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[26123] 戦トロルと三つ目の悪魔
Name: Genitivi◆21ffdbc5 ID:8f86e510
Date: 2011/04/11 01:06
 それはまるで波間にたゆたうクラゲのように、混沌の次元をゆらゆらと漂っていた。
 混沌の領界に存在する潮流のような流れに任せるまま、やがてそれは終点に辿り着いた。
 そしてそれは終点で、見上げるように巨大な……いや、すでにそれは余りに巨大すぎて、見上げるといった動詞では到底言い表せないほどの巨大な存在に出会った。
 或いは、眼に見えないほどの微小な病原菌が鯨の前に立たされたかのように。
 それはもはや、観測不能なほどの巨大な存在である。
 やがて、強大な何かは流れ着いたそれに気がついた。
 巨大なそれは特に何も言いはしなかったが、なんとなくであるが好奇心と驚きのような感情が波に乗って漂ってきた。
 そして巨大な何かは手を……或いは、手のように思える何かを振り仰ぐと、それの意識は混沌の領界からすっぽりと何処かに吸い込まれていったのだった。



■■■■■■



「アレは、果たして神と呼ばれる存在だったのだろうか」

 ウランフ氏族の筆頭薬師であり、また骨卜師(こつぼくし)の補佐官であるゲラン・グロカーシュ・ウランフ――或いは波速寅治――は、物心ついてから幾度と無く繰り返したその問いを、またしてもポツリと呟いた。
 すり鉢の中に新しい薬草を放り込みながら、ゆっくりとすり潰して、ゲランはじっと考える。
 あの、認識不可能なほど巨大で、偉大で、畏れ多い存在。
 あれは、ひょっとして神と呼ばれる存在ではなかったのか?
 幾度と無く繰り返した自問自答。
 しかし、幾度となくり返してきた自問自答と同じく今回もまた、答えが出ることはなかった。

「……一雨来るな」

 ポツリと呟いて、ゲランは開け放した窓の向こうに広がる夏の青空を振り仰いだ。
 何も知らないものからすれば、雨など降りようもないほどの晴天であるが、骨卜師の補佐官として積んできた修行と、自然と隣り合った長年の生活がその第六感じみたものを育て上げている。
 鎧窓を閉め、ランプに火を灯すと、扉をノックされる。

「誰か」
「ゲラン様、骨卜師がおよびです」
「分かった、すぐに行く」

 まるで恫喝でもしているのかと思うほど低くて物騒な声色だが、相手もこちらも普通に会話をしている。
 そもそも、こういった感想を抱く者は氏族の中でもゲランだけだ。殆どの者は同族としか会話などした覚えが無いのだから当然の話で、人間としての一生を経験として覚えているゲランは、例外であった。
 このゲラン・グロカーシュ・ウランフは、黒鉄連山に縄張りを持つウォー・トロルのウランフ氏族に生まれた。
 しかし、彼には人間として一生を送った朧気な記憶もあった。
 夢のなかで体験する「かつての己」は、まるで夢と思われないような現実味を帯びていて、ゲランとしての人生が夢ではないのかと思うほどである。
 しかし、こうしてクラン(氏族)の中でも上から数えたほうが早いような地位を得ているゲランとして覚醒しているときには、アレは夢で、こちらが現実だと強く感じる。

「はてさて……俺が蝶の夢を見ているのか、蝶が俺の夢を見ているのか」
「はい?」
「いや、なんでもない」

 訝しげに振り返った若衆に気にするなと答えると、クラン随一の薬師にして召喚師(コンジャラー)であるゲランの、意味の分からぬ独り言には慣れたもので、若衆は特に何かを聞き返すこともなく先に進んだ。
 骨卜師が住まう族長館にやってくると、若衆は扉の向こうにゲランがやって来た旨を伝えて、そそくさとその場を去っていった。
 何やらせわしないその様子に嫌な予感がしたゲランは、中にはいってその予感が的中したことを実感した。
 いつもなら、終始薬草の烟る白煙が半地下の部屋中に低くたなびいているその部屋には、今年で百歳を軽く超える骨卜師のメヅラが一人、凄まじい猫背で座り込んでいるはずだった。
 だが、今に限って言うならば、それともう一人、族長の《八本牙》ベリバランが、今にも爆発寸前といった様子でイライラと右手側に座り込んでいた。

「ゲランです。お呼びに従い参上いたしました」
「ああ、来たか、座れ」
「は」

 骨卜師に呼ばれたはずが、まず声を上げたのは族長であった。
 彼はゲランに座るように指示したあと、子供なら泣いてしまいかねないような壮絶な形相でゲランを睨みつけた。
 突然の事に、ゲランは驚いて思わず生唾を飲む。
 ゲランは困惑を顔に出した。それもそのはずで、族長からこんな怒気を浴びせられるような覚えはついぞなかったからである。

「な、何か不手際でもありましたか、族長」
「……」
「族長?」

 じっとベリバランはゲランを睨みつけたあと、そのままぐるりと首を巡らせて、今度は骨卜師を睨みつけた。
 その形相をなんと言い表せばいいものか、少なくともゲランを見ていたのはまだ「睨む」とは言えないような表情だったらしい。

「俺は、反対だ。絶対反対だぞ」
「ベリバラン、お主に許可など求めておらぬ。そもそも、お主は呼んでおらんぞ」
「かーッ! 俺は族長だぞ! 俺の許可なしに誰も里から出さん!」
「だとしても、だ。これは祖霊のお導きなのだ。その示す道の前には、我らのしがらみなど用をなさぬ」
「ぐぬぬぬぬ……だ、だが、ゲランがいなくなったら、俺はこれからどうすればいいのだ」

 突然始まった言い争いに、ゲランは目を白黒させて聞き入った。
 同族の中でも飛び抜けて聡明なゲランは、その短い会話の中に聞き捨てならない可能性を見出したが、ここは黙って聞き役に徹した。

「馬鹿者め、そもそもまだゲランは18になったばかりの若者だぞ。そんな若造におんぶに抱っこで、恥ずかしいと思わぬのか」
「思わん! 俺はアタマが悪いからな、ゲランの言うとおりにしていた方が上手く行くなら、その方がいい」
「自分を馬鹿だと自覚している点は、お前は他の馬鹿者と違って見所がある。だがな、族長よ。馬鹿だと自覚して、それを改善する努力も指導者には必要であろう。お主のそれは、ただの怠けだ」
「むむむ」
「何が「むむむ」だ。とにかく、ゲラン」
「はい、骨卜師」

 さて、漸く自分に話が向いた。
 ゲランが佇まいを正して聞き入ると、薬臭いフードの奥から骨卜師がその鋭い視線を彼に投げかけている。

「昨晩、祖霊からの託宣があった。ゲランよ、お主は里を出て、人間たちの住む街に行かねばならぬ」
「なんと」
「一種の……修行、か、或いは試練のようなものであろう」
「して、人間の住む街とは、具体的に?」
「ララクだ」
「ララク……」

 ゲランは頭の中で地図を開いた。
 ララクはこの里から南へずっと下り、ガダーン平原の南寄りに存在する都市である。
 大昔に滅びた王国の要塞跡を中心にして広がった商人たちの街。
 そして、一攫千金を夢見る冒険者達の街である。

「ララク、そこで、一体何を」
「そこまでは、分からなかった。だが、ゲランよ、お主はララクに行かねばならぬのだ」

 もちろんゲランに、否やはなかった。



■■■■■■



 ゲランは自宅に帰ってくると、すぐさま地下に降りて従者の部屋をノックした。

「レーゼ、起きているか、レーゼ」
「……はい、ご主人様」

 明らかに寝ていたであろう声色に、さすがのゲランも罪悪感を抱いた。
 しかし、開いたドアの向こうに立っていたアセイル属のレーゼはさっきまで寝ていた様子など欠片も感じられぬような、ハッキリとした様子で立っていた。
 栗色の頭髪をナイトキャップに包み、ゲランよりもたっぷり2フィート以上は低い身長の彼女は、額の第三の目をしょぼしょぼと瞬かせながら彼を見上げる。
 レーゼはゲランが初めて召喚し、そして唯一召喚した生物の従者である。
 彼はレーゼ以外に生き物の召喚で成功したことのない落第生であった――最も、ウォートロルにしてコンジャラーというのはそれだけで賞賛されて然るべきであろうが。
 閑話休題。
 ゲランは彼女のナイトキャップをとると、その無骨な手で彼女の頬をグリグリと揉んだ。

「レーゼ、起き抜けですまんが遠出の準備だ。一時間以内に準備しろ」
「は……遠出、ですか。何日ほどでしょうか」
「暫く戻らん、必要だと思うものは根こそぎ持っていく」
「暫く、といいますと」
「……一年二年で終わるものでもあるまい」
「えっ」

 呆然と見上げる彼女に笑いかけて、彼は踵を返す。

「ずいぶん長い探索になりそうだ」



■■■■■■



 里に十台しかない二頭立ての馬車を借りて、幌付きの荷台には文字通り根こそぎ部屋の中身を持っていくかのような量の品々が所狭しと積み立てられた。
 馬車の車輪がずっしりと沈みこみそうな状態で、積み込み作業をしていたゲランとレーゼがいい争っていた。

「駄目ですって、重すぎます。それに大きすぎます」
「しかしだな、この大鍋がないと……」
「向こうで用意すればいいじゃないですか。その大鍋にご主人様の愛着以上の価値が果たしてあるのですか?」

 こう言われてしまえば、流石にぐうの音も出ない。
 最も、これが他のウォートロルなら「従者のくせに生意気だ」と首をねじ切って終わりだろう。
 もちろんゲランはそんなことは絶対しないし、レーゼの方も十年以上の付き合いでよくよく分かっている。
 だからこその気の置けない会話なのであるし、レーゼが契約以上に主人に尽くそうという原動力にもなるのだ。

「分かった、鍋は諦める」
「そうしてください」
「ああ……済まない……お前を置いて行ってしまう……」

 ゲランは使い古された巨大な鉄鍋に頬ずりをしながらホロリと目を潤ませる。
 そんな彼をレーゼはアイスブルーの瞳で冷ややかに睨みつけた。

「……そういう感動のシーンは普通私とかを相手にするんじゃないんですか」
「なんだ、置いて行って欲しいのか?」
「そんなことは言っていません!」

 頭から湯気が出そうなほど怒って、レーゼは右手に持ったメイジスタッフで彼の脛をがんがんと叩いた。

「こらこら、そんなに大きな声を出すな。一応はこっそり旅立たないといかんのだぞ」
「誰のせいで……いえ、分かりました。とにかくその邪魔な鉄塊を早く戻してきてください。水樽と食料を積んだら直ぐに出発しますからね」
「ああ……愛しの大鍋……」
「それはもういいですから」

 天丼ネタは不評であった。
 さて、そんなこんなで慌ただしい出発となり、里で三番目の権力者の旅立ちにしてはたった二人だけという寂しい見送りで馬車は里を出発した。
 族長は最後の最後までぶつぶつと不平を漏らしていたが、骨卜師に睨みつけられて首を竦めていた。
 いよいよ二人が馬車に乗り込み、馬車を進めたその時に、フードを取った骨卜師はその落ち窪んだ両目でゲランの方を見た。

「若人よ、祖霊の導きのあらんことを。そして、お前は己の宿命と向き合うのだ」



■■■■■■



「ううむ……」

 ゲランは両手で見開いたページをじっと見つめた。
 だが、いくら唸って睨みつけたとしても、紙面上の数字は勝手に変わったりはしない。

「足が出るな……」

 帳簿は真っ赤であった。
 暫しじっと考えた彼は、やおら立ち上がるとノシノシとその巨体を窮屈そうに移動させ、廊下に出てから隣の部屋をノックした。

「レーゼ、レーゼ」

 ノックをしてから少しして、防塵マスクに特注の防護ゴーグルを身につけたレーゼが扉口に現れた。
 ちょうど調合をしていたのだろう、その右手にはモスグリーン色をした液体の詰まったフラスコが握られている。
 キョトンとした顔で三つの目を瞬きさせて、彼女はフラスコを振りながら首をかしげた。

「はい、どうしました?」
「赤字だ」
「えっ」

 ずいと突き出された帳簿をじっと見て、信じられないものを見たとばかりにレーゼは悲鳴をあげる。

「ちょっと待ってください! どうしてこんなに諸経費が嵩んでるんですかッ、あと半年近くは余裕のある貯蓄があったでしょう」
「ああ、使ってしまった」
「……」
「うむ、支払ってからちょっとまずいかと思ったが、なに、将来への投資と思えばやすいやすい」

 そう言ってガハハと豪快に笑うゲランの目の前で、ガックリ肩を落としたレーゼは深く深く溜息を漏らしたのであった。
 あの時、骨卜師は故郷を離れる二人に宿命と向き合えと諭したが、まさか宿命と向き合う前に現実と向き合うことになろうとは。
 レーゼはクランを出た途端にどこかポンコツになってしまった主人の金銭感覚に嘆いた。
 まあ、それも無理はなかろう。彼女とゲランは大陸有数に裕福でチャンス溢れる大都市の中枢で、そのチャンスを強引にでも「モノ」に出来る数少ない二人組であったし、そうして稼いだコインの量はクランにいたままでは一生見ることもなかったであろう量であった。
 そう、戦トロルと三つ目の悪魔の奇矯な二人組は、大塔都市ララク、冒険者と商人と博打打ちとが入り乱れる都市で、最近噂になり始めた腕利き冒険者として生活しているのであった。



■■■■■■



 彼女が《一つ目巨人亭》に足を踏み入れた瞬間、その姿を目にした冒険者たちが息を詰まらせて腰の得物に手をやる。
 ある者はじっと息をひそめて彼女を観察し、ある者は敵意と警戒心を隠そうともせずに睨みつけた。
 そしてその他の大勢は、仲間たちと目配せをしながらコソコソと小声で会話を交わす。
 もはや慣れっこの対応ではあったが、こうも毎度毎度同じ様相では溜息の一つでもつきたくなるというものだ。
 人間たちの反応の原因は、彼女の額でギョロリと周囲を睥睨する第三の目である。
 影界の最も陰惨な場所に住まうというアセイル属――別名シャドウスポーンは、月影の魔道から無限の魔力を汲み出せるという反則じみた力を持つ影界の召喚獣だ――最も、召喚獣という呼び名は人間たちの勝手な呼び名ではあるが。
 その性格は獰猛にして残忍。
 召喚主の力量を遥かに凌駕する魔道の冴えを持っている場合が殆どで、多くは戒めを破っては周囲に破壊と殺戮の嵐を吹き荒らして影界に帰って行く。
 そんな歩く人型魔道兵器が一人で街中を歩いていれば、ほとんどの人間は悲鳴を上げて逃げるか、或いは自分の見ているものが信じられずに夢か幻かと思うだろう。
 こうして一人で彼女がこの街を出歩けるようになるまで、筆舌にしがたい苦労があったのだが……それは最早語るまい。

「依頼は?」

 カウンター席に座るなり、酒も頼まずにズバリと斬り込むと、巨漢のマスターは不機嫌そうな顔付きのまま彼女の前に羊皮紙の束を無造作に投げ置いた。ちなみにこのマスターはいつもこんな顔だ。
 使い古された丸椅子にちょこんと座り、彼女は分厚い羊皮紙の束を右と左により分けていく。
 やがてその作業を終えて、右側の束をずいとカウンターの向こうに押しやる。

「これを全部」

 その言葉に、マスターは不機嫌そうな顔を更に顰めて、差し出されたそれぞれの羊皮紙の一番下に蝋印をバンバンと押していく。

「しくじるんじゃねえぞ」
「要らぬ世話だ、人間」
「ペッ、呪われちまえ、影界の怪物が」
「報酬を誤魔化すなよ」

 尖った氷柱を互いに突き刺し合うような言葉の応酬の後、全ての押印が終わった羊皮紙の束をひったくるように受け取ると、踵を返しながらいつの間にか袖口から取り出した仲介料のコインを指で弾いた。
 明かりを反射してキラキラと放物線を描いた銀のコインは、マスターの右手に握られている磨き途中のグラスの中に狙いすましたように入る。

「ゲタアウオブヒア! アシィイル・ディモン!」

 やけに訛りの強い影界の言葉でそう罵られながら、レーゼはその口の端に思わず苦笑を微かに浮かべながら出口に向かって足を進めた。
 《一つ目巨人亭》のマスターの前歴は不明だ、だが、影界の言葉を話せるような人間が真っ当な前職を経験しているわけもない。
 さて、あの全身から滲み出る懐かしい気配からして、さては……。
 そんなことをつらつらと考えていたせいで、彼女は反応が遅れた。

「へへっ、それでさ、俺がその時さっと飛び出してさぁ」

 扉を背中で押し開けながら、彼女に向かって後ろ向きのまま冒険者らしい青年が入ってくる。
 誰かが入ってくるということは分かっていたが、まさかこちらを見もせずに入ってくるとは思っていなかったレーゼは、不意を突かれて革鎧に包まれた青年の背中にぶつかった。
 その表紙にバラバラと手に持った羊皮紙の束が床にばらまかれ、その情景を見た酒場の中の温度がぐいっと引き下げられ、青年の向こうで微笑んでいたたおやかな美貌のエルフがレーゼの顔を見て一瞬にして血の気が引く。

「あっ、おっとと、わぁ、ワリィ、拾うよ」

 そんな空気の中、たった一人空気を読まない黒髪の青年。
 悪い悪いと頭を掻きながら、床一面に散らばった羊皮紙をかき集めると、なんのてらいもなく彼女の方に差し出して見せる。
 どうにも冒険者らしくないといえば良いのか、それとも垢抜けない屈託の無さといえばいいものか。
 いよいよ傍目にも分かる苦笑をその顔に登らせながら、レーゼは額のサードアイでぎょろりと青年の顔を見て、その宿命に避け得ぬ「死相」が浮かんでいるのをしかと見た。
 いつもならば放っておくのであるが、新人の無知ゆえの行動とは言え彼女に普通に話しかけたことは賞賛に価する行為だろう。
 レーゼは久しぶりに第三者に無償の好意を示してみる気になった。
 彼女はそっとその左手を青年の頬に這わすと、誰にも聞かれぬように彼の耳元で囁いたのだった。

「命が惜しければ……明日は、部屋でじっとしてなさい……」
「えっ」

 ぎょっと目を見張る青年を尻目に、レーゼは刺し違えるような気迫を持って杖を握りしめるエルフの横を通りすぎると、ララクの雑踏に姿を消したのだった。









――――――――――――――――――――――――――――――――
ふと思いついた妄想を書き殴ってみた。
続くかどうかは分からない



[26123] 2
Name: Genitivi◆c32eea94 ID:8c4622fa
Date: 2011/02/24 23:11
 ゲランは大きな姿見の前で今一度身だしなみを整えた。
 特注の大鏡に映っているのは、身長は8フィート(約240センチ)程で、殆ど光を反射しない緑がかった鈍い鉄色をした肌、そしてそれらが逞しい筋肉で盛り上がっている戦トロルの姿である。
 髪の毛は後頭部で縛って一つに束ねている。
 多くのトロルのようにずんぐりと猫背の巨体ではなく、ウォートロルのそれは引き絞られた筋肉質の体躯で、いかにも戦士らしい堂々としたものだ。
 背筋を伸ばしてすっくと立ったその姿は、突き出た鷲鼻と彫りの深い顔立ちもあってかなかなか精悍な様子である。
 身につけているのは身体の要所を守る簡易の革鎧と、その上からフード付きローブを着込んでいる。
 一般的な傭兵稼業の戦トロルにしては、驚くほどの軽装であると言っていい。普通ならば鋼鉄製の全身鎧に人間の背丈ほどもあるグレートソード、そしてこれも常人では弦を引くことすら出来ないロングボウを装備して、それでも物足りない奴はショートソードやメイスを腰にぶら下げもする。
 が、彼に取っては重い鉄製の胴鎧や小手はむしろ邪魔にしかならない。武器もまた同上だ。
 最後に壁に立てかけていた長さ6フィート弱の長さをしたメイジスタッフを掴む。
 魔術師の杖(メイジスタッフ)とは言っても、その外観は何の装飾もない鉄製の六角棒という質実剛健が行き過ぎたようなシロモノで、これを持って彼が歩いているところを見ても誰もコンジャラーだとは分からない。
 むしろ、軽装の武僧か普段着なのかと思うだろうが、これが彼に取っての戦闘服なのであった。

「よし、なかなかだな」

 扉を開けてリビングに向かうと、すでに準備を整えたレーゼが戦闘服で待っていた。
 ぴったりと肌に張り付くタイプの黒いインナーの上から、これもまた体の線が出るような、極小の金属片を幾つも組み合わせて作られたボディアーマーを着込んでいる。
 影鉄鋼(シャドウスチール)で作られたその鎧は、薄くて硬くてしかも軽くて錆びにくいという、戦士からすれば夢のような金属でできている。
 もっとも、これだけの量の影鉄鋼を集めようと思ったら、世界有数の大富豪でも破産は確実だろうが。

「さぁ! 出撃だぞ、レーゼ!」
「はい。まずは地蟲穴からトラン隧道を抜けて、カタコンベに侵入します」
「アンデッドの間引きだったか」
「はい、ついでに遺物の回収と、出来れば白地図も埋めたいところです」
「ふむ、ふむ、宜しい」

 満足気に頷いてから玄関の扉を開けると、ちょうど向かいの部屋からこのアパルトマントに住んでいるイーレンが扉を開けて出てくるところであった。
 ぼさぼさの胡麻塩頭に伸び放題の無精ひげ、そして彫りの深い顔立ちはまるでギリシャ彫刻のような陰影を刻んでいる。
 三十絡みのイーレンは、シミだらけのローブの下に手を突っ込んでボリボリと身体を引っ掻いて、胡散臭気な薮睨みで二人の方を見やった。

「外出か? 外出か? 「奴ら」の所に行くのか? わしの事を奴らに告げ口する気だろう?」
「いいえ、ミスタ・イーレン。私たちはこれから受けた依頼を完遂するためにダンジョンに向かいます」

 丁寧にレーゼがそう答えるが、彼は鼻で笑って両手を振り回した。

「ははぁ、そう言えと「奴ら」に言い含められたのか? わしは騙せんぞ、そうとも、それが奴らの手口だ。さあ、どうだ、当たりだろう? 次はお前だ、お前が質問する番だ。クエスチョン! クエエエェェスチョン!」
「はぁ……」

 レーゼはこの気狂いをどうしたものかと溜息を付いた。
 見かねたゲランは横から彼に声をかける。

「ひどい格好だな、イーレン。最近は姪御さんは来ていないのか?」
「質問か? それが質問か? 戦トロルめ、飽く無き闘争と流血に支配された邪悪な種属め。いいだろう、答えてやる、誰も来ていない、誰も、だ」
「そうかそうか、ならいい事を教えよう。今日の夜あたりに様子を見に来るそうだ、良かったな」
「……」

 イーレンは唐突にピタリと口を閉じると、ゲランの顔をじろりと睨みつけてから地団駄を踏んで部屋に戻った。
 ひょいと肩をすくめると、ゲランはそのまま出口に向かって歩き始める。

「やれやれ、魔道士としては特級の腕なんだがな、アレさえなければ」
「……ブラッドメイジ(流血魔道士)はどうしてああも人格の破綻したのが多いんでしょうか」
「人格の破綻というより、アレは狂気のたぐいだ。イーレンだとて最初からあんなエキセントリックな性格なわけではなかったろうよ。いくら強大な力が得られるからと言って、禁術扱いされるのも納得だ、常人に耐えられる世界ではなかろうて。流血界に魔道を繋げようなんて考える奴らは最初からテンプラーに首を半分差し出しているようなものだ」

