<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[34189] 星の在り処(英雄伝説 空の軌跡【TS】)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:7f5eceeb
Date: 2015/07/20 18:27
 にじファンから移転してきたけびんといいます。
 主役コンビやその他一部の主要キャラの性別を反転させた上での、本編再構成モノを書いております。
 実質的には原作の主人公とヒロインが、反転キャラと言う名のオリキャラにすり替えられて全く登場しない話と言えなくもないので、原作メインカップルに思い入れを持つ既プレイ読者としては人を選ぶ分野だと思いますが、反面、原作知識無しでも読み進められるよう工夫しています。
 元ネタを知っている読者はニヤリと出来て、原作未プレイの方に原作ゲームに興味を持ってもらえるような作品を目指しているので、まずは目を通してもらえたら嬉しいです。

2015/04/01
 ※色々と思うところがあったので、レイアウトをなろう掲載時の話数に変更した上で再アップしています。旧連載時の最新話まで読まれた読者の方には心苦しいのですが、近い内に追いつくと思うので今しばらくお待ちください。

2015/07/20
 ※ハーメルン様への投稿を始めました。




 七耀暦以前の遥か昔に発生したとされる、謎の『大崩壊』。
 旧世界は一昼夜にして滅びるも、その残滓たる大陸各地にばら蒔かれた古代遺産(アーティファクト)の存在が、現代科学を凌駕する古代ゼムリア文明のオーバーテクノロジーを立証していた。
 『暗黒時代』と呼ばれる果てしない戦乱。七耀教会の台頭と『空の神(エイドス)』の信仰による『安定期』の到来など、千年に及ぶ破壊と再生を経てゼムリア大陸は今を形作る。
 七耀暦1150年の『導力革命』。
 無限リサイクルエネルギーたる導力を内封したアーティファクトを模した導力器(オーブメント)の発明は、現代の科学水準を高度な古代文明の末端に追いつかせて、人々の生活に様々な恩恵を齎すも、心まで豊かにした訳ではなかった。
 舞台となるのはリベール王国。
 大陸西部に位置し、エレボニア帝国とカルバード共和国の二大国に挟まれた小国。特にエレボニアとは七耀暦1192年の『百人戦役』で本土侵略を受けて以来、緊張状態が続いている。
 主役となるのは遊撃士(ブレイサー)に憧れる少年。
 あらゆる国家、宗教、企業に属さず、極めて中立的な立場から地域の平和と民間人の安全をスローガンに、僅かな報酬(ミラ)でクエストを請け負う冒険者たち。少年の父親もまた遊撃士である。

 その父親が拾ってきた黒髪の謎の少女の琥珀色の瞳に魅入られた時から、少年の運命の歯車は大きく動き出す。

        ◇        

 リベール王国の五大都市の一つ、地方都市ロレント。
 安全対策でほとんどの住人が城塞に住居を構える中、市の南方にぽつんと佇む一軒家。
 不用心だが、『ブライト家』と書かれた表札を見て悪事を企む命知らずのならず者は国内には存在しない。文字が読めぬ筈の市道を我が物顔でうろつく魔獣も、家主を畏怖しているのかこの付近には一切近づかない。
 ただ、現在家長は不在。家屋には十歳前後の男の子が一人、暖炉の前で震えて留守番するのみである。

「……親父遅いなぁ」
 眠たげな眼をこすり、大きく伸びをしながら欠伸を噛み殺す。
 本日、出張から帰参するとギルドから連絡があったのに、一向に帰宅の気配なし。少年の姉替わりとも言うべき陽気な女性は、準遊撃士の武者修行だかで王国一周旅行に出掛けたまま。
「あー、つまんねえ。飯の前にもう一度棒術の練習でもするかなあ」
 孤独な境遇に対する寂しさや恐怖心とは無縁のふてぶてしい性格らしい。
「おーい、エステル。今帰ったぞ」
「親父!」
 徒然なる瞳がぱっと輝く。手にしたばかりの練習棒を放り捨て、エステルと呼ばれた少年は父親の胸元に飛び込もうとしたが、途中でその動作を停止させる。
「ただいま、エステル。待たせちまったようだな」
「親父。その怪我、一体どうしたんだよ? 魔獣にやられたのか?」
 首筋に刻まれた隠しようもない傷跡を不安そうに見上げる。密かに敬愛する棍術の師範が負傷した姿など記憶の内にない。
「ほらっ、ここも、こんな所まで怪我して……んっ?」
 左腕と、さらに分厚い胸板に巻かれた既に血液が凝固した包帯を確認しようとして、エステルの視点は一カ所に静止する。
「親父、これ一体なんだ?」
 驚愕に彩られた瞳がみるみる冷める。
 エステルの指さした先、父親の胸元には自分と同い年ぐらいの少女が抱かれている。漆黒の長髪で黒一色のワンピースを纏い、父親の両腕の中でモゾモゾと蠢く姿は黒猫そっくり。
「えっと、女の子? ちなみに瞳は琥珀色(アンバー)」
「んなこたぁ、見れば判る。どこで拾ってきたと聞いて……って、親父とは比べ物になんねえぐらい酷い怪我してるじゃんか、こいつ」
 よく見れば、衣服は所々血と泥で汚れてズタズタ。
 もはや父の負傷などどうでも良くなった。慌ただしくお湯を沸かすと、熱湯で絞ったタオルで身体全体の汚れを落とし、頭部に巻かれた血の染み出る包帯を新品に取り替える。
 その際、少女のサラサラの黒髪を愛撫するのを忘れない。結構大胆な性格らしい。

        ◇        

「でっ、この娘、誰なんだよ?」
 一通りの応急治療を済ませて、少女をソファの上に寝かせると、質問を再開する。少女の腰まで届く黒髪をさらに激しく愛撫するのは継続したまま。
「まさか、親父の隠し子か? その傷は愛人宅で浮気がばれて、喧嘩になり追い出された時の名残? 俺と同い年ぐらいの娘がいるってことは、母さんが生きていた時から母さんを裏切っていたのかよ? なら俺、絶対に親父を許さないぞ」
「お前な、その年齢で一体どこからそういう知識を仕入れてくるんだよ? まあ、シェラザードしかいないか」
「当たりぃー」
「まったくあの耳年増め」
 未だに母親を慕っていてくれたのが嬉しかった反面、亡き妻への操を全く信用していなかったことに寂寥感を覚えるのか。呆れたように我が子を見下ろす父親の瞳には実に複雑な色彩が入り混じっていたが、幼少のエステルはその想いに気づきようもない。

 父カシウスの説明によると、この娘は仕事関係で知り合ったばかりで、まだ名前も知らないらしい。中々に荒唐無稽な話だが、どうやら真偽は直接本人の口から説明してもらえそうだ。
「……ここは?」
「お嬢ちゃん。目を醒ましたかい」
 固く閉ざされていた少女の睫毛が開くと、話に聞いていた琥珀色の瞳が現れる。シーツを頭から被りながら、寝ぼけた眼でキョロキョロと辺りの様子を伺う仕種は、ますます拾い猫じみてきた。
「ここはおじちゃんの家だ。とりあえず安心していいぞ」
 そうカシウスは頼もしそうに宣言したが、口髭を生やした怪しい男性宅にいきなり拉致され心を許せる娘など少数派ではなかろうか。案の定、少女の琥珀色の瞳は、みるみると強い警戒心一色に染まっていく。
「どういうつもりなの? 正気とは思えないわ。どうして、あの場で死なせてくれなかったの?」
 何やら少年がシェラザードと視聴したメロドラマに出てきた物騒な単語が飛び交っているが、配役がちょっと若すぎないか? 父親にそういう趣味はないとエステルは信じたかったが。
「どうって言われてもなあ。いわゆる成り行きって奴?」
「ふざけないで!」
 漆黒に染まった身体全体を逆立て、ふーっと噛みつく様は、まさしく黒猫そのもの。
「カシウス・ブライト、あなたは自分が何をしているのか判っているの? 必ず後悔するわ……」
 そこで少女は舌先を停止させる。逆立った黒髪の一部が重力に反して持ち上がったまま。不審に思い視線をずらすと、その先では栗色の髪をした少年が熱心に少女の髪を撫で続けている。
「何をしているの?」
「この美しい黒髪を愛でている」
 自分と目も合わせず、さらに愛撫の激しさを増すエステルの一心不乱な姿に琥珀色の瞳がジト目になる。
「離して」
「やだ」
「このっ、いい加減に……?」
 再び少女は途中で沈黙したが、自由意志ではない。リクエスト通り、エステルは黒髪から手を離したと思ったら、今度は少女のモチモチのほっぺを両手で強く引っ張った。
「ひゃにするのよぉ? ひゃにゃしてぇー」
「怪我人のくせに、ましてや女の子がこんな夜中に大声出すんじゃねえ。もっとお淑やかにしてないとシュラ姐みたいになっちゃうぞ」
「しぇらねぇってはによ? ひーかげんにしぃなひと……ひぃっ?」
 少女は悲鳴をあげる。エステルは少女の頬の最長伸記録を確認すると、大胆不敵にも少女のワンピースのスカートの中に顔を突っ込んだ。エステルが要望を叶える都度、少女にとって状況は悪化の一途を辿っている。
「ふーん、パンツの色は白か。髪も服飾も黒一色なのに画竜点睛に欠けるという奴か」
「お前な。日曜学校の成績はイマイチの癖に、何でそんな難しい諺を知っているんだ?」
「カシウス・ブライト。問題にするのは、そこじゃないでしょ? ちょっと、息があたって……いやぁー」

        ◇        

 エステルの再度のセクハラを恐れているのか、少女は大人しくなった。だが、よほど先の行為を根に持っているのか、「うー」と低く唸りながら、実に恨みがましい瞳でエステルを睨んでいる。
「カシウス・ブライト。この変態は一体何なのよ?」
「俺の息子のエステルだ。見ての通り腕白だが逞しく育っている」
「腕白って、アレはそういう次元の話じゃないでしょう? あなた、子供にどういう教育してきたのよ? それでも本当にリベールが誇るS級……」
「夜中に大声は出さない。おーい、エステル。お嬢ちゃんがまた遊んで欲しいってさ」
「判ったから、それ以上、そいつを近づかないで」
 エステルが両掌をにぎにぎしだすと、少女はシーツを身体全体に纏ながら、ソファの奥の方に縮こまった。見知らぬ人間に毛皮を撫で回された臆病な子猫さながらに、少女の警戒心は完全にカシウスからエステルの方にシフトしている。
「ところで、お前何か忘れてないか?」
「えっ?」
「名前だよ、名前。俺の名はさっき親父が紹介しただろ」
 最初、少女はエステルの催促を無視しようとしたが、これまでのパターンで目の前の少年の傍若無人さを思い知らされていたのだろう。再度の暴挙に出られる前に考えを改めることにする。「傷が癒えたらコロス」とか物騒なことを、小声で囁いていたが。

「私の名は……」
 この日、レナ・ブライトが逝去して以後、二人に減ったブライト家の構成員が、五年ぶりに従来の三人に復活した。



[34189] 01-00:ブライト家の兄妹(FirstChapter開始)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:7f5eceeb
Date: 2015/04/01 00:03
「197……198……199……200……201…………」
 エステル・ブライトの朝は早い。雀の囀りと天窓から零れる日の光を合図に、ベッドから跳ね起きると、寝間着から私服に着替え、棍術の修練に励む。
「311……312……313…………」
 庭先で己の身長以上の長棒を振り回し、独闘を行う。
「487……488…………」
 先から尋常ならざる施行回数か囁かれているが、単にカウントのみを目的とし機械的に素振りを繰り返しているわけではない。常に相手を想定し、目まぐるしく立ち位置を入れ換え、どうすればもっと早く攻撃できるか、効率良く敵に当てられるかを考える。
 一振り一撃に常に一棍入魂の気合を篭める。その証拠にエステルの腕の筋肉は張り詰め、足元には水溜まりと錯覚せんばかりの夥しい量の汗が滴り落ちている。
(もっと強くなりたい)
 多少なりとも武の世界に携わる者なら、誰もが抱くであろう根源的な想いが少年の現在を支える。尊敬する父親は武術の精神鍛練性を説いて焦りを禁ずるが、若輩のエステルには納得できない。
(絶対に強くなるんだ。あいつよりも)
 今だ背中の影を踏むことすら叶わない義妹との力量差を思い出し、疲れた身体に鞭打ち、さらなる気合を注入する。
 いつから、どうして義妹より強くなりたいと願ったのかは判らない。思い出そうとする都度、頭の中に黒い霧がかかり記憶を阻害する。
 ただ、人を好きになるのに理屈がいらないのと同様、思春期の男子が強さを追い求めるのに、今更尤もらしい理由など必要ないであろう。
「997……998……999……1000」
 目標として定めた回数に達すると同時に、エステルは棍を構えた態勢のまま静止する。独闘の稽古は終了したが、残心の心構えを忘れず、気持ちと呼吸が落ち着くまで緊張感を持続する。
 そんなエステルの想いに呼応したのか、頭上から声がかかる。
「朝から精が出るわね、エステル」
「やっぱり、見ていたのかよ?」
 それを合図にエステルの心身の緊迫感は限界に達する。棍を地面に取り落とすと、そのまま仰向けにぶっ倒れる。
 パノラマさながらの澄みきった青空が視界一杯に広がる。さらに首だけを動かすと、樹齢百歳を越すという五アージュ級の大木が目に入り、頂上付近の枝に誰かが腰掛けている。
 声の主であろうか。ちょうど逆光と重なった為、黒いシルエットしか視認できなかったが、エステルはその少女の正体を知っていた。

「……ヨシュア」

        ◇        

 やがて朝日が気紛れな雲に一時的に遮られ少女の姿が露になるが、未だ逆光に照らされているのと錯覚せんばかりに、木の上からエステルを見下ろす少女の黒さは変わらない。
 腰まで届くサラサラとした漆黒の黒髪。黒を基調としたレース装飾のブラウスに、すらりとした太股が露出する短さの黒のミニスカートと同じく黒のニーソックス。服調が黒で統一される中、唯一のアクセントとして両耳側の髪を結んだ二つのリボンだけが水色で、黒一色で染まったスポーティーな服飾に清楚さを醸し出している。
 少女は黒猫さながらの身軽な動作で、枝の上に立ち上がる。本物の猫が乗っても折れそうなぐらいか細い枝が不思議と少女の全体重を支え続け、エステルは軽く顔を顰める。
(見えねえな)
 物理法則無視の少女の軽さにまるで頓着せず、エステルはこの角度からなら見えてしかるべき『とある布切れ』が、黒い影のような何かに阻まれ観賞できない現実に小首を傾げる。
 少女が枝から飛び下りる。五アージュ近い距離を垂直落下したが、体重そのものを全く感じさせない機敏な動作で、クルリと一回転してからエステルの目の前で着地する。
 今度は至近からエステルの顔を覗き込む。髪色や服飾とは真逆の透き通った白い肌に、整った顔立ち。空の七耀石(セプチウム)を内封したかのような煌やかな琥珀色の瞳は、優しげな色彩の中にどこか悪戯っぽい光を称えている。
 少女は掛け値なしに美しかったが、少女の視線に何となく居心地の悪さを感じたエステルはまだ呼吸が落ち着いてないにも関わらず強引に立ち上がる。すると、今度は逆にエステルの方が少女を大きく見下ろす形になる。
 五年前に初めてエステルか少女と出会った時、両者の身長は等しい。胸尻に全く凹凸もなく、性別以外に身体的差異は特に見当たらなかった。だが、長い年月を重ねて、エステルは見違えるほど逞しく、義妹は儚くも美しく成長する。
 ある時期を境にエステルはグングンと背を伸ばし始め、今では小柄な義妹とは頭一つ以上の差がある。筋骨逞しいエステルとは逆に華奢な少女の身体はますます細く、しかし、胸部や臀部だけは同年代の子女と比べて著しく膨よかに第二次性徴を遂げる。
 この少女が、ヨシュア・ブライト。
 とある因果から、カシウス・ブライトの養女となったエステルの義妹(いもうと)。
 本人は誕生日が半年以上早いことを根拠に自分の方が義姉だと主張するが、既にロレントの住民は二人をブライト家の名物兄妹と認識しているので手遅れだ。
ただ、この一見清楚で荒事とは無縁そうな華奢な義妹は、エステルにとって庇護の対象ではなく超克すべき存在。
(ヨシュアが俺より強いなんて、普段こいつの猫かぶりに騙されている鼻の下伸ばした連中は絶対に信じないだろうな)
 自身の上腕二頭筋(ちからこぶ)の半分もない細い腕と、皹一つない奇麗なヨシュアの白い手。厳しい修練で潰れた豆だらけと化した自分の掌と見比べながらそう考える。

「よし、ヨシュア。やるぞ」
 呼吸の落ち着いたエステルは棍を拾い上げると、ヨシュアに向け構える。鼻先に棍を突きつけられたヨシュアは目をパチクリすると軽く肩を竦める。
「エステル、今日は午後から準遊撃士の資格取得試験があるんだし、このぐらいに……」
「一日、一回、手合わせしないと落ち着かないんだよ。今日こそ俺はお前を超えてみせる」
「判った」
 エステルの一徹にあっさりと説得を諦める。義兄の図抜けた頑丈さと回復力の高さを重々承知なので、元より深く心配していたわけではないのだろう。
「いつでもいらっしゃい」
 ヨシュアがそう宣言すると、エステルは棍を振り回して無言のまま襲いかかる。
 エステルが使用している得物は先を丸めた練習用武器ではなく、殺傷力の高い実棍。しかも、別名『物干し竿』と呼ばれる特注品で、通常の棍よりも射程が長く倍重い。
 これをエステルの腕力と技量で扱うと、大木の幹を貫通して穴を穿つ程のとてつもない破壊力を得る。人や魔獣などの対生物相手では一溜まりもなく、ましてや細身のヨシュアなど怪我じゃすまない。
 ただし、あくまで『当たれば』という仮定の話。
 ヨシュアは腕を後ろに組んだまま涼しい表情で、既に五分近いエステルの波状攻撃を交わし続けている。
 連続で突く。上から振り降ろす。横から薙ぎ払う。下からしゃくり上げる。その全ての攻撃を、敢えて紙一重で避ける。
 物干し竿の威力を知りながらも、琥珀色の瞳には微塵も恐怖心は感じられない。むしろ、口元にうっすらと笑みさえ浮かべている。完璧に手玉に取られているが、別段エステルに驚きも焦りもない。これが現地点の二人の正しい距離だからだ。
 まずはヨシュアを本気にさせる所から、エステルの修行は始まる。

 エステルが棍を旋風のように振り回す。今までほぼ上半身の見切りだけで避けていたヨシュアが跳んだ。
 次の瞬間、ヨシュアは信じられない身の軽さで棍の上に着地する。棍先にヨシュアの体重が加わったが不思議と重さを感じない。
 流石に少し腹が立ったエステルは乱暴に棍を払う。その刹那、棍から飛び下りたヨシュアは、そのままエステルの頭の上を飛び越え一回転して後方に着地する。
(何でだよ)
 頭上を見上げたやや間の抜けた格好のまま、強く思う。
(何で、今のでもパンツが見えねえんだよ?)
 エステルの疑問は、攻撃が当たらないことでも、ヨシュアの異常な身の軽さでもない。
 謎の暗闇に覆われて、この至近からでも観賞できなかったスカートの中身である。
 別段、義妹のパンチラに欲情しているわけではない。まだ胸がぺったんこだった三年前まで一緒に風呂に入っていたし、黒系の服色の好みとは逆にピンクのリボンのついた純白の下着を好んで愛用しているのも洗濯当番の時に確認済み。
 何よりもエステルはヨシュアの美しさを認めながらも、自分より圧倒的に強い義妹を女として認識していない。本来見えてしかるべき筈のものが見えないのが気になるだけ。他に他意などあろう筈がない。
(ヨシュアの奴、一体どんな手品で、あんな短いスカートの中身を守ってるんだ? そういえば発着所案内係のアランさんが、『最近のアニメは昔に比べて理不尽にパンツが見えなくなった』とか愚痴を零していたけど、これが噂の絶対領域という奴か? それともシンプルに実は本当に履いてない? だとすると、あの黒い闇はまさか。なら、やるしかねえのか? かつて封印した究極奥義スカートめくり)

「エステル、稽古中に何を考えているの?」
「うわぉ?」
 ヨシュアは目と鼻の先まで自身の顔を近づける。身長差からくる自然な上目遣いでエステルの表情を覗き込み、慌てて後方に仰け反った。普段は義妹を異性として意識しないエステルだが、不意打ちでこういう可愛らしい仕種を見せられると、ドキマキしてしまう。
「何か妙なこと企んでいなかった?」
「悪い、悪い。ここからは真面目にやるから」
 鋭い女の勘を発揮しながら、彼にしか見せないジト目で睨むヨシュアに後ろめたそうに目線を逸らす。それから煩悩を打ち払うように強く頭を振ると、再度気合いを入れ直して棍を構える。
 エステルの判り易すぎる態度から、疑惑を確信に変えたヨシュアの目がますます細まる。
 だが、次の瞬間、妖艶な笑みを浮かべると、ミニスカートの両裾を掴んで思いっきり捲りあげる。剥き出しの白い太股がさらに露になる。
 エステルの密かな願いを叶えたかに見えるが、そうではない。ヨシュアは両太股に巻かれたバインダーから、彼女の得物である双剣(ツインダガー)を取り出す。単に稽古が次の段階に突入しただけ。

(ここからが、正念場だな)
 両の腕に短剣を構えるヨシュアの姿に緊張感が高まる。
 標準より長めの棍を扱うエステルとは逆に、ヨシュアの武器は、正規品よりも極端に短くて軽い。リーチは半分もなく、重さに至っては十分の一。何しろ、ミニスカートの内側に隠せるコンパクトサイズなのだ。ダガーというよりは、ほとんどナイフである。
 ぶっちゃけると、ヨシュアの非力な腕力ではこのサイズしか装備できないのだが、こんな猫が爪を伸ばした程度の武装でもヨシュアの手に握られると、大型魔獣(プレデター)の牙級の危険な凶器と化すことを幾度となく思い知らされている。
 エステルが再びヨシュアに襲いかかったが、今度は避けようとせず正面から迎え撃つ。単棍と双子の剣が激突し火花を散らす。
 一撃の威力はエステルに分があるが、ヨシュアは手数の多さとマインゴーシュー(※盾代わりに用いる左手用短剣のこと)さながらの捌きで攻撃を受け止めいなし、パワーの差を相殺する。
 結果、虚空の彼方に吸い込まれるように攻撃は全て雲散霧消する。武器同士の撃ち合いをしているのに、その実感は与えられず、まるで実体のない幽霊を殴っているような錯覚さえ陥る。
 それでも先のように空を切り続けるよりはよっぽどマシだが、こうした暖簾に腕押しのような膠着状態を続けている内に否応なく一つの事実に気づかされる。
(やっぱり、さっきから撃たされているな)
 ヨシュアは敢えて構えの一部に隙を作って、その箇所に攻撃を誘発している節がある。攻勢に出る時でさえ、攻撃前にわざと微かな予兆動作の溜めを行うことにより、防御の先読みが可能なように配慮している。
 さながら指導碁の如く、実践的な攻防の手筋を叩き込んでくれているわけだ。
 実際、この形式の修行を取り入れてから、エステルの技量は格段に向上した。
 ヨシュア本人と闘っている時は、攻撃が掠りもしないので上達を全く実感できないのだが、ヴェルテ橋の関所の兵士訓練に定期的に参加するようになって、初めは負け続けていた複数の兵士に今ではヨシュアのサポート抜きでも連勝できるようになったからだ。
(けど、これじゃ、まるで釈迦の掌の上の孫悟空だよな)
 本来、感謝すべきなのは理屈では判っているのだか、昔、母親に読んでもらった西遊記とかいう絵本の主人公さながらに義妹の手の内で弄ばれている感が先立って、反抗期の子供染みた反発心を抑えることができない。
「そろそろ終わりにしましょうか、エステル」
 そんなエステルの焦燥感に感応したわけでもないのだろうが、ヨシュアは隠していた力の一端を開放する。エステルの動体視力では追いきれない超スピードで残像を残しながら高速移動を繰り返し、死角から一瞬で懐深くに潜り込むと今までの倍以上の手数の斬撃を見舞い、また離脱して再度隙を伺う。
「くそっ」
 適度に保たれていた攻守のバランスが一気に崩壊する。ヨシュアの回転率がどんどん上昇し、瞬く間に防戦一方に追い込まれる。
 二人の決着はどちらかが武器を失ったらという暗黙の了解がある。ヨシュアの攻撃はエステル本体を無視し、棍だけに集中している。故に背面の無防備さを気にせず、棍を手放さないことだけに意識を高めれば良いが、左右から繰り出される変幻自在の斬撃に本丸は陥落寸前まで追い込まれる。
(また負けるのか? このまま何もなし得ないまま)
 追い詰められたエステルの脳裏にとある秘策が駆けめぐる。一向に縮まる気配のない義妹との力量差を愚痴っていた時に、彼の幼馴染みが悪戯っぽく微笑みながら授けてくれた。
 効能については未だに半信半疑だが、迷っている時間はない。先程から両腕は痺れ、棍を持つ掌の感覚が薄れ始めている。
「ヨシュア!」
 大声で叫ぶも、ヨシュアは無視して止めのモーションに入る。駄目元でとある言葉を添えながら、カウンター気味に自身の棍を突き出す。

「好きだ」

 カーンという鈍い音が鳴り響く。エステルの棍が、ヨシュアの片剣を後方に弾き飛ばした。武具の半分を失ったのにヨシュアは棒立ちのまま未だに惚けている。
だが、それ以上に驚いたのはエステルの方だった。まさか本当に効果があるとは。理由は判らないが、これは千載一遇のチャンス。
(本当にヨシュアに勝てる?)
 残る最後の短剣が舞い上がる。エステルの勝利? いや、違う。ヨシュアは弾かれる寸前、自ら武器を宙に放り投げた。そのまま懐に潜り込むと、片手でエステルの襟首を掴んだ。
(やばい)
 手負いの草食獣が満腹の肉食獣より獰猛であるように、無手のヨシュアはある意味、武装した状態よりも危険極まりない存在なのを知っている。
 目が合うと、琥珀色の瞳が真っ赤に光り輝いている。怪物が本気になった証。
「かはっ!」
 次の瞬間、エステルの身体は宙を舞い背中から地面に叩きつけられる。四股がバラバラになりそうな強い衝撃が全身を駆けめぐり棍を取り零す。
 それを合図に稽古終了の筈が、ヨシュアの攻撃はまだ終わらない。エステルの左腕にしがみつくと、そのまま腕挫十字固めの態勢に持ち込み、関節を極める。
「あだ……いだだだだだ!」
 肘関節の可動域を超えて、逆方向に伸ばされたエステルは、痛みと降参の意を訴えて、自由な右腕でバンバンと地面を叩く。左腕はヨシュアの豊満な胸の谷間に納められ、太股の付け根のとある敏感な部分が肩口に密着しているが、その感触を楽しめる余裕は今のエステルにはない。
「ねえ、エステル。さっきのアレは、誰の入れ知恵?」
 アレとは「好きだ」と口走った件だろうか? 軽く微笑みながら、猫なで声で尋ねたが、怒気を孕んでいるのは明白。その証拠にヨシュアの瞳は、未だ血を溶かしたかのように真紅に染まったまま。
「入れ知恵って、俺が自分で考え……痛ててて!」
「あなたが、ああいう策を自前で遂行できる観察力と性格の持ち主なら、私は何の心配も要らなかった。半年前、一人で準遊撃士の旅にでて、今頃、とっくに正遊撃士の資格を取っていたわ。もう一度だけ聞くわ。誰に唆されたの?」
「何言ってんだか、さっぱり判らな……だああ、痛たた。折れる、マジに折れる」
「大丈夫よ、エステル。ちゃんと奇麗に外して奇麗に嵌め直してあげるから、物凄く痛いだけよ。ただ靱帯を損傷する危険があるから、もしかしたら午後の試験を受けられなくなるかもね」
 猫が鼠をいたぶるような嗜虐的な表情で突きつけられた最後通告に、エステルの顔が引きつる。ヨシュアの背筋力に力が籠もる。弓を引き絞るように限界ぎりぎりまで肘が曲げられる。
 エステルは一瞬何かを口走ろうとしたが、思い直したように頭を強く振る。目を瞑り、思いっきり歯を食いしばった。

 エステルの覚悟をじっと見定めていたヨシュアの瞳が、赤から本来の琥珀色へと変化した。軽くため息を吐くと極めていた腕を開放する。
「ヨシュア?」
「エステル、あなたって本当に馬鹿ね」
「どういう意味だよ?」
 胡座をかき左肘を摩りながら、拗ねたような目でヨシュアを見上げる。
「その名の通りの意味よ。折られる覚悟で痛みに耐えようとしたのは見上げた根性だけど、その所為で逆に犯人を絞り込めたわ。ティオかエリッサ。性格まで考慮するとティオ一択かな?」
「何で判っ……んぐっ」
 慌てて口を閉ざそうとしたが、身体の隅々まで行き渡った動揺がヨシュアの仮説の正しさを雄弁に物語っていた。追い打ちをかけるように、得意の合理的な思考フレームによる解説が追加される。
「簡単な推理よ。エステルが私との稽古について相談を持ちかけられる相手は、さほど多くない。武術関係者か親しい友人ぐらいしか私たちの力量を知らないしね。その上でエステルが多分、私の報復を恐れて口を噤んだ所を見ると、父さんやシェラさんなどの武道系も除外される。更には指折り楽しみにしていた遊撃士試験をフイにする危険を冒してまで守ろうとする程の知り合いの中であの助言を思いつけるのは、エリッサとティオの二人だけ。最後に性格まで考慮……」
「待て、待て。どうしてラストの推論であの幼馴染み二人だと断定できるんだよ?」
「あなたは判らなくても良いことよ、エステル。どうせ、あの下らない策が成功しかけた理由も見当つかないんでしょ?」
 名探偵モードを途中で遮られたからでもないだろうが、不機嫌さを滲ませた口調でそう言い切ると、自分の表情を隠すようにクルリと後ろを振り返る。
 背中から妙に禍々しいオーラが噴出しているように感じられたエステルは、それ以上の追求を躊躇わせたが、それでも一つだけ確認しておかなければならない事柄がある。
「なあ、ヨシュア。あまりティオに手荒なことはしないでくれよ。悪気があった訳じゃないし、むしろ責任は安直な策に頼ろうとした俺にあるんだからよ」
「やだなぁ、エステル。私がティオに酷いことする筈がないじゃない? エリッサとティオの二人は私の数少ない同性の大切な友達なんだから」
 再度、振り向くと、一点の曇りのない満面の笑みで幼馴染みの身の安全を保証してくれたが、却って不安だ。今まで一体どれだけのロレントの男性があのヨシュアの笑顔と嘘泣きに騙されてきたことか。
 尚、『数少ない同性の友達』というのは、誇張や謙遜でもない歴然とした事実。ヨシュアは幅広い年代の男性から受けが良い反面、特に同年代の少女達から疎まれており、もう五年来のつき合いになるシェラザードとの間にさえ実に微妙な空気が漂っていたりする。
「どのみち今日は遊撃士の試験があるんだから、ティオに会いに行く時間はないわよ。そろそろ朝食の準備にしましょう。あなたもお腹が空いたでしょう、エステル?」
 ヨシュアは双剣を拾い上げ、ミニスカートの内側に装着すると、駆け足で家の中へ消えていく。
 物理的な確約に、幼馴染みの身の上を案じていたエステルの気が楽になる。安堵したら、お腹がグーっと鳴った。確かにもうお腹がぺこぺこだ。ヨシュアは『あなたも』と囁いたが、もしかすると腹の虫を聞かれるのが嫌で、慌てて逃げたのかもしれない。そう妄想すると可笑しくなって、戦闘の疲れも敗北の屈辱も忘れて、地面に大の字に寝ころがってゲラゲラと笑い転げた。
 その笑い声は、顔を真っ赤にして飛び出してきたヨシュアに顔面を踏み潰されるまで途切れることはなかった。

        ◇        

「パーゼル農園の魔獣退治!?」
 ロレント市にある遊撃士協会(ギルド)二階の応接間。担当のシェラザードから試験の課題について聞かされる。
「そうよ。正式なクエストではあるけど、依頼人は貴方達の顔見知りだし、色々と都合が良いので準遊撃士の資格取得試験の内容に割り当てることにしたの。もっとも……」
 露出度の高い踊り子風の衣装に身を包み、健康的な褐色の肌を惜しみなく晒した若い銀髪の女性は、何とも言えない視線をエステルの隣に佇む少女に向ける。
「エステルはともかく、あんたに今更こんな試験が必要なのかあたしは疑問だけどね。というわけで、ヨシュア。あなたは今回、極力手を出さないこと。確かめたいのはエステルのブレイサーとしての適正と、依頼に対する判断力だからね。判った……って、ちゃんと、聞いているの、ヨシュア?」
 シェラザードは更に念を押したが返事はない。ただヨシュアがボソリと呟いた一言をエステルは聞き逃さなかった。
「手間が省けたわね」
 一瞬黒い笑みを浮かべながらも、直ぐさま営業スマイルに切り換えてシェラザードに対応した変わり身の速さに、自身の試験結果よりも幼馴染みの少女の行く末が気になって仕方なかった。



[34189] 02-01:パーゼル農園の魔獣退治(前編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:7f5eceeb
Date: 2015/04/01 00:04
「君の影、星のように、朝に溶けて消えていくー。行き先を失くしたまま、想いは溢れてくる」
 商業都市ボースとの連絡口であるヴェルテ橋の関所とロレント市を結ぶミルヒ街道を、一組の男女が歩いている。ブライト家の名物兄妹、エステルとヨシュア。
 自身の倍近い高さの立方体の重そうな荷物を背負ったエステルは、ゼハゼハと息を切らす。反面、ヨシュアは身一つで身軽そう。義兄の恨みがましい視線もどこ吹く風。
「強さにも弱さにも、この心は向き合えたー。君とならどんな明日が来ても、怖くないのに」
 T字路に差し掛かる。
『←ヴェルテ橋・関所 ↓パーゼル農園』
 立て札にはそう記されていたが、確認するまでもない。二人にとって馴染みの道。進路を南に変更。
 野原を結構な数の魔獣が徘徊しているが、何故か兄妹の存在を無視し素通りする。
 その秘密は、遊歩道に定期的に配置された街道灯の導力器(オーブメント)にある。オーブメントに組み込まれた幻属性の結晶回路(クオーツ)の迷彩効果で、歩道の真ん中を歩く旅人の姿を魔獣から認識し辛くしている。
「二人歩いた時を、信じていて欲しいー」
 背中を老人のように九の字に曲げ、荒縄でギュウギュウに荷造りされた立体物に押し潰されそうなエステルの苦悶する姿に全く頓着せず、ヨシュアは両手を豊満な胸に重ねて歌を奏でる。
 よく通る澄みきった歌声が、ミルヒ街道を駆け巡る。音程に合わせる様にヨシュアがクルクルと回転する。腰まで届く黒髪が宙を舞い、太陽の光に乱反射してキラキラと輝く。
 甘い蜜のような歌声に誘われて、複数の小鳥がヨシュアの風に靡く黒髪を追い掛けるように飛び回る。鳥と戯れる美しい歌姫。目の前で実に幻想的な光景が展開されているが、義妹に対して最大限バイアスがかかったエステルの眼には、船を沈めるセイレーンの呪いに魅入られた憐れな船乗りの犠牲者の姿にしか映らない。
「真実も嘘もなく、夜が明けて朝が来るー。星空が朝に溶けても、君の輝きはわかるよ」
 エステルの穿った観察眼は、満更、錯覚でもなかったらしい。歌声に誘われるのは何も鳥や人だけではない。
 赤茶玉蟲と呼ばれる魔獣が、街道灯の効果を振り切って、鋭い歯を唸らせてヨシュアに襲いかかる。次の刹那、ヨシュアは電光石火の早業で虫型の魔獣を解体。エステルの目前に複数の赤茶玉蟲の残骸がボタボタと零れ落ちる。
 鳥たちは魔獣の襲来にも、何時の間にか抜刀し再び鞘に納められた双剣の存在にも気づかずに、呑気にヨシュアの黒髪との追っ掛けっこに興じている。
「愛してる、ただそれだけで、二人はいつかまた会えるー」
 演奏を終了したヨシュアがスカートの裾を掴んで挨拶すると、鳥たちは満足したように飛び去る。左手で前髪を搔き分け、眩しそうに空高く羽ばたく翼を見送る黒髪の美少女。儚くも美しい光景ではある。
 少女の足元に散らばる魔獣の亡骸を無視できるのなら。
「ご機嫌だな、ヨシュア。確か『星の在り処』だっけ?」
 もはや荷物の重さをアピールする気力も失せたエステルは、額からダラダラと滴り落ちる汗を拭いながら尋ねてみる。男女の労働均等を訴えるのは別の機会に譲るとして、幼馴染みとの一件が気になるからだ。
「そりゃ、そうよ。だって、久しぶりに心の友に会えるのだもの」
「昨日会ったばかりじゃないか。やっぱり、まだ根に持っていたのかよ?」
「私は日曜学校には通っていないから、ティオとは二週間もご無沙汰よ。ところで根に持つって何? 私はティオとお話しがしたいだけよ」
「だから、それだよ、それ。俺の耳には脅迫としか聞こえな……」
 幼馴染みの処遇についてあれこれ問答を重ねている内に、準遊撃士の資格取得試験の目的地、パーゼル農園に辿り着いた。

        ◇        

 バーゼル農園は、七耀石を産出するマルガ鉱山と並ぶロレント地方の名産。
 主に隣都市のボースマーケットに商品を出荷しているが、良質で美味の野菜や果物を作ると国内でも専らの評判。エステルの幼馴染みの一人エリッサの実家、『居酒屋アーベント』のように直接農園と契約して野菜を仕入れている飲食業者は多い。
 今回の依頼に紐解く迄もなく、パーゼル農園の歴史は外敵との戦い。広範囲に渡る肥沃した土地確保の必然性から、安全な市の城塞内に農場を構える訳にもいかず。家族経営という人数の都合で、農作物はおろか、時には住民の生命そのものが脅かされてきた。
 十数年前にアリシア女王から寄贈された、街道灯と同効果を持つ灯柱が農園を覆うように配備されたことにより、魔獣襲来という長い間続いた悪夢から開放された筈だった。
 しかし、経緯は不明ながら再び魔獣が出没した。
 農園の平和を守る為、純武力的には既に正遊撃士相応の力量を備えたブライト家の兄妹が派遣されてきたが、現在エステルが着手しているのは、戦闘でも見回りでもなく単なる農作業。
「済まんな、エステル。ここ数日、魔獣の対応に追われて、出荷が滞っているんだ」
 ティオの父親で農主のフランツが申し訳なさそうに頭を下げる。
 本日中に配送しなければいけない野菜があるが、収穫が全く追いついておらず、妻娘共々一家総出で刈り入れ作業をしている最中。農園に着き、事情を悟ったエステルは、荷物(※中身はエステルも知らない)を倉庫に放り込むと、真っ先に助っ人を買って出た。
 元々身体を動かす仕事が大好きで、パーゼル一家とは幾度となく農業を手伝ってきたご近所さんの仲。
 エステルとは逆に、力仕事と汚れ作業が苦手なヨシュアは、ハンナ婦人から末の双子の世話と夕飯の支度を頼まれたら、渡りに舟とばかりにウィルとチェルに両手を引かれて家屋に消えていく。
 まずは、ヨシュアをティオから引き離そうとしたエステルの作戦は成功した。

「そっか、また駄目だったんだ」
 ティオとエステルの二人は、収穫作業に勤しむ傍ら、ヨシュア対策の密談を行う。
「けど、常に冷静沈着が売りのヨシュアが、あんな揺さぶりで動揺するとは意外だったな。町の男連中からチヤホヤされているみたいだけど、意外と告白されたのは初めてなのか?」
「ちっちっち、そんな訳ないでしょ、お兄ちゃん」
 私服のスカート姿に土で汚れた作業用の大型エプロンを纏ったティオは、大胆な大股開きで踏ん張って、地面から一気に複数のさつま芋のツルを引き抜く。
「容姿端麗、頭脳明晰、料理も裁縫もプロ級で、性格もお上品でおしとやか(※単なる猫被りですけど)と、まさに大和撫子を体現したような存在だけど、殿方の庇護欲をくすぐる術を知り尽くしているから、スペック程に高嶺の花を感じさせないヨシュアを狙っている男の人は多いわよ。告白して玉砕した男性は数知れず、中には結婚前提でプロポーズした兵もいるとかいないとか。ちなみにソースは『クルーセちゃん通信』ね」
「クルーセちゃん通信って、・・・ああっ、あのませガキか」
 義妹のハイスペック振りについてはウンザリする程思い知らされているので、今更説明されるまでもない。彼女の親友讃歌に適当に相槌を打ちながらも、エステルの視線は体育座りしたティオの無防備なデルタゾーンに注がれていた。
(ちっ、やっぱりスパッツを履いてガードしてやがるのか……って、いけね。ガキの遊戯(スカート捲り)は、もう卒業しただろ?)
 エステルは煩悩を打ち払うように軽く頭を振ると、邪な想いを気取られる前に視線を顔の方に固定する。
 ティオと目が合う。頬杖した少女は、エステルの目線に気付くとにっこり微笑む。
 ヨシュアと同じ黒髪ながら、やや色艶に欠ける。潤いが足りない素肌も、ボサボサでショートの髪の毛も泥まみれで、万人受けする義妹の美貌に比べたら、お世辞にも垢抜けているとは言い難い。それでも、こういう素朴で健康的な明るい田舎娘にも、ヨシュアのような都会の薔薇とは趣の異なる魅力があるのだと心中で擁護する。
「告白慣れしているなら、どうして、ヨシュアはあんな策で、隙を見せたんだ?」
「ちょっと、エステル。それ、本気で言っているの?」
 照れ隠しに囁かれたその一言は、少年の幼馴染みに最大限の衝撃を与えた。
「ニブチンなのは重々承知していたけど、いい加減、犯罪の域に達してない? 動揺するか否かは、告白された相手によるものでしょう?」
「告白された相手? なんじゃそりゃ?」
 卵から孵ったばかりの雛鳥のような無垢な瞳で、質問を鸚鵡返しするエステルの姿に、ティオは頭を搔きむしる。
「はあー、ブレイサーってこんなお馬鹿に務まる脳筋な職業なわけ? あーっ、もう、じれったい。それは、ヨシュアがエステルを……ひきゃあー!」
 突然、ティオは素っ頓狂な悲鳴を上げる。何時の間に真後ろに忍びいっていたヨシュアが、彼女の背中の性感帯に合わせて、指をツイっと這わせたからだ。
「ヨシュア、何時からいたの? まるで、気配がしなかったんだけど?」
「人知れず背後を取るのは、私の七十七の特技の一つ。知っているでしょう?」
「ウィルとチェルの世話をしていた筈では?」
「二人は仲良くお昼寝中よ。あの年頃の子は身体を動かす遊びよりも、頭を使う運動をさせた方が疲れるのが早いわよ」
「そんな、あの二人を寝かしつけるのに私は何時も苦労しているのに、こんな短時間で……」
 子守の技量も、七十七の特技に含まれるのだろうか?
 尚、ヨシュアの多芸振りを最も熟知しているエステルも、四十ぐらいしか把握していないので、残りの半数近いスキルの正体は謎だ。
「とりあえず、栄養ドリンクを作ってきたからここに置いておくわね。私はこれから夕飯の準備をしなければいけないから、これで失礼するわ」
 それだけを伝え、町の男衆はまず見られないレア表情のジト目で二人を睨み付けると、忍者のように忽然と消失する。跡には予告通り人数分のペットボトルだけが残されていた。
「ヨシュアの奴、少し虫の居所が悪かったみたいだが、気のせいか? で、ヨシュアが俺をどうしたって、ティオ?」
「えっ? 私、そんなこと、言ったっけ? あははははっ」
 例の件には一言も触れなかったが、ヨシュアが釘を刺しにきたのは明白。彼女との友情と何よりも己が身の安全の為、ティオは自分でも不自然だと感じる愛想笑いで空素っ惚けることにした。
 ストローをちゅうゅう吸い込みながら飲料を一気飲みしたエステルは、幼馴染みの豹変に違和感を覚えただろうが、生来の気質に応じてあまり深くは考えないことにした模様。与太話で潰した仕事の遅れを取り戻すべく、二人は農作業に集中する。

        ◇        

「ふうっ、何とか間に合いそうだな。本当に助かったよ、エステル」
 人海戦術の甲斐あり、日が完全に落ち周辺が真っ暗になった頃、ようやく作業が一段落した。ただ、朝一までに隣のボース市に商品を送り届けねばならず、フランツは夕飯を取る間もなく、荷台一杯に収穫した野菜を詰め込んだトラックのエンジンを始動させる。
「お弁当を作っておきました。運転の邪魔にならないよう、食べ易く工夫してみたので、良かったら」
「ありがとう、ヨシュア。ブライト家の人達には何時も世話になりっぱなしだな。いつか、この借りを返せる時が来るといいのだが」
「借りだなんて、水臭いこと言わないで下さい。私たちは家族みたいなものじゃないですか」
 フランツは運転席の車窓から、実の娘を慈しむような温かい表情で、ヨシュアの頭を撫でる。ゴロゴロと喉を鳴らす黒猫のような可愛らしい仕種で、ヨシュアは目を細める。
「ティオが男の子だったら、ヨシュアに嫁に。いや、ウィルとの年の差カップルもまた」
 無邪気な感想を漏らすハンナ婦人とは逆に、黒髪の魔女の正体を知る二人は、苦笑いしながら互いに目配せする。
「あの気配りと愛嬌が、男心を擽る秘訣とかいう奴か? けど、ああいう異性に媚びるような真似ばかりしていると、同性から嫌われないか?」
「当然、浮きまくっているわよ。まあ、私も女だから、ヨシュアに嫉妬する気持ちは良く判るけどね。というか、私も昔はヨシュアのこと大嫌いだったから」

        ◇        

 ヨシュアが夕飯に持て成した、新鮮な野菜をふんだんに使った大皿料理は、余人全てを唸らせる会心の出来栄えだった。農園でご馳走になる都度、苦労して編み出したレシピを完璧に盗み、忠実に味付けを再現する味覚センスには、料理自慢のハンナ婦人も白旗を上げるしかない。
「いやぁ~、本当にヨシュアは俺の自慢の可愛い義妹だよな」
 シチューを五杯もお代わりして満腹になったエステルは、満足そうに左手でお腹を摩り、余った右手でヨシュアの黒髪をナデナデする。人間の三大欲求(食欲、睡眠欲、性欲)に極めて忠実なエステルは普段はヨシュアの粗探しばかりしている分際で、恩恵を授かった時だけは実に調子が良い。
 ヨシュアは「褒めても何も出ないわよ」と憎まれ口を叩きながらも、頬に赤みが射している。ただ、正面に座っているティオがニヤニヤしながらこちらを眺めているのに勘づいて、慌ててエステルの手を払った。

 やがて眠りの妖精が魔法の粉を撒き散らしたかのように、パーゼル一家の四人は机の上に伏したまま深い眠りに墜ちていく。食後のハーブティーにヨシュアが一服盛ったらしい。魔獣騒ぎによる連日の睡眠不足に加え、今日一日中、野良仕事でクタクタに疲れているので、ゆっくり休んでもらった方が良いという判断だ。
「確かにこれからのドンチャン騒ぎに巻き込んで起こしても悪いからな。なら一緒にパトロールに行くとするか、ヨシュア」
「ええ、いってらっしゃい、エステル」
「いってらっしゃい?」
「忘れたの? 私はシェラさんから極力手を出さないように厳命されているから、家の中でエステルの仕事ぶりを、高みの見物……いえ、暖かく見守らせてもらうわ。はい、スーパー生姜紅茶。フランツさんに持たせたのと同じで身体の芯から温まる上に、脳が活性化して眠気が一気に覚めるわよ」
 満面の笑みで懐中電灯と魔法瓶を手渡されて、バタンと扉が閉ざされる。ピューと吹く北風が、エステルの身体と、何よりも心を寒くする。

「あんにゃろめ。何時も要領よく、一人だけ楽しやがって。やっぱり、あいつは可愛くねえ義妹だ」
 先とは掌返して、ヨシュアを毒づきながら、エステルは一人孤独に、闇に包まれた極寒の農園をうろつく羽目になった。



[34189] 02-02:パーゼル農園の魔獣退治(後編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/01 00:05
「どうやら、魔獣はここから入り込んだみたいだな」
 農作業の疲労と食後の満腹感から齎される強烈な睡魔を、強靱な精神力と生姜入り飲料の効果で抑えつけながら見回り続けること一時間。牧舎の裏側のフェンスが破られているのを発見する。
 とはいえ農園を囲む灯柱の効果で、本来なら魔獣がフェンスに近づくこと自体あり得ない筈。不審に思ったエステルはランプで周辺を照らして、用心しながらフェンスの外側に出ると思ったより簡単に元凶に突き当たる。灯柱の一つが粉々に破壊され、内部のセピス(※七耀石の欠片)が食い荒らされていた。
「なるほどな。この灯柱が不具合か何かで、魔獣除けの機能を果たさなくなったので、中のクオーツを狙って、魔獣に壊されたというわけか」
 魔獣はクオーツの原料となるセピスを好む性質を持つ。結果、この辺りの隠蔽効果が薄まり、外敵の進入を許した。尚、ティオの話によると目撃した魔獣の数は三匹だけ。
「なら、そいつらを片づけて、他の魔獣に目をつけられる前に灯柱を修理すれば、農園は元通り平和になるわけだな」
 空になった魔法瓶を放り捨てて得物の物干し竿を装備すると、魔獣の姿を求めて園内を徘徊する。

        ◇        

 キャベツ畑で作物を食い散らかす、畑荒らしと呼称される三匹の猫型の魔獣と対峙したエステルは、直ぐさま戦闘に入る。
 ロレント地方でもさほど手強い魔獣ではないが、すばっしこく何よりも逃げ足が早い。畑荒らしが信条に反して、いきなり遁走しなかったのは、相手を単独と見縊ったからだろうが、早速、見込みの甘さを思い知らされることになる。
「みゃお、みゃおおーっ!」
 ネコ科特有の鋭い爪先を展開し、数の利を活かして三匹同時に襲いかかるも、エステルを中心に棍を竜巻のように振り回す、クラフト『旋風輪』により、まとめて跳ね飛ばされる。
 戦技(クラフト)とは、CP(クラフトポイント)と呼ばれる体内の闘気を燃料に行使するバトル専用の特技。旋風輪みたいに射程範囲内の対象を纏めて攻撃したり、またはヨシュアの『絶影』のように直線上の敵にDELAY(※行動遅延の状態異常)を促したりと、使用者の個性に応じた能力がある。また、攻撃クラフトの他にも補助、回復クラフトなども存在するが、ここでは割愛する。
「なんでえ、これじゃ腹ごなしの運動にもならねえな」
 ヨシュア以外の人か魔獣と闘うことによって、相対的に実は己は結構強いらしい現実を噛み締めてきたエステルは、また悪癖を発揮し油断を生じさせる。
 素早いといっても、普段エステルが一緒に稽古しているヨシュアの超スピードとは比べるべくもない。畑荒らしはヨロヨロと立ち上がったが、今の一撃で深刻なダメージを負い、逃走もままならない有り様。このままだと戦略ミスのツケを命で支払うことになりそうだが、このファンシーな見た目の魔獣の真価は戦闘力とは別な所にある。
「んっ? まだ、やるっていうのか?」
 三匹はよろめきながらもエステルの方向に近づいていく。流石に少しばかり警戒し棍を構えるエステルの目前で、畑荒らしがとった行動。それは。
「なっ?」
 土下座だ。三匹は両掌の肉球を見せ降参の意を訴えると、額を地面に擦りつけて命乞いを始める。
「お前ら、そんなチンケな詫びで、野菜泥棒を見逃せとか言うつもりか? 寝言も休み休み……うっ?」
 三匹は頭を上げ、潤んだ愛くるしい瞳でエステルに哀願する。これこそが畑荒らしの奥の手。ゼムリア大陸には多種多様な魔獣が棲息するが、自らの可愛さを自覚し、それを武器として行使する愛玩種族は他に例がない。
「やめろ、その円らな瞳で俺を見るな」
 市民の平和と地域の安全を守る遊撃士としての義務感と、元来の可愛いもの好きの動物愛護精神との板挟みに陥ったエステルの心に迷いか生じる。
 魔獣の瞳が狡猾に光る。人間が修練によってクラフトを会得するように、魔獣は生まれながらにその固体に応じた特異なスキルを保持している。再び土下座する振りをしながら、特殊能力『畑あらし』で野菜を齧ってHP(体力)を僅かながらに回復させる。
 今度は選択を誤らない。ヒットポイントを持ち直した魔獣の群は、エステルが顔を背けた僅かな隙を逃さずに一斉にトンズラした。

「しまった」
 我に返ったエステルが慌てて魔獣を追い掛ける。
 戦闘はともかく単純な追いかけっことなると、俊敏で小回りの利く魔獣の方に分がある。おまけに三匹にばらけて逃走されると、単独のエステルでは手の打ちようがない。
「そうだ。破れたフェンスの前で待ち伏せすれば」
 あれだけ手酷く痛めつけられたのだから、今夜は退散を目論むだろう。そこに網を張って一網打尽にすれば良い。珍しく頭を使ったエステルは鬼ごっこを一時的に取り止め、唯一の逃走ルートの前で待ち構えることにする。

        ◇        

「みゃあ、みゃああー」
 破れたフェンスの側に三匹は再集結したが、その手前にエステルが仁王立ちで行く手を塞ぐ。魔獣は尻込みしたが他に逃げ場はない。手負いの今の状態では新たにフェンスに穴を開ける気力すら残されていない。
 意を決してエステルに特攻を仕掛けるが、当たり前のように蹴散らされる。魔獣の身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。三匹の畑荒らしはピクリとも動かなくなった。
「ちっ、なんか、弱いもの苛めしているみたいで、すっきりしな……えっ?」
 力尽きた筈の魔獣が復活し、一目散でエステルの脇を駆け抜ける。最後の切り札の『死んだふり』で再度、エステルの慢心を誘い出すのに成功した。
「くそっ、何やっているんだ、俺は」
 灯柱を直して農園の隠蔽効果を復活されたところで、一端餌場を覚えた魔獣には意味がない。ほとぼりが醒めた頃に再出没し、また悪さを繰り返すだろう。兄妹にしても何時までも農園に常駐して警備する訳にもいかない以上、クエストに失敗したことになる。
「みぎゃあ。みぎゃああー!」
 突如、魔獣の断末魔の雄叫びが響きわたる。フェンス穴の目前で、三匹の畑荒らしは何者かに襲撃され、再び宙を舞う。
「相変わらず、詰めが甘いわね、エステル」
 暗闇から浮かび上がるように、両手に双剣を装備したヨシュアが出現する。彼女の足元に転がる魔獣は今度こそ本当に戦闘不能に陥ったらしく、グッタリしている。
「ヨシュア。 どうして、ここに?」
 暖かい家屋で寛いでいたとばかり思っていたのに、突如の助っ人参戦に戸惑う。
 ヨシュアはエステルの質問を無視し、懐から取り出した手帳にスラスラと手書きし、反射的にエステルは中を覗き込む。
・収穫作業を手伝う        BP+3
・魔獣の進入経路を特定する    BP+1
・魔獣との戦闘に勝利する。    BP+2
・油断して魔獣を取り逃がす    BP-1
・油断して再度魔獣を取り逃がす  BP-2
現在までの合計          BP+3
 
「あの、ヨシュアさん。何ですか、これは?」
「シェラさんから頼まれたエステルの遊撃士試験の採点表よ。+5以上が、合格ラインらしいから、まだ少し点数が足りないわね。ちなみにこれはブレイサー手帳と言って、クエストの詳細を書き込んで、後々、ギルドにBP(ブレイサーズポイント)という形で査定……」
「待て待て、採点表って? お前、密かに俺のことを尾行して、行動を逐一チェックしていたのかよ?」
 こくりと頷く。夕食の支度をする傍ら農園を探索し、既にフェンスの穴を発見していたが、エステルの遊撃士に必須の捜査能力を見極める為に敢えて放置した。この分だと魔獣との珍騒動も、得意の隠密行動で全て観察されていたということか。
「お前は俺の試験官かよ? シェラ姐もいくら何でもヨシュアに権限を与え過ぎだぜ」
「あら、私の試験結果もエステルと一連託生だから、あなたが合格しないと準遊撃士の資格すら取れないわよ。だから、最後にちょっとだけ手を貸してあげたでしょう?」
「例によって少ない労力で美味しい所を掠め獲ったとしか思えないけどな。要領良いのは結構だが、そんな性根だからティオとエリッサ以外の同性に嫌われ……」
 ふと、ヨシュアの足元に転がる魔獣の姿が目に入る。奴らの様態が気になった。
「死んでいるのか、こいつら?」
 普段の可愛い子ぶりっ子に反して、戦闘時の冷徹さを承知しているエステルは恐る恐る尋ねたが、意外にも答えは否。依頼人に対象の魔獣か確認してもらう為、敢えて気絶させるだけに留めた。
「その後で、やっぱり殺さないと駄目か?」
「それを判断するのはエステル、あなたよ。試験はまだ続いているのだから。フランツさんが帰宅するまで時間はあるから、じっくり考えてみると良いわ。それよりも」
 倉庫に仕舞い込んだ立方体の荷物(※実は灯柱のスペア)を、ここに持ってくるように指示する。ギルドで魔獣退治の依頼書を吟味したヨシュアは、パーゼル農園の図面と睨めっこし、エステルが現場を直接確認して把握できた現象に机上で辿り着く。故に、修理加工などのオーブメント専門店『メルダース工房』の地下倉庫に放置されていた予備の灯柱を予めエステルに持たせた。
 尚、ヨシュアの合理的な思考フレームの演算結果によると、現実に灯柱が一本だけ破壊されている確率は50%。実際は単なる半丁博打だったそうだ。
「お前、もし予測が外れていたら、どう責任を取るつもりだったんだ?」
「エステルが骨折り損するだけで、他に害はないわよ。結果的にはあなたの頑張りは無駄にならなかったのだから、別に良いでしょう? おかげでエステルが魔獣の処遇でどういう選択をしたとしても、合格に必要なBPが稼げそうだしね」
 全く悪びれることなく工具の一覧を広げると、灯柱の修復作業を開始する。
 結局、今回の試験でのエステルの苦労も、最初から最後までヨシュアの掌の内だったということか。
 何となく釈然としない想いを抱えながらも、指図通りに灯柱のスペアを地面に埋め込む。ヨシュアが内部の導力器の試運転をしている間に、破れたフェンスの立替えも行う。力仕事はエステルが分担、特別な知識技巧が必要な作業はヨシュアが担当する。二人はお互いの短所を補い合った本当に良いコンビだ。

 農園が本来の隠匿効果を取り戻した頃には既に朝日が昇り、フランツも配達から帰宅。ヨシュアに眠らされたハンナとティオも起き出してきた。
 家屋にエステルとヨシュアの姿が見えないことを不審に思ったパーゼル一家が、「まさか、魔獣にやられたのでは」と戦々恐々しながら園内を探索すると。牧舎の裏側のフェンスの側で、ロープでグルグル巻きに縛られて「みゃあ、みゃあ」鳴いている三匹の魔獣と、二人で寄り添うように仲良く熟睡しているブライト家の兄妹を発見した。

        ◇        

「これで良かったのかな?」
「さあね。私なら始末していたけど、今更、あなたの選択にケチをつける気はないわ」
 正午過ぎ、パーゼル農園を後にしたエステルは、縋るような表情で審判を委ねたが、返答は素っ気ない。
 結局、エステルは魔獣を殺さなかった。「もう悪さはしないだろう」という、希望的観測から齎された甘い訴えを農場一家は受け入れてくれた上に、お人好しにも傷の手当てまでしてあげた。畑荒らしはいたく感服し涙を流して平伏していたが、死んだ振りまでする狡賢い魔獣なので腹の中は怪しいもの。
「根は悪い奴らじゃないと思うんだけどな」
「その根拠は何? ただ、見た目が可愛かったからでしょ?」
「それを言われると…………って、何だよ?」
 ヨシュアが上目遣いでエステルの顔をじっと見つめる。少女の琥珀色の瞳に、何時になく真摯な光が宿っているように感じられれ、柄にもなく緊張する。
「エステル、良い機会だから、覚えたおいた方が良い。本当に怖い何かが、大型魔獣のような判り易い恐ろしい外見をしているとは限らない。むしろ、一見、無害を装っている代物ほど実際は危険な場合がある」
「可愛い顔して、実は腹黒? それって、お前のことじゃないか?」
 言わなくても良い余計な一言で、不必要にヨシュアを怒らせてしまうのが、エステルの至らなさである。ましてや真剣な話の最中に入れるべき茶々ではない。
 得意の柔術で頭から投げ落とされるのを予見し、反射的に受け身の態勢を維持するが、いつまで待っても手をあげる気配はない。
「ふふっ、判っているじゃないの、エステル」
 自嘲するように見解を肯定したヨシュアは儚げに微笑む。物理的な報復を覚悟し身構えていたエステルは、却って拍子抜けした。

        ◇        

 全てが赤い満月の夜。
 野原に聳え立つ一匹の小さな怪物。
 爛々とした二つの真紅の魔眼。両の手に握られた凶器から滴り落ちる真っ赤な血。
 足元を埋めつくす、人、ひと、ヒト。
 夥しい数の死体が転がっており、本来、緑の草原は血で赤く染まり、まるで赤い海のよう。
 死体の山の中に、喉を引き裂かれた、虫の息の生者が混じっている。
 けど、もうすぐ死ぬ。死んで死体の仲間入り。
 生者は、自分の背丈の半分ほどの、小柄な怪物を見上げる。
 その瞳は恐怖と嫌悪感に満ちている。
「ば……け……も……の…………め……」
 震える唇で、声にならない呪詛を投げ掛けて、生者は事切れる。
 今度こそ本当に死体の仲間入り。
 己以外に生ある者のいない、死の世界で怪物は考える。
 あの男は最期に、私のことを化け物と呼んだ。
 なら、私は怪物ではなく、化け物なのだろう。
 第三者から見れば、実にどうでも良いことを怪物は考える。
 私は化け物、生者に死を司る者。
 怪物は空を見上げる。
 全てが赤いこの死の世界で、月だけが、やっぱり赤い。

        ◇        

 紆余曲折あったが、『パーゼル農園の魔獣退治』のクエストは無事完了した。
 後日、エステルとヨシュアが無事に合格した旨が試験官のシェラザードから伝えられ、二人は正式にリベール王国所属の見習いたる準遊撃士の資格を取得した。 



[34189] 03-01:二つの冒険(Ⅰ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/02 00:01
 遊撃士(ブレイサー)。遊撃士協会(ギルド)に所属し、あらゆる国家、企業、宗教に組さず極めて中立的な立場から、地域の平和と市民の安全を守る為に活動する冒険者たち。
 国内最大部数を誇る老舗雑誌『リベール通信』の読者アンケートでも、幼い子供が将来就きたい職業に五年連続トップの座を維持している。
 ロレントに住むエステル・ブライトもそんな正義の味方に憧れた少年の一人。十六歳の誕生日を迎え、尊敬する父親の背中を追い掛けて、パーゼル農園での資格取得試験に挑み、義妹と一緒に合格。準遊撃士となる。
 遊撃士としての華々しい活躍の日々がスタートすると、本人は信じていたのだが。

「もう、どこ行っていたの? 心配していたのよ、アリルちゃん。本当にありがとうございます、ぶれいさぁーさん」
 居酒屋アーベントのテラス。一時間振りに感動の再開を果たした迷い猫と飼い主の依頼人はヒシッと抱き合い、お互いの鼓動と肌の温もり確かめ合う。
 妙齢の婦人の笑顔に釣られてエステルも笑みを返すも、少しだけ表情か引き攣っている。エステルの両腕には爪で引っ掻かれた無数の傷跡があり、左頬にも四本の赤線が走っている。今回のクエスト『子猫の捜索』で被った戦禍。

        ◇        

「猫型魔獣を相手に無双したエステルが、まさか本物の仔猫に負傷するとはね」
「笑い事じゃねえぞ、ヨシュア。お前、こうなると判っていて、俺に押しつけただろ?」
 ギルドのロレント支部二階の休憩室。口元を掌で抑え、クスクスと忍び笑いしながら傷の手当てに努める義妹を、懐疑的な視線で見下ろす。
 依頼書を流し読みしたヨシュアは「雌だと私は駄目ね。雄なら簡単なんだけど」と義兄に丸投げして、当人は別クエスト『光る石の捜索』に着手する。ただし、依頼人の児童から話を聞いた後はギルドの台所に籠もって料理に勤しむだけ。一向に町中探索に出る気配がない。
「ヨシュアお姉ちゃん。石を見つけてきたよー」
 ルック、パッド、ユニのお子様トリオが、ドタバタ足音を響かせながら、二階に駆け上がってくる。エステルか満身創痍でクエストに取り組んでいた間、ヨシュアは一人優雅に紅茶を嗜みながら幼子を上手く手懐けて、労せず依頼を遂行した。
「ありがとう、やっぱり地下水路に落ちていたのね? 魔獣がいないのは確認済みだけど、暗くて怖くなかった?」
「こわくなんかねえよ。俺もしょうらい、りっぱなブレイサーになるんだぜ、お姉ちゃん」
 身体中泥だらけのルックは、誇らしげな表情で、戦利品の『光る石』をヨシュアに貢ぐ。代わりにリボンでラップされた三つの小袋が各々に手渡された。
「おめでとう、貴方達は本物のクエストを見事にやり遂げたのよ。はい、ご褒美のメイプルクッキー。皆で仲良く分けて食べなさいね」
「やったぁー、ヨシュアお姉ちゃんの手作りクッキーだぁ」
 町の男衆が羨望するヨシュアお手製料理を賜った子供たちは大喜びで、乗り込んできた時と同様に慌ただしく階段を下っていく。ルック達が踏み荒らした絨毯の痕に、大量の汚泥がこびりついているのがエステルの目に入った。
「ふーん、壊れたクオーツかしら? これを依頼人の少年に渡せば、『光る石の捜索』もクリアね。けど、報酬はたったの三十ミラだから、クッキーの材料費だけで赤字も良いところね。んっ、どうかしたの、エステル?」
「ヨシュア、お前、場所が特定出来ているなら、どうして自分で取りにいかねえんだよ?」
「ブレイサー志望のルックに、クエストの雰囲気を体感させてあげたかったからよ。ほら、子供達に夢と希望を与えるのも、私たちブレイサーの努めでしょ?」
「本音はお前が服と肌が汚れるのを嫌がったからだろ?」
 両掌を豊満な胸に押し付け、琥珀色の瞳をキラキラと輝かせながら、芝居がかった一挙一動で遊撃士活動を讃歌するヨシュアに正鵠を突きつける。
 黒髪の少女はごまかすように軽く自分の頭を小突きながら、「てへろぺろっ」とウインクしながら舌をだす。その可愛らしい仕種に殿方を虜にするのと同時に、同年代の少女たちから疎まれる要因を改めて垣間見たような気がする。
(待てよ。ヨシュアは魔獣はいないと断言していたが、地下水路は稀に下水道から魔獣が紛れることがあった気がするが、俺の勘違いか?)
 軽く小首を傾げる。ヨシュアの衣服の目立たない複数箇所に、ルック達と同じ汚れが微かに染みついているのをエステルは見落としている。
 いずれにしても追求する気力が失せたので、今現在の財政状況を確認する為、一階の受付係のアイナに解決済みクエストの未払い分を清算してもらうことにした。

        ◇        

「ブレイサー家業に手を染めて、今日でちょうど二週間。二桁以上のクエストをこなしたのに、稼いだ報酬の総額は七千ミラ弱。(※別の次元世界の円相場に換算すると、一ミラ=十円)これなら居酒屋アーベントでヨシュアがウエイトレスのバイトをした方がよっぽど儲かるな」
 父カシウスはエレボニア帝国に長期出張中。三万ミラ程の旅費を貯めたら、王国巡りの旅に出ようと企図していたが、懐具合はあまり芳しくない。
「仕方ないでしょう、エステル。ギルドは基本的に非営利団体だから、クエスト報酬も極力切り詰められているわ。一部の金持ちだけでなく、子供を含めた一般庶民の誰もが気兼ねなく依頼できるようにね」
 澄まし顔で紅茶のお代わりを追加するヨシュアの姿に、エステルの鬱憤がさらに積もる。夢と希望に胸を膨らませて、勢い勇んで冒険者たちの世界に飛び込んだというのに、舞い込んでくるのは日常のお手伝いの延長でしかないお手軽なクエストばかり。
「薄給は我慢するとして、もっと遣り応えのある面白いクエストはないのかよ? 身代金目当てのハイジャック犯を一網打尽にするとか、クーデターを企む軍部の暴走を未然に阻止するとか、古代兵器復活を目論む悪の秘密結社の陰謀に正面から立ち向かうとかさ」
「アニメの冒険活劇に毒され過ぎよ、エステル。ここは平和なロレントの田舎町。そんな大規模犯罪の温床は存在しないわよ。よしんば大きな事件が発生したとしても」
 金払いの良い高難易度クエストは優先順位が高い正遊撃士に持っていかれて、見習いの出る幕などない。新人にもお鉢が回ってくる真っ当なクエストは、せいぜい魔獣退治ぐらいが関の山。
「正遊撃士でもクエストの報酬だけで食べていけるのは、B級以上のほんの一握りの上位ランカーだけよ。大抵は別の副業を営んだり、アルバイトで食い繋だりだりして、ギルドから大口依頼の連絡が入るのを心待ちにしているのだから」
 ヨシュアはさらに紅茶のお代わりを追加しながら、ルック達に謝礼として渡したクッキーの余剰分を頬張る。
 理想と現実のギャップに苦しむのは、どんな職業にも必ず存在する一種の通過儀礼のようなものであるが、早速その洗礼を浴びたエステルは何とも言えない表情でストレスを爆発させる。
「これが大陸中の子供たちか憧れるブレイサーの実態かよ? やっていることは、単なる町の便利屋さんと何も変わらないじゃないか」
「落ち着きなさい、エステル。騒いだ所で現状は何一つ改善されないわよ。それに赤字のクエストにも、それなりに意義があるのは知っているでしょう?」
 旅費とは別に、兄妹がロレントを旅立つのに必要なものがある。それはギルドから発行される推薦状。
 準遊撃士はリベールの五大都市を旅して、各支部の全てのギルドから推薦状を集めないと正遊撃士に昇格できないのだ。発行基準は受付の裁量に完全に任されているが、大体は数カ月間、各ギルドに常駐しながら依頼をこなし、一定のBP(ブレイサーズポイント)を獲得することにより推薦状を貰えるのが通例となっている。
 ただ、前述の事情により、ルーキーが得られるブレイサーズポイントには限りがあり、見習いの立場を卒業するまで数年かかるケースも珍しくない。
 そういう意味では、正規の遊撃士が敬遠する子供のお小遣いで依頼される『光る石の捜索』のような極貧クエストにも、雀の涙程度だがきちんとBPが設定されているので、二人はこつこつと小口の依頼をこなしてきた。
「けどよお、ヨシュア。これじゃ、ロレントを出発できるのは何ヶ月先になることか」
 食欲魔人のエステルが目の前に積まれたクッキーの山を無視し、机の上にノノ字を描いていじけ始める。珍しく意気消沈し萎れた花のようにしょぼくれた様をヨシュアは無感動に眺めていたが、ポットの中の紅茶が切れたのを確認すると助け船をだす。
「高額のクエストも、一応キープしてあるけど」
 そう前置きして空になったティーカップを片づけると、二枚のクエストの依頼書を懐から取り出した。
「マジかよ?」
 ヨシュアの掌から依頼書をひったくると、むしゃぶりつくように内容を読み漁る。
 一つ目は『クラウス市長の依頼』。とある品物をマルガ鉱山から受け取って、市長宅まで送り届けると記載。残りの一つは『記者たちの案内』。リベール通信の記者を翡翠の塔の屋上まで案内するガイドとボディーガードを兼任したようなクエスト。
 報酬はどちらも五千ミラを超え、取得できるBPも多い。本来なら駆け出しのエステル達に手が届く依頼ではなく、あまり物事を深く考えない楽天主義のエステルも不審を隠せない。
「これは元々、父さんが受ける予定のクエストだったのよ」
「親父が?」
「そう、急な出張で依頼をキャンセルした時、父さんに頼んで依頼の権利を取り置きしてもらったの。ちゃんとアイナさんにも話を通してあるわ」
「ちっ、ブレイサーは公私混同を弁えなければいけないとか偉そうに説教垂れていた癖に、親父の奴、相変わらずヨシュアにだけは甘いんだな」
 カシウスは質実剛健を旨とする誰にでも公平な人間だが、養女のヨシュアに対してはやや親馬鹿なところがあり、実子のエステルは舌打ちする。
 最近になって「亡くなった母さんによく似てきたな」とか意味不明な世迷い言をほざいていたりするので、そのうちヨシュアの称号が義妹から義母にバージョンアップしたりするのだろうか?
「甘え上手というか狡辛いというか、毎度毎度、抜け目がない女だな。まあ、今回は特別に多めに見てやるか」
 世に『剣聖』の通り名を持つカシウスさえも浸食するヨシュアのフェロモンへの抗体持ちのエステルは、功労者の義妹の頭をナデナデしながらも、心は未知なる高額クエストの方に傾き、気分を高揚させる。
 頭上に置かれた暖かい義兄の手。この感触をヨシュアは嫌いではなかったが、その熱意に水を差すことを告げなければならない。
「予め断っておくけど、この依頼は両方同時には受けられないわよ」
 依頼書の期限部分を指し示す。どちらも日時指定がなされていて、日付が重なっている。
 当初、カシウスは愛弟子のシェラザードと依頼を分担するつもりだったが、まだ見習いの立場の二人は共同作業で一つのクエストに絞った方が良い。
「さて、あなたはどちらのクエストを選択するの?」
 依頼書を二枚並べて、『大きなつづらと小さなつづら』のように選別を迫ったが、未来は既に定まっている。ほどなく少女が予知した通りに『クラウス市長の依頼』が掴み取られた。
「やっぱりね」
 国の重要文化財に指定された翡翠の塔は魔獣が蔓延る危険な場所ではあるが、エステルからすれば散々遊び倒した庭場のようなもの。子供の頃から飽きるほど内部を探索し、今では魔獣の方がエステルの来訪に怯える始末。
 ならば、未見のマルガ鉱山の方に興味を惹かれるだろうとの予感を的中させたが、次の一言は想定外。
「俺がこのクエストをやるから、ヨシュア。お前は『記者たちの案内』を頼むぜ」
 目の前にもう一枚の依頼書が押し付けられ、目をパチクリして、義弟(※ヨシュアの一方的な認識)の満足げな表情を覗き込む。この少年の突拍子もない行動は時に二人の偉大な父親以上に、計算づくで生きてきた少女の思考の意表を突く。
「エステル。あなた、自分が何を主張しているのか判っているの?」
「お前は一人でもミスしない。だから、俺がきちんとこの依頼をやり遂げられるかだろ? 大丈夫、鉱山から物品を受け取って市長宅まで運搬する簡単な……って、はて? どうして、こんなにミラが貰えるんだ?」
 ヨシュアを説得する最中、自らの説明に疑問を抱いたようで、「う~ん」と考え込む。
 鉱山に通じるマルガ山道は安全な遊歩道ではないが、そこまで危険な魔獣が潜伏しているわけでもなく、多少腕に覚えがある者なら問題なく通れる。実際のクエストの内容そのものは子供にでも可能な単なるお遣いでしかない。
「それは運搬する物品がとんでもない価値のある代物だからよ。多分、七耀石(セプチウム)の結晶。依頼額からして数百万ミラは下らないと見たわ」
「数百万ミラだとぅー?」
 依頼書には機密保持の為に、運搬物の内容については何も記されていなかったが、受取先が七種類あるセプチウムの一つ、翠耀石(エスメラス)が採れるマルガ鉱山であること。今年でちょうど六十歳の節目を迎えるアリシア女王の生誕祭が近づいていること。更にはクラウス市長が「今年こそは、ロレント市民全員の感謝を表すような贈り物を、陛下にお渡しできそうだ」と意気込んでいたのを、うっかりヨシュアに漏らしてしまったことなどを材料に、少女の合理的な思考フレームは上記の結論を導きだす。
「だからね、エステル。この依頼に問われるのは、腕っぷしの強さでなく信用なの。実際に似たような依頼で、ブレイサーによる持ち逃げ事件も頻繁に発生しているわ」
 少年の純朴な遊撃士像を打ち砕くような世知辛い現実を再び叩きつける。正遊撃士による犯罪は擁護のしようがないが、中には最初から窃盗目当てで準遊撃士の資格を取得する小悪党も存在していたりする。
「ちょっと待てよ。そんな性根の腐った奴が、そもそもブレイサーになれるのかよ?」
「五大都市の推薦状が必要な正遊撃士はともかく、見習いの仮身分を得るだけなら担当官運次第ね。試験官役の正遊撃士の裁量一つで、町の地下水路奥の小箱の持ち帰りから、危険な古代竜が潜む洞窟の探索まで、資格取得試験の難易度も幅が広いから」
 色々ととんでもない話である。エステルでさえも開いた口が塞がらない。
「どちらも依頼人が直々に、父さんを名指しで指定してきたの。カシウス・ブライトなら確実に依頼を全うしてくれると信じて。だから、このクエストを引き受けるというのは」
「親父が受けると同義。なら、絶対に失敗は許されないということだろ?」
 更にやる気を漲らして、ヨシュアの言葉を先取りする。
「止めても無駄みたいね」
 先とは異なる真摯な雰囲気を感じ取れたので、それ以上の翻意を諦める。ヨシュアが土壇場までこの依頼を隠していたのは、遊撃士の後ろ暗い側面を知って尚、当初の志を貫けるか見極める為なのだろう。
 今のエステルなら、報酬額の多寡や依頼の面白さでクエストを選り好むような不真面目な真似はするまい。

        ◇        

 翌日、常に行動を共にしていたヨシュアとエステルはギルドの前で別れを告げて、それぞれの依頼人の元へと向かう。
 二つの冒険(クエスト)が始まる。



[34189] 03-02:二つの冒険(Ⅱ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/02 00:02
「いらっしゃいませ、ご主人様……って、ヨシュアじゃないの?」
「久しぶりね、エリッサ。相変わらずエキゾチックな格好ね」
「お父さんの趣味でね。私は恥ずかしくて、本当は嫌なんだけど」
 茶髪セミロングのシャイな少女は、お盆を抱えたまま赤面する。
 今のエリッサは裾の長いメイド服に、猫耳バンドと猫の尻尾を装飾具(アクセサリ)として身につけている。彼女の父デッセルが、隣国カルバード共和国の東方人街を訪ねた際に立ち寄った『メイド喫茶』なる異国の文化から、強い感銘を受けた結果らしい。
 それ以来、居酒屋アーベントの看板娘は、リベール通信のリゾート欄に写真が掲載され、一躍有名人となる。当然、商売は繁盛したが、元来、内向的な友人が、多くの殿方の好奇の視線に晒される心情を察すると同情を禁じ得ない。
(そういえば、もう一人の社交的な悪友へのお仕置きがまだだったわね。なら、エリッサよりさらに恥ずかしいメイド服姿で……)
「ねえ、ヨシュアがここに来たということは、また一緒に働いてくれるんでしょ? ミラが入り用だって聞いたし」
「ちょっと、そんな話、誰からって、エステルね」
 エリッサのツケで食事でもしていた時に、愚痴を零した姿が目に浮かぶようだ。ティオの件といい、いくら信頼する幼馴染みとはいえ、口が軽すぎる。まかりなりにも遊撃士となった今、もう少し守秘義務感覚に敏感になってくれないと。
「ヨシュアがまたバイトしてくれたら、お父さんは凄く喜ぶし、私も嬉しいよ」
 縋るような瞳で、必死に哀願される。ヨシュアはデッセルに拝み倒されて、居酒屋アーベントの売上に貢献していた時期がある。エリッサにしてもヨシュアと一緒なら、男性客の邪な目線が皆、黒猫メイドの方に集中するので、親友の職場復帰を熱望している。
「残念だけど、今日は依頼人に会いに来ただけだから、要望は叶えらないわ。けど、心配しなくても、大丈夫。近いうちに新戦力のメイドを派遣してあげるから。エリッサへの注目が薄れるぐらい際どいメイド衣装を、私が直接繕ってあげるつもりよ」
「本当に? ヨシュア、ありがとね」
 瞳を輝かせて謝意を示す。その素直な笑顔からは、自己顕示欲や嫉妬心は、まるで伺えない。だからこそ少女はヨシュアの数少ない貴重な同性の親友たりえるわけだ。ただ、ヨシュアとしては友情だけでなく、苦難も三人で共に分かち合う為に、近い将来、もう一人の友達に生贄になってもらうつもりだ。

「あれが、今回の依頼人ね」
 エリッサと別れたヨシュアは、店内を探索するまでもなく、リベール通信の記者を発見する。禁煙ブームが最も根強いロレントの気風に逆らうが如く、狭い喫煙席でもくもくと煙草をふかしながら、酒を呷る中年男性がいて、目立つことこの上ない。早速、声を掛けてみることにした。

        ◇        

「俺はカシウス・ブライトを指定した筈なんだけどな」
 ナイアル・バーンズは無精髭を撫でながら、胡散臭そうな目でヨシュアを見下ろす。十代半ばのほっそりとした小柄な少女が、遊撃士を自称しているのだから、彼の不審は妥当なのだが、実は問題は全く別の所にあったりする。
「ですから、先程説明した通り、ギルドから派遣されてきた準遊撃士のヨシュア・ブライトです。依頼書には、『ロレント所属のブライト遊撃士を直接指名する』とだけ記載されていたので、条件はきちんと満たしていると思いますが」
「トンチをやっているんじゃねえ。リベール唯一のS級遊撃士の取材も同時にこなせると思ったからこそ、編集長を口説いて高い報酬を用立てしてもらったんだぞ、俺は。実子か養女だか知らねえが、どの業界でもどうせ二世にはロクな人材はいねえんだよ」
(なるほど。内容の割に妙に高額な依頼だと思ったら、そういう裏があった訳ね)
 ヨシュアは得心する。それにしても、対外的にはAランクまでしか公表されていないカシウスの非公式Sランク設定を把握しているあたり、この男、口は悪いけど侮れない。自らを敏腕記者と自称するだけはあるが、それでも相応に抜けている部分もある。
 そもそも、横着せずに依頼書にきちんと『カシウス・ブライト』とフルネームで記述しておけば、ヨシュアに言葉遊びを許す隙を与えなかったのだし。
 まあ、兄妹が準遊撃士の資格を取得していない先々週までは、リベール王国にブライト性の遊撃士は彼一人しか存在しなかったので、運が悪かっただけとも言えなくもないが。
「とはいえ、お前さん、見てくれの方は悪くないな。ルックスといいスタイルといい、実に読者受けしそうな容姿をしている。これで剣聖の爪の垢ほどの実力もあれば、記事の作りようもあるが、その華奢な身体にそこまで期待するのは酷ってものか?」
 好色とは異なった怜悧な視線で、ナイアルはヨシュアの肢体をじろじろと眺める。プロの雑誌記者として、カシウスの養女に何か使い所はないか品定めしているらしい。
 リベール通信の側に落ち度が全くないわけではないが、確かにギルドの対応は詐欺に近いものがある。すれ違った契約の落とし所として報酬の減額で手を打たせた。

        ◇        

「ヨシュアだっけ? 今更だが、本当に腕の方は大丈夫だろうな?」
 あれからドロシーという若い女のカメラマンと合流したナイアルは、ヨシュアの案内でマルガ山道に聳える翡翠の塔の入口に辿り着いたが、声には彼らしくもない緊張が滲んでいる。
 『ペンは剣よりも強し』がナイアルのモットーだが、魔獣にその理屈は通じない。護衛を司る少女が見た目通りのもやしっ子なら、まさしく命懸けの取材になる。
「なるべく、大きな音をたてたりして、刺激しないようお願いします。この塔を根城にする魔獣に好戦的な種はいませんから、上手くいけば戦闘抜きで屋上まで辿り着けます」
 ナイアルとドロシーの二人は欲していた身の安全の保証を、少女の平和主義的な回答から見出すことは叶わなかった。

        ◇        

 塔の内部は気味の悪い魔獣がうようよしていたが、一定の距離を保っている限り、三人に襲いかかってくる気配はない。折り返し地点の三階までは、あっさりノーバトルで到着する。
「確かにこれなら遣り過ごせそうだな」
ヨシュアの言いつけ通りに小声で囁くナイアルが安堵した刹那、事件が発生する。
「おおっ、いい顔してますねぇ。とってもキュートですぅ」
 突然ドロシーが、パシャパシャとストロボをたいて、周囲を浮遊する魔獣の姿をカメラに撮る。仰天したナイアルは、シャッターを切り続けるドロシーの手を押さえる。
「馬鹿! 何、やってやがる、ドロシー?」
「魔獣さんがあまりにセクシーだったので、つい。でも、大丈夫ですよ、先輩。このカメラ、ツァイス中央工房製の最新式超静音構造で、ストロボ音が極小ですから。ちなみに、この子は『ポチ君マークⅡ』と私が名付けまして」
「フラッシュの光だけで、大声を出すよりも、やばいんだよ。この、トンキチ娘が!」
 現在の自分らの置かれた危険な状況を弁えずに、呑気にカメラ自慢に現を抜かす新米助手に、ナイアルのイライラは最高潮に達するが、ドロシーも負けじと反論する。
「先輩のキンキン声の方が、よっぽど魔獣の注目を集めてますよー」
「いーや、お前のフラッシュが」
「先輩の……」
「いつまで漫才しているつもり? 囲まれたわよ」
 ムキになって罵り合いながら、魔獣を誘き寄せる特殊効果を持つ『美臭』クオーツの如く、ひたすら魔獣を吸引し続ける二人に、ヨシュアが冷淡に現状を報告する。二桁を数える魔獣の群が三人を包囲している。
「先輩、怖いですぅー」
「何時もマイペースな癖に、こんな時だけしおらしくなるんじゃねえ。おい、護衛の出番だぞ。何とかしろ」
 腰元に必死にしがみつくドロシーを引き剥がそうとしながら、ナイアルはヨシュアを焚きつけたが、表情には余裕はない。魔獣の数が多すぎる上、退路も完全に塞がれている。
 挙げ句の果てに、命の綱の警護役が貧弱そうな線の細い小娘とくれば無理もない話。それでも剣聖の義娘というヨシュアの立ち位置に、一縷の望みを託したナイアルだが。
「運が悪かったわね、あなた達」
 天を仰ぐように、軽く十字を切る黒髪の少女の姿に、微かな希望は大いなる絶望に上書きされた。

「俺は夢を見ているのか」
 本当に一瞬だった。ヨシュアが双剣を装備し、「漆黒の牙」とか呟いたかと思ったら、ナイアル達の周辺を覆う魔獣の群れは、次々に解体され躯を晒していく。
「おい、ドロシー。今の写真に撮ったか?」
 我に返ったナイアルは、すぐにブン屋根性を発揮して指示を出したが、彼女は首を横に振る。ドロシーもまたプロカメラマンらしく、反射的にシャッターを切ろうとしたが、ヨシュアの動きがあまりに速すぎて、ファインダーで追い切れなかった。
「本当に運が無かったわね」
 琥珀色の瞳に微かな憐憫を浮かべて、足元に散乱する魔獣の残骸を見下ろす。ボディーガード役が、彼等が実力を良く知るエステルだったら、そもそも魔獣はびびって近づいてすらこなかった筈。
「お前さん、見掛けと裏腹に相当腕が立つな。これなら安心そうだ。ただ、出来るだけ良い構図で絵を撮りたいので、次に魔獣に襲われた時はドロシーの被写体に納まる範囲のスピードで戦ってくれないか?」
 『喉元過ぎれば、熱さ忘れる』という諺があるが、自分たちの安全圏を確信したナイアルが戦闘の細かいスタンスにまで煩く注文をつけ始め、ヨシュアは呆れる。
 恐らくは、『剣聖の愛娘が遊撃士デビュー』とかのゴシップ記事用の派手な戦闘写真を期待しているのだろうが、今回、不必要なバトルをこなす羽目になったのは、そちらのトンチキ娘が馬鹿をやらかした所為ではないか。
「私より、エステルに取材した方が良いと思いますよ。エステルは父さんの実子ですし、何よりも私より格段に強いですから」
 内心の鬱屈した感情をひた隠しながら、得意の営業スマイルで義兄をスケーブゴートに仕立てたが、ナイアルの反応は芳しくない。
「生憎と力量云々でなく、野郎より美少女を題材にした方が絶対に受けるんだよ。去年も武術大会で優勝したモルガン将軍のごつごつしい戴冠記事よりも、ロレント特集号に掲載した猫メイド娘のスナップの方がやたら反響が大きかったしな。けど、エステルとかいう小僧が今の嬢ちゃんよりさらに腕が立つというなら、二世に対する偏見は改めないといかんかもしれんな」
「勿論です。私の義弟は、私より強い子ですから」
 満面の笑顔で、ここぞとばかりにマスコミの人間に、自分の方が義姉であることを売り込み始める。
 この会話を聞いたら、「出鱈目を言うな」と色んな意味でエステルは憤慨しそうだが、何一つ虚言を弄してはいない。生誕日的にヨシュアの方が義妹など有り得ないし、エステルが意固地に拘っている物理的な戦闘力など、遊撃士に求められる数多くの適正の中の、ほんの氷山の一角に過ぎない。

(そういえば、マルガ鉱山の方はどうなったのかしら)
 ちょうど話題にあがったこともあり、エステルの進捗状況が気になった。彼方は単なるお遣いクエストなので、何のトラブルもなく順調に推移すれば、既に依頼を達成してギルド二階の休憩室のソファで寛いでもおかしくない時間だ。
 ネコババ云々は考慮すらしていないが、オッチョコチョイのエステルのこと。帰参途中で数百万ミラもする運搬物品を紛失したとか、洒落にならない大ポカをマジに起こしそうだから怖い。

        ◇        

 その頃エステルは、親方のガートンから無事に七耀石の結晶を受け取っていたが、未だに鉱山で足止めを喰らっている。ただし、ヨシュアが危惧したような人為的ミスではなく、純粋に落盤事故に巻き込まれた顛末だ。
「ひゃあああー! ブレイサーの兄ちゃん、助けてくれぇー」
 閉じ込められた坑内で、坑夫に襲いかかる甲殻魔獣をエステルは棍で弾き飛ばす。今の一撃で魔獣の甲羅に皹が入ったが、絶命させるまでには至らず、耳にツーンとくる金切り声をあげる。すると更に複数の魔獣が応援に駆けつける。
「ちっ、装甲が固いから、一匹仕留めるにも手間がかかる上に、次から次へと切りがないな。けど、ロレントにこんな魔獣いたか?」
 エステルは準遊撃士の資格を取る以前から、実戦トレーニングと地域の安全確保を兼ねて、ロレント中の魔獣を定期的に間引いてきたが、目の前の種族にはまるで見覚えがない。 
「多分、そいつは地底に棲息するタイプの魔獣だと思う。さっきの崩落で、坑道の一部が魔獣の巣と繋がったんだろう」
 岩影に隠れて、怪我をした坑夫の治療をしながら、ガートンが大声で叫ぶ。その音に釣られるように、先の手負いの魔獣が飛び掛かったが、直線貫通型クラフト『捻糸棍』で、強硬度の甲羅に穴を穿ち、今度こそ止めを刺す。
「なるほどね。まあ、DEF(物理防御力)以外は、そこまで手強い魔獣じゃなさそうだが、数の多さが厄介だな」
 未知の魔獣(キラーキャンサー)の正体が判明したは良いが、状況は一向に改善されていない。エステル単独で多くのNPC(護衛対象)を守りながら戦闘を続けており、しかも、魔獣の増援は途切れる気配がない。
 このままだと物量で押し切られ、犠牲者が出るのも時間の問題。
(俺にもヨシュアみたいな全体Sクラフトがあれば、仲間を呼ばれる暇なく、こいつらを一気に殲滅できるのに)
 Sクラフトとは、体内の闘気(CP)を全て消費する、その名の通りの超必殺技。対集団戦闘タイプのヨシュアは、目につく全ての敵を無差別に蹂躙する雑魚掃討用の『漆黒の牙』を翡翠の塔で披露した。
 逆にタイマン特化型のエステルは、『烈波無双撃』という単体最強ダメージを誇るボス戦御用達の奥義を保持しているが、このような乱戦では今一つ使い勝手が悪い。
 尚、差し仕様のエステルが、基本雑魚専のヨシュアに一対一の勝負でずっと手玉に取られている件は、可哀相なので突っ込んではいけない。
(それとも、単独でクエストをこなせると背伸びして、ヨシュアと別行動を取ったのが、そもそもの間違いだったのか?)
 一瞬、弱気な考えがよぎったが、直ぐにかぶりを振る。どれほど現実を憂いたところで、今この場にヨシュアはいない。エステルが知恵と勇気を振り絞って、一人でこの窮地を切り抜けるしかない。
 見習いとはいえ、エステルは既に遊撃士。泣き言は絶対に許されない。

 坑夫たちを背中に庇いながら、棍を振り回して魔獣を牽制し、じりじりと後退していく。そろそろ後がない。安全確認でチラリと後ろを振り向くと、落盤で埋もれた、一階に通じるエレベーターシャフトが目に入った。
「なあ、親方。時間があれば、あのエレベーターの入り口を掘り起こして、脱出できるか?」
「それは問題ない。故障していたとしても、手動で動かせる。ただ、その肝心の時間が」
 じわじわと数を増やす魔獣の群を、忌ま忌ましそうに見つめる。
「それは俺に考えがある。さっきから魔獣は左手前奥からしか出現しない。つまり魔獣の巣穴はそこにあるってことだろ? なら、こいつで塞いじまえばいい」
「エステル、お前、そんなものを何時の間に?」
 懐からダイナマイトを取り出したエステルに、ガートンは驚愕する。さっき、坑夫の一人を助けた時に、彼が落としたのを密かに回収していた。
「アクション映画じゃあるまいし、素人考えなのは判っている。ヨシュアなら多分、もっと現実的な良いアイデアを出したんだろうけど、俺の頭じゃこれが精一杯だ。時間がないから行って来る。だから、親方は皆を」
「確かに素人考えだな、エステル。火薬を取り扱った経験がないお前じゃ、発破のタイミングを見誤って自爆するのがオチだ。だから、その役はワシがやる」
 エステルが全てを言い終える前に、爆薬を取り上げる。さらに余計な押し問答で不要に時間を潰さないように、即効で導火線に火をつける。確かにこうなったら、初心者のエステルには手のだしようがない。
「無茶だぜ、親方。戦闘素人のあんたが、どうやって魔獣の包囲網を突破するんだよ?」
「それでも、やらねばならないんだ。ワシはこの現場の責任者だからな。皆を安全に地上に返す義務がある。援護を頼む、エステル」
 爆薬を抱えて特攻するガートンの前に、当然だか甲殻魔獣の集団が立ち塞がる。エステルは必死にガードしたが、数が多くて中々前に進めない。そうこうしているうちに、火のついた導火線はじりじりと短くなっていく。
(くそっ、本当に時間がねえ。何とか、魔獣を親方から引き離す方法が……そうだ!)
 バーゼル農園の一件で、魔獣がセピスに惹きつけられる性質があるのを思い出し、ショルダーバックから親方から預かったセプチウムの結晶を取り出す。風の力を秘めた巨大な翠耀石(エスメラス)は、神々しい緑色の光を放ち、暗い坑内を一気に照らしだす。七耀石の輝きに魅入られた魔獣は、親方から離れて一斉にエステルに襲いかかる。
「でかした、エステル。これで何とかなるぞ」
 フリーになったガートンは、坑道の奥へと突き進む。エステルも群がる魔獣を振り払いながら並走する。結晶をチラつかせ、新たに出現した魔獣を自身の方向に誘導し、道を切り開き続ける。
 巣穴の前に辿り着いたガートンは、冷や汗をかきながら、爆発寸前のダイナマイトと睨めっこする。長年の経験と勘で、一時的にでも穴を塞げる爆破ポイントを見極めようとしている。
「まだかよ、親方?」
「まだだ…………よし、今だ」
 時間と空間を完璧に制御し、巣穴に向かってダイナマイトを放り投げる。同時に慌てて退避するが、エステルが後をついてこないのを不審に思い、背中を振り返る。エステルは結晶を狙う複数の魔獣に絡まれ、未だに爆風の範囲内で足止めを喰らっている。既に、爆発は秒読み態勢に入っており、このままだと巻き込まれるのは確実。
「その結晶を手放せ、エステル! 貴重な宝石だか、人の生命には替えられない。クラウス市長も、女王陛下も判って下さる」
 リベールのお偉い方に対する親方の見識には同感だ。もし、窮地に陥ったのが他の民間人だったなら、依頼に失敗したとしても、同じ道を選択しただろう。
 しかし、ガートンが部下の命に責任を負ったように、エステルもまた、このクエストに使命を持つ、プロの遊撃士(ブレイサー)なのだ。
 だから、絶対に自分の道を曲げない。最後まで決して諦めない。
「うおおおおおっー!」
 持てる力の全てを振り絞って、魔獣を振り払いながら必死に前へ進む。だが、導火線を最後まで飲み込んだダイナマイトがとうとう発火する。坑内一帯に激しい爆音と振動が響きわたり、耳を劈くような大爆発が起きる。
 そして、ガートンの目の前で、エステルは土砂崩れに飲み込まれ生き埋めにされた。



[34189] 03-03:二つの冒険(Ⅲ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/02 00:02
「お兄ちゃん、起きてよ。エステルお兄ちゃん」
「うーん、もう少し寝かせろよ、ヨシュア……って、お兄ちゃん?」
 耳慣れないフレーズに、エステルはベッドの上から慌てて跳ね起きる。
「やっと起きたのね、お兄ちゃん」
 仰向けのエステルの腰元に跨がったヨシュアは、軽く頬を染めてはにかんだ。
 今のヨシュアは、黒のミニスカのメイド服姿に、猫耳バンド型のカチューシャを嵌め、当然のようにお尻から直接生えているヒョロ長い尻尾が、臀部の短いスカートを捲って、白い下着を露わにしている。
「ヨシュア、その格好。いや、それよりもお前、俺のことをお兄ちゃんって」
 色々突っ込みたいところはあるが、まずは根源的な問題から手をつける。ブライト家の養女として五年が経過したが、一貫してエステルを手の掛かる弟分と見做しており、長兄扱いで敬われたことなど一度もない。
「んっ、お兄ちゃんは、お兄ちゃんでしょ?  熱でもあるの、お兄ちゃん?」
 無垢な瞳でエステルを見つめると、おでこを直接、エステルの額にくっつける。
「熱はないみたいね」
(一体、これは何なんだ? クラクラしてきたぞ)
 無条件の信頼をよせるあどけない義妹の笑顔と、『お兄ちゃん』という蠱惑のフレーズ。自分には縁がないと諦めていた世間一般の真っ当な兄妹関係(?)そのものではないか。
「そうだ、これは夢だ、夢に違いない。俺の義妹がこんなに可愛いなんて、現実で在る筈がない」
「まだ、寝ぼけているの、お兄ちゃん? なら、これからヨシュアが、お兄ちゃんを起こしてあげるね」
 夢の中で現実逃避するエステルの狂態を可笑しそうに見下ろしていたが、琥珀色の瞳を閉じると、再び顔を今度はゆっくりとエステルに近づける。
「ヨシュア?」
 艶やかな唇が接近し、エステルと重なった。

        ◇        

「おい、エステル。大丈夫か、しっかりしろ!」
「ヨシュア……って、あれ、親方?」
 うっすらと目が開く。場所は暖かい自宅のベッドではなく、寒くて暗い鉱山の坑内。心配そうに見下ろすのは、可愛い義妹じゃなくて、ガートンをはじめとした汗臭い中年の坑夫達。
 まさに夢現。糖分たっぷりの夢世界に比べて、現実は何時だって味気ない。
「おお、目が覚めたみたいだな。 怪我はないか、エステル?」
「やっぱりアレ(義妹との蜜月)は夢だったか。そうだ、俺はマルガ鉱山でクエストの最中で」
 意識がハッキリしてくると同時に、ぼやけていて記憶が鮮明になっていく。巣穴を爆薬で埋めるためにガートンと特攻し、逃げ遅れて爆発に巻き込まれ、生き埋めにされた。
 生存は絶望視されたが、せめて死体だけでも回収しようと、必死にスコップで土砂を掘り続けると、途中で何やら固いものにかち合う。それは裏返しにされた廃棄済みのトロッコで、掘り起こして持ち上げると、中には土まみれの気絶したエステルが膝を抱えてうずくまっていた。
「完璧に思い出した」
 爆発から逃げきれないと直感したエステルは、とっさに機転を利かした。坑道の脇に放置されていたトロッコを蹴倒して内部に隠れ、爆風と土砂崩れを遣り過ごしたのだ。
 結果、坑内に侵入した魔獣は全て爆風に吹き飛ばされるか、土砂で埋められるかして壊滅。魔獣の供給源である巣穴をきっちりと塞いだ上で、エステル本人は無傷に近い状態で救出された。
「そうだ、肝心の結晶は?」
「そいつは、お前さんの右手にあるだろう」
 ガートンが指差した通りに、七耀石の結晶を固く握りしめている。
「負傷した傷を治療しようと、数人がかりで掌から取り外そうとしたけど、梃子でも結晶を手放そうとしなかったのさ。大したプロ根性だぜ、お前さんは」
「そっか、結晶は無事だったんだ」
 ゆっくりと掌を開くと、エスメラスは再び緑色の輝きを取り戻し、薄暗い坑内を明るく照らしだす。まるでエステルの未来を祝福しているかのようだ。
「誇っていいぜ、エステル。お前さんは身体を張って、ロレント市民全員の希望の灯を守ったんだからな」

        ◇        

 再び翡翠の塔。エステルが生死の境を彷徨うほどの危機的な状況に陥っていたとはつゆ知らず、ヨシュアは幾分、緊張感の薄れた依頼人をガードしながら、着々と塔を制覇していく。
「暇だな。次の階層で、塔に迷い込んだ謎の美女が魔獣に襲われていたら、それを助けるヨシュアとセットで、美味しい絵が撮れそうなんだけどな」
 煙草の煙を蒸かして夢見がちな幻想を宣ふナイアルに、白い目を向ける。彷徨うも何も、こんな辺鄙な場所に足を運ぶのは、よほどの変わり者か、何か明確な目的を持つ者しか。
「きゃあー、誰か助けて下さいー!」
 まるでナイアルの妄想が具現化したかの如く、甲高い女性の悲鳴が塔内に響きわたる。
「よっしゃあ、スクープだ。ドロシー、準備を怠るなよ」
「アイアイサー」
 火のついた煙草を投げ捨てると嬉々として先行し、ドロシーも続く。根が無精のヨシュアは、肝心要の救出作業が自分に丸投げされるのが分かりきっていたので、あまり気が乗らなかったが、遊撃士の建前上、魔獣に襲われた民間人を見捨てる訳にもいかず、しぶしぶ階段を駆け登る。上階に到着した三人が見たもの、それは。

「お願いです。早く、早く助けてくださーい」
 ナイアルの望み通り、魔獣に襲われる女性の姿だ。ぷよぷよとしたグロテスクな不定型体で、上部から生やした多数の触手で、女性の全身を絡め捕り拘束している。
「あっ、あの、見てないで、助けて……ひぃっ?」
 四股を持ち上げられ、身体中のやばい箇所を触手で弄られた女性は悲鳴をあげる。
「あっ……駄目。そんな所を。嫌、いやあー」
 さっきから男性視点で、サービス満点の艶姿が披露されているが、ナイアルの熱した記者魂は急速に冷まされ、ドロシーのカメラの手も止まっている。
 その理由は救助対象のお姫様が、ナイアルの身勝手な年齢制限から大きく逸脱していたからだ。決して顔立ちは悪くないが、どう贔屓目に見てもアラフォー。この歳で今更色気を出されても、健全男子としては反応に困る。
「十年前は美人だったという残念なタイプか、惜しいな。もう少し若ければ、ヨシュアと一緒に表紙を飾れたんだがな」
「ナイアル先輩酷いです。女の人を年齢や外見で差別するなんて、見損ないました。ねえ、ヨシュアちゃん?」
 夢破れた表情で溜息を吐き出すナイアルに抗議しようと、ドロシーは同性の案内役に同調を求めるが、ヨシュアは魔獣を素通りして、スタスタと次の階層を目指す。
「あの、ヨシュアちゃん。助けなくていいの?」
「見なかったことにしましょう。この女性に関わってはいけないと、私の第六感が警笛を鳴らしている」
 遊撃士失格の問題発言をかましたヨシュアがこの場を離れ、ナイアルもそれを咎めない。意外にも、三者の中で最も常識的な対応を示したドロシーが、「本当に良いんですか?」と言いたげな表情で、チラチラと被害女性を振り返りながら二人の跡を追う。取り残された女性は顔面蒼白になりながら、必死で泣き叫ぶ。
「お願いです。どうか、見捨てないでくださーい。ひっ、ひいっ。ひぎいいぃぃっー!」 

        ◇        

「はあ、はあ、危うく、お嫁にいけない身体にされてしまうところでした」
 ようやく魔獣から開放された中年女性は、両手に地面をついて呼吸を整える。それから乱れた服装を必死に取り繕うが、眼鏡を落としたことに気づき、「メガネ、メガネ」と地面を弄り始め、ドロシーは自分の装着している眼鏡を女性に差し出した。
「はい、どうぞ」
「これはどうも。あれ、何だか景色が歪んで見えます」
「私の方はボヤケテ何も見えません」
「なに、お約束のボケをかましてんだ、ドロシー」
 度が合わずにフラフラした女性の肩を支えると、元凶の眼鏡を外してドロシーに突き返す。さらに脇の方に落ちていた彼女の物とおぼしきチェーンつきの眼鏡を拾って、手渡した。
「ありがとうございます。助けていただいた上に、何とお礼を言えばよいのか」
「気にするな。一時の気の迷いとはいえ、ブレイサーとジャーナリストが挙って、民間人を見捨てる寸前だったしな」

「あれは確か、マッドローパー。ロレントには存在しない魔獣の筈だけど」
 バツが悪そうに頭を掻くナイアルと、ぺこぺこと頭を下げる中年女性を等分に眺めながら、ヨシュアはさっき取り逃がした魔獣について思いを巡らせる。
 本来ならボース地方のみに棲息する魔獣で、傷を負うと分裂する性質を持つ。故に、ヨシュアに真っ二つに切り裂かれ、倒されたかに見えたが、死にかけた半身を囮にして、残りの本体は上手く逃走してしまった。
 救出目的だったので、敢えて深追いはしなかったし、また性懲りもなく出没しても、ヨシュアなら問題なく倒せるレベルの魔獣ではあるが、通常サイズに比べ、あそこまで大型で沢山の触手を生やした固体は前例がない。
 マルガ鉱山でエステルが相手をした、地底に潜むキラーキャンサーのような単なる未発見種なのだろうか。
(それとも何者かが、品種改良したアレを態々ここに持ち込んだ? だとしても、一体誰が何の目的でそんな七面倒臭い真似を?)
 どう合理的に思考を押し進めても、まるでメリットが思い浮かばず、悪趣味な悪戯としか思えない。

「おーい、ヨシュア。こちらの女性は、この塔の調査にきた外国の学者さんらしい。袖触れ合うも多少の縁というし、取材中の間、同行させても問題ないよな?」
 ナイアルに連れ添われ、中年女性がおずおずとヨシュアに近づいてきた。探検服にズボンとラフで活動的なスタイルだが、左側のみにチェーンを垂らした眼鏡を掛けると、実に理知的な雰囲気を醸しだしており、少し前の狂乱が嘘のよう。
「助けていただいて、本当にありがとうございます。わたくしは北方出身の考古学者のアルバと申します。よろしくお願いしますね、ブレイサーのヨシュアさん」
 アルバと名乗った女性は照れ臭そうに微笑んだが、ヨシュアは終始無言を貫いた。

        ◇        

「やっと、屋上に辿り着いたか。で、あれが例の装置か?」
 色々在ったが、一行はようやく目的地に到着した。
 翡翠の塔は、王都グランセルを除くリベール各地方に存在する四輪の塔の一つで、『風』を司る聖域と崇められている。大崩壊以前に建造されたとされるこれらの太古の塔に共通するのは、屋上に正体不明の巨大な導力器(オーブメント)が括りつけられている。厳密には既に機能停止した古代遺産(アーティファクト)の残骸。
 ナイアル達は、これから風景画を撮ったり、謎の装置を調べたりと一仕事あるが、幸いにも塔に関する由来は、新たにパーティーに加わった考古学者から聞けそうである。
「おい、アルバ教授はどこにいるんだ?」
 気づくと、屋上には三人しかいない。五階の階段を一緒に登ったのは確認していたのだが。
「待ってくださーい。置いていかないでぇー」
 ゼエゼエと息を切らした教授が、屋上に駆け登ってきた。
「すいません、途中で興味深そうなレリーフを見つけて、ついフラフラと」
「本当に命知らずの学者さんだな。例の魔獣がどこに潜んでいるか判らないのに」
 呆れ顔でナイアルが軽く脅しをかけ、先の公開プレイがトラウマになっているらしい教授は、「ひいっ」と自身の身体を抱きしめるようにして怯える。
 「先輩って、口は悪いけど、意外にフェミニストなんですよね」とからかうドロシーを、ナイアルが小突く。既にお約束の感すらあるコントを、ボケ役をさらに一人追加して、目の前で繰り広げていたが、ヨシュアは心ここにあらずといった状態で一人惚けている。
「どうしたの、ヨシュアちゃん?」
「少し気分が悪くって」
 ドロシーが心配して声を掛けたが、確かに顔色はあまり良くない。ヨシュアの透き通るような白い肌が、ますます透明度を高めている。まるで精巧なセルロイド人形のようで、健康的とは言い難い。
「おいおい、しっかりしてくれないと困るぜ。俺らは戦いのトーシロだし、帰り道もお前さん一人が頼りなんだからな」
「大丈夫よ、少し休めば落ち着くと思うから」
 それだけを告げると、塔の縁に寄り掛かるようにして、身体を労る。屋上に吹き込む風がヨシュアの黒髪をなぶり、気持ちが良い。頭の中を掻き乱す黒い霧のような何かが薄れ、幾分か楽になる。
 仕事を始めたドロシーが、ロレントの全景をカメラに納め出し、ナイアルはメモを取り出して、教授から話を聞いている。二人の会話の端々から、『七の至宝(セプト=テリオン)』とか、『輝く環(オリオール)』だかの、見知った単語が風に運ばれてくる。
(確か、七曜教会の聖典に記されている、古代ゼムリア文明の失われた遺産よね?)
 古代人がエイドスから授かったとされる七つの超弩級のアーティファクト。陸海空の遍く世界の全てを支配したそうだが、その至宝の一つオリオールがリベールに眠っているという言い伝えがある。
(もし教会の伝承が真実なら、その手掛かりが四輪の塔に隠されているのかしら? ならアルバ教授は、これからリベール各所を巡って、残りの三つの塔も調べて…………)

 そこまで思考した所で、ヨシュアの意識は深い闇の底へと沈んだ。



[34189] 03-04:二つの冒険(Ⅳ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/02 00:03
「うお、眩しい」
「うむ、坑内の暗闇に浮かび上がるセプチウムの輝きも風情があっていいが、やはり、太陽の光は格別だな」
「まさに、天の恵み。『空の神様(エイドス)』に感謝しないとな」
 突貫作業で壊れたエレベーターシャフトを掘り起こして、手動で一階に生還してきた坑夫たちは、半日振りに全身に浴びた暖かい日の光に、それぞれの感慨に耽る。落盤で地下深くに閉じ込められ、魔獣の大軍に襲われた時は、再び生きて朝日を拝めないのでと半ば覚悟していただけに、地上の新鮮な空気は格別だろう。
 まあ、今現在の時刻は朝方ではなく、既に夕暮れ時なのだが。
「本当に世話になったな、エステル。お前さんがいてくれなかったら、どうなっていたことやら」
「気にするなよ、親方。これが、ブレイサーの務めだからさ」
 左の頬を掻きながら、照れ臭そうにそっぽをむく。昔から悪戯ばかりしていた悪ガキなので、どうにも褒められるのは苦手だ。
「そうだ、エステル。今の仕事が一区切りついたら、街で打ち上げ会をやる予定なんだが、お前も参加しないか? クラウス市長が、この件の功労者全員に奢ってくださるそうだ」
「おいおい、親方。これでも俺は一応未成年だから、酒なんか勧めるなよ。それより宴会って、ヨシュアがバイトしていた時のアレをまた繰り返すつもりかよ?」
 苦笑しながらも、何とも言えないニュアンスで、言葉を濁す。

 ガートンらは去年も、居酒屋アーベントを借り切って親睦会を行っており、夜中になっても一向に帰宅しないヨシュアの身を案じて、街まで迎えに行ったことがある。
 通常の営業時間を過ぎ、『貸し切り』の札がかかった居酒屋の扉を開くと、義妹が夢に出てきた黒猫メイド衣装で、仮設ステージの上でノリノリで歌って踊っていた。
 さらには酔った坑夫たちに混じって、この町の重鎮たるクラウス市長とカシウスが、共に肩を組んでヨシュアに喝采を浴びせる姿を発見した時には、本気でロレントの行く末を心配したものだ。
 結局、このナイトフィーバーは朝方まで続いた。
 ヨシュアのおかげで給仕に専念できたもう一人の猫メイドの幼馴染みと、ロレントの暗雲立ちこめる未来について一夜を明かして語り合った後、酔い潰れた馬鹿親父を店に放置し、クタクタに疲れて爆睡する義妹をおんぶして帰宅した。

        ◇        

「親父も含めて、この町の男は皆、ヨシュアのファンクラブみたいなものか。それは好きにすればいいけど、俺まで巻き込むんじゃねえよ」
 マルガ鉱山を後にしたエステルは、スケジュールの遅れを取り戻すべく、駆け足で山道を下ったが、口を開けば肉親への愚痴が止まらない。
「またヨシュアちゃんの天使の歌声が聞けたら最高だな」
「俺、この仕事を終わって生きていたら、彼女に結婚を申し込むんだ」
「というわけだ、エステル。義妹さんにはお前から話をつけておいてくれよ」
 坑夫たちの熱意に、オフ会への参加を拒みきれなかったエステルは、その時には彼等のマドンナたる歌姫を連れてくるのを、半ば強引に確約させられてしまう。
「どいつもこいつも、あんな腹黒猫被り娘のどこがいいんだ? 兄より強い義妹なんて、この世に存在していいわけねえだろ。まあ、夢の中みたいに殊勝にしていれば、可愛がってやらないでも……んっ?」
 マルガ山道の中間地点で、見知らぬ三人の男衆に取り囲まれる。
「何だ、こいつら? 道に迷った旅人って雰囲気じゃねえよな」
 緑を基調とした白い襟巻き付きの防寒服に、お揃いのゴーグル。何らかの組織のメンバーのようだが、餓狼のようにギラついた瞳でエステルを睨み、どう見ても堅気とは思えない。
 その先入観を助長するように、腰元から短剣を抜き出して、刃先をこちら側に向ける。恐怖心でなく諦観の境地から、軽く自らの頭を小突いた。
「魔獣に襲われるならともかく、こんな白昼堂々と追剥が出没するのかよ? 平穏なロレントの田舎町も随分と物騒になったもんだな。これも、ヨシュアが親父や町の野郎共をどんどん骨抜きにするから……」
「坊主、命が惜しければ、その懐に忍ばせている宝石をこちらに渡してもらおうか」
 治安の悪化の要因を、身内に押し付けようと目論んでいたエステルのご高説が遮られる。輸送品の中身を言い当てられ目の色を変える。
「おろっ。最初から、この七耀石が目当てかよ? ということは、こいつら単なるコソ泥じゃねえな」
 目に止まった旅行者が偶然襲われたハードラックでなく、予め獲物の価値を知った上で、この場所に網を張り待ち伏せしていた組織的犯行だ。
 先の落盤事故に続き、今度は盗賊団の襲撃ときた。本来、運搬者の良心が問われるだけの簡単なお遣いの筈が、まるでこの結晶そのものが曰く付きの呪いの宝玉のように、次々と厄介なトラブルを持ち込んでくる。
「全く臨時の追加ボーナスでも貰わないと割に合わないよな。とはいえ」
 エステルは決して粗暴ではないが、明らかに退屈より刺激を好む精神的な傾向がある。さっきから、身体の奥底から沸き上がってくるワクワク感を押し留める事ができない。
「こうでなくっちゃ、ブレイサーになった甲斐がないよな」
「やっちまえー。相手はたったの一人だ!」
 盗賊達が短剣をぶん回して襲いかかり、背中に背負った通常の半分ほどの長さの短棍を取り出す。棍にしては中途半端なリーチの得物を構えたエステルに、敵は顔を弛緩させる。
 だが、次の刹那、エステルが右腕で棍をビュンと一振りすると、短棍が一気に伸長し、今までの倍以上の長棍に生まれ変わる。普段は持ち運びの邪魔にならぬよう畳めるが、戦闘時には通常棍よりも、遥かに長い射程を得られる伸縮自在のギミック武器。
 この調節機能こそが、エステルの得物が『物干し竿』と呼ばれる真の所以。
「そらよ」
「ぐあっ」
 軽く一突きすると、盗賊の一人は派手に崖壁に叩きつけられ、短剣を取り零す。
「何だ、こついら。見た目はごついけど、素人に気が生えた程度のレベルだな」
 ギュンギュンという異様な風切り音を靡かせて、片手で軽々と長棍を振り回して威嚇するエステルの怪力に、盗賊らはたじろく。
 実際、『エルガー武器商会』が魔改造したこの特注棍は、伸縮のギミック性を保ったまま、単樹から削りだした木棍と同質以上の強度と柔軟性を維持するため、特殊な金属による補強が幾重にも加えられていて、見た目以上の質量を誇り、生半可な腕力では到底扱えない。
 そういう意味では、この物干し竿は特異なリーチと重量から、剣聖(カシウス)でさえも扱いに手子摺る紛れもないエステル・スペシャルである。生身の単純な膂力だけなら、エステルは既に父親を超えているかもしれない。
「これで、お終いっと」
 物干し竿を垂直になぎ払い、萎縮した残りの二人に纏めて叩きつける。まるで球技のボールのような空中遊泳を強いられ、数アージュ後方に弾き飛ばされる。
「くそ、引き上げるぞ」
「とりあえず、坊ちゃんに現状を報告しよう」
「小僧、今度会ったら、覚えていろ」
 一対多数でも、補いようがない力量差を肌で感じ取った盗賊達は、負け惜しみの捨て台詞を吐きながら、這う這うの体で逃げ散っていく。
「おうよ、俺は準遊撃士のエステル・ブライトだ。何時でも相手になってやるぜ、盗人め」
 カラカラと笑いながら、ピースサインで決めポーズをつくると、地面に落ちていた戦利品の短剣を拾いあげた。

        ◇        

 ここはどこだろう? 前後左右の重力の感覚がない。身体がフワフワする。
 星が遍く銀河のような不思議な場所を、ヨシュアは浮遊している。
(私は翡翠の塔のクエストをしていた筈では?)
「ヨシュア、久しぶりね」
 突如、背後に巨大な人影が浮かび上がる。ヨシュアは振り返ったが、影はまさしく黒いシルエットそのもので、何者か判別できない。判るのは、十アージュを越す大型の巨人だということだけ。
(いや、違う。この大きさは、単に私の中のこの人物のイメージが具現化しただけ。私はこの女を知っている。けど、どうしても顔を思い出せない)
 気づくといつの間にやら、巨人の大きな両掌の中に身体ごと包まれている。ヨシュアの琥珀色の瞳が灰色に濁り始める。
「わたくしの愛しいヨシュア。あなたにとって、男という存在は何?」
 巨人の禅問答染みた質問に、夢遊病患者のようにボソボソと答える。
「男とは、愛する一人の殿方と、利用するだけのその他大勢の鴨を指します。愛するたった一つの存在に、己の魂の全てを捧げて生涯を尽くす。残りの鴨達は、出涸らしの紅茶のように搾り取れるだけ搾り尽くし、欠片も利用価値がなくなったら、勘違いを起こす前に始末し、また次の対象を探す」
 果たしてこれはヨシュアの本心なのか、それとも謎の巨人にマインドコントロールされた結果なのか?
 エイドスを信仰する七曜教会の信者から、売女と蔑まされそうな回答が囁かれたが、出題者自身はこの答えがえらく気に入ったみたいだ。
「エクセレント、流石はわたくしの可愛い娘ね。ご褒美として、封じていたあなたの力の一端を開放してあげる」

        ◇        

「ここは?」
 目を覚ましたヨシュアは、猫のような仕種でキョロキョロと辺りを見回す。既に日が暮れ掛けた翡翠の塔で、屋上にも夕日の赤みが差している。
「何か、夢を見ていたような。駄目だ、思い出せない」
「あら、起こしちゃったかしら」
 ヨシュアが軽く頭を振ると、突然、頭上から穏やかな声が掛かる。ぼやけていた視界が明瞭になると、アルバ教授がくすぐったそうな表情で、ヨシュアを見下ろしている。
「私、寝ていたの?」
 能天気なエステルじゃあるまいし、まだクエスト最中だというのに信じられない失態。頬を赤く染めると、気合を入れ直すが如く、さらに強く頭を振る。すると、後頭部に暖かくて柔らかい膝裏の感触を感じる。どうやら無防備にも、アルバ教授に膝枕までされているみたいで、ますます赤面し、慌てて膝上から距離を置く。
「もう少し、ゆっくりしていて良いのに」
 ヨシュアに逃げられた教授は、子供っぽく拗ねて、物足りなそうに頬をぷくっと膨らませる。
「えへへー、ヨシュアちゃんの可愛い寝顔を撮っちゃいましたよ」
「日が暮れてきたし、そろそろ戻るぞ。身体の調子は大丈夫か、ヨシュア?」
 就寝中に取材を完了させたらしく、ドロシーとナイアルが近づいてきた。体調に問題ない旨を報告し、帰り支度を始めるヨシュアに再び教授が声を掛ける。
「あのっ、ヨシュアさんは、まだ十六歳なんですよね?」
「ええっ」
 後ろを振り返らずに、素っ気なく応える。何となく気恥ずかしくて、教授の顔をマトモに見られない。
「若くていいわね。無限の可能性に溢れていて、お肌もピチピチで。あなたぐらい奇麗だったら、きっと周りの男の人は放っておかないでしょうね」
 ひたすらシカトを決め込みながら、ナイアル達を追って階段を降りようとしたが、次の教授の一言がヨシュアの足をその場に縫いつけた。

「もし、わたくしが結婚していたら、今頃、あなたぐらいの娘が産まれていたりしたのかしらね」
 トクンと鼓動が跳ねあがる。何故、この女性の一挙一動に、こんなに動揺しているのか判らない。ひたすら釣り鐘を叩き続けるかのように、ドクドクと心臓が波打ち、足の震えも一向に止まらない。
「ずっと、研究一筋で、完全に婚期を逃しちゃったからね。今の仕事に、この身の総てを捧げたつもりだったから、悔いはない筈なんだけど、ヨシュアさんぐらいの年頃の娘を見ると、時々振れちゃうのよ。もしかしたら、わたくしにも、もっと違った人生が歩めたんじゃないかって。もし、あなたぐらいの年齢から、もう一度人生をやり直すことが出来るのなら。わたくしとあなたの人生を取り替えられるのなら」
 この女性は、さっきから何を訴えようとしているのだろう? 一体どんな顔をして、こんな恐ろしい話をしているのだろう?
 意図はともかく、表情の方はすぐに確認できた。何時の間にか、正面に回り込んでいた教授が、常変わらぬ理知的で穏やかな顔つきで見下ろしている。
「あはははは。何を言っているのか、自分でも判らなくなってきちゃった。何か色々と溜まっていたみたいね。忘れて、ヨシュアさん」
 教授が軽く頭を掻きながら、照れ臭そうにはにかむ。
「おい、何グズグズしているんだ。さっさと帰るぞ、二人とも」
 階下から、ナイアルが大声で叫んでいる。それが合図となったのか、足が動く。ヨシュアの身体を戒めていた呪縛が解かれた。逃げるように必死に階段を駆け下りる。
「最後に一つだけ良いかしら、ヨシュアさん」
 再び、教授から声が掛かったが、ヨシュアは振り返らない。まるで、それが予め定められた、二人の間の特別なルールであるかのように。
「あなた、今、好きな男の子がいる?」

        ◇        

「ナイアル先輩、これって」
「ああっ、教授を襲った例の魔獣だよな」
 帰り道の三階で、一行は再びマッドローパーに遭遇した。ただし魔獣は既に息絶えており、全身をグチャグチャに磨り潰されて原型すら留めていない。
「一体、誰がこんな所業を?」
「判らないけど、レーザーのような熱線で、ズタズタに引き裂かれたみたいね」
 壁一面にぶちまけられた、魔獣の肉片を調査していたヨシュアが、独り言のように呟く。
 焼け焦げた残骸の温度が一定であることから、二桁を超える熱線を、複数同時に浴びせられた可能性が高い。導力銃で武装した猟兵団(イェーガー)が乗り込んできたのか。それとも広範囲の熱放射能力でも持つ、さらなる未知の魔獣が潜んでいるのか。

「いずれにしても、ここに長居は無用ね。先を急ぎましょう」
 そのヨシュアの意見に反対する者はおらず、パーティーは早足で塔を下っていく。
 敵か味方か判らない謎の下手人の存在に一行は怯えたが、途中で特に襲撃を受けるでもなく、無事に翡翠の塔から脱出した。



[34189] 03-05:二つの冒険(Ⅴ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/02 00:04
「おっ?」
「あらっ?」
 ロレント市への帰り道、日が翳るマルガ山道。翡翠の塔とマルガ鉱山とを分けるT字路で、エステルとヨシュア達一行は鉢合わせた。
「遅かったじゃない、エステル。とっくにクエストを終了させて、ギルドの二階で昼寝していると思ったけど、一体、どこで道草を食っていたのかしら?」
「いや、それがさ。とにかく聞いてくれよ。こっちの方でも本当に色々とあったんだよ」
 再開を祝する間もなく、本来の調子を取り戻したヨシュアが嫌味を口にするが、軽い興奮状態のエステルの耳には入らない。義妹の助力抜きで単身でクエストをやり遂げた、自身の功績を自慢したくて仕方がない。
「それでさ、落盤事故が起きて、地下に閉じ込められちまった上に、魔獣が出没してさ。つい先だっては、複数の強面の盗賊団に……」
「はいはい、エステルの活躍は、後でちゃんとブレイサー手帳で確認してあげるから。それよりも運搬物は無事なのね?」
 鉱山の方は、思ったより深刻な事態に陥っていたみたいだ。内心の安堵を押し隠し、表面上は常のポーカーフェイスを維持しながらも、この場にいる第三者への情報漏洩を警戒し、エステルの解説を事務的に遮る。
「おうよ。ほれっ、この通り」
「あっ? 駄目っ」
 ヨシュアと異なり守秘義務感覚がユルユルのエステルは、考えなしにショルダーバックからセプチウムの結晶を無造作に取り出す。シャッターの音が響くのと、慌ててヨシュアが引っ手繰るのと、どちらが早かったか?
 気まずそうな表情で結晶を後ろ手に隠すも、既に手遅れ。神々しい輝きを放つ巨大なエスメラスが、確かにナイアル達の目に晒された。
「おい、ドロシー。今度こそ、今のお宝をカメラに撮っただろうな? あんなバカでかいセプチウムは、滅多にお目にかかれる代物じゃねえぞ」
「バッチリです、先輩。プロのカメラマンとして、突然のシャッターチャンスは絶対に逃しません」
「何て高額そうな宝石なの。アレを換金すれば、何ヶ月分のご飯が食べられるのかしら?」
「おい、ヨシュア。もしかして、こいつらがリベール通信の記者達か? 何か一人、変なのが混じっているみたいだけど。ひょっとして、俺、酷いヘマをしちまったのか?」
「かなりね」
 ようやく事態の重大さと、自分の迂闊さを悟ったエステルは狼狽し、ヨシュアは嘆息する。
 遊撃士には、クエストの内容に関する機密保持が課せられているのに、よりにもよってマスコミ関係の人間に、結晶の存在が明るみになってしまうとは。
 妙に鼻が効くナイアルのこと。いずれ生誕祭と結びつけて、大々的に記事にされるのは時間の問題。そうなる前に手を打たねばならないが、まさか遊撃士が依頼者の民間人から、力ずくで感光クオーツ(フィルム)を強奪する訳にもいくまい。
 どうするか悩みながらも、とりあえず結晶をスカートの内ポケットに押し込もうとしたヨシュアの指先に、何か固い物がぶつかった。翡翠の塔でドロシーがウッカリ落としながらも、返しそびれていた予備の感光クオーツ。
 この瞬間、ヨシュアの合理的な思考フレームが、解法を導き出した。

「ヨシュア、どうしよう?」
 魔獣や盗賊相手には無双したエステルだが、戦闘外のトラブルにはどう対処して良いか分からず、オロオロしている。
「心配いらないわよ、エステル。証拠のフィルムは何とか抜き取ったから」
 これ見よがしに掌の上の、円形状の塊を転がして見せる。
「えっ? そんな筈は」
「馬鹿、フェイクだ、ドロシー。カメラを開けるな」
 感光クオーツの有無を確認しようと、慌ててオープンボタンを押したドロシーをナイアルが諫めたが、ヨシュアは電光石火の早業で、本物のフィルムをカメラから掏摸とる。
 この行為もまた泥棒には違いないだろうが、依頼人に暴力を振るうという最悪のシナリオだけは何とか回避した。後は得意の舌先三寸で言いくるめて、少しでも傷口を小さくするように努めるだけ。
「取引しませんか、ナイアルさん? 記事の掲載時期を生誕祭当日に調整してもらえるなら、フィルムはお返ししますし、ついでにこの結晶の由来についても詳しくお話します」
 ナイアルが何か主張する前に、ヨシュアが妥協案を提示する。交渉事はとにかく相手に主導権を渡さないに限る。
「拒否したら?」
「不幸な事故により、翡翠の塔を納めたこの仕事用の感光クオーツは消失しますね。当然、こちらの不手際でのクエスト失敗ですので、報酬は全額お返しします」
 ヨシュアは全く悪びれることなく、にっこりと微笑む。
 彼本来の気質に合わない、性質の悪い恫喝が目の前で行われていたが、エステルは堪えた。ヨシュアが態々、尻拭いをしてくれているのが判っていたからだ。
「あと、条件を飲んでもらえたら、報酬の減額があったのも、リベール通信本社には報告しません」
「はえー、それが、どうしてナイアル先輩のメリットに繋がるのですか?」
「お前は黙っていろ、ドロシー」
 能天気なカメラ助手を一喝した後、ナイアルは後ろめたそうにたじろぐ。どうやら完全に見透かされているらしい。
「断っておくが、俺は取材費を着服したことは、一度だってねえぞ。ただ、スクープを得る為には危険を顧みない度胸と、何よりも先立つものが必要なんだよ。上層部のお偉方にはあまり理解しちゃもらえないがな」
「それはあなた自身の問題だから、好きにすればいい」
 ナイアルの弁明に取り合わなかったが、多分、苦し紛れの嘘ではないと当たりをつける。短いつき合いだが、普段の乱雑な言動とは裏腹に、彼の人格に矮小な要素が乏しいのを見定めているからだ。
 勿論、ドロシーとエステルには、二人が水面下でしている遣り取りについて、さっぱり判らず、頭上にクエスチョンマークを浮かべている。

 ナイアルは忌ま忌ましそうにヨシュアを見下ろしていたが、一服して気分を落ち着けると、煙と一緒に諦観の溜息を吐き出した。
「ちっ、本当に食えないお嬢ちゃんだな、判ったよ。元々、ロレントには翡翠の塔の取材で来たんだ。手ぶらで王都に帰ったら、デスクにどやされちまう」
「ご理解いただけて助かります。それでは約束通りフィルムはお返ししますね」
 あっさりとドロシーの手に交渉物品を返却され、ナイアルは却って訝しむ。
「おいおい、そんなに簡単に切り札を手放していいのかよ?」
「取引は何を置いても、お互いの信頼関係が第一ですから。ただし、万が一にも約定を反故にしたら、今後、ギルドはリベール通信社からの取材には一切応じなくなることを覚悟して下さい」
 ナイアルから言質を取ったことで、故意に問題を拡大解釈して、個人の口約束を、両者が所属する団体間の信用問題にまで発展させる。こうなるとナイアルも迂闊な真似は不可能になる。
「はあ、格段に腕が立つ上に、頭の方はもっと切れるってか? カシウス・ブライトも、とんでもない娘を養女にしたもんだな。ところでお前さんが、噂のヨシュアの義弟のエステルかい?」
 海千山千の姉貴よりも、単細胞の弟分の方が懐柔し易いと踏んだのだろうか。ナイアルは矛先をエステルに向けると、馴れ馴れしく肩に手を回した。
 義兄とは真逆の不適切な単語を聞いて、エステルの眉が動いたが、当人はしれっとしている。何よりもエステル自身が、この場で小さくない借りを作ってしまったので、強く訴えられない。
「自己紹介が遅れたな。俺はリベール通信社のナイアル・バーンズだ。さっき、ちらっと話していたが、鉱山で面白そうな体験をしたそうじゃないか。猫メイドのいる居酒屋で、飯でも食いながら、じっくり冒険談を聞かせてくれないか?」
「ご飯って、食事を奢って頂けるのですかー?」
 今まで、のほほんと三者の会話を眺めていた教授が、身体を割り込ませてきた。
「わたくし、この一週間、ミラがなくて、ろくな物を食べてなくて、もうお腹がぺこぺこでぺこぺこでぇー」
「うわっ、何だ、このおばさんは? てっ、汚ねえ。涎垂らしてやがる」
 エステルが飢餓女性を引き剥がそうとしたが、教授はスッポンのように張り付いて、離れない。
「忘れていた。そういえば、この人もいたわね」
 一難去ってまた一難。さらなる難題の上澄みに吐息したが、この問題は多少の口止め料で解決しそうだ。
「それでは、ナイアル先輩の奢りで、レッツゴー居酒屋アーベントー」
「ちょっと待て。俺は奢るなんて一言も言ってないぞ」
「早く、早く、食べに行きましょう。わたくし、もうお腹が限界です」

        ◇        

 その夜、居酒屋アーベントの唯一の喫煙ルームである十三番テーブルを、遊撃士の兄妹、リベール通信の記者コンビに、学者風の中年女性という奇妙な取り合わせの客が占領した。
 摩天楼の如く次々に重ねられる膨大な皿の枚数に、途切れることなく追加されるオーダー。散開するワインの空ボトルに、灰皿一杯に積まれる煙草の吸殻。いやが上にも、周囲の禁煙テーブルの客の目線を一手に集める。
「でさぁ、俺が機転を効かせて、この結晶で魔獣を惹きつけて親方を援護し……」
 料理にがっつきなから、ジェスチャーを交えて、己の武勇伝を語る勇者。
「ふーっ、なるほどな。そこの所のニュアンスをもう少し詳しく。って、おい、アルバ教授、それで何皿目だ? ちっとは自重してくれ」
 食事と取材と飲酒と喫煙を同時にこなしながらも、無銭飲食者への牽制を怠らない記者。
「申し訳ありません。今、可能な限り食い溜めておかないと、今度また何時ご馳走にありつけるのやら」
 周りを気にせず、ただひたすら一心不乱に飲み食いを続ける貧乏学者。
「臨時収入が懐に転がり込んだのだから、別に構わないじゃなくて? それよりも、さっきから煙草の煙がうざくてしょうがないんだけど」
 一見マトモに見せかけて、さり気なく未成年の飲酒を敢行している犯罪者。
「先輩、何時ボーナスを貰ったんですか? 狡いですよ、私にも。この一本気パスタ美味しいですねぇー」
 何も考えず、興味の赴くままに飲食を試みる愚者。
 十三番テーブルでは、阿鼻叫喚の餓鬼道の地獄絵図が展開されており、給仕のエリッサは怯んだが、意を決して親友に声を掛ける。
「ねえ、ヨシュア。新戦力のメイドってどっちなの? 片方は年齢的に少し、いや、かなりキツイと思うんだけどな」
「どちらも仕事の関係者で、アルバイトとは無関係よ。あと、ワインのお代わりを持ってきてくれない?」
「駄目だよ。ヨシュアがお酒に強いのは知っているけど、時と場所を弁えてくれないと。 ところで願いがあるんだけど」
 やんわりと軽犯罪を押し止めると、馴染みの黒猫衣装のメイド服を翳してみせる。
「これは何かしら、エリッサ?」
「ヨシュアの現場復帰を待ち望んでいた、お客様方に頼まれちゃってさぁ。今日だけでいいから、助けると思って。お願い、ヨシュア」
 両手の掌を合わせて、拝み倒される。ヨシュアは、男女問わず打算的な相手との駆け引きに強い反面、エリッサやエステルのように裏表のない人間の真摯な頼みごとに弱かった。ましてや少女はヨシュアの替えの利かない親友であり、その願い事は断りづらい。
 さらにヒートアップを続ける十三番テーブルを振り返る。宴は狂乱の色をますます濃くし、当分終わりそうにない。
「これは長い夜になりそうね。安全の為に市長宅には明日届けるとしましょう」
 結晶を隠しポケットの奥底に仕舞い込む。メイド服に着替えるために、十三番テーブルの面々に背を向け、控室に消えていく。

        ◇        

 かくして、二つの冒険はつつがなく終了した。
 後日、リベール通信の文化欄に翡翠の塔の記事が、社会欄に期待の新人遊撃士姉弟のインタビューが、リゾート欄に黒猫メイドの写真が同時に掲載されることになる。



[34189] 04-01:終わらぬクエスト(前編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/03 00:01
「ふーん。それで、失敗しちゃったわけ?」
「申し訳ありやせん。けど、ブレイサーというのは化け物ですぜ」
 市内にあるホテル『ロレント』の一室。頭目格と思わしき人物からの叱咤に、エステルの襲撃に失敗した三人組は、面目なさげに俯いている。顔は見えない。足を組んで椅子に踏ん反り返ったまま、振り向かないからだ。ただ声色は幼く、さらに学生服を着用している所から、意外と若造らしい。
「運搬役はまだ見習いだって聞いたけど、そんなに強かったのかい?」
 手元の導力銃(ベア・アサルト)を弄びながら、再び声を掛ける。別に失敗した部下を粛清する訳ではない。自分らは既にアウトローなのだから、以前見たマフィア映画を真似て、ちょっとでも貫祿を出そうと努めているだけ。その稚拙な発想そのものが、既に子供っぽいことに、本人だけが気づいていない。
「へい、歳の頃は坊ちゃんと同じぐらいでしたが、これがまた信じられない怪力で。ありゃ、ドルン頭領に匹敵するやもしれません」
「その坊ちゃんって言うのは、もう止めてよね。何時までもガキじゃないんだからさ」
 軽く舌打ちする。気分を害したのは、未だにお子様扱いされた己の境遇か。はたまた、同い年で、馬鹿力の兄貴に匹敵すると尊ばれた強者の存在か。或いはその両方かもしれない。
「坊ちゃん、いかがいたしやしょうか? 元々、当初の計画にない副業ですし、このままボースに戻るのも手かと」
 呼称を改める気がない上に、腑抜けたことを抜かす部下に、今度は強く舌打ちする。
 兄姉二人に大見得きってロレントに乗り込んできた以上、手ぶらで帰れるものか。なんとしても結晶を手に入れなくては。
「ライル、君の報告だと、宝石はまだそのブレイサーの手元にある筈だよな?」
 盗賊の一人は頷く。エステルは、身元不明の幾人かと居酒屋で一夜を明かしており、市長邸へは、朝方届けるものと思われる。
「その若輩のブレイサーは、賢そうに見えたかい?」
「いえ、腕っぷしの強さに比べて、オツムの方はかなり単純そうでしたが。もしかして、市長の金庫に納められる前に、再襲撃するおつもりで?」
「はっ、冗談言わないでよ。相手が強いと知って、わざわざ正面から喧嘩を売る馬鹿がどこにいるのさ? じきに奴らの仕事は終わるのだから、その後の無防備な市長邸を狙えばいいだろう?」
「しかし、その場合は例の特殊金庫をこじ開ける必要性がありますぜ」
 強固な合金装甲もさることながら、ツァイス工房製の最新鋭の防犯システムが備えられており、正規の手順以外で扉を開けようとすると、町全域に警報が鳴るようになっている。
 彼らの手持ちのスキルでは、突破するのは困難。それ故、輸送中を狙う手筈になっていたのだが、エステルの力量を大きく読み違えていたのが盗賊達の誤算である。
「それは僕に考えがある。そのブレイサーが、君の見立て通りのマヌケなら話は簡単さ。ほら、昔から良く言うだろう? 何とかと鋏は使いようってさ」

        ◇        

「ふわあああー、まだ眠い」
「シャンとしなさい、エステル。これからクエストの総仕上げに入るのだから」
 朝方の十時過ぎ、開店準備中の札がかかった居酒屋アーベントの正面玄関から、ブライト家の兄妹が姿を現す。
 あれから他のヨシュアファンのお客を巻き込んでのドンチャン騒ぎを繰り広げた一行は、営業時間終了後も店内に居すわって、なし崩し的に泊り込んでしまう。
 朝方、二人が目を覚ますと、教授は何時の間にか姿を消していた。ナイアルはボース地方でとんでもない事件が起こったとかで王都行きをキャンセルし、寝ぼけたドロシーを強引に引っ張って、ボース行きの定期船に乗り込んだ。
 慌ただしく消え去った記者たちと異なり、兄妹はエリッサから朝飯をご馳走になり、さらには洗面所を借りて、きちんと身嗜みを整える。こういう切羽詰まった時には、色々と融通が効く顔馴染一家の存在は実に有り難い。エステルは溜め込んだ食事のツケに加えて、また一つ幼馴染みの少女に借りをつくる。
 アーベントを出ると、受付のアイナへの進捗報告を後回しにして、真っ直ぐに市長邸に足を運ぶ。今、途上にあるギルドの支部に寄り道しても、単に二度手間になるだけなので、きちんと結晶を送り届けてからクエストの完了報告をするつもりだ。

        ◇        

「はじめまして、ブレイサーの皆さん。僕はジェニス王立学園に籍を置くジョゼット・ハールと言います」
 メイドのリタの案内で書斎に招かれると、既に市長は別の来客の対応をしていた。少し線が細そうだが、青髪で童顔の中々の美少年で、紺色のブレザーの制服に、襟元に学生の身分を示す緑の章玉をつけている。
「ジェニス学園?」
「ルーアン地方にある全寮制の学校よ。大陸全土から留学生を募っていて、入学には厳しい学科試験があると聞くわ」
 エステルに限らずこの国の大多数の子女は、教会の日曜学校で一般教育を受けるので、ミラを上納してまで学問に勤しむ高等教育機関はあまり馴染みがない。
(勉強嫌いのエステルには一生縁がない場所でしょうね)
 そう腹の中で思ったが黙っている。エステル以外の第三者(特に男性体)が現存する場合、義兄への毒舌は常に比べて大幅に軽減される傾向にあるが、近い将来、エステルが王立学園の制服に袖を通すことになる日が到来するなど、合理的な思考フレームを持つヨシュアも想像すらしなかった。
 ジョゼット本人の説明によると、彼はエレボニア帝国からの交換留学生。自主研究の一環として、市の重要文化財の話をロレントの偉人から聞いてまわっている。
 先の失敗から、ようやく守秘義務感覚が芽生えたエステルは、ジョゼットの退席後にクエストの話を持ちだそうと自重していたのだが。
「そうじゃ、エステル君。折角だし、彼にも例の結晶を見せてやってくれんかの?」
 当のクラウス市長自身が、ささやかな配慮を台無しにする。更にご丁重にも、その宝石がロレント市民全員の感謝の意を表す女王陛下への生誕祭への贈り物である機密を得々と語ってみせる。
「忘れていた。クラウス市長はこういう御仁だったわね」
 額を親指と人指し指で支える、頭痛を堪えるようなポーズでヨシュアは嘆息する。
 この白髪白髭のお爺ちゃんは市長職を長年務めながらも、世俗の塵芥に染まる気配すら伺えずに、極めて自然体に好々爺を維持している。
「なあ、ヨシュア。俺達の昨日一晩の苦労って?」
「マスコミ関係の人間の口を封じたことに意味があった。そう思い込むことにしましょう、エステル」
 むしろ自分自身に言い聞かせるように低い声で呻いた。まあ、クラウス市長のようなおおらか過ぎる人物が行政の最高責任者だからこそ、ロレントは策謀や権力闘争の渦とは無縁の平穏な町でいられるのかもしれないが。

 結局、市長はジョゼットの目の前で堂々と結晶を受け取って、蘊蓄について一通り語った後、金庫の中に結晶を納めた。
 これで『クラウス市長の依頼』のクエストを無事に成し遂げた。エステルは安堵し、両手の掌を組み合わせて大きな伸びをしたが、ヨシュアは何やら意味深な目つきで、ジョゼットの一挙一動を見守っている。
「今日は時計塔に纏わる感動的なお話と、類まれな宝石を見せて戴き、有り難うございました。僕はこの後、教会でデバイン教区長から説法を聞く予定があるので、これで失礼……って、何か僕にご用ですか?」
 何時の間にか正面に移動し、上目遣いでじっと見つめる黒髪の少女の存在に面食らう。次の瞬間、ヨシュアはジョゼットの両手に、自分の両掌を重ね合わせた。
「あのっ?」
 指先に感じる、女の子の柔らかい肌の感触にジョゼットは赤面する。
「やっぱり殿方の筋肉は、私の細腕と違って、とても逞しいですね。ジョゼットさんも、何らかの武術を嗜んでいらっしゃるの?」
 琥珀色の瞳に蠱惑的な光を称えながら、ジョゼットを上目遣いする。
「いえ、僕は単なる学生だから、戦いは素人です。少しは身体を鍛えないといけないかなと思ってはいるのですが。とにかく、これで失礼します」
 ヨシュアの手を振り払うと、しどろもどろになりながら、書斎から飛び出していく。途中の廊下で、お茶のお代わりを運んできたリタと正面衝突したらしく、「すいません」と謝罪しながら、床掃除の後片付けを手伝っている気配が伝わってくる。意外と初な性格らしい。
「おいおい、また一人、純朴な少年を誑し込むつもりかよ? けど、報われない恋の犠牲者を作るのは、ロレントの住人に限定しておけって、ヨシュア。お前、意外とああいう草食系っぽい男の子がタイプなのか?」
 異性に対して思わせぶりな態度を取るのは何時ものことであるが、親指を顎先に当て、思慮深げに俯くヨシュアの様子に、柄にもなくシスコン根性を発揮する。
「そうじゃないわよ、ただ少し気になることがあっただけ」
 そう告げると、先程までジョゼットが腰掛けていたソファに座りこむ。小柄なヨシュアとジョゼットでは座高の高さが異なるので、少しだけ腰を浮かしてみる。目線を彼の高さの位置まで調整し正面を眺めると、ちょうど金庫のアナログダイヤルが琥珀色の瞳に焼きついた。

        ◇        

「そう、そういう事情なら致し方ないわね。けど、次からは交渉前に必ずギルドに一報をいれて下さい」
 黄土色のロングヘアをドレッドに巻いたシェラザードと同年代の若い女性は表情を変えずに呟く。ロレント支部受付嬢のアイナ・ホールデン。解決済みの二つのクエストを決済してもらったが、今一つ機嫌が宜しくないように感じる。ヨシュアが独断で報酬を値切ったのが要因だ。
「遊撃士協会(ギルド)はリベール王家やエプスタイン財団から、法的優遇や技術援助などを受けているけど、クエスト報酬も無視できない財源の一つなのよ」
 まるで民主国家の税制度のように依頼額の高さに応じて、報酬の3%~30%のミラが差し引かれて、各支部の維持・運営費に当てられている。基本、非営利団体のギルドにとって高額クエストは貴重な財政基盤。受付のアイナのようなサポートメンバーの給料はそこから賄われているといっても良い。
「なるほどね。そりゃ、アイナさんの心証が悪いわけだ」
 薄給に苦労しているのは、現場の遊撃士だけではない模様。ギルド全体の懐事情の厳しさを今更ながらに痛感する。
「皮肉なものね。私が半ば失敗して、エステルが成功するなんてね」
 報酬の減額や任務途中の居眠りなど、ヨシュアにとって今回の依頼は、色々とケチがつく顛末となった。更に心配していたエステルの方が、予期せぬトラブルを全て自力で乗り切り、クエストをやり遂げたとあっては立つ瀬がない。
 尚、当のクラウス市長がアレだったからだろうが、記者達に結晶の存在を明かした失態はノーカンにした。しょぼくれた訳でもないだろうが、自嘲するように俯いたヨシュアの頭を軽く撫でる。
「エステル?」
「別にミスした訳じゃねえだろう? お前はきちんとナイアル達を翡翠の塔へ案内して、無傷で町まで護衛してきたんだ。ただ、当初の予定より、ギルドや俺達の取り分が減っちまった。それだけの話さ」
 エステルがヨシュアを慰めるなど、一体何年ぶりの珍事だろう。何時も賢妹に反発している愚兄であるが、落ち込んだ時ぐらいは、たまには年長者の真似事をしてやろうと心から思う。
「何よりも今回の件で、俺はまだまだブレイサーとして半人前なのを思い知ったぜ。鉱山の事故だって、ヨシュアと一緒ならもっと楽に切り抜けられただろうし、戦闘以外の交渉事となると、まるでお手上げだ。まあ、そんな訳だ。これからは意地を張らずに、お前の悪知恵をじゃんじゃん利用することにする。だから、また一緒によろしく頼むぜ、俺の可愛くない義妹よ」
 少しだけ左手に力を混めて、黒髪をクシャクシャにする。左側のリボンが外れ、束ねていた髪の毛がほつれてヨシュアの顔を覆った。何だか兄貴の威厳を示すつもりが、反って己の未熟さと、義妹の腹黒さを浮き彫りにしただけのような気がするが、生来の無骨者だから、このあたりがエステルの限界である。
 ヨシュアは呆れているだろうか? それとも怒っている? エステルは気になったが、自ら荒らした黒髪に遮られて、表情を確認できない。
「報告書の内容を確認したけど、今回に限れば、あなたは十分ベストを尽くしたと思う。多分、私が鉱山に同行していても、あれ以上の仕事は出来なかっただろうから、もっと自分に自信を持っていいのよ」
「何か、似たようなことを親方にも言われたな。それよりも、一体、どうしたんだよ? お前が俺のことを素直に褒めるなんて、熱でもあるんじゃないか?」
 薄ら寒そうな顔をして、左手を額に移し替る。いつもヒンヤリしている冷え性のヨシュアの肌が、ほんのりと火照っているように感じる。
「少し熱いな。翡翠の塔で体調を崩したと聞いたし、もしかして風邪でも引いたのか?」
「そうかもしれないわね」
 さきの行為で髪の毛が搔き分けられ、ようやくヨシュアの顔が明るみになる。両頬を赤く染めながら、照れ臭そうな表情ではにかんでいる。常日頃見せている営業スマイルと異なり、今のヨシュアは心から笑っているように思える。
 何故かエステルの心臓の鼓動が、ちょこっとだけ早くなった。

        ◇        

「とはいえ、当初の目標額から、少し遠ざかったのは確かだな。多少危険でも、また今回みたいな割りの良いクエストが転がり込んでこないかな?」
「何、寝言をほざいているの、エステル。あの二つのクエストは、父さんからのご祝儀みたいなもので、次はないわよ。それよりも地道にブレイサーの道を極めるんじゃなかったの?」
 ロレント市から自宅への帰り道。常の軽口で、横着して地を出しはじめたエステルを、呆れ顔で諫める。二人ともようやく、本来の役柄を確定させたようで、やはりブライト家の兄妹の関係は、こっちの方がしっくりくる。
「ところでブレイサー手帳を確認した時から気になっていたんだけど、エステルを襲ったという盗賊一味は、明らかに結晶狙いだったのよね?」
「ああ、それだけは間違いない。そういえば奴らを撃退した際に、こんなものを拾ったっけ」
 結晶を納めていたショルダーバッグから、戦利品の短剣を取り出す。ヨシュアは短剣を手に取ると、顔の近くに掲げて色々と調べてみる。柄の部分に黄色の宝玉が嵌め込まれている。地属性のクオーツのようだ。
「どうやら、これは『毒の刃』みたいね」
 クオーツは加工の仕方によって、様々な追加効果を、装着した武具に与えることが可能。この短剣の場合は傷つけた対象を、クオーツ内部に密封した毒物に汚染させる厄介な性質の凶器に変貌した。
「どんな種類の毒が仕込まれていたかは、クオーツを割って、内部の毒液を調べてみないと判らないけど、恐らくは即効で相手を麻痺させる神経毒だと思う。もし掠り傷でも受けていたら、危ない所だったわね」
 その時は結晶を奪われて、クエストに失敗していたということ。今更ながらにエステルの背筋は寒くなる。力量差の関係で無傷での迎撃に成功し、楽勝気分に浸っていたが、実際は紙一重だったということか。
「エステル、もしかすると私達の事件はまだ終わっていない。だとしたら、近いうちに第二幕が切って落とされるかも。色々と気になる符号があるし、私の杞憂であってくれればいいのだけど」

        ◇        

 翌日、ヨシュアの予言は的中した。昨晩の中に、クラウス邸に強盗が押し入り、セプチウムの結晶が盗まれたのだ。
 『クラウス市長の依頼』のクエストは完了したが、結晶を巡る一連の騒動は未だに閉幕する気配を示さず。『市長邸の強盗事件』の依頼が新たなクエストとして生まれ変わってギルドに持ち込まれることになった。



[34189] 04-02:終わらぬクエスト(中編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/03 00:02
「市長、結晶が盗まれたった本当かよ?」
 早朝のギルト一階の受付前。自分たちでも受けられる零細クエストを求めて、殊勝にも朝一番でロレント支部に顔を出したブライト家の兄妹は、大慌てで駆け込んできたクラウス市長とかち合った。
 聞けば昨夜の内に、市長邸に何者かが忍び込み、金庫の中の宝石が強奪されたという。
 市長は目が覚めるまで賊の侵入に気づかず、幸い家族に怪我人は出なかったが、ロレント市民全員の感謝の意を女王に示す貴重なセプチウムの結晶を何者かに奪われてしまった。
「ちきしょう、犯人は絶対にあいつらに違いねえ」
「だとしても、腑に落ちない点が色々とあるわね。警報が鳴らなかったということは、賊は正規の手順で金庫のロックを解除したことになる。どうやって暗証番号を解析したのかしら?」
 憤慨したエステルは、下手人を例の三人組に決めつけるが、市長の話と照らし合わせたアイナが疑問を提示する。
「んなことは、後でゆっくり調べればいいだろう。とにかく早く賊を追い掛けないと、手遅れになるぞ」
「今回は珍しくエステルが正論ね」
  黙して三者の議論を傍観していたヨシュアが初めて口を挟み、市長に向き直る。
「クラウス市長。事件の調査を、私達に任せてはもらえないでしょうか? この件は先の依頼での私達の不手際が原因なので、報酬もブレイサーズポイントも要りません。あなたもそれで構わないわよね、エステル?」
「勿論だ。女王陛下の胸元にあの結晶の細工が飾られるのをこの目で見るまでは、俺にとってこのクエストは終わらないんだよ」
「ちょっと、あなた達、何を勝手に」
「いや、いいんだよ、アイナ君。二人の若人に託してみよう」
 兄妹の熱意を肌で感じ取った市長は、本件を正式な新クエスト『市長邸の強盗事件』として、ギルドに依頼することを決意する。
「エステル君、ヨシュア君。君らを直接指定しよう。ただし、これは正当な依頼だから、きちんと報酬も支払わせてもらうし、仕事の成果に応じたBPの査定もさせよう。それで構わないだろう、アイナ君?」
「ええ、クラウス市長がそうおっしゃるのなら」
 市の最高責任者の鶴の一声とあっては是非もない。アイナは了承したものの、少し歯切れが悪い。既に二人は一度、父親の威光を上手く利用し、本来手が届かない高額クエストを掠めている。この上市長の懇意で他の正遊撃士に更に割りを喰らわせたら、ギルド内での心証が悪化するのを懸念したからだ。
「ありがとうございます。実のところ、犯人の手口と逃走先に些か心当たりがあるのです」
 ヨシュアはアイナの気遣いを悟ったが、今回だけは譲れなかったので自分達が抱える事件の機密情報をちらつかせる。その行為に呼応したように、頭上から女性の声が掛かる。
「あら、それは興味深いわね。是非ともお姉さんにも、話を聞かせてもらえないかしら?」
「シェラ姐?」
 上階から顔見知りの遊撃士であるシェラザードが、目を擦り、大きな欠伸をしながら、階段を降りてきた。ギルドを仮宿代わりに二階の休憩室で惰眠を貪っていたらしい。
「このクエストは、あたしが預からせてもらうわ。その上であなた達二人をあたしの助手として参加させてあげる。それが一番波風が立たない配役みたいだしね」
 一連の短い遣り取りを又聞きしただけで、一通りの裏事情を悟ったよう。
 アイナとヨシュアは軽く安堵し、エステルとクラウス市長は、何故この場の女性陣の空気が弛緩したのか判らずに、互いにキョトンとした表情を見合わせた。

 時間がないので手短に推理説明会が始まり、一同は耳を傾ける。
「結晶を奪った犯人はジョゼットです。この名前が本名ならですが」
「おいおい、ヨシュア。内心、いけ好かないガキだとは思っていたけど、いきなり犯人扱いは酷いんじゃないか?」
「ふ~む、今どき珍しい、裏表のない好少年だと思ったが、信じられんのう」
「あたしは、その男の子を知らないけど、そう断言するからには、ちゃんとした根拠はあるんでしょうね?」
 ヨシュアは頷く。金庫のセキュリティの固さを考えても、犯人は事前に暗証番号を認識していとしか思えないが、肝心の番号は家族にも知らせず、メモ書きも残していない。
 なら、犯人は何時どこで暗証番号を知り得たのか? それはクラウス市長が結晶を保管する為に、実際に金庫を開錠した瞬間以外にない。その時に現場に居合わせたのは、兄妹を除けばジョゼット一人。
「あとジョゼットは自分を戦闘素人と詐称していました。彼の掌には、銃使い(ガンナー)独特のたこがあるのを、手を握った時に確認しています。表皮の硬さからみて、それなりの使い手と見受けました」
 『手は嘘をつかない』という有名な格言が、武術の世界にはある。掌を翳してみれば、何を得物にしているのか、またどの程度の熟練者か大凡見当がつくものなのだ。
 ちなみに軽量のナイフしか扱わない上に、ほとんど反復練習をこなさないヨシュアの痣一つない奇麗な手は、一切の修練の痕を残さず、初心者とまるで区別がつかないので、エステルから『嘘つきの手』と皮肉られている。
「お前、何時もの調子で粉掛けているのかと思いきや、あの時点からジョゼットを疑っていたのかよ?」
「なるほどね。けど、それだけでは犯人と特定するには、ちょっと弱いんじゃない?」
 ヨシュアの抜け目の無さにエステルが呆れたが、シェラザードの嫌疑は晴れない。確かにこれだけの状況証拠では、まだまだ灰色止まりで黒とは言い切れない。
「最後に決定的な証拠を見せます。金庫のアナログダイヤルの数値は、時計周りに00~30で間違いないですね?」
 持主から確認を取ると、ヨシュアは目を瞑り、ブレイサー手帳にすらすらと自動書記で、何かを手書きする。一同は釣られるように、手帳の中を覗き込み、市長が驚愕の声を上げる。
「12……08……21……23……05……って、これは、金庫の暗証番号の一部ではないか。ヨシュア君、どうやって、この数字を知ってのかね?」
 市長の言によると、手帳に書き殴られた数値は、先頭の二回を除いた残り五回分の番号と見事に一致した。
「おい、ヨシュア。これは一体どういうことだよ?」
 結晶を書斎に届けた折、ヨシュアはエステルの隣のソファに座っていた。あの位置からだと、市長の背中そのものが壁になって、金庫のダイヤルは見えなかった筈。
「眼球運動よ。私は金庫でなく、彼の目の動きをずっと観察していた」
 ヨシュアの説明によると、市長が金庫を開ける際に、ジョゼットの目の動きが不自然に慌ただしくなったのを確認したので、その時の彼の網膜の変化を記憶しておいた。
 三十桁のアナログダイヤルをイメージし、ジョゼットの眼球運動をトレース化して再現したのが手帳に書かれた数字だが、流石に彼の行動を意識する前の最初の二回分は復元不可能だ。
「ジョゼットは単純にクラウス市長のダイヤル捌きを盗み見ただけです。誰にでも出来ることではないけど、人並み外れた動態視力と認識能力があれば、あの距離からでもダイヤルの数値を特定するのは十分に可能です」
 その推理が技術的に可能か否かは、今更検証するまでもない。たった今、目の前で披露された神業に比べれば稚技そのもの。
「結局、私の判断ミスですね。すぐに他人を色眼鏡で監視するのは私の悪い癖だったので、あの時は自重していたのですが、きちんとあの場でクラウス市長に暗証番号を確認しておけば、事件そのものを未然に」
「というよりは、どう考えても市長さんの責任でしょう。いくらなんでも、第三者がいる前で暗証番号を隠しもせずに金庫を開けたりする?」
 自虐モードに入る前に、シェラザードが口を挟む。別段、ヨシュアを庇う義理はないのだが、落ち込まれて推理が遅れられても困るからだ。
 ただ、そういった思惑とは別に彼女の主張そのものは正論だったので、危機意識が欠落し過ぎていた市長は「面目ない」と肩を落とす。
「にしても、眼球運動のトレース作業って、それも例の七十七の特技の一つかよ?」
「ええ、そうよ、エステル。けど、見習いの内はいいけど、このぐらいの芸当は朝飯前でこなせるようにならないと、正規の遊撃士はやっていけないわよ」
「マジかよ?」
「コラ、コラ、そこの腹黒娘。真面目な顔して大嘘こかないの」
 シェラザードが呆れ顔で諫める。嘆かわしいことに只でさえ大陸各地では、戦闘に特化しすぎた脳筋系遊撃士が幅を利かせ始めているというのに、あんな瞬間記憶能力と演算オーブメントをセットにしたようなスキルを正遊撃士の必須技能にされたら、ほとんどの遊撃士は廃業に追い込まれてしまう。
「なあ、ヨシュア。もしかして、ジョゼットは例の盗賊達の一味なのか?」
「物理的な確証は何一つないけど、そう考えた方が自然ね。偶然、二つの勢力が結晶を狙ったというにしては、時期が重なりすぎているわ」
「なら、これ以上ここで、うだうだだべってないで、とっととジョゼットを探し出そうぜ」
 確かに今は犯人の特定や手口の検証よりも、宝石の奪還を最優先すべき。
「とにかく三手に別れようぜ。結晶を手に入れた賊は、ロレントの外に逃げようとする筈だから、飛行船発着場とヴェルデ橋の関所と、あとは王都に通じるグリューネ門を俺達三人で抑えて」
「落ち着きなさい、エステル。多分、そのどの場所にもジョゼットは姿を現さない」
 先走るエステルを宥めながら、犯人視点で物事を考察する。
 結晶を強奪した地点で、賊はロレント市そのものに喧嘩を売ったようなもの。市長がその気になれば、定期飛行船の発着を一時的に停止するのも、関所に検問を引いて賊共をロレント市内に封じ込めることも可能。
「えっ、そうなのか?」
 自らの権限の大きさを自覚せずに、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした市長の発言をヨシュアは聞かなかったことにする。
 何だか周りを過大評価し、一人で空回りしているような気がしないでもないが、賊が逃走を合理的に行おうとするのなら、敵の行動は自ずとヨシュアの予測の範囲内に留まる筈。
「つまり賊は、自力でロレントを脱出できる手段を持っているということね。 例えは独自の飛行艇(アシ)を持っているとか?」
「その通りです」
 シェラザードの見解を全面肯定したヨシュアは、同レベルの会話が維持できそう人材がいた現実に感謝する。エステルのボケに突っ込みを入れ続けるのが、彼女の人生の日常茶飯事になってしまったが、一人頭の切れる人間が混じっていると話が早くて助かる。
「それが本当なら、厄介ね。その気になれば、アシを止められる場所なんていくらでも」
「手掛かりならここにあります。入手できたのは、全くの偶然ですけど」
 スカートの内ポケットから、小さなビニール袋を取り出して、シェラザードに手渡す。透明袋の中には、小枝のようなものが入っている。
「ミストヴルドの森に生えているセルベの木の枝です。多分、ジョゼットの制服の袖口にでも引っ掛かっていたものが、握手した際に、私の掌の中に転がり落ちてきました。自主研究中の学生が、あんな危険な場所に足を運ぶのを不審に思ったので、捨てないで保管しておいたのですが、思わぬ形で役に立ちそうですね」
「でかした、ヨシュア。ようするに奴らは飛行艇でロレントの森中に来て、また同じ場所からトンズラかまそうとしているわけだな?」
 ここまで会話が推移すれば、エステルにも本質が理解できるようになる。
「そういえばナイアルさんが、ボース地方で謎の空賊団による強盗が相次いでいると情報を漏らしていたけど、ジョゼット達と何か関連があるのかも」
「その詮索は後回しね。迎えの飛行艇がロレントに到着する前に、ミストヴルドの森でやつらを捕らえましょう。急ぐわよ、エステル、ヨシュア」
シェラザードの掛け声を合図に、三人の遊撃士はギルドを飛び出していった。

        ◇        

 ミストヴルドの森の最奥。三人の男性と一人の少年が、この場に設置した仮営キャンプの後始末をしている。ジョゼットと例の三人組の盗賊。
 ジェニス王立学園のレプリカの制服から、カプア一家のユニフォームに着替えたジョゼットは、得物のベア・アサルトに信号弾を詰め込んで空高く打ち上げる。天空で信号弾が炸裂し、辺り一帯を明るく照らしだす。
「よし、これで後三十分もすれば、キール姐がワイルドキャット号で迎えにきてくれる。 もし、信号弾の存在に気づいても、追手がここに辿り着いた頃にはもう手遅れさ」
 戦利品の結晶を右手の掌の上で転がしながら、銃を持った左手で前髪をかきあげる。ジョゼットは不敵な笑顔で微笑んでいる。市長邸での人の良さそうな姿は全て演技。
「それにしても、あのお人好しの市長には参ったよな。君らをコテンパンに叩きのめしたというブレイサーも、予想した通りの脳筋だったし」
 そこで結晶を懐に仕舞い込んだジョゼットは、じっと自分の手の平を見つめる。
(でも、あの娘の手は随分と柔らかかったな。琥珀色の瞳も奇麗だったし。確かヨシュアという名前だったよな?)
 恐らく錯覚なのだろうが、未だに掌に少女の温もりが残っているように感じる。頬にほんのりと赤みが射したが、すぐに首を大きく横に振る。
「ああもう、何を考えているんだ、僕は。あの娘もブレイサーの一員で、僕たちカプア一家の敵だろうが。田舎町のノーテンキな気風にでも当てられたのかな?」

「誰が能天気だって、盗賊のクソガキ」
 突然、どこかで聞いたような根太い声が聞こえてきて、ジョゼットはギクリとする。恐る恐る振り返ると、既に物干し竿を完全装備したエステルが、軽く息を切らしながら、強い敵意の視線と共に棍先をこちらに向けていた。
「そっちの三馬鹿にも見覚えがあるぞ。その格好といい、やっぱりお前らグルだったわけか」
「坊ちゃん、ヤバいですぜ。あいつ、信じられない強さで」
「ふん、今度は僕がついているんだ。そう簡単には」
「ジョゼットが偽名か本名かは知らねえが、お前、ガンナーだろ? あと、そっちの三人は、魔獣(クインスコルプ)の神経毒を刃に加工して、仕込んでいるんだっけか?」
 これ見よがしに既にクオーツを取り外した短剣を目の前に放り捨てる。手の内を見透かされたジョゼット達はドキリと心臓を震わせる。昨夜、ヨシュアが夜通し調べた『毒の刃』の詳細情報は、盗賊たちに心理的な先制パンチを食らわせるのに役立った。
「降参するなら今の内だぞ、コソ泥ども。今の俺は少し気が荒いから、手加減できそうにないからな」
 そう宣戦布告すると、物干し竿を振り回して襲いかかり、盗賊たちも自分らの得物を抜き出して迎撃する。
 もはや言葉はいらない。準遊撃士エステルとジョゼット率いるカプア一家は正面から激突した。

        ◇        

「はあっ、はあっ、ねえ、シェラさん。エ……ステ……ルは、だい・・・じょう……ぶかしら?」
「ぜえ、ぜえ、心配いらないでしょう。相手の手札は全て明かされているわけだし、単純なガチンコ戦闘になれば、今のあの子はもうあたしよりも強いわよ」
 森中、ようやく中間地点の橋を渡ったヨシュアとシェラザードだが、二人の足どりは重い。
 何しろロレントの町からここまで、体力自慢のエステルの無茶苦茶なペースに付き合って、片時も休まずに全力疾走してきた。恋煩いよりも激しく波打つ心臓も、三日間の筋肉痛の予約が入った両足の筋肉も、とうに限界に達し悲鳴をあげ続けている。
「あーん、もう、さっきから踵が痛いったらありゃしない。ハイヒールなんか履いてくるんじゃなかった」
 森の奥深くに進むにつれ、足場が更に悪化して、どんどんしんどくなる。いくら遊撃士は身体が資本と言っても限度がある。
 ましてや、筋肉のほとんどが瞬発力(クイックネス)を司る速筋で構成され、持久力(スタミナ)の遅筋が極端に少ない傾向にあるヨシュアはかなりきつそうだ。全身汗だくで、発言も呂律が回らなくなっている。
 疲弊する女性陣とは裏腹に元気印のエステルは、ジョゼットが打ち上げた信号弾から、奴らの位置を特定すると、さらにペースアップして完全に二人を置き去りにする。
 すぐに単身で突っ走るのはエステルの悪癖だが、元々このクエストは時間との勝負。何時、敵の救援の飛行艇が到着するか判らない現状では、スタミナに余力がある者が先行するのに意義はあるので、エステルの行動が独断専行かは判断が難しい。
「けど、シェ……ラさん、もしジョ……ゼットが、まだ……きり……ふ……だを……かく……しもっ……て……」
「ああっ、もう、本当にうっとおしいわね」
 さらに呂律が怪しくなったヨシュアを持ち上げると、強引に背中に背負う。
 エステルが常々大げさに主張していたように、何故かヨシュアからは体重の観念がまるで感じられない。大した力自慢でもない女のシェラザードでも、楽々おぶるのが可能。
「ホントにぶざまな格好ね。町の男連中に今のあんたの姿を見せたら、百年の恋も醒めちゃいそう」
「し……ぇらさ…………?」
 困惑したヨシュアは、シャラザードの背中で弱々しく暴れる。
「いいから大人しくしていなさい。少しでも体力を回復させること。もし、あんたの危惧通りエステルが窮地に陥っていたとしても、戦力にならなければ助けられないでしょ?」
 大切な家族の名前を出して叱咤されると、抵抗を止める。それ以上喋らずに目を瞑ると、軽い寝息の音が聞こえてくる。こういう時のヨシュアは徹底した合理主義者で、不仲の女性に身体を預けるのも借りを作るのも厭わない。
「全くこういう力仕事は、本来、男の子の役割でしょうに。ましてや、この娘。図々しくも、本当に寝てるし」
 ロレント市に戻ったら報酬を独り占めした上で、二人のツケで居酒屋アーベントで蟒蛇のアイナと飲み放題してやろうと心から誓う。ホームドラマのように、これを機に女の友情が芽生えるという温い展開にはならぬようだ。

        ◇        

 あれから少しペースを緩めながらも、人一人を抱えたまま、足を止めずにシェラザードは走り続け、ようやく賊の拠点と思わしきポイントか近づいてきた。
 谺する銃声。武器と武具とがぶつかり合う激しい金属音。さらには荒々しい男たちの怒号や、エステルの気迫の雄叫びまで響いてくる。
「とっくに戦闘は始まっているみたいね。何よ、あの光は? まさか地の導力魔法(オーバルアーツ)?」
 目の前の草むらから、黄色い光がだだ漏れている。嫌な予感を覚える。
 昨晩、エステルの運命を占ったタロットのカードは、正位置の『塔』(タワー)。意味は、悲劇、崩壊、災害。正位置・逆位置のどの解釈を選んでも、不吉な結末しか約束されていない禁断のカード。
「うわあああああ!」
「エステル?」
 義兄の叫び声に呼応して、ヨシュアは跳ね起きる。琥珀色の目をぱちっと開く。先のへろへろ具合が嘘のような俊敏さで、シェラザードの後頭部を踏み台にして、前方に大きくジャンプする。
「あたた、全くあの恩知らず娘が」
 軽く頭を抑えたまま、忌ま忌ましそうにヨシュアを睨んだが、今はエステルの容態の方が気になる。得物の革鞭(サイドワインダー)を装備し、疲労で縺れる足を引きずるようにして、草むらの反対側に駆け込む。

「エステル、無事? って、一体なんなのよ、コレ?」
 広場のような場所に躍り出たシェラザードが見たもの。棍を構えた態勢のまま石像と化した変わり果てたエステルの姿。その目の前でヨシュアは呆然と立ち尽くしていた。



[34189] 04-03:終わらぬクエスト(後編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/03 00:03
 物干し竿を振り回して突進するエステルを、カプア一家のレグとディノの二人が迎え撃つ。ライルは前回の戦闘で得物の短剣を失ったのか、ジョゼットの横で待機している。
「へっ、舐めんな。三対一でも敵わなかったのに、二人で何が?」
 殺気を感じたエステルは、反射的にテイクバックする。鋭い射撃音と共に、数瞬前までエステルがいた空間を導力銃の弾丸が貫く。
「危ねえ、危ねえ。けど、そいつも折り込み済み……痛っ!」
 ジョゼットが援護した隙をついて、ディノが手傷を負わせるのに成功し、エステルの左腕から血が滴り落ちる。
「よしゃあ。これで、痺れて動けなく…………がはばあぁぁぁ……な……ん…………で?」
 エステルの棍が鳩尾に食い込み、前のめりにぶっ倒れる。双方の力量差は顕著で、態々クラフトを使うまでもなく、通常攻撃一発で手下一人を仕留めた。
「馬鹿か、お前ら? 手の内が判っていたら、予め対策してくるに決まっているだろ?」
 左耳に嵌めた装飾具(アクセサリ)の『シルバーピアス』を、親指と人指し指で軽く摘む。
 お一人様二個まで装着可能なアクセサリの中には、特定の状態異常を防ぐ逸品も存在する。この銀色の耳飾りには解毒の効果があるので、ヨシュアの宝石箱の奥底で埃を被っていたお古の品をサルベージしてきた。
「これで残るは三人か」
 泡を吹いて失神しているディノを一瞥する。魔獣でなく一応人間が相手なので、開戦前の予告と異なり手加減してやったが、しばらくは起き上がるのは不可能。
「くそっ!」
 焦り顔のジョゼットは、クラフト『スタンピード』で、ベア・アサルトを連続発砲させる。弾丸を模した複数の導力エネルギーが、エステルの急所を目掛けて襲いかかるが、棍を扇風機のように高速回転されて、全ての導力弾を弾いた。
「なっ?」
「生憎だったな、コソ泥ども。俺が毎日稽古している相手は、弾よりも速く動くとんでもない怪物なんだよ」
 エステルの出鱈目な戦闘力に盗賊達が萎縮した隙を逃さずに、手近で棒立ちしていたレグを戦闘不能にする。カプア一家の前衛二枚はあっさりと潰され、後衛の二人が射程内に晒される。
「うおりゃあああ!」
 鬼神の如き雄叫びを上げながら、棍を振り回して再突進する。この勢いで敵の増援の飛行艇が駆けつける前に、一気にケリをつけるつもりだ。
「ライル、時間を稼げ」
 エステルの迫力に飲まれていたライルは、ジョゼットの叱咤に、己の役割を思い出す。懐から予備の短剣を取り出し、特攻を仕掛ける。
「僕の最強クラフトが、あんなにあっさりと破られるなんて。頼むから、上手くいってくれよ」
 剣や棍などの肉体を駆使した体術系クラフトと異なり、導力銃や導力砲などの銃器系クラフトはCP(闘気)を必要としない代わりに、導力の自動回復に若干のタイムロスが発生するので、否応なくジョゼットは攻撃方法を物理から魔法に切り換える。
 得物のべア・アサルトをホルスターに納めると、祈るように両手で印を組んでアーツの詠唱に入った。

「うおおおおおー!」
「りゃあああー!」
 棍と短剣を打ち合う音が、数合響く。捨て身故か、ライルは以前三対一でも瞬殺されたエステルに、単身で辛うじて善戦する。だが、予備の短剣に『毒の刃』は嵌め込まれておらず。仮に毒効果があっても、どのみちシルバーピアスを装着したエステルには効かないので、撃破は時間の問題。
「んっ、何だ、あの光は?」
 とうとう力及ばずに、ライルは短剣を弾かれる。
 そのまま止めを刺そうとしたが、後方からダダ漏れてくる眩しい光に、反射的に目を細める。何らかのアーツの詠唱態勢に入ったジョゼットの身体が、黄色に光り輝いている。
「あいつ、戦術オーブメントを身につけていたのか」
 戦術オーブメントとは、導力バッテリーに充電されたEP(エネルギーポイント)を用いて、天変地異を引き起こすバトル専用の導力器。先述したエプスタイン財団によって開発され、ギルドに所属する遊撃士には無償で支給される。
 勿論、ミラさえ払えば、悪党を含めた一般人にも入手可能。更には魔獣の中には、体内に宿した擬似的な導力回路と呑み込んだセプチウムを共鳴させ、生身で導力魔法(オーバルアーツ)を唱えられる種族も存在する。
「何だか判らないけど、とにかくヤバい」
 ゾクリと背筋に寒けが走る。知識と計算で危険を先読みするヨシュアと対照的に、エステルは本能で危機を察知する。
「させるかよ」
 ワンテンポで闘気を棍に注入し、解除系クラフト『金剛撃』を放つ。
 詠唱中で無防備状態のジョゼットが、この重い一撃を受ければノックアウト必至。万が一意識を保ったとしても、金剛撃の効果で詠唱はキャンセルされる。
「坊ちゃん、危ない」
 二人の間に飛び込んできたライルが、ジョゼットの身代わりに攻撃を身体を張って受け止め、その場に崩れ落ちる。金剛撃は不発に終わり、同時にジョゼットの詠唱が完成する。
「ライル、済まない。これでも喰らえ、脳筋ブレイサー」
「しまった。って、うわあああああ!」
 地のオーバルアーツ『ペドロブレス』により、エステルの踏みしめている大地が濁った沼に変化する。沼から湧き出るガスが、身体をよじ登るように、爪先から頭部まで全身を満遍なく被い尽くす。
 やがてガスが晴れると、エステルの形を模った石像がその場に残された。
「はあ、はあ。何とか上手くいったか」
 暴れ猿の鎮静化に成功し、ようやく一息つけたジョゼットは額の汗を拭う。
 ペドロブレスは敵を石膏の中に封じ込める即死系アーツだが、肝心の石化の発動率が低く、メインの戦略には組み込み辛い。
 そういう意味ではジョゼットは、単に一発勝負の出目の低いギャンブルに勝利したにすぎない。シェラザードがタロットで占ったように、今日はエステルの厄日のよう。

        ◇        

「エステル、無事? って、一体なんなのよ、コレ?」
 ヨシュアに文字通りに、踏んだり蹴ったりの目に遭わされて、ようやく戦場に辿り着いたシェラザードは、目の前に放置された人型の石像に面食らう。
「もしかしなくても、エステルよね? あたしやあの娘の悪い予感が当たったみたいね。待っていなさい、今すぐ元に戻してあげるから」
 露出度の高い衣装の豊満な胸元から、青い液体の詰まった小瓶を取り出す。
 正遊撃士の彼女は、あらゆる危機的状況に対応する為、ギルドから支給されている一通りの状態回復アイテムを常備し、『ソールの薬』は石化を打ち消す効能がある。
「おっと、それ以上、動かないでもらえるかな?」
 鋭い銃声と共に、シェラザードの手元の薬の瓶が弾かれる。瓶はコロコロと地面を転がり、導力銃を構えた青髪の少年の足元で止まった。
「そう、あんたがジョゼットね。可愛い顔して、色々とエゲツナイ真似してくれるじゃないの」
 盗賊頭の少年に敵意の視線を向けると、得物のサイドワインダーを構えて臨戦態勢に入る。銃や弓なとの飛び道具ほどではないが、鞭の射程は打撃系の武器の中では格段に広く、ジョゼットが後一歩踏み込めば彼女の間合いだ。
「だから、動かないでと言ったでしょう。でないと、そこで固まっているお仲間が死んじゃうよ?」
 手前に落ちている薬の瓶を無視して、ベア・アサルトの照準をシェラザードでなく、石化しているエステルに合わせる。
「あんた、まさか」
「お姉さんが想像した通りだよ。僕のベドロブレスは、単に身体の表層を石灰でコーティングしただけだから、そのソールの薬で溶かせば簡単に解除できる。でも、石と一体化している今、強い衝撃を受けて身体の一部分でも破損したら、その失った肉体部分は二度と復元できない」
 ジョゼットは威嚇射撃を行い、彼女の足元の小石を跳ね上げ、二射目で中空の石を粉々に打ち砕く。威力・命中率ともに、デモンストレーションとしては申し分ない。
「というわけで、その危険な武器をこちらに渡してくれないかな?」
「くっ」
 微かな期待をこめて、ヨシュアの方をチラ見する。未だに石化したエステルの側で惚けていて、役に立ちそうにない。万策尽きたシェラザードは歯噛みしながらも、鞭をジョゼットの側に放り投げた。
「判ってくれたみたいだね。おい、レグ、ディノ。女とはいえ、二人ともブレイサーみたいだし、野放しは危険だ。君らの得物で大人しくしてやれ」
 女傑二人が辿り着くまでのタイムラグの間に、ジョゼットが唱えた水のオーバルアーツ『ティア』で体力を回復させた二人は、のそのそと起き上がる。
 シェラザードと放心中のヨシュアが毒対策のシルバーピアスを装備していないのを確認すると、毒の刃付きの短剣をチラつかせて無防備に近づいていく。
「へへっ、済まねえな、お嬢ちゃん方。ちょいとチクっとするけど、我慢……」
 最後まで言い終えることなく、レグは再び失神させられる。今まで置物化していたヨシュアが突如覚醒し、二人を再度叩きのめした。
「なっ?」
「ちょっとヨシュア、何を?」
 驚いたのはジョゼットだけでなく、シェラザードも同じ。だが、ヨシュアは先輩遊撃士の非難を無視し、双剣を構えて徹底抗戦の意志を見せる。
「そいつがどうなってもいいのか? この導力銃の弾丸が命中すれば、君の兄弟は砕け散って死ぬんだぞ」
 ジョゼットは再び照準をエステルに合わせたが、表情には先のような余裕はない。ベア・アサルトを構えた少年の指先が微かに震えているのを、驚異的な動態視力で視認したヨシュアは賭けに出ることにした。
「そう、なら実際にやってみせたら? 見習いとはいえ、私達は既にブレイサー。悪者の脅迫に屈するつもりはないし、クエスト中に殉職するのも覚悟の上よ」
 ヨシュアは敢えて淡々と放言し、逆に脅迫者を怯ませる。シェラザードは今度は口を挟まずに、じっと展開を見守る。あの不精な効率主義者が汗だくになって足掻いていた先の一途な姿を思い出す。余人の男性の生死ならいざ知らず、大切な家族を本当に見殺す筈がない。
 エステルの生命を蔑ろにするヨシュアの言行に却って胡散臭さ感じたので、冷静さを取り戻し機会を伺うことにした。
「ブレイサーの癖に、仲間を見捨てるつもりか? なら、君らは僕たち盗人以上の人でなしだぞ」
 シェラザードとは逆に、クールになれないのはジョゼットの方。人質を歯牙にかけないヨシュアの態度に、時間稼ぎの当てが外れる。
 何よりも黒髪の少女の冷酷な物言いに、彼女に一方的に抱いていた思慕にも近い幻想が打ち砕かれ、まるで裏切られたような錯覚に陥った。
「見捨てるのではないわ。私はエステルの決意に水を差したくないだけ」
 ジョゼットが逆上すればするほど、ヨシュアは冷淡に言葉を紡ぐ。
 マルガ鉱山で、エステルはこの結晶を守るために、実際に生命を張っている。もし己の与り知らぬ所で身の安全と引き換えにクエストを放棄したら、彼はずっと自分を責め続けるだろう。
「だから、今度はあなたか覚悟を示す番ね、ジョゼット」
 今回の結晶強奪は、所詮は単なる窃盗事件に過ぎない。単にスケールの違いがあるだけで、本質的には駄菓子屋のお菓子を万引きする子供の悪戯と大差ない。
 だが、ジョゼットが脅迫した通りにエステルに手をかければ、それは殺人だ。自らの手を血で汚してでも成し遂げねばならない譲れぬ目的があるのかヨシュアは問うた。
「世の中には取り返しのつく過ちと、そうでない咎ある。人殺しは後者の中でも、償いようがない最悪の…………」
「何も知らない癖に、偉そうに説教するな!」
 提言に耳を背け、大声でヨシュアの論調を遮る。上から目線で諭すような口調にジョゼットは切れる。
「何が取り返しがつくって? もう、何もかも手遅れなんだよ。僕たちカプア一家は、エレボニア帝国から国際指名手配されている犯罪者なんだ。世間から爪弾きにされた立派なお尋ね者なんだよ」
「坊ちゃん」
 涙目になって自虐するジョゼットの痛々しい姿に、ライルは何と声を掛けていいか判らずオロオロする。
「だったら、泥棒の前科に今更、殺人の余罪が一つ二つ付け加わった所で、同じ罪人である事実に何ら代わりはないだろ?」
 今日まで溜め込んできた、鬱折した想いが一気に暴発する。
 誰しも望んで犯罪に手を染める訳ではない。闇世界に身を投じる人間には、それぞれ本人には抗えない切迫した事情がある。
 しかし、売り言葉に買い言葉で、ジョゼットが衝動的に当たり散らした捨て台詞は、ある人物の決して触れてはいけない琴線を刺激してしまう。
「泥棒が殺人と同じですって?」
 今まで事態を傍観していた、シェラザードの雰囲気が変わった。
 身体全体から放出される禍々しい怒気の流れに、思わずヨシュアの背筋に冷や汗が流れる。彼女とは短くないつき合いだが、ここまで感情を露わにした姿は少女の記憶にない。
「甘ったれたこと、ほざいてんじゃねえぞ、このガキがー!」
 ヨシュア顔負けの速度で懐に潜り込むと、グーで顔面を殴り倒した。ジョゼットは派手に吹き飛ばされて、地面に尻餅をつく。導力銃こそ手放さなかったものの、その時の衝撃で照準がエステルから大きくズレる。
「何がどうなっているのか判らないけど、チャンスには違いないわね」
 シェラザードの暴走はヨシュアにとっても想定外だが、それでもアドリブで発生した隙を逃さない。ソールの薬を拾いあげて、エステルの身体に振りかける。
 ピシピシと音がして、石灰が皹割れていく。もうしばらくすれば、表層を覆った石は溶け切り、生身の姿を取り戻す。
 エステルの介抱をヨシュアに任せたシェラザードは、殴られた片頬を抑えるジョゼットを凄まじい剣幕で見下ろす。
「坊や、あんた、比喩でなく泥水を啜ったことはあるか? 野良犬のようにレストランのごみ箱を漁り、腐った食物を口にしたことは?」
 銀髪女性の得体の知れない迫力に飲み込まれて、誰一人として声を上げられない。
「確かに盗みは犯罪さね、エイドスも奨励はしないだろうさ。けど、この大陸の貧困地帯(スラム)には、他人の懐を弄らないと生きていけない、憐れな人間が五万といるんだよ。でも、そんなギリギリまで追い詰められたクズだって、最後の一線だけは決して踏み越えなかった」
 手近に落ちていた得物のサイドワインダーを拾いあげると、ピシャリと鞭を鳴らす。
「仕置きが必要ね」
 パーンという空気が張り裂けるような鋭い音が鼓膜を叩き、ジョゼットとカプア一家を震えあがらせる。
 そのままSクラフト『クインビュート』で、ジョゼットにビシバシ折檻しようと、サディスティックに舌舐りする。だが、背中に針で刺されたような鋭い痛みを感じた刹那、鞭を大きく振りあげた態勢で、まるで金縛りに遭ったようにその場に縫いつけられる。
「痛っ! 何よ、コレは? まさか、あの娘の」
 振り返ると、片膝をついたヨシュアが、短剣を振り抜いた姿勢のまま静止している。
 遅延クラフト『絶影』を、敵のカプア一家ではなく味方のシェラザードにぶつけて、彼女の行動を束縛し、Sクラフトの発動を強引に阻止した。
「ちょっと、ヨシュア。あんた、どこまで恩を仇で返せば。それとも、まさか、この機に乗じて、あたしを亡き者にするつもりじゃ」
 利敵行動としか思えない裏切り行為に、普段の人間関係を伺わせる嘆かわし疑惑が鎌首を擡げたが、すぐに考え違いであることが判明する。
 激しい銃音と共に、シェラザードとジョゼットの合間を導力砲の機銃が走り抜ける。ヨシュアが介入せず、もう二、三歩足を踏み込んでいたら蜂の巣にされていた。
「ヨシュア。あんた、これを予期して」
 突如、強風が吹き荒れ、三者の上空に大きな影が浮かび上がる。反射的に宙を見上げると、緑色の見慣れぬフォルムの飛行艇が、上空を旋回している。
「山猫号(ワイルドキャット)。遅いよ、キー姐」
 待ちに待った増援の存在に、ジョゼット達は息を吹き返す。
 精神・物理両面で自分を痛めつけてくれた二人の女遊撃士を、ジョゼットは忌ま忌ましそうに睨んだが、この場は逃走を選択する。ライル達共々飛行艇から垂らされた縄梯子を掴む。飛行艇が中空で急発進し、四人の盗賊たちは空中へ引き上げられる。
「こら、待ちなさい。ここまできて、逃がすか」
「シェラさん、駄目です」
 射程の長い鞭で、綱登り中のジョゼットを叩き落とそうとするが、ヨシュアが身体を張って止める。
「ちょっと、今度は何よ?」
 ヨシュアは黙って山猫号を指差す。飛行艇の頂上出入り口では、カプア一家のユニフォームを着た若い女性が、先程見舞った導力砲を構えており、機銃の照準を今度は石化解除中のエステルにセットしている。
「ちっ、そういうこと」
 舌打ちしながら鞭を下ろす。ジョゼットと同じ髪色の女盗賊は、仲間が全員、船内に保護されたのを確認すると、導力砲の照準を畳んで自らも船内におりていく。
 石化が溶けたエステルが身体を動かせるようになった時には、山猫号は空の彼方へと消えていった。
 遊撃士軍団(ブレイサーズ)とカプア一家の因縁の対決の第一ラウンドは、双方痛み分けという結果になりそうだ。

「エステル、怪我はない?」
 ヨシュアが涙目でエステルに駆け寄るが、身体中にこびりついた石の欠片を払いながら、白い目を向ける。
「石の中でも一応意識はあったから、お前とジョゼットの会話は全部筒抜けだったぜ。そもそも、俺もシェラ姐もお前の本性を知っているから今更、猫被りする必要は」
「本当に無事で良かった」
 エステルのチョッキを強く掴んで縋り付く。今まで見たことがない義妹の弱々しい雰囲気にバツが悪くなったエステルは、照れ臭そうにソッポを向く。
「一見強そうで、実は脆いか。先生の仰っていた通りね」
 ブライト家の血の繋がらない兄妹の交流を眺めながら、シェラザードは軽く頭を掻いた。

        ◇        

 ヨシュアが落ち着いた頃合いを見計らって、エステルは立ち上がったが、表情は晴れない。一命は取り留めたものの、まんまとジョゼットに結晶を持ち逃げされたからだ。
「済まねえ、ヨシュア、シェラ姐。俺が先走って、足を引っ張ったせいで」
 石化中は会話以外の外の様子は判らないが、盗賊たちをみすみす見逃したのは、自分が足枷になっていた所為なのは疑いない。
 ジョゼットがエステルを人質にとった時には、ヨシュアは彼の脅迫を無視したが、それは様々な検証データから、あの少年に人を殺める度胸がないのを見透かしての話。
「腕は確かだけど、色々な意味で甘い上に、覚悟も中途半端。けど、だからこそ、まだいくらでも遣り直しが効く位置に彼はいる」
 というのが、ジョゼットに対する率直なインプレッション。
 逆に少年の縁者と思わしき女性に狙われた時は、データ不足で行動の予測がつかないので、素直に白旗をあげることにした。口先でどれだけ非情ぶったところで、ヨシュアが本気でエステルを見殺す筈はない。
「けど、その為にロレント市民の感謝の証を奪われてしまった。四カ月後の聖誕祭までには、何としても取り返さないと」
 ロレントの外に出た賊の所在に心当たりはないが、かといって諦めるつもりは毛頭ない。
 エステルは長期の追跡を覚悟したが、ヨシュアとシェラザードは危機感の欠落した表情でお互いの顔を見合わせる。
「エステル、結晶のことなら心配いらないわよ。そうですよね、シェラさん?」
「あら、目敏いわね、ヨシュア。気がついていたの?」
「ええ、私も手癖の悪い方だと自負しているけど、あなたには勝てそうもないわ」
「褒め言葉だと、素直に受け取っておくことにするわ」
「おい、さっきから一体何の話をしているんだよ?」
 お互いに営業スマイルで微笑みながら、微妙な緊張感を維持して、意味深な会話を続ける二人の女性に戸惑う。色恋沙汰もそうだか、こういう時のエステルは半端じゃなく察しが悪い。
「つまり、こういうことよ」
 ジャジャジャンと擬音を自ら奏でながら、ジョゼットに強奪された筈のセプチウムを懐から取り出して、掌に返却した。
「シェラ姐、何時の間に奪い返していたんだよ?」
 エステルは目を丸くして驚く。会話から判断した限り、結晶を取り戻す隙はなかった筈だ。
「あたしには『フォックス・テイル』という窃盗クラフトがあってね。最初にあの坊やをぶん殴った時に、こっそり失敬しておいたのよ」
 悪戯っ子のような表情で、白い歯を見せてニカッと笑いながら種あかしをする。
「じゃあ、もしかしてジョゼットに説教したのは、そのことに気づかせない為の演技?」
「そうに決まっているじゃない。このシェラ姐さんに熱血なんて似合わないって」
「そうだよな」
 シェラザードはカラカラと笑い、エステルも釣られるように笑みを返す。
「本当に鈍いのだから」
 似たようなアンダーワールドの住人であったが故に、姐御肌の褐色美人の笑顔の裏に秘められた気遣いを一人悟ったヨシュアは心中で嘆息した。

        ◇        

 ロレント市に帰参した一同は、奪還作戦の成否を首を長くして待っていたクラウス市長に告げる為、真っ先にギルドに顔を出す。
「おおっ、本当に取り戻してくれるとは」
 あれから居ても立っても居られず、エステル達が戻るまでの間ずっとギルドの受付に張り付いてアイナをウンザリさせていたクラウス市長は、結晶を掲げて子供のようにはしゃいでいる。
「信号弾を打ち上げてから、飛行艇が辿り着いた時間から逆算して、やはりジョゼット達は現在ボース地方を騒がしている空賊団と判断して間違いなさそうですね」
「そう、だとすると取り逃がしたのは少し痛かったわね」
 ヨシュアからのクエスト報告に、アイナは苦虫を潰したような顔をする。
「ただ、私見ですか、ジョゼットがこの結晶を再度狙うことはないと思います。あの程度の説教で改心する筈もありませんが、譬え数百万ミラの宝石といえど、エステルみたいなのにしつこくストーカーされたのでは、向うも割に合わないと思っているでしょうから」
「おい、ヨシュア。それはどういう意味だよ?」
 エステルは顔を真っ赤にし、一同は爆笑して、ギルドは弛緩した空気に包まれる。かくして長い間続いた一連のクエストは、ようやく終わりを迎えることになった。

「で、本当に今回の報酬は、あたしが全額貰っちゃっていいわけ?」
 シェラザードが再度念を押したが、二人に異存がある筈がない。
 今回のクエストは、前回の依頼分のアフターサービスのようなもので、いわば落とし前をつけた形に過ぎない。
「今のあなた達なら、渡しても良さそうね」
 シェラザードと兄妹の遣り取りをつぶさに観察していたアイナは、受付の引き出しから二通の封書を取り出した。
「ロレント支部からの『正遊撃士資格の推薦状』よ。あなた達二人を正遊撃士の資格所有者として、正式に推薦します」
 その一言に、エステルだけでなくヨシュアも驚愕を隠せず、常のポーカーフェイスを崩す。世には彼女の合理的な思考フレームでも読めない未来が往々にして具象化する。
「けど、アイナさん。私達のBPは、まだ全然足りてないと思うのですけど」
「ブレイサーズポイントは、単なる目安の一つに過ぎないわ。大切なのは推薦者が、正遊撃士に値する人格と能力の所有者か否か。鉱山での予期せぬトラブルを乗り越えた柔軟性と、一度携わった依頼を無報酬でも完遂した責任感は正遊撃士足るに十分と私は判断したわ」
 無欲の勝利ということか。昇進に焦っていた初期と違い、ひたすら遊撃士の務めを果たさんと邁進し続けた姿勢が結果的に出世の早道となったのだから。
「でも、俺はさっきも足を引っ張って」
「貰っておきましょう、エステル。あまり愚図ると、反ってアイナさんの顔に泥を塗ることになるわよ」
 未だに困惑するエステルとは逆に、いち早く現状を受け入れたヨシュアは、推薦状を懐に仕舞い込む。これとて親の七光と取られかねない中で、敢えて推薦状を発行したアイナの心意気に水を差さない方が良い。
「そういうことよ、エステル。ミスは誰にでもある。その失敗を次に活かすも殺すも、全ては自分次第。集めなければいけない推薦状はあと四つ。他の地方でのあなた達の活躍に期待しているわよ」
「シェラ姐」
 女性陣の暖かい励ましに、ようやくエステルも吹っ切れたみたいだ。右手で推薦状の入った筒を握りしめて、左手で得意のピースサインを型作る。
「一度、準遊撃士の旅に出たら、下手したら数年は、ロレントに帰れなくなるわよ。いずれ大々的にお別れパーティーとか催さなくちゃいけないけど、その前に内輪だけで、軽くお祝いしましょう。あなた達二人の奢りでね」
 シェラザードは軽くウインクしながら、小悪魔っぽい仕種で微笑んだ。二人は目をぱちくり瞬いたが、聞き間違いではないようだ。
「あの、シェラさん。話の流れ的に、あなたが今回のクエスト報酬を奮発して、皆にサービスすることになると思うのですが」
 駄目元でヨシュアが一応正論を口にしてみたが、聞いちゃいない。先のささやかな復讐を実行すべく、早速、居酒屋アーベントに、今夜の宴会の予約を入れに行く。今回のクエストではシェラザードに借りがあるので、二人とも強く訴えることが出来ない。
 飲み会の面子はこの場にいる者に限定されるにしても、『うわばみ』の異名を持つアイナがいる。ドレッドに巻いた髪の束の一つ一つが、生きた蛇が蠢めいているような錯覚すら覚えるので、これはナイアル達と過ごした一夜に匹敵する派手な出費になりそうだ。
「推薦状は手に入ったけど、旅費不足で、しばらくはロレントから旅立てそうもないわね」
 じりじりとすり減る懐具合を考慮して、ヨシュアはそう勘定したが、エステルのマッサージによって強引に筋肉痛を回復させられた翌々日には、二人は性急にも、長い間住み慣れたロレント市に別れを告げることになる。



[34189] 05-00:兄妹、旅立つ(ロレント編エピローグ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/03 00:04
「もう出発するの? まだ、お別れ会の予定すら立てていないのに」
 結晶奪還の翌々日。再びギルドに顔を出したブライト家の兄妹は、本日付けでロレント市を旅立ってボース市に向かう旨を、アイナとシェラザードに報告する。
「結局、当初の目標額の半分も貯められなかったけどね」
 ヨシュアが両手の掌を広げるお手上げのジェスチャーをしながら、現在の乏しい懐具合をリークする。
 幾つかの高額クエストを手にしながらも、報酬を減額したり、アフターサービスで只働きしたりと、思ったほどには潤わなかったのが実情。さらには、居酒屋アーベントに立ち寄って、溜まりに溜まったツケを清算したら、エステルの手持ちは一万ミラを下回った。
 本来なら出発を延期して、その間に少しでも旅費を貯めるよう努めるのが筋だが、そこは性急なエステルのこと。折角、推薦状を貰ったのに、無為に日々を送ることに耐えられよう筈もない。「生活費はその地方のクエストをこなしながら、適時稼げばいいだろう」との究極の見切り発射で、愚図るヨシュアを強引に口説き落としてしまう。
「まあ、エステルの主張も一理あるわね。足りないミラを色々と工面して旅を続けるのもブレイサーの醍醐味だしね」
「そうだろ、そうだろ。やっぱりシェラ姐は判ってくれるよな?」
「そうよ、予期せぬトラブルこそ本懐。レールに敷かれた一生なんて何が面白いのやら」
 人生をライブ感覚で生き抜いてきた二人は意気投合するが、堅実志向のヨシュアには、この先に訪れるであろう苦労の数々がありありと伺え憂鬱になる。

        ◇        

 アイナ達に別れを告げた兄妹は、ギルドの外に出る。
 目の前に聳える巨大な時計塔が、自然と二人の視界に納まる。この塔はエレボニア帝国との戦争時に一度倒壊しており、ヨシュアがブライト家の養女になったのと同年に修復された経緯を持つ。
「ヨシュア、ちょっと登ってみないか?」
 エステルの誘いに、ヨシュアは無言のまま頷く。ロックのハンドルを回して扉を開き、鉄製の梯子に手を掛けた後、ふと思いついたように道を譲る。
「悪い、ちょっと先に行ってくれないか?」
「別にいいけど」
 ヨシュアはミニの普段着姿で無警戒に梯子を攀じ登り、間髪離れずエステルは続く。極めて自然な形でスカートの中身を覗く機会を得たが、このゼロ距離からでも黒い影のような何かに阻まれ、下着が見えない。
(予期した通りだな。やっぱり、これも七十七の特技の一つなのか?)
「エステル、まさかとは思うけど、この痴漢行為だけが目当てで、私を時計塔に登らせた訳じゃないでしょうね?」
 気づくと既に梯子は途切れている。大時計が飾られた屋上に、ひょっこり首だけ出したモグラ叩き状態のエステルを、ヨシュアは例のジト目で呆れたように見下ろす。
「いや、これはあくまでついでだ。本命はこっちだぜ」
 下心を見透かされながらも、敢えて先行したヨシュアの自信の源に、『絶対領域』の存在を改めて確信しながら、屋上に乗り込む。
「おお、あった、あった。やっぱり残っていたか」
 アナログな大時計の長針を指差す。針にはナイフで掘った溝があり、相合い傘で、『エステル×レナ』と刻まれている。
「何これ?」
「五歳ぐらいの頃に、俺がつけた痕さ。大切な文化遺産に恐れもなく。ホント、我ながらとんでもない悪童だったぜ」
 何とも言えない表情をしているヨシュアに、誇らしく解説する。時計塔を建て直した際、塔の大部分は新しい素材で作り替えられたが、この大時計は、ロレント市発足時から現存した貴重な年代物なので、修復時までわざわざ保管して、必要最小限の部品交換に留めたらしい。
「エステル。あなた、マザコンだったの?」
「かもしれないな、ほら、男の子の初恋の相手は大抵母親で、女の子なら小さい頃に、父親と結婚の約束をするものらしいし」
「そうかしら、女の子は年上の凛々しい近所のお兄さんに憧れるものだと思うけど」
 微妙に話が平行線になったが、本筋ではないので口を挟まなかった。
 尚、大時計の修理を担当したのは、メルダース工房の老職人だが、エステルの亡き母親への想いを慮って、敢えて傷文字を残しておいてくれた。
「ガキの頃の俺にとって、ここはお気に入りの場所だった。ほら、何とかと煙は高いところを好むって言うだろ? ここからだと、自宅を含めて全てを見下ろせるから、自分が一番偉いような錯覚に浸れたからな。だから、十年前の戦争の時も」
 そこでエステルの言葉が重くなる。百日戦役で帝国軍はロレント市民の戦意を挫く為に、象徴である時計塔を砲撃。何時ものように塔に登っていたエステルは崩壊に巻き込まれる。だが、エステルはほとんと傷を負うことなく助かった。
 身体を張って庇ってくれた、母親のレナの生命と引き換えに。
「エステル」
「悪い、少し湿っぽい話をしちまったな。ただ、ここは俺にとって始まりの場所だったんだ。だから、故郷を離れる前に、もう一度母さんに挨拶を……って、おい?」
 ヨシュアは目を閉じると、エステルの分厚い胸板に顔を埋め、両手を腰に回す。
「ヨシュア、一体何を?」
「いいから、そのままにしていて、エステル。私がこうしていたいだけだから」
 そのままエステルに身体を預ける。柔らかく暖かい女の子の肌の感触が、じかにエステルの身体に伝わってくる。生殺しのような状態が十秒ほど続き、エステルの鼓動が早くなっていく。

「行きましょうか、エステル」
 雰囲気に流され、ヨシュアの細い腰に手を回し抱きしめ返そうとした刹那、するりとエステルの手の内から抜け出し肩透かしを喰らう。本当に猫みたいに気紛れで、実に性質が悪い。
 バツが悪くなって軽く頭を掻くエステルを尻目に、ヨシュアは梯子を降りようとしたが、ふと大時計に目をやり動作を停止させる。
「ねえ、エステル。これは何?」
 再びジト目になって、短針と秒針を指差す。長針と同じく傷文字が刻まれていて、やはり相合い傘。それぞれ『エステル×ティオ』、『エステル×エリッサ』となっているが、この落書きはエステルの記憶にないらしく、軽く小首を傾げる。
「あれっ、俺、こんなもの掘ったけ? まあ、当時はよく三人でママゴトとかしていたから、その延長で結婚の約束の一つや二つしていたかもしれないな。ほら、麻疹みたいなものだろ、幼馴染み同士で……」
 全く悪びれずに、重婚の告白をしたが、最後まで言い切ることは出来なかった。
「まずはエリッサの分」と呟いたヨシュアに足を払われ、バランスを崩したエステルは時計塔の頂上から、五アージュ近い距離を垂直落下し地面に激突する。
「ティオ曰く、犯罪の域に達しているか。まさに、その通りね」
 図抜けた頑丈さを誇るエステルが、予測通り怪我一つしていないのを確認すると、梯子を使わずに時計塔の頂上からそのまま飛び下りた。

        ◇        

「あてて、殺す気かよ、ヨシュア?」
「あの程度で傷つくほど、ヤワな鍛え方はしていないでしょ?」
 エステルは頭部を摩りながら、恨みがましい目をしたが、ヨシュアはムスッとしてそっぽを向いている。
 塔の屋上からのコードレスバンジージャンプ自体は、地面に激突する寸前に受け身を取り無傷で遣り過ごしたが、直後に「次はティオの分」と叫びながら落下してきたヨシュアに、顔面に見事なドロップキックを喰らう。ちなみに、今回もやはり見えなかった。
(しおらしくなったと思ったら、急に不機嫌になりやがって。本当に扱い辛い奴だぜ)
 移り気なヨシュアに振り回されるのは何時ものことだが、今回は何故か根が深そうだ。その原因のほとんどはエステル自身の鈍感さにあることに、本人だけが気づいていない。

        ◇        

 知人への挨拶周りを完了させた二人は、ミルヒ街道から町を出ようとする。いよいよロレントを旅立つ時が来た。
(エステル、男の子は泣いちゃ駄目よ)
「母さん?」
 突然、母親のレナの声を聞こえたような気がしたエステルは、後ろを振り返る。つい一時間ほど前に一悶着あった時計塔が再び目に入る。
「どうかしたの、エステル?」
「いや、なんでもない。行こうぜ、ヨシュア」
 不思議そうに見つめる義妹に曖昧に頷くと、エステルは石門を潜って町を後にする。
 正遊撃士の資格が取れるまではロレントには帰らない決意の旅。なので、里帰りできるのはかなり先の話になりそうだ。

        ◇        

「行っちゃったね。エステル、大丈夫かな?」
「まあ、平気でしょ。何といっても、あのヨシュアが一緒なんだし」
 臨時休業の札がかかった居酒屋アーベントの店内では、幼馴染みの二人の少女が少年の門出を心配する。
「それって出発前に清算した、五年分のツケなんでしょ? 全部で幾らぐらいあるの?」
 テーブル一杯に並べられたミラの勘定に務めるエリッサに、何故か控室の扉のカーテンを身体に巻き付けて、モジモジしているティオが声を掛ける。
 何の因果が、エリッサと同じ猫耳カチューシャを装着したショートヘアの黒髪少女は、一万ミラ前後という親友の返答に、目を丸くする。
「何それ? ツケのレベルを超えて、ほとんどヒモかジゴロじゃないの。ロレントからトンズラかまされる前に、きちんと回収できて良かったね」
「私は別に、そのままでも構わなかったけどね」
 勘定の手を休めたエリッサは、意味深な態度で述懐する。
「エステルが食べに来た時は、父さんに頼んで、特別に厨房に立たせてもらっていたの。完璧超人のヨシュアに及ぶ筈はないけど、それでも私が精一杯こさえた料理を、美味しそうに平らげるエステルの姿を眺めていられるのが、とっても喜ばしかった。それだけで本当に十分幸せだったんだけどな」
「そっか」
 ティオは、カーテンの隙間から手を出して、エリッサの頭を優しく撫でる。
 先の独白でエリッサが何を訴えたいのかは、痛いほど良く判る。物心ついた時から、少女達は一人の少年に、共通の想いを抱いてきた。
「届かなかったね、私達の想い」
「うん」
「まあ、告白もしないで、あの鈍感大王に気づいてもらおうっていうのが、甘いんだけどね。どうせ、小さい頃にした結婚の約束も、エステルは覚えてないんだろうしね」
 ティオは自嘲するように呟く。実際エステルは、その当時の記憶を忘却の淵に沈めていたが、時計塔でエステルが母親の昔語りをした際に、ヨシュアが幼馴染みとの絆を掬い上げる。
 そして彼女達の真摯な想いを、幼年期の憧憬と切り捨てたエステルの酷薄さに、ささやかな制裁が加えられる。
「けど、狡いよね。ヨシュアも。突然、後からしゃしゃり出てきてさ。勝てる訳ないじゃん、あんな反則チートスペックにさ」
「ティオ、それは言わない約束でしょ。それに想いを告げられなかったのは、私達みんな一緒なのだから」
 色々あって仲良しになった三人娘ではあるが、わだかまりが絶無というわけではない。ティオが微かな残滓を愚痴るが、エリッサがヤンワリと窘めながら、彼女の身体を抱きしめる。
「ありがとう、エリッサは本当に良い子だね。母さんじゃないけど、私が男の子だったら、絶対に放っておかないんだけどね」
 今は互いの体温と気配りが、傷心に染み渡る。だがティオが調子に乗って、エリッサの胸元に手を伸ばした辺りで、傷の舐め合いに終止符を打つことにし、少女をくるむカーテンを掴んだ。
「ところで、ティオ。何時までそうしているつもり?」
「あっ、やめて」
 カーテンが強引に捲くり上げられ、ティオの姿が露わになる。
 エリッサと同じ猫耳と尻尾つきの猫メイド衣装だが、彼女が纏うオリジナルと比べて、胸の谷間とスカート丈が色々とヤバいことになっており、胸元と股間を抑えて恥ずかしそうにうずくまる。
 ブライト兄妹がロレントに帰参するまで、ヨシュアが仕立てた特注のメイド服でピンチヒッターを努めるのが、ティオに与えられた例のお仕置き。
「ねえ、エリッサ。ヨシュアは本当にこんな格好で給仕していたわけ? このスカート短すぎて、ちょっと動くだけですぐにパンツが見えそうになるし」
 赤面したティオは、思いっきりスカートを縦に引っ張ったが、どう見ても布地の面積が下着をカバーするのに物理的に足りておらず、背中からだとお尻の白いラインが丸見えだ。
「給仕どころか、その服飾で歌いながら、飛んだり跳ねたりしていたけど、不思議と見えなかったのよね。そんなに気になるのなら、何時もみたいにスパッツを履けばいいじゃない」
「スパッツは、全部ヨシュアに没収された。客の注目が、エリッサから私に移らないと、約束を果たせないとか意味不明なこと言われて」
 確かに今の格好でデビューしたら、邪な男性客の目は、全てティオに釘付けになる。何か弱みでも握られているのか、それとも単に律儀なだけなのか、ヨシュア不在の間でも罰ゲームを反故にする意志はないみたいだ。
「なら、しょうがないよね。バイト代は弾むから、明日からよろしくね、ティオ」
「う~、エリッサの鬼」
 翌日からの仕事中の心理的負担が軽減されそうなので、エリッサは機嫌を良くし、逆に貞操(パンチラ)をミラで売り渡す羽目になったティオは、不機嫌さを露わにする。
 些細な悪戯心から、エステルに仕込んだネタは、後々高くついたみたいだ。

        ◇        

 幼馴染みが自らの初恋に踏ん切りをつけていた頃、少女達の想い人とその義妹は、ヴェルデ橋の前に辿り着いた。
 手続きを済ませて、関所の反対側に出れば、しばらくロレントには戻れなくなる。
「なあ、ヨシュア。一つ聞いてもいいか?」
 ちょうど良い機会なので、虫の居所が直ったヨシュアに、前々から感じていた疑問をぶつけてみる。
「お前は俺より半年も早く、十六歳の誕生日を迎えたんだよな」
「なあに、エステル。ようやく、自分を義弟だって認める気になったの?」
「そうじゃねえよ。何でその時に、準遊撃士の資格を取らなかったんだ? お前なら半年で正遊撃士になれるって、親父やシェラ姐も太鼓判を押していただろ」
 その評価は単なる親の欲目ではなく、客観的な事実。武力だけなら、エステルも正規の遊撃士と比べても遜色ないが、さりとて腕っぷしの強さだけで遊撃士が勤まる筈もない。
 ヨシュアはエステルを凌駕する戦闘技量に加え、幅広い知識に交渉話術など遊撃士に必要なスキルを全て兼ね備えている。まかり間違えばシェラザードの代わりに義妹がエステルの試験官を努めるという薄ら寒い未来すら有り得た。
「正直に言うとね、エステル。父さんみたいに個人的に尊敬している人もいるけど、私はあなた程には、正遊撃士になる事に拘りがあるわけじゃないの。自分で暴露するのもアレだけど、私には奉仕や労りのようなブレイサーに必須の献身の精神が大きく欠落しているから」
 人指し指を唇に当てて、当時の思惑を独白したヨシュアは、素直な心情をカミングアウトする。例の巨人との禅問答ではないが、確かに今日までの彼女にとって、他人とは尽くす対象ではなく貢がせる鴨。
 ヨシュアを盲進する町の男衆ならともかく、エステルは義妹の裏の顔と世界に対する愛情の希薄さを熟知しているので、今更驚いたりしないが疑問は膨れ上がる。
「じゃあ何で今頃になって、面倒極まりない正遊撃士を目指す気になったんだ? ましてや俺と一緒に旅するんじゃ……」
 突然、エステルの上下の視界が反転する。得意の柔術の出足払いでエステルの足元を掬い、今度は受け身を取る間もなく、再度、頭から地面に激突する。
「最後は、私の分」
 虫の居所の悪さを再発させると、軽く頬を膨らませてエステルを睨む。結局、きちんと三人分のお仕置きを受ける羽目になった。

 たった一つの存在に、己の魂の全てを捧げて、生涯を尽くす。
 翡翠の塔の夢の内容を覚えていなくとも、あの時の回答は、琥珀色の瞳の少女のこれまでの生きざまに色濃く受け継がれていた。
 こうしてエステルとヨシュアは、長い間慣れ親しんだロレントに別れを告げ、東ボース街道に足を踏み入れる。

 ブライト兄妹の新たな冒険(クエスト)がスタートする。



[34189] 06-01:消えた飛行船の謎(Ⅰ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/04 00:01
 遊撃士の資格取得の旅に出たエステルとヨシュアの二人は、東ボース街道を西に向かって半日程歩き続けて、ようやく目的地の商業都市ボースに辿り着く。
 入口のゲートを潜ると、市の中央に翡翠の塔の如く聳える高立方体の建造物が目に入る。
「おー、懐かしい。ボースデパートじゃないか。前に遊びに来たのは、五年前だったからな」
 おのぼりさん宜しくエステルが指差した建物。先代市長がオーナーとなり、ボースマーケットの上階を拡張して建て増したデパートメント。
 外資系の呉服、家具、化粧品、宝石類などの高級店舗を店子とし、主に外国からの観光客を相手に商売している。
 地元の人間は全面ガラス張りされた、一、二階の吹き抜けの部分をマーケット。中央エレベーターから登った三階から七階のビル部分をデパートと呼んで峻別する。
 開店当初は庶民向けの屋内市場と、セレブ御用達の総合百貨店の併合に危惧を抱く者も多かった。だが、やり手オーナーの敏腕手腕もあり、まるで居酒屋キルシュと高級レストラン・アンテローゼのように上手く客層を棲み分けさせるのに成功し今に至る。
「ねえ、エステル。ちょっと中を覗いていかない?」
 ウィンドショッピング大好きな年頃の少女の例に漏れず、瞳をキラキラと輝かせたヨシュアはデパートに後ろ髪を引かれるが、エステルに襟首を掴まれて猫のように宙に持ち上げられる。
「ミラに余裕がないのに、買えもしない馬鹿高い洋服や装飾品を眺めてどうすんだよ? ほら、下らないことほざいてないで、さっさと転属手続きをしに行くぞ」
「あーん、エステルのいけずぅー」
 両腕をブン回して子供のような我が侭を宣ふヨシュアを、エステルがズルズルと引きずりながら正論で窘めるという極めて物珍しい光景を晒しながら、二人はボース支部の門を叩いた。

        ◇        

「始めまして、ルグランさん。ロレント支部から参上した準遊撃士のヨシュアとエステルのブライト姉弟です」
 扉を潜る半瞬の間にキリッという擬音を発して、駄々っ子モードからクールビューティーにキャラを切り換えたヨシュアは、受付に腰掛けた老人男性に挨拶する。
 異性を前にしての変わり身の速さに、エステルは呆れる。教授に絶望したナイアルと異なり、猫かぶり対象に特に年齢制限は設けていない模様。更にはドサクサに紛れて、エステルを義弟と紹介。見知らぬ土地で、ロレントで成し得なかった夢を成就させるつもりだ。
「おお、お主らがカシウスの伜達か。ワシはボース支部を預かるルグラン爺じゃ。よろしくな」
 孫のような年代の兄妹を前に、好々爺っぽいルグランは破顔する。ヨシュアは面識のないお年寄りの名前を呼んだが、彼は、五十年程前に遊撃士協会(ギルド)が発足した当時からの初期メンバーの一人。この世界では生き字引のような存在だ。
 ブレイサー手帳のギルドの歴史にも功労者と記されている。エステルは恐縮したが、「単に長生きしているだけじゃよ」と親しみやすい態度で二人に接し、転属手続きの書類にサインさせた。
 これで二人は今日からボース支部の所属になる。特別な事情がない限りは、推薦状を手にするまで、この都市から離れられなくなった。
「そんじゃまあ、一丁景気づけにクエストをバシバシこなすとするか」
 グルグルと左肩を回しながら、掲示板の確認に行く。
「あっ、それなんじゃが」
「平気、平気。どうせ大した依頼は残ってないんだろ? でも、今の俺らはミラが入り用だから、猫探しや石ころ探索でも何だってやるぜ。まあ、実入りのいい魔獣退治が余っていたら理想的なんだけど」
 何か言い辛そうにエステルを引き止めようとしたルグランに、ロレントで培った懐の深さを披露するが、掲示板を覗いた途端、動作をフリーズさせる。
「どうしたの、エステル?」
「ない。クエストの依頼が一つもない」
 エステルが指差した通り、掲示板は真っ白で、ぺんぺん草一本生えていない。
「やっぱりね」
 何か心当たりでもあるのか。ヨシュアは得心したが、義妹の思わせぶりな態度を無視して、ルグランに食ってかかる。
「おい、爺さん。ボース市は子供の依頼もないぐらい平和な町なのかよ?」
「いや、むしろ今は平時よりも、依頼は多いぐらいじゃよ。知っていると思うが、正体不明の空賊が頻出して、流通が混乱しているからな」
 無言の儘、互いに目配せする。そいつらはロレントで結晶を狙ったジョゼット達カプア一家の可能性が高かったが、ヨシュアに思うところがあったので、その情報はクエストの報告書に記載せずにギルドに伏せられていた。
「つい先日、定期飛行船『リンデ号』がボース地方で消息を絶った。だから、依頼が一つも残っていないのですね、ルグランおじいちゃん?」
「ああ、そういうことじゃ。その若さに似合わず聡いの、お前さんは」
 『お爺ちゃん』という魅惑のフレーズを噛み締めた後、ヨシュアの見解を肯定するが、エステルには何のことやら判らない。
「おい、ヨシュア。そりゃ、俺だって、リンデ号の話は耳にしているぜ。ここ数日、ロレントのニュースは、その話題で持ち切りだったからな。けど、それとボースから依頼が消える関連性を、お利口さんだけで会話を完結させないで、お馬鹿な俺でも判るように説明してくれ」
「ああ、済まん、済まん。確かに途中の主語と述語を省きすぎていたな」
 ルグランは軽く謝罪すると、今度はエステルにも理解できるように、本筋をかい摘んで説明する。
「今、このボース地方には、正規のブレイサーが十一人。見習いは、お前さん達を含めて三人おる」
「おいおい、何だってそんなに?」
 遊撃士の供給過剰振りに目を丸くする。エレボニア帝国やカルバード共和国のような人口密集地ならともかく、リベールのような小国のましてや一地方に、二桁を数える遊撃士が集うなど偶然でも有り得るのだろうか?
「リンデ号の消失事件が起きたからよ、エステル」
 ここでようやくヨシュアが、二つの事象の因果関係を結び付ける。
「うむ、十年前にエレボニアとの講和条約が結ばれて以後、目立った国際紛争もなく、リベールは概ね平和だった。じゃが、今回の事件は百人以上の乗客の生死すら判明しておらず、ここ数年の国内では例のない未曾有の大惨事じゃからな。各地で不遇を囲っていたブレイサーが、こぞってボースの地に集結したわけじゃ」
 ギルドが独自に掴んだ極秘情報によれば、リンデ号の失踪は単なる墜落事故ではない。既にモルガン将軍率いる王国軍が出動して、ボース上空を全面封鎖した上で、軍の警備飛行艇で大規模な探索を行っているのに、未だ墜落した形跡は見当たらず。更には帝国との玄関口であるハーケン門を始め、ボースから他の地方への関所に検問を設けて、入出国者を厳しく審査している辺り、何やらキナ臭い匂いがする。
 依頼人がいないので、正式なクエストとしてギルドに認定された訳ではないが、これだけの大事件を独力で解決したとなれば上位ランクへの昇進は確実だし、リベール王家から多額の報奨金が貰える可能性すらある。
 多くの民間人の生命を救わんとする正義感と、英雄として脚光を浴びたいと望む功名心。参戦動機の配分は各々の遊撃士によって異なるだろうが、いずれにしても事件の謎を説き明かさんとする強い意志を以て、皆精力的にボース各地を歩き回っている。
「それじゃ、掲示板に依頼が一つも残っていないのは」
「ああ、正規のブレイサー達が全部持っていった」
 彼らとしても、長い間ボースに滞留するのには先立つものが必要なので、調査のついでにささやかでもクエストをこなせれば、ミラも稼げて一石二鳥ということ。
「どんな状況でも、クエストの優先順位は、常に正遊撃士の側にある。生憎じゃが、このヤマが峠を超えない限り、どんな些細なクエストも、お前さん達の手に渡ることはないじゃろうな」
「そんなぁー」
 早くも見切り発射で旅を始めたツケを支払わされる羽目になったエステルは、へなへなと床下に崩れ落ちた。

        ◇        

「正遊撃士でも、報酬だけで食えるのは一握りで、大抵は副業で食い繋ぐってか。けど、まさか準遊撃士の内からクエストすら受けられなくなるとは思わなかったぜ」
 素朴な正義感の所有者のエステルは、百人を越す乗客の安否が気になったが、さりとて見習いの身分で差し出がましい口を挟める訳でもない。これだけの数の遊撃士がいれば直ぐに事件は解決するだろうと己に言い聞かせ、この案件を先輩方に託し、まずは自分たちの生活基盤を築く所からスタートする。
 二人はフリーデンホテルを拠点に日銭を稼ぐために、エステルはマーケットとデパートを掛け持ちで、ヨシュアはレストラン・アンテローゼでアルバイトに精を出す。
 力自慢のエステルは通常リフトを使わないと運べないような重いコンテナ荷物でさえも軽々と担げるので、一部の店舗から重宝される。並みの日雇い労働者の三倍の効率で、配送作業をこなしている。
 ヨシュアの方はアンテローゼに面接にいって、その場で合格を貰う。容姿端麗で完璧な作法で給仕をこなし、厨房の味付けの手伝いもOK。更にはピアニストの伴奏に併せてオペラ歌手さながらの歌唱も可能な逸材など、そうそう見つかるものではない。面接当日から、あらゆる職種にフル可動で働き続け、納得いかないことに重労働のエステルの倍近いミラを稼いでいる。
 ついでに高級レストランでの出会いを機に、早速、スポンサーを幾人か捕まえた。デパートの高級呉服屋や宝石店で、リッチマンっぽい見知らぬ男性と一緒にいる姿をバイト中のエステルは幾度も見かけている。色々と貢がせているであろうことは疑いなく、ロレントの田舎町から商業都市ボースに移り住んでも、プレイガールの生態に変化はない。

        ◇        

「ねえ、見て見て、エステル。手帳がこんなに埋まっちゃった」
 フリーデンホテルの自室のベッドの上で、ヨシュアは子供のようにはしゃぎながら、ギッシリと書き込まれた『レシピ手帳』の戦果を見せびらかす。少女は五百近いレパートリーを保持しており、この手帳でちょうど五冊目。ただ、ロレントの料理はあらかた制覇したので、ここ最近レシピ数が頭打ちになっていたが、バイト中に貪欲にもアンテローゼのメニューを盗み始めた。この調子だと六冊目の新しい冊子が必要になるのも時間の問題。
「おー、よしよし。って、こんな真似して寛いでいる場合じゃないだろ、俺たちは」
 大食漢の癖に、『料理のさしすせそ』すら覚える気がないエステルにとって、特級料理人の義妹の存在は有り難い。反射的にナデナデしたが、現在の境遇を思い出し、声を荒らげる。兄妹がボース支部に籍を移してから既に十日を数えるが、ここの所バイト三昧で、クエストとまるで縁がない。
「確かに毎日のホテルの宿泊費用も馬鹿にならないわよね。良く昔の船乗りは、『港々に女あり』と謳われて、海を隔てた国ごとに現地妻を抱えていたそうだけど、各地方に無料で泊めてもらえる顔馴染がいたら便利よね。私もそういう男の人を作ってみようかしら。まずはこのボースから」
「それも何か違う。サラッと恐ろしいことを言うな。というか、不本意だけど、今はそこまでミラに困ってないだろ」
 ヨシュアなら本当に五大都市全てに愛人宅を確保しかねないと戦慄しながら、脱線を遮る。一部の高額クエストを除き、もともとギルドの報酬はそこまで儲かる代物ではない。複雑な心境だが態々零細クエストを求めるよりも、今のバイトを続けている方が懐具合は豊かたったりする。
 しかし、当たり前の話だが、アルバイトにBP(ブレイサーズポイント)は設定されておらず、仮初めの職場でどれだけ働いた所で推薦状には結びつかない。
 リンデ号の事件が解決し、現在ボースにたむろしている正遊撃士が引き上げればエステル達にもお鉢が回ってくる筈だが、調査は難航している。掲示板は未だに閑古鳥状態が続いており、このままでは徒に日々を費やすばかり。
「ボースの登録を取り止めて、恐らくは手薄になっているルーアン地方から先に片付けるという裏技もあるけど、あまりお薦め出来ないわね」
 ヨシュアが最善とは程遠い選択肢を提示してみたが、本人さえも乗り気でない。推薦状も手にしない内に一端登録した地方を放棄したら、根性なしだと見縊られ遊撃士としての適正そのものを疑われかねない。これは本当に最後の手段だ。
「こんなことなら地理的な要因は無視して、最初から遠方のルーアンを目指すべきだったわね。多くのブレイサーが雪崩込んできて、クエストが枯渇するのは予測がついたけど、こうまで膠着するのは想定外だったわ」
 素直に得意の合理的な思考フレームに計算違いが生じたのを認めたが、別段エステルは咎めるつもりはない。ただ、こうなってくると、未だに行方知れずの乗客の安否が気懸かりで仕方がない。
「なあ、ヨシュア。俺達もこのクエスト『定期船失踪事件』に参加しようぜ。多数の民間人の生命が危険に晒されているのに、それを他人任せにしようとしたのが、そもそもの誤りだったんだ。まずは互いのバイトを調節して、調査の時間を捻り出して」
「落ち着きなさい、エステル。決断が早いのは、あなたの長所だけど、すぐに結論を急ぐのは悪い癖よ」
 深夜にも関わらず、今すぐにでも街の外に出発しかねない性急さをヤンワリと窘める。尚、依頼者が存在しないにも関わらず、ギルドではこの案件を便宜上、『定期船失踪事件』のクエストとして扱っている。
「先輩諸氏が真面目に捜索に取り組んでいる中、大きく出遅れた私達が何を見つけられるというの? 見習いの片手間で探せる程度の手掛かりなら、彼らがとっくに発見しているわ」
 そう諭されるとぐうの音も出てこない。確かに単純な戦闘ならともかく、地道な聞き込み捜査で、正規の遊撃士が駆け出しのエステル達に遅れを取る道理はない。
「けど、これだけの数のブレイサーがいて、未だに手詰まり状態が続いているというのも解せないわね」
 ヨシュアは顎先に親指を当てて訝しむ。試験官の裁量次第の感がある玉石混合の見習いとは異なり、リベールの正遊撃士は五大都市から全ての推薦状を集めるのに成功した精鋭揃い。そうそう無能が雁首を揃えている筈がない。
 何か裏があるような気がするが、準遊撃士の二人は情報取得レベルに制限がかけられており、正遊撃士が掴んでいるギルド独自の情報すら伏せられている。それとなく色香を交えてルグランにアプローチしてみたが、枯れた年寄りには効果が薄く、公私混同を弁えた爺様は申し訳なさそうに首を横に振るだけ。一時期、窃盗目的の準遊撃士による犯罪が横行した所為で、正遊撃士に比べて見習いの権限は大幅に弱められてしまい、遣り難いことこの上ない。
「とにかく焦っては駄目よ、エステル。ロレントでは上手く行き過ぎていただけだから」
 二人が準遊撃士の資格を取得してから、一月もしない内に推薦状を手にしたが、元々地元は他の地方に比べれば基準が甘いのだ。何しろギルドの受付と顔馴染の場合が多く、推薦者が人柄を掌握しているので、アイナのようにBPが足りなくても多少の融通をつけてくれる。
 だが、ボース地方ではそうはいかない。それこそ『定期船失踪事件』を独力で解決でもすれば話は別だが、基本的には長い時間をかけて人格と能力を把握してもらうしかない。その目安に使われるのは、クエストの難易度に応じたブレイサーズポイントの積み重ねのみ。
「今はアルバイトに専念して、少しでも多くのミラを貯めておきましょう。そのうち、きっと新しい風が吹き込んでくると思うから」

        ◇        

「それで、これがお前のいう新しい風なのか?」
 呆れたような目で、ブランド品の整理をしているヨシュアを見下ろす。
 翌日の深夜、エステルがバイトから帰参すると、床一面に中身を取り出したダンボール箱が散布していた。クローゼットの上に高そうな靴やドレスに、ネックレス等の装飾具(アクセサリ)、さらには高級っぽい化粧品の数々が奇麗に並べられている。
「私達がバイトで稼いだミラを注ぎ込んだ訳じゃないから、安心してエステル」
「当たり前だ。どうせ例の金持ち達に貢がせた贈物が今日届いたんだろ?」
「ピンポン、ピンポーン」
 全く悪びれることなく、両手をポンっと併せる。ふとドレスについている値札をチラ見すると、ゼロが四つも並んでいて、クラリと目眩がした。
「エステル、私、これからしばらくアルバイトを休むから、生活費の工面を宜しくね」
 店のレシピを盗み尽くしたか、それとも欲していたブランド品を入手して満足したのか。いずれにしてもアンテローゼでの目的を達成したらしく、休業宣言すると寝間着に着替える。
 素材は抜群に良いので、薄いキャミソールでも纏えば色っぽいのだが、今のヨシュアは愛用の等身大の猫の着ぐるみパジャマを着込んでいて、コミカルこの上なく脱力を誘う。
「それじゃ、お休み。エステル」
 黒い塊が白いシーツを被って、ベッドの上をゴロンと転がる。シーツの隙間から零れたフードの猫耳と綿が詰まった黒い尻尾が、どのような原理なのかヒョコヒョコ蠢いている。
 もはや何も訴える気力が失せた。明日のバイトに備える為、自分も床に就くことにした。

        ◇        

 それから宣布通り、ヨシュアは仕事をお休みして、ニート生活に突入する。
 ホテルの滞在費用をエステルの稼ぎに一任。自身は健康と美容をスローガンに、真っ白な顔パックのまま昼間から熟睡。三時間もじっくりと浴槽に浸かって、玉のお肌に磨きをかける。クエストが受けられなくて、自暴自棄になったとしか思えない投げ遣りな態度に何度となく苦言を呈したが、一向に生活習慣を改めることなく更に三日が過ぎる。

        ◇        

「そろそろ頃合いからしね」
 草木も眠る丑三つ時。猫の着ぐるみ姿で就寝していたヨシュアの、フード内の目がパチッと見開く。隣のベッドでは、寝そうを崩したエステルが大鼾をかいている。
「子供みたいなあどけない寝顔ね」
 軽くほっぺたを抓る。「うーん」と唸るだけで、起きる気配はない。
「よほど疲れたみたいね。ゆっくりお休みなさい、エステル」
 琥珀色の瞳が、普段は見せない労りと友愛に満ちている。
 律儀にもヨシュアの分まで食い扶持を稼ごうと、密かにバイト量を増やしていたのを知っている。本当に彼女の義弟は馬鹿みたいに不器用でいじらしく、そして愛おしい。
 エステルが床下に蹴飛ばしたシーツを拾い、身体に掛け直す。どうせまたすぐに弾かれるのは目に見えているが、せめてもの配慮という奴だ。
 着ぐるみを脱いで下着姿になると、化粧室に籠もって支度を始める。
 『定期船失踪事件』の捜査は未だ暗礁に乗り上げたまま。調査が捗らずに、正遊撃士達もさぞかしストレスを溜め込んでいるだろう。
 だからこそ、ヨシュアは彼女にしか成し得ない戦いをこれから開始する。

「待っていて、エステル。私があなたの夢の手助けをしてあげる」



[34189] 06-02:消えた飛行船の謎(Ⅱ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/04 00:02
「いらっしゃいませ。ひゅー」
 マスターのウェルナーは、ワイングラスを磨く手を止め、軽く口笛を吹く。
 居酒屋キルシェは時間帯に応じて、異なる表情を見せる。昼は大衆食堂として、アンテローゼでは敷居が高い一般庶民の胃袋を満たす。夜はナイトパブに早変わりし、酒と出会いを提供する。
 キルシェと同じく、ウェルナーも二つの顔を使い分ける。太陽の下では人の良いウェイターに身を窶し、月の支配下だとシェイクが得意な渋目のマスターを演じる。そんな彼の密やかな趣味は、店を尋ねてくる女性客の容姿を採点すること。早速、ウェルナーの駄目スカウターが、女性の全体像を捕らえる。
 歳の頃は二十歳前後だろうか。腰まで届くキラキラと光輝くブロンドの髪、水の七耀石(セプチウム)を内封したかのような碧眼の瞳に、海外女優顔負けの整った目鼻立ち。肌は透き通るように白く、唇の薄いルージュ他、化粧は必要最小限で、若さ故にしみ一つなく、地デジ対策はゼロ。
(ルックスは問題なく合格だな)
 次はスタイルを確認するために、自然、視線が降下する。
 胸元と肩口が大きく見開いた真っ赤なセクシードレスから、半剥き皮の二つの天然果実が自己主張しており、サイズは凡そ86で詰め物の可能性はゼロ。強く抱きしめたら折れそうな括れたウエストラインは52で、安産型のヒップは85。露出した背中の奇麗な肩甲骨と、短めのスリットスカートから零れたスラリとした健康的な太股が、実に艶かしい。
(プロポーションもベスト。最後に服飾は)
 男を誘惑しているとしか思えない肩紐無しのノースリーブドレスをベースに、胸元に飾られた真珠のネックレスが一際目立つバストを強調している。両耳に非ピアスタイプのエスメラスの緑のイヤリング。両手に複数嵌めたホワイトリングのブレスレットに、ドレスとお揃いの赤いハイヒール。アクセサリも全て高級ブランド品で固められて一切隙がない。
(ルックス、スタイル、センス、全てがパーフェクトに近い。この数年の俺のキャリアの中でも、類を見ない絶世の美女)
 女性の肢体を、上から下まで舐めまわすように視姦すると、そう品評する。
 惜しむらくは、外国のトップモデルに比べ少し背が低いこと。上げ底のハイヒールは、それを補うためか。その分をマイナスし98点という点数をつけるが、それでも歴代最高スコア。
 ウェルナーの好奇の視線を無視して、金髪碧眼の美女はバーのカウンターに腰を降ろすと、スタインローゼの赤を注文する。果たしてこの場違いな美人は、何を求めて場末の酒場を訪ねたのだろうか?

「よう、姉ちゃん。一人かい?」
 ワインに口をつけてから十秒としないうちに、酔った大柄な中年男性が下心丸出しの締まらない表情で声を掛ける。金髪美女は蒼い瞳で酔っ払いを一瞥すると、すぐに興味を失ったようにグラスに視線を戻す。
「悪いけど、他を当たってくれないかしら?」
「へへっ、そんな連れないことを言うなよ」
 露出度の高い胸元や太股をチラチラと眺めながら、酔っ払いは執拗に絡む。女性は在り来たりな口説き文句をスルーして、次のボトルを注ぐ。堪え性がなさすぎる大男は早くも実力行使に出て、女性の細い腕を乱雑に掴んだ。その際、ワインの瓶が倒れ、カウンターの上に赤い湖が広がる。
「痛い、離して」
 左腕が大きくねじ上げられる。女性の端正な顔が、苦痛に歪む。
 ぷはーっと酒臭い息を吐き出しながら、クンクンと左脇の下の腋の匂いを嗅ぐ。恐怖と嫌悪感で女性は表情を引き攣らせる。
「へへっ、良い臭いだ。本当はあんただって、こうなるのを期待していたんだろ? お望み通りこれから宿に行って、酒を飲むよりも楽しいことを……」
 フィクションに限らず現実世界でも、凡そ独創的に欠けたスケベ根性丸出しの三下台詞が成就した試しは少ない。えてしてこういう美女のピンチには、ヒーローが駆けつけると相場が決まっている。何者かが気配もなく背後に回り込むと、トンと軽く首筋を叩き酔っ払いを気絶させる。
「無粋にも程がある。今日ぐらいは荒事と無縁でいたかったのだがな」
 精悍な顔つきをした成人男性が呆れたように酔っ払いを見下ろすと、片手で襟首を掴んで店外に放り出す。今の腕力といい、酔った上での不意打ちとはいえ大男を一発で沈黙させた手並みと、かなりの武芸者だ。背中に大斧の得物を背負っている。
「一応、助けてもらったお礼を言うべきかしら?」
 金髪碧眼の美女は痣の跡が残った左手の手首を軽く摩りながら、男を値踏みするような粘っこい視線を筋骨逞しい青年男性に注ぐ。
「私はカリン・アストレイ、帝国からの旅行者よ。年齢と職業はひ・み・つ。あなたは?」
「エジル・シーボスフリード。遊撃士(ブレイサー)だ」

        ◇        

 遊撃士の民事介入により店内での揉め事が回避されたウェルナーは、軽く安堵しながらカウンターに零れたワインを雑巾で掃除する。ウェルナーがチラ見すると、カリンとエジルの二人はカウンターに隣り合って、ワイングラスを片手に何やら談笑している。
 結局この世界の全ての美人は、金持ちか、イケメンか、あるいは遊撃士のような強い男と惹かれ逢うよう星か何かで予め定められていて、彼のような平凡な男性の元に降臨するなど有り得ないのだろうか?
 エジルの境遇に嫉妬し、世の不公平さを嘆きたくなった。

「ブレイサーって子供たちが憧れる正義の味方でしょ? 素敵ね」
「少なくとも俺はそんな立派な人間ではないさ。君の誘いを受けたのは、さきの酔どれと似た下心があるからだぜ」
「あら、構わないわよ。私は出会いを求めて、酒場に来たのよ」
 ワイングラスをエジルの杯とキスさせ、ゴクゴクと一気飲みする。グラスを持つ細く白い手。猫のように長い爪には赤いマニキュアが塗られて、掌も奇麗で皹一つない。
 飲みっぷりは見事だが、身体中隙だらけ。件の酔っ払いの対応を見ても、武術の嗜みがあるようには思えない。
(正真正銘の素人だな)
 そう断定した後、腕っぷしの強さを対人鑑定の基準に添える遊撃士の救い難い性に気づかされ、エジルは苦笑する。
「先程も主張したが、ブレイサー自体、ご大層な代物じゃない。普段は薄給に喘いでいて、今回のような大事件が起きれば不謹慎にも褒賞金目当てに駆け参じて、挙げ句の果てには同業者同士で依頼を奪い合う始末。危険と倫理に目を瞑れば、紛争地帯に出向いて、猟兵団(イェーガー)にでも身を投じた方がよっぽど儲かる」
 エジルはツァイス地方に所属する正遊撃士。今年で二十六歳。ブレイサーズ・ランクはD。今回の『定期船失踪事件』を聞きつけて、一山当てようと目論んでいる中堅どころの一人。
「ふーん。ならどうしてあなたは、今もブレイサーを続けているの?」
 お互いのグラスを次のボトルで満たしながら、カリンはエジルの目の前で、左足と右足を態とらしく組み換える。剥き出しの白い太股がさらに強調され、太股の合間の魅惑の黒いデルタゾーンが露わになる。
(この女、さっきから誘っているのか?)
 荒事には無力そうだが、妙に手慣れている。蒼い瞳に蠱惑的な色を浮かべエジルを挑発してくる。男性経験が豊富そうな割に、自分の素性ははぐらかしてばかり。後腐れなく一夜を共にするパートナーを見繕いに、酒場に足を運んだということか?
 ならば、遠慮することもあるまい。先週クエストで保護した家出少女のような、背伸びして大人の社交場に迷い込んだ世間知らずの乙女を無理やり手込めにするわけでなし。
 一向に捗らない仕事の憂さを酒で晴らすつもりだったが、こんな良い女を抱ける機会などそうそう巡り逢える筈もない。
 エジルは腹を括ると、カリンの酒のペースに付き合うことにした。

「やはり俺の中で譲れない何かがあるんだろうな。理屈や損得勘定じゃないんだよ。ブレイサーに殉ずるというのは」
 程よく酔いが回り、本人も意識しない中に、エジルは自分語りを始めている。
 幼い頃にこの職業に抱いていた夢や希望は、全て現実の濁流に押し流されてしまったが、それでも自分たち遊撃士が世界から見捨てられた力なき者たちの味方であるという誇りは、今も彼の魂に根付いている。
「不器用なのね、あなたも。けど、そういう自分を曲げない一途な男性って私は好きよ」
 カリンは聞き上手に徹して、エジルの中に蓄積していた、鬱屈した感情を吐き出させる。
 頬杖をついたカリンと目が合う。蒼い瞳に優しげな色を浮かべて、ニッコリと微笑む。それから軽くブロンドの髪をかき上げると、黄金の微粒子が中空に散布しているような幻想すら覚える。
 いつの間にやら、カリンの魅力に本気で囚われていた。

「ふーん、リンデ号の消失には、そんな裏があったの?」
 テーブルの上に五本目のボトルが積まれ、酔いが濃く浸透していく。
 正義の使者の遊撃士といえど、悟りを開いた聖人ではなく、喜怒哀楽を兼ね揃えた生身の人間。酒量が増え、目の前にとびっきりの美人がいるとなれば、守秘義務の鉄門は決壊し自然と口が軽くなる。
 特に今彼が携わっている『定期船失踪事件』の話題にカリンの食いつきが良いと知ると、彼女の興味を引く為、遊撃士としての良心を一時的に凍結し積極的に機密を漏らし始めた。

「というわけで、この件は身代金目的のハイジャック事件なのさ。市長の遣いと偽って、モルガン将軍から直接聞きだしたから間違いない。まあ、その後、素性がばれてハーケン門から叩き出されたけどな」
 エジルは軽く頭を掻く。公人としての最後の理性が、既に酒の場での与太話の範疇を超えていると警笛を鳴らしていたが、カリンの瞳に見つめられると、まるで自分の意志でないようにどんどん口が滑る。
 酔いがまわり過ぎて感覚が麻痺し、一時的に色盲となったのだろうか。カリンの蒼い瞳がさっきから紫色に変化しているように錯覚する。
「その時に一悶着あってさ。モルガン将軍と一発触発の雰囲気になった時に、妙な帝国からの旅行者が乱入してきて、リュートを奏でて場を収めちまいやがった。まあ、演奏に感動したというよりは、呆れて毒気を抜かれただけだったけどな。その旅人の変人はどうしているかって? 音楽の腕は確からしく、今はレストラン・アンテローゼでピアノの演奏をしているらしいぜ」

 テーブルの上に置かれたボトルは十本目。
 血の代わりにアルコールが身体中の血管を駆け巡っているとしか思えない程酔いが暴走を続け、クエストの機密を洗い浚い喋り尽くしてしまった。
 もはや守秘義務も情報漏洩もどうでも良くなったエジルの頭に浮かんだ疑問は唯一つ。
(何で俺の倍以上のペースで飲んでいるカリンは、平気なのだろうか?)
 カリンが酔い潰れたら自然とベッドインのステップに持ち込もうと算段し、話し手に徹することでさり気なく酒量を抑制していたが、既にグロッキー気味なエジルに対して、カリンの頬には赤み一つ射していない。飲み比べる前との変化は彼女の瞳が青から紫色に変化していることだけ。
(そういえば以前、クエストでロレント支部を訪ねた時にも、とんでもない酒豪と出くわしたよな? 確かアイナ・ホールデンとか言ったっけ?)
 それが薄れゆく意識の中で、思い浮かべた最後の記憶。とうとう限界に達したエジルは複数のボトルを道連れにしながら、カウンターに前のめりにぶっ倒れる。
 それから軽い寝息の音が聞こえてくる。完全に酔い潰れたようだ。
「ご馳走様、色々と参考になったわ」
 優しげな仕種でエジルの頭部を一撫ですると、カリンはカウンターから立ち上がる。どのようなカラクリなのか、エジルとの飲み比べ中、パープルカラーに輝いていた瞳が元のブルーに戻っている。
「マスター、御勘定はこの男性の持ちでお願いね」
「ああっ」
 ウェルナーに向かって軽くウインクすると、エジルを振り返ることなく居酒屋キルシェを後にする。
 男と女のラブゲームは先に酔い潰された方の負けなのが酒場での暗黙の取り決めなので、ウェルナーは別段カリンの飲み逃げを咎める気はなかったが、何やら男の純情を弄ばれたっぽいエジルに今では同じY染色体(♂)として同情してしまう。

        ◇        

 翌日の昼過ぎに目を覚ましたエジルは、カリンの顔も漏洩したクエストの内容もまるで覚えてない。ただ、凄い美人と飲んでいたという漠然とした記憶が残されていただけ。
そして、ウェルナーから突きつけられた請求額の高さに、目を丸くして驚いた。
 それ自体は飲み屋で良くあるぼったくり被害だが、二日酔いが治まるとエジルは、憑き物が落ちたように頭中がスッキリとする。まるで酔いと一緒に身体の中に溜まっていた膿が全て洗い流されたような清々しい気分になる。
 一夜の飲み代にしては高くついたが、当初の目算通りに心身共にリフレッシュ出来たので、まあ良いかとエジルは思うことにし、『定期船失踪事件』の調査に復帰した。



[34189] 06-03:消えた飛行船の謎(Ⅲ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/04 00:03
「そうだよ。王国軍が関所以外にも捜査区域とやらを設けて、彼方此方に検問を張るから、調査が遣り辛いったらありゃしねえぜ。強引に検問を突破しようとして、豚箱送りにされたお仲間もいたぜ。全くあのブレイサー嫌いの将軍様はどうしようもないな。ボース上空の飛行制限も継続中で流通は滞って町は混乱したままだし、何時になったらこの商業都市は平穏を取り戻せるのかね?」

        ◇        

「俺はこの数カ月間、ボースを荒らす例の空賊を追い掛けてきたんだが、とにかく変な奴らでさ。セコイ盗みを繰り返し妙に仲間意識が強くて、その上やたらと逃げ足が早い。 けど、最近はほとんど姿を見せなくなり、たまに出没しても金目の物でなく、なぜか食料品ばかりを狙うんだ。奴ら、そんなに飢えていやがるのか? そいつらが、リンデ号をハイジャックした犯人かって? ない、ない。彼奴はケチなコソ泥で、そんな度胸はありゃしないよ」

        ◇        

「『定期船失踪事件』のクエストは依頼者不在ということになっているけど、本当はメイベル市長が真っ先にギルドにリンデ号の依頼を持ち込んでいたんだ。ただ、成功報酬が半端な額じゃ無かったので、正遊撃士による依頼の取り合いが始まっちまった。あやうく暴力沙汰にまで発展しそうになったので、一番最初に有力な手掛かりを見つけた者に正式に依頼を任せるということで場を収めたのさ。あの若い市長さんは軍よりも俺達ブレイサーを信頼してくれたというのに、この有り様じゃ失望させちまっただろうな」

        ◇        

「ラヴェンダ村って、知っているか? 果樹園を営む小さな村で、そこの聞き込み調査をしていた時に、『空飛ぶ大きな影』の目撃者を見つけたんだ。子供の目撃証言に信憑性はないと軍は相手にしなかったけど、俺はブレイサーだからな。少年の話を信じ、山道を抜けて廃坑に辿り着いたけど、入口には錆びた南京錠で封鎖されていて、数年は開けられた形跡なし。残念ながら、そこで手詰まりさ」

        ◇        

「ここから南にいった所に四輪の塔の一つ、琥珀の塔があるんだが、上階から妙な話し声が聞こえてきてさ。もしかして賊の一味が潜んでいるかと思って塔を駆け登ったら、妙なおばさんが大型のマッドローパーに嬲られていてな。当然助けたんだが、何故か俺の方がそのおばさんに飯を奢る羽目になっちまった。そのおばさんの名前は、アル……聞きたくない? これからが良い所なのに」

        ◇        

「魔獣退治のついでに、連れと一緒に霜降り峡谷を調査したいた時に、山小屋を見つけてさ。こんな辺鄙で危険な場所に一人で住んでいる辺り、かなりの変わり者だと思うけど、話したら意外と意気投合して、そのおっさんから闇鍋をご馳走になったんだ。食した連れの一人がぶっ倒れて、毒でも入っているかと疑ったが、そいつ衰弱していた割に身体に凄い闘気(CP)が溜まっていてさ。『地獄極楽鍋』とは良く言った代物で、アタリを食べた者は体力(HP)と引き換えに、CPを限界値まで補充できるらしい。その料理のレシピを教えてくれって? 別にいいけど」

        ◇        

(一体、カリンは何を企んでいるのだろう?)
 カクテルをシェイクしながら、ウェルナーはここ数日、昼夜の区別なく出没する謎の金髪美女に思いを馳せる。
 男を惑わす真っ赤なドレスで店に現れ、楽しそうに談笑しながら容赦なく相手を酔い潰し、飲み代を男に押し付けてそのままトンズラする。
 一つだけ確かなことはカリンの獲物は遊撃士らしく、既に犠牲者は七人を数えている。
 仕事絡みの怨恨かと疑ったが、財布を掏るなどの悪事を働くでもなく、単なる愉快犯のようにも思える。へべれけになるまで酔い潰されたせいか、何故か被害者の正遊撃士が皆一様にカリン関連の記憶を消失している為、ギルドに彼女の存在が把握されておらず。今もウェルナーの目の前のテーブルで、何も知らない八人目の小羊が鼻の下を伸ばして飲み比べに興じている。

「ご馳走様、貴重な情報をありがとうね」
 紫色の瞳を妖しく光り輝かせながら、酔い潰れた遊撃士の頭を優しく撫でる。
 『魔眼』の力により、彼の認識に干渉し、カリンの容姿と漏洩した情報に関する記憶を曖昧にする。ついでのサービスとして、彼の心に巣くっている心理的な病魔を取り除いてあげる。蜂が生まれつき己の針を武器として把握しているように、彼女は誰に教わるでなく、この能力の使い道を心得ていた。
 カリンが、遊撃士の額から手を離す。何時ものケースならそのまま飲み逃げするが、突然左目を抑えると慌てて洗面所へ駆け込んでいく。美女はトイレに行かないという都市伝説を頑なに盲信していたウェルナーは、何か裏切られたような憂鬱な気分になった。

        ◇        

「いけない、いけない。カラコンがずれちゃったわね」
 洗面台の上で、コンタクトレンズをジャブジャブと手洗いしながら、鏡に映った自分の顔を覗き込む。まるでオッドアイのように、カリンの左目は赤で右目は紫と両目に異なるカラーを宿している。
「それにしても、この魔眼の力は一体何なのかしら? こんな能力を持ち合わせていたこと自体、つい最近まで忘れていた」
 自身の未知なるスキルに戸惑う。
 彼女にはある条件を満たした相手の記憶や認識を、ある程度操作できる異能の力がある。その誓約とは『彼女自身に向けられる好意』であり、とある事情から同性にはほとんど成果は望めないが、異性に対しては絶大な影響力を発揮しかねない。
 実際、海千山千の正遊撃士を相手に、予想外の効率で情報を掻き集めるのに成功したが、この力に目覚めた切っ掛けをカリンはどうしても思い出せなかった。
(流石はわたくしの可愛い娘ね。ご褒美として、封じていたあなたの力の一端を開放してあげる)
「そういえは、こんな声をどこかで聞いたような。果たしてどこだったかしら?」
 もう一度、鏡に映った自分の顔を見つめる。
 魔眼の発輝が収束しオッドアイを維持したものの、今度は左目が琥珀色に右目が青色に変化する。器用な手つきで、洗い終わったコンタクトレンズを手早く左目に嵌めると、両目とも通常色の蒼に戻る。
 彼女の生来の瞳は琥珀色。青のカラーコンタクトレンズを装着して、瞳色を偽っているようだ。魔眼を使用して瞳が真っ赤に染まった時は蒼いカラコンを通す為に、青と赤の中間色である紫色が外面に現出した。
「いずれにしても、もう酒場には用はないわね。フリーデンホテルに戻って、情報を纏めて対策を練ることにしましょう」
 ウェルナーの美女幻想など露知らず、アリバイ作りにトイレの水を流して水音を響かせると、女子洗面所を後にした。

        ◇        

「よう、ヨシュア。何か面白そうなことをしているじゃないか」
 店内に戻ると、何者かがヨシュアという別名で彼女を呼び、カリンはギクリと肩を震わせる。動揺を内面に押し隠しながら振り返ると、カウンターに腰掛け咥え煙草をした記者風の男が、ニヤニヤしながらこちらを眺めている。
「遊撃士を狙い撃ちする謎の美女がキルシェに頻出するという噂を聞いて張り込んでみたが、まさかお前さんだったとはな。良く化けたもんだが、このナイアル様の目は誤魔化せないぜ」
 リベール通信社の自称敏腕記者ナイアル・バーンズだ。席を立ってカリンの正面に陣取ると、馴れ馴れしくも露出した彼女の肩に直に手を置く。
「新手のナンパかしら? それとも、本当にただの人違い? 私は、カリン・アストレイ。帝国からの旅行者よ」
「おいおい、今更空惚けなくてもいいだろ? 俺とお前さんの仲じゃないか?」
 目の前の不良中年と心を通わした覚えなどなかったが、瞳を確信に漲らせながら、ヤニ臭い顔を近づけてくるナイアルに、シラを切るのを諦めた。
「場所を替えましょう」
 肩を掴んだ手を払い除けながら、それだけを告げる。ウェルナーや他の客達が好奇に溢れた視線をこちらに向けている。この場で押し問答を続けるのは得策ではないと判断したみたいだ。
「OK。それじゃフリーデンホテルの二階に部屋を借りているから、そちらで話を聞かせてもらおうか」
「エッチなことはしない?」
「するか。確かにお前さんは魅力的だが、俺はまだ生命が惜しいからな。というか、ドロシーも一緒にいるから安心しろ」
 薔薇の美しさ以上に棘の鋭さの方を体験しているので、そう薄ら寒そうな表情で誓約する。

        ◇        

 ナイアルが宿泊している部屋は、ブライト兄妹が常駐している部屋の三つ隣。二人が部屋に入ると、ダブルベッドの中央をドロシーが独占し、すやすやと熟睡している。
「こいつのことは気にするな。何しろ一日十二時間は眠りこける奇想天外な生物だからな。こんな夜更けに目を覚ますことは、天地がひっくり返っても有り得ない」
 確かにこの場所は、これから秘め事に及ぼうとする雰囲気ではなさそうだ。
 無感動な瞳でドロシーの毛布を掛け直すと、キッチンに足を運ぶ。ウイスキーの瓶とグラスにロックアイスを用意し、オン・ザ・ロックを作成する。結局キルシェでは酒を一滴も飲めなかったので、口直しするつもりだ。
「私の分も貰えるかしら? 今度はストレートで飲みたいから、チェイサーもお願い」
 つい三十分程前に大の男を一人酔い潰す程飲んだばかりだというのに、まだ飲み足りないのか。お代わりの催促をするカリンを心底呆れた表情で見下ろす。
「今更倫理や道徳を口にするつもりはサラサラねえけどよ。お前、まだ本当は十六歳だろ? どこで、こんな悪い遊びを覚えたんだよ?」
「ロレントには私以上の酒神がいたから、まあ色々とね。そもそもお酒も飲めずに、バーで情報収集なんて務まる筈はないでしょ?」
「そりゃ、確かに相違ないな」
 カリンの見解を肯定したナイアルは、可笑しそうにクックックッと笑うと、彼女の望み通りにアルコール濃度の高いウイスキーを、なみなみとグラスに注ぎ込んだ。

「しかし、ヨシュア。お前、普段着の衣装はあれでも色気を抑えている方だったんだな」
 窓際のチェアに腰掛けて、大胆に生足を組んだままの色っぽい仕種でウイスキーを嗜む美女の姿を眩しそうに見つめる。
 そろそろ記述を統一するが、この金髪碧眼の美女カリンの正体はヨシュアだ。
 蒼いカラコンで琥珀色の瞳を隠し、黒い漆黒の髪をブロンドに染めあげ、徹底したメイクと雰囲気作りにより、外見年齢を五歳は引き上げるのに成功。可憐な黒髪美少女から金髪の絶世の美人に変貌する。
 目的は言う迄もなく『定期船失踪事件』の情報集め。女の色香と魔眼の能力を駆使して先輩諸氏を誑かしてきたが、店仕舞いのタイミングで運悪くナイアルに捕まった。
 ナイアルの記憶も弄れないかトライしてみたが、どうもこの仕事大好きなブンヤさんはエステルと同じく、ヨシュアの美しさを認めながらも女と認識しない類の変人らしい。Y染色体(♂)としては極めて珍しく、魔眼の効能が働かない。
 些かプライドが傷ついたヨシュアは、「無防備なドロシーに手をつけない件といい、彼はきっとED(機能不全)に違いない」と八つ当たり気味な妄想を巡らしながらも、真っ当な交渉で口止めすることにした。
 それから女狐と古狸の化かし合いが始まる。カリンの正体を内密にする代わりに、彼女が仕入れた情報の一部をフィードバックするという線で合意を得た。
「正体不明の空賊によるハイジャックに、リベール王家への身代金要求かよ? ありがてえ。これでようやく記事が書けるというものだぜ」
 これからの活動に支障をきたさない程度のネタだけを見繕って伝えてみたが、それでも軍の情報統制下で特ダネに飢えていたナイアルには十分満足してもらえたようだ。

「ところで、一つ聞きたいんだが、ヨシュア。お前さんの義弟は、自分の父親のことを何も知らないのか?」
 交渉は概ね終了。再び水割りに手を伸ばしたナイアルは、単なる与太話として話題を振り、ヨシュアも次はハイボールにして味わいながら付き合う。
「ええ、エステルは父さんを、どこにでもいるマイナーな遊撃士だと信じている。けどこの先、旅を続けていけば、嫌でも父親の本当の姿を知ることになるでしょうね」
 カシウスは大陸に五人といない特別な称号(S級)を持つ遊撃士でありながら、かの百日戦役でエレボニアの侵略から故国を守護した救国の英雄でもある。
 ただ、どちらも一般ピープルが易々と知り得るような公開情報ではないが、食わせ者の両者は互いがカシウスの隠れた実績を知り尽くしているという前提で話を進める。
「なるほどな。道理であの坊主からは、親父への気負いや反発心を感じないわけだ」
 様々な分野で二世特有のプレッシャーに押し潰されてきた若者を見てきたナイアルは得心する。ただし、エステルは偉大な父にコンプレックスを感じずに済んだ反面、義妹のヨシュアに対して根強い対抗心を抱くことになったが、特に聞かれなかったので黙っていた。口にしたのは別のことだ。
「エステルの立ち位置を上手く活用すれば、正規の遊撃士を出し抜いて、メイベル市長から『定期船失踪事件』の依頼を正式に引き出せたかもしれない。でも、エステルはそういう親の七光りでの近道を潔しとしない」
 「私自身は縁故でも愛情でも、何でも利用し尽くすけどね」ともつけ加えナイアルは苦笑したが、エステルへの好感度が密かに上昇した。
 カシウスの嫡子という立場は、時に周りが救いの手を差し伸べてくれる可能性があるものの、その恩恵を上回る多くの試練をエステルに齎すだろうとヨシュアは主張したが、その意見にはナイアルは無条件で賛同しなかった。
「子は親を選ぶことは出来ないし、辛い所だな。けど、俺に言わせれば、お前さんみたいな規格外の相棒が常に一緒にいる地点で、あの小僧は十分恵まれすぎていると思うけどな」
 見習いの枠組みを大きく逸脱したチート活動で、影ながらエステルを支援する完璧超人の存在をナイアルは揶揄ってみたが、少女は悪びれた様子はない。
「あら、その件に関しては誰からも後ろ指をさされる必要もない筈よ。何故なら、それはエステルが自分の力で手に入れたモノだから」
 仮初めの蒼い瞳に蠱惑的な光を称えながら、そうのろけてみせる。
「へえ、あの小僧は、それほどの玉なのかよ? なら、次に取材する機会があったら、その辺りの馴れ初めについて、詳しく聞かせてもらいたいね」
 この時ナイアルは英雄の息子としてでなく、ヨシュアのような魔性の少女を虜にしたエステル本人にはじめて興味を惹かれた。

        ◇        

 ナイアルと別れたヨシュアは自室に戻ると、爆睡するエステルを尻目に洗面所に一時間ばかり籠城し化粧を剥ぎ落とす。やがて元の黒髪と琥珀色の瞳を取り戻すと、机の上にボース地方の地図を広げる。正遊撃士から掻き集めた情報と照らし合わせた上で、怪しいポイントを特定する。
 無能には程遠い正遊撃士が数を揃えながらこうまで調査が難航した理由は、軍と対立して捜査が妨害されたのと、何よりも個々の遊撃士が手柄を焦り乏しい情報を共有しなかった点にある。
 前者はともかく、後者は例えはカシウスやクルツのような強いリーダーシップを持つ上位ランクのブレイサーが指揮を取れば回避され、事件の早期解決を計れた可能性すらあっただけに残念な所だ。
 だが、ヨシュアの手の内には、少女の別人格のカリンが仕入れた八人分の正遊撃士の調査記録がある。この豊富な資料に彼女の合理的な思考フレームが加われば、自ずと解法が見えてくる。
「もし手掛かりが残れているとすれば、ここかしらね」
 爪に赤いマニキュアを塗られた少女の白く細い人指し指が、地図上の一点に置かれる。ラヴェンダ村の先にある閉鎖された廃坑だ。



[34189] 06-04:消えた飛行船の謎(Ⅳ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/04 00:03
「ヨシュア、お前、この資料はどこで集めてきたんだよ?」
 翌朝、目を覚ましたエステルは、ヨシュアから突き付けられた『定期船失踪事件』を纏めた二百ページに及ぶファイルの存在に目を丸くする。
「別にどこだっていいでしょう、エステル。あなたの望み通り、私達もこのクエストに本格的に参入するわよ」
 まずはデータの解析作業から始めるよう指示する。ヨシュアが遊撃士の旅に同行している理由はエステルのサポートが主目的だが、かといって別段、甘やかすつもりは毛頭ない。
 正遊撃士になるには戦闘以外にも身につけねばならないスキルが山程あり、その一環として調査区域をエステル自身に選定させるつもりだ。
 ファイルをペラペラと捲りながら、普段使わない脳味噌をフル可動させたエステルは、「うーん」と唸りながら、プスプスと頭から煙を立ち上らせている。
 この三日間でヨシュアがコツコツと作成したクリアファイルには、八人の正遊撃士が調査した二百の情報がページ単位で記されている。
 内訳は
 A:事件で手掛かりを得られそうな有力な情報:10件
 B:今回のクエストで有益な情報:20件
 C:他の情報と照らし合わせることで無価値と判るネタ:70件
 D:今回のクエストでは役に立たない情報:60件
 E:全く無意味なゴシップネタ:40件
 となっているが、エステルの判断力を見極める為、ランク付けはヨシュアの脳内のみ。紙面には一切書き記されていない。
(いきなりAは無理としても、Bの情報ぐらいは自力で気がついてもらわないと困る。けど、今のエステルの対処能力じゃ、Cの引っかけ問題に嵌まってしまうかも。もし、Dの情報をピックアップしたら蹴飛ばしてやろう。まず有り得ないけど、本気でEに手を出したら、遊撃士そのものを諦めさせ……)
「ヨシュア、ラヴェンダ村に行こうぜ」
 色々と皮算用している最中。二時間掛けてファイルを読み終え、一通り内容を検証したエステルはそう宣言し、ヨシュアは自分の耳を疑った。
 エステルが指し示したページNO.089は、Aランクの中でも最も優先順位が高い特別な情報。カシウスと同じ非公式Sランクと称しても差し支えない。
「エステル、どうして、この場所が怪しいと睨んだの?」
 内心の動揺を押し隠し、ポーカーフェイスを維持しながら尋ねる。エステルは再び「うーん」と唸りながら、沈黙する。チェイスに至った経緯を、上手く理屈で説明できないらしい。
(これだから本能で生きている原始人は侮れないわね)
 少女が膨大な思考と計算による何千通りものシミュレートの果てに、ようやく導き出した結論に、野生じみた直感による一点読みで辿り着いてしまう。合理主義者としては理不尽さを嘆きたいところだが、このエステルの天性のカンの良さは遊撃士としての強みとなる可能性がある。
 いずれにしても珍しく兄妹の見解が一致した。お調子者のエステルを図に乗せない為に、「駄目元で尋ねてみましょう」と内心の思惑をひた隠しながら、急いで身支度を整えてフリーデンホテルを出発した。

        ◇        

「ヨシュアくぅーん。僕との一夜は、遊びだったのかい?」
 ホテルを飛び出した途端、洒落た白い燕尾服を着た男性が突進してくる。ヨシュアは反射的に一本背負いで、背中から地面に叩きつける。
「ふうー、相変わらす君の愛情表現はエキセントリックだね。けど、そんな意地悪で小悪魔的な君も素敵だ、マイエンジェル」
 ズシンと鈍い音がしたが、金髪の青年は堪えた様子がない。ぱんぱんと背中についた塵を叩きながら立ち上がり、キラリと白い歯を光らせる。こうしてみると中々の美男子で、色恋沙汰に免疫のない乙女なら心時めかしたかもしれないが、百戦錬磨のヨシュアは恒例のジト目で、「脳天から叩き落とすべきだったわね」と手加減を後悔する。
「なんだ、ヨシュア。男漁りにしくじって、とうとう火傷したのか?」
「そんな筈ないでしょう、エステル」
 プレイガール振りを揶揄され、ムキになって否定する。
「後腐れがないよう、外国からの旅行者だけを見繕って貢がせたわよ。この人はオリビエさんといって、アンテローゼ専属のピアニストよ。粉掛けたつもりはないのにバイトを辞めて以来、何故かしつこく付きまとってくるのよ」
 異性に対する節操の無さを咎められ傷ついた訳でなく、鴨の管理能力の低さを疑われたのが心外だった模様。色んな意味で呆れて、次の言葉が出てこない。
「ふっ、外国からの旅行者という意味では、僕も一緒なんだけどね」
「生憎とミラを持ち合わせていない貧乏人に用はないの」
 満面の笑顔でそう宣撫し、オリビエの存在意義を真っ向から否定する。
「ところで、その栗色の髪に背中に背負った物干し竿。ヨシュア君の義弟のエステル・ブライト君だね?」
 都合の悪いお言葉は、全て脳内から消去されたようで、優雅なステップを踏んでエステルの方に向き直る。ナイアルに続いてオリビエまでエステルを弟分扱いしており、ブライト姉弟化計画を押し進めるヨシュアの涙ぐましい努力は、ボースの地で着々と実を結んでいる。
「さっき、ヨシュア君が僕の名を口ずさんでくれたが、改めて自己紹介しよう。僕はオリビエ・レンハイム。漂白の詩人にして、稀代のミュージシャン。その僕の天才的なピアノの演奏を、さらなる上位のステージに昇華させてくれた天使のような歌声と共演した時、僕は確信した。彼女は僕の生涯のパートナー、つまりは花嫁になると。だからエステル君、君とも近い将来、家族となるわけだ。そんなわけだ、マイブラザー。僕のことをお義兄ちゃんと呼んでおくれ……って、アレ?」
 長々とした己の演説に自己陶酔している間に、ブライト兄妹は忽然と姿を消しており、十歳前後のカップル(ハリー&ミーナ)が「何あれ?」「振られたのよ」と雑談している。

「ふっ、相変わらず、照れ屋さんだな、僕のヨシュア君は」
 軽く髪をかき上げ、キラキラと乙女コスモを輝かせながら、流し目する。
 一人でポーズを決めても虚しいだけだと思われるが、ナルシストの彼には関係ない。ホテルの窓ガラスを鏡代わりに、自分の美顔は正面と横顔のどちらの方が映えるのかという解答不能な難題に、その場で三十分も悩み続けた。

        ◇        

「着いたわね」
 オリビエとの邂逅をなかった事にした兄妹は、西ボース街道からラヴェンヌ山道を登って、既に廃坑となったラヴェンヌ鉱山へと辿り着く。
 山道途上のラヴェンヌ村は、地理的要因から百日戦役で多くの犠牲者を出した村。
 被災地を尋ねた礼儀として、二人はきちんと村長に挨拶する。共同墓地へのお参りをした上で、件の目撃者の少年のルゥイから事情徴収をこなしてきた。
「高い洞察力が、反って仇になったわね」
 かつてルゥイ坊やの証言に基づき、この場所に辿り着いた遊撃士は、ここで調査を断念したが、その判断自体は特に間違ってはいない。廃坑の入り口は、頑丈な鎖と南京錠で封鎖されている。錆び具合から推測して数年は開錠された形跡はなく、従って盗賊達が最近出入りしている可能性もゼロ。
(それでも何かあるとしたら、物理的にはもうここしか残ってないのよね)
 八人の正遊撃士の調査資料を網羅し、ボース地方全域を俯瞰で立体的に認識しているヨシュアは、徒歩で捜索可能な見落とし場所は、この廃坑の内部のみなのを割り出している。これが外れなら、後は飛行艇を調達して、空から人の入れぬ険山を探索するしか道がない。
「ヨシュア、今からこの扉をぶっ壊すから、そこをどいてろ」
 物騒な提案をしながら、どっしりと物干し竿を構えて、『捻糸棍』の態勢を維持する。エステルの破壊力なら可能だろうが、後々面倒なことになりそうだ。
「一応聞くけど、どうして内部を調査しようと思ったわけ?」
「扉があるんだから、壊してでも先に進むのは当たり前だろ? 早く俺達であの子の話が夢じゃないって証明してやろうぜ」
 『無知は究極の知恵に通じる』という古代の哲学があるが、もしかしたら理屈抜きに真理に到達するエステルのことを指すのかもしれない。
 不思議そうに尋ねる脳筋兄貴の姿にそう天を仰ぎながらも、要領よく村長から前借りしていた廃坑の鍵を見せ軽挙を押し止めた。

        ◇        

「私の計算とあなたの勘は正しく報われたみたいね」
 内部は岩山の外の谷間へと繋がっている。射し込む日の光に誘われて、廃坑の外に出る。定期船リンデ号の前でロレントに出没した空賊艇が何らかの作業に取り組んでいた。
 どうやらここは露天掘りをしていた谷間のようだ。軍の警備飛行艇でのランダム哨戒では、発見は困難。
「あっ、あいつは?」
 見間違えよう筈もない。ロレントで結晶を巡って対立したジョゼットがカプア一家のメンバーに指示し、リンデ号から食料品などの荷物を空賊艇に運び込んでいる。
「ジョゼットの野郎。あいつらがリンデ号をハイジャックした犯人だったのか」
「エステル?」
 相変わらず独断専行癖が抜け切れないエステルは、特に前回の教訓を活かすでなく、ヨシュアの制止を振り切り突撃した。

「お前は、あの時の脳筋遊撃士?」
「久しぶりだな、盗賊の糞ガキ。あん時は随分と世話になったな。お前ら、チンケなコソ泥だと多寡をくくっていたけど、飛行船のハイジャックとは随分と大それた真似してくれんじゃないか」
「ええっ、それに関しては私も少なからず驚いているわ」
「ヨシュア」
 青天の霹靂そのもののエステルの出現に続き、ヨシュアまでもがセットで加わり、ジョゼット達は混乱する。
「私の名前を覚えていてくれて光栄だけど、正直、あなたにはガッカリしたわ。まだ遣り直しが効くかと思ったけど、見込み違いだったかしら?」
 今すぐ武力解決を図ろうとするエステルを制すると、空賊達と対話する。ジョゼットも刃先を向けて殺気だったメンバーを押し止める。
「失望したって、そりゃ、お門違いでしょ? 僕達はアウトローなんだよ。強盗、誘拐、殺人何でもお手の物」
「リベール王家との交渉が決裂したら、百人を超える乗客を皆殺しにするつもり? 十八人の女性、二十三人の子供、九人のお年寄り、二人の赤ん坊を含めて」
 強がりで悪者ぶる空賊ボーイに、カプア一家の行った所業の本質を叩きつけ、ジョゼットの表情がみるみると青ざめる。人質の過半が、女、子供、年寄りという乗客名簿から得たリアルな数値は、今までジョゼットが目を背けていた現実に否応なく向き合わせる力がある。この時にはエステルにも、少年の本質が情け知らずの悪党とは程遠いのを悟らざるを得なかった。
「ちょっと、あまり家の末っ子を苛めないでくれるかしら?」
 突如、上座から声がかかり、反射的に見上げる。ジョゼットと似た面影を持つ若い女性が、空賊艇の頂上出入り口から例の導力砲の照準をエステル達に向けている。
 彼女の名はキール。ジョゼットの実姉で、カプア一家の副長を務めている。
「よっしゃあ、姐さん。この生意気なガキどもを、とっちめやしょう」
 キールの介入に、ヨシュアの恫喝に飲まれて、意気消沈していた一家のメンバーが再び活気づく。ミストヴルドの森で遣り合った時よりも、手勢は倍以上で導力砲の助けもある。
 いくらエステルが化物じみた強さを誇るとはいえ、実質一人では勝敗の帰趨は明らか。ライルらは意気込むが、キールは部下達が戦力外と見做した口の達者な黒髪の小娘を一瞥すると、何故か導力砲の照準を折り畳んで武装解除した。
「姐さん、どうして?」
「勝ち目のない戦は止めておきましょう。多分、そっちの娘はその坊やよりも強いわよ」
 その言葉に盗賊達よりも兄妹の方が驚愕する。初見でいきなりヨシュアの潜在能力を見破った者など、ほとんど前例がない。
「姐さん、それは買い被り過ぎですぜ。そりゃロレントでは不覚を取りやしたが、ありゃ油断していたからで。坊ちゃんみたいなガンナーならともかく、あんなオモチャみたいな短剣を振り回した所で、何の脅威になるのですかい?」
「根拠なんて何もないわよ。強いて言うのなら女の勘ね。けど、ヤバイと感じた時のあたしの直感が狂っていたことが、一度でもあったかしら?」
 そう断言され皆沈黙する。実際、カプア一家の行動指針は、剛愎な頭領のドルンよりも、冷静沈着な副長のキールに支えられている。修羅場での彼女の第六感が一家の窮地を救ったのは、一度や二度ではない。
(厄介ね)
 キールの存在そのものに、ヨシュアは率直に危機感を覚える。
 細身の身体、嘘つきの手、敢えて隙だらけを装った風体。
 理知的で観察力の高い者ほどヨシュアの術中に嵌まり、実力を読み違え易いのだが、単なる直感で強さを見当てられては、上記の擬態は何ら意味を持たず対処のしようがない。
 エステルもそうだか、勘だけで真実を見極める人間は、少女にとって天敵そのものだ。
「前回、この子が盗んだ結晶は、何時の間にか奪い返されていたみたいね。というわけで、この場もまた痛み分けという形で手を打たない?」
 そんなヨシュアの警戒心を露知らず、煙草に火をつけて一服したキールは、二人に手打ちを持ちかける。
「信じてもらえないだろうけど、今回の誘拐劇は私たちも本位じゃないのよ。だからリンデ号は中にいる人質ごとこの場に残して、私らはワイルドキャット号でこの場を去らしてもらう。どう悪くない取引でしょ?」
 キールの懐柔案に、ある事情からジョゼット達は眉を顰め、エステルの心はぐらついた。
 遊撃士として盗賊相手に妥協するなど論外だが、最優先すべきは民間人の安全確保。
 ジョゼットの奥の手は既に晒されているし、対集団戦闘の権化のヨシュアが一緒なら、この数相手でも負ける気はしないが、リスクを冒さずに人質を救える手段があるのなら、まずはそちらを選択すべきではないか?
「それは、取引になっていないわね。だって、リンデ号の中には、人質は一人も残っていないんでしょ?」
 そんなエステルの心の迷いを断ち切るが如く、キールの甘言を突っぱねる。
 既にハイジャック事件が起きて二十日を数えるが、これだけの長期間、百人以上の乗客の食い扶持を維持するには相当量の食料が必要。故にここ最近の彼らの盗みは、全て飲食物関連に限定されている。
 もし、リンデ号の中に丸々人質が取り残されているのなら、貴重な食料品を態々船外に運び出したりしない筈。その推理の正鵠さはジョゼット達カプア一家の後ろめたそうな表情が顕著に物語っていた。
「あらあら、その娘が厄介なのは戦闘能力よりも、むしろ頭の切れ具合の方みたいね。そちらの腕力だけが取り柄そうな坊やと違ってね」
 根が正直者な地上のジョゼット達と異なり、艇上のキールは特に悪びれずに、煙草で煙のわっかを吹かす。人質騒動でジョゼットを見逃したロレントでの選択は、どうやら正解だったのをヨシュアは悟り、キールの人を舐めきった態度にエステルは沸騰する。
「このクソババア、騙そうとしやがったな?」
「婆って何よ? あたしはまだ二十三歳よ。どうやら交渉は決裂ね、かくなる上は」
「実力行使か? 上等だ、受けて立つぜ」
 物干し竿を構える。柄にもない懐柔案などに流されずに、最初からこうやって大暴れすれば良かったと軽く後悔したが、キールが選んだのは戦闘ではない。
 発煙筒が地面に放り投げられる。この辺り一帯をスモックで被い尽くし、二人の視界を奪う。
「ごほっ、ゲホゲホ。何だ、これは? 目に染みる」
「三十六計逃げるにしかずってね、バイバーイ。あっ、そうそう、老母心ながら、あなた達もサッサとこの場を離れた方が良いわよ。でないと……」
 キールが何か忠告しようとしていたが、距離に阻まれて、最後まで聞き取ることが出来ない。煙幕が風に流される。咳き込んだエステルの視界が開けると、一家全員を収容した空賊艇は空の遥か彼方に消えていた。

「なるほど、あの一致団結した逃げ足の速さがあるから、大した戦闘集団でもないカプア一家に今まで逮捕者が一人も出なかったわけね」
 服や顔に煙を吸い込んで、土人のように真っ黒になったエステルと異なり、ちゃっかり風上に避難し奇麗な身体を保ったヨシュアが分析する。
「さてと、リンデ号の中を調べましょう、エステル。人質はいなくても、何か手掛かりが残されている可能性は十分にあるわ」
 エステルが口を開くよりも先に、建前の口上を並べながら船内に駆け足で逃げていく。エステルはタオルで顔を拭って、気持ちを落ち着ける。
 シンガーは咽喉の声帯は生命線なので、ヨシュアのチョイスを責められないが、単に服と肌が汚れるのを嫌っただけという見方も出来なくはない。
 背後からガバッと抱きつき、あの汚れを知らぬ白い肢体を煤で真っ黒に染め上げたいという腹いせの欲望を必死で抑え込みながら、ヨシュアの跡を追った。

        ◇        

 一通り船内を捜索してみたが、当然中に人質はおらず。船底の倉庫に僅かに盗賊達が運び損ねた積み荷が残っているだけ。
 いくつか推測できることはあるが、どのみち徒歩での捜索はここまでが限界である。この定期船の存在は軍に伝えないわけにはいかないだろうし、警備飛行艇を保持する王国軍の協力を仰ぐことで方針は定まったのだが。
「どうした、ヨシュア?」
 一階の出口に向かおうとした刹那、ヨシュアはタラリと一筋の汗を流して、その場にフリーズした。
「そう、あのキールとかいう女性の捨て台詞は、そういう意味だったのね」
 何やらヨシュアが思わせぶりな発言をし、エステルは苛立ちを隠せなくなる。
「またお利口さん特有の韜晦かよ? きちんと説明してくれれば、俺だって本質を理解できるのだから、面倒臭がらずに何に気づいたのか教えてくれよ」
「今回ばかりは私が解説するよりも、実体験した方が早いと思う。ごめんなさい、エステル」
 両手を合わせて謝罪しながら、それだけを告げると、その場所から忍者のように一瞬で姿を消した。
「一体、何なんだ、あいつは? こんな緊急時にかくれんぼか?」
 だとしたら、エステルはおろかカシウスでさえも探し出すのは不可能。船内からヨシュアの気配が完全に途絶えたので、仕方なしに一人で定期船の外に出る。

        ◇        

「動くな、空賊の一味め! 武器を捨てて投降しろ!」
 ヨシュアの指摘通り、エステルは一発で現状を把握した。
 リンデ号は多数の王国軍の兵士に取り囲まれており、四方八方から二桁を超える導力銃の照準がエステルをロックオンしている。
「はっはっはっ。ヨシュアの奴は、これを見越していたというわけか」
 愚兄を見捨てて一人でトンズラかました賢妹の麗しい選択に、乾いた笑いしか出てこない。
 常にエステルに貧乏籤を押しつけるヨシュアのズル賢さに関し悟りの境地に達しているつもりだったが、こいつは笑って済ませられる限度を超越している。

 駄目元で遊撃士の紋章を見せて身の潔白を訴えようとしたが、案の定、この場の最高責任者の遊撃士嫌いのモルガン将軍には何の効果もない。エステルは事件の重要参考人として王国軍にしょっぴかれ、事態は風雲急を告げる。



[34189] 06-05:消えた飛行船の謎(Ⅴ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/04 00:05
「だから、さっきから俺はブレイサーだって主張しているだろ?」
「ふん、それが本当だとして、その立場が身の潔白の証になるものか」
 警備飛行艇でエステルはハーケン門へと護送される。取調室でモルガン将軍から直々に尋問させるが、会話は平行線を辿り一向に進展しない。
「特に見習いの準遊撃士には、窃盗目的の者が多く紛れていると聞いた。大方、お主もそういう手合いだろう? とすれば、あの場所にいたのも辻褄が合う」
「なっ? このクソ爺、ブレイサーを犯罪者扱いするんじゃねえ!」
 遊撃士としての誇りを侮辱され、エステルはブチ切れる。後ろ手に手錠を掛けられた態勢のままモルガンに踊り掛かる。
 当然、脇を固める二人の警備兵が取り抑えようとしたが、エステルはラガーマンのようなパワフルさで暴走を続ける。更に三人の兵士がおぶさって、ようやく鎮静化に成功する。
「威勢だけは一丁前だな、小僧」
 大人五人に組み伏せられたまま、ガルルーと大型魔獣のような唸り声で威嚇するエステルを、筋骨逞しい老軍人は呆れたような視線で見下ろす。
「小僧じゃねえ。俺はロレントの準遊撃士、エステル・ブライトだ。覚えておけ、ジジイ」
「何、ロレントのブライトだと?」
 郷土の地名と何よりもエステルのファミリーネームに反応し、至近からエステルの顔を覗き込む。
「まさか、お前、カシウスの」
「あん、親父のことを知っているのか、爺さん?」
 目の前の白髪白髭の老人から父親の名前が出て、エステルは戸惑う。そういえば、カシウスは遊撃士になる以前は軍に在籍していたし、その当時の知り合いだろうか?
「自称ブレイサーの若造、先程からモルガン将軍に対して無礼であろう」
「モルガン? じゃあ、この爺さんがあのモルガンか?」
 ジジイを連呼する老人敬護心の欠如を副官が窘めようとしたが、エステルの傍若無人はさらに悪化し、とうとう呼び捨てレベルへと到達。
 日曜学校の歴史の授業をお昼寝タイムに割り当てていた劣等生は、モルガン将軍を百日戦役の表の英雄としてでなく、武術大会覇者の単なる一武芸者と記憶していた。
「王都の武術大会は、大陸全土から腕自慢が集うと聞いていたけど、こんな年寄りが勝ち残れる程レベルが低いのかよ? いや、ヨシュアの例もあるし、見た目や年齢で強さを図るのはNGだな。今年は俺も五年ぶりに、大人の部に参戦するつもりだから、決勝で手合わせ出来るのを楽しみにしているぜ、爺さん」
「貴様、自分の立場が本当に判っているのか?」
 リベールの武神と畏怖された将軍閣下を前に減らず口を叩き続けるエステルに、周りの兵士は沸騰したが、肝心のモルガン自身は他者には与かり知れない葛藤を胸中に抱え、無言を貫く。
「モルガン将軍?」
「コホン、今日の取り調べは、ここまでする。その者は牢屋にでも放り込んでおけ」
 副官の声に現実に返る。軽く咳払いし尋問を中途半端に打ち切ると、取調室を後にする。その時、一瞬だけエステルを振り返ったが、取り調べ前と異なり、将軍の瞳にエステルを嘲る色は残されていなかった。

        ◇        

「やあ、奇遇だね、マイブラザー」
 地下牢には既に先客がいた。金髪の青年が人好きのする笑顔で、手枷を解かれたエステルを出迎えてくれる。
「えっと、誰だっけ?」
「僕だよ、僕。稀代の演奏家、オリビエ・レンハイム。将来、君のお義兄ちゃんになる男だよ。というか、今朝方、自己紹介を済ませたばかりだというのに連れなくないかい?」
 牢獄という暗い場を和ませるジョークでなく、どうも本気で忘れているっぽい。オリビエは常になく取り乱して自己アピールを繰り返す。
「ああ、そういえば、そんな奴もいたっけか?」
 人は今日まで食してきたパンの枚数を数えないのと同様に、エステルにしても義妹に玉砕した鴨の顔など、面倒で一々記憶に留めてはいられない。
「多分、今頃、ヨシュアもあんたの存在を記憶チップから抹消しているぜ。あいつ、面食いじゃない上に、男を利用価値の有無で篩に掛けやがるからな」
 カラカラと大笑いしながら太鼓判を押し、さらにオリビエをへこませる。
「ああっ、彼女の心は何と無情なのだろうか。僕はヨシュア君の為に、この煉獄で縛めを受けているというのに」
 リュートを奏でて、哀愁漂うメロディーで悲しみを表現し、エステルはその発言を聞き咎めた。
多くの男性を謀ってきたヨシュアの行動は褒められた物ではないが、基本的には意図的な出会いと円満な破局を繰り返す合法詐欺師で、使い捨てた男性を破滅にまで追い込んだことはない筈。
「おお、聞いておくれ、マイブラザー。この僕の身の上に降りかかった悲劇の顛末と、彼女への愛故の業の深さを」
 多額の借金の連帯保証人にでもさせられたのかと、最初は熱心に耳を傾けていたが、話が進んでいく内に馬鹿らしくなってきた。
 要約するとオリビエは、ヨシュアの気を引くにはどうすれば良いか悩んだ挙げ句、バイト先のアンテローゼの貯蔵庫に保存されていた高級そうなワインを無断で拝借した。
 そのまま持ち逃げしたりしないのが、この男の規格外な所で、勝手に席の一つをRESERVED(予約席)にし、ワインのコルクを抜いて先に賞味した挙げ句、厚かましくも支配人にヨシュアをここに招待するように命令した。
 堪忍袋の緒が切れた支配人が呼んだのは、当然ヨシュアではなく、王国軍の兵士たち。あれよという間にオリビエは、高級ワイン『グラン=シャリネ』の窃盗犯として、ここまで連行された。

 それからグラン=シャリネの美味しさとヨシュアの美貌を賛美する、オリビエの歯の浮くような台詞が聞こえてきたが、エステルの耳には入らない。
 たかがワイン一本でここまで大騒ぎするレストラン側の対応もどうかと思うが、流石にこれはヨシュアの責任とは違うだろ。
「ああー、ヨシュア・ブライト。愛しき人よー。君の儚き美しさが、僕の心を狂わせる」
 再びリュートを奏で自己陶酔モードに入ったが、構わず寝ることにする。
 寝付きの良さには定評のあるエステルは、かしましい隣人のリュートを子守歌に、一晩を留置場で過ごした。

        ◇        

「おい、エステル・ブライトだっけ? 釈放するから外に出ろ」
 翌日の昼過ぎ、寝坊したエステルが目を覚ますと、見張りの兵士が鍵を開けて牢から解放し、没収された得物の物干し竿まで返却してくれた。
「おいおい、たった一晩で何があったんだよ?」
 急激な情勢の変化に面食らう。ギルドに照会して彼の身元を確認できたとしても、遊撃士を歪んだ偏見のレンズで眺めていたモルガン将軍が、簡単に自由の身にしてくれるとも思えないが。
「エステルぅー、無事だったのねー」
 突然、瞳に涙を溜めた我が義妹が、凄い勢いで胸元に飛び込んできた。
 リンデ号の内部は、王国軍の兵士たちにより鼠の隠れる隙間もないぐらい隈なく探索された筈なのに、得意の隠密能力を駆使し見事にあの場から逃げ果せてきたみたいだ。
「ヨシュア、お前」
「お義姉さんに感謝するんだね。彼女がメイベル市長から預かった手紙を見せて、将軍閣下を説得してくれたから、早期釈放に踏み切れたわけだしね」
「馬鹿、馬鹿、エステルの馬鹿。私を置いて一人で調査に行って、捕まるなんて。ずっと心配していたんだから」
 どうやって現職のボース市長を丸め込んだのかは判らないが、そういう設定で話が進んでいる模様。
「エステル、エステルぅー、ひっく、ひっく、ううっ」
 義兄の名を連呼し、さめざめと真珠の涙を零しながら弱々しく胸元に縋ってきたが、以前石化した時と違い今度は100%純正の演技。
 白い目でヨシュアの後頭部の生え際を見下ろしたエステルは、その小賢しい頭を小突きたくなったが、周りの兵士たちが姉弟の麗しい再開劇に感動して最中、手が出し辛い。
「さあ、ここにはもう用はないから、モルガン将軍に挨拶して戻りましょう、エステル」
 人指し指で睫毛についた涙を拭き取ると、満面の笑みでエステルの左腕を掴んで、さっさとこの場を立ち去ろうとする。
「ヨシュア君。無視するにしても、少しあからさま過ぎやしないかい?」
 牢の奥から一緒に一夜を明かした男性から非難の声が上がり、胸下から軽く舌打ちした音が聞こえた。
(喜べ、オリビエ。義妹はまだお前のことを覚えていたみたいだぞ。ただし、このまま煉獄で一人で朽ち果てて欲しいと望んでいるみたいだけどな)
「エステル、一応聞くけど、どうしてオリビエさんはここにいるの?」
 その原始的な質問に、昨晩にオリビエから得々と聞かされた喜劇について、かい摘んで説明する。
「ワインの窃盗ねえ。思い詰めるのは自由だけど、人を勝手に従犯扱いして巻き込まないで欲しいわね」
 無慈悲な感想ではあるが、確かにヨシュアでなくても、振られた男の自暴自棄に一々女の側が責任を取らされては敵わないだろう。
「まあ、オリビエも非常識だけど、レストランの大袈裟な反応もどうかと思うけどな。いくら高いといっても、たかがワイン一本だろ? えっと、ぐらんしゃり……何て、言ったっけ?」
「グラン=シャリネ1183年物だよ、エステル君。鼻腔くすぐる福音たる香り。喉元を愛撫する芳醇な味わい。ヨシュア君も結構な酒客のようだし、あの薔薇色に輝く時間と空間を共有できれば、彼女のハートも鷲掴みと思っていたんだけどね」
 檻の向こう側から高級ワインの解説を加えながら、昨日の至福の一時を思い出して心ときめかす。その後、現実に返ったオリビエは、鉄格子を隔てた自分とヨシュアの今現在の立ち位置の違いに嘆息した。
「エステル、オリビエさんの申告に偽りがなければ、アンテローゼの対応は至極マトモよ。グラン=シャリネ1183年物は、シェラさんが一口でいいから賞味したいと羨望していた王都のオークションに出品された幻の逸品で、確か五十万ミラで落札されたそうよ」
 酒飲み悪友から仕入れたネタを披露され、エステルは仰天する。
 目の前の不良少女と異なり、エステルは未だに飲酒経験はないが、酒なんて高くても数千ミラで購買できる代物だと多寡を括っていた。たかだが葡萄を発酵させただけの飲料に一戸建て住宅を購入するのに等しい値がつくとは、売る方も買う方もいかれているとしか思えない。
「エステル君、そうやって表層的な事象だけで、物事を切り捨てるのは良くない。それを言うなら、一千万ミラの巨匠アマデウスの絵画も単なる絵の具の塗りたぐりだし、君の美しい義姉君だって水と蛋白質の複合体で落ち着いてしまう。玲瓏たる美女、水も滴る美少年、天上の調べ、心洗われる風景、匠の傑作、魂を震わせる物語に極上の酒と料理。全ては儚くも美しい人類の英知の結晶だよ」
 再び長ったらしい演説を交えて芸術を讃歌したが、かといって虜囚の立場が変わるでも、飲み逃げ行為が正当化される訳でもない。
「まあ確かに、こんな傍迷惑な奴は、ずっと檻の中に閉じ込めておいた方が世の中の為かもしれないな」
「そんな酷い、エステル君。掌を返すように」
 エステルの中に残留していた同情心が限りなくゼロに萎んだが、逆にヨシュアははじめてオリビエという存在に興味を示したかのように、マジマジと彼の顔を眺める。
「オリビエさん、年式まで空で言える所を見ると、あなた、グラン=シャリネの価値を予め知っていたのよね? 仮に昨晩、私の招待に成功したとして、その後どうやって莫大なミラを支払うつもりだったの?」
「ふっ、決まっているだろう。この僕の華麗な演奏でだよ。以前も話したと思うけど、帝都の大劇場でオペラの主演を努めた時は、一晩で百万ミラを稼いだものさ」
「おい、さっさと行くぞ、ヨシュア」
 これ以上、与太話には付き合っていられないとばかりに、エステルが急かす。この帝国人の正体は単なる法螺吹きか、もしくは誇大妄想癖のキチガイらしく、どちらにしてもロクな代物じゃない。
「ねえ、兵士さん。ブレイサーの私が、オリビエさんの身元引受人になる上で保釈金を払うから、この人をここから出してあげられないかしら?」
 何やらとんでもない主張がなされて、この場にいる全員の度肝を抜く。
 見張り役の兵士は上役を呼んで、ヨシュアの発言を協議する。現在、王国軍は例の空賊対策で忙しく、それと無関係な軽犯罪に一々携わっていられないのが実状で、ギルドの側でこの問題児を引き取ってくれるのなら大歓迎だ。
 ネックはレストラン側から民事訴訟が届いている為、和解を求めるなら保釈金の代わりに相応の示談金を支払う必要があるのだが。
「五十万ミラね、ギリギリ足りるかしら」
 懐からカードを取り出すと、机の上に置かれた機械に差し込んで、兵士長に何かを告げる。それから周囲の様子が慌ただしくなり、兵士長が電話で何かを確認すると、オリビエを閉じ込めていた檻が解錠された。
 ヨシュアはニコニコと微笑みながらオリビエの手を握ると、一枚の紙切れを彼に差し出した。
「おめでとう、オリビエさん。後はこの書類にサインすれば、あなたは自由の身ですよ」
「ありがとう、ヨシュア君。僕の為にここまでしてくれるなんて。とうとう僕の真心が君のハートに届いたのだね」
 瞳をキラキラと輝かせながら、ヨシュアの手を強く握り返すと、碌に文面も読まずに、すらすらと達筆で『オリビエ・レンハイム』と一筆書きした。
 悪魔との契約書に、血印で署名してしまったとも知らずに。

 こうして信じられないことに、エステルに続いてオリビエまでもが、たった一晩で釈放されることになる。エステルとヨシュアは、モルガン将軍に二三、父親に関する質疑を交えて挨拶した上で、ハーケン門を後にした。



[34189] 06-06:消えた飛行船の謎(Ⅵ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/04 01:15
 ハーケン門を出たエステル達一行は、ボース市を目指してアイゼンロードを下っていく。
 途中、何度か検問に足を止められたが、ヨシュアが通行許可証を見せると、ほとんど顔パスレベルで通してくれた。水戸黄門の印籠よろしく効果を発揮する一品も、メイベル市長から借り受けたらしく、軍とモルガン将軍への個人的な影響力の高さが目に取れた。
 最後の検問を抜け、東ボース街道に足を踏み入れたエステルは、ようやく周囲から王国軍兵士の目が途切れたのを確認すると、昨日からの不満をぶつける。
「ヨシュア、お前、一人でトンズラかましておいて、よくもまあノコノコと俺の前に顔を出せたもんだな?」
「あら、あの場で二人仲良く逮捕される事に、一体どんなメリットがあったのかしら?」
 義弟を心配する殊勝なお義姉さんの仮面を外して、しれっと答える。
「私が市長さんに掛け合わなければ、エステルはしばらく牢獄暮らしが続いていただろうし、薄寒い地下牢の中では私のお肌も荒れるしで、一つも良いことがないじゃない」
 前後の主張の落差が大きすぎるが、ヨシュアの選択に誤りがなかったのは、檻の外に出られた現在のエステルの立ち位置が物語っているとはいえ。
「駄目だよ、お義兄ちゃんを置いて、一人で逃げるなんてできないよ」
「お前一人なら、ここから脱出できる。俺のことは構わず行くんだ、ヨシュア」
「ひっく、ひっく。絶対、絶対、助けに来るからね。約束だよ、お義兄ちゃん」
 というような兄妹間の心温まるエピソードがあれば気持ちよく送り出せたのだが。合理主義の塊の義妹は何の説明も無しにいきなりドロンしやがり、兄の権威に懐疑的にならざるを得ない。
「まあ、その件はひとまず置いておくとして。お前、どんな魔法を使って、あいつを牢屋の外に出したんだ?」
 チラリと後ろを振り返る。ご機嫌のオリビエの様子を眺めながら、もう一つの疑惑を提示する。
「魔法も何も、このカードで和解金を支払って、店側に訴訟を取り止めさせただけよ。おかげで私の口座はスッカラカンになってしまったけどね」
「和解金って、まさか五十万ミラをか?」
 田舎町のロレントでは馴染みの薄い、帝国銀行(エレボニアバンク)のキャッシュカードを見せながら、ヨシュアはコクリと頷く。
 物欲に素直で宵越しのミラを持たない主義の貧乏な義兄と異なり、義妹はついさっきまでは、ちょっとした小金持ちだったみたい。なぜ、ヨシュアがそんな大金を所持しているのか不思議に思ったが、この銀行口座はブライト家の養女になってからの五年間でコツコツと貯めた全財産らしい。
「父さんから貰った月々のお小遣い(1500ミラ)と、色んなバイトで稼いだミラを預金していたら、気がついたら今の額に膨れ上がっていたの」
 実子のエステルの三倍強の手取だが、親父の依怙贔屓分を差し引いても、ヨシュアはブライト家の家事を一手に引き受けているので、まあ妥当な額だ。
 実際レナが亡くなってからの五年間と、ヨシュアが養女になってからの同年月を較べれば、食生活を含めた生活水準は一変したので、ハウスキーパーを雇う手間賃を考えれば遥かに安上がりだ。
「預金を定期にして寝かせておくと、一年で8%ぐらい利息もつくことだしね。常に大金を持ち歩くのも物騒だし、エステルもカードを作るのをお薦めするわよ」
 十年前の戦争で色々あったので、ロレントの市民レベルで帝国資本の銀行を利用する者は少ないが。今、エレボニアは鉄血宰相オズボーンが主導する帝国全土の鉄道網化と周辺自治州の併合による空前のバブル景気。口座残高の30%近くは五年分の定期の利息分というのだから、たまげたもの。
 最後にヨシュア曰く、居酒屋アーベントでの一年間の荒稼ぎが特に効いたらしい。エリッサの父デッセルとの契約で、黒猫メイドの歌唱デビュー中は歩合制で稼ぎを折半していたので、一夜で一万ミラを超える高収入を得た日もあった。
「まあ、一晩で百万ミラ稼いだオリビエさんに比べたら、可愛いものだけどね」
 クルリと一回転すると、お茶目な仕種で軽く舌を出す。この謙遜は単なる嫌味か、それとも本気? 楽観主義者のエステルをして現実味の欠片も感じられないオリビエの妄言を、まさか徹底した合理主義者のヨシュアが真に受けるとも思えないが。
「けど、お前、ミラ遣いは俺より荒い方じゃなかったのかよ? クローゼット一杯に飾ってあるブランド服や装飾品は、どうやって手に入れ……」
 そこまで言い掛けて、言葉を飲み込む。
 プロ級の料理と裁縫技術を兼備するヨシュアは、安価な材料を元手に男達に美味しい手料理を振る舞ったり、市販品よりも上質の手編みの服や小物を繕ってプレゼントしたりしていたのを思い出した。
 それらが後々に、ヨシュアが欲していたブランドギフトに化けるのだから、等価交換の法則を無視した大した錬金術だ。
 更にデート費用は男が全額受け持つのが、『殿方を立てる女性の甲斐性』だと本気で信じきっている。店での飲食で一切身銭を切らないのは、彼女の別人格のカリンの行動が立証済み。これなら手持ちのミラを温存したまま、リッチな生活を満喫するのも可能。
 とはいえヨシュアは無償での金銭自体の受け取りは頑なに拒むポリシーだし、貢がせた品々の転売も行わないので、口座のミラは彼女が自力で稼いだのだろう。
 エステルとしても、別段、義妹の紐になるつもりはない。故にロレントのクエスト中、赤貧ポーズで大金を隠し持っていた事実を咎める気はないが、尚更、大切に温めていた預金を目の前の変人の救済に全額注ぎ込む気になったのか不思議で仕方がない。
「お前、まさかとは思うけど、百万稼いだとかいうオリビエの与太話を本気にしているわけじゃないだろうな?」
「さて、どうかしら。強いて今回のボランティアの動機あげるなら勘かしらね」
「勘だと? そりゃ、一体どういう風の吹き回しだ?」
 それは思考と演算を尊ぶヨシュアが、最も毛嫌いしていた曖昧要素そのもの。
「エステルやあのキールって女性を見て、私も少し考えを改めることにしたの。元々女は勘の鋭い生き物なんだし、それを生かさなくちゃ損でしょ?」
「どんな天のお告げで、全財産をオリビエに寄付する塩梅になったんだよ?」
「私にも判らないわよ。ただ何となく、今この場でこの人に恩を売っておいた方が良い気がした。本当にそれだけよ」

