の表情が、どうしても気になっていたのだ。あんな表情をする理由を、ルイズはよく判っていた。

「大丈夫だよ。きっとうまくいく。なにせ、僕がついているんだから」
「そうね、あなたがいればきっと大丈夫よね。あなたは昔からとても頼もしかったもの。で、大事な話って?」

 ワルドは遠くを見る目になって言った。

「覚えているかい? あの日の約束……。ほら、君のお屋敷の中庭で……」
「あの池に浮かんだ小船?」

 ワルドはうなずいた。

「君はいつもご両親に怒られたあと、あそこでいじけていたな。まるで捨てられた子猫みたいにうずくまって……」
「いやね。へんなことばっかり覚えていて」
「そりゃ覚えているさ」

 ワルドは楽しそうに言った。

「君はいつもお姉さんと魔法の才能を比べられて、出来が悪いなんて言われていた」

 ルイズは恥ずかしそうにうつむいた。

「でも僕は、それはずっと間違いだと思っていた。確かに君は不器用で、失敗ばかりしていたけれど……」
「意地悪ね。それで?」
「……君は失敗ばかりしていたけれど、誰にも無いオーラを放っていた。魅力といってもいい。それは、君が、他人にはない特別な力を持っているからさ。僕だって並のメイジじゃない。だからそれが判る」
「まさか」
「まさかじゃない」

 ルイズはふっと思った。この頼もしいワルドにならば、自分の秘密の可能性を話してしまってもいいのではないだろうか?

「あのね、ワルド。笑わないで聞いてね」
「ああ、約束する」
「わたし、……もしかしたら、系統が「虚無」かもしれない」
「! 本当かい!?」

 ワルドの眼が驚愕に見開かれ、そして歓喜に輝く。

「素晴らしい! 僕の予感は間違っていなかった! きっと君は、歴史に名を残す偉大なメイジになると信じていた!!」
「待って。そうかもしれない、というだけで、まだ判らないの」
「いや、ルイズ、君の言うことはきっと正しい」

 確信に満ちた表情で、ワルドは熱っぽく語る。

「そもそも、人間を使い魔として召喚した時点で、君が偉大な力を持つメイジだという証拠なんだ。歴史上、人間を使い魔として持ったメイジは確認されている限り、始祖プリミルしかいない。使い魔は、そのメイジの系統と可能性を現す重要な手がかりなんだ。学院で教えられただろう?」

 ルイズは、ワルドの迫力に押されるようにうなずいた。確かに、コルベールはそうルイズに教え、フェイトとの契約を遂行させた。

「人間というのは、それだけで一つの完結した存在なんだ。それが自然に依存して生きている並の動物や幻獣とは違う点だ。それを召喚できた、という事は、一つの世界の可能性を君が手にしている、という事なんだよ。ルイズ、彼女のルーンはどこに浮かんだんだい?」
「……額」
「とすると、「ミョズニトニルン」か。なるほど、ならば納得もいく」

 ワルドは、鷹のように厳しい眼になると、何度も納得したようにうなずいた。そして、表情を改め、両手でルイズの手を握った。

「この任務が終わったら、僕と結婚しようルイズ」
「え……」

 突然のプロポーズに、ルイズは唖然とした。

「僕は魔法衛士隊の隊長で終わるつもりはない。いずれは、国を……、このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている」
「……………」
「確かに、ずっとほったらかしだったことは謝るよ。婚約者だなんて、言えた義理じゃないことも判っている。でもルイズ、僕には君が必要なんだ」
「……………」

 ルイスは考えた。確かにワルドの言う事は理路整然としていて納得ができる。だが、それでいいのだろうか? ワルドが求めているのは、あくまで自分の「虚無」の系統のメイジとしての力であって、自分自身ではないのではないか。
 女としての勘で、自分とワルドの間に気持ちのすれ違いがある事がわかる。

「ごめんなさい、ワルド。わたし、自分の気持ちがよくわからない」
「ルイズ……」
「お願い。せめてわたしが本当に「虚無」の使い手だって判るまで、結婚のお話は待ってくれる?」

 うつむいたまま、左右に首を振るルイズに、ワルドは苦笑いを浮かべた。

「すまない、自分の予感が正しかった事にばかり気がいって、君の気持ちを考えていなかった」
「ごめんなさい。でも、なんか、その……」
「いいさ。急がないよ、僕は」


 一階の酒場で、フェイトはフルーツジュースをちびちびと舐めていた。確かに彼女はアルコール依存症の気があったが、任務の最中には一切のアルコールを断てるよう自身を訓練してもいたのだ。さらに最近、寝酒を可能な限り控えるように努力してきた甲斐もあって、アルコールを断っても禁断症状が出るという事もなくなっている。
 そんなフェイトに後ろから近づく人影があった。

「お話は済まされましたでしょうか? 子爵様」
「ああ」

 ワルドは軽く舌を巻いた。「風」の系統のスクエアメイジであり、トリステインでも有数の使い手の自分が、気配を消して背後から近づくのをあっさり看破してのけるあたり、フェイトはただものではない。彼女が始祖の四人の使い魔のうち、知恵を担当する「ミョズニトニルン」ではなく、盾を担当する「ガンダルーヴ」でもおかしくはない鋭さであった。

「ルイズに結婚を申し込んだよ」
「なるほど。ですが、まだお祝いを申し上げるには早いご様子ですね」
「さすがは「ミョズニトニルン」。聡いな」
「可愛げが無い、と仰ってくださっても構いませんが」

 そこで二人して笑いあう。ワルドは、フェイトの正面に座った。

「正直なところを聞かせて欲しい。君はルイズをどう思っている?」
「期待しております」
「どういう意味で?」
「多分、子爵様のお考えになっているのとは、別の意味で」

 すっとワルドの眼が、厳しく細まる。
 だがフェイトは、相変わらずの光の無い死んだ魚のような眼で、わずかに口の端を歪めて微笑みらしきものを作ってみせただけであった。

「というわけで、お嬢様の使い魔として子爵様にひとつお願いが」
「何かね?」
「急がないで頂けないでしょうか? お嬢様は、まだまだ「未熟」でいらっしゃいます」
「判っているよ。だから、結婚の話は一端棚上げにした」

 ワルドは、じっとフェイトの光の無い瞳を見つめた。深紅のそれは、底の見えない深淵をたたえているだけである。

「ルイズは僕のものだ」
「存じ上げております。もっとも、全てはお嬢様ご本人が決められる事ですが」

 フェイトとワルドの間に、殺気に近い空気が満ちる。だが次の瞬間、ワルドは破顔一笑してその空気を吹き飛ばした。

「どうやら酔いが回ったようだ。今日はこれで引き上げるとするよ」
「それでは私も」

 フェイトとワルドは同時に席を立った。そしてそのまま互いの部屋へと去る。
 そんな二人を離れた席で見ていたキュルケは、傍らで本を読んでいるタバサに呟いた。

「ねえ、ルイズってば、いつの間にあんなにモテるようになったのかしら」
「知らない」


 次の日、六人はゆっくりと休息をとり、十分に英気を養った。明日の朝にはアルビオンに向けて出発である。そういう事もあって、その日の夜は、宿の一階でたっぷりと食べ、飲んで腹を満たしていた。
 そこに油断があったのであろう。外から武装した傭兵の一団がなだれ込んできた時、とっさに動いたのはフェイトとワルドの二人だった。二人はぴったりと呼吸を合わせて食事をしていた机を蹴り立て、盾の代わりとする。一瞬後に反応した四人が、すぐに机の影に隠れ、店の中に飛び込んできた傭兵らに向けて攻撃魔法を放つ。
 だが、相手の傭兵も手だれであった。ワルド達の魔法の射程を見切ると、さっさと店の外に後退し、夜闇の中から弓矢で攻撃をしかけてくる。どうやら、ちびちびと魔法を使わせ、魔力が尽きたところで一斉に飛び込むつもりらしい。

「まったく! これじゃ手詰まりじゃない!」

 さすがに店そのものを爆破するわけにはゆかず、最小の爆発魔法で応戦していたルイズが歯ぎしりする。相手も歴戦の傭兵らしく、魔法を使おうと頭を上げると、即座に矢を雨のように射てくる。

「参ったね」

 ワルドの言葉にキュルケがうなずく。

「やっぱり、この前の連中は、ただの物取りじゃなかったわけね」
「いいか、諸君」

 ワルドは低い声で言った。ルイズ達は、黙ってワルドの言葉にうなずいた。

「この様な任務は、半数が目的地にたどり着けば、成功とされる」

 こんな時でも優雅に本をひろげていたタバサが本を閉じて、ワルドの方を向いた。自分と、キュルケと、ギーシュを杖で指して「囮」と呟く。
 それからタバサは、ワルドと、ルイズと、フェイトを指して「桟橋へ」と呟いた。

「時間は?」ワルドがタバサにたずねる。
「今すぐ」タバサは呟いた。
「聞いての通りだ。裏口に回るぞ」
「え? え? ええ!」

 ルイズが驚いた声をあげた。

「今から彼女達が敵をひきつける。せいぜい派手に暴れて、目だってもらう。その隙に僕らは裏口から出て桟橋へ向かう。以上だ」
「で、でも」

 ルイズはキュルケ達を見た。キュルケは、赤髪をかきあげ、つまらなさそうに唇を尖らせて言った。

「ま、仕方が無いでしょ。あたし達、あなた達がなにしにアルビオンに行くのかすら知らないもんね」
「行って」

 タバサもルイズに向かってうなずく。

「お嬢様、急ぎましょう」

 フェイトが、ルイズをうながす。

「大丈夫さ! ぼくの本気ってやつを、奴らに見せ付けてやる!」

 ギーシュが、勇ましく胸を張る。

「いいから早く行きなさいな。帰ってきたら……、そうね、貸しをどうやって取り立てるか、考えておくわ」
「……判ったわ。借りはきちんと返すんだから。だから、ちゃんと三人とも無事に待っていなさいよ!」

 ルイズは、そう言ってキュルケ達にぺこりと頭を下げた。
 ルイズ達は低い姿勢で裏口へ向かって走り出した。矢がひゅんひゅんと飛んできたが、タバサが杖を振り、風の防御壁をはってくれた。


 ルイズ達は、ワルドを先頭に、ルイズ、フェイトの順に桟橋へと向けて走った。
 ラ・ロシェールの岩山に延々と階段が続き、三人はそこを駆け上っていく。そして、階段の終点には、巨大な樹が生えていた。そこの枝に、たくさんの「船」が舳先をつけて停泊している。樹の根元には、巨大なビルのホールの様な空洞がうがたれている。どうやら枯れた大樹の中をうがって造ったものらしい。
 夜なので、人影は無かった。各枝に通じる階段には、鉄でできたプレートが貼ってある。ワルドは、目当ての階段を見つけると、一心に駆け上り始めた。
 階段は木でできていて、一歩ごとにしなる。手すりがついているものの、随分と古びていてこころもとない。
 と、しんがりを走っていたフェイトが、足を止める。

「どうしたの!?」
「追っ手です。先へ」

 フェイトはルイズにそう答えると、背負っていた荷物をその場に下ろし、さっと身を翻した。階段の下から、白い仮面をつけた男が、三人を追ってくる。
 白仮面の男は、フェイトを飛び越しルイズに迫ろうとする。宙を舞う男へ向けて、フェイトは、袖口から三本の短剣を引き抜き牽制の意味も込めて投擲した。男はそれを避けると、フェイトの前に降り立った。
 ほんの半呼吸だけ対峙した二人は、同時に動いた。フェイトは再度短剣を投擲し、白仮面の男は杖を振るう。
 フェイトから伸びた銀色の一閃は、白仮面の放った白光する雷に飲み込まれ、弾き飛ばされる。雷光はそのままフェイトへと伸び、短剣を投擲するために伸ばされた右腕に吸い込まれた。
 と、白仮面の男はぐらりと姿勢を崩すと、そのまま手すりをへし折り、下へと落ちていった。男の喉もとには、月光すら反射しない漆黒の短剣が突き刺さっていた。

「フェイト!」

 ルイズは、慌ててフェイトへと駆け寄った。今の雷光の一撃は、十分人一人の命を奪うだけの威力を持っている。

「大丈夫です」

 フェイトの右腕は、あれだけの雷撃を喰らったにもかかわらず、傷ひとつついていない。

「え? うそ? 今のは」
「早く船へ」

 下ろした荷物を再度背負うと、フェイトはルイズの腕を掴んで階段を駆け上りだした。そんな二人を、ワルドはじっと厳しい眼で見つめていた。



[2605] 運命の使い魔と大人達 第七話中篇その二
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/03/19 23:20
 アルビオンは、ハルケギニア大陸西方の外洋に浮遊する空中大陸である。何故に大陸が浮遊しているのか、ハルケギニアの学者達の間では諸説紛々ではあるが、一応大まかなところで「風」の精霊の力が影響しているのであろう、という事で落ち着いている。
 ルイズとフェイトは、その下半分が真白い霧で覆われている大陸を、空中を帆に風をはらんで飛ぶ「船」の甲板から見上げていた。

「前に一度、姉さま達と一緒に旅行に来たことがあるの」
「そういえば、姫殿下にそう仰っていらっしゃいましたね」
「最初に見た時は驚いたわ。やっぱり聞くと見るとでは全然違うって。今見ていてもすごいと思うもの」
「そうですね。私も驚いております」

 風にその暖かみのある金髪をたなびかせながら、フェイトが穏やかな表情で上空を見上げている。ルイズは、これから敵地を通り抜け、エッジヒル付近に陣を構えるという王党派軍まで行かねばならない、という前途思い表情を厳しくした。

「それで、本当に右腕は大丈夫なの?」
「はい。本当に運が良かった様です」

 風に桃色がかった金髪が顔にかかるのを抑えながら、ルイズは、フェイトの瞳を見つめた。あいも変わらず光の無い深い深淵をたたえている瞳。
 どうして彼女は本当の事を自分に話してくれないのだろう?
 そうルイズは、最近よく考える。確かに自分も彼女の事を信頼していない。でもそれは、フェイトがいつも自分に黙って勝手にいろいろやっているからであって。彼女は自分をある一線から向こう側へは、絶対に踏み込ませようとはしない。

「さすがは「白の国」と呼ばれるだけの事はあるね」
「なるほど、あの白い霧のせいですか」

 ワルドが、グリフォンを連れてルイズとフェイトに近寄ってくる。

「ああ。アルビオンは、年間のほとんどが霧に包まれていると言われる国でね。だが、その霧が河となって空に降り注いでまた霧となり、ハルケギニアに恵みの雨をもたらしてくれているのさ。おかげで、さほど広いとはいえず川の数も少ないトリステインでも、作物が豊富に実ってくれる」

 ワルドは、そこまで語ったところでにやりと笑った。

「それでは諸君、これからが本番だ」


 アルビオンの港街であるスカボローは、もっぱらトリステインやガリアから渡ってくる「船」を相手にした商業で繁盛している街である。今の時点では反乱軍が支配下におき、戦争需要を見込んだ商人や傭兵やらでごった返していた。
 ルイズ達三人は、スカボローの貴族向けの宿「黄金の杯」亭に宿をとった。貴族向けだけあって、そこそこ悪くないつくりと装飾の宿である。ルイズを宿に残すと、ワルドとフェイトは街へと情報を集めに出かけていった。二人が戻ってきたのは、もうたっぷりと日が暮れてからであった。
 その日の夜、宿の二階の一番奥の部屋で、三人は机の上に広げられた地図を前にこれからについて話し合っていた。

「反乱軍は、エッジヒルの南方三〇リーグにあるケアンズに集結しつつある。先日のレキシントンの戦いで反乱軍四万と王軍二万五千がぶつかり、両軍とも一万五千づつの損害を出して王軍がエッジヒルまで後退することとなった」

 ワルドは、まるで見てきたかのように地図の上を指差しながら説明する。

「街で見た通り、どうやら勝ちの見えてきた反乱軍に参加しようという傭兵が、ぞくぞくと集まりつつある。あと一週間もしないうちに反乱軍は倍に膨れ上がるだろうね」
「それでも一週間は時間があるわけですね。このスカボローから東部のアサートンを経由する形で迂回しても、馬で三日もあれば到着できるでしょう。今、アサートンを抑えているのはどちら側かわかりましたか?」
「それが、どうやら反乱軍らしい。奴らはエッジヒルを三方から包囲し、今度こそ王軍を完全に撃破するつもりのようだ」

 ワルドは地図の三箇所の街を指差した。確かにそこからエッジヒルまでまっすぐに街道が延びている。

「そうしますと、アサートンまでは馬で行き、そこからこの森と湿地帯を抜けてエッジヒルまで歩くというのでいかがでしょう?」
「反乱軍も、トリステインの貴族を相手に無茶はしないとは思うが。確かにそちらの方が安全といえば安全だろうけれどもね」

 ワルドは、ちらとルイズの方を見やった。確かに女連れで森と湿地帯を抜けるのは、色々と無理がありすぎる。
 だがルイズは、胸を張ってきっぱりと言い切った。

「大丈夫よ、ワルド。こう見えてもこの三ヶ月、フェイトに徹底的にしごいてもらったんだから!」

 何をやらかしたんだ?
 ワルドは、その鷹の様な鋭い視線をフェイトに向けた。

「いえ、一日に障害物ルート込みで五リーグの走りこみと、まあ、各種の体力の練成ですが」
「……君は僕のルイズをどうするつもりなんだ?」
「お嬢様のたってのご要望でしたので」

 多少の不機嫌さを交えたワルドの視線に、フェイトはいけしゃあしゃあとそう答えた。
 そんな二人の間に割って入るように、ルイズは、毎晩風呂に入る直前に最低でも一時間に渡って続けてきた訓練のことを、嬉々としてワルドに語った。
 普通に草地を走るのは当然として、木板でできた垂直の壁をロープ一本で駆け上ったり、はしごが渡してある空中を両腕でぶら下がって渡ったり、ロープが一本通っているだけの空中を片足だけ下に伸ばしてバランスをとって渡ったり、砂地に打ち込まれた多くの杭の間に張り渡された針金の下を匍匐前進したり、軟泥の傾斜面を駆け上ったり、腰まである池を駆け抜けたり。

「ええ、懸垂なんて酷いのよ。「姫殿下に一回! 魔法学院に一回!」って。ちゃんと顎が鉄棒の上に出ないと許してもらえないんだから」

 いかに自分が虐待に等しいしごきを受けてきたか、何故かそれはもう嬉しそうに語るルイズ。
 ワルドといえば途中から、頭痛が痛い、といわんばかりの表情で右手で額を押さえている。

「判った、判ったよルイズ。だからもうこの話は終わりにしよう」
「えー、まだ「無限腕立て伏せ」の話が残っているのに」
「……その話は、エッジヒルについてからゆっくりを聞かせてもらうよ」

 折角いい調子で話が弾んでいたところをワルドに手を振って止められて、ルイズはむうと不満そうに黙った。
 実は同じ訓練をキュルケも一緒に行っているのだが、胸が揺れて邪魔になるのか、最近はタイムでどうしてもルイズにかなわなかったりする。相変わらずタバサは近くで本を読んでいるだけで、一緒に参加しようとはしなかったし、フェイトは二人が一周する間に平然と三周してみせて、格の違いを見せ付けてくれたりしていたが。

「判った。君達の体力に問題がないなら、僕に異存はない。より安全なルートでエッジヒルに向かうとしよう」

 ワルドは、心底疲れた表情でそう結論を述べた。

「了解いたしました。それでは子爵様、少しお時間をよろしいでしょうか?」
「何かね?」
「いえ、森と湿地帯を抜けるための服を用意してきたのですが、ミスタ・グラモンの身体のサイズに合わせたので、子爵様には多少小さいかと。丈を直しますので、一度お召しいただけますでしょうか?」


 スカボローを出てアサートンの森に到着するまで、三人は特に問題もなくグリフォンと馬で旅路をこなす事ができた。途中でフェイトが何度も山賊化した傭兵を事前に発見し、ワルドが魔法でそれを蹴散らかしはしたが。

「しかし、その望遠鏡は大したものだね」
「研究所の試作品ですが」

 森や傾斜地があると、まずフェイトが先行して肉眼と望遠鏡で周囲を確認し、安全を確認してからグリフォンにまたがっているワルドとルイズに知らせる。その繰り返しで実質的に二日でアサートンの森まで到着できたのである。
 ルイズはといえば、自分の魔法を実際にワルドに見せる機会がなくて、少々残念そうではあった。

「しかし、一メモリが一〇〇〇メート先で一メートか。相手の大きさが判っているならば距離が出せるし、距離が判っているなら大きさが判別できる。それに、この曲線に目標を合わせる事で、大体の距離が判る。本当に大した発明品だよ」

 できる事なら僕も一本欲しいくらいだ。
 実際に望遠鏡をのぞいて、ワルドは何度も感心した様子でうなずいている。
 フェイトが前路斥候に使用している望遠鏡は、ミルメモリと一緒に、目標の長さを一五〇サントとした場合に、直線と曲線の間に挟む事で大まかな距離を測ることができるメモリも入った物であった。しかも望遠鏡内の二番目の反射鏡にメモリが刻まれているため、焦点を変えても画像の外周部分のメモリがぼやけたり歪んだりもしない。

「あとは、レンズの反射率を下げるコーティングですね。日光の反射でこちらの居場所が敵に知られては元も子もありませんから」
「君はそこまで要求するのか! すごいな。これがあれば、砲兵隊の威力は倍増しそうだ」

 ワルドは何度も感心したようにうなずくと、フェイトの肩を叩いた。

「トリステインに戻ったら、是非これと同じものを僕にも一本作ってくれないか? 魔法を攻撃に使う身としては、これはとても役に立つよ」
「承りました」

 そんな二人を見ていて、ルイズは、またも胸の中にもやもやした何かが広がるのを感じた。
 ワルドとフェイトは決して仲が良いというわけではない。互いに互いを値踏みするような視線をしょっちゅう交わしているし、歓談しているように見えて、二人とも目だけは笑っていない。
 なのに、二人が話をしているのを見ていると、なんというか機嫌が悪くなってゆく。

「ここからは徒歩ですね。それでは、そこの森の中で着替えましょう」

 ワルドから望遠鏡を返してもらったフェイトは、馬の鞍に縛り付けてあった荷物を降ろし始めた。


「しかし、本当に君は用意がいいな。このスーツだが、茂みの中だと、本当に二〇メートも離れたら全く判らなくなるね」
「そのためのスーツですから」

 ルイズ達三人は、緑や茶や黒といった色々な色の端切れが縫い付けられた網でできた、頭の上から足首まで一体化したスーツを身につけていた。ちなみに靴の上から、焦げ茶色の麻でできた靴袋をはいてもいる。フェイトが背負っていた背嚢の中には、フェイトとルイズの分の他にも、ギーシュの分もそのスーツと靴袋が入っていたのだ。
 そして、革のケースの中から取り出した狙撃銃「バルディッシュ」。これにもぼろ布が巻きつけてあり、周囲の風景に溶け込むようにしてある。
 フェイトは森の中の随道を進む時も、自ら前路斥候をかって出ていた。着替えた服や残りの荷物といえば、背嚢の中にしまわれてワルドのグリフォンの背に結び付けられ、若干小さめではあるが、似たような端切れ付の網がかけられている。

「そろそろ湿地帯だ。僕も「風」の魔法使いだ。誰かいるならば風が教えてくれる。開豁地ならば、僕の方が斥候には向いているだろう」
「了解いたしました。それでは背後から支援いたしますので」
「よろしく頼む」

 ワルドは、この一日の徒歩での移動で、フェイトの歩き方や身のこなし方をすっかり学んでいた。木の根から根へと移動してできる限り足跡を残さないようにし、腰をかがめてできる限り藪や茂みから上へ顔を出さないようにする。移動する前には必ず周囲を確認して、安全を確かめてから移動する。佩いてきた剣に似た造りの愛用の杖にぼろ布を巻きつけて、日の光に反射しないようにし、手に持つ。

「ワルドって、陛下を直接護衛する魔法衛士隊の隊長なのよ。それこそ宮廷では、将軍や元帥にだって劣らない格式なのに。それがなんであんな格好であんな真似をしているのかしら」

 なんか色々なものが心の中でがらがらと崩れていっているらしいルイズが、フェイトに向かってぼやいた。

「戦場では、より早く学び、学んだ事を活かすことが出来る兵士が生き残ります。子爵様はそういう意味では、非常に優れた兵士なのでしょう」
「なるほどね。二十六で隊長になっただけのことはあるのね」
「二十六歳、ですか?」

 フェイトが、「バルディッシュ」を構えた格好で周囲を警戒しつつも、何故かぎょっとした表情で小声で聞き返す。

「そうよ。私より十歳年上だから、二十六歳。すごいでしょ?」
「いえ、その、私よりそれなりに年上の方かと思っておりましたものですから……」
「……あんた、今年で歳いくつ?」
「……三十になります」
「!? 嘘、二十くらいにしか見えないわよ?」

 さすがに大声は上げなかったが、びっくりした表情でぽかんと口をあけるルイズ。
 なんとなく気まずそうな表情でフェイトは、周囲に向けている視線を動かさず、弁解するように呟いた。

「私の住んでいた世界は、基本的に長命の人間が多く、私もその種の一人ですので」
「……あんた、本当に異世界から来たのね」
「はい」

 そんなこんなで気まずい沈黙が漂う中、ワルドが戻ってきた。面を隠している布をめくると、その下から厳しい表情が現れる。

「敵が哨所を設けている。人数は二十名程度。騎馬銃兵だ。指揮官は杖を持っていた。メイジは二人か三人だな。見つからずに通り抜けるのはさすがに難しいようだ」

 空は雲ひとつない快晴で、さんさんと初夏の日差しが周囲を照らしている。
 ワルドは、森の奥へとルイズとフェイトをうながし、適当な木陰に横になった。

「夜になったら湿地を抜けよう。さすがに今は無理だ。君達も横になって体力を回復しておきたまえ」
 

 上手くいかないときはとことん上手くいかないもので、その日の夜もすっかり晴れ渡り、満天の星空であった。重なっていた月も分かれ、湿地帯をこうこうと照らし出している。
 フェイトは、中腰になったまま背に「デルフリンガー」を背負い、「バルディッシュ」を構え、ワルドとルイズから数十メート離れた前方をところどころ生えている葦の陰をゆっくりと進んでいく。初夏の陽気のせいだろう、カエルやらなんやらの鳴き声が、三人と一頭の足音を消してくれている。ワルドのグリフォンも心得たものか、鳴き声一つあげず主人の後ろをゆっくりとついてくる。
 哨所の見張りといえば、まさかこんなところを誰かが通り抜けるとは思ってもいない様子で、時々あくびなどしながら眠そうな様子で適当に周囲を見ているだけであった。
 まずはフェイトが湿地帯を抜け、森の中に駆け込む。そして、全周警戒を行い、森の中の安全を確認すると、ルイズとワルドに手振りでそれを知らせた。
 ワルドが軽くルイズに向けてうなずき、葦の茂みから茂みへと足早に移動しつつ、フェイトの通った後を進んでいく。ルイズもその真似をし、出来る限り物音を立てないようにして、葦の茂みから飛び出した。
 その瞬間であった。

「ゲコ」
「へ?」
「ゲコゲコ」
「いやああああああああぁぁぁああああっっ!!?」

 葦の茂みの中から、ルイズの顔に一匹のカエルが張り付く。体長が二十サントはあろうかという、見事なヒキガエルの成体であった。
 実はルイズはカエルが大嫌いであった。それこそ小さなアマガエルであっても、突然目前に現れれただけでびいびい泣き出してしまうくらいに。まして自分の顔に張り付いたのが、馬鹿でかく醜いイボだらけのカエルともなれば、パニックを起こして絶叫し、大暴れしても仕方がないというか。
 ただし、今が敵の目をかすめて隠密行動をしている最中でなかったならば、という但し書きはつく。

「ぃやあぁああ!! とって、とってぇえぇっっ!!」
「ルイズ!!」

 慌てて戻ってきたワルドが、暴れるルイズの顔からヒキガエルを引き剥がし、放り捨てる。そして、泣きじゃくるルイズの手を掴むと、ピッと口笛を吹き、グリフォンを呼び寄せた。
 そのままルイズをグリフォンの背中に乗せ、フェイトの待っている茂みへと飛び立たせる。
 と、鋭い轟音が響き、一メートはある火線がフェイトの構えている「バルディッシュ」から伸び、哨所からマスケット銃を構えようとした兵士の頭部を吹き飛ばす。続く轟音とともに、もう一人の哨兵も左胸を撃ち抜かれ、背中から血煙を吹き出しながら地面へと転がり落ちる。

「奥へ!」

 フェイトはグリフォンに小さく、しかし鋭く命じると、ワルドが茂みに駆け込むまでさらに二人、飛び出してきた哨兵を射殺した。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 泣きじゃくりながら、ルイズは、ひたすらフェイトとワルドに謝り続けていた。
 三人はひたすら森の茂みの中を駆け続け、少しでも哨所から離れようとしていた。

「謝罪はエッジヒルについたらいくらでも聞きます。今は黙って走って下さい」

 普段の柔らかさや甘さを一切感じさせない鋭い口調でルイズを黙らせ、最後尾を走るフェイト。時々止まっては地面に耳をつけて、後を追ってくる敵の足音を探っている。ルイズをグリフォンに乗せ、その横を走っていたワルドが、フェイトの横に移って語りかけた。

「どうだ? あとどれくらいで追いつかれる?」
「短くて半刻」
「森の中に隠れてやり過ごすとすると、少なくとも二日は犠牲にするな」
「この先、どこかで待ち構えて迎撃するというのは?」
「この夜闇の中では、一度に全員を倒すのは僕でも辛いな。他に何か方法はないか?」

 厳しい表情のワルドが、手持ちの魔法での攻撃方法の手順を頭の中で一瞬のうちに組み上げたのだろう。即座に否定的な意見を返す。
 フェイトは、一瞬だけ厳しい視線をルイズに投げ獰猛な笑みを浮かべる。それからワルドに視線を戻した。

「お嬢様に尻拭いをしていただきましょう」


 森の中に幅の狭い随道が走っており、そこのまがり角の茂みの中に三人と一匹は隠れていた。
 フェイトは、一切の感情のこもらない声で、彼女が急いで掘った掩退壕の中でべそをかいているルイズに向けて指示を下していた。

「私の合図とともに、最大威力の魔法を詠唱開始してください。何小節になります?」
「……「地震」六小節……」
「了解しました。目標は、あの地面に突き刺さった小枝です。見えますね?」
「……うん」

 大体、五〇メートほど離れた場所に、皮をむかれ白い地肌をさらしている小枝が刺さっている。
 再度地面に耳をつけたフェイトは、今度はワルドに向き直った。

「子爵様、爆発の瞬間、目をつむり、耳を両手でふさぎ、口を開けておいて下さい。爆発の衝撃波で鼓膜を破られる恐れがあります」
「判った。しかし、本当にルイズで大丈夫なのか?」

 ワルドも、杖を構え、いつでも魔法の詠唱が出来るように用意している。
 フェイトは、わずかに口の端を歪めて笑みらしきものを浮かべると、ほんのわずかだけ自慢気に小声で答えた。

「お嬢様の成長振りを、とくとご覧下さいますよう」

 それだけ言って、フェイトは狙撃位置へと移動した。そのまま茂みの中に掘った掩退壕に這いつくばり、銃床の前方の二脚を下ろし、銃床をしっかり肩付けし、頬を銃床に当てる。そのまま、木々の間を流れる風に呼吸を合わせ、一切の気配を絶つ。
 それからしばらく経ってからであった、闇の奥から十数騎の騎兵がマスケット銃を背負い駆けてくる。

「詠唱始め」

 フェイトの声に、ルイズは、それでもとちることなく、小声で呪文の詠唱を始める。
 それと同時に、ワルドは敵の状況を確認してから、フェイトの指示通り両手で耳をふさぎ、口をあけた。愛用の杖は、すぐに引き抜けるように左手の袖口に差し込んである。

「大地よ、我の心の震えのままに揺れよ! 「地震」!」

 ルイズが呪文を完成させた瞬間、丁度騎兵らが地面に突き立つ小枝を乗り越えようとしたところであった。
 真っ白の閃光とともに、まず爆風が周囲の木々をなぎ倒し、大地をえぐり騎兵らを空中高く放り上げる。人馬揃って身体をばらばらに引き裂かれ、血やその他の体液や内臓を振りまきながら、周囲数十メートに渡って降り注ぐ。続いて轟音が衝撃波となって森を駆け抜け、爆風になんとか耐えた木々を押し倒した。
 ワルドは爆発と同時に目をつむったものの、まぶた越しに目を焼かれ、しばらくは視界が戻らなかった。さらに、爆音の衝撃波に耳が聞こえなくなり口からなだれ込むそれに内臓が揺さぶられる。三半規管が麻痺したのか、しばらく自分が立っているのか座っているのか、それとも寝転んでいるのか、それすら判らなくなる。
 徐々に視界が戻り、耳鳴りも収まってきたところで、ワルドは、左袖の杖を引き抜いて立ち上がった。
 だがワルドは、今更杖を振るう必要が無いことを十分に思い知らされた。
 爆発の中心には直径三十メートのクレーターが出来ており、さらにその周囲百メート四方の全ての木々がなぎ倒されている。追跡してきた騎兵達は跡形もなく消え、周囲には土砂に混じって肉塊がそこここに転がっている。最後尾を走っていたために、一瞬で命を失う事はなかった敵は、全てフェイトがとどめを差し終わったところであった。それも、「バルディッシュ」ではなく、「デルフリンガー」によって心臓を突き刺されえぐられて。

「いや相棒! こいつはちょいと派手な葬式になったな!」
「一瞬で死ねたか、意識を失えただけ、まだマシだったでしょうね」
「そりゃそうだ! 内臓をぶちまけても意識が残っていたら、そりゃあ死んだほうがマシってもんだからな!」

 呆然としてそんな情景を見ていたワルドに向かってフェイトは、「全員処分しました」と一言報告すると、ルイズの方へと近づいていった。
 ルイズは、フェイトが作った掩退壕の中でうずくまって泣いていた。その掩退壕の中は、吐瀉物と排泄物のすえた臭いで満ちていた。

「大丈夫ですよお嬢様。もう全て終わりました」
「フェイト……」

 涙にくれ、ぐしゃぐしゃになった顔を上げ、ルイズは呟いた。身体を起こすと同時に、肉片交じりの土砂が背中から地面に落ちる。
 そんな汚れた姿のルイズを、まるで気にせず優しく抱きしめると、フェイトは優しく言葉を続けた。

「立派なメイジぶりでした。おかげで皆の命が助かりました。本当にありがとうございます」
「……ふぇいとぉ……」

 ルイズは、そのままフェイトにすがりつくように抱きつき、わんわんと泣き続けた。
 フェイトは、ルイズに腰の水筒の栓を抜くと手渡した。

「さ、口の中をゆすいで下さいませ。出発いたしましょう。明け方にはエッジヒルです」


 エッジヒルは、アルビオンの中央部から北部よりにある街道の集結点でもある街である。東西南北四方に街道が通り、普段は多くの商人でにぎわう商業都市でもあった。
 だが街は、今では約八千の王軍が駐屯する前線拠点となっていた。
 フェイト達は、アサートンの森を夜通し駆けて抜けると、わずかな休憩を挟みつつ街道をエッジヒルへと向けて進んだ。その甲斐もあってか、途中山賊に襲われる事もなく昼過ぎにはエッジヒルの街に到着できたのであった。
 途中の村で井戸を借りて旅の汚れを落とし、再度貴族らしい格好に戻った頃には、ルイズはすっかり普段の態度に戻っていた。

「とりあえず、反乱軍が進撃を始める前に到着できて良かったわ」

 アサートンの森での戦いで受けたショックは、すでにルイズの面には残ってはいないように見える。
 だがワルドには、それが彼女の必死の虚勢であることが見て取れていた。初めて人を殺した時というのは、どれほどショックを受けていないように見えても、必ず心の奥深いところに傷跡を残す。まして、あれだけの凄惨な光景を作り上げたのだ。わずか十六歳の少女の心に傷が残っていないはずがない。
 ワルドは、主人の心にそんな傷をつけて平然としているフェイトへの警戒心をさらに深めていた。だが、当のフェイトといえば、まるで何事も無かったかのように、いつも通りの何を考えているのか判らない微笑を浮かべて、ルイズとワルドの後ろを背嚢を背負ってついてくるだけである。

「さて、王軍の検問所だ。正式に名前と身分を名乗って、皇太子殿下に取り次いで頂こうじゃないか」
「ええ。ここまでなんとかやってこれたんですもの。きっと手紙だって返して頂けるわ」


 ルイズ達三人が名乗ると、以外なほどあっさりとエッジヒルの城壁の門は開かれ、街の中央にある市庁舎へと通された。白地に赤い竜のアルビオン王国の国旗がひるがえるそこは、どうやら今や王軍の総司令部となっているらしい。
 そして、通された市長用の応接室には、本来は王立空軍本国艦隊司令長官として北部にあるダーダネルス港にいるはずの、ウェールズ・テューダー皇太子がいたのであった。

「私が、アルビオン王立空軍大将、本国艦隊司令長官、ウェールズ・テューダー皇太子だ」

 歳の頃は二十台半ばであろう。凛々しい金髪の若者である。長いこと空の上で過ごしてきたためか肌は浅黒く焼け、その金髪も色彩が抜けかけている。

「遠路はるばるアルビオン王国へようこそ、トリステインからの大使殿。さて、御用の向きをうかがおうか」

 そう言って、ウェールズはルイズ達に席を勧めた。そしてまずは自分が席につく。

「トリステイン王国のアンリエッタ姫殿下よりの大使、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールと申します」

 立ったまま王族向けの礼式にかなった優雅な一礼をすると、ルイズは、興味深そうにウェールズを見つめた。

「アンリエッタ姫殿下より、密書を言付かって参りました」
「ふむ、姫殿下とな」

 同じように興味深そうにルイズのことを見やると、ウェールズは、ルイズの後ろに控えているワルドとフェイトの方にも視線を向ける。

「ミス・ラ・ヴァリエール。差し支えなければ、後ろのお二人も紹介を願えるかね?」
「はい、皇太子殿下。こちらがトリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵」

 ルイズの紹介に合わせて、帽子を脱いでいたワルドも、優雅に一礼する。

「こちらが、わたくしの使い魔で、フェイトと申します。殿下」

 フェイトは腰を四十五度の角度に曲げて、王族に対する礼をする。
 そんな二人のことをしばらく見つめていたウェールズは、破顔一笑すると席から立ち上がった。そして、ワルドとフェイトに次々に握手を求める。

「アサートンの森で起きた爆発は君達の仕業だね!? まったく、君達の様な立派な貴族があと十人も私の親衛隊にいてくれたならば、レキシントンの戦いでも負けることは無かったろうに! して、その密書とやらは?」

 ルイズは、胸のポケットからアンリエッタの手紙を取り出した。だが、それをウェールズに渡すのをわずかにためらってしまう。

「あ、あの……」
「なんだね?」
「その、失礼ですが、何故こうもわたし達を簡単に謁見下さったのでしょう? 反乱軍は、皇太子様のお命を狙っておりましょうに」

 ウェールズは笑った。

「ああ、それか。君がはめているその指輪だよ。見てご覧、私の指輪は、アルビオン王家に伝わる「風のルビー」だ。その指輪はアンリエッタがはめていた「水のルビー」だ。そうだね?」

 ルイズはうなずいた。

「君達が身分を明かした陣地の指揮官はね、昔トリステインで王太后陛下の指にその指輪がはまっていたのを見たことがあるんだ。だから、早速僕に伝令を送ってよこしたわけさ」

 それからウェールズは、ルイズの手を取ると自らの「風のルビー」と「水のルビー」を近づけた。二つの宝石は共鳴しあい、虹色の光を振りまいた。

「水と風は、虹を作る。王家に間にかかる虹さ」
「大変、失礼おばいたしました」

 ルイズは一礼して、手紙をウェールズに手渡す。
 ウェールズは愛しそうにその手紙を見つめると、花押に接吻した。それから慎重に封を開き、手紙を広げると、読み始めた。
 真剣な顔で手紙を読んでいたが、そのうちに顔を上げた。

「姫は結婚するのか? あの、愛らしいアンリエッタが。私の可愛い……、従妹は」

 ルイズは無言で頭を下げ、肯定の意を示した。再び、ウェールズは手紙に視線を落とす。最後の一行まで読むと、微笑んだ。

「了解した。姫は、あの手紙を返して欲しいとこの私に告げている。何より大切な、姫から貰った手紙だが、姫の望みは私の望みだ。そのようにしよう」

 ルイズの顔が輝いた。

「それでは、私の居室にまでご足労願いたい」


 ルイズたちは、ウェールズに付き従い、庁舎内の彼の居室へと向かった。庁舎の最上階の一角にあるウェールズの居室は、皇太子の部屋とは思えない、質素な部屋であった。
 木で出来た粗末なベッドに、椅子とテーブルが一組。壁には戦の様子を描いたタペストリーが飾られている。
 ウェールズは椅子に腰掛けると、机の引き出しを開いた。そこには宝石が散りばめられた小箱が入っている。首からネックレスを外す。その先には小さな鍵がついていた。皇太子は小箱の鍵穴にそれを差し込み、箱を開けた。蓋の内側には、アンリエッタの肖像が描かれている。
 ルイズたちがその箱を覗き込んでいることに気がついたウェールズは、はにかんで言った。

「宝箱でね。いつも持ち歩いている」

 中には一通の手紙が入っていた。それがアンリエッタが返却を願った手紙らしい。ウェールズはそれを取り出し、愛しそうに口づけたあと、開いてゆっくり読み始めた。何度もそうやって読まれたらしい手紙は、すでにぼろぼろであった。
 読み返すとウェールズは、再びその手紙を丁寧にたたみ、封筒に入れると、ルイズに手渡した。

「これが姫から頂いた手紙だ。この通り、確かに返却したぞ」
「ありがとうございます」

 ルイズは深々と頭を下げると、その手紙を受け取った。

「あと数日もすれば、反乱軍との決戦だ。明日の朝にでも、トリステインに帰りなさい」

 ルイズは、じっとその手紙を見つめていたが、そのうちに決心したように口を開いた。

「あの、殿下……。王軍に勝ち目はないのでしょうか?」

 ルイズはためらいがちに問うた。しごくあっさりと、ウェールズは答える。

「ないよ。我が軍は八千。敵軍は五万を超える。いかな戦争の天才といえども、これをひっくり返すことは不可能だろう。ならば我々に出来ることは、勇敢に戦い、栄光ある敗北を迎えるだけだ」
「殿下の、討ち死になさる様も、その中には含まれるのでしょうか?」
「当然だ。私は真っ先に死ぬつもりだよ」

 そのために、僕はダーダネルスからこの戦場に来たんだ。
 後ろでやり取りを見ていたフェイトは、軽く溜め息をついた。そんな使い魔の仕草に決心が固まったのか、ルイズは、深々と頭をたれてウェールズに一礼した。

「殿下。失礼をお許しください。恐れながら申し上げたいことがございます」
「なんなりと申してみよ」
「姫殿下と皇太子殿下は、恋仲ではございませぬか?」

 ウェールズは微笑んだ。そして、ルイズに向かってゆっくりと諭すように言葉を続けた。

「そう、君の想像している通りだ。今しがた君に返したその手紙も、アンリエッタが私に送った恋文だ」

 そこでウェールズは一息つく。

「この恋文がゲルマニアの皇室に渡っては、非常にまずいことになる。なにせ彼女は始祖ブリミルの名において、永久の愛を私に誓っているのだからね。知っての通り、始祖に誓う愛は、婚姻の際の誓いでなくてはならぬ。この手紙が白日の下にさらされたならば、彼女は重婚の罪を犯すことになってしまうだろう」

 そして、ウェールズの面に陰が差す。

「ゲルマニアの皇帝は、重婚を犯した姫との婚約を取り消すに違いない。そうなれば同盟は成らず、トリステインは一国にて、あの恐るべき簒奪者どもに立ち向かわねばならなくなる。それに、我が軍が今までなんとか戦い抜けたのも、ゲルマニアの援助があってのこと。アルビオンとトリステインが二国揃ってゲルマニアを愚弄していたと知られれば、それこそ両国の信義は地に落ちよう」

 ルイズは、それでも熱っぽい口調で、ウェールズに言った。

「敗北に栄光があるのでしょうか?」

 ウェールズは、遠くを見るような目で語りはじめた。

「我々の敵である反乱軍は、「レコン・キスタ」を名乗り、ハルケギニアを統一しようとしている。「聖地」を取り戻す、という理想を掲げてね。理想を掲げるのはよい。だが、あやつらは、そのために流されるであろう民草の血のことを考えぬ。荒廃するであろう国土のことを考えぬ」

 ウェールズの瞳に、悲しみとともに強い怒りの灯が点る。

「だからこそ、我らは勝てずとも、せめて勇気と名誉の片鱗を反徒どもに見せつけ、ハルケギニアの王家たちは弱敵ではないことを示さねばならぬ。奴らがそれで「統一」と「聖地の回復」などという野望を捨てることはないだろう。だが、それでも誰かが最初に奴らに示さねばならぬのだ」
「何故でございます!?」

 ルイズの悲鳴のような問いに、ウェールズは、毅然として言い放った。

「何故か? 簡単だ。それが我らの義務だからだ。王家に生まれた者の義務なのだ。内憂を払えず、国土を戦火にさらした王家に、最後に課せられた義務なのだ」

 黙ってしまったルイズに、ウェールズはその目をまっすぐに見据えて言った。

「アンリエッタには、今言ったことは伝えないでくれたまえ。いらぬ心労は、美貌を害するからな。彼女は可憐な花のようだ。ミス・ヴァリエール、君もそう思うだろう?」

 そしてウェールズは目をつむって言った。

「彼女には、ただ、こう伝えてくれたまえ。ウェールズは、勇敢に戦い、勇敢に死んでいったと。それで十分だ」


 ウェールズは、侍従のバリーという老人を呼ぶと、ルイズ達を客室へと案内させた。
 ルイズは、バリーが去ってすぐ、フェイトとワルドに向き直った。その瞳には、耐え難い哀しみと寂しさに満ちている。

「……どうして、どうして死ぬことしか考えないの!? わけわかんない。姫さまだって、きっと皇太子様に逃げて欲しいって、そう手紙に書いたでしょうに。なのに、なんでウェールズ皇太子は死を選ぶの?」
「男にはね、意地を見せないといけない時があるんだ、ルイズ」

 これまでずっと黙っていたワルドが、ようやく口を開いた。

「確かに、ウェールズ殿下をはじめとする王党派の貴族が外国に亡命するのはありだろう。だが、残された臣民はどうなる? 理想を掲げる反乱軍は、その理想故に貴族平民を問わずに王党派狩りを始め、さらに多くの悲劇を招くことになる」

 淡々と、まるで見てきたかのようにそう語るワルド。

「殿下は、名誉と勇気を臣民に示すことによって、これから起こるであろう弾圧と虐殺に立ち向かう勇気をお与えになるつもりなのだろう」

 はっとして、ルイズはワルドの瞳を見つめた。そこには、沈鬱な色を浮かべた、戦火の中をくぐり抜け生き延びてきた一人の兵士がいた。

「フェイト、あんたはどう思うの? あんたならば、判ってくれるでしょう!?」
「私も、殿下や、子爵様と基本的には同じ意見です」

 きっ、と使い魔をにらみつけるルイズ。しかし、フェイトはそれを軽く受け流すと、相変わらず光の無い深い深淵をたたえた瞳で言葉を続けた。

「ただし、私ならば、この数日後に起こる戦いを決戦になどはしませんが」
「どういう事?」
「最後まで、戦い続けるだけです。それこそ、上官が戦友が部下が全て失われ、両手両足を失い、この歯で噛み付くしか戦う方法がなくなっても、それでも戦うでしょう」

 ルイズは呆然とし、ワルドは、ほう、と感心したような表情になった。フェイトの瞳の深淵だけがさらに深くなる。

「あんた……」
「お嬢様。戦争というものは、それだけの覚悟があって初めて起こすことが許されるものです。ならば反乱軍に対して、本当の戦争の恐怖というものを徹底的に教育してやらねば。それを、たかだか六対一の戦力比だからと諦めるのは、余りにも甘ったれているというもの」

 フェイトは、その言葉とは裏腹に、表情にも口調にも全く激したところが見られない。

「戦争とは、情け容赦の無いものです。残忍で邪悪なものです。破壊と荒廃をもたらすものです。瓦礫と死体の山を築き上げ、焦土と化し血に赤く染まった大地を前に、反乱軍を恐怖に打ち震えさせること」

 ルイズは、呆然として、フェイトの感情のこもらない声を聞き続ける。

「戦争の恐怖とおぞましさを、徹底的に教育してやること。それこそが皇太子殿下の完遂されるべき義務に他なりません。それであってこそ、初めてその名誉は伝説となり、人々に艱難辛苦に立ち向かう勇気と覚悟を与えましょう」

 ぱちぱち。ワルドは、それはもう嬉しそうに拍手をした。その瞳が歓喜に輝いている。

「素晴らしい。本当に素晴らしい! 僕はどうやら君を見損なっていたようだ。僕の謝罪を受け入れてくれるかい?」
「いえ、謝罪をしていただくわけには。口先ではいくらでも風呂敷を広げられますから」

 フェイトは、わずかに肩をすくめてみせた。

「いや、今なら判る。君は徹底しているんだ。戦うということに。人を殺すということに。生き残り、次の戦いにのぞむことに!」

 ワルドは、心底嬉しそうに声を高める。
 そんな二人のやりとりに、ルイズは、ただただ呆然と見ているしかできない。

「何故アサートンの森で、ルイズに手を汚させたか、今なら判る」
「子爵様」

 初めて、フェイトの声に感情がこもった。それは殺気の込められた警告の声であった。

「判ったよ。今日はもうこれで休もう。君も疲れているだろう? ルイズ」
「……ええ」

 それでは、また後で。
 ワルドは、そう挨拶すると部屋を出て行った。ルイズは呆然としたまま、ただその背中を見つめているしかできなかった。


 別の客室に通されたワルドは、ソファーに深く腰掛け、軽く目をつむっていた。
 その面はあくまで厳しく、とてもくつろいでいるようには見えない。そして、目前の机に置かれている剣を模した愛用の杖。それは綺麗に磨き上げられてあった。
 そんなワルドの耳に部屋の外から足音が聞こえ、そして部屋の扉の前で止まる。

「開いているよ」
「失礼いたします」

 入ってきたのは、ワルドの予想通りフェイトであった。自分のソファーの前に手を指して座るようにうながす。フェイトは一礼すると、ワルドの前に座った。

「で、何の用だい?」
「夜長の無聊をお慰めに」
「ルイズという婚約者がいる僕を誘惑かい?」
「いえ、僭越なれどもお話し相手にでもなれればと思いまして」

 ワルドは、目を開くと、その鷹の様な鋭い視線でフェイトを射抜いた。それを正面から受け止めてフェイトは、わずかに微笑みに近い表情を浮かべた。

「質問をお許し頂けますでしょうか? 子爵様」
「内容による」
「ウェールズ殿下を、いかが思われていらっしゃいます?」
「勇敢で、名誉を重んじ、信義に篤い方だな」

 だが、言葉の内容とは裏腹に、ワルドの面に浮かんだのはあくまで嘲笑でしかなかった。それを判ってか判らないでか、フェイトはさらに言葉を続ける。

「では、「レコン・キスタ」については?」
「高潔な紳士諸君の集まりだな」

 それこそ汚物について論評するような口調で、ワルドは、吐き捨てた。
 ワルドは一度としてそらさなかったフェイトを見つめる視線を、さらに細め、殺気すらこもった厳しいものとする。
 フェイトは、より微笑みを大きくして、ささやくように言葉を続けた。

「それでは最後に。子爵様がどこまでマザリーニ枢機卿猊下に命じられているのか、確認させて頂きたく思いまして」
「ルイズを護り、密書を取り返す。それが僕達の任務だ。違うのかい?」
「了解いたしました。それでは同盟の「障害」は私が「排除」いたしますので、ルイズお嬢様のことはお任せいたします」

 フェイトの面に微笑みというよりは、嘲笑に近い何かが浮かび上がる。ワルドは、黙ってフェイトを見つめ続けた。そのまま二人の間に沈黙がわだかまり、徐々に部屋の空気が冷たく硬くなってゆく。
 最初にその沈黙を破ったのは、フェイトだった。

「どうやら我々は、共通の基盤に立って話をする機会を得られなかったようですね」

 そのまま背を向けて部屋を出ようとするフェイトを、ワルドは、半ば怒りのこもった声でさえぎった。

「お前は、俺からルイズを奪ったのみならず、獲物までも奪うのか」
「お嬢様は、子爵様の婚約者でいらっしゃいます。それに、猊下からの命令は違うのでしょう?」
「……いいだろう。互いに手札をさらすとしよう。まずは俺からだ。お前が疑っている通り、俺は反乱軍、もっとも連中は「レコン・キスタ」と名乗っているがね、彼らから接触を受けている。依頼された任務は、ウェールズの暗殺と、密書の奪取だ」

 ワルドの右手がわずかに上がった。二人の間にある机の上の杖に指が触れるまで、あと少し。

「ゲルマニアを経由して、王党派に武器を流していたのは私です。おかげさまで、ようやく「レコン・キスタ」の背後にいるのが誰だかわかりました」
「後学のためにも是非聞いておこうか」
「ガリア王ジョゼフ」

 杖に伸びかけたワルドの右手が止まる。

「何故かは判るか?」
「子爵様がトリステインを裏切る理由が、最後まで判りませんでした。あと二、三年もすればお嬢様と結婚なさり、ヴァリエール家とマザリーニ枢機卿の力を背景に、国政の深いところまで食い込めますものを」
「……俺には望みがある。「聖地」だ」
「ジョゼフ王は、系統魔法を使えません。私は「虚無」の使い手ではないかと疑っております。多分、アルビオンの「虚無」の使い手の発現を促そうとしているのではないかと」

 フェイトは、ゆっくりと何かを考えつつ、呟くように答えた。

「「レコン・キスタ」の指導者、クロムウェルは、「虚無」に目覚めたと自称している。事実、その力で死者を何人も蘇らせて見せた。俺もそれは見ている」
「それで、お嬢様と比較して、いかがでした?」
「嘘だな。ルイズの持っている圧倒的なまでのオーラが、奴にはない。もっとも、使い魔は連れてはいたが」
「それは?」

 だがワルドは、それは答えず、あくまで小さな声で別の話を始める。

「お前は、「聖地」がなんだか知っているか?」
「始祖プリミルの降臨した土地でしょう? そこは、砂漠の民エルフに奪われて数百年経ちますが」
「俺は、この世界が、何故にこの在り方で存在するのか、それが知りたい。そのためならば、「聖地」へと連れて行ってくれるのであれば、誰にでも忠誠を誓う」
「それで「聖地回復」を掲げるレコン・キスタに参加なされたわけですか」
「そうだ」

 フェイトは腰を上げた。それから優雅に一礼すると退去の辞を述べる。

「つたない語りで貴重なお時間を使わせてしまいました。それでは今宵はこれにて」
「少々待て」

 ワルドはフェイトを待たせると、羊皮紙と羽ペンを取り出し、何やら手紙を書き始めた。そして、手紙を巻くと、杖を振り、蝋で留め花押を押す。

「マザリーニ枢機卿にこれを渡してくれ。最後の奉公だ」
「確かに、承りました」

 恭しく一礼すると、フェイトはワルドから手紙を受け取り、服の隠しにしまう。

「密書はくれてやる。ウェールズは俺がやる。お前は邪魔をするな」
「承りました。そのための「バルディッシュ」だったのですが、無駄になってしまいました」

 最後に、困ってしまいました、と言わんばかりの微笑みを浮かべてフェイトは小首をかしげた。そんなフェイトに向かってワルドは、つまらなさそうに鼻を鳴らしてみせた。

「何、ウェールズの生存こそ、トリステインとゲルマニアの同盟の最大の障害だ。ついでに「レコン・キスタ」も、空軍の提督として砲兵の運用に熟達している上、兵の人気の高い彼を最大の障害と認めている。しかも「風」の使い手であって「虚無」の使い手ではない。結局、誰にも生き残ることを望まれてはいないのだよ。それが不運といえば不運だったな」