 そう言って、ゲランは殆どダンジョンの中と言っていいような危険極まりないアパルトメント――《ウィカンのトラップハウス》を出た。
 常人ならば決して借りようなどと考えないこの物件の利点は大きく二つ。
 一つ、余りに危険な所に建っているので、無用の訪問者や空巣のたぐいは絶対来ない。
 二つ、部屋が広く施設も揃っているが、月の借賃はかなり安い。
 そして付け加えるならば、ダンジョンに直通で向かうことが出来る。最もこれは、利点と考える人間はよほど頻繁に潜っては財宝探しや小銭稼ぎに汲々としているようなやつであろう。
 さて、二人が向かった先は通称「地蟲穴」と呼ばれるダンジョンで、大塔都市の中心にそびえ立つ万年樫の根が複雑に絡み合った地下迷宮である。湿った土と虫の掘ったワームトンネルが延々と続くダンジョンで、大地蟲が気まぐれに掘り進むために思わぬ所に繋がったりもする。
 そんな隧道の一つが、古代王国の兵士達が多く埋葬されているカタコンベに繋がっているのだ。
 人集まれば気集まるといったのは、さて、帝都の筆頭魔道士であったか。
 大塔都市となったララクがアンデッドの被害に悩まされるようになったのは、都市が今のような形になる遥か前だという。
 大勢の人が集まれば、そこには多種多様の感情が集まる。感情に惹かれてやって来た悪霊にとって、地下墳墓に膨大な数が横たわる戦士たちの亡骸は丁度良い仮宿であったのだろう。
 そんなわけで、迷惑な生ける屍共が居住区画に迷い出さないように、定期的にそれらを粉砕してあちらの世界にお帰り願う仕事が頻繁に依頼に出された。
 ただ、そんな依頼だけではろくな稼ぎにはならないので、この二人の場合はカタコンベで受けられる他の依頼も二三纏めて受けるというのが通例となっている。
 
「ええい、邪魔臭い蟲どもめ」

 大量の根と土で出来たトンネルを抜けながら、辺り構わず湧いてくる地蟲の群れを面倒くさげに押しのけて先に進む。
 尋常の冒険者なら、このトンネルに入って一時間も立たないうちに地蟲に食い荒らされてしまうだろうが、ゲランに抱きかかえられたレーゼが二人の周囲に張る力場の壁に押しやられ、殆どの地蟲は二人に到達する前に焼き潰された。
 ゲランの両腕の中で、レーゼは高強度の力場を常に展開し続けるという難行を、いとも容易く実行してのける。
 ただ、やはり移動しながらというのは難しいので、抱き上げてもらわねばならないが。
 ゲランはやや腰を屈めながら、力場の放射する淡い水色の光を光源にしてずんずんとトンネルを先に進むのであった。



■■■■■■



 フィリップは困惑していた。
 とは言うのも、いつもは温厚を絵に書いたようなリリアナが顔を真赤にして声を大にしているからだ。

「なんだよ、そんなに怒鳴らなくたっていいだろ」
「ダメったらだめ! 相手はあのアセイル属なのよ?」
「だから、そのアセイル属って言うのがよく分からないんだけど」

 そう言って首を傾げる彼に向かって、今の今まで真っ赤だった顔を蒼白にしながら、リリアナはアセイル属の恐ろしさを語ってみせた。
 曰く、古代王国の滅亡に一役かった。
 曰く、帝都インペリウムでかの名高き《魔道士の円環》が行った召喚実験では、12人の高等魔道士が持てる力を振り絞っても抑えきれず、天文学的な損害をもたらした。
 曰く、影界において最も強大で凶悪な悪魔。いかなる取引にも応じず、まともな会話が成立した記録すら殆ど無い。
 曰く、彼らの存在のせいで影界の魔道を使う魔道士はほぼ皆無と言っていい。魔道をつなげた瞬間にそれを感知したアセイル属が飛んでくるから。
 曰く、よしんば会話に成功しても、契約を結ぶのは至難の業。そして契約に漕ぎ着けたとしても、殆どの願いを都合よくねじ曲げて結局は破滅的な結果になる。
 曰く、召喚しようとした時点で魔道士の円環と教会から処刑魔道士とテンプラーがすっ飛んでくる。
 などなど。

「とにかく! とんでもない奴なのよ! いつだったか、あのアセイル属は「お前の態度が気にくわない」とかいう理由で商人をミンチにしたことだってあったのよ!」
「でも、俺は生きてるぜ? まあ、耳元でちょっとした殺し文句は囁かれたけど」
「それは……」

 リリアナは言葉に詰まり、椅子に座ったままじっと彼の方を見た。燃えるような赤毛をシニヨンにして纏めた彼女は、その鳶色をした両目で彼の全身を舐めるように見つめる。
 ベッドに腰掛けたままフィリップは自分の壮健ぶりを見せるように両手を広げてみせるが、それでもリリアナは疑わしげに彼を見やった。
 まるで、そうして見つめていれば彼にかけられた呪いを見つけ出せるのでないだろうかというように。

「運が、良かったのよ。わざわざ警告してくれたんだから、今日は留守番をしていて」
「ええー……」

 不満げに唇を尖らせる彼をギロリと睨みつけて黙らせて、リリアナは白木製のロングボウに弦を張ると、有無を言わせずに立ち上がった。

「とにかく! 今日の依頼は私一人で行くから」
「だから、危ないって。それだったら明日にすればいいじゃないか」
「だめ、明日は別の依頼が入ってるの。大丈夫よ、フィリップが来る前はこれくらい一人でこなしてたわ」

 そう言って笑う彼女に、フィリップはむっと押し黙って小さく「俺は足手まといってことかよ」とふてくされた。
 全くそんなつもりはなかったが、失言だったと臍を噛んでももう遅い。
 リリアナは肯定も否定もせずに踵を返すと最後に「おとなしく待っててね」と言い残して部屋を出て行った。
 一人残されたフィリップは当然ながら面白くない。
 つまるところ、彼はまだまだ歳若い、少年に近いような青年であるし、恋焦がれる相手に守ってもらうという関係が癪に障る程度にはプライドも持ち合わせていた。
 そして、これもまた経験不足の若者にありがちで、こうと決め付ければ思慮が足りず、いわゆる一つの若さ故の過ちというというやつだ。

「へっ、見てろ、俺だって……」



■■■■■■



 ドカンと爆炎をまき散らしながら、レーゼの投げつけた火球が炸裂する。
 団子状態になっていた不死者の兵士達は、強烈な火属性の一撃を出し抜けに受けて吹き飛ばされ、あっという間に炎上した。
 爆発の衝撃でバラバラになった敵はそのまま動かなくなったが、四肢が欠損した程度では止まらない不死者たちが全身を炎にまかれて黒煙を吹き上げながらよろよろと進む。
 アンデッド特有の死ににくさに思わず彼女が舌打ちを漏らすと、ゲランがずんずんと死に損ないの群れに向かって歩み寄っていく。

「かっ! 大人しく死んでおけ!」

 風を切る音を辺りに響かせながら六角棒が振るわれると、戦トロルのとんでもない膂力で振るわれたそれはまるで案山子をなぎ払うようにバタバタと敵を叩き伏せていく。
 中にはそれらを掻い潜ってゲランに襲いかかるものもいるが、振るわれた鉄拳で文字通りちぎっては投げちぎっては投げという具合に、全く相手にならない。
 先程まで30体ほどいたアンデッドの群れは、あっという間に焦げ臭い残骸の塊へと変貌した。

「ふん、こんなモノか」

 つぶやいて周囲をゲランが睥睨する。
 辺りには死体の焼ける不快な匂いと、炎のくすぶる小さな音が響いていた。

「討伐対象はこれで全部です」
「相変わらず歯応えのない奴らだ。いつだったか、ほら、シェゴラス平原で戦った奴らみたいのと戦わんと、腕が落ちてしまう」
「まさかとは思いますけど、それってインペリウム・レギオンと殴り合ったときの話ですか」
「おお、そうそう、そんな名前だったか。装備も指揮も練度も最高の奴らだったな、全くあの時には死にそうになった。あんな強敵は後にも先にも奴らだけだったな」

 そういう割には、ゲランは嬉しそうに笑っている。
 他の同属よりはましとは言え、ゲランもしっかりと戦トロル特有の戦争中毒にかかっている。もっとも、それが極々軽度に留まっている故、ゲランは骨卜師に見込まれたわけであるし、レーゼに慕われてもいるのだ。
 そのレーゼはというと、ウランフ傭兵団が帝国軍団と真正面からのガチンコ勝負を行うハメになったその時を思い出したのか、うんざりとした顔で水筒の中に詰まった蜂蜜酒をがぶりと飲んだ。

「トヴィールッツ将軍が退いてくれなかったら、全滅していたかも知れないんですよ」
「ばか、あの将軍があの場で死守なんて選択肢を取るものかよ。たかが属領一つのちっぽけな政治的諍いで、まさかあの将軍が第五軍の精鋭を使い潰すものか、しかも」

 ゲランはレーゼの手から水筒を奪うと、喉を鳴らして中身を一気に呷る。

「……しかも、だ、相手はベリバランとこの俺に率いられた、ウランフ・トロル傭兵団だッ! 俺だったら割に合わなくてすぐに撤退する」
「じゃあ、どうしてあの時、将軍は直ぐに撤退しなかったんでしょう」
「決まってらぁ」
「なんです?」

 首を傾げる彼女に向かって、ゲランはニヤリと牙を剥いて獰猛に笑ってみせた。

「俺達と一戦やらかしてみたかったのさ」

 さて、事の真偽はさておいて、二人はカタコンベをぶらりぶらりと歩き回りながら他の依頼を着々とこなした。
 アンデッドの心臓を25個、大蜘蛛の刺状突起を10個、ウィスプの灰を10ストーン、ホッピングビートルの筋組織を少なくとも30アームスパン、錯覚獣の血液を4ポンド、アラクネの新鮮な糸を最低でも50フィート……。

「それにしても……」
「はい?」

 ちょうど、アラクネの糸をその生産者から物々交換で手にいれている最中に、手近な椅子に腰掛けたゲランが不満顔で溜息を付いた。

「ストーンだのポンドだのオンスだのガロンだの、アームスパンだのハンドスパンだのペースだのフィートだのヤードだのインチだの、どいつもこいつも好き勝手な単位ばかり使いやがって。ちょっとは統一しようという気がないのか。だいたい何だ、指の先から肘までの長さってのは」

 そう言ってゲランがスッと手を伸ばして見せると、隣で黙ってそれを聞いていたアラクネがその繊細で美しい腕を同じように差し伸ばしてみせた。
 比べるまでもなく、両者の腕の長さは歴然としている。

「こんな物が商取引の場で使えるか! いや、そもそもそんな基準の曖昧な単位を使うなという話だ。重量も容積も、温度も、せめて水で基準を作らんか、水で! 長さも、これだけ天文学が発展しながら、何故未だに天動説なんだ、子午線弧長の概念が生まれんじゃないか……」

 ぶつぶつと更に何かを呟きながらドシドシと足を踏み鳴らすゲランを見て、なにか自分が粗相をしたのかというような顔でアラクネがレーゼの方を見た。
 みられた方のレーゼは、呆れた溜息を突きながら糸巻きにしっかりと束ねられたアラクネの糸をバッグに詰め込みながら肩を竦めた。

「いつもの発作です、気にしないで下さい」

 よく分からないといった顔で首を傾げるアラクネをよそに、レーゼは主人の「発作」が収まるまでの間、暇つぶしに取り出した異界札を広げて、魔道と運命の流れを詠むのであった……。










――――――――――――――――
われながらマラザンとかにすごく影響をうけているなとおもう。



[26123] 3
Name: Genitivi◆c32eea94 ID:a1689580
Date: 2011/03/17 00:04
 レーゼは山札の上から二枚をめくって第一フェイドに置いた。
 めくられた絵柄は《影界の玉座》と《血塗れの賢者》。
 右の《影界の玉座》には、ありとあらゆる種属の骨で作られた悪趣味な玉座に、影鉄鋼の王冠をかぶった彼女自身が、薄ら笑いを浮かべながら薄衣一枚すら身につけずに頬杖を突きながら腰掛けている。
 その玉座の前に跪く者共は、一人残らず首をはねられ、玉座の間を真っ赤に染め上げている。その服装に貴賎の区別はなく、まさに手当たり次第といった様子だ。
 本来ならば玉座におわす至高の存在を守るために玉座の左右に控えているはずの近衛兵は、原型を留めぬ程に破壊されて絨毯の染みとなっている。
 影界からの干渉は絹糸のようにか細く、希薄。その事実に安堵の溜息を漏らす。
 左の《血塗れの賢者》にはトーガを纏って樫材の杖をついたゲランが、うず高く積み上がった敵味方の亡骸の上で、雲間から差し込んだ一条の光りに照らされてその理知的な瞳を光らせている。その頭には智顕と聡明を意味するコーツウェル樹の冠が乗せられていた。
 札をめくった瞬間から、身震いするような混沌界からの魔力が吹き出している。
 彼女は自分を表す札の下、《影界の玉座》に浮かぶ数字が、以前見た時より減っているのを見て舌打ちをした。
 初めてこちらの世界に来たときには三桁だったのに、とうとう二桁になってしまっている。
 その数字は彼女の兄弟の数で、もっと言うならば彼女より年上の兄弟のそれである。そして、もしそれがこれ以上目減りするようなら……いや、これ以上は、考えたくなかった。
 レーゼは溜息を一つついて第二フェイドへ札を一枚めくった。
 現れた札は《運命の交差路》
 荷物を抱えた彼女とゲランが、どこまでも延々と続く十字路に差し掛かっている絵が描かれている。
 身体に似合わぬ大荷物に挫けそうになっている彼女を、ゲランが助け起こし、その荷物を代わりに背負おうとしていた。
 そして、交差する右側の道から、抽象的に描かれた人影が同じように交差路に侵入しようとしている。
 二人の向かう先には、先の見えない道が延々と続いている、だが、新しい人影の進もうとしている道は途中で途切れているのがはっきりと描かれていた。
 その人影がそのまま進めばどうなるか、わざわざ語るまでもない。
 この絵を見た瞬間に、レーゼは思わず息を飲んだ。
 今までは、この第二フェイドへ現れる札は《大塔の冒険者》であったのに、このタイミングでこの札とは!
 彼女は焦る心を押さえつけながら、平静を失わないように最新の注意を払って札をめくる。
 第三フェイドに現れた札は《窮地》《軽業師》《生か死か》。
 以前と違う、激変したと言ってもいい。
 《窮地》に陥っているのはどうやら彼女とゲランではないようだ。敵の群れに囲まれたその人影は、傷つき、疲労困憊している。
 《生か死か》では鏡写りになった二つの人影が、鏡の向こうでは女神に抱きしめられ、鏡のこちら側では死神に抱きつかれている。いや、どちらが「向こう」なのかはまだ分からない、それはどちらにも移り変わり得るということだ。
 そして、戦場を縦横に駆け回りながら敵の後背からバックスタブを突き込もうとしている《軽業師》。その顔に、彼女はどこか見覚えがあった。
 明るい茶色の髪の毛を後頭部で短い三つ編みに纏め、まだ少年の面影を色濃く残した人間の青年。
 そばかすの残った顔へ陽気な笑顔を浮かべ、《軽業師》 の名のとおり青年はいかにも身軽な様子で身を翻している。
 その顔。
 いっそ無邪気とも言える屈託の無い顔が照れ笑いを浮かべながら、彼女に紙束を差し出した青年のそれと合わさった瞬間、レーゼは驚愕の声を上げながら立ち上がって、いまだにぶつぶつと何やら益体もない事を呟いていた主人の頭を杖で思い切り叩いた。

「立って! 走って! 早くしないと間に合わない!」

 目を白黒させる主人を急き立てるレーゼは、異界札をそれ以上開かなかった。
 もしも、第四フェイドの札を一枚でも開いてみれば、色々と考えることもあっただろうが、そうはならなかったし、もしもこの時じっと耳を澄ませば山札の一番上から吉凶を司る領界神ギャンブラーの高笑いと賽を転がす音が聞こえただろう。
 ともかく、レーゼは間に合う方に賭けた。



■■■■■■



「クソが! 死人が歩いてんじゃねぇ!」

 悪態をつきながらフィリップは右手に握った水銀封入式小剣を敵の心臓に突き刺すと、直ぐに引きぬいて右から襲いかかっていたゴブリンの振りかぶる短剣を弾く。
 がら空きになった相手の胴体のどまんなかに左手の短剣を根元まで突き刺して、相手の絶命を確かめるまもなく敵の隙間を這うようにしてすり抜ける。
 だが、すり抜けた先にもまた敵、敵、敵。
 ゴブリン、コボルド、ゾンビ、大蜘蛛が視界いっぱいに蠢いている。
 また、首筋ギリギリを錆びついた槍の穂先がかすめていく。
 異能者じみた直感に従って前方に飛び退くと、先程までいた場所にゴブリンが振りかぶった戦槌が振り下ろされ、石畳を破壊している。
 素早い動きについてこれない敵を回りこみ、脇腹を一突き。
 正面からやって来るゾンビに素早くニ回小剣を突き込んだ。
 背後から、完全に死角から振り下ろされた戦斧が、たまたま別の方向から斬りかかっていたゴブリンの身体に直撃する。
 また。
 ぜえぜえと喘鳴を響かせながら両手の武器を極限まで鋭く突き出す。
 右の刃は大蜘蛛の頭部をかち割った。左の刃はコボルドの頸動脈を掻き切った。
 脇腹目がけて突き込まれたナイフが、ホルスターにたまたま残っていた投げナイフにはじかれる。
 また。まただ。

「畜生! クソったれが!」

 たまたま、偶然、幸運にも……。
 一度なら、誰にでもある。二度あれば、すごい確率だと驚くだろう。
 だが、三度あれば、四度あれば、五度、六度……それは最早偶然ではない。
 両手に大剣を振りかざしたホブゴブリンが正面から突っ込んでくる。
 死んだ、そう思った瞬間、偶然にも穴が空いていた石畳にホブゴブリンは躓いた。

「くそがー!」

 雄叫びを上げながら両手の刃を敵の腹に突き刺す。
 血反吐を吹き出しながら敵が死ぬのを見る暇もなく、引き抜いた両手の武器で振り下ろされる凶器を弾く。
 また、彼の耳元で賽が椀の中で勢い良く転がる音が木霊する。
 心臓の鼓動はすでに張り裂けそうなほど高鳴り、全身の筋肉が瘧のように震えている。
 だが、それでも身体は前に動いた、まるで自動的に、何かに糸を引っ張られるように。
 本来ならばありえないほどのスタミナと直感が何処からともなく湧いている。
 身体はもう限界だと主張しているのに、心は何時まで経っても疲れない。
 まだだ、まだいける、まだ戦える!

「がぁっ!」

 だが、とうとう終わりはやって来た。
 槍で足払いをかけられ、いつもならば直ぐに体勢を立て直すはずが、がくがくと震える膝はそれ以上の酷使を許さなかった。
 無様に投げ出された彼の目の前に、怒りで顔を歪ませたゴブリンが現れる。
 いつの間にか、賽の転がる音は消えていた。

「リリアナ……」

 死を覚悟したフィリップが愛しい人の名前をつぶやいた瞬間、カタコンベ中を揺り動かすような大喝が広間中に響き渡った。


「まてい!!」


 まるで伝説に語られる古龍の咆哮のように、それを聞いた化け物どもは不死者にいたるまでピタリと静止した。

「未来ある若者を死に至らしめ、正義の心を未然に挫かんとする者共よ。
 人、それを外道という!
 法の届かぬ深淵で、人知れず非道を行う悪鬼羅刹共!
 法で裁けぬ貴様らを、天に変わって俺が討つ!」


『な、何奴!』リーダー格のホブゴブリンが、頭上に張り出した岩棚の上に慄然と屹立する人影に問いかける。

「遠からん者は音に聞け、近くに寄らば目にも見よ! 俺こそは噂に名高しウランフ・トロル傭兵団筆頭薬師、ゲラン・グロカーシュ・ウランフなり! 貴様らの乱暴狼藉、たとえお天道様と領界神が見逃そうとも、この戦トロルが見逃さぬわ! 成敗! とう!!」

 なんと、人影は大見得を切って高さ40フィートはある岩棚から飛び降りた。
 駄目だ、死んでしまう、そんなふうに考えた次の瞬間、我が目を疑う光景が飛び込む。

「 赤 射 !」

 人影が閃光に包まれたかと思うと、次の瞬間に現れたのは全身を頭のてっぺんから爪先まで、メタリックレッドの全身甲冑に身を包んだ巨人であった。
 その両手には恐ろしい巨大さのハルバードが握られ、あっけにとられる彼の目の前で石畳に着地した巨人は、そこにたむろしていたゴブリンやゾンビを衝撃でふっ飛ばしながらその斧槍を振り回す。

「とあぁぁあああぁ!」

 まさにその姿は生ける暴風。
 普通、この大きさの全身鎧と斧槍となればその総重量は恐ろしい物になるが、巨人――ゲランと名乗るそれはまるで重さを感じさせない軽快な動きで跳びまわると、その凶悪な凶器で瞬く間に敵の命を刈り取っていく。
 そこまで見て、はっと我に返ったフィリップは言う事を聞かない両足を引きずりながら、何とかこの暴力の渦巻く死地から逃れようと地面を這う。
 その眼の前に、目を血走らせたコボルドが、狂犬病のように牙と牙の間から泡を吹きながら立ちふさがる。

「よ、よう、俺なんか気にせず、早く逃げたほうがいいんじゃないか? 断然おすすめだぜ」
「ぐるるるるる、がふっ、ぎぃぃえ!」
「なわけねぇか! クソッタレ!」

 振り下ろされた刃こぼれだらけのロングソードを何とか両手の剣で受け止めるが、酷使され続けた両腕の筋肉は最早限界となっている。
 プルプルと震えるその両腕は、たった一匹のコボルドの力にさえ抗しきれない。
 ギラつく刃が彼の首筋に差し掛かった瞬間、突然敵の力が緩む。
 ハッと目を見張る彼の眼前に、敵の胸元から飛び出す鋭い刃が映る。
 勢い良く引きぬかれた刃と共に倒れ伏す死体、そしてその向こうには芸術作品のごとく精緻な衣装を施されたスケイルアーマーに身を包むアセイル属の姿があった。
 あっけにとられる彼に彼女は歩み寄ると、彼の襟首を掴んで引っ張り上げ、美しい顔を怒りに歪ませて彼の鼻先半インチまでその端正な顔を近づけた。

「私の忠告を無視したようだな、《軽業師》 。この私の心胆を寒からしめるとは……全く、自覚はないとは言え大した奴だ」
「お……お褒めに預かり光栄で、閣下」

 真っ白になった頭はリリアナの警告すら忘れて、いつものように軽口を叩く。
 「やべ、しまった」そう思った時にはもう言葉が舌に乗って口の外に飛び出た後だ。
 冷や汗をかいて愛想笑いを浮かべる彼の目の前で、悪名高きアセイル属はキョトンとその三つ目を瞬かせたあと、苦笑を浮かべて彼を離した。

「本当に……大した奴だ。運命の交差路に祝福あれ。今、お前の行く末は切り替わった」
「は……な、何だって?」
「今度からは、先輩の忠告には大人しく従っておくんだな」

 その言葉にリリアナを思い出したフィリップは、バツが悪そうに黙り込んだ。
 そんな彼を尻目にして、アセイル属は左手に握っていた小剣を鞘に収めると、先程まで空中に浮いていた杖を手にとった。

「さて……私も久しぶりに無茶をしてみるかな」

 そう言って悪魔はニヤリと酷薄な笑みを浮かべ、両手に持った杖を掲げて魔道を開いた。
 途端に影界から吹き込む無限の魔力。
 月影の魔道とも呼ばれる、この世全ての影と暗闇が集まった領界から、触れるものの魂を凍りつかせる影界の魔力が悪魔の全身に満ち溢れる。