        ◇        

「なあ、ヨシュア。ここって?」
 まずはギルドに連絡を入れるものと思いこんでいたが、ボース市に辿り着いたヨシュアは、なぜか以前のバイト先の前で足を止める。
「おおっ、僕たちの愛を育んだ麗しのアンテローゼではないか?」
 先の事件にまるで反省の色を見せないオリビエが寝言をほざいていたが、「ちょっと忘れ物を取りに行くだけよ」とヨシュアが入店したので、エステルとオリビエも続いた。

        ◇        

「ヨシュアさん、こちらです」
 奥の方にあるVIPルームから、黄土色の髪をポニーテイルに束ねた若い女性がエステル達を手招きする。
 内部は一般テーブルから隔離されたプライベート空間になっており、上座に腰掛けた女性の側には、水色の髪の仏頂面した若いメイドさんが佇んでいる。
「エステル、こちらがボース市長のメイベルさん。彼が私の義弟のエステル・ブライトです、メイベル市長」
 両者と面識のあるヨシュアが手早く双方向で紹介を済ませる。まだ二十歳前後と思わしきボース市長の若さにエステルは面食らう。特に我が町のクラウス市長が結構なご老体なだけに、カルチャーショックも一押しだろう。
「エステル、何を置いても謝辞の方が先でしょう? 市長さんが裏口を合わせて、クエストの依頼書を添えたモルガン将軍宛の手紙を認めてくれなかったら、強行手段に訴えなければいけない所だったのよ」
 強行手段とは、まさかハーケン門を襲撃しエステルを脱獄させるという意味だろうか? あまり深くは考えたくなかったので、催促通り市長に感謝の意を捧げる。
「礼には及びません。あなた達二人は見習いの身分で、正規の遊撃士が束になっても発見できなかったリンデ号に独力で辿り着いたそうじゃないですか」
 メイベル市長の正遊撃士への発言には若干棘があったが、色んな制約を受けた準遊撃士に出し抜かれたとあっては言い訳出来まい。
「人質が戻らなかったのは残念ですが、これだけでも事件は新たな展望を迎えたと言えます。流石はカシウスさんのって、これは禁則事項でしたね、ヨシュアさん」
 何やら思わせぶりな発言を途中で引っ込め、エステルは小首を傾げる。メイベル市長が二人に肩入れする理由は、事件の手掛かりを見つけたのと同比率で、エステルの血筋に期待感を抱いたことらしい。
「メイベル市長。クエストの件は後ほどギルドに場所を移してから話し合うとして、例の後始末を済ませたいのですが」
「そうでしたわね」
 ヨシュアの催告に応じて、チリリンとテーブルに置かれた鈴を鳴らす。支配人のレクター直々に、ハンカチでくるんだワインの瓶を大切そうに抱えてきた。
「あっ、オリビエ? 貴様、どの面下げて、ここに」
「おお、レクター支配人ではないか? やっと僕に反応してくれる人がいて嬉しいよ」
 レクターは親の仇のような目で窃盗犯を睨んだが、ヨシュアの紹介から溢れたオリビエは、十年来の知己と出会ったかのように諸手をあげて歓迎する。
「レクター、あの件は示談が成立したのは判っている筈です。お下がりなさい」
 メイベルが一喝すると、レクターは一級の雇われ人らしく不満を表情に出さないよう気を遣いながら、ワインをテーブルの上に置いて退出する。この遣り取りから明確な主従関係が見て取れる。メイベル市長はボースマーケットやデパートだけでなく、このアンテローゼのオーナーでもあるらしい。
「あなたが、ここの専属ピアニストだったオリビエさんですね? レクターはあなたの演奏とヨシュアさんの歌唱を絶賛していましたし、わたくし個人もあなたのような自由奔放な方は嫌いではないので、こんな形になってしまい残念です」
 社交辞令でなくオリビエの才能とキャラクターを惜しんだが、当の本人は全く悪びれた様子がない。得意の美辞麗句で市長の若さと女傑振りを絶賛し、ついでにメイドのリラにまで粉をかけ始めたがシカトされる。
「いやはや、リラ君は実に手強い。ところでメイベル市長。さっきから気になっていたのだが、もしやそれは」
「ええ、あなたが二口ほど賞味したグラン=シャリネ1183年物です。示談が成立した地点で所有権はヨシュアさんに移ったのでお渡しします」
「ってことは、これが噂の五十万ミラもするワインかよ?」
 オリビエが指差した古いラベルの貼られたボトルを、エステルはマジマジと眺める。確かに良く観察すると、一度コルクを抜かれた跡がある。
「エステル、このグラン=シャリネに五十万ミラの価値があったのは昨日まで。一端封を切られた高級ワインは死んだも同然で、今は二束三文の値打ちしかないわよ」
「何でだよ? そりゃ量は少し減っちまったし、風味は多少衰えたかもしれねえが、一日や二日で、そこまで品質に違いは出ねえだろ?」
 未だに飲酒経験のない素人から、実に健全な意見が飛び出すが、上流階級の住人であるメイベルは、心苦しそうにフォローを入れる。
「エステルさん、残念ながらヨシュアさんの言うことは真実です。わたくしはソムリエではないので詳細は省きますが、通常十年と持たずに風味が劣化するヴィンテージの中でも、数十年という長いスパンの熟成に耐えたワインに途方もない値がつけられことがあります。いわゆる貴族の好事家は、そんな奇跡のワインの最初の一口となることを求めて、莫大なミラを落としてくれるのです。実際、グラン=シャリネも、いずれ百万ミラでの買い手が現れるのを見越しオークションで競り落としたのですから」
 金持ちの世界のシステムは良く判らないが、五十万ミラの元手の発酵飲料が百万ミラに化けるとすれば、汗水垂らして働くのが馬鹿馬鹿しくなるようなヨシュアも真っ青な錬金術。その目論見も、帝国からの風来人の暴挙で御破算にされてしまったが。
「納得いかねえ」
 法外な値付けもだが、そうまで求めた逸品を中古になった途端に無下にする好事家の感性が理解できない。
「殿方の中には、意中の女性が処女か否かに病的に拘るタイプが結構いるみたいだけど、それと似たようなものだと思えばいいわ、エステル」
「中々に豪快な譬えだけど、意外と的を射ているかもしれませんね」
 メイベルは照れ笑いし、リラはポーカーフェイスを維持しながら、僅かに頬に赤みが射している。「僕はどちらも美味しく頂ける口だけどね」とのオリビエの発言は全員から無視された。
「けど、エステルの言う通り、このグラン=シャリネが、コルクを抜かれる以前の風味を維持していることに変わりはないわ。だから、今ここにいる全員で飲んでしまいましょう」
 ハーケン門に続いて、また大胆な提案がなされ、この場にいる全員を驚嘆させる。
「ヨシュアさん、本当にそれで、よろしいのですか?」
「はい、メイベル市長にはエステルを助けてもらった恩がありますし、この機会に商人である市長自身の舌で、グラン=シャリネの適正価格を割り出すのも面白いかと」
「賛成だ、流石は僕のヨシュア君は、人間としての器が違うね。けど、このグラン=シャリネを飲むとなると、それに見合うディナーが欲しい所だ。昨晩から何も食べさせてもらっていないから、お腹も空いたことだしね」
 最も自重しなければいけない立場の人間から、何とも図々しい要求が飛び出したが、この場にいる者はオリビエのキャラを把握しているので、誰も咎めようとはしない。
 「彼の言うことも一理ありますね」と、メイベルは苦笑しながらも帝国人の見解を是とし、再び鈴を鳴らして支配人を呼び込んだ。

 それからメイベル市長の奢りで、アンテローゼの最高級の料理が次々と運ばれてきて、未成年のエステルとメイドのリラまでもが、この晩餐会の相伴に与かることになった。
「これが五十万ミラのワインの味かよ? 何か思ったより苦いものなんだな」
 軽犯罪(※本当はヨシュアもだが)は一夜の夢ということで、食前酒としてはじめてエステルはアルコールを口にしたが、大して執着を持たずに血のソースの滴る鴨肉のソテーの方に意識を移す。エステルに掛かればグラン=シャリネも形無しだが、舌が未熟なアルコール初心者の感想としては無理はない。
「くっくっくっ」
「どうした、ヨシュア?」
 ソテーをペロリと一呑みしたエステルは、口元を抑えながら、くぐもった笑い声を漏らす義妹の姿を薄気味悪そうに見つめる。
「いえね、エステル。シェラさんは、グラン=シャリネを奢ってくれる殿方がいたら一夜を共にしてもいいと狂おしい程にこのワインを羨望していたのに、まさかエステルのアルコールデビューで飲まれたと知ったら、地団駄踏んで悔しがるだろうなと思って」
 その有り様を想像するだけで、まるで五十万ミラの元が取れたが如くの幸福の余韻に浸っている姿を見るにつけ、ヨシュアとシェラザードが心から分かり合える日は多分永遠に訪れることはないのだろうなと達観した。

 やがて、実質五十二万ミラの会計を数えた贅の限りを尽くした晩餐会は終了する。グラン=シャリネは瓶底に辛うじてグラス一杯分を残すのみとなる。
 ちなみに、この超高級ワインを賞味した各々の感想は。
「苦かった」
「確かに美味いけど、私なら百ミラの安価なワインを一年分購入するわね」
「別次元の味でしたが、適正価格は二万ミラといったところかしら」
「…………夢のように、とても……美味しかった……です」
「ああっ、なんとも麗しい。これぞまさしく、天上の……………………(※原稿用紙十枚分の賛辞が並んだ為、面倒なので省略)」

「では用件もすんだので、ギルドに戻って、今後の対策を練ることにしましょう」
 その宣言に至福の時を過ごした一同は席を立って、VIPルームを後にする。
 好奇心旺盛なオリビエは、部外者の分際でさも当然のように続こうとしたが、ヨシュアが引き止める。
「オリビエさん、あなたはここまでよ。これからのあなたには私達と同行する暇はないと思うから」
「ヨシュア君、それは一体どういう意味なんだい?」
「つまりは、こういうことですよ、オリビエさん」
 ニコニコと微笑んで懐から一枚の紙切れを差し出す。ハーケン門でオリビエが内容も確認せずにサインした書類。軍が発行した保釈同意書ではなく、民事で用いられる私的な契約書だ。
 内容を要約すると
・甲(オリビエ)は、乙(ヨシュア)から、百万ミラの借金をしたことを認める。
・乙(ヨシュア)は借金の催促は行わず、支払いは甲(オリビエ)の自発的な意志に任せる。
・甲(オリビエ)は、借金を一括返済しない限り、乙(ヨシュア)の半径5アージュ以内に立ち入らないことを誓約する。
 となっていて、文面を読み込んだオリビエの表情がみるみると青ざめる。
「ヨシュア君、君は僕のことを騙していたのかい?」
「謀ったなんて、人聞きの悪い。署名と引き換えに、きちんと牢から出してあげたし、嘘は言ってない筈よ」
 あくまで和解金を建て替えに過ぎず、返済義務から逃れられた訳ではない。文面にも確かにそう記されていて、碌に内容を吟味せずに署印したオリビエの落ち度だ。
 まあ、今更、オリビエに常識云々を解くのもアレではあるが、万が一彼が本当に借金を返済してしまったら、グラン=シャリネの所有権が面倒なことになるので、後腐れがないようにこの場で全員に奮発した。
「あのー、借入金が五十万ミラでなく、なぜか百万ミラに増えているんですけど?」
「天才演奏家のオリビエさんなら、一晩で楽勝で稼げる額なのでしょ? あなたが世間に溢れる口先だけの凡百な殿方とは一線を違えていると信じているわよ」
 ほんの一瞬、琥珀色の瞳を真っ赤に光り輝かせると、オリビエから距離を取って、5アージュをキープする。
「ふっ、甘いな、ヨシュア君。僕は何者にも縛られない漂白の旅人、オリビエ・レンハイム。この僕の君への熱いリビドーを、こんな紙切れ一枚で封じることなど。あれっ?」
 意味不明な屁理屈を並べ立てながら、距離を詰めようとしたが、途端にヨシュアの姿をロストする。
「ヨシュア君、一体どこへ行ってしまったんだい?」
「何をおっしゃっているのですか、オリビエさん? 彼女なら、わたくしの隣にいるではないですか」
 不思議そうな表情で、メイベル市長がヨシュアの所在を指さしたが、オリビエの眼には空白地帯しか反映せず、ヨシュアの声を聞き取ることも出来ない。
「つまりは、こういうことですよ、オリビエさん」
 突然、何もない空間からヨシュアが出現するが、エステル達に驚いた様子はない。普通に彼女の姿を認識している模様。今現在のヨシュアの立ち位置はオリビエからちょうど5アージュ離れている。
「ヨシュア君、もしかしてこの現象は?」
「意外と飲み込みが早いみたいですね。原理を省略して結論だけ述べると、あなたは私の半円5アージュに進入したら、私の姿を認識できなくなる暗示にかけられているんですよ」
「そんな馬鹿な」
 反復横跳びのように5アージュの境界線を行ったり来たりする度、ヨシュアの姿が現失を繰り返すので、非現実的な声明は嘘でない。ただ、事情を知らない周りのメイベル達には、奇人が新たな奇行に走ったようにしか映らない。
 言うまでもなく、これも他者の認識に干渉するヨシュアの魔眼の能力。この力が働くに辺りヨシュアへの好意は本物のようであるが、オリビエの場合、ヨシュアと同程度の愛情を不特定多数の異性(※下手すれば同性にも)にばら蒔いていると思われるので、彼のラブコールを額面通りに受け止めていいのか判断は保留中。
 また5アージュとは、ストーカー規制としては心許ない距離だが、「これでは彼女を抱き締めることも、キスすることも出来ない」とオリビエは頭を搔きむしっていて、十分堪えている。
 仮に暗示が解けて再接触が許されても、プレイガールの割に意外と身持ちが堅いヨシュアが、手を握らせる以上の行為を許してくれないだろあろうことはさて置いて。
「こちらが私の銀行の口座です。きちんと借金を一括返済したら、暗示を解いてさしあげるわ。それじゃ、バイバイ、オリビエさん」
 口座番号を記したメモを胸ポケットに差し込むと、ガックリと両手を地面について落ち込んだオリビエを一瞥することもなく退店する。
 魔眼の説明が省かれたので、オリビエが律儀に進入禁止令を遵守しているのを周囲は不思議がるも、元々、彼の自業自得から始まったことなので特に同情するでなく、「達者に生きろよ」と憐れな道化に一声かけてヨシュアの跡を追った。

        ◇        

「なあ、ヨシュア。お前、オリビエが借金を返すと本気で思っているのか? 絶対に逃げ出すぞ、あいつ」
 アンテローゼからギルドへの短い途上でエステルが口を挟み、ヨシュアは足を止める。
 実際の所、逃亡するまでもない。借金は原則、無利子、無期限、無催促となっているので、オリビエがヨシュアに近づくことさえ諦めれば、リベールでの活動に何の支障もない。
 そのストーカー対策が狙いだったとしても、そもそもヨシュアが保釈を掛け合わなければオリビエは檻の外に出られなかったので、尚更莫大なミラを投入した意味が判らない。
「多分、ミラは戻ってくると思う。考えてもみて、エステル。もし、あの傍若無人がオリビエさんの素の生態だとしたら、風紀の厳しいエレボニア帝国で三十年間も生活してきて、一度も問題を起こさずに済んでいたと思う?」
 そのヨシュアの発言には奇妙な説得力があり、エステルだけでなく、メイベルやリラも考え込んだ。確かに帝国の領土内で、オリビエがあの調子で揉め事を頻出させていたら、今頃は良くて収監の身。下手に大貴族の逆鱗に触れようものなら、打ち首になっていても可笑しくなく、呑気に旅行者の身分ではいられなかった筈。
 尚、この話をオリビエが立ち聞きしたら、道化を疑われたことよりも、勝手に年齢を三十路に引き上げられたことを、今年まだ二十六歳の彼は全力で抗議しただろう。
「無銭飲食が素なのか、或いは何か思惑があったのだとしても、いずれにしても牢から出る算段があったのは確かね」
 本当に百万ミラを稼げる異才の所有者なのか。実は大企業の御曹司か何かで、その後ろ盾の力で帝国内で起きたトラブルの数々を強引に揉み消してきたのか。
「とはいえオリビエさんが、今日まで幸運に恵まれてきただけの、見た目通りの単なるお調子者の馬鹿である可能性も否定できないから、口座が復活する可能性は半々かしらね」
 ここまで散々盛り上げておいて、ヨシュアは自ら掲げた梯子を己の手で下ろし、エステル達は盛大にずっこける。
「50%って、お前、そんな半丁博打に全財産を賭けたのかよ? 以前もそんなことがあったが、農園の時とは失うもの大きさが全然違うんだぞ」
 それとなく脅しをかけたが、ヨシュアは堪えた様子はない。
 元々、今回のギャンブルはヨシュアの不慣れな『勘』が根幹なので、勝算が低いのは当然。今日まで特に預金の使い途があった訳じゃないので、全損しても支障はないとケロリとしている。
「この世界に、男という生物が存在する限り、私が食いっぱぐれることはないし。いざとなれば頼もしい義弟に養って貰えば済む話しだしね」
 琥珀色の瞳に蠱惑的な色を称えると、お兄様の逞しい左腕に自分の両腕を絡めてぶら下がる。エステルは薄ら寒そうな表情で左腕をぶん回して、ヨシュアを引き剥がそうとする。
「リラ、なんと言うか、実に逞しい女性ですね、ヨシュアさんは。ブレイサーにしておくのが、惜しいぐらいね」
「全くです、お嬢様」
 メイベル市長は、戯れ合うブライト姉弟を眩しそうに見つめる。
 ヨシュアは珍しくも、比較的世代の近い同性から高印象を勝ち得るのに成功する。ティオ、エリッサに次いで三人目の知己を得たことは、百万ミラの博打に打ち勝つことよりも意義のあることかもしれなかった。



[34189] 06-07:消えた飛行船の謎(Ⅶ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/04 00:06
「やあ、僕だよ。敬愛なる幼馴染みよ。今、どこにいるかって? ふふっ、野暮なことを聞くものじゃない。わかった、わかった。真面目にやるから、そんなに怖い声をださないでくれ」

「実は少しばかり困ったことがあってね。予め頼んでおいた工作費用が、ちょっとばかり増えそうなんだよ。そう、ほんの五十万ミラ程」

「いきなり大声を出さないでくれ、僕のデリケートな鼓膜が痛むじゃないか。今度は何をやらかしたのかって? いや、話せば累刊150冊を数えるグイン・サーガの大長編小説なみに長くなるのだが。急に興味を無くさないでくれたまえ。本当にツンデレだな、我が友は」

「やっぱり、部の活動費にそんな余裕はなしか。仕方がない、手持ちの国債を切り崩して構わないから、数日中にこの口座に百万ミラを送金しておいてくれ。まだ例の彼とも会えてないし、彼女達とカプア一家との決着も近そうなので、こんな所でドロップアウトする訳にはいかないからね」

「いや、本当に今回ばかりは反省しているって。新しい動きがあったら、また連絡するよ、親友。やれやれ、相変わらず融通の効かない男だ。そこが可愛くもあるのだが」

「それにしても暗示とか言っていたけど、あの力は何なんだ? 僕のように無断で何らかのアーティファクトを所持しているのか、それとも七耀協会あたりの秘術なのか。まあ、所詮は門外漢だし詮索するだけ無駄か」

「ふっふっふっ。僕は心底、君のことが気に入ったみたいだよ。絶対に振り向かせてみせるからね、ヨシュア君。暗示が解けた暁には、是非とも感動の熱いベーゼを。って、あれ? 親愛なる友の声がする。もしかして、まだ繋がってたりして、全部聞かれてたりするのかい?」

「はっはっはっ。いやだなあ、この僕が美人局なんかに引っ掛かる訳がないだろう? ただ、五十万ミラのワインをただ飲みしたら、何故か借金が百万ミラに増えてしまって…………って聞いてるのかい、心の友よ? おーい、もしもし? お願いだから、切らないでおくれよ。もしもし? もしもーし?」

        ◇        

「王国軍の協力は仰げない。そうおっしゃったのですか、ヨシュアさん?」
 ギルド二階の応接室。ブライト兄妹はメイベル市長を交えて、空賊事件の今後の協議を始めたが。ヨシュアは軍に応援を頼むという以前の主張を180°反転させたので、エステルは訝しむ。
「これをご覧下さい、メイベル市長」
 ラヴェンダ村を尋ねる前にエステルに見せた、二百の情報を収録したファイルのNO.177を指し示す。
 そこには警備飛行艇の哨戒記録が書き記されている。カリンに酔い潰された遊撃士の一人が、軍の内部情報を非合法な手段で入手したものだ。
「これによると王国軍はこの二十日の間、四台の警備飛行艇を一日三回、時間と場所をランダムにして、ボース市の上空を哨戒させていたとあります。NO.054にあったリンデ号に搭載されていた荷物の総量と乗客、乗組員、総勢124人の人員から、昨日までに積み残されていた荷物の量を差し引いて、目算ですが敵の小型の飛行艇の積載量を計算すると、賊のアジトと例の谷間を最低でも七往復はしたことになります」
「演算オーブメントも使わずに、大した特技をお持ちですね。それにしても、合計すると十四回もですか。ヨシュアさん、その間、空賊艇が一度も軍の哨戒に引っ掛からないで済む確率はどの程度なのでしょか?」
「細かい計算式を省いて、結果だけを述べさせてもらうと約0.2%です。つまり五百回に一回あるかないかのパチスロの大当たり並みの数値ですね。エステル、これが意味する所は何だと思う?」
「えっと、俺?」
 いきなり質問を振られたエステルは焦ったが。
 1『カプア一家の奴ら、よっぽど悪運が強かったんだな』
 2『キールって勘が良いみたいだけど、まさかこれ程とは』
⇒3『軍の内部に、空賊のスパイがいるってことかよ?』
「正解よ、エステル」
 一瞬、2にしようか迷ったが、辛うじて3の選択肢をチョイスして、ブレイサーズ手帳にBPが+3される。エステルは安堵したが、それ以上に安心したのは実はヨシュアの方。メイベル市長の信頼を損ねずに済みそうだ。
 他にもキールの意味深な発言など、カプア一家が軍の動向を掴んでいることを匂わせる材料を幾つか提示して、メイベルを納得させる。現状で内通者を特定するのはまず不可能で、こんな疑心暗鬼の状態で、軍との協調体制など築けるわけがない。
「お話は良く判りました。けど、この先の調査には、どうしても飛行艇が必要になるのでしょう? 飛行制限が続いている今、わたくしの方でも簡単にはアシは用意できませんし、王国軍の警備飛行艇を頼れないとなると、どうやって空賊のアジトを特定するのでしょうか?」
 メイベルが当然の危惧をしたが、それに関してはヨシュアに腹案があるとのこと。ただ、その為のクリア条件がまだ満たされておらず、プランの詳細は秘匿されたが、市長の姉弟への信望は揺らがなかった。
「ふふっ、頼もしいですね。ボースの市長として、あらためてお二人に依頼します。『定期船失踪事件』のクエストを、正式にお受けしていただけますね?」
「はい、勿論」
「悪い市長さん、その依頼は受けられねえよ」
 当然のように了承しようとしたヨシュアの声量をエステルが上書きする。予期せぬ話しの流れに、この場の三人の女性は軽く喫驚する。
「エステル?」
 多少の苛立ちの感情と共にエステルの顔を覗き込む。
 あの手この手のお膳立てで、ようやくメイベル市長から正式な依頼を引き出す所まで漕ぎ着けたというのに。相変わらず彼女の兄弟は良い意味でも悪い意味でも、ヨシュアの予測の枠を超えた行動を選択してくれる。
 だが、エステルも一時の気紛れや気遅れで、クエストを拒絶した訳でない。いつになく真摯な表情で拙い想いを訴える。
「こんな自分の身を軽んじた発言をしたら、ヨシュアに引っ叩かれそうだけどさ。成否の担保が俺個人の進退で済むなら、俺は相当無茶をやれると思うんだ」
 その自信はマルガ鉱山で結晶を守った一件で裏付けられており、決してエステルの自惚れでないのをヨシュアは承知している。
「けど、今回のクエストには、百人以上の民間人の生命が俺たちブレイサーの双肩に掛かっている訳だろ? 失敗しても、俺の身一つで償えるような軽い案件じゃない」
 勇気と無謀の境界線は常に紙一重で、後先考えない捨て身の行動が称賛されるべきではない。意外にもエステル本人がその辺りの峻別を弁えていた。
 決して怖じ気づいたのではなく、依頼を正規の遊撃士に回して欲しいと頼む。経験豊富な正遊撃士の指揮下で自分らは助手として参加した方が、上手くいく確率が高いだろうと踏んだ。
「エステル、あなたは本当にそれで良いの?」
 琥珀色の瞳に微かな戸惑いを小波ただせて、ヨシュアは問いかける。
 質問はシンプルだが、その中には複数の意図が凝縮している。ロレントでのクエスト『市長邸の強盗事件』のケースのように、助手にはBPや報酬も要求する権利はない。それこそリベールでは十年に一度クラスの花と実の両方を得られる高難易度クエストの主権を逃がしてもいいのか再確認する。
(悪いな、ヨシュア。ファイルの作成には、色々と骨を折っただろうし、市長さんからここまで信用を得るのも、簡単じゃなかっただろうにな)
 彼方此方で脳筋扱いされているが、色恋沙汰を除けば実はそこまで愚鈍でもない。ヨシュアが会話の行間で主張したかった隠語は心得ていたし、恐らくはエステルの為に陰ながら尽力してくれたであろう内助の功に感謝しているが、今更迷いはない。
「ブレイサーにとって一番大事なのは、地域の平和と民間人の安全だろ? 推薦状を入手する活動は、空賊事件が解決してボース市が平穏を取り戻してから、じっくり取り組めばいいさ。だから市長さん、この依頼は」
「その必要はないよ、エステル・ブライト君」
 何者かがエステルの声を打ち消す。まるで木霊のように、先の現象がトレースされる。反射的に後ろを振り返ると、そこにはヨシュアの犠牲者第一号の正遊撃士が控えていた。

「エジルさん」
 もしやナイアル経由でカリンの正体がばれたのではと肝を冷やしたが、エジルは二人の側を通りすぎると、深々とメイベルに頭を下げる。
「メイベル市長。あなたは軍よりもギルドを頼りにしてくれたのに、今回のクエストでその期待を裏切ってしまったのを、大変申し訳なく思っている」
 「今、一階で待機している同士達も、皆、同じ気持ちだ」とつけ加える。階下にはボースに在中している正遊撃士が勢揃いし、エジルが一同を代表して謝罪に来たということか。
「頭をあげて下さい、エジルさん。本音を申し上げれば、些か失望を感じたのは事実ですが、わたくしにも責任はあります。ことをなあなあで済まさずに、こちらできちんと主体を定めておけば、自ずと違った結果が齎されただろうと反省しています」
 流石に若輩ながらも女傑と謳われたボース市長。社交辞令的に負の感情を包み隠すことなく、その上で自身の落ち度をきちんと認める度量も備えている。
「ですが、事件はまだ終わったわけではありません。今からでも遅くはありません。エステルさんが主張した通り、今度こそギルドが一丸となって、今回のクエストに当たってはもらえないでしょうか?」
 メイベルは真摯な瞳で頼んだが、エジルは申し訳なさそうに首を横に振る。
「その件なのですが、昨日同士達で話し合って結論が出ています。成果を示せなかったブレイサーのケジメとして、私たち十一人の正遊撃士は、このクエストから手を引く事にしました。ですから当初の約束通り、有力な手掛かりを発見したこの二人に、正式に依頼されるようにお願いします」
 そう宣言したエジルは、市長と逆側のソファに座る準遊撃士の少年の顔を見つめる。
 情熱、友愛、勇気、希望、そして夢。若人の無垢な瞳の中には、エジルが失って久しい瑞々しい感情が、まるで七耀石(セプチウム)の原石さながらに漲っていた。
「英雄の子もまた英雄か」
「えっ?」
「いや、何でもない」
 エジルはまるで世代交代の引き継ぎのように、軽くエステルの肩を叩くと、今度はヨシュアを視界に捕らえた。
「メイベル市長、彼に諭されるまでもなく、私達はブレイサーです。クエストや依頼とは無関係に、困っている民間人を見捨てるような真似は絶対にしません。ヨシュア君、人質の救出に何か妙手があるみたいだが、我々でも手助け出来る雑務があれば、どんな些細なことでも遠慮なく相談して欲しい」
 メイベル市長が彼の言葉を取り違える前に、エジルは自分たちの真意を伝える。正規の遊撃士の彼らが、準遊撃士である二人の助手の立場で、報酬とは無関係に働くとこの場で誓約した。
(もしかしたら、焦っていたのはエステルでなく、私の方だったのかもしれないわね)
 ロレントのケースと同じく、打算のないエステルのひたむきな行動が、意図せず道を切り開いていく現状に感動すら覚える。
 エジル達にも数多のクエストを解決してきた正遊撃士としてのプライドがあるだろうに。鳶に油揚げを攫われた挙げ句、その傘下につくという苦渋の決断を下すのに、いかほどの葛藤があったのだろうか。
 ここに来た地点では、未だ心に迷いを抱えていたのであろう。最後の一押しとなったのはエステルが掲げた『地域の平和と民間人の安全』という遊撃士の青臭いスローガンだったのは疑いない。エステルには父親とは異なった他者を導く英雄としての資質が眠っているのかもしれないが、そう断じるのは現地点では早計だ。
(いずれにしても、エステルのお陰で、欲していた最後の一ピースが揃いそうね)
「エジルさん、それではお言葉に甘えて、あなた達の力をお借りしたいのですが」
 ヨシュアは席をたつと、エジルの耳元で、ごにょごにょと何かを早口で告げる。
「そういう人物を探せばいいのか?」
「はい、それも出来る限り、早急に」
「判った、今日中に結果を出せるように努めよう。ところで、君とはどこかで会ったような気がするのだが」
「もしかすると、私たちは前世からの恋人同士だったりします? そうなら嬉しいですけど、ナンパの台詞としては古いですよ、エジルさん」
「いや、そんなつもりはないのだが、これで失礼する」
 エジルは慌てて階段を下っていくが、体よくあしらったヨシュアの方も、タラリと冷や汗を流している。
 しばらくして二階の窓下を眺めると、聞き込み調査にテキパキとボース各地に散っていく様が映る。今まで各自バラバラに行動していた正遊撃士が、はじめて一つの目標に向かって一致団結した姿だ。

        ◇        

 それから改めて、クエスト『定期船失踪事件』の引き継ぎを行った兄妹は、メイベル市長に事件の早期解決を約束しボース支部から引き取らせると、受付のルグラン爺さんに進捗を報告する。
「そうか、お前さんら二人が正式に受け継ぐことになったのか」
「はい、飛行艇を手に入れる算段は今話した通りで、人数が多すぎてもマズイのですが、私たち二人だけだと心許ないです。三~四人が適切だと思うので、例の頼みごとが終わったら正遊撃士の誰かに」
「ああっ、それだったら、是非とも加えて欲しい子が一人いるんじゃが」
 ルグラン爺さんは何とも訳ありな表情で、人員を推挙する。
 エステル達と同じ準遊撃士。既に四つの都市で成果を修め、このボースの推薦状を手に入れれば、めでたく正遊撃士に昇格できるとのこと。ただ、見習いの悲しさで、クエスト枯渇現象に巻き込まれて燻っているので、この機会に活躍の場を与えて欲しいと哀願される。
「ちょっと性格が頼りないが、腕の方は正遊撃士と比べても遜色ないとワシが保証する。多分、ボースデバートの五階に張り付いていると思うので、声を掛けてくれんかの」
 この世界の生き字引たるルグランに頼まれたのでは、是非もない。性格云々のくだりが少し気になったが、実際、人手が欲しかったのも確かなので、二人はボースデバートを訪れることにした。

        ◇        

「そういや俺たちの他にも、もう一人見習いがいるって言っていたよな? まだ一度も顔を遭わせたことないけど、どんな人物だろう?」
「アレみたいよ、エステル」
 エスカレーターで五階のオモチャ売り場に辿り着いたヨシュアは、ショーケースに張り付いている栗色の髪の女性を指差す。
 戦士風の軽装の鎧を纏い、背中に年代物の古びた長剣を背負いながらも、頭部に巻かれた黄色いリボンと、キュートな童顔が実にアンバランスで何とも形容し辛い。
「ローズマリーが私を呼んでいる。駄目よ、私、お財布の中のミラは、もうとっくに底をついているのに。ああっ、愛しのローズマリー、その円らな瞳で、どこまで私を苦しめれば気がすむの?」
 ケースにべったりと両手の指紋をつけて、中に飾られたテディベアのぬいぐるみの名(※恐らくは彼女が勝手に命名した)を連呼する少女の姿に、エステル達は何と声を掛けていいが判らずに困惑する。
 これが後に長いつき合いになる、準遊撃士アネラス・エルフィードとブライト兄妹との最初の邂逅だ。



[34189] 06-08:消えた飛行船の謎(Ⅷ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/04 00:07
「たはは、何か恥ずかしい所を見られちゃったかな」
 デバート内の氷菓子屋に腰を下ろしたアネラスは、三段重ねのアイスクリームを頬張りながら、軽く頭を掻く。
「あのぬいぐるみにご執心の様子でしたが、あなたのルックスなら、少しばかり殿方の顕示欲をくすぐれば、簡単に貢いでくれると思いますよ。そのあたりのコツをレクチャーしましょうか?」
「コラ、ヨシュア。今日まで真っ当に生きてきた大人の女性を、今更、悪の世界に引き込もうとするんじゃない」
「あはははは。カシウスさんのお子さん達が遊撃士デビューしたって、リベール通信で読んだけど。面白いだね、君たちは」
 目の前で漫才を繰り広げるブライト兄妹を愉快そうに眺めながら、一段目のアイスを丸飲みする。
「でも、駄目だよ。欲しいものは、ちゃんと自分の力で手に入れないとね。ローズマリーも私がクエストで稼いだミラで買われるのを、あのショーケースの中でずっと待ってくれているんだよ」
 ボースデパートに安物なしとは良く言ったもの。テディベアを飾ったショーケースには、二万ミラという値札が貼られていた。「まあ確かに買えない額じゃないよな」と楽観してしまうあたり、グラン=シャリネと関わった所為でエステルの金銭感覚にも歪みが生じてはいたが、素直にアネラスの潔さを絶賛する。
「ほら、見たか、ヨシュア。あれが淑女の態度というものだぞ。他人に強請っている中は、まだまだ子供だということを弁えろよ」
 独特の口調と童顔の為、実年齢よりも若く見られがちなアネラスは、一人前のレディと称えてくれるエステルの態度に、新人の前で少しは貫祿を示せたのかと内心ウキウキしながら、二段目のアイスもペロリと一飲みする。
「ところで、何か私に用があったんじゃないのかな、新人君達?」
 アネラス自身はキリッという擬音を発して気負ったつもりだが、元々の性格がとことんフレンドリーな上、口の周りをアイスでベトベトに濡らしているので、威厳も何もあったものじゃない。
 本当にこの人材で大丈夫なのか不安を覚えながらも、背に腹は替えられないとばかりに『定期船失踪事件』のチームにスカウトした。

「へえー、リンデ号まで辿り着いて、市長さんから正式な依頼を貰ったんだ。凄いんだね、二人とも」
 最後のアイスをコーンごと飲み込んだアネラスは、嫌味のない口調で褒めちぎる。
 嫉妬心とは無縁に素直に同じ見習いの偉業に感心している模様。「私も独自に調査したけど駄目だったよ」と二人に調査ノートを見せてくれた。
「ラヴェンヌ村、ヴェルデ橋の関所、ハーケン門、クローネ峠、等など。ボース地方のほぼ全域を網羅しているわね」
 正遊撃士たちがある一定の区域を決め打ち調査していたのと対照的に、アネラスはリベール随一の広さを誇るボース全土を自らの足で渡り歩いた。
 だからこそ、彼女はボース支部に不在がちで、他の正遊撃士と異なり、中々兄妹と面識を持てなかった。一見エステルと同じ戦闘特化型に思えたアネラスの評価を、ヨシュアは一部改める。
「私はこの地方の出身だから、他のブレイサーよりも土地勘があっただけだよ。けど、流石に廃坑の中までは調べなかったから、君らに比べたら全然駄目だけどね」
 「それはあなたがエステルよりも頭を使って生きてきた証です」とヨシュアは内心で突っ込むが、言葉に出しては別のことを尋ねる。
「アネラスさん、ルグランおじいちゃんから、残す推薦状はボース一つと聞きましたけど?」
「うん、そうだね。普通は皆、君達みたいに地元から準遊撃士の旅を始めるよね? でも、私はボースで正遊撃士になるって心に決めていたから、地元を最後に残しておいたんだよ」
 昔を懐かしむような遠い目をする。
 彼女はエステル達と同じく十六歳で王都へ旅立つ。カシウスに次ぐ名声を誇るクルツの後継の元、見習いの資格を取得したが、四つの推薦状を手に再びボースの地に足を踏み入れるのに二年の歳月を費やした。
「ルーアンでは受付の人が意地悪で、推薦状を貰うのに一年近くかかったんだよ。やっと私のホームで故郷に錦を飾れると思ったら、クエストは一つも受けられないし」
 何やら辛い記憶を穿り返したらしく、口の周りについたアイスを墨代わりに、テーブルにノノ字を書いてイジケはじめる。
「それは済まないことをしたね」
 ヨシュアのお株を奪うような神出鬼没振りで、三人の前に再びエジルが姿を現す。
 フリーダムに見えて、意外と目上への礼儀を弁えているアネラスは、慌てて口の周りの汚れをゴシゴシと肘で拭き取ってから挨拶する。
「知らぬ仲でなし、無礼講で構わないよ。それよりも大人気ないとは自覚していたんだが、君まで巻き込んだようで申し訳ない」
「あれっ、この流れで、どうしてエジルさんが頭を下げるんすか?」
「あなたは判らなくてもいいことよ、エステル」
 以前の稽古での偽告白騒動と同じく、ヨシュアは説明無しでバッサリと切り捨てた。
 エジル達が『光る石の捜索』レベルの極貧クエストまで残さず平らげたのは、英雄の系譜としてデビューしたてで脚光を浴びたエステルへの当てつけの面があった。雨降って地固まるという訳ではないが、エステル本人が正遊撃士の悪意に気がつかない内に、彼らからの評価を一変させるあたり、特別な何かを持っているとしかヨシュアには思えない。
「これからは、ボースのクエストが滞ることはないから安心していい。最もこの『定期船失踪事件』のクエストを君達の力で解決できれば、それだけで推薦状にはお釣りが来ると思うがね」
 さらにエジルは、アネラスを苛めていたルーアンの古株が引退し、若い受付が登用されたという情報も提供してくれた。
 その新入りは前任者に比べて、人当たりの良い人物と専らの評判だ。英雄の息子などアネラス以上に目をつけられそうなので、ヨシュアは受付の世代交代に密かに胸を撫で下ろした。
「ところでエジルさん、ここに来たということは、もしかして」
「そうだった。君から頼まれた目撃情報が見つかったので、報告に来た」
「早いですね」
 予想以上の仕事の速さを率直に賞賛する。
 ギルドでエジル達と別れてから、まだ二時間も経過していない。これがチームを組んだ正遊撃士の本来の調査能力なのだ。
 実際、ヨシュアがラヴェンダ廃坑を特定できたのも、各々の正遊撃士の調査が正確だったからこそ。彼らが最初からこの調子で力を合わせていたら、リンデ号などあっとうい間に発見できたのは疑いない。
「要点だけを話すと、ヴァレリア湖のほとりで、君の求める風体の人物が姿を現したそうだ。他にもう一人、妙齢の女性も一緒にいたみたいだが」
「間違いなさそうね」
 ヨシュアは何かを確信すると、正遊撃士達の功を労った後、再びエジルの耳元に顔を近づけて、ごにょごにょと何かを告げる。
 エジルは「心得た」と新たなリクエストを了承すると、自ら定めた助手という立ち位置を遵守するが如く、余計な詮索は一切せず次の任務の為にこの場を去る。
「何か緊張するよな」
 シェラザードのように気心の知れた相手ならともかく、見習いの分際で正規の遊撃士を身分不相応にも顎で使う立場というのは、縦社会の構図に無頓着なエステルをしても居心地が悪くて仕方がない。
 だが、目上の男性の扱いに手慣れているヨシュアはそういう遠慮とは無縁。それは相手が同格の女性であっても相違ない。
「さて、私達は今からヴァレリア湖に向かいましょう。アネラスさん、案内して貰えますか?」
「うん、いいよ。ヴァレリア湖畔の宿屋というと川蝉亭だね。あそこはお客の釣った魚を調理してくれる自給自足の面白い民宿なんだよ」
 アネラスの側も年の差や立場を気にすることなく、フレンドリーな笑顔で対応すると、快く道案内を引き受けた。

        ◇        

「なあ、ヨシュア。そろそろ話してくれてもいいだろう?」
 アンセル新道を南に下りながら、エステルがヨシュアに催促する。
 カプア一家の空賊艇に密かに乗り込んで、敵のアジトに賊自身の手で案内してもらって、人質を救助するという大胆極まりない作戦のアウトラインは、ルグランへの進捗報告という形で聞いている。
 故に少数精鋭の人員構成が必須なのも理解しているが、肝心の空賊艇を探し出す算段については伏せられたまま。当事者の一人の筈なのにエステルを蚊帳の外にして、エジルと二人だけで話しを進行させられると、自分の存在意義に対して懐疑的にならざるを得ない。
「別にエステルを除け者にしたつもりも無かったんだけどね。私がエジルさんに頼んだのは、ジェニス王立学園の学生。もっとハッキリ言うなら、ジョゼットを探していたのよ」
「ジョゼットって、あの空賊のクソガキかよ?」
 コクリと頷く。軍内部にスパイがいるのは間違いないが、カプア一家はどうやって情報を仕入れているのか? 現在、王国軍はボース全域にアンテナを広げているので、導力通信での遣り取りは傍受の危険が高く現実的ではない。
 とすれば、生身で直接コンタクトを取るしかないが、一家の面々は堅気とは思えない厳つい連中が多くて、この手の仕事にはまるで向いていない。恐らくは軍から警戒されにくい子供のジョゼットが諜報活動をしているという推論の元、捜索対象をジェニス王立学園の制服一本に絞って、エジル達に聞き込み調査を任せた。
「ジョゼットは自分の素性が、王国軍には露見していないと多寡を括っている。私達からカプア一家の情報が軍に伝わるにしても、まさかエステルがもう釈放されたとは夢にも思わないだろうから、今夜あたり内通者と接触する可能性は高いと思う」
「それで、その目撃情報があったという川蝉亭で網を張る訳か?」
「ええ、ジェニス王立学園の長期休み期間はもう終了しているから、真っ当な学生がこんな所にいる筈はない。一緒に目撃された女性は、多分、姉のキールでしょう」
 ロレントでの一件のおかげで、ジョゼットの存在を抑えておけたのは、情報戦で不利を強いられた準遊撃士の二人にとって、王国軍や正遊撃士にも対抗できる大きなアドバンテージとなった。
「なるほどな。だから虎の子の情報を独占する為、正遊撃士に閲覧可能なクエストの報告書に、ジョゼットやカプア一家の存在を伏せていたわけか」
 先見の明に溢れた義妹を何とも言えない表情で見下ろすが「不確定情報をギルドの報告書に記載しなかっただけよ」としれっと答える。
「けど、冗談抜きに、カプア一家がリンデ号のハイジャック犯だとは、廃坑で直に見るまでは信じられなかったけどね」
「まあ確かに、ロレントの事件もぶっちゃけりゃ、しょーもないコソ泥だったしな。あいつらの中でそんな度胸がありそうなのは、あのキールとかいう婆だけだろ?」
「同感だわ。でも、あの女は誘拐は一家の総意じゃないみたいに主張していたけど、ジョゼットや周りの面子の温さからして、その発言自体に嘘はないと思う。とすればハイジャックを強行した、あの二人よりさらに上位の黒幕が一家に控えている公算が高いわね」
 ジョゼット達の戦力の底は知れているが、その謎の頭目が凄腕だった場合、三人だけでアジトを制圧するには少し厳しいかも。
 やはり準遊撃士だけでチームを組まず、もう一人エジルあたりをパーティーに加えた方が良かったかと悩んだが、彼には別の重要な案件を任せているので判断が難しい所。

「いーな、二人とも何か楽しそうで」
 案内役のアネラスは、チラチラと後ろを振り返りながら、会話が弾むブライト兄妹の遣り取りを物欲しそうに見つめる。
 今回のクエストはルグラン爺さんの懇意で、頭数の傭兵として雇われただけなのは弁えているが、こうまで放置されると寂しくなってくる。エステルはヨシュアの秘密主義を愚痴っていたが、アネラスの立場に比べれば可愛いものだ。
 そうこうしている間に三人はアンセル新道を下りきって、ヴァレリア湖のほとりにある川蝉亭へと辿り着いた。

        ◇        

「ほぼ確定とみて良さそうね。後は今夜、現れてくれるかどうかだけど」
 実際の目撃者のロイドという釣り人に、改めて事情徴収した結果、髪色や身体的特徴などのさらに詳しい特徴まで返ってきて、そのカップルがカプア姉弟である可能性が一段と高まった。
 ジョゼット達が出没する真夜中まで待機する必要性から三人は宿を確保する。束の間の自由行動を許されたエステルは、桟橋の上で久方ぶりに釣りを楽しむことにした。

        ◇        

「うわー、随分と釣れたね、新人君。これは今夜の夕食が楽しみだよ」
 サモーナ三匹、レインボウ四匹、オロショ二匹、カサギ七匹、リベールブナ五匹。外れの穴あき長靴四足はご愛嬌としても、バケツ一杯に蓄えられた淡水魚の山々に目を丸くして驚く。
「まあ、野良仕事とかの体力勝負はともかく、大凡、技量が介入する競技で、俺が確実にヨシュアを上回れるのは釣りだけだからな」
 プログレロッドをひゅんひゅんと振り回して、ルアーを湖の狙ったポイントに投げ入れる。瞬く間にレインボウが喰らいつき、さらなるオカズの品目が追加される。
 確かにエステルの釣技は名人芸の域に達していて、先程も件の目撃者だった釣人から、釣公師団とかいう妙な団体にスカウトされたばかりだ。
「くっくっくっくっくっ」
「どうしたの、新人君?」
 レインボウが腹の中に溜め込んでいたセピスを吐き出させながら、突如思い出し笑いをし始めたエステルを不思議そうに眺める。
「いや、昔、一家で海釣りに出掛けて、ヨシュアに竿を持たせたことがあったんだけどさ。結構な大物(ギガンコラー)を引き当てたは良いが、あいつ見た目からして軽いだろ? あっと言う間に水中に引き込まれて、悲鳴を上げながら湖中をアチコチ引っ張り回されて、それ以来、釣り竿を見るのも嫌になっちまったんだよな」
 エステルとカシウスは面白がって助けなかったので、結局ヨシュアは水中戦でギガンコラーを三枚に下ろし、自力で難を逃れた。
 自慢の黒髪をワカメのように膨張させた全身ずぶ濡れの姿で、戦利品の『真紅の秘石(クリムゾンアイ)』を掴んで、船縁に乗り込んできたヨシュアの様は中々にホラー。
 その後、旋毛を曲げたヨシュアは一月程、ブライト家の家事全般をストライキして、栄養失調寸前まで追い込まれた男衆は土下座して謝罪した経緯がある。それ以来、ヨシュアを本気で怒らせないのは、ブライト親子にとって暗黙の不文律となった。

「仲が良いんだね、君達兄妹は。私は一人っ子だったから、少し羨ましいかな」
 あながち社交辞令でもなく、頬杖をついたアネラスはエステルを眩しそうに見つめる。
「アネラスさん、今、俺たちのことを兄妹って? そうだよな、どちらが先に産まれたかなんて関係ない。あれだけ身長差があるのに、俺の方が義弟なんて有り得ないだよ」
 ボースの地で順調に進んでいた、ヨシュアのブライト姉弟化計画に初めて綻びが生じる。二人の真実を見極めた慧眼の持ち主に出会えたことに感動したエステルは、アネラスの手を強く握りこむ。
「わっわっわっ。ちょっと新人君、私は年下は趣味じゃないんだよ。けど、こうして見ると新人君って背が高くて結構カッコいいよね。って?」
 意外とこの手のアプローチに免疫のないアネラスは赤面したが、告白してきた彼が、次の瞬間には別のことに気を取られ始めたので、ムッと頬を膨らませる。
「コラコラ、新人君。遊びだとしたら、お姉さん許さないよ。あれっ? 何かな、この物悲しいメロディーは?」
「ヨシュアだよ、外れの桟橋で歌っているみたいだな」
 カナリアのような奇麗な歌声が、まるでヴァレリア湖全体を包み込むように浸透しアネラスの心に染み渡る。
「本当に良い歌だね。まるで心が洗われるみたい。流石は噂に聞くアンテローゼの妖精さんかな?」
「『星の在り処』っていうヨシュアの十八番さ。ロレントではアーベントの黒猫って呼ばれていたけどな」
 舌先三寸と嘘泣きで男性を惑わしている義妹だが、歌には一切の虚言が混じらないというのがエステルの持論。「本当に仲が良いんだね」とアネラスは先の不機嫌を忘れて、ヨシュアの歌に聞き入った。
「さてと、夕飯のおかずも釣れたことだし、一丁、ヨシュアをからかってやるか」
 アネラスの側を離れたエステルは釣り竿を片手に、予備の空のバケツを掴むという小細工を施すと、義妹の姿を探すことにした。

        ◇        

「愛してる、ただそれだけで、二人はいつかまた会えるー」
 桟橋に佇んで、夕焼けのヴァレリア湖に向けられたヨシュアの歌唱が終了し、パチパチという拍手音が少女の背中を叩いた。
「大漁だったみたいね、エステル? 釣りばっかりは、真面目に取り組んでも勝てる気がしないわ」
 ヨシュアは後ろを振り返ることなく、拍手者の特定はおろか、空バケツの坊主のフェイクまできっちり見破りやがり、エステルの悪戯は不発に終わる。
「まあな。けど釣りはあくまで趣味であって、俺の本業は棍術だからな。とはいえ修行不足か、こっちは一朝一夕では強くなれないらしい」
「修行不足ですって? 随分と可笑しなことを主張するのね、エステル」
 日課だった早朝稽古は、ボースに来てからずっとご無沙汰ゆえに、最近忘れがちだった義妹へのコンプレックスを久方ぶりに思い出したが、ヨシュアはエステルの愚痴をクスクスクと嘲笑った。
「飽くなき強さへの向上心、質量共に尋常でない稽古時間、過酷な実戦レベルの修練の数々。脇目も振らず一心にエステルは強くなる為の最善の努力を継続してきたのを、私が保証してあげる。でも、それだけの代償を支払ったのに、強さへの執着がない私に一度しか勝てなかったのは、どうしてだと思う?」
 かつて王都の武術大会の幼年の部で優勝し、自分はリベールで一番強い子供だと天狗になっていたエステルの鼻っ柱をへし折ったのは、親父がどこからか拾ってきた同い年の女の子だった。
 その日以来、エステルはヨシュアに勝利することを目標に修行を重ねてきたが、五年の年月を費やして尚、力量差は一向に縮まる気配を見せない。
「悔しいけど、それが持って生まれた才能の差って奴なんだろ? って、いうか、俺、お前に勝てたことあったっけ?」
 ヨシュアが度々主張するたった一度の勝利とやらは、少なくともエステルの側には覚えがない。無理に思い出そうとすると、頭の中に黒い霧がかかって記憶を阻害する。
「天稟の差ねえ。けどカプア一家の面々を始め、世間はエステルを化物扱いして、きちんと強さを称えてくれている。この場合、エステルの精進が足りないのでなく、私の方が異常なのだと思わない?」
 ヨシュアはゆっくりと、エステルの方に向き直る。
 湖に沈み込んだ夕日をバックに、オレンジ色に染まったヨシュアの姿は神々しい程に美しい。柄にもなくエステルはドキリと心臓を震わせる。
「エステル、あなたは私が怖くないの?」
「怖い?」
 エステルはヨシュアの意図を図り兼ねたが、一つだけ確信していることがある。
(あいつ、また壊れ始めやがったな)
 まるで世界から見捨てられたかのように思い詰めた表情をしている。普段闊達なヨシュアが時折見せるこの仕種は、中二病(おかしなやまい)を患う前兆だ。
 このメランコリーな症状は、エステルの与り知らぬヨシュアの過去に根ざしているのだろうか?
 だとすれば、義妹の為にしてあげられることは一つしかない。
「怖いと言えば怖いかな? 何しろ、お前を怒らせたら、二度とご飯を作ってもらえなくなるからな。俺たち親子はヨシュアの料理の末期的な中毒患者だから、それは御免被りたいぜ」
「エステル?」
 それは自分たちが過去ではなく、ヨシュアと同じ現在(いま)を生きていると伝えること。
「なあ、ヨシュア。お前が俺より物理的に強いから、畏怖しないのか尋ねているのだとしたら、それは無意味な勘違いだぞ。それだと凄腕のブレイサーは、無辜の民間人から慕われるのは最初から不可能ってことになるじゃないか?」
 エステルのこの上ない正論に、ヨシュアは何を感じたのか無言を貫く。
「まあ、得体の知れない強者なら、俺も警戒するかもしれないが、ヨシュア相手に心の門を閉ざす必要はないだろ? だって俺たちは家族なんだからさ」
 ちょっと臭いかなと内心で照れながらも、毒を喰らわば皿までということで、ヨシュアの身体を抱き寄せようとしたが、するりとエステルの手をかわすと、桟橋の反対側へとすり抜けた。
「ありがとう、エステル。そっか、エステルは私の作ったご飯が大好きなんだね」
 先とはうって変わった明るい笑顔で、軽く舌を出しながら謝意を述べると、『星の在り処』を鼻唄で口ずさみながら、この場を離れていく。
「一体、何だったんだ、あいつ?」
 これ以上ないタイミングで肩透かしを喰らったエステルは、所在無さげにヨシュアを掴み損ねた掌をぷらぷらさせる。勝手に一人でおかしくなって、自力で立ち直ったのか。それとも最初から、からかわれていただけなのか?
 黒猫のように移り気なヨシュアの心情を推し量るのは、朴念仁のエステルでなくても困難。

        ◇        

「うわあー、何か凄い豪奢な夕食だねー」
 カサギの天麩羅、フナの味噌煮、レインボウの塩焼き、オロショの串焼き、サモーナのムニエルに、ダイナトラードの活け造り。
 テーブル一杯に並べられた、昼間のアンテローゼの晩餐に劣らぬ贅を尽くした魚料理の数々に、アネラスはリアクション要因としての責務を全うする。
 夕飯の献立は、エステルが釣ったお魚がベースであるが、聞けばヨシュアが支度を手伝った。
 調理中、ヨシュアはずっとご機嫌で、つい我を忘れて作り過ぎたとのこと。大食漢のエステルをしても食べきれない分量に、仕方なしにロイドや他の宿泊客も呼び込んでの合同宴会という形を取る。
 ただ、ヨシュアと別れた後に、エステルが気紛れでサモーナを餌に、その場で釣り上げた『ダイナトラード』は、ロイドと釣公師団が長年求め続けたこのヴァレリア湖の主。
 並みのトラードの十倍以上の重量を誇るダイナトラードの魚拓を取る間もなく、ヨシュアに活け造りに解体された憐れな姿にロイドは涙を流しながら、せめてもの供養としてヌシの刺身を胃袋に納め続けた。

 その名の通りに川蝉亭の夕飯で箸休めをしながらも、カプア一家との雌雄を決するボース編の最終局面が着々と近づきつつあった。



[34189] 07-01:進撃、ブレイサーズ(前編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/07/10 20:12
「本当に現れてくれたみたいね」
 深夜の十時過ぎ。街道から出現した学生服の少年と、スーツにタイトスカートのキャリアウーマンぽい妙齢の女性。キールとジョゼットが一般人に身を窶した姿だ。確かにこの格好なら軍の検問に引っ掛かっても、比較的怪しまれずに突破可能。
「さてと、空賊艇を探しに行くわよ、エステル、アネラスさん」
 ヴァレリア湖畔に面した外れの桟橋に空賊姉弟が消えたのを、川蝉亭二階のテラスから確認すると、ヨシュアは宿の受付係から電話を借り受けて、どこかへ連絡する。
「スパイの顔を確かめなくてもいいのかよ、ヨシュア?」
「ばれたら元も子もないし、あの女の側に迂闊に近づくのは危険よ。どのみちカプア一家が逮捕されれば、芋蔓式で捕らえられるから、後回しで構わないわ」
 キールの勘の鋭さを周到に警戒するヨシュアは、指定した服装に着替えるよう二人に指示すると、受話器を置き川蝉亭から飛び出した。

        ◇        

 先行したヨシュアが空賊姉弟の足跡のトレース作業を行い、琥珀の塔の目前で停泊していた空賊艇・山猫号(ワイルドキャット)を発見する。
 やがて着替えを済ませたエステルとアネラスの二人も追いつく。ヨシュアが地面に設置した特殊な目印を頼りに、無事に合流を果たす。
 三人は岩陰に姿を隠しながら、空賊達の様子を伺う。山猫号の手前で五人ほどの手下が、頭領の帰参を待ちながら見張っている。
「なあ、ヨシュア。いくらあいつらが間抜けでも、流石に身内の顔を見間違うことはないんじゃないか?」
「私もそう思うよ。よっぽど場が混乱すれば、上手くいくかもしれないけど」
 エステルとアネラスの二人は何時もの普段着ではない。緑を基調とした白い襟巻きつきのジャケットにゴーグル。カプア一家のレプリカ服を着用している。
 ヨシュアがボースマーケットで購入した古着をアレンジして仕立てた偽物。王国軍から無条件に逮捕される程には精巧に似せてあるが、顔馴染を欺けるかというと甚だ疑問。
 尚、隠密の達人のヨシュアは問題なく忍び込める為、一人だけ変装していない。
「真っ当な状態で紛れ込むのは無理でしょうね。でも、もうしばらくすればハプニングが発生するから、その瞬間を静かに待ちましょう」

「おい、何だアレは?」
 甲高い排気音と一緒に二つのヘッドライトの光がどんどん接近し、盗賊たちは肝を冷やす。
 帝国製のオープンタイプのジープ。四輪駆動の四つのタイヤが唸りをあげながら、塔までのデコボコ道を走破し、暗がりで分かり辛いが、四人の男女が乗り込んでいる。
「やれやれ、こんな夜更けに、琥珀の塔でクエストとは最悪でやんの」
「ねえ、あれって報告にあった、リンデ号を攫った空賊艇じゃないの?」
「マジかよ? こりゃ、ツイてるなんて次元じゃないぜ。エイドスに感謝だな」
「奴らは極悪非道のハイジャック犯だ。一人二人、ぶっ殺しても、構わん。空賊艇を抑えるぞ、お前たち」
 妙に棒っぽい説明台詞で、遊撃士とは思えない物騒な会話を交わされる。そして、本当に何の警告も無しに、いきなに導力銃をぶっ放してきた。
「ブレイサーだ!」
 長剣、槍、弓、銃器と異なるカラフルな得物を手に切り込んでくるブレイサーズに、カプア一家はパニックに陥る。
 姉弟の到着がまだなので、十八番のトンズラをかます訳にはいかず、必死に応戦するが力の差は顕著。劣勢に追い込まれる。
「おい、ずらかるぞ、さっさと飛行艇を発進させろ」
 長身の空賊の一人が空賊艇に乗り込むと、出入り口で仲間に離脱を呼びかける。
「何言ってるんだ。姐さんと坊ちゃんが、まだ」
「一端、ヴァレリア湖まで飛んで行って、拾えばいいじゃない。このまま戦い続けたら、私達……いや、俺達全滅しちゃうよ」
 今度は妙にカマっぽい口調の空賊が、艇に乗り込んで撤退を煽る。
 確かに彼らの実力で遊撃士のパーティーに勝てる筈もない。頂上からの導力砲で撤収を援護しながら、外の仲間が一人残らず艇内に逃げ込んだのを確認すると、大慌てで山猫号を離陸させた。

        ◇        

「アレはワイルドキャット? こんなの予定にないわよ」
 素性の知れない黒装束姿の仮面の内通者から情報を仕入れたカプア姉弟は、琥珀の塔へ向かおうと街道を歩いていた最中、上空に出現した山猫号に仰天する。
「姐さん、ブレイサーの襲来です。急いで下さい」
 飛行艇から地上に縄梯子を垂らしながら、手下のライルが大声で緊急事態を訴える。
「はあ、ブレイサーって、またあの脳筋坊やとジョゼットがお熱の娘?」
「ちょっと、キー姐、何言っているだよ、僕は別に」
 ジョゼットは真っ赤になって否定しようしたが、突然、足元に矢が突き刺さり、反射的に飛び跳ねる。地上から二つのヘッドライトの光が接近し、車上の四人の遊撃士の姿が露わになる。
「どうやら違うみたいね。逃げるわよ、ジョゼット」
 「遊撃士協会規約に基づき……云々」の口上抜きで、問答無用でいきなり弓矢を打ち込むあたり、どうやら話し合う気はゼロ。
 やたらと好戦的なブレイサーズに肝を冷やしながら、キールは縄梯子を掴み、ジョゼットもそれに倣う。今度は矢と弾丸がセットで飛んできて、あやうくキールの頬を掠める。
「えーい、これでも喰らいなさい」
 綱登り中にも、容赦なく飛び道具を乱射する鉄火場に辟易としたキールは、得意の発煙筒を投げ込んでジープの視界を奪う。斉射が止んだ僅かな隙を逃さずに、船内に駆け込む。
「ブレイサーの奴ら、えらく殺気だっていたわね。確かにあたしらはそれだけの悪行を、この国で犯してきたんだけどね」
 二人の収納を確認した山猫号は、2300セルジュの最高速度を披露するまでもなく、一気に遊撃士のジープを置き去りにし、空の彼方に消えた。

        ◇        

「ふーん、運悪くクエストで琥珀の塔の調査に来たブレイサーの集団とかち合ったと? そのまま抗戦せずに直ぐさま離脱したのは、あなた達にしては冴えていたわね」
 一家のユニフォームに着替えたキールは、部下の機転を褒め称えたが、その功労者が一向に名乗りをあげず訝しむ。
「まあ、いいわ。これでやっと人質の子守や洗濯からも解放されるのね。ジョゼット、私は少し仮眠を取るから、後を宜しく」
 一家の紅一点なので作戦の立案以外にも、色々とストレスの溜まる案件を抱えていた模様。
 アジトへの帰還作業を弟に丸投げすると、キールは指令席に座り込んでそのまま熟睡する。山猫号はジョゼットの指揮の元、無事に彼等のアジトへと辿り着いた。

        ◇        

 アジトの発着所に停泊した山猫号から、カプア一家の面々が次々と降り立って、扉の奥へと消えていく。
 見張り役に残されたライルとロイルの二人は、艇からさらに出現した二人の空賊の姿に小首を傾げる。
「あれっ? 俺たち以外にもまだ残っていたか? というか、出発前の人数と計算が合わないような。って、お前は?」
 ライルが何かに気づくと同時に、彼らの意識は刈り取られる。仲間割れが発生し、二人はそれぞれ棍と長剣の得物で、一撃の元に叩きのめされた。
「ご苦労さま」
 空賊艇の中から今度はヨシュアが現れる。スタスタとタラップを下って、裏切り者二名に声をかける。
「どうやら、上手くいったみたいだな、ヨシュア」
「途中で見つからないか、ドキドキしちゃったね」
 偽空賊の正体は、エステルとアネラスが変装した姿。全てヨシュアの策略だ。
 川蝉亭での電話を合図に、ボース市からジープを急発進された正遊撃士の一団は、ヨシュアが仕掛けた目印を頼りに、空賊艇の停泊場所に特攻を仕掛ける。遊撃士と空賊の無秩序な乱戦と暗がりに便乗し、エステル達三人は艇内に忍び込んだ。
 さらにはドサクサに紛れて撤収を誘導し、キール自身を戦場の渦中に巻き込み、ひたすら場をカオスにして直感を鈍らせることで、最後まで密航を隠し通すのに成功する。
 一見荒唐無稽に思えた潜入作戦は怖いほど的中したが、一つ懸念材料がある。万全を期す為、エジルには正遊撃士全員での陽動を頼んだが、琥珀の塔に現れた遊撃士は四人だけ。
 今更ながらに無報酬の助手の立場に嫌気がさし、多くの遊撃士がクエストを放棄しても不思議はないが、人一倍責任感が強そうなエジルが残留していなかったのが、少し引っ掛かる。
(それでも陽動には成功したんだし、必要以上に気にしてもしょうがないわね)
 ギルドでの一連の流れに柄にもなく感銘を受けたので、正遊撃士の心変わりを残念に思ったが、それはこのクエストの栄華を独占する者の傲慢だろうと割り切る。空賊服から元の普段着に衣替えしたエステルとアネラスに号令をかける。
 いよいよ、クエスト『定期船失踪事件』の最終曲想の始まりだ。

        ◇        

「我が剣は無敵なり、なぁーんちゃってぇー」
 ルグランが推挙するだけあって、アネラスの剣の冴えはエステルにも引けを取らない。最初の部屋を守っていた四人の空賊は、あっさりとエステルとアネラスの二人に蹴散らされた。
 味方が頼もしい程、怠け癖を発揮するヨシュアは、戦闘を前衛の二人に丸投げすると、早速奥の部屋を解放。人質の安否を確かめたが、目算でも数は四十人に届いていない。
「私はリンデ号の船長を努めるグラントという。助けにきてくれて感謝するが、見ての通り、ここにいるのは人質全員ではない」
 この場の有力者のクラント船長の説明では、カプア一家は人質を大きく三つのグループに分け、別々の部屋に監禁している。
 よく見ると、このグループの人選は、男女と年齢の比率がバランス良く整えられていて、各グループには、船員と保護対象の女、子供、年寄りが必ずセットになっている。
「なるほど、良く考えられているわね。こうして、各々のグループに弱点を抱えさせておけば、反乱の防止にもなるしね」
 人質の多さに比べて、監視側の絶対数が足りないカプア一家としては、リスクヘッジには細心の注意を払っている。
 ただし、人質のケアは丁重に行っている。近親者同士を引き離したり、体調を崩した者を放置することはない。特に空賊の女性は、癇癪を起こした赤ん坊の鎮火に色々と尽力し、本人が胃痛薬を常備していたとのこと。犯罪者としては色んな意味で温い集団だ。

 三人は今後の指針について相談する。上階に停泊している空賊艇を動かせたとしても、どのみち百人を越す乗客は一度には運べない。当初の目論見通りにアジトを武力制圧し、空賊たちを無効化して人質の安全確保を図るという武断的な方針で纏まった。
「みんな、必ずもう一度助けに来るから、ここで大人しく待っていてね。アネラスお姉さんとの約束だよ」
 四人の気絶した空賊を縛り上げると、緊張感を切らした一部の乗客からの不平をクラント船長らの船員達に宥めてもらい、次の人質部屋の解放を目指す。

        ◇        

「へへっ、チョロイ、チョロイ」
 今度は六人の空賊を、またもや前衛ペアのみでぶちのめした。二度目の解放ミッションも割合簡単に成し遂げられる。人質部屋はあと一つを残すのみ。
「この調子なら最後も楽勝だな。どうした、ヨシュア?」
「空賊の一人が戦闘不能になる前に、壁に設置されたレバーみたいのを押したでしょ? あの場でトラップが発動した形跡はなかったから、その行為の意図が気になってね」
 もし、階下への侵入警報の合図だとすれば、自分達の潜入が露見した可能性がある。そう、ヨシュアは警戒するが、エステルの方は危機感を覚えた様子はない。
「仮にそうだとしても、単に万全の態勢で待ち構えられて、今までみたいな奇襲が通じないだけの話だろ? その分、お前がキッチリと働けば済むことだ」
 さり気なくサボり癖に釘を刺されるが、ヨシュアの不安は戦闘とは全く別な所にある。それが単なる杞憂でないのが、次の階層で直ぐさま証明される。

        ◇        

「う、動くな、ブレイサーども。人質の生命が惜しければ、武器を捨てて投降しろ」
 最後の部屋手前の廊下。縛られた船員四人の首筋に『毒の刃』を当て込んだ空賊は、人質以上にテンパった表情で武装解除を要求。ヨシュアは軽く肩を竦めた。
「やっぱり、追い詰められて手段を選んでいられなくなったわけね。けど、ブラフよ、エステル。彼らはまだ一線を超えるのを躊躇っている」
 その覚悟が本当にあるなら、抵抗の危険がある屈強な船員でなく、扱い易い上に人質としてもより効果的な女か子供をこの場に用意している筈。
「無視して一気に乱戦に持ち込めば、99%の高確率で人質は全員助けられるわ」
 エステルの性格を慮れば、その後の展開は見え透いてはいたが、一応、強硬案を主張してみる。
「ヨシュア、この場合は100%でなければ、それはゼロと同じだろ? 人の生命に換えられる代物なんて、この世界のどこにも存在しないんだからよ」
「私も同感だよ、ヨシュアちゃん」
 まずエステルが物干し竿を放り投げ、アネラスも続いて得物の長剣を手放した。
「そうね、エステル。ブレイサーとして、あなたが正しいわ」
 かつてエステルはメイベル市長の前で、自分の身体が担保なら無茶をすると明言したが、裏を返せば他人の生命をチップにルーレットは廻さないという意志表示。
「おい、小娘、お前もだ。姐さんから、お前が一番危険だと聞いているぞ」
 油断なくヨシュアの武装解除を催促するが、人質の首筋に充てた刃を緊張で震えさせている。この態勢のまま強引に突入すれば、彼らにその気がなくても事故が起きかねない。
 一瞬、『漆黒の牙』で状況を逆転できないか計算したが、彼女の全体Sクラフトは戦場全体を無差別に蹂躙する技。ああまで空賊と密着されては、人質にまで類が及んでしまう。万策尽きたヨシュアは、エステル達に倣い、双剣を二つとも放り捨てる。
 遊撃士全員が徒手空拳となり、ほんの少し空賊たちが気を緩ませる。突如、後方の壁が爆発物か何かで崩され、激しい土煙に紛れて何者かが乱入してきた。
「なんだ?」
 泡を食った盗賊たちの人質の拘束が緩んだ刹那を見逃さずにヨシュアは動こうとしたが、両手に双剣を所持していない現実に気づき、強く舌打ちする。
「はぁぁぁぁ。はぁーい、独楽舞踊!」
 アネラスは無手のまま、独楽のようにその場でクルクル回転する。彼女を中心点として突風が巻き起こり、ヨシュアは肘で顔をガードしたまま目を細める。次の瞬間には四人の人質は空賊たちの手元を離れ、アネラスの足元に吸い寄せられていた。
「何が起こった?」
 なぜ人質と分断されたのか理解が追いつかないまま、後ろから襲いかかってきた侵入者の一団によって空賊達は制圧される。
「ヨシュア君、今は一体どういう状況なのかな?」
「エジルさん?」
 突然の闖入者の正体は、エジルと仲間の遊撃士。彼ら破壊した壁跡から、霧と冷気が吹き込んでくる。ここは噂に聞く霜降り峡谷のようだ。

 図らずも合流した正遊撃士と見習いのパーティーは、互いの情報交換を行う。
 エジル達は、ヨシュアがギルドに置き忘れた『定期船失踪事件』の資料ファイルを再度全員で検証した結果、空賊のアジトは、大型船は侵入できない高低差の入り組んだ地形に存在する可能性が高いことに気がついた。
 ボースでその条件を満たすのは、クローネ峠と霜降り峡谷の二カ所。ヨシュアの依頼の陽動班の他、独断で別動隊のチームを二つ作成し付近で待機していた。
「ここは古代の隠し砦のようだが、製法の都合上、必ず人でも踏破できる箇所と面しているポイントがあると睨んだが、案の定だったな」
 爆弾魔(ボマー)の悪名を持つ正遊撃士ブラッキーが、手持ちの手投げ爆弾で壁に穴を空け、ギミック遣いとして名高いもう一人の女遊撃士ハーマイオニーのかけた即席の橋を渡って、三人はアジトへの侵入を果たす。
「お話は判りました。けど、エジルさん達はどうやって、この場所を特定したのですか?」
 霜降り峡谷はその名の通り霧が深くて視界が不明瞭な上、ジョゼット達は用心深く一端雲の上空に出てから垂直着陸に近い角度で発着所に降り立ったので、空賊艇を視認出来たとは思えず、ピンポイントでアジトを探り当てたのが不思議で仕方がない。
「企業秘密と言いたい所だか、回収の必要性があるからな」
 そう告げるとエジルは、一瞬だけエステルの首筋に触れた後、肌に張り付いていた米粒大のミクロな物体を引き剥がし、ポケットに納めた。
「もしかすると、発信機か何かですか? けど、そこまで超小型で高性能な代物はツァイス工房でも発明されてないし。まさか、古代遺産(アーティファクト)の一種?」
 ヨシュアの叫びにエステルとアネラスも驚く。「やっぱり気づかれたか」という諦観した表情で、エジルは腕時計に模したレーダーのようなアーティファクトを披露する。発信機の方は、ギルドでエステルの肩を叩いた時に仕込まれていた。
「外国でのとあるクエストで手にいれた逸品で、仕事で重宝している。取り上げられたら大いに困るので、七耀教会には黙っていてもらえると有り難い」
 悪戯っぽい笑顔で、軽くウインクする。クエスト初期では醜態も晒したが、最後には収支をきっちりと合わせる当り、やはり正規の遊撃士は一筋縄でいく連中ではない。
「少しでも力になれればと思って独断で動いてみたが、我々の横やりで、何か君たちの計画に支障をきたさなかったかね?」
「いえ、本当に嬉しいサプライズで、とても助かりました」
 直接人質を救ったのはアネラスの妙なクラフトだが、その隙を作ったのはエジル達の想定外の介入なので、社交辞令ではなく心から謝辞を述べる。
 特にヨシュアは、彼女の別人格のカリンが彼らを手玉に取ったことから、正規の遊撃士を少し甘く見ていた所があったが、今回は見事に一本取られた形だ。
 ましてや、遊撃士に大した思い入れがなかった自分如きが、長年この世界で飯を食ってきたエジル達の性根を見損なうなど、増長甚だしく赤面する思い。
(でも、ギルドでの一連の遣り取りが無ければ、ここまで献身してはくれなかった。だとすると、あの時エステルに感じた英雄の資質は満更錯覚でもないのかも)
 その感想がエステルに特別な思い入れを抱く自分の欲目であることは承知している。それでもヨシュアは自分にはない「世界を広げる可能性」をエステルの中に見出した。

 それから六人で再度協議した結果、乗客が再び人質に取られる愚を防げるよう三人の正遊撃士が各々、人質部屋をガードするという線で纏まる。早速、ブラッキーとハーマイオニーは持ち場に着く為、上階へと消えていく。
「人質はブレイサーの誇りにかけて、我々が生命に代えても必ず守る。だから、後の事は心配せずに、空賊の頭目達と決着をつけてこい」
 エジルの頼もしい檄を背中に受け、リベールの明日を担う三人の若い準遊撃士は、飛び出して行く。
 いよいよカプア一家首領との、最後の大一番が始まる。



[34189] 07-02:進撃、ブレイサーズ(後編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/05 00:02
「アネラスさん、中々、ユニークな戦技(クラフト)をお持ちですね」
「プリティーなクラフトって、『独楽舞踊』のこと?」
 ジョゼット達が待ち構えている階層最奥を目指しながら、人質を救った妙技を尋ねる。
「あれは本来は味方でなく、屈強な敵を私の周囲に集める技なんだよ」
 ガンナーやアーツ遣い等の非力な後衛の盾となるべく、前衛のアネラスが独自に編み出した補助系クラフト。大型の重機などは吸い込めないが、相手が等身大の人間ならどれほど力量差があってもキャンセルされず効果を発揮できるのが強み。
「なるほど、そういう他人を労るクラフトもあるのね」
 集団戦でのサポートを前提としたアネラスの献身性に、己の持ち技が他者を傷つける攻撃系クラフトのみで占められている歪さを自虐する。
「だったら、とりあえずヨシュアちゃんも、『挑発』あたりから覚えてみたら? あれも敵を自分に惹き付け、仲間を守る為のクラフトだよ」
「ふーん、挑発って、こんな感じですか?」
 アネラスの無責任なアドバイスに珍しく興味を示したよう。その場に立ち止まり、艶っぽい表情でしなを作ると、「こちらにいらっしゃいー」とエステルに投げキッスを施した。
「あははははっ。面白いー」
 挑発の意味を取り違えたヨシュアの勘違いに、アネラスは腹を掲げて笑い転げる。義妹のフェロモンへの抗体持ちのエステルは、飛んできたピンク色のハートを煩わしそうに手で払いのける。
「なによ、全然、効果ないじゃない」
 ヨシュアは憤慨したが、エステル以外のY染色体(♂)なら、人と魔獣の垣根なく問答無用で撃沈される破壊力を秘めており、オリビエなど目をハートマークに時めかしてルパンダイブを敢行するだろう。魔眼と同様に殿方専用スキルと化しそうなのは、お約束ということで。
「それにしても意外だったね。ヨシュアちゃんって、もっと取っつきにくい娘だと思っていたけど」
 笑いを納めて立ち上がったアネラスが目に溜まった涙を拭きながら、意味深な供述をし、エステルとヨシュアの二人は耳を傾ける。
 聞けば一昨年、推薦状取得活動でロレントに滞在していた時、世話になったシェラザードからヨシュアの悪口を色々と吹き込まれた。
「誑かした男をぼろ雑巾のように使い捨てるロレント一の悪女だとか。結構なミラを隠し持っているのに絶対に身銭を切らない守銭奴とか。義兄をいたぶることに快感を覚える生粋のサディストやら。それはもう散々だったけど、シェラ先輩の思い違いみたいだね」
「あっ、それは一切の誇張無しで、全部真実だから」
 シェラザードの証言に太鼓判を押そうとしたエステルの足をヨシュアは払い、頭からレンガ張りの地面に叩きつけられる。
 大事なボス戦を前にして、こんな無意味な小競り合いで消耗するのもどうかと思うが、これもヨシュアがエステルの頑丈さを信頼している証。少なくともアネラスは、兄妹間の無邪気な戯れ合いと受け取った。
「うふふ。クールぶっていて、結構なブラコンなんだね。私はまだ恋をしたことないから、ヨシュアちゃんの男性観については何も言えないけど、リボンとか服装のセンスを見る限り、私たちのお洒落の方向性は結構近いと思うよ」
 「クエストが終わったら、一緒に可愛いものについて語り合おうね」と恒例のフレンドリーな笑顔で告げると、左手でエステルの掌を掴んで立ち上がらせ、右手でヨシュアの頭をナデナデする。
 男性とのスキンシップに手慣れた反面、女性から撫でられるなどほとんど体験がないのか。ヨシュアは困惑しているようにエステルの目に映った。
「どうした、ヨシュア?」
「なんでもないわよ、エステル」
 さっきから妙に精彩を欠く義妹にエステルは声を掛けるが、ヨシュアはますます混迷の度を深めようとしている。
「ははーん、さては、お前」
 エステルはピンと来た。ロレントではエリッサとティオしか友達がいなかったのに、ボースに来てメイベルやアネラスと立て続けに仲良くなれた現実を受け止め切れないのだ。
(なんだよ、本当に可愛い所があるじゃないか)
 同性でヨシュアのような腹黒完璧超人を受け入れるには、相手側の女性に相応の度量が求められるが、世界は広いものでボース地方だけで既に二人。
 今回のリベール一周旅行は、上級遊撃士相応の力量を持つヨシュアにとって退屈な旅路にならないかと危惧していたが、この調子で友人を増やせるのなら意義がある。
 アネラスに撫でられて、借りてきた猫のように縮こまっているヨシュアの姿に珍しくも義妹への庇護欲を刺激されたが、廊下の奥がキラリと光ったのを視認した瞬間、第六感が危機を訴える。
「危ない!」
 反射的にアネラスとヨシュアに覆い被さる。同時に導力エネルギーがエステルの背中を掠めるように通り抜けて、後方の地面を抉り取る。攻め入るまでもなく、敵さんの方から態々こちらに出向いてくれたようで、お茶の間タイムは終了した。

「今のは、ジョゼットの導力銃(オーバルガン)か?」
「いえ、違うわね、エステル。この破壊力は、対戦車クラスの導力砲(オーバルキャノン)よ。移動式の大型導力砲でも用意してきたのかしら……って、信じられないわね」
 精神のチャンネルを戦闘用に切り換えた立ち上がったヨシュアが、まるでUMA(未確認生物)でも発見したかのような表情で、廊下の先を見つめる。
 手下四人にキールにジョゼット。そして中央に威風堂々と佇む巨漢の空賊。
 左目に傷痕があり、いかつい手下たちをパンピーと錯覚するぐらいの生粋の極悪面だが、真に驚くべきは脇に抱えた大型導力砲の存在。
 本来なら対戦車用装備として飛行艇に取り付ける固定式の大型導力砲を、生身で軽々と扱うなど尋常な膂力ではない。その威力は対人特化の小型導力砲(P-03)とは比肩すら出来ない。
「あのエステルに匹敵しそうな怪力の主が、カプア一家の元締めみたいね。見た感じ頭の方もエステルとどっこいぽいけど」
「一応ジョゼット達と髪色は同じだし、全然似てないけど長兄か親父ってオチか?」
「本当、可愛くないよね。まあ、あの二人と違って、あの風体で出歩いたら直ぐにお縄になりそうだから、矢面には出られないのはしょうがないよ」
 三人は好き勝手に空賊の首領を酷評する。それに気分を害した訳でもないだろうが、第二射を放たれる。今度は不意打ちでないので三者は悠々と避けたが、再び地面が削り取られる。威力、射程、攻撃範囲、全て申し分なく、前衛過剰なブレイサーズとしては、この距離での戦闘はかなり分が悪い。
「だったら、導力砲を撃てないようにすれば良いんだよ。はぁぁぁぁ、はぁーい」
 再び、独楽舞踊でクルクルと回転し、カプア一家の手下四人を纏めて吸い込んで、敵味方入り乱れての乱戦状態を演出する。
 アイコンタクトで自らの役割を心得たヨシュアは、同士討ちを恐れた敵の飛び道具が封じられている隙を見計らい、後衛の三兄弟を仕留めようと飛び出したが、キールにカットされる。
「長剣(フェンサー)?」
「兄弟だからって、勝手にあたしまで遠距離系で一括りにしないでくれる? それより、やたら好戦的だったブレイサーのアレは、あなた達の密航を隠す為だったのね?」
 今更ながらにキールは仕込みを見抜くが時既に遅く、ヨシュアはこの砦が正遊撃士によって占拠され、人質も解放済みの事実を告げる。
 ぶっちゃけると増援として駆けつけた遊撃士は三人だけだが、ヨシュアの発言そのものに嘘がないだけに、キールお得意の直感でもカラクリを見破るのは困難。
「ねえ、キールさんでしたっけ? 運良くこの場を切り抜けられたとしても、もうあなた達は完璧に詰んでいるわよ。ここまで攻め込まれた地点で、あなたならその程度弁えているでしょう?」
 キールの振り回すフェンサーを、双剣でマインゴーシュのように巧みに捌いて受け流しながら勧告する。
「あなたのいう通りかもね、お嬢ちゃん。でもね」
 自嘲するようにヨシュアの見解を肯定したが、鍔迫り合う長剣にさらに力が籠もり、投降する意志は欠片も見受けられない。
「ポーカーに譬えるわけじゃないけど、切札がなくても降りられない瞬間って、人生には必ずあるでしょう? 私にとっては、今がその時なのよ」
 キールはエレボニア帝国の由緒ある貴族だったカプア一家が、この一年で辿った没落の一途を邂逅する。
 放浪癖のある彼女が、山猫号で旅から数ヶ月振りに戻った時、カプア家は全てを失っていた。自分がその場にいれば、あんなチャチな詐欺師に騙されることはなかったのにと、欲深で愚鈍な兄を罵ることなく己の不在を呪った。
 だから、先祖伝来の土地を取り返すというドルンの意思に共鳴し、多くの使用人と一緒に空賊稼業を支えてきたし、無謀と思えるリンデ号のハイジャックも唯々諾々と従った。
「今、一家は危機にあり、今度こそあたしは、その場に居合わせている。なのに、見捨てられる訳ないでしょう」
 今まで飄々としていたキールが初めて感情を露わにする。長剣でヨシュアを牽制しながら、虎の子の手榴弾を懐から取り出し左手に抱える。
「そう、残念ね」
 次の刹那、電光石火の斬撃で、キールの長剣と爆弾を同時に弾く。
 駆け引き相手としては苦手なタイプではあるが、単純に物理的な敵と見做せば、彼女の戦闘力は弟のジョゼットにも遠く及ばない。
「出来れば降伏してもらいたかったけど、仕方ないわね。まだ例の発煙筒を隠し持っているのだろうけど、それを出したら本気で斬るわよ」
 琥珀色の瞳に冷酷な光を宿しながら警告し、喉元に刃を突き付ける。精一杯の気迫がまるで及ばない現実の過酷さに打ちのめされたキールはガックリと膝を落とした。

「うわあああ!」
「きゃああああ!」
 激しい爆発音と一緒に仲間の悲鳴が上がり、ヨシュアは反射的に振り返る。ドルンの大型導力砲が直撃し、エステルとアネラスの二人が倒れ込んでいる。敵のカプア一家の四人の手勢と一緒に。
「エステル、アネラスさん」
 心が折れて放心しているキールを放置し、二人に駆け寄って容態を確かめるが無事のよう。
 アネラスは深刻なダメージを負って気絶しているが、「アイスクリーム。ローズマリー」と妙な譫言を呟いていて、生命に別状はない。
 エステルに至っては、「痛てて」とノーダメージに近い状態で、普通に意識を保っている。相変わらず信じられないタフネスさだ。
 苦しそうに蠢いている手下を虫けらのように見下すと、ドルンは葉巻に火をつける。
「おかしいな、何で生きているんだ、こいつら……って、設定がMIN(非殺傷)になっているじゃねえか。キール、お前、さっきレバーを弄くりやがったな?」
 つまらなそうに葉巻を食い潰すと、導力砲のエネルギー設定をMAX(殺傷)に切り換える。
「ドルン兄ぃ、どうして」
 家族のように慕っていた一家のメンバーごと薙ぎ払った長兄の非情さに、隣にいたジョゼットは襟首を掴んで抗議するが、ドルンは煩わしそうにジョゼットを張り倒して、ヨシュアの眼前まで吹き飛ばす。
「けっ、どうせ、こいつらじゃ、ブレイサーには対抗できないんだ。なら、纏めて吹き飛ばせば、囮としてぐらい役立つだろが?」
 がははっーと高笑いするドルンを、殴られた左頬を抑えてうずくまったジョゼットは、捨てられた小犬のような切ない目で見上げる。
「なかなかご立派な頭領をお持ちのようね、カプア一家は」
 ヨシュアはドルンのご高説を皮肉ったが、 ゼロサムゲームとして見るなら、手下四人の対価で前衛ペアを潰せるなら安い投資なのも事実。ドルンの主張自体は戦理に適っている。
 ただ、このような外道にあれほど部下たちが忠義を尽くすとは思えない。自分らが戦略を見誤ったのも、今日まで散々見せつけられたカプア一家の温さが根底にあってのことなので、どうしても違和感を拭えない。
(ならば、試してみるしかないわね)
 そう決意すると、手近に転がっていたジョゼットに絡んで双剣を振るう。
 いきなりゼロ距離戦に持ち込まれたジョゼットは、ベアアサルトを抜くに抜けない。仕方なしに隠し持っていた予備の短剣を振るって抵抗するが、剣技に関してはキール以下の素人。
 瞬殺するのは容易い筈だが、何故かヨシュアは敢えて止めを刺さず膠着状態をキープする。
(そろそろ導力エネルギーの充電が完了する頃かしら)
 チラリとドルンの次行動を確認する。今度は殺傷モードに設定された導力砲の照準を、こちらに向けている。
「やっぱりね」
 ジョゼットに身体ごと体当たりし、二人は縺れ合うように地面を転がる。
 さっきまで二人がいた空間に、前射とは比べ物にならない凄まじい導力エネルギーが炸裂し地面が大きく陥没する。手下はおろか実の弟の殺害にすら、ドルンは何の躊躇いもない。
「わっ、わっ、わっ」
 ヨシュアに馬乗りで押し倒されたジョゼットは、目と鼻の先に押し付けられた二つの大きな膨らみに、兄に殺され掛けたショックや交戦相手に救われた現実も忘れ赤面する。
 取り乱すジョゼットとは対照的に、ヨシュアは身体の密着をさして気にすることなく、思考を押し進める。
 血を分けた肉親さえも道具扱いする酷薄な人間は、この世界のどこかに実在するのだろうが、そんな下種にあの姉弟がついていく筈もなく疑惑は深まるばかり。
「ねえ、ジョゼット。今の屑っぷりが、あなたのお兄さんの本性だと解釈していいの?」
 侮蔑の言葉に、夢心地だったジョゼットはようやく我を取り戻し、必死に抗弁する。
「そんなこと、あるものか。ドルン兄は顔は怖いし剛愎だけど、本当は優しくて馬鹿みたいにお人よしで。だから、あんな子供騙しの詐欺に引っ掛かって、全てを失って」
 今まで溜まっていたものが吹き出し、最後は涙目になる。
「そうね、あの人は私たちのドルン兄さんじゃない。全くの別人よ」
 ようやく精神の失調から少しだけ回復したキールも、ジョゼットの想いに同調した。
「だったら、答えは一つね。あなた達のお兄さんは、何者かに洗脳を受けている」
 ジョゼットの慟哭に疑惑を確信に替える。ヨシュアは立ち上がると、瞳を真っ赤に光り輝かせる。ヨシュアの魔眼に反応するかの如く、ドルンの瞳が赤く染まる。それは異能の術者に人格を弄ばれた者の証。
「洗脳って? それより、ヨシュア。君の瞳も真っ赤に」
「元のドルン兄さんに戻せるの?」
 疑問が状況の変化に追いつかずに困惑するジョゼットに替わって、キールが要点だけを的確に問いかける。
「多分ね、一度ぶちのめして、戦闘不能にする必要性があるけど」
 ヨシュアの外観にそぐわぬ力量を承知しているジョゼットにも、それは無理ゲーに思えた。彼の兄はヨシュアとは真逆の見た目通りのパワーファイターで、その上に一撃必殺の大型導力砲まで備えている。遊撃士のパーティーで攻略するならともかく、タイマンで勝てる筈がない。
「別に何の問題もないわよ。ただ、ちょっと本気を出せば良いだけ」
 そう宣戦布告すると、双剣を構え正面からドルンに立ち向かう。
「ヨシュア」
「黙って見てろよ、空賊のクソガキ。いや、ジョゼットだっけ?」
 ヨシュアを引き止めようとしたジョゼットの肩を誰かが掴む。左肩に走った激痛に耐えかねて振り返ると、気絶したアネラスを右脇に抱き抱えたエステルが、凄い握力で彼の肩口を締め上げている。
「脳筋ブレイサー? まだ、そんな力が余っているなら、ヨシュアに加勢しろよ。君は自分の義妹が心配じゃ」
「エステル・ブライトだ。俺に何か含む所でもないなら、いい加減名前ぐらい覚えろ」
 ジョゼットをそのまま片手のみで押し潰して、地べたに平伏せさせる。以前のライルの報告通り、確かにこの馬鹿力はドルンと甲乙つけ難い。
「お前の兄貴がどれほどの怪力か知らねえが、パワーであいつをねじ伏せられるものなら、この俺がとっくにやっている」
 先程からヨシュアの琥珀色の瞳が深紅に輝いている。珍しく怪物がやる気に漲っている今、エステル如きが手を貸す必要はない。
「多分、瞬きする間に全てが終わる。その後、どうやって洗脳とやらを解くかは知らねえがな」

 正面から高速で切り込んでくるヨシュアに、ドルンはフルチャージした大型導力砲を炸裂させる。一瞬直撃したかと錯覚したが、それは残像。本体は得意の超スピードで、あっという間に懐深くに潜り込んだ。
「次弾を撃つには再チャージが必要で、導力銃と違って連射は効かないでしょ? なのに、盾となって守ってくれる仲間を自ら潰したあなたの負けよ」
「うがああああ!」
 獣のような雄叫びをあげながら、導力砲そのものを鈍器にし、ヨシュアの脳天をかち割ろうと、大きく振りかぶって真下に叩きつける。
 だが、ヨシュアは素早い身のこなしでドルンの一撃を避けると、導力砲を踏み台に上空に大きくジャンプし、クルクルとヨーヨーのように回転する。
「断骨剣……って、殺したらいけないのよね」
 落下途中で双剣を反対に持ち替えると、刃でなくダガーの柄の部分の方をドルンの首筋に叩きつける。鍛えようがない人体の急所の一つである天柱に、落下の遠心力をモロに喰らったドルンの巨体は、そのまま前のめりにぶっ倒れる。
 エステルの予言通り、美女と野獣の共演は瞬く間に閉幕した。
「さてと、ここからが本番ね」
 ヨシュアは気絶したドルンの額に掌を翳すと、彼の認識に浸食する。
(やっぱり、使い捨ての簡単な暗示が刻まれているだけみたいね。これなら私の力でも解除できる)
 なぜ、自分にそんな能力が備わっているのか? どうしてその使い途を把握しているのか、ヨシュア本人にもその答えは分からない。
 魚が海を泳ぎ、鳥が大空を羽ばたくように。ヨシュアも魔眼の能力を自然と使いこなし、ドルンにかけられた暗示をキャンセルした。
「終わったわよ」
 ヨシュアが背を向けると同時に、ドルンはゾンビのような緩慢な動作でフラフラと立ち上がる。一瞬、エステルは背中の物干し竿に手を伸ばそうとしたが、ドルンはヨシュアを無視し、倒れている四人の手下を抱き締めてオイオイと号泣した。
「うおおおお、お前ら、済まない。俺は、俺はー」
 僅かながらに洗脳されていた時の記憶が残っており、己の仕出かした所業にショックを受けているらしい。確かに彼の生来の性分は、ごつい見た身とは裏腹の気の良いお人好しみたいだ。
「ドルン兄」
 胡座をかいて涙ぐむジョゼットの姿を一瞥した後、キールは懐の発煙筒に手を伸ばしかけて止めた。
「降伏しましょう、ジョゼット」
 キールは一言、弟にそう囁き、ジョゼットは一瞬戸惑いの表情を浮かべたものの、すぐにコクリと頷いた。
 元から何かが奇怪しかった。突然、人が変わったように凶暴になった兄が、定期船のハイジャックを強行させ、身代金承諾の情報を入手した途端、人質の皆殺しを命令した。
 侵入者の警報が鳴り響いたので、兄妹間の紛争は一時お流れになったが、今のドルンに精神異常を感じたキールは密かに導力砲のレバーを非殺傷モードに切り換えておき、その行為が結果的にアネラスや手下の生命を救った。
「ねえ、ヨシュア。君はロレントで取り返しのつく間違いと、そうでない過ちがあるって諭したよね? こんな酷い有り様なってしまったけど、まだ僕たちはやり直すことが出来るのかな?」
 縋るようなジョゼットの質問に、ヨシュアが何かを答えようとした瞬間、無粋な闖入者が少年の懺悔を有耶無耶にする。

「動くな、空族ども。武器を捨てて投降しろ!」
 ドタドタと複数の靴音を響かせながら、多数の王国軍兵士が乱入し、三兄弟や瀕死の空賊たちを強引に抑えつけた。
「王国軍だと? 何で、こいつらがここにいるんだ、ヨシュア?」
「私にも分からないわよ。エジルさん、これは一体?」
 エステル同様に困惑したヨシュアは、兵士達に混じっていた三人の正遊撃士に問いかけたが、彼らも似たような心理状態だ。
 警備飛行艇がピンポイントで乗り入れてきて、空賊の逮捕と乗客の移送などの後始末は全て軍が引き受けると、エジルらの仕事を横取りした。
「ふふっ、本当にざまぁないわね。最初っから、あたし達はあいつらに踊らされていたみたいね」
 手錠を嵌められ拘束されたキールが、忌ま忌ましそうに呟く。恐らくはキールの言う『あいつら』とは、カプア一家に情報を提供していた軍のスパイのことなのだろうが。
「ヨシュアだっけ? 兄さんを助けてもらった恩があるのに、あなた達ブレイサーの手柄にしてあげられそうもないから、一つだけ情報をあげる。今、あたし達を逮捕した連中と、軍の内部情報を横流ししていた黒装束とは、どこかで必ず繋がっている」
 「証拠は何一つないけど、強いていうなら女の勘よ」との置き土産を残すと、ドルンやジョゼット達と一緒に大勢の兵士に連行された。

        ◇        

 こうして長い間続いた、『定期船失踪事件』のクエストは予期せぬ形で幕引きする。
 後日、リベール通信にリンデ号事件の解決記事を扱った特別号が発刊されたが、空賊を逮捕し人質を救出した功績は、王国軍に新設されたリシャール大佐率いる情報部ということに改竄されており、エステル達遊撃士の活躍が掲載されることはなかった。



[34189] 08-00:祭のあと(ボース編エピローグ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/05 00:03
「以上が、『定期船失踪事件』のクエストの顛末です」
 ギルドのボース支部。受付のルグランとメイベル市長を交えて、ヨシュアが報告書を提出する。アネラスは名誉の負傷で入院中だが、それ以外のクエストに参加した遊撃士が集結し、一階はやや手狭な状態だ。
「ふ~む、まさか、最後の段階で王国軍が介入してくるとはのぉ」
「よく兵士を犬に譬えたりするけど、あれじゃ軍用犬じゃなくて、単なるハイエナだぜ。こっちは怪我人まで出したのに、ナイアルの野郎、シカトしやがって」
 エステルが愚痴を零すのも無理はない。王国軍が登場した地点で、人質の救出と空賊の武装解除はブレイサーズの手によって、ほぼ成し遂げられていた。なのに、メディアは全て軍の手柄と報じている。
 エステルほど口は悪くないが、エジルら正遊撃士の軍とマスコミへの不信感も似たようなものだが、オブザーバーとして参戦した自分たちの立場を慮って、敢えて無言を貫いた。
「口を慎みなさい、エステル。どのみち乗客や空賊の移送をするのに、軍の手を借りる必要があったのは確かなのよ。地域の平和と民間人の安全というブレイサーの理念を達成できたということで割り切りましょう」
「その通りですわ、ヨシュアさん。リベール通信のような蒙昧なマスメディアが何をほざこうとも、わたくしは真実を承諾しています。ですから、自分たちの仕事に誇りを持ってよろしいのですよ、エステルさん」
 何かナイアル達との間で揉め事でも起こしたのか。メイベル市長らしからぬ刺々しい物言いが少し引っ掛かったが、そう気遣ってもらってエステルの気が楽になる。
「人質が全員無事に解放されたのは、紛れもなく遊撃士協会(ギルド)の功績です。というわけで、約束通り報酬をお支払いします。リラ、例のものを」
「はい、お嬢様」
 メイドのリラが脇に大切そうに抱えていた封書から一枚の小紙を取り出して、メイベル市長に手渡す。さらにリレーのようにルグランのデスクに置かれた。
「なんじゃ、こりゃ?」
「為替手形よ、エステル。銀行に持っていけば、ここに記入されたミラに両替してくれる魔法の紙切れよ」
 帝国がリベールに持ち込んだ手形制度は、まだまだ一般層には浸透しておらず、エステルが知らなくても無理はない。ヨシュアは常のように勉強不足を咎めたりせず、子供向け番組のレベルにまで噛み砕いて補説する。
「お手数かけて申し訳ありませんが、現在ボース市はこれからの国際化社会に対応すべく、試験的に手形での商取引を義務づけておりますの。皆様のおかげで、ようやく定期便再開の目処がたちました。わたくしはその為の会議に参加しなくてはならないので、これで失礼します」
 「また、何かあればギルドを頼りにさせていだだきます」と明言してから退出する。
 メイベル市長からの信頼を勝ち得て、個人的なパイプを繋ぐことが出来たのは、今後二人が遊撃士の活動する上で、多額の報酬や推薦状の入手以上に意義のある成果かもしれない。

「ふ~ん、このペラペラの紙がミラに化けるのか? 何か武力侵略されるまでもなく、どんどん我が王国がエレボニアに侵食されているように感じるのは俺の気のせいか、ヨシュア?」
「多分、錯覚じゃないわよ、エステル。鉄血宰相と名高いオズボーン宰相は、経済戦争を仕掛けて周辺諸国をどんどん吸収しているみたいだから、リベールへの攻め方を変えたのでしょう」
 基本、武術と食事にしか関心のないエステルが珍しく経済に興味を示したので、この機とばかりに近隣の国際情勢を叩き込もうとしたが、手形に記入されたミラの額が目を掠め驚嘆する。
「成功報酬が五十万ミラとは、メイベル市長も随分と奮発したものね」
 基本5000ミラを超えれば高額クエストと認定される中、その百倍の報酬となれば、正規の遊撃士が目の色変えて仲違いするのも無理はない。
 彼らとて霞を食べて生活しているわけでなし。邪念に囚われたとしても、最終的には正道に立ち返った訳で、一時の気の迷いを咎める気にはなれなかった。
「まあ、カプア一家がリベール王家に要求した身代金は一億ミラじゃそうだし、これ以上流通が滞れば市の損害額も数千万ミラに達しただろうから、メイベル市長からすれば安い投資じゃろうて」
 またぞろ、準遊撃士の二人に隠していた機密を、クエスト完了後に後出しされ、ヨシュアは憤慨する。
 五十万ミラは国や市の予算としては端金だが、一個人に支払われる褒賞額としては度を超えすぎている。
 七曜教会の御布施と同じく、遊撃士のクエストは非課税と国で定められている。ギルドの維持・運営費に最高率の30%を差し引かれたとしても、三十五万ミラも手元に残る計算になる。S級遊撃士のカシウスでさえも、このクラスの報酬を一括で支払われた事例は、例のカルバート事件ぐらいだ。
「なあ、ヨシュア」
 エステルの澄んだ瞳を見たヨシュアは、ミラの魔物に心を奪われなかったことに軽く安堵しながらも、彼の思いを先読みする。
「エステル、あなたが主張したいことは判っているつもりよ。けど、正遊撃士の人達にもブレイサーとしてのプライドがあるわ」
 報酬の山分けを提案しようとしたエステルに、一端自らケジメをつけたエジル達がミラを受け取る筈がないとお節介に釘を刺す。
「けどさあ、今回の『定期船失踪事件』のクエストは、俺たちの力だけで解決したわけじゃないし。何よりこんな超高額クエストに巡り逢える機会なんてまずないだろ?」
「そうね、この平和なリベールでは、この先十年はありえないでしょうね」
 「エステルがロレントで羨望していた国家転覆を目論む軍事クーデターでも発生しない限りはね」と冗談めかして返したが、その時に妄想していたハイジャック事件が現(うつつ)となったのは単なる偶然であろうか?
「なら、尚の事、このミラは受け取れないだろ?」
 理想と現実の狭間で苦しんできたエジル達正遊撃士の葛藤する姿を見るにつけ、奇麗事だけで生きていける甘い世界でないのはエステルも薄々察している。まだ若輩の自分たちが単一のクエストであっさりと大金を手にしたら、燃え尽き症候群を患いかねない。
「多額のミラがあれば助かるケースに、この先色々と巡り逢うと思うけどね」
 そう意味深な予言をしながら、エステルの頑迷さを承知しているヨシュアは、現実的な落とし所を思案する。
「ルグランお祖父ちゃん、こうしてはいかがでしょうか?」
 今回のクエストが、今この場にいる遊撃士全員の功績なのは事実として、助手として参加した彼らは報酬を拒絶する。
 ならば報酬はギルドが預かることにし、調査費用や滞在費など今回のクエストに費やした実費を還元する形にすれば、正遊撃士の側も比較的抵抗なくミラを受け取れるのではないかと提言する。
「ふーむ。中には、今回のボース駐留に私財を注ぎ込んだ者もいるだろうし、そうしてもらえると助かるが、本当に良いのかい?」
「はい、領収書は残してないだろうから、申告額は各々のブレイサーとしての良心に任せるということで。それでも余ったミラは、準遊撃士の育成基金にでも充ててはどうでしょうか?」
 今までのように後継の遊撃士の裁量に任せる曖昧な方式でなく、育成や監督システムをマニュアル化し徹底させれば、窃盗目的の子悪党が紛れ込むのは難しくなる。
 そうして質が向上すれば、見習いに無意味な制限をかける必要もなく、さらにクエストを潤滑に遂行可能になると皮肉っぽく直訴する。意外と根に持つタイプのヨシュアにルグランは苦笑しながらも、この議案の稟議書を本部に提出する旨を約束した。

「で、何でお前がいの一番に並んでいるんだよ、ヨシュア?」
 早速、受付前で調査費用の申告が始まる。遊撃士が長蛇の列を作ったが、ヨシュアの提出した費用の明細に呆れる。
 ホテルの宿泊費は良いとして、何故か金持ちに貢がせたブランド品が調査経費に含まれていて、ご丁重に領収書まで添えてある。
「私達だって今回のクエストに関わったブレイサーの一員なのだから、調査費用を要求する権利はある筈よ、エステル。あと遊撃士の誇りにかけて、申告に偽りがないのを誓約するわ」
 「ドレス等のブランド品やエステ料金がどうクエストに関わるんだよ」とエステルは突っ込んだが、実際に調査に貢献している。その上でミラの出所はヨシュアの財布でないのが余計に性質が悪い。
 ヨシュアも今回の流れまで予見したわけではないが、将来何かの役に立つかもと貢ぎ元から領収書を回収し、手元にキープしておくあたり本当に抜け目がない。
「なるほど、君がカリンだったのか?」
 次に並んでいたエジルがヨシュアの背後から申告書を盗み見て、合法詐欺師は猫のように全身の鳥肌を逆立てさせる。
「今日までどうして忘れていたのか不思議だが、その明細を見てハッキリと思い出したよ。君がギルドに置き忘れた調査ファイルが、あまりに我々の成果と酷似していて、皆首を捻っていたんだ。カリンの衣装を再現した明細の一覧といい、物証を幾つも残したのは君にしては詰めが甘かったかな、ヨシュア君?」
 魔眼については本人でさえ把握していないブラックボックスだらけだが、強い精神力と何らかの切っ掛けがあれば、ヨシュアの支配を上回れるらしい。
 名探偵のぐうの音も出ない推理に、彼らを虚仮にした事実が露見。何と弁解していいのか判らず、断崖絶壁に身を投じる犯人役さながらに追い詰められ、ダラダラと脂汗をかくが、エジルは落ち着かせるように軽くヨシュアの肩を掴むと、他の者に公表する意思はないと告げた。
「君は見習いの立場で可能な最善を尽くしただけで、他人が咎めるような筋でもない。ましてや、正規の遊撃士が十六歳の小娘に鼻の下を伸ばして、クエストの機密を漏洩するなど洒落にならない失態だからな。君の正体が明るみになって、本当に立場が不味いのは、むしろ俺達の方さ」
「エジルさん」
「とはいえ、君のパートナーのあの少年の立場が少し羨ましいかな。もし次にカリンと会える機会があったら、デートを申し込むとするよ」
 「ただし今度はお酒抜きでね」とナイアルと似たような感想を抱きながら、理解力に溢れた大人の男性の貫祿を示したエジルに、ヨシュアは久しく忘れていたアッシュブロンド(灰色の金髪)の青年の凛々しかった姿を重ねた。

        ◇        

「随分と愉快そうだな、ヨシュア」
 怪しげな明細と領収書で、ちょっとばかり煮え湯を飲まされたルグラン爺さんを騙くらかし、三万ミラほど回収できたことにささやかながら溜飲を下げたのか。
ヨシュアは鼻唄を歌いながら、エレボニア銀行のATM(自動現金預払機)の空になった口座にミラを補充する。
「勿論よ、エステル。やっぱり一文無しで旅を続けるのは不安だしね。けど、それだけじゃないの」
 キャッシュカードをスロットに差し込んで、有り金を機械に吸い込ませる。
「何ていうかさ、エステル。ブレイサーってとっても素敵ね」
「はあっ?」
 ほんのりとヨシュアの頬に、赤みが射している。
 遊撃士の旅を退屈凌ぎの手段ぐらいに軽く考えていたであろう義妹の突然の心変わりに、エステルは狐につままれたような顔をする。ヨシュアはルンルンと上機嫌でカードを懐に戻したが、残高を照会した途端、態度を硬化させる。
「どうした、ヨシュア?」
「エステル、私、博打に勝ったみたい」
 放心した表情のヨシュアが,残高証明書をプリントアウトしてエステルに手渡す。口座残高は103万ミラと記載されており、エステルは目の玉が飛び出るほど仰天した。
 グラン=シャリネに曰くする五十万ミラの元手で、百万ミラの錬金に成功したのは、アンテローゼ・オーナーのメイベル市長ではなく、全財産をオリビエに寄贈したヨシュアというプチわらしべ長者の誕生だ。
「マジかよ。オリビエは本当に只の馬鹿じゃなかったのか? まさか正体は、お偲びでリベールを尋ねたエレボニアの王子とか言わないだろうな?」
「かも、しれないわね」
 普段はエステルの突飛な妄言を一笑に付すヨシュアも、この時ばかりはその可能性を真剣に検討するが、あまりに現実感を欠いたサスセスストーリーに、思考が上手く纏まらない。
「けど、口座が復活したことを、喜んでばかりもいられないわね。ミラがきちんと振り込まれていたということは、当然、次に発生するリアクションは」
「ヨシュアくぅーん、どこにいるんだーい? 君を再びこの手に抱き締める為に、僕は幼馴染みに操を売り渡してきたよぉー」
 予測に違わぬハイテンション。しかも、相変わらずの斜め上の言動を携えてオリビエが突進してきたが、ヨシュアの5アージュ圏内に侵入した途端、暗示の効果によって姿をロスト。キョロキョロとあたりを見回す。
「流石にこんな大金を貢いでくれたのは、オリビエさんが初めてね。女冥利に尽きると言いたい所だけど本当何者なのかしら、この人? いずれにしても約束はちゃんと守らないとね」
 苦笑いしながら、左手の人指し指を親指で弾き、「ぱちっ」という音を鳴らすと、オリビエに刻まれた暗示が解かれる。
「おおっ、ヨシュア君。そこにいたのかい。君と会えないこの数日は、まるで僕にとって十年の幽閉に等しい魂の拷問だったよ。けど、もう僕たちの愛を遮るものは、この世界のどこにも存在しない。さあ、一緒にハネムーンに旅立とう」
 瞳をキラキラと輝かせ、得意の美辞麗句を並べ立てながら、ヨシュアに襲いかかってきたが、容赦なく得意の一本背負いで、今度は頭から叩き落としてオリビエの意識を刈り取る。
 過程を省略しまくったオリビエのアプローチの仕方に問題が在り過ぎるとはいえ、どのみちヨシュアに触れることすら許可されないのなら、暗示による5アージュ禁止例が解除されてもさして意味はなく単なる払い損だ。
「どうやってミラを工面したか聞き出したいけど、どうせはぐらかされるのが関の山ね。行きましょう、エステル」
 形はどうあれ百万ミラも貢ぎながらも一顧だにされないオリビエの憐れさに、今回ばかりはエステルも同情するが、頭の周囲にお星様を展開させたオリビエの気絶顔は、何故かとても幸せそうだった。

        ◇        

「それではアネラス君の退院と、正遊撃士昇格を祝って乾杯」
 空賊事件が解決してから一週間が過ぎ。居酒屋キルシェを借り切った遊撃士一堂は、アネラスを主賓に添え飲み会を行う。エジルの音頭の元、各々はアルコール飲料の入ったグラスを合わせて祝福する。
「おめでとうございます、アネラスさん」
「ありがとうヨシュアちゃん。正直に本音を言えば、私としてはまだ戸惑いがあるんだけどね」
 一応未成年ということで、不本意にもラヴェンヌ村特産の絞りきりジュースで乾杯したヨシュアに思いの丈を告白する。
 『定期船失踪事件』のクエストでは、戦前の予測通り報酬だけでなくブレイサーズポイントの査定も大奮発される。エジル達正遊撃士は全員昇級してランクを一つ上積みし、中でも主役級の活躍をしたエステルとヨシュアの二人は、単一のクエストの功績のみでボースの推薦状を貰い受けた。
 退院してギルドに顔を出したアネラスは、ルグラン爺さんから手渡された正遊撃士へのパスポートとなる最後の推薦状を、「自分は最後で足を引っ張ったから」と受け取るのを躊躇った。
 だが、今回のクエストは、遊撃士全員が一致団結したからこそ成果を成し得た。そういう意味では、外れを引いて出番のなかったクローネ峠の待機班も、ラスボスを仕留めたヨシュアにも、単に役割分担の違いがあっただけで優劣の差はない。
「ましてや、アネラスさんは人質の救助に貢献しました。あの地点で、独楽舞踊を発動させて敵の手の内を暴いてくれなければ、油断していた私も巻き込まれてパーティーは全滅していたと思います」
 後衛の盾となって負傷するのは足手纒いでなく、立派に前衛の務めを果たした誇り高き武勲であり、その差がドルンとヨシュアの勝敗を分けたのだ。ヨシュアに熱心にそう諭されて、アネラスは自分の今の境遇を前向きに受け止められるようになった。
 赤の他人、それも同性の進退にここまで献身する義妹の姿をエステルは訝ったが、アネラスに感じた友誼と同等比率で、一種の代替行為が含まれていた。
「私は、私の言葉に救いを求めてくれた人間に、結局何も答えてあげられなかったから」
 自嘲するようにそう囁いた時の、深い悲しみに彩られた琥珀色の瞳はハーケン門の方角を向いている。多分そこに収監されたジョゼットやキールを憐憫しているのだろうなとエステルは察した。
 そのキールは逮捕前に意味深な発言をヨシュアに託している。ドルンの洗脳といい、事件は解決したものの、残された謎は深まるばかり。

「アネラス君、これは我々からのささやかな贈り物だが受け取って欲しい」
 話しは現実へと戻る。エジルはアネラスの正遊撃士の祝いの品として、テディベアのぬいぐるみを取り出した。
「この黒曜石を嵌め込んだ円らな瞳。絹糸で縫い合わせたモコモコの毛並みが滑らかな肌触りを演出し、さらに内部に埋められた綿羊は、優れた抱き心地を保証する。ああっ、この娘は紛れもなく、私のローズマリー」
 可愛いものソムリエという遊撃士として不要のスキルを所持しているアネラスは、ショーケースに幽閉されたぬいぐるみの素材を一発で見当てる。
 アネラスはツーッと涎を垂らしながら、夢遊病患者のようにフラフラと手を伸ばし掛けたが、直ぐに首をブルブルと振り強靱な意志の力で煩悩を払いのける。
「駄目です。お気持ちは嬉しいのですか、私はローズマリーを自力で」
「アネラスさんはいらないそうなので、私が貰ってもいいですか? 実に魔改造のし甲斐のあるぬいぐるみなので、まずは、片目にドルンさんのような渋い縦傷を刻んで、その上で両手をドリルに改造……」
「わーあ、いただきます、いただきます。皆さん、本当にありがとうございました、一生の家宝にさせていただきます」
 ヨシュアの恫喝に、慌てふためいてテディベアのぬいぐるみをエジルの手から引ったくり、皆にぺこぺこと頭を下げる。
「ああっ、私のローズマリー、あなたはどうしてそんなに可愛いの? し・あ・わ・せ」
 あまりの至福の肌触りと抱き心地の良さに、抑えつけた煩悩を再び全快にし、そのまま昇天する。
「これもまた、無欲の勝利という奴かな、ヨシュア?」
「否定はしないわ」
 十一人による共同購入の上に、恐らくはクエスト枯渇現象への謝罪の意味もあったのだろうが、二万ミラもする海外の有名ブランド品を貢がせるあたり、アネラスは天然悪女の素質を秘めているやもしれなかった。

「盛り上がっているわね、アネラス、エステル」
「シェラ姐?」
 予想だにしなかった人物が、『貸し切り』の札がかかった居酒屋キルシェの門を開き、エステルは素っ頓狂な声を上げる。
「いやはや、もうルーアンに出発した後かと思ったけど助かったわね。ボース支部を尋ねたらルグラン爺さんから、ブレイサーは皆こっちに出向いていると伺ったけど、こりゃ良いタイミングだわ」
 お祭騒ぎに目がないシェラザードが、早速主賓のエステルとアネラスの合間に割り込んで図々しく酒を催促する。
「正遊撃士昇格おめでとう、アネラス。まだ若いから風当たりが強いのはしょうがないけど、あなたの実力からすれば遅すぎたくらいね」
「ありがとうございます、シェラ先輩。けど、ロレントにいる筈の先輩がどうしてボースに?」
「クエストで出張してきた風でもなさそうですし、何か私達に急用があって、再開した定期便を利用し駆けつけてきたという所かしら?」
 夢から現実への帰参を果たしたアネラスが疑問投げ掛ける。故意にシェラザードの挨拶から漏れたヨシュアが別段拗ねるでなく、会話から察せる用件を推測する。
「まーね、実は先生宛に、こんなものがあなた達の自宅に届いていたのよ」
 真っ黒い半球状の奇妙な物体を懐から取り出した。
「なんじゃ、こりゃ? オーブメントか何か?」
「のように、あたしにも見えるけど詳細は不明。スタインローゼの二十年ものを拝借、いえ、たまたま、先生宅に寄った時に見つけたのよ」
 カシウスが隠し持っていた秘蔵のブランデー目当てで、ブライト邸に忍び込もうとした折、郵便受けの中に放置されていた小包を発見した。シェラザードの手癖の悪さは相変わらずだが、この場合はまさしく怪我の巧妙だ。
「知っての通り、先生はエレボニア帝国に長期出張中でしょ。けど、クエスト関連なら急務になるケースもありえるので、悪いとは思ったけど小包を開いたら、この奇妙な物体とこんなメモが出てきたわけよ」
 差出人は不明。何やら曰くあり気のブツと判断したシェラザードが、遊撃士らしい柔軟な対応で開封に踏み切った。
『例の集団が運んでいた品を確保したので保管をお願いする。機会を見て、R博士に解析を依頼して頂きたい K』
 これがメモの内容であり、エステルやヨシュアだけでなく、興味本位で覗き込んだエジル達も首を傾げる。

 ボースでのクエストを見事にやり遂げたエステルとヨシュアの二人だが、シェラザードが持ち込んだカシウス宛の謎の漆黒のオーブメントの存在が、二人をさらに未知なる冒険(クエスト)へと導くのであった。



[34189] 09-01:導かれし者たち(Ⅰ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/06 00:01
 シェラザードが持ち込んだ、父カシウスに送られた謎のオーブメント。
 差出人のKは、カシウスの交遊関係が広すぎて見当がつかないが、R博士については、リベールが誇る天才科学者ラッセル博士のことではと、ヨシュアとシェラザードの見解は一致した。
 ツァイス市に近々帰還するエジルに預けて、博士に届ける案も囁かれたが、エジル自身が、「件の博士がラッセルさんと確定したわけではない」と慎重論を唱えたので、結局、肉親のエステルが保管することで落ち着いた。
 曰くあり気の一品であるのは確かだが、メモの文面上そこまで緊急の代物でもなさそうなので、二人の修行の旅がツァイスに辿り着くまで、この黒いオーブメントが日の目を見ることはないと思われていた。少なくとも、この時には。

        ◇        

「で、シェラ姐がトンボ返りでロレントに戻るのは良いとして、何でオリビエまで同行するんだ?」
 ボース国際空港。ちゃっかりとシェラザードの隣に佇むオリビエにエステルは呆れる。
「ふっ、そのシェラ君が僕にご執心でね。いやはや、もてる男は辛いというか。僕もそろそろ他の地方に足を伸ばしたいと思っていたから、彼女の提案は渡りに船なのさ」
 シェラザードから色香を交えて、「田舎町の良さを、あなたの身体の隅々にまで教えてあげる」と口説かれ、あっさり陥落した。
「お前、ヨシュアにアプローチしているんじゃなかったのかよ?」
「まあまあ、エステル。オリビエさんの世界を丸ごと包み込める偉大な愛は、そこらに転がっているチンケな恋情とはスケールが違うのよ。とてもじゃないけど、一人の女人が繋ぎ止めようなんて不可能よ」
 世間では普通そういう輩を単なる節操なしと呼んで蔑むが、物は言い様だ。このままシェラザードにオリビエを押しつけられれば、願ったり叶ったりだからか。ヨシュアはやけに機嫌よく、オリビエの多情振りをヨイショする。
「聞いたわよ、ヨシュアとの距離をたった5アージュ縮める為に、ぽんっと百万ミラを投げ捨てたんですってね? その切符の良さも素敵だし、何より謎を秘めた男性って惹かれるわよね」
 シャラザードはオリビエの腕を掴むと、蠱惑的な表情でヨシュアと同サイズの豊満な胸を押し付ける。正常なY染色体(♂)の当然の反応として、オリビエは締まらない表情でふやけている。
(なんか妙だな)
 第三者視点なら、わらしべ物語を聞きつけたシェラザードが、オリビエをどこぞの大貴族のボンボンと見込み、玉の輿を狙って誑かそうとしているように映るのだろうが、エステルには違和感しか覚えない。
 姉貴分とは長いつき合いだ。「酒は飲んでも呑まれない」、「宵越しのミラと伴侶は持たない」がモットーの自由を愛し束縛を拒む生粋の風来人。
 シェラザードに限っては、単に金持ちというだけの良く知りもしない殿方に心を奪われることはない筈だが。
 このエステルの疑惑は正しい。彼女がオリビエを籠絡していたのには、実はある人物の思惑が絡んでいたりする。

        ◇        

「何よ、話しって?」
 アネラスの祝賀会の最中、店外に呼び出したヨシュアを面倒臭そうに催促する。
 彼女が気乗りしないのも無理はなく、元々この二人の女性は仲が良い訳でない。早く宴会場に戻って、無礼講で酒をたらふく浴びたくて仕方ないのだ。
「多分、居酒屋の安酒なんか、どうでも良くなりますよ。これを拝んでしまったらね」
 ヨシュアは懐から、一本のワインのボトルを取り出す。
「はあ、何よそれ? 飲みかけというか、ほとんど底に少ししか残ってないじゃない。そんなんじゃ食前酒にも……って、まさかそれは?」
「ふふっ、流石に気づいたようですね。シェラさんが狂おしいほどに所望していた、グラン=シャリネ1183年物です」
「あなた、その幻の逸品を一体どうやって」
 まるでパブロスの犬のように、シェラザードの口からツーっと涎が零れる。伽云々は酒の席のジョークだとしても、この超高級ワインへの執着心は本物だ。
「クエスト関係で色々あって、エステルと賞味する機会を得ちゃいまして。ご覧の有り様で、『最初の一口』には程遠いですけど、きちんとワインセラーで保管しておいたので、今なら風味はさして落ちていないと思いますよ。ぎりぎりグラス一杯分しか残っていませんが、シェラさんに差し上げます」
 ヨシュアはニコニコと微笑みながら、ワインのボトルを無造作に手渡す。
「ああっ、愛しのグラン=シャリネが我が手に!」
 貴族の好事家と異なり、味と香りが保証されているなら、初物に拘る気はない模様。テディベアを手にした時のアネラスに似た狂態ぶりで、すりすりとボトルに頰擦りすると急に真顔になって、ヨシュアに疑惑の眼差しを向ける。
「で、条件は何? 世の中、タダより高い物はなし。対価を聞かないとオチオチ受け取れないんだけど?」
 遊撃士らしい状況判断力と、何よりも目の前の腹黒娘の人柄を顧みて、善意のギフトの可能性を真っ向から否定したが、ワインのボトルを我が子のように両腕でぎゅっときつく抱き締めていて、手放す意志は皆無。
「本当に話しが早くて助かりますね。ちょっと長くなるけど、聞いて貰えますか?」

「ふーん、なるほど。確かにそのオリビエという男は異常ね」
 グラン=シャリネに纏わる逸話から、ヨシュアの口座の復活まで聞き終え、オリビエの思惑を訝しむ。
「百万ミラも貢いでもらって、女冥利に尽きると言いたいですけど。本気で口説く気なら、あれだけのミラがあれば、他にいくらでも遣りようがあったと思うのです。ただ、あの道化ぶりが演技にも思えないので、良く分からなくて」
 対人鑑定眼に優れたヨシュアでさえ、彼の行動にあまりにも邪気がない為にオリビエの正体を図りかねる。
「判ったわ、それとなくその男に接触して、正体を探ればいいわけね?」
 ヨシュアはコクリと頷く。この後、二人はルーアンに旅立つ予定。この調子でオリビエにストーカーされても面倒なので、適当に理由を見繕って、ロレントまで引っ張っていって欲しいと依頼される。
「こりゃまた、えらく高く出たわね。何か主目的は、あんたの愛人関係の清算のようにすら思えてきたわ」
 その疑惑は当たらずとも遠からず。ましてや、先行して五十万ミラを博打投資したリスクに対する正当な報償とはいえ、預金を倍額に儲けさせてくれた恩人に対して、ヨシュアの対応は無慈悲な厄介払い以外の何者でもない。
「まあ、いいわ。そいつがエレボニアの諜報員か何かで、万が一にもエステルに害を及ぼす存在だとしたら、見過ごす訳にもいかないからね」
 シェラザードのエステルに対する愛情は本物である。何よりも、このグラン=シャリネに当初想定していた代償を鑑みれば、帝国人の一人を拐かすぐらい楽な仕事だ。
「じゃあ、交渉成立ということで、これはあたしのものね」
「そのまま飲むつもりなのですか?」
 シェラザードはペロリと舌なめずりすると、グラン=シャリネを開封し、その場でラッパ飲みしようしたが、ヨシュアに引き止められる。
「何よ、文句あるの? こういうのは、飲める時にきちんと飲み干しておかないと、次があるとは限らないのよ」
 食い物を手にしたら、他の強面に奪われる前にその場で強引にでも胃の中に押し込む。掘り出し物を見つけたら、誰かに買われる前に有り金どころか借金してでも必ず手に入れる。幼い頃の教訓から自然と身につけた彼女なりの人生哲学だ。
「今飲むという意見には、ある程度同意なのですが」
 この後、シェラザードがオリビエの懐柔に成功し、とんとん拍子で話しが進んだとする。オリビエという生粋のトラブルメーカーと一緒に定期船に乗り込んで、グラン=シャリネがロレントに着くまで無事で済むだろうか?
 普段は寛容なシェラザードだが、酒が絡むと容赦なくなる。恐らくは船内で帝国男性の無残な死体が発見され、華の遊撃士から一転、犯罪者に身を窶す羽目となる。
「折角だから、最高の雰囲気で賞味してはいかがでしょうか?」
 惨憺な妄想を心の内だけに押し止めると、ヨシュアは5000ミラの紙幣を差し出して、チップのようにシェラザードの胸の谷間に押し込んだ。
「何よ、これ?」
「私見ですか、グラン=シャリネに一番合う逸品は、トリフを乗せたロッシーニ風のフォアグラのソテーだと思います。アンテローゼのロッソ料理長に頼めば、作って貰えますよ」
 気配りの達人のヨシュアとしては、残りグラス一杯分のグラン=シャリネを最も効率よく味わえる方法を伝授する。
「確かにワインだけというのも、味気ないからね。今回はあんたの至れり尽くせりに甘えるとしますか」
 エステルに漆黒のオーブメントを手渡し、可愛がっていた後輩のアネラスに祝辞も述べてきた。居酒屋キルシェでの用件はほぼ終えたので、棚ぼたの最高ワインとディナーを味わいにアンテローゼに足を伸ばそうとしたが、ふと最後に気になったことを尋ねる。
「『定期船失踪事件』の高難度クエストを解決した件は聞いたわよ。一ヶ月、それもたった一つのクエストで推薦状を貰ったのは、地元以外じゃあまり前例がないみたいね。まあ、あんたがデウス・エクス・マキナした結果なんだろうけど」
「実はそうでもないのですよ、シェラさん」
 シェラザードは、腹黒チート娘が機会仕掛けの神を降臨させ、全てを強引に終わらせたのだろうと睨んだが、ヨシュアはエステルが果たした類まれな役割を誇らしく解説する。
 カシウス二世として隔離を抱いていた正遊撃士たちとの垣根を見事に取り払い、ギルドを一丸に纏め上げて、クエストを成功へと導く。
 その後も多額の報酬に心奪われることなく、功労者全員に還元し(※これ自体はヨシュアのアイデアだが)、さらに周りの評価を高めたのは推薦状入手後の態度。
 ロレント時の性急な反応から、真っ先にルーアンに向かうものと思い込んでいたが、エステルは敢えてボースに留まり、大して稼ぎにならない掲示板に復活した小口のクエストをこなし始めた。
 今までバイト三昧で、あまり市から離れられなかったので、ルーアンに渡る前に、きちんとボース全土を己の足で歩いて確かめたのだ。
「なるほど、それであんた達はまだボースに滞留していたわけね。それにしても、変われば変わるものね。あのダボハゼみたいな性分だったエステルがねえ」
 目先の欲望に囚われがちだった弟分の見違えるような成長ぶりに、シェラザードは目を見張る。
「己の決断が功を奏し、苦難に見合うだけの目に見える成果を残して、多くの人達から活躍を認められ、生活の全てが充足している。まさしくエステルは、今がブレイサーとして一番楽しい時期でしょうね」
 今更ヨシュアに諭されるまでもなく、シェラザードも痛いほど良く判っている。遊撃士に限らずどんな職業であれ、努力が結果に直結する時ほど人生に幸福を感じ取れる瞬間はない。
 しかし、風水に紐解くまでもなく、世の中の陰陽は絶妙なバランスで成り立っていて、幸せな状態は永続しない。果たせない約束。救えなかった生命。目の前の悲劇を、ただ指を銜えて傍観するしかない歯がゆい無力感。
 遊撃士は神でも万能でもない。世界中に蔓延する不幸に対し、差し伸べられる救助の手は限られている。
 いつかはエステルも、かつてシェラザードやエジルら正遊撃士が直面した、絶望にも似た過酷な現実と嫌でも向き合うことになる。その審判の日までに、エステルが現実と折り合いをつける術を身につけていれば良いが、最悪の場合、遊撃士そのものを放棄する深刻なダメージを負いかねない。
「そういう意味では、今のエステルに必要なのは更なる成功の上積みでなく、むしろ取り返しがつくレベルの失敗かもしれないわね。エステルが挫けた時に、あの子を支えてあげるのは、ヨシュア、あなたの役割よ。その為にあんたの力量からすれば退屈な旅に、態々同行しているんでしょ?」
 確信を込めたシェラザードの質問に、ヨシュアは無言を貫く。彼女が過信してくれる程には、自分がエステルにとって不可欠な存在であるという自信を持ち合わせていない。何よりも本当に支えられているのは、果たしてどちらの方なのだろうか?
 それでも、ヨシュアはどこまでもエステルの旅路の道連れとなるつもりだ。
 それが、五年前に虚ろな人形に魂を吹き込んでくれた少年に対して、少女が成し得るたった一つの恩返しなのだから。

        ◇        

 シェラザードとオリビエは定期船でロレントに移動する。エステルとヨシュアの兄妹はアネラスやエジル達に別れを告げ、反対方向に歩を進めた。
 空の神さま(エイドス)によって定められた運命の八人の中の半数が一時的に出揃ったが、またしばしの別れとなる。この四者が人数を倍にして再合流を果たすのには、まだ幾ばくかの時間が必要となる。
 いよいよルーアン地方へ旅立つ為に、西ボース街道とクローネ山道を渡り歩いた二人が関所に辿り着いた時、既に日が落ちていた。

 新天地で新たな導かれし運命の者たちと巡り逢うことになる。



[34189] 09-02:導かれし者たち(Ⅱ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/06 00:01
 クローネ峠の関所は、ボース市と開港都市ルーアンとを繋ぐ玄関口。
 クエストの事後処理や、エジル達正遊撃士への挨拶周りに予想外に時間を喰った二人が到着した時には、既に日が完全に落ちていた。野宿を嫌がったヨシュアがその場で座り込んでストライキを起こし、仕方なく関所に泊めて貰うように交渉した。
 先のクエストで色々あり、エステルは王国軍に対して含む所があったが、この砦に駐屯している兵士は職務に忠実で素朴な兵隊さんばかり。遊撃士に隔離を抱くことなく、快く受け入れてくれた。
 ただ、休憩所には既に先客がいた。それもエステル達のお仲間だ。特に相部屋に拒否感を持たなかった二人は、早速、同業者の顔を拝見しにいく。

        ◇        

「あーん、何だ、てめえら?」
 その赤毛の人物は、あまり友好的とは言えない鋭い視線で、エステル達を一睨みする。
 男であろうか、女だろうか?
 歳はシェラザードと同じぐらい。背はエステル程ではないが高い方。頭部にバンダナを巻いて、赤毛の髪はボサボサで肩甲骨に届くぐらい長い。切り傷だらけのダメージジーンズにTシャツ一枚。その下からタンクトップがくっきり浮きでていて、ヨシュアよりも豊満なバストを自己主張しているあたり、染色体的には女性に該当する。
 ただし、鍛え抜かれた鋼の筋肉は、女性特有の脂肪分は皆無。上腕二頭筋のぶっとさは並みの成人男性を凌駕し、雰囲気はボーイッシュを通過して、ワイルドの域に到達。胸部の識別子がなければ、性別を見極めるのはかなり困難。
「あっ、え~と、先輩の正遊撃士の方ですよね? 俺は準遊撃士のエステル・ブライトといいます。こちらは、義妹で同じ準遊撃士のヨシュア」
 赤毛女性のえも言わぬ迫力に萎縮したエステルは、慣れない敬語を交えて自己紹介する。ブライトという性を聞きつけた途端、女性はマジマジとエステルの鼻っ面に自分の顔を近づけた。
「あのっ……」
 野獣が獲物を見定めるが如くクンクンと臭いを嗅ぎ、まるで頭からまる齧りされるような薄ら寒い錯覚を覚える。
 鷹のように鋭い眼光で睨みながら、何かを確認するようにエステルの二の腕や、掌、腰、太股をベタベタと触れる。全身を弄られた女性の手触りと、何よりも目と鼻の先に突き付けられたヨシュアを凌駕する二つの膨らみの大きさにタジタジになる。隣にいるヨシュアは、「大きい方か良いの?」と恒例のジト目で不機嫌に頬を膨らませる。
「ブライトってことは、お前らがシェラザードの言うエロ爺のガキ共か?」
 遊撃士なら特に珍奇でもないが、この女性も父親やシェラ姐と面識がある模様。とはいえ、いきなりセクハラオヤジ扱いされるとは、カシウスは何を仕出かしたのやら。
 まだ五十次前でジジイ呼ばわりされた親父を不憫に思い、かつてのモルガン将軍への不埒な態度を若干反省しながら、コクコクと頷いて肯定する。
「随分と鍛え上げているみたいだな、気に入ったぜ。近頃は去勢されたみたいな軟弱なオスが多いが、やっぱり漢はそうでなくっちゃな」
 触診からエステルの修練の質量を感じ取って、好感を抱いたようで、犬歯を見せて豪快に微笑む。この女性は見た目通りの筋肉至上主義者だ。
「それに比べて、そっちの娘はドシロウトだな。本当にブレイサーか、テメエ?」
 赤毛のマッスルレディが、スキンシップを図る迄もなく貧相そのものの小娘に、エステルとは逆に懐疑の眼差しを向ける。
 早速、ヨシュアの実力を読み違えたわけが、まあ無理もない。痩せっぽちの身体、隙だらけの挙動、嘘つきの手にチャチな得物。
 真っ当な遊撃士であれば必ず保持している高い洞察力が却って足を引っ張る。ヨシュアの素人迷彩を見破るなら、キールのように観察を放棄し勘だけに頼るしか方法はない。
「ええ、準遊撃士のヨシュア・ブライトといいます、アガット・クロスナーさん」
 擬態に成功したヨシュアは、先の立腹が嘘のように機嫌を良くする。普通、実像より力量を低く見積もられるのに憤ることはあっても、ヨシュアのように喜ぶ人間は稀だ。
 本人曰く、油断してくれた方が寝首を掻きやすくて色々と便利だからだ。エステルのように「持てる力の全てを出し尽くして、お互い悔いのないように正々堂々と闘おう」などという騎士道精神は、漆黒の闇に紛れて牙を突きたてる闇の眷属には無縁。
「テメエ、何で俺の名を?」
「そこに立て掛けてある得物の大剣(オーガバスター)は、エステルの物干し竿と同じく、屈強な成人男性でも扱いに苦労する難物だと聞き及んでいます。ましてや、それを女性の身で扱える者など、リベールでは『重剣のアガット』を置いて他にはいないでしょう?」
 得意の観察眼と脳内データベースを駆使し、赤毛の女遊撃士の正体を看破する。
 重剣のアガットとは、この世界で知らぬ者のいない凄腕の女遊撃士。ボースの出身だが特に所属を持たずに活動する一匹狼で、滅多に他の遊撃士とつるむことはない。
 一見ラフな薄着のスタイルが、はち切れんばかりの巨乳を強調しているが、ヨシュアが見た感じ自分やシェラザードのように女を武器にしているのでなく、単に己の性に無頓着なだけのようだ。
「随分と賢しらだな、小娘」
「はい、見ての通り私は身体を動かすのが苦手なので、主に状況分析や作戦立案などを担当して、戦闘はエステルに頼りきっています。この役割分担が功を奏して、例の空賊事件のクエストでも推薦状をいただけました」
 目の前の女性が、性同一障害レベルで男性的だからなのか、またぞろ例のぶりっ子モードを発動させる。ヨシュアは基本的に戦略参謀に徹して、戦術バトルをエステルに丸投げするので、宣告そのものに偽りはない。
 ただし、ヨシュアが肉体労働を避ける傾向にあるのは、力不足でなく単に怠けているだけだが、アガットは額面通りに小判鮫行為と受け取ったようで、侮蔑の視線でヨシュアを見下ろした。
「気に喰わねえな。お前、そうやって、こいつの背中に隠れたまま正遊撃士まで登りつめるつもりかよ?」
「勿論です。生涯エステルに守ってもらえたら感無量ですが、万が一クエストの関係で離ればなれになっても、その時は別の男性遊撃士に助けを求めるので」
 あくまでも自分が庇護対象の女で、また頭脳労働担当者なのを強調する。最初のアガット側のアプローチも到底好意的とは呼べないとはいえ、臨戦態勢で受けて立つ構えで、とことんまで猫被りに徹する所存らしい。
 アガットは今度は寡黙を貫いたが、黒い瞳に宿した色が、蔑視から敵意へと変化しており、強い不快感を持たれたのは疑いない。
 彼女のような所謂男女は、世間一般のお洒落な女性像と大きく感性が異なる筈だが、それでもヨシュアに対する感情の着地点に変わりはない。まあ、こうして生身での遣り取りを鑑賞すると、ヨシュアが同性から嫌悪される理由は一目瞭然で、メイベルやアネラスのように友誼を築けた例が特殊なのだ。
「さてと、私は一宿のお礼に、夕食を手伝ってくるわ」
 場の空気を険悪な方向に掻き乱すだけ掻き乱した後、荷物を置いたヨシュアは、例によって男の兵隊さんへの点数稼ぎをしに厨房の方へと姿を消す。一人取り残されたエステルは、実に肩身の狭い思いを味わった。
「エステルだっけ? 余計なお節介かもしれねえが、ああいう世の中を嘗めた小娘は、痛い目見る前にガツンと思い知らせてやった方いいぜ」
 どれほどお利口さんに立ち回ろうと、百の理屈など一の暴力に潰されるのが世の摂理。ましてや、それが遊撃士の生活圏のハードボイルドな世界であれば尚更で、最後に自分の身を守れるのは小賢しい知恵でなく、鍛え抜かれた己の力しかない。
 世のフェミニスト頼りの他力本願なヨシュアの姿を、過去の何者かと重ねているのか。このガサツな女性なりに、ヨシュアの行く末を案じてくれているみたいだ。
「忠告、どうも。義妹の分際で兄貴を蔑ろにしているのは確かなんで、ガツンと行きたいのは、本当、ヤマヤマなんすよ。でも、あいつが実は俺や多分アンタよりも強いと言ったら信じてもらえます?」
「はあっ?」
 「素面かお前?」という怪訝な面持ちで、エステルを一瞥する。
 やはり、百聞は一見にしかずの諺通り。初見の者にヨシュアの実力を納得させるには、一度、戦闘を生で拝ませるしかない。

        ◇        

 その晩、クローネ山道の関所に駐屯する兵士たちは、遊撃士の団体を泊めた見返りとして、ヨシュアのお手製料理をたらふく味わい、長年の軍隊生活で単に栄養補給と捕らえがちだった食事が、人生最良の喜びの一つであるという掛け買いのない真実を久方ぶりに想起する。
 相伴に預かったアガットは外貌によらず、存外、食が細いが、料理自体は素直に美味いと褒め称える。気に食わない相手でも意固地にならず、良いものはきちんと認める性分のようだ。
 かといって、同性でありながら対極のポリシーを掲げる二人の溝が埋まったわけでなく、さらにその傷口を拗らせる事件が発生した。

        ◇        

 夜半過ぎ、関所は魔獣の群れによる襲撃を受けた。
 二つの出口が同時に襲われて、兵士の手が足りなくなったので、遊撃士のアガットとエステルが、ルーアン側の関所に加勢する。
「うりゃあああ!」
「だあああ!」
 狼に似た風貌の犬型魔獣(アタックドーベン)は、明らかに何者かの手程を受けたとしか思えぬ統率された行動で関所を包囲したが、遊撃士きってのパワーコンビの二人に、がしがしと蹴散らされていく。
「何だ、こいつら? 今までの魔獣は群れることはあっても、ここまで戦術的に動くことはなかった筈だぞ」
「多分、人の手によって調教された猟犬よ、エステル。関所を落とすのにどんなメリットがあるか判らないけど、操っている人間が近くにいるわね」
 やはりというか、戦闘に参加する意志のないヨシュアは、出口の前に立ちすくんだまま、得意の合理的な思考フレームで魔獣の行動原理を分析する。
「さっき聞こえた犬笛みたいなのがそれか? なら、力の差を見せつけて首謀者を諦めさせれば、野生の魔獣と違って、こいつらは撤退するわけだな」
 パーゼル農園でもそうであったように、エステルは喧嘩早いが決して残忍でない。無益な殺生は可能な限り避ける主義。
「こりゃ、またお優しいことで、わざわざ殺さずに逃がしてやるつもりかよ?」
 遊撃士とは思えない絵空事をほざくエステルに唖然としたが、彼女はそういう甘さは嫌いではない。ただし、最後まで自分を曲げることなく、己の言葉に責任を持つならの話。
「なら、やってみせろよ、小僧」
 オーガーバスターを背中の鞘に仕舞い込む。彼女の得物には逆刃も峰打ちもない。ひと度振るえば斬殺あるのみ。
「当然、そのつもりですよ、先輩」
 迷いのない表情で、物干し竿を構える。アガットの援護を受けられなくなり、分散していた敵の標的が自分一人に絞られ不利を強いられたが、エステルは苦難の全てを受け入れる覚悟で長棍を振り回す。
 魔獣の鋭い爪や牙が何度となく肉体を抉る。相変わらずの頑丈さと天性の防御勘で致命傷を避け、逆にカウンターの一閃を叩き込み、着実に相手の戦闘力を削ぐ。
 エステルは与り知らぬことだが、かつて剣聖と呼ばれ、剣の理(ことわり)を極めたカシウスは、守るべきものの証として新たに棍を選択したという逸話がある。その精神的な血脈は嫡子であるエステルにも色濃く受け継がれていた。

 いかほどに魔獣を調教しようと、消すことが出来ない感情がある。それは生物が己以上の強者に対して抱く根源的な恐怖心。どれほど傷を負おうと、怯むことなく前に出で棍を振るうエステルの鬼神の如き姿に、殺人兵器として育てられたアタックドーベンが怯み始めた。
 首謀者も終戦の気配を感じたのか。育成に手間のかかる猟犬がまだ回収可能な内に、撤退の笛を吹く。アタックドーベンの群れは、明らかに安堵した空気で退き始めたが、一匹だけ帰路を見誤りヨシュアの方角に突進した。
「危ない!」
 魔獣が牙を剥ことした瞬間、エステルはヨシュアの壁となって立ち塞がって棍で軽く弾く。斜め方向へとピンボン玉のように押し返された魔獣はそのまま逃走する。
 エステルは安堵したが、当然、身を案じていたのはヨシュアの方ではない。少女の両手は太股に巻いたバインダーの双剣にかかっており、もう少しカットが遅れていたら、情け知らずの怪物によってバラバラに解体されていた。
 辛うじてアガットに掲げた誓約を果たし終えて、エステルは一息つく。
 図らずもヨシュアは正体の露見を免れたわけで、これ幸いに「怖かったよぉ、エステルぅー」とか嘘泣きし猫被りを継続するのかと思いきや、さっきから目を閉じたまま耳を澄ます。
「そこね」
 突如、覚醒したかのようには琥珀色の目を見開くと、瞳を真っ赤に光り輝かせる。得意の超スピードで左斜め方向の林に向かって、空中を浮遊するような勢いで飛び込んでいった。
「おいおい、ヨシュア」
 本性を見せちまったら、もうアガット相手に擬態は効かないだろうと思ったが、ヨシュアが消えた方角から凄まじい闘気の渦が解放され、「きゃん、きゃいん」とアタックドーベンの悲鳴が木霊する。
(あいつ、まさか?)
 ギリっと歯と歯を擦り合わせると、慌ててヨシュアの後を追いかける。視別可能な量の闘気の主を確かめようとアガットも続く。この闘気はヨシュアが発したもので間違いないが、故意に遁走させた魔獣に態々止めを刺しにいったのか?
 あの犬型魔獣は明らかに後ろ暗い目的で飼育されており、今後無辜の民間人が襲われる危険性を考慮し、ヨシュアが無慈悲に殺処分をくだす決意をしたのなら、エステルにそれを咎められる道理はない。ただ、そういう腹ならこんな不確実な追撃戦を行わずとも、さきの戦闘中に全体Sクラフト『漆黒の牙』を発動させれば済んだ話。合理主義者らしくない中途半端さが荒立つ。

        ◇        

 少し開けた場所に出て、二人はようやくヨシュアに追いつく。
 意外にも双剣を血で濡らしたヨシュアの足元には、魔獣の死骸は一つもない。替わりに黒い装束とマスクを着込んだ男性が倒れ込んでいる。その男の身体にはヨシュアがつけた複数の傷痕があり、両手の武器の鉤爪は全て叩き折られ、身動き一つせずに生死も不明。
「ヨシュア、そいつは?」
「この襲撃を目論んだ犯人ってところかしら」
 先の戦闘でエステルが不要に傷つくのを傍観していたのは、不殺さずの思想に共感したからでない。この大物取りの機会を伺って、魔獣を泳がせ飼い主の位置の特定を測っていた。
 ただし、魔獣はヨシュアが本気で殺気を全面解放したら、主を見捨てて散り散りに逃走した。いきなり無差別殺戮に走らなかったあたり、一応ヨシュアなりにエステルの頑張りを無駄にしないよう配慮してくれた。
「いかに訓練しようとも、魔獣も生き物の一種よ。全ての生物が持つ、種を次世代へと繫ぐ基本的な生存本能には抗えない。けど、人間は違うわ」
 この黒装束の男は、ヨシュアに補いようのない力量差を見せつけられ、両手の武器を潰され左足のアキレス腱を切断されて、戦闘も逃走も不可能と悟ると、恐らくは機密保持の為に自決しようとした。
 良く見ると男は、折れた鉤爪の切っ先を自分の喉元に突き付けながら倒れている。何かの理想、或いは愛のような抽象的な感情の為に己の生命も差し出せるのが、人と野獣を峻別するもので、人間の尊さ、或いは愚かさだとヨシュアは儚げに称える。
「じゃあ、まさか、こいつ」
「生きているわよ、自殺前に意識を刈り取って阻止したわ」
 ヨシュアの性格を鑑みると、温情を掛けたというよりは、遊撃士とはいえ殺人許可証(マーダーライセンス)を所持しているわけでないから、死なせたら後々面倒になりそうだと踏んだからだろう。
「この男の格好には見覚えがある。なるほど、エステルや俺よりも強いっていうのはマジみたいだな」
 アガットは、カシウスから託されたクエスト関連で、この黒装束の連中と何度か遣り合った事がある。奴らは猟兵団(イェーガー)とは別種のプロの戦闘員で、前回のクエストでエステル達が関わったカプア一家のような温いコソ泥とは、次元が異なる。
 この闇世界の住人は、あらやる破壊的な工作に暗躍し、上位の遊撃士でさえもてこずる手練揃い。無傷で一方的に蹂躙したヨシュアの戦闘力は常軌を逸している。
「若虎の威を借りる女狐に見せかけた、九尾の大妖怪って所か。だが、弱い振りして、強さを追い求めて足掻いている人間を高見から嘲笑するのは、そんなに愉快か?」
「おい、アガット」
 同じ前衛特化型として共感する部分が多々あり、義妹の女狐振りにややウンザリしているエステルでさえも、言いがかりとしか思えない。ヨシュアも猫被りをここまで悪し様に罵られたのは初めての体験だが、軽く肩を竦めただけで特に怒るでなく、瞳を元の琥珀色に収束させる。
「すいませんね、アガットさん。なにぶん根が不精なものでして。けど、本当に必要な時にまで力を出し惜しみするつもりはありませんよ」
 ヨシュアはシニカルに微笑みながら、しれっと答える。
 先の襲撃でも、目先の有事を取り除くに留まらずに黒幕を捕縛するあたり、戦闘型の二人よりも一つ先を見据えて行動している。どれほど穿った見方をした所で、ヨシュアは遊撃士としての本分はキッチリと果たしており、擬態は単に趣味の問題と開き直られれば其れまで。
「気にいらねえ」
 決して譲れぬ理由から、アガットは一言そう呟くと、それ以上はヨシュアに取り合おうとせずに、気絶した重傷の黒装束の男を軽々と担ぎ上げて、左肩に背負った。
「どうするつもり?」
「こいつは俺が預かって、ハーケン門まで送り届ける。俺の方でも、カシウスの爺に押し付けられたクエストの所為で、拷問してでも吐かせなきゃいけない案件が山程あるんでな」
 ヨシュアがこの世界で敬愛し、頭が上がらない数少ない人物の名を出されては是非もない。
 身柄をアガットに譲歩するが、後になってヨシュアは、この黒装束がキールのいう内通者と風貌が似ていることに思い当たり、魔眼を使ってでも情報を聞き出さなかったのを後悔する。

 こうして、導かれし者たちの一部がお互いに顔を合わせる。一人は共に好感情を抱き、もう一人は互いを相容れぬ存在と見做しあった。



[34189] 09-03:導かれし者たち(Ⅲ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/06 00:02
 魔獣の襲撃から一夜明ける。関所の休憩室で目を覚ますと、アガットと手負いの黒装束は姿を消していた。
 兵士に聞いた所、ルーアンへの手続きを一時保留し、ボース方面に逆戻りした。護送車が入り込める西ボース街道までに限定しても、女性の身で人間一人担いだまま、足場の悪いクローネ山道を走破したタフさは敬重に値する。
 兄妹は普通に開港都市を目指しクローネ山道を下っていく。アガットは元々ルーアン地方に用事があったのは確かなので、近い将来、市のどこかで再会するかもしれない。

        ◇        

「ふーん、ここがマノリア村か。何か、ロレントと変わらず田舎町って感じだな」
 マノリア海岸に面したマノリア間道を通って、ルーアンへの中間ポイントとなる宿場町に辿り着いた。
 エステルの感慨通り、途切れることがない海風を受けて、半永久的に周り続ける風車小屋が目立つ程度の素朴な村。各々の市が導力革命により繁栄しても、ボースのラヴェンダ村がそうであるように各地に点在する村々の産業レベルに大きな変化はない。
 休憩と腹拵えを兼ね、食事所の白の木連亭で村名産のお弁当を買い込み、海が見える絶妙のロケーションの風車小屋の下の展望台で昼食を堪能する。

「青い海。白い砂浜。空は澄み渡りーと歌ってみても、花より団子のエステルが相方じゃ、雰囲気も何もあったものじゃないわね」
 目の前の絶景に頓着せず五箱目の弁当に手を掛けた大食漢に、ヨシュアは軽く嘆息しながらサービス品のハーブティーを啜る。
「んっ、何か言ったか、ヨシュア?」
「何でもないわよ、エステ……」
 ほっぺたにお弁当がついているのを目敏く発見すると、何を思ったのかべろりと舌なめずりし、自分の顔をエステルの顔に近づけ御飯粒を舐め取った。
「ヨシュア?」
 あまりに大胆なスキンシップに赤面したが、戯れ合いはこれで打ち止めではない。お行儀良く小さな欠伸を漏らすと、エステルの膝の上に頭を乗せてゴロンと横になる。
「おい?」
「何か潮風が気持ちよくて、眠くなってきちゃったわね。少し、食後のお昼寝(シエスタ)をしましょう、エステル」
 そう宣言すると、了承も取らずに膝全体を敷布団にする。子猫のように身体を丸めると、軽く寝息の音を立て始める。
「シエスタしようって、お前」
 膝枕ならぬ膝布団状態で、膝全体に柔らかい肌の温もりが直に伝わってくる。例によってヨシュアの重みはさほど感じないが、このような蛇の生殺し状態で寝られる筈もない。
 「こんな恥ずかしい所、誰かに見られたら」と肝の太いエステルが、ヨシュアが目を覚ますまでハラハラし通した。

        ◇        

「あー、良く寝たわね」
 三十分後、ヨシュアは何事もなかったかのように大きく伸びをする。羞恥プレイからようやく解放されたエステルは、居心地悪そうにそっぽを向く。普段は義妹を女と意識したことはないが、旅に出て以来、時折見せる無防備な仕種に調子を狂わさる。
 だから、常になくボーっとしており、十歳前後の少年にぶつかられても、「あっ、悪い」、「いや、こちらこそ」とテンプレの挨拶を交わしただけで素通りしそうになる。
「待ちなさい、坊や」
 エステルの代役にヨシュアが声を掛ける。特徴的な帽子を被った少年はギクリと動揺する。
「今、エステルから掠め取った物を返しなさい」
 琥珀色の瞳に威圧感を込めて少年を睨む。その言葉にエステルは我に返って、身体を点検すると、生命の次の次の次ぐらいに大事な遊撃士の紋章がチョッキの胸元の位置から消えていた。
「マジかよ? ヨシュア、良く気がついたな?」
「エステルが鈍すぎるのよ。まあ、私も子供のかっぱらいには独特のぶつかり方があるって、シェラさんから生身で実演してもらったから、一発で見抜けただけだけどね」
「お前ら、本当は仲良いんじゃないか?」
 互いに反目しているように見せて、お酒を含めて妙に場と情報を共有している二人の女性の関係性に一石を投じてみたが、ヨシュアの側には彼女に含む所はないと訴える。
「ただ、私の方がシェラさんよりも、若くて美人で賢く殿方にモテモテで物理的に強くて酒豪ランクも上でお金持ちなのが物凄く気に入らないみたいなの」
 謙遜をさしたる美徳とは考えないヨシュアは、ヌケヌケと数々の優位性をアピールし、エステルを呆れさせる。
「あと第二次性徴前の子供の私をずっと貧乳腹黒娘と大人気なく馬鹿にしていたのに、その最後の砦だったバストサイズもとうとう去年追いつかれてしまったからね。既にオワコンのシェラさんと違い、まだ発育途上中の私に来年には大きな差をつけられるのが目に見えているのが決定的な垣根になっているみたい」
 さらには積年の怨念を込めて、乳比べのフレーズを嫌味ったらしく強調する。アガットの爆乳に明らかに嫉妬していた件といい、エステルにはよー判らんが、女性にとって胸脂肪の大小は結構重要なファクターらしい。
「背の高さとか肌の濃さとか手癖の悪さとか、シェラさんの方が局地的に勝っている所もたくさんあるのだから引け目を感じる必要もないのにね」
「とりあえず、シェラ姐が本当に気に食わないのはスペック云々でなく、お前のそのひん曲がった性格そのもの……おい、逃げられるわけないだろ、小僧」
 兄妹漫才が始まった隙を見計らい、少年は忍び足で場を離れようとしたが、宣告通り手練の遊撃士二人から逃げ果せる筈もなく、猫のように襟首を持ち上げられる。
「離せよ、ブレイサーが民間人に暴力振るっていいのかよ? 大体、オイラが盗んだって証拠でもあるのか?」
 懐を弄ろうとしたエステルの手を払いのけた少年は完全に居直った。「助けて、人攫いに誘拐されるー」と叫び宙釣りの空中で手足をばたつかせるが、ヨシュアに冷たい瞳で見つめられ蛇に睨まれた蛙のように萎縮し動作を停止させる。
「ねえ、ボクぅ。遊撃士の紋章なんて、ミラに交換できる代物でなし。ほんの出来心なんだろうけど、そろそろ折れといた方が得よ?」
 今なら単なる子供の悪戯で済ませられるが、これ以上、大事になれば、王国軍の駐屯所まで連れていかれ、保護者の方にも話を通さなければならなくなると脅しを掛ける。
 軍や保護者という単語を聞いて、少年は明らかに怯んだが、それでも今更引込みかつかないのか。表情を青ざめたまま片意地を張って、首をブンブンと横に振る。
 ヨシュアは良い子には性別を問わず優しい反面、悪い子には一切容赦がない。更なるプレッシャーが加えられるのを看取ったエステルは中指と人指し指でトントンと軽く自分の肩を小突くと、掴んでいる襟首を放して少年は地べたに尻餅をつく。
「痛えな。離せと言ったけど、この高さからいきなり離す奴が」
「悪いな、坊主。俺の勘違いだ。紋章はこの村に着く前のマノリア間道で、失くしたんだった」
 その言葉に少年はぽかんとし、ヨシュアも不審な視線を注ぐ。
「というわけだ、落としたエンブレムを探しにいくぞ、ヨシュア」
 本当に紛失したなら来た道を戻らないといけないのに、ヨシュアの手を引っ張りメーヴェ海道に向かって行く。
 取り残された少年は地面に座り込んだまま、先とは異なる良心の呵責に耐え兼ねる戸惑いの眼で、エステルの筋骨逞しい背中をじっと見つめていた。

        ◇        

「ちょっと、エステル。どういうつもり?」
 村の外に出たヨシュアは不満そうに声を掛けるが、エステルは何時になく真摯な表情で、軽くヨシュアの額をデコピンする。
 「ヨシュア、確かに倫理的にはお前の方が正しい。けど、いくら過ちを犯したからって、あんまりガキを本気で追い詰めるな」
 狼少年の逸話のように、些細な悪戯のつもりが大事故に発展するケースもある。時には大人の側できちんと逃げ道を作ってやらないと、どうにもならない場合があるというのがエステルの経験則に基づいた持論。
 エステル自身がロレントきっての悪童だったせいか、悪ガキへの対処を心得ている。そのあたりの匙加減は優等生のヨシュアには判りづらい。
「まあ、被害者はエステルなんだし、私は別にいいのだけど。紋章なしでギルドに顔を出して、どう言い繕うつもりなの?」
「素直に事情を話して、再発行して貰えばいいだろ?」
 そう楽観したが、事は単純ではない。紋章はまさしく遊撃士の象徴そのもの。邪なる者の手に渡れば、エステルの立場を騙り様々な悪事を働くことも可能。
 故に再発行は不可能ではないが、色々と面倒な手続きが必要。少なくとも受付のエステルへの印象は著しく悪化し、推薦状を貰うクエスト活動にも支障をきたすと勧告する。
「ようは、あの幼子を精神的に追い詰めなければ良い話でしょう? なら、今からマノリア村に戻って、私があの子に気づかれないように紋章を奪い返してきましょうか?」
 一瞬考え込んだ後、エステルは首を横に振る。ヨシュア得意の隠密能力と、シェラザード直伝の盗人テクを駆使すれば造作もないだろうが。今回はエステルの不注意から始まった失策で、他人に尻拭いを頼むのは筋が通らない。
 ボースの成功で少し増長し、気を緩めていたからこそ発生した不始末なので、自戒するには良い教訓だと己に言い聞かせ、敢えて火中の栗を拾う覚悟。
(これが、シェラさんが言っていた、取り返しがつくレベルの失敗なのかしら?)
 ヨシュアがそう思案した砌、誰かが後ろから二人に声を掛けてきた。
「その、お兄ちゃん」
 そこにいたのはさっきの幼子だ。トイレを我慢するようなもじもじとした仕種で、何かを躊躇っていたが、やがて意を決したように謝罪する。
「ごめんなさい」
 オーバーオールの内ポケットから遊撃士の紋章を取り出し、エステルの手に返却する。これで少年は窃盗の証拠を自ら指し示したことになる。
 エステルの逞しく大きな手が振り降ろされて、少年はビクついて目を瞑ったが、エステルはニカッと笑うと少年の頭を帽子越しに撫でる。
「良く出来たな。偉いぞ、坊主」
 怒るでなく、小さな勇気を褒め称え、少年の表情もぱっと明るくなる。
「北風と太陽ね」
 ヨシュアの力と理屈では決して解きほぐせなかった頑な心を、エステルの懐の深さに触れさせる事により自ずと改心させた。
 ボースのクエストとは比較にならない小事とはいえ、意図せず状況を好転させたエステルの世界を広げる可能性を再び目の当たりにし、世の中には合理性とは異なるアプローチによる解法が様々に存在する現実を改めて学習した。

        ◇        

 その後、男児二名は当然のように意気投合し、エステルに肩車され、はしゃいでいる。少年の名はクラムといい、この先にあるマーシア孤児院の児童らしい。ついでの道草に孤児院に顔を出すということで何時の間にか話は纏まっていた。
 ふと、肩車されたクラムとヨシュアの目が合う。クラムは思いっきり舌を出して、アッカンベーした。
「あらあら、珍しい。嫌われちゃったみたいね」
 小さい子供とはいえ、エステルに懐いたY染色体(♂)に忌避されるなど実に新鮮な体験なので、ヨシュアは苦笑する。

 メーヴェ海道に道沿いにある『マーシア孤児院』の看板を右折し、程なくするとこぢんまりとした木造の一戸建てが姿を現す。
「ふーん、ここがクラムの家か。けど、ちっとばかり物騒でないか?」
 家族構成は、数人の子供に女性の院長がいるだけだと聞いたので、安全対策に不安を抱いたが、「大丈夫みたいよ、エステル」とヨシュアは入り口に埋められた二本の灯柱を指差す。
「これって、バーゼル農園にあった魔獣除けの」
「ええ、そうです。マーシア孤児院が開院した時に、お祖母。いえ、女王陛下から賜れたものです」
 庭のハーブにジョウロで水やりをしていた学生服姿の少年が、二人の会話に割り込んで補説をいれる。
「クローゼ兄ちゃん、来てたんだ」
 クラムがエステルの頭の上で両手を振る。クローゼと呼ばれた少年は軽くクラムの頭を撫で孤児院を尋ねた来客に会釈し、エステル達を困惑させる。
 その少年の年齢はエステル達と同じぐらい。背丈はちょうどエステルとヨシュアの中間に位置した。
 紫の短めの髪を清潔に整え、髪色と同じ瞳には理知的で穏やかな光が宿す。肌はまるで女子のように透き通るように白く、水も滴る美少年というキャッチコピーをその身で体現する。
 身体はやや細身で、全身から落ち着いた雰囲気と品の良さが感じられ、敵意や攻撃性のような薄暗い属性とは皆無。
 それでも兄妹がやや対応に躊躇った理由は彼が着ている制服が曰くつきのジェニス王立学園のブレザーだったからだが、地元のルーアンでは特に不自然ではなく、何よりも目の前の好少年を空賊の関係者と疑うのは色々と無理がある。
「ご挨拶が遅れました。私達は遊撃士見習いで、旅をしているヨシュア・ブライトとエステル・ブライトの姉……」
「ブライト兄弟だ。クローゼだっけか、宜しく頼むぜ!」
 さっさく、ヨシュアが得意の猫被りモードで姉弟のPR活動を始めたが、エステルが自慢の肺活量を駆使した数倍の音量で姉弟の単語を塗り潰して、兄妹に強引に上書きする。
「ご兄妹の方ですか、その若さでブレイサーを目指すとは凄いバイタリティですね」
 嫌味のない口調で素直に感嘆する。
 初見の者に一端、兄妹をインプリンティングされてしまうと、身長差がありすぎるので、そのイメージを覆すのは不可能に近い。
 ヨシュアの額に怒りマークが複数個浮かんだが、目の前の男性の前で擬態を解くわけにもいかず、しぶしぶ営業スマイルを継続する。
「僕の方も改めて自己紹介させていただきます。僕はクローゼ・リンツと言います。ジェニス王立学園に籍を置く学生で、テレサ院長に懇意にしてもらってこちらに良く遊びに来ています。よろしくお願いします、ヨシュアさん、エステル君」
 自然体の動作で利き腕を差し出す。まずはヨシュアが満面の笑みでクローゼの手に自らの両掌を重ね、続いてエステルも握手する。
 流石は都会育ちの本物の王立学生というべきか。落ち着き払った物腰に利発そうな表情といい、田舎育ちのエステルとは住んでいる世界の違いを肌で実感させる。
 ヤワそうな掌を本気の握力で握り潰してやろうかと、一瞬意地悪を思惟たが、偽物の空賊ボーイと異なりこの少年からは後ろ暗い衝動を何も感じ取れなかったので、八つ当たりじみた情けない真似はしないことにした。

 クローゼもまた導かれし者の一人で、先のアガットとは逆にヨシュアとは互いに好感情で迎えられたが、エステルはこのジョゼット以上にいけ好かなそうな優等生然とした少年への態度を決め兼ねている。
 謎の美少年の存在が停滞していたエステルとヨシュアの関係に新たな波紋を投げ掛ける。



[34189] 09-04:導かれし者たち(Ⅳ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/06 00:02
 クラムの紹介で院内に顔を出した兄妹は、テレサ院長と数人の子供たちに歓迎され、お手製のアップルバイと自家栽培したハーブティーをご馳走になる。
 どちらもエステルが舌鼓を打つ程の市販に耐えられる出来栄え。早速ヨシュアは舌分析のみで脳内レシピを構築。新規の六冊目のレシピ手帳に、AGL+30%効果のアップルパイと、「混乱」解除効果を持つ朝摘みハーブティーを追加する。
 料理の鉄人から一級パティシエと認定されたテレサ院長は、数年前に事故で夫を失くした未亡人。以来、一人でこのマーシア孤児院を錐揉みし、四人の孤児を育てている。
 穏やかに年輪を重ね、ヨシュアが欠損している慈愛と献身の精神に満ち溢れており、世にいう聖母とはテレサ婦人のような人をイメージするのだろうなと、若くして母親を失くしたエステルは亡きレナの面影を重ね合わせた。
 テレサから出会いの経緯を聞かれたエステルはクラムの立場を慮って曖昧に暈したが、当の本人が馬鹿正直に告白し懺悔する。テレサは保護者としてエステルに謝罪した後、もう悪さはしない旨をエイドスに誓約させて改めてこの一件を水に流した。
 テレサとクローゼを交えて色々と談笑し、一通り子供たちと遊んだ後、日が暮れる前にギルドのルーアン支部に顔を出す必要性から、再訪を約束してマーシア孤児院を後にする。ルーアン市への案内役を買って出たクローゼと一緒に、メーヴェ海道を下っていった。

        ◇        

「テレサ院長は勿論として、本当リベールには、気立ての良い貴婦人が多いわね」
 ヨシュアの主張したもう一人の貴婦人は、アリシア女王陛下のこと。貴婦人の貴とはこの場合、身分の高貴さでなく性根の気高さを指している。
 院内を覆うように配備された十本の灯柱は市のなけなしの義援金で賄える代物でなく、バーゼル農園と同じくアリシア自身のポケットマネーから寄贈された。こんな地方の小さな孤児院にまで目が行き届くに当り、女王陛下のリベールの臣民への暖かい想いが染み渡ってくる。
 他国侵略の口実に守るべき国民を贄としたエレボニア帝国とのギャップをヨシュアは痛感し、アリシア女王への賛辞にクローゼは自分が称賛されたかのように機嫌を良くする。
「そうだよな、魔獣対策さえキッチリやっておけば安心だろう。人の泥棒なんて、あそこには入りようが……」
「エステル!」
「あっ、悪い」
 意図せず孤児院の清貧ぶりを揶揄する格好になってしまった。失言を窘められたエステルは素直に自分の落ち度を認めてバツが悪そうに謝罪するが、クローゼは別段気分を害した様子ない。
「気にしないでください、エステル君。確かにマーシア孤児院には、ミラや盗める金目の物は何もありません。けど、あそこには冷たい大理石の宮殿にはない暖かい愛があります」
 歯の浮くような台詞を真顔で言い切ったクローゼを、エステルとヨシュアはマジマジと覗き込む。
「すいません、少しキザでしたか」
「いーえ、あなたが口にすると、物凄く様になっていますよ。誰かさんと違ってね」
 ヨシュアはクスクスと微笑みながら、赤面する二枚目のイケメンと三枚目の原始人の誰かさんを邪気のない瞳で等分に見渡した。
 ヨシュアの向日葵のような笑顔にクローゼはドキッとする。エステルは「どーぜ、俺には似合わねえよ」とへそを曲げ、何故かヨシュアではなくクローゼへの好感度を1マイナスする。

        ◇        

「着きました、ここが開港都市ルーアンです」
 道草しなかったせいか、思ったよりも早く目的地に到着する。折角だからクローゼに市を色々と案内してもらう。
 ルーアン市は、跳ね橋であるラングランド大橋を境に、大きく二つの区域に分けられる。北地区にはギルドやホテル、飛行艇の発着場などホワイトカラー向けの産業施設が立ち並び、大橋を渡った南地区は倉庫や港場に酒場などのブルーカラー御用達の船員設備が存在する。
 南地区のアイナ街道への玄関口に佇む、旧貴族のダルモア市長の豪奢な市長邸を紹介している時に、ちょっとしたハプニングが発生した。
「ふん、ベルフの報告通り、確かに上玉だな」
「はーい、そこの琥珀色の瞳の彼女。俺たちと遊ばない?」
「そんな生っちょろい小僧共放っといて、俺たちと楽しもうぜ。何なら、観光よりもっと刺激的なことを教えてやるぜ、へへっ」
 地元で『レイヴン』と呼ばれる、札付きのチンピラグループ。その頭目格の三人(ディン、ロッコ、レイス)が、ヨシュアの美しさに目をつけ、下心丸出しで声を掛ける。
 三人の強面に見込まれたヨシュアの表情が強張る。そそくさとエステルとクローゼの背後に隠れ、二人のシャツを掴む。ヨシュアはガタガタと震えていて、背中のシャツから直に怯えが伝わってくる。
(あの闊達なヨシュアさんが、まるで生まれたての子鹿のように震えている? そうだよな、いくらブレイサーとはいえ、ヨシュアさんも一人の普通の女の子なんだ。二度と彼女の笑顔を曇らせない為にも男として僕が彼女を守らないと)
(ヨシュアの奴、また可愛い子振りっこを始めやがった。目の前の厄介ごとを俺たちに押し付けるつもりだな)

「ちょ、ちょっと、エステル?」
「おい、ヨシュア。お前の客だろ? 何時も手玉に取っているみたいに、手前できっちり対応しろよ」
 エステルがヨシュアの右肩を掴んで、ロッコ達の面前に押し出す。ヨシュアは「むー」と頬を膨らまして、不満そうにエステルを見上げる。
「エステル君、か弱い女性に対してその態度はないだろ? ましてや、彼女は君の可愛い義妹じゃないのかい?」
 義兄の酷薄さを見かねたクローゼは、紫苑色の瞳に水のように静かな怒りを称えながら苦言を呈する。ヨシュアの魔性にあまりにも無知な王子様が騎士道精神を発揮してヨシュアを左手に庇い、これ幸いとクローゼの影から薄情な肉親に向かってヨシュアは舌を出す。
(また鴨が一匹、釣人の釣針に引っ掛かりやがった。こいつが、ここにいる全員を瞬殺可能な化物だと知ったら、どんな顔を……)
「エステル君、君が戦いもせずに強者の恫喝に屈して、無垢な少女を差し出すような臆病者だとは思わなかったよ」
「はあ、か弱い? 無垢? 寝言は寝てほざけよ、クローゼ!」
 虫が好かない奴だと思いながらも、狡猾な義妹に踊らされた憐れなドンキホーテだと憐憫し堪えてきたが、流石にこの言い種にはカチンときた。
「お利口そうに見えて、意外と女で破滅するタイプか、お前? そんな世間知らずな様じゃヨシュアにケツの毛まで毟られるぞ」
「下品な上に根拠のない誹謗中傷は止めてもらえないかな。僕はともかくヨシュアさんに対して失礼でしょう?」
「品性がなくて悪かったな、こちとらロレントの田舎者なもんでな。ルーアン育ちのお坊ちゃんほど人間できちゃいねえんだよ」
 ヨシュアの扱いを巡って、性格が水と油ぐらい異なるエステルとクローゼの仲が一層険悪になり、激しい火花を散らしながら睨み合う。
 ヨシュアは目の前で角突き合わせた男衆を特に諫めるでなく、「私を巡って二人を仲違いさせるなんて、なんて罪な女なの」と掌を頭に当てて自分に酔い始める。
 良い面の皮なのはヨシュアをナンパした三人である。自分らの存在を無視して諍いを始めたエステル達に元々気の短いロッコはぶち切れる。
「おいっ、てめえら! さっきから俺たちをシカトしてんじゃ……」
「お止めなさい、あなた達。ここをどこだと思っていらっしゃるの?」
 甲高い女性の声が割り込み、反射的に三人が振り返る。青髪をポニーテールに束ねたちょっときつそうなレディーススーツ姿の若い女性が市長宅から現れた。
 ダルモア市長の秘書を努めているギルハート。かつてジェニス王立学園を首席で卒業した才媛で、クローゼの先輩筋に当たる。
「いい歳した男性が親の脛を齧って仕事もせずにぶらぶらし、あまつさえ真っ当な一般市民に迷惑をかけるなんて恥をお知りなさい」
 レイヴンの幹部三人を前に、ギルハートは凛として啖呵を切ったが少し膝が震えていた。
 人生勝ち組のエリート街道一直線の彼女としては、好き好んでこんな負け組のニートと関わりたい筈もない。本来なら邸内で頬被りを決め込みたかったが、市長邸の真ん前で発生したゴタゴタに他の観光客への体裁と市長の面子を慮って、のこのこと仲裁しに顔出しした。
「なんだ、市長の腰巾着のタカピー女かよ」
「姉ちゃん、あの娘の代わりに、あんたが俺らと遊んでくれるのか?」
「へへっ、琥珀色の瞳の娘ほどじゃないけど、あんたも見てくれは悪くないよな」
「ちょ、ちょっと、何よ、あなた達……」
 早速、三馬鹿に取り囲まれたギルハートは顔面蒼白になる。
 先程、彼女が彼らにぶつけた忠言は正論ではあるが、「人を見て道理を解け」という諺があるように場違いな感が否めない。
 「百の理屈は一つの暴力に潰される」かつてアガットがお題目に掲げた摂理はヨシュアでなく、この世間擦れしていない姉ちゃんこそ学習すべきであろう。
「くんくん、ちょっとケバいな。あの黒髪娘を見習って、すっぴんで勝負しろや、おらっ!」
「おお、腰や足も細えー。その小振りな胸も触っちゃっていいのかな?」
「うっひょおー、パンツは白と水色のストライプか。流石にエリート様は時代の最先端をいってやがるな」
「あ、あなた達、こんな非道はエイドスやギルドが見逃さな……ひっ! いやぁー。お助けぇー!」
 うなじの臭いを嗅がれ、腰元や太股をベタベタと触れられ、更にはスカートを捲くり上げられて公衆の面前で縞パンを晒される。それでも気丈に振る舞おうと虚勢を張っていたが、あっさりと臨界に達し悲鳴をあげる。
「ほら、エステル。ブレイサーに助けを求めている民間人がいるわよ?」
 本来ならヨシュアは赤の他人の運命に無関心な性質だ。特にギルハートのように中途半端に能力がある高慢ちきなタイプは、最もヨシュアを嫌悪する確率が高く、メイベル市長やアネラスほど心を通わすのは難しそうであるが、それでも動機はともあれ一応は自分を助けに仲立ちに入っての顛末なので、エステルの袖を引っ張って救助を催促する。
 確かにレイヴンの行動は既にナンパのスキンシップの域を超え、集団セクハラと言っても差し支えない痴漢行為。遊撃士として看破できない。
「ちょっと、ごめんよ」
 エステルはクローゼとの対立を一時保留にすると、ディンとレイスの襟首を子猫のように掴み、大人二人の足が宙に浮かぶ。
「てめえ、何しやがる!」
 仲間二人を余裕で宙づりにする馬鹿力に内心肝を冷やしながらも、ロッコは得物の警棒を展開させる。そのまま肩口のあたりを思いっきり叩いたが、信じられない頑丈さで毛ほどもダメージを与えられた形跡はない。それどころか強打した警棒の先端が飴細工のようにひん曲がってしまい、三人はギョッとする。
「準遊撃士のエステル・ブライトだ。素人相手に大人気ないけど、これ以上オイタするなら本気で相手になるぜ。さあ、どうする?」
 ロッコの目の前に軽々と二人を放り捨てると、コキコキと肩を鳴らしてから、背中の物干し竿に手を掛ける。
 遊撃士という単語を聞きつけ、さらにエステルの化物染みたパワーの片鱗をまざまざと見せつけられた三人は、「今度遭ったら覚えていろ」というチープな悪役に相応しい捨て台詞を吐きながら、彼らのテリトリーの倉庫に撤退していった。
「えっと、大丈夫だったか?」
 白馬の王子様よろしくチンピラを追い払ったエステルの凛々しい姿を、ギルハートは頬を赤く染めでボーっとしたまま見惚れる。
 エリート女性の割には意外とテンプレ的な出会いに弱いらしい。着衣の乱れに気づいたギルハートは赤面しながら、大慌てで捲れあがっていたスカートを元に戻し胸元のシャツのボタンを止める。両腕で控え目の胸部を隠すように自分自身をきゅっと抱き締めながら、キッと涙目になってエステルを睨む。
「べ、別にあんたのことが好きなわけじゃないんだから、勘違いしないでよね!」
 恐らくは照れ隠しであろう珍妙な科白を残すと、謝意を述べるのも忘れて市長邸に逃げ込んでいく。エステルは何とも言えない表情で、ヨシュアとクローゼを振り返る。
「何だったんだ、あれ?」
「今、流行りのツンデレって奴じゃないの、エステル? いずれにしても、ルーアンは退屈しなさそうな街みたいね」

 これが、本当に先の先で長いつき合いになるギルハート・スタインとの初邂逅だが、彼女は導かれし者とは何の関係もありません、念の為。



[34189] 09-05:導かれし者たち(Ⅴ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/06 00:03
「先程はすいませんでした、エステル君」
「ああっ、いいって、いいって。俺もちっとばかし言い過ぎたしな」
 女性の窮地を見過ごさず、さらには格の違いを見せつけて誰一人傷つけることなく場を治めたエステルの器量に、思い違いをしていたのを悟ったクローゼは潔く謝罪する。
 下手に出られたことで、元々竹を割ったような気性のエステルは、お互いに至らない所があったということで両成敗で水に流すことにした。
「一見、冷淡だった先の態度は、ヨシュアさんの力量を信頼していたということですよね?」
 考えてみれば、まがりなりにも正遊撃士を目指す立場の人間が、見せ掛けだけのチンピラに遅れを取る筈もない。華奢な外観とは裏腹にヨシュアもそれなりの手練なのだろう。
 冷静な状況分析能力からクローゼは、闇の衣に覆われたヨシュアの真実の一端を見抜き、そもそもの諍いの発端であるヨシュアは後ろめたそうにそっぽを向く。
「けど、エステル君。それでも君は、ヨシュアさんの盾となるべきだと僕は思います」
 ヨシュアの猫かぶりを知って尚、クローゼはフェミニストの看板を降ろす気はないらしく、エステルはおろかヨシュアも蓋然する。
 クローゼの初恋の年上の君がそうだったように今時分は強い女性も多いので、女は守られるべき対象などと前時代的な主張をする気はないが、少なくともヨシュア本人が荒事を欲していないのは明白なので、その希望に沿うよう行動するのが男子の務めというのが彼の持論。
「だってよ、ヨシュア。そのデカイおっぱいに宿したちっぽけな良心が疼かないか?」
「ええ、今のはかなり堪えたわね」
 エステルがつんつんとヨシュアの胸の先端を指先で突っ付き、まるで心臓発作を起こしたように、ヨシュアは乳房を抑えてうずくまる。
 海千山千のヨシュアは裏表のある人間の打算的な駆け引きに鬼強い反面、真摯な人物の投げ込んだ直球ど真ん中の熱い想いを苦手にしている。
 薄暗い洞窟に棲息する闇の眷属は、クローゼの菩薩の如き後光の眩しさに目を焼かれた。
「な、なんて羨ま……いや、兄妹なら普通のスキンシップなのか? けど、二人は血が繋がってないそうだし、いや、しかし……」
 ヨシュアの脳内男性ランクで、鴨より一つ上の階層への昇格を果たしたクローゼはというと、軽く頬を染めたままエステルのセクハラ紛いの行為を食い入るように眺める。
 人によってはお縄になる胸タッチを自然とスルーした二人の関係性の深さに、本人も意識しない嫉妬の感情を交え葛藤するが、突然何かに気づいたようにハッとすると二人から距離を置いた。
「クローゼ?」
「ジェニス王立学園の門限を忘れていたので、これで失礼します。また、どこかでお会いしましょう、ヨシュアさん、エステル君」
 軽く会釈すると二人に背を向けて、慌ててメーヴェ海道に駆け出していく。いくら刻限が迫っているとはいえ、二人の挨拶を待たずに早急に消え去る様は礼儀正しいクローゼらしくない。
「何だ、クローゼの奴、やけに慌ててやがったな? やっぱり王立学園ともなると、規則に厳しいだろうし、下手したら停学騒動に発展するから必死だったのか?」
 エステルも小さい頃はよく真っ暗になるまで遊び回って、門限を破っては親父に締め出されて、ヨシュアが二階から垂らしてくれた縄梯子で家内に密入していたのでノスタルジーを刺激されたが、ヨシュアの見解は異なった。
「そうかしら。私にはクローゼが顔を合わせたくない人物から逃走したように見受けたけど」
 何でも借金を踏み倒そうと算段していた折にヨシュアを発見した時の「げっ、嫌な奴に会った」というシャラザードの後ろ暗い形相と良く似ていたらしい。もっとも、シェラザードはともかく、クローゼがミラにルーズなように二人には思えないが。
 一応、背後を振り返ってみる。
 開き切ったラングランド大橋の手前で、恰幅の良い身なりの妙な髪型の中年男が横柄に何かを喚いていて、黒い執事服を纏った銀髪の初老の男性が必死に窘めている構図が目に入る。
「何だ? どこぞの成金っぽいけど、こいつらからクローゼはミラを借りたのか?」
「さっきから、何を訴えているのやら……って、呆れて物も言えないわね」
 ヨシュアが魔眼の超視力と読心術を掛け合わせて、近づくことなく中年男性の唇を読み取る。何でも橋が跳ね上がる絶景を見損ねてしまったので、ルーアン観光協会にミラを握らせてもう一度橋を開閉させろと、初老の男に無茶な命令を下しているそうだ。
「目茶苦茶だな。貴族の馬鹿息子なんてそんなものかもしれないが、あのオリビエだってもう少し良識を……弁えてなかったな、あいつは」
 遠目にも暑苦しそうな中年男と、一応イケメン青年のカテゴリーに分類される伊達男を一緒だくにしたら、当のオリビエから苦情が来そうであるが。
「いずれにしても、関わらない方が良さそうな人種ね。行きましょう、エステル」
 特に面食いでないヨシュアにとっては、どちらも非常識な忌避すべき人物であることに違いはない。
 既に夕日が立ち上っているので、二人は日が暮れる前にギルドに顔を出すことにした。

        ◇        

 扉を開いた刹那、パンパンと立て続けに銃声が響き、二人は反射的に得物を構える。
「ルーアン支部へようこそ、エステル君、ヨシュア君。たはは、その首筋に充てた得物をしまってくれないかな?」
 受付の席に腰を下ろした眼鏡をかけた人のよさそうな青年は、喉元に双剣の刃を突き付けられて、冷や汗を掻きながら空になった二本のクラッカーの筒を捨ててホールドアップする。
 彼が話に聞いていた新人の受付。エステル達を歓迎しようと鳴らしたクラッカーの音を、二人は迂闊にも銃の発砲と勘違いした。ヨシュアは得意の超スピードで避けて本丸を抑えたが、エステルはクラッカーの内容物をモロに頭から被る羽目になった。
「すいません、親父が出張している帝国ギルドが、猟兵団(イェーガー)の襲撃を受けたと小耳に挟んだもので、まさかここもかと思ってしまって」
 物干し竿を元の長さに戻したエステルが大きく頭を下げ、紙テープや紙ふぶきが床下に零れ落ちる。ヨシュアは軽く嘆息して、双剣を太股に巻いたバインダーに仕舞い込む。
 受付男性の予期せぬ先制攻撃に図らずも本性を露見させてしまった為、得意の猫かぶりを発動させる余地を奪われたことを無念に思っているみたいだ。
「いやいや、ブレイサーとして頼もしい限りだよ。早速で悪いけど机の上の転属手続きの書類にサインして貰えるかな?」
 受付のジャンは几帳面にも箒と塵取りで、パーティーグッズで汚れた部屋を掃除しながら手続きを促し、エステル達が署名した刹那、キラリと眼鏡の端を光らせながら二人の肩に手をまわして強く抱き締める。
「うふふ、ルーアン支部へようこそ。もう絶対に逃がさないよ、二人とも。何しろルーアンの未来は君達二人の双肩にかかっているんだからね」

 ジャンの説明によると、今現在ルーアンにはエステルとヨシュアの二人しか遊撃士がいない。所属している四人の正遊撃士の内、エース格のカルナは同士クルツの誘いで王都に出張。他の三人は例の空賊事件でボースに出向いたきり、音信不通のまま。
「そういえばエジルさんが、正遊撃士のチームでヴァレリア湖畔にしばらく逗留するとか言っていたわね」
 例の調査費用の申告の時に、ちゃっかり未来分の滞在費用を割り増し請求しておいた一堂は、これを機に川蝉亭で少し骨休めをするつもりだ。
 請求額の水増しに対しては、ほとんど言葉遊びレベルの着服行為であるが、ボースで解決した事件の規模と今まで彼らが世界に尽くしてきた代償を鑑みれば、このぐらいの恩恵は与えられてしかるべきだとヨシュアは思うし、だからこそルグラン爺さんも言い値でミラを支払った。
 ただし、それで割を食ったのは他の各支部だ。特にルーアンは先日までメルツというエステル達と同じ見習いが一人でクエストをこなしていたが、強い責任感に反比例して妙に気弱な彼は、ルーアンの推薦状と引き換えに胃潰瘍で入院してしまう。
 こんな有り様では、ジャンが諸手を上げてエステル達の来訪を大歓迎するのも無理はない。
「ボースではクエストが枯渇していたのに、ルーアンでは飽和状態なのかよ? 本当に地方によってクエストの扱いが極端だな」
「まあまあ、エステル。依頼に困ることがなさそうなのは見習いの私達には有り難い話よ」
 ロレントはアイナの縁故、ボースでは十年に一度級の高難易度クエストの解決で、一月とせずに推薦状を手に入れた兄妹だが、流石にルーアンにはそんな裏技は転がっていまい。
 とすれば、コツコツと真っ当にクエストをこなして、BPを積み重ねていくしかなく、正遊撃士達が帰参するまでの草刈り場で可能な限り蓄えておいた方が良い。
 更にこの人当たりの良さそうな青年なら、アネラスを苛めていた前任者と違って、成果を公平に判定してくれる筈。
「うーん、イジメというのとは少し違うかな?」
 ヨシュアからさり気なく友人が被った不利益に釘を刺されたジャンは、何とも言えない表情で言葉を濁す。
 何でもカシウスとほぼ同年配の旧受付の中年男は密かにアネラスに恋慕していたが、年代の差から想いを告げる勇気もなく、推薦状の交付を延々と引き延ばしてルーアンに留めておくことしか出来なかった。
「きっと何時までも自分の側にいて欲しかったのだろうね」
 ジャンは遠くを見る目でしみじみと語ったが、今の話は前任者をフォローしたというより、むしろ著しく評価を下落させたようにしか思えない。
 いかに美化しようと、中年男のしでかした所業は単なる職権乱用。身から出た錆とはいえ、その受付はネガティブな感情に乏しいアネラスからの嫌悪を受けたまま離別するという最悪の報いを受けたので、因果応報の結末を迎えたといえなくもない。
 ただ、そんな理由で無意味にルーアンに足止めされていたと知ったら、寛容な先輩遊撃士も遣り切れまい。
「全く、好きなら好きで堂々と告白すりゃいいだけだろうに。たとえ玉砕しても、自分の中に毒を溜め込んでいるよりよっぽどマシだろ?」
「エステル、それはいくらなんでも横暴よ」
 この手の葛藤に全く縁のないエステルがストレートに意気地の無さを詰ったが、ヨシュアが男の怯懦を庇う。てっきり、親友の肩を持つと思っていたエステルは意外そうな顔をする。
「エステル、あなたはまだ若くて無限の可能性に溢れているから夢想すら及ばないだろうけど、それでも想察してみて。世に何も成し得ず惰性で生きてきて、ダラダラと年輪を重ねて、気づくともう若くない。夢も未来への希望もなく、終末の足音だけがヒタヒタと忍び寄り、胸を掻き乱されそうな孤独と絶望に怯えて生活している中年男性の元に輝かしい生命の鼓動に溢れた若くて奇麗な女の子が現れたとしたら……って、ジャンさん、どうしたのですか?」
 論調の最中、ジャンは先のヨシュアのように心臓を強く抑えたままうずくまる。童顔の為に若く見られがちだが、彼も既にアラサー。ヨシュアの話は身につまされたが、軽く容相を歪ませ脂汗を掻きながらも続きを催促する。
「い、いや、何でもないよ。続けて」
「コホン、では、改めて。そういう男性は自分が若い女の子から受け入れられる筈がないと最初っから諦観し、エステルが言うように歪な形でドス黒い感情を己の中に溜め込んでしまうので、無限の未来を秘めた若人を道連れにしようと周囲に破壊的な衝動を撒き散らすことになる。アネラスさんのように巻き込まれる側としては迷惑な話よね? けど、だからといって私は彼らが世の中から見捨てられて良い筈はないと思う。だからね、エステル。若くて奇麗な女の子には義務があるの。自らの持つ可能性の一部をそういう男性に還元して、ガス抜きの役割を……」
「多少のミラと引き換えにか?」
「ええ、そうよ。って、チッ」
 珍しくもエステルの誘導に引っ掛かったヨシュアは、図らずも本音の一言を漏らしてしまい舌打ちする。色々、偉そうなことを宣ふっていたが、結局は美人局を正当化する単なる自己弁護。
 とはいえ、ヨシュアが容姿、話術、気配り、歌唱、裁縫、料理など持てるチートなスキルの限りを尽くして多くの殿方を楽しませて、ほとんどの場合消費したミラに見合うだけの一時の豊かな時間を提供してきたのも事実なので、援助交際じみたヨシュアの主張にも一理あるのかもしれない。決して、二理はないが。
「恵まれない大人たちに夢を与えるのは結構だけど、それで実は自分は惚れられているとか面倒な勘違いを起こされたら、どう対処するんだよ?」
「その時は、始末……いえ、すみやかに現実を知らしめて、夢から醒めていただくだけよ。恋愛はボランティアじゃないのだから、若い娘にも相手を選ぶ権利はある筈よ」
 あっさりと開き直る。結局、最終的には男と女の関係はそこへ行き着くわけだ。ヨシュアも相手を本気にさせた後の、アフターサービスまで施すつもりはない。
 まあ、恋愛はボランティアじゃないというのは至言だが、失恋という大きな痛手を負う男性側に比べて、ヨシュアの方では失う物が皆無に等しいのは卑怯でないかとエステルなどは思う。
 ヨシュアはさらに持論を展開しようしたが、エステルはおろかジャンの聞き熱が醒めたのを肌で感じ取ったので、脱線に終止符を打つことにする。
「話を元に戻しますけど、その流れでいくと、よくアネラスさんはルーアンの推薦状を貰えましたね?」
 適度な所でその中年男が改心したのかというと、そうではない。
 アネラスから相談を受けた彼女の後継人のクルツが、「ルーアン在住中に準遊撃士ランクを四級から一級にまで昇級させたアネラス君が未だに推薦状が貰えないのは不自然だ」と本部に意義を申し立て、協会が本腰をあげて調査した結果、男の公私混同が明るみになり更迭された。
「なあ、ヨシュア。ブレイサーのランクはAからGまでのアルファベットじゃなかったっけ? 何で数字なんだ?」
「正遊撃士とは別に、準遊撃士の間にだけ採用される階級があるのよ。九級から一級まであって、当然一級が最高位で、私達はまだ七級ね」
 「この間、昇級の褒美に『鷹目』のクォーツを貰ったでしょう」と、そんなことも知らなかったのかという呆れた眼差しで補説を入れる。
 この調子では、A級の上に非公式のランク(S級)が存在し、ましてや自分の父親がそうであるなどとは夢にも思うまい。
「七級か。思ったよりも低いんだな」
「まあ、見習い中のランクは基本正遊撃士に昇格したら意味を成さなくなるし、むしろ君らのような低いランクで推薦状を集めた方が出世が早かった証明でもあるから気にすることはないんじゃないかな?」
 これまで、さほどクエストをこなせなかったツケが見事に昇級に顕れたわけで、エステルは自分たちの未熟さを恥じたが、そうジャンが擁護する。
 確かにアネラスのように正遊撃士になるのに時間を喰った人間はほとんど一級まで登り詰めているので、遊撃士としての有能さを指し示す尺度としてはあまり参考にはならないかもしれない。
 ふと、ジャンが窓の外を眺めると、もう完全に日が落ちている。
 これ以上与太話を続けて、明日からのクエスト活動に支障をきたされても困るので、そろそろ打ち止めにする。
「色々、楽しい話を聞かせてもらえたけど、今日はもう遅くなったから、続きはまた今度でいいんじゃないかな? ホテル・ブランシュの最上階のスイートルームを確保しておいたから、今夜はそこに泊まるといいよ」
 今日あたり二人がルーアンに辿り着くという情報を受付同士のネットワークでルグラン爺さんから聞きつけていたジャンは、奮発して豪華絢爛な宿を予約しておいた。
 翌日から二人を気前良く働かせようという魂胆のよう。スイートと聞いてヨシュアはぱっと表情を輝かせて、キスせんばかりの勢いでジャンの手を強く握った。

 こうして機嫌を良くしたヨシュアは、明日からのクエストの重労働(※主にエステルが)をジャンに約束して鼻唄を口ずさみながらホテル・ブランシュに向かったが、そこで予期せぬ闖入者と一騒動起こす事態になる。



[34189] 09-06:導かれし者たち(Ⅵ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/06 00:04
「ふっかふっかのフワフワね」
 最上階スイートルームのダブルベッドの上、ヨシュアはトランポリンのように宙を舞いながら、高級ベッドの感触を堪能する。
 流石にスイートと名乗るだけあり、部屋は広々とし、壁には装飾として二本の剣がクロスに飾られ、バルコニーからは市のほとんどを見渡せる豪奢な作り。
 贅沢志向のヨシュアと違いエステルはこういうハイカラな部屋は居心地が悪く性に合わないが、ヨシュアの子供のようにはしゃぐ姿を見てたまには背伸びするのも悪くないかなと思い直すも、無粋な闖入者が兄妹の憩いの時間を妨害する。
「ほほう、なかなか良い部屋ではないか」
「お待ちを、閣下。この部屋には既に利用客がいるとのこと」
 階下から声が聞こえてきた。一瞬、泥棒かと勘違いしたエステルは背中の物干し竿に手を伸ばす。ヨシュアもベッドにうつ伏したまま猫の夜目のように瞳を真っ赤に光らせるが、どうやら違うようだ。
 ラングランド大橋の前で一騒動を起こした成金と執事のコンビ。エステル達の存在を無視して、ずかずかと室内に乗り込んできた。
「なんじゃ、貧相な子供たちだな。お前らがフィリップの言う、この部屋の利用客か?」
 先の一件でこの男の自己中心的な生態は既に体験学習済みなので、今の傲岸不遜な物言いも、「部屋を明け渡して出て行け」という図々しさを通り越した非常識な要求にもさして驚きはない。
 ただ、フィリッブと名乗った執事から、この妙な髪型をした中年男性がアリシア女王の甥のリベール王族のデュナン公爵だと知らされた時には仰天した。
 本人は次期国王と詐称していたが、それがもし事実とすれば、ヨシュアに骨抜きにされたロレントの失墜どころの話でなく、リベールが傾きかねない大惨事。近い将来、周辺諸国への亡命を本気で検討しなければならぬやもしれぬ。
「ふふん、判ったか。まあ、私もケチではない。このスイートの倍額の料金をお前たちに授けてやるから、さっさとここから出て失せるがよい」
 懐から5000ミラの紙幣を取り出し、乞食に恵んでやらんと言わんばかりの横柄な態度で、エステル達の足元に投げ捨てる。
 大人しく部屋を譲渡すれば、労せず高額クエストなみの丸儲けだが、人としての尊厳を土足で踏みにじった王族の傲慢さにたちまちエステルはブチ切れ、紙幣を公爵の顔面に叩き返した。
「無礼な賤民め、何をするか?」
「おいおい、オッサン。ブレイサーに買収が通じるとでも思っているのか? 生憎と俺は筋を通さない人間と特権を笠に着る野郎が大嫌いでね。百万ミラ積まれたって譲る気は…………そういえばオリビエは、ヨシュアとの距離を5アージュ縮める為に本当に百万ミラの大金をドブに捨てたんだよな。どっちも非常識で傍迷惑な人種には違いないけど、人間のスケールだけは段違いだったな」
 しみじみとボースの漂白の詩人の切符の良さと、端金でデカイ面をする中年男のしみったれ振りを思い比べたエステルは意図せず公爵の顔に泥を塗る形になり、デュナンは怒りでにがトマトのように顔を真っ赤にする。
「おのれ、下賤の者め! 次期国王の私を、かような道化者と見比べようとは、打ち首にしてくれようか?」
「お止めくだされ、閣下。この少年の申す通り、筋を曲げているのは我々の方です。どうかご自重を」
 公爵と違い、フィリップという苦労人っぽい執事は常識人の模様。懸命にデュナンを宥めようとしているが、かといってエステルは引くつもりはサラサラない。
「ヨシュア、さっきから黙ってないで、お前も何か言ってやれ。おい?」
 本来ならこういう舌戦は、エステルでなくヨシュアの領分。
 何よりもお気に入りのスイートを守る為に、普段なら公爵の愚挙をグウの音も出ないくらい言葉の暴力で叩き潰している筈だが、何故かヨシュアは公爵の隣にいるフィリップに見惚れている。
「信じられないぐらい完璧だわ、素敵」
「はあっ?」
 軽く頬を染めたまま初老の執事を見つめるヨシュアの戯言に、エステルは素っ頓狂な声を上げる。
 世の中には、ロリ、ショタ、レズにボーイズラブなど、エステルの理解が及ばない様々な愛の形が転がっているが、もしかして、こういうのをジジイ専と言うのか?
 プレイガールの意外な趣味に、エステルは公爵との対立を忘れ慄いたが、ヨシュアの言には続きがある。
「人として最適な呼吸術、重心の移動をまるで感じさせない理想の足使い。わざわざ掌を観察しなくても判る。このフィリップさんは間違いなく私が最も苦手とするタイプ」
「苦手なタイプ?」
「ええ、タイマン特化型よ、エステル」
 ヨシュアはタラリと冷や汗を流す。どうやら色恋でなく、武術的なお話のようだ。
 タイマン特化型とは、その名の通り一対一での戦闘の理(ことわり)を突き詰めた戦士のことで、対集団戦闘を得意とするヨシュアが最も相性を悪くするバトルスタイル。
「あのー、俺も一応、タイマン特化型のつもりなんだけど」
 Sクラフトの烈波無双撃を始め、単体向けのクラフトを多く所持するエステルがなぜ、不得手のタイプと公言する雑魚専に勝てないのか疑問を投げ掛け、ヨシュアは無感動にエステルの顔をマジマジと眺めていたが。
「くすっ」
「あー、てめえ。今、鼻で笑いやがったな?」
 「エステルの場合、タイマン特化でなく単に中途半端なだけよ」と云わんばかりの小馬鹿にした仕種になけなしのプライドが傷ついたが、世に敗者の言い訳ほど見苦しいものはなく、サシ勝負で手玉に取られている内は何と罵られても堪えるしかない。
「ほーう、小娘。賤民の割に意外と見所があるな。確かにこの者はかつて王室親衛隊の大隊長を努め、『剣狐』と呼ばれた剣の達人。そこの口先だけの遊撃士見習いの小僧など足元にも及ばない武の使い手よ」
 フィリップの正体を看破したヨシュアに、公爵は少しばかり気色を良くする。
 従者の力量を己が能力の一部と錯覚する権力者特有の精神的傾向なのだろうが、当のフィリップ自身は「遠い昔の話です」と他人事のような仏頂面をしている。
「ねえ、公爵さん。こうしてはどうかしら?」
 ヨシュアは壁に飾られた二本のレイピアの一つを重そうに持ち上げて、困惑するフィリップの掌に手渡すとエステルとの決闘を示唆する。
「勝った方が、今晩この部屋を自由にするというのでどう?」
「ほう、面白いではないか。私も風聞でしかフィリップの力を知らぬゆえ、一度生で鑑賞してみたいと思っていた所よ」
「しかし、閣下」
「この者と戦い、そして勝て。これは命令だ。良いな、フィリップ」
「はっ」
 勅命とあれば、基本的に王宮の仕え人に拒否権はない。フィリップは片膝をついて、唯々諾々と公爵の言葉に従った。
「おい、ヨシュア」
「エステル、言いたいことは判るけど、これはまたとないチャンスよ」
 意外な話の流れにエステルは苦情をいれたが、その抗議を遮る。
 ヨシュアは実戦稽古で常にエステルを圧倒しているが、所詮はレベル差で強引に捻じ伏せているに過ぎず、その抜き身の戦闘スタイルはあまりエステルの参考にはならない。
 目の前の老人がヨシュアの見込み通りの本物であるのなら、僅かな時間のバトルでもエステルをさらなる高見へと連れていってくれる筈。
「騙されたと思って、やってみて、エステル。それとも、まさか負けるのが怖い訳じゃないわよね?」
 単細胞の扱い方を良く心得ているヨシュアは敢えて見え見えの挑発をし、エステルを引くに引けなくする。
 かくして、遊撃士見習いと王宮執事の異色のカードが組まれた。

        ◇        

「はあ、はあ、マジかよ」
 ヨシュアとデュナン公爵の立ち会いの元、市の隅々まで見渡せる広大なバルコニーで、フィリップとの決闘が始まった。開始十秒で老人と侮る気は失せ、三十秒であまりの格の違いに愕然とする。
 エステルのように一撃一撃のパワーに優れるわけでも、ヨシュアみたいな視認不可能な超スピードで動くわけでもない。
 だが、エステルにはこの老人の動きが、全くと言っていいほど読めない。
 気配というものを感じさせない幽鬼のようなステップで蜃気楼のように立ち位置を変え、気づくと何時の間にか棍の間合いを外し剣の距離を維持している。
 さらに特筆すべきは独特の呼吸から繰り出される神技ともいうべき防御不能の剣捌きで、エステルは剣筋を見切ることができず攻撃を複数箇所ヒットされる。
 その動きは真に虚にして実、実にして虚。
 人として最適な呼吸術と理想の足捌きとのコントラストから生み出される完璧な剣技。
 まさしく対人特化の理(ことわり)の一端に到達した身震いするほどの実力者。総合的な戦闘能力はともかく、差し勝負一つに戦場を限定するならヨシュアをも上回るかもしれない。
「がはっ!」
 再びフィリップの剣撃が炸裂する。今度はエステルの肩口にヒットし軽く片膝をつく。
「エステル殿とおっしゃられましたな? そろそろ棍を納めてはもらえないでしょうか?」
 細剣を構えたフィリップは勝ち誇るでなく、淡々と勧告する。
(やれやれ、参ったな。ヨシュアの他にもまだこんな怪物がリベールに隠れ住んでいたのかよ)
 剣狐の防御不能の剣捌きは全て急所を外しており、明らかに手心が加えられている。
 エステルとこの老人の力の差は顕著で、その隔たりは一朝一夕では埋まらない。
 この実戦ルールだと、武器の落とし合いのヨシュアとの朝稽古以上に勝ち目がないのは判っているが、先程からエステルは心の奥底から込み上げてくる衝動を抑えられない。
 絶望、恐怖、諦観? いや、どれも違う。
 己以上の強者と戦うことに対して沸き上がる歓喜の武者震い。余人はいざ知らず、戦闘馬鹿に『諦める』という選択肢はない。持てる力の全てを出し尽くさないことには、この戦い勿体なくてとても終わらせられない。
「悪いな、爺さん。もう少しばかり付き合ってもらうぜ。はあああああ……ムンっ!」
 そう宣言すると、再び立ち上がって棍を構える。目を閉じたエステルが思いっきり闘気を溜め込んだ後、一気に解放。エステルを中心とした半円に軽い衝撃波が発生する。
「麒麟功」
 衝撃波の余波に堪らず肘で顔をガードした公爵の隣でヨシュアが叫ぶ。
 父カシウス譲りの自己ブースト技。一定時間STR(力)とSPD(行動力)を大幅にアップさせるが、効果が切れたら反動で身体能力を著しく低下させるので、使い所の難しい補助クラフト。
 いずれにしても、麒麟功のデメリットには目を瞑り、捨て身の特攻を仕掛ける。
「うおりゃあああ!」
 先を遥かに上回るパワーとヨシュア顔負けの超スピードで、物干し竿を振り回しフィリップに襲いかかる。
 残像すら残さぬレベルの棍の連射に、素人のデュナンは目を瞬かせるが、ヨシュアは首を横に振る。
(それじゃ駄目なのよ、エステル)
 どれほど力と速度を上乗せした所で、技量が追いつかなければ、このレベルの相手には通じない。
 実際、フィリップは完璧にエステルの棍撃の軌道を読み切っていて、最小限度の動きで棍を捌いて、効率的なカウンターでダメージを蓄積させる。
 ただ、この達人にしても、こうまで一方的に打ちのめされながら一向に沈む気配を見せない異常な耐久力と、何よりも絶望的な力量差に怯まぬ不屈の精神力は大いに誤算。
 敵の弱点を抉るのを至上とする漆黒の牙と違い、敢えて急所を攻めなかった剣狐の甘さが命取りになる。

 決闘が開始されて三分が過ぎる。フィリップの呼吸の質が微かに変化した。
(ジャスト三分。思いの外、早かったわね)
 デュナン公爵もエステルも気づいてないが、既に剣狐の魔法が解けたのをヨシュアと当のフィリップだけが認識する。
 ヨシュアは軽く嘆息すると、双剣を構えて二人の間に飛び込んでいった。
「よし、いくぜ…………?」
「はい、そこまでよ、エステル」
  熱くなって周りが見えないエステルを止める為、ヨシュアは絶影を応用しエステルの影に短剣をぶっ刺して影縫いの要領で動きを拘束。勝負終了を告げる。
「離せよ、ヨシュア。折角楽しくなってきたのに、邪魔するんじゃねえよ」
 「まだ麒麟功は持続している」と駄々を捏ねたが、制限時間を迎えたのは実はエステルの方ではない。
「あなたは良くても、フェリップさんの方がもう限界よ。ほらっ」
 ヨシュアが指差した先では、無傷のフィリップが肩で息をしている。
 剣を置いて久しいとはいえ、一度身体に染み込ませた剣技はそうそう忘れるものではないが、悲しいかな。その神技を支えられるだけの体力が今の老体のフィリップには残されていない。
 地面に突き刺したレイピアを杖代わりに、何とか倒れるのを堪えている剣狐の老衰した姿に唖然とし、拍子抜けしたエステルは意図せず麒麟功を解除してしまう。
「フィリップ、大丈夫か?」
「は、はい、閣下。何とか……」
 剣狐の圧勝劇を堪能していた先までとガラリと態度を変え、デュナンは心配そうに声を掛ける。自己中心的で傲慢な男だが、育ての親である執事を思う気持ちはある模様。
 フィリップに肩を貸すようにエステルに促すと、ヨシュアは公爵にお辞儀する。
「公爵閣下、この決闘は私たちの負けなので、約束通り部屋はお譲りしますわ。あなたもそれで構わないわよね、エステル?」
「ああっ」
 手加減されまくったこの低落で勝ちを主張するほど、エステルは厚顔ではない。
 或いはヨシュアが止めなければ電池切れを起こしたフィリップに一矢を報いたのかもしれないが、そんな情けない勝ち方には何の意味もない。

        ◇        

「もう大丈夫です。かたじけない」
 エステルにソファまで運ばれたフィリップは、十分間ほど長椅子に横になり、呼吸を落ち着けると、しゃきっと立ち上がる。
 まだ少し膝が笑っているので戦闘は不可能だろうが、執事の業務だけなら支障はない。エステル達に軽く頭を下げたフィリップは、レイピアを壁の装飾の元にあった位置に戻す。
「もう剣は持たないのですか、フィリップさん?」
「わたくしは既に剣を捨てた身なので」
 かつて血が滲むような修練の果てに習得しただあろう神技の数々に些かの未練も残さずに答える。先の決闘ですら彼の本位ではなかった。
「ですが、とても楽しい時間でございました。この老骨の枯れ枝のような血管にも、まだ熱い血が流れているのを久方ぶりに思いださせていだだけました」
 そう呟いた時、仏頂面を基本とするフィリップが、微かに微笑んでいたように見えた。やはりオス(♂)というのは、戦いが好きな生物なのかとヨシュアは呆れる。
「うむ、お前たち、思ったより潔いな。気に入ったぞ。何かあったら特別にお前たち二人を指名して、クエストの依頼を用立ててやろう」
 望みのスイートルームを手に入れ、さらには己の執事の強さを再確認できた公爵は、大層機嫌が良い。
 これもまた、「雨降って地固まる」というのか、先のエステルとの確執はすっかり記憶から抜け落ちた。
 ヨシュアは得意の営業スマイルで公爵に名刺を渡してから、二人に挨拶しエステルと退出した。

        ◇        

「なあ、ヨシュア。お前はこれで良かったのか?」
 戦闘民族としては、達人との望外のバトルにありつけたので何の不服もないが、代わりにヨシュアが割を食った形になり、あれだけ楽しみにしていたスイートの一夜を手放す羽目となる。
「今回のエステルの貴重な体験と比べれば、お釣りがくるくらいよ。けど、悪いといえば、どちらかと言えばフィリップさんにかな? もう良いご老人なのに、無理やり稽古に借り出しちゃったしね」
 ヨシュアが睨んだ所、フィリップの戦闘継続時間はTVの特撮番組の巨大ヒーローさながらに三分が限界らしいが、その180秒に限定するなら彼は大陸最強クラスの剣士。
 再戦の機会は恐らく二度とない。そうまでして老体に無理を強いた以上、この経験を生かせずに腐らせてしまったらフィリップに申し訳ないので、今以上に強くなるのがエステルに課せられた責務だと真顔で告げる。
「ヨシュア、お前」
 腹黒い筈のヨシュアの菩薩の如き振る舞いの数々に、戸惑いの眼差しを向ける。もしかするとエステルは、この義妹を色々と誤解していたのだろうか?
「あと今回は、デュナン公爵との間にパイプを繋げたのも収穫よね。オリビエさん同様に困り者のタイプだけど、プライドを擽って上手く誘導してあげれば、きっと私たちに多くの恩恵を齎してくれるわよ」
 「豚も煽てりゃ木に登るというしね」と特太りの鴨を発見した狩人の表情で、ウッシシと笑いを堪える。やはりというか我が義妹は転んでもタダでは起きない頼もしい性格だ。

        ◇        

 公爵との賭けに負け宿無しとなったので、一階のフロントに顔を出し空き部屋の有無を確かめたが、今は観光シーズン真っ盛りで全て満室とのこと。今宵の寝床をどう工面するか思案する。
「よう、ヨシュアにエステル。何か困った事態に遭遇したみたいだな? 良かったら、一緒に俺の部屋へ来て、話しを…………」
「しょうがないわね、エステル。ジャンさんに事情を話して、ギルドの二階に泊めてもらいましょう」
 無精髭を生やした中年男が二人に声を掛けたが、無視してホテルから出ようとする。
「こら、お前ら、シカトするんじゃねえ!」
 男は大声を張り上げる。正体は神出鬼没のナイアルだ。これで三つの地方でヨシュアと鉢合わせた形になり、ここまで来ると偶然というよりストーカーの領域である。
「これはこれは、『ペンは剣よりも強し』と嘯きながら、長物に巻かれてしまったジャーナリストの鏡のナイアルさんじゃないですか?」
 ナイアルのよく通るキンキン声に、ようやくヨシュアは振り返ったが、その態度は全く好意的でなく、琥珀色の瞳に軽蔑の色を浮かべている。
「ぐっ、言いたいことは大体判っているつもりだ。ただ、俺としては今後もお前たちと仲良くやりたいから、きっちりと誤解を解いておきたいんだよ」
 苦虫を噛み潰したような表情で、再度ナイアルは二人を誘う。
 下手に出ているようには見えないが、これでもこの男の性格を鑑みると十分妥協の範疇であり、ヨシュアは軽く思慮した後に行動の選択権を兄に丸投げする。
「だってさ。どうする、エステル?」
「飯を奢ってくれるのなら、付き合ってもいいぜ」
 先の戦闘で著しくカロリーを消費したエステルが御飯の催促をし、居酒屋アーベントでの大食漢振りを思い出したナイアルは一瞬怯んだか、すぐに腹を括る。
「判ったよ、ルームサービスで、好きな物を頼みやがれ」

        ◇        

「お前ら、ちっとは加減というものを知れよ。本当に記者の薄給を何だと思ってやがるんだ?」
 机の上に並べられた皿の枚数とワインのボトルの山々に、さっそく食べ放題の宣布を後悔する。
 大食らいの覚悟を決めていたエステルはともかく、食が細いと多寡を括っていたヨシュアの悪飲みを忘れていたのは、この男にしては迂闊。
 二人が箸休めをした僅かな隙を見計らって、原稿の束をデスクの上に投げ入れる。
「こいつは、俺が王都のリベール通信本社に郵送した原稿のコピーだ。とにかく読んでみろ」
 二人は原稿に目を通す。この段階では、先行して空賊のアジトに潜入した遊撃士による武装解除の成功について、控え目ながらも報じられていた。
 王国軍と遊撃士のどちらにも肩入れしない、いかにもナイアルらしい客観見地の文章。特別号に掲載された、ひたすら情報部をマンセーした空賊記事の内容との隔離に二人は小首を傾げる。
「軍による検閲でも入ったのですか、ナイアルさん」
「いや、本社に問い合わせたが、郵送した原稿をそのまま載せたそうだ。ただし、心当たりはある。多分、あの女狐の仕業だ」
 ナイアルは忌ま忌ましそうに、まだ火がついたままの煙草を灰皿に押し付ける。
 彼がいう女狐とは、リシャール大佐の副官を名乗るカノーネ大尉という妙齢の女性軍人。「新設された情報部の活躍をぜひ取材して欲しい」と彼女からのお誘いを受けて、空賊の捕り物に向かった警備飛行艇への同行を許された。
 それ自体はネタ不足に悩んでいたナイアルにとって願ったり叶ったりだが、書き終えた原稿を王都に郵送するようドロシーに手渡した所、カノーネ大尉から「わたくし達が速達で届けてさしあげます」とか誑かされて無警戒に原稿を差し出した。
「その間にあの女狐によって、記事の一部を差し替えられたに違いねえ。全くあのトンチキ娘が。ジャーナリストが掲載前の原稿を第三者に改竄させる機会を与えてどうするんだよ」
 ナイアルは頭を搔きむしって責任を天然助手に押し付けたが、彼女の頭の緩さは既に周知である。そんな大役でもないが、きちんと最後まで監督しなかったナイアルの責任のように思える。
「切れ者のように見せ掛けて、どこか抜けている人ね。あなた達二人はメイベル市長を怒らせたみたいだけど、どういう遣り取りがあったか容易に目に浮かぶわ」
 市長のインタビューをしている時に、「噂の美人市長と無表情メイドで、百合百合しい表紙を飾れば、おっさんホイホイ効果で部数倍増間違いなし」とかドロシーが口を滑らせてしまい屋敷から叩き出されたのだろう。
 あの娘に守秘義務とか空気を読むなどという根本概念を理解できる筈もない。彼女の前で本音を漏らした先輩記者のミスで、まさにその通りだったナイアルは「エスパーか、お前は?」と改めて体感した魔性振りに戦々恐々する。
「ポイントは市長さんが本気で怒っていた所ね。単に彼女自身への誹謗中傷であれば、あそこまで悪しざまには罵らなかった」
 メディアへの露出慣れしている市長は、この手の客寄せパンダ扱いに一々目くじらを立てることはないが、有能なメイド以上に大切な親友であるリラ嬢を巻き込んだのに立腹していたと推測し、「お前もメイベル市長の友達だから判るんだな」とからかわれたヨシュアは顔を真っ赤にしてそっぽを向く。
「何かヨシュアの貴重なショットを見た気がするぜ。この場にカメラマンのドロシーがいなくて残念……って、んなことは、どうでもいい。とにかく俺はお前たちや遊撃士協会(ギルド)に含む所はないって判ってくれただろ?」
 生真面目な面持ちでデスクに顔を乗り出したが、お人好しのエステルはともかく、ヨシュアの態度は非好意的から中立にシフトした程度で、まだ友好の域には達しない。だから情報部そのものが一連の空賊事件の黒幕の可能性があるというキールから託された置き土産も、この場では伏せておくことにした。
 先日アガットに掠め取られた黒装束の男も例の情報部と関連があるかもしれず、ナイアルに餌を与えるのは相応の働きを顕示してもらってからでも遅くはない。
「そうね、気が向いたら、私たちが今掴んでいるカードを供覧してあげる。ただし、あなたの側でもこれからも誠意を見せ続けることね」
「無垢な少女の弱みにつけ込んでネタを搔き集めようとする腐った性根じゃ、とてもじゃないけど女の子の心は掴めないわよ」
 以前のカリン事件の脅迫を未だに根に持っているのをチクリと警告する。
「さてと、お腹も一杯になって、眠くなっちゃったね。そろそろ寝ましょう、エステル」
 ヨシュアは軽く欠伸をすると、シングルベッドの中央に潜り込み、麒麟功が切れた反動に程よい満腹感が加わり、急激な睡魔に襲われたエステルも続く。
「おいっ、ちょっと待て。ベッドはそれ一つだぞ。俺はどこで寝れば?」
 ヨシュアがクイクイと脇のソファを指差す。次の瞬間には、複数の寝息の音か聞こえ、二人は狭いシングルベッドの上で絡み合うように熟睡する。寝付きが良いのは彼の後輩のドロシーだけの専売特許ではなさそうだ。
「全く、なんて図々しいガキどもだ。しかも、姉弟とはいえ血は繋がってないだろうに、極めて自然体に一つのベッドを共有していやがるし。いや、落ち着け、俺。クールになれ」
 弁明に設けた接待の場とはいえ。感謝の意も示さずに、ただ寝、ただ食いに興じる客人の姿にフツフツと沸き上がった怒りの衝動を必死に抑制する。
 単なるお飾りでない無限の可能性を秘めた英雄の寵児に、それを凌駕する魔性を宿した不思議少女。
 この二人を追い続ければ、いずれリベール通信創業以来の大スクープにぶち当たると長年の記者の勘が告げており、その片鱗は空賊事件の活躍からも伺える。
 未成年で一回りも年上のナイアルを呼び捨てにする無作法な小僧に、一見礼儀正しく見せ掛けながら慇懃無礼を絵に描いたような腹黒娘。どちらも年長者を敬うことを知らない困ったお子様だが、まかり間違えばナイアルにフューリッツア賞を授けることになるかもしれない金の卵。
「その先行投資と思えば安い代償だな」
 煙草を一箱消費し気分を落ち着けると、ナイアルは窮屈なソファに足を縮めて、猫のように丸くなって就寝した。

        ◇        

 その夜、エステルは義妹の体温と呼吸を無意識に肌で感じながら、夢の中で剣狐との決闘を何度も反芻し、一対一の闘いの新たな境地を切り拓こうと切磋琢磨する。
 新たな土地での生活は、まだ最初の一日を数えたばかりだが、導かれし者もそうでない脇役も様々な影響をエステルに与え、多感な少年の心は砂が水を吸収するように多くの実りを受け入れ成長していく。

 明日から始まる更なる冒険(クエスト)の数々が、少年と少女の目覚めを今や遅しと待ち構えていた。



[34189] 10-01:マーシア孤児院放火事件(前編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/07 00:01
「はい、お爺さん。整備工具48点セットと、差し入れのアゼリア・ロゼに、ツマミの辛口アンチョビです。あと、マリノア特産物を私なりにアレンジしてお弁当を作ってみたので、良かったら」
「ほーう、気が利くな、娘さんや。よーし、ワシが昔使っていた、闘魂ハチマキをお前さんに授けよう」
「わーい、有り難う、フォクトおじいちゃん、大好き」
「あのー、やたら重い工具がたくさん詰まった鞄をここまで運んで、灯台に巣くっていた魔獣を掃討したのは俺なんだけど、俺には何にもなしっすか?」

        ◇        

「そーれと、釣れた、釣れた。こいつがハーグさんの探していた鍵で間違いないかな?」
「相変わらず、惚れ惚れするようなフィッシング技術ね、エステル。簡単な依頼だったけど、これで、『倉庫の鍵』クエストも……!」
「よーし、捲くれた、捲くれたって、やっぱり見えないのかよ。本当に一体どういうカラクリに……ぐげえ!」
「どこに釣針を引っ掛けているのかしら、エステル? 生命はいらないみたいね」(クラフト『朧』にて即死効果発動)

        ◇        

「やったよ、ついに見つけたよ。これこそが、大海賊シルマーの宝の地図の在り処を示した地図だったんだよ」
「宝の地図の地図って、一体何のジョークだよ?」
「まるで、マトリョーシカ人形みたいね」
「これも君たちのお陰だよ。お礼のミラが心もとなかったんで、一緒に見つかったこのスカルダガーは、君らに贈呈するよ。それじゃ、アデュー」
「行っちまったよ。ジミーの奴、本気で次の宝探しを始めるつもりだな。ヨシュア、髑髏装飾の薄気味悪い双剣だけど、お前が使うか?」
「うんしょ、うんしょ。こんな重たい武器は、私の腕力では自由に振り回せないわ。マニア受けしそうな造形だし、オークションにでも出品してみましょう、エステル」
「重すぎるって、お前、少しは身体鍛えた方が良いと思うぞ」(スカルダガーをお手玉中)

        ◇        

「はーい、魔獣さん。こちらへいらっしゃい」
「物の見事にボス格の大蛙(ジャバ)以外の取り巻きの魔獣が、ヨシュアに惹きつけられていったな。ということは、このジャバはメスなのか? 俺、これでも一応フェミニストのつもりなんだけどな」

「ふーう、手配魔獣の討伐完了。女に手をあげたみたいでスッキリしないが、人を襲う魔獣は見過ごせないし、ブレイサーとしてその当りの峻別はきっちりつけないとな。どうやらあっちも終わったようだ」(『漆黒の牙』発動による魔獣全滅を確認)

「こんなに早くCPが溜まるって、闘魂ハチマキって便利だな。俺にも貸してくれよ、ヨシュア」
「駄目よ、エステル。これは私が貰ったものだし、私が装備可能な軽量のアクセサリは限られているのを知っているでしょう? だから、替わりにSクラフトが撃ち放題になる大皿料理を食べさてあげる」
「マジかよ? いだたきまーすって、ぐわああああ。身体が痺れて、目眩が…………けど、何故だが身体の芯から熱くなって…………いく」
「凄い、本当にCPが限界値まで溜まっている。地獄極楽鍋って大した代物ね。私は絶対に食さないけど」

        ◇        

「迷惑な旅行者、またあのバカ公爵かよ? ヨシュアは、他の旅行者の陳情に捕まっているし、俺がやるしかないのか?」
「うむ、其方はいつぞやの遊撃士見習いではないか? クエストを用立てるとは申したが、今現在困ったことは……」
「困らせているのはアンタじゃなくて(そうだ)。実はエア=レッテンに身を投げた女の幽霊が出没すると依頼を受けたので、退治しにきたんすよ。閣下は危険だから、退避した方が」
「はっはっは、この科学万能の時代に幽霊など。ひっ、フィリップ。お前、今、私の肩を触ったか?」
「いえ、わたしくは何も」
「そんな筈はない。ひっ、ひええ。今度は左肩が濡れて?」
「閣下、それこそが女の幽霊にございます。俺の眼にも、ハッキリと見えます。ほら、水に滴った長い黒髪を靡かせて、閣下の肩に乗っかって」
「ひょえええ……。こんな所にいられるかー。戻るぞ、フィリップ」
「有り難うございました、お二人とも」

「咄嗟のアドリブにしては冴えていたわね、エステル」(ぽった、ぽった)
「お前もナイスアシストだったな、ヨシュア。けど、本当に滝に飛び込んでずぶ濡れになるとは凄い役者根性だけど、公爵以外の観光客も皆逃げちまって、これでクエスト成功と言えるのか?」

        ◇        

「えっと、次のヒントは、『赤と黒とが繰り広げる果てなき演舞』。なんじゃこりゃ? もしかして、市長秘書の縞パンのことか?」
「どうすれば、そういう発想に辿り着くのやら……。本当に、四大欲求(戦闘欲、食欲、睡眠欲、性欲)だけで生きているのね、エステルは」
「今度のヒントは、『陸の港で身を休める1つ目の獅子』? ライオンはリベールにいないし、何よりも俺たちと同じ二つ目だぞ」
「いい加減、このクエストのルールを把握したらどうなの、エステル。早朝から始めたのに、本当に日が暮れてしまうわよ」

「やっと、燭台に辿り着けたか。マジに日没までかかるとは、本当にしんどいクエストだったぜ」
「ひーひー、それは、こっちの台詞よ、エステル。こんな幼児レベルのナゾナゾに、ルーアン市を何十週する羽目になったのよ?」
(なら、最初からヨシュア一人でやれば、三十分も掛からないだろうに、わざわざ俺のペースに付き合うとか妙に律儀な所があるよな、こいつは)

「ありがとうございます、お二人のご活躍で貴重な燭台を取り返すことが……って、なんですの、エステルさん、わたくしの顔をじっとお見つめになって。(まさか、わたくしに一目惚れ)……って、きゃあー!」
「うーん、やっぱり縞パンは白と水色で、赤と黒じゃないか……」
「結局、最後までこういう落ち? それにしても、こういうしょーもない悪戯が大好きな困った変態を私は良く知っている筈なのに、どうしても思い出せないわね」

        ◇        

「いやー、本当に素晴らしいよ、二人とも」
 エステルとヨシュアがルーアン支部に所属を移してから十日程が経過。掲示板からはみ出んばかりに溜まっていたクエストは軒並み解決した。
 その中には、本来なら見習いには回ってこない高額クエストもいくつか混じっている。この短期間でロレントとボースで稼いだ累計分の倍近いBPを荒稼ぎした二人は、準遊撃士クラスをワンランクアップで六級に昇級。『石化の刃』クオーツを褒美として賜った。
「この調子なら、今回も一月前後で推薦状に届くんじゃないかな?」
 一般市民から滞ったクエストの陳情を受けていたジャンは、二人の予想外の活躍ぶりに大層機嫌良い。近い将来の巣立ちの時を約束してくれたが、「僕としては何時までも君たちにルーアンに留まって欲しいけどね」との意味深な目つきに、二人はゾクリと背筋を震わせる。
 まさか、この人の良さそうな青年に限って、前受付のような職権濫用に手を染めるなど考えたくもないが。
「しかし、まあ、ヨシュア。面倒臭がりのお前が、今回は随分と頑張ったよな?」
 エステルはそう感心し、目の下に隈を作って眠そうな義妹の頭をナデナデする。
「明日には正遊撃士の人たちがボースから帰参するし、私はチャンスは逃さない主義よ、エステル。けど、これで改めて、見習いのシステムの問題点が浮き彫りになったわね。アネラスさんには悪いけど、一つの支部に半年以上も留まるのは単なる時間の浪費でしかないわ」
 推薦状への近道は、いかに所属した地方の正遊撃士のお目通りを良くし、割りの良いクエストのお零れを頂戴できるかといっても過言ではない。
 遊撃士協会(ギルド)もまた企業や軍隊と同じ縦社会構造。いかに才覚に恵まれていても、愛想がなく上役の覚えが悪い人間が出世を早められる道理はない。
 実際、エジル達がボースに長期間逗留していたのは、骨休めと同時に兄妹が働きやすいよう配慮してくれた無言の気遣いだ。嫌がらせを受けたボース初期とは全くの逆転現象で、どんな職場でも本当に人間関係というのは大切だ。
 ヨシュアとしては、ますますエジルに頭が上がらなくなる。彼らの好意を無駄にしない為、貢ぎ物の甘い蜜を啜る女王蜂体質を一時的に冬眠させて、瞬間風速的に働き蜂に転職したが、本来の生きざまを曲げるのは色々と無理が祟ったよう。半死半生のゾンビのような面構えでギルドに顔をだしており、白面の美貌が台無し。
「流石に今日一日は寝て過ごしたいわね。残っているのは極小クエストが三つだけだし問題ないわよね、エステル?」
「ああっ、ゆっくり休めや、ヨシュア。残りは俺か一人で片付けておいてやるからよ」
 貧乏性な上に精神的活力に恵まれたエステルは、正遊撃士が里帰りする前に全てのクエストを平らげる腹だ。
 「これが若さという奴かしら」とエステルと同い年でありながら、妙に婆臭い発言をしたヨシュアが大きな欠伸を噛み殺しながら、階段を登って二階の仮眠室へ向かおうとしたが、電話を受け取ったジャンに呼び止められる。
「すまない、二人とも。大変な事態が発生した。白の木蓮亭から連絡があって、昨夜マーシア孤児院が火事で焼け落ちたそうだ」
 ジャンからの悲痛な報告にエステルは仰天し、ヨシュアも一気に眠気を覚まして覚醒。目の下の隈が消えて、土色の肌が本来の白雪のような透明度を取り戻した。
 疲れているのは事実だろうが、死にそうな形相をしていたのはエステルの同情を誘う猿芝居のようで、肌の色を意図的に変質させたスキルは東方武術における『気功』をヨシュア流にアレンジした七十七の特技の一つ。
「マジかよ。それで、ジャンさん、テレサ院長やクラム達は」
「それは大丈夫だ、全員マノリアの宿屋で保護されて、生命に別状はない。けど、事件か事故かは不明だけど、ギルドとしては放っておけないし、調べに行って欲しいんだ」
 孤児院の懐事情を鑑みると、この件をクエスト扱い出来るかは微妙だけどと只働きを心配したジャンは心苦しそうに呟いたが、その危惧は今更エステルには不要。
 マーシア孤児院とは旧知の中だし、地域の平和と民間人の安全を守るのが遊撃士の本懐。その両方が脅かされているとあって、黙っていられよう筈がない。
 ただ、緊急の調査が必要な今回のクエストでは、可能ならヨシュアの知恵を借りたいが、ついさっき休暇を確約してしまった手前、撤回し辛い。
 特にルーアンのクエストでは、エステルの武者修行で頭を使う業務を彼が担当するよう計らってくれた。結果、彼女一人の方が短時間で解決できる案件に無意味に長時間つき合わせ、華奢な義妹の体力を削ってしまい無理強い出来なかった。
「そんなわけだ、ヨシュア。ちょっくら、マーシア孤児院まで」
「私も物事の優先順位くらい弁えているつもりよ。行きましょう、エステル」
 エステルはお供を諦観したが、自然に同行を申し出る。これまたロレントにいた頃の女王様気質からは信じられない変貌振り。彼女なりにボースでの体験で、遊撃士の心構えに対して思うところがあり、内面的に成長しているのはエステル一人に限った話ではなさそうだ。
「サンキュー、ヨシュア」
 望外の頼もしい助っ人参戦に、エステルはヨシュアの頭を一撫ですると、ギルドから飛び出していく。疾風のように消え去った兄妹を、ジャンは眩しそうに見つめる。
「いやー、これが本当の若さという奴かな。もしかしたら、あの二人が、カシウスさんの持つ最短遊撃士昇格記録(175日)を、八年振りに塗り替えるのかもしれないな」
 そうなれば、最年少昇格記録も同時に更新することになる。手放すには惜しい逸材だけど、来るべき時が来たら彼等の躍進を妨げないように推薦状を手渡そうと、前任者の轍を踏まないよう己の心に誓う。



[34189] 10-02:マーシア孤児院放火事件(中編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/07 00:01
「うわっ、こりゃ酷えな」
 マーシア孤児院の跡地に到着したエステルは、予想以上の惨事に憤慨する。
 屋敷は完全に焼け崩れ目も当てられない有り様だが、一般人ならいざ知らず遊撃士である二人は目の前の現実から目を背ける訳にはいかないので、早速調査を開始する。
「半焼といった所かしら」
「はあ、どこが半焼なんだよ、ヨシュア? どこからどう見たって全焼しているだろうが」
 激昂するエステルに、微かに焼け残った真っ黒焦げの一本の支柱を指差す。
「この申し訳程度に生き残った柱に、何の意味があるんだよ?」
「ボースで携わった手形と同じくリベールでは馴染みが薄いと思うけど、エレボニア帝国には民間の保険会社が業務を担当する火災保険という制度があってね」
 火災保険に加入した家屋が全て焼け落ちていた場合『全焼』として保険金が満額支払われるが、もし、柱一本でも焼け残っていたら『半焼』ということになり、半額しか貰えない。
「何だよ、それ? 柱が一本ぐらい残ったからって、再建には何の役にも立たねえじゃないか。保険って万が一のサポートが趣旨なのに意味ねえだろ、そんな曖昧な制度じゃ」
「生命、事故、医療、地震と保険の種類も色々あるけど。結局は営利主義で作られた制度だから、法律に無知な者が泣きを見るようになっているわ。今回の火災保険の場合、半焼か全焼かでよく被保険者と保険会社でトラブルになり、満額の保険金を受け取る為に焼け損じた柱を被害者が蹴倒す例もあるみたいだしね」
 手形同様にリベールでは全く普及していない制度の上、月々の保険金は決して安い額ではない。清貧経営のマーシア孤児院が保険に加入しているとは思えないが、遊撃士として上流階級と交われば必ずといっていい程にこの種の保険金詐欺と携わることになるので、後学の為に覚えておいた方が良いとヨシュアに通告される。
「まあ、保険のマメ知識はこのぐらいにして、本格的に調査を始めるわよ」
 そう宣布を発し、今回の火災の原因を見極めようと孤児院の跡地を探索する。
 いくつかの検証結果から結論に近いものを導き出すと、テレサ院長と面談する為にマノリア村に向かった。

        ◇        

「率直にお聞きします。誰か孤児院に怨恨を抱く者に、心当たりはないでしょうか?」
 白の木連亭二階の休憩所にいたテレサは、その単刀直入すぎる質問に困惑する。
 ヨシュアが検分した結果、今回の火災は火の元の不始末や偶然による事故などではなく、孤児院を全焼させる明確な悪意に基づいた放火の可能性が高い。
「有り得ないです。テレサ院長に限っては、人から恨みを買う様な真似は絶対にないです」
 本人が抗弁するよりも先に、クローゼがむきになって否定する。クラムらは外で地元の子供たちと遊んでおり、今、この場にはテレサ院長の他には遊撃士兄妹とクローゼに、彼と同じく慰問に来たルーアン市長と秘書のペアも控えていた。
「有り難う、クローゼ君。でも、私も至らない所がある未熟な人間です。もしかしたら、意図せず人様を不快にさせたことがあると思います。ですが、あんな小さな子供たちを巻き込んでまでの大それた恨みとなると」
 テレサは首を横に振る。自分だけならいざ知らず、未来ある子供たちが殺されかけたことにショックを受けているようで、「あの銀髪の青年が助けてくださらなかったら」と身震いする。『銀髪』という単語にピクリとヨシュアの眉が動いたが、この場では無言を貫いた。
「ヨシュア君と言ったね。先程から放火を前提にしているみたいだか、何か確たる証拠でもあるのかね?」
 ダルモア市長の重厚な声が響き、ヨシュアは掌の花の種のような真っ赤な粒を見せる。
「何かね、これは?」
「『可燃燐』という闇市場(ブラックマーケット)に出回っている危険物で、火をつけると体積の数十倍の規模で爆発的に発火し火の広がりを助長します。効果を実際に観察した方が早いですね」
 店の従業員からコーラの瓶を借り受けると、空の瓶の内部に可燃燐の一粒を放り込んで、同時にマッチでつけた火を中に落とすと急いで蓋をする。
 可燃燐に火が触れた途端、凄まじい炎の渦が瓶の内部を駆け巡り、思わずギルハートは腰を抜かす。火は十数秒ほど瓶の中を暴れ狂い、内部の酸素を根こそぎ喰い尽くすとようやく鎮火して、ビンの内部には煤一つ残されていない。
「ご覧の通りの威力で、十粒もあれば木造の住宅を全焼させ、百粒程用意できればコンクリート造りのビルさえも半焼させます。厄介なのは燃焼後には一切の証拠を残さない機密保持向けの性質で、紛争地帯での諜報部の破壊的な工作活動には必ずといって良いほどこの実が関わっています」
 ヨシュアはハーブ畑でこいつを数粒発見し、恐らくは火に触れる前に風でここまで飛ばされたのだろうと推測する。
 火と関わらなければ全く無害な代物なので、二人の前に調査に来ていた王国軍はハーブの種だとでも思って見逃したが、それはエステルも同様なので早速無理を推して物識博士を引っ張ってきた甲斐があった。
「恐ろしいことです。このような邪物を使ってまで、子供たちを害しようとするなんて」
 テレサは顔を青ざめさせてフラフラと目眩を起こし、慌ててクローゼが彼女の肩を支える。真っ当な世界で慎ましく生きていた婦人にとって暗黒街の争いなど遠い異界の夢物語で、今の話は刺激が強すぎた。
「おい、ヨシュア。いくら何でも脅かしすぎだろう?」
「さっきも説明したけど、犯人は疑いようがない悪念を以て犯行に及んでいて、目的が孤児院そのものでなくテレサ院長個人だとしたら再犯の可能性は高いのよ」
 ヨシュアの容赦のない物言いにエステルは苦言を呈したが、頬被りを決め込んでも遣り過ごせない以上、なあなあで済まさず事件の背後関係を洗い出した上できちんと対策を練った方が良いと訴える。
「彼女の言う通りだ。建物は焼けてもまた再建可能だが、一度奪われた生命は二度と戻らない。誰かは知らないが、これ以上、犯人の凶行を許すわけにはいかない。ルーアンの市長としてギルドに正式にクエストを依頼しよう。事件の解決とそれまでのテレサ院長と子供たちの安全を確約してくれるね?」
「そういうことであれば、ギルドも本腰を挙げて動けます。明日には正遊撃士の何人かがルーアンに戻るので、調査班と護衛班に手分けして当たれますし」
「うむ、良い返事だ」
 ダルモア市長は満足したが、対応したヨシュアの顔色が少し良くないようエステルは見受けた。むろん、悪いといってもあくまで相対的なもので、クローゼや市長も気がついていない。やっぱり華奢な義妹を働かせすぎたのかとエステルは少しばかり悔やんだが、遊撃士として今は無理すべき状況だと己に言い聞かせ割り切ることにした。

 ダルモア市長は精神の失調を回復させたテレサ夫人に、今後の身の振り方を尋ねる。ミラが不足しているのなら、彼の別荘に一時的に逗留してはどうかという腹案を述べた。
 当然、即答可能な簡単な選択ではなく、市長も返事を急かさずに、ギルハート秘書を連れてお暇しようとしたが、その彼女が妙な置き土産をに残した。
「もしかすると、マーシア孤児院を放火した犯人はレイヴンかもしれません。奴らは市内で頻繁に騒動を起こしていますし、黒社会とも色々と繋がりがあるみたいで。いえ、決して先日わたくしが被害に遭ったから、当てつけで申している訳ではないのですよ」

        ◇        

「ヨシュア、秘書さんの推理をどう思う?」
「お話にもならないわね。まあ、ギルハートさんからすれは、彼ら程度でも十分に闇世界の住人と映るのかもね」
 白の木連亭の一階に降りたエステルが先の話題を反芻するが、ヨシュアはシニカルな笑みを浮かべて彼女の疑惑を一刀両断で切り捨てた。
 本当の裏社会の人間とは殺人や自決を躊躇しない以前ヨシュアが捕縛した黒装束の男のような冷酷無比な連中を指す。ヨシュアが見た所、所詮レイヴンはチンピラ同士の喧嘩に明け暮れるのが関の山の単なるアマチュア。そういう意味ではカプア一家と根底を同じくする。
「確かに、あいつらに放火や殺人を犯せる度胸があるようには見えないよな。そういえばテレサ院長は孤児院の再建の目処はたたないと言っていたけど、やっぱり相当のミラが必要なのか?」
 依頼する業者の質や建築レベルをどこまで妥協するかにもよるので、一概に勘定できないが、少なく見積もっても百万ミラは必要だろうとヨシュアは概算する。百万ミラは市民レベルでは大金だが、ちょうどそれだけのミラを持ち合わせている人物をエステルは一人知っていた。
「なあ、ヨシュア」
「駄目よ、エステル。困っている人間を見かける都度、そうやって身銭を切って施しまわるつもりなの? ビジネスとプライベートのミラの峻別をつけられるようにならないと近い将来に必ず破産するわよ」
 エステルが口を開くよりも先に、彼の意図を見抜いたヨシュアは明確な拒絶の意志を示す。エステルは一瞬たじろいだものの直ぐに謝罪する。
「いや、悪い。手前の持金を捧げるならともかく、ヨシュアに御布施を強要するなんて、図々しいにも程があるよな」
 バツが悪そうに赤面する。以前、空賊事件の解決後、多額のミラが身を助けるとヨシュアは予言したが、まさに今日のようなケースを想定していた。
 あの時は正しい選択をしたとエステルは今でも信じているし、高報酬を受け取らなかったのを後悔してないが、未来の選択肢を自ら狭めてしまったのもまた事実。
「ブレイサーに纏わる逸話の一つを聞かせてあげましょうか、エステル。かつて準遊撃士による窃盗が頻発して、見習いの権限が弱められる切っ掛けになったのは知っているわよね?」
 ほとんどの事件は最初から窃盗目的で資格を取得したエセ見習いの仕業だが、一度だけ正規の遊撃士による持ち逃げが発覚したことがある。
「その正遊撃士は悪人でなく、むしろ困っている人間を見過ごせない誰よりも正義感が強い人物だったそうよ。そう、今のエステルのように人助けの為なら有り金全てを差し出すのも厭わなかった」
 それ故に彼は貧困地帯で多くの絶望と向き合う形になり、多額のミラがあれば助かる現実と何もできない無力な自分との板挟みに陥る。悩みに悩んだ末、彼は一千万ミラの貴金属類の持ち逃げを敢行し、正遊撃士が犯罪に手を染めるという前代未聞の悪例を残すことになった。
「その運搬物が実は後ろ暗い一品であることや、彼が寄付した莫大なミラによって多くの生命が救われたことは何の言い訳にもならない。彼は正遊撃士の立場を悪用し、正式な依頼のクエストの運搬物品を横領して、ギルドの一般社会への信用を著しく失墜させてしまった」
 遊撃士協会、依頼人のマフィア、地元警察の三組織から追われることになったその正遊撃士は今も行方知れず。誰に看取られることなくひっそりと野垂れ死んだのか、或いは名と顔を変えてどこかで生き延びているのだとしても、二度と表の世界に浮かび上がってくることはない。弱き者を救おうとした正しい志を、間違った遣り方で叶えてしまった者の悲しい末路だ。
「なあ、ヨシュア。俺は……」
「無理に今すぐ答えを捻り出す必要はないわよ、エステル。何時かあなたが正遊撃士に昇格して、今回のような不幸を何度も目の当たりにし、その上で帰結したのなら、私はあなたの願いを尊重するつもりだから。それまでは、あなたの中でその想いを温めておきなさい」
 実体験を伴わない他人の失敗談を耳にした程度で、焦って結論を導き出そうとする愚を押し止める。シェラザードとの会話にのぼったエステルにとっての審判の日はまだ今ではない。
「ねえ、エステル。ブレイサーって何だと思う?」
 ヨシュアの禅問答じみた問いかけにエステルは戸惑う。
「僅かなミラを貰って、困っている民間人の生活を幇助する存在。本当にそれだけのお助けマンで、決してエイドスのような上位者ではない。だから、自分の力で全てを解決してやろう等と意気込むは只の思い上がりだし、反って市民に対する侮辱よ」
「侮辱なのか?」
「ええっ、民間人を単なる『救われるだけの対象』と見縊るのは同じ目線に立っていない証拠だし、彼らの自発的な意志と生きる力を軽視している訳だからね」
 少なからず英雄願望を抱えていた少年には酷な話かもしれないが、敢えて遊撃士の本質を口にする。
 医者が患者を救うのではなく、患者の自己治癒の手助けをするのと同じように、遊撃士も無辜の民の救世主となるのでなく、市民の生きざまを支援しているに過ぎない。
 その一線を見誤ると自己神格化が始まり、最悪の挫折を経て闇世界へと身を落とす顛末となる。漆黒の牙を創ったあの蛇女の所為で既に顔も名前も覚えていないが、かつてヨシュアが所属していた凄腕の集団はそういった連中の吹き溜まりだ。
「けど、私のミラを当てにしたのは、一応正解よ。ぶっちゃけた話、エステルみたいな貧乏人が全財産を投げ打っても高が知れてるけど、富める者が資産の一部を差し出すだけで多くの貧しい人間が救われるわけだしね」
 故にどうしてもマーシア孤児院の助けになりたかったら、自分のような吝嗇でなく、もっと剛腹な金持ちに援助を求めるよう薦める。
「太っ腹の金持ちって、ダルモア市長みたいな人のことか?」
 先のテレサ院長への気前の良い提案や威風堂々とした佇まいに、エステルは元貴族の市長の名をあげたが、ヨシュアは薄ら寒そうな表情で自身を抱き締めるように胸元を隠した。
「どうした、ヨシュア?」
「いえ、あの市長さんの私を見る目が凄くイヤらしかった。もっとハッキリ言うなら、女として怖かった」
 面談中は、辛うじてエステル以外を欺いたポーカーフェイスを維持していたが、義兄の前でなら躊躇なく弱みを見せられるようで軽く身震いする。
 エステルやナイアルのような変わり種を除けば、ヨシュアの肢体に性的興奮を覚えるのはオスとして自然な反応だが、殿方から視姦慣れしているヨシュアがこうまで嫌悪感を露わにするあたり、ダルモア市長はかなりの好色家なのかもしれない。
「まあ、英雄色を好むという諺もあるし、それだけで市長さんを悪人と断じるつもりはないけどね。スケベというならエステルは勿論、父さんもかなりのものだったし」
 ヨシュアが養女に来た当初は親子三人で仲良く風呂に入っていた時期もあったが、第二次性徴期を迎えて乳房が膨らみ始めた頃からヨシュアは混浴を拒絶するようになる。カシウスは泣きそうな悲しい顔をして、今でも未練たらしくヨシュアに背中を流してもらう機会を伺っているそうだ。
(目茶苦茶、心外な話だな)
 義娘に欲情するロリコン変態親父と一緒だくにされるのは迷惑だし、助平であることに異存はないが、二人の幼馴染みならともかく義妹を性的対象と捕らえたことは一度もない筈だ、多分。
 とはいえ、その見解をストレートに伝えたら、なぜかヨシュアに嬲り殺されそうな予感がプンプンするので黙っていることする。何よりも懸念していたヨシュアの体調不良はなく、単なる女としての自意識過剰(?)だったことに心の奥底から安堵した。

「大変です、ヨシュアさん。エステル君」
 ギルハートのレイヴン疑惑から発展した話柄の数々がようやく一段落つき、白の木連亭の外に出た二人にクローゼが取り乱しながら声を掛ける。
 エステル達とギルハート秘書の会話を扉の外から又聞きしたクラムが、「絶対に許さない」と凄い剣幕で得物の投石器(スリングショット)を抱えマノリア村の外に飛び出したらしい。
「許さないって、まさかクラムの奴、秘書さんの話しを聞いてレイヴンに仕返しにいったのか?」
「もし、本当にそうだとしたら、二重の意味で愚かな行為ね」
 ヨシュアは少しばかり醒めた瞳で、クラムの軽挙をあげつらう。
 様々な物的証拠からレイヴンが放火の犯人である可能性は極めて低く、本当の復讐相手か裏も取らずに他人の発言を鵜呑みにして行動を起こすのは軽率すぎる。また、お子様の実力でチンピラとはいえ二桁を数える大人と喧嘩して勝てる筈はないし、テレサ院長など周りに迷惑をかけるだけの愚行でしかない。
「あと、普段からエステルみたいに強くなる為の努力を惜しんでいないならともかく、継続した裏付けなしでこういう時だけ場当たり的に勝利を期待するのは虫が良すぎよね。そういう意味では二重でなくて、実は三重の……」
「そういう理屈じゃねえんだよ、ヨシュア。男というのは、譲れないものがあれば、勝ち目がなくてもやるしかないんだ。お前、まだ十歳のガキに多くを求めすぎてやしないか?」
 少しイライラしながら、合理的には正しいであろうヨシュアの発言を遮る。完璧超人の数少ない欠点で、恐らくは自分自身を基準に添えるものだから、他者への期待値がどうしても高くなり過ぎてしまう嫌いがある。
 ヨシュアは幼い頃から出来過ぎたお利口さんだが、誰しもが少女のようなハイスペックを生まれつき所持しているわけじゃない。自分が他者に比べていかに特別かを今一度見つめ直した方が良い。
「そういう問答は後回しにしましょう。今はクラム君の身が心配です。レイヴンの人たちもまさか子供相手に怪我させるような大人気ない真似はしないと信じたいですが」
 クローゼが実に建設的な意見で仲立ちしてくれたので、二人は諍いを一時保留しクラムの後を追い掛けることにする。
「よし、行くぞっ。て、ヨシュア、お前どこに乗っかっているんだよ?」
 いきなり背後からエステルの首に手を回して、背中に乗り込んできたヨシュアに当惑する。
「ミストヴルドのクエストで、エステルの全力疾走に付き合うのは懲りたから、オンブして連れてってもらうことにするわ。ルーアン市に入ったら、起こしてね、エステル」
 それだけを伝えると、エステルの背中にぶら下がったまま、船を漕ぎ始める。緊急事態での相変わらずのマイペース振りに呆れるが、疲れた所を無理に何度も借り出したのはエステルのなので、仕方なしにヨシュアを背負ったままクローゼと並走し駆け出していった。

        ◇        

「ねえ、エステル君、重くないですか? もし良かったら、代わりましょうか?」
 義兄に身を預けたまま、彼の背中で気持ち良さそうに船を漕いでいるヨシュアの姿を、クローゼは物欲しそうに見つめる。
 さっきから、少女の豊満な乳房が、エステルの逞しい背中に押し潰されていて、実に羨ま……いや、人一人抱えたままルーアンまで疾走するとは大変だろう。
「気遣い悪いな。けど、大丈夫だぜ。こいつは見た目以上に軽いし、それでへばるようなヤワな鍛え方はしてないからな」
「そうですか、ちぇっ」
「今、お前、舌打ちしなかったか?」
「そ、そんなことありませんよ、エステル君。急ぎましょう」
 クローゼは赤面すると、照れ隠しに速度を上げて、メーヴェ海道を下っていく。
「おっしゃ、ヨシュア一人背負うぐらいなら、丁度いいハンデだ。ルーアンまで競争だ、クローゼ」
 凛々しい見掛けとは裏腹にクローゼは結構なむっつりスケベみたいだが、朴念仁のエステルが彼のヨシュアへの葛藤に気がつける筈もなく、クローゼに負けじとダッシュする両膝に力を込める。
(男の子って皆、助平な生き物みたいね)
 薄目を開いてクローゼの百面相をつぶさに観察していたヨシュアは、男の悲しい生態について色々と研磨し、彼の密かな想いにどう答えていいのか思案する。
 とりあえず、今気になるのはクローゼが脇に抱えている長方体の包み。恐らくは護身用のレイピアと思われる。クローゼと握手した時の掌診断で彼の得物の種類と力量は大凡把握しており、剣狐の達人の域には遠く及ばないもののレイヴンのチンピラを蹴散らす程度には過不足ない熟練者だ。
(今度こそ楽が出来るといいのだけど)
 一応、クラムの身の上を案じながらも、自身が怠けたい一心でエッチな王子様のフェンシングの腕前に期待を寄せることにした。



[34189] 10-03:マーシア孤児院放火事件(後編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/07 00:02
「クラム君、無事ですか?」
「ちきしょう、離せよ、この放火野郎。皆と先生との思い出が詰まった大切な家を返せ!」
 エステル達三人がレイヴンの溜まり場の倉庫に駆けつけると、クラムは彼らに取り囲まれたままリーダー格の青年に取り抑えられていた。
「ちっ、このガキ。黙って聞いてりゃ放火だ何だと妙な言い掛かりつけやがって」
「こいつはちっとばかしキツイお灸を据えてやる必要があるかもな」
「なら、レイヴン流焼き入れのお尻百叩きといきますか? ひゃーはっはっはっ」
 レイスは卑下た笑い声をあげながら、クラムのオーバーオールを脱がしにかかる。
「止めてください。あなた達はこんな小さな子供相手に恥ずかしくないのですか?」
 クローゼが紺色の瞳に鉄をも切断する高温の青い炎のような静かな怒りを灯し、燐とした声で暴挙に待ったをかける。
「クローゼ兄ちゃん」
「あーん? 訳の判らん因縁を吹っ掛けて喧嘩を売ってきたのはこのガキの方だぜ。ほら、あれ見ろよ」
 ディンが後方を指差す。頭部にレイヴンの意匠である赤いバンダナを巻いた取り巻き数人がおでこにたん瘤を拵えている。クラムの得物のバチンコから放たれた石ころで軽傷を負わされた。
「だからといって、やって良い事と悪い事が」
「まあまあ、クローゼ。さっき説明したようにレイヴンが犯人の可能性は低く、彼らはこの子の早とちりのとばっちりを受けただけなのよ。だから、ここは穏便に片をつけましょう」
 ロッコ達に自分が身代わりとしてこの場に残るとの人質交換を持ちかける。
「そんな子供を甚振っても、つまらないでしょ。それよりも私と一晩、色々と楽しいことしない?」
 それとなくフェロモンを発散しながら得意の挑発クラフトで誘惑し、大多数のメンバーの目がハートマークに変化する。レイスらは一も二もなくクラムを解放。替わりに彼らに囲われたヨシュアが木箱の一つに腰を下ろした。
「へへっ、ヨシュアちゃんだっけ? 琥珀色の瞳は奇麗だし、黒髪は艶々していて本当に可愛いね。どんな楽しい事をして遊ぶ? 男と女が深夜密室でやる事といえば、やっぱりカラオケかな?」
「うーん、その前に超えなきゃいけない壁があるでしょ、ほらっ?」
 腰まで届く漆黒の髪をサワサワ撫でながら予想外に健全な提案をするレイスに、「粋がっているけど、この人たち全員童貞みたいね」と内心苦笑しながら、ヨシュアは左手の人指し指を唇に当てて右手で彼女の頼もしい兄弟を指差す。
「げっ、あの時のブレイサーの小僧?」
「そう、エステルは正義の味方のブレイサー。可愛い義姉が悪者の慰み者になるのを黙って見ている筈がないの」
 前回、ディン達がナンパした時は、エステルは可愛い肉親とやらをあっさり人身御供に差し出したような気もするが、白馬の王子様の助けを待つ囚われのお姫様を気取ったヨシュアの記憶から抹消されている。
「というわけで、力づくでもエステルを排除しないことにはナイトフィーバーはお預けよ」
 にっこりと微笑むとパンパンと掌を叩いてバトルを示唆する。別に適当な所で彼らをちょろまかしてトンズラかましても良いが、この手のチンピラは御礼参りがしつこそうなので、クラムの安全を確保次第暴力で叩き伏せる腹だったようで穏健が聞いて呆れる。
「ふん、話か美味すぎると思ったら、可愛い顔してとんだ美人局だな。だが、いくら凄腕のブレイサーでも、この数相手に勝てると思っているのか?」
 黒髪少女の小悪魔的な笑顔に苦虫を噛み潰しながら、ロッコがサッと手を挙げる。メンバー全員が得物の警棒を展開し戦闘態勢に入る。
(流石に今度見捨てて帰ったら、こいつらが皆殺しにされた後で俺も一緒に屠られるよな)
 相変わらずの可愛い子ぶりっ子で後始末を押し付けながらも、きちんとクラムを救出するあたりヨシュアなりに仕事をこなしている。
 今度はエステルが労を惜しまない番だし、何よりも正遊撃士昇格前に殉職したくないので得物の物干し竿を構える。
「クローゼ、お前は下がってクラムを守っていろ。ここは俺一人で」
「いえ、僕も戦わせて下さい。剣は人を守るために振るうように教えられ、今がその時だと思います」
 長方体の包みを解いたクローゼは、ヨシュアの予測通りレイピアを取り出して、フェンシングのポーズで構えると、クラムに声を掛ける。
「クラム君、扉の前まで下がっていて。いいね?」
「う、うん」
 これ以上の足手纒いにならないよう、素直に言いつけに従う。
「良い子です、クラム君。あとは、僕も成すべき事を果たすまでです」
 もしかすると前のケースに倣い、今回もヨシュアにとっては窮地でも何でもないのかもしれないが、クローゼはあくまで自身の道を貫くだけ。クラムを助けてくれた彼女の負担をいくらかでも和らげる為に全力を注ぐ。
「やっちまえー! いくら強いといっても、相手はブレイサーの小僧一人にオマケの一匹だ。俺たちレイヴンの袋叩き……もとい集団戦闘術をあの黒髪の娘に拝ませてやれ」
 エステルとクローゼのコンビにレイヴン総勢十二人が襲いかかり、たちまち乱戦となる。
「私を巡って、これだけの数の男達が血で血を洗う争いを繰り広げるなんて、私って何て業が深い女なのかしら」
 扉の影からハラハラと戦闘の行く末を見守るクラムと対照的に、ヨシュアは一般人のクローゼを修羅場に巻き込んだのをさして気に止めず、木箱の上に立ち上がり両腕を大きく見開く慈愛のポーズを顕示しながら、再び自分に酔い痴れ始めた。

        ◇        

「なかなかやるじゃないか、クローゼ。ちっとは見直したぜ」
「いえいえ、あくまで護身レベルで、本職のエステル君には敵いそうにないですよ」
 そうクローゼは謙遜したが、彼の剣技の冴えは中々のもの。ここまでの所、エステルに劣らぬ働き振りを披露している。
 二人は互いの死角をカバーし合うように背中合わせの態勢を維持しながら、レイヴン相手に大立ち回りを演じて、既に半数の敵は地面にひれ伏している。
 二人のクラフトはあまり集団戦闘向きでないが、ここまで力量差かあれば鎧袖一触の元に一撃で倒せてしまうので、撃破は時間の問題かと思われた。
 だが、エステル達はレイヴンの人海戦術の真の恐ろしさを未だに知らない。
「死んでんじゃねぇっての!」×2
「死んでんしゃねぇ、ゴルァ!」×2
「死んでる場合じゃないよーん!」×2
 幹部格の三人が倒れているメンバーを蹴ったり、叩いたりした途端、戦闘不能にした連中がフラフラと起き上がる。半壊していたチームが完全復活した。
「な、何が起こった?」
 泡を喰ったエステルが何人かの面子を蹴散らすが、ロッコ達に小突かれ再び息を吹き返す。警棒に加わるパワーやスピードも気絶前とさして変わらず、体力まで全快しているとしか思えない。
「あれは人体の経絡秘孔を突いて蘇生と体力の完全回復を同時に行う、黒社会にのみ流風する伝統的な根性注入法『夜露死苦』」
 たまたま二人がヨシュアの側まで流れてきた時、木箱の上から解説魔がアネラスの独楽舞踊なみに珍妙なクラフトの講釈を垂れる。
「闇世界でも遣い手が途絶えて久しい幻の技と聞いていたけど、まさか未だにこんな所に現存していたなんて、まさしく歴史の証人にでもなった気分だわ」
「使い手がいないって、奴らそんなにスゲエ奥義を己がモノとしているのかよ?」
 HPマックスで戦闘不能を呼び覚ます前代未聞のチート回復術。ギルハート秘書が主張した裏社会との繋がりは伊達じゃないのかとエステルは畏怖したが。
「ううん、秘孔の位置さえ知っていれば意外と簡単らしいから、やろうと思えば多分私にだって扱えるわよ」
「はいっ?」
 得意の話術で盛大に盛り上げておきながら、自ら掲げた梯子を自分でへし折るのがヨシュアの好みとするシチュらしい。エステルは彼女の期待通りに大いに拍子抜けする。
「ただし、一回、根性注入で復活すると寿命を4649時間縮めるらしいから、馬鹿らしくなってそのうち誰も使わなくなっただけよ。もし、二人がこの闘いで戦闘不能に陥ったら夜露死苦で起こしてあげましょうか?」
 ヨシュアが魔性の笑みを浮かべる。二人は表情を青ざめさせながら、はち切れんばかりの激しい勢いで首を横に振る。
「復帰するごとに4649時間だから、一日を二十四時間として、24で割ると…………ひのふのみ。それで一年が365日だから…………ちゅうちゅうたこかいなって、三年も寿命が削られるなんて、一体どんな呪いのクフラトだよ?」
「あのー、三年でなくて、193日だから約半年だと思いますよ、エステル君。それよりも、あの人たち、さっきから戦闘不能になる度に躊躇いなくアレを使っていますよね?」
 ロッコ達がメンバーに活を注入し倒れていた面々が蘇るが、彼らはこの技の代償を何も知らないのだろう。エステルは憐れみでホロリと涙を流し、木箱の上に陣取った最終兵器彼女に援軍要請する。
「なあ、ヨシュア。サッサと終わらせてやろうぜ。このままじゃ奴らがあまりにも気の毒だ」
「そうね、余命を半年も縮めるというのは誇張して伝わっただけの、夜(4)露(6)死(4)苦(9)をもじった単なる語呂合わせだろうけど、あんなお手軽な蘇生術を使って身体に何の反動もない筈ないからね」
 根性注入に限らず全ての回復アーツやクラフトの原理は、身体の新陳代謝を活性化させ自己治癒力を早めて短時間で傷を塞いでいるだけ。
 人間の生涯の細胞分裂回数が決まっている以上、程度の差こそあれ寿命を縮める愚行に相違ない。戦場で頻繁に回復技のお世話になっている傭兵は不可解に短命に没する確率が高いのは統計上立証されている。
 また、そういうリスクがなければ態々高いミラと長い時間をかけて病院で治癒する者などいる筈もない。世の中、そうそう都合の良い魔法は転がっていないのだ。
「結局、私が超過勤務することになるわけね」
 集団戦闘技を持たない二人だけでは、このまま『倒して』⇔『復活する』のイタチごっこのサイクルがロッコ達のCPが尽きるまで彼らの生命を磨り減らしながら延々と続くだけなので、木箱の上で高みの見物を気取っていたヨシュアが出陣。満を持して地面に降り立った。
「ヨシュアさん」
「まあ、見ていろ、クローゼ。こういう戦場の方がヨシュアの真価を発揮するんだからよ」
 剣狐を真のタイマン特化型とするなら、漆黒の牙は紛れもなく本物の対集団殲滅型。百匹を数える魔獣の大群を、ほんの数秒で壊滅させた実績もあるが、対人相手だと些か勝手が違うのを予め通達する。
「殺していいのなら全員狩れるけど、手加減するとなると多分頭目格の三人は討ち漏らすわよ」
 無力な筈の人質の少女が突如牙を剥いた様にレイヴンは戸惑う。そんな彼らを流し目で一瞥しながら双剣を構えたヨシュアは未来予想図を概算する。
 達人といえど、実際は惨殺するよりも殺さずに意識だけを刈り取る方がはるかに難しい。特にヨシュアの場合、レベル差が激しい複数の敵が混じり合っていると無差別蹂躙という技の性質と軽量の得物の特性上、レベルの高い側にはダメージが通らなくなるという困った弊害が発生する。
「それで問題ないぜ。取り巻きの雑魚を駆逐した後は俺たち三人がボスキャラを一対一で倒せば良いだけだ」
「最後の最後まで、面倒見させるつもりなわけね」
 エステルのゴーサインが出たので、ヨシュアは瞳を真っ赤に光り輝かせながら、「漆黒の牙」と囁きジェノサイドを始める。
 疾風のような勢いで、レイヴンが散らばった戦場全体を縦横無尽に駆け巡る。再びエステル達の側に戻った時には予告通り、ロッコ、ディン、レイスの三人以外のメンバーは糸の切れた人形のようにバッタバッタと倒れた。
「一体、どうなってんだよ?」
 自分ら以外の面子が一瞬で戦闘不能になり、慌てふためいたディンとレイスは根性注入で叩き起こそうとしたが、その目前にエステルとクローゼが立ち塞がる。
「おっと、そうはさせないぜ。タイマンに持ち込んじまえば、もうこっちのものだ」
 エステルとクローゼの攻勢に、たちまた二人は劣勢に立たされる。中央のロッコはどちらに加勢しようか首を振ったが、ヨシュアが待機時間ゼロで再び動き出してギョッとする。
 元々ヨシュアのクラフト全般は威力を犠牲に次行動を極端に早める事に特化しているとはいえ、最短でも五サイクル程の硬直時間が必要と云われているSクラフト(※しかも全体)を通常攻撃よりも速いスパンで再起動可能とはチート性能にも程がある。
「このアマ! 猫被って、俺たちをおちょくっていやがったな?」
「んっー、御免ね。私も一応、エステルと同じ遊撃士なんだ。昔から良く別嬪さんは、『奇麗な薔薇には棘がある』って譬えられているでしょう? 今後、女で苦労しない為にも覚えておいて損はないわよ」
 無垢を装い騙し討ちした裏切りともいえる少女の魔性にニトロッコの異名通りに爆発したが、ヨシュアは全く悪びれることなく軽く舌を出す。
 そうこうしている間に両隣の二つの戦闘が終止符を打ち、レイスとディンが倒される。数の利で力量差を補ってきたが、元来の基礎能力値が違いすぎるのでサシ勝負に持ち込まれたら実に脆い。
「ディン、レイス。くそっ、ガキどもが舐めた真似しやがって!」
 「負けたくねえ」と心中で呟くと、その場で待機態勢に入って凄まじい量の闘気を身に纏い始める。レイヴン最後の切札の『ブチ切れアタック』。即死率100%を誇る一撃必殺の恐ろしいクラフトであるが。
 ヨシュアはスタスタとロッコの目の前まで歩を詰めると、ニヤーと妖しい笑みを浮かべて俎板の上の鯉を見下ろす。
「あんた、まさか? ち、ちょっと待ってく……ぎゃあああああ!」
「馬鹿かあいつ。壁役の仲間も残ってないのに、ヨシュアの前で待機系クフラトを使うなんて、殺してくれって頼んでいるようなもんだぞ」
 奥義を用いるタイミングを見誤り、無防備状態を躊躇なく滅多斬りにされたロッコの憐れな末路に合掌する。
 一時期、戦士の必須スキルと持て囃された解除系クラフトをヨシュアは一切持たない。逐一敵の技やアーツを解除する暇があったら、その間にぶっ殺すのが彼女の戦闘ポリシー。「闘いは常に一瞬の中にのみ真実がある」を指標とする漆黒の牙らしいスタンスだ。

「ち、ちきしょう、俺たちが一体何をしたって言うんだよ?」
 半死半生に叩きのめされたレイヴンは情けなくも泣きを入れるが、元々はクラムの勇み足から始まった諍いなので、そういう風に被害者ぶって開き直られるとエステル達は強く出れれず、この件にどう落とし前をつければ良いのか思案しあぐねる。
「ちっ、お前ら、何て情けない態だ」
「アガット?」
「「アガットの姐御?」
 倉庫の扉からクラムを押し退けるように両者と面識のある赤毛の女性が姿を現し、両勢力は同時に声を上げる。
「姐御って、アガットさんはこの人たちの知り合いですか?」
「ふんっ、小娘。追い詰められないと働かない怠慢癖は変わらないみたいだな。ましてや腕が立つとはいえ民間人の学生を誑かして身体を張らせるとは、とことん性根が腐ってやがる」
 ヨシュアに一瞥もくれることなく、つまらなそうに囁く。この言い草だとかなり前からこの場に辿り着いてバトルを静観していたらしく、ずっしずっしとロッコ達の前に仁王立ちする。
「てめえらが、レイヴン(渡りカラス)を再結成したと風の噂で耳にしちゃいたが、空駆ける自由な翼の意味を履き違えちゃいねえか? 俺たちは喧嘩上等だがドラッグにカツアゲと素人衆をいざこざに巻き込むのは御法度の筈だぜ。それをこんな小さなガキに」
「うるせえ。今頃になってノコノコと姿を現して、偉そうに指図するんじゃねえ。大体、ブレイサーの親父にケツ叩かれて、遊撃士に鞍替えしたアンタに…………ぐげぶばあっ!」
 反抗しようとしたロッコの男の大事なところを、アガットは容赦なく蹴り上げる。ロッコは股間を抑えた情けない格好で泡を吹いたまま失神する。
「うわー、痛そー」
 同じY染色体(♂)として心の底から同情し、エステルとクローゼは顔を青褪めて、思わず反射的に己の股ぐらを手で隠した。
「ふーん、大して力を篭めて蹴ったようにも見えなかったけど、そんなに効くんだ?」
 生きた心地がしなそうな男性二人とは逆に、ヨシュアは琥珀色の瞳をキラキラと輝かせる。非力な自分にも可能そうな殿方にのみ有効な新たな理(ことわり)の境地に興味津々という面持ちで、足を何度も高く蹴り上げてキックの動作を再現する。
「ひっ、ひえっ、アガットの姐御、もうこいつらには絡まないし、知っていることは何でも話す。だから許してくれー」
 アガットにギロリと睨まれた旧知の二人は土下座する。残った新顔のメンバーはレイヴンOGの顔を知らなかったが、彼女の剣幕と歯向かったロッコの末路に恐れをなしてひたすら平伏する。
 一時はどう収拾をつけたものかと悩んだが、予期せぬアガットの乱入により、この殴り込み事件の責任の所在を有耶無耶に出来そうだ。

        ◇        

 レイヴンが放火の犯人とは思えないが、念の為に縁者のアガットが彼らを取り調べている間、エステル達はギルドのルーアン支部に集結した。
「アガットさんを倉庫に派遣したのは、ジャンさんの差し金だったのですね?」
「まあね。彼女は、八年前にレイヴンを旗揚げした初代総長で、毎日のように喧嘩に明け暮れていて、ルーアンを恐怖のどん底に叩き落としたものだったよ。初期メンバーで今も残っているのは、例の三人だけだけどね」
 ヨシュアの質問に応えたジャンは相変わらずの軽口で、頼んでもいないのにアガットの黒歴史をじゃんじゃか漏洩する。
 当時のレイヴンは今とは比較にならない武闘派揃い。リーダーのアガットの薫陶宜しく一般人に手をあげることはなかったが、他グループとの抗争やそれに伴う器物破損はお手の物。恐れをなした観光客の足も次第に遠のいていき街は寂れ始めた。
 たまりかねた市の行政委員会はギルドにレイヴン討伐の依頼をし、このクエストを受けた遊撃士は単身で彼らを叩きのめした。
「そのブレイサーというのが、他でもない君たちのお父さんのカシウス・ブライトでね。「悪い娘にはお仕置きだ」とアガットのズボンとパンツを脱がして倉庫の外で生尻百叩きに及んだんだよ」
 ちょうどその現場を見合わせた当時は単なる民間人の野次馬だったジャンは、可笑しそうに笑いを押し殺す。アガットがカシウスをセクハラ爺呼ばわりする訳や、レイヴンの連中が妙にお尻叩きに固執するのはそういう経緯のようだ。
 その醜態劇に愛想を尽かした初期メンバーは例の三馬鹿を除いてアガットの側を離れてしまい、カシウスの目論見通りに初代レイヴンは解散。クエストは成功したが、それ以来、赤っ恥をかかされた報復に赤毛の不良娘からつけ狙われる。
「その度に何度も返り討ちに遭って、気がつけば何時の間にか本人がカシウスさんに感化されてブレイサーになっていたんだから、本当に人生っていうのは……」
「そのぐらいにしておけ、ジャン。潰されたいのか?」
 馴染みの大剣を背負ったアガットがギルドに顔を出し、「思ったより、早かったね」とジャンは冷や汗を掻きながら、受付デスク下の股間を密かに抑えた。
「ふんっ、俺がブレイサーでいるのは強い獲物に困らないのと、何時かあのエロ親父の首を狩るためだ。あと小娘。お前の見込み通りにあいつらは一応シロみたいだ」
 放火の夜、レイヴンメンバーはカジノバー『ラヴェンタル』で、一晩酒とダーツに興じていたのを従業員が証言している。
 ただその日、ラヴェンタルは多くの者が非番で、肝心の証言者がバーテンダーのプレミオ一人だけ。間の悪いことに彼はレイヴン幹部ディンの実兄なので、証言の信憑性に疑問を抱く者もいるかもしれないが、レイヴン無罪説の根拠はアリバイ有無とは全く別な所にあったので、二人の女遊撃士は特に問題視しなかった。
「『マーシア孤児院の調査』のクエストは俺が引き継ぐ。可燃燐を使う手口、どうやら俺が追っている連中と関連がありそうなんでな」
 かつてヨシュアが捕縛した黒装束は、アガットの手でハーケン門の牢に護送されたが、翌日には同じ仮面を被せただけの薬物中毒患者と思わしき別人に掏り替えられていた。
 アガットの抗議に軍は全く取り合わず、曖昧な取り調べを行っただけで、その身代わりの薬中男性を釈放してしまう。明らかに王国軍内部に奴らの存在が明るみになったら困る勢力が存在しているものと推測される。
 さらにはハーケン門からレイストン要塞に移送されることになったカプア一家の面々が黒装束の姿を見て、「裏切り者」、「内通者」とか色々騒いでいたらしい。
「また横から人の獲物を掠め取る気ですか?」
 黒装束の男とキールの証言を繋げる貴重な情報が得られたのは収穫だが鳶に油揚を攫われるのはこれで二回目であり、ヨシュアが不満そうに口を挟む。
「ケッ、何とでもほざけ。正遊撃士様と見習いが同じ依頼をかち合わせた時の扱いは既に体験済だろ? 何度でも言うが苦情は俺にこのクエストを押し付けたお前らのスケベ親父に言え」
 かつてカシウスがやらかした「おしりぺんぺん」を、アガットは未だに根に持っている。年頃の娘が衆人環視の前でそんな辱めを受けたら自殺もののトラウマなので、実子のエステルに含まないアガットはむしろ陽性なのだろうが、引き継ぎしたクエストの調査に向かう前にクローゼの影に隠れたクラムに一声掛ける。
「坊主、細々とした説教はあの小娘がネチネチと釘を刺しただろうから、俺から言うのは一つだけだ」
 かつてエステルがそうしたように、クラムの頭を帽子越しに撫でる。この時のアガットの黒い瞳はいつになく優しげだ。
「大切な者を守る為に勝ち目のない敵に立ち向かった、心の奥底から絞り出した勇気の灯火を決して忘れんじゃねえぞ」

        ◇        

「なあ、ヨシュア。お前は今でも、クラムが馬鹿なことを仕出かしたと思っているか?」
 アガットの推測通り、ヨシュアに理論整然と軽挙を詰られたクラムは自らの行いを悔い、もう二度とテレサ先生に心配をかけない旨をエイドスに誓約したが、クラムは勇気の使い所を間違えただけでその行為自体は尊いものだと先輩遊撃士と想いを同じくする。
 合理主義の申し子のヨシュアは激情家の二人と感性が異なるので、同意を求めても仕方がないのだが、有りったけの勇気を振り絞った弱者なりの足掻きを結果が伴わないだけで単なる愚行として切り捨てられるのは悲しいものがある。
「正直に言うとね、エステル。私は出来ない人間の気持ちが良く判らないの」
 何時もの己のスペック自慢ではない。マノリア村の諍いから始まったクラムを庇うエステルの一連の問い掛けに彼女なりに真摯に報いようとする。
 小さい頃から利発で人一倍器用だったヨシュアは多くの真理に手が届き、大概のスキルは大した努力なしで習得するのが可能。
 勿論、力作業みたいに苦手な分野もあるし、意外とヨシュアは、『出来ること』と『出来ないこと』がハッキリしていたが、『出来ること』を応用すれば大抵の『出来ないこと』を克服できたので支障はなかった。
「だから、合理的でない失敗を何度も繰り返す人の口惜しさとか、私に嫉妬する女の子の情念も全て他人事。私には全く我が事のように感じ取ることができないの。私が心の冷たい人間だから、というか人として壊れているからだと思うけど」
「いや、それでいいんじゃないか。体験したこともないのに『あなたの気持ちは良く判る』とかやたらと理解や共感を示したがる胡散臭い輩より、よほど信頼がおけると俺は思うぜ」
 クラムへの薄情さを問い詰めるでなく、ヨシュアの発言の一部を肯定する。ヨシュアがエステルに授ける叡知と同じぐらい実は義妹も義兄から様々な現実を教えられていた。
 家族団欒で暮らしている幸福な人間に肉親を失った心の痛みを我が事と感じられる筈もなく、飢餓を知らない現代っ子にかつてのシェラザードのように泥水を啜って生き延びてきたスラムの貧困を現実と思える訳がない。
 人は蘊蓄を学ぶことは、出来ても実体験を伴わなければ真の意味で想いを分かち合うことは叶わず。そういう意味では、大切な孤児院を失ったクラムの絶望と怒りはテレサ院長や他の子供たち以外の誰にも推し量れよう筈もなく、エステルらは一般論から推測しているに過ぎない。
「確かにエステル君の言う通りですね。僕も比較的古くからマーシア孤児院に入り浸っていたので想いを等しくしているつもりでしたが、帰る家を失ったクラム君たちと違って僕にはまだ戻れる場所がある。全く自分の思い上がりが恥ずかしいです」
 エステルの哲学が周りに飛び火し、妙に生真面目なクローゼが赤面しながら自己批判を始めたので、エステルは慌ててフォローを入れる。
「いや、理解できないと言っても、人は似たような経験から思いをパズルのように当て嵌めて重ね合わせたりする訳だし、クローゼが感じた憤りはクラムに近いと俺は思うぜ」
「エステル君」
「まあ、何を主張したかったかといえば、落ちこぼれの苦労や劣等感は、全てを成し得る優等生に共感出来る筈はないってことさ。ヨシュアがその辺りをきちんと弁えているのならこれ以上言うことないや。だから、この話題はこのぐらいで終わりにしようぜ。クラムも疲れちまったみたいだからな」
 エステルに背負われたクラムは、先のヨシュアよろしく、彼の逞しい背中に身を寄せ舟を漕いでいる。今日一日色んなことがあり過ぎて、ようやく一段落ついたと思ったら、また小難しい説法が始まったので、自己防衛行動に出て夢の世界へと退避した。

 受付のジャンを交えて、ダルモア市長の依頼で正式にクエストと認可された『マーシア孤児院の調査』の中間査定を終えた二人は、今後の指針について検討する。
 先のクエストはアガットに引き継がれてしまい、明日からは正遊撃士達が戻ってくるので、しばらく暇を持て余すことになりそうだ。子供らの慰安を兼ねて、マノリア村でテレサ院長の警護の任に常駐しようかと相談していた折、横からクローゼが声を掛けてきた。
「差し出がましいお願いですが、もしクラム君たちのことを想ってくれるのなら、お二人にどうしてもお頼みしたいクエストがあるので、話を聞いてもらえないでしょか?」

 クローゼが持ち込んだ珍奇な依頼により、今度は舞台をジェニス王立学園の敷地内に移し、二人は今までとは趣を違えた新たな冒険(クエスト)に挑戦することになる。



[34189] 11-01:ジェニス学園の黒い花(Ⅰ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/08 00:01
「はーい、皆。今日から新しい仲間が私達のクラスに加わるわよ。ほら、挨拶して」
「え、えっと、ロレント出身のエステル・ブライトです。よろしく」
 ジェニス王立学園、高等中課の教室。赤いリボンでオリーブ色の髪を束ねた眼鏡少女から催促されたエステルは、常になく緊張した面持ちで自己紹介を行う。
「彼と今ここにはいないけど義妹さんの二人は、例のお芝居を手伝う為に編入した短期留学生です。学園祭までの二週間という短い期間だけど、私達と机を並べて共に学び、苦難と喜びを分かち合うことになりました。あと聞いて驚け。この兄妹は揃って準遊撃士なんだってさ」
 生徒会長とクラス委員長を兼任する学園きっての才女ジル・リードナーがノリノリでエステルの身の上を暴露し、三十名を数える生徒が喧騒する。
「聞いたか、ブレイサーだってよ」
「それって、十代でプロデビューしたアイドルかスボーツ選手が転校してきたようなものか? 俺、今のうちにサイン貰っとこうかな」
「そういえば背も高いし、彼って結構イケてない? 彼女にしてもらえたら、友達に自慢できそうじゃん」
「義妹さんもブレイサーなのか? 午後から顔を出すみたいだし、どんな娘か楽しみだぜ」
 好奇に満ちた視線の山々がエステルに注がれ、まるで見せ物小屋の珍獣になったような居心地の悪い気分を味わう。ふと、窓際の席のクローゼと目が合うと、彼は笑いの衝動を必死に押し殺している。
(あんにゃろめ。お前の依頼で俺はここにいるんだろうに)
「エステル君の席は一番後ろ。ちょうどハンスの隣ね。義妹さんは私とクローゼ君に挟まれる形になるのかな」
 ジルの誘導で自分の席に向かう際、忍び笑いを続けるクローゼの革靴を思いっきり踏みつける。一瞬だけ腰を浮かしかけたクローゼが顔を真っ赤にして必死に悲鳴を堪えたが、このぐらいしても罰は当たるまい。
「エステルだっけ。俺はクラスの副委員長を努めているハンスっていうんだ。コリンズ学園長から面倒を見るように頼まれているし、学園で判らないことがあったら、何でも俺に聞いてくれ」
 紅髪の学生が人の良さそうな笑顔で自己アピールしながら、机をぴったりくっつけてエステルに教科書を見せてくれた。中には解析幾何やらいう魔法の呪文がびっしりと刻まれており、古代文明の叡知を刻んだ象形文字さながらの数式の数々にエステルはクラリと目眩がし、魔獣に袋叩きにされた時以上の精神的ダメージを味わう。
(駄目だ、ヨシュア。俺、こんな魔境で二週間も生きていく自信がねえ)
 学園祭までの長い一日がようやくスタートしたばかりだが、エステルが漕ぎだした大海には多くの前途遼遠が待ち構えていた。

        ◇        

 昨日、学園祭の目玉、舞台劇『白き花のマドリガル』の上演の手伝いをして欲しいと、クローゼから依頼を受けた時は、二人とも小首を傾げた。
 何でも紅騎士ユリウスと王家の白の姫セシリアの、二つの重要な役所が埋まっておらず。このまま公演中止になったら、芝居を楽しみに毎年、学園祭に顔を出しているマーシア孤児院の子供たちに申し訳が立たない。
「それで、俺たちにその劇の俳優になれと?」
「そうです。『弘法筆を選ばず』という諺もある通り、エステル君ならきっと僕以上の剣の腕前で紅騎士ユリウスをこなせると思いますし、ヨシュアさんの美しさと利発さは白の姫セシリアに相応しいです」
 クローゼが懸命に二人を勧誘し、ヨシュアは「嫌だわ、クローゼったら、そんな本当のことを」とはにかんだ後、真顔になって依頼の難物さを訴える。
「私はどんな役柄でもこなせる自信はあるけど、エステルがね。剣演舞の方は大丈夫でしょうけど、果たしてきちんと台詞を覚えられるものか」
 ジト目で眺める義妹に何か言い返したくて仕方がなかったが、エステル自身百文字以上の長文を丸暗記できる自信がなく、ぐっと堪える。
「平気ですよ。きちんと学園長の許可を頂いて、お二人をジェニス王立学園の短期留学生として迎える手筈は既に整っています。学園祭までの二週間、学生寮に寝泊まりして、毎日夜遅くまで練習すれば、どんな馬鹿……いえ、物覚えの悪いエステル君でも、きっと台詞を頭の中に叩き込めると思います」
 クローゼが表現に気を遣いながらも、その実あまりフォローになっていない失礼な言い草で至れり尽くせりの万全のサポート態勢を顕示して、熱心に口説きにかかる。
「もし、テレサ院長がダルモア市長の懇意を受けて、王都に逗留することになれば、これがクラム君たちにとって、学園祭を見物できる最後の機会になるかもしれないですし」
 そうしんみりと供述して、二人の良心をチクチクと刺激する。世間知らずのお坊ちゃんに見せ掛けて、意外と策士なのかも。
「そこまで拝み倒されたら、引き下がれないわね。この依頼、受けましょう、エステル」
「おいおい、本当に良いのかよ、ヨシュア?」
 基本、損得より義を重んじるエステルは、クラムらが喜ぶのなら是非とも舞台を成功させてやりたいと願っているが、合理主義のヨシュアは内心どう思っているのだろうか?
 一応、運営予算から報酬が賄われるとのことだが雀の涙程度だろうし、危険度の低さからBPも低ランク。学園祭までの二週間と決して短くない期間を拘束されるにしては、割が合わない方のクエストだ。
「確かにお世辞にも、実入りが良い依頼とは言えないわよね、エステル。けど、私だって算盤だけで子供達の想いを切り捨てる程鬼じゃないし、何よりも他の高難易度クエストにはない利点があるわ」
「高額依頼にもない凄いメリット?」
「それは『経験』よ、エステル。世の中には若人にしか成し得ない冒険が幾つかあって、その中の一つが学生という立場を得ることね」
 リベールには高等教育機関はジェニス王立学園一つだが、ゼムリア大陸には初等、中等、高等、さらには大学院など、多くの私立、公立の学校が併存する。
 ただし、数が増えれば、その分だけ聖域の闇も濃くなる。悪徳教師の内偵調査、番長グループの武力的鎮圧、苛め問題の解決など、秘密厳守を条件にギルドに相談が持ち掛けられるケースが年々増加している。
 カシウスも教師役として帝国のとある有名女子高に潜入捜査したことがあり、女生徒の一人からラブレターを貰ったと得々とヨシュアに自慢していた。
「ただ、教師役に比べて、生徒役をこなせるブレイサーの絶対数が不足しているそうよ。こればっかりは賞味期限が決まっていて、どんなに優秀でもよほどの童顔の人でないと無理があるからね。そんなわけで、まだ十代の私達に価値が出でくるわけよ、エステル」
 外国に出張する機会を持てば、学園への潜入ミッションのような若者専用クエストが割り当てられる可能性もある。二週間とはいえ学び舎の雰囲気を体感しておくのは、将来の選択肢を広げる上で有効と主張する。
(なるほど。そういう有名校なら、小国の王子とか貴族のボンボンみたいな格好の鴨がゴロゴロ留学してそうだしな)
 最近、ヨシュアの裏を読むのが得意になったエステルは、プレイガールの隠された思惑を看破したが、敢えて黙秘する。
 クラムに再訪を約束しながら、クエスト三昧に日々を費やしている中に孤児院が焼け落ちたのをエステルは気に病んでおり、せめてもの慰みに楽しみにしている演劇ぐらい堪能させてやりたいものだ。

 かくして二人の思惑が見事に一致。クローゼの風変わりな依頼を受けて、一時的にとはいえ王立学園に籍を置くことになる。
 エステルは翌日の朝からクラスに参加して授業を受ける。ヨシュアはルーアン支部に復帰した正遊撃士にテレサ院長や子供たちの護衛の件で相談があり、午後から顔を出す程合いになった。
 かつて、この学園のレプリカ服を纏ったことがあるジョゼットは、脳筋遊撃士と馬鹿にしたエステルが本物の王立学生の身分を手に入れたと知れば驚くだろうか? それとも悔しがる?
 いずれにしても、エステルは今の立場をそれほど楽しむことは叶わず。ようやく午前の科目が終了し、クラブハウスで昼休みを迎えた時には、ミストヴルドの森まで全力疾走した時以上にクタクタにへばってしまう。

        ◇        

「あー、俺もう死んだ。昨日と今日で、向こう三年分の脳味噌をフル可動させた気分だぜ」
 食堂のテーブルの一つにうつ伏したエステルは、大好きな昼食を取る元気もなく塞ぎ込み、相席のハンスとクローゼ人が団扇で扇いで、新鮮な空気を送り込む。
 一応規則ということで、二人は昨晩に形だけの編入試験を受ける。五科目五時間も拘束されたエステルは、神経をヤスリで削られるようなしんどさを味わった。
「にしても、初めて着たが、学生服っていうのは窮屈でしょうがねえ。お前ら、よくこんな動きにくい格好で毎日普通に生活していられるよな」
 今のエステルは普段の私服姿でなく、王立学園指定のブレザー。革靴は履き慣れたストレガー社のスニーカーに比べて歩き辛いことこの上ない。Yシャツを第一ボタンまで填めて堅苦しいネクタイを締めると窒息しそうなぐらい息苦しいので、第三ボタンまで解放し襟元を不良学生のようにだらしなく着崩している。
「贅沢言わないの、エステル。こんな経緯でもない限り、あなたの頭で王立学園の生徒になれる機会なんてまずないのだから」
 聞き慣れた声色での馴染みの軽い嫌味節。エステルが頭をあげると、予想通り我が肉親がジルと連れ立って姿を現した。
「ヨシュアさん、何て可憐な」
「凄え、こんな衝撃度はルーシー先輩以来だぜ」
 予測と違えていたのは、他二人の歓声で分かり通り、ヨシュアがジェニス王立学園の学生服を着こなしていること。
 男子とお揃いの意匠の紺色の上着と、緑の章玉に白のスリーブ。膝下長さのミディサイズの白のフレアスカートと学園指定の紺色のハイソックスの組み合わせは、普段愛用している黒のミニスカ&ニーソックスに比べ色気は幾分制限されるものの、その分だけ清楚さとチャーミングが割り増される。腰まで届く漆黒の髪との白と黒のコントラストが冴え渡り、他を律する圧倒的な存在感でクラブハウスの注目を一身に集める。
「こりゃまた、男子が判り易く鼻の下伸ばしちゃっているわね。オマケに隣にいる私の存在を完璧に無視してくれちゃってからに」
 男子学生の熱い眼差しと同時に、女子学生からの嫉妬の冷やかな視線を肌で感じたジルが苦笑いする。好悪どちらの感情も慣れっこになっているヨシュアは昂然としながら、軽く黒髪をかき上げてキラキラと光り輝く粒子を振り撒いたが、途中で動作を停止させる。
 何時になく生真面目な表情で、エステルがじっと自分を見つめているのに気づいたからだ。
「何よ、エステル? 馬子にも衣装とか思っていたりするの?」
 真っ正面に陣取り、滅多にないシリアス顔で自分を見下ろすエステルに、ヨシュアは目を逸らし憎まれ口を叩いたが、語調に勢いがなく頬にも微かに赤みが射している。
 無言のまま、ヨシュアの顔に自分の顔を近づける。ヨシュアはゴクリと生唾を呑み込み、密かに胸の鼓動を高鳴らせ次の言葉を待ち続ける。そして、エステルは次の挙動として。

 ヨシュアのスカートを思いっきり捲くり上げた。愛用のピンクのリボンのついた純白の下着が、衆人の前で露わになる。
「な、何たる眼福。エイドスよ、この奇跡の光景に心から感謝します」
「エステル君、君って人は」
 男子生徒の大歓声が沸き上がる中、真近にいた二人はエステルの暴挙に興奮する。エステルは未だにスカートを掴んだまま、トキメキ乙女顔から恒例のジト目にクラスチェンジしたヨシュアの変化に気づかす、至近距離からマジマジと義妹の下着を覗き込む。
「なーんだ、戦闘中ミニスカートでピョンピョン跳んだり跳ねたりしても、何も見えないから、もしかしてパンツはいてないのかと思ったけど、しっかり履いてんじゃんか。やっぱり、あの不自然に股間をガードしていた暗闇は、噂に聞いた絶対領域…………ぐげえ!」
 本当にノーパンだと当たりをつけたのなら、衆人環視の前でスカート捲りの凶行に及ぶのは人としてどうかと思うが、当然、ヨシュアの報復を受ける。
 スカートを摘み上げた左手首を掴んで、軽く力を篭めるとエステルの巨体は180°回転し、脳天から地面に垂直に叩きつけられた。
「おい、何だ? あのエステルとかいう転校生。いきなり義妹さんに痴漢行為を働いたと思ったら、今度は自分から床に頭を打ちつけたぞ」
 エステルの奇行の連続に、周りの生徒はザワザワと騒めく。
 いうまでもなく、今の現象はヨシュアが得意とする柔術の技の一つ。『隅落とし』をエステルの身体に行使した成果。
 柔術とは『柔よく剛を制する』を基本理念とする投げ技や関節技などの体術を主体としたカルバード共和国発祥の伝統武術。
 ただし、武器による戦闘が主流となった昨今、無手格闘技の中でも組み合うという余計な一手を必要とし、実戦的でないという理由で古典芸能として廃れる。今では『柔道』という別称の元、統一されたルールの中で身内同士で競い合う民営スポーツと化す。
 さらには勝利優先主義で選手の大型化が顕著となり、『体力に恵まれぬ弱き者が、理を用いて体格に秀でた強者に抗う』という柔の開闢当初の理念は事実上、有名無実化してしまうが、未だにその資質を正しく受け継ぐ少女がここに現存する。
 先程エステルに喰らわした技は、別名『空気投げ』と呼ばれる。力の流れを完璧に見極め制御することにより、掴んだ手以外一切触れずに腰の動きも足の払いもなしに、相手に空中遊泳を強いる達人級の奥義。
 彼女がどこでこの技術を習得したのかは不明だが、『柔よく剛を制する』とは、いかにも非力なヨシュアが好みそうな理合。ただ、柔の概念を全く知らない周りの人間は、小柄な少女が大男を投げ飛ばしたなど想像できよう筈もない。エステルが一人でダイビングを敢行したようにしか見えず、正気を疑わざるを得なかった。
「いやー、ヨシュア。あんたの兄貴、良い感じに馬鹿だねえー」
 マニュアル教育の弊害か、没個性的な男子生徒が量産されがちな学舎の中で超がつく異端児を発見したジルは実に興味津々という顔つきで、尺取り虫のような無様な格好で倒れているエステルの姿を体育座りで見下ろしながら彼の頬をツンツンと突っ突く。
「義兄じゃないわ。手間のかかるスケベでお調子者の、どうしようもない義弟よ」
 ジルの言葉に少しだけ訂正を入れたヨシュアは、パンパンと手を払いながら、無表情にフレアスカートの乱れを直すと、ちょうど自分の下腹部を一心に見つめていたクローゼ達と目線が合う。
「す、すいません。見るつもりはなかった……いえ、むしろ見惚れて……いや……だから……」
 目と目があったクローゼは、普段の流暢な言動が嘘のようにパニくって、しどろもどろになり言い訳を探すが、ヨシュアは軽く肩を竦め、彼の挙動不審を宥める。
「気にすることはないわよ、クローゼ。見られた所で別に減るものじゃないし、何よりもあの馬鹿が勝手に仕出かしたことだから。行きましょう、ジル」
「それじゃ、またね。可笑しなお兄ちゃん」
 少しばかり不機嫌さを滲ませ、養豚場の豚を見るような冷やかな目で一瞥した後、クラブハウスを後にする。ジルはエステルが次にやらかす珍動に未練を残したものの、この場はヨシュアの顔を立てて一緒にお暇するが、親友が望む姉弟の呼称へと改める気はなさそうだ。
「そっか、ルーアンでもまた新しい友達を見つけられたんだな。良かったな、ヨシュア」
 同い年の女子生徒と仲睦まじく連れ添うボッチ妹の姿を、上下反転した視界から眩しそうに見つめる。ついでに家族思いのちょっとばかり良い台詞を吐いていたが、先の痴漢行為とクの字に折り曲がった今現在の珍妙な格好の所為で台無しだ。
 ちなみに地面に這いつくばった今のこの角度からだと、ジルの水玉の下着が丸見えだが、ヨシュアのスカートの中身は恒例の謎の暗闇に守られる。
 先程一時的に絶対領域が解除されて衆人がパンツを鑑賞できたのを不思議がるが、朝稽古の偽告白でヨシュアが油断を生じさせた理由に、未だに解答を得ていない朴念仁では生涯費やしても解けない謎だろう。

 遊撃士兼転入生という只でさえ好奇を集めやすい出自に加えて、黙っていてもやたら目立つ秀眉のブライト兄妹はこのクラブハウスの一件で一躍有名人になる。転校一日目にして意図せず園内の生徒に超弩級のインパクトを与えるのに成功した。



[34189] 11-02:ジェニス学園の黒い花(Ⅱ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/08 00:01
「ふうー、やれやれ。今日は本当に酷い目に遭ったぜ」
 男子寮宿直のエフォード先生から、エステルはお昼休みの痴漢行為をコッテリと絞られる。午後の授業を丸々潰して、生徒指導室で二時間正座させられた挙げ句、きっちりと反省文を書かされた所で、ようやくこの苦行から解放される。
「ったく、ヨシュアの奴、教師にチクリやがって」
 コンクリートに脳天から叩き落とされるぐらいは、何時もの兄妹間の軽いスキンシップ(?)だが、例の反省会は堪えた。
 あの後、ヨシュアは職員室に駆け込んで、得意の嘘泣きで男性教員のエフォードを誑かし、熱血体育教師を刺客として送り込んできた。
 結果、『僕は美しい義姉に欲情してしまったスケベで馬鹿などうしよもない義弟です』という屈辱の一文を原稿用紙十枚、二百回分も書き取りさせられるという精神的苦痛を伴う単純作業を強いられた。これが噂に聞く体罰に名を借りた教師による苛めなのか?
「それは仕方ないですよ、エステル君。アレはどう考えたって君が悪いですから」
「いやー。本当に良い物を拝ませてもらいました。ナンマンダブ、ナンマンダブ」
 ここは男子寮のクローゼとハンスの相部屋。学園祭までの間、同居するエステルも含めて、三人は胡座を掻いて向かい合っている。
 ハンスは掌同士を擦らせ、美少女のパンチラという望外の幸福を授けてくれた新友を御神体ように拝んでいる。同じ恩恵を賜ったクローゼだが、フェミニストとして二人に苦言を呈してみる。
「ハンス、下着を覗いたのを何時までも有り難がるのは、相手の女性に失礼……」
「俺よりもずっと真剣に、ヨシュアちゃんのパンツを食い入るように眺めておいて、なに今更、いい子ちゃん振ってんだよ、クローゼ」
「うぐっ」
 呆れたようにハンスはそう指摘し、クローゼは赤面しながらゴホゴホと咳を零し、弱みを見せた草食動物に肉食獣が躊躇なく襲いかかる。
「随分と仲良いんだな、お前ら」
 ハンスは左手でヘッドロックをかましながらうりうりと右肘で攻撃し、クローゼは彼の脇腹を擽って必死に抵抗。仲睦まじく攻防を続ける野郎どもの姿をエステルは感心したように見つめる。
 二人は入学以来のルームメイトでフェンシング部の仲間でもある。腐れ縁のジルも含めて三人で一緒に行動していることが多かった。
 ただ、既にルビコン川を渡り切ったハンスやエステルに対し優等生のプライドが邪魔するのか、未だに自分が助平である現実を認めるのを躊躇しているのがクローゼの若さ。ハンスやジルから格好のネタとして弄られている。
「男は皆、昔からスケベと相場が決まっているんだから、今更恥ずかしがるなよ、クローゼ。とはいえお前ら、たかだか布切一枚で騒ぎすぎだぜ。普通、スカート捲りなんて、親しい女子への挨拶替わりにするもんじゃねえのかよ?」
 エステルの爆弾発言に二人は再び度肝を抜かれるが、その宣言は比喩でも誇張でもなく信じられないことに事実。そもそも下着が見られて困る代物なら、スカートのような捲れ易い腰巻きでガードすること自体ナンセンス。「女子は潜在的に男にパンツを見せたい生き物なのだ」というとんでもない曲解を抱いていた。
 故に物心ついた頃から、二人の幼馴染みのティオとエリッサのスカートを時と場所を選ばず捲り続けてきた。ティオがスパッツを履き始めた頃から張り合いをなくして、スカート捲りを卒業した経緯がある。
 尚、二人の少女がどれだけ被害にあっても決してズボン系に逃避せず、必ずエステルの前ではスカートを着用してきたのは乙女心の摩訶不思議さが成せる業。
「けど、それって……、いや、何でもありません」
「恐るべし、ロレントの田舎町。王都やルーアンでそんな大それた真似をしたら、憲兵さんに逮捕されてしまうぞ。畜生、俺もそんな天国に生まれたかったなあ」
 クローゼは一瞬何か言い掛けたが、敢えて無言を貫き辛うじて節度を守ったが、ハンスの方は心底悔しそうな表情で、都会に比べての田舎の性の開けっ広さを渇望する。
 しかし、世の中には「美人の論理」、または「ただし、イケメンに限る」という男女共通の奇妙な不文律が罷り通っている。幼馴染みの少女たちが痴漢行為を許容していたのは田舎の気風云々以前に相手がエステルだからで、仮にハンスがロレントに転生して助平道を歩んだとしても王国軍にお縄になる運命は覆らないが、クローゼなら彼とは異なる未来を見つけていた可能性が高く真に理不尽だ。
 とはいえ、熱血硬派のエステルからすれば個性溢れる幼馴染みや腹黒な義妹よりも、互いに切磋琢磨し高めあう兄弟分が欲しかったのが正直な本音。
「だから、俺に言わせれば、お前たちの方がよっぽど羨ましいっての。団塊の世代とやらで同窓が少なくて、同い年の男子と連めた記憶があまりなかったしな。あれ、もしかしたらヨシュアなんかより俺の方がよっぽど可哀相だったりするのか?」
 義妹の同性ぼっちをちょくちょく酒の肴におちょくってきたエステルは、己の供述を再検討し自身の孤独な境遇に疑念を抱いたが、自らを憐憫し始めた刹那ハンスとクローゼが氷のような冷たい瞳で睨んだ。
「だってさ、どう思う、クローゼ?」
「なんというか、エステル君に羨ましがられるのだけは、納得いかないですね」
「そうだよ、黒髪ボーイッシュ娘に大人し目の茶髪ロングとか、色とりどりの幼馴染みが二人もいて何が不幸っていうんだ? ギャルゲのテンプレ主人公みたいな爛れた生活しやがって、彼女いない歴十六年の喪男を舐めてんじゃねえぞ、テメエ」
「そうですよ、エステル君。ヨシュアさんと一緒に生活してきて、不満を零すなんて、万死に値します」
 ハンスとクローゼで微妙に憤りポイントは食い違っているが、エステルが身の程知らずの贅沢を自覚していないという点で意見を一致。二人の剣幕にエステルは一瞬だけたじろいだものの、直ぐに「判っていないなー」という上から目線でわざとらしく両肩を竦め、まずはクローゼの見解を諫める。
「かーっ、お前ら本当にド素人だな。そりゃ、ロレントでもヨシュアは凄えモテていたぜ。あの通りの外観に普段は何枚も猫を被っていて、しおらしさを演出しているからな」
 基本的に義妹を性的対象と認識しないエステルだが、別に美醜感覚を常人と違えている訳でなく、美しさ自体を認めるのは吝かではない。ただ、ヨシュアについて語る場合、どうしても避けては通れないのが、エステルを凌駕する物理的な戦闘能力の高さ。
「俺はヨシュアがブライト家の養女になってからの五年間、軽く千を越える回数、あいつと早朝稽古で仕合ってきたが、自慢じゃないがヨシュアに勝てたことは一回しかない」
「そりゃ確かに何の自慢にもならないよな。けど、ヨシュアちゃん、そんなに強いんだ?」
 ハンスも見掛けによらず、フェンシングの大会でクローゼと決勝を争った程の実力者なので、エステルの身体全体から発散される化物じみた闘気を肌で感じている。それ故にあの華奢な少女がエステルを凌駕する武芸者とは正直信じ難い。
(けど、エステルって、どこかで見たような気がするんだよな。棍術使いでスケベで……思い出した)
「なあ、お前、エステル・ブライトだろ?」
「今更、何寝言ほざいてんだよ、ハンス? 今朝方、教室で自己紹介しただろ?」
 正気を疑う二人の目線に、ハンスは必死に記憶の古井戸の底からエステルという名が刻まれた鉱石を掘り起こす。
「いや、そうじゃなくて、確か五年ほど前に王都の武術大会で優勝した」
 そのハンスの言葉にクローゼは仰天したが、彼が云う武術大会とは、『大人の部』と並行して行われる年齢制限十二歳以下の子供が参加する『幼年の部』を指す。
 王都育ちのハンスはジェニス王立学園に入学するまでの間、格闘マニアの祖父に連れられて毎年のように武術大会を見物し、エステルが優勝した大会にも居合わせていた。
 幼年の部はここ十年程の間、王都に道場を構える『八葉一刀流』の門下生がタイトルを独占していたが、その連覇の歴史に終止符を打ったのがエステルである。ハンス自身も八葉一刀流で剣術の稽古をしていた時期もあり、より強く印象に残っていた。
「そうだったのですか。少し早とちりしてしまいましたが、どちらにしても凄い偉業ですね」
 クローゼはフェンシングの国内チャンプで、大陸別学生選手権でも上位に入賞したことがある実力者だが、得物フリーの武術大会に比べれば、先述の柔道と等しく同じ生簀の中でポイントを競い合うスポーツ競技であるのを弁えていた。
「いや、無差別格闘(バリートゥード)と謳っても、所詮は子供のお遊びだしな」
 尊敬の眼差しで見つめるクローゼに対して、エステルはバツが悪そうに頭を掻く。
 二十万ミラという莫大な賞金を賭けて、大陸全土から百を数える腕自慢が集結する大人の部に比べれば、無報酬で十名前後の王都の武門の子供だけが参加する幼年の部はエキシビションの意味合いが強い。何よりも有頂天になっていた直後にヨシュアに天狗の鼻をへし折られたトラウマがあるので、幼少期の快挙はエステルからすれば忘れたい黒歴史に分類される。
「そう、謙遜するなよ、エステル。五年前のお前の雄姿は今でもありありと俺の目に焼きついているぜ」
 当時からマセガキだったエステルは、表彰式でトロフィー授与役の女性のスカートをピースサインで捲るという暴挙を敢行。黒の見せパンを周知に晒された王室親衛隊の若い女性は顔を真っ赤にして、細剣(レイピア)で大人気なくエステルを叩きのめした後、我に反ってひたすら平謝りしたという逸話があり、王都では今でも語り種になっている。
 もしかすると、ハンスがエステルの存在を記憶に留めていたのは、武術の腕よりもこちらの痴漢行為の方がより印象的だったのかもしれないが、ハンスは急に表情引き締めると彼の肉親についても言及する。
「お前が幼年の部チャンプと知った後だと、ますますヨシュアちゃんがそんな強者だなんて眉唾ものだけど、嘘を吐く理由もないし事実なんだろうな。けど、千回以上負けたといっても一回は勝てたんだよな?」
 そこまで力量がかけ離れているなら、紛れの入り込む余地は皆無に等しい。むしろ一度限りとはいえ勝ちを拾えたことに不自然さを覚える。
「いや、俺には全く身に覚えがないだけど、ヨシュアの奴がな」
 記憶にない勝利に縋るなど虚しいだけなので、ノーカンにしたい所だが、「この敗北は私の人生の誇りだから」と真顔で譲らなかったので、仕方なく受け入れることにした。普通、格下に足元を掬われた醜態など消し去りたい黒歴史だろうに。負けを有り難がるヨシュアの思考が負けず嫌いのエステルには理解できない。
 元々、強さに執着心を持たないヨシュアがなにゆえ勝敗に拘らせるのか興味を惹かれ、何度も思い出そうとトライしてみたが、その都度、頭の中に黒いモヤが発生して記憶を阻害する。この脳内に巣くう黒い霧が晴れた時、エステルは「たった一度の勝利」の内容を思い出せるのだろうか。