 エッジヒルの市庁舎の敷地の北側には、礼拝堂がある。始祖プリミルの威光をあまねく大地に照らす義務を負う教会の寺院は、市庁舎からかなり離れたところにあり、公式に儀典でもあるのでなければ役人達がそちらに礼拝に行くことはあまりない。しかし、王軍に市庁舎が接収されてからは、市の役人達は別の建物に移動し、そちらから近い教会に礼拝に行くようになっていた。
 そうした理由から今では、礼拝堂はもっぱら国王ジェームス一世や、時々王軍の将軍達や提督達を交えた御前会議のために訪れるウェールズが祈りをささげるために使われるようになっていた。
 ルイズ達が到着したその日の夜、ウェールズは、礼拝堂で一人始祖プリミル像の前で祈りを捧げていた。
 と、礼拝堂の扉が開かれ、一人の少女が入ってくる。ルイズであった。

「これは、失礼いたしました!」

 礼拝堂の正面のステンドグラスから差し込む月明かりの中で、ウェールズが独り祈りを捧げているのを見て、ルイズは慌てて外へと退出しようとする。礼拝堂の中には、他には明かりもなければ人もいない。

「構わないよ。祈りは済んだところだ」
「申し訳ございません、皇太子さま」
「ウェールズで構わないよ、勇敢で優しいお嬢さん」

 ウェールズは破顔し、ルイズを手招いた。ルイズは、ととと、とウェールズに招かれるままに近づく。

「眠れないのかい?」
「……はい」
「僕もさ。少し話を聞かせてくれるかい、ミス・ヴァリエール。そうだね、アンリエッタのことなど」

 ルイズは、最初はとつとつと、そして途中からあふれ出る言葉をなんとか押さえ選びつつ、アンリエッタとの思い出を語った。
 王宮で遊び相手を務めたこと。ごっこ遊びをしていて、どちらがお姫様役をやるかでひと悶着起こしたこと。アンリエッタがウェールズと密会を重ねていた間、実は影武者をつとめていたこと。
 そんなルイズの語りをウェールズは、時に笑い、時に懐かしそうに聞き続けていた。

「アンリエッタは、そんなおてんばだっただなんて、知らなかったよ。本当に女の子は猫をかぶるのが上手だね!」
「いやですわ、ウェールズさま。姫さまは、ウェールズさまには、可愛いと思っていただきたかったのですから」
「なるほど。見栄を張るのは男だけじゃないわけだ」
「猫をかぶるのは、女の方が上手ですもの」

 感心したように微笑むウェールズに、はにかんでルイズは答えた。そしてルイズは、抑えきれなくなったように寂しそうな表情になって呟いた。

「ワルドとフェイトに諭されました。ウェールズさまは、民にこれから「レコン・キスタ」が行う弾圧と虐殺に立ち向かう勇気をお与えになろうとしているのだ、と」
「そうか、あの二人は判ってくれたのか」

 心底安堵したように大きく息をつくウェールズ。そこには、もう何の懸念もない、という晴れ晴れとした笑顔があった。

「口にするべきことではなかったからね。だが、己の想いを判ってくれるものが三人もいるとは。これで本当に心おきなく戦いにのぞめる」

 それからウェールズは、ルイズの手を取ると軽く口付けした。

「本当に、心から礼を言う。最後に僕は、真の理解者を得て、その者らに従妹姫を任せることができる。これほどの幸せをもたらしてくれた使者である君に、心からの感謝を」

 そして、ちょっと照れたように付け加えた。

「君は、僕とアンリエッタにとっての「天使」だね」
「そんな……」
「本当さ。これでゲルマニアに嫁ぐ彼女へ、心からの祝福を送ることができる。君達がいれば、いつか「レコン・キスタ」の野望も打ち砕かれるだろう」


 礼拝堂を出たルイズは、天高く輝く月を見上げていた。そうしていないと、涙があふれ出てきて止まらなくなりそうだったのだ。
 そんなルイズの前に影がさした。

「ウェールズさまに姫さまを託されたわ。フェイト」
「そうですか」

 何故かフェイトは儚げな微笑を浮かべていた。本当に、心からルイズのことを思いやるような、優しく慈愛に満ちた、でもわずかの風だけでも消えてしまいそうな、儚げな微笑。

「愛にも、色々な形があります」
「みたいね」
「でも、私は、そのどれ一つとして、自分のものとする事ができませんでした」
「……………」
「お見届けられるべきものがあります。どうなさいます?」

 フェイトの言葉は、初めて聞く優しい気遣いに満ちたもので、ルイズは切なくなった。それがなんなのか、多分過去の幸せだった時代を最後とするものであることは判る。
 だが、ルイズは、一歩を踏み出した。

「見届けるわ」


 礼拝堂の長椅子の一つに座って、ウェールズは、今しがたルイズが聞いたアンリエッタの事を一つ一つ反芻していた。過去の彼女とのわずかな触れ合いでしか知らなかった彼女ではなく、生き生きと喜び、怒り、哀しみ、楽しそうに日々を送る恋人だった女性のことを。
 そんなウェールズの感傷に満ちた時間は、長くは続かなかった。

「そろそろいいだろう。出てきたまえ」
「御前にまかりこします。ウェールズ殿下」

 礼拝堂の闇の中から長い影が差す。現れたのは、ワルドであった。相変わらずつばの広い帽子を目深に被り、黒いマントを身にまとっている。月影に隠れ、その表情はウェールズからは見えない。

「さて、君は僕に祝福を贈りに来てくれたわけではない様子だね」

 あくまで穏やかさと余裕を失わない態度で、ウェールズはワルドに向き合った。

「殿下にお聞きしたき儀が」
「聞こう」
「「始祖ブリミル」が残した王権の象徴たる秘宝について」
「……そうか、「レコン・キスタ」が狙っているのはそれか」

 すっとウェールズの中に殺気が満ちる。だがワルドは、ほんのわずかに首を左右に振ってその言葉を否定した。

「これはあくまで小官自身の疑問に過ぎませぬ。何故始祖は四つの指輪と四つの秘宝、そして王権と教権という四本の杖を残したのか。そして、集まりつつある「虚無」の使い手とその使い魔達」
「……君は「レコン・キスタ」の一員ではないのか?」
「今は「レコン・キスタ」に身を投じるつもりでおります」
「なるほど、「聖地」に赴けば、その答えが得られるからか」
「ご賢察のほど、心より感服いたします」

 ウェールズとワルドは、互いに自身の杖に右手を徐々に近づけている。礼拝堂の中は、すでに殺気に満ち、それは少しづつ冷たく、重くなってゆく。

「ひとつ聞きたい」
「何でしょう? 殿下」
「何故、疑問を持った?」
「……お答えしようがありませぬ」

 そのワルドの言葉には、諦観にも似た響きがあった。
 ウェールズは、初めて目の前の男に哀れみを感じた。

「そうか。始祖は、聖地の奪還を望み、果たせず死んだ。ブリミルは己の妄執をいかにして長く後世に残すか、それを考え抜いたのだろう。だから、力を四分割し、簡単には発動しないようにして、神話として、伝説として、権威として、宗教として、残したのだろう。僕はそう考えている」
「この世界は、あくまでブリミルの妄執の産物だと?」
「僕はそう考えているが?」

 ウェールズとワルドが杖を抜いたのは、ほぼ同時であった。ほんの半呼吸だけ速かったワルドの杖から、「空気の槍」がウェールズの左胸を貫かんと飛ぶ。だが、ウェールズの放った「雷撃」の方が一瞬早くワルドの胸に直撃し、全身を焼く。ワルドの放った「槍」はウェールズの左腕を貫いたに終わる。

「ここで死ぬわけにはゆかぬのだ」

 勝利を確信したウェールズが、とどめの一撃を放とうとした瞬間、その胸を背中から青白く輝く杖が貫いた。

「「偏在」!」
「はい。恐れながら殿下のお相手をするのに、手段を選べるほど小官に余裕はありませぬゆえ」

 ウェールズの背中には、もう一人のワルドが立ち、ウェールズの胸をその杖で貫いている。ワルドは、杖を引き抜くと、一振りして血糊を飛ばし、次の呪文をつむぎ始める。
 ごぼっ、と、口から鮮血を吐き、床に崩れ落ちるウェールズ。だが、身体が床に落ちる瞬前、最後の力を振り絞って放った「空気の鎌」がワルドの首筋を襲った。
 ワルドも身をひねってその見えぬ刃を避けようとするが、「風」のトライアングルメイジの中でも有数の実力を持つウェールズの刃は、ワルドの見切りよりもほんの数ミリ深かった。
 ワルドの放った「空気の槍」と、ウェールズの放った「空気の鎌」に、二人の間に血煙が立ち上る。

「……妄執の産物、か。確かにありえるやもしれぬ」

 果たして、ウェールズとの戦いによって二人のワルドが消えて後、三人目のワルドが始祖ブリミル像の影より現れた。一言呟いた彼は、ウェールズに近づきすでに事切れているのを確認すると、その手から「風のルビー」を抜きとる。
 そして、礼拝堂の入り口に向かって声をかけた。

「さて、どうする? 僕の小さなルイズ」


 ルイズは、目前に繰り広げられた光景に頭の中が真っ白になってしまっていた。
 何故二人が殺しあわねばならないのか、それが判らない。そして判らない故に、思考が停止してしまっていたのだ。もし自分の手をフェイトが握っていてくれなかったならば、そのまま意識を失ってしまっていたかもしれない。
 そんなルイズの意識を引き戻したのは、ワルドの言葉だった。あのラ・ヴァリエールの屋敷の小さな池でかけてくれたワルドの優しい声。

「なぜ?」
「会戦が始まってからでは遅すぎる。かといって、手紙を返してもらう前では早すぎる」

 ワルドの声は、あくまで昔の様に優しい。

「おいで、ルイズ。僕は世界を手に入れる。そのためには、君が必要なんだ」
「……ごめんなさい、ワルド。憧れていたわ。それは恋だったかもしれない。……でも、今は違うわ」
「僕には君が必要なんだ。君の能力が。君の才能が」

 ワルドは両腕を広げ、ルイズを迎え入れようとしている。その面にどんな表情が浮かんでいるのか、ステンドグラスから差し込む月光の影になって、ルイズには見えない。

「私は、世界なんて、いらない」

 ルイズは右手で杖を抜いた。そして、左手を肩より上に上げる。フェイトが「デルフリンガー」の柄を握らせ、ルイズの耳元に何かをささやく。
 ワルドは、天を仰ぎ、そして叫んだ。

「全く! これが俺の「運命」だというのか!」

 哀れみのこもった声で、ルイズはたずねた。

「昔のあなたは、こんな風じゃなかった。何があなたを変えてしまったの?」
「月日と数奇な運命の巡り合わせだ。それが君が知る僕を変えたが、今ここで語る気にはなれぬ。話せば長くなるからな」

 一瞬の激昂を、まるで無かったかのように消し去り、ワルドはあくまで冷たい感情のこもらない声で答える。
 ルイズは、ゆっくりと息を吸い、そしてはっきりとした声で視線だけはワルドに向けたまま背後に控える使い魔に命じた。

「これは決闘よ。手を出すのは許さない」

 そしてルイズは、ワルドに向けて駆け出した。


 ワルドは、「風」の系統のスクエアメイジである。
 メイジのランクは四つに分かれ、ドット、ライン、トライアングル、スクエア、と下から呼ばれている。何故にこの名称となったとかといえば、ドットはその系統の魔力の呪文を一つで構成される魔法しか使えないのに大して、スクエアともなれば、その系統の魔力の呪文四つで構成される魔法を行使できるからである。それに、自分の系統以外の魔法も構成要素として編みこむことが可能となり、その操れる魔法はまさに千差万別多岐に渡る。
 そのワルドの二つ名は「閃光」。
 彼は、いかな高度な呪文といえども一瞬で組み上げ、放つことができる才能を有していた。魔法使い同士が戦う時、どうしても呪文詠唱の時間が弱点となる。それ故に、スクエアレベルの呪文すらドットレベルの呪文のごとく詠唱し放つことができる彼は、一対一の魔法戦に関しては、文字通り無敵とすら言えた。
 そして、彼の得意とする「風」の魔法「偏在」。風の吹くところならば、その魔力の許す限り自分自身の分身を作り出し、自立的意思を持たせ、自分と同じ魔法を行使させられるという、恐るべき魔法であった。
 なるほど、確かに魔法学院の「風」の教師ギトーが、「風」の系統こそ最強と吹聴するのも判らなくも無い。

 事実ルイズは、ワルド本体も含めて、三人のワルドに翻弄されていた。
 三方から包囲され、自らが一小節の魔法を唱えて攻撃をしかけても、三方から魔法が飛んでくる。ルイズの戦い方は、素早く移動しながら呪文を詠唱を行い、相手のいる空間を丸々爆破するやり方である。だがワルドは、礼拝堂に並ぶ多数の長椅子をルイズの移動の障害として利用し、自らは椅子から椅子へと飛び移りながら、ドットレベルの攻撃呪文を三方から間断なく浴びせかけ、ルイズの魔力を削り取ろうとしている。
 全身をずたずたにされ、血まみれになりながらも、それでもルイズは呪文を唱えることを止めず、そして、素早い身のこなしで少しでもワルドの魔法の直撃を避けようとしていた。
 だが、十年以上にわたって戦場に在り、ありとあらゆる魔法戦闘に熟達したワルドを相手にしては、いかなルイズの爆発魔法が強力であったとしても、あっという間に決着がついていたであろう。ルイズがここまで持ちこたえられたのには理由があった。そう、絶対的なアドバンテージがあったのだ。

「左後ろ! 「ウインド・ブレイク」!」

 的確に三方より襲い掛かる魔法を読み、ルイズに警告する「デルフリンガー」。ルイズは、「デルフリンガー」を指示通り左後ろに振り切り、飛び来る「ウインド・ブレイク」の呪文をその刃に吸収させる。

 「デルフリンガー」

 この口の悪いインテリジェンスソードは、三六〇度どの方向からの攻撃であっても察知し、警告を発すると同時に、それが魔法攻撃であるならば、自らの刀身で吸収できるという能力が付与されていたのだ。
 フェイトにそれを教えられ、ワルドの攻撃を必死になってさばき続けるルイズ。今やワルドとルイズ、どちらが先に魔力と体力が切れるか、という消耗戦となっていた。

 すでに礼拝堂の中は瓦礫の山となり、わずかでも気が緩めばそのまま残骸に足をとられ転びかねない。そして、その事実こそが、徐々に、本当にわずかづつルイズに戦いの天秤を傾けつつあった。
 刃渡り一メイルを越す大剣である「デルフリンガー」を振り回し続けることは、並の成人男性にとっても極めて困難である。だがこの三ヶ月、フェイトにほとんど虐待に近いやり方で体力練成を叩き込まれてきたルイズにとっては、ただ振り回すだけならば、「デルフリンガー」の重さはさして苦にはならない。
 礼拝堂の床が残骸で埋まり、足の踏み場が無くなっても、あらゆる種類の障害を踏破し駆け抜けさせられてきたルイズにとっては、つま先に目がついているようなものである。
 どれほど多くの魔法がワルドから放たれてきたとしても、それに即座に反撃する魔法を唱えられる。何しろルイズの魔法は絶対に「爆発」という結果を生み出すのだ。一小節の魔法であっても、直撃であれば、たとえワルドであっても重傷はまぬがれ得ない。しかも、連日の放課後の特訓によって、ルイズの魔力はその容量を徹底的に増大させられ、今や無尽蔵に近い魔力を有しているといっても過言ではないのだ。
 それに対して、ワルドの面には、汗が浮かび始め、ほんのわずかではあるが、焦りの色が見えてきていた。
 そう、ワルドは初手を間違え、逆にルイズの得意とする消耗戦に引きずり込まれてしまったのだ。
 最初に「雷撃」なり「空気の槍」なりで三方から奇襲をかけていれば、一瞬で決着はついたであろう。だが、なまじルイズの強力な魔法と「デルフリンガー」の存在に気をとられ、奇襲のタイミングを逸してしまったのが今の均衡を招いてしまったのだ。

 場の流れを変えるべく、瞬時に三人のワルドがルイズから距離をとる。
 ルイズは、足を止めると、汗で濡れ火照った身体にわずかな休息を許した。ゆっくりと息を吸い、全身に酸素をいきわたらせる。暖気が終わった身体はまだまだ動くし、魔力も尽きる気配もない。精神は澄み渡り、礼拝堂の中全てが五感で感じられるような気すらする。

「見事だ、ルイズ」

 戦いが始まってから、初めてワルドが口をきいた。
 彼女に向けられる視線は相変わらず氷の様に冷たく、そして一切の感情の熱が無い。だが、それでもワルドは、初めてルイズを自分と対等の相手として認めたのだ。
 そのことを女としての勘で知ったルイズは、息を整えると、気を緩めはせず呪文を詠唱し始める。

「そう、それでいい。語りは決着がついた後で行うものだ」

 ワルドも次の呪文を詠唱し始める。
 最初に呪文を完成させたのは、ワルドであった。三方より「雷撃」の呪文が飛び、白熱する雷光がルイズを襲う。そして、同時に着弾した雷光は、周囲のありとあらゆるものを帯電させ、そして爆発させる。ルイズの周囲はもうもうたる白煙がたちこめ、視界をさえぎる。
 だがワルドは、そこで気を抜かず、次の魔法を詠唱しつつ、ルイズに向かって突進する。そして放たれる「空気の鎌」。三方より同時に着弾するそれは、いかな俊敏なルイズが「デルフリンガー」を振るっても避けきれない至近距離から放たれた。
 その「鎌」が杖から放たれた瞬間であった。かつてルイズがいた場所が大爆発を起こす。ワルドは、なまじ至近からの必殺の一撃を加えようと近づいていただけに、その爆発を避けきれず、礼拝堂の壁まで吹き飛ばされ、叩きつけられた。二体の「偏在」は消え去り、ワルド本体は瓦礫の中に倒れている。

「語りは、決着がついた後でするのでしょう?」

 爆発の中心には、仰向けになり「デルフリンガー」を盾のごとく上に向けているルイズがいた。
 最後の「雷撃」が襲ってきた瞬間、ルイズはそれを避けきれぬと察知した。瞬時に床面に寝転がり、「デルフリンガー」を盾のように左腕と右足の裏で支えて「雷撃」の爆発を吸収させる。と同時に背中から伝わる振動で、ワルドが自分に向かって近づいてくるのを知り、自分の目前に立ちこめる白煙に「竜巻」の魔法をかけたのだ。その魔法は見事爆発の渦となって爆風を周囲にまき散らかし、ワルドに向かって無数の瓦礫を散弾のごとく叩きつけたのである。
 ルイズは、「デルフリンガー」を杖のように床に突き刺して立ち上がると、ワルドに向かって歩き始めた。

「ワルド、信じていたのよ、あなたを」
「信じるのは、そっちの勝手だ」

 ワルドは、全身を襲った瓦礫の礫に血まみれになり、右腕も二の腕あたりで引きちぎれてどこかにいってしまっている。顔の半分を血に染めながらも、ルイズを見つめるワルドの瞳に光は失われていない。
 ルイズは、足元に転がるワルドの杖を見つけると、それを拾った。

「殺せ。それで全ての決着がつく」

 淡々とルイズに向かって語るワルド。その身体から流れ出る血で、徐々に血溜まりが広がっていく。
 ルイズは、「デルフリンガー」を構えようとして、そして下ろした。

「殺せ」

 ワルドの声には、わずかに懇願の色が混じっている。

「とどめを刺してやれよ、お嬢ちゃん。どうせ長くはもちゃあしねえ」

 「デルフリンガー」もルイズにそう忠告する。
 だがルイズは、「デルフリンガー」を床に突き立てると、自分のブラウスの袖を引きちぎり、ちぎれたワルドの右腕の止血を始めた。

「……なんて、無様な」
「違うわ」

 ワルドは、己の不甲斐無さに自嘲の哂いを洩らした。だがルイズがワルドを見る目には、はっきりとした意思があった。それは肯定の意思であった。

「憐みならやめろ。そこまで落ちぶれてはいない」
「それで、あなたの野望はどこへゆくの?」

 淡々とワルドの傷に、ちぎったブラウスを包帯代わりに巻きつけてゆくルイズ。

「……俺は、君がまぶしかった。君の可能性が羨ましかった。君なら天高く飛翔し、どこへも飛んでいけると思っていた。だから、君が欲しかった」

 そこで息をつくワルド。顔色はすでに蒼ざめ、体力の限界が近いことを示している。

「俺は、結局、空高く飛ぶ君を、地面にはいずって、見ているしか、できなかった」
「違うわ」

 ルイズは、ワルドの残った左手に彼の杖を握らせる。

「あなたには野望という翼がある。今はそれは傷ついているかもしれないけれど、また必ず飛び立てる」

 自らもワルドの魔法でずたずたにされ、ワルドの傷の治療にブラウスのほとんどを引きちぎってしまったルイズは、ほとんど半裸に近い血まみれの姿であった。だが、ワルドの目には、そんなルイズの姿があまりにもまばゆく、美しかった。

「そうか。ならば、必ず君のところへ飛んでゆく。俺自身の翼で」

 ワルドも、杖をつき、なんとか立ち上がった。そして、左手にはめていた指輪に念を込める。それは風石と呼ばれる、「風」の精霊の力の結晶体であった。

「お別れだ、ルイズ。愛している」
「さようなら、ワルド。愛していたわ」

 ワルドは飛び立つと、月光の差し込むステンドグラスを割って闇夜へと消えていった。
 そんな彼を、ルイズはずっと見つめ続けていた。彼女の頬を一筋の涙が伝う。

「さようなら。初恋の人」


 礼拝堂の入り口で事の成り行きをずっと見守っていたフェイトは、ずっと微笑んでいた。その暗く澱み、邪悪ささえたたえた表情は、だが微笑みとしか形容のしようがないものであった。

 そんな二人の元に、武装した王軍の部隊が現れたのは、ワルドが去ってすぐであった。



[2605] 運命の使い魔と大人達 第七話中篇その三
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/03/23 21:17
 なだれ込んできた王軍に拘束されたルイズとフェイトが監禁されたのは、市庁舎の地下にある留置場であった。ただし、ルイズがトリステインでも一、二を誇る大貴族の令嬢であることもあって、部屋そのものは貴族向けの調度をもった牢ではあった。
 その牢のベッドの上で、ルイズはフェイトに傷の治療を受けつつじっと天井を見つめ続けていた。ウェールズ皇太子とワルドの最後の会話、ワルドとの闘いとその結末。それを何度も何度も繰り返し反芻していた。

「フェイト」
「はい、お嬢様」

 ずっと月明かりの中でルイズの傍にいたフェイトが、わずかに小首をかしげて答える。
 ルイズは、そんなフェイトの瞳を見て、いつから彼女の瞳が澱むことがなくなり、深淵をたたえるようになったのかと、それを思った。最初に出会ったときの彼女の瞳は、もっと腐り、濁り、狂気をたたえていたのに。今の彼女の瞳は、光こそないものの、深く静かな深淵をたたえているだけである。

「わたしね、立派なメイジになりたかったの。別に、そんな強力なメイジになれなくてもいい。ただ、呪文をきちんと使いこなせるようになりたい。それだけでよかったの」

 ルイズは、フェイトの瞳を見つめながら静かに語った。

「小さい頃から、わたし、駄目だって言われ続けてきた。お父様もお母様も、わたしに全然期待なんてしていなかった。クラスメイトにも、ずっと馬鹿にされ続けていた。ゼロ、ゼロ、って」

 フェイトは、包帯で覆われたルイズの手を両手でそっと握った。

「でも今は思うの。「虚無」の力が発現しなくてもいいって。あまりに強大な力は、驕りを生むわ。わたし、そんな強い人間じゃないもの。きっと「虚無」の力に飲みこまれてしまう。わたしはただ、みんなができることを普通にできればよかった。そんな、大それた力なんて欲しいとは思わなかった」

 ルイズの眼から、一筋、涙がこぼれた。

「ねえ、フェイト。わたし、ワルドと闘って判ったことが一つだけあるの。強くなるっていうことは、何かを失っていくことだって。もう、わたしは昔のわたしじゃない。「ゼロのルイズ」じゃない。あの何もできなくて、何も知らなかった幸せな時は、もう戻ってこない」

 ルイズは、自分の手を握っていてくれているフェイトの手を握り返した。

「ねえ、フェイト。あんたは最後まで戦うことこそあの勇敢な皇太子さまの義務だって、言ったわよね? なら、わたしが代わってその義務を果たそうと思う。ウェールズさまは、わたし達三人に、ワルドも含めた三人に、自分の背負っていたものを託されたんだわ。だから、その背負っていたものを、ほんのわずかでもいいから背負いたい」

 フェイトは、優しく微笑んで黙ってうなずいた。そして、ルイズの頬を伝った涙のあとを唇でぬぐうと、その桃色がかった金髪に頬を当てた。
 と、そんな時であった。
 ぼこっと地下牢の床に穴があき、中からジャイアント・モールのヴェルダンデが顔を出し、続いてギーシュがはい出てきた。

「おや? ルイズ、なんでこんなところにいるんだい? 姫殿下からの密命は果たせたのかい?」
「ちょっと、ギーシュ! あんたいつの間にアルビオンに!?」
「タバサのシルフィードで飛んできたのよ」

 続いて中から、よいしょっという掛け声とともにキュルケが現れる。

「キュルケ! あんたまで!?」
「ま、どうせ助けが必要だろうと思ったから、貸しを作りにきたのよ。それにしても、酷い傷ねえ。で、あの素敵な髭の婚約者さんは?」
「……裏切り者だったからぶっとばしたわ」
「さすが」

 続いて、ぴょこっとタバサも顔を出す。

「うむ、さすがは僕のヴェルダンデだね! 「水のルビー」の臭いを嗅ぎつけてここまでくるなて! ああ、なんて素敵なんだ!」
「ああ、もう。あんた達、お人よしにも程があるわ!!」

 負った傷もなんのその、がばっとベッドから起き上がると、顔を真っ赤にしたルイズは、ベッドの上に仁王立ちになって叫んだ。

「当然だろう? 密命を受けたのは君だけじゃないんだぜ?」
「というわけで、あたし達は、まあお手伝いみたいなものね」

 当然とばかりに胸を張るギーシュとキュルケ。タバサは、相変わらず何を考えているのか判らない表情でルイズとフェイトを見つめている。
 いてえ、頭が割れるようにいてえ。そんな表情でベッドにうずくまるルイズ。 
 と、牢屋での騒ぎを聞きつけて、看守や兵士らが駆けつけてくる。

「さてと、それじゃ国王陛下に拝謁を賜るといたしましょうか」

 鼻歌交じりの楽しそうな声で、キュルケがにやりと笑った。


 アルビオン国王であるジェームズ一世は、老い、疲れた表情で市庁舎のホールに据えられた玉座に座っていた。そろそろ夜明けが近いというのに、廷臣や将軍達まで揃っている。

「そなたが、ゲルマニアはアルゴー商会の会長、フォン・ツェルプトーか」
「左様でございます、陛下」

 ルイズら四人を後ろに控えさせて、キュルケがひざまずいた姿勢で答える。

「卿のおかげをもって、我が軍は反乱軍相手に存分に戦いえておる。感謝するぞ。貴国の皇帝陛下にも、ジェームズがそう感謝しておったと伝えるように」
「もったいないお言葉でございます。皇帝陛下も、お喜びになられましょう」

 そんな儀礼的な言葉が交わされる中、ルイズは居並ぶ廷臣らや将軍らの表情を見ていた。誰もが疲れ、絶望に満ちた表情をしている。すでにルイズを批難するような眼すらしていない。なるほど、ウェールズ皇太子は、それほどに皆にとっての希望であったのだ。

「さてそれで、アルゴー商会の長が、何故に明日の敗北を前にした我が軍に挨拶に来たのかね?」

 居並ぶ将軍達の中から、最も上座にいた壮年の男がキュルケに声をかけた。歳の頃はまだ四十台であろうが、すでに髪も髭も半ばまで白くなってしまっている。

「まだ敗北が確定したわけではございませんでしょう?」
「反乱軍は、この二、三日中には五万を数えるであろう。それに対して我が軍は八千。このエッジヒルに篭ったとしても、援軍も見込めぬとなれば一ヶ月ももたないだろう。なれば、我らになしうるは、勇敢に死すくらいしかあるまい」

 将軍は、淡々と現状について語った。その見解はここにいる全員の総意らしく、誰も反論しようとはしない。
 その場を重い空気が支配したその時であった。

「発言をお許しいただけますでしょうか?」

 すっくと立ち上がり、ルイズがジェームズ国王を正面から見据えた。

「ラ・ヴァリエールといったな。何か?」
「勝てぬまでも、負けぬ算段があるとすれば、いかがなさいます?」

 その場の全員の目が、ルイズに注目する。
 ルイスは、フェイトに顔を向け、うなずいた。それにあわせてフェイトも立ち上がり、周囲を見回す。

「それでは、陪臣ながら私がご説明申し上げます」


 フェイトの説明は簡潔で、明瞭であった。
 しかし、その内容に誰もが渋い顔をしてのけていた。

「確かに、理にかなってはいる。が、我ら皆にモグラになれというのか」
「左様でございます。しかも、北のダーダネルスまで、ひたすらモグラとなって戦いつつ後退しなくてはなりません」

 野戦とは、両軍が戦列を並べて貴族が杖を交わすもの、という先入観が強いのであろう。フェイトの言葉に誰もうなずこうとしない。疲れた表情のまま、ジェームズ国王がフェイトからルイズに視線を移した。

「ラ・ヴァリエール」
「はい、陛下」
「お主は余の息子の最後を見届けたのであったな」
「はい、陛下。裏切り者を連れ込み、あげく殿下を殺めるのを止められなかった罪は、このわたしにございます。なんなりと罰を下さいますよう」

 そう言って、ルイズは、もう一度ひざまずいて頭を垂れた。だが、再度顔をあげ、ジェームズ国王を正面から見つめる。

「なればこそ、殿下に代わって万分の一でも、戦場で罪を償うことをお許しください」
「あえて息子の代わりを果たす、か。随分と思い上がった事を口にするのう」
「ご不興をかったことは謝罪申し上げます。しかし、トリステインよりの大使として、随員より裏切り者を出した責任は、全てこのわたしめにございます。それにウェールズ殿下は、名誉ある敗北をお望みでした。ならば、そのためのお手伝いをさせてくださいませ」

 その場にいる全員がルイズに注目した。この齢二十にも届かぬ小娘が、かのウェールズ皇太子の代わりを果たすという。皆、怒るよりも前に呆れてしまっていた。
 だが、そこであえて発言する者がいた。将軍らの上座にいた、半白髪の将軍である。

「仔細承知した。ならば、卿らの言葉に賭けてみよう。どうせ敗北が決まっているのであれば、いかに戦おうとも結末は同じ。ならば、せいぜいあがいてみようではないか」
「ありがとうございます、閣下」
「ミス・ラ・ヴァリエール。小官はエドウィン・アストレイという。現在は王立陸軍総司令官を務めている。まずは卿とミス・フェイトの献策通りに戦ってみよう。よろしいですな、陛下」
「うむ、卿がそう言うのであればかまわぬ」
「では、具体的な作戦の話にはいろうか。ミス・ラ・ヴァリエール、ミス・フェイト」


「それで、僕は何をすればいいんだい?」

 軍議が終わったところで、ギーシュがルイズとフェイトに向かってたずねた。王軍の将軍たちは、すでに各部隊へと散っている。

「姫さまのご命令にあった手紙はお返しいただいたわ。ギーシュ、あんたがそれを姫さまにお渡しして」

 ルイズは、ギーシュに封筒に入った手紙を渡した。ギーシュはうなずくと、それを上着の隠しにしまった。

「それであたしは?」

 キュルケがフェイトに指示をあおぐ。タバサといえば、興味しんしんという様子で皆を見つめている。

「小銃と大砲の在庫は?」
「五千丁と三十門。弾薬は各二百発と百発というところね。すぐにでも船積みできるわ」
「了解しました。それでは、ダーダネルスの封鎖の突破は、打ち合わせ通りに」
「はいはい。じゃ、あたしもタバサとギーシュと一緒に一旦戻るから」

 びしっとサムズアップして、キュルケはにやりと笑う。そんな彼女にルイズは溜め息交じりに言った。

「無茶して戻ってこなくてもいいから。それより、荷物を必ず届けてよ」
「わかってるって。なんたって一千万エキューの大取引ですもの。失敗したら破産だわ」

 うわ、そりゃすげえ。ルイズとギーシュは、あんぐりと口をあけた。なにしろトリステイン王室の年間歳費が二千万エキュー、ヴァリエール家の総資産額が四千万エキューである。ちなみにグラモン家といえば、ひっくり返してホコリすら叩き出しても、一千万エキューなんて大金は出せはしない。

「すでに同じ数の小銃と大砲は納品しているもの。ええ、たっぷりと稼がせて頂いているわ」

 手の平を口に当てて、ほーっほっほっと笑ってみせるキュルケ。さすがのルイズとギーシュも心底羨ましそうにそれを見ているしかできない。

「ルイズ、あんたもせいぜいがんばって生き残りなさいよ。でないと、からかう相手がいなくなってあたしがさびしいんだから」
「ふん! 言われなくたって、生きて魔法学院に帰るもん! 見ていなさいよ、すごい功績を立てて、見返してあげるんだから!!」

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人を見ていたタバサが、ぽつりと隣のフェイトに向かって呟いた。

「プチ・トロワには?」
「全て報告してください。あとこの手紙を」
「了解」

 フェイトは、他の三人には聞こえないようささやき、そっと手の平に隠してタバサの袖口に手紙を入れた。タバサは、視線すら向けずそれを受け取った。


 ガリア王国、首都リュティス。
 王都を騒がしているアプサンによる騒動は、いまだ収まらないとはいえ、少しづつ騒動の発生件数は減りつつあった。とはいえ、酔っ払いの数が減ったというわけではない。王立醸造所から供給される各種の香草を発酵させ蒸留したリキュールが、食欲の増進をはかるとか、健康に良いとか、そうした名目で安く大量に供給されるようになり、またアプサンに莫大な税金がかけられるようになって、消費量が格段に減ったためであった。

「というわけで、プチ・トロワの使用人は、すべて入れ換えが完了しました」
「ちゃんと、引きこもりの我侭姫が癇癪を起こしている、という噂は流し続けられるね?」

 ウォルシンガム卿の報告に、窓際に立ってカーテンの隙間から外の光景を見ているイザベラが問いかける。その眼下では、少なくない数の酔っ払いが放吟し、ふらふらと歩き回っている。
 今イザベラがいるのは、旧市街にある館であった。最近では、プチ・トロワには影武者を置き、もっぱらこの館で北花壇騎士団の管理を行うようになっている。なにしろ権限が増えたために、さばかねばならない書類の量が格段に増えたのだ。それを管理する建物が、プチ・トロワとは別にどうしても必要となっていた。
 ウォルシンガム卿は、相変わらず光を失った冷たい眼で簡潔に答えた。

「その為の入れ換えです」
「確認しただけさ。で、ベルサイテル宮殿の各花壇の維持費の流用先は、判りそうかい?」
「南部都市国家郡の金融商会を経て、ロマリアの金融商会から、アルビオンの貴族派に」
「……そうかい」

 イザベラは、それからしばらくの間、沈黙の中で思考を広げた。
 王政を打破し、貴族による共和制を敷き、ハルケギニアを統一し、聖地を奪回する。そうしたお題目を掲げ、今やアルビオンのテューダー王家を滅亡一歩直前まで追い込んだ「レコン・キスタ」の連中に、父親のジョゼフが何故莫大な援助を行うのかそれが判らない。実際、トリステインやゲルマニアの貴族の少なくない数が「レコン・キスタ」に密かに参加していると、ウォルシンガム卿から報告が上がってきている。
 幸いガリアにおいては、その独特な貴族の気風もあってほとんど「レコン・キスタ」の浸透は見られないが、この先どう動くかまでは判らない。
 イザベラは、執務机に戻ると、その上に山積みとなっている書類綴りの一冊を引き出した。
 それは、ここ数年の間、議会が承認してきた王政府財政の予算と決算であった。
 実はイザベラが、ベルサイテル宮殿にある膨大な数の花壇の維持費が何かに流用されているのに気がついたのは、この予算書と決算書をひたすら読み込んだ結果であった。
 最初は、父ジョゼフがどうやって王政府に政務を丸投げしたまま、道楽にうつつを抜かしていられるのか、それを調べることから始まったことであった。
 そして気がついたのは、要所要所に任じられている貴族が、ことごとく有能ではないものの無能ではなく、そして父ジョゼフに絶対の忠誠を誓っている人間達であることであった。
 宰相以下、尚書らは、政策構想能力こそないものの、実務を執り行う能力は有しているものばかりであり、大まかな政策方針の枠組みさえ示されれば、それにそってそれぞれの担当をこなせる者達ばかりである。
 議会を構成する議員達も、普段は自分の党派の利権のために権謀術数にあけくれているもの、ジョゼフにとって必要な法案については、何故か党議拘束を外してほとんど全会一致で可決している。特に王政府の予算と決算については、まるで審議する事自体必要無いといわんばかりにあっという間に可決してしまう。
 つまり表舞台の政治の場には、一切ジョゼフの存在は現れないように細心の注意が払われているのだ。

「上手いもんだ。はたから見れば、部下に政務を丸投げして道楽にうつつを抜かしているようにしか見えないようになってる」
「はい」
「おかげで、誰も予算の流用には気がつかない。そりゃ、まともに予算も決算も審議しないんじゃ、気がつきようもありはしないけれどね」

 心から感心した様子で、イザベラは、書類綴りをとじると机の上に放り投げた。そして大きくため息をつく。

「あたしがちまちまと酒の売り上げをかすめて小金を溜め込んでいる間に、父上は膨大な裏金を自由に使う事ができる」

 そして、視線をウォルシンガム卿に向け、すっと眼を細めた。

「お前が眠らせておいた「組織」の維持費は、あたしの「小遣い」で足りるかい?」
「ぎりぎりですな。少なくとも、何か具体的な行動をお望みならば、今の倍は頂きませんと」
「もうちょっと待ちな。なんとかして、稼ぎネタを考えるから」

 もう一度、イザベラは大きなため息をついた。いかな北花壇騎士団の団長とはいえ、金を稼ぐというのは中々上手くいくものではない。そんな簡単に金を稼ぐ方法があるならば、この世の中金持ちだらけになっているはずである。
 結局、また彼女に借りを作るしかないか。
 イザベラは、自ら「師」と仰いでいる、しかし心を許したわけではない女の顔を思い浮かべた。ガリア全土に膨大な量のアルコールを売りさばき、巨億の富を稼いでいる女、フェイト。彼女の顔を思い浮かべるたびに、ふつふつと内心にどす黒い欲望がわき上がってくる。そして、彼女に借りを作るたびに、屈辱に身が打ち震え、全身が熱くなる。
 両手で執務机をつかみ、奥歯を噛み締めて震えを押さえ込もうとしている最中であった。

「北花壇騎士七号がプチ・トロワに戻ったそうです」

 ウォルシンガム卿の抑揚の無い声に、イザベラは、ようやく「師」への執着から解き放たれた。


 タバサは、いつもならば何がしかの嫌がらせを受けてからイザベラに面会することになるのに、それが無いことに落ち着かないものを感じていた。自分の直属上官が、どんな理由があって自分に色々と嫌がらせをするのか、その理由は理解しているつもりである。それだけに、その嫌がらせがないということは、イザベラに何か変化が起きたということに他ならない。
 事実イザベラは、私室で待っていたタバサのところに現れると、嫌味や当てこすりすら口にせず、用件を促したのだ。

「手紙を預かった」

 イザベラの前にフェイトから預かった手紙を差し出すと、王女は何も言わずそれを受け取り、中身を読み始める。そして最後まで読み終わると、きりきりと奥歯を噛み鳴らし、少なくとも淑女には相応しくない罵倒を繰り返した。アバズレだのクソッたれだの魔女のババァだの。

「で、あの女は他には何か言っていたかい?」
「アルビオン王党派軍に参加し、貴族派軍に対して積極的に攻勢に出つつ、ダーダネルスまで後退する、と」
「……………」

 イザベラは黙り込むと、じっと手紙に視線を向けたまま、何事か考えている。そして、黙って席を立つと、机の引き出しから地図の山を取り出した。その中から、アルビオンの地図を何枚か引っ張り出す。そして、地図を眺めつつ、何事か口の中で呟き続ける。

「……そうか、だが、そんな真似が本当にできるのかい?」

 それは、タバサに聞かせる言葉ではなかった。あくまで自分の思考の結果が信じられないがゆえに漏れた言葉であった。
 そして、しばらく沈思黙考すると、タバサに向かって顔を上げた。

「あの女に伝言だ。助言に心から感謝している、と、伝えろ。あと、父上がアルビオンの貴族派に援助している裏がとれた、と」

 そして、きっちりと油紙で包まれ、封がされた小包をタバサの前に放る。

「こいつを渡しな。今回の助言については、これで貸し借り無しとも伝えろ」
「了解」


 アルビオンの反乱軍、自らは「レコン・キスタ」と称している貴族達の軍勢が、ケアンズから出撃したのは、フェイト達が動き始めてから三日後であった。それぞれ一万五千の軍団に分かれ、東、南、西の三方向から街道沿いにエッジヒルの街に向けて進軍する。そして五千の部隊が本陣であるケアンズに総予備として後置されていた。
 これらの軍団は、丸一日かけてエッジヒルの手前五リーグほどで合流し、その後街を包囲する手はずとなっている。たとえ王党派軍が出撃してきても、それぞれの軍団が二倍からの数を有している以上、まず負けるとは考えられなかったし、時間が経てば残りの軍団が応援に駆けつける事になる。
 まさに大軍らしく正面から物量で押しつぶす必勝の作戦であった。
 それらの軍団のうち、南側のケアンズからエッジヒルまでほぼまっすぐに伸びる街道を進軍中の軍団の先遣部隊である騎兵連隊が、朝方森の中を通る街道を進んでいる時であった。
 聞いた事の無い鋭い銃声とともに、先頭を行く中隊の中隊長が頭部を撃ち抜かれて落馬する。慌てて残りの中隊全員が全周警戒に入り、残りの貴族士官が杖を振って防御魔法を唱えようとする。だが、杖を振りかざした順に士官達は次々と頭部を撃ち抜かれ、兜の隙間から血を撒き散らしながら落馬していく。その衝撃に多数の馬がパニックを起こし、中隊は大混乱に陥ってしまった。そして、さらに数人の下士官兵が射殺され、落馬してゆく。
 見えない敵の射撃が途絶えた頃には、中隊の全員が下馬し、地面に伏せていた。なにしろ銃声の聞こえた方向は判っても、発射煙も見えなければ、それらしい射手の影も形も見えないのだ。誰しも反撃も出来ないのに、見えない敵の銃口にその身をさらしたいわけがない。
 彼らは、後続の騎兵連隊主力が到着するまで、ずっと地面に伏せ続けていた。

 後続の騎兵連隊主力は、前方で響いた銃声に、一斉に戦闘態勢に入った。貴族士官らは杖を抜いて呪文を用意し、下士官兵は槍を抱えて突撃の準備に入る。
 と、連隊の先頭付近にいた、連隊長が左胸から血を吹き出しながら落馬した。その一瞬後に聞こえる銃声。慌てて「風」の防御魔法である「エア・シールド」を何人かの士官が唱えるが、連隊全体を覆う前に、さらに二人の貴族士官が胸や頭を撃ち抜かれて落馬する。続いて残った貴族士官が探知魔法を唱えるが、森の中ではろくに視線も通らず射手の姿は見つからない。
 数騎の騎兵が、後方の軍団主力へと伝令のために走り去ろうとするが、次々と背後から心臓や頭部を撃ち抜かれて落馬する。乗り手を失った馬がパニックを起こし、連隊の残りの馬達にも、それはすぐに伝わった。振り落とされ落馬する者、そのまま森に駆け込み射殺される者、街道をまっすぐ駆け抜ける者、もう完全に騎兵連隊は部隊としての統制を失っていた。
 連隊がなんとか部隊としての統制を取り戻した時には、すぐ背後まで軍団主力の歩兵が近づいてきていた。

 軍団長のエセックス伯は、比較的早くに貴族派軍に身を投じた将軍である。「レコン・キスタ」の理想に共鳴した、というよりは、元々王弟モード大公の覚えがよかったせいもあって、モード大公が兄のジェームズ国王に討伐されて後、僻地へと左遷されていたがためであった。
 エセックス伯は、前方の斥候部隊が大混乱に陥っている旨、報告を受けると、すぐに王党派軍から鹵獲した新式小銃を装備した銃兵連隊を前方の森へ向けて前進させた。
 この新式小銃は、銃身内にライフリングが刻んであり、しかも弾丸は椎の実型で、雷管によって装薬に着火する機構となっている。弾丸は、発射時に底部に掘られたくぼみに蓋が食い込み、ライフリングに弾丸の後ろ半分が食い込む様になっており、これまでの火縄や火打ち石で着火し、丸い鉛弾を発射する滑腔式小銃に比べて、有効射程で四倍、出弾率は倍、発射速度はほとんど変わらないか少し速いくらいと、大幅に火力が向上していた。
 貴族派軍がレキシントンの会戦で王党派軍に対して数で勝りながらも、ほぼ同数の損害を出したのは、この新式小銃が五千丁も王党派軍に配備されていたためであった。その長射程と命中精度のため、貴族派軍のマスケット銃兵や長槍兵は、敵歩兵に接敵する前にばたばたとなぎ倒され、多数の貴族士官が魔法防御をもって弾雨から歩兵部隊を護り、多数の騎兵を損害を無視して突撃させる事によって、ようやく王党派軍の戦列を崩す事ができたのである。
 この新式小銃は、ゲルマニアのゲベール工房が生産していたことから、両軍ともにゲベール銃と呼んでいた。そしてエセックス伯の軍団は、このゲベール銃を約五百丁装備していたのであった。
 ゲベール銃装備の銃兵連隊が、横陣を組んで銃剣を並べ、前進してゆく。この銃剣も、ゲベール銃で初めて装備されるようになった新兵器であり、これによって銃兵は長槍兵によって敵の近接突撃から護られなくても済むようになったのであった。それどころか、自らの射撃で敵の横列が崩れれば、即座に突撃を行い、戦果を拡大できるようにもなったのである。
 攻防揃って強大な威力を発揮できるゲベール銃装備の部隊は、まさしく両軍ともに精鋭歩兵としてあらゆる場面で活躍することになる。

 なるはずであった。

 銃兵連隊が森にさしかかった時、軍団の右斜め後方から鋭い銃声が響き、エセックス伯の口腔から血が吹き出し、またがっていた馬から地面へと落下する。
 慌てて護衛の貴族士官が防御魔法を唱えるが、その詠唱のわずか十秒の間に、さらに三人の貴族士官が頭蓋を兜ごと撃ち抜かれ落馬した。残りの幕僚らは、恐怖のあまり自ら馬から飛び降り、少しでも背を低くしようと地面に這いつくばる。
 そしてその姿を見た軍団の兵達は、一斉にパニックを起こし、隊列を乱して地面に同じように這いつくばった。もはや軍団は、部隊としての統制を完全に失い、ひたすら姿の見えない敵からの射撃を恐れて地面に張り付く怯えた人間の群れと化してしまっていた。

 軍団が、なんとか残余の指揮官らによって統制を回復し、部隊としてのまとまりを取り戻したのは、その日の午後も遅くになってからであった。


 東側の街道を進んでいる貴族派軍の軍団指揮官は、アイアトン伯である。レキシントンの会戦で騎兵隊指揮官をつとめ、王党派軍の戦列を突破するのに功のあった猛将であった。彼は、騎兵を中隊単位で扇状に散開させて軍団の前衛として前進させ、王党派軍の奇襲に備えつつエッジヒルへと前進していた。
 アイアトン伯が「レコン・キスタ」に参加したのは、レキシントンの会戦で戦死した王党派軍の司令官であったカンバーランド侯と仲が悪かったせいである。互いに自らこそがアルビオン軍では最も騎兵部隊運用の名手であると自負しており、事あるごとに衝突していたのであった。結果として、カンバーランド侯が王党派軍の司令官に任じられたことにより、自ら進んで「レコン・キスタ」軍に参加したのである。
 そのアイアトン伯としては、できる事ならば指揮下の軍団を早足で行軍させ、王党派軍の先手をとってエッジヒルの街を包囲したいと考えていた。だが、王党派軍にはまだ二千丁以上のゲベール銃が残っており、わずか八千と自ら率いている軍団の半分に減ったとはいえ、火力の面では決して侮りがたい戦力を保有していることも理解していた。そのため、貴族派軍総司令官であるホーキンス将軍が立案した作戦である分進合撃案に反対することなく、諸兵科連合の軍団を率いて街道を前進していたのであった。

 そして、前衛として展開していた各騎兵中隊が王党派軍と接触したのは、昼直前であった。なだらかな傾斜の続く草原に差し掛かったあたりで、各騎兵中隊は地面に穴を掘って隠れていたマスケット銃兵の至近からの一斉射撃によってかなりの損害を出し、一時後退して再編成する事となった。
 この報告を受けたアイアトン伯は、ただちに軍団を行軍隊形から戦闘隊形に移行させた。そして、まずは先鋒としてマスケット銃兵と長槍兵の混成部隊の横隊四千名を前進させ、隠れている敵を引きずり出そうとした。
 まずは「火」の系統の貴族士官が「ファイア・ボール」などの炎上魔法を唱えて草原を焼き払い、視界をさえぎる障害物を排除する。そして、軽騎兵が射撃を受けたあたりまで混成部隊が前進すると、王党派軍のマスケット銃兵が、一斉に地面に深くジグザグに横方向に掘られた穴の中から立ち上がり、斉射を行ってくる。最初の一撃を敵に許したことで部隊の一部に混乱が発生するが、すぐに貴族士官が唱えた防御魔法によって王党派軍の発射する銃弾のかなりの数が無力化され、混乱した部隊は統制を取り戻し、横隊射撃を繰り返しつつ、敵陣地に向けて前進を再開した。
 そして、王党派軍の陣地の手前五〇メートにまで近づいたところで、混成部隊のマスケット銃兵は停止し、その場でひたすら速射に移り、長槍兵部隊が駆け足で突撃に移行する。
 と、長槍兵部隊が敵の陣地直前まで迫ったときであった。最前列の兵士らが何かに足をひっかけ転んでしまう。突撃を行っている長槍兵達が次々と何かに足をひっかけ、その場で止まってしまう。長槍兵部隊は、なんと地面に無数に打ち込まれた杭と、その間に張り巡らされた針金に足を取られてしまっていたのだ。
 長槍兵部隊の貴族士官らが、慌てて「錬金」の魔法で障害物を排除しようとするが、次々と王党派軍のマスケット銃兵の斉射が浴びせかけられ、長槍兵達はばたばたとなぎ倒されてゆく。後方のマスケット銃兵部隊の貴族士官が、王党派軍の陣地に向けて攻撃魔法を打ち込むが、なにしろ前方の長槍兵部隊が視線をさえぎるのと、王党派軍のマスケット銃兵が一斉射ごとに陣地内に引きこもって装弾するので、中々効果を発揮できない。

 アイアトン伯は、これ以上の損害は不可として、混成部隊に後退命令を下した。混成部隊は約一千名の死傷者を出しており、これ以上の戦闘は無理と判断したのである。
 そして、布陣の終わった砲兵部隊に、混成部隊の後退と同時に射撃命令を下す。また、後続部隊の貴族士官らに、敵陣のあるあたりに「火」の攻撃魔法を打ち込ませ、その間に「土」の魔法で針金の障害物を排除するよう命令を下した。王党派軍の陣地は火炎に覆われ、次々と撃ち込まれる砲弾や散弾に、追撃どころか頭を上げることさえできない有様であった。
 その間に、マスケット銃兵と長槍兵の混成部隊の第二陣五千名が前進を開始し、砲撃と魔法攻撃が止むと同時に早足で王党派軍の陣地へと前進する。すでに足を止める針金の障害物は無く、一気に敵陣地内に突入できるはずであった。
 と、火の魔法で焼き払われ、赤茶けた土が露出した地面を五千の兵士らが横隊で進んでいるところに、王党派軍陣地の後方、傾斜部の中央付近から一斉に白煙と銃声があがる。貴族派軍第二陣は、左右斜め前方から降り注ぐゲベール銃の椎の実型の銃弾によって射すくめられ、混乱状態に陥った。貴族士官らが張った魔法の防御壁は、前方からの射撃を想定して張られており、斜め前方から撃たれることは想定していなかったのである。しかも、傾斜部の中央までは約二百メートはあり、ほとんどの魔法攻撃の射程外でもあった。

 アイアトン伯は、一旦中止させた砲撃を再開させ、傾斜部中央付近の白煙を目標に王党派軍の陣地を一つ一つ潰させようとした。
 だが砲兵が射撃を再開しようとしたところで、今度は傾斜部上部から大砲ならではの轟音と白煙とともに、多数の砲弾が砲兵陣地に降りそそいだ。貴族派軍砲兵も対抗して砲撃を行おうとするが、何しろ敵の砲兵陣地は高地の上にあり、しかもほとんど射程ぎりぎりである事もあって、中々命中弾を出す事ができない。さらには王党派軍の砲兵は、アルゴー商会から購入した新式の野砲を装備しており、発射速度も射程も、貴族派軍の砲兵のそれを圧倒していたのである。
 このゲベール銃を生産しているのと同じゲベール工房で生産されている新型野砲は、貴族派軍が主力としている青銅製の六ポンドや十七ポンドの野砲を上回る、二十ポンドの砲弾を発射可能な鋼鉄製の砲であった。しかも、砲脚の中にスプリングが仕込まれており、砲身が据えられている砲架が発射時の反動を受けて砲脚の上を滑って後退するのを受け止め、反動を吸収すると砲架を元の位置に戻す、という機構になっているのであった。さらに、砲身は靭性を重視した内筒と、剛性を重視した外筒とを焼き固めしたものであり、装薬の燃焼時の筒内圧力に応じて砲尾から三重、二重、と、外筒がはめられている。そして、砲尾はネジ式の閉鎖方式となっており、わざわざ砲口から装薬と砲弾を装填しなくても、砲尾から装填が可能という非常に優れた操作性を持っていたのであった。
 王党派軍砲兵隊は、一発発射ごとにネジ式の砲尾をぐるぐると回して外し、砲身内を濡れた布を巻いた索杖で清掃すると、砲弾と装薬を装填し、砲尾のねじ山にたっぷりとガス漏れ防止のグリースを塗りつけてから、ぐるぐると回して閉じる。最後に、貴族士官が火口から中に発火の魔法を唱え、装薬に点火し発射する。そして轟音とともに砲身と砲架が後退し、地面に打ち込まれた砲脚の駐鍬がスプリングが受け止めきれなかった反動を受け止め、若干砲身が跳ね上がる。そして元の位置に戻った砲身の砲尾を砲手がぐるぐると回して開く。
 王党派軍のゲベール砲の発射速度は、貴族派軍砲兵隊の青銅製の野砲の二倍にも達し、射程も五割増しという強力なものであった。

 次々と降り注ぐ王党派軍の銃弾と砲弾とに、貴族派軍砲兵隊と第二派部隊は文字通りばたばたとなぎ倒されていくばかりであった。しかも反撃しようにも、王党派軍は土中に掘った隠蔽陣地の中から射撃してくるばかりで、中々その位置を把握できない。
 アイアトン伯は、第二派部隊の後退を命じ、第三派、切り札であるゲベール銃を装備した部隊を殿軍として、その支援の元、全軍に後退命令を下そうとした。
 その瞬間であった。飛来した口径八ミリの炭素鋼弾芯の徹甲弾がアイアトン伯の兜後部に命中して貫通し、延髄部分を破砕しつつ頭蓋内部で横転する。そのまま、脳髄を破壊しつつ口腔から抜け、兜の顔面覆いに当たってまた口腔内にはじき戻された。
 馬上で指揮をとり続けていたアイアトン伯が、後退命令を出さぬまま戦死し、さらには司令部幕僚が次々と後部から飛来する銃弾に脳髄を破砕され続けたため、指揮系統の麻痺したまま第二派部隊と砲兵隊は兵士と士官の過半を失い、士気を喪失して壊走するまで戦闘を続行する羽目となった。