「くくく……そら、跪け! 頭が高いぞッ」

 同心円状に広がった闇色の魔力刃は、地面から半フィートほどの低い場所をまるで這うように放たれた。
 彼女の宣言通り、広がった魔力刃によって踝から下をバッサリやられた敵はまるで王侯貴族に跪く平民の群れのように地面に倒れ伏した。
 それを見て、アセイル属は高笑いを上げながら更に魔力を高める。
 彼女の眼前に突如出現した黒いつむじ風は、時折その旋風の中で稲光を生じさせながら身動きすらままならない敵の中に突っ込んでいく。
 旋風の通った後には、まるで肉屋に並んだミンチのような有様となった敵が点々と残される。
 黒い竜巻は手のひら大の円形をした剃刀の群れで構成されているようだった。目にも留まらぬ速さで高速回転するそれは、尋常でなく惨たらしい死を敵にもたらす悪魔の魔法だ。
 この期に及び漸くフィリップは眼の前で笑う三つ目の女性が、大陸史上幾多の破滅と伝説を産み出してきた最強最悪の悪魔であるということを思い知る。
 リリアナのあの警戒ぶりがいかに的を射たものだったか、遅まきながら理解したのだった。

「ほう……畜生でも血は赤いのか。そら、コボルドとゴブリンの合挽き肉の出来上がりだ、たんと食らうがいい」

 魂消るような悲鳴を上げて、両足から血を垂れ流して這いずりながら敵が逃げようとする。
 そんな哀れな獲物に向かってアセイル属は残虐無比な高笑いを上げて竜巻を突っ込ませた。

「弾けろ」

 敵が一番固まった場所の中心で、黒い竜巻は無数の剃刀を縛っていた魔力の螺旋を爆発させた。
 四方八方に飛び散った刃の暴風は、凄まじい勢いて周囲の敵を殺傷しながら床や地面に食い込む。
 当然ながらフィリップの方にも飛んできたが、いつの間にか周囲を覆う半透明の膜がそれを受け流した。

「そおら、逃げろ逃げろ、悪魔の軍勢が貴様の背後に迫っているぞ」

 影界に住まう低級な羽虫の群れが召喚される。
 まるで砂嵐のように蠢く羽虫の群れは、血の匂いに導かれるようにして敵に飛び掛っていく。
 生きたまま肉を食われる激痛に狂うような悲鳴。
 貪欲な食欲に突き動かされた羽虫の群れが通った跡には骨すら残らない。

「う、げぇっ」

 未だかつて、これほど凄惨で陰惨な殺戮の光景など見たことのないフィリップは、まさに地獄絵図といった情景に耐え切れずに嘔吐する。
 そんな彼を背後に置いたまま、容赦のない殺戮と蹂躙の嵐は続いた。
 胃の中のものを全て吐き出して息も絶え絶えとなったフィリップが顔を上げると、そこには鎧の全身に返り血を飛び散らせた巨人がしゃがみ込んでいた。

「おい、随分ひどい有様だな、ほら、口をゆすげ」

 そう言って差し出された革袋を受け取ると、そのままぐいと口の中に流し込む。
 冷たい水が胃液で焼けた喉を通って胃の中に滑り落ちていく。
 半分ほどを飲み干した後に一息つくと、漸く人心地ついた彼は呆然とした視線を目の前の巨人に向けた。
 見つめられた巨人は、兜の目庇を上げるとその顔を彼に晒す。
 人間ではないだろうとは思っていた彼であったが、まさかトロルだとは思っておらずに目を白黒させる。
 そんな様子が可笑しかったのか、戦トロルはガハハと笑ってフィリップの肩を叩いた。

「若いの! 命があってよかったな! 命ってのは余程のことがない限り一回こっきりだ、大事にしろよ」
「あ、ああ、有難う、助かった」
「礼ならレーゼに言え、こいつが血相変えて言うもんだから走って来ただけだ」
「え?」

 驚いて視線を動かした先には、羞恥のためか微かに頬を赤らめたアセイル属が「ちょっと、黙っているって約束だったでしょう」と小声で怒って杖でゲランを叩いている。
 叩かれた方は「そうだったか、すまん忘れていた」と悪びれない様子で笑っていた。
 先程まで情け容赦ない虐殺を行っていた悪魔と同一人物とは思えないその様子に、何が何だか分からないフィリップは混乱した頭のまま大きな溜息を着いた。

「ああ……おれ、生き残れたのか……」

 ポツリと、自分に言い聞かせるように呟く。
 微かに、賽子が転がるような音が聞こえた気がした……。









――――――――――――――――
「蒸着!」とどっちにしようか迷った。
戦闘シーンてもっとねちっこく描写したほうがいいのだろうか、これが限界だ。



[26123] 4
Name: Genitivi◆c32eea94 ID:82522fd7
Date: 2011/03/17 00:03
 職業に貴賎はない、とは昔の人はいい事を言う。
 そうは思うものの、ロクシーは己の仕事に貴賎はなくとも善悪の違いはあるのだろうと思う。
 いや、善悪が社会という枠組みの中で決められる相対的なものだとするならば、全なるものも悪なるものも全ては当価値となってしまうだろう。
 それに歯止めをかけるのが宗教であるというのなら、ララクほど善悪の境界が緩み始めたところもない。
 全てを受け入れ、全てをあるがままに。
 ララクの街がこれほどまでに膨張するために、それは必要な方針であったのだろう。
 そんな事をつらつらと考えているうちに、事態は勝手に進んでいた。
 今のところロクシーの同僚であるチンピラの小男が、傍らの筋骨逞しい大男を脅しに使いながら、必死に涙ながらの懇願をしている救貧院のシスターを脅しつけている。
 途中から聞いていなかったが、どうやら銀貨40枚を一月前に借りて、その返済が大金貨10枚らしい。
 笑ってしまうような暴利だが、こんなどう仕様も無いクソチンピラギャングに金を借りて無事に済むと考えるその考え方が浅はかだっただろう。
 ロクシーは「じゃあ、あんたの身体で払ってもらおうか」というお定まりのセリフを聞き流しながら木箱に座って銀煙管をふかしていたが、次の瞬間にすっと立ち上がる。
 それと同時に、ギャング共の甲高い悲鳴とドサドサと地面に倒れる音が辺りに響き渡った。
 先程までシスターを脅しつけていた六人のチンピラたちは、全員が腕や足を押さえて苦痛の悲鳴を上げながら地面にのたうち回っている。

「やれやれ、だから油断するなといったでござんしょう」

 嘆息と共にロクシーは甘くかすれた声で呆れながら、のたうちまわる同僚にゆっくりと歩み寄る。
 煙管を煙草入れに仕舞い、羽織袴を揺らしながらロクシーがゆらゆらと近づくと、ついさっきチンピラたちを叩きのめした五人の冒険者が訝しげにこちらを見やった。
 ロクシーは塗笠をちょいと上げてシスターに視線を合わせると、歳若い敬虔なシスターは顔を青ざめて傍らの冒険者に声をかけた。

「ロディさん、あの女の人も……!」
「何だって?」

 ロディと呼ばれた男は、すぐさま緊張を顔にみなぎらせて構え直す。
 それを見た他の冒険者も、油断無く武器を構えた。
 だが、全員その刀や槍には鞘がかぶったままだ。中には六尺棒や革張りの棍棒といった非殺傷武器を構えているものまでいる。
 そんな様子を塗笠の下からちらと見たロクシーは、思わず苦笑を漏らす。

「おやおや、おめぇさんがた、そんなモンであっしと死会おうってぇ腹で? そいつぁちょっと舐めすぎってぇもんじゃごぜぇませんか」
「なんだ、お前は」

 五人の中で一番の実力者らしいロディは顔に脂汗を流しながら、ゆっくりと鞘から片手半剣を引き抜きながら詰問する。
 その声に、余裕はない。
 ロクシーは塗笠の紐を解いて投げ捨てると、腰に佩いた三尺五寸の大太刀《闇鴉》を抜刀した。
 風に流れる亜麻色の髪は、後頭部で纏めて縛り上げている。役者のような整った顔立ちの、向こうが透けて見えるような白い肌をした、男か女か一目には判別が付かぬような美人だ。
 そして、ずらりと雁首揃えた冒険者は、その額からちょこんと小さく突き出た半インチほどの二本角に釘付けとなった。
 小さな声で、誰かが「まさか」と呟く。

「さあ、おめぇさん方も抜きなせぇ。これから死会おうってぇ相手が丸腰じゃあ収まりが悪いってもんだ」
「……俺はロディ。ロディ・ジマーだ」
「へぇ、ミレディアナ団の? 茨の剣士? こいつぁいい、借金の取立てからとんだ事態だ」

 そう言って、ロクシーはカラカラと笑ってからそのスラリと通った目筋鼻と水色の瞳を、目の前の戦士に「きっ」と合わせて微笑を浮かべた。

「さて、先に名乗られちゃあ仕方ねぇ。お控えなすって。あっしの名前はロクシー。ロクシー・ヘイゾォルト。人食い野太刀《闇鴉》の佩刀者、人呼んで《幽鬼のヘイゾォルト》といやぁ、あっしの事でござんす」

 そう言って両手に刀を構えたロクシーの名乗りを受けて、ロディは「やはり」と呟いてこちらも両手に剣を構え、その他の四人は慌てて棍棒や六尺棒を投げ捨て、或いは鞘を払って武器を構える。
 四人の顔は驚愕に引き歪み、緊張に青ざめていた。その中の一人が「なんでこんな所に」と泣きそうな顔と声で小さくこぼす。その足は、武者震い以外の理由でカタカタと震えている。
 何故こんな所に?
 馬鹿め、そんな事は、ロクシーが聞きたいところであった。
 その間、ロクシーは斬りかかるわけもなくじっとロディの目を見ていた。
 彼以外の誰も眼中に無いと言わんばかりのその様子。
 実際、ロクシーはロディ以外の冒険者は一山幾らの有象無象だと看破している。
 ジリジリと緊張感の高まる救貧院の門前で、その緊張に耐えかねた一人が気迫を吐きながら長槍を突き込んでくる。
 踏み込みはよし。
 だが、雷鳴のごとく正眼から翻った大太刀は、長槍の穂先をあらぬ方へと跳ね上げると、間髪入れずに再度翻り、今度はがら空きになった男の横胴をすれ違いざまになぎ払った。

「うぅ」

 と呻くやいなや、たったの一撃で男は強かに地面に倒れ伏すと、それ以降ピクリとも動かない。

「峰打ちでござんす。しかしあっしの刀は食い意地が張ってごぜぇますから、峰打ちでもちょいと吸われちまうんで……ごめんなすって」

 そう言って、彼女は莞爾と笑った。
 余りにもあっさりと、それなりに腕に覚えのある戦士がたった一撃で地面に沈められるのを目にすると、無茶無謀が合言葉の冒険者たちとて冷や汗を流しながら尻込みする。
 この相手に打ち込むということは、それ即ち死を覚悟せよということである。
 この場にあって未だ戦意を喪失していないのはロディ一人だけであった。
 一様に逃げ腰となった冒険者たちを眺め、ロクシーは詰まらなさそうに鼻で笑う。

「おいおい、にらめっこしてる内に日が暮れちまわぁな。おい、そこの。この邪魔くせえのをとっとと持って帰ぇりな」

 そう言うやいなや、目にも留まらぬ踏み込みで瞬時に動いたロクシーは、地面に倒れ伏してピクリとも動かなかった男の腹を蹴り上げると、左手側で長剣を構えていた冒険者にふっ飛ばした。
 とっさに剣を引いたところまでは及第点といったところだが、それ以上何の反応をすることも出来ずに冒険者は蹴り飛ばされてきた男ともつれ合うようにして投げ飛ばされ、背後の石壁に激突して呻き声を上げる間もなく昏倒した。

「これでふたぁり……と。おい、お次は誰だ、ええ?」
「俺だ」

 そう言って、ロディが全身に気迫を漲らせて一歩踏み出す。
 不退転の意志をその両目に湛えながら、茨の剣士は背後の仲間に指示を飛ばす。

「お前らは直ぐに引き返して団長に知らせろ」
「け、けど」
「行け! お前らじゃ相手にならない」
「く、くそっ、ロディ、無理するんじゃねえぞ!」

 そう言い置いて、残った冒険者は気絶した二人を抱えて算を乱して走り去る。
 そんな彼らを追うわけでもなく、一顧だにしない。
 二人の剣士が睨み合う中、剣気にあてられたシスターはよろよろと青白い顔付きで救貧院の中に退避する。

「味噌っかす共を逃がしてやるたぁお優しいこって。そんなに過保護じゃあ碌な奴らが育ちゃあしねぇや」
「俺達の教育方針に、口出ししないでもらおうか」
「俺? ははぁ、そういう言い方は、誤解のもとじゃあねぇのかな? ミレディアナ団ってぇのはどいつもこいつも一流のやっとう使いが揃っていやがるってぇ場所じゃあなかったのかねぇ」
「昔の話だ」
「へっ、昔ね。人間どもはすぐこれだ、テメェの間尺で世界を測りやがる。てめぇらの「昔」はあっしらの「昨日」だったりするんだぜ。知ったふうな口を聞くんじゃねぇ、100も生きねぇ若造が」

 そう言って、当初の形ばかりの丁寧さを打ち捨てて、ロクシーは下町界隈で使われるような伝法な口調でそう罵ると、刀を正眼に構えなおしてジリジリと間合いを詰めた。

「あんなサンピン共が、一丁前にミレディアナ団を名乗る時代か。正直……見るに耐えねぇや。死んじまえ」

 そう吐き捨てたかと思うやいなや、二人の間に横たわっていた15フィートほどの間合いが瞬きする間もなく零となる。
 大上段に振りかぶられた闇鴉が袈裟懸けに振り下ろされると、其れに合わせて振るわれた茨の長剣が致死の一撃を受け流す。
 振り下ろされる其れが稲妻の一撃と賞賛されるなら、それを弾いた一撃はまさに疾風の如きと賞賛されるようなものである。
 振り下ろされた刃はロディの背後にあった鉄門を何の抵抗もなく切り裂くと、そのまま石畳に鋭利な切り口を残して振り抜かれた。
 すぐさま蛇の如き勢いで跳ね上がる黒い刃の一撃を、ロディの剣がいなす。
 それと同時に相手の心の臓向かって突き込まれた長剣は、およそ人外の動きと評されるような背後への跳躍によって、襟元をかするだけに終わる。
 この一瞬の攻防は、常人がほんの一呼吸を終えるような短い間になされた。
 一足一刀の間合いにて対面した二人の剣士。
 かたや、大業物《茨の剣》を握る歴戦の傭兵にして冒険者。
 かたや、妖刀《闇鴉》を振るう不死身の剣士。
 竜虎相打つと余人が見れば言い表すような壮絶な立会の中、一陣の風が両者の間を吹き抜けた。

「っ!」
「ふっ!」

 短い吐息を漏らして、再度両者が斬り結ぶ。
 肉厚の大太刀が残像の生じそうな速度で振り回されると、それに合わせて振り上げた魔剣が大気に魔力光をまき散らしながら激突する。
 二振りの刃が打ち合うたび、互いの剣に宿った魔法の力がお互いの魔力を打ち消そうと熾烈な火花と特徴的な甲高い悲鳴を上げた。
 茨の魔剣からは武器破壊と幻痛の魔法が、闇鴉からは悪名高き魂喰らいの魔法が。
 刃の軌跡に濃紺と闇色の光を描きながら、二振りの魔剣はそれを握る不世出の天才達の手で存分に振るわれる。
 一体何合打ち合ったか、終わりの見えない光の乱舞を絶ち切ってロクシーは大きく背後へ飛びすさった。
 正眼に構えた刀を八双に変えるや否や、今や剣を志す者の間で生ける伝説となった幽鬼の剣士はこらえ切れないといった様子でその薄い桜色をした唇に微笑を浮かべた。

「ふ、ふふ、うふふ」
「……」
「こいつは、ふふふ、驚いた。ロディ・ジマー、あんたはあっしを殺せる。今のまま腕を磨けば、間違い無くそうなる」
「……望外の褒め言葉だ」
「ふふ、ふふふ、今日という日を生き残れば、の、話でごぜぇますがね……。さ……お互い千日手は望まぬところでござんしょう」
「いや、俺は千日手で全く構わないんだがな」
「おや、しかしその場合、痺れを切らしたあっしが何をするか分かったもんじゃごぜぇません」

 ロディは舌打ちと共に唾を吐くと、両手に握った魔剣を大上段に構えた。
 それに満足気に頷いたロクシーがゆっくりと円を描きながら移動する。
 ロディはそれに応じるようにこちらも円を描きながら移動する。
 一見、間合いを維持したまま立ち位置を変えているだけに見えるその動作は、実際のところ達人にしか分からぬほどにジリジリと間合いを詰めていた。

「……ふぅ……ふぅ」
「はっ……はっ……」

 ジリジリと、時の歩みが極限まで引き伸ばされるかのような緊張感の中、ぎしりと、木床を誰かが踏みしめるような微かな音が静謐の中に滑り込んだ。
 次の瞬間、人類に許された限界近い踏み込みの速度でロディの魔剣が大上段から打ち込まれる。
 それを向かい打つ闇色の妖刀は、刀ごと敵を切り飛ばすような鋭い剣閃を虚空に残して走った。

「イリャァァァァ!」
「オオッ」

 二人の剣士が火花を散らして交差する。
 ロディの肩口は浅く切り裂かれて鮮血が散り、ロクシーの頬にうっすらと一閃の跡が残った。
 交差して背を向けるや、まるで鏡写しのように二人の達人は体を反転させ、その業物に必殺の意思を載せて切り結んだ。
 その、瞬間である。
 「ひゅおう」と空気を切り裂く一陣の矢が戦場に飛び込んだかと思うと、今しもその刀で胴薙を放とうとしていたロクシーの右眼窩に飛び込んだ。
 飛来した勢いもそのままに、全長の半分近くまで眼窩を通して頭蓋に突き刺さった矢を、刹那の瞬間あっけに取られた顔のまま、残った左目で見たロクシーがとっさにその矢を掴もうとした。
 が、再度間髪入れずに射られた二の矢は彼女の心の臓を正確に貫いていた。
 布地の羽織りに防御性能など最初からない。鋼鉄の矢尻は容易く羽織りを貫いた。

「がっ」

 と、呻くと、二本の矢を身体に生やしたままロクシーはどうと石畳に倒れた。
 その手が最後まで握り締めていた闇鴉は、倒れた拍子に石畳へ叩きつけられ、街路の中にけたたましい金属音を鳴り響かせる。
 その光景を目の前でじっと見ていたロディは、剣を構えた姿のまま10秒、20秒、そして30秒が経過してようやく構えを解いた。
 剣を鞘に収めながら背後を振り返ると、ちょうど救貧院の屋根の上から今の今まで伏せっていたスナイパーが飛び降りてくるところである。
 燃えるような赤毛をした、鳶色の瞳を持つエルフの娘、リリアナである。
 ロディは歩み寄るリリアナをじっと見つめてから、ちらりと横目で倒れる剣士を見る。

「不満そうね、副団長」
「……いや、そんな事はない。援護、感謝する」
「全然感謝してるように見えないんだけど」

 そう言ってムッとした顔をするリリアナに、ロディ・ジマーはいつも通りの哲学者じみた苦悩顔を微かな不満顔で歪めながら、やはりちらりと倒れるロクシーの方を見た。

「……俺は、剣士である前に副団長だ」
「そう言いながら、不満そうね」
「……」

 伝説を越える腕前になると、その伝説本人から太鼓判を押されたばかりの男は、言葉にならないモヤモヤとしたものを感じながら踵を返した。

「シスター・ファレルを安心させてやらないと」
「ちょっと、ロディ? 私の援護が気に入らなかったんならそう言えばいいじゃない。気兼ねする必要なんて無いわ」
「そんな事はない。協力感謝する」
「相変わらず嘘が下手ね、ロディ。正直に言いなさいよ、一騎打ちに水を差されてお冠なんでしょう」
「そ――」

 返事をしようとし、背筋に走る強烈な悪寒に従って剣を抜こうとした右手は、雷光の如き素早さで走った一閃で弾き飛ばされた。
 鞘からすっぽ抜ける茨の剣を視界の隅に収めながら彼が見たものは、身体に矢を生やしたまま左手で闇鴉を振り抜き、そのまま開いた右手で背後からリリアナの首を締めるロクシーの姿だった。

「その通り……野暮な事をしやがる。せっかくのいい気分が台無しでござんす」
「くそっ、やはり、噂は本当だったか……!」

 全く感覚の無くなった右手を左手で握り締めながら、ロディは恐怖と驚愕で目を見開くリリアナと、その細首をしっかりと握り締めながらゆっくりと刀を鞘に収める幽鬼の姿を睨みつけた。

「ふふ、ふふふ、エルフのお嬢さん……あっしにあの瞬間まで感づかせねぇ隠行たぁ恐れ入る。しかし、残念。あっしはただの鉄の武器じゃあ死なねぇんで。まさか、知らなかった? あんたは子供の時にあっしのお伽話なんかを母ちゃんから聞かなかったんで?」

 そう彼女の耳元で囁きながら、ロクシーはゆっくりと眼窩に突き刺さる矢を抜いていく。
 抜けきった矢の後には、何の傷跡もない綺麗な水色の瞳が、その奥底に怒りの色を湛えながら揺らめいた。
 抜いた矢をへし折り、次に彼女は心臓に突き立つそれを抜き捨てる。

「あーあ、あっしの一張羅が台無しだ。心臓を穿てば死ぬとでも? ふふ、ふ、あんた、あっしをそこらの吸血鬼か死体食いと間違っちゃあいねぇかよ。ええ?」
「……ッ……かっ……ふ」
「おおっと、悪い悪い。ちょいと力を入れすぎちまった」

 今や、眼に見えるほどの怒気を立ち昇らせながら、不死身の剣士はこちらを睨みつける茨の剣士に薄ら笑いを向ける。

「なるほど、全員返したと見せかけて、伏兵を残す。ふふ、ふ、いや、それは別に構わねぇ、兵法者だよ、あんたは。だけど、ふふ、だけどねぇ、この顛末はお粗末すぎる、ふふ、そう、余りにもお粗末に過ぎる。そうじゃあごぜぇませんか。ええ?」
「ああ……その通りだ」
「おや、ご同意してくださる? ふふ、そいつぁいい。で、どうするつもりで? 伏兵はこの有様、頼みの魔剣は遥か彼方、さあ、どうする、ええ? ふふ、ふふふ」
「魔剣は……」
「うん?」
「魔剣は、己の主から離れない」

 空気を切り裂きながら飛び込んできた茨の剣を、無事な左腕で受け止める。
 最早ただの錘となった右腕を盾にするように、右半身をロクシーに向けたままロディはその両目に不屈の闘志を滾らせながら、脇目もふらずに彼女の両目を見据えた。
 彼方より飛来した魔剣を見て、それを握る男を見て、ロクシー・ヘイゾォルトはにこりと笑った。

「剣が啼いている。勝利の代価に命をよこせと」
「あっしの剣も啼いていやがる。強敵と切り結べと、あっしを駆り立てる」
「俺はあんたを殺すだろう。いつか来る明日ではない、それは今日だ」
「ふ、うふふ、素晴らしい。あんた、本物の剣客だよ」
「初めて剣を握った時から、俺はそのつもりだ」
「あ――ああ、イイ……今日は、いい日だ……」

 恍惚とした表情を浮かべながら、剣鬼はリリアナを横手に放り捨てて、己を打倒せんとする剣客と鏡合わせのごとく構えると、その全身に得も言われぬ剣呑な気配を纏わせた。

「あんたの墓碑銘は何と刻めばいい? サー・ヘイゾォルト」
「ふ、うふふ、卿(サー)なんて呼ばれたのは何年ぶりか……そうさね、剣に憑かれた愚か者ここに眠る、とでも」

 二人の剣客が再度睨み合う。
 死という絶対の領界が、極限まで二人の近くに迫る。
 死界の領界神が嬉しげに見守る死闘は、しかし突然開かれた流血の魔道によって遮られた。

「な、なにっ」
「うっ」

 ちょうど二人が睨み合う中間点。
 貧窮員の門扉前に突如開いた魔道は、むせ返るような鮮血の臭いを周囲にまき散らしながら一人の魔道士を吐き出した。
 錆色のインバネスコートとシルクハット、真っ白のアスコットタイ、彫りの深い立像のような顔立ちをした顔にはモノクルがかかっている。
 全身に流血界のねっとりとした危険な魔力を纏わせながら、節くれだった不吉な外観の杖で石畳を一突きすると、鮮血と臓物の臭いを辺りに残しながら流血の魔道は目の前で閉じた。