「話が大分、逸れちまったな。そろそろ本筋に戻るとするか」
 エステルは首をグルグル廻して気持ちを入れ換える。過去記憶の復帰作業を一時的に断念し、長々と続いた脱線劇に歯止めをかける。
「まあ、何を主張したいのかと言うと、この間のレイヴンとの立ち回りを見た感じじゃ、俺とクローゼの腕前にはそこまで大きな隔たりはないけど、ヨシュアは確実に俺達より数段上の世界に棲息しているぞ」
 いざという時、力ずくの抑えが効かないなど、男にとってこれほど惨めなことはない。いくら可愛くても自分より物理的に強い女性にぞっこん惚れたりしない方が身の為と教訓を垂れる。
 ロレントでは頭は足りないが豪腕の兄貴と清楚で華奢な妹の愚兄賢妹で通ってきたが、その唯一の拠り所の腕っぷしの強さまで実は後塵を拝まされているエステルの口惜しさはいか程のものか。
「けど、それでも僕はヨシュアさんに憧れてしまいますね。彼女の尻に敷かれるのなら、正直本望です」
 ヨシュアの別次元の戦闘力と意外ときつい上に黒い性格を承知して尚、クローゼは自分の道を曲げるつもりはないが、この科白はある意味告白そのものではないか。
 相変わらず臆面もなく恥ずかしい台詞を平気で吐き、それがまた絵になるのがクローゼのエステルにはない魅力。
「はあー、そりゃまあ、好きにすればいいんだろうけどさ。態々ヨシュアみたいな火薬庫に手を突っ込まなくても、クローゼならいくらでも相手がいるだろ? 俺に女心が判るとは言わないが、お前みたいなタイプが学園で女子から全くお呼びが掛からないとは思えねえ」
 どこまでも己が想いにひたむきなクローゼに、自分のお株を奪われたようでなんか面白くないので、今度は別の角度から攻めてみる。クローゼは先のエステルに倣って両肩を竦めると軽く首を横に振る。
「それは買い被り過ぎですよ、エステル君。ジェニス王立学園に入学して以来、女子生徒から告白されたことなんてありませんから」
「一度もか?」
「ええっ、精々が『このお弁当を食べて下さい』と手作りの弁当箱を渡されるぐらいで、愛の告白には程遠いですよ」
 軽く溜息を吐き出すクローゼに、ハンスは思わず殴り掛かりたくなる衝動を辛うじて抑制し救いを求める様な目でエステルに同意を求める。
「聞いたかよ、エステル。こいつ、嫌味や謙遜じゃなく本気で言っているんだぜ。鈍いとかそういう次元じゃなくて、これはもう病気……」
「何だ、それじゃ、しょうがねえな」
「はいっ?」
 「お前の気持ちは心底判る」という憐憫の眼差しで、エステルはクローゼにシンパシーを示し、ハンスは素っ頓狂な声を上げる。可笑しいのはこいつらじゃなく自分の方だというのか?
「俺も、もしかしてティオやエリッサが俺に気があるんじゃないかって、自惚れていた時期があったけど、お手製の御飯を毎日のように食べさせてくれるだけだもんな。スカート捲りより一つ先の大人の世界に進めなくて残念だぜ」
 無念そうにエステルは、やらしい手つきで架空の二つの膨らみを両掌でにぎにぎする。もし、幼馴染みの少女達の想いにエステルが気づいていたら、我道を往くエステルのこと。盛りのついた猫のようにどんどん行為をエスカレートさせていき、一線を超えるのもそう遠い日ではない。
 キャベツ畑やコウノトリを盲信する程には幼くないとはいえ避妊や生理の概念をまるで知らないので、十代半ばで幼馴染みのお腹がぽっこり膨らんだなどという未来図も余裕で有り得た。告白を躊躇った少女らの怯懦はエステルの関係者全てに調和を齎していたが、当人は己の無限の可能性にまるで気がついておらず。その方向に関してだけは、クローゼもまた同類。
「そうそう、現実なんてそんなもので甘くはないのですよ、エステル君」
「はっはっは、そうだよな、そうだよな。これで判っただろう、ハンス。結局、幼馴染みは只の幼馴染みであって、彼女でも恋人でもないんだからよ」
 二人は共に肩を組んで互いを慰め合い、エステルは先のハンスの幼馴染みへの羨望が、単なる絵空事であることを訴える。
「畜生、何て酷え奴らなんだ。エイドスよ、こいつらを七十七の悪魔が住まうという煉獄に落として下さい」
 意気投合しながら犯罪レベルの鈍感さで、少女達のなけなしの勇気のモーションを踏みにじった二人のモテメンにハンスは血涙を流して呪詛する。

        ◇        

 その後も漢達の熱い夜は続いていき、一夜を明かして男同士の秘話について色々と語り尽くした三人は翌朝寝坊してしまい、全寮制の王立学園は久方ぶりの遅刻者を輩出する。
 問題児のレクター・アランドール前生徒会長以来の遅刻者リストに、優等生のクローゼや皆勤賞継続中のハンスが名を連ねたのに皆は驚く。諸悪の根源と見做されたエステルがクラスに与える悪影響について懸念されたが、現生徒会長のジルは「彼こそ閉塞した学園に新風を巻き起こす救世主たる逸材だ」と妙に中二病じみた台詞でエステルを擁護。彼女の隣でジト目で溜息を吐き出したヨシュアの様子を全く意に介さず、さらなる珍動の期待をエステルに寄せ始めていた。
 尚、三人の男子生徒は遅刻のペナルティに、一時間ほど廊下でバケツを持って立たされる実にレトロな体罰を味わった。

 エステルの学園伝説はまだまだ続く。



[34189] 11-03:ジェニス学園の黒い花(Ⅲ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/08 00:02
 キンコンカンコン。
 学舎独特のチャイムが校舎内に鳴り響き、学園生活二日目の一時限目の授業が終了した。三人の遅刻男性はようやく罰ゲームから解放され、表面張力ギリギリまで水を溜め込んだバケツを地面に下ろす。
 クローゼとハンスは両腕を痺れさせて、互いの肘の部分をマッサージし合うが、体力自慢のエステルはこの程度の負荷で堪える筈もない。三人分の六個のバケツを悠々とお手玉しながら、中に溜まった水道水を捨てに洗面所に足を運ぶ。
 ずば抜けた膂力に加えて並みはずれた平衡感覚を持つエステルは、バケツの水を頭から被るお約束のボケをかますことなく目的地に辿り着く。空になったバケツを用具入れに仕舞い込むと、憂鬱そうに溜息を吐く。
 教室に戻って二時限目の授業が始まれば、また精神的拷問が始まる。これならバケツを一ダース抱えて、一日中でも立ち惚けていた方がマシだ。
 エレボニアの諸々の高等学校と比較しても高い偏差値を誇るジェニス王立学園に、義務教育レベルの学歴者が編入するのにそもそも無理があるので、授業内容を理解できないのは別段エステルの責任ではない。
 その日曜学校の成績もあまり宜しくなかったというかほとんど寝て過ごし、講師役のデバイン教区長からしょっちゅうチョークを投げつけられていたのは目を瞑るとして。
「やれやれ、俺たちは芝居の助っ人に参戦したんであって、勉強しに来た訳じゃねえだろうが。十八番の授業中の居眠りはヨシュアに禁止されてるし。あれっ、そのヨシュアはどこにいったんだ?」
 教室の前扉を開くと、ヨシュアどころかクラスの女子全員が不在。残った男子生徒は、大急ぎで制服を脱ぎ始める。
「次の体育の授業に備えて、女子生徒は更衣室に着替えに行ったんですよ、エステル君。
はい、これが君の分の体操服です」
 Yシャツを脱いで上半身裸になったクローゼは、購買部で購入したばかりのLLサイズの新品を手渡す。透明袋の中には白のTシャツと青の短パンがセットで入ってる。
「体育って、確か球技や陸上みたいな身体を動かすスポーツのことだよな?」
「ええっ、そうですけど。あと靴は下駄箱に置いてあるストレガー社のスニーカーで」
「よっしゃあー!」
 突如覚醒したエステルは、魔獣の咆哮のような雄叫びでクローゼの説明を遮る。闘気を全面解放して、着替え中の生徒をびびらせる。
 まさに地獄に仏。ついにエステルが主役になれる日が到来した。既に色んな意味で王立学園の立役者となっている気もするが。
「体育ー、体育ー」
 陽気な鼻唄を口ずんで、大慌てで制服を脱ぎ散らかす。勢い余ってトランクスまで降ろした所で、クローゼが注意を促す。
「エステル君、今日は水泳の授業じゃないので、下着まで脱ぐ必要は」
 ガラッ……。
「ふーう、教室に忘れ物をしてしまいましたわ」
「フラッセ、今の時間はまだ男子が着替えている筈では?」
「お黙りなさい、レイナ。初なネンネじゃあるまいし。殿方の半裸なんて、水着と大して変わらな……いっ、いやぁー!」
「これは、これは、結構なモノをお持ちのようで」
 教室での不幸な突発事故により、フラッセという女生徒が目眩を起こし倒れ込み保健室へと運ばれ、お付きのレイナが授業を休んで看病する次第となる。
 またエステル伝説の新たな一ページが加速したが、今回ばかりはエステルに非はないだろう、多分。

        ◇        

「あの姉ちゃん、何で気絶したんだ? 貧血か何かだとしたら、鉄分やカルシウムが足りてないんじゃないか?」
 体操着に着替えたエステルは、グランド中央で膝をへの字に曲げて屈伸運動を行いながら、教室での逆ラッキースケベ現象を反芻したが答えは出てこない。
「朝礼でのコリンズ学園長の長話で卒倒した児童じゃあるまいし、エステルの裸を見たからに決まっているだろう」
 ハンスが若干オブラートに包みながら、呆れたように真実を指摘するも、ますます困惑の度を深める。
「おいおい、異性の裸体なんてどちらも見慣れたもんだろうよ。十二歳までは日曜学校でも男女一緒に着替えていたし、ティオやエリッサと一緒に十歳まで川や湖で素っ裸で水浴びしたもんだしな」
 更なる田舎のジェンダーフリーを暴露。初潮前の幼少期の微笑ましいスキンシップとはいえ、己と無縁の青春を謳歌したエステルにハンスは地団駄踏んで悔しがる。
「ハンス、いい加減に一々羨ましがるのは」
「ヨシュアとは十三歳まで一緒に風呂に入ったっけ? 今でこそボインボインだけど、それまで本当に洗濯板だったからな、あいつ」
 ハンスを窘めようとしたクローゼは、エステルのさらなる告白にピクリと眉を動かす。
「そうか、そうか。メス共は、おっぱいが膨らみ始める頃から、ヤローの視線を意識して、裸を見られるのに抵抗を感じるわけか」
 カラカラ笑いながら、両手を胸に当てて架空の二つの膨らみを、恒例のやらしい手つきでにぎにぎする。一瞬、狼狽しかけたクローゼは、辛うじてポーカーフェイスを維持して体面を保とうとしたが、左手が禁断症状のようにブルブル震えていた。
「女三人寄れば姦しいというけど、さっきから男が三人揃って何を喧しっているのやら」
「どうせHな話題に決まっているわよ、ジル。エステルの頭の中には、それしかないのだから」
 聞き慣れた声色での馴染みの嫌味節。以前と似たパターンにエステルが振り返ると、やはり体操着に着替えた我が義妹がジルと連れ立って出現する。
 再びエステルが生真面目な表情でヨシュアを見下ろすが、前回で懲りたのだろう。何の期待もせずに、授業の邪魔にならないように長い黒髪をゴムで束ねるが、次の一言は少女の合理的な思考フレームを以てしても想定外。
「何だ、ジェニス王立学園の女子は、パンツで体育をするのかよ?」
「なっ?」
 思わず赤面する。ヨシュアに限らず、隣にいるジル他、女子生徒は全員、上半身は男子と同じ白のTシャツだが、下腹部は短パンと異なる。太股を100%露出させた黒のショーツを履いて、お尻のラインがくっきりと浮かび上がる。
「ブルマぁを知らないのか、君はー? エステルー、お前は人生の半分を損してきたぞ!」
 先の闘気が霞むような凄まじい剣幕で己が半生を否定したハンスのえも言わぬ迫力に、エステルはたじたじになる。
「ふっ、田舎のいちゃいちゃパラダイスも騙るに落ちたな。所詮ブルマのない生活など、論ずるに足らず」
「さっきから、ブルマ、ブルマって、何だよ、それは? あれはセクシーな黒下着じゃないのかよ?」
「そっちこそ、パンツ、パンツって馬鹿みたいに連呼しないでよ、エステル。本当にパンツ一丁で授業を受けている気分になって、恥ずかしくなるじゃないの」
 エステルはジロジロと義妹の体操着姿を視姦する。ヨシュアは顔を真っ赤に染めながらシャツを縦に伸ばしてブルマを隠そうとしたが、その行為は一段と周りの男子生徒の劣情を煽る結果にしかならず、ますます縮こまって地面にしゃがみ込む。
「これがブルマとやらの持つ魔力か? クラブハウスでスカートを捲られてもまるで動じなかったヨシュアが照れてやがる。よっしゃ、日頃の怨みを晴らす絶好のチャンス。穴があくまで、お前のブルマ姿を目に焼き付けて」
「止めろぉー、ブルマを露骨な厭らしい目で見るなぁー! 廃絶されてしまうだろうがー!」
 人としての器が知れる実に情けない遣り口で復讐鬼と化したエステルに、ハンスが血走った目で詰め寄る。その異常なまでの気迫に、魔獣相手に後退経験のないエステルをして反射的に後ずさりさせる。

 ブルマとは、エレボニアを発祥とする女性専用の体操着。そのショーツ型の形状は極めて軽量かつ機能的で、どんな動きに対しても身体に密着し、運動性能は申し分ない。帝国内の全ての教育機関で着衣を義務づけていた時期もあった。
 問題となったのは性能面以外、パンツ然とした独特の形状から、一部というよりはかなりの数の男性の好事家から性的フェティシズムの対象となったこと。ブルマの盗撮や窃盗等の事件が相次ぎ、被害者となった女子生徒を中心に『ブルマ廃止運動』が帝国各地で巻き起こる流れとなる。
 結果、女子の体操着は男女共に短パンに統一される。開闢の地エレボニア帝国でブルマが姿を消し、リベール王国やレミフェリア公国などの他の小国にのみ細々と語り継がれるという皮肉な顛末となる。
 そのリベールでさえも、ブルマ廃止運動の気運が王国を席巻し、絶滅の危機に瀕した。反対運動リーダーの当時の副会長ルーシー・セイランドと真っ向から対立した時の生徒会長レクター・アランドールが、多くの署名を集めてアリシア女王への直談判に持ち込むのに成功する。
「古きが新しきに取って替わられるのは時代の流れかもしれませんが、小国ぐらい大国が捨ててしまった古き伝統を大事にしていきたいものですね」
 若人の熱い情熱を肌で感じ取った寛大な陛下は、目茶苦茶良い台詞ながらもどこか微妙に論点がずれた結論を出して女性側の訴えを退け、王立学園は女子生徒のブルマの着用を義務づけて今日までに至る。
「ああっ、偉大なるアリシア女王陛下よ。この世界にブルマを残してくだされたかつてのあなたの英断に敬意を表し、自分がリベール臣民であることを心から誇りに思います」
「はははっ」
 キラキラと瞳を輝かせながら、片膝をついて両掌を胸元に置く最高礼のポーズを王都のグランセル城の方角に向かって捧げるハンスの姿に、「こんなしょーもないことで感謝されても、お祖母様は嬉しくないだろうな」とクローゼは乾いた笑いを浮かべる。
「裏切り者の分際で、何他人事みたいなしたり顔しているんだよ、クローゼ? 本来ならお前にヨシュアちゃんのブルマ姿を愛でる資格はないんだが、罪を憎んで人を憎まずが陛下の教えだからな」
 かつて賛成派と反対派で、男女が真っ二つに別れたブルマ廃止運動。その中で男子生徒で唯一人、女子の味方をしたのがフェミニストのクローゼ。当時はユダ扱いされたものだ。
 クローゼの立場からすれば、間違ってもハンス達のような、『ブルマ廃止反対』とか書かれた鉢巻きを頭に巻いた自分の姿を王宮に晒すわけにはいかず、選択の余地はない。実際にハンスは例の鉢巻き姿の写真をリベール通信の社会欄に掲載されて、危うく王都にある実家から勘当されそうになったし。
「そりゃ、女子が恥ずかしがっている格好を、無理やり押し付けるのは、男児としては」
「もし、反対運動側が勝利して女子のユニフォームが短パンにすり替わっていたら、ヨシュアちゃんのブルマ姿も拝めなかったわけだぞ?」
 そのハンスの言葉にクローゼは、羞恥に震えるヨシュアの姿をマジマシと眺める。
 冷然とした通常時と異なる魅力を発散し、何よりも普段のミニスカ姿が大人し目に錯覚するぐらい白い太股をダイレクトに露出させたブルマの魔性の脚線美に、クローゼの頬が真っ赤に染まる。
「すいません、ハンス君。僕が間違っていました」
「もうっ、クローゼまで」
 あっさりと前言を翻して自身の過ちを認めて頭を下げたクローゼに、「ブルータス、あなたもなの」という諦観した表情で、ヨシュアは右手で掴んだシャツでブルマ隠しを持続しながら左手を高く振り上げ抗議する。
「いやー、最近良い感じにクローゼ君のキャラが壊れ始めてきたわね。これも君ら兄妹の影響かしらね、エステルお兄ちゃん」
 カモメカモメのように欲情した男子生徒に取り囲まれて、「ヘルプ・ミー」と救助を求めるヨシュアを非情にもぼぉーっと見殺していたエステルに、ジルが声をかける。
 入学当初のクローゼは花崗岩のように他人を寄せつけないオーラを発散しまくっており、ハンスやレクター前生徒会長との交流で少しずつ態度を軟化させたが、それでもジルからすれば未だに肩肘張った部分が抜け切らない。
「クールなクローゼ君も悪くないけど、こういう変化なら私は大歓迎よ。リベールの将来の為にもね」
 なぜ、クローゼの人格形成がこの国の未来に関わるのかエステルは訝しむが、ジルはその疑問に答えることなく逆に質問する。
「ねえ、エステル君。あなたの義妹さんは何者なの?」
 形だけの編入試験を担当したミリア先生から聞いたところ、エステルは全教科零点の偉業を達成したが、ヨシュアは入試に換算しても歴代五指に入る好成績で余裕で合格ラインをぶっ千切っていた。
「悪いけど、それには答えようがないな。我家で取り決めたルールで、あいつが養女になる前の過去は聞かないことにしているからさ」
 エステルは頭を振る。ヨシュアの利発さは既に承知していたが、まさか高等数学とかを扱う王立学園に素で合格できる学力を保持していたとは驚き。今ならロレントで日曜学校を全てボイコットした横柄な態度にも合点がいく。協調性がないと罵られ同年代の子女から隔離を抱かれる要因になろうとも、義務課程の授業など馬鹿らしくて参加する気にはなれなかったのだ。
「ふーん、色々あるみたいね、君たちも」
 ジルは眼鏡の縁をキラリと光らせる。好奇心旺盛な彼女はブライト兄妹の禁断の秘密に興味をそそられた。現在ヨシュアは女子寮でジルの部屋を間借りしているので、今夜あたり質問責めに遇うだろう。
「逆に聞くけど、ジルはヨシュアと付き合うのに抵抗ないのか?」
「どうして? 態々敵にまわすよりも、味方につけた方がどう考えてもお得じゃん?」
 むしろジルの方が不思議そうに鸚鵡返しする。彼女自身、王立学園ではクローゼと首席を争う並ぶ者ない才女だが、腹黒完璧超人を相手に無駄に張り合うよりも即効で白旗を揚げる道をチョイスした。
 同性と折り合いが悪いとされるヨシュアであるが、実際には思春期の少女たちからの嫉妬を一身に搔き集めているだけ。ティオの母親のハンナ夫人のような出産経験のあるおばさんや同郷のユニや孤児院のマリィやポリィのようなお子様には懐かれており、結局は受け取る側の女性の器量の問題なのかもしれない。

「お前ら、何時までくっちゃべっているんだ? そろそろ二時間目の体育の授業を始めるぞ」
 ジャージに身を包んだエフォード先生がピーッと笛を吹いたので、生徒は慌てて男女別に整列し、ヨシュアはようやく男子の輪から解放された。
 身長順に『前へならえ』した結果、ヨシュアは女子列の最前列で両手を腰に当て、エステルは男子列の最後尾から両手を前へ翳して、全員を見渡せる好位置を確保したが、チビのヨシュアの後ろ姿は列の中に埋没して確認できなかった。
「あれっ、そういえばハンスはどこにいったんだ?」
 まずは準備運動前のランニングに、グランド十週を申しつけられる。エステルはクローゼと並走してトップの位置をキープしていたが、何時の間に雲隠れしたもう一人の悪友の不在に小首を傾げる。
 「ハンスなら、さっき急な腹痛を起こしたとかで、保健室に駆け込んで行きましたよ」
「はあ? 今のあいつなら、トラックと正面衝突したって休まねえだろ?」
「僕もそう思いますが、何か怪しい気配がしますね」
 彼が愛したブルマ女子がこれほどゴロゴロしている中、週に二度しかない貴重な体育の授業をハライタ如きでリタイアしたことを訝しむ。

        ◇        

「ふっふっふっ、黒髪天使という、ルーシー先輩以来の逸材が学舎に来ているこの千載一遇の好機。授業なんか受けてる場合じゃないっての」
 先のエステル達の疑惑は正しい。校舎の屋上から、一眼レフカメラを構えたハンスが、ビューの部分をカメレオンの舌のように前方に伸ばし、ファインダーにヨシュアの姿を納める。
 このカメラは『ポチ君プロトタイプ』という愛称で、王都で仲が良かった天然お姉さんからジェニス学園入学の餞別として貰い受けた逸品。彼女がアマチュア時代にずっと愛用していたかなりの年代物だ。
 そのお姉さんは去年、リベール通信社の専属カメラマンの座を目指して入社試験を受けたみたいだが、撮影技術は紛れもなく天才だが一般常識ゼロのあの人のこと。試験に落とされて泣きべそ掻いたりしてないか心配だ。
 色々ノスタルジーに浸りながら、ハンスはかつて金髪天使を撮影したきり、ロッカーの中に死蔵させていた骨董品を発掘し、ヨシュアのブルマ姿をカメラに納め続ける。言う迄もなくこれは盗撮という犯罪行為で、愛好家のこのような行き過ぎた振る舞いが自然とブルマを衰退へと追いやった。
 海で遭難したペットの犬が、己の命綱の浮輪に噛みついて穴を空けるが如きの自滅行動をハンスは弁えてはいたが、あの美しいブルマ少女の姿を写真として永遠に保存し、後世の世に伝えずして何が芸術か。発覚時のブルマ廃絶のリスクを全て承知した上で、それでもこの愚挙に殉ずる覚悟で彼のブルマへの熱い想いは虚仮でなく本物。
 ヨシュアやルーシーのような一部の美貌の女子生徒にとっては、単に迷惑なだけの話だが。

        ◇        

 校庭を十周して温まった生徒達は、二人一組になって身体をほぐす準備運動を行う。各種ストレッチ体操で程よく関節を伸ばす。
 エステルと組んだクローゼは互いに背中合わせになって、両肘をフックのように引っ掛けあって、まずはエステルの身体を持ち上げる。
「きゃん!」
 体脂肪率が10%を切るエステルの筋肉の重さにクローゼがふらつけかけた刹那、可愛らしい悲鳴が聞こえ、数瞬先のクローゼの未来を先取りしたかのような現象が女子のペアで発生する。
 ヨシュアがジルの体重を支えきれずに押し潰された模様。ブルマ姿の二人の少女が、くんずほぐれつしている格好はかなり見応えがあり、屋上のハンスも極上のシャッターチャンスにさぞかし興奮しているだろう。
「お、重い。早く降りてよ、ジルぅー」
「重いって、失礼ね。これでもダイエットに成功したばかりなのよ。私がブレイサーにも背負えない程のデブだと主張したいわけ、ヨシュアは?」
「いいから早く退いてよ、ジル。本当に苦しいー」
 背中の上でじたばた暴れるジルに、ヨシュアは顔を真っ青にして苦痛を訴える。
「あのー、エステル君。あれも君が言う所の猫被りという奴ですか?」
「いや、今のは素で潰されたんだろ。ヨシュアは箸より、もとい双剣より重いものを持ったことがないからな」
 今度は逆にクローゼを軽々と担ぎ上げたエステルが、「あの体力のなさは、ブレイサーとしてどうかと思うけどな」と深窓のお嬢様振りに苦言を呈する。
 理(ことわり)を用いれば、己の倍近い体重のエステルを楽々投げ飛ばせるヨシュアが、純粋な筋力では女子の標準体のジルすら持ち堪えられないとはまた皮肉である。

 準備運動が終わった生徒らは本日のお題のドッチボールを行う為に、ライン引きを使って石灰で白線を引き二つのコートを作成する。
 男性側のコートでは当然のように豪腕のエステルが猛威を振るう。次々と敵側の男子生徒を失神させ保健室送りにし、クローゼは彼と同じチームになった幸運に心から感謝する。
「きゃっ」
 一方、女子側のコートでは内野のヨシュアが豊満な乳房にボールをぶつけられて、ぽよよんと胸部を弾ませながら派手に尻餅をつく。
「てへへっ、当てられちゃった」
 地面にへたり込み、ペロリと舌を出しながらヨシュアは軽く頭を掻く。「おおーっ!」と野郎共の喜声が上がり、女生徒を苛つかせる中、呼吸するように猫被りに擬態せずにはいられない憐れな習性をエステルは冷ややかな目で見守る。
 ドッチボール自体は、ガキの定番遊戯なので、ロレントでも街中の少年少女と仲良く遊んで無双したものだが、ヨシュアにだけはボールを当てられた試しがない。
 逆にヨシュアの側にもエステルをヒットさせる速球を投げ込む腕力がないので、千日手のように勝負は膠着して引き分けで終わったが、ヨシュアは同性相手に真面目に授業に取り組むよりも殿方への点数稼ぎに走ることにしたようだ。
「まあ、好きなようにやれば良いさ。こっちは真っ当に楽しませてもらうとするからさ」
 この機会に学園生活というよりは、授業で溜まったフラストレーションを纏めて解消させる腹づもり。勢い余って敵どころか、捕球し損ねた外野の味方まで保健室送りにしてしまう。
 ワンサイドゲームで現在の対戦に決着がつく。今度は級友とチームを違えることになるが、クローゼが指揮するチームは延々と内野と外野でパスを繋ぎ合うだけで攻めようとしない。
 エステルにボールを持たせない持久作戦。短気なエステルは見事に策略に引っ掛かり、無理にボールを奪いに詰め寄った途端、至近距離からクローゼに顔面にボールをぶつけられアウトとなり、内野から外野に配置替えされる。
 暴走機関車の脅威が去って安堵したのも束の間、外野からでも攻撃可能なルールを失念していたクローゼチームは、エステルの遠距離スナイプに次々と餌食になる。九十分授業の二時限目終了のチャイムが鳴ってお昼休みに突入した時には、辛うじて逃げ切りに成功したクローゼ以外の男子生徒が敵味方の区別なく死屍累々と地面に横たわっていた。

        ◇        

「って、何だよ。こりゃ?」
 撮影に区切りをつけ、アリバイ作りに保健室に顔を出したハンスは、受付を兼任している保険医のファウナから治療を受ける男子生徒の長蛇の列に唖然とする。
 ドッチボールの女子コート(というよりはヨシュア)をひたすらファインダーで追い続けていたハンスは、男子コートの惨状を知らなかった。
 カーテン奥のベッドの上では、「ピンクの象さんが」とフラッセがうーん、うーんと唸りながら寝込んでいる。付き添いのレイナが彼女の手を強く握りながら、「本当にお子様ですね、フラッセは」と以前の家出騒動でエジルと名乗った遊撃士に助けられてから、まるで成長していない未来の主人兼永遠の友に嘆息する。
 男子も女子も全てエステルの物理あるいは精神的な被害を被った犠牲者で、癌細胞のようにエステル伝説が流布する程、真面目な生徒が受ける悪影響が懸念される。まあ、学園の影の最高権力者の現生徒会長がやたらとエステルを贔屓にしている以上、学園祭までの間の身分は安泰であろう。

        ◇        

「一体、どうなっているんだよ。こりゃ?」
 昨年人数不足で廃部になった写真部の旧部室で、ハンスは先に似た素っ頓狂な声を上げる。
 フェンシング部の部長でありながら旧写真部の幽霊部員のハンスは、昼休みを丸々潰し遮光カーテンで暗室にした仕事場で現像作業を行ったが、現像液で浸したフィルムを取り出し、定着、水洗い終了後、速効で乾かした所、出来上がった写真にはなぜかヨシュアの姿だけが奇麗に抜け落ちている不可解な怪奇現象に遭遇。
 黒髪少女を中心に撮影したのに、ジル他の女子生徒のブルマ姿はきっちり納められているのに、どうした訳かヨシュアの存在だけかまるで彼女が最初からこの世界に実在しなかったが如くぽっかりと写真の中から抹消され、ハンスはガタガタと膝を震えさせる。
「これって、もしかして心霊写真っていう奴か? だとしたら、まさか、ヨシュアちゃんの正体は幽……」
 何時の間にやら、きっちりと鍵を締めた筈の室内に長い黒髪を靡かせたブルマ少女が侵入し、トントンとハンスの肩を叩く。
 髪の毛をメデューサのように逆立てさせて、暗闇の中に爛々とした二つの真っ赤な瞳が浮かび上がる様は実にホラー。振り返ったハンスの顔が恐怖と絶望に彩られ、断末魔の悲鳴が校舎に響きわたる。

 その黒髪の幽霊がハンスがこの世で見た最後のブルマである。その後、ハンスがどうなったのかは誰も知らない。



[34189] 11-04:ジェニス学園の黒い花(Ⅳ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/08 00:03
「おい、ハンス。飯も食べずに、昼休みはどこで時間潰していたんだよ? 折角のブルマ拝み放題の体育の授業も途中で抜け出すしさ」
「ブ・ル・マ……ソ・レ・ハ・ナ・ン・デ・ス・カ……?」
 フラッセの看病で保健室に常駐していたレイナから授業時間中のハンスの不在を聞きつけ、一応悪友の心配をして声を掛けてみるが、ハンスはロボトミー手術を施された精神疾患患者のような機械的な音声でブルマの存在を否定し級友二人を驚愕させる。
「本当に由々しき事態ね。あのブルマニストにどんな心情変化が芽生えたのやら?」
「ほっとけば良いわよ、ジル。どうせ次の体育の時間には元に戻っているでしょうから」
 探偵役としてこの謎を説き明かしたくてウズウズしているジルに、制服に着替えたヨシュアは机に頬杖をついたままつまらなそうに囁く。
 例の異能の力でブルマに対する認識を抹消してみたもの、不屈の精神と何らかの契機があれば魔眼の支配を破れるのは、正遊撃士のエジルが身を以て立証済。
 盗撮の罰として記憶封鎖を処方したが、彼のブルマに対する異様な執着心を思えば、女生徒が現物を履いている姿を生鑑賞すれば再び熱い思いを滾らせ完全復活する未来図をヨシュアは露程も疑っていない。
(いっそ盗撮の事実を明るみにして、それを理由にブルマ廃止に追い込む手もあるけど、ちょっと勿体ないのよね)
 エステルの馬鹿発言の所為で、生下着をパンチラする以上にブルマ姿を晒すのに抵抗を覚えるも、真面目なクローゼを含めてあれだけ殿方を渇望させる最終兵器を破棄するのは惜しい。
 ちょうど生徒会副会長の弱みも掴んだことだし、何かに利用できないものかと奇麗な顔してお腹の中身は真っ黒な少女は思案を重ねる。
 そうこうしている間に、リンゴンとホームルーム終了の鐘が鳴り響き、本日の日程が全て満了する。
 生徒らは軽く伸びをして一日の終わりを祝ったが、学園祭が押し迫っているこの時期の放課後は、普段から部活動に汗を流す者、自由を満喫する帰宅部ともに平等に忙しい。何よりも助っ人遊撃士兄妹にとってはこれからが本番だ。

        ◇        

「ふーん、これが俺の着る舞台衣装か。窮屈な学生服と違って、これならチャンバラも可能だな」
 芝居の稽古場となる講堂で、王立親衛隊の制服をアレンジして拵えた舞台衣装に身を纏ったエステルは感心する。
 貴族の『紅騎士ユリウス』を演じるエステルの衣装カラーは、燃える闘志を反映するかの如く真紅で統一される。平民の『蒼騎士オスカー』に扮するクローゼは、彼のイメージカラーそのままの碧。王家の『白の姫セシリア』は当然、ホワイトということで、純白のドレスに身を包んで黄金のティアラを頭に被ったヨシュアが衆前に降臨する。
「ヨシュアさん、何と可憐な」
 皇族の子女と見間違わんばかりの華やかさに、クローゼが嘆息する。
 普段着のミニスカニーソックス、学生服、体操服のブルマ、そして舞台ドレスと、どれほどヨシュアがお色直ししてもクローゼのボキャブラリーに変化はないが、逆に言えば何を着ても絵になるという証。
(確かに綺麗っちゃ、美少女なんだけどな)
 義妹の美しさを称えること自体は吝かでないが。「髪と性格の色使いから、題名を『白き花のマドリガル』から『黒い花の腹黒姫』に変更した方がいいんじゃないか」と酷いことを考える。
「ふーう、流石にこんな逸材を連れてこられたら、認めるしかないわね。クローゼ君、これで文句無しに蒼騎士オスカー役は君に任せるわよ」
 キラキラと光り輝く粒子を振りまきながら、神々しいオーラを発散する白き姫を眩しそうに眺めながらジルがそう明言し、クローゼは安堵の溜息を漏らす。
「あれっ、オスカー役が未確定って、クローゼの他にも、この役に立候補していた奴がいたのか?」
 エステルが疑問を感じたのももっともで、凛々しい外観に卓越した剣の腕。まさにクローゼはナイト役にうってつけで、正直、クローゼをオスカー役から引きずり降ろそうなどと企む身の程知らずの男子生徒が、学園に存在しているとも思えない。
「いや、聞いてなかったのかよ? 元々、白の姫セシリアは、クローゼが演じることに」
「ハ、ハンス!」
 クローゼが慌ててハンスの口元を抑えるが手遅れだ。
「どういうことかしら、クローゼ?」
 冷やかな琥珀色の瞳がクローゼを射抜き、蛇に睨まれた蛙のように萎縮する。美人は怒った顔も美しいというが、ヨシュアを本気で敵にまわした時の悲惨さは先の盗撮小僧が物語っている。
「それについては、監督の私から説明させてもらうわ」
 ジルが苦笑いしながら、今回の芝居の裏事情をブライト兄妹に明かすことにした。
 企画当初、『白き花のマドリガル』は男子と女子が配役を入れ換えるという独特の趣向で舞台を演じるということで話が進んでおり、最も注目を浴びるヒロイン役のセシリアをこなせる男性の役者は白面の美貌のクローゼしかいないと満場一致で可決した。当然、当人のクローゼは猛反発するも彼の艶姿を拝みたい女子生徒の一団を中心に却下される。
 多数決という名の数の暴力の前に必死の抵抗も虚しく、追い詰められたクローゼは、「真の白の姫に相応しい美少女を必ず連れてくるので、その時は舞台を根源から見直して、男女の役を通常に戻して欲しい」と切実に訴えた。
 『性差別からの脱却』、『ジェンダーからの解放』などと煙に巻いて教師陣を強引に説き伏せながらも、その実、単に面白いからというだけの理由で反転劇を思いついたジルは、「私の眼鏡に適う人物を見つけてこられたらね」とはっぱをかけながら、「善処します」を口癖にする悪徳政治家並に口約束を反故にするつもりだが、実際にクローゼが伴ってきたのはヨシュアだ。
 監督役のジルは素直に白旗をあげ、今回の舞台劇を根本から煮詰め直すことにした。
「まっ、仮にクローゼがセシリア役を了承して男女反転劇を続行したとしても、ラストの決闘シーンを高レベルで演じられる女の子を今から二人も探し出すなんて無謀にも程があるから、ジルの脚本は最初から無理ゲーだったんだよな」
 ハンスが両掌を広げるお手上げのジェスチャーをし、ジルが「ぐっ……」と言葉を詰まらせる。
「ふーん、随分熱心に私たちを勧誘すると思ったら、そういう裏があったわけね」
 少しばかり醒めた色を琥珀色の瞳に浮かべて、後ろめたそうに顔を背けたクローゼを正面からじっと見つめる。
 企画を聞かされた当初から、ヒロインの座の空白を密かに不審に思ってはいた。ヨシュア程ではないが、ここに集まった配役の女子生徒は中々に可愛い娘が粒揃いしている。帝国オペラの主演を張れという無理難題ならともかく、学芸会のお芝居のヒロインを演じるだけなら過不足なくこなせた筈。
 喉の奥に引っ掛かった魚の小骨のような違和感の正体をようやく突き止められた気分だが、小骨を強引に引き抜いた所でますます傷口が広がるばかりで爽快感を感じる訳ではない。
「子供たちを楽しませたいとか奇麗事抜かしていたけど、結局は自分が女装するのが嫌だという御為倒しだったんだ?」
「そういう打算があったことは否定しません。けど、それでも僕は…………いえ、何でもありません」
「クエストの内情を秘匿されて、腹が立つのは判るけどよ、ヨシュア。クローゼのマーシア孤児院への思い入れまで、否定してやるなよ」
 言い訳を飲み込んで、素直に下心を認めたクローゼの潔さをエステルが庇う。出会ったばかりの頃は色々と反感を覚えたものの、今では良きマブダチだからだ。
「こいつがそんな利己的な奴じゃないのは、本当はお前だって判っている筈だろ? だからあんまり苛めるなよ、ヨシュア」
 女形は御免としても、お芝居を成功させたいと願う熱い思いに嘘偽りはない。だからこそ舞台を盛り上げる為、彼は身代わり役のヨシュアだけでなく、自分に匹敵する武術の遣い手のエステルにまで懸命に声を掛けた。
「そうね、確かに言いすぎたわ」
 ヨシュアは素直に前言を撤回し、クローゼはそもそもの説明不足を詫びる。
「ありがとう、エステル君。ですが、やはり責任は恥ずかしがって事情を告げられなかった僕にあると思います」
「気にすんなよ、クローゼ。山場のクライマックスシーンで、素人女同士のしょぼいチャンバラを見せられても客は白けるだけだから、男女の配役を戻そうとしたお前の判断は正しいと思うぜ」
 「ただし、お前の女装も見てみたかったけどな」とエステルはシシシと笑いながら、指を銜えて配役変更を残念がっている女生徒の群に幾ばくかのシンパシーを示すが、クローゼはその件に関してだけは断固として突っぱねる。
「いくら僕が女顔だからといって男子が女子の格好をして、あまつさえ多くの人間にその姿を晒すなどと死に等しい屈辱です。そんな辱めを受けて平気で街を歩ける男性は、もはや男のプライドを捨てたとしか……」
「うっ?」
 女装反対運動の演説の最中、いつぞやのようにヨシュアは心臓を抑えてうずくまった。
「どうした、ヨシュア?」
 今のクローゼの言の中に、ヨシュアの琴線に触れるようなキーワードは含まれていなかったと思うが。
「私にも判らない。けど、別領域から突き立てられた刃が私の中に潜む心の傷を切り裂いて」
「また恒例の中二病(おかしなやまい)かよ? 頼むから、片目を抑えながら「鎮まって、私の魔眼よー」とか、こっ恥ずかしい台詞を吐かないでくれよ」
「本当に私にも、何が何やら見当もつかないのよ。けど別次元のもう一人の私が、今のクローゼの言葉にいたく傷ついたことだけは確かよ」
「あのー、何だか良く判らないけど、やっぱり僕が悪かったのでしょうか?」
 ヨシュアの謎の発作を治まるまで、幾ばくかの時間を必要とした。

「さてと、話を纏めると、元々男女反転で芝居を行うつもりだったのを、急遽配役を元に戻したから、ほとんどの俳優は台詞や役作りを一から覚え直している最中だと?」
 ヨシュアの質問を、ジルは心苦しそうに首肯する。
「本番まで二週間を切っているこの段階で、お話にもならないわね」
 ジルはさらに恐縮する。脚本自体は、彼女が直接手掛けただけあって時代考証はきちんと練れている。その上、手間暇惜しまず、小説家志望の同級生に台本を書き直してもらったので、各々のキャラクターの台詞回しの方も今のところ申し分ないとのお墨付きを頂戴する。
「だから、結局は実際に舞台を演じる貴方達がどこまで頑張れるか次第ね。一週間後にもう一度訪ねて来るから、それまでに各々自分の役をマスターしておきなさい」
 明らかな上から目線でそう宣告したヨシュアは、そのままスタスタと講堂からお暇しようとしたが、女生徒に引き止められる。
「ちょっと、あんた。何一人で勝手なこと言っているのよ? それをこれから皆で、稽古していくんでしょう?」
「生憎と私は昨日一晩でジルから渡された台本を一通り暗記して、自分の役と全体の台詞は全部覚えたわよ」
「はあー? そんな直ぐにばれる出鱈目を」
「確かめてみる?」
ヨシュアは琥珀色の瞳に挑発的な色を浮かべて、台本をリチェルという女子生徒に手渡す。
「紅騎士ユリウスの台詞 か-14」
「我が友よ。こうなれば是非もない。我々は、いつか雌雄を決する運命にあったのだ。抜け、互いの背負うもののために。何よりも愛しき姫の為に」
「蒼騎士オスカーの台詞 か-18」
「だが、この身に駆け抜ける狂おしいまでの情熱は何だ? 自分もまた本気になった君と戦いたくて仕方ないらしい」
「ナ、ナレーション あ-1」
「時は七耀歴1100年代。百年前のリベールではいまだ貴族制が残っていました。一方、商人たちを中心とした平民勢力の台頭も著しく、貴族勢力と平民勢力の対立は日増しに激化していったのです。王家と協会による仲裁も………………」
「ラドー侯爵の台詞 お-9」
「ユリウスよ、判っておろうな。これ以上、平民どもの増長を許すわけにはいかんのだ。ましてや、我等が主と仰ぐものが平民出身となった日には。伝統あるリベールの権威は地に落ちるであろう」
(ど、どうすれば、そうだ)
「レイニの台詞 い-7」
「はあーどちらも素敵ですわ」
「う、嘘でしょう? こんな端役の、どーでもいい台詞まで」
 二十以上のランダムに抜き取った場面場面を、一文字一句間違えることなく、カンペもなしに空で謳い上げる。一晩で台本を丸暗記したというのは、ハッタリでない。
「ちなみにラドー氏は、侯爵(こうしゃく)でなく公爵(こうしゃく)よ。読み方が同じでも階級が異なり、侯爵は爵位(五爵)の第二位で、公爵は第一位。一つのランク差は貴族社会ではとても重要なことだから、きちんと峻別できるようにしておかないと駄目よ」
 へなへなと崩れ落ちるリチェルに、ヨシュアは間違い探しレベルのあげ足取りを行い、さらなる追い打ちをかける。このあたりの同性に対する容赦の無さが、腹黒完璧超人らしい。
「まっ、まだよ、いくら台詞を完璧に覚えたとしても、演技だけはきちんと練習しないと自分の物には」
「なら、白き姫セシリアの一人舞台を堪能させてあげましょうか?」
 雉も鳴かずば撃たれまいに。自ら底無し沼に沈み込もうとしている哀れな少女の末路を、ヨシュアはむしろ憐憫の眼差しで見下ろした。

「不思議……あの風景が浮かんできます。幼い頃……お城を抜け出して遊びに行った路地裏の。だ……から……どうか。いつも……笑って……い……て……」
 力尽きて息絶えるセシリア、もといヨシュア。顔からは完全に血の気が引き瞳孔は見開いて肌の色も青褪め、実は一時的に脈まで止めている。どこからどう見ても死体そのもの。ここまで来ると感動するよりも恐怖を覚える。
「復活後の感動のクライマックスシーンがまだ残っているけど、続けましょうか?」
「いや、もう、十分……」
 再び透明度の高い白い肌を復帰させて立ち上がったヨシュアが、ドヤ顔で芝居継続の有無を確かめたが、完全に心が折れたリチェルはうなだれたまま首を横に振る。
 実際、ヨシュアの迫真の演技には、誰一人としてケチのつけようがない。
 憂いを帯びた白き姫の溜息。ユリウスとオスカーを思い浮かべ、姫でなく一人の少女として物思いに耽る少女の横顔。二人の騎士に看取られ死に往く時に成すべきことを果たした人間が今際の祭に見せた満足げな笑顔。
 これらはもはや演技と呼べる次元でなく、百年の歴史を超えて実在の白き姫セシリアがヨシュアに憑依したとしか思えない。
 腕立て伏せの回数が二桁に届かないように相変わらずヨシュアは『出来ないこと』はてんで駄目だが、裏を返せば『出来ること』は全て極北を極めているといえる。普段の生活から呼吸するが如く猫被りし、ボース地方での別人格のカリンによる正遊撃士無双を含め多くの殿方を魅了してきたヨシュアの演技力があれば、どこの劇団に所属しても食うには困らないだろう。
「理解してもらえたみたいね。それじゃ、一週間の間、精々精進することね」
「ちょっと待てよ、ヨシュア。いくらなんでも身勝手にも程があるだろ?」
 再び講堂から消え去ろうとしたヨシュアを今度は身内のエステルか呼び止め、煩わしそうに振り返る。
「お前の演技力がアマチュアレベルを超越しているのは、皆よーく判ったよ。けど、お芝居は一人でやるものじゃないし、俺たちは依頼として参加しているんだぞ」
 ヨシュアの協調性の無さというか猫みたいな気紛れさは毎度のことだが、日曜学校ならともかく、僅かなミラとはいえ報酬を貰って活動しているプロの遊撃士がクエスト中に我が儘を通すなどもっての外。
「ふーん、プロのブレイサーとしてねえ?」
 先のクローゼ関連のイザコザのように、普段は比較的寛大にエステルの意見を汲んでくれるヨシュアが、この時はなぜかシニカルな笑みを浮かべてエステルの主張を嘲笑う。
「その言葉をそっくりそのまま、お返ししてあげましょうか、エステル。そこまで偉そうに私を諭す以上、自分の役柄の台詞ぐらいはちゃんと覚えてきたんでしょうね?」
「うっ!」
 台本のコピーは一人一冊、関係者全員に配られていたが、昨晩は男三人の四方山話に夢中になりすぎて、まだ目を通してすらいない。嘘を吐けないエステルは馬鹿正直に自分の落ち度を告白し、ヨシュアは大袈裟に両肩を竦める。
「だと思ったわ。語るに落ちたわね、エステル。色々と馬鹿をやるのも結構だけど、貴重な時間を無為に潰しているのは、私でなくあなたの方じゃなくて? 本当に学園祭の本番までに間に合わせる自信があるのかしら?」
 元々口下手なエステルが口喧嘩でヨシュアに勝てる道理はないが、現在の所どちらがクエストに真面目に取り組んでいるかと問われれば、学園の伝説作りに終始していたエステルでなく、きちんと己の役をマスターしてきたヨシュアである。それは屁理屈でも口から出任せでもない歴然とした事実。
「私が参加するのは、最低でも通し稽古が可能な段階からにさせてもらうわ。それができるようになったら、別に一週間待たなくてもいいから何時でも声を掛けてちょうだい」
 そう最後通告して、長いドレスの裾を引きずるようにして、制服に着替える為に講堂の衣装部屋に向かう。流石に誰からも声が掛けらず、今度こそ講堂から退出する。もはやヨシュアをこの場に繋ぎ止められる鎖を持つ者は一人もいなかった。

「一体何なのよ、あの女の横暴な態度は?」
 女子生徒がフツフツと腸を煮え繰り返らせて沸騰する。
「ちょっとばかり顔と頭が良くて演技も完璧だからって、調子に乗りすぎよ」
 そう息巻いてはみたが、それだけカードを保持して増長しないのはよほどの人格者。ヨシュアの性格がその方角から著しく隔離しているのは、エステルはおろか密かに憧憬の想いを寄せていたクローゼですら弁えていた。
「あんな性悪な義妹の言う事なんか気にすることないわよ、エステル君。台詞も役もこれから覚えればいいんだし、私たちでフォローするから一緒に頑張ろうね」
「あっ、ああ、悪いな」
 一見キツイように見せ掛けて、常に影からサポートしてくれたヨシュアからコテンパンに叩きのめされて少し意気消沈していたエステルは、暖かい励ましの言葉で慰めてくれた女子生徒の気遣いを心から有り難いと思った。
 誰しも才能に胡座を掻いている嫌な奴よりも、足りない所を懸命に補うと努力する頑張り屋さんの方に好感を抱くもので、女学生らが一致団結してエステルの肩を持つのは自然な流れだ。
「ちょっとジル。いくら演技が上手いからって、あんな協調性ゼロの人間に本気で主役を任せる気?」
 突如牙を剥いた黒髪天使の変貌に困惑する男子生徒を無視し、女子の一団が監督役のジルに詰め寄る。
「うーん、それは皆が目標をどこに定めるかにもよるんじゃないかな?」
「どういう意味よ、それ?」
「つまり、このお芝居をどういうレベルで成功させたいと願っているか、その志の高さによりけるということ」
 質問に質問で鸚鵡返しされたが、さらなる別なクエスチョンが発生したので、堂々巡りになる前にジル自身の意図を明瞭にする。
 あくまでも学生の自主活動の一環として、和気あいあいと楽しみながら、自分たちなりのベターを尽くせたことで満足するか。それともヨシュアという稀代の才能を活かして、このお芝居を学園祭史に残るようなベストの結末を目指すのか。
「前者だとしたら、ヨシュアはいらない。というか、むしろ邪魔ね。皆が雑なお芝居をしている中でオスカー女優が一人紛れられても、反って浮いちゃうからね」
 球技などのスポーツ競技なら、突出した天才のワンマンプレーもある程度のレベルまでは有効だが、集団で物語を紡ぐ演劇には役者、裏方を含めた全員の協力が大事。個の力でカバー出来る範囲はたかが知れている。
「けど、もし後者を選ぶのなら、ヨシュアの存在は必要不可欠ね」
 皆で切磋琢磨し合い全体の底上げが完了した時にこそ、ヨシュアの輝きは一段と増しさらなる高みのステージへと皆を誘ってくれる。ただし、その場合には、我が儘なプロスポーツ選手か勘違い芸能人なみのヨシュアの素行の悪さに目を瞑る必要があるが。
「どっちを選ぶかは、一人一人が自分で決めること。数学の試験問題と違って、正解の答えがあるわけじゃなしね」
 ジルが示した二つの選択肢に頭を悩ませ、女子生徒の何人かは後ろ暗そうな表情でクローゼをチラ見する。
「あっ、それと孤児院のおチビちゃんにお芝居を楽しませたいというのは、あくまでクローゼ君の個人的な感傷だから、どういう選別をした所でそれで引け目を感じる必要はないわよ」
 聡いジルは少女たちの深層心理を見抜き、意外と容赦ない物言いながら外的要因に左右されることなく、思い思いの自分の考えを忌憚なく述べるよう促した。
「私は、今回のお芝居をきちんと成功させたい」
 ヨシュアに最も凹ませさたリチェルが、立ち直って自分の意志を表明する。「私はそれでもクローゼ先輩の役に立ちたい」、「あの性悪女をギャフンと言わせたい」など動機は人によって微妙に異なるようだが、どんどん皆のやる気が溢れ返り、その覇気が男子の側にも伝染し始めた。
「はーあ、俺はダルイから、芝居なんて適当に」
「女子がこれだけ気を張っている中で、大の男がしみったれたことを言う気はないよな?」
「と、当然であります、軍曹殿」
 ミックという空気の読めない若干一名の怠け者の男子生徒が盛り上がった場の雰囲気をぶち壊し掛けた刹那、エステルが丸太のようなぶっとい腕を首に廻してプラプラと宙づりにし、彼はコクコクと鳩のように首を縦に振る。
「それじゃあ、決まったわね。もうあまり時間がないけど、これからは授業の終わりから、学生寮の門限まで毎日ビシバシ稽古するわよ。いいわね、皆?」
「「「「「おおおっっーー!」」」」「はあー」
 ジルの号令に全員で円陣を組んで、手と手を重ね合わせる。一つの尊い目標に向かって、皆(約一名除く)の心が一つになった瞬間だ。
「ありがとう、皆さん」
 目頭を熱くさせながらクローゼは感謝の言葉を捧げる。こういう熱血なノリが大好物のエステルは、学園の中は苦手なことだらけだけど授業も含めて逃げずに努力してみようと心に誓う。
 ただ、一つに纏まった人の輪の中にヨシュアが加わっていないのが心残りというか寂しかった。

        ◇        

 それから猛稽古がスタートした。公言した通り、翌日からヨシュアは講堂に姿を見せず、そんな傲岸不遜な少女を見返したい一心できつい練習に耐える。男子生徒も華奢な女子たちが泣き言を言わない以上、そのペースにつき合い続けて少しずつだが芝居は形になり始めた。
 監督のジルや演出担当のハンスは生徒会の仕事もあり、稽古につきっきりという訳にもいかなかったが、それでも可能な限り講堂に顔を出して皆を励ます。さらにはクラス行事や他の出し物などの雑務に時間を奪われないように、生徒会の権限を駆使して便宜を図り稽古に集中できる環境を整えてくれた。
 エステルも主に台詞関係で何度もとちり四苦八苦しながら、確実に昨日以上の成果を残して紅騎士ユリウスを己がものとするよう努める。
 メインとなるクローゼとの剣演舞は、迫力第一で防御を無視した実戦形式で行う。お互い何度も手傷を負い女子生徒を顔面蒼白にさせたものの、それだけに武術に造形があるコアな観客の試聴にも耐えうる濃いバトルが生み出せそうだ。
 この調子なら思ったよりも早く、ヨシュアが最低ノルマとして掲げた通し稽古に持ち込めそうであるが、そのヨシュアに関して不埒な噂が流れつつある。必死に稽古している皆の努力を嘲笑うが如く、学園の外に一人抜け出し毎日男遊びに興じているという。
 実に悪意的な流言であるが、普段の女王然とした生活振りを鑑みれば、そんなスキャンダルな噂の一つや二つ流されても不思議はない。
 いくらヨシュアでもそこまでお芝居に賭ける皆の想いを蔑ろにする筈はないとエステルは信じたかったが。授業には真面目に出ているものの放課後から女子寮の門限までの時間に少女の姿を学内で見た者がおらず、噂をデマだと笑い飛ばせる根拠を誰も持ち合わせていない。

        ◇        

 放課後のチャイムが鳴る。クラス展示の準備を手伝い稽古に遅れたクローゼは、慌てながら靴を上履きに履き替える為に下駄箱を開けると、中には一枚の封筒が置かれていた。
「これが噂のラブレターという奴かな? 僕にもそんな青春に縁があったのですね」
 本当は望めばいくらでも薔薇色の未来が開けているのに、その無限の可能性を無意識に封印してきた王子様は、「どう返事をしたものか」と悩み、封筒をひっくり返す。裏側の名前を見た途端、トクンと心臓の鼓動をワンオクターブ上昇させる。
 もう一度、名前を確認して自分の見間違えじゃないのを確認したクローゼは、辺りに人がいないのを確認すると乱雑に封を切り、中の便箋の内容を検めた。

        ◇        

「えっ、クローゼが今日の稽古には来られない?」
「はい、急用ができたとかで、明日からの稽古で必ず遅れを取り戻すからと、申し訳なさそうに」
 同じくクラス展示の準備で遅れてきた後輩のリチェルが、クローゼから申し遣った伝言を伝え、エステルは軽く小首を傾げる。
 どんな用事か知らないが、クラムらを楽しませる芝居の稽古以上に重要なことはないだろうと訝しんだが、あの超がつく真面目なクローゼが欠席するぐらいだから、親の法事とかの本当に外せない約定なのだろう。
 事実、隙あらばサボろうと目論んでいるミックなどと異なり、周りの生徒は誰一人としてクローゼを疑ってないし、台詞や役作りも含めて蒼騎士オスカーをほぼ我が物としており、一日休んだ所で支障はない。
 それよりエステルの方が全然やばい状況なので、この機に今日中に台詞を全て頭の中に叩き込む覚悟で自分の役柄に没頭することにした。

        ◇        

「本当に来てしまった、皆さんすいません」
 外出許可を申請して、ジェニス王立学園の外に飛び出したクローゼは、そのままヴィスタ林道とメーヴェ海道を渡り歩いて、ルーアン市に到着。講堂で汗を流しているエステルや他の仲間の苦労を思えば、後ろ髪を引かれるような後ろめたい気分を味わい、己が裏切り行為を心から謝罪する。
 「ルーアン市の三つ目の灯台まで来て欲しい」というシンプルな一文に誘われて、ご苦労にも遠く離れたルーアンの市街地まで出張してきた。
 普段のクローゼであれば、こんな意図不明の怪文はおろか、どれほど想いのこもった熱い恋文であっても芝居より優先させることはないが、差出人の名前をどうしても無視できなかった。
「会って、きちんと確かめたい。彼女を蝕むあの噂が本当なのか」
「正直、来てもらえるとは思わなかった。ううん、きっと来てくれると判っていて、あの手紙を出したのよね。本当に狡い女ね、私って」
 気配無しでいきなり背後から聞こえてきた少女の声に、クローゼは背にした灯台の方角を振り返る。そこにはジェニス学園の制服を纏った黒髪の美少女が佇んでいた。
「ヨシュアさん」
 それっきり口を噤み、次に掛けるべき言葉を見失う。性質の悪い風説を事実無根の中傷だと証明したくて、こんな場所までのこのこ足を運んだのに。態々尋ねるまでもなく、ここに当人がいること自体が噂が事実という動かぬ証拠ではないか?
 それでも弁明の言葉を本人の口から直接聞きたかったのだが、彼女から溢れ出た一言はそんな彼の願いを更なる虚無へと叩き落としながらも、クローゼを誘惑して止まない。

「ねえ、クローゼ。これから私とデートしない?」



[34189] 11-05:ジェニス学園の黒い花(Ⅴ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/09 00:01
 ルーアン市から南へ伸びるアイナ街道を、ジェニス王立学園の制服を着た男女が下っていく。言う迄もなくヨシュアとクローゼの一組。結局、クローゼはヨシュアの言霊に抗うこと叶わず、お供を仰せつかる。
 先行するヨシュアは相変わらず身一つで身軽そうだが、クローゼは正面に抱え込んだ五段重ねの重箱に視界を塞がれ足元をふらつかせる、どこか既視感を感じさせる光景が展開されている。
(何をやっているんだろうか、僕は)
「ヨシュアさん、エステル君たちが脇目もふらずに稽古に励んでいる中で、あなたはこんな所で何をしているんですか? あまつさえデートとか、今なお講堂で頑張っている皆を馬鹿にするにも程があります」
 という正論は音声化され外部に漏れることなく、まるで苛められっ子の脳内復讐のように彼のインナースペースにのみ木霊して、何時の間にやら彼女から手渡された重箱を抱えて、カルガモの雛のように母鴨の背後をトレースしている自身を発見。
(ホント、何をしているんだか。けど、この街道の先にあるのはエア=レッテンの関所だけだよな? 名所の滝壺の轟々たる流れは確かに絶景だし、そんな場所でヨシュアさんと二人きり……って、本当に何考えているんだ、僕はー」
 クローゼはブンブンと首を横に振る。惚れた弱みか、天使の戒めと悪魔の甘言が同時に頭の周囲を跳ね回り、途方に暮れるクローゼにヨシュアが声をかける。
「着いたわよ、クローゼ」
「えっ、まだ関所には早すぎ……ってここは、まさか?」
 クローゼは顔をあげる。彼が持つ重箱と同じ階層の巨塔が威風堂々と聳え立つ。リベール重要文化遺産に登録された四輪の塔の一つ、紺碧の塔。
「あのデートって、ここでですか?」
 古代遺跡探索を生業とする泥棒、もといトレジャーハンターにお宝を根こそぎ奪い尽くされた魔獣ひしめく危険なだけの塔内がデートスポットに最適とは思えず、ついつい不平を漏らすが、次の瞬間、ヨシュアのペースに乗せられていたのに気づいて赤面する。
「まあ、そうなんだけど。その前に片付けないといけないお仕事かあってね、ほら?」
 塔の入り口付近にたむろする複数の甲殻魔獣の巨体を指差す。空中を浮遊し、黒光りする甲殻の合間から青白い光りが駄々漏れている。
「あれは、もしかして、ヘルムキャンサー?」
「そう、導力革命以前は、無敵と恐れられた魔獣よ」
 ヘルムキャンサーの最大の特徴は、自分の周りに特殊な磁場を形成して、あらゆる物理的な攻撃を反射する防護膜を常に展開している点にある。
 そこまで好戦的な魔獣でなく、縄張りと定めた場所から出張ることも滅多になかったので、有史以来放置するのがこの魔獣への最善の対処法とされていた。
 オーブメント技術の発達による攻撃アーツの普及により、遂にヘルムキャンサーの不敗神話に終止符が打たれたが、それでもこの魔獣の特殊能力が厄介な現実に相違ない。
「本来なら無視して、紺碧の塔に忍び込んでも良かったけど、訳あって退治する必要に迫られているの。手伝って貰えたら有り難いんだけどな」
 有り難いも何も、最初からヨシュアはその腹なのだろう。
 また、アガットあたりから白い目で見られそうだが、少女の価値観からすれば男が惚れた女の為に身体を張るのが本来あるべき男女の形。遊撃士や民間人とかの立場で括るのがナンセンス。
 ヨシュアお得意の殿方に媚びる愛くるしい上目遣いでお強請りするが、クローゼは重箱を地面に降ろすと心苦しそうに首を横に振る。
「手伝いたいのは山々なんですが、今日は非番ですから得物のレイピアを持ち合わせていないんです。力になれそうもなくて申し訳……」
「判っているわ。でも、私がお願いしたいのは、あなたの得意分野に関してよ」
 男を惑わす上目遣いを継続しながら、左手の人指し指で彼の唇に軽くタッチして発言を塞ぐと、いそいそと首元に手を掛けて、Yシャツの第一ボタンを脱がしにかかる。まさか、この野外で行為(何の?)に及ぼうというのか?
「知っていたのですか」
てっきり肢体を使った籠絡かと思いきや、そうではない。観念したように軽くヨシュアの手を遮ると、自ら第三ボタンまで外してネクタイを緩める。
 すると見開いたブレザーの胸元から、彼専用にカスタマイズされた戦術オーブメントが姿を現す。メインの水属性の中央スロットの他、クオーツを嵌める合計六つのスロットの穴が一つのラインで綺麗に繋がっている。
「全連結構造(ワンライン)ね。大陸全土まで範囲を広げればともかく、リベールではワンラインの適正者は数える程しかいないと聞き及んでいたけど、その一人がまさかこんな学舎に隠れ潜んでいたとはね」
 戦術オーブメントのスロットは合計六個と常に決まっているが、ラインの数はその人間が生まれ持った適正によって異なる。ライン数が少なく、逆に一つのラインのスロットが多い程に高度なアーツを組むのを可能とするので、ワンラインはアーツ遣いの頂点と尊ばれる。
「からかわないで下さい。ワンラインと謳ってもスロットの半分は水属性で固定されていますから、そこまで取り回しが効くわけじゃないですし」
 戦術オーブメントのラインや各々のスロットの固定属性は、自由に設定できる訳ではない。生まれ持った適正によって最適な配置図が予め定められおり、その設計図以外でオーブメントを組んでも、導力魔法(オーバルオーツ)は作動しない。
 そういう意味ではヨシュアはツーラインながらも、固定属性をメインの時属性の中央スロット一つで抑え、一つのライン上の自由な属性でクオーツを組めるフリースロット数はクローゼよりも一個多いので、汎用性だけならワンラインのクローゼを上回る。
「クスクス」
「どうかしたのですか、ヨシュアさん?」
「いえねえ、エステルは大陸全土でも数少ない完全無属性(固定属性スロット数がゼロ)でありながら、スリーラインと今一つの性能だからアーツは完全に諦めて、物理攻撃を強化する方向で能力値アップ系のクオーツだけでスロットを組むことにしたの」
 スロットだけでなく、アクセサリもガチガチに物理系で固めているが、褐色の秘宝(タイガーハート)を二枚重ねで装着したのはバランスを欠いた。
 結果、タイガーハートのデメリット効果でATS(魔力)がマイナス化。火を極端に苦手とする鳥型魔獣(フレスベルグ)相手に炎系アーツを唱えてもダメージが通らなくなったが、物理とアーツのどっちつかずの中途半端な状態よりはどちらかに特化させた方が戦士として有能だったりする。
「それでも五つに枝分かれしている父さんに比べたら、全然マシだけどね。親子揃って完全無属性なのに共にアーツが不得手って、本当に適正は遺伝するものなのね」
 士官学校で戦術オーブメントの審査を受けたカシウスは、綺麗な五芒星の形をした無連結構造(オールライン)という大陸無比の持ち主であることが発覚する。
 「本来、高度なアーツ遣いの立場を約束された完全無属性で、ここまでラインに救いがない人間は初めて見た」と教官を呆れさせて、相当凹んだらしい。
 しかし、だからこそカシウスは己に唯一残された物理の道を突き詰めようと、常人の及ばぬ修行に明け暮れて剣と棍の理(ことわり)に到達し、剣聖の称号を欲しいままにした物理の守護神と成り果せた。
「そうでしたか。稀代の戦術家と呼ばれたカシウスさんも、そんな断腸の思いを味わっていたのですね」
 クローゼの剣術師範のユリアのそのまた師匠筋で、文武両輪を極めたとされるカシウスも決して万能な存在ではなく、意外と身近な苦悩を抱えていたことに新鮮な驚きを享受する。
「まあ、与太話はこのぐらいにして、協力してくれないかしら? 対集団戦闘を得意とする私としては本来なら魔獣の群なんて殿方同様に鴨同然なのだけど、ヘルムキャンサーの反射能力だけは正攻法じゃお手上げなのよ」
 ヨシュアが再度、両手の掌を合わせてお強請りし、クローゼは天を仰ぐポーズで嘆息する。
「判りました。それでは手早く片付けましょう」
 甘え上手の黒猫の猫招きにとうとうクローゼが折れ、ヨシュアはぱっと表情を輝かせる。どのみちここまで着いてきて、今更手ぶらで帰る訳にもいくまい。
「ありがとう、クローゼ。それじゃ、これを渡しておくわね」
 懐から取り出した宝石を、クローゼの掌に落とす。滴る血のような真紅の色。まるで魂そのものが宝玉の中に吸い込まれるような禍々しいオーラを解き放っており、思わす唾を飲み込む。
「ヨシュアさん、これは?」
「真紅の秘石(クリムゾンアイ)と呼ばれる一部から持ち主に災いを齎す呪いの宝玉と忌み嫌われ、別なコアなコレクターが求め続けた曰く付きの逸品よ」
 釣りをしていた時、大物(ギガンゴラー)のお腹を割いたら出土したと付け加える。
 尚、釣り名人のエステルの部屋のジャンクボックスの中には、釣り上げたギガンゴラーやガーウェルズから吐き出させた光り物がゴロゴロ転がっている。ほとんどは骨董価値のないガラクタだが、中には希少品(レアアイテム)も入り混じっている。
 鑑定眼に優れるヨシュアは小遣いに困っているエステルから、それらのレアアイテムを二束三文で買い叩いた挙げ句、王都のオークションに出品し十倍差額でぼろ儲けするというアコギな商法を繰り返しており、少女の口座の20%は実質、エステルが釣りで稼いだようなもの。もしかすると、エステルは職業選択の道を誤ったのかもしれない。
 義兄の無知蒙昧に容赦なくつけ込むヨシュアも鬼だが、それでもタイガーハートのようにエステルに有益なアクセサリについては、きちんと効能を教えた上で手元に残しておくあたりは鬼の目にも涙というべきか。
 また、釣り素人のヨシュアが唯一自力で獲得したクリムゾンアイは、マニア価格で一万ミラは下らない値がつく代物だが、対象者の魔力を大幅に増幅させる特殊効果が封じられているので、売却せずに保持していた。
 ただし、この宝石に秘められた呪いを嫌って装備自体は敬遠していたが、クローゼならこの装飾具(アクセサリ)のプラス効果を最大限に引き出せる筈。
 ヨシュアに勧められるがまま、無警戒にクリムゾンアイを身につける。その瞬間、まるで宝玉の呪いに蝕まれたかのように身体が重くなり、思わすその場に片膝をつく。
「それが、クリムゾンアイのデメリット効果よ。魔力アップの反動として身体に負荷を与えて、SPD(行動力)を著しく低下させるの」
 「昔の人はその現象を、この宝玉に呪われたと思い込んでいたみたいね」と目の前のクローゼの苦悶を無視して、解説魔が他人事のようなしたり顔で講釈を垂れる。
 全て判っていてクリムゾンアイをクローゼに押し付けたヨシュアの性根はどうかと思うが、人並み外れた敏捷性を生命線とする漆黒の牙にとっては今一つ使い勝手の悪いアクセサリなのは確か。
「只でさえ高いワンラインのあなたの魔力が割り増されば、ヘルムキャンサーも一撃だと思う。私が前衛として壁になるから、後衛の砲台としてメイン火力役をお願いね」
「判りました」
 クローゼは冷や汗を掻きながら、重々しい動作で何とか立ち上がる。他にヘルムキャンサーにダメージを与えられる有効な手段は存在しないし、今はヨシュアの作戦につき従うしか道は無さそうだ。

        ◇        

 魔獣の群からやや離れた位置から両手で印を組んで、アーツの詠唱態勢に入る。身体に感じる重みとは別に不思議とクローゼの意識は今までになくオーブメントへと集中。溢れんばかりの魔力の高まりを感じる。
「アクアブリード!」
 遠距離スナイプの先制攻撃で、彼の得意とする水属性アーツが炸裂。
 鋭い水柱がまるで水龍のような勢いで魔獣に襲いかかり、ヘルムキャンサーの固い甲殻を紙のように貫通し、巨体を地面に横たわらせた。仲間の一匹が倒され、魔獣の群が怒りに震えながらこちらに向かってくる。
「ほらっ、魔獣さん、こちらにいらっしゃい」
 挑発クラフトで誘導された魔獣が、方向転換してヨシュアに襲いかかる。その隙にクローゼは再び次のアーツの詠唱態勢に入る。奇襲が通じるのは最初の一回こっきりで、ここから先は逐一アーツを唱え直して、一匹ずつ駆除していかなければならない。
 壁役のヨシュアは物理反射というヘルムキャンサーの特性上、攻撃に転じる訳にもいかず、無手のままひたすら避けまくるだけ。
 ヨシュアの高速機動力を以てすれば、複数対一とはいえ、そうそう接触事故は起きないが、魔獣を惹き付ける必要性からあまり距離を取る訳にはいかず、先程から紙一重で波状攻撃を避け続ける。
 相変わらず異常なAGL(回避率)の高さだが、体力不足のモヤシ娘に何時までもこんな芸当を続けられない。
「華奢なヨシュアさんのスタミナが尽きる前に、早く魔獣を全匹駆逐しなくては」
 内心は焦りながらも、クリムゾンアイの鎮静効果で意識だけはアーツに集中するという摩訶不思議な精神状態で、水属性アーツ『アクアブリード』を連発する。まさに一撃必殺の名に相応しい高火力で、ヘルムキャンサーを次々と沈める。残すは後二匹。
ヘルムキャンサーはそこまで賢い魔獣ではないが、野生の本能にわざわざ頼るまでもなくこれまでの推移から、囮役の少女の無害さと後方のアーツ遣いの少年の危険度を認識したようで、再度のヨシュアの挑発クラフトをキャンセルして真っ直ぐにクローゼに突進する。
 詠唱態勢に入って無防備状態のクローゼに、ダンプカーとの正面衝突に等しいヘルムキャンサーのぶちかましを避ける術はなく、ヨシュアは選択を迫られる。
(仕方ないわね。ダメージさえ与えなければ、物理クラフトの特殊効果だけは有効の筈)
 琥珀色の瞳を真っ赤に輝かせると、巨大な聖痕のイメージが宙に浮かび上がり、クローゼとの衝突寸前で金縛りにあったように、ヘルムキャンサーの動きがストップする。
 遅延効果を持つ『魔眼』のクラフトを、あの蛇女の魔眼のように上手くノーダメージに調整。反射機能を働かせることなく、魔獣をその場に足止めするのに成功する。
「急いで、クローゼ。そう長くは拘束できないから」
「判りました」
 お互いにそう会話したが、詠唱時間は常に一定。駆動系クオーツの有無や詠唱するアーツのランク等の外的要因に左右されることはあっても、気合で短縮するなどという奇跡は起こり得ない。
 学識不足のエステルじゃあるまいし。どちらも、その程度のオバールアーツの基礎理論ぐらい弁えてはいたが、それだけ状況が切迫し必死という顕れ。
「やぁっ!」
 アクアブリードがヘルムキャンサーを貫通し、ドサッと重音を響かせて地面に平伏す。残り一匹と安堵したのも束の間、倒した魔獣のお腹に開いた風穴から、ポムポムっとした柔らかそうな丸っこい物体が蜘蛛の子のように溢れだしてきた。
「ミントポム? しまった、雌の固体も紛れ込んでいたのね」
 ミントポムはヘルムキャンサーと共存関係にある。普段は雌のお腹の中に隠れ住んでいて、宿主に胎児の成長に必要とされるミントを支給している。
 この魔獣の生態にはまだまだ不明な点が多いが、ヨシュアが唯一問題としているのは、奇妙な共生の成り立ちでなく、目の前の小柄なポムの群が見掛けに反してかなり危険なアーツを使いこなすという現実。
 まるで子宮を間借りしていた母屋の復讐の如く、複数のポムは『ダイヤモンドダスト』という凍結効果を備える水属性の高レベルアーツの詠唱をクローゼのいる足場に照準を重ね合わせる。
 クローゼも既に次のアーツの詠唱態勢に入っているが、恐らくは敵の方か早い。ダイヤモンドダストの集中砲火を浴びて戦闘不能を免れるとは思えず、万が一生を拾ったとしても、アーツの効果で凍結した所にヘルムキャンサーの巨体で体当たりを喰らえば、クローゼの身体は粉々に砕け散るのは必至。どちらにしても詰んでいる。
 端正な顔が焦りと恐怖で歪むが、彼には打つ手がない。せめてヨシュアの為にもギリギリでもこちらの詠唱が間に合い、最後の一匹を道連れにするのを祈るぐらいだ。
「これしかないみたいね」
 合理的な思考フレームの高速演算で何度シミュレートしても、たった一つの解法しか見出せずにヨシュアは腹を括る。
「こんなことなら意地を張らずに、駆動解除系のクラフトを習得しておくべきだったわね。ううん、アレは基本単体技だから、こんな広範囲に散らばったポムの詠唱を纏めて止めるのは、どのみち無理だったのよ」
 せめてもの悪あがきとして、「自分のポリシーは間違っていない」と己に言い聞かせながら魔眼を解除し、太股のバインダーに納められていた双剣を展開させる。
「ヨシュアさん、まさか? それは駄目です! そんな真似をしたら、あなたは」
 背水の覚悟を気取ったクローゼが大声を張り上げる。彼と目を合わせたヨシュアは一瞬儚げに微笑むと、再び琥珀色の瞳を真っ赤に光り輝かせて、全体Sクラフト『漆黒の牙』を先の魔眼クラフトの待機時間を無視して、割り込みで強引に発動させる。
 今まさにクローゼに向かってアーツを同時発動させようとしていたミントポムの群が、一瞬で壊滅する。
 ただし、無差別蹂躙技である漆黒の牙は戦場の特定の敵を標的から外すような器用な真似は不可能。ヘルムキャンサーを襲った痛恨の一撃が特殊磁場によって跳ね返され、ヨシュアは己の剣撃をその身で味わった。
 肩口からお腹に向かって大きく斜めに引き裂かれて、血飛沫をあげながら糸の切れた人形のように地面に倒れ込む。
「ヨシュアさん!」
 アクアブリードの詠唱が完了し、反射行動によって一瞬だけ動きを止めたヘルムキャンサーの隙を逃さず、水の槍が口から尻尾を貫通して串刺しにする。
 最後の魔獣が地面に沈み戦闘に勝利したが、クローゼの眼中にない。クリムゾンアイのマイナス効果と詠唱の待機行動時間で鈍重になった身体を引きずるようにして瀕死のヨシュアの側へと駆け寄り、彼女を寄り起こす。
 まるで『白き花のマドリガル』の白の姫セシリアのように、蒼の騎士たるクローゼの手の中でヨシュアはグッタリと息絶える。ドクドクと血が溢れ出る傷口に両手の掌を翳しながら、クローゼは祈るように必死に水の回復アーツを唱え続けた。



[34189] 11-06:ジェニス学園の黒い花(Ⅵ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/09 00:01
「ただいま、×××お姉ちゃん」
「おかりなさい、ヨシュア。随分と早かったのね。刺繍教室はどうしたの?」
「先生にこれ見せたら、もうこないでいいって言われた」
「あらっ、これに刺繍された顔は、私と○ー○。よね。まるで写真そのものみたいに精巧で、なんか照れちゃうわ。これって、もしかしてヨシュアが作ったの?」
「うん」
「ちょっと大人気ないけど、先生さんの気持ちも判るかな」
「ねえ、×××お姉ちゃん。ヨシュア、何かいけないことしたの?」
「ううん、決してヨシュアが悪いわけじゃないのよ。ただ、ヨシュアが物事に真面目に取り組むと困る人たちが結構いるの」
「それって、ヨシュアが缶蹴りの仲間に入れてもらえないのと関係あるの? お前が入るとつまんなくなるって、男の子たちが意地悪言うの」
「そうね、世の中は適度なバランスで成り立っていて、そこから大きく逸脱した存在を、人間の集団は爪弾く性質があるのよ」
「ふぇ?」
「ヨシュアは小さいから実感沸かないと思うけど、時には『出来ること』でも『出来ない振り』をして相手の顔を立ててあげることも必要なの」
「うーん、ヨシュア、さっぱり分かんなーい」
「おーい、×××、ヨシュア。今戻ったぞ」
「あっ、○―○。、お帰りなさい」
「あらあら、行っちゃった。どれだけ○―○。のことが好きなのだか、才走ってもまだまだお子様ね。まだ五歳の妹にこんな心配は杞憂なのだろうけど、何時かあなたの本気を知っても、逃げずに正面から受け止めてくれる男の子に出会えたらいいわね、ヨシュア」

        ◇        

「…………んっ、ここは?」
 綺麗な睫毛が微動し、うっすらとヨシュアの目が開く。琥珀色の瞳は灰色に濁り、焦点がぼやける。まだ頭がぼーっとして思考が定まらないが、何か、とても懐かしい夢を見ていたような気がした。
 先程から自分の身体が、上下に小刻みに振動している。階段を昇っているみたいだが、自分の足は地についておらず、良く観察すると誰かに背負われている。接地した上半身の前半分に暖かい人の温もりを覚える。
 彼女の逞しい義弟ではなさそうだ。肩幅はエステルよりも狭く筋肉のつきも薄いが、それでも贅肉はなくスラリとして細身。
「気づかれましたか、ヨシュアさん」
 聞き覚えのある声に、脳細胞が一気に活性化し、瞳も現色の琥珀色を取り戻した。
「クローゼ」
 先の戦闘の顛末を完全に思い出し、ここにいるべき人物の名を掲げる。クローゼに背負われたまま、ゆっくりと紺碧の塔の内部を上昇しているらしい。
「貴方のキャラにそぐわない無茶をやらかしたものですね。でも、生命掛けで助けてくれたのは、とても嬉しかったです」
「助けたも何も、無理やり巻き込んだのは私の方だから、自業自得の顛末よ。キャラクター云々ならクローゼの方こそ、てっきり大慌てでルーアン市にトンボ返りするものと思っていたけど」
 合理性を尊ぶヨシュアは「魔獣はどうなった?」などの無駄な質問を全て省略し、現在の二人の立ち位置から推測される経過を辿った上で、クローゼの現在の行動指針に疑念を抱く。
 メディカルチェックした結果、ちょうど献血一回分(400ml)の血を失い、強い倦怠感に蝕まれているものの、傷口は綺麗に塞がり痕すら残っていない。
 『セラス』の蘇生アーツを唱えてくれたみたいで、流石は回復を司る水属性の遣い手。効能を傷の治癒に特化させて体力の復帰を行わなかったのは、先のレイヴン戦の復活技の功罪を鑑みたからだろうが、尚の事、普段のクローゼならヨシュアを病院に強制搬送していた筈。
「医者に駆け込みたかったのは山々ですが、デートというのは単なる口実で、どうしても外せない用事がこの塔の屋上にあるのですよね?」
 普段はチェシャ猫のように気紛れな少女の、こうと定めた時の意外な一徹さをエステル経由でクローゼは聞き及んでいた。ならば、途中で目覚められて戻る戻らないの不要な争いで華奢な体力をさらに削る危険を冒すよりは、いっそこのまま突き進んで心残りを解消させた方が結果的に彼女の心身ダメージを最小で抑えられると判断。実はその英断は唯一解だったりする。
「もしかすると、この妙ちくりんな導力器(オーブメント)が関係しているのですか?」
「本当に気が利くわね。それまで回収しておいてくれたとは思わなかったわ」
 クローゼはヨシュアをおぶったまま、左手に重箱を持ち、右手に閉じた傘のような立方体の荷物を抱えている。
 最後に倒したヘルムキャンサーのお腹の風穴がキラキラと光っていて、不審に思って探ってみると、内部から胃液でベトついた立方体のオーブメントをゲット。聡いクローゼは、このブツがさほど好戦的でない手配魔獣を態々討伐した理由だと悟る。
 ヨシュアを背負ったまま、二つの荷物を同時に抱えるのは骨だが。彼女の負担軽減を第一義に考えて自らに重労働を強いたようで、真にクローゼは気配りと思いやりに溢れた好青年だ。
「どうやら骨折り損のくたびれ儲けにはならないみたいで、少しホッとしています。それにしても、エステル君が言うように本当に軽いのですね。以前、遠足で足を挫いたジルさんをハンスと半交代でおぶったこともありますけど、その半分も重さを感じないですよ」
 そう主張するも、両手をヨシュアの太股の下に通したまま、両掌で重箱と機械物を掴んでいる。この態勢で塔を登るのはかなりの苦行だ。
 筋骨逞しいエステルならともかく、細身のクローゼに耐えられる負荷でない。先からダラダラと汗を流し、小判鮫のように他人任せな少女も心苦しくなった。ちょうど目覚めたことだし、地面に降ろすように催促するが、頑に拒まれる。
「駄目ですよ、ヨシュアさん。一応、傷跡は完治した筈ですが、体力まで全快したわけじゃないですし、何よりもおっぱいと太股の感触をもう少しだけ味わっていたいのです。以前、クラム君を追い掛けた時、あなたをおんぶしたエステル君が羨ましくて仕方がなかったですから」
 この態勢だとヨシュアの豊満な乳房はこの上なくクローゼの背中に押し潰される形になり、むちむちした太股やお尻にダイレクトに手がまわることになる。まさかむっつりスケベ、もとい根が真面目なクローゼから、こんな台詞を聞かされるとは夢にも思わなず、天を仰ぐ。
「すけべ」
「ええっ、男は皆、助平なんですよ」
 エステルの悪影響か、とうとうクローゼも長年躊躇していた最後の一線を、堂々と踏み越えた。開き直って己が欲望を開けっ広げたクローゼに、偶然、息子の自慰行為を目撃した母親のようなショックを受けながらも、自分が巻き込んだ迷惑度を換算すれば、このぐらいの役得は与えてしかるべきかと思い直した。
 ただ、そのスケベな執念もそう長くは続かない。大柄の荷物を複数抱えるには、元々の姿勢に無理がありすぎるので、三階への階段を目前に、とうとう力尽きてぶっ倒れる。
 これが体力魔人のエステルでなく、クローゼと似たような身体つきのハンスでも、背負った少女の衣装がブルマなら半日でも我慢し続けたのは疑いなく、クローゼが登り始めた助平坂への道のりは果てし無く遠い。
「ねえ、もう十分堪能したでしょうし、そろそろお終いにしない、クローゼ? こんな無防備状態で魔獣に襲われたら一溜まりもないし。この態勢で屋上まで行くのは、どのみち無理があるわ」
「そうですね。少し無念です」
 ヨシュアが苦笑いしながらそう提案し、クローゼは息切れを起こしながら了承する。ヨシュアは背中から飛び下りると、二人仲良くこの場に腰を降ろして、休憩がてら今回の裏事情を説明した。

 クローゼが薄々察したように、ヨシュアはクエストの依頼でここに来た。
 何でも毎年この時期の決まって夜の八時ぐらいに、屋上にある既に機能停止したアーティファクトが謎の発光現象を起こすらしい。よって、ツァイスから技術者が派遣され、専用のオーブメントによる導力値の測定を行うことになった。
「その計測用のオーブメントとは、コレのことですよね?」
 話の流れから、クローゼは語調に確信をこめて、右手に抱えた傘のような物体を示す。
「ええっ、そうよ。カルノーさんという技術者が一週間ぐらい前に塔の下見に来た時、ヘルムキャンサーの群に出くわして、計測器を放りだして逃走したら、魔獣に飲み込まれちゃったみたいなのよ」
 試作品のオーブメントは一つしかなく、例の発光現象は七夕行事のような一年に一度のタイムイベント。このチャンスを逃すと、また来年まで待たなければならない。背に腹は変えられないとカルノーは、ツァイス市長を兼任するマードック工房長に話を通して、高難度指定の緊急依頼をギルドに持ち込んだ。
 しかしながら、ボースに滞留していた三人の正遊撃士の中の一人は急用で王都に出張し、ルーアンに戻ってきたのは二人だけ。彼らは現在マノリア村で、テレサ院長や子供たちの警護の任についている。
 可燃燐を扱う点から、敵は破壊工作専門のエージェントである危険性か高く、リスク管理の観点から、正遊撃士の側も二人一組(ツーマンセル)での行動は欠かせない。ジャンから拝み倒されて、学園生活を満喫する予定のヨシュアに急遽お鉢が回ってきた。
「なるほど、話は判りました。放課後、ヨシュアさんの姿が見えないと思ったら、毎日一人でクエストをこなしていたのですね」
 男遊び云々の噂は、単なるデマらしい。クローゼは軽く安堵しながらも、一つ疑問が残る。
 他の正遊撃士がマノリア村に常駐し協力を仰げない経緯から、今日まで単独で依頼を遂行してきたヨシュアにとって、ヘルムキャンサーの討伐にクローゼの手を借りたのは苦渋の選択だ。
「なぜ、今回のパートナーに僕を選んだのですか? というよりも、どうしてエステル君では駄目だったのですか?」
 前衛特化型のエステルが、肉弾戦以外を不得手とするのは一目瞭然だが、後衛のアーツ役自体はクリムゾンアイの補助があれば、万能寄りな魔法戦士のヨシュアでも務まる。
 何よりもヘルムキャンサーのぶちかましにも余裕で耐えられそうな筋肉魔人のエステルが壁役を担えば、華奢なヨシュアが苦手な前衛に出張る必要もなかったわけで、今にしてみれば適材適所の配置とは思えない。
「そうね、本来なら民間人のあなたを巻き込むことなく、私たちブレイサーで片をつけるのが筋だったと思うわ。けど、それでも今のエステルの手を煩わせたくなかったの」
 演技でなく、少しばかり後ろめたそうな表情で告白する。
 エステルは好きなことなら、どんな困難にも立ち向かえる不屈の闘志を持っている。それこそ早朝稽古で千回以上破れても、めげずに今度こそはと、しょーこりもなく毎日のように挑戦状を叩きつける様は、いかに彼の心が鋼のように頑丈かを物語っている。
 その反面、勉強などの不得意科目は、努力以前に極力関わらないよう逃げ続けてきたが、本気で正遊撃士を志す以上は何時までも避けては通れない。
「ましてや、エステルは私みたいに苦手分野を他人に丸投げできる程、性格が器用じゃないから、いずれは正面から取り組まないといけない克服対象だったのよ。だから、今回の依頼でエステルを学舎に招き入れてくれたクローゼには本当に感謝しているの」
 ヘルムキャンサーがいかに手強い魔獣とはいえ、今更、手配魔獣退治の一つや二つこなした所でエステルが得られる経験値は限られているが、本来縁がない高等教育機関の体験学習の一日一日は砂金の粒よりも貴重。後に必ずエステルの血肉となって生かされる。
「それであなたは皆から嫌われ役を買ってまで、自由時間を確保したのですか? エステル君の露払いをする為に?」
 昔読んだ『泣いた赤鬼』という童謡を思い出す。赤鬼と違って社交的なエステルはクラスメイトと馴染むのに苦労してないが、ヨシュアが青鬼役を演じた結果、エステルを中心に今一つ稽古に気が入っていなかった皆の心が一つに纏まったような気がする。
 それが彼女の真意とするなら、実は性格が不器用なのは、エステルだけの専売特許ではない。
「あっ、それとこの件は、エステルには内緒でお願いね。あれでも義兄を気取っているつもりだから、私に借りを作るのを嫌がるし、負傷したと知れば一応心配させちゃうだろうからね」
 あくまで影からのサポートに徹して、内助の功を誇るつもりはない。多くの殿方を搾取した魔性の少女からここまで一心に尽くされるエステルという少年に対して、クローゼはあまり健康的でない嫉妬心を抱いた。
「僕は正直、ここまでヨシュアさんから献身される彼が羨ましいです。そんなあなたの優しさを知らないで、好き勝手に悪口を述べるエステル君に憤りさえ感じます」
 言い終わらない中に、エステル当人に責任が及ばないことで彼を中傷した自分の度量の狭さに嫌気が差し軽い自己嫌悪に陥る。
 最も清濁併せ呑んでこそ、不完全たる人間が霊長類である所以。潔癖症のクローゼは将来就く王国の未来を左右する役職を過不足なくこなす為にも、もう少し自分のネガティブな感情と向き合う術を学生の身分でいられる今のうちに学んだ方が良い。
「うーん、綺麗とか賢いとか褒められるのは日常茶飯事だけど、優しい娘扱いされたのはもしかすると生まれて初めてかな?」
 ヨシュアは軽く照れ笑いしながら、ボリボリと頬を掻く。猫被りでなく照れる姿は実はジト目以上のレア。ある意味ではエステルでさえも知らない表情を、クローゼは引き出すのに成功した。
「けど、それは私のことを欲目で見すぎよ。私はあくまで自分の勝手な都合で動いているだけで、こうしてクローゼに皺寄せしちゃっているし、お芝居が良い方向に進んでいるのは、予め分かりきっていたことよ」
 「小さい頃からずっとそうだったから」と拗ねたような口調でボソッと囁く。腹黒完璧超人のレアショットの連続にクローゼは目を瞬かせる。
 年中行事のグループワークにヨシュアが携わると、人の何十倍もの効率で進捗を捗らせているにも関わらず、なぜか場の雰囲気が悪くなることが頻繁。ヨシュアが抜けてちんたら不完全な作業に明け暮れている方が、皆ワイワイと楽しめていた苦い現実を幾度も噛み締めている。
 人間の集団は全てで完璧を欲しているのでなく、未熟なりに纏まって一つの成果を残せたという過程を時には結果そのものよりも重視しており、「生まれ持った希有な才能は、凡人の地道な努力を嘲笑する」という教育の悪手本を体現した存在のヨシュアと相容れるのは難しかった。
「エステルのことにしても穿ちすぎよ、クローゼ。私にとって放っておけない憎めない義弟で、エステルからすれば私は目の上のたん瘤の憎たらしい義妹。どちらが兄姉のポジションを手にするか、この旅の間中、競争しているのよ。何よりも人が家族の為に尽くすのに一々特別な理由が必要なのかしら?」
(あなたのエステル君への想いは、本当に兄としてだけなのですか?)
「いえ、必要ありませんね」
 真摯なクローゼの情念をはぐらかすには、うってつけの模範解答をヨシュアは口にし、「少しずるいです」と恨めしがりながらも、心の中に芽生えた疑惑を言語化すること叶わず、真っ当すぎる論理を肯定する。

「きゃあー、誰か助けて下さいー!」
 しんみりとした二人の間に漂う空気をぶち壊すように、絹を裂くような女性の悲鳴が聞こえ、二人はビクッと腰を浮かしかける。
「救いを求める女の人の声? 待っていて下さい、今すぐ行きます」
 気まずくなった場の雰囲気に耐え兼ねて席を外したい欲求もあり、クローゼは塔内を反響する甲高い叫び声に反応し、生来の騎士道精神の赴くまま後先考えずに階段を駆け登る。
「またアレか」
 ヨシュアはウンザリしたような表情を隠そうとせずに、憂鬱な気分に浸る。上の階層で待ち受けている光景に心当たりがあり過ぎたからだが、フェミニストのクローゼならナイアルと異なり、救助対象者の年齢に失望することはない。
「待って、そういえばクローゼは得物のレイピアを持ち合わせていなかったわよね? ということは」
「うわあああー!」
 先の女性に続いて、今度はクローゼの悲鳴が聞こえていた。
「や、止めて下さい。そんな所を、僕はこれでも男で…………ひっ、ひいっ? あああっあ…………はぅあぁぁ、はぁっ、はぁっ、はあっ」
 悲鳴が嬌声へと変わる。ヨシュアはゴクリと生唾を飲み込んで、スカート脇に括ったポーチのファスナーを開き、小型の携帯カメラを取り出した。
「発光現象を撮影してくるように手渡されたけど、数枚ぐらいなら別の用途に使っても、何の問題もないわよね?」
 四十路ババアの触手攻めの需要は極々マニアックだろうが、被写体が美少年なら学園内で爆発的な特需が見込まれる。何よりも当人が、上階で繰り広げられているであろう阿鼻叫喚の酒池肉林を一刻も早く拝みたくて仕方がない。
 ヨシュアはいそいそしながら負傷によるダルさも忘れて、スキップするように階段を昇っていく。
 身を以てクローゼを庇い、エステル想いの殊勝さを披露するなど、一部、漂白な面を強調して見せるも、やはりこの少女の本質は暗黒。仲良く魔獣に拘束されていたアラフォー女性と一緒に救出されるまでの間、十回以上カメラのストロボを浴びて、クローゼは触手に対して軽いトラウマを抱く羽目になる。



[34189] 11-07:ジェニス学園の黒い花(Ⅶ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/09 00:02
 紺碧の塔三階の巨大な渡り廊下の中央位置。三人の男女が揃って犬のように床下に手をつき、地面に這いつくばる。ジェニス王立学園の制服を着たヨシュアにクローゼと考古学者を自称するアルバ教授と名乗る中年女性。
 クローゼと教授はヨシュアに解体され屍を晒した大型マッドローパーに嬲られた名残。頬を真っ赤に染めて瞳を潤ませ青息吐息している最中だが、ヨシュアは違う。
 病み上がり戦闘で無茶して傷口を悪化させた訳ではない。「あと、もう一枚だけ」、「今度の一枚で最後」、「本当に今度の一枚で終わり」、「本当の本当に今度の一枚で、私は正道に立ち返る」と何らかの誘惑に負けた凡人の言い訳そのものの台詞を連呼しシャッターを切り続けて、気づくと感光クオーツを全て使い果たして仕事の撮影分のフィルムが残されていない現実にショックを受けた。
「この私がこんな馬鹿げた理由でクエストに失敗するなんて、全てはクローゼがあんな所やこんな所を弄られて私を狂わせたのが悪いんだわ」
「ヨシュアさん、意味不明な責任転嫁しないでその感光クオーツをこちらに渡して下さい!」
 制服の乱れを直しながら、泣きそうな顔をして己が痴態の証拠のネガを引き渡すよう催促するが、ヨシュアは頑に拒む。
「それは駄目よ、クローゼ。この中には王立学園女子生徒全員の夢と希望が篭められているのよ」
「さっきから、おっしゃっていることが全然合理的じゃなく、あなたらしく」
「あのー、お取り込みの所、申し訳ありませんが、わたくしのことを忘れていませんか?」
 写真撮影後、クローゼのついでに助けられてから、ずっと放置状態のアルバ教授は控え目に自己アピールしたが、ヨシュアは冷ややかな目で一瞥し教授を怯ませる。
「お久しぶりね、アルバ教授。まさか翡翠の塔に続いて、紺碧の塔でも魔獣と戯れているとは思わなかったわ」
 別人格のカリンが又聞きした所、琥珀の塔でもマッドローパーと遊んでいたみたいで、次はツァイスの紅蓮の塔で触手魔獣と一緒にお出迎えというオチになるのか?
「わたくしにも何で行く先々で、こんな変な魔獣に襲われるのか、さっぱり判らないのよー。だから苛めないで下さい、ヨシュアさん」
 疑惑の眼差しで自作自演を勘繰るヨシュアに、教授は涙目で冤罪を訴える。アラサーおばさんの泣き顔にクラっとくる人間は男性でも極々少数派。ましてや、クエストの失策で苛立っているヨシュアの同情を買うのは難しかった。
「ヨシュアさん、こちらの女性は? よろしければ、紹介してもらえると有り難いのですが」
 共に魔獣に操を散らされてシンパシーを感じた訳ではなく、元来のフェミニスト体質から教授を気の毒に思ったクローゼは、場の雰囲気を和らげる為に横から口を挟む。両者と面識のあるヨシュアが、各々の出自を双方向で媒介した。
「まあ、クローゼさんはジェニス王立学園の生徒さんで、ヨシュアさんと一緒に屋上のアーティファクトの発光現象を調査しに来たと。ならば、目的はわたくしと一緒ですね」
 旅の道連れが出来たことに、ぱっと表情を輝かせる。護衛役の遊撃士と一緒に行動すれば、この先、魔獣の襲来に怯える心配がない。
「そのつもりだったのですが、人の身では乗り越えるのは不可能な不慮の事故で、撮影を断念せざるを得ないので、正直凹んでいます」
 「だから、残されたこの感光クオーツはパンドラの箱の希望そのもの」と芝居がかった大仰なポーズで涙ながらに哀訴したが、当然ながら少年の琴線には何も響かない。
「希望とは、あらゆる災厄が封じられたパンドラの箱の中でも最も性質が悪い魔物だという学説もありますが、僕は今まさにそんな心境ですよ。頼むから意地悪しないで、感光クオーツを渡すか破棄するかして下さい」
「この携帯カメラにセットされたフィルムの所有者はカルノーさんだから、最低限、彼の裁可を得ないことにはクエストで預かった物品を第三者に引き渡すことはできないわ」
 キリッという擬音を発して、遊撃士としての口上を述べたが、依頼とは無関係な撮影で台無しにしたのはどこの誰なのか?
 ヨシュアの本音は透け透けだが、法知識に精通し屁理屈に長けている分だけ、真っ当な言葉遊びでは分が悪い。止むなくクローゼは強行手段に訴える。
「ヨシュアさん、いい加減にしないと、温厚な僕でも怒りますよ。こうなったら力づくでも……うっ?」
 今の手負いの彼女なら素手でも勝てるだろうと、柔術の腕前を知らないクローゼは見縊り強引に詰め寄ろうとしたが、あらためて鑑賞すると今の格好は中々にふしだらで赤面する。
 傷は治癒しても破れた衣類までは修復できる筈もない。制服の胸元からスカートの一部が切り裂かれたままで、乳房の下半分からお臍までの地肌と下着のフリルが丸見え。
 殿方の視姦からミニスカートの中身を守ってきた謎の絶対領域も、スカートそのものが破損しては意味がない。何よりもズタボロに引き裂かれたジェニスブレザーというシチュは実に背徳的で、クローゼは目のやり場に困って顔を背けてしまう。
「んっ? どったの、クローゼ? 暴力で無理やり私を手込めにするんじゃないの?」
 クローゼの微妙な眼球運動から事情を察すると、にやーと小悪魔的な笑みを浮かべる。露出した部分を隠そうともせずに、むしろ一段と強調しながら、逆にクローゼへと詰め寄る。
 助平道十段のエステルは、お義姉様のセクシャルポーズにも淡白な反応しか示さないが、まだ入門初心者のクローゼの初々しいリアクションは実にからかいがいがあり、嗜虐心をそそられる。
「ヨシュアさん、その辺りで許してさしあげてはどうですか? クローゼさんも困っているみたいですし」
 教授が苦笑いしながら仲裁に入る。意外にもヨシュアは素直に受け入れて、クローゼから距離を取り彼を安堵させる。感光クオーツを死守する目処がついたことに満足したみたい。今の強姦被害者じみた姿態のヨシュアの対応如何では色々と不味い立場に追い込むのも可能なので、市内に戻ってまたゴネ始めた時の保険としては申し分ない。
「本当に可愛い外観に似合わず困ったお人ですね、ヨシュアさんは。でも、お気持ちは大変良く判りますわ」
 隣で触手に嬲られる美少年の艶姿を至近距離で見せつけられて、年甲斐もなく興奮してしまったと素直な心情をカミングアウトする。
「そりゃ、シャッターを切る手が止まらないのは必然で、フィルムを使い果すのも宜なるかなですわ」
「判ってくれますか、アルバ教授?」
「ええっ、それと安心して下さい、ヨシュアさん。実は予備の感光クオーツをわたくしは持っていたりします」
 通常サイズよりも小さめの携帯カメラ専用のミニ感光クオーツを懐から取り出して、ヨシュアを驚愕させる。徹底した合理主義性を貫いて必然的な勝利を積み重ねてきた彼女が、このような予期せぬ偶然の手助けで先のしょーもない失態の埋め合わせが叶うとは、まさに捨てる神あれば拾う神あり。
「アルバ教授。そのフィルムを本当に頂いてもよろしいのですか?」
「はい、ただし、わたくしは今、とっても、とーっても、お腹が空いているのです」
 教授は指を銜えたままじーっと、クローゼが左手に抱えている五段重ねの重箱を物欲しそうに眺めている。一見、ドロシーと同族に見せながらも、年の功だけきちんと等価交換の法則を弁えているようで、ヨシュアは苦笑する。
「判ったわ。それじゃ、屋上に辿り着いたら、例の発光現象を見物しながら、三人で仲良くピクニックといきましょうか」
「わーい」
 諸手をあげて万歳すると、あっさりと交渉物品のフィルムを譲渡。クローゼから重箱をひったくって小脇に抱えると、「お弁当、お弁当、嬉しいなー」と妙な鼻唄を口ずさみながら率先して塔を駆け昇っていく。
「ヨシュアさん、アルバ教授は外国の偉い学者さんなのですよね?」
「偉いかどうかは知らないけど、ああ見えて考古学者としての見識は確かで、七の至宝(セプト=テリオン)の一つ、輝く環(オリオール)の秘密がこの四輪の塔にあると睨んでいるみたいね」
「なるほど。オリオールなんて単なる御伽噺と思っていましたが、単身、それも女性の身分でその謎を説き明かそうとするなんて凄いバイタリティですね」
 とはいえ、現在の教授の頭の中は、古代叡知の探究心と重箱の中身のどちらの優先順位が上回っているかは、それこそ神のみぞ知る所であるが。

        ◇        

 意外にも、あれから一度も魔獣に襲われることなく、一行は屋上に辿り着いた。
 カラクリは準遊撃士五級の褒美、『陽炎』クオーツを、ヨシュアが戦術オーブメントにセットしていたからだ。この幻属性クオーツには魔獣から認識され辛くなる農園や孤児院の灯柱と同種の迷彩効果が封じられている。
 塔内の探索効率を上げる為に、まだBPが五級に足りてないヨシュアが、今回のクエストを受ける交換条件としてジャンから前借りしてきた一品。口車に乗って早々と彼女を降ろしたのをクローゼは少し後悔したが、その先には教授のサブイベントを待ち構えていたのであまり堪能時間に変化はない。
「さてと、発光現象が始まるにはもう少し時間があるわね。そろそろ夕飯時でもあるし、お食事にしましょうか」
 腕時計で今現在の時刻を確認したヨシュアは、重箱を包んでいた風呂敷包みを解いて、ござのシート替わりに地面に敷いて腰を落ち着けると、重箱を解体する。
 流石は料理の鉄人が手掛けただけある。五つの重箱の中には、海の幸、山の幸、陸の幸など、俗に言う『小満漢全席』三十二珍がふんだんに盛り込まれていて、業者に依頼すれば軽く五千ミラはふんだくられる豪奢な造り。
「随分と奮発なされましたね、ヨシュアさん。あなたのことだから自作されたのでしょうが、材料費だけでかなりの出費でしょうに」
 腕もだが、それ以上に使われている素材は伊勢海老に松茸や松坂牛などどれも一級品ばかり。教授はさっきからダラダラと涎を零し、彼女やエステル程グルメでないクローゼでさえ、重箱から齎される神々しい輝きに目を奪われた。
「言ったでしょう、デートだって。これでも出来る限りの埋め合わせはするつもりだったのよ」
 開港都市のルーアンは、他の街に比べて海産物が豊富。特に『築地市場』と呼ばれる漁師の寄り合い所に足を運べば、新鮮で質の良い魚介類がボースマーケットよりもはるかに格安で手に入る。ヨシュアはクエストの合間に入り浸って、得意の猫かぶりで海の漢衆と仲良くなり、生きの良い魚を優先的にまわしてもらえるように根回しした。
「エステルも本当はブレイサーよりも、釣り技術と有り余る体力を活かしてマグロ漁船に乗り込んで、海人(うみんちゅ)を目指した方がよっぽど向いていると思うけど、こればっかりは本人の意志が固いからどうしようもないわね」
 予めクローゼに持たせた二つの魔法瓶を駆使して、お吸い物とお茶の液体物を完成させると二人に手渡して、花見を開始する。
 カルバート共和国の東方人街に伝わる、数日かけて百種類を超える宮廷料理を制覇するという贅の限りを尽くした『大満漢全席』には及ばないが。三十二珍を欠かすことなく盛りつけた小満漢全席の弁当は以前のアンテローゼの大晩餐会に勝るとも劣らない至福の時を二人の同行者に提供した。ただし、安物でもワインを用意し損ねたのが、酒豪ランクA+を誇る不良少女の唯一の心残り。

 食事を開始して三十分。箸を休めず食べ続けても、重箱の中身は一向に減る気配を見せない。良く考えずとも悪飲みだが食が細いヨシュアに、標準の食欲体のクローゼの二人にこの分量は多すぎる。無意識に大食漢のエステルの存在を面子につけ加えていたものと思われ、そういう意味では万年金欠教授の飛び入り参加は色んな意味で僥倖だ。
「そろそろ始まる時間かしら」
 腕時計がちょうど夜の八時を示し、全員が一端箸を止める。
 「もう寮の門限には間に合いそうもないな」とクローゼは諦観しながら、ヨシュアとの貴重な一日と秤にかけて悔いはないと、寮長から罰則の覚悟を決める。
 やがて、既に機能停止した筈の大型のアーティファクトが、うっすらと青白い光りを放出し始める。
 闇夜に円形の青い光りが浮かび上がる様は、なかなかに幻想的な光景で、クローゼや教授は息を飲む。ヨシュアでさえも一瞬見惚れかけたが、自分の仕事を思い出し、慌てて計測機器の傘の部分を展開させて、導力値の測定に入る。
「よしっ、壊れてないか心配だったけど、キチンと作動しているみたいね。クローゼ、カメラでの撮影の方をお願い」
「判りました」
 ヨシュアがオーブメントのダイアルを弄くりながら、三脚の足を広げて位置を固定している間、クローゼは例のアーティファクトの発光現象の現場写真を、正面からカメラに納め続ける。
 アルバ教授でさえも、降ろした箸を動かすことなく、アーティファクトの変化をじっと見つめている。光りが正面から眼鏡に反射して、サングラスのように目の表情を確認出来ないが、ふと口元だけを悪戯っぽく歪めると、二人にとある提案をした。
「ねえ、折角だから、アーティファクトの輝きを背景に、若い二人で写真を撮ってみてはいかが?」
 「僣越ながら、わたくしがカメラマンを務めてさしあげます」と年長者らしく気を利かせたが、写真に『ある免疫』を所持するヨシュアはあまり乗り気でない。
「悪いけど、私は写真が苦手で」
「お願いできますか、ヨシュアさん?」
 断ろうとしたが、当事者の一人のクローゼが乗り気満々なご様子。ダンボール箱の中の捨て犬のような期待と不安に入り混じった瞳で見つめ、ヨシュアを嘆息させる。デートというのは単なる口実であったが、ここまでその気になられては誘った方としては付き合わない訳にはいかない。
「不躾な質問で恐縮ですが、ヨシュアさんは、エステルさんとクローゼさんのどちらが本命なのですか?」
 クローゼの側に向かおうとしたヨシュアを、カメラを手渡された教授が呼び止める。確かに無粋な問い掛けで、二股を揶揄されていると感じたヨシュアは後ろを振り返ることなく冷やかに答える。
「以前お話した通り、エステルは私の義弟でクローゼは只のお友達です」
 写真スポットの前でそわそわ待機しているクローゼが聞いたら凹むような真意をヨシュアは告げるが、鴨と切り捨てられなかっただけまだマシか。
「まあ、若い中は色々体験するのもいいかもしれないですわね」
 どっち付かずな発言をキープ宣言と解釈したが、教授は別段、ヨシュアの気の多さを咎めるつもりはないようだ。
 だが、次の瞬間、金縛りにあったように足が動かなくなる。謎の拘束現象はこれで二度目、ゾクリとヨシュアの背筋が震えた。
「遊びで何人かと付き合うのは全然有りだとわたくしも思いますけど、心の聖域に住まわす本命の殿方は常に一人よ。ヨシュアさん、それだけは絶対にお忘れにならないようにね」
 発光現象の光りが月に乱反射して、目の前の地面に教授の影を浮かび上がらせる。暗がりの女性のシルエットに、四角い眼鏡の形だけが白く刳り抜かれるというグロテスクな影絵を目の当たりにし、ヨシュアの魂にズキリと痛みが走る。
 なぜか、アルバ教授に苦手意識を抱く契機となった翡翠の塔での過去を思い出し、「分かっています」と掠れたような声を絞り出す。
「んっ、よろしい」
 何時の間にか教授はヨシュアの前面に回り込んでいる。恐る恐る眼鏡の中身を確かめたが、人の良さそうな円らな瞳でヨシュアを見下ろしている。
 やはり先の怪物じみたシルエットは目の錯覚? 「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の格言通りに恐怖心が生み出した幻想だったのか?
 気づくと足が動く。身体を戒めていた呪縛が再び解かれたのを確認したヨシュアは、逃げるように大慌てでクローゼの側に駆け寄った。

「はい、それじゃ二人とも笑って。もっと、ぴったりと引っついて」
 二人はアーティファクトの前に仲良く並んで立ち尽くす。衣服の破損が写真に写らないように、ヨシュアは両手の位置を調節して露出箇所を隠そうと努力したが、物理的に無理がある。どうやってもどこかの素肌がはみ出てしまう。
 クローゼの方はやや緊張した趣で、所在無さげに手をぷらぷらさせた後、軽く溜息を吐き出す。ヨシュアの肩を抱こうか悩んだ挙げ句、その勇気を絞り出せなかったようで、殿方の仕種に機敏なヨシュアは「意外と意気地がないのね」と思いながらも、とある事情からクローゼの左腕に自らの両腕で抱きつくサービスを施した。
「ヨ、ヨシュアさん?」
「動かないで、クローゼ。ほらっ、こうやって身体の半身をぴったりくっつけると、ちょうど制服の切れ目を上手く誤魔化せるでしょ?」
 蠱惑的な瞳で微笑みながら、胸囲の部分を強く押し付ける。夢見心地のクローゼは今という瞬間が永遠に続くことを、エイドスに祈らずにはいられなかった。
(本当に可愛いわね、クローゼは。そうそう、忘れずにステルスを解除しておかないと)
 これも七十七の特技の一つなのか、かつて所属していた組織で隠形を生業としていた少女は意図的に写真や防犯カメラなどの映像媒体から己の姿を消去するのを可能とする。
 以前、ハンスの盗撮写真で幽霊扱いされたのも、この能力を行使した結果。デートの記念写真に男性一人はあまりに気の毒なので、普段オートで常時展開しているステルス機能を今だけ一時的にオフにする。
「うっはぁー、本当に大胆ね、ヨシュアちゃんは。はい、チーズっ。アレ? 何か光りがどんどん強くなっているような?」
 パシャッとストロボを焚いて、おしどりカップルの姿をカメラに抑えた教授が、光量の増加に小首を傾げ、その動揺が被写体の二人にも伝染する。
「ねえ、クローゼ。さっきから、やけに眩しい気がするのは気のせいかしら?」
「ええ、僕もそんな気が……って、ヨシュアさん。後ろを」
 クローゼの言に釣られてヨシュアは後方を振り返って、驚愕する。
 さっきまで蛍光灯のイエローランプのような、ひっそりとした光りを齎していたアーティファクトが、ナイター照明のような眩いばかりの灯火を発散しているからだ。
「ヨシュアさん、これは一体?」
「私にも判らないわよ、けど、どんどん輝きが増していって……」
「ヨシュアさん、クローゼさん!」
 まるで意志を持つ生物のように、どんどん光が膨張して二人の姿を飲みこみ、教授は思わず悲鳴を上げる。
 やがて光りの勢いが衰え、アーティファクトが元の穏やかな青白い光りを取り戻した時には、ヨシュアとクローゼの姿はまるで神隠しにあったかの如く、その場から消失した。アルバ教授はへなへなとその場に崩れ落ちながらも、薄いルージュを塗った唇の端を微かにつり上げて微笑んでいた。



[34189] 12-01:ヨシュアとクローゼの大冒険(前編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/10 00:01
「ふーん、これは封印機構のバグという訳でも無さそうね。紺碧の塔のデバイスタワーを担当した当時のプログラマーが遊び心でシステムに密かに埋め込んだ隠しコマンドが、アウスレーゼの末裔のDNAに反応して、二人を異空間に引きずり込んだと見るべきか」

「まだ封印区画の『門』すら開いていない今の段階で、異空間を長時間維持するのは不可能ね。早く出口に辿り着かないと、永遠にあっちの世界に閉じ込められるなんてことに」

「もし、そんな事態に陥ったら、計画の第一段階に支障をきたすわね。まあ、あの娘がついているのだから何とか切り抜けるとは思うけど、念の為に封じていた二つ目の能力を解放しておきますか」

「毎年、始祖であるセレスト・D・アウスレーゼの生誕日の僅かな間、結界の隙間を緩めておくなんて、粋なことを考える人間もいたものね。一年に一度の逢瀬。ふふっ、まるで七夕の織姫と彦星みたいでロマンチックよね。まさか、本当にアウスレーゼの血族が訪ねてくるのを想定していたとも思えないけど、やっぱり発起人はあの王子様みたく始祖様に惚れていたのかしら?」

「けど、今現在の最重要事項は紺碧の塔の早漏反応ではなく、目の前の満漢全席よね。二人がわたくしの目の前に戻ってくる前に、全部食べちゃおーっと」

        ◇        

「ヨシュアさん。ここは一体どこなのでしょうか? 僕たちは二人して同じ夢を見ているわけではないですよね?」
「何でもかんでも私に聞かないでちょうだい、クローゼ。私にだって判らないことはあるのよ」
 自らの常識を覆されたクローゼは、己以上の見識者に縋るが、ヨシュアにしても彼を安堵させられる模範解答を持ち合わせない。
 本当にこの場所は何なのか?
 元いた世界から何らかの要因で切り離された二人は、星が遍く銀河のような不可思議な空間に囲まれて、ぽつんと架けられた立体交差の橋のような足場に打ち捨てられていた。
「状況を整理しましょう。私たちは紺碧の塔の屋上で記念撮影をしていたら、光りの渦に飲み込まれた。気がついたら教授と離れ離れで、この妙な空間に引きずり込まれた」
 あの古代遺産(アーティファクト)は物質転移装置か何かで、二人をこの場所にテレポートさせたと当たりをつける。
 この装置を作り上げた古代人の目的を、今考えるはナンセンス。それを解明するのはアルバ教授のような考古学者の仕事であり、今の二人の最優先事項はどうやって自分らの世界に帰還するか。
「まあ、ここで、あーだ、こーだ、だべっていても始まらないわね。とりあえず一本道みたいだし、先へ進みましょう」
 他にこれといった代案も浮かばず。極めて消去法的に、メビウスリングのように曲がりくねった階段を踏み外し、奈落の底に転落しないよう気を配りながら、一本道の通路をひたすら直進する。

        ◇        

「物質転移装置で跳躍(ワープ)したという説は、一応、正解みたいね」
 行き当たりばったりに前進した結果、あっさりと断崖絶壁の行き止まりで立ち往生し、例のアーティファクトと似た輝きを放つ円形の床に足を踏み入れると、二人は先とは全く別の階層へと飛ばされた。
「本当にどんな原理になっているのでしょう? 生身の人間を自在に空間転移させるオーバーテクノロジーなんて、ツァイス工房の数世代先を行き過ぎていますよ」
 手摺りのない渡り廊下から、うっかり足を踏み外さないよう注意しながら、恐る恐る直下を覗き込む。さっきまで自分らがいた縦長の階層が支柱も無しに空間に浮遊しており、一瞬で二十アージュ以上の距離をワープした。
 これが大崩壊で滅びた古代ゼムリア文明のロストテクノロジーならば、七の至宝も本当に実在するやもしれぬ。
「橋の色使いや雰囲気に、どことなく紺碧の塔の名残を感じるわ。この異空間も塔に何らかの縁があるのでしょうね」
 とはいえ、差し当たり今の二人に必要なのは考察でなく、猪突猛進のみ。足元にある円形の空間転移装置は既に輝きを失っていて、もう一度足を踏み入れても、スタートフロアに後戻りすることは叶わない。このダンジョンは完全な一方通行仕様。

 さらに少し先に進むと、今度は小型のピラミッドみたいな三角錐の石碑が設置されていた。中央のパネル部分に象形文字が刻まれている。
 未だに全容が解明されていない古代ゼムリア文字と思われるが、博識で鳴らすヨシュアにも内容はさっぱりで、アルバ教授のようなその道の専門家でも解読には骨が折れるだろう。
「教授は私達と一緒にこの場所に来られなかったのを、地団駄踏んで口惜しがったでしょうね。まあ、この重そうな石碑(データクリスタル)を持ち帰るのは無理だから、文面だけでもお土産にしてあげましょう」
 その言葉に、クローゼは懐から学生手帳を取り出し文字を手書きで丸写ししようとしたが、ヨシュアに既に脳内記録したと宣言されたので、ペンをブレザーのポケットに押し込んだ。
 この瞬間記憶能力があれば台本の丸暗記など造作もない作業だろうと納得したが、その感嘆はヨシュアの背後に浮かび上がったより強いサプライズに押し潰れる。
「ヨ、ヨシュアさん、あれ!」
 クローゼに指摘されるまでもなく、気配もなく忍び寄った敵影の存在を目敏くキャッチし、後ろを振り返ったヨシュアの琥珀色の瞳に軽い戸惑いが走る。
 魔獣ではない。その空中を浮遊する紺碧色の巨大な物体は、まるで二人を威嚇するかのように異様な電動音を発している。
「今日一日で、生涯分の『一体』という言葉を使い果たしそうですが。本当にあのマシンは、一体何なのでしょうね?」
 ツァイス工房でも未だ試作段階の域を出ない自立思考型の自動人形(オートマペット)のように見受けたが、例によってこの時代の科学水準を悠々ぶっ千切っており、さしずめ人形兵器(オーバーマペット)と仮称した所か。
「大丈夫ですよね? 『陽炎』クオーツをセットしているから、魔獣にこちらを認識できる筈が」
「シンニュウシャヲカクニン。コレヨリハイジョコウドウニウツリマス」
 そんなクローゼの淡い希望を打ち砕く過酷な現実が、無機質な機械音声として人形兵器(ブロークンピースB)のスピーカーから流れてきた。
 両腕に円形の鋸を展開し、キィィーンという耳障りな金切り音を奏でて、丸鋸を高速回転させて襲いかかる。至近にいたヨシュアは空中で一回転し紙一重で何とか避けたが、再びスカートを斜めに大きく切り裂かれる。このオーバーマペットには、人間を保護するロボット三原則はプログラムされていないようだ。
「無機質な見た目そのままに、話が通じる相手じゃ無いみたいね。性別があるかすら不明だけど、私の魅了も効きそうにないし」
「確かに……って、それよりも、どうやって陽炎の隠密効果を見破ったのでしょうか?」
「相手が魔獣でなく、機械仕掛けのお人形さんだからでしょうね」
 幻属性クオーツの認識干渉能力は対生物に限定される。所謂、精神を持たずに、光学映像と赤外線探知で対象を識別するオーバーマペットには意味を成さない。
「なら、戦るか殺られるかの二択ということですね?」
 必然的に戦闘せざるを得ず、ヨシュアを傷つけようとした相手への憤りも手伝い、クローゼは印を組みアーツの詠唱態勢に入る。
「やあっ、アクアブリード!」
 最も詠唱速度が短い水属性の単体基本アーツを唱える。クリムゾンアイのブーストでヘルムキャンサーを貫通した高水圧の水龍が人形兵器に直撃するも、あっさりと外殻に弾かれる。
「なっ! 精神系クオーツの特殊効能だけでなく、攻撃アーツまで無効化するのか?」
「いいえ。さっき、この場所は紺碧の塔に由来があると推測したでしょう? 多分、この人形兵器は塔のガーディアンなのよ」
 紺碧の塔は世界に存在する七属性の『水』を司る聖域と崇められている。ヨシュアの仮説が正しいとすれば、水属性の遣い手のクローゼとの相性は最悪。
 物理反射能力を持つ魔獣と戦った時とは真逆に今度はクローゼが敵へのダメージソースを喪失したので、ヨシュアが双剣を展開させUターンしてきたブロークンピースBを斬りつたが、表層を傷つけるどころか反って短剣の方に刃毀れを生じさせる。ヨシュアの細腕にも痺れが走り、端正な顔を強く顰める。
「くっ、予想した通り、装甲の固さも普通じゃないわね。鋼鉄以上の硬度を誇るレアメタルといった所かしら」
 容赦なく相手の弱点を抉ることで軽量の得物の不備を補ってきたヨシュアにとって、生物と異なり一切の身体的急所を持たないオーバーマペットは天敵かもしれない。
 苦痛で一瞬動きが止まったヨシュアに、回転鋸が唸りを上げて襲いかかる。リプレイのように再び上半身を斜めに大きく切り裂かれて、クローゼは息を飲むもヨシュアお得意の残像。
 本体はクローゼの目の前に顕現し、彼を安堵させる。今度は避けきれなかった上半身のブレザーが見る影もなくズタボロにされ、フロントのホック部分を破壊されたDカップブラがファサリと地面に零れ落ちる。
 一応無傷の状態を維持しているとはいえ、高速機動力を売り物にするヨシュアがこうまで敵の攻撃を掠らせるあたり、少女の体調はまだまだ本調子には程遠い。
「ねえ、クローゼ。昔の偉い人やカプア一家の勘の良い女人が、勝ち目のない敵と遭遇した場合の対処法として、実に良いことを教訓としていたのよ。それは何だと思う?」
 人形兵器の側に落ちたブラジャーの回収を諦めたヨシュアは、両腕で自分を抱き締めるような魅惑のポーズで乳房を隠しながら、クローゼに問いかける。
「カプア一家って、リベール通信に掲載されていた、ボース地方を騒がせていた空賊のことですよね?」
 初なクローゼは、なるべくヨシュアの方角を見ないようにしながら、思考を押し進める。泥棒が特攻や玉砕を至上とするとも思えないし、この場合はやっぱり逃走かとあっさりと真理に到達。
「正解よ、三十六計逃げるにしかずってね。このまま突っ切るわよ、クローゼ」
 不撤退を信条とするエステルは、この手の戦略的撤収をなかなか受け入れてくれないが、クローゼにその種の拘りは皆無。
 唯一解ともいうべき最善策に何ら異存はない。二人は一端別れて石碑に左右から回り込むと、どちらに対応しようか迷ったブロークンピースBの隙を逃さずにそのまま駆け抜ける。
 人形兵器は二人が石碑の設置された階層から螺旋階段に逃げ込んだのを確認すると、それ以上は追い掛けずに、真下に落ちていたブラを拾い上げるとアイカメラに映し解析作業に入る。やがて目の位置のランプを攻撃色の赤から安全色の緑色に切り換え、再び哨戒モードに移行。ブラを回転鋸の先っちょに引っ掛けたまま、巡回作業に復帰した。

        ◇        

(僕はどうすればいいのだろうか?)
 一難去ってまた一難。オーバーマペットの追撃からは逃れたものの、新たな試練がクローゼを襲う。
 ヨシュアのふしだらな格好は、先の戦闘で一層拍車がかかる。もはや原型がジェニスブレザーとは想像すら叶わず、真っ白な素肌の所々に残滓の布切れが巻かれている惨状。
 自ら率先して前方を歩くことで、ヨシュアのあられもない姿を目に留めないよう務めてはいるものの、本当は振り向きたくて仕方がない。
 それでも、黄泉の世界から死者を連れ戻す際の、「決して後ろを振り返ってはならない」という約束を尊守する神話のイザナギの如く自らを戒めていたが、そんな彼の忍耐心を挑発するかのように後ろから衣擦れを起こす音が聞こえてきた。
(後ろで何が起こっている? もしかして、ヨシュアさんが制服の欠片を脱ぎ捨てているのか?)
 聞き耳を立てたクローゼは、しゅるぅ、ふぁさぁー、すとーんと、衣が擦れ合い地面に落ちる蠱惑的な擬音に心臓をドキマキさせる。
 もはや制服の体を成さない単なる残骸を身体に這わせていても、戦闘の邪魔になるだけなので、合理主義を尊ぶヨシュアなら、羞恥よりも実用を重視しバンツ一丁になる英断をしても不思議はない。
(だとしたら、本当に僕はどうすれば良いんだー?)
 頭を抱えてその場にしゃがみ込む。フェミニストを気取るのなら半裸のヨシュアの背後からそっと自分のブレザーを被せてあげるダンディな振る舞いも有り得たが、最近覚醒した助平の本能がその男味溢れる選択肢を無意識化で排除した。
「ねえ、クローゼ。こっちを見てもいいのよ?」
 そんな彼の心の葛藤を嘲笑うかのように、甘ったるい声でクローゼを誘う。
「また何時、例の人形兵器が現れないとも限らないし、この体制のままゴールに辿り着くのは、どのみち無理があるでしょう?」
 心理的負担を和らげる正論が囁かれる。確かにいきなりのご開帳で慌てふためくよりは、今から淫らな姿に免疫をつけておいた方が戦闘中のリスクは軽減する。
(乳房は両腕でガードしているだろうけど、あのサイズの大きさを全部隠しきるのは不可能だから、面積の半分ははみ出てしまう計算に。もしバトルのドサクサに紛れて乳首が丸見えになったとしても、それは不可抗力だよな)
 怜悧な思考能力をしょーもない計算にフル稼働させた挙げ句、自己正当化に成功し、己を説き伏せる。「それては失礼します」と幾分の後ろめたさと大いなる期待の相反する感情を同時に抱え込み、身体ごと後方に向き直って少女の全身を視界に納めた。
「あっはっはっ、引っ掛かった、引っ掛かった。むっつりスケベさん」
 琥珀色の瞳に軽い涙を浮かべた女狐は、腹を抱えて笑い転げる。化かされて葉っぱのお札を掴まされた間の抜けた被害者の表情をクローゼは曝す。
 ヨシュアはクローゼが想像していた半裸姿でなく、東方の民族衣装と思わしき八卦服(チャイナドレス)を身に纏っている。
 詰襟で横に深いスリットが入ったボディコンシャスな拳法服。身体への密着度と運動性能の高さは例のブルマに匹敵し、背中の紋章は不正不滅を現している。
「ヨシュアさん、その胴着はどこに隠し持っていたのですか?」
「そこの宝箱の中に入っていたので、着替えたのよ、ほらっ?」
 付属の二個の丸布に、愛用のリボンと闘魂ハチマキを上手く併用し、長い黒髪を二つのお団子にセットし直しながら周囲を指差す。
 ひたすら前方を見据えていたクローゼは見過ごしていたが、この階層には宝箱が六個も設置されており、全てヨシュアによって開封済み。
「他にも三百個分の『水』のセピスや、非売品の『アセラスの薬』を始め、美味しいアイテムがてんてこもりよ」
 ウッシシと笑いを堪えながら、胸一杯に抱え込んだ戦利品の山々を陳列する。
 ルーアンでのパーティ面子はエステルが勇者でクローゼが賢者とすれば、ヨシュアは盗賊と言った風情。とても導かれし者たちとは思えぬ凋落ぶりで、エイドスは人選を見誤った可能性がある。ズボン無しのミニワンピースの八卦服を着こなしお団子頭にヘアメイクしたヨシュアの姿は、シーフというよりも東方風の拳法家だが。
「紺碧の塔のお宝は、泥棒(トレジャーハンター)に狩り尽くされたと聞いたけど、まさかこんなレアアイテムが手に入るとは夢にも思わなかったわ」
 盗人というのなら、今のヨシュアも十分該当すると思われるが、それはまあ保留しておこう。この八卦服はヨシュアでも装備可能な程軽量で動き易い上に防御性能も高く、いくつかの特殊効果まで封じられている。これまた現代の科学常識を大きく超越しており、「ここまでくるとアーティファクトの一種ね」とヨシュアは大層ご満喫。
 ただ、健全なクローゼとしては、至れり尽くせりのチャイナドレスの機能美よりも、様式美の方により魂を奪われる。
 全身にぴったりと密着し凹凸の激しい身体のラインを一層浮き彫りとするので、現在ノーブラの胸囲部分にはポッチが浮いており、横長のスリットはヨシュア自慢の脚線美を一段と強調し、その艶やかな衣装は瞬く間にクローゼを誘惑して虜とする。
 見栄を張って生乳を視姦するチャンスを逃したのは残念無念も、最近対抗意識が芽生え始めたエステルよりも先にお色直ししたヨシュアのニューコスチュームを享受できたささやかな幸運に満足し、小さな優越感に浸る。

 不思議の国の泥棒姫と助平王子の珍道中は、まだまだ続く。



[34189] 12-02:ヨシュアとクローゼの大冒険(中編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/10 00:01
「謎の異空間、出迎える摩訶不思議な人形兵器(オーバーマペッド)に、貴重なお宝の数々。不条理と非現実が織りなすパラドックスの世界。まるで私たちは不思議の国に紛れ込んだアリスそのものね」
 そう感慨に耽りながら八卦服のカンフーガールは目につく宝箱を片っ端から開けるが、『絶縁テープ』や『リーベの薬』などの外れアイテムが連出し舌打ちする。
「そうだ、ヨシュアさん。これをお返ししておきます」
 瞳を真っ赤に染め、その名の通りに目の色変えて略奪に夢中のハイエナ娘の姿にクローゼは百年の恋心をぐらつかされながらも、ペンダント代わりにぶら下げていたクリムゾンアイを首から外し手渡す。
 紺碧の守護者には彼の得意とする水属性アーツは無効化され、未だに借り続ける意義を消失したからだが、魔眼を収束させ瞳を琥珀色に戻したヨシュアは軽く首を横に振るとクローゼの手の中に押し留めた。
「ヨシュアさん?」
「私が持っていてもデメリット効果が気になって有効に扱えそうもないから、クローゼに進呈するわ。戦闘の補助に使うもよし、何なら換金しても別に構わないわよ」
 専ら持ち主に不幸を齎すと不評の曰くつきの魔石なので、デートの記念品としてはあまり洒落たギフトではないが、王都のオークションに出品すれば一万ミラにはなると即金法を伝授するも、千年分の恋心を再燃させたクローゼは頑に拒む。
「ヨシュアさんからの心の篭もったプレゼントを、そんな無下な扱いは出来ませんよ。ありがとうございます、一生の家宝として肌身離さず堅持します」
 色々迷惑を掛けた埋め合わせの一環としての詫びの品を、ここまで手放しに喜んでもらえるなら感無量だ。裏表の激しい自分などと異なり、クローゼの素直さはエステル同様に一切の虚偽がなく、見ていて本当に清々しい。
 再び首にぶら下げて、無意味にSPD(行動力)に負荷を掛けようとしたクローゼを、ヨシュアは苦笑しながら引き止めるが、意識は次なる獲物に向かう。渡り廊下の先に意味ありげに設置された単体の宝箱を物欲しそうに眺める。
 一万ミラの秘石を未練なく手放したように、ヨシュアは現金そのものに執心しているわけではないが、ポンポン現出する未知なるお宝に完全に心を奪われた。罠かもしれないと警戒を促したクローゼの注意を一蹴し、お気楽なエステルが憑依したかのように無警戒に宝箱を開き、途端に侵入警報のサイレンが周辺に鳴り響いた。
「しまった。こんな高度なトラップを仕込まれていたなんて」
「云わんこっちゃないです。見るからに怪しかったじゃないですか?」
 ようやく我に返って頭を抱えるヨシュアの姿に、クローゼは諦観の境地に達したが、それでもそう突っ込まざるを得ない。
 この塔に登ってから、馬鹿、もとい向こう見ずな所が、どんどん少女の義兄に似てきており、「捨てられたクリムゾンアイが、元の持主の頭に呪いをかけたのでは?」と非現実な妄想に囚われるも、360°全方位から敵の大群が飛来。過酷というよりも絶望的な現実がクローゼを夢から呼び覚ました。
 哨戒型ブロークンピースB×2、支援型ガードミニオンB×2、殲滅型ガンドールB×2、特攻型ドゥームM-B×2、迎撃型ドゥームD-B×2。
 合計十体のオーバーマペットが二人を取り囲み、目のランプを真っ赤に灯らせて一斉に攻撃モードに移行した。
「ヨシュアさん、何かこの窮地を脱する策は持ち合わせていますか?」
 敵をわんさか誘きよせた失態を詰ることなく、打開策の有無だけを問い掛ける。水のアーツが無効の上、得物すら持ち合わせていないクローゼは完全にお手上げ状態だが、仮にレイピアを所持していたとして、彼の腕力と技量で鉄よりも遥かに硬度なレアメタルの分厚い装甲を貫けたか自信はない。
「態々聞くまでもないでしょう、クローゼ? 戦って勝ち目がある筈もないし、私たちの選択肢は一つしか残されていないわよ」
「またトンズラですか? けど、それが可能なら苦労はしませんよ」
 周囲は完全に大型の人形兵器に包囲され、蟻の這い出る隙間も見当たらない。四面楚歌の中でも冷静さを失わないヨシュアの存在は救いだが、かといって起死回生の妙計を隠して持っているようにも見えない。
(お祖母様、ユリアさん。もしかすると、僕はもう駄目かもしれません。ハンス、君が無理やり僕に押し付けたアレは、ちゃんと処分しておいてくれよ)
 もし、ここで人形兵器の餌食となったら、女王陛下を初め自分の将来に期待を寄せてくれた多くの人たちの想いを裏切るのと、机の引き出しの奥に隠された『とある秘本』が公になり学園内で長年築き上げた爽やかなイメージに傷がつくかもしれないのが心残り。
「ねえ、クローゼ。私を信じて生命を預けてくれる?」
 そんな生への執着心を感じ取ったのか、ヨシュアが琥珀色の瞳に真摯な色を浮かべて、問いかける。エステルから聞き及んだ所、ロレントで少女の甘言に唆されて酷い目に遭わされた被害男性は後を絶えないが、それでも信頼するに足る根拠がクローゼにはある。
 ヨシュアがしばし他者を見下す言動を繰り返すのは、合理主義をとことんまで追求した結果。多くの場合、目に見える成果を残すのに成功するが、あまりに人の心を蔑ろにするので自らの手を汚さない嫌な奴と他者の目には映る。
 だが、ヘルムキャンサー相手に自爆攻撃を厭わなかったように、ヨシュアはそれが最善の道だと信じれば、自ら傷つくことも躊躇わない強さと優しさを秘めている。
「勿論、信じますよ、ヨシュアさん。どのみち僕自身は無策なので、仮に失敗しても、あなたを攻めたりはしません」
 かつてヨシュア本人が指摘したように、利己的な少女の所業の中から労りや友愛を見出すのは惚れた殿方の愚かな欲目かもしれない。けど、エステルですら義妹の性根を疑っている中、せめて自分一人ぐらいは最期までヨシュアに殉じようと想いを定める。
「それで僕は何をすれば良いのですか? 壁役でも囮役でも何でも、引き受けますよ」
「別に特別なことをする必要は何もないわ。ただ、私と手を繫いで、心と呼吸を一つに合わせてくれれば良いから」
 自ら捨て駒の役割を課そうした少年に、拍子抜けするぐらい牧歌的な提案をし、クローゼの両手に自分の掌を重ね合わせた。
 柔らかくてすべすべとした冷たい掌の感触に一瞬ドキッとしたが、互いの目と目が合い視線で促されると、クローゼは要求通りに心の門を開いて少しずつ身体の呼吸を少女の息づかいに合わせる。
 すると、どうであろう?
 チュイイーンと高速回転する丸鋸を目の前にチラつかせ、『ブルーアセンション』という未見の高レベルアーツの詠唱態勢に入り、毎秒百発速射の機関砲(ガトリングガン)の弾倉をカラカラ回転させようとして、異常な金切り音を発し状態異常を引き起こそうと舌舐りし、全方位集中砲火のカウントダウンに突入していた人形兵器の攻撃モードが解除され、突如、標的を見失ったかのように周囲をまごまごし始めた。
 やがて、点灯していた攻撃色の赤いランプを安全色のグリーンに切り換えた人形兵器は散り散りにこの場を離れた。
「助かったのか?」
 ヨシュアの手を離したクローゼは、へなへなとその場に崩れ落ちる。今度こそ絶体絶命と半ば覚悟していたが、今の現象は何だったのだろうか? まさか感情を持たない機械の群れが少女と心を通わせたとも思えないが。
「ヨシュアさん、今のは一体どういうスキルで……」
 本当に何度目となるのか。また、『一体』という言葉を大安売りして補説を求めたが、『喉元過ぎれば熱さ忘れる』の格言通りにヨシュアの方は懲りもせずにウキウキしながら宝箱の中身を物色中。
「ねえ、信じられないわ、クローゼ。この双子の短剣を見て、見て」
 子供のようにはしゃぎながら、戦利品の『復讐者(アヴェンジャー)』の一組を見せびらかす。
 空気のように軽い金属で作られた漆黒の双剣。レアメタルに当たり負けしない強度を維持しながら、非力なヨシュアの膂力でも軽々と振り回せると、まさしく漆黒の牙の為に誂えたような逸品。
「やっぱり果物ナイフじゃ、ロストテクノロジーを相手取るには無理があり過ぎたわね。けど、これで次に人形兵器に襲われても対処できる算段はついたわ」
 装備制限のあるヨシュアが扱える軽量の短剣は限られるとはいえ、ボースマーケットの金物屋で投げ売りされていた刃物で、今日まで戦い続けていたとは驚きだ。うかつに宝箱を開けて危うくお陀仏に成りかけたが、対価として得物を選び過ぎるヨシュアの武装が久しぶりにバージョッアップされたので、この顛末はまさに怪我の巧妙だ。

        ◇        

 オーバーマペットを迎撃可能と謳ったが、それでも不要な戦闘は避けるに越したことはない。二人は恋人同士のように仲良く手を繋ぎながら、ゆっくりと階層を踏破していく。
 アヴェンジャーの漆黒の輝きに浮かれたヨシュアは頼まれた解説をスルーしたが、少女には人形兵器の光学映像はおろか、赤外線探知による索敵さえも誤魔化せるステルス能力を備えている。
 塔の屋上の記念写真撮影の際、普段はオートで常時展開しているステルスを一時的にオフにしたのを空間転移のハプニングでど忘れしていなければ、先の戦闘でジェニスブレザーを台無しにされることも無かった。
 さらに、こうして手と手を重ねていると、彼女のステルス効能がクローゼの身体にも伝染するらしい。どんどん数を増す人形兵器は二人の存在に全く気がつかずに、脇を掠めても堂々とすれ違っていく。
 その間にも、ヨシュアは宝箱を容赦なく開け続ける。
 この異空間のお宝を根こそぎ強奪し尽くす腹だ。さらなる追加のセピス(『水』×300、『時』×100、『空』×100、『幻』×100)の他、女性用具足の『レジーナガーダー』を履いて足回りを強化。『龍牙鞭』は不用品だが、後々シェラザードにでも高値で売り捌いてやろうとキープし、重量物の荷物はクローゼが纏めて抱え込んだ。
 『蒼耀珠』という謎のクオーツが入った宝箱を開いた時には、再び警報が鳴り響いて人形兵器が襲来したが、これまた例のステルスで大過なく遣り過ごし、貴重な骨董品をせしめるのに成功。
 蒼耀珠は水属性クオーツであるのは確かだが、クローゼの戦術オーブメントの固定スロットとは規格が合わずに装着不可能。無事に元の世界に戻れたら、ツァイスの技術者にでも見せて解析してもらおう。

        ◇        

「ここがラストフロアみたいね。あれがゴールかしら?」
 このダンジョンは本当に一本道のシンプル構造の上に、次の階層に転移する都度、円形の転送装置は輝きを失い後戻りを禁じるので、二人は迷うことなく最終階層に辿り着いた。
 うっすらとした光りを放つ今までの転送装置と異なり、橋の突き当たりにはある最後の転送装置は、遠目からでも視認可能な強烈な輝きを放っている。
 紺碧の塔の屋上で自分たちを飲み込んだアーティファクトと全く同じ眩しさで、アレこそ元いた世界への出口。自然、二人の間に流れる空気が弛緩するが、何かに勘づいたクローゼの表情に再び緊張が走る。
「ヨシュアさん、何か突然、周りの風景が風化しているような」
 不吉を感じたクローゼが不安そうに尋ね、ヨシュアも橋下の今まで歩んできた階層を見下ろし、表情を青ざめさせる。何とここまで二人が踏みしめていたフロアが、ボロボロと崩れ落ちている。更には周りの空間そのものが、抽象画家の難解な絵画のように大きく歪んでいる。もしかすると、物理的な足場だけでなく、この空間自体が崩壊している?
「大変、クローゼ。この世界そのものが消滅しようとしているわ」
 この大崩壊に巻き込まれたら、現実世界との接点を失い、永久にこの異空間を彷徨う羽目になるのか?
 もはや、お手つないで、チンタラ歩いている余裕はない。安全対策には目を瞑り、一分一秒でも早くゴールの転送装置に飛び込む他なく、両手を離した二人は猛ダッシュしてラストフロアを全力疾走で駆け抜ける。
 これ見よがしに設置された六個の宝箱を、ヨシュアは未練の眼差しでチラ見したが、断腸の思いで無視する。この土壇場で欲を掻くのは単なる愚か者であり、どんなレアアイテムが秘蔵されていたとしても、生命よりも大事なお宝などありはしない。
 ただし、石碑を横切る際には、瞬間記憶能力で内容を丸暗記しておいた。相変わらず意味自体はさっぱりだが、これで合計四つの古代ゼムリア文字の文面を、ヨシュアは記憶したことになる。
「ヨシュアさん、あれを!」
 当然、こちらに気づいたオーバーマペットが徒党を組んで襲いかかってきた。二人をこの世界の崩壊の道連れにするかのように立ち塞がるが、今の状態でもヨシュアのステルスは有効らしく、少女の存在を無視して攻撃目標を姿を曝したクローゼ一人にターゲッティングする。
「邪魔よ!」
 敵を排除する術のないクローゼに代わり、ヨシュアが新装備のアヴェンジャーを両手に展開して、当初毛程もダメージを与えられなかったブロークンピースBを真っ二つに切り裂いた。
クローゼは唖然とする。いかな業物といえど、あの非力な腕力と小振りの短剣でレアメタルを軽々と両断するヨシュアの技量は常軌を逸している。筋力不足が要因とはいえ、今日まで武装に恵まれずにその力を十全に発揮できなかったのなら、確かにエステルが度々主張するようにヨシュアの瞳が見据えている理(ことわり)は自分らとは次元が異なる。
「敵は全て私が始末するから、クローゼは迷わず駆け抜けて」
「判りました」
 女性におんぶ抱っこの自らの境遇に若干情けなさを感じるものの、今は考えている時間すら惜しい。ガードミニオンB、ガンドール、ドゥームD-Bがクローゼ目掛けて波状攻撃で押し寄せてくるが、その都度ヨシュアに鉄屑に解体される。
 最後に現れたドゥームM-Bもスクラップの運命を辿ったが、ヨシュアに双連撃で十文字に切り裂かれた途端、再び無機質な機械音がスピーカーから流される。
「ダメージリツ98パーセント。カツドウケイゾクフウノウニヨリ、ジバクモードニイコウ」
 ドゥームM-Bの装甲の亀裂から、怪しい虹色の光りが駄々漏れる。
「ヨシュアさん、危ない!」
 クラフトの待機時間で微かに硬直したヨシュアの腰元を抱き抱えて、クローゼは必死にドゥームM-Bから距離を取る。次の瞬間、自動人形は自爆して、激しい爆風に二人は吹き飛ばされた。
「ありがとう、クローゼ。助かったわ」
 メディカルチェックして、身体機能に異常が無いのを確認したヨシュアは、軽く安堵の息を吐き出したが、途端に息を飲む。
 ヨシュアが無傷で済んだ代償に、彼女を庇ったクローゼは爆風をモロに下半身に浴びて両足とも大火傷を負った。クローゼは辛そうに唸り声をあげていて、どう見ても歩ける怪我ではない。
 かつてヨシュアの傷痕を綺麗に塞いだように。回復を司る水属性のクローゼなら時間さえ与えられれば己が負傷も癒せるのだろうが、空間の崩壊は秒読み寸前。一刻の猶予もない。
「クローゼ、苦しいと思うけど、今は我慢して」
 肩を貸したヨシュアは二人三脚の要領で、苦悶するクローゼを引きずるようにして前進する。
 この螺旋階段を渡り切れば転移装置がありゴールは目と鼻の先にあるのだが、走れば十秒とかからないこの距離が今の二人にとっては果てし無く遠い。
 それでもヨシュアはクローゼの肩を抱えて、懸命に前へ進もうとしたが、非力な彼女の筋力では細身のクローゼすら支えきれずに、その歩みはカメよりも遅い。焦る黒兎に対して手負いの青亀の方が儚げに微笑んだ。
「ヨシュアさん、あなたの得意の合理性で物事を考えて下さい。二人助かる方法かあるならともかく、そうでないのなら、このまま一緒に取り残されるのは、無意味な……」
「黙っていて、クローゼ!」
 ヨシュアらしくない余裕のない表情で、クローゼを一喝する。
「奇麗事を云う気はないけど、あなたをこの修羅場に無理やり巻き込んだのは私なのよ。なのに、一人だけオメオメと帰参したら、エステルは決して私を許さない」
 こんな状況化でもエステルを引き合いに出す想いの深さに、何とも言えない悔しさを己の内部に抱え込む。
 クローゼに諭されるまでもなく、本当にヤバくなれば、エステル以外の他者であれば、自分の身命を何よりも優先する冷酷さをヨシュアは兼ね備えている筈だが、今はどうか?
 この準遊撃士の旅で自分は強くなったか、それとも弱くなったのか、ヨシュアには判らない。
 地を這うような鈍重なペースながらも、あと少しで転移装置に手の届きそうな距離まで詰めてきたが、世界の終焉以前に足場の瓦解が目前に差し迫っている。後方の階層は全て崩れ落ちていて、今自分たちが踏み占めている足元にも亀裂が走った。
(この足場もあと数秒で崩れる。ここが本当の分水嶺ね)
 ヨシュア単独ならコンマ数秒で渡り切れる距離も、今の牛歩状態では踏破前に確実に崩れ落ちる。ここにいたのが自分でなくエステルなら、軽々とクローゼを担いで余裕綽々と制限時間内に走破しただろうに己の非力さが恨めしい。
 ただ、ここまで歩を進めた頑張りは決して無駄な足掻きではない。『とある射程』にまで辿り着くことには成功した。とはいえ、何度合理的な思考フレームで、ミリ(1000分の1)秒の速度で高速演算しても、今の手持ちのスキルでは二人同時に助かるのは不可能。この不思議の国は大団円の結末を与えるつもりはないらしく、最後の選別を迫られる。
→1『クローゼを見捨てて、自分だけ助かる』
 2『クローゼと共に、この場に残る』
「クローゼ……」
 自分を呼ぶ切ない声に、肩を借りた小柄な少女の綺麗な琥珀色の瞳と正面から目を合わせる。
「ごめんね」
 謝罪の言葉と共に偽りでなく流された少女の真珠の涙に、クローゼはゆっくりと目を閉じた。恨みも後悔もない。少女にとっても身を引き裂かれるような苦渋の決断であることを承知していた。
 この右半身に感じる少女の温もりを消失した時、自分の生命も尽きるのだと覚悟を決めたが、ヨシュアは離れる気配はなく、それどころか強くクローゼの右腕を掴んだ。
「ヨ、ヨシュアさん、まさか? それは駄目です!」
 自分の胸元に顔を埋めて、表情が見えなくなった少女に、クローゼは大声を張り上げる。
→2『クローゼと共に、この場に残る』
 ヨシュアが選んだのは、『1』でなく、『2』の無理心中なのか。
 エステルの元に帰るよりも自分を見捨てないでくれた黒髪の少女に対して、喜怒哀が無秩序に混じり合った複雑な心境を抱えたが、ヨシュアは右腕と同時に何故か襟首を強く掴み軽い呼吸困難にクローゼは息を咽せる。
「ごめん、クローゼ。更に痛くなると思うけど我慢して」
 そう宣告すると、「イヤァァァー!」と雄叫びをあげながら、得意の一本背負いで、クローゼを豪快に投げ飛ばした。柔術の究極の理とは、マイクロ(100万分の1)精度の狂いのないタイミングを己が手中とすることにあり、その神域の一瞬を見極めし術者はもはや相手の力も利用する必要すらない。
 唐突に空中遊泳を強いられたクローゼは受け身を取り損ねて、派手に背中から地面に叩きつけられ更なる呼吸不全に陥る。先程ヨシュアが図っていた射程は、数アージュ先の転移装置の置かれた足場までの限界飛距離。
 今の痛恨の一撃で危険域のダメージを負ったクローゼは目の奥がチカチカして、頭が白くなるような背骨の痛みに意識が遠のき掛けたが、いるべき正面の場所にヨシュアの姿を見つけられずに強靱な意志の力で視界を取り戻す。
 目の前の螺旋階段はおろか、既にラストフロアそのものが完全に崩れ落ちて、今クローゼのいる足場のみが辛うじて宙空に取り残されていた。
「そんな、ヨシュアさん。あなたは」
 彼女の安否を確かめたい一心で、激痛を懸命に堪えて崖下を覗き込むと、黒髪の少女が真っ逆様に、奈落の底へと沈んでいく姿が目に入った。

→3『クローゼを助けて、自分はこの場に残る』
 この隠し選択肢こそが、少女がクローゼとこの不思議の国に示した最期の真心。クローゼの声にならない悲痛な叫びが、崩壊寸前の異空間に木霊した。



[34189] 12-03:ヨシュアとクローゼの大冒険(後編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/10 00:02
「わが友よ。こうなれば是非もない。我々はいつか雌雄を決する運命にあったのだ。抜け、互いの背負うもののために。何よりも愛しき姫のために!」
「オスカー、お前……。判った、私も次の一撃に全てを賭ける」
「更なる生と姫様の笑顔。そして王国の未来さえも、生き残った者が全ての責任を背負うのだ」
「いえ、今回の勝負はここまでです。何せそこにいる大馬鹿者が利き腕を怪我しておりますゆえ。しかし決闘騒ぎまで起こして勝者がいないのも格好がつかない。ならばハンデを乗り越えて互角の勝負をした者に勝利を!」
「リベールに永遠の平和を!」

「ふうー、やっと台詞を間違わずに、ラストシーンまで通せたか」
 エステルは講堂の床下に腰を降ろして、安堵の溜息を吐く。
 寮の門限はとっくに過ぎていたが、生徒会権限を駆使して延長申請し、不在のオスカー、セシリア役をハンス、ジルが一時的に代行して、夜遅くまで稽古に明け暮れる。
「凄いじゃない、エステル君」
「台詞を一度もとちらなかったの、これが初めてじゃない?」
「ああ、皆が付き合ってくれたおかげだぜ」
 その甲斐あってカンペを片時も手放せなかった初期に比べて、見違えるほどの成長ぶりを示し、女子生徒に取り囲まれたまま賛辞を受ける。
 子供の頃のヨシュアが拗ねたように、一晩で台本を丸暗記するような完璧な成果を最初から披露する優等生より、未熟なりに向上心を失わず努力し続ける平均学生を支援するのが学舎の理念なので、お世辞にも物覚えがいいとはいえないエステルを周りが辛抱強くフォローし、とうとう通し稽古をやれる段階に到達。
「結局、ヨシュアは最後まで顔を出さなかったな」
 判っていたが、ここまで一致団結した人の輪に、義妹が入っていないのが気懸かりで、さらには明日からヨシュアが加入することにより、今の一つに纏まった雰囲気がギスギスしそうなのがもどかしい。
「そういえば、顔を出さないといえば、クローゼもか?」
 こんな夜更けまで稽古していたら、クローゼなら遅ればせながらも掛け参じた筈だが、どんな急用を割り振られたのやら。
 現在、クローゼはヨシュアと一緒にこの世ならざる場所でとんでもない冒険をしている最中だが、そんな裏事情はここにいる面子は露知らず、親友の律儀さを熟知するハンスも訝しむ。
 そのハンスはクローゼのピンチヒッターを務めて、剣稽古の相手までこなしてくれた。クローゼほどではないが、ハンスも騎士役に恥じない剣の遣い手で、ジルも同様にセシリア役を過不足なく演じており、当初から反転劇など考えずに、『白き花のマドリガル』を真っ当な男女構想で話を進めていたら、態々ブライト兄妹が助っ人で出張る必要もなかったように思えた。
「それは買い被りすぎよ、エステル君。私もハンスも裏方が精々で、物語の主役を張るような器じゃないのよ。あなた達三人と違ってね」
 ジルは眼鏡の奥を意味深に光らせながら謙遜し、その見解にハンスも同意する。
「そうそう。誰しもヨシュアちゃんやクローゼみたいには、単独では光り輝けないのさ。けど、冴えない脇役がいるからこそ、主役の神々しさも一層映えるのであって、それは芝居でも人生でも同じことかな」
「うーん、そういうものなのか?」
 自らを人生の脇役と称しながらも、その立場に不貞腐れることなく主役陣のサポートを心がける二人は十分器がデカイんじゃないかと、エステルは感心する。
 ただし、ジルはエステルも含めて主役の三人と讃えてくれたが、最近、何だか物語の本筋から自分一人だけ除け者にされているような奇妙な疎外感を感じるのは錯覚か?
 チラっと窓の外を眺める。雲一つない晴天に、キラリと星が流れてきた。流れ星に舞台の成功を祈願しながら、義妹の所在が気になった。
(本当にヨシュアは、今どこで何をしているのだろうな?)
 未だエステルは、少女の本当の想いと、絶体絶命の窮地を知らない。

        ◇        

(とうとう、積もりに積もった業を清算する時が来たのね)
 終焉の差し迫った異空間を、真っ逆様にひたすら下へ下へと落ちながら、そう覚悟を定める。
 今日まで多くの男性を騙くらかしてきた咎などとは、比べ物にならない原罪をヨシュアは背負ってきた。かつて、ジョゼットに「取り返しのつく間違いと、そうでない過ちとがある」と諭したことがあるが、その基準でいうなら、ヨシュアはもはや救いようがない大罪人だ。
 最期にエステルの顔を拝めないのと、想いを伝えられないのが未練といえば心残りだが、それが課せられた罰と思えば納得できないこともない。
 それでも虚ろな人形だった自分が、追い詰められた最後の最期で己の身命より他者を優先するという人らしい心を失わなかったのが、せめてもの救い。
(あとは裁きを待つだけなのに、私は何時まで落ち続けないといけないのかしら?)
 時間と距離の感覚が完全に麻痺して、まるで無限ループに嵌まったかのように、一時間以上も同じ所を彷徨っているように感じるが、実際はまだ崖下に転落してから数秒も経過していない。
 俗に走馬灯と呼ばれる、死に際の記憶リピート現象。ヨシュアの思考フレームがマイクロ(100万分の1)秒という有り得ないレベルで超高速回転し、一時的に彼女の中の時間が停止している。
 赤ん坊を抱き上げる琥珀色の瞳の少女と銀髪の少年。とある村で起こった悲劇の光景。一つの神を崇める七人の神官と十三人の騎士たち。小さな怪物に全滅させられた軍服を纏った大人の群れ。理(ことわり)の術者に喫した初めての敗北と少年との出会い。虚ろな人形が再び魂を吹き込まれ、少年に特別な思いを寄せるようになったあの日。
 産まれてから今日までのありとあらゆる場面場面が、セピス色の風景と共にヨシュアの脳裏に再現されるも、まるで壊れたラジオのように所々にノイズが走る。
 ×××で伏せられた人名。影絵のようにシルエット化し顔を確認できない人物。あの女はこんな今際の際にまで、ヨシュアに思い出を返すつもりはないらしい。
「けちんぼ……」
(あら、ごめんなさいね。でも、まだ記憶は戻してあげられないけど、替わりに別なモノを返却してあげる)
 思わず愚痴を零したヨシュアの頭の中に、どこかで聞いたような懐かしい女性の声が木霊する。思わず走馬灯を止め、姿なき声に問いかける。
「別なもの……?」
(そう、今の難局を脱するのを可能とする私があなたに教えたスキルよ。魔眼の時と同じくもうあなたには使い方は判っている筈よ)
 テレパシーのように頭に響いた声が消失すると同時にヨシュアの魔眼が真っ赤に光り輝く。魔女から授けられし二つ目の異能の能力の封印が今解かれ、次の瞬間、ヨシュアの姿が唐突に消滅した。

        ◇        

「ヨシュアさぁーん!」
「はぁーい」
 涙目で崖下に向かって叫んだ、クローゼの必死の呼び掛けに、本来有り得る筈のない返事が返ってきた。一瞬クローゼは耳と正気を疑ったが夢ではない。
 足場も取っかかりもない奈落の底から、どうやって這い上がってきたのか、目の前の宙空を瞳を赤く染めたヨシュアが浮遊している。
「ヨ、ヨシュアさん、これは一体……」
「ああ、クローゼ。これはねって、あっ、あら?」
 軽くはにかみながら、一体バーゲンセール中のクローゼの疑問に応じようとしたが、魔眼が収束して表情からは余裕が消える。
 認識の操作に続く第二の能力、次元移動(テレポーテーション)でクローゼの真ん前まで馳せ戻ったものの、この戦技はSクラフト扱いでやたらとCP喰らいの上、今のヨシュアの力量に余るのか転移距離も短く指定座標に若干のズレが生じた。
 結果、目標としたクローゼのいる足場にあと一歩及ばなかったヨシュアは宙に留まることができず、先のリプレイのようにクローゼの目の前を真っ逆様に落下していく。
 既にCPは完全に空っぽなので、Sクラフトの再行使は不可能。
「ヨシュアさん!」
 焦りながらも、目敏く腰元にぶら下げていた龍牙鞭の存在を思い出し、一か八かヨシュアに向かって鞭を放った。
 シェラザードのような達人ならともかく、素人のクローゼがこの土壇場のぶっつけ本番で都合よく標的を絡め捕れる筈もなく、鞭先は落下するヨシュアと見当違いの方向に伸びていったが、そこから奇跡が起きる。
 鞭それ自体がまるで意志を持った獣のように突如軌道を変更して一直線にヨシュアに襲いかかり、幅広の先端部の獣牙がヨシュアの具足の部分に突き刺さった。
「ヨシュアさん、今引き上げます」
 龍牙鞭に足をぶら下げられて、上下反転したまま宙づりになりながらも、何故か物理法則に逆らい捲れない八卦服のスカート部分と、その中身を覆う謎の暗闇。エステルから又聞きした絶対領域の存在が頭を掠めながらも、クローゼは上半身の力だけで思いっきり鞭を引っ張り、まるで小魚のようにヨシュアは一息に釣り上げられた。
 エステルのような怪力ならともかく、細身のクローゼにこの帰結は明らかに不自然。相変わらずヨシュアの体重には不可思議な現象が多いが、そんなことは小事に過ぎない。
 クローゼは釣った魚を両手で抱き留めようとしたが、支えきれず。二人は縺れ合うように地面を転がり、ちょうど転移装置の中央部分で停止する。
 次の刹那、転移装置の効果が働き、二人を空間の外部へと弾き飛ばした。
 役割を全うした転移装置はその輝きを失い、同時に足場は装置ごと完全に崩れ落ちる。橋や足場などの建造物は残らず瓦解し、最後には歪んだ空間そのものすら崩壊して、一切合財が無に回帰する。
 この異空間が先のラビリンスを取り戻すのは、新たな来訪者が正しい手順によって再訪した時となり、それまでの間、無粋に呼び覚まされた紺碧の守護者たちは再び深い眠りについた。

        ◇        

「元の世界に戻ってこられたみたいね」
 気づくと、ヨシュアはクローゼと一緒に、紺碧の塔の屋上に舞い戻っていた。
 例のアーティファクトは既に完全に輝きを失って沈黙。再び発光現象を起こすのは、また一年後となるのだろうか。
(まさか、異空間で拾ったアイテムがこうまで上手く嵌まるなんてね)
 レジーナガーダーの具足部分に突き刺さった獣牙を引き抜きながら、ヨシュアは肩を竦める。
 先の龍牙鞭の不可思議な軌道修正を見る限り、恐らくこの鞭の先端部の獣牙には、使用した古代の獣の狩猟本能を封じるような魔法が掛けられており、標的の血の臭いを追い掛けて、自動追尾する機能が込められている。
(つまり、この龍牙鞭は生きているということ。まるで、刀自体が意志を持つといわれ、人を斬らずにはいられない妖刀村正みたいね)
 もし全鋼性のレジーナガーダーを履いてなければ、血に飢えた鞭の獣牙はヨシュアの足の甲を貫いて、彼女の生命線の俊敏性に深刻なダメージを与えていたと推測され、ヨシュアは寒けを覚える。
 ただ復讐者(アヴェンジャー)を含めて、異空間で入手した全ての武具は、二人の脱出を後押しするパズルのように設置され、ヨシュアを生かそうとする何者かの意志を感じられた。
(まだまだ、こんな所じゃ死ねないということね。それがエイドスなのか、あの女の導きによるかは判らない…………)
「ヨシュアさーん」
 様々な感慨に耽るヨシュアに、クローゼが彼のキャラクターからは有り得ないくらい大胆に抱きついてきて、ヨシュアは困惑する。
「ちょっと、クローゼ」
「無事で、無事で本当に良かったです。もう二度と会えないのかと思うと、とても不安で」
「もう、クローゼったら、子供みたい」
 園児のように泣きじゃくりながら、きつく抱き締めるクローゼの姿にヨシュアは琥珀色の瞳に呆れた色を浮かべながらも、そっと彼の髪を優しく撫でた。
 今回の一連の冒険の主人公は間違いなくクローゼなので、少しぐらい労ってあげてもいい。

「落ち着いた、クローゼ?」
「すいません、ドサクサに紛れて、随分と大それた真似をしてしまって」
 純情なクローゼは先の己の所業も思い出して、今更ながらに赤面して顔を背ける。
「まあ、興奮して感極まるのも無理はないわね。それだけの大冒険だったんだから」
 ヨシュアはクスクス笑いながらも、急に真顔になって警告する。
「けど、最後にあなたを優先したのは、無理やり巻き込んだ咎があったからで、私に落ち度がない場合、次は容赦なく見捨てるわよ。それだけは忘れないようにね」
「は、はあ……」
 クローゼは何とも言えない表情で曖昧に頷く。軽く頬を染めてソッポを向いているヨシュアの態度に、「実は彼女はツンデレなのか?」と新鮮な驚きを覚えた。
「あのー、お取り込みの所、度々申し訳ありませんが、わたくしのことを完璧に忘れていませんか?」
 真ん前にいる自分を無視し、ラブコメを続ける二人の若人の姿にアルバ教授は再度、控え目に自己アピールを繰り返し、二人はど忘れしていた第三者の存在を思い出す。
「もう、酷いですよ、ヨシュアさん、クローゼさん。わたくしはお二人のことが、もう心配で心配で、不安で食事も喉に通らなかったというのにー」
 そう教授は拗ねてみたが、転移前には半分以上残されていた満漢全席が、あらかた重箱の中から食べ尽くされ、二人は呆気に取られる。
 それでも疲労でお腹がペコペコだった二人は、空腹の胃袋を僅かでも満たすべく残り物を箸で摘み体力の復帰を図りながら、屋上から消失後の経緯を説明することにした。

「そうなのですか。お二人はそんな摩訶不思議な体験を」
 ことの子細をきめ細やかにヨシュアは物語り、アルバ教授は興味津々という顔つきで耳を傾ける。
「その八卦服や、アイテムの数々が冒険の成果なのですね? あーん、わたくしも一緒に、その不可思議な世界をこの目で拝見してみたかったですわ」
「そうガッカリしないで下さい。教授向けのお土産も持ち帰りましたから」
 予想通り地団駄踏んで悔しがった教授にヨシュアは苦笑いしながら、生徒手帳の自由欄に何かをスラスラと自動書記で手書きし、四枚のメモを千切って手渡した。
「これは、古代ゼムリア文字? ヨシュアさん、この文面はまさか……」
「はい、異空間に設置された石碑に刻まれていた文章です。教授の研究に何かお役に立てば」
「なります、なります。ヨシュアさん、本当にありがとうございます」
 アルバ教授は感動で号泣しながら、二人を強く抱き締めた。
 古代人が書き記した叡知の結晶など、考古学者にとっては垂涎の逸品なのは重々承知しているが、この教授の喜びようはちと大袈裟すぎる。
「実はわたくし、仕事の一部が捗らなくて、少々追い詰められた立場におりまして」
 教授は恥ずかしそうに内部情報をリークする。何でも彼女は十年程昔からとある古代遺跡発掘のプロジェクトに携わってきたのだが、最近成果が乏しくて仲間から突き上げを喰らっているそうだ。
「社長はエイドスのように大変素晴らしい御方なのですが。六人いる同僚はそれはもう毒蛇のような嫌な奴らばかりで、気弱なわたくしはヒドラの巣に放り込まれた小羊のように生きた心地がしませんでした」
 よよよと泣き崩れながら、今の苦しい現状を訴える。
 このままだと、プロジェクトの凍結か。最低でもプロジェクトリーダーの見直しが社内で囁かれた中、データクリスタルの内容を解読すれば存在そのものが疑われていた古代遺跡を立証する足掛かりになる。
 一匹狼の貧乏学者と思われていたアルバ教授が何らかの組織に属していたのは正直、意外だが、遺跡発掘など単身で行える作業ではなく、人、金、資材などの様々な企業支援が必要不可欠なので、教授もスポンサー探しには苦労していたのだろう。

 食事と与太話を済ませた三者は、陽炎クオーツの効果で魔獣を遣り過ごしながら、塔を下っていく。
 人形兵器を完全無効化したヨシュアのステルスがあれば、態々、陽炎を前借りする必要もなかったのではとクローゼは勘繰ったが、彼女のステルスでは気配は完璧に消せても生身の人や魔獣の目から透明になれる訳でなく、闇中ならまだしも明るい光りの下では隠形効果は薄れるので、決して万能の能力ではない。
「お二人のお陰で、わたくしのライフワークを前進させる目処が尽きました。しばらくルーアンに滞在するつもりなので、もしかしたら学園祭も見にいけるかもしれません」
 塔の入り口まで辿り着いた教授は、そう挨拶すると、真っ先に単独で外に飛び出していく。何でも町とは反対方向のエア=レッテンに用事があるとかで、ここでお別れとなる次第。ツァイス地方へ渡るならともかく、こんな夜更けに関所に顔見せして何をするのやら相変わらず謎の人であるが、その教授の悲鳴が外から響いてきた。
「アルバ教授、また魔獣にでも襲われ…………」
 教授に続いて塔の外に出た二人は、眼前に繰り広げられた情景に、直ぐさま事態を把握する。
 甲殻を水柱で貫かれたヘルムキャンサーの屍と、潰れたトマトのようなミントポムの残骸が彼方此方に散乱している。先の戦闘の痛ましい爪痕が丸々残されており、その惨状に教授が腰を抜かしたのだ。
「もう生きた魔獣は一匹も残っていないから安心して良いですよ、教授」
「そうなのですか? はあ、びっくりしました。寿命が十年は縮む思いでしたわ」
 教授の手を掴んで彼女を引き上げながら、改めて周囲を確認する。事切れたヘルムキャンサーのビー玉のような真丸の瞳が恨めしそうにこちらをじっと見つめているように錯覚し、思わずクローゼは首を竦めた。
「あの時は必死でしたけど、良く考えれば喧嘩を売ったのは僕たちの方ですよね?」
 クエストに必須のオーブメントを飲み込んだ関係上、討伐に選択の余地はなかったが、別段、人を襲う凶暴な魔獣でもない。今更になってクローゼは忸怩たる感慨に囚われ、彼の想いに同調するかのようにヨシュアも口を挟む。
「そう、本当に皮肉ね。導力革命以前の無敵時代から、ヘルムキャンサーの方には人間を滅ぼす野心なんてなかったのにね」
 それとは逆に人間の方は魔獣に対抗する導力魔法を手に入れた途端、産業開発で森林を切り拓き、ひっそりと隠れ住んでいた数多の魔獣を住処から追いやり、仕方なしに人の生活圏へと出没した魔獣は手配魔獣として問答無用で退治される。
 全ては人間の側のエゴだとヨシュアは憐憫し、魔獣を弔う為に三人の共同作業で、死骸を一カ所に集める。燃焼の補助として可燃燐を一粒だけ死体の山に放り投げ、同時に印を組んで『ファイアボルト』の火のアーツを唱えて、一気に焼き払った。
 教授は神妙に両手を合わせ、ヨシュアは無言のまま、亡骸が燃え盛る様を見守り続ける。琥珀色の瞳の中には、反射鏡した炎が揺らめいている。この光景を前に、少女は何を思うのか?
「ヨシュアさん」
「別にセンチになっているわけじゃないわ。無垢な魔獣と同じぐらい人間を餌にする獰猛な魔獣も数多くいるわけだし。元々私にはそういう感傷は希薄だから、これから先もこちらの一方的な都合で魔獣を狩り続けるだろうしね。だけど……」
「けど、何ですか?」
 先を促すクローゼの問い掛けに、ヨシュアは両目を閉じると軽く首を横に振る。
「何でもないわ。かつて魔獣と分かり合うとしたお馬鹿な見習い候補生と、お人好しの農園の一家がいたのを思い出しただけよ」
 その後、パーゼル農園と畑荒らしとの関係はどうなったのか。
 性懲りもなく野菜を狙ってフランツ達の手を焼かせているのか。それともエステルが信じた通りに相互不可侵の関係を築けたのか。今度ティオに旅の進捗の手紙を出した時にでも、ついでに訊ねてみることにしよう。
 そういえば黒装束のように魔獣を武器として使役していた連中もいたが、あれは正しい魔獣と人間の共生の形と呼べるのだろうか?
 いつか本当に人と魔獣が分かり合える日など来るのだろうか、それは誰にも判らない。

 かくして、異空間からの脱出に成功した二人は、様々な因縁を抱えた紺碧の塔を後にする。
 不思議の国での物語にようやく決着をつけたものの、まだ市内でのクエストの後始末が残っている。放置プレイ中の主人公の受難は後一回だけ続く。



[34189] 12-04:ヨシュアとクローゼの大冒険(おまけ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/10 00:03
「ところでクローゼ、身体の方は大丈夫なの?」
 アイナ街道のT字路で教授と別れ、ゆっくりルーアン市へ歩を進めながら、気にかけていた怪我の具合を懸念する。
 両足の火傷だけでなく、緊急避難の投げ技により、クローゼはHPゲージが真っ赤に染まった瀕死状態だ。ヨシュアは回復アーツを唱えようとしたが、蘇生術の副作用を恐れてか頑に拒まれた。その後どういう按配か、クローゼの両足その他の傷はゆっくりと癒え始めて、今では自力で歩行できるまで身体機能を回復させつつある。
「大丈夫ですよ。ヨシュアさんが『陽炎』を戦術オーブメントにセットしたように、僕には『治癒』のクオーツがありますので」
 そう宣言し、水属性の固定スロットに嵌められた真っ青なクオーツを誇示する。
 治癒の水属性クオーツには、時間経過と共にその名の通りに自然治癒を促進する効能がある。この方法でじっくり負傷を癒していけばアーツによる急速回復と異なり、身体にもほとんど反動をきたす事はない。
「多分、明朝までには体力が全快していると思うので、明日からの授業や稽古には支障はないです」
「そうなの、安心したわ。けど、只の学生さんにしては随分とレアなクオーツをお持ちのようね?」
 一般市民には縁がない戦術オーブメントを身に纏い、さらには町中の工房では合成不可能な特殊クオーツさえも所持する王立学園の生徒に、ヨシュアは意味ありげな視線を送る。
「そういう腹の探り合いは、もう止めましょう。ヨシュアさん、あなたなら僕の正体をご存じじゃないですか?」
「あなたの本名がクローディアル・フォン・アウスレーゼであることかしら?」
 韜晦や言葉遊びの駆け引き大好き少女が何か思う所があるのか。今回はいきなり話の核心から攻め入り、やはり見破られていた現実にクローゼは両肩を竦める。
 クローディアル・フォン・アウスレーゼ。
 リベール王国第二十六代女王アリシア二世の直系の孫に当たり、息子のユーディス夫妻が海難事故で他界した昨今、王位継承の第一候補である。公の社交場に顔見せすることがないので、市民レベルで彼のご尊顔を拝した者はおらず、お偲びで学生の身分を騙るのも可能。
「学園でも僕の立場を知る者はコリンズ学園長の他は、ハンスとジルさんの二人だけで、彼らも僕の素性を疑うのには半年はかかりましたけど、あなたは何時から気がついていられたのですか?」
「最初からと言いたいけど、確信を抱いたのは、あなたがデュナン公爵から逃げ出した時かしら?」
 かつて所属していた組織の『とある対象』として、クローゼの幼い頃の顔を覚えていたのだが、その事には触れずにデュナンとの確執だけを悪戯っぽく問いかける。
「あなたが公爵閣下と顔を会わせ辛い気持ちは良く判るわ。何しろ次期国王を巡るライバル関係ですものね」
 もっとも、アリシア女王がまともな人物鑑定眼の所有者なら、どちらが国王に推されるかは論争の余地すらないが、クローゼは軽く首を横に振る。
「お祖母様のことは心から尊敬していますが、僕は国王になんかなりたくないんです。それとお言葉を返すようですが、それこそヨシュアさんの欲目というか、僕のことを買い被りすぎですよ。宮廷内だけでなく軍部にもリシャール大佐のように、デュナン叔父さんの後ろ盾となる人間もいますから」
 意外な次期国王レースの成り行きに興味を引かれる。忠誠心の塊の執事はともかく、公爵に肩入れする勢力とやらがデュナン個人のカリスマに心酔しているとは思えないが。もし、傀儡として利用するつもりなら、善良王子よりも馬鹿公爵の方が扱い易いのは確か。
(駄目よ。アレは私が先に目をつけて、きちんと根回しも済んだ大鴨なのに)
 ヨシュアは相当に身勝手な理由で内心憤慨しながらも、口に出しては友人への支持を表明する。
「クローゼが世継ぎになった方がこの国の未来は明るいと思うけど、あくまでもあなたの人生なのだから、私が横から口を挟む問題じゃないわね。王子様の身分云々を抜きにしてクローゼは学園中から慕われているし、私もエステルも素性を知った所で何が変わる訳でもないわ。だから、もう少し自分に自信を持ってもいいわよ」
「ありがとうございます、ヨシュアさん。あなたはまだ僕をクローゼと呼んでくれるのですね」
 彼にとっては国王の資質を褒められるよりも、雲上の地位の隔たりを知って尚、等身大の友達でいることを約束してくれた気遣いの方が嬉しかったので、本当に照れ臭そうに微笑んだ。
 こうして王位継承の第一皇子という肩書を明かしたクローゼの一世一代のカミングアウトはあっさりと流されて、二人はルーアン市内に辿り着いた。

        ◇        

「いやー、ありがとう。まさか、本当に全ての依頼を、きっちりとこなしてくれるなんて。やっぱりブレイサーというのは頼りになるねえ」
 待ち合わせ場所に指定されたグラナート工房。カルノーと再会したヨシュアは、大興奮した彼からあやうくキスの洗礼を受けそうになるが、クローゼが身体を張って阻止する。
 とはいえ、後少しカットが遅れたらヨシュアに柔術で投げ飛ばされただけなので、実際に彼が守ったのは少女の操でなくツァイス技術者の健康の方なのだが。
「いや、済まない。興奮するとキス魔になる癖が抜け切れなくてね」
 冷静さを取り戻したカルノーは、バツが悪そうに頭を掻く。ラッセル博士の技術助手を努めた経歴もある有能な研究員だそうだが、ツァイス工房はこういう変人の巣窟なのだろうか?
 今回の高難度クエストの達成で、推薦状の目処が立つBPを取得したが、次の修行場には若干不安を感じる。
「むむっ。この導力反応の測定値は……そんなまさか…………いや…………しかし……」
 例の傘状の計測器を手持ちのノートパソコンに接続したカルノーは記録された情報をディスプレイに表示し、グラフに示されたウェーブの形状に見覚えがあるのか軽く小首を傾げる。
「どうかしたのですか、カルノーさん?」
「ああっ、この反応はラッセル博士の調査に同行して、王都の地下……って、済まない。これは国家規模の重要機密なんだ。忘れてくれ」
 慌てふためく姿にヨシュアは好奇心をそそられ、魔眼を使って情報を吐き出させようか悩んだが、止めることにした。どんな仕事にも守秘義務というのは存在する。興味本位で内情を暴いた結果、依頼人の立場を悪くしでもしたら、遊撃士として本末転倒だ。
「それよりも、君たちの話は実に興味深いね。謎の異空間とそこに存在するロストテクノジーの数々か」
「はい、この蒼耀珠もその一つです。どうやら古代クオーツみたいで、私達の戦術オーブメントとは規格が合わないみたいなのですが」
 懐から取り出した蒼耀珠を、カルノーに手渡す。現場からの消失を実際に目撃したアルバ教授はともかく、証拠物品でも持ち帰らないことには第三者はこんな絵空物語など誰も信じてはくれまい。
 蒼耀珠の透き通る真水のような輝きと、スロット装着部分との独特のフォルムを確認した白衣技師は再び思考の淵に嵌まり込む。
「カルノーさん。また何か心当たりでも? あっ、いえ。機密保持が課せられているなら無理に答えなくても」
「いや、君はギルドの人間だから、こっちの方は話しても良いかな。実はエプスタイン財団が新型の戦術オーブメントを開発していて、ツァイス工房も研究の一端に関わっているんだ」
 カルノーは本来、導力銃の設計、開発をメインに手掛けているが、有能な技術者らしく、彼方此方から引っ張りだこで、ラッセル博士の探査チームへの参加からエプスタイン財団への技術支援、さらには今回の発光現象調査の単独派遣など様々な仕事を割り当てられている。
 彼の説明する所では、来年には実戦配備される新型の戦術オーブメントは、合計スロット数が七つに増え、さらには二段階にスロット自体の強化も可能という独自のアーキテクチャを採用し、今使っている現行品とは比肩できない高機能らしい。
(スロットが一つ増えて七個ね。一つのラインに三つのスロットを抱えられたら、使えるアーツも大幅に増えて、父さんは泣いて喜びそうね)
 そう期待するも、アーツ適正ゼロのカシウスのこと。意気揚々と新型を装着しても、五芒星(ペンタグラム)の形が、今度は六芒星(ヘキサグラム)に変化するだけで、別の意味で泣きそうな予感がする。
「カルノーさん。もしかしてこの蒼耀珠は、新型の戦術オーブメントなら使えそうなのですか?」
 聡いヨシュアはここまでの話の推移から、次に告げられるであろう重大な事実を先読みする。
「その通りだよ。その蒼耀珠は、開発中の新型に対応した新規格のクオーツに形状がそっくり……というよりも、構造が完璧に瓜二つなんだ」
 新型の唯一の欠陥として、長年普及してきた旧型との互換性を全く維持できない。最新鋭の戦術オーブメントが市場に出回れば、今工房で合成されている旧規格のクオーツは単なる粗大ゴミと化す。
 これは中々に有益な情報で、ヨシュアは例の異空間からたんまりとせしめたセピスを惜しみなく投入して、自分とエステルの未開封スロットを全開封する腹だったが、危うく無駄遣いする所だった。
 現在の所、セピスは買い取り専門で、ミラで販売している店舗はリベールにはない。入手経路が限定されるセピスの数には限りがあるので、新型が導入されるまでの間は手持ちのセピスは大切に保管しておいた方が良さそうだ。
「もし良かったら、蒼耀珠をこちらで預からせてもらえないかな? 財団の試作段階の新規格クオーツでも、合成可能な同一属性は(×8)までが限界で、水属性を(×12)も合成する術は、現状では存在しないんだ」
 やはりというか、このクオーツを作った古代人は、今よりも遥かに進んだオーバーテクノロジーを兼ね揃えており、新型オーブメントの完成でようやく現代科学も、古代ゼムリア文明の末端に追いつくことになるのだろうか?
「もちろんです。もとより、そのつもりでしたから」
 今のヨシュアが保持していても何の役にも立たないし、財団がこの古代クオーツの解析に成功すれば、導力魔法(オーバルアーツ)のさらなる発展も見込まれよう。
 ただし、クエストの査定(BPと報酬)に色をつけるのと、新型が完成したらきちんと蒼耀珠を返却する旨を、抜け目なく確約させる。
「はははっ。これほどの貴重品だし、やっぱり、寄贈はしてくれないよね? できればクオーツを割って、内部構造をじっくり調べたいのだけど、こういう契約なら納得してもらえるかな?」
 どうせ紺碧の塔にお宝なんて残されていないからと、クエスト中の拾得物の所有権主張の一文を特記事項に盛り込んでおかなかった不手際を悔やみ、もし、蒼耀珠を損壊しても、相応の新規格クオーツを代品として用意するという約定で実験許可を取り付けた。
 計測器を手渡し、棚からぼた餅の古代クオーツを巡る交渉も纏まる。あとは発光現象を納めた感光クオーツを渡せばクエスト完了となるが、今まで成り行きを静観していたクローゼが初めて口を挟んだ。
「ヨシュアさん、さっさと所有者のカルノーさんから許可を貰って、もう一個のフィルムを返して下さい」
「あっはっはっ。やっぱり覚えていたんだ」
 白々しく愛想笑いするヨシュアをクローゼは白い目で眺めたが、ことをなあなあで誤魔化されるつもりはない。
 八卦服に完全お色直ししたヨシュアには、当初予定していた痴漢冤罪による迎撃法は使えなくなったが、突如、表情を青ざめせる。
「しまった。あのフィルムは制服のスカートの内ポケットに納めたままだった」
「はあ? また、そんな口から出任せで欺こうたって、そうは問屋が……」
 腹黒娘の薫陶宜しく、本来、人を疑うことと無縁だったクローゼが嘆かわしくも猜疑心の塊に凝り固まっている。教育係のユリア中尉が純情坊やの変貌を知ったら、泣いて悲しむかヨシュアへの殺意を漲らせたかもしれない。
 ただ、肝心のヨシュアはクローゼの疑惑の眼差しを無視し、血眼になって八卦服のポケットというボケットを手当たり次第に弄り続ける。
「ないわ、そんな馬鹿な」
 さらに半狂乱になって、二人の殿方の前で八卦服を脱ぎ捨てようとしたが、両手でスカートを捲ろうとした所で、慌ててクローゼに引き止められる。
「やっぱり、どこにもないわ」
 へたり込んで途方に暮れる黒髪少女の姿を、クローゼは思量深げに見下ろす。ポケットの中身は全て全開で晒され、物理的にフィルムを隠せそうな場所は存在しないし、流石にこれは演技ではなさそうだ。
 となると制服の残骸と共に、あの忌まわしいフィルムも異空間に置き去りにされ、懸念材料は取り除かれたことになるが、ヨシュアはフィルムを諦めるつもりはない。
「クローゼ、今すぐ紺碧の塔に戻って、フィルムを回収に行くわよ」
「落ちついて下さい、ヨシュアさん。あなたらしくもない。もうとっくに異空間への出入り口は閉じちゃっていますよ」
「そんな、また発光現象が起こる一年後まで待たないといけないわけ? 私の……、王立学園女子生徒全員の夢と希望が……」
 ガックリと膝を落として、ヨシュアはさめざめと涙を零した。
 仮に執念深く来年再訪したとしても、鍵の役割を担うアウスレーゼの末裔が同行しなければ、異空間への扉は決して開かれることはないのだが。
「クエスト活動中に、何か重大な器物破損でもあったのかい? 申告して貰えたら賠償の対象として……」
「いえ、お気になさらずに。ジルさんのお古のジェニスブレザーと一緒に本当にしょーもないガラクタを紛失しただけですから」
 尋常でないヨシュアの身を案じたカルノーが心配して声を掛けたが、クローゼは何ら問題ない旨を非情に通達する。
 ただし、彼の手元にある仕事用のフィルムの中に、私用の写真が一枚だけ混じっているので、現像したらコッソリと手渡して欲しいとヒソヒソ声で囁いた。
(うふふっ、上手くいったわ。まだまだ甘いわね、クローゼ)
 カルノーに対応してクローゼが背を向けた途端、ヨシュアは嘘泣きをストップし、軽く舌を出す。例のフィルムは芸者のおひねり宜しく、密かにヨシュアの胸の谷間に埋め込まれている。どこのボケットを探しても見つからない訳だ。
 先のヨシュアの取り乱す様は真に迫っており、警戒していたクローゼが再度出し抜かれたのも無理はない。仮に見破られたとしても、初なクローゼにあの魅惑のデルタゾーンからフィルムをぶっこ抜くだけの度胸はあるまい。デリカシーゼロのエステルなら、躊躇なく乳房を鷲掴みしそうであるが。
 こうして異なる感光クオーツの扱いにお互いに内心で満足しながら、依頼人のカルノーに別れを告げて二人はグラナート工房を後にした。

        ◇        

「さてと、後はギルドに顔を出して、ジャンさんに報告すれば一連のクエストも終了ね。本当に長い一日だったわ」
「そうですね。けど、ヨシュアさん。この『水』のセピスは、本当に僕が貰っても良いのですか?」
 出納袋一杯に収められたセピスを、クローゼは顔の高さまで持ち上げる。水を司る聖域の紺碧の塔に縁があるだけはあり、例の異空間から水属性セピスが大量に入手したが、その大部分をヨシュアはクローゼに献上した。
「さっきのカルノーさんの話を聞いていたでしょう? あなたの戦術オーブメントはワンラインの上に水の固定スロットが多いから、新型を全開封するには馬鹿みたいに大量の水のセピスが必要になる筈よ」
 逆にヨシュアやエステルのスロットにはほとんど固定属性はないので、『水』は一定数キープしておければ、それで十分だ。
 工房でもチラッと話に出たスロット開封について説明すると、戦術オーブメントは出荷された時にはサービス開封された中央メインスロット以外は全て塞がれている。スロット属性に応じたセピスを使用して開封することにより、初めてスロットにクオーツを嵌め込むのを可能とする。
 無属性スロットを開封する場合には、大量の火水地風の下位属性セピスと、微量の時空幻の上位属性セピスをバランス良く揃える必要がある。
 火のセピスはなぜかやたらとこの属性セピスをコレクションしていたカプア一家の連中から強奪。水のセピスは今回の冒険で腐るほど入手。風のセピスは自分の固定属性開封で集めていたシェラザードから旅の餞別として余剰分を受け取っている。
 時空幻のセピスも異空間からそれなりの数を入手できたので、後は地のセピスを旅の間に意図して回収しておけば、全開封とはいかなくても新型を即戦力として使える程度のスロット数を開封可能。
 その時になったら、風セピスの再収集に迫られるシェラザードが自分が寄進した分のセピスを返却しろとか、しみったれたことを言い出さないかがちと心配だが。
「こんなもので、散々迷惑掛けた分の埋め合わせになるとは思わないけど、とりあえず受け取っておいて」
「ありがとうございます、ヨシュアさん。けど、迷惑だなんて思っていませんよ。そもそも、手紙の差出人があなたでなければ、僕はこの場所にすら来なかったですし」
「クローゼ?」
 意味深な供述をしたクローゼの表情をヨシュアは正面から覗き込み、クローゼの胸の鼓動が密かに高まる。
 お互いに庇い救われた異世界での命懸けの冒険奇譚や、今日一日のヨシュアの豊かな表情や艶やかな肢体を思い出したクローゼは、改めて自分が目の前の黒髪の少女に惹かれている事実を強く認識した。
「ヨシュアさん」
「なあに、クローゼ?」
 吸い込まれそうな琥珀色の瞳がじっとクローゼを捕らえ、土壇場になってクローゼは怯んだ。
「いえ、何でもありません」
 想いをハッキリと自覚しながらも、告白する最後の勇気を捻り出せず、曖昧に言葉を濁す。ヨシュアも、「そう……」と呟いただけで、深く追求しない。
 犯罪レベルに鈍感なエステルでなし、ヨシュアはクローゼの切ない気持ちを正解に知得していたが、この場は敢えて彼の怯懦に任せて有耶無耶で終わらせる道を選んだ。
 彼の想いに真摯に報いるなら、結局、返せる言葉は一つしかなく、その答えを躊躇なく伝えるにはクローゼは少女の心に近づき過ぎてしまった。これまたロレント一の悪女(シェラザード談)だった頃のヨシュアならまず有り得ない怯懦で、その意気地のない変化に本人が一番困惑していた。
 ただ、結果論で述べるなら、ヨシュアはクローゼの思慕に対して、この場でキッチリと決着をつけるべきだった。
 今日一日の色濃い体験の数々は、少年に少女との特別な絆を感じさせるには十分で、実際に錯覚ではなく二人の間には確かな心の繋がりが存在した。
 だからこそ、この先も心変わりする筈のない返事を柄にもない逡巡から先伸ばさなければ、『白き花のマドリガル』の白の姫セシリアと蒼の騎士オスカーとの恋物語も、また違ったフィナーレが有り得たかもしれないから。

        ◇        

「やあ、おかえり。ヨシュア君。ここ数日は、本当にご苦労だったね」
 ルーアン支部に顔を出すと、受付のジャンが真っ先に労いの言葉を掛ける。
 実際、一般人のクローゼに御足労かけた挙げ句、死を覚悟する程の窮地に幾度となく追い込まれたので、口先だけで慰められてもヨシュアの荒んだ心は癒されないが、謝意は推薦状の発行という実益で提供してもらう密約を既に取り交わしてあるので、当初の予想外の苦労の数々には目を瞑ることにする。
 前借りした陽炎クオーツを返却したヨシュアは、学園祭が終了したら自然な形でエステルにも推薦状を手渡せる口実を今のうちに考えておくようジャンに催促する。
 周囲が気を揉む程には本人たちは最短昇進記録に拘っている訳ではないので、別に急ぐ旅でもないのだが。ヨシュア自身はエステルの苦手の学舎生活での苦労に報いるサプライズギフトと考えているみたいで、クエストの片棒を担いだクローゼとしては些か面白くない。
(至れり尽くせりの万全のサポート体制って、こういうのを云うのだろうな。ヨシュアさんが望んだこととはいえ、本当にエステル君が羨まし……って、あの依頼は、もしかして?)
「ヨシュアさん、アレは?」
 再び芽生えた嫉妬心は軽い驚きに塗り潰され、クローゼは掲示板を指差して、そこに張られた新規の依頼書をヨシュアは覗き込んだ。
『ジェニス王立学園生徒会の臨時の役員を募集中。美人で頭が良いのに、実は性格が不器用で損な役回りをしている娘に限定。By ジル・リードナー』
「もう、ジルったら。生徒会って、今度は何を企んでいるのやら」
 依頼内容の文面を読んだヨシュアは苦笑する。頼みごとがあるのなら、女子寮で二人きりになった時にでもすればいいものを態々クエストの体裁を取るとは、どうやら一連の行動は全て親友の生徒会長に見透かされていたらしい。学園でのヨシュアの理解者は、ここにいるクローゼ一人というわけでもなさそうだ。

 長かったヨシュアとクローゼの珍道中は、これにてお開きとなる。翌日から舞台を再びジェニス王立学園の敷地内へと移し、今度はエステルや生徒会の面々も含めて、お芝居をはじめとした学園祭の様々な準備へと取りかかることになる。



[34189] 13-01:学園祭のマドモアゼル(Ⅰ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/11 00:01
「ふんふん、ふふん、ふんふーん」
 王立学園の旧写真部の部室から、ハミングするような鼻唄が聞こえてきた。
 草木も眠る丑三つ時。態々、遮光カーテンを引くまでもなく、暗室となった仕事場。何者かが定着、水洗い、乾燥の一連の現像作業を、実に手際よくこなしている。
「流石、私ね。ドロシーさんみたいなプロには及ばないでしょうけど、十分綺麗に撮れているわ」
 夜目が効くのか。一切の光が届かない深海層のような暗闇の中、完成した写真を見定めて、出来栄えに満足し思わず笑みを零す。
「悪く思わないでね。クローゼ。これも、あなたの念願のお芝居を成功させる……」
「おいこら、誰かそこにいるのか?」
 学内の見回りをしていた用務員のパークスが、ガサゴサと聞こえてきた物音を不審に思って、懐中電灯を照らしたまま部屋の扉を開ける。
「ここは確か去年廃部になった写真部の部室だよな? こんな所に人がいる筈もないし、やっぱり気のせい……んっ、何か踏んだか?」
 足元で何か紙のようなものを踏みつけた感触を覚えたので、懐中電灯の光を当ててみると、写真のようだ。暗くて顔がハッキリしないが、男子学生服(ジェニスカラー)を着た少年が、妙なロープのようのもので身体中を拘束されているように見える。
「うちの男子生徒だよな? ひっ? 今、誰か俺の背中を叩いて…………ひぎゃあああ!」
 恐る恐る振り返ったパークスの顔が、恐怖と絶望に彩られる。深夜の学舎に用務員の絹を裂くような叫び声が響き渡る。

 翌朝、園内の鍵開作業をしていた受付係のファウナが、部室の扉の前でぐったりと就寝していた用務員男性を発見する。
 目を覚ましたパークスは写真を含めた昨夜の経緯を何も思い出せなかったが、唯一つ、真っ赤な瞳で長い黒髪を靡かせて何故かブルマを履いていた少女の姿を気絶前に目撃したことだけは覚えていた。
 こうして真夜中に旧写真部に出没するブルマ姿の幽霊の逸話が新たに学園の七不思議に付け加えられたが、このこと自体は物語の本筋とは何の関連もない。

        ◇        

「おはよう、エステル」
「おう、おはよう、ヨシュア。って、お前、その格好は?」
「まあ、ちょっと色々あってね」
 朝のホームルームの時間。シャツにブルマという体操着姿で教室に顔を出し、エステルその他の男子生徒は騒然とする。またぞろ点数稼ぎかと女子生徒は苛つくが、ブルマに抵抗感を持つヨシュアは椅子に座ったままモジモジし、本人が望んだ展望ではない。
「ふふんっ、ジェニス王立学園校則第七条二項。生徒は学園内では本校指定の学生服の着用を義務づけ、私服による登校は禁ずる。この場合、制服がなければ別の本校指定服の体操着で過ごすしかないわよね」
 頬を真っ赤に染めて縮こまっているヨシュアに、ジルが眼鏡を光らせて解説する。昨日のクエストでジルから借りた一張羅のジェニスブレザーを台無しにしてしまい、それが彼女の逆鱗に触れて罰ゲームを科された。
「サイズ合わせした時に「胸とお尻がキツキツなのに、ウエストはガバカバね」とか嘲笑われたのを根に持っている訳じゃないからね、規則よ、規則」
「ジルぅー、私が悪かったから、もう堪忍してよー」
 ヨシュアが瞳を潤ませ両手を合わせて拝み倒す。この手のお強請りは殿方相手に絶大な威力を発揮しても、同性への効果は皆無でジルは知らん顔している。
「スゲエな、あのヨシュアが謝ってやがるっ……って、お前らの間でどんな遺恨があったか知らないけど、朝っぱらからその格好はまずいんじゃないか? あいつが……」
「ブ、ブルマぁー!」
 言い終わらない内に、予想通りにハンスが暴走モードで突進してきた。以前、認識操作を施されたが、皮肉にも処方した張本人のブルマ姿を生鑑賞し目出たくパッションを再燃。
「ハンス、ヨシュアさんには指一本触れさせな……って、うわあああ!」
 想い人を守ろうとクローゼが立ち塞がったが、彼のサクセスストーリーは前話で打ち止めのよう。トラックに跳ねられた端役の通行人Aのようにあっさりと弾き飛ばされる。
 これまた異空間で命懸けの大冒険をこなした導かれし者とは思えぬ不甲斐無さ。一度主人公補正を失うと凋落は坂道を転がり落ちるが如し。
「頭を冷やしていらっしゃい」
 窓側の席に移動して窓ガラスを開いたヨシュアは、暴れ牛そのもののハンスの突進を闘牛士のようにヒラリと避けながら足元を払う。バランスを大きく崩したハンスは、真っ逆さまに窓外に落下していく。
「あの、ここは三階で……」
「ああ、平気だろ? 俺なんか五階相当の時計塔の頂上から、ヨシュアに叩き落とされたことがあったしな」
「いえ、象が踏んでもへっちゃらそうなエステル君と違って、ハンスは一応は生身の普通の人間でして」
 常識人のクローゼが親友の安否を気遣ったが、エステルの見解の方が正しかった。ザパーンという水音と共に、派手に水飛沫がここまで跳ねてきた。
「そういえば、この真下はプールでしたね」
 先のジルのケースと異なり、自分に否がない時のヨシュアのリアクションに容赦ないが、それでも一般生徒にそこまで無茶をする筈もなく、これも計算の内か。窓下を覗き込むと、プールの中で全身ずぶ濡れになったハンスが呆然とこちらを見上げており、完全に熱病から醒めたらしい。

「ううっ、寒い。やっぱり、この季節に寒中水泳は無理があるよなー」
 制服を乾かしている間、上下ともジャージに着替えたハンスは、自分自身を抱き締めるような態勢でぷるぷると凍える。
 魔眼で封じられ鬱積していたブルマ愛が一気に解放された結果、先の暴走が引き起こされただけなので、前生徒会長から王立学園のブルマ存続の使命を託された使徒の彼が、短期的な欲望で自らの首を締める行為に身を委ねることはもはや無い。
「ねえ、ジル。私もアレ欲しいんだけど。ジャージだって体操服の筈でしょう?」
 飴玉を催促する子供のような物欲しそうな仕種で、ハンスが着ている長袖長ズボンの青いジャージを指差すも、ジルは非情に首を横に振る。
 彼女の親友はヨシュアに似て意外と執念深い性格のようだ。校則を笠に更なる抗議をしようとしたが、その瞬間、教壇の真上に設置されたスピーカーからアナウンスが聞こえてきた。
「これより定例の生徒会役員会議を行います。役員の生徒は、至急、第二生徒会室に集合して下さい」
 ピンポンパンポンのチャイムと共に校内放送も終了し、現生徒会長と副生徒会長が席を立つ。どうやら生徒会とかいう組織の面々は公然と授業をサボる特権を授けられているとエステルは曲解したが、二人に続いてヨシュアまでもが教室から出て行こうとし怪訝がる。
「学園祭までの間、臨時の役員として、生徒会の仕事を手伝うことになったの。これは生徒会長様から直々に依頼されたクエストよ」
 ヨシュアはシャツを縦に伸ばしてブルマ隠しを継続しながら、依頼書を翳す。お芝居と同じくミラにもBPにも結びつかない極貧クエストだろうが、それでも正式な依頼であることに違いない。何よりも授業を堂々とエスケープする口実を入手したヨシュアが羨ましくて仕方ないのだが、そんな内心を見透かしたようにジルが悪戯っぽく笑いながら声を掛ける。
「何ならエステル君もヨシュアと一緒に来る? 君だって一応はブレイサーだしね」
「えっ、いいの?」
 甘い言葉で誘われ、エステルは瞳を輝かせる。何かヨシュアのオマケのような引っ掛かる物言いをしていた気もするが、特に深くは考えずにホイホイと面子に加わった。
「相変わらずジルはエステルに甘いというか、職権乱用が過ぎるわね」
 そう呆れるも、ここ最近のエステルは芝居だけでなく毎日の授業も真面目に受けていて、この間の小テストでも全教科で零点を免れるという偉業(?)を達成した。
 元々苦手の克服に取り組むことに意義があり、短期留学生の自分らに授業そのものはさほど意味はない。「気分転換にはちょうど良いかも」と常の毒舌は封印し同行を許可する。
「本当にエステル君に一番甘いのは、ヨシュアさん。他でもないあなた自身なのですけどね」
 ブルマ視姦という羞恥プレイを受ける羽目になった裏事情を一切エステルに明かさなかったヨシュアの無言の心遣いに、またぞろ嫉妬心を刺激されたクローゼは教壇についたヴィオラに手を挙げて何かを訴えた。

        ◇        

「でっ、何でクローゼまで一緒に来ているんだ?」
「授業は一通りの予習が済んでいるので、僕も何かお役に立てることはないかと思いまして。担任のヴィオラ先生からは、きちんと許可を貰っています」
 クローゼは赤面しながら、後ろめたそうに視線を逸らす。鈍感野郎はともかく、他の面々には優等生が授業をボイコットした本音が透けて見える。ヨシュアは軽く嘆息し、ジルとハンスはニヤニヤ顔が止まらない。
「やれやれ、私が何度、生徒会にラブコールしても、連れない返事しか寄越さなかったクローゼ君がねえ。よっぽど誰かさんに対抗意識を燃やしているみたいね」
「ジル、せっかく誰かさんと違って有能な戦力が来てくれたのだから、それ以上煽らないの。それよりも昨日から気になっていたけど、私に依頼したい仕事って何なの?」
 まさか学園祭の間、生徒会を取り纏めろという訳でもあるまい。実際、ヨシュアに仕切らせれば、運営効率を現在比の280%まで向上させる自信があるが、それは各々の役員の自主性を排して単にヨシュアの端末化させる所業。生徒一人一人が作り上げる学園祭のコンセプトとは嚙み合わない。
 そんな息苦しいお祭を皆が楽しめるとも思えないし、享楽主義者のジルも望んではいまい。
「そう焦らない。二人の飛び入り参加は予想外だったけど、人が多い方が色んなアイデアが出易いし、何よりも今回の議題はあなた達二人にも関係あることだしね」
 そう前置きして、全員を席につかせる。中央に会長副会長のジル・ハンスが陣取り、左側にエステル達ゲストの三人。右側に平の役員生徒四人を座らせて一通りの資料を配ると、書記の生徒に本日の議題をチョークで黒板に手書きさせる。
『学園祭の寄付金について』
「ジル、私達を呼んだのって?」
「上手くいけばテレサ院長や子供たちは、王都に引っ越さなくても済むのですね?」
 ヨシュアはその一言だけでピンときた。クローゼも渡された資料の福祉活動の一文から自分達との関連性を悟ったが、エステルには何のことやらさっぱりだ。
「つまりね、エステル。学園祭で寄付金を一定額集められたら、孤児院の再建が出来るかもしれないってことよ」
 ヨシュアが判りやすく補説し、実際に資料の二ページ目にもそう記載されている。以前、資産家に援助を求めるのが一番の近道だと薦められたが、多くの社交家か顔見せする学園祭は多額の寄付を募るのにうってつけの狩場。
「その通りよ。コリンズ学園長の発案でね。純粋な寄付金に限らず、学園祭での模擬店やバザーなどの収益も、毎年、国内外の福祉団体に全額寄進していたけど、今年は特別にマーシア孤児院の再建費用に充てたらどうかってね」
 そうなればクラム達は住み慣れたこの町を離れなくても良い。クローゼとエステルの瞳に希望の光が灯されるが、ヨシュアは渋顔を継続する。
 マーシア孤児院の児童に思い入れがない訳ではないが、それでも我が事のよう感情移入している男子二名に比べれば幾分か温度差があり、その分だけ客観評価が可能で問題点が浮き彫りなのだ。
「それで、ジル。最低ノルマを百万ミラに設定するとして、毎年どのぐらいの寄付金が集まっているの?」
「添付資料として付け足したけど、その年の景気や来場者数に左右される所もあるけど、平均すると五十万ミラぐらいかな?」
 それプラス模擬店などの収益も加わるが、材料費などの必要経費を差し引くと、こちらは微々たるもの。
 パラパラと資料を捲ると、一番後ろのページに、ここ十年程の寄付額が折れ線グラフで判りやすく表示されている。年度によって多少のバラツキはあるものの、上限と下限の目安は大凡定まっている。今年の寄付金だけが統計から大きく逸脱する根拠は今の所何もない。
「本来、チャリティーというのは個人個人の精一杯の善意の気持ちを形にしたものだから、即物的な目標額を定めるのは無粋だと私も思うのだけど、今年は事情が事情だからね」
 寄付金を増やすアイデアを生徒会でも色々検討してみたそうだが、経済に関しては所詮、素人学生の集団なので手詰まりだ。
 校内の生徒から広くアイデアを募集してみてはとの意見も出たが、案件の性質上、あまり多くの人間に内情を知られるのも好ましくない。それが守秘義務を伴うクエストという形にして態々依頼した理由らしいのだが。
「あのね、ジル。ギルドは経営コンサルタントじゃないのよ。大多数のブレイサーは商売っ気とは無縁で、生活そのものに苦労しているし、そんな簡単に五十万ミラを倍にするアイデアが出せれば、誰も苦労しないわよ」
 ボースで色々世話になった正遊撃士エジルも、副業でお好み焼きの屋台を営み糊口を凌いでいる。ツァイスに来た時には二人にご馳走すると照れ臭そうに頭を搔いていた姿が少女の記憶を過る。
「まあ、そうなんだけど、他のブレイサーは知らないけど、ヨシュアには商才あるっしょ? 私の憧れのメイベル市長から百合姉妹の盃を受け取ったそうだし、何よりも短期間で手持ちの五十万ミラを投資して百万ミラに増やした実績があるそうじゃない」
「エステルぅー」
 琥珀色の瞳を真っ赤に染めてギロリと口軽の義兄を睨み、エステルは口笛を吹きながら目線を逸らす。大方、漢たちの熱い夜でエステルが物語ったボースでの冒険譚がハンス経由でジルの耳に入ったのだろう。
 伝言ゲームのように、一部事実が歪められて伝わっているのは故意か偶然の賜物かは判別つかないが。
「メイベル市長って商業都市ボースの親玉で、大商人のご令嬢だよな。そんな人と親友認定って凄くない?」
「それよりも、あの若さで五十万ミラも所持しているのがまず有り得ないでしょ。やっぱり噂通り男に貢がせたのかしらね」
「どうやって倍に増やしたんだろ? ルーレットの赤黒賭けか、チンチロリンにでも勝ったのかな?」
 役員の生徒が好き勝手に論評するが、最後の推測だけは実は当たらずとも遠からず。ヨシュアは周囲の好奇の視線を無視して、このタイミングで懐事情を暴露したジルを懐疑の眼差しで睨んだ。
「ジル、もしかして、最初から預金の方が目当てだったの?」
「いやー、いくら私でもそこまで図々しくはないわ。あくまでも保険よ。とにかくヨシュアはブレイサーとして、責任もってクエストを完遂してくれると信じているわよ」
 眼鏡を外して曇った部分を布で拭き取りながら、ジルは白々しくすっ惚けたが、ヨシュアは疑惑を確信へと変える。
「なあ、クローゼ。また、お利口さん同士の韜晦が始まったけど、お前なら意味が判るか?」
 女狸と女狐の化かしあいからは、重要なセンテンスがいくつか省かれており、なぜ二人の間の空気がこうまで殺伐としているのか皆目見当がつかなかったので、別の知恵者に翻訳をせがむ。
「多分、ジルさんは寄付金が百万ミラに届かなかった時には、ヨシュアさんが個人資産から足りない額を寄付という名目で補填するのを期待しているのだと思います」
 他の役員には聞こえないように、クローゼがヒソヒソ声でエステルの耳元に囁く。以前、エステルも御布施を促して拒否された経緯があったが、学年首席を競う現生徒会長は外堀の埋め方が一味違うみたいだ。
「これならクエストの成否に関わらず、どちらに転んでもマーシア孤児院は再建できます。ただ、ヨシュアさんからすれば、不条理な提案であることには違いはないですね」
 言質を取らせない曖昧なニュアンスで暈しているとはいえ、ジルの無意識下の欲求は厚かましいにも程がある。特に元々無理ゲーそのもののクエストの尻拭いを遊撃士本人の懐から賠償させるなど理不尽極まる。
 女同士の友情は金か男で途切れると相場が決まっている。流石にヨシュアもぶち切れるのではと男二人は固唾を飲んで成り行きを見守っていたが、黒髪の少女は表情を崩すとシニカルな笑みを零した。
「ジル、あなたって、本当に油断ならない女ね」
 清々しいまでの図々しい要求に、多少呆れてはいるものの、そこに嫌悪はない。例えばドロシーのような悪意なくトラブルを誘発する天然さんよりも、ジルのように理性と感情のバランスが良く清濁併せ呑んだ娘の方が道理が通じる分だけ末永く友情を築けそうな気がするのだ。
「えーと、それは褒められていると思って良いのかな?」
「勿論よ。そのギャンブル……もとい依頼、正式に受理させて貰うわ」
「おいおい、マジかよ?」
 孤児院の再建を願うエステル達としては願ったり叶ったりの展開ではあるが、正直ヨシュアがクエストを受諾するメリットは皆無。
 そんなエステルの戸惑いに呼応するかのように、条件面での見直しが求められる。
「ただし、報酬にはそれなりに色をつけてもらうわよ。今回の寄付金はマーシア孤児院の再建のみに使われるのだから、百万ミラを超えた場合は余剰分と考えていいのよね?」
 その質問にジルの顔から初めて余裕が消える。怜悧な彼女にはヨシュアの意図する所が判ったようで、しばらく考え込んだ後、「半分が限界かな」と呟き、その線で互いに了承する。
「つまり寄付金が百万ミラに届かなかった時には、ヨシュアさんが差額を補充する代わりに、百万ミラを上回った場合の差引残高を歩合で報酬額に設定するよう交渉した訳です。ジルさんは半額に値切りましたけど」
 さっきから二人が主題を暈したまま会話を継続しているのは、寄付金をオモチャにしてマネーゲームに興じていると周囲から誤解されるのを防ぐ為。空気を読んだクローゼはエステルにだけ小声で通訳する。
 案の定、周りの役員の生徒らは二人の遣り取りについていけずに小首を傾げているが、ジャージ姿の副会長は気づいたようで、「女って恐ろしい」とブルブルと震えていた。
 一見リスクとリターンが釣り合ったよう錯覚するが、後一週間足らずで寄付金を倍に増やすアイデアを出すなど現実的には厳しい。
 仮に何らかの奇跡が起きたとしても目標額を大きく上回る事態はまず考えられず、最悪あぶく銭で稼いだ五十万ミラを吐き出す投資額を鑑みれば、収支の期待値が割に合わないのは数学が苦手なエステルにさえも一目瞭然。
(それでもヨシュアさんのことだから、きっと何らかの成算があるのだろうな。本当に頼もしいというか何というか)
 ユリアからは、「何時までも今の無垢なままのクローゼでいて欲しい」と縋るように諭されていたが、自分に足りないのはこういうダーティーな部分なのだと常々痛感している。
 ペーパーテストの成績ならジルにも引けを取らないが、善良過ぎる彼は思考のラフプレイがトコトン苦手。それが奇麗事だけで勤まる筈のないリベール国王の地位を忌避し、ヨシュアの腹黒さを知って尚、想いを募らせる要因にも繋がっている。
(いっそ、ヨシュアさんを女王と仰いで、僕はサポートに徹した方がこの国の未来は…………って、何を考えているんだ僕は……)
 最近、ちょっとばかり妄想癖が過ぎるクローゼは、先走りすぎた自らの煩悩に頭を抱える。
(ヨシュアの奴、案外、採算度外視の見切り発車で引け受けたのかもな)
 少女の無謬性をやや妄信するクローゼとは真逆の感想を彼女の兄弟は抱いた。ああ見えてヨシュアは結構な博打好きで、小遣いや釣りのガラクタ(※実際はエステルが知らないだけのレアアイテム)を賭けて良くポーカーで遊んでいた。
 手先の小器用なヨシュアはやろうと思えばいくらでもイカサマのスキルを所持している筈だが、賭け事は意外と正々堂々とやる性質で常に平勝負に徹していた。
(それでも大抵は俺が大敗していたけど、今回もヨシュアの奴、目当てはミラじゃなくて、ジルの思惑以上の寄付金を搔き集めて一泡吹かせてやろうと企んでいるのかもしれないな)

 かくして生徒会長から『生徒会臨時役員』の腕章を授かった三人の導かれし者はお芝居と並行して生徒会の依頼をもこなす次第になり、マーシア孤児院の再建を巡り様々な駆け引きが強かな二人の少女の間で繰り広げられることになった。



[34189] 13-02:学園祭のマドモアゼル(Ⅱ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/11 00:01
 エステルの推測通り、現地点のヨシュアは何らの展望もない白紙状態で、翌日に再度、寄付金のアイデアを皆で持ち寄ろうということで、一端お開きとなる。
 ジルたち正規の生徒会役員は他にも学園祭の様々な案件を抱えていたので居残って会議を継続したが、臨時役員の三者は会議室から退出。教室への途上の廊下で、少年二人がバツが悪そうに謝罪する。
「悪いな、ヨシュア。何か、お前一人に、全部、押し付けちまったみたいで」
「ヨシュアさん、ジルさんを許してあげで下さい。彼女なりにマーシア孤児院の惨状を憂いた末での行動だと思いますので」
 クローゼは、先の対立でジルとの友情に亀裂が入りそうなのを両者の友人として心苦しく思っていた。
 貧乏知恵無しのエステルに至っては、結局ミラもアイデアも義妹頼りになりそうなので本当に立つ瀬がないが、エステルにも役立てる余地があるのをヨシュアは指摘する。
「お金はともかく、アイデアを出すのは誰でも可能よ。特に人間の想像力には限りがあるからね。どれ程博識でもその人に思い浮かばない発想は、百年思考を巡らせても決して生まれ出ることはないわ」
 そういう意味では、エステルのユニークな発言の数々は幾度となくヨシュアの合理性の隙間も埋めており、作戦を練るのに結構役立っていたりする。ただ、エステルの発案は異次元的に突飛で三次元世界との接点をまるで持たないので、それを現実に活かせるように上手く調整するのが自分の役割と少女は信じていた。
「だから今回も、凡人には及びもつかない馬鹿げたアイデアを期待しているわよ」
「おうっ、任せておけ、ヨシュア」
 持ち上げられて気が大きくなったお調子者は、ドンと拳で自らの熱い胸板を叩く。確かに通り一遍の模範解答など彼のカラーじゃないので、ヨシュアの度肝を抜くような妙案を捻り出すとしよう。
「ジルとの間柄をあなたが気を揉むことはないわよ、クローゼ」
 早速アイデアを出そうと両腕を組んで唸っているエステルを擽ったそうに見つめた後、そっとクローゼの隣に移動する。
「お互い何ら言質を与えた訳じゃないし。お馬鹿な振りして空惚けることも出来た訳だから。彼女の挑戦を受けたのは紛れもなく私の意志よ」
 周囲に棲息するお人好しとの和気藹々とした雰囲気も悪くないが、計算高い人間とのタイトロープのような緊張感溢れる関係もヨシュアは嫌いではない。証文無しを理由に約定を反故にでもしない限り、ジルとの関係悪化を懸念する必要はない。
「まあ、ジルはエステルと違って信用できるタイプだから、その点は問題ないわよ」
 少しばかり含みを持たせた言い方で、義兄を対比にする。信頼と信用は似て非なるもので、エステルの人格は『信頼』できても判断に私情が混じりすぎるので、未だ安心して成否を任せる『信用』を勝ち得るには至っていない。
「それを聞いて安心しました。けど、すいません。本来、こういう分野こそ僕が力にならなくてはいけないのに」
 少しばかり会話のトーンを下げながら、再び頭を下げる。ヨシュアに金銭的な負担を強いながら、王族の自分が指を銜えて見ているしかない現実に忸怩たる思いを抱えている。ここから先の会話には若干機密事項が混じるので、エステルに聞かれないようにひそひそ話に移行する。
「その気になれば百万ミラなんて端金なのでしょうけど、特権の行使は戒められているのでしょう?」
「その通りです。学生の間は一般の人達と同じ土俵で自活しろと、お祖母様が」
 アリシア女王が学舎にクローゼを送り出したのは、宮廷では決して学べない庶民生活の苦労を愛孫に肌で実感させることが目的。
 故に戦術オーブメント他いくつかの餞別を賜った以外、ミラの仕送りさえも一切ない。奨学生として学費は免除されたものの、休日の家庭教師のバイトと下級生からの差し入れのお弁当で食い繋ぐクローゼは正真正銘のジゴロ……でなく苦学生だ。
「だからこそ、歯痒くて仕方がありません。一時的に凍結されている僕の口座の封鎖が解ければ、今すぐにでも……」
「クローゼから打ち出の小槌を取り上げた女王陛下の判断は正しかったみたいね」
 少しばかり琥珀色の瞳に醒めた色を浮かべて、クローゼを怯ませる。
 海外の貧困、紛争地帯に紐解くまでもなく、リベール国内だけでも苦しい立場に追いやられているのはマーシア孤児院に限った話ではない。個人的な思い入れだけで一部の人間に肩入れする不公平さは公人として有ってはならない。
「それとキツイ言い方をさせてもらうけど、今の段階でリベール王家の財力を自らの能力と混同するのは単なる奢りよ、クローゼ。現状のあなたは貧乏な一学生に過ぎないし、跡目を継ぐ気がないのなら尚更よ」
 歯に衣を着せない物言いに、一瞬クローゼは驚いたものの、直ぐに赤面する。特権を用いられるのは、それに相応しい務めを果たした者だけ。権力闘争に明け暮れる王宮の息苦しい空気に嫌気が差して、気楽な学生の立場に逃避した自分にその資格はない。
「確かに全てヨシュアさんのおっしゃる通りです。きっと孤児院を再建したいと願っているのも子供たちの為なんて御為倒しでなく、居心地の良い逃げ場所を確保しておきたいという只のエゴなんだ。本当に自分の思い上がりが恥ずか……」
「ちょ、ちょっと、クローゼ。頼むから、こんな場所で体育座りして鬱モードに突入しないでちょうだい」
 レイプ目でブツクサ呟き始めたクローゼに慌てふためく。エステルのように脳味噌お花畑で悩みが全くないのも問題だが、他人の発言を一々真に受け過ぎるのも考えもの。どちらにしても、フォローするヨシュアの気苦労は絶えない。
「少し言い過ぎたわね、ごめんなさい。けど、そうやって下々の意見を素直に受け止められるのは、あなたの最大の長所よ。自分では気がついていないでしょうけどね」
 これは満更、お世辞だけでもない。些細なことに思われるが王族に限らずどんな社会でも、自分より下の立場の佞言を受け入れられる度量の人物は少数派。耳に痛い諫言は強権を盾に握り潰されるが世の常だ。
 何事も己の思い通りに推移しなければ気が済まず、道理を権力のローラーで轢き潰すデュナン公爵などは、まさにその典型例。
 そういう意味では、特権階級の傲慢さまるで感じさせない王子様はまさに奇跡の領分。よほど教育係の薫陶が良ろしかったのだろうが、そのヨシュアの影響力により彼の純度は少しずつ穢され始めていたりする。
「今回は学生の立場で可能な支援を考えてみましょう。私はこれから図書室で調べ物をするけど、一緒に来る?」
「はい、喜んでお供します」
 落ち込む速度同様に立ち直りも迅速なクローゼは、申し遣ったエスコートを快く引き受けて王立図書館に赴く。
「あれっ、ヨシュアとクローゼってこんなに仲が良かったけ?」
 妄想の淵に嵌まって目の前の夫婦漫才を聞き逃したエステルは、二人の針路変更に気づくと軽く小首を傾げる。仲睦まじく連れ添う男女の雰囲気に言葉にできない違和感を覚える。
 ヨシュアが殿方に愛想が良いのは何時ものことであるが、今は営業スマイルでなく心から微笑んでいるように長年義妹の表情をつぶさに観察してきた兄貴は感じ取った。
「まあ、俺の気にしすぎか。ヨシュアの信頼を得るのはそんな簡単なことじゃないし、それだけの濃厚な時間が二人の間にあったとも思えないしな」
 異世界の冒険譚を知らないエステルはそう自分に言い聞かせると、今更授業に戻りたくなかったので慌てて二人の跡を追い掛けた。

        ◇        

 王立図書館はジェニス王立学園の施設の一つであるが、本校生徒だけでなく外来の人間にも本の貸し出しを許可している為、学園の敷地外、ちょうど旧校舎の隣に独立して建てられ、国内一の蔵書量とツァイス工房仕込みの最新設備を自慢とする。
 本の虫の来客がまばらに散らばり、静かに読書に没頭する中、丸テーブルの一つに陣取ったクローゼ達は長期戦の構え。卓上には百冊近い本が乱雑に重ねられている。
 学園祭に限らず、王立学園のあらゆる過去の記録を調べる。寄付金を増やすアイデアの参考にする為で、年度別の卒業アルバムやリベール通信のバックナンバーなど、山のような資料にヨシュアは一つ一つ丁重に目を通す。
「どう、エステル。何か面白そうな記事は見つかった?」
「面白いか判らないけど、懐かしい顔を見付けたぜ。ほらっ」
「あらっ、本当ね」
 思わずヨシュアの顔が綻ぶ。五年前の卒業アルバムの中には、若かりし頃のメイベル市長の写真が飾られていた。彼女もギルハート秘書と同じくジェニス王立学園を首席で卒業したOGだったりする。
「メイベル市長はこの頃から、目立っていたみたいね」
 パラパラとアルバムを捲ると結構な比率で、市長のあどけなさが残る御尊顔を拝せた。
 メイドのリラが「意外と破天荒な所がある」と証言していた通り、学生当時のメイベルは結構なお転婆姫。遠足でリュックを背負い、仲間に囲まれてピースサインをしている写真や、掃除の時間中、男子生徒を相手に箒でチャンバラをしている写真。さらには体育祭の騎馬戦で騎手を務めて、相手の騎手役の少女と騎馬の上で互いの髪の毛を引っ張りあって取っ組み合う写真を見た時には、思わず吹き出してしまう。
「おー、市長さんのブルマ姿の写真か。ハンスが泣いて喜びそうだな」
 エステルらしい感想にヨシュアは苦笑いしながらも、あることが気になった。
「ねえ、クローゼ。メイベル市長が在学していた頃は、体育祭も年間行事に加えられていたの?」
「はい。学園祭と同じくオープンイベントで、多くの来場者が集まって、当時は派手に盛り上がったそうです」
「ふーん、騎馬戦とか棒倒しとかスゲエ面白そうなのに、何で止めちまったんだ?」
「良くは判らないのですが、ハンスと同趣味の愛好家が問題を起こしたみたいです」
 チラリとブルマ少女の艶かしい太股を眺めながら、エステルの横槍に答える。
 競技のビデオ撮影自体は合法であるが、それらの映像が一部の好事家の間を出回っているとなれば、女子生徒や父兄(PTA)が良い顔をしないのも道理。かつてルーシーが先導したブルマ廃止運動の引き金にもなっていたりする。
「けど、色んな意味で勿体ないよな。学園祭と並行して運動会も同時開催したら結構人が集まるじゃないか?」
 単にエステル本人が大暴れしたい一念で、またぞろ突拍子もない提案をしてみたが、常識人のクローゼは首を横に振る。
「無茶を言わないで下さい。本来体育祭というのは、各種競技器具の手回しや入場行進の練習など、一月単位の入念な準備が必要なのですよ」
 本番まで後一週間を切って、お芝居の準備すらてんてこ舞いな今の惨状では、余計なプログラムが割り込める余地などある筈もない。
「そっか、やっぱり無理かー」
「いけるかもしれないわね」
 所詮は単なる思いつきかとエステルは残念がるが、意外にも合理主義者のヨシュアがエステルの妄案から何かを見出したようで、「はい?」と男二人は素っ頓狂な声を上げる。
「ちょっと気になったので、帝国からの旅行者数を調べてみたら、面白い統計が出たのよ」
 何時の間にか図書カウンターに置かれた端末の前に移動したヨシュアは、端末を操作して紙にプリントアウトする。
 この端末は、ツァイス地方にあるツァイス中央工房(ZCF)から寄贈されたもの。貸出本の検索だけでなく、『カペル』と呼ばれる工房五階に設置されたメイン端末の大規模データベースとネットワークで繋がっていて、一般向けに公開されている情報なら何でも閲覧可能。
「ここ十年間の旅行者の数を、月別に表示したものですよね? 適度にばらついていて、特に不自然な点はないと思いますけど」
「『森を見て木を見ず』って諺知っている?」
「あのー、それを言うなら、『木を見て森を見ず』では?」
「この場合は上記で正しいのよ。ほらっ」
 さらにプリントアウトしたデータを手渡されて、クローゼの眉がピクリと動く。
 今度は日別の旅行者数を現したグラフ。毎年、特定月のとある一日のみ、旅行者の数が激増している。それが五年も続くとなれば、偶然の一言で片付けるのは単なる思考停止だ。
「なるほど、森に埋もれてしまった一本一本の木の形を見比べるとは、面白い着眼点です。十年前から五年連続で旅行者数が突出していたXデーはもしかして」
「ええ、調べてないけど、かつてジェニス王立学園で体育祭が行われていた曜日で間違いないでしょうね」
 体育祭を取り止めた五年前からこの現象はピタリと収まっていて、状況証拠は十分だが、まめなクローゼは裏を取る為、卒業アルバムの学園ヒストリーと照らし合わせる。日付は全て合致したので、ヨシュアの推論は立証されたが、今度はまた別な疑問が浮かび上がる。
「どうしてエレボニアの人たちは、わざわざリベールくんだりまで足を運んだのでしょう? 体育祭なら帝国の彼方此方の学校で行われているでしょうに」
「そりゃ、ブルマが目当てじゃないのか? 良く知らねえけど、あっちじゃブルマは廃止されているってハンスが喚いてだろ?」
 話の流れ的に薄々そうじゃないかなと悟りながらも、どうしても口に出せなかった一言をエステルは堂々と俎上に載せる。否定したい所だが、手持ちの資料だけではその馬鹿馬鹿しい説を退けるのは難しかった。
「帝国人は質実剛健を尊ぶと聞き及んでいましたけど、意外とムッツリなのですかね?」
「そりゃ、お前、奴らを買い被りすぎだって。戦争当時は知らないけど、今のエレボニアは奇人変人の巣窟なんだからよ」
「こらこら、エステル。多分、オリビエさんのことを指しているのでしょうけど、標準サンプルとは言い難い一個人の生態から帝国全体の資質を図るのは、それこそまさに『木を見て森を見ず』よ」
 実はエレボニア出身者のヨシュアが、さり気なくエステルの思い違いを窘める。アレを一般的な帝国人像だと喧伝されでもしたら、国家侮辱罪で再侵攻されても文句は言えないからだ。
「リベールに遠征していたのは、小貴族の跡取りとかの一部の好事家かしらね。きっと学生時代は彼らもブルマにそこまで傾斜していなかったと思うわ」
 異性への関心そのものが薄かった遅れた思春期。厳しい受験競争に打ち勝つ為に明け暮れた勉学の日々。
 何よりも周囲がブルマに溢れているのが日常なので、それほど価値のある代物とは、努々及びもしなかった。
 やがて、学校を卒業し歳を重ねた頃、ふと想いを馳せる。当時は意識しないよう心掛けていたがアレは本当は心震わせる代物だったのだと。
 だが、部外者に厳しい今のご時世、学舎を訊ねても不審者扱いで締め出されてしまう。そうこうもたついている内にとうとうブルマはこの国から姿を消してしまった。
 愚かしい人間は、何時の時も失ってから初めてその尊さに気づく。ああっ、セピア色の青春。二度と返らない至玉の思い出の数々。
 そんな時、かつて侵略し損ねた隣の小国では未だにブルマ文化が根付いており、体育祭の門扉は外来者にも開かれているという。
 ミラには余裕があるし、これは時間に都合をつけて是が非でも顔を出すしかない。

「……というのが、帝国旅行者が増えた経緯じゃないかしら?」
 ヨシュアの妄執じみたプロファイリングに、二人は唖然として声が出てこない。
 受付のジャンを交えて中年講談した時と同様に、話の筋は想像部分が勝ち過ぎて荒唐無稽も良い所なのだが、それでも有無を言わさない奇妙な説得力を二人に感じさせるのは何故か。
「寄付金を募るには、とにかく一にも二にも人を集めること。ましてや、それが金余りの貴族の門弟なら言うことなし。その為にブルマが役立つというのなら利用しない手はないわ」
 実際に効果が出るかは別にして、寄付金を増やす具体的な方案が纏まったが、ヨシュアは得意顔というよりも少し頬を染めでモジモジしている。
 当人が未だブルマに対する抵抗感が抜け切れていないからだ。実はこの決断は断腸の思いなのをクローゼは理解したが、それでも問題点を指摘さぜるを得ない。
「お話は分かりました。それが事実とすれば、学生時代に開眼したハンスは早熟というか先見の明に溢れていたことになりますね。ただ、さっきエステル君に説明したように学園祭のスケジュールは押し詰まっていて、ともて体育祭を真面目に行える時間は……」
「別に本格的にやる必要もないでしょ? 動きやすい服装という名目で学祭中の生徒の恰好を男女共に体操着指定にした上で、エキシビションで女子の騎馬戦とかだけでも披露すれば客寄せとしては十分だし」
 あっさりと開き直ったヨシュアに開いた口が塞がらない。羊頭狗肉とはまさにこのこと。その手の好事家はブルマさえ鑑賞できれば、満足してミラを落としていってくれると主張するつもりなのか。
「そうと決まれば善は急げね。そろそろ会議も終わった頃だろうし、早速ジルに掛け合ってみましょう」
 そう宣告するとヨシュアは図書館を飛び出しエステルも続いたが、クローゼは司書から引き止められる。散らばった本を所定の場所に後片付けるように命令され、さらには静粛を義務づけられている図書室での私語の遣り取りについてネチネチ苦情を聞かされた。
 エステルらをスルーした司書がクローゼだけを呼び止めたのは、噂の暴風のような遊撃士兄妹と違って道理が通じると斜に見られたからだ。

 一人で三十分近くかけて本の復帰作業を行い、ヘトヘトになって第二会議室に顔見せした時には完全な無人状態。お昼休みのチャイムが鳴った頃に、ようやくクラブハウスの一テーブルで昼食を取りながら談笑する四人の男女の姿を発見する。
 生徒会幹部ペアを相手に持論を展開するヨシュアはクローゼの存在を失念していたようで、両手を合わせて拝み倒すが全然悪びれてはいない。
 本気でヨシュアと付き合うと思ったら、彼女の猫のような気紛れさに振り回されるのは覚悟の上。今日までエステルが被ってきた人的被害を鑑みれば彼の苦労は入門者レベルだが、相変わらず色んな所で貧乏籤を引かされる幸薄な王子様であった。



[34189] 13-03:学園祭のマドモアゼル(Ⅲ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/11 00:02
「ごめん、ごめん、クローゼ。すっかり忘れていたわ」
 ヨシュアは上目遣いで両手を合わせながら、「てへっ」とウインクして舌を出す。あまり反省しているようには見えないが、こういう可愛らしい仕種を拝まされたら何も言えなくなるのが惚れた弱みのなんとやら。
 更にはクラブハウス名物のジェニスランチの食券一枚であっさり買収され、不機嫌さを忘却するあたり、もしかするとクローゼは大陸一貧乏な王子様かもしれない。
「昔からヨシュアは後片付けを、結構他人任せにする癖があるからな」
 早速、ジェニスランチを注文するクローゼを横目に、男の癖に霜降り肉タップリのお嬢様プレートをがっついていたエステルは義妹の粗忽さをアピールする。
 元来の綺麗好きなので家屋に塵芥が溜まることはないが。年末の大掃除は指揮役に徹し汗水流して家具の配置換えを行うのはブライト親子だし、毎日の食後の食器洗いもエステルの仕事だ。
 まあ、エステルは食べ専なので適材適所の役割分担と言えなくもないが、新しいレシピ開発に余念のないヨシュアが厨房をそのまま放置し、また次の探求へと羽ばたく傾向があるのは確か。
「それでね、体育祭のアイデアを正式に取り入れることで纏まったのよ」
 やはりというか、全く自省していないようで、具体案へと話を移行させる。
 学祭中の服装を体操着で統一するのと、本来、お昼休みに充てられていた時間を利用し騎馬戦を行うのに合意を得たが、幾つか修正が加えられる。
 ほとんど練習時間も確保できない中、非力な女子だけで騎馬を組ませるのは危険なので、馬役の三人は屈強な男子生徒で固めて花形の騎手を軽量の女子生徒が担えば、ぶっつけ本番でも上手くいくのではとジルが具申した。
「これなら男子生徒も参加できるし、お客さんのお目当ても同時に叶えられるからね」
「運営の微修正に伴う雑務は全て俺が執り行うから、任せてくれ」
 ハンスはキリッとした凛々しい笑顔で頼もしく明言するが、直ぐに顔がふやける。
 ヨシュアの提案にハンスがダボハゼのように食い付いた光景は容易に想像がつくが、意外にもそのヨシュアでさえも羞恥するブルマに対して、ジルは何らの抵抗感も持っていない。
 男女で真っ二つに割れたブルマ廃止運動に参加したのも、敢えて女子内で波風を立てる必要性を感じなかったからで、実際にはルーシーの右腕面しながら、二重スパイとして暗躍。内部情報をハンスに横流しし、獅子身中の虫として面白可笑しく場を搔き乱していた。
「しかし、男子生徒はともかくとして、この企画を無理やり押し通そうとしたら女子側の反発が凄そうでしょう?」
「ふふん、クローゼ君。私が何の為に生徒会に属して、帰宅部の生徒が放課後の自由を満喫している中、毎日夜遅くまで居残りして馬車馬のように働いていると思っている?」
「ええっと、内申を良くする為ですか?」
 立身出世を夢見る彼女は、将来政界に打って出る野心を抱いていると聞き及んでいる。卒業後、最初のステップとして市の行政委員会に就職し、行く行くは憧れのメイベル先輩と肩を並べるルーアン市長のポストを伺う腹だ。
「ノンノン、それもあるけど、メインは何か面白そうな余興を思いついた時に、それを周囲に押しつける権力を維持する為よ」
「乾坤一擲の雄略だった男女反転劇はポシャってしまったので、少しは元を回収しないとね」
 すまし顔で職権濫用を仄めかすジルに、クローゼ達は唖然として声が出ない。
 性質の悪い生徒会長だと皆内心で思ったが、彼女を学内選挙で投票し最高権力の座につけたのは、他ならぬ生徒自身なのだ。
 リベールやエレボニアのような専制国家と異なり、カルバード共和国が採用する民主主義とやらは、政治の失策は国民一人一人が責任を持たねばならないので、王立学園の生徒も自らの安易な選択のツケを支払わされる時期が来たようだ。
「けど、生徒会権限で服装を無理強いできたとしても、やる気まで強要するのは難しいんじゃないか?」
「そうだな、少女たちの煌めく汗の輝きこそが一層ブルマの魅力を引き出すのであり、無気力な騎馬戦を鑑賞するのは、何か違うんだよな」
 基本、頷き要員のエステルが意外と真っ当な疑問を提示し、ブルマソムリエのハンスが好事家の意見を代弁したが、ジルとヨシュアの双方に腹案があるとのこと。騎馬戦の参加は強制でなく、きちんと有志を募るとのことだが、こんな酔狂な企画に参加してくれる女子がどの程度いるか疑問だ。
「それは本番を楽しみにしていて頂戴。赤組の騎手役の女子はヨシュアが、白組は私が集めることにして、双方の馬役の男子はハンスが声を掛けるそうだけど、こっちは三倍の数が必要といっても問題なさそうね」
 思春期の男子生徒が合法的に異性と密着できる棚ぼたチャンスを逃す筈はない。むしろ、希望者多数で抽選になりそうだが、逆に言えばどうやって女子をその気にさせるのかが課題と言える。
 ジルは生徒会権力をバックにしているので、いくらでも遣りようがありそうだが、女子生徒から嫌悪されているヨシュアの方は人集めの想像が出来ず、最悪ヨシュアが単騎で出陣なんてお寒い事態も有り得るかも。
 もっとも、単に騎馬戦の勝利を目指すだけなら、ヨシュア一人でもお釣りがくるぐらいだが、ジルとの知恵比べを楽しんでいる節があるので、力業で終結させることだけはなさそうだ。
「それとジル、店舗許可をもう一つだけ用意してくれる? 私も模擬店をやるつもりだから」
 生来の怠け者が瞬間風速的にやる気を漲らせている姿に、エステルは違和感を覚える。もちろん、学際の思い出作りでなく、純然たる算盤。
 学生道楽の屋台は収益を出すどころか、赤字になるケースも頻繁に見受けられ、基本的に喜捨金の勘定に入っていないが、そこにヨシュアは目をつけた。
 五つ星シェフ顔負けの神の舌と五百のレシピを併せ持つ少女が本気で手掛ければ、寄付金に次ぐ収入源に生まれ変わらせる自信があるが、ヨシュアの腕前を知るエステルだからこそ成否とは異なる危惧を覚える。
 居酒屋アーベントのバイトで張り切すぎて、周囲の定食屋を営業停止寸前まで追い込んだ前科があったからだ。一例として幼児が楽しく球蹴りで遊んでいる中に、高校のサッカー部員が強引に割り込んできて無双自慢するのは大人気ないにも程がある。
「エステル、私もそこまで空気が読めない訳じゃないわよ」
 プロの料理人相手ならまだしも、生徒たちが学祭の為に未熟なりに自ら作り上げたレシピは尊重する構えで、競合して閑古鳥を鳴かせるつもりはない。
 ターゲットは外国の旅行者に限定するそうで、これなら客層で他の屋台とバッティングすることもない。
「それで寄付金を増やせるなら、ヨシュアの好きなようにして構わないわよ。有り難いことに学園祭の趣旨を弁えてくれているみたいだしね」
 寛大な生徒会長はあっさりと営業許可を出したが、もう一つ別の要求がある。それはエステルとクローゼの身柄。学園祭の前日から一日貸し出して欲しいとのことで、準備に最も人手を必要とする繁忙期の催促はジルも良い顔はしなかった。
「前日といえば、『白き花のマドリガル』のお芝居も入念なチェックが必要でしょ? 完璧超人のヨシュアと違って、エステル君をはじめ皆役柄を覚えるのに必死なのよ」
 何を手伝わせるつもりか知らないが、帰宅部の暇そうな生徒を何人か見繕うので、それで代替するようにジルは提言してみたが、ヨシュアも譲らない。
 少女の企図するスペシャルゲスト専用の屋台を成功させるには、他でもない二人の協力が必須条件だからだそうで、それを聞いたジルは渋々ながら折れる。
 莫大な身銭を切らせるリスクをヨシュア一人に負わせた手前、彼女の行動を全面的にバックアップする責務が生徒会にあるからだ。
「ということだけど、二人の意志は……問題なさそうね」
 既に腹を括った殿方二人の表情を見て、ジルは嘆息する。例の密約により、どう事態が転んでも再建自体は成し遂げられたも同然だが、それでもヨシュアの金銭負担を1ミラでも減らすために滅私奉公する覚悟。
 当然、孤児院の子供たちが楽しみにしているお芝居も手を抜くつもりはない。今日からヨシュアも参加する連日の通し稽古は、学祭前日まで寮の門限無視の荒行の場と化すだろう。
 ただ、ヨシュアお得意の秘密主義により、二人にしか頼めない一日がかりの大仕事とやらの要約はジル達には伏せられた。
「なるほど、自慢じゃないけど、これはロレントの太公望と謳われた俺様以外には不可能な難題だな」
「エステル君ほどじゃないけど、僕の役割も重要ですね。ベストを尽くします」
 生徒会幹部の面前でひそひそ話が敢行される。こんな意味深な会話が零れてきたら、嫌でも好奇心を刺激されるが、むしろ学祭までに内容を推測するのも楽しいかと思い直して、質問を腹の内に押し込む。
 当日には外泊許可を申請する予定らしく、ヨシュアの用事は学園の外にあるみたいだが、ヒントはエステルの口から出た太公望という言葉か。確か『封神演義』という小説に出てくる賢人だった気がするが、尚更目の前の脳筋お兄ちゃんとは結びつかずに謎は深まるばかり。
「お祭りを盛り上げるアイデアは、大体、出尽くしたかしら? あとは時間があったら来賓の父兄も交えて、学際のフィナーレをフォークダンスで締め括りたい所だけど、これは流れを見て余裕がありそうならで良さそうね」
 幾つかのアドリブ要素を含めて細部を煮詰めたら、最後はどうやってこの企画を外部に宣伝するか。体育祭を取り止めて既に五年が経過しているので、今更ひっそりと再開した所で帝国人にとっては寝耳に水だろう。
「そのあたりも、抜かりはないわよ。図書館を出る前にきちんとマスコミの人間に声を掛けておいたから、もうしばらくすれば現れる頃……」
「ヨシュアー! 王立学園内で発生した一大スキャンダルはどこだー?」
 クラブハウスの扉がガラリと開く。無精髭を生やした中年男が背広を左肩に背負って、息を切らせながら乗り込んできた。
 リベール通信の自称敏腕記者、ナイアル・バーンズだ。船員酒場『アクアロッサ』で昼間から飲んだくれていた所を電話一本でヨシュアに呼びつけられ、ご苦労にもヴィスタ林道の坂道を全力疾走してここまで辿り着いた。
「あら、ナイアルさん。思ったよりも早かったわね。けど、私は「学園内でスキャンダラスの炎が燃え上がり…………そうになったけど、未然に鎮火しました」と言おうとしたら、途中で電話を切っちゃうだもの。ちゃんと人の話は最後まで聞かないと駄目よ」
「な、なにぃ? ふざけんな、この腹黒娘。俺は実のないトンチや言葉遊びが嫌いだとあれ程……」
「まあまあ、オジサン。絞りきりジュースでも飲んで落ちついて」
「おう、悪いな。ちょうど喉がカラカラで。ぷっはぁ、旨えー。……って、俺はまだ二十九歳で、おっさんと呼ばれる年齢じゃねえ!」
 小悪魔的に微笑む確信犯の少女に全身汗だくのナイアルのイライラは最高潮に達したが、ジルから差し入れられた清涼水で気分を落ち着けると、苦虫を噛み潰したような表情でハンスの隣に陣取る。
「で、用件はなんだ?」
 スクープはデマだとしても、互いにメリットのある土産話でもない限り、態々こんな場所まで御足労しない筈。遊撃士姉弟に利用価値のある間はこの程度弄ばれるのは覚悟の上だ。
「シェラさんもそうだけど、話か早い人って本当に助かるわね。腹に一物抱えてそうだから無償の友情を築くのは無理そうだけどね」
 己自身が十分に打算的でありながらもヌケヌケとそう言い切ったヨシュアは、双方向で手早く紹介を済ませると早速本題へと入った。

「ふーん、学園祭の宣伝ねえ。市内でお前らの姿を見かけないと思ったら、校舎内で勉学に勤しんでいたとはな」
 最初は二人の恰好(ヨシュアは体操着姿だが)から、てっきり噂に聞く学園の潜入捜査かと勘違いしたが、相変わらず愉快そうな騒動の中心となるあたり、ブライト姉弟に目をつけたナイアルの勘に狂いはなかったようだ。
 マーシア孤児院の放火から始まって、お芝居を手伝う為に二人がジェニス王立学園の制服に袖を通すことになった経緯を全て聞かされたが、寄付金の使い途まではジャーナリストに漏らす訳にはいかないので、その部分は秘匿された。
「確かリベール通信社は帝国内でも海外新聞として部数を発行していますよね? 五年ぶりに体育祭が復活した旨を大々的にコマーシャルして欲しいのよ」
 神聖な学舎の中にも関わらず、禁煙する素振りさえ見せずに堂々と煙草の煙を吹かすナイアルは、ヨシュアから手渡された写真を見てギョッとする。
 例の若かりし市長さんが騎馬戦で取っ組み合っているスナップ。帝国の社交界でも顔が広いメイベル市長のブルマ姿なら広告効果は抜群だろうが、ナイアルはブルブルと首を横に振る。
「おいおい、勘弁してくれよ。そうでなくても先の失態で市長さんから睨まれているのに、こんな破廉恥な写真を掲載したら本格的にボース商会を敵にまわしちまう」
 ナイアルとしては体育祭の件は庶民受けしそうなネタなので是非とも記事にしたいが、これ以上メイベルの心証を悪化させるのは御免被りたい所。
「前にも話したけど、メイベル市長はもっと酷いジェンダーの壁と戦ってきたから、友人のリラさんを巻き込んだりしない限りはこの程度のことで目くじら立てたりはしないわよ」
 ボース商人も決して一枚岩という訳ではなく、若くして世襲に近い形で市長職と財政基盤を受け継いだメイベルを快く思っていない勢力は多い。敵対側が槍玉にあげるのは決まって市長の年齢と性別で、その手の誹謗中傷には慣れっこになっている。
 このあたりの内情は、貴族の既得権益を侵して多くの大貴族から敵意を買っている帝国の鉄血宰相オズボーンと似ていなくもないので、新聞記者のナイアルも心得てはいるが今一つ踏ん切りがつかない。
「仕方がないわね。ギブ&テイクで、私達が今掴んでいるカードを見せてあげるわ。ジル……」
「はいはい、ここから先は素人さんは立ち入り禁止なわけね。行くわよ。ハンス、クローゼ君」
 ヨシュアの無言の催告にジルは軽くウインクすると、クラスメート二人を引き連れて席を外す。ジルは場の空気を読んでの行動だが、男子二人は各々ナイアルと顔を合わせたくない裏事情を抱えて退出の機会を伺っていたので、彼女の提案は渡りに舟。
「随分と良い友達を持っているみたいだな。けど、あの二人、どこかで見たような気がするが…………って、思い出した。紅髪の方は例のブルマ小僧じゃないか」
 昨年、『ブルマ廃止反対』のいかれた川柳の鉢巻きをした男子生徒の集団が王都をデモ行進した際の中心人物の一人がハンスだ。インタビューで小一時間かけてブルマの素晴らしさを得々と語られ辟易させられた記憶をフラッシュバックさせた。
「あいつなら、体育祭の復帰を全力でプッシュするのも納得だな。で、もう一人の紫髪のイケメンはどこで見かけたっけか?」
 両腕を組んで小首を傾げる。クローゼが最後に公の場に顔見せしたのは五年も昔の話で、生誕祭すら欠席する皇太子の御尊顔を拝せる人物は王宮外では極少数。
 ヨシュアでさえ公爵との一件がなければ見落としていたが、曲者の新聞記者のこと。切っ掛けさえあれば王子様の正体を看破しそうな予感がするので、ナイアルの思考を別方向に誘発する為にキールの置き土産を開示した。
「おいおい、情報部そのものが一連の空賊事件の黒幕って、マジかよ?」
 人一倍神経が図太い筈のナイアルも仰天するが、言われてみればいくつか心当たりもある。
 遊撃士の捕り物時の図ったようなタイミングでの強引な介入といい、カノーネ大尉のジャーナリズムの自由を汚した喧伝方法など。偏見のフィルターを通してみれば、清廉に思えた情報部にも幾らでも怪しい点が目についた。
「まだ確証を手に入れた訳ではないわ。けど、マーシア孤児院の放火に関わっている可能性すらあるのよ。ナイアルさんなら、可燃燐についてご存じでしょう?」
「現物を見たことはないが、紛争地帯で用いられるというアレか?」
「ええ、そしてこれが実物よ」
 ポーチから真っ赤な粒を取り出して、ナイアルの掌に落とす。孤児院のラベンダー畑で見つけた可燃燐の最後の一粒。万が一火の元に触れたらとんでもないことになるので、銜え煙草の誘爆には注意するよう悪戯っぽく警告し、ナイアルは大慌てて火のついた吸殻を灰皿に押し付けた。
「空賊事件は王国軍内部での情報部の勢力拡大の効果があったから判らないでもないが、地方の無害な孤児院を焼き払って奴らに何の利益があるんだ?」
 ヘビースモーカーには危険極まりない発火物をヨシュアに返却すると、当然の疑問を呈する。
 かつて、カシウスの部下だった情報部指令リシャール大佐とナイアルは直接面談した。見掛けほど単純な良い人ではないにしても、少なくとも無辜の民衆を苛めて悦に浸るような卑劣漢でないのは確か。
 目的の為なら手段を選ばなそうな女狐の副官なら、上官の為に自ら汚れ役を引き受ける可能性も十分有り得るが。
「それを調べるのは、私たちよりもむしろ貴方の領分でしょ、ナイアルさん? とにかく一連の事件は氷山の一角に過ぎず、このリベールで何かとんでもない災厄が起ころうとしている。そんな不吉な前触れのような予感がしてならないわ」
 事件を引き起こした空賊の親玉のドルンは、ヨシュアより格上の魔眼でマインドコントロールされていた。そんな異能を行えるのは顔も名も忘れたあの女しか存在しない。
 かつてヨシュアが属していた組織が闇で蠢動しているのだとしたら、情報部すら真の黒幕を覆い隠す単なるヴェールの一枚でしかない。
 事件の規模の壮大さにナイアルは一瞬目眩がしたものの、『虎穴に入らずんば虎子を得ず』を信条とする彼は、大小様々なリスクと目の前にチラつき始めたフューリッツア賞を秤にかけて、散文的に後者を選択する。
 放火事件に情報部が関与したかの内偵調査や、国内外のリベール通信に早急に学園祭の宣伝記事を載せることを確約して、ジェニス王立学園を後にする。
 リベールを揺るがす陰謀の影を匂わせながらも、今現在エステルとヨシュアが真剣に取り組むべきはお芝居や寄付金集めの準備。多くの人間の運命が交差する学園祭の日限は刻一刻と近づいていた。



[34189] 13-04:学園祭のマドモアゼル(Ⅳ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/11 00:03
「リベールを揺るがす、とんでもない災厄か」
 空賊のドルンを裏から操り飛行船誘拐を目論んだのが本当に情報部の仕業なら、単なる誇大妄想で片付けられない。ナイアルの指摘通りに孤児院放火の意図は不明だが、次はどんな騒動をこの王国に齎そうというのか。
 かつてエステルが夢想したハイジャック事件に続き、今度は軍事クーデターまで現となる嫌な予感が頭から離れない。
「なあ、ヨシュア。俺たち、こんな所でノンビリしていていいのかな?」
 ナイアルとの一連の会話を反芻し、学舎の安寧な身分に疑問を抱くも、ヨシュアはその迷いを一刀の下に切り捨てる。
「なあに、エステルらしくもないわね。まあ、確かにリベール存亡の危機に比べたら、孤児院の再建や子供たちを楽しませるお芝居なんて小事だし、学生ごっこはもうお終いにする?」
 冷淡に突き放されたエステルは、自分の思い上がりに赤面する。
 駆け出しの見習いとして、義妹におんぶ抱っこの情けない有様ながら、未熟なりに悟った事がある。全てのクエストには依頼する人間の『心』が秘められているという真理。
 先例の『定期船失踪事件』の大事件も、『光る石の捜索』のような雑務にしろ、困っている民間人が遊撃士を頼りにギルドの門を叩いたのに違いはなく、簡単な依頼だからといってその願いを疎かにして良い道理があろう筈ない。
 ましてや、依頼人のクローゼや子供たち以外にも既に多くの生徒の様々な想いがお芝居に篭められている。かつてヨシュアの一連の態度を窘めた当人が、他事に気を取られて上の空で現在手掛けているクエストを蔑ろにするようでは本末転倒だ。
「大丈夫よ、エステル。今日明日でいきなり事態が大きく動くとも思えないし、まだまだ時間の猶予はあると見て良いわよ」
 正義感が人一倍強いエステルが気を揉む気持ちは判るが、どのみち次の一手を慮るにはナイアルの調査待ちの部分もある。今は目の前の依頼に専念するよう言い聞かせてから、舞台衣装に着替えるため一時的に離別する。
 本日は午前授業の日。いよいよ放課後からヨシュアが稽古場に復帰するが、その小柄な背中に複数の敵意の視線が突き刺さる。
「はーあ、憂鬱よね。折角、上達を実感してきたのに、また格の違いをまざまざと見せつけられて、性悪妹に嫌味を言われないといけないのかしら?」
「あの女、クローゼ君とエステル君を下僕のように侍らせて何様のつもりよ? 体育もないのにブルマなんか穿いて、そこまでして点数稼ぎをしたいわけ?」
「でも、あれだけ綺麗なら男は放っておかないだろうし、人生色々楽だったでしょうね。うーっ、あのツヤツヤの黒髪とすべすべのお肌が妬ましい」
 お芝居に参加する女子生徒の中でも、反ヨシュア急先鋒の少女たち。稽古場での傲慢な振る舞いをしつこく根に持っている。クローゼはもちろん意外と女子人気が高いエステルと何時も一緒に行動しているのが許せない。天は二物も三物も与えるなんてエイドスは不公平すぎる。
 憤るポイントは各々微妙に食い違っていたが、ヨシュアがむかつくという方向性は完全にシンクロしていた。
「あの女、調子に乗り過ぎだし、校舎裏にでも呼び出して締めてやろうかしら?」
「無理、無理。ひ弱そうに見えても、あれでもブレイサーなのよ。逆に返り討ちに遭うのが関の山よ」
「けど、この前の屈伸運動でジルに潰されていたし、あの娘、全然体力ないじゃん。どうせ戦闘はエステル君頼りだろうし、もっと人数を集めれば何とか…………あらっ? 何か落とした?」
 少女らを取り巻く空気が不穏に変化した刹那、故意か偶然か腰元に括ったポーチから一枚の写真が零れ落ち、ヨシュアはそのまま廊下の角を曲がる。
「何かしら? 何かあの女の弱みに………………こっ、これは?」
 写真を取り囲んだ乙女たちの背中に電流が走る。まるでペトロブレスのアーツで石化したように金縛り状態が継続した。

        ◇        

「いよいよ通し稽古ですね。再びヨシュアさんと共演できると思うと、胸の鼓動が高まります」
「俺たちの練習の成果を見せてやるとしようぜ。けど、あいつ皆と上手くやれるのだろうか?」
 既に舞台衣装に着替えたクローゼとエステルが、準備運動代わりに軽く剣を合わせながらチームワークの悪化を思い患う。
 セシリア役の天才少女をメインに添えて舞台を繰り広げるのに皆納得はしたが、さりとて一度深まった心の溝は簡単に埋められる筈もない。本番までの間、これからずっと稽古中の雰囲気がギスギスするのかと憂鬱な気分になる。
「噂をすれば、主演女優がおいでなすったようだ…………んっ?」
 剣演舞の合間を縫って、ヨシュアを肴に言葉のキャッチボールをしていると、噂の主が白いドレス姿で講堂に出没したが、想定外の場の空気に小首を傾げる。
 ヨシュアの左右を女生徒らが取り巻いているが、二人が集団幻覚に囚われたのでなければ、黒髪の少女を中心に和気藹々とした雰囲気に包まれていた。
「よっ、お待ちしていたわよ、千両役者。やっぱり主役がいなくちゃお芝居は始まらないものね」
「義妹さん、本当に綺麗な黒髪よね。お肌も白くてすべすべで羨ましい限りだわ」
「事情があって、本番前日には通し稽古を完了させないといけないのよね? なら、一日も無駄にできないし、今日から張り切って練習しましょう」
 聞こえてくる会話も予想された殺伐さとは無縁。エステルはヨシュアの手を掴むと、強引に少女たちから距離を取らせる。
「おい、ヨシュア。お前、女子生徒に何をやらかしたんだ?」
 まさかボースでオリビエやドルンが被った暗示とかいう怪しい洗脳術を処方されたのではと疑ったが、彼女らが魔眼の発動条件を満たすことはまずないので単なる杞憂。
「やあねえ、エステル。あまり人聞きの悪いこと言わないでくれる。お芝居の成功を願わんとする同じ志を持つ者同士、腹を割ってお話しただけよ」
 ヨシュアは満面の笑みで奇麗事を抜かし、ますますエステルの疑念は深まる。
 エステルは人間性悪説の信奉者ではないが、「他人を意のままに動かすのに、異性は嘘泣き一つで十分だけど、同性の場合は買収するのが一番手っとり早いわね」と常々公言していた義妹の御為倒しを真に受ける気にはなれない。
「うんうん、仲良きことは美しきかな。お互いに歩み寄れば、世の中分かり合えないことなど何一つないのです」
 性善説を妄信するクローゼは目の前の麗しい友情劇に素直に感銘を受けたようだが、本当に見た儘を有りの儘に受け入れても良いのだろうか?
 良く長所と短所は表裏一体と言われるが、クローゼ本人が自己診断したように、このお人好し度は一国の最高権力者となるにはちと問題があり過ぎる気がする。
「ああっ、クローゼ君」
 少女たちは頬を赤く染めながら妙に熱っぽい視線をクローゼに注いでおり、気のせいか呼吸がかなり荒い。
 この場にいるほとんどの女子がクローゼにお熱なのは鈍感なエステルでも察せたが、何か盛りのついた雌猫というかヨシュアファンクラブの大きなお友達に似た危険な臭いをプンプンさせているのは何故か。
 どんな魔法を使ったのかは皆目見当もつかないが、それでも最大の懸念材料だったヨシュアと女生徒の確執は未然に取り除かれたのだ。乙女たちの淫らな変化について、あまり深く考えないことにした。

        ◇        

「よし、これでやっと全員揃ったわね。それじゃ全体の流れを確認するために、早速通し稽古を始めるわよ」
 監督のジルがそう宣言し、待ちに待った瞬間を控えて皆の間に緊張が走る。この一週間ヨシュア抜きでの稽古を続けてきたが、欠けていたジグソーパズルの最後のピースが嵌め込まれた時、どんな絵図が完成するかは未知数だ。
 ただ、リチェルを自信喪失に追い込んだ全てを蹂躙する衝撃が未だ記憶に鮮烈に残っており、ヨシュア不在時に感じずに済んだコンプレックスを再発させないか懸念していたが。
「街の光は、人々の輝き。あの一つ一つにそれぞれの幸せかあるのですね。ああ、それなのにわたくしは…………」
(あれっ?)
「ああ、オスカー、ユリウス。わたくしは、どちらを選べばいいのでしょう?」
(一体どうなってやがる?)
「ユリウス。本当に久しぶりです。今日はオスカーと一緒ではないのですね。お父様がご存命だった頃、宮廷であなた達が談笑するさまは、侍女たちの憧れの的でしたのに」
(気のせいか、何かヨシュアの演技が大人し目だよな?)
「駄目ー!」
(けど……)
「まあ、ユリウス、オスカー。まさか、あなた達まで天国に来てしまったのですか?」
(おかげでスムーズに舞台は進行しているよな?)
 淡々と演目は続いていく。台詞をとちったり、露骨な演技ミスをする役者もなく、つつがなくフィナーレを迎える。
「まあ、初めての通し稽古にしては上出来かな? 皆、遅くまで居残って練習した甲斐があったわね」
 パイプ椅子に偉そうに踏ん反り返って、特等席からお芝居を鑑賞していたジルは満足そうに頷く。当初の不安は取り越し苦労に終わったが、稽古中にエステルがずっと感じていた違和感をこの場にいる全員が共有している。
(ヨシュアの演技はこんなものだっけ?)
 真のセシリア姫を降臨させたと錯覚させたトランス状態に比べたら、今回のヨシュアは明らかな人間業。とても同一人物の演技とは思えない。
 とはいえ劣化した訳でも、ましてや手を抜いているのでもない。その証拠に一連の舞台の流れは滞りなく進んでいる。バランスという意味では、一人芝居の神クオリティを持ち込まれるよりも今の状態の方がよっぽど有り難いが、これはどうした塩梅なのか。
 考えられるのは一つ。ヨシュアが皆の力量を正確に把握し、そのレベルに会わせて演技の質を調整している。実際、今披露した出来栄えでも、本来のポテンシャルの半分も満たしていない。
 この調和は共同作業をする上で、結構重要なファクターだ。アイドルのワンマンショーと異なり、舞台演劇は脚本、演出など全てを引っくるめて総合的に評価されるので、ヨシュア一人が突出して目立っても他との協調を欠いたら物語として失敗だ。
「私たちのこれからの課題が見つかったわね」
 ジルは敢えて明言を避けたが、何を主張したいかは皆良く判っていた。意外と空気が読める天才少女が全体に合わせて力の出し惜しみを可能とするのなら、全員の力量がさらに向上すればそれ分だけオスカー女優の魅力も増幅される。
 プロの劇団員でなく素人学生の集団だから、残りの短い期間でマックスを引き出すのは無理だろうが、70%ぐらいの領域に到達できれば、それだけで今とは全く別次元のステージへと観客を誘える。
 1%でも多くヨシュアの本気を引っ張り出す。
 学園祭までの具体的な目標を見つけた皆のボルテージは俄然高まってきた。ミス無しで通し稽古を乗り切った今の立ち位置はゴールではない。ヨシュアの加入でやっとスタートラインに足を踏み入れたに過ぎないという過酷な現実を正面から受け入れる。もはや現状に満足する怠け者など……一人(ミック)だけいた。
 その想いは役者だけでなく裏方の生徒にも伝染し、少し休憩したら今度は照明や演出を入れた完全な本番形式で、もう一度通し稽古をするよう提議する。

 ヨシュアという名の強烈な個性を持つ最後のワンピースがパズルに嵌め込まれたが、当初憂いていた全体の構図のパースを目茶苦茶にすることなく、綺麗に一枚の絵図として完成させた。
 更にはこのピースは全体絵図自体の変貌を促し、それに合わせて自身に刻まれた模様を変化させるという類まれな修正機能を備えている。
 本番の学園祭までに、『白き花のマドリガル』というジグソーバズルにどんな絵図が描かれるのか、今からとても楽しみだ。



[34189] 13-05:学園祭のマドモアゼル(Ⅴ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/12 00:01
「待て、ユリウス!」
「勘違いするな、オスカー。姫を諦めたわけではないぞ。お前の傷が癒えたら、今度は木剣で決着をつけようではないか。幼なき日のように、心ゆくまでな」
「そうか。ふふっ、判った。受けて立とう」
「もう、二人とも。わたくしの意見は無視ですか?」
「そ、そういう訳ではありませんが……」
「ですか、姫。今日の所は勝者へのキスを。皆がそれを期待しております」
「……判りました」
 腰元に左手を回して、セシリアを自分の方に抱き寄せる。ウエストは呆れるほど細く、軽く力を籠めたら枯枝のように折れてしまいそう。胸元から白き姫の琥珀色の瞳が蠱惑的な色を讃えてじっとオスカーを見上げており、薄くルージェを塗ったピンク色の唇に思わず吸い込まれそうになる。
(胸がドキドキしている。僕は本当にセシリア姫の魅力に参っている。はて、自分はオスカー? それともクローゼだっけか?)
 クローゼの意識が混沌とする。ヨシュアのトランスとは全く別の意味でクローゼは蒼騎士オスカー役に異常シンクロし、今の自分が素か演技なのか峻別がつかなくなった。
「はーい、カット、カーットぉー!」
 クローゼの時間がフリーズしたので、監督のジルが台本を丸めたメガホンで助監督の後頭部を強打し、一端稽古を中断させる。
 停滞していたのはほんの数秒だが、舞台のクライマックスシーンでは僅かな逡巡が命取りとなる。カポーンという小気味の良い打撃音に、ようやくクローゼは我に返る。
「おいおい、またこの部分かよ? お前らしくもない。一体どうしたんだよ、クローゼ?」
「すいません、ちょっと考え事をしてしまいました」
 ヨシュアを除いた面々の中で最も秀逸なクローゼの同じ箇所での単純ミス連発をエステルは訝しみ、申し開きしようがない失態の連鎖にひたすら平謝りするのみ。
「どうして、クローゼ君が惚けていたか、何となく想像はつくけどね」
「んなことより、カットする度に一々俺の頭をぶっ叩くのは止めろよな。助監督の仕事は補助であって、監督の暴力を受けることじゃねえぞ!」
 たん瘤の山をアピールするDV被害者の抗議をジルは受け流す。朴念仁のエステルと違い、彼女にはクライマックスシーンでクローゼの集中力が乱れる要因は大凡見当がついたが、共同作業のお芝居をしている手前、監督役として見過ごせない。
「本番でやらかされても困るし、いっそ最後のシーンだけ脚本をチョコチョコっと弄くって、クローゼ君とエステル君の配役を変更して」
「いえ、大丈夫です。ご心配おかけしてすいませんが、二度と今回のような醜態は見せませんので」
 クローゼはパンパンと両頬を強く叩いて気合を入れ直すと、既存のシナリオでの続行をジルに訴える。
 ラストシーンをエステルにだけは譲れないという意固地な対抗心もあったが、それ以上に公私混同する不甲斐無い自分自身に腹を立てている。何事にも動じない鋼のように強い意志を持とうと由緒あるアウスレーゼの家名に誓いを立てる。

 それからのクローゼはヨシュアの無意識化の誘惑を撥ね除けて、きちんと己の役柄に没頭する。
 毎日の猛稽古は寮の門限無視で行われる。少しずつポテンシャルを解放していくヨシュアに引っ張られるように、皆の演技もメキメキと上達を続けて、ジグソーパズルはどんどん新しい絵図に塗り替えられていく。
 日々は瞬く間に過ぎ去って、学園祭の前々日。監督のジルを唸らせる上々の仕上がりで最後の通し稽古を無事に遣り終えるのに成功する。まだ本番まで二十四時間の猶予があるが、ヨシュア達の都合により翌日は完全休養日に充てられる。
 その日は授業もないので、一日爆睡して練習で溜まった疲れを癒すも良し。同じく稽古でおざなりにされたクラス展示やクラブの出し物に精を出すなど、休日の過ごし方は各々の裁量に任せられた。
 ただし、学祭前日は、運営を取り仕切る生徒会が徹夜作業で修羅場になるのと同様に、エステルとクローゼの二人にとって、ある意味ほんちゃんに匹敵する勝負の場に出陣した。

        ◇        

「ここが築地市場ですか。ルーアンに在住して二年近くなりますが、顔を出するは初めてですね」
 築地とはラングランド大橋を境とするルーアン南地区にある卸売市場の俗称。以前クローゼが市内を案内した時にレイヴンの介入でエステルに紹介し損ねた場所だ。
 大陸に無数ある卸売市場の中では規模は小さい方だが。漁師の寄合所だけあって水産物を専門に扱っている。生鮮品の品質と量ならボースマケットを遥かに凌ぎ、態々外国の業者も買い付けにくる程である。
 エステルと連れ立って築地デビューを果たしたクローゼは、早速競り市の独特の熱気に圧倒される。
 周囲のどこを見回しても魚介類で埋めつくされている。更には気が荒そうな漁師が外国のバイヤーと1ミラ単位の激しい値引き交渉で火花を散らす様は、庶民の生活臭というのをマザマザと感じさせる。
「ヨシュアさんは、良くこんな場所で地歩を築けましたね? 彼女のバイタリティの高さには、本当に感心させられます」
 彼方此方で売り物の生魚が剥き出しのまま山積みされて、所々に蠅もたかっており、悪臭と不衛生さに思わずクローゼは顔を顰める。
 高級感溢れる宮廷で長年生活してきた王子様にとって、目の前の光景は刺激的過ぎる。ルーアン住人でありながら、生臭い築地市場に足を踏み入れるのを躊躇ったのも判らないでもない。
「まあ、相手が染色体的にオスなら、誰だろうと仲良くなれる素質の持主だからな、ヨシュアは」
 田舎育ちで釣りを趣味とするエステルは生魚固有の臭みも別段平気で、試食の魚の切り身にちょくちょくと手を伸ばす。
 ヨシュアにしても魚料理で腸に潜んだ寄生虫を取り除く作業は頻繁なので、虫などの衛生状態で一々目くじら立てていたら到底料理人など勤まらない。
 このあたりが同じノーブルカラーの綺麗好きに見えながらも、完全温室育ちの王太子とアンダーグランウンドに精通している田舎娘の違い。全寮制のジェニス王立学園も比較的閉鎖された清潔な環境と言えるので、ブライト兄妹との付き合いは見聞を深めるという意味では有益に機能している。

「ほう、坊主。お前が嬢ちゃんお墨付きの釣り名人か?」
 ヨシュアから手渡された地図に従い、築地の再奥地に辿り着くと、いかつい漁師の集団に囲われ、中央の丸椅子に腰掛けた小柄な老人から値踏みの視線を受ける。
 この男は築地市場で長老と敬われる伝説の船乗り。生涯釣果数は百万を超えるという市場で最大の影響力を持つ人物だ。
「おう、俺がヨシュアの義兄のエステル・ブライトで、こっちは相棒のクローゼ・リンツだ。よろしくな、爺さん」
 場の雰囲気に気押されて萎縮したクローゼと異なり、エステルは物怖じせずにポンポンと長老の肩を叩く。
 作法に煩い上流階級の社交場と比べて、飲む、打つ、買う、をモットーとする海人(うみんちゅ)は細かい礼儀には割と無頓着。裏表のないエステルの態度は好意的に受け入れられている。
 ヨシュアも海の戦士たちから嬢ちゃんの愛称で可愛がられており、イケイケの遊撃士兄妹に比べたら弱腰な自分の方が小市民なのではと疑問に思う。
「内陸は比較的穏やかに見えるが、今は時化の時期で大海原は不漁が続いている。嬢ちゃんとの契約で最低二匹は釣らないといけねえが、やれるのか、坊主?」
「あたぼうよ、ロレントの太公望と謳われたエステル様に釣れない魚は存在しないぜ、爺さん」
「ふーむ、良い目をしている。エステルって言ったな? お前さんなら、アレを使いこなせるかもしれんな」
 自信満々のエステルに長老は目を細めると、漁師たちにアレを持ってくるように指図する。二人の大男が丸太ん棒のような物体を重そうに抱えてきた。
「これって、もしかしてロッドですか?」
 最低でも全長五アージュに達し、屈強な船乗りが二人がかりでしか持ち運べない質量を誇る規格外の釣竿に、クローゼは呆れ果てて言葉も出てこず、「武人は武具を知る」もとい、「釣人は釣具を知る」の諺通りに、一見で得物の価値を見抜いたエステルはゴクリと生唾を飲み込んだ。
『剛竿トライデント』
 良く撓り決して折れることのない超極太の本竿に、同じく絶対に切断されることがないワイヤーのような極太の釣糸と、更には永久に破壊されることなく『美臭』クオーツの如く巨魚を誘きよせるルアーが完全一式でセットになった幻の釣具。ゼムリア文明期のものと推測されるれっきとした古代遺産(アーティファクト)の一つ。
 今よりも高度な文明を維持していた古代人が釣りを趣味にしていたというのも驚きだが、その主用目的の無害さから七耀教会の回収を免れたという微笑ましい逸話まであったりする。
「導力器(オーブメント)を使わずに人の身で、全長3アージュ、体重400kgを超える黒鮪を釣り上げようと思ったら、こいつを使うしかない」
 かつて長老も若い頃、剛竿トライデントで壱万を超える鮪を一本釣りしたそうだが、勇退後にこの剛重のアーティファクトを扱えた船乗りはいない。
「無茶ですよ。そりゃ怪力のエステル君なら、一人でも持ち上げること自体は出来るでしょう。けど、比率で考えたら、この大きさの竿で釣りをするのは色々と無理があります」
 常識人のクローゼが真っ当な意見を提出するも、長老は彼の狭い良識を笑い飛ばす。
「坊主、俺は見ての通り小兵で他の力自慢の漁師に比べて膂力に秀でていたわけじゃない。なら、なぜ、剛竿を扱えたか判るか?」
 それは、この竿が持主と定めた人間を自ら選ぶが故。
 剛竿トライデントは普通の釣人にとっては重いだけの欠陥品だが、竿が認めた主の掌では羽根のように軽くなるという、どこかのお伽話で聞いたような設定だ。
 尚、長老が引退した理由は、老いによる筋力不足で剛竿を持たなくなった訳ではなく、純粋な技量の衰えで三行半を突き付けられたからだそうで、中々にシビアなロッドだ。
「あるじを選ぶって。なんか、エクスカリバーの伝承みたいだな」
 クローゼと同じ感想を抱いたエステルは軽く舌舐りしながら、無頓着に竿の柄の部分を片手で掴む。剛竿トライデントは造作もなくエステルの手によって目の高さまで掲げられる。
 まるでヨシュアを抱き上げた時みたいに、不自然にエステルの掌には竿の重みを感じられず、剛竿トライデントは釣馬鹿大将を新しい主と認めたようである。
「おおっ、四半世紀ぶりに、新たな剛竿の担い手が現れるとは!」
 まるでエスクカリバーを引き抜いたアーサー王の伝承のように周りの漁師たちから拍手の洪水が巻き起こるが、当人のエステルとしては実に複雑な気分だ。
 噂にきく『太極棍』のような伝説の武具から選ばれたのならともかく、釣具に認められても職業選択の道を誤ったと訴えかけられているようで素直に喜べなかった。
 そんなエステルの内心の葛藤などお構いなしに、突然パシャパシャとシャッターのストロボが焚かれる。眩しいフラッシュの光にエステルを目を瞬く。
「よう、お前ら。姉弟揃って相変わらず面白そうな真似しているじゃないか」
 神出鬼没のナイアルだ。ブライト姉弟の現れる所、特ダネ有りと確信しているブンヤさんは、エステルとクローゼが築地市場に入っていくのを見掛け、こっそり後をつけたら幻の釣具継承の歴史的瞬間に居合わせた。
 伝説と謳っても所詮は釣竿なのでスクープという程ではないが、紙面の合間を埋めるゴシップネタとしては十分。エステルが黒鮪の一本釣りに挑戦すると聞きつけると、マグロ漁船への同行を強引に取り付けた。

        ◇        

「ううっ、うぷっ……」
「おいおい、大丈夫か、クローゼ?」
 長老の手持ちの小型漁船で沖合に出たエステル達だが、早速クローゼは海の洗礼を受ける。
 天候は黒雲に覆われ、吹き抜ける突風と激しい荒波に甲板は揺れ捲くり、船酔いしたクローゼは二回ほど吐瀉物を海に垂れ流して、エステルに背中を摩られている。
 意気揚々と乗り込んだナイアルは完全グロッキー状態で、比較的揺れが少ない船底の仮眠室で横になっている。まあ、スクープに不屈の闘志を燃やす男だけに、重要なシャッターチャンスでは必ずカメラを構えて出没するだろう。
「大丈夫です、エステル君。しかし、高速の飛行艇には馴れているつもりでしたが、海船の揺れは全くの別物ですね」
 強い足腰と優れた平衡感覚で、甲板に根を下ろしたように微動だにしないエステルと違って、乗り物酔いで三半規管が一時的に麻痺したクローゼは大揺れの度にパチンコ玉のようにデッキを盥回しにされ、今も船乗りの一人に抱き留められた。
「そりゃそうだろ、兄ちゃん。今日は一日漁だけんど、遠洋漁業の大時化の海はホンマに過酷だかんな。手のつけられない荒れくれ者の悪ガキも数カ月マグロ漁船で働けば、憑き物が落ちたように大人しくなるけんな」
 だとすれば、何時も暇そうに倉庫にたむろしている、体力だけは有り余っていそうなレイヴンの連中を纏めてマグロ漁船に放り込めば、ニートの更生に役立つんじゃないだろうか?
 そう真面目にエステルは考えるも、再び波風に翻弄されたクローゼがこちらに流れてきたので受け止めようとしたが、制服の内ポケットからヒラリと零れ落ちた何かを反射的に掴む。
「何だ、写真か。て、これは?」
「あっ、それは駄目です!」
 クローゼの悲鳴に反応するかのように。本日一番の突風が、エステルの手の内の写真を大空高く舞い上げる。瞬く間に、高速巡行中の船尾の彼方へと消えていった。
「見ましたか?」
 写真をロストしたことよりも、被写物の識別確認の有無の方がクローゼの懸念事項のようだ。彼の表情が青ざめているのは、体調不良だけが原因ではない。
「いや、拝見する前に風で飛ばされちまったから、良く判らなかったぜ。それよりも悪かったな。大事な写真を失くしちまって」
 目線を逸らししどろもどろになりながら、ヨシュア相手なら一発でばれるような下手糞な嘘をエステルは吐く。
 そもそも鉄の握力のエステルが迂闊にも写真を手離したのは、被写体の組み合わせの意外性に心の隙間を突かれたから。他人(ヨシュアを除く)を疑うことを知らない無垢なクローゼは、「なら、良いのです」と安堵の溜息を吐き出した。
 家宝の写真を紛失したのは痛手だが、被害は肌身離さず保持していた鑑賞用だけ。前回の教訓で引き出し奥の二重底に隠しておいた保存用と××用の二枚は無事なまま。
 けど、三種の神器ではないが、きちんと三枚キープしておかないと落ち着かないので、船を降りたら直ぐに焼き増ししておこうと堅実思考のクローゼは心に誓う。
(一体、どうなってやがる? 何でヨシュアがクローゼの奴と)
 ほんの一瞬だが、大陸南部の原住民に匹敵するエステルの超視力は写真の内容を鮮明に記憶に留めている。恐らくは紺碧の塔の屋上と思わしき場所で、制服姿のクローゼにヨシュアが仲睦まじく抱きついていた。
 義妹のプレイガール振りは毎度のことなので、その毒牙にクローゼが餌食になったとしても今更咎め立てする気はないが、問題はヨシュアが王立学園の制服を着ていたこと。
 つまり撮影日は例のお芝居のクエストが始まってからで、毎日の稽古で多忙なクローゼが紺碧の塔に足を運べた機会は、謎の急用で練習をキャンセルした一日しかない。
(本当にどういう経緯でこの写真は撮られたんだ? まさか、男遊び云々の与太話が真実で、この日はクローゼの当番とか言わないだろうな?)
 ならば、ヨシュアとクローゼの急激な親密度の変化にも納得がいかないこともないが、お芝居にかける皆の情熱を、二人が疎かにする筈はないとエステルは首を振る。
(止め止め、現状、二人はきちんと学園祭と寄付金集めの準備に熱心に取り組んでいるし、プライベートでどういう仲になろうと俺が口を出す筋じゃない)
 エステルは自分にそう言い聞かせて、得意の鳥頭に任せてこの一件を忘却しようしたが、クローゼとは別の意味で猜疑と無縁だったエステルの心の奥底に燻った火種はふとした切っ掛けで再燃する危険性を孕んでいた。

        ◇        

 男の分厚い友情の壁に微妙な亀裂を生じさせた一枚の写真は気紛れな風に運ばれ空中を彷徨い続け、真空スボットのような一時的な無風状態に浮力を失って海中へと落下する。
「ピューイー」
 写真が水浸しになろうとした刹那、一羽の鳥が急降下して水面すれすれで嘴で写真を空中キャッチし、ホバリングから急上昇。その鳥は全身が雪のように真っ白、白隼(シロハヤブサ)と呼ばれるタカ目ハヤブサ科の種族。リベールでは国鳥として崇められている。
 シロハヤブサは写真を銜えたまま円らな瞳で、どんどん小さくなっていくマグロ漁船の船尾を確認すると、再び吹き始めた偏西風に身を預けて内陸の方角へと姿を消した。



[34189] 13-06:学園祭のマドモアゼル(Ⅵ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/12 00:01
「えい! やあ! せいっ! とっとっと……」
 紫髪で高価な身なりの可愛らしい坊やが、野原で剣の鍛練に励んでいる。
子供用とはいえ自分の身長ほどもあるレイピアに振り回される様は見ていて微笑ましいが、剣の重さに耐えきれずにすってんころりんしてしまう。
「ううっ……」
「殿下。男子たるもの、人前でおいそれと涙を見せてはなりません」
「ユリア」
 二年ぶりに聞いた懐かしい声色に、どんぐり眼に溜め込んだ涙腺は嬉し涙に取って代わる。少年はオデコをぶつけた痛みも忘れ、細剣を放り捨てて声の主の胸元に飛び込んだ。
「あははははっ……、本当にユリアだ」
「壮健でございましたか、殿下。ユリア・シュバルツ。本日より准尉の辞令を得て、王宮に帰参しました」
 黄緑髪の若い女性は少年の両手を掴んで、メリーゴーランドのように振り回す。
 勧進帳のような堅苦しい言葉遣いでは、まだ七歳の子供には何のことやら判らないだろうと苦笑するが、生来の生真面目な性格に軍隊の規律厳しい寄宿舎生活が拍車をかけ、歯止めが効かなくなっている。案の定、少年は楽しそうに回転しながら、小首を傾げている。
 彼女は先週、士官学校を卒業し、王族守護を司る王室親衛隊に配属された。少年との姉弟の如き強き絆を考慮され、王太子専属の護衛兼教育係として一昼夜を共にすることになる。
「殿下の剣として仇なす敵を討ち滅ぼし、御身に危険が及びし時は生命を以て盾となる覚悟でございます」
 旧態依然の難波節の口上を少年は全く解せないが、再び姉代わりの女性と一緒にいられるのが嬉しくて溜まらずに破顔する。
「ねえ、ならユリアが僕のお嫁さんになったよ。そうすれば、僕達ずっと一緒にいられるのでしょ?」
 にぱーと一点の曇りのない少年の笑顔が、ズキュウウーンと女性のハートを直撃する。思わず頬が赤く染まる。この無垢な魂を汚さんとする悪あれば、自分は世界の全てを敵にまわしても怯むことなく戦える。
「お戯れを、殿下。私は何時までもお側にお仕えし御身をお守りすることが叶えば、それだけで十分幸せでございます。それ以上は賎しき身には恐れ多いことで何も望みません」

        ◇        

「では、これにて本日の実戦稽古は終了とする。三十分の休憩後、全員、持ち場に戻るように」
 王室親衛隊の朝は早い。まだ朝霧が立ちこめている王都グランセル。武術大会の開幕まで閉鎖されているグランアリーナを利用して、早朝訓練を敢行していたユリア・シュバルツ中尉は解散を宣言するが応答はない。
 彼女の中隊に属する五十人を数える隊員は皆、地面に平伏して息切れを起こしていた。
「返事は?」
「ふぁ…………はぁーい」
「腑抜けているな。なら鍛練を延長して、全員腕立て伏せ二百……」
「「「「「マム・イエス・マム!!!」」」」」
 ユリアが鞘に収めた長剣(バトルセイバー)を抜刀しかけたので、隊士たちは大慌てで立ち上がり、親衛隊式の最敬礼を施す。
「んっ、よろしい」
 示唆した得物を鞘に戻すと、ユリアは『蒼の組』の門から出て行く。中隊長の姿が消えると同時に再びぶっ倒れる。
「やれやれ、参ったな。本当に化物だぜ、うちの隊長殿は」
「俺達だって士官候補生として、エリートコースの狭き門を潜り抜けた精鋭の筈なんだけど、あの人は別格だよな」
 五人一組で次々にユリア単騎に襲いかかったが、悉く返り討ちに遇い死屍累々を晒す羽目になる。
 女性の身でありながら、かつて鬼の大隊長と恐れられた剣狐の神技の域にいずれは到達するだろうと、剣聖からお墨付きを貰っただけはある。
「けど、ユリア中尉。何だか最近イライラしているというか、えらく不機嫌じゃないか? 教練中、そこはかとなく剣にも殺気を帯びているし、憂さ晴らしの一面もあるだろ?」
「原因はほら、王太子殿下が庶民の体験学習で王都を離れたからさ。王立学園に籍を置いてから、もうかれこれ一年以上逢ってないから、流石にそろそろ限界がきたんじゃないか?」
 幼い頃から姉弟のような間柄で、何時も一緒にいるのが自然だった二人だから、寂しさもひとしおだろう。
 王族の身分はコリンズ学園長以外には秘匿されているので、親族とでも偽り何か適当な用事を言い繕って面会にいけば良いものを、堅物の中隊長殿は「殿下がご卒業あそばせるまでは」と自らを縛るので見ていて本当に不憫だ。

「「「「「「きゃあー、ユリア様ぁー!」」」」」」
「って、鬘を被った偽物じゃないの?」
「ちっ、しくったわ。本命はさっき裏口から抜け出したマントの主ね」
「A班、B班。目標は帝国大使館前を抜けて、グランセル城へ逃走する模様。王城前とキルシャ通り方面路を全面封鎖して、標的を袋の鼠にするように」
 グランアリーナの外から黄色い歓声と同時に、えらく物騒な会話が響いてきた。王都にファンクラブを構えるユリアの追っ掛けの女性たちだ。
 一昔前は近視眼の魔獣の群れとなんら変わらなかったが、よほどの知恵者が参謀に加わったらしく、今では下手な猟兵団(イェーガー)よりも行動が組織化されている。
 グランセル名物の追跡劇も日々ヒートアップしている。囮役のエコーに意識を惹き付けている中に地下水路内部の秘密の抜け道から王城に逃げ込んでいるのだが、この手で何時まで欺き通せるのやら。
 衛士達は隊長を尊敬していたし、王都を移動する度に望まぬ珍道に巻き込まれるユリアを気の毒に思っていたが、真に同情されるべきはこんな朝っぱらから満身創痍になるまで叩きのめされて、僅かな休憩後に夜遅くまで激務に就かなければならない自分らではないかと思い直した。
 彼らの健康、引いては王都の安全を守る為にも一刻も早い中尉と王太子の感動の再会を心待ちしていたが、その願いは意外な形で果される。

        ◇        

「ふうっ……」
 自分の執務室に戻って、人心地ついたユリアは軽く溜息を吐く。
 なぜ無骨な己などが、老若図問わず多くの女性から慕われるのか理解に苦しむ。エスカレートする彼女たちのストーカー行為は職務を妨げることしばしばで、有難迷惑と云う他ない。
「そもそも、どうして女人が同性に恋慕するのだ? 明らかに自然の摂理に反しておるではないか?」
 そう自らに疑問を呈してみるが、答えは出てこない。
 仕事一筋で齢を二十七も重ねて、その間浮いた話の一つも無く、この手の話題は苦手だ。実家の母親は娘の婚期を焦っているみたいだが、何も家庭に入り子を宿す人生だけが、女の幸せという訳ではあるまい。
「そう、私は殿下のお側にいて、お守りすることが…………」
 そこまで言いかけて、生涯仕えると定めた当主の不在を思い煩い、憂鬱な気分になる。専属のお付きの教育係から今では中隊を預かる隊長にまで出世した彼女だが、その忠誠心は未だ殿下の元にある。
「クローゼ」
 十一歳も年下の主の名前を呟く。デスクの上に置かれたデジタルフォトフレームのスイッチを押すと、中央の写真部分に焦がれ人の姿が表示される。
 このオーブメントはZCF製で、複数の写真を保存することが出来、数秒単位でクローゼの姿が切り替わっていく。
 赤ん坊から七五三の園児の着物姿、更には入学前のユリアとのツーショットなど、ほぼ一才単位で写真の中のクローゼが成長していき、自然ユリアの顔が綻ぶ。
 どうやって入手したのか、つい最近撮られた制服姿の写真に切り替わった途端、トントンとドアがノックされる。ユリアは慌ててスイッチを切ると、液晶はダミーのシロハヤブサの写真に固定された。
「ユリア中尉、リオンとルクスです。お時間よろしいでしょうか?」
「入れ」
 入室を許可された二人の親衛隊員は軽く敬礼してから、早速本題に入る。
「中尉、先程、『ファルコン』が定時連絡から戻られて、こんな物を銜えていたのですが」
 やや躊躇った後、リオンは皺が入った写真を手渡し、ピクリとユリアの眉が動く。ファルコンとはルーアンにいるクローゼ殿下の行動を見届けて、その情報をユリアに送り届ける役割を帯びた工作員のコードネーム。
 お偲びで学生生活を送っている手前、大々的な護衛や監視をつける訳にもいかず、誰にも気取られることなく自然とクローゼを観察可能なボジションをキープできる有能な逸材が選ばれたが、ヨシュアのような隠密能力者ならともかく、学舎で生活するクローゼを万人に怪しまれずに盗視するなど人間に可能な業なのだろうか?
 写真を見たユリアの表情が険しくなる。どういう経路で行き渡ったのやら、大海原で例の白隼が銜えていたツーショット。ユリアのクローゼに対する過保護すぎる愛情を知り尽くしている二人はこの写真を見せるべきか真っ向から意見を対立させていた。
 だから、「お前たち、この写真をどう見る?」と無表情に問いかけられても、内心の動揺をひた隠して思いの丈を正直に告白するしかない。
「可愛い娘ですね。素性を隠したとはいえ、共学の学舎で殿下が女生徒から持てない筈はないので、ガールフレンドの一人ぐらいいても可笑しくはないですね」
「へへっ、俺様がみた感じじゃ殿下も満更じゃなさそうだし、この黒髪美少女が玉の輿に乗る日も近いんじゃないの? 幸い女王陛下は身分や家柄などの格式に拘る宮廷の重臣共に比べりゃ自由恋愛に理解が……」
「魔性の女だ」
「「はいっ?」」
 突如として少女の性根を断言したユリアに、二人は素っ頓狂な声を上げる。
「貴様らの目は節穴か? この写真から溢れ出る瘴気じみた邪悪な波動を感じ取れないのか?」
「瘴気ですか?」
 本当は「正気ですか、中尉殿?」と問いかけたかったが流石に堪える。
「そうだ、私には判る。あどけない笑顔で多くの殿方を拐かし、男を破滅へと導く毒婦がこの少女の本性だ」
 たかが写真一枚から、えらく酷い言い掛かりをつけられたものだと二人は今度は見解を等しくしたが、どんな忠言も火に油を注ぐ結果にしかならないので押し黙っていた。
 まあ、琥珀色の瞳の少女を良く知る者なら、ユリアの人物鑑定を是とするかもしれないが、以前、王宮にいた頃、侍女のシアが偶然クローゼとぶつかって頬を染めただけでもユリアは良い顔をしなかった経緯もあり、真の慧眼の所有者なのか単にクローゼに近づく少女は全てビッチで片付けられているのかは判断が難しい所。
 普段は王家への忠誠心に溢れて部下にも公平で思慮深い好人物のユリアも、こと愛弟か絡むとレンズが曇りまくる傾向があり二人は匙を投げる。ただ、本日予定されていた高速巡洋艦アルセイユの飛行訓練先をルーアン市に設定すると聞いた時には耳を疑った。
 確か今日は王立学園では年に一度の大イベントが催される日。外来にも門戸が開かれている学園祭ならクローゼを訪ねるにはうってつけのチャンスで、最高時速3600セルジュのアルセイユなら瞬く間にルーアンに到着可能。
 意固地のユリア中尉が予想外の形で王太子との再会を決意したのを二人は喜ぶべきなのだろうが、気になるのは黒髪の少女の運命だ。
 彼らが達観した通りの中隊長殿の誇大妄想であれば何ら問題はない。
 便利なキープくん扱いで異世界で死にそうな目に遭わせるとか、密かに辱めの写真を保持して同好の女子にばら蒔いていたりとか、多重債務者が乗せられる過酷なマグロ漁船に売り飛ばしたとかの悪事を働いていない限りは大丈夫だと思うが。

(待っていて下さい、殿下。幼少の頃よりの誓いを果す時節が参ったようです。御身を誑かそうとする不届き者をカシウス殿より授かった剣技(ランツェンレイター)の錆としてくれます)
 ユリアは腰の鞘にぶら下げたバトルセイバーを握る手に力を篭める。同時刻、王立学園のクラブハウスで模擬店の仕込みをしていた黒髪の少女の背中に、ゾクリと寒けが走ったらしい。



[34189] 13-07:学園祭のマドモアゼル(Ⅶ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/12 00:02
「ふああああー、眠いなあ」
「シャンとしなさい、ハンス。と言いたい所だけど、私も限界ね」
 かつての遊撃士兄妹と似たようで微妙に食い違う会話を交わしながら、大きな欠伸を噛み殺した生徒会幹部ペアはクラブハウスへと足を運ぶ。
 ヨシュアの様々な企画を強引に押し込んだ結果、方々のプログラムで歪みが発生し、その修復に追われて予想通り会議は午前様になってしまう。
 それでも、三時間程前にバランス調整に一定の目処がついたので、残りを単純な事務処理まで追い込めたら、他の役員は全員学生寮に帰宅させ二人だけで残業する。強権を盾に雑務を下々に押し付けたりせず、自ら貧乏籤を引き受ける姿は上位者の規範であり、色々と困った性癖の持ち主だがやはりジルは立派な生徒会長だ。
「とはいえ学園祭はこれからが本番だし、少しは仮眠を取らないと身体が持たないわよね。その前に少し腹ごしらえを……って、そういえば」
 「しまった」という顔つきで、ジルは軽く自らの頭を小突く。
 少しでも模擬店の売り上げを伸ばす為、学祭当日は食堂は全面休業するのを迂闊にも失念していた。それでも空腹を抱えたまま寮に戻るのも惨めなので、未練がましくクラブハウス近づくと窓から明りが漏れている。正面のドアも鍵が掛かっておらず、不審に思った二人が扉を開いてみると。
「わおー、天国だ」
「ヨシュア。あんた達、こんな所で何をやっているのよ?」
 ハンスが眠気を一気に吹き飛ばし覚醒したのも必然。クラブハウス一階の食堂では、ヨシュアとお芝居に参加するほとんどの女生徒が、ブルマの上に直にエプロンをつけるというマニアックな恰好で料理の下ごしらえを行っている。
「あら、ジルにハンス君。こんな朝っぱらまでお仕事お疲れさま」
 会長様直々の挑戦を受けた顛末ではあるが、生徒会を徹夜に追いやった自覚があったので一時手を休めて労いの言葉をかけ、三者はテーブルの一つを囲んだ。
 ヨシュアが説明する所、クラブハウスの営業停止に目をつけ、当日、食堂と厨房の一階部分を借り受けた。食堂係のデボラおばちゃんには話をつけているし、生徒会にも申請してきちんと許可を受けたが、雑務に忙殺された二人は提出書類を見落としていた。
「相変わらず抜け目ないわね。まさかクラブハウス一階を丸々乗っ取っちゃうとはね」
「それより、何か食べさてくれよ。俺たちお腹ぺこぺこでさ。って、御飯があるじゃん」
「あっ、それは……」
 女子の制止を訊かずに、ハンスは樽の中に飯を素手で掬って口元に運んだが、途端に唇を十文字に変化させる。決して不味くはないが、口一杯に奇妙な甘酸っぱさが広がっていく。
「す、すっぺえー。何だ、これは?」
「酢飯(シャリ)よ。主に酢と糖分で調味して炊きあげたご飯のこと。リベールでは馴染みが薄いと思うけど」
 衛生上の問題で、ハンスが手をつけた部分の酢飯をしゃもじで隔離しながら補説する。良く見ると全ての食卓の上には、酢飯の入った樽が置かれており、女子たちが「あわせ酢」を混ぜ込んだり、団扇で扇いであら熱を取る作業などをテキパキと行っており、ジルの頭にピカリと豆電球が灯る。
「なるほど、ヨシュアが何の模擬店をするつもりか判ったわ。ずばり、お寿司でしょう?」
「ピンポーン、ピンポーン。まあ、正解しても何も出ないけどね」
 そう冷たく嘯きながらも、長方形のフライパンに焼き上がった玉子を細かく切り分け、二人の空腹児童に早速寿司を握る。二人が腰掛けた丸テーブルは瞬く間に黄色い玉子焼きの大群に埋めつくされる。
「なあ、ジル。寿司って、一体なんだ?」
 ウエハースのように縦に組み合わされた玉子焼きと酢飯の奇妙な複合物と睨めっこしながらハンスが小首を傾げるが、それも宜なるかな。
 実は手伝いをしている少女らも、ヨシュアの指示に従っているだけで、自分たちの作ろうとしている食物の正体を知らないので、博識のジルが解説魔を差し置いて講釈を垂れる。
 寿司とは東方にあるジパングと呼ばれる島国に伝わる伝統料理。
 酢飯の上に生魚を乗せただけのシンプル構造で、一見、誰にも握れそうに見縊られ易いが、その実、一人前の寿司職人になるには十年単位の長い修行期間を必要とする。
 ジルにしても単に知識だけで、実物を食した経験はないが、帝国の上流階層では寿司が密かなブームになっていると聞き及んでいたので、ヨシュアが掲げる外国人専門屋台のお題目としてはうってつけ。
(それにしても、まさかヨシュアがこれだけの女子を招集するとはね)
 二桁を数えるお手伝いの多さは、正直、想定外。殿方の応援ならいくらでも搔き集められただろうが、「男子厨房に入らず」の諺通りに一部の料理経験者以外は調理場では役立たずなので、即戦力の女学生を必要とした。
 ここにいる女子が騎馬戦赤組のヨシュアの手駒と見做してよさそうだが、どんな手腕であれだけ反目していた彼女らを手懐けたのか? この場に糾合されたのはクローゼの熱狂的なファン層がほとんどなので、そのあたりに謎解き攻略のヒントがあるような気がする。
「うめえー、これが寿司かよ」
 学生ホームズが灰色の脳細胞をフル活動させて、さらなるミステリーに挑もうとしていた矢先、ワトソン役のブルマニストが馳走になった寿司に瞳を輝かせる。
 といっても、ネタは全て玉子焼きだけだが、空腹のハンスは飽きることなく海苔でシャリに結わかれた出汁巻き玉子を胃の中に放り込む。ジルも苦笑いしながら、お上品に鮨を味わってみる。
「美味しい……」
 玉子焼きは、料理の基本。この品目一つで調理人の大凡の力量が図れるというが、これは絶品というしかない。
 ほっぺが蕩けるように甘く、マシュマロのようにふわふわして、酢飯との一体感が玉子の本来の旨味を格段に引き出している。ジルも淑女の体裁を溝に放り捨て、複数を纏めて頬張った。
「お誉め預かり恐縮だけど、今食べさせられるのは、玉(ぎょく)だけよ。これ以外のネタはまだ届いて……って、ちょっと?」
「何これ、ホントにオイシイ!」
「ちょっと、ちょっと、私にも食べさせて」
「ずるーい、私にも」
 二人があまり大袈裟に絶賛するもので、好奇心を刺激された女生徒が次々とつまみ食いに手を伸ばす。高速作業で三十個は握った玉子焼きが瞬く間に消えてしまう。
 我に返った女子は恐縮して縮こまったが、手伝ってもらっている手前、ヨシュアも強くは怒れずに、苦笑だけで済ませる。再度、厨房に足を運ぶと玉造りに取りかかる。
「あー、満腹、満腹ー。おかげで二人の外泊の用事の見当がついたわ。築地あたりで、鮨用のお魚を仕入れに行ったのでしょう?」
「まあね、けど、正確には旬の鮪を手に入れる為に海釣りに出掛けたのよ」
 大型のボウルに生卵を十個ほど纏め入れて菜箸でかき混ぜながら、ヨシュアはジルの推理に少し修正を加える。
 ジルの与太話の相方を務めながらも、オーブメントも裸足で逃げ出すレベルの精密調理で焦げ目一つなくフライパンに玉子を焼き上げる。先と寸分変わらぬ味付けを忠実に再現して思わず笑みを零す。
 本来、締めの口直しに用いられる薄味の卵焼きでこれだけ好評なら、トロリと脂がのった大トロと酢飯の組み合わせなら、どれほどの騒ぎになるのやら。
 ヨシュアはこの地点で模擬店の成功を確信したが、逆にジルから疑問を提出される。
「それで、肝心の生鮮魚介類は何時届くの?」
 そもそも目当てとされる黒鮪は黒いダイヤと称され、一匹釣れれば半年を遊んで暮らせるという稀少魚。一日仕事でそんな大物を狙って釣り上げられる腕前があるなら、生涯ミラに困ることはない。
 開門は八時と定められているので、学園祭の開催までもう数時間も残されてない。釣りに失敗しただけならまだ良いが、海上で嵐に遭遇するなどの深刻なトラブルに見舞われたのではとジルは危惧するが、ヨシュアの表情に焦りは伺えない。
「平気よ。土壇場の瀬戸際で期待以上の何かをやってのけるのが、エステルという男の子だから。船上で何か問題が発生したとしても自力で解決して戻ってくるわよ。小さい頃から何時だってそうだったし、多分これからもきっと……」
 遠い目をしながら成功を微塵も疑わないヨシュアの姿を目の当たりにし、普段の突慳貪とした態度と裏腹にいかに義兄を高く評価しているのか再確認する。
「ほら、来たわよ」
 そんなヨシュアの揺るぎない自信が具現化したように、外からトラックの排気音が聞こえてきた。本日、業者の搬入予定はないので、確かにエステル達しか考えられない。「そうそう、クローゼの苦労も、忘れず労ってあげないとね」と気配りの達人は呟くと二人を出迎えに行く。
「クローゼ君、君が最近ヨシュアと仲良しになれたのは知っているけど、あの娘にとってお馬鹿なお義兄ちゃんはちょっとばかし特別みたいよ」
 どうやって、あの腹黒娘の全幅の信頼を勝ち得たのやら。やはり五年という歳月の持つ重みは大きいようで飛び入り参加のクローゼには些か分が悪いみたいだが、この学園祭のお芝居を経て、揺れ続けるヨシュアという名の振り子はどちらの側で静止するのだろうか?