 壊走し始めた第二派部隊は、第三派部隊三千を巻き込み、再編成中の第一陣や騎兵部隊も混乱させ、進撃してきた街道を一路ケアンズへと向けて逃げ出す事となった。
 結局、王党派軍の追撃によってさらに損害を重ね、故アイアトン伯の軍団は全ての砲と兵士の半数を失ってケアンズまで後退したのである。


 ケアンズからエッジヒルまで、東側から回り込むような形で通る街道を進むフェアファックス伯の軍団が、予定の集結地点に到着したのは、その日の夕刻であった。周囲に放った騎兵斥候は敵影を発見できず、そのまま予定時刻になっても到着しない味方部隊を待ち続ける羽目となった。フェアファックス伯は、宿営地を設定する様命令を下すと、連絡将校をエセックス伯とアイアトン伯の軍団へ向けて送った。
 そのまま何事も無いまま夜半に至り、ようやくエセックス伯の軍団が到着したのである。
 軍団は、まさしく惨憺たる有様で、士気は落ち、隊列も乱れがちで、少なくない脱走兵を出していた。ただでさえ各軍団は、この数週間で集まった勝ち馬に乗ろうという傭兵が大半で編成されている。軍団長以下、少なくない数の幕僚を失い、旅団長の一人が臨時に司令官代理を務めてようやく軍団としての体をなしている部隊とあっては、早々に士気を失った傭兵が逃げ出すのも致し方無いと言えた。
 さらに、アイアトン伯の軍団へと送った連絡将校が戻り、持ってきた報告は、フェアファックス伯を愕然とさせる内容であった。
 アイアトン伯とその幕僚団は、ほぼ全員が戦死し、軍団も半数にまで損耗してしまったという。とりあえず総司令官のホーキンス将軍直率の部隊に編入し、再編成を終えてからケアンズを出発するという。そして、ホーキンス将軍の命令は、故エセックス伯の軍団を編入した上で、エッジヒルの街を包囲せよ、という内容であった。
 結局フェアファックス伯は、次の日丸一日を軍を再編するのに費やし、しかる後に三万の軍を率いてエッジヒルの街の郊外に布陣したのである。
 そしてその頃には、王党派軍はエッジヒルの街を放棄し、北方へと下がってしまった後であった。


 さて、エッジヒル西方でアイアトン伯の軍団を撃破したアストレイ将軍率いる王党派軍は、約数百名の損害で一旦エッジヒルの街へと帰還し、街に集積してあった物資の残余とともに、北方五〇リーグにあるアドウォルンの街の南方に移動し布陣していた。
 まさかの勝利に王党派軍は沸き、一転して兵士達の士気は高まっていた。全員が戦死を覚悟しての戦いのはずであったのが、まるで奇跡のような逆転勝利となったのである。これで兵士の士気が高まらないわけがない。
 そうした勝利に沸く王党派軍の中で、勲功を挙げた者に対して国王自らが勲章と感状を授けていた。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。貴官はエッジヒルの会戦において、その強烈無比な攻撃魔法により、後退する敵軍の殿軍に多大なる打撃を与え、その士気をくじき、壊走せしめ、我が軍の勝利に多大なる貢献をなせり。その武勲顕著なるによって、ここに戦功十字勲章及び感状を授与するものである。アルビオン王国国王ジェームズ・テューダー」

 アドウォルンの市庁舎を接収して設営された王党派軍総司令部において、ルイズは、最初に勲章と感状を授与されるという名誉に預かっていた。なにしろ、殿軍を務めていた貴族派軍のゲベール銃装備の精鋭歩兵部隊に対し、フェイトの作ってくれた迷彩スーツを着て匍匐しつつ接近し、得意の爆発魔法を連射して半分以上も爆殺してのけたのである。おかげで、王党派軍のマスケット銃兵と長槍兵は、ゲベール銃の猛射をほとんど受けずに後退するアイアトン伯の軍団に突撃を行うことができたのだ。敵がこうむった損害の過半はこの追撃戦において与えられたものであり、その事からもルイズの挙げた戦功は、王党派軍全軍に布告されるに足るとジェームズ国王もアストレイ将軍も判断したのであった。
 というわけでルイズは、裏切り者を連れ込んだ愚か者、という扱いから一転して、まさしく王党派軍の切り札とでも言うべき立場にのし上がったのであった。
 だがルイズは、喜びに沸く王党派軍の空気をどうしても共有することができないでいた。

「ねえ、フェイト。あんたは人を殺す時、何を感じるの?」

 夜、特別に市庁舎に一室を与えられたルイズは、濡れたタオルで全身の汗や汚れをぬぐいながら、傍らに控えているフェイトにそうたずねた。ワルドに受けた傷は、「水」の秘薬をふんだんに使った治療を受けたおかげもあって、もうすっかり消えて見えなくなってしまっている。
 ルイズは、日中の戦闘のことを思い出すと、すぐにでも手が震え、怖くて怖くてたまらなくなる。まして、自分の魔法で爆散する人体を見続けさせられたことで、何か心の大事な部分が壊れてしまったような気すらしていたのであった。

「お嬢様、優れた兵士であるために必要な技能として、忘れる、というものがあります」

 そんなルイズに、フェイトは、優しく背中をぬぐいながら答える。

「私も、この戦闘で数十人の敵兵を殺しました。思い出そうと思えば、その一つ一つを思い出せます。ですが、それをすれば心が壊れます」

 そう、フェイトは、エセックス伯とアイアトン伯、そしてその幕僚団の過半を事実上一人で殺したのだ。徹底して遠距離からの狙撃のためだけに作られた「バルディッシュ」と、迷彩服と、そして鍛え挙げられた技術によって。
 彼女は、夜間に敵の進撃路上に龍騎士を使って空中を移動し、降下して後、多数の狙撃陣地を構築し、それを利用して日中行軍するエセックス伯を狙撃したのである。さらに、一旦森の奥へと後退して待機していた龍騎士と合流し、アストレイ伯と交戦中のアイアトン伯の軍団後方に降り立ったのである。あとは、機会を見て狙撃を繰り返したのであった。
 さらに、アストレイ伯率いる王党派軍が行った隠蔽陣地構築と、針金を使った障害物の組み合わせによる野戦築城戦術を提案したのも、フェイトであった。まさしくこの勝利は、フェイトのものであったのである。
 本来ならば、フェイトこそが最初に勲章を授与され、感状を受け取るべきなのであった。だが彼女は、あえて自らの存在を秘匿し、敵に対する切り札とすべきであるとジェームズ国王とアストレイ将軍に申し入れ、その勲功を隠すことを選んだのであった。

「引き金を引くとき、何も考えてはいけません。ただ仕事をすると思い込むのです。そうでなければ、心が壊れます」
「わたし、怖い」

 フェイトは、ルイズの全身をぬぐい終わると、服を着せ、そっと優しく抱きしめた。そして、その桃色がかった金髪をやさしく撫でながら、耳元にささやいた。

「私がおそばにおります」

 フェイトは、その豊かな胸にルイズの頭をうずめさせる。
 ルイズは、フェイトの心臓の鼓動を感じて、少しだけ安心することができた。

「生きて魔法学院に帰るわ」

 ルイズは、それだけが自分を護ってくれる呪文のように、なんどもフェイトの胸の中で繰り返した。

 エッジヒルに布陣した貴族派軍の総司令部で、次の作戦についての会議が開かれていた。
 上座に座るのは、緑色のローブとマントの僧服に丸い玉帽をかぶった、三十台半ばの男である。一見して聖職者に見えるが、その雰囲気はむしろ軍人のそれに近い。思いもよらぬ敗戦に、意気消沈している将軍達を前にして、まるで気にもせずに微笑んでいる。

「クロムウェル議長閣下、以上で報告を終わります」

 貴族派軍総司令官であるホーキンス将軍が、今回の一連の戦闘に関して、報告を終えたところであった。

「諸卿らの今回の敗北について、余はなんら責めようとは思わない。敵は戦略方針を根本から変更し、意表をつく新戦術を駆使し、このエッジヒルでの決戦を避けて後退したのだ。確かに損害は我が軍の方が大きいが、しかし、撤退したのは敵軍である」

 約八千人もの損害を受けたにも関わらず、それをなんでもない風に言ってのけるクロムウェル。

「敵は戦略を変更し、我が軍に土地を明け渡す代わりに損害を強要する、という方針をとった様だ。ならば我が軍は、敵が明け渡してくれる土地を受け取りつつ、損害を最小限に抑える、という方法で戦うまでだ。何か異存はあるかね?」
「いえ、ございません」

 将軍達は一斉に頭を下げる。

「議長閣下、よろしいでしょうか?」

 席につく若い将軍が、クロムウェルの背後に立つローブをまとった女へと視線を向ける。すっぽりと被ったローブの下からは、わずかにあごと朱の差した唇だけがのぞいている。

「何かね? スキッポン将軍」
「閣下の「切り札」の投入は、いつをお考えなのでしょうか?」
「レキシントンの会戦の様な決戦の時だ」

 女は、すっと口の端を歪めて笑みらしきものを浮かべた。

「それでは諸君、次の作戦について討議しようではないか」


 会議を終えて退席したクロムウェルは、その足で市庁舎の最上階の一番奥の部屋へと向かった。
 そこには、包帯を全身に巻き、右腕の二の腕から先を失ったワルドがベッドに横たわっていた。
 クロムウェルが入室してきたのに気がつくと、ワルドはベッドから降りてひざまずこうとする。それを片手で制して、クロムウェルは人懐こい微笑みを浮かべた。

「傷の具合はどうかね? ワルド子爵」
「任務に失敗したあげく、このような醜態をさらし、まことに申し訳なく思っております。閣下」
「いや、ウェールズ皇太子を討ち取っただけでも、十分な功績と言えよう。昨日の会戦の敗北も、彼が無事であったならば、さらに甚大な被害を受けていたであろうしな」
「お言葉、まことにいたみいります」

 ベッドに横たわったまま、心底申し訳なさそうな声を出すワルド。

「今我々に必要なものは何か、判るかね? ワルド子爵」
「いえ、閣下の深遠なお考えは、小官には判りかねます」
「結束だよ! そう、鉄の結束だ! 「聖地」を選ばれた貴族によってあの忌まわしきエルフどもから取り戻す! その為には何よりも結束が必要なのだ! だから余は、君のささいな失敗を責めはしない。何故ならば君を信用するからだ。結束に何よりも必要なのは信用だからな」


 ゲルマニアの商業港リューネブルグ。その港から数隻の商船が飛び立とうとしている。アルゴー商会が雇った輸送船であった。積荷は、ゲベール銃五千丁とゲベール砲三十門。銃弾十万発と砲弾三千発。そして大量の黒色火薬であった。

「さて、ここまでがあたしの出来る限りね」

 キュルケは、その船団を見送りつつ、傍らのタバサに視線を向けた。相変わらずタバサは、何を考えているのか判らない無表情のまま、船団を見つめている。

「しかし、本当に君達もアルビオンに行くのかい?」

 トリスタニアの王宮に戻り、アンリエッタの求めた手紙を渡してきたギーシュが、心配そうにキュルケとタバサを見つめる。
 アンリエッタの狼狽振りといったら、それはもう見てはいられないものであった。ワルド子爵が裏切ってウェールズを殺したことに始まり、ルイズが戦争に参加したことまで、それはもうおろおろとしっぱなしであったのだ。ギーシュは、そんな彼女に「必ずミス・ヴァリエールを無事に連れ帰ります」と請合い、再度アルビオンに渡る羽目になってしまったのである。

「当然でしょ。ルイズったら、今頃きっと怖くて泣いているに決まっているもの。あたしが行ってからかってやらないと、絶対に立ち直れないわ」

 ルイズ本人がいる前では、絶対に口にしない口調と内容で、キュルケが答える。

「まったく、君達も素直じゃないな。僕にとってはそれこそが一番不思議だよ!」

 ギーシュが呆れたように頭を振る。
 それにキュルケは答えた。

「女ってね、あんたが思っているよりもよっぽど複雑なのよ」



[2605] 運命の使い魔と大人達 第七話中篇その四
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/03/27 19:28
 ダーダネルスは、王立空軍の二大軍港のうち北部を担当する本国艦隊の根拠地であると同時に、ゲルマニアからの商船が寄航する商業港でもある。飛行専門の船を係留する係留塔が何本も立ち並び、また広大な湖が空海両用の船舶を停泊させることもできた。各種船舶を建造可能な船台がいくつも並び、そこには何隻もの戦列艦やフリゲート艦が急ピッチで修理を受けている。
 サー・ホレイショ・ホーンブロワー提督は、そのまるまると太った身体を揺らして、愉快そうにエッジヒルの総司令部から送られてきた手紙を読んでいた。元は王党派空軍本国艦隊司令長官であるウェールズ皇太子の旗艦「インビンシンブル」号の艦長兼幕僚長であったのであるが、ウェールズの戦死とともに本国艦隊司令長官に昇進したのであった。
 元々が陽気な性格でユーモアのある提督であるだけに、勇将であったウェールズとの組み合わせは抜群であって、戦列艦の数と質で負けている現状であっても王立空軍の士気を維持し、積極的に出撃を繰り返しては、貴族派空軍の封鎖艦隊に度々痛打を与えてきたのである。

「ねえ、ミスター・ブッシュ。王立空軍の使命とは、元々アルビオン商船を空賊や海賊から守るのが仕事だったのにね」

 そのウェールズ王子から引き継いだ王立空軍本国艦隊と七十二門戦列艦「インビンシブル」号の上甲板で、ホーンブロワーは、後継の艦長のブッシュ艦長に向けた筒状に丸めた手紙を望遠鏡の様にのぞき込んでいる。

「そうですな。小官の初陣はゲルマニアの私略船との戦いでした。乗っていたのは二十四門搭載のフリゲート艦でしたが、艦長が雲を使って敵の艦首上方を取り、二斉射で決着をつけてしまいましたが」
「うん、それこそが王立空軍のあるべき姿だね! やはり僕達は牧羊犬であって、こうして犬小屋で寝そべっているのは似合わないことおびたただしい。たとえ護るべき相手がゲルマニアの商船であってもね!」

 楽しそうに腹をゆすると、ホーンブロワー提督は、手紙をブッシュ艦長に渡した。

「それじゃあ、ちょっと散歩に出かけようじゃないか」


 ゲルマニアの、萌黄色の地に黄色い鷲が描かれた盾が中央に染めてある商船旗を掲げた両用船が数隻、ダーダネルス港に接舷して多くの荷物を降ろしている。それは次々と馬車に乗せられ、南部へと街道を移動してゆく。上空を何騎もの龍騎士が警戒し、貴族派の龍騎士の襲撃に備えていた。
 キュルケは、先ほどの空戦でぼろぼろになった戦列艦が何隻も船台に着地するのを見て難しい顔をしていた。ホーンブロワー提督の艦隊は、数で勝る貴族派空軍の封鎖艦隊に積極的に同航戦を挑み、見事にキュルケの商船隊を護りきったのであった。双方とも二隻の戦列艦が失われ、その倍を超える艦艇が撃破されていた。

「やあやあ、君がミス・ツェルプトーだね! 僕はサー・ホレイショ・ホーンブロワー、この艦隊を国王陛下よろお預かりしているんだよ。ようこそアルビオンへ! ちょっとごたごたしていて大したおもてなしもできないが、少しでも楽しい滞在になると嬉しいかな」

 ゆっさゆっさと太鼓腹をゆすりながら、穴だらけの「インビンシンブル」号から降りてきたホーンブロワー提督が、にこにこと笑いながら近づいてきた。
 キュルケは、その人懐こい笑顔につられたように笑顔を浮かべ、軽くスカートを持ち上げる淑女の礼をした。

「アルビオン王立空軍の精強さを十分に拝見させていただけましたこと、心より御礼を申し上げます。ミスタ・ホーンブロワー」
「うん。君のような美少女を無事に迎え入れられて、どうやら僕らの名誉も護られたようだよ」
「名誉の戦死を遂げられた将兵の皆様に、心からの感謝と、ご冥福を申し上げます」
「あっはっは。それは嬉しいねえ」

 それからホーンブロワーは、続々と荷揚げされいく荷物を眺めてもう一度嬉しそうに笑った。

「これだけの武器弾薬があれば、もしかしたら僕らは、もう一度ロンディニウムに戻れるかもしれないね。そうなったら、観閲式には是非ともご招待申し上げさせてもらおうかな」


「確かにゲベール銃五千丁、ゲベール砲三十門、そしてその弾薬、受領した」

 アドウォルンの街の市庁舎の一室で、王党派政府の財務卿が書類にサインをし、そしてロマリアの金融商会名義の一千万エキューの手形にサインをした。

「確かに代金のほう受領いたしました」
「それで、早速お願いなのだが、前金で三百万エキュー用意する。これで火薬を購入してきてはもらえないだろうか? 可能な限り火急速やかに、だ」
「はい?」

 さすがにキュルケも唖然とした。いくら即金前払いとはいえ、三百万エキュー分の火薬なんてそう簡単に集められるものではない。

「実は、前線から弾薬の補給の要請がとてつもない量でね。今回運んでもらった弾薬も、多分三日で使い切ってしまうと思う」
「はあ?」

 小銃一丁あたり二百発、大砲一門あたり百発の弾薬である。通常ならば戦役一杯もたせられるはずの量だ。一回の会戦で小銃が五十発も百発も撃つことは稀であるし、大砲だって五十発も撃つなんてそうそうあることではない。
 そんなキュルケの疑問を受けて、財務卿は大きく溜め息をついた。

「先日、エル・ドラドの峡谷で会戦があった。小銃一丁あたり百四十発、大砲一門あたり八十発を使ったそうだ」
「……双方の死傷者は?」
「反乱軍は約六千人、我が軍は約七百人らしい」

 桁一個違っていない? 本気でキュルケはそう思った。いくら万単位の兵士が激突する会戦だからって、千人単位で死傷者が出るというのは、想像の埒外である。しかも味方の損害は桁一個少ないという。
 もっともキュルケが知っているのは、貴族同士の領地の境界線をめぐっての小競り合いとか、ちょっとした反乱の討伐とか、その程度の戦闘でしかなかったし、実際に戦場に参陣したことがあったわけではなかったのだが。

「今我が軍はアーサー・ヒルで陣地を構築中だ。行ってみれば判ってもらえると思う」


 アーサー・ヒルは、エッジヒルからアドウォルンの街へと伸びる街道の途中、アドウォルンの南十五リーグほどにある東西に伸びる丘陵地帯であり、広大な森が丘陵の上から東西へと伸びている地域であった。
 普段はもっぱら羊飼いが羊の群れを追っている田舎であり、これだけの数の人間が集まるなんてまずあったことがない場所である。
 そのアーサー・ヒルの丘陵に約四千の兵士と、周辺の街や村からかき集められてきた平民達が、ひたすら陣地構築の土木工事を行っていた。

「ミス・ツェルプトー、無事武器弾薬を届けてくれて、心から感謝している」

 先日、エッジヒルの街で会ったときは、アルビオン軍の白い軍服に身を包んでいたはずのアストレイ将軍は、何故かフェイトが着ていたのとそっくりの、腹の辺りまでしかない厚手の木綿のジャケットとゆったりしたパンツを身につけ、そして、革底で革のつま先とかかとにキャンパス地の足首の上までしかない靴にさらに藁製のサンダルを固定した代物を履いていた。全体の色は土茶色の地にあちこちに黒や緑の染料で染みがつけてあり、ジャケットとパンツの境に土茶色のキャンバス地のベルトをしめていた。帽子は濃い緑色のベレー帽であり、とてもではないがこの壮年の白髪の男が、王党派陸軍の総司令官には見えない。
 よく見れば、兵士の大半が似たような格好をしており、帽子もつば広のキャンバス帽やらベレー帽やら鉄兜に布をかぶせたものと、とにかくみすぼらしいことおびただしい。

「おや、この格好に驚いている様だね?」
「……え、ええ。非常に前衛的なお召し物で、いささか驚いております」

 アストレイ将軍は、にやりと口ひげをひねると、楽しげに説明した。

「なに、ミス・フェイトと同じ格好をしているのだよ。なにしろこの格好で塹壕にこもっていると、敵も中々に見分けがつかないようでね。先日のエル・ドラド峡谷の戦闘では、随分と重宝したものだ」

 なんでも、長さ四リーグにも及ぶ峡谷の底を通る街道の曲がり角ごとに障害物付の陣地を構築し、さらに峡谷の上にも複層の陣地を構築したのだとか。そして、一度に一個連隊千数百から二千人しか投入できないのを、ひたすら街道沿いの陣地と峡谷の上の陣地から撃ちまくり、文字通り峡谷を貴族派軍の兵士の死体で埋め尽くしたのだという。
 貴族派軍は、虎の子の龍騎士まで峡谷内の陣地攻撃に投入するほどに追い詰められたのであるが、峡谷上部の隠蔽された陣地から不意急射を何度も受け、すでに三十数騎もの龍騎士を失ったという。しかもそのうち十一騎の龍騎士を撃墜したのは、フェイトの「バルディッシュ」だとか。彼女の狙撃銃は、いとも簡単に魔法防御のかかった甲冑を、龍の鱗を貫通し、敵に甚大な被害を与えたという。ちなみに敵の旅団長二人と三人の連隊長を含めた、十数人の貴族士官の狙撃にも成功したのだとか。

「時間があれば、ミス・フェイトが使っているのと同じ銃を使いこなせる部隊を編成したいのだがね。さすがにそれだけの余裕は今の我々にはないのだよ。それでも、これで我が軍は全兵士にゲベール銃を持たせることができる。このアーサー・ヒルの戦いで、敵がどれだけの死者を出すか、非常に興味深い」
「はあ」

 なんというか、キュルケの知っている戦争とは全く異次元の戦いが繰り広げられている様で、はっきりいってドン引きに引きまくってしまっていた。そんな彼女の表情を無視して、アストレイ将軍は真面目な顔で依頼する。

「とにかく弾薬が足りない。今、兵士一人あたり小銃弾二百四十発、砲一門あたり百七発しか確保できていない。できれば小銃弾を一人当たり二千発、砲弾を五百発用意したいのだ。お願いできないだろうか?」
「努力はいたします。けれども、なにしろ硫黄と硝石の値段が高騰していまして、お預かりした三百万エキューでどれだけ用意できますか」
「出来ないのであれば、せめて火薬だけでもなんとかならないだろうか? 銃弾と砲弾そのものは、こちらで自製できないものでもないし」
「とにかく努力はいたします」


 さて、場所は変わってギーシュは、一度トリステインに戻った時に、アンリエッタ王女やラグドリアン商会に出して貰った支度金で、約三百の傭兵を率いて戦場に参陣していた。他にも、王政打倒を唱える貴族派軍と戦おう、という義勇兵の貴族軍人が、自弁で多数参加してもいた。その数は兵士も含めて約千名。

「てゆーか、なんであんたわざわざ戻ってきたわけよ?」

 心底あきれ返った表情で、ルイズがギーシュの事を上から下まで眺める。

「姫殿下にお願いされたんだよ。ルイズを無事連れ帰ってきてください、って。僕の名前を呼んで手を取ってくださってまで。しかも涙ながらにだぜ? これで参陣しなかったら、それこそグラモン家から勘当されてしまうじゃないか」

 喜んでもらえるどころか、いかにも邪魔扱いされて、ギーシュはかなり不機嫌になっていた。
 そんな彼の格好を見ていたフェイトが、きっぱりと言い切った。

「とにかく、その格好では半日と生きてはいられません。兵站担当士官のところにいって、私の名前で部隊全員に新しい被服を貰ってきてください」

 相変わらず胸元の開いたレース付のシャツに、羅紗地のマントという姿のギーシュである。それに対してフェイトもルイズも、土茶色の上下にぼろ布が無数にぶら下がった迷彩スーツを身に着けていて、上半身部を腰の辺りで結んでいた。靴も土茶色の麻の靴袋で隠れている。

「それじゃあ、僕の活躍が目立たないじゃないか!」
「目立ったら死ぬわよ。多分ゲベール銃か大砲で狙われて。人の忠告を聞かないあんたが死ぬのは、あんたの勝手だけれど、それで陣地の位置がばれたら、ただでさえ数の少ない味方が死ぬわ」

 殺気さえこもった視線でルイズににらみつけられて、ギーシュはしゅんとしてしまった。

「安心なさい。活躍する機会なんて、便壷に溢れるくらいやってくるから」


 ギーシュは、ルイズとフェイトの忠告に従い、その足で兵站担当士官の元に向かった。

「なるほど! 「告死天使」殿と「猟犬」殿のお知り合いですか! 判りました。三百着ですな。サイズが合うかどうかは判りませんが、すぐに用意いたしましょう」

 ルイズとフェイトの名前は、なんというかまるで魔法の言葉のようであった。とにかく二人の名前さえ出せば、なんでもかんでもあっという間に揃うのだ。

「いやあ、隊長殿。大したお知り合いをお持ちでいらっしゃいますなあ」

 感心したように、部隊の先任下士官のニコラがなんども繰り返しうなずいた。

「兵站士官に被服をすぱっと出させるなんて、こりゃとんでもない魔法ですぜ」
「そういうものなのかい?」
「あいつらは、そりゃあケチでしてね。どんなに必要だって口すっぱくしても、絶対に出しやしませんし、出してもほんのちょびっとを渋々と、でさ」

 額の傷に日焼けした顔のはしっこそうな中年男である。とにかく傭兵という傭兵が、貴族派軍の高給を提示した募兵に応じてしまっているため、なんとかかき集められたのが、このニコラという火縄銃の扱いに慣れた傭兵下士官と、その仲間達であった。
 ギーシュが「なんで負けている王党派軍に参加する僕の募兵に応じたんだい?」と聞けば、「貴族派軍の募兵の条件がよすぎるんでさ。相場の五割り増しの給与っていうのは、ちと嫌な予感がしましてね」と答えたものである。ちなみに、ギーシュの提示した給与は、相場としては妥当な日当で四エキューである。一応一月分という事で、前払いで百二十エキューづつ支払ったわけであるが、これがまた非常に珍しく、事前の脱走者が一人も出なかったのであった。ここらへん、この歴戦の傭兵下士官のニコラの統率力が生半可なものではない事がギーシュにも判った。

「しかし、あのお嬢さん方をはじめとして、この軍の着ている服装は大したものですなあ。なるほど、どういう戦い方をさせるつもりなのか、よく判りまさあ」
「そうなんだ。どういう戦い方なんだい?」

 着ている服だけで判るものなのか、と、ギーシュは驚いていた。そんな彼にニコラは、にかっと笑って説明した。とにかくギーシュはニコラに気に入られていて、何かと兵士としての心得を教えてもらっている。

「そりゃあ、ひたすら穴を掘ってそこにもぐって銃を撃たせまくるつもりでしょう。だから、土と同じ色の服を着せて、草木と似た染みをそこらじゅうに付けさせているんでさ」
「なるほどね。確かにあの服の色なら、地面に穴を掘って入ってしまえば、そうそう見つけられないね」

 ギーシュは、自分は多分大した戦功を挙げられはしないだろうな、と、覚悟した。地面にこもっての射撃戦では、自分の得意とする青銅のゴーレムを使った戦い方は必要ないだろうからだ。多分、一番活躍するのは、使い魔であるジャイアント・モールであるヴェルダンデであろう。何しろ穴掘りにはこれ以上はない使い魔であるし。そう思うと、少しは気が楽になった。それに、陣地の中にこもっていられるならば、そう簡単には死なずに済むであろうし。
 それが完全に間違っている事を知るのは、さほど時間はかからなかったが。


 フェアファックス将軍率いる三万の軍勢が、アーサー・ヒルの手前三リーグの地点に展開したのは、ギーシュらが陣地に到着してから三日後であった。
 まずはマスケット銃や長槍を持った軽歩兵が、草地の中を出来る限り目立たないように前進し、各種の罠をはじめとする障害物の発見に努める。それを、東西にじぐざぐに掘られた隠蔽された塹壕や銃座の中から、王党派軍のゲベール銃を装備した兵士がひたすら狙い撃ち、斥候活動を妨害する。
 基本的に撃たれて損害を出すことで、王党派軍の陣地の位置を探るために送り出された斥候達は、到着したばかりの傭兵らであった。戦場の詳細を知らされないまま、斥候任務に送り出され、瞬く間に数十人単位で倒れていく。
 フェアファックス将軍は、王党派軍の東西五リーグに伸びる前方陣地の位置を大体把握すると、続いて「火」や「土」の魔法を使う傭兵メイジを、同様に傭兵のマスケット銃兵を護衛につけて送り出す。とにかくこの草地を焼き払い、主力となる歩兵を前進させられる様にしなくてはならない。
 当然王党派軍もわきまえたもので、不注意な傭兵メイジが杖を振ったところに射撃を集中させ、これを制圧していく。だが、すでにエッジヒルやエル・ドラド峡谷での戦闘を生き延びてきた「火」の傭兵メイジが、銃兵と協力してまずは自分達が隠れる穴を掘り、そこに隠れつつ呪文を唱えて前方の草むらを焼き払っていく。
 予想通り、地面深くに打ち込まれた杭とその間に張り渡してある針金で構成された障害物が見つかり、「土」の傭兵メイジがこれを「錬金」で排除していく。当然のごとく王党派軍の射撃が集中してくるが、応射する銃兵の発砲煙が絶好の煙幕となって、メイジらの作業を援護する。
 こうして障害物を排除して突撃路を何本も開くと、第二派の傭兵銃兵と長槍兵がその穴から王党派軍の陣地へと向けて突撃を始める。それに突撃路を開いている最中に布陣した砲兵隊も、支援のための射撃を開始する。繰り返し射撃をしたことで暴露してしまった王党派軍の陣地が、砲兵隊によって制圧され、ところどころに射撃の穴が出来始める。
 そして、損害を無視した突撃によって王党派軍の陣地内になだれ込んだ貴族派軍の歩兵が、塹壕内で王党派軍の歩兵と接近戦に入る。王党派軍の歩兵は、ゲベール銃に銃剣をつけ、腰に斧や鉈を差しており、狭い陣地内では多数の傭兵達が倒されていく。
 だが、一度開いてしまい、そこから次々と流し込まれる貴族派軍の歩兵の数によって、陣地内は少しづつ貴族派軍によって制圧されてゆき、とうとう王党派軍の銃兵達は陣地を放棄して丘陵に向けて後退を始めた。同時に、後退を支援するためか、いくつもの丘の上からゲベール砲の発砲煙が立ち上り、多数の石弾や鉄弾が、塹壕いっぱいに詰め込まれている貴族派軍傭兵らの上に降り注ぐ。瞬く間に塹壕の中はひしゃげた肉塊と血溜りで埋め尽くされてゆくが、それでも塹壕内に突入し、陣地を占領していく傭兵らの数が減ることはない。

 そして、王党派軍の銃兵が完全に撤退し、貴族派軍が陣地を完全に占領したときであった。
 前方陣地後方に隠蔽されていた陣地から、王党派貴族士官らによって「火」の魔法が塹壕内に向かって飛び、次々と貴族派軍の傭兵達を焼き殺してゆく。少なくない数の傭兵が、手に手に武器をもって塹壕から飛び出し、次の陣地へと向けて突撃しようとするが、後退したゲベール銃兵らの斉射を受けて次々と倒れていく。運良く少数の傭兵が次の陣地に接触するが、そこは「錬金」の魔法で作られた石壁の上から土をかぶせて覆った、重防御の特火点であった。瞬く間に銃弾の雨が降り注ぎ、ろくに射撃横隊を作ることも出来ない傭兵たちは、そのまま次々と屍をさらしてゆく。
 だが、次々と占領された陣地に流し込まれる傭兵達によって、徐々にマスケット銃兵の横隊も密度を増し、ついで戦列に参加する傭兵メイジらによって、いくつもの特火点が制圧されてゆく。特火点の周囲には多数の貴族派傭兵の死体の山が積み上げられてゆくが、数で圧倒する貴族派軍は、次々と占領した塹壕から飛び出し、横隊を作って射撃を繰り返しつつ少しづつ前進してゆく。
 午後遅くには、幅五リーグにも及んだ王党派軍の前方陣地は、貴族派軍によって占領され、王党派軍は約四百人の損害を出して丘陵の主陣地内に撤収していた。
 貴族派軍の損害は約三千にも及んだが、あくまで許容範囲内とフェアファックス将軍は判断していた。なにしろ傭兵らは、次々と高給につられてやってくるのである。ダーダネルスを封鎖され、補給もままならない王党派軍と消耗戦になれば、勝つのはあきらかであるという自信があった。


 翌日貴族派軍は、王党派軍の砲兵隊から夜通し砲撃を受けつつも、死傷者を占領した陣地から後送し、陣地を修理し、そして丘陵に接敵するための接近路の掘削を始めた。前方陣地から丘陵まで、それこそ無数の障害物が埋設されており、それを排除しようとするとたちどころに銃撃や砲撃が行われて、また少なくない数の兵士らが死傷する羽目となったが、なんとか占領陣地から丘陵の下まで接近路の掘削に成功したのであった。
 この間、何度も風龍に搭乗した龍騎士が飛来して、王党派軍の陣地構成を偵察していったが、フェアファックス将軍の元には、この丘陵地帯そのものが事実上の要塞化されていることしか判らない、という報告しか入ってこなかったのであった。
 将軍は、結局は丘陵地帯とその左右に広がる森林地帯を踏破できる歩兵を有してはいなかったため、さらに遠方から遠回りさせるために、手元の三万人の軍団に後方に拘置しておいた一万人のヴェテラン部隊を五千づつの旅団に分割させ、王党派軍の要塞地帯の後方に回り込ませようと出撃させた。


「ここまでは予定通りですな」

 この丘陵地帯で最も高い丘に掘られた坑道陣地の銃眼から、望遠鏡で貴族派軍が王党派軍の前方陣地を占領するのを見ていたアストレイ将軍が、幕僚や、各丘に掘られた堡塁の防御指揮官達、そしてルイズとフェイトに向けて淡々と口にした。

「各陣地は、それぞれの堡塁の野砲の射程内です。丘を占領するために接近する敵を斜め方向から集中射撃すれば、各堡塁からもの小銃による斜め射撃とともに、絶大な威力を発揮できるでしょう」

 そしてフェイトは続けた。

「あとは、敵のそれぞれの堡塁への接敵の時間をいかにずらすか、ですね。それは各堡塁指揮官の皆様にお任せするべきでしょう」

 各堡塁指揮官が一斉に全員うなずいた。


 丘陵の頂上へ向かう草地よりも、丘陵間の踏み固められた路面の方が歩きやすい。だが、そこを行けばそれぞれの丘に作られているであろう陣地から猛射を受け、左右逃げ場もなくやすやすと壊滅させられることを、先日のエル・ドラドでの戦闘でいやというほど思い知らされたフェアファックス将軍は、「土」のメイジに錬金させた多数の鋼鉄製の盾を槍の代わりに長槍兵に持たせ、丘の頂上へ向けた接近路を掘削し始めさせた。ここしばらくで、長槍兵はそれこそ穴掘りから障害物排除、装甲鈑の運び屋と、戦闘以外のあらゆる仕事に借り出されることになっていた。そして、死傷率も銃兵の二倍にも上っている。
 今も一つの丘あたり二千人からの兵士がとりつき、うち七百人以上の長槍兵がひたすら敵の射撃を受けつつ接近路を掘削している。前進させた野砲でひたすら支援射撃を行い、それぞれの連隊の貴族士官が煙幕を張って視界をさえぎろうとするが、兵士達は次々と砲弾に五体を四散させられ、銃弾に打ち抜かれて掘削した壕の中で息絶える。
 ただし貴族派軍も、ただ射撃を受け続けるだけではなく、丘のふもとに隠蔽壕を掘り、王党派軍の野砲弾の直撃にも耐えられる屋根をつけた防御陣地を構築しつつあった。銃兵らもマスケット銃を置いて、自分たちを守ってくれる安全な陣地の構築に一生懸命であったのだ。
 丘のふもとからジグザグに延びる接近壕が、各堡塁の手前百メートまでたどり着いたのは、その日の夕暮れ時であった。夕闇が忍び寄る中、長槍兵らは、野砲やマスケット銃兵の支援を受けつつ、今度は接近壕の前に横方向に突撃待機壕を掘り始める。丘の下から次々と盾が持ち込まれ、掘られた突撃待機壕に並べられていく。
 これらの作業が終了したのは、もう月が天頂に達してからであった。兵士達は、明日の突撃に備えて、突撃待機壕に並べられた装甲鈑の陰や、丘のふもとの防御陣地の中で仮眠をとっていた。
 その日の貴族派軍の死傷者は、約三千人にも上った。

 ギーシュは、率いてきた三百人の傭兵らを指揮して、ある丘の中腹から頂上にかけて中を掘りぬいて作られた堡塁の防御指揮を任されていた。
 なにしろ王党派軍も連日の戦闘で貴族士官の数が絶望的に不足しており、せめて中隊長だけでも、と、士官候補生が指揮をとっている中隊も少なくは無かったのである。ギーシュが防御を任された堡塁のある丘は、他の丘に比較して少し下がった位置にあり、しかも標高も一番高く二百三メートはあった。つまり総司令部は、到着したばかりの義勇兵大隊、それもアンリエッタ王女の命令で派遣された部隊に、簡単には全滅してもらいたくは無かったのであった。

「しかし、すごい光景じゃないか!」

 この二日間の、貴族派軍の無茶を通り越して無謀としか言いようのない強襲を見て、ギーシュはニコラにそう嘆息してみせた。それこそ銃眼越しに見ても地面が死体で埋め尽くされているようにしか見えない。時間は黎明であり、あと一時間もすれば敵の攻撃が開始される。

「つまるところは城攻めですからなあ。戦列艦から三十二ポンド砲でも下ろしてこないことには、とてもこの堡塁は撃ちぬけませんわ」
「そうだね。で、ニコラ、あと補修が必要そうな箇所は見つかったかい?」
「それは大丈夫でさ。隊長どのは上で敵がどう攻めてくるか見張っておって下さい。それにどう合わせるかは、自分の仲間達がこなしますんで」
「わかった。それじゃあ皆のところを一回りしようじゃないか」

 この歴戦の古参下士官に絶大な信頼を抱いているギーシュは、かつてニコラに教えられた通り「何をやるか」だけに考えを集中させることにした。この中年男が言うには、士官の仕事は「何をやるか」を命じることであって、「いかにやるか」は下士官が決める事なのだそうだ。軍隊の事をろくに知らないギーシュが、「いかにやるか」なんてこれっぽっちも判っているわけがない。
 それぞれ七十人からなる中隊が堡塁の射撃陣地の三方に陣取っており、予備として百人からなる中隊がギーシュの手元にいる。さらに丘の頂上には六門もの野砲が配置されており、左右の丘々の頂上を完全にその射程内におさめていた。
 何気に素直に部下のいう事を聞き、お調子もののギーシュは大隊の皆から好かれていた。というか、がんばって支えてやらにゃあ、と、思われていた。ちなみにギーシュといえば、士官と下士官なんてそんなものなんだろう、と、思っている。そもそも自分はまだ一介の書生で、部下は皆古参の傭兵達なのだ。素直に話を聞くのが当然とも思っていた。

「やあ、どうだい、ジョルジュ? 中隊の様子は?」
「これは隊長どの! 中隊集合!」
「いやいいよ、全員配置に戻ってくれ。敬礼もなしでいいから。いつ敵が攻めてくるか判らないし」
「はい! それではお言葉に甘えまして。全員配置に戻れ!」

 一旦は集合しかけた兵達が、また元の配置に戻っていく。

「では、皆その場で聞いて欲しい。敵は、あの百メート先の塹壕から飛び出してくる。知っての通り、この陣地の直前五十メートには、山ほど足止めの罠をしかけてある。落ち着いて射撃すれば命中するから。運悪く銃眼から飛び込んできた弾に当たったら、先にあの世で待っていてくれ。僕がいく頃には将軍くらいにはなっているから、あの世で周りの連中に自慢していいぞ。このお偉い将軍閣下は、まだまだハナタレ小僧だった頃に一緒に戦った戦友だって」

 それを聞いていた全員が一斉に腹を抱えて笑いだした。こういうところがギーシュの憎めないところというか、愛嬌である。何しろ本人が、自分が戦死するなんてこれっぽっちも思っていないのだ。
 こんな感じで薄暗い壕の中をぐるっと周り、丘の反斜面の壕内に待機している予備中隊にも挨拶すると、今度は丘の一番上にある砲兵隊のところへと行く。そこにはこの戦役のごく初期から戦い続けてきたベテランの将兵達が、思い思いの格好でだべっていた。
 ギーシュが現れても、その場で適当な敬礼を返すばかりで、むしろギーシュの方がかちんこちんに固まって敬礼を返しているくらいである。何しろギーシュはこれが初陣であって、そういう意味でもなかなか上官らしく振舞うのがやりづらいのである。

「そのままで聞いてくれ。この野砲隊の任務は、この堡塁へ向けて上ってくる敵の歩兵を、あの接近路の中にいる間にやっつけること。他の丘の頂上に登った敵兵が現れたら、それを吹き飛ばすこと。この二つだ。丘のふもとの屋根付陣地は別命ない限り撃たなくていい。いいね?」

 散発的に返事が戻ってくる。今ギーシュが言ったようなことは、すでに彼らは百も承知であったのだ。

「隊長どの、そろそろ朝であります」

 ニコラの報告にギーシュはうなずくと、本人としては精一杯の威厳を込めた声で命令を下した。

「全員、配置につけ!」


 フェアファックス将軍は、夜の間に前進陣地のあたりまで前進させた野砲で、丘の中に掘られた王党派軍の陣地に向けて射撃を命令した。六ポンドや十二ポンド、十七ポンドといった各種の口径の砲が、いっせいに射撃を開始し、その発砲煙であたりは真っ白になる。
 各砲あたり二十発も射撃したあたりで、一旦砲撃を中止させると、フェアファックス将軍は歩兵の前進を命令した。それぞれの堡塁のふもとに集結していた各連隊が一斉に接近路の中を、腰をかがめて突撃壕に向けて駆け上る。そこに堡塁から一斉に砲撃が開始され、土嚢や装甲鈑を打ち抜いて、中の歩兵をひき肉へと変えていく。
 だが、命令を受けた銃兵達は、肉塊と化した兵士のことを無視してひたすら突撃壕へと前進した。ここで足を止めては、逆に敵の砲の餌食になるだけなのだ。
 なんとか三々五々突撃壕にたどりつき、その装甲鈑の陰に隠れた銃兵らが一息つく。そして次の瞬間には、生き残った将校の命令で装甲鈑の隙間から敵の堡塁の銃眼にむけて射撃を開始した。互いの間の距離はせいぜい百メートでしかないが、上から撃ち下ろすゲベール銃と、下から撃ち上げるマスケット銃では、どうしても後者の方が分が悪い。盾の隙間から次々と銃弾が飛び込み、射撃をしている銃兵が死傷し壕内に転がってゆく。
 だが、敵の砲撃でその数を減らしながらも、次々と到着する銃兵らが死体を壕から放り出し、配置について戦列を作ってゆく。そして、中隊横列を十分構成できる数が揃ったと判断した将校が、盾の隙間から杖を突き出して魔法を放ち、霧の魔法で敵の視界をさえぎった。

「目標、敵堡塁、躍進距離百メート、後方中隊の射撃と同時に躍進開始。先鋒中隊は別命あるまで射撃禁止。射撃後銃剣を装着し、接近戦に備えること。後方中隊は、先鋒中隊の射撃後、躍進開始。以後の判断は各中隊長に任せるものとする。盾下ろせ、後方中隊撃ち方始め! 先鋒中隊、突撃、始め!」
 
 将校の命令が突撃壕の中に響き、第一列目の中隊が盾を下ろすと同時に、第二列目の中隊が横隊斉射を行う。それと同時に第一列目の中隊が一斉に突撃壕から飛び出し、敵の堡塁へと向けて走り始める。
 だが、二十メートも進まないうちに、堡塁上部の野砲が六門揃って散弾射撃を行う。無数の鉄球が先鋒中隊に浴びせかけられ、中隊の兵士達は文字通りひき肉となってその過半数が消え去った。それに続いて銃眼から一斉射撃が中隊の生き残りに浴びせかけられる。
 突撃壕内でそれを見ていた将校が、即座に命令を下した。

「後方中隊、撃ち方始め! 突撃、始め!」

 一撃で士気崩壊し、その場に伏せた先鋒中隊に代わって、第二陣の中隊が堡塁へ向けて突撃する。いかなゲベール野砲といえど、一分間に二発も三発も射撃を行いえるものではないのだ。わずか百メートを駆け抜ける間に二回ゲベール銃からの射撃を受けるが、生き残った銃兵らはマスケット銃の銃口に槍の穂先を差し込んで即席の銃剣とすると、そのまま壕内に突入しようとした。
 ところが、敵の陣地の手前、わずか三十メートから五十メートの間に、足の片方が納まる程度の穴が無数に開けられており、そこに足をとられて中隊の前進が止まる。慌てて足を引き抜くが、その間に装填を終わらせた敵の銃兵が三度目の一斉射撃を行ってきた。なにしろ射撃距離は五十メートを切っている。一斉射で文字通り中隊は全滅し、死体が折り重なるように山積みとなった。
 続いて貴族派軍の攻撃隊は、突撃壕から死体の山のあたりまで装甲盾をかかげて前進し、そこを突撃発起線としようとしたが、文字通りゲベール野砲の散弾射撃を繰り返し受けることで盾も死体も吹き飛ばされ、突撃壕にまで押し戻されることとなった。

 ギーシュは、次々を発射される野砲の発砲音に半分耳がバカになりつつも、それでも自分の担当している陣地の三方に目をくばり、敵の密集地点を見つけては、野砲隊の指揮官に砲撃を命じていた。下の射撃陣地で銃兵の指揮をとっているニコラから、頻繁に伝令が駆けつけ、各銃兵中隊の状況を報告しくる。
 と、ギーシュは突撃壕の中で杖を振って指揮をとっている敵の貴族士官の姿を見つけた。盾の後ろに隠れるようにして指揮をとってはいるが、時々頭を出しては接近路から進入してくる歩兵らに的確に指示を出しては、この堡塁を攻撃している。ギーシュは、彼の姿を確認しようとして腰を伸ばし、つい立ち上がってしまった。
 と、ひゅんひゅん、ぴしっぴしっと多数の銃弾がギーシュの周りをかすめ、恐怖で全身が硬直する。恐怖のあまり小便を洩らしそうになるが、背後に砲兵隊の兵士全員の視線が集まっているのを背中で感じ、下半身に必死に力を込めてズボンを濡らすのだけは我慢する。
 本当はすぐにでもうずくまって泣き出したいところだが、足がこわばってそれすらできない。ギーシュは何度か深呼吸をすると、ゆっくりと三歩後ずさり、それから回れ右をした。そして、自分の事を見つめている兵士達に向かって、なんとか笑みらしいものを浮かべようとしてできず、結局唇をめくって歯をむき出しにしてみせた。

「やあ、死ぬかと思ったよ」

 その言い草があまりに飄げていて、兵士達は一斉に爆笑した。そのまま緊張の糸が切れたのか、大きく溜め息をつく。あまりのことに、腰を抜かす兵まで出る有様であった。
 ギーシュは、震える膝をなんとか押さえ込むと、腹に精一杯の力をこめて叫んだ。

「敵突撃壕、右十メートに敵指揮官を確認! 全砲門一斉射撃!」

 ギーシュの声にあわせてぱっと動き始めた砲兵達が、砲口をギーシュの指示通りに向ける。敵の貴族士官は、まだそこで指揮をとっていた。丁度、下から上ってきた銃兵中隊が、突撃発起しようとしているところである。
 ギーシュは、視線のあった砲兵隊指揮官にむかって、うなずいて許可を出した。

「撃ち方始め!」

 轟音とともに、半数の三門が丸弾を、半数の三門が散弾を発射する。
 目標となった敵の貴族士官は、文字通り五体をばらばらに引きちぎられて戦死した。
 そして、その士官が実質一人で攻撃隊を支えていたのであろう、敵の歩兵は指揮官の戦死にとうとう士気を失い、一斉に突撃壕を放棄し、丘のふもとへと逃げ始めた。そのタイミングにあわせて、ニコラが銃兵達に連続斉射を行わせ、さらにニコラ自身が指揮をとって予備中隊を率いて敵の突撃壕を占領する。
 後方からのゲベール砲とゲベール銃の猛射を受け、丘を駆け下りてゆく貴族派軍兵士のうち、半数が生きて戻ってはこれなかった。

 その日の貴族派軍の攻撃による死傷者は、王党派軍が約四百人、貴族派軍が四千二百人にも及んだ。


 夜、月が雲に隠れている中、アーサー・ヒル後方を、敵に見えないように風龍が二人を乗せて飛んでいる。王党派軍の龍騎士であった。乗っているのはルイズ。
 ルイズは、ある堡塁の後ろで降りると、その場に龍騎士を待たせて、陣地内に、腰をかがめ背を低くして駆け込んだ。

「お待ちしておりました、ミス・ラ・ヴァリエール」
「で、敵がいるのはどこ?」

 待ち構えていた堡塁の防御指揮官が、満面の笑みを浮かべてルイズを迎え入れた。それにルイズは目礼だけして答えると、愛用の杖を抜いた。

「あの横に伸びている塹壕の中に、敵の一個中隊百四、五十名ががんばっております」
「了解、幅は精々百メート弱ね」

 そしてルイズは、銃眼から杖を突き出し、小声で呪文を唱え始める。四小節ほどの「土」系統の呪文ではあるが、その呪文が完成した瞬間、塹壕の中心で白熱する光が膨らんだ。そして、轟音とともに塹壕は爆発し、多数の兵士が肉塊となって空中高く放り上げられる。塹壕内は爆風が吹き荒れ、土嚢も盾も関係なくそこら中に巻き散らかされる。
 突撃壕のあったあたりには、直径十五メートほどのクレーターと、幅百メートほどのくぼみが出来ているだけであった。そして、あたりにまき散らかされた土砂から多数の肉塊が生えている。

「お見事です! ミス・ラ・ヴァリエール!」

 それこそ全員が万歳を唱えようとするのを、ルイズは片手を振って抑えると、堡塁指揮官に「ではまた明日の夜」とだけ挨拶して、控えている龍騎士の元へと走っていった。

 その日の夜の間に、各堡塁に接近して構築されていた貴族派軍の突撃壕は、すべてルイズによって爆破され単なる穴と化してしまっていた。


 結局、この三日間で約一万二千人の損害を出した貴族派軍は、死体処理のための休戦を王党派軍に申し出ることとなった。何しろ丘陵の傾斜部一面は魔法と砲撃によって地肌が露出し、そこここに死体が山積みとなっているのである。このまま死体が腐敗し疫病が発生したら、それこそ貴族派軍は目も当てられないことになる。
 三日後にはさらに五千の傭兵が補充として到着する旨、エッジヒルの総司令部から連絡があったフェアファックス将軍は、それまでの時間を休戦に当てるため、三日間の休戦を申し込んだのである。そして、アストレイ将軍も、各堡塁の修理や、敵の掘った塹壕の埋め戻しなどに時間が欲しかったこともあって、その休戦を受け入れたのであった。


 ところ変わってトリステイン王国。その王宮内でアンリエッタ王女は、宰相であるマザリーニ枢機卿に詰め寄っていた。

「義勇兵の参加すら禁止するとは、どういうことです!?」

 アンリエッタの怒り狂いようは、王宮に詰めている衛士や宮廷貴族らも初めて見るほどに激しいものであった。しかしマザリーニ枢機卿は、その怒りを正面から受け止めて、相変わらずの冷たい色の瞳でアンリエッタを見つめ返すだけである。

「確かに王軍を動かすのは、アルビオンの貴族派との全面戦争になり、戦争準備が全く整っていない今の我が国では不可である。これは判ります。ですが、チューダー王家の危機に馳せ参じようという貴族の参加まで禁止するとは、わたくしには全く理解できません!!」
「王軍であろうと、義勇兵であろうと、トリステインの貴族が戦争に参加すること、それ自体が問題なのです。殿下」
「だから、それが何故か、と聞いているのです!」

 激昂するアンリエッタをいかになだめるか、それを考えてマザリーニ枢機卿は暗澹たる気分になった。今のアンリエッタには、そもそも理屈というものが通用しない。恋人であったウェールズ皇太子を殺され、信頼していたワルド子爵に裏切られ、しかも親友のルイズは勝手に戦争に参加して大活躍しているのである。
 アンリエッタの頭の中では、すでにアルビオン貴族派は、明確に敵として認定されているのであろう。

「トリステインがアルビオンの内戦に積極的に関与する、それが問題なのです。殿下」
「チューダー王家は我がトリステイン王家とも縁続き。ワルド子爵が暗殺したウェールズ様は、私の従兄なのですよ! 大義名分は十分にあるではないですか!」
「そして、アルビオンと戦争になって勝てますかな?」
「今、王党派は貴族派に対して有利に戦争を進めているではないですか」

 アンリエッタが手にしていた新聞をつきつける。そこには、王党派軍がエッジヒルの戦いから、エル・ドラド峡谷の戦いで、貴族派軍に対して大損害を与えたことが詳細に記事になっていた。しかも、トリステインから参加したルイズが、大活躍の末にジェームズ国王から感状と戦功十字章を授与されたことまで載っている。

「王党派軍は、しかし街の一つも奪い返してはおりませぬな。貴族派軍に対して大きな損害を与えつつも、しかしじりじりと土地を奪われ、北のダーダネルスに向けて後退しております。これをして普通は、負けている、と申すのです。殿下」
「敵に常に十倍以上の損害を与えているのに、負けている、と!?」
「戦場での勝利と、戦争での勝利はまた別なのです」

 それについてアンリエッタに理解させることが不可能であり、それ故に負けている側に加担して、後々アルビオンの貴族派のいらぬ恨みを買うわけにはゆかない、という簡単なことが理解させられない。マザリーニ枢機卿は、大きくため息をつきたいのを我慢して、政務がございますので、と、断りを入れて退出した。
 アンリエッタは、今の自分がただの傀儡でしかないという事実に、ただただ歯がみするしかできなかった。


 ガリア王国、首都リュティス。その旧市街にある北花壇騎士団の秘密の本部で、イザベラ王女は、ウォルシンガム卿の報告を受けていた。

「なるほどね。これだけの消耗戦ともなれば、そりゃあ傭兵の賃金も、火薬の値段も、鉄や鉛の値段も跳ね上がるわけだ」

 非常に気分がよろしい、という表情でにやりと野卑な微笑みを浮かべているイザベラに対して、ウォルシンガム卿は淡々と報告を続ける。

「買い占めました硫黄と硝石は、すでに全て売却先が決まっております。利益率はあえて低めに四割に抑えました。各商会に対して、次の取引では便宜をはかることを約束させております」
「それで、「救貧会」の設立はどうなっている?」
「順調です。モリエール夫人が音頭を取って下さったおかげもありまして、特に大貴族の奥様方やご令嬢方から義捐金が集まってきております」
「そりゃあいいねえ。その手のお花畑なご婦人方は、集まった金が実際にはどう使われているのかなんて気にしないからねえ」

 くっくっくと楽しそうに笑いをもらすイザベラ。が、その瞳には、こらえ様もない屈辱感が煮えたぎっていた。

「で、アルビオンから毛織職人の引き抜きと、エスコリアル種の羊の買占めの状況は?」
「順調に進んでおります。特に毛織職人は「レコン・キスタ」による度重なる拠出金要請に財政的にも限界に達しており、ギルドを抜けたがっている者が少なくありませんでした。また、多数の難民も「救貧会」での引受けが進んでおります」
「で、フランドル高原の王領の管理権はどうなった?」
「国王陛下のお許しがありましたこともあって、順調に北花壇騎士団への移管が進んでおります」
「結構なこった」