「……イーレン?」

 ぽかんとした顔でそうロクシーが呟くと、まるで見違えた姿となった魔道士は、五歳は若返った髭のない顔を彼女の方にギッと向けた。
 続いて彼女は「その格好は――」と続けようとしたが、その瞬間にバッと彼女の方に突き出された白い手袋に覆われた掌に制され、言葉を飲み込む。

「よし、当ててやろう、当ててやるぞ、半レイスで半淫魔の汚らわしい剣士め、そうだ、お前はこう質問する気だな、その格好は一体何だと、そうだろう、そうだろう?」
「あ、ああ、そ――」
「クエスチョォォォン! 吾輩だ! 吾輩が質問する番だ! 黙れ! 黙れロクシー! 今度はこっちの番だ! 貴様は、貴様は何故だ! 何故ここにいる? まさか「奴ら」か? 「奴ら」がお前をここに送り込んだのか? どうなんだ、当たりだろう、お前は「奴ら」の手先に成り下がったのだな!」
「いえ、そいつぁ早とちりってぇもんで……」
「ならば何故だ? 何故こんな所にお前がいる? 開発区画の裏寂れた潰れかけの世界中探しても星の数ほどある何の特徴もない貧窮院の真ん前で、天禀の剣士が何をしておる? 帝国初代筆頭剣士が、こんなところで何をしているのだッ、ここでッ、この場所でッ、この吾輩が魔道を開いた目の前でッ」
「そ、そいつぁ……」

 ロクシーはとっさの言葉に詰まった。
 元々この狂った魔道士が苦手だったこともあったが、そもそも彼女自身、チンピラと借金取りの真似事をしているなどと胸を張って言えるはずもない。
 職業に貴賎はない、しかし、善悪はたしかにあった。

「答えなし? 吾輩の質問に答えられんのかッ! 「奴ら」の差し金か、それとも人に言えぬような理由があるのかッ! 質問だ、吾輩はお前に質問している! クエスチョンクエスチョンクエスチョォォン!!」
「…………ああ、そうでござんす。あっしはちょいと胸を張れねぇ要件でここに出張った次第で」

 そう言って、ロクシーは羞恥に染まった顔を隠すようにして拾い上げた塗笠を深く被った。

「けど、その要件もついさっき終わっちまった。あっしはもう帰るよ、イーレン」
「帰る? ウィカンに帰るのか? ならば、どこかで油を売っているトロルと悪魔を連れてこい、連れてくるのだ、吾輩のもとに、いいか、ウィカンには帰るな、帰るんじゃないぞ、特に吾輩の部屋には入るんじゃない、絶対だ、何がなんでも入るなっ」

 危機迫るようなその口調を背中に浴びながら、事情を察したロクシーは小さな笑みを口の端に上らせながら、死合いを台無しにしてくれたブラッドメイジに小さな仕返しをすることにした。

「イーレン、あんたがいないって知ったら、きっとソフィアちゃんは悲しくって泣いちまうだろうねぇ」
「…………………………」
「ああ……可哀想に、あの蜜柑色をした両目から戯夜曼みてぇな涙を流して、蜂蜜色のふわふわした髪の毛を涙で濡らしちまうだろうねぇ」
「…………………………」
「まだまだ子供の、お人形みてぇな身体を悲しげに震わせて……「おじさま、ソフィーの事、嫌いになってしまわれたの?」ってぇ泣いちまうだろうねぇ」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」
「…………………………」

 不気味な沈黙がほんの数秒。
 脱兎の如く駆けた彼女の背後から、憤激の罵声と共に流血の呪いと致死の呪いがぶどう弾の如く炸裂する。
 紙一重でその全てを回避しながら、例の笑いを漏らして風の如く駆けた。
 火照った頬を冷ましながら、ロクシーはたしかに己の淀んだ運命の川が流れ始める音を聞いた気がしたのだった。



[26123] 5
Name: Genitivi◆c32eea94 ID:95ec37dc
Date: 2011/03/21 22:09
「で、そこでこの俺が言ってやったわけだ、俺こそはゲラン・グロカーシュ、俺の首をとって名を上げたい命知らず共は、掛かってこい!ってな」

 そう言ってゲランがよく通る胴間声で笑いながら語ると、チキンソテーを噛みちぎりながらフィリップが身を乗り出す。

「で、かかってきやがったわけか、その「勇者様」は?」
「おうとも。事前に嫌ってほど情報を流してやったからな、俺達グリデン同盟を纏めてんのはウランフ氏族の筆頭参謀だってな。実際、グリデンの中核戦力をなしていたのは俺達トロル同盟傭兵団だったわけだ。奴らが目的をスマートに達成する方法はそれだけだった。男爵の軍は俺達に粉砕されて、後退していた同盟軍は俺達と合流しつつある。帝国軍はこんな小競り合いで大きな損害を出すわけにも行かないが、なんせこっちには俺達がいた」

 そう言って視線を隣の従者に向けると、自前のナフキンを首から下げて優雅にナイフとフォークを操る三つ目の悪魔は、特大のハンバーグを小さく切り分けて口に運びながら肩を竦めた。

「当初、グリデン国王はトロル傭兵団の助力が得られるとは思ってもいませんでした。北部からの圧力を増すシュティルゲン盗賊男爵と、その背後から糸を引くインペリウムにいち早く気がついたグリデン王は、自らの領地と領民を守ろうと鬼気迫る勢いで四方八方に救援の急使を送りました。その候補先の一つに一番近くのトロル傭兵団の郷であるウランフ氏族があったのですが、当然ながら族長ベリバランは一考に価するとも思いませんでした。その考えを改めさせたのがご主人様です」
「俺はそれを聞いた瞬間に思ったね、こいつはチャンスだ!ってな。俺達トロル傭兵団は確かに強い、一騎等百は確実にある。だけどな、いかんせん俺達のオツムがよく働くのは戦の時だけだ……俺以外は特にな。其れ以外の時……そうさな、日常生活での商取引なんかは苦手だったよ、俺以外はな」
「ウランフ氏族に出入りしていた商人の何人かがご主人様に不正を見破られて首を引っこ抜かれてからは、殆どなくなりましたが、最初は酷いものでしたよ」
「ああ、アレはなかなか痛快だったな!」

 ガハハ、と愉快げに笑って黒ビールを飲み干すと、陽気な戦トロルは空のジョッキを突きあげて「おい、もういっぱい追加!」と注文した。

「で、だ。なんで俺がこれをチャンスだと思ったかだがな、まあアレだ、近所付き合いも大切にって奴だ。何にせよ、一番近くの国にパイプを作っておくって言うのは悪いことじゃない。買い付けなんかも新しいルートができるからな」
「そして、ご主人様と私が骨卜師を説得し、その後に私たち三人が族長を説得しました。最初は渋っていた族長でしたが、ご主人様が他のトロル三氏族……つまり「レッドアックス」「オックスボウ」「シャープランス」を説得してこの依頼に参加させるという条件の下に承諾を得ました」
「説得は、まあそう大仕事じゃなかった。なにせどいつもこいつも血の気が多いのが集まっていたし――――圧倒的劣勢の小国グリデンに攻め入る大軍! そしてその背後から後詰として迫り来るインペリウムレギオン! 最早グリデンの命運は風前の灯……という所に颯爽と横合いから突撃するトロル傭兵団! 壊乱する敵軍と、戦線を押し上げるグリデン同盟軍! そして、後詰から救援に駆けつけるインペリウムレギオンとの正面決戦!!……………………というシナリオを語って聞かせたら俄然乗り気になった。まあ、それだけじゃあ決定打にならないから、俺の秘薬の知識と医療の知識を分けると言って最後の一押しにしたがな」
「……本当に、惜しげもなく教えましたよね」

 そう言って、額の目も合わせてじっとりと恨みがましい目でレーゼは彼の方を見た。
 見られた方は鼻で笑って蕎麦粉のクレープをむしゃむしゃと齧る。

「お前が無償で教えるなと子供の時からガミガミ言うから、あんな遅くになったんだぞ。本当ならもっと早くに広めたかったんだ。まあ、それはもういい。それでさっきの大合戦につながるわけだが、その前にあの同盟軍の歓待ぶりの凄かったの何の。へへ、俺なんてめちゃ美人の王女様にキスされちまった」

 そう言ってやに下がるゲランをレーゼは冷ややかに睨みつけながら、八つ当たり気味に鉄板皿に残ったハンバーグをかっ込むと、たまたま通りすがった胸の大きい金髪のウェイトレスに空の皿をずいとさし出して「同じモノを」と怒りの篭った声色で注文した。
 フィリップは冷え冷えとした怒りの気配に首をすくめながら、笑顔で注文を受け取るウェイトレスに尊敬の念に近いものを抱いた。
 プロ根性此処に極まれり。
 以前の自分ならいざしらず、彼女の凶悪な姿を目の当たりにした今となっては尻尾を巻いて逃げ出したい気分だった。

「ええ、そうでしたね。とっても、素晴らしい歓迎で、ご主人様もご満悦でした」
「何だ、悪いか、人間からああいう扱いをされたのは久しぶりだったんだよ。他の同胞も初めてだってヤツのほうが多かったから、うん、まあ、俺の狙い通りだった」

 そう言ってニヤリと笑ったゲランが山盛りの唐揚げをもりもりと減らしていくのを見ながら、正面に座るフィリップはフライドポテトをケチャップで合えながらなるほどと首肯する。

「疎まれながら大金でこき使われるのと、大歓迎されながら少ない金で働くか……まあ、人によるだろうが士気の上がり方は違うだろうなぁ」
「俺達が契約金を絶対に値引きしないって言うのはな、別に種族全体が守銭奴の集まりってわけじゃない。単に自分の腕に絶対の自信を持っているプロの集団は、己の腕を安売りしないってことだ。だけど、あの時ばかりは族長を説き伏せて契約金の後払いを呑ませたかいはあったな。
 秘密裏に同盟に加わった俺達は、同盟側からあらゆる援助を受けて、主戦場の東にある小高い山裾の森に夢幻界の魔道士一個中隊を混じえて隠れた。魔道士達は総勢1000人のトロル傭兵団を完全に隠し切った。気配も、臭いも、何もかもな。そうして、山裾から見える平原で始まった合戦をよそに、俺達は最高のタイミングをまんじりとせずに待った。
 ……そして、とうとうその時がやって来た。同盟の前線を構成する重装歩兵がジリジリと下がり、それにともなって後衛の部隊が逃亡し始めた……ように敵には見えただろう。後詰のトヴィールッツ将軍は罠だと気づいてたみたいだが、伝令は間に合わず、功を焦った男爵は全軍突撃の指示を出した。
 戦場を迂回したランス騎兵隊の突撃は前線で必死の防衛戦をしていた重装歩兵隊の横腹を突いた。
 普通ならばここで彼らは壊乱するだろう。男爵もそう思っただろうし、騎兵隊の指揮官もそう思っただろう。だが、そうは問屋が卸さない。
 突撃した騎兵隊の指揮官は我が目を疑っただろう、正面を向いていたはずの横隊の一部はいつの間にか彼らの方を向いて、不退転の決意を持って斜めに傾いだパイクの群れが突撃を迎え撃ったんだからな。
 突撃に呑まれず、足を止めて決死の任務に命を賭けた重装歩兵。……そんな奴らのほとんどが、元は市民兵だってんだ、信じられるか?
 騎兵が乱戦に飲み込まれて失策を悟った男爵が次の指示を出そうとしたその時、戦場に岩喰い鬼の角笛が高らかに三度響き渡った。
 「トロル傭兵団、突撃(チャージ)!!突撃(チャージ)!!」
 焦らしに焦らされた千人の戦鬼の軍団は、退くも進むも行かなくなったランス騎兵隊を背後から粉砕した! たぶん、突撃して殲滅するまで5分もなかった。
 ああ、あの時の奴らの慌てぶりと味方の歓声を今でも思い出せる。戦場に《赤き戦斧》《鋭き槍》《闘牛の弓》そして《八本牙》の戦旗が翻った瞬間、男爵軍の軍勢は恐慌状態に陥った。へっ、まあ、そりゃそうか、俺達ときたらまるでフサンの婆さんが糞を垂れるくらい速く戦場を横切って横撃したからな。気づいた時には、もう遅い」
「かぁー! スゲェなぁ、俺もその場で観たかった!」
「どっちだ? 超絶美人の王女様か? それとも俺達が奴らの軍勢を横腹からズタボロにするところか?」
「どっちも」
「そりゃあそうだ」

 陽気な笑い声を上げて、赤ら顔の戦トロルはまたしてもジョッキをカラにして「おーい、樽ごと持って来い!」と注文を叫ぶ。

「あれ、ちょっと待てよ。さっき秘密裏に同盟に加わったって言ったか? でも、それだと情報を流したっていうのと食い違わないか」

 そう言ってフィリップが首を傾げると、小型の樽ごとテーブルに置かれたビールをジョッキについで、ゲランはしたり顔で頷いて見せる。

「ああ、流す経路が違うんだ。男爵軍には極限まで隠密で事を運んだが、帝国軍のスパイ共にはこれでもかってほど教えてやった。結果、トヴィールッツ将軍のもとには俺達トロル傭兵団がぞろぞろと入城したって言う危険極まりない情報がじゃんじゃん入って来るって言うのに、男爵の手元には欠片も入ってこない。将軍は警告するだろう、だが男爵はいくら調べたってそんな情報は手に入らない。
 ここで、男爵と帝国の間に横たわる政治・軍事的緊張感が落とし穴となるわけだ。男爵は帝国の力は借りたいが、その属領になるのは何とかして回避したい。そのためには今回の侵攻戦を帝国の力を借りることなくやり遂げないといけない。ところが、帝国側は南部への足がかりのために男爵領を橋頭堡にしたがっている。帝国はもしこの戦いで男爵が無様を示せば、圧力を加えて男爵の首をちょんぎって違う首を挿げ替える気満々ときた。
 さて、これらの背景を下にして、この情報量の差と将軍の忠告を聞いた男爵はどう考える?」

 その問いに、レモン水を飲み干したレーゼが答えた。

「疑心暗鬼に陥った男爵は将軍からの情報を「最初から自分達が戦列に加わって戦訓を横取りするための偽報」であると断じました。将軍は恐らく精鋭の魔法騎士隊だけでもいざという時のために男爵軍後衛に配すように助言をしたのでしょうが、己の権勢を犯されかけていると信じきっている男爵の耳には将軍の助言も忠告も己を陥れるための甘言にしか聞こえなかったでしょう。
 男爵は後詰の位置をほとんど後詰として意味のないような後方に配置し、余計な手出しをさせないようにしました。その配置は「帝国の援護を得た男爵軍」というよりも「男爵軍と帝国軍」というものであり、つまり戦場においては最も避けねばならない戦力の無意味な分散を招いたのです。
 そして、ご主人様と私たちは参謀たちは、そんな隙をみすみす見逃すほど馬鹿ではない。総数に於いて劣る我軍は、こういった状況に於いて常套手段である、敵軍の分散と各個撃破という作戦に戦闘前から成功していました」
「うわぁ……えげつねぇ」
「がはははは! 戦争って言うのはそういうものだ! 戦場で決まるのは全体の三分の一だけだ。他は戦の前と後にどうするかにかかっている。そして、焦りで眼の曇った男爵にはそれが疎かになった」

 そう言ってゲランがジョッキを呷るとちょうど、「特大ハンバーグお待たせしましたぁ」という甘ったるい声と共にさっきのウェイトレスがじゅうじゅうと湯気を立てる鉄板皿をレーゼの前に置くと、線の細い外観に似合わず肉っ気の多い食事が好物の彼女は、微かに口元をほころばせながらチップの大銀貨をウェイトレスのポケットに無造作に突っ込んでナイフとフォークを手にとった。

「ご主人様、このハンバーグ美味しいですよ。今度ウチでも作りますね」
「おお、お前がそこまで言うのは珍しい。そんなに美味いか? どれ一口くれ」

 そう言ってゲランは自分のナイフでハンバーグの三分の一ほどをバッサリと切って、そのままがぶりと一息で口の中に放り込んだ。

「全然一口じゃないですよ!」
「おお、たしかに美味い! レシピ分かるか?」
「聞いてませんね…………はあ、大体は分かります。何回か食べて覚えないと隠し味が……」
「よしよし、レパートリーが一つ増えるな。また肉料理ってのがちょっとアレだが、うむ、まあたしかに美味い。ただ、さすがに次は魚料理にしてくれ」
「川魚でよろしいですか」
「おう、おう、そうだ、芋酒と芋膾がいいな」
「鯛も鱸も手に入りませんから、川鯵でも?」
「アジか! ううむ、いいぞ、米を買わないと」

 食い気談義にホクホク顔のゲランと、穏やかな微笑を浮かべながらそれに応じるレーゼをよそに、話を中断された形のフィリップはそわそわとして続きを待った。

「なあ、それで、例の魔法騎士隊にいた「勇者様」御一行との血闘はどうなったんだよ」
「おう、そうだったそうだった! それでな……」

 続きを話そうとしたゲランの視線が不意に他所へ逸れると、ある一点を見て目を瞬かせた。
 「こいつは珍しいな」と小さく呟くと、ゲランはフィリップの方に視線を戻して申し訳なさそうに肩を竦めてみせる。

「悪いな、話は今度だ。仲間が来た。おおい! こっちだ」

 そう言って手を振ると、塗笠を小脇に構えたまま滑るような足運びでロクシーがやって来る。
 まるで幻の如き美貌の剣士を目の当たりに、フィリップはぽかんと口を開いて彼女を見ていた。
 何やらやつれた様子のロクシーは空いていた椅子に座ると、やれやれとため息を付いてから、丁度よく料理を持ってきた胸の大きい金髪のウェイトレスに声をかける。

「ああ、ちょいとよござんすか」
「はぁい、ご注文お聞きしまぁす」
「ええと、あさりの酒蒸しとホタテのバター焼き、それからゲソの唐揚げ、あと秋水横一文字を燗で一合」
「はぁい、少々お待ちくださぁい」

 注文を伝票にサラサラと書き付けると、ウェイトレスは大きな胸とお尻を揺らしながら厨房に戻っていった。
 そのゆらゆらと揺れる腰つきをゲランとフィリップはじっくりと鑑賞し、互いに頷きあう。

「……うむ、イイ」
「ああ、グッと来る」
「はあ、まあたしかに男好きのする身体つきでござんすねぇ。しかもありゃあ骨格が随分細っこい、ああいう女の肌は、こう、まるで吸盤みてぇに肌に吸い付いてくるもんでござんす」
「ほう、味わったことがあるのか、ロクシー」
「あの女じゃござんせんが、まあ、昔ね、帝都に住んでた頃にああいうのと何度かね」

 そう言って、半霊半魔の剣士は正面に座るフィリップの目の前に置かれていたほうれん草のグラタンを皿ごと取ると、ゲランの皿に突き刺されたまま放置されていたスプーンを拝借してモリモリとかっこみ始めた。
 眉目秀麗な幽玄剣士が作法も何もなく酒場の料理を貪るさまは、なんとも言えない違和感と居心地の悪さを感じる光景であったが、そんなモノおかまいなしといった風情で彼女はグラタンをさも美味そうに平らげた。

「ふぅ、いやいや、人心地ついた」
「欠食児童かお前は。最近は大家さんに飯も頼んどらんし、金がないのは首がないのと同じとは言うが、お前の場合首がなくったって生きて行けるだろうから難しいな……いやいや、それはどうでもいい。で、珍しく正装じゃないか、仕事帰りか」
「ええ、まあ」

 そう言って、ロクシーは言葉を濁す。

「ふうん、じゃあ今日の支払いはテメェで出来るんだな? そういやここのツケはどれだけたまってたか」
「あ、イタタ、ちょいと兄さん、そいつはいけずってもんじゃごぜぇませんか。兄さんこそ、こんな酒宴を開いているからには、今日はどっと稼いだに決まってるでしょう。あっし一人の飲み食いくらい、訳もねぇ額でござんしょう」
「おお、たっぷり稼いだとも。だがな、ロクシー、俺はこれから方針を変えることにした。お前は甘やかすとどんどん駄目な奴になっていくから、ここいらで一つ突き放さないと…………と、レーゼが言ってたんでそうする」
「な、なんだって」

 そう魂消てロクシーが青ざめた顔を隣のレーゼに向けると、アセイル属の悪魔は本気の怒りを込めた笑顔をして見せる。
 ぶるりと背筋に走る危険信号に、とっさに逃走しようとしたが、自分の手の中にはすでに空にしてしまったグラタン皿がある。最早、逃げ場なし。
 がっくりと項垂れたロクシーは、懐から紙入れを取り出すと、中に仕舞ってあるなけなしの硬貨を一枚一枚数えた。

「ううう、ちょいと、そこの新顔の坊や、ちょいと金を貸しておくんなし」
「は? いや、別にいいけど――」
「駄目です」

 ピシャリと遮るレーゼの声。
 その剣幕に首をすくめるフィリップ。
 途端にロクシーの顔が絶望に染まる。

「そ、そんな、このグラタンとさっきの注文で足が出ちまうよ」
「おい! なんでそんなカツカツなんだ! こないだ俺の貸した金はどうしたっ」
「ああ、そいつは闇鴉の砥ぎ賃と服代に消えちまった」
「服だぁ? お前が着流しと羽織袴以外を着ているところなんて見たことないぞ」
「おや、絹襦袢姿もご覧になったでござんしょう」

 レーゼが椅子を蹴倒して立ち上がる。

「ま、まてレーゼ! 落ち着け!」
「私はこれ以上なく落ち着いています――ええ、問題ありませんとも。ご主人様の交友関係に、従者如きが、口出しなど、しませんとも。なんの、問題も、有りません……ッ」

 極太のボルトで床に打ち付けられたテーブルがみしみしと軋み音を立てている。
 第三の目は危険なほどに魔力を滾らせて赤く光っていた。
 冷や汗を流しながら必死にそれを落ち着かせようとするゲランの横で、そもそもの発端を作ったロクシーはニヤニヤと笑いながらゲランのジョッキを拝借してグビリと喉を鳴らした。

「や、兄さん、古女房は大事にしねぇといけねぇよ」
「ばか、俺はレーゼを蔑ろにしたことなんて一度だってない」

 きっぱりと言い切ったその言葉に隠しもしない真実の臭いを感じ取ったのか、途端に怒りの萎えたレーゼは溜息を一つついて椅子に座ると、じろりとロクシーを睨んだ。

「で、仕事に行ったはずなのにどうして素寒貧なんです。もうどこかで使ってしまったんですか」
「いやぁ、確かに仕事にはいった、いったが……うむ、成功したとは一言も……」
「はぁ……」

 大きな溜息と共に肩を落とすレーゼの向かいで、ジョッキにビールを継ぎながらゲランが爆笑する。

「なんだ、またプー太郎に逆戻りか! よしよし、なら久しぶりにパーティを組むか、ええ?」
「はぁ……そりゃあ構いませんがねぇ、前みてぇに無茶苦茶は御免被るんで、お忘れにならんでくだせぇよ」
「無茶苦茶ってのはどいつのことだ?」
「本気で言ってやがるんで」
「どれの事だかわからん」
「畜生ッ、だから兄さんと組むのは嫌だってんだ! カタコンベの最深部にたった四人でカチコミするなんざ正気の沙汰じゃねぇ! 頼むからもうあんな無茶はゴメンでござんす!」
「ああ、ありゃあさすがの俺も肝が冷えたな。ガハハハ!」

 肝が冷えたのはこっちだ、とブツブツこぼしながら、ロクシーは運ばれてきた燗酒を御猪口に注ぐとぐいぐい流し込み始める。
 一緒に運ばれてきた肴に舌鼓を打つと、もとより透き通りそうな肌は酒気を帯びてあっという間に桜色に染まり始めた。

「ああ、そうそう、もうすぐもう一人やってくるんで、そっちの呑み代は持ってやってくだせぇよ」
「あん? 誰だ」
「っと、噂をすれば影って奴で。おうい、こっちこっち」