 学内に乗り入れてきたのは、築地漁業組合の大型トラック。予測通り助手席には日焼けしたエステルが乗っていて、義兄妹は一日ぶりの再会を果す。
「お疲れさま、エステル。その顔つきだと首尾は上々みたいね」
「おうよ。話したい冒険譚があるけど、何はともあれ、まずは釣果の方を確認してくれよ」
 ドヤ顔のエステルはトラックから飛び下りると、荷台の閂を外して観音開きのドアを開く。固唾を飲んで見守る女生徒たちの視界に飛び込んできた、その光景は。

        ◇        

「それ、また来たぞ、クローゼ。準備しておけよ」
「判りました」
 剛竿トライデントが再び獲物を引き当て、海上を釣糸が凄い勢いで縦横無人に動き回る。
「「「「オーエス! オーエス!」」」」
 小型漁船に乗り込んだ十人の屈強な船乗りは、エステルの腰に尺取り虫のように連なって、黒鮪との引っ張りっこを演じる。
 エステルのポリシーに照らし合わせれば釣りとは人と魚との知恵比べであり、戦闘スタイル同様にタイマンを基本とするが、重量400kgオーバーの黒いダイヤが相手では節を曲げざるを得ない。
 黒鮪は約90km(50ノット)という信じられない速度で海中を泳ぎ捲くる。この場合、竿に懸かる負荷はゆうに一トンを超越するので怪力のエステルでも一人で持ち堪えるのは無理がある。
 延縄や巻き網などの乱獲漁法が主流となった、昨今、伝統の一本釣りを人の身で可能とするのがこのアーティファクトの剛竿。エステルは歯を食いしばりながら少しずつリールを巻き続けて、黒鮪と漁船との距離を狭めていく。
 船乗りが総出で黒鮪と格闘している最中、クローゼは一人ポツンと離れた位置をキープしている。
 非力故に戦力外とされた訳ではない。彼には別の重要な仕事が割り振られており、印を組んでアーツの詠唱態勢に入る。
 首元にぶら下げられたクリムゾンアイの鎮静効果で、あれほど苦しめられた船酔いの症状も、今だけは消し飛んで、頭の中がスッキリする。
(あのクリムゾンアイはヨシュアの………………って、止め止め、考えないって誓っただろ? 今は目の前の大物を釣り上げることだけに集中しろ、エステル)
 リールはほぼ限界まで巻き上げたが、眠ることなく永泳する鮪は無尽蔵のスタミナを誇り、竿に懸かる力は一向に弱まる気配を見せない。
 釣りとは本来、魚の泳ぎ疲れを待つ持久戦だが、長引かせる程にその身にストレスを抱えて品質を劣化させる矛盾を孕む。
 オーブメント万世のご時世に、時代後れで非効率的な一本釣りが未だに持て囃されるのは、魚に与えるストレスを最小限に抑えられる所以。エステルは勝負に出る。
「みんな、このまま一気に釣りあげるぜ!」
「「「「そーれ、オーエス! オーエス!」」」」
 全体STRアップ効果を持つエステルの『掛け声』に、漁師達はやる気を漲らせると、呼吸を一つにして、エステルが綱を引くタイミングに合わせて力を篭める。
(なんか、体育祭の綱引きでもしている気分だな)
 釣りは一人でする孤独な作業だと思っていたが、こうやって全員で力を合わせて一致団結するのも悪くないとエステルは考えを改め、とうとう力ずくで黒鮪を海中から陸上へと引きずり上げた。
「よし、今だ。クローゼ」
 漁師たちは手慣れた手付きでルアーを口元から回収すると、尾びれを甲板に叩きつけて、ピチピチと暴れる黒鮪から距離を取る。
「やあっ、ダイヤモンドダスト!」
 クリムゾンアイによって増幅された冷気が黒鮪に襲いかかり、一気冷凍されて、瞬く間に氷塊の中に閉じ込められる。
 凍結された鮪は死んでおらず。すなわち鮮度を保っており、ヨシュアの元に送り届けるまで最高品質の生きの良さを保証するのがクローゼに課せられた役割。この「生かさず殺さず」の微妙な温度調整を成し得るのは水属性のスペシャリストの彼を置いて他にはいない。
「よっしゃあ、一丁上がり。これで三匹目だぜ」
 緊張感を解いた瞬間、再び船酔いに襲われフラフラになったクローゼの左腕に自らの右腕を絡めてクローゼを支えながら、エステルは余った左手でピースサインを型作る。
「まさか、ドキュメンタリ番組顔負けのこんな面白い映像が撮れるとはな」
 一連の黒鮪との格闘シーンから漁師達が氷づけの黒鮪を抱えて船底の保管庫に運んでいくショットを収めたナイアルは満足顔で呟く。
 クローゼ以上の船酔いに苛まれていたが、ゴシップネタに賭ける不屈の闘志で病症を強引に捻じ伏せ起き出し、漁師の何人かにインタビューを敢行。
「スゲエな、ブレイサーの坊主。剛竿トライデントの恩恵があるとはいえ、一日に黒鮪三匹は、築地の新記録だぜ」
 予想外の豊漁にホクホク顔の漁師の集団に囲われ、エステルはチヤホヤされる。
 時化の時期は数カ月不漁が続くこともしばしばなのに、大海原のど真ん中に出てから、台風の目に入り込んだかのように天候も回復し、絶好の釣り日和へと変化。少年たちが陽焼けする程の爛々とした太陽すら拝めたので、釣りの神様の加護に溢れているとしか思えない。
「まだ時間はあるし、この調子なら、もう二、三匹釣れるじゃないか?」
「そうだな、個人的に三匹もあれば十分なんだけど…………!」
「どうした坊主? 隣の氷遣いの兄ちゃんなみに顔が真っ青だぞ」
 まるでクローゼの船酔いが伝染したかのように、急にエステルがブルブルと震え始めたので、漁師たちは不審そうな表情を見合わせる。
「すぐに………………せ」
「はい?」
「今直ぐに船を発進させて、この場から離脱しろ! 早くしないと本当に手遅れになるぞ!」
 大声でそう怒鳴り散らす。突然の豹変に気でも触れたのかと正気を疑われたが、エステルは周りの様子に頓着せず、操舵室に乗り込んで船長に直談判する。
「手遅れになるって、一体なにが? 空は雲一つなく晴れ渡っていて、嵐が来るようには思えない」
「んなこと、俺にも判らねえよ! とにかく、このままここにいたら、俺たち全員やべえんだよ!」
 理屈になっていないのは、本人が一番良く理解している。説得を諦めたエステルはやむを得ずに強行手段に訴えて、まん丸い舵輪に手を伸ばす。
「コラコラ。判ったから、素人が操舵ハンドルを弄くるんじゃない。とりあえず、ここから移動させれば良いのだな?」
 仲間は好調の漁の継続に未練を残していたが、肝心のトライデントの所有者が店仕舞い気分のようだし、操舵室で暴れられて計器類を破壊されでもしたら堪らないので、エンジンをかける。舟は弧を描くようにゆっくりとUターンし、ルーアンに進路を定める。
「あーあ、せっかくの大漁日だったのにな」
 今日の異常な釣果ペースは黒鮪の回遊コースにぶち当たったとしか考えられず、そんな幸運は十年に一度あるかどうか。どんどん遠のいていく鮪の草刈り場を断腸の思いで見送るが、突如その海面がせり上がったように映り瞼をゴシゴシする。
「何だ、目の錯覚か? それとも蜃気楼か何か」
「いや、見間違いじゃねえ。ホンマに海面が浮上しているで。もしかして津波か?」
 もし、この現象をエステルが野生本能的な勘で予見したのだとすれば、先の取り乱し振りも納得がいくが、現実には津波や台風などの自然災害よりも遥かに危険度の高いバイオハザードが発生。エステルの英断は誇張でなく、この場にいる全員の生命を救った。
「船長、レーダーに反応が……」
 本来、海中の魚の位置を調べる為の魚群探知機(ソナー)にUMAの存在を確認して、漁師の一人が泡を食う。穴場の海面に向かって、海底深くから何かが凄い勢いで急浮上する。
「何だ、黒鮪か?」
「いや、違う。この大きさは…………ぜ、全長二十アージュ以上!」
「二十アージュ? そんな巨大生物はマッコウ鯨ぐらいだが、この海域にいる筈が……」
 バネルに表示された数値を疑ったが、計器の故障ではないのは、目の前の異様な光景が直ぐさま証明してくれた。
「現れるぞ」
 凪で風が止まり、海面が泡立ちながら、山のような何かが海面に浮かび上がってきた。
「なっ……なっ…………なっ!?」
 漁船に乗り込んだ者は、全員目を疑った。赤い風船のような真丸な頭部に見せ掛けて、実は胴体。吸盤を網の目のように張り巡らせた八本の触足。このフォルムは云う迄もなくオクトパス。
 ただし、そのサイズは小島のように超規格外。先程エステル達が苦戦した黒鮪を触足の彼方此方の吸盤に張り付かせながら軽々と空中に持ち上げて、そのまま触足の付け根の基部に位置する口器に次々と放り込んで踊り食いを堪能する。

「海の悪魔、クラーケンだ!」
 様々な海の伝承に登場する伝説の巨大蛸。築地でも代々言い伝えられてきたが、まさか実在しているとは努々思わなかった。
 傲岸不適のエステルですら呆気に取られ、「ひっ、触手!」とクローゼは何か別のトラウマスイッチを発動させ、頭を抱えて体育座りでしゃがみ込んでいたが。
「うっひょうー、今度は海の大怪獣かよ? 英雄小僧と一緒にいると、特種が向こうから歩み寄ってくるぜ!」
 スクープの鬼が船尾にへばり付いて、パシャパシャとシャッターを切り続ける。仮にこの場で生命を落としたとしても、今度は煉獄で七十七の悪魔の取材を始めそうだ。
「全速力で現海域から離脱しろ!」
 危機感の欠落したナイアルを放置し、再びエステルが大声で喚き散らすが、今更煽動されるまでもない。船員は最大船速でエンジンのモーターとスクリューをフル稼働させる。
 あの巨大な触足に全身で絡みつかれたら、小型漁船は海底に引きずり込まれて海の藻屑と化すであろうから皆、必死だ。
 こちらに気づいたクラーケンが、激しい波飛沫を立てて漁船を追走してきた。まるで山脈が移動するかのようなとんでもない迫力で、迫りくる真紅の巨壁に生きた心地がせず、はしゃいでいるのはナイアル一人。
 クラーケンは複数の触足を伸ばしてきたが、紙一重で届かずに何とか安全圏へと離脱する。彼我速度差から追撃が難しいと悟った巨大蛸は、数百万ミラに相当する黒いダイヤの群を胃に押し込んで満足したのか再び海中へと沈んでいった。
「ふうっー、バトルマニアの俺もアレと戦う気にはなれないな」
 海面は何もなかったかのような静寂さを取り戻したが、もう一度戻って漁を再開しようなどと主張する命知らずはおらず。今見た情景は生涯忘れようもない。
 再び海面からクラーケンが出没するという悪夢に駆られた漁師たちはペースを落とさず走り続けるが、その無茶が祟って日没頃にはエンジンがオーバーヒートし船足が止まる。
 専門の技師は乗船しておらず、この場での修理は不可能。仕方なしに原始的な手段で船を動かした。
 視界の利かない漆黒の海でクラーケンの襲撃に怯える尋常でない恐怖と戦いながら、風を受ける為に帆を張りガレー船のように全員半交代でオールを漕いで、一路ルーアン港を目指す。
 魚が水を弾く微かな音にも心臓の鼓動をびくつかせながらも、幸い海の悪魔は再出没することなく漁船は無事に帰還した。

「ほうっ、お前さん。アレに出会ったのか? 本当に運が良いのやら悪いのやら」
 帰港したエステル達を出迎えた長老は、昔を懐かしむような嗄れた目で海岸を見つめる。
 実は半世紀ほど前、まだ駆け出しの船乗りだった長老を乗せた漁船は大海原でクラーケンと遭遇。彼一人か生還を果すという痛ましい海難事故があった。
 導力革命以前の凪任せでしか船が動かせなかった時代、あんな怪物に襲われたら対処のしようがない。漁船は海に沈められ仲間は次々と餌食になり、咄嗟の機転で木樽に隠れた彼一人だけが遣り過ごすのに成功する。
 波に揺られた樽の中で二週間近く呑まず食わずの漂流をした後、偶然通り掛かった貨物船に救助されたが、唯一の生存者の長老の供述を誰一人として信用してくれず、クラーケンの存在は闇へと葬られた。
 しかし、こうして五十年の歳月を経て、かつて狼少年扱いされた長老の証言が立証されることになるとは、真に世の因果とは不思議なもの。
「『シンドバッドの千夜一夜物語』ではないが、海で長年生活していればクラーケンの他にも科学で説明できないような非現実的な体験をしたことは何度かある。じゃが、今は嬢ちゃんとの取引の方を先に済ませるとしようかの」
 長老はそう宣言すると、一匹の極上の黒鮪と物々交換に漁師たちに大量の木箱を持ってこさせ、サービスとして三人を大型トラックで海産物と一緒に王立学園まで送り届けた。

        ◇        

「クラーケンとはこれまた信じられない冒険をしたものね、エステル。何よりも私の予想以上の釣果を成し遂げるとは本当に驚きだわ」
 トラックの荷台の中を覗き込んで、他の女子同様にヨシュアも目を丸くする。
 釣り上げた二匹の氷づけの黒鮪の他にも、たくさんの木箱が積まれている。中身は新鮮な、鯛、イカ、赤貝、甘海老、イクラ、ウニなど海の幸が盛り沢山だ。
 寿司ネタ大本命の黒鮪は一匹余分にあるので、後夜祭で生徒にも振る舞うことにして、ついでの余興としてマグロの解体ショーでも帝国貴族にお披露目しよう。
 尚、おまけとして荷台の奥では、クタクタに疲れ切ったナイアルとクローゼが互いに背中合わせに座って熟睡し、「日焼けしたクローゼ君の寝顔も可愛い」と女子生徒の熱い視線が鮨ネタから陽焼王子にシフトした。
「ほとんどの魚介類を長老は用意してくれたけど、蛸だけはどのルートでも入手出来なかったらしいぜ。ちっ、こんなことならサイズにびびってないで、クラーケンの触足の一本でも切り落としてくれば一年分の在庫になったのにな」
「もう、エステルったら」
 ヨシュアは可笑しそうに微笑み、エステルも豪快に一日の苦労を笑い飛ばす。
 そんな遊撃士兄妹の微笑ましい交流を眺めながら、ジルは天才と何たらは紙一重というお決まりのフレーズを思い浮かべた。
 入学当初からジルが見込んでいた通り、やはりエステルは周囲に騒動を撒き散らすだけの単なる馬鹿ではなく、『世界を広げる無限の可能性』を秘めた大馬鹿野郎なのだ。

 かくして、ヨシュアの最後の準備が整い、様々な人間の願いと思惑を秘めたジェニス王立学園の学園祭が、ここに開幕する。



[34189] 13-08:学園祭のマドモアゼル(Ⅷ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/13 00:01
「ご来場の皆様、長らくお待たせしました。これより、ジェニス王立学園第五十二回、学園祭を開催します」
 導力仕掛けの正面の鉄門が自動で開かれると同時に、凄い数のビジターが波のように学内に押し寄せ、校内は瞬く間に人で埋めつくされた。
「まだ開場して間もないのに、去年の倍近い人数が集ってますね。二時間も前から長蛇の列が並んでいたのには、驚きましたけど」
「しかも大部分がぱっと見、外国の旅行者ときたものだ。正直、眉唾だったけど本当に効果があったんだな」
 体操服に着替えた小麦色の日焼け学生が、帝国内で開催されるという某即売会に匹敵する人のごった煮に目を丸くする。
 女子も同じく学校指定服のブルマで、模擬店を営んだり展示物のパンフレッドを配ったりで、一部……もとい多くの客層の注目を集めている。
「おおっ、本当にブルマでござるよ。まさか、かようなパラダイスが、未だに大陸に生き残っておろうとは」
「もし、この小国が我がエレボニアに併呑されていたら、ブルマも廃止されていたよな? つくづく十年前の百日戦役が失敗して良かったんだな」
 姿も言動もオタク丸出しで、己の欲望を包み隠そうともしない賢者。
「なんじゃ、この学校の女子は? あんなに太股を露出させて、慎みというものを知らんのか?」
「全く近頃の若い娘はふしだらで嘆かわしいというか、実にけしからんぞ」
 紳士の体裁を取り繕いながら、チラチラと女生徒を盗み見する挙動不審な動作でお目当てが透けて見える愚者。
「ねえ、パパ。どうして今年は、外国のお祭りを見にきたの?」
「特に深い意味はないさ。ほらっ、お小遣いをあげるから、欲しい物を買っておいで」
「本当に好きものね、あなた。学生時代の頃とちっとも変わってない」
 所帯を持ちながらも、家族総出で来場してきた剛の者。
 人によって、態度は様々だが、遥々国境を超えてきた意志は万国共通のようだ。
「ここまでは、ヨシュアの目論見通りかな」
 エステル達が来場者を値踏みしている間も、門を潜る人の流れは途切れることない。この調子だと例年の三倍強に達する見込みで、まずは多くの来客を集めるという第一フェーズはクリアした。
 その発起人は、朝方届いた海産物を鮨ネタにする追い込みの最中。一部の女子に手伝ってもらい、十時開店を目指してクラブハウスに引き籠もっている。調理素人の殿方二人はいても邪魔なだけなので、それまで自由に遊んできて構わないとクラブハウスから締め出された。
「この後のハードスケジュールを考えると、展示や模擬店を冷やかせる時間ができたのは有り難いです。けど、ヨシュアさんと一緒に見てまわれないのが少し残念です」
 長袖長ズボンの青いジャージを着こなしたクローゼは、軽く溜息を吐く。
 ジルとハンスは生徒会の仕事で忙しく、ヨシュアは前述の通り。このような事情で野郎二人で行動を共にし折角のお祭見物も潤いのないこと甚だしい。もっとも、秀眉な彼らが一声かければ、いくらでも道連れの女生徒を見繕えるのに当人だけが気づいていない。
 なお、ジャージの色は男子はブルー、女子がレッドで統一されているが、例の事情により女子のジャージ着用は生徒会から固く禁じられているので、学内に真紅の華か咲き乱れることはない。
「今回のヨシュアは珍しく本気みたいだからな。さっき、切札は出し惜しみなく全て投入するって宣言していたし」
 こちらは半袖短パン姿のエステルで、不精者が勤労意欲に覚醒したのを喜ぶべきなのだろうが、少しハリキリ過ぎやしないかと暴走を危惧する。
 寿司の模擬店、騎馬戦のエキシビション、更にメインの『白き花のマドモアゼル』の上演劇とイベントが目白押し。華奢な義妹の体力を心配するが、二人が学生の身分でいられるのは今日限りなので、ここは多少無理してでも思い出作りをしておくべきか。
「切札って、他にも何か寄付金を増やすアイデアを温存していたのですか?」
 あれだけ方々に策を巡らせて、まだ奥の手を隠し持っている引き出しの多さに脱帽する。その手管は正直予測がつかない、というか打てる手は全部出し尽くしたように思える。
「『スペードのキングとジョーカーが化学反応を起こせば、革命が起きる可能性がある』ヨシュアの大好きな言葉遊びだけど、何のことか判るか?」
 生徒会室では女狸と女狐の韜晦劇場を同時通訳したクローゼも、今度はさっぱりで首を横に振る。
 トランプの絵柄を何らかの比喩に用いているまでは見当がつくのだが、逆に前回完全な聞き役に徹していたエステルの方に若干心当たりがあるようで、軽くクローゼを驚かせた。
「スペードは基本的にトランプで一番強い絵柄(スート)で、キングは文字通り王様だろ。ならこの場合はリベール王家の誰かじゃないか?」
 一瞬、自分の正体を見抜かれたかヨシュアがばらしかのかと勘繰り、ドキリと心臓を震わせたがクローゼとは別人を指していた。経済援助を求めるなら貧乏人より剛腹な金持ちにすべきという結論が兄妹の間で取り決められており、お誂え向きに現在ルーアンには王族の一員が視察に来てる。
「リベールの王族って、叔父さ……いえ、デュナン公爵ですか?」
 次期国王を狙う不埒者と一方的に敵視され、決して嫌ってはいないが別段好いてもいない血族のむさ苦しい顔を思い出し、複雑な表情を浮かべる。吝嗇でも冷酷でもないが、福祉に無関心で狭量な所がある叔父に気前良く多額の寄付金を吐き出させるなど、結構な難題ではなかろうか。
「確かにな。俺たちもあの馬鹿公爵と関わったことがあるが、悪人とは言わないが人助けに尽力する柄でもないよな」
 ならば化学連鎖を引き起こすという、もう一枚のカードの役割を割り振られた人間が意味を持つのだろうと推測する。
「もう一枚のカードって、ジョーカーですか?」
「ああ、ジョーカーの意味は道化師だろ? こっちも些か心当たりがあって、実はボースで……」
「久しぶりね、エステル」
「ふっ、元気だったかね、マイブラザー?」
 会話の途中で懐かしい声色が割って入る。エステルが慌てて振り向くと、そこにはロレントにいる姉代わりの女性と洒落た燕尾服を着こなした金髪の青年が控えていた。
「シェラ姐? それにオリビエまで」
「そうよ、まあボースでも会ったから、しばらくって程じゃないけど、相変わらず壮健みたいで安心したわ。それで、そっちの可愛い坊やが学園で新しく出来たお友達ね」
 露出度の高い衣装に日焼け少年らと異なり天然の褐色の肌を持つシェラザードは、軽く背伸びしてエステルの頭を撫でる。クローゼにも挨拶して、両者は簡単に自己紹介を済ませた。
「オリビエがここに来るのは、何となく想像がついたけどな。大方、リベール通信で体育祭の話を聞きつけて、シェラ姐に頼んで連れてきてもらったのだろ?」
 己が欲望に極めて忠実な帝国人が、ヨシュアのブルマ姿を見逃す筈はないとエステルは確信したが、シェラザードが残念そうに首を振る。
「少し外れね。オリビエを王立学園に足を運ばせるよう依頼したのは他でもないあの娘自身よ」
「ヨシュアが?」
 何でもクエストで極上の鞭を手に入れたとかで、オリビエ同伴で訪ねてくれば寄贈すると電話で告げられ、居酒屋アーベントで幼馴染みの猫耳メイド二人に粉をかけていたオリビエを強引に引っ張って、昨日の最終便でルーアンに乗り込んだ。
「こんな小細工をしなくても、こいつ、飛行客船の中でリベール通信の学祭紹介記事をニヤニヤしながら眺めていたから、自力で学園まで駆けつけた公算は高かったでしょうけど、完璧主義者のヨシュアとしては念には念を入れたのでしょうね」
 一旦厄介払いしたオリビエを腹黒娘がどうリサイクルするつもりかは知らないが、今度こそ骨の髄までしゃぶり尽くす魂胆だろう。
 まあ、シェラザードとしては約束した龍牙鞭さえ頂ければ、後のオリビエの運命がどうなろうと関知する所ではない。ヨシュアの所在を聞きつけると、彼方此方の欲望物(ブルマ)にフラフラと興味を惹かれるオリビエの左耳を掴んで、クラブハウスの方角に消えた。
「あの人がボース冒険譚に登場したオリビエさんですか。破天荒というかヨシュアさんとの距離を5アージュ縮める為だけに百万ミラを投げ捨てるなんて、人としてのスケールが段違いですね」
 根が純朴なクローゼは嫌味でなく、「僕には、とても真似できそうにありません」とオリビエの器量に感嘆する。ヨシュアへの愛の深さで遅れを取ったように錯覚し劣等感を催したが、「単に馬鹿なだけだろ」とエステルはあっさり切り捨てた。
 実際、ヨシュアの脳内階級では、鴨のオリビエはお友達のクローゼよりも下位層にランクされており、脳筋のエステルから払い損の間抜け扱いされるのも無理はない。
「けど、これでジョーカーがオリビエであるのはハッキリしたな。スペードのキングに奉られた馬鹿公爵と絡ませて、今度は何を企んでいるのやら」
 オリビエも一応は帝国からの旅行者なので、ボースの大盤振る舞いを鑑みれば寄付金をせびる財布として申し分ないように感じられるが、そうそう柳の下に泥鰌は何度も潜んでいるものだろうか?

「エステル兄ちゃん、クローゼ兄ちゃん」
 再び見知った声に振り返る。今度はテレサ院長に連れられたクラム他四人の子供が、正遊撃士二人に護衛されて門を潜った所で、早速、二人に飛び掛かってきた。
「クローゼ君、今日はお招きいただきありがとうございます」
 テレサ院長が丁重に頭を下げる。クラムを頭に乗せて、両腕にポーリィとダニエルを巻きつかせた怪力のエステルと、マリィに左手を握られてちゃっかり一人キープされたクローゼも釣られて挨拶を返す。
「お芝居の他にも、騎馬戦とか面白そうなイベントを色々とこなされるみたいですね。この子たちにとって楽しい思い出の一日となるのを願っています」
 含みを持った物言いに、二人は互いに何とも言えない表情を見合わせる。恐らくはダルモア市長の懇意を受けて、王都に行く決心を固めたのだ。孤児院再建の目処が立ちそうな現状を今直ぐにでも伝えられないのが歯痒くて仕方がない。
 何しろ、我欲が皆無に等しく奥ゆかしいテレサ院長のこと。今日まで二人が奔走してきた経緯やましてやヨシュアが莫大な身銭を切るかもしれないなどと知れば、多くの人間に迷惑をかけたと恥じて寄付金の受け取りを辞退するのは目に見えている。ことを公にするのは全てが完璧に成されてからだ。
「さあ皆、お手手を出してください、良いものをつけて差し上げますよ」
 クローゼはそう宣言すると、まずはマリィの左腕にゴムで出来た腕輪を嵌めてあげる。
「なあに、クローゼお兄ゃん? もしかして、婚約指輪の代わり?」
 おませなマリィがポッと頬を染める。クローゼは苦笑しながら、他の子供たちの腕にも同じ物を装備させてあげる。
「これをつけていると、学園内で食べ放題になる魔法のアイテムです。だから、失くさないようにして下さいね」
 子供向け番組のようなシンプルな解説に全員、瞳をキラキラと輝かせる。ようするに、鉄道や遊園地の乗り物に使われるフリーパスと同じシステム。予め模擬店の女子に渡りをつけていて、後々クローゼがミラを纏めて清算するカラクリ。
 食べ放題の魅惑のフレーズに心奪われたクラムはエステルから飛び下りると、子供たちはテレサ院長を引っ張って、まずは近くにあった『氷菓子フルーレ』に突進。三段重ねのアイスを注文する。
 更には『クレープ屋なごみ』や『駄菓子フェルタシモ』を梯子にする。小さな両腕一杯にクレープやゼリーを抱え込むお子様の姿は見ていてとても微笑ましいが、クローゼは少しばかり小さな子の食に対する執着心を甘く見ていた。
 さっきから、彼の予測を遥かに上回るペースで買物が進行している。この調子だと学祭終了後にとんでもない額の請求書が届きそうなので貧乏学生には痛い出費だ。
 クローゼの場合なら、『身体で支払う』ことで女子からの借金はチャラにしてもらえるだろうから、家宝のクリムゾンアイを競売にかけて手離す最悪の事態だけは避けられそうだが。

        ◇        

「まあ、エステルさん。お久しぶりですね。何でも今年は小規模ながら体育祭も復活するそうで、とても楽しみにしていたのですよ。かつてわたくしも大将騎の騎手として、赤組を勝利に導いたこともあるので血が騒ぎますわ。まあ、それはそれとしてリベール通信の記者には、掲載した写真について一言あってしかるべきですわね」
「お嬢様、あの不届き者らを闇へ葬るおつもりなら、手筈の方はお任せを……」

        ◇        

「あら、エステルさん。その節は色々お世話になりました。はい、わたくしもこの学園の卒業生なので、毎年、学園祭には顔を出させてもらっています。そういえば、メイベル……いえボース市長もどこかに来ている筈ですよね。ちっ、あの小娘、人の積年の苦労も知らないで世襲で易々と現職を手にするなんて、どこまで目の上のたん瘤………………いえいえ、何でもありませんのよ。ささっ、コリンズ学園長に挨拶に参りましょう、市長」
「ギルハート君、私はもう少し、ここにいたいのだが。そういえばブレイサーの黒髪娘はどこにいるのだね?」

        ◇        

「あらまあ、エステルさん。ロレントの居酒屋で寝食を共にして以来ですね。クローゼさんもヨシュアさんと紺碧の…………おほほっ、これは禁則事項でしたわね。はい、わたくしのお目当ては王立図書館の方で、何か古代の文献でも眠っていないかと訪れてきたのですが、本日休業でしたので学園祭の見学に切り換えたのです。えっ? この腕に嵌めたゴムバンドと山のように抱え込んだ食料品はどうしたかって? 実は模擬店を顔パスで渡り歩く羨ましい子供たちを見かけたので、指を銜えて物欲しそうに眺めていたら、「おばちゃん、これあげる」と緑髪の小さな女の子が憐れみの目でこの神アイテムをわたくしにお恵みして下さったのです。いやはや、全ての模擬店で無銭飲食が可能な優れ物で、既に五千ミラ程食べさせてもらいました。更には向こう一カ月分の携帯食を買い溜めする所存で…………えっ、これを返せって? 駄目ですよ、クローゼさん。これはわたくしが…………ああっ、乱暴は止してください。若い殿方が力づくで衆人環視の前でわたくしを嬲り者に…………あーれぇー」

 その後も懐かしい顔ぶれが次々とエステル達の前に出現し、学園祭はオールスターキャストの様相を帯びてきた。溢れ出る夢と希望の中から幾つかのブラックユーモアが滲み出た王立学園祭は、まだまだ始まったばかりである。



[34189] 13-09:学園祭のマドモアゼル(Ⅸ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/13 00:01
「ここが殿下の通われている全寮学校か」
 王室親衛隊中隊長ユリア・シュバルツ中尉は、お供の二名と一緒に、学園祭が行われているジェニス王立学園の門を潜った。今の彼らは黒いスーツ姿に黒のサングランスというシークレットサービスかマフィアの構成員のような怪しげなスタイルだ。馴染みの親衛隊ユニフォームよりは目立たないとはいえ、神聖な学舎の中では浮いていることこの上ない。
 この変装は主君の目を誤魔化す擬態。ここまで来ながらも往生際悪くユリアは卒業までクローゼと顔を合わせるつもりはなく、王太子を誑かす不埒者を影で成敗する腹だ。
「中尉、改めて問題提起するのも何ですが、写真一枚から少女の性根を断定するのは些か無理があるのではないでしょうか?」
「そうそう、中隊長殿の勘が外れていて、二人が相思相愛のカップルなんてことも……」
 リオンとルクスは何とか翻意を促そうとしたが、目に見えてユリアが不機嫌になったので慌てて舌を停止させ、今度は別のアプローチから攻めてみる。
「中隊長殿、年に一度の楽しいお祭で暴力沙汰なんて、空気の読めない無粋な真似は止しましょうや」
「ルクスの言う通りです、中尉。この日に備えて御学友と苦楽を共にしてきた殿下も悲しまれます」
 クローゼの名前を出されると、ユリアの全身から漲る闘気が萎んだ。確かに御身の為と称して彼の努力を水泡に帰すような愚挙を仕出かしたら、王族を守護する親衛隊として本末転倒だ。
 そもそも、黒髪少女が本当に殿下に仇なす悪女なのかを確認する必要があり、先行して学生間の聞き込み捜査をしてくるので、それまで待機しているよう切願する。結果、淑女と判明すれば喜ばしい限りだし、もし、二股掛けするような遊女ならその時こそ天誅を喰らわせれば良いと訴え、ユリアも二人の主張を受け入れた。
「それでは小一時間ぐらいで戻りますので、それまで大人しくしていて下さいね」
「へへっ、小腹も空いたことだし、調査ついでに模擬店巡りと洒落込みますか。ついでに俺様好みの可愛い娘が見つかりゃ言うことないんだけどな」
 手を振る二人の姿がどんどん小さくなり、やがて人込みの中へと消えていく。
 鉄門に腰をつけたユリアは、五分と待たずに手持ち無沙汰となる。自分も模擬店の一つでも冷かしてみるか悩んだが、コスプレ中の彼女の正体を見抜いて声をかける慧眼の主がいる。
「あら、ユリアじゃないの? ヤクザみたいな身形をして親衛隊をクビになったのかしら?」
 良く知る声色に振り返る。そこには軍服を纏った赤茶色髪の妙齢の女性が、値踏みするような粘っこい視線をこちらに注いでいる。美人ではあるが、人を小馬鹿にしたような上から目線と身体全体から発散される妙に挑発的な空気が、この女性の第一印象を複雑にしている。
「カノーネか」
 カノーネ・アマルティア大尉。リシャール大佐の腹心にして、士官学校時代のユリアの同期。文のカノーネ、武のユリアと謳われて首席の座を競ったライバル同士が久方ぶりに相反した。

        ◇        

 己をつけ狙う魔の手が園内に侵入したとは露知らず、ヨシュアはクラブハウス一階の厨房で、鮨ネタの仕込み作業に追われている。
 ここに集っている女子は、技量はあっても寿司を知らない者がほとんどだ。故にヨシュアにしかこなせない仕事が多く、それこそ十八番の影分身をする勢いで彼方此方にてんてこ舞いだが、それでも調理の一部を丸投げできる経験者が手伝ってくれるのは有り難い。
 ふと、強烈な視姦の空気を感じたので、気配の元を辿ってみる。窓の方から良く見知った金髪の青年がしまらない表情でこちらを覗いている。
「やだ、痴漢かしら?」
「けど、歳いってるけど、結構イケメンよね」
 覗き魔の存在に気づいた少女たちの間が騒がしくなる。待人の来訪を悟ったヨシュアは私用で席を外す旨を周りに通達すると、女子の一人が捌きに失敗したコハダと脇に立て掛けてあった龍牙鞭を掴んで、クラブハウスの外に出る。
「注文通り享楽主義者を連れてきたわよ。後は煮るなり焼くなり好きにして良いけど、その前に約束のブツを頂けるかしら?」
 エステルを挟んで殺伐とした人間関係を構築する二人の女性は、挨拶や世間話を抜きに本題へと突入。ヨシュアは手に持っている鞭を目の高さまで掲げる。
「それが墓荒らし状態の紺碧の塔で入手したという龍牙鞭? 自慢するだけあってかなりの業物みたいね」
 武人は武具を知るの諺通り。復讐者(アヴェンジャー)と並ぶ古代文明の叡知の結晶を一目で見抜いたシェラザードはゴクリと生唾を飲み込むが、ヨシュアはこの鞭の癖の強さを予め警告する。
「まあ、ちょっとした芸を披露するので見ていてくださいな。ちなみに、説明するまでもなく私は鞭の素人ですよ」
 そう宣誓して、傷んだ若魚を空高く放り上げると、間髪入れずに鞭を放つ。最初、鞭先は標的と見当違いの方向に伸びていったが、途中からホーミングされたかのように軌道を修正し、先端部の獣牙が見事に魚身を貫通して突き刺さる。
「ひゅー、マーベラス」
「なっ、手首の反しは存在しなかったし、鞭がひとりでに動いたとでもいうの?」
 オリビエは感嘆の口笛を吹き、シェラザードは武器の特性に疑問を抱く。
 この龍牙鞭の獣牙は古代獣の狩猟本能が封じられており、鞭自体が意志を持つ生きた武具。
 獲物の血の臭いを自動追尾するこの鞭独特の習性はビギナーが扱う分には便利かもしれないが、彼女のように高速で飛行する鳥をグルグル巻きにするのも可能な達人には却って邪魔になるのではと危惧したが、シャラザードは龍牙鞭の性質をいたくお気に召された。
「サーカスの猛獣や威張るしか能のない居丈高な殿方とか、反抗的な相手を鞭でビジバシ躾けるのが昔ながらのあたしの遣り方よ。じゃじゃ馬の武器とはこれは調教し甲斐があって面白そうじゃないの」
 隣にいるオリビエがガタガタ震える程のサディスティクな笑顔を浮かべたシェラザードは、そう宣言して龍牙鞭を受け取りそのまま踵を返す。態々学園祭まで足を運んだので色々と模擬店を見て回るつもりで、あわよくばエステル達と合流しクローゼとかいう可愛い坊やにチョッカイ掛ける算段。
 ヨシュアとオリビエの秘事に関与するつもりはないが、その前に一つ忠言する。
「寄付金集めに尽力していると小耳に挟んだけど、もし、そいつからミラを吐き出させようって魂胆なら時間の無駄よ。今や本当の素寒貧で逆さに振っても何も出てきやしなかったからね」

「ふっ、やっと二人きりになれたね、ヨシュア君。この日をどれだけ待ち侘びてきたことか」
 シェラザードの姿が視界から消えるや否や、節操なしの本領を発揮したオリビエは全身をキラキラと輝かせてヨシュアの手を握る。
 こうして見ると確かにイケメンだが、ブルマの上にエプロンを纏う男心を擽るヨシュアの艶姿を視界に収めた途端、顔がふやけてしまう。折角の凛々しいアプローチが台無し。
 男前を維持した所で今更ヨシュアの心が動かされる筈もないが、何故か得意の柔術による防御手段を発動させずに上目遣いでオリビエをじっと見つめる。
「ねえ、オリビエさん。一晩のオペラ公演で百万ミラを稼いだあなたを見込んで一つお願いがあるけど、聞いてもらえない?」
 オリビエの胸元に軽く頭部を埋めながら、甘えた仕種で強請りする。三角巾の合間から零れる艶々の黒髪のシャンプーの香りにオリビエは心時めかせるも、先の寄付金の話を思い出して、さーっと表情を青ざめさせながら激しく首を横に振る。
「無理無理無理無理無理、無理でぇーす。ロレントでシェラ君から、先に酔い潰れた者払いというご無体な条件で毎日のように酒を奢らせられて、本当に無一文ですから」
 アイナと二人で寄って集って喰物にされケツの毛まで毟られたのだろうが、「S級の酒神はともかく、A級の下手物飲みに勝てないようでは、下戸と大差ないわね」と酒豪ランクA+の蟒蛇娘はとんでもない思い違いを巡らせた。
「今の身の上で更に多額のミラを要求されたら、僕は幼馴染みにお尻の穴を提供する羽目になってしまうー」
 本気か冗談か自らの臀部を抑えながら、ぽっと頬を赤く染めモジモジと震えだす。見ていて非常に気色が悪い。
 ヨシュアの計画がオリビエに多額の御布施をせびるのなら、初っ端から頓挫したと言わざるを得ず。てっきり、養豚所の豚を見るような蔑む目で役立たず振りを罵るのかと思いきや、むしろ聖母の眼差しで文無しの風来人を慈しんだ。
「あなたと幼馴染みさんがどんな深い間柄かは関知しないし、特に知りたくもないけど、ミラを催促する気はないから安心して」
「本当に?」
「ええっ、私が興味あるのは稼ぎの方じゃなく、帝国大劇場でオペラ主演を努めたという経緯よ」
 色々と問題の多い御仁であるが、音楽の腕前は紛れもなく本物。百万ミラ云々が与太としても、公演の体験自体は嘘じゃないだろうとヨシュアは当たりをつけた。金の無心でないと確約されたオリビエはあっさりと常日頃の余裕を取り戻す。金髪の前髪をかき上げると、光り輝く粒子があたりにばら蒔かれた。
「ふっ、一言で言えば天才役者かな、僕は? 台本は一目で丸暗記出来るし、アドリブだって効かせられるから、それこそヨシュア君たちがお披露目する『白き花のマドリガル』に今から共演できるぐらいだよ。銃に魔法に音楽に演技。ああっ、多彩な自分の才能が恐ろしい」
 自己陶酔しながら、花形俳優から道化役までどんな役柄でも華麗にこなしてみせると明言。得意の法螺でないとすれば、自分と似た希有な才能を所持していることになり、その自信の源にヨシュアは満足したようである。
「頼もしいわね。それじゃあ、一つピエロの方をお願いしようかしら?」
「ふむふむ、それはどういう…………」
 オリビエの場合、素か擬態かは別にして普段の生活態度そのものが道化であるが、ヨシュアはウエストポーチからら何かを取り出すと彼の掌の上にのせる。大陸公用通貨の一万ミラ紙幣の札束でちょうど五十枚ほどある。
 まさかギャラという訳ではないだろうが、かつて彼が施した大金が己の手に舞い戻った現実に傲岸不遜のオリビエも少しばかり戸惑うも、次にヨシュアから演目の解説を賜ると愉快な退屈凌ぎの玩具を発見した園児のように円らな瞳をキラキラと輝かせた。

        ◇        

 ヨシュアとオリビエが何やら悪巧みをしている最中、個性差はあるが善良な殿方二名は外回りを終了させて、校舎内の見学に切り換えていた。
 大食漢のエステルはさも当然のように、彼方此方の屋台で飲み食いするが、クローゼから苦言を呈せられる。
「エステル君、ヨシュアさんが後夜祭でお寿司をご馳走してくれるそうなので、程々に……」
「大丈夫だって、ほら、良く言うだろう? ヨシュアの料理は別腹だって」
「それを言うなら、甘い物は別腹でしょう」
 苦笑しながら誤法を窘めたが、エステルからすれば、これはこれで正法なのだ。毎日のようにヨシュアの手料理を味わえるなど羨ましいことこの上ない身分だが、それでも舌が奢ってしまい他のジャンクフードが喉を通らなくなるという訳でないのが不思議で、実に美味しそうにフライドポテトやミルクレープをがっついている。
「まあ、僕の方も手遅れになる前に、アレを回収できて良かったです」
 少しばかりフェミニストの名に恥じ入る手段で、フリーパスを教授から奪還したクローゼは憂鬱そうに溜息を吐き出す。
 校内の出し物も、展示だけでない。相性占いコーナーや、隣り合った二つの教室を利用したお化け屋敷など、飲食関係とは異なったユニークな模擬店が営まれている。
「おっ、クローゼ。ここ入ってみようぜ」
 エステルが指差した先は『ゲームセンター』の看板が掲げられた教室。内部には筐体の格闘ゲームや、マジック・ザ・ギャザリングなどのカードゲームの対戦机が設置され、マニア同士が熱いバトルを繰り広げている。
 どれも興味を惹かれるが、特にエステルの目に止まったのは、パンチングマシン。測定用武器で打撃対象面を殴る事で、Sクフラトのヒット数や最大ダメージを表示するオーブメント。
「面白そうじゃん。いっちょエステル様の大技を拝ませてやるとするか」
 計測用の模造具は、細剣、大剣、双剣、槍、斧、棍、鞭、導力銃、導力砲と、各種色々取り揃えてある。発泡スチロールのように軽量で殺傷力は皆無なので、どれほどの大立ち回りを演じても装置が壊されることはない。
 模造棍を掴んだエステルはクローゼにも模造剣を手渡そうとしたが、頭を振って受け取りを拒絶する。
「すいません、エステル君。僕のSクフラトは攻撃用じゃないので、こういう場では披露できないです」
 攻撃、回復、補助など多様な方向性を発揮するクラフトならともかく、ダメージ技でないSクフラトなど風聞にして知らないが、一体どういう現象を巻き起こすのか?
 実際クローゼが保持する『リヒトクライス』は、アウスレーゼ王家に代々伝わる秘中の奥義だが、とある事情から使用機会が永久に訪れることがないのを切に願っていた。
「そっか、それは残念だな。まあ、いいや。俺の方は楽しませもらうぜ」
 エステルはペロリと舌舐りすると、模造棍を構えて闘気を一気に解放する。キュピーンというカメラ目線のカットインと同時に、Sクラフト『烈破無双撃』を発動させる。
「いっくぜえー、はぁぁぁー!」
 模造棍は相棒の物干し竿に比べれば若干短いので、少しばかり勝手が違ったが、それでも手に馴染ませて、スピードバッグ(※小型のサンドバッグ)のような丸っこい対象面を凄まじい勢いで連打する。
「とりゃあああっ!」
 フィニッシュとして一際重い一撃が炸裂。全CPの消費と引き換えに、Sクフラトが完了して、パネルに診断結果が表示される。
『エステル 烈破無双撃 ヒット30 最大ダメージ1740』
「まあ、こんなものか」
 汗を拭うと満足気に笑みを零す。ヨシュアの全体Sクラフト『漆黒の牙』に比べると、魔獣との乱戦ではあまり実戦的でない単体Sクラフトだが、その分最大ダメージなら大陸随一という自負がある。
「なんか歴代記録とやらが出てきましたよ。さっきお会いしたシェラザードさんや、ヨシュアさんの名前もあります。多分、開店前の昨日の中に、こっそりと試されたのでしょうね」
 年々学園祭を訪れた遊撃士が意外と遊んでいったようで、バネルの情報がスクロールしていき懐かしい名前がズラリと揃える。当然、その中でも自分がトップだろうとエステルは多寡をくくっていたが。

一位『リシャール  残光破砕剣     ヒット1  最大ダメージ1918』
二位『エステル   烈破無双撃     ヒット30 最大ダメージ1740』
三位『アガット   ダイナストゲイル  ヒット4  最大ダメージ1411』
四位『ブルブラン  デスマジック    ヒット1  最大ダメージ1322』
五位『エジル    獣斧乱舞      ヒット5  最大ダメージ1256』
六位『メイル    ぽっぶるストリーム ヒット1  最大ダメージ1247』
七位『クルツ    雷神招来      ヒット2  最大ダメージ1003』
八位『シェラザード クインビュート   ヒット17 最大ダメージ942』
九位『カルナ    フレイムキャノン  ヒット1  最大ダメージ777』
十位『ヨシュア   断骨剣       ヒット3  最大ダメージ688』

「なんですとー?」
「リシャール大佐ですか。そういえば、去年の学園祭に顔を出していましたね」
 クローゼが顎先に手を充てながら思案する。ユリアから聞いた所では、剣聖の技を受け継いだと称される徹底したタイマン特化型なので、Sクフラトの威力で豪腕のエステルを上回るのも納得。
「気にすることはないですよ、エステル君。ヒット数ではダントツトップなので、シャイニングポム相手のセピス稼ぎならエステル君の方が有益……」
「慰めはいいぜ、クローゼ。ふっふっふっ。どうやら、ヨシュアに喰らわせてやろうと、密かに暖めていた新技を試す時節がやってきたようだな」
 対人特化型の沽券に関わるのか。エステルは不気味な笑いを浮かべると空っぽになった闘気を補充する為、駄菓子屋フォルテシモで購入したCP回復効果つきの『虹色ゼリービーンズ』をがぶ食いする。
「エステル君、所詮は余興のゲームなので、そんな向きにならなくても」
 クローゼがもっともな忠言をしたが、まるで聞いちゃいない。
 ダメージ最下層の双剣遣いが今のエステルの態度を知れば、一撃の最大ダメージに拘るのはナンセンスの極み。「どんな凄い攻撃も当たらなければ意味がない」と前述のシャイニングポムに匹敵する、大陸最高のAGL(回避率)を誇る軽業師は嘯いただろう。
「これで決めるぜ、はっ!」
 再びキュピーンというカメラ目線のカットインが入る。烈破無双撃を更に進化させたSクラフト『桜花無双撃』を発動させる。
 まずは正面飛び蹴りから開始したエステルは、先を上回る凄まじい連打を叩き込んで対象面を歪ませて、フィニッシュの重たい一撃で計測棒をひん曲げた。
「よっしゃあ、手応え抜群…………って、これはちょっと不味いか?」
 くの字に折れ曲がった対象面を見つめて、エステルが冷や汗を流す。己の破壊力が立証されたのは嬉しい限りだが、これ弁償させられた幾らぐらいするのだろうか?
 いつのまにか、周囲を埋めつくしていたギャラリーが騒然として、カードゲームに夢中になっていた係の学生がこちらを振り向いた。
「ヤベエ、ずらかるぞ、クローゼ」
「ちょっと待ってください、エステル君。僕まで共犯で巻き込むつもりですか?」
 単なる傍観者の自分を道連れにしようとする一蓮托生精神に抗議したが、エステルは全く頓着せずにクローゼを強引に引きずって、アミューズメントパークからトンズラした。

 後々、係員の生徒が調べた所、実は器物破損は単にオーブメントが耐久年数を過ぎて劣化していただけで、エステルの落ち度ではなかった。
 なお、レコード更新を確信していたエステルの新Sクラフトの最大ダメージは1917で、玉葱大佐に1ポイントだけ届かず新記録の樹立は成りませんでした。



[34189] 13-10:学園祭のマドモアゼル(Ⅹ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/13 00:02
「ここが、我が王家がミラを恵んでやっている全寮学校か」
 独創的な髪型をした高価な身なりの中年男性に銀髪で黒の執事服を纏った初老の紳士の凸凹コンビが学園祭の門を潜った。
 アリシア女王の甥であるデュナンとお付きのフィリップの二人。校庭を埋めつくす来場者に混じった何人かの生徒が意味ありげな視線を彼らに注いでいる。
「こちら、クラブの8。目標のスペードのキングが、ようやく学園に到着しました」
「確認した。既にダイヤの2~9と、ハートの5~10は配置についている。ジョーカーも仕込みが完了次第、出向く手筈になっている。貴殿は手持ちのクラブ隊を率いて、さり気なく誘導するように」
「了解、全ては我等が、クイーンオブハートの為に」
「「「「クイーンオブハートの為に!」」」」
 どこぞの秘密結社のような怪しげな音頭を取ると、何人かの男子生徒が人込みに紛れながら、あくまで自然を装ってデュナンとの距離を詰めていく。フィリップは一部の学生の奇矯な動作に勘づいたが、武術的には全員素人。閣下の御身を狙う刺客でもなさそうなので、敢えて放置する。
「ふふんっ、次期国王であるデュナン・フォン・アウスレーゼが直々に視察しようというのだ。生徒たちも光栄で身を震わせているであろう」
 自身を取り巻く不穏な空気をまるで知覚せずに、デュナンは呑気な発言をかます。欲目抜きで判断しても、市長クラスの上流階層ならいざ知らず、一般市民が自分らの生活圏に直接関わらない一公爵の存在を認知しているとは、フィリップには思えなかったが。
「そういえば知っているか? リベール王族の一人が現在、ルーアンに巡察に来ているって話」
 群衆の合間から自身の風評が流れてきたので、デュナンは驢馬のようにピーンと片耳を大きく逆立て聞き耳を立てる。
「デュナン・フォン・アウスレーゼ様だろ? あの御方をご存じないモグリがこの学園にいるわけねえぜ」
「あの女王陛下の信任も篤く、次期国王を確実視されている公爵様か」
「そうそう、あんな偉人が尋ねてくれば、うちの学園祭も箔かつくんだけどな」

「ぬっふっふっ、聞いたか、フィリップ? やはり世俗でも私が次期国王と持て囃されておるぞ。ふふんっ、公式行事にも滅多に顔を出さないクローディアルのような引き籠もりの小僧とは、やはり世間の認知度が段違いだな」
「はっ、さようで御座いますか」
 公爵のご機嫌を損ねないようフィリップは曖昧に言葉を濁したが、心中に沸き上がる違和感を抑えられない。
 導力革命以前でマスメディアが未発達の時期には最高権力者の御尊顔を存じない民衆すら珍しくなかったが、今時分の学生はそこまで王族の内情に詳しいものなのか。
「そうだ、デュナン公爵と言えば、『弱きを助け、強きを挫く』という御心ある方だ。もし、学園祭に顔見せしていれば、きっと寄進場に姿を現す筈」
「寄付の受付って本館後ろの裏道を通った建物だよな? 行ってみようぜ」
 やや棒読みな説明台詞で会話が打ち切られると、潮が引くように噂話は途絶えて、後には来客の喧騒だけが残された。
「寄付金か。そういえば陛下から、王家からの喜捨金を預かっていたな」
 別段、着服するとういう悪しき意図ではなく、単に福祉に無関心故にど忘れしていた懸案事項を喚起したデュナンは、「ならば、私の御名の元に庶民に大金を施してやるとするか」とある意味では猫ババよりもセコイ考えを巡らせながら、会場に足を運ぶことにした。

        ◇        

 二人が『寄付金受付場所』の立て札が掲げられた寂しい裏道を抜けると、古びた校舎が眼前に出没して、思わず首を傾げる。
 彼らは与り知らぬことだが、ここは本来なら立入禁止になっている旧校舎跡地。デュナンが正面玄関口から入ったのを確認すると男子生徒の一人が立て札を引っ込めって、鉄門に鍵をかけ裏道を封鎖した。

 どうしたわけか、十年以上前に廃館になった校舎にしては内部は意外と綺麗に片づけられており、多くの生徒が忙しく動き続けて何らかの活動に従事中。
 二階渡り廊下前の中央にデスクが置かれ、生徒会の腕章をした三人の男女が座っていて、まばらに並んでいる来場者に丁重に頭を下げて赤い羽根を配っている。ここで寄付金の受理をしているらしく、デュナンも列の後部に並ぶと瞬く間に彼の順番が回ってきた。
「真にありがとうございます。えーっと、お名前は?」
「デュナンだ。間違えぬようにな」
 先の一件で己の著名人振りを過信し、敢えて王家のファミリーネームを公開せずに相手側の出方を待つ。
「次期国王当確のデュナン・フォン・アウスレーゼ公爵様ですね? お会い出来て本当に光栄です」
 受付の女生徒が手を握り、他の一人が共同募金を意味する赤い羽根を公爵の胸元につけてくれる。期待通りのリアクションにデュナンは気色を良くするが、三人目の眼鏡学生の一言は想定外。
「デュナン様の寄進額は、十万ミラで現在七位ですね」
 ピクリとデュナンの眉が動く。妙に不快な数値が飛びだしたように感じたので、弁明を求めるが、生徒たちは悪びれることなく途中経過を報告。
「有り難いことに、今年は閣下を初めとして太っ腹の男性が多くて、物凄い勢いで寄付金が集まっているのです」
「ですから、特別にベスト10まで掲示板に張り出して、栄誉を讃えることに決定しました」
「更にはトップの御方にはリベール一の伊達男として、『白き花のマドリガル』の上演前に講堂で花束の贈呈式を取り行う予定です」
 恵まれない子供たちに多大な貢献を成されたのを大々的に広報する旨を確約するも、デュナンは膨れ顔。学生らは名誉と称したが、何事も一番でなければ気が済まない性質の彼がこんな中途半端な順位を衆目に晒し者にされるのは屈辱以外の何物でもない。
(はて、些か妙で御座居ますな)
 憤慨する公爵と異なり、第三者視点で一連の遣り取りを伺っていたフィリップは、再び発生した違和感の連鎖に眼鏡の奥の細い目を更に糸のように細める。彼は毎年の寄付平均額を把握している訳ではないが、いくら上流階層が集う学園祭といっても、そうポンポンと十万単位の大金が投じられる筈はない。
 ましてや、まだ開場してから一時間も経過しておらず。色んな意味で根回しが早すぎる上に善意の寄付をランクづけするなどモラルにも欠けており、えも言わぬモヤモヤとした不快感の黒雲が彼の心中を覆い尽くす。
 これらのフィリップの疑惑は全て正しい。
 実は本来の寄付金の受理は、本館正面入り口の受付係のファウナが館内の案内と並行して執り仕切っている。この旧校舎はデュナン公爵個人を招き入れる為にとある人物によって臨時に用意された劇場そのもの。
 当然、この場にいる人物は全員、謎の黒幕クイーンオブハートの息がかかった桜。これから『白き花のマドリガル』とは別種の裏公演が催されようとしている。
 デュナン自身も、本人に自覚のない俳優の一人。ある意味フィリップはこの喜劇に招かれた唯一人の観客であるが、この演目のフィナーレは脚本家のクイーンオブハートも把握しておらず、全てはスペードのキングとジョーカーという二人の主演男優のアドリブに託されていた。
「閣下、ちょっと宜しいで……」
 フィリップが自分の感じた矛盾点を公爵に告げようとした刹那、ジャンジャッカジャーンと勇ましい音楽が扉の外から響いてきた。
 舞台は強引に次幕へどんどん進行していき、見物客に落ち着いて思考する隙を与えようとせずに、公爵とは別のもうひとりの主賓が登場した。
「ふっ、ここが寄付金の受付会場か。このような手狭な所は苦手なのだが、多くの恵まれぬ者を救済する為には止むを得まい」
「「きゃあー、オリビエ様。素敵ですー」」
 両隣に女子生徒を侍らせて、リュートとは思えぬ大音量で『帝国行進曲』の軍歌を演奏しながら、洒落た白の燕尾服を華麗に着こなした金髪の青年が入場してきた。
「おい、あれって愛と平和の伝道師、漂白の旅人オリビエ・レンハイムじゃないか? こりゃまたとんでもない大物が現れたものだぜ」
「聞いたぜ、宵越しのミラを持たずに、ボースではとある少女との距離を5アージュ縮める為だけに、一晩の公演で稼いだ百万ミラを全額寄贈したんだってな」
「ミラにも常識にも法律にも束縛されない生粋の風来人かよ。くぅっー、男として一度は真似してみたいよな」
 二階の渡り廊下の部分も含めて、何時の間にか会場全体を埋めつくしていた生徒から、ご丁重な説明台詞が飛び出し、デュナンは突如出現した奇抜な帝国人の正体を看破した。
「距離を5アージュ縮める……百万ミラ……そうか、こやつが不届きにもあの遊撃士兄妹が私と見比べようとした道化者か?」
 リュートの演奏を取り止めたオリビエはデュナンの敵意の視線に全く頓着せず、彼の脇を堂々と擦り抜けると、一万ミラ紙幣の札束を無造作にデスクに投げ入れた。
「ふっ。ロレントの田舎町の巡業では帝国大劇場ほど稼げなかったので、五十万ミラぽっちの端金だか受け取ってくれたまえ」
「あのー、お客様。ご冗談は程々にしてください。こんな莫大なミラの寄進者は前例がありませんし、態々偽札を用意してまでからかわれるなど、慈善を侮辱する行為……って、ほ、本物ー?」
 全ての紙幣に透かしが入っているのを確認した女生徒は、念の為にデスクに置かれたZCF製の偽札発見器に翳してみるが全て真札と判定。
「大変、ご無礼をしました。お許し下さい」
 三人の受付係はペコペコと頭を下げながら、オリビエの胸部にダース単位で赤い羽をつけ始め、寛大なオリビエは恐縮する生徒を窘めながらリュートを一曲献上する。
 『それ見よ我が元気』という明るくコミカルな曲。かつてとあるキタラ弾きが絶望に打ちひしがれるスラム街に活気を取り戻させた伝説のメロディーで、周囲をホンワカとした愉快な気分にさせる。
「本物の紙幣で御座居ますな」
 至近からミラの真贋を確認したフィリップは、困惑の表情を隠せない。
 ついさっきまでは、デュナン公爵を担ぐドッキリ企画か何かと勘繰っていたが、投入さたれミラは到底学生に用意できる金額ではなく、眼前で繰り広げられている光景の真意が読めなくなる。
「おやおや、そちらにおわすのは、もしやデュナン公爵ではあるまいか?」
 ふと、オリビエは初めて公爵の存在を気に留めたかのように、ただ一人『それ見よ我が元気』の恩恵を受けられずに憤慨していた隣の中年男性に目を向ける。更にはデスク上の寄付金ランクの彼の金額を覗き見して、哀れむように見下した。
「あなたの勇名は我がエレボニア帝国にも雷鳴のように鳴り響いていた。次期国王を確実視され、今時珍しい男気に溢れた人物と聞き及んでいたが、いやはや人の噂とはまるで当てにならないものだ。まさか自国の寄付でこのような少額しか支払えぬしみったれた小物を国王に仰ぐことになるとは、リベールの臣民に同情せざるを得ないね」
「な、なんじゃと?」
 ふっ、と小馬鹿にしたように鼻で笑われて、デュナンはにがトマトのように怒りで顔を真っ赤にする。オリビエは急に何か悪戯を思いついたようにニヤリと悪者顔で笑うと、恭しく形だけ謝罪する。
「いや、失礼した。考えてみれば、これは貴重なチャンスであるな。一国の王を出し抜ける機会などそうそう巡り逢えるものでなし、デュナン公爵よ。あなたには漂白の詩人オリビエ・レンハイムの永遠の道化役として、僕が奏でる物語に出演して頂くとしよう」
「なっ、道化者め、それはどういう……」
「ふっ、地位も名誉もない身一つのさすらいの演奏家にすら劣る狭量な国王の逸話を詩曲にして、吟遊詩人のように大陸各地に歌い回るだけの話だよ。歪められたあなたの実情を正しく世に伝えようというのだから、むしろ感謝してもらいたいものだね」
 慇懃無礼を絵に描いたようなとんでもない宣告に、デュナンは目を白黒させる。彼が行く先々でトラブルを引き起こして、その都度住民から煙たがられているのは事実だが、今回はまだ何らの悪行も重ねていない。
 強いて粗探しするなら、公庫から支払われた王家の喜捨金をあたかもデュナン本人の懐から差し出したように偽ったことだが、それにしてもここまで酷い仕打ちを受ける程の咎ではない。そんな彼の絶望に止めを刺すように、リュートの題目が『死刑執行』という過激な演奏へと切り替わり、周囲の人間の心を肌寒くする。
「おいおい、マジかよ。あの帝国人。善意の募金額の大小で、公爵閣下の全人格を否定しに走ったぞ」
「けど、寄付金であのスケコマシ野郎に遅れを取ったのは事実だから、悔しいけど嘘じゃないんだよな」
「ということは、公爵閣下が正式に王位を継がれた日には、隣国エレボニアの『帝国時報社(インペリアルクロニクル)』は、この件を引き合いに出して、陛下を大々的に晒し者にするつもりかよ?」
 再び周囲が騒然とし、特に最後の可能性に思い当たったデュナンは顔面蒼白になる。スキャンダルに飢え他人の粗探しばかりしているのは、宮廷の重臣も帝国の大貴族も何ら変わりはない。彼奴にとって重要なのはことの真偽でなく、他者を貶める単なる口実のみ。
 確かに今回の一件はハイエナ共が群がるには恰好の餌。将来の禍根となる公算は高いと己の即位と周辺諸国への知名度を微塵も疑っていない自意識過剰な公爵は皮算用する。
「畜生、帝国の奴ら、デュナン公爵の人となりも知りもしないで、手前勝手なレッテルを張って、陛下を生涯に渡って笑い者にするつもりかよ」
「馬鹿言え、デュナン公爵がこのまま終わる人間だと思うか? きっと、あのいけ好かない帝国野郎にギャフンと一泡吹かせてくれる筈だ」
「皆、俺達でデュナン公爵を応援しようぜ。あっそれ、デュ・ナ・ン!」
「「「「「「デュナン! デュナン!」」」」」」
 二十人近い生徒から男女の垣根なく、溢れんばかりのデュナンコールとウェーブが巻き起こり、公爵は呆然とする。
 人一倍神経が図太い彼は、周囲から鼻つまみ者扱いされても別段心を痛めたことはなかったが、ここまで目に見える形で喝采を浴びたのは生まれて初めての体験。だが、オリビエは周囲の必死さを嘲笑うかのように、『人生の落伍者』という締まりのない脱力感を誘うフレーズをリュートで奏でて、衆目を憐れんだ。
「ふっ、無駄だよ。所詮、彼は紛い物であり、君らの期待に応えられるような甲斐性など持ち合わせては…………」
「ふっふっふっふっふっ」
 デュナン公爵から、くぐもった笑い声が聞こえる。オリビエは思わず、滑らかに滑らしていた二枚舌と同時にリュートの演奏を停止させる。
 この舞台に参加した俳優の意見が完全な統一を得たのが、後に判明する。
 この時の公爵閣下の御尊顔には、普段まるで感じることが出来なかった王族の威厳が篭められており、その渋目が入った中年のダンディな横顔に受付の女生徒も演技でなく不覚にも時めいてしまったと。
「ふっ、済まないね、お嬢さん。一桁ばかり寄付金の額を間違えてしまったみたいだ。フィリップ、例のものを」
 公爵の催促が小脇に抱えている小型バッグの内包物だと覚ったフィリップは、心中の動揺を押し隠して忠告する。
「閣下、このミラは例の別荘を購入する手付けとして用意した資金ですぞ。それと僣越ながら、恐らくこの一連の流れは閣下を陥れる茶番劇」
「ええい、次期国王としての私の器量が問われておるのだ。貸せ、フィリップ」
 薄々ながら何者かの筋書きに踊らされている現実を達観したフィリップは再度警告したが、デュナンは意に介さずバッグをひったくると、ガサゴソと中の紙幣の束を取り出しデスクの上に叩きつけた。
「リベール王国公爵のデュナン・フォン・アウスレーゼ。改めて百万ミラを寄進する」
「「「「「うえええぇぇぇー!?」」」」」
 演技ではなく、周囲がこれ以上なく騒然とする。
 ここに集められた生徒たち自身、芝居の効能に対しては半信半疑のまま、今回の舞台に参加したが、回収できたギャラは想像以上。仕掛け人のクイーンオブハートの合理的な思考フレームによる高速未来演算でさえも、ここまでの大成功は予測してはおるまい。
「ば、馬鹿な。そんな馬鹿な……こんな不条理が有り得る筈が」
 一瞬、素の驚愕の感情を露見させた素人役者の学生諸君と異なり、きちんと自分の役柄を弁えているジョーカーは舞台の最後の締めに入る。デュナン公爵と目を合わせた刹那、「ひっ!」と情けない悲鳴を上げて腰を抜かす。
「なんという気迫。なんという神々しいオーラ。これがリベール次期国王デュナン公爵の真実の姿。僕なんかが到底及ぶ御方ではない」
 小物臭全開の余裕のない表情で自分が寄進した五十万ミラを必死に搔き集め、制止する女生徒の手から強引にひったくった。
「ちょ、ちょっと、お客様、何を?」
「逆に引き立て役にされると判っているのに、こんな大金を手離せるか。畜生、デュナン公爵と張り合おうとした僕が馬鹿たった。僕はもう降りるぞ」
 オリビエは『負け犬の遠吠え』という惨めったらしい音程の曲をリュートで奏でながら、這いつくばる様に四つ足でこの場から惨めにトンズラした。
「皆、見たか? 帝国野郎の情けない態を。陛下をおちょくれないと判った途端、一旦寄付したミラを未練たらしく回収しやがったぞ?」
「けっ、何てケツの穴の小さいチンケな野郎なんだ。あの屑の方がよっぽど虚仮じゃねえか」
「けど、どっちが真玉で、どちらが路傍の石なのか。これで誰の目にもハッキリと真贋を見極められたわよね」
「きゃあー、本当に素敵です。デュナン公爵様」

「ふんっ、私の威光を思い知ったか、道化者め」
 オリビエの醜態を虫けらのように見下ろしながら、鼻息荒く息巻いていた公爵に再び喝采が巻き起こる。さっきまでオリビエに入れ込んでいた女生徒もデュナンに鞍替えしてチヤホヤし、彼の衣服がインディアンの酋長衣装のように赤い羽根で埋めつくされた。
「閣下、本当によろしいのでしょうか?」
 周りのボルテージが沸騰すればするほど、逆にフィリップの心は瞬間冷凍のように冷え切っていく。達観から諦観の境地に達しながらも、ルーアンの今後の活動の支障をきたしたのを訴える。
「別荘宅の頭金のミラに手をつけたことか? それなら、何ら問題はない。何しろこの次期国王のデュナン本人が保証人となるのだ。生き馬の目を抜く世知辛い世の中で、これ以上信頼できる担保は他にあるまい」
「はっ、左様で御座居ますか。閣下御自身がご満足頂けたのなら、これ以上申し上げることは何もありますまい」
 現金などなくてもダルモア市長は納得するだろうと都合の良いように脳内解釈したデュナンに、執事は社交辞令的な返答に終始する。
 ここまで来れば事態は明白だが、それでも普段の放蕩三昧に比べれば慈善の寄付は幾らかマトモなミラの使い途なので、敢えて忠言せずに公爵の気の済むままに任せる道を選んだ。



[34189] 13-11:学園祭のマドモアゼル(ⅩⅠ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/13 00:03
「黒髪娘? ああっ、ヨシュアさんのことですか? とても素敵な女性ですね。美人で気配りと友愛に溢れていて、僕みたいな何の取り柄もない平凡な学生にも親切にしてくれます。きっと、ああいうのを本当の高嶺の花と云うのでしょうね」

        ◇        

「黒髪? ああ、あのむかつく尻軽女のことね? ブレイサーだか何だか知らないけど、学園中の男に媚び売って、ちょーむかつくって感じ? 親切? はんっ、利用価値のある相手にだけ優しいだけよ。女子からは総スカン喰らっているし。えっ、クローゼ君と良い仲かって? 絶対に騙されてるよ、それ。あの腹黒女の笑顔に惑わされたら、次の日にはマグロ漁船に売り飛ばされているって」

        ◇        

「琥珀色の瞳の少女? ああっ、ヨシュア君のことか。利発で礼儀正しい良い娘ですよ。学園にも様々な影響を与えていますし、短期留学生なのがつくづく悔やまれますな。しかし、近頃の娘は随分と発育が良くなったものだ。特にムチムチっとしたブルマの食い込みが………………はっ? いかん、いかん、俺は教師だ。生徒に欲情するなど有り得ん。喝っ! 心頭滅却、ナンマンダム、ナンマンダム」

        ◇        

「ヨシュア? 確かに一時、目の敵にしていた時期もあったわね。あの頃の私はまだ幼かったから。けど冷静に考えればスペックが違いすぎるから、嫉妬するのも馬鹿馬鹿しいし。何よりもジルが主張していたように、敵にまわすよりも味方につけた方か色々とお得だしね。お陰でクローゼ君の×××な写真を頂けて、うひひっ」

        ◇        

「ふっ、ヨシュア君なら、近い将来僕の花嫁になる娘だよ。既に結納金も百万ミラ程収めたし、僕と彼女のどちらに似ても、知性と美貌と音楽の才能を兼ね揃えた天才的な娘が誕生するだろうね。えっ、産まれてくる子は男の子かもしれないって? そんなオカルト、僕は絶対に許しません。ヨシュア君に瓜二つの可愛い娘に、『将来、大きくなったら、パパと結婚する』と言わせるのが、僕の夢なんだから……って、そんな呆れた目で見つめないでくれたまえ、シェラ君。照れてしまうではないか」

        ◇        

「ヨシュアのことなら良く知っているわよ。ロレントの男共は、ある意味あの娘のファンクラブみたいなもので、純然たる打算に基づく献身を愛だと錯覚して、良い様に振り回されているからね。そこの妄想が暴走している馬鹿を含めてさ。彼方此方に思わせぶりなモーションを振りまいて、その癖、本命はガッチリキープしているから性質が悪い。そんな堅気から外れた恰好して、あんた達、興信所の身元調査員か何かかしら? もし、あの娘に入れ込んでいる純朴な少年がいるなら、力づくでも引き離すのが、その子の為よ」

        ◇        

「ふーむ、どう思う。ルクス?」
「へへっ、俺様が睨んだ所じゃ、どうやら中隊長殿の勘は当たっていたみたいだな」
「やはり、お前もそう思うか? うーん、参ったな」
 リオンとルクスの二人は模擬店を巡りながら、二十人を越す生徒に聞き取り調査を行い、幅広く意見を取り入れる為、教師や彼女を熟知していると思われた一部の来客にも声を掛けてみた。
 結果、男子は概ね好評で女子から蛇蝎の如く忌み嫌われる男女で意見が180°食い違う典型的なビッチ現象が発生。ましてや、結婚を前提に百万ミラの持参金を搾取された男性まで出没しており、王太子のお相手としては色んな意味で問題があると云わざるを得ない。
「へへっ、この調査報告を馬鹿正直に中隊長殿に伝えたら、嬉々として黒髪少女の討伐に乗り出しそうだな。どうする、リオン?」
「私に訊かないでくれ。親衛隊が一般庶民に手をあげたら謹慎どころの処分じゃ済まないし、本当にどうするべきか」
 二人は難問に頭を抱えたが、直ぐには答えは出てこない。何か良いアイデアが思い浮かぶまで、もうしばらく聞き込みを継続してみようという方向で問題を先送りした。

        ◇        

「お疲れさま、ジョーカーさん」
「いやいや、こういう楽しい催し物なら何時でも大歓迎だよ。クイーンオブハート」
 クラブハウスの路地裏で男女が密会し、オリビエは見せ金に使った上でちゃっかり回収してきた五十万ミラを、先の演技とは打って変わって何の未練もなくヨシュアに返却する。
 これだけの大金に何らの執着を持たないあたり、エレボニア皇太子というエステルの妄言は、案外、的を得ているかもしれず。少なくとも彼の正体が単なる一般人でないことだけは確か。
「まさか、本当に百万ミラも貢いでくれるとはね。よっぽど上手くいって、同額の五十万が限界だと思っていたけど。エステルとはまた違った意味で、デュナン公爵は大物かもしれないわね」
 身分を偽った王子様というシチュエーションはクローゼ一人でお腹一杯なので、その可能性を頭の隅から追いやると、公爵の金離れの良さを素直に賞賛する。
 「自ら汗水流して、苦労してミラを稼いだ体験がないから、いともたやすく大金を手離せる」との意地悪な見解も当然成り立つが、ヨシュアとすれば吝嗇よりは気前が良い貢ぐ君の方が遥かに有り難い。
「オリビエさんも期待以上の道化役を演じてくれたのでしょうね。一晩で百万稼いだというのも、満更、法螺話じゃない気がしてきたわ」
 鮨ネタの追い込みに忙しく、ミリオンステージを生鑑賞できなかったのを残念がる。オリビエは脚本や周りの生徒の仕込みと何よりもきちんと見せ金の現金を用意してきた下準備の良さが勝利に繋がったと、この男にしては珍しく謙遜する。
「うーん、そう言ってもらえると嬉しいけど、今回の企画は結構行き当たりばったりなのよね」
 ポリポリと頬を掻きながら苦笑する。前日、サボり常習犯のミック他数名が性懲りもなくクラス展示の準備からエスケープし旧校舎に避難したのが発端で、鍵を開けっ放しにしていた彼らは内部に魔獣(ラップスパイダー)を招き入れてしまう。
 エステル、クローゼなどの男手の戦闘要員は海釣りに出掛けており、当然のように討伐には現役の準遊撃士が駆りだされる。不精者のヨシュアは不承不承ながらも、旧校舎に屯していた魔獣の群を五分で壊滅させる。
 用務員のパークスと一緒に死骸の後始末の清掃作業をしていた時、ミック達が暇潰しに大貧民をしていたトランプを発見。ジョーカーとスペードのキングのカードの重なりに天啓を受け、急遽このシナリオを閃いた。
 それからは大忙し。龍牙鞭を餌にロレントから導かれし者たちを緊急招集し、ジルから生徒会面子の何人かを借り受ける。更には日当五百ミラ、成功報酬千ミラを投資して桜役の生徒を掻き集め、急拵えの舞台を旧校舎に設置した。
 その上で、寿司の仕込みまで徹夜で行ったので、向う一年分の勤労意欲をヨシュアはこの二日間で遣い果たしてしまいそうだが、それだけに公演は大盛況。採算は余裕でお釣りがくるグランドフィナーレになりそうだ。
「なるほど、それで昨日不在のマイブラザーは劇に参加していなかったわけか?」
「ダイヤエースとついでにジャックザスペードのこと? あの二人は性格的にこういう振り込め詐欺には向いていないから、もしギャラリーに混じっていたらポロッと本音を零して、全てが御破算になっていた可能性が高いわね」
 二人の将来の職種を鑑みれば、何時までも初な正直者でいるのも考えものだが。そもそもクローゼの場合は、デュナン公爵と鉢合わせること自体に無理があるので致し方ない。
「けど、お陰様で拍子抜けするぐらいあっさりと、目標額を達成できちゃったわね」
 打った手が悉く失敗した時に備えて、御布施用に準備した五十万ミラを手離す必要もなさそう。まさにオリビエと公爵様さまだが、真の手柄はこの二人をコントロールしたヨシュアだ。
 そもそも、彼らは基本的にはトラブルメーカーで、従来の嗜好と習性に基づいて行動させれば周囲に騒動を撒き散らすだけなのだが、ある条件を満たせば有益に転じる法則を発見した。
 公爵は云う迄もなく、煽ててひたすら持ち上げてやること。常に側に引っついている常識人の執事の目さえ欺ければ、効能は先の如し。
 あれだけ扱い易ければ、リシャール大佐だかが御輿として担ぎ上げようとするのも無理ないが、彼が率いる情報部に不穏の影が見え隠れしており、公爵を傀儡にしてリベールをどう変革するつもりなのかが引っ掛かる。
 軍人だから当然かもしれないが、ナイアルから聞き出した情報ではリシャールは軍需拡大路線の信奉者で、各方面に色々と根回しをしている最中。
 まさか、大佐がエレボニアに十年前の無謀な復讐戦を企図するような愚者だと信じたくはないが、もしそうなら、デュナン公爵にこの国の未来を託すのは危険すぎる。
 その憂慮が単なる取り越し苦労なら、もう一人の国王候補に跡目を継ぐ気はなさそうだし、デュナン本人にも壮大な野心はなく相応の敬意と贅沢で満足される御仁なので、平穏無事な小国なら意外と上手くやれそうな気がしないでもないが。
 「おやおや、また悪巧みを思案中かい、ヨシュア君? その際には是非ともこのオリビエにもお声掛けを」
 エステルには縁がない政治的問題に悩ませて、思考の淵に嵌まり込んだヨシュアに、瞳を好奇心で幼児のようにキラキラと輝かせる。この件から丸分かりのように、オリビエの場合は、何か面白そうなネタを見繕ってイベントを提供してやること。
 実際、道化を演じるという目標を与えて後は彼のアドリブに任せたら、普段のフリーダム振りが嘘のように鳴りを潜めて、驚くほど忠実に自分の役柄を全うしてきた。
 まあ、オリビエやデュナンのような癖の強いキャラクターをそう毎度毎度上手く手懐けられる筈もないが、このあたりは殿方の機敏を知り尽くした魔性の少女だけあり、アフターサービスも万全に施すつもりだ。
「そうそう、オリビエさん。もう一時間ほどしたら、またクラブハウスを尋ねてきて頂戴」
 外国からの来場者専用のお寿司を営む情報をリーク。やはりというか食通の彼は脂がトロリと乗った極上の大トロを食せると聞いて、ジュルリと涎を指先で拭き取る。
「きっとオリビエさんなら、安く腹一杯食べられると思うから、ミラの手持ちを気にしなくてもいいわよ」
「ふっ、心得た。それでは他の模擬店を冷かしながら、館内放送が流されるのを楽しみにしているよ」
 Sクラフトを測定できるゲームセンターがあると聞いたオリビエは、「僕の華麗なハウリングバレットを衆目に披露してやろう」と意気込みながら校舎の方向へ向かっていく。
 ヨシュアはまた含みのある言い方で、オリビエの食べ放題を確約する。帝国の高級寿司屋では時価で大トロ一貫で数千ミラもする場合もあるそうだが、どういう料金体系で他のセレブ客との折り合いをつけるつもりなのだろうか。
 ニコニコ微笑みながら、オリビエの後ろ姿に手を振っていたが、彼の姿が校舎に消えると途端に琥珀色の瞳に憂いを浮かべて溜息を吐き出した。身から出た錆というか少女をある程度良く知る者たちは、彼女が考え事に従事していると何か善からぬ企みを巡らせていると決めつける。
「それにしても、なんか上手くいきすぎて反動が怖いわね」
 実際に腹黒なので、そんな些細な無理解に一々傷ついたりしない。
 それよりも、半ば負けを覚悟して切り出した中途半端な強さの絵札がゲームそのものを制してしまった幸運に不安を覚える。
 かつて、シャラザードを相手に世の陰陽というか、幸福の定量について講談したことがある。運というのは振り子のように大きく揺れるもので、一人の人間が永続的に幸せを享受する不条理は有り得ない。
 ましてや、合理性を信条とするヨシュアは奇跡頼りのエステルと異なり、基本的には零と100%以外の数値は過信しない主義。
 だからこそ、合理的な思考フレームの高速演算で、放置しておいても96%の高確率で尋ねてくると診断されたオリビエを確実に学園祭に誘き寄せる為、高値で売り捌こうと算段していた虎の子の龍牙鞭をシェラザードにロハで贈呈した。
 現在までの所、これらの計算は正しく報われてきたようだが、この先はどうだろうか?
 幸運の女神の寵愛を一身に受けているなどという自惚れは、ヨシュアには絶無。
「わたくしがその娘の心を治してさしあげるわ。ただし、代償は支払っていただくわよ」
 あの日、あの女が告げたように、彼女の今日までの人生は何かを得れば必ずそれに相応しい対価を強奪されてきたのだから。
 人の心を失い、漆黒の牙という心を得た。
本当の家族を失い、血の繋がらない別の家族を得た。
 その理屈でいけば、この学園祭で失うものは手持ちのミラということになるのか?
 銭金の損失だけで済ませられるのなら、どれほど有り難いことか。
 今の少女が失いたくないものは、たった一つ。
 少年の太陽のような笑顔だけなのだから。

「ここで、ぐだぐだ悩んでいても始まらないわね。既にノルマは達成したことだし、この際、ぱーっと百万ミラぐらい上乗せして、ジルをギャフンと言わせてやろうかしら」
 どうせ成るようにしかならないので、ヨシュアは鬱思考を停止する。思いっきり伸びをして左肩をグルグルまわすと、最後の追い込み作業の為にクラブハウスに戻っていく。

 何度か中断が入ったせいか、ヨシュアの当初の予定よりも三十分ばかり遅れて、寿司の模擬店が催される旨のアナウンスが校内放送で流された。



[34189] 13-12:学園祭のマドモアゼル(ⅩⅡ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/14 00:01
「ご来場の皆様に申し上げます。本日はジェニス王立学園の学園祭にお越しいただき、真に有り難うございます。特にエレボニア帝国やカルバード共和国など、遠方より御足労された方々に深く感謝します。そこで遠路遥々外国より訪れたお客様の労を労われる為に、これよりクラブハウス一階の食堂にて特別に鮨の模擬店を行います。本格の江戸前寿司を格安にてご提供する所存なので、外国籍の方は奮ってご参加なされるようお願いします」
 ピンポンパンポンと校内放送のアナウンスが終了すると同時に、敷地内が騒然とする。
「おい、今の聞いたか?」
「聞いた、聞いた。寿司だってよ」
「まさか、リベールで食べられるとは夢にも思わなかったぜ」
「やっぱり、鮨といえば江戸前だよな。最近はエレボニアも回転寿司だらけで本物の店は少ないもんな」
「ほう、稀代の美食家のワシに江戸前寿司を勧めるとは良い度胸だ。もし、米の上に魚を乗っけただけのゴミを鮨と偽ったら、どうなるか覚悟しておけよ」
「とにかく品切れになる前に急ごうぜ」
 鮨に馴染みがない地元の来客が首を傾げる中、帝国の旅人は先を争うようにクラブハウスへと詰めかけて、五分としない内に周囲の来場者の数は半数近くに減少した。
 リベールの現地人は、ここまで帝国人を虜にする寿司とやらに若干好奇心を刺激されたものの、どうやら旅行者限定イベントの模様。何よりもラッシュアワー状態が緩和され人の流れが穏やかになったので、この隙に落ち着いて学園祭を楽しむことにする。

 器物破損罪でゲームセンターから逃走し、喫茶『フォンタナ』に隠れていたダイヤエースは絞りきりジュースを一気飲みすると、相席しているジャックザスペードに声を掛ける。
「おい、クローゼ。俺たちもクラブハウスに行ってみようぜ」
「エステル君、学生に振舞われるのは後夜祭なので、まだ早いですよ」
「んなことは判っているよ。いくら俺が食い意地張っているからって、ルールはちゃんと守るつもりだぜ。けど、ヨシュアがどんな寿司を握るか興味あるだろ?」
「ええっ。そりゃ、まあ」
「おっし、なら決まりだ」
 クイーンオブハートから、ダイヤエースとジャックザスペードという妙ちくりんな渾名を頂戴した二名は会計を済ませると、自分らを捜索する追手の係員の目を掻い潜り、コソコソと喫茶店を抜け出した。
「僕たちが苦労して釣った鮪をこれからヨシュアさんが調理するのかと思うと、感慨深いものがありますね。んっ、どうかしましたか、エステル君?」
 少しばかり顔色を悪くしたエステルをクローゼは心配する。もしかして、海釣りの功績を漁船の乗組員全員で分かち合ったのに、主役級の大活躍をしたトライデント保持者として気分を害したのかと勘繰る。もちろん、エステルはそんな度量の狭い人間ではなく、その剛竿に纏わる嫌な逸話を思い出したからだ。

        ◇        

 トラックに黒鮪や物々交換した海産物を詰め込み、午後には築地漁業組合一堂で学園祭を見物しに行くのを約束した長老はエステルに喚起を促す。
「小僧、一つ忠告しておこう。新たな剛竿の継承者が誕生した今、奴らが再び胎動することは間違いない」
「奴ら?」
 アーティファクトのロッドをお付きの漁師二人に手渡したエステルは鸚鵡のように問い返す。
 いくらエステルの掌の内なら軽量とはいえ、全長5アージュにも達し物干し竿のように伸縮自在というわけでもないトライデントを、常時持ち運びながら日常生活を営むのは無理があるので、再び時が訪れるまで築地に預けることにした。
 だが、長老の口ぶりだと剛竿はエステルの手を離れて尚、新たな戦いの火蓋を切らせるつもりらしい。エステルはゴクリと生唾を飲み込んで、次の一言を待つ。
「そう、釣公師団じゃ」
 嗄れた長老の目がクワッと見開き、ガラガラドッカーン!……っと、バックに演出の雷が発生する。
 『釣公師団(つりこうしだん)』
 王都に本部を構え、クロスベル他外国にも多数の支部を置く、釣道楽の相互扶助団体。
 剛竿トライデントと双璧を成す伝説の釣具、アクアマスターの所有者のフィッシャー男爵を盟主と構え。『魚の使徒(アンギス)』と呼ばれる7人の幹部と、多数の『釣行者(レギオン)』から構成される。エステルがボースで遭遇したロイドも、実は使徒の一人だったりする。
「ああっ、アレね」
 長老の思わせぶりな前振りに、緊張感を漲らせていたエステルは些か拍子抜けする。
 盟主だか使徒だのどこぞの秘密結社を真似たのかは知らないが、川蝉亭で会ったロイドは仰々しい役職とは裏腹に無害な釣り好きのおっさんにしか見えなかった。
「侮るでないぞ、小僧。彼奴らに勝負を挑まれたものは、皆病院送りにされるか二度と釣りが出来なくなる程の精神ダメージを受けておる」
「おいおい、そいつは穏やかでないな。熱血スポコン漫画みたいに無意味に危険な場所でクラーケンのような化物釣りを強要されるのかよ?」
「いやっ、釣り自体は至って普通じゃが、数が尋常じゃないんじゃよ。何しろ爆釣百番勝負とか徹夜の長丁場を平気で仕掛けてきおるからな」
 エステルは呆れて声が出ない。そりゃ、そんな釣り漬けにされたら、体調を崩す者や竿を折る者がでてきても不思議ではないが、釣公師団は自分ら以外の釣り好きをこの世から撲滅させるつもりなのか。
「うーむ、本人たちは至って真面目に釣りの面白さを世に広めようと、普及活動に尽力しておるつもりらしい」
「それって、完全に逆効果だろ? 釣りは仕事の息抜きにもっと気楽に楽しんでやるもので、他者と競って逆にストレス溜めこんでどうするんだよ?」
 エステルにしては珍しい、この上ない正論が飛びだす。
 何よりも釣公師団の連中は何かを嫌いにさせる一番効果的な方法は、その対象物を熱心にしつこく勧め続けることだと気がついているのだろうか?
 実際にアイドル、スポーツ球団、漫画アニメなどの娯楽の熱狂的なファンの近親には、強烈なアンチが潜んでいる場合が多い。大抵は行き過ぎた勧誘による悪影響の賜物だ。
「ふーむ、俺も全く同感だが、奴らに言わせれば、百番勝負ぐらいまでは確かに苦しいが、二百番までいくと痛みも周囲の雑音も消えて世界が真っ白で不思議と笑みが零れてくる。そんな悟りの境地に達してこそ、はじめて一人前の釣人になれるらしい」
 かつて、長老が剛竿の持ち主だった頃、若気の至りでフィッシャーという若造と爆釣五百番勝負をこなしたことがあったが、今にして思えば正気の沙汰じゃない。
 もしかしなくても、長老が剛竿から三行半を突き付けられた要因は、男爵との勝負のトラウマが禍根になっていた。
「何て言うか。あまり関わりたくねえな」
 ボースでロイドから誘われた時は入団しようか悩んだエステルだが、止めておいた方がよさそうだ。
「新なる剛竿の担い手が現れたと知って、あの暇人どもが大人しくしているとは思えん。盟主もお主と同じ称号を持つ釣師じゃし、真の太公望を決する為に次々と刺客を送り込んでくるじゃろう。心して掛かれよ、剛竿トライデントの第二十七代正当継承者よ」

        ◇        

「そういえば、そんな話もありましたね。もしかすると、既に釣公師団の人間が潜入して、エステル君を血眼になって探し求めているかれしれないですね」
「おいおい、薄ら寒いこと言わないでくれよな、クローゼ。勝負事は大好きだけど、道楽にまで勝ち負けを持ち込みたくないぜ、俺は」
 クローゼは笑いを押し殺してエステルをからかうが、実際に学祭に紛れ込んでいるのは彼の関係者の親衛隊員。その姉代わりの女性がヨシュアをつけ狙っていると知ったら、卒倒しただろう。
 このようなどうでもいい四方山話に花を咲かせている中に、二人は瞬く間にクラブハウスの門前に辿り着いた。中を覗いてみると、既に満席に近いほど客が詰めかけている。椅子は全て片づけられていて、立食パーティーの形を取るみたいだ。
 給仕役の女生徒がブルマにエプロンのマニアックな恰好でお茶を配ったり、机の上に人数分の醤油皿とガリを並べている。少女たちの働く様をさり気なく追い掛ける帝国人の目が完全に泳いでいる。
 帝国内のコスプレ喫茶で二十代の婆(オタク基準)の偽ブルマで代謝行為し悶々とした欲求を慰めていた彼らにとって、十代の瑞々しい現役女子高生のブルマ姿を拝めるのはハンス曰くのまさしく天国そのもの。
「あっ、クローゼ君にエステル君。ちょうど良い所に来た、こっちに来て」
 エステル達の存在に気がついた女生徒の一人が、軽くはにかみながら二人の手を掴むと厨房の奥の方に導いていく。男手を必要とする何か手伝って欲しい案件があるみたいだが、帝国人の歪んだ眼鏡にはイケメン共がイチャイチャしているようにしか映らない。
「ちっ、あいつら。ブルマ少女と戯れるなんて、俺らと無縁の羨ましい青春送りやがって」
「本当、産まれてくのが早すぎたぜ。あと十年遅かったら…………いや、その頃にはブルマは廃絶されていたから、リベールに生誕しない限りは反って藪蛇だな」
「ちきしょー、タイムマシンで十年前に戻って、性に未熟な馬鹿な俺に警告してやりたいぜ。今眼前には無限のパラダイスが広がっていて、その貴重な可能性をお前は無為に押し流そうとしているのだってな」
 エレボニア民族の嫉妬の視線としょーもない残懐話を背に受けながら二人が暖簾を潜ると、机上に一匹の黒鮪が丸々と横たわっている。
 何でも余興の解体ショーに使うために漁師の人たちに大型の移動式机に乗せてもらったのだが、400kgという鮪の質量に耐えきれずに四足のキャスターの後輪二つが潰れてしまい途方に暮れていた。
 「確かに脚車が壊れちまったら、女子の力じゃどうにもならないよな。よっし、俺たちが食堂まで運んでやるから任せておけ」
「きゃあー、流石にエステル君にクローゼ君。頼りになるぅー」
 二人は女子に取り囲まれてチヤホヤされるが、肝心のヨシュアの姿が見えない。クローゼが尋ねてみると、何でも現在解体ショー用のコスチュームに着替えている最中。
 どんな派手なドレスや極端な話、水着や下着姿だったとしても、ここに集まった観客がブルマより喜ぶとは思えないが、きっとヨシュアのことだから何か考えがあるのだろう。
 そうこうしている内にショーの時間が来たので、二人は仕事に取りかかる。怪力のエステルが机の後方部分を持ち上げ、僅かながらに浮かせてキャスターの代わりとなり、その間にクローゼが細身の筋肉をフル稼働させて台車を押し込み、ゆっくりと暖簾を潜った。

「皆様、長らくお待たせしました。まずは特別セレモニーとして、黒鮪の解体ショーを行いますのでごゆるりとご鑑賞ください」
 司会役の女子生徒がマイクを片手にそうアナウンスする。奥の厨房扉から、大型の移動式机に乗せられた今し方締めたばかりの黒鮪がエステル達の手によって運ばれてきた。
 厨房手前の中央まで移動させ役割を完了させた二人は、黒鮪から離れると観衆の最前列に陣取る。後は一観客として、ショーの成り行きを見守る所存。
 全身3アージュを超える黒いダイヤの見事な巨体に、クラブハウスを埋めつくした観客から感嘆の溜息と舌舐りする音が聞こえてくる。更に調理人のヨシュアが長い黒髪をお団子に変え、東方の民族衣裳である八卦服(チャイナドレス)を纏って入場してきた。
「あれっ、ヨシュアの奴、あんな服持っていたっけ?」
 エステルは小首を傾げる。お洒落で衣装持ちのヨシュアは普段着の一張羅の黒のミニスカ&ニーソックスの他にも、貢がせた高級ブランド服や自ら縫製したオートクチュールが山のようにクローゼットに飾られてる。たまにファッションショーと称してエステルに何十回ものお色直しを披露してくれるが、このチャイナドレスはエステルの記憶にはない。
「ああっ、あの八卦服ですね。まるで数年前の出来事みたいです」
 クローゼが昔を懐かしむような遠い目でヨシュアを見つめ、またぞろエステルの胸の奥が騒めく。クローゼはヨシュアの新衣装に心当たりがあるみたいだが、その件を問い質す前に周囲が騒然としてきた。
「おいおい、あの娘が解体人かよ? スゲエ、可愛いじゃん」
「確かにな。けど、あの華奢な細腕でどうやって硬質の鮪を捌くつもりだよ?」
「それより、何でブルマじゃないんだ? きちんとTPOを弁えた服装をしてくれないと困るだろう」
 ヨシュアの外見から当然の危惧と馬鹿馬鹿しい苦情が飛び出す。男二人はは互いに苦笑未満の表情を見合わせたが、少女の実力を良く知る彼らにとっては、観客の心配事など単なる杞憂。これから帝国人たちは奇跡の情景を目の当たりにすることになる。
「皆様、ご静粛に。これより解体ショーを始めます」
 演出として窓と扉を全て締め切って日光を遮断し、暗がり状態を作り上げる。一つを残して照明を全て消して、ヨシュアと鮪のみにスポットが当たるようにする。室内が静寂になり、ヨシュアは両太股に巻かれたバインダーから得物のアヴェンジャーを取り出して両手に構える。
「行くわよ!」
 キュピーンという流し目のカットインと同時に琥珀色の瞳を真っ赤に染めながら、Sクラフト『断骨剣』を発動せさる。
「せぃ、はっ、せやっ!」
 可愛い喘ぎ声と一緒に常人の動体視力では追いきれない音速の速度でせわしく両腕を動かし続けて、鮪を滅多斬りに切り刻む。古代文明の叡知の結晶にヨシュアの人並み外れた技量が加わって、固い黒鮪の身がまるでゼリーのようにいとも容易く骨まで切断される。
「これで終わりよ!」
 頭部が切り離されたのを確認すると、そのまま上空に大きくジャンプし、ヨーヨーのようにクルクルと回りながら自然落下。落下と回転の遠心力を利用して鮪の分厚い身を両断。双剣を鮪の背中に沿って右身、左身、中骨の三つの部分に切り分けて、見事に三枚下ろしを成功させる。
「おおっ、何か凄いぞ、あの娘」
「それより落ちてくる時、ミニワンピースからお尻の黒いブルマが丸見えだったんだな」
「何か生でブルマ鑑賞するよりも興奮するぜ。畜生、マニアの心を擽る壷を心得ていやがるぜ」
 一部の観客が解体ショーとは別の場所に注目しているが、これもヨシュアの計算の内。一時的に例の絶対領域を解除し、スカート内部をあざとく衆目に晒したのがその証拠。
 元来ブルマはエステルのようなスカート捲りするエロガキ対策のガードとしても機能し、体育の授業がある日はスカートの下にそのまま直に忍ばせておく女生徒も多かった。
 もっとも、ここに集っているのは生下着よりもブルマを有り難がる特殊層が大部分なので、見せパンとしての効能は薄く、ヨシュアにとっては普通にパンチラしているのと大差ないが、それだけに観衆の心を一気に鷲掴みしたのは確か。
「これにて解体ショーは閉幕です、はいっ!」
 自らに注がれる淫らな視線を感じ取ったヨシュアは軽く頬を染めるが、強いプロ意識の力で羞恥心を強引に捻じ伏せると、最後の締めとしてアヴェンジャーの柄の部分で鮪の頭をトンと軽く小突く。
 その微小な衝撃で、三枚に下ろされた鮪の身は頭部を覗いて更に何百という細かい立方体の部位にパラパラと崩れ落ち、ピンク色の極上の生肉を披露する。
「凄いぞ、黒髪チャイナ娘ー」
「ひゅー、ひゅー、ブラボー」
 空中落下前には既に今の状態に綺麗に切り分けられていたようで、完璧な活け造り状態で解体ショーを締め括った少女の神業に衆目は邪な想いを一時的に忘却。クラブハウスは拍手の洪水で埋めつくされる。
「いやー、実に良いものを拝ませてもらったね。やっぱり、燃えと萌えの融合たる『ダブルもえ』が今のトレンドだよね」
「全くだぜ。本当にブライト姉弟に引っついていると、ネタに困らないから助かるぜ」
「確かに大変素晴らしいショーでしたが、何時になったらあの脂の乗った大トロを格安で食させて頂けるのでしょうか? わたくし、もうぺこぺこでお腹と背中がくっついちゃいそうです」
 解体ショーに素直に感動していたエステル達の背後に、またぞろ見知った連中が姿を現す。外国籍のオリビエとアルバ教授になぜかジャーナリストとしてヨシュアにこの場に招待されたナイアルだ。感嘆の意を示した男二人はともかく、教授の思考は相変わらず食べ物中心。クローゼを破産寸前まで追い込みながら、まだ全然食い足りないみたい。
 ただ、彼女のハングリーが周囲に伝染したようで、「解体ショーは十分堪能したので、早く寿司を食べさせてくれ」という声がチラホラ出始めた。



[34189] 13-13:学園祭のマドモアゼル(ⅩⅢ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/14 00:01
 解体ショーの興奮が未だに醒めならぬ今、外が騒がしくなる。
 突然、扉が開け放たれて、暗室の内部に明るい日の光りが射し込み、眩しさに来客は目を瞬かせる。
「困ります、お客様。今回は外国者限定の特別イベントでして」
「ええい、離さんか、小娘。私を次期国王デュナン・フォン・アウスレーゼと知っての狼藉か?」
 遮ろうとする二人の女子生徒を強引に押し退けて、デュナン公爵がクラブハウスに乱入してきた。
「ふふん、こう見えても私は寿司には煩くてな。次期国王の私に鮨を握らせるという栄誉を授けてやるので感謝するように」
「申し訳ありませぬ。閣下は一度こうと決めたらテコでも動かぬ御方。全てはわたしくの不徳と致す所で」
 相変わらずの押しつけがましい尊大さで公爵は周囲に不快感の渦を巻き散らし、苦労人の執事が必死にフォローを繰り返す。恒例の凸凹コンビの登場である。
 エレボニアと違って鮨文化が浸透していないので、大部分のリベール人は寿司を解さないが、一部の上流階層の人間なら国外で食する機会があっても不思議ではない。
 アナウンスでは外国籍向けのサービスと明記したが、己が意志は総ての規則に先んじると妄信している模様。ついさっき寄付の善行を施したと思いきや、早速トラブルメーカーの本領を発揮する。
「おい、何だ。あのいかれた髪型のおっさんは?」
「リベールのお偉方みたいだけど、ルールも守れないのか、この国の上層部は?」
「なんか次期国王とか僣称していたけど、もし、あんなのが本当に最高権力者になるなら、エレボニアが侵略して真っ当な占領官を配置してやった方が、この小国の為なんじゃないか?」
「なっ? なっ? なっ?」
 非常識な闖入者に周囲の酷評が集中砲火。デュナンマンセー一色の寄付会場との温度差に自分は現界とよく似たパラレルワールドにでも彷徨い込んだのかと公爵は錯覚したが、実は旧校舎の方が彼の脳内妄想を忠実に再現した芝居小屋のまやかしに過ぎず、今の風評こそが混じり気のない真実。
「ちょっと不味いわね」
 単にブルマの上に纏っていただけの八卦服を脱ぎ捨てて、エプロンと三角巾の調理用ユニフォームに着替えたヨシュアは軽く舌打ちする。
 既に寄付金は搾取し終えたので、今更仕込みがばれても完全に後の祭り。このまま知らん顔しても特に支障はないが、貢いでくれた殿方には気分良く最後まで夢を見させてやるのが少女のポリシー。
 「俺が馬鹿公爵を力ずくで追い出してやろうか?」というエステルの有り難い申し出をやんわりと断ると、営業スマイルでデュナンに挨拶する。
「お待ちしていましたわ、公爵閣下。次期国王に直々に訪ねていただけるとは光栄ですわ」
「ふぇっ? ふっ、ふふんっ、そうであろう。そうであろうぞ」
 水が低きに流されるように、先程感じた都合の悪い違和感は記憶から抹消され、ヨシュアの演じる理想のリアクションに縋り付いた。
「本来ならリベール籍の者は対象外なのですが、将来の王様の頼みは断れないわね。けど、他に大勢のお客様もいらっしゃることだし、節度は守ってもらえますよね?」
「当然であろう。無識な一般庶民でなし。このデュナン、社交場での礼儀作法は心得ておるわ」
「常々迷惑をかけて申し訳ありません、ブレイサーのお嬢様。御厚意に篤く感謝致します」
 公爵は頼もしそうに誓約するが、この場に強引に押しかけたこと自体が既に重大なマナー違反であるという矛盾に本人は気づかず、代わりにフィリップが陳謝する。
「おいおい、本当にいいのかよ、ヨシュア? こうやって甘やかして好き放題させると、ますます増長して彼方此方に迷惑を掛けまくるぞ」
 デュナンの姿を見かけるや否やクローゼは厨房内に姿を隠す。筋を通さない公爵の何時もの我が儘と特権者に追従し節を曲げたヨシュアの変節にエステルは遺憾の意を示す。
「うーん、確かにエステルの言う通りなんだけど、今日ぐらいは大目に見てもバチは当たらないじゃない? 実はデュナン公爵は恵まれない子供達の為に百万ミラも寄進させたのよ」
「ひゃ、百万ミラ? この馬鹿…………いや、閣下がか?」
 鼻高々で昂然と胸を反らすデュナンを珍獣でも発見したような驚愕の眼で見つめるが、直ぐに裏事情を把握する。かつて公爵をスペードのキングに譬えたヨシュアの手厚い程の優遇振り。
 恐らくは公爵に気前良くミラを吐き出させる何らか策略をジョーカー役のオリビエを使って講じており、現在はアフターサービスを継続している最中。
 デュナンの寄付動機やヨシュアの遣り口は置いておくにしても、ミラ自体に貴賤はない。これで早くもマーシア孤児院を再建する目処は達成されたので、仕方なく目の前の小さな不正に目を瞑ることにする。
「ふふん、どうやら判ったようだな。おい、お前たち。きちんと話はつけたから、入ってきて構わないぞ」
「お前たち?」
「すいません、失礼致します」
 デュナンが扉の外に声を掛けると、更に複数のコンビが恐縮しながら入場してきた。
「申し訳ありません、ヨシュアさん。地位や特権を笠にきて、ルールを捩じ曲げるのはいけない事だと判ってはいるのですが」
「お嬢様は新鮮な甘エビとイクラが大好物ですからね」
「ほうっ、ヨシュア君はここにいたのか? 彼女の握る寿司を食べられるとは楽しみな事だね」
「ダルモア市長、目が少しイヤらしいですよ」
「だから言ったでしょう、レイナ。私は帝国人だから、きちんと条件は満たしているって」
「後夜祭まで待てなかったのですか? 本当に食い意地が張っていますね、フラッセは」
 顔馴染の市長コンビとお付きの二人に帝国からの留学生のフラッセとレイナの主従。
 市長クラスや貴族子弟の生徒のような上層階層なら寿司に馴染みがあるのも自然だが、公爵と違いきちんとモラルを弁えている彼女たちは、自分らが本当に混じっても良いのか扉の外からデュナンの交渉振りを伺っていた。
「なんか、どんどん部外者が増えてきたけど、大丈夫か、ヨシュア?」
「デュナン公爵を招き入れたのに、今更他は駄目とは言えないわよね」
 元々外国旅行者限定と銘打ったのは他の屋台の客層を奪わない処置に過ぎず、寿司の価値を理解し求めてきたのなら断る理由はない。
 デュナン他一部の特権者の本当のスペシャルゲストを隅っこの席に纏めて押し込める。大口寄付の特種情報をリークして公爵の対応をナイアルに任せると、ヨシュアは今か今かとソワソワしている来客にマイクを持ってアナウンスする。
「ご来場の皆様、長らくお待たせしました。これより寿司の模擬店を開催するので、ごゆっくりとご賞味ください」
 ヨシュアが宣言すると同時に給仕の女子生徒が次々と厨房から姿を現す。丸い寿司桶に盛られた作りたての鮨が全てのテーブルに置かれる。
 桶内には大トロ、中トロ、鯛、エビ、ウニ、イクラ、アナゴ、イカ、コハダ、ねぎとろ巻き、かんぴょう巻き、玉子などが綺麗に盛られている。新鮮で神々しい海の幸の煌きに帝国人はゴクリと生唾を飲み込むが、直ぐに手をつけようとはしない。
 どうやら、お値段を気にしている模様。校内放送では格安と謳われたものの、何しろ世知辛いご時世。特に大トロのような稀少なネタを時価という名目で価格を曖昧に暈している店も多く、何も知らずに腹一杯食べたら数万ミラもふんだくられた、ぼったくりバーさながらの被害に遭うケースも珍しくない。
 そんな帝国人の警戒心を和らげるが如く、ヨシュアは多くの殿方を惑わしてきた一点の曇りのない笑顔で掲げたバーゲンセールの看板に偽りがないのを確約する。
「今回は遠方よりのお客様を労うのが目的の謝恩祭なので、収益については考えておりません。そこで、代金はお客様ご自身によって決めてもらいます」
 訝しむ来客にヨシュアは更に補説する。ようするに精算は食べ終わった後に各自の客が自己申告する方式で、各々が好きな額を支払えば良いという画期的なシステムだ。
 帝国内にも極稀に存在する己の技量に絶対の自信を持つシェフが営む料金自由設定レストランのようなものだが、それを寿司屋で行うのは前代未聞。夢のような接待に観客が大いに沸騰する。
「何をどれだけ食べても、こちらの方から所定の金額を請求することはありませんが、寿司ネタの数には限りがございますので、その点だけはご了承ください」
 パンパンと両掌を叩いて合図すると同時に、肩の荷を下ろした客は我先にと近くにある寿司樽に手を伸ばす。手頃な鮨ネタを掴んで軽く醤油皿につけると、胃の中へと押し込んだ。
「ふごおおおー、脂の乗った中トロの旨味が、口の中一杯に広がっていくぅー」
「これがジパング三大珍味のウニかよ。甘くてコクがあって、本当にサイコぉー」
「新鮮なイカもコリコリして歯ごたえと甘みがあって、まるでイカが海を泳いでいる情景がアリアリと目に浮かぶみたいだせ」
「あああああっー! 大トロの濃厚な脂が身体の隅々まで染み渡って、溶けていくー」
「これいくら食べても、ほとんどロハだろ? 俺太り気味だけど、今日だけはカロリー計算を気にせず、たらふく喰いまくるぜー」
 彼方此方から、阿鼻叫喚の称賛の声が聞こえてきた。三十個を用意された寿司樽の半数近くは既に空になり、ヨシュアは注文があり次第、追加の鮨を握る態勢に入る。
 実に旨そうに寿司をガブ喰いする餓鬼道の地獄絵図に触発され、エステルは一瞬手を伸ばし欠けるも自重。意外と律儀な彼はフライング行為を潔しとせず、美味そうに鯛を頬張る同級生のフラッセ嬢の姿を尻目に後夜祭までの我慢と自分に言い聞かせる。
 煩悩を追いやり気分をリフレッシュさせる為、ブルブルと軽く首を横に振ると改めてヨシュアの寛大さに感心する。
「しかし、まあ、あの守銭奴にしては随分と奮発したものだな。考えてみれば鮨ネタは俺たちが釣ってきて元手が掛かっているわけじゃなし。たまには慈善事業を施す気分になったのかもな」
「くっくっくっ、んな訳ねえだろ、エステル。お前の義姉はそんな菩薩のような殊勝なタマかよ?」
 公爵の寄付自慢に霹靂しインタビューを途中で切り上げてきたナイアルは、そのまま隣に陣取ると素朴な見解を嘲笑い、エステルは首を傾げる。
 ヨシュアの腹黒さに異存はないが、既にフィーフリーを声高らかに宣言済。極端な話、壱ミラの端金でお腹一杯食べられても文句の言いようがない。いかな知恵者といえど、今更小細工のしようがない。
「そりゃ、お前さんなら小銭で躊躇なく食べられるだろうな。だか、ここに集まっている帝国貴族のお偉いさんには、いささか事情が違ってくのさ」
 リベール人でありながらこの場に招待された新聞記者のナイアルもヨシュアの仕込みの一部。『世の中、只より高いモノはなし』の諺通り、ある意味では最初から数千ミラの大金を吹っ掛けるよりも遥かにえげつないシステムだ。
「どいつもこいつも、どうして回りくどい言い回しか好きなんだ? 他人に好意を抱いたら、『好きだ』の一言で十分意味は通るだろうに」
 またぞろ始まったお利口さんにしか通じない韜晦トークにエステルはウンザリしたが、別段ナイアルは意地悪している訳ではない。一から全てを説明するよりも、実地を交えて小出しに解説する方か理解が早いと思っただけ。
「まあ、大人しく見物してろよ。最終的には万札の雨が飛び交うことになると思うぜ。故意か偶然かは知らないが、お誂え向きの人材が顔を出しているしな」
 ヨシュアの方角に歩を進める一人の初老の男性を指差す。羽織を纏い太眉の風格溢れる御仁で男の正体に騒然となる。
「おい、あれって帝国の美食倶楽部(グルメクラプ)総帥のエドガーじゃないか?」
「政財界に多くの会員を持ち、人間国宝と称された陶芸家で稀代の美食家でもあったっけ?」
「何でそんな大物がこんな場所に? って、偉そうにしていても中身は俺らと同類か。けど、折角安く食べられると思ったのに、何か面倒な流れになりそうだな」
 最後に触れてはいけないタブーを囁いた帝国人もいたが。グルメクラブ総帥たらいう大層な肩書を所持するエドガーは周囲の雑音を気にすることなく、ヨシュアの前に仁王立ちする。
「あのー、お客様、何か? まだお寿司の在庫は残されて」
「娘、お前の鮨を握る姿が見たい。鮪尽くしを所望する」
 シンプルにそれだけを言い捨てると握る側のご都合もお構いなし。両腕を長襟の内部に隠したまま、花崗岩の如くその場に立ち尽くす。
 『マグロに捨てる所なし』という有名な格言があるように、鮪は皮、骨、腸、目玉に至るまで、全てを食することが可能な海の王者。
 その黒鮪の最高肉のオオトロなど、よほどの下手糞が握らない限り美味いのは必然。敢えて他の劣化部位を注文することで、少女の力量を見極めようという魂胆だ。
「お客様のご希望とあれば……」
 ここが正念場と悟ったヨシュアは、公爵とは異なった意味で傲岸不遜な目の前の食通の無理難題を受け入れて、公開調理へと移行する。
「おい、どうやらあの解体ショーのチャイナガールが寿司を握っているみたいだぞ?」
「ネタもシャリも人肌の温度をまるで感じなかったし、何手で握ったのか楽しみだな」
「やっぱり五手かな? 俺は三手以内の名人芸だと思うけどな」
 比較的安価で庶民も口にする機会の多い赤身と呼ばれる部位を切り分けたヨシュアは、酢飯の樽の蓋を開いて更にワサビをおろす。
 この至高の鮨がどのように握られたのか興味津々の一堂は、ヨシュアの一挙一動に注目する。
「五手? 三手? 詰め将棋の話じゃねえよな。ナイアル、観客が何を呟いているのか判るか?」
「俺に聞くな。こちとら薄給の貧乏記者だから、取材はしても食べたことはねえよ」
「ふっ、ならばここは世紀の音楽家でエドガー氏に匹敵する美食家でもある僕が解説させてもらおうか」
 行儀悪く口元を醤油で濡らしたオリビエが二人に近づいてきて、頼まれてもいないのに勝手に講釈を垂れる。
 彼らが言う『手』とは、鮨を握るまでに掛かる手数のこと。本手返し、小手返し、親指握りなど手法は様々だが、一般的に少ない手数で握れるほど人肌の体温が付着しなので優秀とされる。
 もちろん、単に手数の大小を競うだけでは何の意味もない。食べやすい均一の米粒数で御飯粒同士を圧縮せず、同時に食事中に型崩れしない適度な柔軟さの維持が成されなければならない。飯炊き三年、握り八年と習得に十年の修行が必要と言われる所以。
 見習いの小僧で七手、ツケ場に立てる一般的な職人でも平均五手かかり、ベテラン職人の血の滲むような修練の成果を経て、四手、三手と減らしていき、寿司ネタと酢飯を組み合わせる製法上、二手がこれ以上減らすことはできない究極の手数とされるが、その領域まで辿り着けた寿司職人は本場ジパングでも数える程しかいない。
「さてと、それでは始めますか」
 右手の指先で軽くネタの裏側にワサビを塗り込んで、同時に左手でシャリを掬う。少女の寿司歴は不明だが、年齢を考慮すればそれほどキャリアがないのは簡単に想像がつく。
 ただ、寿司に限ったことではないが、ヨシュアは『才能は努力を上回る』という世の摂理と教育の悪手本を忠実に体現した存在。見習い職人の下積み期間の長さを知れば凡夫の苦労を憐憫したかもしれず、既存の常識を遥かに超越した離れ業を衆目に披露する。
「「「「「なっ!?」」」」」
 人々は己が目を疑う。
 ヨシュアが片手で酢飯を空中に放り投げると、スパーンという小気味の良い音がして、落下の遠心力を利用し僅か一手で赤身とシャリをドッキングさせる。
「アレはまさか伝説の奥義『小手返し一手』? いやはや、こんな手法で最低手数を更新するとはたまげたものだね」
 基本物怖じしないオリビエでさえも、少女の人並み外れた寿司センスに脱帽する。ヨシュアはお手玉のように次々に酢飯の固まりを宙に投げ、瞬く間に十貫の赤身をエドガーの眼前に並んだ。
「どうぞ」
 周囲のリアクション要因の観衆とは異なり、エドガーは目の前で繰り広げられた神業にさして驚いた素振りも見せず、ヨシュアの催促に無言で頷くと軽く醤油をつけて口の中に運び込む。
 この気難しい陶芸家は納得のいかない作品を容赦なく叩き割ることでも有名。彼にとって過程は何ら重要でなく結果だけが総て。それは芸術でも美食でも何ら変わりはない。
「美味いな、素材の良さを100%近く活かしておる」
 良くあるグルメ番組のような熱く長ったらしいコメントを吐かずに率直な称賛を口に述べる。ヨシュアの寿司はこの食通から最上級の評価を得られ、この瞬間に本当の意味での模擬店の成功が確約された。
「お誉めいただき恐縮です。基本を疎かにした曲芸に走るは些か心苦しかったのですが、この手法がお客様に最も美味しく食べていただく私のベストの握り方なので」
 最も欲していた一言にヨシュアは表情を綻ばせると、照れ臭そうに頭をかく。
 オリビエは奥義と称してくれたが、ヨシュアにとって小手返し一手は単なる苦肉の策でしかない。
 人より低温で繊細な作業をこなせる理想の寿司職人の掌をしているヨシュアではあるが、一般の殿方に握力で大きく劣る彼女が真っ当な遣り方で両手で寿司を握ろうとすると形の凝縮に時間を取られてどうしても体温がネタに移ってしまう。
 そこで閃いたのが慣性の法則を利用した先の小手返し一手。別段誰かに教わったわけでなく、合理性を突き詰めた結果辿り着いた方法論に過ぎない。
「ふっ、真に驚嘆すべきは、一握りで決まった米粒数が必ず掬い取るマイクロセンサーのようなヨシュア君の指先の触感とベクトルを完全に制御した小手先の器用さなのだろうね。流石は僕の未来の花嫁だね、マイブラザー」
 オリビエはしたり顔で解説する。他にも寿司素人にはさっぱりの蘊蓄が長々と語られたが、評価すべきは小手返し云々の小技ではなく、料理には愛情が大切だと常々主張していたヨシュアが相手に美味しく食べて貰おうと労った工夫の跡の方だろうと、エステルはエドガーとは真逆に結果よりも過程の方に重きを置いた。
「馳走になった。久しぶりに本物の鮨を味合わせてもらった」
 一通りのコースを食べきって満足したエドガーは、料金として一万ミラ紙幣を机に置くとクラブハウスを後にする。
 この男は己の嗜好に関しては一切の妥協を許さぬ融通の効かない偏屈者。まだ貧乏だった若い時分、飲食店で基準に満たない料理を提供されて、「俺は蕎麦を注文したのに、出されたのは単なるゴミだった」との暴言を吐いて代金を払わずに食い逃げの現行犯で検挙された犯罪歴は一度や二度ではない。
 そんな頑固一徹の著名人から本物認定されたことで、この場の流れは完全に決した。
 その後も満腹した帝国人が次々に席を立ったが、自由価格設定にも関わらずにナイアルの予言通りに次々と万札かそれに近いミラが投じられていき、エステルは首を捻る。
「不思議だな、あの食通っぽい実はブルマ好きの貫祿あるおっさんならともかく、何で皆律儀に多額のミラを落としていくんだ?」
「ふふっ、エステルさんには難しいでしょね」
 好物のイクラを美味しそうに頬張りながら、今度はメイベル市長が解説役を買ってでる。影のように尽き従っているリラは得意の仏頂面を維持しながら、硬めの赤貝と格闘している。
「金持ち貴族は、一見吝嗇のイメージがありますが、逆に風評や世間体に拘束されている面もあります。特に貴族の場合には芸術品の真贋を見抜く目利きや物品に正当なミラを支払う度量が求められていて、そこから逸脱した者は社交場で笑い物にされるのです」
 料金は自由設定の筈だか、大御所のエドガー氏が独断で相場を定めてしまい、それ以下のミラしか支払わない者は己の矮小さを露見させてしまう奇妙な雰囲気が周囲を覆っている。
 それを助長するのが、精算時に自分の姓名、食べたネタの数、支払い予定額をきちんと紙に書いて自己申告するルールで、これが実に曲者。
 何しろレジの隣には新聞記者のナイアルが陣取っていて、思わせ振りな態度で逐一メモを取っている。うかつな値段を書き込んで、それが後に世間に大々的に吹聴されたら溜まったものではない。
 例の寄付金騒動でデュナン公爵がヨシュアの謀略に面白いように嵌まったのは、そのようなスキャンダルを恐れた一面もあった。上流階級の者ほど勝手に己で自分の実像を縛ってしまい、そこから自由になれないものらしい。
「中にはそういった見栄やプライドに束縛されることがない自由奔放な兵もいますけどね」
 メイベルは苦笑しながら、外国籍の男女の一組に目を向ける。
「いやあー、満足、満足。本当にリベールに遠征してきた甲斐があったなあ」
「わたくし、お腹が一杯でもう動けません。こんなに美味しいお寿司を三十ミラで食べられるなんて、今日は何て素敵な一日なのでしょう」
 オリビエとアルバ教授は互いに背中合わせで床に腰を下ろしながら、妊娠女性と見間違うほど膨れたお腹まわりを撫でている。
 浴びるほどたらふく寿司を喰らいながらも、この二人が申告したミラはクラブハウス名物のジェニスランチ以下である。
 開店前にヨシュアはオリビエの格安バイキングを予見していので、こういう面の皮が厚い貧乏人が何人か混じるのは折り込み済みなのだろう。
「それは置いておいても、きちんと適正な対価を支払うのは人として正しい在り方なのですけどね。近頃は、商泥棒(あきんどろぼう)と呼ばれる発展途上国の貧しい人々の無知蒙昧につけ込んで、詐欺同然の安値で資源を買い叩いて高値で売り捌くというアコギな商法を繰り返す悪徳商人が幅を利かせていますが、実に嘆かわしい風潮です。突き詰めれば商売というものは、人と人との信頼関係で成り立っているので…………」
 メイベル市長の長々とした経済トークが始まったので、エステルはメイドのリラに挨拶して、そっと場を離れてヨシュアの姿を探し求めた。

「まあ、寄付したミラは本来、別荘地の購入費用の一部に充てるつもりだったのですか? 流石は次期国王の閣下は下々の幸福を考えた素晴らしい御方ですね」
「ぬっふっふっ、そうであろう。そうであろうぞ」
 ヨシュアは寿司を握りながら、公爵の晩酌の相手を務める。
 百万ミラも注ぎ込んだというのに、旧校舎の寄付会場を抜け出て以来、誰も彼の偉業を讃えてくれないので、聞き上手に徹してくれるヨシュアの存在に飛びついた。
「にしても、あの帝国の道化者。どの面下げて私の面前をうろついておるつもりだ? オマケに五十万ミラも所持していながら、たった五十ミラで寿司を食べるとは帝国紳士の風上にもおけない小さい男よ」
 我が物顔で床上に大の字で横たわって幸福そうな寝顔で寝息を立てているオリビエを、デュナンは不愉快そうにチラ見する。
 見せ金の五十万ミラは既に返金済み。今のオリビエは公爵に自己紹介したように身一つの文無しなのだが、ヨシュアはその点には触れずに気紛れで接触を図られる前に対抗策を施す。
「まあまあ、公爵さん。彼はつい先程とても辛い体験をされたみたいで、体育座りでこうブツクサと呟やいていましたよ。『僕は負けていない、そう僕は負けていない。僕はデュナン公爵と逢っていないんだ』と。どうやら脳内の記憶を改変して、あなたにコテンパンに打ち負かされた過去を無かった事にしたみたいです」
「なんとまあ、呆れた現実逃避よのう」
「そう蔑まないであげて下さい、公爵様。誰しもあなたのように現実世界で大きな夢を叶えられる訳ではないのです。過酷な現実から目を背けて妄想世界に逃げ込んだとしても、その心の弱さを一体誰が攻められると言えましょうか?」
 「だから、暖かい目でそっとしておいてあげましょう」と、ヨヨヨと涙を流しながら泣き崩れる。
「ふーむ、そう考えれば確かに奴も哀れな男じゃな。次期国王たる私が真面目に取り合うなど少々大人げなかったか。言われた通りに放置してやるとしよう」
 デュナンは大トロ二貫を纏めて噛み砕きながら、憐れみの眼で精神病患者の帝国人を一瞥し、ヨシュアは軽く舌をだす。
 エステルから八方美人と呆れられようとも、関わった殿方全てに喜ばれるように個別にアドリブで対応するのが少女の処世術だ。
 ふと、公爵の側に控えるフィリップと目があう。彼は細い眼に微小な懐疑の光を認めてこちらを睨んでいる。
 まさか黒幕のクイーンオブハートであることまで突き止めた訳ではないだろうが、この場で公爵贔屓の流れを引きずっているのはヨシュア一人。クラブハウスの一連の芝居と何らかの関わりを持っているのではと疑っているみたいだ。
 基本雑魚専のヨシュアとしては真のタイマン特化型とのバトルなど御免被るので、公爵で遊ぶのは止めて彼のお気に入りの方向に強引に話題を変更する。
「公爵閣下がルーアンに避暑地を所望されたのは良く判りますわ。私たちはこの街に来て間もないですが、流石は観光都市だけあって海岸線の展望は格別ですからね」
「ふーむ、お主は本当に見所があるな。次期国王ともなれば豪華絢爛な別荘の一つぐらいあって当然だからな。なのに、ダルモアの奴。先程手付け金無しで話を進めようとしたら露骨に嫌な顔をしおったな。あれだけの豪邸に住んでいて、旧貴族とは思えぬ意外としみったれた男よな」
 少しばかり興醒めした態度でメイベルと市長同士の会話を交わすダルモアを見下した。市長達よりも、その両隣に控えるメイドと秘書から各々の主人に絡んだ単純ならざる空気を醸しだし、眺めていてとても興味深い。
 「そりゃ、頭金無しの契約など、普通の商売人は嫌がるだろう」と内心で思ったが、ここはデュナンの顔を立てる為、ひたすら彼をヨイショ。ルーアン市長の狭量さに同調し、更にはどのあたりに別荘を建てるのか尋ねてみる。
 この時のヨシュアの質問には何らの意図も作為も無い。単に四方山話を滑らかに進行させる潤滑油として利用しただけ。ただ、人類が偶然からパンをふっくらと焼きあげる術を発見したように、思いがけない切っ掛けから事件の手掛かりを得られるケースもままある。デュナンの口から候補地の具体的な場所を聞き出した刹那、軽い動揺で小手返しで握ろうとしたシャリを受け止め損ねて床下に落とした。
「どうした、ヨシュア? お前が単純ミスするなんて珍しいな。こういうのを『弘法も筆の誤り』って言うんだっけか? それとも、またダルモア市長の視姦の視線でも感じたのか?」
 床上の失敗作の酢飯の塊を掬い上げてごみ箱に放り捨てたエステルは冗談に交えて揶揄してみたが、ヨシュアは無言のままだ。
「おい、本当にどうし……」
「ねえ、エステル。もしかすると、敵を発見したのかもしれない」
 そう宣告すると、ヨシュアはまるで親の仇のような目でダルモア市長を睨み付けたが、エステルは義妹の敵意の視線と言葉を『女と敵』という別意味に取り違えていた。



[34189] 13-14:学園祭のマドモアゼル(ⅩⅣ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/14 00:02
 かくして、ヨシュアの営む江戸前寿司の模擬店は、好評のうちに暖簾を降ろした。
 次のイベントの時間が押し迫っており、簡単な後片付けとカロリーの摂取を並行して行うよう周囲の女子生徒に指示しながら、厨房の奥に声を掛ける。
「デュナン公爵はお帰りになられたから、もう出てきて構わないわよ」
「申し訳ありません、ヨシュアさん。色々とお手数をおかけして」
 後ろめたそうなクローゼが、厨房扉からひょっこりと顔をだす。
 対処療法でその都度トンズラをかましても、どのみち『白き花のマドリガル』の上演で嫌でも顔合わせることになる。クローゼは往生際の悪さを自嘲するが、舞台上で公爵の目を欺く手段は幾らでもあるとアイデアを提供する。
 現在、クローゼの陶磁のように白い肌は小麦色に日焼け中なので、染めるなりして髪色に少し手を加えれば、間の抜けた公爵の節穴ぐらい誤魔化せる。
「まあ、執事さんは気づくと思うけど、あの人はトラブルは望んでいないでしょうから、公爵さんから問われない限り黙っていると思うし」
「本当にすいません、何から何まで至れり尽くせりで」
「何だ? 馬鹿公爵から借金しているって噂は本当だったのかよ、クローゼ?」
 ひたすら米つきバッタのように平身低頭のクローゼに対し、ルーアン市のドタバタ時のヨシュアの見解を真に受けたエステルが、またぞろ見当違いの解釈の元に口を挟む。
「貧乏なのは判るけどシェラ姐じゃあるまいし、借りたミラを踏み倒すのは良くねえぞ」
 色々問題の多い御仁だが、少なくとも公爵は吝嗇でないのは確か。話せば返済期間の猶予はつけてくれると話がどんどんあさっての方向に進んでいく。ヨシュアは苦笑するも、クローゼはその言葉に身をつまらせる。
「エステル君の言う通りです。何時までも逃げ続けていないで、きちんと正面から向かい合わなければいけないのは自分でも分かっているのですか」
 王位を望み軍部の強力な後ろ盾を抱えながらも器量不足のデュナン公爵と、自らの力量に疑念を抱きアリシア女王の期待に応えるのに躊躇いを覚える王太子。
 玉座は二人のどちらの手に転がり込むのか? 少女の合理的な思考フレームを以てしても、現地点ではデータ不足で全く予測不可能。

 ヨシュアの度重なる私用で予定より三十分ほど遅れた影響と、予想を遥かに上回る大繁盛で暖簾を下ろすのに手間取った為、時刻は既にお昼休みに突入。セレモニーの騎馬戦開始まで三十分を切っている。
 騎馬戦参加面子のヨシュアや給仕役の女子生徒は、予め作り置きしておいたオニギリとクラブハウスの冷凍物の在庫をレンジでチンして大慌てでがっついている。
 余りものの寿司を食べれば良いと思われるが、例の大盛況振りでネタがほとんど残されておらず、後夜祭の分を考慮すると出し惜しみせざるを得ない。
 幸いエステルが余分に釣ってきてくれた黒鮪は一匹丸ごと温存してある。『マグロに捨てる所なし』の格言通りにヨシュアの腕前なら、目玉から尾鰭の先っちょまで鮨に握り変えて、その名の通り鮪尽くしを全校生徒全員に振舞える。
「騎馬戦の後には、まだオオトリの『白き花のマドリガル』の上演劇も残っているんだよな」
 催し物が予め立てた予定表そのままに進行する事態などまず有り得ず、大抵は遅れ気味になるのだが、まさにハードスケジュールここに極まり。華奢な義妹か途中でぶっ倒れやしないかと珍しく兄馬鹿振りを発揮したエステルはヒヤヒヤするが、少女の無謬性を神聖視するクローゼは体調の憂慮まで頭が回らずに収入について問い質す。
「それで最終的には、いくらぐらい儲かったのでしょうか、ヨシュアさん?」
「トン単位で購入した米代とか、手伝ってくれた娘に支払う日当とかの必要経費を差し引けば、大凡五十万ミラ前後だと思うけど」
 演算オーブメント顔負けの計算能力を持つヨシュアにしては、比較的アバウトな数字に終始した。売上のミラは特に計算せずに喜捨金を一元管理している生徒会の集金係に纏めて預けてしまい、ぱっと見の目算だからとのこと。
 いずれにしても、学園祭の素人屋台の収益としては前代未聞の大黒字。ジルとの約束で百万ミラの余剰分の半額を報酬として割り当てられるのなら、たった一日で二十五万ミラも濡れ手に粟の勘定になり、寄付金の伸び次第ではヨシュアの白い掌に張り付く粟粒は天目学的な数値に増えていく。
「損得なんてまるで考えずに壱ミラでご奉仕するつもりで料金自由にしたのに、本当に帝国紳士は気前が宜しくて有り難いわね」
 ヨシュアは両掌を胸の前で握りしめて、琥珀色の瞳を無垢にキラキラと輝かせてエイドスに豊穣の祈りを捧げるが、ナイアルとメイベルの解説リレーで種明かしのレクチャーを受講したエステルは、その白々しさに突っ込む気力も沸かない。
 面白いのは、ほとんどの帝国客はエドガーに右に倣って一万ミラ前後の紙幣を落としたのに対し、スペシャルゲストの支払額に個性が出ていた所。
 デュナン公爵は最高額の二万ミラを支払う。先の寄付の一件と併せても、競争相手に倍近い大差をつけて目立とうとするのが自称次期国王閣下の習性だ。
 メイベル市長はリラ嬢の分も含めて五千四百八十七ミラである。
 流石は生粋の商人らしく、場を支配する相場に惑わされることなく、自分たちが食べた分の適正価格をきちんと割り出した。一ミラ単位の細かい端数にまで拘るのは、ちと凝り過ぎな感もあるが。
 同級生のフラッセは親友のレイナ分込みで千ミラ。
 実家が金持ち貴族といえど、親が真っ当なら、学園生活中に自由になる大金など渡される筈もない。むしろ、子供のお小遣いとしては奮発した方で、大の大人でそれ以下のオリビエやアルバ教授の方がアレだろう。
 意外だったのはダルモア市長。彼の支払いはたったの五百ミラで、学生のフラッセにすら劣るワースト3。
 メイベルのように適正かといえば、秘書とセットで少なくともボースコンビの倍近くは食べている。価格自由設定というルール上、法的には何ら問題はないので、オリビエのように風評に左右されずに自分を貫ける大人物なのかと思いきや、支払いをギルハート秘書に代行させる所に微妙にプライドが見え隠れし、なんとも中途半端な印象を受ける。
 ただ、ヨシュアには些か心当たりがある。もし、彼女の推測通りだとすれば、市長の個人財政は火の車。もはや金銭的な虚勢を張る余裕すらないのだ。
 お芝居に支障をきたしたり、ましてや、更に直接的な軽挙に出られても困るので、直情的な殿方二人には学祭が終了するまで被疑者の存在について口を噤んでいるつもりだが、ナイアルにはそれとなく話をつけて既に裏を取る為の行動を起こさせている。
 体育祭の宣伝はともかく、マーシア孤児院の調査を滞らせた挙げ句、呑気にエステル達の海釣りに同船していたナイアルはヨシュアから白い目で呆れられ、否応なく桜の片棒を担がされた。どこか抜けているとはいえ基本優秀なブンヤさんなので、捜査の方向性さえ与えてやれば期待以上の果実を持ち帰ってきてくれる筈。
 テレサ院長や子供たちを苦しめたかもしれない黒幕と呉越同舟で学園祭を楽しむのは複雑な心境だが、この学祭中に何かを仕掛けてくることはまずないだろから、ナイアルの調査結果が出るまでは今は面従腹背で敵の次の出方を伺うしかない。
「五十万ミラですか。在り来たりな褒め言葉しか口にできませんが、本当にヨシュアさんは凄いですね」
 ヨシュアの内心の葛藤に気づくことなく、クローゼは本人がいう通りの非個性的な賛辞で一連の荒稼ぎ振りを称賛する。少女恒例の秘密主義に賛否はあるだろうが、学園祭を心から満喫している二人に態々不必要な心労を共有させる必然性はない。
「叔父さ……いえ、デュナン公爵からも、百万ミラも寄付金を引き出されたそうですし、ただ黙ってことの成り行きを見守るしかない僕とは大違いです」
 学園きっての美形である二人の男女は良く大輪の美しい薔薇に譬えられているが、このあたりが温室育ちの薔薇と野生の薔薇との決定的なバイタリティの差だと痛感する。
 結局、どれだけペーパーテストができても、知識を現実の成果として転用できねば意味はない。どんな過酷な世界でも逞しく生き抜いていくであろう遊撃士兄妹に比べて、自分は派手な装飾だけが先行している割には閉鎖された特定の空間の中でしか棲息できない生簀の錦鯉だと自覚している。
「うーん、褒めて貰えるのは素直に嬉しいけど、公爵さんのアレはどちらかといえばオリビエさんの手柄だし、模擬店が成功したのは他でもないクローゼとエステルの二人が頑張ったからよ」
 少しばかり自虐が過ぎなくもないが、率直に自己批判できるのがクローゼのデュナン公爵にない最大の長所と思っているので、別角度から慰めてみる。
 二人に心的負担を与えないように黙秘を貫いたというのに。勝手に自分で掘った落とし穴に嵌まり込もうとする内罰的な王子様のフォローにヨシュアの気苦労は絶えない。
 ヨシュアは屋台成功の栄華を三人で分かち合ったが、これは満更社交辞令だけでもない。
 『料理にマグレなし』という諺があるように。どんな安価な材料でも料理人の創意工夫次第でいくらでも美味しく調理できるのがヨシュアのポリシーだが、生魚をそのまま扱う製法上、鮨だけは誤魔化しが効き辛い。
 少女がしたことはエドガー氏が指摘したように、単に素材のポテンシャルを100%近く活かしたに過ぎない。その極上のネタを釣って、最高品質を保ったまま学園まで運んできた二人の功績が七割弱を占めると贔屓目無しで絶賛する。
「あと付け加えるなら、模擬店を手伝ってくれたここにいる全員の努力の結晶かしらね。旧校舎のお芝居にしても皆がいなければ成り立たなかったわけだし、世の中一人でできることって意外と限られているものね」
 これはお世辞でなく、旅に出てからヨシュアが率直に感じた新発見。
 普段は不精者でどうでも良い部分はすぐに他人に丸投げする癖に、なまじっか人よりも能力が突出している故、状況が切羽詰まると周囲を当てにせずに直ぐに単身力業で解決を図ろうとする悪癖が抜け切らないが、その独り善がりの遣り方ではボースの空族事件は解決されず、今回の寄付金集めも成功しなかった。
 紺碧の塔の異空間の土壇場の選択といい、成長しているのはエステル一人に限った話じゃない。同性の友人の増加といいヨシュアにとっても実りのある旅路となっている。
 もっとも、それで改心したのかと思いきや。
「やっぱり一方的に搾取するのは良くないわね。お互いの利害をハッキリさせて、上手に利用し合うのがベストな選択ね」
 などと、どこかずれた結論を導き出すあたりが、ヨシュアが腹黒完璧超人である所以。少女の肉親だけが賜る無償の愛を周囲に恵むまでの道のりは果てし無く遠い。

 時間がないので、与太話を適当に切り上げる。簡易な昼食を済ませると、ヨシュアは女子の一段を引き連れて運動場へと向かう。
 メインの女子騎馬戦を鑑賞しようと、トラックの周辺は桜の花見のように茣蓙やブルーシートが彼方此方に敷かれている。満席の観客は彼方此方の模擬店で買い溜めた昼食を摘み、清涼飲料(※当然校内ではアルコールは禁止)で乾杯しながら、騎馬戦の開始を今か今かと首を長くして待ち続けている。
 忙しく移動を続けるヨシュアに比べて、エステルとクローゼの二人は手持ち無沙汰で大きく伸びをする。
 騎馬戦の馬役を申し入れたが、男子は予想通りの希望者多数で籖引き抽選となる。運悪く二人揃って落選してしまい、『白き花のマドリガル』の上演までやることがなくなってしまった。
 企画を発案した彼ら自身が騎馬戦に参加できないとは何とも皮肉な話。良くある依怙贔屓なしできちんと公正に籖が行われた証といえなくもないが、エステルは義妹の見えざる手が働いたのではないかと疑っている。
「ヨシュアの奴、俺が空気を読まずに暴走機関車のように大暴れするのを危惧してやがったからな。きっとジルに入れ知恵して、アミダに細工したに違いねえ」
「まさか、ヨシュアさんがそんな卑劣なことを………………しかねませんね」
 黒髪美少女への憧憬とは別に少女の精神的な潔麗性を微塵も妄信しなくなったクローゼはエステルに同調する。
 『信じる心』とは真逆の『疑心暗鬼の心』を手に入れたクローゼの変化は次期国王としては良い兆候であるが、例えばクローゼに無垢な理想像を重ねているユリアにとってはその変革を促した琥珀色の瞳の少女を斬って捨てるには十分すぎる罪科だったりする。
(確かにエステル君が参加したら、ドッチボールの時みたいに死屍累々の山々が築かれそうだから、有り得ない話じゃない。なら、僕自身もエステル君の宥め役として巻き添えを喰ったか、それとも普通に籤運がなかっただけなのか。僕は単にヨシュアさんの馬になりたかっただけで、波風立てるつもりは毛頭ないのですが)
 王族の分際で、ユリアが聞いたら卒倒しそうな下僕根性をクローゼは発揮。その彼に「危ない」と叫びながらエステルが覆い被さり、ついさっきまで二人がいた空間をフックつきのロープのようなものが横切った。
「大丈夫か、クローゼ?」
「ええっ、何とか……」
 筋骨逞しいエステルが細身のクローゼに上から押し倒す形になり、一部の女子生徒が別な意味で卒倒しそうな態勢を堅持しながら、二人は周囲を警戒する。
 この平穏な筈の学舎での暴挙。可燃燐を使って孤児院を焼き払った裏社会の猛者が痺れを切らして襲いかかってきたのかと思いきや、そうではない。
「ふふっ、よくぞ、避けた。流石はヴァレリア湖畔のヌシを釣り上げ、剛竿トライデントに選ばれた人間だけはあるな」
 塀壁の上から、怪しすぎる風貌の人物が声を掛けてきた。
 全身を白マントに覆って羽根突きの仮面を被り、左手にレイクロードⅡ世を構えて、塀上に置かれたラジカセから『執行者』のサントラをBGMとして鳴り響かせる。先程二人を強襲した一撃は釣竿のルアーらしい。
「釣公師団・釣行者(レギオン)ナンバーⅩ『釣吉紳士』モンブラン。エステル・ブライト。貴殿に爆釣百番勝負を申しつける」
 そう声高らかに宣言しながら右手の白手袋を外すと、決闘を示唆する合図としてこちらに投げつけてきた。
「クローゼ、釣公師団っていう所は、俺たちが思っていた以上の変態の巣窟みたいだな」
「そのようですね、エステル君。さて、どうやって、この困った人にお帰り願いましょうか」

 エステルとクローゼの二人が仮面の暇人の襲撃を受けていた頃、運動場のトラックでは鈍い銃音が鳴り響いた。
 オリビエが得物の導力銃(シルバースター)を空高く打ち上げる。弾丸は天空で炸裂してハッピートリガーの大輪の薔薇の華を咲かせて、騎馬戦の開始を高らかと宣言する。
「ふっ、今こそ天上の門が開く時、楽しいブルマ相撲の始まりだ」



[34189] 13-15:学園祭のマドモアゼル(ⅩⅤ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/15 00:01
「さて、来場の皆さんお待ちかね。これより小規模ながら、五年ぶりに復活した体育祭の騎馬戦エキシビジョンマッチを始めます」
 放送部の女子生徒が、マイクを片手にノリノリで実況する。トラック左右に臨時で作成されたアーチを潜って、四人一組の男女混合の騎馬の一団がゆっくりと歩を進めてくる。
「いよっ、待ってました、大統領」
「サプライズイベントの寿司も堪能したけど、俺たちはこれを見物しに遥々国境を越えてきたんだからな」
「それにしても、男子が馬役ってアリなのかよ? 畜生、羨ましくて仕方がないぜ」
 トラックを埋めつくした群衆の声援をバックに、左門から白組の騎馬が入場してきた。大将騎のジルを先頭に騎手役の女子は、皆白い鉢巻きをしている。
「はあー、クローゼ達と違って籤に生き残っただけ有り難いけど、出来ればヨシュアちゃんの馬になりたかったな。敵対した挙げ句、よりにもよって……って、イタタタ!」
「ほらほら、厳正なアミダで決まったんだから、ぼやいてないで、しっかり働きなさい」
 自身の境遇に嘆息する中央馬のハンスの左耳をジルは馬上から思いっきり引っ張り、騎馬を組んで両手が使えないハンスは悲鳴をあげる。
「痛い、痛い、判ったから抓るな。それより武士の情けだ。せめて後脚役のどちらかと交代させてくれ」
「流石の私も、今のあんたにお尻を預ける気には到底なれないわ」
 ブルマに羞恥心を感じないジルをして、薄ら寒そうに言い捨てる。尚、他の騎馬の娘が全員鉢巻きをしている中、ジルは唯一人、『白き花のマドリガル』でセシリア姫が被る白のティアラを身につけている。
 左門手前で大将騎が揉めている中、右門からは赤組の騎馬が行進してきた。ジルと色違いの真紅のティアラを被ったヨシュアを筆頭に、こちらの女子は全員が赤い鉢巻きを結わいている。
 面白いのは短髪の娘はシンプルにオデコに蝶々結びしているのに対して、白赤組問わず長髪の娘はボニーテールやツインテールなど鉢巻きを髪留め替わりにヘアスタイルに凝っている所。
 互いの鉢巻きを奪い合うゲームなので、色々と解け辛い工夫をしている模様。個性溢れるカラフルな髪型は観客の目を楽しませるという意味でも演出に一役買っている。
 トラックの左端と右端に各組の騎馬軍団が陣取る。各々大将騎を中心に最後の作戦タイムに入る。
「ねえ、ジル。契約の方はちゃんと履行してくれるのでしょうね?」
「ええっ、このジル・リードナーに二言はないわよ。狩り取った鉢巻きの数に応じて、来年の各部の予算編成を決める予定だから、ジャンジャン集めてきなさい」
 生徒会長様が頼もしそうに確約し、各騎馬の女子が大いにやる気を漲らせる。
 白組のほとんどの参加面子はフェンシング部、アーチェリー部など運動部の部長クラス。各騎手の運動能力は極めて高い。
 中には美術部などの文化系も混じっている。来年度予算を人質に取られている以上、各部とも最低一人は人身御供をこのイベントに差し出さざるを得なかったが、今更ながらに副会長が頭上の上役に疑問を呈する。
「なあ、本当にこんなしょーもない遣り方で予算を決めちまうつもりなのか? これって、どう考えても職権濫用じゃんかよ」
「まあ、いいんじゃないの。辻褄併せに苦労するのはどうせ来期の生徒会だし、後は野となれ山となれよ」
 ゴーイングマイウェイを地で行く会長殿は、『子孫に美田を残さず』の精神で次世代に後始末を丸投げ……もとい難行を託すと、キラリと眼鏡の縁を光らせて最重要事項を通達する。
「それと、これが一番肝心なことだけど、赤組の大将騎には絶対に近づかないように。もし、アレが本気になったら、多分全員で襲いかかっても一網打尽にされるわよ」
 ルール上、大将のティアラを奪えばその地点で勝利確定だが、それはミッシッン・インポッシブル。下手に物欲を煽ってもまずいので、ティアラはモブの鉢巻きと同評価で特別な査定は一切行わないことにする。
 幸い敵の大将は面倒臭がり屋な上、百人前以上の寿司を握って大層お疲れだから、こちらから挑発するか、もしくは妙な気紛れでも起こさない限りは後方に陣取って高みの見物を決め込んでくれる筈。

 ジルが見透かしたように、模擬店と違って直接の稼ぎに結びつかない騎馬戦をヨシュアは真面目に働く気は毛頭ない。ひたすら己が手勢を鼓舞する。
「はーい、皆さん。頑張ってきてね。多くの鉢巻きを掻き集めてくるほど、ランクが上の写真を贈呈するつもりだから」
 馬役の男子には皆目見当がつかないが、その一言だけでエステルの『掛け声』すら凌ぐブースト効果を発揮し、女子のSTRが全員50%アップする。
「あの、ヨシュアさん。あれより凄い写真って、もしかしてうにょうにょが……」
「ええっ、言葉に出来ないような、あんな所やこんな所に侵入して…………何よりもその時の快楽と屈辱に彩られた彼の艶やかな表情が……」
「うっはぁー!」
「ちょ、ちょっと止めてよ。鼻血が……」
 何人かの女子がマジに鼻穴から血液を垂れ流し、慌ててティッシュで栓をする。「少し刺激が強すぎたか」と危うく戦闘前に自らの手で自軍の戦力を戦闘不能に追い込み掛けた不手際を反省する。
「ねえ、ヨシュア。ジルのティアラを手に入れた場合は?」
「うーん、そうね。鉢巻き五個分といった所かしら」
 赤組の方は真っ当に勝利アイテムを品評したが、白組のほとんどの騎馬は運動部員で構成されており、その包囲網を破って大将騎まで辿り着くのは、かなり骨が折れそうだ。
「ヨシュアさん、この度はあなたの馬になれて光栄であります」
 大将騎の馬役の三人の男子生徒が、頬を蒸気しながら感動と興奮に声を震わせる。
 籤抽選に漏れたスケベ男子から怨嗟の声を一身に受ける騎馬戦参加の勝ち組面々の中でも、最も羨望の境遇の三者。中央馬の彼は自分の両肩に置かれたヨシュアの白く柔らかい掌の感触に至福の時を過ごし、後脚の二人も別の意味で眼福を味わっている。
 男を惑わす蠱惑の眼差しで、ヨシュアは三人に微笑みかける。
「カノン君、アジル君、デニス君、今日は宜しくね。といっても、私たちは基本後方待機だから戦闘に巻き込まれることはないと思うけど、万が一の時はか弱い私を庇ってね」
「「「はっ、生命にかえても、必ずお守りします」」」
 全員文系の帰宅部なので運動部の女子よりも貧弱な三人組であるが、この時ばかりはお姫様を守護する忠実なナイトになるのを誓約する。
 赤組の他の騎馬の女子は例の可愛い子振りっこを至近から拝まされても以前のように苛つくことなく、「ヨシュアもこれさえなければな」と諦観しながら配置に散っていく。

「来場の皆様に改めてルールをご説明します。十五分の制限時間内に多くの鉢巻きを集めるか、もしくは大将騎のティアラを奪ったチームが勝者となります。鉢巻きを奪われるか、もしくは騎馬が崩れたりして騎手の女子生徒の身体が一部でも地面に触れたら、その騎馬は失格になりトラックから退出します。それでは始めますので、オリビエさん、お願いします」
「ああっ、任せてくれたまえ」
 ちゃっかりと放送テント内に解説役として、見晴らしの良い特等席を確保していたオリビエは再び得物のシルバースターを構えると弾丸を空高くに打ち上げる。
「愛と真心をきみ達に、乙女達の煌めく汗の輝きを、とくとご鑑賞あれー」
 ハッピートリガーが中空で炸裂して、薔薇の花びらがパラパラと観客席に降り注いだ。
 これを合図に騎馬戦がスタートする。赤組と白組の騎馬が彼方此方で激突し、馬役の男子が身体を張ってぶつかり合う。馬上では騎手役の女生徒同士が取っ組み合い、お互いの鉢巻きを奪おうと髪の毛の引っ張る。
 ブルマ少女たちの供宴に瞬く間に観衆は興奮の坩堝と化す。お互いの意地とプライドと欲望が入り混じった男女混合騎馬による戦乙女(ヴァルキューレ)たちの激しいキャットファイトがいよいよ開幕した。

        ◇        

「それっ、これで終わりだ」
「ば、馬鹿な、こんなことが……」
 釣吉紳士を自称するモンブランは、レイクロードⅡ世を取り零すとガックリと地面に膝をつく。
「これにて爆釣十番勝負は終了です。釣った数、魚の大きさ共にエステル君の圧勝ですね」
 お互いのバケツをチラ見した審判役のクローゼは、エステルに軍配をあげて高らかと彼の手を掲げる。ここは学園のプール。何とこの変態仮面は何時の間にやらプール内に大量の魚(パールグラス)を放逐し、仮設の釣堀に変えるという暴挙を敢行した。
 色んな意味で非常識な釣公師団の暇人に、この先もしつこくつきまとわれても面倒だ。十番勝負の短期決戦を条件にエステルは挑戦を受けて、小細工抜きで正面から粉砕した。
「これで俺の勝ちだな。約束通り、きちんとプールは元の状態に戻しておけよ」
「ぐぬぬぬぬっ。いっ、いい気になるなよ、エステル・ブライト」
 騎馬戦見物に戻ろうとしていた二人をモンブランが呼び止める。ヤラレ役が舞台から退場する前の最後の悪あがきターンに突入。
「釣公師団の釣行者の中でも、俺など下位の未熟者に過ぎん。既に釣帝、痩せ鮪、幻惑のルアー、釣船天使の四人の釣行者がルーアンに潜入している。エステル・ブライト、貴様に安息の日々は…………」
「なあ、お前、釣りは好きか?」
 変態さん御一行大集結の情報に辟易とした表情を隠せなかったクローゼと異なり、エステルは何時になく真顔で極めて原始的な問い掛けをし、仮面の下のモンブランの眉がピクリと動く。
「釣りが…………好き?」
「そうだ、生まれて初めてロッドを握り、ドキドキしながら釣糸を水に垂らしても、魚は一向に掛からずイライラし、たまに浮きが沈んで魚信の手応えに思いっきり竿を引っ張っても、その時には餌だけ食い逃げされ腸が煮え繰り返るような思いを何度も味わう。そういった試行錯誤を経て、予想外の大魚を釣り上げた時の喜びは格別。お前にもそんな初々しい時期があった筈だ。もう一度問おうか。お前は釣りが大好きだと心から宣誓できるのか?」
「お、俺は…………」
 モンブランの心の迷いを見抜いたエステルは、敢えて厳しく問い詰めて彼は何も言い返せない。いつの間にか手段が目的に掏り変わっていた己の本末転倒振りに気づかされた。
「上手になる為に腕を磨くのは間違っちゃいねえし、他人と競い合ったり厳しい修行を己に課すのも、有りっちゃ有りだろう。けど、釣りを好きな心まで手離しちまったら、その年代物の釣竿に申し訳ねえだろ? それだけは忘れるなよ」
 ポンポンと彼の肩を叩くと、そのままプールから退出する。心身共に完璧な敗北を喫したモンブランは大地に両掌をついて項垂れる。彼の折れた心そのままに、仮面が地面に零れ落ちて皹割れた。

「正直、感心しました。エステル君。あの人も、大分身をつまらせるものがあったみたいですし」
 人の話を聞かないタイプと思われていた釣公師団の変人に正面から筋を通したエステルの度量にクローゼは素直に感嘆し、エステルは軽く頭を掻く。
「まっ、俺にも経験があったからな。釣りじゃなくて棍術だけどさ」
 ヨシュアは脳味噌お花畑と評したが、単細胞のエステルにも無論悩みはある。特にどれだけ努力しても義妹の影を踏むことすら叶わぬ屈辱の日々は、いつしか『強くなる為にヨシュアに勝ちたい』という精進の為の手段を、『どんな汚い手を使ってでも、ヨシュアを負かしたい』という歪んだ目的意識そのものへと堕落させた時期があった。
 あの頃はヨシュアとの仲も一番ギスギスしていた。幼馴染みのティオやエリッサにも心配をかけ、色々あって初心を取り戻すのには成功したが、その当時の荒れ具合とヨシュアに行った悪逆非道の数々(当然、総て十倍返しで返り討ちに遭うのだが)は、ちょっと言葉では表現できない程の忘れたい黒歴史だったりする。
「今でもティオの浅知恵に飛びついたり、なかなか首尾一貫とはいかないから、本当は偉そうに他人に説教できる資格はねえんだけどさ。少なくとも初めて棍を握った時に立てた誓いだけは絶対に忘れないようにしているつもりだぜ」
 守るべき者を失わないが為に棍術を極める。
 強さを追い求める理由としては比較的ありふれた動機ではあるが、その契機となった『守りたい何か』をエステルはロストしており、無理に思い出そうとすると例の黒い霧が記憶を阻害する。
 幼馴染みとの結婚の約束を失念しているように、単に幼少の時分なのでど忘れしているだけなのか。あるいは他者の認識を操る異能の者の手が入り込んでいるのかは現地点では判別がつかない。
(なるほど、これがヨシュアさんが最も高く評価している、エステル君の『世界を広げる可能性』ですか)
 地域の平和や民間人の安全という遊撃士のスローガンとは何ら無関係な小事ながらも、宇宙人並に話の通じなさそうな釣人と心を通わせた現実にクローゼは得心する。
 エステルの言葉が彼の琴線に響いたのは、そこに謀や打算がないからだ。
 これが例えばヨシュアなどの場合、博識なのでボキャブラリーは豊富で口当たりも良いが、人と状況に応じて主張を自由自在に組み換える上に時には彼女自身が信じてもいない正論を用いて他者を煙に巻くこともあるので、心の表皮に触れることはできても奥底にまで浸透せずにその場凌ぎの教訓で終わることが多い。
 逆にエステルは語彙も貧弱で決して弁が立つわけではないが、嘘偽りのない己の信念を正面からぶつけてくる。故に押しつけがましくはあっても、その想いは心の芯にズシリと響いて己の生き方を見つめ直す切っ掛けとなることすら有り得た。
 ボースで正遊撃士が一致団結し、また悪戯好きのクラムが悔い改めたのも、エステルのまやかしのない情熱に心を奮わされたからと聞き及んでいる。
 もちろん、この一事だけで、エステルの言葉が常にヨシュアより重みを持つと主張するのは暴論だ。
 ヨシュアはあまりにも多くの知識と何よりも数知れぬ世の闇と絶望を知り尽くしており、自分を偽らずに言葉を紡ぐには無理がありすぎるバックボーンを抱えている。
 だから、意地悪な見方をするなら、現在のエステルはあまりに無知蒙昧な世間知らずであるからこそ、己を騙す必要がなく自由に正論を宣えるお気楽な立場だといえなくもない。
 この先も旅を続けて多くの世界を見聞し、過酷な現実と何度も向き合った上でそれでも自分を曲げずに他者に己の正義を貫くことができるのか。
 その審判の時を経て、はじめてエステル・ブライトという人間の真価が世に問われることになるが、そんな先の試練は別にして遊撃士兄妹の姿は眩しいぐらいに光り輝いているようにクローゼの瞳に映った。
(ひたむきにどこまでも真っ直ぐなエステル君や八方美人と罵られようと周囲に調和と幸福を振りまくヨシュアさんに比べると、僕自身は何とも中途半端ですね)
 陰謀渦巻く宮廷生活が長かったせいで、エステルほどには世の善性を無条件で信じることは叶わず。かといって、ヨシュアのように嘘も方便と達観できずに何とも宙ぶらりんな状態だ。
 やはり、どっちつかずな曖昧な態度が良くないと改めて自戒する。
 戦闘でもヨシュアのような万能戦士は稀な存在。物理か魔法のどちらかに特化させねば戦場ではまるで使い物にならないとユリアから口酸っぱく教鞭をたれられており、クローゼはどちらかといえばアーツ寄りの適正とのお墨付きを受けている。
(エステル君の底知れない馬鹿…………いえ、能天気さを真似るのは無理そうだから、やはりヨシュアさんの悪辣さを手本とするべきか。そういえばハンスが、『お前なら、ヨシュアちゃんを男バージョンにしたような立派なジゴロになれる』とか太鼓判を押してくれたから、まずはそれを目指してみるとするか)
 ユリアが聞きつけたら、泣いて足元に縋りつきながら翻意を促しそうなとんでもない誓いをクローゼは胸に秘めようとしたが、直後に軽く首を傾げる。
(はて? ところでジゴロって何だっけ? 何時も後輩の娘からお弁当を恵んでもらうと周りの男子生徒がジゴロとかスケコマシ野郎って騒ぐけど、その意味までは誰も教えてくれなかったんだよな)
 意識して多くの殿方を手玉に取るヨシュアよりも、無意識に学園中の女子を虜にするクローゼの方が上手のプレイボーイかもしれない。

 ギャグキャラと思われた釣公師団の変人との邂逅から、ヨシュアを挟んだ二人の少年はこれまでの半生を振り返る契機を得たが、さしあたりこの一件が学園祭のイベントに影響を及ぼすことない。
 それよりも、運動場に辿り着いた二人はトラック上で信じがたい光景を目の当たりにし、両眼を大きく見開く。
「あの不精者が、騎馬戦で空気を読まずに大暴れしている?」



[34189] 13-16:学園祭のマドモアゼル(ⅩⅥ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/15 00:01
 釣公師団の刺客を遇った二人は、運動場に辿り着いた。この周辺は満場の群衆に埋めつくされ視界を遮られており、落ち着いて騎馬戦を鑑賞できない。仕方なく比較的空いている見晴らしの良い場所を探そうとトラックの外周を時計回りに周回すると、次々に見知った顔に出くわした。
「ああっ、もう、そうじゃないでしょ。そこは囮を使って誘きよせて、鶴翼の陣で包囲網を敷くべきでなくて? 赤組白組どちらも各騎馬が好き勝手に動き回っているだけで、団体戦というものを理解されていませんわ」
「お嬢様、子供みたいにフェンスに身を乗り出さないで下さい」
 メイベル市長とリラ。彼女たちはロープ柵手前の最前列に陣取っている。興奮したメイベルがスカート姿にも関わらずはしたなく左足を杭の上に乗せたので、メイドさんが大慌てで身体を張ってガード。幸い皆の視線は目の前の騎馬戦に集中しており、一人にしか見られてない。
「メイベル市長は白か。まっ、性格を考慮すれば予想通りだな」
「何が白なのかは敢えて聞きませんが、先輩、えらくはしゃいでいますね。ただ、かつての騎馬戦体験者として、双方の戦い方に不満があるみたいですけど」
「両軍の大将騎はどちらも知恵者だし、自由にやらしているのは態とだろ? 勝った所で賞金が出る訳じゃない単なるお祭企画だからな」
「確かに。けど先輩、さっきから自分も参加したくてウズウズしている様に見受けますね」
「ブルマを履いてか? まあ、市長さんの年齢ならギリギリセーフかな?」
 二人は笑いを押し殺すと、ボースコンビに声を掛けることなく、更に移動を開始する。

「あら、クローゼさんにエステルさん。こちらでお昼と騎馬戦の拝観を一緒になされては、いかがでしょうか?」
 窮屈な立ち見ゾーンから、茣蓙やブルーシートを敷いて家族単位で観戦のゆったりゾーンに辿り着くと、ゴザの上に腰を下ろした院長先生からお招きを受けた。
 ここにいる人たちは、ほとんどリベール籍。例の寿司の模擬店に参加しなかったので、花見のように早い時間から場所取りに専念し、広々とした着座スペースを確保した。
 その上で気配りの達人のヨシュアが、子供たちに御弁当を差し入れたらしい。茣蓙の上にはワサビ抜きの鮨の詰め合わせが五箱も置かれて、赤身や玉子を中心に半分が食べ散らかされている。
 食欲旺盛な子供らの所在を尋ねると、テレサ院長は微笑ましそうに後方を指差した。
「ほら、クラム。しゃんとしなさい。男の子でしょ?」
「重いんだよ、マリィ。お前、食べ放題の菓子をバクバク齧って、太っただろ?」
「まあ、レディに向かって肥えたとか失礼ね。私の分のフリーバスは物欲しそうなおばさんにプレゼントしたから、あまり食べていませんよーだ」
「いてて、両手が塞がっているのを良いことに、ポカポカ、頭を叩くんじゃねえ」
 眼前のバトルに影響を受けた四人は、少し離れた場所でマリィを騎手に騎馬を組んでいるが、後脚二人(ダニエルとポーリィ)はほとんど機能しておらず、実質クラム一人でマリィをおぶっているようなもの。馬と騎手の間で諍いが絶えないが、まさしく子供の喧嘩なのでとても和んでしまう。
 二人はテレサからご相伴に預かるが、茣蓙の広さには限りがあり、クラム達が騎馬戦ごっこに飽きて戻ったら、手狭になりそうだ。幾つか残り物をつまみ食いして場を離れると、別の観戦ポイントを探すことにした。

 その後も寿司に時間を取られてスペースを確保できずに立ち見にまわったダルモア市長とギルハート秘書のルーアンコンビとか、同じ出遅れ組ながらも恐らくは大枚叩いて譲り受けた最前線のブルーシートに両足を伸ばして寛ぐデュナン公爵に背後から守護霊のように彼を見守る執事の凸凹ペアなどとエンカウントしながら、ようやく人壁が途切れた寂れた場所を発見。腰を落ち着けて見物することができた。
 試合が開始されて既に五分が経過。双方の騎馬は半分近くに減っているが、戦闘は未だ加熱の一途を辿っている。
「負けられないのよ、私は。私の双肩には弱小セパタクロー部の未来と仲間全員の運命を背負っているのだから」
「はんっ、所詮はミラに尻尾を振った俗物が笑わせるんじゃないわよ! クローゼ君への愛の為に戦う私たちに勝てると思っているの?」
 アマゾネス共は鬼気せまる表情で両掌を合わせて力比べする。互いの髪の毛や鉢巻きを引っ張り合い、時に爪で引っ掻いたり噛みついたりと尋常でない迫力でキャットファイトを演じて、観客のボルテージを最高潮に引き上げる。
「ふっ、無垢なブルマ少女達の煌めく汗と他者を思いやるピュアな想いは百万ミラの宝石の輝きすら色褪せる程に美しいね」
「あのー、本当にそうなのでしょうか、オリビエさん? さっきから愛とか友情とか奇麗事が聴こえてきますけど、私の目は我欲に塗れた野獣の群同士が醜く争っているようにしか映らないのですが」
 女子プロレスさながらのセメントバトルに観衆は大層喜んでいるが、戦い方が乙女にしては品がなさすぎる。
 アナウンサー役の女子生徒が鋭い女の勘で真実の一端を見抜いたが、節穴のオリビエは感動でハラハラと涙を零しており、「駄目だ、こいつ」と彼を解説役に抜擢した人選ミスを悔やむ。
 ほとんどの戦闘は片方の鉢巻きロストで決着がつくが、中には騎馬が崩れて落馬する女子生徒もいる。
「きゃあああー!」
「危ない、ニキータ! ぐえええっ!」
「ちょっと、ジノキオ、今、物凄く鈍い音がしたけど大丈夫なの? それよりも、あんた、私のことを庇って……」
「へへっ、幼馴染みだろ、俺たちは。お前の身体に傷一つでもつけたら、エーフェ姉さんに責任取らされちまうからな」
「ジノキオ……」
 幼馴染みの少女に肩を借りながら、保健室を目指し二人三脚で退場していく、名誉の負傷を負ったヒーローの少年に満場から拍手喝采が巻き起こり、ジルは馬上から眩しそうに二人の初々しい姿を見下ろす。
「おーおー、あの二人、これで少しは進展するかしらね? 見ていて本当に焦れったかったし、籤に細工した甲斐があったわ」
「ジル、細工って、まさか他にも?」
「うん、脈がありそうな男女を片っ端からくっつけてみたけど、こうして見渡してみると意外と上手くいっているみたいね」
 戦場に咲く一輪の花という訳でもないが、落馬に絡んで彼方此方でラブロマンスが発生中。目出たい仕儀ではあるが、馬役落選に絡んだエステルの不正疑惑は正しかったようだ。こうなるとハンスは自身の身の上が気になった。
「それじゃ、俺がジルの騎馬を担当したのも、もしかして?」
「そ、そんな訳無いでしょ。あんたみたいなブルマキチガイを、他の娘には任せられなかっただけよ!」
 この発言が、眼鏡っ娘の本心を隠す照れ隠しか否かは誰にも判らない。
 このような具合に、殺伐とした戦場に芽生える恋の花々は一服の清涼剤となる。家族連れの観客は「ひゅー、ひゅー」と口笛を吹いて揶揄気味に祝福するが、逆に独り身の若い男性客は大いに苛立っている。
「ちきしょー、あのガキめら。上手いことフラグ立てやがって」
「何が『私のことを、庇って』だよ。あの程度の代償で彼女をゲットできるのなら、俺だって肋骨の二、三十本ぐらい折らせてやるぜ」
「肋骨は二十四本しかないから、三十本も骨折させるのは無理だけどな……とかいう虚しい揚げ足取りは置いておいて、何で俺らが現役学生の時はこういう甘酸っぱいイベントがなかったんだろうな」
「けっ、『危険な状況下で出会った男女は、長続きしない』というし、どうせすぐに別れるに決まっているぜ。というか別れろ、死ね!」
「いやー、なんかラブラブすぎて、観ているこっちの方が気恥ずかしくなってきましたね。けど、一部の観客から大人気ない反応が見られますが、いい年こいた成人男性が子供を相手に本気で嫉妬するとか情けなくないのですかね、オリビエさ……」
「むきっー、悔しい。僕も現役女子高生とイチャイチャしたい」
 オリビエは女々しくもハンカチを噛み締めて、血涙を流して心底口惜しがっている。アナウンサーの女子生徒は「駄目だ、この大人。早くなんとかしないと」と諦観から絶望の境地に突入した。

 萌えと燃えが交差し、色んな意味で盛り上がっている目の前の熱いバトルを尻目に、この学園祭のマドモアゼルはぽつんと後方で待機しながら、うつらうつらと馬上で船を漕いでいる。
 観衆は無防備に孤立している勝利アイテムを所持する大将騎に白組の騎馬は誰も近づかないのか不思議に思ったが、ジルの薫陶がしっかりと行き届いてデスリスク・ハイリターンの危険物を据え置く方向性で話が纏まっている。
 不精娘もそのぞんざいな扱いになんら不服はない。このままタイムアップまで骨休みめするつもりだが、とある集団の出現がこの騎馬戦の行方を大きく左右した。
「「「「「「「嬢ちゃん、頑張れー!」」」」」」」
 グランド全体に響いた突然の大音量の合唱に、ヨシュアはぱちりと目を開けて、周囲を見渡す。立ち見の観衆を押し退けるようにして、長老をはじめとした築地漁業組合の漁師の一団が陣取っており、豊漁の時にのみ掲げられるという重さ三百キロにも及ぶ『大漁』と刺繍された大旗『大漁旗』が数人がかりで振られている。
「みんな、長老まで。還暦を過ぎたお爺ちゃんに無理して御足労させた以上は少しは良い所を見せないとね」
 ヨシュアは苦笑すると、ちょっとばかりやる気を漲らせて馬役の三人に前進を指示。今まで怠けていた赤組の大将騎がはじめて戦場に顔出しした参戦動機は、今日までお世話になった築地の漁師たちに活躍を見せるという常日頃と変わらぬ単なる点数稼ぎ。前回のいかにも思わせぶりな引きには、何の大意も意外性もなかった。
「あちゃー、まずいわね。最終兵器彼女が動き出したみたいよ。皆、とにかく距離を取って、うかつに交戦しないように……って、ちょっと?」
 ジルと違ってヨシュアの実力に懐疑的な一部の女子の騎馬が、指示を無視して大将騎との距離を詰めていく。
「ブレイサーだか知らないけど、ジル一人背負えないモヤシ娘じゃない。どうせ戦闘中はエステル君の影に隠れてブルブル震えていたに違いないわ。鉢巻きもそこそこ集まったし、そろそろ終わりにしましょう」
「賛成、あの女、クローゼ君に粉かけて前からむかついていたし。長い黒髪を引っ張って泣かしてやるか、それとも落馬させて、その綺麗な顔を土塗れにしてやろうかしら」
「常日頃からブルマ姿でうろついて、男を誘惑してんじゃないわよ、この淫乱!」
 三人を乗せた騎馬は、思い思いの悪口をかましながら大将騎に襲いかかる。ヨシュアの琥珀色の瞳がすーっと細まったのを、驚異的な動体視力で視認したエステルは遠くから天を仰いだ。
 素人相手にも一切手加減しない義妹のエゲツなさを承知しているからで、ヨシュアはティアラに手を伸ばそうとした三人の間を擦り抜けるようにして電光石火の早業で何を掏り取った。
「あらっ、髪の毛が解けた?」
「ああっ、鉢巻きがない?」
「そ、そんな、何時の間に?」
 三人の頭部から鉢巻きが消失。ボニーテールに束ねていた少女の髪がファサリとロングに零れ、ヨシュアの左手には三人分の白い鉢巻きが束ねられている。
「嘘でしょ? まさかあの一瞬で私たちが気づかない内に三人纏めて盗まれたというの?」
「それより、あいつ、右手の方に鉢巻き以外の何かを持っていない?」
「えっとー、ブラジャーにブルマに、クマさんバンツってアレはあたしの? ……きゃああああ!」
 状況を悟った三人の少女は、頬を真っ赤に染め、甲高い悲鳴を上げる。
 女子の一人は汗でぽっちが浮いた白シャツの胸部分を強く抱き締める。どうやって脱がされたのやら、ブルマを失ってバンツ一丁にされた少女が水玉模様の下着を手で覆い隠す。何故かブルマの下がスースーする最後の女子がモジモジしながら股間を手で抑える。事情を把握した馬役の男子が「の、のーぱん」と呟きながら鼻血を吹き出して騎馬を崩壊させる。
 もはや、手先が器用とかそういう次元の話じゃない。ヨシュアは馬同士が交差した一瞬に鉢巻きだけでなく、少女たちから一点ずつ下着類を掠め取った。女子高生のポロリという予想外のアクシデントに男性客は大いに沸騰する。
「おほほほほっ、ごめんなさいね。手が滑って何か余計なモノまで抜き取ってしまったみたい」
 ヨシュアは軽く舌を出すと、客席の餓えた獣に下着類を投げ込んでやろうか迷ったが、武士の情けで彼女達の目の前に放り捨てる。九人の馬役の男子にバリケートを築かせた三人は、その内部で必死に装着する。
「やっぱり、ヨシュアっておっかないわね」
「うんうん、うかつに敵にまわさないで正解だったみたいね」
 味方の白組の女子生徒は、黒髪少女のエネミーに対する非情さに肝を冷す。一歩間違えれば自分らの末路かもしれかったので、衆人環視の前で羞恥プレイを受けた三人に同情すると同時に、闇討ちという軽挙に走らなかったかつての己が選択の正しさに安堵する。

「はあー、だから忠告したのに。スズメバチの巣に指先を突き入れた挙げ句、よりにもよって女王蜂を素手で掴む命知らずがあるかい」
 あまりに的確な比喩で、自業自得の顛末を迎えた三者にジルは嘆息する。その彼女に、アーチェリー部の三人の女子生徒が馬上から声をかける。
「ねえ、ジル。敵の大将が積極的に動き出した以上、放置作戦は無意味だし、今ならティアラの価値が鉢巻きと等価とか謳う気はないわよね?」
「そりゃ、ヨシュアを止められるなら鉢巻き十個分の査定にしてもいいけど、アレを見てもまだ勝てると思うわけ?」
 目の前の惨状を目撃しながら、未だに闘志が衰えていないアーチェリー部員のエステル並の能天気さにジルは呆れたが、彼女たちには秘策がある。
「良く『将を射んと欲すれば、先ずは馬を射抜よ』というでしょう? とにかく、あたし達に任せて頂戴」
「鉢巻き十個分の件、忘れないでよ」
「アーチェリー部のトリプルスターと呼ばれた私たちのフォーメーションを見せてあげましょう。ただし、悪口は無しの方向でね」
 個人競技の弓道と集団戦術のフォーメーションがどう絡むのかは謎だが、微妙に発言に保険をかけながらも、頼もしそうに勝利を確約する。ジルの護衛役を解かれた三騎は、任務の大将騎の側を離れてヨシュアの方角へと向かった。

 まるで病原菌の発生源のように、必死にヨシュア騎から距離を置く白組の騎馬とは逆に立ち塞がる三つの騎影あり。
 まだ歯向かおうとする敵手がいた現実にヨシュアは些か虚を衝かれたものの、今度は鉢巻きだけで済ませてやろうと軽く左手をプラプラさせる。三騎は縦一列に重なって並びながら、怯むことなく真っ正面から特攻してくる。
「その選択はエステルと同じく、勇気というよりは只の無謀ね」
 気迫だけで絶望的な力量差を埋められる筈もなく、先頭の少女の手を余裕で避けながらあっさり鉢巻きを奪い取ったが、最初から彼女は捨駒。
 当初の打ち合わせ通りに、馬役の三人は鉢巻きをロストする僅かなタイムラグを見計らって捨て身の突撃を大将馬にぶちかます。虚弱体質の三人の男子生徒は大きくぐらついた。
「なっ? まさか最初から目当ては私じゃなく」
「今更気がついても、もう遅い。吹っ飛べ!」
 バランスを崩した赤組大将騎に、間髪入れずに第二陣の騎馬が正面衝突する。馬役の三人はバラバラになり、ヨシュアは空中に放りだされる。
 いかに騎手が万夫不当の英傑だとしても、それを乗せているのは単なる駄馬。『将を射んと欲すれば、先ずは馬を射抜よ』の諺通りに難攻不落の将を無視して土台の馬から潰しにかかった見事な作戦であるが。
「よっしゅあ、勝ったあ! これで予算大幅ゲット…………なっ?」
 少女は目の前の光景を疑った。ヨシュアは中空でクルリと一回転すると、彼女の頭に着地。ついでの返す刀で鉢巻きを頂戴しながら、更に前方に大きくジャンプする。
「あたしを踏み台にした?」
「そんな馬鹿な」
 二陣目で仕留め切れなかった時に備えて、つめていた第三陣の少女は、空高くから襲撃してきたヨシュアに為す術もなく鉢巻きを強奪される。トリプルスターは壊滅したが、彼我の実力差を省みれば彼女たちの健闘は称賛に値する。

 ただし、そこから先は完全なヨシュアの独壇場。ピョンピョンと空中を飛び跳ねながら、手近な白組の騎馬に着地して鉢巻きを掠めると、また別の騎馬へとジャンプする。
 まるで、海上のワニの上を走破する因幡の黒兎もとい白兎。襷掛けのように肩口に結わかれた戦利品の鉢巻きの数は二桁に達した。
「あのー、オリビエさん。もはや騎馬戦の体すら成していないのですが、アレは有りなのでしょうか?」
「ふっ、ルールでは、『騎手の身体の一部でも地面に触れたら失格』とあるから、問題ない筈だよ。それにしても、流石は僕のヨシュア君だね。先程のポロリといい、きちんと観衆の嗜好を弁えて、色々と飽きさせない趣向を凝らしてくれる」
 オリビエは自称・未来の花嫁を絶賛したが、先のラッキーイベントは単なる意趣返し。今の単騎無双も予想外に追い詰められた末での苦肉の策だろうから、クローゼ同様に欲目で見すぎだ。
「皆、とにかく、ヨシュアのいる位置から可能な限り距離を取って!」
 大将単体によるその名の通りの無双劇に萎縮し硬直していた白組の面々に、ジルが最善の解決策を大声で伝達。その声に我に返った各騎馬は潮が引くようにヨシュアの餌食となった騎馬から離れる。
「あらっ、ちょっとまずいかしら? しばらく、ここで休憩するしかないわね」
 まさしく大海に浮かぶ陸の孤島という風情。周囲を見渡して次の着地場所を喪失したヨシュアは軽く両肩を竦めながら、この場に待機する決意を固めるが。
「さっきから、人の頭の上で、何ふざけた寝言抜かしているのよ。ほら、あなた達。早く私を地面に下ろしてちょうだい」
 その独り善がりの決定に現在の足場から苦情が殺到。例によってヨシュアの重みはまるで感じられないが、直立不動の姿勢で頭部に直に素足で乗っかられて、気分がよい筈はない。鉢巻きを損失した女子生徒は馬役の男子生徒に失格した騎馬の解体を指示。三人は騎手を怪我させないようにゆっくりと膝をつく。
 あと数秒もすればこの孤島も水没。ヨシュアの落水が確定するが、少女の跳躍射程内に敵騎馬は存在せずに万事休すか。
(なら、足場をこちらから誘きよせるしかないわね。ちょっとばかりハズいけど)
 羞恥で軽く頬を染めると、徐にブルマの裾に手をやる。
「あらやだ。ショーツがはみ出しちゃってる」
 意識と無意識の双方で恥ずかしそうにモジモジし、ブルマのお尻の部分をもぞもぞと弄り、食い込みを直す。
「うおおおおおっー!」
 今のヨシュアは衆目の注目を一身に集めた完全なお立ち台状態で、目立つことこの上ない。黒髪美少女によるブルマ嗜好者最高のフェティシズムに観衆はロープ杭から身を乗り出すように大興奮する。
「まずい!」
 他の騎馬の女子が首を傾げる中、聡いジルはヨシュアの狙いを真っ先に悟ったが、もう手遅れ。
 彼女の真下にいる究極のブルマニストが、「ブルマの、食い込み直しー!」と目を血走らせて後脚の二人を引きずる様にして突進を開始した。
「ちょ、ちょっと止まりなさい、ハンス!」
 勝手に暴走を始めたロデオを鎮静化させようとハンスの首をきつく締めあげたが、まるで効果がない。手綱が制御不能になり両目を隠して視界を封じてみたが、彼の心の目はブルマ少女の居場所を検知可能なようで竹を割った様に真っ直ぐに突撃する。
「いよいよ、決着の時ね、ジル」
 騎馬が完全解体される数瞬前に、ギリギリ射程距離に突っ込んできた白組大将騎に向かってラストジャンプ。ヨシュアは両腕を大きく見開いた『荒ぶる鷹のポース』で獲物を狙う白隼の如く空襲する。
 ティアラを持つ大将同士の一騎討ちだが、こうなってしまってはもはやジルに勝ち目はあるまい。猛禽類に追い詰められた小羊のように覚悟を定めた彼女の眼鏡に走馬灯のように映し出された最後の光景は。
「あっ、エステル君とクローゼ君がボーイズラブしてる」
 あっち向いてホイのように右後方を指差すも、中空のヨシュアは鼻で笑う。
「ふっ、騙るに落ちたわね、ジル。単純馬鹿のエステルじゃあるまし、そんな安っぽい手に引っ掛かると…………」
 「アブねえ、大丈夫か、クローゼ?」
「ええっ、何とか……」
「きゃああー! エステル君がクローゼ君を押し倒してる?」
「ねえねえ、やっぱりエステル君が攻めでクローゼ君が受けかしら?」
「嘘、マジなの?」
 聞き間違えようがない二人の殿方の声色と女子生徒の黄色い歓声にヨシュアが振り返る。確かにクローゼにエステルが覆い被さっており、軽い動揺が走る。
 ぶっちゃけると、先に倣って性懲りもなく出没した釣公師団の次なる暇人のルアーからエステルがクローゼを庇った顛末に過ぎないが、事情を知らない『とある趣味』の者の穿ったレンズには白昼堂々と男同士でいちゃラブしているようにしか映らない。
「隙ありー!」
 茫然自失の一瞬の虚をついて、ジルがティアラに手を伸ばす。ヨシュアは反射的に首を捻ってジルの攻撃をいなす。しかし、反撃もそこまで。加速装置を装備している訳でなし空中で自在に姿勢を変えられる筈もなく、ヨシュアは馬上のジルと正面から激突。その衝撃で大将騎は全員バラバラに崩れ落ち、派手に砂埃を巻き上げた。
「何だ、一体どうなった? どっちが勝ったんだ?」
 一堂は砂埃が晴れるのを待ちながら、固唾を飲んで審判の時を待つ。やがて視界か明瞭になると馬役の三人はそれぞれ離れた位置に転がっている。更には共に相手のティアラを奪い合ったジルとヨシュアが折り重なるように斃れている。
「重い。早く降りてよ、ジルぅー」
 いつぞやの体育時のように、ジルの下敷きになったヨシュアが苦しそうに呻いた。
「ヨシュア、あんた、私のことを庇って……、好き好き、愛しているー!」
「ちょ、ちょっとジル、私が下になったのは単なる偶然だし、私はエステル達と違ってそんな趣味……というか、早く退いてよ、本当に苦しいー」
 感極まってヨシュアにスリスリと抱きつくジルにヨシュアは色んな意味で悲鳴をあげる。
「あのー、それって、本来俺がやる役割だと思うのだけど、もしかして俺、重大なフラグを自らへし折っちまったのか?」
 ようやく正気に返ったハンスが、目の前をゴロゴロと転がる二人の少女を物欲しそうに見下ろして自問自答したが誰からも返事がない。いずれにしても、自らの嗜好に溺れた結果、今回の騎馬戦で一部の男子生徒が賜った恩恵を授かることが叶わなかったのは確か。
「俺は釣行者ナンバーⅡ『釣帝』レオパレス。エステル・ブライト。モンブランをあしらったそうだが譬え魚の使徒や特級釣師といえど、真っ当な釣り勝負で俺の右に出る者はそうはいない。貴様に爆釣百番勝負を………………って人の話を聞け!」
 象牙色の渋いコートを纏い、『理外の竿』を構えた銀髪の青年は大声を張り上げたが、エステル達や観客はトラックの中央で繰り広げられているブルマ少女の百合劇に刮目し、誰も彼の存在を気に留めていない。
変態仮面に比べればいくらか場の空気が読める釣帝とやらは、仕方なしに出直すことにしてバツが悪そうに退場した。

 かくして海外旅行者を持て成す騎馬戦イベントは、大将騎の同時失格により赤組白組共に引き分けの波風が立たない結末を迎える。
 妙な注目を浴びて大層気恥ずかしい思いをしたヨシュアは、これで『白き花のマドリガル』の上演劇までお役御免と軽く胸を撫で下ろしたのも束の間。
 まさか、この後直ぐに主賓をそっくり入れ換えての第二ラウンドが催されることになるとは彼女の合理的な思考フレームを以てしてもその可能性すら考慮していなかったが、所詮は他人事なので成り行きとアドリブに全てを丸投げすることにした。



[34189] 13-17:学園祭のマドモアゼル(ⅩⅦ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/15 00:02
 男女混合騎馬戦は赤白双方の大将騎の壮絶な相討ちで、死闘に幕を下ろす。
 ジェニス王立学園体育祭史(※現在休止中だが)に残る名勝負を心ゆくまで堪能し、歴史の証人に成り果てた来場者は何時までも忘れ得ぬ思い出を胸に秘めて、この場から解散する筈だったのだが。
「「「アンコール! アンコール!」」」
 『楽しい時を過ごす程、時間の流れを早く感じる』という定説に基づいた誤謬ではなく、実際に騎馬戦が行われた光陰は10分間にも満たず、その現実を把握したお客様は些か物足りなさを覚えてしまう。場所取りに費やした労力と次の演劇までの待ち時間の長さを天秤にかけて、延長戦を訴える。
「アンコール! アンコール!」
「やっぱり引き分けで終わらさずに、きちんと決着をつけなきゃ駄目しょ?」
「そうそう、延長戦キボンヌ」
「折角、帝国からリベールくんだりまで足を運んで来たのだから、もう少し楽しませくれよ」

「みんな、好き勝手なことほざいているわね」
 やっとジルのラブコールから解放されたヨシュアは泥だらけになった体操着をパンパンと叩きながら、琥珀色の瞳にシニカルな色を浮かべて総立ちになった観衆を見回す。
 呆れたことに帝国客のノリに引っ張られて、現地のリベール人までもがアンコール喝采の仲間入りを果している。
「そういえば、どうしてメイベル市長は参加していないだ?」
「そうだ、そうだ。大陸三大紙に数えられる歴史と由緒あるリベール通信だからこそ、『現職のボース市長、体育祭復帰!?』の眉唾記事を信じて俺らははるばる国境を越えてきたんだぜ」
「メイベル市長を出せー。市長のブルマ姿を拝ませろー!」
「「「「「「「「アンコール! アンコール!」」」」」」」
「「「「「「「「メーイベル! メーイベル!」」」」」」」
 アンコール要求に続いて、メイベルコールまで炸裂。想定外の事態の連続にヨシュアは困惑する。
 『ゴシップ載せてもヨタは載せない』がリベール通信、ひいてはナイアルのポリシーなので、別段彼が面白可笑しく記事をでっち上げた訳ではなく、帝国人たちが碌に文面も読まずに都合の良いように脳内補完してしまっただけの話だが。
「過去の体育祭のスナップ一枚から何を勘違いしたのやら、なんか市長さんにまで飛び火したみたいね。常識的に考えれば成否は一目瞭然だし、メイベル市長もいい迷惑でしょうね」
「さて、それはどうかな」
 呆れたように両肩を竦めたヨシュアに、クローゼとエステルの二人は意味深なアイコンタクトを交わす。
「どうする、ヨシュア?」
「シカトしてましょう。ミラを支払ったアイドルのコンサートやライブ公演じゃあるまいし、きちんと公約した通り騎馬戦は鑑賞させたのだから、アンコールに応える責務はないわよ」
 ようやく正気に返ったジルが、先の求愛行為にバツが悪そうに頭を掻きながら問いかけ、ヨシュアは冷然と言い放った。
 確かに入場料金を徴収したわけではないが、寿司模擬店の収益を預けた集金係の生徒に聞いた所、まだ途中経過だか例年の倍以上のペースで喜捨金が潤っている。
 帝国からのリッチビジターが大金を寄進してくれたのは疑いようがない。その貢献を鑑みれば、先のデュナン公爵のように多少の我が儘は許されてしかるべきかもしれないが。
「善意の寄付行為に見返りを求めるなんて、もっての外ね。却下よ、却下」
 寄付金の余剰半額分を報酬として受け取る予定のヨシュアは道徳的にどうかと思われる己の所業を思いっきり棚に上げて、例によって本人すら信じていない御為倒しであっさりと切り捨てる。
「ヨシュアの言うことは正論だし、参加した女子の体力気力も限界だから切り上げ時ではあるのだけど、ここまで盛り上がった来客を放置するのはちょっと怖いわね」
 まるで一匹の大蛇のようにうねり続けるトラックを取り囲む観衆のボルテージに、寒けを覚えたジルは身を震わせる。
 多数の民間人が集うデモや集会の群衆心理というのは結構恐ろしい。誰が煽動するでなく、時には収拾のつかないパニックに発展するケースも有り得る。
 その切っ掛けが、政治的要求や自由平等の権利主張とはまるで無関係のブルマ相撲(※オリビエ命名)の継続欲求なのがちとアレであるが。
「理も義もなく暴徒と化すというのなら、私が鎮圧してあげるから心配いらないわよ、ジル」
 女子生徒の一人に預けていた収納ベルトを両太股に装着したヨシュアは、得物のアヴェンジャーを抜き出して両手に装備する。
 対集団戦闘を極めたヨシュアを前にすれば、数の多寡は何ら意味を持たず。暴動など一瞬で無力化できるが、無差別蹂躙技の『漆黒の牙』を発動させてしまえば無辜の民にも累が及ぶ危険性があり、これは本当に最後の手段だ。
「まあまあ、ヨシュアさん。ここまで穏便に進めてこられた学園祭に水を差すのもいかがなものでしょうか?」
「メイベル市長?」
 放送テントの隣にある生徒会テントに、ボースコンビが訪問してきた。
「たとえ筋が通らない要望だとしても、多くの願いが一つの形を取るのならば、その想いを無下に遇うことはできませんわ。帝国客の目当てはわたくしなのでしょう? ならばボースの市長ではなく、ジェニス王立学園の卒業生の一人として一肌脱がせて貰う所存です」
 メイドのリラが恒例の仏頂面で、購買から卸したばかりの透明袋に入った新品の体操着を手渡す。市長の思惑を悟ったヨシュアの瞳孔が驚愕で大きく見開かれて、軽い興奮に琥珀色の瞳が真紅に染まる。
「メイベル市長、まさか騎馬戦に参戦されるおつもりで?」
「ええっ、愛する母校の危機を救うために、やむなくですけどね」
 しみじみと供述するメイベルの慈愛に満ちた憂い顔に、まるで自らの身を犠牲に捧げた聖女ジャンヌ・ダルクが火刑に処された痛々しい光景をヨシュアは重ね合わせる。
「我が身を人身御供に捧げようとする市長さんのお気持ちは大変尊いのですが、先の騎馬戦を闘った生徒はほとんど満身創痍で数が……」
「その難題なら解消されたみたいよ、ほらっ」
 ヨシュアのもっともな指摘にジルが後方を指差す。何時の間にやらフラッセとレイナの主従の他、数十人を数える女生徒がテント前に集結している。
「なんでも直に騎馬戦を観戦していたら凄く面白そうに見えたので、自分たちも参加してみたいと集まったみたいなのよ」
「私はレイナがやってみたいというから、仕方なくよ」
「相変わらず意地っ張りですね、フラッセは。騎馬戦を試してみたいというから、彼方此方で興味深そうだった女子を誘ってきたのはあなたでしょうに」
「……理解に苦しむわね」
 そう呟いたものの、これで山積みされていた問題点は全て解決されたことになる。ヨシュアも別段、武断的な制圧を望んでいた訳ではない。装備していた双剣を両太股に巻かれたホルスターに納めて武装解除した。
「そうと決まれば、早速、体操着に着替えてこないといけませんね。わたくしが白組の大将騎を引き継ぐとして、赤組にも出来ればそれに相応しいライバルを……そういえばわたくし以外にももう一人、優秀なOGが顔を出していましたね。声を掛けてみることにしましょう。行くわよ、リラ」
「畏まりました、お嬢様」
 メイベルはリラを引き連れて、女子更衣室の方向に移動を開始。瞳を現色に戻したヨシュアは、その後ろ姿に後光が射しているような錯覚を覚えた。
「大の大人がこんなしょーもない子供の遊びに態々付き合ってくれるなんて。やっぱりメイベル市長は傑物…………って、どうしたのよ、エステル、クローゼ?」
 必死に笑いの衝動を押し殺そうとする殿方二人に不思議そうに首を傾げる。尻尾の動きを確認すれは犬の感情が丸判りなように。シリアス顔で体裁を取り繕っていた彼女がスキップするように膝を踊らせてる。
 ボース市長の思惑は、『女子はブルマに羞恥を感じる』という先入観に支配されているヨシュアには絶対に解けない謎である。常々真相からハブにされているエステルが辿り着いた真実を、サトリクラスの超能力じみた洞察力を発揮する名探偵が勘違いする普段の逆転現象が発生していた。

        ◇        

「おおおー! 本当にメイベル市長が出てきたぞ!」
 あれから三十分の準備期間を置いて、選手をそっくり丸ごと入れ換えた赤白の騎馬が再入場してきた。
 観客は得手勝手なもので、延長了承のアナウンスを聞いた途端、あっさりと静まり返って固唾を飲んで再開の時を待ち続ける。帝国社交界のアイドルであるメイベル市長のブルマ姿に会場は今までにない興奮の坩堝と化す。
「やっぱり、少しばかり気恥ずかしいですね」
 騎馬上で白いティアラを被ったメイベルは、中央馬役のクローゼに照れ笑いしながら、カールのかかった髪を軽くかき上げる。再試合に伴い籤に漏れて見学を余儀なくされた男子生徒全員に敗者復活の機会が与えられたのは、スケベ男子らにとって願ってもいない僥倖だ。
「王子様に馬役を押し付けるのは心苦しいですが、よろしくお願いしますね」
「やっぱり、気がついていられたのですか」
 デュナン公爵の目を欺く為、体育の時間で使われるリバーシブルの赤白帽子を深く覆ったクローゼは軽く嘆息する。彼女は特に正体を喧伝するつもりはなく、今日は身分も立場も忘れて無礼講で楽しもうと耳打ちする。
「それにしても、リラ。あなたまでわたくしの道楽に付き合うことはなかったのに」
 一張羅のメイド服を脱ぎ捨てて、主君と同じブルマに着替えて、隣の騎馬に乗り込んだリラに申し訳なさそうな顔をする。リラを羞恥で頬を軽く染めながらも、毅然として首を横に振る。
「主が壇上に登られスポットライトを浴びる時は影ながらそっと見守り、断頭台に昇らされて処刑される際には一緒に頸を斬られるが真なるメイドの務めゆえ、ご心配には及びません」
 「自分たちは運命共同体なのですから」とリラは得意の能面に譲れぬ誇りを秘めて、一連託生のメイド魂を訴える。
 喜びを共に享受できても、中々苦難を分かち合うのを叶わないのが人間の本性の中、その真逆を貫くとは真に務め人の鏡。周りの女子生徒が感動し、馬上で拍手する。ただし、このリラの言い草だと、彼女の基準ではこの騎馬戦で衆目の脚光を浴びるのは栄光よりも汚辱のイメージの方が強いみたいだが。
「皆さん、先程の打ち合わせ通りにフォーメーションを組んで戦って下さい。そうすれば勝利は自ずとわたくし達白組の頭上に輝く筈です。宜しいですね?」
「「「「「はい、もちろんです、メイベル先輩」」」」」
 憧れの大先輩に心酔する白組の女子は、一糸乱れずに返事をする。物欲に釣られた参入した旧赤白の面々と比較すれば、チームワークという点では新世代の白組は一枚も二枚も上をいくようだ。

「うううっ、なぜ、どうして、わたしくがこのような辱めを……」
 赤組の大将を任され、欲してもいない赤いティアラを被らされてブルマ姿で騎馬に乗せられたたギルハート・スタインは現在の自身の境遇が信じられず、まるで荷馬車で市場へ売られていく子牛の気分。耳元にはドナドナのメロディーの幻聴が聞こえてくる。
 発端はあの忌ま忌ましい後輩のメイベルが、メイド共々ブルマ姿のいかれた恰好でルーアン市長秘書コンビの面前に現れたことで、あろうことか、「一緒に騎馬戦を楽しみませんか?」と満面の笑みでお誘いしてきやがりやがった。
 大勢の来客や後輩の女子生徒の手前、罵詈罵声を浴びせるわけにもいかず、秘書の職務を理由に穏健に断りを入れようとしたのだが、よりにもよってダルモア市長が。
「市民の要望に応えるのも、市の行政に携わる我々の務めだ。私のことは構わず楽しんでこい。これは市長命令だ」
 などど本音が透けて見える恒例の嫌らしい笑みを浮かべながら奇麗事を宣う。その一言を切っ掛けにメイベルの手下の男子生徒たちに胴上げのように担げ上げられて女子更衣室まで拉致され、ある意味下着姿より恥ずかしい衣装を強要された。
「おいおい、赤組の大将はどうなっているんだ? どう見ても三十路の婆じゃねえか?」
「見てくれは悪くないけど、あの歳でブルマとか完全にダウトだろ? 太股を晒して恥ずかしくないのか、ちっとは空気読めよ」
「おいおい、勘弁してくれよ。せっかく現役女子高生のブルマ姿を堪能していたのに、コスプレ喫茶に逆戻りしたみたいで白けちまうじゃないか」
 赤組大将の御尊顔を拝まされた客席から、ブーイングが飛んできた。ギルハートは恥辱にプルプルと身体全体を震わせながら、馬上でシャツを伸ばしてブルマ隠しを行う。
 気の毒なぐらい晒し者状態だが、勧誘したメイベル市長には彼女を貶めようという悪意は全くない。ジェニス王立学園を首席で卒業した先輩後輩のOGとして、一緒に騎馬戦を楽しもうとこれ以上ない有難迷惑で悦びを共有しようとしただけ。
 人の持つ固定観念とは中々に厄介なもの。「自分が羞恥を感じるから、他の女子も恥ずかしがるだろう」「自分は慶ばしいのだから、きっと先輩もそうだろう」とヨシュアやメイベルのように理知的で対人経験の豊富な辣腕女性をして、自身の感情を他者にもそのまま適用し大きく見誤ることがある。
 時に無知なる善意は打算的な悪意よりも遥かにえげつなく他者を傷つけるケースあるが、これはその最もたる一例。ヨシュアはメイベル市長を人身御供と称したが、本当にサバトの生贄と処された犠牲者は紛れもなくルーアン秘書だ。
「はーあ、赤組に割り振られて、ギルハート先輩の指揮下に置かれるなんて。私も白組のメイベル市長の元で戦いたかったな」
「無礼ですよ、フラッセ。彼女に何の愚もありません。ただメイベル先輩に比べて、家柄と人間としての器量で大きく劣っているだけです」
「レイナ、あんたの方が私よりもよっぽど失礼なこと言ってない?」
「事実を客観的に述べただけです。まあ、白組には私の憧人のリラさんがおられるので、同じ務め人の先君として色々教訓を賜りたかったですけどね」
 赤組に振り分けられた女子生徒は好き勝手にギルハートを酷評している。一致団結した白組に比べると士気は極端に低く、仮に作戦を立てても言うこと聞いてくれるか甚だ怪しい。
 赤組のまとめ役として、メイベル市長に比べると悲しいぐらいカリスマが欠如しているが、ギルハート本人が今の立場を望んだわけではないので彼女を咎めるのは酷だ。
 メイベルの手勢のやる気満々の白組、年齢制限を厳しく突っ込む無粋な観衆に忠誠心ゼロの赤組の面々。四面楚歌の状況にギルハートは臍を噛むが、そんな彼女の忠実な馬が下方から声を掛けてきた。
「何だか色々と大変そうだな、秘書さんも。けど、大丈夫だせ。たとえ世界の全てが敵にまわったとしても、俺だけはギルハートさんの味方だし、俺があんたをメイベル市長に勝たせてやるから、どんと大船に乗った気分で安心してくれていいぜ」
「エステルさ~ん」
 頼もしそうに勝利を確約する唯一人の朋輩の存在に、ギルハートは瞳をウルウルと潤ませて思わず涙が零れてきた。
 観客はアラサーとか不届き千万を抜かしたが、ギルハート・スタインは今年まだ二十五歳のお肌も艶艶のバリバリの現役。十六歳のエステルとの年齢差は九つである。
 一回り年下の彼氏というか若い燕を囲うのも悪くないかなとオリビエ並に妄想が暴走し始めたギルハートは、恐らくは性格と主義主張が水と油ほども異なる筈のユリア・シュバルツ中尉(二十七歳)と良い酒を酌み交わせるかもしれなかった。



[34189] 13-18:学園祭のマドモアゼル(ⅩⅧ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/15 00:03
 もしかすると、ギルハート・シュタイン秘書(二十五歳の恋する乙女)と良い友達になれるかと思われるユリア・シュバルツ中尉(二十七歳の忠義の武人)は、未来ではなくかつての旧友と軍人将棋をしながら親交を暖めている最中。
「総司令部の占拠により、黄色(カノーネさん)の勝利です」
 審判役の男子生徒が、高らかとカノーネの勝利を謳いあげる。
 エステルが器物破損した『ゲームセンター』の対戦机には大陸で遊ばれる古今東西のあらゆるボードゲームが置かれており、『軍人将棋』もその中の一つ。スパイや工兵などの一部の例外駒を除いて階級によって予め駒同士の勝敗が決しており、対戦相手に駒の正体が判らないよう伏せて戦うのがゲームの特徴。
 駒の優劣を図る審判役の第三者が必要なので、二人だけでは遊び辛く。また、戦略性はあるが、将棋や囲碁などのメジャーゲームに比べて初期配置に伴う運の要素が高すぎるのがプロ化されるほどの市民権を得られずマイナーゲームで寂れてしまった要因。
 逆に一部のマニアにはその部分が好評。本人が軍人である故かユリアとカノーネもこのゲームを愛用し、士官学校時代は暇を見つけては何度も対戦した仲である。
「ふふっ、これで通算成績はわたくしの二百八十七勝二百二十敗ですわね。これを遊ぶのも久しぶりだけど、大将を動かしすぎる癖は変わっていないようね」
 スパイによる大将撃破という最高のカタルシスを果たしたカノーネ大尉は、旧友の悪癖を特に揶揄するでなく、冷静に勝因を分析する。
 文のカノーネ、武のユリアと称された両君だが、ユリアは単なる猪武者でなく知勇兼ね揃えた得難い人材なので、知的ゲームで参謀タイプのカノーネを相手取っても、ヨシュアとエステルほどの極端なスコア差は顕れない。
「まあ、性分だな。そういう貴殿は、ほとんどの場合は大将は総司令部に引き籠もっているので、いかに地雷を見極めるかが勝敗の分かれ目だが、昔に比べて随分とルールも風変わったものだ」
 懐古主義の遠い目で、在りし日の戦略ゲームに没頭していた学生時代の自分たちの若々しい姿を顧みる。
 ちなみに彼女がいうルール改変は、飛行機に移動制限がついたり工兵がタンクに勝てたりなどのマイナーチェンジだが、戦略そのものを左右し兼ねないのは地雷がたった一回で撤去される点。
 中将や少将などの強駒が延々と餌食となる悪夢が避けられるが、別に大陸で統一ルールを定めている訳でもないので、どちらかといえばローカルルールに属する違いだ。
「尉官(少尉、中尉、大尉)が引き立て役なのは、今も昔も変わらないがな。ルール上、仕方がないことだが、偉ぶっているだけの将官に負けるつもりはないのだが」
 自身が中尉の階級に属するユリアは、工兵よりも使いでがない自分らの階級駒の存在価値の希薄さに遺憾の意を示すが、多数の弱駒がいるからこそ少数の強駒の強さがより際立つのだと、カノーネは別視点から光を充てる。
「それと今の地雷撤去ルールなら、尉官の駒を生贄に捧げることで地雷を取り除けるのだから、昔に比べれば存在意義が生まれたかもしれませんね」
 実際の戦場でも最前線で敵の矢面に立ち、真っ先に犠牲となるのが名もなき兵士に与えられた役割なので、ある意味現実に即していると言えるかもしれない。カノーネの達観に何かを感じたのか、ユリアは軽く嘆息すると間を外す為に窓の外を眺める。
 すると、グラウンドで騎馬戦が行われている風景か目に入る。
 勝負に夢中で気づかなかったが、校庭を埋めつくした観衆から、締め切った窓越しでも響く程の大歓声があがっている。窓を開けた途端、より一層音量が跳ね上がったので、他のゲームに集中している客の迷惑にならないよう慌てて閉じる。
「あら、騎馬戦ですか。これはまた懐かしいものを。そういえば、体育祭が部分的に復活するとかリベール通信に掲載されていたけど、この余興がそれみたいですわね」
 カノーネもトラックの様子に気づいた。ゲーム疲れの脳を癒す為に校舎三階窓からゆったりと騎馬戦を鑑賞する。ただし、息抜きのつもりでも、どうしても軍人的な思考が入り込んでしまうのが職業病所以。
「ふふっ、こうして上部から眺めていると、各騎馬の動きが丸判りで面白いですわ。まるでプレイヤーが基盤上の駒を見下ろすかのようね」
 赤組の騎馬が個々に好き勝手に動いているのに対して、白組はメイベル市長の薫陶宜しく、実に戦術的。一つの騎馬に必ず三体が一組になって殴殺している。開始して数分で両軍の戦力比は倍近くまで広がっていて、時間が立つほどその差は開く一方だろう。
「急拵えとは思えないほど各騎馬の動きも連携が取れていますし、白組の指揮官はよほどのリーダーシップに優れた人物なのでしょうね。ランチェスターの法則に紐解くまでもなく、この勝負は白組の圧勝……」
「さて、それはどうかな?」
 白組の動きが戦理に適っているのを認めながらも、ユリアはカノーネの常識論に異議を唱える。別段、彼女に対抗してとかではなく、烏合の衆の赤組の中に面白い騎馬を見つけたからだ。
「確かに現実の戦争でも、ここまで両軍の戦術格差に違いがあれば勝敗は決したも同然。だが、大陸の数々の戦史を学んできた我々は知っている筈だ。時には一騎当千の英雄が常識を覆す圧倒的な個の力で完成された組織を撃ち破り、有り得ない逆転勝利を弱軍に齎した歴史が幾度となく存在することを」
「個の力?」
 カノーネは訝しむ。彼女の敬愛しやまない上司のリシャールは、『百日戦役』での英雄カシウス・ブライトの重要性を強調していたが、その剣聖にした所で単身剣一本で帝国軍を撃破した訳ではない。
 近代戦術の発達による徹底した組織化と導力革命による科学技術の急速な進歩により、一人の英傑の存在が戦争の行方を左右するような歪な時代は終わりを告げた。
 その意見にはユリアも賛成だが、眼前で披露されているのは古代戦争をモチーフとした原始的な騎馬闘争なので、個人の勇が戦局を引っ繰り返す余地は充分だ。
「赤組の大将騎、アレは中々に面白いぞ。もっとも、騎手は凡だから、本当に優れているのは馬の方。いにしえの赤兎に勝るとも劣らない名馬だな」

        ◇        

「おほほほほっ、やっぱり団体競技は燃えますわね。騎馬戦サイコー!」
 三個目の鉢巻きを奪い取ったメイベルは、額の輝く汗を拭き取りながら騎馬上で満面の笑みを浮かべ、馬役のクローゼは市長のハイテンションに若干引き気味になる。
 勝利条件のティアラを保持する白組大将騎だが、護衛の奥に隠れるような臆病な真似はしない。古代の覇王のように自ら陣頭に立って身を危険に晒しながら、得意の三位一体の隊列で数的優位を築いて敵を狩り続ける。帝国社交界のアイドルの大活躍に客は大いに沸騰する。
「惜しむらくは、赤組の騎馬の行動に全く統一性が見られないことですね。ほとんど準備期間もないぶっつけ本番だから仕方がないかもしれませんが」
「というよりは、単に敵大将側のやる気の問題ではないでしょうか、お嬢様?」
 ワンサイドゲームを憂慮するメイベルに、常に彼女をサポート出来るポジションをキープしているリラは自身の見解を控え目ながら述べてみる。
 明らかに主君を目の敵にしているルーアン秘書に普段はあまり良い感情を抱いていないが、ヨシュア並みにブルマへの羞恥心を持ち合わせているメイドさんは望まぬゲームに無理やり巻き込まれた彼女に今回ばかりは同情している。
 ただ、市長の激務でストレスを溜めがちなメイベルの子供みたいに楽しそうにはしゃぐ姿と天秤にかけたら、ギルハートへの憐憫など微々たるもの。お嬢様のガス抜きの肥しになってもらおうと諦観していたが、その赤組大将騎が異常なやる気を漲らせてメイベルが考案した完成された包囲陣に皹を穿ち始めていた。

「よっしゃあ、行くぜ、ギルハートさん!」
「よろしくお願いします、エステルさん」
 早馬の如くトラックを疾走するギルハート騎。自らを取り囲もうとする三騎をすり抜けると、弧を描くように回り込んで左手前の騎馬の一つに激突する。
 白組の中央馬役の男子生徒はエステルに体当たりを敢行したが、まるで花崗岩のようにビクともしない。逆に長身のエステルから圧倒的なフィジカル差で肩口を上から押し込まれると、今の態勢を維持出来ずに前のめりになる。そして、白組騎手の頭部がお辞儀するように、ちょうどギルハートの腰のラインあたりの美味しいポジションまで下げられた。
「いただきですわ」
 闘いにおいて上座の位置をキープするのは、圧倒的な優位を生む。運動音痴のギルハートをして楽々と鉢巻きを分捕るのに成功する。
 三位一体での袋叩きを基本とする白組は逆に一騎でも欠けたらどう対処して良いか判らず。他の赤組の女子に襲われて、第七分隊(※メイベル命名)が壊滅し白組初の犠牲をだした。
「いいこと、エステル? 馬役の男子生徒なら何人病室送りにしても問題ないけど、その騎馬に乗っているのはか弱い女子生徒なのだから、落馬して怪我させたりしないように注意しなさい」
 騎馬戦の開始前にヨシュアは口酸っぱくそう警告する。要するに体育のドッチボールの悲劇を再現しないように暴走に釘を刺されたのだ。
 男女均等に基づかない女尊男卑のヨシュアの主張は男子の側から苦情がきそうであるが、女子の身体を労るのはその逆よりは正しい考えだ。
 尚、そのヨシュアは戦利品の鉢巻きの査定をしなければならないとかで、前戦に参加した女子を引き連れてこの戦を見学することなく姿を消した。
「全く、ヨシュアの奴は心配しすぎだっての。俺だってそこまで空気が読めない訳じゃないんだぜ」
 エステルが本気なら暴走ダンプカーのように全ての騎馬を弾き飛ばすのも可能だが、ここまで落馬失格した白組の騎馬の数はゼロ。
 実際、ぶちかましを封印しても他にいくらでも遣りようがある。他の騎馬と衝突すると身長差を利用してまるでヤクザの難癖のように自分の肩口を相手の肩に上からグリグリと押し付ける。
 鍛え抜かれた鋼の肉体による大人と子供以上の絶望的なフィジカル差。当然、相手はその圧力に耐えきれずにジワジワと沈んでいき、ギルハートが労せずして鉢巻きを奪える定位置まで頭部を下げさせられる。
 更には多数の騎馬に囲まれる前に得意の脚力で戦場を縦横無尽に駆け巡り包囲網を突破。単騎に狙いを定めて個別に各個撃破する。幸い後脚の二人も現役の運動部員なので、エステルのハードワークについていくのを可能とするので、ギルハート騎の機動力は戦場ではずば抜けており、白組の連携術を以ってしても取り囲むのは至難の業。
 この手法が功を奏し第三・第六分隊が纏めて餌食になり、二桁近いお宝の鉢巻きをゲットするのに成功している。
 そして、これが一番肝心なのだが、様々なお膳立てにより必ずギルハートに鉢巻きを取らせ、花も実も彼女に持たせるようにエステルは腐心しているので、素人目には先のヨシュアのように騎手が無双しているように映っていて、さっきまでブーイングを浴びせていた観客も掌返して活躍を応援し始めた。
「いいぞー、赤組の大将ー!」
「ルーアン市長の秘書なんだってな? そのままボース市長に下克上してやれー!」
「わたくしが脚光を浴びている? あのメイベルよりも」
 鉢巻きの束を強く握りしめながら、羞恥に震えていた先とは全く別の意味で馬上のギルハートは打ち震える。
 元々目立ちがり屋の上に、若くして市長職を手にした後輩のメイベルに対するコンプレックスは半端ない。この賞賛の雨は快感だ。
 エステルが必要以上にギルハートに肩入れしているのは、或いは無意識的に義妹に劣等感を抱いている自身と似た匂いを野生の嗅覚で嗅ぎ取ったからかもしれない。

「なかなか、やりますね。ギルハート先輩。ならば、先に倣って大将同士の直接対決で決着をつけるとしましょうか」
 無双劇と謳っても、所詮は匹夫の勇。タイムアップまで時間を稼げれば、白組の勝利は確実だが、その選択肢はない。
 別にミラを賭けている訳でなし、とことんまで楽しまなければ損。現役時代の騎馬戦でも巡り逢えなかった好敵手との邂逅にワクワクと胸を踊らせると、リラともう何人かの女子生徒に合図し自ら率いる手勢でギルハート騎との距離を詰めていく。
「メイベル?」
「さあ、ギルハート先輩、この鶴翼の陣を交わせますか?」
 メイベル、リラ他、計五体の騎馬は円形でギルハート騎を取り囲んで、時計周りに回転しながら距離を狭めていく。
「ちっ、こいつは厄介だな」
 白組五騎の巧みな連携に抜け出る隙間を見出せなかったエステルは軽く唇を噛む。
 一点集中突破で強引に包囲網を突破するのは容易いが、その場合、敵を落馬させる危険性が高く、相手に怪我させず自騎手に功を譲るという自らに課した誓約を破ることになる。
 ヨシュアなら五騎相手にしても余裕だろうが、ギルハートの身体能力では二体同時に襲いかかられたまずアウト。まだ各騎馬の距離が離れている内に、一か八か正面の騎馬に向かって特攻する。
 例のフィジカル勝負で圧倒し鉢巻きを奪うのに成功したが、その隙を見計らい後方から別の二騎が襲いかかる。ギルハートに回避する術なくゲームオーバーかと思われたが、フラッセとレイナの主従騎馬が割り込んできて盾となって敵の攻撃を防ぐ。
「あなた達?」
「ほらっ、私らが食い止めている間にさっさとティアラを奪っちゃいなさい」
「どうのこうの言っても負けず嫌いですからね、フラッセは」
 ようやく赤組にも少しばかりチームワークが芽生えた。鉄壁の筈の包囲網は崩壊し、逆にメイベルは単騎で赤組の大将と相対することになった。
「メイベル覚悟ー!」
 エステルが身体ごとぶつかってきた。細身のクローゼでは到底支えきれず、メイベルの頭部がベストフィットボジションまで下げられて、ギルハートは舌舐りしてティアラに手を伸ばす。
「危ない、お嬢様」
 今度はリラが身体を張ってインターセプトし、ティアラの代わりに彼女の鉢巻きが奪われる。先のヨシュアのような変態超人バトルはないが、ブルマ女子(※メイベルとギルハートの年齢はアレだが)が力を合わせて等身大で戦う様は実に見応えがあり、観衆の興奮具合も絶頂に達する。
 リラの献身で態勢を元に戻せたメイベルは、その好機を逃さずにギルハートとがぶり四つの態勢で組み合い、無言のまま互いのティアラを奪い合うラストバトルに突入。
「こうなったら、もう僕たちにできることはありませんよね、ねっ、ねっ、エステル君?」
「クローゼ、お前、必死だな。まあ、最後ぐらいはギルハートさん本人に任せてみるか」
 ここまで盛り上げての落馬決着では締まりがない。体力勝負の分の悪さを悟ったクローゼの口からでまかせの話術に敢えてエステルは乗っかることにして、自らの立場を弁えた二人の殿方は衝突を止めて足場の馬役に徹する。
 馬上では互いの騎手が髪の毛を引っ張り、ほっぺたを抓ったりとなどの壮絶なキャットファイトを繰り広げ、その死闘が遂に終息する。
「か、勝った、このわたくしがメイベルに…………」
「完敗ですわ、ギルハート先輩」
 ギルハートの左手には真っ白いティアラが握られている。勝利こそ得られなかったものの心ゆくまで騎馬戦を満喫したメイベルは満足の笑みを零して、ギルハートに握手の掌を差し伸べる。
 騎馬の上で互いの健闘を讃え合う両者の感動的な姿に満場の観衆は総立ちになって、スタンディングオベーションで拍手喝采する。その余韻は何時までもグランドに残り続ける。
 ギルハート・スタイン、二十五歳。今後の彼女の七難八苦の人生を彩るささやかな栄光の一時をしみじみと噛み締めていたが。「来年もまた一緒に楽しみましょう」とボース市長から微笑まれて、ピシリと馬上で石化する。主君が騎馬戦に味を占めてしまった現状にリラは軽く嘆息した。

 その頃、『白き花のマドリガル』の舞台となる講堂。白の姫セシリアの衣装ドレスに着替えたヨシュアは琥珀色の瞳に憂いを秘めて無人の講堂を見渡し、そっと呟いた。
「いよいよ、クライマックスね。このまま何事もなく終わってくれれば良いけど」



[34189] 13-19:学園祭のマドモアゼル(ⅩⅨ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/16 00:01
「やはり中隊長殿は待ってないか。へへっ、そりゃ、そうだよな」
「小一時間程で戻ると約束したのに、中尉、カンカンに怒っているでしょうね」
 ルクスとリオンが再び校門前に帰参した時には、ユリアの姿をそこにはない。
 それもその筈。あれから聞き込みとか模擬店巡りやらに精を出していたら、いつの間にかお昼過ぎで、待ち合わせ時刻を三時間もオーバー。これがデートのすっぽかしなら、平手打ちを喰らい確実に振られるレベルの大遅刻。
「諦めてアルセイユの方に戻られたなんて、虫の良い話はないだろうな」
「へへっ、独力で黒髪娘を探し始めたんじゃないの? 騒ぎが起きてない所をみると、まだ遭遇していないみたいだけどな」
 あれから少しばかり趣向を変えて、ヨシュアだけでなくクローゼに対する調査も並行しデータを収集してみた結果、いくつか判明した事実は。
 (1)クローゼがヨシュアにゾッコンなのは一目瞭然だが、彼女の方は義兄と両天秤にかけてるっぽい。
 (2)元々、むっつりスケベを疑われていたクローゼだが、最近は助平である事実を隠そうとしなくなり、あろうことか女子生徒へのスカート捲りまで敢行した。
 (3)それでも女子人気は一向に衰える気配すらなく、後輩女子の差し入れ弁当で食い繋ぐ典型的なジゴロ生活を満喫中。
 などで、黒髪娘の心証が悪化の一途を辿りそうなネタばかり次々に発覚。
 特に(2)の事例が深刻。クローゼを世俗の塵垢とは無縁の天使か何かと妄信しているユリアが聞けば、卒倒するのは疑いない。
 まあ、この件に関しては諸悪の根源はヨシュアでなくエステルの方。ちょっとした賭け事に負けたクローゼにペナルティとして課した罰ゲーム。「お前なら女子は笑って許してくれる」という世迷い言を真に受けてみたら、「もう、クローゼ君のエッチ」の一言で実際に恩赦を受けた。
 尚、その光景を目撃したハンスが模倣すると女生徒から袋叩きにされており、つくづく世の不文律(ただしイケメンに限る)は不条理だ。
 ただし、ユリアのクローゼに関するツケは全部ヨシュアの方へとまわされるので、このまま放置すれば学園祭に血の雨が降るのは間違いない。惨劇を未然に防ぐためにも、二人は校内に戻って手分けしてユリアの行方を捜索した。

        ◇        

 親衛隊の部下から暴走を危惧されたユリア中尉であるが、現在の彼女はアンニュイな気分で独りトボトボと人気のない校舎裏を歩いている。旧友のカノーネと去り際に交わした会話が胸の奥で燻っていた。
「以前のわたくしにはあなた程の器量の持ち主が他人に忠義を尽くす感覚が良く判らなかったけど、今なら理解できますわ。わたくしにも生涯を賭して仕えるに値する上官と巡り逢えましたから」
「それはリシャール大佐のことか?」
「そのあたりは想像にお任せしますわ。ただ、わたくしや同胞は閣下の理想を実現する為なら私欲を捨て生命さえ差し出せる覚悟です。あなたの王太子殿下に対する想いも同じなのでしょう、ユリア?」
 専制国家の軍人でありながら軍閥化を示唆する発言は不用意にすぎるが、彼女の信念に妙に身に詰まらせられるものがあったユリアは普段の聰明さか鳴りを潜め、会話の端々に不穏の気配がダダ漏れていたことや、その時の彼女の瞳に悲壮な決意のようなものが宿っていたのも見落とし、すたらす自分独りの思考に没頭する。
「王太子への忠誠か。私のやろうとしていることは、本当にクローゼの御為になるのであろうか?」
 行き過ぎた庇護欲が暴発し勢いに任せて王立学園に乗り込んできたが、元々思慮と良識に富んだ人物なので、今更になって自らの行動に疑念を抱き始めた。

「きゃあああー。ちょっと、何なのですか、あなたは?」
「うるさい、殿下を誑かさんとする不届き極まる悪女め。成敗してくれるから、そこに直れ!」
「あーれぇー!」
 一糸乱れぬランツェンレイターの見事な四段攻撃により、ヨシュアの衣服をビリビリに引き裂かれて、瞬く間にマッパにされる。
「ユリアさん、一体彼女に何をしているのですか?」
「で、殿下?」
 裸でへたり込むヨシュアの背後から、そっと自分のブレザーを被せる。ユリアから庇うように彼女の抱き寄せると、紺色の瞳に静かな怒りを称えてユリアを怯ませる。
「無辜の女性を辱めて悦に浸るのが、あなたが剣聖から引き継いだ剣の心なのですか、ユリアさん?」
「殿下、これには、その深い事情が……」
「しくしく、クローゼ君。私このおばさんに穢されてしまって、もうお嫁にいけません」
「大丈夫ですよ、ヨシュアさん。僕があなたのことを貰ってあげますから。今日からあなたは僕の妃として、この国の女王になるのです」
「まあ、素敵ね。国民の血税から野原に咲き乱れる草花の一本一本に至るまで、王国の総てが私の物になるのね?」
「ええっ、二人でこの国の明るい未来を一緒に築いていきましょう」
「クローゼ、お止めください。この女はリベールを滅さんとする傾国の魔女で……」
「ユリアさん、婚期を逃して焦るのは判りますけど、彼女の若さに嫉妬するのは見苦しいですよ」
 養豚所の豚を見下すような蔑む目でユリアを一瞥。お互いに身体を寄せ合い仲睦まじく離れていくラブラブカップルの姿を尻目に、ユリアは両手を地についてガックリと腰を落とした。

「帰ろう」
 いつの間にやら妄想が暴走してしまった。
 クローゼがそんな性悪ではないとか、彼に半裸女性に上着をかける甲斐性などないのは異空間のむっつりスケベ振りが証明しているなど色々と突っ込み所はあるが、物証も無しに現職の親衛隊が一般庶女に暴力を振るい、何のお咎めがない筈がないという根源的な問題点に気がついた。
「思えば、私は少しばかり殿下に見返りを求めてしまったのかもしれない。王太子の交友関係にまで口を挟もうとは分を弁えないにも程がある」
 妄想ついでに、もし自分の仕える主がクローゼでなく、デュナン公爵だったらという仮説を検証。可愛いクローゼ坊やとのセピア色の甘酸っぱい思い出の数々が公爵のむさ苦しい中年顔に上書きされた刹那、思わず吐き気が込み上げてきた。
「なんたる僥倖。なんという望外の幸福の享受。私はもう存分に報われているではないか。これ以上を望もうとは畏れ多いぞ、ユリア・シュバルツ」
 デュナン本人に含む所はなく、尊敬する鬼の大隊長の職務を否定する訳ではないが、もし、自分が公爵の世話係を任命されていたら、とっくに実家に帰郷し母の勧める見合い話を受けていた。
 リストラされたサラリーマンに似た哀愁を背中に漂わせながら、ユリアは校門の方角へと歩を進める。
 かくして、ヨシュアの預かり知らぬ場所で芽吹いた人災の種が人知れず刈り取られようとしていたのだが。その途上で、隠れて煙草を吸う不良学生の如く人目を避けて裏門の焼却炉前にたむろし興奮しながら『とある写真』の分配を行っている女子生徒の一団を見かけたことから、再び運命が奔流する。
「ハァハァ、これなんか凄くない?」
「うんうん、この恥辱に震える顔が最高でたまんないよね」
「けど、ヨシュアの奴、どうやってクローゼ君のこんな写真を撮ったのかしら?」
「別にそんなこと、どうだっていいじゃない。本当にヨシュア様さまよね……って、今忙しくて手が離せない………………きゃあああ!?」
 クローゼファンのお芝居不参加組は先の騎馬戦の報酬を物色しながら、ダブった写真を互いにトレード中。肩を叩かれた生徒はうざそうに振り返ったが、黒スーツに黒眼鏡の堅気と思えぬ危険人物が素人目にも視別可能な凄まじい量の闘気を解放しサングラス越しにじっとこちらを睨んでいて、思わず悲鳴を上げる。
「あ、あの、何か私たちに御用でしょうか?」
 路上でヤクザと肩がぶつかった一般庶民よろしく、女子生徒は丁重な言葉遣いでガクブル震える。
「貴殿ら、この写真を一体どこで手に入れた?」
 今すぐこの場でSクラフト『トリニティクライス』を発動させて、この不埒な子女どもを一網打尽にしたい欲求を何とか捻じ伏せると写真の出所を追求する。
 ドラッグの売人を逐一検挙しても単なる対処療法に過ぎないように、末端の枝だけを取り除いても意味はない。きちんと大元の根を枯らさないことには美悪の華の萌芽を断てないのを経験上弁えている。
 女子らは互いに顔を見合わる。騎馬戦の一件でアレを敵にまわす恐ろしさを骨身に沁みていたからだが、ここで黙秘を貫いたら明日の朝日が拝めない予感がプンプンする。後日の禍根よりも、まずは目の前の窮地を乗り切ることを優先し黒幕クイーンオブハートの真名を告げる。
「もしかして、ヨシュアというのはこの少女のことか?」
 何か女の直感に閃くものがあったのか、ユリアは例のスナップショットを見せる。
 ただし、『もうあの頃には戻れないだろう、常識的に考えて……』の亀裂が入った女同士の友情のようにクローゼが映った右半分は切り取られていたが、琥珀色の瞳の少女の御尊顔を確認するには十分でコクコクと頷いた。
「そうか……」
 最も欲していた物的証拠を手に入れたユリアは有象無象の雑魚は放置することにし、写真を一枚残らず巻き上げてこの場を去る。
 危機は暴風のように過ぎ去ったようで、女子たちはヘナヘナとその場に崩れ落ちた。貴重な御宝映像を奪われたのは痛手だが何事もまずは生命あっての物種だ。
「あー、怖かった。一体なんだったのかしら、アレ?」
「分かんないけど、多分クローゼ君の関係者よね? 何か凄い殺気を漲らしていたけど」
「ヤクザみたいな男装だけど、あの人女性でしょ? でも宝塚みたいでちょっと格好良かったかな」

「やはり、私の勘に狂いはなかった。あの売女め。よくもかような合成写真で殿下を辱めようと………………」
 紺碧の塔の経緯を知らないので、捏造と決めてかかったユリアは検めて内容を検分し、頬が完熟トマトのように真っ赤に染まる。
 女生徒がしつこく拘ったように、触手云々よりもクローゼの艶やかなアヘ顔の方で御飯三杯はいけそうだが、鋼の如き強靱な意志の力で己が煩悩を薙ぎ払う。
「ええーい、私の王太子殿下への忠誠心を舐めるなー!」
 バトルセイバーを抜刀し持てる全ての精神力を発揮して、全ての写真を原型を留めない程にビリビリに引き裂いた。
「はあ、はあ、次は貴様の番だ、世紀の悪女め。無垢な殿下を穢さんとした原罪を己の身体で償わせてやる!」
 ついさっきまで潔く身を引こうとしていたが、討伐の口実……もとい大義名分を手に入れたことで黒髪少女への敵意を再燃させる。
 もはやクローゼの目の前であろうと躊躇う必要性を感じず、比喩でなく本当に刀の錆としてくれようと意気込んだが、その瞬間に校内放送のアナウンスが流される。
「ご来場の皆様に申し上げます。間もなく講堂にて、『白き花のマドリガル』の上演劇が開始されます。講堂内は大変混み合っており既に満席となっておりますが、立ち見でよければまだいくらかスペースの余裕はありますので、節度を以って鑑賞されるようお願いします」
 ピンポンパンポンという気の抜けたチャイムがユリアの闘争本能に水を浴びせる。顎先に手を当てると意味深に考え込んだ。
「『白き花のマドリガル』か。確かファルコンの報告によれば孤児院の子供たちを楽しませようと、クローゼはこの劇の稽古に毎日のように明け暮れていたらしいな」
 更には主演ヒロインのセシリア姫を例の黒髪娘が演じるらしいという情報をリオン経由で聞き及んでいる。ユリアは軽く舌打ちすると、剣を鞘に納めた。
「ちっ、運が良かったな、黒髪の毒婦。劇が終わるまでの間、貴様の生命を一時預けておいてやる」
 かくして、再びヨシュアの関知しない場所で破局が先延ばしされるが、クローゼを巡る二人の女性の衝突はもはや不可避。様々な人間の思惑が絡んだ学園祭の最終イベント『白き花のマドリガル』の開演はもう間もなくだ。



[34189] 13-20:学園祭のマドモアゼル(ⅩⅩ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/16 00:01
「何だか心臓がドキドキしてきたな」
 カーテンの隙間から客席の込み具合を確認したエステルは、柄にもなく緊張しゴクリと生唾を飲み込んだ。基本、目立ちたがり屋の利かん坊なので、騎馬戦で大暴れして衆目を集めていた時は何も感じなかったが、運動と異なり苦手分野の演劇では土壇場でミスをして皆の足を引っ張ったりしないかプレッシャーにさい悩まされる。
 帝国客のお御目当てイベントは既に満了したが、寿司と騎馬戦で獅子奮迅の働きを示した学園祭のマドモアゼルが主演女優を務めると聞き、興味を惹かれたらしい。
 多目に見積もって三桁用意したパイプ椅子は全て満席で埋まっており、座りきれない来客が後方立ち見部分はおろか二階の渡り廊下にまで溢れている。
「エステル君の気持ちは良く判りますよ。大勢の人間に値踏みされるお立ち台というのは、どうにも馴れないものです」
 社交場を大の苦手として、公共の場に出没しなくなった引き籠もりの王子様は心底同意する。
 今のクローゼは日焼けした小麦色の肌に髪を金髪に染めて青のカラコンを嵌めている。デュナン公爵の目を欺く変装で、ヨシュアがカリンに化けた時の小道具を再利用し彼女から直接メイクアップを施してもらった。
 逆にユリウス役のエステルはオスカーと肌色が被ると面倒なので、白粉を塗りたくって貴族らしい真っ白な素肌を演出。
「まっ、緊張しているのは、別に俺たちだけって訳じゃないみたいだけどな」
 周囲を見回すと、どこはかとなく雰囲気は重苦しい。皆一様に口数が少なく、既に暗記した筈の台本を読み直したりする者もおり、心細さが手に取るように伺える。例外は連戦の疲れで舞台衣装を着たまま肘掛け椅子に座って、ウツラウツラと舟を漕いでいる白の姫セシリアぐらい。
「やっぱり、昨日一日通し稽古が出来なかったのが、不安に拍車をかけているんじゃないか? 海釣りに出張ったスケジュールの都合上、選択の余地はなかったけどな」
 武術の世界でも、一日稽古をサボると勘を取り戻すのに三日はかかると言われるので、エステルは毎日の鍛練を欠かしたことはない。
 もっとも、未だに影を踏むことすら叶わない我が義妹が真面目に修行している姿を一度も見たことがないので、凡夫にのみ適用されるジンクスっぽいのだが。
「申し訳ありません、クローゼ君、エステル君。私が不甲斐無いばかりに、あなた達お二人には色々と心配をおかけしたみたいで」
 テレサ院長が四人の子供たちを引き連れて楽屋裏に顔を出し、心底心苦しそうな表情で頭を下げる。
「テレサ先生?」
「それって、どういう…………」
「お弁当を差し入れて頂いた時にヨシュアさんからお伺いしました。孤児院を建て直す費用を捻出する為に寄付金集めに奮闘なさってくれたとか」
 相変わらず仕事が早いというか。再建の目処が立つ資金を掻き集めるのに成功した地点で次のステップへと話を強引に進めた次第。
「本当にありがとうございます。ここまで想っていただけで、私もこの子達も果報者です」
 目に浮かんだ涙を拭き取りながら、子供達と一緒にマーシア孤児院一堂で頭を下げる。二人は首をブルブル横に振って謙遜しながらも、戸惑いを隠せない。
 あの慎み深い院長が二人の好意を素直に受け入れてくれたのに軽い違和感を覚えたからだが、そういう社交辞令的な通過儀式はヨシュアが既に済ませてくれていた。

「そんな、お気持ちは大変有り難いのですが、ここまでして頂くわけには…………」
「なら、その旨をテレサ院長の口から、エステルとクローゼにハッキリと伝えて下さい。少しでも再建の足しになればとクラーケンに襲われながら必死に黒鮪を釣ってきた二人の命懸けの冒険は単なる徒労に過ぎなかったのだと」
 歯に衣を着ないヨシュアのキツイ言い回しに、テレサは言葉を詰まらせる。
「今回の義援金の送り先は学園側が勝手に推し進めていることですから、当然あなたには善意の押し売りを拒む権利があります。ただし、その場合にはきちんと筋を通してあげて下さい」
 でないと、思い入れのある孤児院やハーブ畑を再生できると我が事のように喜んでいたお人好しの二人が浮かばれないと嘆願する。尚、殿方二人分の労力を合わせてもまだ足りないぐらい知恵を振り絞り身体を張ったヨシュア当人の貢献度については欠片も触れなかった。

「そうですか、そのような遣り取りが……」
 事態をスムーズに進行させるように、敢えて憎まれ役を買ってでた腹黒完璧超人の不器用さにクローゼはしみじみと感極まる。エステルの方は「ヨシュアの奴、相変わらず同性相手には容赦がないな」と真逆の感想を抱いたが、どちらが少女の真実の姿かは恐らく本人にも判らない。
 面白いのはその時の子供たちの反応。ヨシュアの表層的な冷たさを額面通りに受け取ったクラムは「テレサ先生をいじめるなー!」とクラフト『ストーンフィーバー』(パチンコから複数の石ころを、雨あられのように投石する)で襲いかかったが、空気が読めるマリィは「ヨシュアお姉様。素敵……」と瞳を輝かせていたことだ。男の子から煙たがられ女の子から憧れられるという普段のヨシュアの生態からは180°反転した怪異現象が発生していた。
「お二人の他にも多くの方々の友愛に支えら感謝の言葉もありませんが、こんな無力な私たちにも役立てることはあるそうなので、これで失礼させてもらいます」
 生徒会から便宜を図られ、見晴らしの良い最前列の指定席を譲ってもらったので、「お芝居を楽しみにしています」と院長は挨拶すると子供たちを連れて楽屋を後にする。
 最大の懸念事項が取り除かれると同時に二人が感じていた緊張感も一緒にどこかに飛んだ。気分がスーっと楽になったが、こうなるとテレサの最後の置き土産が気になった。
「院長やクラム達にも出来ることって。ヨシュアの奴、何をやらせる気だ? 叩き起こして、真意を…………」
「止めなさい、エステル君。今回の学園祭で僕らとは比肩できない程に骨を折ってくれたヨシュアさんが、マリィちゃんら幼い子供たちに無理難題を吹っ掛ける訳ないでしょう?」
 椅子に座ったままコクリコクリと寝息を立てているヨシュアに近づこうとしたエステルを、クローゼが身体を張って阻止する。
 元々華奢なヨシュアの体力を気遣っていたのはエステルの方なのに、クローゼに諭されるようでは本末転倒。エステルは反省するも、突如何かを思い立ったようにぶるっと身体を震わせると裏口に直行する。
「今度はどこへ行かれるのですか、エステル君? まさかテレサ先生から直接……」
「トイレだよ、トイレ……」
 勘繰るクローゼにエステルはダイレクトに緊急事態を訴えって、蒼の騎士オスカーは臨時の青い瞳に呆れた色を浮かべる。
「しっかりして下さいよ、エステル君。もう開演までほとんど時間がありませんよ」
「小だからすぐ戻るよ!」
 例によってデリカシーに欠けるエステルは大声で尿意を主張。楽屋小屋に何ともいえない空気を残していったが、その行為は意図せず場の緊迫感を和ませる効果があり、先とは打って変わって俳優たちはリラックスしたムードに包まれる。
 例によってブライト兄妹を過大評価する傾向があるクローゼは、「これもまたエステル君の世界を広げる可能性か」と偶然の産物を過剰に持ち上げて一人勝手に得心した。

        ◇        

「舞台上で漏らしでもしたら洒落になれないからな。急げ、急げ…………って、おわっ?」
 紅騎士ユリウスの舞台衣装を着込んだエステルは、『廊下走るな』の貼り紙を無視して全力疾走したが、曲がり角で誰かと正面衝突して思わず尻餅をついた。
「あたた…」
「あら、ごめんなさい。大丈夫ですか……って、あなたは?」
 ぶつかった相手は、黒の瞳孔を開いてエステルを見下ろした。
 赤毛セミロングの比較的長身の女性。踝近くまで達する茶色のロングスカートと、ダボダボの灰色のカジュアルセーターという地味目の恰好ながら、清楚な顔つきと摩天楼の如く隆起する二つの胸の大きな膨らみがアンバランスさを醸しだし、当人の意図に反して女の色香を一段と強調している。
「あれっ、あんた。もしかして、俺のこと知っている? けど、どこで会ったっけ?」
座り込んだまま小首を傾げる。オリビエのような有象無象の野郎ならまだしも、これだけ特徴的な美人と面識があったら助平道を極めたエステルが忘れる筈はないが、女性の方が軽く頬を染めながら勘違いである旨を訴える。
「な、何でもありません。先程の騎馬戦の活躍を拝見したから、あなたのお顔を覚えていただけです。ぶしつけながら、急いでいるのでこれで失礼します」
 若い赤毛の女は礼儀正しくお辞儀すると、エステルとは反対の方へと駆け足で消えていく。トロそうな外見によらずかなりの快速だが、エステルに次いで廊下ダッシュを試みるあたり、大人しそうな見掛けに反して学舎のルールを守るつもりはなさそうだ。
「もしかして、あの女性も俺と同じで用足しに焦っているのか? それよりも油断していたとはいえ、女相手に俺の方が当たり負けするなんて現実に有り得るのか? って、いけねえ。こんな悠長なことしている場合じゃねえ!」
 ささやかながら重大な物理的問題点は、もっと緊急の用件に打ち消され、エステルは慌ててトイレに直行する。さしあたり今回の学園祭においては、この女性との邂逅がエステルに与える影響は微塵もない。

        ◇        

「ご来場の皆様に申しあげます。まもなくより、『白き花のマドリガル』を上演させていただきますが、その前にお知らせがあります」
 講堂の照明が一斉に落とされて、堂内が暗くなると同時に、オーブメント仕掛けの緞帳が開かれて舞台の様子が露わになる。スポットライトを浴びた司会役の女子生徒が、マイク片手にアナウンスする。
「ルーアン在住者はもちろん、リベール通信にも速報が掲載されたのでご存じの方も多いと思われますが、先日マーシア孤児院が焼け落ちる痛ましい火災事故が発生しました。ですが、やはりエイドスは善良に生きる子供たちを見捨てません。惨状を見兼ねたこの御方が百万ミラという多額の再建資金を寄進して下さったです。皆さん、リベール一の伊達男デュナン公爵に盛大な拍手をお願いします」
 スポットライトが中央最前列のアリーナ席にふんぞり返っていたデュナン公爵にも当てられ、恰幅の良い中年男性の姿が闇に浮かび上がる。
 彼方此方の席に紛れていたクイーンオブハートの息のかかった桜の生徒が、まずは火付け役として派手に柏手を打つ。満場の観衆はその行為に釣られるように手拍子が増えていき、やがては溢れんばかりの拍手の洪水に埋めつくされる。
 クローゼと異なり社交馴れした公爵は、さも当然のように横長の背中で拍手喝采を受け止めると、軽く左手を掲げて群衆の声援に応えながらステージに登っていく。
 今度は舞台全体の明りが灯される。いつの間にか壇上で待機していたテレサ院長と四人の子供たちが公爵を出迎えた。
「じきこくおくおーのおじさま。たくさんのおかねをだしてくれてありがとう。ぼくもいっぱいべんきょうして、しょうらいおじさまみたいな、ひとのやくにたてるりっぱなにんげんになりたいです」
「公爵のおじさん、オイラも心から感謝しているぜ」
 まずはダニエルとクラムの男の子二人が自分の背丈ほどもある巨大な花束を贈呈し、公爵は満開の薔薇を両腕一杯に抱え込む。
「公爵様、この度は何とお礼を申しあげて良いのやら。何時も王家には良くして頂いているのにこんなことまでしていただいて、温情にどう報いれば良いのか私には判りません」
 テレサ院長が演技でなく、素の感情を露出して本当に恐縮した態で涙ぐむ。デュナンは花束を壇下の執事に預けると、旧校舎の寄付会場でも披露した渋目が入ったダンディな横顔でそっとテレサの肩に手を置いた。
「ふっ、そう畏まる必要はない、貴婦人。次期国王の私にとって、リベールの臣民は皆我が子も同じ。愛する寵児を扶ける為に粉骨砕身力するのは親たる者の務めであろう? そなたがキチンとあの子達を成人させれば、それが私にとっての最大の功労である」
「はい、必ずや公爵様のお眼鏡に恥じない、立派な人間に育てることを、お約束します」
 思わずカンペの存在を疑いたくなる素敵な台詞でデュナンがテレサ院長を慰めて、満場の観客からも感嘆の溜息が漏れる。
「公爵さま、私たちの目線まで少し膝を掲げていただけますか?」
 最後にマリィとポーリィが両隣に立って何やら催促する。デュナンは言われるがままに腰を低くすると、二人は彼の左右の頬に軽くキスをした。
「えへへ、これはあたしたちからのおれいなのー」
「公爵さま、お慕いしています」
 これこそが本物の両手に花というべきか。無邪気な天使たちから接吻を受けた公爵に会場内がどよめく。再び照明が落とされて院長や子供らの姿は闇の中に溶け消え、狐に摘まれたようなキョトンとした表情の公爵独りがスポットライト下に取り残された。
「あー、ばっちい、ばっちい。うー、あんなむさ苦しいおじさんに私のファーストキスを…………って、お口同士じゃないからノーカンだよね、クローゼお兄ちゃん」
 くちづけの意味を理解せずに唇に人指し指を当てて惚けているポーリィと違って、マリィの方は闇に紛れてぺっぺっと唾を吐き出した。
 このちっちゃなレディの将来の夢は、クローゼお兄ちゃんのお嫁さんとヨシュアお姉様のような華麗な嬢王(誤字にあらず)になること。エステルのように腕白でも逞しくスクスクと育ちそうなクラムとは異な少女を真人間に育成するというデュナン公爵との公約を果すのは、マザーテレサと尊ばれる院長先生でも骨が折れそうだ。

「ふーん、ギルドではデュナン公爵については呆れた噂話しか聞かなかったけど、意外と良い所があるみたいじゃない。そういえば、エステル達が寄付金集めに尽力していたそうだけど、まさか背後にあの娘が関わっているんじゃないでしょうね………………って、オリビエあんた……」
「むきー、悔しい。あの公爵が日和見していれば最高寄付額はヨシュア君のミラを預かった僕ということになり、壇上のスポットライトと小さなレディ達のベーゼは僕のものだったのにいー」
 隣の席でハンカチを噛んで地団駄踏んで悔しがっているロリコンに、「いくら何でも守備範囲広すぎだろう」と恐らくは男もいける口の雑食の享楽主義者に引き気味になる。
 脚光はともかく、アレを道化でなく羨ましがるなど人として駄目駄目すぎ。まさかとは思うが、この男は十歳以下の女児の裸にも性的興奮を覚えるのだろうかと薄ら寒く思い、鋭い女の勘で折角辿り着いた真相の一端を自ら有耶無耶にする。
 そんなシェラザードの様々な疑惑はともかく、デュナンの善行は多くの人間が周知する所となり、オリビエと違ってトラブルメーカーの認識を一部改め直した市民から惜しみない拍手と賞賛が送られる。
「よっ、活かしているね、リベール一の伊達男」
「ミラを叩いて、子供から遊戯王のレアカードを巻きあげた光景を拝まされた時には幻滅したけど、正直見直したぜ」
「リベールの次期国王を本気で期待しているぜ。アリシア女王の御世に匹敵する良い国を造り上げてくれよ」
 今さら桜役の生徒が煽動するまでもなく、嘘偽りのない喝采がデュナン公爵に浴びせられて、冷静沈着なフィリップも今回ばかりは主君の晴れ姿に目頭を熱くする。
 自らは壇上に登らずに公爵をそっと見守るあたり、彼の価値観もメイドのリラ嬢に近いのだろうが、腕に覚えがある剣狐はデュナンが断頭台に処される時は命を賭して主を救出するだろう。

「なるほど。これが、ヨシュアがクラム達に頼んだ仕込みの内容か」
 小用を済まして講堂に舞い戻ってきたエステルは、感心したように呟く。
 どこぞの財閥貴族の祝賀パーティーのように幼子に花束を贈呈させるなど多少あざとい気もするが、別段、この過剰な演出で誰かが傷つくという訳でもない。
 何よりも孤児一堂に御役目が割り振られたのが大きい。自分たちが祈ることしか出来ずに庇護されるだけの無力な存在でなく、誰かに役立てたという事実はテレサ院長の心理的な負担を幾らかでも軽減してくれるだろう。
「市民の自発的な生きざまを手助けするのが、ブレイサーの本懐ってか? 何だよ、ヨシュアの奴、意外と上手くやれているじゃないか」
 これで企図せず百万ミラも献金させられる羽目になったデュナン公爵が気分良く王都にお帰りしてくれるのなら、八方美人のヨシュアが常々拘っていたように全ての人間にとって益のあるハッピーエンドと呼べるだろう。

「ところがどっこい、中には幸せを享受できない哀れな人間も居たりするのよね。例えば孤児院を焼き払った人物とかね」
 いつの間にか目を覚まして人知れず二階の渡り廊下部分に移動していたヨシュアは、猫の夜目のように瞳を真っ赤に輝かせる。全ての人間が壇上のデュナン公爵に注目してい中で、唯一人だけ暗視の魔眼の能力を駆使し暗闇のルーアン市長の一挙一動に目を光らせる。
 案の定、ダルモア市長は苦虫を噛み潰した険しい表情で、親の仇のような憤怒の視線を公爵に注いでいる。更には小声で何かを伝えると、隣に座っていたギルハートは大慌てで講堂から飛び出した。
 外部から何らの連絡も受けていないのに、公演目前にしての秘書の退出は不自然極まる。単なる当て論法で灰色(50%)止まりだった市長黒幕説が俄然信憑性を帯びる形になり、この一連の行動だけで状況証拠が出揃って、ヨシュアの中では漆黒のフラッグの端っこに微かな白染みを残すだけの99%の既成事実として確定される。
 旗が完全に黒一色(100%)に塗り潰されないのは、もはや単に物的な証拠が存在しないからに過ぎない。
 ヨシュアが大々的に寄付金の使い途を喧伝したのは、公爵への接待と同時に真犯人を燻りだす一石二鳥を狙った策略。テレサ院長個人が狙われるリスクは増大したものの、デュナンとの会話から予想される敵側の目的を鑑みれば、孤児院を再建する以上は遅かれ早かれ衝突は避けては通れない道なので、敢えてこの場で膿を出し切ることにした。
「とはいえ、ここまで事が公になったら、以前のような力業で捻り潰すのは難しいでしょうね。大方ルーアン市長の立場を職権濫用しての搦手でくるでしょうけど、秘書さんにどんな悪巧みを吹き込んだのやら」
 殿方二人と違って想いを大々的にひけらかすことはないが、『飛ぶ鳥跡を濁さず』の精神で推薦状を手にルーアンを旅立つ前に、彼女なりの遣り方で孤児院を取り巻く数々の陰謀に決着をつけるつもりだ。

「ご来場の皆様、本当に長らくお待たせしました。これより『白き花のマドリガル』を開演します」



[34189] 13-21:学園祭のマドモアゼル(ⅩⅩⅠ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/16 00:02
「時は七耀歴1100年代。百年前のリベールは、未だに貴族制が残っていました。一方、商人達を中心とした平民勢力の台頭も著しく、貴族勢力と平民勢力の対立は、日増しに激化していったのです。王家と教会による仲裁も功を奏しませんでした。そんな時代、時の王が病に崩御されて一年が過ぎたくらいの頃、早春の晩。グランセル城の屋上にある空中庭園から物語が始まります」
 放送スピーカーから聞こえてきた語り部のナレーションが途切れると、切ない恋の歌がスピーカーを通さない肉声で堂内に浸透する。
 観客が歌い手の姿を探すまでもなく、スポットライトが二階右前方の渡り廊下を照らし、白の姫セシリアの姿が露わとなる。
 ヨシュアが態々この位置まで移動したのは、観衆より高いポジションをキープすることで王城の空中庭園から街の光を見下ろし、セシリアが人々の輝きと幸福を重ね合わせるシーンを巧みに表現する為。
 真っ新な額縁に、『白き花のマドリガル』というジグソーパズルが組み立てられる。全てのピースが所定の位置に嵌め込まれた時、どんな絵図が描かれるのか。見る者、演じる者全てを含めて現地点では誰にも判らない。
「ああーユリウス、ああーオスカー。わたくしの愛するひとー」
 甘くもの悲しいメロディーが、観衆の心に染み渡る。
 ヨシュアが歌っているのは、一時期、エレボニアの帝都で流行ったラブソングをこのお芝居用にアレンジした替え歌。二人の殿方の狭間で揺れ動くヒロインの心の移ろいを歌詞にしている。貴族出身のユリウスと平民出のオスカーの身分の異なる三角関係を軸に、王国そのものを巻き込んだ過酷な運命に翻弄される白の姫の葛藤を演出するのには、うってつけの秀歌。
「なるほど、ヨシュアが一部アドリブを入れるといっていたのは、こういうことだったのね」
 放送室で語り手役のジルが、演出機材のスイッチを忙しそうに弄くっているハンスを相方に感心したように呟く。
 厳しい連日の稽古で全体の演技力が格段に向上したとはいえ、未だ天才少女のマックスを引き出す域には達しておらず。ヨシュアは力をセーブせざるを得ないのだが、こういう形で部分的にリミッターを解除し限界突破を試みた。
 それが、物語開始前のソロコーラス。これなら全貌のバランスを崩すことなく、少女の売り物とする絶対音感を思う存分観客に堪能させるのが可能。帝国劇場の歌謡コンサートにも引けを取らない圧倒的な歌唱力で、聞くものの心に締め付けるように訴えかけてくる。
「私には愛する歌があるから,信じたこの道を、私は行くだけー。全ては心の決めたままに、それこそがー琥珀色の愛ー」
 歌い終わると同時に渡り廊下のセシリアの姿か神隠しのように消失。次の刹那、舞台の上に再出没し二人の侍女を相手にプロローグに入る。
 漆黒の牙お得意の神出鬼没を思う存分使いこなし、プロレベルの歌唱からイリュージョンマジックのメドレーリレーに観衆は息を呑む。
 導入部のつかみとしては上々。観客の心を鷲掴んで有無を言わさず物語にグイグイと引き込ませてから、二人の主演男優が満を持して登場する。
「覚えているか、オスカー? 幼き日、棒切れを手にして、この路地裏を駆け回った日々のことを……」
「ユリウス、忘れることができようか。君とセシリア様と無邪気に過ごしたあの日々は、かけがいのない自分の宝だ」
 満場の視線を必要以上に意識することなく、二人は伸び伸びと演技する。本番前に感じていた緊張感やプレッシャーは、もはや欠片も存在しない。
「ふふ、あの時は驚いたものだ。お偲びで遊びに来ていたのが、私だけではなかったとはな……」
 棍術でもそうだが、元々エステルは練習よりも本番でこそ本領を発揮する実戦派。舞台に登った途端、余計な雑念を全て消し飛ばして役柄に没頭。稽古の時以上のポテンシャルを解放して、紅の騎士ユリウスを完璧に己が物とする。
(流石ですね、エステル君。なら、僕も負けてはいられないです)
「舞い散る桜のごとき可憐さと、清水のごとき潔さを備えた少女。セシリア姫はまさに自分達にとっての青春だった」
 エステルに対する様々な対抗意識がプラスの方向に働いた結果、クローゼも引っ張られるように演技を昇華させる。実在の蒼の騎士オスカーが憑依したような配役とのシンクロニティを見せる。
「きゃあきゃあ。クローゼお兄ちゃん、とってもステキ」
「エステル兄ちゃんも負けてないぜ」
「ふふっ、二人とも静かに見ましょうね」
 ボクシングのミックスアップのように共に刺激し合いながら互いを高めあっていくライバル同士の姿に、最前列のマリィとクラムは身を乗り出すほど興奮し、テレサ院長が苦笑しながら窘める。

「ああ、オスカー、ユリウス。わたくしは、どちらを選べば良いのでしょう?」
 そんな発展途上の二人の頑張りに呼応するように、ヨシュアが徐々にギアを上げ始める。
 エステルが自ら輝く太陽なら、ヨシュアはまさしく光を照らす月のような存在。周囲のレベルが底上げされる程、その輝きは一層増す。十五夜の存在に導かれて舞台は更なる高みへと進化。ジグソーパズルにどんどん新しいピースが嵌め込まれて、美しい絵図が完成されつつある。
「ユリウスよ、判っておろうな。これ以上平民共の増長を許すわけにはいかんのだ。ましてや、我らが主と仰ぐ国王が平民出身となった日には伝統あるリベールの権威は地に落ちるであろう」
「オスカー君、君が拒否するのであれば流血の革命が起きるだけのこと。貴族はもちろん、王族の方々にも歴史の闇に消えて頂くだけのことだ」
 公爵家嫡男のユリウスを旗印として、平民勢力の台頭を叩き潰さんとするラドー公爵をはじめとした貴族勢力。帝国紛争で功績を挙げて一躍民衆のヒーローになったオスカーを推し立てて、下克上の機会を伺うクロード議長を中心とした平民勢力。両陣営の対立はもはや不可避。勝利の鍵と目されるは、先代国王の忘れ形見セシリア姫。
「私とオスカー。近衛騎士団長と若き猛将との決闘を許していただきたいのです。そして勝者には姫の夫たる栄誉をお与えください」
 互いに属する陣営の利益を代弁し、何よりも恋い焦がれるセシリアの愛を射止めるために、二人の騎士は剣にて雌雄を決する決意を固める。
 革命ということになれば、どちらが勝つにしろ夥しい量の血が流れる。決闘ならば失われる人命は一人だけ。譬え自分が敗者となったとしても、安心して親友に姫と王国の未来を託せる。
「貴様、何者かに雇われた刺客か?」
 陰謀の魔の手に蒼の騎士が手負いとなり、公平に技を競い合う機会が奪われるが、運命は二人に猶予の刻を与えず、王立競技場(グランアリーナ)にて決着の時を迎える。
 手に汗握る様々な展開を経て、パズルは八割方組み立てられて全貌を露わにし、最大の見せ場『蒼と紅の演舞』へと突入する。

「革命という名の猛き嵐が全てを呑み込むその前に、剣をもって運命を決するべし」
「おお、我ら二人の魂、エイドスもご照覧あれ。いざ、尋常に勝負」
 オスカーとユリウスは鞘から剣を引き抜き、互いに交える。
 飛び散る汗、咲き乱れる殺意、切り裂かれた衣装跡から滴り落ちる赤い血。
 得物は模造刀なので実剣ほどの殺傷力はないものの、バトルは掛け値なしの真剣勝負。殺気も傷痕も全て本物。えもいわれぬ迫力に観客は引き込まれる。
「どうした、オスカー。お前の剣はそんなものか? 帝国を退けた武勲はその程度のものだったのか?」
 武器のある無しに関わらず、基本負けないことを心掛けて消極的にならざるを得ない公式試合というのは見ていて存外退屈なものであるが、この闘いは見応えがある。
 互いが防御を捨ててノーガードの打ち合いを選択した上で、相手を仕留めるつもりで本気で攻撃を繰り出している。見た目の派手さと高い技術戦の両要素を兼ね揃える『素人を楽しませ、玄人を唸らせる』という興業武術として最高の出来栄え。
「さすがだ、ユリウス。なんと華麗な剣捌きな事か、くっ…………」
 互いが愛用する得物を持ち寄るならエステルの力量はクローゼを大きく凌ぐが、握っているのは棍でなく不慣れなレイピア。結果的に実力は拮抗し、名勝負を演じるのを可能とする。
「だが、この身に駆け抜ける狂おしいまでの情熱は何だ? 自分もまた本気になった君との戦いに心を奮わせている」
(何時もはヨシュアに一方的に嬲られているけど、やっぱり実力の近い相手とのバトルは楽しくって仕方がないぜ。俺なんかワクワクしてきたぞ)
「運命とは自らの手で切り拓くもの。背負うべき立場も姫の微笑みも、今は遠い」
(エステル君にだけは負けたくない。剣という僕の領分で戦うが故のなけなしのプライドか、それとも少女の義兄への真なる想いに嫉妬するが所以?)
 お互いの想いと意地が激突し、打ち合わせ無しの実戦形式の剣舞は互角のまま最終プロットへと持ち越される。両者共に勝ちきれかったのを残念に思う反面、劇が壊れなかった現実に心から安堵する。
「次の一撃で全てを決しよう。自分は君を殺すつもりで行く」
「オスカー、お前。判った、私も次の一撃に全てを賭ける」
 オスカーとユリウスは距離を取り、騎兵の最速の一撃とされるランツェンレイターの構えから槍の如く突進する。
「駄目ー!」
 両者の剣が交差する寸前、二人の合間にヨシュアが割って入る。一瞬だけクローゼは逡巡したものの躊躇なく彼女の身体に剣を突き出す。
(どれだけ速くてもヨシュアは必ず避けるから、遠慮なく突き入れろ)
 むしろ躊躇して手元を半端にブレさせた方が逆に危ないと、稽古の時からエステルに口酸っぱく忠告されている。
 エステルが早朝稽古で、華奢な義妹相手に危険極まりない実棍を本気でブンまわせるのは、ヨシュアの力量を心から信頼しているからこそ成り立つのである。義兄妹の絆をクローゼは若干羨ましく想いながらも、己が役割を最後まで全うする。
「ひ、姫?」
「セシリア?」
 それは、まさしく神業であった。エステルの正面からの剣を左脇腹を貫通させるのと並行し、クローゼの背後からの一撃を振り返ることなく右脇腹に仕込んだ血袋を割らせたのだから。
 もちろん、素人目には二つの剣がヨシュアの身体を前後から貫いたようにしか映らず、激しい血飛沫を撒き散らしながら、糸の切れた人形のように崩れ落ちるセシリアの姿に、気の弱い女性の観客から悲鳴が漏れる。
「不思議…………あの風景が浮かんできます…………。幼い頃…………お城を抜け出して遊びに行った路地裏の……………………。…………………………だ……から…………どうか…………。いつも…………笑って………………い……て………………」
 力尽きて息絶えるセシリアの痛々しい姿に、平民貴族を問わず関係者一堂慟哭する。両陣営共に失った代償の大きさを鑑みて、己が愚かな所業を悔やんだ。
「姫、嘘でしょう? 姫、頼むから嘘だと言ってくれえー!」
 顔からは完全に血の気が引き、瞳孔は見開いていて肌の色も青褪め、一時的に脈まで止まっている。あまりに完璧な死体振りに泣きだす子供の観客までいる始末だが、ここから奇跡の復活が始まる。
「ふふっ、それぞれの心に思い当たる所があるようだな。なれば、リベールにはまだ未来か残されているだろう。今日という日のことを、決して忘れることがないように……」
 空の神様(エイドス)が降臨し、悔い改めた人々に希望の光を与える為にセシリアの死体に息を吹き込む。
「まあ、ユリウス、オスカー。まさか、あなた達まで、天国に来てしまったのですか?」
 再び目覚める白の姫セシリア。互いに手を取り合い悦び溢れる人々。かくして争いは回避されてリベールに栄光と平和が齎され、舞台はフィナーレへと突入する。
「ですが、姫。今日の所は勝者へのキスを。皆がそれを期待しております」
「……判りました」
 血で染まったドレスの腰元に左手を回すと、クローゼはヨシュアを自分の方向に抱き寄せる。強く抱き締めたら折れそうな括れたウエストライン。
 蠱惑的な琥珀色の瞳に思わず吸い込まれそうな桜色のルージェの唇が初なクローゼをドキマキさせるが、稽古中の失策の数々を思い出したクローゼは心の中で頭を振る。
(今は本番なので、逡巡も失敗も許されない。考えるのでなく感じたままに行動しろ、クローゼ…………いや、オスカー)
 この場面は何度となくNGを頻出させた魔の踏み切り。クローゼは混沌とする意識を捻じ伏せるように、稽古で染み込ませた反復練習の成果を信じ己が本能に全てを預ける。
 結果、穏健に一枚絵として完成する筈だったジグソーパズルの最後のワンピースが、埋め込み場所から弾かれて宙へと舞い上がる。

「なっ、私のクローゼが!?」
「あらまあ、大胆?」
「嘘でしょう? 僕のヨシュア君が…………」
 後方立ち見席から恥ずかしがり屋の愛弟の晴れ舞台に目頭を熱くしていたユリア・シュバルツ中尉。隣席のオリビエのしたり顔の解説を馬耳東風しながら、弟分の成長を暖かい目で見守っていた先輩遊撃士シェラザード・ハーヴェイ。自称未来の花嫁の演技を絶賛しながら、隣のシェラ君も捨てがたいと節操のないことを企んでいた愛の伝道師にして漂白の詩人オリビエ・レンハイム。
 など腕に覚えがあり人並み外れた動体視力を誇る面々は、ポーズやフェイクでなくクローゼの唇が直にヨシュアの唇と触れ合ったのを視認した。
(あれっ? 台本じゃ角度をずらして、キスの振りをするたけじゃなかったっけ?)
 自分でも判らない理由で困惑するエステルを尻目に、いかなる感情を示すのかヨシュアの琥珀色の瞳が真っ赤に染まる。ようやく自分の仕出かした所業を悟ったクローゼが、顔を真っ青にして激しく狼狽する。
「ヨ…………ヨシュアさん、あ…………あのっ…………ぼ………………僕………………は………………」
 先にクローゼの方が目に見えて大いに取り乱してくれたお陰で、逆にヨシュアは直ぐさま常の冷静さを取り戻せた。
「…………クローゼ、まだ演技の途中よ」
 魔眼を収束させて瞳を元の琥珀色に戻すと、内心に吹き荒れる感情を抑制しながら叱咤。その一言で我に返ったクローゼは、辛うじて最後の台詞を絞り出す。
「リベールに永遠の平和を」
「「「「「「リベールに永遠の栄光を!」」」」」」
 オスカーに続いて役者一座が一斉に唱和しながら、オーブメント仕掛けの緞帳が閉じられる。
 かくして中空に跳ね上がったラストピースは、物の見事に真下に垂直落下。糊づけされた指定場所へと埋め込まれて一枚絵図を完成させる。
 舞台は大好評のうちに幕を閉じて、堂内は拍手の洪水に埋めつくされる。
 こうして『白き花のマドリガル』の舞台劇は閉幕する。

 表面上は手掛けたあらゆるイベントを全て大盛況に導いた学園祭のマドモアゼルだが、最後の一因がヨシュアを挟んでクローゼとエステルの間に小さくないしこりを残して、停滞していた三者の関係に新たな波紋を巻き起こす。
「やっぱり、最後は大団円ですか。あの子もこういう幸せなおはなしが大好きだったものね」
 講堂の扉の前で、エステルとぶつかった赤毛の女性が涙ぐむ。緞帳が完全に閉じられ観衆の拍手が途切れた頃には、その女性の姿は消えていた。



[34189] 13-22:学園祭のマドモアゼル(ⅩⅩⅡ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/17 00:01
 帝国客を心ゆくまで楽しませて、ミラを搾り取った寿司屋台に騎馬戦。公爵の財布をピンポイントで狙い撃ちした御布施劇。順風満帆に寄付金を掻き集めてきた学園祭のマドモアゼルが最後の『白き花のマドリガル』の主役公演で躓いて、思わぬ落とし穴に嵌まり込んだ。
 ある意味、今日一日ヨシュアが漠然と抱えていた不安が顕現化したといえるのだが、失ったのはミラではなくお金では買えない類の大切な何か。その刺客となったのは悪意ある敵でなく少女が心から信頼する友人。
「劇中で油断していたとはいえ公衆の面前で唇を奪われるとか、あの娘も随分と温くなったものね」
 触れるもの皆傷つけたナイフのような鋭利な触角を持ち、一部の隙どころか感情すら伺えなかったオートマタのような少女。
 それが、五年前始めた出会った頃のヨシュアに対するシェラザードの第一印象。丸くなったというか人間変われば変わるものだ。
「まあ、あの娘には良い薬かもね」
 シェラザードは軽く両肩を竦めながら、そう嘯いた。
 普段から思わせ振りな態度で多くの殿方を手玉に取り続けて、明らかに男という存在を甘く見ていた所があるので自業自得の顛末と言えなくもない。
 本来ならヨシュアのように彼方此方にモーションを振りまく情の多い女はもっと早く大火傷を負うものなのだが、男性側が思い詰めて野獣のように暴発しても大多数の非力な子女と異なり楽々と物理的に対処可能な戦闘能力があったので、今日まで自分の生き方を見つめ直す機会が与えられなかった。
 よりにもよって、エステルの目の前で咎を受けたことだけは些か同情しないでもないが。
「意外いえば、あんたもよね。もう少し取り乱すかと思ったけど」
 キスの瞬間は流石に驚いてはいたものの、その後オリビエは何事もなかったかのように何時もの飄々とした道化振りを取り戻している。
 幼女の接吻ですら血涙流して悔しがっていたのだ。自称未来の花嫁とやらなら発狂してのたうちまわりそうなものだが、オリビエは澄まし顔でボロローンとリュートを一曲献上する。
「ふっ、むしろ僕はあのプリンスを再評価したぐらいだよ。やはり男子たるもの女性を本気で口説こうと思ったら、あのぐらいの積極性がなくてはいけないよね。最初、マイブラザーの隣にいる彼を見かけた時はまだまだお尻に卵の殻が張り付いているヒヨコだと見縊っていたが、今こそヨシュア君を巡る僕の恋敵と認定しよう」
「はあ、さいでっか……」
 例によって懊悩とまるで無縁のオリビエの類まれな躁思考に呆れるが、その中には幾らか感嘆の要素も含まれている。
 ヨシュア曰くの『世界を丸ごと包める偉大な愛』の所有者のオリビエが単なる節操無しなのは疑いようがないが、女性の側にのみ身持ちの堅さを求めない態度は首尾一貫しており、その度量の広さには好感が持てる。
(赤い糸で結ばれた運命の相手と真っ先に出会えたら、誰も苦労はしないのよね)
 騎馬戦の落馬を切っ掛けに結ばれた幼馴染みの初々しいカップル(ニキータ&ジノキオ)を見かけたが、ありゃ幸福な部類だ。
 シェラザードのように生まれ落ちた環境が悪ければ、本人の意思才覚とは無関係に綺麗な身体でいるのが難しい場合もあるし、そうでなくとも男と女の関係は間違えなければ何が正しいのか見極められないケースがほとんどだ。
「まっ、そのあたりの機敏を今のエステルに求めるのは、まだ酷だろうけどね」
 本気でヨシュアを口説き落とすつもりなら、最大のライバルとなるのはオリビエが王子様と評した(まさかクローゼの正体に気がついている?)可愛い坊やではないが、肝心の本命はその方面の経験値が絶対的に不足し過ぎている。この後三者の間でプチ修羅場的な展開が繰り広げられるのが容易に目に浮かぶので、シェラザードは思わず天を仰いだ。

 青春の若気の至りを、若輩のエステルやクローゼが上手く処理できないのは無理からぬことだが、中には齢を重ねた成人でありながらも目の前の情景を割り切れない人物もいたりする。
「ク…………クローゼが………………、私のクローゼが………………穢…………さ…………れ…………た」
 クローゼ坊やに無垢な理想像を重ね続けてきたユリア・シュバルツ中尉。濁ったレイプ目で何やらブツブツと呟きながら、リオンとルクスに両肩を借りている。
「中尉、しっかりして下さい…………というか、良い年齢の大人が接吻一つで再起不能にならないで下さい」
「へへっ、中隊長殿の貞操観念はきっと小学校低学年で止まっているんじゃないか? 今の衰弱した状態なら俺らでも余裕で勝てそうだな」
 これが黒髪娘に強引に唇を奪われたのなら、その憤りを怒りのエネルギーに変換出来たのだろうが、王太子殿下の仕出かした不意打ちでは言い逃れのしようがない。世俗の塵垢と無縁だと盲信していたクローゼが普通に性欲を持つ一端の男性であると現実にさぞかしショックを受けたご様子。
 クローゼもいつまでもユリアが望むような無菌状態の幼子でいられる筈もない。彼女がクローゼから一人立ちする為にもいずれは向き遭わなければならない壁なのだが、その洗礼を最悪に近い形で浴びたユリアは直ぐには折り合いがつけられずに自分の殻の中に閉じ籠もる。二人はこれ幸いと、隊長を引きずるようにジェニス王立学園を後にし、アルセイユへと帰還した。
 かくしてヨシュアに迫っていた危機が少女自身の企図によらず再三に渡って回避されるが、クローゼの方は自らの所業のツケを精算しなければならなかった。

        ◇        

「申し訳ありません、ヨシュアさん」
 他の役者を全員締め出した楽屋裏に戻って、二人っきりのスペースを確保してもらったクローゼは、土下座せんばかりの勢いで頭を下げて心から謝罪する。
 むろん謝って済む類の出来事ではないのは判っているが、他にやれることはなく、ひたすら平身低頭するのみ。血を模した染料で汚れた舞台衣装を纏ったままのヨシュアは、琥珀色の瞳で無感動にクローゼを見下ろしていたが、軽く嘆息すると頭を振る。
「気にしてない…………といえば嘘になるけど、私にも悪い所はあったと思うから」
 殊勝にも演技にかこつけたクローゼの暴走を攻めずに、ヨシュアは自戒をこめて、それだけを告げる。
 クローゼの想いを明確に知覚しながらも、エステルを含めた今のぬるま湯のような仲よしこよしに居心地の良さを覚えて、今日まで結論を先伸ばしてきたツケを支払わされた。
 色恋に限らず相手の真摯な想いには、はぐらかしたりせずに真面目に応えるのが世の礼儀。譬え現在の友情を手離す羽目になったとしても、きっちりとケジメをつけておくべきだったと今更になってヨシュアはかつての己の怯懦を悔やんだ。
「ただ、これだけは信じて下さい、僕は決して中途半端な気持ちだった訳ではないです。ヨシュアさん、僕はあなたのことが……」
「クローゼ!」
 ヨシュアは口調と表情に初めて苛立ちの感情を混めて、恐らくはこの後続いたであろうクローゼの告白を強引に遮る。
「クローゼ、私はあなたのことが大好きよ。だからお願いだから、あなたのことを嫌いにさせないで」
 敢えて冷やかにそれだけを言い捨てると、後ろを振り返ることなくヨシュアは退出し、クローゼはガックリと膝を落とす。
 『Like』と『Love』の好きという言葉の意味合いの決して踏み越えることができない境界線をまざまざと見せつけられる形となり、鈍い痛みを伴う心の痕を代償にして少年はまた一つ保護者が登ることが叶わなかった大人の階段を踏み締めた。

「なあ、ヨシュア……」
 楽屋の扉の前で待ち構えていたエステルは義妹と鉢合わせる形となったが、それ以上言葉が出てこない。
 舞台で起こったハプニングが彼の中でいまだに消化しきれておらず、まるで心の準備ができていない。ヨシュアは無表情のままエステルの脇を通りすぎようとしたので慌てて声を掛けるも、口から出た単語は自身ですら予想もしないものだった。
「初めてがクローゼで良かったじゃないか」
 あらゆる慰めのセンテンスの中から、よりにもよって最もヨシュアの神経を逆撫でする最悪の一言が紡がれる。ヨシュアはギリッと奥歯を噛み合わせて、ワナワナと肩を震わせる。
 朴念仁ここに極まりというか、魔獣相手に命懸けの鉄火場を何度も潜り抜けてきたエステルも、こっち方面の修羅場は皆無。傷心の少女を労るにはまだまだ人生経験が足りなすぎのだが、自分が地雷を踏んでしまったことだけは理解できた。
 物理的報復を覚悟し反射的に身構えたが、いつまで待っていてもヨシュアが手をあげる気配はない。
「初めてじゃないわよ………………馬鹿…………」
 ヨシュアは心底口惜しそうな表情で、ある意味では脳天から地面に叩き落とされる以上の衝撃的な一言を呟く。そのまま冷やかな瞳でエステルを一瞥し、忍者のように消失する。
 ポチャンと池に放り込まれた石ころがゆっくりと波紋を広げるように、ヨシュアの言葉の意味がエステルの胸の奥深くへと浸透していく。
(はじめてじゃない……って、それってどういう意味だ?)
 どうのこうの謳っても、ヨシュアは多くの男性と付き合ってきたのは疑いようがない事実。キスもおろか、その先も既に体験済みというニュアンスなのか?
 そう考えたエステルの心にチクリと針で刺されたように鋭い痛みが走り、思わず心臓病患者のように胸を抑える。
「何だよ、これ? さっきの真剣勝負の決闘で、どこか負傷したのか?」
 色んな意味で幼いエステルには痛みの正体が判らなかった。
 ただ、エステルが今日まで義妹と見做して一線を構えていたヨシュアを、無意識ながらもはじめて一人の異性として囚えた歴史的な瞬間だ。

        ◇        

 三人の少年少女が青春の謳歌をしている最中も、ジル達生徒会の主催の元に学園祭は最後の締めに突入。グランドでは来賓の父兄や帝国客を交えてのフォークダンスが行われている。
 オクラホマミキサーの音楽が掛けられ、学祭のみで使用する看板や仮設アーチなどの不要物を中央で燃やしてキャンプファイヤのように盛り上げ、人の輪を二重に型作りながら曲に合わせて踊り続ける。
 ペアとなった男女が一列に連なる。女子生徒が外来の男性客に両手を預ける形でステップを刻み、軽くお辞儀して別れると列を一つずらして男女共にパートナーを変更。
 ほとんど練習時間も取れなかった即席のダンスにしては、中々様になっている。現役のブルマ女学生とおててつないで踊れたという御褒美は帝国の大きなお兄ちゃん達にとって生涯忘れ得ぬ貴重な思い出となることは請け合いで、彼方此方から感涙の涙が零れている。

「……たっく、ヨシュアの奴、どこに姿を消したんだ?」
 武術素人のジルはシェラザード達のように接吻シーンを視認できた訳ではないが、その後の三人のギクシャク具合から薄々事情を察した。フォークダンスをキャンセルするのは致し方ないにしても、後夜祭の打ち上げで全校生徒に振舞うお寿司の方はヨシュアがいなくてはどうにもならないので探してくるようエステルは生徒会長から直々に依頼され、当てもなく校舎を彷徨い歩いて直ぐに途方に暮れる。
「あいつが本気でかくれんぼしたら、見つけられる訳がないよな」
 元々猫のように気紛れで気分屋の所があるので、もし拗ねたまま学園の外にでも飛び出されたのなら本当にお手上げだ。
 最近、ようやく遊撃士の自覚が芽生えてきたらしいヨシュアが、私情で皆が必死に築き上げていた学園祭を途中で投げ出すような無責任な真似はしないと信じたいが。
「…………って、いた?」
 予想外にもエステルはあっさりとヨシュアを探し出すのに成功。屋上で体操着姿に着替えた少女はセシリアのラストシーンのように仰向けになって熟睡している。
「おい、ヨシュア。寝ているのか?」
 不貞寝していただけの現実に軽く安堵すると、エステルは華奢な義妹の上半身を抱き起こして軽くペチペチと頬を叩いたが、ヨシュアが起き出す気配はない。
「こんな所でいつまでも寝ていると、風邪を引く……」
 至近から寝顔を覗き込んだエステルは、ヨシュアの桜色の唇とそこから漏れる艶やかな桃色の吐息にドキリと心臓を震わせる。
 手強い魔獣と遣り合った時にも味わったことがない未知なる緊張感が、武者震いとなってエステルの身体全体を駆け巡る。
「キスか。クローゼはヨシュアの唇に触れた時は、どんな感触だったのかな?」
 スケベ王で鳴らすエステルだが、スカート捲りは日常でも接吻体験はいまだ無し。小さい頃に二人の幼馴染みから両頬にキスされたことはあったが、デュナン公爵のアレなみにノーカンだ。
 柄にもなくヨシュアのフェロモンに惑わされたエステルは吸い込まれるように自分の唇を近づけたが、唇同士が触れ合いそうになった刹那、ハッと我に反る。反射的に大きく身体を離すとブンブンと大きく首を横に振った。
「いけねえ、いけねえ。何を考えているんだ。ヨシュアは俺の義妹なんだぞ。それを…………」
「意気地なし」
 ボソッと何かが囁かれると同時にパチッと琥珀色の瞳が見開かれる。ヨシュアが跳ね起きて、エステルは死体が蘇った時のユリウス並に心臓の鼓動をバクバクさせる。
「あ…………あの、ヨシュアさん…………もしかして、起きていらして…………」
「ううん、耳元でエステルが騒がしいから、今起きた所よ。それとも寝ている私に何かエッチなことしようとしていたの?」
 余裕を取り戻したヨシュアは琥珀色の瞳に悪戯っぽい光を称えながらクスクスと微笑む。エステルは慌てて首を横に振るが、先の所業が露見しているのは一目瞭然で赤面する。
 もしかすると、エステルが探しに来てくれるのを目立つ場所で待ち続けて狸寝入りしていてのかもしれず。屋上から炎を取り巻く二重の人の輪を見下ろしたヨシュアは、軽く伸びをするとエステルの腕を掴んだ。
「さてと、多分まだ塞ぎ込んでいるクローゼにも声を掛けて、私たちもフォークダンスに参加しましょうか、エステル?」
 先の一件を完全に吹っ切れた訳もないだろうが、ヨシュアは自分達が企画したクエストを最後まで全うする心構え。例によって体育座りで鬱モードに突入していたクローゼの意識を得意の一本背負いで強引に此岸へと引きずり戻すと「これで貸し借りチャラよ」と呟いて二人の殿方と連れ立ってフォークダンスの輪に加わった。
 こうしてエステル、クローゼをはじめとして、運の良い生徒、外賓の十七人の殿方が学園祭のマドモアゼルと手を繋ぐ栄誉を授かった。次は自分の番と意気込むハンスの一歩手前でまだ曲長に余裕がある筈のオクラホマミキサーが不自然に停止。フォークダンスは打ち切りになり、副生徒会長は地団駄踏んで悔しがった。
 この件に関しては放送室で曲目を仕切っていた現役の生徒会長が手を回したという陰謀説が囁かれたが、その動機については未だ解明されていない。

 かくして、至り尽くせりの数々の接待で帝国客を堪能させた学園祭は、円満にフィナーレを迎えた。
 来場者は思い思いの満足感を胸に秘めて、帰宅の途につくことになった。



[34189] 13-23:学園祭のマドモアゼル(ⅩⅩⅢ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/17 00:01
「それでは、学園祭の成功を祝って。みんな、乾杯!」
「「「「「かんぱーい!」」」」」
 クラブハウスの食堂にジェニス王立学園の全校児童が集結し、後夜祭の打ち上げを行う。
 実行委員の生徒の音頭の元、手近の学友と缶ジュースを合わせるとヨシュアが造りおきした大量のお寿司が振舞われる。
「うめえ、これが鮨かよ?」
「おおおー! 大トロの脂が口の中一杯に染み渡っていくー」
「こんなに美味しければ、帝国の奴らが目の色変えるのも納得だぜ」
「聞いたところじゃ、奴らか支払った適正価格は一万ミラぐらいなんだろ、これ? そんな高級料理がロハで食べられるなんて、本当に遊撃士兄妹さまさまだよな」
 学生らからも当然のように大盛況。トロやイクラなど人気のあるネタから次々と手に取られ、寿司樽の半分以上が瞬く間に消費される。
 打ち上げに参加しているのはほとんどが学生と教職員だが、一部、部外者が混じっていたりする。
「ダニエル君、お目目がクリクリっとしていて可愛いよね」
「クラム君、その帽子の下はどうなっているのかな? お姉さんに見せてちょうだい」
 孤児院の男の子二人は、一部の女子生徒の玩具にされる。ダニエルはぷにぷにのほっぺたを撫でられ、クラムはトレードマークの帽子を死守しながら、興味本位で大人用のワサビ入りの鮪に手を出し口から火を吹く。
「ポーリィちゃん、マリィちゃん、君たちとってもプリティだね」
「本当、フィギアみたいだ。そのツヤツヤの髪の毛に触わさせてくれないかな?」
 幼女二名は鼻息の荒いとある趣味の男子生徒の集団に取り囲まれている。ポーリィは例によって何も判らずに微睡んでいるが、マリィの方は思いっきり引いており、「助けて、クローゼお兄ちゃん。このままじゃ、マリィ、穢されちゃうよ」と未来の旦那様にSOSの念を発したが、なぜかクローゼ他主要面子は場におらず。また、彼ら程度を手玉に取れないようでは、少女が志す嬢王への道程は果てし無く遠い。
「まあまあ、みんな。大きなお姉さん、お兄さんに可愛がってもらえて良かったわね」
 基本世の悪意に無頓着なテレサ院長が、呑気な感想を漏らしながら学生たちとの交流を微笑ましそうに見守るが、男児はともかく女児二名はハッキリ言ってピンチです、先生。
「お嬢様、保護者の女性の方は今一つ現状認識されていないようなのでご忠告された方が宜しいのでは?」
「うーん、今わたくし達が脚光を浴びるのはあまり得策ではありませんわね。無礼講の席ですから多少羽目を外すのは仕方がありませんし、もう少し様子を見てみましょう」
 子供たちの惨状を見兼ねたリラが主君に喚起を促してみたが、メイベルは競争率が高いイクラの奪い合いに夢中で真面目に取り合ってくれない。
 主賓として招待されたマーシア孤児院一堂はともかく、なぜボース市長とメイドさんがこの場にいるかといえば、学園のOGとしてお招きを受けたとかではなく、騎馬戦で消耗したカロリーを補充すべく鮨目当てに勝手に紛れ込んだだけ。
 違和感なく学生間に溶け込めるように敢えて私服に着替えずに体操服を着込んだままにしていたのだが、メイベルの学内での知名度を考えると周囲は全て判った上で生暖かい目で放置している可能性が高い。また窓の外から擬態を看破したとある人物が指を銜えてその様子を羨ましそうに眺めている。

「ああー、若い人たちが食している姿を見たら、わたくしもまた小腹が空いてきてしまいました。あのブルマとかいうのを着用すれば、ボース市長さんのように内部に招いていただけるのでしょうか?」
「ブルブル、御婦人の歳でそれは犯罪だから、流石に止めた方がいいな」
 五十路過ぎて水着写真集を出版して、多くの帝国男子にトラウマを植えつけた某女性議員に匹敵する暴挙を敢行しようとした教授を、オリビエは薄ら寒そうな表情で引き止める。
「確かオリビエさんでしたっけ?」
「ああ、漂白の詩人にして、ヨシュア君の未来の花婿さ。まあ、そんな話は別にして、我々は既に未来の花嫁の懇意で安価で心ゆくまで食べさせてもらった。メイベル市長のような小食ならともかく、僕らのような健啖家が乱入して寿司初体験の学生の上前を撥ねるのは感心しないだろう?」
 ゴーイングマイウェイを地で行くオリビエとは思えぬ他者を思いやる発言で窘めながらリュートを一曲献上する。教授は渋々ながら折れて、二人はクラブハウスを後にする。
「王子様を二人も誑かすなんて、本当にヨシュアさんは罪な人ですね」
 去り際に教授は意味深な独り言を囁いていたが、ご自慢のリュートの演奏に打ち消されて、その呟きはオリビエの耳には入らなかった。

        ◇        

 学生と一部のアウトローがクラブハウスで寿司に夢中になっていた頃、ジル達生徒会の面々と『生徒会臨時役員』の肩書を持つエステルら三者は第二生徒会室で様々な事後処理をしていた。
「通常の寄付額が百四十万ミラ、デュナン公爵個人の喜捨金が百万ミラ。ヨシュアさんの寿司屋台の収益が五十万ミラで、その他の屋台収入が十万ミラ。公爵様からの献金分の百万ミラは、既にテレサ婦人にお渡ししてあるので、約二百万ミラが今回の学園祭のトータル収益です」
 寄付金の勘定とクエストの謝礼金の査定もその中の一つ。会計役の生徒が報告書を読み上げ、例年の六倍強という異常な稼ぎに生徒の間から感嘆の溜息が漏れる。ここまで成功すると、逆にエステルは謝礼金の高さが気になった。
「えっと、確かマーシア孤児院の建設費用分(百万ミラ)を除いた半分を報酬として設定した訳だから、二百万ミラの1/2は、ひゃー、百万ミラぁー!?」
 ここまで単純な四則演算だといつぞやのレイヴンのケースと異なり、エステルでも計算違いすることなく正解を捻り出し、その異常な報奨額に大声を張り上げる。
「なあ、ヨシュア。流石にこれはちょっと不味いんじゃないか?」
 普段はヨシュアから良識を諭される側のエステルが逆に倫理的な問題点を謳いあげる。
 ジルの事前の半値交渉の成果で、ヨシュアのピンハネ分を差し引いても去年までの倍以上の義援金を福祉団体に寄贈できる訳だが、貧困地帯に差し伸べる援助の手は多すぎて困るということはない。
 ましてや百万ミラという大金なら、どれだけ多くの人間が飢餓や病から救われるか切実さを訴えたが、そういう感情論をヨシュアは一顧だにしない。
「エステル、前にも忠告したと思うけど、ビジネスとプライベートのミラはきちんと峻別しないと駄目よ。私は当初の契約通りの報礼を受け取るだけ。もし、この件で道徳的な責任を負う人物がいるとすれば、それは私でなく、この商談を持ち掛けたジルの方でしょ?」
「ヨシュアの言う通りよ、お兄ちゃん」
 中央の会長席で兄妹間の遣り取りを静観していた生徒会長が初めて口を挟み、ヨシュアの見解を全面肯定する。
「判っていると思うけど、ヨシュアがいなければここまでの大盛況はまず望めなかったし、何よりも自分が負けた時に備えて耳をそろえて五十万ミラの現金を用意してきたそうじゃない。ヨシュアはちゃんとリスクを負担したのだから、こちら側も筋を通さないとね」
「お誉めに預かってどうも。けど、一つだけ訂正させてもらうけど、学園祭が成功したのはエステルやクローゼをはじめ桜役の生徒や騎馬戦や屋台を手伝ってくれた女子とか、参加した生徒一人一人がしっかりと自分の役割を果たしたからよ」
 ヨシュアの働きなくして成り立たなかったのは事実だが、ヨシュア一人でも成就しない。
 集団で何かを成す以上、個人間に仕事量の差が出るのは当然。それがリーダーでありエースだったりするだけで、役割分担の違いはあってもそこに優劣は存在しない。
 それが一つの目標に向かって力を併せる仲間という名の運命共同体。以前のような自分一人が特別だという自意識過剰は今のヨシュアとは無縁だ。
「そう言ってもらえると会長冥利に尽きるけど、今回の一件は明らかに私の戦略ミスだったわ。つまらない小細工で保険をかけたりしないで、最初からヨシュアに一任しておけば良かった」
 腹黒完璧超人の企画能力を大きく読み違えたのがジルの誤算。彼女に金銭負担リスクを背負わせなければ、ヘソを曲げられて歩合云々に話が進展することなく、遊撃士らしい薄給で寄付金を掻き集めてくれただろう。
 その場合、根が怠け者のヨシュアが今ほど精力的に働いてくれたかについて疑問符がつくが、いずれにしてもジルにも生徒会長としての立場があり、数万ミラの端数ならともかく、百万ミラもの纏まった大金を寄付金の中から他者に譲渡出来ない内情を聡いヨシュアは察していた。
「さて、筋を通してくれるそうだけど、実際にはどうするの? 幸いお互いに言質を与えた訳でも物理的な証文があるでなし、それを口実に口約束を反故にする?」
 敢えて挑発的な態度で、ジルに選択を迫る。元々銭金に大して執着があるわけでなく、悪友との知恵比べで始めたマネーゲームなので、意表をつくような切り返しを期待しているからだ。ジルの方も今後も末永くヨシュアとの友情を維持する為、暗黙の取り決めといえど信用を損ねるつもりはなく、ミラの代わりに一枚の書状を差し出した。
「ジル、これは何かしら?」
 そう尋ねてはみたものの内容は自体は把握している。所謂、借用書という奴だ。文面には『甲(ジル)は、乙(ヨシュア)から、百万ミラの借金をしたことを認める』という、ボースでオリビエがサインさせられたのと似たニュアンスが記載され、ヨシュアも目を丸くする。
「見ての通りの借金の証文よ。今の私は文無しだけど、何れはルーアン市長の座について私腹を肥し…………いえ、市を更に潤わしてジャンジャン稼ぐつもりだから、出世払いということでどうかな?」
 代々伝統的に旧貴族のダルモア家が独占してきた世襲に近いルーアンの市長制度に将来、割って入る構えのようだ。あまりの見切り発車というか、世間的には紙屑同然の空手形で手打ちを持ち掛けたジルの厚顔さに思わず吹き出してしまった。
「あっはっはっはっはっ。ジルって本当に面白い。エステルだって、こんな紙切れ一枚で借金を棒引きしようとはしなかったわよ」
 先のゴタゴタで溜まった鬱憤を晴らすべく、琥珀色の目に涙を溜めゲラゲラと大笑いしながらバンバンと机を叩くと、急に真顔になって正面からジルを見つめる。
「いいわよ、こう見えても私は青田買いって大好きなのよ。五年前に購入した不良債権は未だに芽が出ないままだけど、生徒会長様の将来性を買わせてもらうとするわ」
 そう宣言して、ヨシュアは完全に矛を納める。隣の席に座るエステルは軽く胸を撫で下ろしたが、「ところでヨシュアの言う不良債権って誰のことだ?」と呟いて、「お前のことだよ、朴念仁」と全員から心中で突っ込みを食らう。
 前回の一件で少しは情緒が芽生えたかと思ったら、一歩進んで二歩下がるのがいかにもエステルらしく、ヨシュアは天を仰ぐ。
「ふーう、話が纏まったのはいいけど、これでクローゼ君を笑えないぐらいの借金嬢王になってしまったわね。市長の座を伺うといっても早くて十年先の話だろうし、こんな負債塗れの穢れた身体じゃ嫁ぎ先を探すのすら一苦労だわ」
 チラリと隣の席の副会長に流し目を送った後、口ほどにはまるで悲壮感を感じさせずに両肩を竦める。
 嫁の貰い手はともかく、市長選に関しては意外と早くチャンスが巡ってくるかもしれないのを予見していたが、ヨシュアはその事には触れずに視線でジルに人払いを促す。
 阿吽の呼吸でヨシュアの思惑を悟ったジルは、「事後処理はほとんど完了したから、クラブハウスの方で寿司を食べに行っていいわよ」と自分とハンス以外の生徒会の面々を退出させた。
「これで良かったのかな、ヨシュア?」
「ええ、ここから先はマーシア孤児院絡みの込み入った話になるからね」
「そんな大事な案件に、俺やジルがいてもいいのかよ?」
 守秘義務が伴うクエストの内情に自分らのような部外者が首を突っ込んでも良いのかハンスは首を傾げたが、ここから先は二人の協力も必要なので敢えて会長副会長のペアに居残ってもらった次第。
「まあ、後は寄付金で孤児院を建て直すだけだからな。今更機密保持も何も……」
「このまま何事もなく、事が推移すればいいけどね」
 学園祭を無事にやり遂げた達成感から、やや気持ちを弛緩させて楽観論を口走ったエステルに意味深な警告をして、再度緊張感を漲らせる。よく『遠足は家に辿り着くまでが遠足』と云われるようにヨシュアの中では事件は何一つ解決しておらず、むしろ、これからが本当の始まりだ。
「このクエストを手掛けた時からずっと疑問に思っていたけど、犯人は何を目的に孤児院を焼き払ったのか? 普通に考えれば院長個人への私怨か、あるいは孤児院そのものが目的の二つよね」
「ヨシュアさん、前にも言いましたけど、テレサ先生のような希有な善人が人から恨みを買うことは絶対に……」
「それは判らないわよ、クローゼ。善人であればあるほど、その真っ直ぐな生きざまを妬んで逆恨みされるという理不尽なケースも有り得るから」
「狂おしいほどに他者を憎悪した経験のない、真っ当な人間には理解できないだろうけど」
 かつて太陽のような少年の眩しい光に目を焼かれた闇の眷属は自虐するように嘯く。
 ヨシュアもクローゼも先の蟠りが完全に解消された訳ではないが、今は私情を持ち込める場ではないので私心を抑えている。
「とはいえ、可燃燐まで持ち出したプロのエージェントにしては続報がないのは不自然だから、個人を対象にした怨嗟説は一時保留にしても良さそうね」
 となると、必然的に孤児院の消失そのものが目的だと推測されるが、問題は『ホワイダニット』という動機。基本的には怨恨、金銭的な利害または理由なしの愉悦的犯行の三つに大別される。
 私怨説は先程却下され、一時愉快犯と目されたレイヴン説には色々と無理な点が目につく。消去法的に残されたのは、最もあり触れたミラ絡みの犯罪。ヨシュアはここではじめて秘密主義を貫いてきたダルモア市長の名前をあげて、一堂を驚愕させる。
「全ては状況証拠に過ぎないけど、そう考えれば辻褄が合うのよ」
 寄付金の件でテレサ院長と話した際に孤児院に買収の話が持ちあがってないか尋ねてみたら、案の定、半年程前に秘書のギルハートが地上げの相談に密かに訪ねていた。
 相場の倍値で買い上げる上に別地に孤児院を用意する至れり尽くせりの美味い商談だが、この土地に亡き夫との大切な思い出を残す院長は丁重にお断りした。
 世の中にはミラでは買えない物や大金にも心動かされない人物などは確かに存在するもので、仮に相場の十倍値だったとしてもテレサは首を縦には振らなかっただろう。
「うーん、そりゃ、あのあたりは一等地だし、デュナン公爵みたいな金に糸目をつけない成金相手に別荘地を分譲すれば数千万ミラの収益も見込めるだろうけど、現職の市長が犯罪に手を染める動機付けとしては弱くないかな?」
 ジルが軽く頭を捻りながらも、ヨシュアの名推理に待ったを掛ける。
 言う迄もなく放火は凶悪犯罪。もし、事が露見したら失うのは市長職だけでは済まされず、いくら莫大なミラが転がり込むとはいえリスクが高すぎる。ダルモアのような裕福家がそんな危ない橋を渡るのか疑問を呈してみたが、これも心当たりがある。
「実は今ナイアルさんが、ダルモア市長の個人資産を洗い出している最中よ。もし、私の勘が正しければ、ジルとは比べ物にならない額の負債を市長さんは抱えている」
 メイベル市長の騎馬戦参入などあれだけ記者心を擽るイベントが満載ながら、途中からナイアルの姿を見掛けなのを不思議に思っていたが、既にヨシュアの手引きで別の行動を起こしていた。
 蛇の道は蛇というか、あの情報通のナイアルのことだから、近日中に市長の財政状況を丸裸にするのは疑いなく、真偽は追って判明する。
「だとしても、やはり僕には納得しかねます。仮にダルモア市長が一億ミラの借金をしていたとしても、あの豪邸を売り払えばそのぐらいのミラは調達できた筈です。それなのに……」
「クローゼ、あなたは本当に良い人ね」
 嫌味ではなく、ヨシュアはクローゼの潔麗性を素直に評価する。
 クローゼやアリシア女王個人に留まらず、アウスレーゼの一族は自らの犠牲を厭わない者も多い。中には王家に代々伝えられる秘術を用いて自身の生命と引き換えに、不治の疫病に冒された多くの臣民を救った国王までいたと聞き及んでいる。
 本来なら王族、政治屋、企業家など人の上に立つ人物は有事の際により大きな責任を果すべく数々の特権を授けられている筈なのだが、残念ながらリベール王家は例外的存在。ほとんどの場合は今回のダルモア市長のように土壇場で我が身の保身を優先し、そのツケを無力な下々に押し付けようとする人間の方が多数派なのだ。
「まあ、どうのこうの謳っても、今まで私が述べた推理は単なる憶測に過ぎないから、『遊撃士協会は内政不干渉の原則』もあるし、今すぐダルモア市長をどうすることもできないわね。けど、色々と策を施したお陰で向うの方から勝手にボロを出してくれる可能性も僅かながらにでてきたわ」
 チラリと窓の外を眺める。劇前にどこぞに出掛けていたギルハートが王立学園の鉄門を再度潜る姿が目に映った。ルーアン市長秘書は小脇に鞄を抱えて大きく息を切らせながら、無人のグラウンドを突っ切ってクラブハウスの方角へと歩を進めていた。

        ◇        

「テレサ院長。この度はお祝いと同時に謝罪を申しあげる。やはりエイドスは正しい者に微笑まれたが、本来なら児童福祉施設の再建は市の行政で取り扱うべき事業である。だが、市の財政も厳しくてついつい後回しにしてしまい、ジョセフの愛したマーシア孤児院を見捨てるような形となってしまい……」
「そ、そんな頭をあげてください、ダルモア市長」
 周囲の学生らがザワザワと騒めく衆人環視の前。秘書共々深々と頭を下げるダルモアをテレサは困惑しながら必死で窘める。市長は一礼すると秘書に命じて鞄から一枚の小紙を取りださせた。
「せめてもの罪滅ぼしという訳ではないが、孤児院の再建を市の方で執り行わせてもらえないだろうか? 幸い私は建設業者にも顔が利くので、所定の金額よりも安く仕上げることも可能だ。先程ギルハート君が一走りして契約書を作らせたので私の顔を立ててくれると有り難いのだが」
 平身低頭に見せかけて、その実、実に押しつけがましい態度でダルモアはテレサ婦人に契約を迫る。彼女としても元々降って湧いた望外の話なので、現職の市長にここまで御足労させてその願いを無下にできよう筈もない。そのまま書類を手にしたが、その悪魔の契約に歯止めをかける者達がいた。
「お待ちください、テレサ院長。その契約書の文面を拝見させては頂けないでしょうか?」
 いつの間にやら、遊撃士兄妹がクラブハウスに侵入している。錯覚でなくダルモア市長が強く舌打ちしたのをエステルは驚異的な動体視力で確認した。
「ヨシュアさん?」
「ぶしつけながら、私はリベールではあまり馴染みがない大陸の建築法ほかエレボニア憲法にも些か精通しております。僣越ながら契約者に不利な特記事項が書面に盛り込まれていないか確認できますが?」
 もはや、ダルモア一派への不信感を包み隠そうともしないヨシュアの慇懃無礼な態度に市長と秘書は息をのみ、次の瞬間ギルハートは沸騰する。
「ご無礼な、ルーアンの市長が用意された契約が信用に値しないとでも……」
「これはこれは、ギルハート先輩とは思えない不見識ですね」
「メイベル?」
 先程は子供たちのイザコザをスルーしたメイベル市長も目の前の無法は見過ごせなかったので、メイドと連れ立ってヨシュアの側に加担する。
 ライバル都市の最高責任者同士が対峙し、一堂は沸き返る。メイベルとリラは例のブルマ姿なので格好つけて仁王立ちしても今一つ締まらなかったが。
「子供のお遣いじゃあるまいし、百万ミラの商談なら法知識に長けた第三者の立ち会いの元、契約書に不備がないかを確認するのは当然の話。そんなことは市長の信頼以前の問題でしょう? まさかルーアン市では海外との商取引でも、そんないい加減な口約束に終始しているのですか?」
 商業都市の市長が、これ以上ない正論を突き付ける。ギルハートにニガトマトのように顔を真っ赤にし、ダルモアも明らかに苦虫を噛み潰している。
 不安そうに彼女の手を握る子供達を挟んで、二つの陣営の間柄が険悪になる。テレサは軽く嘆息すると、文面を読まずにスラスラと手書きでサインし書類をギルハートに手渡した。
「テレサ院長?」
 あまりに想定外の事態に度肝を突かれたヨシュアはキョトンとする。契約書に埋め込まれたであろう不正を暴き動かぬ証拠として抑え、あわよくばそれを橋頭堡に市長の犯罪を立証していく目論見が全て御破算となる。
「ヨシュアさん、お気持ちは大変有り難いのですが、私のことで諍いを起こさないで下さい」
 決して事勿れ主義ではなく、両者の対立を潔しとしなかったテレサは下駄をダルモア市長に預けることにした。
「多くの人達の善意に支えられて、孤児院の再建が叶ったのです。なのに、どうして市長さんの善意を疑うことができましょうか? ダルモア市長、あなたを信じますので、どうぞ良しなにして下さい」
 善人ここに極まり。ギルハート秘書は良心の呵責に耐えかねる表情をしていたが、「確かに任された」とダルモアは満足そうに頷いた。
「なるほど、確かにクローゼが言うようにテレサ院長は本当に良い人だけど、判子社会の恐ろしさを今一つ判っていらっしゃらないようね」
 帝国では連帯保証人というサイン一つで他人の借金を全面的に背負わなければならない意味不明な制度もある。毎年多くの人間が自分だけでなく家族さえも路頭に迷わせ、実はカプア一家もその悪法の被害者だったりする。
 軽蔑した訳でもないだろうが、諦観の表情を浮かべたヨシュアは彼女を見限ることにしたのか、「余計なお節介を失礼しました」とテレサにお辞儀するとクルリと踵を返した。
「おい、どうするんだよ、ヨシュア?」
「どうやら市長さんのツテで無事に孤児院も再建されメデタシメデタシの結末を迎えるようだし、私たちは当初の予定通りツァイスに向かうことにしましょう」
 そう一方的に言い捨てると、クローゼ達に別れも告げずに慌ただしくジェニス王立学園の敷地を後にする。エステルもマーシア孤児院を見捨てるような義妹の言動をなぜか追求せずに大人しく従う。
 尚、ヨシュアが懐柔された所為で振りあげた拳のおろし所を失ってしまい大層バツが悪くなったメイベル&リラのボースペアは忽然とクラブハウスから姿を消していた。

        ◇        

 かくして、クローゼから託されて二週間の長きに渡った『学園祭の手伝い』のクエストは完了。翌日、ジャンから推薦状を授かった二人は定期船でツァイスへと旅立った。

「よし、あの遊撃士兄妹がルーアンから消えたのは確かだな?」
「はい、市長。乗客名簿にも二人の名前が乗っていましたし、わたくしも姿を見られる訳にいかなかったので遠目からでしたが、あの二人がツァイス行きの便に乗り込んだのを視認しました」
「ふーむ、何か勘づいたような雰囲気だったが、単なる杞憂だったか。ブレイサーと背伸びしても所詮は世間知らずのガキに過ぎぬな。でも、用心に越したことはない。定期船が出航した以上、一日二日でルーアンに戻れる筈もないし、今夜中に例の計画を実行するとしよう」
「……了解しました」