 元来は、アルビオン王国は毛織物を最大の輸出品目としていた国であった。それと、飛行船による高速輸送船団による三角貿易が、この国を支えていたのである。
 ハルケギニアの外洋の上空三千メートを浮遊するアルビオン大陸は、それ故に潮気交じりの風が吹き込みやすく、その草原地帯は高いミネラル分を含んだ草が数多く生育していた。さらに気温も低目であることもあって、羊の毛足が細く長く、上質の羊毛がとれることで有名であったのである。そして、その上質の羊毛を羅紗生地に織る職人の腕も長年の技術の蓄積もあって高く、アルビオン産の羅紗生地は市場では非常に高価な値段で取引されていたのであった。
 イザベラは、内戦で国内経済がガタガタになりつつあるアルビオンの現状をフェイトに指摘され、特に高級羊毛用羊、テューダー王家が自ら用にわざわざ魔法を使って品種改良した羊、エスコリアル種の羊を大量に入手し、その羊毛で羅紗生地を織れる最高級の腕をもった職人らを引き抜いてきたのである。
 しかもその引き抜きは、名目として「内戦で国を追われたアルビオン人の難民を保護し、職と教育を与えるため」という、いかにも貴族のご婦人方が飛びつきそうなお題目で立ち上げた慈善団体が主体となって行っている。事実、膨大な数のアルビオン人難民が、父親のジョゼフ王の愛人であるモリエール夫人を発起人とした「救貧会」に救済され、南部の火山龍山脈北部海岸沿いにあるフランドル高原に収容されていた。ちなみにイザベラは、この「救貧会」の事務長として、実務の実際全てを握っている立場にいる。
 イザベラにとっては全てが上手くいっている様に見えて、どうしても二つの懸念が内心ひっかかっていた。
 ひとつは、あっさりと王領であるフランドル高原の管理権を移管してくれた父親ジョゼフ王の思惑。もう一つは、この「救貧会」の立ち上げとアルビオンからの毛織物職人の引き抜きを示唆し、かつ硫黄や硝石、その他戦争で必要とされる物品を信用買いで買占め、貴族派と王党派とにつながりがある各商会への高値で転売することで利ザヤを稼ぐことを示唆したフェイトの思惑であった。
 二人とも、何か別の大きな構想があってあえてイザベラを使おうとしているのは判る。だが、それがどういう絵なのか、それが判らないのが気になって仕方がなかったのだ。
 突然、自らの思考に没頭し始めたイザベラを前に、ウォルシンガム卿は右手で軽く眼鏡をなおすと、黙ったままイザベラの次の言葉を待った。
 と、そこに事務官が現れ、ウォルシンガム卿に何か耳打ちする。

「イザベラ様、国王陛下がお呼びでいらっしゃいます」
「……父上が?」

 たった今の今まで、父親のジョゼフ王の思惑について考えていたところである。虚を突かれたのか、歳相応の子供みたいな表情になって答える。

「はい。火急の用件ですので、すぐグラン・トロワに来るように、と」
「判った。すぐに御伺いする、と、伝えときな」

 イザベラは、珍しいこともあるもんだ、と、呟きながら立ち上がった。


 イザベラが通されたのは、いつも通りのジョゼフの私室であった。その中央には、相変わらず巨大なハルケギニアの地図模型が鎮座ましまし、その上には無数の鉛人形が並んでいる。
 イザベラは、その人形の配置が、現在のハルケギニア各国の主要な軍団の配置であることに気がついた。特にアルビオン上の鉛人形の数と配置が、恐ろしく正確である。それは、ジョゼフがアルビオンに深く太い情報のパイプを持っている事を示していた。

「ふむ、お前もこのゲームに興味を持つようになったのか?」

 地図模型に集中していたはずのジョゼフが、視線だけイザベラに向けてそう問いかけてくる。
 もう四十五歳になろうかという中年男のはずが、見た目にはまだ三十かそこらにしか見えない。全身の筋肉も無駄なく鍛え上げられ、腹に脂肪が溜まっているということもない。
 イザベラは、改めて自らの父親が自分自身の肉体も含めて、何かしらの目的のための道具として手入れを欠かしていないことに気がつかされた。

「ようやく最近になって、何故お父様がこのゲームにはまり込んでしまったか判るような気がいたしますの」
「それは嬉しいな。そのうちお前と一局指してみたいものだ」
「いえ、まだまだ小娘でございますゆえ、父上に御満足いただけはしないかと」
「何、本当はフェイトというロマリア女と一局指してみたいのだがな。お前もどうやら腕をあげてきているようだ。本当に楽しみだ」

 つまり、自分の動きは全部筒抜けってことか。
 イザベラは、表情に感情が出ないよう必死になってこらえつつ、にっこりと微笑んでみせた。
 少なくとも、自分の「師」であるフェイトが、そう簡単にジョゼフにしっぽをつかませるとは思えない。

「それで、今日はいかなる御用があってお召し下さったのでしょうか? 父上」
「うむ、お前も今年で十七であったな?」
「はい」
「どうだ、トリステインのアンリエッタ王女も、ゲルマニアのアルブレヒトの元へ嫁ぐという。お前も結婚など考えてみたことはないかな?」

 さすがに虚をつかれた。
 イザベラは、一瞬呆然として、ぽかんと口をあけて、たった今ジョゼフが口にしたことの内容を反芻する。

「結婚、で、ございますか?」
「うむ、考えてみれば、余も色々と忙しくて、お前の嫁ぎ先について何も考えてはいなかったことに気がついたのだよ。それではあまりにもお前が不憫でな。というわけで誰か意中の者がいれば、と思ってな」

 イザベラは表情には見せないものの、必死になって考えた。
 王族の結婚ということは、何らかの政治的な意図があって行われるものである。特にガリアの様な大国の後継者である自分の結婚ならば、そうだ。とすると、嫁ぎ先はどこかの王室か、国内の有力な大貴族ということになる。つまり、ガリア王国の味方を作るなり、ガリア王室の直轄領を増やすなり、するためなのだから。
 と、イザベラは、ここでフェイトなら誰を選ぶだろうかと考えた。あの徹底的に利害のみで動くはずの彼女が、トリステイン王家と縁続きのアルビオン王家の断絶に手を出さなかったのはなぜか。そういえば、アンリエッタ王女は、アルビオン王室とは祖父の代で縁続きであったはず。つまり、今アルビオン王家が断絶すれば、さほど無理もなくアルビオン王国の王権を継承することを主張できる立場にいる。そして、嫁ぎ先はゲルマニア皇帝。
 このままでいくならば、アンリエッタは、自らを祖とする巨大な帝国を建設することが可能な立場にいる。
 その帝国は、文字どおりガリア王国を国力でしのぎ、圧倒的な脅威となって北から圧迫してくる事は確実である。
 イザベラは、もう一度地図模型を見つめなおした。
 そして、愕然とする。この「帝国」は、容易にガリアの北部を制圧し、王都リュティスの北方にあるライン河のあたりまで進出が可能となる。

「そうですわね、アンジュー侯爵のご長男などいかがでしょう?」

 イザベラは、火山龍山脈の南側ほぼ全域を領土とする、今ではガリア王国最大の大貴族の名前をあげた。
 アンジュー侯爵家は、かつて国境を接しているロマリアに出た英雄のジュリオ・チェーザレ王によって奪われたガリア王国南部の奪還に大功があって、火山龍山脈の南側をガリア王室から任されている大貴族である。火山龍山脈によってガリア王国の中部と北部から断絶されているその地域は、むしろ気風としてはロマリアや南部半島都市国家群に近いものがある。そして、ハルケギニア最大の綿花の栽培で有名な地域。

「アンジュー侯爵家か! うむ、さすがは余の娘だ、良い相手が意中にいたものだ! これは目出度い。さっそくアンジュー候に話をせねばな!!」

 大喜びで手を叩くジョゼフ。
 どうやらジョゼフと同じ結論に至れた様である。確か、アンジュー候の長男は十三歳だか十二歳だかの子供である。よほど素質があるのでなければ、十分操ることは可能であろう。
 そして、始祖ブリミルの教えを宗教として管理しているロマリアの宗教庁。ちなみに魔法がほとんど使えないことで散々宮廷雀に馬鹿にされ続けてきたイザベラは、魔法と、それをもたらしたブリミルが大嫌いであった。いや、憎んでいるといってもよい。
 だからこそイザベラは、あえてジョゼフに危険をおかして尋ねてみることにした。

「それで父上は、ロマリアとの友好関係について、いかがお考えですの?」

 大喜びしているジョゼフの表情はそのままに、その眼だけが鋭くイザベラを射抜く。

「うん? 余はロマリアの坊主どもとの関係をおろそかにするつもりはないぞ?」

 あえて友好という言葉は入れなかった。つまりは、そういうことか。
 イザベラは、今度こそにっこりと心からの微笑みを浮かべてスカートの裾を持ち上げ、父親に一礼した。

「それではお手数をおかけいたしますが、婚儀の件、よろしくお願いいたします」



[2605] 運命の使い魔と大人達 第七話後編
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/03/30 20:14
 アルビオン王立空軍の残存艦艇十一隻が、二十隻を超える商船を護衛してラ・ロシェールの港に入港したのは、国王ジェームズ一世が、二百名の老臣らとニューカッスル城で玉砕してから二日後のことであった。
 王立空軍の旗艦「インビンシブル」号は、よく言って大破、普通ならば撃破といってよい艦の構造材にまで及ぶ被害を受けつつも、なお白地に赤十字の左上に赤い龍が描かれた海軍旗を翻して堂々とラ・ロシェールに入港したのであった。艦隊を迎えに出航したトリステイン空軍の戦列艦「メルカトール」号以下の艦隊が、十一発の礼砲をもって迎える。同じく「インビンシブル」号以下の艦艇も、十一発の礼砲をもって答礼した。

「傷ついてなお、これだけ威風堂々たるとは、さすが「白の国」アルビオンの本国艦隊ですな」

 迎賓艦隊の司令長官であるラ・ラメー提督に、「メルカトール」号の艦長であるフェビスが話しかけた。

「見事なものだ。だが、彼らにとっては、これからが艱難辛苦の始まりではあろうな」
「姫殿下は、可能な限り王党派の遺臣を保護なさるおつもりの御意向との噂ですが」
「だが「鳥の骨」が、あえてテューダー王朝を見捨てた事実は変わらん。いくら姫殿下がアルビオンからの難民を保護なされようとしても、「鳥の骨」が政治的取引の材料に使うだろうよ」

 基本的に古いタイプの「名誉と忠誠」を重んじるラ・ラメー伯爵は、宰相であるマザリーニ枢機卿が好きではなかった。あえて巷で流行っているあだ名で呼ぶあたり、それが明白である。彼は、王室のために最後まで難しい任務をこなし続けてきた王党派空軍のことを武人の鑑として、素直に尊敬の念を抱いていたのだ。
 ラ・ロシェールの街に翻る青地に銀色の百合のトリステイン王室旗を見下ろしつつ、ラ・ラメー提督はフェビス艦長に振り向いた。

「それでは、英雄達を迎えに行こうではないか」


 トリステイン近衛軍楽隊が音楽を吹奏する中、旗艦「インビンシブル」号から王立陸軍総司令官であるアストレイ将軍と、本国艦隊司令長官ホーンブロワー提督が、並んで舷門から伸びたタラップに降り立った。タラップには緋毛氈の絨毯が敷かれ、トリステインの近衛兵がずらりと整列している。
 そしてその近衛兵の間を、スカートを手に持ち上げたアンリエッタ王女が、優雅な足取りでアストレイ将軍とホーンブロワー提督に近づいてきた。二人はその場で膝をつくと、腰の杖を前に置き、頭を垂れて恭順の意を示す。

「杖を取り、お立ち下さい、お二人とも。トリステイン王国へようこそ。アンリエッタ・ド・トリステインの名の下に皆様を歓迎いたします」
「主君を護ることもかなわなかった不名誉な敗残の兵に、まことに温かきお言葉、もったいのうございます」
「何を仰います。皆様の活躍ぶりは、このわたくしも聞き及んでおります。つたなきあばら家ではありますが、どうぞ航海の疲れを癒して下さいませ。怪我を負われた方には、「水」の魔法使いが待っております」

 杖を取り、一度押し頂く様に両手で持つ動作をすると、アストレイ将軍とホーンブロワー提督は杖を腰に納めた。そして、アンリエッタの後ろに従い、迎賓館として接収された市庁舎へと向かう。続いて多数の負傷者が各船舶から下ろされ、施療院へと担架などで運ばれてゆく。
 荷物を抱え、背負って降りて行く者達の中に、ルイズら一行の姿もあった。気の抜けた表情のまま、デルフリンガーを背負って黙ってタラップを降りて行く。そして、ギーシュの後ろにつき従う八十名ほどの傭兵達。隊付先任下士官であったニコラをはじめとする傭兵らの生き残りであった。

「隊長どの」
「なんだい、先任下士官殿?」

 からからと笑うとニコラは、にかっと笑って言葉を続けた。

「これでお別れという事ですかい」
「そうだね」

 ギーシュは、心底寂しそうな表情でニコラ以下の傭兵達を見つめた。短い間であったが、文字通り同じ釜の飯を食い、同じ陣地で弾雨をくぐってきた戦友達である。本当はもっとずっと一緒にいたかったが、トリステインに帰ってきてしまえばギーシュはただの学生で書生の身である。とてもではないが、彼らを雇い続ける金などありはしない。

「そうだね、次に戦争があるときは」

 ギーシュが今言えるのはこれが精一杯であった。

「君達とともに戦場に赴きたいと思うよ。戦友諸君」
「そいつは光栄でさ。次があれば、是非とも隊長どのの指揮で戦いたいと思っております」

 荒くれどもの傭兵達が一斉にうなずいた。ギーシュは、なんとか泣き出さないようにこらえるので精一杯であった。だから、なんでもない風をよそおって片手を上げた。
 傭兵達は、その場で整列すると、ニコラの号令とともにそれは色気のある敬礼を持って返した。
 ギーシュも、その場で直立不動の姿勢をとると、見事な敬礼をもってそれに答えた。

「……私達も帰りましょう。魔法学院へ」

 そんなギーシュらを、心底羨ましそうな表情で見つめていたルイズが、傍らに控えているフェイトを振り返ってそう呟いた。

「はい、お嬢様」

 フェイトは、優しく気遣うような声と微笑みで、そうルイズに答えた。
 ルイズは、その声と微笑みに限りない愛おしさを覚える。彼女がアルビオンの戦場に赴いて得たものが、このフェイトの声と微笑みであったのだ。それが何よりも嬉しかったのだ。

「さ、行くわよ。随分と授業をさぼったから、取り返すのが大変なんだから」
「はい、お嬢様」


 ルイズとフェイトとギーシュは、そのまままっすぐ魔法学院に帰ることができたわけではなかった。迎賓館で亡命してきたアルビオン貴族らを歓迎していたアンリエッタ王女に呼び出され、その慰労パーティーに参加させられたのである。

「ラ・ヴァリエール嬢の活躍なくば、我々はエッジヒルで名誉ある敗北を喫しておりましたのでしょうな」

 そう、王党派の貴族が、アンリエッタ王女にルイズのことを賞揚する。続いて、数々の戦闘で彼女が果たした役割を褒め称え、まさしく王党派軍の名誉ある敗戦「ダーダネルスへの進軍」の中核となった事を説明する。

「まあ、それは本当に素晴らしいですわ。ウェールズ殿下がお亡くなりになられたと聞いた時には、目の前が真っ暗になる思いでしたが。せめてもの弔いとなれましたことを、同じトリステイン人として心より誇りに思います」

 それを受けて、アンリエッタが心底嬉しそうに微笑む。とにかくルイズが無事に帰ってきてくれて、嬉しくてたまらないのであろう。しかも、王党派軍の誰もがルイズを誉めそやす。彼女を使者として遣わした身としては、本当に喜ばしいに違いない。
 だがルイズは、さっさとこの場から離れたくて仕方がなかった。
 どうしても、このパーティーの空気に馴染めず、浮ついた空気が居心地悪かったのだ。そして、平民であり、本人も出るのを心底嫌がったために、別室に控えているはずのフェイトの元に行きたくて仕方がなかった。彼女なら、自分の今の気持ちをわかってくれるであろうから。

「どうしたの、ルイズ? 今日は貴女がこのパーティーの主役の一人なのよ?」

 浮かない顔をしているルイズを心遣うように、アンリエッタが彼女の顔をのぞきこむ。ルイズは、無理やり微笑みを浮かべて、なんとかアンリエッタを心配させないようにと演技した。

「戦場の疲れがまだ残っているのでしょう。お許し頂ければ、先に退席させて頂きたく思うのですが」
「まあ、それは大変だわ。そうね、初めての戦争でとてもとても大変だったでしょう。それなら、もう下がっても構わないわ」
「ありがとうございます。姫殿下」

 アンリエッタの顔を見ていると、何故かふつふつと怒りが沸いてくるのを感じ、ルイズは丁寧に淑女の礼をもって王女の言葉に答え、そのまま振り返りもせずに退室した。

「いや、マストン・ムーアの戦いでのラ・ヴァリエール嬢の活躍といったら……」

 背中から聞こえてくる声に、ルイズは、廊下に出るとそのまま走り出した。


 フェイトの控え室はすぐに見つかった。アンリエッタ付の侍女が教えてくれたのだ。その部屋は使用人用のこじんまりとした部屋で、実質的に王党派軍の参謀であった彼女に与えられる部屋としては不相応極まりなかった。

「ったく、なんであんたがこの部屋で、宮廷雀どもが客室なのよ!」
「お嬢様、私はお嬢様の使い魔です。むしろこれくらいの方が落ち着きます。それに、この部屋は窓も小さくて、暗くて、月明かりも入ってきませんし」
「……そうね、月明かりは私も嫌い」

 ルイズは、何故フェイトが部屋の片隅の暗がりでないと眠れないのか、戦場で学んだ。偽装した塹壕の隅こそが、一番安全なのだ。月明かりが差し込む場所なんて最低だ。そこでは、敵の隠密斥候や狙撃兵に簡単に見つかってしまう。

「ほら、あんたも疲れているんでしょ? 食事はした? 風呂には入れた?」
「はい。久しぶりの温かい肉と野菜でした。それに、すっかり垢も落とせましたし」
「本当? ……本当ね、石鹸の臭いがする」

 ルイズは、フェイトの暖かい色合いの金髪に顔をうずめて、その臭いを肺一杯に吸い込んだ。そのまま、使い魔の頭を抱きしめる。そんなルイズをフェイトも抱きしめ返し、二人は粗末なベッドに一緒に横たわった。

「ねえ、これって戦場でと変わらないわね」

 くすくすとルイズが笑う。

「そうですね。いつも一枚の毛布に二人で一緒に包まって」
「あんたは胸が大きくて、筋肉が柔らかいから、わたしは抱き心地がよかったけど。わたしなんて肉は無いし、骨ばっかりで固くて」
「そんなことなかったですよ。こう、背中とか張りがあって柔らかくて」

 フェイトもルイズを胸に抱いて耳元でささやく。

「わたし達、帰ってこれたのよね」
「はい、お嬢様。三日もすれば、魔法学院です。ミス・ツェルプトーもミス・タバサも先に帰って待っていていらっしゃいますよ」


 そしてルイズ達は、ラ・ロシェールの街でまた足止めを食らうこととなる。つまるところ、ルイズの父親とギーシュの長兄の二人につかまったのであった。

「王室に杖を捧げ、長きにわたり忠節を尽くしてきたラ・ヴァリエール家の家長としては、今回のお前の活躍は、まことに誇らしい。姫殿下直々に感謝のお言葉を賜ったほどだ」

 そこで、炯と輝く瞳でルイズを睨みつけるラ・ヴァリエール公爵。そのものすごい迫力にルイズは虎の前の子猫のように縮こまってしまった。
 歳の頃はもう五十を越えているであろうに、ラ・ヴァリエール公爵の迫力は、それはもう凄いものがあった。部屋の空気が玄武岩のごとく固く重くなり、叱られているのがルイズなのに、グラモン兄弟とフェイトまで自分が叱られている気分になってくる。

「だが、ルイズ。女子供で戦場へと飛び込んで、何ができるという目算があったというのか! あげくウェールズ殿下を殺める刺客を連れ込む羽目になりおって。その場で問答無用で死罪となっていても致し方なかったのだぞ!」
「で、でも、姫さま直々の……」
「大方、その場の勢いに流されてのことであろうが! 王室への忠誠結構! だが、己の力量もわきまえず、出来もせぬ事を安請け合いすることが忠節などと履き違えるでない!!」

 元々が威厳に満ちた声に激しく燃え上がる怒りが乗算された怒声に、ルイズははらはらと涙を流してうつむいてしまった。そんな娘に一瞥をくれてから、公爵はフェイトの方に視線を向けた。左眼にはまったモノクロームの下の眼が、フェイトの肺腑まで貫きそうな鋭さを持っている。

「お主が、儂の娘の使い魔か」
「左様でございます。公爵閣下」

 フェイトは、公爵の視線を正面から受け止め、わずかに微笑みを浮かべると、腰を三十度に折って挨拶した。

「姫殿下より伺った。此度の騒動、お主は娘を止めてくれたそうだな? あげく戦場では娘を護りきってくれたとか。ルイズの父として、心から感謝する」

 そう言うと公爵は立ち上がり、まるで王族を相手するがごとくに深々と腰を折ってフェイトに頭を下げた。白くなったブロンドの髪と髭が、それにあわせてゆれる。

「お顔をお上げ下さい、公爵閣下。一平民に頭を下げられるなど、他の貴族の方々の前でなさることではございませぬでしょう」
「いや、お主は、それだけの事をしてれたのだ。本当ならば、少なくともシュヴァリエ、出来ることなら女男爵の地位を用意し、その功に報いたいところなのだが、生憎と儂は引退した身でな、今ではそれほどの力を宮廷に持ち得ないのだ」

 何度もフェイトが頭を上げるよう頼んで、ようやく公爵を頭を上げた。

「話に聞くところによると、お主ははるか遠くの異国より召喚された衛士であったとか。祖国ではさぞや名のある身であったろう。それが、こうして未熟な娘の使い魔を引き受けてくれたとは、あまりのことに謝罪の言葉もない」
「お気になさらないで下さい。召喚の門をくぐったのは、私自身の意思であり、お嬢様にお仕えすることを決めたのも、私自身の意思ですから」
「そうか。まことに恥じ入る次第だ。感謝の言葉もない」

 再度頭を下げそうになる公爵を見て、あわてて「もう結構ですから」と止めるフェイト。公爵は、よほどフェイトに対して申し訳なく思っているらしい。

「お主の活躍は、アストレイ将軍他のアルビオン人より聞いた。一人よく二百の貴族の首を獲り、何度も反乱軍の軍団を混乱に落としいれ、王軍の危機を救ったとか。まことお主がおらなんだら、娘はアルビオンにて果てておったであろう」
「使い魔の仕事には、主人を護ることがあるとか。その義務を完遂したに過ぎませぬ」
「義務の完遂、か。今や貴族といえどそれを口にし、かつ実践する者はいないというのに」

 心の底から悔やむような声で溜め息をつくと、今度はグラモン家の長兄へと顔を向けた。

「此度の騒動、ご兄弟を巻き込んでしまってまことに謝罪の言葉もない。あげく何度も激戦に参加し、比類なき武勲を上げられたとか。このラ・ヴァリエールより、心よりのお祝いを申し上げる」
「いえ、公爵閣下、弟も結局はその場の勢いで功をなさんとした身。その様に仰られては、ますます増長いたしましょう。弟には自分よりきっちり言い含めておきますので、今はこれくらいにて矛をお納め頂けませぬでしょうか?」

 丁寧に礼を返したギーシュの兄が、穏やかな声で、しかし辛らつ極まりないことを言ってのけた。その言葉を聞かされて、しゅんとなってしまうギーシュ。

「委細承知した。それでは今日はこれで散会としよう」


 結局ルイズは、魔法学院に戻る前に、実家に一度戻される事をなった。どうやら今度は母親に叱られる番らしい。しゅんとなってしまって、龍籠の片隅でがたがたと震えている。そんなルイズを優しく抱きしめながら、フェイトは公爵からの矢継ぎ早の質問に答えていた。

「なるほど、陣地は単層ではなく、常に複層として、それぞれの火点が支援しあう様に構築するのか」
「はい。それによって前方陣地の一角が奪われましても、左右と前方よりの火力の集中により、敵にとっては逆にその突破口こそが罠と化します。これに対処するためには、十分な火砲による周辺陣地への制圧射撃、敵の視線をさえぎる煙幕の展開、そうしたものが必要となります」
「確かにお主の言う通りだ。特に城攻めではそうだが、一箇所城郭を占領したとて、周囲の砲台から集中射撃を受けては、すぐに敵の逆襲で叩き出されてしまう」

 公爵は今は引退した身ではあったが、かつては国軍の将軍を務めた軍人であった。それだけに、フェイトの開陳する野戦築城という新戦術について、非常に興味深く話に聞き入っていたのである。

「なるほど、エッジヒル、アーサーヒル、マストン・ムーア、ネイズビー、どの戦いも地形を障害とし、そなたの狙撃で敵の指揮官を倒して部隊を混乱させて、調整された攻撃のタイミングを崩し、陣地の後方からの火力で敵の攻撃を阻止しつつ、適時予備兵力を投入して陣地の突破を防いだわけだな」
「はい。仰るとおりです。常に敵の数が我を上回る以上、敵部隊の戦闘加入の時間をずらし、もって味方の予備隊を適時移動させて各陣地の火力を補強させました」

 うんうんと納得したようにうなずく公爵。そして、心底感に堪えない様子で呟いた。

「壁新聞では娘やグラモンの小僧のことばかり書いてあったが、真の功労者はそなただな」
「いえ、実は私から記事にはしないようお願いしたのです」
「何故だ? そなたがこれほどの智謀を持つ戦略家と知られれば、それこそトリステインはおろか、各国は是非にと爵位と領地をもって迎え入れようとするであろうに」

 フェイトは、穏やかに笑ってルイズの頭を抱きしめる。

「私は、お嬢様を生きてアルビオンから脱出なさしめるために知恵をしぼっただけです。おかげさまでアルビオンの方々は、お嬢様をウェールズ王子暗殺犯を連れ込んだ共犯者扱いせず、「ダーダネルスへの進軍」の英雄の一人として記憶に残しましょう」

 公爵は、その太い眉をハの字にして困った様な表情を浮かべた。

「あくまで娘のためか」
「はい。そして、お嬢様のお傍にい続けるためです」
「お主が男であったならばなあ」

 大きく溜め息をつく公爵。

「そうであれば、ルイズを娶らせ、ラ・ヴァリエールの家督を譲ったものを。始祖も無体なことをして下さる」

 さすがにルイズもフェイトも、その言葉には非常に微妙な表情を浮かべた。


 ラ・ヴァリエール家の領地は、数十リーグ四方もある広大なものであった。当然その屋敷も城砦といってよい規模のものであり、広大な敷地を有していた。実際、ゲルマニアとの戦争の際には、ここにトリステイン国軍の総司令部が置かれることが何度もあったほどである。
 その屋敷に龍籠が到着すると、使用人が両開きの扉を開く。龍籠の扉より屋敷の入り口まで緋毛氈の絨毯が敷かれ、屋敷の使用人達がその両脇にずらりと並んで頭を下げる。
 つかつかと歩く公爵に執事がとりつき、帽子を取り、髪を直し、召し物をあわせる。ルイズにも侍女がとりつき、同じように服装や髪の手直ししているのを見て、フェイトはあらためて自分の主人が本物の大貴族のお嬢様なのだな、と、実感した。それにしても、魔法学院の制服にマントを羽織り、その上からデルフリンガーを斜めに背負っている姿は、なんというかどうにも似合わなくて微笑ましい。
 と、侍女の一人が自分にも近づき、背嚢を手に取ろうとする。

「私は、お嬢様の使用人ですので」

 そう言って微笑んで断りをいれ、ルイズの後ろをついていこうとした。

「構わぬ。お主はこの屋敷では、ラ・ヴァリエール家の者同様に振舞うとよい」
「はい?」

 渋いバリトンの声で、公爵がそうフェイトにそう言い放つ。フェイトは思わず微笑みが固まり、そのまま全身が凍りついた。その隙に侍女が背嚢を奪い、「バルディッシュ」の入っている革のケースまで取ろうとする。

「これは、私の武器が入っておりますので」

 フェイトは、引きつった微笑みのまま、さすがにそれだけは止めさせた。


 フェイトら一行が入っていったのは、暖炉のしつらえられた公爵の書斎であった。そこにいたのは、四十台くらいに見える婦人と、エレオノール、そして穏やかで優しい雰囲気の令嬢。
 フェイトは、ルイズは母親に似たのだな、と、その桃色がかかった金髪を頭の上に見事に結い上げ、切れ長の鳶色の瞳でじっと娘を見つめている表情の厳しさを見て思った。

「お母様、エレオノールお姉さま、ちい姉さま、ただいま帰りました」

 るいずが、緊張で身体をがちがちに固まらせながら、ぴょこんとお辞儀をする。

「ルイズ」

 公爵が席に着くと、最初に声を発したのは公爵夫人であった。

「無事に帰ってこられて、なによりでした」

 その声が震えている。フェイトはその響きに、心からの羨望を主人に対して覚えた。かつて、望んで、望んで、そして得られなかったもの。

「お父様も、もうお若くはないのよ。二度とこんな心配をかけないで」
「お母様……」
「そうよ、おちび。本当に皆心配していたのだから」

 あのとにかく高飛車できつい性格のエレオノールまで、泣きそうな声でそんなことを言う。

「わたしも戦争は感心しないわ。確かに、あなたが自分で決めて、あなたを必要とする人のためならば仕方が無いと思う。でも、今回の戦いは、本当に必要とされる戦争だったのかしら」
「ちい姉さま……」

 心から妹を案じる表情をした、ルイズと同じ桃色がかった金髪の包み込むような優しさの雰囲気の、ルイズがちい姉さまと呼んだ姉が、淡々と諭す。

「……ごめんなさい。……本当にごめんなさい」

 ルイズは、ぽろぽろと涙をこぼしながらずっと謝り続けていた。
 フェイトは、黙って眼を伏せたまま、自分の心の中に蠢くどす黒い感情を押さえ込むことだけに全ての意思を費やして、目前の情景を見ているしかできないでいた。
 そんなフェイトを、ルイズにちい姉さまと呼ばれた彼女が、ずっと心配そうに見つめていた。


 ひとしきり泣いたルイズが落ち着いたのは、それから半刻も経ってからであった。それからルイズは、フェイトと一緒に長椅子の一つに座った。泣きつかれたのか、フェイトによりかかり、その肩に頭をあずけている。

「貴女が娘を護ってくれたのですね」

 凛とした、という形容詞がこれほど似合う女性もいないだろう。そうフェイトが感想を抱いたルイズの母親が、彼女に向かって頭を下げる。

「私は、ルイズの母親のカリーヌ・デジレと申します。貴女は娘の使い魔だそうですが、このような未熟者を戦場にて護り抜いて下さったことに、心からの感謝を捧げましょう」
「頭をお上げ下さい、奥様。私は、使い魔としての義務を遂行したに過ぎませぬ」
「私もかつては軍人であったことがあります。義務の遂行の難しさは、よく判っているつもりです。ましてそれが、未熟で何も知らぬ上官の下でとなれば、その苦労は人一倍大変であったことでしょう」

 なるほど、どうやらこの夫妻は、戦場で愛をはぐくみ結婚に至ったらしい。そこまで思考が巡ったと同時に、頭痛がフェイトを襲う。思い出してはいけない何かを思い出そうとしている、という警告の頭痛。なんとか表情には出さないように務め、微笑を浮かべることで内心の混乱を隠す。

「聞くところによれば、貴女の戦功まで全て娘に譲ったとか。いかに部下の活躍は上官の功績に含まれるとはいえ、だからこそ上官として部下の功績を顕彰するのは絶対の義務。娘に代わり、ラ・ヴァリエール家としてできる事があれば、なんなりと」
「そのお言葉だけで十分でございます、奥様。先ほど、公爵閣下よりもお言葉を頂きました。それで十分でございますので」

 カリーヌは、軽く溜め息をついた。そして、その鋭い視線でフェイトの瞳を覗き込む。

「貴女については、当家でも調べてみました。なんでも魔法学院研究所の中心人物であり、ラグドリアン商会の会頭であり、さらにはゲルマニアはツェルプトー家の四女が会頭をつとめるアルゴー商会やゲベール工房までも実質傘下におさめているとか。さすがに、南方半島都市国家郡に設立した商会の分までは調べきれませんでしたが」

 これにはさすがのフェイトも驚いた。ラ・ヴァリエール公爵は隠棲し、公爵夫人も社交にかまけているとの話であったが、いやいや、マザリーニ枢機卿の対抗馬と目されるだけあって大した情報網である。さて、ある意味これだけ危険な人物が娘の使い魔をやっているとなれば、どういう対応を取ろうとしてくるのか。

「さすがはラ・ヴァリエール公爵家。そこまでご存知でしたとは、まさしく言葉もありません」
「別に責めたりなんなりしようとは思ってはいないのですよ。ただ、貴女ほどの女性にどう報いたらよいのか。資産だけなら、もはや当家のそれをしのぎましょう。地位も名誉も、アカデミーからの招聘を断った程ですから、むしろ必要ないのでしょう。せめて殿方であれば、ルイズと結婚させ、当家の跡継ぎともしましたものを。さて、我が家は貴女にどう報いたらよいのでしょう?」

 カリーヌが頭を振りながら語る内容に、娘達三人ともぽかんとして聞き入るしかない。

「フェイト、あんたいつのまにそんな凄い金持ちになっていたのよ?」
「いえ、各種アルコールの販売と、今回のアルビオンでの戦争でそれなりに」
「南方都市国家に商会を置き、そこにハルケギニア中の各種余剰穀物を買占めさせ、市場価格を吊り上げてからアルビオンに売りつけておいて、それなりに、とはな」

 既に知っていたのであろう、公爵が大したものだ、と言わんばかりに合いの手を入れる。さすがのフェイトも、そこまでバレているとは思ってもみなかった様である。思わず微笑みもひきつり、冷や汗が垂れている。

「あ、あんた、随分とえぐい真似をしたのね」
「いえ、投資と投機は、商売の基本ですので」

 さらりと言ってのけたフェイトに、いやもう、さすがのルイズもドン引きに引きまくりである。そんな主従を見やりながら、公爵と公爵夫人は、フェイトの瞳を見つめた。

「報いて下さるとのお言葉ですが、商売も、別に金儲けが目的ではありませんし……」
「ほう?」

 その言葉に、公爵が興味深そうに反応する。フェイトは、しばらく眼とつむると、それから意を決した様に真面目な表情になった。

「それでは、褒章として、私の話をお聞きくださいますでしょうか?」


 それからフェイトの語った話とは、公爵と公爵夫人の想像を超えるものであった。つまり、ラ・ヴァリエール家の資産を、個人保有の家産と、商会による経営資産とに分ける、という内容の献策であったのだ。
 たとえば、土地屋敷や、各人の保有する各種物品は家産である。つまり、各人が好きに処分するなり使うなりできる個人所有のものである。それに対して、その土地を利用して農産物を生産したり工場を建ててに何か作らせるのは、これは商会に経営として任せ、商会への出資金に応じて利益を受け取る、という形態をとる。当然、手持ちの金融資産は銀行を立ち上げてそこに預け、運用益なり利子なりを受け取るという形をとる。
 つまり、旧来の領地の個人経営から、家産と資産の分離による近代的経営について、フェイトは語ったのである。

「なるほど、家産と資産を分ければ、何か災害なり人災なりがあって資産が失われたとて、経営を担当した商会が倒産するだけであって、ラ・ヴァリエール家は再出発できるだけの財産が残るというわけか」
「左様でございます、公爵閣下。ラ・ヴァリエール家と商会の関係は、あくまで債権者と債務者という形とすればよいわけです」
「それに銀行を設立するということは、事業の拡大にともなう資本の準備も、いちいち我が家の資産から投資するというのではなく、必要な資本を銀行から借り出し、利子を支払うという形でより多くの投資が可能となるのですね」
「仰るとおりです、奥様。きちんと利子を支払い、かつ堅実な経営を行うことで、返済期限がきても借り換えという形で最初に借りた分をもう一度借り直すことで、事業を継続させることができるわけです」
「ふむ、ならば家産以上の額の資本をもって、事業を行う事が可能ということになるわけだな。そして、投下した資本そのものが資産となる、と」
「はい、公爵閣下」

 娘三人の前でラ・ヴァリエール公爵夫妻とフェイトの間で交わされる会話に、娘達は全然ついていけない様子である。何しろ彼女らの感覚では、領地から農民が納める税がラ・ヴァリエール家の収入であり、そこから毎年必要な分を使って、残りは現金やその他の財産に変えて貯める、というのが貴族の経営というものであったのだから。
 それが、土地や現金を資本として、農林業や鉱工業の経営のための財として投下し、その売り上げから必要経費や銀行への利子、生産手段の減価償却分を引いた分を利益とし、その利益をまた資本として再投下する、という近代的会社経営の考え方は、まるで別世界の思考法であったのだ。

「それで貴公は、稼いだ金で社会資本を整備し、平民の教育程度を向上させ、交易を盛んにし、各国間との交流と影響を深め、この世界のあり方を変えようと考えているわけか」
「仰るとおりです、公爵閣下」

 聞きようによっては、まさしく既存の貴族制度の否定である。これが普通に他の誰かから聞かされたならば、公爵夫妻は絶対に耳を貸さなかったであろう。何しろラ・ヴァリエール家は、古き良き「名誉と忠誠」をもって、トリステインの大貴族達の束ね役となっている家なのだから。
 だが、フェイトという娘ルイズの使い魔は、その実績に対する褒章として、公爵夫妻にその言葉を偏見無く聞いてもらいたいと望んだのだ。

「この話、他の者から聞かされたならば、儂は絶対に激怒したであろうな」
「確かにそうでしょう。ある意味、旧来からの貴族制度の否定に他なりませぬゆえ。ですから、このお話を聞いていただける事をもって、此度の褒章の代わりとしていただければ」
「ふむ……」

 公爵夫妻は、互いに視線を交わすと、しばらくの間黙って考え込んだ。
 書斎に沈黙がおり、暖炉で火がはぜる音だけが聞こえる。

「魔法学院の研究所では、今どのような研究を行っておる?」

 しばらくの沈黙の後、公爵はフェイトの瞳を見つめながら、そう問うた。

「石炭やコークスを利用した蒸気機関によって、各種の機械を動かす研究を行っております。既に実用化した技術として、蒸気機関によって動くポンプで井戸や川から水をくみ上げ、浄水塔を通す事で浄化された水を、生活用水や工業用水とする技術があります」
「それだけではあるまい」
「企画段階ですが、蒸気機関を船や車に搭載し、自走させる研究が進んでおります。また、石炭を液化しそれを分解することで、燃料その他の材料にする研究も行っております。あとは、空気中の窒素を固定化し、肥料を作る研究でしょうか」
「空気から肥料を!?」

 さすがにこれには、公爵夫妻も、娘達三人も驚いた様子である。フェイトは、少し考えてから簡単に説明をした。

「豆を植えますと地味が肥えますのは、豆の木が空気から肥料の原料となる成分を吸収し、土地にしみこませるからです。つまり、豆の木が行っているのと同じ様に、空気中から肥料の原料となる成分を取り出し、固定化し、それを肥料とするのです」
「メイジたる私が言うのもなんですが、まさしくそれは奇跡ですね」

 公爵夫人が、信じられないといった様子で頭を振る。
 だが、エレオノールがフェイトの言葉に同意した。

「わたくしは信じますわ。フェイトは、私の知る限りハルケギニア最高の頭脳を持った学者です。本来ならばアカデミーにおいて、この世界の魔法のあり方を根底から作り変えるべき才能を持っています。「土」のメイジがそれなりにこなしている魔法を、技術をもって代替するという真似を、彼女ができないとは到底思えません」
「随分と高く評価しておるのだな、エレオノール」
「父上、わたくしは彼女に学術上の議論を挑み、文字通り赤子の手をひねるかのように一蹴されました」

 ほう。家族全員から驚きの声が上がる。エレオノールは優秀な研究員であり、齢二十七にてアカデミーの主任研究員となれたのは、家格によるだけのものではないのだ。それ相応の実績があっての今の地位なのである。その彼女がかなわぬ学者であるとするならば、つまりトリステインでは最高級の頭脳の持ち主ということになる。

「フェイト、そなたの描く未来において、メイジはいかなる立場に置かれるのかな?」

 公爵が、すっと眼を細め、厳しい視線をもってフェイトの瞳を見つめた。

「メイジは、学問や技術の研究と開発の第一線に立つべきかと」
「つまり、杖によって民草を支配し導くのがその義務ではなくなる、と?」
「はい。メイジはその魔法により、全ての人民の生命、財産、権利の守護者として、新たなる技術の開発と社会資本の整備と維持にこそ力を発揮するべきではないかと考えております。そもそも、ガリア王ジョゼフを見ればお判り頂けるかと思いますが、政治の才能と魔法の才能は全く別のものです。さらにはこのアルビオンでの戦争によって、メイジの魔法を平民の武器の威力が上回ろうとしてもおります。ならば、メイジの最大の強みである、この世界の理に魔法をもって近づける、という立場を最大限活かすべきかと」

 フェイトの言葉に、エレオノールは立ち上がり、その手を両手で握り締めた。その眼にはうっすらと涙さえ浮かんでいる。そして、感極まった様子で、声をあげた。

「素晴らしいわ! そう、それこそ新たな時代の貴族のあり方よ! 我々メイジは、野蛮な暴力によってではなく、知性と良識に基づいた新たなる知識をもって、平民を導くべきなのだわ!!」

 そして、感動に面を上気させて両親に向かって宣言した。

「わたくし、アカデミーを退会し、魔法学院研究所に移籍いたします!」
「ええええっ!?」

 これまで話に全然ついていけなかったルイズが、それこそ椅子から飛び上がらんばかりに驚く。公爵夫妻も、ルイズのもう一人の姉も、ぽかんと口をあけてエレオノールの宣言を聞いているばかりである。

「ええと、お姉さま、その、アカデミーの方とご婚約なさっていらっしゃったのでは?」
「……おちび」

 恐る恐るそうエレオノールにたずねたルイズを、長姉は、地の底から響くような声とともに眉を吊り上げ、妹の頬をつねり上げた。

「婚約は解消よ! か・い・し・ょ・う!」
「ど、どぼじで!? あいだだだっ!!」
「さあ? バーガンディ伯爵様に聞いて頂戴! なんでも「もう限界」だそうよ。どうしてなのかしら!!」

 そりゃそうだろう、とは、その場の全員の感想ではあったが、誰もが優しさと賢明さをもって口にも表情にも出しはしなかった。
 とりあえず一通りルイズに八つ当たりして落ち着いたのか、エレオノールは自分の席に戻る。そんな微妙な空気の中、公爵はひとつ大きな溜め息をついて、なんでもない事のようににポツリと呟いた。

「で、だな。実はずっと疑問であったのだが、ルイズ。お前は何の系統に目覚めたのかな?」


 ルイズは、真っ赤に腫れ上がった頬をさすろうとしたままの姿勢で凍りついた。そして、しばらくだらだらと冷や汗を垂らして、視線を宙にさまよわせる。それから、そっとフェイトを上目遣いに見つめる。
 フェイトは優しく微笑むと、ルイズの頭を抱いてそっとその桃色がかった金髪に唇を寄せた。

「ご家族には、隠し事は無しになさるべきでしょう。これ以上、ご心配をかけてはあまりも親不孝かと」
「……うん」

 それから、一度ごくりとつばを飲み込み、ルイズは意を決した様に父親の瞳を見つめて言った。

「まだ目覚めてはおりません。ですが学院での調査の結果、「虚無」である可能性が高い、と」
「「虚無」!!」

 この日何度目になるだろうか、公爵夫妻と姉二人は、驚きのあまり鸚鵡返しにルイズの言葉を繰り返した。あまりのことにエレオノールは、額に手をあて、ふらふらと床に倒れこむ。

「そうか「虚無」か。ならばあの戦功も納得がいく。それにフェイトを使い魔として召喚したこともな」

 そう呟いて、公爵は何度か頭を振った。

「で、だ。フェイト。そなたのルーンはどこに現れたのだ?」
「額です。公爵閣下」
「ならば、「ミョズニトニルン」ですわね、お父様」

 なんとかショックから立ち直ったのであろう、エレオノールが床に座り込んだまま、そう解説する。

「なるほどな。「神の知恵」ともなれば、これまでの話全てに納得がいく。ならばそなたの言葉こそ、始祖ブリミルに代わって我らが受けるべき助言なのであろう」


 その日フェイトは、ルイズと同じ部屋に泊まることとなった。ラ・ヴァリエール公爵は、どうやら本気でフェイトを家族同様に扱うつもりらしい。その厚情をフェイトは何度も固辞したものの、結局はラ・ヴァリエール家の家族皆に押し切られる形となったのであった。

「ああ、もう、本当に今日は疲れたわ」
「そうですね。でも、とても良い家族でいらっしゃいますね」

 ルイズは、服を脱いで肌着姿でベッドに座り、同じく下着姿の上からガウンを羽織った格好になったフェイトに髪をすいてもらっていた。

「……そうね、わたし、こんなにも皆に愛されていたのね。それはとても素晴らしいことだわ。ようやくそれに気がつくことができたなんて、わたし、本当に馬鹿で幼稚だったのね」

 フェイトは、それには何も答えず、ずっとブラシでルイズの髪をすいている。
 ルイズは、フェイトの家族のことを聞こうとして、かつて見た夢を思い出した。ひたすら闘うための訓練を重ね、ぼろぼろになりながらも、ただ母の微笑みだけを求めていた少女。そのことに触れるのは、今はまだ早いのではないか。そうルイズは思ったのだ。
 と、二人でたわいも無い言葉を交わしているときであった。ノックとともに声がかけられる。扉越しに聞こえてきたのは、ルイズそっくり髪の姉の声であった。

「ちい姉さま!」
「遅くにごめんなさいね。実は、フェイトさんにちょっとお聞きしたいことがあって」
「私に、ですか?」
「ええ、よろしいかしら?」

 フェイトは、ルイズに視線を向けた。彼女の主人は、自分の姉が何かわけがあって二人で話をしたいのであろうと見当をつけ、うなずいた。

「いいわよ。行ってきなさい」


「本当に遅くにごめんなさいね。お疲れのことと思いますけれども、明日には学院に帰られるとお聞きしましたから」

 そう微笑んで、彼女は名乗った。カトレア。ルイズの二番目の姉だそうである。
 彼女の部屋は、植物園と動物園をかね合わせたような異彩を放っていた。そここに動物達が思い思いの格好で寝そべり、部屋中に植物の鉢植えが並べてある。だがそれらは、部屋の主に相応しい調和を保っているようにフェイトには感じられた。そして、自分がいかに場違いな存在であるかも。
 二人は、カトレアのベッドに並んで座った。

「今日は大変だったでしょう? みんな悪い人ではないのですけれど、ちょっと融通の利かないところがあるから」
「いえ、一介の平民で異邦人である私に、こんなにもよくして頂いて、本当に感謝しております」

 フェイトは、いつも通り穏やかな微笑みという仮面をかぶり、そう答えた。

「そんなに警戒なさらないで下さってよいのですよ」

 だがカトレアは、優しく微笑みながらそんなフェイトの仮面の下の表情を言い当てる。

「わたし、病気がちで、ほとんどこの屋敷から出たこともないですし、世の中の難しいことなんてわかりませんから。ただ、ちょっと鋭いだけ」
「そういう方が、私にとっては、一番恐ろしいのです」

 フェイトは、降参したように呟いた。そんな彼女を見つめて、カトレアは寂しそうに呟いた。

「……あなたは、そんなにも強いのに、こんなにも弱いのですね」
「……こちらに来てから、そう言われたのは初めてです」
「だって、あなたは、そう演じ続けてきたのですもの。それにルイズは、あなたを支えられる程、強い娘ではないですし」

 心から心配そうな表情を浮かべて、カトレアは、フェイトの顔を覗き込んだ。

「それで、お願いがあります」
「なんでしょう?」

 カトレアは、哀しそうな表情をしてフェイトの両手をとった。

「ルイズを、これ以上追い詰めないであげて下さい。あの娘は、まだまだ幼くて弱い娘なのです。とてもあなたが求めるような「ご主人様」には、なれないでしょう」
「……私は」

 フェイトは、それ以上は言葉にはできなかった。ただただ、目前の女性が怖くてならなかった。カトレアならば、フェイトの壊れかけた心を見透かしてしまえるにちがいないから。

「予言、ではないのですけれども、わたしは思うのです。きっと、ルイズはあなたを救ってくれます。でもそれは、あなたの望んだ形ではないでしょう。お願いです。あの娘を信じてあげて下さい」
「……私は、救われても、許されるのでしょうか?」

 フェイトは、この年下の女性に、思わず問いかけていた。そう、ずっとずっと、母親の道具として使役されていた頃から心の片隅で思い続けていた疑問。

「許されます」

 カトレアは、きっぱりと確信をもって言い切った。

「あなたは、救われるために、ルイズの召喚に答えたのですから」


 魔法学院に戻ったルイズとフェイトは、まずは学院長のところに挨拶に行き、無事に戻ってこれたことを祝ってもらった。次に研究所のコルベールのところへ挨拶に行き、研究所の皆から無事を祝ってもらった。そのままなし崩しにお祝い会となり、学院の使用人達まで一緒になっての宴会になだれ込む羽目になった。
 誰もが、フェイトとルイズの無事を祈っていてくれていたのであった。

「とゆうわけで、二人の無事に乾杯!!」
「「「乾杯!!」」」

 もう何度目になるのか判らない乾杯を、ロングビルがグラスを掲げて音頭をとる。それにあわせて、皆が一斉に乾杯を叫ぶ。それこそアルコールなら、ワイン、ウイスキー、ジン、ウォッカ、リキュール、ブランデー、なんでもありありである。

「こら! ふぇいと! あたしと一緒にのめ!」

 何気に酒乱の気があったらしいシエスタが、フェイトの首に腕を回して、顔を真っ赤にして嬉しそうにグラスにワインを注ぐ。ルイズといえば、皆の返杯を受けまくって、眼を回して「ふにゃ~」とソファーにへたり込んでしまっている。

「おい、「我らの女神」! 俺はお前が武勲を挙げたことより、無事帰ってきてくれた事の方が嬉しいんだからな! だからお前の額に接吻するぞ! いいな!!」
「ですから、接吻は勘弁してください」

 マルトー親父がシエスタに続いてフェイトの首にそのぶっとい腕を回し、額にキスしようとする。

「ああ、もう、弱いくせに意地を張るんじゃないわよ、ルイズ!」
「あう~」

 ソファーの上でひっくり返っているルイズを、キュルケがぶつぶつ言いながらも世話をしている。

「飲む」

 タバサが、ハシバミ草から醸造したリキュールのグラスを、フェイトにつきつける。本人も顔が真っ赤で、すでに酔いが回っているのは明白である。ちなみに、酒のつまみまでハシバミ草なのはどうかと思う、とは、フェイトの感想である。

「いや、本当にめでたい。今日はめでたい日ですぞ!」

 何気に酒に強いらしいコルベールが、嬉しそうに誰彼構わず乾杯しながらグラスを空けている。

「僕ぁね! 僕ぁね!」

 どうやら泣き上戸らしいギーシュが、ヴェルダンデを抱きかかえながら、フェイトにひたすら絡んでくる。
 もう何がなんだか判らない、阿鼻叫喚の世界である。フェイトは、こういうノリと雰囲気の宴会が初めてであることもあって、ただひたすらにニコニコしながら杯を受け続けていた。というか、受けるしかできないでいた。なまじアルコールの許容量が高いだけに、酔い潰れるまでかなり余裕があるのが不幸の源である。

「ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!」

 何が嬉しいのか、リシューとかモンモランシーとかシュヴルーズとかトマとかオールド・オスマンとかまで、一緒に万歳三唱しているし。
 こうして、フェイトとルイズは、魔法学院の日常に戻ったのであった。


 さて、日常へと戻ったルイズとフェイトであるが、すんなりと魔法学院に溶け込めたわけではなかった。
 フェイトが義勇兵と募金集めのためと称して、ハルケギニア各地にばらまかさせた王党派のプロパガンダ用壁新聞の結果、ルイズとギーシュは学院全体の注目のまととなってしまったのである。ハルケギニアの貴族にとって、最大の娯楽は戦争と恋愛である。そのうち、今まさに滅びゆかんとしているテューダー王家に義勇兵として参加し、赫々たる武勲を挙げて凱旋した二人に生徒達の注目が集まるのは、当然といえば当然の結果であった。

「だから、別に話すような事なんてないわよ」

 同級生や下級生に囲まれ、アルビオンでの話しをせがまれ、ひたすら断るのに精一杯のルイズが、そう言って両腕を振る。

「でも、この新聞には、ミス・ラ・ヴァリエールの活躍が載っているじゃないですか」

 下級生の女の子が、そう目をきらきらと輝かせながら、話をせがむ。

「ギーシュに聞いて。あいつなら、喜んで話すでしょ」
「ミスタ・グラモンですか?」

 なんか微妙な空気が周囲に漂う。ルイズは、逆にそれが不思議で問い返した。

「あいつお調子者だし、せがまれればいくらでも喋るでしょ?」
「それが……、お話をお聞きしようとしたら、「ちょっとお使いに行ってきただけだよ」って。なんにも話してくださらないんです」
「ふうん」

 ルイズは、気の無いそぶりで興味なさげに答えてみせた。だが、内心では、女の勘みたいなものが警告を発している。普段のギーシュならば、それはもう話し半分どころか四分の一に聞いた方が良いくらいにぺらぺら自慢するはずなのに。

「とにかく、あたしも別段なにかしたわけじゃないから」

 今晩、モンモランシーのところへ行って話を聞いてみよう。そうルイズは決心した。


「ギーシュ? わたしも探しているの。あなたなら判らない?」

 夜、ルイズがモンモランシーの部屋を訪れてみると、逆にモンモランシーにそう問い返された。
 モンモランシーは、見事な巻き毛を頭後ろで大きなリボンでまとめてたらし、秀でた額を見せている女の子である。つんと上を向いた鼻が気位の高さを示しているように見える。
 だが今は、恋人のギーシュが夜はどこかに消えてしまうのに、かなり心配している様子であった。

「そう。……フェイトなら探し出せると思うけれど、どうする?」

 ルイズは、モンモランシーがフェイトを心底怖がっているのを知っているだけに、彼女の協力を求めていいのか確認した。案の定、モンモランシーはフェイトの名前を聞いただけで怯えた表情を見せたが、それでもうなずいてみせた。

「……そうね、あなたがそう言うのなら、お願いするわ」


 さすがはフェイトであった。ルイズとモンモランシーがお願いしてからほんの半刻もかけないで、ヴェストリ広場の隅に掘られた隠蔽壕を発見してのけたのである。

「ギーシュ、起きてる?」

 少し離れたところから、ルイズが声をかけた。隠蔽壕は非常に巧妙に偽装されており、昼間でも一般人には見つけられそうもない出来である。彼女は、下手に近づくとギーシュを無用に刺激しかねないと考え、まずは遠くから声をかけてみたのであった。

「ルイズかい? どうしたんだい、こんな夜更けに?」

 返ってきた声は、酔い混じりの疲れきった兵隊の声であった。ルイズはそれに危険信号を感じ、できる限り優しい声で話しかける。

「あのね、モンモランシーがあんたのことを心配しているの。ちょっとでいいわ、顔を見せて安心させてあげてくれない?」
「……判った、今出て行く」

 そうして出てきたギーシュの姿は、ルイズにとっては予想通りの格好であった。
 ギーシュは、アルビオンで手に入れた野戦服を着て茶色のニット帽をかぶり、右手にゲベール銃を持ち、ヴェルダンデと一緒に出てきたのである。その瞳は眠たそうに細められ、光を失ってどろりと濁っていた。
 ギーシュの出てきた隠蔽壕の中には何本もの酒瓶が転がり、すえたアルコール交じりの体臭がこもっている。そして、ヴェルダンデに掘らせたのであろう、どこかへ通じるとおぼしき退避用の通路まで掘ってあった。