 そう言ってロクシーが手を振る。
 他の三人が一つ目巨人亭の入り口を振り返ると、そこにはララク初等学校の紺色をした指定コートを着て、同色のベレー帽を被った一人の少女が、さも手持ち無沙汰といった体できょろきょろと辺りを見渡していた。
 身長は4フィートもないだろう。ベレー帽から溢れる蜂蜜色の髪は緩やかに波打ちながら彼女の腰元まで伸びている。
 まるで生きたビスクドールのような少女に不埒な視線を向ける者が大勢いたが、それが招かれているテーブルを見た瞬間に光の速さで眼を逸らした。
 さもあらん。もし手を出せば、死よりも恐ろしいことになるだろう。
 少女はざわざわと騒がしい店内でようやくロクシーの呼ぶ声に気がついたのか、花が咲くような笑顔を浮かべてちょこちょこと可愛らしく小走りで店内を横切っていく。
 本来ならば忙しく立ちまわる店員とだらし無く足や武器を投げ出した冒険者によって、足の踏み場もないほど混雑する店内であったが、少女が駆ける道先はまるで定規で線を引いたかのように障害物がなくなっていく。
 顔を青くしたむくつけき大男どもがすぐさまその道を譲っているからなのだが、とうの少女はそんな事には全く気がつかない。

「はぁ……はぁ……ロクシー様、伝言ありがとうございます。おかげでむだ足をふまずにすみました」
「ああ、いいってことよ。愛しの叔父様はすぐにやってくるからよ、とりあえず、ほら、駆けつけ三杯」
「まあ、東方のお酒ですの? これ、わたくし大好きなんです」
「おお、知ってるよ、ほら、ぐっと」

 そう言って、まるで小動物のように小さな手で御猪口を持つと、少女は少し温くなり始めた熱燗をゆっくりと胃の中に流し込む。

「ふぅ……もうしわけありません、けっこう強めのお酒ですね、三杯はごかんべん下さいまし」
「いや、そもそもその年で一杯だろうと飲むのはどうかと思うがな」
「あ、ゲラン様、あいさつもせずに、もうしわけありません」
「ああ、いや、まあ、気にするな。学校は、どうだ?」
「みなさん、とても良くしていただいています」
「そうか、うむ、良かった」

 如何にも「何を喋って良いやら分からん」と顔に書いているゲランに、他四人は笑みをこぼした。
 ここに揃った大人共は、揃いもそろって擦れた人生を送ってきたものだから、こういう純粋な好意を向けられると一瞬どうしてよいやら分からないのだった。

「ところでロクシー様、おじさまはいつごろ来られるのでしょう?」
「ま、気長に待ちなせぇ。ほら、何でも好きなもん頼みなよ」
「テメェの金じゃねぇがな」
「兄さんの金でもねえでござんしょ」
「何をこいつ」
「兄さんの財布は、こういう時は古女房に握られてんじゃァごぜぇませんかね」

 むっと不機嫌な顔付きでゲランは押し黙ると、クスクスと楽しげに笑う少女と従者に挟まれて、八つ当たり気味に新しいビールの樽を注文するのであった。



[26123] 6【第一部完】
Name: Genitivi◆c32eea94 ID:7b0f6d1d
Date: 2011/03/29 00:50
 じっと息を潜め、己の全てを殺しながらリリアナは視線で人が殺せるならばというような形相で、酒場内で一番危険な怪物たちの集う円卓を睨みつけていた。
 いつもならばそんな危険極まりない集まりなど、毛ほども関わらない彼女であったが、今回ばかりはそうとも言ってられない。
 なぜならばそのとんでもない集まりの中に、あろうことか彼女の相棒がほろ酔い加減で楽しそうに笑いながら加わっているからである。
 ここ大塔都市ララクにおいて、人々の選ぶ関わりたくない奴らトップテンにランクインする奇人変人魑魅魍魎共。
 《比較的温厚な悪魔》と馬鹿みたいな分類名を当てはめられたアセイル・デーモン=レーゼ。リリアナはこの分類名を付けたララクの役人を絞め殺したい気分である。
 恐怖の代名詞アセイルデーモンに「比較的温厚」もクソもあるか。
 アレが普通に街路を歩いているだけでも、他の都市では都市機能が麻痺する大混乱になるレベルであった。
 彼女にフィリップがぶつかって脅しの言葉を囁かれたのがつい昨日で、そして何故その相手と酒宴を共にしているのか、訳がわからない。
 そして《八本牙の懐刀》と呼ばれ、あのレーゼを一体どんな外法を使ったものか、きっちりと従えて見せるウォートロルコンジャラー=ゲラン・グロカーシュ・ウランフ。
 傭兵たちの間で、一種英雄の如き扱いを受ける戦トロルである。
 そもそも、あの縄張り意識が強く戦争中毒の戦トロルの連合体制を作ってみせただけでも賞賛物であるが、あの凶悪なアセイル属を齢八つか九つの頃に召喚し、今に到るまで使役し続けるという行為はあの《魔道士の円環(サークル・オブ・メイジャイ)》が侃侃諤諤の大激論を巻き起こしている。
 が、そんな不毛な議論が決着する前に、在野の魔道士達は彼の偉業を手放しで賞賛している。
皮肉にも戦トロルの彼が、この面子の中で一番社会的信用が高かった。
 そして、さきほど彼女を殺しかけた伝説の剣士。古王国滅亡期からインペリウム黎明期までを一陣の風の如く走り抜けた半霊半魔の剣客。《幽鬼のヘイゾォルト》と呼ばれる一人の剣鬼。
 今はもう伝説となってしまった昔、数えきれぬ程の領界神が人界へ介入し、神々の代理戦争は激しさを増し、領界を隔てるヴェールが薄紙の如く切り裂かれ、数多のソウルシフターを生み出した悪夢の時代。
 ケイオスの支配する世界を、ただ己の腕と妖刀だけを引っさげて切り開いた英傑。
 そんな相手に矢を射掛けて、自分が生きているのが不思議なほどで、リリアナは知らずのうちに己の首筋をさすった。
 ほんの少しだけ何かが違っただけで、恐らく自分はこの世にいない。
 そんな、第六感じみた直感が彼女を支配している。
 ショートワンドを握り締め、己の持つ夢幻界の魔道を最大限まで開き、虚を実に実を虚に変えながら彼女はじっと息をひそめて視線をテーブルにやっていた。
 極限まで尖らせた神経は魔道の維持と目標の監視に向けられていたわけだから、甘ったるい声で「こちら相席お願いしまぁす」というウェイトレスの声と、その後に着席した人影に彼女は気がつかなかった。
 しかし、その相席者がカットグラスに注いだブランディを彼女の方に置いた時、リリアナはようやく己のテーブルにやってきたその怪人の正体に気がついた。
 そして、気がついた瞬間に彼女は頭の中が真っ白になる。
 《流血気狂い魔道師》の異名を持って人々を震撼せしめる、ブラッドメイジ=イーレン・ヴォガスコフ・アンティノーヴァが、対面に座ってじっと彼女の顔を見つめていた。
 それは殆ど、冒険者の間では都市伝説のような扱いをうけている魔道師である。
 なにせ、目撃証言のあるところでは基本的に凄惨な流血と死闘の渦巻く現場であるし、この狂った魔道師の話を好き好んでしたがるような命知らずも殆どいない。
 噂の所にその影あり。
 都市部に巣食うブラッドメイジは、間違いなく恐怖の的である。
 先ほど救貧院の門前で遭遇した時は、同名の別人かと一瞬思ったが、あの使ってみせた魔法はどう考えても流血界の魔法とエントロピー系統の呪いである。別人の可能性は限り無く低い。
 冷や汗の流れ始めた顔を緊張でひきつらせながら、リリアナは自分の隠行をまるで無いものかのごとく無視して席についた魔道士に、一体どうやって応対すればよいかと頭を巡らせた。

「素晴らしい」
「――は」
「エクセレンッ……これほど巧妙な夢幻界の魔道は久しぶりだ。たしかにそこにある、だが同時にそこには何も無い。虚実を巡らす夢幻の魔道。開きすぎてはいけない、しかし同時に大きく開かねばならぬ。夢幻と虚実は巧緻を備えるべし」

 想像に反して、怪人の口から漏れたのは賞賛の言葉であった。
 突然の褒め言葉にリリアナはどう反応してよいやらわからずに、ただ言葉に詰まる。
 それと同時に彼女は、この魔道士の両目に話で聞くほどの狂気を見出すことが出来ずにいた。
 その双眸はあくまで理知的で、厳しい魔道の理に浸かった熟練のそれを思わせる。
 彼女は唐突に、己の魔道の師である老人を思い出していた。
 イーレンの顔貌はその師ほど老けておらず、むしろ二十代半ばほどの精悍さを残していたが、その両目には彼女を厳しく指導した老師と同じ光が、確かにあった。

「今暫し、それを維持せよ。吾輩が良いというまで、世界に虚実を交えるのだ」
「……はい」
「宜しい」

 そう言って満足気に頷くさまも老師を思い出し、彼女は黙って意識をもう一度鋭敏化させる。
 二人の座るテーブルをゆっくりと世界から切り離していく。
 そこに確かにある。
 だが、そこには何も無いのだ。
 そうして魔道を細く広く開くと、それに合わせるようにイーレンは己の魔道を開いた。
 その時リリアナは、ブラッドメイジの知られざる側面をたしかに知った。
 慎重に開かれた流血界の魔道は、力強い波動で虚実の障壁内を満たす。
 流血界といえば、凄惨な鮮血と吐き気を催す臓物の魔道だとばかり思っていた彼女は、その穏やかさの中に確かに息づく力強い拍動に驚いた。
 そして、彼女は気がつく。
 これは、己が母の胎内にいた時に感じていた心の臓が鼓動する音である、と。
 それと同時に全身の血流に乗って力強い魔力の胎動が駆け巡る。
 後で知ったことではあるが、これぞ流血魔道士の初歩にして最奥。
 《血の饗宴》と呼ばれる秘法であった。
 さて、魔道士の円環が必死になって隠して回っている禁術の知られざる側面を知った彼女が驚愕に打ち震える目の前で、鷹の如き顔貌となった魔道士はゆっくりと呪文を呟いた。
 やがて呪文が完成したのか、さっきまで彼女が、今はイーレンが睨みつけるテーブルの会話が、まるで隣で話しているかのような近さで障壁内を満たす。

『ふふ、ふ、おぬし、なかなか飲める口じゃぁござんせんか、さ、もう一杯、グッといきなせぇ』
『うっぷ、ちょっと手加減してくれよ。こっちは人間なんだ、あんたらみたいなのと比べられちゃ困る』
『ガハハ、おい若人、酒っていうのは場数を踏んでなんぼだ。呑まないとどれだけ入るのかもわかりゃしねぇ。肝臓の強さは決まっていても、飲み方の強さは場数で決まる』
『そうそう、兄さんは相変わらずいいことを言いなさる。さ、どうだ、おい、もう一杯』
『う…………よしっ』

 視線の先でフィリップがグラスの中身を一気に飲み干した。

『うっ、うぷ、もういくらなんでも無理だ』
『ああ、情けねぇ奴だ、兄さん手本を見せてやりなせぇよ』
『よしきた、どれどれ、とくと見るがいい』

 長身の戦トロルは酒瓶を喇叭飲みし始める。
 陶器製の酒瓶を逆さにしてその一滴までを胃袋の流しこむと、酒臭い息を吐き出しながら笑う。

『ワーハハハハハ! どうだぁ! 俺にかかれば火酒などもののかずではないわ!』
『さすが兄さん! よっ! このウワバミ! ザル! いや、むしろ底のない升!』
『うぇっぷ』
『ソフィー、あのようなお酒の飲み方はご主人様のような限られた人にだけ適応されます、マネをしないように』
『ええ、レーゼさん、わたくし以前お酒ではひどい目に会いましたの。それからは気をつけています』

 その、鈴を転がすような声がした瞬間に、イーレンは身を乗り出した。
 声の主は、リリアナが唯一その正体を掴めなかった少女である。
 見た目には、ララクの初等部に通う幼い少女でしか無い。

『ほう、痛い目?』レーゼが片眉を上げる。
『はい、それからはお酒はなるべくひかえるようにしています』
『へぇ、通りで。で、その痛い目ってぇのは一体どんな事で?』ロクシーが問う。
『それは、その……』少女――ソフィーは恥ずかしそうに顔を赤らめると『ひみつ、です』と小さく呟いた。

 そんな少女にニヤニヤと笑いかけながら、美貌の剣客はしたり顔で頷いて見せる。

『ははぁ、つまりあれだ、愛しの叔父様と関係のある話ってわけだ、ええ? そうでござんしょうが』
『そ、そんな、ことは、その……』
『おいおい、つれねぇなあ、教えてくれたってよござんしょう。おおかた、酔った勢いで叔父様の寝床に潜り込んだとか、そんなオチで?』
『な、な、な…………』
『おや、図星?』
『も、もうっ、知りません!』

 そう言って、ソフィーは真っ赤になった顔でぷいと横を向く。
 そんな彼女に絡む侍は、こちらは酒で真っ赤になった顔でニヤニヤと笑っている。
 質の悪い酔っ払いめ、とリリアナが思った瞬間に「パキン」と何かにヒビの入る異音がした。
 ぎょっとしてそちらを見れば、鬼のごとき形相をした魔道士が右手に持ったグラスを震えるほどの力で握り締めている。
 リリアナはすぐに視線をそらせて見なかったことにした。

『おい、ロクシー。あんまり揶揄うんじゃない。相手は小学生だぞ』
『小学生ってなんでござんす』
『む、ああ、初等部学生っていう意味だ』
『ああ、なるほど』
『こういう時はな、あれだ、そう、将来の夢とかを聞くべきだろう。なあ、ソフィ、将来の夢はなんだ』

 そう言って話しかけられた少女は、暫し考えた後に面を上げた。

『わたくし、まなびやを卒業した後はおじさまのお役に立ちたいと思っております』

 その言葉に、ブラッドメイジは曰く言いがたい呻き声を上げた。

『わたくしが世界で一番そんけいする人が、おじさまなんです。こうして外に出れたことも、まなびやに通えていることも、全部、全部おじさまのおかげです。わたくしは今まで、何もかもいただいてばかりで何もおじさまに返せたことがありません。だから、わたくしが成長して、まなびやをすばらしい成績で卒業すれば、きっとおじさまのお役に立てると思いますの』

 そう言って、蜂蜜色の髪をした妖精のような少女は頬を染めてはにかんだ。
 ぐしゃり、と音がしてそちらを見ると、ブラッドメイジ――恐らく、少女の大好きな「おじさま」は憤怒に震えながらグラスを握り締めている。
 リリアナは生涯これ以上無いという速度で顔を背けた。
 そんな彼女の耳に、恐怖の流血魔道士の呟き声が滑りこんでくる。
 自分の耳の良さを、彼女は呪った。

「馬鹿者……馬鹿者めがッ……。分かっておらぬ……何も……何一つ……愚者の戯言ッ……この吾輩が、そんな理由で……そんな事のために……お前を解き放ったと…………馬鹿者が……度し難い…物を知らぬ、大言壮語……! 流血神(ガデス)にかけて……! 浅はかな愚か者に、呪いあれッ呪いあれ呪いあれ呪いあれ呪いあれ呪いあれッ……! おのれ……おのれ、ソウル………、汚らわしき……冒涜の……ファック! 呪いあれ!」

 背筋がゾクゾクとするような、壮烈な恨み節である。
 この瞬間、たしかにこの怪人は世に語られるブラッドメイジそのものであった。
 つまり、狂気と、混沌と、不安定と、崩壊と、呪いと、そして報復を象徴する禁忌の魔道である。
 自分の夢を語り終えた少女が恥ずかしそうに俯く横で、筋骨隆々とした戦トロルはうむうむと頷いた。

『なるほどな、だが、うむ、まずはしっかり学び舎に通うがいい。そして、イーレンとじっくり進路については話しあえよ。ほかに、話し合うような奴もおらんだろう、話しに聞いた限りじゃあな』
『はい、わたくしの実家は早々にわたくしの事を忘れてしまいたいようですの。たぶん、おとうさまもわたくしにはもう会ってくださらないと思います』
『全くひでぇ話でござんす。ええ全く、貴族って奴らはどうしてこう今も昔もいけ好かねぇのが揃ってやがるんで?』
『おいおい、それはてめぇの事まで含んでやがるのか、ええ、ヘイゾォルト卿』
『うふふ、さあて、どうでしょうかねぇ』

 そこまで聞いて、とうとうイーレンは立ち上がるとずんずんと有無を言わせぬ足取りで件のテーブルに向かって歩き出した。
 慌てたリリアナは思わず術を解いた後、彼の後を追ってテーブルに進んだ。
 集中を解いて魔術を解放すると、真っ先にアセイル属がぎょろりとこちらを見た。
 恐らく解放された魔道から漏れる、尋常な魔道士ならば見逃すような微量の痕跡に気がついたのだろう。
 まず悪魔はリリアナの方を見て面白そうな顔をした後、その前をずんずんと進むイーレンを見て更に面白そうな顔をした。
 リリアナの前方を進む赤錆色の魔道士は、円卓の前、蜂蜜色の少女の真後ろに立つとニヤニヤ笑いをこちらへ投げかける伝説の剣士を睨みつけた。

「ロクシー、貴様吾輩の指示を無視したな! しかもそれだけに飽きたらず吾輩を謀りこのような罠にはめようとは言語道断無礼千万! 貴様のような奴は「奴ら」よりもよっぽどたちが悪いわ! いやまて! 何か吾輩は重要な事を見落としておるぞ! そうだ! そう言えば貴様はタヴェンティアの出身だったな、そうか、読めたぞ、貴様やはり「奴ら」の間諜であろう、そうだろう! このおぞましい半端者の戯け者が! 吾輩をこの程度で罠にはめたなどとその浅はかな考えが愚かしい!」
「おお怖い怖い、愛しの叔父様は随分とお冠だ、ねぇ、ソフィ」

 そう言って水を向けられた少女は、両目をまん丸にして突然現れたイーレンを見るや「まあ」と本当に驚いたふうに両手で口元を抑えている。

「おじさま? いったいいつの間にいらしたの? わたくしまったく気づきませんでしたわ」
「何だと? どういう意味だ! この吾輩が貴様程度のひよっこに見破られような下等魔道士だと? 馬鹿にするでないわ! 舐めておるのか! この吾輩を誰と心得る? イーレン! イーレンだ! イイィィィィィィレン! 高等魔道士イーレン・ヴォガスコフ・アンティノーヴァだぞ!」
「ええ、こころえております、おじさま。おじさまは世界で一番のまどうしです!」

 そう言って、妖精のような少女に大輪の花が綻ぶような笑顔を向けられ、怒れる流血魔道士は恐らく罵倒の言葉を吐こうとした口をあんぐりと開け、キョロキョロとあらぬ方向を見ながらゆっくりと口を閉じた。
 そして、怒りではない要因で首筋までを真っ赤にすると、相変わらずニヤニヤ笑いを浮かべているロクシーを睨みつけ、次に微笑を浮かべているアセイルデーモンを睨みつけ、次に「まあ座れよ」と仕草で示す戦トロルを睨みつけ、最後に新参の青年……つまりリリアナの相棒を「誰だ貴様」とでもいうような薮睨みをしてから席についた。
 当然のように、少女から一番遠いところに座ったが、これまた当然のごとく席を立った少女が魔道士の膝の上に乗った。
 膝に乗られた瞬間に魔道士の眼の中によぎったものを、リリアナは一瞬見間違いかと思った。
 その目の奥底には、確かに隠しきれぬ恐怖の感情がチラリと過ぎったのだ。が、次の瞬間そこにあったのは苛立ちと困惑と憤怒である。
 リリアナは見間違いかと己を納得させた。
 今日は、一日の間に余りに多くの事が立て続けにありすぎた。

「それで……どうして貴方はこんなテーブルで酔いつぶれているのかしらね……」
「う……うう……あ、あくま……あくまのぐんぜいが……」
「はぁ……」

 重い重い溜息をつく彼女の肩を、完全に酔っ払った赤ら顔のトロルがバシバシと叩いた。

「ガハ、ガハ、ガハハハハハ! おいおい、そんな時は魔法の言葉を唱えるんだよ! そうすりゃ全部解決だ」
「……一体、なんなのかしら。これが全部夢幻になるんだったら、どんな咒言でもいいわ」
「ガハハ、それはな」

 グビリとジョッキの中身を飲み干して、ゲランは片足を椅子に乗せて天井高くジョッキを突き上げた。

「もうどうにでもなぁぁあれ!!」




――――――――――――――――




 料理の皿がぶつかり合う。
 コップがテーブルに叩きつけられる。
 歓声。
 罵声。
 悲鳴。
 そして、笑い声。
 影界には絶対に無い物。
 心地良い、空間。
 レーゼは二人の魔道士を新たに加えたテーブルの端で、ゆっくりと異界札を開いた。
 《血塗れの賢者》
 彼女が愛する、生涯の伴侶。
 その絵札の中で、今や彼は屍の山の頂上で、一人きりではない。
 《無自覚の差配者》
 あらゆる歴史の分岐点で、あらゆる偉人たちの影で、影響しつつも自覚はない。
 無数の宿命が魔道士の足元で集結し、やがてあらゆる所へ散っていく。汝の成したいように成すがいい。全てを掻き回し、あらゆる領界神のシナリオを御破算にするトリックスター。狂気とは、正気の一形態でしか無い。そら、流血神が興味深く見守っているぞ。次はどんな血を流す?
 《陽気な軽業師》
 彼がどのような役割を担うのか、まだ彼女には分からない。
 見る者の気持ちを軽くするような、晴れやかな笑みを浮かべたそばかす顔の青年は、投げナイフを弄びながら片手で賽子を放り投げている。彼女の耳に、己の賭けが行く末を楽しそうに見守る領界神の陽気な笑い声が聞こえる。そらそら、そんな所で立ち止まるな、もっとだ、もっと楽しませてくれ。賽は投げられたのだ。
 《姿なき狙撃手》
 気を抜いていたとは言え、レーゼに気付かせぬほどの夢幻界の魔道士にして弓手。
 絵札の中で、赤毛の狙撃手は限界近くまで引き絞った弓弦を天空に光る星々に向けている。
 未だかつて、魔道の冴えと武術の腕前をこれほどの高次元で融合させた相手に、レーゼは己の主と「勇者」以外に見知ったことはない。油断のならない相手。だがしかし、彼女の宿命は常に軽業師と共にある。夢幻界の姿なき領界神がじっとレーゼを覗き込んでいる。
 《黄金の魂》
 絵札の中で、鮮血の魔道士を叔父と慕う少女が、その叔父の膝に座って微笑んでいる。
 叔父の方は、世界のすべてを呪うような仏頂面を浮かべている。
 花で編んだ冠を花畑の真ん中でかき抱きながら、少女はその天真爛漫な笑みの向こうに何を見るのか。
 少なくとも、レーゼはこの少女がこの魔道士と一辺の血の繋がりもないことは分かっていた。
 その正体はしかし……探る気にはならない。
 異界札に二人以上の特定個人が描かれること自体、イレギュラーである。
 触らぬ領界神に祟りなし。
 《万夫不当の剣客》
 普段は絶やさぬ薄い微笑を欠片も見せず、絵札の中で半霊半魔の剣客はたすきをかけて鎖帷子を仕込んだ決闘衣に鉢金を巻き、己を取り巻く無数の剣士達に向き合っていた。
 その顔には、ひたむきに生き死にへと打ち込む一人の剣士が息づいていた。
 それはかつて彼女が切り捨ててきた者共か、はたまた不死の剣士がこれから死会う者共か。
 戦場で果てることを望みながら生き延びた孤高の剣士は、戦乱の絶えた世に何を思うのか。
 そして《影界の玉座》
 それを開いて、やはり彼女は開くのではなかったと後悔した。
 銀糸で細かな刺繍の施された天鵞絨の法皇衣を翻した彼女は、右手に握った王笏を振りかざして軍勢を指揮し、大河の対岸から同じように迫る軍勢と衝突していた。
 数字は、以前見た時よりも30も減っていた。
 どうやら、向こうは跡目争いが激化しているらしい。
 この調子だと、父は崩御したか、それに近い状況であるに違いなかった。

「なんで放っておいてくれぬのだ……チッ、バカ息子共が、玉座(ソンナモノ)など貴様らで勝手に奪い合え、欲得で肥え太った豚が」

 お願いだから、継承権最下位の鬼子のことなど忘れていてくれ。
 そう願いながら、レーゼは己を担ぎ出そうなどと考える数奇者は一体誰だと考え、考えても仕様がないと早々に放棄した。
 そんな事より、とうとう動き出した宿命をその第三の目で見やって、影界からやって来た悪魔はわくわくとした興奮に耐え切れず、一人笑みを浮かべるのであった。

「ああ……だからこの世は面白い……」









第一部「おかしな奴ら」完



[26123] 予告&あとがき
Name: Genitivi◆c32eea94 ID:28af1b48
Date: 2011/04/01 00:14
[予告]

 驟雨の降りしきる原野に世界を震わせる鬨の声が響く。
 万軍のせめぎ合う戦場を山裾から見下ろして、百戦錬磨の戦トロルは何を思うか。

「昨日の敵(かたき)は今日の戦友(とも)、干戈を交えし朋輩に、義を見てせざるは勇なきなり……。
 傭兵稼業に、敵も味方もあるものか。この生命、きっかり一日金貨25枚。
 山と盛られた金塊に、ただ淡々と筆を走らせる。
 紙切れ一枚で地獄行き。
 平和の何たるかを知らず、血と戦乱に明け暮れる戦鬼共。
 だが、だがしかし、俺達が命をかけるに足る戦場は、それだけでは無いはずだ、そうでなければならない」

 雨天に烟る視界を締めだすように、影鉄鋼で全身を包んだ戦士は目庇を下ろした。
 その背後には、未だかつて無い必死の戦場に身を投じる、戦のために生み出された悪鬼羅刹。
 愛など知らぬ、笑顔など知らぬ、感謝など知らぬ。
 何処へ行っても厄介者、何処へ行っても恐怖の的、何処へ行っても疏まれ者。
 ならば良い、嫌うがいい、怒りで目の前が真っ赤になるほど嫌うがいい。
 ならば良い、貴様らがいくら俺達を嫌おうと、お前らは俺達を雇わねばならぬ。
 さあ、戦に勝ちたくば金貨を積め、戦に負けぬように金貨を積み上げろ。
 守銭奴め、化け物め、戦に狂った戦鬼共、おぞましい、汚らわしい!
 恨み、妬み、怒り、嫌われる。
 それが常道、それが通常。
 だが、だがしかし!