        ◇        

 その夜、マノリア村の風車小屋でテレサ院長から預かった寄付金の寝ずの番をしていた二人の遊撃士が、賊の一団に襲われて重傷を負い再建資金を強奪される事件が発生。
 多勢に無勢とはいえ正遊撃士がみすみす不覚を取ったのも意外だが、それ以上に人々を驚かせたのは襲撃犯の正体はいつも倉庫にたむろしているチンピラグループ『レイヴン』だったという。
 とうとう一連の黒幕の正体が露見。事件は急展開を迎えたが、主役となるブライト兄妹は空の遥か彼方で、ルーアンの地にはいない。

 長く続いた学園編が幕を閉じて、風雲急を告げるルーアン完結編に続く。



[34189] 14-01:ルーアン最終攻防戦(前編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/18 00:01
「申し訳ありません、テレサ先生。お預かりした大切な再建資金をむざむざ奪われてしまって」
 マノリア村の宿酒場『白の木蓮亭』の二階。負傷した正遊撃士マリオとカンナバーロは面目無さげに謝罪するが、テレサは軽く首を横に振る。
「いえ、あなた達がご無事だった、それだけで十分です。もう、マーシア孤児院絡みで誰にも傷ついて欲しくないですから」
 他者を批難したり妬んだりといった精神構造は彼女には皆無。流石はマザーテレサに譬えられる貴婦人だと二人は感じ入ったが、プロの遊撃士として任務に失敗した身では、口汚く罵られる以上にその慈愛の心が傷口に沁み入る。
 この後、テレサはホテル・ブランジュで市長御用聞きの建築会社の係員と打ち合わの手筈となっていたが、依頼のキャンセルをお願いする。
 幸いか寄付金を失い護衛の必要性もなくなった。子供たちに介護を頼むと二人に会釈して部屋から出ていく。
 クローゼやデュナン公爵などの多くの人間の力添えを受けながら再建を放棄するのを心苦しく思っているのは間違いないが、それを口にすれば二人を傷つけると判っているので敢えて無言を貫いた気遣いが辛かった。
「よう、ガキども。邪魔するぜ」
そのテレサと入れ違いに、目立つ大剣(オーガバスター)を背負ったアガットがずかずかと乗り込んできた。クラムを押し退けるように無遠慮にマリオのベッドに腰をおろす。
「お前ら、昨夜の襲撃について聞きたいことがある」
「ちょ、ちょっと、カンナバーロさん達は怪我をして……」
「いや、いいんだよ。マリィちゃん」
 二人はヨロヨロとベッドから起き上がる。子供たちの頭を軽く撫でた後、包帯を巻いた手負いの状態のまま事情徴収に付き合う。不甲斐無い身だが持てる情報を手渡して少しでも役立たなくてはならなかったし、何よりも今の彼らは気遣われるよりもアガットのぶっきらぼうな対応の方が有り難かった。
「寄付金を強奪したのが、レイヴンというのは確かなんだな?」
 チームを創った元総長として最も重要な点を改めて確認し、マリオは首を縦に振る。二人ともルーアン支部の遊撃士。ロッコ達とも面識があり見間違えなど有り得ないが、アガットは訝しむ。
「解せないな」
 旧知の間柄を庇う意図ではなく、正遊撃士が奴ら程度に不覚を取った以上に腑に落ちない点を謳い挙げる。
 二人が目撃したのは確かにレイヴンなのだろうが、だからこそ不自然極まりない。
 襲撃時、メンバー全員が堂々と意匠の赤いバンダナを巻いていた。これでは儘と大金をせしめても、後日、王国軍に逮捕されるのは目に見えている。暗がりに乗じた夜襲なのだから、覆面を被るなりして、もっと正体を隠す工夫があってしかるべき。
 悪事にも遣り方というものがある。ディン達は学のない落ちこぼれには相違ないが、そこまで先が見通せないマヌケではない。
「そうだ、アガット。二つほど気になることがあるのだが」
 アガットの疑惑とは別に、直接彼らと対峙した二人が感じた違和感について報告する。
 一つは以前、チンピラ同士の騒動を起こしマリオらに懲らしめられた経緯があったが、その時に比べてメンバー全員の身体能力が大きく向上していた。
「というか、まるっきり別人だったな。その上、あいつら、まるで感情を感じさせずロボットと戦っているような嫌な気分だったぜ。ただ、それだけなら負ける気はしなかったんだが」
 二つ目がより重要。奴らの中に明らかに異質な気配を抱えた戦闘員が紛れていて、重傷を負わされたのはその凄腕の二人だ。
「レイヴンは伝統的に警棒を得物にしているそうだが、そいつらは鉤爪のような妙な武器を両腕に仕込んでいて、力、技量、速さのどれもが尋常ではなかった」
「そうか……」
 それだけでアガットには二人組の正体が判った。「邪魔したな」と呟くと、挨拶もせずに白の木蓮亭を退出する。
 自身の苦い体験から、温情は逆効果なのが判っている。柄にもない労いの言葉を掛けたりはしないが、寄付金を奪い返し同胞の無念を晴らす腹積もりだ。

「とは云ったものの、さて、どうやってあの馬鹿共を探し出すべきか」
 倉庫は当然もぬけの殻。酒場やカジノなどロッコ達が顔出ししそうな心当たりの場所は既に調べ尽くしており、途方に暮れる。遊撃士らしい地道な聞き込み調査で足取りを追うしかないかと長期戦を覚悟したが、そんな彼女に声を掛ける人物がいた。
「お困りのようっすね、アガット先輩。何なら俺たち助太刀しましょうか?」
 振り返ったアガットの黒い瞳が、まるで幽鬼を見かけたかのような不審と驚愕に彩られる。
「てめえら、どうしてまだルーアンにいやがる?」

        ◇        

 リベールはおろか、大陸有数の近科学都市ツァイス市。
 その心臓部である中央工房の玄関口から、得物の大斧(バルディッシュ)を背中に担いだエジルが現れ大きく伸びをする。
「ふーう、工房長から直々に大口のクエストを任されるとは、今月はついているな。これで溜まっていた屋台のリース料が払える」
 ヨシュアが幾度となく短期間であまりにも手際よく大金を掻き集めるので錯覚しがちになるが、これが正遊撃士の標準的な懐事情。糊口を凌ぐ為に始めた筈の副業の赤字分をクエスト報酬で補填するとか、極貧すぎて泣けてくる。
「んっ、アレは?」
 右手の発着所から、物干し竿を抱えた長身の栗色の髪の少年と黒を基調としたミニスカートを履いた長い黒髪の少女を見かけ、思わず無骨な顔を綻ばせる。
 そういえば先程、ルーアンからの便の到着がアナウンスされたのを思い出す。エジルは、早速後ろから二人に声を掛けた。
「おーい、ヨシュア君、エステル君、久しぶりだね。ツァイス市にようこそ……………………って、君らは一体誰だい?」

        ◇        

「そのような経緯ですので、この話は無かった事にしていだだけないでしょうか?」
 ホテル・ブランジュの一室。アネモネ建設のヒラガーと名乗る中年の担当者と対話したテレサ院長は、事情を説明し契約の取り消しをお願いする。ヒラガーは神経質そうな眼鏡の奥の目を細めて針のような視線で彼女を居抜き、テレサは大層居心地の悪い思いを味わった。
「困るんですよ。市長のたっての頼みというから、本来なら百万ミラかかる工事を九十万ミラの割安価格で受け入れたのですよ。コストを抑える為に機材の発注や人材の確保も既に完了しているので、今更無かった事にしてくれと無茶を申せられたら我が社は大損害ですよ」
「申し訳ありません。ですか、そこを何とか」
 ひたすら恐縮するしかないテレサに、ヒラガーはキュッキュッと音を立ててメガネの曇りを布で吹き取ると居丈高な態度で通告する。
「確かに無い袖は振れないでしょうね。なら、違約金の方を払っていただきましょうか。ほんの七十ニ万ミラほど」
「はっ?」
 思わず耳を疑ったテレサに、ヒラガーはクラブハウスで署名した契約書をデスクの上に置く。隅っこの方に虫メガネが必要なほど極小サイズの文字で付け加えられていた特記事項を指差す。
 要約すれば、『もし契約者側の都合により、契約を破棄する場合は、代金の80%を解約手数料と設定する』という趣旨。あまりの暴利に世間馴れしてない院長をして疑念を感じたが、ヒラガーは素人を煙に巻く常套手段の専門用語の羅列で反論を封じて、何なら裁判所のような出る場所で闘っても良いと脅しをかかる。
「そんな、これではほとんど工事の受注料金と変わらないじゃないですか。そのような大金をお支払いする術は……」
「まあ、院長さんに無理なら、孤児院の児童にでも働いてもらいましょうかね」
 再び耳を疑う。マリィなどはそんじょそこらの若者よりもよっぽど利発だが、まだ社会に従事できる年齢ではない。
 だが、中年男は卑下た笑みを浮かべると、小さい幼女だからこそ需要がある顧客を知っていると嘯く。クラブハウスでロリコン学生の下心に気づかなかった彼女も、今度ばかりは内情を悟らざるを得ず顔面蒼白になる。
「お願いします。私に出来る事なら何でも致します。だから、子供たちにだけは手を出さないで下さい」
 縋るように哀願するテレサの姿に、欲していた言質を確保したヒラガーは満足そうに見下ろしながら、次の段階に話を進めようとする。その瞬間、施錠した筈の部屋に何者かが乱入してきた。
「やーれやれ、どうせ碌でもない爆弾が契約書のどこかに埋め込まれているとは思ったけど、まさかここまで厚顔無恥な条件を付け加えていたとはね」
「な、何だ、小娘! どうやって入ってきた?」
「ヨシュアさん?」
 テレサが驚きの声を上げたように、ツァイス市に旅立った筈のヨシュアが八卦服を纏って颯爽と登場。
 シェラ姐直伝のピッキング技術で扉を解錠し、堂々と侵入を果たすと契約書を片手に講釈を垂れる。
「おじさん、さっき法律用語を早口言葉みたいに唱えていたけど全部出鱈目じゃない。一つ一つ反論してもいいけど時間がないから最も重要なのに要約すると、建築関連の違約金は最高30%と大陸法で定められているのを知らない訳じゃないでしょう?」
 法知識に長けた第三者の出現にヒラガーは一瞬言葉を詰まらせるが、直ぐに開き直る。
「うるさい! こちらは既に人材、資材の発注を済まして今更金銭的な後戻りは効かないんだよ。どうしても依頼をキャンセルするなら、既にかかっているコスト分を払うのが筋だろうが?」
「ふーん、なら本来なら違約金なんか取らずに真面目に工事をしたかったわけね?」
「当たり前だ!」
「なら何の問題もないじゃない。これで解決ね」
 居直ったヒラガーに向かって、ヨシュアは得意の営業スマイルで微笑むと、懐から紙幣の束を取り出してデスクの上に置いた。
「ちょうど百万ミラあるけど、九十万ミラで工事を請け負ってくれるなんて、太っ腹よね」
 目敏く十万ミラ分を差し引くと、自分の懐に戻す。当然これはヨシュア個人のポケットマネー。一般庶民に早々百万近い大金など用意できる筈はないと多寡を括っていたヒラガーは目を白黒する。
「そ、そんな馬鹿な。有り得ない。だって、寄付金は既に奪…………うぐっ!」
 危うく共犯事項を口走りそうになった男は慌てて口を紡ぐ。敢えてヨシュアは聴こえぬ風を装い、起工を催促する。
「で、孤児院の再建作業は何時から始めてくれるのかしら? 日雇いに工賃まで先払いしたのなら、それこそ今日からだって可能よね?」
「い、いや、それはその…………色々と準備が必要だから、少し時間が……」
 想定外の事態の連続にどんどんボロが出る。男の主張が矛盾だらけになり、ヨシュアは間髪入れずに止めを刺す。
「出来る筈なんてないわよね? 最初から資材の発注なんてしていないし、そもそもアネモネ建設なんて、エレボニアのどこにも存在しないダミー会社に過ぎないからね」
 王立図書館の端末から『カペル』の大規模データベースにアクセスし、そんな名前の会社が企業登録されていないのは既に確認済み。その証拠となる資料をデスクの上に投げ出した。
 名探偵に外堀を完璧に埋められ、袋小路に追い詰められた犯人はとうとう暴発する。
「ガキがあ! 賢しげな口で、大人を舐めるんじゃねえ!」
 ヨシュアの襟首を乱雑に掴むと、アウトローの最後の拠り所であるバイオレンスに訴えようとするが、云うまでもなく漆黒の牙相手にこれは最悪の悪手。
 数分後、ヒラガーはコテンパンに叩めされ、断崖絶壁に身を投げる前の犯人役さながらに洗い浚い自供させられる羽目になる。

        ◇        

「ほう、君たちはヨシュア君のご学友な訳か?」
 手馴れた手つきで箆でもんじゃを引っ繰り返しながら尋ねるエジルに、席に腰を降ろした男女はコクリと頷く。
 ここはツァイス市の屋台村。エジルは副業衣装の法被に鉢巻きを締めると、カルバートの東方人街直伝の関西風お好み焼きをご馳走する。
「学友といっても、一緒に席を並べたのは二週間ぐらいなんすけどね」
「私たちはジェニス王立学園の生徒で、私はジル。こちらはハンスと言います。よしろくお願いしますね、エジルさん」
「それで、そのコスプレ衣装は彼女が現在手掛けているクエストに関係あるわけかい?」
 エジルは苦笑しながら、二人の訳ありの恰好を見下ろす。
 ジルはヨシュアを模した服飾に黒長の鬘を被っており、更にはトレードマークの眼鏡を外した裸眼状態である。
 ハンスは髪を栗色に染め、シークレットブーツを履いて身長を底上げし、物干し竿の模造品まで背負っている。至近から観察するなら偽物であるのは一目瞭然だが、エジルが勘違いしたようにぱっと見の遠目からなら二人を知る者はブライト兄妹と見間違えてしまう。
 先日、ルーアン発着所に張り込んでいたギルハート秘書が市長に誤報をしてしまったように。
「エジルさんのお察し通り、これらは敵の目を欺く擬態でして。本物のエステルとヨシュアちゃんは近々こちらを尋ねてくることになると思いますよ」
「敵を油断させる。その為だけに影武者を態々ツァイスまで送り込むとか、本当にヨシュアは遣る事が徹底しているわよね」
 これがヨシュアの次善の策。クラブハウスでそのまま証拠を抑えられれば、それで良し。もし失敗したら、ダルモア市長から不信感を持たれるのは避けられないので、敢えて二人がルーアンから旅立ったように見せ掛けて、その裏をかく作戦。
「まあ、お蔭でこんな美味しいお好み焼きを奢って貰えたしね」
 ジルはどろソースをたっぷり含んだ生地を口に運ぼうとしたが、ポロリと零してしまう。近眼の彼女が眼鏡無しなら、この結果は必然。コンタクトレンズをしないのは、「痛そうで怖い」という意外と子供っぽい理由。見慣れない裸眼の素顔と含めて良く知る筈の少女の新鮮さに思わずハンスはドキマキする。
「ハンスぅー、食べさせてー」
「もう、しょうがないな……」
 衆人の目の前で臆面もなく、ハンスは箸で摘んだ生地をまるで雛鳥のようにジルの口まで運んであげる。熱気に当てられたエジルは、軽く額に手を当てて思わず天を仰ぐ。
 実際、ここに着くまでハンスは盲人の介護状態でジルに付き添っている。既に市長勢力の目が届かないツァイス市に到着しながら、ジルが一向に眼鏡を装着しようとしないのは公然とハンスに甘えられるからのようだ。
 ハンスにしてもこれはこれで役得なので、もう一つの『捨てがたい恩恵』と合わせて、ジルに我が儘放題のお姫様状態を満喫させることにした。
「さて、ルーアンに戻るまでまだ時間があるだろうし、良かったらツァイス市を色々と紹介してあげようか?」
「本当ですか? この都市の近代設備には前々から興味があったんですよ」
 エジルの提案にジルは歓喜すると、懐から愛用の眼鏡を取り出してハンスが制止する間もなく装着する。市内見物をするのに盲目状態では意味がないからだか、裸の女王様は現在の自分の本当の姿に気がついてしまう。
「………………ハンス、あんた、知っていて黙っていたでしょう?」
 ワナワナと肩を震わせる生徒会長殿に副会長はブルブルと首を振るが、嘘なのは明白。
 ヨシュアの一張羅をそのまま着込んだので一見モトモな恰好に思えるが、問題なのはミニというのすら憚る超短めのスカート丈の長さ。明らかに布地の面積が下着をカバーするのに物理的に足りておらず、ちょっと動くだけで直ぐに水玉パンツが丸見えになってしまう。
 絶対領域のスキルを所持するヨシュアならあの服飾でもパンチラを防げたが、これではほとんど露出狂の痴女。サイズ合わせをした時にヨシュアが必死に笑いを押し殺していたのはそういう理由のようだ。
 ジル本人も単にブルマに羞恥心を感じないだけで、普通に花も恥じらう乙女なのだ。思いっきり赤面しスカートを縦に引っ張ると、今度は後ろががら空きになるという悪循環状態が続いた。
「だから、何時も俺が口酸っぱく訴えていただろう。女子は普段からスカート下にブルマを着用して、オーバーパンツとして下着をガードした方が良いと…………」
「アホかー、ブルマニストのあんたを余計に喜ばせるだけでしょうが!」
 奪い取られた模造棍で思いっきり後頭部を引っ叩かれて、ハンスは地面にうつ伏す。
 「ヨシュア君の友達には個性的な面々が多いみたいだな」と夫婦漫才を繰り広げる少年少女をエジルは感心したように観察する。

 その後、エジルの案内でベル・ステーションを訪れた際に、ハンスは罰として五千ミラもする高級服をプレゼントさせられて、それでようやくジルは機嫌を直してくれた。

        ◇        

「ううっ、馬鹿な。お前、一体何なんだ?」
「ブレイサーよ、市長さんから聞いていないのかしら?」
 華奢な少女に指一本触れることすら叶わずにボコボコにされる。皹割れた眼鏡越しに忌ま忌ましそうにヨシュアを睨むが、少女は悪びれることなく出自を明らかにし、詐欺師の天敵ともいえる職業に唖然とする。
「公文書偽造、児童売春斡旋、更には暴力による恫喝と罪状には事欠かないわね。おじさんは帝国人みたいだし、ハーケン門を介して帝国憲兵に引き渡しましょうか?」
「ひぃっ! まっ、待ってくれ、それは……」
 ヒラガーは思わず悲鳴を上げ、ヨシュアは小悪魔的な笑顔を浮かべる。
「そりゃ困るわよね。鉄血宰相と恐れられるオズボーン宰相は自国民が余所の国に迷惑を掛けるのを一番嫌うから、多分アルカトラス刑務所に送られて無期懲役に処されちゃうものね」
 現在、エレボニア帝国は周辺諸国への国際信用力を強化する為に国事犯よりも越境犯罪者の方を遥かに厳しく取り締まる些か奇妙な警備態勢が敷かれている。結果、格付会社(S&P)による国債の信用格付けは常に大陸トップのAAA(トリプルエー)を維持しており、実はヨシュアの預金もオリビエが手持ちの国債を売り捌いて工面したミラだったりする。
「頼む、知っていることは何でも話す。だから、それだけは許してくれー」
 恥も外聞もなく地面に額を擦りつけて、ひたすら平身低頭する。寛大なアリシア女王麾下のリベール法で裁かれるなら悪くても一年以下の拘禁、上手くいけば執行猶予で済む。天国と地獄の待遇差だけにヒラガーも必死だ。

 一通りの情報を引き出した後、予め扉外に待機させていた王国軍の兵士にヒラガーを引き渡し一段落つける。ふと、ボースで奇縁を囲ったカプア一家の命運が気になった。
 ジョゼット達も浅からぬ事情を抱えていたようだが、今の帝国法を鑑みると態々リベールくんだりまで来て悪事を働くなど自殺行為に等しい。ましてや、ハイジャックなど正気の沙汰でない。
 全ては親玉のドルンが、あの女に洗脳された顛末。このまま本国に送還されて難攻不落と謳われるアルカトラス監獄に収監されることになれば、キールらは二度と日の目を見ることが許されなくなるのかと思うと柄にもない感傷に浸される。
「ありがとございました、ヨシュアさん。私が世間知らずなばかりにご迷惑をおかけしました」
 そんなヨシュアの内心を露知らずに、テレサ婦人が本当に面目無さげに頭を下げる。
 今ではクラブハウスで契約内容の確認を促したヨシュアの正しさを骨身に染みる。事勿れ主義に終始した挙げ句、危うく子供たちの身まで危険に晒しそうになった我が身の至らなさを嘆いたが、彼女が正遊撃士達の失態を詰らなかったように、ヨシュアもそんなテレサの純朴さを攻めたりはしない。
「困った時はもう少しだけ他者を頼りにして下さい。人それぞれ苦手とする分野はありますから、判らないことで知恵を借りるのは決して恥ずかしことではないですよ」
 「私も力仕事は苦手なので、荷物運びなどでエステルに頼りきっています」と冗談めかしてつけ加える。
 ある意味、今回は彼女の無知蒙昧が招いた災いではあるが。今更テレサ婦人が知識を蓄えて世の善意に猜疑を抱いて狡猾になるなど、マーシア孤児院の関係者は誰一人望んでおらずに反って悲しむであろう。
 クローゼのように王国全土を背負わねばならない立場ならともかく、孤児院と子供たちの笑顔を守るだけなら今の彼女が変わる必要はない。
 その真っ直ぐな人柄故に、テレサ院長には頼もしい味方が大勢いるのだから。
「これで、こっちは何とが片づいたわね。エステル達の方はどうかしら? 上手く寄付金を取り戻して、犯人の尻尾を掴んでいると良いけど」

 マーシア孤児院の再建を巡り、クローゼ達親テレサ派と現職市長ダルモア一派によるルーアン最終攻防戦の火蓋が今まさに切って落とされた。



[34189] 14-02:ルーアン最終攻防戦(中編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/18 00:01
「ふう、力仕事は持病の関節痛に堪えるわ。また、ブレイサーの兄妹でも尋ねてこんものかな」
 導力圧と安定化装置のスイッチを弄くり、灯台の試運転作業をするフォクト爺さんは、トントンと両膝の踝を摩りながら愚痴を零していると、下の方からガヤガヤと笑談の音が響く。
 もしや本当にエステル達が再訪したのかと、鉄梯子の掛けられた昇降口から階下を覗き見してギョッとする。ルーアンでも悪童と名高いレイヴンが白昼堂々と灯台に乗り込んできた。
「ひゃーはっはっは。儘と百万ミラもせしめるとはラッキーだな、俺ら」
「ホントだぜ。面白半分でオンボロ孤児院に火をつけたら寄付金まで奪えるなんて、笑いが止まらないぜ」
「けど、ミラはもうほとんど残っちゃいないけどな。ロッコ、お前が博打ですっちまったからだぜ」
「けっ、ムシャクシャするな。憂さ晴らしにまた孤児院の薄汚いガキ共でも甚振りに行くとして、その前にたらふく酒を浴びるとするか」
 階下から漏れる哄笑に、フォクトは慌てて昇降口から首を引っ込める。
「大変じゃ。そういえば、今朝方、マノリア村でレイヴンのチンピラ共に寄付金を強奪されたとか騒いでいたっけ?」
 席に戻ったフォクトは、導力通信を繋ぐと王国軍に通報する。もし、爺さんが冷静なら、複数人の会話なのに声色が二種類しかなかったことに気づいただろうが、遊撃士ならともかく一介の灯台守に緊急時にそこまでの状況判断を求めるのは酷だ。
「クローネ峠の関所か? こちらバレンヌ灯台のフォクトだ。今ワシがいる真下の階層にレイヴンの奴らがたむろしておる。孤児院を焼き払ったのも寄付金を奪ったのも自分達の仕業だと豪語しておった。至急、逮捕の兵をこちらに派遣……………………」
 吹聴して欲しい伝達事項を言い終えた途端、意識が狩り取られる。気絶した老人の後ろには何時の間にか赤いバンダナを巻いたレイヴンの二人が控えており、更に鉄製の梯子を攀じ登ってギルハート秘書が姿を現した。

        ◇        

「おいおい、現職のルーアン市長が一連の事件の黒幕ってのはマジかよ?」
 既に察していると思われるが、マノリア村でアガットに声を掛けたのはエステルとクローゼの二人。この時に彼女は初めて、ルーアン市に渦巻く陰謀の数々を知らされた。
「ここまでのあらゆる事象が、ほぼヨシュアさんの予測通りに漸進しています。もはや証拠が存在しないだけの確定事項と見做しても良いでしょうね」
 クローゼがヨシュアの推理に太鼓判を押し、豪胆な女遊撃士も驚きを隠せない。
 ただ、物証がないだけと謳ったが、それこそが一番のネック。『疑わしきは罰せず』を原則とした専制国家とは思えぬ温いリベール法では状況証拠だけで人を裁けない。
 同じ君主制でもこれがエレボニア帝国あたりなら、目をつけた国事犯を投獄するにあたり秘密警察(ゲシュタポ)が幾らでも実証を捏造するのだが。
「それで証拠を揃える為に、ある程度敵の出方が判っているにも関わらずに敢えて受け身になって後手に回っているわけか? マリオ達が襲撃を受けるのを薄々悟りながら黙って見過ごしたのも、その一環というわけだ」
 ワイルドな外観によらず、高い判断力を備えているアガットは、物事の本質を見抜く。非好意的な視線で二人を一瞥し、エステル達は後ろめたそうな表情を見合わせる。
 彼女に指摘されるまでもなく、空賊事件で友誼を築いた先君を囮とするような遣り方にエステルの心が痛まない筈はないが、事態は予想以上に切迫している。

「おい、ヨシュア。態と寄付金を奪わせるって何だよ? 今夜か明日中の襲撃の目処は立っているのだから、俺たち全員で張り込めば」
「エステル、今回の事件で一番困るのはダルモア市長に一端手を引かれてしまうことよ」
 一致団結して事に当たれば再建資金は守れるだろうが、その後どうなるのか? ダルモアは経済的に逼迫し尻に火がついているので別荘地の分譲を諦める筈もない。仮に孤児院を建て直せたとしても、その地下には巨大な不発弾が埋め込まれたまま。
 エステルや他の正遊撃士にしても何時までも常駐している訳にもいかず、ほとぼりが冷めた頃合いを見計らって時限爆弾が再点火。今度はその炎はマーシア孤児院だけでなくテレサや子供たちをも呑み込んでしまうかもしれず、その情景を思い浮かべたエステルとクローゼの顔色が土色に変化する。
「寄付金が奪われれば、市長側は必ず契約内容を盾に恐らくは法外な違約金か何かでテレサ院長を脅迫してくる筈よ。けど、契約通りの現金をキチンと用意できれば、逆に不正を抑えるチャンスでもあるの」
 百万ミラは市民レベルではそう簡単に右から左へは動かせない大金だが、ヨシュアにはその蓄えがあるので敵の裏を掻くことも相成る。以前、ボースで主張したように、多額のミラを所持していれば有事に際して真に多くの選択肢を得られる。
 ただ、その為にはカンナバーロ達の身を危険に晒さねばならずに二人とも不承顔。理論整然とした口実を準備してやるのは可能だが、どのみちエステルは自分の心を偽ることなどできよう筈もない。ヨシュアは敢えて翻意を促さずに、彼の意志を尊重する。
「納得いかないって顔ね。まあ、基本的に私は作戦を考えるだけで、決断はエステルに任せると決めているから。まずは寄付金を守るのに尽力し、長期戦で事を構えるのも有りよ。後悔しないようによく考えてみて」
 そう囁いて一任する。エステルは普段使わない脳味噌をフル回転させて悩みに悩んだ末、非情の策を受け入れる苦渋の選択をした。

「けっ、あの小娘。相変わらず守るべき大切な約束を果せなかった人間の辛さが判らないみたいだな」
「アガット、最終的にその案を採用したのは俺だから、ヨシュアは関係ない」
 思わず舌打ちするアガットから反射的に庇う。当然、今回の作戦の全責任を負う覚悟だが、その決意自体が腹黒い義妹に唆されているように思えては気に入らない。
「とにかく、後でマリオさんとカンナバーロさんには土下座してでも償う」
「必要ねえ。マーシア孤児院に関わる全てを死守するのが依頼の全容で、それに失敗したのは単純に力不足だっただけだ。お前ら見習いのヒヨコ共にケツを持たれなきゃならないほど、あいつらは落ちぶれちゃいねえ」
 公人の遊撃士の身柄と庇護対象の子供たちの将来的な安全を天秤にかけるのなら、どちらを優先すべきかは自明の理。
 マリオ達に事情を説明し寄付金を奪われる演技を頼むという選択肢もあった筈だが、明証無しの憶測だけでクエストを放棄させるなど正遊撃士の職分を犯す行為。また、百歩譲って彼らがその提案を受け入れたとしても、アガットの推測通りに奴らがレイヴンの中に紛れていたとしたら、その猿芝居を見抜かれていた公算が高い。
「ちっ、結局は何もかもが、あの小娘の思惑通りか」
 ヨシュアの策略が有効なのはアガットも理屈として判ってはいるが、全能者の如く高みから全てを見通すような態度が気に食わずに感情的に納得いかないといった風情。
「あいつらの真摯な想いを虚仮にした以上、失敗は絶対に許されねえ。当然、敵の足取りは掴んでいるんだろうな?」
 そう問い掛けるも、彼女自身半信半疑。真夜中とはいえ奴らに勘づかれないように尾行するなどアガットでも骨が折れる作業。戦闘に特化しすぎた若輩のエステルに可能だとは思えない。
 隠密の達人のヨシュアなら他愛もない仕事だろうが、少女は既に二人とは別行動を起こしており、エステルは無言でクローゼに催促する。
 その件に関して敵に悟られずに追跡する方法があるとクローゼの方から志願してきたので、子供達の笑顔を守りたいという彼の願いを受け入れ素人学生の同行を許可した。
「ジークっ!」
 そう叫びながらクローゼがピィーっと指笛を吹くと、空の彼方から真っ白な鳥が凄い勢いで降下してきた。クルクルと彼の周囲を飛び回りながら差し出された左肘の上に軟着陸する。
「ピューイ、ピュイ、ピュイ」
「はははっ、良し、良し。ご紹介します。彼女はシロハヤブサのジークで僕の大切な幼馴染みです」
 クローゼははにかむ。嘴の下を撫でられたジークはゴロゴロと気持ちそうに喉を鳴らし甘えている。
 以前、大海原で消失した件の写真を銜えていた白隼。実は『ファルコン』のコードネームでクローゼの行動を見届けるようユリアから託された歴とした親衛隊員。
 卵から孵った雛鳥の頃からの長い付き合いで、育て親のユリアとクローゼの二人に大層懐いていて、人の身では難しい様々な工作活動に従事している。
 幼少からの訓練で鳥目を克服し夜目も効くので、闇夜の大空高くから標的に気づかれずに狙った得物を追尾するなどお手の物。
「ピュイ、ピュイ、ピュピューイ」
「そうか、そうか、偉いな。お願いした通りにしっかり追跡してくれたんだな。レイヴンが今どこにいるか判りました。一晩、クローネ山道の草むらで捜索を遣り過ごし、つい先程バレンヌ灯台に入っていったそうです」
 アガットはもちろん、クローゼの自信の源を知らなかったエステルも唖然として声が出ない。ここまでハッキリと固有名詞込みの会話が成り立つとは、意思疎通が可能とかいうレベルでなくクローゼは鳥語を翻せるとしか思えない。
「ピューイ、ピュイ、ピュピュピューイ」
「えっ? あの黒髪はビッチだから止めておけって? こらこら、ジーク。ヨシュアさんのことを悪く言っちゃいけないよ。とにかくバレンヌ灯台に急ぎましょう、エステル君、アガットさん」
 ジークはクローゼを誘導するようにゆっくりと飛翔してゆき、他の二人も狐に摘まれたような表情で後を追う。
「ジークだっけ? クローゼの友達とか抜かしていたけど、何か賢いとかそういう次元を超越していないか? にしてもシロハヤブサの雌にまで嫌われるとか、相変わらずヨシュアの奴、同性からの警戒心が半端ないな」
 ふと、並走するアガットの姿が目に入る。エステルはじっと彼女の横顔と見覚えのある二つの巨大な隆起物をじっと眺める。
「何だ? 俺の顔に何かついているのか?」
 エステルの目線がGカップ相当のバストの方にも注がれているのをスルーしているあたり相変わらず己の性に無頓着のよう。「気のせいだよな?」とエステルは自分にも理解不能な衝動に駆られながら大きく首を傾げた。

        ◇        

「さてと、これで準備は全て遣り終えたかな」
 バレンヌ灯台の最上階、無言のギルハートが見守る中、レイヴンの二人組は赤いバンダナを取り外して、黒い仮面を被る。更にはチンピラ服を脱ぎ捨てるとその下には黒装束が隠されていた。
 以前、クローネ峠の関所に魔獣をけしかけてアガットに護送された襲撃犯と同衣装。レイヴンに成り済まして寄付金の強奪を手伝っていた。
「もうじき、灯台守からの連絡を受けた王国軍がここに辿り着く。その前にずらかるとするか」
 どうやってロッコ達を操ったのかは不明だが、彼らに濡れ衣を着せる算段のようで舞台装置は既に完成している。
 酒盛りで酔い潰れたディン達の周辺にはニートには真っ当な手段では手に入れられない十数万ミラの大金が散乱。ご丁重にもポケットには証拠物の可燃燐まで仕込んである。
 記憶のないレイスなどがいくら無実を喚いても、札付きの不良の戯れ言に耳を貸す物好きどいる筈もない。マーシア孤児院絡みの一連の事件は全てあの屑どもの所業となるわけだ。
「これで良かったのですよね」
 まるで何者かの許しを求めるかのようにギルハートは呟き、そんな彼女の良心に応えるかのように返答が戻ってきた。
「良い訳ねえだろう。残念だぜ、ギルハートさん」
 聞き慣れた声に背筋を凍らせ、慌てて後方を振り返る。ルーアンにいる筈のない人物が鉄梯子を攀じ登ってきた。
「エステルさん?」
 「なぜここに?」、「どうやってこの場所が?」とか色々疑問が沸き起こったが声にならない。ただ、エステルに悪事を直に見られた。その一事が酷く後ろめたく、思わず顔を背けてしまう。その隙にエステルに続いてクローゼとアガットまで登ってきた。
「ふんっ、やはりマリオ達をやったのはテメエらだったか」
「こんな所まで追ってくるとは、本当にギルドの犬はしつこい」
 依頼人のギルハートの存在を無視して、浅からぬ因縁を持つアガットと黒装束の男達が睨み合う。周辺が一触即発の空気に包まれる。アガットは背中のオーガバスターを引き抜き、敵は無言のまま両腕の鉤爪をジャラリと鳴らす。
「エステル、お前は下がっていろ…………といっても、聞くような玉じゃねえよな」
 奴らは真の闇世界の住人。ボースで関わったカプア一家のようなコソ泥とはレベルが違うが、エステルが決して自分を曲げないのはクローネ峠の一件で判っており、実際に臆することなく物干し竿を展開する。
「学生さん、あんたはあの秘書の身柄を抑えておけ」
 どうせ奴らにとって人質の値打ちなどありはしないが、せめてもの配慮として民間人のクローゼを戦闘から遠ざけるように指示。アガットとエステルは得物を振り回して黒装束と渡り合う。

「影縫い!」
「ぐあっ!」
 黒装束の男は残像を残して懐に潜り込むと、鉤爪でエステルの胸板を抉る。
 この『影縫い』のクラフトにはヨシュアの絶影と同じく、対象者の遅延(DELAY)を促す効果があるらしく、エステルを防戦一方に追い込む。
 技の効能といい高速機動力を売り物とする一撃離脱戦法には、どことなく漆黒の牙を彷彿とさせるものがある。これが闇の眷属に共通する戦い方のようだ。
「強え、何者なんだ、こいつらは?」
 得意のタフネスで持ち堪えているものの、エステルに大きく息を切らせる。もう一人の黒装束と互角の戦いを演じているアガットが補説する。
「予め忠告しただろう? これが猟兵団(イェーガー)とは別種の戦闘のプロって奴だ。もっとも、怪物のお前の義妹は一方的に打ち倒したみたいだかな」
 ヨシュアの名前を聞いた刹那、エステルの目の色が変わる。敵の強さに呑まれていて、大切なことを忘れていた。
「確かにあんたは速いし、今まで俺が戦ってきた人間の中でも強い。けどな……」
 目を閉じ闘気を溜め込んだ後に一息に解放する。エステルの半円に軽い衝撃波が発生。『麒麟功』でSTR(力)とSPD(行動力)を大幅にブーストする。
「俺が毎日稽古し追い掛けているヨシュアはもっと速く、何よりも桁違いに強い」
 そう宣言すると、先とは比較にならない超スピードで襲いかかる。はじめて黒装束に攻撃をヒットさせ、五分の闘争へと持ち込む。
「ちっ、何だ? このガキ、急に手強くなりやがった」
 戦闘初期のように遇えなくなった黒装束は舌打ちするが、自己ブースト技ならやがて反動をきたす筈。それまで持ち堪えればよいと守勢に徹しながら皮算用したが、男はプロフェッショナルにあるまじき失態を犯している。
この戦いは騎士道精神に基づいたタイマンの決闘ではなく、虎視眈々と介入の機会を伺っていた第三者の存在を失念していた。
「ジーク、お願いします!」
 クローゼの掌から解き放たれた白隼が、急降下時速387kmという人間の動態視力では視認不可能な超スピードで戦士(ケンプファー)となって襲いかかり、正面から仮面に特攻する。
 目がチカチカする程の衝撃に怯んだ黒装束の攻防力が一時的に衰えた隙を逃さず、エステルの棍撃が男の左腕を鉤爪ごと打ち砕いた。
「ぐっ!」
 左手を複雑骨折した男は大きくエステルから距離を取る。アガットと対峙していた仲間と合流すると、戦闘力を削ぎ落とす切っ掛けを作った伏兵の小僧を忌ま忌ましそうに睨みながら密かに思案する。
 彼らはこの程度の負傷は意に介さずに死ぬまで戦い続けられるアサシンだが、その献身はあくまで真なる理想を実現する場合のみ。現在受けた損害はこのビジネスに設定された領分を越えている。
 このあたりが潮時と見切りをつけた黒装束は遊撃士に手打ちを持ち掛けるべく、今のイザコザでクローゼの元から離れた交渉材料に手を伸ばした。
「ひっ! あ、あなた達、一体何を?」
 突然、後ろから黒装束に羽交い締めにされたギルハートは、顔を青ざめさせながら悲鳴をあげる。
 人質の価値はないにしても、まさか仲間割れに近い形で逆に身柄を抑えられるとは想像だにせず。ついさっきまでの飼い主の手を噛んだドーベルマンの変わり身の速さに、エステル達は呆れて声も出ない。
「動けばこの女の命はない」
「ちょ、ちょっと、冗談は止め…………?」
 ギルハートの舌は、それ以上まわらなかった。軽く鉤爪を垂直に振り切るとポニーテールに束ねたギルハートの髪が解けて、頬にもツーッと一筋の赤い雫が垂れる。
 更には彼女の衣服が縦一文字に切り裂かれ、小振りの胸の谷間からお臍までが露出。ファスナーが壊れたスカートがストーンと落ちて恒例の縞パンが晒されるが、羞恥心を感じる余裕もなく呆然と惚ける。
「今のは威嚇だが、次は本当に首を斬り落とす」
「エステル、ハッタリじゃねえ。こいつらは目的の為なら女子供でも平然と殺れる外道だ」
 アガットから警告を受けたエステルは、歯噛みしながらも後退。修理用の出口まで距離を取った黒装束は、そこでギルハートを解放すると同時に灯台から脱出する。
「ちっ、ここまで来て、誰が逃がすかよ!」
 間髪入れずにアガットも非常口に飛び込む。窓から外を眺めると、マノリア間道を下って手負いの黒装束を追い掛けている姿が目に入った。
 エステルは自分も加勢しようか一瞬迷ったが、半裸でへたり込んで放心しているギルハートを何故か放置しておけず。制服の上着を脱いでそっと彼女の背後から被せてあげるが、共に騎馬戦を戦った仲として裏切られたような気分になり愚痴が零れるのを止められなかった。
「ギルハートさん、本当に残念だぜ。こんな酷いことをする人間だとは思わなかった」
「エステル君、あまり責めないであげて下さい。ダルモア市長が主犯である以上、先輩に選択の余地は無かったのですよ」
 スケベ心から自分がヨシュアに成し得なかったダンディズムな振る舞いを目の当たりにして、己が狭量さを密かに恥じ入りながらも憐れみの感情と共に学園の先輩を庇う。
 彼女は秘書としてそれなりに有能な人材だが、ダルモアからすれば替わりなど幾らでもいる。ましてやルーアンの大御所の市長に逆えば、首はおろか再就職すら困難になる。
 我が町のクラウス市長はもちろん、ボースで出会ったメイベルもあまりに好人物なのでエステルには実感が沸き辛いだろうが、一般庶民が権力者と敵対し一人で生きていける筈もない。エイドスに仇なす行為と知りつつも悪事の片棒を担ぐしか道は残されていなかった。
「それよりも、もうじき王国軍がやってくるみたいですが、この状況はまずいですよ。フォクトさんの証言もありますし、客観的に見繕えば今の先輩のあられもない姿はレイヴンから辱められた被害者で、供述次第では僕らを共犯に仕立てることも十分に可能です」
 その可能性を指摘され、エステルは思いを巡らせる。誤認逮捕の中でも痴漢冤罪は最も厄介な代物。ほとんどの場合は男性側の反証は無視し、被害者女性の一方的な証言だけで物的証拠もなしに立証が成立する。
 エステルにも遊撃士としての身分があるが、見習いの社会的信用度が今一つなのはボースで身に沁みている。ギルハートに開き直られて水掛け論に持ち込まれたら直ぐさま潔白を証明するのは難しい。
 結果、事情徴収で数日は拘禁されるのは確実。最終的に嫌疑が晴れるにしろ、そうなったらダルモア市長を追い詰める千載一遇の好機を逃してしまう。
「仕方がない。寄付金だけ回収して俺たちもこの場からトンズラするぞ」
 実行犯におめおめと逃走を許し目的の明証を得られなかったのは無念だが、寄付金奪回という最低ノルマは辛うじて果たせたので、証拠に関してはヨシュアの方に期待するしかない。
 ダルモア市長さえ逮捕されれば、追ってレイヴンの無罪も証明される。クラムの殴り込みの件といい余所の火の粉を浴びてばかりで気の毒だが、しばらくは牢屋暮らしで我慢してもらうしかない。
 百万ミラ分の現金を確保した二人は、この場を立ち去る前にギルハートに声を掛ける。
「先輩、良く考えてみて下さい。今は女性であるあなたの詐術が勝ち得たとしても市長の悪行が明るみになれば全て覆ります。そうなる前に自主的に自首すれば罪は軽く……」
「信じているぜ、ギルハートさん!」
 情理両面から説き伏せようとしたクローゼに対して、エステルは打算や謀のない掛け値無しの真実の一言を彼女の心に叩きつけ、ギルハートはビクッと身体を震わせる。
 時には百の理屈よりも、たった一つの熱い情念が人の魂を揺さぶる場合もある。自らの無粋さを悟ったクローゼは、それ以上言葉を投げ掛けようとはせずに灯台を後にした。

 バレンヌ灯台から脱出したエステル達と入れ違いになるように王国軍の兵士が殺到。彼方此方で酔い潰れているレイヴンの面々を拘束すると、拉致被害者と思われる半裸女性を保護し事情を伺ってみる。だが、彼女の口から出た言葉は灯台守の報告とは真逆で、兵士たちを困惑させる。
「ここに倒れている人たちは利用されただけで、何の咎もありません。マーシア孤児院を焼き払い、更には寄付金を奪った真犯人はダルモア市長。実行犯の手引きをしたのは、わたくしルーアン市長秘書のギルハート・スタインです」



[34189] 14-03:ルーアン最終攻防戦(後編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/19 00:01
「すまねえ、ヨシュア。俺たちの方は、寄付金を奪い返してくるだけで精一杯だった」
 ギルドのルーアン支部二階の応接室。ジャンやヨシュアの他にもナイアルとテレサが集っている。
 マノリア村に立ち寄る手間も惜しんで全速で市内に辿り着いたエステルらは面目無さげに報告するが、ヨシュアは特に咎めずに最低ノルマを果たした二人の功を労う。
 実戦は相手有っての出来事なので、そうそう少女が頭の中で思い描いた計算通りに終結する筈がないのを弁えているからだが、「これでは、貧乏籤を引かせた先輩遊撃士に会わせる顔がない」とエステルは頭を垂れる。
「済んだことを何時までも悔やんでいても仕方がないわ。一端寄付金が奪われたからこそ私が担当した作戦は上手くいったのだから、決して無意味な犠牲じゃない。とにかく、ソチラがぽしゃった以上、契約書の不備を突っつく線から攻めるしかなさそうね」
 そう宣言するとヨシュアは、ジャンの隣で黙々と煙草の煙を拭かしていたナイアルを催促する。今更ではあるがダルモア市長の財政状況の調査が完了。負債額の酷さは想像以上で何と一億ミラを上回る。
「よりにもよって、先物取引に嵌まり込んだみたいでな。あれは迂闊に素人が手を出せば必ず大負けする性質の悪い詐欺みたいなシステムなんだが、そういう専門的な話は置くとして、追い証地獄を切り抜ける為に市の予算に手をつけたらしい」
 裏付けがある訳じゃないが、他に負け金を完済する方法はない。市の行政を揺さぶれば直ぐに使い込みは露見するだろうと自信タップリに明言する。
「まさか本当に一億ミラも借金を抱えていたとはね。それ自体は身から出た錆だけど、市長さんにとって泣きっ面に蜂だったのは起死回生を賭して目をつけた一等地のど真ん中にマーシア孤児院が建っていたことね」
 最初からテレサが地上げに応じて孤児院の移転を了承していれば、事は穏便に済んでいた。善良な院長は自分の頑迷さが市長を追い詰めて子供たちの未来を奪いかねない不幸を呼び込んでしまったのかと心苦しそうな表情で俯いた。
「テレサ院長、事情があれば悪事を働いて良い道理はないですし、あなたにもミラでは譲れない大切な想いをあの土地に残されていたのですから後ろめたさを感じる必要はないですよ」
 そう慰めてはみたが、そんな理屈で割り切れよう筈はない。この先は更に過激な相談に進展していくので、これ以上の心労を与えないようにジャンに頼んで彼女を別室に連れていってもらう。
「話を整理しましょう。市長側が用意した契約書の不正内容を暴くのには成功したけど、一つ問題があるの。詐欺師の証言では、このペテン話を持ち掛けてきたのは秘書のギルハートさんらしいのよ」
 彼女が市長の使い走りで動いているのは自然な話。それがどう困窮と結びつくのかエステルは疑問を呈したか、「秘書のお仕事って何だと思う?」と逆に質問に質問で鸚鵡返しされる。
「スケジュール管理や書類の整備など、上司の雑務を取り仕切ることでしょうか?」
「助平上司の密かなセクハラに耐える事とか?」
「そりゃ上役の泥を被って、首を吊ることだろう」
 まずは生真面目なクローゼが模範解答を提出、次いで好色という義妹の市長評を思い出したエステルが冗談めかし、最後に海千山千のナイアルがセクレタリー業務の闇の一面を洗い出す。
 どれも一応正解ではあるが、今回問題とするのはナイアルのファイナルアンサー。帝国や共和国の大物政治家が収賄容疑などの汚職が明るみになると、決まって秘書が独断で仕出かした旨の遺書を残して自殺し責任の所在が有耶無耶となる。
 主人の政治的危機を救う為に自らの命を投げ打ったのなら見上げた忠義心ではあるが、ほとんどの場合は強いられたのだろうとヨシュアは見做している。
「それじゃ何かよ? ダルモア市長は一連の事件の責任をギルハートさん一人に押し付けるかもしれないってことか?」
「その可能性は十分にあるわね。実行犯との仲介関連を彼女に一任して自らの手を汚さないのは、いざという時に蜥蜴の尻尾切りをする為でしょうし」
 ヒラガーを逮捕した王国軍も、彼の供述だけでは逮捕令状を請求できるのは実行犯の秘書のみ。市長に関しては任意同行が精一杯で家宅捜索すら難しいと伝えていた。
 尚、悔い改めた彼女が事件の全容を洗い浚い自供して、既に逮捕の兵がこちらに差し迫っている事実をエステル達は知らないので、このまま悪徳市長をのさばらせても良いのかと憤慨する。むろんヨシュアもここまで深入りして手を引くつもりは微塵もない。市長邸に乗り込んでの大博打に打って出るのを提案する。
「ここまで方々に策を巡らして、結局最後は出たとこ勝負というのも情けない話だけど、他に選択肢もないしトライしてみましょう。上手くやれば手持ちの材料の鎌掛けだけで市長を追い込めるかもしれないしね」
 完璧主義者のヨシュアにしてはあまり完成度が高いとはいえないアバウトな策略だが、ここまで来て否応がある筈はない。スクープの予感に心ときめかし強引に同行を申しつけたナイアルも含めて、一堂はルーアン市長を相手取っての最後の決戦を挑むことにした。

        ◇        

「なぜ君たちがまだルーアンにいるのかね? それよりも私は今大切な来賓の接客で忙しいのだが」
 色んな意味で想定外の招かれざる一行の来訪をダルモアは豪邸二階の大広間で迷惑顔で出迎える。隣室の応接間で待たせているのはお得意様のデュナン公爵で間違いないだろうが、自分の尻に火がついている現状で呑気なものだ。
 もちろんヨシュアはそんな態度はおくびにも出さずに得意の営業スマイルで、まずは相手の出方を伺う為に『ルーアン市長が用意した信用ある契約』の不備についての事情説明を求めた。
「そうか、やはり彼女の仕業だったのか」
 ヨシュアには遠く及ばないにしろ、ルーアン市長は中々の役者のようだ。違約金詐欺が失敗した吃驚を表層に現さずに高級そうなデスクの引き出しから書面の資料を取り出した。
「実は最近市の予算が使い込まれていて、調べてみたらギルハート君が手をつけたみたいなのだよ。まさか契約書の内容を改竄し詐欺師とつるんでテレサ院長を苦しめるとは公僕として許されざる行為だ。彼女には長い間目をかけてきたのに裏切られたような気分……!?」
 ダルモアの滑らかな二枚舌は、それ以上回転せずに急停止を余儀なくされる。ぶち切れたエステルの物干し竿が捏造資料越しに机に叩きつけられたからで、メキゴキと鈍い音を立てて自慢の高級デスクは粉々に打ち砕かれた。
「いきなり、何をするのだ? このマホガニー製のデスクは一体幾らすると思って……」
「はっ、一億ミラの負債に比べたら微々たるものだろ? それよりも、本当に呆れたクズだな、あんた。テメエのこさえた借金に無理やり巻き込んでおいて、マジにギルハートさん一人に全部責任をおっ被せるつもりだったのかよ?」
 遊撃士兄妹に懐事情を正確に把握されていたと悟らされたダルモアは、今度ばかりは動揺を隠せずに目の色を白黒させる。
「ふうっ、仕方がないわね」
 ネチネチとした誘導尋問で一つ一つ矛盾点を炙り出してやろうという目論見はいきなり御破算になり、ヨシュアは軽く両肩を竦める。エステルの性分からして、市長の不誠実な対応を目の当たりにすれば薄々こうなるであろうと察していたので、いっそ更にダルモアを沸騰させて暴走を引き出す方向に軌道修正する。
「市長さん、エステルが壊した高級机は後ほど弁済させていただくとして、クローゼの発案ですが他の家財一式は屋敷ごと売り払った方が宜しいのでは? そうすれば孤児院に手を出すことなく、身一つの綺麗な身体でもう一度やり直すことも可能ですよ」
「戯れ言を抜かすな、小娘! この屋敷は先祖代々から受け継がれてきたダルモア家の伝統と誇りだ。あんな焼け落ちた薄汚い掘っ建て小屋と一緒にするなあー!」
 マーシア孤児院を侮辱され、思わず激昂しそうになるクローゼをヨシュアは目線で抑える。
 今の暴言など、ほとんど放火を自白したも同然。市長からどんどんボロが出始めおり、自暴自棄に追い詰めるまで後ほんの一押しだ。
「ダルモア家の誇りと伝統ですか? そりゃ、代々ルーアンの市長職を任されてきたのですから奇麗事だけで勤まる筈はなく、中には犯罪すれすれの陰謀に加担された祖先もおられたでしょう。けど、それはあくまで市の最高責任者として市民を守るためで、保身とは違うのでは?」
 クローゼとのデートの待ち合わせ場所に使った三つ目の灯台には、『ルーアン史』という開港都市の歴史が刻まれていた。リベールの時の王が禁断の秘術を用い己が命と引き換えに不治の臣民を救った際、当時のルーアン市長は屋敷を担保に海外の投資家から多額の資金を調達し多くの難民を養ったという。
 その後、恩を感じた市民は市長と一致団結し市を盛り立て、多くの商売を成功させてダルモア家のシンボルである屋敷を買い戻すのに成功したと石碑に高らかと謳われていた。
「あなたが本当にダルモア家の誇りとやらを持ち合わせているのなら、祖先に倣って一端屋敷を手離して、もう一度自分の商才で取り戻せば良かったのよ。けど、装飾ばかりご立派で中身が空っぽの市長さんにそんな甲斐性などありはしないのを御自分でも判っているから、『先祖代々受け継いだ屋敷』という見せ掛けの虚飾に縋りついた。受け継がれるべきは物理的な豪邸などではなく、精神的な気高さなのではなくて? あなたのようにダルモア家の家訓を履き違えて辱めた落ちこぼれの子孫を輩出してしまって、祖先はさぞかし墓の下で嘆いていることでしょうね」
 最も効率良く人体を痛めつけられるのは、実は破壊を本職とする武闘家ではなく本来治癒を司る医者であるように、接待の達人のヨシュアであるからこそ、相手の自尊心を粉々に打ち砕く話術を心得ている。あまりのえげつない突っ込みの容赦の無さにシニカルなナイアルをして思わず市長に同情してしまう。
「ふふ…………ふふふふ……。よくぞ、そこまで言った、小娘が。もう後のことなど、どうなろうと知ったことか!」
 ヨシュアの思惑通りに自棄糞モードに突入した模様。ブチッという血管が切れる音がし血走った眼でヨシュアを睨みながら、壁にあったスイッチを押す。すると隠し扉が開いて、獣の咆哮と共に二匹の大型魔獣(プレデター)が姿を現した。
「何だ?」
「飼育された戦闘用魔獣といったところかしら。黒装束といいどうして悪人の方が魔獣と仲良く付き合えるのやら」
 ヨシュアは軽く嘆息したが、身体全体から発散される獰猛な臭気からしてロレントをうろついている雑魚魔獣とはレベルが違う。
「こやつらは何人ものハンターを返り討ちにした凶暴な手配魔獣の落し子で、殺処分される所を闇オークションで競り落として、ここまで育て上げた至高の逸品だ。殺れ、ファンゴ、ブロンコ!」
 主人の命に同調するかのように、二匹は雄叫びをあげる。反射的にエステルとクローゼは得物を構えるが、アヴェンジャーを展開したヨシュアが二人を制する。
「悪いけど、市長さんのペットと戯れ合うつもりはないわ。現行犯逮捕の口実も取れたことだし、一瞬で終わらせる!」
 そう高らかに宣誓すると、外連味もなく切札の『漆黒の牙』をいきなり発動。次の刹那、ファンゴの首が吹き飛んだ。
「馬鹿な!?」
 高ランク手配魔獣の遺伝子を受け継ぐ凶悪な子獣が成す術もなく殺られたのにダルモアは呆然としたが、闇の眷属の実力を熟知するエステル達からすれば既定の結末。ただ、肝心のヨシュアが双剣の手応えに微かな違和感を覚えて、周囲に警告する。
「エステル、クローゼ。多分一匹仕留め損なったと思うから注意して!」
 高アーツ耐性という希有な特性を発揮する機会を与えられないまま討伐されたファンゴとは逆に、物理に強い耐性を持つブロンコは首筋から血を噴水のように吹き出しながらも辛うじて首の皮一枚を残して生き残る。更には生首だけとなったファンゴが断末魔の咆哮を発し、手負いの弟獣を狂化させる。
 この種類の魔獣の最期の雄叫びには仲間のステータスを大幅に増幅させる効果がある。ヨシュアが穿ったうなじの傷がみるみると塞がり、更には只でさえ鋼のように固い皮膚が金剛石なみに強化される。
「ブ、ブロンコ………………ひっ……ひいいっ?」
 ただし、断末魔を浴びた魔獣は見境無しに暴れ狂う。かつての主人に向かって後ろ脚で食台を蹴飛ばして、思わず悲鳴をあげたダルモアはしゃがみ込んで食台を避ける。
「ちっ、この魔獣、完全にいかれてやがる。痛みも感じていないみたいだし、こりゃ手に負えないぜ」
 大木の幹に穴を穿つ破壊力を誇る『捻糸棍』の一撃を額に受けてもブロンコはケロッとしており、エステルは強く舌打ちする。
 既にSクフラトを放ってCPを遣い果たしたヨシュアは、しばらく参入できない。剛力のエステルで無理なら非力なクローゼでは尚の事ダメージは通らないが、自らの限界を心得ているクローゼは剣術に見切りをつけて、レイピアを鞘に納めるとアーツの詠唱態勢に入る。
「あれだけ物理防御力が高ければ、逆にアーツへの耐性の方は低い筈です。ダイアモンドダストで凍らせますから、壁役をお願いします、エステル君」
「判ったぜ、クローゼ」
 いかに鋼鉄のボディも凍結した状態でぶっ叩けば粉々に砕け散る。エステルは従来の役割に徹して、身体を張ってブロンコの攻撃を食い止めて時間稼ぎに入る。
 鉄壁の防御ほどには攻撃力の方はさほど上乗せされておらず、詠唱完了まで何とか凌ぎ切れそう。このまま撃破可能かと思いきや、余計な闖入者が出没し事態をややこしくし始めた。
「一体なんじゃ、さっきからドタバタとうるさいな。ダルモア市長よ、何時まで顧客を待たせるつもりじゃ? 私は気が短い…………ひっ……ひいいいっ…………ま、魔獣?」
 やはりというか、隣室にいた商談相手はデュナン公爵。待ちくたびれて痺れを切らし、フィリップの制止を振り切って大広間に顔を出したが、途端に魔獣と鉢合わせ大声を張り上げる。
「ぐるるるるぅ……があああ……!」
 甲高い悲鳴に刺激されたブロンコはクルリと身を翻すと、エステル達と逆方向の公爵に向かって突進する。
「ひょ……ひょええええ…………! ま、待て、金か? ミラなら幾らでもやるぞ。だから…………うーん」
 デュナンが懐から分厚い札束をチラつかして命乞いするが、猫に小判というか魔獣に買収効果などある筈もなく、ブロンコは突撃のスピードを緩めない。
「閣下、危ない!」
 自己防衛本能に従い泡を吹いて気絶したデュナンの前に執事が身を挺して立ち塞がる。
 命を捨てて主を守る盾となる覚悟。詠唱が間に合いそうにないクローゼは数瞬先に発生するであろう惨劇に歯噛みするが、ようやくSクラフトの硬直状態を解除したヨシュアが、「クローゼ、借りるわよ」と彼のレイピアを脇差しから引き抜いてフィリップに向かって放り投げる。
「かたじけない、ブレイサーのお嬢様」
 得物を手にした途端、剣狐の気配が一変する。
「はぁぁぁぁぁっ………………! せえいやぁぁぁぁっ!」
 フィリップの老体に他を圧する気迫が籠もる。まるで翠耀石(エスメラス)の内部に閉じ込められたと錯覚せんばかりの緑色の闘気の渦がブロンコの身体に纏わりついて金縛りにする。
「参りますぞ、秘技エスメラスハーツ!」
 そう叫ぶと同時にブロンコの身体を拘束した闘気ごと纏めて斬り捨てる。硬い魔獣の皮膚が豆腐のように斜めに引き裂かれて一刀両断される。
「凄い、これが対人に特化した大陸有数の単体Sクラフト!」
 あまりの桁違いの威力にヨシュアをして驚愕を隠せない。恐らくあの闘気の檻に捕らわれた敵の物理的な抵抗力はゼロとなる特性を持ち、その檻ごと敵を葬り去る文字通りの一撃必殺技。
 そうでなくては護身用のレイピアとフィリップの枯れ枝のような細腕で、あの金剛石の魔獣の肉体をいともたやすく貫ける筈はない。これもカシウスが到達した剣の頂きとは全く別の理(ことわり)の境地。
「STR(攻撃力)がなくても、固いDEF(防御力)を無効化する方法は幾らでもあるわけね。アウェンジャーの性能に頼っていた私はまだまだ未熟ね」
 その未熟な雑魚専にすら勝てないエステルの立つ瀬がないような謙虚さを口走ったが、それが率直な感嘆の感想。
 自分もまた剣狐とは違った漆黒の牙なりの遣り方で物理防御力を無視してダメージを与えるクラフトを昇華させようと非力な少女は心に秘める。ただ、その神技を披露した老狐にしても身を削るような思いで解き放った禁断の技だったようで、グキリと妙な音を響かせると前のめりにぶっ斃れる。
 「こ、腰が……」と呟きながら尺取り虫のように倒れ込んでいる。今の戦闘の負荷が祟って持病のぎっくり腰を悪化させた。
「叔父さん、フィリップさん。大丈夫です……」
「時よ、凍れ!」
 正体を隠す猶予もなく近親者の身の上を案じたクローゼは不発に終わった詠唱をキャンセルし二人に駆け寄ろうとしたが、ダルモアのくぐもった声を響きわたると同時にその場に金縛りに合う。
 辛うじて首を動かすと、しゃがみ込んだダルモアがこちらに向けた杖から異様な導力が周囲に発せられており、この場にいる全員がその場に縫いつけられている。
「何だ、身体が動かねえ、これは導力魔法(オーバルアーツ)か?」
「違います、エステル君。多分、これは古代遺産(アーティファクト)の力です」
「ふふっ……その通りだ。これこそがダルモア家に伝わる家宝『封じの宝杖』。一定範囲内にいる者の動きを完全に停止する力がある」
 ヨシュアの魔眼も似たような遅延の効能を持つが、ある程度のランクの相手からはキャンセルされ易いのと異なり、一つの機能のみに特化したアーティファクトはどんな高レベルの達人でも動きを封じられる。
 その証拠にクローゼやエステルはおろか、様々なステータス異常に強い耐性を持つヨシュアでさえも指一本動かすことが叶わず、柄にもない冷や汗をかいている。
 ダルモアは勝ち誇った表情でノロノロと起き上がったが、ここまでの経緯を思い出して途端に苦虫を噛み潰した。
「お前たちがここまで確信を以って動き回っている以上、王国軍にも露見してしまったと見るべきだろうな。もはや市長の座をかなぐり捨てて海外にでも高飛びするしかあるまい。だが……」
 憤怒の視線で一堂を見回すと、懐から護身用の小銃を取り出す。
「私から全てを奪い去った貴様らだけは、絶対に許さん! 特に私を侮辱した小娘、お前は尚更だ。目の前でまずは小童どもを撃ち殺し、その後に絶望の縁で直ぐに冥府に送ってやる!」
 血走った眼でそう叫びながら、エステルの額に照準を合わせる。逆恨みここに極まりだが、あれたけ虚仮にされれば報復衝動に駆られるのは自然な話。もはや、正論も恫喝も市長には通じそうにない。
 身体がマトモに動くならエステルはジョゼットの弾丸を弾いた実績もあるが、いくらタフな彼でも無防備状態で急所に銃弾を喰らえば即死は避けられない。
 『封じの宝杖』の範囲外に位置する公爵とフィリップは共に再起不能状態で助力は期待できそうになく、この場にダルモアの暴挙を押し止められる者は一人もいない。
「ねえ、ダルモア市長。私から一思いに殺してくれる? できることなら『綺麗な身体』のまま死にたいから……」
 ヨシュアが諦観の表情でそう告げると同時にダルモアの目の色が変わる。自分の言葉が好色な市長に与える影響を全て悟った上で、そう挑発した。
「ほうっ、随分と遊んでいるように見えたが、まだ生娘なのか?」
 自らの嗜好を満たした上でもっと効果的な復讐方法を見出したダルモアは、小銃を仕舞い込んでヨシュアの目の前までくる。全身にぴったりと密着した八卦服に身を包んだ少女の艶やかな肢体を上から下まで嫌らしい目つきで眺める。
「ヨシュアさん?」
「てめえ、ヨシュアに何するつもりだ!」
「ふん、決まっておろう。お前達の眼前でこの娘を女にしてやるのだ。義兄やキスまでした男の前で辱められるなど、これ以上の屈辱は他にあるまい」
 嗜虐に打ち震えた表情でそう宣言すると、もはやダルモアは二人に頓着せずに八卦服のボタンを一つ一つ外していき、ヨシュアの上半身を裸にひん剥いた。
 マネキン人形のように無表情のまま微動だにしないヨシュアの白い肌が露わになる。更に乱雑にブラジャーが剥ぎ取れて、少女の豊満な乳房とピンク色の乳首が衆目に晒された。
 「ヨシュアさん…………」
 異空間でも拝めなかったヨシュアのトップレスが披露される。いけないと知りつつも少女の白雪のような裸体から目が離ないクローゼは、敢えて今の苦境を自ら造り上げた少女の本意を悟らざるを得なかった。
 一秒でも長く二人の処刑を先延ばしする。そうやって徒に時を稼げば別の来訪者が訪ねて来るなど、やがて事態が好転する可能性も僅かながらに存在する。
 合理主義者の普段のヨシュアなら一笑に付したであろう、そんな当てのない希望に縋って、何も持たない月兎が自ら火の中に飛び込んだように我が身を人身御供に差し出した。
「おい、止めろ。テメエ。これ以上、ヨシュアに触ったらぶち殺すぞ!」
 恐らくは初めて遭遇した義妹の絶対絶命を面前にエステルがいきり立つが、実効力を持たない口先だけの脅迫などで今更市長の狂気を止められやしない。
 煩わしそうにエステルを一瞥しただけで直ぐにヨシュアの裸体に視線を戻して、能面を維持する少女の顎先を杓った。
「ふふっ……、お前自身が屑と罵った最低男に辱められる気分はどうだ?」
「あまり良い気分じゃないわね。けど、あなたのこの下種っ振りを鑑みるに、秘書さんはさぞかし辛い思いを強いられただろうから、遅かれ早かれ口封じに処分する機会を伺っていたわけね?」
「ふんっ、どこまでも舌と頭がまわる娘だ。破瓜の瞬間までその減らず口が叩けるか確かめてやる」
 そう死刑執行を謳いあげると、マニアックにもスカートを残したまま内部に手を伸ばして下着を脱がしにかかる。
(やっぱり駄目だったか……)
 一縷の望みを託してヨシュアは目を真紅に光らせてみたが、予想通りダルモアには効果がない。やはり性欲と好意とは似て非なる感情らしく、市長はヨシュアの魔眼の発動条件を満たさない。
 ただ、おかげで意外な事実が明かされる。ダルモアの瞳もヨシュアの魔眼に反応して真っ赤に染まっており、既に『あの女』の洗脳を受け人格を改変されているらしい。今の凶行に市長本来の嗜好が混じっていないのか甚だ怪しい所ではあるが。
 最もそれが判明した所で、今の危地を切り抜ける足掛かりとはならず。既に下着は踝の先まで下ろされており、更には誰にも触れさせたことがなかった秘密の場所に魔の手が伸ばされる。
「エステル……」
 切ない声ではじめて少女は少年の名前を呼ぶ。魔眼を収束させた綺麗な琥珀色の瞳が、正面からエステルを見つめた。
「ごねんね……」
 恐らくは無念の想いを内に秘め、少女の意図に反して流された一筋の雫に以前も感じた針を刺すようにチクリとした痛みがエステルの心を貫いた。
(ヨシュア……俺を助けるために身体を張った義妹の窮地を前にして、俺は何もできないのか? 効果がないと分かり切った脅し文句で、ただ子供のように喚き散らすだけなのか?)
「……ちくしょう。畜生、畜生ー!」
「エステル君、ヨシュアさん」
「くそ……、この手が動けば、ヨシュアのヌードをカメラに納めて……」
 この時、少年は生まれて初めて純粋に義妹を助けられる力が欲しいと願った。
 そんなエステルの真なる願いに反応するかのように、少年も少女も存在すら失念していたとある物から漆黒の光が放たれて周囲を浸食する。
「な、何だ、この光は?」
「まさか、父さん宛てに届いた謎のオーブメント?」
 エステルが反射的に懐を弄って半球状の黒い導力器を取り出し、同時に重要なことに気がついた。
「身体が動く?」
「馬鹿な、家宝のアーティファクトの力が………………はっ?」
 ダルモアは恐る恐るヨシュアを見上げると、琥珀色のジト目と目が合った。
「ぐげぶぱあっ! な、何故、見えない?」
 それがダルモア市長の最期の言葉だった。ヨシュアは乳房を両腕で隠したまま下着が引っ掛かったままの左足を180°の角度に大きく蹴りあげて、ダルモアの大事な所を強かにキックする。
「ふーん、確かに、これもまた理(ことわり)の一端ではあるわね。あくまで殿方限定だけど……」
「うわー、痛そうー」
 少年たちのダルモアへの怒りと憤りは一瞬にして同情と憐れみに取って代わられた。
 この手の喧嘩馴れしていたアガットはまだ強弱を会得していたが、ド素人のヨシュアに匙加減など判ろう筈もなく。グチャっという鈍い音が響いており、もしかすると睾丸が潰されたかもしれない。
 まあ、仮に本当に異能の術者に操られていたとしても、ヨシュアに働いた痴漢行為の数々を思えば自業自得の顛末ではあるのだが。
「動くな、ダルモア市長! 既に秘書が放火に強盗、収賄など全ての悪行を自供している。大人しく投降しろ………………あれっ?」
 例によって修羅場の援軍は図ったようなタイミングで事が全て成し終えられてから到着するものと相場が決まっているようだ。
 駆けつけた王国軍の兵士たちは、着崩れした八卦服の内側でモゾモゾと下着を履いている黒髪の少女。更なる闖入者にどう対応して良いのか判らずに肩を竦めている男衆。泡を吹いて失神して倒れているルーアン市長や公爵の姿を発見し困惑する。

 かくして、ルーアン市を股にかけた最終攻防戦はダルモア市長の電撃逮捕で呆気なく幕を閉じ、一連の事件に終止符が打たれる。
 これで兄妹の開港都市の最後の心残りは、友誼を築いた少年との別れを残すのみとなった。



[34189] 15-00:海都夢譚(ルーアン編エピローグ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/19 00:01
「以上が、マーシア孤児院の放火から始まった一連のクエストの顛末です」
 王国軍相手に一通りの事情説明を終えて、市長邸からルーアン支部に戻ってきたヨシュア達は受付のジャンに口頭報告する。
 土壇場での軍介入は前回と同じ顛末だが、ボースの時とは意味合いは異なる。今回はギルハートの自供で純然たる司法の兵が差し向けられたので、エステル達の手柄が横取りされることはない。
「まさか本当に先輩が自供していたとは予想していませんでした。やはりエステル君の『世界を広げる可能性』に触れた成果でしょうか?」
「何となく判る気もするわ」
 意外そうなクローゼに対して、ヨシュアが恒例のジト目でエステルを眺めながら、悔い改めた彼女の心理状態の変化に一定の理解を示す。
 エステルという少年は、時に磁場のような求心力を発揮し周囲の人間を魅了する。
 こういうのを世間では所謂『主人公体質』と呼ぶそうで、不器用ながら身体を張り親身になってくれる姿は異性からはさぞ頼もしく映るらしく、あまり良縁に恵まれなかったであろう秘書さんがその魅力に抗するのは困難。
(本人には全然そのつもりがないから、より一層性質が悪いのよね。長い付き合いのティオとエリッサがチャームの魔法を掛けられたのは自然な流れだけど。これからの旅中で訪れた都市でフラグを乱立させるつもりなのかしら?)
 そう呆れたが、恋の魔術云々はヨシュアも例外ではない。何よりもフラグというなら当人の方はジョゼット、クローゼ、オリビエ、(エジル?)など枚挙に暇がないが、こっちはキチンと相手の好意を理解した上で体よく遇うつもりなので、エステルのような無意識化の罪を重ねることはない。
「それよりも気になったのは、その黒いオーブメントね。父さん宛の曰く付きの一品であるのは判っていたけど、まさかアーティファクトを無効化する程の性能を備えているとは想像以上だわ」
 エステルが抱えている漆黒のオーブメントをヨシュアは薄ら寒そうに見つめる。そのおかけで貞操の危機を脱したのではあるが。まあ、それはそれということで。
 金属の艶具合から最近製造されたものであるのは間違いないが、大陸法で登録を義務づけられた形式番号(キャリバー)すら刻まれてない非正規品で、何らかの後ろ暗い目的で非合法に生み出された可能性が高い。
 となれば既に推薦状も手にしてマーシア孤児院を巡る陰謀にも決着をつけたので、例のメモ書きのR博士と思われるラッセル博士に解析を急いでもらう必要があるかもしれない。
「ふーん、それじゃあ名残惜しいけど、今度こそ本当にツァイスに出発するわけかい?」
「はい、只その前にこの街でお世話になった人達にお詫びも兼ねて挨拶したいので、この場で簡単なホームパーティーを主催させてくれると有り難いのですが」
 詫びというのは、損な役回りを押し付けたマリオとカンナバーロの二人だろうから、その催促をジャンは快く承諾する。クエストの事後処理を受付に一任すると、ヨシュアは築地に鮨ネタの買い出しに行く為に一階に降りていく。
 ただ、この時のヨシュアの顔色があまり良くないように見受けたエステルは、荷物持ちの手伝いをしてくるという名目で後を追い掛けた。

「おい、ヨシュア…………」
 一階に降りた途端、尋常でない義妹の姿を発見したエステルは、慌ててヨシュアを抱き締める。まるで氷点下の寒空に裸で身を乗り出したかの如くガタガタと震えていて、触れた肌を通じて少女の恐怖心が直に伝わってくる。
「どうした、ヨシュア? 顔色が真っ青だぞ」
「エステル、私本当に怖かった…………」
 ダルモアの前で辱められた時すら鉄面皮を維持していた孤高の戦士が、信頼する義兄と二人っきりになった刹那、初めて年相応の少女らしい弱みを見せる。
「こんな…………恐ろしい思いをしたことは、ほとんどなかった。自分の力でどうにもならない事態に放り込まれるなんて、今日までの人生で二回ほどしかなかったから……」
 気丈な筈のヨシュアの意外な打たれ弱さにエステルは面食らう。なまじ巨大な力を有するが故に起算の範囲内で終結しない運任せの事象に追い込まれた体験が絶対的に不足していた。
 毎回出た所勝負で綱渡りのような半生を生き抜いてきたエステルからしてみれば、大層贅沢な悩みではあるのだか。
(親父が言っていた、強いけど弱いってのはこういう意味か)
 今度の事件は多くの修羅場を潜ったように見せて、その実、出来レースを消化していたに過ぎないヨシュアが味わった掛け値なしの窮地。そこまで少女を追い詰めたのは敵のダルモアではなく、義妹の無謬性に頼りきっていたエステル自身である。
 だから、在り来たりの慰めの言葉を掛けずに無言のまま強くヨシュアを抱き締める。本当の意味で家族を守れるように、今以上に強くなろうと心に誓って。

「最初から、僕が入り込める隙間は無かったということですか。本当に思わせぶりな態度でヨシュアさんも人が悪い」
 階段の陰から血の繋がらない兄妹の抱擁の一部始終を見届けたクローゼは、二人に声を掛けることなく二階に戻る。
 既に骨身に染みていたことであるが、『白い花のマドリガル』に次いで市長邸での一事で彼女の義兄が替えの効かないたった一人の思い人である現実を再度思い知らされ、ズキリと失恋の古傷が疼いた。
 まだ、二人の仲を無条件に祝福できるほど大人になれそうにないが、せめてルーアンからの門出だけでも笑顔で見送ろうと胸中に秘める。

        ◇        

 その夜、ギルドの二階でささやかな送別会が催された。
 お題目は明日ツァイスに旅立つ兄妹のお別れパーティーであるが、実質は戦略上貧乏籤を引かせてしまったカンナバーロ達を労う慰安祭。主賓のヨシュア本人が接待役を務めている。
 ただし、マリオらの見解もアガットと等しく、失態を招いたのはあくまで自分たちの未熟さに起因するので、謝罪の必要は無いと笑って水に流してくれた。
 シクシクと真珠の涙を零しながら懺悔するヨシュア(※当然嘘泣きだが)を面前にして真っ当な感性の殿方が強く出れよう筈もなく。ボースで少女の別人格のカリンから情報を根こそぎ強奪された件といい良いように弄ばれている感があるが、対価として時価一万ミラ相当の江戸前寿司をご馳走になったので収支はトントンといった所であろうか。
「ヨシュアが鮨を握ると聞いた地点でもしやと……思ったけど、やっぱり招待されてない客が何人か混じっているな」
 結局、学園では食べ損なってしまった大トロをがぶ喰いして脂の乗り具合を堪能しながら、義妹の周囲に集ったアウトローをチラ見する。
「もう、ヨシュアさん、酷いですよ。あの場でいきなり放置プレイを喰らって、わたくし穴があったら入りたい状態でした」
 今度はマトモな私服姿のメイベル市長が好物のイクラを頬張りながら、ツンツンとヨシュアの左側の頬を突っ付き、メイド服姿のリラが主人に倣って右頬をプニプニと引っ張る。
 あんな醜態を演じて負け犬のままオメオメとボースには帰れないと、未練がましくルーアンの地をうろついていたら、再びお寿司にありつけるという慎ましい幸運に恵まれたようで、市長さんの行動原理はもはやお笑いキャラの域に昇華しつつある。
「ダルモア市長とギルハート先輩のことは本当に残念でした。汚名返上という訳ではないですが、これも何かの縁ですしマーシア孤児院の再建はわたくしに任せてはいただけないでしょうか? もちろんキチンとした契約書も用意させますわ」
「メイベル市長になら、安心して託せます。これで後顧の憂いなくルーアンを旅立てるしご厚意に感謝します」
「こういう時は篤い友情に感謝しますと言ってくださいまし。わたくし達は親友でしょ?」
 何とも心温まる会話が聞こえてきた。営業スマイルでなく照れ笑いしている家族の微笑ましい光景に、エステルも嬉しくなってくる。
 やはり人間孤高を気取るよりも、数は少なくとも気心の知れた友人を作った方が良いのは議論の余地すらない。
「ふっ、仲良きことは美しきかな。メイベル市長のような大物を懐柔するとは流石は僕の未来の花嫁だね」
 やはりというか、呼ばれてもいないのにさも当然のようにオリビエもこの場に顔を出し、優雅な手付きで煮汁タップリの穴子鮨を摘む。
 守備範囲が極めて広い博愛主義者は、ついさっきまではマリィに本気でモーションを掛け、将来嬢王を志す幼女から軽くあしらわれていた。
 クエストの関係上、保護者のシェラザードは既にロレントに蜻蛉返りしたので、まさかヨシュアに小判鮫のようにツァイスまで同行するつもりかと勘繰ったがそれは杞憂のようだ。
「ふっ、本来はそのつもりだったが、やはり文無しで旅をするのもどうかとヨシュア君に諭されたのでね。観光も兼ねてこの都市でバイトをすることにしたのだよ。僕の特技を活かした上でお寿司が食べ放題という僕好みの仕事があるらしくてね」
 オリビエはジュルリと舌舐りし、逆にエステルは不審そうな表情を隠せない。
 腹黒娘の紹介という地点で胡散臭さ爆発。長老も学園の鮨模擬店の大繁盛振りを聞いて築地に寿司店舗をオープンさせようか検討しているそうだが、職人の配備など現実的な問題が山積みなので当分先の話だ。
 故に現在リベールには回転寿司すら存在せず。だからこそメイベルのような金持ちですら、あの手この手で忍び込んでくるのだが、無い鮨をどう食べさせるのやら。
 ましてやオリビエの芸能は演奏なのだろうが、それがどう古風の寿司店と結びつくのかさっぱり想像もつかない。善良なクローゼですら、保身の為に身につけざるを得なかった『疑う心』をヨシュアに対して持ち合わせていない道化者は、食い放題という薔薇色の未来に心ときめかせ舞い上がっている。

        ◇        

 同じ頃、ロレントに帰参したシェラザードは居酒屋アーベントに顔が出した。お気に入りの地酒をたらふく浴びると、メイドのバイトをしていた幼馴染み二人に旅先のヨシュアから預かっていた手紙と荷物を手渡す。
 手紙は部屋でゆっくりと読むとして、早速プレゼントの中身を検分。エリッサは「あら、可愛い」と表情を輝かせて、逆にティオは首を傾げる。
 エリッサのギフトはジェニス王立学園のジェニスブレザーで、実はヨシュアのお手製。
 お古を台無しにしたヨシュアの所業(※というよりは寸胴について馬鹿にされたのを)を根に持ったジルが校則を盾に常時ブルマ姿を強要させたので、男子生徒の好奇と視姦の視線に耐えきれなくなったヨシュアが学園生活を乗り切る為に自作した。
 ジョゼットの着ていたレプリカよりも遥かに精巧で本物と寸分違わぬ出来栄えだが、学園祭のクエストも満了し必要なくなったので親友に贈呈することにした。
「エリッサのはまだ判るけど、私には何よ? もしかして黒下着?」
 ティオに手渡されたのは、白いシャツとある意味学園祭の真の主役だったブルマとのセット。ご丁重にシャツの胸部分には、『2-5 ティオ』という名札まで縫われている。
 不可解そうな仕種でブルマを掲げたティオは当初のエステルと全く同じ感想を抱いたが、シェラザードから学園の女子は皆この姿で体育をしていると聞いて唖然とする。
『今日まで散々恥ずかしい思いをしてきたと思うけど、これからは特別にバイト中のブルマの着用を許可する』
 との簡単な添え書きがあり、ティオは怪訝そうな表情をしながらメイドスカートの上からブルマを履いてみる。
 一応オーバーパンツということだが、普通に生下着を見られているのと大差ない気がするのは本当に錯覚なのだろうか?
 まあ物は試しということで、翌日の営業から二人は馴染みの猫耳メイド服でなく、ヨシュアのプレゼントに着替えてみることにしたのだが。

「ますますお客の目が嫌らしくなってきたよぉー」
 以前とは比較にならない視姦の集中豪雨に晒されたティオは、必死にシャツを伸ばしてブルマ隠しを継続しながらも、泣きそうな顔をする。
「おおっ、まさか王立学園に続いて、こんな辺鄙な場所でもブルマを拝めるとは」
「都会娘もいいけど、素朴な田舎娘の太股も風情があって良いものですなー」
「田舎娘言うなー!」
 ティオは真っ赤になって抗議したが、反って相手を興奮させるだけ。給仕のお盆でブルマを隠したまま縮こまってしまうが、そういう初々しい恥じらいの反応はますますマニア心をソソル。
 彼らは例の学園祭を訪れた帝国客だ。折角リベールを訪れたのだからと隣街にも足を運んでみたら、更なる僥倖に巡り逢えた。しばらく、のんびりとこの街に滞在しようと心に誓う。
 もしかするとヨシュアはこれを狙って学園アイテムを贈りつけたのかは不明だが、親友を辱めようという悪意ではなく苦難を分かち合うのか真実の友情なので、自分がルーアンで味わった羞恥心を心の友にも共感してもらおうと思ったのだろう、多分。
「いやー、流石はヨシュアちゃんだ。最近猫耳メイドもマンネリになったのか少し売上が落ちていた所だし、しばらくはティオちゃんはそのブルマの恰好をユニフォームにするか」
 満足そうにウンウンと頷いていたエリッサの父親のデッセル店長がとんでもない命を下し、ティオはガーンという擬音を発して石化する。
 ただ、ティオにとって不幸中の幸いなのは、清楚な都会の女子制服に着替えたエリッサにもブルマニスト以外の真っ当な男性客から再注目を浴びるようになり、邪な視線が以前より幾らか分散されるようになったことだろうか。
 おかげで居酒屋アーベントの収益は黒字決算で盛り返せたが、幼馴染みの少女たちの受難は続く。

        ◇        

 翌日、ツァイス地方へ向かうために、カルデア隧道という地下トンネルのあるエア=レッテンの関所を二人は訪れる。見送りはクローゼ一人だけ。
「長いようで過ぎてみると本当にあっという間だったけど、実りのある学園生活だったな」
 「勉強は今でも苦手だけど」と付け加えるのを忘れずにエステルは感慨にひたり、クローゼも同調する。
「確かにそうですね。けど、何だか全てが遠い夢物語だったような気もします」
 穏やかだけどどこか退屈だったここ二年の灰色の学園生活に比べて、この一月はあまりにも充実して壮大な出来事が起こりすぎた。全てはアラビアンナイトのような架空の絵空事だったのではと正気を疑ったが、ヨシュアは柔らかい手でクローゼの掌を握りその温もりが現実であるのを訴える。
「夢譚なんかじゃないわよ、クローゼ。学園祭で色々頑張ったことや紺碧の塔での大冒険も含めてね。この海都での主役は紛れもなくあなただったからもっと自信を持ってもいいのよ」
「ヨシュアさん……」
「さよならなんて、しんみりとしたお別れの言葉は言わないわよ。私たちが最後の推薦状を目指して王都を訪れる頃は多分生誕祭の季節。その時にグランセル城でまた会える。そうでしょう、クローゼ?」
「もちろんです。今度は逃げないで頑張ってみます」
 去年までの生誕祭を欠席し続けた引き籠もりの王子様は、そう生真面目に誓約する。
 今年こそは王太子殿下が五年ぶりに公の場に姿を現す記念すべき年になりそうで、その際にはエステルは親友の本当の真名を知ることになる。

 かくして別れはあくまで一時的なものということで、手を振るクローゼに二人は挨拶し、意外にあっさりと導かれし者たちは袂を分かつ。
 エステル達がクローゼと再び巡り逢うのは、王都が未曽有の繚乱に包まれる時である。

        ◇        

「はて、ここがヨシュア君が地図で書き記してくれた所だが、それらしきバイト先は……」
「おい、そこの帝国のチャラチャラした小僧。お前が嬢ちゃんお墨付きの演奏家が? ならボサッとしてないでサッサと船に乗れ!」
 築地市場の船着場で困惑するオリビエに、長老がガナリ声をあげながら漁船を指差す。
 船内では古参の船乗りにどやされながら、レイヴンの面々が必死こいて船出作業手伝わされている。
 先の事件は冤罪ではあるのだが、司法が魔眼による洗脳云々の与太話を信じてくれるなら、カプア一家がハイジャックの罪を問われることもない。
 マノリア村の多くの人間が彼らの襲撃を目撃し、普段の悪評も相まって保護観察処分は免れず。結果、更生活動の一環として過酷な漁船労働に服して、海人に一から根性を鍛え直してもらうという話の流れとなる。
 いみじくも、以前にエステルが発案したニート矯正法が採用された形となった。
「彼らは分かるとして何で僕が? 僕の得意の演奏を役立てた上で寿司食べ放題というから、僕はここに来たんだよ」
「実は最近、クラーケンに関する古文書が見つかってな。何でも『人魚の子守歌』という曲目を奏でると海の悪魔は退散するそうなんじゃが、音楽の嗜みのある漁師などいるはずもなく、そこで嬢ちゃんがお主を推薦したんじゃ」
 鮪は釣れた都度好きに食すれば良いが、漁船に貴賓席など存在しない。クラーケンが出没しない限りはレイヴンと同じ見習いの待遇で馬車馬のように働いてもらうと、気取り屋のオリビエには死刑執行に等しい宣告が成される。
「冗談じゃない。デリケートでナイーブな僕がこんな男臭くて揺れ捲くる不衛生な漁船に乗せられたら、三日でストレス死してしまう」
 顔色を青ざめさせながら脱兎の如く逃げ出そうとしたが、両腕を屈強な船乗りに掴まれて強引に漁船内へと拉致される。
「あいにくとレイヴンの連中の分も含めて、紹介料の代わりに既に嬢ちゃんには寿司ネタを手渡したから今更キャンセルは効かないな。まっ、とりあえずはお前さんが昨日食べた寿司分はきっちりと落とし前をつけてもらうぜ」
 昨日の立食パーティーで振舞われた数万ミラ分の鮨の材料費は、オリビエ達の仲介手数料から賄われたらしい。
 相変わらず要領が良いというか、それとも悪辣といべきか。ヨシュアに誑かされた殿方はマグロ漁船に売り飛ばされる悪女伝説は真実だと立証された。
「謀ったな、ヨシュアくぅーん? けど、そんな容赦のない小悪魔みたいな君もまた好きさー」
 たらふく寿司を平らげたオリビエは前払い分ということで、自業自得の面がなきにしもあらず。リュートでドナドナのメロディーを奏でる辺りまだ余裕があるみたいだが、レイヴンの面々は以前の恨み分も含めて沸騰する。
「あのアマ。ふざけやがって。陸に舞い戻ったら草の根分けてでも探し出して、絶対に仕返ししてやる」
「ひゃーはっはっはっは。可愛さ余って憎さ百倍。次に会ったら、その短いスカートを捲っちゃうよ」
「右に同感だが、それまで俺たち生きていられるのだろうか? うぷっ、揺れが激しくて早速吐き気が……」
 一応エステル達の活躍とヨシュアの計らいで彼らは最悪の監獄入りを免れたのだが、物事の表面的な事象しか認識できない単細胞たちはそんな裏事情は露気づかずに各々報復を決意。その復讐心を糧に必ず生きてルーアンに地を踏もうと心に誓った。

 かくして、オリビエとレイヴンを乗せた漁船はルーアン港を旅立った。彼らもクローゼと同じタイミングで王都に出没し、後の騒動に一役買う事になる。



[34189] 16-01:漆黒の福音(Ⅰ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/20 00:01
「やあ、僕だよ。敬愛な幼馴染みよ。今どこにいるかって? おお、よくぞ聞いてくれました。実は只今、僕は屈強な大男達に漁船に拉致されて、大海原の真っ只中に…………。えっ? 宰相の手の者に落ちたのかって? 目下、高速飛行艇で国境付近の海域を航行中だから、直ぐに救助隊を編成しレベルD(殺傷認定)の装備許可を申請して………………って、待った、待った。相手は猟兵団(イェーガー)じゃなくて気性が荒いだけの普通の漁師なんだから、正規軍に手荒な真似されたらリベールとの外交問題に発展してしまうよ」

「何で一般の漁船に潜り込んでいるのかって? ああ、これには聞くも涙、語るも涙の物語がありまして…………。えっ? もしかして、前回の美人局の延長かって? ふっふっふっ、鋭いな。流石は心と身体が繋がっている僕の半身だけはあるね。実際は当たらずとも遠からずといった所なんだけどね」

「男所帯の魚臭い漁船の空気に僕のデリケートな神経はそろそろ限界でさ。近くを飛んでいるのなら、是非迎えに来てちょうだ………………えっ、放っておく? なして、どうしてなのさ、魂を共有する者よ? 何々? それこそが、こちらからミラを支払ってでもお前に味わせたかった下々の苦労だから、精々馬車馬のようにこき使われてこいって? そりゃないよ。ブルーカラーは僕の主義に反するのは承知しているでしょうに」

「………………ちょっと失礼。何か凄い勢いで波が迫り上がっているのだけど。ちゅうちゅうたこかいな、ちゅうちゅうたこかいな…………わおっ、とっても、でっかいオクスパスですよー。いやあ、クラーケンって迷信でなく本当に実在していたんだね。それとも、例の結社の何たら工房とやらで生み出された生物兵器だったりするのかね?」

「落ち着きたまえ、皆の衆。漂白の詩人オリビエ・レンハイムの神々の調べをとくとご覧あれ。ジャンジャカジャーン、『人魚の子守歌』。さあ海の底へ帰りたまえ、哀れな迷い蛸よ。あれっ、全然効果がない?」

「失敬な、僕の演奏にミスがある筈ないでしょうに。そもそも、あんな眉唾な古文書を鵜呑みにするからこんな羽目にって…………責任の擦り付けあいをしている場合じゃないか。赤い壁がどんどん狭まってくるし、なんかマジでヤバくないですか?」

「S.O.S、 S.O.S。このままじゃ漁船もろとも海の藻屑にされてしまうから、今直ぐスクランブル戦闘モードでこちらに…………えっ、クラーケンなんて御伽噺で現実にいる筈がない? 何時もみたくおちょくっているだけだろうが、もっと信憑性のある法螺を吹けって? はっはっ……何だが狼少年になった気分だね。やっぱり普段の生活態度を改めないと、いざっていう時に信用してもらえなく………………って反省している時じゃない。たとえ九十九回の偽情報に踊らされても、たった一度の真通報を逃さない為に無駄骨を折り続けるのが警察であり軍人であり親友でしょう。今度は本当なんだから信じておくれよ。多くの人間の命が懸かっているんだよ」

「とにかく、僕はまだこんな所では死ねない。リベールを旅して、学園祭を心ゆくまで堪能し僕は確信した。人は国はその気になればいくらでも誇り高くあれるし、学童時代からずっと目をつけていたアレはやはり大変素晴らしいものだった。だから、僕は帝国からブルマを廃止した冷血にして大胆不敵な改革者の鉄血宰相を退治し、帝国の学舎に再びブルマを復活させ祖国の同胞のブルマニストに人の気高さを取り戻し………………あれ、切れた?」

「もしもし、今のは冗談……でもなくてわりかし本気だけど、ピンチなのはマジなんだってばさ。お願いだから切らないでおくれよ、心の友よ。もしもし? もしもーし!?」

        ◇        

 エステル達がツァイスに旅立った前日のこと。
 バレンヌ灯台から逃走した黒装束の二人は視界と足場の悪いクローネ山道に逃げ込み追跡者を巻こうとしたが、アガットはセンサー付きの魚雷のように標的を見失うことなく二人を追い続ける。既にこの鬼ごっこは一昼夜ぶっ続いて、周囲は完全に日が落ちている。
「はあはあ、何てしつこい女だ」
「常人には想像すら及ばぬ過酷な訓練に耐え抜いてきた我ら特務兵が振り切れんとは。そもそもあんなバカでかい大剣を担ぎながら、どういう足腰しているのだ?」
「はっ、鍛え方が違うんだよ。元々獣道は俺の庭場みたいなものでお前らは最初っから戦略を見誤ったんだ」
 アガットの宣告通り、こちらの体力は限界に近いが女遊撃士の息づかいにはまだ余力が感じられる。体力馬鹿のエステルにも匹敵する無尽蔵のスタミナ振り。
 二人がかりでの迎撃も考えたが、一人は片腕を負傷しており実質はタイマンのようなもの。疲れ切った彼我のコンディション差を考慮すると真っ向勝負は分が悪い。
 最悪、負傷した側が自決覚悟で食い止めようと悲壮な決意を固めた次の瞬間、彼らのよく知る声が希望を齎した。
(お前たち、ここは自分が食い止める。そのまま駆け抜けて合流地点に向かうが良い)
「た、隊長、来て下さったのですね」
「了解であります、隊長!」
 姿が見えぬ声の主に感謝の意を捧げると、黒装束の二人は迷うことなく山道を切り抜けて、今度は平地に乗り出した。
「へっ、今更まっ平らな道に戻っても遅いぜ。このままペースアップして一息に捕まえ………………何?」
 突然、中空から出現した複数の銀色の短剣がアガットの周囲に突き刺さる。柄の宝玉の部分を真っ赤に光らせた刹那、銀色のフラッシュがアガットを包み込む。
「何だ今のは? 新手の敵の伏兵か?」
 反射的にクロスにガードした両腕を開くと、得物のオーガバスターを展開させて臨戦態勢に入るのと並行しメディカルチャックを行う。身体には特にダメージは感じられないが、それもその筈。
 銀色の光が駄々漏れていた所から幻属性の導力魔法(オーバルアーツ)を喰らったと推測される。現在普及している旧型の戦術オーブメントに幻系攻撃アーツは存在しない。逆に言えば何らかの精神攻撃を受けた可能性が高い。
 突如、正面に人影が出没する。
 アーツを詠唱した敵本体かもしれないが、既に『カオスブランド』のような混乱系魔法に嵌まっている危険もある。無辜の一般人を敵と誤認しないように慎重に正体を見極めようと目を凝らすが、そんなアガットの警戒心は一瞬にして吹き飛んだ。
「テメエ、何でここにいやがる?」
 燃えるような真紅の長髪。黒曜石のような黒い瞳。踝まで届く茶色のロングスカートに巨乳を押し隠したダボダボの灰色のカジュアルセーターを着込んだ十代の長駆少女。
 学園祭でエステルがぶつかった若い女性と同じ服飾。顔つきも酷似しているが、こちらの方が十歳近くは幼い。
 両者に共通しているのはどこか怯えたような瞳でオドオドと周囲を見渡している所。その仕種がアガットを苛つかせる。少女はアガットの苛立ちに全く頓着せず。というよりも彼女の存在をまるで認知していない素振りで、たどたどしく口を開いた。
「だ、大丈夫よ、ミーシャン。直ぐに王国軍の兵隊さんが助けにきてくれるから。善良で慎ましく生きる私たちをエイドスが見捨てる筈が…………」
「止めろおー!」
 自らの力で何も成そうとせずに他者の善意に縋って諦観し切った態度にぶち切れると、オーガバスターで少女を真っ二つに斬り裂いた。
「テメエが何時もまでもそんな他力本願な態だから、ミーシャンは俺の弟は…………」
 ゼエゼエと血走った目で息を切らずアガットの面前で、斬り伏せられた少女がスーっと蜃気楼のように泡影する。やはり少女の姿は攻性幻術が見せた夢現のようだ。暗い木々の隙間から微かな気配が漂い品評するような声が聞こえてきた。
「フフフ、己の無力さに打ちのめされて抑えきれぬ激情を以って剣を振るうか。どうやらお前は俺と似た過去を所有するらしい」
 今度は幻影ではなく、オーバルアーツを唱えた当人が堂々と姿を現す。
 先の黒装束と似た恰好をしているが、赤と黒の入り交じった特殊な仮面を装着し、得物として異形な剣を握り込んでいる。恐らくは特務兵達が隊長と敬った人物であろう。
「俺には白面やあの娘のような相手の心を見通す便利な魔眼など持ち合わせてはいないゆえ、シルバーゾーンの幻惑で何を敵と見做したのかは知らんが、先の狂態振りから察するにお前にとっての真なる仇讐は他者などでなく、かつての脆弱な己自身のようだな」
 仮面の男の言葉には初耳の固有名詞が多数含まれており、半分も内容を理解出来なかったが、己が本質を見抜かれたのを思い知らされて歯噛みする。
「はて、お主とはどこかで出会ったような気がするが、記憶違いか?」
「ふざけるな、こちとら犯罪者の知り合いはいねえ!」
 仮面の男は軽く首を傾げる。これ以上得体の知れない敵に主導権を握られるのを畏れたアガットが吼えるが、拭えぬ在りし日の亡霊が思いがけもしない形で彼女に降り注ぐ。
「お前、もしかしてアガティリアか?」
 その言葉に一瞬アガットの心臓が止まりそうになる。アガットという名はクローゼと同じく本名を捩っただけの単なる愛称であるが、彼女の真名を知る者は故郷の村に僅かに残すのみで、遊撃士協会(ギルド)の同業者にすら存在しない筈。
「テメエは一体何者だ? 何で俺の実名を知ってやがる?」
「ふっ、お前のいたラヴェンヌ村と俺のハーメル村とは姉妹村として交流があり、幾度となく顔を逢わせて会話も交わしている」
 ハーメルという固有名詞を聞いたアガットの胸が騒めく。ある予感に彼女の奥深くに引き籠もっていたアレが強引に目覚めようとしている。
「まあ、ここまで思わせ振りな鎌掛けを試みた以上、素顔を見せるのが礼儀というものだろうな」
 そう宣言すると、男は後頭部の留め金をカチリと外して、本当に仮面を脱いだ。
 アッシュブロンドの灰色の金髪。吸い込まれそうな深い色の瞳に彫りの深い顔。
 まだ若く、アガットと同年配。暗がりでも目立つ男の美顔が外界に晒されると、彼女の黒い瞳孔が極限まで見開いて思わず言葉が漏れる。
「レオンハルトさん?」

        ◇        

 昔日のラヴェンヌ村。
 今では廃坑に処されたラヴェンヌ鉱山は盛りさかりで、村の収入源は果樹園の果実と鉱山から掘られる金耀石(コルティア)で賄われている。
 幼い頃に両親を流行り病で失くしたクロスナー姉弟も、この素朴な村で暮らしていた。
 身寄りもなく、小さなほったて小屋に二人暮らし。村の人達はこの幼い姉弟に良くしてくれており、生活に困窮することはなかった。
 早朝、目を覚ました少女は弟を起こさないように気を遣いながら、そっと寝床を抜け出すと井戸の底から何度も地下水を汲み挙げる。
 両肩に極太の樫の木を抱えて、棒の両端には木の実のように十個以上の水樽が括りつけられている。その重い水樽を担いだままラヴェンヌ山道を幾度となく往復して、鉱山まで工業用水を送り届けるのが少女の日課になっている。
 発掘作業が長引くときは、一日に十往復以上も険しい山道を走破する。嫌が上でも足腰は鍛えられて、二の腕にも少女が望まぬ逞しい力瘤が造られる。
 本日分の仕事を完済させた少女は、何時にも増して早足で村へ帰宅する。今日は月に一度の特別な日で、あの少年が村へやってくる。少女の二つの大きな隆起物の下に秘められた想いがキュンと疼く。

 エレボニア帝国との玄関口のハーケン門からアイゼンロードを下って、東ボース街道からボース市をバイバス。西ボース街道からラヴェンヌ山道を渡り歩いて、一日がかりで村に辿り着いたハーメルからの旅人は住民から手厚い歓待を受ける。
 国は違えど古くから姉妹村として友誼を結んでいた両村は、ミラを媒介せずに昔ながらの物々交換に近い形で各々の名産品をバーターする。
 少年はハーメルの女たちが編んだ反物や毛織物を持ち寄り、代わりにリュック一杯の果物と僅かな空の七耀石の欠片を受け取る。
 少年は村で一晩明かすのが習わしとなっており、月の小道亭に荷物を落ち着けると、来客の身分に甘えずに律儀にも果樹園の仕事を手伝う。
 少女は軽く頬を染める。アッシュブロンドの笑顔の似合う爽やかな少年を木の影から半身を乗り出しながらそっと見守る。
 今日こそは思い切って声を掛けてみよう。そう決心しながらも、従来の引っ込み思案の性格が災いし後一歩の勇気が絞り出せず。もう二年近くもこんなストーカー紛いの真似を続けている。
 結局また駄目なのかと溜息を吐いて身を翻そうとした刹那、何者かに背中をドンと押されて木陰から弾き出されて思わず尻餅をつく。
 振り返ると弟のミーシャンが、しししっと笑いながら逃げていく姿が目に映る。手を振り上げて抗議の声を張り上げようとしたが、少年と初めて目線を合わせてしまい陸に上がった人魚のように声帯を奪われる。
 更にはロングスカートで大股開きという、あられもない自分の姿に気づいた少女は髪色に劣らず顔全体を真っ赤に染め、必死こいてスカートの乱れを直しながらチョコンとその場に正座する。
 少女の狂乱振りを至近から拝まされた少年は狐に摘まれたような表情をしていたが、やがてクスリと微笑む。気弱な少女はますます縮みこんでしまう。

 それ以降、少女は想い人の少年と二人で話をする機会を多く設けられるようになり、少しばかり恥ずかし思いを強いられたものの、弟の粋な計らいに感謝する。
 少年はよく自分や自身の村の出来事を語った。
 十六歳の誕生日を迎えたら帝国全土を旅して遊撃士の資格を取り、世の悪を懲らしめ剣の理(ことわり)を極めんという壮大な夢や、故郷の村にいる綺麗な黒髪に琥珀色の瞳をした姉妹など。
 その幼馴染みの姉の名が出る度に少年の瞳に宿る感情を鋭い女の勘で悟った少女はチクリと胸の奥が疼いたが、元より自分のような長駆な田舎娘には分を過ぎた願いなのだと自らを戒めた。
 更にはまだ五歳にも満たない妹の方が織物の精巧な刺繍を担当していると聞いた時には、その幼子の手先の異常な器用さに心の底からぶったまげたものである。
 いずれにしても、少女は一月に一度の少年との逢瀬を心から楽しみ、このささやかな幸運が何時までも続くと信じていたが、突然悲劇は訪れる。
 十年前に国境紛争を境に発生した百日戦役によって。

        ◇        

「本当にレオンハルトさんなの?」
 アガットは険のない澄んだ瞳でそう呟いた後、「あっ?」と自分の口元を抑える。
 目の前の青年には在りし日の少年の面影は……もはやない。
 夢と希望で彩られた瞳は昏い情念に縁取られ、闊達な笑顔はシニカルな笑みに染まる。あの戦争の痕が彼の有り様を変質させてしまったのは疑いなく、かつて恋した少年の堕落に胸の奥がズキリと痛んだ。
「かつてのなだらかな俺を知る者がいれば今のお前のように同一人物かと疑うか、あるいは落魄れたと嘆くであろうな。だが……」
 アッシュブロンドの青年は端正な顔を僅かばかり歪めて、苦笑する。
「流石に今のお前の変貌振りには負けるか、アガティリア。女は化けると良く聞くが、あの内気な少女がこのような成長を遂げるとは想像だにしなかったぞ」
 決して嘲る意図ではなく冷然たる事実を指摘し、俯いたアガットから野太い声を漏れる。
「それがどうした?」
 先程までの女言葉や気弱な態度は消え、再び面をあげたアガットはエステル達が良く知る覇気と攻撃性に満ち溢れていた。
「生憎と女なんて代物はとうの昔に捨てた。ミーシャンのいないこの世界にまだ何の未練があるのかアイツは時たま彷徨い歩いているみたいだが、あの泣き虫の過去なんざ俺には関係ねえ。テメエが単なる悪党に成り下がったというのならブレイサーとして斬り伏せるだけだ」
 再びアガットは得物のオーガバスターの刃先をレオンハルトに向ける。
「ふふっ、果たして本当にお前に出来るのかな? 女も過去も捨てたという割には未だに剣に迷いを抱えているように見受けたが」
「ほざけ!」
 アガットは大剣を振り回して正面から襲いかかり、レオンハルトも初めて異形の剣を構えた。
「力で叩きのめさるのが所望というのであれば、その望みを果たしてやろう」
「なっ?」
 電光石火。本当に一瞬、そして僅か一撃であった。
 一合と打ち合うことすら及ばずに、アガットの大剣は弾かれる。クルクルと回転しながら後方の地面に突き刺さり、逆に切っ先を喉元に突き付けられる。
「ば、馬鹿な」
 決して失ってはならない大切なモノを二度と手離さない為に身につけた筈の力がまるで及ばない現実に愕然とし、同時に大切なことを思い出した。
 アガティリアの恋したアッシュブロンドの少年は剣の天才という歴然の事実を。
 あれから十年の年月を重ねて少年はかつて目指した理(ことわり)ではなく、修羅ともいうべき凄まじい剣の業を身につけたみたいで、アガットはレオンハルトの太刀筋を見切ることすら叶わなかった。
 アガットの死命を制したレオンハルトは急に興がそがれたかのように剣を鞘に納めると、クリルと背を向ける。
「待て。何で、止めを刺さな…………」
「本当に女を捨てるつもりなら、俺のように修羅と化して全てを捨てる覚悟が必要だ。だが、まだ女として生きたいのなら怒りと悲しみは忘れるが良い。さらばだ、アガティリア」
 それだけを言い捨てるとレオンハルトの姿はその場から消え去り、後には強い敗北感と喪失感を抱かされたアガット一人だけが取り残された。
「畜生…………忘れろだと? そんな事…………そんな事が………………………………」

「…………そんな事、出来る筈ないじゃない」
 再び険のない表情に戻ったアガットの瞳から、ポロポロと涙が零れ落ちる。
 アガットなのか、或いはアガティリアなのか。
 赤毛の女は地面に伏してメソメソと泣きだし、女の啜り泣く声を街道に木霊した。
「どうしよう、ミーシャン。レオンハルトさんが敵なんだって……。お姉ちゃん、どうすれば良いのか、判らなくなっちゃったよぉ。ねえ、私はレオンハルトさんに何が出来るのか教えてよ、ミーシャン?」



[34189] 16-02:漆黒の福音(Ⅱ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/20 00:01
 次の修行場のツァイス市に向かう為に、薄暗いカルデア隧道の地下トンネルを走破するエステルとヨシュアの遊撃士兄妹。
 地元のロレントで定着していた『兄妹』の呼称。ヨシュアの涙ぐましい努力でボースで姉弟と流布するのに成功するも、ルーアンの学園生活で再逆転を許してしまう。
 兄姉競争で一勝二敗と既に後がないヨシュアは王都の最終決戦に望みを託すべくツァイスでの必勝を期するだろうが、腹黒完璧超人をして見た目の身長差というハンデは中々に埋めがたい。もしかすると、『姉弟』の称号を勝ち得るのは、短期間で百万ミラを稼ぐ以上の難事かもしれなかった。
 その義姉の立場を夢見るちっちゃな少女は入り口の日の光が見えなくなった途端、まるでプレッシャーから解放されかように両腕を黒髪の後ろに伸ばし大きな伸びをする。
「どうした、ヨシュア?」
 まさか「私は闇の眷属だから、太陽の光が届かない暗がりの方が落ち着くのよ」とか中二病の引き籠もりじみた台詞を宣わないかの危惧は杞憂。
 何でもジェニス王立学園に籍を置いてから今日までの間の四六時中、得体の知れないシロハヤブサにストーカーされて落ち着かなかったそうで、遠方からのジークの密かな監視の目に気づいていた。
「私というよりもクローゼを見張っているみたいだけど何だったのかしら、アレ? 特に学園祭が終わってからの数日は物凄い殺気を孕んでいて、少しでも隙を見せたら急降下して喉笛を噛み切らん勢いだったから全く生きた心地がしなかったわ」
「はっはっはっ」
 主人想い(※クローゼは友達と称していたが)の忠鳥にエステルは苦笑いするしかない。『白き花のマドリガル』の接吻事故はどちらかといえばヨシュアの方が被害者なのだが、こっぴどく失恋したクローゼがいたく傷心したのも事実。
 ギリシャ神話の主神ゼウスとヘラ夫婦の如く、妻は浮気した夫よりも不倫女性を憎悪する傾向があるようなので、ジークの嫉妬の矛先は飼主のユリア同様にヨシュアの方角へと不条理に向けられた。
「そういえば件の最終攻防戦の折、二人と別れてルーアン市に向かう途中に妙な連中がエステルをつけ狙っていたみたいなのよ」
 ストーカー繋がりで、昔日のとある出来事を思い出す。

 銀行から預金を引き下ろそうと早足でメーヴェ海道を駆け抜けていたヨシュアは、砂浜で四人の男女が海釣りに興じている姿を発見する。
 そのまま通り過ぎようとしたが、彼らの一人がエステルの名前を呟いたようなので、岩影に潜んでそっと聞き耳を立ててみると。
「ねえ、聞いた? モンブランが例のエステルってお兄ちゃんに負けちゃったみたいだよ」
「くかかかか。奴は所詮、俺たち釣行者四天王の中でも最弱」
「いくら剛竿の担い手相手とはいえオメオメとやられるなんて、釣行者(レギオン)の面汚しね」
「さてと、次に誰がエステルに挑むかこの爆釣ロワイヤルで決めるとするか。今の所、リンがトップだが………………ぎゃああああ!」

「執行者(レギオン)なんて口走るから、エステルの命を狙う刺客と勘違いして思わず反射的にやっちゃったけど、組織とは全く無関係の単なる釣り好きの素人衆だったのよ。紛らわしいったらありゃしないわ」
 やれやれといった風情で、黒髪の少女は軽く肩を竦める。事実誤認で一般人に手をあげたミスを全く気に咎めていない。
「それで、そいつらはどうなったんだ、ヨシュア?」
「幸い意識を刈り取る方向で攻撃したから、気絶させただけで怪我一つさせていないわ。けど、準遊撃士から暴行を受けたとか根も葉もないデマを吹聴されても困るから、記憶の一部を弄くって王都にお帰りしてもらったけど」
 事実無根どころか、また見習いの立場が失墜しそうなスキャンダルであるが、あの空気の読めない連中に市長亭の大一番で乱入されでもしたら全てが御破算になっていた可能性が高いので怪我の功名というべきなのか。
 とりあえず次のツァイスで爆釣勝負を挑まれる心配がなくなったのは、エステルにとっても有り難い。最後の修行場のグランセル地方には変人共の巣窟たる本部をあるそうだが、あまり深く考えたくないので今は忘れることにしよう。
「ストーカーといえは、意外だったのはナイアルだよな」
 釣公師団との関連性を問われるのも面倒なので、話を反らす為にブライト兄妹を狙って各地方に必ず出没する新聞記者を俎上に載せる。
 ダルモアが王国軍に逮捕された際、あの仕事熱心な聞屋さんがインタビュー無しに足早に退散したのに今更になって不自然さを覚えるが。
「そりゃ、そうでしょう。あの人、封じの宝杖の金縛りが解けた瞬間、ドサクサに紛れて私がダルモア市長をノックアウトした場面でシャッターを切っていたからね」
 「本当に要領が良いというか狡っ辛いというか」と今度は両肩を竦めてみせたが、例の金的シーンでヨシュアは半裸状態だったので笑って済ませられる話ではない。
 彼奴はエステル同様、黒髪美少女の誘惑を撥ね除ける硬派(※ヨシュア曰く機能不全)だから、個人で密かに愉しむつもりはなく、純然たる部数狙いで堂々と紙面に掲載するつもりだ。
 だからこそ、翡翠の塔の帰り道のようにフィルムを巻き上げられる前に一目散にトンズラしたのだが、それが判っていて盗撮中年を見逃したヨシュアの行動を不審がる。
「平気よ。どうせ現像化されたフィルムには市長さんしか映っていないから、今頃ナイアルさんは狐に化かされた表情をしているでしょうね」
 そう悪戯っぽく笑う少女の自信の源にエステルは心当たりを思い浮かべた。
 ファンクラブの連中から頼まれて、小遣い稼ぎにヨシュアの私生活を隠し撮りしたことがあったが、写真のあるべき場所から少女の姿だけが抜け落ちている摩訶不思議な心霊現象を幾度も体験させられた。
 正規に頼んで撮らせてもらったスナップショットにはきちんと少女の姿が納められており、これも絶対領域に似たヨシュアのスキルで本人の意志で能力のオンオフを制御可能。
(ヌードといえば、ヨシュアの裸を拝んだのも三年振りか)
 当時のヨシュアは紛う方無き洗濯板で、「シェラ姐に比べて、掴む所かねえな」とよく風呂場で後ろから抱きついてはブレーンバスターで頭から垂直に叩きつけられたが、よくぞここまで撓撓の果実を実らせたものだ。
 その二つの大きな膨らみを、ぴったりと密着した八卦服(チャイナドレス)越しにチラリと眺める。
 緊急時だった市長亭では劣情を催す余裕もなかった。生鑑賞したマシュマロのような柔らかそうなオッパイと綺麗なピンク色の突起物。鮮明なフルHD画像で脳内再生したエステルは義妹に性的興奮を覚えてしまい、その背徳感に思わす顔を背ける。
「どうしたの、エステル? さっきから、顔が赤いわよ? それに何だか視線が嫌らしい気がするけと……」
「何でもねえよ!」
 不慣れな事態に困惑するエステルは大声を張り上げ、ヨシュアも何となく居心地悪そうにする。
 少女の義兄は自他とも認める根っからの助平野郎だが、無意識かつ陽性のHなので基本的には被害を被っても後に引くことは少ないが、チラチラと何度も覗き見するジメジメした煮え切らない態度は世間に溢れるむっつりスケベそのもの。あまりエステルらしくない。
 それからしばらくの間、二人は顔を背けたまま一言も口を聞かずに隧道を歩き続ける。場の雰囲気はギスギスしており、なぜこうなったのか当人達にも判らない。
 ただ、今まで超然と構えていたエステルが微妙に義妹を性的対象と見做し始めた事実だけは、どちらも肌で感じ取っている。
 故に異性体験が絶対的に不足しているエステルはもちろん、一見手慣れているように見せ掛けて実はおぼこであるのが発覚したヨシュアも、有象無象の殿方を遇うならともかく特別視する少年の変貌を目の当たりにして、どう対処して良いのか分からずに途方に暮れている。
 この種の変化は友達以上恋人未満の仲の良い異性がお互いの関係性を一段階昇格させるのに避けては通れない通過儀式のようなものだ。再浮上の為に一時的に沈み込んだ状態であるのに気づかない両者は焦燥し事態の早期改善を試みようとするが、その切っ掛けを掴めずにサイレンス状態が続いている。
 だが、そんな鬱々とした空気を吹き飛ばすかのようにトンネル前方の奥深くから爆発音が響いてきた。
「ヨシュア!」
「うん」
 途端、精神のチャンネルを遊撃士モードに切り換えた両者はアイコンタクトを交わすと各々の得物を展開。全力疾走で隧道を直進していった。

        ◇        

「は、はうぅー。それ以上僕に近づいたら、本気で当てちゃうんだから」
 数百アージュ程先の曲がりくねった角道に出ると、魔獣に包囲された小さな男の子が不安そうに忙しく首を左右に振って周囲を警戒している。
 金髪碧眼の少年は、赤を基調としたマント付きのオーバオールの作業服とゴーグル付着の二本の長紐が垂れ下がった帽子を被っており、護身用の導力砲(オーバルキャノン)を抱えている。
 近くに地面が抉られた跡がある。先の爆発は小型導力砲(P-03)の炸裂音のようだが、外した模様。口から触手を生やし芋虫の形状をしたグロテスクな魔獣(ダンプクロウラー)はジリジリと距離をつめていき、少年は泣きそうな表情になる。
「助けましょう、エステル」
 どんぐり眼のまん丸ほっぺに小動物系の愛らしい仕種。好みの直球ど真ん中のプリティなお子様のピンチに恩を売ってアレコレ強要する絶好の好機と不精者が舌舐りしながら何時になく邪なやる気を漲らせるが、普段なら真っ先に飛び出す筈の熱血漢がヨシュアの左手を掴んで押し止める。
「どうしたの、エステル? あなたらしくな……」
「…………上手く説明できないけど、今、あの中に割って入るのは不味い」
 まさかあんな子供にヤキモチを焼いているのかと勘繰ったが、違うみたいだ。クラーケンの襲撃すら察知したエステルの第六感は侮れないものがあるが、自分たちの助太刀抜きであの子が自力で窮地を脱せるとは思い難い。
 少年を壁際に追い詰めたダンプクロウラーの群は130°の扇の角度で取り囲んでいる。いくら攻撃範囲が広い導力砲でも一度に七匹全部の魔獣を巻き込むのは無理。再チャージの間に餌食となるのは必然。
 今更エステルがあの程度の魔獣に臆したとも思えなので、少年のらしくない変容の連続にヨシュアは戸惑いを隠せない。更には恐怖に屈して手元を震えさせたのか、少年は顔を隠すように俯いたまま命綱のP-03を地面に取り落としてしまい、チャンスと見た魔獣は一斉に襲いかかる。
 ヨシュアは本能的に飛び込んで『漆黒の牙』で一網打尽にしようとしたが、エステルは強い握力で義妹を離さずに割り込みSクラフトは不発に終わる。この一瞬の出遅れは命取り。もはや万事休すかと思いきや。
「うっ…………ううぅ………………うわああああ………………!」
 少年は面をあげると血走った目で、マントの内側から黒光りするゴツイ銃器を取り出す。
「なっ!?」
「旧式の機関砲(ガトリングガン)?」
 キュピーンという少年の正面目線のカットインが入ると同時にSクフラト『カノンインパルス』が発動する。最もエステルやヨシュアの体術系クラフトと違って、必要なのは闘気(CP)ではなく単に弾薬の残数だけ。
「わああああ…………! 死ね! 死ね! 死ねぇー!」
 六本並べた砲身が毎秒100発という速度で反時計回りに高速回転し、凄い勢いで薬莢を吐き出しながら弾丸の雨を降らせる。
 少年は左右見境無しにガトリンガンの砲身を振り回す。瞬く間に魔獣の群は蜂の巣で原型すら留めずミンチになり、周囲の壁一面にグチャグチャの肉片がぶちまけられる。
 もし迂闊に介入して、あの銃弾のシャワーを浴びていたらと想像しヨシュアは寒けを覚えた。
 やがて全ての弾倉が撃ち尽くされる。硝煙の余韻を残しながらカラカラという音を立て砲身の回転が停止する。
 もはや敵影どころか魔獣の死骸の欠片一つ落ちていない戦場で、身の安全を確認した少年は薬莢の山の中に埋もれるように地面にしゃがみ込むとホッペを艶々に輝かせながらふうっと額の汗を拭った。
「はううっ、ドキドキしちゃった」
「ビックリしたのはこっちだ! 何なんだ、お前は?」
 エステルが至近からガナリ声をあげる。少年は「ふぇっ?」といきなり毛皮を撫でまわされた子猫のようにビクッと身体全体を逆立てて怯える。
 柔和そうな見掛けに反して、危険極まりない銃器と攻撃性能を携えた幼子が七人目の導かれし者であるとは、この時のエステルとヨシュアは知る由もなかった。



[34189] 16-03:漆黒の福音(Ⅲ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/20 00:02
「終わりました。有り難うございます、お兄さん」
 エステルに肩車されたまま隧道の壁に固定された照明灯のオーブメントの部品交換作業を無事に終わらせた少年は、ピョンと肩から飛び下りるとペコリとお辞儀して謝意を述べる。
 整備不良品を正規品に取り替える為に態々中央工房から出向いてきたそうで、内部のクオーツ目当てに壊れた照明灯に群がっていた魔獣に威嚇射撃を行い、先の事態を招いてしまった。
 今では照明は再点灯し魔獣除けの機能も復活したので、再び魔獣に狙われる心配もない。
「にしても、お前、見掛けによらずにかなり力があるな」
 エステルは感心と呆れが同居した目つきで、二種類の飛び道具を所持する男の子を見つめる。
 少年は左手に護身用の導力砲(オーバルキャノン)を抱えている。右手側にはマントの裏側に隠し持っていた肩掛け用のショルダーベルト付きの機関砲(ガトリングガン)を左肩から斜めにぶら下げている。
 生物特化の小型導力砲(P-03)はカプア一家頭目ドルンが扱っていた対戦車装備の大型導力砲に比べればサイズも威力も控え目だが、それでも一般人が自在に振り回せるようなお手軽な代物ではない。
 更に驚嘆すべきは、魔獣の群を一瞬で挽肉にしたガトリングガンの存在。
 何でも少年の祖父が趣味でコレクションしていた移動式の機関砲『M61バルカン』という骨董品を自分専用にカスタマイズを施したそうで、人力で持ち運べる大きさまで魔改造するのに五年の年月を費やした。
「本来なら毎分6000発の発射速度が売り物のバルカン砲なのですけど、徹底的に小型軽量化した所為でたった十秒(1000発)の斉射で弾薬庫が空になっちゃうのが残念です」
 「まあ、一斉射撃が終わって生き残っていた魔獣は今日までいなかったですけど」と銃器についての蘊蓄を語る時の少年の屈託のない笑顔は本当に幸せそうだ。
「…………色んな意味で只者じゃねえな、このガキ」
 ノーテンキのエステルをして、得体の知れない幼子への警戒心を隠せない。
 従来100kg前後はある機関砲なのだから、いくら軽量化を謳ってもその重量は30kgはゆうに越える。
 その上でP-03まで保持しているのだから、少年は50kg近い負荷を背負ったまま移動を続けている計算になる。エステルのような巨漢ならともかく、ヨシュアよりも小柄な少年の体型でこの膂力はちょっと尋常ではない。
「それにしても可愛いわね、坊や」
 エステルが慎重になった分だけ、それに反比例するように普段は猜疑深い筈のヨシュアが楽観主義に走った模様。
 先のバーサーカーモードは、少女の中では『無かったこと』にされたらしい。無警戒に顎の下を擽り、「えへへ、良くそう言われまーす」と少年は猫みたいに気持ち良さそうに喉をゴロゴロと鳴らす。
「こいつ、自分の可愛さを自覚し武器にするタイプだな」
 弱っちそうな振りして危険極まりない獰猛な牙を隠している点といい、どことなく腹黒な我が義妹と重なる部分があり、さぞかし周囲の大人(特に女性)から愛され育まれてきたのが容易に想像がつく。
 意図して異性を誘惑するヨシュアと違って、こちらは無意識の産物のようだし、好きになれるかはともかく、別段エステルを害する訳でもないので必要以上の隔意を抱くのは止めることにした。
「改めて自己紹介するわね。私たちは遊撃士見習いで旅を続けているヨシュア・ブライトとエステル・ブライトの姉弟よ。もっとも、私は養女だからエステルと血は繋がっていないけどね」
「はうっ? お姉さんの方がお義姉ちゃんなのですか? 随分と大きな義弟さんなのですね」
「ええっ、私もあなたみたいなちっちゃくて素直な弟が欲しかったかな。ブレイサーの姉弟が訪ねてきたのをツァイス市に大々的に宣伝して頂戴ね」
「はいです、今からネットの掲示板に書き込んでおきますから、瞬く間に広まると思いますよ」
 エステルが態度を決め兼ねていた合間にヨシュアが姉弟の広報活動のアピールを完了させる。懐からモバイルパソコンを取り出した少年はカタカタと一文を打ち込んで送信キーを押す。
 王立図書館の端末と同じく、少年の携帯も大規模データベースとネットワーク接続されている。今の情報はカペルを通じて市内全域に伝わってしまったので、迂闊にもエステルは兄姉競争で遅れをとる事になった。
「僕は中央工房の見習いをしているティータ・ラッセルといいます。宜しくお願いします、ヨシュアお姉ちゃんとエステルお兄さん」
 一点の曇りもない笑顔でにぱっーと破顔しながら礼儀正しくお辞儀するショタっ子にヨシュアは心ときめかしながらも、重要な固有名詞を聞き逃したりはしない。
「ラッセルって…………もしかして、ティータ君はラッセル博士の縁者なのかしら?」
「はいです。導力革命の父ことアルバート・ラッセルは僕のおじいちゃんです。それと僕のことはティータと呼び捨てで構わないですよ、お姉ちゃん」
 祖父を心から尊敬するティータは誇らしげに宣言し、エステルとヨシュアは互いの顔を見合わせる。
 百日戦役の反抗作戦を技術面から支援したリベールが誇る天才科学者の実孫というなら若輩で銃の改造を手掛けた並外れた技術センスにも納得である。
 まあ、この幼子の場合は真に刮目すべきは手先の器用さ云々よりも、歳不相応な体力と攻撃性能の方なのだが、折角の機会なので博士に用事があるのをこの子伝で伝言してもらおう。
「あうぅ、それはちょっとタイミングが悪かったかも」
 梅干しを呑み込んだように口を窄めてティータは気まずそうに俯く。何でも博士は昨日、エプスタイン財団から技術顧問として招かれ本部のあるレマン自治州に出張した。
 ラッセルは財団創立者エプスタイン博士の愛弟子である。恐らくは以前カルノーが話していた新型の戦術オーブメントについて、意見を拝聴し参考にするつもりなのだ。
「何時帰ってくるか未定でして。飽きたら三日で投げ出して戻ってくると思うけど、逆に一旦のめり込んじゃったら半年だって缶詰にされても平気な人ですから」
「それは困ったわね」
 ヨシュアの予想通りに新型の実用試験に携わっているのなら、預けた蒼耀珠も目にするだろう。古代ゼムリア文明の遺産など天才エンジニアにとってはさぞかし食指をそそられる題材だ。
 博士の帰国前に首尾よくツァイスの推薦状を入手できた場合、最悪例の物をティータに預けて王都に旅立つ選択肢も視野に入れなければならないが、曰く付きの一品故に可能ならこの地方にいる間に漆黒に伏せられた中身を暴いておきたい。
「私たちが博士に頼みたいのは、コレの解析なのだけどね」
「わあっ、真っ黒いオーブメント?」
 ヨシュアが黒のオーブメントを翳す。一目で市販製品との異色性を見抜いたティータは瞳をキラキラと輝かせ、犬が鼻でクンカクンカするように至近から食い入るように眺める。
「ふえぇー、アーティファクトを機能停止させたのですか? それは現行の戦術オーブメントの封魔(アンチセプト)では不可能な謎性能です」
 祖父と同じ研究者の血が流れているのか、ティータの目の色が変わる。
 守秘義務の観点から肉親とはいえ部外者にクエストの全貌を明かすのはどうかと思われるが、ラッセル博士を早期に国内に引き戻すには相応の餌が必要。
 黒のオーブメントへの好奇心が古代クオーツを上回れば、博士は万難を排してでも故郷に馳せ参じる筈。
「判りました。おじいちゃんが興味を引かれるよう面白可笑しく伝えてみるです。あんまり遅れるようなら、「僕がこのオーブメントの秘密を全部解明しちゃいますよ」とか脅せば、負けず嫌いのあの人のことだから一目散に慌てて帰ってくると思いますよ」
 ティータは悪戯っ子の表情でシシシと笑いながらも、蒼い瞳の中に探究心のコスモを燃やし、その渦中に黒のオーブメントを取り込む。
 状況が許すなら、敬愛する偉大な祖父を出し抜いて未知なるオーブメントの謎を解き明かすに何ら躊躇いを持っていない。中々に野心的なお坊っちゃんだ。

        ◇        

 それからティータの案内で二人は迷うことなくカルデア隧道を完走。中央工房の地下区画に辿り着く。
 工房内の設備を一通り紹介してもらい、市長を兼任するマードック工房長に挨拶し事情を説明したエステル達は博士が帰国し例のオーブメントを調べてもらうまでの間、ラッセル宅にお世話になる旨を報告する。
 ティータの両親は発展途上国のオーブメントの普及活動で海外に赴任中なので、現在自宅はもぬけの殻。「泊まってくれると、寂しくなくて有り難い」と熱心に勧誘。ツァイスでの活動拠点を模索していた二人にとっても渡りに船の話なので、ご厚意に甘えることにした。
 ラッセル工房に荷物を降ろして腰を落ち着けた二人は、ティータからお茶とお茶菓子をご馳走になる。
 外国を渡り歩くラッセル夫妻はもちろん、彼方此方の工房から引っ張りだこの祖父も不在がち。一人でお留守番することが多いティータは若年の男の子にしては珍しく家事全般がきちんと行き届いている。
 「いいわね、あの子、このままお持ち帰りにできないかしら」とヨシュアは割合本気でロレントに拉致する算段を巡らせたりしたが、二人はしばらくこの科学都市にたむろするので、『児童誘拐犯の捜査』のクエストがギルドに持ち込まれる危険は当面ない。
 ティータはまだ中央工房のお手伝いの仕事が残っているそうなので、市内を見物する前に二人は遊撃士協会(ギルド)のツァイス支部に顔を出すことにした。

        ◇        

「合格」
 ギルドの扉を潜った第一声が、いきなりこれ。二人は少々面食らう。
「いえ、こちらの話だから気にしないでちょうだい。ようやくのご到着ね、エステル、ヨシュア。私はツァイス支部を任されているキリカ・ロウラン。以後、お見知りおきを……」
 カルバード共和国の民族衣裳に身を包んだ妙齢の受付女性はそう自己紹介する。
 長い黒髪の東方風の切れのある美人。ヨシュアから愛嬌を抜いて十年程成熟させると、このような東洋系の美女に成長を遂げるのであろうか?
 切れるのは外観だけではない。黒のオーブメントのことや今後のツァイスでの展望など手際良く説明する。ヨシュアを彷彿させるあまりの先読み振りに女の黒髪にはサトリの能力が宿るのかと勘繰ったが、同じ髪色の凡人の幼馴染みの照れ顔を思い浮かべてその妄想を取り消した。
「……これまた、とんでもないクラスの達人」
 この東方美人は少なくともヨシュアに冷や汗をかかせるレベルの武芸者のよう。「どのぐらいか?」と興味本位で尋ねたエステルに「あなたが手も足も出なかったフィリップさんと同ランク」との回答が齎されてビックリ仰天する。
「さっき握手の振りして掌を拝見させてもらったけど、得物は恐らくは偃月輪(えんげつりん)。ただ、結構実戦から遠のいていたみたいだから、そういう意味では執事さんと似たようなハンデを抱えているかもね」
 先立ってエステルが直感で見当てたティータの本質を見誤ったのは欲望でモノクルを曇らせていただけ。恒例のバトルスカウター振りは健在で武具の推定はおろかブランクの有無までも特定し、そのうち戦闘力を数値で測定しそうな勢いだ。
「おいおい、マジかよ?」
 もし、ヨシュアの見込み違いでないなら、大陸有数の剣士たる剣狐から活動限界時間を取っ払った上で人一倍頭も切れるA級遊撃士相当の逸材ということになる。
「何でそんな人間がギルドの受付に収まっているんだ?」
 影ながら遊撃士を補佐する受付業務を軽視するつもりはないが、このような女傑を事務仕事に縛りつけるなど人的資源の浪費ではないかと貧乏性のエステルは勿体なく思ったが、「女には色々とあるものなのよ」とヨシュアは彼女の身の上に幾ばくかのシンパシーを感じたよう。いずれ、その権能に相応しい場所へと羽ばたくにしても、今は翼を休める時期なのだろうと見越していた。
 さしあたり、キリカ個人の生い立ちや過去はエステル達の現状に今すぐ被るわるわけでもない。ツァイス支部への転属手続きを済ませた二人は早速、掲示板をチェックする。
 高難易度の依頼が入っていたとしても、新人にお鉢がまわって来ることは有り得ない。案の定、数少ない高額クエストは軒並みベテランの正遊撃士に持っていかれてしまったが、小口のクエストや魔獣退治など報酬は少なめだが危険度の高さから比較的BPを稼げる割の良い依頼は残されている。これでもエジル達は見習いの二人に気を遣ってくれたのだ。
『臨時司書求む』
『トラット平原の手配魔獣』
『新製品のテスト』
『運搬者の捜索』
『新食材の調達』
『禁煙強化週間』
『リッター街道の手配魔獣』
 「…………など様々ね、ふむふむ……」
 掲示板の依頼内容を確認したヨシュアは顎に手を当てて思案する。
 遊撃士不在のルーアン時のような草刈り場状態ではないので、今までのように一月足らずで推薦状を手にするのは無理としても、幸いツァイス支部大御所のエジルと良好な関係を築けているので、二カ月もあれば所定のBPを掻き集められだろうと皮算用する。
 その場合は正遊撃士の最短昇格記録には届かないだろうが、一部のお節介な者が気を揉む程には当人たちは内実の伴わない勲章に拘っているわけでもないので支障はない。
「そうだわ」
 突然、ヨシュアはポンと柏手で打つと、何か悪戯を閃いた小悪魔的な表情でニンマリと微笑んだ。
「ねえ、エステル。独力で依頼をこなしてみるつもりはない?」
 どんな心境変化が芽生えたのが、常にツーマンセルでの行動を口酸っぱく指図していたヨシュアとは思えぬ言い草。単独指令に戸惑うエステルに本意を告げる。
 ルーアンではヨシュアの手足として彼女が立案した策を言われるが儘に遂行しただけなのでさぞかし張り合いが無かっただろうから、今度は自身の頭で思慮しながらクエストに挑んでみてはどうかとの提案。
 学園祭の寄付金集めは実質的には大部分の遊撃士が苦手とする金儲けそのものなので、ヨシュアがアイデアを捻り出さなければお手上げ状態なのは確かだが、既に三つの地方を巡りあれからエステルも戦闘以外に色々と成長した。ロレントの『二つの冒険』の頃とは違い、そろそろ単身で任務を任せても良い頃合いかと再評価し直した。
「私が一緒だとついつい色々と世話を焼いてしまいそうだしね。頼りになるお義姉さんがついていないと心細いというのなら、まだお子様には時期早々ということでこの件は無かったことに……」
「言ったな、ヨシュア。見ていろよ、全ての依頼を俺一人の力で解決してギャフンと吠え面かかせてやるからな」
 相変わらず扱いやすい義弟君はこの程度の挑発にまんまと引っ掛かって、依頼書の束をキリカから引ったくるように受け取るとギルドを飛び出していく。ヨシュアは「いってらっしゃい」と白いハンカチを振りながら単細胞の逞しい背中にエールを送る。
 魔獣退治などの戦闘系はともかく中には知恵や調査能力を必要とする依頼もあるので、脳筋のエステルがヨシュアの助力抜きで独りでどのぐらいやれるのか見物であり、まずはお手並み拝見といった所。
「上手い具合に押し付けたわね」
 エステルが消えた刹那、ことの推移を黙って見守っていたキリカが無表情に揶揄する。
 受付同士のネットワークでジャンから「義妹の方は有能だが、不精癖がある」と聞き及んでいたキリカは、「『義姉』なのに『義妹』と記載ミスするとはルーアンの受付は弛んでいる」と理不尽な採点を同僚に下した後、「それで暇を確保したあなたはどうするの?」と問い質してみる。
 まさか昼寝をして過ごすとかの自堕落な返答を期待した訳じゃないだろうが、「エステルに似て不器用で商売下手な先輩遊撃士の商いを支援する」と怜悧な東洋美女をして全く予想外のアンサーに濃い黒眉を顰めた。



[34189] 16-04:漆黒の福音(Ⅳ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/21 00:01
「ここがキリカさんの紹介にあった屋台村ね」
 ラッセル工房裏手にある市西域の露店街に顔出ししたヨシュアは、目当ての店を探す前にまずは市場調査として彼方此方の店舗を冷かしまわる。
 屋台村はツァイス市の観光スポットの一つ。最新設備を売りにした未来都市の一部とは思えぬクラシックな青空定食屋の集積体。いかに科学技術を発展させようともお腹は減るし無から食材を生み出すことも叶わないので、このような古臭い施設も必要なのだ。
 敷地内は観光客や外食に出向いた工房の技術者で溢れ返っており、どの屋台もそれなりに賑わっている。
 優良酵素による肝臓の分解機能のお蔭でお酒は幾らでも飲める反面、胃袋の方は体型相応のミニマムサイズ。決め打ちした幾つかの出店で、注文した料理を二口程の試食で切り上げる勿体ない飲食法で店主の眉を顰めさせながら移動を続ける。
 貧困地帯の飢餓事情を鑑みれば道義的にどうかと思われる食べ残しも、正規のミラを支払っている以上は法的には何ら問題はない。七件程の屋台を渡り歩いてようやく目的地に到着した。
「へい、らっしゃい………………って、ヨシュア君か?」
「お久しぶりです、エジルさん。その節は、色々とお世話になりました」
 法被に鉢巻きの副業衣装に身を窶したツァイス支部所属の正遊撃士エジルは、鉄板の上のお好み焼きを引っ繰り返しながら仏頂面を綻ばせる。ヨシュアも軽く会釈して、席の一つに腰掛ける。
「流石に今度は本物みたいだが、エステル君は一緒じゃないのかね?」
「義弟はクエストで市全域を駆けずり回っている最中です。それよりも、ジルとハンス君はもうツァイスにはいないのですか?」
 コリンズ学園長から短期休学の許可は貰っていたし、ゆっくりと市内を見物できるように一週間は滞在できる旅費を手渡したので、今頃影武者カップルはエルモ村の温泉あたりでノンビリ寛いでいると思っていたが。
「ジル君ならダルモア市長逮捕の一報を聞いた途端、「こうしちゃいられない」と彼氏の手を引っ張ってルーアン行きの便に大慌てで乗り込んでいったよ」
「彼氏ねえ……」
 エジルのニュアンスに、ヨシュアは何ともいえない表情で両腕を組んだ。
 ジェニス王立学園の生徒会長は自分に似て要領が良く計算高い割には、特定の異性に対して素直になれない不器用な一面を抱えているが、少なくともエジルの目から恋人同士に映る程度には副会長に甘えられたみたいだ。
 気になるのは二人が既に不在というくだり。兄妹と行き違いになってしまったようだが、折角の蜜月旅行を途中でキャンセルした要因がルーアン市長の失脚ニュースというのが引っ掛かる。
「そう、ジル。あなた、本気で立候補するつもりなのね」
 「手を伸ばしても届かない夜空に浮かぶ月そのもの」といっても過言ではないルーアン行政の長のポストは現在空位。市民投票による選挙にて次の新市長を選出するのが、王国憲章によって定められている。
 本来なら十年先でも巡ってくるかさえも判らない、まさしく『空の神さま(エイドス)』が与えたもうた二度とないチャンス。
 少女の悪友はこの降って湧いた千載一遇の好機を指を銜えて黙って見過ごすようなタマではない。もしかしたら、鼻紙にもならない借用書という名の紙屑は近い将来、狸に化かされた葉っぱのように大金に変化するのかもしれない。
「ヨシュア君?」
「いえ、何でもないわ、エジルさん。ひょっとしたら、メイベルさんの持つ最年少市長着任記録(十九歳)が更新されるかも……って思っただけよ」
 それも世襲によって引き継ぐのではなく実力によって勝ち得るのであれば尚更、前代未聞の偉業達成。
 ただし、その道程は茨よりも果てし無く険しいだろうが、選挙の実施は先の話。当面の間、野心的な友人にヨシュアがしてあげられることは何もない。
 だからヨシュアは当初の予定通りの手助けを試みる為に、エジルにメインメニューのお好み焼きとたこ焼きをセットで注文した。

「…………あら、美味しい?」
 極めて無礼千万な物言いで、賞賛の言葉を口にする。
 ヨシュアの超辛口基準では、食べ歩きした他のほとんどの屋台は可もなく不可もない大衆食道レベル。客入りが変わらなかったエジルの料理にもさほどの期待を寄せていなかったが、その予想は良い方向に裏切られる。
 生地の焼き加減、自家製と思われるソースの風味、具のバランスなど全てが百点満点で文句のつけようがない。気づいたら小食気味で味に五月蠅いヨシュアをして完食。皿には僅かなソース跡しか残されていない。
「これは紛れもない本物。レシピが完成しなかったのは何年ぶりの体験かしら」
 一度食せば舌分析のみで脳内レシピを構築、料理を忠実に模倣可能なスキルをヨシュアは保持。アンテローゼのバイト中に高級大皿料理のレシピを根こそぎ盗み尽くして、レシピ手帳を更新した実績を誇る。
 その神の舌を持つ少女をして、今食したお好み焼きの再現率は90%程に留まり、残り10%の隠し味のブラックボックスを絞り切れなかった。よほど複雑な手順で鉄板物の命というべきソースを自製しており、長年の努力と試行錯誤の賜物であろう。
(潔く敗北を認めましょう。今の私にはこれより上手いお好み焼きは作れない)
 総合的な調理技術はともかく、鉄板焼き物のみと限定するならエジルの技量はヨシュアをも凌いでおり、積年の錬磨が生まれ持った希有な才能を凌駕した目出たい事例。この分だと、ヨシュアが態々料理のノウハウを一からレクチャーする必要もなさそうだ。
 計画の見直しを迫られたが、決して悪い意味でではない。何しろヨシュアは失礼にも、ツァイス到着前はエジルの腕前を下手の横好きレベルと見做していた。当初見積もっていた修行時間をまるごと削減できるのだから、俗に言う『嬉しい誤算』という奴だが、だからこそ一つ引っ掛かる。
(これだけ美味しいお好み焼きを作れるエジルさんの屋台が、さほど繁盛しているように見受けられないのは何故かしら?)
 別段、閑古鳥が鳴いている訳ではないが、これほど味の差は明瞭なのに客入りは他の屋台と比べてもどっこいどっこい。エジル本人の普段の愚痴振りからしても副業が潤っているとは思えない。
「ねえ、エジルさん。ぶしつけなお願いですけど店の帳簿を拝見させてはもらえないでしょうか?」
 一通りお好み焼きを絶賛した後、ヨシュアはそう催促する。褒められて気を良くしたからでもないだろうが、エジルは無警戒に店のマル秘情報録を差し出した。
(なるほど、こういうことだったわけね。なんという呆れた丼勘定ぶり)
 出納帳からミラの収支の流れを追えば、なぜ苦戦を強いられるか一目瞭然。味のクオリティに反して杜撰な経営形態が目についた。
 食材は仲卸を通さずに近所の雑貨屋『ベル・ステーション』から定価で買い付けている。屋台や機材のリース料も相場を碌に調べず業者の言い値でぼられているようで、これでは利益がでる筈もない。
 その上でお世辞にも愛想が良いとは言えない無骨なエジルが、客を呼び込む工夫もコマーシャルも無しに黙々と屋台を営んでいるだけ。その絶品加減は世間に広まることなく、本当に知る人ぞ知る隠れた名店化している。
 海千山千の遊撃士として十年近いキャリアを誇るエジルがここまで実務処理能力に欠如しているのも意外だが、世間では剣聖とか稀代の戦略家とか持て囃されているヒゲオヤジも家に戻れば単なる粗大ゴミの宿六に過ぎないので、遊撃士とはそういう商才や生活力に欠いた不器用な人間の集団なのかもしれない。
「エジルさん、一つご相談があるのですが宜しいでしょうか?」
 商いの遣り方を根本的に履き違えているのを指摘するのは簡単だが、副業とはいえエジルにも長年屋台を運営してきた商売人としてのプライドがある。十歳も年下の小娘に偉そうに指図されれば良い顔はしないだろう。
 幸い味の方に手を加える必然性は皆無なので、商談の振りして店の営業資金を提供する方向に話を軌道修正した。

「ボースの空賊砦で使用したアーティファクトを譲って欲しいって? おいおい、ヨシュア君。本気で言って…………」
「ええ、本気ですよ、エジルさん。発信機の数は分からないですけど、少なくともレーダーの方は二つある筈ですよね?」
 あまりに図々しい催促にエジルは苦笑しかけたが、続いてのヨシュアの推論を聞いた刹那、表情を引き締め直す。
「そうでなくては、あの即興作戦そのものが成立しなかった。違いますか、エジルさん?」
 ヨシュアの言うアドリブとは、エジル達正遊撃士が独断でチームを三つに編成し直し、琥珀の塔を襲撃した陽動犯の他にもクローネ峠と霜降り峡谷の二カ所に別動隊を待機させた策である。
 言われてみれば、もっともな推理。あの地点では空賊のアジトは特定できておらず、もしクローネ峠が本命だった場合は一つしかなければ対応できなかった。
 最初から同機能のレーダーは二つあり、クローネ班の同僚にも手渡していたと考えるのが妥当。
「やれやれ、相変わらず鋭いな、君は」
 エジルは両肩を竦めて、お手上げのゼスチャーを施す。
 少女の指摘通り、このアーティファクトは腕時計を模した双子のレーダーと一ダースの超小型発信機がセットとなっている。発信機の方は対象に悟られないミリ単位の細かさが反って災いした事故で何個か紛失済み。ストックは既に十個を下まわっている。
 この汎用性の高い小道具はエジルの本職を支える屋台骨なので、そう易々と手離せる筈もない。当然、ヨシュアもエジルの手持ち凡てを欲している訳ではなく、スペアのレーダーと発信機の何個かで良いと交渉する。
「見習いの立場を逸脱した厚かましい要求で恐縮ですが、五十万ミラまでなら支払える準備があります。もし宜しければ…………」
「すまないが、この話はもう止めにしてくれないかな、ヨシュア君?」
 裏社会の闇オークションでは、七耀教会の回収を免れた様々なアーティファクトが数十万~数百万ミラという破格値で取引されており、実はそこまで悪い商談ではないが、エジルは迷うことなく固辞する。
 ウンザリした訳ではなさそうだが、花崗岩のような明確な拒絶の意志を全身から感じ取ったヨシュアは、かつてジョゼットが不用意な発言でシェラザードをブチキレさせたように自分が触れてはいけない琴線を刺激しかけたのを自覚する。
 テレサ院長が破格の地上げに応じずに最後まで土地を手離さなかったように、あのアーティファクトには単なる商売道具に留まらない強い思い入れがあり、入手する経緯の中でミラでは譲れない大切な拘りが芽生えたのだろう。
「親しさにつけ込んだ厚顔無恥なお願いをして、ごめんなさい。それでは、この件は無かったことにして下さい」
 自らの無粋さを悟ったヨシュアはあっさりと前言を翻し、逆に拍子抜けしたエジルは強かな少女の変心を訝しむ。
「君らしくもないな。それ程のミラを注ぎ込んでまで執心する品なら、「断ればアーティファクトを強制徴収する教会に通報する」とか駆け引きの仕方は幾らでも……」
「裏社会のならず者との交渉なら私も手段は選ばないですが、エジルさんは私の恩人です。そんな大切な男性に礼節を欠く真似が出来る筈ないじゃないですか?」
 社交辞令でなくヨシュアは満面の笑顔で謝意を述べ、エジルは複雑そうに考え込む。
 押されれば反発し逃げられたら追い掛けたくなるのが、人間心理の摩訶不思議さ。色んな意味で意識する少女から謙虚に引かれると、多少なりとも期待に沿わねばという気分になる。エジルは法被の内側の隠しポケットからレーダーと発信機の一組を取り出した。
「エジルさん?」
「正直に言うとね、ヨシュア君。俺のような中堅遊撃士はともかく、こいつは君達姉弟みたいなサラブレットに必要な代物とはどうしても思えないんだ」
「だから二人がツァイス地方で修行する間だけ貸し出すので、本当に多額のミラを費やす価値があるのか見極めると良い」
 エジルはヨシュアの掌にアーティファクトを手渡すと正業に復帰する為に暖簾を降ろして店仕舞いする。
 マードック工房長から直々に任された大口依頼を抱えており、これから二日仕事でレイストン要塞へと赴く。
 尚、アーティファクトのレンタル料替わりとして以前、ボースで虜になった金髪碧眼の美女との再会を熱望。三日後の夜、居酒屋フォーゲルにカリンの扮装で来て欲しいとデートの約束を取り付けるあたり、中々にエジルもチャッカリしている。転んでも只では起きない御仁のようだ。

        ◇        

「失敗か。何がいけなかったのかしら?」
 ティータもエステルも不在のラッセル工房に帰宅したヨシュアは、戦利品のアーティファクトを無感動に掌の上で転がしながら、鏡台に映った自分の顔を見つめて憂鬱そうに溜息を吐く。
 確かにこのアーティファクトは無限の利用法が考えられる便利なアイテムではあるが、エジルが見透かしたようにヨシュアはさほどこの品に執着していた訳でない。店を開く営業資金を手渡す方便として利用したに過ぎないが、物の見事に肩透かしを喰らった。

「この商売、身体を張ってナンボだから、ダンさんのように若くして引退しないとも限らない。だから、俺も今のうちから第二の人生の可能性を検討しておこうと思うんだ」
 カリンとして居酒屋キルシェでエジルと飲み明かした晩、程よく酔いがまわったエジルはツァイスに自分の店を持ちたいというささやかな人生設計を語っており、『定期船失踪事件』を独力で解決し五十万ミラの報酬を受け取れば、その夢はかなうと豪語していた。
 その当時の正遊撃士を見下していた生意気娘は、話半分で聞き入って。
 「十代半ばの小娘が五年で稼げる額を大の大人のブレイサーが十年掛かっても貯められないとか、シェラさん並にその日暮らしの自堕落な生活をしていたのかしら?」
 などと不届きにもせせら笑っていたものだが、その後のボースやルーアンでの貴重な体験を経て、様々な心情の変化が育まれ一部考えを悔い改める。
 特に金儲け全般に関する価値観の見直しが顕著。エステルが常々主張し学園祭の寄付金集めでも証明されたように少女は商いに関する特別な才能を有しており、他人がヨシュアの真似事が出来ないからといっても、それは決して軽視や侮蔑には値しない。
「多分、エジルさん独自の商法を貫いたら店を開くなんて早くて十年は先の話よね。かといって、開店資金を寄進しようにも素直に受け取ってくれる訳ないし」
 預金の五十万ミラは半丁博打に勝っただけの泡銭。マーシア孤児院の存亡にも貢献したことだし、手離すのに何ら未練はない。
 人生の教訓を賜った先君に役立てるのなら無意味に銀行に遊ばせておくよりは有意義なミラの使い途だと思うが、エジルが謂われの無い大金を貢がれてはしゃぐようなオポチュニストならそもそもヨシュアは骨を折ったりはしない。
「内助の功を気取ろうとした私らしくない善行じみた遣り方が、そもそも間違っていたのよね」
 相思相愛なのに一向に進展しない煮え切らないカップルを第三者が強引に仲立ちするような余計なお節介であるのは、当人が重々承知している。
 だからアーティファクトを買い取るという生緩い口実を設けたりもしたが、どうせ出しゃばるつもりなら、いっそ相手側の都合などトコトン無視し思いっきり罠に嵌めてしまえば良い。
 それこそがロレント一の悪女と呼ばれた腹黒完璧超人に相応しい美人局(おもいやり)というものではないか。
「うふふふふっ、エジルさん。エステルなみに鈍いあなたがいけないのよ。こうなったら、五十万ミラの借金を背負ってもらうわよ」
 ヨシュアは妖しい笑みを浮かべながら、鏡の中に自分自身に向かって囁く。
 何やら少女の中で、とんでもないあさっての方角に向かって自己完結したみたい。鏡の世界に住んでいるもう一人のヨシュアの琥珀色の瞳はとても愉快そうだった。



[34189] 16-05:漆黒の福音(Ⅴ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/21 00:01
「はーい、皆さん、こんばんは。ツァイスラジオ局DJのヘイゼルです。今夜も人には言えない恋の悩み相談を受け賜っちゃいまーす。えーと、本日のお葉書はルーアン在住のP.N『学生に身を窶したプリンス』さんから」

『つい最近、とても好きだった少女に失恋してしまいました。彼女が義兄に恋しているのは判っていたのですか、あの日以来毎日眠れぬ夜を過ごしています。部屋を暗くして目を閉じると在りし日の光景が今でも頭の中に浮かび上がってきます。ブルマからスラリと伸びた白く眩しい太股、背中に押し付けられた乳房の柔らかさ、夢のような桜色の唇の感触。ああっー、いけない事と知りつつも今宵も僕はまた彼女を穢してしまう……』

「わおっー、いきなりヘビーなお便りを、ありがとう。くよくよするなよ、学生君。世界中の半分は女なんだし、何時か君も運命のお相手と巡り逢えるよ。そんな傷心のあなたを応援し、元気づける為に、『琥珀の愛』を贈ります。

『流れ行く星の軌跡は、道しるべ君へと続く。
 焦がれれば思い胸を裂き、苦しさを月が笑う。
 叶うことなどない儚い望みなら、せめて一つ傷を残そう。
 はじめての接吻、さよならの接吻。
 君の涙を琥珀にして、永遠の愛閉じ込めよう』

以上、ツァイスラジオ局からDJ(ディスク・ジョッキー)のヘイゼルがお送りしました。それでは、また明日ー」

        ◇        

「なあ、聞いてくれよ、ヨシュア。まずは簡単そうな『臨時司書求む』のクエストから手をつけたんだ。中央工房の各部屋を巡って本を回収するだけの簡単なクエストだと思ったら、美人局みたいに性質の悪い続きがあってさあ」
 日の暮れたラッセル工房。ティータも含めて夕飯の食卓を囲ったエステルは、『臨時司書の残業』に変貌したクエストを司る三枚のメモ用紙をヨシュアに差し出した。

『山里や 池にたたずむ石の人 近寄りて見よ さらば得られん』

『● ●
  ×
 ● ●』

『ああ、丘に立つ3
 1本の糸杉よ。か
 ねの音の長いよい
 んにまどろむ私に
 べつの世の中にあ
 る苦しみが、かる
 く坂を転げる酒樽
 のように近づく。』

「…………何これ?」
「コンスタンツェさんが言うには、昔三冊の本を借りパクした技術者が残した本の在りかの手掛かりらしい。まさか科学都市に来てまで、こんなしょーもない謎々ゴッコに付き合わされるとは夢にも思わなかったけど、お前なら判るかヨシュア?」
 いきなり知恵熱の出そうな難題にぶち当たってしまい依頼の進捗を滞らせてしまった愚兄は愛玩犬のような切ない眼で賢妹に縋るが、少女にしてもここまでヒントが不明瞭だと(特に二番目の訳ワカメな図は何よ?)、常のエスパーモードで決め打ち解答するのは不可能。ただし、三番目だけはイージー問題なので、文章の両端を『縦読み』するように指示する。
「最初と最後を縦読みって…………ええっと、『あーねんべるぐの3かいにある樽。』…………『アーネンベルグの三階にある樽。』か? おおっー、あの意図不明な心情吐出がマジに意味のある文章に化けやがった!」
「ふえぇー、凄いです。ヨシュアお姉ちゃん」
 メモを透かしたり、炙り出しのように火や水元に近づけたと妙な試行錯誤をしていた男二人は感心する。
 せっかくのエステルの一人修行なのに早速お節介を焼いてしまったわけだが、以前に「その人間に思い浮かばない発想は、百年思考を巡らせても決して出てくることはない」と明言したことがある。こういう言葉合わせは完全にエステルの着想の範囲外なので(ティータなら時間を掛ければ気づいた可能性はあるが)、こんな所で無意味に足踏みしても仕方がないので特別に手助けした次第。
 ただ、謙遜でなく残り二つの暗号に関しては現地点では見当すらつかないが、解読済の一文から察するに本は市街の外に持ち出された模様。暖炉前の肘掛け椅子で名探偵を気取るよりは、ツァイス市全域を渡り歩いてヒントに合致しそうな場所を自分の眼と足で確認した方が良いと捜査法の方向転換を勧める。
「確かにその方が俺には向いているわな。ちょうど俺好みの依頼を請け負ったことだしな」
 エステルは虫歯一つない白い歯をニカッと光らせながら、行儀悪く両足をデイニングテーブルの上に投げ出して新品のスニーカーを見せびらかす。
 何でもストレガー社のまだ発売前の最新モデルのプロトタイプ。42195アージュ以上走破して履き心地のモニターをする。御社の熱烈なファンとして小遣いの70%を搾取されている体力馬鹿からすれば、さぞかし遊撃士に就職した有り難みを感じるクエストであろう。
「それはそれとして、このお好み焼きとたこ焼きスゲエ旨いな。やっぱりお前が調理したのかよ、ヨシュア?」
 健康で真っ白な永久歯に青のりを沢山貼り付けながら、エステルは絶賛する。
 お土産として十枚ほどエジルに焼いてもらった作り置きを晩御飯のオカズにしたが、大食漢のエステルはもちろん、見掛けに反して意外と食が太いティータと併せて既に八箱も消費済み。屋台のお持ち帰り用を暖め直しただけとの回答に二人は目を丸くする。
「マジかよ? レンジでチンでこれなら、焼きたてほやほやならどんだけ美味いんだ? 一点物限定とはいえ、ヨシュアに匹敵する料理人がいるとは驚きだぜ」
「はうぅー、ツァイス在住歴十二年。おじいちゃんに連れられて屋台村は結構食べ歩いたつもりだったけど、こんな隠れた名店が潜んでいたとは知らなかったですぅー」
 その屋台は本格焼き物店として近々に新装開店すると聞いた二人は毎日でも食べに行くと確約する。ヨシュアは表情を綻ばせた後、ラッセル工房にはしばらく帰宅しない旨を通達。
 依頼を義兄に全て押し付けて暇を持て余しているニートな義妹の夜遊び宣言にエステルは眉を顰めたが、ヨシュアの猫みたいな気紛れは今に始まったことではない。美容効果に優れると評判のエルモ温泉にでも浸かりに行くのだろうと決めつけ放置することにしたが、ある意味ではクエスト三昧のエステル以上の難問にこれからヨシュアは取り組むのだった。

        ◇        

「おおっ、何だ。あの美人は?」
 翌日のツァイス市。すれ違った九割の男性が振り返る程度の赤いドレスを纏った金髪碧眼の絶世の美女が降臨する。
 言わずと知れたヨシュアが扮装した姿。エジルとの約束まで二日の猶予を残し出没したのには理由があり、この街ではしばらくの間カリンとして過ごすつもりだ。
「あらっ、一等地?」
 どの場所に店を構えるべきか市内を物色していたカリンは、『テナント募集』の貼紙の張ってある三階建ての小ビルを目敏く発見。蒼い瞳をキュピーンと紫色に妖しく光らせる。
 不動産業界には大切な決まり事が三つある。一に場所、二に場所、三に場所だ。
 つまり、それほどに場所というのは重要で、それは食べ物商売でも何ら変わらない。
 いかほどの絶品料理を提供しようとも、山奥の僻地まで訪ねてくるグルメは少数派。ほとんどの人は多少の味より利便性を重視する。一部の突き抜けたマニアよりも、そこそこで愉しむ大多数の人間を取り込むのが商売のイロハである。
「こんな美味しい貸しビルがちょうど空家になるなんて、開始早々ツイてるわね」
 中央工房玄関口右手前に位置し、ツァイス発着所と市内を繋ぐエスカレーターとの三叉路全てに面している。工房から外食に出向く技術者と逆に中央工房に用があってエスカレーターを登る市民。更には飛行船から発着所に降り立った市の来訪者と全ての客層を逃さない最高の立地条件。
 得意のキッピング技術で不法侵入して、さっそく中を覗いてみる。以前も食べ物商売が営まれていたらしく、キッチンや椅子食器類などが居抜き状態で残されている。
 普通は契約を破棄する際にスケルトンにしてコンクリート状態に戻すのだが、前の借主はその費用も捻出できない程に切羽詰まっていたのだろう。そのまま使える調度品も多く化粧直しに掛かるコストを最低限に抑えられそうなので、カリンとしては反ってあり難い。
「二階はお座敷になっているから宴会などの団体客に対応し、三階は事務所として商品の備蓄や従業員の仮宿としても機能する。商売をやるには理想の環境よね」
 貼紙をもう一度確認すると一階は月二万ミラ、二階も同額で三階のみ半値となっている。ビルをまるごと借り切れば月五万ミラの家賃を支払う計算になる。更に契約時には十カ月分の保証金も必要なので、五十万ミラもの現なまを耳を揃えて用意しなければならない。
「…………立地を考慮すればまあ妥当な金額だとは思うけど、これじゃ赤が出てしまうわね」
 内部の改装工事費用や食材の仕入れ金、従業員への手当てなどを考えるとビルのショバ代に全額を費やす訳にはいかない。
 カリンの預金口座には百万を越えるミラが唸っているので、その気になれば追加資金を投じるのは可能だが、当初設定した予算の範囲内で遣り繰りするのが商いの鉄則。
「家賃を値切れないか駄目もとで交渉してみましょう。ええっと、レオパレス不動産? ああっ、スタイン武器商会の二階にある小さなオフィスのことね」

        ◇        

「いらっしゃいませ」
 象牙色のコートを纏った見覚えのある銀髪の青年がエジルに劣らぬ仏頂面でお客を出迎え、カリンは冷や汗を流す。
 メーヴェ街道でヨシュアが叩きのめした釣公師団の暇人の一人。確か『釣帝』とか大層な二つ名を自称していたが、自分やエステルに関する記憶は抹消済み。仮に思い出したとしても、今の金髪碧眼の女性と黒髪琥珀色の瞳の少女を結び付けるのは困難。
 それよりも、これからの値下げ交渉の方が重要。カリンは『レオパレスビル』を全部屋借り受けたいと申し入れ、中央工房の端末からプリントアウトした大陸の路線価などの資料を提出して、相場よりも多少割高であるのを指摘する。
「お客様は中々にゼムリア大陸の土地事情に精通していらっしゃるようで……」
 レオパレスは腕を組んだまま無表情に褒め称え、カリンは心中で嘆息する。
 良く『商人は人を見て値札をつけ替える』と言われる。大陸各所で現地人相手に適正価格で売っている品々を何も知らない観光客には十倍値で売り付けるなどというアコギな商法は日常茶飯事だが、この場合は騙される方が勉強不足なのだ。
 某ダンジョンの冒険者の如く、CHR(魅力)の値が低いとエジルみたいに食い物にされがちだが、カリンのように高ければ逆に捕食する側へ立場を入れ換えられるようで、レオパレスは条件を見直した上で再提示する。
 家賃と保証金をそれぞれ一割削減するとのこと。費やした労力を鑑みれば十分な成果だが、予算配分を考えるともう一声まけさせたいのが本音。
 ただし、今の駆け引きで既に基準地価に達したので、真っ当な商売人ならこれ以上譲る筈もなく、この気難しそうな男性を得意の色香で惑わすのはカリンといえど難しそう。
 「流石に魔眼で操るのはルール違反よね」と裏技の行使を控えたカリンが、ふと周囲を見回す。壁一面に貼られた物件情報の合間に、魚拓と思わしき額縁が複数飾られている。
 「この人は釣りオタクだったわね」と学園祭で『理外の竿』を振り回していた狂態振りを思い出したカリンは物は試しとそれとなく釣りの話題をあげてみると……。
「おおっ、お客さん、お目が高い。俺はこう見えても釣公師団で釣帝と呼ばれた釣道楽でね」
 効果は絶大だった。
 目の前の無骨な青年がキラキラと瞳を輝かせながら、デスクに身を乗り出さんばかりにカリンの目と鼻の先に顔面を突き付けて、釣りの素晴らしさを得々と語り始める。
 寡黙な人物が嗜好とするテーマを割り振られた途端、急に饒舌となるのは彼方此方で見慣れた光景ではあるが、あまりの豹変具合にカリンはタジタジとなる。
「実は長年ツァイス支部長を務めた第二柱の発明家女性の海外赴任が長引いた為に彼女は海外総支部長に転任し、俺が新しくこの地方を統括する使徒の第六柱に抜擢されることになった。まあ使徒と謳っても単なる支店長だから、別段釣行者に比べて釣力が勝っている訳ではないが栄達には違いないな」
「そうなのですか。釣公師団の序列は良く分からないですが、とにかくおめでとうございます」
「大事なことを思い出した。ヴァレリア湖畔のヌシを釣り上げて剛竿トライデントに選ばれたエステルとかいう小僧が、つい先日に釣吉紳士を打ち負かしたそうだ。なぜ、ど忘れして王都に戻ったのかは謎だが、是非とも爆釣百番勝負を挑まねば」
「あのー、まだお話は続く………………」
「ここからが重要な所なんだから、良い所で話の腰を折らない!」

        ◇        

「ふうー、偉い目に遭った。三時間ぶっ続けの講演は聞き上手の私も少々堪えたわね」
 目の下に隈を作ったカリンは窶れた表情で、気分転換にブルブルと首を左右に振りポキポキと凝った両肩の骨を慣らしながら、レオパレス不動産を後にする。
 そのお陰で、ビル全体の家賃が四万ミラ、保証金も六カ月分という出血大サービスでオマケしてもらえたのだから、対時間費用を考えれば破格の時給だが不思議と得した気分になれないのは何故か。
「まあ、済んだことは忘れましょう。最大の難関をクリアしたとはいえまだまだ問題は山積みだけど、次に手間取りそうなのは従業員選びよね」
 開店間際はカリンという万能助手がいるので特に必要ないが、長期的に店を運営するにはクエストで出張気味になる正遊撃士の留守を預かるお手伝いさんの存在が不可欠。
 運悪く休業日に御足労したら、ほとんどの客は二度は訪ねてくれないので、盆正月以外の毎日営業は客商売の基本中の基本。更には店長の無愛想振りを考慮すると、可能ならその分野の欠点を補える人材であるのが望ましい。
 ようするに、カリンのように殿方受けしそうな愛嬌のある若いレディーが適任。
 その上でエジル秘伝のお好み焼きの味をある程度模倣する調理技術と並々ならぬ向上心を合わせ持ち、店主不在時でも一人で店を錐揉みするバイタリティと店のレジを安心して任せられる人柄を兼ね揃えた才色兼備の娘が相応しい。
「なーんて厳しい雇用条件を設けてみたけど、そんな私みたいな優良株。今時、鐘と太鼓で探してもそうそう見つかる筈が………………って、いた?」
 市内を歩く人込みの中から、本来ならボースにいる見覚えのある女人の後ろ姿を視認したカリンは予期せぬ掘り出し物の発見に興奮し蒼い瞳を再び紫色に輝かせた。



[34189] 16-06:漆黒の福音(Ⅵ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/21 00:02
「お久しぶりです、ヨシュアさん。最初に声を掛けられた時は首を傾げましたが、そのお姿はクエスト関係なのですか?」
「ええっ、そう思っていただいて結構です。あと、この恰好でいる時はカリンという源氏名で通しているので、そうお呼びください」
 ツアンラートホテルの喫茶店の一席。
 金髪碧眼の美女に誘われるが儘に向かい合わせの席に腰を落ち着けた妙齢の女性は、「何かスパイ映画に出演しているみたいで、ドキドキしてしまいます」とはにかんだ。
 営業スマイルを染みつかせたカリンと異なり邪念無しの自然体の笑みが零れており、「こういうのを笑顔の素敵なお姉さんというのだろうな」と内心で考える。
「その節はお世話になりました。あの後、彼からお聞きしましたが、定期船失踪事件を解決したのは本当は王国軍ではなく、ヨシュ…………じゃなくてカリンさん達ブレイサーだそうですね。フィネルの命を助けてもらって、何とお礼を申し上げれば良いか」
「頭を上げてください、カトリアさん。私やエステルはブレイサーとして当然のことをしただけですから」
 深々とお辞儀するカトリアを窘めながら、更に思考を巡らせる。
 彼女はボースマーケットでカステラ屋を営んでいたが、そこに至る経緯はやや複雑。元々その小店は空賊に拉致された婚約者が立ち上げたもので、生粋の商売人であるフィネルはカトリアが手塩に育てた屋台を引き継ぐのを潔しとせずに、新たな商売を興す為に王都に旅立った。
 短期間で極上カステラを習得した料理センスと彼氏の屋台を守りながら健気に帰りを待ち続けた芯の強さを兼ね揃え、更には裏のない微笑みで多くの男性客を虜にして店を繁盛させた実績もある。まさしくカリンが探し求めていた逸材ではあるのだが。
(さっきはつい柄にもなくはしゃいじゃったけど。冷静に考えてみれば、ボースにお店を持っているこの人が別の街でバイトする筈がないわよね)
 少しばかりトーンダウンしながらそれでも未練がましく「ツァイスにはご旅行でいらしたのですか?」と日常挨拶に一縷の望みを託して質問すると、「これからこの土地で仕事を探すつもりです」との出来すぎた回答に思わず机の下でガッツポーズを構える。
「実は私はツァイス市の出身で、実家がこの街にあるのです。女手一つで私を育ててくれた若い頃の無茶が祟って母はずっと伏せがちだったのですが、最近特に症状が優れなくなったので一緒に暮らすことにしたのです」
 母親は決して寝たきりという訳でもなく、ボースからでも定期船を使えば数時間の距離だが、やはり目の届く範囲で看取りたいという思いがあるのだろう。
「親孝行なのですね。それではマーケットの『カトリアのお店』は畳まれたのですか?」
「いいえ、溜まっていた屋台のリース料も払い終えたので最初はそのつもりだったのですが、毎日熱心に買い物に来てくださったお客様が「店は僕が守るので、何時が帰ってきて下さい」と受け継いでくださりました」
 そのガンツという常連客は彼女とのマンツーマン特訓の成果で辛うじて店頭に並べられるレベルのカステラを焼き上げられるようになり、赤字にならない程度の利益は出せていだ。
「それにしても最初は玉子焼きも満足に焼けなかったガンツさんが血の滲むような努力でレシピを再現できるようになるなんて、あの人は本当にカステラが大好きなのですね」
「その男性が本当に好きなのはカステラじゃないと思いますけどね」
 少しばかり呆れた目線で、カリンは目の前の和み系の美人を見つめる。
 どうやら鈍いのはエステル一人の専売特許ではないらしい。自分みたいに相手の想いを理解して積極的に付け入るのと、彼女のように何らの悪意もなく結果的に利用してしまうのでは、どちらの業が深いのだろうか?
 いずれにしても、フィネルのカステラレシピは恋のリレーによって次々に新たな人間に引き継がれボースの地に根付いている。
「お姉さんも罪な人ですね」
「えっ?」
「いえ、何でもありませんわ。それではツァイスでも屋台村あたりでカステラ商売をするつもりですか?」
 ここまで会話が煮詰まれば次の返答は想像がつくが、社交辞令として一応そう尋ねると、「そこまでの資金はないので、バイトを探すつもりです」との期待通りのリアクションが齎される。
「といっても、私は無学な粗忽者で調理以外に何の取り柄もないですから可能なら引き続き飲食物関係のお仕事を…………?」
「なら、決まりですわね。是非とも一緒にお好み焼き屋で働きませんか?」
 机に身を乗り出さんばかりの勢いでカトリアの両手の掌を強く握りしめると、カリンは一枚の雇用契約書を差し出した。

        ◇        

「まあ、とても素敵な小ビルですね。ここで新しく店を開かれるのですか?」
 カリンに導かれて『レオパレスビル』を訪ねたカトリアは、営業予定店舗の内部を確認しキラキラと瞳を輝かせる。
「正規の業者に化粧直しを依頼するつもりですが、コストを抑える為に可能な限り整頓してもらえると助かります。お願いできますか?」
 まずは隅々にまで積った埃を綺麗に拭き取り彼方此方に散乱する調度品を使える物とそうでない粗大ゴミに仕分けなければならず、素人ならどこから手を着けて良いか判らずに思わず泣きたくなりそうな惨状だが。
「任せて下さい。炊事、お掃除、お洗濯、全て大好きですから」
 一から何かを築き上げる労力は他者の作り上げた基盤を引き継ぐ比ではないが、その分得られる達成感や充実度も格別。克服し甲斐を感じたカトリアは早速勤労に取りかかった。
「私はビルのお掃除お姉さん、モップを使って綺麗きれいするのー」
 学歴無しと謙遜したが花嫁修行の方は怠らなかったほんわかお姉さんは、三角頭巾にエプロンを纏いハミングを口ずさむ。掃除機で溜まった塵を吸い取り適度に調度品の配置換えを行いながら、破棄物を部屋の隅っこに隔離。ゴミ溜めで足の踏み場もなかった部屋がみるみる片づけられていく。
「カトリアさんに声を掛けた私の目利きは正しかったみたいね。この場は彼女に一任して私は次の実務に取り組みますか」
 そう独り言を囁いたカリンは、階段を登って三階の事務所に篭もると片っ端から電話を掛け捲くった。

「メイベル市長ですか? 私です。いえいえ、マーシア孤児院の再建の方はテレサ院長の要望を聞いてじっくり取り組んで頂いて構わないですが、急務で頼みたいことがあります。新しく店を開業するつもりなので、明日には動けるフットワークの軽い内装業者を市長さんのツテで紹介してもらえないでしょうか? いいえ、お寿司屋ではなくて、お好み焼き屋です。えっ? 私は鮨だけでなく関西焼きにもうるさいから、共和国での大口取引の帰りにでもヴェルフ砦経由でついでに店に寄らせてもらう? ええっ、お待ちしております。とりあえず手配の件をよろしくお願いします」

「あっ、フランツさんですか? お久しぶりです、ヨシュアです。はい、私もエステルも息災ですが、ティオは元気にしていますか? えっ? 最近居酒屋のバイトが忙しくて、農作業をサボり気味で困っている? その件には私も関わっているので心苦しいのですが、商談の方を宜しいでしょうか? この程、ツァイスに新しくお好み焼き店をオープンすることになったので、パーゼル農園と専属契約を結びたいのですが…………。本当に助かります。お好み焼きは粉を焼くのではなく実はキャベツを焼くものですから、パーゼル自慢の新鮮寒玉キャベツなら、尚更味が映えるというものです。それではこちらの住所宛に飛行便の速達でお願いします」

「あら、エリッサ。懐かしいわね。元気にしてた? あなたのお父さんに頼みたいことがあるんだけど、居酒屋アーベントで仕入れている宴会用の焼酎をこちらにも回して………………えっ、ツァイスにちょうど地酒を扱っている問屋があるから紹介してくれる? 助かるわね、それじゃそちらに連絡してみる………………何々? ティオが電話を代われって、凄い剣幕で喚いているですっって? 駄目よ、正遊撃士に昇格するまで、私は心の友には会わない…………そう胸中に秘めていたから、これで切るわ。じゃあねぇー」

「長老ですか? 私です。駄目元でお頼みしたいことがあるのですが宜しいでしょうか? 実はツァイスでたこ焼きとお好み焼きの店を始めることにしたのですが、イカはともかく蛸は大陸全体で不漁で価格が鰻登りですから、共和国から直輸入していたらとても商売にならないのです。築地でも不足気味なのは承知していますが、もし新たなルートを開拓出来ていたら………………。えっ? 実はとんでもない量の蛸のストックを隠し持っているけど、一気に放出したら折角跳ね上がった相場が値崩れを起こすので冷凍保存して市場に小出ししているが、嬢ちゃんになら特別に安値で分けていただける? わーい、おじいちゃん、大好き。へっ? その件に関しては、私が紹介したスチャラカ演奏家の功績だから別に恩にきることはない?」
(オリビエさんが役立ったって、しかも稀少な蛸が大量入手できた要因って、もしかしてクラーケンでも仕留めたのかしら? エステルが冗談めかしたように触足一本もあれば余裕で数年分の在庫になりそうだし…………って、まさかね。人力でどうにかなるサイズでないから、それこそ軍艦でも持ち出さなきゃ勝負にすらならないでしょうし)

「これで、大体の準備は整ったかしら?」
 野菜、酒、魚介類などの焼き物にかかせない食材を思いつく限りの最高級品で、しかも定価よりも格安で仕入れるのに成功。カリンの要望通りに明日には店の化粧直しを始められる手筈になっている。
 まさしく、こつこつと積み重ねてきた人脈の勝利であるが、まだ一つ心残りがある。
 それはキャベツと並ぶ具の主役である豚肉。エジルはカルバード名産の黒豚を使用しているが、共和国でしか飼育されていないこの高級肉はボース商人にすら仲卸が存在せず、関税その他の緒経費にお客様本意の良心価格設定を考慮すると利益がほとんど見込めなくなる。
「そういう採算度外視商法からはいい加減に脱却させないと、近い将来倒産するのは目に見えているわ。けど、安くて美味しいお好み焼きを多くの人に食べてもらうのがあの人の譲れない信念みたいだから、味でも値段でも妥協する筈もないし。何か黒豚の替わりになる安価な新食材を発掘する必要性があるわね」
 そう決意すると、左手首に巻いた腕時計に模したアーティファクトのレーダーを覗き込む。
 悪戯心でエステルに密かに取り付けておいた発信機が点滅。凄い勢いでトラット平原道を走破して、もうすぐ市街地に戻ろうとしている。
 どのようなメカニズムによるものか見当も及ばないが、レーダーには俯瞰から見下ろしたある程度の地形図が表示される。更には数段階に縮度を切り換えられて、最小で市街単位、最大だと何とゼムリア大陸全土という信じられない広範囲の性能を誇っており、その上で移動距離まで表示されている。
「…………今日一日だけで、20000アージュは走ったみたいね。本当に底無しの体力馬鹿というか……」
 他のクエストをこなす合間に例のストレガー社のスニーカーを張り切って履き潰しているようだ。ツァイス全土を一周するとちょうど42195アージュになる計算だが、この調子だとツァイス全域を三周ぐらいは駆けずり回りそうである。
「それにしても、このナビゲーション。アーティファクトとはいえ、ちょっと異常な性能よね。本気で買い上げようと思ったら百万ミラでも安い買い物みたいだけど、こうなると手離すのが惜しくなってきたわね」
「私が極悪人だったら紛失したと嘘泣きして強引に泣き寝入りさせる所だけど、私は天使のように清廉潔白な心の持ち主だからそんなあくどい真似はしないけどね」
 そうカリンは心中で嘯く。そもそも本当の紳士淑女なら、数百万ミラの翠耀石をクエストで運搬した時のエステルのように持ち逃げしようなどという発想自体芽生えない。
 もしかしなくても、エジル氏はレアアイテムを託す相手を間違えたのかもしれないが、きちんと有効利用は成されている。
 エステルが市内に入ったのを確認したカリンは、次なる布石の一手を打つ為にこれからギルドに顔出しする旨を告げる。整理整頓に精を出すカトリアに留守番を頼むとレオパレスビルから出ていった。



[34189] 16-07:漆黒の福音(Ⅶ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/22 00:01
「お帰りなさい、ヨシュア。その出で立ちは、どういう心境変化の顕れかしら?」
 遊撃士協会(ギルド)のツァイス支部の扉を潜った途端、受付の席で瞑想のように目を瞑っていたキリカは開眼することなくカリンの迷彩を看破。ヨシュアは冷や汗を流す。
 つぶさな観察の成果か、はたまたキールのような女の勘か? ほとんど面識がないにも関わらずにナイアルのように妙に鼻が効く女性である。
「まあ、その姿でいてもらえるとキャラが被らなくて私もありがたい」
 外国籍の黒髪ロング美人で武術の達人で人一倍頭も切れる。おまけにツァイス到着時のヨシュアは東方の民族衣装である八卦服(チャイナドレス)を纏っていた。
 言われてみれば重なる部分が結構あるが、もしかしてキリカはギャグをかましたつもりなのか?
 キャラクター的にそういうユーモアがあるようには見えないが、色んな意味で非常識なこの女傑は人物鑑定眼に優れるヨシュアをして読みきれない所が多々ある。場を和ませるジョークなのだと強引に自分に言い聞かせて、この街ではしばらくカリンの扮装で過ごす旨を伝えた上でエステルを名指しでクエストを申し込んだ。
「確かに承った。あなたなら自作自演(マッチポンブ)という訳でもないでしょうし」
 キリカのいうマッチポンプとは、BPが不足しがちな準遊撃士が実績作りに自らの懐を叩いて依頼を捏造することで、大抵はミラで雇った第三者を媒介にし自分宛のクエストを持ってこさせる。
 歩合制の帝国の保険の勧誘員などが良く使う手口。所定の契約数に達しない時に架空の契約者をでっち上げる訳だが、己が身銭を切り続けるリスクの底知れなさは態々説明するまでもない。
「セールス業界はいざ知らず、ブレイサーの世界では無駄な努力と言っても差し支えない」
 不自然に見習いを指定した依頼が増えて、怪しまないようなマヌケな受付はいない。浅知恵を働かせる暇かあるならもっと己を研鑽すべきとキリカはあっさり切り捨てたが、カリンはそういう遣り方もあるのかとむしろ感心する。
 一見万能選手と思われがちだが、『出来ること』と『出来ないこと』の長短所が明瞭なカリンは特技を上手く応用し不得手科目を解消するのに意義があると思っている。
 重い荷を運ぶ場合、不向きな腕立て伏せで半端な筋力をつけるより、得意の色香で脳筋男性を誑かしてアッシー君を作る方が遥かに運搬効率が良いので、殿方に取り入るのも実は弱点克服活動の一環である。
(多分キリカさんは己を曲げることなく王道的な能力で、人生のあらゆる難局を力業で捩じ伏せてきたのでしょう。その意味では私と同じく凡人の気持ちが分からないタイプの人間ね)
 ヨシュアやキリカにしても絶望や挫折の体験がないわけではないが、常人がます躓く才能の壁に直面したことが皆無な以上、弱者に理解や共感を示すのはエステルが言うように単なる欺瞞であり、その潜在能力と居住する世界の違いを認めた上でカリンはエジルにお節介を焼くつもりだ。
「やっほぉー、キリカさん。トラット平原道の手配魔獣を討伐してきたから、クエスト報告を………………って、アレ?」
 決してギスギスしていた訳ではないが、まるで抽象画家の描いた風景のようにグニャグニャに歪んでいた女丈夫二人を取り巻く異様な空間に空気を読まないノーテンキ者が乱入。世界は平常な形を取り戻した。
「何か妙に殺伐とした気配を感じたが俺の勘違いか? ところで、えらい別嬪さんがいるけど、もしかして依頼人?」
 金髪碧眼の美女をジロリと一瞥したがヨシュアと気づかれることなかった。安堵すると同時に微妙な乙女心から落胆する。
 エステルは思考よりも直感で生きている上に様々な窮地を切り抜けてきた野生本能的な第六感も基本的には身に類が及ばない限り発動しないので、未熟な観察眼でカリンの擬態を見抜けよう筈もないが、それでも奇跡を起こして欲しかったのが本音。
「あなたがキリカさんの紹介にあった準遊撃士のエステルさんですか? 実はあなたを見込んで頼みたいことがあるのです」
 もちろん、そんな心中の不満はおくびにも出さず。営業スマイルとは別種の穏やかなカリンスマイルを献上しながら、プロ声優並に声色を変化させて、『やっちゃえ、食材ハンター』の依頼書を差し出した。
「ツァイス地方にいる獣系の魔獣食材を可能な限り調達してくる? こりゃまた、えらく風変わりな依頼だなあ」
 エステルは腕を組んで首を傾げる。
 期限は三日以内と緊急な上にこの地方には五十種類近い魔獣が生存している。中々に骨が折れそうだが、クエストということであれば否応ある筈もない。
「ゼリータイプや蟲系の魔獣は無視して構いません。報酬は完全歩合制で一種類につき五百ミラの査定なのでジャンジャン狩り集めてきて下さい」
「よっしゃあ、任せておきな、お姉さん。期限内に指定された魔獣食材をレオパレスビルまで送り届ければいいんだよな?」
 危険で手間暇掛かる割にはなぜかBPが最低ランクという不思議なクエストだが、二十匹ほど収集できれば一万ミラにはなる計算。ヨシュアに内緒の小遣い稼ぎとしては申し分ない。
 エステルは頼もしそうにビシッと親指の指紋を見せると、カリンから食材リストを受け取り、時は金なりということで休憩する間もなくギルドを飛び出していく。
 今日半日だけで20000アージュは走破したのに、日が落ちるまでに可能な限りの魔獣をハンティングするつもりで、本当に呆れるばかりの底無しのバイテリティだ。
「ご協力に感謝します、キリカさん」
「礼には及ばない。現状ツァイス支部で最適なのはエステルに違いないから、贔屓目無しの人選だっただけ」
 キリカは突慳貪としてそう答えるが、規定により同業者による依頼は最低BPと定められている。期限の短さとツァイス全土の広大さを考慮しても、正遊撃士がこんな割の合わないクエストに手を出す筈もなく、適任者は見習いのエステルしかいなかった。
「それにしても、随分と良いタイミングでギルドに依頼を持ち込んだものね。まるで、予めエステルの帰還が判っていたかのよう」
(ここまでくると、勘が良いというよりもほとんど超能力の域ね)
 まさかアーティファクトの存在にまで気づいているとは思えないが、一連の流れのタイムラグの無さを偶然とは見做していないようだ。
 当人もサトリの妖怪扱いされているが、あまりにエスパーモードを乱発すると他者に息苦しい思いをさせる場合があるのを『人の振り見て我が身を直せ』の諺通りに学習する。
 しばらくはギルドに用はない。エジルとの約束までに済まさなければならない雑務が山積みなので、キリカに挨拶してカトリアの待つレオパレスビルに戻ることにした。

        ◇        

「ただいま…………って、これは一体何事?」
 ビルに足を踏み入れた刹那、別天地が開けていてカリンは唖然とする。
 整頓作業は完了したようだ。粗大ゴミは全て室外に持ち出され、部屋の中はカリンの金髪のようにキラキラと光り輝いている。意地悪な姑のような仕種でつーっと窓のレールに指を這わせたが、指先には何も付着されなかった。
「塵一つ落ちてない。こんな短時間で、全部終わらせたというの?」
「お帰りなさい、カリンさん。私なりにお好み焼きを焼いてみたので、良かったら試食してもらえませんか?」
 台所でいそいそと調理に勤しんでいたカトリアが両手を差し出すと皿の上にホッカホカのお好み焼きが載せられている。
 チラリと厨房を覗き見すると、キャベツや小麦粉などの食材が散乱している。近所のベル・ステーションまで一っ走りして態々買い求めてきたみたいだ。
 あまりのフットワークの軽さに突っ込みたい所は色々とあるが、それらは後回しにする。折角の出来立てなので、湯気が冷めない内に箸を伸ばした。
「即席で作ったにしては悪くない。あなたにはセンスがある」
 同性評価に辛口の傾向があるカリンとしては、恐らく上級の賛辞。
 実際に屋台村で食べ歩いた店舗と較べても遜色ないが、二人が模倣しなければならない味は遥か彼方。
「これが、この店で提供する予定のお好み焼きよ。昨日の夕飯の残り分だけどね」
 戸棚の奥からラップされた二箱を取り出して、レンジの中へと放り込んだ。
「美味しい。これは、フィネルのカステラよりも手間取りそうですね」
 劣化した作り置き分にして出来立てホヤホヤを大きく凌駕する絶品具合に潔くレベルの違いを認めながらも、決して心は折れることなく。どうやってこの味を再現しようかウズウズしているように見受ける。
「手子摺りそうって、カトリアさんは婚約者からレシピを受け取っていたのではないのですか?」
「まさか、秘伝のラーメン汁は一子相伝で一番弟子にしか伝授しないように、家族とはいえレシピを他人に公開する料理人はいませんよ」
 カトリアは澄まし顔でそうはにかんだが、今はその笑顔がなぜか恐い。
 見様見真似で独力で極上カステラのレシピを完成させたようだ。清掃に関する要領の良さや味を追求する貪欲さといい、ここまで手際が良いと頼もしさを感じるよりも逆に不安になってくる。
(フィネルさんみたいに、エジルさんのお店も乗っ取られるなんてことにはならないわよね?)
 カトリア本人にヨシュアのような打算や裏心がないのは明白だが、穿った見方をすれば彼氏を店から追い出し片思いの男性に後始末を押し付けたと取れなくもない。色々と天然悪女の資質を秘めた女人なので、迂闊に命綱のレシピを手渡したりしないようにエジルに警告しておいた方が良さそうだ。

        ◇        

「待った、エジルさん?」
「今来たところだよ、カリン君」
 二日後の十六夜の夜。居酒屋ファーゲルのバーカウンターで、柄にもない正装にめかし込んでそわそわしていたエジルは無骨な表情を綻ばせながら取り繕う。既に食前酒を二杯ほどお代わりしており、約束の時刻から一時間近くは待たされていた。
 決してカリンが時間にルーズなのではなく、焦らすのも全て計算の内。デート費用を全額受け持たせるのと男性より先に待ち合わせ場所には行かないのが、殿方を立てる女の甲斐性だと信じているからだ。
「もう一度再会出来て嬉しいよ。今日は俺の奢りだから好きな物を注文していいよ」
 エジルとしては男女均等法に基づかないヨシュアの一方的なデート観を受け入れられた訳ではないが、周囲の酔っ払いが羨むレベルのボースで恋い焦がれた絶世の金髪美女とこうして巡り会えたのだから、多少の遅刻や出費は許容範囲内。二日仕事で稼いだ高額クエストの臨時収入もあることだし、大奮発して店の高級料理と最高級のワインを持ってこさせた。
(本日が悪巧みの総決算ね)
 当人の与り知らぬ所で色々と好き勝手に話を進めてきたが、最終的にはエジル本人の了承を得なければどうにもならない。とはいえ、カリンからしてみれば実はわりかし難易度の低いミッションだったりする。
 ボースでの一夜で、既にエジルの酒量と酒癖は完璧に見切っている。普段は寡黙な御仁が一定量を越えると自分語りを始める傾向がある。
 案の定、ワインを二瓶程消費した頃からエジルの口数が多くなる。仕事に対する愚痴や将来への不安など、遊撃士としては不用心な発言が目立ち始めた。
 このまま正体不明になるまで酔い潰して、全てを後の祭としてしまえば良い。

「ぷっはぁー、やっぱり大仕事を終えた後の一杯は格別だな」
「さっきから注ぐペースが早いけど、酔わせてエッチなことしようとか企んでいない?」
「はっはっはっ。ボースの時はいざ知らず、君みたいな酒豪相手にそんな大それたことは目論んでいないさ。今日は一緒に楽しく酒が飲めれば、それで十分満足さ」
(欲がないのね。そういう所はエステルとそっくりね)

「そりゃ俺だって、このまま終わるつもりはないさ。腕には自信があるし、もっと多くの人に俺のお好み焼きの味を知って欲しい野心もある。けど、銀行は担保無しじゃミラは貸してくれないし、ギルドを辞めても退職金が出るわけじゃないからな。にっちもさっちも行かない状況とはこのことだな」
「ふーん、なら店の営業資金を提供してくれる足長おじさんがいれば、問題ないわけね?」
「まあ、そんな奇特な奴がいるならな。中にはシェラザート君みたいに借金を踏み倒しまくる怪しからん輩もいるから、こういう時はブレイサーの社会的信用も今一つ当てにならないしな」
(そういえば、もう三万ミラ近くもシェラさんの飲み代を立て替えたけど、何時になったら完済されるのかしら?)

「………………うぃ…………ひっく。…………あれっ、カリン君が三人いる? 何時、対集団戦闘技の漆黒の牙を発動させて分裂したんだい?」
「やだなあ、エジルさん。カリンは何時だって一人ですよ。ささっ、ぐぐっともう一杯いきましょう……」
(大分、呂律が回らなくなってきたわね。後もう一押しといった所ね)

「………………ひゃい…………ひっ…………ひっく。よーし、こうなったらパパ、お好み焼き屋始めちゃおうかな?」
「きゃあー、頼もしいわね。それじゃ、この書類にサインしてくれる?」
「………………うっく…………ひっ……ひっく…………。うっぷっ…………これで良いのかな?」
「ええっ、これで明日から、あなたは一国一城の主よ、エジルさん」
「そうか、そうか…………。俺が一国一城のあるじ………………zzz………………・」
(よっしゃあー。今の発言はキッチリとボイスレコーダーに録音して言質は取ったし、もう言い逃れは出来ないわよ。予想以上にチョロイお仕事だったわね)

「ふうっ、終わったわよ、カトリアさん」
「とっても素敵な美人局でした、カリンさん。以前、フィネルと一緒に見た映画の一場面みたいで、ドキドキしてしまいました。まさに行きずりの女性に酒を飲まされて、一千万ミラの借金の連帯保証人に仕立て上げられた悲劇の主人公さながらですね」
「………………とりあえず、目が醒める前にレオパレスビルの方に運ぶわよ」
「了解です。この殿方が私たちの旦那様になるお人なのですね?」
「ええっ、しばらくは養ってもらうから、そのつもりで……」
(この女、何か明らかに今の状況を愉しんでいない? 大の男を一人で肩で背負えるとか、見掛けによらず力もあるし)

        ◇        

「………………んっ、ここは?」
 小鳥の囀りと眩しい朝日の光に、エジルは目を覚ました。
「俺の部屋の筈はないよな……」
 長年借りていた母屋は家賃の滞納が祟って、大家から叩き出されてしまった。半年前からギルドの仮眠室を根城としたシェラザードのような根無し草状態を続けているが、元々出張多寡で不在気味の仮宿にミラを払うのに疑念を感じていたので特に支障はない。
「それより、ここはどこだ? 昨晩はカリン君と飲み明かして、一国一城がどうたら言っていた気もするが。まさか、あのまま酔い潰れてカリン君と一夜を共にした…………なんて虫の良い話はある筈ないよな」
 二日酔いでガンガンする頭を振りながら、徐々に正常な思考能力を取り戻す。
 世間擦れしたエジルは、「寝ている間に七人の小人が難問を片づけたくれた」などの旨い話は信じない性質だ。まさか目が覚めたら本当に店主に生まれ変わっていたとは想像もつかなかった。
「おはようございます、店長。昨日はぐっすりとお休みでしたね」
 カリンが三階の階段を駆け上ってきたが普段の真っ赤なセクシードレスでない。金髪をポニーテイルに結わいて白のトレーナーにミニのデニムスカートの上からエプロンを纏うという実に活動的なスタイルだ。
 こんな庶民的なラフ姿でも溢れ出る色気は抑えられず。これはこれで目の保養だなと鼻の下を伸ばしながらも、聞き逃せない単語の意味を問い掛ける。
「ヨシュア君…………尋ねたいことは山程あるけど、とりあえず店長とは一体…………」
「やだなあ、エジルさん。この姿でいる時はカリンの源氏名でお願いします。それと店長は他でもないエジルさん、あなた自身のことですよ。昨晩の会話をお忘れですか?」
 明らかに「してやったり」の悪戯っ子の表情で微笑むカリンに嫌な予感を覚えたエジルは必死に記憶の糸を探る。
 うろ覚えながら、纏まったミラさえあれば店を開けるとヨシュア相手に管を巻いたので、意外に小金持ちの少女が気を利かせて開業資金を肩代わりしたということか?
 エステルなら半日は自問自答しそうな結論にベテラン遊撃士らしい怜悧な思考で真っ先に辿り着いたエジルは、少女の思いやりに感謝しながらも常識人として一蹴する。
「いけないよ、ヨシュ…………いや、カリン君。気持ちは有り難いけど、そこまでしてもらう程の義理は…………」
「何を寝言をほざいているのですか、エジルさん。私は自らの利益の為にエジルさんを騙して型に嵌めただけですから恨まれはしても感謝される道理はないですよ。ほらっ……」
 カリンはニコニコと微笑みながら、一枚の契約書をエジルに突き付ける。
 既に何度も活躍した借用書。『甲(エジル)は、乙(カリン)から、店の営業資金として五十万ミラを借り受けた』という趣旨だが利息が法外だ。
 何と十日で一割の所謂『トイチ』という奴で、こんな暴利は今時裏社会の闇金融でもそうそうお目にかかれない。
「ヨシュア君。これは明らかにリベールの利息制限法を超越しているし、ご無体すぎなのでは?」
「カリンとお呼びください、エジルさん。まあ、確かに年率20%以上の利息を返済する法的義務はないですが、元金は別ですよ。既に五十万ミラは開店費用に全額費やされていますし、その証拠も揃っています」
 カリンは更にいくつかの物証を仄めかす。
 恐らくは七十七の特技であろうエジルの直筆と寸分も違わない偽造サインで契約されたレオパレスビルの賃貸契約書。『よーし、パパ。店開いちゃうぞ』の生声が記録されたある意味では法的証拠というよりも知り合いに聞かれたらイメージ的に不味い代物や、酔った勢いとはいえ偽りなくエジルが署名した借金の契約書など。これだけ物証が豊富なら裁判に持ち込まれても勝訴は余裕であろう。
「カリン君……」
 エジルは諦観した表情で女詐欺師を見下ろす。
 罠に嵌められたことに相違ないが、トイチ云々の儲け話が意外と性格が不器用な腹黒完璧超人の照れ隠しであるのを見抜けない程、エジルは愚鈍ではない。
 何よりもここまで大胆な策で退路を断ってくれなければ、エジルも思い切れやしないだろう。
 元々極めて人の良い先輩遊撃士はサラブレットの姉弟の出世を妨げないように、二人がツァイスで修行する間は副業稼業の方に精を出すつもりだったので、人生の賭けに出るには良い潮時なのかもしれない。
「やってみるか……」
 そう覚悟を決めたエジルはカリンの頭を撫でて、金髪碧眼の美女は少しばかり表情を幼くして笑みを零した。
 店が軌道に乗るまでの間、面倒見の良いカリンが手伝ってくれるのは疑いない。それは少女の別人格に複雑な情念を寄せるエジルにとっても決して悪い取引ではなかった。



[34189] 16-08:漆黒の福音(Ⅷ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/22 00:01
「はーい、皆さん、こんばんは。ツァイスラジオ局DJのヘイゼルです。今夜も人には言えない恋の悩み相談を受け賜っちゃいまーす。えーと、本日のお葉書はロレント在住のP.N『居酒屋看板娘』さんから」

『こんにちは、DJのお姉さん。私と親友の二人は幼馴染みの男の子がとても好きだったのですが、結局、私達は想いを告げることなく、もう一人の仲が良かった義妹と一緒に少年は故郷の町を出ていってしまいました。最近届いた手紙で、二人は街から街へと渡りながら色々と上手くやっているみたいで嬉しいやら切ないやら複雑な気分なのですが、問題なのは親友の方です。振られた(というか、そういう段階にすら達していなかったけど)ショックで自棄になったのか、最近私を見る目つきが奇しいのでとても困っています。更衣室でメイド服に着替える時にも、突然後ろから抱きついてきたりして。私にはそういう趣味も傷の舐め合いを演じる気もないので、どう対処したら良いか判りません』

「わおっー、これまたヘビーなお便りをありがとう。確かに友達だと思っていた相手に実は想われていたりしたら驚くわよね。特に同性だった場合は尚更恐いわよね。けど、義妹さんと手と手を取り合って駆け落ちするなんて、そのお義兄さんもやるわね。まさに愛の逃避行。ああっー、許されざる恋の悲劇…………はて? 義兄とか義妹とか前回の手紙と被るけどまさか同一人物…………なんて偶然あるわけないよね。そんな悩めるあなたを励ます為に『空の軌跡』を贈り…………えっ、前回もそうだけど全然恋の悩み相談になっていないって? こりゃ、失礼しました。あちゃー、時間がなくなっちゃったので『空の軌跡』の演奏はまた今度ね。以上、ツァイスラジオ局のDJにして中央工房受付の二足の草鞋を履くヘイゼルがお送りしました。それでは、また明日ー」

        ◇        

「ぜえぜえ。えーと、ここがレオパレスビルだよな?」
 期日内に何とか目標数として掲げた数を狩り集めるのに成功したエステルだが、ヨシュアのサポート抜きでの連戦は相当堪えたようで身体中に生傷が絶えない。
 「乱数が悪いのか装甲ウサギは中々食材を落とさないし、ミラに釣られてホイホイ引き受けちまったが、予想以上に面倒臭いクエストだぜ。コイツをクローゼから貰ってなければヤバかったかもな」
 全て無属性(フリースロット)の戦術オーブメントの中央メインスロットに嵌め込まれた水属性クオーツをチラ見する。
 『治癒』にはその名の通りに自己治癒力を高める効果が封じられている。元々回復力の高いエステルが装着すれば、多少の傷痕は移動中にかさぶたが塞いでしまう。
 やはりというかクローゼの所持するクリムゾンアイはヨシュアのお古らしく、別れ際のお返しの餞別として二人に手向けられ、漆黒の牙は戦闘スタイル的に傷を負うこと自体論外なので前衛特化型で負傷率の高いエステルに譲渡された。
 工房でも合成不可な中々に稀少なクオーツなのだが、学生さんはしばらく荒事に縁がないだろうし(※この予測は後に悪い意味で裏切られるのだが)、どのみち新型が出回れば旧式クオーツは全てゴミと化す。
 故に賞味期限の残されている中に現役遊撃士に有効活用してもらえるよう寄贈され、単独修行中のエステルは治癒の恩恵にあずかりっぱなしである。
「王都の聖誕祭でクローゼと再会したら借りを返さないとな。にしても、これだけ身体を張っても全然BPに結びつかないなんて、本当に結滞なクエストだな。まあ、三日仕事で一万ミラなんて高額クエスト並の稼ぎだから贅沢は言えないか」
 財布の紐は守銭奴の義妹にきつく握られ、貧乏兄貴が自由になる小遣い銭は少ない。こっそり着服してヘソクリにしようと依頼人のカリンの正体も知らずに皮算用したエステルは、中央工房玄関口右手前のお目当ての小ビルの変化に首を傾げる。
 以前は廃ビルに思えたこの建物が、綺麗に模様替えされている。正面入り口には『エジルお好み焼き店』と縫われた暖簾が掛かり、近日オープン予定の貼紙まで貼られている。
「以前、ヨシュアが口にした新装開店するお好み焼き屋のことか? 店名からすると、あのお好み焼きを作ったのはエジルさんなのかよ?」
 半信半疑のまま暖簾を潜ったエステルを、見知った懐かしい面々が出迎えてくれた。
「あらっ、エステルさん。ボースではお世話になりました。義姉のヨシュアさんとは一緒じゃないのですか?」
「やあ、エステル君。ツァイス市にようこそ。俺はしばらく副業に専念するつもりなので、市の平和を宜しく頼むよ」
「まあ、エステルさん。クエストで頼んでおいた食材を届けて頂けたのですね? 今ちょっと手が離せないので、そちらの棚に置いておいて下さい」
 業者による化粧直しでお好み焼きとたこ焼き専用の鉄板が埋め付けられた厨房で、法被に鉢巻きを巻いたエジルが球状の穴凹がたくさん空いた鉄板に油を引きながらたこ焼きの調理方法をレクチャーして、顔馴染みの女性二人は熱心に手順を学んでいる。
「カリンさん…………それとカトリアさんまで、何でエジルさんと一緒に?」
 そう尋ねてはみたが、事態は明白。私服姿の女性たちは暖簾と同意匠のエプロンを身につけており、店の従業員なのだろう。
 なぜボースのカステラ屋のお姉さんがツァイスにいるのか不明だが、この店舗はエジルが興したらしい。あの無骨な先輩遊撃士がヨシュアを上回る一品物を作れるとは驚きだ。
「君らのような料理上手には今更釈迦に説法かもしれないが、俺は小麦粉の他に少量の浮き粉を混ぜることにしている。そうすると表面がスーパーボールみたいな弾力を持ち、歯応えが良くなるのさ。他にも生地を柔らかくする秘密が…………」
「まあ、手の内のレシピを包み隠さず晒してくれるなんて、旦那様はフィネルよりも遥かに太っ腹ですね。もっと色々と教えてくださいましね」
「こんな小さなたこ焼きの粒にこれほどの創意工夫が秘められているとは目から鱗ね。けど、エジルさん。あまり気前良く隠し味の製法を公開すると後々後悔する羽目に……」
 調理実習に夢中になっている三者を邪魔するのも何なので、エステルは手配物を指定された場所に置いて退散しようとしたが、その背中にカリンが声を掛けてきた。
「ご苦労様です、エステルさん。報酬は食材の数を勘定してからキリカさん宛に振込みますが、それとは別にもう一つ…………そんな警戒した顔しないで下さい。今度はクエストとは無関係にお好み焼きを食べて感想を言うモニター役をお願いしたいだけですから」
「えっ、マジ?」
 先の依頼に纏わる苦労体験から少しばかり防衛本能を働かせたが、カリンの甘言にあっさりと釣られ身を乗り出す。
 エステルが収集した魔獣食材を使ったお好み焼きの試食会だそうだ。旨い物をロハで鱈腹食べられるとか比喩でなくこんな美味しい話は他にはない。
「『世の中、只より高いものはない』と良く言うし、性根のひん曲がった義妹が持ち込んだ話なら頭から疑ってかかったけど、清楚なカリンさんならその心配は…………って、何で皆笑っているんすか?」
 エジルとカトリアは互いに表情を見合せながら、必死に笑いを堪えている。
 カリンは表面上微笑みながらも頭にぷんすかマークを複数個張り付けていたが、エステルは別段気にせずに「ティータもここのお好み焼きのファンだから、連れてきて良いですか?」と能天気に催促する。
 「可愛い坊やにも頼みたいことがあるので、是非ご一緒に」とカリンは快く承諾してくれたので、エステルはスキップするようにレオパレスビルを退出する。
 「実験段階の試作品なので、味は保証できないけど」とサラリと付け加えられていたが元々よりエステルの胃袋には食の貴賤はなく、ヨシュアの手料理に限らず全ての食材を敬う博愛主義者。よほどのゲテモノでない限りは美味しく頂ける口だ。
 三日後の試食会が今から待ち遠しくて仕方がない。当日はお腹を好かす為に張り切ってツァイス中を駆けずり回ってクエストに励もうと心に誓う。

        ◇        

「はうー、またあのお好み焼きが食べられるなんて楽しみです。けど、ツァイス市のほとんどの女性と面識がありますけど、カリンさんという女人とは初顔合わせです。僕に頼みたいことって何でしょう?」
「さてな、ヨシュアならどんな性的悪戯を強要されるか判ったものじゃないけど、カリンさんならそのあたりは大丈夫だろ? それよりも、ティータ。お前さらっと、とんでもないこと言ってないか?」
 クローゼの時のように時間は掛かったものの、ようやく初対面で植え付けられた苦手意識が抜けたので、野郎同士で仲良く連みながら朝食を抜いてきた二名は暖簾を潜る。
「わあ、天国だあー」
「ひゃっほぉー。テーブルがお好み焼きの山で埋めつくされているぜ」
 店に入った欠食男児が目の色を変えたのも無理はない。一階は二十人程が座れる大型のカウンターテーブルと団体客用の三つの四人用テーブルで構成されているが、そのカウンター上の『A』~『T』までの二十個のラベルが貼られたお皿に、出来立て熱々のお好み焼きが載せられている。
「エステルさん、ティータ君。ようこそいらっしゃいました」
「まあ、この子が中央工房アイドルのティータ君ですか? カリンさんがおっしゃるように思わず拉致欲求に駆られるぐらい可愛い男の子ですね」
 エプロン姿の賄い二名が出迎えてティータの頭を代わる代わるナデナデしたが、エジルは家族客用の四人用テーブルの一つにうつ伏している。体力に自信がある正遊撃士も異なる食材を使い分けての短時間での二十個焼きはきつかった。お疲れの店主に代わってカリンが試食方法を解説する。
「グルメ番組みたいな細かい品評はしなくて良いので、美味しかったお好み焼きのアルファベットを選抜して下さい」
 二人に評価シートが配られる。空欄が三つあるので、トップスリーのお好み焼きを記入しろということだ。
「アルファベッド毎のお好み焼きはそれ一個だけなので、仲良く切り分けて試食して下さい。実はもう一人声を掛けたのですが間に合わなかったようなので、これより試食会を始め…………」
「はぁはぁ、お、お待ちください、ヨシュ…………いえ、カリンさん。わたくしはちゃんとここにいます…………ぜぇぜぇ…………」
 聞き覚えのある声色で試食に待ったが掛かる。半分に千切った『A』のお好み焼きを口元で停止させたエステルが不承不承振り返ると、そこにはボストンバッグを抱えて息を切らせたメイベル市長と仏頂面のメイドが佇んでいた。
「メイベル市長。なぜ、ここに?」
 社交辞令として一応そう尋ねてみたが、事態は先より更に明白。ようするに意外と食い意地が張った市長さんが、恐らくはボースで縁のあるカトリアさん経由でエステル達と同じ立場で招待されたのだ。
 その為だけにヴァレリア湖の反対側に位置するボース市から態々飛行便で尋ねてきた執念には頭が下がるが。
「カリンさん、この度は面白そうな試みにお招きいただき感謝します。不肖ながらお好み焼き検定上級合格者のメイベルが採点させていただいますわ」
「お嬢様、今夜にはカルバードに入国しなければならないのに、こんな所で道草を食うのは如何な物かと。当初の予定通りに商談の帰り道で寄られれば、ちょうど新装開店と時期が…………」
「まあまあ、リラ。本日作られた試作品の九割はもう日の目を見ることはないので、こういう試行錯誤の段階の味を試食出来るのはとても貴重な体験なのよ。あっ、エステルさん。わたくしの胃袋は小さいので端っこの方を少しだけ残しておいてくれれば十分です」
 メイベルはそう牽制しながら、団体用テーブルにゆったりと腰を落ち着ける。リラがカウンターテーブルの上のお好み焼きにナイフを入れて、皿に載せた一口サイズの切り身を恭しく主君へと差し出す。
 メイベルはお行儀よく頬張ると、独自に持ち込んだ評価シートにスラスラと手書きで所感を書き込み、その間にメイドがアルファベット順に次の切り身を用意する。
 彼女を誘ったのはカリトアでなくカリンみたい。二人の関係性はともかく、凝り性の市長さんは全てのお好み焼きに長文の感想文を添えるみたいである。
「はうぅ、何か凄そうなお姉さんが来ましたけど、あんな本格的な審査をされると肩身が狭いですぅー」
「気にするな、ティータ。元々美味いのを三つ選べばいいのだから、俺たちは当初のルール通りやりゃいいだけだ」
 新たに登場する度に微妙な評価修正を迫られるボース市長のペースに惑わされることなく、エステルは扇の角度に三分割した大きめの切り身を一呑みする。
 味の保障は出来ないと脅していた割には、どのお好み焼きも中々の絶品具合。
 使用されたメインの具の食材が異なるので味付けに個性差はあるが、エステル基準でどれも店に並べても恥ずかしくない出来栄えで、悩みながらも何とか三つのアルファベットを絞り込んだ。

「ここまで見解が統一されると、選別に迷わずに済むので有り難いわね」
 二時間後、カウンターテーブルを埋めつくしたお好み焼きは全て三者の胃袋に押し込まれた。評価シートを見比べたカリンは顔を綻ばせる。
 一位と二位のお好み焼きのアルファベットは三人とも一致している。三位だけが各々の好みに応じて別れただけなので、どれを正式採用するかもはや議論の余地もない。
 尚、メイベル市長の提出したシートには二十個全てのお好み焼きの論評がきめ細かに掲載されており、『こってりとした味わい』とか『まったりした口溶けの』などの蘊蓄が山程語られていたが面倒なので破棄することにした。
「少しはお役に立てたようで、態々ツァイスまで寄り道した甲斐がありました。ところで興味本位でお尋ねするのですが、不躾ながらこのお好み焼きを幾らで販売するつもりなのですか?」
 丹精こめて書き込んだ点数表がダストシュートに直行したとは露知らず、そう尋ねたメイベルの耳元にカリンはゴニョゴニョと耳打ちし途端に市長の顔が険しくなる。
「志は立派だと思いますが、正直、同じ商売人として感心しません。商いにはバランスシートという言葉があり、適正価格より安すぎるのも暴利を貪るのと同じぐらい罪深いことなのですよ」
 メイベルの忠言にカリンは無言で返す。
 元々お好み焼きは飲食物の中でも原価率が極端に低く、平均20%前後と言われている。(※一般的な飲食物の原価率は大凡30~35%)
 つまり単純計算で、お好み焼きを一個五十ミラで販売すれば四十ミラの儲けとなる。(※人件費や細かい経費は除く)エジルの場合、仲卸を通さないずぼらな買い付けに黒豚のような高価な具をふんだんに投入した上で同業者よりも格安で提供するので、高級食材の相場次第では原価割れを起こし売れば売るだけ赤字になるケースすら有り得た。
 経営コンサルタントも兼ねたカリンが杜撰な営業形態の徹底した見直しを図り、安価で良質の食材ルートを新規開拓して経理の無駄を節減。ようやく黒字収益が見込める所まで持ち直せたのだが、最後の聖域のお値段にだけはメスを入れることすら叶わなかった。
「大体のことは君に任せるが、価格設定だけは譲れない。ギルドが誰でも気兼ねなく依頼を頼めるのと同じように、街の子供達がなけなしの小遣いで俺のお好み焼きを食べられる……そういう店をやりたいんだ」
 厳しい現実を何度も目の当たりにし自らの器と限界を思い知らされ正業に夢を見出せなくなった分だけ、せめて副業だけは甘い理想に拘り続けたいと望んでいる。
「男の人って、本当にロマンチストが多いわよね。けど、そういう不器用な馬鹿は私は嫌いじゃない」
 当初カリンが取り決めようとした値札も十分に良心的だが、他でもない店主当人の御意向とあれば従う他ない。
 これで肝心の商品が凡作なら匙を投げるしかないが、カリンが知る限り大陸随一のお好み焼きを焼ける御仁なので、そういう身の程知らずの野望を掲げるだけの資格はある。
「決意は固いみたいですね。故無いことを申し上げました。差し出がましい口を叩いたお詫びというわけではないですが、これを差し上げますので役立てて下さい」
 ペンダントのように首もとにぶら下げていた『商売繁盛のお守り』を取り外し、カリンに手渡す。
 紐で口を閉じて吊り下げた袋状のアミュレット。東方の商人が招福や厄除けの縁起担ぎとして保持している。実は魔獣の落とすアイテムの取得率がアップする隠れた特殊効果があり、とある理由からカリンが喉から手が出るほど欲していた装飾具。
 「商いが成功するのをエイドスにお祈りしています」と告げてから、市長とメイドのボースコンビは再び定期飛行船に乗り込んで共和国へと旅立った。

        ◇        

「色々と妙な性癖の持ち主だけど、市長さんの目利きは確かよね。まあ、私の方でも打てる手は出し惜しみなく全て打ち尽くしているけどね」
 カリンは厨房で、一位二位の票を独占した食材を愉快そうに見下ろす。
 第二位に選ばれた『G』のお好み焼きは実は普段エジルが使用している黒豚そのもの。オリジナルとの比較検証の為に、モニター役には素知らぬ顔でこっそりと魔獣食材の中に忍ばせておいた。
 そのカルバート名産の黒豚を差し置いて満場一致で一位票を獲得したのは、『魔獣の豚肉』と呼ばれる食材を用いた『P』のお好み焼き。先入観抜きの公正な審査の結果、元祖の味わいを上回ったのが立証された。
「これで迷うことなく、割高な黒豚からメインの具をシフトできるわね。味もそうだけど魔獣食材の一番の魅力は自給自足が可能な点よね」
 目下、ツァイス地方には魔獣の豚肉を落とす魔獣は三種類ほど確認されている。どれも一般人の手に負えない獰猛な魔獣だが、正遊撃士のエジルであれば何ら支障はない。生態系を壊さない程度に乱獲を抑えて定期的に狩り続ければ、今後高級食材の費用の捻出に頭を悩ませる必要はなくなる筈。
 ただ、エステルの報告ではこれらの魔獣がアイテムを落とす確率はあまり高くないそうだが、首尾よく入手できた商売繁盛のお守りがあればハンティング効率を大幅に向上させられる。
「とはいえ、今からじゃ一週間後を予定した開店日までに所定の魔獣の豚肉を狩り集めるのはちょっと無理よね」
 話題作りとリピーターを呼び込む為にオープン初日は特別セールを行う予定なので、相当な客の込み具合が予想される。
 いずれは自給自足で賄うシステムを確立させるとして、急場を凌ぐ為に大量の魔獣の豚肉を臨時購入する必要があるが、魔獣系の食材を扱っている変人などこのリベールでは……。
「一人だけいたわね。確かオーヴィドさんとか言ったっけ?」
 ロレントのクエストで奇縁を囲ったゲテモノ食材マニアとも言うべき人材。『オーヴィド商会』なる魔獣食材専門店を立ち上げると誇らしげに語っていたのを思い浮かべた。
 あの人物を媒介にすれば、普通のルートではまず入手不可能な魔獣食材を仕入れられる公算は高い。駄目元で連絡してみるとしよう。
「エジルさん、カトリアさん。ちょっと宜しいでしょうか?」
 方針が完全に定まったので、改めて二人を交えて協議する。本番までに煮詰めておかなければならない懸案事項が、まだまだ山積みされているからだ。

        ◇        

「はい、出来たです、お姉さん。これで良いですか?」
「ありがとう、ティータ君。助かるわ」
 三階の事務室で、中央工房から払い下げた旧式の端末にキーボードでカタカタと打ち込んでいたティータは、ディスプレイのモニターに『エジルお好み焼き店』のホームページを表示させる。
 トップページには客寄せのカリンとカトリアの写真が大きく貼られており(※店主のエジルは端っこに小さめに)、各リンクにはメニューや店舗の地図などの必要情報が掲載されている。
「『インターネット』と言いまして、元々はエレボニア帝国が発見し軍事に利用していた回線をオズボーン宰相の指示で民間に無料提供されたシステムのことを差します」
 このネットワークは大陸全土に張り巡らされている。誰がこのような大規模導力通信網を構築したのかは不明で、恐らくは古代ゼムリア文明の遺産と推測されている。
 確かなのは大陸中の各国がこぞってネット世界に参入して、情報の共有化は図っていること。リベール王国ではツァイス市がこのネットワークに試験的に加入している。
「ツァイスチャンネルの掲示板に、『エジルお好み焼き店』のスレッドを立てたです。早速、反応が来ているみたいですよ」

・ティータ君ファンクラブPart24(123)
・【七の秘宝】【輝く環】オリオールは存在する(221)
・噂の遊撃士姉弟はどっちが兄姉か徹底検証する(573)
・【受付嬢】【DJ】ヘイゼルさんの笑顔について語る(343)
・釣公師団ってキチガイの巣窟だろ(722)
・ティータ君ファンクラブPart23(999)
・空賊事件を解決したのは実は王国軍でないという噂は本当?(544)
・【身喰らう蛇】ウロボロスって実在するの?(77)
・【キチガイ】【マッドサイエンティスト】ラッセル博士を国外追放しろ(877)
・【執行者】【蛇の使徒】俺、結社からスカウトされたんだけど……(3)
・【ギルドの受付】キリカ様の笑顔写真のアップきぼんぬ(88)
・ツァイス市の未来について語るPart5(566)
・ヨシュアきゅん(´Д`;)ハァハァ(777)
・【高速巡洋艦】【銀の翼】アルセイユについて語る(942)
・『エジルお好み焼き店』新装オープンのお知らせ(15)

 様々なスレッドが乱立してる。気になる題名もいくつかあったが、とりあえずは「『エジルお好み焼き店』新装オープンのお知らせ」のリンクをクリックしてみる。

01:新しくお好み焼き屋を始めました。
   リンクを張っておくので是非来訪して下さい。
   ※開店初日チラシをご持参の方は、お好み焼き一個無料。
02:2get!
03:この店、知ってる?
04:エジルってあの無愛想な遊撃士だろ?
   あれじゃ客寄りつかねえよな。
05:それより売り子がスゲエ可愛いよな。カリンたん、(´Д`;)ハァハァ
06:カトリアたん、(´Д`;)ハァハァ
07:あー、あの目茶苦茶美味い屋台とうとう店出すんだ。
   隠れた名店を独占する優越感に浸りたかったら、
   敢えて口コミしなかったのに、残念。
08:俺もあの屋台知ってるよ。もう潰れたかと思っていたけど。
09:>>07 美味いってマジか? 俺お好み焼きには目がないんだけど?
10:>>09 もう隠しても意味ないから、ぶっちゃげるけど、
       多分、ほっぺたが落ちるレベル。
11:>>10 マジかよ、どうせ一個はロハで食えるんだし、是非行こっと♪
12:けっ、あんな陰気な奴が作った物なんて、不味いに決まってる。
13:>>12 同業者のヤッカミ、乙。
14:>>12 そうそう、一等地に店持たれたからって、
       僻まない、妬まない。 (・∇・)ニヤニヤ
15:神よ、私は美しい…………。

 その後もレスがレスが呼び、スレッドは瞬く間に全レス埋めつくされて、当日中にPart2が立てられた。
 レスの幾つかはティータ本人が適度にカキコして、人為介入でスレのペースを意図的にヒートアップさせた。こういうのを業界用語で『自作自演』と言うらしく、見習いとはいえ工房の技術者に直に手伝ってもらったのは正解のようだ。
「ねえ、ティータ君。君みたいな携帯端末を所持している人は皆、このホームページを参照できるのかな?」
「はいです。インターネットが普及して早三年。リベールはまだ未開地ですが、中央工房の屋上に巨大なアンテナが建てられていたですよね? あれの有効範囲に入れば、ノートや携帯を持ち歩いている海外旅行者とかもネットに繋げられるので、何時でも閲覧可能になるですよ」
 とすれば、今頃ロレントでティオのブルマを愛でている帝国人がこの情報をキャッチし、今度はツァイス市に流れてくるかもしれない。
 エジルはコマーシャル活動にも無頓着だったが、その点カリンに抜かりはない。現地での無料呼び込みチラシの配布の他にも科学都市の最新設備のネット環境をフル活用して大々的に宣伝し尽くすつもりである。

        ◇        

 エステルとヨシュアの二人が、ツァイス市に腰を落ち着けてから、ちょうど二週間後。
 『エジルお好み焼き店』が高らかと新装オーブンし、開店当日は長蛇の列に見舞われた。



[34189] 16-09:漆黒の福音(Ⅸ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/22 00:02
「はい、皆様お待たせしました。これより、『エジルお好み焼き店』を開店しま………………って、押さないで下さい。具材はたっぷりと用意していますので、列の最後尾の方まで十分間に合います」
「姉ちゃん、このチラシで只で食べられるのかい?」
「もちろんです。チラシご持参の方は席で手を上げて下さい。ただし、お一人様一個までなのでチラシを複数枚所持しても無効ですので、その点はご了承ください」
「うめえー! 姉ちゃん。こちらにお好み焼きもう一個追加」
「こっちも宜しく」
「「「俺も、俺も」」」
「了解しました。二個目からは有料になりますが、大丈夫ですね?」
(計算通りね。エジルさんの焼きたてほやほやは、覚醒剤なみに中毒性が高いから、一個ぐらいロハにしても十分元が取れるわ。さて、この調子でジャンジャン売り捲くるわよ)

        ◇        

 店がオープンして、早一週間が過ぎた。連日大繁盛で、十時の開店から零時の閉店まで客の途切れる気配もない。
 それもその筈。市の主要交通路に面した一等地に店を構えて大陸有数のお好み焼きが食べられて、カリンやカトリアのような美人の賄いが広報を担当し値段も激安。
 これだけ外連味なく勝利の方程式を積み重ねれば、失敗する方が世の摂理に反するといえる。外れの存在しない宝籤を購入したようなものだ。
 今日も今日とて厨房の換気扇から、秘伝のソースが焼ける香ばしい薫りが特注の大型扇風機のパワフルな羽に乗せられ、三叉路近辺の宙を彷徨う。定期便から市に降り立った客はその匂いに誘われるようにフラフラと進路を変更。店の暖簾を掻い潜る。
 地形の利を活かし文明の利器で食欲中枢を刺激し、一時的に来訪した一見さんさえも逃さずに取り込もうという貪欲な策略だ。
 当然、固定層のリピーター客を蔑ろにしない営業努力も忘れず、暖簾の隣に『ツァイス中央工房第七研究室ご一行様ご予約』の立て札が飾られている。

「カトリアさん、二階のお座敷にビール十本追加お願いします」
「了解です、カリンさん。今すぐお持ちします」
 細身の体型によらず、意外と膂力と平衡感覚に優れるカトリアは、お盆一杯のビール瓶の山を抱えたままふらつくことなく器用に階段を駆け登ると、彼方此方の席にヒョイヒョイとビールを配る。
 二階は団体予約客専用のお座敷になっていて、四十人までの大人数に対応。全てのテーブルには鉄板が敷かれていて、お好み焼きやもんじゃなどの具材も用意され客自身がセルフで焼ける様になっている。
 酒が入った素人がへらを握り、不器用な手つきで生地を引っ繰り返すのだから、どこもかしこも不格好なお好み焼きが産声をあげ、お座敷は阿鼻叫喚に包まれるがこれがまた結構楽しい。
 ソースや豚肉、キャベツなど素材が全て特級品なので、どれほどグロテスクでも味そのものは保障されるし、不揃いな失敗作を互いに罵倒し合いながら、それを肴に楽しい一時を過ごすのも無礼講の場の醍醐味だ。
「全く、どいつもこいつもなっちゃいないな。ほら、俺に貸してみろ」
 酒で頬を染めながら、グスタフ技師長が手慣れた手つきで箆を扱い、初めてお好み焼きと称しても良い円盤が衆目に披露される。
「見たか、これが技術班の手先の器用さよ。オーブメントは確かに便利だが、それも整備する腕前あっての話。密室で理論ばかりに傾斜して実地を疎かにしていると指先が退化しちまうぜ」
 酒の入った勢いなのか、たかだがお好み焼きの出来不出来から現場のブルーカラーと開発のホワイトカラーの部署間闘争じみた対立へと点火し、演算室主任のトランスは辟易とした表情をしながら最終兵器にお出まし願う。
「カトリアさん。何かグスタフさんが寝言をほざいているから、この酔っ払いにプロの技っていうのを見せてあげてよ」
 各所の工房の技術者に酌をしてまわっていたカトリアはお客のご要望に応じると、匠のへら捌きで五枚のお好み焼きを並行して引っ繰り返し、歓声が上がる。
 アマチュア同士が貶し合いながらお好み焼きもどきを食するのも一興だが、やはり店の人間が焼くと外観、味のどちらも技師長の及第作とは比肩すらできず、瞬く間に人数分のお好み焼きが振舞われる。「旦那様は私の三倍は上手く焼きますよ」との謙遜に人々は頂きの高さと道の険しさを実感する。

「うふふっ。やはり食べ物商売はお酒を提供するに限るわね」
 女中にレジ打ち、更には厨房の店主補助と一人三役をこなしていたカリンは、二階から回収した汚れたお皿の山を流し台に押し込むと、勘定の為にキャッシュレジスターに向かいながら密かにほそくえむ。
 既に時計は夜中の十一時を回っているが、八時から宴会を始めながら一向に帰り支度を整える気配はない。二次会もこの場で済ませる腹らしく、先程からひっきりなしに酒の注文が相次でいる。
 あれこれ手を尽くして経費削減に務めながらも超良心価格が足を引っ張り、連日連夜客で賑わいながらお好み焼き単体の収益だけで濡れ手に粟のぼろ儲けとはいかないが、その差額を埋め合わせるのが団体客の存在。
 エジルが安価に拘るのは、子供でも気兼ねなく食べられる料金体系を維持するのが目的なので、大人しか飲まないアルコール代に関しては無頓着。居酒屋なみの通常価格で販売している。
 そして宴会のような馬鹿騒ぎの席では、酒の消費ペースは半端なく。売上の八割が焼酎やビールなどの酒代の日も珍しくない。
 あれだけ丹精篭めた至高のお好み焼きより、問屋から普通に仕入れた酒類の方が儲かるのは皮肉な話だが、元々飲食業とはそういう商売だ。激旨激安のお好み焼きという話題性がなければ、そもそもこれほどの客が入る道理も無く、『卵が先か鶏が先か』というこの世界に良くあるジレンマの一つに過ぎない。
 とはいえ一カ月先まで団体客の予約で満杯の今の好景気な状況なら、エジルの道楽じみた値段設定を全うしても商売は安泰。店は軌道に乗ったとみて良い。

        ◇        

「エジルさん、こちらにもお好み焼き八枚追加ー」
 当初、カトリアやカリンに下心を抱いて通っていたミーハー客は未だ二人の看板娘に未練を残しながらも、今では純然たる味を求めて店を尋ねてくるようになったが。エステル・ブライトとかいう店に馴染のある常連さんは最初っから花より団子である。
「はうー、たこ焼きも食べたいので、二箱追加お願いですぅー」
 最近は良くティータと一緒に来店。二人合わせて十枚前後の大口注文をして、クエストで稼いだ報酬をせっせと貢いでくれるので、中々の上得意さんだ。
 その対価として、店にたむろしている間中クエストの愚痴や悩みを聞かされるが、今日は進捗状況が良いらしく鼻唄を口ずさんでいる。
「ご機嫌良さそうですね、エステルさん?」
「まあね、カリンさん。ツァイスに来てから溜め込んだクエストが、ほぼ終わりそうなんでな。特に難関だった『臨時司書の残業』の二つ目がやっと見つかってさ」
「以前に見せていただいた、あの妙ちりくんな図形ですか? 確かこんな感じでしたよね?」

『● ●
  ×
 ● ●』

「そうそう、紅蓮の塔に屋上に登って上から周囲の風景を見回したら、近くのあの絵柄に似た岩場があって、もしやと思って捜索してみたらビンゴよ。これで残る本……というか残したクエストは後一つだぜ」
「まあ、凄いです。ストレガー社の最新スニーカーで、ツァイス全土を走破した甲斐がありましたね」
「おうよ、『事件は会議室で起こっているんじゃない。現場で起こっているんだ』てな。エスパーな義妹でも推理できなかった遺失物を探して、今頃温泉で寛いでいるヨシュアをギャフンと………………って、そういえば塔を探索している最中、妙な魔獣に襲われていた知り合いが………………って、何で離れてくんすか、カリンさん?」
 他の客の注文に託つけてそそくさとトンズラかましたカリンをエステルは呼び止めたが、よほど聞きたくない固有名詞が話の続きに待ち構えているらしく知らん顔される。
 実は新規に請け負った臨時クエストがある。あまりにエステルの適正からかけ離れているので、ヨシュアの代役として相談を持ちかけようとするもアテが外れてしまい、「私で良ければお聞きします」とカトリアがティータを弄くりながら選手交代を申し入れた。
「なら、聞いてくれよ、カトリアさん。実はこの間、ヴォルフ砦まで足を運んだら、ブラムさんという兵士から復縁の密談をされてさあ」
 今エステルが頭を悩ませているのは、『復活愛の使者』というクエスト。フェイという元カノの女技師との仲を取り持って欲しいという私生活のいざこざだが、ブラム氏はどう考えても縋るべき人間を取り違えている。
 ましてや貴重な女性側の意見を拝聴する為とはいえ、第三者にべらべら機密を漏らすのは守秘義務の観点以上に秘事を託された恋のキューピット役として些かデリカシーに欠ける。
「フェイさんのことなら、良く知ってますですよ。一見、ガサツっぽいけど、ああ見えて意外と可愛いものが好きなんですよ。一日一回は必ず僕のことをナデナデしてくれますし」
 口のまわりをソースでベトベトにしたティータが相方を務めて、カトリアが口元を拭いてあげる。己を可愛いと自称する男の子もどうかと思うが、今のカトリアのような周囲の女性の過剰な世話焼き振りが少年の自信を助長しているみたいだ。
 赤字店舗の建て直しと違って色恋沙汰に万能の方程式などあろう筈もないから、仮に上手くいかなかったとしても、別段エステルに責任はない。
 故に預かった恋文を届ければ、ことの成否に関わらず一応は依頼達成と言えなくもないが、折角だからプレゼントを添えてはどうかとカトリアから薦められる。
「うーん、ギフトねえ。よっしゃあ、フェイさんは工房の技術者だから仕事が捗るように『作業用グローブ』を………………って、イテっ!」
 どこからともなくへらが飛んできて、エステルの頭にクリーンヒットする。
「エステルさん。ティータ君は可愛いもの好きと言っていましたし、ここは『もこもこニット帽』に『旬のフルーツタルト』をセットにしてみては如何でしょうか?」
 あまりに小気味よい音がし、もしかすると頭蓋骨の内部はほとんど空洞で恐竜並に脳味噌が小さいのではと勘繰ったカリンが、先の与太話が有耶無耶になりそうなので再び割り込んできた。
 エステルの武者修行に手を貸さないと決めていたが、あの朴念仁の所為で一組のカップルが破局するのを見るに見兼ねて、つい差し出がましい口を挟んでしまう。
「けど、ブラムさんからは1000ミラしか貰ってないし、それだと赤字に…………」
「あらっ、市民の笑顔を守るのがブレイサーの本懐では無かったのですか? お二人が上手くいけば、きっと感謝されますよ」
 カリンからそう諭され、エステルは黙り込む。ヨシュアからビジネスとプライベートのミラは峻別しろと口酸っぱく警告されているが、この程度の身銭を切るぐらいなら問題ない。

        ◇        

「市民の笑顔か…………エジルさんが拘っているのは多分それなのよね」
 チラリと店頭のお持ち帰りコーナーに並んでいる街の小さなお子さん達に視線を注ぐ。
 お土産用のお好み焼きを焼いたエジルは、お好み焼きを真空ラップして一人一人の子供に丁重に手渡す。
「ブレイサーのおじちゃん、ありがとう」
「おいおい、流石に三十路前の男前を捕まえて、おじさんは酷くないか?」
「ママがオヤツにしなさいって、お小遣いをくれたの。また明日も買いに来るからね、エジルおじちゃん」
 苦笑するエジルの姿を尻目に、元気一杯の子供たちは散り散りに離れていく。
 極上のお好み焼きを手にし無垢な笑顔で駆けずり回る幼子の姿を、法被衣装のエジルは本当に優しそうな瞳で見下ろす。この小さな幸せを守る為に遊撃士の道を志したであろうことは想像に難くなく、ささやかながら彼は夢の一端を叶えられたのだ。
「けど、あの笑顔を見る為だけに収入を半減させているのも、また事実なのよね」
 確かに美談ではあるのだが、損得勘定だけで考慮するならば実に非効率的な話だ。
 定期便の運賃も大人と子供で料金が大別されるので、売る相手に応じて値札を替えられないかとカリンは往生際悪く値上げの口実を検討するが、増税やリストラは馬鹿な為政者でも思いつく極めて芸のない最終手段だし、料金の引き上げが店に与えるマイナスイメージも軽視できないので別の対抗手段を講じた方が良い。

        ◇        

「姉ちゃん、この店ではブルマで営業していないの?」
「申し訳ありません。ここはコスプレ喫茶ではなく、お好み焼き屋ですので」
「馳走になった。久しぶりに本物のお好み焼きを食べさせもらった」
「あのー、お客様。こんなにミラを置いていかれては困ります」
(カリン…………いや、ヨシュア君は何を考えているのだろうか?)
 多くの帝国客に店を占拠され、猫の手も借りたい程の繁忙のとある一日の深夜。
 カリンが店長をつぶさに観察しているように、エジルもまた彼女の行動原理を把握しようと務めている。お好み焼きを焼く傍ら注文にてんてこ舞いの賄いの姿に視線を移す。
 英雄に対する子供じみたヤッカミの感情からカシウス当人とはあまり懇意になれなかったが、直弟子のシェラザードとはそれなりに面識があり、準遊撃士のデビュー前から二人の子息についての風聞も掴んでいた。
「実子のエステルは戦闘だけなら正遊撃士にも匹敵する。素直で嘘のつけない性格はブレイサーとしては諸刃の剣だけど、問題は義妹の方ね」
 エステルを凌駕する戦闘力に加え、大人顔負けの状況把握能力と幾つかの得体の知れないスキルを身につけている。恐らくはA級遊撃士相応の逸材だが、怠け癖があり世界に奉仕しようとする心構えがゼロだと聞き及んでいた。
 だからこそ、エジルは強引な少女のお節介が不思議で仕方がない。
 店がオープンしてから十日。前準備期間も含めれば既に二十五日を数えるが、連日の過酷な残業にも華奢な少女はへこたれることなく、むしろ楽しそうに感じる。
「それにしても羨ましいね、店長」
「そうそう、こんな美人のお手伝いさんを二人も侍らせちゃってさ」
 ロレントから流れてきたというエレボニアのお客が「ひゅーひゅー」と囃し立てるか、これまた子供たちのケースとは全く別な意味でエジルは苦笑する他ない。
 傍から見れば両手に花の羨望の身分に映るのだろうが、旦那様と慕ってくれるカトリアには婚約者がおり、カリンにいたっては泡沫のようにいずれ自分の元から消え去るのが約束されている竹取物語のかぐや姫そのものだ。
 無論、こうして毎日カリンと三階の事務所で寝食を一緒にし、一つの目標に向かって共同作業で汗を流していれば抑えきれない切なさが膨れ上がってくるが、同棲や破局など苦い大人のロマンスを幾度も体験したエジルは少女の献身が恋心を起因としたものでないのを弁えており、若輩のクローゼのように想いを暴走させることは無かった。
「そう、決して愛ではない。ヨシュア君が俺に求めているのは、むしろ兄に対する憧憬のような感情だ。カトリア君という年上の女性の存在も彼女にとってはプラスに働いている」
 とすると、一種の代謝行為という奴だろうか?
 ヨシュアがブライト家の養女となる前の過去は謎に包まれており、シェラザードはおろか拾ってきたカシウスでさえも少女の出自を知らないという。
 普通に考えれば、恐らくヨシュアの実の両親はもうこの世にいないのだろうが、他にも自分やカトリアぐらい歳が離れた兄姉がいたのではないだろうか。
「どうしたのですか、カリンさん? 目から涙が零れていますわ?」
「な、何でもありません、カトリアさん。コンタクトレンズにゴミが入った…………ううん、きっとこれもまた幸せの形なのですね」
 フェイクの蒼い眼をゴシゴシとこすりながら、偽りでない真珠の涙を零す。知的な女性らしからぬ意図不明な述懐にカトリアはキョトンとし、エジルは複雑な瞳で見つめる。
 ブライト家という今の新しい家庭に不満がある筈もないだろうが、かといって簡単に過去を拭えるものでもない。
 この束の間の逢瀬の機会に『失われた大切な記憶』に浸っているのだとすれば、エジルとしては無粋な問い掛けをせずに一日でも長く夢を見続けていられるよう祈るしかない。

 だが、そんなエジルの年長者らしい無言の気遣いは空振りに終わる。
 予期せぬ空前絶後の緊急事態が少女を夢から醒まして、『家族ゴッコ』に終焉を齎す。
「何だ? 急に明りが…………」
 店の照明が一斉に落とされて店内が真っ暗になり、客はパニック状態に陥る。
 別の次元世界でいう『停電』に該当する現象だが、この世界の導力はオーブメントそれ自体にEP(エネルギーポイント)が篭められており、電気と異なり発電所で一元管理されている訳ではないので、このような変事に免疫がない。
「大変です、旦那様。外を確認してきましたが、町中は光一つなく闇に閉ざされていて、この店だけでなく全ての施設の照明が消えています。それだけじゃなくエレベーターも動いていないみたいで、あらゆるオーブメントが停止したみたいです」
「うーむ、一つ二つならともかく、全てのオーブメントが同時に故障するなんてまず有り得ないだろうし、一体何が…………」
「導力が停止? 一つだけ心当たりがあります。エジルさん、これからラッセル工房に向かうので、一緒についてきて下さい。カリンさん」
「了解です。パニくっているお客さんは私が宥めますので、いってらっしゃい」
 柔和な見掛けによらず胆力に優れ危機対処能力が高そうなお手伝いさんに店を一任すると、精神のチャンネルを商人から遊撃士へと切り換えた男女の一組は怪異の発生源と思わしき場所へ駆け出して行った。

        ◇        

 ラッセル工房一階の実験室。
 様々な怪しげな機器が並ぶ薄暗い室内に市長亭で現出した漆黒の光が駄々漏れる中、ティータは黒いオーブメントの置かれた測定器の各種タコメーターを一心不乱に見つめていて、普段は物怖じしない筈のエステルがハラハラしながらティータに催促する。
「おい、ティータ。流石にそろそろ不味いんじゃないか? 何かこの家だけじゃなく、市全体の照明が落ちているみたいだぞ」
「はうぅー。止めないで下さい、エステルお兄さん。もう少しで何かが掴めそうなんです。おじいちゃんも科学の発展には多少の犠牲はつきものだと言ってましたです」
「そっか、なら良いのか?」
「はい、いいですよ」
「いい訳ないでしょう! エステル、あなたがついていながら何をやっているの?」
 気配もなく二人の合間に割り込むように女性のキンキン声が響き、男二人はビクッと身体中の毛を逆立てさせる。
 恐る恐る振り返ると、エプロン姿の金髪碧眼の美女カリンが仁王立ちして二人を見下ろしていて、エステルは軽く安堵する。
「何だカリンさんかよ、脅かすなよ。それよりも、はしたない大声出してらしくな………………?」
 突然エステルの視界が上下反転して、地面に背中から叩き落とされる。
 少女特有の柔術技『空気投げ』で足の払いも無しに投げ飛ばされた。エステルは真下からカリンのデニムスカートの中身を覗き込む恰好になったが、見覚えがある謎の暗闇に阻まれている。
「全く何時になったら気づくのだか、鈍いにも程が………………」
「パンツが見えねえ。お前、もしかしてヨシュアか?」
「人をどういう認識の仕方しているのよ!」
 固いハイヒールの踵でエステルの鼻っ柱を踏み潰してグシャリという鈍い音が響き、ドクドクと鼻血が零れて顔面に赤い血の池を作る。
 もしかすると鼻骨が折れたかもしれず。遅れて辿り着き惨状を目撃したエジルは片手で頭を抑えながら天を仰いだ。
 スプラッターなエステルの成れの果てにガタガタ怯えるティータを、猟奇殺人犯は蒼い瞳で一瞥すると敢えて優しい猫撫で声で最後通告する。
「ねえ、ティータちゃあーん。私は可愛い良い子には寛大だけど、悪い子には一切容赦しない性質なの。もし、あの馬鹿と同じ末路を辿りたいのなら……」
「測定器は、もう止めましたです。ご、ごめんなさいです、ヨシュアお姉ちゃん。おじいちゃんが戻ってくるまで待てなくて、ついお兄さんに頼んで……」
 慌ててスイッチを切ったティータは米つきバッタのようにペコペコと平身低頭しながら懺悔する。しばらくして部屋の照明が灯り窓の外も明るくなってきた。ツァイス市全土のオーブメントが活動を再開したみたいだ。
「ヨシュア君。これはボースでシェラザード君が持参してきた例のオーブメントだよね? 件の『R博士』というのは、ティータ・ラッセル君のことだったのかい?」
 困惑顔で尋ねるエジルにどこから事情を説明したものやら。
 漆黒のオーブメントがその本性を露わにした。一つの都市全域を機能制止させる程の異常な性能を有すると判明した以上、このような危険極まりない代物を捨て置くことはできない。

 いずれにしても長かった休暇は終わりを告げた。ヨシュアはカリンという居心地の良い温ま湯のような仮身分を捨て、本業の遊撃士に復帰しなければならなかった。



[34189] 16-10:漆黒の福音(Ⅹ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/23 00:01
 遊撃士協会ツァイス支部一階のロビー。
 エステルとティータが冷たい床上に正座させられる。キリカ、ヨシュア(扮装は未だにカリンだが)、エジルの遊撃士関係者とカシウスに似たチョビ髭を生やした初老の工房長にグスタフ技師長とトランス主任のハード・ソフト両部門の責任者という工房の中心人物が顔を揃えて、複雑そうな視線で騒動犯を見下ろしている。
「申し訳ありません、マードック工房長。私の監督不届きでした」
 東方風衣装を身に纏ったキリカが恭しく頭を下げる。
 修行中の準遊撃士の身柄はツァイス支部の管轄下にある。受付の彼女が見習いの行動に全責任を負わなければならないが、鼻頭にバカでかい絆創膏を張り付けたエステルが正座の姿勢のまま即座に否定する。
「いや、悪いのは報告もせずに実験にゴーサインを出して俺であって、キリカさんは……」
「いえ、本当に悪い子だったのは僕です。「このままじゃ何時おじいちゃんが帰ってくるか判らないけど、僕でよければお手伝いします」とかお兄さんを唆して、興味本意で多くの皆さんに迷惑かけてしまってごめんなさいですぅー」
 ティータは瞳を潤まして、エグッエグッと泣き崩れる。
 この期に及んで互いに責任を擦り付け合わずに、自ら背負いこもうとするのは見上げた性根ではあるが、さりとて、それで罪が帳消しになる訳でもない。
 ただ素なのか計算かは不明だが、愛玩動物のように庇護本能を擽る少年の愛くるしい泣き顔で反省ポーズを拝まされると普段から坊やを可愛がっている工房関係者はもちろん、キリカやヨシュアのような恐い物知らずの女性陣さえも強く出れなくなってしまう。
「やれやれ、ワシのおらん間にとんでもない状況になっとったようじゃの」
 二人の処遇を思案しあぐねていた一堂の前に、角のような白髪を左右に残した禿げ頭の老人が確かな足取りでギルドに入室してきた。
「おじいちゃん?」
「ラッセル博士。何時、ツァイス市に戻られたのですか?」
 正座したティータや工房長が驚きの声を上げる。このトドの牙のような尖った口髭を構えた気難しそうな年寄りがリベールに導力技術を齎したアルバート・ラッセル博士。
「随分待たせたが、ようやく新型戦術オーブメントの方に目処がついたので、財団の専用飛空艇でリベールまで送ってもらったのじゃ。じゃが、まさか帰還前にワシ宛の調査依頼物に勝手に手をつけおるとはの」
 博士はフィンチ型の鼻眼鏡の奥の鋭い眼で怯えるティータを一瞥すると、スーッと息を大きく吸い込んだ。
「この馬鹿者があー!」
「ひっ? ご、ごめんなしゃあーい」
 老体とは思えぬ肺活量で衝撃波で窓ガラスが揺れる程の大音量で一喝。ティータ当人だけでなく周囲の人間も思わず身を竦め、穏健派の工房長は思わず仲裁に入る。
「ラッセル博士、お気持ちは判りますか、ティータ君も自分の所業を悔やんでいるみたいですし、ここは穏便に…………」
「小娘に恫喝されたぐらいで実験を取り止めるとは、どういう了見じゃあー? ワシはそんな惰弱な孫に教育した覚えはないぞ」
「はいっ?」
 エステル他、この場にいるほぼ全員が素っ頓狂な声をあげる。博士が怒っているのは、ここにいる人間とは全く異なった思惑からのようだ。
「けど、おじいちゃん。今回の件で僕は多くの人に迷惑を…………」
「ふむ、空の上から市の全域を眺めておったが、ワシの工房を中心にして町の光がどんどん闇に呑み込まれていく様は中々に壮観であったぞ。まあ、二次災害はほとんど発生しなかったようだし、市の被害額は数十万ミラといった所じゃろうて」
 かつての初代工房長だったラッセル博士は、昔を懐かしむような遠い目でしみじみと供述する。
「あれは今から四十年近く前、ワシが導力飛行船の開発に取り憑かれておった頃のことじゃ。最初は模型サイズから始まり、大小様々な失敗を経て二十四回目の実験にして、ようやく実用サイズの飛行テストへと漕ぎ着けたのじゃがのう」
 試運転は周囲に障害物がない安全なトラット平原道で行われた筈なのだが。制御を失い暴走した試験飛行船は、何者かに誘われように市の方角へと導かれ、ちょうど市街地のど真ん中で自然落下。ツァイス市は阿鼻叫喚の巷と化した。
「幸い人死には出んかったが、市に与えた損害額は数百万ミラ(※当時の物価なので、現在に換算すると数千万ミラ)に達して、それから周囲の掌を返すのが早いこと早いこと。オーブメント技術を普及させ生活を豊かにしてやった恩も忘れて、キチガイ博士を国外に追放しろと連日連夜のバッシング。神経が図太いワシも流石に堪えたわい」
 現在のツァイス中央工房(ZCF)の前身『ツァイス技術工房』は、閉鎖の危機に追い込まれる由々しき事態となる。無論、そんな逆風にめげる博士ではなく、当時即位されたばかりの二十歳の若きアリシア王女も亡きエドガー先代国王に次いで工房の支持を表明。開発計画は継続される。
 世間の冷やかな目を絶え凌ぎながら、累計三十九回に及ぶ実験の果ての、耀歴1168年。何の因果かティータの母親のエリカが生誕した当日、初の導力飛行船『カラトラバ号』を完成させて人々の賞賛を取り戻した。
「『科学の道は一日にしてならず』じゃ。それは何も科学だけに限った話じゃなく武術もそうだろうが、何事も一朝一夕で何らの代償も無しに成し遂げられる筈はない。もし、当時のワシが世論の圧力に屈し飛行船の開発を頓挫させていたら、今頃リベールはどうなっていたと思う?」
 歴史上の発明や発見は大抵の場合遅いか早いかの差でしかなく、仮にラッセル博士が挫折したとしても開発者の固有名詞が別の誰かに掏り替わるだけで、飛行船が永遠に空を飛ばないなどという未来図はまず有り得ない。
 ただし、その節にはアンチ導力の時流を引きずったリベールでは今ほどオーブメント技術に恵まれなかっただろうし、かの百日戦役でカシウス大佐の反抗作戦の要となった『飛行警備艇』が配備される道理もなく、戦争に敗北してエレボニアの属州に成り果てた可能性がある。
 歴史に『IF』という言葉は存在しないが、カシウスとラッセルの両翼抜きで小国リベールが軍事大国エレボニアに勝利するのは困難というのが、後の戦史家が見解を等しくする所。長い眼で見るなら、博士は与えた被害額に見合った貢献を王国に成したのだ。
「判ったか、ティータ。ワシとついでにお前の母の馬鹿娘が今までこの国に犯してきた数々の事変擾乱に較べれば、お前の仕出かした空騒ぎなど屁でもない。お尻に卵の殻を張り付けた雛風情がその程度でマッドサイエンティストを気取ろうとは片腹痛いわぁ!」
 ラッセル博士がクワッと両目を大きく見開いて、ガラガラドッカーン!っとバックに演出の雷が発生する。
 「負けたぁー」とティータはハンマーで殴られたような衝撃を受けてガックリと両手を地面について崩れ落ち、博士は公然と胸を反らして勝ち誇る。
 何を以って勝ち負けが講じられたのか、良識を備えた余人には今一つ良く判らなかったが。
「なあ、ティータよ。科学の発展に犠牲はつきものじゃが、世の中死亡事故さえ起こさなければ大概のことは償える。だから後々に与えた損害以上の恩恵を齎せれば、それこそが科学の勝利じゃ」
 ラッセル博士はニコニコ顔に戻ると、迷える小羊に救いの手を差し伸べる。干からびた草花のようにしょぼくれていたティータは水を浴びせた植物のようにシャキンと活性化。希望で満ち溢れた瞳をキラキラと輝かせながら、博士の手を強く掴んだ。
「うん、判ったよ、おじいちゃん。僕はこれからも実験で多くの人に迷惑かけてもいいんだね?」
「ああっ、もちろんじゃ。これからもジャンジャン…………」
「いい訳あるかぁー! ラッセル博士、あんたのいかれた哲学を無垢なティータ君に刷り込まないで下さい!」
 マードック工房長が血走った眼で絶叫し、仲良く手と手を取り合っていた祖父孫はお互いに抱き合ってビクッと震え上がる。
 工房長の地位と一緒に博士の尻拭い役も押し付けられた苦労人のマードック氏は、ゼエゼエと息を切らせながら「うっ」と呻いて急にお腹のあたりを抑えた。博士の不在中は沈黙していた持病の胃潰瘍が再発。胃壁に穴を穿ち始めた。普段は反目することが多いグスタフとトランスの両雄も、この時ばかりは互いに同調し諦観の表情で溜息を吐き出した。
「なあ、カリ…………じゃなくて、ヨシュアでいいんだよな? このマッド爺が本当に導力革命の父と呼ばれたラッセル博士なのか?」
「そうみたいね。この人に黒のオーブメントを預けるのはティータとは別の意味で不安ね」
 勝手に正座を解いて馴れ馴れしく金髪碧眼の義妹の肩に手をまわしたエステルは、第三者顔でそう問い掛ける。キリカ同様に目の前の事態に匙を投げたヨシュアは、軽くエステルの手の甲を抓りながら器用に肩を竦める。
 使い方次第で恵みを得られる反面、一歩取り扱いを見誤ると珍騒を引き起こすオリビエやデュナン公爵と似たトラブルメーカーの臭気をこの老人からも嗅ぎ取ったが、指向する目的意識と所持する能力が大きいので災厄の規模も桁違いだ。
 いずれにしても突然のラッセル博士の出現と意味不明な珍演説によって、なにやら責任の所在が有耶無耶になった感がある。今夜はこのままお開きの運びになった。

        ◇        

 昨晩の市への損害は数々の特許で潤ったラッセル博士の個人資産から賄われるという線で話は決着。メンテナンス窓口のヘイゼルが各工房や店舗の賠償請求を受け付け、ヨシュアも真っ先に『エジルお好み焼き店』の被害総額を算出し請求書を提出する。
 エジルはヨシュアのお手伝いの任を解くと、本人は副業に専念する為にこの件をエステル達に託してレオパレスビルに戻った。
 店にとって一番大事な書き入れ時にカリンという稼ぎ頭を失うのは大きな痛手であるが、今後エジルが一人で錐揉みしなければならない内情を鑑みれば、何時までもプリペイドカードのようなチート助手に縋ってもいられない。ヨシュアにきちんと借金を返済できようにカトリアと頑張るつもりだ。
 もっとも、トイチの金利だけは外してもらわないと永久に利息を払い続ける元本無限状態から抜け出せないので、今日までのヨシュアの働き(※多額の元手を無担保で貸し付けた分も含めて)を正当に査定し、店が軌道に乗ったら更に五十万ミラを上乗せして一括完済するという契約で手を打ってもらう。
 これでヨシュアはジルに続いて二枚目(※オリビエも含めれば三枚目)の『百万ミラの借用書』を取得したことになるが、なにぶん無利子、無期限、無催促ゆえに、この紙屑がボースの時のように何れきちんと現金化されるかはまさしく神のみぞ知る所。

        ◇        

「それでは、昨日の実験で判ったことを報告しますです」
 ラッセル工房で一夜を明かした遊撃士兄妹とラッセル祖父孫。朝食を済まして実験室に集まると、講師役のティータが黒板にスラスラとチョークで手書きする。
(1)この黒いオーブメント(『黒の動力器』と仮名)は照明に限らず、自らに干渉しようとするオーブメントの機能を停止させる。
※古代遺産(アーティファクト)を停止させたという証言もあり。
(2)その時の現象(『導力停止現象』と仮名)は、周囲で稼働中のオーブメントに連鎖して広がっていき、有効範囲はおよそ5アージュ。
※逆に言えば範囲内に稼働中の導力器がなければ、それ以上は広がらない。

「ほうっ、良く調べたな。流石はワシの可愛い孫じゃ」
 ラッセル博士がティータの頭を帽子越しにナデナデし、「えへへ、それほどでも」とティータは照れ笑いしながらポリポリと頬を掻く。
「じゃが、そういうことなら仮にワシが実験していたとしても、昨晩と全く同じ事象がツァイス市にそっくり再現されただけじゃろうな。だから、ティータよ。不必要に一時の失態を引きずる必要はないぞ」
「はいです。一晩寝てスッキリ忘れたですよ、おじいちゃん」
 昨晩の騒動も、あまり身に堪えていないみたい。負債を肩代わりした件といい、祖父の無制限な甘やかし振りがこの坊主の人格形成に一役買っているのだろうなとエステルは勘繰る。
「あとフレームの切断も試みましたが、材質は不明ながらよほど硬質の金属で出来ているらしく。特殊合金制のカッターでも傷一つつかず、丸ノコを備えた工作機械による裁断も例の導力停止現象で止められてしまうです。何か上手い工夫を考えないと、内部構造を検めるのは難しいと思います」
 色々と問題があるお子様だが、ティータが科学者の卵とは思えない鋭い見識と確かな技術力を兼ね揃えているのは疑いようがない。街に与えた災禍に見合っただけのデータはキチンと採取した。
「でかしたぞ、ティータ。後はワシの方で引き継いで何とかするからお前には別の任務をやろう」
 博士はそう宣告すると、ティータに修理依頼書を差し出した。何でもトラッド平原道の最南端にエルモ村と呼ばれる小さな温泉宿があり、温泉を汲み上げる導力ポンプが故障した。
「知っての通りアレは導力革命の黎明期に作られた骨董品のポンコツだから、最新鋭のオーブメントしか知らん若い技術者の手に負える代物ではない」
 だがティータならば、自宅の物置に転がっていた初期型のガラクタの山に囲まれ幼少時代を過ごしていて、幾つもの壊れたオーブメントを独力で再製させ出張帰りの博士を驚かせた実績があり、旧式オーブメントの修復にも馴れ親しんでいる。
「うん、判ったよ。おじいちゃん。僕もマオお婆ちゃんの力になりたいし、あの導力ポンプはおじいちゃんと初めて一緒にメンテナンスした思い出ある品だからね」
 最初ティータは、『黒の動力器』の研究チームから外されるのに不満顔だったが、女将のマオ婆さんはよほど懇意にしている人物らしく、「久しぶりに温泉にも入りたいし」と付け加えながら笑顔で了承する。
「おお、行ってくれるのか。そういうわけじゃ、カシウスの伜たちよ。ティータを宜しく頼んだぞ」
「はい?」
 突然、話を振られたエステルは、間の抜けた返事を返す。
「やれやれ、カシウスが愚痴を零していた通り、デカイ図体して全然気の利かん男じゃな。街道には危険な魔獣も出没するし、か弱い我が孫を守護してエルモ旅館まで安全に送り届けるのがブレイサーの務めじゃろが?」
「ひ弱って………………あんた、このガキをどういう眼で見ているんだ?」
 ガトリングガンのような危険極まりないオモチャを無造作に子供に買い与えた挙げ句(※魔改造したのはティータ本人だが)のこの言い草にエステルは呆れる。
 食材狩りとスニーカーの履き潰しマラソンでこの地方を五周ほどしたエステルだから断言するが、トラッド平原道にこのちっちゃな破壊神の脅威となる骨のある魔獣は棲息しない。
 Sクラフト『カノンインパルス』を発動させたが最後、魔獣は原型すら留めずに肉片と化す。
「まあまあ、エステル。確かに攻撃性能(STR&RNG)だけを見比べれば、ティータは大人のブレイサーと較べても飛び抜けているだろうけど、防御パラメタ(HP&DEF)は年相応であなたみたいに頑丈じゃないわ」
 金髪碧眼の美女カリンの変装を御用納めにし常の黒髪琥珀色の瞳を取り戻したヨシュアが、『治癒』の補助があるとはいえ折れた鼻骨を一晩でくっつけた義弟の爬虫類じみた再生力を揶揄しながら、平行線の両者の仲立ちを買ってでる。
 何よりも実戦は西部劇の決闘みたいに、1、2、3の合図で正々堂々と撃ち合う訳ではない。魔獣の奇襲に備えてガードする人間も必要だと不意打ち上等のバーリ・トゥードに特化した闇の眷属から実に説得力のある所見が提示され、ラッセル博士はウンウンと頷いた。
「ほう、そこの黒髪の娘。お前が養女のヨシュアか? 流石にカシウスが度々自慢するだけあって、美しく聰明じゃな」
「いやですわ、お祖父様。そんな本当のことを」
「はっはっはっ。無意味に謙遜しないのも、また良し。ワシなど常々天才だと威張っておらんと周囲の凡才共を反って惨めにさせるだけじゃというのに、身の程知らずとか増長しているとか若い頃からヤッカミが絶えなくてな」
「分かりますわ、パイオニアは何時の世も理解されないものですから、時代が博士に追いつくまでさぞかし歯痒い思いをされたのでしょうね」
「そうか、そうか、共感してくれるか。くうっー、今日は真に目出たき日じゃ。亡き我妻以来の魂の賛同者を得たような、清々しい気分じゃわい」
「そうじゃ、ヨシュアや。ワシはお前さんが気に入ったしティータに嫁ぐ気はないか? 財力まで得たらどんな災難を撒き散らすか知れんから馬鹿娘のエリカに遺産を残す気はないし、老後の面倒を見させようなんてケチな魂胆もない。ワシは生涯現役で工房でスパナを握ったまま大往生を遂げるつもりだから、いずれはラッセル家の莫大な財産は全てお主のものになるぞ?」
「まあ、それは中々に魅力的なご提案ですわね。けど、折角だけどご遠慮しておきますわ。お孫さんの女性の好みの問題もありますし、殿方に物品を貢がせても現金を直接強請らないのが私のポリシーですから」
「はっはっはっ。そうか、そうか。こりゃ、ますます気に入ったわい」
 何やら話が弾んでおり、ラッセル工房に明るい談笑の声が響きわたる。
 どこまで本気のオベッカかは分からないが、昨夜は博士に警戒心を抱いていた筈なのに腫れ物扱いするよりも懐柔する道を選んだようで、早速気難しげな天才科学者にまんまと取り入った。
「はえー、凄いです、ヨシュアお姉ちゃん。誰とでも打ち解けられる僕と違って偏屈なおじいちゃんは大いに人を選びますけど、こんな楽しそうなおじいちゃんの顔は久々に見たですよ」
 ティータの自己評価と祖父評は恐らくは正鵠なのだろうが、それを歯に衣を着せずに口にする神経はどうかとエステルは思った。
 導力砲と機関砲を同時装備可能など歳不相応な異常な体力を誇るこのお子様の防御性能に関しては一石を投じたい気もするが、街道の民間人の安全確保は遊撃士の義務なのでティータを保護すべしという意見の方が正論ではある。
 ヨシュアがラッセル博士をひたすらヨイショしてまで熱心にこの話題を推し進めているのは、多分当人が美容に優れると評判の天然温泉に逸早く浸かりたいという下心故なのは一先ず置いておくとしても。

 かくして護衛の依頼を引き受ける方向で話は纏まった。例のメモの添書の本来の指定者『R博士』と思わしきラッセル博士に黒の動力器の解析作業を一任した遊撃士兄弟は、ティータと連れ立って一路遥々とエルモ温泉を目指す次第となった。



[34189] 16-11:漆黒の福音(ⅩⅠ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/23 00:01
「はーい、皆さん、こんばんは。ツァイスラジオ局DJのヘイゼルです。今夜も人には言えない恋の悩み相談を受け賜っちゃいまーす。本日はお葉書でなく、何故かボイスレターが届いているのでポチッと再生します。えっとー、ラベルに貼られたP.Nはロレントを旅する『二つの心を持つ女』さんね」

『突然、こんなお手紙をお出しして、すいません。先日、とても好きだった殿方と十年ぶりに運命の再開を果たしたのですが、その男性は善良な市民を困らせる悪者になっちゃったみたいなのです。いいえ、彼にも事情はあると思います。ここではお話できませんが過去にとても辛い悲劇がありまして。何とか彼を立ち直らせたいと願っているのですが、所詮は立寄港の現地妻に過ぎなかった私の言葉が彼の心に届くのか自信がありません。私はどうしたら良いので……………………』

………………(三十秒の空白の時間)………………。

『だあー、女々しい! 愛人の身分に甘んじて、充足しやがって。プライドねえのか、この泣き虫が! お前みたいなジゴロ野郎にとって都合の良い隷属女の存在が、チャラチャラした勘違い男をより一層つけ上がらせているんだよ。ましてや、イケメンだからって何時までも過去の男に後ろ髪引かれて、てめえの恥を公の場で赤の他人にまで晒してんじゃねえ! 悪事を働く社会のクズに情状酌量の余地があるか、悪・即・斬に決まっている! あの銀髪野郎、次に遭ったらキンタマ蹴りあげて、それでもそのスカしたニヒルクール面を維持できるのか試してや……………………』

………………(再び三十秒の空白の時間)………………。

『ご、ごめんなさい。私、何だか最近情緒不安定でして。またあの娘が出てきたら困るからこれで終わりますけど、私は本当にどうしたら良いのでしょうか?』

「…………何か色々お疲れみたいですけど大丈夫ですか? もしかして総合失調症とか? 私はその悪さをしている男性よりもあなたの健康の方が心配なのですが、お仕事なのでマジレスさせていただくと、御自身で既に結論が出ているようにまずは最寄りの王国軍かブレイサーにご相談した方が良いと思います。やっぱり、犯罪を犯したのなら法に則った処罰を受けさせて、罪を償わせるのが先決。色恋沙汰や心の救済はその後の話でしょう。相手がチンピラならあなたの身も危険なので、くれぐれも『私の愛で、あの人の冷えついた心を溶かしてあげるの』とか早まった陶酔行動には出ないようにしてくださいね。それでは、悩めるあなたのハートを癒す為に今回こそ『空の軌跡』を贈り…………あれっ? 局内の照明や機材が次々に落ちていっているけど、一体何事?」

(※導力停止現象によりツァイスラジオ局の機能が全面麻痺したので、この夜の演奏はまた延期になりました)

        ◇        

 整備用具一式など身支度を整えてトラット平原道に乗り出したティータは、彼を守護する遊撃士兄妹に挟まれ中央に陣取りながらエルモ温泉を目指す。
 ティータは見知った地元だし、エステルも例の履き潰しマラソンで市全域の地理に明るくなったので、ヨシュアは道案内を手慣れた二人に任せることにする。
「にても、意外だったよな。まさかカリンさんがヨシュアだったとはな」
 てっきり温泉に滞在しているものと見做してエルモ村には立ち寄らなかったが、エステル達が常連化した飲食店で汗水流して働いていたとは努々思わなんだ。
 当人は先輩遊撃士を騙くらかし五十万ミラをせしめたとか憎まれ口を叩いていたが、照れ隠しに悪女ぶるとか結構可愛い所もあるみたいだ。
「それよりも、ラッセル博士はどうやって黒の動力器の正体を掴む気かしら?」
 ツンデレの素養を抱えたヨシュアが匿名の寄付行為が発覚した悪徳高利貸しのような居心地の悪そうな表情で、エステルのニヤニヤ顔から視線を背けながら話題を転換する。
 ヨシュアにしては不器用な誤魔化し方だが、科学方面のネタに敏感なティータは早速食らいつき、「内燃機関を利用するつもりだと言ってたです」と博士の腹案をリークする。
 昨晩の実験でオーブメント機器を作動させると導力停止現象を誘発するのが立証されたので、導力以外の別エネルギーを用い工作機械を動かせば良いというアイデアに落ち着いた。
「内燃機関というのは火を燃やしてエネルギーを生成する仕組みのことです。主に石油という採掘資源から精製したガソリンをエネルギー源にするですよ」
 この世界にはゼプチウムマネーという成金用語がある。
 豊富な天然資源を抱える国々が七耀石の輸出で築き上げた莫大な富を示し、少なくない数の億万長者(セプチウムダラー)を世に生み出した。
 だが、エプスタイン博士が七耀石から導力を産み出す術を見出さなければ、石油が生活エネルギーの主役になっていた可能性もある。その場合、オイルマネーが席巻し貧乏な大陸中東の産油国が世界経済を牛耳っていたかもしれず、まさに導力革命は歴史の曲がり角だった。
「無限エネルギーに等しい導力と違って有限資源の石油は枯渇したらそれまでですし、世界中に散らばるアーティファクトの存在もありますから、どういう経緯を辿ってもいずれは七耀石に取って代わられたと僕は思うですけど、二酸化炭素を撒き散らす効率悪い内燃機関が今回の実験では役に立つですよ」
 セプチウムからクオーツを作り出すメカニズムすらさっぱりのエステルには、別資源の石油の蘊蓄などチンプンカンプンだが、とりあえずラッセル一家が単なるマッド家系でなく天才に連なる一族であるのは良く分かった。
「なるほど、中央工房には研究用の内燃機関のユニットが存在する訳ね。そういうことならエルモ温泉から戻った頃には、フレームの切断に成功し内部構造が明るみになっていそうね」
 この高尚な会話についていける我が腹黒義妹も相当なものであるが、ティータの顔色に何か不安の種のようなものを嗅ぎ取ったヨシュアは、やはり研究チームに残れなかったのが残念か尋ねると首を横に振られる。
「未練がないと言えば嘘になりますけど、僕も工房の技術者の端くれですから与えられた仕事を脇見せずに全力で取り組むつもりです。僕が気になったのは今回話に出た石油そのものでして」
 ティータは少し迷った後、インターネットのネット取引で小遣い稼ぎに株の売買をしているのをカミングアウト。エステルは仰天したが、直ぐに老婆心から翻意を促す。
「おい、ティータ。絶対に止めとけ。俺たちの知り合いにも、先物やらで失敗して一億ミラの借金をこさえて、放火事件まで引き起こした財界人がいたから」
「僕がしているのは株のデイトレードで、先物とは少し違うです。先物取引のノウハウは専門外ですけど、欲掻いて実体よりも大きなミラを扱うと大概失敗するですよ」
 選択する取引方法にもよるが、株の場合は下がっても直ぐに売って手離してしまえば、そこまで痛手にはならない。
 これが先物の信用取引だと追い証がかかり、払えなくなると取引そのものがパアになるので、ダルモア市長のように地獄の釜まで引きずり込まれるらしいのだが。
「この地点で俺にはお前が何の説明をしているのかさっぱり分からないが、何で大損するリスクを覚悟してまで投機に手を染める必要があるんだ?」
 親切心から忠言しても別の意味不明な専門用語が返ってくるだけなので、株や先物のシステムを吹っ飛ばして根源的な問題点だけを問い掛けてみた。
「はうっ、よくぞ聞いてくれました、エステルお兄さん。おじいちゃんはああ見えて結構ケチでして、「自力で研究資金を調達するのも、科学者に必要な資質の一つだ」とか偉そうなことを抜かして全然お小遣いをくれないですよ」
「自分は王家という金蔓(スポンサー)を捕まえたものだから、いい気なもんです」
 ティータはやさぐれた態度で、「けっ」と舌打ちする。
 特に酒が入ると「ワシが若いころはゴミ山を漁って、汚物に塗れながら資材を自活したものじゃが、最新鋭の設備が整った工房が用意されたお前らの世代は恵まれとるな」と昔語りの苦労自慢が始まるので、仕方なしに独自に開発費用を賄う方法を模索したそうで、ラッセル博士も無制限に孫を甘やかしてはいないようだ。
「なるほど。株式取引なら、この子には向いているかもしれないわね」
 ここまで黙って話を聞いていたヨシュアが、初めて口を挟む。
 証券取引の世界は単純化すれば、上がるか下がるかの丁半博打に思えるだろうが、実際は九割の負け組が一割の勝ち組を支えているのが実情。
 何故、これほど勝率が偏るかといえば、もちろんハードラックに見込まれた憐れな敗北者もいるが、大抵は目先の欲望をコントロール出来ずに先のティータの金言通りに自滅するからだ。
 真っ当なら数カ月間、真面目に働いてやっと得られる大金がほんの数分の間に上下する異常な空間の中で自制するのは常人には難しいが、このお子様には知的探求心はあっても金欲がない。
 ツァイスの最新設備をフル活用した念入りな事前調査で購入した有望銘柄の株価が、自分が定めた研究に必要な資金額に達したらさっさと売り払って利益を確定してしまうし、見込みと違って下がった株も躊躇なく損切りして被害を最小限に食い止めている。この方針を貫いている間は大勝ちはしなくても元本が底を突くこともない。
「遣り方に是非はあるだろうけど、自分できちんと稼ごうとしているだけ立派だと私は思うわ。ティータならその気になれば、いくらでも金持ちの奥方のパトロンとか見つけられただろうしね」
 貢がせのプロが少年のクローゼに匹敵するホスト適正に太鼓判を押す。
 身分証IDを偽造して年齢を詐称し、大人の証券取引の世界に首を突っ込んでいる違法行為は置いておくにして、その心意気の気高さは評価すべきだろうが。ここまでのマル秘内職話と最初の石油云々がどう結びつくのだろうか?
「はい、さっき先物は門外漢と謳ったけど、市場データを採取する為に様々な投資物件に毎日目を光らせているですが、ここ数カ月、石油の取引値が異常に上昇しているのですよ」
 先物では、米、大豆、トウモロコシなどの様々な農産物とレアメタルや七耀石に石油製品などの工業品が取引されているが、基本的に人気薄のガソリンに大口の買い注文が立て続いてジリジリと値上がり中。
「好奇心からカペラの力を借りて、買い元を辿ってみたですけど、どうやら帝国のダミー会社に分散されているみたいでして。投機対象として仕手筋から狙われた訳ではなく、純粋にガソリンそのものを大量に必要としているみたいですよ」
 昨晩、枕元でラッセル博士と四方山話としてこの話題をあげてみると、「帝国科学省のホースキングの奴が何か企んでいるのじゃろう」という推論に達した。
「帝国科学省?」
「エレボニア帝国の科学分野を仕切っている行政機関でして、その部署の最高責任者ホースキング長官はかつてエプスタイン博士に師事した三人の教え子の一人でおじいちゃんの兄弟子だそうですよ」
 そのホースキング長官が、どういう理由で導力文明万世の今のご時世に環境汚染の原因となる不完全資源を買い漁っているのかは、判断材料が不足し過ぎていてラッセル博士にも皆目見当がつかない。
 まさか帝国全土に張り巡らされた鉄道網の動力源を今更非効率的な有限資源のガソリンに切り換えるとも思えないが、どのような思惑が隠されているのやら。
「もしかするとティータはまた戦争の前準備じゃないかと心配しているわけね?」
「そこまで先走った訳ではないですけど、遊びで注ぎ込める額じゃないですので、その意図が気になりまして」
 これほど莫大なミラが市場に投入された以上、各省の予算を司る鉄血宰相オズボーンの指示であるのは間違いない。リベール侵攻以来武力を抑止したとはいえ、かつての大陸有数の軍事国家のやることなので予断を許さない。
「科学の進化が軍事的欲求に促される側面があるのは歴史的に否定できない事実ですし、おじいちゃんも警備飛行艇などの導力兵器の開発に携わったのも確かですが」
 あくまでも専守防衛故。アリシア女王が即位している御世では、リベールが他国を侵略することはないと陛下は博士に明言した。もし、その誓約が違えられたら、例え投獄されたとしても博士は二度と王国の技術支援に力を貸さないだろう。
「なるほど、ラッセル博士にはマッドサイエンティストの片鱗があるけど、あくまで人々の生活を豊かにする為に真理を追求しているのであって、戦乱による科学技術の飛躍を望んでいる訳じゃないのね」
「なら、帝国の出方次第だろう。案外、そのガソリンで動く戦車を大量に生産したりして………………って俺なんか変なこと言ったか?」
 ヨシュアとティータが揃って、意味深な目つきでエステルを見上げる。何か場違いの馬鹿発言をしたのかとうろたえたが、茶化すことなく先を催促される。
「エステル、あなたはどうしてそう思ったの?」
「いや、特に深い意味はないんだけど。今回みたいな導力停止現象が大陸中に広まったら別エネルギーで動く兵器が役立つんじゃないかと素人考えで思いついただけだけど、やっぱり変かな?」
 エステルは自虐したが、二人の知恵者は目から鱗の表情で互いの顔を見合わせる。一般常識に縛られた彼女らでは百年話し合っても思い浮かばなかったユニークなアイデアが目の前に齎されたからだ。
「やっぱり集団発想法(ブレインストーミング)ではエステルみたいなフリーダムな人間の存在が必要不可欠よね。私やティータだと良識が邪魔をして、導力停止現象が大陸全土を覆うという無茶苦茶な思考自体を無意識化で消去してしまうからね」
「はいです。『無知は究極の知恵に通じる』という古代の哲学がありますけど、それはきっとエステルお兄さんのことを指すですよ」
「お前ら、貶しているのか褒めているのか、どっちなんだ?」
「もちろん、絶賛しているのよ。中途半端に小知恵が回るインテリよりもエステルぐらい突き抜けた大馬鹿の方が役立つことが多そうだけど、真面目な話、導力停止現象時に稼働する兵器を開発できたらどうなるのかしら、ティータ?」
「色々と有り得ないという前提条件を取っ払った上で考察するなら、武力による世界征服が狙えるですよ。今度、それとなく与太話としておじいちゃんに伝えてみるです」
 またぞろ話が専門的な分野に偏ったが、何だか幼少時の『僕の将来の夢』という黒歴史を肴に晒し者にされているような気恥ずかしさをエステルは覚えてしまい、この話題を打ち切る為に別テーマを投げ掛ける。
「俺としてはブルマニストに落魄れた帝国連中のやる事よりも、導力技術を引き継いだ三人の弟子とやらの方が気になったな。お前の爺さんとホースキング長官の他にももう一人いるんだろ?」
 エステルがどこか微妙にずれた所感ながらも強引に思考停止を促したので、二人は遊戯討論に一時歯止めを掛けることにするが、ティータは最後の博士の姓名を記憶に留めていない。幼い頃に一度聞いただけで、ノバとかエバで始まる名前だったが忘れてしまった。
「そのノバなんとか博士とは今では完全に袂を分かち、親交が途絶えてしまったです。「奴は科学者以前に人として決して踏み越えてはならない領域を侵してしまった」とか、おじいちゃん、えらい剣幕で憤慨していたですよ」
「あのラッセル博士にそこまで謂わしめるなんて、相当な悪魔の弟子なのね、そのマッドサイエンティストは。人が触れてはいけないタブーって人体実験にでも手を染めたの……」

「ふえーん! やだやだ、助けてー!」
 三者が話に夢中になっている間に何時の間にかエルモ村の近辺までトラット平原道を走破してきたようだが、街道から外れた脇の方角からうら若い女性の悲鳴が聞こえてきた。
「何だ、魔獣に襲われた民間人か?」
 エステルは物干し竿を展開しながらも、軽く安堵する。本当はさして興味のなかった博士の件を態々持ち出すまでもなく、先の馬鹿発言を有耶無耶にできると踏んだのだが。
「エイドスさまぁ。お父さん、お母さん。ナイアル先輩、助けてくださいー!」
「…………これって………………っておい?」
 被害者の真名に心当たりがあり過ぎたエステルは脱力しながら義妹の方角を振り向いたが、ヨシュアはティータとお手手を繋いだまま素知らぬ顔で通り過ぎようとしている。
「それで話を戻すけど、ティータはどういう研究をしているのかしら?」
「はいです。出張前のおじいちゃんが設計図のラフ書きだけを書き残した『生体関知器無効化オーブメント』の開発に取り組んでいるですよ」
「まあ、凄そうね。流石は天才科学者のお孫さんね」
「いえいえ、基礎理論はおじいちゃんがほとんど誂えましたから、僕は細部を付け足して単に実用化しようとしているだけ…………」
「こら、お前ら。和みながら、さり気なく見て見ぬ振りしようとしているんじゃねえ!」
 エステルが大声で二人を呼び止めて、ヨシュアは面倒臭そうに振り返った。
「私は何も聴こえていなし、見てもいない。ドロシーさんが例の犬型魔獣(アタックドーベン)に取り囲まれている光景なんて知らない」
「しっかり魔眼で覗いているし、地獄耳にも届いているじゃねえかよ。ティータが襲われていた時と反応が全然違うし同性に対して冷たすぎやしないか?」
「エステルだって、救出対象が可愛い女の子とむさ苦しいおっさんとではモチベーションに違いがでるでしょう? まあ、私の場合は異性云々よりも、彼女みたいな天然タイプが苦手なのよね。今回のケースのように悪意なくトラブルを持参して同行者の苦労を増やすから」
 少女の言にも一理あるが、さりとて遊撃士が民間人を見捨てて良い道理はない。仕方なしにやる気のない義妹抜きで独力救助を試みようとしたが。
「僕もお手伝いするですよ。『紅葉亭』にはガトリングガンの弾倉(マガジン)の予備がたくさん積んでありますから、直ぐに補充できますし」
 ティータが、黒光りするゴツイ銃器を楽しそうに翳しながら、助太刀を買って出る。
 馴染みの温泉宿を武器の補給基地の一つに利用する神経はどうかと思うが、頼もしい助っ人の参戦であるのは間違いなく、やはりティータに護衛など初めから必要なかった。

 あれから一応、NPC(ドロシー)のガード役を引き受けてくれたヨシュアも含めて、三人は魔獣の襲撃地点に飛び込み、アタックドーベンの群を瞬く間に蹴散らしてドロシーと久方ぶりの再開を果した。
 天然天才カメラマンを一行に加えたエステル達は、再び一路エルモ村を目指すことになる(本当に目と鼻の先の距離だけど)



[34189] 16-12:漆黒の福音(ⅩⅡ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/24 00:01
「わあ、ヨシュアちゃんとエステル君だ。久しぶりだね」
 紅色の髪を黄色いリボンで束ねて、視力補助の役割を果さないズレ眼鏡をしたリベール通信社の新人カメラマンは、ホンワカした態度で挨拶代わりにシャッターを切る。
「おおっ、そっちの可愛い坊やも良い顔してますね。とってもキュートですがもう少し笑ってくれると更にベリーキュートです」
「はうっー、こうですか?」
「相変わらずですね、ドロシーさんも……ってティータも釣られてポーズを取らなくて良いの」
 パシャパシャとストロボを焚くドロシーと両手人指し指を左右の頬に突き刺しにぱーっと微笑むティータを当分に見渡しながら、ヨシュアは両肩を竦める。
 美容と健康に優れると評判の天然温泉目当てに態々王都から訪ねてきたそうだが、舗装された歩道を歩く分には街道灯の効果で魔獣の襲撃を避けられたのに、良好な景色を求め夢遊病患者のように脇道に逸れはじめて先の窮地に陥った。
 エルモ村までほんの直ぐの距離だが、ティータと異なり真に護衛が必要な要監護対象と遭遇してしまい、目的地も一緒なので仕方なくただ働きでガードすることにした。
「それで、ドロシーさん。ナイアルさんから何か秘事を託されていないですか?」
「はい。「さり気なく例の遊撃士姉弟に合流して、スクープになりそうなネタを掻き集めてこい」と先輩から命令されました」
 ドロシーの習性を熟知するヨシュアは単刀直入に質問し、エステルさえも呆れる程に馬鹿正直な返答が齎される。メイベル市長をカンカンに怒らせた件といい、つくつぐ極秘任務に向かない人材だ。
「「おまえが自然に振舞えば、必ず腹黒姉と脳筋弟が参上する」と先輩は明言され、その通りにわたし達は運命の再会を果しました」
 「ナイアル先輩は予知能力者なのですかね?」とドロシーは慄く。ようするに、この天然娘を従来の生態に基づいてうろつかせれば自ずと珍動を引き起こし、誘蛾灯のように兄妹を招き寄せると見透かしての発言だ。
 ナイアルの思惑通りにことが運ぶのはちと癪であるが、スパイとしては最も適正に欠ける刺客が送り込まれてきたので自分らが隙を見せなければ大丈夫だろうとヨシュアは警戒心を解いたが、ドロシー相手にその目算が甘かったのを後々思い知らされる羽目になる。

        ◇        

 紅葉亭に辿り着いた一行は、マオ婆さんという肝っ玉女将から手厚い歓迎を受ける。実孫のように溺愛されているティータなどは胸の谷間に埋められあやうく窒息死しそうになる。
 ヨシュアの柔らかなおっぱいの裡で息絶えたなら昇天しただろうが、ラッセル博士と同年代の老婆では成仏できないのは必定。地縛霊と化す寸前に脱出したティータは、「早速、修理をしてくるでーす」と逃げるようにポンプ小屋に駆け込んだ。
 ティータのお仕事が終わるまでの間、暇を持て余したエステル達は荷物を二階の『袖小の間』に置くと村を散策する。
 土産物屋『葉月』を冷かし、中庭の池堀に置かれた石灯籠の隙間に隠された本をヨシュアが目敏く発見したり(※これでツァイス初期にエステルが請け負った依頼は全てコンプリート)しながら、三者は露天風呂の前のリラクゼーションスペースでとあるブツを目にした。
 上面の長さ2.74アージュ、幅1.525アージュ、高さ0.76アージュの長方形の折畳みテーブル。長辺に垂直に張られたネットによって台が二つに仕切られている。
「これって卓球台だよな?」
「わあ、面白そうだねえ。こっちの棚にはラケット数枚と新品のボールが箱(一ダース)で置いてあるよー」
「温泉といえば確かね定番ね。湯船に浸かる前に一汗掻くにはちょうど良いし、久しぶりに対戦してみる?」
 面倒臭がり屋のヨシュアとは思えぬ積極的な態度で、エステルの眼前にラケットが差し出される。
 尖った性能の華奢な義妹と異なり、体力自慢で運動センス抜群のエステルはほとんどの球技を万能にこなせるが、とある事情から卓球だけは勝てた試しがない。
「いいぜ、コテンパンの返り討ちにしてやるぜ」
 しかし、彼の性分として勝負を挑まれた以上は逃げることは叶わない。かくして遊撃士兄弟による異色の卓球対決が始まった。

        ◇        

「はいっ」
「くっ!」
 ヨシュアのスマッシュがコートの左隅ギリギリに突き刺さり、エステルのラケットの脇を擦り抜けてポイントになる。
「11-0でヨシュアちゃん、ウィーン。これで二ゲーム先取だね」
 審判役を務めたドロシーが高らかにヨシュアの勝利を宣言し、これまた温泉卓球定番ユニフォームの浴衣に着替えたヨシュアの手が翳される。
 ちなみに二人の対戦前にドロシーも挑戦してみたが、空振りばかりでラケットにボールが掠りすらしないので、拗ねてジャッジ役に専念することにした。
「なあ、ヨシュア。前々から思っていたが、それは卑怯じゃないか?」
 歯ぎしりを堪えながら義妹の不正を指摘する。ヨシュアの利き手には右手用ラケット、逆手には左手用ラケットが握られている。得物の双剣さながらの二刀流を維持しているが当然ルール違反。
 武術の稽古でヨシュアに負け続けるのは恒例行事だが、神聖なスポーツの舞台でこのようなインチキが罷り通っても良いものか?
「別に公式試合じゃあるまいし、お遊びなのだから愉しんでやればいいだけでしょう? 勝負の最中に泣き入れるなんて男らしくないわね、だっさぁー」
「わあっーたよ。その反則行為ごと粉砕しているから、今に見ているよ!」
 クスクスと嘲笑うヨシュアの態度に頭に血が上ったエステルは、またぞろ腹黒義妹の口車に踊らされているのを承知しながら、敢えて安っぽい挑発に乗っかる。
 ド汚い手を使う卑劣漢の奸計を小細工抜きで正々堂々叩き潰すのが主人公たる者の使命なので、精々己が卑小さを後悔させてやることにしよう。

 そんなエステルの意気込みとは裏腹に、それからもワンサイドゲームが続く。
 本来なら細腕のヨシュアは球技全般を苦手とするが、この卓球だけは全くの別物。
 羽のように軽いセルロイド製ボールを至近距離から打ち合う特性上、膂力にさほど意味はない。動体視力と反射神経に、何よりも小手先の技量が物を云うまさしくヨシュアの為に誂えたような遊戯。
 ましてや少女の手首の器用さは天下一品。その上でラケットを左右同時に展開しているので、彼女にバックハンドの概念はなく。全て強打可能なフォア側でコートのどこに打ちこんでも死角無しで的確に弾き返してくる。
「二人とも早すぎだよ。目が全然、追いつかないよー」
 エステルのサーブから始まり、カン、カン、カン、カンと音を立てピンポン玉が凄い勢いでネット上を何十回も行き来し、ドロシーは忙しく首を左右に振る。
 素人目の彼女からは一見互角の打ち合いに映るだろうが、これも全てヨシュアの掌の中。
 柔らかなタッチで必ずボールに妙な回転をかけてくるものだから、ラリーが長引く程に少しずつエステルの狙い所にズレが生じる。いずれヨシュアが滅多打ちしエステルがひたすら拾い続けるサンドバックのような一方的な展開になり、やがて根負けしたエステルがボールをネットに引っ掛けてポイントを落とすの繰り返し。
 エステルも人並み外れた持久力に球技のセンスにも恵まれているので瞬殺されることは稀だが、相手は精密機械のようなショットの正確さとメンタルで全くミスを犯さないのでゲームはおろかポイント一つ奪えない。
 お義兄様が手抜き接待を喜ばない性格なのは今更なので、ヨシュアは一切手心を加えずに思う存分蹂躙。第三ゲームもラブゲームで決着する。
「四セット先取だから次で終わりかしらね。程よく疲れてきたし気持ちよく温泉に浸かれそうね」
 激しい動きの連続で浴衣を着崩れさせたヨシュアが軽く額の汗を拭いながら爽やかにはにかむが、逆にエステルのイライラは最高潮に達する。
 そりゃルール無用で好き放題しているヨシュアは楽しかろうが、一ポイントも取れずに遊ばれてノーサイドを受け入れられる程にエステルは人間が出来ておらず、ストレスは溜まる一方。
 何としてもヨシュアを出し抜いて必ずやラブゲームを阻止してみせると、えらく志の低い目標に下方修正したエステルはラストマッチに挑む。
 このままガムシャラに戦っても今までの二の舞になるのを悟ったエステルは、ラリーを継続しながらヨシュアの動きを観察して相手の弱点を探る。
 すると真っ先に浴衣姿のヨシュアが結構艶かしいのに気がつく。思わず見取れてしまったエステルの額にピンボンスマッシュが炸裂する。
「どうしたの? 試合中に集中力を乱すなんてエステルらしくないわよ」
「い、いや、何でもない。続けるぞ」
 以前もこんな遣り取りがあったような気もしたが、ヨシュアは深く気にせずサーブの態勢に入る。
(まいったな、ヨシュアの奴、気がついていないのかよ)
 一心にゲームにのめり込んでいた時はまるで目に止まらなかったが、試合後、直ぐに湯船に飛び込む予定のヨシュアはノーブラ。浴衣の下のふくよかな胸が動く度にポヨンポヨン揺れ、更には機動力を維持する為か普段のミニスカ並に足下を絞っていて何時も以上に生足を剥き出しにしている。
 例の絶対領域の謎の暗闇によってどれほど激しく動き回ろうとも下着(上はともかく流石に下は履いてないことはないだろ?)は見えないが、もし色香で惑わす魂胆があるのなら効果は覿面。さっきまで成立していたラリーすら続かずに立て続けにポイントを失う。
(だあー、何をやっている、エステル? 気合を入れ直せ!)
 別段、何かを賭けている訳ではないが、勝負と名がつくものにベストを尽くさないのはエステルの矜持が許さず。パンパンと両頬を張って煩悩を退散させると、残り五ポイント間に攻略法を見出すべくヨシュアの一挙一動に目を凝らす。
「7-0 あと4ゲームだよ」
(ボールを左右に振っても意味無し。全部ファオで捌かれてしまう)
「8-0 何か退屈だから、わたしは二人の姿を撮ることにするよー」
(前後に揺さぶっても効果ゼロ。この狭い卓球台じゃヨシュアのリーチの短さはウィークポイントにはならない)
「9-0 二人ともいい表情してますねえ、とってもセクシーです」
(駄目だあー。本当にどこにも隙がねえ…………まてよ、隙がない?)
「10-0 あれぇ? 何時の間にかマッチポイントだよー」
(いけるか? このままだとどうせじり貧だし一か八かだ)
 いよいよ最後のヨシュアのサービス。
 ラリーが長引く程に玉の変化に惑わされて強打が打てなくなるので、勝負はサーブを放った直後の一瞬。エステルは迷うことなく、渾身の一撃をヨシュアの真正面に向かって叩きつけた。
「なっ?」
 身体の中心線目掛けてボールが飛んできたので、左右どちらで対応するか反応に悩む。その一瞬の判断の出遅れが命取りになり、あろうことかヨシュアは両方のラケットで同時にボールを弾いてしまう。
「よっしゃあ。今のを有効打と謳うつもりはないよな、ヨシュア?」
 ピンポン球はフラフラとエステルのコートに舞い戻ってきたが、二度打ちに等しいこれは流石にアウト。
 ラブゲームを阻止して念願のポイントを手に入れたが、ボールが台上に落下した刹那、跳ねることなくその場で静止。更にはスイカ割りの西瓜のようにパカッと真っ二つに砕けて、思わすエステルは目を見張った。
「おい、ヨシュア。お前、一体何をした?」
 そう問い掛けたが、意図せず魔球を披露したヨシュア当人が一番驚いていた。今の現象がいかなる物理法則に基づいて発生したのか、得意の合理的な思考フレームで算出する。
(私は思わず反射的に両方のラケットでボールを弾いたけど、そんなことでボールが割れる筈はない。物体を砕くにはそれが持つ抵抗力を上回るスピードとパワーが必要。けど、もし数マイクロ秒の狂いもなく『本当に全く同時のタイミング』で二つのエネルギーを送り込んだらどうなるか? それが例のクフラトのヒントになるというならテストしてみる価値はあるかも)
 天才数学少女の頭の内でどのような方程式が導かれたのか? 周囲にはさっぱり分からなかったが、ヨシュアは棚から別のボールを取り出すとプレイを続行。ゲームそっちのけで先の同時打ちをひたすら試し続け、その果てに。
「エステル、次……」
「もうボールはねえよ。というか頼むから真面目に卓球してくれよ」
 エステルが呆れながらゲームオーバーを宣告したように、台上には最後のピンポン球が二つに割られ、同様の運命を辿ったボールの残骸が彼方此方の床下に転がっている。
「12-10でエステル君、ウィーン。やったね、マッチポイントからの大逆転劇だよ」
 大物なのか頭の螺子が緩んでいるのか、目の前の異常事態にもまるで動じずに、審判兼カメラマンの役割を全うしたドロシーが背伸びしながら長身のエステルの左手を掲げる。
 一ダースのピンポン玉の尊い犠牲と引き換えにエステルがワンゲームを奪い返した所でゲーム続行が不可能になり、卓球勝負はお開きになった。

「うふふっ、まさかこんな暇潰しから新たなる理(ことわり)が閃くなんて、球遊びと馬鹿にしたものじゃないわね」
 以前、市長亭で剣狐のSクラフト『エメスラル・ハーツ』に触発され、課題としたDEF(物理防御力)を無効化して固定ダメージを与えるクラフトの手掛かりを掴んだよう。予想外の収穫にヨシュアは笑みを零すも、今回の実験には妙なオマケがついてきた。
「エステルくーん、ヨシュアちゃーん。二人の戦いの雄姿を撮ったスナップショットを見てみてー」
「写真が出来たって? カメラのことは詳しくないけど、フィルムを映像化するには現像作業が必要なんじゃないのか?」
「んっふふふふぅー。これはZCFで新しく開発された、『ポラロイドカメラ』と言ってね。撮ったその場で直ぐさまスナップが再現できるんだよ」
 「ポジに該当する感光クオーツがないから焼き回しは無理だけどね」と補説しながらオリジナルそのものを手渡し、次の瞬間、エステルは赤面する。
「どうしたの、エステル? 顔が赤いわよ?」
「い、いや、ヨシュア。お前は見ない方が…………」
 しどろもどろになりながら写真を後ろ手に隠そうとしたが、その行為はヨシュアの好奇心を刺激する結果にしかならず。次の刹那、シェラ姐直伝のキャットテイルで強奪する。
 どうせ自分の姿は映っていないし、どんなエステルの狂態が焼きついているのかワクワクしながら覗き込んだヨシュアは「なっ?」と素っ頓狂な声をあげる。
「嘘? どうして、こんなことが……」
 一見マトモな勝負風景が展開されているが、だからこそ奇怪しい。
 被写体には浴衣でラケットを振り抜くヨシュアの姿が克明に映されいて、あろうことか絶対領域まで解除されて、裾から全開状態の白の下着まではしたなく晒されている。
「こんなオカルト有り得ない……と言いたい所だけど私のステルスが破られた現実を認めない訳にはいかないわね」
 ヨシュアは数学者だが、理論と現実がバッティングした時には目の前で起きた事象を優先するリアリストでもある。
 『神秘はより強い神秘によって打ち消される』と聞くが、ドロシーの写真の理(ことわり)がヨシュアの隠密性能を上回ったということだろうか?
 真相究明の為にエステルにもカメラを持たせて、ドロシーと交互でヨシュアのショットを撮らせてみる。即時現像されたエステルの方のスナップにヨシュアの姿は映されておらず、ドロシーが再度撮った方は先と同じ顛末で偶然や奇跡でないのが立証される。
「ある意味、この場で彼女の能力が発覚したのはラッキーだったわね」
 ドロシーが興味本意でインスタントカメラを持ち込まなければ、油断したヨシュアはあられもないネガをリベール通信社に無償提供し、妙に鼻が効くナイアルがヨシュアとドロシーの相関関係に気がついたら良いようにつけ込まれた危険性がある。
「ねえ、ドロシーさん、お願いがあるのですが、この写真を勝負の記念にいただけませんか?」
「えー、それは駄目だよ。ナイアル先輩から……」
「温泉から上がったら、誘惑山菜鍋の食べ放題でどうです?」
「うん、いいよ。写真はまた撮ればいいんだしね」
 満面の笑顔の裏で改めて天然娘に苦手意識が芽生えると同時に漆黒の牙の生命線スキルをレジストする危険人物をどう処遇するか悩んだが、幸いドロシー本人の懐柔は容易いので抹殺方向に心を傾けるのは止めることにした。

 尚、後日。買収の子細を考え無しにナイアルに洩らしたドロシーは、なぜか当人が撮り損ねたヨシュアの艶姿をせっかく映像に収めたのに、そのスクープ画像を騙し取られた件で先輩から大目玉を喰らってしまいました。



[34189] 16-13:漆黒の福音(ⅩⅢ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/24 00:01
 ヨシュアの予期せぬ暴走により卓球勝負がお開きになったのと並行して、ポンブの修理作業が無事完了したようで、脱衣所先の湯船の方角から天然温泉独特の卵の腐ったような硫黄の臭いが滲み出てきた。
 エステルは尻込みしたが、女性陣二人は先の確執(※ドロシー側に覚えはないが)も忘れ目の色変えて女湯の暖簾に突撃する。
 さっそく美肌効果抜群と評判の温泉に浸かりにいくようで、そのパワフルさにエステルは感心する。
「良くもまあ、色薫とも賞味期限切れの牛乳みたいな風呂を浴びる気になるもんだ。美容に優れるとかの謳い文句はメスどもからするとそんなに魅力的なキャッチフレーズなのかね?」
「はいですよ。あと身体の血行が良くなって、闘気(CP)が最大値まで溜まるバトルマニアのお兄さん向けの効能もあるですよ」
「僕のSクラフトは弾数判定だから、あまり意味はないですけど、温泉は大好きですよ」
 そう付け加えながら、汗だくのティータがリラクゼションルームに飛び込んできた。
 呑気に球遊びで暇潰ししていた兄妹と異なり、きちんと独力で中央工房の依頼をこなしたティータの頭をナデナデして労を労いながらも、CP全回復という甘い響きに些か警戒心が芽生える。
 以前、義妹の口車に乗せられて、『地獄極楽鍋』の実験台に処され極度の衰弱症状に陥った苦い思い出が記憶を過ったからだが、ティータなど一日三回は温泉に入ると豪語しているので危険レシピと異なり副作用は皆無だろう。
 まあ、Sクラフト撃ち放題と謳っても、戦闘の度、浴び直しにくる訳にもいかないので、その場で大皿料理として食せる博打闇鍋ほど実用的ではなさそうだが、この後、オスとしてやらねばならぬ一大イベントが控えているので、ティータと一緒に男湯の暖簾を潜ったエステルは天然温泉を試すことにした。

        ◇        

「ふぅー、極楽、極楽。思ったより気持ち良いじゃねえか。身体の芯からじわじわっと温まるし、こりゃ病み付きになるぜ」
「そう言ってもらえると、マオお婆ちゃんも喜ぶですよ。僕も一端の温泉マニアとして、修復に勤しんだ甲斐があったです」
 ティータとエステルは仲良く肩まで浸かって、フフンフンと鼻唄を啜りながら、お猪口で乾杯する。
 二人とも酒を飲める年齢ではないので、湯船に浮かべた盆上のとっくりの中身はフルーツ牛乳で単なる雰囲気作りに過ぎないが。
 その後、洗い場に出た二人はエステルの逞しい背中をティータが流したり、逆にエステルがシャンパーハットを被ったティータの頭をグシャグシャ弄くってやったりと仲の良い兄弟のように洗いっこし、エステルがこの坊やに抱いていたえも言えぬ隔意意識も氷解していく。
 やはり男同士が親睦を深めるには、裸の付き合いが一番良いということだろうか。
 そういうフレンドリーな空気はティータにも伝わっているようで、エステルへの呼称を「お兄さん」から「お兄ちゃん」へと友好修正すると漢二名はどうでも良い四方山話に話を咲かせる。
「さてと、そろそろ行くとするか」
 適度に温まり闘気をマックスゲージまで貯め込んだエステルは、とっくりが空になったのを確認すると腰にタオルを巻いて湯船から立ち上がる。
「行くって、どこにですか?」
「決まっているだろう。女湯だ。近場で女人が裸体を晒しているのに覗かないのは、反って女性に対するエチケット違反なんだぜ」
 スケベ道を往くエステルは例によって無茶苦茶な持論を展開するが、ティータは特に驚いた様子もなくニコニコと微笑みながらお供を申しつかる。
「了解です、エステルお兄ちゃん。それじゃご一緒するですよ」
「はいっ?」
 常識的な引き止めリアクションを予測していたエステルは素っ頓狂な声を上げる。
 幼そうな外観によらず結構なマセガキだと慄いたが、「ヨシュアお姉ちゃんと緩そうなお姉さんに可愛がってもらうです」とワクテカしているあどけない表情は無邪気な期待感に溢れていて性欲の臭いがまるで感じられない。
 どうやらオマセさんどころか、想像以上に精神年齢おこちゃまのよう。普段も女風呂に忍び込んでもお咎め無しで若い姉ちゃんから髪を洗ってもらう大人羨望の光景がありありと目に浮かぶ。
「オリビエあたりが知れば、血涙流して悔しがること請け合いのスキルだな。そんな天衣無縫が罷り通るのもすね毛が生えるまでの子供の間だけだろうがな」
 一応、今年で十二歳になる筈だが脛毛はおろか彼処も含めて全身つるつるのティータのフルチン姿を眺めると、「そういえばヨシュアが生えたのは何時ぐらいだったけ?」としょーもない猥談を思い浮かべながら露天風呂に足を運んだ。

