とりわけ、その日は曇っていた。
今にも雨が降りそうだが、佐倉杏子にとってはそんなのどうでもよかった。
杏子にとって、ここは自分のテリトリーじゃない。それどころか、来ようと思ったことも無い。ただ、足が向くまま歩いたらこの町にいた。
ただそれだけだ。
カリッ。
歩きながら咥えていたポッキーが音を立てる。それと同時に、杏子の目に留まったものがあった。
ゲームセンター。なんら変哲の無い。
まぁ、今歩いているここはアーケード街。ゲーセンくらいあるだろう。しばらく店頭を眺めていた杏子だったが、彼女の足は流されるようにゲーセンへと向いていた。
(日が落ちるまで時間あるしな。見知らぬ街のゲーセンを遊び倒すってのも、まぁ、悪くないだろ)
その程度の心境で。
数時間が経過していた。といっても、杏子は時計をろくに見ていないまま、遊びに没頭していたため、どれくらい時間が経ったのかをまるで気にしていなかったのだが。
今、杏子はシューティングゲームに集中している。自分のテリトリーにあるものよりも、手応えがあった。
「へっ……」
プレイしている間に、彼女は自分が思った以上に楽しんでいることを感じた。ダンスゲーム、レースゲームと散々楽しんだ彼女だが、どれもテリトリー近場のゲーセン程では無い。
だが、このシューティングは、意外にも手応えがある。このまま、このゲーセンのハイスコアを塗り替えてやろうか。そう考え始めたときだった。
ヒューゥ。とどこからか、妙に響く口笛の音が彼女の耳に飛び込んできた。
「……?」
同時に画面の中の標的を撃ち、ゲームクリア。無論ハイスコアだ。それも今まで獲得したスコアの中で一番高い。
ガンコントローラーを元あった場所に戻し、杏子は後ろを振り向いた。
「なんだよ、アンタ?」
そこには、黒一色のウェスタンルックに身を包み、黒いテンガロンハットを深く被り、真っ白なギターを肩に掛けた人物が立っていた。
体格からして男だろうが、黒いテンガロンハットのおかげで、顔は見えない。まるで映画か何かに出てくるような格好の人物だ。
男は、杏子の問いに答えず、代わりに小さく拍手をした。
「へぇ、そんなカッコでナンパかい? 生憎、間に合ってるよ」
ナンパされた経験は杏子にはないが、そのあしらい方ぐらいは心得ていた。だが、答えは予想外のものだった。
「見物させてもらったが、中々の腕前だ。ただし、その腕前は……」
低い男の、しかし不思議とよく通る声。男は右手の甲を彼女の方に向け、人差し指と中指を立て、開いた。
「日本じゃあ、二番目だ」
何だコイツ? ナンパだという予想は大きく外れ、杏子は目を丸くした。しかし、どうやら挑発をしているらしい。
面白い。暇つぶしに挑発に乗ってやろうじゃないか。
「アタシの腕前が日本で二番目だって? じゃ、聞くけどさ。日本一は誰なんだよ」
ヒューゥ。杏子の問いに、男は再び口笛を短く吹き、右の人差し指を左右に振る。そして、小さく連続的な、言うなればキザな舌打ちをし、人差し指で帽子のつばを押し上げる。
同時に、親指で自分を指差す。まるで、『俺さ』とでも言うかのように。その時、杏子は男の顔を見た。不敵なその笑顔は、見た感じ自分よりも大分年上だ。
「へぇ、大きく出たもんだな。なら、さっきのアタシのスコアを超えてみなよ。日本一なら、出来るだろ?」
そういって、杏子はポケットからコインを出し、男に弾いて寄越した。
「アタシのおごりだ。再挑戦は不可。どうだい?」
これだけやっといて負けるわけには行かないだろう。負けたらそれこそ赤っ恥だ。杏子はそれをわかってコインを投げたのだ。
といっても、彼女だってこのスコアを出すのに自分の全力を出した。負けるはずがない。それだけ自信のあるスコアを出している。
男はそのコインを親指で弾く。宙を舞うコイン。その直後、杏子の目の前でコインは投入口に寸分の狂いもなく、入っていった。
「……!」
杏子は、目の前で起こったことが信じられなかった。
今、コイツ何をした? 離れた位置からコインを弾いて、この狭い投入口に『投げ入れた』っていうのか?
思えば彼女は、この時点で男に負けることを悟っていたのかもしれない。
「自身あったってのに……完敗かよ。何者だ、あんた」
ゲーム筐体から少し離れた所で、後頭部を掻きながら、杏子はぼやいた。結果は杏子の負け。男が出したスコアは杏子の倍。いや、それ以上かもしれない。
挑発に乗ったのは間違いだったかもしれない。あれだけのことをしておいて、赤っ恥を掻いたのはこっちだからだ。
「っていうか、何だあの無茶苦茶なスコア。どう考えても人間技じゃねぇだろ!」
男に食って掛かる杏子。しかし、男は動じず、相変わらず不敵な笑みを浮かべているだけ。
「世の中には、こういう人間もいるってことさ。それより、食うかい?」
男が杏子に差し出したのは、ポッキーの一袋。しかも、彼女がさっきまで食べてたものと同じ。
はっとなった杏子がポケットを弄るが、そこに入っていたはずのポッキーの袋はない。無論、男に慌てたように食って掛かる。
「おまっ、いつ取り上げた!?」
「さぁ、いつでしょうね? 『佐倉杏子』ちゃん」
「とぼけんじゃ……って、へ?」
今、コイツ何て言った? アタシの名前を呼んだのか?
「な、何でアタシの名前を知ってんだよ!?」
「依頼されたからな。『佐倉杏子を守ってくれ』とね」
男は上着から一枚の写真を取り出すと、杏子に見せた。途端に彼女の顔色が変わり、その写真を取り上げ、じっと見る。
そこに写っていたのは、紛れもなく杏子自身だった。しかも、今までの人生で一番楽しかった、『あの頃』の。
二度と戻ってこない『あの頃』の。
「この写真……アタシが小3くらいの時の……」
「理解してもらえたかい」
写真から顔を上げ、杏子は男を見上げた。
男の顔は不敵な笑顔から、優しい顔へと変わっていた。
「あんた、『依頼された』って言ったよな。さしずめ探偵さんってトコかい?」
「おっと、申し送れたな。俺は早川健。さすらいの私立探偵さ」
杏子の問いに、早川健と名乗った男は静かに答えた。
後書
ズバットは今でも宮内さんの代表作だと思ってる。