「レーゼ、俺の背中を頼む」
「はい、ゲラン」
「命に代えても、なんて言うな。命は捨てても拾えない」
「はい、生きて、帰りましょう」

 空の両手を高々と天に広げ、影界へと繋がったその諸手には影鉄鋼で鍛造された伝説の斧槍《終の激痛(ラストペイン)》が握られていた。

「族長様、どうか全軍の指揮をお願いいたします」
「グハハ! 望むところよ。さあゲラン、思う様暴れるがいい、お前の血の中に確かに息づくウォートロルの本能を腐らすなよ」
「戦の後、私の秘蔵の樽を開けます、ですから……」
「死ぬな、とでも言うつもりか? フン、馬鹿者め、死の門をくぐる時は誰にも約束できぬ。ゲートキーパーは俺達を見て大笑いだろうさ。だが、ふん、だがそれがいい。生まれて初めて、友軍の歓呼の声に背中を押されながら倒れるのも面白いだろうさ」

 グリデン王国同盟に参加したドワーフたちにより鍛えられ、国王より下賜された隕鉄製の鎧兜に身を包んだ《八本牙》は、そう言ってニヤリと笑った。
 頼もしいその姿に、ゲランはこちらもニヤリと笑って声を張り上げた。

「さあ、鼓笛手、突撃ラッパだ!!」

 崩壊しつつある味方と、勝ち急いだ大軍に、岩喰い鬼の大角を繰り抜いて作られた戦角笛が木霊した。
 彼らは今日、生まれて初めての戦場へ向かうのだ。
 友軍は血塗れの戦鬼に恐怖の視線ではなく安堵の視線を向けた。
 罵り声ではなく安堵の歓声で、石塊ではなく感謝の接吻を頬に、命乞いではなく感激の涙で、彼らを迎えた。
 今もまだ、昨夜に酒を酌み交わした戦友たちが戦っている。
 彼らの援軍を信じて、彼らの武勇を頼りにして。
 彼らの剣に、自らの運命を委ねて!
 そんな……そんな状況で……!

「奮い立たなけりゃあ……男が廃るってもんだろうが!!」

 雄叫びを上げた一騎等百の戦鬼がきっかり千人。
 十万力の軍勢が、鬨の声を上げて幻影の檻を蹴破って戦場に降って湧いた。

「トロル傭兵団! 突撃ッ!」




次回 「漢達の戦場」



妄想率50%

















今までお付き合いありがとうございました。
一先ず、この可笑しな奴らが集うまでの第一部を完結させていただきます。

まず断っておきますが、この作品は書籍では「マラザン ~斃れし者の書~」及び早川SF文庫多数。
ソフトウェアでは「Dragon age;ORIGINS」「TES:OBLIVION」に大きな影響を受けています。
上記のクリエイティブなに作品に触れるにつれ、自分の中でむくむくと膨れ上がった妄想をかなり大雑把に肉付けしたのが本作品です。
特に、「領界」の設定などマラザンそのまんま感が否めないので、非常に恥ずかしい。
一旦ここで区切りとなるので、各キャラクターの生まれた経緯やバックボーンなどを説明しておきます。
人によればこれから始まる「かも」しれない第二部のネタバレになるので、読まないほうがいいかも知れません。


それでもいいという方は↓にどうぞ。




































主人公 ゲラン・グロカーシュ・ウランフ【波速寅治】
 現代よりもちょっとだけ未来の地球から転生してきた元日本人。
 この世界に来る前は多国籍軍に所属し、銃弾とプラズマの飛び交う前線で野戦医務官として飛び回っていたが、擱座した戦車から味方を救出している最中、敵対異星人に狙撃されてあえなく殉職。享年29歳。最終階級は三佐(二階級特進)。転生前からガチムチである。
 里では骨卜師が「すんごい奴が生まれるから伸ばしてやれ」と祖霊から言われていたので、主人公が齢一桁の頃から大人顔負けの知識量を誇っていても全く動転せず、それを良い方向に伸ばすように教育した。転生という出来事自体はこの世界でそうそう珍しいことではないので、族長なども「大昔のスゲェ偉人が転生した」としか思っていない。
 七歳の頃に行商人から怪しさ爆発の魔導書を購入。ほとんどデタラメの内容だったが、たった一つだけ、サーヴァント召喚というページだけが本物であった。が、実はそこに書かれているのは「影界から何かを召喚する」という自殺と同意の魔法で、興味本位で魔法に手を出す輩を抹殺するために魔道士の円環がばらまいたものであった。そうとは知らないゲランはレーゼを召喚して…………。

 最初に作者の頭の中に浮かび上がってきたキャラクターその1。
 もう一人はレーゼで、この二人はセットで誕生しました。


ヒロイン レーゼ
 古今東西にその悪名を轟かせる三つ目の悪鬼「アセイルデーモン」の若き俊英。
 戦乱の絶えたことのない影界において、玉座に座るろくでなしが最低に劣悪な淫売窟で死ぬ寸前の売女に産ませた王族の血。
 影界にはこのろくでなしの血が掃いて捨てるほどあったが、ろくでなしが直接産ませた赤子が死なずに済んだ例は数えるほどしかなく、レーゼは影の王都の片隅で、死んだ売女を投げ捨てる「投げ込み穴」で産声を上げた。
 影界で最高峰の強大無比な魔力と、母が死ぬ寸前に放った世界を呪う激烈な波動により、影界において上から数えたほうが早いほどの魔力を漲らせた鬼子は、腐った屍と死体食いの地獄蟲に囲まれて産まれる。
 死と血と絶望の呪いを浴びて生まれた少女は、己の力が争いの火種になること、そして自らの命を狙うものがやってくるだろうことを直感した。
 この世で唯一、父王と正面から張り合えるほどの力量。
 それを求めてあらゆる勢力が彼女を追い詰める。
 追っ手の剣に痩身を貫かれ、その身から流れだす流血すら魔力に変えながら刺客を薙ぎ倒すレーゼ。
 やがて、精魂尽き果てた彼女が崩れ落ちたその体を、幼い戦トロルが確りと抱きかかえるのだった。
「私を影界に送還しろ、トロル。御身に争いの火種を齎すぞ」
「なに戦争だと? 戦トロルに、それは脅し文句にならないぞ!」
 
 彼女とゲランはセットで頭の中にふわっと浮かびました。
 三つ目って、あんまりヒロインの特徴としてメジャーじゃありませんね、でも私は好きです。
 作中では正面きって描写しませんでしたが、身長は約6フィートで、センチ換算だと約180センチ弱。女性にしては随分長身ですがゲランと並ぶと小さく見える。なにせ相手は210センチは軽くあるわけです。召喚当初は彼女の方が背が高く、ゲランが成長期になるとあっという間に追い越されました。


狂った魔道士 イーレン・ヴォガスコフ・アンティノーヴァ
 元帝国高等魔道士。
 魔道士の円環に所属していた腕利き魔道士だったが、恩師との実験中に自らのミスでその恩師が文字通り「蒸発」してしまい、あまりの衝撃に狂気に落ちた彼は禁じられた邪法に身を落とし始める……。

 このキャラクターには明確な元ネタがあります。
 Dragon age:ORIGINSに登場する「隠者」という名前の狂った魔法使いで、ディリッシュエルフが禁足地とする森の中に一人で住んでいて、主人公が尋ねるとかなりエキセントリックでぶっ飛んだ会話をすることが出来ます。このゲームは全体的に陰鬱で暗い話が多いのですが、彼との会話は久しぶりに笑いました。
 作中の「クエスチョンクエスチョンクエスチョン!!」も、ゲームの中で彼が実際に話すセリフで、自分で「互いに一つずつ質問をしあおう」と言っときながら質問に質問で返してきて、こちらが選択肢で「質問に質問で答えるなぁ!」と怒ると「そういう決まりだ、まだ理解しとらんのか? 頭の回転が鈍いな! 質問だ!」という完全にイッちゃってる問答を楽しめます。
 このキャラクターは「頭がオカシイ」という、一番作者的に動かしにくいキャラクタなのですが、何故か好きです。


半霊半魔の剣客 ロクシー・ヘイゾォルト
 かつて存在した人類の黄金時代。
 栄華を極めた人類第一王国が崩壊するとき、領界神の介入によって世界が混乱の坩堝と化した。
 死界の幽鬼と夢幻界の淫魔が出会って恋に落ち、そして生まれた少女は長じて剣士となった。
 初代皇帝と共に剣を取り、立ち塞がる全てを妖刀闇鴉で切り裂いた。
 人に会うては此れを斬り、悪魔に会うては此れを断ち、神に会うては此れを討つ。
 一刀に全てを傾け、やがて到達した頂点に、一人立った無敵の剣士は漸く気づく。
 嗚呼、己の戦友たちは、共に血と汗と涙を流した親友たちは何処へいったのかと……。

 気づいている人もいるかと思いますが……。
 幽鬼のヘイゾォルト→鬼のヘイゾォルト→鬼ヘイ→鬼平
 モチーフは長谷川平蔵が「本所の鬼銕」のまま成長して剣鬼になったらこんなのかなという物。
 読者の中に池波ファンの方がいらしたら「ふざけんな」と思うかも知れませんが、どうか、どうかご容赦……。
 最初はこのキャラクターも普通の人間でアーケインウォーリアー(秘術戦士)というDragon ageの上級ジョブを使ったキャラクターのはずだったのですが、何処からかやってきた電波を拾ってこんなキャラに。どうしてこうなった。


フィリップ&リリアナ
 脇役

  説 明 終 了 


 の、筈だったが、いつの間にかなんか重要なキャラクタになってるんですが?
 たぶん、領界神の介入のせいです、そうに違いない。
 異常な登場人物を外側から眺めてその異常さを描写するためのキャラクタです。



[26123] 【短編】十年越しの花見酒
Name: Genitivi◆c32eea94 ID:15df2260
Date: 2011/04/11 00:35
 まどろみから覚醒して、彼女は寝起き特有のぼんやりとした視界の中で自らの部屋をとっくりと眺め、ため息を付いた。

「ああ、まったく、きったねえ部屋だ」

 事実そのとおり、彼女の部屋はごちゃごちゃと足の踏み場もないほど汚れており、見るに見かねたゲランが月に一回ほどやって来ては綺麗にしてくれるが、それを過ぎるとあっという間に今の有様に逆戻りだった。
 別に、掃除ができないというわけではない、此れでも昔は綺麗好きの洒落者だった。
 が、いつ頃だったか、彼女は悟りを開いた――いや、それはゲランに言わせればたんに開き直ってしまったのであるが。
 それはつまり、「別に汚くてもいいんじゃね」という駄目すぎる悟りである。
 余人が汚染を忌避するのは何ゆえか? 
 それはつまり汚染により発生する病苦を避けるが故である。
 ならば、もとより病苦と無縁の我が身はそんなものを斟酌するいとまなど無いではないか!
 そう以前、気の良い戦トロルの前で力説したときは、呆れたような溜息と共に「俺が勝手に片付けていいか」という返事が帰ってきた。解せぬ。
 それはともかく、腹がへった。
 ふと壁にかけられたゼンマイ時計を見ると、既に時刻は昼前に差し掛かっている。それは腹も減るだろう。
 彼女は帯すら締めない襦袢姿……つまり、殆ど大事なところは丸見えの裸同然の姿で寝床から出ると、ゴミだらけの畳の上をひょいひょいと器用に歩いた。
 やがて台所の保冷庫まで到達すると、扉を開いて中を覗き込む。

「ええと、豆腐が一丁、味噌と、鯵の干物、あとは冷酒……」

 我ながらひどい中身だと苦笑しながら、彼女はそれらを全部取り出して台所の上に並べて暫し熟考する。

「うん、これだ」

 そうおもむろに頷いて、まずは土間に七輪を置いて炭に火を入れる。
 その間に下ごしらえをする。
 まずは豆腐を小さく切り分けて、布巾に挟んで軽く抑えるようにして水気を取る。
 そして豆腐の水気が完全に取れる間に、ブリキの小鍋に味噌と砂糖を加えてよく混ぜて、みりんを適量、酒をほんの少し、更によく混ぜる。
 ここで七輪を確認。炭によく火が通っていることを確かめてから、小鍋を置いて、その隣に干物を置いて一緒に焼いてしまう。
 小鍋の中身が焦げ付かないように弱火でじっくり温めて、木べらでよくかき混ぜる。
 その間に干物も焦げないように眼を配りながら、やがて味噌のいい匂いと干物の香ばしい香りが立ち上がってくる。
 味噌にとろみが付いて、木べらからボタりと下に落ちるほど水気が引いたら、鍋を下げる。
 いい具合に焼けた干物も、皿に移す。
 そうして、水気が十分拭き取れた豆腐を七輪の焼き網でこんがり狐色になるまで焼く。
 焼き豆腐の香ばしい匂いが充満し始めたところで丸皿に全部移し、その上に味噌を塗って、豆腐の味噌田楽が完成した。
 保冷庫から取り出した一升瓶で茶碗酒をよそい、早速竹箸で田楽をつまんで一口。

「あちち、ち、……ふ、ふふ……うまい」

 会心の笑みを浮かべ、ぐいっと冷酒で流しこむと、美貌の剣客は感極まったような溜息をつく。
 いい具合に焼き色の着いた鯵の干物をかぶりと齧る。鯵の旨みが干物になった凝縮されて、かぶりつた瞬間にじわりと口の中に広がる。
 唾液腺が驚いて痛くなるような感覚すら快感で、そのまま二口、三口。
 うまいうまいと呟きながら、さらに茶碗酒を二杯、三杯とおかわりをして、ふとほんのり桜色に色づいた顔で彼女は目の前の窓に引かれたままのカーテンを見た。
 やがておもむろにそれをざっと開くと、窓ガラスの向こうにはララク中央公園の絶景が広がっている。
 本来ならば、その窓の向こうに見えるのはごみごみと汚らしいドブ川だが、目の前の光景に彼女は驚愕ではなく感嘆の溜息を漏らす。

「嗚呼……大家さん、この趣向は……いやぁ、にくいねぇ。たしかに、もう花見の季節でござんす」

 そう言って、彼女は大家の心憎い演出に乾杯して、またしても茶碗酒を空けた。
 ララク中央公園に500本も植わっている槍桜が、その名の通り天を突き刺すような尖った樹木に彼女の頬のように色づいた薄紅色の花を満開にさせている。
 折しも今日はララクの祝日で、大勢の家族連れや友人・恋人連れの一団がわいわいと花見で浮かれている。
 如何にものどかな光景に、彼女は箸を止めてゆっくりと冷や酒だけを傾ける。
 花より団子というけれど、今日はたまさか花を肴に酒を呑むのも悪くない。
 窓の直ぐそばに椅子とテーブルを置いて、初春の穏やかな風に揺られた槍桜の花弁が舞い散る光景に、うっとりと酒精混じりの溜息をつく。
 ふと、その視線が窓の直ぐ側にある外れの槍桜を見た。
 観覧通路を外れた公園の隅にぽつんと植わっている一本の槍桜の袂に、歳のほどは15~6の一人の少年がこれまたぽつねんと佇んでいる。
 その身にまとっている服装に見覚えがある。酒精で頭に栄養を回しながら考えて、漸く思い至る。それはララクでも有名なギルドの制服だ。年は若いが、将来有望な徒弟なのだろう。あいにくと、「何のギルドか」というところはすっぽりと忘れてしまった。
 じっくりと眺めているうちに、その少年は悔しそうに唇を噛み締めながら踵を返した。
 それはつまり、彼女の方を振り返ったということで、足元を睨みつけるような視線をまっすぐ起こして、そこで少年はぎょっと驚いて彼女の方を見た。
 どうやら、こちらが見えるらしい。
 そのことに少々驚きながらも、彼女はニッコリと人好きのする笑顔を浮かべて少年をちょいちょいと招いた。
 窓辺に歩み寄った少年は、彼女がほとんど裸同然の格好をしているのを見て「あっ」と驚くとその視線を四方八方に飛ばし始めた。
 が、ちらちらと彼女の胸や陰部にその視線が通っているのは、ご愛嬌か。
 クスクスと笑って、窓の留め金を外してそれを開け放つと、さっきまで欠片もこちらへ漏れなかった向こうの賑やかな喧騒が、暖かな風とともに部屋の中に流れこんできた。
 赤い顔でいかにも「どうしよう」というような顔をしている少年の手を取ると、左肘を窓枠に乗せて、顔を半分ほど外に出して少年に話しかける。

「よう、少年。せっかくの満開桜の下で、随分不景気な面してるじゃござんせんか。そんなんじゃあ、せっかくかわいい顔が台無しだ」
「よ、余計なお世話だ。て、ていうか、これどうなってんだよ、この塀の向こう、用水路じゃないのかよ」
「うふふ、ふふ、ま、そんな事はどうでもいいじゃあねぇか。さあほら、せっかくの花見だ、一杯どうだ」
「……」

 少年は彼女が差し出した茶碗酒を見て、同時に視線上に飛び込んできた桜色の突起を見て、ぎょっと真っ赤な顔で視線を逸らした。
 その初心な様子に、これ以上揶揄うのも可哀想だと思い、彼女は襦袢の前を確り合わせて兵古帯を閉めて大事なところを隠した。
 そうして漸く少年も人心地ついたのか、ほっと息をついて茶碗を受け取ると、その中身を確かめもせずにぐいっと半分ほど飲み込んでから、思わずむせ返った。

「ごほっごほ、な、なんだこりゃ!?」
「酒だよ、あーあ、こぼしちまってもったいない。なんでぇ、こいつは初めてか」
「げほっ、か、辛い。信じらんねぇ」
「それがいいんで。ほれ、肴もどうだ」

 そう言って、彼女の差し出した味噌田楽を恐る恐る口に運び、はっとその両目が開かれた。

「うまい」
「だろう」

 それ以上、言葉はいらなかった。
 互いに無言のまま、肴を口の中に放り込んでは一つの茶碗で冷酒を回し飲みする。
 その間じっと満開の桜を眺める彼女だったが、少年の方は桜よりも彼女の方に興味が有るようで、チラチラとこちらを覗き見ていた。
 やがて、肴がなくなり、不意に吹いた風で桜吹雪が舞うと、彼女は感嘆の溜息をついて少年のゴツゴツとした手をもう一度手にとった。
 その掌は剣士特有のタコでいっぱいで、少年が文字通り血の滲むような修練を積んでいることを思わせる。
 どうやら、織物ギルドや商工ギルドではなかったか。
 冒険者か、剣士か、はたまた騎士養成中の従士ということも、あるだろう。

「よう、そんな所でずっと突っ立てたら、足が棒になっちまわぁな。ほら、こっちに来ちゃあどうだい」
「……いや、折角だけど、遠慮する」
「へえ、なんで?」
「……部屋が汚すぎる、俺が座れる場所がありそうにない」

 その答えに、彼女は爆笑した。
 ゆっくりと笑いを収めて、少年の手指にこちらの指を絡ませながら、ロクシーは笑いすぎて浮かんだ涙を拭う。

「ふふ、ふ、そいつぁ確かに、汚れ放題ですまんこって。けど、座るところがなくたって、寝るところなら、二人分あいてるじゃあござんせんか」

 そう言って、畳にしかれたままの布団をちらりと示してから少年に流し目を送ると、見ている方が気の毒になりそうなほど狼狽した様子で少年はあわあわと言葉にならない呻き声を上げた。
 その様子に、またも人の悪いくすくす笑いを漏らして、彼女は一升瓶に残った最後の一杯を飲み干してから立ち上がる。

「さて、冗談は此れくらいにしとこうかね。少年、名前は。あっしはロクシーってんだ」
「……ギルバート」
「さて、ギルバート某。あんたがこっちに来ないってんならあっしが行こうかね。ちょいと待ちなせぇ」

 そう言って、ゴミの隙間を器用に歩いて和箪笥の前まで到達すると、一番下の引き出しに収まっていた着流しを引っ張り出す。
 草色の反物に袖口と裾に桜の花吹雪が染め抜かれていて、なんとも春らしい風流な一品だ。
 襦袢の上からそれを羽織って素早く帯を締め、ズルリと伸ばし放題に背中まで流していた髪を簡単に纏めて簪を挿し、窓からぼうっとこちらを見ていたギルバート少年の前まで戻る。

「さ、こんないい日よりだ、部屋の中から眺めているだけって言うのはもったいねぇや。それ、ちょいとごめんなすって」
「うわ、わ」

 窓枠に足をかけて彼女が身を乗り出すと、ギルバートは慌てて後ろに下がる。
 恐らく、乗り越える際に顔がグッと近くに寄ったからだろう。
 その時、少年の目は髪を纏め明るいところに出て顕になった、その額の両角を凝視していた。ついでに、白いうなじと襟ぐりも。
 無論、そんな視線の動きにロクシーは気がついていたが、特に揶揄うでもなく外に出て、ニヤリと笑って少年のガッシリとした肩を抱き寄せる。

「さ、この公園は実は不案内なんで、ギルバート、案内してくれねぇかな」
「な、なんでそんな事」
「それは、ふふ、そうさね、つまみと酒代ってことにしとこうや」
「あ、き、きったねぇ、代金取るなんて言わなかったろうが」
「ロハとも言っちゃあいねぇでござんしょ? ささ、せっかくの小春日和に野暮なこと言いっこなしだ」