        ◇        

(意外に湯気が出ているな)
 屋外は濛々とした蒸気が視界を塞いでおり、相棒とは既にはぐれてしまった。
 任務の性質上、声を上げる訳にもいかないのでティータとの合流を諦め、水音を立てないよう留意して、プールのように駄々広い露天風呂を匍匐前身しながら捜索活動を継続し、ようやく前方に人影を発見する。
(ヨシュアか? うしっしっしっしっ。どれどれ、お義兄ちゃんが久方振りに義妹の性徴具合を確かめてやるとするか)
 変態思考丸出しのエステルはいやらしそうな手つきで両掌をにぎにぎしながら、後ろから獲物に急接近する。
 無論、ヨシュアなら柔術による反撃を喰らうだろうが、叩きつけられる痛みは一瞬。しかし、昇福の手触りの感触は永遠に残る。
 等値交換的に悪い取引でない……というか男性側の一方的な大勝利。万が一、人違いでドロシーだとしても、あの人なら笑って許してくれるだろうと普段は使わない脳味噌をフル活用して皮算用したエステルは、「ヨシュア、お義兄ちゃんでちゅよー」と変質者そのものの立ち振る舞いでガバーっと背後から抱きついた。
「あれっ? このサイズはちょっと只事じゃない?」
「きゃっ?」
 触感から義妹でないのを見抜いたエステルは慌てて胸から掌を離す。可愛らしい悲鳴を洩らした目の前の女人の正体が明らかになる。
「あれっ、あんたは?」
 赤毛のセミロングに黒の瞳。背が高く全身筋肉質だが、手先に伝わったヨシュアをも凌ぐ二つの天然果実の柔らかな弾力が紛れもなく女性であると自己主張している。
「確か……ジェニス王立学園で一度遭ったっけ?」
 図ったように白い湯気が胸元と股間周辺を彷徨い大事な部分は全て秘匿されているが、涙目になった女性が髪色さながらに羞恥で顔全体を真っ赤にしているのは視認できた。
(もしかして、これってやばくね?)
 肉親と間違えて狼藉を働いたという言い訳は通るのだろうか?
 またぞろ見習いの社会的信用度が下落しそうな絶対絶命の窮地をどう乗り切るべきか頭を悩ませたが、それよりも早く女性の口が動く。甲高い叫びで周囲に救助を請われ、変態覗き魔のレッテルが張られるのを覚悟する。
「ごめんなさい。男湯と間違えてしまいましたー!」
 なぜか被害者の筈の女性がそうペコリと頭を下げて謝罪すると、エステルに背を向けて湯気の奥に消えていく。
 エステルは唖然とするが、どうやら痴漢冤罪の嫌疑(?)は晴れたようで安堵した。
「やれやれ、暖簾の文字を間違えるとか、結構そそっかしい人みたいだな」
「そんな筈ないでしょう、エステル? あの女性は私たちの後にちゃんと女湯から入ってきたわよ。露天風呂が混浴だとは知らなかったみたいだけどね」
 聞き慣れた声色が後ろから聞こえてきてビクッと震え上がる。
 いつぞやの農園の時ように今の破廉恥行為も密かに監視されていたようだ。考えてみればドロシーはともかく、ヨシュアの背後をエステルが伺うなど能力的に有り得ない。
 まあタオル越しの義妹の肢体を鑑賞するのも結構乙だろうとマニアックに思い耽りながら、ゆっくりと半回転する。次の瞬間、エステルの視界に飛び込んできたものは。
「え、う、あ…………。わああああああああ……!」
 決して後ろを振り返ってはならぬという約束を破って腐敗したイザナミのおどおどろしいゾンビ姿を拝まされたイザナギの如き絶叫が、エルモ温泉に響き渡った。

        ◇        

「はうっ、びっくりしたですよ、エステルお兄ちゃん」
「本当だよね。てっきり危ない人が侵入してきたのかと思ったよー」
 エステルの雄叫びを合図に一堂は再集結した。やはりというかドロシーは恥じらいの感覚もどこかズレている。ティータを生膝の上に乗せながら仲良く温泉に浸かっており、エステルが一瞥しても裸眼でホンワカとした笑みを返すだけで、肌を隠す素振りさえみせない。
 彼女の羞恥感覚は概ね予測通りではあるが、図らずもエステルの叫び声を誘発したのは隣の岩場で寛いでいるヨシュアの態度である。
 海水や硫黄に触れると後々手入れが面倒なので、髪を濡らさないようにターバンのようにハンドタオルを頭部に巻き込んで自慢の黒髪をガードしている以外は、ドロシー同様にバスタオルすら持ち込まずに全身すっぽんぽん。
 赤毛女性の時は規制が五月蠅い最近のアニメのように不自然に湯気が凹凸部分を覆い隠していたが、ヨシュアの出現と同時に霧が晴れるが如く視界が明瞭になり神々しい裸体が露わになる。
 陶磁のような白い肌はほんのりと桜色に火照り、三年前に較べて身体全体が一段と丸みを帯び、市長亭でも拝見したピンクの突起物は一段と映える。
 エステルと目線が合った時も顔色一つ変えずに直立不動の姿勢を維持しながら、琥珀色の瞳に値踏みするような色を浮かべてじっとエステルを見つめている。見違えるほど美しく成長した義妹のオールヌードが未だに目に焼きついて離れず、さっきから心臓がバクンバクンと早鐘のように波打っている。
「なあ、ヨシュア?」
「なあに、エステル?」
「露天風呂が混浴と知っていて、何でバスタオルを常備してこなかったんだ? ドロシーは何となく判るけど、お前はヤローに裸を見られて平気なのかよ?」
 今は半身を真っ白な湯船に沈めているが、ふくよかな乳房の上半分が水風船のように浮かんでいる。なるだけヨシュアの方を見ないように務めながら、最も根源的な疑問を問い掛ける。ヨシュアは軽く嘆息すると、今の態勢から態々両肩を竦める。その振動でポッチが水面に浮上し、エステルを更にドキマキさせる。
「そりゃ別の殿方がいるなら、私も肌は隠すわよ。けど、ここにいるのは精通前のお子様に家族だけでしょ?」
 「羞恥を感じる対象は存在しない」としれっと応えると、ヨシュアは立ち上がって湯船の中を歩きながら、両手の掌を器用に組み合わせて水鉄砲を飛ばしてドロシーらを攻撃。
「あっはははは。ヨシュアちゃん、酷いよー」
「はうー、やったですね、ヨシュアお姉ちゃん。お返しです。いきまーす、Sクフラト『ウォーター・インパルス』ですぅー」
 温泉のマナーとしてはどうかと思うが、目の前の裸族三人は実に楽しそうにお湯の掛けっこに興じる。この角度からだとヨシュアの艶かしい背中のラインから桃のように二つに割れた安産型のお尻まで丸見えだ。
 二十歳過ぎて社会常識と一緒に羞恥心をどこかに置き忘れてきた天才天然カメラマン。目の前にマッパの女性が二人もいるのに、その男子垂涎の境遇をまるで解さずに稚気全開で戯れ合う中央工房見習いの天才科学少年。童心に返ったかのようにかつてお風呂をご一緒した少年に、芸術品のような至高のヌードを惜しみなく披露する天才腹黒少女。
「もしかして奇怪しいのは、今の事態にパニくっている俺の方なのか? 俺が凡才だから天才たちの供宴を共感できないだけなのか?」
 意味不明な疎外感を感じたエステルは、自分自身に問い掛けたが答えは出てこない。
 先の気弱そうな赤毛女性の真っ当なリアクションを人恋しく思いながらも、この日を境にますます不思議少女を義妹ではなく性的対象として意識してしまい、エステルはかつての親友のクローゼ同様に眠らぬ夜を過ごす羽目になる。

 ※後日、世間で剣聖と持て囃されているヒゲオヤジがこの一件を聞きつけて、愛しの養女に久しぶりの混浴を哀訴するも、あっさり拒否られて号泣。『家族』の言葉の定義について深く思い悩んだらしいが、遠い未来の噺である。



[34189] 16-14:漆黒の福音(ⅩⅣ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/25 00:02
「大変だよ、ティータ。今、ギルドのツァイス支部から連絡があってさ」
 四人の裸族が寛いでいる憩いの場に、突然、女将のマオ婆さんが凶報を携えて乗り込んできた。
 何でも中央工房で小火騒ぎが発生。職員を全員建物の外に避難させたが、ラッセル博士の存在だけが確認されておらず、中に取り残されたというか研究熱に火がついて退去放送を聞き逃したらしい。
 そんな折、その場に居合わせた王室親衛隊の面々が救助活動を買って出る。人々の賞賛をバックに中央工房に突入して数十分後、博士は毛布に包まれて無事に助け出されたが極度のショック状態で緊急搬送が必要とのことで、そのまま市街へと運び出された。
 その後、続報がないのを不審に思ったマードック工房長がレイストン要塞に問い合わせてみたが、親衛隊がツァイス市を訪れるスケジュールも博士の救難報告も聞いていないという青天の霹靂の返答が齎される。
 煙が収まった工房内部を調査すると、硝煙の発生源と思わしき妙な発煙筒が彼方此方にばら蒔かれていた上にカペルと例の黒の動力器まで消失している。この時にはじめて、博士の御身と最新鋭の演算オーブメントを目的としたテロ行為であるのに気づかされるも完全に後の祭り。
「そんな、おじいちゃんが……」
「王室親衛隊って、女王陛下を守護する王国軍のエリート部隊だよな? そんな連中がどうして博士を誘拐するんだ?」
「又聞きしただけじゃ事件の全貌は掴めないけど、襲撃犯の正体が親衛隊でないことだけは確かよ」
 ヨシュアはドライヤーでティータの髪を乾かすのと並行し、持論を展開する。
 自分たちの悪事を喧伝したい特別な理由があるのならともかく、そうでないのなら変装もせずに態々子供でも知っている有名な蒼と白の軍服を纏って犯行に及ぶ馬鹿はいない。
「単に隠れ蓑として利用しただけか、もしくは親衛隊に濡れ衣を着せる陰謀なのかは、現地点では判別つかないけどね」
 理に適った考察であるが、少女の千里眼を以ってしても、その親衛隊トップの中隊長が私怨から自身の生命をつけ狙っているとは想像だにしなかった。
 バスタオルで身体を拭き慌てて私服を着込んで身支度を整えた一行は、当然、博士の救出活動に乗り出そうとするが、情報が不足し過ぎていてこの場で指針を定めようもない。
 手掛かりを掴む為にも、一端中央工房に戻り現場検証を済ませてから受付のキリカに相談しようとエステルは意見を具申したが、八卦服を着終えたヨシュアは首を横に振る。
「それでは間に合わない。王国軍によって今頃は市内各所に検問が引かれただろうけど、ロレントのケースのように賊がアシを持っていたら意味はない」
 ツァイス市に立ち寄らずに直接犯人を捕らえに行くとヨシュアから大胆な案が提出されたが、既に姿を晦ました敵の足取りをこんな僻地から追えるものなら苦労はない。
 臨時司書の残業シリーズで限界が露見したように、一見サトリじみた予知能力を持つ名探偵もあくまで真っ当な解析作業に基づき解答を導き出しており、決して万能の魔術や遠視系の超能力を持ち合わせている訳ではない。
「エステルの指摘通り、私の合理的な思考フレームでもデータ不足で犯人の逃走ルートの特定は不可能だけど、今回はちょっとした裏技で追跡可能よ」
「今日の事態を予測していたわけじゃなく単なる悪戯心による偶然の産物だから、本当に怪我の功名としか言いようがないけどね」
 そう前置きすると、時間を確認したのか長々と腕時計を覗き込んだ後、博士の行き先を明言する。
「…………この方角だと紅蓮の塔ね」
「判った、ヨシュア。ラッセル博士は紅蓮の塔に運び込まれているわけだな?」
 能動的に動いている犯人でなく、恐らくは意識不明の気絶状態の人質の位置の方を断定したのが少し引っ掛かったが、自分などと異なりこの油断ならぬ義妹が根拠のない強がりを言う筈もない。
 風水占いじみた人探し法のカラクリが気になるが、今は一分一秒でも時間が惜しい。ヨシュアの秘密主義を論じるのはまた次の機会に譲るとして、急いで即行の旅支度を始めた一行に声を掛けてきた人物がいた。
「ふんっ、またぞろ面倒な事態になっているみたいだな」
「アガット?」
 廊下の奥から目立った大剣を背中に背負った赤毛の女戦士が姿を現す。バレンヌ灯台で別れて以後、凡そ一月振りの先輩遊撃士との予期せぬ邂逅にエステルは驚きの声をあげる。
「何でここに…………って仄かにシャンプーの香りもするし、温泉宿を尋ねる理由は一つしかないか。けど、ポンプが直ったのはついさっきだし、何時の間に風呂に浸かったんだよ?」
「うるさい。ここにはCPの補充にたまたま立ち寄っただけだ。それより、小娘。また俺の追っているヤマと重なりそうな気配だが、ラッセル博士の居所については間違いねえんだろうな?」
 クンクンと犬のように鼻を近づけて臭いを嗅ぐエステルを、アガットは煙たそうに追い払いながら誤魔化すようにそう問い詰めて、ヨシュアは無言のまま首を縦に振る。
 人間性の好悪の念はともかく、少女の神算能力を高く評価するアガットは論拠を尋ねることなく進言を鵜呑みにする。正遊撃士権限で勝手に場を仕切ってブレイサーズによる救出チームを編成すると、この場にいた民間人が参加を要望してきた。
「あ、あの、お願い。僕も一緒に連れていって」
 敬愛する祖父の危機にいても立ってもいられない心境からティータが哀願する。はじめて少年の存在に気づいたアガットはギョロリとガンづけし、年上女性からの非好意的な態度に馴れていない甘えん坊は身を竦める。
「おい、チビスケ。犯人は十中八九、俺が遣り合ってきた黒装束の連中で奴らは女子供でも容赦しない冷徹な闇社会のプロだ。そんな戦場にテメエみたいなガキを連れて行けるか、常識で考えろや」
「けど、僕どうしても、おじいちゃんを助けたくて…………」
「あっ、アガット。こいつはティータといってラッセル博士のお孫さんで、こう見えても信じられない馬鹿火力の持ち主で足手纒いになるような玉じゃ……」
「エステル、テメエもブレイサーの端くれなら、ちっとは職業意識も持ちやがれ。この小娘みたいに素人を力の有無で図って平気な顔して修羅場に巻き込んでいるんじゃねえ!」
 エステルがこのお子様の戦闘力に太鼓判を押そうとしたが、アガットに一喝され押し黙る。確かに実戦力になるかはともかく、ティータの年齢を考慮すれば彼女の忠言はこれ以上なく正論。ヨシュアに感化されファジーに流された趣がある倫理観の欠如を潔く反省する。
「あのー、誘惑山菜鍋食べ放題の件はどうなるのかなー?」
 ハラハラと狼狽するティータを中心に場の雰囲気が険悪になる中、相変わらずゴーイングマイウェイなトンチキ娘がぐーっとお腹を鳴らしながら場違いなボケをかまして一堂を困惑させる。
 ヨシュアは軽く嘆息した後、懐から二千ミラの紙幣を取り出して、マオ婆さんに手渡すと軽くウインクする。
「すいません、ドロシーさんと約束したので、注文通りの料理を拵えてもらえますか?」
「あいよ、この子の知り合いだし、ミラが足りなくなったとしてもオマケしておくよ。ほら、お客さん。誘惑山菜鍋に限らず好きなものを鱈腹飲み食いさせてあげるから、ティータと一緒にお座敷に行っておいで」
「わーい、本当にぃー? それじゃあ、ティータ君。お姉さんと一緒に酒池肉林を愉しもうねー」
「は、離して下さい、ドロシーお姉さん。僕はヨシュアお姉ちゃん達と一緒におじいちゃんを助け……」
 ティータはジタバタ暴れるが、飲み食い自由の魅惑のフレーズにアドレナリン全開のドロシーは細腕からは信じられない膂力でティータを引きずったまま、廊下の奥へと消えていく。
 ヨシュアはチラリとアガットの方向を振り向いて、「これで、宜しいかしら?」と皮肉っぽく囁いた後、上手く空気を読んでくれた女将に礼を述べる。
「気にしないでいいよ、あたしもティータが荒事に関わるのは反対だからね。リベールの頭脳だか何だか知らないけど、あんな老い先短いおいぼれの為に未来ある幼子が身体を張るなんて、社会の優先順位として間違っているだろ?」
 老婆は幼馴染みの偏屈爺にそう憎まれ口を叩いた後、「けど、ティータが悲しむから、なるだけ無傷で助けておくれよ」との年齢ギャップのあるツンデレ発言で周囲を苦笑させる。
「悪いな、ティータ。必ずラッセル博士を取り返して戻ってくるから、ここで大人しく待っていろよ」
「ふんっ、今更お前らを留意されるつもりはないが、危険は覚悟しておけよ」
「エステルが固定イベントを済ましてくれたから、塔で『アレ』と遭遇することはない。そう、何の問題もない……」
 三者は各々の決意を言葉に秘めると、「面倒事が片づいたら、今度はゆっくりと泊まりに来ておくれよ」と玄関口で手を振るマオ婆さんに挨拶し紅葉亭を飛び出した。

        ◇        

 紅蓮の塔の前に辿り着いた遊撃士チームは、入り口手前に複数の足跡が入り乱れているのを発見する。
 例のスニーカー履き潰しマラソンで塔を登った時は、このような痕跡は存在せず。お宝の枯渇した遺跡を訪れる物好きはアルバ教授のような考古学者以外そうそういない筈。
「ふん、本当は半信半疑だったが、どうやら正解みたいだな」
「ヨシュアの危惧した通りに連中が飛行船を保持しているのなら時間がない。タイムロスを防げるようになるだけ魔獣との戦闘を避けていくから俺から離れるなよ」
 減らず口を叩くアガットと澄まし顔の義妹との両者にそう宣告すると、戦術オーブメントにセットされた陽炎クオーツを誇示する。
 以前、ヨシュアが前借りした隠密効果を持つ幻属性クオーツ。ツァイスでの地道な働きで目出たく準遊撃士ランク五級に昇格し正式に授与された。パーティーは密集隊形を維持すると内部をうろつく魔獣を無視して登頂を始めた。

        ◇        

「予め現場を検分した件といい、随分と頼もしくなってきたわね」
 徹底的に魔獣との交戦を回避し続けた結果、瞬く間に五階に到着に頂上出入り口はもう目の前。
 塔内は意外と入り組んだ構造をしていたが、探索歴のあるエステルは迷うことなく二人を屋上への最短ルートに誘導。冒険開始当初の早熟期に較べて、きちんと目的意識を以って問題に対処するエステルの成長ぶりにヨシュアは目を見張る。
「ところで、ヨシュア? 何か下から妙な音が聞こえてこないか?」
 珍しいヨシュアの褒め台詞に浮かれることなく、エステルは自分が感じた違和感を伝達し二人は耳を傾ける。確かに階下からズシーン、ズシーンと重音が響いており、心なしか塔全体が振動しているようにも感じる。
「もしかして、下の階で戦闘が行われているとか?」
「はっ、まさか。縄張り争いか何かで魔獣同士が諍いを起こしているんだろ。それより、さっさと突っ込むぞ」
 元より人の出入りが頻繁でない寂れた場所なので、エステルの疑惑を一蹴したアガットは血気早くオーガバスターを背中から引き抜くが、ヨシュアは軽く首を横に振る。
「階段の上から殺気を感じるので強行突破は危険」
 そう警告した後、懐から風船のようなものを取り出しプーッと息を吹き込んで膨らませる。
 エステルの頭ぐらいの大きさでサイズを固定し、階段の方角へフラフラと飛ばす。出入り口を横切るや否や屋上から銃弾のシャワーが降り注ぎ、ゴム風船は内部の空気を撒き散らしながら粉々に破裂した。
「今よ!」
 銃撃の雨が鳴り止んだ一瞬のタイムラグをついて、ヨシュアの合図で一気に屋上へと飛び出す。
「ふんっ、ビンゴだな」
 この場には三人の黒装束が控えている。一人は気絶したラッセル博士を拘束し、別の者はトランシーバーでどこかと連絡を取り合っていて、最後の男は黒光りする銃器のカートリッジらしきものを慌てて換装している。
「さっきの迎撃はあいつの仕業か? 敵にもティータみたいな機関砲(ガトリングガン)の遣い手がいるのかよ?」
「いいえ、エステル。アレは機関銃(マシンガン)よ」
 ガトリングガンよりも威力と残弾数を抑えることで携帯性能を向上させているが、どちらも生身の人間を一瞬で挽肉にする破壊力を秘めているのに相違ない。
 武器マニアの少女が銃器のレクチャーをし一撃必殺のマシンガンに警戒を促しながらも、本人は両手にアヴェンジャーを展開すると実に無防備に機関銃を構える黒装束の方向に歩を進める。
「血迷ったか? なら、そのまま死ね!」
 血も涙もない黒社会の住人らしく、男は何の躊躇いもなく華奢な少女に向かって銃を乱射する。
 ドガガガガと激しい銃音と共に物凄い勢いで薬莢が吐き出される。成す術もなく蜂の巣にされたと思ったのも束の間、それは漆黒の牙の十八番の残像。得意の高速機動力で自在に左右に動き続けて、銃弾の雨あられを交わすと瞬く間に懐に切り込んだ。
「マトモに喰らったら即死。けど、当たらなければどうということはない」
 アヴェンジャーをクロスに振り抜くと、男の手にある機関銃は真っ二つに切り落とされる。
「馬鹿な!?」
 硬質の銃器が豆腐のように容易く両断され度肝を抜かれるが、当のヨシュア自身は不満顔でブツブツと何か呟いている。
「今のも武具の性能で力任せに引き裂いたに過ぎない。全ての物理的な抵抗力を無効化する私が目指す理(ことわり)にはまだ程遠い」
 何らかのクラフトの実験を試みていたようだ。この銃弾飛び交う戦場でまだ余裕があり、黒装束との力量差は顕著。
「動くな、小娘。それ以上一歩でも俺達に近づけば、ラッセル博士の命はないぞ」
 『双剣を扱う黒髪の少女はロランス隊長に匹敵する腕前の要危険人物』との報告を直接刃を交えて惨敗した仲間から受け取っていたのを思い出した黒装束の一人が、博士のこめかみに小銃の銃口を押し付けた。
「けっ、また人質とか芸のない奴らだな。だが、ルーアン秘書の時と違って、てめえらはこの爺さんに危害を加えることは出来ない筈だぜ?」
 王国一の頭脳を目的とした誘拐行為なら確かに道理。アガットは無造作に前に踏み出そうとするが男は威嚇するように撃鉄を起こす。
「生憎と福音(ゴスペル)を奪還した今、博士の身命は最優先事項には属さない。本当に傷つけられないか試してみるか?」
「ゴスペル?」
「多分、導力停止現象を引き起こした例の『黒の動力器』のことでしょう」
 訝しむエステルにヨシュアが補説する。うっかり機密事項を漏洩し黒装束はうろたえるが、逆に言えば博士の身の安全が二の次という彼らの恫喝に嘘はないという裏付けにも繋がり、不用意に動けなくなる。
「どうやら、形勢逆転だな。お待ちかねの救援も来たようだ」
 そうこう膠着状態を維持している間に強風と共に赤いカラーの飛行艇が出現。後部ハッチを開くと塔の外周に乗り付ける。
「そうだ、そのまま大人しくしているがいい」
 黒装束は順番に飛行艇の内部に乗り込んで行き、エステルとアガットは無言でアイコンタクトを交わす。
 身軽な二人はともかく、三人目が空中静止する不安定な飛行艇に博士を運び込むには、どうしたって隙ができる。目敏いヨシュアがそのチャンスを見逃す筈はない。
 最速の漆黒の牙が飛び込むタイミングを見計らって自分たちは援護に回ると自ずと役割分担を定めた三者は絶妙な連携で突入作戦を開始しようとしたが、ヨシュアでさえも予測しなかった闖入者がその計画を御破算にしてしまう。
「だ、だめえー!」
 屋上出入り口から血走った表情で導力砲(P-03)を構えた子供が出現する。
 少年の赤い作業着は魔獣の返り血で薄汚れおり、魔獣犇く危険な塔の内部を単身力ずくで血路を切り開いて、ここまで辿り着いたみたいだ。
「なっ? ティータ?」
「あのチビジャリ、どうやって、こんな所まで?」
「迂闊ね。さっきの戦闘音はティータが階下で暴れていたわけね」
 驚愕する三者に頓着せずに、ちっちゃな破壊神はP-03を放り捨てると虎の子のガトリングガンを装備し、Sクラフト『カノンインパルス』を発動させる。
 マシンガンとは比べ物にならない超高火力の絨毯爆撃が、飛行艇のエンジン部分を狙って集中砲火。艇が大きくぐらついた。
「なっ? このガキ、導力部の弱点を狙って」
「わああああ! 飛行艇を落としてしまえば、おじいゃんはどこにも連れていけないですぅー!」
 柔和な見掛けによらず過激思想のティータは敵の輸送手段を絶つ強行策を敢行し、その選択自体に誤りはない。
 ただし、敵にも武器と反撃手段があり、何よりも圧倒的な攻撃力に反して防御性能が心もとないとのヨシュアの指摘が正鵠だったのを実戦の場で思い知らされる。
「クソガキが、調子に乗るんじゃねえ!」
 ラッセル博士に突き付けていた銃の照準がティータに向けられ、迷うことなく引き金が引かれる。
 高火力兵器を保持するだけで、戦場全体の空気の流れを読めない戦闘素人に回避する術はない。銃弾がティータを貫こうとしたが、殺気に反応したアガットが反射的にティータを突き飛ばす。
「くっ……!」
 実弾がティータを庇ったアガットの脇腹を貫通。膝をついて崩れ落ちる。
「おい、アガット!」
 エステルがアガットに駆け寄る。追い打ちのように彼らの目の前に手榴弾が投げ込まれる。
 ヨシュアは一瞬迷った後、これ以上被害を拡大させない為、一時的に博士の身柄を奴らに預けることにし、エステル達の側に反転すると手榴弾を塔外に蹴飛ばした。
 空中で小規模の爆発が起こるのと隊列が混乱した間隙を逃さずに博士を収容した飛行艇が飛び立つのは、ほぼ同時。
 ヨシュアは無表情でエステルは歯噛みしながら遠く離れて小さくなる飛行艇の影を見つめ、「おじいちゃあああん!」と絶叫するティータの悲痛な慟哭が宙空に木霊した。

        ◇        

「ひっく、ひっく、どうして、おじいちゃんが。ひどい……ひどいよぉ」
 土壇場の乱入で作戦を台無しにしてくれたティータには苦情が山程あるが、祖父を失い泣き崩れる傷心の幼子をこの場で叱りつけるべきか兄妹は悩んだが、そんなジュリコの壁を突き破って手負いのアガットがティータの襟首を掴むと手加減抜きで顔面を殴打。
「なっ? ティータのプニプニほっぺたに傷が」
「おい、アガット。気持ちは判るけど、相手は子供だしちっとは加減を……」
 周囲の批難の声を無視し、アガットはズカズカとティータの面前に仁王立ちする。少年は頬を抑えたまま、信じられないものでも見るように瞳に涙を溜め込む。
「な、殴った? おじいちゃんにもママにも叩かれたことがないのに………………ひっ!?」
 再びアガットの手が振り上げられる。ティータは反射的に縮こまるが、次の衝撃は頬に加えられることなく、そのまま股座に手を伸ばすとティータの股間を掴んだ。
「は…………はうぅををぁぁぁぁ!?」
 手心なく性器を絞られたティータは顔全体を真っ赤にして嬌声をあげる。あまりに予測不能な事態の連続に兄妹は無力な観衆化して状況を傍観する。
「はうっ……、はう……、はううぅぇぅ………………」
 ティータが首を左右に振りながら、盛りのついた雄猫のようなよがり声を洩らす。
 顔色一つ変えずに中年男の金玉を蹴り上げたり、オールヌードまで披露した羞恥感覚に乏しいヨシュアが頬を真っ赤に染めたまま見惚れている。ショタっ子の艶やかな狂態振りは相当にこの腹黒少女の性的な壷に嵌まったようだ。
「ふん、女みたいな軟弱な面して、ついているモノはきちんとついているじゃねえか。おい、チビガキ。テメエも一端の男児なら女子みたいに何時までもピーピー泣いているんじゃねえ」
「お、お姉さん…………、痛い…………離し………………はうぅっ!」
「いいから、そのまま黙って聞いてろ。お前、このままでいいのかよ? 爺さんのことを助けられないまま、このまま諦めちまうつもりか?」
「うっ、うううっ…………」
 涙目のティータはブンブンと首を横に振る。ようやくアガットはティータの急所から手を離した。
「なら、やることは一つだ。お前には人にはない力があるのだから、勇気の遣い所を間違えるんじゃねえ。でなきゃ、あの泣き虫みたいに本当に大切な者は何一つ守れやしねえ。判ったか、チビガキ………………いや、ティータだったっけか?」
 それだけを告げると、アガットはぶっきらぼうにティータに背を向ける。その時のアガットの瞳はいつぞやのクラムの時と同様に優しげだ。
「ふーん、結構良い所あるじゃないか。ああいうのを今流行りのツンデレって言うんだっけか?」
「ちょっと、ちょっと、もう終わりなの? ちっ」
 好き勝手な感想を述べるブライト兄妹の姿を尻目にティータは熱っぽい上の空の表情。先程アガットが触れた場所の温もりを感じ取りながら、女性体とは思えぬ彼女の逞しい背中をポーっと見つめている。既に股下の痛みは引いたが、先程から心臓がドキドキして一向に止まらない。
「はうっー、僕もうお婿さんにいけなくなっちゃったですぅー。アガットさん、責任取ってくれますですか?」
 これが十二年間生きてきて初めて知る恋のトキメキであるのに、温室で過保護に育てられたお子様が知る由も無かった。



[34189] 16-15:漆黒の福音(ⅩⅤ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/25 00:03
 ティータの命と一緒に心まで鷲掴みしたアガットは背を向けたまま前のめりにぶっ倒れて、一堂を驚愕させる。
 男二人が慌てて駆け寄る中、ヨシュアは塔の外周にめり込んでいた弾丸を目敏く発見して拾い上げる。一目で植物性の神経毒が仕込まれているのを見抜いて、負傷したアガットの脇腹を覗き込むと銃弾が貫通した皮膚が壊死しかけている。
 急いでエステルの治癒クオーツをアガットの戦術オーブメントに付け替えた上で水の回復アーツを唱えてみる。傷口は塞がったものの細胞の変色は変わらず、応急処置の効果しかない。
 本格的に手当てを施す必要性があり、市のメディカル施設に運ぶ為にエステルがアガットを背負い、オーガバスターは意外と力持ちのティータが抱え込む。
 背中に押し付けられた二つの胸の膨らみに、「この感触には覚えがある。はて、どこだっけ?」などとこの期に及んで首を傾げるエステルはもはや鈍いというより脳幹の一部に亀裂が走っている。
 エステルの逞しい背中にオンブ抱っこされたアガットは朦朧とした薄れゆく意識の中、ルーアン秘書と親衛隊の服飾の見慣れぬ女性が「ショタコン同盟にようこそ」と手招きしている摩訶不思議な情景を真っ赤な夕日の中に幻視しながら気を失った。

        ◇        

 日が暮れ周辺が真っ暗になった頃、ツァイス市に辿り着いた一行はようやく先の混乱が収まった中央工房4Fの医務室にアガットを担ぎ込んだ。
 並行して2Fの資料室に運良く発見した本を返却したり、紅葉亭から脱走したお子様の安否を気遣っているであろうマオ婆さんに無傷の当人に導力通信で声を聞かせて謝罪させたりしながら専属医のミリアムに患者の容体を確認してもらったが、普通の解毒剤も効かずこのまま昏睡状態が続けば危ういとのこと。
 役割分担した三者はヨシュアが受付のキリカへの報告を承り、エステルが七耀協会の伝統医療に精通するビクセン教区長に教えを請いに行っている間、ティータがアガットの看病を担当することにした。

        ◇        

 もう何度目だろうか。
 頭に濡れたタオルを乗せても、瞬く間にオデコの熱が冷気を吸収し干からびる。ティータはバケツの氷水に絞って、タオルを冷却する。
 そんなルーチンワーク化した作業をせっせとこなしている最中、アガットが焦点の定まらない目つきで、タオルを新品に交換しようとしたティータの左手を掴んだ。
「あっ、アガットさん。気がついた…………」
「ミ、ミーシャン! ミーシャンなのね?」
「えっ?」
 人違いされたことよりも、その時の彼女の奇異な仕種にティータは困惑する。
 身命の危機に瀕しても決して怯懦な態度を晒さないであろう女丈夫がポロポロと大粒の涙を零しながら、ティータに縋るように抱きついた。
「ごねんね、弱虫で情けないお姉ちゃんでごねんね。でも、もう大丈夫よ、ミーシャン。お姉ちゃん、今度は絶対に逃げないから………………だ…………か…………ら…………」
 険のない暖かな笑顔でそう宣誓すると、力尽きたようにベッドにうつ伏した。
 笑窪の下の涙跡を拭いて布団を掛け直すと、ティータは複雑そうな表情で熟睡する不思議女性を見下ろす。
「僕には良く判らないですけど、あのおっかなくてワイルドな姐さんも今の泣き虫で優しそうなお姉さんも、どちらも同じアガットさんなのですよね?」
 ティータはその小さな身体に並々ならぬ決意を秘めると、所用でつい先程まで席を外していたミリアム女医にアガットの介護を任せ、医務室から飛び出していく。
「必ず助けるですから、待っていて下さい。二人のアガットさん」

        ◇        

「事後報告のような形になってしまい申し訳ありません、キリカさん」
「気にすることはない。結果は伴わなかったが、あれが最善の形であったの相違ない。しかし、敵の口調からすると工房を襲撃した本当の狙いは博士でもカペルでもなく、あの黒の動力器のようね」
「はい、奪還という言葉遣いからして、例の『K』の手紙にあった怪しげな一団と同組織と思って間違いないでしょう」
「拾得物……もとい盗難品が本来の持ち主の手元に戻ったわけだけど、取り返し方に問題がありすぎて素直に祝福する気にはなれないわね」
「同感です。彼奴はアレを福音(ゴスペル)と呼称していましたが、その名の通りの良い便りには思えません。まさか、エステルの妄想通りに導力停止現象を大陸中に広めるつもりもないでしょうが、平和的な有効利用を考えていないことだけは確かです」
 深夜の遊撃士協会(ギルド)ツァイス支部一階の受付前、周囲からA級遊撃士相応に見積もられている二人の黒髪の女傑が会話を弾ます。
 質問とボケで話を滞らせるエステルのような第三者が口を挟まずに切れ者同士で意見交換すると実にスムーズに討論がはかどるが、その進捗を意地でも阻害するかのように惚け役が教会のお使いから帰参したので一時小休止する。
 ゴスペルの使い途や博士の再救出は重要課題だが、まずは同業者の危篤症状からの脱却に全力を注ぐべきだからだ。
「ヨシュア。教区長さんの話では、神経毒全般に効果のある薬が教会に伝わっているらしいが、その為に必要な材料の『ゼムリア苔』を切らしているんだとよ」
 治療法の目処が立ったが、その古代文明の名を冠した発光植物は地下のカルデア隧道に入口がある鍾乳洞にのみ生息している。
 今すぐ採りに行こうと性急にヨシュアを嗾けるが、キリカが待ったをかける。
 数年前に教会の依頼で遊撃士のチームが赴いた時の履歴があるので、クエスト報告書を参照し明確な採取ポイントを確認するとのことで、書棚の任務記録帳を取り出した。
「鍾乳洞北西の湖で発見したとあるが、元よりあの洞窟は獰猛な魔獣が棲息し一般人の立ち入りが禁止されている危険指定地域よ。行くのなら入念な準備をして…………」
「ぼ、僕も、連れて行ってくださーい!」
 説明途中にギルドの扉が乱雑に開かれ、またも別な闖入者が割り込んで話の腰を折る。キリカの言いつけを先取りしたかの如く、導力砲と機関砲をフル装備し準備万端のちっちゃな破壊神が軽く息を切らせながらお供を申しつける。
「ティータ、お前な」
 アガットを助けたい一心なのは判るが、先の暴走もあまり骨身に染みていない模様。失態を何時までも引きずらずに精神の切り替えが早いのはエステルと似通った長所ではあるが、反省がその場限りなのもまた類似する欠陥だ。
 見掛けによらず頑固で押しの強いお子様の要望にどう対処するか二人は迷ったが、ティータはニッコリと微笑むと故あってカルデア鍾乳洞に詳しいので案内役が勤まると自らを売り込む。
「あと、キリカお姉さん、一つ訂正事項があるですよ。鍾乳洞はデンジャラスゾーンじゃなく、可愛いペンギンさん達がたむろするワクワクペングーランドです」

        ◇        

「ここがカルデア鍾乳洞か。随分と神秘的な場所だな」
 結局、なし崩し的にティータの同行を許可した兄妹は鍾乳石で覆われた岩壁を見回す。基本、花より団子でアートに感心を示さないエステルをして、周囲の絶景振りに感嘆の声をあげる。
「アガットは今夜が峠だとミリアム先生は危惧していたし、紅蓮の塔のケース以上に時間との勝負だな」
 例のスニーカーマラソンでもこの地下洞窟は訪問外。ティータの道案内だけが頼りだが気になるのは魔獣の動向。
「クエー………………? クエ、クエ、クエ!」
「クエー! クエー! クエエー!」
 赤、青、黄、白、桃、緑とカラフルな魔獣がエステル達のパーティー……というよりも真っ赤な繋ぎを纏ったお子様の小さな姿を視界に留めるや否や、まるで恐怖の大王が降臨した被災民のように恐慌を起こす。
 そのペングー達のうろたえ様は翡翠の塔内部で腕白小僧を発見した時の魔獣の反応に酷似しており、違和感が拭えない。
「なあ、ティータ。お前、こいつらに何をしたんだ?」
「ここは僕に庭場みたいなものだって宣言したでしよね? ガトリングガンの改造が済んだら、実際に威力を検分する為にこの鍾乳洞に試し撃ちに来るでしよ」
 ティータは澄まし顔で実にとんでもないことを宣い、エステルは呆然とする。
 よく観察すると鍾乳石の彼方此方の壁に削られた跡があり、風化した弾丸や薬莢が大量に埋まっている。
 人の出入りが皆無で、標的となる魔獣に溢れているこの鍾乳洞は少年にとっては格好の射撃訓練場なのだ。
「改良に改良を続けて思えば五年。長かったような短かったような……でし」
 最初は車輪をつけた移動式のガトリング砲を持ち込んで、威力と携帯性を両立させるよう魔改造を施す。祖父の飛行船実験回数に近い試行錯誤を経て、バージョン9.3にしてようやく今の小型軽量化に成功したが、まだまだ向上の余地は山積みと現状に満足せずに高みを目指す気構え。
「今日はペンギンさん達に用があるわけじゃないから、そんなに怖がらないでもいいでしよ」
 呑気な顔で逃げ惑うペングーの群に声を掛ける。幼い子供が昆虫の羽を千切るような無邪気な残酷さを感じ取ったエステルは何とも言えない気分になったが、「人間の一方的な都合で無垢な魔獣を狩るのは、昨日今日に始まったことじゃない」とヨシュアはあっけらかんとしている。
 ここにいるペンギンが人畜無害かは別にして、今回のように目当てのお宝があれば魔獣の安住地に強引に侵入し喧嘩を売るのは人間の側なのだ。どこかで一線を引いて達観するしかない。
「まあ、急いでいることだし、戦闘無しで辿り着けそうなのは助かるか」
 モーゼが海を割るが如く魔獣がエステル達に道を譲るので、目的地まですんなり行けそうではあるが、ティータは急に真顔になると今回のミッションで避けては通れない難敵について喚起を促す。
「はじめてお兄ちゃん達と会った時に、ガトリングガンの一斉射撃を浴びて生き残った魔獣はいないと見栄張ったですけど、実は一匹だけ無傷で生存した怪物がいるですよ」
 それが洞窟湖の主、オウサマペングー。並のペングーの十倍以上の質量を誇り、体脂肪を燃焼させると皮膚が鋼鉄のように硬化し弾丸も通さなくなる。
 以前、調子に乗ってヌシの縄張りまで足を伸ばしこの魔獣と遭遇した時には、スモークカノンで煙幕を張って命辛々逃げ出してきた。それに懲りたティータはその日以後は深潜りせずに入り口周辺で実験を済ますことにした。
「オウサマペングーは洞窟湖近辺を根城にしていますので、ゼムリア苔を採取しようと思ったら戦闘は免れないです」
「そいつは厳しい戦いになりそうだし、覚悟を決めた方が良さそうだな」
 ツァイスの武者修行中にはついぞ出会うことがなかった大捕り物を予感し、武者震いしたエステルは気を引き締める。
「そんなにDEF(物理防御力)が高い魔獣なら、例のクラフトの試し斬りにはうってつけの相手ね」
「僕の新型Sクラフトもあの頃とはもう違うでしよ。あれからヌシ対策に編み出した直線貫通型の『カノンインパルスF』をお見舞いしてやるですよー」
 好戦的なエステルを差し置いて、同行者二人が妙なやる気を漲らせて、得物のアヴェンジャーとガトリングガンを装備したので、負けじと物干し竿を展開する。
 だが洞窟湖を目前にした三人が戦闘態勢に入った途端、急に地響きが発生する。天上からぶら下がった鍾乳石に皹が入り、ポロポロと欠片が落ちてきた。
「何だ? 地震か?」
「震源は湖のある方角みたいね。行ってみましょう」
 洞窟湖は光が万華鏡のように乱反射する幻想的な雰囲気を醸しだしていたが、三者はその景観を無視して目の前で繰り広げられている光景に唖然とする。
「バトルが既に始まっている?」

        ◇        

「はああぁぁ………………とりゃああ…………!」
「クエーっ、クエ、クエ、クエー!」
 湖の手前の広場で取っ組み合う巨躯の怪物二匹。
 その雄叫びは大地を震撼させ、鍾乳洞全体が揺れ動いているような錯覚まで感じる。
「なんだ、なんだ。魔獣同士の仲間割れか?」
「いえ、違うわ、エステル。片方はれっきとした人間よ。もっとも体格も膂力も常人離れしているけどね」
 黄色い鶏冠と青い羽毛を持ち、嘴から雷のようなブレスを吐く超巨大ペンギン。あの化物がティータが畏れ敬うオウサマペングー。
 その4アージュ近い等身の規格外のヌシと真っ向から殴り合う相手を、エステルが遠目から魔獣と見間違えたのも無理はない。
 太眉で精悍な顔つきをし東方風の胴着を纏った茶髪の中年男は、ゆうに2アージュを越える巨漢。全身の筋肉が鋼のように鍛えられており、丸太のようにぶっ太い両腕には手甲が嵌め込まれていて、まるで大熊(グリズリー)のよう。
 グリズリーvs王様ペンギンのまさに怪獣大決戦ともいうべき大一番が目の前で上演されている。エステル達はどうしていいものやら、鍾乳石の影に隠れて戦局を見守ることしかできない。
「はうっー、あのおじさん、信じられないです。オウサマペングーと素手でやりあっているですよ」
「俺も背丈はある方だけど(約1.85アージュ)、あのおっさんの前じゃ、まるでお子様ランチだな。けど、何でこんな辺鄙な場所で魔獣と決闘しているんだ?」
「見た感じ、拳法家(ウーシュウ)のようだし、主の噂を聞きつけて挑みにきた道場破りの腕自慢といった風情じゃないの? あらっ? 何だかペンギンさんが可愛く羽をバタつかせ始めたわよ」
 オウサマペングーが忙しく退化した両翼を上下に振ると、身体全体を覆う羽毛が硬質化される。
 大男が魔獣のお腹に渾身の正拳突きを放つが、鉄鉱石を殴ったような鈍い音が響いて、拳に感じた激痛に顔を顰める。
「あれが、オウサマペングーの十八番、『体脂肪燃焼』です。ああなるともう一切ダメージが通らなくなるですよ」
 戦闘歴のあるティータが解説する。エステルは加勢しようか悩んだが、同じ武人の心意気として漢同士のタイマンを穢すのは気が引けたので、もうしばらく様子を見ることにする。
「フフン、態々こんな地下洞窟まで立ち寄った甲斐があったみたいだな」
 劣勢に立たされたものの、大男から不敵な笑みが零れている。まだ奥底を全て見せていないようで、「龍神功!」と呟きながら両腕をクロスに組むと、攻防力を大幅にアップさせる。
「基礎能力値が格段に高そうなのに、その上でブースト技まで持っているのかよ、あのおっさん?」
「けど、エステルの麒麟功と同じく、活動限界を迎えたら肉体に反動をきたすことになるから、それまでの短期決戦でケリをつけるつもりね」

「はああぁぁ………………せいや、せいや、せいやぁー!」
 大男は愚直に拳を何度も叩きつけるが、STRブーストが掛かって尚、魔獣の強固な防御壁を突破するには至らず。オウサマペングーは涼しい顔でケロッとしている。
 反撃のサンダーブレスで幾度となく手傷を負いエステルは助太刀すべきかハラハラしたが、大男は考え無しで闇雲に攻撃していたわけでない。打撃箇所は全て一極に結集しており、やがてお腹の真っ白い羽毛の部分に拳大の痣が出現する。
「はあぁ……、そこだっ!」
「ク…………クエエー!?」
 メキッと肋骨が砕ける音がして、はじめてオウサマペングーが片膝をつく。
 一点集中で一部分の抵抗力を弱めて、弾丸さえも跳ね返す鋼鉄の肉体に穴を穿ち、ダメージを与えるのに成功。だが手負いの魔獣は最後の切札を始動させるべく、大きく息を吸い込むと身体全体を真っ赤に変色させて待機態勢に入る。
「たぁっ、せいやぁっ、せいやぁー!」
 大男はさらに連撃を叩きつけるが、ヨシュアと同じく解除系のクラフトを保持していないらしく魔獣の待機モードを止められない。
「はうっ、あれは? お兄ちゃん、お姉ちゃん。急いで耳を塞いで下さい!」
「耳を塞げって、こんな遠くまで一体何が届くというんだよ、ティータ?」
 自分らと魔獣の位置はかなり離れているので多寡を括ったエステルはそう尋ねるが、ティータは質問を無視し帽子を抑えてしゃがみ込んだまま対ショック姿勢で備える。
「クエエエエエエ……………………!!」
 義妹も無防備に棒立ちしているので油断したが、次の刹那、洞窟湖全体を揺るがす超ド級の雄叫びが炸裂。エステルは引っ繰り返った。
「大丈夫ですか、エステルお兄ちゃん?」
「はれほれひろー。テ…………ティータ、い……まのは……いった…………い…………なぁーんだぁー?」
「オウサマペングーの奥の手、『超破壊音波』でしよ。距離があったからお兄ちゃんは目を回しただけで済みましたけど、至近距離から浴びたあの熊みたいなおじさんは三半規管が完全に麻痺した筈ですよ」
 手の内を知っていたので、予め準備しておいたヘッドフォンのお蔭で怪音波を遮断できたティータは瞳をナルトのようにグルグル巻きにしたエステルを介抱しながらも、顔色一つ変えずに隣に佇むヨシュアが平穏無事なのを不思議そうに見上げた。
「クエーっ、クエ、クエ、クエー!」
 周囲の風景が抽象画家の絵画のようにドロドロになり、酔っ払いのようにふらつく大男を槍(ランス)よりも鋭い嘴で突つき、一方的に叩きのめす。
 エステルがしばらく遣い物にならずに介入不能となったので、格闘馬鹿の性根を解さない科学少年が導力砲の回復戦技(バイタルカノン)でサポートしようとするが、騎士道精神と無縁の筈のヨシュアに押し止められる。
「どうして止めるですか、ヨシュアお姉ちゃん? このままじゃあのおじさん、出血多量で死んじゃうですよ?」
「よく見なさい、ティータ。少しずつだけど回復しているわよ」
「ふぇ?」
 そう忠告されたので、ゴーグルを嵌め込んでつぶさに観察してみる。血塗れになった大男の開ききっていた瞳孔が黒目が戻り、乱れていた呼吸も整いつつある。傷口から滴り落ちていた血も乾いて凝固している。
「東方武術には『気孔(養命功)』と言って、身体の気の流れをコントロールし、状態異常の解除から止血まで内部から行える秘術があるのよ。あの中年男性、単なる力自慢のデカブツでなく相当な技量の達人ね」
 ヨシュアの太鼓判通りに超破壊音波で受けた精神障害を養命功の治癒効果で完全克服したが、血は止まっても今まで受けたダメージまで帳消しになるわけではない。先の龍神功のブースト効果も残り少ないこともあり、大男は最後の大勝負に出る。
「行くぞ、洞窟湖の主よ。こいつを受け切れるか?」
 キュピーンと遠目目線のカットインが入り、Sクフラト『龍閃脚』が発動する。例の拳大の弱点箇所を狙ってドガガガガッとマシンガンのような勢いで連続飛び蹴りが浴びせられる。
「でやっ、はあっ!」
 オウサマペングーの巨体が大きくぐらつき、フィニッシュの正拳突きが羽毛にめり込むように刻印として刻まれ、その打撃部分が陥没する。
「クエーっ、クエエー!」
 たまらすオウサマペングーは湖の中に飛び込んで、尻尾を丸めてトンズラする。
「ふうっ……いい勝負だったぜ。また何時でも相手になるぜ、強敵(とも)よ」
 挑む者は拒まず去る者は追わず。釣りでいう『キャッチ&リリース』の精神で兵との死闘に充足感を覚えた大男は景気づけに腰にぶら下げた瓢箪で手酌すると、エステル達が隠れている岩場を振り返った。
「まさかこんな場所にまでギャラリーが押しかけてくるとは思わなかったが、途中ヤキモキさせただろうに最後まで黙って見守ってくれた武士の心遣い痛み入る」
 「押忍(おっす)!」と腹に力を篭めて体育会系の挨拶を交わした後、表情を崩して不敵に笑い「一緒に一献やるかい、お二人さん?」と冗談めかして相伴を申しつける。
「はえー、あれだけの激闘を演じながら、僕たちの存在に気がついていたのですか?」
「ふうっー、やっと目眩が治ったぜ」
 大男の怪傑振りにひたすら舌を巻くティータと気付けにリーベの薬を嗅がされて意識をリフレッシュさせたエステルが岩影からヒョッコリと顔を出す。続いて三人目の少女が出現すると大男ははじめて飄々としたポーズを崩して「もう一人いたのか?」と瞳に軽い驚きを篭めて囁く。「お言葉に甘えて一杯貰えるかしら?」と酒の強請りをするヨシュアの遠慮のない態度に更に粛然とする。

 洞窟湖の主を単身で撃破したこの巨漢男性こそが、八人の最後にして恐らくは最強の導かれし者である。ようやくエステルとヨシュアの二人は、リベールの混沌を払う為にエイドスが遣わした御使い全員と面識を持つようになった。



[34189] 17-01:ラッセル博士救出作戦(前編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/26 01:10
 瀕死のアガットを救うべく決死の覚悟でカルデア鍾乳洞に乗り込んだティータ達だが、肩透かし……もとい幸運にもゼムリア苔の番人たるオウサマペングーは先着の謎の拳法家(ウーシュウ)に目の前でぶちのめされて、労せず目当てのお宝をゲットした。
 洞窟湖の主を退けた大男はブライト兄妹の同業者。名をジン・ヴァセックという。
 東方のカルバード共和国所属の『不動』の異名を持つA級遊撃士。公式最高位(※実はその上にSランクもあり、二人の父親のカシウスがその位にいるが)の遊撃士なら、あの出鱈目な強さにも大いに納得だ。
 王都で開かれる武術大会に出場すべく、ヴォルフ砦からリベールを訪ねてきた。態々地下洞窟に足を伸ばして伝説のヌシに喧嘩を売ったのも、大会本番前のウォーミングアップも兼ねてのこと。
 出身地からもしやと思ったら受付のキリカとは同郷の知り合いで、ツァイス市に戻ってから一晩積もる話をした翌日、朝一番の定期便で性急に王都に旅立った。
 その関係上、残念ながらエステル達とあまり面識を持つ時間が無く、仰々しい肩書の割に親しみやすい性格をした話の判るおじさんという印象を与えただけで、あれほどの大立ち回りを演じながらさしたるインパクトも残せずに一時存在を忘却されてしまう。
 デカイ図体をして妙に影が薄い最後の導かれし者に再びスポットライトが当たるのは、二人の冒険の舞台が最後の修行場たるグランセル地方に移行してからである。
 ピクセン教区長がゼムリア苔を処方したアルヴの霊薬によりアガットの症状も回復に向かったので、現在の最優先課題のラッセル博士捜索に全力で取り組むことにした。

        ◇        

「と意気込んだものの、犯人の足取りが判らなければ進展させようがねえな。今回ばかりは王国軍の敷いた検問に賊が引っ掛かるのに期待するしかねえのかな?」
 ツァイス支部のロビー、キリカを交えて方針を検討するが意見の出しようもない。行儀悪く机に両足を投げ出したエステルはお手上げのポースで両手を万歳するが、「実は博士の監禁場所は判明している」との義妹の言葉に懐疑の眼差しを向ける。
「おい、ヨシュア。お前の合理的な思考フレームの予知能力じみた的中率の高さは百も承知しているけどさ。空の彼方に消え去った飛行艇の行先に見当をつけるとか流石に無理がありすぎるだろ?」
「ふんっ、そいつは俺も同感だな」
 エステルの疑惑に呼応するかのように、脇腹に包帯を巻いたアガットが入口に出没する。「まだ寝てないと駄目です」と取り縋るティータを引きずりながら、強引にエステルとヨシュアの合間の席に腰を割り込ませた。
「紅蓮の塔では敢えて目を瞑ったが、テメエは何を隠してやがる? まさか、黒装束の連中とどこかで繋がっていたりするのか?」
「待てよ、アガット! 内通者扱いとか、いくらなんでも勘繰り過ぎだろ?」
 アガットの暴言に反射的にヨシュアを庇うが、そのエステルからして疑心を完全に捨て去れた訳ではない。黙って成り行きを傍観しているキリカでさえも瞳に好奇の色を称えている。
 まあ、エステル達の不満も尤もだ。このような不協和音を奏でたままでは奪還作戦の決起すら覚束なく、秘密主義を貫くのもそろそろ限界のよう。ある人物を庇っているヨシュアはジレンマに陥るが、その当人が事態の改善に乗りだしてきた。
「ヨシュア君。俺のことなら気にすることはない」
「エジルさん? お好み焼き屋の方はどうしたのですか?」
「店にとっても大事な書き入れ時ではあるが、ラッセル博士の身命は市だけでなく王国の命運をも左右しかねない由々しき事態だからな。留守をカトリア君に任せて何か手伝えることはないか顔を出してみたが、俺の為に少し複雑な立場に置かれたみたいだね」
 包容力のある笑顔で後ろめたそうに目線を反らすヨシュアの頭を軽く撫でると、机の上に腕時計を模したレーダーと複数の発信機を置いて事情を説明する。

「まさか古代遺産(アーティファクト)を活用していたとは驚きね。けど、それならラッセル博士の居所を掴んだという話も納得ね」
 基本物事に動じないキリカも素直に感嘆し、「私が強請りした所為でご迷惑をおかけしました」とヨシュアは更に恐縮した風で謝罪する。
「おじいちゃんは研究にのめり込むと、誰にも邪魔されない秘密の工房に気紛れに雲隠れすることもあるですよ」
 そうティータから警告されていたので、ヨシュアは密かに発信機を取り付けておいた。その用心は博士の居場所を突き止める貴重な手掛かりになったものの、恩人の不法所持を発覚させてしまう。
「本来、やってはいけない法破りをしていたのは俺だから、これを機に教会に回収されたとしても自業自得でしかない。最後の奉公として博士の救助に役立つのなら十分報われたさ」
 長い間、遊撃士稼業を支えてきた小道具に並々ならぬ思い入れを秘めながら観念したが、ここにいる面々は密告する気はなさそうだ。
「遊撃士教会(ギルド)は殊更七耀教会と事を構えるつもりはないが、リベール王家やエプスタイン財団と異なり何らの援助も受けているわけでもなく、信頼に足るブレイサーの手元にある有益な道具を無償で提供する義理はない」
「そうそう。豪竿トライデントみたいな例外もあるし、善良な市民から巻き上げるのは闇オークションでのさばらしている悪党どもを全部退治してからの話だろ?」
「けっ、あの泣き虫はともかく俺は無神論者だし、王家や宗教に助けられた記憶もねえ。エジルの件はどうでもいいが、実体のない神様を有り難がっている連中を喜ばせる気もないさ」
「アガットさんの身体を治癒したのは教会の…………はいはい。あくまで科学的なお薬の効能であって、信心による奇蹟や恩寵とは無関係ですよね。ところで、その優れ者のナビゲーター。二個あるみたいなので、もし良かったら片方だけ僕に預けて調べさせてもらえないですか?」
「済まない」
 口下手なエジルは無骨に感謝の念を述べる。周囲の暖かい思いやりにヨシュアは柄にもなく目頭が熱くなるのを感じたが、クールビューティーを指標とする少女はそんな己の温い変化を誤魔化すように首を横に振る。
 いずれにしても、博士の救助という目標に向かってギルドの心が一つに纏まった。議論を次の段階に進ませる為にヨシュアは左腕に嵌められたレーダーの情報を公開して、全員が覗き込む。
 地形図は、ちょうどツァイス市全域を表示するように調整されている。△が現在地。カラフルな◎が発信機に対応している。△と重なっている赤色の◎がエステルに取り付けられたままになっていて、緑色の◎が博士の位置を示しているらしいのだが。
「おい、待てよ。リッター街道を北上したソルダー軍用路の先にあるのは」
「はうー、有り得ないですよー」
 アガットとティータが困惑する中、身体中を弄ってようやく発信機を捜し当てたエステルはヨシュアと目を合わせると表情を引き締める。
 カプア一家のキールが置き土産を託さなければ、二人も直ぐにはこの現実を受け入れられなかっただろう。
 そうラッセル博士が現在いるポイントは、王国軍の重要防衛拠点『レイストン要塞』を指し示していた。

        ◇        

 中央工房の中心人物にも話を通しておく必要がある。お昼頃という時間帯も考慮して、一行は『エジルお好み焼き店』二階のお座敷を会議室に変更。エジルが焼奉行を務め、バイト経験のあるヨシュアが賄い役を担当しながら、ボースの空賊事件から始まったこれまでの経緯をかい摘んで説明する。
 長年、王国軍と友好関係を築いてきたマードックら工房御三家やキリカ達遊撃士関係者も俄かには信じ難い話であるが、レーダーの精密さと素知らぬ顔を決め込んだ軍広報担当の不誠実な対応を天秤に掛けると、博士がレイストン要塞にいる理由は他に思い当たらない。
「ふん、どこぞの猟兵団(イェーガー)崩れと思いきや、黒装束の正体がまさか正規軍の情報部だったとはな。だが、こうなればやることは一つだな」
 バイタリティ溢れるアガットは、お好み焼きをワイルドに一呑みして体力の回復を図りながら、当然のように要塞潜入の強硬案を主張するが、ことはそう単純ではない。
 『ギルドの国家権力に対する不干渉』などの面倒臭い法的な決まりごとは工房長の胸の内一つだが、導力センサーを含めた最新鋭の防衛設備と二十四時間体制の守備兵に守られた警備システムは完璧に近く、実務面から見ても侵入は困難。
「今夜、資材を搬入する為に工房船『ライプニッツ号』がレイストン要塞に出向くのだが、クルー全員のボディーチェックはおろか積み荷も一つ残らずラッセル博士が開発した『生体感知器』で入念に調べられる」
 グスタフ技師長が実物の生体感知器をお座敷の敷居の衝立越しにエステルに翳すと、ピコン、ピコンとオーブメントの先端部分が赤色に点滅する。
 半円3アージュ以内なら、あらゆる素材の障壁を貫通し生命体を検知するとのこと。コンテナに紛れてという線も厳しそうだ。
「ヨシュア、お前ならレイストン要塞に潜り込めるか?」
「造作もない。コンテナ船を使うまでもなく、独力で外から忍び入るのも可能よ」
 エステルの問いに、ヨシュアは自信満々にグスタフの前に立ったので、動力器をふくよかな胸に押し当ててみる。何故かセンサーが作動せずに、『生体反応無し』の緑色のランプを灯し続けている。
「あれっ、故障か?」
 他の複数の人物にも試したが、普通に機能する。潜入工作時のステルスの有用性が改めて立証されたが、そのヨシュア当人が単独任務に異を唱える。
「王国軍が天敵のドロシーさんでも雇い入れていない限りは潜伏自体は容易。けど、ラッセル博士を連れて脱出するとなると華奢な私一人の手には余るから、やはり協力者が必要」
 むしろ漆黒の牙の特異性を最大限に活かすには、本命の救助班を別に送り込んだ上で単体行動でサポートに徹する役割分担の方が成功確率が上昇すると訴える。ただし、常人にヨシュアの真似事は叶わず、その方策が手詰まりなので皆は頭を悩ませている。
「いっそ、博士以外の警備兵を全員抹殺する方が私的には簡単なんだけどね。よほど司令官が統率力に優れていない限りは目撃情報を残さないよう三十人ほど始末すれば、そのうち疑心暗鬼に駆られて内紛で勝手に自滅してくれるからね」
 本気か冗談なのか、恐ろしく過激な意見が囁かれたか即行で却下される。
 得体の知れないステルスモンスターに襲われて恐慌をきたした兵士たちが仲間同士で殺し合い鉄壁の城塞が内部から崩壊するとか、一体どんな群衆パニックものかホラー映画のシチュエーションなのやら。
 レイストン要塞が情報部のみに占拠されているならまだしも、関所の一般兵の素朴さや親衛隊に濡れ衣を着せようとした一件からして、王国軍全体が悪に染まった訳ではない。後に禍根を残さない為にも兵士とのいざこざは極力避けるべきだろう。

「そういえば、ティータはどこに行ったんだ?」
 話の最中、何時の間にやら姿を見えなくなったお子様にエステルは怪訝な表情をする。
 我が強いティータが、今更機密事項天梃子盛りの会話に遠慮して、席を外すような殊勝さを備えているとも思えない。そのエステルの疑惑が具現化したかのように、妙な動力器を抱えたティータが汗だくになって二階に駆け上ってきた。
「はぁ、はぁ。グスタフさん。もしかしたら、ライプニッツ号の潜入工作が上手くいくかもしれないので、その生体感知器を僕にも使ってみて下さい」
 内部構造が半剥き出しのスケルトン状態の手元の装置の配線を直に弄くると、心なしか半透明の光のバリアがティータを小円で包んでいるように感じる。求めに応じてグスタフが試してみると、先のヨシュアの時同様に無反応のまま。
 驚く一堂に以前にヨシュアとの与太話で名を掠めた『生体感知器無効化オーブメント』について説明する。
 ここ一月ほどティータが取り組んできた研究の成果。感知器の走査を妨害する導力場を発生させ生命体の存在を誤魔化せる。
 これがあればヨシュア以外の面々もコンテナ荷物に紛れて要塞への侵入を果せるかもしれないが、試作品なので色々と不備がある。
(1)何度かテストしたので効能の方は問題ないが、時間不足でまだ外部カバー部分とのボタン付けが完了しておらず、起動は内部の配線を直接繋ぎ直さないといけないので、実質ティータ本人にしか扱えない。
(2)EPタンクの容積が小さい故に出力不足で、フィールドの有効範囲は半円0.5  アージュと極めて手狭なので、潜入人数はティータも含めてギリギリ2、3人が限界。
(3)予算不足で冷却機構が未実装の為、起動して3分ほどでオーバーヒートを起こすので、生体感知器が使われるタイミングを見計らって上手く作動させる必要がある。((1)と合わせると尚更、起動者は手慣れたティータ以外には務まらない)

「勢い勇んで工房から持ってきたですけど、不足分だらけでほとんど欠陥品ですよね。おじいちゃんならきちんとした完成品を仕上げたでしょうから、僕は全然駄目駄目です」
「なあに、俺たちはまだ駆け出しだし未熟は当然さ。これから精進すれば良いだけさ」
「エステルお兄ちゃん」
 自嘲したティータをエステルが頭をナデナデして慰めるが、マードック、グスタフ、トランスの工房関係者は実に居心地悪そうにリトルエンジニアを見下ろしている。
 無知賢者のエステルは勘違いしたが、博士の残したラフ書きのみを頼りに手持ちの予算だけで前歴のないオーブメントを自作するなど見習いの技量を大きく逸脱しており、これでは正規技術者の立場がない。
 この神童は将来ラッセル祖父母に匹敵する科学者となるやもしれないが、現在重要なのはこの少年の発明品を上手く活かし博士の救出に役立てること。
 瞬間記憶能力を保持するヨシュアなら遣り方さえ教わればこの複雑怪奇なオーブメントを動かせるかもしれないが、彼女は別行動と既に決まっている。よって、ティータの参入は確定的となったか、粗野な外観に似合わず意外と常識人のアガットから苦情が飛び出した。
「おいこら、チビスケ。何勝手に話を進めてやがる? こんなやばいヤマに民間人のガキを連れていける……」
「なら、あなたが今回のクエストから降りるアガットさん? 幸いエジルさんも協力してくれるそうだから、潜入人員も余剰気味だし」
 先の意趣返しという訳でもないだろうが、ヨシュアが突慳貪とした態度で横から口を挟む。アガットがギョロリと澄まし顔の少女をガン付けし、周囲をハラハラさせる。
「土壇場の不確定要素というなら、ティータよりもあなたの方が心配よ。切った張ったの真っ最中に、突然、弱い方に切り替わったりしないでしょうね?」
 ピクリとアガットの眉が動き、益々表情に険しさを増す。『弱い方』というキーワードに何かに勘づいたティータから「泣き虫のお姉さんのこと?」と声が漏れる。
「てめえら、気がついていたのかよ?」
「まあね。というよりも、いくら雰囲気が違いすぎるからって、同一人物を一向に結び付けられないエステルが鈍過ぎるのだけどね」
「おい、お前ら、さっきから一体何の話をしているんだよ? 弱いとか泣き虫とかアガットから一番遠く離れた属性だろうが?」
「そうね、エステル。仲間内で隠し事はいけないみたいだし、実はアガットさんは二重…………」
「黙ってろ、小娘!」
 またぞろ韜晦モードに突入した義妹をエステルが問い質そうとしたが、アガットに一喝される。
「ふん、俺の性質を知っても、お前はまるで驚かないんだな?」
 ティータの参加を取引材料にした交渉であるのは明白。殺意の波動に目覚めたアガットは脅迫者を睨み付けるが、ヨシュアは能面を維持している。
 レオンハルトと名乗った仮面の男もそうであるように、闇社会に深く関わった人間なら多重人格者などさして珍しい代物でもない。
 物心つく前に娼館に売られて、自我を守るために複数の人格を生み出して、『痛み』を身代わり役の仮初めのキャラクターに押しつけ生き長らえてきた憐れな稚児もいたぐらいだ。
 渋々だがアガットは彼女本来の気質に反し、折れることにした。
 もしレイストン要塞で黒装束達が隊長と敬う人物と遭遇した場合、ラジオ局DJが危惧した陶酔行動にアガティリアが走らないという保障は無かったが、幼子がこの作戦に参列する以上、価値観が異なる彼女たちが只一つ共有する『誓い』を果さなければならないからだ。
「おやっ?」
 定員割れしそうな実働メンバーを博士に縁のあるエステル達に譲ることにし、空賊事件同様に裏方にまわることを決意したエジルはレーダーの変化を見て首を傾げる。
「博士についている発信機からの応答が途絶えた?」

        ◇        

「おっと、失礼。ゴミが……」
 エステル達が潜入を試みようとしているレイストン要塞中央の研究棟。アガティリアがレオンハルトと慕い、軍関係者からロランス少尉と呼ばれる多重の人格ではなく複数の名前を使い分ける仮面の隊長がラッセル博士の首筋を軽く叩いた。
「ふんっ、今更オベッカなどせんでも、お前たちの知りたい事は全部実演した筈じゃ」
 実孫の身の安全を恫喝され、僅か半日あまりでゴスペルの制御方法を調査した気難しげな天才科学者は、煩わしそうにロランスの手を払いのける。
「ラッセル博士、本当に感謝致します。これでリベールに本物の安息を齎すことが叶います」
 カノーネ大尉と黒装束の男たちを従えた金髪をオールバックに束ねた黒服の軍人が、博士の偉業を大袈裟に讃歌し、ラッセルは胡散臭そうな表情を隠せない。
 この理知的で男前な中年士官が王国軍情報部指令のアラン・リシャール大佐。一連の事件の黒幕ということになるのだろうか?
 上官に心から心酔するカノーネは熱っぽい視線をリシャールに注ぐ。
 様々な行き違いがあったものの、ここまでは閣下の目論見通り順調に進んでいる。計画の障害の一つである王室親衛隊も王宮から追い払われる事態となっている。
(ほとんどの親衛隊員は捕らえられたようだけど、こんな小細工であなたの光を消せる筈もないわよね。わたくし達を止められるものなら遣ってみせてご覧なさい、ユリア)
 同じ旗印に属しながら今では敵対する立場となるやも、些かも敬意が損なわれないかつての旧友に心中で発破をかけると、本来の副官の精神に立ち返る。
 最終目的へと至る門が軍事クーデーターである以上、もはや情報部に後戻りは許されない。成功し王国の中興の祖として称えられるか無残に失敗し反逆者の汚名と共に散り逝くかのデッド・オア・アライブなのだから。
 リシャールは腹心の内心の葛藤には気づかず、要塞の守備隊長であるシード少佐に向き直ると博士の事後を託す。
「さてと、白き翼が網に掛かったようなので我々はこれから王都に赴かねばならないが、君にはこれを預けておこう」
 大佐は懐から戦術オーブメントを取り出す。現行品よりスロット数が一つ多い見覚えのあるアーキテクチャに博士は驚きの声をあげる。
「リシャール、それはまだ未配備の筈の新型の戦術オーブメント?」
「ええ、あなたも研究の一端に携わったエプスタイン財団の新製品です。まだ試作品ですが、私のツテで取り寄せました」
 大佐からシード少佐へと手渡されて、茶髪で甘いマスクをした三十路の士官は恐縮して受け取った。
「王国軍の現役軍人で全連結構造(ワンライン)の適正者は君一人だ。現在の導力魔法の常識を覆すような未曽有の攻撃アーツが使えるそうだから、近日中に威力を検分し成果を報告してくれたまえ」
「畏まりました」
 なるだけ感情を表に顕さないように留意しながらも、少佐の視線は中央スロットのみ風属性で固定され六つのフリースロットが綺麗に一つの線で繋がれた新型独特のフォルムに注がれている。
「クオーツも全て実験品だから、もしかするとアーツを唱えたら壊れるかもしれんぞ?」
 そう大佐は冗談めかしたが、仮に身体に反動をきたしたとしても、未知のオーバルアーツを試してみたいと血が騒ぐのは軍人としての愚かな闘争本能の成せる業か?
「ふんっ、愉しい玩具を分け与えられて、あっさり懐柔されるとはな。お前さんは連中と違って気骨のある男と思っておったが、どうやらワシの見込み違いのようじゃの」
 ゴスペルを懐に仕舞い込んだリシャール大佐は部下を引き連れて研究棟から退出する。少佐と二人っきりになったラッセル博士は軽蔑の眼差しで鼻息荒く息巻いたが、シードは新型の戦術オーブメントをじっと見つめ込んだまま無言を貫いた。

「ふふっ、ここに来るのか、ヨシュア? そして、アガティリアよ」
 一団の最後尾に連なったロランス少尉は、左手に握り潰した発信機の残骸を特殊バイザーの奥に隠された両眼で愉快そうに眺めながら剥き出しの口元をシニカルに歪める。
 リシャールを始めたとした情報部の誰一人として認識出来なかった極小のアーティファクトを目敏く発見するあたり、このマスクマンの尋常でない異能性を感じさせるが、なぜか博士に発信機が仕込まれていた事実を誰にも告げることなく更に小言を呟く。
「白面は俺の記憶は消していないとほざいていたし、今はまだヨシュアと顔を会わせる訳にもいかぬか。大佐をせっついて、早めにここを立ち去るしかないな」
 そう決意すると、集団の先頭を歩くリシャールに何かを語りかける。二人の女遊撃士が危惧したアガティリアを目覚めさせかねない不安材料はレイストン要塞から退場するようだ。
 ただし、アガットはおろか一切の過去が謎に包まれたヨシュアとも浅からぬ因縁を感じさせるロランス少尉を詐称するレオンハルトの目的が、本当にリシャール大佐ら情報部と同一のものなのかは誰にも判らない。

        ◇        

「少し遅れたわね。急ぎましょう、エジルさん」
 キリカが用意してくれたレイストン要塞の精密な見取り図の検証に時間を取られたヨシュアは、補佐役として同行してくれたエジルに声を掛けると、リッター街道をバイパスしソルダー軍用路に入り込む。
 当初、発信機の反応が途絶えたのはゴスペルよる導力停止現象で効果が打ち消されたものと推測したが、その事象をヨシュアは既に五回も体験済み。遅くとも十五分後には再点灯したそうだが、今回は一時間近く待ってもレーダーに復帰する気配がない。
「これまで一度も対象はおろか第三者にも悟られたことはないから発信機の存在が露見したとは思い難いが、何らかの事故に巻き込まれて破損したのは確実だろう」
 となると、ラッセル博士がレイトスン要塞から別の場所に移されたら追跡する手段は皆無。
 幾ばくかの時が与えられれば、ティータは中央工房の協力の元に生体感知器無効化オーブメントを汎用的に改良できたのだが、もはや一刻の猶予も無い。今夜中に未完成品と共に潜入作戦を決行するしかない。
 先行して潜伏しエステル達の仕事が遣り易くなるよう工作を施すのがヨシュアに課せられた使命。要塞へと続く軍用路を駆け抜けると、その途上を魔獣の群が通せん坊。「がるるっー!」と低い唸り声を上げて、こちらを威嚇している。
「おいおい、以前、俺がクエストで訪ねた時はこんな魔獣いなかったぞ?」
「多分、レイストン要塞へのお客さんを追い返す為に軍が解き放った番犬でしょう。よほど今要塞に来られたら困る事情があるのでしょうね」
 五匹の魔獣の中にお馴染みとなった犬型魔獣(アタックドーベン)が混じっているのを見掛けたので、そう喚起を促すが、真に警戒すべきは中央に聳える血のように真っ赤な毛並みをしたブラッディセイバーであろう。
 ルーアンの市長亭で遣り合ったファンゴやブロンコと同系統の戦闘用魔獣のようだ。得意の全体Sクラフト『漆黒の牙』で取り巻き共々一網打尽にしても良いが、この後の展開を考えCP温存を図りたいヨシュアはSクフラトの行使を躊躇う。そんな少女の心中を見越したエジルが大斧(バルディッシュ)を構えると、露払い役を買って出る。
「ヨシュア君、俺のSクラフトは攻撃範囲が狭いので、なるだけ魔獣を一ヶ所に纏めてくれるかな?」
「了解です、店長」
 双剣を構えたヨシュアは、『挑発』クラフトを使って魔獣の注目を集めると、群の真っ只中に躍り出て愛犬と戯れるように野獣の牙と爪を躱し続ける。
 俊敏性に優れるプレデターの波状攻撃をものともしない少女のずば抜けた身のこなしに軽く口笛を吹いた後、エジルは大斧を振り上げて出し惜しみなく大技を炸裂させる。
「いくぞ、獣斧魔斬!」
 バルディッシュが地面に叩きつけられると凄まじい衝撃波が大地を伝わり、地割れが地響きをあげて魔獣の群目掛けて襲いかかる。
 猟犬型魔獣(ソリッドドーザー)の頭を踏み台にして、ヨシュアがムーンサルトで空中に逃れるのと同時に地面が大きく陥没し、土砂に埋もれ生き埋めにされる。
「やったか?」
「エジルさん、その台詞はダウトです」
 敵生存率100%を約束する禁断の負けフラグを口にしたエジルを、ヨシュアは慌てて窘めたが時既に遅い。瓦礫の山が吹き飛ばされて、手負いのブラディセイバーが咆哮する。
 ただし、他の三匹は即死。残る一匹も重傷だが、真紅の魔獣は何故か瀕死の仲間に食らいつくと喉元を引き裂いて、滴り落ちる血を浴びるように飲み干す。
 すると、ブラディセイバーの全身の傷口がみるみると塞がり、更には皮膚が鋼鉄のように強化される。対象の生き血を己が血肉へと直接取り込める吸血体質だ。
「苦しむ同胞を介錯した訳でなく、体力復元の肥しにしただけか。いかにも獣(けだもの)らしい習性だが、あの無限再生能力はやっかいだな」
「そうかしら? ヘルムキャンサーみたいに、物理攻撃が反射される訳でないし。単にタフなだけなら、回復させる間もなく一撃で仕留めれば良いだけよ」
 そう大言壮語すると、CPを遣い果たしたエジルに替わりブラディセイバーの懐に飛び込む。
 血塗られた獰猛な牙を敢えて紙一重で避けたヨシュアは、『真・双連撃!』と叫びながら両腕に装備したアヴェンジャーをクロスに振り抜く。次の刹那、ブラディセイバーの首が宙に吹き飛んだ。
 断末魔の雄叫びが響き渡るが、強化を受ける仲間はもはや生存せずに虚しく宙に消え入る。
 硬質の凶暴な手配魔獣を予告通りクフラト一振りで瞬殺(ワンターンキル)したわけだが、漆黒の牙をして今更驚嘆するに値せず。「お見事」とエジルはハイタッチを交わしただけで道を急いだ。

        ◇        

 かつての百日戦役の反抗作戦の拠点となったレイストン要塞。その正面門がある橋手前十アージュ地点の草むらに二人は隠れながら様子を伺う。
 エジルにとっては久方振りだが、重犯罪者も多く収容されている為、ハーケン門よりも強固な守備体制が敷かれたこの城塞にどう忍び込むのだろうか?
「それでは行ってきまー……うっ!?に……にがい」
 ニガトマトの実を齧ってCPをフルチャージしたヨシュアは、口先を窄めながらエジルにウインクして別れの挨拶を済ませると、Sクラフト『次元移動(テレポーテーション)』を発動させる。彼の目の前から一瞬で消失して、二十アージュ以上の高さの城壁を一息に飛び越えた。
「もしかして、今のは生身で空間転移したのかい? 何かどんどん人間の領域を踏み越えているみたいだし、最初から彼女一人いれば全て事足りそうなのは多分突っ込んではいけない御約束(タブー)なのだろうね」
 今回ばかりは少女の無謬性に畏怖せざるを得ないエジルは、常にその怪物とセットでの評価を余儀なくされる少年の心境に些か同情すると、ささやかなお手伝いの責務は果たせたので自分の店に戻ることにした。

「って、エジルさん、私のことを買い被り過ぎですよ。私は神でも悪魔でもなく、腕立て伏せが十回にも届かないか弱い普通の女の子ですから」
 転移先の目測を誤り、八卦服のスカートが木の枝に引っ掛かって、上下反転したあられもない姿で宙ぶらりんになったヨシュアは苦笑する。
 紺碧の塔で能力に目覚めてから、アルバイトの傍ら暇を見つけては、CP回復効果を持つニガトマトをお供にこの燃費の悪い移動系スキルを使いこなそうと試みた。転送距離と着地場所はある程度コントロール可能になったものの、まだ自分以外の他者を同時にワープさせられる確率は低いので博士を単独で助けるのは難しい。
「CP無限回復を約束するエルモ温泉に逗留していたら、一々この不味い果実のお世話にならずに効率良く修行出来たでしょうけど、世の中上手くいかないものね」
 ポシェットの内部にギッシリと詰まったプチサイズの赤い球体を左手で弄びながら、クルリと半回転して態勢と視界を正位置に戻すと、枝の上に腰掛けて周囲の状況を確認する。
 枝の合間をダイブし揺れ動いた衝突音は警備兵の耳にも届いた筈なのに導力センサーに反応がないものだから、風で揺さぶられただけと決め込んだらしく哨戒にすら来ない。
 便利なオーブメント技術に頼りすぎて、色々と油断が生じている。これならヨシュア達にも十分付け入る隙がありそうだ。

 同じ頃、エステル、ティータ、アガットの三人を乗せたライプニッツ号がツァイス発着場を出港し、一路レイトスン要塞を目指している。
 難攻不落のレイストン要塞を舞台にした、ラッセル博士の救出作戦が今スタートした。



[34189] 17-02:ラッセル博士救出作戦(中編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/27 03:41
 レイストン要塞の飛行艇発着所に、二十個近いコンテナが放置されている。
 中身は中央工房に発注した資材で、運んできたライプニッツ号は既に帰途についている。生体感知器によるチェックでも異常は検出されなかったので、搬入作業は明日へと持ち越されて兵舎に戻るために解散する。
「やれやれ、ここ数日の非常体制は何時まで続くんだ?」
「特務兵の奴らが全員要塞から引き上げたし、もうすぐだろ?」
「何で俺たち正規軍があんな胡散臭い連中の言いなりに。ましてや、ラッセル博士は犯罪者じゃなくて救国の功労者だろうに」
「しっ! どこに情報部のスパイが紛れているか判らないし、不用意な発言は慎め」
 兵士の声がどんどん小さくなる。場が静寂に包まれると同時にコンテナの一つの隠し扉がガラリと開く。
 間にティータを挟んで、エステルとアガットが互いを抱き合うような形で仲良く押し倉饅頭している。三人は縺れるように狭いギミックスペースを飛び出して、フレッシュな外の空気を吸い込んだ。
「はうっー、死ぬかと思ったです」
「右に同じく。けど、俺たちの密航を上手く誤魔化せたみたいだな」
「ふんっ、その何たらオーブメントとやらは大した性能だな。今回ばかりは褒めてやるぞ、チビスケ」
 三者はそれぞれ伸びや屈伸運動をして凝り固まっていた関節の筋肉をほぐすと、自分達が潜んでいた左半分とは反対側の右端の隠し倉庫から各々の得物を取り出して装着する。
 いよいよ、鉄壁の砦をステージとしたラッセル博士救出劇の開演である。

        ◇        

「お前の爺さんは、あそこに捕らえられているとみて間違いなさそうだな?」
 物陰から研究棟の様子を伺いながらエステルはそう尋ねて、二人はコクリと頷く。
 博士に取り付けた発信機はもはや音信不通だが、プレハブ小屋を二桁以上の兵士が取り囲んでおり、この手厚い警護態勢が中にいる人物のVIP待遇振りをアピールしている。
「護衛の数は全部で十二人か。やってやれないことはないだろうが、警報装置を発動させる前に全員倒すのはまず無理だろうな」
 好戦的だが勇気と無謀の峻別がついているアガットは軽率な行動に走ることなく、キチンと勝算を練る。
 要塞に駐屯する全ての王国軍兵士にはスイッチ一つで塞内の仲間に瞬時に変事を伝達可能なポケペル型のオーブメントを手渡されており。侵入者を発見した場合は交戦するよりも先に装置を鳴らすよう義務づけられている。
「そうなっちまったら兵士がワンサカ押し寄せきて、博士を助けるどころか俺たちも完全にアウトだ。とにかく今は状況の変化を待つしかないか」
 意味深な目つきでアガットはエステルを睨み、先輩の求めに応じて得心した態度で首を縦に振る。
 あれから連絡は取れてないし忍び込んだ後のシナリオは完全にアドリブ任せだが、二時間以上も前にヨシュアがレイストン要塞に潜入しエステル達の救出作業が捗るように何らかの工作を施している筈なのだ。
 定期的に中庭を哨戒しに来る兵士をヒヤヒヤして遣り過ごしながら、ヨシュアの援護射撃が功を奏するのを信じてひたすら辛抱するしかない。

 だが、短気な特攻型遊撃士二人の忍耐心がそれほど試される間もなく、唐突にその瞬間が訪れる。
 突然、要塞全域にサイレンが鳴り響き、全ての照明灯がライトアップされる。薄暗い中庭を一気に照らしだし、兵士たちの動きが慌ただしくなる。
「何だ、まさか俺達の侵入が勘づかれたのか? それとも、ヨシュアが…………いや、あいつがそんなヘマをするわけない…………あ、あにぃー?」
 急激な暗明の変化に瞳孔を瞬かせた後、司令棟中央入口から物凄い数の人間が溢れてきてエステル達は唖然とする。
 年齢も体格もマチマチだが、全員が白と黒の縞模様の帽子と長袖長ズボンを着込んでいる。胸部に識別ナンバーが縫いつけられており、地下牢に幽閉されていた既決囚だ。
 しかし、今時ボーダー柄のクラシックな囚人服とか、ブルマの継続といいリベールはよほど古き良き風習を大切にしている模様。この調子だと手拭いのほっかむりに唐草模様の風呂敷を担いだコソ泥イメージそのものの犯罪者も収監させていたかも。
「ひゃっほうー、シャバだ! 新鮮な外の空気だ!」
「あの塀の向うには、パラダイスが待っているぜ!」
 「脱獄だぁー!」と悲鳴のような声に混じって、自由と開放を求める囚人達の怒号が響き渡る。ロッククライミングの要領で壁に張り付いたり、閉ざされたメインゲートを突き破ろうと数人がかりで鉄材を叩きつけ、それを取り抑えようとする王国軍の兵士と彼方此方で衝突して、たちまち中庭は阿鼻叫喚の巷と化す。
「おいおい、まさかこれは、あの小娘がやったのか? 無茶苦茶にも程があるぞ」
「けど、お蔭で警備がかなり手薄になったですよ、ほらっ」
 人手が足りないからだろうが、下士官らしき軍服を纏った男性が研究棟の兵士に声を掛けると、十人ほどが増援にまわされて守衛の数は二人にまで減少する。これならエステルとアガットの力量を以ってすれば、奇襲で仕留めるのも可能。
「ちっ、一先ず詮索は後回しだ。まずは今のうちにラッセル博士を救助するぞ」
 穏便に人知れず脱走する予定が、囚人まで巻き込んで要塞そのものを派手に炎上させたヨシュアの遣り口には賛否があるだろうが、この千載一遇の好機を見逃す訳にはいかない。
「覚悟して下さい」
「う、うわ、何だ? 前が見えな…………ぐぎゃあ!」
 ティータが導力銃クラフト『スモークカノン』の煙幕で視界を塞ぎ、見張り役の兵士を混乱させた一瞬の間隙をついてエステルとアガットが飛び込み、警報装置を鳴らさせる暇を与えずに一撃で戦闘不能にする。
「あんたらに恨みはないんだが、悪く思わないでくれよ。えっと、鍵は…………よし、これだな」
 研究棟のキーを探り当てたエステルは扉を開錠すると、気絶した兵士を内部に引きずって扉を閉め込んだ。

「また来おったか? ゴスペルの制御法を突き止めた今、これ以上この老体に何の用が…………」
「お、おじいちゃーん!」
 涙目のティータが祖父の胸に抱きつき、博士は狐に摘まれたような表情をする。
 まさかカノーネあたりが更なる脅しの道具にする為に愛孫を誘拐してきたのかと勘繰ったラッセルは表情を険しくするが、後ろに控える見慣れた準遊撃士の存在に事情を諒解する。
「なんと、ワシを助けにレイストン要塞に潜り込んできたのか? 腐ってもカシウスの遺伝子を受け継ぐ精鋭のようじゃの」
「ヨシュアも別行動だが、一緒に来ているぜ、爺さん。感動の再会に水を差して悪いが、直ぐに脱出するので急いで準備してくれ」
 兵士に変装する為に脱がした軍服に着替えたエステルは軽く赤面する。
 彼の目の前では羞恥感覚ゼロのアガットが平気でパンツ一丁になって、ふくよかな乳房を誤魔化す為にサラシをキツキツに巻き込んでいる。
 狭い隠し部屋の中でティータを窒息させんばかりにあのダイナマイト果実を押しつけ抱擁していた時さえ顔色一つ変えなかったので、今更ながらに産まれてきた性別を間違えたとしか思えないと、泣き虫のアガティリアの基本人格を知らないエステルは肩を竦める。

 かくして王国軍兵士に扮装した遊撃士二人とカペルの中枢ユニットを抱え込んだラッセル祖父孫は不幸な見張り役の兵士二名を縛り上げ、警報装置その他の持物一式を巻き上げてから研究棟の外に抜け出すが、目の前で繰り広げられている地獄絵図に呆然とする。
「なんじゃ、やけに外が騒々しい思ったら、こりゃぶったまげたわい」
「どうやら、ヨシュアお姉ちゃんが囚人を全員開放したみたいでしよ」
 無限のフロンティアを目指し必死に壁を攀じ登る囚人を下から麻酔銃で撃ち落とし、物理系のクラフトを使って暴れ狂う暗黒街の達人を投げロープを巻きつけて数人がかりで捕獲しようとしたりと、要塞開闢以来の大パニックに陥っている。
「ほっほっほっ、目的の為なら一切手段を選ばんとは、何とも頼もしい娘じゃの。おかげでワシらにかまける余裕もなく右往左往しておるぞい」
 自身が科学の発展に犠牲を厭わないマッドサイエンティストの片鱗があるラッセル博士は拉致監禁された鬱憤も手伝い愉快そうに高みの見物を気取るが、実際は笑い事ではない。
 暴動の収拾にはしばらく時間がかかるだろうが、脱走者を一人も洩らさぬように兵士総出で超警戒体制が敷かれた中、足手纒いの老人を含めてどう脱出すべきなのか。
 そんな途方にくれたエステル達の方角に二十人前後の囚人の一団が流れてきた。本来なら逮捕に協力すべき出自を持つブレイサーズだが時と場合に寄りすぎる。
 脱獄という志を等しくする輩同士で共食いしても何の得にもならないので、そのまま素通りさせようとしたが、エステル達を視認すると真っ直ぐこっちに向かってくる。
「何で…………って、やばい! 今俺たちは王国軍の軍服を着ているんだっけか?」
「ちっ、犯罪者共と戯れている暇はねえんだが」
 是が非でも不戦交渉に持ち込みたい所だが、監獄に自ら忍び入った複雑怪奇な身の上をどう説明したものやら。
 抗戦しようにも、保護対象のNPC(ラッセル博士)を守るには、いくら何でも敵の数が多すぎる。ここでドンチャン騒ぎを起こせば、誘蛾灯のように更に多くの兵士を招き寄せて自分たちの首を締めるだけ。
「くそっ、戦るしかねえのかよ?」
 仕方なしに二人は得物を構えるが、未だに覚悟は煮え切らない儘。そんな内心を見透かしたのか、集団の先頭を走る三人はピタリと足を止めるとこちらに話しかけてきた。
「ふーん、確かにヨシュアの言う通りに研究棟の前にいたみたいね」
「なら、サッサと用事を済ませちゃおうよ、キー姐。僕、コイツ嫌い」
「ほーお。この小僧が、あの砦にいたブレイサーの片割れか? 俺はあの時のことを、ほとんど覚えちゃいないんだがな」
「…………って、お前らは?」
 ティータの小型導力砲(P-02)を凌駕する大型導力砲を脇に抱え込んだジンに匹敵する巨漢の主。
 基本男性しか拘禁されない重犯罪者収容施設の紅一点ともいうべき細身の女性。
 ベアアサルトを指先でクルクル弄んでいる生意気そうな童顔の少年。
 更にはその三人の後方に控える無精髭を生やしゴツイ顔をした愉快な大勢の仲間たち。
 ドルン、キール、ジョゼットの三兄弟に率いられたボース地方を震撼させたカプア一家の懐かしい面々が久方振りにエステルと体面した。

        ◇        

「……なぜ、このような惨状に嵌まったのか見当もつかんが、こいつは始末書どころか軍法会議は免れぬだろうな」
 中庭の中央で全軍を指揮しながらも、基地司令官が不在の今、この失態の全責任を押し付けられる立場である守備隊長は左手で軽くコメカミを押さえながら嘆息する。
 広い中庭は王国軍の兵士とボーダー柄の囚人で溢れ返っている。現状ではまだ脱獄に成功したならず者はいないようだが、このまま鼬ごっこのような膠着状態が続けば市民の安全を脅かす凶悪犯を世に解き放ってしまう恐れがある。
「それだけは絶対に阻止せねばならぬな。例えどれほどの犠牲を払ったとしても」
 保身感情を抜きにして職業軍人としての純然たる使命感からそう決意したシード少佐は、脇に控えるベルク副長に何かを指示すると印を組んでアーツの詠唱態勢に入る。
「こいつの性能をここまで実戦的な修羅場で試す機会が得られるとはな」
 リシャール大佐から授かった新型の戦術オーブメントを皮肉な視線で見下ろしがら、身体全体を緑色に光らせる。彼の側近は空高く信号弾を打ち上げると大慌てでその場を離れた。

「何だ、王国軍の連中が?」
 再会を果たしたジョゼット達と対話を試みる間もなく、事態の急変を訝しむ。
 天空で信号弾が炸裂するのを見届けた兵士たちが、囚人の群を放置して我先にと建物の中に避難する。元々脳筋系の多いあれくれ共は今がチャンスと深く考えずに破獄を継続するが、自然色(グリーン)のオーバルアーツの光を駄々洩れさせる王国軍士官の姿を視認した刹那、エステルとキールが大声を張り上げる。
「何か分からないけど、とにかくヤバイ!」
「良く判らないけど、とんでもないことが起きるわ!」
 強い直感力を持つ二人の危機意識が完全にシンクロして、先導するように研究棟の中へと逃げ込む。その行動に釣られるように、ティータ達やカプア一家の手勢も全員室内に入り込んで、慌てて鉄製の扉が施錠される。

「全てを薙ぎ払え、グランストリーム!」
 詠唱が完了したシード少佐が両腕をガッツポーズのように空高く振り上げると、彼を中心点として凄まじい突風が巻き起こり、そのまま暴風(ストーム)に成長する。
「うわぁー! 何が起こった?」
「く、苦しい、息が出来ない!」
「ひぃ! 目が回る、助けてくれ!」
 散開する囚人や逃げ遅れた兵士など敵味方関係なく、中庭に取り残された全ての者を中空高くに巻き上げる。最後は乱気流(ストリーム)へと進化し、まるで全自動洗濯機に放り込まれたかのようにグルグルと回転しながら生身の空中遊泳を強いられる。
「これが次世代オーバルアーツの中でも最強と謳われる全域属性魔法か。発動までの詠唱時間の長さがネックだが、威力、攻撃範囲共に現行品とは比肩すら出来んな」
 風が止んだ中庭には、少佐以外の人間が酸欠状態に陥って全員うつ伏せに倒れている。
 人為的な天変発生により、暴動を起こしていた囚人の七割近くが一瞬で無力化された。人の域を超えた御業の代償なのか、戦術オーブメントから煙が吹き出し更にはシード本人も苦痛で端正な顔を歪める。
「少佐、大丈夫ですか?」
「平気だ。プロトタイプでの実験を試みた以上、この程度の反動を身体にきたすのは覚悟の上だが、本当に一撃で故障するとは思いもしなかったな」
 駆けつけてきたベルクにそう冗談めかすと、自軍の被害状況を確認する。
 憐れにも巻き添えを喰った味方の数は二桁を数えたが、その十倍以上の囚人を道連れにし、収支は大幅な黒字報告。これなら兵士たちの自己犠牲も十分報われる。
「負傷した部下の手当てと並行して、まだ動ける囚人を一人も逃さず捕縛せよ。私は一旦、司令室に戻るが、ここまで戦況が推移すれば問題ないな?」
「もちろんであります。お疲れ様でした、少佐」
 左肩を引きずるようにして司令棟に帰還する上官を敬礼しながら見送ると、建物に隠れて竜巻を避けた予備兵力を全軍投入する。
 手負いの上に今の天変地異に戦意喪失した囚人は、一方的に蹂躙される。戦局は次第に掃討戦の様相を帯び、王国軍の誰もが勝利を確信したが、既にラッセル博士の存在そのものが失念されている研究棟の中には難を逃れたエステル達とカプア一家が無傷で生存しており、窓から外の様子を観察し脱出の機会を虎視眈々と伺っていた。

        ◇        

「陽動作戦は上手くいったみたいね」
 一方その頃、とんでもない災厄をレイストン要塞に齎した張本人は、もぬけの殻となった要塞司令室に騒ぎに乗じて潜り込んでいた。
「さてと、早めに探すとしましょうか」
 そう呟くと、室内の壁に耳を当てて軽くノックする。見込みが外れたら、少し位置をずらして、また同じ動作を繰り替える。
 大火を消し止めるには相当量の放水が必要だから、部屋の主のお偉いさんが現場から帰宅するにはまだ時間があるが、他の駐屯所に援軍を要請されたら脱獄は困難。急ぐ必要があるかもしれない。
「必ずある筈よ」
 ヨシュアが探しているのは、この手の要塞には付き物の秘密の脱出経路である。
 受付のキリカが非合法な手段で入手したレイストン要塞の設計図と睨めっこしたヨシュアは、各階施設を立体的に組み合わせ俯瞰から再構成した結果、ちょうど要塞司令室から地下を経由して湖の方角へとデッドスペースともいうべき不自然な空間が出来あがるのを目敏く発見した。
 キリカとも相談し、その部分には緊急避難通路があるのではとの共通の見解を抱き、老体の保護対象のラッセル博士を最も安全に護送可能な脱出路の最有力候補として、作戦の基幹に添えることにした。
「軍部の最重要機密事項だろうから、図面からトンネルの記載は省いたみたいだけど、ここまであからさまだと擬態の意味を成さなかったわね」
 合理的な思考フレームの演算では、よほど奇人変人の設計者が無意味にダミーを仕込んだのでない限り、98%の高確率で抜け道の存在を主張したが、万全を期する為に自分の眼で確認するまではエステル達実働班に対しては恒例の秘密主義を貫いた。

 時計周りに壁を移動しながら、聴診器で診断するような仕種でコンコンと音を聞き分けて十五分近い時間が経過し、ちょうど指令デスクの真後ろの地点でピタリと足を止める。
「みーいっけたぁー」
 入口には迷彩が施され、更には先の彼女のような聴診で探り当てられるのを防ぐ為、ドアには遮音材のクッションが敷かれノック音に変化は無かったが、天才シンガーの絶対音感は千分の一デジベル単位の微小な音質の違いを聞き分けて、更にはマイクロセンサーのような敏感な指先が扉と壁の微かな隙間を探知するので、要塞設計者(アーキテクチャー)の偽装工作は徒労に終わる。
「どこかにこの隠し扉を開くスイッチがあるだろうけど、それを探すのは現実的じゃないわね」
 不用意に室内の調度品を弄って警報を鳴らでもしたら、ここまでの苦労が水泡に帰す。ヨシュアは両手にアヴェンジャーを展開すると強行手段に訴える。
「真・双連撃!」
 双剣をクロスに数回振り抜くと、恐らくは特殊合金の材質で作られた強固なドアが豆腐のように斜めに切り落とされて、見込み通りの奥長の空間(トンネル)が目の前に出現する。
 本来、非力なヨシュアは固い物質を破壊するのは苦手だったが、新たな理(ことわり)に目覚めた結果、DEF(物理防御力)は何ら意味を持たない死にパラメタと化す。軽く人指し指を舐めて目の前に翳すと、外界との繋がりを約束する生暖かい風が吹き込んでいるのを知覚。
「思った通りね。気持ちよく風穴を通しちゃって、囚人の再抑留といい色々と後始末が大変そうだけど、所詮は他人事だし後は野となれ山となれよ」
「おいおい、そいつは少し無責任すぎやしないかい?」
 突然、後方から野太い声が掛けられる。扉の破壊に全神経を注ぎ込んで、迂闊にも周囲への警戒を怠っていたヨシュアは、ビクッと黒猫のように全身の毛を逆立てさせる。
 恐る恐る振り返ると、要塞の守備隊長であるシード少佐が両眼に強い敵意を浮かべてこちらを睨んでおり、ヨシュアは思わず「やばっ」と声が漏れる。
「随分とお早いお帰りでしたね? もしかして、私の目論見に気づかれたのですか?」
「まさか、ちょっとした偶然の巡り合わせから面倒事が早く片づきそうなので、壊れた戦術オーブメントを取り替えに立ち寄っただけだが、こうして事件の黒幕と遭遇できたのはエイドスの思し召しなのだろうな」
 ヨシュアは殿方に媚びるような営業スマイルを堅持しながらも、心中で舌打ちする。
 実戦は頭の中で思い描いた起算通りにまず運ばず、常に想定外のアクシデントに悩まされるのは承知しているとはいえ、中庭で何が起きたか判らないが、こんな早期に暴動が鎮圧に向かうとは計算違いにも程がある。
 つくづく世の中とは、百と零以外のパーセンテージは信用ならないものだ。
「投降するなら良し。抵抗するのなら少々痛めつけてでも、このレイストン要塞で何を企んでいたのか吐かせるとしようか」
 シード少佐はポーカーフェイスを維持していたが、頭部に怒筋を浮かべている。どうやら子悪魔の所業の数々に大層ご立腹の御様子。
 甘いマスクに似合わずフェミニストの気は無さそうな守備隊長殿は左肩の激痛を堪えなから脇に差していた長剣を引き抜いて襲いかかり、ヨシュアは双剣で受け止めて対抗する。
 強者同士の無秩序な決闘へと入り乱れた救出作戦は、怒濤の後編へと続く。



[34189] 17-03:ラッセル博士救出作戦(後編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/28 06:55
 レイストン要塞の地下独房には多くの重犯罪者が収容され、ボースで身代金目当てのハイジャック事件を引き起こした外国籍のカプア一家もその中に含まれる。自由を束縛する鉄格子を恨めしそうに眺めながら、ジョゼットは溜息を吐き出した。
「ねえ、キー姐。僕たちもう一生このままなのかな?」
 涙ぐんだ末っ子の鬱顔を目の当たりにしてキールは何とか慰めたかったが、同じ虜囚の身の上でまやかしの希望を与えることは叶わずに辛そうに俯くしかなかない。
「随分と苦労しているみたいね。そんなにここから出たいの?」
 そんな姉の代わりに、憐憫の言葉を掛けてくれる者がいた。何時の間にやら格子の内側に紛れ込んでいた黒髪の少女に、一家の面々は度肝を抜かれる。
「あなたは確か、準遊撃士の…………えっと……」
「ヨシュア?」
 戸惑う一堂を尻目に、ヨシュアはマイペースに大きく伸びをする。ジッゼットは「どうやってここに?」という質問を呑み込んで、恥ずかしそうに顔を背ける。
 一端の男児として、気になる女の子を前に咎人として無様な囚人姿を晒すのに抵抗を感じているようだ。
「尋ねたいことは山程あるけど、前に倣って要点だけを問うことにするわ。こんな所まで何をしに来たの?」
 男所帯の一家の中で最も豪胆な女丈夫が、煉獄の最下層に突如として降臨した天使の存在に困惑する亡者たちを窘めながら弟を庇うようにヨシュアの前に仁王立ちするが、「質問しているのはこちらよ?」と高飛車に鸚鵡返しされたので、彼我の立場差を弁えた彼女はご要望通りに本音を囁く。
「そりゃ逃げ出したいわよ。正確には帝国に送還されて、アルカトラス刑務所に入れられる前にね」
 自国民による海外でのハイジャック騒動は大陸中に知れ渡っている。エレボニア帝国としては下手人たるカプア一家に落とし前をつけないことには、周辺諸国に対する沽券に関わる。
 レイストン要塞以上に鉄壁を謳われるアルカトラス監獄は社会の屑が行き着く最期の墓場で、ひとたび収監され恩赦、脱獄を含めて生きて出所した者は皆無。国際信用力の強化を図る帝国政府の基本政略に基づき、越境犯罪者がどんな悲惨な末路を辿るかという見せしめの意味でも、ドルン達には最も重い無期刑が宣告されるのは間違いない。
「空賊稼業に手を染めたのは紛れもなく私たち自身の意志だし、犯した罪は何時か償わなくちゃいけないと思う。だけど」
 元々は長兄を欺いた詐欺師みたいな法で裁けぬ悪党共から汚れたミラを頂戴する鼠小僧のような義賊を目指していた筈なのに、頭領の鶴の一声によって何ら迷惑を受けた訳じゃない他国にまで流れてくる羽目となった。
 この時にはもうドルンは洗脳済み。計画の歯車の一部として、一家の指針は大きく歪められていた。
 未だに顔も名前も思い出せないが、唯一つ忘れようもないあの女の自らの手を汚すことなく他者の弱みにつけこむ蛇のような性質は何一つ変わっていない。
「その糞野郎にとってはもうあたし達は用済みで、後がどうなろうと知ったこっちゃないんだろうけど、そんな奴の都合でやらされたことにまで責任を取らされてたまるか!」
 キールは悔しそうに唇を嚙み、ジョゼット達はしんみりとした表情を見合わせる。
 彼らの普段の温さからして、主張した心意気に嘘はないだろう。蛇女に対する被害者としての同情もあったので、機会を与えることにした。
「もし、一つ私の頼みを聞いてくれるのなら、ここから抜け出すチャンスをあげましょうか?」
 そのヨシュアの大胆な提案に、一堂は騒めく。
 本来なら一笑に付す所だが、この牢内に入り込んだこと自体、何らかの脱出方法を裏付ける証明である。この得体の知れない琥珀色の瞳の少女の無謬性は嫌と言うほど思い知らされているので、真面目に耳を傾けることにする。
「別に大した条件じゃないわ。あと一時間程したら、この牢の鉄格子が全て開錠されるから、研究棟にいるエステル達にメッセージを伝えて欲しいのよ」
 自由の代償としてどんな無理難題も受け入れるつもりだったドルン達にとって、実に拍子抜けするぐらい簡単な要求。ついでのサービスとして、飛行艇のエンジンを起動させる導力キーまで手渡してくれた。
 警備飛行艇を奪って逃げるルートも検証してみたが、老体の博士を護衛しながら無事に辿り着ける確率は低かったので、こちらは気前良くキール達に提供して、自分らが本命の秘密の抜け道から脱出するまでの囮役を務めてもらうつもりだ。
「これがあれば、発着所に泊めてある飛行艇を動かせるようになるわ。飛行機の操縦はお手の物でしょ?」
 一見、至れり尽くせりのサポートを施す少女の営業スマイルを、キールは胡散臭そうに見下ろしたが、この場では無言を貫いた。
 どうやら、ジョゼットの恋敵もここにいるみたいだ。あの裏表のない真っ直ぐな坊やと異なり、計算高い少女の持ち掛けた話だから何か落とし穴があるのだろうが、他に選択の余地はない。また、ヨシュアも別段リスクを隠すつもりもない。
「予め断っておくけど、貴方達が飛行艇まで到着できる公算は限りなくゼロに近いわよ」
「上等よ。以前に主張したように、手札がブタだとしても降りられない時があるのよ。こちらのベットは既に底をついているし、相手の持ち札がブラフであるのを期待するだけよ」
「そう、なら幸運を祈るわね」
 最後にこの先に武器保管庫があるのでそこで押収された得物は補充できる旨を伝えると、ヨシュアは赤い小さな粒を不味そうに齧りながら出現した時と同様に忽然と姿を消して、ドルン達は眼を擦る。
 やはりというか牢内のどこにも抜け穴などない。儚く消え去った堕天使の少女が集団幻覚でないのはキールの手元に残された導力キーの重みが立証していたが、その彼女が何ともいえない表情をしている愛弟に忠告する。
「ねえ、ジョゼット。余計なお節介だろうけど、あの娘は止めておいた方が良いわよ。どう考えても、あんたに手に負えるような玉じゃないでしょ?」
「な、何を言っているんだよ、キー姐? 僕は別にヨシュアのことなんか……」
「そういうツンデレじみた態度は、男がしても可愛くないわよ。そもそも脳筋兄貴に較べてスタートラインからして不利なポジションにいるのに、自分の気持ちにすら正直になれないようじゃ勝負にもなりゃしないわよ」
 実姉のもっともな指摘にジョゼットは赤面し、周囲からドっと哄笑が沸き起こる。空賊砦でお縄になってから、一家の面々に笑顔が戻ったのは本当に久しぶりだ。

 それから、きっちり一時間後。
 中央制御室の担当の兵士がヨシュアの魔眼で操作され、地下牢の全てのロックが外されて、カプア一家はおろか他の受刑者まで開放される。
 要塞にいる膨大な兵士の数を考慮すれば、二十人弱のドルン達だけが蜂起しても瞬く間に鎮圧されてしまうので、百人を超す囚人全員の暴動が不可欠だったからだろうが、律儀にもヨシュアとの口約束を尊守したジョゼット達は態々研究棟に寄り道しエステルと再会して、今の時に至る。

        ◇        

「交換条件も済んだことだし、そろそろ出掛けるわよ」
 狭いプレハブ小屋に大人数で押し入ったカプア一家はヨシュアからの伝言をエステルに託すと、世間話する暇もなく全員が得物を装着して王国軍が待ち構える中庭に討って出る。
 シード少佐の極大魔法(グランストリーム)により大部分の囚人が無力化し、反乱の帰趨は定まったように思えるが、だからこそ、さっきまで死に物狂いだった兵士の空気が弛緩しており、キール達にもつけ入る隙があるそうだ。
「ドルン兄さん。導力砲の設定は非殺傷にしておくようにね」
「おうよ、これ以上罪を重ねるつもりはないからな。いくぞ、野郎ども!」
「「「「「「「がってんだぁー!」」」」」」」
 キールが複数の発煙筒を放り投げて視界が塞がった刹那、ドルンの大型導力砲が各所に炸裂。兵士たちは浮足立ち、その隙を逃がさずにカプア一家は一致団結し飛行船発着所を目指す。
 飛行船は導力キーがないと飛ばせない故、王国軍の守備意識は湖に直結する波止場方面に集中している。比較的警戒が手薄だった発着所へのルートが強行突破されるが、戦力比を鑑みるとジョゼット達の劣勢は免れない。
 彼らが再び自由を掴み取れるのかは、まさしく神(エイドス)のみぞ知る所。

「さてと、それじゃ俺たちはヨシュアの言伝て通りに、要塞司令室を目指すとするか。博士、ティータ、打ち合わせ通りに頼むぜ」
「はいですよ。けど、悪逆非道のハイジャック犯と聞き及んでたですけど、ちゃんとヨシュアお姉ちゃんとの約束を守るあたり、意外と良い人達みたいですね」
 根は悪い奴らでないのは確かだが、遊撃士としての立場上、既決囚に肩入れする訳にもいかないのでエステルは黙秘する。
 ただ、終始無言で俯いていたジッゼットが妙に敵意全開でこちらを睨んでいた理由は、朴念仁のエステルにはさっぱり思い浮かばなかった。

        ◇        

「怪しい奴、止まれっ…………て、ラッセル博士?」
「ご無事でしたか?」
 要塞司令棟の中央入口を見張っていた守衛役は、脱走騒ぎのドサクサで迂闊にも失念していた老人の存在に驚きの声を上げる。
 二人の兵士に挟まれ、手錠を掛けられた博士の胸元には、赤い帽子を被った少年が涙目で取り縋っている。
「あ、あの、ラッセル博士、その子供は……」
「情報部の奴らが頑固なご老人に我が儘を言わせない為に浚ってきたお孫さんだとよ。とりあえず司令室まで連れて行けとの命令だ」
 リベール正規軍の紋章が入った軍帽を深めに冠った長身の兵士がそう明かすと、博士はクワッと眼を見開いて思いっきり罵倒する。
「ワシはおろかこんな年端もいかぬ孫まで拉致しおるとは、この人の皮を被った鬼どもめが! 市民を守る王国軍はそこまで腐り果てたのか?」
「ひっく……ひっく……、おじいちゃん、恐いよぉー。お家に帰りたいようー」
「大丈夫じゃ、ティータ。このワシの目が黒い内はお前に指一本触れさせはせんからな」
 激しく泣きじゃくる幼子を前にして、自分たちの行いに疚しさを感じていた兵士らは後ろめたそうにラッセル祖父孫から顔を背ける。
 結果、命令の内情も護送役の兵士の顔も検めないまま、司令棟内部へと素通りさせてしまう。

「上手くいったみたいだな」
 同じ手口で館内にいる兵士を煙に巻いた一行は、廊下の角を曲がり切ると博士とティータを戒めていた偽装を解く。ヨシュアに匹敵する嘘泣きスキルを所持するお子様は、「ドキドキしちゃいました」とカラッとした笑顔を覗かせる。
 守備隊長のシード少佐のようなお偉方のご尊顔ならともかく、数百人を数える駐屯兵がお互いの顔を全員分認識し合っている筈もないが、少し注意力を働かせれば未熟なエステルや女人のアガットの変装など楽に見破られただろうから、純朴な兵士達の良心を刺激する幼子は色んな意味で今回の攻略に欠かせないキーパーソンだったようだ。
「しかし、ヨシュアの奴、ジョゼット達に導力キーまでプレゼントして俺らを軍の中心部に招き寄せるとは、どういう脱出の算段を巡らせてやがるんだ?」
「ふんっ、あの小娘の考えることだから、そのあたりは万事抜かりはないだろう。どうせ、さっきの空賊たちは捨て駒として利用されたんだろうぜ」
 貶しているのか褒めているのやら判らない会話を交わしながら司令室の前まで来ると、不用心にも半分程開いた扉の隙間から切羽詰まった声が聞こえてきた。
「ふーう、随分と手間取らせてくれたが、もう後がないぞ、ヨシュア君?」
「お、お願いです、見逃してください、シード少佐」
「私の陣地をこれだけ好き放題荒らしておいて、そんな甘い命乞いの嘆願が通る筈はないだろう? これで終わりだ」
「いやぁー!」
「ヨシュア!?」
 シード少佐とのタイマンにヨシュアが破れたのだろうか?
 市長亭に次ぐ義妹の窮地じみた悲鳴にエステルはドアを蹴破って室内に乱入するが、目の前の光景に「ありっ?」と小首を傾げる。
 二人は指令机を挟んで軍人将棋で対戦中。たった今、総司令部がシード少佐の大将駒に占拠されて、ヨシュアはガックリと肩を落とした所だった。
「もう何なのよ、この運ゲーは? 初期配置の地点で九割方勝敗が決しているじゃないの!」
「ふふっ、敗者の泣き言は見苦しいぞ、ヨシュア君。迂闊に虎の子の大将を動かして、地雷を踏んでしまった君の失態だよ」
 「クソゲーよ、クソゲー!」と喚く少女を前にして、良い歳こいた大人が澄まし顔で勝ち誇る。
 本来、このボードゲームは駒の強弱を図る審判役の第三者が必要なのだが、導力仕掛けの特注将棋盤には全ての駒に導力チップが仕込まれていて、勝敗を自動判定する機能が備わっており二人だけで遊ぶことが可能。
 マイナー故に既に生産中止になったユリアやカノーネのようなマニア涎垂の世に百台と存在しない幻の骨董品(アンティーク)だそうで、王都のオークションで五万ミラも叩いて競り落とした。
「なあ、ヨシュア。お前ら、一体何をやっているんだ?」
 エステルでなくても反応に困っただろうが、ラッセル博士の処遇で少佐と折り合いがついたので、ティータ達がここに来るまでの暇潰しをしていたとヨシュアはあっけらかんとした態度で報告する。
「強者(もののふ)同士が剣と剣で語らい、互いを認め合い、そして芽生える友情。そう、私たちは分かり合えたのよ」
 両手の掌を胸部に重ねてヨシュアはキラキラと瞳を輝かせるが、腹黒完璧超人の戯言を鵜呑みするようなお目出度い面子はこの中にはおらず。何よりもシード少佐の引き攣ったような笑みが、この場で繰り広げられたであろうエゲツない駆け引きの数々を克明に物語っていた。

        ◇        

「はああっ、たあっ!」
 長剣を振り回すシードを、ヨシュアはマインゴージュ宛らの双剣の捌きで受け流す。
 遮蔽物のない狭い室内でのバトルはあまり隠密者向きではない上に、このハンサム士官の腕前はタイマン特化型の剣狐に較べても、さほど遜色ない。
(マトモな条件で戦り合ったら、かなり分が悪かったでしょうね。けど)
 鋭い観察眼を備えるヨシュアであるが故に数合渡り合っただけで気づいてしまう。
 激しい剣撃を絶え凌ぎながら、両目を真っ赤に光らせて魔眼の能力でメディカルチェックすると、案の定、左肩のあたりに炎症を起こしている。
(あらあら、痛みを顔に出さないように痩せ我慢しているけど結構な重傷ね)
 得物を握る利き腕と逆側のダメージなので、そこまで大勢に影響はないように思われるが、ボディーバランスは戦闘では大事な要素。それはミクロン単位の振り子の比重が勝敗に即直結する達人同士であれば尚の事。
 これが熱血馬鹿のエステルならば、ハンディを抱えた相手を追い詰めるのを潔しとせずに日を改めるか。もしくは、自分にも似たような自傷を加えて、「これで互角の条件だ」とか馬鹿な真似……もとい騎士道精神に走ったりするのだが、漆黒の牙の場合。
(ラッキー、それじゃ遠慮なく、弱点を攻めさせてもらうわね)
 傷口に指先を突っ込んで更に深く抉るように、嬉々としてシード少佐の左肩のあたりを狙って攻撃を集中砲火する。
 何時どこで彼が負傷したかは知らないし、その経緯にも全く興味はないが、少しはこちらに有利なサプサイズもなくては不公平。せっかく得たアドバンテージを最大限つけ込ませてもらうとしよう。
「くっ!」
 好守が完全に逆転し、左肩を庇う度に激痛が走り脂汗が流れるが、それでもへこたれずに能面を維持しようとする。
(この娘、明らかに私の負傷箇所を把握している?)
 少女の意図を明確に悟り、心なしか興醒めする。
 勝利を至上とする職業軍人である以上、その行いを卑怯と罵るつもりはないが、この瞬間、闘いを通じて互いが分かち合う可能性が無へと消失した。

 状況はヨシュア優勢に傾いたが、この手の職務に忠実そうな衛士はあまり追い詰めると予想外の力を発揮したりするので厄介だ。
 昔から君子いわく「城を攻めるは下策、心を攻めるが上策」とあるので、無理に力で捻じ伏せるよりも、心を折る方向へとシフトする。一旦距離を稼いでインターバルタイムを設けると、お誂え向きに敵側から会話を試みてきた。
「その年齢での技量は正直驚嘆に値するが、自分が何をしでかしたか判っているのか? ここに捕らえられている君が開放した囚人たちは市民の安全を脅かす凶悪犯ばかりなのだぞ」
「あらっ、誘拐犯が犯罪者を管理するなんて、チャンチャラ可笑しいわね。ラッセル博士は一体どんな罪状で、この要塞に繋がれているのかしら?」
 素朴な問題提起をヨシュアはせせら笑う。痛い所を突かれたシードは痛痒によらず初めて表情を歪めるが、ここに忍び込んだ少女の真意は諒承した。
「そうか、君の目的は博士の救出か?」
 ヨシュアはその質問には答えずに、再度ラッセル博士を拘禁する法的根拠を問い掛ける。このような状況でも軍人としての責務が勝るのか、「軍事機密だ」の一点張りで守秘義務を行使したが、その模範回答によりヨシュアは最悪のカードを発動させる。
「そう、これはアリシア女王の意志なわけね?」
「なっ?」
「王国軍の指揮権は全て女王陛下に帰属する以上、他に考えようがないわ。かつての博士との専守防衛の誓いを反故にし、大量破壊兵器を造らせてエレボニアに復讐戦を企図する為に孫を人質にして無理やり従わせたと。名君として名を馳せ暴君に終わるのが世の君主の習わしとはいえ、あの聰明な陛下がここまで判断を鈍らせるとは老いによる衰えとは恐ろしいものね」
 国家侮辱罪に該当する超推理ではあるが、表面的な事象を見比べると一つ一つの論拠には微妙に筋が通っている。あまりに予想の斜め上すぎる切り返しに、シードは唖然とする。
「だとしたら、あなたのような下っ端と掛け合っても埒が明かないわね。陛下に直接お目通りして直談判しましょう」
 ヨシュアは双剣を太股のベルトに仕舞い込むと、クルリと背を向ける。
 完全に少女のペースに巻き込まれた少佐は一瞬茫然自失に陥るが、直ぐに我に返って剣の切っ先を無防備な細身の背中に突き付ける。
「待て、そもそも、ここから逃げられると思うのか?」
「逃げられるわよ。だって、私はこんなスキルを保持しているのだから」
 その言葉と同時に目の前から少女の姿が一瞬で消失する。次の刹那、真後ろにある剥き出しの隠し通路の奥からコツコツと階段を駆け上る音が聞こえ、シードは眼と耳を疑った。
「馬鹿な、有り得ん」
 薄暗いトンネルの奥からヨシュアが再出現したが、どれほどの超スピードで動いたとしても彼がその動きを見落とす筈は無く、瞬時に別の場所に転移したとしか思えない。
「瞬間移動(テレポーテーション)か?」
「そうよ、今からグランセル城の女王宮まで跳んでアリシア女王に面談して、直ぐさまここに戻ってくるのも可能よ」
 余裕綽々な涼しい顔で、平気で嘘八百を並び立てながらシードをさらに追い詰める。
 既にCPを遣い果たしたヨシュアは、あの不味い果実のお世話にならない限り再テレポートは出来ないし、最大ワープ距離も微々たるもの。
 本来切れ者のシードは落ち着いて思考すれば、所々に綻びが見え隠れする少女の荒唐無稽なハッタリに気づいただろうが、その猶予を与えずに最後通告を突き付ける。
「そうだ、私はこれでもクローディアル殿下とは懇意にしているし、彼も錯乱した祖母の変化に心を痛めているだろうから、私が女王を暗殺し後継を彼に託せば陛下の名誉も守られ、リベールも新たな若き宗主の手に委ねられて全て丸く収まるじゃないの」
 ヨシュアはニコニコと微笑みながら、名案でも思いついたようにポンっと両手の掌を合わせて弑逆を示唆する。
「一分後には陛下の嗄れた生首を持参して、ここに戻ってくるから待っていてね。これであなた達も望まぬ任務に従事する必要もなく万々歳でしょ? それじゃ、ばいばー」
「待て、今回の博士の幽閉に陛下は何の関係もない。全てはリシャール大佐に率いられた単なる一機関の暴走だ!」
 シードは抗戦の意志無しを証明する為に剣を鞘に収めると、必死に呼び止める。
 これが己の身命への恫喝であれば決して屈することはなかったが、国主の身を盾にされては如何ともし難く。既に王国軍が情報部に牛耳られている現状を訴え、モルガン将軍の軟禁や軍高官の粛清などの内部情報を洗い浚い暴露する。
「なーんだ、ちゃんと話せば分かり合えるじゃないの、私達。もうしばらくしたら私の仲間が博士を連れてここに訪ねてくるけど、あの穴から抜け出るのを見逃してくれるわよね?」
 きちんと女王への暴言の数々を撤回し謝罪した後、少女は馴れ馴れしくシードの肩口に手を振れると、水の回復アーツを唱えて自ら悪化させた左肩の炎症をマッチポンプのように治癒しはじめる。
 「今のは対話でなく脅迫というのだ」とシードは内心で思ったが、その憤りの感情を押し殺して名を問うてみる。「ヨシュア・ブライト」との真名に軽く得心する。
「そうか、カシウス大佐の娘か。それなら常人離れした技能や交渉術にも納得だな」
「私は単なる養女ですけど、実子の義弟は私すら足元にも及ばない大人物ですよ」
 底意地の悪いヨシュアは、勝手にエステルのハードルを引き上げる。そんな凄腕の姉弟が要塞に潜入した地点で、この顛末は必然なのだと少佐は思い込んだが、こうまで一方的に弄ばれたままでは立つ瀬がない。何か一矢報いる手段はないかと周囲を見回すと、変事が起きるまでベルク副長とプレイしたままデスクの上に放置されている軍人将棋のセットが目に入った。
「ヨシュア君といったね? 不幸な行き違いで深まった溝を取り除き親睦を深める為に博士や君の義弟が来るまでの間、少し遊戯と洒落こまないか?」
 かくしてシード少佐は言葉巧みに素人を誘い込むのに成功。ルールを覚えたばかりのビギナーを士官学校の大会での優勝経験もある熟練者が手加減抜きで叩きのめす極めて大人気ない手段で溜飲を下げるのだった。

        ◇        

「何か義妹が色々と迷惑をかけたみたいで、申し訳ないです」
 エステルは左手でヨシュアの頭部を無理やり押し下げて、バツが悪そうに懺悔する。
 小悪魔的なたった一人の少女に要塞の秩序が目茶苦茶に蹂躙されたのは事実だが、彼にしてもリシャール大佐の専横を止められずに博士を見殺した。その天罰が下されたのだろうと難儀な性格の少佐はこの先に待ち構える苦難の数々を全て罪滅ぼしとして受け入れる覚悟。
「ふんっ、そういう事なら、今までの無礼な態度は水に流してやろう」
「恐縮です、ラッセル博士。穴は王国旗でも飾って誤魔化すので、直ぐさま脱出を……って失礼」
 博士への非礼を詫びると、少佐の腰にぶら下げたトランシーバーが振動する。現場にいる腹心のベルク副長からの緊急連絡である。
「私だ。何だって? カプア一家の頭目格の三人が飛行艇を奪っての逃走に成功しただと!?」
 更なる心労の加重を約束する部下からの報告にシード少佐は大声を張り上げて、「やるわね」とヨシュアはヒューっと口笛を吹く。
「おい、ヨシュア。これも全てお前の計算の内か?」
「まさか、ここに忍び入ってからの私の起算は狂いっぱなしだし、難攻不落のレイストン要塞の警備体制を甘くみないことね」
 基本的に囚人たちの脱獄成功率は0%だったので、ヨシュアは安心して解き放ったそうだが、ある条件化に置いてのみコンマ数パーセントの可能性が芽生える。
 それは一部の者が自らの脱出を諦めて、他者を逃がすための捨石となることだ。とかく軍事的な作戦は全員生存を目指すと極端に難易度が跳ね上がるが、予め切り捨てるべき死兵を設けておくと驚くほど達成率が上昇する。
「とはいえ、人はそうそう赤の他人の為に捨て身になんかなれないわ。ましてや、ならず者達に自己犠牲を求めるのは無理でしょうし、正直ジョゼット達が脱出できるとは思わなかった」
 カプア一家の団結力の高さは重々承知しているが、人間同士の信頼関係は土壇場の修羅場でこそ真価を問われるものである。終身刑がチラつく中で本当に我が身を生贄にできるとは、その忠義心には素直に感服するしかない。
「シード少佐には悪いけど、ここは潔く健闘を称えてあげましょう」
 その守備隊長殿は何か言いたそうな眼でヨシュアを睨んだが、この場では何とか堪える。要塞に駐屯する警備飛行艇を全機投入して、キール達を追いかけるように命令する。
「なら、俺達もそろそろ行くとするか」
 捜索の人手が空の上に集まれば、地上に潜伏するエステル達の逃走は更に容易になる。この場に長居するほど少佐のヨシュアへの心証が悪化する一方なので、彼の堪忍袋の緒が切れない内に別れの挨拶を交わすと、次々に秘密の抜け穴へと飛び込んで行った。

 かくして飛ぶ鳥大いに後を濁して、レイストン要塞を脱出した一行は無事にラッセル博士の救出作戦を成功させた。
 ただし、これは終わりでなく、王都を舞台にした未曽有の大攪乱の始まりの狼煙に過ぎないことを二人は博士の口から告げられることになった。



[34189] 18-00:要塞始末記(ツァイス編エピローグ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/29 06:22
 レイストン要塞から、一機の警備飛行艇が夜空へと羽ばたく。
 後部ハッチを閉める間もなく管制官の指示抜きで離陸したこの船は、正規の手順で飛ばされたわけではない。カプア一家に再ハイジャックされたのだ。
 もっとも、乗員は僅か三人。混乱した発着所では、十数人の囚人が身体を張って、数倍の兵士の進行を必死に食い止めている。剥き出しの後部部分から男二人が身を乗り出して絶叫する。
「うおおお! お前らー!」
「キー姐。戻ってよ、まだ皆が」
「今はとにかく逃げるのよ、ジョゼット、ドルン兄さん。私たちまで捕まったら、自ら足止めに残ったあいつらの想いが全て無駄になるわ!」
 操縦席に跨がって導力キーでエンジンを始動させたキールは、非情だが正しい判断で艇をスクランブル発進させ、未練を断ち切るようにハッチをクローズする。
 仲間が次々と捕縛される悪夢の光景が、分厚いシャッターに遮断される。ドルンは号泣しジョゼットは放心したように膝をつくが、姉に叱咤される。
「直ぐに追手が来るわよ! 手伝って、ジョゼット」
 横窓から下界を覗き込む。もう人は豆粒程の大きさにしか映らないが、管制塔がチカチカと点滅しているが分かる。キールの予測通りに他の警備艇を飛ばす準備に入っているのだろう。
 涙を拭いて精神のチャンネルを切り換えると、「必ず助けるから、待っていて」と自らに誓いを立て、助手席に座り込んで各種計器類を操作しパイロットを補助する。
「ほおら、おいでなすった。ヴァレリア湖を突っ切って、最短距離で国境線を越えるわよ」
 エレボニア帝国の空域に逃げ込んでしまえば、国際協定上、リベール正規軍にはそれ以上の追撃は不可能になる。
 その暁には一難去って、次は帝国憲兵に追われる立場となる。国事犯のカプア一家にとって祖国はもはや安息の地ではないが、今は目の前の窮地を遣り過ごすのに手一杯で、後日の厄介事まで憂慮する心の余裕はない。
 カルガモの親子のように五機の警備飛行艇を引き連れながら、発泡示唆による停止警告をひたすらシカトし、カプア三兄弟を乗せた強奪艇は五大地方全てと接するヴァレリア湖上空を通過していった。

        ◇        

「以上が、ラッセル博士の救出クエストの顛末です」
 翌朝、遊撃士協会ツァイス支部に戻ってきたエステルとヨシュアの二人は、受付のキリカに非公式に報告する。
 王国屈指の要害堅固な城塞を相手取ったリベールの頭脳ともいうべき博士の奪還作戦は、本来なら定期船失踪事件クラスの高難度クエストに該当する。
 ただし、キリカが非合法な手段で軍事施設の設計図を入手したように、諜報能力に秀でた情報部がギルドの内部資料を参照できないとも限らないので、あくまでオフレコ扱いで報告書を本部に提出するのは見送られた。
 何時か仇敵が解体された時こそ、今回のエステル達の功績が日の目を見ることになる。
「それで要塞から脱出した後、全員で話し合ったのですが、ラッセル祖父孫がこの先も狙われるのは間違いないので、アガットさんを護衛に一時身を隠すことになりました」
 博士は中央工房すら存在を把握していない秘密の工房を隠し持っているそうだが、敵軍の影響力が色濃いツァイスに留まるのは危険。エステル達の故郷ロレントへ夜逃げが決定した。
 ジョゼット達が副業で寄り道しただけの黒幕の影が最も薄かった平和な田舎町で、シェラザードのように話が判る頼もしい協力者もいる。
 現在のブライト亭はたまにお酒目当ての風来人が仮宿するだけの空き家状態なので、合い鍵を手渡して隠れ家として生活してもらうつもりだ。
「人が住まない家屋はどうしたって痛むから、ちょうど良かったわ。あそこは導力とは別原理の警備システムで侵入者を事前に察知できるし、便利な導力グッズに頼りきった連中にはまず見つけられない地下の秘密部屋も完備されているしね」
 S級遊撃士として敵が多いカシウスは伊達や酔狂で市から遠く離れた緑地に一軒家を構えていた訳ではない。忍者屋敷のようなアナログ改造が施されているそうだが、エステルには初耳だ。
「シェラ姐も当然知っていただろうし、結局、また俺だけ真相からハブにされていたのかよ?」
「あら、私もシェラさんも自力で探し当てたのであって、別段父さんから贔屓されたわけじゃないわよ」
 ヨシュアは澄まし顔でそう開き直る。実の父親からも秘密主義の除け者にされて嫡子としては面白かろう筈はないが、生まれ育った魔伏殿の正体に気づかない当人の観察力にも問題があったので堪えることにする。
「はい、これがブライト宅の裏見取り図よ。ティータや博士なら問題なく使いこなせるでしょ?」
「ありがとです、ヨシュアお姉ちゃん。ご恩は一生忘れないです」
 嘘泣きコンビの片割れが、偽りでない涙を零してハグし合って、一時の別れを惜しんでいる。傍目には美しい光景であるのだが、幼子を帽子越しにナデナデしている時の義妹の妖しい瞳が気になって仕方がない。
「これから長い間住む事になるから、特に地下室には慣れておいてね」
 とかウキウキしながら口走っていたが、それはどういう意味だろうか? まさかお気に入りのティータをそのまま拾ってきた捨て犬みたいに地下で隠れて飼うつもりだったとか、いくらヨシュアでもそんなことは……。

「それでキリカさん。お願いがあるのですが、ツァイス地方の登録を一旦取り止めてもらえないでしょうか?」
 別れ際のシーンを回想し、疑心暗鬼をルフランさせたエステルを無視して、ヨシュアは更に話を進める。
 二人がティータ達の逃亡を直接手伝わずに慣れ親しんだ実家に一緒に戻らないのは、修行中の身の上ということもあるが、ラッセル博士から重大なクエストを請け負ったからだ。
 何とアリシア女王に直接面談して、ゴスペルの存在を伝えて欲しいとのこと。
 任意に導力停止現象を引き起こすのを可能としたリシャール大佐が王都で何を成そうとするのか、博士はその動機に心当たりがある。
 内容については、国家規模の機密事項とのことで話してくれなかったが、二人に否応ある筈もない。本来なら見習い期間中に修行場を変更するのは好ましくないが、状況が状況だけに一刻も早く王都に行く必要性に迫られ、それがキャンセルを申し入れた理由。
「一連の事件が解決したら、必ずツァイスに戻って修行を遣り直しますので…………」
「その心配には及ばない」
 話を聞いたキリカは途中でヨシュアの嘆願を遮ると、受付の引出しから二通の封書を取り出してデスクの上に置いた。
「ツァイス支部からの『正遊撃士資格の推薦状』。だから、ここに帰る手間も登録を破棄する必要も無し」
 無表情に推薦状を翳したキリカを前に、ここ最近計算外のハプニングに悩まされるヨシュアは更なる困惑を隠せない。
「あの、キリカさん。私達のブレイザーズ・ポイントは、まだ規定の目安の半分ぐらいにしか達していなと思うのですが?」
 ロレントの時と似たよう遣り取りが再現されるが、アイナと異なり縁故される義理もない。たんまりBPを稼げたであろう例の救出クエストは書類上決済されないので尚更不可思議だ。
「私は自分の定めた掟にしか従わない。推薦状の裁定は受付に一任されているし、その見習いが既に正遊撃士として活動可能な能力を備えているなら即日渡しても良かった」
 しかし、レマン自治州にあるギルド総本山から、もう少しTPOを弁えて欲しいとの苦情がきたので、空気を読んで一ヶ月ほどは発行を控えることにした。
 いずれにしても、今回のヤマと関係なく近日中に手渡すつもりだったそうで、二人が初めてキリカと出会った日の「合格」との摩訶不思議な呟きはそういう意味だったみたいでヨシュアは嘆息する。
「なるほど、これはまた、えらく厳しい受付もいたものね」
「何でだよ、ヨシュア? BP完全度外視とか、どう考えても今までの支部の中でも一番簡単な査定じゃねえかよ?」
「逆よ、エステル。一見お買い得に思えるけど、裏を返せばキリカさんの正遊撃士基準を満たさない場合、どれだけの期間を費やしても一切の温情抜きで推薦状は発行されないということよ」
 このヨシュアの指摘は正しい。二年前に彼女が赴任してからのツァイス支部は、直ぐさま推薦状を手にする者と一年近く燻り挫折する者に二極化されて、ギルドから『冷徹な門番』と恐れられることになる。
 その独自審査法が祟り、基本的に自治を尊重し受付の方針に介入しない総本部から指導が入るという異例の事態まで引き起こしたぐらいだが、キリカの御眼鏡に適った若手遊撃士は皆即戦力として活躍しているので、その目利きは確かなのだろう。
「あー、なるほど。そういえばアネラスさんが、ツァイスの受付のおばさんは厳しくて半年も掛かったとか愚痴を…………」
 エステルは最後まで言い終えることは出来なかった。彼女のダブダブの左袖の下に隠されていた『偃月輪(えんげつりん)』がエステルの頭上を掠めて、髪の毛数本の犠牲と共にコンクリートの壁に深々とめり込んだ。
「この至近距離から的を逸らすとは、受付業務にかまけて私の腕も随分と鈍ったようね」
「今のは絶対的にエステルが悪い」
 キリカはそう韜晦したが、この棘がビッシリ詰まった円盤のふざけた破壊力を鑑みるにこんな凶器が顔面に突き刺さったら頑丈なエステルとて大怪我では済まされず、警告として態と外したのだ。
 エステルの額からつーっと血が滴り落ちてきて、未だに心臓はドクドク波打っている。ヨシュアは全面的にキリカの味方をしており、妙齢の女性の年齢を揶揄するのはタブーであるらしい。
 かくして最後に一悶着あり、エステルはキリカの心証を幾分か害したものの、それを口実に推薦を取り下げるような、かつてのルーアン受付みたいな公私混同な真似はしなかった。二人は中央工房などの世話になった人達に挨拶まわりをしてから、ツァイスを旅立つことにする。
 後で良く考えてみたら、これはクールビューティーな東風美人の初めての感情露出かもしれず、それを引き出したエステルもまた只者ではない証明なのかもしれない。

        ◇        

「昨夜は随分と派手なパーティーを催していたようね、シード少佐」
 暴動の事情徴収の為にレイストン要塞に派遣されたカノーネ大尉を前にして、シードは恐縮した風で自分よりも年齢も階級も低い女士官相手に礼を尽くす。
 情報部はこれから王都で始まる計画の準備で忙しく更迭や軍法会議は免れたものの、その対価として口開け一番に姑のような厭味節の女狐の相手をせねばならなかった。
「カプア一家がラッセル博士を人質に警備飛行艇を奪って逃走し、その飛行艇は国境線付近のクローネ山道に墜落したと。この報告に誤りはないですね、少佐?」
「事実だ」
 シードは澄まし顔で嘘八百を並べ立てる。
 アガット達と逃走した博士の行く先を目眩ます意味でも、ドルンらに余罪を押し付けることにした。兵士はおろか再逮捕したカプア一家の虜囚にも箝口令を敷いたのでばれる心配はないと信じたいが、猜疑深い副官は早速、ねちっこい視線を守備隊長に注いでいる。
「博士も搭乗している船を撃ち落とすとは、随分と大胆なことをなさったわね?」
「発砲したのは、貴殿らの増援隊だ!」
 シードの命令は威嚇射撃に終始していたが、ハーケン門から駆けつけた特務飛行艇は帝国領に逃がして禍根の種となられるより撃墜する道を選んだ。
 半壊した飛行艇内部はもぬけの空。死体が見つからなかったことから三兄弟の生存は確実だが、峠の守備隊総出で山狩りを行っているのにキール達の行方は未だ不明のまま。
 状況がこうなってしまった以上、博士の秘事を守り通す為にも軍人としては真に遺憾だが、ジョゼット達が逃げ切るのを祈るのみである。

 この後も自らの職務に忠実な大佐の腹心から、ネチネチとした質問責めに遭ってウンザリしたシードは、いい加減お引き取り願えるよう飴と鞭を用意する。
「どうやら人手が足らないようだし、この際、帝国政府に応援を頼むのはどうでしょうか? 元々カプア一家はあちらの犯罪者だし、喜んで軍を派遣してくれると思いますが?」
 その少佐の一言に、今まで上から目線でゆとりに溢れていたカノーネの表情がはじめて強張った。
「何を仰いますの? これはわたくし達、王国軍で解決せねばならない問題です!」
 軍事クーデターを企むこの大事な時期に帝国軍などに国内に乱入されてはたまったものではなく、口酸っぱく警告する。
「博士と脱獄犯の捜索は情報部の方で引き継ぎますので、あなたはくれぐれも余計な真似はしないように。でないと……」
 カノーネはその先は敢えて云わなかったが、何を主張したいかは判っていた。
 家族を人質に取られて、沈黙を強いられた高級軍人は何もモルガン将軍のようなお偉方に限った話でない。彼のような重要ポストにいる中間管理職クラスにまで魔の手は伸びているのだ。
「了解しました。ところで、リシャール大佐に届けて欲しい逸品があるのですが」
 今の苦境の立場で精一杯の脅しをかけた後、例のアンティークの軍人将棋セットをチラつかせたら、瞳をキラキラと輝かせたカノーネはあっさりと買収されてルンルン気分で要塞を後にしていった。
 悪女ぶりなからも意外と乙女思考な副官は「これで審判役の第三者に邪魔されずに、密室で閣下と二人っきりでプレイできる」と薔薇色の未来に心をときめかせていた。
「何とか誤魔化せたようだが、その代償は高くついてしまったな」
 思惑通りに何とか女狐を追い払ったシード少佐だが、二度と入手不可能な虎の子の家宝を手離す羽目になってしまい、このような損な役回りを押しつけた黒髪の少女への恨めしさの感情を抑えるのは難しかった。

        ◇        

「そうか、王都に旅立つのか?」
「はい、そういうわけで、長い間お借りしていたコレをお返しします」
 要塞の後始末に奔走するシード少佐の苦労を露知らず、挨拶まわりの締めにお好み焼き屋を尋ねたヨシュアは商い中のエジルとカトリアに事情を話して、例のレーダー一式を借りパクすることなくきちんと返却する。
「これで、しばらく激ウマお好み焼きともお別れだし十枚程頼むぜ、エジルさん」
 熱心な常連客だったエステルは最後の晩餐として大量発注し、鉄板に油を引き注文通りに焼き上げたエジルは意味深な目つきで二人を眺める。
「ヨシュア君、これからとんでもない事件の渦中に入り込むようだし、もし良ければ……」
「大丈夫ですよ、エジルさん。博士の救出にもう十分役立ってくれたし、ここからは私たちの力で頑張ってみますから」
「そうそう、俺らはまだ見習いだし、こんな便利な物に頼りすぎたら、どこからが自分の能力なのか判らなくなっちまいそうだしな」
 ヨシュアはたこ焼きを頬張り、エステルはお好み焼きを踊り食いのように一呑みしながら、エジルの主張を先読みして固辞する。
 この二人になら餞別として無償で託しても良いとエジルは考えたが、長年愛用した商売道具への思い入れを知る兄妹には極小の発信機も重すぎるようだ。
「そうか……」
 やはりこのアーティファクトは、姉弟に必要な代物ではなかった。
 特にヨシュアのような理不尽極まりない怪傑と常々比較されてきたエステルには焦りや憤りもあるだろうに、それでも安直に小道具に頼る近道を潔しとせずに、我が道を貫こうとしている。
(あの時、この少年から感じた希望の光は見紛いではなかったようだ)
 小手先の技量云々ではなく、その心意気こそがまさしく英雄たる者の資質に他ならず、必ずやリベールを覆った暗雲を祓えるとエジルは確信した。

 漢同士が別れの握手を交わしている間、ヨシュアはカリトアからの手紙を預かる。
 王都で屋台を営んでいる婚約者に届けてほしいとのことだが、その時の彼女の言い回しか少しばかり気になった。
「けど、この調子だとフィネルと一緒になれるのは当分先になりそうですね。あの人は負けず嫌いだから、私がこんな大きな店で働いていると知ったら、自分も一国一城の主になるまでは……とか、また意地を張りそうですし」
(他意はない筈よね?)
「そういう子供っぽい所も、可愛いのですけどね」
 とのカトリアの惚気話を聞き流しながらも、嫌な予感がこびりついて離れない。そのヨシュアの不安を助長するかのように、ネットで店の評判を聞きつけた訪問客が「ここが噂のカトリアお好み焼き店か?」とガイドブックを片手に暖簾を潜ってきた。
(エジルさんがクエストの長期出張から帰って来たら、本当に店の看板名が変化していそうな雰囲気よね)
 ツァイスチャンネル掲示板の『エジルお好み焼き店』のスレッドが、Part7から『カトリアお好み焼き店』のスレ名に変更され、そのままPart10まで継続されてのを見かけたヨシュアは乗っ取りが秒読み態勢に突入しているような錯覚を覚えたが、実は単純に経営効率だけを考えれば、夢追人のエジルよりもカトリアに任せた方が家計簿はよっぽど安泰だったりする。
(これ以上、私が横から口出しするのも、一端の大人に反って失礼よね)
 元々エジルにとって店を持つ目標は副次的な要素でしかなく、既に彼の夢は叶っている。子供たちを相手にお安価なお好み焼きを焼き続けられる限りは店主以外の身分でも充足感を覚えるだろうから、後は成り行きに任せることにした。

 こうして方々に別れの挨拶を済ませて、無事にツァイスでの修行を完了させた兄妹は、旅の終着点たるグランセル地方に向けて旅立つことになる。
 ただし、王都で待ち構えるラストクエストは二人の若人の未来だけでなく、このリベールの命運をも左右しかねない大任であるのを薄々察しながらも、数々の修羅場を潜り抜けてきたエステルとヨシュアに胸にもはや臆するところは何もなかった。



[34189] 19-01:魁・武闘トーナメント(Ⅰ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/04/30 00:01
「ふふん、ふんふん、ふーん。旦那様がいない間は、私がこの花壇のお世話をするのー」
 マーシア孤児院のオマセな幼女は鼻唄を口ずさみながら、等身に合わない大きめのジョウロを両手で重そうに抱えて、ハーブ畑に水撒きをしている。
 ルーアン地方のメーヴェ街道沿いに位置する児童福祉施設は別荘地分譲を企むダルモア一派の陰謀により一旦焼き払われたが、その身勝手な野望は遊撃士兄妹の活躍によって阻まれる。
 学園祭の寄付金による再建を承ったメイベル市長は地元の日雇い労働者を用立て連日の突貫工事を行い、つい先日に孤児院は在りし日の姿を取り戻して、その完成式典が執り行われたばかり。
「マノリア村の人たちも良くしてくれたけど、やっぱりここが私たちの家なんだと実感するわ。クローゼお兄ちゃんが王都の用事とかで立ち会ってくれなかったのが残念だけど」
 未来のハズバンドの不在にションボリする。クローゼ御用達のジョウロに頰擦りしながら水やりを継続するが、目の前の畑に大きな影が浮かび軽く小首を傾げる。
 火事で焼け落ちた入口の灯柱も再度、新品が埋め直された。魔獣の筈はないと無警戒に振り返ったマリィは、「ひっ!」と悲鳴をあげて表情を青ざめさせる。
 どうやって隠密効果を掻い潜ったのか、逆光と重なり黒いシルエット化した大型魔獣が真後ろに立ち尽くしていて、ジョウロを取り落としマリィは思わず腰を抜かしてしまう。
「あわわわわ…………た……助け………………へっ?」
 目が慣れると同時に侵入者の全体像が明らかになる。どうやら人間のよう。
 ただし、魔獣と見間違わんばかりの獰猛そうな巨漢で、白と黒の縞模様の囚人服を着ている。同装束の女性と少年を米俵のように両肩に担いでおり、信じられない怪力だ。
「あ、あの、大丈夫でしょうか?」
 片目に傷のある極悪面に怖じ気づきながらも、マリィが恐る恐るそう尋ねたのは、三者とも全身血塗れで大怪我を負っているように見受けたから。人間二人をここまで背負ってきた無茶が祟ったのか、大男は瞳孔を白目に変化させて力尽きて、そのまま前のめりにぶっ斃れる。
「おい、マリィ。今の音は…………って、何だ、こいつら?」
「クラム、今すぐにテレサ先生を呼んできて!」
 庭にいる子供たちの様子が慌ただしくなる。招かれざる脱獄囚の出現に、マーシア孤児院は新たな騒動に見舞われることになった。

        ◇        

「はぁはぁ……なぜ、こんなことになっているんだ?」
 王都グランセルへと続くキリシェ通りを、ジェニス王立学園の制服を着た少年が追手を振り切ろうと身一つで駆け抜ける。
 ルーアンの冒険で奇縁を囲ったクローゼ。旧知のマーシア孤児院を襲った災厄の種とは別に彼自身も窮地の真っ只中に放り込まれている。
「ユリアさんとはあれから連絡が取れないし、親衛隊は謀叛のかどで追われているという。まさか、ここまで大胆に陰謀が進行していたとは」
 クローゼは唇を噛んで、端正な顔を歪める。
 こうなった今、グランセル城はリシャール大佐の手に落ちたと見るべきだろうが、ならばこそ自分まで捕まるわけにはいかない。身分を明かして遊撃士協会(ギルド)に保護を求め、もう一度ブライト兄妹と再会するまでは。
「よし、ここまで来れば…………なっ?」
 大門前の広場まで辿り着いたクローゼは目を疑う。
 雨が降りしきる中、白昼堂々と情報部の特務艇が頭上を旋回している。
 絶えることなく喧騒な王都近辺にまるっきり人の気配が感じられない所からして、外出を控えるよう戒厳令が敷かれている。一国の王子とはいえ、たがだか学生一人を捕らえる為にここまでするとは本当に大佐のやることは徹底している。
「けど、こちらの方か早い。敷地内に入ってしまえば、いくら何でも……」
 飛行艇が中央広間に着陸するには、ホバリングから再旋回する必要がある。タッチの差で門扉を潜れるとクローゼは確信したが、艇後部ハッチが開くと何者かが飛び下りてきた。
「えっ?」
 二十アージュ上空からパラシュート無しでクローゼの正面に落下。片膝をついただけで怪我することなく着地を成功させる。
 この常人離れした体術一つで、仮面の隊長の異常さが十分に伺える。クローゼは唖然とするが、気を取り直して脇差しからレイピアを引き抜く。
「くっ!」
 電光石火、次の瞬間には得物が後ろに弾かれて、無手になる。
 何時の間に抜刀したのか、ロランスの左手に握られた異形の剣がクローゼの喉元に突き付けられている。
(レベルが違いすぎる。何者なんだ、この人は?)
 エステルにすら及ばぬクローゼの技量でアガットさえも瞬殺したレオンハルトと渡り合えばこの結果は必然であるとはいえ、一合にも及ばない短い遣り取りで互いが見据えている剣の理(ことわり)の違いをマザマザと見せつけられ抵抗する意志が萎んでしまう。
「ジェニス王立学園、社会科在籍のクローゼ・リンツ君。これはまた奇な所で再会したものだな」
 後方の広場に不時着した特務艇からリシャール大差がゆったりと降り立つ。レイピアを拾いながら、敢えてクローゼの仮身分を謳いあげる。ロランス少尉は一礼してから、剣を鞘に戻す。
 まさしく、前門のロランス、後門のリシャール。もはやどこにも逃げ場はない。続々と艇から出現した特務兵に身柄を拘束されるが、虜囚の身に臆することなく強い敵意の視線で黒幕を睨んだ。
「リシャール大佐。デュナン叔父さんを傀儡に仕立てて、あなたはこのリベールをどうしようというのですか?」
「貴方たち、ロマンチストの祖母孫には理解してもらえないでしょうが、我々はこれでも憂国者(パトリオット)だよ。このリベールを二度と外敵の侵略に犯されることがない強い軍事国家へと生まれ変わらせる。それこそが、私がエイドスより託された使命なのだ」

        ◇        

「くそっ、とうとうここも嗅ぎつけられた! 直ぐさま脱出の準備を…………って聞いているのですか、ユリア中尉?」
 クローゼが捕縛されたのと時を同じくして、本来彼を守護すべき王室親衛隊も危地に陥っている。地下水路内に潜伏していた生き残りの衛士たちは隠れ家に突入してきた特務兵の一団と応戦するが、彼らを纏めるべき中心人物は心ここにあらずといった状態で惚けている。
「中隊長殿、緊急事態ですよ!」
「あっ、ああ、済まない。私とルクスで敵を食い止めるので、エコーとリオンを先頭に西区画の方に抜け出て一旦散開。ほとぼりがさめた頃合いを見計らい、G7拠点に再集結するように、以上!」
 我に返ったユリアの号令の元、一堂は裏口へと後退する。
 中央工房襲撃の濡れ衣による一斉検挙から辛うじて逃げ延びた隊員の数は二桁の大台を割り切った。何時か必ず訪れる決起の日に備え戦力を温存する為にこれ以上犠牲を出す訳にはいかない。最も腕が立つユリアとルクスの二人が殿を務める。
「王室親衛隊中隊長、ユリア・シュバルツ参る!」
 愛用の長剣(バトルセイバー)を振りかざして、ランツェンレイターの剣技で複数の敵と互角に渡り合う。
(相変わらず中隊長殿は別格だな。しかし……)
 撤退の指示は的確だし技量に衰えが有る筈ないが、それでも覇気に満ち溢れた全盛期に較べると今一つ精彩に欠ける。
 そもそも戦時中に注意力を散漫させるなど、仕事の鬼のユリアにあるまじき職務怠慢。学園祭の見物でルーアンから戻ってから万事この調子。カノーネ大尉が同期のライバルの低落振りを知れば、却って失望するかもしれない。
「くっ、流石にこの数相手ではキツイか」
 彼方此方に手傷を負ったユリアは軽く膝をつく。
 一対一の力量なら、どの相手よりもユリアは秀でているが、情報部選り抜きの特務兵の強みは数合わせの弱兵が存在しないことにある。単騎でゆうに親衛隊員ナンバー2のルクスと互角。それが分隊規模(十二人)で送り込まれては足止めにも限界がある。
 狭く迷路のように入り組んだ地下水路の地の利を活かし、何とか敵を分断して各個撃破に務めながら退路を伺ってきたが、とうとう袋小路に追い詰められてしまった。
「済まんな、ルクス。お前だけでも逃がしてやりたかったのだが」
 観念したように俯くユリアを前にして、ルクスは違和感を抑えられない。
 常日頃の鬼神であれば、いかに絶体絶命のピンチであれ、こんな弱音を吐くことは有り得なかった。『白き花のマドリガル』の例のキスシーンが未だに堪えているのか。
(クローディアル殿下をお護りすることが、中隊長殿の生き甲斐だったからな。もう自分は王太子にとって必要ない人間だと思い込んで、レゾンデートルが揺らいでいるのかも)
「どうやら、ここが私の死に場所のようだな」
 ユリアは決死の覚悟で剣を構える。
 ルクスの見解は正鵠を得ており。もはやクローゼは手の届かない世界に巣立ってしまったと諦観したが、さりとて己の職務を投げ出すつもりも王家への忠誠心を捨てた訳でもない。
 中円Sクラフトのトリニティクライスの攻撃範囲では、バトルフィールド全域に散らばった特務兵を一網打尽にするのは無理。可能な限りの敵を道連れにし部下の為に血路を切り開く神風特攻を仕掛けるつもりだったが、敵の下士官からの降伏勧告が事態を急変させる。
「ユリア中尉。そろそろ無益な抵抗は諦めたらどうかね? 先程、クローディアル殿下もこちらの手に落ち………………ひっ!?」
「私のクローゼをどうしたって? この血塗られた反逆者共が?」
 そのまま黙って殴殺すれば金星をあげられたかもしれないものを、余裕こいて雌虎の尻尾を踏み潰して態々寝た子を起こしてしまう。ユリアの身体全体から発せられた圧倒的な闘気の量に死をも恐れぬ特務兵が気押され思わず後ずさりする。
(こいつはいける!)
 親衛隊士が良く知る闘女神の降臨を目にしたルクスは、更なる燃料を注ぎ込もうと琥珀色の瞳の少女に心の中で謝罪すると、汚れ役を押し付けることにする。
「へへっ、中隊長殿。あれからリオンと調査したらヨシュアとかいう黒髪少女は、クローディアル殿下を色仕掛けで骨抜きにするように情報部から送り込まれたハニートラップだったみたいですぜ」
 ヨシュアの名を聞いた刹那、凄まじい殺意の波動がユリアの周辺を覆う。ルクスはゴクリと生唾を呑み込んだが、毒を喰わらば皿までと一蓮托生精神で相棒のリオンを共犯に更なる領域へ突き進む。
「やはり、中隊長殿の勘は当たっていたみたいで、このままじゃ王太子殿下は女スパイの瑞々しい肢体に組んず解れつ籠絡されちまうかもしれやせんぜ」

「さあせぇるーかぁー!」
 某戦闘民族のような黄金色の闘気を全力で開放しながら、ユリアは敵陣に斬り込む。
「げ、迎撃しろ!」
 特務兵が影縫いや機関銃掃射で応戦するが、身に纏った闘気が『幻影の鎧(ミラージュベルク)』と化してユリアの身体を守り、あらゆる敵の攻撃をシャットアウトする。
「我が主と義の為に…………覚悟!」
 怒りのパワーでトリニティクライスを大円のペンタウァクライスへと進化させたユリアは、特務兵の集団を取り囲むように剣尖で五芒星(ペンタグラム)を地面に描き上げる。星型の絵図に秘められた闘気が巨大な光の柱となって内部の人間に降り注いで敵兵を次々と宙に舞い上げる。
「義なき剣に私は決して負けぬ。殿下、必ずや黒髪の毒婦の魔の手からお救いしますので、今しばらくお持ち下さい」
 瀕死の敵は這う這うの体で退散する。手持ちのクラフトを大幅にパワーアップさせたユリア・シュバルツ中尉が完全覚醒したが、その目覚めた力の矛先はヨシュアへと向けられそうな雰囲気満々。
 自ら煽動した顛末とはいえ、ルクスはどう中隊長殿の暴走に歯止めを掛ければ良いのか途方に暮れることになった。



[34189] 19-02:魁・武闘トーナメント(Ⅱ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/01 09:11
「おおー、懐かしのグランセルだ。昔ここを訪ねたのは、五年前に親父に連れられた時以来だからな」
 つい先日、友人のクローゼが大捕り物にあった因縁の場所とは露知らず、セントハイム門からキリシェ通りを歩いて大広場の前に辿り着いたエステルは感慨深そうに、戒厳令が解かれ常日頃の喧騒さを取り戻したリベールの首都を眺める。
「確か武術大会の幼年の部で優勝したんでしょ? 今ならギリギリ間に合うと思うけど、エステルは大人の部に申し込むの?」
「その黒歴史を逐一穿り返さないでくれ。俺だって物事の優先順位ぐらいキチンと弁えているし、また次の機会に譲るわ」
 大陸全土の腕自慢が覇を競う武術大会に興味がないといえば嘘になるが、王国の命運を左右する特命を請け負っており、私心は抑えるつもり。
 また、アーネンベルグの食堂で偶然相席になった今年の参加を取り止めた帝国出身の武芸者に聞き及んだ所、今回の大会は特別ルールで四人一組の団体戦によって行われる。
 結果、外国籍の武闘家の大多数がエントリーを見合わせ、出場チームのほとんどが徒党を組み易かった国内の王国軍各部隊の歪な参加構成になる。
「まっ、俺もタイマン嗜好があるから、気持ちは判るかな」
 即席でパーティーを組む者もいたが、あくまでマイノリティ。元来、武闘家は各々の流派の看板を背負っており、他門と交わるのを快しとしない一匹狼の方が多数派だ。
 そのような事情で、例年に較べれば参加層が薄い上に個人の力量を発揮できる場とはいい難く、格闘馬鹿も今一つ気乗りせずに参戦を見送れた。
「それよりも、ここまで呑気に歩いてきて良かったのかよ、ヨシュア?」
 僅かながらに残った大会への未練を振り払うように、義妹に問い掛ける。
 「飛行船に頼らず、自分達の足で各地方を渡り歩こう」と旅立ち前に誓いを立てはしたが、それも時と場合による。
 今は一分一秒でも早く女王に面会すべき緊急時だが、ヨシュアには別の思惑があるようだ。
「シード少佐の情報が正しければ、城内は情報部に占拠されているだろうし、平時と違って一般人が易々と見学可能な警備体制が敷かれている筈もないわ」
 まずすべきは王都の受付と相談し、どうやってグランセル城へ忍び込むかの算段を企てること。無限テレポートを約束するニガトマトの在庫が心細くなったこともあり、ヨシュアは持久論を展開する。
 もちろん、隠密活動に特化したヨシュア単独であれば空間転移能力に頼らずとも潜入自体は容易いが、元々エステルのサポートを目的として始めた旅路なので、このラストクエストは二人でやり遂げなければ意味がない。
 要塞救出ミッションで調子に乗って使い過ぎたニガトマトを土壇場の切札として温存する意味でも、エステルがアーティファクトに頼る安直な近道を撥ね除けたようにヨシュアもお手軽なチート術を封印し共に歩める道を模索するつもりだ。
 こうして、各々決意を胸に秘めてメインストリートを直進した兄妹は瞬く間にギルドの前に辿り着くが、その隣にある建物が非常に気になった。
 『釣公師団本部』との表札が高々と掲げられていて、屋上にはどこかで見たような巨大なパラボラアンテナが添え付けられている。
「ここがあの釣キチ共の総本山か。まさかグランセル支部と隣接していたとはな」
 釣行者(レギオン)を名乗る変人達から賞金首としてつけ狙われているエステルは頭を抱える。爆釣百番勝負など常時でも御免極まる拷問。ましてや、この火急時に奴らと戯れる時間的猶予はない。
「さっさと入るぞ、ヨシュア」
 義妹を急かしたエステルは、師団関係者の目に止まる前に慌ててギルドの中へと逃げ込んだ。

        ◇        

「では、これより月一の釣公師団幹部会議を始めます」
 本部二階の会議室の中は窓が閉め切られていて薄暗く、ブイ字型に並べられた七つの椅子は欠席多数で参加者は僅か二人という寂しさだが、実際は何の問題もない。
 不在の席前のデスク上に置かれたモノリス然とした五つの双方向スピーカーで遠隔会議が可能。『SOUND ONLY』のラベル下には、Ⅱ~Ⅵまでのローマ数字が刻まれている。
「今回の議題は、新たな剛竿トライデント継承者となったエステル・ブライトについて。既に釣行者の何人かの刺客が破れたとの報告があり、かくいう私も川蝉亭でヴァレリア湖のヌシを釣り上げた際に面識を持ったことがあるのだけどね」
 中央の椅子に座った第一柱、ボース支部長の特級釣師ロイドが司会役として音頭を取ると、真っ黒な墓石みたいなオーブメントが騒がしくなる。

第六柱 ツァイス支部長・釣帝レオパレス
「ふんっ、俺は別に負けた訳ではない。ただ、どうしたことか副業の不動産がやたら多忙になり、奴がツァイスにいる間に戦いそびれただけだ」
第ニ柱 海外総支部長・???博士
「ああっ、私の可愛いティータぁー。早くモチモチのほっぺをプニプニして、クンカクンカしたいわー」
第四柱 ロレント支部長・好々爺????
「博士は一体どうしたんだ?」
第五柱 ルーアン支部長・執事???
「例の禁断症状だから、放置しておけば良い。それよりも私が留守にしている間に旦那様が逮捕されてしまった。私はこれからどうすれば良いのだぁー?」
Ⅵ「執事殿が途方に暮れているようだが、どうなされたのだ?」
Ⅳ「気の毒に。何でも勤め先の屋敷が借金のカタに競売に掛けられ、副職と寝床を同時に失ってしまったそうじゃ」
Ⅵ「何だ、そんなことか。我々には本業があるではないか。『包丁一本、さらしに巻いてー』ならぬ、釣竿一本あれば魚は食い放題。吐き出したセピスを換金すれば安定した収入源になるし、腸を割けば稀にレアアイテムも出土しウッハウハ」
Ⅳ「うむ。下手な商売よりよほどボロい本業が、なぜ世間的にちっとも流行らないのか本当に不思議じゃのう。ともかく基本的に私らは自給自足には困らぬ故、何時副業がポシャっても問題はない」
Ⅴ「あんたらは副業が潤っている癖に、人事だと思って簡単に言わないでくれ。若い頃はともかく、この歳で野宿は厳しいものがあるんだ」
Ⅱ「ああっ、ティータ、はぁはぁ……」
Ⅵ「博士、いい加減、釣りとは無関係な喘ぎ声で貴重な会議の時間を潰すのは止めてもらおうか」
Ⅱ「五月蠅いわね、あたしの後釜で魚の使徒(アンギス)に収まった若造風情が。誰のお蔭で釣公師団が秘密結社ゴッコに興じていられると思っているのよ?」
Ⅴ「あなたの技術支援で師団の科学水準が上昇し、グローバルな活動が可能になった。無論、感謝しているが、釣りにまで発明品を持ち込むのは行き過ぎでは?」
Ⅳ「ふむ、確かに。釣りとは魚と人間の知恵比べで、ルアーに近づいた魚を拡散ネットで問答無用で捕縛するギミックを竿に仕込むのは、ちと風流に欠けるかのー」
Ⅱ「はん、どんな手を使っても、釣ったもの勝ちよ。それをいうなら、ウチらの大将だって、アーティファクトという反則竿で釣りをしているじゃない?」
Ⅴ「は、博士、盟主に対して不敬であるぞ」
Ⅱ「へいへい。盟主様は良い金蔓(スボンサー)ですからね。持ちつ持たれつ……ってね。うひひひひっ……」
Ⅴ「こ、こほん。まあ、釣りの作法は一先ず置いておくにして。最近、王都の怪しげな地下組織に肩入れし、御婦人方に知恵を授けておるそうではないか?」
Ⅱ「あたしら以上に胡散臭い真似している集団が王国に跋扈しているとも思えないけど、もしかして『ユリア様ファンクラブ』のこと? あの御方を崇拝する同志として、力を貸すのは当然だし、ユリア様を侮辱したら許さないわよ」
Ⅳ「しかし、王室親衛隊は反逆の門で追われているというし、被害に遭ったのは博士のお膝元の中央工房ではなかったかのう?」
Ⅱ「はっ、あの凛々しいユリア様と素顔を晒す度胸もない情報部のむさ苦しい連中のどちらが正義かは論評するまでもないでしょう? まあ、リシャール大佐は男前だけどダンの包容力には到底及ばないし、百歩譲って犯人が親衛隊だとしてユニフォームのまま悪事に及ぶ道理がないのに気がつかないあたり、小学生以下の脳味噌しか持ち合わせていない低能みたいだけどね」

「無関係な雑談ばかりで、全然、議題が進みませんね」
 ロイド以外に唯一生身で会議に参加している第七柱、グランセル支部長・ルアーの聖母ノーチェは退屈そうに欠伸を噛み殺すと、エステルとやらの力量を試す為に自ら出陣すると主張。
 ノーチェ婦人は元使徒だった良人のヘルムートが釣りにかまけて、ちっとも家庭を顧みないのに腹を立て自ら釣公師団の門を叩き、圧倒的な釣力で夫の地位を奪い取って、釣行者へと格下げさせた下克上経歴の持主。衆目が一致する所、釣帝さえも凌駕する師団最高の釣師なのだが、その彼女の上位者たるレジェンドが声を掛けてきた。
「いや、ここは私が行くとしよう。同じ『太公望』の称号を持つ者同士で雌雄を決するべきだろう」
 洒落たシルクハットを被った初老の男性が二階の階段を登ってきて、ロイドとノーチェは片膝をついて最敬礼を施す。
 この男が釣り男爵と名高い旧貴族出身のハーバート・フィッシャー。資産を投げ打って釣り協会を立ち上げた諸悪の根源……いや、真に釣りを愛する釣道楽だ。
「そのエステルという少年の釣力は確かなようだし、私は彼を現在空位となっている第三柱として迎え入れようと思うが、皆の意見はどうか?」
 またぞろ、エステルにとって実に傍迷惑な提案が盟主から囁かれる。他の使徒に異存がある筈もないが、組織には鉄の掟として入団希望者は爆釣百番勝負に勝利せねばならないという実に面倒臭い決まり事があったりして、ロイドは慄いた。
「盟主御自ら試験官を務められるとは、かつての築地伝説再びでありますか?」
「ああっ、こうしていると、在りし日の光景が今でも瞼に浮かんでくる」
 剛竿トライデント第二十六代正当後継者にまだ無名だったフィッシャーは五百番もの超がつく長丁場を挑む。飲まず喰わずで三日間徹夜の勝負の行方は両者ノックアウトで引き分けに終わり、共に病院に救急搬送され退院に二週間を要した。

Ⅴ「私もこの目で拝見しましたが、アレは後世に語り継がれるべき大一番ですな。その戦いの後遺症で長老殿は二度と剛竿を振るえなくなったというあたりが、死闘の凄まじさを物語っておる」
Ⅵ「うむ、歴史の狭間に散り逝くが敗者の悲しき宿命とはいえ、武士が戦場で死ぬことを誇りに思うように、釣人が釣堀で燃え尽きるのに何ら悔いがある筈もなかろう」
 いじめっ子にとっては学童時代の良い思い出でも、苛められた側は全く異なる認識を抱えている場合が多々あるように、長老とは灼熱の溶岩と絶対零度の永久氷壁ほどの温度差があり、平行線が交わることは未来永劫無さそうだ。
Ⅳ「だが、盟主よ。私はエステル君のことを良く知っているが、彼は爆釣勝負を受けないだろうよ。かくいう私も最近百番もやるのは長すぎるかなと」
Ⅵ「年を召されたのか好々爺殿。かつてロレントの釣戦鬼と呼ばれリベール釣界を震撼させたお人とも思えぬ弱気な発言」
Ⅴ「確かに百番勝負は釣公師団の誇りと伝統。勝負数をさらに水増ししても、減らす事態などあってはならないこと」
Ⅳ「しかし、最近、私はこの師団の伝統行事が入団希望者の敷居を高くし、却って釣りの普及活動を妨げているように思えてならないのだが」
Ⅱ「おやおや、キチガイの巣窟にも、ちっとはマトモな見識の御仁もいたみたいだねぇー」

 またぞろモノリスが騒がしくなってきたが、エステルに挑戦を受けさせるのに盟主に腹案があるとのこと。
 こうして、九十九回目の定例会議はお開きとなる。フィッシャー男爵の敗北など思いもよらない一堂は、次回の記念すべき百回目の節目の会議では新たな使徒の加入により、三年ぶりに七つの定席全てが埋まるのを確信した。

        ◇        

「そうですか、まさかリシャール大佐が王国軍の実質的な支配者たったとは。俄かには信じ難い話ですが、これで中央工房の親衛隊テロ事件に対する情報部のお粗末すぎる対応も解ったような気がします」
 王都グランセル支部、歌舞伎座俳優が務まりそうな優男風の美丈夫は、転属手続きを済ませたばかりの見習いが持ち込んだ極秘情報に理知的な瞳に軽い戸惑いを浮かべながらも全てを受け入れた。
 大凡真っ当な思考回路の所有者なら、親衛隊が変装もせずに犯行に及んだのに違和感を覚えるようだ。この頭脳明晰っぽい受付になら安心して秘事を託せそうで、更に話が博士の依頼の件へと及ぶと金髪碧眼のエルナンは渋く表情を歪めた。
「ヨシュアさんが察した通りに、テロ対策と称して現在のグランセル城は関係者以外立ち入り禁止です。つい先日など、テロリストが潜伏しているので、王都全域に一時的な戒厳令が敷かれたぐらいです」
 やはり真っ当な遣り方でアリシア女王に面談するのは難しそう。エルナンは王城への侵入方法の調査を約束すると、高難度指定のクエストが届いている現状を告げる。
「依頼人は釣公師団のフィッシャー男爵とあって、準遊撃士のエステル・ブライトを名指しで指定してきています」
 エステルが遊撃士であるのを逆手に取り、依頼という形で爆釣勝負を挑むのが盟主の策謀のようだ。義妹は軽く嘆息し、義兄は受付のデスクにうつ伏した。
 ヨシュアから事情を伺ったエルナンは依頼をキャンセルするか問い掛けたが、エステルは首を横に振る。
「クエストである以上、犯罪の片棒担ぎや人を傷つける類のものでない限り、どんなしょーもない依頼でも引き受けるつもりだせ、俺は。ある意味では、これは願ってもないチャンスでもあるからな」
 盟主様直々のお誘いというのがポイント。これを無下に断れば、あのしつこい連中のこと。釣行者の暇人が続々と送り込まれて、無限地獄に陥るのが目に見えている。
 だが、エステルがフィッシャー男爵に引導を渡せば、長く無意味な争いの歴史にようやく終わりが見えてくる。
 毒蛇の頭を踏み潰すと自ずと胴体も息絶えるように、トップを仕留めればどんな組織でも瓦解するものだ。
「正念場でまた空気を読まずに乱入されて、全てを御破算にされでもしたら敵わんしな。同じ釣り好きの人間として、奴らには言いたいことが山程あるし」
「そういうことなら、止める理由もないわね。私はその間に街中を散策し情報収集するついでに、カトリアさんから預かった手紙を婚約者のフィネルさんに届けてくるわ」
「御武運をエステルさん。フィッシャー男爵は爆釣勝負で四百勝一分という信じられない成績を誇るゼムリア大陸有数の釣師ですから、くれぐれもご用心の程を」
 その唯一の引き分けは築地の長老なのだろうが、四百戦無敗と謳ったところで、別段エステルに恐れはない。
 爆釣対決が本当に百番単位で行われるのなら対戦者が途中で馬鹿らしくなって棄権した不戦勝扱いが大半を占めるだろうし、実際にエステルの推理は正鵠を得ており、最後まで勝負がやり遂げられた事例は名目上のスコアの1/10にも満たなかったりする。

 かくして、長い間続いたエステルと釣公師団との腐れ縁に終止符を打つ盟主とのラストバトルの瞬間が刻一刻と近づいていた。



[34189] 19-03:魁・武闘トーナメント(Ⅲ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/02 07:35
「やあ、エステル君。お久しぶり」
「あなたがエステル様ですね? 中でわたくし達の盟主がお待ちしています」
 グランセル支部の外に出るや否や、隣接する師団本部エントランス前で待ち伏せていた顔馴染のロイドと、羽根突き帽子を被った妙齢の女性ノーチェが挨拶してきた。
「あっ、お茶とかお構いなく。こっちも訳ありで急いでいるので、とっとと釣り場に行こうぜ」
 エステルはお招きを断るが、ロイドが悲しそうに首を横に降る。
 波止場や周遊池等のグランセル地方の主立った釣りポイントは、テロ対策と称して王国軍に封鎖されて、王都の釣り愛好家達は嘆いているとのこと。
「おいおい、釣堀がなくちゃ、勝負もへったくれもねえだろ?」
「だからこそ、本部においで下さい。直ぐに分かります」
 不審がるエステルをノーチェ婦人は有無を云わさず内部に拉致し、室内の様子に呆れ返る。
 一階奥の倉庫の床下に地の底深くに続く大穴が開けられて、鉄製の梯子が掛けられている。
 地下水路には魔獣が頻出するので、東西の出入り口は固く施錠され一般人は出入り厳禁だが、現行で釣り可能な貴重な源泉が存在する為に本部と直通するトンネルを勝手に繋いだのだ。
「釣りの真っ最中に魔獣に襲われたらどう対処するんだ? なんて説法は、こいつらには今更だよな」
 梯子を伝って、地下水路に降り立つ。ロイドの案内で少しばかり移動を重ねると、左手にキラキラと光り輝くアクアマスターを所持した初老の紳士がシルクハットを胸の前に翳してお辞儀しながらエステルを出迎えた。
「あんたが釣公師団の親玉か?」
「いかにも。初代盟主、ハーバート・フィッシャーと申す。君がトライデント二十七代目継承者のエステル・ブライト君だね?」
「ああっ、早速勝負を始めたい所だけど、後ろにいる連中は何なんだ?」
 フィッシャーの側には、サングラスに黒スーツ姿の怪しげなスタイルで煙草をふかす中年男、東方風の衣装を纏い大きめの扇子を扇ぐケバイ女性、髪にリボンをしたティータと同年代のワンピース姿の小柄な少女が控えている。
 全員釣竿を標準装備している所から師団関係者に違いないだろうが、釣行者(レギオン)にはこんな年端もいかない幼女まで在籍しているのだろうか。
「ああ、この子は私の孫じゃよ」
「釣船天使リンって呼ばれているわ。よろしくね、エステルお兄ちゃん」
 子供用の可愛らしい短竿を振り回したリン・フィッシャーは、「わたし、釣り大好きだよ」と無垢な笑顔で微笑み、エステルは何とも言えない表情を隠せない。
「ねえ、エレオラ。わたしがおじいちゃんの所に遊びに行くとパパとママは嫌な顔するのは、どうしてなのかな?」
「ここでは、フィッシャー男爵のことは盟主とお呼びしなさい、リン」
「はーい、私も大きくなったら、おじいちゃんみたいな立派な盟主になれるかな?」
「くかかかかっ。使徒を飛び越えて、いきなり盟主の首を狙おうとは、大層なガキだぜ」
「ほっほっほっ。その心意気やよし。じゃが、釣人は人の心を捨て修羅と化さねば勤まらん。釣場で竿を握れば親子、祖父孫も関係ない。ましてや、釣公師団に世襲制度はないから、私の跡目を継ぎたくば実力で奪い取るしかないぞ」
「うん、リン、もっともっと頑張って、釣りが上手くなるよ」
 物騒な会話に反比例して、雰囲気は結構仲むつまじい。師団の大人たちから愛でられ祖父の趣味を無理強いさている訳でもなさそうだが、何もこんな幼少時から変人の巣窟で朱に交わることもないだろうにとエステルは軽く両肩を竦める。
「では、釣公師団伝統の百番勝負で、どちらが真の太公望たるか決めるとしようか。異存はあるか、エステル君?」
 この場にいる釣行者や使徒も単にギャラリーとして見物にきただけで、盟主との一騎討ちで雌雄を決するとのこと。
 案の定、ウンザリするような持久戦(これでも盟主側はかなり短く設定したつもりだが)を提唱されたが、なぜかエステルは表面上受け入れてみせる。
「いいぜ、それこそ五百番でも千番でも付き合ってやるぜ」
 エステルの予想外のリアクションに周囲は騒めく。
 今日までの挑まれた側の反応は勝負数に尻込みしクレームをつける軟弱者が大半で、更に上乗せを要求した兵など前代未聞。
 そんな彼らの戸惑いを見透かしたように、エステルにニヤリと不敵に笑うと「ただし、盟主様にその技量があればの話だけどな」と意味深な前置きを添える。
「エステル君、それはいかなる意味かな?」
「なあに、あんたらの温すぎるお遊戯に一つ刺激的な条件を付け加えるだけさ。サドンデスで決着をつけるっていうのはどうだ?」
(このガキ、何てとんでもない提案をしやがる!)
 互いに釣糸を垂らして一度でも失敗したらジ・エンドなど無茶苦茶にも程があるので、ワルサー達は慄く。
 そういった紛れの運要素に左右されずに釣力を正確に図る為に百番単位でトータルスコアを競い合うのだが、エステルはそんなアベレージ制度をせせら笑う。
「おいおい、爆釣対決ってのは、とんだおままごとだな。武術の世界ではお互いが生命を賭して戦えば、敗者に二度目のチャンスなんてないんだぜ」
 絶対にミスが許されない一発勝負だからこそ、其の者の力量と何よりもプレッシャーに負けない精神の強さが試される。土壇場で力を奮えずして真剣勝負を自称するなど、ちゃんちゃら可笑しい。
「なるほど、エステル君の云う事も一理ある。良かろう、その挑戦受けて立とう」
「め、盟主?」
 自分たちの釣りに対する真摯な姿勢を侮辱されては引くに引けないようだ。エステルの誘いにまんまと引っ掛かったフィッシャー男爵はサドンデスを了承する。
「そうこなくっちゃ。あっ、アクママスターは使って構わないぜ。そのぐらいのハンデがないと、あっさり十番以内で終わっちまいそうだからな」
 更なる口車に面白いように乗せられた盟主は剛竿を保持しないエステルと対等の条件で渡り合う為、アクアマスターをロイドに預けると師団入団者に進呈するプログレロッドを装着する。
 これで両者とも同じタックルを用いたので、純然たる技量勝負ということになる。
(思っていた以上に扱い易い連中だな)
 「人の振り見て我が振り直せ」ではないが、良い歳こいた大人が単細胞のエステル如きに振り回される情景は身に詰まるものがある。
 「多分、俺もヨシュアからそう侮られているんだろな」と思い当たったエステルは、これからは脊髄反射で義妹の挑発に踊らされないようにしようと心に誓った。
「ねえ、おじいちゃ……じゃなかった、盟主。わたしもこれ、やりたーい」
 下手したら最初の一回で終わりかねない外連味のないバトルに戸惑う大人達とは異なり、新たな決闘法に興味津々の幼子は瞳をキラキラと輝かせて乱入宣言して、ロイドから窘められる。
「これ、リンちゃん。盟主とエステル君のタイマンを邪魔するんじゃ……」
「別にいいんじゃないか。サドンデスだから釣れなかった奴からどんどんドロップアウトしていく訳だし、何ならあんたらも加わっても構わないぜ?」
 エステルは気前良く皆を勧誘し、一堂は再び騒めく。
 色々と協議したが、元より釣りが三度の飯よりも大好きな連中なので、なし崩し的に全員参加を決める。
「それではこれより、爆釣サドンデスを始めます」
 かくしてお子様を含む七人の男女が横一列にズラリと並んで、水路に釣糸を垂らすシュールな地獄絵図が地の奥底深い煉獄で繰り広げられた。

        ◇        

「お、恐るべし、爆釣サドンデス」
「そうね、一度もミスれない重圧が、まさかこれほどのものとはね」
 三十分後、三人の釣行者とロイドが脱落して、残りは三人だけとなる。
「にしても、使徒さんよ。いきなり一回目で失敗するのは不味いんじゃないの?」
「そうだよね、それでも特級釣師なのかな?」
「私は釣果平均(アベレージ)では、師団の中でも二番目の成績なんだ。けど、プレッシャーで指先が奮えてしまい、つい「!」のタイミングを見誤って……」
 周囲が哄笑に包まれる中、ロイドが必死に弁解する。
 彼は四十八回連続成功記録を保持する確かな釣力の持主だが、ちょっと精神に負荷が掛かっただけでこの態では、真剣勝負を名乗るのは烏滸がましかったかもしれない。
「確かに百番もこなすよりも、こちらの方がより鮮明に釣人の力量を図れるのかもしれないな」
 ロイドが己の釣り人生を見つめ直している間に師団最高の釣師たるノーチェ婦人までもがミスしてしまい、当初の予定通りにエステルと盟主のマッチレースに突入。

Ⅵ「(ジジジ………………)何だか判らないが、凄まじい勝負になって(ジジジ………………)いるようだな。この目で直に(ジジジ………………)見れぬのが、真に遺憾だ」
Ⅴ「博士、音声だけ(ジジジ………………)でなく、映像は送信できない(ジジジ………………)ものなのかね?」
Ⅱ「無理難題を(ジジジ………………)押し付けるんじゃないよ、科学ど素人共が。この広域音声送受信システムだって、(ジジジ………………)アルバート・ラッセルでさえも未着手の、中央工房の二世代先の(ジジジ………………)最新鋭技術なんだよ」
Ⅴ「(ジジジ………………)博士、何だって? さっきからノイズ混じりで、良く(ジジジ………………)聞き取れない」
Ⅱ「そりゃ地下水路な(ジジジ………………)んぞに装置を持ち込んだら、電波障害を起こすに決まっ(ジジジ………………)てるじゃないの。とにかく、これよりバージョンアップさせたければ、もっとミラを…………(ジジジ………………)」
Ⅳ「流石は(ジジジ………………)エステル君じゃな。まさかこのよ(ジジジ………………)うな形で、師団の有り様に変革を促すとは思わなんだぞ」

 水路の床下に放置された墓石が騒がしくなるが、エステルやフィッシャーの耳には届かない。
 勝負が始まって二時間近く経過。互いに三十匹以上連続で釣り上げるのに成功しているが、共に失敗する気配は感じられずにエステルの心に焦りが芽生える。
(参ったな、このじいさん、マジで強いぞ)
 てっきりアクアマスターに頼りきって、腕は錆びついているものと多寡をくくっていたが、心技体全てに置いて下手の横好きレベルの釣行者とは桁違い。
(せっかく、早めに切り上げられる口実を設けたのに、このままじゃ結局百番まで……って、ヤバイ!)
 考え事に気を取られて、コンマ数秒反応が遅れたエステルはヒヤリとするが、辛うじて釣針にカサギンが引っ掛かった。
 比較的判定が甘い小魚(~100リジュ)なので助かったが、これがタイミングがシビアな大物(200リジュ~)なら確実に釣り逃していた所。エステルは軽く頭を振って、余計な雑念を振り払う。
(こうなりゃ、百番だろうと千番だろうと、とことん付き合ってやる。どっちが先に集中力を切らすか、勝負だ。フィッシャー男爵!)
 いつの間にか、この真剣勝負そのものを愉しんでいる自身の変化にエステルは気づかなかった。どうのこうの謳っても、エステルもまた釣り馬鹿の一人である。

「おいおい、この二人の勝負は、一体どこまで続くんだ?」
 神経を鑢で磨り減らすような異常な緊張感の中で爆釣対決は続行される。やっている当人よりも、固唾を飲んで見守るギャラリーの方が胃が痛くなってきた。
 勝負開始から四時間を経過。バケツの中には百匹近い魚が積み上げられる。
 地下に昼も夜もないが、既に日は落ちている。ヨシュアのような一般人なら馬鹿らしくなって居眠りする所だが、この場にいる釣りキチは誰一人として勝負の行方から目を離さず、ウツラウツラと舟をこぎ始めたリンをエレオラが膝枕しているだけ。
 どちらが勝とうとも、築地伝説を上回る死闘となるのは確実。自分達は歴史の証人になるのだと確信したが、無粋というよりもある意味必然の闖入者が勝負に水を差す。
「「「ケロケロケロ……」」」
 夜行性の魔獣であるホエールフロッグが水辺から続々と水路に攀じ登ってくると、長い舌を伸ばして人間達を威嚇する。
「ホエールフロッグだ!」
「しまった、今は奴らの活動時間帯よね」
 大型魔獣に匹敵するサイズの巨大蛙の群に師団連中は一瞬気押されたものの、名勝負の邪魔はさせじと各々の得物の釣竿を振り回して無謀にもホエールフロッグに突進していく。
「両生類共が粋がりやがって、いいだろ、死ね。オラオラオラオラァ、アルティメット・ルアー!」
「魚は釣られてこそ魚、旋風よ、砕き散らしなさい。奥義・魚釣風魔の舞!」
 威勢の良い必殺技名が叫ばれるが、所詮は釣糸を口先に引っ掛けるだけの釣り芸。獲物の重量(リジュ)か違いすぎるので、二人は逆に釣り上げられて遠方へと飛ばされる。
「きゃあああ……!」
 役に立たない大人達の防御壁があっさり突破され、ホエールフロッグ(♂)の一匹が鞭のような舌を胴体に巻きつけ、少女の身体が宙高く持ち上げられる。
「リン!?」
 浮きが当りの反応を示したが、全く躊躇することなくフィッシャーは竿を放り捨てるとロイドの手からアクアマスターをひったくる。
 ホエールフロッグは一匹の雌が多数の雄を従える習性があり、リンを産卵の栄養にすべく舌から舌への空中リレーで後方に運ばれて、最後尾で待ち構えるホエールフロッグ(♀)の大口へと放り込まれる。
「させるか!」
 男爵のアクアマスターから放たれた釣針がリンの首根っこに引っ掛けると魔獣に呑み込まれる前にこちら側に引き寄せて、ノーチェ婦人が身体を張って抱き留める。
 小さい子供とはいえ人一人を軽々と空中キャッチするあたり、流石は剛竿と双璧をなすアーティファクト。
「正解だぜ、じいさん」
 瀬戸際で正しい選択をした老人にエステルは敬意を払うと、物干し竿を展開し捻糸棍の態勢で構える。
 鬼だのと粋がった所で、孫を見捨てることは叶わなかった。色々と非常識な連中ではあるが、人としての大切な心までは失っていない。
「はあっ、せいや!」
 捻糸棍の貫通エネルギーが凄い勢いでホエールフロッグ(♂)の合間を通り抜け、後衛に陣取っていたホエールフロッグ(♀)に直撃する。
「ケロケロ!!」
「「「ケロケロケロ……」」」
 一撃で深手を負ったホエールフロッグ(♀)は水の中へ逃げ込み、ホエールフロッグ(♂)の群は後を追いかけるように次々と飛び込んでいく。
「ふうっ、思った通りだな」
 もし(♀)を殺していたら、怒った(♂)の集団との殲滅戦に陥った所だが、手負いで逃がせば雌を守るために雄どもは撤退すると踏み、態と威力を押さえ目にした上で急所を外した。
 エステルがチラリと後ろを振り返ると、幼子が祖父の胸の中で「恐かったよー」と泣き叫んでいる。爆釣サドンデスは有耶無耶になりそうな流れだが、釣公師団に対するエステルの印象は大きく変化した。

        ◇        

「エステル、遅いわね。まだ百番勝負とやらを続けているのかしら?」
 深夜のグランセル支部。街での聞き込み調査を終えたヨシュアが、受付のエルナンと女王に面談する算段について意見交換しながらエステルの帰りを待ち続けているが、一向に帰参する気配がない。
「釣公師団は隣のビルだし、様子を見に行ってみましょうかしら」
「おーい、ヨシュア、エルナンさん、今戻ったぞ」
 噂をすれば影が差すというわけでもないが、ようやく待ち人が帰宅。ヨシュアが安堵したのも束の間、エステルが背中に背負った黒の墓石にアンテナを植え付けたような奇怪な物体を怪訝そうに見つめる。
「エステル、それは一体、何?」
「俺専用に渡された師団の幹部会議用のオーブメントだ。これがあればリベールからある程度近い範囲なら、外国にいたって本部と音声による遠隔会議が可能なんだぜ」
 「どっこらしょっ」と、五十キロ近くありそうな巨大なアンテナ付きの墓石を地面に置くと、『支える籠手』の遊撃士紋章とは別の模様が入った『釣竿と魚』の師団紋章(エンブレム)を誇示する。
 エンブレムには『釣公師団 第三柱 無地藩長エステル・ブライト』との姓名が刻まれており、エステルは使徒として釣りキチ達の仲間入りを果たしたみたいである。
「まさか、ミイラ取りが本当にミイラになって帰ってくるとはね」
 ヨシュアは諦観の表情で嘆息したが、エステルは全く聞いておらず。無地藩長とは他の使徒みたいに支部を持たずに旅先で釣りの普及活動に務める役柄だと説明するが、あの重たそうな墓石を担いで遊撃士の出張をこなすつもりなのだろうか。
「そうそう、俺の記念すべき最初の勧誘者として、ヨシュアの名前を登録しておいた。これはお前のものだぜ」
 ブログレロッドに釣り餌一式、更には師団のエンブレムなど入団者に無償で支給される初心者釣りセットが次々と机の上に並べらて、ヨシュアは唖然とする。
 付属の師団員証明書には、『釣行者(レギオン)ナンバーⅩⅢ・漆黒の鯉』とか記載されているが、どう反応すれば良いのやら。
(まっ、好きなようにさせるしかないか)
 考えてみれば、釣公師団は常々賢妹と理不尽に比較されてきた愚兄の方を高く評価してくれる希有な集団だ。
 『エステルの世界を広げる可能性』に感化され、これからは爆釣勝負を気の遠くなるような長丁場でなくサドンデス方式の短期決戦に切り換えるようなので、エステルのガス抜きという意味では貴重な存在なのかもしれない。
 まあ、本来釣りとは仕事の息抜きに気楽に楽しむものなのだろうが、彼らにいきなりそこまでの変化を求めるのは性急すぎなので、気長に取り組むしかない。

 かくして、思わぬ形で釣公師団との共存を確立させたエステルは、後顧の憂いなく従来のクエストに取り組めるのであったが、まさか一旦参加を断念した武術大会に再出場することになるとは、この時には想像すらしていなかった。



[34189] 19-04:魁・武闘トーナメント(Ⅳ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/03 05:37
 エステルが釣公師団に仲間入りした夜、フィッシャー男爵以下の面々が新たな使徒の誕生祝いと称してギルドに押し入ってきた。
 釣った獲物は稚魚ならリリースし、残りは全て食するが生命に対する供養というのが釣人の哲学。爆釣対決の夥しい釣果を肴に、翌日の朝方近くまで宴会が続行される。
 兄妹が目覚めた時には、既に正午過ぎ。二人は大慌てで身支度を整えると、王立競技場(グランアリーナ)へと直行した。

        ◇        

「もう予選の試合の半分は終わっちまったみたいだな」
 二階観客席の空席に並んで腰を降ろしたエステルとヨシュアはパンフレットを確認する。
 本日は大人の部の予選八試合と幼年の部の決勝以外の六試合が行われることになっている。決勝トーナメントは三日先なのに周囲はほぼ満席状態。このイベントの人気の高さが伺える。
「とはいえ、何で大人の部を団体戦に鞍替えしちまったんだ?」
 昨年までは百名以上の参加者をファイナリスト八名に絞り込む為に三日間かけて百試合前後の予選期間を設けたのに、四人一組の人数制限の弊害で僅か十六チームの参加に留まり、今日一日だけで事足りてしまう。
 試合数の激減は興業収入の面から見てもマイナス面が多く不可解な点が否めないが、ヨシュアは興味無さげに眠気覚ましに軽く伸びをする。
「その点は正直どうでも良いわ。問題なのは勝ち残ったチームに与えられる褒賞の方よ」
 それこそ二人が本戦への出場チームを物色している理由。デュナン公爵の計らいで、二十万ミラの優勝賞金の他にも優勝メンバーはグランセル城の宮中晩餐会に招待される。
 会合は五大都市会議も兼ねており、投獄中のダルモア市長を除くエステル達が旅で顔馴染になった市長連中が一堂に会することになる。
「エルナンさんと手持ちの情報を何度も検証したけど、現状で波風を立てずに王城に潜り込む手段は他にないわ。晩餐会にアリシア女王が出席するとは思えないけど、内部に招かれてさえしまえば幾らでも遣りようがある筈だったのだけどね」
 エルナンが裏ルートから武術大会の副賞ネタを仕入れて、ヨシュアが大急ぎで参加を申し込みにグランアリアーナを訪ねた時にはタッチの差で応募が打ち切られていた。
 締切時刻の規則は勿論のこと、何分団体戦ゆえにトーナメントを組むのに都合が良い十六チームから参加数を動かしたくない事情もあり、追加登録は認められなかった。
「王都に辿り着いて真っ先に受付に駆け込んでいれば、多分間に合っていたよな?」
「そうね。エステルが脇目も振らずにクエストに専念しようとした結果、却って空回りするなんて世の中上手くいかないものね」
 私情で余興に手を出した方が道が開けていたとは皮肉な話であるが、まだ敗者復活の可能性は残されている。
 個人戦から団体戦へのルール変更があまりに性急すぎた故に、定数を集められなかった者達もエントリーしているので、四人未満のチームにちゃっかり本戦から加えてもらおうという小判鮫作戦。
「午前中の対戦は全て定数に達した者同士だから、そういう意味では寝過ごしても問題なかったわね」
 そうこう二人が問答している内にようやく次の試合が始まるようで、放送席からアナウンスが聞こえてきた。
「ご来場の皆様。お昼休みの休憩を挟んで、これより予選の続きを始めます。南、蒼の組。王国軍、国境守備隊所属。ベルン中尉以下4名のチーム。北、紅の組。三カ国による武闘家連合。アインツ選手以下3名のチーム」
 南側の門からリベール正規軍の軍服を纏った四人の軍人が登場。逆側の門からカラフルな胴着の三人の武術家が姿を現す。
「衣装の違いからして明らかに流派が別々だし、王都に到着してから仕方無しに徒党を組んだ烏合の衆といった所かしら」
「あまり悪く言うな、ヨシュア。こいつらに勝ってもらわなければ、俺達は次の段階に進めないのだからさ」
「双方、構え。勝負始め!」
 ブレイサーの兄妹を含めた満場の観衆の前で、異色の集団戦闘が開始された。

        ◇        

「負けちゃったわね」
「途中までは良い所までいったんだけどな」
 HP、STR、DEFなどの各種基礎パラメタやクラフトの豊富さなど、個々の能力では武闘家連合の方が国境守備隊よりも勝っていたが、最終的には練度の違いが勝敗を分けた。
 武闘家たちが相互の信頼関係抜きで各々好き勝手に動き回っていたのとは正反対に、守備隊は中尉の号令で互いを援護し合いながら個人の力量差をカバーして持久戦に持ち込んだ。
 そうなると一人欠員の頭数の差がじわじわと効いてきた。国境守備隊は相討ちに近い形で二人の戦闘不能者を出したものの、最終的に武闘家連合に勝利する。
「これがパーティーバトルの醍醐味かしらね。個で劣っていたとしても、数の利と集団戦術によって覆すのが可能よ」
 両チームの戦闘力を単純に数値化すると。
 武闘家連合(アインツ4 マシア4 フレドリック4) 合計12
 国境守備隊(ベルン中尉3 ゴーグ2 ミクリア2 バイアン2) 合計9
 となり理論上は人数の少ない連合が優勢だが、武闘家達が単純な足し算以上の戦闘数値を引き出せなかったのに対し、守備隊は巧みな連携で乗算に近い計算式(2×2×2×3=24)で戦闘力を上乗せして、キルレシオを逆転させるのに成功した。
「やっぱり、急拵えの寄せ集めが勝ち残れる程、実戦は甘くはないか。しかし、こうなると困ったな」
 本戦を盛り上げる為に定数に満たない弱小同士が予選で潰し合うことはないので、残る三戦中に一つは番狂わせを起こしてくれないと全て御破算になる。
「現地点で期待できる下克上のパターンは二つだけね。四人の定員を集めたチームが極端に弱いか、もしくは……」
 ヨシュアはそこで一旦言葉を区切り、次の対戦を興味深そうに見つめる。
「続きまして予選第六試合を始めます。南、蒼の組。王国軍、突撃騎兵隊所属。ジェイド中尉以下4名のチーム。北、紅の組。エレボニアとカルバードの路上格闘家。ヴェガ&タカシ選手以下2名のチーム」
 またしても王国軍と武闘家との対戦だが、今度は更に人数が減って二人だけ。
 突撃騎兵隊が先の国境守備隊に等しい戦力を有しているのなら、勝敗は決したように思われるが、そこでヨシュアが勿体ぶった先の続きを述べる。
「もしくは、少数の側が規格外の戦闘能力を保持している場合よ」
 少女の琥珀色の瞳は、真っ赤な軍服に黒マントを纏った軍人然とした割顎男性と白の胴着に赤い籠手を身につけた裸足の鉢巻男のコンビに注がれていた。

「超常破壊攻撃!」 「「「ぐぎゃああ!」」」
「ドラゴンアッパーブロー!」  「ぐあっ!」
 軍服男が掌を全面に突き出してドリルのように身体全体を錐揉み回転させながら突進し、三人の兵士を纏めて蹴散らす。更には鉢巻男性の自身が飛び上がる程の強烈な半回転アッバーカットによって、ジェイド中尉は中空高く舞い上がる。指揮官、部下共に一撃で体力の八割以上を持っていかれる。
「ふんっ、脆い奴らめ。これでは本戦前の調整にもならんわ!」
「ヴェガ、弱さは決して罪にあらず。戦士を侮辱するのは止せ」
 白目を剥き出しにしたヴェガは半死半生の態で地面を這う王国軍兵士達を虫けらのように見下す。タカシは相棒の非礼を窘めながらも、精悍な顔つきに興醒めの表情を隠せない。

「強え。何者なんだ、こいつら?」
 無手で完全武装した倍の数の部隊を圧倒する謎の二人組にエステルは舌を巻く。先に破れた武闘家の戦闘数値が4だとしたら、この二人は単独で10ぐらいは有りそうだ。
「さてね。エレボニア帝国とカルバート共和国出身の路上格闘家(ストリートファイター)とあるけど、この人たちと組めれば優勝も簡単そうね」
 かつて所属していた組織の実働部隊に匹敵する二人の力量に内心感嘆しながらも、自分らを助っ人として売り込むのは容易いとヨシュアは多寡をくくる。
 彼らにしても本気で頂点を目指すのなら欠員の補充は歓迎するだろうから、足手纒いにならない実力を示した上で賞金を放棄すれば拒む理由はないと皮算用したが、その目論見がたった一人の子供の無垢な疑問によっておじゃんにされてしまう。
「ねえ、ママ。あのおじさん達すごく強いけど、どっちの方がより強いのかな?」
 虫の息の突撃騎兵隊に止めを刺そうと近づいた二人は、その一言にピタリと足を止める。凄いスピードで客席最前列にいる幼児の前まで詰め寄ると、自己アピールを始める。
「ふっ、それはこの私に決まっているだろう、少年。たった今、三人もの兵士を瞬殺した手並みを見忘れたか?」
「馬鹿を言うな、どんな世界でも『取り巻きの手下数体<ボス単体』のヒエラルキーに変わりはないから、敵リーダーをぶちのめした俺の方が強いに決まっている」
「ほほう、なら有象無象の雑魚共ではなく、貴様を叩きのめしてやろうか、タカシ?」
「ふんっ、リベールには俺より強い奴に会いに来たが、それは断じてお前如きではないぞ、ヴェガ」
 二人の間にバチバチと火花が飛び散る。早くも即席の協調体制に皹か入り、口汚い罵り合いが始まった。
「シリーズが続く度にどんどん弱体化させられて、とうとうラスボスの座から引きずり下ろされ、背景の一部にまで落ちぶれた分際で偉そうな口を叩くな、ヘボ首領」
「ふっ、その完全上位互換のボスキャラの出現で、縛りプレイ専用のマニア御用達キャラに成り下がったへっぽこ主人公に言われたくないわ、ホームレスめが」
「どうやら貴様とは、この場で決着をつけねばならないようだな」
「上等、どちらが上か、ハッキリと白黒つけてやる!」
 殺意に目覚めたタカシは赤い波動を覆い、ファイナル化したヴェガは青白い炎のようなオーラに包まる。目の前の瀕死の騎兵隊を無視して互いに構えると、多彩なクラフトを用いて正面からぶつかり合う。
 ヴェガは前転するように一回転しながら両足の踵を二段ヒットさせると、間髪入れずに一本背負いでタカシを投げ飛ばす。
 タカシも負けじと独楽のようにクルクル回転しながら回し蹴りを連続で叩き込み、組み合わせた両手から闘気のような気弾を撃ち込んでコンボを繋げる。
 両者共に、打(パンチ、キック)、極(投げ、関節技)、投(エネルギー波による飛び道具)の全てを高次元で兼ね揃えた総合格闘家で、この死闘は前年度決勝のモルガン将軍戦に勝るとも劣らない。
「何か知らないけど、どっちも凄えぞ!」
「いいぞ、もっとやれー!」
 ストリートファイターの仲間割れに観衆は一瞬面食らうものの、昨年まで頻繁に見られた強者同士の派手な一騎討ちに熱狂。瞬く間にグランアリーナは興奮の坩堝に包まれる。
 真っ正面から殴り蹴り、取っ組み合ってはぶん投げて、距離が開くと飛び道具を撃ち合って相殺。僅かでも隙を伺えたら連続技のコンボを叩き込む。
 無手格闘術のあらゆるエッセンスを凝縮したような一進一退のハイレベルな攻防が数分ほど続いたが、体力が残り僅かとなり雌雄を決するべく互いにSクフラトの態勢に入る。
「これで終わりだ、超常破壊攻撃(サイコクラッシャーアタック)!」
「させるか、昇竜拳(ドラゴンアッパーブロー)!」
 全身にオーラを纏って突っ込んできたヴェガの掌低にタカシのぶ厚い胸板がドリルで削られたように抉られるも、渾身の力を篭めたアッパーのカウンターで迎撃する。
 タカシの全身が炎に包まれるが、同時にヴェガのケツ顎も粉砕される。相討ちで共に後方に吹き飛ばされ背中から地面に落ちると、両雄ともピクリとも動かなくなった。
「ダブルノックアウトにより、紅の組、突撃騎兵隊の勝ち!」
 二人のストリートファイターが担架で運ばれて、漁夫の利を得た騎兵隊が決勝トーナメントに駒を進める。
 グランアリーナは満場の拍手に包まれたが、その賞賛は自分達に浴びせられたものでないのは明白なので、コソコソと退場するジェイド中尉以下、王国軍兵士の面々は大層恥ずかしそうだった。
「……なあ、ヨシュア」
「やっぱり武闘家とは、元来不器用で言葉でなく拳でしか解り合えない悲しい生き物なのね。そもそも孤高の飢狼にチームワークを求めるのが無理難題だったようね」
「そういう問題なのか。これは?」
 仲違いした要因があまりに大人気なさ過ぎるので、無理やり御為倒しで纏めようとするヨシュアに突っ込みを入れざるを得ない。
 いずれにしても、勝ち抜け確実と思われた路上格闘家ペアが内紛で勝手に自滅。計画が振り出しに戻るのを余儀なくされる。



[34189] 19-05:魁・武闘トーナメント(Ⅴ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/04 00:01
「本当に現実とは、頭の中で思い描いた計算通りにいかないものね」
 あらゆる要素を加味して脳内シミュレートし、突撃騎兵隊の敗北を覆すのは不可能との結論に達したが、まさか内輪揉めで自滅するとは想像だにしなかった。
 メンバーが両雄共に豪傑で兄妹が揃って参戦可能という理想的なチーム状況だったが、こんな美味しい籤がまだ残されているとは思えない。
「とにかく席が一つでも空いたら、そこにエステルを強引に押し込むしかないわね」
 二人欠員がベストだが、ヨシュア単独なら自力で楽々潜り込めるので、三人組のチームが勝ち残ってくれても特に支障はない。
 ただし、その節にはヨシュアの助力抜きで優勝を勝ち得なければならないが、そこまで気を揉むのはエステルに対して失礼だ。
「けど、どうして急遽団体戦に変更されたのか、その理由が何となく解ったような気がするわ」
 リシャール大佐の最終目的は未だ不明ながら、軍事クーデターかそれに類する国家規模の攪乱を起こすつもりなのは間違いないが、先のストリートファイターのような強者に大挙として王都に押しかけられたら、さぞかし遣り辛いだろう。
「流石にあの二人クラスの達人がゴロゴロ参加していたとは思えないけど、海外出身の武芸者の大半がエントリーを取り止めた訳だから、大佐の目論見通りといった所かしらね」
「エルナンさんが仕入れた情報だと、個人戦から団体戦への移行はあの馬鹿公爵の発案って話じゃなかったっけ?」
 エステルが義妹の陰謀説に待ったを掛けるが、複数の殿方から百万ミラを騙し取った悪女は、デュナン公爵の心理を誘導するのは犬に芸を仕込むよりも容易いと豪語する。
「友情・努力・勝利を指標としたスポコン漫画でも大量に差し入れて、その世界観に三日も読み浸れば、孤独な個人戦でなく仲間が一致団結する涙と感動の団体戦を堪能したいと思い込むでしょう」
「……何か本当に有り得そうで恐いな」
 ヨシュアの男性プロファイリングは相変わらず想像部分が勝ち過ぎているのに、摩訶不思議な説得力を感じさせて妄執と切り捨てられないのは何故か?
 映画とかに触発されて、主人公の髪形を真似たり作品テーマの趣味を始めたりとかは一般人でも割りかし見かける症候群だが、なまじ巨大な権力を有するだけに周囲に反映する影響力も桁違い。大佐の傀儡化したデュナン公爵を最高権力の座につけるのは、色んな意味で危険すぎる。
 まあ、優勝チームの宮中晩餐会ご招待は王城封鎖の情報部の方針に合致しないので、正真正銘デュナンの思い付きだろうから、グランセル城への潜入を企むエステル達としては今回ばかりは公爵閣下の気紛れに感謝するしかない。
「とはいえ、それも少数側が勝ち残らなければ意味が…………エステル、どうやらまだ当り籤が紛れていたみたいよ」
「大当たりって、確か定数を満たした側が極端に弱い…………なるほど、こいつらか」
 先の仲間割れ……もとい、名勝負の興奮も冷め止まぬ中、予選第七試合が行われ、南門から出現した連中に得心する。
 黒のポロシャツに頭部に意匠の赤いバンダナを巻いた四人のチンピラ達、ルーアンで奇縁を囲った不良グループ『レイヴン』のメンバー。
「そういや、『死んでも文句は言いません』と一筆書けば、サラリーマンでも出場可能なオープンな大会だけど、場違いにも程があるだろ? このど素人どもなら、俺一人でも余裕で勝てそうだわ」
「更生活動として二カ月の遠洋漁業に服した彼らが、何でこんなに早く陸地に戻ってこられたのか裏事情が気になるけど、折角の安牌も対戦相手があれじゃ有効活用するのは無理みたいね」
 ヨシュアが軽く嘆息しながら、逆側の北門を指差す。
 これまた遊撃士兄妹とは腐れ縁。何度となく死闘を演じた黒装束の連中が姿を現し、エステルは仰天する。
「確か特務兵とか言ったっけ? 王国軍なのは判っていたけど、闇に紛れて汚れ仕事に従事していた奴らが、こんな公のトーナメントに参加するとは何を企んでいるんだ?」
「さてね。副賞の件に絡んで、遊撃士関係者の城内進出を阻止する刺客なのかもね」
 エルナンの話では、二人とも顔なじみのブレイサーズが二チームほど参戦しており、共に午前の予選に勝利したそうだ。
 エステルの出場枠が確保出来なかった場合は最悪、博士の依頼を託す手もあるが、どちらかが優勝するとも限らないし、それならヨシュア一人でアリシア女王に面談した方が手っとり早いので、これは本当に最後の手段だ。
 いずれにしても黒装束に取り入るのは無理だろうし、部隊の規模を考慮すれば人数不足の線はない。本戦用の切札を温存する為に敢えて予選は三人だけで挑んできたと見るべきで、これもまた外れ籤である。
「南、蒼の組。レイヴンCチーム所属。ベルフ選手以下4名のチーム。北、紅の組。王国軍情報部、特務部隊所属。ドールマン伍長以下3名のチーム。両チーム開始位置についてください。双方、構え。勝負始め!」

        ◇        

「ま、待ってくれ、降参する。だから、止め……ぎゃあああ!」
 開始一分と持たずにボコられたレイヴンの面々は得物を放り捨てて命乞いするが、その嘆願を非情に無視して特務兵の一人がマシンガンを乱射し四人を蜂の巣にする。
「おい、幾らなんでも遣り過ぎだろう! 生身であれだけ銃弾を浴びたら、あいつら死んだ……」
「無傷とはいかないでしょうけど、生きているわよ、エステル。アレは導力機関銃(オーバルマシンガン)だからね」
 一斉斉射が止むと、四人は半死半生で地面に転がっている。身体中の彼方此方に火傷のような裂傷を負いながら痛そうに呻いているだけで、生命に別状は無さそうだ。
「大会ルールを確認したけど、やっぱり火縄銃を得物とするのは禁止されているみたいね。国際協定で人間相手の発砲をタブーとされている武器だから、当然といえば当然だけど」
 導力革命以後、ピストル、マシンガン等の旧式銃器は廃れて、導力エネルギーそのものを疑似弾丸として発射可能な導力銃(オーバルガン)にシェアを取って代わられる。
 導力による自動回復のコストパーフォーマンスの向上、連続発砲によるジャム率ゼロ、弾込めタイムロスなどの補給整備関連の利点が主な世代交代の要因とされているが、最大の変更理由は実弾の殺傷力の危険度を問題視されたからだ。
「導力兵器はある程度の威力調整が可能だから、基本的には鎮圧を目的とする軍警察のニーズにマッチするけど、実弾銃が主流の時代はとかく戦争やテロの死傷率が高かったそうよ」
 兵士や犯罪者の人命保護の観点から、大陸のほとんどの国の軍関係者に導力銃が標準配備される流れとなった。逆に国際法など糞喰らえの闇社会の猟兵団(イェーガー)は、好んで高威力の火縄銃を愛用している。紅蓮の塔で遭遇した黒装束も実弾機関銃(オートマシンガン)という即死武器を躊躇なく使用しており、こちらが奴らの本性なのだ。
「今にして思うと、魔獣限定とはいえマシンガン以上に危険極まりない機関砲(ガトリングガン)を振り回していたティータの奴はマジキチだったな」
 現在はブライト家に潜伏中の博士のお孫さんが、幼年の部の参加資格(十二歳以下)を有していたことにエステルは思い当たる。ガトリング砲は使用禁止としても、導力砲だけでも火力は半端ないので、もし破壊神が参戦していたらぶっち切りで優勝していたと確信する。
 その幼年の部の方は、王都の武家子息だけの乏しい参加人数では団体チームを組むのは無理なので個人戦が維持された。
 既に午前中にファイナリスト二名が決定している。例年通りなら、大人の部決勝前のエキシビジョンとして、お子様同士の微笑ましいバトルが組み込まれる筈である。

        ◇        

「ううっ、痛い、痛いよ。ママー」
「ち、畜生、何で俺達がこんな目に……」
 南門の控室。担架に乗せられた瀕死の仲間が目の前を通過していき、デカイ図体をして実は肝が小さいブルトをはじめとしたレイヴンBチームの面々は震え上がる。
「なあ、やっぱり棄権しようぜ。どう考えても、ここは俺達がいるべき場所じゃなかったんだ」
「確かにそれがベストの選択なんだろうけど、戦いもせずにトンズラかましたら、ロッコの奴に後でどんな目に遭わされるか」
「くそっ、何であいつらの復讐に俺たちまで巻き込まれなきゃならないんだよ? どうせあの鬼強の遊撃士兄妹に勝てる訳ないのにさ」
「そいつは判らないぜ。今回は伝説の『あの人』がついているし、もしかしたら……」
 四人がヒソヒソと情けない相談をしている内に、予選最終試合のアナウンスが鳴り響く。試合放棄しようか悩んだが、対戦相手を見て考えを改める。
 何と敵は単独である。2アージュを越える巨漢男性は脆弱そうには到底見えない……というか、かなり強そうだが、弱った獲物を集中攻撃する袋叩きこそがレイヴンの本懐。これなら囲んでしまえば、何とかなるかもしれない。
「南、蒼の組。レイヴンBチーム所属。ブルト選手以下4名のチーム。北、紅の組。カルバード共和国出身、武術家ジン以下1名のチーム。両チーム開始位置についてください。双方、構え。勝負始め!」

「うりゃ、うりゅ、うりゃー!」
「こいつめ、この、この!」
 四人に包囲されたジンは方々から滅多打ちされるが、鍛え抜かれた鋼の筋肉はびくともせず、彼らの攻撃など蚊に刺された程にも感じない。
(参ったな、どうするべきか……)
 目前で警棒を振るう敵勢に何らの脅威も感じずに、ポリポリと頬を掻く。
 規格外の洞窟湖のヌシと死闘を演じた直後では、数だけのチンピラ相手など拍子抜けも良い所。力ずくで蹴散らすのは簡単だが、それも弱い者苛めをするみたいで気が咎める。
「よし、この中ではお前が一番頑丈そうだな」
 モヤシのように貧弱な面々の中で、唯一ガッシリした筋肉のチームリーダーに目をつけたジンは、「しっかりと腹筋に力を篭めておけよ」と警告すると初めて拳を構える。
 彼は幹部のディン達をも凌駕するチーム随一の肉体派。とある事情でBチームに格下げされているが、本来ならAチームに抜擢される『レイヴンエリート』と呼んでも差し支えない実力者なのだが。
「せいやっ!」
 渾身の正拳突きが鳩尾に炸裂。メキゴキという嫌な音を立てて、ブルトは吐瀉物を撒き散らしながら、痛そうに地面を転げ回る。
「あちゃー、済まん。少し力を入れ過ぎてしまったか」
 ジンは軽く太眉を顰めると、申し訳なさそうに自身の後頭部を撫でる。胸部周辺を叩いていたら間違いなく肋骨が砕けており、これでも加減したつもりだが、敵の耐久力と己の破壊力の両方を見誤ったらしい。
「どうする、まだやるかい?」
 ジンが拳を突き出して、軽く威嚇する。残りの三人のメンバーはブルブルと首を横に振りながら、得物を地面に取り零してホールドアップする。

 武とは二つの矛を止めるという意、字体。争いを諫めて和と成すが、本当の力。
 まさしく、戦わずして勝つを知る者の格言通り。先の特務兵のように徒に暴を振るうことなく、A級遊撃士ジン・ヴァセックは最小の被害で場を収めるのに成功。
 かくして、決勝トーナメントを競い合う八チームが、ここに出揃った。



[34189] 19-06:魁・武闘トーナメント(Ⅵ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/27 01:26
「それでは、ジンさんの決勝トーナメント進出を祝って乾杯」
 グランアリーナでどうした事か存在そのものを失念していたA級遊撃士の雄姿を見掛けた刹那、最後の当たり籤を逃すまいと遊撃士の兄妹は試合経過そっちのけで、芸能人の出待ちのファンのように控室前通路で待ち伏せた。
 それから祝勝会と称して、居酒屋『サニーベル・イン』へと強引に引っ張っていく。二階のテーブルを陣取ると、エステルはコーラで、ジンとヨシュア(!)はミックスカクテルで祝杯を挙げる。
 目的は当然、空席が三つも存在するジンチームへの仲間入りだが、ヨシュアに思うところがあるのでその要望は伏せたまま、まずは与太話に華を咲かせる。
「ツァイスで出会った時は、本当に助かりました。ジンさんが洞窟湖のヌシをぶちのめしてくれおかげで、労せずゼムリア苔を採取しアガットさんも無事に峠を乗り越えられました」
「あの場は性急すぎて、身分を名乗り合うぐらいしか暇がなかったからな。あん時のお礼も兼ねてるから、何でも好きな物頼んで構わないっすよ」
「そうか。そういうことなら、遠慮なくゴチになるわ。正直、懐が心細かったこともあるしな」
 外観通りにおおらかで細かいことに拘らない大人物は、正遊撃士が見習いに奢られるのも深く気に止めずに、体型に相応しい胃袋を満たすべく店のコース料理を纏めて注文する。
 先行投資で多額の出費を予め覚悟していたので、バイキングに文句をつけるつもりはないが、ジンの物言いが少し引っ掛かった。
「あれっ、B級以上の遊撃士は副業無しで食っていけるエリートじゃなかったんすか?」
「リベールに入国した際には路銀はそれなりに持参してきたんだがな。キリカと再会した晩、借金の精算に有り金をあらかた巻き上げられてしもうた」
 借入金そのものは、たまたま手持ちを持ち合わせなかった時に夕飯代を立て替えてもらっただけの端金だが、「三日複利の二年分利息」というヨシュアを聖女と錯覚せんばかりの悪徳高利貸しも真っ青の法外な金利が上乗せされていた。
 英雄色を好むの格言通り、意外に別嬪女性に弱い御仁は同郷美人に頭が上がらず、常のような正論で抵抗することも叶わずに搾取されて憂鬱そうに溜息を吐いた。
 昔気質のジンはキャッシュやクレジットなどのカード類を一切利用しないポリシーなので、「これでは王都の滞在が成り立たない」と斟酌を乞うたが、「大会で勝てば問題ない」と突慳貪で返されたそうで、ホテルに宿泊する費用もなく仕方無しに大使館を宿代わりに利用している。
「武術大会の賞金システムが親の総取りだと知っていながら、無理難題を宣ってくれる」
 カクテルを豪快に一気飲みしたジンは、やれやれと云った風情で両肩を竦める。
 これはもしかしたら、ジンを経済封鎖で背水の陣へと追い込んで是が非でも優勝させようという厳しい愛情の裏返しなのかもしれないが、サトリじみたヨシュアに匹敵する洞察力を誇る受付嬢も個人戦から団体戦への鞍替えなど予測しようもないので、その愛の鞭は空振りに終わりそうだ。
「けど、ジンさんはレイヴンの四人に圧勝したじゃないですか?」
「あれは単に素人相手で、組み合わせ運に恵まれだけさ。もしストリートファイターペアとぶつかっていたら、多分俺の大会は今日で終わっていただろうしな」
 欠員チーム同士が予選で潰し合うことはないので無意味な仮定だが、個の限界を心得ているジンは強がることなく、彼我の戦力比を冷静に分析する。
 一対一で戦っても敗北する可能性がある達人を、二人同時に相手取って完勝すると自惚れるほど己を美化してはいない。そういう意味では、突撃騎兵隊という手頃な相手とぶつけられた所為で、彼らが内輪揉めで勝手に自滅したのは長い眼で見れば僥倖だ。
「まっ、それは置いておいて、予選は一発で終わっちまったから、結構力が有り余っているんじゃないすっか? 料理が来る前の景気づけとして俺でよければつきあいますよ?」
「おいおい、こんな所で大立ち回りを演じるつもりか? 他の客に迷惑…………なるほど、そいつでか」
 エステルが好戦的な表情で片腕の袖を捲りジンは苦笑するが、テーブルの上に肘が置かれたのを見て彼の誘いを諒承する。
 シンプルイズストロングを地でいく単純明快な力比べで食前前の準備運動をこなそうというのだ。これならテーブル一つあれば事足りる上に二階の客席にはエステル達しかいないこともあり、周囲に騒動を撒き散らすこともない。
「なら、その挑戦を受けて立つとしようか」
 レイヴンへの紳士的な対応から伺えるように、ジンは決して粗野でも凶暴でもないが。態々地下洞窟まで足を伸ばし伝説のヌシに喧嘩を売りにいったみたいに、勝負事そのものは大好物。利き腕の籠手を外すと互いの両手の掌を組み合わせ、豪傑二人の丸太のような上腕二頭筋がクロスに交差する。
「所詮は余興だし、ブーストクラフトは無しでいこうか?」
「あれっ、俺が麒麟功を持っているのが解るんすか?」
「まあな、お前さんからは俺と同じ物理特化の臭いがするからな」
「それでは、これより腕相撲を始めます。お互いに構えて、レディーゴー」
 審判役務めたヨシュアの合図により、恐らくは大陸腕相撲選手権でも上位に入賞する力自慢同士による異例のアームレスリングが開始された。

「ジンさん、ウィンー」
「くうっー、負けたぁー」
 三分近い長時間の一進一退の攻防が続いたが、最終的にはジンが押し切って勝利し、ヨシュアが彼の片腕を高々と掲げる。
「いい勝負だったぜ、エステル。最後までどっちに転ぶか判らなかったし、楽しかったぜ」
 軽く額の汗を拭ったジンはテーブルにうつ伏したエステルを労うが、あながち謙遜でもない。
 ジンにしても単純なパワー対決で人間相手に本気になったのは久しぶり。彼の兄弟子以外にも膂力で真っ向から張り合える逸材が同業者にいたことに新鮮な驚きを感じている。
「やっぱり、世の中は広いわね。腕相撲でなら父さんにだって勝てるエステルが、純粋な腕力勝負で牛耳られたのは何年ぶりの体験かしらね?」
 ヨシュアが琥珀色の瞳に感嘆をこめて、前衛特化型のエステルの上位互換ともいうべき巨漢の偉丈夫を見つめるが、ジンは首を横に振る。
「武闘家にとって身体能力(フィジカル)は重要な要素ではあるが、実戦はそれだけでは勝てないぜ」
「そいつは十分身に沁みているつもりですよ、ジンさん」
 磨き抜かれたテクニックでパワーを相殺する理(ことわり)の術者が世に存在するのを二人の肉体派は弁えていたからだが、その認識には若干ずれがあった。
 ジンは二人の父親である剣聖(カシウス)を指していたが、エステルにとっては目の前の華奢な義妹こそが親父越えの前に果さなければならない超克対象なのだ。
 そうこうしている間に、輝身ブイヤベースやホット海汁などの大皿料理が運ばれてきた。実は全身運動競技の腕相撲で程良くカロリーを消費した大食らい二人は、早速空っぽの胃袋を満たし始めることにした。

「ふうっー、食った。食った。腹一杯飯を食えたのは何日ぶりかなー」
 エステルと食欲を競うように大皿料理を十人前も食したジンは、満足そうにお腹まわりを撫でるとデザートのリフレッシュパイに齧りつく。
 つい先日までコーヒーハウス『バラル』で三人前分の大皿『匠風ライスカレー』を十五分完食で料金無料のチャレンジメニューが催されており、カレーのみの無銭飲食で食い繋いでいたのだが、そのラッキーイベントも満了し悲しい思いを味わった。
「ところで相談があるのだが、しばらく王都で修行するのなら俺と一緒に武術大会に出てみる気はないか? お前さん達と組めば優勝を狙えるかもしれんしな」
 求道者たるジンは理不尽なルール変更を愚痴ることなく、単独でどこまで通用するか挑む腹だったが、先の腕相撲でエステルの実力を知って一部考えを改めた。
 王城潜入を目論む二人にとっては願ってもない展開だが、ヨシュアは内心の歓喜を押し殺して敢えて素っ気ない態度を貫く。
「エステルはともかく、私は足を引っ張るかもしれませんよ、ジンさん?」
「三味線引かなくてもいいぜ、ヨシュア。そりゃ戦闘能力は義兄に劣るかもしれんが、その分色んな裏技が使えるのだろう?」
「流石にジンさんは慧眼ですわね」
 洞窟湖で披露した隠密能力から、ヨシュアを特殊スキル持ちのバックアッパーと見做したようだが、それだけでは五十点だ。
 A級遊撃士の眼力を以ってしても、この細身の少女の内面に潜む魔性を見破るのは叶わなかったらしく、猫かぶりが大好きなヨシュアは満面の笑みで舌を出す。
「賞金が得られるのは優勝チームのみだから、山分けする前に敗退して只働きになる公算が高いが、それでも二人とも構わないか?」
「もちろんだぜ、ジンさん。腕試しにはもってこいだしな」
 任務の性質上、リタイアは許されないのだが、どうしてヨシュアが回りくどい真似をしたかは得心した。
 自分たちから助太刀を名乗り出れば、寛容なジンのことだから二つ返事で了承しただろうが分け前の要求がし辛くなる。
 けど、こうして勧誘を受ける側の立場となれば、堂々と二十万ミラの褒賞にたかれる訳で、勝てば二人頭で十万ミラもの大金をせしめられる勘定となる。
(他の連中と組む場合は賞金を放棄するって達観していた癖に、相変わらず抜け目がないというか守銭奴というか)
 そう呆れるも、マーシア孤児院絡みのクエストでミラの有り難みを痛感してもいたので、稼げるチャンスがあるなら貪欲にトライした方が次なる身内の危機が生じた時にも対処し易くなるかもしれない。
「けど、そうなると、後一人の欠員も埋めたい所ですね。優勝した時の取り分が減るのは正直心苦しいですけど」
 金銭関連の本音も隠さずに、ヨシュアがそう漏らす。導かれし者の二強がタッグを組む上にエステル自身も足手纒いには程遠いので、三人でも戦力に過不足ない筈だが、裏を返せば追い詰められるまでは本気を出さない手抜き願望と受け取れなくもない。その怠け者の言葉を待ち構えていたかのように、突然、階下からジャジャジャジャーンとピアノの大音量が響いてきた。
「これは交響曲第五番『運命』?」
「ほお、俺は音楽は素人だが、かなりの使い手が演奏しているというのは理解るぜ」
「何か目茶苦茶嫌な予感がするんだが、この真下でピアノを弾いているのは、もしかして?」
 吹き抜けの一階部分をそっと覗き込むと、白い燕尾服を着た金髪男性が鍵盤上で十本の指先を忙しく動かし続けている。エステル達と目線が合うと白い歯をキラッと輝かせて微笑む。
「やっぱり、オリビエさんね。レイヴンの人達が陸に戻っていた地点で、ある程度予想出来たシチュエーションだけどね」
 二人の顔なじみの漂泊の詩人は一通りの演奏を終了させて周囲の客の拍手に応えると、スキップするような足取りで二階に駆け昇ってきて、ちゃっかりとヨシュアの隣の席に腰を落ち着けた。
「話は全て聞かせてもらったよ。天才音楽家で優秀なガンナーでもあるこの僕が無償で力を授けてあげるので、有り難く思いたまえ」
 ヨシュアに近い地獄耳で、二階の内緒話を盗み聞きしていたらしい。押しつけがましく助っ人役を売り込むが、マイペース男の生態を知るエステル達はともかくジンは多少困惑しているようなので、まずは双方向で手っとり早く自己紹介から済ませる。
「ほおっー、帝国からの旅のミュージシャンかい?」
「ふっ、そしてヨシュア君の未来の花婿でもある」
「マグロ漁船に売り飛ばされたのにまだ懲りてないのかよ、お前?」
 ルーアンでの酷い仕打ちに幻滅するでも恨み節を語るでもなく。愚直にモーションをかけるオリビエのひたむきさになぜかエステルは内心モヤモヤするが、追加注文で頼んだ海鮮パエリアがテーブルに置かれた途端、風来人の余裕がひび割れる。
「どうしたのですか、オリビエさん?」
「な、何でもないですよ、ヨシュア君」
 そう否定したものの、オリビエは目線を泳がせながら、ダラダラと脂汗を流している。もしかして、ピーマンみたいな嫌いな食べ物でもあるのか、御飯が盛り付けられた皿の中を覗き込む。
「えーと、海老にムール貝にあさりに蛸…………あら、王都でも品薄の真蛸が品目に加えられるようになったのね」
「「ヨシュア君。それを僕に近づけないでくれ」
 スプーンで蛸足入りのライスを掬い取ると、オリビエは忌避するように顔面を塞いだ左手を左右に降る。勘の良いヨシュアはピーンと来た。
「オリビエさん、もしかしてクラーケンにでも遭遇したのですか?」
「…………ハハハ。やだナア。よしゅあクン? くらーけんナンテコノ世ニ存在スルワケナイヨ?」
「…………声が完全に裏返っているけど、大丈夫か、お前?」
「そっとしておきましょう、エステル。海の上でつらい…………とても、つらいことが遭ったのよ」
「ブツブツ………………その巨大な触手で、僕を掴みあげるのは、やーめーてー!」
 レイプ目でフラッシュバックしたオリビエが、正常な状態に復帰するまで幾ばくかの時を必要とした。

「けど、真面目な話、クラーケンに襲われてよく助かりましたよね? 人魚の子守歌で退散するなんて出鱈目だと思ってたけど、本当に効果があったのですね?」
 古文書の内容を眉唾と察しながら、長老にオリビエを紹介したヨシュアの神経は相変わらず。流石のオリビエも一瞬青白んだが、直ぐに飄々とした態度を取り戻す。
「ふっ、僕には口先では連れない憎まれ口を叩いても、ピンチになったら必ず助けにきてくれる頼もしいツンデレの幼馴染みがついているからね」
 「く、悔しい、でも助けちゃう」とオリビエは頬を熱っぽくピンク色に染めながら、身体をビクン、ビクンと撥ね上げる。見ていてサプリーズを起こすぐらいに気色が悪い。
「随分と個性的な演奏家さんみたいだな。で、話を戻すけど、俺たちのチームに入りたいわけか?」
 一連のオリビエの奇行に全く動じずにパエリアにがっつくジンもまた只者ではないが、実弾が禁じられた大会で導力砲ならともかく、導力銃(オーバルガン)の火力が通じるとはエステルには思えなかったのだが。
「入れてあげてもいいんじゃないの、エステル。確かにオーバルガンだけなら心許ないけど、オリビエさんの真価はアーツの方にあるからね」
 ヨシュアがいそいそとオリビエの襟元を開くと、メイン中央スロットのみが幻属性で、他の五つが全てフリースロットで構成された戦術オーブメントが出現する。
「ほお、ワンラインか?」
 ラインが壊滅状態の物理屋二名は感心したように胸元を覗き込み、「責任取ってよね」と変態は潤んだ瞳で顔を背ける。
 中央スロット以外固定属性無しのオリビエの戦術オーブメントは、あらゆる属性クオーツの組み替えが可能。同じワンラインのクローゼよりも格段に汎用性に優れており、前衛過剰なジンチームとしては後衛の補強が叶う計算になる。
「なら決まりね。本戦までまだ三日あるから、その間にこのパーティーの陣形を煮詰めて…………って、済みません、ジンさん。チームリーダーを差し置いて差し出がましい口を挟んでしまって」
 赤面したヨシュアは今更ながらに恐縮するが寛大なジンは特に気分を害した様子もなく、「俺も基本的には猪武者だから、作戦を考えてくれるなら有り難い」と参謀役を丸投げする。
 個人競技と違って、団体バトルには集団戦術とチームワークが不可欠。己々が好き勝手に動いていたらどんどん勝利から遠ざかるのは、予選で敗北した武闘家らが身を以って証明してくれていた。
「よろしく頼むぜ、皆の衆。目指すはもちろん優勝だ」
「当然だぜ、兄貴。くううっ、燃えてきた」
「……楽できるの、希望」
「むふふふふ、豪華な晩餐会へのご招待。ギャルの視線を独り占め」
 かくして一つの尊い目標に向かって、奇妙な多国籍軍が旗揚げされた。この寄せ集め集団が決勝の檜舞台まで勝ち残れるかは、まさしく神(エイドス)のみぞ知る顛末であろう。



[34189] 19-07:魁・武闘トーナメント(Ⅶ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/06 02:29
「私にはクローゼお兄ちゃんという将来を誓い合った旦那様がいるというのに、この胸の高鳴りは一体何なのかしら?」
 マーシア孤児院のオマセな幼女はオデコのタオルを取り替えると、瞳に好奇の色を称えてジョゼットの寝顔を至近距離から眺める。
 温室の薔薇のクローゼのような洗練された造形美とは全くの別物。アウトローの影を匂わせながらどこか世を拗ねた所があり、そういう背伸びした子供っぽい仕種が異性の庇護欲を擽るのね……などと十歳児とは思えない乙女思考に耽る。
「マリィ、これから包帯を取り替えるので手伝ってちょうだい」
「はーい、テレサ先生」
 コンコンとドアがノックされる。救急医療セットを抱えたテレサと他の子供たちが入室してきたので、マリィは殿方観察を一時中断する。
 ソファで横になっていたジョゼットが、ウツラウツラと目を覚ます。隣にいるキールとドルンも半身を起こす。
 ここはテレサの寝所。焼け落ちた施設を建て直した際にかつての部屋割りを忠実に再現した為、亡夫のジョセフ用と合わせて二つのベッドが並んでいる。更にリビングから来客用ソファを移動させて、三兄弟を看護する病室代わりにした。
 マリィがウキウキしながら、赤面するジッゼットのシャツを脱がしにかかる。クラム、ポーリィ、ダニエルのお子様トリオが包帯片手にドルンの巨体に纏わりつく。
 キールの相手を務めたテレサが寝間着と血で汚れた古い包帯を取り外すと、ブラをしていないので乳房が零れる。
 無頓着に上半身の肌が晒されるが、ここにいる殿方は血を分けた兄弟と精通前の園児だけ。特に羞恥を感じることもなく、前々から思っていた疑問を口にする。
「ねえ、院長さん。どうして、ここまでしてくれるの? 私たちがどういう身の上なのか判っているのでしょう?」
 兄姉二人はテレサとジョセフのお古(勿論巨漢のドルンはキツキツだが)を借着。ジョゼットはたまにお泊まりするクローゼのパジャマを着込んでいるが、ここに辿り着いた時の身なりは白黒ボーダー柄の囚人服。
 一般人なら即座に王国軍に通報していたが、テレサは重傷のジョゼット達を院内に運ぶと手当てと食事を施す。更にマノリア村の人達にも自分たちの所在を内緒にしている。
 お尋ね者など匿ったところで面倒事を招きこそすれ何らのメリットもない筈だが、テレサは優しい手つきで包帯を巻き直してまずは昔話から入る。
「こうして看病していると、十年前のことを思い出すわね。今のキールさん達みたいに庭のハーブ畑の前で倒れていた幼子を、ジョセフが見つけて保護したことがあるの」
 その子供がこの国の王子様だと知っても、互いの身分の隔たりに遜ることなく夫妻の対応は変わらず。クローゼは魂の故郷ともいうべき安らぎの場を手に入れ、ジョセフ亡き今も付き合いは続いている。
「どのような形であれ、困窮して敷地内を訪れた人間を拒む門はマーシア孤児院にはありませんよ」
 相手が王族だろうが脱獄囚であろうとも、人助けの基準に貴賤を設けるつもりは無いらしく、カプア家が領地を失った途端に掌を返した故国の貴族連中との落差に戸惑わざるを得ない。
(この女、本気でそんな絵空事を宣っているの?)
 得意の直感が婦人の言葉に嘘はないと告げている。今日までの一家の凋落を思い浮かべて惨めな気持ちに陥ったキールは、挑発的な態度で声を荒らげる。
「あたしらが飛行船をハイジャックして、百人以上の乗客を人質にした極悪非道な空賊一味だと知っても同じ奇麗事が言えるの、院長さん?」
 ボース地方を震撼させたリンデ号事件は世事に疎いテレサ院長も聞き及んでいる。一瞬、瞳に戸惑いを浮かべたものの、なぜか自嘲するように俯いた。
「私は駄目な保護者なので、人様の善し悪しを見極める慧眼などありはしません。つい先立っても私の至らなさが原因で、この子らを危険に曝してしまいました。こんな私に出会ったばかりの貴方たちの本質を語れる筈もないですが……」
 隣のベッドでは、ポーリィがドルンの膝上に無警戒に座り込み。クラムとダニエルが丸太のような両腕にヤジロベエ人形のようにぶら下がっている。これでは看護しているのか病症を悪化させているのか判らないが、無邪気にはしゃぐ子供らを見下ろす強面のドルンの瞳は実に優しそうだった。
「偽りの善意で私のような無知な大人は騙せても、隠された悪意を見抜く無垢な子供の目は欺けません。ドルンさんが本当の悪人であれば、この子達がこれほど懐く道理もないですし、許されざる凶行とはいえキールさん達にはそうせねばならない事情があったのでしょう?」
 テレサ自身も権力者の身勝手な悪意に翻弄された被害者の口だが、孤児院の窮地を救ってくれたのもまた円も縁も薄かった遊撃士兄弟の善意なのだ。
 だから世知辛い現実に何度裏切られようとも、彼女は自分の道を貫く。他者の真意を勘繰るよりも先に、困っている人あらば迷わず手を差し伸べるつもりだ。
「馬鹿馬鹿しい。何時か絶対に後悔するわよ、そんな甘い生き方」
 マザーテレサの菩薩の如き眩しさに目を焼かれて、キールはますます惨めになる。零れ落ちる涙の滴を隠す為に頭から布団を被りこむが、本当は既に悟っていた。
 生きざまを悔いているのは目の前の後光が射している貴婦人でなく、人としての道を踏み外した自分らの方である。彼女はこれから一家が進むべき方向を模索しなければならなかった。

        ◇        

「ジンさん、エステル。二人は最前線で敵を惹きつけて」
「おう!」「任せておけ!」
 手配魔獣(ダインダイル)と激突したジンチームは、前衛二名が揃って挑発クラフトを使い、空洋性の鰐軍団の注目を集める。
「オリビエさん。銃の方は敵の待機系クラフトを解除する時だけで、アーツでの攻撃と補助に専念して」
「ふっ、任せたまえ」
 壁役の二名が身体を張って魔獣の進軍を阻止している中に、後衛のオリビエが印を組んで詠唱態勢に入り身体を黄色に光らせる。
「さあ、行くぜ!」「応!」
 可能な限り手強い相手から潰すのが、バトルの鉄則。危険な即死能力を持つダインダイルを、その効果を発動させる前に前衛コンビの連携攻撃(チェインクラフト)で仕留める。
 取り巻きのワニシャーク数匹が宙を泳ぐように突進してくるが、オリビエの『アースランス』の詠唱が完了。近辺の地面がせり上がったので、二人は慌ててその場から飛び退く。次の刹那、魔獣の群は地べたから突き出た複数の鋭い土槍に串刺しにされ絶命する。
「あ、危なかった」
 もう少し逃げ遅れていたら両者とも巻き込まれて、モズの早贄のような悲惨な末路を遂げていた。エステルは心臓をドキドキさせながら、魔獣を貫いた棘の先端部分を指先で突つく。
「あらあら、私の出番は無かったわね」
 男衆を指揮した紅一点の司令塔当人にターンが回る前にあっさりバトルエンドとなるが、紙一重でスプラッターな犠牲者が出ていたことに気づいているのだろうか?
 ちなみにヨシュアの役割は中衛。メンバーへの戦術指示の他にも戦局全域のバランスを見回し臨機応変に介入する便利屋だが、こうまでパーティーの前後バランスが良いと何もする必要がなく手持ち無沙汰となるも、無精な少女は暇な境遇に満足しているようだ。
「最初の実戦の成果としては上々か。しかし、攻撃アーツは壷に嵌まると鬼強いけど、パーティーバトルだと今一つ使い勝手が悪いような」
 五匹もの魔獣を一網打尽にして鼻高々のオリビエを尻目に、エステルは一連の戦闘経過で明るみになった改善ポイントを指摘する。
 上手く弱点属性をつけば複数の敵を一撃で葬れる高火力の絨毯爆撃は、クラフトにはない導力魔法(オーバルアーツ)独特の魅力であるが、敵味方が入り乱れる混戦状態の戦場では範囲攻撃故に同士討ちの危険が常につきまとうも、参謀役はさほど問題視していない。
「その時は味方ごと纏めて薙ぎ払っちゃえばいいんじゃないの? うちの前衛はどちらもタフだし、より多くの敵を巻き込めたら黒字収支じゃない」
「ふっ、ヨシュア君の御命令とあらば、このオリビエ、心を鬼にする覚悟であります」
 後方担当の二人が何やら物騒な相談をしている。少数側による逆人海戦術を示唆する軍師の酷薄さに物怖じしないジンもタラリと冷汗を流す。
「そいつは勘弁願いたいな。俺もエステルもDEF(物理防御力)には自信があるから、物理攻撃ならある程度持ち堪えられるが、ADF(魔法抵抗力)は人並みだから、ATS(魔力)の高い楽師殿の高ランクアーツをマトモに浴びたら一撃でKOされかねん」
「そうだぜ、ヨシュア。お前自身はアーツがへっちゃらだからって、何でも自分基準で耐久力を図るんじゃないぜ」
 義妹の特異体質を皮肉りながら、作戦の見直しを促すエステルの意味深なニュアンスにオリビエが横から口を挟む。
「マイブラザー、それはどういう意味だい?」
「ああっ、ヨシュアは生まれつきADF値が高い希有なステータス持ちなんだよ」
 エステルは基本的に物理屋だが、稽古でヨシュアに討ち勝つ為に不得手のアーツに手を伸ばしてみたことがある。
 結果、小円時魔法(ヘルゲート)のダメージはゼロの上に、ご丁重に気絶の追加効果まで無効化される。逆にカウンターで喰らった下位ランクの単体時魔法(ソウルブラー)一発で体力の八割も削られてしまった。それ以降、普段は死にパラメタの魔法系数値(ATS/ADF)にも気を配るようにしている。
「なるほど、流石に裏技に特化しているだけはあるな」
 七十七の特技がまた一つ明らかになる。ジンは感心したように、彼の中でバックアッパーと位置づけた黒髪少女を見下ろす。
 それ以外にもAGL(回避率)はシャイニングボム並の上に、先例のようにアクセサリの補助効果抜きの生身で様々なステータス・状態異常への強耐性を誇るが、何分肝心要の物理防御が紙装甲ゆえに敵行動の八割弱を占める通常攻撃一発で即戦闘不能コースになるので、生傷が絶えない前衛以上に実は戦場での集中力維持に気を張っていたりする。
「それなら次の課題は、攻撃アーツの範囲内に敵だけを誘導するような前衛の位置取りについてかしらね」
 この場合、戦闘以外でスペース移動を繰り返す。所謂、オフザバトルの動きが重要になる。ただし、一朝一夕で叶う集団戦術でなく、時間をかけて錬磨する必要があるので、ブレイサーズ手帳を確認する。
 魔獣退治などの戦闘が絡むクエストは、まだ七つほど残されている。他の遊撃士チームは本戦前のアクシデントを嫌って手つけずなので、遠慮なく貴重な実戦訓練の場として有効利用させてもらおう。
 無論、演習で怪我でもしたら本末転倒なので、負傷率の高い前衛の体調管理には特に気を遣わねばならないが、本番までに即席チームで可能な陣形を一つでも多く編み出すつもりだ。

        ◇        

「ぷっはあ。やっぱり仕事の後の一杯は最高だな」
「おうよ、兄貴。身体を動かした後のヨシュアの飯は、また格別だぜ」
「ふっ、本当はヨシュア君本人を召し上がりたい所だが、それはまた次の機会かな」
 周囲が薄暗くなり本日の模擬練習を終わらせた一行は、遊撃士協会グランセル支部に帰参すると晩餐会に突入する。
 いい年こいた壮年者二名は不届きにも素寒貧。大会までの生活費は、未成年のエステル達の財布から賄われている。ただ、健啖家どもを居酒屋で好きに飲み食いさせたら出費が嵩むので、エーデル百貨店で食材を仕入れてギルドの台所で料理上手のヨシュアが自炊し、経費を削減している。
 爆釣対決の残り物を利用した魚料理の数々に一本気パスタ、仰天チーズリゾット、頑固パエリア、健康おやじ、究極肉鍋など旅の合間に身につけたレシピメニューを惜しまず投入する。エステルも含めて底無しの大食漢三人が相手だけに、大皿が次々と空になり追加注文が相次ぐ。
 戦闘中は陣頭指揮に徹し比較的楽ができたヨシュアも、引っ切り無しのお代わり要求に休む間もなく。ようやく三者の胃袋を腹八分(!)で満腹にさせた頃には、へとへとに疲れ切ってしまった。

「ふうっ、食った。食った。どれも絶品だが、身近な品目でいえばお好み焼きの風味は一味違ったな」
 元々関西焼きの本場は東方人街にある。共和国出身者で味道楽のジンは多くの暖簾を潜ってきたが、歴代ベスト5に入る味付けと太鼓判を押す。
「お誉めに預かって恐縮です。あくまで有り合わせの安価な食材で作った模造品ですから、旬の高級食材をふんだんに使ったエジルさんのオリジナルはこの三倍は美味しいですよ」
 商魂逞しいヨシュアは王都に出張して尚、旧バイト先のコマーシャル活動を怠らず、カトリアの婚約者のフィネルに頼んで、彼の屋台に造り置きのお好み焼きを委託販売してもらっていたりする。
 本店は更に激旨格安との広告に興味を引かれ、ツァイスへと旅立つ王都の食通は数知れず。美食家のオリビエはもちろん、お好み焼き通のジンも本国に帰国する前に是非とも店に立ち寄ろうと心に誓う。
「それでは、俺達はそろそろローエンバウムホテルに引き上げるとするか。エルナンさん、後は宜しく頼むぜ」
「はい、お任せ下さい」
 アスコットタイを結んだ高級スーツを華麗に着こなしたエルナンが優雅にお辞儀すると、酒のボトルやカクテルグラスに氷(ロックアイス)などがズラリと並べられて、受付デスクがバーカウンターへと早変わりする。
 ドライジン、コーディアル、氷をシェイカーに纏め入れて、手慣れた手つきで十回ほどシェイクしてグラスに並々と注ぎ込むと、薄く切ったライムを添えギムレットを完成させる。
「どうぞ……」
 丸椅子(スツール)に腰を落ち着けた異邦人達は、軽くグラス同士をキスさせ乾杯するとカクテルに口をつける。
「うおっ、こいつは五臓六腑に染み渡るぜ」
「ふっ、市販品の安酒をここまで仕上げるとは、素晴らしい仕事ぶりだ」
 ワインでさえもソムリエの注ぎ方一つでコクの差は顕著。カクテル類などシェイク捌きの巧みさで、天と地ほどの味の違いが出てくる。
 二人の賞賛振りからも、エルナンのバーテンダー振りは十分に名人芸に達しているようだ。酒のつまみにフレシュモッツアレラチーズを用意したりと気配りにも一切隙はなく、これなら安心して事後を任せられる。
「ほら、子供はもう寝る時間だぞ、ヨシュア」
 唇に人指し指を当てて、目の前のカクテルを物欲しそうに眺める不良少女の手を強引に引っ張ると、夜通しの長期戦に挑む駄目な大人たちの面倒をエルナンに託して、ギルドを退出した。

        ◇        

「それにしてもエルナンさんって、何者なのだろうな? 受付業務に就く以前の勤務先で身につけた稚技とか謙遜していたけど、案外、帝国カジノのディーラーとかだったりして…………って、ヨシュア、眠っちまったのかよ?」
 幼子のように手を引かれたヨシュアは、歩いたまま器用に船を漕いでいる。エステルは軽く嘆息すると、仕方無しに義妹をオンブ抱っこする。
 相変わらず体重の概念が感じさせずに羽毛の如く軽量だが、それ以上に背中に押し付けられた二つの柔らかな肌触りにドキマキする。
「全くどうしちまったんだよ、俺は? 今更、乳房の感触一つで、ついこの間なんて裸を見たばかり…………」
 エルモ温泉で拝んだ神々しいオールヌードが脳内に鮮明に再現される。更にドツボに嵌まったエステルは、首をブルブルと横に降る。
「ええい、とにかく今は全て忘れろ、エステル。王都での修行を終わらせて正遊撃士に昇格できたら、もう一度この意味をじっくり考えればいいだろ」
 そう問題を先送りすると、ホテル・ローエングラムにチェックインする。202号室の鍵を受け取り、ヨシュアを隣のベッドに寝かせて自分も直ぐに床に就く。
 つい先日までは自然にこなせた兄妹間の微笑ましいスキンシップの数々を性的に過剰に意識してしまう自身の変化に戸惑いながらも、エステルは悶々とした想いを強引に捻じ伏せて何とか睡魔に身を委ねるのに成功する。
 仮に長い武闘トーナメントを無敗で乗り切り、博士の依頼通りにアリシア女王と面談が叶ったその後に義妹への持て余した感情に折り合いをつける術が本当に見つかるのか? 色んな意味で未熟なエステルには皆目見当がつかなかった。



[34189] 19-08:魁・武闘トーナメント(Ⅷ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/07 09:40
「はーい、皆さん、こんばんは。ツァイスラジオ局DJのヘイゼルです。原因不明の導力停止現象で、一時的に麻痺していたスタジオの機能もようやく復旧したので、恋の悩み相談室を再開します。えーと、今回もまたお葉書でなく、ボイスレターが届いているので、ポチッと再生します。ラベルに貼られたP.Nは、某所に潜伏する『逃亡少年T』君ね。あらっ? 音質変換器(はつねみく)によって機械音に編集させているわね」

『ハウッー、ヘイゼルオネエサン、ゴブサタデスゥー。ボクハイマ、アルオンナノヒトイッショニセイカツシテイルノデスガ、サイキンムネノドキドキガオサマリマセン。キビシイケドイロイロとキヲツカッテクレルワイルドナツンデレオネエサント、ネルトキギュットヌイグルミミタイニダキシメテクレルナキムシノヤサシイオネエチャン。ボクハドウナッテシマッタノデショウカ?』

「…………あのー、口調がその儘だから、音声だけアフレコしても誰なのかモロバレだけど元気でやっているみたいで安心したわ。君のファンクラブ会員ナンパー0027の副書記としては娘の嫁入りを見守るお父さんみたいな複雑な心境だけど、それはずばり恋よ。異なるタイプの二人の年上の異性を同時に侍らせるとはやるじゃない。人は愛の数だけ強くなれる生物なのだから、二股なんて気にせずにどちらのお姉さんも幸せに…………って、何なのですか、貴方たちは? 今は放送中………………えっ? ボイスレターの消印の送付元を確認させろ? 駄目ですよ、相談相手のプライパシーを守るのは法律によって…………きゃああ! 力ずくは止めてぇー! あーれぇー!」

(※謎の黒装束の集団が局内に押し入ってスタジオが混乱したので、今夜の演奏はまたまた延期になりました)

        ◇        

 マーシア孤児院にカプア兄弟が転がり込んでから、幾ばくかの時が過ぎる。ジョゼット達の病症も少しずつだが回復に向かいつつあった。
 しかし、ベッドに縛りつけられた手持ち無沙汰な身の上では思考を遊ばす以外に時間を潰す方策はなく、そうなると、どうしても思い浮かべてしまうのはキール達の犠牲となり敢えて死地に留まった一家の連中。永久監獄送りの絶望的な未来図を思えば、胸が締め付けられるように心が痛む。
 従犯の手下に悪事の尻拭いを押し付けて、主犯格だけがオメオメと安穏を甘受する厚顔さを恥じ入ったドルンは生来の短気で思慮不足の性格を暴発させ、歩けるようになるや否や強行手段に踏み切った。

「ちょっと、ドルン兄さん、そんな身体でどこへ行くつもりなのよ?」
「離せ、キール。俺はあいつらを助けにいく!」
「…………本気で言っているわけ?」
 数々の軍事設備と数百人の兵士が駐屯する難攻不落の城塞に、単身戦いを挑もうという無謀を通り越した自殺行為に兄妹は慄く。
 長兄の正気を疑ったのは、例のハイジャック指示と皆殺し命令以来三度目だが、今回は極めつけ。ヨシュアの合理的な思考フレームのような演算能力に頼らずとも、ゼロ以外の成功確率が有り得ないのはよほどの馬鹿でも察しがつくが、ドルンは更にその上を逝く大馬鹿のようだ。
「無茶苦茶だよ、ドルン兄。僕らの得物は墜落現場に置き捨ててきたし、徒手空拳の身一つで何が出来るっていうのさ?」
「ジッゼットの言う通りよ、兄さん。そもそもレイストン要塞に辿り着く以前にルーアン地方から抜け出ることすら叶わずにお縄になるわ」
 巨躯で極悪面のドルンの風貌は目立ちすぎる上に、王国軍は血眼になって脱獄囚を捜索しているであろうから、テレサに匿われなければとっくに留置所に送還されていた。
「一体、何事なのですか、キールさん?」
 その恩義ある院長先生が兄弟間の騒動を聞きつけたらしく、三人の子供と一緒に入室してきたのでキールは簡単に事情を説明する。
「そういうことでしたか。お仲間を案じるお気持ちは大変尊いことだと私は思いますが、せめてお身体を完全に治癒されるまで休養なさった方が宜しいのではないでしょか? それまでの間は、不束ながら私の方で面倒を診させていただいますので」
「ありがとよ、院長さん。今日まで本当に世話になったし、俺らみたいな犯罪者相手に、その心遣いは痛み入る。けど、俺はどうしても行かなければならない責任があるんだ」
 キール達に理論整然と諭されても、意志を曲げるつもりはない。巨体をクの字に折り曲げて深々と恩人に頭を下げると、ドルンはふらつく身体で部屋を出ようとする。
 詐欺に騙されて裕福なカプア家を破産させて盗賊稼業への鞍替えを提案し、あろうことか他国で終身刑ものの大罪を犯したのも全て頭領たる彼が元凶。その咎に同胞を巻き添えにした以上、一家を監獄から救わねばならない責務がある。
 不撤退の覚悟で取り縋る妹弟を振り払い軽くテレサを押し退けたが、ドアの前でクラムが通せん坊するように立ち塞がった。
「おい、おっちゃん。もしかして、勝ち目のない強大な敵に喧嘩を売る俺カッケーとか自己陶酔してねえか? だとしたら、あんたはオイラと同じ勘違い野郎の口だな」
「何だと、小僧?」
 左目に縦傷が入っている強面のドルンが凄む。ポーリィとダニエルの二人は思わずテレサの背後に隠れるが、クラムは臆することなく自らの経験則を言い放った。
「『勝算無しでも戦わなきゃいけない状況は確かにあるけど、他に選択肢がある中で暴走に身を委ねるのは、単に己の後ろめたさから逃れたいだけで、勇敢さとは違う』っていうのが、むかつく黒髪のババアのお説教だ。あと、『堪えるのは、実は戦う以上に勇気がいる行動なんだ』とオイラが尊敬するお兄ちゃんも明言していたぜ」
「この子の言う通りだよ、ドルン兄。捨て身で僕らを助けてくれた皆の頑張りを、独り善がりな感傷で全部台無しにするつもりなの?」
「そうよ、兄さん。なるだけ、もうリベールに迷惑をかけない遣り方で一家を救える策を私が考えるから、それまでは身体を治すことに専念して。お願いだから、今は我慢してちょうだい、ドルン兄さん」
「うっ…………ううっ…………うおおおお……!」
 ドルンは両手の掌を地面につくと、激しく号泣する。
 長兄で一家の人生を背負っている自分が、孤児院の児童も含めたこの面々の中で一番向こう見ずなガキだったという現実を思い知らされたからだ。

「テレサ先生、大変です。王国軍の兵隊さんがワンサカと敷地内に押し入ってきました」
 皆の必死の説得にようやくドルンが折れて、この場は何とかおさまりそうな雰囲気だったのに、マリィが別の凶報を携えて飛び込んできた。
 遮光カーテンの隙間から、チラリと外の光景を眺める。ゼルスト隊長に率いられたクローネ峠に駐屯する部隊が灯柱のアーチを潜って建物に近づきつつある。
 魔獣対策で四方を塞いだ孤児院の袋小路の地形上、唯一の出入口を抑えられた今、逃げ道はどこにも無い。万事休すだ。
「兄さん、ジョゼット」
「うん、判ってるよ、キー姉。やっぱり、そう簡単に逃げきれるほど甘くはなかったということだね」
 兄弟は互いの顔を見回すと、投降する決意を固める。
 今の満身創痍の状態で完全武装した十数人の兵士を振り切れるとも思えないし、下手に抵抗すれば大恩あるマーシア孤児院にも迷惑がかかる。
 我が身を生贄に捧げて、束の間の自由を与えてくれた仲間の好意を上手く生かせずに不意にするのは心苦しいが、ドルン達はこれ以上人の道を踏み外すつもりはなかった。
「けど、僕らを助けただけでも、院長さんは隠匿罪に問われたりはしないかな、キー姉?」
「なら、私達がこの子達を人質にして、逗留を強要したということにでもすればいいわ。どうせ終身刑に違いはないから、今更罪科の一つや二つ加わっても変わりはないからね」
 そうキールは達観したが、その彼女の一言からテレサは何かを閃いたみたいである。
 国事犯を庇いだてし職務に忠実な兵士を騙くらかす所業を果たしてエイドスは許してくれるのか? テレサには自信は無かったが、一度手助けした以上、自らの過ちを悔いているジョゼット達を見捨てるつもりはない。
 「せめて傷が癒えるまでの間だけでも持てなすのが福祉施設の役割だ」とキールに説いた上で奥の部屋に隠れているよう指示すると、子供たちを全員引き連れて院外へと赴く。
 ダルモア一派との抗争では結局、最後まで他人任せで何の力にもなれなかった非才の身だが、今度こそ自分らに出来る精一杯の戦いをこれから始める覚悟だ。

「お勤めご苦労様です。本日は何用でしょうか?」
 四人の子供の肩を抱いたまま、テレサは素知らぬ顔でそう問い掛ける。孤児院とは旧知の仲のゼルスト隊長は部隊の進行を止めると恭しく頭を下げる。
「お騒がせして真に恐縮です。実はレイストン要塞を脱獄した三人の凶悪犯がこの付近に逃げ込んだものと考えられているのですが、このような人物象に心当たりはないでしょうか?」
 地道な聞き込み調査によるマノリア村住民の目撃情報から、脱獄犯はこの近辺に潜伏していると見当をつけた。
 手渡された三枚の写真には懐かしい一家のユニフォームに身を包んだカプア三兄弟の姿が写されていたが、テレサは無表情に首を横に振る。
「存じません。狭い敷地内ですし屋敷の中も整頓されているので、もし第三者が侵入したら直ぐに分かりますからこちらからご連絡を差し上げます」
 ゼルストはテレサを正面から見つめながら、顎に手を当てて思案する。
 マザーテレサと称される院長の聖人振りは広くルーアンに広まっている。彼自身も婦人の人となりをよく存じているので、その言霊には視察と称して放埒し放題の王族(デュナン)よりも、よほど信頼と重みに溢れているのだが。
(犯人がこのあたりに潜んでいることは間違いないのだ。彼奴が子供たちを人質に院長先生を脅迫しているケースも考えねばならんな)
 世間慣れして頭が切れる隊長は上っ面の言葉だけを鵜呑みせずに、あらゆるシチュエーションを想定して、見知った児童の数勘定を行う。
(えっと、生意気盛で悪戯大好きのクラム君に精神年齢二十歳でIQ180のマリィちゃん。お花畑の脳味噌がお口と直結している天真爛漫のポーリィちゃんに影が薄いので個性が今一つ不明のダニエル君…………って全員揃っているじゃないか?)
 もし、彼の勘が正しく院内に犯人が籠城しているのなら、最低でも一人は幼子を手元に置いておかねば強制力が失われ、テレサが虚言を弄する必然性が無くなってしまう。
(俺の気の回し過ぎか。帰省した時に息子と一緒に見た刑事物のドラマに毒されたのかもしれんな)
 嘘は吐く理由も脱獄犯を庇う動機も消失したので、自らの先走りに軽く頭を掻く。
 類まれな善人だからこそ、自発的な意志で重傷の犯罪者を匿っているという可能性にまでは思い至らなかったが、念の為に施設内の探索許可を求めようとした刹那、写真と睨めっこしていたポーリィが思い出したように発言する。
「このおじさんたちなら、あたしみたよー。しましまのおよーふくをきていたなのー」
 一瞬、テレサやマリィの心臓が止まる。ゼルストは「間違いない」と貴重な手掛かりを握る幼女に顔を近づけ、副長のセーロス以下の部下も捕り物の予感に慌ただしくなる。
「ポーリィちゃん、どこで見たのか教えてくれるかな? そいつらは悪者なので、捕まえて牢屋に入れないといけないんだよ」
「みっかほどまえに、クローネさんどーのもりのなかであそんでたら、しましまでちまみれのおねえさんたちがほくじょーしてったのー。『こっきょーせんをこえんるんだー』とか、いっていたみたいなのー」
「ちっ、山狩りし尽くしたつもりだが、漏れがあったか。有り難う、ポーリィちゃん」
 ゼルストはボーリィの頭をナデナデすると、帝国領に禍根の種を逃がすまいと無線で連絡を取りながら、手勢の兵士を引き連れてメーヴェ海道にUターンする。
 これが利発少女のマリィや狼少年のクラムあたりの目撃談なら、隊長殿も証言の裏面を検討したかもしれないが、虚偽機能が有さない無垢な天然幼女の真言なので、信憑性は別にして真偽そのものは疑いすらせずに孤児院を後にする。
 「おしごと、がんぱってなのー」と手を振ったポーリィは、テレサ達の方を振り向くとニカッと白い歯を光らせて、満面の笑顔でピースサインする。
 何時もぼーっと惚けていながらも、見掛け以上に空気が読めるお子様のアドリブのお蔭でジョゼット達は絶体絶命の窮地を何とか脱したようだ。

        ◇        

「クエストだから仕方がないが、大会武者修行の最終調整なのに随分と面倒臭い魔獣と遣り合うことになっちまったな」
 釣公師団の秘密の抜け道から地下水路に降り立ったジンチームは、ボイルデッガーOの大群と渡り合う。
 純粋に戦闘力だけで図るなら最初に戦ったダインダイルの方がよほど手強いが、この殻の上に電球を乗せたような奇怪なフォルムの軟体魔獣の厄介な特徴は体内の発電器官を駆使して強力なアーツを唱えられることと、死亡時に内部に溜め込んだガスを爆発させ周囲の敵を道連れにする点である。
「くそっ、一斉にアーツの詠唱態勢に入りやがった」
 アメーバーのような不定形ボディーの中央に位置するコアが爛々と緑色に輝く。『プラズマウェイブ』の始動合図にエステルは強く舌打ちする。
 直線上を一気に貫通する高ランクの風というより雷魔法の特性上、橋のように狭い通路で互いに正面から対峙しているので、水中にでも飛び込まない限り避け場所はない。
 アーツ発動前に仕留めようにも、一匹でも自爆させれば次々にガス誘爆して、爆風ダメージが桁違いに増幅される。下手をしたら本戦出場前に、全員病院送りにされてしまう。
「オリビエさん、あなたもプラズマウェイブで対抗して」
「了解した、マイハニー」
 指揮官が作戦を決めたようだ。オリビエはヨシュアの命令意図を聞き返すことなく、直ぐさま印を組み身体を緑色に光らせる。
 同魔法で撃ち合うつもりなのか不明だが、詠唱で出遅れた以上はどう考えても敵の一斉斉射の方が早い。何か策があるのだろうか?
「前衛の二人は、ボイルデッガーを殴って適度にHPを削って。間違っても同じ固体を二発叩いて、戦闘不能にしては駄目よ」
「了解」「心得た」
 見掛けが全て同一のゼリーの固まりを逐一見極めろとは中々に難題だが、至近距離で連爆されたら生命すら危ういので、集中力を切らさないようにするしかない。
 エステルとジンがまるで間違い探しクイズのように、七匹のボイルデッガーをポコポコ殴打する。
 見間違えて既に瀕死の固体を小突きそうになり慌てて攻撃をキャンセルしたり、予想外のクリティカル発動でうっかり倒しそうになったりとヒヤヒヤしながらも、何とか全ての魔獣に均等にダメージを与えるのに成功する。
「二人とも、私の後ろまで後退して」
 そう指示すると、ヨシュアは魔獣の群の頭上に巨大な聖痕のイメージが浮かび上がらせて遅延効果を促して敵アーツの発動を遅らせると、自らもアーツの詠唱に入る。
 『魔眼』はSクラフトも含めて次行動が極端に早いヨシュアのクラフトの中では唯一待機時間を要する使い勝手の悪いスキルだったが、紺碧の塔でヘルムキャンサーの物理反射を防ぐ工夫をした副作用でダメージと引き換えに連続次行動すら可能な軽めの遅延クラフト『真・魔眼』に生まれ変わる。
 ジンとエステルがヨシュアの左右の脇を駆け抜けると同時にオリビエのプラズマウェイブが詠唱完了する。
「はっ、そぉれっ!」
 雷撃のエネルギーが地を這う大蛇の如く直進し、橋の両端ギリギリに突っ立って水路に落っこちそうな両雄を掠めて通過。当然、橋中央で印を組んでいるヨシュアにマトモに直撃するが、高いADF(魔法抵抗力)に阻まれ擦り抜けるように魔力が素通りし、詠唱中のボイルデッガーの群を貫いた。
 戦闘不能に陥った魔獣が次々に自爆。圧力10kgv/cm2(家屋倒壊クラス)の凄まじい爆風が四方八方に襲いかかるが、その刹那、『駆動』クオーツの効果で高速詠唱が可能なヨシュアのアーツが完成する。
「アースウォール!」
 そう叫ぶと同時にヨシュア前方の地面から巨大な土壁がせり上がる。空気中を伝播する音速の圧縮波と火山弾のように降り注ぐ魔獣の肉片をシャットアウトして、パーティーを完全防御する。
 やがて土煙が止むと黒髪の少女は無傷で立ち尽くしている。軽く額の汗を拭うとアヴェンジャーを太股のベルトに収納しようとしたが、そのまま地面に取り零してしまう。
「あらっ? 武器が持てなくなったわね」
 どうやら味方のプラズマウェイブを浴びた余波で、『封技』状態に陥ったようだ。エステルが意外そうな顔をしながら、双剣を拾い上げる。
「お前でも、全てのステーテス異常をキャンセル出来る訳じゃねえんだな? けど、それって結構ヤバくなかったか?」
 大勢に影響は無かったものの、もし、雷魔法の追加効果が『封魔』だったりしたら、絶対防御壁のアースウォールが発動せずにパーティーが崩壊していた危険もあるが、「『たられば』言いだしたらキリがないし、あらゆる状況に対応可能な万全な戦術など有り得ない」とヨシュアは後出しジャンケンを問題視しない。
「とにかく、これで依頼は全部片づけたわね。陣形のバリエーションも結構増やせたし、明日の本番に備えて今日はこのぐらいで終わりにしましょう」
 実際は全滅と紙一重の際どいバトルにも少女はさしたる感慨も抱かずお開きを宣言し、男衆は互いに何とも言えない表情を見合わせる。
 考えてみれば、紙装甲故に一発も敵の物理攻撃を受けられないという呪いのような誓約を自らに課している漆黒の牙からすれば、全ての戦いがギリギリで今回も特別綱渡りをしている自覚は無いのだ。
 魔獣退治と銘打った所で実戦は一方的な狩りではなく互いの身命を賭した死合いなので、常にこのぐらいの緊張感を以って臨むのが対戦者への手向けなのかもしれない。
(アイツはアイツで、意外と苦労しているのかもな)
 外面的に優雅な白鳥が水面下では必死に足掻いているように面倒臭がり屋の異なる一面を肌で感じ取ったエステルは、少しでも華奢な義妹の負担を減らせるよう強くなろうと心に誓うのと並行し、他にも有効な状態異常が存在しないか調べてみようと何時か夢見る対ヨシュア戦勝利の為に弱点属性を貪欲に研究する。

 かくして付け焼き刃の訓練なれど、即席パーティーなりに遣れる事を全て試し終えたエステル達一行は、ギルドでの宴会を適度に切り上げ体調をベストコンディションに整えると、難敵が待ち構える王都武術大会に挑むことになる。



[34189] 19-09:魁・武闘トーナメント(Ⅸ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/08 01:11
「今日からいよいよ本番ね」
 武術大会決勝トーナメント、当日の朝。ローエンバウムホテルのフロントロビーに集ったジンチームは、本戦参加前のミーティングを行う。参謀役のヨシュアがメンバーが装着する装飾具(アクセサリ)を決定する。
「エステルとジンさんはタイガーハートね」
 この宝石は物理的な高防力を格段にアップさせる代償に魔法系数値を同比率で減少させるが、前衛の両者がアーツを唱える機会は皆無に等しく実質ノーデメリットと言っても差し障りなく、ジンは感嘆の眼差しで掌の秘石を眺める。
「まさかタイガーハートを複数個も所持しているとは驚きだな。以前から俺も重戦士の嗜みともいうべきこのアクセサリを探し求めていたが、王都のオークションで競り負け獲得を断念した苦い思い出があってな」
「この類のガラクタ……もとい骨董品は釣りをしていれば結構手に入るぜ、兄貴」
「何と真か? うーん、なら俺も箪笥の奥の肥しになっている正遊撃士C級昇格報酬の年代物の釣竿を引っ張りだして、大物釣りにチャレンジしてみるかな」
「オーケイ、それじゃ釣公師団に入隊してみるか? あそこに籍を置くと、入手が面倒な釣り餌を格安で提供してくれるからお得だぜ」
「忝い。宜しく頼むわ、釣り師匠」
 無地藩長のエステルが最初の勧誘に成功。新たな釣行者候補生が世に誕生する姿を尻目に、ヨシュアは少し迷った後にロングバレルを差し出しオリビエは意外そうな顔をする。
 このアタッチメントも導力銃の射程を伸ばせる有益なアクセサリだが、演習でのオリビエの役割は完全なアーツ屋なので魔力特化の方向性で強化すると思っていた。
「残念だけど、かつて隠し持っていたクリムゾンアイは友人に贈呈しちゃったの。あの呪い石のスピード減退効果は実戦ではタイガーハートと違ってリスキーだから、仮に未だに保持していても選択しなかったと思う」
「ふっ、承知した。ならばガンナーとしても一流である所以をお見せしよう」
 ヨシュア自身は八卦服と衣装合わせした闘魂ハチマキをリボン替わりにして黒髪に結わいている。
 何でも屋として便利なクラフトを頻出できるようにCPの増加率を高めるのが狙い。これで全員に一通り行き渡ったが。
「アクセサリは二つまで装備可能だぜ。もう片方も決めておかなくていいのか?」
「それは皆の感性に任せるから、好きに選んでくれて構わないわ」
 各キャラの個性に合わせて最良の装飾品を選択するのは可能だが、ヨシュアが雁字搦めに戦術を全て定めた場合、いざ彼女の想定を越える事態に遭遇した時に対処する材料が乏しくなる。
「私のロジックはイージーミスの自滅を無くせる反面、嬉しいサプライズの芽も同時に摘み取ってしまうのよ」
 本番の戦闘が計算通りに終結することはまず有り得ない。そういう意味では、少しは遊びの要素を残しておいた方が予想外のアクシデントにも対応し易い。
 お昼の本戦までにアクセサリを選別しておくよう課題を与えると、並行して各自でウォーミングアップを済ませるように指示し一時パーティーを解散させる。
 ジンはエステルに連れられてギルド隣の釣公師団本部に足を伸ばす。オリビエはヨシュアから小遣い銭を貰うとエーデル百貨店にアクセサリを物色しにいく。
 「間違っても魔獣と戦って怪我を負ったりしないように」との戦闘禁止令を発して男衆を見送る。彼らの姿が視界外に消えると、ヨシュアは軽く嘆息しながらスカートの内ポケットから何かを取り出す。
 滴る血のような禍々しい魔力を解き放つ真紅の秘石。そう、クリムゾンアイ。
「やっぱり、これは私がクローゼに渡した奴よね?」
 秘石に取り付けられた見覚えがある首飾り用のチェーンにそう確信し胸騒ぎを覚える。
 なぜ餞別としてクローゼに譲渡された一品がヨシュアの手元にあるのかといえば、昨日のキルシェ通りの魔獣退治の帰り道で王都大門前の脇の草むらで太陽の光にキラリと反射した宝石を目敏く発見した。
 単にクローゼがうっかり落としたのなら、何ら問題はない。後で返却すれば良いだけの話。もし、あの場で何らかの事件に巻き込まれていたとしたら?
 ヨシュア達が王都に到着した前日にグランセル全域に戒厳令が敷かれたことと合わせて悪い予感は増幅されるが、現地点では情報不足で断定は不可能。
(いずれにしても、エステルにはしばらく黙っていた方が良さそうね)
 また秘密主義に走るのは心苦しいが、今はこのトーナメントを勝ち残るのに全神経を注ぐべき。首尾よく優勝して王城への侵入を果たしてアリシア女王との面談が叶えば、自ずと真相は判明するであろう。

        ◇        

「皆、それじゃ、気合入れていくぞ」
「おうっ!」「はーい」「ふっ」
 お昼過ぎにグランアリーナに再集合。受付で選手登録の手続きを済ませた一行は、チームリーダーの鼓舞の元に円陣を組んで士気を高めて意気揚々と館内に乗り込んだが、玄関ホールで十人前後の集団から待ち伏せを受ける。
 意匠の赤いバンダナをターバンのように頭部に巻き込んだルーアンの不良グループレイヴン。エステル達の姿を視認するや否やリーダー格の三人が早速因縁をつけてきた。
「ふんっ、待ちかねたぜ」
「良し良し、ちゃんと選手として参加しているみたいだな」
「ひゃっはっは。しかもブルト達をやった拳法家と連むとは何か出来すぎじゃね?」
 至近距離からガンつけるように取り囲まれて、エステルは困惑する。彼奴の仲間が予選のラッキー籤を二組も提供したので参戦自体に驚きはないが、この口ぶりだとこのチンピラ達は本戦に勝ち残ったということか?
「とにかく、これでお前ら兄妹への恨みを果せるってものよ」
「散々コケにされた落とし前は、きっちりつけさせてもらうぜ」
「ひゃはは。復讐するは我に有りってな」
「復讐、何それ? 私らはあなた達から感謝される謂われはあっても、恨まれる筋合いはないわよ?」
 ヨシュアが頬に人指し指を当てながら、「うーん」と小首を傾げる。
 可愛らしい仕種だが、既にこの少女の魔性を心得ているロッコらは魅了されることない。むしろ、本気で心当たりがなさそうな舐めきった態度に沸騰する。
「ふざけんな、このアマ。クソ砂利の事実誤認でいきなり殴り込みをかけて無実の俺らをコテンパンにして、挙げ句の果てにはマグロ漁船に売り飛ばしやがって!」
「そうだ、そうだ。あの後、海で俺たちがどんな悲惨な目に遭ったか判っているのかよ?」
「ひゃははっ。俺はもう一生蛸なんか口にしないぜ」
「あんなこと宣っているわよ、エステル? 私たちが間を取り持たなきゃ監獄送りにされていたかもしれないのに、逆恨みとは正にこのことね」
 やれやれと言った風情で肩を竦めるヨシュアをエステルは何とも言えない表情で見下ろす。
 ニート矯正のアイデアを計らい保護観察処分に減刑させた功績は事実だが、彼らの身売りに乗じて一稼ぎしたのも確かなので根に持たれるのも無理なかろうか?
 レイス達は更に詰め寄ろうとしたが、一行の中に見覚えのある顔が潜んでいて思わず足を止める。
「てめえは、ヘボ演奏家?」
「ふっ、ヘボというのは心外だね、ソウルブラザー達よ。まあ、船で寝食を共にした誼みとして海よりも広い心で受け流すとしよう」
 オリビエはポロロンとリュートを一曲献上するが、クラーケンの時同様に彼らの憤りを鎮静化する効果は得られない。
 謀られた経緯は微妙に異なるが、同じピンハネ被害者の境遇で何故のほほんと加害者と行動を共にしているのか不審がる。
「メンバーの定員は四人だし、まさか一緒のチームなわけか?」
「正気かよ、テメエ? お前もこの女に嵌められた口だろうが何だって……」
「愛ゆえに!」
 恐らくはこの世で最も尊いが故に彼方此方で氾濫されチープになりがちな一言を恥ずかしげもなく口にして、ディンらは言葉に詰まる。
「鴨ゆえに……だなんて。オリビエさん、あなたはそこまで私に奉仕してくれるのね?」
 胸に手を当ててジーンと感動する我が義妹をエステルは白い目で見つめる。
 千分の一デジペル単位の音質を聞き分け可能な絶対音感のスキル持ちがどうやったらこんな簡単な単語を聞き間違えられるか不明だが、後光が射し込んでいる愛の狩人の告白は腹黒完璧超人の心に一ミリグラムの感銘も与えなかったのは間違いない。
「ケッ、アホらしい。マヌケは死ぬまで搾取されてやがれ」
「そうだな。俺たちはこいつらからケジメを取れりゃ十分だし」
「ひゃはは。何かもう面倒だから、今この場で決着を…………」
「いい加減にしねえか、この馬鹿どもが!」
 ロッコ達が短慮に走り掛けた刹那、他の面々に紛れて後方で腕組みしていたレイヴンの一人が一喝。三馬鹿はビクッと震え上がる。
「自分達が保護観察処分の身の上であるのを忘れるんじゃねえ。巷で騒動を起こしたら、即漁船に連れ戻すぞ」
「す、すいやせん、兄貴」
 幹部である筈のレイスらが背筋を伸ばして畏まる珍奇な光景が目の前で繰り広げられる。
 エステルと同じぐらいの長身。歳は中年、髪はボサボサで左目が縦一文字に潰れている。温い草食動物の群の中で研ぎ澄まされた刃物のような異質な空気を身に纏っている。
「おい、何者なんだ、この人は?」
 エステルが三馬鹿に尋ねると、「へっへっへ」、「ひゃひゃひゃ」、「フッフッフッ」と上から目線で気色悪い笑いを浮かべる。
「ふんっ、聞いて驚けよ。この御方はな…………」
「あらっ、シャークアイさんじゃないの?」
「よっ、嬢ちゃん、久しぶり」
 エステル達との遣り取りを無視して、ヨシュアが謎のレイヴンと挨拶を交わす。男は先の強面の雰囲気が嘘のように気さくな笑顔を浮かべ、一堂は盛大にずっこける。
「顔見知りかよ、ヨシュア?」
「築地でナンバーワンと云われている凄腕の漁師さんよ。彼らとも旧知の仲だとは思わなかったけどね」
「そうよ、初代レンヴンでアガットの姐御の片腕を務めていたシャークアイの兄貴だ」
 満を持した紹介の御株を奪われて拳の降ろし所を失い居心地悪そうにしていたが、「コホン」と咳払いして気を取り直すとこの独眼男の出自を明らかにし、怒濤の過去回想に突入する。

        ◇        

 七耀暦1196年。どこからか流れてきた武装組織『アパッチ』の狼藉により、ルーアン地方は闇に包まれていた。
「ひゃっはー! 今日からこの海港都市は俺たちアパッチの占領下だ!」
 髪形が全員モヒカンで統一された極悪面のマッチョマン達が得物の釘バットを振り回して街中を暴れ回る。
 窓ガラスが次々に叩き破られ、商店は強奪される。取り締まりに駆けつけた王国軍の兵士も返り討ちに遇い、行政の機能は完全に麻痺して町は無法地帯と化す。
「頼む、店の売上金を持っていかないでくれー」
「いやー、離して下さい。私、モヒカンさんとお付き合いする趣味はないですー」
「うえーん、僕のペロペロキャンディがあー!」
「ううっ、地獄、地獄じゃ。こんな時、あの人達がいてくれたら…………」

「ファイナルブレイクー!」
 アパッチがたむろする密集地に爆炎が降り注ぎ、モヒカン雑魚が吹き飛ばされる。
 モヒカン達が炎の震源元を振り返ると、真っ赤なバンダナを頭部に巻き込み、警棒を得物として装備した一団がズラリと集結している。
 中央に頭目格の二名が陣取る。隻眼の意丈夫は特攻旗を掲げて、胸部にサラシを巻いて学ランを羽織った赤髪女は左肩に先の爆炎を巻き起こした大剣を担いでいる。
「よう、テメエら。俺らのシマで好き放題してくれたじゃねえか。いくぜ、野郎ども!」
【レイヴン初代総長 アガット・クロスナー 18歳】
「おうよ、姐さん。一人残らずぶち殺せえー!」
【レイヴン特攻隊長 シャークアイ 23歳】
「「「「「「「おおっ!」」」」」」」
【喧嘩グループ『レイヴン』 構成員十数名】
 大将、副将の二人を中心に一気に殴り込み、赤いバンダナとモヒカンが入れ乱れての混戦になる。何度倒されても瞬時に蘇るレイヴンの攻勢に戦闘開始前の人数比率は逆転。戦局は次第に一方的な殲滅戦に移行する。
「「「おら、死んでるんじゃねえ!」」」
「げえ、確かに戦闘不能にした筈なのに復活しやがった?」
「こ、こいつら、不死身か? こんな化物共を相手にしていられるか。ずらかれぇー!」
 レイヴンのゾンビ振りに恐れをなしたアパッチは尻尾を丸めて這う這うの体で逃げ散る。以後、再びルーアンの地を侵すことは無かった。
「押忍! アガットの姐御にシャークアイの兄貴。お疲れさんした」
「兄貴、コーラお持ちしやした。当然、姐さんには好物の絞りきりジュースで……」
「ひゃはっ、兄貴も姐さんも素敵ー、レイヴンサイコー」
【レイヴンのパシリ ロッコ、ディン、レイス 全員15歳(当時反抗期の真っ盛りで家出中)】

「有り難うございます、レイヴンの皆さん。おかけで街は救われました」
「いかねえで下さい。まだお礼も…………」
「ふっ、俺たちゃ、根無し草の渡りカラスよ。おらっ、野郎ども、引き上げるぜ!」
「「「「「「「おおよっ!」」」」」」」
 かくして、空駆ける自由な翼・レイヴンは真っ赤な夕日の中へと消えていく。だが、ルーアンに再び危機が訪れる時、彼らは再び駆けつけてくれるだろう。
 レイヴンの活躍によって、今日も無事にルーアンの平和は守られた。ありがとう、レイヴン。       
    【ルーアン史 第二十三章 渡りカラスの伝説 完】

        ◇        

「…………何だ? 今の無茶苦茶美化されたイメージ映像は?」
「捏造でしょう。でなければ、父さんにレイヴン討伐のクエストが依頼される筈はないから、ルーアン住民の目にはチンピラ同士が抗争していたように映っていた筈よ。でも、この人達にとっては今の昔話が嘘偽りのない真実なのでしょう。あくまでも、『この人達の中』ではね」
「姐さんと馬鹿をやっていた当時が、随分と懐かしいぜ。あの頃は俺も若かったから、随分と無茶をやったもんだしな」
「本当、今にして思うと、生きているのが不思議なぐらいの無鉄砲振りですよね。身体にダイナマイトを巻きつけてヤクザの事務所に捨て身の特攻かました時は、マジで小便ちびりそうになったすよ」
「ひゃはは。そんな兄貴も今では結婚して五歳になる娘がいるってんだから、随分丸くなったもんすよね」
「何でチームを抜けたんすか、兄貴? あんたさえ残っていれば、姐御だって今頃は…………」
 シニカルな感想を隠せない兄妹を無視して、シャークアイと三馬鹿は思い出話に華を咲かせる。
 彼はアガットの右腕として先代チームの屋台骨を支えた喧嘩屋で、その力量は総長をも上回るという声もあり、『レイヴンレジェンド』と評しても差し支えない生きた伝説そのもの。
「シャークアイさんがレイヴンOBなのは分かりましたけど、どうして一緒に行動しているのですか?」
「おうよ、嬢ちゃん。本来ならこいつらは遠洋漁業に服する手筈だったんだが、『とある海難事故』で長期航海用の漁船が壊され陸地で更生活動を継続することになり、俺は監視役として付き添っているのよ」
 ロッコ達は王都の武術大会参加を強く希望。その為の過酷な戦闘訓練もこなしたので、地方遠征許可を申請し監察官のシャークアイの帯同を条件にグランセルへの滞在が許された。
 動機は遊撃士兄妹への仕返し。正直、あまり健康的な目標とはいい難いが、特訓の甲斐あり予選でリベール正規軍たる国境警備隊に勝利し本戦に駒を進めたので、とかく執念というのは人を見違えるほど強くするもののようだ。
「この話の流れからすると、シャークアイさんも出場する訳ですか?」
「まあな、今はしがない漁師で喧嘩屋は引退した身だが、久々の現役復帰って奴か」
 「姐さんの同業者と戦えるのを楽しみにしているぜ」とだけ告げると三馬鹿を引き連れて赤の組の控室へと消えていき、他の面々は応援の為に観客席の階段を昇っていく。
 エステル達は蒼の組なので、もしかすると緒戦から対戦する可能性はある。果たしてエイドスはどのような天の采配を復讐者たちに齎すのだろうか?
「築地一の漁師にして、かつての伝説の喧嘩屋か。どんな闘い方をするか判らないけど、アガットクラスの武人だというなら要注意だな」
「そうね。口酸っぱくリスクを教えたから根性注入はもう使わないだろうけど、幹部格の三人は手下とはレベルが違うから当たり籤などと侮らない方が身のためね」
「確かに面白そうな相手だが、組み合わせを決めるのは俺たちじゃないから先走ってもしょうがないぜ」
「ふっ、こうしてまた陸の上でも再開するとは運命を感じるね」
 四人は気を引き締め直すと、急いで蒼の組の控室へと直行する。
 予期せぬレイヴンとの邂逅で思わず時間を取られたが、試合開始時刻が差し迫っていた。いよいよノックアウト方式の団体戦がスタートする。

        ◇        

「ご来場の皆様、長らくお待たせしました。これより武術大会本戦の決勝トーナメントを始めるので、栄えあるオープニングカードを発表します。南、蒼の組、カルバート共和国出身。遊撃士ジン選手以下、四名のチーム。北、紅の組、レイヴンAチーム所属。ディン選手以下、四名のチーム同士です」



[34189] 19-10:魁・武闘トーナメント(Ⅹ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/09 06:10
「へへっ。早速、リベンジの機会が得られるとは、エイドスも粋なことをするもんだな」
 王都武術大会決勝トーナメントの開幕試合に因縁の両チームが選ばれ、闘技場のセンターライン上で互いに向かい合い整列する。
 ディンたち三人は普段とは異なり、意匠の赤いバンダナを頭部に巻いている。
 この真紅のカーチフこそ、まさしくレイヴンの魂そのもの。この戦いへの意気込みがアリアリと伺えるのだが。
「おい、あれって、予選でアタリ籤を二組も提供したチンピラ一味じゃないか?」
「確かあのデカイ拳法家一人に一発でのされて、他の面子は棄権したんだよな? 超ダッセェー」
「今日はきちんと面子も揃えてきたし、同数じゃ勝負にもならないだろ? この赤雑魚どもが何分持つか見物だな」
 そんな彼らの気概とは裏腹に周囲は遊撃士側のワンサイドゲームを予感。短気なロッコなどは沸騰しそうになるが、シャークアイに窘められる。
 「言いたい奴には言わせておけ。試合が終わる頃には誰もが悟るだろうぜ。喧嘩は強い者が勝つんじゃなく、勝った者が強いんだって真理をな」
「押忍、兄貴」
「双方、構え!」
 審判の声が聞こえたので、レイスらは憤りを押し殺して配置につく。
 三馬鹿と前衛二名が互いに最前線に位置取る。ヨシュアは中位置、オリビエとシャークアイは後方へと下がっていき、エステルは訝しむ。
「あれっ? あのレイヴンOBの人は後衛なのか? あのワイルドな風貌からして、どう見てもアーツ屋には思えないんだがな」
 それ以前にレイヴンは誰一人として、戦術オーブメントを身につけていない。
 上半身はランニングシャツ一枚で、その傷だらけの肉つきは異質。一見細身だが無駄な贅肉は一切ない。過酷なトレーニングによって培われたボディビルとは異なる実戦の中で磨き上げられたナチュラルマッスルを誇っており、心なしか左腕の力瘤が右腕よりも発達しているように感じる。
「なあ、ヨシュア。あのおっさんが本当に築地一の漁師なら、俺より先に剛竿に選ばれていても可笑しくないんじゃないか?」
「それはね、エステル。使用する釣具が…………」
「勝負始め!」
 頭の中に渦巻いた不可解な疑問点を義妹に問い質してみたが。その解答を得る間もなく試合開始の合図が下されて、否応なく思考停止を余儀なくされる。
 二十万ミラの賞金と王城進出という遊撃士兄弟の密かな目標を賭した最初のバトルの火蓋が今切って落とされた。

「「「先手必勝!」」」
 三馬鹿は横一線に並ぶと、股を大きく開いてべた足でしゃがみ込むヤンキー独特のスタイル、俗に言う『うんこ座り』で威嚇する。
「デカブツ、調子くれてんじゃねえぞ、コラァ!」
「目ぇ、そらしてんじゃねえよ、クソアマ!」
「なめんじゃあないわよ、脳筋野郎!」
 ロックバンドのボーカルに匹敵する大音量に満場の観衆が耳を塞ぐ。思わず目を背ける迫力のメンチ切りの衝撃波をマトモに浴びたジン達はDEF(防御力)を削ぎ落とされる。更に『封技』の追加効果まで発動するも、前衛二人は装飾品のタイガーハートの効能で無効化したのだが。
「あらっ?」
 カランと音が奏でる。手を痺れさせたヨシュアが復讐者(アヴェンジャー)を取り落としたのだ。数少ない有効な状態異常に嵌まって封技状態に陥り、しばらく得物が握れなくなる。
「よっしゃあ、早速、特訓の成果が出たぜ!」
 良く練習は裏切らないというが、伝説の喧嘩師に授けられた不良テクが実を結び、三馬鹿はハイタッチを交わす。
 ヤンキーの本場関西式のガンのつけ方を学び、『真・メンチギリ』という封技率100%(※流石にアクセサリの効果は打ち消せないが)の強力なクラフトに昇華させた。
「おいおい、何だ? この糞開幕は?」
 初っ端からいきなりチームのキーマンが潰されるなどサプライズにも程があるが、ヨシュアは想定外の窮地にも動じることなく現状の自分に可能な役割を分析し躊躇うことなく実行する。
「い、いや、来ないで……」
 弱々しい仕種で真珠の涙を零して、しなだれるように地面に寝っ転がり、セクシャルポーズで挑発。八卦服の裾が大きく乱れて、白い生足が剥き出しになる。ディンは一瞬ゴクリと生唾を呑み込むものの、ブルブルと首を横に振る。
「けっ、もう騙されるものか! 硬派な不良魂を身につけた俺らにそんな見え見えの誘惑が通用するとでも……」
「ひゃははっ! その短いスカートを捲らせろ!」
「やぁーん」
 辛うじて挑発クラフトを撥ね除けた二人と異なり、レイスは目をハートマークにすると得物の警棒を振りあげながらヨシュアを追いかけ回す。
「ほーら、ほら。捕まえてごらんなさーい」
「ひゃははっ、待て、待て!」
 恋人同士の微笑ましいキャキャキャウフフか、はたまた変質者にストーキングされる幸薄ヒロインなのか。闘技場全域をフィールドにした前代未聞の鬼ごっこが始まる。客席からも失笑が漏れ、エステルは軽くコメカミを抑える。
「全く、ヨシュアの奴、何考えてるんだ?」
「そうぼやくな、エステル。頭数を均等にする為に自分に敵を惹きつけているんだろ」
「そこまで気を揉む必要のある相手かよ? 二対三でも俺と兄貴で十分に事足りるだろうに」
 途方に暮れたエステルにジンはそうフォローするが、身内の奇行に頭を悩ましているのはロッコらも同様。前衛同士が互いに足を止めて、奇妙な小休止状態ができあがっている。
 いずれにしても、逃げモードの漆黒の牙を補足するなどエステルはおろかカシウスでさえも不可能なミッションなので、封技状態とはいえ心配する必要はない。
 現在のジン達も自慢の防御力が紙装甲なので、DEFが回復するまでの間は守勢に徹して遣り過ごすしかない。

「マイハニーのピンチ。ふっ、とうとう僕の射撃の腕前を衆目に披露する時が来たようだな」
 後衛として競技場最奥の壁前に待機していたオリビエは、目前で繰り広げられる追い掛けっこに導力銃を構える。「ここで格好良く救出すれば、ヨシュア君のハートも鷲掴みー」などと妄想全快で皮算用し撃鉄を絞ろうとしたが、ヒュンと音がすると同時に頬もとを何かが掠めて反射的に身体を硬直させる。
 左頬からツーッと血が滴り落ちる。目線を横にずらすと、何か槍のようなものが壁に激突。亀裂を走らせてポロリと地面に落ちる。
 一体どこから飛んできたのか、射撃元を探す。逆側の壁前に陣取っていたシャークアイが「ちっ、外したか」と舌打ちしている。
「まさか、あんな遠方からここまで槍を放り投げてきたというのかい?」
「気をつけて、オリビエさん。シャークアイさんは銛投げの名手よ」
 踊り掛かろうとするレイスの頭の上を跳び箱の開脚跳びの要領で両足を大きく左右に拡げながら飛び越えると、解説魔が己の危機的状況にも関わらず習性のように講釈を垂れる。
 揺れ捲くる甲板の上から五十アージュ先を高速で泳ぐ人食い鮫を一撃で仕留められる豪腕を所持しており、トライデントの後継者にならなかったのは単に釣作法の違いみたいだ。
「つまり、シャークアイさんには前衛後衛の概念は無く、敷地内の何処にいても攻撃範囲ということになるわ」
「そういう死活情報はもっと早く教えてよね、ヨシュア君」
 珍しくオリビエが苦情を申し立てるが、伝説の漁師の参戦を把握したのはつい先程。直後に開幕カードを組まれてしまったので、流石の名軍師も対策を施す時間がなさ過ぎた。
「だが、得物の投銛を既に手離してしまった以上、連射が効く銃の方が有利…………」
 ロングバレルの補助効果で射程が増したシルバスターで狙い撃ちしようとしたが、直後に有り得ない第二射の銛が飛来し導力銃に直撃して大きく弾かれる。
「馬鹿な、どうして?」
 次の瞬間、オリビエは信じられない光景を目撃して目を丸くする。
 シャークアイはニッと白い歯を光らせ、これ見よがしに背中を誇示すると筒状の背負い籠を装備している。籠内には武蔵坊弁慶の刀狩りの如く銛がぎっしり詰まっていて、飛び道具の補充には事欠かない。
「マジですか?」
 流鏑馬(馬上からの騎射)に慣れ過ぎると逆に平地の弓道感覚が鈍るように、海人にとっては不安定な船上の方が狙いをつけ易い。それが二回も外した要因だったが、やっと大地でのコツを掴んでようだ。野球のピッチングスタイルで豪快に振り被ると、左手に握り込んだ銛を投げ飛ばす。
「ひょえええ……!」
 緩やかな放物線を描くことなく、弾丸のようなライナーで一直線に襲いかかる。顔面蒼白になりながら何とか紙一重で避けるも。
「どんどん、いくぞ、おらっ!」
 どこぞの玉葱大佐のようによほど次行動が早いクラフトらしく、次々に銛が連射される。
 コンクリートの壁にひび割れを起こす程の威力なので、細身の彼が受けたら重傷必須。オリビエも道化らしからぬ必死さで闘技場を転げ回り、その跡の大地に銛がドスドスと突き刺さる。

「兄貴、ここは俺に任せて援護に行っていいぜ」
「解った、くれぐれも油断するなよ」
 敵コンビの攻撃を絶え凌ぎながら、ようやく守備力を復帰させたエステルが仲間のピンチを尻目にそう催促し、ジンも無意味な押し問答に時間を費やすことなく場を離れる。
 こう戦況が推移すると、タイマン特化型のエステルでは三馬鹿全部を一遍に遇うのはキツイ。レイスを引き離したヨシュアの囮役にも意義はあったものの、ジンの戦線離脱を見届けると、ロッコはエステルを相方に譲り自らは後退する。
「おいおい、これは団体戦だから、気を遣わなくてもいいんだぜ?」
 そう上から目線で諭すも、ディンは無言のまま警棒を鍔競り合わすだけ。「なら、お望み通り差し勝負で仕留めてやろう」とエステルは物干し竿に力を篭めるが、後方に下がったロッコが密かに待機状態で闘気を溜め込んでいるのに気づいていなかった。

「ひいいっ……って、アレ、動けない?」
 真下にしゃがみ込んで、七射目を避けたオリビエは、直後、金縛りになる。銛が燕尾服の襟裏を貫通して杭のように地面に突き刺さったからで、昆虫採集の標本よろしく縫いつけられ身動きが取れなくなった。
「随分と手間取らせたが、これで終わりだな、兄ちゃん。鏃を外して殺傷力は落としてあるから内蔵に刺さることはないが、肋骨ぐらいは折れるかもな」
「それも十分に勘弁して欲しいけど、駄・目・か・な? てへっ」
 俎板の上の鯉を前にシャークアイは銛にベロを這わせ舌舐りし、マゾの気はないオリビエは乙女コスモを輝かせて嘆願するが、海の漢はペッと唾を吐き捨てる。
「おらっ! そんなに胸部が嫌なら、その綺麗な顔の方を吹き飛ばしてやるぜ!」
 先のキモい強請りで逆に機嫌を損ねたらしく、更に状況が悪化。止めの一投がオリビエ自慢の高い鼻目掛けて放り込まれる。「助けて、マイ幼馴染み!」と叫んで目を瞑ったが、何時まで待っても覚悟した痛みは発生しない。
「ふうっ、間に合ったみたいだな」
 聞き慣れた声に恐る恐る目を開ける。ジンがその巨体でオリビエの盾となって、仁王立ちしている。分厚い胸板の筋肉に銛が刺さっているが、「ふんっ!」と腹筋に力を篭めて銛を跳ね飛ばすと、痕には僅かな痣が残っているだけでエステルをも凌駕する頑丈さ。
「ジンさん、助かったよー」
「気にするな、後衛を守る為に身体を張るのが壁役の務めだ」
 拘束する銛を引き抜こうか迷ったが、今不用心に敵に後背を晒すのは危険なので、「そこで大人しく見ていてくれ」と振り返ることなく無言でサムアップポーズを決める横幅の広い逞しい背中をオリビエは頼もしそうにウットリと眺める。
「ああっ、駄目。僕にはもう半身というべき幼馴染みがいるのに。けど、ジンさんになら僕の二番目を……」などと意味不明な葛藤に陥る変態の世迷い言をシカトし、シャークアイは次の銛を構えると軽く口笛を吹く。
「ひゅーっ、格好良いね、アンタ。けど、その足枷を庇いながら、どこまで耐えられるかな?」
 獲物が弱みを見せたら、容赦なく噛ぶりつくのが自然界の鉄則。シャークアイは躊躇うことなく次々に銛を投げ込む。
 オリビエが後方に無防備に横たわっているので、ジンは両腕をクロスに構えて顔面をガードすると、一撃たりとも避けることなくその身で銛を受け止める。
「くっ、こいつ?」
 時速150kmで飛来する常人なら一発で病院送りの投銛の嵐を身体に浴びながらも、まるで怯むことなく前進を続けるその姿はまさに『不動』。
 このタフガイの異常な耐久力と何よりも尋常でない精神力の強さにシャークアイの顔にも焦りが浮かぶ。極端に次行動の早い『投銛』クラフトに相応の手傷を負いながらも、とうとう敵を射程内に捕らえる。
「ここは俺たち拳法家の距離だせ、漁師さん」
 そう宣誓するとジンが右腕を振り被り、渾身の正拳突きを顔面に叩き込む。レイヴンエリートの肉体派ブルトを屠った月華掌が脳を揺すり、シャークアイの顔面が拉げる。激しい脳震盪に観客の誰もが一発KOを確信したが。
「どっせぇ、おらっ!」
 ギリギリ踏み止まったシャークアイは、ジンの顔面目掛けて飛び跳ねるようにヘッドバッドを噛ます。
「ぐっ!?」
 思わず巨体が揺らぐ。鍛えようがない人体の急所の一つ、鼻尖への強い一撃に鼻血が零れて、不動がはじめて二歩ほど後退した。
「やれやれ、なんで武術を学んでいる奴らは、どいつもこいつもチンピラを素人と侮るかね?」
 シャークアイの額も割れてツーッと血が滴り落ちる。瞳に好戦的な色を浮かべながら、ペロリと己の血を舐める。
「大時化の荒波に揉まれて、研ぎ澄まされた平衡感覚と三半規管。大海原の雄大さに較べれば、その程度のパンチなんざ屁でもないぜ」
 まだ銛の残数が余っている籠を放り捨てると両拳を握り込んで接近戦に備える。銛投げはあくまで転職後に覚えた余技に過ぎず、レイヴン特攻隊長の喧嘩は何時だって素手(ステゴロ)で、身体一つで総長のアガットの背中を守り抜いてきた。
「済まないな、確かに見縊っていたみたいだ。なら、こっちも本気でいかせてもらうぜ」
 目の前の喧嘩師から凄まじい闘気を感じ取ったジンは鼻血を拭うと、不敵な笑顔を浮かべ同じように拳を構え、両雄は至近距離から睨み合った。