「眠れないの?」

 自分も、今ではベッドではなく、部屋の隅の暗がりの中でフェイトと一緒に眠っているルイズが、いたわる様な微笑みを浮かべてたずねる。モンモランシーは、それこそ泣きそうな表情で、初めて見るギーシュの兵士としての姿を震えて見ているしかできなかった。

「ああ。ベッドだといくら酒を飲んでも眠れなくてね。夢見も悪いし。ここだと落ち着けるんだ」
「あんたもなんだ。でも、酒はやめた方がいいわ。感覚が鈍くなるわよ?」
「そうか、それじゃあいくらこれを掘っても意味がないな」

 二人にしか理解できない会話が交わされ、そしてにやりと笑みが交わされる。
 モンモランシーは、二人が自分には理解できない遠い世界の住人になってしまった事を思い知らされ、あまりにも悲しくて、涙をぽろぽろとこぼしてしまった。

「モンモランシー! モンモランシー! お願いだ、泣かないでおくれ。君に泣かれたら、僕は困ってしまうよ!」
「だって、あなた、わたしの知らないギーシュだもの! わたしのギーシュは、もっと軽薄で、お調子者で、女の子にだらしなくて、それで、いっぱいわたしに優しいもの!!」

 困ってしまったようにギーシュは、モンモランシーに向けて抱きしめようと差し出した手を止めた。そして、自分の両手を見つめなおすと、しょぼんとした顔でうつむく。

「そうだね。せめて昼間だけでも、普段通りに振舞っていたつもりだったんだけれども。やっぱり君には隠し通せなかったんだ」

 ルイズは後ろに控えているフェイトに顔を向けた。その視線にフェイトはうなずいてみせた。

「ミスタ・ギーシュ」
「なんだい、フェイト?」
「眠れないならば、一緒にミスタ・コルベールのところへ行きませんか?」


 コルベールは、ルイズ達四人が訪れた時、丁度研究室で新型機関の概念図を書いている最中であった。なんでもピストンを上下させるのに、水蒸気ではなく、直接燃料油の爆発を利用するものらしい。そして四人が訪ねてきたことを、にっこりと優しく微笑んで歓迎し室内に迎え入れた。

「多分、そろそろ訪ねてくる頃合だと思っていたよ」

 それからコルベールは、四人に椅子を勧めると、戸棚の中から封を切っていないブランデーのビンを取り出し、五つのグラスに指一本づつ注いでいく。

「さ、飲みなさい。身体が暖まる」

 しばらくの間、五人の間に沈黙が降りる。
 頃合を見計らってから、フェイトが口を開いた。

「ミスタ・ギーシュ、話すだけでも随分と楽になりますよ。ミスタ・コルベールなら、判ってくださいますし」
「そうなんだ」

 ギーシュは、軽く目をつむると、ぽつぽつと語り始めた。


 僕が姫殿下に命じられて、傭兵大隊を率いてアルビオンに行ったのは、皆知っているよね。僕は初陣だったから、それこそ右も左も判らない素人だったし、彼らが選んだ先任下士官のニコラっていう男に全部任せっぱなしだったんだ。
 このニコラっていうのが、面倒見がよくてね。本当に何も知らない僕に、士官としてのあり方を一から一つづつ教えてくれたんだよ。おかげで、あのアーサーヒルの戦いで、なんとか生き残れたわけさ。

 本当に、あの戦いは酷かった。最初の戦いは、敵の一個連隊が相手でね、こっちは銃兵がたったの三百人で、貴族士官は僕と砲兵隊の隊長だけでさ、そりゃ銃も砲も性能はこっちが上だったけれど、でもきちんと丘のふもとに退避壕を掘ってこっちの砲撃に耐えられる前進陣地を作ってから、こっちの堡塁目指して接近壕を掘ってくるんだぜ。それもジグザグに掘ってくるから、野砲の砲弾じゃほとんど効果が無いんだ。あげく、堡塁の手前百メートに突撃壕を掘られてね、下から次々銃兵中隊が登ってきては、その突撃壕から吶喊してくるんだ。
 そりゃ、こっちも隠蔽陣地を掘ってその銃眼から撃ちまくったけれど、何しろ数が多いし、敵の連隊長自ら突撃壕の中で指揮をとっているから殺る気満々で突っ込んでくるし、堡塁を護れるかどうかなんて、全然判らなかったよ。もう僕も頭に血が上っていてね、とにかく砲兵陣地に上がって、突っ込んでくる敵のかたまりに向かって、あれを撃て、こっちを撃て、装填急げ、って叫びまくりでさ、銃兵達の指揮は完全にニコラに任せっぱなしだったな。
 敵の攻撃を撃退できたのは、本当に偶然でね。敵の連隊長が指揮をとるために頭を上げたところを僕が見つけてさ、当然向こうも僕を見つけてね、互いに集中射撃になったんだ。あれは本当に運が良かったな。僕は一発も弾が当たらなかったけれど、敵の連隊長はこっちの野砲の集中射で戦死してね。それで敵はやる気を失って丘を降りていってくれたんだ。

 それから三日間の休戦になってね。なにしろ丘の斜面一面に死体が転がっているし、こっちの塹壕の中も死体だらけだから、その埋葬と陣地の修理で三日間なんてあっという間に過ぎちゃったよ。
 それでまた敵の攻撃が始まったわけさ。こんどは、まるまる一個旅団が攻めてきてさ、なんで僕のところに来るんだって、心の底から始祖と神様を呪ったね。だって最初の三倍だぜ? 接近壕だって三本も掘って近づいて来るんだ。隣の堡塁から支援射撃はあったけれど、とにかく塹壕には砲撃はほとんど効かないから、敵の突撃壕には銃兵があふれかえるくらいでね、次から次へと中隊横列で三方から吶喊してくるんだ。
 こっちも、それぞれの銃兵の横に水をいっぱいにした桶を置いてね、撃ちすぎて触れなくなった銃身を桶の水に突っ込んで冷やしながら撃ちまくったんだ。とにかく堡塁の前は敵の死体が山積みでさ。だからといって敵は攻撃をやめてなんてくれなくて、その死体を土嚢代わりにして突撃発起線を前進させようとするんだ。アレには本当に参ったね。いくら野砲で散弾を浴びせても、死体が飛び散るだけで後ろの銃兵はばんばん撃ってくるしさ、こっちの堡塁なんて、後で見たら敵弾で壁面が埋め尽くされてたくらい撃たれまくっていたんだ。
 もう大隊の半分が死傷して、砲兵もばたばた倒れていってね。本当に僕があの時生き延びられたのが今でも信じられないよ。
 あそこで司令部から、ウェールズ殿下の親衛隊でもあった海兵隊銃兵中隊が駆けつけてくれなかったら、絶対に堡塁は占領されていたね。あの海兵隊の兵士達は、本当に凄かったよ。あの弾雨の中、平然と僕の大隊の生き残りと交代して、次々敵兵を撃ち倒していくんだぜ? しかも小隊長から上の指揮官が全員正規の貴族士官だから、防御魔法も攻撃魔法も使い放題さ。いやもう、僕の大隊も敵の旅団も、貴族士官なんていないも同然だったから、そりゃあすごいことになったさ。あの時ほど、魔法のありがたみが身に染みたことはなかったよ。
 それでも敵の攻撃は、丸一日夜通し続いてさ、あの夜、ルイズが助けに来てくれなかったら、僕の大隊は絶対に朝日を拝めなかったね。本当に感謝しているよ。なんたって、ルイズが敵の突撃壕を全部吹き飛ばしてくれたんだ。そりゃあ、すごい光景だったよ。目がつぶれるんじゃないかって輝きと、爆風でさ、横に百メートはある突撃壕や、敵の突撃発起線の銃兵や死体や土嚢の山が、きれいさっぱり無くなって、跡には穴が開いているだけだったからね。まあ、そこら中に敵兵のばらばらになった手足や頭や胴体や臓物がぶちまけられていたのには、朝になってからゲロを戻しちゃったけどさ。いや、本当に感謝しているんだよ。生きて学院に帰ってこれたのは、本当にルイズのおかげなんだから。

 で、こっちもさすがに限界でね、敵が一旦丘の下に引いてくれた隙に、そっと陣地を捨てて逃げ出したんだ。
 最初は野砲を丘から下ろしてね、それから生き残った兵士が死体を袋に入れて荷車に載せて丘から下ろして、アドウォルンの街に用意してあった共同墓地に埋めて、ありったけの荷物を担いでマストン・ムーアまで逃げ出したのさ。
 その時にね、敵がアーサーヒルの丘陵の左右から両翼包囲を仕掛けるために送り出した旅団を防ぐために送った部隊がさ、右翼の部隊はフェイトが敵の士官を片端から狙撃してくれたから遅滞に成功したけれど、左翼の部隊はこてんぱんに負けてね、数を半分に減らして逃げ戻ってきたんだよ。そうしたらアストレイ将軍が僕を呼び出しやがって、戦功十字章と感状と一緒に、この逃げ戻ってきた部隊をまとめて殿軍をやれと命じてきたのさ。
 そりゃあ、そんな任務なんて嫌だったけれど、命令だから仕方が無いじゃないか。それに、援護にフェイトとルイズを付けてくれるっていうから、絶対に断れないしね。なんたって、僕の本来の任務は、二人を無事連れ帰ることなんだから。
 あとは、とにかく隠蔽陣地を山ほど作って、敵の前衛の足を止めて、また次の陣地まで逃げて、敵の前衛の足を止めて、を繰り返し続けたのさ。あの時だったけ、敵が猟師に猟犬をつけてフェイトを狩り出そうと送り込んできたのは。でも、相手が悪いよな。だってフェイトだぜ? 素手でメイジをやっつけられる彼女を、たかだか猟師に狩り出せるわけがないじゃないか。結果? 決まってるさ。
送り込まれた二十人くらいの猟師と猟犬は、全部喉笛を切り裂かれて木から吊るされてさ、そこに札がぶら下げられたんだ。「猟犬は喉笛を噛み切る」ってさ。あれを見て、殿軍の皆で大笑いしたっけ。なんていうか、ひたすら敵の足を止めるのに頭がおかしくなっていた僕達は、あのフレーズがすごいツボにはまったんだよ。

 とりあえずアストン・ムーアまで逃げ切れたわけだけれどもさ、やっぱりそれで休ませてもらえはしなかったんだ。今度は敵を川で迎撃する、っていう作戦でね。最初は僕達は予備隊に回されたんだ。いや、最初はこっちもいい加減疲れていたから、半分見物のつもりで森の中から見ていたんだけれどもね、いやあ酷い戦いだったよ。なにしろ向こうはこっちに向かって渡河しないといけないから、浅瀬を渡ってくるんだけどさ、なにしろ遮蔽物も何にも無いから、それこそ樽の中の鴨を撃つようなもんでさ、次から次へと死体になって川下へ流れていくんだ。川の水も血で真っ赤に染まってね、川下の方じゃさぞかし迷惑したと思うよ。
 そりゃ、向こうも渡河支援のために銃兵も野砲も撃ちまくりで、「水」や「風」の貴族士官が防御壁を作りはするけれど、なんたって貴族士官の数が全然足りないから、渡河しきれる銃兵の数が全然足りないんだよ。おかげで、向こうの魔法が切れた頃合を見計らって、こっちが陣前逆襲を行ってさ、向こうは川を背にしているし、渡河できた兵士の数も少ないから、あっという間に追い返されてしまったってわけ。
 でも、敵も馬鹿じゃないからさ、こっちの攻撃が実は陽動で、ちゃんとこちらの後ろに別働隊を回そうと、離れた浅瀬から旅団を渡河させていたんだ。おかげで予備隊だった僕らは、大急ぎで敵の旅団の前に布陣する羽目になってね。なにしろ急ぎだったから陣地も急ごしらえで、敵の数だって五倍くらいはいたかな? とにかく、ああ、これは捨石にされたなあ、なんて思いながら敵を迎え撃ったんだ。
 いやもう、あの時も酷かったね。とりあえず敵を迎え撃ったのがろくに遮蔽物もない平原でさ。こっちはもう時間稼ぎだって割り切っているから、とにかく撃ったら下がり、撃ったら下がり、で、絶対に敵とまともに組み合わないようにするので精一杯だったんだ。死傷者の数も、これまでで一番多かったかな? 何しろこっちは、僕の大隊の残りに、義勇兵やら、全滅した部隊の生き残りやらの混成部隊でね、とにかく壊走させないようにするだけで精一杯だったし。あれ部隊の半分は死んだんじゃないかな。よくまあ兵隊が脱走しなかったと思うよ。
 で、ようやく司令部から撤退許可が下りてね。あとは生き残りの貴族士官が煙幕を張って、全速力で走って逃げたわけさ。いや、なんか壁新聞では随分と美化された書かれ方しているみたいだけど、あれ、ただひたすら逃げていただけだったのさ。

 最後の戦いがネイズビーでね。本当はまだまだ戦う予定だったんだけれどもね、でも、これが最後の戦いになったんだ。
 この頃には、もう互いに戦死者や脱走兵やらでアーサーヒルの頃の半分以下の数に減っていてね。特に敵は勝ち馬に乗ろうとした傭兵が大半だったから、アーサーヒルの頃の三分の一には減っていたらしいね。こっちも半分には減っていたらしいけれど。
 で、こっちはネイズビーの村のある丘の上に塹壕を掘って布陣して、敵を待ち構えたんだ。さすがにこの頃には敵も正面攻撃はほとんどしなくなっていてね。まず斥候がこちらの陣地の位置を見つけると、ひたすら迂回して後ろに回ろうとするんだ。そうすると、予備隊に回されていた僕の部隊に命令が下ってね、とにかく迂回してくる敵の足を止めろ、って言ってくるのさ。
 そりゃ、いくらかは来た義勇兵や、士官が全滅した部隊とか指揮下に入れてもらって数だけはいたけれどさ、僕はこの戦争が初陣の学生士官だぜ? まともな野戦のやり方なんて知らないからさ、とにかく塹壕を掘っては射撃し、その後ろに塹壕を掘っては射撃し、で、ひたすら後退し続けたんだ。
 このときほど、僕は使い魔がジャイアントモールのヴェルダンデで、系統魔法が「土」だったことを感謝したことは無かったね。だって、ほんの数斉射交わしたところで敵が突っ込んでくるのを、こっちも銃剣を並べて迎え撃ってさ、その間にヴェルダンデが塹壕を掘っておいてくれるんだ。そうじゃなかったら、一回目の交戦で数倍の敵に蹂躙されて全員名誉の戦死を遂げていたね。
 とにかく、そんな感じで丸一日戦ってさ、もう銃兵の数も少ないから、僕も銃を撃って、銃剣突撃して、命令を怒鳴ってね。とにかく忙しくて何がなんだかよく覚えていなかったりするんだ。最後に、敵が一旦後退してくれた隙に、また逃げ出したわけだけれど。

 で、次はダヴェントリーだ、っていう話だったのに、敵がとうとう「切り札」を出してきてね。そう、レキシントンの戦いで、王党派軍の司令部を奇襲して、カンバーランド将軍や、ニューカッスル将軍ら、司令部の幕僚を皆殺しにしたあいつさ。あれが、後方の軍需倉庫を全部焼き討ちしてくれやがったのさ。
 なんでも、身体にぴったりとした青い服を着ていて、長い爪で兵士を引き裂き、空中に魔方陣を描く見たことも無い魔法を使う敵だそうでね、豹の様に素早く、オークの様に怪力で、狐のように狡猾な奴らしいよ。見た目は金髪の美人の女の子だったそうだけれど。
 こっちも、まさかきっちり隠蔽されていた軍需倉庫の場所がバレて、全部焼き払われるとは思ってもみなかったからさ、もう弾薬糧秣その他の軍需品を買う金も残っていなかったらしいし、ジェームズ国王が負けを認めちゃってさ、跡継ぎも家族も殺された廷臣や士官らと一緒に、ニューカッスル城に囮となって籠もって、敵の主力をひきつけている間に、アストレイ将軍が残りの部隊を率いてダーダネルスへと逃げ込んで、ありったけの船に乗せられるだけ王党派の人間を乗せて、逃げ出したんだ。

 とまあ、僕の戦争は、これで終わったのさ。ああ、最後にジェームズ陛下から、テューダー十字勲章と感状を頂いたけれど、まあ最後だからっていうお情けなんじゃないかな。なにしろひたすら逃げてばかりだったからね。
 でもね、ニコラは最後まで僕を支えてくれたし、連れて行った戦友達は八十人ちょっとしか生き残れなかったけれど、でも、僕は僕なりにがんばったつもりだったんだよ。だけれどもさ、やっぱり寂しくてね。僕がもうちょっと上手に指揮をとれていれば、きっともう少し多くの仲間を連れ帰れたんじゃないかってね。
 そういやね、飛んでくる弾に腹を撃ち抜かれるじゃないか。そのときに、クソが漏れていると、もう「水」の秘薬を使っても助からないんだよね。そりゃただの兵隊に「水」の秘薬なんて使ってくれるわけがないんだけどさ、でも、絶対に助からないっていうのと、助かるかもしれないっていうのは、全然違うんだよ。
 だから、これは助けられないな、っていう兵はね、士官の義務として僕が楽にしてやらないといけないんだ。うん、銃口を心臓に突き付けてね、一発で死ねるようにするのさ。最初の時は、もう涙で前が見えなくてね、だって一緒に戦ってきた戦友だぜ? いくら腹を撃たれて糞を洩らして苦しんでいるからって、殺せないじゃないか。でも、死ぬより苦しい苦しみっていうのはあるんだよね。だからさ、もう泣きながら引き金を引いたよ。うん、そのときのことはね、今でも夢に見るんだ。不思議だよね、さっさと忘れればいいのにさ。でも、忘れられないんだよね。兵もさ、今から殺されるっていうのに、ありがとうございます、とか言ってさ、嬉しそうに死んでいくんだぜ。あれは本当に嫌なものだよね。

 ああ、なんか話しているうちに眠くなってきたよ。酒が回ってきたのかな。うん、なんかとってもいい気分だ。ごめん、このまま寝させてよ。


 ギーシュは、そのまま何杯目かのブランデーを飲み干すと、机に突っ伏して眠ってしまった。その寝顔は、ようやく重荷を下ろしたかのような、気の抜けた顔をしていた。口を半開きにし、よだれを垂らして、くうくう寝ている。
 だが、誰もギーシュのことを笑おうとはしなかった。むしろ、ようやくそんな寝顔で眠れるようになった彼を、皆、優しい表情で見つめていた。

「モンモランシー、ベッドに連れて行ってあげて」

 ルイズが、ぽつりと呟いた。

「ええ、この馬鹿、わたしに話してくれればよかったのに」

 モンモランシーは、涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、そう呟いた。そして杖をふり、ギーシュに「レビテーション」の魔法をかけると、彼の部屋へと連れて行くために出て行った。別に何かしようというわけではない。ただ、目覚めたときに、傍にいてあげたかっただけであった。
 そんな彼女を見て、コルベールはぽつりと呟いた。

「恋人にだけは、聞かせたくはなかったのでしょうな」
「そうでしょうね。それが彼なりの優しさだったのでしょう」

 そう、フェイトがコルベールに答えた。
 コルベールは、フェイトのグラスにブランデーを注ぎ足すと、自分のグラスにも注ぎ、今しがた二人が出て行った扉に向けて掲げた。フェイトとルイズも、同じようにグラスを掲げた。


 ようやくギーシュが、元のお調子者に戻ってから数日後のことであった。
 茶色の軍服とつば広帽に背嚢を背負い、ゲベール銃を担いだ兵士らが八十数名、魔法学院に向かって行進してきた。そして、研究所の講義棟の前に整列すると、指揮官とおぼしき額に傷のある中年男が、出迎えたコルベールとフェイトに向かって大声で申告した。

「グラモン支隊先任下士官ニコラ以下八十七名、ただ今着任致しました!」
「ご苦労。楽な姿勢をとりたまえ。私が当魔法学院研究所所長のジャン・コルベールだ。これより貴官らは、当研究所、及び醸造所の警備要員としての任につく事になる。警備主任は隣のミス・フェイトになる。詳細は彼女と打ち合わせの上、警備計画書を提出するように。質問は? 無ければミス・フェイトが諸君らの宿舎へと案内する。以上」

 コルベールの訓示が終わると、ニコラが声を張り上げる。

「総員、所長殿、及び警備主任殿に対し、敬礼! 捧げぇ筒っ!!」

 ざっ、と一糸乱れぬ動きで抱えていた小銃を目前に掲げる兵士達。コルベールは、背筋を伸ばし、普段の暢気な学者である彼からは想像もできない綺麗で筋の入った敬礼を返すと、ニコラにうなずいて解散を許可した。
 三々五々に、フェイトの後をついて宿舎へと向かう兵士らを、何があったのかと多くの生徒や研究所員らが見物に出てくる。
 その中から、一人の生徒が、兵士らに駆け寄った。

「お久しぶりであります、隊長殿」
「ニコラ! それにみんな! どうしてここに!?」

 それは、ギーシュであった。彼は目尻に涙を浮かべ、嬉しさに瞳を輝かせている。

「いやあ、とりあえず戦争もしばらくなさそうでして。で、給料は安いんですが長期契約ってことで、募兵があったんで応募したんですわ」

 にやりと笑ってニコラは片目をつむってみせる。

「というわけで、しばらくこちらさんに厄介になりますわ」



[2605] 運命の使い魔と大人達 第八話
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/04/02 23:24

 八

「ばんさーい! ばんざーい! ばんざーい!」

 最近の魔法学院研究所の名物である、万歳三唱が青空にこだまする。なお、それに何故か学生達や手すきの使用人達まで混じっているのも、貴族と平民の区別が厳しいトリステインでは珍しいことではあった。というよりこの研究所は、貴族と平民がごく当たり前のように対等に口をきけるという、ハルケギニアでもっともフリーダムな空間であるのだ。
 そんな皆の万歳三唱を受けつつ、エレオノールは、魔力を使い尽くしてぐったりと椅子にへたばっていた。
 目前では、エレオノールの発動させた「ライトニング・クラウド」の魔法によって化学反応を起こした鉛電池が、電流を放出し、これまたエレオノールの雷の魔法で作られた永久磁石を元に作られたモーターを回している。電池とモーターの間につなげられている電線に取り付けられた電圧計が少しづつゼロへと近づいていく。

「素晴らしい! これで我々は火に続いて電気を動力として手に入れる事ができたのですな!」
「放出電圧を一定にすることで、モーターを常に同じ速度とトルクで回転させられます! これを工作機械に応用できれば、ハルケギニアの工業は革命的な向上を見せるでしょう!」
「さすがです、ヴァリエール主任! 「風」の優秀なメイジであるあなたが来て下さらなかったら、我々はいまだに蒸気機関を直接機械に接続するしかできませんでした!」

 研究所所長兼「火」の研究主任のコルベールや、「土」の研究主任のロングビル、「水」の研究主任のリュシーが、次々とエレオノールの手をとってはお祝いを述べる。それを受けてエレオノールは、引きつった笑顔で「お役に立てて嬉しいですわ」と答えるしかできない。それほど、研究所員らの喜びようといったらなかったのだ。
 エレオノールは、魔法学院研究所をもっとずっと上品で各種の魔法による理論実証的な実験が行われている場所と思っていたのである。が、あにはからんや、この研究所は、よく言えば実験による再現性よりも理論の実践的運用の重視、悪く言えば失敗にくじけぬ努力と根性と体力勝負の場所であった。着任初日各研究員に紹介され、各人の研究室に通された時、そのすさまじい惨状にエレオノールは本気でアカデミーに帰ろうかと思ったくらいである。
 例えばコルベールの研究室は、中央に巨大な鋼鉄の機械が据えられ、床にまで溢れかえった無数の図面と書類と書籍と、そして山積みの金属製の部品で足の踏み場も無い状態であった。ロングビルの研究室といえば、無数の鉄片がなにやら数値を書き込まれた札を貼られて壁を埋め尽くさんばかりになっており、床一面に書籍と書類が天井まで積み重ねられ、壁のコルクボードには何やら判らない記号式が書き込まれた紙が無数に留めてられていた。そしてリュシーの研究室も同様に、書籍と書類で足の踏み場もなく、中央に置かれた机の上には各種の薬品のビンと実験用器具が所狭しと置かれ、壁一面の戸棚にもはみ出さんばかりに各種試薬のビンが詰め込まれている。
 そして自分の研究室となる部屋に通された時、そこには壁一面に本棚、向かいの壁にガラス戸棚、
執務机と椅子に作業用の机、そしてアカデミーから持ち込まれた荷物が山積みにされていた。そして、執務机の上に山積みになっている書類綴り。

「なんです、この書類挟みは?」

 エレオノールが、非常に嫌な予感とともにコルベールに尋ねると、彼は特になんとも無い口調であっさりと答えた。

「はい。各研究室から「風」のメイジである貴女に研究協力の要請ですな。何しろこれまで「風」のトライアングル級以上のメイジの研究員がおりませんでしたので。いや、本当にありがたく思っておりますぞ。では、今日と明日はゆっくりと荷解きにあたって下さい。ああ、その扉の向こうが私室となっておりますので」
「……………」

 呆然としているエレオノールをその場に残し、コルベールは自分の実験室に戻っていった。彼も内燃動力機関の開発という、当研究所最大の難問を抱えているのである。
 エレオノールは、書類綴りのうちの一冊を手にとってめくってみる。そこには「流入空気圧縮による温度上昇がもたらす燃焼効率の低下について」と題名がふってあった。どうやらコルベールの研究でネックとなっている問題の様である。ページをめくってみると、ピストンエンジンの断面図とともに、その作動課程が図式化され、燃料と空気の流入過程について解説してある。どうやら空気温度がピストンによる圧縮によって燃料の発火温度以上に上昇し、燃料がきちんと空気と混合する前に高速で燃焼を始め、不完全燃焼を起こし、設計どおりの仕事量を発揮できないらしい。あげく、最悪の場合には燃料の爆発速度が速や過ぎてピストンが破壊されてしまうことも起きるとか。

「こ、こんなの、どうしろっていうのよ!」

 というより、熱エネルギーが運動エネルギーに変換されるという考え方自体が、最近になってコルベール名義の論文で知ったくらいなのである。過早燃焼による燃焼効率の低下なんて、それこそ何それという世界である。
 さらに別の書類綴りには、二種類の金属板を希硫酸の間に浸し、その化学反応で電気を発生させる、という研究への協力要請があった。名義人はフェイト。どうやら「風」のメイジであるエレオノールの雷系の魔法に期待しての協力要請らしい。
 なお、別の書類綴りには、高炉内におけるコークスの効率的燃焼のための空気流入と排気について、という題名の研究要請があったりする。当然これは、ロングビルからの研究要請であった。
 エレオノールはそのまま床に座り込んでしまうと、この研究所のあまりにも進みすぎた研究内容に頭が追いついていけず、パニックを起こしそうになってしまった。

「クールに、クールになりなさい、エレオノール! ええ、アカデミーの主任研究員だった私が、初日から音を上げてどうするの! ここで逃げ出したら本当の笑いものだわ!!」

 と、腰を抜かしたまま必死になって自分に喝を入れるエレオノール。そこに部屋の扉をノックする音が聞こえた。

「開いているわ」
「お姉さま、お手伝いすることはあります?」

 現れたのは、ルイズであった。どうやら授業が終わってすぐに研究棟にやってきたらしい。エレオノールは、ぱっと腰を上げ、威厳をもって妹を部屋に迎え入れた。

「丁度いいところに来たわね、ルイズ。荷解きを手伝ってちょうだい」
「はい。で、大丈夫ですか? 廊下にまでお声が聞こえていまし……いひゃいっ!」
「忘れなさい! 忘れるのよ! 忘れないと本気で怒りますからね!!」

 恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら、エレオノールはルイズの頬をつねりあげた。まさか、よりにもよってこのおちびに聞かれてしまうとは。

「わ、わがりばじだ! だがら、でをばなじで!」
「はっ! そうね、クールに、クールにならないと!」

 真っ赤になった頬をさすりながらルイズは、多分姉はこの研究所の雰囲気に慣れるのに苦労するんだろうなー なんてことを漠然と思っていた。というか、何があったのか判らないけれども、初日からこんなにてんぱっているなんて、よほどの事があったのであろう。
 ルイズは、あとでフェイトにそれとなくエレオノールをフォローしてくれるよう頼むことに決めた。


 その頃フェイトは、魔法学院の外の草地にずらりと勢ぞろいした約二百人を超える男女を前に、木箱の壇上から訓示を垂れていた。皆、丈夫な綿布の茶色の上下に、キャンバス生地製で革底の半長靴を履いている。当然のことながら、ギーシュもニコラも、傭兵達も勢ぞろいである。

「これより諸氏は、アルビオン内戦の戦訓を基にした新歩兵戦術について訓練を受ける事になる。私は、貴族、平民、メイジ、男、女、年齢、国籍、これらによって諸氏らをなんら差別するつもりはない。何故ならば、全て平等に「価値が無い」からだ。よって途中訓練より脱落するものは、速やかに原隊への復帰を命じる事になる。以上、質問は? よろしい。まずは魔法学院外壁の周回を駆け足で行う。先任下士官!!」
「総員、各助教の前に整列!! 番号、始め!!」

 ニコラの号令により、男女らは駆け足でフェイトの後ろに並んでいた助教役の傭兵下士官らの前に整列し、番号を叫ぶ。

「教官殿! 総員二百二十一名、不明者無し! これより駆け足に入ります!!」
「よろしい。総員、駆け足始め!!」

 普段の穏やかで柔和な微笑みからは想像もできない冷徹な表情で、フェイトはニコラに向かって命令を下す。二百人を超す男女らは、ギーシュを先頭に一斉に走り出した。それを見送るフェイトとニコラ。

「まずは全員の根性の入り具合の確認でありますか?」
「はい」

 フェイトは、わずかに目尻を下げてニコラに答えた。

「グラモン中隊は、中隊長殿以下最後まで走り続けられるでしょうが、さて王宮から来た「お嬢さん方」がどこまで持つか、ですな」
「はい。ですから、一回自分の体力と根性の限界を認識して頂きましょう」

 フェイトは、わずかに頬を歪めて、面倒極まりない仕事を押し付けてきたアンリエッタ王女とマザリーニ枢機卿への呪詛の代わりとした。

 フェイトが自分の研究時間を潰して日中に訓練教官を行っているのには理由があった。
 先日、トリスタニアの王宮に呼び出され、アンリエッタ王女とマザリーニ枢機卿に依頼を受けたのである。それは、アルビオン内戦において赫々たる武勲をあげ、その遅滞防御戦闘を立案し、実質的に作戦指導を行った彼女に対して、新設されるアンリエッタの親衛隊の訓練指導を行う様に、という内容であった。

「今のトリステインとゲルマニアには、少なくない数の「レコン・キスタ」勢力が浸透してきています。魔法衛士隊長であったワルド子爵まで「レコン・キスタ」に参加しているとは、一体全体王宮の誰を信じたらよいのでしょうか。お願いですミス・フェイト、私が信頼でき、私が自由に使うことのできる部隊を編成して頂きたいのです」

 切々とフェイトに訴えるアンリエッタを見て、彼女は内心では、それはマザリーニに仕事だろう、と思った。が、肝心のマザリーニといえば、相変わらずの冷たい眼でフェイトを見つめつつ、感情の抑揚に乏しい声で付け加える。

「貴族が信用できないとなれば、平民に頼るしかない。この度ラ・ヴァリエール公爵より貴公を養女として迎え入れたい、という申請があった。平民が貴族の家名を名乗ることは、このトリステインではまさしく前代未聞。しかし、そなたがアルビオン内戦で果たした役割を見るならば、まさに相応しいとしか言いようがない。というわけで、だ、貴公にラ・ヴァリエールの家名を名乗るの許す代わりに、新設される部隊の教官を務めてもらおうという事になった」

 フェイトは、穏やかな微笑みという仮面をかむって、内心では呆然としていた。まさかヴァリエール公爵が、本気で自分を家族として迎え入れようとするとは。
 あれだけ自分に感謝してくれた公爵夫妻。わざわざ自分を頼ってアカデミーから魔法学院研究所へと移籍してきたエレオノール。絶望し擦り切れてしまっていた自分に許しと希望を見せてくれたカトレア。そして、自分とともにあの地獄の戦場を駆け抜け、目前の酸鼻極まる光景の中でもなおまっすぐに前を見詰め続けたルイズ。
 皆の厚情を無碍にすることが、どうしてもフェイトにはできなかった。むしろ、あの暖かい光景の中に自分を含めてくれようとしていることに、どうしても抗うことができなかった。
 そしてそれだけに、目前の二人に対して、内心どす黒い怒りが渦巻くのをこらえきれない。この二人にとっては、それはむしろ貴族として名誉ある任を与えているつもりなのであろう。それが判らないほど、フェイトはこの世界について無知なわけではない。だが、心の奥底で誰かが叫ぶのだ。
 家族の情を鎖としてこの私に首輪をかけようとするな、と。

「王女殿下、並びに枢機卿猊下のご厚情、まことに感謝の言葉もございません。一介の学徒に過ぎぬ身ではありますが、精一杯教官役は努めさせて頂きます」

 言外に、魔法学院研究所を離れるつもりはない、という意味をにじませ、フェイトは二人に向かって頭を垂れた。

 というわけで、王宮から送り込まれてきたのが、約百名の若い女性ばかりを集めた集団であった。なにしろ王女であるアンリエッタの親衛隊であり護衛役である。魔法衛士隊はともかく、平民で編成される部隊というわけで、銃士隊ならば女性ばかりでも大丈夫だろう、という目算なのであろう。
 だが実際のところフェイトに言わせれば、例えば時空管理局武装隊の多数の女性隊員は、あれは魔力で体力の不足をフォローしているから任務をこなせているのであって、メイジでもない平民の女性で部隊を編成してもお飾りにしかならないだろう、という見積もりがあった。せめてメイジならば、近接戦闘能力や戦場間移動力や戦場運動能力の不足を補うことができるのに。
 実際のところフェイトは半分自棄になっているわけで、ギーシュ以下の傭兵部隊の再訓練とあわせて、自分が受けたのと同じレベルの訓練を叩き込んでやろうと目論んでいたのであった。
 事実グラモン中隊は、駆け足ながらギーシュを先頭に各小隊ごときちんと隊列を保ったまま草原を走り続けている。それに続く銃士隊候補生らは、さっそく隊列から外れ、助教に怒鳴られてなんとか隊列に戻ろうとする女性が後を絶たない。
 そして、一番駄目駄目なのが、ギーシュに憧れて訓練に参加してきた魔法学院の学生らであった。
 一応貴族である以上、戦場に参陣するのが義務なわけであり、彼らにとってギーシュは、まだまだ学生の身でありながらアルビオン内戦に参加し、壁新聞が事実ならば文字通り地獄の戦場で比類無き武功を挙げて凱旋してきた英雄である。
 本人は笑って適当にはぐらかしているが、なにしろ何度も感状を授与され、戦功十字章やテューダー十字勲章の最後の被授与者である。将来軍人になるのを希望している学生らが、ギーシュが放課後始めた訓練に付き合おうと考えたのも、まあ判らなくもない。
 だがフェイトは、子供らがやたらと戦場に首を突っ込むのが許せなかった。かつて遠距離浸透偵察中隊を指揮して、各種麻薬の秘密工場や、反時空管理局テロリストの拠点を襲撃してきた彼女にとっては、チャイルド・ソルジャーを平然と使っていた犯罪者どもと自分が同じに思えてしまうのである。
 確かにアルビオン内戦では、ルイズやギーシュを徹底的に戦場のドブ泥の中を引きずり回した。だが、元はといえば、それもアンリエッタの命令であり、ルイズの命令であり、ギーシュの志願の結果によるものである。自身の責任から逃げるつもりはないが、戦争に付き合わせない、という選択肢がフェイトには無かったのも事実であったのだ。

「やはり学生は、体力の練成から入らないと駄目ですね」

 冷たい表情と声で言い捨てたフェイトに、ニコラはにやりと笑ってうなずいた。

「了解いたしました。「お坊ちゃん方」には別に訓練メニューを組みますので」
「了解しました。脱落などさせない様に、たっぷりと「可愛がって」やって下さい」

 この場合の「可愛がる」が、それこそ反吐まみれなりながら日が暮れるまでしごかれるという事を意味していることを判っていて、フェイトは平然と言い放った。


 結局フェイトは、魔法学院の外周を五周させた。距離にすれば約二十リーグである。ギーシュ以下の中隊は、かつて戦場で夜間撤退時に背嚢と武器を担いで六時間で三十リーグを駆け抜けたことすらあった。何の荷物も背負っていない状態で二十リーグくらい、丁度良い暖気というところである。事実、全員汗だくで息も荒かったが、一糸乱れぬ歩調で整列し、駆け足が終了した旨申告するくらいの余裕を見せてくれたのであった。
 それに対して、女性銃士らは惨憺たるものであった。一応は選抜されてやってきた兵士らではあるわけで、脱落者は一人も出なかったが、ほとんどの兵士がふらふらで次の訓練に移れる状態ではない。
 なお、魔法学院の学生らは、全員途中でへたばって草原に点々とぶっ倒れてしまっている。

「それでは、銃士中隊の各指揮官を指名する。銃士アニエス前へ」
「はいっ!」

 歳の頃は二十台の頭だろう。金髪を短く刈り上げた背の高い女性が一歩前に出た。息は荒いが足腰はしっかりとしている。

「貴官はトリステイン衛士隊出身であり、班長経験と実戦経験がある。よって当中隊の指揮官に任じる。以後中隊はアニエス中隊と呼称する」
「はいっ! 銃士アニエス、アニエス中隊中隊長の任につきます!」
「よろしい」

 アニエスと呼ばれた女性は、フェイトに向かって敬礼し、任命に答えた。
 フェイトは、きちんと気合の入った答礼を返し、次の隊員を呼ぶ。彼女が選んだのは、なんらかの部隊勤務経験があり、かつ実戦経験のある者であり、そしてこの駆け足の後でもへたばっていない者であった。中隊長と小隊長と分隊長が任命されたところで、続いてギーシュを呼ぶ。

「ミスタ・グラモン」
「はい、教官殿」

 実戦経験者の余裕をたっぷりとにじませながら、ギーシュはフェイトの前に立ち、びしっと敬礼を返した。

「ミスタ・グラモンは、これより当教導隊の生徒代表に任じる。グラモン中隊、及びアニエス中隊の先任士官として、各士官のまとめ役となるように」
「了解いたしました。教官殿」

 ギーシュは、真面目腐った顔で任命を受けると、敬礼をフェイトと交わし元の位置に戻る。もっとも、回れ右をしてフェイトに背を向けた瞬間、にやりと笑って舌を出して見せたりしたわけであるが。それを見たグラモン中隊の兵士らは、必死になって笑いをこらえ直立不動の姿勢をとった。
 それをあえて無視して、フェイトは、解散を命じた。

「それでは、明日からの訓練教程について各指揮官に説明する。他の全員は解散してよし」


 その頃、ガリア王国の首都リュティスでは、イザベラ王女の輿入れの準備でおおわらわであった。
 それもそうであろう。「無能王」ジョゼフの突然の思いつきに「我侭姫」イザベラが気まぐれで乗っかったわけであり、しかも相手のアンジュー侯爵家は、突然振って沸いた話に目を白黒させるしかできないでいたのだ。
 運良くというべきか、一応のところアンジュー侯爵家の長男には婚約者はおらず、ジョゼフの申し入れを受けるのに支障は無かった。とはいえ、文字通りの青天の霹靂に大慌てでイザベラの受け入れの準備を始める始末であったのだ。
 アンジュー侯爵家の屋敷があるのは、火山龍山脈の南方のアンジュー侯領のほぼ中央部にある、内海へと流れる大河ロレーヌ河沿いのトロサという町である。人口は十万人を超え、王都リュティスの次に繁栄している街ともいえた。そこにイザベラを受け入れるための屋敷の建設を始めたり、火山龍山脈北側のフランドル高原地方その他の、イザベラが直接統治している地域との道路や船舶の定期便について再度整備を始めたりと、それはもうやるべき事が山とあったのである。
 何しろイザベラは、今回のアルビオン内戦の結果、東方やミラノから輸入されたり王領で生産される絹の利権を握るジョゼフ王、その広大な領地で栽培される綿花を元に織られている綿布の利権を握るアンジュー侯爵家に次いで、エスコリアル種を頂点とする各種の羊毛から織られる羅紗生地の膨大な利権をアルビオンから奪い握るに至った、ガリアでも有数の大貴族となって輿入れしてくるのである。
 あげく、フランドル地方でも低地地帯に火山龍山脈から採掘される鉄鉱石や石炭を使用した大規模な製鋼業の立ち上げを計画しており、そのための技術導入の話を、南部半島都市国家の商会を経由して何者かと進めてもいた。さらにその鉄鋼を利用して、何かさらに大規模な事業を始めることを考えているらしい。
 すでにアンジュー侯爵家としては、イザベラが「水」のドットメイジとしては最低ランクの落ちこぼれであることなど、完全に記憶から消え去ってしまっていたのであった。

「というわけだ。息子よ、くれぐれも粗相の無い様にな」

 封建貴族というよりも、南部半島都市国家の都市貴族を思わせるたっぷりとした腹回りのアンジュー侯が、息子に向かって何度目かになる注意を促していた。二人はリュティスにトロサから龍籠で訪れ、早速グラン・トロワに参内したところであった。

「判っております、父上。ぼくはまだ子供ですが、姫殿下に無礼を働く様な事は致しませぬ」

 アンジュー侯がこげ茶色の髪の瞳をした肌の浅黒い、むしろ南方系を思わせる顔立ちであるのに対して、息子は烏の濡れ羽色の美しい黒髪に、濃い目の紫色の瞳と絹のようなきめ細かい白い肌をした、一見少女かと見まごう、しかし冷徹そうな雰囲気をまとった少年であった。その瞳は冷たく輝き、歳不相応な知性の輝きをきらめかせている。

「それに、ぼくとの婚約を飛ばして結婚を申し入れてきたこと、王室側に何か理由があってのことでしょう。確かに持参金は莫大なものではありますが、我がアンジュー家がそれに触ることはできますまい」

 なんというか、たかだか十二歳の子供とは思えない聡明さである。

「そうか、そういうものか」
「はい。むしろ、王女殿下が我が家を乗っ取りかねないことこそを懸念するべきかと」
「さすがにそれはさせまいぞ! 確かに我がアンジュー家はガリア王国において南方の護りの要となって王室に仕えてきた。しかし、王室の犬というわけではない。そうやすやすと好き勝手にさせるつもりはない!!」

 こと金が絡んだときの父親の迫力には、余人ではかなうまい、と、少年は思っていた。実際、アンジュー侯爵家の家産は、この父親の代になって随分と増えている。それ故に南部半島都市国家郡、その中でも特に大きな都市国家である、ミラノ公国、フィレンティア共和国、ジェネヴァ共和国、ベニティア共和国といったそれぞれの都市国家との関係は、決して上手くいってはいない。

「それではルルーシュ、国王陛下と王女殿下にお目通りだ」
「はい、父上」


 二人が通されたのは、なんと謁見室ではなく、ジョゼフの私室の方であった。そこでは、蒼い髪の親子が巨大なハルケギニアの地図模型の上で、各種の鉛人形をあちこちに動かしつつ、侍女にサイコロを振らせてなにやらゲームに集中している。
 アンジュー侯は、あまりの光景に唖然とし、ルルーシュはそっと地図模型に近づくと、そこでどういう情景が繰り広げられているのか覗き込んだ。

「さてこれで、先遣連隊がリュティスに取り付いたわけですが、どうなります、お父様?」
「むむ、サイコロを」

 からからと控えている侍女がサイコロを振り、目が出る。一と二で、三。

「……三か、この場合……、うむ、リュティス市参事会が降伏を進言してくるな。……義勇兵の徴募は無理ということになる」
「了解いたしました。ではお父様の番です」

 どうやらこの父娘は、ひたすら戦争ごっこにうつつを抜かしていたらしい。チェス名手として有名なジョゼフ王が、なんと引きこもりの癇癪持ちなイザベラに追い詰められている。どうやらジョゼフ王がガリア軍を、イザベラがゲルマニア軍を担当している様子である。
 ルルーシュが盤上を見た限りでは、ガリア軍の貴重な一個軍団がトリステイン軍の軍団とにらみ合っていて身動きがとれず、ゲルマニア軍の主力がアルデンヌの森を踏破して、東部国境地帯で一進一退を繰り返していたガリア軍主力を無視してひたすら王都リュティスを目指したらしい。途中、河川や丘陵地帯でガリア軍の予備軍団がゲルマニア軍を拘束し、足を止めようととしては、三分割されたゲルマニア軍主力が片翼包囲からの突破戦闘を繰り返し、ガリア軍を壊走させつつ進軍し、とうとうリュティスに手をかけた、というところか。
 と、ここまでルルーシュがゲームの流れを読んだ時であった。

「ふむ、もうそんな時間か。アンジュー侯、久方ぶりであるな。壮健か」
「国王陛下、並びに王女殿下もご機嫌うるわしゅう」

 いつの間にかジョゼフとイザベラが、アンジュー候親子に気がつき、その蒼い視線を向けてきていた。二人とも盤上に注目しているルルーシュに視線を向けている。
 父親が膝をついて低頭するのにあわせて、ルルーシュも父親の後ろに下がって膝をついた。

「よいよい。今日はめでたい日だ! まことにめでたい日だ!! 折角婿殿が来られたのだ、まずはゆっくりとくつろいでゆくとよい」

 ジョゼフが指を鳴らすと、どこからともなく小姓らが現れ、がちがちに冷やされた底浅の足つきグラスに注がれた、わずかに紫がかった白濁したアルコールが四人分並べていく。つまみには、かなり癖の強そうなチーズが山盛り。
 ジョゼフはアンジュー候親子にソファーを勧めると、自らもイザベラを連れて深々と腰を下ろした。

「陛下、この酒はなんでございましょう?」
「うん? ジンをベースにライムの果汁を混ぜ、ヴァイオレットリキュールで少し甘みをつけたものだ。やはりジンは霜が降りるようなグラスで飲まんとな! 是非試してみられよ」

 まるで子供のように目を輝かせて、カクテルをアンジュー候に勧めるジョゼフ。
 アンジュー候は、観念したかのように少しだけ口に含み、おっ、という表情を見せた。

「……これは。ジンなど下賎な平民どもの酒かと思っておりましたが、これは中々でございますな」
「うむ、卿が気に入ってくれて余も嬉しいぞ! 何しろこの味にたどり着くまでに随分と手間がかかったのだ」

 にやにやと笑いながら、子供のような表情で自慢をするジョゼフ。そして、グラスの足を手に取ると、目の前にまで掲げて音頭をとった。

「では、両家の婚姻に乾杯!」

 しばらくの間、ジョゼフがジンをベースにしたカクテルについて一席ぶち、アンジュー候がそれを神妙な顔をして聞いくという光景が続いた。今は、ジンに白ワインとアプサン少しづつ混ぜたものをシェイクしてオリーブの実を浮かべたものに挑戦しているという。なんでも白ワインやアプサンは、ごくごく少量に抑えるのがコツであるとか。
 イザベラはにやにやしながら父親を横目で見やり、時々ルルーシュに視線を投げかけては彼の反応を見ている。
 で、ルルーシュといえば、来て早々にかなり強いカクテルを飲まされたせいであろう、酔いで顔が上気していた。

「父上、少し酔ってしまいました。少し外の風に当たってまいります」

 イザベラが、ジョゼフが折角の白ワインの風味をアプサンが殺してしまうのが今の最大の問題であると語っているところに、中座する旨一声かけて立ち上がる。そして、ルルーシュを見下ろした。

「それではルルーシュ様、エスコートをお願いできますでしょうか?」


 イザベラがルルーシュを伴い向かったのは、グラン・トロワの南側にある南薔薇花壇であった。
 そこは色とりどりの薔薇が咲き乱れ、あたりの濃厚な甘い芳香を放っている。約二リーグ四方にもわたるその花壇は、世界中から集められた剪定師や職人によって維持されている、世界最大の薔薇園でもある。その維持費だけで小国が一国維持できるほどの予算がつぎ込まれ、ジョゼフの道楽の一つとして国民には知られていた。
 その花壇を見渡せる東屋に、イザベラはルルーシュを連れて来ていた。お付きの者は全て下がらせ、二人きりで広大な薔薇園を見下ろす。

「酔いは醒められました?」
「はい。お恥ずかしいところをお見せいたしました」

 その答にイザベラは、上品な微笑みを浮かべ、少年を見下ろした。まだ十二歳に過ぎぬ少年にいきなりジンベースのカクテルとは、父上も無茶をする、と、内心ほんのわずかにだけ感謝する。

「こちらの花壇をご覧になるのは、初めてでいらっしゃいます?」
「ええ、見事なものですね。まさしく世界で最も美しい国でしょう」

 ルルーシュは、この花壇につぎ込まれている膨大な国費のことを言外に匂わせつつ、そう答えた。そして、一言付け加える。

「それも、殿下の前には色褪せてしまいますが」
「お上手でいらっしゃいますね」

 さらりと流しつつ、イザベラは立ち上がった。その蒼い瞳に、わずかに灯が点る。

「よろしければ、ご覧頂きたいものがあります」


 バラ園の中央にはごくごく質素な外見の、しかし大理石で作られた丸机と椅子があった。

「ご覧下さいまし」

 イザベラが手にした扇子で指し示した先には、蒼い薔薇が一輪咲いていた。
 ガリア王立アカデミーがジョゼフの命により、総力をあげて生み出した蒼い薔薇。その名も「ラ・ガリア」という。今ではガリア王室の象徴の花となっていた。

「人の手によりて生み出された究極の一輪。まさしくこのガリア王家に相応しい花といえましょう」

 ルルーシュは、むせ返るような薔薇の香りに酔いがぶり返しそうな気分に陥りながら、それでもイザベラが何を言わんとするか必死になって考えていた。
 彼女についてルルーシュが知っているのは、プチ・トロワという小宮殿に引きこもり、形だけ北花壇騎士団という秘密警察の長としての立場を与えられ、ひたすら使用人に癇癪を爆発させている「我侭姫」というものであった。彼女が進めているフランドル地方の事業は、実はジョゼフが裏から操ってのものではないかと推測し、父に知られぬ様に情報を集めてもいた。
 だが、実際に会って得た印象は、全く正反対のものであった。
 狡猾で、執念深く、そして何かを得ようと着々と策を巡らす陰謀家。そして、微笑みと淑女の仮面を被り、今自分をなんらかの策謀でからめとり、掌中に収めんとする魔女。魔法がドット級だからといって、それが何だというのか。「水」のライン級の自分は、全くかなわず今まさに彼女の罠にはまろうとしている。
 これは勘でしかない。だが、この勘は正しい。
 次の自分の一言が、生死を決する。

「植え手は始祖、そう仰りたいのですか?」

 イザベラの灯りの点っていた蒼い瞳に感情の炎が沸き上がる。それは愉悦であった。その表情がまるで仮面を外すように変わり、これまでの深窓の令嬢を思わせる高貴さや優雅さがかけらも残さず消え失せる。
 これが、彼女の正体か。
 ルルーシュは、イザベラの視線を正面から受け止め、そして一切の感情を消して彼女の言葉を待った。
 イザベラの口の端がゆがめられ、喉が震える。

「く、くくっく」

 笑い、というには、余りにも地の底から響くような昏い声。

「ははははははっっ!」

 そして、イザベラは仰け反るように高らかに笑い出した。

「あーっはっはっはははっははっっ!!」

 ルルーシュは、これほどに重く昏い哄笑を聞くのは初めてであった。恐怖に胃がせり上がり、中身が喉を逆流しそうになる。今この時ほど、今この瞬間ほど、自分がただの子供でしかない事が恨めしく思えたことは無かった。恐怖に負け、今すぐにこの場から逃げ出したくて仕方が無いのに、目前の魔女への恐怖に全身が硬直する。

「合格だ。ルルーシュ」

 野卑さを通り越した、覇王の如き響きを持った声でイザベラが宣言する。

「お前こそ、このわたしの夫たるに相応しい」
「……理由を、聞かせてもらえるのか」

 イザベラに気圧されまいと、口調を変えてイザベラの視線を真っ向から受け止めるルルーシュ。

「いいだろう。お前が気がついている通り、今のわたしが本来のわたしだ。プチ・トロワから流れる噂も、私が流させている「物語」に過ぎない。その「物語」と、今までわたしが被っていた仮面に惑わされず、三統の王家が、所詮はブリミルの手の平の中にある歪められた花でしかないことに気がついた。その聡明さこそ、このわたしを律する杖となろう」
「ぼくは、あなたの首輪だとでもいうのか」
「違うな。わたしの良心さ」

 心底、この世界全てを憎むかのような声で、イザベラは哄笑する。

「わたしが望むのは自由! そう、自由だ! だが、自由は放埓へと堕落し、最後には世界を己の自我で覆いつくさんとする麻薬だ! その自由を望むわたしを打つ杖、それがお前なんだ!!」

 そしてイザベラは、全身を緊張に硬直させているルルーシュのおとがいに指を添えた。

「わたしはお前を堕落させようとするだろう。それがわたしの「女」としての本能だからだ。それに耐え、わたしを打て、ルルーシュ。どうだい、面白いゲームだろう?」

 そして、ルルーシュの唇にむさぼりつき、舌先でその口腔を存分に陵辱する。弱々しくイザベラを突き放そうとする彼の両腕を掴み、イザベラは両手の指を彼の指に絡め、そのまま机の上に押し倒した。
 なすすべも無く薔薇の香りとイザベラの体臭にその身を侵され、魔女の舌と唇に犯される悦楽に、ルルーシュは今まさに自我を手放さんばかりとなった。
 だが、彼とてガリア最大の貴族の長子であり、次代のガリアの南方への盾たらんと自らを律してきた身である。たとい齢十二とて、いや少年であるからこそ、その魂は背負わんとする荷物に相応しい硬質さをもっていた。
 イザベラが唇を離したその時、ルルーシュは、強い意志の光を灯した瞳で彼女の視線を押し返さんとする。

「わかった。たった今からぼくはあなたを律し、その堕落を打つ杖となる。あなたの中にある憎悪がなぜかはわからない。だが、いつの日か、その憎悪からあなたを解き放とう」

 イザベラは、歓喜にわななくようにルルーシュから離れた。そして、ルルーシュの前にひざまずき、その右手に唇を寄せる。

「今から、お前は私の夫だ。死が互いを別つまで、お前に忠誠と友情を誓おう」


「姫殿下は皇帝アルプレヒトに嫁ぎ、イザベラ王女はルルーシュ公子に嫁ぐ。アルビオンをのぞけば各王家は祝い事続きですな」

 コルベールが、相変わらず暢気そうな声でオールド・オスマンと夜食を共にしていた。

「最近は王政府のいらん横槍で、魔法学院が兵営のごとくなってしまっておる。なんとも嘆かわしいことよ」

 心底不愉快そうにオールド・オスマンがぼやいた。この老人は、マザリーニ枢機卿の命令でアニエスら一行がフェイトに訓練を受けているのを、決して認めてはいなかった。
 そして、それはコルベールも同様であった。

「ミス・フェイトが散々謝りに来ましたよ。姫殿下と枢機卿の命令の上、ヴァリエール家からの厚情を逆手に取られて断れなかった、と。学院長のところにも謝りに来ませんでしたか?」
「来おったわい。まったく、あんな申し訳なさそうな顔されては、こちらも強くは言えんかったがな。とりあえず王政府には、抗議の手紙を出しておいた。兵隊ごっこは兵営でやれ、とな」