 そう言って、自分とさほど身長の変わらぬ少年の肩を抱き寄せてバシバシと叩く。
 ギルバートは怒りと困惑とニヤケ顔が混ざったような複雑な顔で、恥ずかしさのためか顔を赤らめながら「こっちだ」と先にたって歩き始める。
 彼が案内したのは、公園で最も人で賑わう槍桜が道沿いに植わった遊歩道――ではなく、そこから外れて公園の隅の方、随分と人気の薄い場所だった。
 が、その場所に案内されてロクシーは不平を言うどころかその見事さに思わず唸った。
 そこには遅咲きの梅の花と満開の木蓮が連なり、白と紅の織り成す光景に「紅白揃って縁起がよろしい」と彼女は呟いた。

「うふふ、ふ、へぇ、こいつはいい。ギルバート、オメェ若いのに随分通なことで。華やかな槍桜五百本より、梅の香りと木蓮とはねぇ……いや、風雅な趣味だ、こんなところがこの公園にあるとはねぇ」
「そ、そうか? 友達には年寄りくせぇって言われるぜ」
「はは、は、若いうちは理解の出来ねぇもんを何でも貶したがるもんよ。そんな奴らァ、ほうっておけ、ほうっておけ」

 そう言って、家からずっとぶら下げてきた瓢箪の栓を抜くと、中に詰まった冷酒をさも美味そうにぐびぐびと喉に流し込んだ。

「まだ飲むのかよ」
「酒精は百薬の長って言うでござんしょう。さ、どうだい」

 ずいと差し出された瓢箪を、少年は複雑そうな顔で一瞥するやいなや。

「はぁ……いつもは、酒なんて冗談じゃないって言うところなんだけどよ」
「お?」
「今日は、無性に飲みてぇ気分だぜッ」

 そう言って、瓢箪をひったくって中身を空にするような勢いでぐびぐびと喉を鳴らす。
 十秒ほどもそうして飲んでいたか、やがて瓢箪を口から離すと「プッハァアァ」と酒臭い息を吐いて口元を袖口で拭った。
 その男らしい飲みっぷりに、ロクシーはやんややんやと喝采をあげて、ぜえぜえと息を荒らげて俯く少年の頭を撫でながら「いよっ! さすが、惚れちまうね!」などと声をかける。
 もしこの場にノリの良い戦トロルや天然お姫様の少女がいれば、その二人も素晴らしい笑顔で「よくやった、感動した! さ、もう一杯」「すごいです! もういちどみせてくださいます?」という鬼畜発言をプラスしてくれただろう。
 それはともかく、その場にいた観客は彼女と、少し離れたところを散歩していた老夫婦だけで、老夫婦は微笑ましい物を見る顔で二人を眺めながらゆっくりとその場を遠ざかっていった。

「はぁ、はぁ、はぁ……な、なんで、なくならねぇんだよ、これ」
「うふふ、残念。その瓢箪は魔法の品でね、中身は無くならねぇのさ」
「な、なんだそりゃ、ひ、卑怯くせぇ」

 あまりの反則に毒づいて、足元のふらつくギルバートをロクシーはそっと支えて木蓮の袂に腰掛けさせた。
 その隣に自分も腰掛けると、今度は冷たい水の入ったブリキの水筒を差し出す。

「さ、こいつでちょいと薄めな。倒れちまっちゃあ不味い」
「悪い」
「なぁに、若いうちは多少の無理も経験だ」

 ギルバートが冷たい水でのどを潤す隣で、ロクシーは初春の柔らかい日差しの中で咲き誇る木蓮と梅の花に眼を細めた。
 やがて水を飲み終えたギルバートも、ただじっと目の前の風景を眺める。
 そのままどれだけ時間が立っただろうか。やがて、ギルバートがぽつりぽつりと話し始めた。

「俺さ、剣術やってんだ」
「ああ、手ぇ握ったから、分かるよ」
「ギルド長がさ、俺の事すごく気に入ってくれてて、剣も教えてくれるのに、学校も行けって。そんで、ララクの統合学園にも行ってんだ」
「へぇ、そいつぁ凄い。学業もして、その腕なら、大したもんだ」

 ロクシーは少年の体つきと気配の配り方を見て、中級程度の剣士として既に完成していることを看破していた。

「そう言われると、むず痒いな、実はさ、剣を習い始めたのって、不順な動機だったんだ。ほら、剣士って、やっぱかっこいいじゃん? だからさ、女の子にもてるんじゃねぇかなって、そんな軽い気持ちで習ったんだ」
「ま、動機は何にせよ、そこまで鍛えりゃ大したもんだ」
「へへ、有難う。でさ、やっぱ思ったとおり、これだけ鍛えてりゃあ、女子が見る目も変わってさ」
「ほほう」
「でさ、クラスで一番……いや、学年で一番可愛い女の子が、俺のこと「カッコイイ」って、で、俺も舞い上がっちゃって、付き合ってくれって言っちまってさ」
「で、振られたと」
「ちげぇ! オッケーもらったの! 彼女になったんだよ!」
「ふふ、そいつあ良かった、おめでとう」

 そう言って肩を叩くが、ギルバート某の方は浮かない顔付きだった。
 どうやら、続きがあるらしい。

「で、さ、それから俺も嬉しすぎてさ。いろんな試合でメチャクチャ頑張ったわけだよ。で、勝つたびにその子が喜んでくれて、俺も嬉しくって……」
「……」
「それで、この間の春休暇でさ、俺もっと強くなりたいって思って、ギルド長と山篭りに行ったんだ。この時期は腹を空かせた熊なんかがよく出るから、いい修行になるって言われてさ」
「ははぁ、山篭りたぁまた古風な……」
「彼女はさ、休暇中は俺と一緒に旅行に行きたかったらしいんだ。だけど、俺、……くっ……まったく、馬鹿野郎だよな、子供だよ。もっと強くなって頑張れば、彼女がもっと喜んでくれるだろうって、馬鹿な事考えて」
「……」
「そんでさ、山篭りでなんども死にかけて、まあ、たしかに強くなったよ、同年代じゃあ誰にも負けないくらいにさ。だけど、だけどよ、いざ、帰ってきたらッ……さぁ、彼女が……」

 両手が真っ白になるほど握り締め、奥歯が割れそうなほど歯を食いしばり、少年は、泣いた。

「な、なん、で……ッ! なんで、だよ、あ……あんな、チャラ男に、くそっ……な、なんで……畜生ッ」
「……」
「お……俺が、俺が悪いのかよッ!? 「私より、剣のほうが好きなのね」ってッ! クソッ、そんなわけ、ねぇだろうが! 比べる対象が、そもそも違うだろッ。なんで、なんでっ…………!?」
「ほら、我慢すんな。そういう時は、泣いちまえ」

 突然抱きしめられ、一瞬硬直した後、それでも少年は声を挙げず、彼女の着流しを握り締めながら声を殺して咽び泣いた。
 なんで、なんで、と何度も繰り返す涙混じりのその言葉を聞きながら、ロクシーは優しい手つきで傷心の剣士を抱きしめ、撫でさする。
 やがて、心の底にずっしりと溜まった澱を涙と共に吐き出し尽くしたのか、ギルバートは羞恥心がこみ上げてきたのか体を離そうとする、が、なぜかそれが出来ない。
 何故ならば、ロクシーがその細腕からは想像もできない剛力で彼を抱きしめていたからだった。

「え、な」
「うふふ、ふ、ギルバート、おめぇさん、そのアマとは同衾しちまったのかい?」
「ど、どうき……何?」
「つまり」
「うわっ」

 突然地面に押し倒され、ギルバートが悲鳴をあげる。
 そして、彼は見た。
 春の青空のように済んだ水色の瞳が、酒精とその他の何かによって潤んでいる。
 熱く湿った吐息が互いに吹き合うような距離で、それは瞬く間にゼロとなった。
 木蓮の下で、微かに湿った水音と熱っぽい吐息が漏れる。
 三十秒ほどそれが続いたあと、ゆっくりと彼女が唇を離すと、二人の間に銀糸の橋がかかった。

「……こういうことを、しちまったかって、訊いてるのさ……」
「――――――」
「ふふ、うふふ、その調子じゃ、接吻も初めてか……」

 真っ赤な顔で何かを言い返そうとしたその口を、再度己の口で塞ぐと、ロクシーは手慣れた手つきでギルバートのベルトを外す。
 自分が一体どういう状況に置かれたのかそこで漸く悟った彼は、組み敷かれた状態でもがいたが、完全に抑えつけられてどう仕様も無い。
 そして、正直な身体はどんどん元気になっていくのである。

「ぷぁっ……ふふ、嫌がっても、こっちは正直もんでござんすねぇ」
「ちょ、な、なに、なにを!?」
「こりゃまた異な事を仰る、男と女がこうなって、やる事と言ったらナニしかねぇでしょうが」

 そう言って、しゅるりと衣擦れの音がしたかと思うと、彼女は帯を全部抜き去ってギルバートにしなだれかかる。
 決して豊満ではないが、引き締まって見事な曲線を描くその肢体に、彼は思わず生唾を飲み込んだ。
 彼とて性に多感な十代だ、周りで言われるように剣に全てを傾けるストイックな剣士ではない。
 女性との間のアレやコレやで妄想したことも、一度や二度ではなかった。

「さ……嫌なことは、頭の中を真っ白にして忘れちまいな……」

 そうして、再度唇を合わせる。
 今度は、少年も抵抗はしなかった。


――――――――――――――――


 四半刻ほど、中央公園の木蓮と梅林の隅っこで、押し殺した嬌声と荒い息遣いが響いていたが、それに気がついたものは鳥以外にはいなかった。
 やがて、精魂尽き果てたギルバートがギブアップして、ロクシーは「しょうがねぇなあ」と笑って身を引いた。

「ふふ、ふ、初めてにしては、頑張ったねぇ……花丸あげちまうよ」

 そう言って、彼女はギルバートの首筋にもう一つ口付けの痕を残した。
 一方ギルバートはまさに放心状態といったていで、彼女の言葉を聞いているのかどうかも怪しい有様であった。
 さもあらん、初めての相手がこのいろんな意味で伝説の剣客では、正気を失わなかっただけでも及第点である。

「ほら、ギルバート。閨の後は寄り添う女に睦言を呟くもんだよ、黙ってちゃあいけない」
「む、むつごとって、なんだよ」
「ほら、愛してるとか、結婚しようとか、男が真っ白の頭で呟くどう仕様も無い空っぽの妄言のことだよ」
「……それじゃあ、なんも言わないほうがいいだろう」
「うふ……うふふ、ダメダメ……そんなんだから、女を寝盗られちまうんだよ」
「う、ううっ」
「あっ、わ、悪い悪い、なあ、もう忘れちまえって……」
「ううっ……」

 ぶわわっ、とギルバートの目に涙が溢れる。
 慌てたロクシーは己の失言を必死に謝った。

「全く……臥床も共にしてねぇ相手によくそこまでのめり込めるもんだ」
「……ああ、全くだな」
「お?」
「何か、全部阿呆らしく思えてきたぜ」
「そうそう、そんな尻軽なんてあっさり忘れちまいなよ」

 そう言ってケラケラと笑い、ロクシーは彼の頬を優しく撫でて体を起こした。
 徐々に傾き始めた光りに照らされて、透けるような肌に己が残した幾つもの赤い鬱血の後を見て、先程までの嬌態を思い出したのか、ギルバートは羞恥に顔を染めて目をそらす。
 そんな仕草に「今更なんだい」と笑いながらロクシーは乱れた髪を直してから帯を締めた。

「さ、少年。色々吹っ切れちまっただろう? そろそろ返ったほうがよござんしょ」
「…………なあ」
「うん?」
「あんた、ロクシーって、名前、偽名だろ」
「へえ。なんでそう思う」
「だってよ……額の二本角で、水色の眼で、ロクシーなんて……そんな、馬鹿な話が……」

 そう言って口ごもるギルバートに、彼女は「にいっ」と笑い、その頬に軽く口づけた。

「さあて、どうだかね。なあ、ギルバート、こう考えるんだよ」
「なんだよ」
「お前は今日、生まれ変わったんだ。死ぬ前のちょろちょろした色恋沙汰なんて、あの世にケツを蹴っ飛ばして忘れっちまいな。今日からだ、今日から全部新しく始まるんだ。死の門をくぐった奴らは、死ぬ前の荷物なんてどっかに捨てちまってるもんさ」
「……」
「そう考えたら、こいつはどうも楽しい毎日になるってえもんだ。あっしの体験談さ、オススメだ」

 ギルバートは無言で様相を整えると、真剣な顔で彼女を見た。

「なあ」
「なんだい」

 そう答えながらも、彼女は薄々何を言われるか気づいていた。

「もし……もし俺が、あんたと肩を並べるほどの剣士になったら、その時は……」
「その時は……?」

 ギルバートは視線を落としてじっと考え、やがて何かを決心したように彼女の両目をキッと正面から見た。

「その時は、あんたの部屋で、酒を呑む」
「――――」
「だから、掃除はしとけよッ!! あんたの部屋、あんた以外は汚すぎるぜ!!」

 そう言うやいなや、少年は抜群の瞬発力で飛び上がって、そのまま脱兎の如く駆けて彼女の視界から消えた。
 暫し呆然とその後姿を眺め、やがて笑いの発作が彼女を襲った。
 予想していた言葉とは、全然違った。
 肩を震わせてひいひいと笑った後、大の字に寝転がって上空を舞う鳶を眺めた。

「ふふ、ふふふ、さあて、大家さんに掃除を頼もうかね」

 自分でする気は、もとより無い。


――――――――――――――――


「……」

 無骨な右手で、彼は同じように凸凹した石壁を撫でさする。
 十年前、ここにはまるで魔法のように……いや、事実魔法だったのだろう、ぽつんと壁に張り付いた窓があり、その向こうに生活環溢れるどこかのアパルトメントの一室があったのだ。
 だが、この十年間、その光景をもう一度見れた試しはない。
 そして、つい先日、あの白昼夢のような一時を共に過ごした相手と、思いも寄らない再開をした。
 『ロディ・ジマー、あんたはあっしを殺せる。今のまま腕を磨けば、間違い無くそうなる』
 かすれるような、甘い声。
 十年前と何一つ変わらない、あの時のままの姿だった。
 彼女は、自分に気がつかなかったらしい、それも無理のない話だろう、あの時彼は偽名を名乗ったし、十代の少年からの十年といったら、顔つきを変えてしまうのに充分な時間だ。
 そうは思いつつ、やはり、寂しい。
 常識では分かるわけがないと思いながらも、どこか心の隅に残っていた少年の心が、もしかしたらという淡い期待を抱かせていたのだろう。
 ポツリとため息を突きながら、そう思う。
 もしそんな内心をミレディアナ団の面々が聞いたら、恐れおののいて我が耳を疑うだろう。
 副団長が鬼気迫るように剣の道に傾いているのは、彼が生まれながらの剣客だからだと、彼らは信じているのだ。

「ふっ……それも、ある意味正解か」

 事実、彼はあの時に一度死に、新しく生まれ変わったのだ。
 あの日、稽古場で剣をとった彼を見て、師匠は重々しく頷いて奥義の技を彼に伝授した。
 それからが、彼の第二の人生の始まりとなったのである。

「俺は……まだあんたを倒せるほど、至っちゃいないって事か」

 そう呟いて、何の変哲もない石壁に背を向ける。
 そうして、腰にぶら下げていた瓢箪の栓を開け、あの時回し飲みしたままこっそり持って帰ってきた茶碗に溢れるほど注ぐ。
 この辛口の東方の酒は、今や彼が唯一口に含む酒精になっていた。
 なみなみと注がれた茶碗を一本桜に掲げ、「乾杯」と呟いて一気に飲み干した。

「ッはぁ……」
「いよっ! 相変わらずの良い飲みっぷりだ! 惚れ直したよ!」
「!?」

 生涯で、此れ以上無いほどの身のこなしで後ろを振り返る。
 そこには、あの時と同じく忽然と姿を表した窓を開け放ち、その窓辺に肘を付いた美貌の剣客が、優しい笑顔を浮かべて彼を見ていた。
 もしここで逢えたら、話してやりたいと思っていたことが、山ほどあった。
 が、彼の頭の中はこの不意打ちに真っ白だった。
 そんな彼を、優しい顔の幽鬼はあの時と全く同じふうに手招く。

「ふふ、ふ、この間は、気づいてやれなくて悪いねぇ。いや、まさか十年もズレてるとはねぇ。大家さんも、憎らしい演出には定評があらぁな」
「な、なに……?」
「うふふ、うふ、なあに、こっちの話。そんな所で突っ立てたら、足が棒になっちまわぁな。ほら、こっちに来ちゃあどうだい」

 十年前と全く同じ。
 ギルバート……そう名乗っていた剣士は、ゆっくりと目の前のそれを理解しながら窓辺に歩み寄った。

「俺は……」
「うん? なんだい?」
「俺は、約束を守れただろうか?」

 呆然と、そう呟いた彼に、ロクシーはニカリと笑った。

「今のとこ、あっしと肩を並べる剣士は、お前だけさ、ギルバート……いや、ロディって、呼んだほうがいいかい」
「好きな方で、いい」
「うふふ、じゃあ、そうするよ。ほら、今日は綺麗にしてあるだろう? あっしも、約束は守ったよ」
「ああ、そうみたいだな」

 そう言って、ギルバート――ミレディアナ団の副団長ロディ・ジマーは十年前よりずっと小さく思える窓枠を屈みこみ、部屋の中に消えた。
 そして、窓が閉まると、やがて窓自体も霞のごとく初春の空気に溶け消えたのだった……。























――――――――――――――――
時間軸が少しねじれています。分かりにくかったらすみません。
花見……行きてぇなぁ……。
あと、いきなりですけど今回から板移りました。



[26123] 【短編】心が折れる音
Name: Genitivi◆c32eea94 ID:28bc3285
Date: 2011/04/25 00:46
 サビエリはうんざりとした態度を必死に押し隠しながら、主人の前で跪いていた。
 太り過ぎのオーガでもこれほど醜くないだろうと思わせるような、超肥満体の豚が彼女の前でキーキー声をあげて怒鳴り散らしている。
 殆どその言葉を右から左に聞き流していた彼女であったが、その言葉の中から5%ほどの有用な内容を引き出して要約する。
 どうやら、彼女の主である無能で怠惰でクソにも劣るアホは、十数年前に切り飛ばされた己の右腕が痛むらしい。知るか、死ね。
 そして、哀れなほどにすっからかんな脳味噌を持つ糞虫は、その傷を作った鬼子を己の前にひっ立ててこいと、彼女に命令しているようだ。豚が、テメェで行け。
 と、突っぱねてその脂肪の塊を切り刻むことはなんでもないが、その依頼内容については非常に興味を惹かれる。
 とりあえず、最近戦争続きで血臭のこびり付いた影界にはこれ以上居たくはなかった。
 シャドーバインダー崩御の報が影界を駆け巡ったとき、それが嘘かホントかという事実の確認は一切無く、そのまま影界は血で血を洗う大戦争に突入した。
 歴代のシャドーバインダーと違い、先王はシャドウスポーンにあるまじき治世の長さを誇っていたため、そのクソッタレな阿呆王子共は影界中に散らばって地盤を築き、この最悪な運命の日をひたすら待っていたのだ。
 サビエリの仕える豚は一応王族の血を退くド低脳のクソッタレだが、サビエリがいるおかげでアサシンのたぐいは全て排除されている。
 が、それを別の言い方で表すなら、彼女がいなくなれば豚を守る壁は一切なくなるということだ。
 一山幾らの警備兵ならいくらでもいるが、そんな雑魚で妨害できるほどあの兄王子達の暗殺者は甘くない。
 彼らはこの目障りな糞豚を始末したくて仕方がない様子であったので、彼女が城をでた途端に暗殺者の集団が押し寄せてくるだろうが……知ったことか。豚は死ね。

「■■■■■■■■■!!!」
「御意……」

 まだなにか豚が叫んでいたが、彼女は無視して踵を返した。
 背後で閉まった扉の音に、《凶眼のサビエリ》は口を嘲笑に歪める。その口に収められた歯は、子供が怖い怪物を描いたかのような、冗談のように尖った牙のズラリと生えたものだった。

「さて……どうなることやら」



――――――――――――――――



 凶眼のサビエリはシャドゥスポーンの中でも腕っ節に重きをおいた種属であるグナイゼ属である。
 四本の腕と、四つの瞳。
 攻撃こそ最大の防御、その言葉を極限まで追い求めた、修羅の悪魔たちだ。
 フード付きマントを身につけ、目深まで下ろしたフードと首元で止められたマントのお陰で彼女がグナイゼ属だとは一見して分からない。
 だが、一見して剣呑な雰囲気をまとった彼女の姿に、聞き込みをした地元民は一様に青ざめた顔だった。
 そして、辿り着いた「爆心地」で、サビエリは溜息をつく。

「はぁ……こりゃ確かにひどいなぁ」

 呆れたようなため息を付いて、サビエリはその惨状を見渡した。
 彼女が今足を踏み入れているその場所は、玉座の暴君が最後に遺した影界の鬼子、最強のシャドウスポーン、レーズスフェント・ラーテランが最後に確認された戦場だった。
 そう、戦場。
 たった一人と数千の追っ手が殺しあい、双方が骨も残さず消え去った、呪われた古戦場。
 地元の者は視覚化されるほどの怨念と呪いが渦巻くこの地を忌避し、話題に上らせることすらしない。
 ぐるりと見渡すかぎり、荒涼とした大地と炭化した木々の名残が広がっている。
 第一皇子が放った腕利きの刺客達との最後の死闘。
 その凄まじさを直接伝えるものはいない。なぜならば報告すべき目撃者は一人残らず命を落としてしまったゆえ。
 しゃがみ込み、惨劇の中心地に焼け残っていた金属製の焼け残りを拾い上げると、それは彼女の手の中で砕けて散った。
 その光景に、彼女は四つの瞳を笑みの形に細める。

「影鉄鋼を焼いてしまうなんてね……はてさて、一体どんな高温を出せばそんな芸当ができるのやら」

 少なくとも、太陽の温度には達している。
 最強のシャドウスポーン……ただの根も葉も無い噂ではなかった。
 暴君の魔道資質を最も純粋に受け継いだ、影界最強の魔道士。
 じっと己の掌の上で風に揺れる消し炭を眺めながら、彼女は周囲を囲む異音に得心がいったように頷いた。

「なるほど、地元のが近づかない理由は、これも……」

 顔を上げた彼女の目に写ったのは、信じられないほど巨大化した地獄蟲の群れである。
 その身の丈、ゆうに10フィートはあるだろうか。
 一つとして同じ形状を持つものは存在せず、この場に満ちた魔力と瘴気で巨大化したそれは、なるほどたしかに腕利きの兵士でもなければ太刀打ち出来ない害虫だろう。
 彼女の周囲を伺うようにうろつく地獄蟲に、影界で最も好戦的な悪魔はギザギザ歯をニヤリと笑みの形に剥きだして、ゆっくりと上腕二肢をマントの前から抜き出した。
 上腕二肢はそのままフードをゆっくりと下ろし、更に突き出した下腕二肢は首元のマント留め金をかちりと外した。
 現れた頭部には紅玉のように燃える瞳が四つ。比喩ではない、グナイゼ属の瞳の中にはその属性に相応しい擬似魔道が常に開いているのだ。彼女の瞳は常に炎熱の魔道につながり、真実「燃えている」。
 その燃え盛る瞳は常人のあるべき場所に二つ、余人にはない額に二つ。ぎょろりと見開かれたその顔貌は正しく異形の悪魔。
 乾いて固まった血の色をした髪の毛は、首筋で綺麗に切りそろえてある。
 するりと地面に落ちたマントの下には、シルヴァライト銀鋼の胸甲と臑当、肘までを覆うガントレット。
 まるで拘束衣のように全身を隙間なく締め付ける暗褐色のベルトは、影界の魔獣アストラルハウンドの鞣し革で作られた丈夫な革鎧。
 上腕二肢はそのままゆっくりと両肩口に収まった剣の柄を、下腕二肢は両腰に収まった剣の柄を掴んだ。