[34189] 19-11:魁・武闘トーナメント(ⅩⅠ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/10 04:47
 武術大会決勝トーナメント緒戦。ブレイサーズvsレイヴンの異色対決。
 蒼の組の扉前、銛に拘束されたオリビエは一人妖しげな妄想に耽いり、センターライン上のサークル内でエステルと小競り合うディンにその背後で片膝をつき虎視眈々と機会を伺うロッコ。闘技場全域を縦横無尽に駆け巡って追いかけっこに興じるヨシュアとレイス。最後に赤の組の扉前、互いに拳を構えて睨み合うジンとシャークアイと各々の陣営は程よくばらけている。
「アンタもステゴロが主体みたいだな。なら、こいつを受けてみるか?」
 ジンが得物を装備していないのを確認すると、ファイティングポーズを解いたシャークアイは自らの頭に巻いていたバンダナを取り外して右手に握り込むと、逆側の布先を相手に差し出した。
「ひゃははっ、出た! レイヴン伝統の決闘法・ルーザールーズ」
「何々? それ凄そうじゃない。教えて、教えて」
 瞳を好奇心でキラキラ輝かせながら、お尻を八の字にフリフリする可愛らしい仕種でヨシュアは強請りする。トクンと心臓をときめかせたレイスは少し悩んだ後、警棒を懐に仕舞い込むと一時鬼ごっこを小休止する。
「へへっ、聞いて驚くなよ、ヨシュアちゃん。ルーザールーズってのはなあ…………」
 自分だけが知る特別な知識を蒙昧なる者に授ける時ほど優越感を擽られる瞬間はそうそうない。ましてや、目の前の賢そうな少女が無学な己に教えを請うなど実に快感。レイスは得意気にレクチャーする。
 元々は帝国の貴族の間で流行った殴り合いの決闘を不良が形だけ模倣した。互いに握り合った一枚の布切れを先に手離した者が負けというのが唯一の掟。
「文字通りに敗者(ルーザー)が名誉を喪失(ルーズ)するってか。うひゃひゃ、結構トンチが効いて、イカしているだろ?」
「ふーん、なるほど。まさに漢同士の喧嘩に相応しいわね」
 ヨシュアは感心した素振りでチヤホヤするが、博識の彼女はルーザールーズの実態を既に聞き及んでいたりする。
 単に封技状態解除までの時間稼ぎに浅学な女子を装い持ち上げてやっただけだが、そうとは知らぬ憐れな道化者は、「でへへ、それほどでも」と照れ臭そうに頭を搔いている。
(意外に良く考えられているわね)
 ルールは単純明快。一見フェアなタイマン勝負に見せ掛けているが、今回に限ってはあらゆる決まり事がシャークアイ側に有利に働いている。
 ジンは大陸有数の拳法家の上に体型も違い過ぎるので、いかにシャークアイか優れた喧嘩師とはいえ相手が悪すぎで、マトモに素手で殴り合うなら勝敗は明白であるが。
(1)互いに布切れを握ることで、必然的に利き腕のみの殴り合いとなる。
 まずこれが大きい。拳法家のジンは左右どちらも同威力で扱えるの対して、銛を全て左腕で投じていたようにシャークアイは順手と逆手の膂力に大きな隔たりがあるが、両者の攻撃性能が統一されることになる。
(2)互いを拘束し合う至近距離戦なので、防御技術差が相殺される。
 これも地味に大きい。このゼロ距離バトルで攻撃を避けるのは、ほぼ不可能。シャークアイの見え見えのテレフォンパンチも高い防御テク持ちのジンに全てヒットする計算になる。逆に敵の攻撃は全て利き腕の右側から来るので、視界の半分が死角になる隻眼の低防御性能も気にする必要もない。
(3)ハンカチを離した者負けの性質上、根性だけで乗り切るのも可能。
 何らかの武具を用いるならともかく、無手格闘技はとかくウェイトがモノを云うが、(ボクシングという殴り合い特化の競技スポーツは重量別に十七も階級が区分されている)耐久勝負じゃないので絶望的な体格差でも勝機有り。
 とまあ、無学な粗忽者のように見えて、シャークアイは意外と策士のようだ。もし、ヨシュアがジンの立場なら、こんなハイリスク・ローリターンのハンディキャップマッチは無視するのだが。
「いいねぇ、そういうの大好きだぜ、俺は」
 ジンは年甲斐もなく表情をワクワクさせると、利き腕の手甲を外した上で左手でバンダナの端っこを握り込んだ。
 やはりというか、この手の馬鹿げた私闘は大好物のようで、ヨシュアの見抜いた箇条書きを大凡承知しながら正面切って受けて立つ。
 考えてみれば、その恵まれすぎた体躯と戦闘力ゆえにガチンコで渡り合える強敵など滅多に存在しないから、態々地下洞窟まで伝説のヌシに喧嘩を売りに行ったのだ。
 多少のハンデが加えられたとはいえ、そんな彼と素手で競い合おうという命知らずの勇者が現れたのだから、諸手をあげて歓迎するのは当然かもしれない。
「いくぞ!」「おうっ!」
 鼻息がかかりそうな超がつくクロスレンジから、バンダナで繋がった二匹のオスはクロスカウンター気味に拳を奮う。互いの腕同士が交差し大きく頬が拉げる。
 一瞬バンダナが伸びたが、直ぐに縮こまって二人の距離を零に戻す。レイヴン意匠の真紅のカーチフは伸縮性に優れた特注品。どれだけの衝撃で引っ張っても裂けることのない素材で敗者喪失(ルーザールーズ)という純然たる結末を約束する。
「おらっ!」「まだまだ!」
 更に二撃目以降がストレート、アッパー、フックと手を変え品を変えて、鈍い音をたてながら肉体に刻まれる。
 頬が腫れ口の中が切れて血が零れながらも、どちらも避けることも臆することもなく、どんどん攻撃の速度だけが上昇していく。
「ヒューヒュー、どっちもスゲエぞ!」
「いいぞ、もっとやれ!」
 ノーガードの派手などつき合いに、満場の観客は沸騰する。
 生物の本能ともいうべき原始的闘争に周囲は極上のワインを飲み干すが如く酔っぱらっているが、バトルマニアの心意気を解さないヨシュアは軽く嘆息する。
「やれやれ、勝ちゲームの勝率をみすみす下げるなんて、効率主義の私には理解できないわね。これじゃ勝負はどちらに転ぶか判らない…………」
「うひゃひゃっ、勝つのはシャークアイの兄貴だよ。何せ兄貴はルーザールーズで負けたことは一度もねえからな」
 レイスの楽観じみた自信の源を訝しむ。
 ここまで策を講じて、ようやく五分に持ち込めただけ。必勝を期する程の勝算はない筈だが、ジンの肌が青紫色に変化しているのを目敏く発見したヨシュアはハッとする。
「これは典型的なチアノーゼ現象?」
 両者共に絶え間なく拳を出し続ける様はまさしく無酸素運動。呼吸による血液の循環が追いつかないので従来所持する肺活量の容量がアドバンテージを意味し、シャークアイの肌は未だに健康的なピンク色を維持している。
「ひゃははっ、やっと気づいたかい、ヨシュアちゃん? この水中戦を始めた時から、あのデカブツの溺死は決定していたのよ!」
 一般的に酸素の息継ぎなしでの素潜時間は常人はまず一分と持たず、海女さんなどは二分程とされているが、シャークアイは天性の資質と訓練により、5分前後の無呼吸活動を可能とする驚異的な肺活量を保持している。
 五年前、体長8アージュの獰猛なオオジロサメに襲われた艱難事故があった。体当たりで漁船に穴を空けられて多くの船乗りが船外に投げ出された時、シャークアイはナイフ一本を口に銜えただけで仲間を助けに海中に飛び込んだ武勇伝がある。
 命懸けで時間を稼いでいる間に船員は全員救助されるも、海面の5分近い沈黙に生存は絶望視されたが、ナイフで削り取った総入れ歯のような鮫の大型の歯形を戦利品に血塗れの左目を抑えたシャークアイが浮上してきた時には誰もが目と常識を疑った。
 その名誉の負傷で片側の視力を永久に失ったものの、水中戦でジョーズを仕留める信じられない離れ業に彼は築地の生きた伝説となり、レイヴンを引退した今でも三馬鹿の崇敬を受けている。
「もはや、あの拳法家は人喰鮫に海中に引きずり込まれた餌も同然よ」
 レイスが「うひひっ」と卑下た笑いを浮かべる。褌一丁のジンさんが同じ褌姿のシャークアイに後ろから羽交い締めにされて、海の底へと沈んでいくイメージ映像が出現する。
「あんまり需要が無さそうね、それ……」
 中年のマッチョマン同士が裸で絡み合う誰得アッー!な心象風景に流石のヨシュアも傷食気味な表情を浮かべたが、脳内で配役をエステルとクローゼの瑞々しいコンビに変更すると、「こいつは間違いなく王立学園で馬鹿売れする」と妙なアドレナリンを漲らせる。

 そのエステルはというと、ディンを一方的に打ち負かして敗北寸前まで追い込んでいる。以前倉庫で手合わせした時はあっさり瞬殺したのでこれほど長く持ち堪えるとは想像だにせず、見違える程の成長具合に感心しながらも止めを刺す為に大きく棍を振り被る。
「大分、力をつけたみたいだけど、まだまだだな。これで終わりだ!」
「へっ、お終いなのは、テメエだよ、脳筋遊撃士。確かに俺一人の力量じゃ叶わないけど、これは団体戦だと宣言したのはお前の方だぜ!」
「何?」
 得意の直感が身の危険を訴える。殺気に反応して反射的に頭上を見上げると、凄まじい闘気を纏ったロッコが襲いかかってきた。
 先代から継承された数々の不良テクとは別に三馬鹿が独自に編み出した『ブチ切れアタック』。本来なら追い詰められた瀕死時に発動させる最後の切札だが、以前ヨシュアに待機中に潰された教訓を活かして、まだ壁役の仲間が生存し余裕のある開幕時の積極使用に踏み切った。
「死ねや、おらぁ!」
「ぐああっ!」
 待機型Sクラフトともいうべき変則戦技が炸裂。闘気を含んだ警棒がエステルの身体を縦に切り裂き巨体が大地に斃れる。
「よっしゃ、とうとうあのブレイサーの兄貴を倒したぞ!」
 即死率100%を誇る一撃必殺の奥義なので、勝利を確信したディンとロッコがハイタッチを交わすが、次の瞬間、エステルがヨロヨロと立ち上がってきて二人はギョッとする。
「馬鹿な、どうして…………って、それはスカルペンダント?」
 エステルの逞しい胸部にドクロを模した首飾が嵌められているのを視認したディンは、「有り得ねえ」と愕然とする。
 前戦闘で発動前に阻止された怪我の功名でこのオリジナル技の即死効果を隠し通せた筈なのに、それを嘲笑うかの如く予め対抗策を施されてきたからだが、実際にはエステルに深い考えがあった訳でない。オリビエがエーデル百貨店で買い溜めしてきたアクセサリの中から、デザインが気に入ったという単純な理由で身につけただけ。
「まっ、お陰で命拾いしたか」
 魂を砕かれるような嫌な即死感覚を身体全体で味わったエステルは、即時戦闘不能を約束する最悪の状態異常をレジストしてくれた髑髏装飾のネックレスに感謝の意を捧げて軽く指先で弾く。
 ヨシュアの理詰めの計算式ではまず防げない事故が、単なる気紛れで装備した装飾品に阻まれるとはラッキーにも程があるが、実戦というのはこういう偶然の巡り合わせが馬鹿にできない。
 ヨシュアも人の身の限界を自ら弁えているからこそ、二つ目のアクセサリを自由に選ばせたのであり、早速、エステルは嬉しいサプライズの恩恵に預かった。
「けっ、だからどうした? 単に敗北を先延ばしただけじゃねえか!」
「おうよ、奇跡は二度は起きねえってな!」
 二人はそう強がりながら、配置換えを行う。今の一撃でCPを遣い果たしたロッコが壁役としてエステルと渡り合い、今度はディンが後方に下がって待機状態で闘気を溜め始める。
 元々、追加の即死効果などオマケみたいなもので、元来高火力のSクラフトを敢えて待機状態で増幅させて一撃必殺の奥義へと昇華させたのだから、いくら耐久力の高いエステルでも二発も喰らえば戦闘不能を免れない。
「くっ……」
 今の手負い状態のエステルでは、三馬鹿一の戦闘力を保有し守勢に徹しているロッコの防御壁を突破するのは簡単ではない。こうして足止めを喰らっている中に、息の根を止めるブチ切れアタックの発動時間が刻一刻と迫っていた。

「な、なんで? どうして、こんな理不尽なことが?」
 エステルがディンとロッコの連携に窮地に陥っていた頃、勝利を確信していたシャークアイの戦況が急変。レイスは焦りに顔を青ざめさせる。
 チアノーゼを起こしたのはジンの方が先だが、やがてシャークアイの呼吸も乱れて肩で息をし始めた。岩をも砕く豪快な破壊力は見る影もなくペチペチと手打ちで叩くのが精一杯なのに、ジンは変わらず重厚そうな拳をシャークアイの顔面に叩き込んでいる。
「まさか、デカイ体躯通りに兄貴並の肺活量を持っているのか?」
「そんな訳ないでしょう? そりゃ一般人よりは上でしょうけど、肺容積と体型にそこまで因果関係はないから、多分専門職の海女さんにも及ばない筈よ」
 ヨシュアがしたり顔で解説役を買ってでて、レイスの脳味噌でも解るように判り易く補説を入れる。
「シャークアイさんの仰せの通り、武闘家はチンピラを素人と見下す悪癖があるけど、貴方たちも対人戦闘に特化した武術の積み重ねの歴史を軽く見過ぎよ」
 シャークアイはモーションが過剰な大降りのパンチを繰り出している。あれではいかに肺活量に優れていても数倍のペースで酸素を消耗するのに対して、ジンの拳は実にコンパクトに振り抜かれてエネルギーの消費を最小限で抑えている。
「エステルが一日千回の素振りを欠かさないのと同じく、求道者のジンさんもそれに等しい独闘を己に課している筈。そうやって尋常でない反復練習で身体に染み込ませ錬磨された体術こそが、効率よく標的を攻撃せんとするまさに武の術理(ことわり)」
 本当に水の中で競ったのなら、海人に勝てる道理など皆無であろう。
 だが、今戦っている場所は海中はおろか船の上ですらない地上の闘技場で、紛れもなく武闘家(ウーシュウ)のテリトリーなのだ。
「ふんっ、せいやっ!」
 体重を乗せた渾身の一撃がシャークアイの顔面にめり込む。バンダナを大きく伸ばしながら彼の巨体が後方に引っ張られる。
 一瞬意識が遠のくも、無意識化の根性でシャークアイは布切れを固く握りしめる。肉体は砕けても心が決して折れないのを肌と魂で感じ取ったジンは自らの逆手をパッと開く。
 その行為で支えを失ったシャークアイの身体は、バンダナを握りしめたまま空気が抜けた風船のように数アージュの彼方に吹き飛ばされた。
「よう、漁師さん。大丈夫か?」
 倒れ込んだシャークアイの目前に座り込むとジンは軽く鼻血を拭き取りながら労るように声を掛け、顔がボコボコに腫れた瀕死の鮫は嗄れた声をだす。
「テメエ、なぜ手を離した?」
 そう尋ねたが、本当は薄々悟っていた。
 あのまま無理な態勢で踏ん張れば、拳のダメージが全て体内に残留し深刻な後遺症を残した危険性もあるが、バンダナを離して派手に殴り飛ばすことにより衝撃を身体の外へと逃がした。ありたいていに言えば、彼は情けをかけられたのだ。
「けっ、甘ちゃんにも程があるぜ」
 その代償としてルール上、ルーザールーズに破れたたことになるが、ジンは何の言い訳もせずに有りの儘の結果を受け入れて、この後の他の戦闘には介入しない旨を誓約した。
「勝ったお前さんの方が助太刀するのは自由だが」
「馬鹿を言うな、もう指一本満足に動かせやしねえ。けど、あんたは本当にそれでいいのかよ?」
 まさしく『勝負に勝って試合に負けた』状態であるが、余力を残したままの戦線離脱に悔いはないのか問い掛けるも、曇り一つない晴々とした表情で明言する。
「俺は仲間を信じる。だから、お前さんも後輩を信じてやれ」
 そう諭されたシャークアイは、平地の上で完全に大の字になると緊張感を解いた。
 力には絶対に跪くことがなかった不屈の精神が、大海原に匹敵するスケールの器の大きさに触れはじめて敗北を受け入れられた。オブザーバーの出しゃばりはこのぐらいにして、最後は現役世代に任せることにする。
「ジンさんだっけか? 俺は不良時代、何人ものエセ武道家を葬ってきたが、そいつらの拳はみな軽かった。けど、アンタの拳は重かったな。これが本物のウーシュウの拳か……」
 ジンはその述懐には答えずに、隣に同じように大の字で寝転がる。
 シャークアイもまた本物の喧嘩師。この決闘で相応のダメージを負い、見掛けほどの圧勝劇では無かったからだ。後事をエステル達に託すと、傷を癒す為に休息モードに突入する。
「シャークアイさんだよな? 本来ならお前さんと俺では戦う土俵が全く違うから、もうこんな形で遣り合うことはないかもしれんが、本当に楽しい勝負だったぜ。試合が終わったら今夜あたり仲良く一杯やろうや、海の戦士よ」
 かくして中年二人が密かに戦場の舞台から退場し、ブレイサーズとレイヴンの死闘の決着は三馬鹿と遊撃士兄妹の当事者の手へと委ねられた。



[34189] 19-12:魁・武闘トーナメント(ⅩⅡ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/26 15:41
「さてと、何時までも女の尻を追いかけている場合じゃねえよな」
 ルーザールーズの熱気に当てられたレイスは、得物の警棒を再び装備し戦線に復帰する。
 敵最大戦力を捨て身で道連れにした兄貴分の不屈の根性に奮起しないようでは、不良が廃るというものだ。
 老兵が去るのと入れ替わるように、小休止状態で呑気に解説ゴッコに興じていた若輩の周辺が慌ただしくなり、レイスはヨシュアに背を向けるとダチの助太刀に向かう。
 「女には手をあげない」とかいうフェミニスト精神ではない。彼のDEX(命中率)ではAGL(回避率)カンストの漆黒の牙に攻撃を掠らせることすら至難の現実を馬鹿なりのオツムで悟ったからで、未だに封技状態のヨシュアは選択を迫られる。
「絶対にやらせない!」
 ヨシュアは大声でそう叫ぶと、オリビエを庇うように彼の目の前で両手を左右に拡げて仁王立ちする。銛で戒められたオリビエは夢世界から帰還し、顔だけ振り向いたレイスは怪訝がる。
「広域極大アーツの遣い手であるオリビエさんこそは、この絶望的な状況を覆せるチームの最後の希望であり、私にとっても掛け替えのない大切な人。だから、このちっぽけな私の身と引き換えにしても必ずオリビエさんを守る!」
「ヨシュア君、君はそんなに僕のことを……」
 マイハニーの健気な献身にオリビエはジーンと感動して涙目になる。
 その過剰なオーバーアクションに惹き寄せられ、足枷の放置を決め込んでいたレイスがUターンして、こちらに接近してきたような気もするのだが。
「ひゃはは、そんな切札なら、今のうちに潰しておかねえとな。どきな、ヨシュアちゃん!」
「きゃああっ!」
 レイスが軽く警棒を横に叩くと、軽量のヨシュアはあっさり弾かれる。「あーれぇー」と叫んで坂道を転がり落ちるドラム缶のようにゴロゴロと地上を回転しながら、瞬く間に二人の視界外に消え去った。
「ヨ、ヨシュア君…………って、ひぃっぎゃあああ!?」
 この後に及んで未来の花嫁の身を案じていたオリビエは、直後にホラー映画の怪物に遭遇した被害者役の表情で恐怖の悲鳴をあげる。
 それもその筈、彼が目撃したのはサイコサスペンスのシリアルキラーそのもの。薬中患者のような逝った目つきで、隠し持っていた光り物をベロで涎塗れにしている。
 『ニトロッコ』や『地獄のほうれん草』などの物騒な異名持ちに反して只一人渾名のない普段は軽薄なレイスが、実は戦闘中に一端スイッチが入ると最も切れやすい三馬鹿一の危険人物だったりするのだろうか?
「ひゃはは、姐さんに倣って金玉をズタズタにしてオカマにしてやるか。それとも片目にぶっ刺し兄貴とお揃いになるか、どっちがいーい?」
「どちらも、絶対に嫌です。ジンさん、ヘルプーミー!」
 オリビエは青ざめながら首を左右にブンブン振ると、遠方で大の字で横たわっているジンに救助を求める。
「済まん、楽師殿。俺はもう今回の戦闘から降りた身故、自力で切り抜けてくれ」
 ルーザールーズ自体は中年オヤジ達が勝手に取り交わした私闘なので大会ルール的には何らの強制力もないが、漢同士の誓約をジンが違える筈もなく申し訳なさそうに肩を竦める。
「そ、そんな……」
 オリビエの表情が絶望に染まる。
 団体戦なのに個人的な口約束を優先して仲間の窮地を傍観するジンにも当然落ち度はあるが、銛拘束から脱する猶予を与えられながらも奇しげな脳内妄想に時を費やして未だに囚われのお姫様状態を維持していたオリビエの自己責任だろう。
「うひひっ、シコタマ顔面を切り裂いて親にも見分けがつかないくらいにスプラッター整形するのもいいなぁ」
 冬眠前の熊が死んだ振りをする人間を物色するように、クンクンと臭いを嗅ぎながら首筋に舌を這わせ、憐れな小羊の生命は風前の灯火に晒された。

「これで少しは時間が稼げそうね」
 自身に敵を惹きつけ仲間を守る『挑発』クラフトを、迫真の演技力で他者を攻撃対象に祭り上げる『真・挑発』という本末転倒なスキルにバージョンダウンさせたヨシュアはオリビエの絶体絶命のピンチを尻目に密かに思案する。
 この試合では単なる役立たずでも、今後の対戦で彼の魔力が物理特化チームの隠玉となる可能性があるのは事実だが、全ては目の前の戦いを無事に乗り切ってからの話。
 ノックアウト方式のトーナメントでは今を勝たねば後日なんて悠長な未来はない。ましてや戦地に貴賓席(ロイヤルシート)など存在せずVIP扱いで出し惜しみする戦力的余裕もないので、オリビエ自ら参戦を売り込んできた以上、せめて囮役ぐらいの貢献は果たしてもらわねば王都で肩代わりした生活費の元が取れない。
「まあ、切り裂き魔に鯰切りにされて明日の準決勝の檜舞台に立てなくなる恐れはあるけど、それでリタイアするとしたら所詮オリビエさんもそこまでの偽物ということよね。でも、私はあなたか本物の導かれし者だと信じているわよ」
 キリッという擬音を発しながら上っ面だけの良い台詞で誤魔化すと、後ろを振り返ることなく真っ直ぐ前だけを見据える。
 すると先のリプレイのように、エステルと小競り合うロッコの背後からディンが大きくジャンプ攻撃を伺っている光景が目に入る。
「エステル……って、腕が動く? 両腕の痺れが治った」
 この土壇場で、ようやく封技状態が解除された。肘を肩より高く上げられるようになり、その一事は闘技場に魔王が降臨したのと完全に同義語。
 遠方の地面にアヴェンジャーが転がっているのを視認したヨシュアは、「運が悪いわね」と独り言を呟いて得物の回収を諦めると、残像を残すレベルの高速移動でエステル達の方角に突撃する。

「死ねや、脳筋遊撃士!」
 ロッコと鍔競り合うエステルの頭上から闘気を纏ったディンが降りかかってくるが、エステルに回避する術はない。チンピラ二人は今度こそ勝利を確信するも。
「させない」
 三角飛びの要領で壁を蹴って、空高く飛翔したヨシュアが割り込んできた。両足の跳び膝蹴りをぶつけて、待機型Sクラフトのぶち切れアタックを宙空でインターセプトする。
「ぐぼお!?」
 カタンター気味に鳩尾に膝頭がめり込む。ディンは胃液を吐き出すも、この技はこれで終わりではない。
 ヨシュアはクルリと空中で態勢を入れ換える。変則の脇固めでディンの左腕を極めると、跳び膝蹴りの勢いをそのまま利用して地上へと投げ落とす。
「ぐぎゃぼあぁあっ!」
「ディン?」
 打(膝蹴り)・極・(脇固め)・投(一本背負い)を一動作にリミックスしたような奇異なクフラトが炸裂。豪快に地面に叩きつけられる。
 その一撃で左手が有らぬ方向に曲げられたディンはビクビクと痙攣しながら意識を失う。仲間の一撃KOにロッコは狼狽する。
「あれは打極投三位一体型完全奥義『虎姫』? カルバード古武道でも幻と呼ばれた秘技を実戦で使い熟すとは信じられん」
 休憩から跳ね起きたジンが驚きの声をあげる。脱臼した左肩の拘束を解いたヨシュアはパンパンと身体の埃を叩くと「無手の私と組み合うなんて運が無かった……いえ、紛い物を喰らって幸運だったかもね」と皮肉な視線で見下ろしながら前言を翻す。
 ジンは完成形と口走ったが、本来の虎姫は片腕でなく首関節を極めて頸椎をへし折る文字通りの殺し技。肩関節を外された被害で済んだディンは確かに僥倖だ。
「ヨシュア……」
 目の前で披露された魔技に萎縮した男たちの合間をスタスタと素通りする。ヨシュアは軽く背伸びして、左手でピシャリとエステルの頬を叩いた。
 周囲に乾いた音が響き渡る。シニカルな色を浮かべた琥珀色の瞳に魅入られたエステルはドキッとする。
「目が覚めた?」
「ああっ、手間掛けさせたな、ヨシュア」
 パンパンと頬を叩いて気分をリフレッシュさせたエステルは、ロッコの方を向き直ると徐に頭を下げる。兄弟の素っ頓狂な行動連鎖にロッコは眉を顰める。
「てめえら、一体何のつもりだ?」
「ロッコって言ったよな? 悪いな。正直言うと俺はお前らのことを舐めていた」
 口先では要注意と謳いながらも、所詮は付け焼き刃だろうと見縊っていた。動機はどうあれ本気でエステル達に挑もうと努力してきた相手をおざなりに遇うなど、武闘家として恥べき行為に違いない。
「戦士に対する礼を逸するのはここまでだ。ここから先はお望み通りに全力全開で相手をしてやるぜ!」
「上等だ、この野郎!」
 改めて物干し竿を構えたエステルにロッコは警棒を振りかざして襲いかかる。エステルはロッコの得物を下から軽く小突いて、威力を上方に逸らす。
「嘘だろ?」
 武器重量と豪腕で力づくで弾き飛ばされたのならまだしも、比較的小回りが効く小型の警棒があんな取り回しの悪そうな超ロングサイズの棍に技で封じられた力量差の違いにロッコは愕然とし、得物を握った左手が高く挙げられてガードが完全にがら空きになる。
「そらそらそらそらぁっ!」
 エステルの連続突きが無防備の身体の中心線に次々と被弾する。
 瞬時に百発も叩き込むカシウス程のスピードはないが、それでも三十発近い重い連打を浴びせてロッコの身体を後方に吹き飛ばす。フェンスに激突したロッコはそのまま失神してピクリとも動かなくなった。
「ふんっ、やれば出来るじゃないの」
 得物のアヴェンジャーを拾ったヨシュアは、軽く口笛を吹く。最初から慢心せずにエステルがこの心構えで対峙していたなら、もっと早く決着はついていた。

「ディン、ロッコ?」
 先のサディスティックな恫喝の数々は、単に獲物をびびらせる為のハッタリのようだ。(本当にそんな度胸があれば、とっくに傷害事件を起こして王国軍に逮捕されている)普通にブチ切れアタックで戦闘不能にしようと目論んでいたレイスは、瞬く間の戦況変化に待機状態をキャンセルし、慌てて壁際の仲間の元に駆け寄る。
「た、助かった」
 臨死体験で自慢の金髪を白髪化したものの、結果的には無傷で生き延びたオリビエの悪運は導かれし者の証かもしれないが、クローゼなみに悪女に対する警戒心を芽生えさせないと長生きするのは難しかろう。
「マジかよ、本当にとうとう俺一人に……」
 レイヴンで生き残っているのは実質彼一人だが、色んな意味で覚醒した遊撃士兄妹と渡り合うのは無理だろう。「まだやるか?」とエステルは抗戦の意志を問うと、「うひゃひゃゃひゃひゃ」と狂ったように哄笑する。
「何だ?」
「ひゃはは、死んでる場合じゃねえだろ、お前ら?」
 レイスは左手と右手を仲間の各々の胸元に当てて、『夜露死苦』で同時に気を注ぎ込み、二人はゾンビのような緩慢な動作で立ち上がる。ロッコは体力が完全回復したが、流石に脱臼までは治癒しなかったようでディンの方は左肩を痛そうに抑えている。
「お前、自分が仲間の身体に何をしたか判っているかよ?」
「確かに正気とは思えないわね。以前に説明した通り4649時間は誇張にしても、確実に寿命を縮める自殺行為であることに違いは…………」
「五月蠅えよ、このアマ!」
「こいつは俺達の間で予め取り決めておいた納得済みの行動だぜ」
 蘇った二人がヨシュアのご高説を遮り、レイスを批難するエステル達に襲いかかる。兄妹は再生怪人との再戦を余儀なくされるが、何がここまで彼らを駆り立てるのか行動原理が理解できない。
「舐めないと言いながら、やっぱりお前ら、俺達のことを見下しているだろ? マトモに戦って勝てないことは、他でもない俺達が一番良く判っているんだよ!」
 遊撃士兄妹に挑む為に自分たちなりに修行を重ねたのは確かだが、継続してきた武の歴史が違うのも身に沁みていた。
 何の目標もないロッコ達が働きもせずに倉庫で駅弁り怠惰の中で無為に時間を浪費してきた遥か昔から、エステルは確かな師の下で雨風にも負けずに黙々と自分を磨き続けており、その差は一朝一夕で埋まるような浅い隔たりではない。
「けど、そんな半端者の俺達にだって、引けない拘りぐらいあるんだよ。積み重ねのない俺達がそれでも努力してきた奴らに今すぐ追いつこうと思ったら、これはもう生命を張るしかないだろ?」
 復讐云々は、もはや単なる口実でしかない。
 長い間、世間からクズと蔑まれ温ま湯に浸かり燻っていたディン達は停滞した今を変えられる何かを欲して、生れ変われる切っ掛けを必死に探していた。
「ひゃははっ。お前らが斃れるまで何度でも復活してやらあ! どっちの根が先に尽きるか勝負…………」
「貴方たちのその覚悟、確かに受け取った」
 先の意趣返しのようにレイスの言葉を遮ってヨシュアはそれだけを告げると、全体Sクフラト『漆黒の牙』で戦場を駆け抜けて、互いに蘇生技を遣わせる隙を与えぬように全員を一遍に戦闘不能にする。
 以前倉庫で戦った時にはダメージが通らなかったが、それは無差別蹂躙技故に弱い取り巻き連中に設定を合わせて威力調整したから。均一の強さを持つ三馬鹿のみをターゲットとするなら、幹部格の彼らも有象無象の雑魚に変わりはない。
「やっぱり、無駄なのかよ?」
「ヒャハハ、結局、ニートは屑のままってか」
「クソッ、クソクソクソ…………」
「それだけの決意がありちゃんと修行不足を実感しているのなら、禁断の邪技に頼った近道をせずにきちんと積み重ねてきてから、もう一度挑みに来れば良い。私はともかく、エステルはあなた達の頑張りを拒むような無粋な真似はしないわよ」
 虫の息の三馬鹿を琥珀色の瞳で冷やかに見下ろしながら柄にもない説教をかますも、尻拭いの後始末を義兄に丸投げするあたりがいかにもヨシュアらしい。
「畜生……って、兄貴?」
 懸命に這いつくばるロッコ達の目の前に、何時の間にやら起き上がってきたシャークアイが移動している。レイス達は復活したレイヴンレジェンドに必死に訴える。
「あ、兄貴、このまま終わりたくねえ」
「構わねえから、俺たちに根性注入を撃ってくれ」
「ひゃはっ、こうなりゃ自棄だ。今更寿命が縮まるぐれえ……」
 シャークアイはルーザールーズのルール上の勝利者なので、ジンとは異なりまだこの戦いに参戦する資格を有しており、その気があれば更にバトルを引き延ばすのも可能だが、軽く首を横に振るとそのまま三人を抱き締めた。
「馬鹿野郎共が、嬢ちゃんの言う通りだ。生命を削ってでも逃げずに戦わなきゃいけない正念場は人生に必ずあるかもしれないが、少なくともそれは今じゃないだろ? 俺が海で一から鍛え直してやるから、もう一度出直そうぜ」
 そう優しげな笑顔で諭すと、審判に試合放棄を申し入れる。それを合図に戦闘終了のアナウンスが告げられる。
「勝負あり、蒼の組、ジンチームの勝利です」

        ◇        

 三馬鹿はシャークアイに肩を抱かれたまま、赤の組の控室へと引き上げていく。
 自身のほろ苦い体験から、勝者が敗者に投げ掛けられる慰めの言葉などそうそう有りはしないのをエステルは熟知しており、無言のままディン達を見送ろうとしたが、次の瞬間、観客席が総立ちなり大いに沸騰する。
「良い勝負だったぞ、レイヴンの不良たち」
「アタリ籤とか馬鹿にして悪かったな」
「また来年の武術大会にも戻ってこいよ。楽しみに待っているぜ」
 スタンディングオベーションの観客から、洪水のような拍手と惜しみなく賛辞が送られる。
 常に世間の爪弾き者扱いされていたロッコ達がこれほど多くの賞賛を浴びるのは、恐らくは生まれて初めての体験であり、ブルブルと肩を奮わせている。
 後ろ姿なのでエステルからは視認できなかったが、もしかするとレイス達は泣いているのかしれなかった。
 こうして序盤苦戦するも、最後は貫祿の違いを見せつけたブレイサーズは、レイヴンを下して準決勝へと駒を進めた。

【エステル達の密かな目標である、王城進出までに必要な勝利は、あと二つ】



[34189] 19-13:魁・武闘トーナメント(ⅩⅢ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/12 00:01
「あははっ、ヨシュアちゃんに新人君。君達らしい、とても素敵なファイトだったね」
 エステルとヨシュアが蒼の組控室に戻るや否や、黄色いリボンでお洒落した軽装の鎧を纏った少女にフレンドリーに両肩を抱き締められた。
「ありがとうございます、アネラスさんのお仕事も順調そうですね」
【アネラス・エルフィード(18才) ボース支部所属 F級遊撃士】
 そう、カプア一家との大一番で共に剣を並べて戦った準遊撃士アネラス。その時の功績で目出たく正遊撃士へ昇進。兄妹とは実に七十日ぶりの再会である。
「いきなりオープニングカードに名前を呼ばれたから挨拶するぐらいしか時間が無かったけど、アネラスさんのチームも大会に参加していたんすね?」
「うん、そういうことなるね、新人君」
 少女ははにかみながら肯くと、兄妹の肩から手を離し仲間の元に駆け寄る。
「しかしまあ、あたしはディン達とは些か面識があるけど、あの見かけ倒しの腰抜け共があれほどの根性を見せるとは正直見直したね」
【カルナ(2?才) ルーアン支部所属 C級遊撃士】
 アネラスの両隣には大型導力銃を抱えた姐御肌の黒髪の妙齢女性とアガットに匹敵する大剣を背負った重戦士風の若者が控えている。共にリベール名うての正遊撃士。
「ふっ、彼らが心を入れ替えたのは、試合中に僕のカリスマに平伏したお蔭かな」
「お前、終始、足を引っ張っていただけで、何もしてなかっただろうが」
『続きまして、第二試合のカードを発表させていただきます。南、蒼の組、遊撃士協会…………』
 白髪を瞬時に金髪へと生え戻して何時もの調子を取り戻したオリビエの立ち直りの早さにエステルは白い目を向けるが、再び館内放送のアナウンスが流れたので耳を傾ける。
『対するは、北、紅の組。王国軍、突撃騎兵隊所属。ジェイド中尉以下四名のチームです』
 次はアネラス達の出番。呑気に昔話に華を咲かせる猶予はなさそうだ。更に対戦相手が決まると、赤髪の青年は瞳に好戦的な色を浮かべて闘志を漲らせる。
【グラッツ(23才) ボース支部所属 D級遊撃士】
「へへっ、突撃騎兵隊といやあ、かなりの猛者揃いの筈だぜ。相手にとって不足は…………」
「あれっ、確かあいつらはストリートファイターの内紛で運良く生き残ったチームだっけ?」
 エステルの悪意のない一言に、思わず場が凍りつく。
 自らを鼓舞しようと意気込んでいたグラッツは冷や水を浴びせられる形になる。控室に同席している同じ王国軍の国境警備隊と空挺師団の面々は居心地悪そうに恐縮し、「少しは空気を読みなさい」と義妹に肘で小突かれたエステルは「悪い」と面目なさそうに赤面する。
「皆、経緯は様々だが、決勝の舞台まで勝ち上がった相手に礼を逸してはならない。奢ることも侮ることもなく我々のベストを尽くすだけだ」
「はいっ」「おうっ!」「そうだね」
 涼しげな表情をした中年男性がそう上手く収めると、チームの面子は再び士気を高めて闘技場へと赴く。意図せず場の空気を濁したエステルは安堵の溜息を漏らす。
「助かった。けど、随分と貫祿あるけど何者なんだ、あの人?」
「クルツさんといって、ジンさんと同じAランクのブレイサーよ」
【クルツ・ナルダン(29才) グランセル支部所属 A級遊撃士】
 ヨシュアはアネラス達のチームリーダーの素性を明らかにし、エステルは得心する。
 物干し竿に近い等身大の長槍・風神雷神を得物とし、黄緑髪を額当て付きのヘアバンドで纏めた冷静沈着そうな紳士。ジンを勇将に譬えるなら、クルツは知将というイメージがピッタリだ。
「最高ランクのブレイサーってことは、この国のトップで兄貴と同格ということか?」
「正確にはリベールのナンバー2ね」
 その上にはS級という非公式の栄誉階級が存在し、まさに知勇兼備の名将というに相応しいカシウスがそうなのだが。ヨシュアは敢えてその点には触れずに、つい先日昇級したばかりなので大陸レベルの著名度ではジンに及ばない旨を説明した。
「言う迄もなく戦闘スタイルもジンさんとは全く異なるけどね。でも、レイヴンに苦戦を強いられたかの模範解答をクルツさんから頂戴した気分ね」
 ヨシュアの問題提起に、男衆はしんみりとしながら互いの顔を見合わせる。
 三馬鹿を見縊ったエステルや能力の出し惜しみを算段していたヨシュアはもちろんのこと、なまじ予選で取り巻き連中を単騎制圧したが故にジンですらシャークアイを素人と見誤り、まんまと術中(ルーザールーズ)に嵌められた。
「漢同士のタイマンといえば聞こえはいいが、団体戦にも関わらず身勝手な私闘に走り楽師殿を見捨てた個人プレイは次からは戒めねばならないな」
「はっはっはっ。次回こそは僕のソロコンサートで観客の視線を釘付けにしてみせよう」
 あれだけの強さと度量を持ちながら未だ自戒と精進を怠らない求道者と異なり、メンバーの中で最も自制が必要なトラブルメーカーが例のワイン騒動同様に全く堪えていないが、それが道化師のキャラクターなので割り切るしかない。
 尚、先の活躍でヨシュアはチームのキーマンとして警戒されただろうが、オリビエは遊撃士でない出自と合わせ周囲から単なる数合わせの雑魚と見做されており、本来なら猫被娘が担当する筈のノーマークの隠し玉ポジションを手に入れていたりする。
「今回のことは良い教訓として、各々の胸に刻んでおきましょう。それよりも、次の対戦が始まるわよ」
 アネラス達と突撃騎兵隊のメンバーが配置につき、審判の開始合図と共に戦いがスタートする。
 予選は相手が悪すぎただけで騎兵隊は決して弱くはないが、既に戦力の底が割れた感があり、ある程度勝敗が見えた一戦だが、今後の戦略に活かすためにも是非とも同業者のお手並みを拝見したい所。

        ◇        

「方術・貫けぬこと玄武の如し」
 中央に陣取るクルツが、アーツとは別種の方術を瞬間詠唱すると、戦場に程よく散ったメンバー全員の守備的能力(DEF+25% ADF+30%)が纏めて強化される。
「方術・猛ること白虎の如し」 (STR+25% ATS+25%)
「方術・神速のこと麒麟の如し」 (SPD+50% AGL+50% MOV+2)
「方術・深遠なること青竜の如し」 (ターン毎にHP+10%が自動回復)
 バトルが開幕して僅か数ターンで、「ちょっと、チートすぎない?」と思わずゲームバランスを疑いたくなるような東方五神獣の名を冠した無茶苦茶な自軍強化が行われ、カルナ達のパラメタが満遍なく増幅されて、さしものブライト兄妹も面食らう。
「これが大陸に二十人弱しかいないA級遊撃士の実力かよ? 洞窟湖のヌシとタイマン張った兄貴も規格外だけど、この人も別の意味で大概だな」
「そうね。大会が従来の個人戦であれば間違いなくジンさんの方が有利だったけどね」
 こと団体戦における味方への貢献度では自己強化型の不動を遥かに凌いでおり、弱兵の底上げが可能という意味では剣聖以上の指揮系能力者かもしれず、まさに「一パーティーに一人」のフレーズに相応しい対軍兵器と称すべき逸材。
「へへっ、やるぜー、グラッツスペシャル!」
「火を噴け、あたしのフレイムキャノン」
「行くよ、八葉滅殺。まだまだまだまだまだまだぁ…………とどめええっ!」
 これだけ有利な条件が重なれば、負ける方が難しい。方術の追風を受けたグラッツらは猟犬のごとく騎兵隊の兵士を蹴散らして、瞬く間にジェイド中尉一人が取り残された。
「いざ」「応!」「あいよ」「もらったぁっ!」
 ジェイドを取り囲んだクルツは出し惜しみなく連続攻撃(チェイン)の号令をかける。指揮に徹してHPを満タン近くまで余らせていた中尉の体力を一気に削り取り、アネラスのフィニッシュにより戦闘不能へと追い込まれる。
「中尉…………。く、くそ、せめて一太刀だけでも…………」
 辛うじて首の皮一枚のHPを残して横たわっていた兵士の一人が最後の気力を振り絞る。「うん、バッチリ」と勝鬨をあげて浮かれているアネラスに照準を合わせたが、そこで力尽きてそのまま意識を失うも肉体の反射能力だけで引き金を絞った。
 敗北は覆せないまでも、なんとか戦いの爪痕を残そうとする無意識化の執念でイタチの最後っ屁をかますが、隣にいたクルツが後ろを振り返ることなく槍をアネラスの後頭部に翳してショック弾を弾いた。
「わっ? もしかして、私狙われていたの?」
「審判の勝ち名乗りを受けるまでは、用心怠るべからずだ、アネラス君。先月までの苦労を思えば、平和惚けする気持ちも解らないではないが」
「すいません、クルツ先輩。安穏なリベールに帰国したから、つい気が弛んでしまいました」
 ショボーンとするアネラスにクルツは戦場での残心の心構えを説くと、油断することなく導力銃を握った兵士に向かって槍を構えるが、今のファイナルアタックで完全に燃え尽きた模様。微かでも蠢く敵影はもはや存在しない。
「勝負あり、蒼の組、クルツチームの勝利です」

「何というか、これは真剣に対策を練る必要がありそうね」
 ヨシュアが琥珀色の瞳に真摯な色を称えて、警戒心を露わにする。
 遊撃士チームはアネラス、グラッツの戦士系の前衛二名と導力銃とアーツに長けた後衛のカルナを中衛にどっしりと構えたクルツが纏めて補佐。自分らと似たような戦力構成であるが。
「それだけに集団戦の練度差がモロに響きそうね」
 ジンチームには二人協力までが限界のチェインをチーム全員で発動させるなど、コンビネーションの完成度に大きな隔たりがある。
 先立って四人同時に昇級を果たした点から鑑みても、アネラス達は相当難易度の高いミッションに一致団結して取り組んでおり、付け焼き刃の自分らと異なり長期間このパーティーでの実戦をこなして連携力を高めてきた。
 斬り込み隊長として切れ味鋭いパワー系のクラフトを多用するグラッツ。
 敵から距離を稼ぎながらの移動攻撃が可能な地味スキル持ちの司令塔カルナ。
 自らを傷つけた相手を常に倍返しで御礼参りする可愛い顔して意外と執念深いポイントマンのアネラス。
 どれも手強い難敵だが、最も厄介なのは回復と補助を一手に引き受けるチームの生命線(ライフライン)のクルツ。
 特に敵味方が入れ乱れた戦場で仲間だけを的確に選りすぐる摩訶不思議な強化術や、殺気無しで放たれた銃弾を後ろ向きで認識した不可解な洞察力など底の見えない危険人物だが、一つだけ乗じれそうな甘さも発覚した。
「クルツさんは有能で善良そうだけど、少々真面目すぎるわね」
 敵を侮らないのは大事な気構えであるが、それも時と場合による。
 ヨシュアのバトルスカウターでは、チーム戦術、個々の能力ともに遊撃士側は騎兵隊を大きく凌駕しており、極端な話、虎の子の方術を温存しても十分勝てたのだ。
「そういう意味ではクルツさんはもう少し自分達の力量に奢っても良かったのでしょうね。態々四人チェインまで披露してくれるなんて、私として有り難い限りだけど」
 勝ち残ったライバルに手の内を隠し通す情報戦略もまた長丁場のトーナメントでは大事な駆け引きの一つ。
 上級遊撃士のクルツがそういう老獪さと無縁であろう筈はないから、恐らく彼はこの大会を自分や仲間の精神修行の場と捕らえていて、「お互い持てる力を出し切り、悔いの残らないように精一杯戦おう」というスポーツマンシップに則り参加しており、同僚を出し抜いてまで勝ち残ろうという必勝の気概は無いのだ。
「なら、精々そのアマチュア精神につけ込ませてもらうとしましょうか。私たちの方は是が非でもこの大会に優勝しなければならない理由があるのだから」
 更なるクルツの謎に迫る為に以前アネラスと交わした可愛いもの講談に託つけてデータを入手しようと、勝利の為には友情さえも利用する鉄の少女は早速、控室に戻ってきたアネラスを満面の笑顔で出迎えると、この後にエーデル百貨店のぬいぐるみコーナーでのウインドショッピングの約束を取り付けた。
 同じリベールの遊撃士でありながら、どちらが主人公側の行動か判らない正々堂々さと狡猾さが交差しながら、次の戦いがスタートする。



[34189] 19-14:魁・武闘トーナメント(ⅩⅣ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/13 00:01
「ふんっ、恥の上塗りとはまさにこのことだな」
「予選でボロ負けした地点で身の程を弁えて辞退していれば、二度も醜態を晒さずに済んだのにな」
 遊撃士チームに完敗した突撃騎兵隊を出迎える紅の組控室の同僚の態度は実に冷やか。騎兵隊の面々は激昂しかけたが、ジェイド中尉が部下を諫める。
「確かに俺たちの部隊は決勝に残るだけの器では無かったかもしれない。だが、生き恥を覚悟しても、今度はきちんと戦って負けたかった」
 そういう意味では手加減抜きで叩きのめしてくれたクルツ達にジェイドは感謝している。敗退チームには拘束義務はないので、(※レイヴンも既に退出している)、グッドルーザーとして胸を張って控室を後にする。
「皆、これから本隊に合流するぞ!」
「「「イエス・サー!」」」
 凡人が今より強くなるには努力以外に道はない。休息無しで即日の部隊演習に参加するつもりだが、黒装束たちはそんな頑張精神論にイラつきながら唾を吐いた。
「けっ、温い奴らめ。フェアプレイで力一杯戦ったから、悔いはありませんってか? 戦争に破れてエレボニアの属州に成り果てたら、帝国兵に握手でも求めるつもりかよ?」
「ふんっ、正規軍がこんな脆弱なアマチュア集団ばかりだから、大佐が苦労なさっているんだ。やはり土台から腐り切ったこの国は俺たちの手で一から築き直さなければどうにもならんな」
「ちっ、この忙しい時に御輿(デュナン)の気紛れ発言の尻拭いにこんな茶番に付き合わされるとはな。とにかく、どんな手段を使ってでも犬共のグランセル城進出を阻止しろとカノーネ大尉の御命令だ」
 仲間意識ゼロで騎兵隊を見下す上官の唱える正義を疑わない特務兵に、部下の不満に同調することなく一人寡黙を貫く仮面の隊長ロランス。
 そんな王国軍内部の不協和音を、同じ控室の隅っこで他人事のように観察している集団がいた。
「ガウッ。こいつら、なんか感じが悪いガウッ」
「確かに同じ軍隊なのに、あまり仲が良くなさそうだね。それに何か物騒な台詞を呟いていた気がするけど、犬って僕たちブレイサーのことかな?」
「はっはっは。別にどうだっていいんじゃないの? 僕らが今日、この人達と対決することはないわけだし」
「そうそう、あたし達の目標は唯一つ、優勝だけよ。ボースの空賊事件じゃみすみす五十万ミラを取り逃がしちゃったけど、今度こそ賞金の二十万ミラはあたしらが頂くわよ」

        ◇        

『続きまして、第三試合のカードを発表させていただきます。南、蒼の組。空挺師団第三連隊。ライエル中尉以下四名のチーム』
「よし、気張っていくぞ、野郎ども!」
「「「アイアイサー!」」」
 蒼の組の控室。自分達の出番が訪れたので、師団の兵士達は気合を入れる。
 予選に参加した十六チームの半数を占めながらも遊撃士関係者に連勝されて、ここまで勝ち残った王国軍関連チームは零。
 大会が従来の個人戦であればモルガン将軍やユリア中尉などの強者がノーエントリーなので個に秀でた武芸者に劣るのは仕方無しの側面はあるものの、連携と団結力が問われる団体戦で全滅したとあっては規律と集団戦術に重んじる軍隊の沽券に関わるからだが、皮肉にも次の相手もまたブレイサーズらしい。
『対するは、北、紅の組。遊撃士協会ポップル国、メイル選手以下四名のチームです』
「さてと、この試合はどうせ無報酬なんだし、ちゃっちゃか蹴散らすわよ」
【メイル(17才) ポップル公国所属 F級遊撃士】
 長剣を得物として白いレオタードの上から肩当てと胸当てだけを纏っただけの極めて露出度の高いセクシー姿で、好戦的な視線と尖り耳が目印の赤髪の元気少女。
「メイル、これは決勝なんだから、油断したら駄目だよ」
【タット(17才) ポップル公国所属 F級遊撃士】
 真っ赤なマントにとんがり帽子を被って、導力ブースターの杖を所持する黒髪童顔の爽やかな少年。実は土属性二つ縛りだけのギルドでも数少ない全連結構造(ワンライン)の適正者。
「はっはっはっ。僕の爆弾が使えたら、全員纏めて吹き飛ばせるんだけどね」
【ブラッキー(21才) ポップル公国所属 F級遊撃士】
 爆弾魔(ボマー)の悪名を持ち、所構わず手持ちの爆弾を投げつける危険人物。どことなくオリビエに似た劇薬の臭いを感じさせる、メイルと同じく特徴的な尖り耳をした青年。
「ブラッキーさんじゃん。あの人達もこの大会に参加していたのかよ?」
 エステルは驚きの声をあげる。エルナンが二人と旧知の遊撃士がエントリーしていると告げたが、どうやらボースの空賊事件でお世話になった十一人の正遊撃士の中の三人らしい。
 とはいえエステルが面識があるのは、霜降り峡谷の空賊砦で壁を爆弾で崩して乗り込んできたボマーのみ。メイルは琥珀の塔で陽動班として参戦、タットはクローネ峠側の外れ待機班で出番無しなので、この同年代カップルとはあまり話をする機会は無かった。
「メイルさんとタット君ね。私は結構あの二人は印象に残っているわよ」
 義兄よりもはるかに整頓された記憶力を保持する義妹は、そう昔を懐かしむように邂逅する。
 少女は唇に指を銜えて、五十万ミラの小切手を物欲しそうに眺めていた涎を垂らしてキャンディを欲しがる幼子っぽい姿が実に微笑ましく、少年はエジルでさえ惑わされたカリンの色香を撥ね除けた唯一の男性遊撃士だそうだ(※ちなみにブラッキーは鼻の下を伸ばした八番目の犠牲者だったりする)
「それよりも、私はあのボールが物凄く気になるのだけど……」
 ヨシュアは琥珀色の瞳をジト目にして、三人の合間を浮遊する物体を指差す。
 青い球玉状の身体にチンマリとした手足を生やした、ずんぐりむっくりとした奇怪な生き物。退化した羽をバタバタとばたつかせて宙に浮いている。一本角の真下の海苔のような太眉と円らな瞳が実にアンバランスで、客席から「ひっ、魔獣?」と悲鳴が零れたが当の本人が意義を申し立てる。
「オレは魔獣じゃないガウ。怪獣だガウ」
「しゃ、喋った?」
【ガウ(?才) ポップル公国所属 メイルの仲間(ペット?)】
『え、えーと、皆様、ご静粛に。事情を説明させていただきます。ガウ選手はご覧の通り人間ではありませんが、今の問答で証明されたように魔獣と異なりコミュニケーションも成り立つので、主催者である公爵閣下の計らいで今回の出場が認められた次第であります。人に害をなすことは決してありませんので、どうかご了承ください』
 大会運営本部から、そうフォローが入る。初見の観衆は未だに騒めいているが、予選から見学していた古参は既に顔馴染なので、「ガウちゃん、可愛い」とビーチボールのようなコミカルな風貌に一部のマニアックな女性客から黄色い歓声が漏れる。
「ああん、やっぱりガウ君はヌイグルミみたいで、超カワイー! お持ち帰りしたいけど、メイルちゃん幾ら払えば譲ってくれるかな?」
 可愛い物好きのアネラスも乙女コスモを満開にしてときめいていて、隣にいるオリビエなどは、「きーっ、獣(けだもの)の分際でギャルの視線を独り占めにー」とハンカチを噛んで嫉妬心剥き出しで悔しがる。
「……流石にあの青玉に対抗意識を燃やすようじゃ人として終わりだと思うけど、何でもアリのカオスな大会だな。けど、本当に魔獣じゃないのか、あの生物?」
「さて、ゼムリア大陸には未知の種族が数多く棲息しているし、このリベールにも大崩壊以前から存命する人の叡知を越えた古代竜の伝説もあるから、我々と意思疎通が可能な存在は同権で敬うべきだろうね」
 オリビエの突っ込み役と化したエステルに、ヨシュアなみに博識のクルツ氏が声を掛けてきた。
 メイル達はボップル公国という大陸南東部に位置する小国の出身。元々はWANTEDを捕らえる賞金稼ぎを生業としており、去年遊撃士に転職したばかり。
「クエストは報酬が全てと公言していて、リンデ号事件でもミラの臭いを嗅ぎつけて態々国外から乗り込んできたぐらいだから、この大会も純然たる優勝賞金目当てで参加したのだろうね」
「それって、何か違うんじゃ無いっすか?」
 クルツの説明に、素朴な正義感の所有者のエステルは憮然とした表情を隠せない。
 『地域の平和と民間人の安全』をスローガンにする遊撃士にあるまじき拝金主義に反発心を感じたからだが、ボースの最終局面では無報酬で協力してくれたのでプロとして最低限のモラルは持ち合わせているのだろう。
「実際には守銭奴なのはメイルさん一人だけだから、基本誠実なタット君まで金の亡者に分類するのは可哀相かもね」
 食う為にお金を稼ぐのは当然の話だし、決勝からしゃしゃり出て賞金の山分けを目論んでいる立場であまり偉そうな事は言えないので、ヨシュアが横から口を挟む。
「なら、なんで一緒に活動しているんだ?」
アネラスからミラで仲間を売ると思われるような悪評の持主と連むのを疑問に思う。
「あなたには判らなくても良いことよ、エステル」
 この方面の洞察力は期待するだけ無駄なので、ヨシュアは完全に見捨てている。
 自分らのような兄妹ならまだしも、ポリシーの異なる年頃の男女がペアで行動する理由など一つしかないが朴念仁には生涯解けない謎だろう。
 尚、兄妹と同年輩で準遊撃士の仮身分を卒業したタットらは優秀なのかと問われれば、少しばかり事情が異なる。
 リベールより地方の数が少ないポップル公国には協会の支部が三つしか置かれておらず、その分昇格に必要な推薦状の枚数も手頃。監督役次第の見習い程ではないにしても、正遊撃士の資格取得難易度も国によって多少のバラツキはあるみたいだ。
「あれっ? その理屈だと、もしかして兄貴は十以上の推薦状を集めたことになるのか?」
「まさか、エレボニアやカルパードみたいに支部が多い大国は一定数の推薦状を集めれば昇格できるシステムになっているわ。逆にクロスベルみたいに支部が一つしかない所は周囲の複数自治州の支部と組み合わせて一つの国扱いして、全ての推薦状の提出を義務づけているしね」
 ギルドの昇格の仕組みについてヨシュアがあれこれレクチャーしている内に闘技場の方では戦闘準備が整った。審判の「勝負始め!」の合図と共に両陣営がぶつかり合う。
 先の対戦に続いて、王国軍正規部隊vsブレイサーズの第二ラウンドの火蓋が切って落とされた。

        ◇        

「そりゃー、うりゃりゃりゃりゃ……!」
 ロングソードを構えたメイルは野性味溢れる軽快な動きで兵士達の合間を駆け抜ける。
 隊長と剣同士を鍔競り合ったと思ったら、すぐに身を翻して別の場所にランダム移動。トリッキーな行動の数々で空挺師団を翻弄する。
「ほらはら、お馬鹿さん達、こちらだよーん。プギャーーーッ」
 無手のブラッキーは、左右の黒目を器用に上下に揺らしながらアッカンベーする実にむかつく挑発クラフトで敵兵を纏めて沸騰させる。
 得物の手投げ爆弾が使えればチームのアタッカーになり得たのだが、この大会では火縄銃だけでなく火薬武器全般の携帯は禁止されている。囮役に徹して得意の逃げ足で導力銃の射撃を避け続ける。
 少女は前衛の壁役というよりは、軽装と俊敏性を活かして敵を攪乱する役割を帯びている。戦士の癖にブーメランを投げて威嚇したりと実に次の動作が読み辛く、ブラッキーの奇行と合わせて面白いように遊ばれているが。
「皆、騙されるな。この二人は単なる陽動で本命はあの赤マントの小僧だ!」
 ブラッキーの挑発に引っ掛かることなく、指揮官として後方から冷静に戦況全体を見渡していたライエル中尉はメイル達の狙いに気づいた。
 タットは身体を黄色に光らせながら、後衛で一人黙々と印を組んでいる。ライエルは自ら斬り込んで、詠唱中の無防備な状態を斬り伏せようとしたが。
「させないガウ!」
 ガード役として残されたガウが割り込んできて、タットの身代わりに銃剣を頭部で受け止める。カキーンと小気味よい音がして、刃が真っ二つに折れる。
 唖然とするライエルに、「痛いガウ!」とガウは口から火を吹いて中尉を追い払う。他の兵士たちはタット目掛けて解除弾(※詠唱、待機系クラフトを解除可能)を一斉斉射するがガウが再び壁となり、人間ならば有り得ない硬質化した皮膚に全て弾かれる。
「ちょっと待てよ、あんなの有りかよ? 導力銃が効かないとか反則だろ!」
「化物め。実弾でも使わないことにはダメージすら……」
「隊長、どうしますか? このままだと…………」
「落ち着け。とにかく散開するか、もしくは敵と密着しろ。そうすれば、アーツ遣いは無力化する筈だ」
 中尉の指示で二人の兵士がブラッキーに取り付き、残る一人はタットから最も離れた距離に身を置く。ライエル自身はタットに比較的近い位置のメイルと交戦する。
 なるべく同士討ちになる配置にした上で大円の範囲外に避難した者もいる。これだけ複数に保険をかけておけば誰かは生き残るだろうと皮算用したが、「残念でした」とメイルは舌を出しながらライエルの肩を踏み台代わりにして空中に大きく飛翔。並行してタットの詠唱が完了。
「大地よ震撼せよ。タイタニックロア!」
 少年は杖を振り翳しながらそう叫ぶと、自らもメイルに倣ってジャンプ。
 次の刹那、闘技場全体がグラグラと揺れ動くような地響きが発生。兵士たちはその場に立ち尽くすことすら困難になり、地割れに足を掬われ全員引っ繰り返って陥没した土砂に埋められる。
「お、重いガウ……」
 羽を忙しくばたつかせて必死に浮遊するガウの片足にそれぞれ掴まり、強震を遣り過ごしたメイルとタットが下界を見下ろす。地上にいる者は巻き添えを喰ったブラッキーも含めて全員生き埋めにされており、誰一人としてピクリとも動かなかった。
「勝負あり、紅の組、メイルチームの勝利です」

「これはまた面白そうなチームね。けど、私たちがやりたかった事を先超されて、少し悔しい気分ね」
 ヨシュアはクスクスと笑いを押し殺しながらも、愉快そうに賞賛する。
 火力は抜群だが敵だけを範囲内に置き去りにするのが難しく今一つ使い勝手が悪い広域魔法を、敢えて囮役を見殺しにして一網打尽にするのはヨシュアもオプションとして考慮していた。
 エステルの目撃情報では、シード少佐もグランストリームという風属性の全域極限魔法を発動させたそうだが、それは噂の新型戦術オーブメントによる次世代技術だろうから、旧型で全体オーバルアーツを行使できるのは土属性のワンラインである赤魔道師だけ。
「高魔力の上に唯一の全体攻撃魔法(タイタニックロア)を持つタット君と空中というセーフティーゾーンに退避可能な怪獣さんがいて初めて成り立つ作戦だから、私たちが模倣するなら別の工夫を設ける必要があるわね」
 ヨシュアはそう思案を推し進めながらも、その口調にはまだまだ余裕がある。クルツチームと相対した時ほどの危機感は感じられない。
 一撃必殺の広域アーツは確かに厄介だが既に手の内を晒した今では対策は容易。チームとしてはまだムラがありそうな若輩のメイルらをそこまで警戒してはいない。
「あらっ?」
 気絶した兵士たちを担架に乗せた救護班が蒼の組控室を素通りしていく。ヨシュアの視線は瀕死の空挺師団ではなく、歩いてヨロヨロと自力で北門に帰還する生贄役のエルフ耳の青年に注がれている。
 男性にしては細身のブラッキーが見掛け以上にタフだとしても、鍛練された正規兵を一発で戦闘不能にした瓦礫の山に埋もれて無事で済むとは思えずに首を捻る。
「ADF(魔法抵抗力)が高い? いえ、魔力で擬似的な炎や氷を作る他属性アーツと異なり、地形を利用する地震には物理的な衝撃も加わるから、それだけはでは防げない。だとすると…………」
『続きまして、大四試合のカードを発表させていただきます。南、蒼の組。国境守備隊、第七連隊所属。ベルン中尉以下四名のチーム。対するは、北、紅の組。王国軍情報部、特務部隊所属。ロランス少尉以下四名のチームです』
 ヨシュアが自問自答の解を得るよりも先に、一回戦最後の対戦が告げられる。
 腐れ縁の黒装束が余震で荒れ果てた闘技場に姿を現す。代表者の名前が予選と入れ替わっている上に初顔合わせの仮面の剣士が加わっており、本戦用に温存されたエースとみて間違いない。
『両チーム開始位置についてください。双方、構え。勝負始め!』

        ◇        

『勝負あり。紅の組。ロランスチームの勝利です』
「何者だ、あいつ? 強いなんて次元じゃないぞ」
 他を圧する仮面男の独り舞台に思わずエステルは目を見張る。
 特務兵の手強さは何度も手合わせして既に承知しているが、奴らの隊長と思わしきロランス少尉は更に桁違い。左手に握り込んだ異形の剣で一振りで一兵を斬り捨てて、守備隊の手勢三人を瞬く間に屠る。残ったベルン中尉も黒装束らに嬲り殺された。
「これは、もしかしてクルツさん達以上の強敵なのか…………って、ヨシュア?」
 同意を求めようと隣いる義妹を振り返ったエステルは、予想外の態度に面食らう。
 ヨシュアは琥珀色の瞳に醒めた色を浮かべながら、「ふあぁあー」と退屈そうに欠伸を噛み殺して緊張感を消失中。
「思わせ振りに予選で出し惜しみするから、どんな隠し球を披露してくれるのか期待してみれば、拍子抜けも良いところね。ただ単に強いだけじゃないの、アレ」
「はいっ?」
 エステルにはヨシュアの云わんとしている事柄が、まるで理解出来なかった。
 一つ確かなのは、目の前で瞬殺劇を繰り広げたロランス少尉に何らの警戒心も抱いていない事実だけ。
「情報部の方は問題なさそうね。だから、私は当初の予定通りの諜報活動に準じることにするわ」
 そう宣言するとそれ以上の説明無しにアネラスの側に駆け寄って可愛い物ツアーにお誘いする。
 ヨシュアの仮想敵陣営はあくまでクルツ達。『今日の友は、明日の敵』を地で行く少女はまだ友達でいられる本日中に情報を搾取した上で翌日には仇と化す不届きな算段。女同士の友情に亀裂が入らないか心配だ。
「俺もヨシュアの理は見当もつかんが、主張したい意は何となくだが解る。エステル、お前は『あれ』を恐ろしいと思えるか?」
 ヨシュア十八番の韜晦トークに戸惑うエステルに、頼れる兄貴分のジンが軽く肩を叩きながらロランス少尉を指差す。
 無言で異形の剣を握りながら、他の特務兵に誘導されるように機械的で緩慢な動作で紅の門に引き上げていく介護老人じみた仮面男の後ろ姿を見つめている中に、エステルは自身の心が冷えきっていくのを感じた。
「怖くねえな…………というか戦ってみたいとも思わない」
 剣狐のようなレベルがかけ離れた達人に挑んだ時でさえ勝ち目のないバトルに心の奥底から沸き上がる歓喜を抑え切れなかった格闘馬鹿をして、ロランスの強さには何らの衝動も芽生えない。
 言葉足らずのエステルには上手く理屈で説明できないが、ようするにワクワクしないのだ。
「正解だ、エステル。俺もあれに強さは感じても、恐怖はまるっきり覚えない。それが何を意味するのかは判らないが、お前さんの義妹は油断や自惚れとは無関係に全く脅威とは見做していないようだ」
 ジンもエステル同様に己の違和感を言語化するのは叶わなかったが、ロランス少尉を人間扱いしていないのはヨシュアと共通している。
「気紛れな解説魔が、その気になるのを待つしかないか」
 恐らくヨシュアはアレとやらの正体を看破しているから、こうまで無用心でいられるのだろう。恒例の秘密主義か単に面倒臭がっているかは不明だが、何時ものようにエステルの頭にも解るよう補説するつもりはないらしく実にもどかしい。

 こうして決勝トーナメント一回戦が終了。ベスト4が全て出揃ったが、参加チームの過半近いリベール正規軍が全て根絶やされて、少数エントリーのブレイサーズが全員生き残るとは誰も予測し得なかっただろう。
【多国籍遊撃士チーム (ジン)、エステル、ヨシュア、オリビエ】
【リベール遊撃士チーム  (クルツ)、カルナ、グラッツ、アネラス】
【ポップル遊撃士チーム (メイル)、タット、ブラッキー、ガウ】
【王国軍情報部チーム  (ロランス)、ドールマン、ラウル、メイスン】
 賭博行為防止の為にファイナリストを占う準決勝のカードは未定だが、どのような組み合わせでも本日以上の激戦が期待できそうなので、満場の観衆は期待に胸を踊らせてグランアリーナから帰宅の途についた。



[34189] 19-15:魁・武闘トーナメント(ⅩⅤ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/15 03:09
 ちょうど日が沈み出した時分に武術大会本戦一日目が終了。オレンジ色の夕焼けの下、トンボを抱えた複数の係員がタットの地震魔法で荒れ果てた闘技場の整地化に精を出す。
 綺麗な緑の芝に復元される作業を鉄格子のゲート越しに眺めながら、勝ち残った蒼の組の遊撃士達は審判役からいくつかの注意事項を伝達されるとようやくお開きの流れとなり控室を後にする。
 まずはクルツチームの四人が退出。少し時を置いてから、ようやくトーナメントの緊張感から開放されたジンチームも続いたが、扉外に刺客が待ち伏せていたとは誰一人想像しなかった。
「パパのかたきー、かくごー!」
 私怨を抱く何者かがそう叫びながら、先のヨシュアの如く三角飛びで大きく壁を蹴って流星キックを仕掛けてきた。迂闊にも油断していたジンの後頭部にマトモにヒットしたが、なぜかダメージゼロ。
 それもその筈、そのリベンジャーの正体はまだ身長1アージュちょいの幼女。ジンの頭に肩車のように取りつき、「この、この」とポカポカ殴る様は見ていて微笑ましい。
「こらっ、止めないか、ルチア。すまねえな、ジンさん。娘がオイタしたみたいで」
 他のレイヴンの面々と共に駆けつけてきたシャークアイが、先の死闘でボコボコに歪んだ醜面で叱りつけながら、女の子の襟首を掴んでジンから引き離す。
 捏造過去回想で彼には五歳になる娘がいると語られており、どうやらシャークアイのご息女らしい。お子様用の海賊仮装に身を包み、健康な左目を真っ黒な眼帯で隠して隻眼(パパ)を気取っているチャームさはアネラスが誘拐衝動に駆られる程に可愛い。
「気にするな。この歳で親の仇を討とうなんざ健気じゃないか」
 無論、寛容なジンは気分を害することなく、少女の頭をドクロマークつきのバンダナ越しにナデナデする。ルチアはムーッと頬を膨らませて、「あだのくせに、なれなれしくするなー」と背伸びしながらプンスカする。
「ルチア、パパは正々堂々とした決闘で負けたのだから、根に持ったりしたら駄目でしょ」
「ママー!」
 幼女はパッと表情を輝かせると母親の胸元へと飛び込み、エステル達は互いに怪訝な表情を見合わせる。
 娘のヤンチャ振りからしても、てっきりレイヴンのヤンキー娘と職場の出来ちゃった婚で引退したのかとプロファイリングしていたが。
「この人の妻のソフィアと言います。主人かお世話になりました」
 一人娘を抱き上げながら、礼儀正しく頭を下げたその女性はまだ二十歳前後と若い。清楚な白のブラウスとタイトスカート姿に水色の短髪を整えて眼鏡かけた姿は実に理知的で、とてもアンダーグラウンドと縁があったようには見えないが、おしとやかそうな振りして昔は結構……というパターンなのだろうか?
「あっ、どこかで見た顔だと思ったら、騎馬戦でメイベル市長とブルマ姿で取っ組み合っていた写真の女性!」
 エステルが大声を張り上げる。ヨシュアは一瞬義兄の正気を疑った後、ナイアルに渡した学園祭PR用スナップの中の少女が目の前の女性と確かに酷似しているのを得意の瞬間記憶能力で記憶の井戸の底から掬い上げた。
「野郎のことなら三年付き合っても三日ですぐに忘れちゃう癖に、本当に女性関係の記憶力だけはピカイチね」
 ヨシュアはジト目で呆れるが、エステルが見抜いた通りにソフィアはジェニス王立学園に在籍していた。メイベル市長とはクラス委員と生徒会長のポストを分け合い、体育祭でも共に赤白の大将騎を勤めて競い合う首席の座を巡る良きライバル関係だった。
「リベール通信にメイベルさんのオマケで、私の学生時代のブルマ姿が掲載された時は少し気恥ずかしかったけど、とても懐かしかったですわ」
 ルチアに頰擦りされたソフィアは照れ臭そうにはにかむ。
 こうして母娘並べて鑑賞すると、幼女のルックスは美人の母親と瓜二つ。運動神経の良さは父親譲りだろうから、遺伝子の良い所取りをしている。
 尚、その写真にノスタルジーを刺激されて娘と一緒に久々に学園祭を尋ねたら、旧友のメイベルと五年ぶりの再会を果たす。そのままメイド共々自宅に泊めてルーアン地方での仮宿を提供したりと、エステル達がダルモア市長と抗争していた裏で暖かいホームドラマを展開していた。
「今回はパパの雄姿を見にルチアと王都を訪れたけど、現役時代みたいでとっても素敵でしたわ、あなた」
「凹られても、パパはルチアのせかいいちだよー」
「そうかそうか、お前ら。でへへへ…………」
 妻子に煽てられたシャークアイは腫れ顔を弛ませてデレデレし、レイヴンの取り巻き連中は高嶺の花を射止めたチンピラ希望の星を羨望の眼差しで見上げる。
 にしても、かつてボース市長と肩を並べた程の才媛がどうして硬派番長のもとに降臨したのかエステル一行は首を捻るが、例の『アパッチ』襲撃の際に路地裏でモヒカン達に襲われそうになった所を助けられたという実にテンプレ的な出会いが交際の馴れ初め。
「不良と委員長の学歴差カップルも、ラブストーリーの定番ネタよね」
 ヨシュアは脳筋の家族をチラ見した後、自身の境遇に当て嵌めて美女と野獣の組み合わせに一定の理解を示す。
 勉学一筋で暴力にまるで免疫が無かった箱入り娘は、まるでインプリンティングの如くワイルドな漢の魅力に惹き込まれる。自由な外界を知り、親元から巣立った小鳥はレールに敷かれた一生と決別。いずれは市長職を目指して政界進出する人生設計は大幅な軌道修正を余儀なくされる。
 当然、財界人の両親との間で一騒動あったが、様々な迂曲を経て和解した。今では孫のルチアが遊びに来るのを一日千秋の思いで待ち焦がれている。
「まあ、本人たちが幸せなら、他人がどうこう言う筋合いはないわよね」
 三馬鹿中央にいるディンが左腕を三角巾で吊っている姿を確認したヨシュアは、そう達観する。
 学校も中退し、しがない漁師に嫁いだかつての秀才を凋落と見做す向きもあるだろうが、似たような政治的野心を胸に抱いて秘書業務に就いたギルハートの末路と可愛い娘と逞しい夫と仲睦まじく微笑んでいるソフィアの現状を見比べると、女の幸福は単純な社会的成功だけでは図れない一面もあるのかもしれない。
「とはいえ、メイベル市長と同級生ってことはソフィアさん、シャークアイさんとは十歳近い歳の差があるってことですよね? それなのに五歳の娘がいるって、どう思う兄貴…………って?」
「負けた…………」
 ルーザールーズ中は決して揺らぐことが無かった巨体が崩れ落ちる。『不動』の称号が瓦解しエステルは言葉を呑み込んだ。
「俺は別に好きでストイックな魔法使いを続けてきた訳じゃない。そりゃ、武道(ウーシュウ)に生涯を捧げた身ではあるが、飲食以外にももっと私生活の充実もあってしかるべきじゃないのか? 同じ三十路で一回り年下の幼妻に可愛い娘………………だと? あれか、ひたすら一心に修練に明け暮れるよりも、昔はチョイ悪で荒れていた方が女人とお近づきになる秘訣だというのか? 真面目な人間が一つ悪さをすると「良い子振っているが、それがあいつの本性だ」と積み上げてきた信用が一瞬でパーになるのに、普段から悪さばかりしている人間が一つ善行を施すと「あいつ実は良い奴かも」とは、何と世の中は理不尽な…………」
 四足動物のように両手の掌を地面につけながら、レイプ目で何かブツブツ呟いている。「なんかよくわかんないけど、とりあえずパパのかちー」とルチアは金太郎のように熊さんの背中に踏み乗りながら、エイエイオーと勝鬨をあげる。
「落ち着け、兄貴。俺も何に絶望しているのか判らないけど、兄貴は物理屋であってアーツ使いじゃないだろ?」
「もう止めてあげて、エステル。ジンさんのプライドはもう零よ」
 兄貴分をフォローするつもりが却って追い打ちをかる非道を、ヨシュアは琥珀色の瞳に涙を溜めながら引き止める。
 エステル、オリビエ、シャークアイなど行く先々で次々と野郎同士の熱い友情を築いてきた漢の中の男がその反面、この歳になるまで異性からの浮いた話が一切無いという思わぬアキレス腱が発覚した瞬間だ。

「まあまあ、兄貴にはキリカさんがいるじゃないっすか?」
 あれからジンが落ち着いた頃合いを見計らってエステルは同郷美人の名を挙げてみたが、シャークアイの嫁さんの若さに当てられ珍しくやさぐれているジンは「ふん、あんな婆なんて……」と心にもない命知らずの一言を呟いてしまう。
「ねえ、パパァー。ルチアもぶじゅつたいかいにでたいー」
「後五年経ったらな。幼年の部の出場資格は十歳~十二歳らしいからな。それよりも、ジンさん。これから俺達と一緒に一杯やらないか?」
 元よりそれが目的で蒼の組控室の前で待ち構えていた。武術大会に敗退した以上、保護観察中のレイスらは明日にはルーアンに戻って、遠洋漁業に復帰しなければならない。今夜はせめてもの無礼講ということで、居酒屋『サニーベル・イン』を貸り切ってレイヴン一堂で飲み明かすつもりだ。
「そいつは是非とも、ご相伴に預かりたい所だか……」
 闘技場で先に誘ったのはジンの方だし、お祭好きの大酒飲みとしては何ら異存はないが、チームの財布の紐を握る軍師殿に縋るような視線を注ぐ。
「別に行ってきて構わないわよ」
 大会期間中に特訓したり、ましてやプライベートタイムを拘束する気のないヨシュアはあっさりゴーサインを出す。更には奢られるのも漢の面子に関わるだろうからと、お小遣いとして一万ミラも持たせてくれた。
「かたじけない、恩にきる」
 ジンは片膝をついて両拳を胸の前で握り締める最高礼のポーズで感謝の意を示すと、シャークアイ達と連れ立ってグランアリーナを後にする。
「ふっ、マダム&マドモアゼル。是非ともエスコートを……」
「あら、これはどうもご親切に」
「わーい、ルチアもいくのー」
 紅一点のソフィアやマスコットのルチア、更には何故かオリビエまでもが自然な動作でレイヴンの群の中に紛れており、さぞや楽しい宴会になることだろう。
「よいしょっと…………、これで後は湿布しておけば大丈夫よ」
「悪いな」
 ヨシュアは整体の要領で自ら脱臼させた肩の骨を綺麗に嵌め直してあげると、頭を下げながら仲間に合流していくディンをエステルと共に見送る。
 一応酒が飲めない(?)未成年ということもあるが、性格が不器用なロッコあたりは兄妹が一緒だと気まずそうなので敢えて参加しないことにし、これからの行動を思案する。
「さてと、俺は一端ギルドに戻るけど、お前はアネラスさんと約束が…………って、何やってるんだよ、ヨシュア?」

『た、頼む、何でもするから見逃してくれ! 私には守るべき妻と可愛い娘がいるんだ!』
『この泥棒猫! 返して、私のアーサー君を返してよぉ!! うわああぁあーん!』
『ユニちゃん、君とっても可愛いね。ハァハァ。ペロペロキャンディをあげるから、おじさんと…………!? ち、違うんだ、ヨシュア君。私はロリコンでは……』
『よーし、こんなったら、パパ、お好み焼き屋始めちゃおうかな?』
『まあまあ、兄貴にはキリカさんとかがいるじゃないっすか? ふん、あんなババアなんて……』
 隠しポケットに密かに忍ばせておいたボイスレコーダーを再生しており、先の愚痴文句がきちんと録音されていたかを確認する。
 他にもどこかで聞いたような先輩遊撃士の生声や、やばそうな生々しい修羅場も含まれていた気がするが、こうやって他者の弱みを握って脅迫のネタにしているのだろうか?
「習慣でつい反射的にスイッチを押したけど、考えてみればこんなもので強請る必要も無かったわね」
 基本、寛大なジンは大概の頼みごとは二つ返事でOKしてくれる。その不動が首を縦に振らないような不条理な要求なら、どんな脅迫にも屈しないだろうからナンセンスの極みだと気づいたが、それでも音声を消去しようとはしないヨシュアである。
「そうだ、エステル。そろそろあの人が私たちに絡んでくる見頃だと思うから、一つ頼まれてくれないかしら?」
 ヨシュアは一枚の写真をエステルに渡し言伝てを託すと、アネラスとの待ち合わせ場所に向かう為にエーデル百貨店の方角に消えていった。

        ◇        

「よう、会いたかったぜ、心の姉弟たちよ」
 ギルドに着いた途端、『お前の物は俺のモノ、俺の物も俺のモノ』というジャイアニズムという哲学を産み出したシンガーと似たような台詞を口にしながら、ヨシュアの予測通りに無精髭を生やした胡散臭そうな中年男性がエステルを出迎えた。
「この王都でも相変わらず愉快そうな騒動の中心にいるようで何より…………って、ヨシュアはいないのか?」
 リベール通信の自称敏腕記者ナイアル・バーンズだ。得意のハイエナじみた嗅覚で、兄妹の武術大会参加を嗅ぎつけた。
 来客用ソファから立ち上がったナイアルは煙草の吸殻を携帯灰皿に押し付けながら、顎先に手を当てて算段する。
「まあ、考えようによっては都合が良いか」
 常にセットで行動している義姉の不在を不審がったが、守秘義務の境界線が緩い脳筋弟の方が情報を引き出し易いと踏んだのかニンマリとほそく笑む。
「どうだ、エステル。これから一緒に飯を食わねえか? もちろん全部俺の奢りだぜ」
 編集部近くのかつてジンが早食いイベントで食い繋いだコーヒーハウス『バラル』に誘われる。試合後で腹ぺこのエステルとしては否応ある筈もなく、受付のエルナンに大会の進捗を報告すると晩飯をご馳走になりに同行した。

        ◇        

「なあ、エステルよ。以前、ヨシュアが語っていた情報部黒幕説はどうやらマジみたいだな」
 激辛の匠風大盛りライスカレーを五杯もお代わりしたエステルの大食漢振りに今更ながらに驚嘆しながらも、食後の濃縮エスプレッソを煙草と一緒に味わいながらナイアルは天を扇ぐ。
 専制国家にしては珍しく王家批判も含めて比較的報道の自由が保障されていたリベールにおいて、最近軍の検閲が異常に厳しくなった。親衛隊逮捕における情報部の小学生レベルのお粗末な対応を紙面で指摘しようとした同業者が立て続けに逮捕され、その雑誌は発禁処分を受けている。
 アリシア女王の沈黙を良いことにグランセル城の主人気取りで好き放題のデュナン公爵と、その後見人として実際の政務を執り仕切っているリシャール大佐。
 グランセルの市民人気は未だに根強いようだが、既に反逆者一歩手前の地位まで登り詰めていると記者として長年の勘が告げており、困ったことにこういう悪い予感は外れた試しが無かった。
「なあ、エステル。こいつはもうスクープ狙いとかそんなちっぽけな話じゃなくて、王国の存亡に関わる大問題だ。俺で出来ることなら何でも協力するから、お前達が現在掴んでいるネタを教えてくれ。頼む……」
 ナイアルはヤニ臭い顔をエステルに近づける。普段はハゲタカのようにギラついている目に何時にない真摯な光を称えて思いの丈を訴える。
「分かったぜ、ナイアル。ヨシュアほど理論整然とした説明は無理かもしれないけど」
 エステルはしばらく迷ったが、彼の熱意に絆されたようで、そう前置きしてからポツリポツリと情報を漏らし始める。ナイアルは表情こそ変えなかったが、机の下で密かに左拳をガッツポーズで握り締めている。やはりヨシュアに較べればエステルの方が断然チョロかった。

「…………ってな感じで、俺が把握しているのはこのぐらいだ」
 エステルが物語った真相の数々に基本的に物怖じしないナイアルも内心でぶったまげる。
 飛行船誘拐に孤児院放火事件は既出だが、中央工房襲撃と親衛隊冤罪の自作自演に、モルガン将軍の軟禁と情報部による軍部の完全支配。
 それが全て事実だとすれば、政権も実質はデュナン公爵でなくリシャール大佐の掌の上にあるようなものなので、政軍両権を掌握した事実上の独裁者ということになる。
「何か頭がクラクラしてきたな……」
 まさしくフューリッツア賞が現実味を帯びる程の生涯最大級のスクープが目の前にぶら下がっているが、リアリストの彼は一介の新聞記者の手に余る諸刃の剣であることも弁えている。単身、功を逸って記事にしようものなら、翌日にはヴァレリア湖に身元不明の水死体が浮かび上がる光景を想像し寒けを覚えた。
「生前は貧乏無名で没後に世に作品を認められた絵画の巨匠たちも、あの世から一千万ミラの法外値をニヤニヤ楽しむよりも、生命のあるうちに十万ミラの小金を手に入れ生身で贅沢を堪能したかっただろうぜ」
 ミラと名声は生きている間に授けられてこそ意味があり、死後、殉教者として祭り上げられる栄誉に何らの価値も見出していないナイアルは極めて小市民的な選択をする。
「よし、決めたぜ、エステル。約束通り、ギルドでも調べられない情報を俺が独自のルートで調査してやらぁ」
 ようするにナイアルが見込んだ英雄姉弟がリベールを揺るがす災厄に挑むのを影ながら支援し、導かれし者に恩を売ることだ。
 一般人にも平気で刃を向ける猟兵団(イェーガー)紛いの情報部を敵にするわけだから身の安全は保障されないが、リスクとリターンが一致するなら幾らでも危険を犯せる性分だし、『ペンは剣よりも強し』の信念だけはシニカルなナイアルの胸の内に今でも根付いている。
「なら、ヨシュアからナイアル充ての案件を伝えておくぜ。学園祭で俺たちと一緒に連んでいたクローゼ・リンツって生徒を覚えているか?」
 預かっていた写真を手渡すと、聖誕祭で再会を期したクローゼが既に王都に到着していないか調べて欲しい旨を伝え、ナイアルは明らかに興醒めした表情を隠せない。
 あのヨシュアのたっての頼みというから、てっきりリシャール大佐を始めとした情報部幹部の経歴でも探らせるものと身構えていたが、美形の優等生とはいえ今更、単なる一学生の動向を追跡しろとは拍子抜けにも程がある。
「確かに異性受けしそうなイケメンではあるな」
 学生服姿のクローゼの御尊顔はハンサムだが、ボーイズラブの趣味はないナイアルは気が削がれた態度で何気なく写真を引っ繰り返し、途端に目を見張る。
「どうした、ナイアル? 急に固まって…………」
「おい、エステル。お前はこの裏面の一文を読んだのか?」
「いや、見てないけど…………って写真の裏に何か書かれていたのかよ?」
 エステルは慌てて覗き込もうとするが、ナイアルは即座に懐に仕舞い込むと、「この依頼、確かに承った」と急にやる気を漲らして伝票を掴む。
 「じゃあ、またな」とそそくさと挨拶し、エステルを置き去りにし席を立つと勘定を済ませて店を出た。
「うぅー、気になるー。たった一文でナイアルが豹変するなんて、どんなメッセージが篭められていたんだ?」
 好奇心を刺激されて蛇の生殺し状態で取り残されたエステルは軽く溜息を吐きながら、甘いアイスを溶かしたアイスエスプレッソを自棄飲みする。
「後でヨシュアに聞いても多分、教えてくれないだろうな……」
 また恒例の秘密主義の除け者にされた訳だが、今回は参加するチャンスが与えられていた。
 少し注意力を働かせれば簡単に閲覧可能な裏情報を見落としたのは、海千山千を心掛ける遊撃士としては手痛い失策。エステルが自力で気づけるか仕掛けられたテストに落第した以上、悶々とした夜を過ごすのは自業自得だろう。

「くっくっくっ。やはり義姉は義弟よりも、多くの事柄を見据えているみたいだな。ただし、あの腹黒娘からこれ以上のネタを搾り取ろうと思ったら、こちらも相応の働きを示す必要があるか」
 リベール通信社の本部ビルに帰参したナイアルは銜え煙草に火をつけると瞳に好奇の色を称えて、扉を潜る前にもう一度写真の裏面を眺める。
『クローディアル・フォン・アウスレーゼ』
 そこには唯一行、その姓名だけが達筆で書かれていた。



[34189] 19-16:魁・武闘トーナメント(ⅩⅥ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/16 02:58
「夕べは楽しめたみたいね」
 武術大会準決勝の当日、ホテル・ローエンバウム内のレストラン。
 夜半過ぎまで飲み明かしたジンとオリビエの体調を考慮して、十一時という遅めの時間を集合時間に定めた。そのままブランチとしてバイキングビュッフェに参加すると、二つのテーブルをドッキングさせて丸々占拠する。
 健啖家の男衆は店の料理をあらかた席に持ち込み、次々と胃袋に消費していく。摩天楼のように積み上げられた使用済み皿の隙間に微かな領土を許されたヨシュアは、モーニングトーストとベーコンエッグに紅茶を添えただけの細々とした食事で済ませる。
 ふと、隣にいるエステルと目線が合う。何か言いたそうに口をモゴモゴさせたが、軽く首を横に振ると無言を押し通す。
 昨晩の注意力テストに失敗し、秘密主義に与かるチャンスをみすみす逃したのが堪えたようだ。この悔しさを機に一つの事象から十の側面を読み取る遊撃士の気構えを保てるのなら、クローゼの情報公開に踏み切った甲斐もある。
「さてと、ゆっくりと食べながらでいいから、話を聞いてちょうだい。本日のオーダーのことなんだけど……」
 左手のティーカップを軽く口に含み、一堂の箸を止めることなく、こちら側に注意を促す。
 セミファイナルは二試合しかない。前日よりも試合開始時間が遅れるので真昼間から優雅に紅茶を啜る身分でいられるが、まさか控室で相席した他チームの面前で作戦会議と洒落こむ訳にもいかないので、この場で打ち合わせを済ませるつもりだ。
「次の組み合わせは未定だけど、メイルさん達や情報部なら特別な策を講じなくても互角に戦えると思う。だから、クルツさん達と対戦する前提で戦術を説明させてもらうわね」
 ヨシュアはそう前置きすると、「多分、今の私たちじゃマトモにやっても勝てない」とあっさりと正攻法での白旗を掲げて、エステルは眉を顰める。
 導かれし者のツートップが揃っていて太刀打ち不可能な程、アネラス達とのレベル差がかけ離れているとは思えなかったからだが、その点はヨシュアも同意する。
「単純に個々の能力だけを見比べるなら、私たちはクルツさん達にも劣っていない。むしろ、不動がいる分だけ上かもしれないわね」
 ただし、今大会のルールは単体の覇を競い合う個人戦ではなく、仲間同士で力を合わせる団体戦。個の力量差をチームワークと集団戦術の高さで埋め合わせ可能なのは予選試合で立証済み。
 昨日、可愛いもの講談の傍らにアネラスから仕入れた情報によると、クルツのパーティーはここ二月程、アラド自治州にチームで遠征していた。
「アラド自治州?」
「大陸南部にある導力が全く浸透していない未開地区よ。自治州と銘打っているけど、実態は共同体(コミュニティ)みたいなものね」
 首を傾げるエステルにヨシュアはそう補説し、この州の現状を知るジンとオリビエは一端食事を取り止めて互いに険しい表情を見合わせる。
 土地の八割は森と湖に囲まれ、政府や軍隊はおろか貨幣経済の概念すらない。数十人前後の小さな集落を森の中に築いて木を採伐して獣を狩り、自然と共存しひっそりと暮らしている。
 物々交換で商いする導力革命以前の貧しい生活水準。それ故に、『魔都クロスベル』のような紛争や大国の軋轢とも無縁に安寧を享受してきたが、数カ月前にこの州を取り巻く近況が一変する。
「事の始まりは、オーブメントの普及活動で大陸の発展途上国を渡り歩いているNGO団体が、アラド自治州を訪ねた際に七耀石の鉱脈を発見したことにあるそうよ」
 アラドの人間は自然主義者ではあるが、世界のバランスを崩さないエコエネルギーを頭ごなしに否定する程、融通が効かない訳ではない。生活様式を向上させた魔法の技術を無償提供した非政府組織(NGO)の人達にお礼がしたいと滝壺の裏側にある鍾乳洞の中に案内し、奥地には巨大な蒼耀石(サフィール)が手付かずの儘眠っていた。
 岩盤を埋めつくす規模から少なく見積もっても数十億ミラに達するが、彼らにとっては綺麗な石ころに過ぎず、是非ともNGOの活動に役立てて欲しいと気前良く提供したが、水の力を秘めた青色の神秘的な輝きには奉仕活動で貧しい国々を旅する善良なボランティアの心さえも惑わす魔性が秘められていた。
「…………ねえ、ダン」
「そうだね、エリカ。僕達は禁断の魔界の扉を開いてしまったのかもしれない」
 辛うじて誘惑を撥ね除けた団体リーダーのラッセル夫妻には、この宝の山がアラド自治州の豊かな経済発展を約束するのでなく、巨大な災厄を呼び込む破滅の使者としか思えなかった。
 無害、そして侵略価値がないが故に国際社会から見捨てられ平和を維持してきた名前だけの自治州に、こんな天然資源が隠されていると周辺諸国に知れ渡ったら? 飢狼のような国や企業がどう反応するかは火を見るよりも明らか。
「エリカ、諦めよう。発見した場所が悪すぎる」
「口惜しいわね、ダン。これだけのサフィールがあれば、どれ程の貧困地域の生命が救えるか……」
 ラッセル夫妻は、この鉱脈の封印を決めた。チームのメンバーや集落の人々にも決して他言しないように命令したが、人の口に戸口を立てるのは不可能のようだ。
 ミラの魔力に取り憑かれた団員の一人がキャンプを脱走し、隣国の採掘会社に駆け込んで発掘を試みようとしたことから、やがて鉱脈の存在が公に露見して最悪の破局を迎える。
 アラド自治州が大陸連合に加盟していない所謂早い者勝ちの未開拓地(フロンティア)であるのも災いした。サフィールの独占を狙って多くの武装集団が押し寄せてドンパチを繰り返す塩の杭事件後に無法地帯と化したノーザンブリアも真っ青な激戦区に早変わりする。
 隣接する小国の正規軍、某国の大貴族が派遣した私兵団、更には大企業が送り込んだ傭兵などが入り乱れて、後に蒼耀石争奪戦(サフィール・ウォーズ)と呼ばれる血で血を洗う戦闘が連日のように繰り広げられた。
 迷惑を被ったのはアラドに住んでいた無欲な原住民。先住権を持つ彼らの存在そのものを目障りに感じたとある巨大財閥はあろう事か『黄金の羅針盤』と呼ばれる猟兵団を雇い、幾つもの集落を焼き払いジェノサイドを敢行する。
 ラッセル夫妻は深く自責の念に苛まれながらも、現実的な対処法として自治州の外への移住を提案したが、争奪戦に参加しなかった真っ当な近辺の国々も数千人単位の難民を受け入れるのは簡単ではない。また強い影響力を持つ長老たちが先祖代々から受け継がれた土地を離れるのを拒絶したので、話が面倒になっている。
 ダンは引退した棍を再び手に取る。集落の防衛に尽力するのと同時に、古巣の遊撃士協会(ギルド)に救援要請。結果、クルツ達のチームが派遣される経緯になった。

「どうしたの、エステル?」
 話の最中、胸糞悪そうに顔を歪めた義兄にそう問い掛けたが、本当は判っていた。
 『人間はミラの為に平気で他者を殺せる』
 マーシア孤児院絡みで実体験したこの世の真理の一つに純朴な正義の心が反発を感じているのだろうが、いずれ正遊撃士として大陸を駆け巡るつもりならいい加減慣れてもらわないと困る。
「なるほどな。しかし、クルツ氏はよく見習いを卒業したばかりの新米を、こんな任務に帯同する気になったものだな?」
 ベテラン遊撃士として数々の修羅場を潜ってきたジンは、表情を消して嘯く。
 怒るには値しても、今更驚嘆するに該当しない。大陸の彼方此方で日常茶飯事な悲喜劇の一つに過ぎないのを弁えているからで、事態の深刻さにお気楽なオリビエでさえも空気を呼んで茶々を入れようとはしない。
 黄金の羅針盤は『赤い星座』や『西風の旅団』などの一流所には及ばないが、それでも優秀な傭兵部隊にのみに授けられる猟兵団(イェーガー)の称号を持つ冷酷な武装組織。
 そんな連中の無差別殺戮から少数メンバーで民間人を守るなど、ミッションインポッシブルも良い所。現地で多くの死を目撃することを憂慮すれば、色んな意味でルーキーには荷が重すぎる。
「最初はクルツさんも連れて行くつもりは無かったそうだけど、昇格報告で王都を訪ねたアネラスさんが依頼の内容を知り懸命に頼み込んだそうよ」
 困っている人間を助けたいという遊撃士の基本理念を訴えたアネラスの熱意に絆され、更には方術の特性を活かすにはメンバーの頭数は一人でも多いに越したことはない。クルツ達はたった四人の少数パーティーで紛争地帯に乗り込んだ。
 ラッセル夫妻と合流したクルツチームは、集落の人々に避難の必要性を説く傍ら、昼夜問わず襲いかかってくる傭兵からの防衛戦という至難極まるクエストに挑むことになる。
 国際協定で禁止された実弾兵器を躊躇なく撃ちまくる殺戮者を相手取るのは大変だが、迷路のような森の地理を知り尽くしている地の利を活かし、エリカ博士が得意の発明で数々のトラップを仕掛けて、ダンを含めた新旧遊撃士五人が奇襲のゲリラ戦に徹することで兵力と装備差をカバーする。
 正規軍や私兵団は基本的には村民を無視したことや、雇い主との間の値上げ交渉による黄金の羅針盤の一時的なストライキ。更には寄せ集めの傭兵に至っては膨大な七耀石を我が物にしようとの欲望に駆られ独自の行動に出るなど足並みが揃わなかった僥倖にも助けられ、少数精鋭のクルツ班は一月以上戦線を持ち堪えた。
 ただし、その間も確実に犠牲者は増え続ける。
 特にまだ年端もいかない子供の酷たらしい死体を真近で拝んだ時はアネラスは吐いてしまい、同じ世界の現実だとは信じられなかった。
 果たせない約束。救えなかった生命。まさしくこの先エステルが避けては通れない過酷な洗礼の数々を今アネラスは最悪に近い形で突き付けられていた。
 だが、それでも希望はある。目の前の悲劇をただ指を銜えて傍観するのではない。自分たちの行動次第で、未来を覆すことが可能な位置に少女は立っていたからだ。
 だから、どんな絶望的な光景を目の当たりにしても決して悲嘆に暮れることなく、アネラスは仲間を信じて、現地の人達との交流を深めて日毎に成長していった。

 膠着状態が大きく揺れ動いたのは、今からちょうど二週間前。
 雇用主との間の金銭契約で折り合いをつけた黄金の羅針盤が本腰を入れて攻めてきて、数で劣るカルナ達は窮地に陥った。
 七耀教会やギルドの他支部は腰が重くて援軍の当てもなく、孤軍奮闘のグラッツ達は死を覚悟したが、その絶対絶命の危機を救ったのは何と今まで戦禍に怯えることしかできなかった原住民。
 弓や手槍などの原始的武器で狩猟するだけの対人バトル経験のないアマチュアとはいえ、黄金の羅針盤を上回る手勢が加わったことは戦況の変化を意味する。
 そう、『十絶陣のクルツ』の方術が最大限に活かせる環境が整ったからだ。
「方術・猛ること白虎の如し」 
 旧式武器でイェーガーの鎧を貫けるパワーを手に入れて。
「方術・貫けぬこと玄武の如し」
 火縄銃から放たれた実弾でも即死しない防御を手にし。
「方術・神速のこと麒麟の如し」 
 唯一の利である良く知る森の地形を利用して攪乱する快速を足にし。
「方術・深遠なること青竜の如し」
「方術……・がえること…………如し」
 どれだけ傷を負ってもしぶとく抗戦し、倒れても何度でも立ち上がる。
 一つの標的に向かって統率され強化(エンチャント)を施された烏合の羊の群は、訓練された狼の軍団に変貌する。
 確かな力を持つ遊撃士の側に現地人の補佐がつき、交戦した猟兵を確実に一人ずつ戦闘不能にする。次第に双方の負傷比率は逆転し、これ以上の損害は割に合わないと判断した黄金の羅針盤は一時撤退した。
「勝った、いえ、守れたんですよね、私たち?」
 無論、敵は戦力を整えたら再侵攻してくるので、その場凌ぎの時間稼ぎに過ぎないが、これを切っ掛けにクルツ達の戦いは終局へと向かう。
 頑迷に退去を渋っていた長老達も戦闘のプロさえも退けた民族の誇りを垣間見て、拘るべきは場所でなく残すべき血脈たる幼子の命そのものであると気づき避難を受け入れてくれたからだ。
 遅まきながらも七耀教会の働きかけにより移住先が見つかったこともあり、二週間に渡る退却戦でクルツチームはラッセル夫婦と生き残った現地の人らを無事に自治州の外に送り届けるのに成功する。
 こうして、二カ月に渡る命懸けの厳しい戦闘を潜り抜け、AAAクラスの高難易度クエストを達成したにも関わらず、途中で立ち寄ったレマン自治州の協会総本部では全員一階級の昇進を受けただけで特別な栄誉は何も授けられなかったが、胸の内には満足感しかない。
 結局、鉱脈には手付けずだったので貧しい現地人から得られた報酬は微々たる額であったが、ささやかながらも自らの手で死に逝く生命を掬いあげられた誇りは遊撃士にとってはミラにも代えられない勲章だ。
 原住民が全て撤収したアラド自治州では、巨額の蒼耀石を巡って今も争奪戦が続いている。

「そっか、アネラスさんも頑張っていたんだな」
 かつて剣と棍を並べて共に戦った盟友のその後にエステルは感慨耽る。
 空族事件以後もルーアン市長との対決やレイストン要塞潜入など準遊撃士にはそうそう縁がない高レベルの依頼をこなしてきた兄妹だが、アネラス達はまさに戦場と呼ぶしかない場所で己を磨いておりボースの頃とは別人と考えた方が良いだろう。
「アネラスさんも自分たちの武勇伝を誰かに語りたくて仕方がなかったみたいね」
 守秘義務が伴うクエストの苦労を分かち合える相手は基本的には同業者しか存在せず、ヨシュアは軽く苦笑しながら昨日の少女の高揚振りを思い浮かべる。
 こういうフレンドリーな部分は以前と全く変わっておらず。お蔭で労せずクルツチームの背景を知り得たが、あまりのはしゃぎ振りにシニカルなヨシュアも完全に毒気を抜かれ、肝心要の方術の謎を聞き出すのを躊躇ってしまう。諜報活動は中途半端な形に終始してしまった。
「話を元に戻すわね。今の過去話で判明したようにアネラスさん達は二カ月近くも同じパーティーで生死を共にし戦地を乗り越えてきた。三日程度の即席の連携しか試さなかった私たちとは、集団戦の練度に大きな隔たりがあるのは改めて理解できたわよね?」
 本能の赴くままに暴れる手配魔獣なら拙いコンビネーションでも勝機はあった。
 だが、武術大会に参加するのは同じ人間(※メイルチームの怪獣を除く)である。人と魔獣を峻別する最大の違いは学習能力の有無。ヨシュア達が知恵を絞るように、対戦相手もまた過去のデータを分析し対策を練ってくる。
 あの学無しのロッコ達でさえも、兄妹を打倒する為にブチ切れアタックをより実践的に改良して挑んできた。それが海千山千の遊撃士ともなれば、戦術の引出しの多さや戦況変化に応じた対応力の高さはチンピラの比ではない。
「その上でパーティーバトルの申し子ともいうべき十絶陣がチームを率いている。単なる現地人を猟兵団と渡り合わせたことでも、方術強化のチート振りは十分伺えるわね」
 マトモに戦っても勝てないと判断したのは二重のアドバンテージがアネラス側にある故だ。
 あと、アガットあたりが良く目くじらを立てる民間人の戦闘介入にジンやクルツのような上級遊撃士が比較的寛容なのは、体裁に拘って最善を尽くさずに敗北すればその守るべき者達をも黄泉に道連れにしてしまう現実を長年の経験から悟っているからだ。
 もちろん時と場合にもよるだろうが、アラド自治州のケースでは現地人の参戦を頑なに拒んでいたらアネラス達は全滅。集落も皆殺しにされていたのは確実である。
「なるほど、ヨシュアの見解は良く判ったし、チーム同士で戦って不利な考察に異論はない。まあ、実際にクルツ達と今日ぶつかる確率は1/3だが、運悪く外れ籤を引いたとして軍師殿はこの強敵にどう立ち向かうつもりだ?」
 食事を終えたジンは軽く腕組みすると、瞳に好奇の色を浮かべて次の助言を待つ。
 血は繋がらずとも、稀代の戦略家と謳われた剣聖(カシウス)の思考力を受け継いでいるのは実兄よりも義妹の方に思えるので、どのような奇抜なアイデアで劣勢を引っ繰り返すつもりなのか楽しみにしていたが、ヨシュアの口から出た言霊は愚鈍と錯覚され勝ちなデカイ図体に反して柔軟な思考力を持つジンにも理解不能だった。
「力を合わせて戦っても勝てないなら、いっそのこと団体戦は止めてしまいましょう。去年までの大会ルールに戻して個人戦に変更しちゃうというのはどうですか?」
 そう不可解な宣言をする。野郎共のポカンとした表情を琥珀色の瞳孔に焼き付けた少女は悪戯に成就した小悪魔のように無邪気に微笑んだ。



[34189] 19-17:魁・武闘トーナメント(ⅩⅦ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/19 00:04
「よう、待ちくたびれたぜ。あやうく、帰りの便に間に合わなくなる所だった」
 参謀からクルツチーム対策を施されたジン達は、ブランチを終わらせてホテル・ローエンバウムの外に出ると、またしてもレイヴンの面々に出迎えられた。
 これで通算三度目。よくよく待ち伏せが好きな連中だが、その恒例行事も今回で見納め。ロッコ達はお昼過ぎの飛行船でルーアンに戻る予定で、その前に態々挨拶に立ち寄ってくれた。
「そっか、そいつは残念だな。折角だから、今日の試合ぐらいは見て欲しかったがな」
「悪いな、ジンさん。今からなら今夜出航する船に間に合うし、鉄は熱いうちに打たないとな」
 シャークアイは誇らしそうに後ろを振り返る。これから過酷な漁船労働が待っているというのにディン達は何時になく精悍な顔つきをしており、レイヴンレジェンドの下で本気で男を磨き直す決意だ。
 ただし、覚悟完了したのは三馬鹿のみ。他の取り巻き集団はリストラされたリーマンさながらに肩を落として諦観した表情で溜息を吐き出し、シャークアイはその温度差に気づかぬ風を装って更に嘯く。
「大海原は良いものだぜ。海に限らず大自然の雄大さは世界に対する己の矮小さを実感させてくれるからな」
 札付きの不良だったシャークアイもかつて更生活動として漁船に放り込まれて、我が儘も粋がりも正面から粉砕する大時化の嵐に揉まれて自分の非力さを噛み締めた。
 別段、レイス達に漁師を継がせる気もないそうだが、数ヶ月の遠洋漁業の実地訓練はこの先どんな職業を目指すにしろ貴重な経験になる。
「ふんっ、次に遭う時までに、兄貴の元で鍛えてくるから、首を洗って待っていろよ」
「ひゃははっ、俺達に勝った以上は絶対優勝しろよ」
「ヨシュアちゃん、もう左肩回せるようになったわ。マジにありがとな」
 難癖じみた三馬鹿のエールに、「おうよ、楽しみにまってるぜ」とエステルは激を返す。ジンと漢同士の別れの握手を交わしたシャークアイは旧総長の顔馴染の同業者に声を掛ける。
「嬢ちゃん達はアガティリ…………いや、アガットとは旧知の仲だよな? なら、姐さんのことを宜しく頼むわ。信じられないだろうが、あいつ、実は見掛けほど強い訳じゃねえんだ」
 シャークアイはそう言いよどみ、レイス達は互いに複雑そうな顔を見合わせる。
 初代レイヴンが解散する契機となった『お尻百叩き体罰』で途中から人が変わったように「ごめんなさい、ごめんなさい」と泣き叫んでいた弱々しい姿が未だに瞼の奥に焼きついている。
 ワイルドな総長の女子のような豹変を目の当たりにしても、怯むどころかむしろ嬉々として百叩きを継続した遊撃士のオヤジは本当に鬼だと当時は震え上がったものだ。
「任せとけや、シャークアイさん。俺には先輩が弱いとは思えないけど、できる限り力に…………あれっ、そういう前にもアガットの脆さを指摘していた奴がいたような?」
 エステルは軽く小首を傾げ、その犯人はちぐはぐ感を覚える。
 衆人環視の前でそんな女々しい醜態を晒せば、硬派で鳴らした初期メンバーのほとんどが愛想をつかすのも無理はないが、アガットの多重人格を承知していたらしいシャークアイがアガティリアを見捨ててチームを離れたのを不自然に感じたからだ。
「もしかしてシャークアイさんは、アガットさんにブレイサーの道を歩ませる為に……」
「さてな。ただ、少なくともあの薄暗い倉庫があいつの居場所じゃなかったことだけは確かだ」
 擽ったそうに頬を掻きながらヨシュアの仮説を遮ると、そろそろ出発の時刻とのことでレイヴンのメンバーを引率し空港の方角へと向かう。
「よーし、今宵からビシバシしごいてやるから、覚悟しとけよ、お前ら!」
「「「押忍、兄貴!」」」
「「「「「「「「はあっー」」」」」」」」
 昨夜の宴会で最後の晩餐を終え、いよいよ武者修行の旅が始まるが、やはり覇気の差は明瞭。憂鬱そうな吐息と一緒に愚痴が聞こえてくる。
「とほほ。また海の悪魔が待ち構える地獄の海に戻らなくちゃならないのかよ?」
「いや、クラーケンはもう出没しないだろ? 例の飛行艇の砲撃で触手一本落とされて、這う這うの体でトンズラしたからな」
「にしても、遊撃士兄妹と連んでいる演奏家って何者なんだろうな? あの帝国の軍艦、明らかにあいつを助けに現れただろ?」
「さあな。けど、大柄な黒髪士官から「面倒をかけるな、この馬鹿者が!」ってタメ口で小突かれていたから、そんな偉い人物でもなさそうだけど」
「そんなこと、どうでもいいよ。どうせ今後の俺たちの運命に関係ないだろ?」
「畜生、大会でボコられた上に何でこんな悲惨な目に……」
「俺、生きて陸に戻れたら、今度こそレイヴンを辞めるんだ」
「けど、ルチアちゃんは可愛かったよな。ルチアたん、ハァハァ」
 どんどん小さくなるレイヴンの一団を見送りながら、ヨシュアは興味深そうに風来人の正体に迫れそうな断片情報を採取する。アガットを託された時の三馬鹿の寂しそうな背中を思い出したエステルは何とも言えない気分に浸る。
「なあ、ヨシュア。あの三人はアガットのことが好きだったのかな?」
「エステルにしては鋭いわね。多分、レイヴンをもう一度旗揚げしたのも、何時かチームに復帰して欲しかったからでしょうね」
 だが人は何時までも子供(ピーターパン)ではいられず、アガットが再び赤いバンダナを巻き締めて彼らの溜まり場を訪れる未来は永劫にない。
 シャークアイが海人を天職と定め、アガットも遊撃士として陽の当たる世界で思う存分その権能を発揮しているように、先代に続く現役不良たちが船から降りた後、どのような人生を歩むのかは誰にも判らない。
 こうして、レイヴンはグランセルの舞台から退場した。

        ◇        

「ガウ?」
「こんにちは」
「はっはっはっ、君たちか。随分と懐かしいねえ」
「何だ、エステルにヨシュアの見習いコンビじゃないの?」
 レイヴンと別れたジン達は軽くウォーミングアップを済ませて、グランアリーナの蒼の組控室に入場すると既に先客が屯しており、ヨシュアは琥珀色の瞳に失意を浮かべる。
 もしかしたら、アネラスが恒例のフレンドリーな笑顔で歓迎してくれて運良く対決を引き延ばせるかと期待したからで、これでクルツチームと相対する確率は半丁博打にまで跳ね上がった。
「お久しぶりです、メイルさん。ボースでは色々お世話になりました。どうやら強豪チームとの激突を避けられたみたいでホッと胸を撫で下ろしていますわ」
 もちろん、ヨシュアはそんな内心の落胆をおくびにも出さずに、得意の処世術でブラッキーらを持ち上げる。まかり間違えば決勝で当たる可能性もゼロではないので、情報収集を遣り易くする為にも媚を売っておいて損はない。
「ふふんっ、あんたら判っているじゃないの。けど、賞金の二十万ミラはあたし達が頂くから、ヨシュア達は準遊撃士にちなんで準優勝の名誉だけで我慢しなさ……やだっ、何かあたし面白いこと言っちゃった?」
「メイル、失礼だよ。リンデ号事件の時に調査費用を還元してくなかったら、僕らは素寒貧だったのにさ」
 あっさりと煽てに乗せられ、気を良くして寒いギャグをかますメイルをタットが窘める。
 能天気で少し頭が緩いパワフルガールに生真面目で賢そうな黒髪のクールボーイ。なぜか既視感を覚えるカップリングだ。
 「もし、戦術の引出しが馬鹿の一つ覚えの地震魔法だけなら、もうどのチームも対策済でしょうね」と内心で侮りながらも、「是非とも決勝で戦えるのを楽しみにしています」と腹に一物抱えた少女は営業スマイルで応じるが満更社交辞令ばかりでもない。
 ヨシュアは往生際悪く1/2の確率でクルツ達との決戦を免れる望みを捨てておらず、その上でブレイサーズ同士が共倒れして互いに奥の手を暴き合ってくれるのなら尚更僥倖だ。
「軍師殿、俺達のアクセサリは対クルツ戦に照準を合わせて選んできたが、それでも先延ばしを希望するのか?」
 漁夫の利狙いの他人任せ願望を見抜いたように、ジンが声を掛けてきた。ヨシュアはメイル達の接待をエステルにバトンタッチすると音量を潜めて肯く。
 是が非でも、もう一度生観戦したいのが本音。対戦チームが突撃騎兵隊よりも奮戦すれば方術の正体に迫れるかもしれない。
「私も全体Sクフラト持ちだから判るけど、無差別に蹂躙するならともかく、広範囲の対象を選り分けるのは物凄く大変なの」
 故にランダムに移動を繰り返す敵味方を瞬間的に峻別し特定者のみに強化を施すのは、クルツの力量でも骨が折れる重労働。負担を軽減する何らかの仕掛けがあると睨んでいる。
「まあ、そっちの方は検討中だけど、もう一つの宿題は大凡察しがついたわ」
 強化術とは別の課題とは、弾丸を後ろ向きで認識した不可解な洞察力のこと。
「ふむ、あれか。殺気を孕んだ攻撃なら、一定レベルの武芸者であれば察知は容易いのだがな」
 肉体の反射による無意識化の射撃だっただけにジンも怪訝に感じていたが、少女は解答を見つけたようである。
「素直に考えれば良いのよ。マトモな遣り方で殺意を消した一撃に反応できないのなら、真っ当な方法で探り当てたのではない。これも方術の一種で気配察知のようなスキルを所持しているのでしょうね」
 妄想を重ね合わせた単なる当て推論に過ぎないが、重要なのはクルツはある程度、危険を事前に予知可能な事実を認めて対策を練ることで、実際の原理が方術と無関係だとしても問題はない。
「だとしたら、尚更厳しい戦いになるだろうな」
 ジンは太眉を顰めて、気難しそうな表情で腕を組む。
 チートじみた味方強化(エンチャント)だけでも厄介極まりないのに、その上奇襲まで効かないとあれば当然の憂慮だが、ヨシュアはその先読みの早さを逆利用するつもりで、少女が考案した対抗策はクルツの異能と統率力の高さを前提にしている。

「なあ、ミラが目当てなら、タット達は何でブレイサーになったんだ?」
 この期に及んで作戦会議に余念のないチームリーダーと参謀の姿を尻目に、エステルは茶飲み話から逸脱して愚痴のような質問を漏らす。
 遊撃士を目指す動機は人それぞれだし、他人の価値観に首を突っ込んでも益はないと義妹から注意されているが、それでも性分として質さずにはいられない。
「B級以下の正遊撃士は副業無しで食べていけないみたいだし、見習いとはいえ俺もミラには苦労させられたからな」
 雀の涙の報酬で海外で長期間命懸けの任務に取り組んだ遊撃士の亀鑑のようなアネラス達に触発され営利主義に不快感を覚えたのもあるが、エジルやシェラザードなど知り合いの極貧ぶりを思い出すと、賞金稼ぎから鞍替えする程のメリットがあったとは思えない。
「確かに実入りの良い高額クエストは少ないけど、ブレイサーって結構お得じゃん? 報酬に税金は掛からないし、飛行船や宿泊施設などの公共機関は割り引いてくれる。何よりも遊撃士協会(ギルド)が身分を保障してくれるから、その国の憲兵から一々色眼鏡で見られないですむしさ」
 メイルは地面の上に胡座をかいて「うーん」と思案しながら、素直な転職動機をカミングアウトする。
 世間からは賞金首と同類の胡散臭いアングラ住人と冷やかな目で見下されていたみたいで、フリーダムに見えてこれでも色々と苦労していたようである。
「まあ、後は血湧き肉躍る冒険が大好きっていうのもあるかな。これでもあたし達は魔神(ガイストレイス)と戦って、辺境の自治州でローカルヒーローに祭り上げられたこともあるんだよ」
 「結局1ミラにもならなかったから、骨折り損の草臥儲けだったけどね」とメイルは肩を竦めるが、好奇心旺盛なエステルは法螺話としか思えない武勇伝よりもピクピクと蠢く少女の尖り耳の方に興味を惹かれた。
「ブラッキーさんもだけど、メイルは変わった耳の形をしているよな?」
「ちょっと、やだっ、どこ摘んでいるのよ!」
 メイルは赤面しながら耳朶を愛撫したエステルから距離を置いて、タットのマントの内側に逃げ込む。
 下心無しのスキンシップで多くの異性のハートを揺さぶってきたフラグ職人も、既に別人に旗を植え付けられた少女には効果が薄い。メイルは外蓑に隠れ潜んだたまま隙間からちょこんと真っ赤な顔だけ出して、「うっー」とセクハラ加害者を睨んでいる。レオタードっぽい露出度の高いコスチュームを着ているのに、意外と初な性格みたいだ。
「エルフ耳と呼ばれる大陸南部の部族に見られる身体的特徴だけど、伝説に聞く妖精(エルフ)と違ってメイルやブラッキーさんは普通の人間だよ。怪獣が仲間にいるパーティーで特に気にすることでもないけどね」
 性に関して未熟そうな赤マントの少年は恋人(?)への悪戯行為をさして気に留めずに、空中を浮遊するガウに餌のマンガ肉を与えながら童顔ではにかむ。メイルと同郷のブラッキーは部屋の隅っこで類友と対話を試みている。
「ふっ、以前五十万ミラのワインをただ飲みしたら、何故か借金が百万ミラに膨れ上がってしまったことがあってね」
「ほうほう、僕の方はお宝を掘り出そうと爆弾で洞窟の奥の壁を崩したら、巨大蜥蜴(ドラゴン)の巣と繋がって故郷の町が半壊して、生まれ育った村から叩き出されてしまったよ」
「それは中々にお茶目さんだね。周囲はユーモアを解するセンスに欠けていたみたいだか」
「そう慰めてくれたのは貴方が初めてですよ。何かオリビエさんの事を他人とは思えなくなりました」
「ふっ、僕らのように場を掻き乱すトリックスターがいてこそ、マンネリを打破し物語に重厚さが生まれるのに、嘆かわしいことに安寧に慣れた世俗人はその稀少な個性を直ぐに切り捨てようと目論むからね」
「「わっはっはっはっはっはっ」」
 何やら意気投合しているように見える。
 共にチームの必要悪(トラブルメーカー)の挙げ句、数合わせの捨駒と観客から見縊られているので、互いに共感するものがあるのかもしれない。

「皆様、大変長らくお待たせしました。これより武術大会、準決勝を始めます。最初の対戦は南、蒼の組、カルバード共和国出身。遊撃士ジン選手以下、4名のチーム。北、紅の組、遊撃士協会グランセル支部。クルツ選手以下4名のチーム同士です」
 館内放送のアナウンスが鳴り響く。いよいよセミファイナルの組み合わせが明らかになり、ヨシュアは軽く嘆息した後に覚悟を決める。
 決勝まで直接対決を回避して、もう少し手の内を探れたら更に勝率を高められたかもしれないが、それも儚い夢と消えた。
「現状では不確定要素が多すぎて必勝の戦術なんて望めないけど、事前準備が無駄にならなかったと割り切るしかないわね」
 後は鬼が出るか蛇が出るか? 手持ちのカードに命運を託す他ない。そう腹を括ったヨシュアは旨そうに骨筋をしゃぶるガウを意味もなく一撫ですると、男衆を率いて闘技場に飛び出していった。

        ◇        

「宜しく」
「良い試合をしよう」
 中央に整列して、軽く挨拶を交わした両陣営は「双方、構え……」の審判の合図に、無言のまま配置につく。
 顔馴染の同業者でありながら昨日の控室の時と違い雰囲気が重苦しく口数も少なめなのは、双方共に目の前の難敵が優勝への最難関であるのを感じているからであろうか?
「ねえ、クルツさん」
 グラッツと共に前衛として最前線に位置取り、後方に退くカルナを見届けていたアネラスは敵の陣形に戸惑い、思わず中衛として真後ろに控えるクルツに声をかける。
 ジンチームも自分らと似たような戦力構成なので、てっきり同じフォーメーションで正面からぶつかってくると思いきや、ガンナーのオリビエも含めてセンターラインから動かずに横一列に並んでいる。
「あれって、どういう意味が…………」
「勝負始め!」
 アネラスに限らずクルツチーム一堂が困惑していたが、その意図を推し量る間もなく試合開始の合図が告げられたので、前方を見据えて得物を構える。
 すると、親友の瞳が真っ赤に染まっている異様な光景が目に入った。
「散開しろ!」
 勝負が始まると同時に、クルツがそう大声で叫びながら後方に飛び退く。チームリーダーの危機察知能力の高さを弁えている前衛二人は、理由を聞き返すタイムロス無しに反射的に左右前方に大きく展開する。
 次の瞬間、巨大な聖痕のイメージがついさっきまでアネラス達がいた空間を貫くが、統率された退避行動に阻まれて遅延効果を受ける対象は藻抜けの殻。『真・魔眼』は不発に終わるも、実はこれもヨシュアの計算の中。
 態勢が不十分なアネラスとグラッツに敵側の前衛二名が斜め後方から襲いかかる。蒼の組の敵陣サイドに押し込むようにノックバック攻撃を仕掛けて、両端に大きく吹き飛ばす。
「ちっ、ここはあたしが援護しなきゃ…………くっ?」
 思わず前へ飛び出そうとしたカルナの足元に銃撃が連射されて、後ずさりを余儀なくされる。
 ふと、右横を見るとクルツも何者かの追撃を受けて、フェンス手前まで追い込まれている。

「おいおい、何だこれは?」
 ゲームスタート直後、十秒にも満たない刹那の劇的な状況変化に観衆は面食らう。
 本来は主戦場となるべき中央の緑の芝生にぽっかりと大きなスペースが空いており、長方形の闘技場の四隅のフェンス手前に敵味方が綺麗に四組のペアに分断され対峙している。
「へへっ、まさか、不動のジンに差し勝負を見込まれるとは光栄だな」
「済まんな、人使いの荒い軍師殿から超過勤務を課せられているから、最初から全開でいかせてもらうぜ」
【蒼の組フェンス左側:グラッツvsジン】
「あははっ、私の相手は新人君か。空賊砦じゃ醜態晒しちゃったし、少しは先輩の成長した所を見せてあげないとね」
「おうよ、アネラスさん。あいつの作戦には正直疑問を感じるが、こうなったら得意のタイマンを楽しませてもらうぜ」
【蒼の組フェンス右側:アネラスvsエステル】
「ふっ、麗しのレディ。是非ともこのオリビエと一緒に踊っていただきたく存じます」
「おやおや、あたしの指名料は高くつくよ、色男?」
【紅の組フェンス左側:カルナvsオリビエ】
「なるほど、これは君が考えた策か? だとしたら、見事に一本取られたな」
「そんな恐い顔で睨まないで下さい、クルツ先輩。私はちょっと悪知恵が働くだけのか弱い普通の女の子ですから」
【紅の組のフェンス右側:クルツvsヨシュア】

 かくして、仲間同士で力を合わせる涙と感動の団体戦の筈が、腹黒軍師の策略により突如として単体の覇を競い合う個人戦の複数同時バトルに早変わりした。



[34189] 19-18:魁・武闘トーナメント(ⅩⅧ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/18 02:22
「アネラスさん達と相対した場合、開幕後のコンマ数秒が勝負の分かれ目よ」
 ホテル・ローエンバウムの食事処の作戦会議。ヨシュアは白い受け皿に盛られた四角いトーストを闘技場に見立て、パンの耳の四隅に赤いトマトソースを塗り込みバトルポイントを設定する。
「私が先制攻撃を仕掛ければ、クルツさんが陣形をばらけさせてくれるから、このケチャップの位置まで対戦相手を追い込むこと」
 この段階でクルツの察知スキルの存在を確定させていたヨシュアは、初手の奇襲はほぼ回避してくれると敵を信頼している。
 むしろ、万が一にも真・魔眼が成功した方が他面子はともかく肝心要のクルツにはどうせ遅延効果をレジストされるだろうから、何らかの方術強化をカウンターで発動され事態が面倒になるくらいだ。
「言うまでもなく機動力(MOV)の高さが追撃の肝なので、装飾品と靴も決めておくわね」
 前戦では自由にアクサセリを選ばせたが、メンバーの個性に応じた一つ目はもちろん、二つ目も今回はヨシュアが定めることにする。机の上に人数分の猫のしっぽ(MOV+2)と、ジン達の足サイズに応じてヨシュアが手直しした穴空き長靴(DEF+1 MOV+3)が置かれて一堂は目を見張る。
 黒猫少女はともかく男性陣がこんな尻尾を装着したら変態そのものだが、(※早速、オリビエはお尻に嵌め込んで、「にゃおーん」と顔を洗う気色悪いポーズを誇示する)ベルト代わりに腰元にでも巻きつけるようレクチャーされる。
 尚、エステルが釣り上げた長靴まで実戦投入させるとは意外だが、馴染のクラフトシューズ(DEF+20 MOV+2)に較べ防御力が大きく損なわれるものの、それほどMOV+1の僅かな上乗せが電撃戦では重要なのだ。
「首尾よく四隅に封じ込めてしまえれば、敵同士で連携(チェイン)される心配はなく、安心して個人戦へと移行できるわ」
 一人も失敗せずに全員嵌められる確率は五分五分だが、その態勢に持ち込んでしまえば勝負開始前の優劣が完全に逆転する。
 得物や戦闘スタイルの相性も加味した上で各対戦パートナーが割り振られたが、ヨシュアは四つの戦域全てで真っ当な勝利を収めるつもりは毛頭なく、主役となるのはタイマンなら無敵に近い性能を誇る武闘家(ウーシュウ)だ。
「私たち三人の役割は基本的には足止めだから、それまで対局者を袋小路から絶対に逃がさないように務める事」
 その間に局地戦の中でも最も力量差がかけ離れた一戦をジンが物にし、その後直ぐさま別の味方に加勢すれば今度は二対一という圧倒的に有利な状況で敵を屠れる。
 残りの二人も同じように複数で襲いかかれば、最後まで数的優位を築ける。新たな卓袱台返しが起きない限り勝利が確定するが、あくまで開幕直後の半丁博打を乗り切らないといけないのでトータルの勝率は四割弱のようだ。
「やれやれ、軍師殿も随分と無理難題を押し付けてくれるものだ」
 敵を侮る慢心や自惚れと無縁の拳法家は、グラッツが瞬殺可能な有象無象の雑魚には程遠い猛者なのを承知しているので大げさに肩を竦めるが、完全に目が笑っている。
 越えるべきハードルが高いほどに克服し甲斐を感じるのは格闘馬鹿に共通する悪癖。瞳に好戦的な活力を漲らせる。
「見込まれた以上はその期待に添えるよう尽力するが、軍師殿も何実に大変ではないのか?」
 腕組みしたジンは軽く眉を顰めて、ヨシュアの職務を憂慮する。
 相手は彼と同じA級遊撃士。しかも単なる足止めに留まらずに戦闘フィールド全域を効果範囲とする方術の詠唱阻止もノルマとして課せられており、ある意味では単純に敵をぶちのめせば良いジンよりも難易度の高いミッションといえる。
「まあ、そこは任せておいて頂戴。その代わりにジンさんのお仕事が達成したら、いの一番に私を助けにきてね」
「心得た」
 クルツ対策に自信を伺わせる少女にそう誓約する。
 二人の想定戦場は対角線上の最遠に位置する。同じ蒼の組逆側から片づけた方が手っ取り早いが、そういう距離的な効率を無視してでも敵側のライフラインは真っ先に潰さねばならないキーマンだ。
「何か納得いかないな」
 ここでエステルが初めて口を挟む。少しばかりトーンを落とし作戦に不快感を申し立てる。
 目立ちたがりの利かん坊としては脇役に徹しろと命じられたのも愉快ではないが、団体戦なのでチームプレイの損な役回り自体は受け入れるつもりだ。
「個人戦はいいにしても、なら勝ち残った者は他のバトルに手を出さないようにして、最後までそれを貫くべきじゃないか? 差し勝負のグラッツさんはともかく、最終的に数で殴殺されるカルナさん達は浮かばれないだろ?」
 今回忌避感を覚えたのは、ひたすらクルツチームの長所を削って、敵に一切の本領を発揮させることなく殲滅まで持ち込もうとする悪辣な手口そのもの。野球に譬えるなら四番打者を敬遠し続けるようなプレイする者も鑑賞する側も真に興醒めな戦術だ。
「遣り切れなさが残るというエステルの主張は案外、正鵠かしら?」
 戦いは目的達成の一手段に過ぎない合理主義者はバトルマニアの性根を解さないが、義兄の見解には一定のシンパシーを示す。
「アネラスさん達は、メイルさんみたいに賞金目当てで大会に参加した訳じゃないからね」
 老獪な遊撃士が本気で優勝を志したなら、消化試合に等しかった緒戦で方術やチェインを披露したりはせず、もっと手の内を隠していた筈。
 恐らくは猟兵団(イェーガー)との殺伐とした血生臭い殺し合いに辟易し、お互いを称え合えるような気持ちの良い喧嘩がしたいという子供っぽい動機で公式試合にエントリーしたのだ。
「ヨシュア、お前、そこまで理解して……」
「けど、それはあくまでクルツさん側の個人的な感傷であって、対戦者が酌んであげる義務はないわ」
「まさか、『手術を受ける幼子に勝利を約束した事情ありの相手』と対戦する都度、態と負けてあげる訳にもいかないでしょ?」
 少しばかり皮肉のスパイスを効かせて、正論を突き付ける。
 アネラス達がスポーツマンシップに準じるのは自由だが、大会規定のルールを尊守している以上、どのような戦法で応じようと咎められる筋はない。付け加えるなら、実は負けられない理由を抱えているのはリベールの命運を背負っている兄妹の方である。クエストの達成率を少しでも高めようと知恵を搾るヨシュアに、技術的欠陥の指摘以外の難癖をつけるのは単なるガキの我が儘だ。
「武闘の本来の基本は『敵に力を出させずに勝つ』だから、ヨシュアのスタンスの方が多分正解ではあるんだろうな」
 頼れる兄貴が包容力のある視線で見下ろしながら、エステルの肩を叩く。
 ジンもどちらかといえば結果よりも内容を重視するエステル側の住人なので弟分の憤りは判らないでもないが、勝つ為に最善を尽くすのも武人に対する礼儀。
 また個人戦自体がクルツ側からすると一方的に押し付けられた罠なので、仲間同士で合流するように手を尽くすだろうから、エステルの傍観案はナンセンスそのもの。パーティーバトルである以上、私心は抑えるべきだろう。

 こうして多少のしこりは残したものの、ジンチームはヨシュアの定めた方針に従いブレイサーズ同士の頂上決戦(※この地点ではまだ対決は当確していなかったが)に挑む次第になった。

        ◇        

「これはこれで判りやすいけど、どの対戦に注目すれば良いか悩むよな」
 闘技場の四方で個人戦の複数バトルが同時スタート。気の多い者は首を忙しく左右に動かして目を瞬かせ、要領の良い観客は自分が座る席に近い場所での対決に意識を注ぐ。

 蒼の組左側では、ヨシュアから超過勤務を託されたジンが大剣を振り回すグラッツと渡り合う。
「ぬうんっ!」「うっしゃあ!」
 前へ前へと距離を詰めて積極的に攻めながらも、試合巧者の拳法家は決して勝負を逸ることなく落ち着いて機会を伺う。
 ジンの役柄がバトルフィールド全域に及んでいると悟られたら、逆に守りに入られ時間稼ぎされてしまう。むしろ傍目にはグラッツを逃がさないように壁役に徹しているように見せ掛けて敵の攻勢を誘い込むあたり、戦いの年季を感じさせる。
「いくぜ、グラッツスペシャル!」
 クラフトに自分の名前をつけるのが大好きな、ヨシュアとは別の意味で中二病の気がある赤髪の若造は上空に大きくジャンプ。その反動を利用した必殺の一撃を真下に叩きつけるが、ジンは両腕をクロスに構えて籠手の部分で受け止める。
「マジかよ?」
 摩擦で火花を散らしながらも、硬質の大型魔獣を一刀両断する威力の剣撃に耐えきった豪腕にグラッツは唖然とし、ジンはその鋼の拳を大きく振りかぶる。
「ふんっ、せいやぁ!」「ぐぼぉあ!」
 クラフト後の硬直で動きが止まった所に反撃を喰らい、鳩尾に正拳突きが叩き込まれる。渾身の月華掌一発で重装備の鎧に皹が入り、胃液を吐き出して足元をふらつかせる。
「そりゃ、そりゃ、そりゃゃあっ!」
 無手と得物のリーチ差の有利不利を体現した『剣道三倍段』は、この規格外の拳法家にはまるっきり当て嵌まらない。今の攻防でペースを掴んだジンは一方的なラッシュで打ちのめしガシガシHPを削っていく。
「げふぉっ! 不動のジン、まさかこれほどの凄腕とは…………」
 アガットに匹敵するリベール名うての若手遊撃士も対戦カードが悪すぎた。ヨシュアの目算通りにグラッツが戦闘不能に追い込まれる結末はそう遠い先の話ではなさそうだ。

        ◇        

「あははっ。やるじゃない、新人君」
「アネラスさんこそ、空賊砦の時とは別人だぜ」
 一方、蒼の組右側ではワンサイドに傾き始めた左側と異なり、アネラスとエステルの二人は実に楽しそうに一進一退の熱いバトルを繰り広げている。
 極長の物干し竿とクルツから正遊撃士昇格祝いで授けられた業物の青龍剣が正面からぶつかり合う。
 一撃の破壊力は膂力に秀でるエステルに分があるが、アネラスはかつてカシウスも師事した八葉一刀流初伝の腕前と鋭利な幅広剣の性能を駆使し、パワー差を埋め合わせて互角に立ち回る。
(やべえな、俺また何かワクワクしてきたぞ)
 共に気持ちで戦うタイプなので、両者のバトルは時計の歯車のようにガッチリと噛み合う。エステルは身体の奥底から沸き上がる高揚感を自覚するも、自分の役割だけは忘れずに指定エリアから逃がさないような位置取りを丹念にキープする。
 ノックバック攻撃でフェンス手前に押し返されて少し両者の距離が開いたので、アネラスは一端剣を鞘に収めて小休止タイムを設けるとフレンドリーに話しかける。
「あー、楽しいー。やっぱり、色々と相性良いみたいだね、私たち。けど、惜しむらくは新人君は手綱を制限されて少し窮屈そうに戦っていることかな」
 天然であっても、決して馬鹿ではあらず。
 僅かながらに棍筋に顕れた心の迷いを見事に見抜かれてエステルは素直に兜を脱ぐ。
「やれやれ、やっぱり歳食っている女の人は洞察力が高いな…………んっ?」
 目の前のアネラスが突如、地属性魔法(ペトロブレス)を浴びたように石化している。
 何やらエステルの発言に只ならぬショックを受けたらしく、「新人君、それってどういう意味かな?」と奮える声で問い質すも。
「どうもこうも言った通りの意味だぜ、アネラスおばさん」
 嫌味や挑発でなく素直に感じた有りの儘を口にしているらしく、ピシリと石像アネラスに亀裂が入る。
 そういえばボースデパートで初めて出会った時からやたらとアネラスを淑女(レディ)と持ち上げてくれていたが、あれはおべっかでなく単純にエステルの中で年増のカテゴリーに分類されていただけだとしたら?
 真相を悟ったアネラスは石化状態を解除すると、涙目になって抗弁する。
「せめて、お姉さんって言ってよね。カルナさんはともかく、私はまだピチピチの十八歳…………ひっ!?」
 突然、アネラスの鼻先を導力エネルギーの弾丸が掠めて、反射的に後ろに飛び退く。
 てっきりオリビエの援護射撃かと思いきや、発射元は同僚のカルナらしい。大型の導力銃をこちら側に向けながら「おっと、手が滑った」などと嘯いている。
「ちょ、ちょっと、カルナさん? 私、味方…………」
「ふんっ、あたしの年齢を揶揄する奴は誰であろうと敵さ」
「こらっ、オリビエ。真面目に仕事しろ!」
「ふっ、彼女の銃口の発射角からマイブラザーは標的でなさそうなので見逃したまで。ここから先は一発たりとも通しはしないから、安心したまえ」
 一筋の流れ弾を巡って、両陣営ともチームメイト同士で些細な口論が生じたが、仲違いするほどの諍いには発展せずに、舞台を紅の組の左側へと移動させる。

        ◇        

 クロスレンジで判りやすいガチバトルでぶつかる蒼の組の前衛対決と異なり、ガンナー同士の組み合わせは互いの距離の奪い合いに終始する微妙な駆け引きが続いている。
 先のアネラスへの誤射(?)で立証されたように、飛び抜けた射程を誇る導力銃の担い手たちは全ての戦場への横槍が可能。故に二人とも相手を牽制しながら他のバトルに介入されないよう留意している。
 残弾数の導力エネルギーと行動力を温存する為、必然的に連射を避ける。時に前へ踏み込み、稀に撃ち込んで、後退、左右のステップと単純な移動を繰り返して緊急の状況変化に備える。
「クククっ、実にマニア受けする渋い戦いだね」
「ふわあぁー。ママー、僕なんか眠くなってきちゃった」
 緻密な騙しあいの連続に目が肥えた玄人客は手に汗握るも、素人目には何をしているのか判りづらいのでお子様は退屈そうに欠伸を噛み殺す。
「何かダンスを見ているみたいで、つまらねえな。遠方でお見合いしてないで、帝国洋画の『ガン=カタ』みたいに至近距離から二丁拳銃でド派手にバンバン撃ち合えや、ゴルア!」
 などという素人意見まで飛び出す始末で、戦いの当事者二人はへこたれる。
「やれやれ、過酷な実戦を大衆映画と一緒だくにされちゃ敵わないね」
「ふっ、そう嘆くことはない、レディ。素人を喜ばせ玄人に鼻で笑われるエンターテイメントと逆に玄人を唸らせ素人には理解不能なハードボイルドのどちらにも相応の需要があり、両者間に優劣など存在しない訳だからね」
「おやおや、言うね、色男?」
「ちなみに僕が目指すのは、素人を喜ばせ玄人を唸らせる。リアルとエンタメが融合した至高のハイブリッド作品かな?」
「はっはっはっ。大言壮語もそこまで突き抜けるといっそ清々しいね。気に入ったよ、あんた」
 こうやって対話を試みお互いを認め合いながらも、決して足を止めることなく優位なポジションを伺い合い、遊撃のスナイパーという自らの役割を全うする。
 見る者の眼力によって評価が百八十度反転しそうな難しいバトルを提供する二十台半ばの男女ペアによるエンドレスワルツは果てしなく続きそうだ。

        ◇        

「おいおい、どうなっているんだ、こいつら?」
 残るは紅の組右側。ジェノサイドに味方強化。手法は真逆だが共に集団戦闘を生業とする者同士の対決は、プロアマともに見解が共通するという希有な事例に陥っている。
(二人とも単に横着して、楽してないか?)
 激しく鍔競り合う他の戦場とは異なり、ヨシュアとクルツは得物を構えて睨み合ったまま一歩を動かずに静止状態を維持している。「お互いに隙がないから攻めあぐねているんだ」と深読み大好きな解説君が必死にフォローするも、興業としては最低レベルの見せ物なので客は白ける一方。
 もちろん、実際には手を抜いている訳ではなく、敵手の力量を警戒しどちらも先手を打つのを遠慮しているので、マニアの考察はさほど的外れではなかったりする。
 更には眼前の局地戦のみに集中すれば良い戦士らと異なり、指揮官の両雄は戦局全体を見回し自軍を勝利に導く視野の広さを帯びている。目の前の敵を直接倒すことは戦術的には枝葉の一要素に過ぎず、クルツは選択を迫られる。
(この対局に振り分けられた地点で予測できた事だが、やはりグラッツ一人ではジンさんの相手は手に余るか。あの怪物と『対等な条件』で一対一で戦える兵など私たちのチームにはいないから無理もないが)
 戦場の綻びを認識したクルツは方術による強化を施そうと左手を掲げた所で、背筋に悪寒を感じて途中で動作を停止させる。
 一瞬、瞳を真紅に輝かせた黒髪の少女は目のカラーを琥珀色に戻すと面妖な表情でクスクスと嘲笑い、クルツの頬から冷や汗が流れる。
「やっぱり、見えちゃうんですか? 方術の一種なのか、はたまたエステルやキールさんみたいな単なる勘の良さかは知りませんけど、あまり未来が読め過ぎるというのも考えものですね」
 客目線からはどちらも職務怠慢に映るだろうが、実はクルツは既に三回ほど方術を行使しよう試み全て不発で終わっている。
 現在の戦況に危機感を抱くクルツが仲間の手助けをするのが責務なら、その作業を妨害するのが現状に満足するヨシュアの使命。狙いは方術そのものの阻止ではなく、何と敢えて発動させた後のワンターンキル。
「私は解除クラフトなんて気の利いた温技は持ち合わせていませんから、覚悟してくださいね。まあ、実際には『朧』の即死率は50%程度ですけど、試合前の私たちみたいに半丁博打に運命を託してみます?」
 無用心に立ち尽くしているよう偽装しながら、少女は慎重に方術が使われるタイミングを見計らっている。発動直後の僅かな硬直時間(ディレイタイム)に合わせて喉元を抉られる光景がありありと脳裏に焼きつき、死に対する本能的な恐怖心がクルツの身体を萎縮させる。
 ヨシュア程ではないが素で状態異常の強耐性持ちの上にやばい特殊攻撃を事前察知して回避する自信があったので、アクセサリをCP回復のみに特化させ即死耐性を疎かにしたのが裏目に出た。
(読めるが故に、却って縛られるか……)
 所詮は半々のデット・オア・アライブなので、喰らってみれば案外、数回持ち堪えたりするかもしれないが、慎重で臆病な性分故にそういう運否天賦に身を委ねられない。
 付け加えるならクルツの戦闘不能は即チームの敗北に直結する。仮にシャドウスペア並の低即死率(20%)だとしても、今の段階で敢えて石橋を渡る気にはなれなかった。
 こうして結果的にクルツは方術の発動を躊躇い、少女が望んだ通りの膠着状態が維持され続ける。
 グラッツも懸命に奮戦しているが、既にHPがレッドゾーンにまで突入しており、戦線離脱は時間の問題。そうなれば、あの怪物拳法家が他戦域にも雪崩込み、辛うじて保たれていた戦場全体のバランスが一気に瓦解する。
(どこかでリスクを犯さなくては、今の劣勢を打開するのは無理だろうな。黄金の羅針盤とも対等に渡り合った私たちのチームワークをこの不届き極まる怪傑たちに知らしめるとするか……)
 シンプルイズストロングを地で行く単体最強戦力の『不動』。謀略と暴略がセットになった剣聖を彷彿させる『漆黒の牙』のタッグなど反則極まりない気もするが、あくまでクルツは皆で力を合わせてこの理不尽なまでの個の暴虐に立ち向かう腹である。

 同じ遊撃士同士の大一番でありながら、個別間の力量差に任せて粉砕を目論む暴君にチーム全員が一丸となって挑むクルツとその愉快な仲間達。本当にどちらが主人公側のメンバー構成か判らない両極端なブレイサーズの戦いの行方は次回に続く。



[34189] 19-19:魁・武闘トーナメント(ⅩⅨ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/19 00:01
「ぐふぅ…………わ…………我が生涯に一片の悔いな……し…………」
 どこぞの世紀末覇者のような長ったらしい遺言を残して、グラッツが前のめりにぶっ倒れる。
 とうとう初期目標のノルマが達せられる。戦場バランスがジンチーム側に傾くも、直ぐに援軍に向かおうとはしない。
「やれやれ、勝利の美酒に浸るにはしんどい戦だったな」
 グラッツが目の前で力尽きたのを確認して緊張感を解くと、少しばかり顔を歪めながら左手の籠手を外して掌を直に左腕に触れながらメディカルチェックを行う。殴っている間中、妙に左腕が痛むと思ったら、やはり尺骨に皹が入っており太眉を顰める。
 役割柄、短期決戦で勝負を決める必要があり、まさしく『肉を切らせて骨を断つ』の極意で硬直後のカウンター狙いで一気にペースを掴む為に敢えてグラッツスペシャルを生身で受け止めたが、無傷とはいかなかった。
 余人なら間違いなく両腕が砕かれていた。圧勝劇に見せ掛けて、それなりに戦いの爪痕を肉体に刻み込まれて選択を迫られる。
「無茶は控えるべきだろうな。済まんな、軍師殿。加勢は少しばかり待ってくれ」
 民間人の身に累が及んだら捨て身で突っ走っただろうが、このバトルは公式試合であって選手生命を賭した死合いの場ではない。
 無理が祟り拳法家を廃業する怪我に拗らせたら、ジン当人に悔いはなくともグラッツに業を背負わせかねない。かつての彼の兄弟子のように。
 行かねばならない時と引くべき場合の峻別を弁えている心技体の全てに秀でた武闘家(ウーシュウ)は再び籠手を装着すると、目を閉じて『養命功』で自己治癒力を高めて身体中の闘気を左腕に集中させる。
 骨に入った亀裂をその場で修復するのは無理だが、闘気を固定化して接着剤のように皹割れの隙間に塗り込み症状の悪化を塞き止める。
 シャークアイ戦でもそうだったが、対戦者を気遣い過ぎるヨシュアならまず有り得ない精神的な甘さがジンの数少ない弱点かもしれず。グラッツは戦闘不能と化して尚、不動を一時的に足止めし、この僅かな時間稼ぎが功を奏して腹黒軍師のシナリオは大きく狂わされる。

        ◇        

(この人は一体何を考えているのかしら?)
 負傷したジンが治療モードに入ったのは些細な誤算だが、当初の目論見通りに戦力均衡が崩れたのに、クルツは目を瞑ったまま動こうとする気配はなく未だに睨み合いが続いている。
 膠着状態自体は望む所であるが、時間経過と共に加速度的に戦況が悪化する中、敵の指揮官が何らの手も打とうとしない無策振りを訝しんで探りを入れる。
「騙し討ちみたいな形で個人戦に移行させてもらいましたが、悪く思わないで下さいね。私の浅知恵では他に貴方たちに勝てる方策が思い浮かばなかったもので」
 小悪魔がお茶目にウインクしながら謝罪ポーズで両手の掌を合わせ、クルツは閉ざしていた両目を開眼する。
「そうかな? こんな七面倒な真似をせずとも、もっと簡単に勝利する方法があったと思うが」
「それは大変興味深いですね。後学の為にも是非ともご教授願えませんか?」
 下心を見透かしたような涼しげな目線に居心地の悪さを覚えながらも、知将の策謀に興味を惹かれそう聞き返すものの、次の一言には完全に意表を突かれた。
「例えば君が本気を出すとか……かな?」
 少女を取り巻く空気の温度が二三度下がったが、直ぐに小春日和のような笑顔で空惚ける。
「それは少し買い被り過ぎじゃないですか、クルツさん? 私はちょっと悪知恵が働くだけのか弱い普通の女の子ですよ」
 レイヴン戦の予想外の苦戦で能力の隠蔽に失敗し実力の一端を披露したので、今更素人だと猫を被っても騙されるマヌケはいない。
 ただし、今の戦局を知恵でなくジンのようなパワーで左右する程の実力者かと問われれば皆首を捻るだろうが、クルツは一般人とは異なる見識を抱えている。
「私は真っ当な戦闘力では、カシウスさんやジンさんの足元にも及ばない。その代わり私の『浄眼』はあの人達のような怪物にも見えない事象の内側を覗けたりする」
「洞察力の高さや物事の本質を見抜く理(ことわり)とは無縁の単なる裏技の賜物だから、ブレイサーとして褒められた代物ではないがね」
クルツは澄まし顔で謙遜する。やはり気配察知スキルは方術の一種のようである。
 その事象を見通す浄眼とやらには、目の前の華奢な少女がグラッツを子供扱いした拳法家をテディベア人形と見間違う程の物の怪に映るらしい。
「だが、君の魔性を形作るスイッチは今は繋がっていないようだね。単純に私たちが見縊られているのか、出したくても出せない何かしらの事情があるのかは判らないが」
(この人は…………)
 ヨシュアの首筋にも一滴の冷や汗が流れる。先程までの精神的な優劣が逆転し、今度は少女が気押され立場になる。
 それでも方術強化の発動を見逃す隙は作らなかったが、揺さぶるつもりが逆に動揺を誘われたのは事実。眼前の穏やかそうな方術使いに対する警戒レベルをMAXまで引き上げる。
「あくまでも、本性を曝け出すつもりはなしか? ならば、その心の隙間につけ込ませてもらうとしよう」
 クルツはそう宣誓すると、ピューっと軽く指笛を吹く。
 それは個の無双に対して、あくまでチームワークで挑むクルツチームの反撃の狼煙。

        ◇        

(クルツさんの合図だ……)
 先の婆発言にショックを受けたものの気を取り直してエステルとのファイトを堪能していたアネラスは、笛の音を聞き取ると予め取り決められていたパターンに応じて次の行動を思案する。
(新人君との一騎討ちも楽しかったけど、そろそろ潮時かな)
 猟兵団(イェーガー)との殺伐とした戦闘では味えなかった血湧き肉躍るガチバトルにのめり込み周囲の状況に全く無頓着だったが、落ち着いて観察すると既にグラッツがお亡くなりになり、通常なら4回ぐらいは発動している方術強化も沈黙している。
(我が陣営はピンチということでありますね、マスター? ならば一介の戦士でなく、チームの歯車のパーツとして全力を尽くす覚悟であります)
 弟子の成すべき役割は既に定まっているが、自分をこの袋小路に封じるのがエステルの務めらしく、そう簡単には逃がしてくれそうもないのでアネラスは賭けに出る。

(さっきは何をあんなに拗ねていたんだ?)
 アネラスが機嫌を損ねた理由は朴念仁には不明だが、戦いにおいて些事に過ぎず、目の前の対局に集中する。
 先の小休止を挟んで既に百合以上打ち合っているが、両者の力量は拮抗しており決定打を撃ち込める間隙は伺えない。
 ヨシュアの計画通りにグラッツは兄貴分に倒されたようで、このまま長引けば仲間の介入で個人間の勝敗が有耶無耶となる煮え切らない結末を迎えるのは必定。僅かながらに焦燥感を覚える。
「あっ……?」
 連打中におり混ぜたフェイントにタイミングをずらされたのか、アネラスの得物が棍に弾かれる。
 青龍剣は真横に転がって、フェンスにぶつかって静止。降って沸いた千載一遇の好機にエステルの心が逸る。
(足止めが役目だが、倒してしまっても別段問題ないよな、ヨシュア?)
 焦りの形相のアネラスの身体が流れる。次の行動を先読みしたエステルは無意識に棍に力を篭めて、渾身の一撃を叩き込む。
「なっ?」
「ごめんね、新人君」
 棍は虚しく空を切る。アネラスは落葉の要領でエステルの脇をスライディングですり抜け、まんまと後方へと踊り出る。
「おいおい、マジか?」
 アネラスが剣を拾おうとする瞬間を狙い左サイドに標的を搾ったが、少女は自分の得物を無視して逆側に飛び込んだのでエステルが読み違えるのも無理はない。
 命綱の武器を手離した当然の代償として現在のアネラスは徒手空拳だが、後方に落ちた青龍剣を一切振り返ることなく、迷わず真っ直ぐに紅の組側を目指して駆けだした。
「何を考えてるか判らないけど、とにかく追わないと」
 折角包囲網を突破してもヨシュア相手に無手では如何ともし難い筈だが、エステルがヘマをした事実に変わりはない。嫌な予感が増大する。

「何とか上手くいったみたいだね」
 一時的とはいえ武器を態とロストするリスクは高かったが、お蔭でエステルを出し抜くのに成功した。
 センターライン付近で足を止めると『二つの対象』が射程内に入ったのを確認し、とあるクラフトを発動させる。
「はぁぁぁ………………はぁーい!」
 アネラスは独楽のようにクルクル回転すると、彼女を中心として突風が巻き起こる。
 次の瞬間、アネラスの利腕には再び青龍剣が握られ、得物と同じように吸い寄せられて鳩が豆鉄砲を喰らったような表情をしている黒髪の少女にそのまま斬りつけた。
「ちょっと、一体何が起きたのよ?」
 辛うじてアヴェンジャーで斬撃を受け止めたヨシュアは、予測の斜め上過ぎる状況の変化に面食らうが、「済まない、ヨシュア。逃がした」とこちら側にダッシュするエステルの面目無さげな姿に事情を把握する。
「確か独楽舞踊とか言ったわよね?」
 アネラスが空賊砦でお披露目した他に類のないユニークなクラフトの余波で少女の側に強制移動させられたらしい。
 自分と等距離にいたクルツや剣よりも近い位置のエステルを無視したことから、狙った対象物のみを吸い込めるようだ。使い所に一工夫いる玄人向けのスキルだが、反面応用力の高さは半端ない。
「はっ……いけない。エステル、クルツさんを止めて!」
 アネラスとの交戦を余儀なくされ、今まで抑え込んでいた方術使いがフリーになった現状に危機感を覚えたヨシュアは柄にもなく余裕のない大声を張り上げる。
 予測される次のクルツの一手を考慮すると、今、二対一でアネラスを仕留めても徒労に過ぎないので義兄に攻撃対象の変更を促し、エステルは方術の詠唱態勢に入っているクルツを視認する。
「させるかよ!」
 解除クラフトの金剛撃は距離が離れていて届かないので、エステルは直線貫通技の捻糸棍を放つ。
 察知力に長けているそうなので恐らくは回避されるだろうが、その間に距離を詰めてクロスファイトに持ち込む算段だが、エステルはクルツ達の執念を見誤っていた。クルツは一歩もその場から逃げることなく、捻糸棍のエネルギーが左肩に直撃する。
「ぐっ! 方術・蘇ること朱雀の如し」
 大木の幹に穴を穿つ破壊力に相応のダメージを負ったものの、捻糸棍には解除効果は付与されていない。クルツは苦痛に顔を顰めながらも、突撃騎兵隊戦では使用する機会のなかった最後の神獣の名を冠した方術を発動させる。
 クルツを中心点としで闘技場全体を覆う特大の円陣が描かれて、ヨシュアの予測通りの奇跡が円内に降り注いだ。

        ◇        

「よし、腕の方はこれで問題ない…………なっ?」
 養命功の効果で治癒を完了させたジンは左腕をぐるぐる回すと、遅ればせながらヨシュアとの約束を果たそうとしたが、眼前の光景に度肝を抜かれる。
 戦闘不能に追い込んだグラッツがゾンビのような緩慢な動作で立ち上がると、再び大剣を構えたからだ。
「やはり、最後の神獣は戦闘不能からの復活だったか」
 東方の言い伝えに詳しいジンと博識のヨシュアの間で、『不死』を体現する朱雀の効能について見解を一致させていたが、不利益を齎された形で仮説の正しさが立証されてもあまり嬉しくはない。
「グラッツ、アネラス君。目の前の怪物たちと戦える陣形を直ぐに整えるので、今しばらく持ち堪えてくれ!」
 左手の負傷を堪えながら、普段は激することのないクルツが声高に吠える。
 中々に味方の士気の高め方を心得ているようだ。アネラスとグラッツの二人は背水の覚悟で己よりも数段レベルが高い強者を迎え撃つ。
「へへっ、悪いな、ジンの旦那。俺一人の力じゃ到底あんたに敵いそうもないが、仲間の助けを借りるぜ」
「気にするな。元々これは団体戦で、こっちの都合で無理やり個人戦に変更しただけの話だからな」
 肉どころか骨まで切らせた苦労が水泡と化して、もう一度、再生怪人との死闘を強いられるも、ジンは腐ることなく再び拳を構える。

        ◇        

「くそっ! 俺のミスで…………って、反省するのは試合が終わってからで、今はクルツさんを止めないとな」
 アネラスの頭脳プレイに嵌まり、兄妹で対戦パートナーをそっくり入れ換える羽目に陥り、紅の組右側でエステルはクルツと相対する。
「A級遊撃士と遣り合える機会は滅多にないし、考えようによっては良いチャンスか。胸を貸して貰うぜ、先輩」
 自省の薄さを嘆くべきか切り替えの早さを褒めるか微妙だが、ジンチーム側で唯一人、格上と対峙したエステルは闘志を滾らせるも、クルツの方ではエステルの要望に応えるつもりはなく首を横に振る。
「カシウスさんの正嫡のエステル・ブライト君か? 私の仲間が不届き極まる怪傑たちに苦境を押し付けられているので、申し訳ないが方術による強化が完了するまで待ってはくれないかな?」
 クルツ氏は涼しげな表情で抜け抜けとそう嘯くと、物干し竿を構えるエステルの存在に全く頓着せずに次の方術の詠唱に入る。
「舐めるな!」
 エステルは棍に気を篭めて急所を狙い打つが、クルツはその軌道を読み切ったかの如く身体の位置を右に二歩ずらして金剛撃を空振りさせる。
「方術・深遠なること青龍の如し」
 解除クラフトが不発に終わり、更なるエンチャントが大円の範囲内に施される。
 これでグラッツ達は毎ターン、ATボーナスの『HP HEAL』を取得した状態に等しくなる。いかに実力差がかけ離れていても守勢に徹している以上は、そう簡単に倒されることはない。
「とはいえ、あの化物二人を相手取るにはこの程度の強化じゃまだまだ心もとないか」
 ヨシュアと異なり、能力の出し惜しみをするつもりは毛頭なく、再度のエステルの金剛撃を容易く回避したクルツは次の詠唱に入る。
「方術・神速のこと麒麟の如し」
 また一つアネラス達の能力が底上げされ、蒼の組側の実力格差は急激に縮まりつつあった。



[34189] 19-20:魁・武闘トーナメント(ⅩⅩ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/20 00:01
「ヨシュアちゃん、一緒に遊びましょう」
「くっ!」
 百戦錬磨のクルツへの対処は若輩のエステルにはまだ荷が重すぎるので、ヨシュアは何度か義兄の救援に赴こうとしたが、再びアネラスの側に引きずり戻される。
 この技は軽い物体ほど引き寄せる射程距離を伸ばせるらしく、とある事情から体重の概念が無に等しいヨシュアが効果範囲外に逃れるのは不可能。
 独楽舞踊を発動させる前にじわじわと蒼の組側に移動を続けるアネラスに戦場を動かされ、とうとう右側のフェンス手前まで拉致されて、クルツ達とは手の届かぬ距離まで引き離されてしまった。
「貴方を倒さない限り、私はアネラスさんから自由になれない訳ですね?」
「うん、そういう事になるね、ヨシュアちゃん」
「ならば、本気でいかせてもらいますよ、アネラスさん」
 覚悟を決めたヨシュアはアヴェンジャーを展開すると数少ない友人に牙を剥く。
 残像を残すレベルの高速機動力で一瞬でアネラスの懐深くに潜り込み、少女が瞬きする間に左右合わせて二十を越える連撃を叩き込む。
「わっ……わっ……わっ……!」
 演技でなく得物を弾かれかけて、アネラスは両掌で必死に握り込む。
 兄妹間の力量差を考慮すれば、エステルと互角だったアネラスがヨシュアに敵する筈もない。ほんの数瞬の手合わせで絶望的な現実と向き合わされるも、託された仕事はジャイアントキリングではない。
 普段なら死路であるフェンス角の袋小路を逆に利用して、闘技場の隅っこに陣取って正面からの攻撃に備えれば良い態勢を整えると、剣を縦に構えて即死箇所だけは打たれないよう尽力し致命傷を避ける。
「これでは埒が明かないわね」
 卓越した技のキレで敵の急所を斬り裂くヨシュアの戦闘スタイルの特性上、完全防御に入られると決定打を獲るのは難しい。多少のダメージを与えても青龍のオートヒールでアネラスにターンが回る度に傷が治ってしまうので、まさに踏んだり蹴ったりの状態。
 無限回復地獄に業を煮やし再度離脱を試みても、例の独楽舞踊で振り出しに戻され即座に防御態勢で亀のように固まられる。
 攻めれば守られ、逃げれば囚われる。変形のヒット&アウェイに絡め捕られて、焦燥に駆られる。
 十絶陣の二つ名がヨシュアの予測通りの意味合いなら、そろそろ他の戦場にも歪みが発生する頃合いだ。勝利のレールから脱線したチームの現状に危機感を覚え、少女の中に潜む魔性がズキリと呻いた。
『譬えば君が本気を出すとか……かな?』
『全てを開放しちゃいなさい、私の可愛いヨシュア。そうすれば、瞬きする間に何もかも終わるわよ』
 先のクルツの問い掛けに重なるように、聞き覚えのある女性が甘ったるく囁く。トクンと早鐘のように波打つ心臓を抑えながら、裡なる声に耳を塞ぐ。
(駄目、アレを入れたら、本当に何もかも終焉してしまう)
 自身と己を生み出した魔女にしか通じない道理で、スイッチを繋げる誘惑に懸命に抗った。

        ◇        

「ふんっ、せいやぁ!」「うおっしゃー!」
 隣の左側ではジンとグラッツが再び正面からぶつかり合う。
 グラッツの役割もアネラス同様に足止めだが、同僚のような防御戦法は取れない。
 非力なヨシュアと異なり、怪力無双のジンにはガードの上からでも強引にダメージを与えられる剛拳がある。一カ所に縮こまれば必然的に拳法家の領域のゼロ距離バトルに持ち込まれて、一方的なサンドバックにされてしまう。
「いくぜ、奥義グラッツナイトメア!」
 だから俗に云われる『攻撃は最大の防御』の心構えで、一度成す術もなく倒された強敵に特攻精神で愚直に前へ出る。
「旋風剣!(ちっ、技名がシンプルでだせえ)」
 青龍の回復力で持ち堪えながら、豊富なノックバック攻撃を仕掛けてジンを遠方に吹き飛ばして、ひたすら距離と時間を稼ぐ。
 その勇気ある選択が功を奏し、方術の後押しがあるとはいえ今度は五分に立ち回っている。
 もし、微かでも守りに入ろうと弱気に呑まれていたら、自動回復を上回るラッシュにHPを根こそぎ削り取られ、じり貧に陥っていた。
「ふふん、色々と知恵を巡らせてくれた軍師殿には悪いが、こういうのも悪くない」
 試合の流れが当初の思惑から外れ迷走しているようだが、互いの剣と拳に魂が篭もった気持ちの良い決闘に漢二人は至近から不敵に笑い合う。
 無論、チームの役割を忘れて個人プレイに走るつもりはないが、新しい風が吹き込むまでは両雄とも今しばらくはこの死闘を楽しむつもりだ。

        ◇        

「くそ、何で当たらない?」
 ジンとは逆にエステルはアネラス戦の時と異なりクルツとのバトルを堪能することは叶わず、ひたすら空回りを続ける。
 自分の失策が起点となってグラッツを復活させた挙げ句、クルツを止められずに好き放題の敵陣強化を許してしまった。このままチームが敗退すれば一級戦犯となるのは請け合いで、焦りが更なるミスを呼び込み完全に周囲が見えなくなっている。
「君に問題がある訳ではないよ、エステル君。ただし、カシウスさんも罪作りなことをしたとは思うがね」
 対戦者であるクルツが黒い瞳に僅かばかりに憐憫の色を浮かべて、エステルを慰める。
 エジルも感じていた理不尽だが、年齢を考慮すれば今日までのエステルは飛び抜けた経歴を示しているのに、その功績を霞ませてしまうのが既にA級遊撃士相応の実力者の義妹の存在。
(同じ男児として些か同情するが、試合中に私心は禁物だな)
 エステルには確かな戦闘センスがあるが、焦慮故に今はその使い道を誤っている。
 クルツは容赦なくその間隙をつく。もはや予知に頼る必要すらない程にテレフォンな攻撃に落魄れた見え見えの金剛撃を避けると、とっておきを披露する。
「方術・鈍重のこと裏麒麟の如し」
「ぐっ? な、何だ?」
 大円の中心点から外周に向かってセンサーのような光の波が走り、どうした所以か敵であるエステル達の方に影響を及ぼす。
 私服姿のまま泳いで海中から陸地に上がり、水を含んでずぶ濡れの服の重みを感じた時のような不可思議な負荷が身体を蝕んだ。

        ◇        

「おや? 何か急に身体が重くなったような……」
 カルナと銃撃戦を繰り広げていたオリビエは、自覚せざるを得ない体調の悪化に小首を傾げる。
 懸念されていた方術がバンバン発動し、味方陣営が不利に傾いたのは間違いない。現在の戦況を確かめようと戦場全域に目を配ろうとした刹那、銃弾が足元を跳ねる。
「おやおや、あんたから誘った癖に余所見するなんて連れないね、色男? 移り気な浮気性の男は背中から女に撃たれるから用心した方が良いよ」
 瞳に蠱惑的な光を称えながら警告するカルナに、「これは失礼した」と一礼して意識を戻す。姐御肌の女遊撃士は口元に女豹のような微笑を浮かべており、オリビエの背筋に冷たいモノが走る。
「さて、質問です、色男。さっきまでジンさんの局地戦撃破を目指して、あんたらのチームがあたしらを足止めしていたけど、今ではそのお互いの立場がチーム単位でそっくり入れ替わっています。この場合、あたし達が穴と見做した新しい草刈り場はどこでしょう?」
 カルナのクエスチョンに顎先に手を置いて思案する。
 ジンとヨシュアは基本相手より格上。逆に格下のエステルと対峙した敵リーダーのクルツは方術の詠唱に忙しく放置中。ならば、消去法でいくと……。
「ふっ、この僕、漂白の詩人、オリビエ・レンハイムということになるのかな?」
「ピンポン、ピンポン。正解者には報酬としてフレイムキャノンをプレゼントするよ」
 今まで脇役に徹していたカルナが突如主役のアタッカーに変貌する。
 導力砲に匹敵する広範囲爆撃が炸裂。なぜか行動力を衰えさせていたオリビエは回避を遅らせる。直撃は避けたものの、モロに爆風に吹き飛ばされてダメージを負う。
「痛ててっ。あ、危なかっ…………?」
 燕尾服の半分が焼け焦げたものの、重傷を免れてホッと安堵の息をついたのも束の間、追撃の散弾が撃ち込まれて慌てて地面を転げる。
「有り得ない。Sクラフトを放った彼女の方が僕より早く動ける?」
 まさか、ヨシュアなみに硬直(ディレイ)が短く、次行動が速い訳でもあるまい。
 そんなスピードスターなら、もっと早めに単独でケリをつけられた筈。実際に先程までの両者の撃ち合いは互角だった。
 なのに、現在の雌豹は明らかにオリビエを被捕食対象と見做しており、導力カートリッジをアサルトバージョンに取り替えると獲物の縞馬を前に舌舐りする。
「冥土の土産にネタバレすると、今のあたしはあんたの三倍の速度で動けるのさ。けど、時間が経つごとにSPD系以外の攻防バラメタもどんどんしんどくなっていくよ、色男」

        ◇        

「やっぱり、弱化(エンチャント)の方も使えたわけね」
 悪い予感というのは往々にして的中するものらしい。クルツが既に使役した麒麟の裏の顔を唱えると、味方側ではなく敵対チームに対して悪影響を齎す。
 当然、エンチャントでも強化でなく弱化(SPD-50% AGL-50% MOV-2)。ジン達は重力の強い惑星に放り込まれたかのように機動能力を大幅に損なわれた。
 一見、正反対のスキルに思われるが、実は力の加え方を反転させれば良いだけの同延長線上の能力。朱雀、青龍、白虎、玄武、麒麟の五神獣を表と裏で使い分けての『十絶陣』とは良く名付けたもの。
「味方の能力を底上げした上で同時に敵のステータスも弱める。だからこそ、現地人を黄金の羅針盤と戦わせるなんて無茶な芸当が可能だった訳ね」
 石化や混乱などの『状態異常』を防止するアクセサリは数多く存在するが、能力の低下を促す『ステーテス異常』を無効化するアイテムはアーティファクトクラスの希少品で、現状では防ぐ手立ては皆無。
 だからこそ、方術を一度も発動させない方向での完封劇を目指したのだが、その計画は既に御破算になっている。
「とか愚痴りながらも、ヨシュアちゃん自身には素でクルツさんの裏神獣が効かないんだね。ちょっと、ずるくない?」
 急激に動作を鈍らせた男性陣と異なり、一人だけちゃっかり方術を無効化して俊敏性を維持する不思議少女にアネラスが控え目に苦情を申し立てるが、ヨシュアはやさぐれた態度で両肩を竦める。
「泣きたいのはこちらの方ですよ、アネラスさん。謙遜癖が強すぎるあの人は私やジンさんをモンスターだの言いたい放題ですけど、団体戦という枠組みの中で一番チートな真似しているのは紛れもなくクルツさん当人ですよ」
 表裏の麒麟が唱えられたことで、カルナ達の速度が上昇。反面、エステル達(耐性持ちのヨシュアを除く)の機動力は減少させられた。
 戦いで最も重要なステータスは功防数値(STR/DEF)よりも、行動力を司るSPD。最初にこの能力を集中的に抑えたクルツは実に賢明。両陣営の速度差は三倍にまで広がり、単純計算でこちらが一回動く間に相手は三回の行動選択が可能になっている。
 そんな不均衡が更に加速すれば、オリビエが戦線を維持出来る筈もなく真っ先に脱落する。
 元々後衛のガンナーやアーツ使いは前衛の壁役に守られるのが前提。タイマンで戦えるほどタフではない。オリビエが戦闘不能に陥ればフリーになったカルナが他の戦場に介入し、今度はこちら側が数的不利に怯える立場になる。
「それよりも、追って玄武や白虎も表裏で発動されるだろうから、下手をすればジンさんすら足元を掬われる危険が…………」
 そこまで言い掛けて、ある事に気づいたヨシュアは言葉を呑み込んだ。
 行動回数の増加に伴い傷の回復速度も上昇したクルツチームの中で、未だに疵痕が完治していない人物が一人いる。
 それは他でもないクルツ自身。捻糸棍を受けた左肩は痛々しく晴れ上がったままで、普段は両手で扱う風神雷神を器用に右手一本であしらい、エステルの攻撃を往なしている。
「うん、そうだよ、ヨシュアちゃん。クルツさん本人は一切の方術の効果を得られない」
 どうせ遅かれ早かれヨシュアは自力で解答に達するだろうから、今更隠しても栓なきとあっさり告白する。
 クルツを中心点とした円形の陣を敷いて、陣内にいる者に強化あるいは弱化を施すのが方術の原理。クルツが生存している限りはその効果は永続する。
 陣形の維持には大量の闘気(CP)を必要とし、その間は駄々漏れ状態なので闘魂セット(鉢巻き&ベルト)でターン毎にCPを補えるセッティングにし、即死などの耐性防御が疎かになっていた。
「けど、円内に闘気(チャクラ)を放出し続けるクルツさんは、その対象には含まれない。そういう制約だからこそ、あの人はここまで凄い支援能力を身につけられた」
 そうアネラスは誇らしげに説明する。そんな彼を身体を張って守るのが少女が自身に課した誓約。
「ねえ、ヨシュアちゃんは私に『後衛の盾となって負傷するのが、前衛の役割であり勲章だ』と諭してくれたよね?」
 あの時の言葉があったから、アネラスはアラド自治州でどんな苦難を前にしても挫けなかった。今こうしてヨシュアとのミスマッチを突き付けられても、めげずに頑張れている。
「だから、絶対にクルツさんの邪魔はさせない」
 昔からアネラスの目標は何一つ変わらない。困っている人を助けたい……そして、大切な仲間を守りたい。
 そんな想いが具現化され、壁役として敵を自分に引き寄せる為に編み出されたのが独楽舞踊なのだ。

(馬鹿馬鹿しい。私は何を悩んでいたのだろう?)
 アネラスの清々しいまでの決意表明を受けて、ヨシュアは憑き物の落ちたような晴々とした表情で天を仰いだ。
 気分は完全に落ち着き、さっきまでの身体の疼きや脳内を木霊する誘いは鳴り止んだ。
(仲間を信じて、自分の務めを全うするか)
 少女の良く知るスケベな大馬鹿野郎に似たひたむきさを感じさせる頑張り屋さんの姿を目の当たりにして、ヨシュアは自分を取り戻し成すべき道を見出した。
 悪い魔女によって生み出された孤独な漆黒の牙(ヨシュア・アストレイ)に堕落し、血みどろの黒星を敵に押し付けるのでない。
 参謀として悪知恵を働かせて男衆を扱き使う腹黒完璧超人(ヨシュア・ブライト)として新たな作戦を構築し、自軍を白星に導くことである。
(となれば、まず果たすべきは方術のカラクリを見破ることね)
 十絶陣は強化に加えて弱化まで可能という素敵な性能だが、お陰で一つの事実が発覚した。
 敵味方の双方が入り乱れた戦場で好みの対象を選んで強化するのも大変なのに、敵だけに弱化を施し味方には類を及ばさないように瞬時に選り分けるなど不可能だ。
 核となる何かを所持していると確信したヨシュアは、アネラスへの攻撃を一端中止。両目を真っ赤に光らせて魔眼の能力で観察し、ちょうど良いタイミングで次の方術が発動する。
「方術・浅薄なること裏青龍の如し」
 またしても裏シリーズ。毒や凍結状態のように毎ターン味方のHPが削られる(※ヨシュアはレジストしたが)という嘗めた仕様で、逐一チートだと喚くのに飽きたヨシュアは突っ込みを心中に留めて、アネラスの状態変化に意識を注ぐ。
(見つけた)
 メディカルチェックした結果、ちょうど方術の光破線がアネラスの身体を横切るのと同時に彼女の胸当ての内側で長方形状の物体が輝いているのをサーチした。
 何らかの確証を得て方術を根本から封印する方策を思いついたようだが、あの解説魔が直ぐさま種明かしに走ろうとはしない。
 強化の恩恵を授かる敵はアネラス一人でなく、弱化の被害を受けるのはヨシュア以外の味方全員なので、最も効果的なタイミングを狙わなければ戦況を最逆転させるのは叶わない。
「ねえ、ヨシュアちゃん。さっきからぼーっと突っ立ってどうしたの?」
 気恥ずかしい選手宣誓をしてからヨシュアが一向に仕掛けてこない状況に拍子抜けしながらも、油断させて攻撃を誘い込む罠である可能性も考慮しその隙を突こうとは考えないアネラスは訝しみながら尋ねる。
「何でもありませんよ、アネラスさん。私は信じて待つことにしただけです」
「待つって何を? 時間が経過すればするほど私たちが有利になるだけだよ?」
「馬鹿で不器用な癖に諦めが悪い私の可愛い義弟ですよ。私を封じて勝ったつもりでいるようですけど、アネラスさんやクルツさんもエステルを甘く見ると痛い目に遇いますよ?」
 ロレントの愚兄賢妹と不条理に比較されてきた義兄の底力を最も高く評価しているのは、実は他でもないその義妹自身。アネラス達が仲間内で助け合ったように、ヨシュアもエステルを信じ勝機を託す決断をした。

 再び試合の流れを変えてジンチームが勝利を掴めるかは、ヨシュアがそうしたように、エステルが自分を取り戻せるか否かに掛かっていた。



[34189] 19-21:魁・武闘トーナメント(ⅩⅩⅠ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/26 15:48
「いくわよ、アサルトモードα!」
 アサルトライフルの自動射撃で、マシンガンに近い速度の連射で一方的にオリビエを狩り立てる。
 アーツ遣いとしてはワンラインのオリビエが上回るが、壁役の存在しない差し勝負では何のアドバンテージにもならず、逆にガンナーとしての性能は移動中の射撃スキル持ちのカルナの方に軍配が上がる。
 しかも敵は三倍速で動ける上に表青龍の回復の後押しがあるので、防御すら考えずにひたすら攻撃に専念できる。更にオリビエは逃げれば逃げるほど裏青龍の効果でHPを削られるというオマケつき。
 どこを掘り下げても希望の欠片すら伺えずに既に心が折れてリタイアしても可笑しくないが、オリビエは反撃を諦め転げ回るように逃げに徹することで辛うじて生命を繋ぐ。
「粘るねえ、色男。あんたは泥を啜ってでも生き延びるよりも華々しく散るタイプだと思っていたけど、結構根性を見せるじゃないか?」
 オリビエを袋小路に追い詰めたカルナはカートリッジを変更しながら、感心したように口笛を吹く。
 導力銃(オーバルガン)なので時間さえ経過すれば導力は自動回復するが、二つの導力バッテリーパックを使い回すことにより、数秒の取り替え作業だけで無限に近い弾幕を張るのを可能とする。
「ふっ、これは団体戦だからね。それと勘違いしているが、僕はどんな時も派手好きな人間だよ」
 普段の伊達男振りが見る影もないない程に煤で汚れた顔でニカッと笑うと、懐から何かを取り出してカルナに向かって投げ込む。
 手榴弾かと身構えたら、真紅の薔薇の花束。「舐めてるのか?」とあっさり迎撃したが、途端に中空で破裂して花びらを散開させる。
「ちっ、目晦ましか?」
 どのような仕掛けなのやら、周囲が完全に花びらの煙幕に覆われる。オリビエの姿をロストしたカルナは所構わずめくら撃ちして、匍匐前進の姿勢で身体中を泥まみれにしながら後方に這い出たオリビエはようやく一息つく。
「ふふっ。こうして僕が戦闘不能にならない限りはレディは他の戦場には介入できない。それこそが僕たちのチームの希望なのさ」

        ◇        

(後は白虎と玄武を表裏で唱えれば、私の仕事は終わりか)
 クルツは若輩のエステルを一方的に翻弄し、闘魂セットによるCPの回復を待ちながら今後の展望を推し量る。
 その頃にはガンナー同士のワンサイドゲームも決着がつく。SPDと共に双方のAGL(回避率)が大きく上下したお蔭で、グラッツもジンの攻撃を避けてのヒット&アウェイ戦法が可能となったので、カルナの助力があれば一段と有利な状況を築ける。
(ヨシュア君には裏シリーズが効かないようだから、十絶陣が完成したら望み通りエステル君との一騎討ちを果たしてから、アネラス君の救援に赴くとするか)
 ジンやヨシュアは魔物だが、人海戦術と方術支援があれば何とか退治できるだろうとの算段を巡らせるも、警戒対象が多すぎた所為でクルツは眼前の直接の対戦相手への危機感を薄めていた。
「やれやれ、やっぱり止められないか」
 焦燥と共に繰り出された散漫な金剛撃も今は影を顰めて小休止状態となっているが、まるで自己アピールのような愚痴が零れてクルツは意識をエステルに戻す。
「まっ、そりゃそうだ。解除クラフト一つで何とかなるなら、ヨシュアは最初から俺をぶつけていた筈だよな。あいつはほとんど突っ立っていただけでクルツさんを封じていたが、凡才の俺に天才の真似事が叶う道理はねえ」
 対決の当事者と目の上のたん瘤の義妹の両方への敗北宣言が飛び出しだが、当のクルツはその台詞を額面通りに受け止めていない。諦観や絶望とは全く正反対の燃える闘魂を少年は瞳の中に宿している。
「どうすれば良いかなんてさっぱり判らないし、勝算も作戦も有りはしねえ。だから、俺は今ある俺の総てをこの場で出し切る!」
 そう宣誓すると、エステルは溜め込んだ闘気を一気に開放。麒麟功を唱えてSTRとSPDをブーストさせる。
 裏青龍のHP減少は防げなくても、裏麒麟のSPD弱化は相殺される形になる。クルツ自身には表麒麟のSPD強化は掛かっていないので、スピードだけは五分に立ち回れる計算になる。
「いくぜ!」
 そう告げると同時に物干し竿で襲いかかるが、浄眼に棍筋の軌道が予め映されている。クルツはまた最小の動作で避けて、表白虎を発動しようとしたものの。
「ぬっ?」
 浄眼が危機を訴え、反射的にスウェイバックで仰け反ると、その上を棍が通過していく。今度は返す刀で地面に叩きつけようとしたので、大きく後方に飛び退く。
「方術・猛るこ…………」
「まだだ!」
 一瞬で距離を詰めたエステルは、左手を翳したクルツに一本突きをかます。クルツはこれも避けるも、そのまま高リーチの長物同士の対戦とは思えぬ接近戦に持ち込まれて、ひたすら棍を振り回す。
 まだ裏白虎による弱化は掛かっていないので、STRブースト中のエステルは一発で肋骨をへし折れる破壊力を保持している。一切の強化の恩恵を受けていないクルツは慎重に対応しながら、カウンターの一閃を顎先に叩き込む。
「ぐっ…………まだまだ!」
 口の中が切れて血が滴るも全く頓着せずにエステルは連撃を叩き込み、クルツの表情から余裕が消える。
 何度打たれようと怯むことなく前に出る。底無しの闘志と豊富な運動量に任せてひたすら手を出し続けて、方術を出す隙はおろか予知すら追いつかなくなる。
(まずい状況になったか?)
 二人の戦闘キャリアは大きくかけ離れているので、試合中の駆け引きには雲泥の差がある。故に金剛撃で止めるのに意識を割いていた先までは良い様に翻弄できた。
 だが、今のエステルは何も考えずにガムシャラにクルツを倒しにきている。
 麒麟功切れの反動はもちろん、この試合の先の未来もアウトオブ眼中。只今一時だけを見据えて本当に全てを出し切る覚悟。
 この後先考えない神風特攻こそクルツが最も恐れていた開き直り。エステルは無酸素無呼吸運動で肌を青紫に変色させながらも、棍勢も速度も衰えさせることなくクルツをヒヤリとさせる攻撃を連続させて、ついには額当てに直撃させる。
「ぐっ……!」
 闘魂鉢巻きで固定したバックルが割れて、セットした緑色の髪が乱れる。
 更なるエステルの一撃にクルツは堪えきれずに、とうとう両腕を使って風神雷神で受け止めた。
(これはもう殺らなければ殺られる!)
 崖っぷちまで追い詰められたクルツは、解けた髪と相俟って余裕のない形相でエステルの棍と槍を激突させ、負傷した左肩に激痛が走る。
 もはや放置どころか倒さなければ逆に喰われる程の危機感を覚え、本気でエステルを仕留める為に指揮官としての役割を放棄し戦士モードにシフトした。

        ◇        

(風向きが変わった)
 今までのらりくらりと対戦を引き延ばしていたクルツが、エステルとの真剣勝負に引き込まれ、他の戦場に気を配る余裕が失われたのを感じ取る。
 策を巡らす己とは全く真逆のいかにもエステルらしい無心のクルツ対策にヨシュアは思わず笑みを零す。
 まだ未熟とはいえ少女の義弟は紛れもなくタイマン特化型。そのエステルの迷いを捨てた突撃を元来サポートタイプのクルツが片手間で遇い切れる筈はないのだ。
 とはいえ、方術による永続効果と異なり、麒麟功の持続時間はさほど長くない。百戦錬磨のクルツが本腰を入れてエステル一人に照準を絞った以上、下克上を起こせるとまでは楽観しないが、束の間とはいえクルツの方術詠唱を阻止したことに意味がある。
(ここが分水嶺ね)
 そう睨んだヨシュアはまずは前提条件となるキーアイテムの実在を確認する為に、袋小路で甲羅に潜り込んだ亀の如く縮こまるアネラスに攻撃を仕掛ける。
 当然、喉元や心臓などの急所を防御されるがダメージ目的ではない。
 連撃を上下に散らして胸元のガードが開いた微かな隙を見計らって、悪友のシェラザード直伝のキャットテイルで体当たりを敢行。目当てのブツを掠め取ると即座に離脱。
「あれっ、何か急に身体を重くなったような………………あっー?」
 自らの懐を覗き込んだアネラスは、異変に気がついて表情を青ざめさせる。
 泥棒猫は左手に握り込んだ盗品を眺めながら、「対象に掏られた事実を悟られるようじゃ、まだまだ強盗狐の足元にも及ばないわね」と嘯きながらクルリとジン達のいる方角を振り返った。
「ジンさん、やっちゃって下さい!」
 シンガーとしての良く通るボイスを活かして、蒼の組の隣にいるチームリーダーに大声で呼び掛ける。彼の意識がこちらに向いた途端、ヨシュアはサムアッブポーズで立てた親指を下側に反転させる。

「判った、軍師殿。勝負所という奴だな」
 敵を倒せという当たり前すぎる指令のみで具体的な指示は何もなかったが、判断能力に優れた拳法家は周囲を一瞥して現状認識する。
 エステルの善戦が続いて、朱雀による蘇生が封じられた今こそが敵を葬り去る千載一遇の好機。腹黒参謀の要望に応じ、オーバーペース覚悟でとっておきを披露する。
「はぁぁぁぁ…………ぬわあああっ……!」
 ジンが身体中の気を上半身に集中させる。ダブルバイセップスフロント(※ボディービルダーが良く取るマッチョポーズ)で両腕をガッツポーズのように掲げると、胸部の筋肉が隆起し胸元のボタンが弾ける。
 増幅された筋量を抑えきれずに胴着は半壊。只でさえ太い上腕二頭筋の力瘤が更に膨れ上がり、気押されたグラッツは反射的に後ずさりする。
「行くぞ」
 以前、洞窟湖の主に使った奥義の更に上を逝く『真・龍神功』によって肩幅を倍近くにビルドアップ。のっしのっしと接近する大魔神のような威圧感にグラッツはゴクリと唾を飲み込む。
「く……うおお!」
 直ぐに気を取り直し大剣で斬り掛かるが、ジンは避けることなく左肩の部分に突き刺さる。
 彼我のSPD(速度)とAGL(回避率)の差から、マトモに応戦したら攻撃が当たらないので、肉体そのもので敵の斬撃を受け止めて動きが静止した瞬間を叩く『肉を切らして骨を断つ』の究極戦術で、そのまま右腕をハンマーのように振り回す。
「ごべおう!?」
 グラッツは短い空中遊泳を強いられ、紅の陣側のセンターライン近くまで吹き飛ばされる。
 口から大量の血が零れ膝はガタガタと笑う。たった一発で自動回復五回分のHPを削られたというのに、ジンは大剣を喰らった箇所をボリボリと痒いでおり、ダメージを受けた様子は全く見られない。
「くっ……負けてたまるか!」
 負けん気の強いグラッツは次は十八番のグラッツスペシャルで空高くから剣を振り落とすが、さっきは両腕クロスで辛うじて止めた必殺技を今度は片腕ガードのみで楽々受け止められ、カウンターの強烈なアッパーカットにより再び宙の高みへロケットのように打ち上げられる。
「人間じゃねえ……」
 辛うじて立ち上がったグラッツは、完全に恐怖に呑み込まれる。
 彼が畏怖するのも無理はない。真・龍神功は潜在能力を100%出し切るブースト技の頂点で、攻防(STR/DEF)率60%アップという無茶苦茶なチート術。
 その分、失われる代償も半端ない。解除後の能力低下はもちろん、反動からのベストコンディション復帰に相当な時間を要する諸刃の剣だが、明日の決勝の余力など一切考えずにエステル同様この場で総てを曝け出す腹らしい。
「どうする? 今の旦那に機動力は無いから闘技場を逃げ回れば、その中に裏青龍のHP減少効果で力尽きる筈……?」
 戦士にあるまじき弱気な誘惑に囚われたが、ジンが組み合わせた両手の掌が光り輝かせて、その矛先が中距離のカルナに向けられているのを視認し考えを改める。
 例のストリートファイターのように達人クラスの拳法家は無手から気弾を放てる。
 ジンも『雷神掌』という飛道具を所持しており、狐狩りに夢中のカルナは自分がウーシュウの射程内にいる現実に気づかず銃を乱射している。
(敵わぬ敵を前にする都度、あれこれ理由をつけて後衛の仲間を見捨てて逃げ出すのかよ? 前衛の重戦士(タンク)のプライドまで失っちまったら本当に終わりだろ)
「おい、ジンの旦那。あんたの相手は俺だろ? ここから一歩も動かないから、勝負しろや、おらっ!」
 恐怖心を力付づくで捻じ伏せたグラッツは、ミエミエの挑発で意識を強引に自分の方に向けさせる。するとジンは不敵な笑顔を浮かべながら雷神掌をキャンセルして、真っ直ぐこちら側に歩を進める。
(ありがてえ……)
 こちらの意図を察しながら、思いを汲み取ってくれたジンの心意気に感謝する。グラッツも身体に闘気を纏うと、レイヴンのブチ切れアタックと同じ待機型Sクラフトで小細工抜きでの最後の大勝負に出る。
「いくぜ、旦那。これが俺のアルティメット奥義『グラッツビッグバン』!」
 目の前の大巨人に対して、やたらと装飾過剰だが実際にグラッツスペシャルの倍以上の威力を誇る闘気を纏った最強の剣戟を叩き込み、左腕で受け止めようとしたジンの籠手を粉々に砕いた。
「よっしゃあ………………な、何い!?」
 歓喜したのも束の間、籠手は壊せても鍛え抜かれた拳法家(ウーシュウ)の鋼鉄の肉体は砕けないようで、左甲の筋肉だけで侵食を食い止めている。
 グラッツ当人や周囲の観客も目を疑うが、良く観察するとまるで河童のように左腕と右腕の太さが異なっている。全ての闘気を左手のみにシフトし、一点に集極させて斬撃を防ぎ止めた。それからジンは明らかに左腕よりもか細い右手の握り拳を、グラッツの重鎧に押し付ける。
「大丈夫だ。闘気を左腕に集中した以上、右手一本で俺をKOする程の力は残されていな……」
「こぉああ…………ふん!」
 ジンは拳をパッと開くと、そのまま掌を胸当てに密着させたまま前方に押し付けるように突き出す。次の刹那、不可思議な衝撃を受けたグラッツは前のめりにぶっ斃れる。
「な……な…………ん…………で?」
 重装の胸部分には皹一つ入っていないのに、一撃で戦闘不能にされたのが未だに信じられない。
 泰斗流には『寸勁』という身体の内部に直接衝撃を与える秘伝の奥義がある。極めし者は今のジンのように固い鎧さえも素通りし、内部の肉体に直接ダメージを与えるのすら可能とする。
「へへっ、我が人生に一片の悔いなしで締めたい所だが一つ未練が残った。いつか旦那のいる頂きまで必ず登り詰めてみせるぜ」
「おうっ、何時でも挑んでこい。楽しみに待っているぜ」
 持てる力の全てを振り絞り二度目の戦闘不能に陥った誇り高き戦士にジンは敬意を表して両手の拳を合わせる。
 また一つ新たな約束が生まれたが、武闘家としてはこういう気持ちの篭もったライバルの出現は大歓迎だ。

「ジンさん、グラッツさんの懐からこれと同じ御守りを回収して。そうすれば、もう二度と復活することは出来なくなるわ」
 勝負の余韻も醒め止まぬ中、ヨシュアがアネラスから掠めた東方風の袋状のアミュレッドをこれ見よがしに顕示する。
 この御守りには方術の強化を受け入れて、逆に弱化を受け流す判定機能が備わっている。だからこそ、クルツは無差別に方術を詠唱しても、ピンポイントに敵味方を識別できた。
「なるほど、良く考えたものだ」
 ジンは感心しながらヨシュアの指図に従い、首紐を力付くで千切ってグラッツの首から『陰陽』を示す太極図の模様の入ったお守りを引き剥がした。
 腹黒参謀の推理が正鵠なのは、背後で顔を土色にして狼狽するアネラスの態度が克明に物語っている。これで戦いの流れは再びジンチーム側に大きく傾いたことになる。

        ◇        

「グラッツ? くそ、もう少しの所だったのに!」
 グラッツが身体を張って大騒ぎしたお蔭で、ようやくカルナは仲間の戦線離脱に気づいた。
 薔薇の煙幕が晴れて後は止めを刺すところまでオリビエを追い詰めながらも、既にセンターラインを超えた位置まで接近しつつある大魔神の驚異に対処せざるを得ず、標的を変更する。
「喰らいな、アサルトモードβ!」
 再びカートリッジを入れ換えて、アサルトコンビネーションで派手に弾幕を張るが、人の限界を超えた鋼の筋肉は全ての導力弾を豆鉄砲のように弾き返す。
「化物かよ。実弾でも使わないことにはダメージすら…………って、そうだ!」
 カルナは導力銃を背中に仕舞うと、印を組んで身体を真っ赤に光らせてアーツの詠唱に入る。
 本来なら壁役抜きでの無防備状態を晒すなど論外だが、表裏の麒麟の効果でジンがここに辿り着くよりも早く詠唱が完了する筈。
 裏青龍の蓄積とグラッツの奮戦でジンのHPは半分以下に減っている。更には物理特化装備のタイガーハートでADF(魔法防御力)もマイナス化しているだろうから、四元素の中で最高威力を誇る『スパイラルフレア』の火属性魔法の一撃で戦闘不能に追い込める。
「よっしゃあ、もらった…………がっ?」
 掌に集中させた炎の塊を投げつけようとした刹那、何故かアーツが解除されて火の玉が陽炎のように消失する。
 右肩の軽い痛みに右の肩当てを覗き込むと、銃痕が刻み込まれている。発射元を確認するとフェンスに背中を押し付けて座り込んだオリビエがこちらに銃口を向けている。
 解除クラフト『スナイプショット』で彼女の詠唱をキャンセルした。態々肩当てを狙い女性の柔肌を傷つけないように務める所がいかにも気障なオリビエらしい。
「ふっ、泥臭くも華麗に生き延びた甲斐があったようだね、レディ?」
「色男、あんたは…………はっ?」
 ゾクリと背筋に寒けを覚えたカルナは反射的に振り返ると、ジンが思いっきり右拳を振り被っている。
 渾身のストレートがカルナの顔面に減り込んで、彼女はダンプカーに跳ね飛ばされたように地面を二回バウンドしてから壁に叩きつけられ、そのままピクリとも動かなくなった。

「はっ?…………い、今のは?」
 カルナが意識を取り戻すと、ジンの拳は目と鼻の先でピタリと寸止めされている。
 ジンが本気で拳を奮ったらどうなるかという末路を走馬灯のように垣間見たようだ。目の前に突き付けられ拳の威圧感と頬に感じた風圧に耐えられなくなったカルナはヘナヘナと崩れ落ちる。
「どうする、まだやるかい?」
 ジンは拳に殺気を残したまま、敢えてぶっきらぼうに尋ねる。
 彼はフェミニストではあるが、自らの意志で戦場に立った者を女だからという理由で保護対象と見縊るのは女戦士に対する侮辱であるのを弁えており、まだ抗戦の意志を示すなら本気で先の幻視を現実に変える気構えで指先に力を篭める。
「ははっ、ガンナーが拳法家にこの距離を取られちまったら、もう終わりだよ」
 心が折れたカルナは得物を地面に取り落とし、両腕を頭の後ろに組んで降伏の意を顕す。
 用心深く御守りを取り上げたジンは、こちらにフラフラと歩いてきたオリビエと目を合わせて、互いにニヤリと笑い合うとハイタッチを決める。
 団体戦は不利と睨んで個人の力量差での殲滅を目論んだジンチームだが、意外とクルツチームに劣らず味方同士のチームワークが成り立っているみたいだ。

        ◇        

「グラッツさん…………カルナさんまで…………うぷっ…………!」
 瞬く間の戦況変化にアネラスはアタフタしながら、口元を苦痛で歪める。
 命綱の御守りをヨシュアに強奪されて表シリーズの強化の加護を失ったばかりか、裏シリーズの無差別弱化の対象に含まれターン毎にHPを削られてしまう。もはや時間稼ぎは自分の首を締める悪手でしかない。
 守っているだけでは更に状況が悪化するだけなのを悟ったアネラスは、玉砕覚悟で前へ出る決意をして懐に手を伸ばす。
 万が一クルツが戦闘不能に陥ったケースの保険として、『セラスの薬』を忍ばせている。これでグラッツを蘇らせればまだ再逆転の芽は残されているが、その策を成功させるには目の前にいるヨシュアの壁を突破しなければならずに再び賭けに出る。
「風化陣!」
 全身に纏った軽装の鎧をキャストオフする。完全に防御を捨て攻撃力と俊敏性を高め、持てる全ての集中力を剣先に集めて青龍剣を輝かせる。
「いくよ、ヨシュアちゃん。これが私の全力全開!」
 光り輝く剣を構えたままアネラスはヨシュアに対して捨て身の特攻をかまして、剣から『光破斬』の光の刃を放つ。
 地を這う光の渦がヨシュアの身体を二つに切り裂いたと思いきや、漆黒の牙お得意の残像。本体は瞬く間にアネラスの無防備な後背に回り込む。
「やっと攻めてきてくれて嬉しいです、アネラスさん」
 まさしく電光石火。太刀筋すら見えない複数の斬撃に襲われて、アネラスは一瞬だけ宙を舞い、そのまま地面に叩きつけられる。
 少女の身体には傷一つついてないにも関わらず、目の前に落ちた愛剣に手を伸ばそうとするも指一方動かせない。
 手心を加えられたのは確実。残酷なまでの実力差を見せつけられたアネラスは自虐的に笑う。
「あははっ、まさか、こんなに差があったなんて。そりゃクルツさんが攻めるなって命令する筈だよね」
「アネラスさんは今の貴方に出来る精一杯をやり遂げられたと思いますよ。最初に個人戦に嵌めた時は勝利を確定させたと早とちりしましたが、まさかあの状況から敗走が頭の中を過るまで私の計算が覆されるとは想像しませんでしたから」
 自分の武名よりも仲間との絆を優先するアネラスがこんな御為倒しで納得するとは思えなかったが、今考えつく限りの労いの言葉を掛けてみる。
「優しんだね、ヨシュアちゃん」
 アネラスは力なく微笑んだ後、そのまま意識を失い、ヨシュアは複雑そうな表情を隠せない。
 腹黒完璧超人を『優しい』などと形容したのは、クローゼに次いで二人目。同性からの理解者は彼女が最初で最後のような気がしたからだ。

        ◇        

(ここまでか……)
 エステルと激しく鍔競り合いながら、現在の戦況を確認したクルツはそう腹の中で覚悟を決める。
 グラッツとアネラスは戦闘不能に陥り、カルナは両手を後ろに組んで膝をついた上でオリビエに至近距離から銃を突き付けられている。
 更には止めとばかりにジンとヨシュアの大援軍がエステルの後背に出現した。
(まさか、私がこの少年に掛かりきりになった途端、ここまで戦線が崩壊するとはな)
 人の域を越えた大魔神と正面からぶつかったグラッツ。司令塔にも関わらず目の前の獲物に集中しすぎて周囲の警戒を怠ったカルナ。戦況変化に焦り防御に徹するのに堪えきれずに自滅したアネラス。
 各々戦術的な選択ミスはあったかもしれないが、それは結果がハッキリ提示された今だからこそ論評可能なのであり、先の見えない暗闇の中で仲間は自分に出来る最善を尽くしたとクルツは信じている。
(そう、あれだけの怪物を相手に皆、良く戦ってくれた。もし、敗因を探すのならこの少年の底力を侮った私の驕りだな)
 多少強化を遅らせてもエステルが己を見失っている中に致命傷を与えておけば、また違った展開になりえた筈だと自嘲する。それこそ後出しジャンケン理論だが、勝因は仲間全員の功績で敗北の責任は指揮官が全面的に請け負うものという上位者の亀鑑のような信念の所有者はそう結論づける。
(いずれにしても勝敗が決した今、これ以上の抗戦は無意味か)
「主審殿、グランセル遊撃士チームは棄権…………」
「おい、待てよ、クルツさん。まだ俺たちの決着はついてないだろ?」
 得物の風神雷神を下げたクルツは、決勝に駒を進めるジン達の体力温存を憂慮して審判に試合放棄を申し入れようとしたが、対戦相手のエステルが引き止める。
 物干し竿をクルツの鼻先に近づけて、好戦的な視線で正面からクルツを睨む。強敵との死闘を前に勝ちを譲られる形で勝負を終わらせるのに納得いかない心情のようだ。
「エステル、我が儘はいい加減にしなさい」
 劣勢だった戦況を引っ繰り返す期待通りの頑張りをみせたと思ったら、やはり義兄は少女の良く知るお調子者のようで琥珀色の瞳に呆れた色を浮かべる。
 仮にヨシュアとジンが二人のバトルを傍観しタイマンを続行させとしても、状況は何一つ変わらない。
 エステルに勝利したところで、後に控える導かれし者の二強に単身で抗える訳もない。クルツにとっては単なる徒労に過ぎず良い面の皮だ。
「そうだな、エステル。お前の気持ちも判らなくないが、そいつはクルツ氏に悪すぎるだ……」
「私は一向に構わないよ」
 ジンも弟分の気持ちを汲みながらも相手の立場を慮って窘めようとしたが、その対戦者からゴーサインが飛び出して軽く太眉を顰める。
「強化を果たした後は彼の相手をすると約束したし、後輩を導くのも正遊撃士の務めでもあるしな。ただし……」
 クルツはもはや意味を成さなくなった方術の大円を解除して、風神雷神を構える。
 十絶陣の消滅と同時に男性陣の身体を蝕んでいた弱化からも開放されたが、代わりにクルツは陣形の維持に意識を割く必要がなくなり、目の前の敵にのみ集中できる。
「この団体戦は君たちの勝利も、君自身が決勝の舞台に立てるか保障できないがね!」
 個人技にCPを回せるようになったことから、さっそく突きと薙ぎ払いを交互に繰り出す多弾攻撃『夕凪』でエステルの足元を掬い、態勢の崩れた所に五月雨突きを叩き込む。
「そうこなくっちゃな、クルツさん!」
 身体の中心線に複数被弾しながらも得意のタフネスで持ち堪えたエステルは態勢を建て直すと、クルツの五月雨突きに合わせ自らも連続突きを叩き込む。
 物干し竿に長槍・風神雷神。リーチや特性の似た二つの得物が絡み合い、エステルとクルツは歯を剥き出しにして至近距離から睨み合み、客席からも歓声が沸き起こる。
「いいぞ、二人とも頑張れ!」
「やっぱり、最後の一人までケリをつけてこそ団体戦の華でしょう」

「やれやれ、知将っぽいクールな振りして結局クルツさんもお馬鹿さんの一人ですか? 満場の観衆といい男の人は皆そうなんですか?」
「そう、ぼやくな、ヨシュア。効率主義者のお前さんには納得いかないことが山程あるだろうが、この戦いでエステルが得られる経験値は小さくない筈だ」
 最後の大一番に沸騰する観客の手前、流石に空気を読んで乱入を控えたものの、溢れ出る溜息を止められないヨシュアをジンが軽く肩を叩きながら慰める。
 日頃の修練の積み重ねが地力を築くのは間違いないが、実戦の中でしか培われない色濃い経験値というのは確かに存在する。
 ましてや、それが自分より格上の猛者なら尚の事。エステルは決してタイマン特化型とはいえないクルツから戦いの駆け引きともいうべき呼吸を無意識に学んでいる。ヨシュアとしてはどちらが勝利するにしても決勝に尾を引くような怪我をしないことを祈るだけ。
 両チームの最後の威信をかけた一進一退の熱い攻防が続くが、クルツは左肩を負傷し、逆にエステルも麒麟功の効果が消えかかっているので、共に長期戦は考えていない。
 被弾ダメージによるCP蓄積で、ようやくSクラフトを放てるだけの闘気が溜まったので、クルツは最後の大博打に打って出る。
「いくぞ、エステル君。こいつを受けきれるかな? 来たれ雷神、空と海の狭間よ!」
 クルツの槍先に雷撃の闘気が集中して、バチバチと稲妻が走った風神雷神をエステル目掛けて放り投げる。エステルは紙一重で何とか交わして、槍は後ろの地面に突き刺さる。
 ただし、クルツのSクラフト『雷神招来』は、槍に蓄電した雷エネルギーを一気に放電し一定範囲内にいる敵を感電させる奥義。エステルは大きくジャンプして中空のセーフティーゾーンに逃れると、そのままクルツに襲いかかる。
「もらったぜ、クルツさん!」
 空中で大きく棍を振りかぶって、Sクラフト『桜花無双撃』の態勢に入るが、突然、更なる頭上から剣のようなものがエステルの身体を貫通して、その場に串刺しになる。
「なっ…………これは一体…………って、あれ?」
 後方を振り返ったエステルは唖然とする。
 敵を黒焦げにする闘気が注入された風神雷神が微量の電気を放出しているだけの不発状態だったからで、Sクラフトが単なるフェイクだったのに気づかされる。
「方術・儚きこと裏朱雀の如し。まだまだ爪が甘かったようだね、エステル君」
 シャドウスペア互換の即死クラフトが炸裂。エステルは魂を砕かれる嫌な即死感覚を再度味わい、前のめりにぶっ斃れる。
 今回はアクセサリはヨシュアが全てセッティングしスカルペンダントを未装着だったので、レイヴン戦のように戦闘不能を免れるのは叶わなかった。
「20%の低確率といえど、遣り直しの効かない一発勝負では侮れぬな」
 従来、石橋を叩いて渡らないクルツだが、既にチームの勝敗が定まった後の余興なので運否天賦に身を任せる気になった次第である。
 ヨシュアのように百と零以外の数値を一切信用しないのも行き過ぎだが、やはりクルツも鉄火場で無鉄砲な暴勇を奮う気にはなれそうもない。
 直後、クルツは審判に試合放棄を宣告。一人の戦闘不能を含めて、男衆は全員満身創痍状態ながらも、辛くもジンチームは決勝戦に進出した。

【エステル達の密かな目標である、王城進出までに必要な勝利は、あと一つ】



[34189] 19-22:魁・武闘トーナメント(ⅩⅩⅡ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/22 00:01
「見つけたぞ、黒髪の毒婦。かような所に潜んでいようとはな」
 大会屈指の激闘の余韻に浸り、グランアリーナを埋め尽くす拍手が鳴り止まぬ中、満場の観衆で只一人だけ異なる感情を勝利チームに抱く者が立ち見席にいた。
 そのアウトサイダーは七耀教会の修道服を着ている。フード下に秘められた爛々と輝く二つの瞳は空の神様に仕えるシスターとは思えぬ殺気を放っており、矛先は闘技場のヨシュアに向けられている。
 昔取った杵柄で団体戦へのルール変更に興味を惹かれて見物に来てみれば、探し求めた仇敵に巡り逢えるとは、まさしくエイドスと我が主のお導きだろうと修道女は信じた。
「にしても、男を籠絡するしか能のない娼婦かと思いきや、あれほどの戦闘力を隠し持っていたとは、情報部のスパイたらいうルクスの報告は正しかったみたいだな。何を企んで武術大会に参加しているかは知らんが、このまま捨て置けぬ」
 「私のクローゼを返しもらうぞ」とだけ呟くと、シスターは準決勝のもう一試合を観戦せずにクルリと身を翻して退席した。

        ◇        

「へえー、あんたら、やるじゃないの」
「とても素晴らしいファイトでした」
「ガウガウ、俺なんか興奮したガウ」
「狡いですよ、オリビエさん。一人だけ足手纒いを卒業ですか?」
 意識不明状態のエステル以外、クルツ達と互いにノーサイドの清々しい握手を交わして蒼の組の控室に戻ったジンチームはメイル達に祝辞と共に出迎えられる。一堂を代表したヨシュアが社交辞令を交えて対応する。
「ありがとうございます、メイルさん。私たちはこれで退場しますが、再び決勝で相まみえるのを楽しみにしていますわ」
「……て、ヨシュア達はあたしらのバトルを見ていかないわけ?」
 訝しそうなメイルの問い掛けに、ヨシュアはコクリと肯く。
 意識を失いジンにお姫様抱っこされたエステルを始め、見た目通りズタボロのオリビエや禁断のブースト技の副作用で想像を絶する反動が待ち構えているジン。チームは勝利したものの野戦病院状態なので、一刻も早くメディカルルームで治療を受けにいく為だ。
 一応勝利チームには拘束義務があるのだが、「決勝をなるだけ万全な状態で戦いたい」と告げたら係員は快く通してくれた。
「アレの本質が判れば、タット君たちにも十分勝機はありますよ」
 韜晦大好き少女は意味深な謎掛けを残して、控室を後にした。
「なあ、軍師殿一人だけでも残って、観戦しても良かったのでは?」
 満身創痍の男衆と異なりヨシュアは無傷なので、少女の作戦立案能力を高く評価するジンはデータを集めてはどうかと薦めてみたが、首を横に振る。
 ヨシュアからすれば、事実上のファイナルは先のブレイサーズ決戦で終了。どちらが勝ち残ろうとも、明日は消化試合みたいなものだ。
 懸念材料は対戦相手云々よりも、想像以上の苦戦を強いられた自分たちがベストコンディションで決勝のピッチに立てるかに懸かっており、情報収集よりも治癒を優先する。
「アレは云うに及ばす特務兵は覚悟ばかり先行して実戦闘能力は今一つだし、メイルさん達もブラッキーさんの爆弾が使用可能なら厄介だったかもしれないけどね」
 バレンヌ灯台でエステルと互角以上に立ち回った闇世界の住人も、漆黒の牙からすれば人を殺せる気構え以外に見所がない凡庸な性能のようだ。ジンはエステルを抱いたまま器用に肩を竦める。
 メイルらに至っては安牌が一人混じっている分、よりイージーな相手だ。別段タット達を贔屓する理由も無かったので、アレについての詳細は敢えて語らなかったが、ヨシュアは情報部の覚悟の方向性を見誤っていた。
 彼らの目的が優勝とは全く別な所にあるのは想定していたが、任務遂行への執念を予め熟知していれば、同業者チームを勝たそうと全力で手を尽くしたであろうから。

「あー、ヨシュアちゃん、みっーけ」
 医務室の扉を開けようとした途端、廊下の奥から声を掛けてきた人物にヨシュアは表情を強張らせる。
 「決勝進出おめでとー」とホンワカとしたアルファー波を放出しながら、パシャバシャとストロボを焚く女性は漆黒の牙の天敵ともいうべき不思議生命体。ジンとオリビエは腹黒完璧超人が狼狽する稀少なショットを興味深そうに見下ろす。
「ドロシーさん、私たちはこれから傷の手当てをしなければいけないので、これで……」
「待ってよ、ヨシュアちゃんに先輩から言伝てがあるのー。大至急、リベール通信社の本部に来るようにって」
 そそくさと部屋の中に逃げ込んで扉を閉めようとするヨシュアを、ドロシーは常になく機敏な動作で引き止める。
 どうやら調べ物に目処がついたらしいが、昨日の今日でもうクローゼの手掛かりを掴むとは鼻が効くにも程がある。
「今すぐですか?」
「うん、お願い。ヨシュアちゃんを連れていかないと、先輩に取り上げられた私のお給料を返してもらえないのー」
 ドロシーは瞳を潤ませて哀願する。
 ナイアルは天才カメラマンの写真の才能とは裏腹に社会人としての責務能力を全く信用しておらず、保険として新人のなけなしの俸給を抑えた。
 スクープ大好きなナイアルは金に汚くはないが、取引相手として信用できても人間的な信頼感は今一つなのでピンハネされる前に取り戻そうとドロシーも必死だ。
(試合後で疲れているけど、要望に応えた方が良さそうね)
 天然娘にメッセンジャーを託すほど切羽詰まったナイアルの性急さを多少疑問に思ったが、元々危険を伴う調査を依頼したのはこちら側なので超過勤務を受け入れる。
「分かりました。それでは本社ビルを尋ねて、ついでにドロシーさんのサラリーを回収してきますので、貴方はエステル達の看病を手伝ってもらえますか?」
「うん、いいよ。ばっちり任されるから、私の給与を宜しくね」
「ヨシュアくぅーん、王都でも悪巧みの最中かーい? 僕も混ぜて欲しいにゃあー。ゴロゴロ、うにゅああん」
 トラブルメークと隠密無効能力を掛け合わせて無意識に妙な写真を撮られかねない天敵との同行を嫌ったヨシュアは、猫の尻尾を八の字に振り回す好奇心旺盛な変態に実際のお守り役を押し付けると、得意の快速でグランアリーナを飛び出していった。

        ◇        

『これより武術大会、準決勝第二試合を始めます。南、蒼の組、ポップル国出身。遊撃士メイル選手以下、4名のチーム。北、紅の組、王国軍情報部、特務部隊所属、ロランス少尉以下、4名のチームです』
 エステル達と雌雄を決するファイナリストの座を掛けて、外国籍遊撃士チームと全員が仮面で素顔を隠したリベール軍最後の生き残りが配置につく。
 攪乱部隊のメイルとブラッキーが最前線に位置取り、最後尾のアタッカーのタットの面前を護衛役のガウが浮遊して陣取っており、昨日と同じ必勝戦術で望む腹らしい。
 逆に情報部は剣士のロランス以外の三人は、猫のように出し入れ自由な鉤爪による近接格闘と導力銃による遠距離射撃もこなせるオールラウンダー揃い。
 準決勝に勝ち残った各遊撃士チームに較べれば、アーツに特化した後衛がいないのが唯一バランスを欠いているが、元々集団戦で扱い辛い範囲魔法など眼中にないのでさほど問題視していない。
「おい、あいつら?」
 中位置の中央にいる特務兵ドールマンが、両隣の仲間に注意を促す。「双方、構え!」の主審の掛け声と同時に赤魔道士が身体を黄色く光らせて詠唱態勢に入っているのを目撃したからだ。
「ちっ、セコイ真似しやがって」
 ラウルが思わす舌打ちする。審判の開始合図前のセンターライン越えの奇襲はルール違反も、自陣から動かない詠唱自体は『構え』の事前準備の一部と取れなくもない。
 まあ、予選本戦含めて、こんな外法を試みたチームはおらず。大会ルールの盲点をついたグレーゾーンギリギリの裏技だが、要警戒の地震魔法は詠唱時間が長くて発動前に潰せる筈。
 メイスン達は苦虫を噛み潰しながらスルーしようとしたが、最前線のロランス少尉の動作に気づいて仰天する。
 タットの詠唱に反応し、解除クラフト『零ストーム』の態勢で剣を振り被っている。このままタットを攻撃したら、逆にこちらが反則負けを宣告されかねない。
 決勝に別のブレイサーズが勝ち残っている以上、こんな所で退場する訳にもいかず、ラウルとメイスンは二人掛かりでロランスを後ろから羽交い締めにして抑え込み、陣形が乱れた最悪のタイミングで「勝負、始め!」の号令が告げられた。

「クレスト!」
 フライング詠唱の甲斐あり、試合開始と同時に土属性魔法の効果がガウに降り掛かる。
 『クレスト』は味方一人の防御力をアップする魔法。一回限りとはいえ、ほぼ全ての攻撃をシャットアウト可能な絶対防御壁(アースウォール)に較べると地味な印象は否めないが、土壁系にはない特徴がある。
 詠唱する者の魔力と特性により、持続時間と強化率が向上させられることにある。土属性のワンラインのタットの場合、(DEF+75%)いう並の術者の三倍程も防御力を上乗せさせられる。
「喰らえ、影縫い!」
 それでも使える場面はかなり限定されるだろうが、このチームには人間にない硬質の皮膚を持つ怪獣がいる。お誂え向きに真っ先にこちらに突撃してきた特務兵ドールマンが鋼鉄をも切り裂く特殊合金製の鉤爪で急襲したが、ガウの光沢ボディーに逆にクローをへし折られて唖然とする。
 只でさえ鋼のように固い皮膚がダイヤモンドなみに強化されたので、恐らくは導力銃も無力だ。
「詠唱時間も短く、接続時間はアースガードとは比較もできないからリーゾナブルだよね。とにかく、次の詠唱が完了するまでは宜しく頼むよ、ガウ」
「判ったガウ。けど、本当にメイルごとやってしまってもいいのかガウ?」
 本命の『タイタニックロア』の長時間詠唱に入り、タットが再び身体を黄色に光らせる。その詠唱を阻止しようとするドールマンをガウが通せん坊しながら、控え目に仲間の身を案じる。
 一度手の内を晒した以上、ブラッキー単体に全員道連れにされる程敵も馬鹿じゃないだろうから、囮の数を増やしてリーダー自らが生贄となる背水の覚悟。
「僕もあまり気が進まないけど、本人のたっての希望だから仕方ないよ。ミラが賭かると幾らでも身体を張れるタイプだからね、メイルは」
 印を組んだタットは、赤い帽子の下で軽く嘆息する。
 空賊事件に続いてまた只働きで終わったら、メイルが不貞腐れるのは目に見えている。とある仕掛けを施してあるので、前戦のブラッキー同様に地割れに巻き込まれても致命傷を負うことはない。非情に徹したタットは友達以上恋人未満の少女を巻き込む決断をした。

「何か知らないけど、敵が混乱していてラッキー」
 特務兵の拘束を振り払ったロランス少尉を担当のメイルは上手く自分の側に誘導する。開始前後のゴタゴタで出遅れたメイスンとラウルに向かって、プラッキーは懐から何かを取り出して次々に放り投げる。
「なんだ? そういえばこいつは爆弾魔(ボマー)だと情報にあったが、まさか手榴弾を?」
「落ち着け。大会ルール上、そんな火器は使えないから単なるハッタリだ!」
 頭上から絨毯爆撃のように降り注ぐ球状の物体を、「ふん、こんなもの!」とオーバルマシンガンで次々に撃ち落とす。ゴムボールなので中空で破裂して、内部に仕込まれていた赤い液体がスコールのように降り注ぐ。
 足元の所々に血の色をした川ができる。身体に染み付いたツーンと鼻に来るアルコール臭気にラウル達は思わず咽せ返る。
「これは、もしかして酒か?」
「うん、そう。僕の故郷のアルコール度数98%の蒸留酒(ウオッカ)だよ。下手な揮発油よりも良く燃えるんだ、是が」
 ブラッキーが合図を送ると、ドールマンと遣り合っていたガウが炎のブレスを吐き出す。
 ドールマンは反射的に避けるも、ブレスはそのままセンターライン周辺にまで届く。
 距離による減退を強いられて蝋燭の炎のようにどんどんか細くなるも、地面に染み込んだウオッカに触れた途端に爆発的に引火。燃え上がった炎の蛇は酒を導火線に二人の身体に浸透し、一気に火達磨になる。
「ぐおお……!」
 炎に包まれたラウルとメイスンは、火のついた仮面と黒装束を脱ぎ捨てて、必死に地面を何度も転がって消火活動に務める。
 何とか黒焦げ状態から脱するも、髪はアフロのように散り散りで身体の彼方此方に火傷を負う。衆人の前で煤に塗れた素顔を露わにし、お笑いコントのような末路に客席からは失笑が漏れる。
「ほらはら、お間抜けな焼きオニギリが二丁あがりだよーん。プギャーーーッ」
 自分の股座の間から顔を覗かせて、両方のエルフ耳を左右に長く引っ張ってアッカンベー。緒戦の挑発行為が可愛く思える程のむかつきポーズに敵は沸騰する。
「殺す!」
 メイスン達は血走った瞳に本物の殺意を宿らせて、鉤爪を肉食獣のように展開させ襲いかかり、ブラッキーは得意の逃げ足で二人掛かりの攻撃を避け続ける。
 見事に策略に嵌められ、タットの詠唱完了までの時間稼ぎをされてしまったが、あやうく焼き殺された上にあんなおちょくりを受けて平静を保てる人間はそう多くないだろうから、精神鍛練の未熟さを問うのは酷かもしれない。
 爆弾が使えないブラッキーやその他の面々も引出しの少なさを補う工夫をしてきた。遊撃士とは思えぬ卑怯さで試合のペースを掴んだメイル達が、冷酷無情なアサシンを翻弄する。



[34189] 19-23:魁・武闘トーナメント(ⅩⅩⅢ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/23 00:21
「妙に急かすと思ったら、そういう経緯だったわけね」
 本社ビル二階の応接間、ナイアルからドロシーの俸給を受け取ったヨシュアは向かい側のソファーに座る小柄な人物像に得心する。
 戒厳令が敷かれた雨の日、グランセル大門前の広場。
 王太子の拉致現場に偶然居合わせたのは、まだクラムと同い年ぐらいの幼子のトイで、門限の夕刻前に家へ帰さねばならない事情があり、早急に事情徴収を済ませねばならないからだ。
(ここまで来ると鼻が効くというよりも、もはや技能(スキル)と呼んでも差し支えないわね)
 犯行当日、母親の外出禁止の言いつけを破りオンモで遊んでいたトイは、青髪の少年が特務飛行艇に連れ去られる一部始終を正門の裏から目撃していたが、怖くて今日まで誰にも話せずに心の凝りになっていた。
 そんな重要参考人を半日かそこらで秘密裏に発見するなど、長年の記者の勘では片づけられない因果律の一助を感じる。
(天然さんや不良中年といい、リベール通信社は妖しげな能力者を多数雇用しているみたいね)
 多くの関係者から最も得体の知れない怪物と畏怖されているスキルホルダーは自身の存在を棚上げしながら、緊張で縮こまっているトイを見下ろす。
 またまた悪い勘が当たったようで、クローゼは敵に捕縛されたらしい。監禁場所を特定する為に唯一の目撃者からデータを採取したい所だが、警察の取り調べ室のような空気と目の前の無精髭男性の胡散臭さ(※ヨシュア主観)に完全に萎縮してしまい、供述は吃りがちで中々要領を得ない。
(証人が男の子だったのは、幸いだったかしら?)
「お、おねえちゃん、なにを?」
「トイ君だったわよね? 怖がらなくてもいいのよ。お姉さんの目を見て心を落ち着けてちょうだい」
 少年宅の門刻が差し迫っていることもあり、ヨシュアは瞳を真っ赤に光らせながらトイを自分の胸元に抱き締めると、手っとり早く魔眼で情報を引き出すことにする。
 ロレントで多くの殿方を籠絡してきたヨシュアのチャームは、ごく一部の例外を除いて年代を問わず全てのY染色体(♂)に有効。ショタッ子は催眠術に掛かったようにトロンと瞳を惚けさせると、心の扉を開いてヨシュアに身を委ねる。
 ヨシュアは記憶の中から必要なデータだけを閲覧して、負荷となっている部分を削除すると、パチンと親指で人指し指を叩く。少年は居眠りから目覚めたようにハッとする。
「あれっ、僕、こんな所で何を思い悩んでいたのだろう?」
「色々ありがとう、トイ君。これでオヤツでも買って帰りなさい」
「うわ、こんなに貰っちゃっていいの? それじゃお姉ちゃん、またね」
 事件の記憶がトラウマになっていたようなので、転移療法の要領で認識を改竄。少年は憑き物が落ちたような晴々とした表情で、スキップするように階段を降りていく。
 ヨシュアにしては珍しく善行を施したように思えるが、情報料としてトイ君が握り締めている千ミラ紙幣の出所はドロシーの給与袋だったりする。当人はおろか、幼子が帰宅するや否や煙草に火をつけた彼女の先輩も全く問題視していないが。
「おい、ヨシュア。今のは一体何…………」
「さてと、現状判ったのはこのぐらいかしら」
 ボースの居酒屋でも拝見した他者の記憶に干渉ずる摩訶不思議なスキルの正体を問い質そうとしたが、手の内を教える義理はない。ナイアルの質問を遮り、トイの脳内メモリから直接入手した重要度の高い情報をスラスラと箇条書きする。
(1)クローゼを浚った飛行艇は、王都から南東の方角に飛び立っていった。
(2)クリムゾンアイはクローゼが隙を見て落とした。
(3)クローゼを瞬殺した仮面の隊長はトイの存在に気づいていたが、敢えて放置した。

(1)は監禁場所を割り出す上で重要な手掛かりとなる。レイストン要塞は反対方向の上に王族を一般受刑者と同じ牢に封じるのは無理があるので、方角的には現在封鎖中の『エルベ離宮』が最有力候補となるか。
(2)は単純なダイイングメッセージ。クローゼなりに自分の危機を知らせようと頑張ったのだろう。(※草むらの影とはいえ、ヨシュアが見つけるまで誰にも発見されなかったのは出来すぎであるが)
(3)が一番不可解。トイの記憶では仮面男はバイザー下の目線を合わせた時に唯一剥き出しの口元を微かに歪めて微笑んでおり、明らかに目撃者を認識していたがリシャール大佐に告げることなく立ち去った。(※もしかすると、クリムゾンアイも態と見逃した可能性あり)

(万全を期すなら、幼児とはいえ唯一の目撃者は一緒に拉致しなければならなかった筈。アレの件といい本当に何を考えているか判らないけど、今突き詰めるべきは(1)の案件ね)
 ロランスの真意については一時保留にする。ヨシュアは焦点を絞ると一応ナイアルの功績を労った後、クローゼがエルベ離宮に捕らえられている確証が欲しいと強請りして、人使いの荒い腹黒姉にナイアルは大げさに肩を竦める。
「もちろん只とは言わないわ。首尾よくクローディアル殿下の開放に成功したら、クローゼの馴れ初めについて話してもいいわよ」
 琥珀色の瞳を蠱惑的に光らせて、色っぽい雌豹のポージングを決めながらウインクしたが、魔性の少女のフェロモンを無効化する数少ないED男性は枯れた視線で首を左右に振る。
「生憎と俺はガキの乳繰り合いには興味はねえ」
 リベール通信の社訓は、人の内面を憶測したり心の聖域を暴き立てるのでなく、世の中の事象を客観事実として書き留めることにある。有名人のスキャンダルなどに踏み込むケースは少なく、クローゼのプライバシーを公にするつもりはない。
「だから是が非でも優勝して、城内の機密を仕入れてこい」と厳命される。クローゼの件で色々と借りが出来たのは確かなので、ナイアルの要求は拒み難い。明日の決勝に勝利することは、既に至上命題から前提条件にまで難易度を格上げされてしまう。
 かくして、互いの能力を高く評価しながらも人情をこれっぽっちも過信していない殺伐とした関係性を築く両雄は、笑顔の裏に打算をひた隠しながら契約を終結させた。

        ◇        

「うっはぁ。何、この人? 目茶苦茶強いじゃん」
 女狐と古狸が腹の探り合いをしていた頃には準決勝のもう一試合も佳境に入り、メイルはロランスの剣を必死に避け続ける。
 メイルはアネラスのような道場で剣を学んだ過去も、エステルみたいに日々の鍛練を己に課したこともない。彼女の戦闘スタイルは完全な独学。
 裏社会のならず者相手に実戦の中で鍛え上げられた剣技は実に野性的。型に拘ることなく本能の赴くままに変幻自在に剣を振るう。真っ当な剣の基本を身体に染み込ませた者には剣筋が読み辛く、エステルやアネラスとなら互角に振舞えた。
 だが、現在メイルが立ち会っている敵は規格外の剣士。僅か二、三合撃ち合っただけで腕が痺れてレベルの違いに気づかされるも、別段焦りはない。
「ダサイ覆面被ったこいつが、ヨシュアが謎掛けしていたアレかな? まっ、確かに強いけどなぜか怖くないのよね」
 武術は力量差がかけ離れた相手に勝利するのは至難だが、逆に逃げに徹することで引き分けに持ち込むのは比較的容易い。実際にアネラスは守りを固めていた間は格上のヨシュアの攻撃を凌げていた。
 メイルの特性は体裁に拘らないトリッキーさと、野獣じみた本能と防御勘で最後まで生き残れる体術にある。
 ロランスの剣撃は一振りで鍛え抜かれた兵士を戦闘不能にし、太刀筋は見切ることすら不可能。次行動が速くて連撃が途切れることがないと全てのパラメタが桁違いだが、なぜか次手が読み易いので直感だけを頼りに攻撃を先読みする。
 想像以上の鋭さの剣捌きに生きた心地がせずに、肩当ての一つを砕かれレオタードの彼方此方が引き裂かれるも、メイルの闊達な瞳は希望に満ちている。
 少女の役割はあくまでもタットが地震魔法を発動させるまでの囮。もうしばらく持ち堪えれば闘技場にいる全ての者が地割れの底に呑み込まれると信じて、タイトロープのような任務に懸命に取り組み続けた。

「ちっ、やはり、こいつも効かないか!」
 身体を黄色く光らせたタット目掛けてドールマンは導力マシンガンを連射するも、クレストで強化されたガード役のガウに全て弾かれる。
(詠唱完了まで、もう時間がねえ)
 広域アーツは使い勝手が悪い反面、決まれば一撃必殺に近い高火力を秘めている。装備品が少ない割に役立つ機会は限定されるから、ドールマン達はDEF(物理防御力)を重視してADF(魔法抵抗力)は御座成りにしてきたので、戦闘不能を免れるは困難。
 こうなると決勝用に温存しておきたかったカードを切らざるを得ないが、彼一人だと仕込みが発覚するリスクが高いので、未だに血眼になってブラッキーとの鬼ごっこを続ける仲間の足元に銃弾を撃ち込んだ。
「副隊長殿?」
「馬鹿共が、何時まで遊んでやがる! 我々の崇高な使命を忘れたのか?」
 ドールマンの叱咤に、メイスンとラウルはハンマーで殴られたような衝撃を受けて目を醒ます。彼らは堕落した故国を救う為にリシャール大佐の旗の元に集ったのであり、主観的には憂国者のつもりだ。
「その道化者の始末はラウル一人で十分だ。メイスンは俺と一緒にあの化物を突破するぞ」
「「ラジャー!」」
 こういう戦術の修正や鼓舞は本来なら隊長のロランスの仕事だが、アレにそんな役割は期待出来ないので副隊長の彼が代行した。メイスンは導力銃を構えると、カウントダウンに入ったタット目掛けて再び銃を乱射する。
「ガウ、そんなものは今の俺には通じないガウ!」
 調子に乗ったガウは人間にはない動体視力で反復横跳びして全ての弾丸を弾き返すも、ドールマンが密かにカートリッジを取り替えているのに気づいておらず、「くたばれ、怪物」の一言と共に次弾が放たれた。
「ガ……ガウ!?」
 実体のない筈の導力エネルギー弾が、ガウの硬化ボディーを貫いて体内に減り込む。派手な血飛沫をあげて浮遊力を失ったガウは地面に落ち込み、タットは目を疑う。
 土魔法で岩盤のように硬質化したガウの防御を突破するなど、大型導力砲の火力でも無理がある。それこそ貫通力に特化した実弾でも使わない限り………………って、まさか?
「よっしゃあ、次はお前だ、赤マント小僧!」
 利発なタットが真相に気づきかけた刹那、ドールマンに続いて本命のメイスンが詠唱を潰すべく再びマシンガンを乱射する。
 今回は目晦まし用に普通の導力銃を用いた。耐久力の低い魔道師なので十分に致命傷を与えられるだろうと皮算用したが、瀕死のガウが自らの使命とばかりに再び銃弾のシャワーに飛び込んだ。
「何だと?」
「お、俺、もう飛べないガウ…………」
 今度こそ力尽きたガウはゴムボールのように地面にワンバウンドしてそのまま動かなくなるが、同時に特務兵の計算も狂わされた。
 二人とももう行動力を残していないので、詠唱完了間際のタットを止める術はない。
「ガウ、済まない。こうなれば僕も覚悟を決めるよ」
 浮遊可能な怪獣が戦闘不能になり空中という安全地帯に逃れられなくなったが、メイルと自分には地震に対する加護があるのでどちらかは生き残れる。
 もう決勝の余力など考えずに全体広域アーツを発動させようとしたが、ここでハードラックがタット達に降り掛かった。
 周囲の状況確認をする余裕もなくボロボロになりながら戦場を移動していたメイルは、心ならずもロランスを詠唱中のタットの正面位置へと誘導してしまった。
 ロランスは無言のまま、その習性に基づいて、解除クラフト『零ストーム』を撃ち込む。風属性を孕んだ竜巻状の一閃がアーツ発動直前のタットに直撃する。
「わあああ……!」
 元々低防御力の魔法使いであるタットは『とある事情』により風属性の攻撃に極端に弱くなっていたのと合わせて、一撃でノックアウト。杖を取り零して動かなくなる。

「タット? って、しまった!」
 仲間の戦線離脱に動揺したメイルは、ロランスから目を切ってしまう。我に戻った時には姿をロストして、首を左右に振るも姿を確認できない。
 頭上から強烈な悪寒を感じ取り反射的に上を見上げる。中空に大きくジャンプしたロランスがクラフト『破砕剣』の態勢で振り被っており、メイルはロングソードを縦に構えてガードする。
「がはっ!」
 剣は粉々に砕かれる。大きく吹き飛ばされたメイルはフェンスに後頭部をぶつけて、そのまま意識を失う。
 まるでドミノ崩しのように、次々にメンバーが戦闘不能に陥りパーティーが半壊する。
 ブラッキーはマゾの気はないので、勝機が完全に費えた今無意味に痛い思いをするつもりは毛頭なく、予め用意しておいた白旗を振って降伏する。
 行動自体はクルツと一緒だが、ブラッキーの場合は妙に利己的な印象を周囲に振りまくのは人徳の違いだろうか?
 先の御礼参りをしようとブラッキーを袋小路へと追い詰めて舌舐りしていたラウルは振り上げた鉤爪の降ろし所を失い、血走った目でへらへら笑うブラッキーを睨んだ後、鳩尾に八つ当たり気味の蹴りを一発入れただけで我慢した。

「勝負あり! 紅の組、ロランスチームの勝利です」
 やはりというか地震魔法(タイタニックロア)の不発が勝負を分けたようだ。生存者とそれ以外の戦闘不能者が緒戦とそっくり入れ替わるという皮肉な顛末で外国籍ブレイサーズは敗退。エステル達と因縁の情報部が決勝戦に駒を進めた。



[34189] 19-24:魁・武闘トーナメント(ⅩⅩⅣ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/24 00:01
「わーい、私のお給料だー」
 グランアリーナのメディカルルームの扉前、ドロシーはヨシュアから受け取った俸給袋をすりすりと頬ずりする。
 目撃者の少年への情報料を勝手に天引きされて中身が5%ほど減少しているが、杜撰な彼女は給金額を検めようともせずに真っ先にホールに飛び出していく。
 前々から目を着けていた一万ミラもするお洒落な高級腕時計を購入しに今からエーデル百貨店に買い物に赴くそうで、サラリーが満額支給されていたとしても、その日暮らしの厳しい生活に陥るのはどのみち時間の問題だ。
「そういえば、ジンさんとオリビエさんはまだ中にいるのですか?」
「ううん、二人とも万能の霊薬を賜りにいくって言っていたよ」
「この王都にそんな凄いお薬が存在するなんて知らなかったよー」
 ドップラー効果でどんどん減退していくドロシーの戦きを翻訳したヨシュアは軽く両肩を竦める。
「まあ、酒は百薬の長というからね」
 ようするにまた二人して酒場に繰り出したのだ。
 素寒貧の大人二人の飲み代の出所は恐らくは昨日のお小遣い。昨晩の宴会はなし崩し的にシャークアイに奢られたようだが、それだけの元気があるなら決勝のコンディションを憂慮する必要も無さそうだ。
「なるほど……二人が逃げ出したのも宜なるかなね」
 扉を開け室内の惨状に得心する。まるで空き巣荒らしに遭遇したかのように包帯や注射器などの医療用具がひっちゃかめっちゃかに散らばっている。
 ドロシー当人は真面目に男性陣を看護しようと務めたのだろうが、それは有難迷惑の典型例。傷の悪化を恐れたジン達は仲間を見捨てて逃走したようで、クルツ戦のチームワークが嘘のような薄情さだ。
「その苦渋の選択を攻める気にはなれないけどね。エステル自身は意識のない状態なのが幸いしたみたいね」
 ベッドに無防備に横たわるエステルの顔を覗き込むと、額に『筋肉』の文字が刻まれ、瞼、鼻、ホッペにも花柄(コミカル)な落書きがなされている。
 ドロシー嬢がアートに気を取られたお蔭で看護と称した肉体への追加ダメージは免れたが、この爆笑面ではムードも減ったくれもなく白雪姫のように接吻で起こそうとする意欲も沸かない。
 水性ペンなのでエステルが目覚める前に悪戯書きを全部拭き取ってから、オデコの称号を『脳筋』に書き換えた上で得意の整頓能力を活かして室内を綺麗に片づけていると次のお客さんがやってきた。
 決勝での再会を誓い合ったメイル一行。得物を根元からへし折られ鎧もボロボロのエルフ耳の少女は赤マントの少年と互いに肩を支え合うような重い足取りで入室。唯一人無傷のブラッキーが瀕死の怪獣を抱きかかえている。
「あら、メイルさん。残念でしたね」
 情報部に破れたのは一目瞭然。満身創痍のタット達に労いの言葉を掛ける。メイルは無言のまま俯くと、自分の治癒は後回しにして重傷のガウを優先させる。
 周囲からミラの亡者と思われているが、一応仲間を気遣う思いやりはあるらしい。直ぐに回復アーツを唱えるよう催促するが、タットは首を横に振る。
「今、傷口を塞ぐのは不味いよ、メイル。弾丸を残したままだと物凄く危険だよ」
「どういう意味よ、タット?」
 疑似エネルギーを撃ち込む導力銃は外皮に裂傷を与えても、内蔵にまでダメージが侵食する筈はない。
 タットは相方の質問を無視してメスで傷口を穿ろうとしたが、怪獣独特の固い皮膚が災いし刃の方がひん曲がる。
「タット君。本当に実弾が怪獣さんの体内に埋まっているのね?」
 その質問に赤帽子を脱いだタットは真摯な表情で肯く。荒治療をするのでガウの身体をしっかり抑えているようにブラッキー達に通達すると、アヴェンジャーを消毒液に浸して殺菌する。
「ちょっとチクッとするけど、我慢してね。男の子だもんねー」
 二つの刃を器用に並行させドリルのように傷口を抉るが、チクチクどころかザックザックという擬音に周囲の者は胃を凍らせる。
「$#&?##$!$%…!?」
 麻酔無しの強行手術の想像を絶する痛みにガウは声にならない悲鳴をあげて暴れ狂うが、三人は必死に球体ボディを羽交い締めにする。
「なるほど、これね。えいっ!」
「ガウ! がううう!」
 刃先の三分の一ほどを埋没された所で目当ての物を探り当てたヨシュアが少し力を篭めて引き抜くと、ガウは断末魔のような雄叫びを残して失神する。
「急いで傷を塞がないと」
 タットはガウの身体に両手を当てると、身体全体を青色に光らせながら回復魔法(ティア)を唱え傷口の接合に勤める。
 ヨシュアが双剣の先端に摘んだ血塗れの物体を床下に取り零す。
 カキーンという金属音を反響させ地面とキスする。メイルの足元まで転がったので反射的に拾い上げる。
 破けたレオタードの一部を布切れ替わりに丁重に血を拭き取ると銀色の弾丸が蛍光灯に反射した。
「まさか、本当に銃弾が存在したなんて。畜生、あいつら。火縄銃が禁止の大会でルールを破って…………」
「メイル、その詮索は後回しだよ。傷口は何とか塞がったけど熱が一向に下がらないんだ」
 実弾が危険視される最大の理由は、体内に食い込んだ鉛の塊が身体を内側から蝕むから。運良く貫通した場合はともかく体内に放置したら生命に関わるので、ヨシュアも強行切除に踏み切った。
 ただ、それとは別にガウの症状が悪化しているようで、ヨシュアには心当たりがある。
 紅蓮の塔でアガットが撃たれたのと同種の神経毒が弾丸に篭められており、壊死し始めた皮膚の色や呼吸の荒さが類似している。
「ある意味、運が良かったと言えるのかしら?」
 懐から七色に輝く液体の入った小瓶を取り出すと、ガウの口元に垂らす。
 かつてアガットの生命を救った『アルヴの霊薬』。用心深いヨシュアは原料のゼムリア苔を多めに採取し予備分をストックしておいた。こんなに早く役立つ機会に恵まれるとは、ビクセン教区長に無理して強請りした甲斐があったというものだ。
 それからガウは三十分近くも苦しそうに唸っていたが人間よりも新陳代謝が速い故か、一晩苦しんだアガットに比しても僅か一時間あまりで呼吸を落ち着かせて、壊死した皮膚も原色を取り戻し峠は脱したようだ。
「ありがと、ヨシュア。何か色々借りが出来ちゃったけど何時かミラ以外で必ず返すからね」
 守銭奴らしいニュアンスで柄にもなく礼を云うと、情報部への怒りがムラムラと沸いてきたらしく涙ぐんでいた形相を急激に歪める。
「あの黒マスク共! ど汚い手を使って、そんなにまでして賞金が欲しかった訳?」
 目的の為に手段を選ばないというなら、人間外生命体を参加させた上で詠唱のフライングなどの悪辣の限りを尽くしたメイルらもあまり偉そうに他者の不正を批判する資格はない気もするが、自分に甘く他者に厳しいのが人の性なので己の所業は棚上げする。
「この件を審判に訴えて、あいつらを反則負けに…………」
「メイル、多分無駄だよ。こうして試合が終わった後で実弾を提供しても明確な証拠にはならないよ」
 今すぐ大会運営本部に駆け込もうと息巻くメイルを、タットは手を掴んで引き止める。
 シラを切られてしまえばそれまでだ。ましてや特務兵は主審の目を欺く為に導力機関銃のシャワーの合間に実弾を織り交ぜるという念の入れよう。今更身体検査を要求しても物証は全て抹消済みだろう。
「何よ、タット。それじゃ泣き寝入りしろって云うの?」
 悔しそうに唇を噛むメイルを、タットはマントの内側に抱き寄せて慰める。
 二十万ミラの賞金がパーになった銭金勘定よりも、身内それも怪獣の身を案じて憤っているらしいメイルに内心で感嘆するが、同時に貴重なサンプルを採取できた。
 得意の合理的な思考フレームであらゆるデータを吟味して、どちらが勝ち残ろうとも決勝戦で遅れを取る要因はないと情報収集を打ち切ったが、あくまで大会規則の範囲内に基づいての起算だ。
 枠内から逸脱したルール無用の残虐ファイトを仕掛けてくるなど、まさしく想像の遥か彼方。冷酷無情の漆黒の牙も随分温くなったものだと自嘲しながら、早速借りを返してもらう為に声を掛ける。
「ねえ、メイルさん。ちょっと相談したいことがあるのですが宜しいでしょうか?」

        ◇        

「あれっ、ここは?」
 ようやく目を覚ましたエステルは、周囲の状況を確認する。
 場所は闘技場どころか医療室でもない、ホテル・ローエンバウム202合室のベッドの上。チェアに腰掛けたヨシュアが琥珀色の瞳でじっと自分を見つめている。
「そっか、俺、調子こいた挙げ句、クルツさんに負けたのか…………」
 記憶の糸を辿って最後の一シーンを思い浮かべたエステルは、自虐しながら後ろめたそうに顔を逸らす。
 アネラスを取り逃がし失策の起点となり、最後の最後で我が儘を通して戦術的には無意味な引き延ばし戦で負傷したりと、冷静に考えたらチームの足を引っ張ってばかりだ。
「一人のミスを皆で補い合うのがパーティーだから何時までも引きずる必要はないけど、クルツさんには感謝しておいた方が良いわよ」
 態々、即死魔法(シャドウスペア)互換の裏朱雀を用いたのは、エステルの体調を憂いたからで、アーツによる戦闘不能は物理攻撃に較べ肉体への後遺症が残らない。
 その代償に精神に負荷を与えるのでPTSD(心的外傷ストレス傷害)で心の弱い者がトラウマを抱えるケースもあるが、心臓に毛が生えているエステルにはその心配はなく一日ぐっすり寝ればベストに近い形で決勝の舞台に立てる。
「そっか……そこまで気を遣われる余裕があるとは、まだ随分差があるんだな」
 相手はA級遊撃士なので当然の隔たりだが、恐らくヨシュアもジンやクルツと同じ世界に棲息しているであろう立ち位置の違いを憚ると、どうしても焦りを禁じ得ない。
「もう夜は遅いし、着替えてからもう一眠りしなさい」
 そう薦められたので、空腹を満たす為にヨシュアが用意した夕食の大盛りカレーを残さず平らげてから、シャワーを浴びに欠伸をしながら浴室へと向かう。
 服は所々血と汗で湿っている。華奢なヨシュアが自分を運ぶのには無理があるので不思議がるも、準決勝で敗退したタットらに運搬を手伝ってもらった(これが借りなのか?)と告げられる。
「それじゃ決勝はまた腐れ縁の黒装束たちということになるのか」
 強さ自体には不足はないが、アネラス達との熱い死闘を思い出したら正直高揚感をまるで覚えず、王城進出への単なる障害物としか映らない。
 凄腕の仮面の隊長対策になぜかヨシュアは絶対の自信を抱いているし、特務兵は厄介だが戦力の底は割れている。十絶陣のムチャクチャなチート方術に比べれば消化試合みたいなものかと、医療室での経緯を知らないエステルは甘く見積もりながらシャワーのバルブを捻る。
「まっ、今度は個人プレイに走らないように注意…………って、何だ?」
 頭から冷たい水滴を浴びて気分をリフレッシュさせた刹那、ガシャンという破壊音が響き反射的に精神のチャンネルを遊撃士モードに切り換える。
 慌ててタオルでセットが崩れた髪の毛を拭き、バスタオルを腰に巻きながら半裸で客室に飛び込むがヨシュアの姿はない。
「おい、ヨシュア…………って、これは?」
 正面の窓ガラスが叩き割られている。地面に石ころとガラスの破片が転がっており、先の物音はこれだろう。
 ふと周囲を見回すと、テーブルの上に一枚の紙片が置かれていたので内容を読んでみる。
『貴殿の過去を清算する時が来た。連れに正体を告げられたくなければ、今すぐ大聖堂脇にある封鎖された湾岸区まで来い』
「ヨシュアの奴、まさか一人で……」
 置き手紙を握り締めたエステルは舌打ちする。
 一切の生い立ちは謎に包まれているが、普段は闊達なヨシュアが何かに怯え、時たま中二病(おかしなやまい)を発病させるのは何度も体験している。
(馬鹿野郎が。直ぐに一人で先走りやがって)
 エステルは急いで身支度を整えて、新しい私服に着替えるとヨシュアの後を追う。この手紙の主がヨシュアの心の闇に巣くう過去の亡霊なら絶対に見過ごせない。
 知恵でも戦闘力でも大きく遅れをとる情けない兄貴だが、その義妹の能力の高さに反した脆さと弱さを誰よりも知り尽くしている。過去の暗闇へと引きずり込もうとする魔の手から必ずヨシュアを守ると、今は亡き大切な誰かに誓約したのだから。

        ◇        

「ふふっ、良く来たな。何の任務であの少年に接近しているかは知らんが今本性を暴かれては困るようだな」
 グランセル西方の湾岸区。
 戒厳令のように多数の兵士が徘徊する王都内を全く問題視せずに、最短距離で駆けつけたヨシュアは波止場に仁王立ちするシスターを無言のまま見つめる。
「今こそ己の原罪をその身で償わせてやる。私の大切な男性を返してもらうぞ、毒婦」
 フードを外すと黄緑の短髪が零れる。両耳にイヤリングを嵌め眼光は鷹のように鋭い。
 修道服を着たまま長剣(バトルセイバー)の切っ先向ける精悍な顔つきの女性に対して、ヨシュアは琥珀色の瞳をジト目にしながら一言呟いた。

「おばさん、誰?」



[34189] 19-25:魁・武闘トーナメント(ⅩⅩⅤ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/25 00:01
(だあー、何で俺はこんな所をうろついているんだー?)
 義妹の窮地に白馬の王子様の如く颯爽と駆けつけようとホテル・ローエンバウムから飛び出したエステルは、なぜか西区画にあるグランセル大聖堂とは逆方向を彷徨っており頭を抱える。
 王都の敷地内を夥しい数の兵士が巡回中で、夜間外出が発覚したら尋問を受けるのは必定。隠密能力を持たないエステルは人通りを避けていたら、決勝の舞台たるグランアリーナ近辺に誘われてしまった。
(一分一秒でも時間が惜しい時に…………って、焦りは禁物だな。急がば回れという諺もあるし、東地区をぐるっと一周してそのまま西の方に出れば…………って、やばい!」
 正面から足元の地面を懐中電灯で照らした兵士が見回りにきた。エステルは慌てて北上して、空港の中に退避すると既に先客がいる。両者は大声を出しそうになり、反射的に互いの口を塞ぐ。
「誰かは知らんが、頼むから見逃してくれ」
 ラルフと名乗った男性はペコペコと頭を下げる。
 何でも妻子が大の格闘技好きで、明日の試合の最前列の特等席目当てで徹夜で場所取りをしている。闇夜なのでエステルが彼の息子がファンの遊撃士チームの一員であるのに気づかない。
 口止め料として暇潰しに読んでいた叢書の10巻目を貰ったエステルは何とも言えない表情で空港を後にする。
 奇縁で旅の間中にこのシリーズがエステルの手元に続々と集っている。貧乏性なので破棄せず所持していたが、もし最終巻が手に入れば既に絶版となった『カーネリア全11巻』が全て揃う計算になる。
(全巻セットなら欲しがる好事家がいるだろうし、王都のオークションにでも出品すれば少しはミラの足しになるかもしれない…………って、またかよ?)
 オリビエが宿泊している帝国大使館の前を横切ったエステルは、今度は西と南の両方向から来た兵士に門位置の袋小路で挟み打ちに合う。
 仕方なく行き止まりにある地下水路入口の階段を降りたが、鉄格子には鍵が掛かって内部に逃げ込めない。
 兵士に気づかれないよう祈りながら身を縮こませていると、施錠された格子が内側から開かれて二つの腕がエステルの肩を掴んで引きずり込むと再び扉が閉まる。
「んっ?おい、今何か物音がしなかったか?」
 東北の角地で合流した兵士二人は、ガシャンと格子が揺れ動く音に反応し、地下水路を照らす。入口の鍵穴はきちんとロックされたままで、気のせいのようだ。「特に異常無し」と呟きながら交差するとそのまま相手の来た方角へと別れた。

「助かって…………ないのかな? 何だ、あんたら?」
 何とか遣り過ごせて安堵したのも束の間、内部に招き入れてくれた二人組が味方という保障はない。エステルは慎重に棍先を向けるが、相手は腰元にぶら下げた得物に手を掛ける素振りすら見せず、少しばかり警戒心を緩める。
 視力には自信があるが、ヨシュアのように夜目が効く訳ではない。暗がりにぼやけていてハッキリと識別できないが軍服を着ているように思えて、左側の男が丁重言で話しかけてきた。
「準遊撃士でカシウス大佐のご子息のエステル・ブライト殿ですね? 私は王室親衛隊員のリオンでこちらは相方のルクスと申す者です。些細な行き違いから拗れた無意味な争いを止めるのに力を貸してはもらえないでしょうか?」

        ◇        

 修道服に身を包んだ親衛隊中隊長ユリア・シュバルツ中尉は、バトルセイバーを構えると無言のまま突進する。
 積年の仇敵が一般人でないと知れたので迷わず剣を振るうユリアに対して、戸惑いを隠せないヨシュアは抜刀する決意が沸かず、無手で攻撃を避け続けながら女性の力量と正体を推し量ろうと思案する。
(単純な剣の腕前ならアネラスさんよりも上手ね。服飾からして七耀教会の聖杯騎士団かと思っていたけど……)
 目の前の女性は正騎士クラスの力を有している。元執行者を始末する為に送り込まれた『外法狩り』だとすれば辻褄が合うが、一つ解せない点がある。
 本人は冷静に務めようと無表情を貫こうとしているが、瞳に宿った情念の炎は隠しようがなく、あのような感情に嫌というほど見覚えがある。
(あれはまさしく、同性に対する嫉妬と憎悪の視線)
 ロレントにいた当時に周囲の女性たちから引っ切り無しに浴びせられた意中の殿方を奪い取った恋敵に向ける怨念ともいうべき負の連鎖。
 以上を踏まえてプロファイリングすると、この女性はかつてヨシュアに対して異性関連の禍根があるも、シスターとなりエイドスにその身を捧げることによって煩悩を封じ込めようとしたが、思わぬ場所で仇と再会。怨嗟が再燃して襲いかかってきた。
 一介の田舎娘が神門に降ってから腕を磨いたにしては妙に強すぎるのが不可解だが、一応の筋は通っている。
 愛する人間の生命を奪われたであろう漆黒の牙の刺客なら妥協点を探すのは不可能なので胸を撫で下ろす反面、愛する男性の心を奪われた腹黒完璧超人のお客さんには、また別な難問を抱えているので途方に暮れる。
(だとしたら、参った。心当たりが有り過ぎて、到底一人に絞り切れない)
 ヨシュアはあっさりと匙を投げるも、得意の俊敏性(AGL)でランツェンレイターの四段攻撃を全て避け切って大きく距離を稼ぐと、話し合いで問題を解決しようと対話を試みてみる。
「つかぬ事をお伺いしますが、どちら様の関係者さんで? ハロルドさん? ハイネさん? ミッターマイヤーさん? デュラムさん? アーシェスさん? (30人程の名前を羅列) バドワイザーさん? スクラートさん? ジャインエールさん? それとも………………」
「売女め! 貴様には煉獄の業火すら生温い」
 何やら壮大に火に可燃隣を注いだようだ。ユリアはヨシュアの周りを駆け巡りながら剣尖で三角形を地面に描き上げると、絵図に秘められた闘気が巨大な光の柱となり内部に取り残された少女の身を焼き尽くす。

「ねえ、ママ。見て。お空が光っているよ」
「あら、本当。とても、綺麗ね」
 この日、グランセルの夜更かしした一部の市民は波止場の方角から天へと舞い登る光の螺旋を目撃した。

「案ずるな、黒髪の毒婦。これでも手加減してある。貴様には聞き出さねばならぬことがあるからな」
 そう嘯くと瀕死のヨシュアをアジトに連れ帰ろうとしたが、光が収束した先に死に体の少女は転がっておらず目を瞬かせる。
「やーれやれ。やっぱり言葉は通じないか」
 何時の間にか後背に回り込んでいたヨシュアは軽く嘆息し、ユリアをギョッとさせる。
「有り得ん。どうやって、トニリティクライスの範囲内から脱出を?」
 ヨシュアの高速機動力を以ってしてもギリギリ間に合いそうになかったので、仕方無しにSクラフト扱いの『空間転移(テレポーテーション)』で緊急避難したが、手の内を明かす義理はないので黙っている。
(それにしても、どうして女という生き物は男が絡むと、こうまで理性を放棄するのかしら?)
 会話が成り立たずに力で対処するしかないとすれば、魔獣を遇うのと何ら変わらないとヨシュアは諦観せざるを得ない。
 雌同士のこの手の修羅場で理知的な説得が受け入れられた試しはまず無いのだが、一応ヨシュアにも言い分はある。
 雄とみれば誰彼構わず粉掛ける尻軽女と思われがちだが、相思相愛のカップルに割り込む略奪愛や自分に興味のない殿方を追いかけ強引に振り向かせた性的アピールなど一度もない。
 カリンによる諜報活動などの特別な事例を差し引けば、基本的にはヨシュアの姿勢は待ち一本。酒場などの大人の社交場にお粧して繰り出し声を掛けてきた男性と親密になる。
 エステルがティオやエリッサなどの幼馴染みと仲良く遊ぶように、普通に異性の友達を設けているだけ。ヨシュアの美貌に一目惚れし深く付き合って内面の多彩な魅力に虜にされる男子が膨大な数に達するので情が多いと誤解される。
(私は自分にはない他人の様々な個性に触れるのが好き)
 本命の殿方を心の聖域に住まわせてはいるが、それ以外の異性とは指一本触れられない、会話一つ取り交わしてならないとしたら、その人生は狭量に過ぎる。
 世の中に平凡な人間などという怪物は滅多に存在しない。特別な才を持たずとも、ヨシュアの知り得ぬ仕事、趣味、生きざまなどの体験談を聞くのは実に興味深い。酒を飲み交わしたりデートしたりしながら互いの価値観を交換し合い見聞を広めるのはとても楽しい。
 合理的な思考フレームを持つが故に、時折世界を動かすのは理論でなく人であるのを忘れがちになるので、多くの人間の感情サンプルを採取して演技の幅を拡げたり、作戦立案時の敵対勢力の行動予測の下地としている。
(殿方を一方的に利用し使い捨てると専らの評判みたいだけど、私が得られた有意義さに釣り合うだけの見返りはきちんと与えてきたつもりだけどね)
 容姿、話術、気配り、歌唱、裁縫、料理などあらぬるチート能力を駆使し、殿方を楽しませようと務めているので、公平に判定して男性が琥珀色の少女に費やした労力とミラ以上の豊かな時間を享受できたのは疑いようがない。
 だからこそ、ロレントにはヨシュアが一声掛ければ大概のお願いを聞いてくれるコアなファンが大勢いて、『異性の間に友誼は存在しない』という哲学に反して、そうした男性とは今も良好な関係を築けている。
 問題はヨシュアに本気で告白し玉砕した層も結構な数に登るのに、肉体関係はおろか強引なキスに成功した勇者はクローゼ唯一人。悲恋的な破局を迎えて、恨まれるケースも少なくないことだ。
 中には恋人がいながらヨシュアに鞍替えした浮気者や片思いの男性を寝取られた挙げ句、厭きたらポイ捨てされたと信じ込む少女もいる。ヨシュアのスタンスも『来る者は拒まず、去る者は追わず』でプレイボーイや彼女持ち、はたまた勇気を出した純情少年でも全てのモーションは分け隔てなく受け入れるので、後の禍根となるが日常茶飯事だ。
(けど、その種の女性の恨み妬みは自分に振り向かない想人の男性でなく、不思議と私の方に向けられるのよね)
 後々その手の傷心ボーイが生み出されるのを確信犯的に悟った上で自らの行動指針を一向に改めようとしない性根を罪だと論じるなら是非もないが、ヨシュア自身は一つ一つの想いに真摯に向き合ってきたつもりである。だから、付き合ってきた男性の名前や個性を一人たりとも忘れたことはない。
 故に理屈としては単なる逆恨みだと思うが、とある事情からネガティブな感情に理解のあるヨシュアは妄執に囚われた人間の憤りは本人には抗いようがないのを熟知しているので、理不尽な八つ当たりといえど全て受け入れる覚悟だ。
 まあ、ぶっちゃけると振られ男が暴力に訴えようがヤンデレ女がナイフ片手に突進してきても、漆黒の牙にとっては何らの物理的な脅威にならないのでおおらかに構えていられるからだが。
 ヨシュアと関わり相当数の男性が人生の軌道修正を余儀なくされるも、今日までその犠牲者はロレントの住人に限定されていた。
 だが、兄妹が準遊撃士の修行に旅立ったことにより、少女はその権能に相応しい影響力をリベール全土に行使し始める。
 ボース地方で多くの正遊撃士を手玉に取り。
 ルーアン地方のジェニス王立学園で、『クイーンオブハート』のフィクサー名で男子生徒の過半を裏から牛耳り、学園祭の寄付金を例年の六倍強も稼がせ海の漢達が集う築地市場に強いパイプを通したり。
 ツァイス地方で商才ゼロの夢追人を一国一城の主に仕立て、難攻不落のレイストン要塞を大混乱に陥れ。
 更には二つの異なる国の皇子の心を掴んだりと天衣無縫の限りを尽くしていて、王都グランセルでは今度はどのような攪乱を齎すのだろうか?
 そういう意味では、ロレントに隠遁していた魔少女を田舎町の外へと引っ張りだし、封印を解き放ったエステルはリベールの平和を脅かした諸悪の根源かもしれず、(※義兄からすれば義妹が勝手に旅に同行してきただけの濡れ衣だか)その堕天使を討とうとする修道女は正義の使徒という解釈も成り立たないでもない。
「あなたが誰の想いを代弁しているのかは知らないけど、どうやら話しを聞くつもりはないようだし降り掛かる火の粉は払わないとね」
 ヨシュアは太股のバインダーからアヴェンジャーを抜くと初めて攻撃態勢を取り、共に大技(Sクラフト)でCPを遣い果たしたアマゾネスは得物を構えたまま正面から対峙する。

 武術大会決勝前夜にして、互いの正体を誤解し合った女丈夫二人の場外乱闘(キャットファイト)の行方は次回に持ち越します。



[34189] 19-26:魁・武闘トーナメント(ⅩⅩⅥ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/26 00:01
「ふんっ、やっとその気になったか」
 アヴェンジャーを展開し両腕に得物を構えたヨシュアに、ユリアはバトルセイバーを垂直に翳して槍騎兵(ランツェンレイター)のように突撃する。
 今までひたすら逃げに徹していたヨシュアが、今度はその場に足を止める。腰元を落として迎撃態勢を築くと、真っ向からチャンバラを受けて立つ。単剣と双子の短剣が火花を散らす。
 共にSクラフトを使用しCPが空っぽに近い状態なので、小手先のクラフト抜きの純粋な腕比べになるが先に焦燥感を覚えたのはユリア中尉の方。
(まるで手応えを感じない? 私の剣が受け流されているだと?)
 左右両方をマインゴージュのように利腕以上に器用に扱い、一アクションで四段ヒットさせるランツェンレイターの斬撃全てを捌き切り、攻撃を雲散霧消させる。
 武器同士の撃ち合いをしているのに、その実感は得られず。実体のない幽霊と戯れているように錯覚させる既視感はまさしく釈迦の掌の孫悟空(エステル)そのもの。
 アネラスを叩き台にしたヨシュアのバトルスカウターが正しければ中尉はエステルより上位の階層に位置するが、稽古同様の扱いを受けるにつけて漆黒の牙との棲息域に大きな隔たりがあるのに変わりはない。ユリアも一級の武芸者であるが故に数合剣を交えただけで否応なく苦々しい現実を突き付けられる。
(こいつは何なのだ?)
 撤退を潔しとしない王室親衛隊の信念に反し、後ろに飛び退いて思考する時と距離を稼ぐ。
 これだけの力があれば、七面倒な小細工抜きで、あらゆる我を通せる筈。本当に諜報活動の専門家なのか疑念を抱く。
 ただ、物心ついた幼少時から愚直に剣一筋の己が、邪念の多そうな一回りも年下の小娘に遅れを取るという不条理を承服し難くユリアは歯ぎしりするも、多くの修羅場を潜り抜けてきた歴戦の兵らしく直ぐに気持ちを切り換える。
(つい頭に血が昇って、トリニティクライスでCPを遣い果たしたのは失敗だったか? 希少品故にこんな所で消費したくはなかったのだかな)
 懐から取り出したゼラムミニカプセル(※CPのみを回復させる薬)を噛み砕いて、闘気を補充する。
 正攻法で劣る力量差を弁えた上で王室親衛隊の底力を知らしめる所存だ。

(確かに強いけど、私が対処不可能なレベルには程遠いわね)
 何か秘策を抱いて再戦を挑んだユリアだが、先と同じように遇われ剣撃は虚しく空を切る。
 筋力のないヨシュアが相手の攻撃を完璧に往なすには、技量は勿論、先読みの能力が必要不可欠になる。
 目線、殺気、筋肉の予備動作など武闘家であれば色んな情報から敵の動作を読み取れるが、ヨシュアが独自に着眼しているのは『呼吸(リズム)』。血の滲むような訓練であらゆる攻撃の予兆を消し去った中隊長クラスの達人でさえも、生来のバイオリズムを意図的に変更するのは難しく、少女の眼力の前では行動が丸裸にされてしまう。
 ヨシュア以外に実践する者が皆無に等しい先読術なので、あまり克服する意義は無いかもしれないが、そういう意味では魔眼持ちの少女が一番敬遠するのはユリアの大先輩にあたる剣狐。
 奇縁でエステルとの対決を脇から見物したが、あの無拍子ともいうべき理想の呼吸術から繰り出される神技はヨシュアの洞察力を以ってしても全く予測不能。かの老兵と対峙したら先読みを放棄し反射神経のみで後手で対応するしか術がない。
(あの領域に足を踏み入れるのにどれほどの修練に明け暮れたのか、素直に敬うべきでしょうね)
 武術というのはある意味不公平の産物で、フィリップのように数十年の膨大な時を費やしようやく扉を開いた遅咲きの求道者もいれば、漆黒の牙のような遊び半分で深遠の一端を垣間見える麒麟児もいる。
 才能の有無に関わらず、諦めずに山を登り続ければ何時かは頂きに辿り着ける可能性があるという意味では公平かもしれないが、現職隊長はヨシュアが恐れる理(ことわり)の担い手の域には達しておらず、長剣を大きく逸らして無防備な懐に潜り込むと脇腹の辺りをクロスに切り裂いた。
(これでもうバトルは継続できない筈…………!)
 戦闘不能を確信した次の瞬間、強烈な違和感を覚えたヨシュアは反射的に中空にジャンプして逃れる。同時にユリアの反撃が虚空を貫き、八卦服の切れ端が引き裂かれた。
(今のは、一体?)
 確かな手応えを感じたのに、肉体はおろか修道服にも傷一つない。心なしか交戦中はユリアの身体が光り輝いていたように感じた。
(そういえば先程、薬物でCP補給していたみたいだし何かカラクリがあるわね)
 合理性を尊ぶヨシュアはたった一度の接触で偶然という現実逃避思考を排除すると、仕掛けを暴く為に自分の方から積極攻勢に出て、一振四撃のランツェンレイターを軽刀の両手装備を活かした三倍速の手数の多さで翻弄する。
 今度は急所の首筋を狙いながら自らの剣跡を目で辿ると、ユリアが発する黄金色の闘気が幻影の鎧(ミラージュベルグ)と化して、アヴェンジャーの斬撃が蜃気楼のように逸らされた。
(なるほど。あの闘気を纏っている間は敵の攻撃を無効化できる訳ね)
 防がれるのを前提で仕掛けた実験だったので、カウンターの一閃をあっさりと回避。ヨシュアは再び距離を取ると、この技の性質を分析する。
 闘気に特殊効果を付加する手法は鬼の大隊長のエスメラルハーツに通じるものがある。親衛隊の歴代隊長は伝統的に闘気を独特の形状で扱う術に長けているとの情報を脳内データーベースから引き出す。
(服飾から聖杯騎士団と勘違いしたけど、この女性は王室親衛隊かもしれないわね)
 あのシスター姿が反逆冤罪中の身の上を目晦ますコスプレとすれば、一応の合点がいく。
 戦闘中なので帰属団体の詮索は後回しにして解析を進めると、現在のユリアはミラージュベルグを解除している点から、自らの意志でオンオフが可能のよう。完全防御を維持したまま敵と斬り合えるとすれば無敵に近い能力だ。
(けど、一見絶大な効果を発揮するチートスキルほど意外と使い勝手が悪いのが世の常なのよね)
 そう多寡をくくったヨシュアは臆することなくスタスタと無警戒にユリアの懐まで忍び寄ると、まるで拳法家(ウーシュウ)のようなゼロ距離バトルを挑む。
「くっ、この女?」
 互いの鼻息が届きそうな至近から剣を振り回すも、その場から一歩も動くことなく上半身の見切りだけでユリアの剣撃を避け続ける。
 睨んだ通りクルツの十絶陣と同じく単にバリアを張り続けているだけでも闘気を磨り減らす常時消費型クラフト。ヨシュアの双剣が届くデッドゾーンをキープされている限り幻影の鎧を脱ぎ捨てる訳にはいかないので、物凄い勢いでCPを無駄食いされる。
 なまじ無敵技を持つが故に安直な防御手段に頼って自ら行動選択の幅を狭めてしまったが、この超接近戦で相手の攻撃を全て交わし切るなど大陸随一の軽業師の漆黒の牙のみに許された芸当なので戦術ミスを問うのは酷だろう。
「今度こそ終わり…………?」
「ピューイ!」
 燃料タンクが底を尽きユリアの身体を覆う黄金色の闘気が消失したので、即死クラフト『朧』で無防備の喉元を切り裂こうとした刹那、虚空の彼方から一匹の白隼が突っ込んできてヨシュアに体当たりを敢行する。
「ジーク?」
「なっ? アレはルーアンで私をつけ狙っていた白い魔鳥!」
 目が眩む程の衝撃に功防力(DEFは元々紙みたいなものだが)を一時的に衰えさせたヨシュアは後方に仰け反りながら表情を引き攣らせる。
「ジーク、これは一対一の決闘だから手出し無用とあれほど……」
「ピュイ! ピューイ! ピュピュイ! ピューイ!」
「え? 大切なのは騎士道云々ではなく、大切な男性を再び取り戻すことだって?」
「ピュイ! ピュイ! ピュピュピュイ!」
「確かに私のプライドなど、あの御方の身命に比べれば微々たるものであるが……」
「ピュイ! ピューイ!」
「判った、ジーク。二人でこの試練を乗り越えようぞ」

「………………鳥類と会話した気になってる?」
 一人の尊い殿方を軸に種族の違いを越えてお互いの絆を再確認した麗しい光景も諸事情を知らぬ第三者からはエア友に語りかける可哀相な人としか映らず引き気味になる。
「憐れね。異性に裏切られて同性を敵視して人間を信じられなくなり、畜生と馴れ合うしか……って、あの鳥さんは確かクローゼをストーカーしていたわよね?」
 合理的な思考フレームがフル回転し、目の前の女性がメンヘラから全うな人物像に塗り替えられる。
 既に親衛隊所属であるのに見当をつけていたが、クローゼとは世代差があるので思慕の可能性を無意識化で削除していたが、それは早計ではあるまいか?
「またまた、つかぬ事をお伺いしますが、もしかして王室親衛隊の方ですか?」
 女性の言動から、ヨシュアに並々ならぬ敵愾心を抱いているのは間違いない。王太子に対して身分差や年齢の違いに絡んだ複雑な葛藤を胸の内に秘めていたとすれば、少年の心を射止めた少女に嫉妬するのは自然。
 先の推理に白隼の出現で得られたキーワードが合致して、ようやく解答を導き出せた。
「いかにも、王室親衛隊中隊長のユリア・シュバルツ中尉だ。私の素性など百も承知だと思っていたが、ルクスの報告違いか?」
 今更ながらの看破にユリアはジークを右肘に軟着陸させると、誇り高き親衛隊の矜持とし空惚けることなく姓名を謳い上げるが、逆に黒髪少女の正体に自信が持てなくなる。
「なーんだ。なら、やっぱり私たち戦わずとも言葉で分かり合えるじゃないですか」
 ヨシュアは媚びるような笑顔でニコニコしながら双剣を仕舞って武装を解除すると、クローゼへの安牌アピールで平和的解決策を模索する。
「ユリアさんの王太子殿下への想いに無粋な詮索をするつもりはないですけど、彼は私に片思いの有象無象の殿方の一人に過ぎず、単なるお友達ですから気を揉む必要はありませんよ。もしかして、学園祭のキスシーンを誤解なさったかもしれないですけど、アレは完全に彼の一人相撲で私はあの不埒なセクハラ行為を水に流すことにしましたから何の禍根も………………」
「貴様、殿下のピュアな心を踏みにじるとは万死に値する!」
 ユリア達を安心させる為に実際の親密な関係性に反して過剰にキープ君を強調してみたが、何やら壮大にブチ切れさせたみたい。ユリアの掌から解き放たれたジークが弾丸のような勢いで戦士(ケンプファー)となって襲いかかる。
 仮に情報部と無関係だとしても、目の前の毒婦がエネミーである事実に何ら変わりはないのを一人と一匹は改めて確信する。
(ちょっと、私はどうすれば良かったわけ?)
 白隼の特攻を紙一重で避けるが、逃げ先でユリアに斬り掛かられる。神域の反射で生身のダメージは免れるも八卦服を大きく斜めに切り裂かれる。人と鳥の息の合ったコンビネーションにきりきり舞いさせらたヨシュアは泡を喰う。
 愛していると肯定すれば私の大切な男性を奪ったと詰られ、好きじゃないと否定すると純情を弄んだ外道呼ばわりされる。
 女同士で修羅場った末路に滅多に落とし所を見出せないのは経験上重々承知していたが、これでは本当に八方塞がりだ。
(漆黒の牙のお客さんじゃないのは判明したし、クローゼの件で親衛隊に話を通しておきたかったけど面倒臭いからもう逃げちゃおう…………!)
 ミリ単位で見切ったつもりが、猛禽類の爪先がヨシュアの頬を掠めて柔肌からつーっと一筋の赤い雫が垂れる。
 追撃でユリアが最速の一本突きを放ったが、ヨシュアは幽鬼のようにフワリと飛翔し、信じられない身の軽さで長剣の上に着地する。
「明日のエステルの朝食メニューは焼き鳥に決まったわね」
 体重の概念を一切感じさずに剣上に静止したヨシュアが、頬の痕に指を這わせながら琥珀色の瞳をスーッと細める。
 黒髪を靡かせて異様な雰囲気を醸し出す少女の豹変具合に、主(あるじ)を守る為なら死をも恐れぬ中隊長の背筋にゾクリと寒けが走る。
 突如、巨大な聖痕のイメージが浮かび上がり、「キュピー!?」と悲鳴をあげたジークが中空に束縛される。
 『真・魔眼』の能力に捕らわれた。いかな音速の飛行速度を誇る白隼でも視界に入れただけで対象を金縛れるヨシュアの驚異的な動体視力から逃れるのは不可能。
「ジーク…………くっ!」
 愛鳥の身を案じる暇もなく、瞳を血のように赤く染めたヨシュアが剣から舞い降りて、再び両腕にアヴェンジャーを装備して強襲する。
(な……なんだ? 防御が追いつかない?)
 得意の高速機動力で残像を残しながらヒット&アウェイを繰り返して、死角から死角へと移動してユリアを防戦一方に追い込む。
「はっ、せいっ!」
 ヨシュアが左腕を振り切って、遅延クラフト『絶影』を放つ。DELAYを促す黒い影が一直線に伸びて辛うじてこれを避けるも、ユリアは信じられない光景を目にして表情を凍りつかせる。
「はっ、もう一丁!」
 初撃を放った次の瞬間には既にヨシュアは逆側の腕を振り被っている。間髪入れずに絶影の第二射が撃ち込まれ、今度はマトモに命中して影縫いで行動を束縛される。
「うふふっ、ずっと私のターン」
 黒髪の少女は瞳を爛々と深紅に輝かせたまま、左右の斬撃を交互に撃ち続ける。被弾する都度ダメージと一緒に遅延で行動力を奪われるので、一方的なサンドバックにされる。
(馬鹿な。有り得なすぎる……)
 この異常な連続攻撃はユリアが良く知るリシャール大佐の『光連斬』に匹敵する回転率の高さ。こちらは直線貫通型の上に遅延効果のオマケつきなので、タイマンで喰らったら二度と自分のターンが回ってこない完全なハメ技だ。
 幸いケンプファーでヨシュアの攻撃力が衰えているので、十発連続で浴びながら辛うじて戦闘不能を免れているが、のらりくらりと大過なく遣り過ごすのを企てていた怠け者の怪物の尾を踏み潰して実力の一端を引き出してしまった。
 Sクラフト(空間転移)で緊急回避していなければ、多分ユリアが死ぬまでハメ殺せたのだろうが、流石に闘魂鉢巻きによるCPチャージも追い付かなくなったので近接戦闘で止めを刺すべく一瞬で懐深くに潜り込む。
「くっ、う……動け……」
 遅延に蝕まれた右腕を酷使しユリアが奮える剣を伸ばすも、左刃で長剣を上から払われガードが完全にがら空きになる。更には返す刀で無防備になった喉元を抉られそうになるも、右刃が喉仏に触れた地点でピタリと止まる。
「…………この体臭は?」
 野生動物のように鼻をひくつかせながら攻撃色に染まった瞳を原色に戻すと、アヴェンジャーを太股のバインダーに戻しながら瀕死のユリアを放置してクルリと身を翻した。
「あの女、どういうつもり…………おっと!」
 絶影のDELAY効果が身体から抜け落ちて自由を取り戻す。
 中空に浮かぶ聖痕が消滅し、魔眼の拘束が解除されジークがポトリと地面に落下したので慌てて抱き抱えながらヨシュアの様子を伺うと、西区画の方角からこちらに走ってくる三つの人影を視認できた。
「おーい、ヨシュア。無事か?」
「中尉、先程、光の柱を確認しましたが、まさか殺したりしてないですよね?」
「へへっ、少女の身元を偽った俺たちの身を案じた方が良いんじゃないか、リオン?」
「あれはお前が一人ででっち上げたのだろう? 私まで巻き込むな!」
「へへっ、秘密を共有してからも、中隊長殿に真実を告げられなかった罪は一緒だぜ。俺らは一蓮托生なのよ、兄弟」
 義妹を心配して駆けつけたエステルとユリアを煽動した諸悪の根源の親衛隊員。地下水路をバイパスして哨戒の兵士を遣り過ごし西側の入口から出現することで、東区画から最短距離でこの場にやってきた。
「……て、近くで見たら八卦服がズタボロじゃないか? 頬にも傷がついているし」
「えーん、エステルぅー、恐かったよぉー。あのおっかないおばさんが苛めるのぉー」
「おーよしよし。流石のヨシュアでも現役の親衛隊中隊長を一人で相手取るのは荷が重かったみたいだな」
 既に事情を了承しているらしいエステルの逞しい胸元に飛び込むと十八番の嘘泣きでクスンクスンと泣き崩れる。
 ちょうど風下なので、臭いから義兄の接近を嗅ぎつけた猫被娘は大暴れして窘められるよりも、要領良く被害者ポストに納まりエステルに甘える道を選択したようだ。
「中尉、とりあえず話は後にして、今すぐこの場を離れましょう」
「へへっ、中隊長殿、王国軍の兵士がこちらを目指していますぜ」
 トリニティクライスで打ち上げた派手な狼煙が王都を巡回している兵士に目撃されない訳はない。エコーら残党の衛士が工作活動で足止めしているが、そろそろ限界らしい。
「判った……」
 ユリアは薄皮一枚に切れ目が入った喉元を撫でながら、疲れ切った表情でそれだけを肯く。
 目の前の兄妹間の情景に感化された部下両名は上司の大人気なさを詰るような目をしているが、生命拾いしたのは紛れもなくユリアの方である。真相を知るのは彼女の胸元にいる人語を喋れない鳥友一匹。
「やはり、アレは紛れもなく魔性の者だ……」
 ジークが「ピュイピュイ」と肯定し、ビー玉のような円らな瞳の中に敵意を宿す。
 戦いの最中、情報部のハニートラップ云々がデマであるのは薄々察っせたが、異常な戦闘能力を所持しながら勝利よりも男受けを優先する可愛い子ぶりっ子に、王太子を拐す危険人物という第一印象を是正する気にはなれなかった。

 かくしてクローゼを巡る二人の女の場外乱闘(キャットファイト)に一応の決着を見るも、雨降ってちっとも地固まらず。泥水のようなドロドロとした宿怨が両者の心の奥深くに根付くことになる。



[34189] 19-27:魁・武闘トーナメント(ⅩⅩⅦ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/27 00:01
 「やるじゃないか」「お前こそな」などという漢の友情を育む夕日河原の拳の語らいと異なり、何らの共通解を見出せなかった夜間波止場の女同士のキャットファイトもようやく一段落した。
 呉越同舟した遊撃士兄妹と親衛隊のメンバーは、帝国や共和国の大使館同様に治外法権に等しいグランセル大聖堂の中に避難して王国軍の捜索を遣り過ごすと、「君の名は?」張りにすれ違った互いの素性についての情報交換を行いユリアは仰天する。
「この二人がカシウス殿の御子息だと?」
「ええまあ、私が養女で義姉のヨシュア・ブライトでこちらが脳筋で義弟のエステル・ブライトです」
「よう、久しぶりだな、ジーク。クローゼは一緒じゃないのかっ……て、誰が脳筋だ、ヨシュア?」
「自分の顔にそう書いてあるじゃないの? この手鑑で額を見てみなさいよ、エステル」
「どれどれ……、って、何じゃ、こりゃ? ヨシュア、テメエ俺が寝ている間にやりやがったな!」
「エステルの顔に落書きしたのはドロシーさんよ。とりあえず拭き取るから大人しくしていなさい」
 もう少し救出が遅れたら胃袋に収められたかもしれない白隼と戯れるエステルと、言葉遊びでドロシーに余罪を押し付けてマッチポンプのように自ら書き換えた『脳筋』の文字を消去するヨシュア。
 目の前で繰り広げられる兄妹漫才を晴天の霹靂そのもので指差すユリアに対し、ルクスとリオン(彼は無理やり従犯にされただけだが)は「申し訳ありません、中尉!」とひたすら平伏する。
 大目玉を恐れて失態報告をずるずると引き延ばし、初期に謝罪していれば小傷で済んだのを取り返しのつかない大惨事まで発展させてしまうのは子供はおろか良い歳こいた宮仕えにも良く見られる情景ではある。
「貴様ら…………」
「ユリア中尉。僣越ながら、貴方もどちらかといえば糾弾される側なのでは?」
 この場にいる生き残った八人の衛士の中で、紅一点のエコーが無表情に同性の上官の非を鳴らして、ユリアは言葉を詰まらせる。
 ルクスに煽動される以前からヨシュア討伐に積極的だったので、衝突するのは早いか遅いかの差でしかなかったとはいえ、情報部とは無関係の市民(正確には遊撃士なので公人だが)に刃を奮ったお咎めは免れない。
「まあまあ、済んでしまったことを何時までも引きずっても仕方ありません。今は責任の所在を追求するよりも、数少ない仲間内でいがみ合わずに団結する時でしょう?」
 今回のユリアの暴走の一番の被害者であるヨシュアが加害者である中隊長を庇うような発言をして、親衛隊一堂は眉を顰める。
 ちなみに今のヨシュアはズタボロの八卦服の上から予備の修道服を着込んでいるので、菩薩のような笑顔と言動を掛け合わせてエイドスに遣えるシスターのような敬虔さに満ち溢れている。
「情報部の奸計に陥れられた貴方がたの苦しい胸の内は存じてます。私たちはこれから志を等しくする同士なのですから、不幸な行き違いは綺麗サッパリ水に流し共に力を携えてリベールを覆う闇を取り払いましょう」
 背中に後光が差しこんだ黒髪の巫女を皆、眩しそうに見つめて、「おおっ……」とこの場に集った衛士から感嘆の溜息が漏れる。
「へへっ、リオン。俺たちはとんでもない考え違いをしていたのかもしれないぜ」
「同感だな、ルクス。危うく不条理に殺されかけたのに全く根に持たないなど御仏の域に達しておられる」
 内心何を企んでいるかは不明だが、相変わらずY染色体(♂)に対しては絶大な影響力を行使する琥珀色の瞳の少女は早速、親衛隊員を自分のシンパに取り込み始めた。
 逆にX染色体(♀)からは少女の身体から発散される胡散臭さが抜ききらないようで、エコーは無言のまま冷めた瞳で値踏みしユリアも苦々しさを禁じ得なかったが、今の流れで横から口を挟んでも自分の株を落とすだけなので黙っていた。
「ようやくマトモに話が通りそうなので実務部分から掘り下げると、私とエステルはとある目的を携えて武術大会に参加しています」
 ヨシュアはラッセル博士から預かった封書を提示しながら、ロレントを旅立ってからレイストン要塞までの一連の事件から、首尾よく優勝し王城に招かれたらアリシア女王に面談する算段までの物語をオペラ形式で吟遊詩人のように謳う。
 久方振りに少女の歌唱力と演技力を披露する公演の舞台が設けられた。親衛隊の男衆は完全に聞き入って彼方此方から賞賛の声が零れる。
「聞いたか? 例の空賊事件を解決したのも、この二人らしいぞ」
「まだ見習いだというのに、この兄妹が歩んできた旅路の経緯は尋常ではないな」
「この王都でもここまでの神算を巡らせているとは、やはり英雄の子は英雄だな」
 ヨシュアの騙りでは、冒険の主役は正嫡であるエステルを軸に添えている。彼の活躍を嘘のない範囲で大げさに賛美する一方、実際に様々な局面で多大な貢献を果たした当人の働きは過小に申告し、ユリアは違和感を覚える。
(エステル君だったか? 流石はカシウス大佐の血を引くだけあって、あの魔少女と違って裏表は一切なさそうな好少年みたいだが少々解せぬな)
 武術大会準決勝でエステルの腕前を見極めたが、年齢を考慮すればずば抜けているも、裏社会の猛者と渡り合うには色んな意味で経験不足に思えたからだが、ジークの頭を撫でながら居心地悪そうに義妹の演説を聞き流している姿を見て得心する。
(なるほど、あの黒髪少女の性質は他者に華を持たせて実をキープするのだったな)
 実質、ユリアとの決闘を制しながら表面的な勝者の座を譲ったように、ヨシュアは自らが注目を浴びようという願望はなく、影に潜んで状況をコントロールする黒幕の立場を楽しんでいる。
 だから、少女の語り部を額面通りに鵜呑みせずに、兄妹の立身出世の大部分は義妹が裏で暗躍した顛末なのだろうとの真相を看破した。
(本人も嘸かし歯痒いことだろうな)
 エステルの内には確かな資質が眠っており、時間をかけてゆっくりと開花させれば、いずれ本人の力量に応じた正当な評価が得られただろう。
 だが、攪乱したリベールという情勢が、少年が立ち止まるのを許さずに身に余る過酷なステージへと誘う。前任者の救国の英雄たる父親や怪物じみた義妹という理不尽極まる比較対象との性急な成果を求められている。
(やはり異常なのは、あの年齢で多方面に才知を咲き乱れさせるあの娘の方か。カシウス大佐が何を考え養女と娶ったかは判らぬが、何か目的を以ってブライト家に潜伏したなどと穿つのは私がかの少女に偏見を持ちすぎているからだろうな)
 クローゼが関わらなければ極めて理知的な状況判断が下せる中隊長は、そう自分を戒めながら疑惑を切り捨てる。
 黒髪少女とは女の価値観が違いすぎるので心を分かち合えそうもないが、ヨシュアがエステルに対して何らの悪意も抱いておらず、むしろ積極的に栄達を後押ししているのは明白だ。

「例のゴスペルがどのような災厄を齎すかは想像もつきませんが、女王陛下からお墨付きを頂ければ、遊撃士協会(ギルド)も内政不干渉を気にせずに堂々と情報部に反旗を翻せます」
 ユリアが自問自答している間にヨシュアのアジテートも佳境に達して、生き残りの隊員達から喝采が沸き起こる。
 大部分の朋輩が捕らわれた劣勢の中、雌伏を強いられた現状でようやく希望の光のようなものが射し込んだのだから、気分が高揚するのも無理はない。
「そういうことであれば、中隊長殿」
「判っている」
 ルクスの催促にユリアは書状を書き記して封をするとヨシュアに手渡す。
 彼女が懇意にしている城の女官長ヒルダ夫人に当てた紹介状。これがあれば特務兵の厳重な監視を掻い潜って、二人を女王に引き合わせる手筈を整えてくれる筈。
「ありがとうございます。それと王太子殿下の監禁先も、その手のツテを頼りに調べさせています。その件に関しては親衛隊の方々も薄々察しているとは思いますが」
「エルベ離宮か?」
 ユリアの問い掛けにヨシュアはコクリと肯く。
 情報部は秘密のアジトを国内に多数隠し持っているだろうが、王族への待遇と守備戦力の集局を同時に満たせるのは消去法的にこの場所以外に考えられない。
 ユリアもシスターの仮装でエルベ周遊道を散策しながら探りをいれているが、ガードが厳しく確証を得るには至っていない。
 王家由来の宮殿である以上、間違いでしたでは済まされないので、いずれ奪還作戦を練る前準備として是非ともクローゼが囚われている明証が欲しい所であるが、それはフューリッツア賞の野心に燃えるナイアルに任せれば大丈夫だろう。
 既に時計の針は決勝戦当日に達している。翌日、ギルドのグランセル支部に集結する約束を親衛隊の面々と交わして、二人はグランセル大聖堂を後にする。
 ここまで事態が進展した以上は、王城進出の為の優勝は完全な必須事項となってしまったが、大会の最終日、果たして運命はどんな結末を関係者に齎すのだろうか?