 いまいましそうにオールド・オスマンはずずっと音を立ててスープをすすった。

「それにしてもな、ミソといったか、これは美味いのう」
「はい。ミス・リシューがアルコールの醸造の過程を研究しているうちに、穀物以外のたんぱく質を持つ作物を醸造してみたらどうなるか、試してみたそうで。その結果、大豆を醸造してみましたところ、これが出来たのだとか。さっそくラグドリアン商会が莫大なパテント料を支払っていきましたよ」
「そりゃ良かった。お主の、そのなんだったかな、そうだ「内燃機関」か、それはどうなっておる?」

 たっぷりと味噌味の染み込んだ野菜を黒パンに挟み、もぐもぐと食べていたコルベールが、咀嚼物を飲み込んでから答えた。

「ミス・エレオノールの参加によって「風」の研究棟が正式に稼動し、なんとか目算が立ちそうな目処がつきました。つまるところ、燃料と空気の混合率を調整してタイミングを見計らって電気で着火するか、燃料そのものを発火点の高いものにするか、どちらかを選べばよいわけでして」
「なるほどな。それで、実際に実験を行うのはいつ頃になりそうかのう?」
「それがですな、なにしろミス・フェイトが兵隊ごっこに日中は手を取られており、夜はミス・エレオノールに付きっ切りで数学、化学、物理学を教授しておりましてな、どうにもこうにも」

 大きな溜め息をついて、コルベールはまた黒パンのサンドイッチにかぶりついた。

「しかし、こう言ってはなんだが、鈴をつけるのに失敗したかのう」

 ぽつりとオールド・オスマンが呟いた。せっかく全てをうやむやにして平和裏に何もかも済ませるつもりでいたものが、結局はおじゃんになってしまったのが心に重くのしかかっている様子である。
 だが、それに答えたコルベールの言葉は相変わらず暢気なものであった。

「猟犬に鈴をつけた所で意味はなかったわけですな。首輪を付け、命令を教え込まねばいけなかったわけです。まあ、狐でも蛇でもないのは良いことです」
「なるほどなあ。そりゃ最初から儂が間違っておった、とゆうことか」

 なんというか、自棄気味にスープ皿を持ち上げ、直接すするオールド・オスマン。
 そんな老魔法使いに向けて、コルベールは少し照れ気味に答えた。

「ミス・ヴァリエールなら大丈夫でしょう。私の生徒ですから」


 暖炉の火がはぜる中、マザリーニ枢機卿は目前に立つ女に向けて、冷たい視線を瞬きもせず向けていた。

「それで、実際に部隊として使えるようになるには、あとどれくらいかかる?」
「彼女らは存外に優秀です。三ヶ月あれば、小隊戦闘が可能となるかと」

 女はフェイトであった。黒いドレスをまとい、一切の表情を消したまま、淡々と枢機卿の質問に答えていく。

「ゲルマニアが交渉の場で強気に出てきておる。アルビオン内戦でゲルマニア製の兵器が雌雄を決しかけたことを散々自慢されたわ。姫殿下の輿入れについても、実質トリステインの併呑に等しい条件を突きつけてきよった」

 マザリーニ枢機卿の声は、まるで風のささやきの様に小さくかすれていた。

「姫殿下の輿入れの後、マリアンヌ王太后陛下の女王即位は認めぬ、と?」
「そんなところだ。あくまでトリステインは姫殿下の子供が継ぐべきである、とな」
「それ自体は、猊下の構想通りではございませぬか?」

 冷酷といってもよい視線で、マザリーニはフェイトを見つめた。

「それで、国内の貴族が納得すると思うか?」
「それは、私の関知する内容ではございませぬゆえ」

 ぬけぬけと言ってのけるフェイト。軽く目をつむると、枢機卿は話題を変えた。

「お主が持ってきたワルド子爵の手紙、あれは事実であった」
「なるほど、最後の奉公とは本人の弁でしたが、事実でしたか」
「うむ、ここまで「レコン・キスタ」にトリステインが侵食されているとはな。姫殿下の輿入れの前に奴らを秘密裏に粛清せねばならぬ。そのためにお主にあの娘らを任せたのだ。急げ」


「というような事がありました」

 暖炉の火がはぜる中、フェイトは目前に座るラ・ヴァリエール公爵夫妻に、マザリーニ枢機卿との間の話を全て開陳していた。公爵は相変わらず厳しい表情のままであったし、公爵夫人は無表情のままである。
 マザリーニ枢機卿との秘密裏の会談の後、フェイトはその足でラ・ヴァリエール公爵の屋敷に直行していた。当然のことながら、尾行をまいてからであったが。公爵夫妻は、フェイトを公爵の書斎に招きいれると、淡々と語られるフェイトの言葉に聞き入っていた。

「なるほどな。それで「鳥の骨」はどんな餌をぶら下げてきよった?」
「ワルド子爵領を任せてもよい、と。その上で近衛銃士隊の隊長になれ、と」
「相変わらずだな、奴は。これだから、お前に官位を与えられぬのだ。ラ・ヴァリエール子爵として分家筋とし、大方娘らが結婚で片付いたところを狙って、そなたにこの家を乗っ取らせるつもりなのであろう」

 一層まなざしを厳しくして、公爵は宙をにらんだ。目前に枢機卿がいたならば、その身体を十七分割しかねない勢いである。

「まあいい、どちらにせよお前はもう儂らの娘だ。親の許可もなく勝手な真似をさせるわけにはいかん。そうだろう? フェイト」
「ありがとうございます。公爵閣下」
「お前は儂らの娘だ。そう言ったのだぞ? うん?」

 一瞬前の厳しい視線はどこへ消えたのか、公爵の瞳には、包み込むような暖かい表情が浮かんでいる。フェイトは、両手を握り締めて胸元に寄せ、珍しくうろたえていた。そんな彼女を、公爵夫人も優しい表情で見つめている。

「……その」
「何かな、娘よ」
「……本当に、お義父様、と、お呼びしてもよろしいのでしょうか?」
「娘が、父を呼ぶのに何をためらう」

 その深いバリトンに包まれ、フェイトは泣き笑いの表情を浮かべた。

「私は、物心ついた時には、実の父とは死に別れていました。次に引き取られた先でも、義母の夫は戦死しておりました。……その、父親を持つのが初めてで、どうしたらよいのか……」
「何、難しいことはない。まずは形から入ればよかろう。……そうだな、娘よ、私の頬に挨拶のキスをしてはくれんかな?」
「はい、……お義父様」

 フェイトは椅子から立ち上がると、おずおずと公爵に近づき、その頬に軽く接吻した。


 ガリア王国の首都リュティス。その旧市街の館では、北花壇騎士団の本部が秘密裏に引越しの準備を進めていた。そのあわただしい騒動の中、イザベラの執務室には、三人の男女が暖炉を囲んでいた。
 一人はイザベラ、もう一人は最近イザベラが好んではべらしている眼鏡をかけた侍女、そしてもう一人は異相で固太りの猪を思わせる騎士である。大きなつば広帽に、何本もの羽が飾られ、服装も上着に無数の切れ込みを入れて下地がのぞく様になっている服を着ていた。
 この男の異相は、服だけではなかった。そのがっしりとした顎に見事に跳ね上がっている口ひげ、そして大きく突き出し曲がっている鼻。

「なるほど。噂に違わぬ男ぶりだね」

 楽しそうに歌うように、イザベラがそう男に向かって口をきく。
 男は、ふん、と鼻を鳴らすと、じろりとイザベラを睨みつけた。

「王女殿下故に剣は抜きはしませぬが、我輩を見世物代わりに呼びつけるとは、感心はいたしませぬな」
「すまないね。お前を怒らせるつもりは無かったんだよ。とりあえず話だけ聞いていっておくれ」

 ころころと愉快そうに笑うと、イザベラは隣の侍女に合図した。
 侍女は、足元の鞄からカツラを取り出して被り、眼鏡を外した。

「さて、これでお前は呼び出された理由をどう推理する?」

 そこには、服装は違えどイザベラが二人いた。蒼い腰まである長髪。切れ長の厳しい視線。そして、この世の全てを嘲笑うかのようにゆがめられた口元。しかも今問うたのは、侍女の方であった。声だけ聞くならば、どちらが発した声か、聞き分けるのも難しい。

「なるほど。これは愉快な見世物でございますな! さて、いつからその名も悪名高き北花壇騎士団が、道化の見世物小屋と化しましたことやら! とんと我輩には判りかねますな!!」

 そのみっしりと筋肉の凝縮された様な腕を組んで、騎士は笑った。

「なに、南薔薇花壇騎士団をその傍若無人な言動と喧嘩早さで除名されたお前に頼みがあるのさ」
「さて、そんな男に王女殿下ともあろう方が、何を頼まれますやら」
「簡単な事さ。この娘、ロクサーヌというのだが、彼女の騎士となってやって欲しい」

 あまりの内容に、騎士はぽかんと口をあけた。確かに彼は国軍最精鋭と自負する南薔薇花壇騎士団の団員でありながら、誰彼構わず喧嘩を売り、あちこちで問題を起こしては多くの貴族に恨みを買っている身ではある。だが、それでも平民の侍女の騎士をやれとは。

「ロクサーヌは、私の司書であり、影武者であり、友人である。だから、このガリアで一番の男振りを見せる騎士に任せたい。それがそんなに可笑しいかい?」
「平民が? 王女殿下の友人?」
「そうさ。人と人が友となるのに、貴賎なんざ関係があるかい?」

 騎士は、そういえば自分の友人にも平民が数多くいることを思い出していた。なにしろ、貴族であることを鼻にかけてえばりくさる奴に喧嘩を吹っかけるのが趣味の男である。平民に好かれないわけがない。

「なるほど。我輩とて、シュヴァリエの称号は持てども、騎士としてはお役ごめんの身ですからな」

 イザベラは、もう一度合図をし、影武者を元の侍女へと戻らせた。

「わたしの身はわたしでなんとでもする。だが、この娘はわたしと違って、自分で自分の身を護れやしない。どうしたって影武者は影武者だからね。だから、お前に、かつて南薔薇花壇騎士団、否、ガリア花壇騎士団一の「火」と剣の使い手として名を轟かせたお前に頼むのさ。シラノ・ド・ヴェルジュラック」
「あの、ただの本屋の娘でしかない私ですが、その、よろしくお願いします。騎士さま」

 まるで先ほどの変装が嘘のような怯えっぷりであった。両手でスカートの裾を握り、ふるふると震えながら、シラノの表情をこわごわと伺っている。

「そう怯えめさるな、お嬢さん。このシラノ、男相手には容赦はしませぬが、か弱き女性を相手に無礼を働くほど下卑てはおりませぬ。まして、可憐な野に咲く花のごときお方。その香りはこの鼻めにもかぐわしく香りますゆえ」

 わざわざロクサーヌの前にひざまずいて、シラノは帽子を胸に当て、そうおどけて見せた。そんな彼にほっとした様子で震えるのをやめる侍女。彼女は、にっこりと微笑んで、もう一度頭を下げた。
 そんな二人を嬉しそうに見つめながら、嬉しそうににやにやと笑うイザベラ。

「そうそう、シラノ。お前さんは異相かもしれないが、なんとも味のあるいい男振りだよ。一山いくらで貴族どもを見てきた、このわたしが保証する。だから、よろしく頼んだよ」 


 イザベラがシラノとロクサーヌの間を取り持っていたその頃、グラン・トロワのジョゼフの私室を、ドクター・スカリエッティが訪ねていた。

「ふむ、この夜更けに珍しいな」

 寝酒としてか、ジンベースのカクテルを楽しみつつ、一人でチェス盤に向かっていたジョゼフがスカリエッティを迎えた。卓上の鈴を鳴らすと、影のように現れた小姓に、同じカクテルをドクターに持ってくるよう命じる。

「いえ、王女殿下の輿入れの祝いの品が仕上がりましてね。どうせすぐ寄越せと言われるのは判っていましたので」

 軽く口の端を跳ね上げて、ドクターはそう言って白衣のポケットから宝石箱を取り出した。ジョゼフはそれを受け取り、中を見る。そこには、蒼く丸い宝玉が収まっていた。

「これが、お前達が使う「杖(デバイス)」なのか」
「その待機状態ですね」

 両手を白衣のポケットから出すと、スカリエッティは、大仰に語り始めた。

「この「杖(デバイス)」は、それ単体で意思を持ち、主人と認めた相手の求めに答えて各種の形態をとります。まあ、その形態は極論を言うならば、使い手の「杖(デバイス)」に対して求めるものが具現化する場合が多いわけですが。というわけで、これがどういう形態になるかは、皇女殿下がこれに何を求めるか、によって変わってくるでしょうな」
「それは素晴らしい! 人の心の鏡となるのか、お前達の「杖(デバイス)」は! これは見物だな。うむ、本当に見物だ!!」

 大喜びで手を叩いてみせるジョゼフ。そんな王に、軽く肩をすくめてドクターはあっさり言ってのけた。

「諦めを踏破し、人たるの限界に挑戦なさろうというお姫様です。さぞかしおぞましい姿を見せてくれると、そう私は期待しておりますよ」



[2605] 運命の使い魔と大人達 第九話前編
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/04/05 22:29

 九

 アルビオン共和国の首都ロンデニウムにあるハビランド宮殿。元はテューダー王家が住まい、政務を執り行う宮殿であったが、今ではクロムウェル護国卿を元首とするアルビオン共和国の政庁である。かつての豪奢な内装は取り去られ、今では衛兵が立ち並ぶ光景ばかりが目に付く、まるで軍司令部のような雰囲気の場所となっていた。
 その中の一室、かつては王とその廷臣が政治について協議していた円卓のある政務室において、クロムウェルと共和国最高評議会の議員が議論を交わしていた。

「それでは内務卿は、この冬を越すための食料すら確保できぬ、と、そう仰られるのか!」
「仕方がありませぬ。穀物だけは、なんとか全国民にいきわたる分を確保しました。しかし、軍が全土に散らばった元傭兵の強盗団を駆逐して下さらねば、そもそも国民に食料を配給することすらままならないのですぞ!」

 内務卿と、軍総司令官であるホーキンス将軍が、ほとんとつかみ合いにならんばかりの勢いで怒鳴りあっている。他の議員らも、眉根を寄せて難しい表情で二人を見ているだけである。

「軍としては、すでに二万以上の傭兵を解雇し、大陸へと追い返した。これにかかった金だけで、一個旅団が編成できるほどだ。すでに陸軍は実質一万の国民兵だけで、約一万五千とも見積もられる元傭兵どもを掃討している」
「ですから、せめて秋までに都市間の要路だけでも確保して欲しい、と、そう申し上げているのです。そうしなければ、今治安を維持できている南部と、掃討中の東部以外は、深刻な飢饉に見舞われるのですぞ」
「だからそのために、国民兵の騎馬銃兵化と新型小銃の配布、龍騎士の稼動数を増やすための予算を、と、言っておるのだ!」
「そんな金があるなら、来年からの経済復興のための羊や職人の確保に使っていただきたい! 今やわが国は、戦前の二割の頭数しか羊がおらんのです!」

 アルビオンが羊毛によって織られる羅紗生地の産地として発展したのには、二つの理由があった。元々が高空にあって気温が低く、穀物の生育があまりよくなかったため、食料としての羊が貴重な蛋白源であったということ。もう一つは、その寒さ故に人々が、寒さをしのぐための暖かい衣類を必要としたのと、この二つである。そして、長年にわたる職人らの技術の蓄積と、その気温故に羊の毛質がより細くより長く、大陸産の羊毛と比較して非常に上質であったため、アルビオン産の羅紗生地は大陸では非常に高値で取引されるようになったためであった。
 さらに、豊富な森林資源を用いた造船業の発達によって、飛行大陸ゆえに飛行船の運用に長けることとなり、ハルケギニア全土に足を伸ばす大規模な商船隊が、その羅紗生地を売っては各地の特産物を購入し、それをまた別の地域へと輸送して転売する、という形で莫大な富を獲得してきたのである。
 国土の面積そのものではトリステインとさして変わらぬアルビオンが、強国としてトリステインやゲルマニアに恐れられているのは、ひとえにその商船隊によって稼ぎ出される莫大な富と、その富が支える強大な空軍があってのことであった。
 だが内戦の終わった今では、その商船隊のほとんどは離散し各国の商会に買い取られ、生き残った空軍の艦艇は大半が船台で修理待ちという有様であり、さらには貴重な輸出品目である羊毛を産するための羊は軍需物資として喰い潰されてしまっていたのである。あげく、羅紗生地職人の少なくない数がガリアへと亡命してしまっていた。

「外務卿、よろしいか?」

 内務卿が視線をホーキンス将軍から外して外務卿に向ける。

「なんですかな?」

 疲れきった表情の老人が、かすれきった声で答えた。

「各国との不可侵条約の締結の件です。とにかく国交を回復して頂かねば、わずかな羅紗生地といえども、売ることすらかなわない」
「……各国に派遣した大使からは、ゲルマニアとガリアに関しては、前向きな回答を受けております。南部半島国家郡やロマリアは、さっそく条約の締結のための条文作成に入っております」

 外務卿は、淡々と状況について説明した。少なくともアルビオンにとって最悪の状況は避けられそうではある。
 だが、今度はホーキンス将軍が問うた。

「で、トリステインは?」
「……アンリエッタ王女を筆頭に、王女の伯父と従兄を殺した叛徒どもとは話し合うことなど何も無い、という強硬派が優勢でして」
「……つまり、私略船が群れをなして襲ってくる可能性が高い、と?」
「……否定は、できませぬ」

 その場にいた、クロムウェル護国卿を除く全員がため息とともに頭を左右に振った。

「駄目だ駄目だ駄目だ!! 今の空軍の稼動数では、弱小のトリステイン空軍相手にすらどうにもできん!」
「とにかく、トリステインをなんとかせねば! 奴らの手元には「インビンシブル」以下の本国艦隊の生き残りがいる。奴らが通商破壊戦に出てくれば、金勘定しか考えぬ南部半島国家郡は商船隊をわが国に派遣などせん!」

 皆が一斉に口々に叫びだし、会議は紛糾する。しかしそれを、議長であるクロムウェルは止めようとすらしない。

「とにかく、空軍の艦艇の稼働数はどうなっておるのです?」
「それが……、軍事予算のほとんどが陸軍に使用されており、無傷の船すら風石の調達がままならず……」
「だから! 何隻の船が飛べるのか、と、聞いている!」
「……フリゲート艦が十数隻というところでしょう。もし「レキシントン」を飛ばすとなれば、飛ばせる船の数は五、六隻に減るのは確実です」
「話しにならん!!」

 まさに八方塞りという状況で、皆ががっくりと頭を垂れた時であった。ようやくクロムウェルが口を開いた。

「諸卿らの意見はよく判った。トリステインに関しては余が対応策を考えておく。まずは東部地域の治安の回復に全力をあげ、確保できている地域の都市への食料の配給準備と農村復興に全力をあげてくれたまえ」


 ガリア王国首都リュティス。街は今や王女イザベラの婚姻を祝う人々で溢れ返り、地方から集まった貴族らとそのお付きの者達で各宮殿は活気に満ち溢れていた。
 そんな喜びに沸き立つ空気の中、南薔薇花壇の中央にしつらえられた丸机と椅子に三人の男女が座っていた。

「というわけでな、お前も知っての通りアルビオンからの物乞いが日参してきておる。折角の婚儀であるというのに、無粋極まりない」

 秀麗な眉をひそめ、ロマリアはブロリオの一番の当たり年といわれたヴィンテージ物の赤ワインを口にするジョゼフ。アルビオンの大使を物乞い扱いするあたり、よほど不愉快に思っているのであろう。

「元々といえば、父上が「レコン・キスタ」の物乞いどもに金を恵んでやり続けたのが理由でしょうに。今さら金は恵んでやらぬと言われても、乞食根性の染み付いた奴らは納得しかねましょう」

 父であるジョゼフと同じワインを舐めながら、イザベラがあっさりと「お前が悪い」と言ってのける。ばつの悪そうな表情でワインを注ぎ足すと、ジョゼフは視線をイザベラからそらした。

「さて婿殿、貴公ならば現状をどうさばく?」

 ジョゼフ王に話をふられ、ルルーシュは一度口をつけただけのワイングラスを置いた。

「陛下はアルビオンとトリステインをいかがなさりたいのでしょうか?」
「ふむ? アルビオンはすでに利用価値はないな。トリステインに関しては、アンリエッタの輿入れまでに誰が政治の実権を握るか、によるな」

 その言葉に、わずかに小首をかしげると、ルルーシュは少しだけ思索に没頭した。そんな未来の夫の姿を見やり、イザベラは父親に向かって視線で「そんな意地悪をするな」とたしなめる。

「かりそめの希望を持たすというのはいかがでしょう? アルビオンとトリステインを噛み合わせ、共倒れを狙うというのが、元々の陛下の構想とお見受けいたしました。ですが、ゲルマニアの介入によってそれは失敗し、アルビオン一国のみが破滅の淵に立っております。ならば、せめてトリステインに一矢報いれるくらいの援助はしてもよろしいのではないでしょうか?」

 与えられた情報から必死に考察したのであろう、ルルーシュの回答は模範的とも言える内容であった。だが、それだけにジョゼフの興味は引かなかった様子である。ガリア王は、つまらなさそうな表情でワイングラスを傾けているだけであった。

「それで?」

 代わって話を引き継いだのはイザベラであった。

「かつて陛下がアルビオンといかなる密約を交わされたか、ぼくは存知上げません。しかし、トリステイン侵攻と引き換えにこの冬を乗り切れるだけの援助を与えてもよろしいかと」
「で?」
「戦争で疲弊しきった両国を、我が国とゲルマニアで分け合うというのは?」

 軽く目をつむると、イザベラは軽く溜め息をついた。

「ま、確かに普通はそういう判断になるのでしょうねえ」
「ふむ、娘よ、そなたは違う構想を持つのか?」

 ジョゼフの問いに対して、イザベラは何も答えずワイングラスを空にした。そして、席を立つと、ルルーシュにエスコートするよう右手を差し出す。

「少し酔いました。一回りして参りますわ」


 色とりどりの薔薇が咲き誇る中、イザベラとルルーシュは見た目は仲睦まじい様子で散策していた。だがイザベラの表情は、いかにもつまんねえなあ、といわんばかりである。ルルーシュは、そんなイザベラの表情にいたくプライドを傷つけられたのか、むっとした表情で左手で彼女の右手を握っている。

「ぼくの答えの何が、国王陛下のお気に召さなかったんだ?」
「気にしなくていいよ。むしろあのやり取りで父上の気に入るような回答が出せたら、そっちの方が異常だ。あたしは、むしろお前がキチガイの仲間じゃなくてほっとしたから安心しな」

 イザベラは、左手で首周りをコキコキ鳴らすと、さてどうしたものかねえ、と、呟いた。

「王政府は、アルビオンが打診してきた不可侵条約の締結に前向きなんだろう?」
「そりゃそうさ。別にガリアにとっては「レコン・キスタ」は脅威でもなんでもない。というより、この国は「レコン・キスタ」が浸透できない唯一の国だからね」
「何故そう言い切れる?」

 ルルーシュは、イザベラの言葉に眉をひそめた。始祖ブリミルが降臨した聖地を取り戻す事は、ハルケギニアの全ての人間の悲願のはずである。ロマリアの宗教庁など、実質そのためにあるようなものだ。そして「レコン・キスタ」は、一向に聖地を取り戻そうとしない王政府に代わって聖地を取り戻す、という理想を掲げて決起した集団なのだ。

「ああ、アンジュー家は火山龍山脈の南側に封されて長いからねえ。リュティスを中心とした北部の雰囲気は判らないか」
「つまり?」
「あのさ、なんで「実践教義」がわざわざ国法で禁止されているか知っているかい?」
「宗教庁が禁止したからだろう? ロマリアと好んで敵対する理由がない」

 当然だろう、と言わんばかりにルルーシュが答える。それにイザベラは、はあ、と大きく溜め息をついて頭を左右に振った。

「あのさ「実践教義」ってゆうのは、つまりは始祖ブリミルの言葉に忠実に宗教生活を送りましょう、という運動なのさ。つまり、今みたいに始祖の言行がきちんと正典として宗教庁で決定されていない状況では、どの「ブリミルの祈祷書」や「始祖言行録」を元に宗教生活を送るか、それはそれこそ各人の好き勝手になりかねないわけ」

 ここまで語ったところで、イザベラはルルーシュを見下ろした。そして内心思う。考えてみれば、こいつはまだ十二なんだよねえ、と。

「つまり、「実践教義」を認めてしまうと、ガリア人は、貴族平民問わずに宗教庁の教えから逸脱していくだろうね。なにしろガリア人ほど国家意識の強い国民はいないから。お前も「ガリカニズム」運動と「ウルトラモンタニズム」運動については聞いた事があるだろう?」
「……まあ、一応は。たとえ始祖の教えであったとしても、ガリア国民のための宗教であるべきで、司祭の任免権はガリアにある、という運動だろ? それに対して、始祖の教えは常に一つにまとまっているべきで、司祭の任免はあくまで宗教庁の管轄である、というのと」
「判っているじゃないさ。だから、ガリアで「実践教義」を認めてしまうと、国論は宗教的に二分されてしまうわけ。下手すりゃ宗教戦争という形で内戦だね。「実践教義」と結びついたガリカニストと、あくまで従来の宗教庁の教えに従おうというウルトラモンタニストの間でだ」

 イザベラの説明に、戦慄が背筋を走るルルーシュ。まさかそこまでの問題であるとは、全く考えたことも無かったのだ。彼はあくまで南部半島国家諸国的な発想の持ち主であり、宗教がそこまで影響力を持つというのが、どうしても実感できなかったのである。

「というわけで、極論を言うならば「レコン・キスタ」程度の理想じゃあ、ガリア貴族は動きはしないんだよ。下手すりゃ宗教庁から分離しかねない、宗教意識のもっと根本的なところで身内で争っているんだから。しかも共和制なんて、所詮は貴族同士の利権の配分を自分達でやりとりしたい、ってだけなのを見透かしているしね」

 大国の貴族って奴を舐めちゃいけないよ。そうイザベラは話を〆た。ルルーシュは、今聞いた話を必死になって理解しようと努力している。

「じゃあ、なんで陛下は「レコン・キスタ」の後押しをしたんだ」
「それが判ったら、お前も一人前の大貴族だよ」

 イザベラの言葉は、あくまでルルーシュを突き放すものであった。


「というわけで、特命全権大使として、わたしをアルビオンに不可侵条約交渉と調印のためにお送り下さいませ」

 薔薇園を一回りして戻ってきたイザベラは、ワインを一本明け、次はロマリアはカッペラーノの赤に取り掛かっていたジョゼフに開口一番そう言い放った。
 ジョゼフは、バローロの注がれたグラスをテーブルに下ろすと、非常に興味深そうな表情でイザベラを見つめ返した。

「ふむ、で、供回りはどうする? 今すぐ動かせるのは東薔薇花壇騎士団だが」
「いえ、シラノとロクサーヌの二人だけ連れて参ります。巻き込むのは少数の方がよろしいかと。ああ、船だけは「シャルル・オルレアン」をお貸し下さいませ」

 しれっとそう答えたイザベラに、ジョゼフは手を叩いて笑い出した。

「そうか、娘よ、お前の答えはそれか! うむ、いつの間にそんなに意地が悪くなったのだ? いや、これは愉快だ!!」
「父上に似たのでしょう」
「余はさすがにそこまで意地が悪くはないぞ? そうだ、例のロマリア女だ。あ奴に似たのだ。断じて余ではあるまい」
「いえ、わたしはあくまで父上の娘ですの」

 なんというか、すごい傷ついた表情のジョゼフと、諸悪の根源はお前だろうが、と言わんばかりの表情をしているイザベラ。この親子を傍から見ていてルルーシュは、この親子がいつもこんな陰険芝居を繰り広げているのかと思い、おもわずまぶたをもんだ。とてもではないが、このイザベラを打つ杖になんて自分がなれるのか、と、一瞬ではあるが心がくじけそうになる。
 そんなルルーシュを横目で見やりつつ、イザベラは微笑みを浮かべて優しげな声で言った。

「そういうわけですので、まことに申し訳ありませぬが、ルルーシュ様はエリゼ宮でお待ちいただけますでしょうか?」
「……外交上の機密が関わるとするならば仕方が無いだろ。だが、なんで騎士一人と侍女一人だけ連れて行くんだ?」
「それは、帰ってまいりましてから土産話に」

 あくまで可愛らしく右手の人差し指を唇に当ててみせるイザベラ。ルルーシュは、この魔女が帰ってきたら、どう思い知らせてやろうか、それを考えることに決めた。もっとも、返り討ちにあう可能性が高いだろうな、という諦観もありはしたが。

「了解した。この任務が貴女にとって良き旅でありますように」


 トリステイン王国首都トリスタニア。その王宮でアンリエッタを交えた御前会議が開かれていた。
 アンリエッタの表情は、怒りのあまり氷のごとく冴えわたり、薄青い瞳から発せられる視線はまるで氷雪を思わせる冷たく厳しいものであった。
 閣議に参加していた大臣達の間で、その吹雪の如き舌鋒に首をすくめずにいたのは、わずかに宰相たるマザリーニ枢機卿だけという有様である。

「……ですので、各国がアルビオンとの交易再開を前提に不可侵条約に前向きな今、我が国だけ条約締結を拒否し続けるというのは、特に羅紗生地輸入の面において……」
「アルビオンの羊など、ことごとく龍騎士のエサになったそうではないですか! 従来の一割か二割の生産量の上、ろくな職人もいない粗織りの生地のために、叛徒どもを正当な政権として認める理由がありませぬ!!」

 法務院長のリッシュモン侯がこわごわと発言したその瞬間、アンリエッタは皆まで言わせず斬って捨てた。そして、彼女の見るものを凍りつかせんばかりの視線に、黙り込んでしまう。

「しかし、アルビオンにはまだ六十隻近い艦艇が残っており、これが攻めてまいりますと我が国の艦隊ではとても迎撃などできず……」
「王立空軍の艦艇は「ワースパイト」以下七隻、我が国は「メルカトール」以下十八隻が現在の稼動艦艇ですね?」

 空軍から呼ばれてきた艦隊司令長官のラ・ラメー提督の言葉をさえぎり、アンリエッタは空軍の現状を数値をあげて確認する。

「はい、殿下の仰るとおりです。しかし、「ワーズパイト」にせよ「メルカトール」にせよ、どれも六十四門搭載の二等戦列艦であり、アルビオンの「レキシントン」の様な百八門搭載の一等戦列艦を相手にするのであれば、二隻がかりでなければかないませぬ」
「そのために、シュナイデル社に新しい艦砲の開発を依頼しているのです。そうですね? ミス・ラ・ヴァリエール」
「はい。当社では後座式の施条砲の開発を行っております。陸戦用のゲベール砲は二十ポンド砲ですが、現在開発中の砲は三十六ポンドと四十八ポンドになります。ただし、元の艦砲より非常に重くなりますので、それ専用の新型艦に搭載するべきかと考えますが」

 フェイトは瞳を伏せつつ、嫌々そうに答えた。
 だがアンリエッタは、その答えにいたく満足した様子で、ラ・ラメー提督にきっぱりと言い切った。

「新型艦砲の射程は従来の艦砲の倍以上とのこと。これを従来の艦艇にどうやって搭載するか、それについては空軍に一任します。よろしいですね?」
「はい、姫殿下」

 渋々と頭を下げたラ・ラメー提督が、フェイトの事を睨みつける。フェイトはその視線に対して心から「ごめんなさい」と言わんばかりの表情でもう一度頭を下げた。

「ならば問題ありません。叛徒どもは、すでに二十隻の艦隊を宙に浮かべるだけの金すらないのです。ならば今こそアルビオン大陸を封鎖し、この冬で奴らの食料が尽きたところを狙って次の春に侵攻すれば、簡単に陥落させられます!」

 アンリエッタは、立ち上がると、きっぱりとそう断言した。
 それに対し、全員が一斉に黙ったまま頭を下げた。


 ブラスバンドが演奏を終わると、緋毛氈の絨毯の上で待っていたドレス姿のカトレアが、渡されていたテープをカットした。と同時に無数の鳩が飛び立ち、周囲の人間達から一斉に拍手が沸き起こる。正装姿の参列者が、カトレアを先頭にぞくぞくと建物の中に入っていく。建物にはこう真鍮製の看板が飾ってあった。

「ラ・ヴァリエール化学工業株式会社」

 世界初の株式会社であると同時に、世界初の空気中窒素固定化による肥料工場である。
 大気中の窒素を、酸化鉄を主体とした触媒で、電気分解した水素と温度五百度一千気圧という高温高圧状態で直接反応させてアンモニアを生産する、という、まさしく魔法学院研究所が総力を挙げて開発した最新の技術であり、これによってトリステインは、ゲルマニアから大量の硝石の輸入に頼っていたのが、自力で硝石を生産可能となったのである。
 これによって生産されたアンモニアに、可溶性リン酸、カリウム、石灰等を混合したものを肥料とし、作付けの十日から二週間前に農地にすき込むことで豆を植えるのと同じ効果を発揮することとなり、小麦をはじめとする各種農産物の生産量を画期的なまでに向上させられる事が期待できた。
 ちなみに魔法学院研究所での試験結果では、 播種量に対して従来の五~七倍の収穫量に対して、十二~十五倍の収穫量を記録したのである。これには、同時に追い肥や農薬散布の効果もあってのことであり、一概に生産量が従来の二倍になるとは言い切れないが、それでも従来の農法では達成し得ない生産量の増大が期待できるようになったのである。
 当然、各農地ごとに最適な農法の開発が必要ではあり、そのために農学専門のメイジの育成について、ラ・ヴァリエール家は王政府と折衝を始めていたのであった。

「ようやく、我々の技術が世界を豊かにし始めるのですなあ」

 心の底から感慨深そうにコルベールが肥料工場を見上げつつ呟いた。目尻には、感動のあまりか、わずかに涙が光っている。

「わたくし、わたくし、今日ほど「土」のメイジとなった事を誇りに思ったことはございません」

 感動のあまり、ぐしぐしとローブの裾で目尻をこすっているシュヴルーズが、涙声でそう答える。

「「土」は全ての命を育む基本ですしね。ならばわたしも、命を司る「水」として、人々の役に立つ研究結果を出します。きっと」

 リュシーが、決意もあらたにした表情で、そう呟いている。
 そんな彼らを見つめつつ、ロングビルは首をぐるぐる廻してコキコキ言わせながら、隣のフェイトに向かって気の抜けた様な声で話しかけていた。

「あー、また、なんていうか今回も大変だったよ。とにかく引き抜き鋼管の開発に手間取ったからねえ。しかも高クロム鋼を使った鋼管だったからね。いや、ほんと疲れた」
「本当にお疲れ様、ロングビル。なんなら膝枕でも腕枕でもなんでもするわ」
「あたしゃそっちの趣味はないんで、丁重にお断りしておくよ。代わりにしばらく休暇を貰うけど、いいね?」

 フェイトの冗談にけらけらと笑って答えると、ロングビルは両手を上にあげて背伸びした。そして、心配そうな表情でフェイトの顔を覗き込む。

「で、シュナイデル社だけれど、どうすんのよ? 「鳥の骨」に脅されて兵器会社を立ち上げさせられたそうだけれど。どこまで真面目にやるつもりなんだい?」
「そうね、そこはまあ適当に。ミスタ・コルベールの許可が出る範囲で」

 軽く肩をすくめて、全くやる気がないことを示すフェイト。そんな彼女を見て、ロングビルは軽く微笑んだ。

「それにしても、あんたも変わったねえ」
「何が? 私は私のまま」

 意外そうな表情を浮かべたフェイトを見て、ロングビルは嬉しそうに笑った。

「あたしにため口をきいたり、仕草に表情が出てきたり、ね。いっつも慇懃な態度と口調だったのが、随分とぶっきらぼうな話し方になったもんだ」
「あ」

 くすくす笑いながら、ロングビルは言った。

「ちなみに、あたしの本名はマチルダ。マチルダ・オブ・サウスゴーダ。他人がいないところでなら、マチルダと呼んでおくれ」

 恥ずかしそうに頬を染めたフェイトも、名乗った。 

「フェイト・テスタロッサ。それが私の本当の名前」


 その日の夜、フェイトは魔法学院には帰らず、ラ・ヴァリエール公爵の屋敷に泊まった。晩餐は久しぶりに家族全員が集まってのものとなり、穏やかな空気で進んだ。特にルイズは、「土」の系統の優れた使い手でありながら、病気がちなためにほとんど外に出ることもできないカトレアが、化学肥料工場の社主となって世界に貢献できるようになったことを、本当に嬉しそうに何度も何度も祝っていた。
 そんなルイズに、エレオノールも普段のきつさを見せず、ニコニコと微笑んで見まもっている。次は自分の番だと、そう決意しているのだ。そう、「水」の研究主任であるリュシーと、女ならではの研究にいそしんでいる最中であった。
 そうした娘達の楽しそうな様子を見て、カリーヌ夫人もようやく肩の荷が下りたような表情であった。今すぐとはいえないまでも、きっと将来は良い伴侶を得て、良い家庭を築けるだろう。そんな予感があったのだ。
 フェイトは、黙ったまま、そんな暖かな家族の空気にひたったまま、その心地よさに酔い心地にも近い穏やかな感覚に身をゆだねていた。もう何年になるだろう。もしかしたら、記憶の中で自分が作りあげただけの幻影かもしれない。でも、昔、本当に子供だった昔、こんな空気の中で過ごせたような気がする。
 晩餐が終わって皆がそれぞれ自室に戻ろうとした時であった。ヴァリエール公爵がフェイトを地下のワインセラーに誘ったのであった。

「本当は、息子が生まれたら一緒に賞味しようと思って溜め込んでいたのだがな。お前が中々いけるとルイズに聞いてな。一緒にどうだ?」
「あの、本当によろしいのですか? お義父様」
「酒というものは、味の判る者に飲まれてこそ意味があるのだよ、娘よ」

 そして、公爵のセラーは、フェイトの予想をはるかに超えた巨大なもので、そして膨大な量のワインが並んでいる。ラベルを見れば、ラ・ヴァリエール公爵領で天然醸造された本物の高級品、それも二十七年、二十四年、十六年熟成の逸品が、見渡す限り並んでいる。

「饗宴を一回開けば、二百本からのワインが要るからな。格式ある我が家として、生半可なものは出せんのだよ」

 市価で十エキューや二十エキューは軽くするワインが無数に並んでいるのを見て、これが金持ちというものか、と、フェイトは心の底からドン引きしていた。いや、なにしろ感動を通り越して別世界に迷い込んでしまったような心地であったのだ。

「さて、これが儂専用のセラーなのだが、どれを空けるかね?」

 公爵が杖の先に灯した明かりに照らされたセラーには、トリステインのワイン事情に商人として詳しいフェイトが、顎が外れるような逸品が並んでいた。というか、彼女としては値段をつけることすらできない。値段をつけるならば、ガリアあたりで大貴族相手にオークションでもするしかない逸品ばかりである。

「……ほ、本当にこの中から選んでよろしいのですか?」
「うむ。それを楽しみに用意したものばかりだからな」

 フェイトの取り乱し様っぷりに、嬉しそうに義娘を促す公爵。モノクロームの下の瞳が嬉しそうに細められ、髭が期待に弾むように揺れている。

「……では、これを」

 フェイトは、セラーの中で一番放置されたままらしい一本を選んだ。何故か脳内で警報が点滅している気がするが、それはあえて無視することにする。
 公爵は、嬉しそうに何度もうなずいていた。


「さすがは、始祖以来の当たり年と言われただけの事はある」

 公爵の書斎で、ワインを開けて乾杯を交わしてから、公爵はそう満足そうに呟いた。フェイトも、その深く芳醇で濃厚な味わいに、全身が官能に包まれるかのような暖かさに浸っていた。

「これは、南ガリアのジロンド産のものでな。儂の父が同じ重さの純金と交換で買ったそうだ」

 いいのか、本当にいいのか、こんな凄いのを開けてしまって。

「ふむ、いい具合に酔いが回っている様子だな、娘よ」
「……はい。色々と酒は飲んでまいりましたが、これほどの逸品は初めてす」
「そうか。それはこれにとっても幸せであるな。女に官能を味わさせられるだけの酒はそうはないでな」

 それから二人は、取り留めも無い話を続けた。
 魔法学院のこと。領地のこと。狩りのこと。社交の場でのプロトコールのこと。貴族の成り立ちやその心構えについて。そして、忠誠と名誉と誇りを重んじれば後ろ指差されることの無かった、古き良き時代について。

「私は、女の身でしたが、ずっと兵士として戦い続けてきました。戦う事が好きだったわけではないのです。でも、兵士でいることを、家族という首輪をかけられ、情という鎖で縛られて強いられてきました」

 ぽつぽつと、そう昔を思い出しながら呟くように囁くフェイト。全身が官能の中にひたり、まるで誰かの腕に抱かれているような心地である。そんな気持ちだからこそ、まるで寝物語を語るかのように、口が次々と言葉を流してゆく。

「私は、お姫様になりたかったのです。騎士に助けられ、その腕で抱かれる姫様に。でも、お姫様どころか、騎士にすらなれなかった。なったのは、ただの兵士でした。塹壕と藪の中を泥まみれになって這いずる蟲の様な兵士にしか」

 もう、自分の口を止めることができない。公爵は、そんなフェイトを父親として優しく見守っている。

「今日は良い日です。カトレア様に、いくらかなりとも恩返しができました」
「カトレアは、お前に何をしたのかね?」
「許しと救いを」

 宙を見つめながら、フェイトは呟いた。

「私は、地蟲としてではなく、人として死ぬことができます。これ以上の救いはありません」


 双月が中天に達し、屋敷の誰もが眠りの世界にまどろんでいた時刻。
 ようやく酔いから醒めたフェイトに向かって、ラ・ヴァリエール家の当主として公爵が訪ねていた。双月に照らし出されるその面は、長年対ゲルマニア戦線の要所を任されてきた大貴族の長としての厳しさに満ちていた。

「今度立ち上げたシュナイデル社。あれをどうするつもりだ?」

 それに、娘としてより上官に対するように答えるフェイト。

「今の時点では、姫殿下をなだめる飴玉以上の意味はありません。ラ・ヴァリエール銀行の本格的な立ち上げと、シュナイデル製鋼所の完成までは、所詮は名前だけの会社ですので」
「開発中の艦砲は、大したものだと聞いておる」
「所詮はゲベール砲の延長線上の代物でしかありません。個人的にはあの程度で姫殿下が満足していただけるならば、むしろガリアと本格的にパイプをつなげたいと思っております」

 公爵はモノクロームの下の瞳を細めた。

「ガリアのジョゼフ王は油断ならぬ策士で、かつ邪悪極まりない男だ。何故に奴と組もうとする?」
「正確には、イザベラ姫ですね。ジョゼフ王と王女の間に楔を打ち込めれば、とは、考えております。問題は、私が考えている以上にジョゼフ王が有能であった場合、私ごとラ・ヴァリエール家がガリアに取り込まれる恐れがあります」

 淡々と冷徹な口調で構想を説明するフェイトに、公爵はしばらく目をつむって考えをまとめる。

「「レコン・キスタ」の背後には、ジョゼフ王がいるのであったな?」
「はい。その証拠は、イザベラ王女と取引して得ました」
「「救貧会」のアイデアもお前だったな」
「はい」

 目を開いた公爵の瞳は、冷たく厳しいものであった。

「ジョゼフ王とイザベラ王女の目的はなんだか判るか?」
「ジョゼフ王の目的は判りません。しかし目標は、ロマリア侵攻と宗教庁解体。イザベラ王女の目的は、王位継承を確実にすることであり、そのための目標は、ガリア南部を実質的に自領化し、自らが即位した瞬間に蜂起する旧オルレアン公派を殲滅するための軍事力の確保」
「……それに何故協力しようとする?」
「私が虚無の使い魔だからです。私とルイズお嬢様は、ある意味危険すぎます。ロマリアに取り込まれれば、宗教的象徴とされたあげく、確実に対エルフ戦争の第一線に投入されるでしょう。異種族間の戦争は絶滅戦争にならざるを得ません。それを回避するのが、現時点における私の目標です」

 公爵は、厳しい表情のまま、しばらく考えをまとめた。そして、呟くように語る。

「今のロマリアの教皇エイジス三十二世は、正教徒と新教徒の融和を図り、かつアルビオンからの難民も積極的に救済している人徳者とされておる。しかし、年齢はいまだ二十台と若く、本来ならばコンクラーベ(教皇選出会議)で選出されるはずがない人物だ。下馬評ではマザリーニ枢機卿が選ばれる、という話であったしな」

 そこで一旦息をつき、水差しからグラスに水をついで唇を濡らす。

「教皇は、本物の狂信者であり、かつ理想主義者と聞く。ある意味、現実の世界に生きている儂らのような人間にとっては、最悪の相手だ。世界をかくあるものと認められず、世界をかくあるべしものへと変えようとするのだからな」

 そして公爵は、きっぱりと言い切った。

「儂は、儂の娘達を兵器か何かのごとく使おうとする輩とは、絶対に組まぬ。それが例え姫殿下であろうと教皇聖下であろうとだ。ならば、利害の一致する限りにおいてゲルマニアやガリアと組み、ハルケギニアの平和を少しでも長く維持するのが我らの目標となる」

 公爵は、厳しい面差しのままフェイトにきっぱりと言い切った。

「お前ならば、できるか?」
「努力いたします」
「ならば、任せる。いかなる手段をもとる事も許す。この世界の平和を少しでも長く維持せよ」

 フェイトはソファーから降りると、公爵の前にひざまずいた。そして、胸に手をあて一礼する。

「ご命令、しかと承りました」


 ところ変わって魔法学院の女子寮。そのモンモランシーの部屋で、ギーシュは取っておきのワインを持って彼女の部屋を訪れていた。なにしろ仕送りの中からこつこつと貯めた十エキューで買ってきたヴェニティアはヴォッターの白ワインである。口当たりもフルーティーで程よく甘みもある、女性向けに人気のワインであった。

「モンモランシー、君の金髪が双月の輝きに、まるで薄靄のごとく世界を包んでいるようだよ」

 一生懸命に詩的な表現で恋人を褒め称えるギーシュ。お調子者で女の子にだらしないとはいえ、それなりにもてるのは、顔が良いのとあわせて、こういう風に女の子を褒め称える舌があっての事である。

「月の女神には、それに相応しい貢物を捧げるのが信者として相応しい態度だと思うんだ。さあ、このヴェニティアの白を納めておくれ」

 そう言って、二つのグラスにワインを注ぐ。

「……あのね、ギーシュ」
「なんだい、モンモランシー。僕の可愛い女神」
「ちょっと真面目な話」
「判った」

 モンモランシーは、不安そうな表情で、ギーシュの顔を見つめた。

「ねえ、あなた、ずっと傭兵隊や銃士隊と訓練を受けているわよね?」
「ああ、彼らは僕の中隊で、僕は隊長として相応しい指揮官にならないといけないからね」

 きっぱりと、なんの迷いもなく、そう言いきるギーシュ。

「……あの銃士隊、姫殿下の近衛隊になるんですって?」
「それには答えられない。ごめん」

 軍事上の秘密である以上、親子恋人にも話してはいけない。そうフェイトに腕立て伏せ六十回とともに叩き込まれたギーシュは、そう謝って頭を下げるしかできなかった。

「ねえ、戦争になるのかしら?」

 それが聞きたかったのだろう。モンモランシーの表情には何か張り詰めたものが浮かんでいる。
 それに対して、ギーシュはしばらく考え込んだあと、こう答えた。

「なるね。でも、今の僕ならば、君を護ることができる」

 きっぱりと言い切ったギーシュに、モンモランシーは、思わず涙ぐんでその胸に身を任せた。

「死んじゃ嫌よ! 絶対、絶対に生きて帰ってきてよ! でないと絶対に許さないんだから!!」
「約束するよ。僕は、君と一緒になるまでは、絶対に死ぬつもりはないからね」

 ギーシュは、そう言うと、モンモランシーの腕をとり、そっと唇を重ねた。


 夜天にかかる双月は何も言わず、人々の営みを照らし出しているだけであった。



[2605] 運命の使い魔と大人達 第九話中篇
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/04/09 15:33
 ガリア王国の空海軍の拠点であるサン・マロン軍港を出航した戦列艦「シャルル・オルレアン」は、王女イザベラとそのお付きのシラノ・ド・ヴェルジュラックとロクサーヌとを乗せ、一路アルビオンに向かって飛行していた。サン・マロンからアルビオン南部の港ロサイスまでは、二泊三日の旅である。
 ガリア空軍旗艦である「シャルル・オルレアン」は、全長二百メート、砲門数二百十六門という、世界最大最強の戦列艦である。排水量は四千トンを超し、乗員は三千名を越えるという、それ自体が一個の城塞とすらいえるガリア王国空軍の誇る巨艦であった。

「歌って、夢見て、笑って、死に、
 独立独行にして不羈奔放、炯々たる眼光、朗々たる音吐
 斜めに頂く鍔広の毛帽子、一言の諾否にも命を賭けての果し合い」

 その「シャルル・オルレアン」の甲板上で、イザベラは軽やかにステップを踏みつつ、シラノの吟じた詩に適当な歌詞をつけて歌いつつくるくると踊っていた。甲板上にはロープや木箱や諸々の構造材があったが、まるでそれらが無いかのように踊っている。

「独創にあらずんば筆を執らず、腕一本に値打ちあり、
 他人をたよりの蔓となるのは真っ平御免、
 樫や菩提樹にはなれず、高い位には上がるまいが、痩せても枯れても独り立ち!」

 その姿を何故か「シャルル・オルレアン」搭乗している貴族士官らはできるだけ目を向けないようにしている。というより、目を合わせようとしていない。
 そんな士官達をシラノとロクサーヌは、哀れみをこめた目で見つめていた。ちなみに、自分の吟じた詩を歌ってくれるのは嬉しいが、なにもその詩を歌わなくても、とはシラノの溜め息でもある。少なくとも一国の王女、それも薔薇の如き華麗な美少女が歌う詩ではない。

「どうやら皆、我輩と同じ目に遭ったようですな」
「あの……、シラノ様、大丈夫なんでしょうか? 姫様、ただでさえよろしくない噂が立っていますのに」
「……うむ、王女殿下御自ら「イカサマ、仕込み、どんな手を使ってきても許す」と宣言してから勝負を受けてたたれましたからなあ。あれは、勝負を受ける方が悪いとしか」

 遠い目をしてシラノは、宙に視線を泳がせた。
 さて、何故に貴族士官らがイザベラから目をそらすかというと、それは昨日の晩餐の後、ガンルーム(士官室)で起こった珍事のせいである。
 イザベラは艦長も交えての晩餐に臨席した後、ガンルームに顔を出すと「暇ですのでどなたかゲームに付き合ってはいただけないでしょうか?」と猫を被って現れたのであった。当然、貴族士官らは王女にお近づきになる絶好の機会とばかりにこぞって志願したのであるが、これが悲劇の始まりであった。
 イザベラは、いかにも淑女らしい物腰でそれを受けるとサイコロを取り出し「艦隊ではこちらが流行っているとお聞きしました」と、ゲームを決め、かつ「そういえば、賭けはお金をかけないと面白くないとか。どうせです、イカサマ、仕込み、どんな手を使ってもかまいませんですよ?」と宣言して、貴族士官らを相手にしたのである。
 それから起きた阿鼻叫喚の地獄については、あえて語らぬのがガリア王国空軍の貴族士官の名誉のためにもよいであろう。少なくとも最後のひと勝負の直前、ガンルームにいた士官らは、一人残らず下着一枚にひんむかれ、最後の最後に何故かイザベラが衣服と掛け金とを全て賭けた上で負けなければ、大変な事になっていたのであるから。

「あー、いい運動になったよ」

 甲板上を踊るのにも飽きたらしいイザベラが、シラノとロクサーヌの元へと戻ってくると、旅の間の居室として提供された長官室へと二人を連れて戻った。
 長官室に戻った三人は、被っていた猫を脱いだイザベラがぐたーっとした格好でソファーに座り込み、その向かいにシラノが座り、ロクサーヌがお茶の用意をしている。

「あー、そのですな、殿下」
「なんだい?」
「やはりイカサマを使われたのですな?」
「当たり前だろ? こっちが「イカサマ、仕込み、なんでもあり」と言ったんだ。あれは、わたしが「やる」と宣言したのと同じなんだから」

 平然と全く悪びれもせず言ってのけるイザベラ。シラノもロクサーヌもさすがにドン引きである。ちなみにシラノも、下着一枚にひん剥かれた口である。そんな二人に蒼い視線を向けたイザベラは、ふふんと鼻で笑った。

「別に士官連中をひん剥くのが目的じゃなかったのさ。ちょいと腕が鈍っているかどうか試してみただけでね。最後に金も服も返してやったろう?」
「……つまり、今回のアルビオンとの交渉でサイコロ博打を使われると?」
「まさか」

 あっさりと否定してのけるイザベラ。もはや何がなんだか訳判らんという表情で見合うシラノとロクサーヌ。イザベラは、遠くを見るような目つきになると、憎々しげに吐きすてた。

「わたしはね、ある女を思い出すからサイコロ博打は大嫌いなのさ。ただ、サイコロ博打に使うイカサマの手がね、必要なんだよ」


「くしゅん」
「大丈夫、タバサ?」

 突然くしゃみをしたタバサを見て、彼女の部屋で教科書とノートを開いているルイズが心配そうに訪ねた。季節の変わり目であるこの時期、どうしても風邪を引きやすいわけであり。

「噂されてる」
「タバサ、あなたそんな迷信信じてるの?」

 タバサのベッドにごろんと横になって二人を眺めているキュルケが、身体を起こして少しだけ驚いたようにたずねた。

「信じていない」

 ずこーっ、とずっこけるルイズとキュルケ。どうやらタバサなりの冗談であったらしい。とりあえずすぐに復活したキュルケが、タバサの部屋の本棚の上にあるそれに視線を送った。それは、サイコロとサイコロを振るための壷。申し訳程度の大きさの衣装棚がある他は本棚で壁一面が埋め尽くされ、床にも本が山積みとなっているこの部屋では、どうにもそぐわない代物ではあった。

「そういえばずっと不思議に思っていたのだけれど、なんでサイコロがあるわけ?」

 キュルケがタバサにたずねる。

「貰い物」
「へえ、あんたサイコロゲームなんてやるんだ」

 タバサにアルビオンに行っていた間の分の勉強を教わっているルイズが、心底驚いた様子で聞いた。タバサは、黙って本棚の上に置いてあるサイコロと振り壷を杖を振って取り寄せると、無造作にサイコロを壷の中に放り込んだ。

「三」

 サイコロの目は一と二。

「四」

 サイコロの目は一と三。

「五」

 サイコロの目は二と三。

「六」

 サイコロの目は三と三。

「七」

 サイコロの目は三と四。

「「えええええぇぇぇえええっっ!!?」」

 ルイズとキュルケは、心底仰天した様子で机の上に並ぶサイコロに見入っている。タバサはサイコロを壷に入れると、もう一度杖を振って元の場所に戻した。二人は口をパクパクさせたまま、呆然とした様子でタバサを見つめている。

「あ、あなた、今のは偶然じゃないわよね? イカサマ? もしかして?」

 キュルケの呆然とした様子に、タバサはこくりとうなずいた。口をぱくぱくさせ呆然としたままであったルイズが、我に返ると、叫ぶようにたずねた。

「ど、どこで習ったのよ!? てゆーか、それ、本職レベルじゃないのよ!!」
「昔」

 呟くようにルイズに答えると、タバサは、ルイズに視線で勉強を再開することを伝えた。

 
「へっくしゅん!」
「風邪でも引かれましたか?」

 盛大にくしゃみをしたトマに向かって、フェイトが声をかけた。閉じられたカーテン越しに、初夏の日差しがラグドリアン商会本店の最上階にある会議室内をぼんやりと明るくしている。トマは、ばつの悪そうな表情をして、ハンカチで鼻を押さえた。

「失礼。いえ、ちょっと鼻がむずむずしましたもので。誰かが私の噂でもしたのでしょう」
「季節の変わり目だからね。根詰めすぎて倒れるんじゃないよ? なにしろ仕事は山積みなわけでさ」