「ヒヒヒ……来なさい。グナイゼ属の戦い方をご教授して進ぜるわ」

 抜き放たれた剣の鞘走りと、蟲達の甲高い声はほぼ同時。
 俊足の踏み込みで振り下ろされた上腕の一撃が敵の攻撃腕を叩き切ると、間、髪を入れない下腕の左右からの薙払いが装甲の薄い敵の腹部をぶち割った。
 地獄蟲の体液にまみれながら、修羅の悪魔は戦の雄叫びを上げる。
 掛かって来い、掛かって来い、この私に挑んでこい。
 歓喜と狂気のウォークライ。
 曇天の薄闇に銀光が閃くたび、地獄蟲の断末魔と悪魔の咆哮が響いた。
 ほんの数分で、巨大な地獄蟲の群れは汚らしいヘドロ状の体液を荒れ果てた大地にぶちまけて絶命していた。
 動くもののいなくなった死地で、サビエリは口の中に入った体液を不味そうに吐き出した。

「ペッ……不味い……」

 ぶつぶつと咒言を呟いて頭上に真水の球体を作りだす。
 それをそのまま下降させて全身についた返り血を洗い流すと、二本の直刀と二本の弯刀を鞘に収めた。
 そして先程まで立っていた、レーズスフェントが生き絶えたであろう場所に胡座をかいて座る。
 そのまま四つの瞳を閉じてずっと精神を凪の状態に近づける。
 やがて、ゆっくりと目を開いた彼女は面白くてたまらないというふうに爆笑した。

「ヒ、ヒヒ、ヒヒヒ……久々にワロタ、頻繁に影界に魔導を開いてあわよくば何か手に入れようって人間がうじゃうじゃいたのが昔の影界なのよね。最近は影界に魔導を繋ごうっていう度胸のある人間がいなくなって困る」

 そう言って暫く含み笑いを漏らした後、サビエリはマントを身につけて消し炭の中か立ち上がった。

「人間界かぁ……素晴らしい幸運ですよ、殿下。そして、彼女を召喚した名も知らぬ魔道士は……はて、どんな数奇な運命を辿ったことやら」

 影界から人間界に、直接こちらから干渉することは出来ない。
 気も遠くなるような昔に複数の領界神によって作られた障壁は、他領界からの干渉がなければ影界の生物は外に出ることが出来なくなった。
 今でも大概であるが、昔のシャドウスポーンは世界征服を本気で考える痛い奴らが揃っていたからだ。
 そして恐らく、いまこの障壁がなくなれば嬉々として攻めいるような馬鹿共の方が大多数だろう。
 千年経とうが万年経とうが、シャドウスポーンは歴史から学習などしない。

「うーん、さて、どうしようかな」

 障壁があるから、人界にはいけない。
 かと言って、あの豚の下に戻ったってどうせもう死んでいるだろう。
 何処の勢力が討ち取ったか知らないが、そいつの下でまた戦働きをするのも性に合わない。
 今でこそ戦神のごとき異名をもっているサビエリであるが、元は象牙の塔で書物に埋れていたいと願うような種類の悪魔であった。

「さて、となると、裏技を使おうかしら」

 四つの掌を体の前で擦り合わせながら、サビエリはぺろりと唇を舐めた。
 影界から人界への干渉は出来ない。
 だが、影界から他領界への干渉は、コツさえ掴めば比較的簡単だ。

「うーん……この場所だと…………うぅ、やっぱり流血界か」

 千人を越える流血と呪いが染み付いたこの場所で最も障壁の綻んだ領界といえば、そこしか無い。
 どうせなら炎熱界とかが良かった……と愚痴りながらも、その四本の腕とそれぞれに生えた六本の指は複雑な印をしきりに結んでいく。
 そしてその口からは朗々とした低めのアルトで咒言を織り込んだ歌が紡がれる。


 天からの剣 大地からの鎧 
 おお 見よ、戦士たちよ
 伝説の丘の上で佇むは 汝らが求めし王たる王 
 隊伍を組め 槍を掲げよ
 旗を掲げ 儀仗兵よきたれり
 おお 見よ、戦士たちよ
 ただ流血を恐れぬなら さあ 剣を抜け
 友を守れ 母を守れ 父を守れ 王を守れ
 我ら 人界の影よりいでし 影の悪魔
 戦え 戦え 戦え 戦え!
 いつか戦乱の絶える 約束の日まで!
 ガデスの御意のままに 流血の果てる日まで!
 我こそ 玉座の主の後塵を拝す者なり!


 目の前に、噎せ返るような血臭に満ち満ちた流血の魔道が開く。
 何の躊躇も見せず、サビエリは頭から飛び込んだ。



――――――――――――――――



「これはもうだめかもわからんね」

 たった今殺したばかりのテンタクルローパーの肉を切り分けながら、サビエリは心なしかやつれ始めた顔でポツリと呟いた。
 ローパーから食べられる部分を切り取ると、食料袋の中に詰め込んでいく。
 右上肢で肩越しに袋を担ぎ上げながら、左上肢でさっき切り分けたローパーの肉を齧る。
 生きている時にはぶよぶよとした肉だが、死ぬと急速に硬くなってチーズのような味がする。意外と美味だ。
 だが、ビタミンが足りない。

「……柑橘類が食べたい……」

 思わず漏れた泣き言にため息を付いた。
 そのまま拠点まで歩く。
 こんな地下に誰が作ったのか知らないが、天然温泉掛け流しの素晴らしい水場がある。
 ここが薄暗いダンジョンで、ここが一体何階のどの辺なのかすら分かれば、さらに言うことはなかったのだが……。

「畜生……あのブラッドメイジ……!」

 ケチの付きはじめは、流血の魔道を進んでいる途中にはち合わせたブラッドメイジだった。
 彼女を見るなり突然意味不明な罵り声を上げるやいなや、安定していた魔道をめちゃくちゃに歪めてあちらこちらに穴をあけ始めたのだ。
 突然のことに対応できず、転がり落ちた先がこの薄暗いダンジョンの中。
 ここが人界であることは分かった、それはまだ幸運だった。もしこれが死界や幻影界なら、生きたまま死者になったか永遠に幻の中を彷徨うことになっただろう。
 が、そこで彼女の幸運は尽きた。
 このダンジョン、余りにも広い。
 階段は幾つも見つけたが、下に降りる階段が大量にあり、上に登る階段は登っても直ぐに行き止まりだった。
 もしや、一旦下に降りてから上に上らないといけないのか?
 そんなふうに考えながら、彼女は絶望と共にさっきの呟きを漏らしたのだ。
 これはもうだめかもわからんね。

「冒険者……なんでここまで来ないのよ、なんで諦めるのよ、もっと頑張りなさいよ、なんで諦めるのよ一つ上の階で、もうちょっとでしょうが、後もう一歩をなんで諦めるのよ……」

 恐らく、自分がいるのは最下層付近だろう。彼女はそう考えていた。
 出現する化け物の力量からして、並の戦士では返り討ちに合う。
 今まで彼女がこの階層をうろうろして目についた冒険者は、ほとんどが連戦を重ねて疲れ果てており、彼女が駆け寄るやいなや泡を食ったように転移の魔法具を使って逃げ去ってしまう。
 それを思い出し、ぎりぎりと歯ぎしりをする。
 その顔貌を丸出しで迫るから逃げられるのだが、長引く地下生活で精神の磨り減った彼女は気がつかない。

「豚のところにいた時のほうが生活に潤いがあるってどういう事なの」

 ちくしょう、ちくしょうと涙を流しながら鎧と下着
を脱ぎ捨て、湯溜まりのプールにざぶりとつかる。
 湯溜まりは幾つもあるので、飲料用と洗体用を分けて使っていた。
 体の芯まで染み入ってくるような薬湯に、ふやけた喘ぎ声を漏らしながら首まで浸かる。
 ダンジョン内で見つけた茸や苔をすり潰して混ぜてから、麻袋に詰めて湯船の中に浮かべているため、元々の温泉の効能と合わせて薬湯としても非常に素晴らしい物になっている。
 二本腕で顔をゴシゴシとこすりながら、他の二本腕で頭を洗う。
 体中の毛穴に薬湯を馴染ませるようにこすると、薬効成分の代わりに疲労が抜けていくような快感が身体に充満する。

「あぁーー……なんかもう、レーズスフェント殿下なんてどうでもいいわー、温泉まじ気持ちイー、このまま死んでもいー」

 青菜が手に入らない代わりに水と食料ならたっぷりある。
 半ば本気で永住しようかと、サビエリは完全にふやけた頭で考えていた。
 さっきまで潤いがないだの言っていたその口で、早くもこの発言である。人間だろうと悪魔だろうと、文字通り心地よいぬるま湯が身近にあると現状打破の気概など失せる。
 と、湯煙で真っ白になった室内で彼女の細長い耳が足音と会話を聞きつける。

「げぇ、ま、まず!」

 桃色に火照った身体を慌てて引き上げて、マントをバスローブがわりに羽織って荷物を引っ掴み、ぼたぼたと水滴をタイル床にこぼしながら近くの柱の陰に隠れると同時に、かけておいたはずの鍵を外からガチャリと開けて冒険者の一行が中に入ってきた。
 まず警戒しながら入ってきたのは、身長6フィートほどの黒髪の騎士。
 盾は持たず、両手に持った刀を構えたまま軽装ゆえの身軽さで室内に飛び込んでくる。
 その鎧の中心には何処かの紋章が象嵌されていたが、サビエリには理解出来ない。

「……大丈夫だ、ピピン、頼む」
「はいよー!」

 軽快な返事と共に室内に入ってきたのは、身長4.5フィート程のハーフリングの男。
 明るい茶髪が鳥の巣のようにモジャモジャとパーマがかかり、素早い手並みで周囲の罠を調べている。

「うーん、大丈夫みたい。みんな入ってよ」
「分かりました」
「うむ」

 更に二人。
 一人は輝く美貌の金髪をした魔道士。上等な魔道士のローブとその洗練された立ち居振る舞いを見て、サビエリはこの美女が宮廷人だと看破する。
 そしてもう一人は真っ白の顎髭を垂らした神官戦士。フード付きのチェインメイルの上から胸部鎧と神官用のサーコートを羽織り、左手にカイトシールド、右手にモーニングスターを握っている。
 騎士、盗賊、魔道士、神官。
 バランスのとれた腕利きの冒険者である。
 翻ってこちらといえば、全裸にマントを羽織った変態フォームである。
 見つかったら、いろいろな意味でただでは済まない。

「うお……これまさか温泉か!?」

 黒髪の騎士が嬉々とした様子で彼女がさっきまで使っていた湯船の縁に両手をついて覗き込んでいる。
 自分が使った湯を異性にまじまじと見つめられるという初めての経験に、サビエリは何とも言えない気恥ずかしさに身をよじる。
 やめて! まじまじと見ないで!

「うーん、そうみたい、なんだか凄くいい香りがするね」

 そう言ってハーフリングが同じように湯船を覗くと、その後ろから魔道士が身を乗り出す。

「あ……この香り、宮廷でも使っていたハーブの入浴剤を思い出します」
「おお、そうだそうだ、どっかで嗅いだ覚えがあると思った。そうそう、これだよこれ、この薬草袋を……」

 そう言って騎士が彼女お手製の薬草袋をお湯から引き上げると、一瞬にして四人の顔が引き締まる。

「……使って、たんだけど。こんなところで……?」
「……誰が、入浴してたんでしょうか……?」
「ふむ、どうやら先客がいるらしいな」

 そう言って、神官戦士の老人が見覚えの有り過ぎる剣帯と胸甲、そして外した状態だと変わった形の革ベルトの束にしか見えない革鎧を持ち上げて見せる。
 そこで漸くサビエリは、自分が引っ掴んで来たのが食料袋とキャンプ用品の入った袋だけだということに気がついた。幾ら何でもたるみ過ぎである、サビエリは己の馬鹿さかげんに悪態を付いた。
 一方冒険者たちは警戒態勢に入っている。
 ヒソヒソと囁く声が彼女の耳に入る。

「まさか、こんなところで暮らしてんのか?」

 騎士が眉根をひそめる。

「ハイウェイマンのたぐいでしょうか?」

 魔道士が杖を構えてささやく。

「それこそまさかだよ。こんな深いところで、普通の人間は暮らせない。ソロの冒険者って線も、まず無いよ。こんな軽装で潜れるもんか」

 ハーフリングがキョロキョロと周囲を警戒する。

「……そう、普通の、人間、ならばな」

 最後に重々しくつぶやいた老神官の言葉に、全員の顔に何かを悟ったような色がよぎる。

「まさか、噂だろ?」

 騎士が、そうは言いつつも警戒のレベルを上げていく。
 隣の盗賊も鋭い目付きで周囲の床を調べ始めた、不味い、彼女の濡れた足あとがそのままだ。このままでは遠からず見つかるだろう。

「最下層の悪魔……噂ではなかったかもしれませんわ」
「チッ……厄介な」

 どうしようどうしようどうしよう!
 凶眼のサビエリ、実はこういった唐突な不意打ちのプレッシャーに弱かった。
 そんな時、盗賊の「あった」という言葉に心臓が口から飛び出そうになる。

「足あとがあるよ。湯船から飛び出して、そのまま――」

 全員の視線が、彼女の隠れた石柱に突き刺さっているのが分かる。
 その後ろで、サビエリは緊張で体中を真っ赤にしながら三角座りをしていた。

(ややややややばいやばいどどどどどどうしっどどどうしたららららあわわわわはわわ!)

 思考が千々に乱れて纏まらない。
 完全に沸騰した頭で、サビエリはじっと息を潜めた、どうか、早くどっかいってください!
 おいおい、冒険者に来いと言ってただろう、ともし彼女の思考を覗ける者がいれば思わず突っ込んでしまうようなことを必死に願っていた。
 ギャンブラーも思わず呆れの溜息をつくであろう体たらく。

「……おい、そこに誰かいるか」
「だ、誰もいませんよ!」

 緊張で裏返った声に、室内を何とも言えない沈黙が満たした。
 サビエリは自分が緊張のあまりしでかした行為に身悶えている。
 どうしようどうしよう、と柱の後ろでグルグルと回っていると、若干気の抜けた声で再度騎士が声をかけた。

「あー、何だ、その、俺達は怪しいもんじゃない、そっちに敵意がないなら出てきてくれないか」
「う、うぅう……」

 マントの前を確りと合わせて、フードを目深にかぶったままゆっくりと半身だけを柱から出す。

「か、かか、か、返してください、そ、そそ、それは私の、で、でしゅ」

 噛んだ。
 冒険者達からみるみる敵意とやる気が引いていくのが分かる。
 何処か彼女の冷静な部分が、「あ、もうダメだ、切腹しよう」と「グナイゼ属の誇り終了のお知らせ」を高らかに叫んでいた。
 恥ずかしすぎる。
 サビエリは思わず上腕二肢で顔を覆って俯いた。

「え、あーその、えーと――」
「リュージ様、ここは妾にお任せ下さい」
「……頼む、シア。こんな時なんて言ったらいいか分からん」

 刀をだらりと下げて構えを解いた騎士の横を進み出て、魔道士の美女がこちらに歩み寄ってくる。

「こんにちは、妾の名はシアと申します、突然の来訪をお詫びいたしますわ。もしや貴女はここに住んでおられるので?」
「う、うぅ、い、いや、ち、ちが、そ、そそそその」

 全く舌が回らない。
 安心させようと、したのだろう、シアと名乗る魔道士が更に一歩踏み出す。
 その瞬間、彼女の戦士としての機能が叱咤の声を出した。
 このボケナスが、なんてザマだ!
 この「距離」は知っている! 行け!

「ッ――!」
「あっ!」

 条件反射の速度でマントを翻して跳躍する。
 上腕二肢で魔道士の杖を弾き飛ばし、その口を抑える。
 下腕二肢は魔道士が身動きできないように抱きすくめた。

「うううぅううう、うごくにゃぁ!」

 また噛んだ、死にたい。

「シア!!」
「畜生、やっぱ魔物だ!」
「姫様! おのれ!」

 一斉に獲物を構える冒険者たち、だが人質のせいで身動きは取れない。
 そしてサビエリは咄嗟の判断にしては上手くやったものの、この体勢はどういう事だと茹だった頭で憤っていた。
 普通、人質にとるときには相手に向けて抑えつけるだろうが!
 なんで正面から抱きすくめてるの? 馬鹿なの死ぬの? 

(かかか、かおがちかいちかい、ちょ、ちょちょ、いいい、いきが、ややややばいししししんぞうがばくばくいっててててて、ここ、これ間違いなくききききこえてる!)

 事実、まるで小動物のような速度で早鐘を打つ彼女の鼓動に、抱きすくめられたシアは困惑の表情である。

「はははは、はやく、そそ、その鎧をこっちに放りなさい! はやく! はやく! ここここ、こいつを殺すわよ、マママママジで殺すから、ぐぐぐぐずぐずしないで!」

 そう言って、魔道士の首もとに突きつけられたのは、どう見ても食事用のスプーン。
 フォークでもナイフでもない、スプーンである。
 冒険者達の間に「どういうことなの」という空気が漂う。
 ピピンなど「テンパリすぎだろ……」と思わず呟いた。
 だが、相手は四本腕に四つ目の化け物である。
 もしかしたらスプーンで人間を殺せるくらいの力は持っているのかも知れない。そう思ったのか、騎士は両手をこちらに見せるようにして「分かった、彼女と交換だ」と言い放つ。
 と、その時。

「貴女……」

 耳元で、鈴を転がすような囁き。
 ゾクリと背筋を何かが這い回るような感覚。
 いつの間にか、シアのほっそりとした両手が彼女の背中の素肌を撫で摩っていた。

「ななななんあんああな、なににに、なにをししし、して!?」
「凄く……きれいな肌をしていらっしゃるのね……それに、引き締まった…戦士の身体つき…」
「ちょちょちょちょ、ちょっとととと、ななんななななにを!?」
「ふふ……可愛い」

 桜色の唇が彼女の首筋にキスをする。

「くぁsうぇdrftgyふじこlp;@!!???!!?」

 ぐぎゃあぁあ、とまるで断末魔のような悲鳴を上げて魔道士を引き離そうとするも、信じられない力で逆に抱きすくめられる。
 馬鹿な! グナイゼ属と力勝負で勝つなんて! ありえない!
 実際は無意識のうちに彼女が手加減しているせいだったが、混乱の境地に達した彼女には理解不能の恐怖である。

「ひ、ひぃぃぃ! あっちいけよぉぉ!」
「あら、お待ちになって、妾久しぶりに燃えてきましたわ。これからご一緒にお茶でもいかが? そのあとは妾のベッドの上で親睦を深めましょう」
「いやあぁぁぁぁ! はなしてぇ! 深めたくないッ! 全くこれっぽっちも深めたくないから! お願いだから私を放っておいて!」
「ふふふ……可愛い、ああ……ごめんなさい」
「な、なに?」
「濡れてきたわ」
「タスケテーー!! 襲われる! 犯される!」
「あらあら、人聞きの悪い。でも安心なさって、最初はみんなそう言うけれど、最後には自分からおねだりしてくるわ」
「本物だ! 畜生! ごめんなさい! 人界なんかにやってきてごめんなさい! 謝るからもう帰るから!」
「ふふ、うふふふ、ふふふふ……」
「もうやだこの領界! 帰る! 影界に帰る!」

 やめろ離せ、助けて、あらあら可愛い、敏感なのね。
 恐ろしいダンジョンの最下層で、腕利き魔道士と影界の悪魔の会話とも思えぬ会話が水場に反響する。
 涙目で助けを求める悪魔に縋り付かれて、騎士リュージは深く深くため息を付いた。

「どうしてこうなった……」
「姫様……おいたわしや……あの時の戦場の狂気にあてられて……うう!」
「いや、俺があった時からこんなんだったんだけど、この変態姫様」
「わ、この薬湯美味しい。悪魔の出汁が取れてるや。高く売れそうだね」
「の、飲むなぁああ! ひゃん!」
「あら、性感帯発見」
「うわぁぁぁあぁん!」

 仕舞いには号泣し始めた悪魔を、何故か一番の敵のはずの神官戦士が慰めていた。

「う、うう……」
「……」
「帰る……影界に帰る……うぅ……もう嫌だ……」
「リュージ、彼女はそう言っているが?」
「……なんか弱い物いじめしてる気がしてきたし、見なかったことにして帰ろうぜ」

 可哀想な生き物を見る顔でそう彼が言うと、先程まで彼に叱られていたシアが身を乗り出す。

「あら、それはダメよ。リュージ様、影界に魔道を繋ぐのは、人界の魔道士しかできないのです。生界と死界の領界神が太古に作った障壁が、影界の悪魔が魔道を通ろうとすると遮断してしまうのですわ」
「つまり、この姉ちゃんは人間に協力してもらわないと駄目ってわけだ、ズズズ……あ、やっぱり美味しい」
「ええ、でも影界に魔道を繋ごうなんて命知らずは、今の世の中で探そうと思うなら、砂漠から一粒の砂金を見つけ出すようなものですわね」

 その会話を呆然とした様子で聞きながら、凶眼のサビエリはぺたりとタイル床に座り込んでガックリと肩を落とした。
 本来の計画通りにレーズスフェントが通った魔道を見つけられていれば、魔道士の助けなしに帰れたのだ。が、全てはあのブラッドメイジのせいで御破算である。
 その痛々しい様子に、シュージは二度と故郷に帰れぬと宣告された己の昔を思い出したのか、片膝をついて優しくサビエリの背中をそっと撫でた。

「故郷に帰れないって言うのは、やっぱりきっついよなぁ。でもさ、こっちの世界にもいい所はいっぱいあるんだぜ。だからさ、とりあえず前を見て歩いてみたらいいんじゃないかな」
「…………それはもしかして私を慰めているのかしら、人間?」
「そうさ。ま、とりあえず生きてるんだ、これからのことは後で考えたらいいさ」

 そう言って、黒髪の青年はニカッと太陽のような笑みを浮かべた。
 暫し呆然とその笑顔を眺めた後、サビエリは疲労の果てに浮かぶような自棄っぱちの笑みを浮かべた。

「暫く、世話になるわ。人間」
「ああ、ようこそ、この素晴らしくクソッタレな世界へ」

 これが、《凶眼》と呼ばれた悪魔と《勇者》と呼ばれた青年の出会いであった……。



























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武田竜司
・正統派熱血主人公。最終的に魔王とか倒したりするような人材。
 一応は帝国魔法騎士隊に籍を置いているが、名誉職のような扱い。
 今日も世界のあちこちをフラフラ。
 騎士にして炎熱界の魔道士。凄腕。

シアルフィ・ヴィ・ランテマリオン
・帝国のお姫様。周りがドン引きするような変態性癖の持ち主。両刀使い。
 戦場の空気に興奮して濡れる。とんだド変態姫。
 竜司に惚れているが、自分の性格が性格なので浮気に凄く寛大。むしろ混ぜろ。
 幻獣界の魔道士。触手とか触手とか触手とかを召喚しては戦闘とは全く関係ない用途に使う。

ピピン・セヴァック
・小さい人(ハーフリング)の盗賊。快楽主義者で楽観主義者。楽しければ何でもいい。
 どんな時でも笑顔を絶やさないムードメーカー。小粋な冗句と小話がいくらでも湧いて出る。
 パーティの財布を握り、いつの間にか何倍にも増やしては「企業秘密です」と笑っている。
 《Negotiator/交渉人》 である。何気に一番活躍する縁の下の力持ち。

ヴァーグナー・ドルッツェ
・変態姫のお守り役兼教育係。姫が幼い頃から厳しくしつけていたが、彼に見せる裏側で順調に育っていた変態性癖を全く見抜けなかった可哀想な人。
 生界の神官戦士。癒しの魔法で味方を助け、時にはその身を盾にする。
 最近、姫が自分の性癖を全く隠す気がなくなってきたことに頭を痛めている。

サビエリ
・剣の腕だけを見るなら、竜司に圧勝する腕前。ただ、安心と安全の豆腐メンタル。
 不意打ちにこれでもかというほど弱い。
 身体能力も人類と比べものにならないほど高いが、一度心が「ぽきん」となると立ち直るのに時間がかかる。
 ポンコツ状態になった彼女にはシアが腕力で勝てるほど戦闘力が低下する。








第二部? プロットもろくに出来てないよ! しばらく短篇集とか日常編で我慢してね!


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