 ロングビルが、憎まれ口なんだか心配しているんだか、判らない言い方をする。もっとも彼女の場合はこれが相手を気遣う言い方なわけであるが。

「そうです。風邪は万病の元なんですから。ちゃんと滋養をとって、暖かくして寝ないといけません」

 元は修道女として貧民を相手に病の看病もしていたことのあるリュシーが、厳しい表情でそうたしなめる。

「いえ、本当に大丈夫ですから。それでは、説明を続けます。ラ・ヴァリエール銀行ですが、本店はトリスタニアに開設しますが、それは建物や職員の手配は済みました。今、南部半島諸国、ヴェニティア、フィレンティア、ジェネヴァ、ミラノの各国の首都と、ガリアのリュティスとトロサ、ゲルマニアのヴィンドボナ、これらの都市に支店を置きます。特にヴェニティア支店は、本店と同規模のものとし、いつでも本店業務を移行できる体制を整えます」

 すぐにラグドリアン商会の総支配人の顔に戻ったトマが、分厚い書類綴りをめくりながら淡々と説明を続ける。それにフェイトが、いくつかの質問を行う。

「ラ・ヴァリエール銀行ですが、ラ・ヴァリエール化学工業や、今度立ち上げるラ・ヴァリエール製薬との提携による、経営支援業についてはどうです?」
「はい。それにつきましては、すでに何家からか問い合わせが来ており、他の金融商会からの借金の借り換えについて相談を受けております」

 フェイトがラ・ヴァリエール銀行を立ち上げるにあたって、ラ・ヴァリエール公爵と相談した上で商品として売り物としたのは、化学肥料を用いた新農法による生産量の増大や、各種の商品作物の育成の支援、さらには各種薬品の原料となる薬草の成育など、収益の増大を期待できる換金作物の育成技術の指導があった。
 これに魅力を感じた家屋敷を維持するので手一杯な貧乏貴族らが、こぞってラ・ヴァリエール銀行からの融資を求めて列をなしつつあり、さらにはそれらの貴族と商売上の付き合いのある商会が次々と口座を開こうと問い合わせが相次いでいる。
 なにしろ、今やトリステイン最大の貿易商会となりつつあるラグドリアン商会の系列銀行であり、その意味もあって各国の商会からもこぞって口座開設の問い合わせが来てもいたのだ。
 ラグドリアン商会の系列企業として、ラグドリアン醸造所、ラグドリアン郵船、シュナイデル工業、シュナイデル製鋼所、ラ・ヴァリエール化学工業、ラ・ヴァリエール製薬、などがある。そして魔法学院研究所の最大のスポンサーであり、ゲルマニアのアルゴー商会やゲベール工房との提携もあって、文字通り飛ぶ鳥を落とす勢いの一大財閥となりつつあるのだ。
 しかもそのバックにいるのが、トリステイン最大の貴族であるラ・ヴァリエール公爵家であり、宮廷勅使として勢力を張るモット伯である。
 この大財閥の総帥であるフェイトが、ラ・ヴァリエール公爵の名代として度々閣議に臨席する事となったのも致し方なかった。それほどにアンリエッタ王女にとって、親友のルイズとその使い魔のフェイトは、宮廷内に信頼できる味方のいない彼女にとって頼もしい味方であったのだ。

「現状、各社の経営計画は順調に軌道にのっております。あとは、営業の重点をトリステインからどの国に移すか、でしょう」

 そうトマは締めくくった。確かにトリステインの経済規模は決して大きくは無く、あまり無茶な経営拡大を行えば、あっという間に他の商会が敵に回る事になる。

「それにつきましては、私の方でいくつか心当たりを当たってみます。当てができましたら報告しますので、今は各企業の本格的活動が可能になるよう、着実に計画を推進してください。

 そうフェイトは結論づけると、会議を終了させた。


「さてと、それじゃしばらく休みを貰うよ」

 散会してからロングビルは、フェイトにそう言って肩を揉んだ。さすがにここしばらく研究に打ち込みすぎたせいで、全身に疲れが溜まっている。シュナイデル工業と製鋼所が本格稼動すれば、その技術指導でまた忙しくなるのである。今のうちにゆっくりと休みをとっておきたかったのだ。

「連絡は絶やさない様にして欲しいわ」
「ああ。自分の脳みその価値は、自分が一番判っているつもりだからね」
「ええ。貴女は今では同じ重さの金塊よりも貴重なのだから」

 本当は護衛をつけたいのであろう。だが、それでは心身ともにゆっくりと休めての休暇にはならない。まあロングビルとて元々は、「土くれ」のフーケとしてトリステイン中を騒がせた大怪盗である。生半可な相手では、手も足も出ないメイジではあるのだ。

「ま、久しぶりに顔を出して安心させないといけない相手がいるんでね。そこでゆっくりとしてくるよ」


「それで「貧窮院」の方はどういう状況ですか?」

 商会の会頭室で、フェイトはリュシーにお茶を勧めつつ、今ではリュシーが担当している「貧窮院」計画の進捗状況についてたずねていた。

「今度、ミス・エレオノールとの共同研究で開発した、新しい出産療法について試験運用の予定です。もし研究成果が正しければ、産褥で死ぬ子供や、産後の肥立ちが悪くて死ぬ母親の数は劇的に減るでしょう」
「それは素晴らしいですね。どういう研究成果が上がっているのですか?」

 リュシーの答えは、フェイトの予想を超えていたのであろう。さすがにびっくりしたように目を見開いて話しの続きを促してくる。

「簡単です。まず出産時に母体に麻酔薬の投与と、出血を抑える血栓材の投与を行えるようにします。次に、産児の薬用アルコールによる全身の消毒と、産着の煮沸消毒を行います。これらの技術を、トリスタニアの産婆らに広めることができれば、と、そう考えております」

 エレオノールは「風」の高位メイジであり、「風」が運ぶ疫病について非常に詳細な知識を有していた。またリュシーは「水」の高位メイジであり、人体を巡る血液他の「水」について非常に詳細な知識を有している。この二人の知識が合わさったとき、いかにして人が病にかかるか、いくつかの仮説があがったのであった。
 そして、出産時にどのような状況で母体に負担がかかるか、産児が産褥で死ぬか、トリスタニア中の産婆らを回って聞き込みを行い、統計をとり、それを元に二人でいかにして妊婦にかかる負担を減らし、また産褥で死ぬ確率を減らすか、それを考えたのである。

「……今進んでいる農業生産技術の向上とあわせるならば、トリステインの人口は近いうちに爆発的に増大するでしょう。下手をしますと、海外に殖民しなくてはならなくなるかもしれません」
「そうかもしれません。ですが、「貧窮院」を職業学校をはじめとする各種教育機関として発展させていけば、海外に出て行かざるを得なくなる人々は、殖民した先で必ず新しい生活を確立できると信じます」

 リュシーの固い決意に、フェイトは心底驚いた表情のままである。そして、暖かい微笑みを浮かべると、フェイトはリュシーの両手をとった。

「私は、これまで多くの人の命を奪ってきました。その人数の十倍、いえ、百倍の命を救えるのであれば、こんな幸せなことはありません。是非その研究を全力で推進してください。予算に糸目はつけません」


 アルビオン南部のロサイス港に入港した「シャルル・オルレアン」は、市民の熱烈な歓迎と護国卿直属の親衛隊「鉄騎隊」の儀杖兵と軍楽隊による出迎えを受けていた。王族乗座旗をひるがえした巨大な戦列艦の入港は、戦争の惨禍からの復興ままならず貧困にあえぐ人々にとっては、まさしく希望の象徴に見えたのである。
 「シャルル・オルレアン」の舷門から下ろされたタラップを、わずか二人の供だけ連れて降りてくるイザベラに、市民の万歳の声と軍楽隊の演奏する音楽とが交じり合って、なんとも形容のしがたい喧騒が押し寄せてくる。それに対してにこやかに右手を振って答えつつ、イザベラは用意された馬車にシラノとロクサーヌを連れて乗り込んだ。

「さて、これからが本番だよ」

 馬車の窓越しににこやかに笑って群集に手を振って応えつつ、イザベラはごく小さな声で呟いた。シラノと言えば、特になんでもない様子で腕を組んでイザベラの向かいの席に座り、ロクサーヌは、群集のあまりの喧騒に震えながらシラノのすぐ隣に座っている。

「で、本当によろしいのですな?」

 シラノが、厳しい視線でイザベラにそう問いかける。

「ああ、打ち合わせ通りにやっておくれ。特にロクサーヌを頼んだよ」
「あ、あの、イザベラ様、本当に大丈夫なんでしょうか?」

 両手を顔の前に寄せて、ふるふる震えながらたずねるロクサーヌ。それに対してイザベラは、鼻で笑って答えた。

「大丈夫。なんたってわたし達には、父上から頂いた御守りと、ガリア一の騎士がついているんだからね」


 三人が案内されたのは、ロサイス港から百リーグほど北へと行ったアルビオンの首都ロンデニウムのハビランド宮殿であった。途中サウスゴーダの街で一泊し、迎賓のための晩餐が供されてからの入城であった。
 ハビランド宮殿では、アルビオン共和国の首脳が一堂に会してイザベラを出迎え、僧服のクロムウェル自らが彼女を案内するという歓迎振りである。アルビオン側が、いかにこのガリアとの交渉に期待しているかあまりにも判りやす過ぎて、イザベラは、王女らしいにこやかな微笑みを崩さないようにするのに精一杯の努力が必要なほどであった。

「王女殿下、この度の来訪、アルビオン共和国の国民一堂を代表して歓迎いたします。今回の会談が実りあるものとなることを、神と始祖に願うばかりです」

 王族に向けての礼をして歓迎の辞を述べるクロムウェル。

「……かくしてここは、わたしの狩場となる、か」
「は?」
「いえいえ、あまりにも丁重な歓迎ぶり、ガリア王国王政府を代表して、あらためて感謝いたしましますわ」

 イザベラの誰にも聞かせるつもりのない呟きに、クロムウェルは一瞬足を止めた。それに、あくまでにこやかに微笑んで答えるイザベラ。そのイザベラの態度に、クロムウェルは再度にこやかに笑いかけると、慇懃な態度でもう一度腰を曲げた。

「それでは客間へとご案内いたします。御用がありましたら、なんなりとお申し付け下さいませ」


 イザベラ一行が案内された客間は、元々は王族の私室であったのであろう、南向きに面した日差しの良い豪華な調度の部屋であった。そこには何人もの侍女が控え、イザベラの要求にすぐに応えられる様に並んでいる。
 イザベラは彼女らを丁重に追い出し、ロクサーヌに持たせてきた荷物を広げさせた。中には、公式な晩餐会様の召し物一式と、私室用の簡素な服、そして各種の化粧品などや変装道具までもが収まっている。ロクサーヌも、侍女というより女官としてのドレス一式や化粧品、さらには影武者としての変装道具を持ってきていた。
 そしてイザベラは、会談に先立って身支度を整えると称して風呂に入ることを要求したのであった。
 彼女が案内された浴場は、やはり王族用のまるでプールとも思えるほどの大理石の大浴槽がしつらえられ、香水で香りのつけられた湯がこんこんと湧き出てきている。
 その浴槽内でゆっくりと身体を伸ばし、旅の疲れを癒しつつ、この旅の直前に父親であるジョゼフ王から聞かされた情報を思い出していた。
 ジョゼフが「レコン・キスタ」を支援する見返りとして、アルビオン産の高級羅紗生地の優先的購入の権利を認めさせていたこと、そしてクロムウェルに与えた各種の「支援」について。あと、旅のお守りとしてくれた蒼い「宝玉」。

「さてと、クロムウェルが、どこまで「真実」を幹部どもにしゃべっているか、だねえ」

 まだまだ青さが残るとはいえ、十分に女らしい曲線を描く肢体を彼女は存分に湯の中で伸ばした。
そして浴槽から出ると、全身を石鹸とブラシで脂を落とし、その蒼い長髪も用意させた卵白で艶やかに磨き上げる。
 イザベラは再度浴槽に身を沈めると、もう一度十分に身体を暖めなおした。そのままぼんやりと「シナリオ」について段取りを確認する。

「でも、あそこまでボンクラどもばかりだと、そのまんま喜劇で終わりかねないけれどもねえ。ま、いいか。その時は「レコン・キスタ」をわたしが乗っ取るだけだし」


 ハビランド宮殿の円卓の間で、クロムウェル護国卿以下の閣僚達が勢ぞろいしてイザベラを待っていた。
 イザベラは、たった一人でその場に現れ、居並ぶアルビオン共和国首脳に対して淑女としての礼をしてみせた。そして彼女が顔を上げたとき、クロムウェルの後ろに控える二人と視線が交じった。
 一人は、ウェールズ王子暗殺に成功した功績を認められ、クロムウェルの親衛隊に参加する事となったワルド子爵。もう一人は、漆黒のローブを目深にまとい、全身を隠している朱色の唇の女。
 イザベラは、二人の視線から、自分の「シナリオ」が予定通りに進むであろう事を確信した。そして、ドレスの隠しに入れてあるメモの内容を再度脳内で繰り返す。そう、脱衣所でドレスの中に仕込まれていた一枚のメモ。本当にウォルシンガム卿は良い仕事をする。

「それでは王女殿下、早速両国間の国交回復について話し合いを始めさせて頂きたく思いますが、よろしいか?」

 かつてはジェームズ国王が座していた席に座っているクロムウェルが、そう会議の開催を宣言しようとした。だがイザベラはにこやかに微笑みみつつ、立ったまま問いかけ始めた。

「護国卿。王室を裏切り、国土を焦土に変えて手に入れたその椅子の座り心地はいかが?」
「は?」
「あ、そう」

 イザベラが何を言い出したのか、耳に聞こえはしても、理解ができずぽかんと口をあけているクロムウェル以下の閣僚達。

「護国卿。ガリア国王に恵んでもらった金で編成した軍隊で手に入れた、その椅子の座り心地はいかが?」
「は?」
「あ、そ」

 イザベラは、あくまでにこやかな表情を変えず、歌うように言葉を続ける。

「護国卿。ガリア国王との密約も果たせず、恵んでもらった「アンドバリの指輪」と「ガンダルーヴ」でのうのうと座り続けているその椅子の座り心地はいかが?」
「な、何を言われる!」

 思わず立ち上がって叫んだクロムウェルを無視して、肩をぽきぽきと鳴らしつつ、イザベラは顔に貼り付けた微笑を大きくし、両手を広げて嬉しそうに声を高めた。

「素晴らしいわ! なんてステキなんでしょう! あなた方がこうも上手く踊ってくれませんでしたら、ハルケギニアはいまだ固陋な秩序のまま、夢の中でまどろんでいましたわ!」

 閣僚達は全員が立ち上がり、一斉に杖に手をかけている。しかし、その視線は、クロムウェルとイザベラの間をいったりきたりするばかりである。その混乱の中で、黒いローブの女は嘲るように口の端を歪め、ワルドは呪文を口中だけで唱えている。

「じゃあ、用が済んだらちゃっちゃとおっ死ね、「虚無(ゼロ)の使い手」!!」

 彼女が偽りの微笑みを消し、蒼い宝玉を掲げて嘲けりの笑みを浮かべた瞬間、彼女の周囲を膨大な魔力が竜巻のごとくに渦を巻く。その蒼い魔力はイザベラの身に収束し、彼女を蒼い魔力で編まれた鎧となって包み、その右腕に彼女の身長ほどもある巨大で歪んだ盾となって構成される。
 まるで死体のごとく青緑色に濁るその盾は、中央に蒼い宝玉が輝き、盾の両端はねじくれた角と化して分かれている。盾の縁は研ぎ澄まされた刃となって鈍く輝き、盾自身には正三角形の頂点に丸い魔方陣が描かれた、ハルケギニアではわずか数度しか見られたことのない魔法陣が光を放っている。
 その盾の二股の角がクロムウェルに向けられ、魔力が収束し蒼い光球となっていく。

「ご冗談はそこまでにしておいて頂けると、まことにありがたいのですが。イザベラ殿下」

 自分達の盟主を護るためではなく、恐怖から杖をイザベラに向けた貴族らを、心底嘲るような笑みとともに皆殺しにせんとした彼女の斜め後ろに、ワルドの「偏在」がこめられた魔力に輝く杖を彼女の首筋に突きつけて立っていた。そして同じく斜め後ろにローブの女が立ち、巨大な爪のついた右手を突きつけている。

「あらま、腑抜けばかりじゃ無かったんだねえ」

 その口調とは裏腹に、心底嬉しそうに視線だけワルドとローブの女に向けるイザベラ。

「人材というものは、いないのではなく、見出されないだけなのです」
「それは勉強になった。礼を言わせて貰うよ、「閃光」」
「小官の二つ名をご存知とは、まことに光栄に存じます」

 あくまで杖を突きつけたまま、帽子を脱いで胸に当てて一礼するワルド。そんな彼にイザベラは、降参したように盾と鎧を消した。そして彼女の手の平の中で輝く蒼い宝玉。

「どうも御身体の具合がよろしく無い様子でいらっしゃいます。長旅でお疲れになられたのでしょう。今しばらく当宮殿で静養なされてはいかがでしょう?」

 あくまで丁寧な口調のままワルドは、それでも杖を突きつけたまま、イザベラの手の中にある宝玉を取り上げた。それを見て、全ての閣僚達が腰を抜かすかのごとく椅子に座り込んだ。
 そんな貴族らの醜態を軽蔑するように鼻を鳴らすと、イザベラはワルドに向けて振り返った。

「それじゃあ、部屋に案内しておくれ」


「うん、悪く無い部屋じゃないさ」

 そこは、鉄格子のはめ込まれた窓が高みにあるだけで、一応は天蓋付の寝台と、椅子と丸机だけが置かれている部屋であった。お世辞にも、一国の大使、それも王族を迎え入れるには相応しくはない部屋である。だがイザベラは十分満足した様子で、何度もうなずいていた。
 そして、ワルドの目の前にも関わらずさっさとドレスを脱ぐと、下着姿で寝台の中にもぐりこむ。

「ついでだ、眠るまでの間、話し相手くらいはしていっておくれ」
「承りました、殿下」

 帽子を脱いで恭しく一礼すると、ワルドは椅子を寝台の近くに寄せて座った。そして、杖を一振りし、「風」の魔法である「サイレント」をかける。これで室内で何が語られても、外に漏れることは無い。

「さて「閃光」、お前はクロムウェルの正体が何者か気がついていたのかい?」
「護国卿が「虚無」の使い手を僭称していたのには、気がついておりました」
「それは大したもんだ。どいつもこいつも騙されっぱなしだっていうのにね」

 毛布に包まったまま、くすくすと笑って手の甲を口に当てるイザベラ。そんな彼女の姿を見つめつつ、ワルドは足を組みなおした。

「それで殿下は、小官も含めたこの哀れな道化どもをいかがなさるおつもりです?」
「うん? まあ、アンリエッタがゲルマニアで独自の影響力を発揮するようになるまでは、無事を認めてやってもいいんだけれどもね」
「あくまでアンリエッタ王女に、トリステインとゲルマニアとアルビオンの三つの王冠をかぶせるおつもりですか」
「さあて、ね。ま、わたしは父上の道具の一つに過ぎないからね。父上がどんな構想をお考えであるか判らないし、それに異を唱えるわけにもいかないのさ」

 かけらもそんなつもりはない口調で、イザベラはワルドに肩をすくめてみせた。

「わたしの望みはね、生きて王位を継承し、最後には子や孫に囲まれて大往生を遂げることさ。少なくともここで果てるつもりはないし、アンリエッタに殺されてやる義理もないね」
「なるほど。まあ、護国卿閣下は殿下を脅すことはできても、毛筋一つほどの傷をつけることはできませぬ。ご安心頂いてもよろしいかと」
「わたしが心配しているのはね、フェイトの方さ。あの女の構想が判らない上、あいつの手は長いからね。正直言って、いつ殺されるかひやひやものなんだよ。お前ならば判るだろう?」

 瞳に昏い炎を灯して、凄みの効いた声で呟くイザベラ。その彼女の感情の動きにワルドは、その鷹のように鋭い眼を瞬きもせず見つめている。
 イザベラは、毛布の中から伸ばした手の指に挟んだメモを、ワルドに渡した。その中身に目を通し、彼は彼女の瞳を鋭い視線で射抜く。

「なるほど。それで小官にいかにせよ、と?」
「それは任せる」
「一番困るオーダーですな。つまり殿下は、小官を試されておられるわけだ」

 にやりと笑ってイザベラは、楽しそうに呟いた。

「何、お前には先ほどの三文芝居に付き合ってもらった借りがあるからね。いざとなったらあたしのところへ来るといい。ただし、どの程度仕事ができるかは、見せてもらわないとね」


「一体全体、あの小娘は何がしたかったんだ!」
「我らを愚弄しよって、あれでも大使か「我侭姫」め!」

 イザベラがワルドの「偏在」に連れられてホールを退出してしばらく経ってから、閣僚達は喧々囂々の大騒ぎになっていた。最高評議会の議長であるクロムウェルは、それを苦虫を噛み潰したような表情で黙って見ているだけである。すでに日は落ち、会議場は「ライト」の魔法が作る明かりの影が黒々と床を染めている。

「閣下! 王女の言っていた「ガリア王との密約」とは一体なんなのです!?」
「そうです! しかもなんとかの指輪と「ガンダルーヴ」を貰ったというのは、どういう意味なのです!?」
「そもそも我らは腐敗した王政府を打倒し、ハルケギニアを統一して聖地を奪還するために立ち上がったのです! それが打倒するべき国王から援助された金で戦争をやっていたなどと、まさに道化以外の何者でもありませぬ!!」

 閣僚達の矛先は、この場にはいないイザベラから、クロムウェルに向けられていた。
 なにしろクロムウェルは、一介の司教の立場から「虚無」に目覚めたと称して数々の奇跡を披露して聖地奪回運動を提唱し、数多くの貴族を巻き込んで王室に対する叛乱を起こした男である。元々が一介の僧侶でしかなかったという事実が、今になって大貴族らで構成される最高評議会の閣僚らの不信感を爆発させたのであった。

「「ガリア王との密約」か。これは高度に重要な外交機密ゆえにここで明らかにするわけにはゆかぬが、決して「レコン・キスタ」の理想を汚すようなものではないことは名言する」
「ならば、せめて概要だけでお教え下さい!」
「そうです! このままでは、閣下が常に仰られている「鉄の結束」にほころびが出ますぞ!!」

 言を左右にするクロムウェルに、閣僚達の感情がさらにヒートアップしてゆく。なにしろイザベラに散々コケにされて傷ついたプライドが、その怒りの矛先を求めて爆発しているのだ。生半可なことでは、収まりそうに無い。
 クロムウェルは激昂している閣僚らを冷たい眼で見渡すと、後ろに控えている黒いローブの女に合図をした。

「彼女が余の召喚した「ガンダルーヴ」であることは、彼女が証言してくれよう。そうだな、「ガンダルーヴ」」
「はい、クロムウェル様」

 女は、ローブの覆いを外すと、首を一振りしてその背中まである長い金髪を後ろに垂らした。そして、ローブの下で何やら服を脱ぐと、左手を高々と掲げた。その手の甲に輝くのは、はるか古代のルーン文字で書かれた「ガンダルーヴ」の紋章。

「私は、クロムウェル様の使い魔である「ガンダルーヴ」。これ以上の証明が必要でしょうか? 皆様?」

 女の口が嘲笑に歪み、その眼が細められる。翡翠色の瞳に浮かぶのは、獲物を前にしたかのような肉食動物の愉悦であった。
 そして、右手の鉤爪が音を立てて伸びると同時に、掲げられた紋章が輝きを増す。

「さて、とりあえず皆様にご納得頂けたご様子ですが?」

 「ガンダルーヴ」はローブの下に両腕を戻し、服を身に着けると、ローブの覆いを被りなおす。

「では、ガリアからの大使をいかにお相手するか、それについて議論しようではないか」

 毒気を抜かれた閣僚らに向かって、クロムウェルはあくまで苦虫を噛み潰したような表情のまま、議事を進行させた。
 そして日付も変わろうかという時であった。

「失礼いたします!! 緊急事態であります!!」

 ハビランド宮殿の警衛士官が、閣議の場に飛び込んできた。

「なんだ、何が起きたのだ!?」

 ホーキンス将軍が、長時間の会議の疲れを見せぬよう、飛び込んできた警衛士官に精一杯の威厳と冷静さを込めた声で問いただす。

「しゃ、「シャルル・オルレアン」の艦長が、王女殿下の身柄の安全を確認させよ、と、通告してまいりました。「シャルル・オルレアン」は現在ロサイス上空に滞空中、全砲門が開かれているとのこと! さらに、イザベラ王女殿下のお付の騎士が、王女殿下に会わせよ、と、暴れております!」


 さて時間は少しさかのぼる、シラノは懐中時計を見ながら、何かぶつぶつと呟いていた。どうやら詩を吟じているらしい。そんな彼を見つつ、ロクサーヌはふるふると震えていた。今しがた出て行ったイザベラ王女のことを思うと、怖くて怖くて仕方が無いのだ。イザベラが何をやろうとしているか聞かされたとき、そのあまりの乱暴さに思わず気が遠くなってしまったくらいである。いかにガリア王国の王女といえど、そこまで一国の閣僚をコケにして、とても無事に済むとは思えない。

「あの、シラノ様」
「うむ? 何かなロクサーヌ?」
「イ、イザベラ様は、本当に大丈夫でしょうか? あ、あんな無体な事をなさって……」

 シラノは、その巨大な鼻からぶはっと大きく息を吹き出し、かっかっかっかと豪傑笑いをした。

「ご安心召されよ、お嬢さん。このシラノ・ド・ヴェルジュラックがおる限り、姫殿下にはアルビオンが腰抜け騎士ごときには指一本触れさせはいたしませぬ。この「フランムディウス」も今宵は鞘の中で期待にかたかたと鳴っておりますわい!」

 ロクサーヌは、こわごわと近づいてシラノの隣に座ると、ドレスの隠しから一枚のハンカチを取り出した。そして、恥ずかしそうにうつむきながらシラノにそれを差し出す。

「あの、お守りといってもお役に立つかどうか判りませんが、せめてこれを私の代わりにお供させてくださいまし」

 莞爾と笑ってロクサーヌからハンカチを受け取ったシラノは、ロクサーヌの前にひざまずいてその右手をとり、貴婦人に対するがごとく軽く唇をつけた。ロクサーヌは、突然のことに「ひゃっ!!」と声を上げて仰け反り、真っ赤になった顔を両手で隠しながら、おそるおそるシラノのことを見つめている。

「確かにロクサーヌ殿の御身代わり、お預かりいたしましたぞ。なに、ガリア一の益荒男が受けたお約束、決して違えることはありませぬ」

 それでは時間が参りましたが故、姫殿下に拝謁を賜って参ります。
 羽帽子をそう言って胸にあてて一礼すると、シラノは堂々とマントを翻して部屋を出て行った。


「これ、そこのお女中。いつまで経っても姫殿下がお戻りになられぬ。ちとご尊顔を拝したいのだが、会議の席はどこか判るかな?」

 廊下に出たシラノは、近くを歩いていた宮殿付の侍女をつかまえると、そう一礼して丁寧に訪ねた。訪ねられた侍女は、突然現れた異相の男にそう尋ねられて思わずびっくりしてしまい、思わず「円卓の間はあちらです」と答えてしまったのであった。
 再度一礼すると、シラノはずんずんと足音も高く会議の行われているはずの円卓の間に向けて歩き出した。

「お付の騎士殿、これより先は許可無く入ることはまかりなりませぬ!」

 着剣したゲベール銃を持ってロビーの警衛に当たっていた鉄騎隊員二人が、銃を交差させてシラノを止めようとする。その交差された銃剣をあっさり跳ね除けると、シラノはにやりと獰猛な笑みを浮かべて大音声で言い放った。

「我輩は、ガリアにその人ありと言われた無双の剣客にして詩人「炎」の使い手エルキュウル・サヴィニヤン・ド・シラノ・ド・ヴェルジュラック! 我が杖を捧げし主の元へと向かうに邪魔立てするとは無粋の極み! 是非にもあらずというならば、この「炎剣」の二つ名にかけて受けて立ちますわい!」

 その大音声に不穏なものを感じたのか、多数の衛兵が着剣した銃を手に集まってくる。

「ほう、あくまで我輩の邪魔立てをするというか! その意気やよし! だが木っ端衛士が何人集まろうとつまづきの小石にもならぬわい!!」

 シラノが腰の大剣を電光石火の速さで引き抜き、その抜き打ちで目前の鉄騎隊員が構えていたゲベール銃が両断される。返す剣でもう一人のゲベール銃を叩き斬り、あいている左手の拳で二人を殴り倒してひっくり返してしまう。

「ええい! 主従揃ってなんたる無法ぶり! 構わぬ、横隊組め、威嚇射撃用意!!」

 駆けつけた警衛士官が、集まった二十名ほどの兵士を横隊に並べ、シラノの頭上に向けて射撃を命令する。

「がっはっはっ! 遅い遅い! そんなざまで我輩の相手をするなど、しゃらくさいにもほどがあるわい! そうれ「フランムディウス」! 我輩の心意気を炎と成して吹き上げい!!」

 シラノが大剣を右手で一振りすると、その周囲に真っ青に燃え上がる炎の竜巻が吹き上がる。その竜巻の勢いに煽られてか、「フランムディウス」の柄元に結び付けられているロクサーヌより貰ったハンカチがはためいている。
 数十メート離れていても輻射熱で燃え上がりそうな炎に、鉄騎隊員らは慌てて警衛士官の命令も待たずに三々五々発砲してしまった。だがその銃弾は、轟音を上げて巻き上げられる炎と上昇気流にことごとくあさっての方向に飛んでいってしまった。

「ほうれ! 次は我輩の炎が飛ぶ番だな! 何、命まではとらぬゆえ、せいぜい頑張って避けてみせい!! 「フランム・フォウコン」!!」

 青い炎の竜巻から、数十もの炎でできた鷹が飛び立ち、鉄騎隊員達めがけて曲線軌道を描いて襲い掛かる。隊員らは、その鷹に追いまくられ、宮殿ロビー内を必死に逃げ回っている。もはや部隊としての統制もへったくれもない警衛隊員らを無視し、シラノは、ちまちまと「水」の魔法を打ってくる警衛士官に向けて一呼吸で間合いを詰め、一瞬だけ炎の竜巻を外して左手の拳でぶん殴って四、五メートも吹き飛ばし、のしてしまう。
 あまりの騒ぎに、そこら中から警衛隊員や士官らが集まってくるが、シラノが吹き上げる青い炎の熱と勢いに恐れをなして、近づくこともできないでいた。何名かの士官が、火事にならぬよう慌てて「水」の魔法で周囲を濡らしている。

「ええい、何をしている! 貴様らそれでも護国卿閣下の親衛隊か!!」

 閣議には出席していなかったスキッポン将軍が現れ、長剣状の杖を振り回して兵士らの統制を回復させようと怒鳴りまくる。だが、圧倒的なシラノの炎の勢いに、誰も恐れをなして彼に近づくこともできない。

「ほほう。腰抜け騎士どもばかりかと思えば、少しは骨のありそうな輩が現れたわい。我輩は、ガリアにその人ありといわれた、無双の剣客にして詩人「炎」の使い手シラノ・ド・ヴェルジュラック。さて、我が主の元へと案内を頼もうか」

 巻き上がっていた炎の竜巻を下げてその姿を現すと、シラノは斜めにかぶった羽帽子を脱いで胸にあて、スキッポン将軍に向けて一礼した。
 その余りにも人を食った仕草に、もはや怒りで言葉も出なくなったのであろう、スキッポン将軍は手にしていた長剣をシラノに向けると、矢継ぎ早に「エア・スピア」の呪文を打ち込む。しかしその空気の槍は、再度巻き上がった炎の竜巻に飲み込まれ、ことごとく雨散霧消してしまった。

「ふむん。貴族同士が杖を交わすのに、名乗りも挨拶も手袋もなしとは、無粋もここに極まったわい。これがテューダー王家に杖を向けた叛逆者というものか。こいつはまともに相手をしても面白くはないわい」

 その巨大な鼻を高々と突き上げて鼻息を鳴らすと、シラノは無造作に左手の手袋を脱ぎ、スキッポン将軍へ向けて放りつけた。

「この場にお集まりの紳士淑女諸君! この通り我輩はこの無粋者に決闘を申し込むわけだが、ただこの坊やを串刺しにしても見世物にもなりはせぬ。よって、即興でバラッドを作り、最後の行(くだり)でぐっさりといって見せ申そう!!」

 宮殿内の侍従や侍女や使用人らが何の騒ぎかと見に来てみれば、宮殿を護る鉄騎隊が右往左往して火事にならぬようロビーの中を水の入った桶を持って走り回り、この異相の騎士を恐々とまわりから包囲するばかりで、手も足も出ないでいる。あげくにこの男は、龍騎士隊の司令官であるスキッポン将軍に手袋を投げつけ、決闘を申し込むという。
 あまりのことに、この場にいる誰もが唖然として次に起こる事を見守るしかできないでいた。

「当ハビランド宮殿においてベルジュラックの君、腰抜け貴族と果し合いのバラッド」
「貴様、何のつもりだ!!」
「そりゃ外題に決まっているだろうさ」

 ふふん、と、口ひげをひねって笑って見せたシラノに、スキッポン将軍は怒り心頭に発して「風」の攻撃呪文を唱える。だが、その呪文のどれもがシラノの身を護る炎の竜巻に飲み込まれ、吹き飛ばされてしまう。

「帽子をみやびに、さらりと投げ出し、
 足手まといの でっかいマントを
 しんずしんずと かなぐり捨てて、
 拙者は剣(つるぎ)を すらりと引き抜く。
 伊達な姿は、セラドン裸足、
 スカラムッシュの すばやい身ごなし
 耳掻っぽじって 聞けやいちょび助、
 反歌の結びで ぐっさり行こうぞ!」

 シラノは、一瞬でスキッポン将軍との間合いを詰めると、竜巻を上空へと上げて「フランムディウス」を将軍の杖に叩きつける。その速さと剛力に思わず杖を飛ばされそうになる将軍。しかし、なんとかそれだけは防ぎ、足を踏みしめて返す一撃をシラノの胸に向かって突き入れる。

「弱虫いじめは 本意じゃないが、
 何処を刺そうか 七面鳥野郎?
 どてっぱらかよ 羽交いの下か?
 胸か、藍染め たすきの下か?
 剣が交わりゃ りんりん鳴るわい!
 拙者の切尖 飛鳥の早業!
 太鼓腹めがけて 狂わぬ腕前、
 反歌の結びで ぐっさり行こうぞ」

 スキッポン将軍の突きを、「フランムディウス」の波打つ刃に絡めとり、軽々と弾くシラノ。その返しの一閃で、将軍の鋼鉄製の胸当てを×印に切り裂いてみせる。

「韻を踏むのが そろそろ難儀だ
 一飛び逃げたか 腰抜け貴族?
 がたがた震えて 血の気もうせたぞ!
 貴殿の太刀先 発止と受け止め
 一刀両断 糞でもくらえ。
 誘いの隙だぞ その手は食らわぬ
 なまくら刀を 落とすな阿呆奴!
 反歌の結びで ぐっさり行こうぞ」

 怒りのあまり突きを入れる速度がすさまじい勢いになっていくスキッポン将軍。しかし、その突きを軽々と受け、流し、避け、ちょいちょいと将軍の胸当てに×印をつけていくシラノ。

「反(かえし)歌」

 にやりと笑って勿体つけて唱えると、シラノの身体が一瞬沈み、スキッポン将軍の視界から消える。

「始祖に御容赦の 願掛け頼(たも)れ!
 切尖はずして 手元に飛び込み、
 電光石火に……
 えい! そら! どうだ!」

 視界から消えたシラノに、一瞬動きが止まったスキッポン将軍の腹に「フランムディウス」が突き刺さる。シラノは、どさりと倒れた将軍に向かって優雅に一礼すると、呆然として見物していた周囲の者達にも帽子を脱いで一礼をして回る。

「かくして、反歌の結びで、ぐっさりといったわけでござぁい」

 おおう。思わず拍手と歓声が沸き起こり、遠巻きに見ていた警衛士官達が慌ててスキッポン将軍を治療するために駆け寄る。
 アルビオンでも特に精兵として知られる龍騎士団の司令官を軽々とあしらって倒してみせたシラノの強さに、もはや誰も彼に立ち向かおうという人間すらいない。そんなロビーの有様の中、一人の男が足音すらさせずシラノの前に進み出た。深めに羽帽子をかぶり、黒いマントをまとっている。

「お見事ですな、ベルジュラック殿。拍手をもって賞賛させて頂きたいが、この通りの隻腕でね」
「貴公は?」

 一見して、油断ならぬ相手と見抜いたのであろう、シラノはそれまでの半ばからかう様な態度を改め、鋭い視線を相手に送った。

「ああ、自己紹介が遅れました。僕はジャン・ジャック・フランシス・ワルド。まあ、あえて言うならば、クロムウェル閣下の雑用係ですか」

 右の二の腕の中ほどから切断されたらしく、袖がシラノの炎の竜巻に煽られはためいている。左手で深々と被っていたつば広の羽帽子を脱ぎ、軽く一礼するワルド。辺りを煽る炎の熱をまるで感じさせもせず、無造作にシラノへと歩み寄る。

「ほう、トリステインにその人ありと噂された「閃光」殿か! これはこれは。我輩はエルキュウル・サヴィニヤン・ド・シラノ・ド・ヴェルジュラック。全く歯ごたえの無い連中ばかりで退屈しておったところですわい。それでは貴公が本命という事ですな!!」

 にやりと、心底嬉しそうに歯をむいたシラノが、右手の「フランムディウス」を無造作に左肩に担いだ。左手は、剣の柄底にあてられている。
 だがワルドは、軽く肩をすくめると、シラノの発する殺気を軽くいなした。

「まことに申し訳ないが、かくの如くかたわでね。貴公と正面からやり合っても勝てる見込みが無いのですよ。というわけで、闇討ち、卑怯討ち、何でもありでしたらお受けするにもやぶさかではないのですが」
「そりゃ面白い。と、その前にその右腕、差し支えなければ失った経緯をお聞かせ願えんかね?」
「婚約者にふられましてね、その折に」
「そいつぁ、まことに失礼おばいたした」

 炎の竜巻を収め、謝罪のつもりか羽帽子を脱いで一礼するシラノ。
 どうやらシラノの暴威が収まったらしい事に、ロビーに集まっていた皆が安堵の溜め息をついた。

「では、貴公との果し合いは次回のお楽しみ、という事にいたすとして、姫殿下の元にお連れ頂けんかねい」

 だがワルドは、深々とシラノに向かって頭を下げた。

「まことに申し訳ないが、それができないのです」
「なんと! 貴公をしてまだその様な戯言を申されるか!?」
「いえ、そういうわけでは。それではどうぞこちらへ」

 ワルドは、シラノを促すともう一度深めに羽帽子をかぶり、彼の前に立って歩き始めた。


「なるほど、これでは姫殿下にお会いできませぬなあ」

 シラノは、案内された先の部屋、先ほどイザベラがワルドに連れられ軟禁された部屋に来ていた。

「しかし、先ほどの連中も腰抜けどもの集まりではあり申したが、ここまで阿呆の集まりとは思ってもみませんでしたぞ」
「それについては、クロムウェル護国卿閣下に代わり、謝罪申し上げます。現在「鉄騎隊」が総力をあげて捜索中であり、すぐにお迎えに上がれるかと」

 シラノが溜め息とともに見つめた先、白い漆喰の壁には、こう大きく書かれていた。

「イザベラ王女殿下、確かに領収いたしました。「土くれ」のフーケ」



[2605] 運命の使い魔と大人達 第九話後編
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/04/15 00:00
 夜の森の小道を、双月の明かりが木々の葉の間から照らし出している。どうやらこんな森の中でも人の行き来があるらしく、道は思ったよりもしっかり踏みしめられている。
 イザベラは、ワルドに軟禁された部屋に食事とともに持ち込まれた侍女用の服と変装用の道具一式を使って別人に化け、シラノが暴れている隙にハビランド宮殿より逃げ出したのであった。そして今、サウスゴーダの森の小道を何日分かの食料やらなんやらを背負ってひたすら歩いているところであった。

「それにしても、つくづくとんでもない「力」を秘めているねえ」

 イザベラは蒼い宝玉を手の平を転がしながら、どうしたものか、という表情で呟いた。
 この蒼い宝玉は、イザベラの命令で「杖(デバイス)」として覚醒し、膨大な魔力を込められた呪文を起動させて使う事が出来るという、ハルケギニアの魔法の常識を根元からひっくり返す代物であったのである。というわけで、実際にアルビオン共和国最高評議会の面々の前で宝玉の力を使用した時、彼らのみならずイザベラも腰が抜けそうになるほど驚いていたのだ。
 そして、最小限に力を絞って天窓を吹き飛ばし、そこから飛翔して南方に向けて飛び去った時も、強固な「固定化」のかかった天窓を楽々と破壊し、空を飛翔する速度のあまりの速さに、目がまわる思いであったのだ。
 もしシラノがあれだけ大暴れしてくれていなかったら、自分の脱走はあっさり見つかってしまったであろう。それほどの膨大な魔力をまき散らかしながらの飛翔であった。

「しっかし、「閃光」は、渡したやつが偽物だって気がついていたっぽいし。さてどういう風に対応してくるのかね」

 手の平の宝玉を無造作に宙に投げ、受け止めると、その手の人差し指と中指と薬指の間に二つの寸分違わぬ同じ蒼い宝玉が挟まっている。さすがに一方は独特な魔力による鈍い輝きを放っているが、もう一方は多少魔力を込められただけの偽物であった。
 イザベラは、円卓の間で武装解除し盾が元の宝玉に戻った瞬間、手技で偽物の宝玉とすり替え、それを皆に見せたのである。これで彼らはイザベラの切り札を取り上げた、と、思い込んで以後の交渉は強気でのぞんでくる、というのが彼女の読みであった。「閃光」のワルドと父ジョゼフ王が密かに派遣した「ガンダールヴ」の二人が、イザベラの芝居に上手く合わせてくれたおかげで、まずは第一段階はクリアしたわけである。
 最初に圧倒的な力を見せ付けつつ、クロムウェルの実質的裏切りについて示唆してアルビオン共和国上層部の間に不信感を醸成し、交渉の場で互いに破談一歩手前の状況を演出しつつ、それぞれの閣僚らと個別に秘密に接触し、ありとあらゆる利で吊り上げる。それが彼女の今回の構想だったのだ。
 そのためにわざわざ「土くれ」のフーケの名前まで騙って逃げ出し、ロサイスに停泊中の「シャルル・オルレアン」に臨戦態勢と取らせるよう手配までしたのである。今頃、ハビランド宮殿はガリアとの開戦もありえる可能性に上へ下への大騒ぎになっているであろう。今のアルビオン空軍は、「シャルル・オルレアン」一隻にすらロサイス港を制圧されかねないほどに弱体化しているのであった。
 そんなことをつらつら思いつつ歩いていたためか、イザベラは、突如飛来したガーゴイルに不意をつかれ、その体当たりを受け、道の上に倒れてしまった。そして、手の平からこぼれてしまった宝玉を、反対方向から飛来したガーゴイルが拾って森の中に消えてしまう。

「だ、誰だ!?」

 袖の隠しから引き抜いた杖を突き出しながら、イザベラは振るえる声で夜の森へ向かって叫んだ。自分でも判るほどに無様に身体が震え、声が恐怖に裏返っている。
 だが、森の中はしんと静まり返ったまま、物音ひとつしない。先ほど聞こえていた獣や虫のざわめきすら聞こえなくなってしまっている。イザベラは、恐怖のあまり、声にならない声をあげて小道を走り出した。途中、なんどもつまづいては、路面に顔から突っ込んでしまい、全身泥だらけになっていく。

「あ、あ、あああっっ!!」

 どれだけ走っても、森はしんとしたままで、物音一つ聞こえてこない。聞こえているのは、地面を駆ける自分の足音と、荒い呼吸の音だけ。それが一層イザベラの恐怖を煽る。すでに視界は涙でほとんど曇り、ただただ足の向く方向へと転げまろびつ進むしかできない。
 もう何度目になるかも判らないほど地面に倒れこんだその時だった。イザベラの目前に影が差した。

「ひぃいっ!」

 頭の中が恐怖で真っ白になってしまって、何も考えられなくなる。歯ががちがちと鳴り、腰からしたの力が一切抜けてしまって、もう立ち上がる気力さえ起こらない。手にしていた杖は、どこかに落としてしまっていて、もはや自分の身を護る術は何もなかった。

「顔をお上げ」

 もう初夏に入ろうというのに、イザベラの全身に鳥肌が立つような冷たい声だった。その殺気すらこもった言葉に、イザベラは涙をぽろぽろとこぼしながら嫌々するように頭を左右に振った。

「もう一度言う。顔をお上げ」

 声に感情がこもらなくなり、ただただ冷たい殺気だけがイザベラを刺す。その恐怖に彼女は抗うこともできず顔を上げた。
 イザベラの視線の先には、双月を背景に真っ黒いローブを着た人影が立っている。

「昔、ある賊がいた。そいつはある怪盗の名前を騙って盗みを働き、侵入した先の一家を惨殺した」

 まるで自分には全く関係の無いことを語るがごとく、淡々と言葉を続ける人影。

「そいつは数日後、全身の骨を砕かれ尻の穴から口まで杭で貫かれた姿で、盗んだ金品と一緒に衛士の詰め所の前にさらされていた。そいつの首からこう書かれた札を下げられてね」

 イザベラは、下半身が生暖かい何かで濡れていくことに、ぼんやりと気がついた。

「「「土くれ」を騙りし賊の命、確かに領収いたしました。「土くれ」のフーケ」」

 人影がわずかに身じろぎし、ローブの下の眼鏡が月明かりに光る。

「「土くれ」の名を騙るという事は、そういう事さ。さて、覚悟は出来ているね?」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 イザベラは、ただただ泣きじゃくりながら謝るしかできなかった。この人影から発せられる殺気は、本物の、何人も人を殺した来た人間だけが発することができる、冷たく、鋭く、硬い、肺腑をえぐるような怖いものであったのだ。
 そんなイザベラの姿を見下ろしつつ、人影が一歩前に出る。
 イザベラは、恐怖のあまり身体を丸めてわんわん泣き出した。

「殺さないで、殺さないで、殺さないでぇ、殺さないでぇぇ……」
「殺しゃしないよ。安心おし」
「……え?……」

 泥と涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、イザベラはぽかんとした表情をして人影を見上げた。
 人影は、ローブの覆いを外すと頭を一振りして、月光に緑色に輝く長髪を背中へと流した。

「盗賊稼業からは足を洗ったんでね。今更小娘のいたずらごときに目くじらを立てやしないよ」
「……あ……」
「ただ、裏の世界の人間の名前を騙るってことは、そういう事さ。よく覚えておき」

 呆然としたまま、無表情に自分を見下ろす女性を見つめるイザベラ。殺されずに済むという安心からか、そのままべたっと地面に転がってしまう。どうやら安堵の余り気を失ってしまった様子であった。
 そんなイザベラの様子を見ていたフーケは、大きく溜め息をつくと、一言ぼやいた。

「なんだい、こんな怖がりでいっぱいいっぱいの小娘だなんて、聞いてやしないよ、全く」


 イザベラが意識を取り戻した時、自分が藁布団の上に毛布をかぶせられて寝ていることに気がついた。窓からは朝日が差し込み、外からは小鳥の鳴く声が聞こえてくる。そうっと恐々と頭を持ち上げ、部屋の中を見回す。
 部屋は粗末な丸太小屋で、調度も小さな机と椅子と戸棚しかない。だが、綺麗に掃除が行き届き、この部屋で暮らしている誰かの暖かさが感じられる部屋であった。

「目が覚めたかい?」
「ひやぁっ!」

 突然声をかけられてイザベラは、毛布に包まったままベッドの隅へと逃げた。声のした先に恐る恐る目を向けると、そこには腰まである緑色の髪をした眼鏡の女性が、椅子に座って何かノートに目を通している。

「安心おし。別にとって喰いやしないさ。さ、外で顔を洗っておいで」

 まるで昨日の雰囲気が嘘のように、そこに居るのはごくごく普通のちょっときつめの美人でしかない。

「あ、その、お前が、「土くれ」のフーケ?」
「そうさ。だが、ここではマチルダの名前で通している。だから、フーケの名は一切出さないこと。いいね?」

 すっと、目を細めたフーケに、イザベラはただ黙ってこくこくとうなずくしかできなかった。


 小屋の外に出てみると、空は一面の青空で、森は若葉に色づいていた。その森を切り開いた小さな広場を囲むように、何件かの丸太小屋が建っている。広場の真ん中には井戸があり、そこで一人の帽子をかぶった少女が洗い桶で洗濯をしていた。よくよく見ると、昨晩イザベラが着ていた服である。
 イザベラは、この瞬間になって自分が全身を綺麗にしてもらい、下着から何から全部着替えさせられていた事に気がついた。

「あ、起きました? すぐ朝ごはんにしますから、ちょっと待っていてくださいね」

 振り返ってにっこり微笑んだ少女は、イザベラがその場で凍り付いてしまうほどに美しかった。その美しさに、彼女が現実の存在なのかどうかすら判らなくなる。

「あの、どうかしました?」
「はう」
「え?」

 真っ先に思ったのは、金色の輝きであった。オーラといってもいい。余りにも圧倒的な金色の輝きに、イザベラは頭の中が真っ白になってしまった。普段ならば憎まれ口のひとつも叩くところが、そうした真似すら許されぬという思いに、どうしたらいいのか判らなくなってしまっていた。

「ほら、いつまで見惚れているんだい。朝食が冷えちまうよ」

 背中からマチルダに声をかけられ、イザベラは、ようやく止まっていた思考が動き始めた。

「わ、わたしはイザベラ。お前がわたしの世話をしてくれたのかい?」
「ええ、マチルダ姉さんと一緒に。盗賊に襲われたんですってね。怪我が無くて本当に良かったわ。私はティファニア。テファって呼んで」

 と、イザベラの頭に、ぽふっとマチルダが手を置く。

「ま、そういうわけだから。で、こういう場合言うべき言葉があるだろ?」
「あ、あ、……ありがとう」


 朝食は、イザベラが寝ていた小屋でとった。暖かい野菜のシチューと黒パン。それは昨日の夕方から何も食べていなかったイザベラにとっては大層美味しいものであった。
 ただし、十何人もの子供らと一緒でなければ。
 いやもう、子供らの騒がしいこと騒がしいこと。珍しく外からのお客が来たという事で、子供らがイザベラにまとわりついて放れようとはしない。普段ならば速攻癇癪を起こしているところであるが、なにしろマチルダが怖いのと、テファがとても楽しそうなのに水を差すのがためらわれたのだ。

「……ごちそうさま、美味しかったよ」

 子供らにくしゃくしゃにされて、疲れきった表情になんとか微笑みを浮かべ、イザベラはテファにそう言った。

「ごめんなさいね。皆、外からのお客様は珍しいから、はしゃいでしまって」
「ま、怖がられて、近寄ってももらえないよりはマシさ」

 食後のお茶を口にしながら、ニヤニヤと笑ってイザベラを横目で見ているマチルダ。
 イザベラは、それはまあそうか、と、なんとなく納得してしまった。それに、こういう雰囲気での食事は始めてであり、なんというか肩に力を入れなくてよいのが新鮮でもあったのだ。テファの入れてくれたお茶を飲みながら、ぼんやりと気を抜けたままでいてもよいというのも初めての経験ではあった。
 と、そうやって気が抜けて初めてイザベラは気がついた。なんというか、テファに違和感がある。もう一度、眉根を寄せて上から下まで観察する。光をまとうように、額の真ん中で分けられた金色の長髪、完璧なバランスと構成の容貌、麦藁帽子と、草色の丈の短いワンピースと、白いサンダルが、その完璧な美しさを和らげむしろ清楚さを引き立たせている。
 その美しさをもう一度確認しなおす。いや、確かに美しい。まさに神の造詣した完璧な美しさに他ならない。なのに、違和感がぬぐえない。
 イザベラは、一度目をつむって眉根をもみ、それからもう一度上から下まで確認する。
 なるほど、違和感の正体にようやく気がつく。というより、自ら目をそらしていた、というのが正しいというべきか。
 イザベラは、自分の胸に両手を当てた。確かに同世代の女の子と比較すれば、大きい方なはず。
 そして、テファのそれを見直す。
 大きい。
 いや、大きいとか、巨大とか、そういう形容詞を超越している。
 あえて言うならば、「胸みたいなもの」。
 というより、その位置にそのサイズで存在すること自体が、自然界の法則を超越しているとしか言いようの無いものがついている。
 けひぃ。
 イザベラは仰け反り、吠えた。
 吠えた。
 吠えた。
 そして吠えた。

「はい、戻ってきな」

 すぱーんっ! と景気のよい音とともに、マチルダは持っていたノートでイザベラの後頭部に一発強烈な突っ込みを叩き込んだ。
 イザベラは、そのまま顔面から机に突っ込み、したたかにおでこをぶつける。

「な、何するのさ!」
「お、戻ってきた」
「はっ! わたしは……」
「さて、どうせ何日かは帰るつもりはないんだろ? なら、しばらくここで過ごしな」


「で、なんでわたしが薪割りをしないといけないのさ?」
「働かざるもの喰うべからず、ってね。それとも自分の世話を全部テファに押し付けるつもりかい?」

 軽く眉を跳ね上げて見つめてくるマチルダに、ぐうの音も出せないイザベラは、渋々鉈を手にした。とにかく重いわけで、両手で振り上げるのが精一杯である。

「えりゃ!」

 だが、鉈は薪の上には落ちず、薪割りの台の木の株に突き刺さった。なまじ勢いをつけただけに、かなり深く突き刺さってしまい、中々抜くことができない。

「くそっ! このっ! ひゃんっ!!」

 何度も何度も引き抜こうとがんばって、とうとう鉈が引っこ抜けた。と同時にイザベラは、勢い余って尻もちをついてしまう。
 そんなイザベラを笑いもせず、マチルダはイザベラの手から鉈を取った。

「いいかい、こうやるんだ」

 マチルダは薪にちょんと鉈を当て、軽く食い込ませる。それから少し高めに持ち上げると勢いをつけて切り株に薪を打ち下ろした。と、こんっ、と威勢のいい音とともに、薪がきれいに二つに割れる。

「この按配さ。やっているうちに慣れてくるよ。さ、がんばりな」


 イザベラが薪を割り終えたのは、もうお昼近くになってからであった。最初の頃はコツがつかめずろくな形に割れもしなかったのが、最後の頃にはそれなりに格好のつく形に割れるようになったのである。
 最後の薪を割り終えて、イザベラは鉈を切り株の上に放り出すと、そのまま地面にひっくり返った。両腕がぱんぱんに張って全然力が入らない。考えてみれば、こんな力仕事をしたのは生まれて初めてなのに気がつく。見ればマチルダはどこかに行ってしまっており、テファも昼食の準備をしているのか、かまどから煙が上がっているのが見える。

「ああ、おなかがすいた」

 イザベラは、本当の空腹がどういうものかを初めて知ったなあ、と、感慨にふけっていた。考えてみれば王宮では、いつも決まった時間にご馳走が並べられて、それを適当に口につけていただけであった。こういう風に本当にご飯が食べたいと思ったのは初めてのことではないだろうか。
 と、ひゅっ! と空気を切る音とともに、切り株に矢が、かっ! と突き立つ。

「ひゃっ!?」

 イザベラががばっと身体を起こすと、たった今割ったばかりの薪に、かっかっかっ! と矢が何本も突き刺さった。

「誰だいっ!」

 イザベラが立ち上がって怒鳴ると、森の中から傭兵とおぼしき格好の男らが十数人、手に弓矢や槍を持って現れる。

「おう、随分と別嬪だな。こりゃいい値で売れそうだ」
「なっ!? ふざけんじゃないよっ!」

 どうやら親玉とおぼしきこずるそうな顔をした男が、イザベラに近寄ると一発ビンタを張った。その勢いで彼女は、地面に倒れ転がる。
 イザベラは、生まれて初めて振るわれた暴力にパニックを起こし、頬を押さえたまま呆然と地面に転がっていた。

「おい、てめえら、家捜しだ!」

 ひゃっほいぃ! と楽しそうな歓声を上げて、賊どもは一斉に小屋に向かって走り寄ろうとする。
 と、その時であった。テファが外に飛び出してくると、震える怯えた声で叫んだ。

「出てって! この村には、あなたがたにあげられるようなものは何もありません!」
「うほっ! こいつは大当たりだ!」

 男達は、出てきたテファのことを見ると、ひときわ大きな歓声を上げた。

「これだけのタマなら、金貨で二千はいくぞ!」
「二人あわせりゃ三千はいくんじゃねえか!?」

 一人が近づいてきてテファに触れようとした瞬間、跳ね起きたイザベラが二人の間に立ちふさがった。

「この娘に触れるんじゃないっ!」

 両手に鉈を持ち、男に突きつけながらイザベラが叫ぶ。

「安心しな、売り物に傷はつけねえからよ。ちょいと味見くらいはするかもしれねえけどなあ」

 ニヤニヤと笑いながらもう一度手を伸ばしてくる男に向かって、イザベラは鉈を振り回した。

「テファ、みんなと逃げなっ!!」

 疲れていて非力な身体のイザベラは、鉈に逆に振り回されながらも叫んだ。彼女の頭の中には、とにかくテファ達を逃がすことしかなかった。だが、そんな彼女を賊は笑いながら遠巻きにして眺めているだけで、ろくに相手もしない。
 そして、やみくもに鉈を振り回しているうちに、切り株につまずいたイザベラは地面に転び、鉈もそのまますっぽ抜けてどこかへと飛んでいってしまう。

「ほれ、いい加減観念しろや」
「畜生!!」

 腕をつかまれ、引きずり起こされたイザベラは、男を心底悔しそうな眼で睨みつけた。昨晩のフーケの様な、本物相手に負けるのは、まだ納得がいく。だが、こんな魔法も使えない賊風情に何もできないのが、悔しくて悔しくてたまらなかった。
 と、その時だった。

「ほら、おいたはそこまでにしときな」

 ずしん! という音と同時に地面が揺れ、身長十メートはあるゴーレムが三体、男達を包囲している。

「げえっ! 貴族っ!!」
「じゃないのさ。だから、殺しはしないでおいてやろう。その代わり……」

 お前さんらの記憶を置いていってもらうよ。
 どこから聞こえる声に、男らは、ひいっ、と情けない悲鳴をあげた。


 テファの呪文と同時に、賊達がふらふらと村を去るのを、イザベラは呆然と見送った。

「テファ、今の呪文は?」

 とりあえず何がなんだか判らない、という風情でイザベラがたずねる。賊達は、テファの唱えた呪文で突然呆けたような表情となり、テファの言うがままに森を去っていったのだ。

「彼らの記憶を奪ったの。「森に来た目的」の記憶よ。街道に出る頃には、わたしたちのこともすっかり忘れてるはずだわ」

 テファは恥ずかしそうな声で言った。そんな彼女にマチルダは、難しそうな表情でたずねた。

「テファ、ああいう連中がこの村に来るようになった回数は増えたのかい?」
「……もう今月で五回目くらい……」
「さすがに数が多いね。……まあいい、その話はあとでしよう。で、イザベラ、ありがとう。村を護ってくれて」
「へ?」

 突然自分に話をふられて、きょとんとするイザベラ。そんな彼女を見てマチルダは苦笑気味に腕を取って立ち上がらせた。

「あんたはね、今、感謝されるだけの勇気と行動を見せたのさ。だからもう一回言うよ。ありがとうね、皆を護ってくれて」

 ぶわっと顔を真っ赤にするイザベラ。考えてみれば、こうやって真正面からはっきりと感謝の気持ちを示されたのも生まれて初めての気がする。

「た、た、助けてくれた義理があったじゃないさ。か、借りを返しただけだよ」

 真っ赤な顔を見られるのが恥ずかしくて、イザベラはそっぽを向いたまま、そう呟いた。
 それには何の感想も口にはせず、軽く眉を上げてマチルダはイザベラの服についた泥をはたいて落とすと、手を叩いて言った。

「さ、昼食にしようかい」


 食後、イザベラはマチルダに「見せたいものがある」と言われ、森の小道を歩いていた。あれから身体の汗をぬぐい、一度元の服に着替えてからの出立である。食後の腹ごなしにちょうどよい散歩ではあった。

「あれが、盗賊化した傭兵なんだね」
「そうさ。あんたも知っているだろうが、あんなのが何万人とアルビオンではうろついていて、村々を襲っている。共和国政府も国民から兵隊を徴用して掃討してはいるが、そいつらも無理矢理兵隊にさせられたわけで、やっぱり村々を荒らして回っている。今じゃ城壁のある街以外は、どこも安心して道を歩くこともできやしないというわけさ」

 そんな話を聞かされて、イザベラはなんとも情けない気持ちになった。
 イザベラにとっては、アルビオンでの内戦はちょうどよい稼ぎ場でしかなかったし、そもそもがアルビオンの内戦に火を付けて煽ったのは父ジョゼフ王なのだ。その結果が、あんな山賊が跋扈して村々を襲っているとは、全く実感が沸かなかったのである。
 そんなイザベラの気持ちを知ってか知らずか、マチルダはさっさと前を歩いていく。

「ほら、そこの村さ」
「あれが、村?」

 森を抜けた先にあったのは、焼け落ちた建物の残骸が点々と残る廃墟であった。
 マチルダはイザベラの手を引いて無造作に廃墟に近づくと、はっきりと言った。

「見な。これが賊に襲われた村の末路さ」

 その廃墟は、元は農村であったのであろう、農家とおぼしき建物は焼け落ち、地面には雑草が生えて見る影も無く荒れ果てていた。そして、あまりの臭いにイザベラはハンカチで鼻を押さえつつ、臭いの元を眼で探した。
 臭いの元は、残骸や雑草の影そこここに転がっている半ば腐り落ちた腐乱死体であった。周囲を無数のハエが飛び回り、死体にはウジが沸き、ハエがびっしりとたかっている。
 イザベラは、あまりの光景に、意識が真っ白になり、身体がそのショックに耐え切れず、昼食を戻してしまう。そんな彼女の様子を完全に無視しつつ、マチルダは淡々と話しを続けた。

「大抵の村は、金品や女子供を奪われたあげく、こうして面白半分に村を焼かれ、村人は殺され、廃墟となって棄てられる。なんとか生き残った連中は、手持ちのわずかな財産を持って都市部へと流入し、貧民窟に流れ込むか、少しでも金に余裕のある奴は国を棄ててハルケギニアのどこかの国に逃げ出す。今、アルビオンの全土でこういう事が起こっている」

 胃の中身を全て吐き出してしまったイザベラは、あうあうとうめくほかは無かった。

「本来ならば土地の領主が賊を討伐し、村々を復興させるんだけれども、内戦で貴族の大半が戦死してしまったからね。逆に残された貴族の女子供がなんとか館とその周囲だけは守るか、都市部や国外に逃げ出すかしてしまって、どうしようもない有様になっている」

 マチルダはイザベラに視線を移すと、無表情な声でたずねた。

「さて、イザベラ王女、あんたはこの国をどうする?」


 真っ青な顔色で戻ってきたイザベラを、テファは本当に心配そうな表情で出迎えた。時刻は既に夕刻になっており、子供ら皆が食卓に集まってきていた。
 イザベラは「食事はいらない」と一言だけ口にすると、そのまま服を脱いでベットにもぐりこんだ。先ほど見た光景があまりにも凄惨過ぎて、何をどうしたらいいのか、それすらさっぱり判らない。あの村人の死体が、全て自分が悪いかのように思えて、怖くて怖くてならなかったのだ。そのまま毛布に包まって身体を丸めてただただ何も考えないようにとするしかできない。

「大丈夫? お水持ってきたから」
「……ありがと……」

 毛布の中からイザベラが、もそもそと顔だけ出す。

「マチルダ姉さんに聞いたわ。隣村を見に行ったんですってね」
「……今日の山賊達も、もしかしたらこの村を焼き、子供らを面白半分に殺していたかもしれない」
「でも、皆無事よ? これまでなんどもああいう人たちが来たけれど、皆、わたしの魔法で出て行ってもらったから」
「……それは、運が良かっただけだと思う」

 イザベラは、テファから水の入ったコップを受け取ると、少しづつ口の中を湿らせるように飲んでいく。

「ねえ、テファ、子供達と一緒にわたしの国にこないかい? 皆の世話をするくらいなんでもないくらい金持ちだし、子供達に読み書きを教えてやったり、手に職を持たせてやることだってするから。ね、おいでよ。この国はあんまりにも危険だよ」

 半分泣き声になりながら、イザベラはテファにそう一気にしゃべった。
 だがテファは困ったように首を左右に振った。

「あのね、わたし、この村の外の世界を見てみたいって思っている。でも、わたしがあなたの家に行ったら、きっと迷惑をかけると思うの」
「そんなことない! 大丈夫、国に帰れば、わたしがあんたを絶対に守ってみせるから!」
「本当にありがとう。でも、駄目なの。だって、わたしはエルフと人の「混じりもの」だから」

 そう言って、テファはずっとかぶっていた帽子を脱いだ。
 テファの耳は長く尖っていた。

「ああ、そうなんだ」
「? あの、わたしが怖くないの?」
「うん? 別に。エルフだからって、いい奴もいれば悪い奴もいるんだろ? 人間と同じで。それで、テファはわたしを助けてくれた善いエルフなんだし」

 てゆうか、納得がいった。そうイザベラは呟いてもう一度ベッドに横になった。イザベラの人間離れした美しさが、エルフという東方の砂漠の精霊の血を引いているならば、疑問もなにもなくなる。

「わたしは、ガリアって国から来たんだよ。そこはエルフと交易をしていてね、この数十年はそれなりに上手く付き合っているのさ。だから、まあ、わたしは、別にエルフだからって怖いとは思えないんだよ」

 本当に怖いのは、人間の方じゃないかって、最近は思っているし。
 イザベラにとっては、エルフよりも、自分を無能で我侭な小娘と蔑む連中の方がよほどに怖い。物心ついてからずっと、従姉妹姫のシャルロットと自分を比較しては、無能王の娘はやはり無能、王位を継ぐべきは自分ではなくシャルロットであるべき、と、そう視線や仕草で語る連中の方がよほどに怖い。
 奴らは、必ず、自分が即位した瞬間に叛乱を起こし、自分を処刑してシャルロットを玉座に座らせようとするだろうから。
 イザベラは、王としては、従姉妹よりも自分の方が向いていると思っている。シャルロットは基本的に政治というものに興味が無いし、その才能もない。その点は伯父のオルレアン公シャルルと全く同じであるとも思っている。シャルロットが玉座に座れば、ガリアは確実に大貴族どもが利権の奪い合いから紛争を始め、そこからガリカニストとウルトラモンタニストの間での内戦に進むであろう、とも、考えている。
 ガリアの貴族連中は、魔法が使えないというだけで父ジョゼフを無能扱いするが、今に至るもガリアが平和と繁栄を享受できているのは、その「無能王」ジョゼフの政治的手腕によるところが大きいのだ。
 なんというか、エルフが人間を「蛮族」扱いするのも、今となってはよく判る。本当に野蛮極まりないどうしようもない連中なのだ、人間という代物は。それを今日は実地で嫌というほど学ばさせられた。ガリアで内戦が勃発すれば、あの光景が全土に広がることになるのであろう。

「エルフはさ、人間のことを蛮族呼ばわりしているのさ。わたしも本当にそう思うよ」
「そんな風に卑下することはないわ」

 悲しそうな表情をしてテファが首を左右に振る。

「本当のことさ。だって今日だって、もしテファとマチルダがいてくれなかったら、どんな酷いことになっていたやら」

 イザベラは、テファの悲しそうな表情を見ていて、心に力が戻ってくるのを感じていた。

「あのさ、本当にありがとう、テファ。あんたのおかげで、わたしが何をするべきかようやく見えてきた気がする」

 そう、父ジョゼフは、この野蛮な人間世界を心底忌み嫌っている。多分、始祖ブリミルを含めて、全ての存在を滅びてしまえと思っているはず。なぜなら、自分がそうだから。そして、自分よりも長く侮蔑と嘲笑を浴びて育ってきただけに、その憎悪はより深く濃いはずなのだ。
 だが、自分は違う。まだ世界を呪い、厭わしく思い、滅ぼそうとまでは絶望していない。
 ならば、せめてこの美しく、綺麗な心の少女のために、世界を護るのもありじゃないか。

「だから、わたしは、わたしにしかできない事をするよ」

 そんなイザベラを見つめていたテファは、何か決意した表情になると、今度は自分の生い立ちについて語り始めた。


 次の日の朝、朝食をとってから、イザベラは薪割りをした切り株の上に座ってぼうっと空を眺めていた。
 昨晩、テファから聞かされた生い立ちの事を思い出していたのだ。
 テファは、アルビオンの今は亡き国王の弟、王室財務監督官であったという。その彼とイザベラの母がどういう経緯で知り合い、愛を育んだかは知らない。だが、王弟のモード大公の愛人として部屋住みの立場にいながらも、二人は深く愛し合い、テファもその愛情を一心に浴びて育ってきたらしい。彼女の綺麗な心は、その時に育まれたものなのだろう。
 だが、彼女のそんな幸せな生活はある日突然打ち切られた。
 ジェームズ国王にモード大公がエルフを愛人にしていることがばれ、引渡しを命じられたのだ。当然のごとくモード大公はそれを拒否し、テファと母親をマチルダの両親であったサウスゴーダの領主に預け隠した。しかしジェームズ国王は弟を幽閉し拷問にかけて喋らせようとしたらしい。しかしモード大公は一切を口にせず獄死したという。
 さらに、モード大公の一の腹心であったサウスゴーダ候の屋敷にも王軍から騎士団が差し向けられ、サウスゴーダ候夫妻とテファの母親はその場で殺され、テファだけが例の記憶を奪う魔法でなんとか逃げ出すことに成功したのだという。そして、サウスゴーダ候の娘で一人生き残ったマチルダからの送金で、この村に隠れ住みながら今までやってきたという。

「どこの王家も、やることは変わらないんだねえ」

 父ジョゼフが弟のシャルル公をどういう気持ちで暗殺し、さらにオルレアン公派の貴族を粛清していったか、理解はできる。伯父シャルルは、魔法の天才にして英邁な領主であり、かつ人々に慕われていた理想的な貴族であったという話である。そして、そんな伯父を王位につけようと画策していた叔母や、その取り巻きの大貴族らの動きが、余りにも眼に余るものであったのだろう。
 自分が父と同じ立場にあり、かつシャルロットが同じ立場にいたならば、やはり暗殺を決意したかもしれないと思った。と同時に、もしシャルロットが自分の派閥を抱えていなかったならば、殺さずに国外追放で済ませたかもしれない、とも思う。

「なんだ、そういう事か」

 つまりは、伯父シャルルを玉座に座らせようとした連中が、オルレアン公を殺したんじゃないか。
 イザベラは、そう答を出した。別に派閥の後押しを受けていなければ、別に伯父を殺す理由は父には無かったはずなのだ。だから父は、姪の命を奪おうとはせず、心を失わせる薬を飲ませようとしたのであろう。そう、オルレアン公派の生き残りに、自分達が何をしようとしたのか思い知らせるために。
 さすがに自分にはそこまで思い切れる凄みはないが、でも、父がオルレアン公派に抱いた憎悪は理解できるような気がする。

「……フェイトと話しがしたいねえ」
「呼びましたか?」
「ひゃあっ!?」

 イザベラは、突然声をかけられ、情けない悲鳴を上げた。
 声をかけられた方に視線を向けると、そこには黒いワンピースを着、背嚢を担ぎ、手に大きな革製のケースを下げたフェイトが立っていた。

「やあ、早かったね、フェイト」
「ええ、仕事の方が思ったより早く片付いたから」

 家の中から出てきたマチルダが、嬉しそうな表情でフェイトを抱きしめる。それに微笑んで抱き返すフェイト。
 イザベラは、そんな二人を、あうあうと声にならない声を出しながら見ているしかできなかった。


「つまり、フーケ=ロングビル=マチルダ・オブ・サウスゴーダ?」
「そういうことさ。ま、口外はしないでおくれよ?」

 によによと面白そうに笑いながら、そうマチルダは呆然としているイザベラに向かって釘を刺す。
 突如現れたフェイトは、アルビオンで起きた急な政変にマチルダの安否を確認しにやってきたのだという。三人は、テファの家の食堂でお茶を飲みながら互いに情報を交換していた。

「なるほど、貴女でしたか。クロムウェルの「虚無」が偽りだとばらしたのは」
「いや、確かにそうなんだけどさ、でも、早すぎやしないかい? そうも簡単にクーデターって起こるものなのかねえ?」

 そう、イザベラがフーケにさらわれた夜、早速ハビランド宮殿で動きがあったのであった。シラノに引っ掻き回され、鉄騎隊が無力をさらし、あげく戦列艦「シャルル・オルレアン」の陸戦隊がロサイス港を占領するに至って、アルビオン共和国最高評議会はもはやこれまで、と、実質的に降伏を決意したのであった。しかも、評議会議長のクロムウェル護国卿は、私室で何者かによって心臓を一突きされて殺されており、使い魔の「ガンダールヴ」もどこかに消えてしまっていたという。
 その混乱をその夜のうちに何故か知ったフェイトは、さっそくタバサのシルフィードでやってきたのだとか。

「お前が殺したんじゃないだろうね?」
「まさか。こういうやり方は私の好みではありません。むしろ、イザベラ様のお父上の手が長かったせいでは?」

 確かにありえる。
 イザベラはそう思い、机の上におでこをぶつけた。何しろ最近の父ジョゼフの親馬鹿ぶりは、なんというかイザベラの予想を超えている。娘の構想を先読みして、クロムウェルに貸した「ガンダールヴ」に指令を送っていてもおかしくはない。

「で、お前は今回のアルビオン問題の解決について、何かわたしに注文はないのかい?」
「ありません」

 きっぱりと言い切って、お茶に口をつけるフェイト。

「へ?」
「どうやらイザベラ様は、私を敵と思い込んでいらっしゃる御様子ですが、私は別にイザベラ様を敵とは思っておりませんし。むしろ、色々と協力させて頂きたいと思っているくらいですから」
「……わたしは、お前がいつか、わたしを殺しに来ると思っていたよ」
「イザベラ様が、世界大戦でも引き起こそうとか、そういう派手なおいたをなさる様でしたら、それも考えたでしょうが。その気はあります?」
「無いね。逆にそういう阿呆は私が潰す」

 きっぱりと言い切るイザベラ。というか、なんでそんな馬鹿な真似をわたしがしないといけないんだ、と、そういう表情でフェイトをにらみつける。
 そんなイザベラの視線を受け止めて、フェイトはにっこりと微笑んだ。

「では、私とイザベラ様の間に対立要因はありません。私は、自分の家族と友人達を護るために、世界が平和であって欲しいと望んでいるだけですから。というわけで貴女は、たった今その言葉で私の不滅の友情を獲得したわけですが」
「……気が抜けた」

 呆然とした表情で、イザベラは肩を落とした。

「それでは、イザベラ様から私に何か御要望は?」
「……そうだね、アンリエッタ王女を、ハビランド宮殿へ呼べるかい? お前とわたしの三人で会談を持ちたい」

 眉根を寄せてイザベラは、視線を天井に向けて少し考え、そう答えた。

「アルビオンの現状を認識してもらいつつ?」
「そう、この国の現状を理解してもらいつつ」

 判っていらっしゃいますね、と、言わんばかりに微笑むフェイト。それをにやにやしながら見ているマチルダ。イザベラは、この二人の息の合いっぷりに、なんというか心底羨ましさを覚えた。こんなチームワークの良い友人同士というのは、そうそういるものではない。

「他には何かありますか?」
「そうだね。……あとは、シャルロット、お前達はタバサと呼んでいるんだっけか。あいつを頼む。あいつは父上を殺したがっているし、父上はシャルロットに殺されたがっていて、その上でその実力が無ければあいつを殺すだろう。二人が殺しあうのだけは、わたしは見たくない」

 今では、シャルロットの名前を口にしても心が怒りと恐怖で震えることも無い。むしろ、何故か昔の懐かしい思い出がよみがえる。

「了解しました。まあ、それはなんとかできるでしょう。北花壇騎士団として、何か適当な冒険を任務として与えてあげてください。友人らとそれらの冒険をこなしていけば、自然と憎悪もほどけていくでしょうし」

 誰かを憎み続けるというのは、やはり心に無理がかかりますから。
 そうフェイトは呟いて、お茶に口をつけた。


 その後、ワルドがイザベラを迎えに来て、一歩遅かったシラノが悔しがったり、ハビランド宮殿に蒼地に銀色の交差する杖の旗が掲げられていたり、円卓の間の玉座にイザベラが座らされたり、と、彼女にとっては目の回るほど忙しい一週間が過ぎた。
 まずは各地にガリア王国の名前で傭兵の募集をかけ、山賊と化した傭兵を国軍に吸収し、逆に山賊を討伐するのに投入する。そのための資金は、イザベラが賄うことで話はつき、さっそくホーキンス将軍を中心とした内戦生き残りの将軍達が各地に散っていった。さらに、強制徴募させられた国民兵を解散させて志願兵を募らせ、それに応募してきた者達をきちんと訓練させる。
 フェイトが先物買いしておいた膨大な食料をイザベラが買い取り、アルビオンの各都市に護衛をつけて送り込む算段を立て、各都市間の道路の再整備と志願兵による警備の巡邏を行わせる。
 これらの計画をロクサーヌとフェイトとともに立案し、元アルビオン共和国最高評議会らと協議の上で決議させ、実行に入るまでイザベラは寝食無視してひたすら書類と会議にいそしんだ。とにもかくにも、フェイトの助けが無かったなら、こうも早く治安回復と食料配布の計画立案と政策化は進まなかったであろう。イザベラは改めて、自分が何者を師として選び、そして怖れていたのか理解した。それに、実に博覧強記であったロクサーヌの知識に対する敬意も。

「トリステインより、アンリエッタ王女殿下、先ほどグラスゴーに到着との連絡が入りました」

 元はクロムウェルの使っていた執務室に陣取り、山積みの書類を相手に格闘していたイザベラの元に、そうワルドが報告しにやってくる。ワルドは、今ではイザベラの優秀な片腕として、アルビオン各地の都市参事会や山賊掃討中の部隊との連絡役として、ウインド・ドラゴンで飛び回ってくれている。

「ご苦労さん。フェイトはグラスゴーで出迎えだね?」
「はい。東部地域はほぼ安定化の見込みは立っていますが、しかし復興にはまったく手がついておりません。さぞかし楽しい阿鼻叫喚が待ち受けていることでしょう」

 その鷹の様な目つきをわずかに和らげ、ワルドは楽しそうにそう答えた。

「貴公のその歪んだユーモアは、全くもってよろしくないわい。特に姫殿下に悪い影響を与えそうで気に喰わん」

 書類作成の手伝いをさせられているシラノが、視線だけワルドに向けると、そうぼやいた。
 ワルドは、にやりを笑ってそのぼやきを受け流すと、それではロサイスの「シャルル・オルレアン」に連絡に行ってまいります、と、そう告げて退室した。

「気にすることはないよ、シラノ。むしろわたしはお前の喜劇作家としての才能に期待しているんだからね」
「それはまことに心震えるお言葉ですな。それではさっさとこの書類を片付けて、劇作の構想を練るといたしますわい」
「それは楽しみだ。せいぜいわたしを笑わさせておくれよ。それが楽しみで今この面倒な仕事を我慢しているんだからね」

 視線は書類の上に向けたままイザベラは、そうシラノに答える。各地の都市の参事会から送られてきた必要物資の見積書を元に、この夏の間に配給するべき物資の割り当て量を決めねばならないのだ。
 そんな主従を見守りつつ、タバサ=シャルロットは呟いた。

「姉様、変わった」



[2605] 運命の使い魔と大人達 最終話
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/04/15 09:18
 十

 イザベラ王女とアンリエッタ王女の会談は、結果的には双方の合意をみて終わった。
 ただひたすらに愛しいウェールズ王子を殺した「レコン・キスタ」憎しで動いていたアンリエッタにとって、アルビオンの焦土と化した現状は、余りにも陰惨に過ぎる光景であったのだ。そして、そのショックも抜けきれないないままロンデニウム宮殿でのイザベラとの会談に臨んだ彼女は、ほぼ一方的にその言い分を飲まされてしまったのであった。
 イザベラの提示した条件とは、以下の通りであった。

 一つ、アルビオン王国の王権は、故ジェームズ国王の姪であるアンリエッタ王女が受け継ぐ権利を有する事。
 一つ、ガリア王国は、アルビオン王国南部のロサイス港及びその周辺地域の割譲を受け、相互防衛条約を両国間で結ぶ事。
 一つ、これにともない、ガリア王国はアルビオン王国への駐兵権を有する事。
 一つ、ガリア王国とアルビオン王国の間で自由貿易協定を締結する事。
 一つ、これにともない、両国間の通貨の安定をはかるための基金の創設を行う事。

 つまるところ、名をトリステインが取り、実をガリアが取ったということになる内容である。だからといって、現在アルビオンを実質的に支配しているイザベラ王女からアルビオンの支配権を奪い返すだけの力はトリステインに無い以上、むしろアンリエッタの王位を保障したこの内容は、十分飲みうる内容ではあったのだ。

「何と言いますか、イザベラ王女がこんなに有能だとは思ってもみませんでした」

 子供の頃の癖であった爪を噛む仕草をしつつ、アンリエッタは随行してきたマザリーニ枢機卿にそうぼやいた。
 なにしろ、来年春の侵攻を目指して軍備の増強に取り掛かろうとした瞬間に、目前でイザベラ王女に全てを横取りされてしまったようなものである。しかも「シャルル・オルレアン」一隻と、騎士シラノ一人だけで。その縦横無尽の活躍ぶりは、ほぼ同い年のアンリエッタにとっては、あまりにも大きな衝撃となって彼女の頬を打ったのであった。

「しかし、これでゲルマニアへの輿入れの際、トリステインの王女としてではなく、アルビオンの女王として乗り込むことができます。これでアルブレヒト皇帝も、殿下を無碍には扱い得なくなります。しかもこの協定は、実質的にアルビオンの後見人にガリアとトリステインがなるということ。三王家を敵に回すだけの余力はゲルマニアには無い以上、この協定を追認するしか無いということでもあります。まずは一銭も使わず王位が手に入ったことを喜ばれるべきでしょう」

 マザリーニ枢機卿は、すでに爾後の国際情勢について思考をめぐらしている様子である。

「まずはこのロンデニウムで戴冠式を挙げることでしょう。それによって全てが始まります故に」


 ガリア王国首都リュティス。そのグラン・トロワの南薔薇花壇で、ジョゼフ王とイザベラ王女、そしてルルーシュ王子の三人がフェイトに土産として渡された二十年熟成もののラ・ヴァリエール産の白ブドウを使ったブランデーを口にしていた。

「チェックメイト」
「うむむ、これで余の二十一勝二十三敗ではないか」
「イザベラ殿下も仰っている通り、人材とはいないのではなく見出されないだけなのです。陛下」

 イザベラがアルビオンに行っている間、ひたすらチェス盤に向かい合っていたジョゼフとルルーシュである。実はルルーシュがチェスの天才的指し手であったことが判明したのは、この二人が暇をもてあましてチェスをやろう、と、同意してからであった。
 実はジョゼフと同様に、ルルーシュもアンジュー候領内では相手となる指し手がおらず、一人でチェス盤に向かっていることが多かったという。まさしくガリア王国南北でのチェス王座決定戦といってもよい対局であったのだ。

「父上も、わたしが居ない間にすっかりルルーシュ様と仲良くなられて。安心いたしました」

 なんというか、これまでの肩に力の入ったところが抜けた様子のイザベラが、にやにやしつつ難しい顔をしているジョゼフを見つめている。もっとも、ルルーシュを見る目が前に比べて優しく暖かいのは、帰ってきてからのルルーシュの「仕返し」こと、ひたすら甘甘な可愛がられによるものにもよるのも理由としてはあったが。

「まあ、勝ち負けには運も絡んでくるものだからな。うむ、今日はここで終わりとしよう」

 大して悔しそうでもない、というより自分と同等のチェスの指し手が現れて嬉しいのであろう、満足気な様子でブランデーグラスを手に取り、乾杯の音頭をとるジョゼフ王。

「娘と婿殿の勝利に乾杯だ!」
「「乾杯!」」

 三人とも、ブランデーグラスに口をつけ、その芳醇で濃厚な味わいを楽しんだ。


「これで懸案の一つが片付いたという事だな、娘よ」
「はい、御義父様。少なくともアルビオンを巡る戦争には決着がつきそうです」

 ラ・ヴァリエール公爵は、ガリアはイケム地方の貴腐ワインを口にしつつ満足そうに、自分の膝の上に頭を乗せているフェイトの頭を撫でた。
 今回のアルビオンを巡るガリアとトリステイン間での協定締結が、両国で批准されたことで、まずは目前の戦争の危機は去ったといっても良い。それを裏からサポートしたフェイトとその友人の功績は、表ざたになることはなかったが、しかし各国上層部は十分に思い知らされたわけである。
 つまるところフェイトは、アルビオン内戦をハルケギニアの人々が想像も出来なかった火力戦へと進化させて白の国を破滅直前まで追い込み、その上でトリステインとガリアで両国の復興利権を二分することで、さらなる戦争の種を摘み取ってしまったわけであった。
 そして、そのご褒美として、こうしてラ・ヴァリエール公爵の膝にもたれかかっているのであった。

「あとは、ガリアの内戦の問題だけだな」
「それは防ぎようがありません。ですが、短期間で終わらせ、ハルケギニア全ての人間に恐怖の象徴として語り継がせることはできます」
「……アルビオンだけでは足りぬ、か?」
「正直申しますと、もはや貴族が杖を交わす戦争は無効化されたと、ハルケギニア全てに知らしめたいのです。駄目でしょうか?」

 公爵の膝の上から、上目遣いで見上げるフェイト。
 公爵は苦笑気味にフェイトの頭をもう一度撫でると、気持ちよさそうに目をつむったフェイトに許可を下した。

「まあいい。好きにするといい。全てお前に任せると言ったのだ。儂に遠慮することはないぞ?」

 フェイトは、嬉しそうに微笑んだ。そんな二人を、苦笑気味にカリーヌ公爵夫人はワイングラス片手に見つめていた。

「ルイズやエレオノールにもそうでしたが、本当に貴方は娘には甘いのですから」
「仕方があるまい、男親とはそういうものだ」
「それで、ラ・ヴァリエールの三十年物を今になって買い集めているのですか?」
「む、それは秘密だったはずだぞ、カリーヌ」

 え、という表情をして公爵を見上げるフェイト。

「そういうことです、フェイト。貴女の御義父様は、貴女の結婚式の披露宴に出すためのワインを用意しているのですよ?」

 フェイトは、屋敷の地下のセラーに並んでいたワインの年代を思い出した。十六年もの、二十四年もの、そして二十七年もの。
 フェイトは、公爵の膝に顔をうずめると肩を震えさせ始めた。

「あー、その、なんだ。泣くほどのことでもあるまい? 娘よ?」
「……御義父様。……私は、こんなに幸せなのが、夢うつつの様で……」
「よいのですよ、フェイト。私達の娘。貴女はこれからゆっくりと幸せになっていけばよいのですから」


 魔法学院の中庭のテラスで、ルイズとキュルケとタバサの三人は、イザベラが送ってきた手紙に見入っていた。

「はっきり書いてあるわねえ。あたしとあなたとルイズの三人で向かえ、って」
「ゲルマニアとトリステインの大使の副署入り」
「うーん、姫様ったら、何を考えていらっしゃるのやら」

 その手紙は、火山龍山脈の麓の森林地帯から現れたオーク鬼の群れが開拓村を襲うのを解決するように、という任務内容であった。ただしいつもと違うのは、ガリア、トリステイン、ゲルマニアの三国間の友好関係を強調するために、三人で向かうこと、と、ルイズら三人を名指しで指名していたのである。

「任務達成後は、リュティスのエリゼ宮に寄るように、とも書いてあるわね」
「報告だけとは思えない」
「そうよね。でも、特に難しい任務でもないし」

 ルイズは、胸元から桃色に輝く宝玉のペンダントを取り出した。それは、つい先日フェイトから渡されたものである。

「いや、だから、あなたとあたし達を一緒にしないで欲しいわ。「告死天使」」
「ひっどいー 何よ、別に好きで「告死天使」なんて呼ばれるようになったんじゃないんだから!」

 あー、こいつわよー とか言いたそうな目でキュルケに突っ込みを入れられ、ルイズはむすっとむくれてしまった。というか最近は、教師すらルイズのことを腫れ物を扱うようになっていたりする。相変わらず普段通りに相手してくれるのは、目前のキュルケとタバサ、そして研究所の面々くらいである。

「その宝玉は?」
「あ、これ? フェイトに貰ったの。なんでもオールド・オスマンから「破壊の杖」を譲ってもらったんだって。で、それを私が使えるように調整したんだとか」

 タバサの質問に、ルイズがさもなんでもないという口調で答える。それに頭を抱えるキュルケとタバサ。

「何よ何よ何よ! だって、くれるっていうんだから、貰わないと悪いじゃない!」

 なにしろ今ではフェイトとルイズは同じマットレスで、同じ毛布に抱き合って眠っている仲である。百合とかそういうのではないが、互いが互いを抱き枕として必要としているのに変わりはなかったりする。その時に「ルイズ様のお役に立ちますから」とプレゼントされては、断れるわけがないではないか。というか、その時ぎゅっと抱きしめられながら、頭や髪の毛を優しく撫でられて気持ちよくなっていたためではない。断じてない。

「で、その宝玉が「破壊の杖」として、新しい名前は付けてあげたの?」
「うん。杖の状態となると、槍の形状になるのよね。だから、「イーヴァルディ」って」
「イーヴァルディの勇者?」
「そ。ほらわたしは剣は持っているから、これで槍を貰ったら完全にイーヴァルディだな、って」
「なるほど」

 タバサは、わずかに小首をかしげてルイズをじっと見つめていた。


「産まれました! 母子ともに無事です!」
「血栓材の投与と「ヒーリング」を! 産児はアルコール消毒して!」

 貧窮院が最近になって建てた「産科医療院」で、モンモランシーは出産の手伝いをしていた。産婆達と、リュシーやエレオノールの指導のもと、少なくない数の出産に立ち会っている。
 魔法学院のこの夏の休暇の間、「水」の系統の女子生徒に対して、オールド・オスマンからアルバイトの斡旋があったのであった。給金も学生相手にしては悪く無い額であり、しかも慈善事業の一環としての仕事であったこともあって、モンモランシーは真っ先に応じたのである。

「母体の出血、止まりました! 内部洗浄異状ありません!」

 そこは、モンモランシーの想像していたのとは違って、まさに戦場も同様の激しい仕事場であった。なにしろ、いつ母体が産気づくか判らないのだ。産気づくとすぐに出産室に移動させ、出産に取りかかる。長い時には数時間にも渡ることもあり、まさに体力勝負で出たとこ勝負の現場であったのだった。

「出産無事終わりました! おめでとうございます!」

 出産室にいた全員が拍手をして祝福を送る。モンモランシーも、感動した面持ちで拍手をしている。恋人のギーシュが、兵士として生きることを選択してしまった以上、自分は命を助ける仕事につこう。それが彼女の決意であった。


「ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!」

 トリステイン魔法学院の近くの草原の上空を、三機の飛行機が飛んでいる。真ん中を飛ぶのは、濃緑色をした単翼全金属製のプロペラ機。翼と胴体に赤い丸が描かれている。その両脇を飛ぶのが、複翼木製のプロペラ機。

「あの「竜の羽衣」が無ければ、こんなに早く多気筒内燃機関の実用化は出来ませんでしたぞ」

 コルベールが、感慨無量といった様子で話す。

「あの機関が発展していけば、船も全て動力式になるわけですね」

 ギーシュが、兵士というより、未知の技術に接した子供の様な声で尋ねる。

「もちろんですとも! これでハルケギニアの運輸事情は完全に変わりますぞ! 船も、馬車も、龍籠も、すべて動力化によって普遍的な乗り物として誰もが扱うことが出来るようになるのです!」
「東の、エルフの住まう土地へも、行けるようになるのでしょうか?」

 今では魔法学院研究所に子供らとともに住み込んでいるテファが、そうコルベールに尋ねた。

「当然ですとも! 今はまだトリステインを縦断できる程度の距離しかできませぬが、将来にはこの世界を一周できるほどの飛行機械が現れますぞ!」

 帽子をかぶることなく、草原をゆく風にその金髪をなびかせながら、テファはずっと三機の飛行機を眺めていた。


「というわけで、とりあえずの世界平和を達成した気分はどうよ、フェイト」
「悪くは無い」

 ロングビルことマチルダの研究室のソファーで、のへーと足を投げ出してだらしない格好をしながら、マチルダがそうフェイトにたずねた。
 フェイトといえば、わずかに口の端を上げて満足そうな表情をしている。

「これでこの先百年は、各国ともに内政に専念しなくちゃならなくなったわけだし。その頃には私らの孫子の代だしねえ。そこまで責任はとれやしないし」
「大丈夫、そのためのロサイスの空中機動艦隊計画だから」

 飛行機という第一段階を達成した次の段階として、フェイトとロングビルは、その飛行機を多数搭載しハルケギニア全土に高速で高高度を飛行し展開可能な艦隊の建設を構想していた。すでにプロトタイプとなる木造の各種艦艇の設計が進み、ガリア南部にあるツーロン港で最初の一隻目が進空しようとしている。
 このハルケギニア全土どこへでも侵攻し、爆撃を可能とする戦略兵器は、ガリア国内での内戦でその威力を存分に発揮し、恐怖による支配によって長期にわたる平和を保障する事となるであろう。それがフェイトの目論見であった。

「で、イザベラ王女に随分と入れ込んでいるみたいだけれども、彼女のカウンターパートは何よ?」
「当然、ルイズ」

 にこりと微笑んで一言で返すフェイト。それに心底呆れた様子で、マチルダは溜め息をついた。

「それで「破壊の杖」をくれてやったわけ? でも、あれ一本でそれだけの威力を発揮できるのかい?」
「今はまだ亜人退治が精一杯かもしれないけれど、訓練と研鑽を続けていけば、都市ひとつ吹き飛ばせるほどの力を発揮できるようになる」
「そりゃ豪儀だわ」

 ソファーの背もたれに頭をあずけて仰け反り、勘弁してくれと言わんばかりにマチルダは呟いた。そして、よいしょっと声をあげてソファーに座りなおすと、ずいっとフェイトに向けて顔を近づける。

「で、ずっと疑問だったんだけれどもさ、あんた何でこれまで一度も魔法を使わなかったのよ?」

 フェイトは、少し考えるそぶりをした後、こう答えた。

「新しい始祖になるつもりが無かったから、かも」
「なるほどねえ。そりゃそんな面倒誰も引き受けたくは無いわ」
「そういうこと」

 フェイトとマチルダは、その後しばらく笑いあった。

「ま、あたしらは、こうやってのんびり過ごすのがお似合いなんだろうねえ」


 さて、以後について以下簡単に記す。

 トリステインは、アンリエッタ王女がアルビオン女王即位後ゲルマニアに嫁いで行ったため、マリアンヌ王太后がトリステインの女王として即位し、同じくゲルマニアにアンリエッタ王女の相談役としてゲルマニアに去ったマザリーニ枢機卿に代わってラ・ヴァリエール公爵が宰相に就任し、その総合的な国土開発計画の推進によって「世界の工場」として発展する。
 魔法学院研究所は、世界各国からの留学生を受け入れることで国際的な技術開発機関として発展し、ハルケギニア世界に対して功罪合い半ばする評価を受ける事になる。
 ラ・ヴァリエール財閥は、後にその極めて高度な科学技術製品の独占的販売と近代的金融業によって隆盛をなし、その長であるフェイトは「無冠の女帝」として世界を裏側から支配する事になった。
 なお、ルイズ、キュルケ、タバサの三人は、そのハルケギニア全土にわたる縦横無尽の活躍によって英雄にして冒険者として、長く伝説として語り継がれることとなる。特にルイズは、右手に槍「イーヴァルディ」、左手に剣「デルフリンガー」を手にした姿から「勇者」として知られ、末永く物語られることとなった。後にガリア王国国家親衛隊航空艦隊司令長官に就任したワルドとよりを戻したのは、また別の物語である。
 ちなみにエレオオールは、「ラ・ヴァリエールの受胎天使」としてその名を知られることとなり、後にロマリアの宗教庁から「聖女」の称号を贈られることとなった。ただし生涯独身。とにかくエレオノールと交際した全ての男性曰く「もう限界」だそうである。
 カトレアは、ガリアの謎の医師スカリエッティによる治療というより身体改造を受けて健康を得、後に結婚して幸せな家庭を築き、ラ・ヴァリエール家を継ぐ事となった。
 コルベールは、魔法学院の教師兼研究所所長として生涯を過ごし、また同時にその各種発明品によって「発明家」としてその名を知られ、またルイズら三人の冒険を陰からサポートし続けることによって「賢者」と称されることとなった。

 アルビオンは、アンリエッタ女王の即位の後、ホーキンス将軍が総督に就任し政府首班として国土復興に従事することとなる。ガリアとの自由貿易協定の結果、各国からのガリア向け輸出品がアルビオンを経由することとなり、その関税収入によって莫大な復興資金を賄うことが可能となった。
 なお、各国からの多数の貴族の次男三男といった部屋住みの男子が、アルビオン貴族の未亡人や令嬢との結婚を目的として移住してくることによって、国土復興の基幹となる人材が集まったことも復興の推進に役に立った。
 また、アルビオン内戦の結果として一般平民の発言力が上昇し、世界で始めて平民議会が開設される事にもなった。
 アルビオンからトリステインに移住したティファニアは、フェイト付の研究員として「虚無」系統の魔法の研究に協力し、その理論的解析に功績を残すこととなる。またウエストウッドの森から一緒に移住してきた子供らは、それぞれ教育によって才能を伸ばし、ラ・ヴァリエール財閥の各所で働くこととなった。
 そして、ロングビルことマチルダは、サウスゴーダの領有権を放棄して魔法学院の「土」の研究主任兼シュナイデル社グループのトップとして、重機械産業や電機産業の発達に寄与することとなり、「近代産業の母」として長く歴史に名を残すこととなった。

 ゲルマニアは、アンリエッタ女王が結納の際にアルビオン・トリステイン連合艦隊約八十隻と、儀杖兵一万を率いて乗り込んできたこともあって、トリステイン及びアルビオンと対等の軍事同盟を締結せざるを得なくなった。これらの艦隊と陸戦隊は、後にアルプレヒト皇帝とアンリエッタ女王の結婚式にも参加し、ガリアに続いてハルケギニア世界に新しい超大国が生まれたことを世界に知らしめる効果があった。
 なお、国政の主導権を巡ってアンリエッタとアルプレヒトの間で暗闘が繰り広げられたが、結局はマザリーニを懐杖としていたアンリエッタが勝利し、後のガリア内戦にも中立を保つことで世界大戦の勃発を防ぐこととなる。
 ちなみに、アルゴー商会とゲベール工房の社主であるキュルケは、ツェルプトー家の宿敵であるラ・ヴァリエール家のルイズやフェイトとあまりに仲が良すぎたことを家長である父にとがめられたところ、さっさと家を出て独立し、子爵位を購入してしまった。後、魔法研究所の「火」の主任研究員としてコルベール所長と結婚するにいたる。

 ガリアは、アルビオン内戦後数年を待たずにガリカニズムと結びついた新教徒と、ウルトラモンタニズムと結びついた正教徒の間で内戦が勃発。ロマリアの宗教庁や、南部半島国家郡からの干渉を受けつつも、新教徒主体の志願兵で構成された、北花壇騎士団が発展的解消した上で創設された国家親衛隊によって内戦は短時間で鎮圧されるに至った。なお正教徒軍を完膚なきまでに殲滅してのけたマルヌ会戦において、イザベラ王女が発した言葉「わたしの弾頭は、有象無象の区別無く許しはしない」は、その大規模な砲兵団の面制圧射撃と新式連発小銃の弾幕によって現実のものとなり、人口に膾炙することになる。
 この内戦の結果、ガリア国教会が創設され、また貴族のみで構成されていた議会は、貴族主体の上院と平民主体の下院に分かれる事となり、議員が選挙によって選ばれることとなる。
 この後も国家親衛隊は、国土復興と社会資本の計画的整備に活躍し、ジョゼフ王をして「余の仕事が無くなった」と嘆かせたという。ただしジョゼフ王は、東方のエルフとの交渉において功績を発揮し、後の「聖地巡礼」の端緒をつけるにいたった。没後各国からその功績をもって「聖王」の名を贈られることとなる。
 タバサは、イザベラがイカサマ博打で父ジョゼフから巻き上げた解毒薬によって母親が回復し、ラ・ヴァリエール家で保護されるにいたってガリア国籍を離脱、トリステイン国籍を新たに習得し、魔法学院研究所の「風」の次席主任研究員として生涯をすごすこととなった。
 ルルーシュは、後にイザベラが女王に即位すると太公兼摂政兼宰相に就任し、国政に冷徹な手腕を発揮して妻の治世を支えることとなる。軍事の天才と呼ばれたイザベラと、政治の天才と呼ばれたルルーシュの二人の治世の間に、ガリアは世界最大の工業先進国として発展するに至った。
 シラノとロクサーヌは、後に結婚するに至り、王都リュティスに国民劇場と国民図書館を設立、特にシラノは劇作家としてオペレッタの様式を確立したことで後世に名を知られることとなる。また、その奇抜な服装を途中から改め、「我輩を飾るリボンや羽飾りはその勲と心意気のみ」との言葉の通り簡素だが粋を極めた服飾のスタイルを確立し、ガリアのダンディズムの確立者としても知られる事となる。




 了



[2605] 運命の使い魔と大人達 後書き
Name: らっちぇぶむ◆c857d2f4 ID:49f6089b
Date: 2008/04/15 20:34
 後書き

 二月から二ヵ月半にわたり、拙作にお付き合いくださいましてまことにありがとうございました。

 このファンフィクションは、元々は「リリカルなのはStS」における時空管理局の駄目っぷりによるフェイトちゃんの描写の駄目さ加減に腹が立ったのと、「ゼロの使い魔」世界に擦り切れ生きることに絶望したフェイトちゃんを放り込んでいかに救済するか、そして「ゼロの使い魔」の外伝に出てくるイザベラたんをいかに救済するか、それを目的に書き始めた物語でした。
 というわけで、気がつきましたら二人とも救済されてしまっていたわけで、ファンフィクションとして書き始めた目標が達成されてしまい、今回このあたりで終わらせるのが一番綺麗に終わらせられるかと思い、こうして完結させた次第です。

 本当は、この後イザベラとアンリエッタの会談は決裂し、魔法学院研究所をメンヌヴィルが襲い、アニエスとコルベールの過去が明らかになり二人の間に確執が生まれ、次に「竜の羽衣」を入手、これを元に第一次世界大戦レベルの複葉機と「愉快なへびくん」の開発につながり、そしてタルブ戦に入る予定でした。
 タルブ侵攻でフェイトはルイズに全てを告白して許しを請い、ルイズの許しを得て「破壊の杖」ことデバイス、それもフェイト自身でチューンし自身の知る全ての魔法をプログラミングしたデバイスを渡して、「虚無」の系統と、ミッドチルダ式魔法のどちらを選択するか任せます。ここでルイズはミッドチルダ式魔法を選択し、アルビオン艦隊を壊滅状態に陥れ、ワルドと対決し今回は敗北しますが、なんとかトリステインを防衛することに成功し、その功績をもってワルド子爵領を拝領し、ラ・ヴァリエール子爵として独立するに至ります。
 ルイズに勝利した、というよりルイズに敗北を味あわさせ一段高みに成長の階段を上らせたワルドは、イザベラの元に参加し、シラノとコンビを組んでイザベラの懐杖となるのでした。つまり本来ならばダルタニアン的な役割ですね。そして、イザベラが設立する国家親衛隊の航空艦隊建設に尽力することになるのでした。

 ガリアは、魔王としては半分覚醒状態であったジョゼフがイザベラによって完全覚醒し、アルビオンのクロムウェルを使ってゲルマニアに嫁いだアンリエッタを誘拐、彼女をスカリエッティによってルイズに代わる「虚無」の担い手として改造強化します。アンリエッタはクロムウェル以下アルビオン共和国最高評議会の面々を抹殺し、精霊魔法でかりそめの命を与えられていたウェールズを奪い返し、自身の「虚無」の魔法で復活させ、自身の恋人としてゲルマニアに連れてゆきます。
 この間、タバサはジョゼフの命令によって「虚無」の担い手となる可能性を秘めたルイズをグラン・トロワに連れてゆきますが、ジョゼフとタバサの間に割って入ったイザベラによってジョゼフへの復讐としての殺害を切り捨て、逆に魔王として最後まで突っ走るしか道を残さない、という形で復讐を完成させ、ルイズやイザベラとともに魔法学院に帰還します。ここでイザベラはティファニアと再開、魔法学院で短期間ではありますが学び、学友を作り、学生生活を謳歌します。
 ゲルマニアに戻ったアンリエッタは、使い魔としてなのはさんを召喚、自身の「虚無」の魔法と使い魔、アニエス以下の銃士隊を使ってアルブレヒトから政治の実権を奪い、多数の貴族を粛清して専制君主としてゲルマニアに君臨し、ゲルマニア・トリステイン連合軍を編成してイザベラの手からアルビオンを奪回するべく軍を発します。
 この第二次アルビオン戦役は文字通りアルビオンを焦土と化さしめますが、しかしワルドの航空艦隊こと空中空母機動部隊によって制空権を奪われ、兵站線をずたずたにされたことによりゲルマニア・トリステイン連合軍は撤退に追い込まれます。ここでルイズとギーシュとフェイトが殿軍となって撤退する軍を支援し、三人はイザベラの捕虜となります。

 この頃ガリアでは、覚醒した魔王ジョゼフが裏から手を回してロマリアの宗教庁に自分自身を宗教裁判にかけさせ、逆に始祖信仰の神学的曖昧さをひたすら論破し、逆に信教の自由を宣言することで異端者として処刑させる、という陰謀を発します。その際、エルフのヴィダシャール卿に手を回して精霊魔法を使って死から復活し、始祖信仰を完全に否定した新たな宗教をガリア国教会として立ち上げます。
 これに反発を覚えたロマリアの宗教庁は、ジョゼフの目論見どおりガリア南部に侵攻、またアルビオン戦役で敗北し専制君主としての権威の失墜に国内の引き締めを狙ったアンリエッタの命によりゲルマニア軍がガリア北部に侵攻してきます。ロマリアとミラノ、ジェネヴァ、その他南方都市国家連合軍は急遽引き返してきたイザベラによって撃破され、逆にロマリア、ミラノ、ジェネヴァは新教徒主体の武装親衛隊によって占領され、サッコ・デ・ローマならぬ、ロマリア破壊という結末を得、エイジス三十二世以下の宗教庁のお偉方はゲルマニアへ向けて脱出する羽目になります。
 この頃、火力戦対応編成となっていたゲルマニア軍に、花壇騎士団基幹のガリア軍は大敗北を喫し、リュティスはゲルマニア軍によって占領され、ジョゼフは自身の使い魔であったデューエとともに炎で崩れ落ちるグラン・トロワの中で息絶えます。これによってガリア全土でガリカニストとウルトラモンタニストの間で内戦が勃発、イザベラはガリア南部を掃討し、リュティス解放のため進軍し、アンリエッタの率いる親衛軍と激突、からくも勝利を収め、リュティスを解放し、ゲルマニア軍を国内から排除することに成功します。

 二度の軍事的敗北によって完全に専制君主としての権威が失墜したアンリエッタは、トリステイン軍をゲルマニアに引き入れて再度の粛清を試みようとしますが、しかし、トリステインを任されていたラ・ヴァリエール公爵によって拒否され、逆に親衛軍をもってトリステインに侵攻、ラ・ヴァリエール公爵以下の多数の貴族を粛清して回ることになります。これによってトリステイン貴族の大半が南方半島国家群のある内海の未開拓地域であるレバント地方に脱出、そこで先に脱出していた魔法学院研究所の面々と合流し、トリステイン奪回のための軍事力の蓄積に入ります。
 ラ・ヴァリエール公爵を粛清したことで、今度こそ完全にゲルマニア、トリステイン、両国の貴族の支持を完全に失ったアンリエッタは、ひたすらアニエスの銃士隊を元にした平民主体の親衛軍を拡大し、巨大な収容所国家を建設し、国外からの侵略に備えますが、ここでシグナムを乗せた次元巡航艦が到着することで、猜疑心からこれを「虚無」の魔法を使って撃沈、シグナム以下の乗組員はハルケギニア各地に脱出します。彼らの魔法からイザベラは時空管理局員達を保護しようとし、アンリエッタは彼らを抹殺しようとし、ハルケギニア全土で謀略戦が繰り広げられることになります。

 この混迷状態を解決するべく、イザベラはフェイトらに協力を要請、対ゲルマニア解放戦争を開始、ガリア、アルビオン、トリステインの各国軍を主力とした連合軍によってゲルマニアに侵攻、抵抗するアンリエッタの親衛軍を撃破しつつ首都ヴィンドボナに向かい、最後、なのはさんとフェイトの一騎打ち、そしてそこにルイズやワルド、タバサ、イザベラ、コルベール、キュルケ、その他の面々が乱入することで、なんとかなのはさんを撃退、ヴィンドボナの皇宮に突入します。
 この時点でアンリエッタは親衛軍を失い、使い魔であるなのはさんも失い、スカリエッティのAMFによって「虚無」の魔法も封じられ、何もかも失った無力な女の子に戻らされた彼女は、ウェールズによって刺し殺され、その結果二人は同時に果て、ゲルマニア・トリステイン・アルビオンの三国で構成されるはずであった「新帝国」は完全に滅びたのでした。

 この後、イザベラはガリア女王として国土の再興に尽力して生涯を過ごし、フェイトはルイズやキュルケやその他の面々とともに世界の復興に尽力することに人生を費やすことになります。
 そして、フェイトはこの管理外世界で死亡扱いとし、なのはさんを管理外世界への強制介入の罪で逮捕したシグナムは時空管理局に帰還します。
 なのはさんは、不名誉除隊という形で時空管理局から追放され、何もかも失い、しかも最後の戦闘での肉体損傷により子供も産めない体となってしまい、完全に精神が破綻してしまい、彼女をはやてちゃんが背後から射殺して「救済」するところでエンドとなる予定でした。

 とりあえず、こういう筋書きにならなかったのは、ラ・ヴァリエール公爵の父性があまりに強力すぎて、「なのは」世界にも「ゼロ魔」世界にも、フェイトちゃんに思春期を迎えさせられる男性が存在せず、結果としてフェイトちゃんがファザコンとして完全に安定してしまったこと、そしてイザベラが完全覚醒することによってこれも安定してしまったこと、これによって二人を救済することを目的として書き始めた物語は、ファンフィクションとしては完全に完結してしまったのでした。
 というわけで、丁度話しの分岐点であったこともあって、ここで完結させることでファンフィクションとしての「運命の使い魔と大人達」を終えた方が、モチベーションを失ったままだらだらと続けるよりはまだよかろう、という事で、今回この通り終了させたわけです。

 繰り返しとなりますが、二ヵ月半にわたってお付き合いくださいまして、まことにありがとうございました。
 次に書く予定のファンフィクションは、綾波展というサイトでエヴァ・ファンフィクションを書く予定でいたりします。もしよろしければそちらのお読み頂ければ、と、そう思っております。

 それでは、いつかどこかのサイトでお会いいたしましょう。


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