        ◇        

「それにしても、今回は珍しくヨシュアは何も悪くなかったんだな?」
 巡回の兵士を避けてグランセル東街区の公園に辿り着いたエステルは毒気を抜かれた表情で修道服姿のヨシュアを見下ろし、「どういう意味よ?」となんちゃってシスターはフード下の頬をぷくっと膨らませる。
 合法詐欺師たるヨシュアは自らは手を汚さない悪辣な遣り口で目的を達する術に長けているので、法で裁けぬ悪を討つ必殺仕置人にでも出張られたのかと思いきや、クローゼの件を含めてヨシュアの側に一切落ち度がなかったからだ。
「更に意外といえば、そのユリアさんをヨシュアが庇ったことか」
 元々同性への情が薄いヨシュアが自分を襲撃したユリアにまるっきり報復しなかったのを不思議がるが、最終的に話し合いで落とし所が見出せるのならそれに越したことはない。
 もし、手紙の主が妥協点を探すのが不可能な漆黒の牙のお客さんの場合、ヨシュアは相手の善悪を問わず返り討ちにする心構えだったので、本日だけは第三者の無法を非難する心境にはなれなかった。
 他者を殺す権利と自分が殺される覚悟は完全なる同義語。
 ミラで雇われた闇社会の刺客でも、愛する者を奪われ復讐を挑みにきた一般人だろうと、その真理だけは絶対に覆らない。
 漆黒の牙(ヨシュア・アストレイ)の名を捨てた今でも、そして恐らくはこの先も永久に少女の中では『殺人』はタブーではない。状況に迫られたのなら何時でも再び手を血で染める用意がある。
 虚ろな人形に魂を吹き込んだあの少年がいなければ、少女はもっと自分の身命を軽く扱ったかもしれないが、もはやその意志はない。
『生命ある限りエステルが出来ない非道を代行し、決して彼の手を汚させない』
 それがブライト家の光を受け継いだ義兄に対して、自ら求めて闇の部分を引き継いだ義妹が己に課した掟であり、自分の家族がそんな生きざまを望んでいないのは百も承知の上で少年の未来の為に道を切り開くつもりだ。

「なあ、ヨシュア。親父ってもしかして結構スゲエ奴なのか?」
 義妹の内心の悲壮な決意を知らずに、エステルは前々から思っていた疑問を突き付ける。
 旅の間中チラホラと英雄の血脈を仄めかす発言を小耳に挟んでおり、今回の親衛隊の態度でマイペースなエステルも父親の身の上が気になったようだ。
「そうね。一度、世界(リベール)を救ったことがある英雄程度には祀られているわ」
 自分が本来会う予定の人物像について問い詰められるかと身構えていたヨシュアはやや拍子抜けすると同時に、『過去を詮索しない』というブライト家の取り決めを律儀に遵守しているエステルに苦笑する。
「けど、その事実が発覚して、エステルの中で何かが変わったかしら?」
「いや、何一つ変わらない」
 ヨシュアからそう問われたエステルは、迷いなく明言する。カシウス・ブライトはエステルが物心ついた頃から憧れていた自ら遊撃士を目指す指針となった人物でヨシュアと同じ大切な家族でもある。
 その一事が全てに先行する。彼が思い描いていたエジルのような中堅所の遊撃士でも、大陸に五人といないS級の称号を持つ英雄であろうと、エステルにとっての父親の価値は何も違わない。
「正解よ、エステル。カシウスの息子というだけで無条件の信頼を寄せてくれる父さんのシンパも結構いるみたいだけど、『英雄の血族』という呪いに縛られる必要はないわ。少なくとも私はブライト二世でなく、エステル一世を応援しているつもりだから」
 そう宣言しながら、ヨシュアは険のない笑顔で微笑み、エステルはドキッとする。
 営業スマイルが地についたヨシュアもこの旅の間の様々な経験で自然に笑える術を身につけたようで、エステルはこういう義妹の顔が大好きだった。
「さてと、そろそろ戻りましょう。明日……じゃなくて、今日の試合に勝つ起算は整えてあるけど、それはまた昼飯のミーティングでジンさんやオリビエさんも交えて話すから、それまで休んでおきましょう」
 ヨシュアから差し出された手をエステルは自然に受け取り、夜間のパトロールもそろそろ打ち止めになったようなので、二人は真っ直ぐにホテル・ローエンバウムに帰還する。

 こうして場外乱闘を挟んだ一夜が空け、武闘トーナメント最終日の朝日が登る。
 リベールに因んだ多くの人間の運命を託した遊撃士兄妹と情報部との決勝戦が始まるのはもう間もなくだ。



[34189] 19-28:魁・武闘トーナメント(ⅩⅩⅧ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/28 00:05
「ヨシュア君。その衣替えはどうした心境の顕れなんだい?」
 ローエンバウムホテル内のレストラン。恒例となったブランチ兼ミーティングに集ったジンチームのオリビエは、黒を基調としたミニスカニーソックスという旅立ち初期の出で立ちに逆戻りしたヨシュアに疑問を投げ掛ける。
 普段着の八卦服(チャイナドレス)は、昨晩のユリア中尉との場外乱闘でズタボロにされてしまった。第三者に事情を漏らすわけにもいかないので、「ちょっとした女の気紛れよ」と曖昧に言葉を濁すと逆に男性陣の体調を問う。
 昨日の試合でエステルは戦闘不能に陥りながらもクルツの計らいで実質ノーダメージで乗り切り、オリビエも致命傷は免れたので良好だが問題はジンだ。
 筋肉が普段よりも一回り萎んでおり、見た目からして迫力に欠けて巨漢の彼がとても小さく感じる。
 戦闘中の負傷は左腕の甲骨の皹一つだが、真・龍神功を使った後遺症で肉体のポテンシャルは平常時の半分が限界。虎の子のブースト技は使用不可という制限まで課せられた。
「それじゃあ……」
「ああっ、この上ないベストコンディションだぜ」
 回鍋肉(ホイコーロー)をがっつきながら、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて嘯く。
 人間生きていれば、不意の怪我や病気による体調不良は避けられない。ましてや、この類の武術大会に出場すれば、勝ち上がる都度ダメージは蓄積されるので万全の身体状態など望むべくもない。
 だからこそ臥薪嘗胆。武闘家(ウーシュウ)は何時いかなる状況でも臨戦態勢との心構えを周囲に指し示した。
「ウーシュウが戦場に立ち会う時は常にベストコンディションだから、心配は御無用。何より俺はお前たちと組めたお蔭で決勝まで勝ち残れたのを有り難く思っている」
 一般的に勝負事は勝った時よりも負けた場合の方が得られる物が多いとされているが、ノックアウト方式のトーナメント戦では事情が異なる。
 敗者はその場で道を閉ざされ、勝利する事によってのみ次の階層での更に高いレベルの闘争が約束される。
 ジンがいかに強力無比な拳法家でも、単独では緒戦のレイヴンAチームに勝てたかも微妙なので仲間の助力に感謝の念が絶えないが、ヨシュアはこれから彼のモチベーションに水を差す事実を告げなければならなかった。
「確かに準決勝のクルツさん達との闘いはとても有意義なファイトでしたが、残念ながら決勝では互いを称え合うような気持ちの良いバトルをするのは難しそうです」
 そう牽制したヨシュアは机の上にガウから摘出した銀色の弾丸を転がして、男衆の表情が険しくなる。
 細かい説明は一切なされなかったが、この銃弾の存在からもう一試合の準決勝の顛末を即座に理解したようで、オリビエが大仰に両肩を竦める。
「やれやれ、どうにも優雅さに欠ける連中だと思っていたが、むさ苦しいのはマスク姿の外観だけでなく性根もみたいだね。目的は二十万ミラの賞金か、はたまた優勝の栄誉か?」
「そのどちらでもないわよ、オリビエさん。どうやら私たち遊撃士関係者を王城に招き入れたくない事情をお持ちのようで、仮に反則負けを宣告されるにしても、晩餐会に出席できない程度には痛めつけられるでしょうね」
 彼奴がメイル達と戦った地点では別の遊撃士チームが勝ち残っていたので、不正が発覚しないようにある程度自重せざるを得なかったが、次のラウンドを考慮しないで良いファイナルではその足枷もない。
 情報部が御輿として担ぐ大会主催者デュナン公爵の手前もあるので、いきなりルール無用の残虐ファイトを仕掛けてはこないだろうが、勝敗が行方知れずの接戦に縺れこんだら裏技の行使に躊躇はない。
「だから、決勝戦を真っ当な形で勝利するには、彼らに反則する隙を与えずに短期決戦で勝負を決める必要があるわ。その為の算段も用意したけど、正直アネラスさん達との決戦で用いた策略がお子様ランチに感じる程にエゲツナイ戦術だけど」
「構わないぜ、軍師殿。相手がルールを遵守する気がないのであればな」
 太眉を顰めたジンが巨大な掌の中で実弾を転がしながら、ヨシュアの作戦にゴーサインを出す。
「武闘家の中にはバーリトゥードを持て囃し、制限されたルールの中で競い合うポイント制の競技を下に見る者も多いが、俺はそれは違うと思う」
 定められたルールの枠内で持技を上手く遣り繰りしてお互いに切磋琢磨し合うのが、あらゆるスポーツの醍醐味なのだ。予め賛同した規則の範囲内で抗せなくなるや否や取り決めを破るのは、覚悟の強さなどではなく己の未熟さを誤魔化そうとする弱さだと主張する。
「爆弾魔(ボマー)の悪名を持つブラッキー氏も追い詰められても爆弾を使おうとはしなかった。シャークアイの旦那も明確な規制がないにも関わらず、攻撃力が落ちるのを承知で銛からきちんと鏃(やじり)を外してきた。俺たちがやろうしているのは純然たる力比べであって、問答無用の殺し合いではないからさ」
 彼自身、泰斗流で多くの野試合をこなしてきて、師匠と一番弟子の命を賭した果たし合いに立ち会った経緯もあるので、武術の本質が殺人術であるのを否定はしないが、だからこそ再戦と成長の機会が与えられる面で競技スポーツを評価している。
「何よりも折角の晴れ舞台で大会を台無しにして、楽しみに集ったお客さんを興醒めさせるのは気が引けるしな。当然、俺たちはきちんとルールを守った上で勝つつもりだよな、軍師殿?」
「もちろんです、ジンさん。ただし、前衛の二人には今まで以上に身体を張ってもらうことになるけどね」
 そう前置きすると、対情報部戦に用意した全員分の装飾具(アクセサリ)を机の上に並べる。準決勝までとは明確にコンセプトが異なったアクセサリの山々にエステルはゴクリと生唾を呑み込んだ。
「ヨシュア、お前、こんなレアアイテムをどこから調達してきたんだ?」
「ちょっとしたツテでこの試合だけレンタルしただけよ。今更云う迄もないけど、昨日までと違って今回の主役になるのはオリビエさんということになりそうだから、手配魔獣討伐で培った私達の集団戦術の成果を初めて衆目にお披露目することになりそうね」

        ◇        

「おお、エステル君とヨシュア君でないか?」
 エーデル百貨店の前でアントンとかいう厭世青年から最終巻を受け取り、カーネリア全巻をコンプリートしたエステルは、グランアリーナのホールで白髪白髭の人の良さそうな老人に呼び止められ驚嘆する。
 我が町ロレントの市長クラウス氏で、兄妹とは実に100日ぶりの再会になる。
「本当にお久しぶりです、クラウス市長。五大市長会議に参加しにグランセルまで来られたのでしょうか?」
「はっはっはっ、相変わらずヨシュア君は聡いのう。もう一つ古い知人に会う用事があったので晩餐会の時刻より早めに王都を訪ねてきたのじゃが、男爵から君らが決勝まで勝ち残っていると聞いたのでこれは是非とも見物せねばと思うてな」
 大会最終日は前日徹夜で場所取りする者がいる程の盛況ぶり。当日券はすべて売り切れたので仕方無しにダブ屋からチケットを購入したが相場の三倍近い値をぼられた。知人に余計な出費を強いた以上は無様な試合は見せられないと更に重圧がかかる。
「良い旅路に恵まれたようで、二人とも見違えるほど逞しくなったの。とくにエステル君はあの頑固な釣公師団に変革を促すとは思わなんだぞ」
「あれ、何で俺が師団に在籍しているって知ってるんすか?」
 エステルは訝しむが、クラウス市長はその質問には答えずに、「晩餐会で旅の四方山話に花を咲かせられるのを楽しみにしているよ」と更なるプレッシャーをかけながら観客席に消えていき、また一つ負けられない理由が上乗せされる。
「ねえ、エステル。市長さんの口から変人の巣窟名が出たようだけど、クラウスお爺ちゃんも釣りを嗜むの?」
「嗜むも何もクラウス市長は俺に釣りのイロハを教えてくれた師匠だよ。特に若い頃は『ロレントの釣戦鬼』とか呼ばれてブイブイ幅を効かせていたみたいだぜ」
「ふーん、今の好々爺然とした市長さんからは全然想像もつかないわね」
 ヨシュアはそこで興味をなくして会話を打ち切った。また一つ妙な伏線が密やかに回収されたが、本筋に関わることは永遠にない。

        ◇        

「やっほー」
 馴染となった蒼の組控室のドアを開いたエステルは軽く目を疑う。
 本日行われるのは決勝戦の一試合だけなので自分ら以外の同席者はいない筈だが、ウサギのヌイグルミを抱いた小柄な美幼女が長椅子に腰掛けながら明るい笑顔で微笑んでいる。もしかして、この部屋に住み着いている座敷童子なのかとの現実逃避的な考えが頭の中を過る。
「よう、お嬢ちゃん。ひょっとして迷子かい? ここは大会に出場する闘士しか入っちゃいけない聖域だから、係員さんと一緒に応援席の親元に戻ってくれないかな?」
 ジンが極めて現実的かつ大人な対応で、少女をあやそうとする。黒いリボンでセミロングの紫髪を束ねた女の子はムーッと必死に背伸びしながら「私も選手だよ」と抗議するが、ジンの腰元にしか届かずに見ていて実に微笑ましい。
「はっはっは、実にジョークが上手いね、小さなマドモアゼル」
 オリビエは幼子の妄言に取り合わなかったが、五年前にとあるコンベンションに参加していたエステルは少女の一言にピンときた。
「なあ、お前。もしかして…………」
「ご来場の皆様、大変長らくお待たせしました。これより武術大会、本戦最終日の団体戦決勝戦を始めますが、その前に毎年恒例のエキシビジョンマッチを開催します。十二歳以下の児童によって競われる個人戦幼年の部の決勝。まずは、北、紅の組。八葉一刀流門下生、ポックル君」
 長々としたアナウンスが流れると、逆側の鉄格子が開いてハーフプレートを装備した坊主頭の少年が出現する。
 子供離れした体躯の持主で(背丈は役1.7アージュ)、十キロの鎧を纏っても俊敏性を維持しており、演舞代わりに振り翳した剣撃がビュンビュンと空を斬る音を立てる。
「なるほど、そういえば幼年の部なんて前座もあったみたいだな。それにしても稚児同士のお遊びかと思いきや随分とレベルが高いな」
 少年の剣捌きにまるでブレがないので、ジンは顎に手を当てて感心する。
 何でも彼はかつてカシウスも師事したアネラスの祖父ユン・カーファイが師範代を務める『八葉一刀流』で十年に一人と呼ばれる天才児。いずれは剣聖の名を継ぐと専らの評判で昨年の同大会でも圧倒的な力量差を見せつけて優勝している。
 膂力も成人男子に比べてさほど遜色なく、得物として大人用のロングソードを軽々と振り回し(※子供が扱うので結果的にアガットのような大剣扱いになる)、下手なチンピラなら余裕で薙ぎ倒せるだけの技量も保持している。
「破壊神(ティータ)が出場していたら、ガトリング砲抜きでも勝てると多寡をくくっていたけど、その目論見は少し甘かったかな?」
 ここ十年間の幼年の部の決勝で八葉一刀流の常勝の歴史に唯一黒星をつけたのがエステルだが、五年前の自分が目の前の少年に勝てたかと問われても正直自信がない。
「というか、大人の部にエントリーしても予選ならそこそこ戦えそうな強者を稚魚のプールに放り込むとか反則だろ。あれっ? あの怪物君の不幸な対戦相手はもしかして?」
 一堂の視線が白いワンピースを着た小柄な少女に集中する。
 幼女は空の七耀石(セプチウム)を内封したかのような煌やかな瞳を輝かせると、人指し指を左頬に突き刺しながらチャーミングにはにかむ。
「対するは、南、蒼の組。今年遥々遠路クロスベルから来てくれた…………」
「はいはーい」
 ヌイグルミを放り捨てた少女はスカートの裾を掴むとガバッと一気に捲りあげて、エステル達の眼前でそのまま脱ぎ捨てる。
 「なっ?」
 スケベだがロリの気はないエステルは赤面することなく面食らうが、少女は予めワンピースの下に別服を着込んでいたので単にコスチュームチェンジしただけ。
 両手に赤のバンチグローブを嵌めて、上着はヨシュアと似た白の八卦服に下は短めのズボン。健康的な太股を露出しているのはミニスカートと同じく、何時の間にか黒のリボンを鉢巻きのように結わき直している。
「それじゃあ、行ってきまーす」
 ガラガラと鉄格子が開いたので、少女はエステル達にウインクしながら闘技場に飛び出す。体操選手のような身の軽さで側転、バク転を繰り返し、最後にアクロバッテクなバク宙でムーンサルトを決めて、ポックル少年の目の前に着地した。
「基本的には王都の武門の子弟のみの内弁慶大会に態々クロスベルから参加しに来てくれた、カンフーガール・レンレン!」
「イエーイ!」
 少女がノリノリの笑顔で、右腕を腰元に宛てながら左腕を空堅く突き上げる。満場の観客から大地が震撼するようなコールが巻き起こる。
「「「「「「「レンレン! レンレーン!」」」」」」」
 昨年、個人戦で優勝したモルガン将軍よりもエリッサの猫メイド姿の方が紙面の反響が大きかった事例から判明したように、強いけど五分刈りのオニギリ顔で華がないポックル少年とお茶目で可愛い美少女のレンレンのどちらが一般客受けするかは論評するまでもない。
 決勝トーナメント常連のユリア中尉が大会で異性同性問わずに絶大な人気を博していたように、ジンチーム紅一点のヨシュアも本来なら殿方を中心に支持を得られた筈だが、団体戦故にチームのパーツの一部として埋没してしまった感がある。
 その意味ではシングルスターの幼女は会場の注目を一身に独占しており、前年チャンプにも関わらず脇役と化したポックルは軽く嘆息する。
「ねえ、お兄さん。『あーあ、この四面楚歌の雰囲気の中でこんなちっちゃい子を叩きのめしたら、俺完全に悪者じゃん。仕方ないから怪我させないように丁重にあしらってやるか』みたいなこと考えてない?」
 気配もなく少年の懐まで潜り込んでいたレンレンは頭一つ高い少年を上目遣いで見上げて、ポックルはギクリと反射的に後ずさりする。
「や、やだなあ。武闘家としてこれから戦う相手にそんな失礼なこと思っている筈ないだろ?」
 シドロモドロになりながら必死に言い繕ったが目が完全に泳いでいる。どうやら少女の疑惑は正鵠のようで、レンレンは唇に人指し指を当てて思案する。
「私はどこかの誰かさんみたいに弱い振りして寝首を掻く趣味はないから、特別に私の力を見せてあげる。係員さん、例のモノを持ってきてー」
 なぜか再び施錠された鉄格子の向こう側にいるヨシュアの方をチラ見してから催促する。予め大会関係者と打ち合わせていたようで、複数枚のコンクリートのブロック塀が少女の前に重ねられる。
 先程の空中ジャンプショーで少女の体術は証明されたが、今度はクラシカルな瓦割りで破壊力を誇示するつもりらしい。軽く深呼吸して膝を落として構えると、ブロックの前に右手を翳した。
「おいおい、あの体型で本当に割れるのか?」
 期待半分、少女の身の上を案じた心配半分の観客がゴクリと固唾を飲む中で、レンレンは「ぃやぁぁ!」と可愛らしい雄叫びをあげながらパーの形に開いた掌底を真下のブロックに垂直に叩きつける。
 しかし、残念ながら三段重ねのブロックには何の変化も生じず、どうやら失敗のご様子。小さなお子さんだから洒落で済むが、大人の武芸者なら切腹ものの失態。少女は気恥ずかしさを感じたのか、ヨシュアと似た琥珀色の瞳にジワリと涙が零れた。
「えーん、イタイ! イタイ! イタイよー!」
 痛みに耐え兼ねたレンレンは右拳を抑えたままゴロゴロと闘技場を転げ回り、そのコミカルな姿に客席がどっと爆笑した。
 特別な技能を披露しなくても、生きているだけで芸になるのは可愛い小動物や赤ん坊などの特権なので、これはこれで楽しい見せ物ではある。
「あーあ、やっぱり『一番上のブロック』は割れなかったかあー」
 ハムスターのように両頬をぷくっと膨らませフーフーと右掌に息を吹きかけると、「なんちゃってえー」と嘘泣きをストップ。子猫のような仕種で悪戯っぽく舌を出す。
 次の刹那、誰も触れていないブロックが突然グシャリと崩れ落ちて、周囲の観衆は仰天する。
 ポックルが慌てて駆け寄って残骸を調べる。一段目のブロックは無傷なのに、二段目と三段目は中央から真っ二つに引き裂かれている。
 もし、先のレンレンの掌底で砕かれたのなら、衝撃は上方の一枚目を素通りして下二つのブロックに直接叩き込まれたことになる。
「あれは、泰斗流奥義『寸勁』。まさかあのような幼子が使いこなすとは信じられん」
「寸勁って、確か兄貴がグラッツさんをKOするのに使った身体の内部に直接ダメージを与える技だよな?」
 エステルの質問にジンは険しい顔で肯く。
 寸勁は流派相伝の門外不出の秘術なので、泰斗の一門に連なる者しか習得するのは叶わず、レンレンと名乗る少女が誰から技を教わったのか訝しむ。
(キリカか…………それとも、まさかあいつが? いや有り得ない。あの男は裏社会に潜った筈だ)
 ジンの警戒心が伝染したように、ポックルは先程とは打って変わった真摯な表情でブロックの欠片を検分。無傷の一枚目と砕かれた二、三枚目を交互に見比べる。
 少年は剣術家なので拳法は門外漢だが、結果から推測すればどのような原理の技なのかは自ずと察しがつく。
 よしんば三枚全て叩き割られていれば、力量に感心こそすれ何の脅威も覚えなかっただろうが、直接の打撃物のみを無視した不自然な破壊法に畏怖する。
 この少女がDEF(物理防御力)を貫通する術を身につけているとすれば、彼の纏う鎧や人並み以上に頑丈な肉体は何ら意味を持たず。あの小さな身体でも大人並みの体力を誇る自分と渡り合えることになるので気を引き締める。
「済まない、確かに君のことを嘗めていたみたいだ。俺も本気で立ち会わせてもらう」
 実剣を鞘から引き抜いたポックルは迷いを捨てた切っ先を少女に向け、レンレンは満足そうな表情でニコニコと微笑んだ。
「それでは各々デモンストレーションも終わったので、これより幼年の部決勝を始めます」
 剣と拳の二つの得物(けん)を構えた少年と少女が正面から激突する。
 子供離れした体躯を誇り、大人レベルの剣の腕前を所持する八葉一刀流十年に一人の天才児ポックル。
 かたや身軽な体術と寸勁などのスキルを会得しているとはいえ、ポックルの半分以下の体重しかない非力な拳法家レンレン。
 客目線とは逆にメタ視点からだと色んな意味で悲しいぐらい勝敗が透けて見えるお子様同士の対決が今スタートした。



[34189] 19-29:魁・武闘トーナメント(ⅩⅩⅨ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/29 00:01
「とりゃああー!」
 王家武術大会・幼年の部の決勝戦。
 部門名そのものの幼女相手に本気でロングソードを振り翳すポックル少年の斬撃を、レンレンはずば抜けた見切りで回避し続ける。
 八葉一刀流は成長期の肉体に負担を強いない教育方針なのでポックルはクラフトを一つも所持していないが、それだけに基本技術を徹底的に身体に染み込ませた一つ一つの剣戟が速くて鋭く攻撃が途切れることがない。
 得物に振り回されるのでなく、剣を自在に操っている。攻撃後の硬直も短く怒濤の波状攻めも可能で、同年代クラスならまず無双できた。
 ただし、少年の相手も十二歳以下の幼子とは思えぬ体術の遣い手。慎重に剣の間合いを見極めながら、懐に潜り込める機会を伺っている。
 こうして一進一退の熱い攻防が続いており、下手な大人の予選よりもレベルの高い好勝負に客席から歓声が沸き上がるも、腕組みしたジンは怪訝な表情をしている。
「解せぬな、あのレンレンとかいう少女」
 リスのように身軽で素早く動体視力と反射神経は常人離れしているが、拳法家として見るなら無駄な動きが多くてまるっきり素人に近い。
 年齢を考慮すれば未熟なのが自然だが、少女はジンですら会得に数年の修行年月を費やした高難度奥義をマスターしている。どのような流派で学んだにしろ、何かしらの拳術の下地のようなものが浮かび上がらなければ不自然だ。
(拳法とは無縁の武芸者が、Aランク拳術奥義のみを習得したような歪さは一体?)
 そう首を捻るジンの隣では、ヨシュアが琥珀色の瞳を真っ赤に光らせて魔眼の能力でレンレンの動きを検証中。何か思うところがあるのか、あの解説魔が口を噤んだまま少女に対する論評を差し控えていた。

(えーん、このままじゃ、埒が明かないよー)
 ポックルの剣撃を避けながら、レンレンは八方塞がりな現状に心中で密かに焦りを覚える。
 対戦相手の少年の力量に脅威を感じているのではない。少女が勝手に己に課した縛りプレイのハードルが高すぎて、難易度がナイトメアまで跳ね上がったのが問題なのだ。
(えっとー、見せて良い身体能力のレベルはSPDは20、STRは5で、DEFは攻撃を全部交わすから設定してないけど、きちんと技を使ってKOしないといけないんだよね?)
 ようするに、『十一歳の少女が巨漢を倒す』というミッションを、周囲に違和感を与えずにクリアしなければならず、本来の能力パラメタを目晦ます為に同僚から習ったのが防御力貫通スキル『寸勁』。
 ただし、寸勁を撃つには対象物に手を翳したまま一瞬の溜め動作が必要。待機型クラフトに較べれば微々たる待ち時間とはいえ、接近戦では意外に面倒な誓約だ。
 少女が取り決めた瞬発力の数値レベルでは少年の懐に入るのは難しいし、うまく潜り込めたとしても衝撃を放つ僅かなタイムラグの間に避けられるか迎撃されてしまう。
 本来であればそういう隙を作る対戦相手との駆け引きが拳法の醍醐味なのだが、ジンが見抜いた通り実は少女は無手格闘術は全くの門外漢。即席で一撃必殺技のみを仕込んできた単なる巨艦大砲だ。
(何時ものスピードが出せれば簡単に懐を取れるし、パワーの設定を上げられるなら相手の攻撃をガードする手もあるけど……)
 少女の見かけ上の筋力であの大剣を受け止めるのは素人目にも不自然極まりない。焦れったいながらも全て避けるしかない。
 相手の少年が何からのクラフトを使ってくれば、その硬直時間を上手くカウンターに利用できそうだが、その類の小手先の技に頼らずひたすら基礎能力値で勝負するタイプなので中々チャンスを伺えない。
(仕方がない。ちょっとリスクはあるけど)
 従来の実年齢に反してあらゆる能力値がチート設定されている少女も、人体構造の特性上、DEF(防御力)だけはそこまで逸脱した高数値を得られずにあまりダメージを受けたくはないが、これ以上長引かせるとどこでボロを出すか判らないので肉を切らせて骨を断つ作戦で決着をつけにいく。
「でや! どや! てやぁー!」
 軽く息せぎながらもスタミナを切らすことなく、どんどん切れ味を鋭くさせるポックルの斬撃に、のらりくらりと交わしていたレンレンはとうとう袋小路に追い詰められる。
 少女の俊敏性の高さに梃子ずらされていたポックルは、この死地から逃がさぬようにじりじりと距離を詰めながら少女の下半身を中心に責めたてる。
 上半身の見切りと違って足元を狙われると回避する術は少なく、ましてや周囲を壁に阻まれ後方に下がれないとなれば後は空中に逃れるぐらいしか道がない。
 左足を払われてふらつき掛けたレンレンは、返す刀で逆足を薙ぎなわれて、たまらずジャンプする。
 まさにその瞬間を狙っていたポックルは、自然落下するしかない宙空の無防備な少女に止めの一本突きを放つ。
「何っ?」
 この千載一遇の好機を虎視眈々と伺っていたのはレンレンも同じ。相手が大振りする隙を待ち構えていた少女はグローブを嵌めた両手で長剣の上に逆立ちすると、そのまま一回転して少年の後方に逃れる。
 慌てて振り返ると、腰元を落として拳を構えた少女は少年のお腹の位置に掌を当てる。
「ぃやぁぁ!」
 一呼吸置いてから寸勁が炸裂。衝撃が身体の内部に伝わり、軽く吹き飛ばされた少年は後頭部をフェンスにぶつけてそのまま崩れ落ちた。

「おお、スゲエ」
「ブラボー、チャイニーズリトルガール!」
 皆、ちっちゃくって可愛い幼女が花咲くのを望んではいたが、そのサプライズがまさか現実になるとは努々思わなかった。本番前の前座なのに観客は沸騰して拍手の洪水が巻き起こる。
「イタタ、やっぱり切れちゃったか」
 擦り切れたグローブ下の両掌の柔肌が少し血で滲んおり、レンレンは傷跡を猫のようにペロリと舐める。
 ヨシュアのような訳ありの軽業師ならともかく、軽めとはいえ実剣に全体重を乗せて生手で倒立するなどという無茶をやった代償を受け入れた上で武装モードを解いたが、少女は油断していた。
 まだ主審は「勝負あり」の宣告をしておらず、背後からレンレンに向かってフラフラと大きな影が近づいていく。
「えっ?」
「うがああああ……!」
 異質な気配にレンレンが振り向いた刹那、ポックルが薙ぎ払った剣が少女のこめかみにクリーンヒットし大きく弾き飛ばされる。
「きゃあああ!」
 客席から悲鳴があがる。地面に伏して右手で頭部を抑えたレンレンは、「あれ……何?」と右掌のグローブにべったりと血が張り付いているのを虚ろな瞳で見つめる。
「ストップだ。ポックル君、もう試合は終わり…………ぐあ!?」
 少女の身を案じた主審がレフリーストップで強制的に勝負を停止させようとしたが、ポックルの裏剣を鳩尾に叩き込まれてその場に平伏す。
 品行方正な八葉一刀流の門下生らしからぬ暴挙の数々に周囲は唖然とする。完全に白目の少年の眼球には黒目がなく、とても正気とは思えない。
 後頭部を壁に直撃した際に理性を失ったらしい。今のポックルは闘争本能だけで動く物体を無差別に攻撃する野獣のような存在で、のっしのっしとうずくまって震えるレンレンに近づく。
「おい、これはまずいだろう。誰か止めないと取り返しのつかないことになるぞ」
「そうね、あの子、完全に切れているわ。このままだと殺されるわね」
 蒼の組の控室ではエステルが大騒ぎする。瞳を琥珀色に収束させたヨシュアの発言に表情を引き攣らせたエステルは自分が助太刀しようとしたが、目の前の鉄格子は堅く閉ざされたままで闘技場には入り込めない。
「ああっ、くそっ。大会運営本部は何やってるんだ? 死んでも文句は言わない契約は大人の話で、子供の公開処刑なんてあってはならないだろ!」
 エステルは物干し竿で格子を叩くも、特殊合金製の柵はびくともせず。そうこうしている間にレンレンの眼前に辿り着いたポックルは大きく剣を振り上げた。
「止めろ、ポックル! もう勝負はついている…………」
「エステル、あなたは何を勘違いしているの?」
「勘違いって…………ヨシュア、お前、一体何を言って?」
 必死に少年を呼び止めようとする義兄の見当違いな配慮を窘めながら、ヨシュアは琥珀色の瞳に無機質な光を称えて真相を告白する。
「本当に生命が危ないのは、彼方の男の子の方よ」
 「へっ?」という間の抜けた言葉がエステルから漏れるのと、ポックルが剣を振り下ろすのと、どちらが早かっただろうか?
 レンレンの小さな頭部がザクロのように叩き割られる光景を想像して、客席の彼方此方が阿鼻叫喚の巷と化すも、少女は左手一つで少年の斬撃を軽々と受け止めた。
「ぐっ?」
 ポックルは両手で握りこんだ剣を必死に動かそうとするが、左手一本で剣を支える幼女はピクリとも動じずに、この不可解な力比べの情景に周囲は目を疑う。
 頭部からドクドクと血を流したレンレンはさっきまでのお茶目さが嘘のような冷たい目線で少年を射抜きながら、空いている右手を添えて両腕で切っ先を掴むと、ポックルの足元が地面から離れて宙に浮く。
「やぁぁぁっ!」
 レンレンは自分を中心円としてその場で高速回転する。剣にしがみついたポックルを遠心分離機のように振り回して、十回転ほど勢いをつけてからハンマー投げの要領で遠くに投げ飛ばす。
「うわあああ!」
 今度は背中からフェンスに激突したポックルはそのまま地面に大の字に横たわるも、少女の追撃はまだ終わらない。
 先の倍近い速度のチーターのような瞬発力で一瞬で少年のお腹の上に馬乗りになると、そのままマウントポジションをキープする。
「うふふ……死んじゃえ!」
 レンレンが大きく右腕を振り被る。
 意識が戻り掛けた少年の霞んだ目には、少女の後背に髑髏の形をした死神が憑いているように映ったが、それは錯覚ではない。
 少女は『とある契約』により、他者の魂を狩る異能の力を体内に宿している。死そのものを内封した攻撃を受けた者の魂は砕け散るのだが、突然何かに怯えたような表情で振り降ろし掛けた『死神の鎌』を制止する。
「くっ!」
 身体の芯がゾクリと震えて、背筋に悪寒が走る。
 この場に留まれば、数瞬後には首を落とされる死の強迫観念を肌で感じ取ったレンレンは反射的に少年の身体から飛び下りて、殺意の方角を振り向きながら臨戦態勢を築く。
 すると鉄格子の裏側の蒼の組控室内で、急激な状況変化についていけずに困惑するエステルの隣で、ヨシュアが冷やかな琥珀色の瞳で少女を見つめている。
(ちっ、あの人形女!)
 思わず舌打ちする。ヨシュアは魔眼などの何ら特別な能力を行使したわけではなく、単に『殺意の視線』で牽制しただけだ。
 贋作(フェイク)
 有名な絵画の偽物をそう呼ぶ。中には数千万ミラの値がつけられた有名作品の贋作でありながら、長年専門家の鑑定を欺き通した傑作も存在する。
 たとえ偽りであろうとオリジナルに等しい完成度を持つなら、それ即ち本物と何ら変わらないという逸話。演技の寵児であるヨシュアは本物の殺気と寸分違わぬ偽物の殺意だけで、他者に直接死のイメージを喚起させ行動を縛るのが可能。
 本物の死神の後継者が偽物(フェイカー)に怯ませされた現実に少女は歯ぎしりするが、今の回避行動で我に返る。落ち着いて周囲の様子を観察すると、ポックルは完全に失神。観衆は騒めき戸惑っている。
 少女が力の一端でも本気で開放したらこうなるのは目に見えていたので、寸勁などという面倒臭いスキルを調達してきたのにこれでは全てオジャンだが、何とか体裁だけでも取り繕うと無理やり笑顔を浮かべる。
「というわけで、相手のパワーを逆利用し自分より重い術者を投げる。打極投の全てを会得してこそ拳法家なので、打(寸勁 )だけでなく投(柔術)もお見せしましたが、機会があれば最後の極(寝業)もご披露するよ」
 レンレンが両手を広げたままペコリと頭を下げて、しばらくしてからポツリポツリと拍手が零れる。
 本当に柔よく剛を制すの術理だったのか観衆の心にしこりが残ったが、現実として幼子が力任せに大男を投げ飛ばせる筈もない。そう自分を納得させることにした。
「しょ、勝負あり! 今年の幼年の部優勝は蒼の組、レンレンです」
 ヨロヨロと起き上がった審判が勝利を告げながら少女の左手を高く掲げて、危うく命拾いしたポックル少年は担架で運ばれる。
 こうして前座のお祭りはレンレンが小さなトロフィを受け取って幕を閉じる。八葉一刀流はエステル以来、五年ぶり二度目の黒星をつけられた。

「よう、お嬢ちゃん。あの寸勁は誰から教わったんだい?」
「うーんとね、私の師匠だよ」
 疑問は星の数ほどあれど、最も気になる一事を蒼の組控室に戻ってきたレンレンに問い質したが、ある意味必然の解答が返ってきてジンは眉を顰める。
「そのお師匠様の名前を…………」
「私、頭から血が出てクラクラするから医務室で治療してくるよ。おじさん達も決勝戦頑張ってね」
 煙に巻かれたのは明白だが、負傷を盾にされては引き止めるのも叶わず。手を振りながら扉の外に消えていく少女を見送る。おじさんと呼ばれて内心でショックを受けていたジンにエステルが疑問をぶつける。
「なあ、兄貴。あいつ柔とか口走っていたけど、ポックルの剣を受け止めてからの一連の流れは……」
「ああっ、技術ではなく紛れもなく純粋なパワーで少年を圧倒していたな」
「やっぱり、そうか。なあ、ヨシュア。お前はどう思う…………って、あれ?」
 摩訶不思議な幼女の正体について解説大好きな義妹に講釈を任せようとしたが、何時の間にやら腹黒参謀は控室から忽然と姿を消している。
 隠密能力に特化したヨシュアなら誰にも気づかれずに退出するのは容易だろうが、間もなく決勝戦が始まろうというこの瀬戸際でどこに出掛けたのやら、エステル達はハラハラしながら互いの顔を見合わせた。

        ◇        

「貴方、組織の一員でしょ?」
 無人のメディカルルーム前の廊下で黒髪の少女から待ち伏せられたレンレンは、ジンに続いて再度の質問責めに合い能面のように無表情になる。
「掌診断から得物と力量を推測されるのを隠す為に拳法家の振りをして籠手を嵌めてきたみたいだけど、目線の動き、間合いの測り方、更には少年を投げ飛ばした戦技(ブラッドサークル)で大凡の察しがつく。従来の武具は死神の大鎌(デスサイズ)といったところかしら? いずれにしてもあなたの年齢でのその技量は常識の範囲を逸脱し過ぎている。真っ当な道場でマトモに修行し得られるような力ではない」
 可能性があるとすれば七耀教会の聖痕(スティグマ)持ちの守護騎士か、かつて漆黒の牙が所属していた組織に拾われた執行者候補生ぐらいだが、少女の内側に垣間見えるドス黒い炎からしてほぼ後者だろうと見当をつける。
「もっとも、あなたと私の間にどんな禍根があったとしても、あの女の所為で私はあなたのことを何も覚えていないのだけど……」
「あはは、さっきから何口走ってるの? お姉さん、宙二病(おかしなやまい)の気でもあるんじゃないの?」
 ニコニコと微笑みながらご高説を遮り、ヨシュアは琥珀色の瞳に値踏みする色を浮かべながら幼女を見下ろす。
「あの熊みたいなおじさんといい、私みたいなお子様を捕まえて何を聞き出したいのかさっぱり判らないけど、いい加減に帰らないと決勝戦に間に合わないんじゃないの?」
「そう、邪魔したわね。てっきり私に何か用事があるかと思ったけど自意識過剰だったみたいね」
 あっさりと前言を翻すとクルリとレンレンに背を向けて、蒼の組の控室の方角に足を運ぶ。
 ヨシュアが視界外に消えてからも、なぜかレンレンは医務室に入らずにその身に立ち尽くす。それから五分ほどして、館内にアナウンスが鳴り響く。
「皆様、お待たせしました。長い幼年の部の歴史の中でも屈指の激闘の興奮も醒め止まぬ中、予選開始から一週間に渡って開催されていた武術大会の最終カードを発表します。南・蒼の組、遊撃士協会所属。ジン選手以下4名のチームと北・紅の組、王国軍情報部、特務部隊所属。ロランス少尉以下…………」
「………………何も覚えて…………いない…………ですって………………」
 ワナワナと震えながら左手を壁に置く。少女の異常な握力に耐えきれずにコンクリートの壁がミシミシと音を立てて、亀裂を走らせる。
 幼子とは思えない険しい形相で、少女の内面を反映したように壁のひび割れが蜘蛛の巣のように広がっていく。
「自分一人じゃ何も考えられない……何一つ決められもしない人形の分際で。もう我慢できない。あのエステルとかいう心の支えの目の前で今すぐ酷たらしく…………いやまだ早い。あんな脱け殻のような腑抜けた状態を倒しても私の渇きは癒えない…………満たされない。ちゃんと記憶と力を取り戻した万全の態勢で、私の方が上だと認めさせないと……捻じ伏せないと、何時まて経っても私の悪夢は終わらな…………」
「ふふっ、荒れているな、レン」
 思考にノイズが走り、視野が大きく歪んだレンレンを、後ろから何者かが『レン』という別名で呼び止める。その人物を視野に収めるや否や頭の中の霧が晴れる。
 雨嵐のような雑音(ノイズ)は鳴り止み、年相応の邪気のない笑顔を輝かせると躊躇うことなく男性の胸元に飛び込んだ。
「レーヴェ!」

        ◇        

「これより、武術大会団体戦大人の部決勝戦を始めます。両チーム、開始位置についてください」
 センターラインを境目に蒼の組側にジン達ブレイサーズが整列。紅の組陣営に仮面の隊長ロランスに率いられた黒装束の特務兵が立ち並ぶ。
 いよいよエステル達の命運を賭した、長かった武闘トーナメントを締めくくる最後の一戦が始まる。



[34189] 19-30:魁・武闘トーナメント(ⅩⅩⅩ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/30 00:01
 王都の武術大会のファイナルマッチ。
 審判の合図と共に配置に散っていき、ジンとエステルが最前線に位置取り、ヨシュアが中衛、オリビエは後方に下がる。
 ブレイサーズ決戦の変則個人戦モードと異なり、今度はオーソドックスなフォーメーションでパーティーバトルを挑むようで、特務兵達は敵の健康状態をチェックする。
(ぱっと見た所では、昨日のダメージが蓄積されているみたいだな)
 見習いの兄妹は無傷だが、準決勝の激戦が尾を引いているのか大人二人の体調があまり良さそうではない。
 要注意人物と見做す拳法家は痩せこけた外観からして、能力パラメタを大幅にダウンさせている。数合わせと侮られているガンナーはどうした訳か昼食時とは打って変わって表情を青醒めさせたまま、夢遊病患者のような重そうな足取りを隠さない。
(油断を誘う演技の可能性もあるので慢心は禁物だが、上手くいけば裏技抜きで勝てるかもしれんな)
 ドールマンは中央VIPルームを見上げる。己が執事と自分たちの上官を両脇に立たせて貴賓席に踏ん反り返るデュナン公爵の姿を確認する。
 所詮は御輿に過ぎないとはいえ、一応は次期国王陛下であらせる。大会を目茶苦茶にして主催者たる公爵の不興を買うのは得策ではない。
 さしたる政治的ビジョンもなく気前良く実権を大佐に丸投げして、本人は相応の敬意と放蕩三昧で満足され御仁なので傀儡としてこれほど相応しい人物像は他にない。
 もちろん一度関係性が決裂すれば、即座に幽閉されるだけの憐れな存在だが、仲良くやれるならそれに越したことはない。
 幸い敵側もベストコンディションには程遠そうなので、真っ当な優劣が定まるまでは正攻法で様子を見ようと緊急手段の一時凍結を決意する。
「空の神(エイドス)も照覧あれ。双方構え。勝負始め!」
 腹黒軍師の推測通りに敵味方の情勢の変化が彼らの実弾使用を躊躇わせたが、その迷いが後に決定的な隙を産むことになるとも知らず。審判の号令と共になし崩し的に決勝の火蓋が切って落とされた。

「ふふっ、愛と真心を君たちに……」
 真っ先に動いたのは一人フェンス前まで下がっていたオリビエ。フラフラした動作で例の深紅の薔薇の花束を宙に放り投げると、自ら銃弾を撃ち込んで周囲に花吹雪を展開させた。
「ちっ、前の試合で見せた目晦ましか!」
「どうする?」
「放っておけ。むしろ、これで優先順位が明確に定まった」
 戦場の紅一点たる黒髪少女はロランス少尉担当らしい。準決勝のメイルの時のようにアレが闘技場の端に誘導されていく姿を尻目に、特務兵は鉤爪を展開するとドールマンはエステルに、ラウルとメイスンはジンに張り付いて接近戦に持ち込む。
 蒼の組の陣地一杯に拡散した煙幕の中に導力マシンガンを目晦撃ちしても上手くオリビエの本体に当たる確率は低いので、膠着状態を維持して敵の飛び道具を封じる策だ。
 準決勝までの戦闘経過を見比べれば、人間離れした無双劇を披露したジンを複数人数でマークし、足手纒いとは言わないまでも目立った活躍のなかったオリビエが放置気味にされるのは必然の展開だが、だからこそチーム最大の切札をこの決勝まで温存するのに成功した。
「あれは、オーバルアーツの光?」
 ドールマンはエステルの物干し竿と鉤爪を鍔競り合わせ一進一退の攻防を続けながら、赤い光が薔薇の煙幕の微かな隙間から駄々漏れる情景を訝しむ。
 オリビエが身を隠したままアーツの詠唱態勢に入る。光色から炎属性魔法のようだが、複数の隙間から同時に光が零れており、術者の位置特定には役立たない。
(解除弾はピンポイントに撃ち込まないと効果がないから、詠唱を止めるのは難しいか………………って、こいつら?)
 オリビエの詠唱を見定めた敵側の前衛二人の動きが突然慌ただしくなる。間合いを図るというよりはひたすら敵を引き離そうと攻撃アクション抜きで定期的な移動のみを繰り返す。
(なるほど、そういう狙いか?)
 最初はメイル達みたいな自爆作戦かと思ったが、エステル達の首筋には馴染となった褐色に輝く秘石・タイガーハートがペンダントのようにぶら下げられている。
 オフザバトルのスペース移動により、上手く敵をアーツの範囲内に置き去りにして、自分らだけ脱出を試みているのだ。
(甘いな、そんな手が通じるのは、本能のままに暴れ狂う魔獣ぐらいだぜ)
 彼奴がどれほど手配魔獣退治の傍ら、攻撃アーツを軸にした集団戦術を磨いたかは知らないが、範囲魔法の脅威を知る知恵ある人間がみすみす死地に取り残される愚行を犯すことはない。
「副隊長殿?」
「構うことはない。各対象に取りついて絶対に逃がすな」
 炎系アーツは他の属性魔法より高威力な反面、範囲が最大でも中円と手狭なので、密集態勢を取られなければ攻撃を当てられる人数は限られている。
 ましてや、物理特化装備のタイガーハートでエステル達のADF(魔法防御力)はマイナス化しているので、タット達みたいに相討ち覚悟で巻き込むわけにもいかない。
(アーツを放つ瞬間に振り切られない限りは被害は味方の方が大きくなる計算だから、仲間の身を案じるなら詠唱をキャンセルするしかない)
 交戦というよりは鬼ごっこに近い形で命懸けの駆け引きが続く。パワーはともかく単純な機動力では闇の眷属たる黒装束に軍配が上がる。エステルもジンも敵にピッタリとくっつかれたまま引き離せず、カウントダウンが刻一刻と近づいていく。
 詠唱完了5秒前、今まで大きく離れていたエステルとジンが互いを目掛けてダッシュし、ぶつかるか否かの寸前で左右に交差して駆け抜ける。
 カルガモの雛のようにトレースしてきた特務兵同士を衝突させ振り払う魂胆のようだが、この手の乱戦に馴れているのは奴らも同様。ラウルの手合図で急停止し、辛うじて玉突き事故を回避する。
 そのまま各々の標的をスイッチすれば、タイムロスなく追い付ける。遊撃士側の作戦は不発に終わる筈だが、振り返った彼らは目を疑う。
 一歩でも距離を稼ごうとしていた敵の前衛二人が突如、反転して自分らの側に突進してきた。エステルはドールマンの腰元に抱きつき、ジンは両腕でラウルとメイスンを抱きかかえたまま前進。敵味方関係なく押し倉饅頭のようにごちゃ混ぜになる。
「ふふっ、煉獄の業火を君達にプレゼントしよう。あっ、そおれぇー」
 まさに、その瞬間。煙幕が晴れて視界が良好になると同時にオリビエの詠唱が完成。巨大な焼夷の炎・ナパームブレスが天から降り注ぐ。
 ナパームブレスは効果範囲を小円に凝縮することで、四元素最強の火属性の中でも最高火力を誇る単体アーツ。局所に密着した五人の身体を900度の高温で余すことなく焼き尽くす。
「「「ぐおお……!」」」
「ふがあっ!」
「うわあああ、流石にきつい!」
 前回に続いてメイスンとラウルは再び炎に焼かれるが、今度はドールマンの他にもエステルとジンまで延焼に巻きこまれている。
 導力で作った疑似炎は、現実の火と違って服を焦がしたり肌を火傷させることはないが、体感する熱量に違いはなく燃え盛る炎の中は阿鼻叫喚の地獄が続いている。
 術者の魔力の高さに応じて火力を大きく変化させるは、どの属性アーツでも共通。ワンラインの最高魔道師が造り上げた炎の檻は五人を閉じ込めたまま燃え尽きることなく、闘技場の中央に巨大な炎の花を咲かせる。
 一分近く燃焼を続けて、周囲の観客を虜にした火の柱がようやく勢いを衰えさせる。やがて燻火を残して鎮火すると、生きたまま火炙りの刑に処された五人の死刑囚がバタリと地面に倒れた。
「しょ、正気か、お前ら?」
「熱い……死……ぬ…………」
「貴様ら、どうして動ける?」
 昨日の火達磨を火遊びに錯覚する程の超高熱の疑似炎に長時間焼かれて、体力を根こそぎ削り取られて指一本動かせなくなったドールマン達の掠れ往く瞼に、のそのそと起き上がってきたエステルとジンの姿が映った。
 二人もまた首の皮一枚のHPを残した虫の息状態。タイガーハートを装備した物理屋二名が高魔力の炎に蝕まれて生き延びたのか不審がるが、さっきまで茶色をしていたペンダントの秘石が何時の間にか雪のように真っ白に輝いているのに気がついた。
「おっと、ばれちまったか。こいつは純白の秘石(ソウルストーン)と言って俺が釣り上げたガラクタの一つだ」
 ソウルストーンはADF(魔法抵抗力)のみを大きく上昇させる。希有だがあまり使い途がない効果の装飾具なので売り物にならずにヨシュアがキープしておいた。
 このアクセサリを初めて実戦投入する上で特務兵の目を欺く為に色を塗り替えタイガーハートに偽装していたので、ブレイサーズの前衛二名はこの決勝戦に限って物理でなく魔法特化装備で臨んでいた事になる。
「まっ、ソウルストーンはあくまで補助であって、本命はこっちだけどな」
 懐の奥から真っ赤なアミュレットを取り出す。『紅耀石の護符』と呼ばれ七耀石の結晶から作られた古代遺産(アーティファクト)クラスのレアアイテム。身につけた者の攻撃と防御の属性を『火』に変える他に類を見ないユニークな効果を装備者に齎す。
「俺と兄貴、それにオリビエの三人はこの護符を装着している。もっとも、オリビエはソウルストーンの代わりにクリムゾンアイを併用しATS(魔力攻撃力)を大幅にアップさせているがな」
 背に腹は変えられないと、ヨシュアはクローゼのクリムゾンアイを一時的にオリビエに貸し与えた。お気楽な楽師が妙に体調が悪そうだったのはこの呪石のマイナス効果ゆえ。
 ちなみに希少品の紅耀石の護符を何故エステル達が三枚も所持しているかといえば、元々はメイル達の所有物でこの試合限定でヨシュアがレンタルしてきた。
 ポップル国の遊撃士チームは、琥曜石(アンバール)、蒼曜石(サフィール)、紅曜石(カーネリア)、翠曜石(エスメラス)の四属性の護符をそれぞれ三枚ずつ合計十二枚も保有している。
 魔神(ガイストレイス)を討伐した唯一の見返りが、ミラではなくこの護符たったそうだ。辺境勇者として世界の一部を救った云々の妄言はあながち法螺話では無かったのかもしれない。
 大会中、彼女らはガウ以外の全員に、土属性の『琥曜石の護符』を装備。タットの地震魔法(タイタニックノア)の威力を大幅にアップさせ、ブラッキーは属性防御でダメージを半減させ戦闘不能を免れた。
 自らの属性を完全に塗り替える代償として、反対属性(土←→風、火←→水)の攻撃を受けた場合にダメージが倍化するリスクがあり、タットがロランス少尉の『零ストーム(※風属性の解除系クラフト)』で一撃でKOされたような事故も起こりえたりする。
 いずれにしても彼らの戦法にあやかり、ヨシュア以外の三者の属性を火に変更することにより、オリビエのナパームブレスの火力を上乗せした上でエステルとジンは属性防御によって生き残る作戦を決行。結果、見事に特務兵の三人を纏めて葬り去るのに成功した。
「あのドケチのメイルが秘蔵品を気前良く貸し出してくれるなんて、よほどお前らの悪辣な遣り方が腹に据え兼ねたみたいだな…………って、もう聞いちゃいないか?」
 どこまで説明を聞き入れたか不明だが、救国の執念も及ばずラウル達は既に失神している。
 クリムゾンアイと紅耀石の護符で二重に底上げたワンラインのオリビエの最高火属性魔力を生身で浴びたのだから、何らの魔法対策も施していない彼らが魂ごと根こそぎ焼き尽くされたのも無理はない。
 気絶したメイスンの懐をガサゴソと漁って、黒光りするカートリッジを抜き出して内部を改める。すると国際協定で使用禁止の実弾がビッシリと積められていた。
「兄貴、やっぱりこいつら……」
「何も言うな、エステル。試合を楽しんでいる満場の観客に態々水を差すことはない」
 瞳に険しい色を浮かべながらも、ジンは首を横に振る。
 準決勝までのガチンコの殴り合いを心からエンジョイしていたウーシュウは、最後の大舞台での顛末に遣り切れなさを覚えたが、何も知らない第三者にまで業を背負わせる気はない。
「俺たちは死力を出し尽くして戦った。それで十分さ。しかしこうなると、やはり軍師殿の方針は正しかったようだな」
 腐っても特務兵は闇社会に名を轟かす猛者なので、不調のジンとエステルの二人だけでは物理的な正攻法で三人纏めて瞬殺するのは難しい。
 もし、接戦に縺つれ込んでいたら、奴らは反則負け覚悟で銃弾のシャワーをエステル達に浴びせていただろうから、血溜まりに平伏しているのは自分らの側だったかもしれない。
「対人間では半端な誘導は効かないから、前衛の囮ごと敵を道連にする動作を身につけるのが最終目標だったし、魔獣相手に範囲アーツの位置取りを練習した甲斐があったな、兄貴?」
「うむ、後は軍師殿に任せて俺たちは休むとしようか、エステル」
 務めを果たした前衛コンビは地面に腰を下ろすと、互いに背中合わせになってその場で休息を取る。
 攻撃アーツによる魔力ダメージは肉体でなく精神に多大な負荷を強いるので、人並み以上に物理的にタフな筋肉メンも流石に精魂尽き果てた。
 戦場にはまだ圧倒的な戦闘能力を持つロランス少尉が残っているが、アレはこの大会のラスボスなどではなく王城進出を阻む単なる障害物に過ぎないので、武闘トーナメントを締めくくるフィナーレは紅一点の千両役者に譲ることにしよう。



[34189] 19-31:魁・武闘トーナメント(ⅩⅩⅩⅠ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/05/31 00:01
「凄えじゃないか、帝国の演奏家」
「不良(レイヴン)風情に醜態晒した時は、数合わせかの雑魚かと侮っていたけど見直した」
「まさに一撃必殺。アーツの神髄、とくと拝見させてもらったぜ」
 ナパームブレス一閃で三人の屈強な特務兵を纏めて葬りさったド派手な極大魔法に賛美の産声があがる。この大会ずっと鳴りを顰めていて初めて脚光を浴びたオリビエは感涙に打ち震える。
「うーん、エクスタシー。ああ、これだ。道化役も悪くないが、やはり主役として賞賛に囲まれてこそ、この世に生を受けた意味がある」
 オーケストラの指揮者のように両手を空高く掲げると、それに応じて喝采の量が一段と激しくなる。
 長い雌伏の時を経て、ようやく待ち望んだワンマンショーを堪能する日が訪れたが、地べたにひれ伏した瀕死の味方陣営は仲間の晴れ舞台を複雑な心境で見上げる。
「全く、いい気なもんだぜ。身体を張ってあいつのお膳立てした俺らは半死半生の状態なのによ」
 まだ試合途中にも関わらすオリビエはMVP面で自己陶酔しており、ジンの幅広い背中を背もたれ代わりにして座り込んでいたエステルは呆れ顔で突っ込みを入れざるを得ない。
「そうぼやくな、エステル。OneForAll(一人は皆の為に)、 AllForOne(皆は一人の為に)で力を合わせるのがチームプレイだから、楽師殿が日の目を見る順番がまわってきただけの話さ」
「その手番を注目度が高い決勝戦に以ってくるあたりが、いかにも目立ちたがり屋のオリビエらしいけど、俺が一番槍の活躍をした試合あったっけ?」
 チームの重要な歯車の一つとして貢献した自負はあるものの、獲物の一番美味しい部位は常に他の三者に食い散らかされ、やさぐれた気分を隠せないが、「俺たちの誰一人欠けていても栄冠には届かなかった」と兄貴分から窘められては納得するしかない。
 実際には優勝発言は些か早計。まだヨシュアとロランス少尉の最終決戦が残っているが、固唾を飲んで見守る来客はともかくこの二人にとって単なる消化試合。この態勢に持ち込めた時点で勝利を既定の未来として受け入れている。
 お気楽トンボのエステルはともかく、慢心とは無縁のジンが楽観論に傾くのに違和感を覚えるが、合理的な思考フレームを持つヨシュアが必勝を明言したのだから信じるしかない。
(ちなみに今まで企てた数々の起算の中では99.89%が最高率で、ヨシュアは一度も100%という数値を用いたことはない)

 長かった武闘トーナメントを締めくくる最後の対決は、両チームの代表者による判り易いタイマンとなる。異形の剣を振り回す仮面の剣士の斬撃をヨシュアは得物を展開することなく無手のまま、至近距離で涼しい顔して避け続ける。
 ロランスの桁違いの戦闘力は、ここまでの道程で幾度も証明されている。通常攻撃一振りで鍛え抜かれた兵士を戦闘不能にし、エステル級の強さを持つメイルを成す術もなく打ち負かしているが、常人では太刀筋を視認することすら不可能な鋭い剣捌きによる連撃もヨシュアには皆目ヒットしない。
(胸に三撃、左斜め45°に踏み込んで薙ぎ払い攻撃。私が一瞬目線を切らしたら、クラフトのジャンプ攻撃を使ってくる)
 まるで台本の打ち合わせが決まっているかのように、ヨシュアの予見通りにロランスは三連突きを撃ち込むと扇の形で斬り込んでくる。
 その一閃を交わされた際、ヨシュアの視線が途切れた刹那、思考ルーチンに従って大きく真上に飛翔。クラフト『破砕剣』を真下に振り下ろすが、ヨシュアはバク転で一回転して後方に回避。空振りした剣は地面を叩いて、大きな地割れを作る。
(思っていた通り。全ての行動は完全なロジックでランダム性はゼロね)
 力、早さ、剣技、クラフト性能に各動作の硬直時間など一つ一つのパラメタは突出しているが、そのアクションには一切の紛れがない。
 それでも標準クラスの闘士からすれば、アレの基礎能力の高さに押し切られて一方的に蹂躙されるのだろうが、例えばヨシュアのようにロランスと同じ戦闘域に棲息し四百パターンにも及ぶ活動理論を全て解析した数学者にとっては、これ以上与しやすい鴨は他に存在しない。
(確率を尊ぶ私の最大の敵は偶然。私の計算を覆すサプライズを生み出す土壌を持たないのなら、どれほどの戦闘能力を有しようとも何ら脅威に値せず)
 そういう意味では、力量差が天と地ほどかけ離れているエステルの方が何を仕出かすか判らない意外性があるので気を抜けないが、目の前の対象にそういう恐さは皆無。
 改めてアレの限界を見透かしたヨシュアは、アヴェンジャーを抜き取ると両手に装備し戦いに終止符を打つ。
 もう攻略手順は完璧に見定めているので、詰め将棋のように百八手程を費やして気長に追い詰めてもいいが、折角のパーティーバトルなので捨て駒を利用…………もとい仲間の力を借りて二手に短縮しようと、面倒臭がり屋の司令塔はチラリと己が手勢を振り返る。
「ねえ、オリビエさん。私に回復魔法(ティア)を唱えてもらえないかしら?」
「ふっ、心得た。マイハニー」
 遠方で自己陶酔していたオリビエは、ヨシュアの甘いお誘いの声に意識を現実に引き戻す。
 一撃も攻撃を掠らせていないヨシュアは無傷なので治癒要求を訝しむも、未来の花嫁のお願いとあれば否応ない。馬鹿正直にアーツの詠唱態勢に入る。
 その途端、ヨシュアは大きくサイドに移動し、斜めの方角から敵の懐に斬り込む。視界が大きく開けてオリビエを捕らえたロランスは躊躇うことなく零ストームの態勢で振り被る。
「おい、何考えてんだ、あいつ?」
 至近から刃を突き立てようとする眼前のヨシュアには目もくれずに、遠方軌道上にいるオリビエを攻撃しようとするロランスのキテレツ行動に周囲は面食らう。アレが最優先で狙うのは駆動中のアーツ潰しで、こんな危機管理の順位もなっていない欠陥AIで動いているのだ。
 アーツキャンセル効果を含んだ竜巻状の一撃が直撃。「あーれぇ」と悲鳴をあげながらオリビエは吹き飛ばされる。
 タットと異なり、別段風属性に弱いセッティングをしていた訳ではないので辛うじて生き残る。ヤワな後衛とはいえ基本牽制用の解除クラフト一発でHPの大部分を削るあたり、やはりロランスの性能は尋常ではないが、もはや最後の打ち上げ花火に過ぎない。
「ありがとう、オリビエさん。貴方の献身を私は多分、明日の朝ぐらいまでは忘れない」
 仲間の尊い自己犠牲を活かして、敢えてクラフト発動後を待ち構えていたヨシュアは微かな硬直時間に合わせて、『真・双連撃』を叩き込む。ロランスの身体を縦十文字に切り裂かれて胸板が十字架の形に陥没する。
「決まった。流石にこれ以上は戦えないだろ…………えっ?」
 致命傷なのは素人目にも明白。満員御礼のお客さんは決着を確信するが、次の情景に目を疑う。
 ロランス少尉が不屈の執念で再び立ち上がり、試合が続行されたというのではない。むしろ、その逆。
 戦闘不能に陥ったロランスの身体が周囲の景色に同化するようにどんどん薄くなっていき、やがて最初からその場に存在しないかの如くかき消すように消滅した。

        ◇        

「どうしたの、レーヴェ?」
 医務室の中で、灰色の金髪(アッシュブロンド)の青年の逞しい胸板に抱き抱えられうっとりしていたレンは、オデコに巻く包帯の手が止まったのを怪訝がる。
 レーヴェが彼の愛称なら、扉前で声を掛けた男性の正体はロランスの中の人のレオンハルトということになる。
 時間的に決勝戦が始まる前から、メディカルルームでレンと一緒に過ごしていた計算になるが、ついさっきまで闘技場でヨシュアと戦っていた少尉は何なのか?
「いや、どうやら『アレ』が負けたようで、今消失を確認した」
 そう告げながら幼子の治療を完了させたレオンハルトは、レンをそっと床下に下ろすと再びバイザー付きの仮面を装着し、幼子はぷくっと頬を膨らませる。
「あーん、またその変なお面を被っちゃうの? 折角のハンサムなお顔が台無しじゃないー」
「ふふっ、俺はロランス少尉として、果たさねばならない役割がまだ残っているからな。それが済んだら合流して、パテル=マテルでヴァレリア湖のアジトに一緒に引き上げるとしよう」
「うん、判った。お仕事頑張ってね。いってらっしゃーい」
 機嫌を直したレンはニコニコするとベッドに腰掛けて、足元をぶらつかせながら退出する仮面の男を見送る。
 少女は物見遊山で武術大会に参加しただけ。『殲滅天使』が本格始動するのはまだ当分先の話だが、彼は計画の第一段階を進める任務に従事しなければならない。
 ただし、差し当たりはヒステリーの気がある女狐のお小言を聞き流しながら敗北の弁明をするという締まらない作業から手をつけねばならないが。

        ◇        

「そうか、アレの正体は『分け身』だったのか!」
「分け身って一体何だよ、兄貴?」
 物知り博士のヨシュアには及ばないが、十分博識の範疇の経験豊富なA級遊撃士は、観客同様に目をゴシゴシと擦っていた弟分に解説を施す。
 分け身とはその名の通りに自分の分身を生み出す高等なクラフトで、レベルの高い術者ほど己に近い能力値の影武者を長時間持続できる。
 完全自律型なので単独行動が可能な反面、会話や意思疎通は無理。簡単な指令のみで複雑な目的意識を持たせられず、基本的には局地的な戦闘の駒としてしか扱えない。
「おい、待てよ。それじゃロランス少尉とかいう奴は自分の偽物を戦場に送り込んでいただけで、本人は始めからこの大会に参加していなかったってことか?」
「そうなるな。オリジナルより力が劣るコピーでも捻じ伏せられると俺たちが侮られたのか、元々勝つ気が無かったのかは知らんが何れにしても気に入らんな」
「前者なら舐めやがってざまーみろだけど、もし後者だとしたらこいつらも浮かばれないな」
 エステルは少しばかり同情しながら、担架で運ばれていく三人の特務兵を見下ろす。
 反則という履き違えた決意ではあるが、奴らなりに不撤退の覚悟で使命に臨んでいたというのに、彼らの隊長が目的達成にベストを尽くしていなかったとなれば憐れだ。
「我らが軍師殿はアレの本性に最初から気づいていたようだな」
 であればこそ、いかに段違いの強さを見せても所詮はテンプレ通りに動くコピーロボットなので何の警戒心も抱かなかった。
 結局、この武術大会で最も美味しいポジションをキープしたのは満身創痍の男衆と異なり、最後まで傷一つ負わなかった腹黒義妹(※場外乱闘で八卦服を失ったが)のようだ。
(無事、誓いを果たせたわね)
 勝利によってのみ新たな道が開けるのはどの世界にも共通する厳しい現実とはいえ、優勝を必須事項と定めて方々の関係者に約束手形を配布していたヨシュアは空手形を不渡り化させずに信用を維持できたのに軽く安堵するが、地面に落ちていたとあるブツを目敏く発見しさり気なく拾い上げて表情を強張らせる。
「どうした、ヨシュア?」
「……何でもないわよ、エステル」
 義兄の問い掛けに誤魔化しながらはにかんだが、ヨシュアの心臓は彼女しか知り得ない理由でドクンドクンと早鐘のように鳴り響いている。
(たまたまよ、こんな事が起こりえる筈がない)
 世の中は全て必然で成り立ち、偶然で済ますのを単なる現実逃避に過ぎないと常々から主張するリアリストが、この時ばかりは神様の気紛れに縋って運命論を撥ね除けて記憶を封印する。
 決勝のフィニッシュまで何のどんでん返しも発生させずに、完璧に試合をコントロールした鉄の軍師に動揺を齎したのは一本の髪の毛。その色はアッシュブロンド。

「勝負あり。蒼の組、ジンチームの優勝です!」
 消えたロランス少尉の経緯に困惑したが、分け身の説明を受けて状況を把握した審判は遊撃士チームの勝ちを宣言。長かった武術大会で最初の団体戦優勝チームが誕生した。

『この勝利により、エステル達の密かな目標である王城進出のノルマを達成』



[34189] 19-32:魁・武闘トーナメント(ⅩⅩⅩⅡ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/06/01 00:01
 予選・本戦含めて一週間の時を費やした武術大会は、遊撃士チームの優勝で幕を閉じた。
 表彰式で代表者のジンは大会主催者デュナン公爵の拝謁の栄誉と二十万ミラの賞金、更には今宵の晩餐会への招待状を授かる。
 エステル達の本来の目当ては宮廷内への許可証のみだが、ヨシュアは貰える物は何でも頂戴する主義なので遠慮なく褒賞の山分けに預かる。兄妹合わせて十万ミラもの大金をピンハネしたので、文無しの中年男性を養うのに費やした先行投資額は大幅な黒字で回収できた計算になる。
 決勝では特務兵に不穏の影が見え隠れしていたが、腹黒軍師の神風戦術が功を奏して残虐ファイトに持ち込む隙を与えずに瞬殺。大会は表向き恙なく満了する。観客のスタンディングオペレーションに囲まれたまま、ジン達は王立闘技場(グランアリーナ)を後にした。

        ◇        

「よしよし。あのむかつく覆面野郎面どもをぶちのめしてきたわね」
 ホールを出るや否や、まるで出待ちのファンのようにメイル達一行が待ち伏せていた。
 情報部に敗退した地点で彼女らは選手パスの効力を失い、既に完売済みの決勝チケットはダブ屋からの割高購入を求められたが、リベールでの生活費が底を突いており、泣く泣くメンバー揃っての観戦を諦めた。
 こんな時に便利なのが空中を飛行可能な怪獣(ガウ)の存在。一人乗りが限界なので、リーダー特権のメイルを背中に乗せ、空高くからその名の通り高みの見物に洒落こんだ。
「もし、無様に負けていたらレンタル料金を徴収するつもりだったけど、約束通りロハにしてあげるわよ。まあ、それはそれとしてさっさと紅耀石の護符を返して、プリーズ!」
 性急な態度で掌を突き出し催促するので三枚の護符を纏めて返却するが、エルフ耳の少女の余裕の無さが気になる。
 準決勝で親友のアネラスから命綱の護符を強奪した悪逆非道を目の当たりにし、希少品をなし崩し的に借りパクされるのを警戒しているようだ。ヨシュアは少しばかり傷ついた仕種で拗ねてみせる。
「酷いです、メイルさん。私が他人の持ち物をちょろまかすような悪党に見えますか?」
「うん、見える。というか、あたし達があんたらの立場なら、捕まる前にさっさと国外行きの定期便に乗り込んでそのまま持ち逃げしちゃうし」
 常に自分の行動原理を基準点として他者の性根を推し量っているみたいで、エステルは絶句する。純朴少年のタットは一緒だくにされるのに心苦しそうな表情をしていたが、敢えて黙秘する。
 少女の破天荒な言い草には流石のヨシュアも苦笑いするしかないが、エステルとは逆ベクトルで裏表がないので案外、腹黒完璧超人と馬が合うかもしれない。
「ぶしつけながら、メイルさん達はミラにお困りのようですが、だぶついた護符を売却してはどうですか?」
 現状では七耀石の結晶を加工する製法は解明されておらず、工房でも合成不可能な準レアアイテム扱い。王都のオークションに出品すれば、一枚数万ミラで捌ける。何なら四属性セットで十万ミラで買い取っても良いと賞金の分け前分を惜しみなく投入しようとしたが、メイルは少し悩んでからヨシュアの勧める金策を撥ね除けた。
「悪いけど、遠慮しておくわ。この護符はあたしらが確かに世界の一部を救ったという勲章だから」
 エジルが手持ちのアーティファクトに只ならぬ思い入れを持つように、がめついメイルをしてミラでは譲れない大切な仲間との絆が魔神(ガイストレイス)を討伐した冒険とやらにあるようだ。
「了解しました。それとは別にお願いしたいことがあるのですが」
 首尾よくアリシア女王からお墨付きを賜ったら、ユリア達親衛隊の生き残りとグランセル支部にいる遊撃士の寡兵で四個中隊(※中隊=50人なので約200人)クラスの情報部と渡り合わなければならず、使えそうな人材は一人でも多く留めておいた方が良い。
 故にもうしばらく王都に滞在していれば割りの良いクエストが入る情報を餌に飛行船で故国に帰還しようとしていたブラッキー達に数日分の滞在費を渡して引き止めると、一時の別れを告げてグランセル城に出発した。

        ◇        

「マイハニーは相変わらず悪巧みに忙しそうで何よりだね。お蔭様で僕も色々と恩恵に預かれたしね」
 優勝賞金の公平な取り分として、五万ミラも濡れ手に粟のオリビエはホクホク顔。
 宵越しのミラに未練を持たない銭金に執心しない御仁ではあるが、王都での行動を縛る為に幼馴染みから小遣い制限を受け日干しにされたので、風来人の自由を保障する先立つものの有り難みを実感している。
「派手な優勝祝賀パーティーを開くのは後日として、まずは宮廷料理を堪能させてもらうとしよう。僕らを持て成してくれる愛と希望のパラダイス…………」
「ふんっ、そう何もかもお前の思惑通りにいくと思うか?」
 何者かが城門に続く橋の手前で、エステル達の行く手を阻むかのように両腕を組んで仁王立ちしている。
 黒髪で精悍な顔つきをした青年男性。エステル以上の長身で肩幅はがっしりとして、背中にアガット級の大剣を背負っている。
 紺を基調とした深い詰襟にマント付きの軍服を重厚に着こなしており、『黄金の軍馬』の紋章が刻まれた勲章を複数個ぶら下げている所からエレボニア帝国の士官だ。
 鷹のように鋭い眼光に敵意は含まれてないものの、身体全体から発散される無言の威圧感に思わずエステルは気押されるが、オリビエは彼の姿を視認するや否や人好きのする笑顔で馴れ馴れしく話しかけた。
「やあ、親愛する幼馴染みよ。つい先立って君の吝嗇ぶりを思い浮かべていたらこうして再会できるなんて、やはり僕らは運命の赤い糸で結ばれているんだね」
「おぞましい戯れ言を抜かすな。痴れ者が。お初にお目にかかる。自分はミュラー・ヴァンダール少佐という。先日エレボニア大使館の駐屯武官として赴任してきた者だ」
 そう挨拶して仰々しく長駆の頭を下げる。オリビエの知り合いの帝国軍人らしいが、一見して道化師の真逆を往くお堅い人物像であるのは簡単に想像がつく。
「ふふっ、所謂幼馴染みという奴でね。いつも厳めしい顔して、これでも可愛い所があって、「ほーら、遅刻するわよ」と毎朝僕のベッドの布団を捲って起こしに来てくれたり、実は小さい頃は苛められっ子で僕が身体を張って庇ってあげていたの…………」
「死にたくなければ黙れ」
「はい」
 「片方は本当のことなのに」とブツブツ呟きながらオリビエは口を閉ざしたが、エステル達はどちらが法螺なのか非常に気になった。
 あの体躯で全身に一部の隙も伺えず、もし武術大会の個人戦に参加していたら優勝候補に奉られたのは間違い無さそうな兵(つわもの)なので、消去法的には後者ということになるが、だとすると……。
「失礼し…………!」
 パーティーの中に紅一点が紛れているのに気づき嘆息する。この黒髪少女がアーティファクトの通信機で何度か連絡があった例の美人局の仕掛け人のようだ。素性を伏せているとはいえ、大国の皇子から大金を搾取したり漁船に売り飛ばすとは、身の程知らずというか度胸が良いにも程がある。
 そう呆れながら、ヨシュアの御尊顔を視界に収めたミュラーの表情が凍りつく。襟詰の下の喉元がズキリと痛み、呼吸が荒くなり息苦しさを覚える。

        ◇        

 全てが赤い満月の夜。
 野原に聳え立つ一匹の小さな怪物。
 爛々とした二つの真紅の魔眼。両の手に握られた凶器から滴り落ちる真っ赤な血。
 足元を埋めつくす、人、ひと、ヒト。
 軍服を纏った夥しい数の死体が転がっており、本来、緑の草原は血で赤く染まり、まるで赤い海のよう。
 死体の山の中に、喉を引き裂かれた虫の息の生者が混じっており、自分の背丈の半分ほどの小柄な怪物を見上げる。
「ばっ…………ば……け……も…………の………………め……」
 恐怖と嫌悪感に満ちた瞳で震える唇で、声にならない呪詛を投げ掛けて生者は事切れる。
 それを見届けた怪物は、木々の合間を飛翔し、この場から立ち去る。
 生ある者のいない死の世界に、息絶えた筈の死者が蘇生する。
 周囲を埋めつくす物言わぬ仲間の躯に、生者は声にならない声で激しく慟哭する。
 生者は空を見上げる。
 全てが赤いこの死の世界で、月だけが、やっぱり赤い。

        ◇        

「どうしたんだい、親友?」
 オリビエの声にミュラーは我に返り、改めてヨシュアの姿を観察する。
 長い黒髪、整った顔立ち、陶磁のように白い肌、何よりも太股に収納された双剣の得物。
(似ている。歳の頃を考えれば今の年齢にも辻褄が合う。だが……)
 琥珀色の瞳に正面から魅入られたミュラーは頭を振る。
 闇夜に降臨した化物は、常に瞳を真っ赤に光輝かせていた。何よりもアレは感情というものを一切伺わせないオートマタ。この少女のように人並みに笑ったりしない。
 そう自分に言い聞かせようとしたが、古傷の疼きは中々治まらなかった。
「ふふっ、この僕一筋で女性に興味がない堅物を魅了するとは流石はマイハニーだ。けど、残念だけどヨシュア君は僕のものだよ」
「別にお前の所有物じゃねえだろ、オリビエ」
 図々しく義妹に抱きつこうとする悪い虫を義兄が身体を張ってガードする。
 予期せぬ邂逅に柄にもなく悪友のペースに巻き込まれたのに気づいたミュラーは、普段の仏頂面を取り戻すと従来の目的を告げる。
「立場も弁えず、黙って武術大会に出場した件は不問にしよう。だが、晩餐会への出席は許さぬ故、俺と一緒に大使館に戻ってもらう」
 その死刑宣告にも等しい宣言に初めてオリビエの余裕がひび割れる。
 公共の社交場で妥協の二文字を知らぬ生粋のお調子者の帝国人が何時ものノリで傍若無人の限りを尽くすのを恐れているようだが、ヨシュアが助け船を入れる。
「ミュラーさんでしたっけ? その心配は杞憂ですよ。主催者のデュナン公爵や参加予定者のメイベル市長はオリビエさんの人となりを重々ご承知ですから、またメンヘラが馬鹿に及んでいると憐れみの目で見逃してくれるでしょう」
「尚更、困る」
 いずれ時が満ちれば公の場で彼の出生を明らかにする日が到来するというのに、リベールの重臣にこれ以上妙な先入観をインプリンティングされては溜まったものではない。
 ミュラーは問答無用でオリビエの襟首を掴もうとしたが、するりと手をすり抜けた。
「やだい、やだい。僕は絶対にヨシュア君と一緒に晩餐会に出るんだーい!」
 地面に背中から寝っころがって純白の洒落た燕尾服を泥だらけにしながら、両手両足をブンブン振り回しジタバタと悪足掻きする。
 良い歳こいた大人が玩具を欲しがる幼子のように駄々を捏ねる姿は微笑ましさ皆無。見ていて大層見苦しいが、悲しいことにミュラーを含めてこの場にいる一堂はオリビエの奇行を見慣れ過ぎていた。
「そうか。ならば致し方ない」
「えっ、もしかして出席を許可してくれるの?」
「許せ」
 瞳を希望で漲らせ乙女コスモを輝かせたオリビエの鳩尾にミュラーは手刀を撃ちこむ。自称魂の片割れの下克上劇に「ぐぼうっ!?」と唾を吐き出すと、そのまま意識を失う。
 本来オリビエは彼の主筋に当たるのだが非ある時は上君といえど平気で体罰に及ぶとは、かつて絶体絶命の窮地で敵の目を晦ます為に敢えて己が主君を鞭打ちした武蔵坊弁慶の故事を彷彿させる悲壮な覚悟が伺えるのか?
「見苦しい所をお見せした」
 そう一礼して、気絶したオリビエを米俵のように左肩に担ぐとのっしのっしと背を向ける。細身とはいえ男性としては比較的長身のオリビエを軽々と持ち運ぶとはエステルやジンに匹敵する膂力である。
「なあ、本当にいいのか、あれ?」
「いいんじゃないの。無事に大会も乗り切ったから、もうオリビエさんに用はないし」
 利用価値を失った殿方に対する義妹の酷薄さは相変わらずで、色んな意味でエステルはオリビエに同情したが、一応ヨシュアは晩餐会の帯同に支障がない旨のフォロー(※ある意味トドメだったが)はしてあげたので義理は果たしたのだろうか?
 尚、同業者のメイル達を手駒としてキープしたヨシュアだが、一応は一般人に該当するオリビエをこの先の戦力と見積もるつもりはないようなので、もしかして冷たい物言いもこれ以上の危険に巻き込まない配慮…………だといいな。
 「まあ、人間万事、塞翁が馬って奴だ」と達観したジンのお言葉を深く噛み締めながら、かつての戦友に見切りをつけた三人はグランセルの城門を潜って内部にお招きされた。

        ◇        

「どういうことか説明してもらいましょうか、隊長殿?」
 グランセル城の執務室ではロランス少尉がカノーネ大尉からネチネチと先の失態を咎められ、敗軍の将はひたすら恐縮する。
 彼女の命で大会に参加した部下たちは、未だにベッドの上で身を焼かれる悪夢にうなされている。
 精神に負荷を強いるアーツの後遺症で強いPTSDに陥った。これではしばらく遣い物にならないのに、戦闘を分け身に丸投げしていた指揮官だけがオメオメと帰参したのだから、カノーネが苛つくのも無理はない。
「そもそも、貴方は…………」
「そう責めないでやってくれたまえ、カノーネ君。ロランス君に全力を出さないよう密かに指示したのは私なのだ」
 デュナン公爵のお守りを切り上げて王城に帰還したリシャール大佐が姿を現す。カノーネとロランスは反射的に敬礼する。
「計画成就の為に骨を折ってくれた君には申し訳ないが、事を荒立てて公爵閣下との関係に亀裂を生じさせる得策ではない。多忙にかまけて君への連絡が事後承諾に近い形で遅れたのは申し訳なく思っているが」
「いえ、閣下のご意向とあらば何も云う事はありません」
 あれほど口汚く罵っていた副官が敬愛する上官の出現であっさりと矛を収めた変わり身の早さに、ロランスは仮面の下で密かに苦笑する。
 生身で参戦すればいかに覆面姿といえ一発で正体バレするのは請け合いなので、今の段階ではまだヨシュアの前に姿を晒せず、大佐の命令は彼にとっても渡りに舟だった。
「ですが、このままだと遊撃士協会(ギルド)の人間にグランセル城の内情を知られてしまいますが監視をつけましょうか?」
「いや、それよりも君の報告は確かなのだろうね?」
 デスクの上に二枚の写真が投げ出され、カノーネは首を縦に振る。
 それぞれエステルとヨシュアが写されている。彼女の調査ではこの二人はカシウス・ブライトの実子と養女で、各地方を騒がせた事件を解決したギルドの中心人物として活躍していた節がある。
 またヨシュアの方はなぜか写真の入手自体に手間取り、リベール通信社の新人カメラマンを経由しようやく一枚だけゲットした経緯があったりする。
「ならば何の問題もない。是非とも晩餐会に参加してもらうとしよう。カシウス大佐の血統とは、ふふっ、是非とも一度ゆっくり話をしてみたいものだ」
 リシャール大佐は理知的な瞳に好奇の光を称えながら、父親譲りの栗色の髪の少年と美と知性の神から愛された黒髪の少女の顔写真を見つめる。
 その顔つきは実に穏やか。クローゼを幽閉して軍事クーデターを企む逆賊とは思えぬ程の聖者の輝きに満ち満ちていた。



[34189] 20-01:女王面談(前編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/06/02 00:01
「やあ、エステル君にヨシュア君。優勝おめでとう。私には武術の蘊蓄はさっぱりだが、君達の晴れ舞台を生鑑賞できただけでも、ダブ屋の言い値で高いチケット代金を支払った甲斐があったわい。ここまで順調に推薦状を集め残りは王都だけのようじゃし、君たちが正遊撃士として故郷に錦を飾れる日もそう遠くはないようじゃな。ロレントに戻ったら、久々にまた一緒に釣りでも楽しもうか? 爆釣対決のような熱い勝負も悪くないが、無心で釣糸を垂らしながら世俗の塵芥を忘れてノンビリまったりするのも良いものじゃぞ」

        ◇        

「エステル様にヨシュア様…………」
「ふふ、また会えましたわね、ヨシュアさん。お二人が訪ねてきてくださるのを、今か今かとお待ちしていましたのよ。クラウス市長からお聞きしましたが、武術大会に優勝されたそうですね? 本当に残念至極ですわ。そうと承知していれば、せめて本日の決勝に間に合うぐらいにはスケジュールを遣り繰りして、応援ツアーを企画しましたのに。陛下の出席なされない公爵主催の晩餐会など気が滅入るだけですが、唯一の楽しみは王国一の腕前と名高いグランシェフの宮廷料理だけかしらね。ヨシュアさんは舌分析だけでレシピを再現するスキルをお持ちのようですが、是非とも期待していますよ」
「…………お嬢様、涎がでています。それよりもヨシュア様に何をさせるおつもりなのですか?」

        ◇        

「フフ、久しぶりじゃのう、エステル君にヨシュア君。短い間とはいえ学園に籍を置いた子供の顔は忘れぬし、そうでなくとも君たちが学舎に残していた影響は大きすぎるからな。いやいや、あくまで私は投獄中のダルモア市長の代理として招待されただけで、次の市長は厳選なる選挙によって決められることになる筈じゃ。ふふっ、君たちとも旧知の私の教え子が、もしかしたら来年の五大市長会議に出席することになるやもしれんが、若者の情熱を年寄りの道楽とさせてもらおうかの」

        ◇        

「おお、エステル君にヨシュア君。やはり王城は封鎖されていたようだが、まさか武術大会に優勝して潜り込むとは大したものだな。実は一つ悪いニュースがあって、ラッセル博士がロレントに潜伏しているのがばれたらしい。いや、もちろん傍受の危険性がある導力通信の遣り取りなどしていないのだが。その……何と言えばいいのか、ティータ君が思春期相応の悩みを抱えていて、それでツァイス放送局が襲撃されて…………って確かにこれじゃ何の説明か意味不明だよな。とにかく、アガット君たちは君らの実家から離れたようで完全に音信不通になった。まだ軍に発見されてはいないようだが、博士は有名人の上に三者とも色々と目立つ取り合わせだから、このままでは捕縛されるのは時間の問題だろうな」

        ◇        

「リベールのお国柄を反映してか、一国を代表する最高幹部会議の面子にしてはあまり緊迫感を感じられなかったわね」
 メインの夕食会に出席する前にジンと別れて、エステル達は旅で馴染になった各都市の市長連中と会話を交わしたが、真相を知るマードック工房長以外の面々は呑気なもの。
 ルーアン市長のピンチヒッターにジェニス王立学園のコリンズ学園長が招待されていたが、クローゼの真名を知る賢人も現在の虜囚の身の上までは把握していまい。
 ヨシュアの予想に反して意外と城内の監視の目は緩かったが、当然いくつかの行動禁止エリアが設けられている。目的地たる女王宮などはその最たる聖域。
(やはりエステルをアリシア女王に面会させるには、内部の者の協力を仰ぐ必要がありそうね)
 豪奢な絨毯が敷きつめられた幅広の廊下を歩きながら、案内係として同行しているシアという侍女の雀斑顔を値踏みする。
 要所を警護する特務兵を見る都度、微妙に表情が強張る。常に社交辞令に徹して、エステル達との会話も必要最小限に留めており、内情を漏らさぬよう堅く口止めされているのが容易に想像がつく。
 情報部から抑圧される側の勢力であるのは相違ないが、その極悪非道の逆賊に反旗を翻す片棒を担がせるとなると一筋縄ではいくまい。
「ねえ、貴方。クローディアル殿下を助けたくない?」
 だから、ヨシュアは宮廷内で働く年頃の娘に威力を発揮する勇気のおまじないを耳元で囁いてみる。効果は絶大。シアはトクンと心臓を震わせた後、頬を真っ赤にして硬直する。
 薄々察していた通り、身分を隠した一学生の時でさえも多くの女学生を虜にした選民意識皆無のハンサムで誠実な王子様が、彼のキャパシティーを最大限に発揮可能な王宮で無意識化のフラグをばら蒔いていない訳がない。
 特にこのシアという少女はクローゼお付きの侍女だったそうだから、好感度がMAXまであげられているのは疑いなく、潜在的な味方と思ってよさそうだ。
「あ、あの、私は……何を?」
「別に難しいことをする必要はないわ。このユリア中尉からの紹介状をヒルダ夫人に渡して欲しいのよ」
 少女が敬愛する二人の上位者女性の名前を告げられ、シアの微かな警戒心がみるみると氷解する。
 遊撃士とはいえ、自分と同年代の初対面の人間からいきなり物騒な提案を持ちかけられ戸惑いもあっただろうが、ルビコン河を渡る覚悟が芽生えたようだ。
 手紙を渡したシアに女官長への手引きを任せると、エステルと連れ立って晩餐会会場の大広間に入った。

        ◇        

「よう、待ちかねたぜ。エステル、ヨシュア」
 室内では縦長のテーブルを挟んでジンや先程挨拶周りした市長が勢揃いし、既に自分の席に腰を降ろしていたので、兄妹もジンの隣に並んで着席する。
 テーブル上に綺麗に並べられた複数のナイフとフォークの山々にエステルがソワソワし始める。
 基本質より量の大食漢ではあるが、贅の限りを尽くした宮廷料理に興味津々のご様子。テーブルマナーの最低限の基礎知識をヨシュアがレクチャーしていると、各々の腹心を従えたデュナン公爵とリシャール大佐が入場してきた。
(あれが諸悪の根源の情報部の親玉か?)
 執事のフィリップを控えさせた公爵の独創的なオカッパ頭に今更感慨振るものはないが、副官のカノーネを連れた黒い軍服の中年士官の存在感に緊張が走る。
「各市長の方々及び優勝チームのブレイサーの諸君。お初にお目にかかります。情報部司令のアラン・リシャール大佐と言います。この度は多忙のモルガン将軍に代わり、軍関係の責任者代理という形で公爵閣下の格別のご厚意で招待させていだだきました。無粋な軍服姿で失礼ですが、どうか同席をお許し願いたい」
 そう自己紹介して、オールバックに束ねた金髪を恭しく下げる。物腰も口調も実に理知的で穏やか。粗暴さや野心の欠片も伺えず、本当に軍事クーデターを目論む謀反人なのか?
 エステル特有の直感でも不思議と厭な感じは見受けなかったので、大悪党の先入観に自信が持てなくなってしまうが、料理が運ばれて晩餐会が進行するにつれて否応なくリシャール大佐の本性を突き付けられる。

「陛下は今回のご不調を理由にとある政治的決断をなされたのです。それは御自身の退位とこちらに居られるデュナン公爵への王位継承です」
 酒宴の酣、山海の珍味をふんだんに注ぎ込んだ至高のメニューの数々に舌太鼓を打ったエステルと舌解析を成功させるも食材の高騰さに再現を断念したヨシュアは一気に現実に引き戻される。
「そ、その、失礼ですが、無礼講の席のジョークということではないですよね?」
 事の壮大さに一堂は仰天する。海千山千の経済界を生き抜いてきたメイベル市長すら動揺を隠せない中、事前に簒奪劇場の公演をある程度察知していたので基本リアクション要因のエステルがこの爆弾発言に動じなかったのは皮肉であろう。
 四十年近くも女の身一つで激動の時代に翻弄されたリベールを導いた陛下を生誕祭を契機として俗事の柵から開放してあげたいとの御為倒しが公爵の口から囁かれた。一見身につまられる主張も後継者の選別に疑惑を感じたのか、会食の間中は枯木のように佇んでいた賢者が初めて口を開いた。
「さて、公爵閣下に王位継承権があるのは私も存じておるが、もう一人、同位の継承権を持つ直系の者がおられる筈だが?」
 内部情報を知るが故にボロを出さないように敢えて無言を貫いた工房長の隣で、古の大魔道師のような風体の白髪白髭の老人が嗄れた目に鋭い光を称える。
「陛下のお孫さんにあたるクローディアル王太子のことですね?」
 クローゼの本名を仄めかされ苦虫を噛み潰した公爵と異なり、大佐は予めカンペが手渡されていたかのようにスラスラと口上を述べる。
 まだ年端もいかず能力に疑問符もある故、アリシア女王はデュナン公爵を推したとのこと。
 非公式ながら別国の姫君の入婿として政略結婚……もとい、縁談の申し入れがあるそうなので、彼には他国で見聞を養ってもらう予定と聞かされる。年齢はともかく、あの公爵閣下に器量で劣るとなるとどれほどの馬鹿ボンなのだろうと、他者への悪意と無関係に生きてきた善良なクラウス市長でさえも不安を覚えた。
「すいません、公爵閣下。私もエステルも未成年故、お酒が飲めない一事で折角の宴会に水を差しては申し訳ないので、先に退出しても宜しいでしょうか?」
 かの好々爺をしてこの反応なのだから、事情を知らない第三者の市長連中もデュナン公爵の即位を吉兆とは思えず。裏面を熟知するエステル達は、リベール最悪のシナリオを阻止する為に迅速に行動を起こさねばない。
 必要な情報は仕入れられた。これ以上留まるのに益はないと判断したヨシュアは機転を利かし上手く場を外す口実を設けると、即位に浮かれて逆上せている公爵の酒の相手を先輩遊撃士に任せ、ザワザワと騒めく市長達に挨拶してこの場からトンズラした。

        ◇        

「エステル様、ヨシュア様。女官長のヒルダ様がお会いするそうなので、私と一緒に侍女控室へ……」
「何をコソコソとお話しているのかしら、シアさん?」
 宴会場を出た兄妹は、吹き抜けの中央メインエントランスで侍女に先の用件を告げられたが、まるで後を追跡してかのように背後からリシャール大佐とカノーネ大尉が出現。シアは表情を青醒めさせる。
「ボースで娘の栄職を誇りに思っている祖母を悲しませるような真似をなさってはいけませんわよ、シアさん?」
「も、申し訳ありません!」
 カノーネ大尉が粘っこい瞳で意味深な脅しをかける。シアは平伏せんばかりに身体をガタガタと震えさせるが、リシャール大佐が包容感のある笑顔で窘める。
「こらこら、カノーネ君。何ら失態を犯した訳でもない人間に不必要にプレッシャーを与えてはいけないよ」
「うふふ……失礼しました」
 副官を下がらせた大佐の「特に用件がないのなら、仕事に戻って構わないよ」との有り難いお言葉に、一礼してから踵を返すシアをエステル達は黙って見送った。
 敵幹部に怪しまれても不味いので、適当に時間を潰してから侍女控室を訪ねようと無言でアイコンタクトを交わしたが、次の展開は想像外。
「テロ事件の続報が届いたので、職務に復帰する為に公爵閣下にお断りして退席させていただいたのだが、こうしてカシウス大佐のお子さん達と話せる機会を得られるとは都合が良い」
 自分は軍時代にカシウスから色々世話になった過去を訴え、是非とも個人的に話をしたいとのお招きされる。
 流石は情報部というか、兄妹の素性は全てお見通しのよう。まさか王城に潜入した目的まで見抜かれているとは思えないが何を企んでいるのやら。
 更には軍人将棋のセットをチラつかせて、「折角だから奥の談話室で一局嗜みながら、四方山話に華を咲かせないか?」と妙なお誘いを受けるが、何故こうも士官学校を卒業した秀才軍人はこの運ゲーを愛顧しているのかヨシュアは不思議に思った。
「あのー、三人必要なゲームらしいけど、俺ルールを全然知らないんだけど」
「閣下、それなら僣越ながら、わたくしが公平な審判約を務めさせて……」
 エステルの発言にカノーネが何とか割り込もうと自分を売り込むが、上官は首を横に振る。
「いや、それには及ばない。君が持ってきてくれたアンティークがあるから、勝敗は自動判定してくれるからね」
 策士策に溺れるというか、敬愛する大佐と二人っきりの蜜月を約束する導力チップ付きの特注将棋板の所為で逆に締め出される嵌めになった女狐はガーンという擬音を発してショックを受ける。
 「先に詰所に戻って、私が遅れる旨を伝えてくれたまえ」との命令を受けて不承不承ながら承諾すると、殺意の波動に芽生えた視線で兄妹を一睨みしてから消えていった。
「あの、おばさん。偉くおっかねえ顔してたけど、一体何に腹を立てているんだ?」
「これ程、判りやすい事例は滅多に存在しないと思うけど、ここまで来ると鈍いというよりももはや病気の域ね」
 クエスチョンマークを浮かべながら首を傾げるエステルと嘆息するヨシュアを等分に見渡しながら、「それでは、ついてきたまえ」と大佐は足早に談話室に向かう。腰の低そうな振りして中々に押しが強い御仁のようで、兄妹は選択を迫られる。
「どうする、ヨシュア?」
「行きましょう、エステル。上手くいけば、相手の目論見を引き出せるかもしれないしね」
 禁止エリア以外の監視体制は比較的隙だらけ。特別な謀を弄さずとも、すんなり女官長に取り継げた点から考慮しても、大佐は態とエステル達を泳がせ反応を楽しんでいる節が伺える。
「互いに一物隠しての腹の探り合いも楽しいけど、たまにはエステルみたいに裏表無しで正面突破してみるのも面白いかもしれないわね」
 善悪は別にして、リシャール大佐はかなりの傑物であるのに相違ない。多少馬脚を現した所で今更行動を束縛するような小さな真似はすまい。
 ならば、リベール軍人御用達の軍人将棋の勝負に託つけて、大佐が単なる権力欲に憑かれた独裁者か、はたまた独善的ながらも何らかの国家百年の計を王国に齎そうとする救世主気取りのつもりなのか、その正体を見極めるつもりだ。



[34189] 20-02:女王面談(中編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/06/03 00:01
「それでは始めようか。アンティーク故に判定機は旧式ルールに基づいて設定されているので、地雷を踏んでも撤去されずにその場に永続するから気をつけたまえ」
 グランセル城二階右翼にある酒場つきの談話室。
 バーテンダーのレヴォルを下がらせ人払いすると、リシャール大佐は手慣れて手つきでアルコール抜きのカクテルを兄妹に振る舞いながら、テーブルの上に軍人将棋の基盤をセットする。
 このゲームは前準備として駒の初期設定をしなければならず、左右二つの橋によって対岸に分かたれた総司令部を含む自陣マスに31枚の駒を伏せて配置する。
(大将×1、中将×1、少将×2、飛行機×2、タンク×3、大佐×2、中佐×2、少佐×2、大尉×2、中尉×2、少尉×2、騎兵×2、工兵×3、スパイ×1、軍旗×1、地雷×3)
 強い駒を前方に配置し積極的に攻め入る攻撃(ユリア)型、逆に強駒を奥の方に温存し相手の出方に対応する防御(カノーネ)型、左右どちらかの橋に戦力を一極集中させる特化(シード)型、己の陣地全域に満遍なく戦力を分散させるバランス(リシャール)型など色んな傾向が伺えるが、戦術というよりはどちらかと言えば完全に趣味の世界。
 初期配置の善し悪しが勝敗の行方に大きく直結するのに、これといった正着がないのが合理主義のヨシュアが毛嫌いする要因だが、逆に言えば大佐がどれほどこのゲームを遣り込んでいたとしても、運次第では素人にも勝機があるのが、囲碁、将棋などの実力通りの順当な結果しか齎されない他の戦略ゲームとの違い。
「大佐、二つほど提案があるのですが、宜しいでしょうか?」
 前回シード少佐にボロ負けした教訓を活かして、きちんと戦理に基づいて駒を配置し終えたヨシュアは、既に準備万端で待ち構えているリシャールに強請りする。
「私たちはビギナーなので、ハンデとして二人で一緒に考えてプレイしても良いですか?」
「それが君たちの有利に働くとも思えないが好きにしたまえ。そして、もう一つは?」
「勝利した者への報酬です。敗者は勝者の質問に一つだけ、嘘、韜晦、言葉遊びを抜きにして明確に答えるというのはどうでしょうか?」
「おい、ヨシュア?」
 義妹の加えたとんでもない条件に義兄は泡を喰う。確かにこれなら大佐の真意を暴けるかもしれないが、逆に自分たちの潜入目的を曝け出す危険もある諸刃の剣。
 もちろん、お互いがきちんと取り決めを守るという前提での話だが、ヨシュアは賭け事で負けた時の対価を反故にしたことは一度もないのをエステルは熟知していた。
「良いだろう。やはり勝負事は何かを賭けてなければ面白くない。その約束を決して違えないのを王国軍大佐アラン・リシャールの名誉にかけて誓おう」
 黒服の金髪士官は少し悩んだ後、不敵な笑みを浮かべ子供たちの挑戦を受けてたち、ヨシュアもニッコリと微笑み返す。
 かくして、互いが隠し持つ思惑を天秤に預けた異色の軍人将棋対決が始まった。

「あら、負けちゃったわね」
 自陣に潜入してきた駒同士が重なったので、脇に置かれている自動判定装置に2枚の駒をセットすると、導力チップによる測定で大佐の駒が青くヨシュアの駒が赤く点滅する(引き分けの場合は、両方の駒を黄色に点滅)
 こうして敗北した側の駒が陣から取り除かれるが、序盤で大切なのは局地的な勝敗ではない。勝ち負けに関わらず伏駒の正体は覗けないので、手持ちの駒との優劣から敵駒を推測する情報戦からスタートする。
 その為には、ある程度駒同士をぶつけ合って、どんどんデータを採取する必要があり、この場合に役立つのがエステルの勘の良さ。
「えーと、ここかな? よーし、何か判らないけど勝ったみたいだぞ」
 もともと初期段階は運試しに近いので「好きな駒を動かして良いわよ」と指示し、ルールはおろか駒同士の強弱関係すら知らないエステルに下駄を預けると、ビギナーズラックもあるのか面白いようにピンポイントで勝利をもぎ取ってくる。
 まあ、大抵は次の大佐のターンで適切な強駒によって取り返されるのだが、「相手の動く駒」が判明することでヨシュアの頭の中の地図が完成に近づいていく。
 何しろ動かない駒の中には、地雷(飛行機、工兵以外の全ての駒に必勝)や軍旗(後ろの駒と同じ能力を持つ)のような判別を難しくする上に大将や中将などの将官駒を無駄死にさせて取り返しのつかないダメージを与えるトラップが潜んでいるが、裏を返せば動く駒だけに的を絞ればそういうアクシデントは発生しない。
(私のタンクを打ち負かしたことから、敵駒は飛行機以上の強駒か工兵の二択。地雷除去能力を持つ工兵の枚数特定をしたいから捨駒の騎兵をぶつけよう)
 戦いが中盤になり盤上の駒の数が減り始めて、反面、情報量が増えてくるとヨシュアの合理的な思考フレームが俄然有効に機能する。
(この敵駒の正体は少将~大尉なのは確定しているので、私の中佐の駒が勝てる確率は82%。それと最弱の騎兵と判明した駒を素通りさせている所から見て、右の駒は地雷と判断して差し支えさなそうね)
 失った駒、勝利した駒が残したデータを駆使して、これから戦う駒同士の大凡の期待値を算出できるからで、ヨシュア的にはこの段階に到達して初めて知力を振るう余地が生まれ、じわじわと戦力比を引き離し始めた。
 ただし、序盤の運が悪いと度胸一発、盾を持たずに矢の雨を歩いたアレキサンダー大王のようにエスパーモードで地雷をすいすい回避し続ける大将、中将無双で敵単騎で二桁前後の駒を削られる悪夢もあり、こうなるとほとんどリカバリーが効かなくなる(ユリア中尉がカノーネ大尉に勝利するのは大抵このパターン)
 幸い今回の対戦ではアクシデントとは無縁。大佐が半分の駒を失ったのに対し、兄妹側の損失は十個に達しておらず、後は生贄戦術で総司令部までの地雷確認をしながら道を切り開くだけ。
 当然、敵も総力戦で防衛してくるが、そうなるとまた動く駒が判明するので、地雷を過剰に警戒するヨシュアにとっては反って有り難い。
「これで私達の勝ちですね」
「ふっ、やられたな。二人で戦うとはそういう意味か。理論と直感の見事な融合だ」
 大将同士が相討ちで消滅した後に、のっちら歩いてきた中将の駒に総司令部を占拠されて勝敗が決した。
 盤面に残された駒はお互い二桁を切っていたが、地雷チェックでヨシュアが惜しみなく捨駒をふんだんに投入したからで、最後は完全なワンサイドゲーム。大佐は素直に兜を脱いだ。
「まだ細かいルールは良く判らないけど、結構面白そうだな、これ。ティータに頼んで、地雷撤去の最新ルールに対応した導力判定チップ付きのを造ってもらおうかな」
「ラストの攻防は思考し甲斐がありましたけど、やっぱり運ゲーの範疇は出ませんね。なぜ士官学校で真面目に軍略を学んでいる軍人さんが、これほど愛顧しているか私には分かり兼ねます」
 初心者に破れたのをさして気に留めずに、真逆の感想を抱いた兄妹を興味深そうに見渡しながら、ワイングラスに注いだカクテルで喉の渇きを潤した大佐が口を開く。
「ふふっ、そのある程度運任せの部分がいいのだよ。現実の集団戦闘で運不運が全く介在しないケースなど、まず存在しないからね」
 かの百日戦役が良い例。リベールの存亡を賭した本土防衛戦でカシウスが神算鬼謀の限りを尽くしたのは確かだが、それでも10回戦えば9回は侵略されたであろう負け戦。
 十戦十勝を期するには、両軍の戦力はあまりにかけ離れすぎている。なおかつ指揮官同士の思惑や些細な偶然による情報漏洩、予期せぬ局地戦の事故など戦争では人知の及ばない領域が大きすぎる。
 故にカシウスを真に英雄たらしめるのはその能力もさることながら、替えの効かない一度きりの本番で不利な故国に勝利の女神を引き寄せた天運にこそあるのかもしれない。
「なるほど面白い発想ですね。未知なる闇に対峙する能力を養うという意味では情報オープンな将棋やチェスにない趣があります」
「個人的には士官学校の戦術授業に軍人将棋の対戦を取り入れたいぐらいだが、君の言うように知的遊戯の域を出ないのは確かだろう。あらゆる対戦ゲームでは互いの持ち駒が対等な条件から始まるが、実際にはそんな公平さは有り得ない」
 大佐の表情から笑みが消える。瞳の奥の鋭い光が兄妹を貫き、エステルは緊張で背筋に冷たいモノが走る。
「云うまでもなく王国を挟む二つの大国に比べて、リベールは国力で大きく見劣りする。人口はカルバードの1/5。兵力に至ってはエレボニアの1/8に過ぎない。さて、エステル君。その事実を踏まえた上で君に問うが、我がリベールはどのような国防対策を敷くべきであろうか?」
「へっ、俺?」
 いきなりご指名を受け、エステルは素っ頓狂な声を上げる。
 このような論理点舌戦は本来ならヨシュアの領分。縋るような目で義妹をチラ見するが助け船を出すつもりはないようで知らん顔されている。未熟なりにエステルが自らの見識で国家論を紐解くのを期待しているようで、ひたすら熟考を重ねた後、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「えっとー、俺は武術は大好きだけど、戦争は御免だな。けど、いくら能天気な俺でも軍備が全くいらないとかは世迷い言だと思うから、国境を守り切れるだけの兵力は必要かな?」
「なるほど、君の識見はアリシア女王陛下の唱える国防論に近い」
 リシャール大佐は表情を消して讃えるが、エステルは居心地悪そうにしている。
 国主と同意見と煽てられても、なぜか褒められたような気がしなかったからだ。それは傍で聞いていたヨシュアも同感だったので、大佐の思し召しを拝聴してみると。
「そうだな。エレボニア全土を征服せんとは言わないが、少なくとも帝国の首都たる帝都ヘルダイムに攻め入れるだけの強力な軍隊を有することが、結果的にリベールを守ることに繋がると私は信じるね」
「あんた…………いや、大佐は本気でそう思っているのかよ?」
 富国強兵を示唆する発言にエステルは仰天する。軍需拡大路線の信奉者のリシャール大佐が軍備の増強を訴えるのは想定内とはいえ、どうして国を防衛するのに他国を滅ぼすだけの兵力が必要なのか理解不能だが、「一理あるわね」との同調のお言葉が義妹の口から囁かれ眉を顰める。
「戦争もまた国家間の国際問題を解決する外交手段の一つとするなら、リベールの置かれた立場は受動的に過ぎるわ」
 百日戦役の事後処理がその良い例。帝国は一方的な侵略戦争を仕掛けながらも、「不幸な誤解から生じた過ち」などという言い逃れ一つで開戦理由すら明示していない。
 リベール本土を好き勝手に蹂躙しながら、賠償金も支払わずに何の禍根も無かった素振りで両国間の国交を再開している。
 このような暴挙が罷り通る最大の要因は両国間の軍事格差にあるのは明白。別段エレボニアとリベールに限った話でなく、大陸間の彼方此方で見られる悲喜劇ではある。
「ようするに、リベールはエレボニアから舐められているということ。遊び半分でリベールの富に手を伸ばして、その手を払い除けはしても、帝国の喉元に刃を突き付ける力を持たない。自分たちの身が傷つくことはないのだから、また機会があればチョッカイをかけようと甘く見積もられてしまう訳よ」
 だが、もしリベールがエレボニアに報復、懲罰可能な『自前の強制力』、ようするに強大な軍事力を保有するならどうなるか?
 自国が侵略されるかもしれない……という恐怖心を植え付けて、はじめて主導権を握って相手を対等な外交テーブルに座らせる事が可能。実際に攻め入る必要はなく、抑止力としての戦力が重要なのだ。
「ふふっ、ヨシュア君。君はリベールを取り巻く国際情勢を正確に理解しているようで何よりだ」
 大佐が感心したような口ぶりで再び笑みを浮かべ、逆にエステルは苦虫を噛み潰したような表情を隠せない。
 所説の是非はともかく、義妹が軍需拡大に追従するような態度を見せたのがショックだったからだが、別にヨシュアは大佐に賛同した訳ではなく少女の論にはまだ続きがある。
「ただし、国境を守り抜くだけの寡兵で国を防衛するのが絵空事であるように、今のリベールの土壌(限られた領土と人口)でエレボニアに拮抗する軍事国家に作り替えるのもまた現実的じゃないわね」
 軍隊を維持するには、その国のGNP(国民総生産)に見合った適切な規模というものがある。軍事費の増税、あるいは大規模な徴兵によって軍部ばかりを肥大化させても、それを支える屋台骨の国力が劣えれば国家としては確実に衰退する。
 実際、大陸北部には隣国の強大国の侵略を恐れるあまり軍備を際限なく増強させ、ついには軍事費がGNPの50%を上回り、(エレボニアのような軍事大国ですら平時は10%を越えない)兵士数がそれを養う市民の数よりも膨張し内部破綻をきたした小国も存在した。
 また、リベールには独自の風土というか歴史と伝統がある。
 時代の変化に応じて多少の変革が促されるのは仕方がないにしても、物騒な大量破壊兵器が街中に配備されて、ならず者の猟兵団が大手を振って表通りを歩くような殺伐としたリベールとは名ばかりの無法者国家の悪名を後世に残すことに、果たしてどれほどの意義があるのだろうか?
「ふーむ、君は中々にシャープな国家戦略レベルの外交感覚を持っているな。正直、ブレイサーにしておくのが惜しいぐらいだ」
「お褒めに預かって恐縮ですが、所詮は口先だけの若者の政治批判と同じ穴の狢です。問題点は指摘しても、特に代替案を持っている訳じゃない単なる門外漢の無責任な野次ですから。それよりも与太話はこのぐらいにして、そろそろ本題に入っても良いでしょうか?」
 ヨシュアの言う本題は軍人将棋に勝利した側から行使できる質問権。小難しい議題が続いて頭がオーバーヒートし掛けたエステルは我に反ってゴクリと生唾を呑み込んだ。
「リシャール大佐。貴方はどのような手法でリベールを救済するつもりですか?」
 短い遣り取りだが、彼が独善的ながらも王国の将来を憂いる愛国者気取りであるのは肌で感じられたが、ヨシュアの掲げた持論など全て承知しているであろう聰明な大佐が、軍事クーデターで覇権を握るだけでリベールを周辺の大国に劣らぬ軍事国家に短期間で変貌させられると楽観していまい。
 何か裏技のような切札を隠し持っていると睨んだヨシュアは、敢えて『救済』という単語を用いて問い掛けたが、計画の急所ともいうべき秘中の秘について暴露するだろうか?
 軍事力を伴わない協調外交に何の強制力もないように、個々の良心に縋るしかない個人間の単なる口約束がきちんと履行されると盲信するのも、子供の浅はかさかもしれないが。
「『輝く環(オリオール)』を手に入れる。君ならそれが国家にとってどういう意味を持つか分かるだろ?」
 どうやらリシャール大佐はヨシュアの思惑を大きく裏切る傑物のよう。全くの想定外の返答に基本物怖じしない少女も唖然とする。
「あれ、オリオール? はて、どこかで聞いたことがあるような?」
「古代人が女神から授かった『七の至宝(セプト=テリオン)』の一つよ、エステル」
「えっ、そういえば日曜学校で習ったような……って、それって教会に伝わる単なる御伽噺だろ?」
 エステルは懐疑的な視線で澄まし顔のリシャール大佐を睨む。
 アルバ教授のような夢見がちな考古学者ならともかく、クーデターを冒してまで故国の救済を志す独裁者が本気で手をつける現実性のある話とは到底思えず、無知なお子様だと馬鹿にされたと立腹したからだ。
「ふーん、宝探しに憧れるなんて、やっぱり男の人ってロマンチストが多いのね」
 ヨシュアの方は琥珀色の瞳に蠱惑的な光を称えて、頬杖をつきながら大佐を上目遣いする。
 あまりに荒唐無稽なお話だからこそ、逆に信憑性が高い気がする。
 単に自分達を煙に巻くだけなら、もっとリアリティのある法螺話をいくらでも創作できた筈。もし、天地海と遍く世界を支配した至宝の一つを手に入れられるのなら、周辺諸国に対抗する巨大な武器を持つことになる。
 本当に実在するならの話だが。
「質問自体には既に答えたから、それ以上の具体的な情報に関しては割愛させてもらう。そろそろ時間なので部署に戻らねばならないが、最後に一つだけ聞きたい。エステル君、君はカシウスさんの武勇伝について、さほど興味がなさそうだったがどうしてかね?」
 軍人将棋の対戦の傍ら、百日戦役における父親の知らざる英雄の素顔を大佐はまるで我が事のように大袈裟に吹聴してみせたが、少年の反応はさほど芳しくなく少しばかり落胆した気分である。
「うーん、親父が只者じゃないっていうのは旅の間の周囲の反応から薄々感じていたけど、面と向かって聞かされても「だから、何?」としか言えなくてさ。俺が目指しているのは親父の肩書を越えることじゃなくて、ある人と約束した自分の心に恥じない立派なブレイサーになることだから」
 エステルはポリポリと頭を掻きながらも、先の政治討論のように拙いながらも自分の言葉で想いを表現しようと努力する。大佐はおろか隣にいるヨシュアさえも意表をつかれたような顔でマジマジとエステルを見つめる。
「親父が誰かに迷惑かける真似をしたならともかく、そうでないのなら親父が敢えて俺に伝えようとはしなかった過去を特別知りたいとは思わない。だから、S級遊撃士だか稀代の戦略家やらは英雄としてのカシウスを必要とする人間が賞賛してくれれば十分さ。俺は家事はてんで無能で料理も下手糞で回復アーツを唱えても瘡蓋一つ治せない魔法音痴でヨシュアと偶然バッタリお風呂で遭遇する機会ばかり伺っているスケベでグータラで本当にしょーもない駄目親父と同レベルで取っ組み合いの喧嘩をしている方が性にあっているからさ」
 剣聖を崇拝するリシャール大佐はその彼の幻想を粉々に打ち砕く近親者の証言の数々に一瞬面食らったが、直ぐに理性を取り戻すとまるで何かを悟ったかのような菩薩の笑みを浮かべる。
「ふふふ、なるほど……。カシウスさんの見解に関しては百々相いれぬ所もあるが、戦争後に軍を辞めたあの人の選択はどうやら正しかったようだ」
 英雄とは常に孤独な存在だと定義した古代の哲学者がいる。
 常軌を逸した超常的な能力と並ぶ者なき功績故に凡人からは理解されずに天上人のように扱われるが、心まで金剛石で作られている訳ではない。愛する妻を無くした彼にとって救国の英雄の称号は重すぎた。
 エステルのように自分を等身大の父親として受け入れてくれる帰れる場所があったから愛妻を失った悲しみからもう一度立ち直り、遊撃士という新たな人生の道筋を模索できたのだ。
(英雄の心意気(たましい)を引き継ぎし義兄と剣聖の理(ことわり)を受け継いだ義妹か)
 少年は色んな意味で未成熟だが、時に世間擦れした皮肉た大人をハッとさせるような精神の煌きを放つ。少女は知略や武力などの純粋なステータスは剣聖に迫るものがあるが、偉大な父に比べると世界への愛情が希薄すぎる。
(互いに足りないものを補い合って、ここまで旅を続けてきたというわけか。二人合わせて、剣聖の後継者…………、ふっ、面白い)
 リシャール大佐は意味ありげな瞳でエステル達を一瞥すると、クルリと踵を返す。
 良いタイミングでカシウスが帝国に旅立った時には最大の障壁の消失に安堵した反面、幾分物足りなさを覚えたが、この兄妹が父親の代理ということであれば相手にとって不足はない。
「さて、近い将来、今度は異なった立場で再会することになるだろうが、次は今とは違った解答を聞かせてくれるのを期待しているよ」
 それだけを告げるとリシャール大佐は談話室から退出する。
 エステル達が大佐の尻尾を掴めたように、彼の側でも兄妹の企てをある程度看破しただろうに、それでも行動を束縛しようとはしないあたり、正面切っての最終決戦を臨んでいるのかもしれなかった。



[34189] 20-03:女王面談(後編)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/06/04 00:01
「エステル殿、ヨシュア殿。お待ちしていましたよ」
 予期せぬ軍人将棋勝負で時間を取られた兄妹が、グランセル城一階にある侍女控室を訪ねると、シアと祖母孫ぐらい歳の離れた女性が渋顔でエステル達を出迎えた。
 この妙に威厳を感じさせる老女がメイド頭のヒルダ夫人。シアから大佐に捕まった事情を伺い遅刻に理解を示した彼女は、女王宮の見張り役の特務兵を欺く準備に時間を掛けると空中庭園に向けて出発した。

        ◇        

「なあ、ヨシュア。やっぱり止めようぜ。これって100億パーセントばれるだろ?」
「……わたくしもかなり無理があるかと存じます」
 庭園の柱の影から入口を守護する二人の黒装束をチラ見したエステルは、義妹にミッションインポッシブルを陳情。ヒルダ夫人は鉄面皮を維持しながら同意する。
 濃紺のワンピース、フリルのついた白いエプロンドレス、頭部には白いフリル付きのカチューシャ、俗に言うメイド服をエステルは身に纏っている。
 特に化粧もなく私服の上からドレスを被せただけの雑な変装。長駆で筋骨逞しいエステルをX染色体(♀)と見間違えてくれるのはドロシーぐらいしか思い浮かばず、もし第三者に見咎められたら自殺物の辱め。この場に辿り着くまで知人に遭遇しなかったのは奇跡みたいなものだ。
「だから、当初のヒルダさんの予定通りにヨシュア一人で面会を…………」
「それじゃ意味ないのよ、エステル」
 こちらは居酒屋アーベントのバイトでお馴染みの完全無欠のメイド姿を披露するヨシュアがその言葉を遮る。そもそも単にラッセル博士の手紙を手渡すだけなら、武術大会を制覇するなどという面倒臭い手順を踏まずとも、漆黒の牙なら即日に終えられた任務だ。
 全てはエステルをアリシア女王に直接対面させ、義兄の顔を売り込んで王家にプロデュースする目的でここまで骨を折ってきたのだから、この土壇場でのリタイアなど以ての外。
「私にちゃんとした秘策があるから任せておいて。けど、このメイド服の裾の長さじゃ少し心許ないわね」
 「うーん」と床下にまで届きそうなスカート丈と睨めっこすると何を思ったのか、アヴェンジャーを取り出しジョキジョキとスカートを引き裂く。
「よしっ、このぐらいで良し」
 唖然とするヒルダ夫人の前で、スカート丈を普段愛用のミニスカ並に切り揃えたヨシュアはエステルにその場に隠れているように指示すると、メイド頭と連れ立って入口の階段を登る。
「これはヒルダ夫人。こんな遅い時間に陛下に御用ですか?」
 銃を構えたまま油断なく挨拶する二人の特務兵に紅茶と食器類を持参した旨を伝えると、デュナン公爵の命令で補充した侍女見習いを紹介する。
「ほう、これは美しい」
「まるで金色の髪から光の粒子が振りまかれているようだ」
 武術大会の優勝で一躍有名になった黒髪娘の素顔を偽れるように、今のヨシュアは金髪碧眼メイドに扮装している。8人の遊撃士を手玉にとったカリンモードは、職務に忠実な衛士達の鉄の心すら揺さぶる強烈なフェロモンを発するようで、仮面下の剥き出しの頬に赤みが射している。
「侍女見習いのカリンと言います。宜しくお願いします、ご主人様」
 ヨシュアが満面の笑顔を浮かべながらクルリと半回転すると、ほとんどエプロンそのもののミニスカートがフワリと捲れあがり、チェックのリボン付きの純白の下着が露わになる。
「「おおっ!」」
 年頃の娘のあまりのはしたない行いに夫人は声を上げられず、ハードボイルドな勤務の連続で長時間の禁欲を強いられた特務兵の視線はヨシュアの下着に釘つけになる。
(今ね!)
 二人の黒装束の心のガードが決壊した隙を逃さずに、ヨシュアは魔眼を真っ赤に光らせてカラコン効果でブルーの瞳が紫色に変化。
 そのまま一回転しながら態とらしくスカートを抑えて、一連のアクションを自然な形で完結させたヨシュアは階段を降りると、柱の影で様子を伺っていたエステルを強引に引っ張りだした。
「お、おい、ヨシュア?」
「うふふ、実は私と同じ侍女見習いはもう一人いるのですが、この娘恥ずかしがり屋だから。ほーら、レナちゃん。出てらっしゃい」
 さっきは完全に目をハートマークに時めかせていた黒装束が無言の威圧感でこちらを睨み、エステルは心臓を凍らせる。
(あっ、やべ。俺、死んだかも……)
 こんな怪しいを通り越して変質者そのもののなんちゃってメイドが女王宮に出現したら、問答無用で実弾で撃ち殺されても文句は言えないとエステルと夫人の見解は一致したが。
「ほーお、これまた可憐だ」
「シャイな割りには、ツインテールに分けた髪形が活発で朗らかですな」
「へっ?」
 エステルは素っ頓狂な声をあげる。このオカマにすら成りきれない怪物侍女が黒装束達の瞳には普通のメイド少女に映っているようで、チェックをパスした三人は女王宮の内部へと素通りした。

        ◇        

「ヨシュア。お前、一体どんな魔法を使ったんだ?」
「うーん、エステルが美少女に見えるように魔眼で認識を操作しただけだけど」
 女王宮の二階にあがり、外にいる特務兵に声が届かない位置で足を止めると、単に羽織っただけのメイド服を脱ぎ捨て普段着姿を取り戻したエステルが疑問をぶつけ、上記のようなとんでもない返答が齎せる。
 明確な好意でなくとも、一時的にハートを鷲掴みすれば簡単な暗示を刷り込むのは可能。それが態々絶対領域を解除してまでパンチラサービスした理由。
「露出する布面積でいえば下着も水着と大差ないし、むしろスカート無しでモロに全開な分だけブルマなんかの方がよっぽど恥ずいしね」
 少しばかり頬を染めながら、ヨシュアがお茶目に舌を出す。
 使命の為に心を殺した闇の眷属もX染色体(♂)である以上は魔性の少女の魅力に抗えなかった。「最近の若い子ときたら慎みが足りませんね」と嘆息したヒルダ婦人はアリシア女王の部屋をノックし、兄妹をこの国の最高権力者へと取り次いだ。

        ◇        

「ふふっ、ようこそいらっしゃいました。わたくしの名はアリシア・フォン・アウスレーゼ。リベール王国第二十六代国王です」
 満月を背景に窓外の広大なバルコニーに佇む一人の貴婦人。
 高価だが決して派手ではない絹のドレスを纏い、クローゼと同じ血統の紫色の髪を束ねる。その瞳は深海のように深く穏やかで、年相応の顔皺はあれど血色の良い肌は活力に漲り、身体全体から発する神々しいオーラにエステルは気押される。
『そう、人はここまで美しく老いることができる』
 まさしくアリシア女王とは、人間の気高さを己が長い人生で表現した至高の芸術品。

「そうですか。ラッセル博士はそのような伝言を貴方たちに託されたのですね?」
 女王の脇に控えるヒルダ婦人が給仕役を務めて、テーブル越しに並んで椅子に座った兄妹はハーブティーとお茶菓子をご馳走になりながら、これまでの経緯を説明する。
 あらゆる導力現象を停止させる漆黒のオーブメントこと福音(ゴスペル)に話が及ぶと、アリシア女王は心当たりについて話してくれた。
「十数年前、このグランセル城直下の地底深くから、巨大な導力反応が検出されました。その時に調査を依頼したラッセル博士が率いる中央工房の科学班は、広域導力波の規模から測定し未だに機能を失っていない古代文明の遺跡が丸々埋まっているのではとの仮説を立てました」
 博士は発掘に意欲満々だったそうだが、場所が聖域の上に大スポンサーたる女王の意向もあり泣く泣く諦めた。
 どうやらリシャール大佐の目的はゴスペルを使って地下に埋まった超弩級の古代遺産(アーティファクト)の機能を復活させることにあるみたいだ。非公式に行われ、調査チーム全員に国家第一級守秘義務の課せられた地下都市の実態をどうやって嗅ぎつけたのか女王は不思議がる。
「なあ、ヨシュア。大佐の狙いはもしかして……」
「私の視界が感涙で曇りそうになるぐらいにエステルにしては鋭いわね。そうね、セプト=テリオンの与太話が少しだけ現実味を帯びてきたかしら」
 オリオールという単語に眉を顰めた女王陛下にリシャールとの軍人将棋勝負で得られた情報をかい摘んで補説する。
 リベールの地下に古代ゼムリア文明の遺跡が眠っているのなら、至宝の一つが奉納されている可能性はゼロではない。
 所詮は当て論法に過ぎないとはいえ、そう仮定すれば女王と兄妹が持ちよったデータが綺麗に一つのラインで繋がるのでインテリ軍人の妄執と笑い飛ばすのは叶わなかった。
「現地点で決めつけるのは早計かもしれませんが、お二人の想像した通りなら何としても大佐を止めなくてはなりません」
 王家に代々語り継がれる伝承を知るアリシア女王が、悲痛な表情で瞼を閉じる。
『輝く環、いつしか災いとなり人の子らの魂を煉獄へと繋がん。我ら人として生きるが為に、昏き闇の狭間にこれを封じん』
 そう言い伝えられている。どう楽観的な翻訳を施しても、あまり明るい未来図とは結びつかない。
 アウスレーゼ王家の祖先は七の至宝の一つを管理する一族だったと唱えるアルバ教授のような考古学者もいる。古代ゼムリア文明を滅ぼした大崩壊の原因に至宝が関わっているとしたら、オリオールを蘇らせるのは危険すぎる。
「大佐が本気で至宝の存在を信じているのなら、きっと城のどこかに地下深くに続く縦穴でも掘っているのかしらね」
 だとすれば、王城の占拠こそがクーデターを起こした真の目的かもしれず。もはや一刻の猶予もないが、アリシア女王は先走る兄妹を宥めるように首を横に振ると、この件にこれ以上深入りしないよう薦める。
「えっと、女王様。それって、どういう意味ですか?」
 今こそ王家の残存兵力たる親衛隊と遊撃士協会(ギルド)が力を合わせて情報部の陰謀に立ち向かわなければならない火急の時にその援軍を削ぐような女王の真意を図りかねるが、心優しき陛下はかつてカシウスがレナを失った件で未だに心を痛めていて更に一人息子の身に何かありでもしたらと憂慮している。
「もうこれ以上、誰にも傷ついて欲しくはないのです。どうか、ロレントのお家に戻ってカシウス殿の帰りを待ってください」
「で、でも、女王様…………」
(この女、さっきからどういうつもりなのかしら?)
 ヨシュアは碧眼の瞳に値踏みするような色を浮かべアリシア女王を吟味したが、どうやらポーズでなく本気で一個人の身を案じているらしいと悟り、その善良さに感動するよりも甘ちゃん具合に呆れ返った。
「女王陛下、私はレナさんの実子ではないので、エステルと異なりさっきの勿体ない御言葉を頂戴する資格がないので、意見させていただきます。私は生粋の無精者ゆえ帰れと命令されれば喜んで戻りますが、当然リシャール大佐の計画を阻止する算段をきちんとお持ちの上での発言ですよね?」
 アリシア女王が手持ちのカードを全て封じられているのを承知で、敢えてヨシュアは厳しい現実を突き付ける。かつて寄付金騒動でテレサ院長を説き伏せた時にも相手を突き放すような形で憎まれ役を演じたように、一国の最高権力者でもヨシュアの対応に変化はない。
「もし、何のプランも持ち合わせていないのに、単なる私人としての感傷でギルドの遣いに手を引けと仰せなら、どうやらこれ以上ここでだべっていても時間の無駄みたいなので、これで失礼させていだだきます」
 リベール国王を前にしての慇懃無礼な物言いの数々に唖然とする一堂の中で、ヨシュアは思い出したように付け加える。
「そうそう、恐らくはエルベ離宮に捕らえられている王太子殿下のことなら何のご心配にも及びません。彼は利己的な私が損得勘定を抜きに動くに値する数少ない大切な友達ですから、こちらの方で勝手にお助けあそばしますので」
「おい、ヨシュア! いくら何でも無礼にも程が…………」
「エステル殿。わたくし達の国主を見縊らないで下さい!」
 義妹の非礼を咎めようとしたエステルだが、会談中ずっと口を噤んでいたヒルダ婦人にピシャリと窘められ、「へっ、俺?」と困惑しながら亀のように首を窄める。
「ヨシュア殿のお言葉が何の道理もない単なる感情的な侮辱であるなら、この不躾な小娘の横面をわたくしが引っ叩いておりました。ですが、わたくし達の主(あるじ)はどれほど耳に痛い諫言であれ、理ある忠言から耳朶を背けたことは一度たりともありません」
 かつてヨシュアは、身分差に惑わされずに他者の意見を受け入れる度量をクローゼの長所として数えたことがあったが、その姿勢は偉大なる祖母から学んだらしい。
 誇らしくヒルダ婦人が宣誓したように、アリシア女王は賢しげな小娘の罵倒に感情を害した風も無く、むしろ優しげな瞳で場を包み込んだ。
「ありがとうございます、ヨシュアさん。クローディアルのことをそこまで想っていただけて。貴方のような良き友人に恵まれただけでも、我が孫は本当に果報者です」
「流石は女王様。テレサ先生クラスの菩薩の領域だな…………って、ヨシュア、お前、何時の間にこの国の皇子とお知り合いになっていたんだよ? グランセル地方に来て一週間も経っていないのに手が早すぎるだろ?」
「この期に及んで、エステル、あなたって本当に大物ね」
「誤魔化すなよ。そもそも、お前が算盤無しで働く友達って、ティオやエリッサ以外にもいたのかよ?」
「失礼な言い草ね。まあ家族は別枠にしても、この旅の間で同性の友人は結構増えたけど、異性は今のところクローディアル殿下一人かしらね」
「おい、色々問題があるオリビエが鴨から昇格できないのは仕方がないにしても、せめてクローゼぐらいはその中に含めてやれよ。ルーアンではあれだけ仲良かったのに、ぽっと出の王子様に負けるなんて可哀相…………俺、何か可笑しなこと言いましたか?」
 目の前で繰り広げられた兄妹の漫才劇に、アリシア女王はおろか堅物っぽいヒルダ婦人も必死に笑いを押し殺しているので、エステルは小首を傾げる。
 クローゼを挟んだ兄妹の問答は陛下の心の風通しを良くしたようだ。目に溜まった涙を拭き取ったアリシア女王は覚悟を決めた表情で二人に話しかけた。
「エステルさん、ヨシュアさん。あなた達をギルドの窓口と見込んで、改めてリベール王家からクエストを申し入れます」
 女王陛下の依頼内容はあくまで王太子殿下の救出のみで、自身は含まなかった。
 塩の杭事件で崩壊した旧ノーザンブリア大公国のように、国王が城を捨てて逃げ出しが最後。民の信頼を失い国が崩壊する現実を理解していたからだ。
「思えば今回の簒奪劇はわたくしが甥のデュナンでなく、孫のクローディアルを次期国王に推挙しようとしたのが全ての始まりでした」
 馬鹿公爵と聰明で誠実な王太子。
 両者の人柄と能力を知る者なら、ほとんど必然の選択ではあるが。他者の思惑に踊らされることなく祖母の平和思想に共感するクローゼは、軍需拡大路線を信奉する大佐にとって傀儡とするには都合が悪い人物像だ。
「リシャール大佐が単なる野心家ではなく、この国の未来を憂いる愛国者なのは疑う余地はありませんが、その遣り方が正しいとも思えないのです」
 何も軍備を増強するだけが、国を守る唯一の道ではない。技術交流や経済交流、更には交換留学や現地派遣などの人材交流などを通じて、他国と協調する外交努力を続けるのが大切だとアリシア女王は熱っぽく訴える。
「うんうん、そうだよな。お互いが信じ合わなくっちゃ何も始まらねえよな」
 エステルは女王の政治方針に心から同調したが、隣にいる義妹の態度が気になった。
 大佐との政軍討論で判明したように、ヨシュアは軍拡論の全てを否定している訳でない。逆に言えば、アリシア女王の理想論に無条件で賛同していないのは明白。
 常日頃のようなシニカルな茶々を入れることはないが、実に無感動な瞳で女王の熱弁を聞き流している。「利害打算を伴わない国家間での信頼や協調って、何それ? 食べられるの? 美味しいの?」などと内心で不埒な考えを巡らせているのかもしれない。

        ◇        

「いやー、何ていうか、流石に女王様って貫祿を感じさせる貴婦人だったな」
 女王との面会を終え、既定としていた王太子の救出クエストを勝ち得た兄妹は様々な後始末を済ませて、侍女控室から割り当てられた部屋へと戻る最中に思い出話に耽る。
「確かにあれほど『綺麗な人』とは思わなかったわ。けど…………」
 アリシア女王の風格を手放しで褒めちぎるエステルと打って変わって、義妹の方は含むところがあり、少しだけ迷った後に素直な心情をカミングアウトする。
「私は少し苦手かな。一国を担う権力者にしては良い人すぎるから」
 エステルは居心地悪そうに、ヨシュアの述懐を受け止める。義妹が基本的に同性と折り合いが悪いのは昨日今日に始まったことではないが、自分達が崇める女王が人格者であるのに何の不満があるのだろうか?
「お前、ルーアンでは院長先生の人柄の良さを讃えていなかったっけ?」
「テレサ院長と女王陛下では立場が違いすぎるわよ、エステル」
 ぶっちゃければ、テレサはマーシア孤児院の子供らだけを守ればよいお気楽な御身分なので世俗の塵芥に塗れずに清廉潔白な己を維持するのが可能だが、アリシア女王は全てのリベール臣民に責任を負わねばならずに彼女のか細い双肩に王国の未来が託されている。
「昔から清濁併せ呑むのが理想的な君主像とされているけど、あの女性からは異常なくらい影の部分が見出せなかった」
 『最大多数の最大幸福』または『大の為に小を切り捨てる』のが基本的な政治の倫理であるが、『小を助ける為に大を危険に晒す』ような危うさを陛下からは感じさせる。
 例えば逃げ場のない船上で致死性の疫病が蔓延し、船員が全滅する可能性すらある緊急事態が発生した場合。鉄血宰相と名高いオズボーンならば躊躇うことなく感染者を纏めて処分して被害を最小限に食い止めるだろうが、アリシア女王ならどうするか?
 『快晴の空の元では誰もが名キャプテン』という諺があるように、順風満帆の船旅でなくリベール号という名の船が沈む危機を孕んだ大嵐に遭遇した時にこそ、真にアリシア船長の器量が問われるのかもしれない。
「誤解しないで欲しいけど、女王陛下の全てを否定している訳じゃないわよ、エステル。民想いで善良なのは結構なことだし、特に臣下に嫉妬しないのは得難い資質だと私は思っているから」
 古代より王宮とは陰謀の温床。武勲目覚ましい者は文官武官を問わずに貶めれるのは日常茶飯事だ。
 ましてや、救国の英雄など上位者の保身感覚を最も煽る危険なフレーズ。アリシア女王が猜疑深い暗君なら自らの立場を脅かす反乱予備軍と見做されカシウスなど謀殺されても不思議でなかったりする。
「私の趣味には合わないけど、良心的な君主というのも悪くはない。後は汚れ仕事を引き受ける暗部を抱えていれば完璧で、リシャール大佐も当初はその闇の部分を担当しようとしていたのでしょうね」
 今日までの旅路で情報部の特務兵は、単なる諜報活動に留まらない極めて反社会的な破壊工作に準じたのを度々目撃しており、女子供の一般市民に手をあげたことさえある。
 それがリベールを救うと信じたが故に心を鬼にして非情に徹してきたのだ。別段、彼らの魂が木石で出来ている訳でないのは、女王宮の番人の黒装束の失態で確認済み。
 情報部の凄惨な実状を知った陛下が汚れ仕事の中止、または情報部の解体を示唆したことがリシャール大佐を失望させて、協調し合えば理想的だった聰明な君主と有能な高級軍人との間に決定的な垣根を作った要因なのではとヨシュアは睨んでいる。
「まあ、色々世知辛いお説教をしたけど、私は別に大佐の味方じゃないから。ただ、物事には様々な側面があり、俯瞰的な視点から眺めると今までとは違った光景が見えたりすることを覚えておいて」
 多数派(マジョリティ)に迎合するのが国家の論理だとしても、力なき少数派(マイノリティ)を護る為に全力を尽くすのが遊撃士協会(ギルド)の基本理念。これでもヨシュアはギルドに与する遊撃士(ブレイサー)の一員のつもりであると宣言して話を締め括ると、宿泊予定室の扉を開ける。
 小難しい上に不快成分が多めに含まれた良薬を処方されたエステルは、煮え湯を飲まされた表情で苦虫を噛み潰すが、部屋の内情を見て唖然とする。
「おいおい、兄貴。一体何をしているんだよ?」
 目を閉じ両掌を膝の上に置き、その巨体でミシミシとベッドを軋ませながら一人胡座をかいている。
 ベッド上で座禅を組んだジンの奇抜な姿にエステルは目を瞬かせるが返事はない。不安に駆られて肩を揺すろうとしたがヨシュアに止められる。
「触っては駄目よ、エステル。あれは瞑想(メディテーション)しているのだから」
「メディテーション?」
 鸚鵡返しして訝しむエステルにジンの本意を解説する。
 東方にはあらゆる煩悩を打ち捨てて心身をリラックスさせ治癒効果を高める呼吸法がある。良く観察すると、『養命功』の闘気が武闘家(ウーシュウ)の身体を覆い、体内にも充満している。
「今のジンさんは完全に無意識(トランス)な状態だから、何をされても朝まで目覚めることはないでしょう。頼もしいわね。まだ戦いが終わってないことを悟っていて、真・竜神功で反動をきたした自分の身体をベストコンディションに引き戻すつもりなのよ」
 流石はA級遊撃士というべきか、兄妹が何か目的を携えてジンチームに潜り込んだのに薄々気づいていたようだ。女王との会見まで見抜いていたかは不明だが先輩遊撃士らしく最後まで後輩の面倒を見る心積もりらしい。
「そっか、兄貴がついていてくれるなら心強いな」
「ジンさん自慢の鋼の筋肉も今だけは子供が小突いてもダメージを受けるぐらい脆くなっているから気をつけないとね。けど、ここまで無防備な姿を晒されると顔面に落書きしたくなる誘惑に駆られるわね」
 水で洗っても落とせない油性ペンを片手に、ワクワクしながらジンの顔を覗き込むヨシュアからエステルは身体を張ってガードする。
 万が一の賊の襲撃の他にも義妹の魔の手から瞑想中の兄貴分を守護するのが今夜のエステルに課せられた使命のようで、大事な決戦前に少しだけ寝不足になってしまった。

 こうしてリベール王家から『王太子救出作戦』の依頼を任された兄妹はアリシア女王との面談を無事に終わらせて、ラッセル博士から託された『女王陛下への伝言』のクエストをようやく全うした。
 だが、終焉のサイクルは王都グランセル全域を舞台とした未曽有の攪乱の始まりの鐘の合図に過ぎなかった。



[34189] 21―01:攪乱するグランセル(Ⅰ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/06/05 00:01
「色々と世話になったな。院長先生。この恩は一生忘れねえぜ」
 まだ太陽が昇る前の闇夜。
 ルーアン地方にあるマーシア孤児院では、テレサに匿われたカプア三兄弟がクラムら児童に別れの挨拶を告げる。
 まだ完全に傷が癒えたわけではないが王国軍は脱獄囚がこの地方のどこかに潜伏しているものと必死の捜索を続けており、何時までも留まるのは危険との判断から動ける程度に回復した地点で児童福祉施設を後にする決心を固めた。
「済まねえな、先生。約束通り盗賊稼業からは足を洗うつもりだが、最後にもう一度だけ法を破らせてもらう」
 その犯罪予告が私利私欲に基づいた強盗ではなく、獄中の部下を自由にしたい一心なのを承知していたので、テレサは敢えて翻意しようとはせずに逆に免罪符を施した。
「確かに貴方たちは罪を犯したかもしれません。ですが、それが生涯煉獄に繋がれて二度と日の目を見ることが許されなくなるほどの咎だとは私にはどうしても思えません。だから、どうか御仲間を正しい道に導いてあげてください。例え神様(エイドス)や帝国法がお許しにならなくても、私はドルンさん達を許します」
「本当に済まねえ、先生」
 ドルンの強面の傷のある左目に涙が零れる。
 もう少ししたら夜が明ける。誰かに孤児院の出入りを目撃されてもまずいので、罪を償えたら必ず再訪する旨を手を振る子供たちに約束するとメーヴェ海道に向けて出発した。

        ◇        

 ジッゼット達が海岸線の砂浜で待機していると、水平線の彼方から中型の漁船が沖合に出没する。
 座礁しないギリギリのポイントで船を止めると、手漕ぎボートが海面に降ろされて二人の男性が乗り込んできた。
 シャークアイとディンのレイヴン子弟コンビ。漁師見習いに一人でオールが漕がせると片目の偉丈夫は船首で腕を組んで仁王立ちしながら、キール達のいる砂浜に接近してきた。
「よう、あんたらが帝国に渡りたいっていう旅人か?」
 小舟の後ろ側でゼハゼハと息せぐディンを尻目に質問し、己と似た目傷を持つ巨漢が無言のまま肯く。
 三人とも素性を隠すようにフードを深く被っている。極悪面の中年男に影のある若い女性と童顔の少年という怪しさ満点の取り合わせに、隻眼に胡散臭そうな光を称えて兄妹を見下ろす。
「ふんっ、いかにも訳ありって面構えだが、まあ良い。エレボニアのサンストブルグ港で密かに降ろして欲しいという話だが、漁船に貴賓席は存在しないから、到着するまで目一杯扱き使われる羽目になるぜ?」
「ええ、それで構わないわよ。船賃を支払える訳でもないからね」
「良し、なら乗れ」

「なあ、兄貴。本当に同船させて良かったのかよ? これって明らかに密航だし、どう見てもこいつら堅気じゃねえだろ?」
 帰り道もオール漕ぎの重労働を課せられたディンは船首に固まって座り込む三兄弟をチラ見すると、隣に座った兄貴分にヒソヒソ声で囁く。
 まさかジョゼット達がボース地方でハイジャック事件を起こした空賊の頭目格だとは努々思わなかったが、特にメリットもないのに密出国の片棒を担ぐなどリスクが高すぎる。
「確かに面倒事に巻き込まれて、とばっちりを受ける可能性はあるかもな」
「なら……」
「けど、こいつは断れねえよ。何しろテレサ先生のお願いだからな」
「テレサ先生って、あのマーシア孤児院の?」
 ディンは少しばかり複雑そうな表情で顔を顰める。
 放火や倉庫での遊撃士兄妹とのイザコザは完全な濡れ衣だが、何者かに操られた顛末とはいえ、寄付金強奪劇に加担させられて子供たちを苦しめるのに一役買ってしまった。
「彼女の亡夫(ジョセフ)と長老は昔、色々と親交があって、そのツテで頼られたんだ」
 孤児院が焼け落ちた時も中々他者の善意に縋ろうとはしなかった院長先生が、犯罪紛いの仕事を第三者に斡旋するとは以前からは考えられない心境変化。「困った時は他人を当てしても良い」という不精娘の忠言に少しばかり感化されたみたいだ。
 マザーテレサのたっての頼みなら、それなりに深い事情があるだろうし、根は悪い連中じゃないんだろうと長老は算盤抜きで引き受けるよう命を下す。
「女性の強請りは無碍に遇わないのも、海人(うみんちゅ)の掟だぜ」
 シャークアイは豪快に笑いながらバンバンと後輩の背中を叩いてディンは咽せ返る。更生したとはいえ、元々彼らはアウトロー。他人にあからさまな迷惑が掛からない些事で法を破るのは一般人に比べたら差程抵抗はない。

 こうしてレイヴンメンバーが屯する漁船に拾われたカプア兄妹は病み上がりの身体で馬車馬のように働かされながら、帝国との国境線を海上から越えて船客の窓口になるサンストブルグ港から密入国を果たすことになる。
 ジッゼット達がとある人物の力を借りて、レイストン要塞からアルカトラズ監獄へと移送される一家の奪還作戦で帝国領を騒がせることになるが、それは少しばかり先の未来の出来事だ。

        ◇        

「本当に良くやってくれました、エステルさん、ヨシュアさん。これで遊撃士協会グランセル支部は緊急体制に入れます」
 女王陛下との面談が無事に終わった翌朝、コンディションを完全に復調させたジンとギルドを訪ねると、冷静沈着が売りのエルナンが何時になくハイテンションに功績を讃える。
 何しろ依頼書には『情報部の国家的特権を全て剥奪する』の一文があり、アリシア女王の玉璽が朱印されている。
 これでリシャール大佐らは王国軍の一部隊でなく、単なる国事犯に成り下がった。遊撃士規約第三項『国家権力に対する不干渉』という最も厄介な枷が外されたことになる。
「関所や発着所が軍によって完全封鎖されたので、残念ながら他の国内支部の協力は仰げそうにありませんが、必要な人材には既に声をかけてあります」
 流石は有能な受付らしく、兄妹が面談に成功するという前提で既に昨晩の内に根回しを終えていた。二階からクルツ達王都チームとメイルらポップル国の遊撃士が降りてきた。
「我々の準備も既に整っている」
 突如、右手側の扉が開いて、ユリア中尉に率いられた王室親衛隊の生き残り9名がワサワサ出現。一階はやや手狭になる。
 ちなみにユリア達は地下に潜った親衛隊の有力な移動手段である地下水路と釣公師団本部に繋がる秘密の抜け穴から乗り込んできて、さらには隣にあるギルドと直接行き来可能なように拵えた即席のドアをから入室した。
 これなら外で他者に見咎められることなく、地下水路から直接王都支部内に潜り込める。ビルのオーナーが同一人物とはいえ、大家に内緒で勝手に部屋同士を連結させるとは後で苦情がきそうだが、今は国そのものが転覆するかもしれない非常事態なので泣き寝入りしてもらうしかない。
 尚、師団の連中は釣り以外に全く興味がないので、一応幹部のエステルが「こいつらは俺の弟子の釣行者候補生だから」の一言で怪しげな連中が内部をうろついていたり、隣と直通のドアを作られても特に気に留めずにスルーしている。
「えっと、遊撃士が10人で親衛隊が9人。ついでに怪獣一匹だから、こちらの頭数は全部で20か」
 この寡兵で四個中隊(約200人)の情報部の十倍の兵力差と渡り合わねばならない。猛者揃いの特務兵は一兵に至るまで数合わせの雑魚は存在しないので、ある意味ではリベールがエレボニアに勝利した百日戦役以上の絶望的な戦力比。
 更には遊撃士・親衛隊連合軍は少数精鋭というよりも寄せ集めに近く、一つの目標に向かって一枚岩とは言い難い。早速、異分子の赤髪の少女が大声を張り上げた。
「ねえねえ、ヨシュアが言っていた割りの良いクエストってこれのこと? 女王の依頼らしいけど、報酬はいくらぐらい貰えるのかな?」
 メイルが目を$マークに変化させながら、分け前を貪欲に催促。ユリア達親衛隊の連中が眉を顰めたので、少女の暴走ストッパー役の黒髪の少年が窘める。
「メイル、この火急の状況で、少しは時と場合を弁えてよ」
「何でよ、タット? これって結局はリベールの権力闘争で、本来あたしらには関係ないじゃん?」
「何だと、小娘? もう一度言ってみろ!」
 エステル以上に空気が読めないエルフ耳の少女の暴言を聞き咎めて親衛隊の一人が掴みかかろうとしたが、タットが赤マントを衝立のように二人の間に翳して衝突を回避させる。
「メイルの失礼な物言いは僕から謝罪しますけど、一つだけ確認させてください。歴史の浅い自治州ならまだしも、小国とはいえリベールほどの由緒ある伝統国で軍事クーデターを起こされるなど大陸中を見回してもあまり例がありません。経済は安定して民を飢えさせたという話も聞かないので、そのリシャール大佐という人物が権力目当ての野心家という解釈で宜しいのでしょうか?」
「うーん、ごめんね、タット君。そう言い切って君らを安心させたいのは山々なんだけど、困ったことに私が接触した限りでは大佐と情報部は自分たちの行動が国を救うと信じているみたいね。あくまでも、あの人達の主観的にはだけどね」
 何か思惑があるのか、ヨシュアが何時になく馬鹿正直に陛下のついでに大佐と面会した時の印象をカミングアウトし、「なら、やっぱりアリシア女王に問題があるわけ?」とメイルが火に油を注ぐような発言を噛ますので、ポップル国遊撃士と王室親衛隊との間が一発触発の雰囲気になる。
「まあまあ、メイルさん達の意見は貴重ですよ。今回の一連の事件をリベールに柵がない第三者がどのように受け止めるのかという貴重なサンプルとして」
 ヨシュアにそう宥められて、親衛隊の面々は考え込んだ。
 リベールの住人なら誰もがアリシア女王が聰明な君主なのを承知しているが、物事の表層的な事象だけで判断するしかない外来の人間はまた解釈が異なる。
 ましてやクーデターが本格的に露見したら、国主の統率力を疑われても仕方がない側面がある。周辺諸国に対する国際信用力を維持するという意味では、どう落とし前をつけるかが重要になる。
(リベール以外の国なら、まず間違いなくリシャール大佐をはじめとした情報部幹部と傀儡とはいえ簒奪に与したデュナン公爵を斬首するだろうけど、あの女性はなさらないでしょうね)
 一国の最高権力者らしかぬ女王陛下の人となりを大凡把握しているので、そう確信する。個人的には甘いと思うが、別段ヨシュアも武断的な処罰を望んでいるわけではないので、流される血の量が少しでも減少するのなら目出たい仕儀だ。
 ただし、一度反旗を翻されその罪をきちんと裁かないとすれば、次に似たような謀反を起こされてもそれを処罰する正当性を失ってしまう。
 ましてや、『実は愛国故の行為だった』と取り繕えば最終的に生命は許されると侮られれば、形だけ模倣する性質の悪い子悪党が次々に出没しても不思議はない。そのあたりの折り合いをどうつけるか戦後処理が問われる。
(どうせデュナン公爵は謹慎あたりの温い処分で許されるだろうから、私の方から自分の仕出かした事の重大さを大袈裟に吹聴するとしますか)
 事破れた暁には極刑も覚悟しているであろうリシャール大佐と情報部の面々と比べて、『王を殺して地位を奪う』という簒奪の当て字の本来の重みをまるっきり理解していない馬鹿公爵へのお仕置きを算段するも、それはこの決戦に勝利できた場合の話。
 このクーデターが成功すれば、大佐の振る舞いは歴史書に簒奪ではなく革命へと書き記され、逆賊として歴史の狭間に消え入るのは自分らの側となるので、少しでも勝率を高められるように守銭奴の納得できる条件を提示する。
「メイルさんが仰せの通り、確かにこれはリベールの問題なので、アリシア女王から支払われた報酬は全額メイルさん達に差し上げます。国庫をリシャール大佐に抑えられているので、今の陛下が自由に出来る前金は十万ミラが限界でしたけど宜しいでしょうか?」
「よっしゃあ、その商談に乗った! 大金が儲かるならどんな危険な任務だって請け負うわよ、あたしらは!」
 国家規模の超高額クエストの褒賞としては微妙な額だが、武術大会の優勝賞金の半額が一日仕事で濡れ手に粟なら悪い稼ぎではない。
 メイルは即決でゴーサインを出す。ヨシュアは馴染の遊撃士の側に向き直ると、軽く頭を下げる。
「話の展開上、只働きに落ち着いてしまって申し訳ありません。外国籍のジンさんには私のポケットマネーから補填を……」
「そんなに気を遣わなくていいぜ、ヨシュア。武術大会では世話になったし、お前たちの父親にも借りがあるから、この件に最後まで付き合わせてもらうつもりだからな」
「私達も皆、同じ志しだから大丈夫だよ。ヨシュアちゃんの言う通り、この事件は私たちリベールに住む人間には絶対に背を向けられない試練だからね」
 頼れる兄貴分のジンだけでなく、グランセル遊撃士チームの四人を代表しアネラスが無報酬での参加を宣誓する。
 元々クルツ達はアラド自治州で雀の涙の報酬で命懸けのクエストに取り組んだこともあるのでこの流れは必然だが、今まで黙ったことの成り行きを見守っていたエステルが初めて口を挟んだ。
「なあ、ヨシュア。前々から思っていたんだけどさ。ブレイサーとはいえ、いや遊撃士(ブレイサー)だからこそ、こんなミラで動く連中を無理に仲間に引き入れる必要があったのかよ?」
 実際に金に煩いのはメイル一人だけなのだが、一蓮托生で三人と一匹のチーム纏めて金の亡者扱いされたポップル国の遊撃士は親衛隊からもあまり快く思われておらず。不協和音の温床にならないか危惧するが、ヨシュアにはまた違った見解がある。
「猟兵団(イェーガー)もそうだけど、お金で雇える傭兵は信頼できないけど、意外と信用できるのよ」
 裏社会の住人は一見好き勝手に生きているように見えて、契約には相当シビアだ。
 何しろ雇用主を裏切るという風評が広まれば、特にフリーのエージェントなどの傭われる立場の人間は二度と仕事にありつけなくなる。その依頼が完了するまでの間は更なる大金を積まれても敵に寝返るケースは少ないそうだ。
「とにかく使える駒は何でも使いましょう」
 グランセル全域に戒厳令を敷かれて、援軍の当てもない劣勢の真っ只中で、戦力を選り好めるような余裕はない。
 ましてやメイル達は犯罪や遊撃士の理念を穢した訳でもなく、賃金交渉という全ての社会人に保障された正当な要求を突き付けただけ。あまり過剰に反応するのは良くない。
 そう言いくるめて辛うじて内部分裂を阻止したヨシュアはこの話題を強引に打ち切って、『王太子救出作戦』の計画の煮詰めに入る。



[34189] 21―02:攪乱するグランセル(Ⅱ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/06/06 00:22
「まずは現在の状況を整理しましょう」
 受付のエルナンがグランセル地方の地図をデスクの上に広げる。全員で覗き込むのはスペース的に無理なので、エステル、ヨシュア、ジンの中心メンバーの他は各参加チーム代表者のユリア、クルツ、タット(※リーダーはメイルだが、彼女は色んな意味で戦略的な話し合いには向かないので)が最前列に陣取り、他の面子は二列目から様子を伺う。
「情報部は四個中隊の戦力を大きく二つに分散させていて、私が調べた限りでは王都に約100人。攻略拠点たるエルベ離宮には80人程が陣取っていて、残りの20人が遊兵として巡回や飛行艇を停泊させている周遊池などの重要ポイントに屯しています」
「80人か。力押しの拠点攻略の形を取るしかないにしろ、もう少し数を減らしたい所だな」
 エルナンの説明にクルツが顎に手を当てて思案する。
 エルベ離宮はグランセル城のような守り易い城塞ではなく、今では単なる観光スポットに過ぎないが、それでも迎撃側が有利なのが防衛戦の常識で、本来なら攻め入る方が寡兵など問題外。
「その件に関して、一つ耳寄りなサプライズがあります。昨晩、リシャール大佐に率いられた30人前後の特務兵が宝物庫の中へと入っていき、未だに出てきておりません」
 ヨシュアが肉眼で確認したマル秘特ダネを報告し、王宮の内情を知るユリアはピクリと反応する。
 宝物庫と銘打っているが実際に金銀財宝など金目の物は何ら保管されてはおらず、王家によって禁制と定められたグランセル城の聖域の一つ。どのような思惑で、そんな場所に一晩以上も籠もっているのか。
「さーて、宝物庫の中だから、きっと宝探しにでも出掛けたんじゃないですか? 大事なのは現在グランセル城の特務兵が70人に減少し、情報部の司令も留守にしているので僅かばかり攻略難易度が下がったという事実です」
(なるほど。大佐は輝く環(オリオール)を目指して、本格的に動き出したというわけか)
 リシャールの奇異な行動に首を捻る一堂の中で唯一人エステルだけがヨシュアの暗喩を理解したが、この場では口は挟まなかった。
 義妹の恒例の秘密主義に乗っかるのは心苦しいが、今、七の至宝(セプト=テリオン)の話を持ち出しても場が混乱するだけ。王太子の救出が成功してからでも遅くはない。
「しかし、流石はヨシュアだな。俺が瞑想で動けない間も油断なく敵の動きを観察していたとは」
「ええ、まあ……」
 感心したように肯くジンに、ヨシュアは曖昧に言葉を濁す。
 別段、敵の不穏な動きを事前に察知したとかでなく、単純に憚りの用で外出した際に情報部の面々と出くわし得意の隠密能力で尾行しただけの偶然の戦果にすぎないが、ジンをはじめヨシュアと関わった人物は悉く少女の成す事全てを深慮遠謀に過大評価する傾向にあり、今後の作戦も腹案を抱えているものと期待され話を振られる。
「以上を踏まえた上で、軍師殿ならどのように兵を動かすつもりか?」
「もう、ジンさん。参謀ゴッコは武術大会で終わりましたし、ここには軍略の専門家が大勢揃っているのだから今更私が出しゃばる必要もないでしょ?」
「そう謙遜するな、ヨシュア。オーソドックスに戦略を練るなら、陽動班、突入班、要撃班、攪乱班などに役割分担するのは自明の理だが、いかんせん敵味方の数を違いすぎる」
 故にあの手この手の奇策で武闘トーナメントを勝利に導いた策士の悪知恵を待ち望んでいる。自らを取り巻く好奇の視線にヨシュアは軽く嘆息すると、地図上のエルベ周遊道のグリューネ門側にある周遊池を指差した。
「まず、最初の一手は陽動からかしらね。ここにある飛行艇を狙って、ユリアさん達親衛隊のメンバー全員で奇襲を仕掛けてもらいます」
 情報部は親衛隊の残党の数を正確に把握している上にギルドと結託した現状はまだ掴んでいない。残存戦力を余さず投入すれば、囮の可能性を排除して離宮からも援軍を派遣するだろうから、その分だけ本丸が手薄になる。
「さて、大佐が不在の中、グランセル城の指揮を引き継ぐのは副官のカノーネ大尉だと思いますが、彼女の人柄には若干触れる機会はあったものの、能力の方は全くの未知数なので行動の予測が立てられません。ユリア中尉、大尉とは旧知の仲だそうですが、貴方なら予想できますか?」
「そうだな、確かに私は個人的にカノーネの手口を心得ている。油断なく常に正着手を打つ参謀肌の優秀な軍人で、やや融通が効かない面もあり細かい戦術の機敏や修正に対応できない所はあるが、戦略レベルで間違いを犯すことはまずない」
 ヨシュアから下駄を預けられたユリアは迷うことなく明言し、敢えて敵の立場にたって思考を推し進めると、周遊池から連絡を受けたカノーネがどう兵を動かすか説明する。
「まずは距離が近いエルベ離宮から、50名ほどの応援部隊をエルベ周遊道を最短距離で送り込む。時を同じくして王都からも同数の兵力をキリシェ通り経由で急行させ、自然に作ったタイムラグを利用し戦闘の酣(たけなわ)にバックアタックを仕掛けて、挟み打ちにした我々を一挙に壊滅させる」
「おいおい、ちょっと待てよ。ユリアさん。たった9人の親衛隊を潰す為にその十倍以上の100名の兵士を動員するっていうのかよ?」
 貧乏性のエステルは30名もいれば十分に勝てるだろうと皮算用するが、敵より多くの兵力を整えるのが軍略の基本。ましてや数十人単位の小競り合いでは、個の力によって戦局を覆される余地が国同士の戦争に比べたら大きい。ユリアがカノーネの知略を弁えるように、親衛隊中隊長の武勇を警戒する女狐副官は万全を期する筈。
「行き当たりばったりにランダムに兵を動かそうとする愚将(ばか)だと却って行動が読めなくて困るけど、カノーネ大尉が最善を尽くそうとする整合性に富んだインテリさんで助かるわ」
 ユリアの予測通りに王道で兵法を構えるなら、エルベ離宮の守護兵力は30人にまで減少する計算になる。
 ヨシュア、タット、ガウなど広範囲攻撃に長けた者を攪乱班として採用。その隙にエステル、ジン、メイル(ブラッキーは?)の接近戦特化型を救出部隊として、狭い建物内に突入させるようにメンバーを振り分ければ、遊撃士7名だけでも上手く敵を掻き回せる。
「もっとも、このままでは陽動班の親衛隊は普通に全滅してしまうので、『大軍兵器』をつけることにします。クルツさん、あなた達のチームで要撃班としてエルベ離宮からの応援部隊を挟み込むように迎撃してもらえますか?」
「了解した」
 そう肯くと、まだ見習いの小娘の指図を不服なしで受け入れる。
 同じA級遊撃士のジン同様、大会中、常に戦場をリードし続けたヨシュアの知謀を高く買っているからだ。更に大軍兵器と評された無茶苦茶なチート方術があれば、親衛隊、遊撃士合わせて13人の少数精鋭で50名を数える特務兵とも互角に渡り合える。
「ただし、私たちが力の限りを尽くしても、離宮からの増援と遣り合うのが精一杯だろう。気力、体力が尽きかけた所で同数の急襲部隊に後背を突かれたら一溜まりもないが、それはどう対処すべきだろうか?」
 自らの限界を弁えているクルツは、己の能力を過信することなく疑問を投げ掛ける。
 確かに歴史上の戦争でも前後から挟撃を受けた軍が勝った試しは少なく、ましてや挟まれる側が少数ではお話にもならない。
 故に王都からの援軍の派遣は是非とも阻止せねばならないが、今までの部隊配置で既に手持ちの戦力を全て使い切っており、対応できるカードは残されていない。
「そっち側は物理的に食い止めるのは不可能なので、謀(はかりごと)を以って当たりましょう」
 その一言に周囲が、『キタ━(゜∀゜)━!!!』という謎の雰囲気に包まれる。ここまでの戦術推移なら、態々ヨシュアが仕切らずともエルナン達だけでも十分執り行えた。
 親衛隊幹部や上級遊撃士が腹黒参謀に求めていたのは兵力不足を補う裏技の行使だったからだが、次の言葉は想定外だ。
「これからその根回しをしに行かねばならないので、ユリアさん。私と一緒に着いてきてもらえますか?」
 そのお誘いにユリアは怪訝な表情を隠せず、エステルや親衛隊の面々は眉を顰める。
 この二人の女性の間には様々な禍根が蟠っているのは周知の事実だが、クローゼを溺愛するユリアも仕事中に私情を挟むつもりはないようで、細部を煮詰めておくように部下たちに指示すると、例のシスターの仮装でヨシュアと連れ立ってグランセル支部から退出した。

        ◇        

歴史資料博物館:
「あら、ヨシュアさん。お久しぶりですね。修道女姿がどういった心境の現れかは存じませんが、大変お似合いですよ。えっ、何々、七の至宝の一つの輝く環について知っていることを教えて欲しい? うふふっ、良いですよ。ただし五時間は掛かりますので覚悟して…………えっ? 時間がないので五分以内に手短に? しょぼーん」

「…………このような経緯で、私が調べた文献では輝く環(オリオール)は空(ゴルディア)を司る至宝。その名の通りに『空間』を自在に制御する能力を持ち、全く異なる次元世界(パラレルワールド)との扉を開く鍵の役割を果たしたと言い伝えられています。他にも時(オブシディアン)の至宝は過去の歴史を遡る時間旅行(タイムトラベル)を可能とします。幻(アルジェム)の至宝はこの世の因果律そのものに干渉して、望んだあらゆる結果を齎すと云われます。そして、上位三属性の全ての至宝を手中にせし者は、過去、現在、未来の全ての次元を支配して、神(エイドス)にも等しい奇跡の御業で天地創造さえも成し得たそうです。なぜ、ヨシュアさんが急に七の至宝(セプト=テリオン)に興味を抱かれたのかは判りませんが、お蔭で私の研究も次の段階に進めそうな素敵な予感に満ち溢れています。お仕事、是非是非頑張って下さいね」

        ◇        

コーヒーハウス『バラル』:
「やあ、待っていたよ。ヨシュア君。例のブツは持ってきてくれたのだろうね? おおっ、これこそはまさしく『カーネリア』全11巻のフルセット。今では絶版になっている幻の逸品を良く一刊も欠かさず揃えたものだ。約束通り『黒千鳥・白千鳥』か『太極棍』のどちらかを…………太極棍の方で良いのかい? 一部では伝説の宝具とか持て囃されているみたいだけど、見ての通り伸縮調整に特殊なギミックを用いた割長の扱いづらい棍で重さも尋常じゃないから、よほどの怪力でないと振り回すことすら困難だよ。だから、こっちの黒千鳥・白千鳥がお勧め…………。えっ? 自分は復讐者(アヴェンジャー)があるし太極棍に打って付けの遣い手を知っているから、こっちの方が良いって? 判った、それじゃ太極棍はそっちの本箱を担いできたシスターさんに手渡せば良いね?」

        ◇        

リベール通信社:
「あっ、ヨシュアちゃん。ちょうど良かった。実はナイアル先輩がここ二日全く連絡がなくて、ギルドに捜索依頼を出そうか迷っていたのー。えっ? うん、そうそう。最後に出掛ける前にエルベ離宮のお友達に直接会いに行くっていっていたけど、何でヨシュアちゃん知ってるの? 「これで最後の裏付けが取れた」って何の話か私にはチンプンカンプンだけど、もし先輩がピンチで何か私に手助けできることがあれば……。何々? 一緒についてきて、これから遣る事に協力すればいいの? うん、判ったよー。それじゃ編集長、ちょっとお出かけしてきまーす」

        ◇        

「一体、どのようなつもりだ?」
 考古学者と思わしき中年女性に御伽噺の伝承を尋ね、ローエンバウムホテルの部屋から持ち出した本をアホみたいに重い武器に物々交換した挙げ句、マスコミ関連の人間までお供に加えたヨシュアの一連の行動を訝しむ。
 太極棍はおろか、カーネリア全巻セットすら持ち歩けない貧弱なヨシュアには荷物持ちが必要だったにしろ、それなら武具の本来の担い手である義兄に頼めば十分な筈。態々遺恨のあるユリアを担ぎだした理由が判らない。
「確かに今までの寄り道は私用みたいなものだけど、最後の目的地にはユリアさん。貴方の協力がどうしても必要なの」
 ヨシュアは軽く空惚けると、リベール通信社とコーヒーハウス『バラル』の合間にある空き家の前で立ち止まる。
 将来とある助平男が『セピス屋』を営むことになるこの貸店舗も、現在は廃屋そのもの。良く観察すると屋根には釣公師団の本部と同じ巨大なパラボナアンテナが添えつけられているが、どのような意味があるのか?
 ドアは妙にハイテクな技術によって施錠されている。ノブの真横に数字式の暗証パネルがセットされ、ヨシュアが入力コードを打ち込むとカチリと音がして扉が開く。
「おい、今の六桁の数値はもしかして?」
「やはり気づきましたか。ええ、貴方のスリーサイズですよ」
「はえー、するとユリアさんは上からななじゅう………………」
「言うなぁー!」
 ドロシー嬢が王室親衛隊中隊長の着痩せするスリムなボディーを喧伝しようとしたので、ユリアは赤面しながら彼女の口を抑える。
「一人残らず斬り伏せる!」
 修道服の下に忍ばせた愛用のバトルセイバーの鞘に手を置く。
 こんな不埒な数字をパスワードに設定するなど、中に立て籠もっているのはどんな如何わしいケダモノなのか息巻く。空き家だけあり埃を被った家具が散乱しているだけで人の気配は感じないが、奥の方に進むと地下に繋がる階段を発見した。
「おいっ?」
 ヨシュアは迷わず階段を降りていく。ユリアとドロシーは互いの顔を見合わせた後、意を決して、後へと続く。
 地下室とは思えない、かなり広大なスペースの隠し部屋の中で、ユリア中尉か見たものは……。



[34189] 21―03:攪乱するグランセル(Ⅲ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/06/07 00:01
「なっ?」
 地下室に降り立ったユリアは面食らう。
 彼女のスリーサイズを模した不埒なパスワード設定からてっきり野獣の如き雄共が潜んでいるのかと思いきや、数多くの有閑マダムが屯して、コントラクトブリッジを嗜んだりお茶してだべったりしながら寛ぎ中。
「おい、ここは一体何だ?」
「貴方の熱烈なファンを自称する女性たちみたいですよ、ユリアさん」
 戸惑いながらヨシュアの肩を揺する中尉は、その返答に表情を引き攣らせる。
 グランセルに到着した当日、情報収集がてらに街中を散策していたら、『ユリア様ファンクラブ』なる怪しげな地下組織を発見。将来何かの役に立つかと密かにチェックした。
「ねえ、ユリア様の臭いがしない?」
「本当だわ。この香水は間違いなくユリア様御用達『クロエ オードトワレ』よね?」
「ということはユリア様がこの部屋のどこかにいる?」
「「「ねえ、ユリア様、どこどこ?」」」
 常軌を逸した嗅覚で焦がれ人の所在を探り当てた女傑衆の様子が慌ただしくなる。更に顔を強張らせたユリアは正体を隠そうとフードを深く被りこもうとするが、「ユリア様、ご開帳」とヨシュアにフードを捲られて飢えたハイエナの面前でご尊顔を露わにしてしまう。
「「「「「きゃあー! ユリア様ー!」」」」」
 早速、数十人に揉みくちゃの押し倉饅頭にされて目を白黒させる。
 相手が男性なら問答無用で蹴散らせば済むが、まさかオナゴ相手に暴力を振るう訳にいかず、成すが儘に蹂躙される。ついでに巻き添えを喰ったドロシーまで目を回すも、ヨシュアはちゃっかり人込みから退避している。
「ご、ご婦人方、どうか落ち着いて…………ぐわっ!」
「きゅううー、目がチカチカしまーす」
 マダム達の興奮が収まるまで二十分近い時間を必要とする。ユリア分を補充した貴婦人方の肌が艶々に変化した頃には、二人は完全にグロッキ状態でバタンキューした。

        ◇        

「ユリア様御自ら私たちの本部を尋ねてきてもらえるとは感激です」
「貴方、昨日倶楽部に入会したばかりのヨシュアちゃんね。『明日、ユリア様をここに連れてくる』と予告した時には半信半疑だったけど、まさか本当に実現させるとは夢にも思わなかったわ」
 他よりも二段程高い居心地が悪い特等席に座らされて、『踊り子さんには手を触れないでください』状態でVIP扱いされているユリアは自分をこの魔境に引きずりこんだ張本人を恨みがまし目で見つめるも、ヨシュアは涼しい顔。
 まさか決勝戦前夜に襲撃された時の意趣返しという訳でもないだろうが、何を企んでいるのか図りかねていると、ヨシュアが対応していたファンクラブ会長のご婦人が思い出したように柏手を打つ。
「そうそう、喜びは倶楽部の会員全員で分かち合わないと。ユリア様が降臨あそばせた旨を是非とも博士に報告しないとね」
 そう宣言すると、奥の方にあるモノリス然とした動力器を作動させる。
 釣公師団が使用していた双方向スピーカーにソックリ……というか瓜二つで、『SOUND ONLY』のラベルに光が点灯する。
『今何時だと思っているのよ? 釣り基地外の暇人共が! 月一の定例会議はまだ当分先………………』
「博士。私たちです。それと現在の時刻はもうお昼過ぎでして……」
『ふわあああー。あー、悪い、悪い。師団の馬鹿共の催促かと勘違いしたわ。ここ一週間、徹夜で作業していたから昼夜が完全に逆転していたけど、何の用?』
「実は積年の努力の甲斐があって、ついにユリア様が私たちのアジトに来訪され……」
『ぬ、ぬわんですってえー!? 今そこにユリア様がいるのね? 是非声を聞かせて…………ぐっ、ユリア様の凛々しいお姿をこの目で見られぬとは残念無念。金蔓……もとい盟主様からもっと開発費をせしめて、一刻も速く広域音声送受信システムを映像も送れるように改良しなくては』
「博士には技術協力や戦術指南など様々な技を提供していただきました。ユリア様ファンクラブが今の形を保っているのは全て貴方のお蔭です」
(なるほど、この通信相手が御婦人方にいらん知恵を授けた諸悪の根源か?)
 黒い墓石を通じての会話を又聞きしながら大凡の裏事情を把握する。
 昨年までは目の前の餌に見境なく食らいつく魔獣さながらの烏合の衆が突如、秩序だった集団行動でユリアを追い詰めるようになり散々手を焼かされる羽目に陥ったが、どうやら博士なる人物の教練の賜物らしい。
(たった一人の参謀の加入でこうまでドラスティックに組織が生れ変わるとは身に詰まらせられるものがあるが、この博士とは一体何者なのだ?)
 今まで判っている情報を統合すると、女性でありながらアルバート・ラッセル博士に匹敵するずば抜けた科学力を誇り、第二柱として釣公師団に幹部として在籍しているが会話の端々から釣りマニアの同僚を小馬鹿にする気配が見え隠れして性格はあまり宜しそうには見えず、中央工房に深い縁を持ちティータを溺愛しているっぽいが、その正体は全くの謎である。
「さて、皆さん。ここで私の話を聞いていただけないでしょうか? ここにいる人で親衛隊謀反の与太話を信じる愚か者はいないと思いますが、なぜユリアさんが地下に潜ることになったのかその経緯を説明します」
 博士との問答が一段落した所でヨシュアが皆の注目を集めると、ユリアが止める間もなく更なる演説に入る。
 情報部のクーデターによる親衛隊の冤罪から王太子の救出作戦まで、守秘義務の観点から一般人には到底漏らして良い筈のない極秘情報をペラペラと吹聴する。
「まさか、王都でそのような大それた陰謀が進行していたなんて……」
「リシャール大佐が男前だったから、すっかり騙されましたわ」
「きー! これだから男なんて信用ならないわ」
「そうよ、そうよ。やっぱり私たちにはユリア様しかいなのよ」
 場が再び騒然とする。ここにいるご婦人方は全員ユリア中尉の大ファン。潜在的な味方なのは確かだが、かといって謀反の事実はまだしも、計画の肝となる奪還作戦の決行をこれだけ多くの一般市民の前で明るみにするなど論外。
 無論、怜悧な腹黒軍師がその程度の道理を弁えていない筈はなく、何か裏があるのは確実。どのように話を展開させるつもりなのか、諦観と怒りが入り交じった視線でヨシュアを睨むが、黒髪の少女は急に芝居がかった仕種で皆に別れの挨拶を告げる。
「私たちギルドとユリアさん達親衛隊はこれから共同して、決死の救出作戦に臨みます。情報部との兵力差は絶大で生きて帰れる望みは少ないですが、であればこそ私はユリア中尉をここに連れてきました。ユリアさんの真の理解者である貴方たちに、王室親衛隊中隊長は最期まで逆賊に屈することなく力の限り戦い尽くしたという歴史の証人になって欲しかったからです」
 中々に熱がこもった煽動(アジテート)。ご婦人方はジーンと感涙に打ち震えると、このまま後生の別れとするのを潔しとせずに「何か私達でも役立てることはないですか?」と助太刀を申し入れる。
「気持ちは有り難いですが、一般人を巻き込む訳には…………けど、もし王都からの援軍を阻止できたら、ユリアさんが生きて戻れる可能性も……」
 ギルドの建前を取り繕いながら、チラチラと未練がましい本音を散りばめてご婦人方の思考を誘導すると、自らの思惑について語り始める。
「馬鹿な。そんな非道が許されるか!」
「やっぱり、そうですよね。すいません、今言ったことは忘れて下さい」
 どのような過激な謀略が囁かれたのやら、当事者のご婦人方よりも先にユリアが激昂するが、ヨシュアは何時になく気弱な態度であっさりと前言を翻して却ってユリアを不審がらせる。
「絶望的な決戦を前に少し焦ってしまったのか、地域の平和と民間人の安全を守るべきブレイサーとして恥ずべき要求をしてしまいました。エイドスが正しい者の味方なら、きっと私たちに奇跡を齎してくれる筈です。行きましょう、ユリアさん。親衛隊とギルドが力を合わせれば越えられない壁などないですから」
 シスターの仮装に精神まで引っ張られているのか、腹黒完璧超人らしからぬ殊勝さで篤信に溢れた言葉が零れる。
 少女の過激な提案に戸惑っていたご婦人方は流石に即答し兼ねていたが、互いに目線を合わせて意志を固める。「やります、ユリア様」とルビコン河を渡る決意を訴え、中尉を絶句させる。
「いや、王太子殿下を己が生命に替えてもお守りするのが我は親衛隊の務め故、本来無関係の貴方たちに負担を強いる訳には……」
「私たちのことなら気になさらないでください、ユリア様」
「うんうん、そりゃ、ヨシュアちゃんのアイデアには最初は面食らったけど、今はリベールそのものが滅ぶかもしれない非常事態な訳ですよね?」
「ならば、私たちも我が身の安寧ばかりを求めてはいられませんわ」
 エステルがそうであったように、打算や嘘偽りのない言葉ほど人の魂を深く揺さぶる想いは他にない。ユリアが彼女たちを案じるほどに却ってご婦人方を追い詰めている節があり、それと知って中尉をこの場に連れてきたのなら、やはりヨシュアは人の心を操る策士であろう。
「ありがとうございます。こんな酷い提案をしてしまい私は皆に顔を向けられません」
「気にしなさんな、ヨシュアちゃん。そもそも、あんたみたいな若い子にこんな過酷な役回りを押し付けてのうのうとしている男共の方が情けないんだから、自分の成すべきことをしようとしているあんたは立派だよ」
 感涙に震えたヨシュアは両手で顔を抑えながらポロポロと涙を零す。周囲にいるご婦人方に慰められる微笑ましい光景をユリアは強い違和感と共に見つめる。
(何故だ? この魔少女から溢れ出る禍々しい気をどうして誰も感じ取れない?)
 自分がかの少女に偏見を抱いていることを百も承知の上で、それでもユリアの目線からはヨシュアの身体から発散される淀んだ空気が垣間見える。
 Y染色体(♂)の親衛隊員の単純な馬鹿どもが少女の迫真の演技にいいように踊らされるのは判るが、この場にいるのは自分と同じX染色体(♀)だと自問自答するが、中尉は一つ勘違いしている。
 ヨシュアは同性ではなく、単に乙女(おとめ)との折り合いが悪いだけ。
 だから性を意識する前の幼女や、出産を経験して人生に余裕を持った中年女性には意外と受けが良いが反面、思春期に入った少女やまだ女としての自負心に捕らわれている者は色んな意味で負の感情を逆撫でされる。
 故にヨシュアの嘘泣きを見抜けたご婦人はユリア以外にこの場にいなかったが、唯一人、黒髪少女の本性を看破した者が遠方よりの刺客として声を放った。
『よーう、腹黒娘。中々に凝った芝居を聞かせてくれるじゃない?』
 モノリスから漏れた突っ込みの一言に一瞬ヨシュアはビクッとするが、ご婦人方は今度はユリアを取り囲んでの談笑に夢中になっていたので、誰も博士の揶揄を聞いていない。
「あ、あの……」
『そう警戒すんな、別にあんたの遣る事を止める気はないから。むしろ、あたし達夫婦の大事な一人息子を傷つけた情報部こそが敵だから、その策略に乗っからせてもらうわ』
「……恩にきます」
 ヨシュアはモノリスの向こう側にいる未知の人物に頭を下げる。
 かつてグランセル地方の動力器設定に関わり王都の地理を知り尽くしていると自負する博士は、少女の謀を実務レベルで取り仕切り最も効果的かつ決して人的被害が出ないようにサポートすると明言。計画の仕込みの一部であるドロシーをこの場に残すと、ご婦人方に挨拶してユリアと連れ立って地下室から退出した。

        ◇        

「おい、貴様。私をダシにしたな?」
 空き家の外に出るや否やユリアは親の仇のような目つきで睨むが、ヨシュアは泣き虫少女の仮面を外すとシニカルな面構えで中尉の言を肯定する。
「まあね。あのご婦人方は私に敵意は持ってないけど、それだけじゃ動いてはくれないからね。けど、今回の作戦を非難される理由が判らないんだけど?」
 フード下の小首を傾げる。無辜の一般市民に身命を張れと脅したのなら殴られても文句は言えないが、彼女たちには財産の一部を提供してもらうだけで血が一滴も流される訳ではない。ましてやあの寛大なアリシア女王陛下なら必ずや失われた遺物を国庫を叩いてでも復元してくれるのは明白なので、尚更咎められる意味が理解できない。
「マーシア孤児院の事件に関わったのなら、知らぬ訳ではあるまい。家屋にはミラでは贖えない大切な想いや思い出が育まれるものだ。それを…………」
「貴方の部下の生命よりも思い入れが染みついただけの単なる無機物の方が大事だと言うのなら、確かに私の考えは間違っていますね」
 煩わしそうに反論不可能な禁断の切り返しで強引に議論を打ち切る。既に話は纏まっているのに今更蒸し返されても非効率この上ないからだが、こういう合理主義に徹した態度がヨシュアが他者から反発を買う要因の一つである。
「まあけど、ユリアさんやエステルはそういう熱血漢なノリで良いのだと私は思いますよ。人には向き不向きというものがありますので、私は私にしか出来ない悪行をしているだけですから」
 国を落とす時は単純な力攻めだけでなく、城壁内にいる不穏分子を煽動し敵を内側から弱めるのは兵法の常道なので、今回の策略は実はそこまで画期的なアイデアという訳でもない。
 ただし、軍略にも明るいジンやクルツのような上級遊撃士も基本的には良い人属性。無関係な人間を大勢巻き込むような策謀を思い付きはしても決して実行することはない。
 力押しだけで楽勝な勝ち戦ならともかく、極めて劣勢を強いられた中で必勝を義務づけられたリベールの存亡を賭した大一番なので仕方がなくヨシュアが汚れ仕事を代行しており、皮肉にも少女の功を労ったご婦人は正鵠を射ていたりする。

 策の是非を巡って、一度は鎮火した二人の女性の間に燻っていた宿怨の炎が再燃仕掛けたが、辛うじて破局を回避される。
 最後の下準備を終えたユリアとヨシュアの二人がギルドへと帰還した。王太子(クローゼ)の身柄を奪還するエルベ離宮への救出作戦の決行はもう間もなくだ。



[34189] 21―04:攪乱するグランセル(Ⅳ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/06/08 00:16
「只今、戻りました」
 ユリア様ファンクラブの裏工作他、複数の用事を済ませた二人がギルドに帰参すると、親衛隊と遊撃士の面々が各々の装備アイテムを交換して戦闘準備に備えている。
 遊撃士チームが衣服の下に着込んでいるのは、『防弾チョッキ』と呼ばれるワイヤーを特殊な製法で編んだベスト。その名の通りに銃弾に特化した防御性能を誇る。
「あくまで実弾が胴体に貫通するのを防ぐだけで、普通にダメージは残る。また刃傷には脆い部分があり、ヘッドショット対して無力なので過信はしないように」
 とのことだが、猟兵団並に惜しみなく火縄銃を撃ち捲くる特務兵を相手取るのにこれ以上頼もしい防具はない。
 逆に遊撃士側から親衛隊へと支給されたのは、クルツお手製のお守り『五神獣の護符』。方術のプラスの効果を吸収しマイナス効果を受け流す判定機能を備えている。
 戦闘中に授かる恩恵は全員のアクセサリ欄の一つを自動的に潰して尚余りあり、十絶陣の異名を持つ大軍兵器の威力を戦場で存分に発揮してくれる。
 ヨシュアにも防弾チョッキが手渡されたが、ユリアが手を離した途端に重量に耐えきれずに地面に取り落としてしまう。
「こんな重鎧を身に着けたら、私は木偶になって一歩も動けなくなるから、遠慮するわ」
「決して軽くはないが、鍛え抜かれた戦士であれば、特に機動性を損なわない程度の軽量化は図られているのだがな」
 そう中尉は呆れたが、なぜ腹黒完璧超人の称号を欲しい儘にする黒髪少女が多くの殿方に取り入る必然性があったのか、その本質を彼女はまるで理解していない。
 実際、秒速800mの弾丸を視認する異常レベルの動体視力と帝国映画で有名になった『マトリックス避け』すら可能とすると神業レベルの反射神経を兼備する漆黒の牙からすれば、ボディーアーマーなど単なるデットウェイトでしかない。(※エステルもジョゼットの導力弾を棍で弾いたことがあるが、あくまで発射角度と発砲タイミングから軌道を先読みしただけで、見て反応している訳ではない)
「さて、念の為に内通者が紛れていないか、チェックしておきますか」
 作戦を立ててから二人が戻ってくるまでの間、誰一人として建物から外出していないのを確認したヨシュアはそう宣告し周囲が騒めき始める。
「それは一体どういう意味だ?」
 ユリアが殺気立った視線を向ける。仕事に私情は挟まないものとここまで散々不愉快な思いを強いられても堪えてきたが、共に誓いを立てた同胞の中に裏切り者がいると揶揄されては到底黙ってはいられない。
「ごめんなさい、少し舌足らずだったわね」
 素直に謝罪した後、自分たち兄妹が辿ってきた旅の道筋について説明する。
 カプア一家のドルンやダルモア市長など情報部と関わりを持った人物は悉く人格を変貌させられており、もしかすると本人すら意図していない操り人形がこの中にも潜んでいる可能性はある。
「暗示による記憶と認識の操作だと? そんな異能が本当に可能なのか?」
「ええ、私の魔眼でも、その真似事ぐらいは出来るから」
「今回のヨシュアの発言は紛れもない事実だぜ、ユリアさん」
 エステルがそう口添えすると、この場の一堂は非現実的な現象を受け入れる。
 時と場合によって正論と主張を使い分ける腹黒義妹はこういう時に今一つ証言の信憑性を疑われるが、それを補うのが清廉潔癖な義兄の存在だ。嘘が下手という遊撃士として問題視される適正は裏を返せば信用があるとも言える。兄妹がコンビを組んでいる真価はその当たりにあったりする。
「俄かに信じ難い話だが、エステル君が言うのなら真実なのだろうな。それで具体的にはどうやって当人すら意識していない洗脳者を探し出すのか?」
「それは簡単です。こうすれば一発で判ります」
 窓のカーテンを閉めて日光を遮ると、証明のスイッチを切って部屋を暗くする。次の刹那、闇中に淡い光が浮かび上がる。誰かが懐中電灯をつけたのかと思えば、そうではない。
 ヨシュアが瞳を深紅に輝かせて臨時のライトの役割を果たしたのであり、別の複数箇所でも赤い光が漏れる。
「私の魔眼に反応した人物がそうです。一人は親衛隊のグルトさんで、もう一人は…………あら、意外ね」
 釣られるように光源を振り返ったアネラス達は驚愕する。闇の中で彼女たちのリーダーのクルツの瞳が赤く点灯していた。

 軽く人指し指を親指で弾いただけのヨシュアの簡単なアクション一つで、思いの外あっさりと暗示は解除された。
「ああっー、俺は何て取り返しのつかないことをー!」
 親衛隊員グルトは失われた記憶を思い出して、両手を地面について項垂れる。何でも彼は意図せずスパイの役割を課せられていて、幾度となく仲間の潜伏先を報告させられたそうだ。情報部が妙に親衛隊の動きを掴んでいた理由がこれで判明した。
 隊員一人一人の名前はおろか人格を熟知する程に己が中隊の面子と精通していた中尉は内通の可能性を考慮すらしていなかったが、今回はその信頼が裏目に出た。
「貴殿の責任ではない。それよりも暗示を植え込んだ相手を覚えているか?」
 ユリアはそう尋ねるが、グルトは首を横に振る。微かな記憶を辿るも、洗脳を施したと思わしき人物はフード付きのローブのようなものを纏って素顔は見えなかった。
「ただ、一度だけ声を聞いたことがあるのですが、女のようでした。それも結構年配の……」
「カノーネということはなさそうだな。彼女は論理の申し子でそのようなオカルトは専門外だ」
 情報部の紅一点の可能性をユリアは排したが、中年女性という単語にヨシュアの方がピクリと反応するも、この場では無言を貫く。
 もう一人の洗脳者のケースは、無意識化の情報提供者にされたのではなく単に記憶の一部を封じられただけ。何でもある人物に頼まれて例の黒装束を調べていた時に、連中が運んでいた漆黒のオーブメントを奪取した経緯をクルツは思い出した。
「それじゃ親父宛のゴスペルに、ラッセル博士への解析のメモ書きを添えた『K』っていうのは?」
「ああっ、私のことだよ、エステル君。どうした訳かその一件に纏わる一切の記憶を喪失していたが、まさかそのような大掛かりな陰謀の一端を担っていたとはな」
 意外な所で長い間、謎のままだった『K』の伏線が回収される。そのクルツの記憶を奪ったのもフードで顔を隠した女性のようだが、浄眼を持つA級遊撃士を手玉に取るとは危険極まりない人物だ。
「とりあえず、これで当面は機密が漏れる心配をする必要はない筈です。色々と疑問はあると思いますが、まずは王太子殿下の奪還に全力を注ぎましょう」
 皆が疑心暗鬼に陥る前に混乱する場を収めたヨシュアはそう話を締め括ると、一時解散させる。
 親衛隊からも犠牲者が出たので、謎の黒幕女性と同能力の魔眼を保持するヨシュアを薄気味悪がる隊員もいたが、一応敵でないことは判明している。一時的に疑惑を凍結させて今は目の前の作戦に集中することにした。

        ◇        

「さてと、いよいよ本番だな」
 深夜のエルベ周遊道。琥曜石(アンバール)の石碑が置かれた休憩所に集った親衛隊と遊撃士の連合部隊は王太子救出作戦の始動に入る。
「……で、ヨシュア。本当にこれが必要だったのか?」
「ええ、細かいタイムスケジュールの調整には欠かせないからね」
 石碑の手前には、エステルが釣公師団から渡された彼専用のアンテナ付きの黒い墓石(モノリス)が安置されている。基本的には師団本部での幹部会議用だが、周波数の設定を変更すれば例の地下組織やリベール各地方に陣取る魚の使徒(アンギス)との直接会話も可能。
「ヨシュア君、こんな場所で導力通信して盗聴される危険はないのかね?」
「その心配はありません。このオーブメントはツァイス工房の二世代先の暗号技術が使われているそうですので」
 釣り馬鹿の道楽には過ぎたテクノロジーだとヨシュアは呆れながら、クルツの疑問に答える。博士のお下がりのシステムを利用している情報部には解析不可能だと彼女は自信たっぷりに明言したが、なら少なく見積もって中央工房の七世代先の超科学技術(オーバーテクノロジー)の結晶たるゴスペルはどこで製造されたのか?
 仲間に秘密主義を強いるヨシュアでさえも判明していない謎が手付かずのまま残されているが、今は目の前のミッションを一つ一つクリアしていくだけ。
 そう問題を先送りしながら、ユリア様ファンクラブとのコネクションを繋いだヨシュアは作戦の決行を伝える。

        ◇        

 王都グランセル城の執務室。リシャール大佐の留守を預かるカノーネ大尉が、エルベ周遊池に船舶している特務飛行艇が親衛隊の残党に襲撃された旨の報告を受ける。
「人数は?」
「ちょうど9名、潜伏していた親衛隊全員です」
 カノーネは顎先に手を当てて思案する。彼らの母屋であるアルセイユが抑えられた今、アシを奪取すれば、戒厳令が敷かれた王都を自在に動ける中空機動力を手に入れることになるので一応戦理には適っているが。
(飛行艇のロックの解除には専門の技師でも相応の時間が掛かる。絶望的な戦況の挽回を急ぐあまり焦ったわね、ユリア)
 出し惜しみなく戦力の投入を示唆し、エルベ離宮と王都から合計100名の兵士を動員するように命令する。
「大尉、流石にそれは念を入れすぎでは? 兵力差を鑑みれば、態々王都からも追撃の兵を送らずとも十分勝てるかと」
「親衛隊中隊長ユリア・シュバルツの武勇を甘く見ない方が良いわ。離宮から派遣する先遣隊だけでも彼女たちの勝機は薄いけど、わたしくの務めは敵の勝率を確実にゼロにすることよ」
 ユリアと旧知のカノーネに油断や慢心はない。戦略的にはこの上ない正着手を打ってきたが実はそれすら掌の内。彼女が存在を把握していない腹黒軍師の策略が王都で着実に実を結ぼうとしていた。

        ◇        

「兵隊様、どうかお助け下さい」
 グランセル城から二列に隊列を組んで出陣し、キリシェ通りを伝って敵の後背を急襲しようと目論んでいた特務兵の一団は橋の手前で待ち構えていたご婦人方に取り縋られる。
「私たちの家が火事に見舞われて、中に娘や息子が取り残れているのです。お願いです、兵隊様。どうか子供たちの生命を救ってください」
 周辺を見回すと街の彼方此方に火の手が上がっている。複数の一軒家で火災が発生したようで特務兵は混乱する。
「はええー、王都が燃えていますー。けど、運が良いことに兵隊さん達がたくさん揃っています。まさか国を守る兵隊さんが市民を見捨てて、どこかに消えたりしないですよね?」
 マスコミの人間と思わしきピンク髪のカメラマン女性が、妙に棒っぽい台詞を吐きながらパシャパシャとカメラを撮る。ご婦人の他にも沢山の野次馬が城前にぞろぞろ集結しつつあり、ここにいる全員の口を塞ぐのはまず不可能。
「これは一体何事? このタイミングで火災事故ですって?」
 王城のバルコニーから、街の複数箇所で一戸建てが燃え盛る様を懐疑的な視線で見下ろす。
 高い位置から下界を観察すると一目瞭然だが、火災が発生した箇所、それぞれの距離が大きく開いていて、しかも隣家に延焼することなく単独で燃えている。一ヶ所ならともかく、七ヶ所同時の自然発火などまず考えられずに放火に間違いないが、下手人は単なる愉快犯だろうか?
 軍略家としての識見が、こんな都合の良い偶然は有り得ないと主張する。なら、王都からの援軍を阻止する内部工作との疑念を抱いたが、問題はユリアの人となり。
 いかに足止めの効果は絶大といえど、こんな無辜の大衆に犠牲を強いるような謀略を彼女が採用する筈はなく、謎は深まるばかり。
「大尉、いかがなさいましょうか?」
「止むを得ません。王都からの派遣は中止して、そのまま消化活動と人命救助に当たりなさい」
 情報部は軍事クーデターを企んではいるが、あくまで救国の手段で、一般庶民を虐待するつもりない。また、ここまで大事になった以上、情報戦略の観点からも見捨てられない。
 挟撃作戦が不可能になったとはいえ、それでも戦力比の有利さは変らない。いかにユリアが単身で無双しようとも順調に戦況が推移すれば、多少犠牲者の数が増えるだけで最終的には親衛隊は地に伏する筈。
 心中でじわじわと膨れ上がる嫌な予感を強引に捻じ伏せて、女狐の副官はそう自分に言い聞かせた。

        ◇        

「ふん、馬鹿な連中だ。大人しく大佐に従っていれば、生命だけは助かったものの」
 周遊池の見張り役の寡兵を片付けたユリア達9人の陽動班は、今度はエルベ離宮から真っ直ぐに駆けつけた総勢50名の特務兵の大軍と対峙する。
「いずれ王都からも、キリシェ通りを経由した第二陣が殺到する。後背を突かれぬように精々背後に気をつけるのだな」
「ふっ、愚かな 既に前後を挟まれて、死地に彷徨いこんだのは自分たちの方だというのに気づかぬとはな」
「何?」
 嘲笑うようなユリアの言と同時に周辺一帯の足元に巨大なサークルが浮かび上がる。
「方術・儚きこと裏朱雀の如し!」
 陣円の地面から剣のようなものが出現し、この場にいる各々の特務兵の身体を真下から串刺しにする。剣は魔力で精製されたものなので魔力ダメージを残して直ぐに消滅したが、即死効果に見舞われたハードラッカーの魂が砕かれてそのまま地に伏した。
「ほーう、裏朱雀を単体技でなく陣形内の全体効果系として発動させると、即死率が10%まで下がるので、5人も仕留められれば僥倖と思っていたが、まさか9人も間引けるとは。やはり、君達の所業はエイドスから歓迎されてはいないようだな」
 何時の間にか背後にクルツ達要撃班の面々が控えており、特務兵は仰天する。得体の知れない方術による先制パンチが彼らに与えた心理的ダメージは計り知れず、また実際の戦力比さえ、9vs50から13vs41まで一気に縮小した。
「ブレイサーだと? 貴様ら反逆者に加担し、正規軍の我々に歯向かうつもりなのか?」
「おやおや、あんたら何時の間に女王陛下より偉くなったつもりだい?」
「そうそう、この印籠…………じゃなくて、お墨付きが目に入らないのかな?」
 アネラスがこれ見よがしにチラつかせたのは依頼書のコピー。アリシア女王の直筆と国主の玉璽が朱印されていて、特務兵はギョっとする。
「へへっ、理解したか? もはや手前らは軍でなく単なる犯罪者だ」
「さて、十絶陣が全て完成するのと君たちが全滅するのと、どちらが早いか試させてもらうとするか」

 グランセル遊撃士チームの加勢で、戦いの流れは親衛隊の側に傾いたが、現実としてまだ三倍強の戦力差があり予断を許さない。
 ユリアはチラリと後方を振り返ると、ちょうど王都の方角から煙が立ち登っているのを視認した。
(済まない、ご婦人方。貴方たちが身を削って授けてくださった好機を必ず生かします)
 そう心の中で誓約すると、浮足立った特務兵相手に全軍突撃を指示する。
「へへっ、中隊長殿、後背の備えを残しておかないで大丈夫ですかい?」
「王都からの増援は決してこの場に辿り着かない。だから一切の余力を残さずに目の前の敵の殲滅に集中しろ!」

        ◇        

「いよいよ、始まったな」
 エルベ離宮を出発した一個中隊の特務兵の集団を遣り過ごしたエステル達は、手薄となった本丸の攻略に入る。既に攪乱班としてヨシュア、タット、ガウの二人と一匹は配置についたので、後は突入班の自分らが隙をつきクローディアル殿下の身柄を奪還するだけ。
「エステル」
「ああっ、判っているぜ、兄貴」

「「俺達の戦いはこれからだ!」」 完




―――――――――――――――――――

 なろう掲載分までの再アップ作業が今回で完了しました。「小説家になろう」で二次創作が禁止されずに連載が続いていたら今頃完結していたかは判りませんが、ここから先は完全新作という形になります。
 これまでのような毎日掲載のような投下ペースではなくなりますが、続きを期待する読者がいる間は連載を続けようと思いますので、応援・感想を宜しくお願いします。



[34189] 21―05:攪乱するグランセル(Ⅴ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/06/23 02:22
「ふああー、暇だな……」
 周遊池にノコノコと出没した親衛隊の残党を殲滅する為に離宮を出発した仲間を見送った留守番組は、敷地内を巡回しながら幾分緊張感を失った面持ちで欠伸を噛み殺す。
 建物内には敵の奪還対象が囚われているものの、もはや襲撃を受ける危険性が消失したからだが、ふと空を見上げた特務兵の表情が凍りつく。
「…………おい、アレは一体何だ?」
「何だって……未確認飛行物体(UFO)でも目撃したのか…………はあ?」
 中庭にいた全ての特務兵に動揺が伝染する。暗くて視認し辛いが、瘤のような三つの塊が垂直に連なって、プカプカと宙を浮遊しながらフェンスを乗り越えてきた。
「ダンゴ三兄弟?」

「ガウガウガウー」
「流石に僕らの姿を見て面食らっているみたいですね。それにしてもヨシュアさん、貴方は本当に軽いです…………って、そんなに密着しないで下さい」
「うふふっ……、ダイエットに成功しているからね。それよりもタット君って初で可愛いわね。まるでむっつりスケベの誰かさんみたい」
「ガウガウ、タットが赤くなってるガウ。後でメイルにチクるガウー」
 謎のUFOの正体は二人と一匹の攪乱班。飛行能力を持つガウの背中にタットが乗り込み、更には体重の概念が希薄なヨシュアがタットの肩に赤マント越しに掴まることで、本来重量制限一人乗りが限界の怪獣に強引にタンデムした。
 中央まで飛行し庭全体をアーツの効果範囲内に収めたタットは、早速印を組んでアーツの詠唱に入り身体全体を黄色に光らせる。
「おい、何をしている!」
 あまりに非現実的な光景に呆然と敷地内への侵入を許した特務兵は我に返ると、機関銃の銃口を空の飛行体に向け射撃態勢に入る。その刹那、必死に羽をばたつかせて宙空に静止しているガウからヨシュアが飛び下りて、彼らのど真ん中の地面に着地する。
「撃て。撃てぇー!」
「遅い!」
 機銃の矛先を地上に変更。蜂の巣にせんと一斉射撃が施されたが、ヨシュアは異常な機動性能と空間認識能力で弾幕のシャワーを全て避けきると、アヴェンジャーを展開する。
「これで終わりよ」
 まさに電光石火。『漆黒の牙』で彼らの合間を駆け抜けると、中庭にいた七人の特務兵を纏めて戦闘不能にする。剣狐のような単体の理(ことわり)の術者には及ばない反面、自分より低レベルの強者が何人群れようとも全て一撃で屠れるのが雑魚専……もとい対集団戦闘タイプの真骨頂。
「ガウー、凄いガウ」
「本当に何者なんだろうね、彼女。陽動とか色々な策を巡らせてきたけど最初からこの娘一人いれば…………って、今度は僕らが仕事する番だね」
 黒髪の少女の無双劇を、その名の通りに中空から高みの見物していた少年と一匹は、建物内の特務兵が外の騒ぎを聞きつけワラワラ飛び出してきたのを視認する。アーツの詠唱が完了した計算通りのタイミングで敵の第二波が戦場に押し寄せたので、まだヨシュアが地上に取り残されているにも関わらず全体攻撃魔法を発動させる。
「大地よ震撼せよ。タイタニックロア!」
 ガウの背中の上という中空の安全地帯からアーツを唱えて、地面を大きく揺らす。中庭に到着するタイムラグを完全に見計らい、先行して詠唱した時間差攻撃にまんまと嵌められた第二陣は開幕でいきなり極限魔法を浴びて、成す術もなく全員土砂に生き埋めにされる。
「ふーう、上手くいったみたいね」
 一見、地上に置き去りにした仲間ごと無慈悲に一網打尽にしたように見えるが、下界を見下ろすとヨシュアが無傷に近い状態で汗を拭っている。
 これまた腹黒参謀の悪知恵。少女の胸元には己の属性を土に変更する『琥曜石の護符』をペンダントのようにぶら下げている。
 武術大会の決勝戦でも用いられた属性防御策。素で並外れてADF(魔法防御力)が高いヨシュアの場合だと土属性の有効率を半減どころかゼロに無効化可能。後は得意の俊敏性で地割れに呑まれるのを物理的に回避しさえすれば、一撃必殺の地震魔法すらダメージを免れる。
 これまでの所、恐いぐらいに遊撃士側のペースに嵌まっている。全体Sクラフトと全域極限アーツの二段構えの大技連発で離宮に駐留していた守備兵の半数が地に伏した。
 ついでに今の地震で美しい中庭の景観がグチャグチャに壊されており、ユリア達親衛隊の面々がこの惨状を見たら卒倒しそうである。
 もしかしたら、ヨシュアが強引にメイル達を仲間に引き入れた最大の理由は、彼らがリベールに縁がない故に何の枷もなく好き放題暴れられるからかもしれず、だとすると親衛隊を全員陽動班として離宮攻略から分離した配置案にも納得がいく。
「さて、今度は十人程出てきましたが、次の第三波にはどう対処します、ヨシュアさん?」
「適当に遣り過ごしましょう、タット君。離宮内の敵を引っ張りだす任務は果たしたのだから後は突入班に任せましょう」
 ガウの背中から荒れ果てた地上に飛び下りたタットは、ヨシュアの返答に肯くと追手が近づく前に逃走モードに入る。
 アーツを詠唱する為の待機時間はもう作れない上に多くの仲間を潰されて敵さんは大層お怒りのご様子。装備重量制限の貧弱なアサシンとウイザードのコンビは例の防弾チョッキをどちらも身に纏っていないので、奇襲以外で実弾銃とマトモに遣り合うのは自殺行為だ。

        ◇        

「良い感じに攪乱班の連中が掻き回してくれたみたいだな」
 得意の機動力で特務兵の一団との追っかけっこに興じるヨシュアの姿を尻目に、フック付きのロープを引っ掛けて壁を攀じ登って密かに中庭への侵入を果たしたエステル、ジン、メイル、ブラッキーの四人はそのまま建物内部に突入する。
「ちっ! あの娘は囮か?」
 すんでの所で見咎められてしまい、特務兵は鬼ごっこを中止するとUターンしてこちらに向かってくる。
「ふふっ、ここは僕に任せてもらおうか。こいつら悪者だからウッカリ殺しても罪にならないんだよね?」
 自ら足止めとして入口前に居残ったブラッキーは偉く物騒な台詞を囁きながら、火のついた黒い球状の爆弾を無造作に放り投げる。地面に落ちた途端に派手に爆発を起こして、先頭を走っていた二人の特務兵が空高く舞い上がる。
 国際条約で使用が禁じられるだけあり、旧式の火薬兵器はとてつもない殺傷力。外壁の一部が壊されて再び景観が損なわれる。もし、武術大会で手投げ爆弾の使用が認められていたら、ブラッキー達が優勝し兄妹の計画は御破算になっていたやもしれぬ。
「こいつ、例の爆弾魔(ボマー)か?」
 更に仲間から犠牲を出し、いきり立った特務兵は至近からマシンガンの銃口を向けるが、ブラッキーは慌てた様子はなく「撃てるものなら、撃ってみたまえ」と余裕の表情でチョッキの胸元を見開く。すると上半身には離宮そのものを吹き飛ばせる火薬量のダイナマイトの束が結わかれていて、この場にいる者は仰天する。
「ふはははは、火縄銃の火花が誘爆したら、皆一斉のお陀仏たよーん」
「しょ、正気か、貴様? その時にはお前も一緒に死ぬ…………」
「爆弾と共に果てるのなら、本望!」
 エルフ耳の青年は血走った眼でそう断言し、一堂を怯ませる。
 流石は大陸各所でボマーの悪名を馳せて、爆発騒ぎのトラブルで五つの国や自治州で入国禁止処分を受けた危険人物。今まで遊撃士の資格を剥奪されなかったのが不思議なくらいだ。
 もちろん単なるハッタリである可能性は否めないが、相手があまりにキチガイ然としている上に、己の生命をチップとされる以上はそう簡単にはルーレットは回せない。ブラッキーと特務兵たちは入口前で睨み合い、否応なく膠着状態が築かれた。

        ◇        

「おい、ブラッキーさん、とんでもないこと呟いていたけど、大丈夫か? 特務兵が開き直って自棄を起こしたら、俺らごと吹っ飛ぶぞ」
 内部の廊下を走りながら、ボマーの狂気に巻き込まれかねない自分たちの身の上を危惧したが、同じエルフ耳の少女はあっさりと首を横に振る。
「その心配はないわよ。あいつが身に纏っている爆弾は、単なるイミテーションだから」
 『この世界で最も尊いお宝は、金銀財宝でも人間同士の絆でもなく己の命である』という全人類の最大公約数的な価値観を持つメイルたちは、任務に生命を張るような殊勝さなど持ち合わせていない。ただし、思い込みの激しいブラッキーはアレは本物の爆弾だと得意の自己暗示を刷り込んでいるので、演技と見破るのは困難。
「あの馬鹿の脳内ではあたしはあいつと恋人同士ということになっているみたいだし、妄想を現実と信じ込むのはお手の物なのよ」
「その例えは大いに疑問に感じるけど、俺が奴らの立場でもあの人と無理心中するのは御免だな」
 情報部の面々は使命の為にその身を投げ出せるのかもしれないが、それは自己犠牲に意義を感じられたらの話。道理の通じない狂人に名誉と無縁の犬死を強いられては死んでも死にきれまい。
 そうこう問答していると、部屋の後ろから五人の特務兵が追い掛けてきた。狭い廊下なので敵がほぼ縦一列に連なっているのを確認したメイルはその場で足を止める。
「役割的には今度はあたしが足止めする番かしら? お誂え向きの戦場だし、とっておきを見せてあげるわよ」
 そう宣言すると剣を垂直に構えて、そのまま突進する。
「いくわよ、ポップルストリーム!」
 そう叫ぶと弾丸のような勢いで体当たりを敢行。どこぞの赤毛の女ったらしの冒険者みたいにぶつかった特務兵を次々に跳ね飛ばす。ジェニス王立学園の学園祭の最大ダメージ測定器で第七位を記録したレアな直線貫通型Sクラフト。四人の特務兵を戦闘不能に追い込み、何とか突撃を避けて生き延びた最後の一人と取っ組み合う。

「エステル、気を抜くなよ」
「判っているぜ、兄貴」
 メイルチームの援護で建物最奥の『紋章の間』に辿りついたエステルとジンは、その扉の前に立ち塞がる大柄な特務兵コンビの姿に気を引き締める。
 武術大会に参加していた精鋭を含めて、今までの特務兵にない重厚な気配を醸しだしており、恐らくは重装備に特化したガーディアン。無言のまま巨大な斧槍を振り翳してきた。
「ぬんっ!」
「ぐわっ?」
 敵の豪快な一撃をエステルは物干し竿でジンは籠手の部分で受け止めようとしたが、どちらも支えきれずに後方に大きく弾かれる。物理屋の遊撃士チーム前衛が力負けするなど大会中ですら一度も有り得なかった珍事。
「強え、何者だ、こいつら?」
「単純な膂力だけなら、あの分け身のロランス少尉さえも上回っているみたいだな。ふふん、面白い」
 ジンは不敵な笑みを浮かべる。闇の工作活動に従事する通常の特務兵と比べると機動性能はさほど高くないが、その分だけ破壊力に長けており狭い場所での防衛戦にはもってこいの逸材。
「これはこれで、新鮮なバトルではあるな」
 今まではパワーで蹴散らす側だったエステルらが敵の一撃必殺クラフトを掻い潜るという弱者の立ち回りが要求される。カウンターでちくちく反撃するも、重装の鎧に阻まれて中々ダメージが通らない。
「ちっ、まさか二対二の同数対決でここまで手子摺らされるとはな」
「なら、三対一ならどうかな、エステル?」
 敵のタフネスに舌打ちするエステルに裏切りを示唆する意味深な独白をすると、ジンは斧槍の一振りを避けて懐深くに潜り込み、相手の脳天(テンプル)目掛けて月華掌を打ち下ろす。
 武闘家(ウーシュウ)の渾身の一打も頑丈な重装特務兵をノックアウトするには至らなかったが、脳が激しく揺すられて視界がドロドロに変化。仲間の身を案じて近づいてきた相棒を敵と誤認し反射的に薙ぎ払ってしまう。
「ぐぼあ! な……何故?」
「はっ? しまった!」
 重鎧に一発で亀裂が入る。同僚なので無警戒の状態をクリーンヒットし、そのまま意識を刈り取られる。STR(物理攻撃力)の高さ逆利用されて、見事に同士討ちを誘われた。
「なるほど、これが三対一の意味か」
「貴様ら!」
 正気を取り戻した特務兵は怒りに震えるが、これは別に正式なタイマンではないので卑怯でも何でもない。斧槍を垂直に振り降ろすが、『龍神功』を唱え筋力アップしたジンが今度はクロスガードで構えると、クラフト『重刃斬』を受け止める。
「エステル!」
「おうよ、兄貴。これで決めるぜ!」
 キュピーンというカメラ目線のカットインが入る。ジンの頭上を飛び越えるように宙空から正面飛び蹴りが噛ましたエステルは、そのまま『桜花無双撃』の凄まじいラッシュで特務兵を打ちのめす。
「ふふん、流石は単体Sクラフトの威力は凄まじいな」
「これでもまだ上には上がいるんだけどな、兄貴」
 重鎧が粉々に砕かれて、生身を晒した特務兵は前のめりにぶっ斃れる。学園祭で二位のスコアを記録した多弾ヒット技で、栄えある一位はこいつらの上官のリシャール大佐。
「中々に手間取らせてくれたが、この奥にこの国の王子様が囚われているんだよな」
 エステルは気絶している重装特務兵の懐を漁って、紋章の間の鍵を取り出すと扉を開いた。





[34189] 21―06:攪乱するグランセル(Ⅵ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/07/03 08:52
 王太子奪還作戦と時を同じくして発生した王都グランセルの七ヶ所同時火災。兵士から消防士に一時的に転職した特務兵たちの懸命な消化活動により、家屋は焼け落ちたものの何とか隣家への延焼を阻止する。王都の城下町全てが炎上するという最悪の危機は脱せたが。

「それで奥様方のお子さん達はどこにいるのですか?」
 特務兵の一人がイライラした口調で問いかける。それもその筈、彼らの足元には焼け焦げた人形が複数体転がっている。火のついた家屋に子供が取り残されていると哀願され、部隊の中からレスキュー班を編成し荒れ狂う火の海に飛び込んだ。ベッドで毛布に包まった固まりをお子様と認識して、大火傷を負いながら必死に家屋に連れ出して消火器を浴びせると、中から出てきたのは何と等身大のデッサン人形。固い木製ではなく人肌の柔らかさに近い特殊素材で作られご丁重に鬘まで被せてあったので、闇と炎に包まれた鉄火場で生身の児童と取り間違えるのも無理もない。
「あら、へんねえー。うちの子たちはどこにいったのかしら?」
「ママー、あちこちからケムリがあがってるけど、どうしたの?」
「ニモ、あなた達、今まで一体どこにいたの?」
 エーデル百貨店の方角から十人前後の子供の一団が出現し、母親たちは驚きの声をあげる。
「お人形を身代わりにして、オンモの公園でみんなで缶蹴りしてあそんでいたの。お留守番のいいつけを破って勝手にアソトに遊びにいってごめんなさい」
「いいのよ、あなた達が無事で本当に良かったわ」
「そうね、お陰で子供たちが火傷しないで済んだのだから、本当に怪我の巧妙よね」
「けど、次からは出かけるときは一声かけていくのよ」
「「「「「はーい、ママ」」」」」
 我が子の無事を確認した母親が次々と涙の抱擁を交わす。美しい光景であるものの、特務兵達の目にはなぜか茶番劇に映るが、この放火自体は実はご婦人方のマッチポンプなのでそれはあながち錯覚ではない。
 武術大会に参加した面々も含めてよくよく炎に巻かれるのに縁のある連中だが、ろくに状況確認もせずに自分らを死地に焚きつけながらも、まったく悪びれもしない主婦たちに苛立ちは最高潮に達する。彼らの一人が掴みかかろうとしたが、途端にパシャパシャとシャッターのストロボがたかれる。
「はえー、命懸けで火の中に飛び込んだのにお家は藻抜けの殻とか、骨折り損の草臥儲けでしたねー。けど、兵隊さんの勇気だけは称賛されるべきだと思いますよー」
 ピンク頭の若いカメラマンが、褒めてるのか貶しているのか分からない微妙なフォローをしながら更にストロボを切る。その声に連れられるように、火事見物にきていた周囲の野次馬から拍手がおくられる。
「い、いえ、国民の命を守る王国軍兵士として、当然のことをしたまでです」
 仮面の兵士たちは煤だらけの顔に笑顔を浮かべたが、剥き出しの頬が引き攣っている。口先だけの賛辞で心が慰められる筈もないが、これだけ大勢のギャラリーの前で諍いを起こすわけにもいかないので、しぶしぶ矛を納める。
「愛着のある家屋が焼け落ちたことにお悔やみを申し上げます。放火犯は草の根分けてでも必ず探し出して罪を償わせますゆえ」
「まあ、頼もしいわね。期待していますわよ、兵隊さん」
「どうかお任せください」
 緑の軍服を着た中隊長は頼もしそうに確約する。良く第一発見者が犯人というが、火災保険に入っていない貧乏庶民が自分の家を焼くメリットは皆無なので、目の前の人の良さそうな貴婦人達を放火魔と疑えなど無理な話だ。
「負傷した兵士の数は?」
「救出班として火の中に飛び込んだ二十人程です。その内の八人はかなりの重傷で早急に手当てが必要かと」
「ちっ、こんな満身創痍の状態では、今から遠征に赴くのは無理だな。負傷者を回収してグランセル城に引き上げるぞ。その上で改めてカノーネ大尉の指示を仰ぐとしよう」
「「「「「「イエス・サー」」」」」」
 特務兵の一団は症状の重い仲間を庇うようにしながら、帝国大使館通りを通って王城へと引き上げていく。援軍に赴く予定のエルベ周遊池の戦闘が気になったが、戦力比を考慮すれば親衛隊の敗北で既に決着はついている筈だと己に言い聞かせた。

「まさか一兵も使うことなく、本当に王都からの援軍を阻止してしまうとは」
 金髪碧眼の男性が意味深な目つきで特務兵の一団を眺めている。グランセル支部受付のエルナンで、野次馬に紛れて密かに状況を伺っていた。
「希代の戦略家と敬われたカシウスさんも『一つの知恵は時に万の兵にも勝る』と主張していましたが、真に智者とは貴重な存在……いえ、今回の策の困難さは発案よりも実行にあったかもしれませんね」
 エルナンは青い瞳に憐憫の色を浮かべて、婦人の一人を見つめる。彼女は先程までの飄々とした態度から一転し、虚ろな瞳に焼け焦げた我が家の残骸を焼き付ける。
「ママー、お家が焼けちゃってる。一体何が起こったの?」
「ニモ、あなたには小さいから分からないと思うけど、これはこの国の未来を変える為の重要な犠牲なんだよ」
「ぐすっ、本当にママが何言ってるか分からないよ。今夜から僕たちどうするの?」
「お隣のマルティンさんの家にしばらく泊めてもらえるように話がついているから、行くわよ、ニモ」
「うん、パパが出張から帰って来たらきっと悲しむよね」
 七組の母子は背中に哀愁を漂わせながら次々と焼け跡から離れていき、居た堪れなくなったエルナンは思わず目を背ける。全てが成された暁にはアリシア女王なら必ず家屋を復元してくださると信じてはいるが、遣り切れなさが残るは避けられない。
「この謀の実現はジンさんやクルツさんのような良い人にはまず無理ですね。かといって他人を道具扱いする酷薄な人間に献身しようとは誰も思わないでしょうし、清濁併せ呑むバランスが難しいものです」
 かつての百日戦役で王国軍大佐だったカシウスも、帝国軍との十倍の戦力差を覆す為に警備飛行艇の動員の他にも、結果的にモルガン将軍の息子を戦死させた非情な作戦を決行したという噂がある。ならば嫡子のエステルでなく、養女のヨシュアが剣聖の影の部分を担うのだろうか?
 いずれにしても、一般庶民にこれだけの犠牲を強いた以上は失敗は許されない。首尾よくエルベ離宮の開放に成功したら釣公師団のモノリスを通じて連絡が入る筈なので、特務兵と鉢合わせないように共和国大使館通りを経由しギルドのグランセル支部に帰参した。

        ◇        

情報部(生存者:41 戦闘不能者:9)
遊撃士・親衛隊連合軍(生存者:13 戦闘不能者:0)

 エルベ周遊池で両軍睨み合いの緊張状態が続く。形の上では特務兵は連合軍に挟まれているが、クルツの裏朱雀の奇襲が成功した今でさえ両軍には三倍以上の兵力差があり、特務兵を率いる緑服の中隊長は思案する。
(さてと、本来なら挟撃された時には片側に全軍突撃して一点集中突破で離脱するのが常道だが)
 それは挟まれる側が寡兵の時のみ。この場合では少数の敵同士を合流させ、戦力を一点に増強させるリスクを孕んでいる。現在の兵力比なら二正面作戦は十分に可能、大軍に区々たる用兵など必要ない。
「近接戦闘部隊、前進! 隊員一人に三人がかりで殴殺せよ。シュバルツ中尉には五人で当たるように」
「「「「うおおおおお!!」」」」
 中隊長の号令に両手の鍵爪を唸らせ土煙をあげて突進し、瞬く間に9人の親衛隊員は29人の特務兵に取り囲まれて、たちまち乱戦になる。
「食らえ、影縫い!」
「ぐわっ!」
「「おらおら、死ね!」」
 元々親衛隊と特務兵の戦闘力に大きな差はなく、三対一では勝負にならない。ナンバー2のルクスで守勢に徹して辛うじて凌げる程度。遅延効果を促す『影縫い』の永続コンポに嵌められて、ガシガシとHPが削られる(ユリア中尉は幻影の鎧(ミラージュベルグ)の能力を駆使して、五人相手に互角に渡り合っているが)
 いたずらに時を費やせば、例の方術使いがまた何をやらかすか見当もつかないので、速攻で親衛隊を潰す案を採用。その選択は間違ってない筈だが。
(乗り切った)
 当のクルツ自身は親衛隊の窮地を見て尚、安堵する。両軍の兵力差がかけ離れている場合、劣勢な側はいかに開幕を凌ぐかが重要で、敵の初手によっては為す術もなく詰むケースがある。
 クルツが恐れていたのは、彼らが親衛隊に背を向けて多少の犠牲覚悟で遊撃士側に全戦力を投入してくることだが、敵の指揮官はそこまで思い切れなかったようだ。
「遠距離部隊、構え」
 その代わりに遊撃士側の別動隊として残された10人の特務兵は全員が機関銃(マシンガン)を装備して、その銃口をクルツ達に向ける。
 親衛隊側は大乱戦なので同士討ちのリスクが高すぎて使えないが、遮る味方のいない遊撃士側なら思う存分撃ちまくれる。
「撃てえ!」
 中隊長の合図と共にドガガガガと薬莢を吐き出して銃弾の雨が降り注ぐ。アネラス達は防弾チョッキを纏っているが、あくまで貫通を阻止するだけで、着弾ダメージまでは防げない。複数のマシンガンによるティータの機関砲(ガトリングガン)に匹敵する高密度の絨毯爆撃に、4人は蜂の巣にされると思われたが。
「へっ、舐めるなよ」
 グラッツがクルツ達の前に立ち塞がると、背中に背負っていた等身大の大盾を正面に翳し銃弾をシャットアウト。キンキンキンキンと派手な金属音と共に500発近い銃弾が弾かれたのに、大盾には傷一つついておらずに特務兵はギョっとする。
「『重装甲防弾盾』よ。テメエらみたいな猟兵団(イェーガー)紛いの無法者を相手に何の対策もしてこない訳ねえだろうよ」
 アラド自治州で、イェーガー『黄金の羅針盤』と渡り合う為にエリカ・ラッセル博士が開発した銃弾防御に特化した特殊合金製の大盾。80kgの超重量で並の人間には持ち運ぶことすら困難。
 本来は斬り込み隊長のグラッツだが、今回はタンク(盾役)としてこの戦闘の鍵となるクルツを身体を張って守る覚悟。早速、そのキーマンが声を張り上げる。
「方術・鈍重のこと裏麒麟の如し」(SPD-50% AGL-50% MOV-4)
 まずはカウンターで裏シリーズを唱える。親衛隊員は『五神獣のお守り』の効果でレジストしたが、敵全体の行動力が大幅に削がれる。ユリアを除くほとんどの隊員はHPがレッドゾーンに達していたが、俊敏性に秀でたアサシン達の起動性能に一撃を加えたので一息つけることになる。

「やはりあの方術使いは危険だ」
 目に見えて周囲の特務兵の動きが鈍くなり、自身も体調の悪化を覚えた中隊長は戦術を修正。効果の薄い銃撃から近接戦闘に切り換える。大盾を所持するグラッツの牽制用に3人ほど銃撃を続行させると、残りの7人は鍵爪を展開して切り込む。
 「よしっ、突破した……ぐあっ!?」
 固定タンクとして動けないグラッツの脇を特務兵は次々にすり抜けるが、クルツの隣に控えるカルナの導力銃でヘッドショトを受けて先頭の2人が倒れる。
「おやおや、あたしを忘れてもらっちゃ困るよ」
 妙齢の女遊撃士は不敵な笑顔を浮かべる。敵は真っ直ぐにこちらに突進してくる上に裏麒麟で自慢の脚力を衰えさせているので、ガンナーからすれば格好の的である。
「ぐおおお!」
 それでも自分らとは異なり、カルナの武装は即死武器の実弾銃ではなかったので、特務兵はダメージ覚悟で何度も被弾しながらも前へ出る。ようやくエネルギー切れを起こしたカルナが導力バッテリーパックを取り替えるタイムラグを逃さずに、5人がかりでクルツに襲いかかったが。
「はあーい、残念でした。振り出しにもどーる」
 突風が巻き起こったかと思うと、突如特務兵達はクルツの目の前から遠く離れたポイントに瞬間移動させられる。アネラスが独楽舞踊を使ってクルツから敵を引き剥がした。
「方術・神速のこと麒麟の如し」 (SPD+50% AGL+50% MOV+4)
 この隙にクルツは二度目の方術を詠唱。お守りが今度は方術のプラス効果を吸収して、味方の機動力を底上げする。敵味方のスピード差が一気に三倍まで広がり、理屈上は一人で三人の敵に対処できる計算になる。
「えへへ、やったね…………って、あら?」
 喜んだのも束の間、自分の周囲に敵を集めた当然の代償として、アネラスは殺気だった特務兵にゼロ距離で取り囲まれている。アネラスは軽く冷や汗を流すと、「てへろぺろっ」とペコちゃん人形のように舌で左のほっぺたを舐めとるチャーミングなポーズで誤魔化そうとしたが。
「きゃいーん!」
 ……効果はなかった。5人の特務兵に四方八方から滅多斬りにされて、瞬く間に戦闘不能に追い込まれる。
「ふん、勝負あったようだな」
 気づくとアネラスの他にも、ユリアとルクス(彼も既にレッドで虫の息)以外の親衛隊員は全員地に伏しており、敵の指揮官は轟然と勝ち誇る。

情報部(生存者:39 戦闘不能者:11 SPD-50% AGL-50% MOV-4)
遊撃士・親衛隊連合軍(生存者:5 戦闘不能者:8 SPD+50% AGL+50% MOV+4)

 戦力差は一気に八倍近くにまで広がり、あとは掃討戦になると情報部の誰もが勝利を確信したが、開幕からクルツが連続して表裏の麒麟を唱えたのには意味がある。戦闘で最も重要なパラメタは、何を置いても行動回数の増加を約束するSPD。敵の次行動の前に再びターンがまわってきたクルツは最高のタイミングでとっておきを披露する。
「方術・蘇ること朱雀の如し」
 戦闘フィールド全域に眩い光が広がる。次の瞬間、戦闘不能に陥った全ての親衛隊員とついでのアネラスがゾンビのような緩慢な動作でフラフラと起き上がり、特務兵達を仰天させる。

情報部(生存者:39 戦闘不能者:11 SPD-50% AGL-50% MOV-4)
遊撃士・親衛隊連合軍(生存者:13 戦闘不能者:0 SPD+50% AGL+50% MOV+4)

「ば、馬鹿な……って、何だと?」
 蘇った刹那、親衛隊員が機敏な動作で特務兵に先制攻撃を加えて、更に敵指揮官を唖然とさせる。通常なら自己ブースト技は戦闘不能になると効果がリセットされるが、方術によるエンチャント(強化/弱化)はクルツが生きている間は効果が永続されるので、親衛隊員は三倍速の速さで敵と渡り合う。
「ぜ、全軍反転! どれほどの犠牲を払ってでも、あの方術使いを仕留めろ!」
 特務兵全員がこの戦場で真っ先に潰すべきライフラインの存在を認識。今、目の前の敵を倒してもクルツが生存する限り鼬ごっこになるのは必定なので、中隊長の決断に不服はなく、手近にいる隊員を無視して遊撃士側に突進する。
「ふふっ、待っていたぞ、この好機を」
 裏麒麟の効果で速度があがらない特務兵の群れを三倍速の速さで後ろから追いかけてきたユリアが追い越して、「我が主と義の為に」と呟きながら剣尖で地面に図形を描きあげる。
「まずい、散開しろ!」
 中隊長は慌てて退避を促すが、地味にMOV(移動力)を減少させていた特務兵達は中々図面の外に逃げられない。まさに、その最悪のタイミングで。
「方術・猛ること白虎の如し」 (STR+25% ATS+25%)
 クルツの次なる方術がユリアの攻撃性能をアップさせ、それが最高の追い風になる。ほとんどのSクラフトのダメージ判定はSTR依存だが、ユリアの場合は更にATS(魔力)も上乗せされる仕様なので、物理と魔力の相乗効果で威力が格段に増幅される。
 一筆書きのラストの線を繋げようとした刹那、隊員のグルドが絵図内に取り残されているのに気づく。ユリアをアシストしようと敢えて死地に留まって5人の敵を足止めしていた。
 一瞬ユリアの表情に迷いが浮かぶも、目が合ったグルドは笑みを返す。ユリアは選択を間違えない。「済まない」と微かに囁くと、躊躇うことなく五芒星(ペンタグラム)を完成させる。
「覚悟! ペンタウァクライス!」
 ペンタグラムに秘められた闘気と魔力の混合ダメージが巨大な光の柱となって内部の者に降り注ぎ、敵味方含めて16人の人間を次々と宙に舞い上げて戦闘不能に追い込む。

情報部(生存者:24 戦闘不能者:26 SPD-50% AGL-50% MOV-4)
遊撃士・親衛隊連合軍(生存者:12 戦闘不能者:1 STR+25% ATS+25% SPD+50% AGL+50% MOV+4)

「見事な親衛隊魂だ、グルド。この戦の最大の功労者はクルツ氏だが、影のMVPはお前だ」
 ユリアは敬礼しながら、満足そうにリタイアした部下の献身を讃えたが、その功績は決して過大評価ではない。彼一人の自己犠牲で5人もの敵を道連れにした。何よりもグルドは魔眼の認識操作でスパイ化して仲間を窮地に陥れた件を気に病んでいたが、今回償いの機会が与えられたことによって、その心理的負担も幾らか軽減されただろう。
「馬鹿な、こんなことが……」
 今のが、この一連の戦闘の分水嶺。生存比率が逆転して、特務兵の士気が大幅に下がる。更に追い打ちをかけるように。
「方術・深遠なること青竜の如し」 (ターン毎にHP+10%が自動回復)
 再びクルツが方術を唱える。これで親衛隊はHP回復ボーナスを手に入れた状態になる。その上で三倍速の差があるので、特務兵にターンが回ってくる間に三割弱の体力を回復させられる計算になる。
「へへっ、この態勢まで持ち込めたら、もうこっちのもんだぜ」
「確かに、あとはゆっくりと掃討するだけだよね」
「この調子だと十絶陣を全て披露する前に終わっちまうかもしれないね」
「油断するな、皆の衆。半分近い敵が残っていることを忘れるな」
 やや楽観に傾いた遊撃士チームの雰囲気を窘めるように、慢心とは無縁のクルツが喚起を促し三者は気を引き締め直す。
「判ってるぜ、不動の旦那のように、誰一人としてここは通さないから安心してくれ」
 防御、迎撃、敵誘導とクルツを守護するトリニティは頼もしそうに宣言し、クルツは次の方術の詠唱に入る。
 まだ倍の兵力差があるとはいえ、この戦いの帰趨はほぼ定まった。

        ◇        

情報部(生存者:9 戦闘不能者:41 STR-25% ATS-25% DEF-25% ADF-30% SPD-50% AGL-50% MOV-4 ターン毎にHP-10%が削られる)
遊撃士・親衛隊連合軍(生存者:9 戦闘不能者:3 STR+25% ATS+25% DEF+25% ADF+30% SPD+50% AGL+50% MOV+4 ターン毎にHP+10%が自動回復)

 勝敗は完全に決した。生存者の数は同数だが、十絶陣が完成したことによって、連合軍は全ての能力値が満遍なく増幅されているのに対して、特務兵のパラメタは軒並み酷いことになっている。
「く、食らえ……か、影縫い」
 裏白虎でSTRを削られてへろへろとした勢いのクローが親衛隊員のお腹を抉るが、表玄武で鋼の腹筋と化した敵に効果はなく、何とダメージゼロ。
「おりゃ、そりゃ、うりゃ!」
「ぐわっ!」
 逆に表白虎でSTRアップした親衛隊のレイピアが、裏玄武でヨシュア並の紙装甲に貶められた特務兵に三撃連続で叩き込まれて戦闘不能になる。ここまで差があると掃討戦というよりは虐殺……というか単なるイジメだ。
 特務兵側も隙を見ては、ちょくちょくセラスの葉で仲間を蘇らせているが、半死半生の状態で生き返っても直ぐに倒されてしまい、酷い時には復活したそのターンに裏青竜のダメージ効果で即黄泉逝きになる。逆に連合軍側は寿命を縮める表朱雀を使わずに、敢えて戦闘不能者を放置するぐらいの舐めプすら可能。
 勝利は目前だが、ユリアの表情は険しいままで緊張感を維持する。とはいえ今から勝敗を引っ繰り返られるのを危惧している訳ではなく、全ての敵を屠り尽くす前に果たさねばならない重要なミッションがあるからだ。
(あいつが適任のようだな)
 ユリアの鷹のように鋭い視線が中隊長の隣にいる若い特務兵を射抜く。彼はほとんど戦いに参戦せずに敵大将の側を離れなかったが、参謀として助言している様子はない。
 恐らくは今回が初陣の配属されたばかりの新兵。実戦経験を積ます為に参加させられたのであり、ならば仕込みが見抜かれる可能性は限りなく低い。
 ユリアが目線でルクスを催促する。
「へへっ、了解ですよ、中隊長殿」
 上司の思惑を了承したルクスはレイピアを構えると、敵指揮官の隣で狼狽するターゲットをロックオンする。
「いくぜ、バインドスマッシュ!」
 ルクスは一本突きで若い特務兵の胸元をつついて、派手に吹き飛ばす。このクラフトは敵を大きくノックバックさせた上で麻痺の状態異常にする追加効果がある。特務兵は遠く離れた草むらの影まで飛ばされて、意識を保ったまま金縛りにあう。
 敵が一人戦闘エリアから離脱したが、なぜかユリアは素知らぬ風を装い、そのまま殲滅戦へと移行。特務兵の側も今の戦況に対応するのが手一杯で、ルーキーが一人消えたことに意識を避ける余裕はない。
「こ、こんな……こんな馬鹿なことが…………かはっ!」
 数分後、とうとう最後の生き残りとなった中隊長が裏青龍のターンダメージによって、皮肉にも敵の手にかかることなく戦闘不能になる。戦闘エリア外に弾かれ、そのまま放置中の唯一人の例外を除いて、全ての特務兵が地に伏した。

情報部(生存者:1 戦闘不能者:49 STR-25% ATS-25% DEF-25% ADF-30% SPD-50% AGL-50% MOV-4 ターン毎にHP-10%が削られる)
遊撃士・親衛隊連合軍(生存者:9 戦闘不能者:3 STR+25% ATS+25% DEF+25% ADF+30% SPD+50% AGL+50% MOV+4 ターン毎にHP+10%が自動回復)

「やったぁー! 見たか逆賊ども、これが俺たち王室親衛隊の底力だ!」
 親衛隊の面々が互いに手を取り合って勝鬨をあげる。長期間、雌伏を強いられ中で初めて掴んだ大金星なので、勝利の美酒も格別であろう。
 目先の勝ち星に浮かれる部下たちと異なり、ユリアの顔に笑みはない。エルベ離宮の攻略が成功しない限り救出作戦は完了しないし、その前準備として自分の支持者の奥方たちに強いた犠牲を思うと素直に喜べなかったからだが、高まった士気に態々水をさすこともないので黙っている。
「へへっ、王都からの増援がなかったとはいえ、まさかこの兵力差で本当に完勝しちまうとはね」
「いえ、援軍がなかったからこその勝利でしょう。皆気分が高揚していますが、これ以上の戦闘は不可能です」
 上官の意を正しく汲んだ副長二人は隊員の輪から外れてユリアの隣に来ると、現在の状況を報告する。気力は既に限界の上にそろそろ方術による反動ダメージが肉体に降りかかる頃合いなので、今敵に襲われでもしたら全滅必至。
 体力が限界なのは遊撃士側も同様。4人は地面に腰を下ろすと、ようやく緊張感を解いて談笑する。
「ふうっ、やっとこの暑苦しい防弾チョッキを脱げるんだ……って、弾丸が三発もめり込んでる? コレ着てなかったら、私やばかったかも」
「全く、こっちは導力銃で加減してやってるのに、本当に遠慮なくズバズバと火縄銃を撃ちやがって。そういえば、グラッツ。あんたの重装甲防弾盾、あれだけの銃弾を浴びて傷一つついてないけど、その防御力なんか奇怪しくないかい?」
「ああ、こいつは実は琥曜石(アンバール)の龍脈を取り入れているから常時アースガードを張っているみたいなもんだぜ。ほら、盾が黄色に光ってるだろ? この延長コードで俺の戦術オーブメントと繋げてEP(導力)を補充している間は無敵に近い寸法よ」
「なるほど、王様ペングーのような魔獣は体内に七耀石の力を取り込んで、擬似的な土壁状態を生み出すというが同じ理屈か。流石は天才博士が作っただけはあるな」

「へへっ、彼方さんは実弾講義で盛り上がっているようですけど、今回の作戦の肝になったのは間違いなく方術使いの旦那ですよね」
「何と言うか本当に集団戦闘向きの逸材ですよね。是非とも王国軍にスカウトできませんかね?」
 ルクスは連合軍に奇跡を呼び込んだ十絶陣を称賛し、リオンも相方の見解に同意するがユリアは軽く首を横に振る。
「野暮を抜かすな。我々が国を護る志故に士官学校の門を叩いて王室親衛隊に誓いを立てたように、クルツ氏にも力なき庶民の味方である遊撃士(ブレイサー)に譲れぬ誇りがあるのだろう。だから無粋なことを言うものではない……どうした、二人とも?」
 何とも言えない表情をしている二人にユリアは怪訝がる。普段はこれほど聡明で思慮と度量に溢れる中隊長殿が、なぜあの黒髪天使(二人の中ではそうなっている)が絡むとあれほどの視野狭量を引き起こすのか不思議に思った。
「ユリア中尉、飛行艇のロック解除が終わりましたので、何時でも飛び立てます。それと離宮と通信が繋がりましたが、救出班は無事に王太子殿下の身柄を確保されたそうです」
 戦闘に余裕ができたので、途中で戦線を離脱して一人で解除作業を行っていた紅一点の女隊員が上官に経過を報告する。
「んっ、ご苦労だったな、エコー。そうか、殿下は無事に保護されたか」
 ユリアは労いの言葉をかけると初めて安堵の溜め息を漏らす。クローゼの身命を最も気にかけているのは彼女に相違なく、僅かばかりに頬を緩めると周囲を見回す。此処彼処で死屍累々で横たわっている特務兵をどう処遇するか思案する。
「中隊長殿、どうしますか?」
「放置しておけばグランセルに帰還して、情報部の兵力増強に力を貸すようなものだ。とりあえずエルベ離宮に連れ帰って、その後で纏めて処分する」
 その冷酷な一言に草むらがザワッ揺れたが、ユリア達はその方角を振り返ることなく会話を続ける。
「へへっ、処分ですか」
「レイストン要塞ならともかく、離宮のような場所に五十名、いや留守隊も含めれば八十名もの手練の捕虜を監禁するなど現実的ではないからな。反乱を起こされたら手に負えなくなるし、今は非情にならざるを得まい」
 再び草むらが騒めくが、気配に敏感な筈の職業軍人がなぜか気にも止めずに決断を下す。
「ブレイサーの中に爆弾魔(ボマー)がいたが、そいつの爆弾を使おう。誤爆した事故ということにすれば親衛隊の名誉に傷がつかずに済む」
「ならば、離宮にいる一般人を人払いして、明日の正午ぐらいに時限爆弾をセットしますかね」
「へへっ、クーデターに失敗すれば、遅かれ早かれ死刑になるんだし、こいつらも覚悟はできてるだろ」
 そう細部を煮詰めると、親衛隊員は鹵獲していた護送車に瀕死の特務兵を次々と放り込み、飛行艇と連れ立ってエルベ周遊道方面に向かった。

        ◇        

 全ての人間が消え去り、大規模戦闘が行われたとは思えぬ程静まり返った周遊池に一つの影が動く。乱戦の中で戦闘外エリアに弾かれて、ようやく麻痺状態が解除された特務兵はヨロヨロと立ち上がると、仮面下の表情を青ざめさせる。
「大変だ、このままだと先輩たちが全員殺されてしまう。急いでカノーネ大尉に伝えて救出しないと」
 これだけの兵力差がありながら破れるとは大誤算もいい所だが、運良く自分は敵に拿捕されるのを免れたのでこの窮地を伝えられる。
「これぞ、まさしくエイドスのお導き。今仲間を救えるのは俺だけなんだ」
 そう信じ込んだ若い特務兵は強い仲間意識でそう決意すると、フラフラとした足どりでキリシェ通りを進んで王都グランセルを目指した。





[34189] 21―07:攪乱するグランセル(Ⅶ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/07/04 21:31
 ブレイサーズの前衛コンビを凌駕するパワーを誇った重装特務兵との対決を制して紋章の間に乗り込んだエステルは、そこで予期せぬ旧友と再会することになる。
「お久しぶりです、エステル君。きっと助けにきてくれると信じていました」
 ルーアンのジェニス王立学園で友情を育んだクローゼである。今の彼は青色のズボンに白を基調とした将帥服を纏い髪形をオールバックに整えており、どこからどう見ても王族のオーラに溢れ返っているのだが。
「おう、クローゼ。王都で見ないと思ったら、お前も捕らえられていたのか。随分と気合入れた格好してるけど、この国の王子様はどこにいるんだ?」
「まっ、そうなるよな」
 クローゼと同じく人質として拘束されていたナイアルが煙草の煙でワッカを蒸かしながら匙を投げる。例の写真の件からして腹黒義姉から秘密主義の除け者にされていたようなので、能筋弟のこの反応は予想の範囲内。
「あ、あのー、エステル君。実は……」
「まあまあ、いつ気づくか待つのも面白いんでないかい」
 困惑しながら正体を告げようとするクローゼにナイアルはニヤニヤしながら待ったをかけ、エステルの後ろにいるジンが「やれやれ」と両肩を竦める。クローゼと面識がないからこそ、先輩遊撃士は真っ先にからくりに気づいた。
「ナイアルの野郎、何かグーパンしたくなるぐれえムカツク面してやがるな。どれどれ王子様はどこに……」
 エステルはグルリと周囲を見回して人員を確認する。この部屋には十人前後の人質が拘引されているが、ほとんどは二十歳過ぎた大人ばかり。少年と呼べるのは目の前のクローゼ一人…………って、まさか。
「クローゼ、もしかして、お前が?」
「ほうっ、そこまで鈍いわけじゃなかったようだな」
「はい、改めて自己紹介します。リベール国王アリシア・フォン・アウスレーゼが直径の孫、クローディアル・フォン・アウスレーゼです。これまで通りクローゼで構いませんよ、エステル君」
 揶揄するナイアルの横で、クローゼは一部の隙もない礼儀作法でお辞儀をしながら自らの出自を告白する。エステルからすればびっくり仰天のサプライズの筈だが、この旅の間に変事に免疫ができたのだろうか。あっさりと親友の正体を受け入れられた。
「なるほど、ヨシュアが算盤抜きで助ける大切な友達って言う訳だな」
「…………友達ですか。本当に光栄です」
 クローゼは複雑そうに微笑む。マブダチ認定されて嬉しくない筈はないが、少年は少女ともう一つ先の関係を無意識化で望んでいたからだ。当然、エステルはそんなクローゼの葛藤に気づきようもなく。
「そうか、そうか。あの馬鹿公爵じゃなくて、クローゼがこの国の国王を引き継ぐわけか。それならリーベルも安泰だな」
「エ、エステル君」
 バンバンと馴れ馴れしく背中を叩くエステルの怪力に、クローゼはむせ返りながらも内心は喜ばしかった。王族と知って尚、エステルの態度に変化はない。やはり、かつてのヨシュアが主張していたように、王太子だろうが貧乏学生だろうとブライト兄弟にとってクローゼの価値は何一つ変わらない。
「リベールの王太子殿下と見受けた。自分はカルバード共和国の正遊撃士ジン・ヴォセックと申す。以後、お見知り置きを」
「俺はリベール通信の記者ナイアルだ。『不動』の二つ名を持つA級遊撃士とか、こりゃ大物を引っ張ってきたもんだな」
「ところで、エステル君、そのヨシュアさんはどこに…………」

「茶番はそのぐらいにしてもらおうか」
 双方向で自己紹介を交わしていた面々に無粋な声が割って入る。全員が入口を注目すると、黒髪の幼女を抱き抱えて銃を突きつけた緑服の中隊長が入室していた。
「やだー、離してよ、この変態。クローゼお兄ちゃん、助けてー」
「リアンヌちゃん」
 少女の悲鳴にエステルとジンは反射的に棍と拳を構えるが、「動くな!」と中隊長は少女のコメカミに銃を突きつけて武装解除を要求。仕方なしにエステルは棍を投げ捨てて、ジンは両手を頭の後ろに組む。
「そうだ、それで良い。我らが情報部員、理想の為なら人の心を捨て修羅にもなれる。女子供といえど容赦はせん」
「ふん、腐った奴らだな」
「ハッタリじゃねえのは、旅の間中で身に沁みているよ」
 釣公師団の連中も似たような台詞をほざいていたが、あちらがファッション鬼に対して、こちらはモノホンの羅刹。ジンは呆れエステルは吐き捨てるようにそう言い捨てた中、無手のクローゼが二人の前に躍り出て人質交換を持ちかける。
「止めてください。あなた達の第一捕縛対象は僕でしょう? ならば、僕が人質になるのでリアンヌちゃんを離してあげてください」
「おっと、その手には乗りませんぞ。武術の心得のある貴方を私一人で扱うには心許ないし、何よりも流石に我々といえど、王族を手にかける勇気はない。それと較べると、モルガン将軍の孫娘というのは丁度良い」
 お人好しの遊撃士に対しての人質効果はあるし、誤って傷物にしても問題ないと中隊長は嘯き、リアンヌは顔面蒼白になってジタバタと暴れ出す。
「やだやだー、触らないでよ! わたし、クローゼお兄ちゃんのお嫁さんになるまで、綺麗な身体でいるんだもーん。離してよ、このロリコン変態!」
 …………どうやら「キズモノ」の意味を盛大に取り違えているご様子。中々にオマセさんのようだ。
「なあ、クローゼ、お前、あの子に何をしたんだ?」
「何って、親元から引き離されて酷く怯えていたので、寂しくないようにずっと付きっ切りで励ましてあげただけですが」
「アホかー、どう考えたってフラグが建つだろうが!」
 クローゼの天然プレイボーイ振りに一級旗立て職人のエステルが呆れ、「ちっ、リア充か」と武闘家(ウーシュウ)は彼らしくもなくやさぐれた態度で舌打ちする。

「こらっ、暴れるな! マジに傷物にするぞ…………!」
「生憎と傷物になるのは、この子の貞操でなく、あなたの息子よ」
 右頬を爪で引っかかれた中隊長が短気を起こしかけた刹那、何者かが気配もなく背後にまわり込んで容赦なく股間を蹴りあげた。
「ぐぼあぁぁ!?」
 言葉にできない壮絶な痛みに中隊長はもんどりうってリアンヌを宙に放り出し、クローゼが慌ててキャッチする。
「ふーん、人の心を捨てた修羅さんも殿方である以上は急所の痛みには耐えられなかったみたいね。久しぶりね、クローゼ」
「ど、どうも、相変わらずですね、ヨシュアさん」
 股座を抑えた情けない格好で失神する中隊長をヨシュアは琥珀色の瞳で冷やかに見下ろす。クローゼは胸の中で泣きじゃくるリアンヌの頭を撫でながら笑みを返すが、少し表情が強張っている。
 蒼の騎士オスカルとしては、もう少しロマンチックな雰囲気で白き花のマドリガルと再会したかったが、中年男性にいきなり金的をかますヒロインではムードもへったくれもない。
「うわー、痛そー。自業自得の顛末とはいえ、本当に容赦ねえな、お前」
「あらっ、アガットさんに倣って、ちゃんと強弱を覚えたから睾丸は潰してないわよ。今度エステルとの組み手の時にでも実践してあげましょうか?」
「頼むから止めてくれ」
 エステルは薄ら寒そうに股間を抑える。武器あり、素手のどちらで戦っても勝負にならないのに、その上で男限定の理(ことわり)まで持ち出されたら溜まったものではない。
「随分早かったな、ヨシュア。お前さんがここに顔を出したということは?」
「ええっ、ジンさん。ブラッキーさんと睨み合っていた一団は片づけてきたから、これで離宮にいる情報部は全て無力化したことになるわね」
 ボマーの爆弾に気取られている隙を見計らい音もなく忍び寄って、全体に気づかれないように後方にいる連中から一人ずつ意識を刈り取った。まさしく対集団戦闘の権化ともいうべき働きぶりで、「最初からヨシュア一人いれば……」と愚痴りながらメイル達ポップル国の遊撃士が入ってきた。

「クローゼ、こちらが救出作戦に力を貸してくれた、ポップル国の……」
「ヨシュア、自己紹介は後でいいから、親衛隊の人を何とかしてくれない」
「貴様ら、国の重要文化財であるエルベ離宮に何をやらかした!?」
 メイルがヨシュアを押し出すように背中に隠れると、凄い剣幕でユリア中尉が乗り込んできた。鹵獲した飛行艇でいの一番で駆けつけると、空の上からエルベ離宮の景観がグチャグチャに破壊されているのを視認。いつぞやのロランス少尉に匹敵するコードレスバンジージャンプで飛び下りてきた。
「地震を起こしたのはタットで、爆発物で建物を壊したのはブラッキーだから、あたしは関係ないわよ」
「ふざけるな。チームでやった責任はリーダーが取るものと相場が……!?」
「ユリアさーん、お久しぶりでーす」
 その声にエルフ耳の少女を締め上げようとしたユリアはピタリと止まる。クローゼは満面の笑みを浮かべると、衆人環視の前で臆面もなくユリアの身体を抱きしめて、親衛隊中隊長の顔が耳まで赤く染まる。
「で、で、殿下ぁ」
「あははっ、最後に別れた時はまだ僕の方が背が低かったけど、今ではほんの少しだけ高くなりましたね」
 クローゼは険のない笑顔ではにかむと、コツンとユリアの額に自分の額をぶつけて、ユリアの瞳がチワワのように潤んだ。愛弟とは実に一年半ぶりの再会なので感動もひとしおだ。
「クローゼ、本当に逞しく成長されて」
「ユリアさん、今は非常の時ですし、彼らを許してあげてくれませんか?」
「殿下がそうおっしゃるのなら」
「ちょっと何なのよ、おばさん。私のクローゼお兄ちゃんから離れて」
 ユリアとクローゼの仲睦まじさに嫉妬したリアンヌが二人を押し退けるように乱入。ユリアは「おばさん」という単語にピクリと眉を動かしたが、対象の年齢を考慮して流石に堪える。
「殿下、この子は?」
「モルガン将軍のお孫さんのリアンヌちゃんです。ハーケン門の部隊を足止めする為に人質として連れてこられたのです」
「なんとモルガン将軍の」
「クローゼお兄ちゃんは私と生涯ずっと一緒にいてくれるとプロポーズしてくれたの。だから近寄らないでよ、泥棒猫」
 リアンヌは「いー」と舌を出し、ユリアの額の怒筋が浮かぶ。マーシア孤児院のオマセな幼女といい近頃のお子様は色気づくのが早いようだ。特にクローゼの何気ない一言を拡大解釈して結婚の約束にまで脳内変換する強かさは瓜二つ。もっとも、マリィの方は今はちょいワルの空賊ボーイに浮気中だが。

「何かスゲエことになってるな、ヨシュア」
「そうね、まさかこんな昼メロが見られるとは思わなかったわ。片方の配役が若すぎるけど」
「リア充が、リア充が、リア充が。鮫の旦那みたいに十年後の光源氏計画でも狙っているのか?」
「将軍の孫娘と親衛隊中隊長が王太子を取り合いか。こいつも王室のスキャンダルになるのかな?」
「中隊長殿、頼むから童女と同じ土俵で張り合わないでください」
 争いは同じレベルの者同士でしか発生しない。遅れて部屋に入ってきたルクスとリオンの二人は、幼女相手にバチバチと火花を散らす大人げない上司の姿を見て頭を抱え込む。プチ修羅場ともいうべき事態が収拾して、救出作戦の第二段階に話を進めるのにしばらくの時間を要した。

        ◇        

「離宮との連絡はまだつかないのですか?」
 グランセル城で消火活動で負傷した特務兵の手当てを指示しながら、カノーネは周遊池での戦闘の行方を気にかけたが、未だに音信不通のまま。嫌な予感だけが増幅する。
「カノーネ大尉、今からでも無傷の部隊を編成して周遊池に向かわせましょうか?」
「落ち着きなさい、あらから時間も経っているし、流石に戦闘は終わっている筈。とにかく今は少しでも情報が……」
「大尉、周遊池の戦闘に参加した隊員が一人だけ戻ってきました」
 その部下の報告がカノーネには福音に聞こえた。直ぐに執務室に呼び出して、中隊長二人とロランス少尉を集めて事情聴衆を行った。

「親衛隊に破れただと!? あの兵力差でか?」
「確かに俄かには信じ難い。シュバルツ中尉がいたとはいえ、あの数の猛者を相手に個の無双にも限界がある筈だが」
「ふふっ、やるな」
 若い特務兵は戦闘経過をつぶさに報告。予期せぬ敗北に仰天する親衛隊幹部の中で、ただ一人ロランスだけが落ち着き払っている。
「親衛隊だけではありません。奴ら、ブレイサーと手を組んだらしく、その中の得体の知れない方術使いに戦況を引っ繰り返られたのです」
「方術? 一部で大軍兵器と称されるA級遊撃士『十絶陣』のクルツ・ナルダンか」
「たった4人の少数精鋭で猟兵団(イェーガー)一つを退けたという噂もあるが、事実だったのか?」
 カノーネは思案する。遊撃士協会(ギルド)が親衛隊と結託したとなると、武術大会に参加していた他の2チームも、この作戦に加わっている筈。ならば、その別動隊にエルベ離宮は落とされて王太子の身柄は奪還されたと見るべきか?
「それよりも緊急通達事項があります。親衛隊の奴らは捕虜にした仲間を全員エルベ離宮に連れ帰りましたが、翌日には纏めて処分すると嘯いてました」
「何ですって!?」
「このままだと誓いを立てた同胞が皆殺されてしまいます。自分が案内役になりますので直ぐに救援を」
 一人おめおめと生き残って忸怩たる思いを抱いていた若い特務兵は、カノーネに取り縋るように哀願する。中隊長の一人は血気逸ってレスキュー隊を組織しようとするが、カノーネは心中に沸き上がる違和感を拭えない。
(さっきからユリアらしからぬ冷酷な采配が続くわね)
 かつての旧友の真っ直ぐさを眩しく思っていたカノーネは少しばかり興が削がれたが、謀叛を起こした側の身命を気づかえとは流石に厚顔な要求だろう。例の火災工作といい手段を選ぶ余裕はないということか。そこまでユリアを追い詰めたのは親衛隊に濡れ衣を着せて窮地に追いやった自分たち情報部なので、身から出た錆ではあるが。
「カノーネ大尉、今すぐに部隊を編成して夜襲を……」
「落ち着きなさい、焦っては敵の思う壺ですわ。今夜中の襲撃は敵も予測しているでしょうから、ミイラ取りがミイラになりかねません」
 カノーネは逸る部下を抑えると、きっちりと体調を整えた上で翌朝までに部隊を編成するように命令する。
「親衛隊にも体面がありますから、本当にジェノサイドを敢行するにしても一般人を人払いしてから行う筈。ならば彼の報告通り明日の正午までは時間の猶予があると見るべきでしょう」
「承知しました。ですが再び援軍を派遣するとなると、城の守りが手薄になりそうですな」
「案外、それこそが真の狙いかもしれませんわね」
 もし、敵が調子に乗ってグランセル城とアリシア女王の奪還まで目論んでいるのなら、兵力を離宮に誘き寄せる為の罠の可能性もある。
 未だにユリアの非情な心変わりを信じたくないカノーネは敵のハッタリ論に縋りたい所だが、大勢の部下の命を預かる彼女が個人間の友誼だけを拠り所に80人もの仲間の命をチップにしてルーレットは回せない。
 救出部隊の派遣と平行して城の警備を固めるように厳命する。特に親衛隊は飛行艇を一機鹵獲している筈なので、対空装備として女王宮に導力砲を配備するように通達。
「首尾よく離宮の兵を救出できたら、80名もの増援を得られる計算になりますが、本当にその間隙を突いて敵が攻め込んできたら、城の防備が少々心許ないですわね」
 カノーネは顎先に手を当てて思案すると何かを思いついたようで、今まで寡黙を貫いてきたロランス少尉に向き直った。
「さて、わたくしは少しの間、場を外しますので、ロランス少尉、グランセル城の警備は任せるわよ」
「ほう、副官殿はどちらに行かれるおつもりで?」
「封印区画に降ります」
 その宣言に中隊長たちは訝しむが、再奥にいるリシャール大佐を追いかけて指示を仰ぐ為ではない。斥候の報告によれば、迷宮には現代の科学水準では製造不可能な人形兵器(オーバマペット)が多数うろついており、何体かの捕獲に成功したとのこと。
「再プログラミングしてこちらの手駒にするつもりです。上手くいけば今の兵力不足を補う貴重な戦力になり得るでしょう」
「中々に面白いことを考える。ですが、宜しいのですか? 新参者の私に城の全てを託しても?」
 ロランスは冗談めかしたが、カノーネは意外と真摯な表情で軽く首を横に振る。
「どうも、わたくしの考えの裏を取られているような気がするわ。もしかすると、ユリアとは別の人間が知恵を授けているのかもしれません。ならば、戦術理論に縛られた参謀肌のわたくしよりも、猟兵団あがりで実地に長けたあなたの方が敵の思惑を外せるかもしれませんわね」
「了解した」
 表情には出さなかったが、ロランスは内心で密かに感嘆した。この女は頭でっかちに思えて、自分の長所と短所を弁えているようで意外と馬鹿ではない。
「オーバーマペットの調整が済み次第、直ぐに戻るつもりなので、それまでは王城を死守しなさい」
 それだけを告げると、カノーネは宝物庫のエレベーターを起動させ封印区画に下っていく。二人の中隊長は共に救出班と城の防御班の編成に向かったので、後にはロランス一人だけが残された。

「ふふっ、カノーネを手玉に取る策士はヨシュアに相違ない。ならば、いよいよ対面の時か」
 リシャール大佐が『門』の第一封印と接触した地点で、彼の『本当の任務』はほぼ終了している。情報部の理想にもリベールの未来にも興味がないレオンハルトは、このままロランスとしての役職を投げ出しても支障はなかったが気が変わった。
 普段はあまり仲が宜しくなかった女狐参謀が珍しく彼を信頼して指揮権を丸投げしたのだ。ならば、その期待ぐらいには応えてもバチは当たるまい。
「流石にいい加減ヨシュアから逃げ続ける訳にもいかないしな」
 ロランスは仮面の留め金を外すと、アッシュブロンド(灰色の金髪)の素顔を外観に曝す。その鋭い眼光で彼の左手に握られた異形の剣を見つめる。
「エステル・ブライト。お前が本当にヨシュアを背負うに値する人間か試させてもらうぞ。我が魔剣『ケルンバイター』でな」
 そこにいたのは、まごうことなき修羅。一部の者から『剣帝』と畏怖されるゼムリア大陸最強の剣士の姿だった。




[34189] 21―08:攪乱するグランセル(Ⅷ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/07/11 20:52
 王太子殿下の奪還に成功した遊撃士・親衛隊連合軍は、今後の彼の身の振り方をどうするか話し合う。治外法権に等しい共和国の大使館に保護を求める案も囁かれたが、当のクローゼは頑なに首を横に振る。
「無理を承知で遊撃士協会(ギルド)にクエストを依頼します。是非とも王城の開放とお祖母様……いえ、女王陛下の救出を手伝ってもらえないでしょうか?」
 その要求に一同は静まり返るが、特に驚きはない。クローゼを知る者なら彼がそう主張するだろうと薄々察していたからだが、敢えてヨシュアはつれない態度を取る。
「リシャール大佐やデュナン公爵も流石に陛下の命までは奪わないと思うけど?」
「それは分かっています。ですが、お祖母様が長年血の滲むような思いで築き上げたリベールの平和が目茶苦茶に壊されていく様を僕はもうこれ以上黙って見てはいられません」
 クローゼの紺色の瞳に鉄をも切断する高温の青い炎が静かに宿る。彼の覚悟の深さを悟ったヨシュアは最終確認を取る。
「それは簒奪に与したデュナン公爵ではなく、あなたがアリシア女王の跡を継ぐという意思表示と受け取っていいのね、クローゼ?」
「その件はお祖母様を救出して陛下の意志を確認してから改めて話しましょう、ヨシュアさん」
 今はその辺りが限界かと見切りをつけたヨシュアはそれ以上の追求を控えた。今までのらりくらりと解答を先延ばしてきた引き籠もりの王子様が職責を果たす決意をしたのなら、今回の無意味な内乱にも少しは意義があるのかもしれない。
「ならば、実務段階に話を進めないといけないわね。ユリア中尉、例の首尾の方は?」
「…………んっ、ああっ、貴殿に頼まれた通り稚魚を一匹リリースしておいた」
 「クローゼ、とうとう決心を固めましたか」と感涙していたユリアは我に返る。ユリアの隠喩を言葉通りに馬鹿正直に受け取ったエステルは「あれっ? 戦闘後に周遊池で湖釣りをする余裕があったんすか?」と頓珍漢なボケをかます。
「エステル、釣りの話じゃないわよ。ユリアさんに特務兵を一人だけ王都に逃がすように頼んでおいたのよ。生きたメッセンジャーとしてね」
「おいおい、何でそんな七面倒な真似をするんだよ?」
「なるほど、離宮に兵を集めて、グランセル城を手薄にする作戦か?」
 ジンが関心したように呟き、ヨシュアはコクリと頷く。八十名もの同胞が殺されると脅されれば、敵はブラフと疑いつつも援軍を差し向けざるを得ない。まさにその間隙を突ければ、強固なグランセル城といえど攻略できる可能性はある。
「ヨシュアさん、もしかして離宮攻めの前から、グランセル城を落とす下準備を水面下で進行させていたのですか?」
「ええ、次はそういう流れになるとユリアさんと見解を一致させていたからね。私的に不安なのはカノーネ大尉が部下を切り捨てて、城の防備を固めることだけど」
「いや、カノーネは必ず兵を送るさ。悪女ぶってはいるが結構甘い所があるからな。仲間を見捨てることなどできはしないさ」
「随分と高く評価しているのですね、かつての士官学校時代のライバルの人柄を」
「ああっ、あいつがどう考えているかは知らんが、私は今でもカノーネを大切な友人と思っている。理想を違え敵対する立場となったが、リベールの未来を案じる同じ志を持つ者同士、いつかはまた同じ旗の元で王国を護る為に共に戦えると信じている」
「なら、その為には一発ガツンとぶん殴って目を醒まさせてやらないといけないよな、ユリアさん」
「ああ、もちろん、そのつもりだ」
 この手の熱血漢なノリが大好物のエステルが拳を突き出し、ユリアもコツンと拳を合わせる。もっとも、ヨシュアの目からはカノーネ大尉は自分と同様に恋愛脳で動いている節が伺えたので、旧友の鉄拳制裁よりもリシャール大佐に説得させた方が手っとり早いと踏んだが、その為にはまずは情報部の親玉を心変わりさせなければならないので現地点では現実的なアイデアではない。

「そういうことなら、あたし達も最後までつき合わせてもらうわよ」
 話を聞いていたメイル達ポップル国の遊撃士も参加を申し入れる。一応彼らとの契約は王太子救出作戦までなので有り難い申し入れだが、延長料金のプライスが気になる。
「いいのかよ? クローゼは貧乏だからミラなんか持ってないぞ?」
「エ、エステル君」
「一国の王子様を捕まえて本当に愉快な言い草ね、エステル」
「正直、あの程度の働きで十万ミラも貰っちゃ申し訳ないって思っていたし、この先はアフターサービスでいいわよ。それで構わないわよね、ガウ、ブラッキー」
「ガウガウ、オーケーがう」
「メイル、僕の意見は聞いてくれないんだね」
「はっはっはっ、当然だよ、マイハニー。グランセル城の城壁がどれほどの強度か知らないけど、僕のとっておきの爆弾で風穴を開けてくれよう」
 珍しくも守銭奴の少女が多少の惚気を交えながら殊勝さを見せて、恋の鞘当てにすらならない同じエルフ耳の青年が頼もしそうに爆弾をチラつかせる。彼はとあるクエストで盗賊団の立て籠もる鉄壁と謳われた砦を半壊させた実績もあるので、その自信はハッタリではなかったが、クローゼは大慌てでボマーの暴挙に待ったをかける。
「待ってください。そんな乱暴な手段を使わなくても、城門を開ける手段はあるんです」
「もしかして、グランセル城に通じる秘密の抜け穴でもあったりするの、クローゼ?」
 ヨシュアが久しぶりに恒例のエスパーモードでクローゼの主張を先読みして、彼を驚かされる。
「どうして分かったのですか、ヨシュアさん?」
「レイストン要塞でラッセル博士を救出した時にも、緊急避難通路を利用させてもらったからね。代々の王族にとっては王城の脱出路の必要性は軍事施設の比じゃないでしょうし」
「お祖母様は何があっても自分がその隠し水路を使うことはないと宣言していました。例え生命は助かっても、王としての命脈は絶たれるからと言って」
 流浪の王子様に民衆が施してくれるのは童話の中だけの絵空事。現実は塩の杭事件で崩壊した旧ノーザンブリア大公国のように国を見捨てた王族に対する民の視線は冷やかだ。
「なら、レイストン要塞の時とは逆に、外から中に進入するのが正しい抜け穴の使い道になるのかな、クローゼ?」
「そうなりますね、エステル君」
 クローゼは苦笑すると、王都の地下水路を記した見取り図を取り出して、一同は地図を覗き込む。ヨシュアの当初の青写真にいくつかの修正が加えられて、救出作戦の第二段階の詳細を煮詰めることになった。

        ◇        

 翌日のエルベ離宮。予想通り夜襲はなく、更に予測が当たるなら、これからワンサカ敵が押し寄せてくる。既に人払いを済ませて、粛然とした離宮の再奥にある紋章の間からガタガタと音が聞こえてくる。
「特務兵の奴らも、まさか王太子を拘禁する最も強固な檻に、自分たちが閉じ込められる羽目になるとは思わなかっただろうな」
 広々とした離宮に一人留守番役として取り残されたブラッキーはしみじみと呟くが、当然返事は戻ってこない。孤独感に苛まれた彼は溜め息を吐いたが、直ぐに現実に帰ると身支度を始める。
「いけない、いけない。きっちり隠れておかないと。万が一見つかりでもしたらマジに命がヤバイからな」
 ブラッキーは紋章の間の右にある展示室に入り込むと、展示された美術品の一つである等身大の大壷の中に身を隠す。近い未来、ブラッキーと同様にこのエルベ離宮で一人の幼女が遊撃士を相手にかくれんぼすることになるが、彼の場合は身命が賭かっているので鬼に見つからないように必死に気配を押し殺した。

        ◇        

「こちらC班、左舷方面、人の気配なし。どうぞ……」
「同じくB班、右舷も人の気配なし。どうぞ……」
「A班、正面玄関も人の気配なし。どうやら、本当に留守みたいだな」
 時刻が九時を過ぎた頃、五体満足な精鋭のみ三十名を選抜した救出チームは三つの班に分けて、A班を正面から突撃させて、B班、C班をロープで壁を乗り越えさせて左右から同時に侵攻させたが、敵影の欠片も見当たらずに拍子抜けする。
「戦闘も覚悟していたが藻抜けの殻とは、奴ら本当に離宮ごと爆破するつもりだったのか?」
「もしかすると親衛隊の奴ら、マジに王城を落としに出掛けたのかもしれねえな」
「詮索は後回しだ。まずは離宮内に捕らえられている仲間を助けるぞ」
 中隊長の号令で合流したレスキュー部隊は荒れ果てた庭を素通りして正面の入り口から建物内に進入。やはり内部にも人はおらず、図書館、談話室、応接室、展示室などを調べるが全て外れ。
「残るはここだけか」
 紋章の間の扉の前に陣取った一団はゴクリと生唾を飲み込む。さっきから人の気配が駄々漏れの上に複数のうめき声が響いてくる。収納スペース的にも八十名もの捕虜を監禁可能なのはこの大部屋しか考えられない。
「敵が待ち伏せている可能性もあるが、行くしかないな」
 五十名の大部隊が破れながらも、敢えてそれ以下の寡兵を送ったのは現地で兵を賄えるからだ。実際に捕虜を開放した分だけ、兵力が増強される計算になる。もし、敵が城攻めを敢行していたとしても全ての虜囚の奪還に成功すれば、総勢百十名もの大軍を再編成してグランセル城に取って返せる。
 昨日と違って鍵のかかっていない大扉を開けた特務兵達はギョッとする。中では大勢の仲間が猿轡を嵌めて縛られたまま転がされている。更にはこの離宮全てを吹き飛ばせる量のダイナマイトの束がとぐろを巻いていて、中央に設置された時限式タイマーの数値が既に3分を切っている。
「やはりボマーの爆弾を使うという情報は本当だったのか?」
「それより、もうほとんど時間がないぞ。爆発は正午じゃなかったのかよ?」
「中隊長どうしますか? このままだと我々も……」
 レイストン要塞でのカプア一家がそうであったように、人の性根が最も推し量れるのは死地に相対した時なのは疑いない。情報部は任務の為に良心を凍らせた鬼に相違ないが、共に誓いを立てた同志の窮地を前に熱い魂を取り戻した。
「全員、突撃。一人でも多くの仲間を救出しろ」
「「「「うっ……うおおおおお!!」」」」
 そう命令を下した中隊長が真っ先に飛び込み、その勇気に釣られるように部下たちは後に続くと、手近な同胞から抱え起こして、鍵爪でロープを切断。自由を得た仲間の口から猿轡が外れた。
「おい、大丈夫か?」
「…………だ」
「何だって? 時間がないんだ。急いで扉の外に」
「こいつは罠だ。あのダイナマイトは単なるハッタリだ。敵の本当の狙いは爆破ではなく……」
 拘束されていた特務兵が真相を言いかけた刹那、バタンと後方の扉が閉まる。展示室の壷に隠れてやり過ごしていたブラッキーが外から扉を絞めると、慌てて施錠する。
「いやー、君たち悪者の割には意外と仲間思いで関心だね。殺す気はないから、しばらく眠っていてくれないかな?」
 そうブラッキーが宣言すると、左手に握りこんだ遠隔操作のスイッチを押す。するとダミーのタイマーがゼロになると同時にダイナマイトの束が破裂。中から白い煙が溢れ出て、部屋中に充満する。
「こ、これは、まさか睡眠ガスか?」
「うん、そう。いざ、眠りの世界へ誘われなさーい」
 ガスマスクをつけて扉の隙間から漏れるガスをやり過ごしたブラッキーは聞き耳を立てる。バタバタと人が倒れる音が続いて、やがて全ての特務兵が眠りに落ちたのか何も聞こえなくなった。
「これで少しは時間が稼げるかな? 個人差はあるけど、魔獣(フォレストミスト)から搾り取った睡眠ガスの効力は二時間が限界らしいからね」
 目を覚ました特務兵たちが王都に乗り込んできた場合、城攻めの部隊は二個中隊の大軍に後背を突かれる形となるので、それまでにグランセル城を攻略しないとゲームオーバー。とはいえ、この数の敵を前にして、これ以上彼一人に出来る事は何もないのも事実。爆弾で本当に特務兵を皆殺しにして良いのなら話は別だが。
「まあ、僕はきちんと務めは果たしたから、後はこの国の人たちが頑張れるかだよね」
 そう嘯くと元々あまり責任感のないブラッキーは混乱を究めるキルシェ通りを避けて、エルベ周遊道を伝ってセントハイム門に向かった。そこの食堂で一杯引っかけてから攪乱が終わった王都にのこのこと顔を出して、ちゃっかり戦勝軍に加えてもらって恩賞のおこぼれに与る腹である。



[34189] 21―09:攪乱するグランセル(Ⅸ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/07/18 17:13
 離宮の紋章の間の内側からズシン、ズシンと鈍い音が響く。まだブラッキーがエルベ離宮を退去して一時間も経過しておらず、特務兵が目を覚ますには早すぎる筈だが、いかなる塩梅か?
「忌ま忌ましいブレイサー共が。そう何もかもがお前らの思惑通りに進むと思うなよ」
 室内では十数人の特務兵が扉に体当たりを敢行する。焦燥感を煽る目的で扉が開くと同時にいきなり180秒から数を減らすように仕組まれたダミータイマーに欺かれてマンマと罠に嵌められたが、彼らとて無策で乗り込んできた訳ではない。
 即死、気絶、封技、封魔、混乱、睡眠、凍結など、あらゆる状態異常に対応できるように隊員ごとに異なる装飾具(アクセサリ)を身につけさせてきた。
 今回、『ブラックバングル』という睡眠状態に入ると腕輪の内側から針が肉体を突き刺して気付けを促すアクセサリを装着していた隊員2名が腕の怪我と引き換えに睡魔を免れるのに成功。
 ブラッキーの気配が消えるまで息を殺して待ち続けて、手持ちの『リーベの薬』を駆使して仲間を強制的にヒュプノスの支配下から引き戻した。
「よし、あともう一息だ。せーの!」
 ミシミシと扉の形が歪み続けて、とうとう53回目の体当たりにして紋章の間のドアが破られた。
「よっしゃー、ギルドの奴ら、散々コケにしてくれたが直ぐに借りを返してやるぞ。まずは王城のロランス隊長に報告して……」
「待て、導力通信は傍受の危険性がある。俺たちがこんなに早く自由になったのは敵も誤算だろうから、態々情報を教えてやる必要はない」
「では……」
「連合軍は周遊池の近辺に仮本部を設置しているだろうから、敵の斥候に気づかれないようキルシェ通りを避けて、セントハイム門の方角から王都に進軍する。上手くいけば城攻めをしている親衛隊の奴らを後方から奇襲できる」
「「「「おおっ!」」」」
 中隊長の号令に特務兵は沸き上がると、二列に隊を組んでエルベ周遊道を逆走する。
 ブラッキーが仕事熱心ならこの異変をエステル達に伝えることも可能だったが、彼は既に離宮を離れてセントハイム門の酒場で昼間っから飲んだくれている。まあ、無報酬のアフターサービスで百以上の敵が屯する死地に留まって情報収集を続けろというのも酷な話であるが。
 いずれにしても、全能者の如く世界を俯瞰から見下ろす腹黒参謀もこの予想外の情勢には気づいていない。このアクシデントがヨシュアの計画にどんな歪みを齎すかは現地点では不明である。

        ◇        


「ここが地下水路と繋がる入り口か」
 ジン、タットの二人とオマケのガウは王都グランセルの側にある河川に降りると、少量の水が流れ出る雨水吐き口を覗き込む。案の定、人が入り込めないように鉄格子を嵌め込まれており、既に施錠済み。
「ガウ、ガウ、この鉄格子の狭い隙間じゃ俺でも入り込めないがう」
「格子はグランアリーナみたいな特別製という訳ではなさそうだがら、やって壊せないこともないだろうが、ちと気が引けるな」
 ガウが羽根をパタパタしながら格子の間に頭を突っ込んで危うく嵌まって抜けなくなりそうになり、ジンは軽く格子を指先で弾いて材質を確認したが、今後のことを考えて実力行使に及ぶのを躊躇する。
「やっぱり、親衛隊の人達から借り受けた鍵は合いませんね」
 顔そのもののボール然としたガウの身体を強引に格子から引っこ抜いたタットは西側の地下水路の鍵を錠前に挿してみたが、ガウ同様に明らかにサイズが合わない。
「当然だろう。そいつは王都内の水路への入り口を開ける鍵だからな」
「ガウー、なら王都に入って、その鍵を使える場所で開ければ良いがう」
「それが出来るなら苦労はしないよ、ガウ」
 タットが赤マント越しに肩を竦める。グランセル支部にいるエルナンからの報告によると、現在グランセル全域に二度目の戒厳令が敷かれており外には人っ子一人おらず、多数の兵士が巡回しているだけ。
 遊撃士の手配書も出回っているだろうし、そんな中にノコノコと出掛けたら直ぐに発見されお縄となってしまう。
「とはいえ、タイムスケジュールも押しているし、これ以上、こんな場所で足止めを喰うわけにもいかんな」
 ジンが険しい目つきで鉄格子を睨む。例の地下水路の秘密の抜け道から城内に進入し、城門を内側から開くのが彼らに与えられた重要なミッションなので、ここは少々手荒な手段を使ってでも道を切り拓くべきなのか?
「ふう、仕方がないか」
 タットは軽く溜め息を吐くと無用の長物と化した鍵を仕舞い込んで、錠前に杖を翳す。
「…………鍵よ、開け……open……」
 それから目を瞑って早口言葉のように何かを唱えると、心なしか杖が光り輝く。次の瞬間、カチリと鍵がまわる音がして扉部分の鉄格子が開いた。
「おい、タット。今のは?」
「これで中に入れますよ。行きましょう、ガウ、ジンさん」
 ジンが今の不可思議な現象を尋ねようとしたが、タットは格子を開くと足早に内部に消え、ガウも浮遊しながら続いていく。仕方なしにジンは追求を一時断念すると、頭を天井にぶつけないように低くして入り込んだ。

        ◇        

「やっと水路の地形が地図の形と一致ししましたね」
「うむ、ようやくグランセルの地下と繋がったみたいだな」
「ガウガウガウー」
 『陽炎』クオーツの迷彩効果で可能な限り魔獣との戦闘を避けながら地下迷宮をうろついていた一行は、何とか東区画に辿り着く。更にマップを頼りに探索を続けて、隠し通路があると思しきポイントで足を止める。
「ここらあたりの筈なんだが、それらしき仕掛けは見当たらんな。まあ、用途を考慮すれば巧妙に偽装されているのは当然の話だが」
「多分、この壁一帯のレンガの一つがスイッチになっていると思います」
「ガウガウ、これ全部調べるのかがう? 時間がかかりそうがう」
「確かにこの数百個ある煉瓦からピンポイントに当りを見つけるのは骨が折れそうだな。下手したら、作戦開始の正午になってしまうかもしれんな」
 ジンが顎先に手を当てながら、意味深な目つきでタットを見下ろす。先のキッピング手品をなあなあで済ますつもりはなさそうなのを察したタットは正体を隠すのを諦めて再び杖を取り出した。
「…………秘密を暴け…………light…………」
 闇に包まれて地下でタットを半円として光が周囲に広がり、やがて煉瓦の一人が照らし出される。
「なるほど、これか」
 ジンは淡い光に包まれた煉瓦に軽く触れたが、特に違和感は覚えない。今度は少し強めに押してみると、ゆっくりと壁が開いて中から隠し通路が出現した。
「ガウガウ、道が現れたガウ」
「城の外から内への使用はイレギュラーなケースだろうから、偶然の事故が起こらないように難易度を高めたのだろうが、ちと凝りすぎだな。俺も確証を抱けなかったら、当りの煉瓦を素通りしたかもしれん」
「それについては時間がないですから、隠し通路の中を歩きながら話しま…………! って、誰だ?」
 タットの杖から火の玉が飛び出て、廊下の角に向けて放たれる。火の玉は壁にぶつかって軽い焦げ目を作っただけであっさりと霧散。ガウとジンが元きた道を戻って曲がり角を覗いてみたが、人がいた痕跡はない。
「ガウガウ、誰もいないがう。俺の鼻にも何の反応もないがう」
「確かに人がいた形跡はなさそうだな」
「すいません、『light』の魔法に反応があったから、賊が潜んでいるかと思ったのですが、僕のサーチミスみたいです。まだまだ未熟ですね」
 高い観察眼を持つA級遊撃士と犬並の怪獣の嗅覚を欺くなどヨシュアのような隠密能力者でなければ不可能なので、タットは赤面しながら前言を翻す。
 敵に作戦を気取られた訳ではなさそうだ。三人は隠し通路に入り込むと、念の為に扉を元に戻しておく。

「ふーう、危なかった。危うく見つかる所だった……って、別に見つかっても問題なかったんだよな」
 コツコツコツと足音を響かせながら謎の黒いシルエットが、人の気配が完全に途絶えた隠し扉の前まで歩いてきた。
「それにしても陽炎を凌ぐ完全ステルス性能の『葉隠』クオーツの隠密効果を見破るとは、タット君は何者なのだ? 色々と謎があるみたいだし、うー、気になる」
 シルエットは忘れない内に隠し扉のスイッチとなる煉瓦に油性ペンで目印を書き込む。一筆書きで怪獣(ガウ)のデファルメ画を描くあたり、中々に絵心に溢れた人物のよう。
「さて、どうするべきか?」
 これから三人を追いかけても良いが、エルベ離宮の催し物には完全に乗り遅れてしまい、今から参戦した所で今一つインパクトに欠ける。
「やはり、皆で一緒に参加した方が楽しいイベントになりそうだな」
 そう考えたシルエットは一端この場から離れると、仲間と合流する為に来た道をひたすら戻る。葉隠クオーツとやらの効果なのか、魔獣と接触してもまるでヨシュアのように戦闘は一切発生しなかった。

        ◇        

「魔法使い?」
「はい、導力革命のはるか昔から古の魔道を受け継ぐ一族がゼムリア大陸の此処彼処に隠れ住んでいるのですが、僕はその末裔の一人です」
 一本道の狭い隠し通路を直進しながら、タットは自らの素性を明かす。これまでの様々な現象は導力魔法(オバールアーツ)ではなく正真正銘の魔法とのことで、基本物怖じしないジンも唖然とする。
「たとえば、先のように『fire』と唱えると、簡単な火を起こせます。これには種も仕掛けもありません。魔法ですから」
 タットの杖の先から火が溢れ出て、薄暗い地下を明るく照らす。彼の身体は導力特有の光に全く包まれてない上に詠唱のタイムラグなしに火を起こしたので、確かにオーバルアーツではない。
「なるほど、鍵を開けたり仕掛けを暴いたりしたのも、その魔法の効力という訳か? 大した術だ」
「いえ、僕などまだ見習いの導士に過ぎません。僕のお師匠様は空を飛んだり生身で空間転移したりと色々ととんでもない真似ができましたから」
 「俺の仲間にもSクラフト扱いで次元転移する奴はいるけどな」と琥珀色の瞳の少女の顔を思い浮かべながらジンは考えたが、黙っていた。タットの魔法は優れたスキルであるが、似たような真似ができる怪物はこの世界に結構いたりするものだ。
「魔法と謳った所で、今の科学水準ならほとんどが代替が効く代物ばかりです。それでも七耀教会からは邪法認定されているので、普段はなるだけ使わないようにしているのですが」
「そいつは済まないことをしたな」
 ジンは軽く頭を掻くと、申し訳なさそうタットの頭をとんがり帽子越しに撫でる。好奇心に負けてつい探りをいれてしまったが、あまり深入りして良い話題ではなさそうだ。
「別に構わないですよ。ジンさんは吹聴するような人じゃないでしょうし、僕も自身の出自に疚しさは感じてはいませんから。というか妖精に怪獣がいるパーティーに魔法使いがいても特に奇怪しいことじゃないでしょ?」
「そりゃそうだ」
 ジンは軽く苦笑する。メイルやブラッキーは単にエルフに似た耳の形をしているだけだが、ガウの方は文字通りの不思議生命体。その希少性は導力魔法で代用可能なウイザードの比ではない。

 話をしている内に北区画の行き止まりに辿り着いたジン達は、その場に腰を下ろす。今度は偽装の必要もないので判り易いスイッチが外部に露出しており、恐らくはこのボタンを押すと城内に忍び込めるのだろう。
 作戦決行までの暇つぶしということで、タット達は四方山話に花を咲かせる。
「お前さんのような魔法使いがこの大陸には結構いるわけか?」
「はい、村同志で交流があるわけじゃありませんし、託された使命はその一族によって全く異なりますけど。この近くだとエレボニア帝国には魔女と呼ばれる巨人の導き手がいるみたいです」
「巨人?」
「僕にも何のことかはさっぱりです。基本的にはその存在も役割も他の部族には秘匿されていますから」
 タットは大げさに肩を竦めると急に真顔になって、世捨て人ファミリーの弊害を訴える。
「僕たちは様々な役割を担わされて、神話が終わった時代に尚、魔道の技を代々受け継いでいます。ですが古くさい風習を嫌って、禁を破って出奔する者がいるのも確かです。僕のお師匠様もそうでした」
 彼の師で大魔道師と謳われたマテリアル・ホルンは、とある自治州で魔神(ガイストレイス)を復活させて世界の転覆を図った。彼を連れ戻す為に弟子のタットは故郷の隠れ里を出てメイルとガウに出会い、長い戦いの末にガイストレイスを再び封印して大魔道師の野望を打ち破った。
「それが四属性の護符を手に入れて、田舎勇者に祀られた語り部のことか?」
「メイル達と旅をして、僕はいかに狭い世界を生きてきて、里の人間が時代に取り残されているのか痛感しました。お師匠様を改心させた後も、まさか賞金稼ぎを経てブレイサーに転職してリベールくんだりまで流れてくることになるとは思いませんでしたけど」
「なるほどな。まあ、若い内に見聞を広げるのは実に良いことさ」

 誰だって自分の人生の主人公ではあるが、ここで語られないだけでメイル達が主役として活躍した冒険譚が確かに存在したのだろう。
 今回のリベールの攪乱に置いて、ポップル国の遊撃士パーティーに与えられた役柄はジンたち八人の導かれし者のサポートであるが、自分達が脇役である事実を弁えているタットは彼らにできる精一杯で露場払いをする覚悟である。





[34189] 21―10:攪乱するグランセル(Ⅹ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/07/25 00:02
「エルナンさんの報告通り、戒厳令が敷かれているみたいだね」
 王都を取り囲む導力センサーに反応しないギリギリの範囲外に陣取った遊撃士・親衛隊の連合軍は双眼鏡でグランセルの様子を確認する。
「王都の街は閑静としていますね。多数の王国軍兵士が黙々と巡回しているだけです」
「特務兵の姿は?」
「全く見かけません。あと、外にいる兵の数からして、城内にいる一般兵を全て投入したみたいです」
「なるほど、そういう戦略か」
 ユリアは顎先に手を当てて考える。情報部からしてみれば、一般兵など反乱予備軍みたいなもの。上手く親衛隊と共倒れれば良いし、日和見されたとしても不確定分子を城外に締め出せれば良いと考えた。
「ならば、上手く交渉すれば城外での不要な戦闘は避けられるかもしれんな」
「へへっ、中隊長殿、やはり女王宮に二台の移動式の大型導力砲が配備されてますぜ」
「無粋な真似を……」
 王家の聖域を汚す所業にユリアは憤ったが、敵が空からの襲撃を警戒するのは当然で、着地スペース的に飛行艇を留められるのは空中庭園しかないので、簡単に迎撃ポイントを絞られた。
「何とか導力砲の目をこちらに向けさせる必要がありますね」
 ジンたち二人と一匹は工作班、戦力の過半以上を集結されたこの場の連合軍も単なる陽動班に過ぎず。本命の救出班は王太子を含めた三人が鹵獲した特務飛行艇で行う手筈になっている。
 その電撃作戦を成功させるには敵の対空装備を掻い潜らねばならない。むろん、飛行艇にも武装はあるが、まさか女王宮にミサイルを撃ち込む訳にもいかないので、最悪撃墜すらありえる。
「そのあたりはあの娘も頭を悩ませていたが、殿下のお陰で成功率を高められそうだ」
 工作班が務めを果たせば、城門は内側から開かれて、再びカノーネの意表を突ける。そうなれば敵を城内に入れさせない為に慌てて導力砲を城門付近を狙えるポイントまで移動させる筈。
「へへっ、しかしまあ、中隊長殿は良く殿下を危険な救出作戦に参加するのを許しましたね」
「確かに、中尉なら最低でも自分が警護に就かない限り裁可しないと思いましたが」
 ユリアのクローゼへの過保護振りを熟知するリオンとルクスは疑問を呈したが、ユリアは軽く首を横に振る。
「周遊池で五十名の特務兵を打ち破った連合軍全兵が揃っていなければ今回の陽動は成功しないから、私がこちらに参戦するのに選択の余地はなかった。それに……」
 情報部のクーデターを完全に叩き潰さない限り、この王都に安全な避難場所など存在しない。ならば、いかな戦地といえども、最も頼りになる護衛がいる場所の方がまだ安心できる。
「頼りになる護衛って?」
「あの黒髪の娘だ。あやつは私よりも強いぞ。忌ま忌ましいことだがな」
 多少の口惜しさを込めながらもユリアは素直に双方の力量差を認め、副長二人は小首を傾げる。未だ頑なにヨシュアの名前を呼ばないことからして、二人の間の禍根が氷解したとも思えないが、いかなる心変わりか。
「言っておくが、認めたのは実力だけであって、あの人格を容認するつもりはない。ただ、エステル君が共にいる以上は、あの娘も羽目を外すことはないだろう」
 親衛隊中隊長の目からは純武力的にはエステルはまだまだ未熟な存在だが、明らかに腹黒義妹のストッパーとして機能している節が伺える。大事な救出班を未成年者だけで組ませたのは、その効果を期待してである。
「いずれにしても、今回の救出作戦はあくまで第二段階であって、まだ次が残っているからな」
「輝く環(オリオール)ですか?」
 ユリアはコクリと頷く。昨夜、陛下の救出作戦の詳細を練る前に、ヨシュアからアリシア女王と面会した際に仕入れた機密を公開された。
 七の至宝(セプト=テリオン)を復活させるのが情報部の最終目的であり、リシャール大佐は既に行動を起こしている。陛下を救出して情報部幹部を逮捕すればとりあえず幕が引けると信じていた一同は、この寝耳に水ともいうべき大風呂敷にドキモを抜かれ直ぐには消化しきれない。秘密主義のヨシュアは重要な情報を小出しにする悪癖があるが、王太子救出前がカミングアウトに相応しいタイミングとも思えず、ユリアも秘匿していた件を咎めなかった。
「しかし、オリオールなんて本当に実在するんですかね?」
「判らん。だが、リシャール大佐やカノーネはそう信じて、今回のクーデターを実行した。リベールを『救済』する為にな」
 ユリアも情報部が単なる私欲で反旗を翻したのでないのは弁えている。特に大佐が危惧するエレボニアのような周辺諸国への国防策の脆弱さには同調する部分もある。むろん、だからといって、その乱暴なやり方を許容するつもりはサラサラないが。
「へへっ、マジにセプト=テリオンが地下にあるのなら、噂に聞くクロスベルの列車砲を超える戦略級兵器の可能性も……」
「それ以上は言うな、ルクス。我々の職権を超える判断だし、陛下や王太子殿下もそのような邪物に縋るのを潔しとする御方ではない」
「了解です、中隊長どの」
 リオンとルクスは敬礼する。首尾よくアリシア女王の救出に成功したとして、今度は地下に消えた大佐を追いかけて、情報部の暴走を止める最終ミッションが残されている。そう簡単に陛下の六十歳の節目を飾る聖誕祭のグランドフィナーレは迎えられそうもない。
「ねえねえ、七の至宝とか良く分かんないけど、何か凄そうなお宝じゃん。もし手に入れられたら、幾らぐらいで売れるのかな?」
 金儲けの匂いを嗅ぎつけたエルフ耳の少女が目を$マークに変化させながら会話に割り込んできて、ユリアは煙たそうな表情をする。前回の周遊池の戦闘に参加しなかった唯一のイレギュラーがこの場にいるのは、戦線が膠着した時の切り札として重要な役割を果たしてもらう為だ。
 故に本来は怒鳴りつけたい所をユリアは堪えて、側に待機していたもう一枚の切り札のアネラスに守銭奴の対応を任せて、自身は最終調整を煮詰めることにした。

        ◇        

「一体どうしたんだ、ナイアル君? 三日振りに顔を出したと思ったら直ぐに出掛けるとか」
「ですから言ってるでしょう。歴史あるリベール通信開闢以来のどでかいスクープですよ」
 王都市内にあるリベール通信社ビル。慌ただしく入社してきたナイアルは説明もなしにカメラマンのドロシーを引っ張っていこうとしたので、編集長に問い質される。
「この王都で何かとてつもないヤマが起ころうとしているのは薄々察していたが、今は戒厳令で外に出られないぞ」
 その忠言にナイアルは詰まる。実際、このビルに入る前も兵士から職質を受けており、身分を証明する記者パスがなければ、不審人物として拘留されていた。絶対に町中を出歩かないよう厳重注意を受けていたが、ナイアルは首を横に振る。
「あの腹黒娘にさんざん飲まされた煮え湯を纏めて回収する日がとうとう訪れたんだ。フューリッツア賞は俺のものだ!」
(この大一番にリベールの命運が懸かっているのですよ。その歴史的瞬間に立ち会えるのなら、我が身の安泰ばかりを惜しんではいられませんよ)
「ナイアル先輩、物の見事に建前「音声」と本音(心の声)が裏返ってますよ」
 基本ボケ役の筈のドロシーの突っ込みに、編集長は大きな溜め息を漏らす。ナイアルはマフィアの事務所に潜入捜査した体験もあり、止めて聞くような人間でないのは彼が一番良く知っているので説得を諦める。
「流石に編集長は話が早い。さてグランセル全域を見渡せる最も見晴らしが良い場所は……」
「このビルの側にある時計塔じゃないですか、先輩? ロレントのを模倣したものですけど、こっちは首都にあるだけあってサイズが段違いですよ」
「それしかなさそうだな。問題はどうやって外の兵士を欺くかだが」
「ちょっと危険だが、時計塔までで良いなら手段はあるぞ」
 そう宣言すると編集長はフック付きのロープを見せる。確かに本社ビルと時計塔は直線距離にして10アージュ程なので、ロープクライミングの経験があれば渡れない距離ではないが。
「む、無理でーす、先輩。わたし、体力には自信が……」
「このスクープが成功したら、王都の飲食街で何でも好きな物を飲み食いさせてやる」
「はいです、先輩。死ぬ気で頑張られていただきます」
 あっさりと買収されたドロシーを引き連れて、ナイアルは二階のベランダからロープを時計塔の手すりに投げつける。上手い具合にフックが絡まって綱渡り用の即席のか細い橋を架ける。
 まずはナイアルが四肢をフルに使って尺取り虫のように進んで時計塔まで渡り切り、ドロシーも続く。華奢なドロシーは途中で危うく落ちかけそうになったが、何とか真下にいる王国兵に気づかれることなく、時計塔に移動できた。
「ううっ、掌が切れて血が滲んでいます。嫁入り前に傷物にされた気分です。ナイアル先輩、責任取ってくれますよね?」
「おら、時間がないからさっさと頂上に登り切るぞ、急げ、ドロシー」
「うー、つれないです、先輩」
 猫のように掌をペロペロ舐めていたドロシーは軽く惚気てみせたが、ヨシュア曰くのED中年は全く取り合ってくれなかったので、シュンとしながら後に続く。何時もは掻き回す側の天然トラブルメーカーが、今回は野望に燃える先輩記者に振り回され放しである。

「よし、頂上についた!」
 時計塔を取り巻く螺旋階段を登り切って、二人が見晴らしの良い展望台についた途端、後ろにある大時計が正午の鐘を鳴らす。至近距離から大音量を聞かされたドロシーは思わず耳を塞ぐ。
「先輩……」
「ああっ、今こそ天上の門が開く時。恐らくはリベールで最も長い一日の始まりだ」





[34189] 21―11:攪乱するグランセル(ⅩⅠ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/08/08 00:01
 大時計の正午の鐘の音を合図にして、三ヶ所に陣取った各班は一斉に行動を開始する。フライングで十分前に始動した工作班は城門の開閉装置の制御を奪うべく親衛隊詰所で特務兵と交戦し、周遊池を出発したクローゼの操縦する特務飛行艇は真っ直ぐに王都に急襲する。
「「「うおおおおお……!」」」
 遊撃士・親衛隊連合軍の陽動班は雄叫びを上げながら一団となってグランセルに乗り込んできた。このまま中央通りを突っ切って最短で王城に攻め入ろうとしたが、巡回していた王国軍兵士の大軍に遮られる。
「シュバルツ中尉、あなた達には逮捕状が出ています。大人しく投降……」
「それは本当にアリシア女王陛下の勅命か? お前たちは一度でも陛下のご尊顔を拝謁して直接命を賜ったことがあるのか?」
 ユリアの皮肉の籠もった質問に緑服の隊長は言葉に詰まる。情報部というかリシャール大佐が台頭したここ半年の間、女王の姿を直接見た者は一般兵にはいない。
「少しは身に覚えがあるようだな。ならば敢えて宣言しよう。リシャール大佐と情報部こそが陛下を幽閉した反逆者であり、我々親衛隊は女王陛下を救出する為に乗り込んできた」
 「その証拠がこれだ」とユリアはアリシア女王の玉璽が朱印されて依頼書を提示し、一般兵の間に動揺が広がる。もしユリアの言が事実なら、逆賊に手を貸しているのは自分たちの側になる。
「混乱する気持ちは分かる故、今すぐ加勢しろとまでは言わん。だが、この場は黙って通してはくれまいか? そうすれば、一時間と待たずに陛下が直接顔を出して真実を明らかにする筈だ」
 同じ王国軍同士の無益な争いを潔しとしないユリアは懐柔案を提示したが、隊長は悩みながらも武装解除する意思は示さない。
(やはり、後もう一押し弱いか)
 軍人であればいかな理不尽な指令でも上官からの命令には絶対服従。遊撃士のように個々の良心に任せて自由な裁量を許していたら組織が成り立たない。このあたりは完全に一長一短。非常時には遊撃士のフットワークの軽さに軍配があがるので軍隊の融通の効かなさはユリアも理解できるが、作戦は既にスタートしておりこれ以上のタイムロスは許されない。不本意ながら力ずくで押し通すべきかとユリアが鞘に手を伸ばしたかけた刹那、頼もしい援軍か現れた。
「ちょっと、あなた達。ユリア様の邪魔をするのは許さないわよ」
 此処彼処の家屋から凄い数の女性たちが現れて、瞬く間に一般兵を取り囲んだ。ユリア様ファン倶楽部の面々である。奥方達のこの行動は予定表になかったのでユリアも唖然としたが、(ヨシュアは単に告げなかっただけで、予見していた可能性もあるが)隊長はこのアクシデントに何かを見いだしたようで号令をかける。
「今は戒厳令が敷かれていて、一般人の外出は禁止されている。各兵は奥様たちを安全に家まで送り届けるように」
「「「「イエス・サー」」」」
 リベールにおいては、民間人の保護はあらゆる状況に優先される。戦闘を回避する口実を得た王国軍兵士たちはそれぞれ女性たちをエスコートして王都中に散らばっていく。
「感謝する」
 ユリアは双方に謝意を述べると、そのまま真っ直ぐに進軍する。これも親衛隊中隊長の人徳の成せる技か、連合軍は城外での消耗を最小限に食い止めるのに成功した。

「ふん、期待はしていなかったが、やはり日和見ったか」
 王城のバルコニーから戦況を把握した中隊長は鼻を鳴らしたが焦燥感はない。強固な城壁に固く城門が閉ざされている以上、攻城兵器でも持ち出さない限りビクともしないと高い位置から見下していたが、彼の余裕は長続きしなかった。
「中隊長殿。城門が勝手に開いております!」
 その部下の報告にギョッとした真下を見下ろすと、既に城門は完全に開ききって橋の手前まで連合軍は進軍している。
「王城は完全封鎖と命令して筈だぞ!」
「どうやって内部に進入したかは不明ですが、詰所がブレイサーに占拠されたみたいです。制御を取り返そうと交戦中ですが、山のような大男が立ち塞がっていて」
 ジン達工作班は役割を成功させたようで、タットが城門の開閉装置を操作している間、入口は『不動』の二つ名を持つA級遊撃士が通せんぼしている(ガウは出窓から外の様子を確認中)
「中隊長殿、あれは周遊池で我々を打ち破った敵の主力部隊です」
 周遊池の戦闘に参加していた若い特務兵がそう声を張り上げて、中隊長は選択を迫られる。敵の本命が飛行艇でない以上は虎の子の導力砲を遊ばせておく理由はない。
「直ぐに導力砲を城門を狙える位置まで移動させろ」
「待て、導力砲は動かさずにそのまま待機だ」
「ロランス隊長」
 今まで防御策を中隊長に丸投げしていた仮面の隊長がはじめて口を挟み、更に持論を展開する。
「城下に迫る連合軍は囮で、本命は間違いなく空から来る。だから動かす必要はなし」
 指揮権はあくまで上官のロランスにある。そう明言された以上は従うしかないが、それでも控えめに具申する。
「ですが、万が一にも城内に侵入されたら、今の兵数では手がまわらなくなる可能性も」
「私が指示した部隊配置は整っているか?」
「はい、既に玄関口でスタンバっています」
「なら、問題ない。離宮からの援軍が来るまでの時間稼ぎにはなるだろう」
 ロランスはそれだけの指示を伝えると再び指揮を中隊長に託して、自身は敵の最重要奪還対象を警護する為に女王宮に籠もる。
「ふふっ、中々に全てが思惑通りとはいかぬものだな」
 内から城門を開いて周遊池の主力部隊を陽動に使う所までは完璧に見抜いていたロランスだが、開閉装置を開くのはヨシュアの役割と決めつけていたが読み違えた。どれだけ詰所の兵を増やしても、ひと度、漆黒の牙がスイッチを入れたら徒に犠牲が増すだけなので、その可能性を誰にも伝えずに放置していたが今回はその配慮が裏目に出た。
「ヨシュアの隠密能力抜きで一般人がどうやって城内に忍び込んだのやら。王太子経由で秘密の抜け穴でも使ったと考えるのが妥当か」
 腹黒参謀に匹敵する洞察力で真相を突き止めるが、彼にしてみれば単なる後出しジャンケンに過ぎず。予測は現象が発生する前に立てて、現実の成果に流用できなければ意味がない。
「我らが盟主のように面白いように予言を的中させて色々と楽をしてきたようだが、ここから先は少しは苦労してもらうぞ、ヨシュア」
 義妹分の不精癖を承知しているロランスはそう嘯くと、女王宮内の自称次期国王陛下と執事に挨拶して現国王の私室の扉を開けた。

        ◇        

「直下は激戦なのに俺たちこんな所で油を売っていていいのか……って、あれは?」
 空中庭園に残された兵達は上官の進言に半信半疑だったが、ほどなくロランスが正しかったのを認識する。西側の大空から街壁の遥か頭上を超えて飛行艇が接近してきた。

「見えてきたぞ、アレが女王宮だな」
 飛行艇の操縦席では操縦桿を握るクローゼの両脇をブライト兄妹が固めている。空高くから巨大な王都の街をミニチュア模型のように見下ろす様は中々に壮観だが、その景色を堪能する余裕はない。
「このまま空中庭園に乗り入れて……って、ヨシュアさん?」
 庭園がキラリと光ったのを認識した刹那、ヨシュアは説明抜きでクローゼの掌越しに操縦桿を右にずらす。飛行艇は右に大きく傾き、同時に二人はヨシュアの意図を理解する。コンマ数秒の差でさっきまで飛行艇が直進していた航路に爆発が起こり、大きな花を咲かせる。
「助かりました、ヨシュアさん」
「今のは対空用の大型導力砲か? おいおい、庭園から撤去されるんじゃなかったのかよ、ヨシュア?」
「妙ねえ。カノーネ大尉のマニュアル対応なら、慌てて導力砲を玄関口に移動させる筈なんだけど、もしかすると指揮官が変わったのかも」
 三者が問答している間に、二台あるもう一つの導力砲が火を吹く。今度は警戒していたクローゼは進路をずらして辛うじて被弾を免れるも、導力砲の射程範囲外まで距離を稼がざるを得ない。
「くっ、どうすりゃいいんだよ?」
 大きく旋回して再び空中庭園を伺うも、着地ポイントに導力砲を配備した敵は虎視眈々と待ち構えている。王都に来てはじめてヨシュアが作戦の裏を取られて事態が膠着する。

        ◇        

「まさか導力砲をそのままにされるとは。カノーネを少し甘く見すぎたか?」
 上空で飛行艇が狩りの獲物のように追い回される姿をユリアは歯ぎしりしながら見上げる。もし乗員がヨシュア一人なら撃墜されても眉一つ動かさなかっただろうが、彼女の愛弟も同乗しており表情が焦りに歪む。
「へへっ、奴ら派手にバンバン撃ち捲くってるけど、アレに王太子殿下が搭乗してるって判っているんすかね?」
「いや、やっと救出した王族をこんな危険な特攻に借り出すとは敵さんも思わないでしょう」
「仮に殿下の存在を認識したとしても迎撃するしか道はあるまい。情報部に退路はないのだからな」
 部下の問題提起にユリアは平静さを取り戻すと、今一度戦況を確認する。導力砲の誘導に失敗したのは誤算だが、裏を返せば陽動班が爆撃されることはない。ならば、このまま王城に突入して空中庭園に乗り込み、導力砲を管理する特務兵を斬り捨てれば良い。
「全軍突撃。グラッツ殿、先駆けを頼みます」
「了解、任しておけ」
 この狭い橋上での防扉戦で敵がどのような防御策を取るか読んでいたユリアは申し訳なさそうにグラッツに斬り込み役を依頼し、タンク役の正遊撃士を先頭に縦一列になって進軍する。
「やはり、そうきたか」
 開閉装置を抑えられて大きく口を開いた門扉に五人の特務兵が横一列に並びながらマシンガンを構える。こちら側としては地形の特性上、敢えて虎口に真っ直ぐに飛び込まざるを得ず、大量の薬莢を吐き出しながら実弾が牙を剥く。
「へへっ、無駄よ、無駄」
 グラッツが背中に背負った重装甲防弾盾を翳して散弾をシャットアウト。激しい銃音と共にしばらく銃撃のシャワーが降り続いたが、やがてマガジンの中身を撃ち尽くして雨が止む。
「よし、今だ!」
 血気に逸った隊員二名が敵にカートリッジ換装の隙を与えないようにグラッツの後背から飛び出したが、次の瞬間、有り得ない第二射の銃撃の雨が降り注いで二人を蜂の巣にする。
「ぐわわああ!」
「アベルト、ハーレクイン!」
 防弾チョッキを纏っていたので即死は免れたが、生身で実弾を大量に食らって無傷でいられる筈もない。血溜まりに倒れ込んだ隊員二人を必死に大盾の影まで引っ張って、銃弾のスコールをやり過ごす。
「大丈夫です、命に別状はありませんが直ぐに手当てしないと」
「カルナ、二人を戦闘範囲外まで連れていってやってくれ」
「エコー、お前も付き添ってやれ」
「分かったよ、クルツさん」「了解しました、ユリア中尉」
 両軍リーダーの命令に各軍で戦闘力に劣る乙女ペアが臨時の介護班になる。銃撃の範囲内に身を乗り出さないように気をつけながら、二人三脚のように負傷者に肩を貸して後退する。
 負傷兵をその場で守る余力はないとはいえ、これで4人もの貴重な戦力が戦線離脱。残りは後10人。
「なるほど、そういう策か」
 一向に途切れる気配を見せない銃撃の雨嵐を訝しんだユリアは、玄関広間の様子を確認して諒解する。
 特務兵は五人一組で三列に陣を組んでいる。先頭の組が銃弾を撃ち尽くしたら、即座に二列目にバトンタッチ。二列目が終わったら、今度は三列目。その間に一列目はカートリッジを交換して三列目の背後に並ぶ。以下のようなルーチンで無限循環を繰り返す。
「まだ火縄銃が主流の時代に、第六天魔王と畏怖された伝説の武将が無敵と謳われた騎馬隊を打ち破った戦術か」
 部隊運用としては真に単純。特に巧緻な集団戦術という訳ではないが、このように攻め手が著しく限定される橋上の防衛戦では効果は絶大。
「とはいえ、いくら何でも根回しが早すぎる」
 敵陣の一糸乱れぬ統率といい、とても即席で防御陣を敷いたとは思えない。ならばカノーネは城門を破られるのを予め予見していたということか?
 幸い対銃弾防御に特化したタンクがいるので辛うじて凌げているが、それ以上は進軍すること叶わずに、連合軍は橋の中央付近で足止めされる。

        ◇        

「うひょおー! 対空戦闘に原始的な攻城戦ときたもんだ。ドロシー、1枚も取り逃すんじゃねえぞ」
「アイアイサー」
 情報部、連合軍がお互いの存亡を賭けて凌ぎを削っている中、30アージュの高さを誇る時計塔頂上からその名の通りに高見の見物を気取っているジャーナリスト二名は興奮の坩堝に包まれる。
「ドロシー、戦闘シーンだけでなく、街の各所の風景も一緒に撮影しておけ」
「了解です、先輩……って、アレ?」
 先輩記者の催促にドロシーは身体を時計回りに回転させながら、流れるようにシャッターを切り続けたが、ちょうど180°反転した所で動作を停止させる。
「どうした、ドロシー。何か面白い対象物でもあったか?」
「はい、先輩。沢山の兵隊さんが凄い勢いで王都に接近中です」
「何だと?」
 「これは絵になります」とパシャパシャと写真を撮り続けるドロシーの手からカメラを引っ手繰ると、望遠レンズで確認する。確かに百名以上の特務兵がセントハイム方向から進軍中。
「おいおい、予定より早すぎるだろ。どうなってやがるんだ?」
 このペースだと王都に辿り着くまで5分とかからないが、城攻めに夢中の親衛隊は全く気がついておらず、このままでは10倍の兵力にバックアタックを食らう形になる。
「何とか知らせないと……おーい!!」
 得意の金切り声で叫んでみたが、距離がありすぎて届かない。今から時計塔を降りて直接伝言するにも時間がなさすぎる。
「どうすれば……っ、そうだ。ドロシー。ストロボも持ってきているか?」
「一応ありますけど、今は真っ昼間ですからこの光量ならフラッシュを焚く必要はないですよ、先輩」
「いいから、よこせ!」
 ナイアルはスピードライトをカメラに取り付けると、チカチカと一定のタイミングでライトを光らせる。「誰でもいいから早く気づけよ」と祈るようにメッセージを送り続けた。

        ◇        

「何だ、あれは?」
 隊員の一人が眩しさに振り返ると、時計塔の大時計がまるで灯台のように点滅している。
「リベール通信の記者か。ポップコーン片手に戦争映画を鑑賞とは良いご身分だぜ」
「いや、待て。これは……モールス信号だ」
「何々、えーと……テ・キ・ノ・タ・イ・グ・ン・ガ・オ・ウ・ト・ニ・セ・ッ・キ・ン…………敵の大軍が王都に接近…………マジかよ!?」
 ナイアルの暗号を解読した隊員が大声を張り上げて、皆は後方を振り返る。まだ視認できる距離ではないが王都の入り口に土煙が舞っており、確かに軍勢が近づいてきている。
「ちょっと、どうなってるのよ? もしかしてブラッキーの奴、ヘマしたとか?」
「いや、完全に失敗したならもっと早くに辿り着いていた筈。だが、想定した時間よりも早く敵が自由を取り戻したということだろう」
「だとして、何で何の連絡も寄こさないのよ? あの馬鹿、いい加減な仕事しやがって。どうせ全てが終わってからノコノコと顔出しするつもりなんでしょうけど、後でギッタギッタのパーにしてやる!」
 ちゃらんぽらん男の習性を知り尽くしているメイルは鉄拳制裁を決意したが、指揮官のユリアは責任追及よりも先に目の前の現実に対処しなければならない。前門のマシンガン、後門の二個中隊にサンドイッチされたら為す術はない。敵援軍が王都に入る前に城内進出を果たさなければ。
「やむを得ん、これより強行手段を取る。アネラス殿、メイル殿。準備してくれ」
「待ってました」「まっ、仲間のミスはリーダーが尻拭いしないとね」
 実弾相手にリスクが高すぎるので、出来れば最後まで封印したかったカードをユリアは切る。心苦しそうな中隊長に二枚の切り札の少女は快諾すると、盾を翳して銃弾を弾き続けるグラッツの背後にピタリとつく。
「風化陣!」
 アネラスはブーストクラフトを唱えると、軽装の鎧を全てキャストオフして防御を犠牲に攻撃力と機動性を高める。更に迷うことなく命綱の防弾チョッキまで脱ぎ捨てた。
「アネラス君」
「中途半端な真似は命取りですから。後、これを預かっておいてください」
 心配そうに見下ろすクルツに恒例のフレンドリーな笑顔で微笑むと、正遊撃士昇格祝いに授かった虎の子の青龍刀を元の持ち主に返却する。折角STRをアップさせても、武器を手放してしまっては如何ともし難い筈だが、どうするのか。
「なるほど、こりゃ、あたしも腹を括るしかなさそうね」
 アネラスの覚悟に感化されたメイルは柄にもなくヒットアップすると、自分も肩当てと防弾チョッキを外して白のレオタード一丁になるが、こちらは愛用のロングソードを掴んだままで剣を地面に突き刺す。
「グラッツさん、この距離だと届きそうにないので、もう少しだけ近寄れませんか?」
「おお、任せておけ」
 激しい銃弾のプレッシャーに身を晒されながら、グラッツは盾を全面に押し出してジリジリと前進するが、着弾距離が縮まる程に銃撃の威力も増す。既にEPタンクは空っぽでアースガード効果も尽きており、流石の重装甲防弾盾も耐久度を超えて此処彼処に罅が入る。
「頼むから後もう少しだけ持ち堪えてくれよ」
 盾がボロボロになりながらも祈るように前進を続けて、敵の最前列が銃弾を撃ち尽くした時に辛うじてアネラスが満足する射程距離まで辿り着けた。
「行くよ、メイルちゃん」「合点承知の助!」
 シャワーが止んだ僅かなタイムラグを見計らって、剣を構えたメイルと無手のアネラスがグラッツの背中から飛び出し捨て身の特攻を仕掛ける。
「馬鹿が、蜂の巣にしてやんよー!」
 第一陣が後方に退き、準備万端で待ち構えていた第二陣が即座にマシンガンを構える。軽装で俊敏性を高めた二人の少女は特務兵との距離をグングン詰めるが、それでもまだ10アージュ近い間があり確実に餌食になると思われたが、突然アネラスは橋の上から身を投げた。
「何だ? 一緒に突撃した仲間を見捨てて、一人だけ逃げ出したのか?」
「はあーい、独楽舞踊! 私と共に沈みましょう」
 水上でアネラスがそう呟くと、五人の特務兵はアネラスを取り囲むように瞬間移動。彼女と一緒にヴァレリア湖に繋がる川底にドボンと落下した。
「ば、馬鹿な、何が起こった?」
 目の前の第二陣がアネラスに無理心中させられて、泡を食った第三陣の前にエルフ耳の少女が突っ込んでくる姿を目に入った。
「いくわよ、ポップルストリーム!」
「迎撃しろ!」
「まだ換装が完全には……」
「構わぬ、撃て!」
 最速を誇るレアな直線貫通型Sクラフトで突進するメイルに特務兵は銃弾を浴びせる。無防備のメイルは頬や肩などに被弾して手傷を負うが、突進スピードを緩めずに第三陣に体当たりを敢行。纏めて敵を吹き飛ばした。
「今だ、全軍突撃!」
 敵の陣形が完全に乱れた隙を逃さずに、そのまま連合軍は入り口に斬り込む。まだ換装の準備すらできていない第一陣に踊りかかって混戦状態に持ち込む。

        ◇        

「けほっ、ごぼっ、何とか上手くいったみたいね」
 立ち泳ぎで水中に浮かびながら、玄関口の様子を確認したアネラスはピューっと水を吹きながら、安堵の溜め息を吐く。橋上にドカドカと援軍が殺到する足跡が聞こえたが、さっきとは逆に今度は城門が閉じられつつある。ガウの監視で仲間が全員城内に入ったのを確認したタットが開閉装置を動かしたようで、タッチの差で城門は完全に閉ざされて敵の増援部隊は城外に取り残された。
「私もさっさと逃げないとね」
 アネラスの周囲では入水自殺に巻き込まれた特務兵が溺れている。彼らはカナヅチではないが、鎖帷子の防具に10kg以上の重さの機関銃をハーネスで身体に括りつけており、そのデッドウェイトが水中での活動を妨げる。逆にアネラスは装備一式を脱ぎ捨てて身軽なので人魚のようにスイスイと敵の合間をすり抜けたが、特務兵の一人にスカートを引っ張られた。
「ごぼごぼ、に、逃がすか、このアマ」
「きゃー、ちょっと、どこ掴んでのよ? 離してよ、このエッチ! スケベ!」
 赤面したアネラスは、ドガガガガと特務兵の顔にマシンガンキックを叩き込んで、クイックターンの勢いを利用してそのまま水中に潜る。敵の拘束を抜け出る時にスポッと何かが脱げる感触がして水中抵抗が減ったような気がしたが、特に意識することなくバタ足潜水でそのままトンズラした。
 城から締め出された特務兵たちは橋上に放置されている半壊した大盾に八つ当たり気味の蹴りを入れていたが、橋下で仲間が水死しかけているのに気づいて慌ててロープを垂らして救助する。掬いあげた特務兵の一人はなぜか真紅のミニスカートを左手に握り締めていた。

        ◇        

「へへっ、何とか城内に逃げ込めましたね」
 玄関ホールにいた特務兵は全て片づけて、城外にいる百を超える援軍は分厚い三枚重ねの城門に遮られているので、親衛隊はようやく一息つけた。
「済まぬ、私は少々君たちのことを誤解していたようだ」
 身の危険も厭わずに身体を張って突破口を切り拓いてくれた傷だらけの女戦士にユリアは頭を下げる。エルフ耳の少女は「同情するならミラをくれ」と呟いており、まだ余裕がありそうだ。
「グラッツ氏もあの盾を破棄してきたのか。一品物だろうに申し訳ないことをした」
「気にするな、隊長さん。流石の俺もあの重盾を担いだままじゃ敵に追いつかれただろうからな」
 自分と仲間の身を何度も守護してくれた愛盾に愛着が沸かない筈はないが、「釣公師団の第二柱にまた造ってもらうさ」とグラッツは笑顔で軽口を叩き、ユリアも笑みを返すが、ふと彼らのリーダーの不在に気がついた。
「そういえばクルツ氏の姿がないな」
「ああ、クルツの旦那なら、「弟子を迎えに行く」といって城に入らずに離脱したよ」
「そうか」
 彼としては単身、敵中に置き去りにされたアネラスの身の上が心配なのだろう。周遊池での戦闘の奇跡の勝利の立役者である方術使いにリタイアされるのは痛いが、今は現状いるメンバーだけで活動を続けるしかない。
「皆、疲れているとは思うが、これより殿下の助太刀に……」
「へへっ、中隊長殿、そう簡単には行かせてくれそうもないですぜ」
「そのようだな」
 玄関ホールの吹き抜けの二階部分から、敵の中隊長に率いられた20名前後の特務兵が階段を下ってきた。城内に残っている情報部の最後の主力部隊と思われる。
「グラッツ殿、メイル殿を頼む。ここは王室親衛隊が引き受ける」
 グランセル遊撃士チーム最後の生き残りに同業者の護衛を任せると、ユリアを含めた6人の親衛隊員は特務兵の集団と真っ向から渡り合う。城内の覇権を賭けた情報部と親衛隊の最後の闘争が始まった。

        ◇        

「ううっ、寒いよー。やっぱり、この季節に寒中水泳は堪えるよー」
 ひたすら川底を潜水してヴァレリア湖の一部を通過して、何とか湾岸区の防波堤に辿り着いたアネラスはガチガチと歯を鳴らしながら、必死に水場から岸に上がろうとする。
「早く身体を乾かさないと風邪引いちゃう…………わわわっ!」
 藻に足を滑らしたアネラスは真っ逆様に湖に落ちそうになるが、その手を何者かが掴んだ。
「危険な任務ご苦労だったな、アネラス君」
「クルツさん!」
 黄色いリボンをした童顔の少女はパッと表情を輝かせると、引き上げられる儘に一気に水中から飛び出して胸元に飛び込んだ。
「す、すいません」
「いや、それよりも、その格好は目に毒だから早めに着替えた方がいい」
 全身びしょ濡れで衣服が素肌にピッチリ張りついているのに気づいたアネラスは軽く頬を染めるが、同時に少しばかり顔をニヤけさせる。これは何時も自分をお子様扱いしていた師匠が弟子に色気を感じたということなのか?
「えへへ、浄眼持ちのA級遊撃士も私のセクシーな姿に時めいちゃいましたか?」
 アネラスはそう惚気てみせたが、クルツは無言のまま指先を下半身に向け、釣られるように視線を下げたアネラスの表情が青ざめる。妙に水の抵抗が少ないと思ったら、特務兵にスカートを脱がされたらしくパンツ一丁でピンク色の熊さんパンツが水に濡れてヤバイ具合に透けている。
「きゃあああー、むぐ!?」
 悲鳴を上げようとしたアネラスの口をクルツは遮る。王都はまだ敵の勢力下にあるので注目を集めるような真似はしない方が良く、アネラスはコクコクと頷く。
「途中で寄り道してきたグランセル大聖堂でシスター衣装を借りてきたから着替えると……!」
 何かがチカチカと光ったのを勘づいたクルツはグランセルの方角を振り返る。例の時計塔の頂上でフラッシュが炊かれており、こちらを撮影しているものと思われる。
「パパラッチか。不埒な真似を」
 モールス信号の時は助かったが、リベール通信の記者はハイエナの如き嗅覚でシャッターチャンスは逃さない性質らしい。リベール救済記事の一面に弟子のあられもない姿が掲載されるのを不憫に思ったクルツはマントを翳してアネラスの姿を遮り、その隙に着替えさせる。
「それと忘れ物だ」
 シスター服に衣替えしたアネラスに預かっていた青龍刀を渡すと、少女は本当に嬉しそうに微笑んだ。この二人には男女の生臭い話はまだ無縁のようだ。
「クルツさん、これから私たちはどうしたら良いのでしょうか?」
「敵に発見されないように下水道経由で遊撃士協会(ギルド)に戻って、カルナと合流しよう。グラッツは城に残っているとはいえ、我々の役目はほぼ終わっているがね」
「マスター、それはどういう意味でしょうか?」
 その弟子の質問に師匠は軽く左目を抑えると、唱道のように囁いた。

「私の浄眼には見えるのだよ。空の神(エイドス)に選ばれた8人の導かれし者がリベールの暗雲を振り払う姿がね」




[34189] 21―12:攪乱するグランセル(ⅩⅡ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/08/22 00:01
 親衛隊が入城したのと時を同じくして、城上の空中戦も決着がついた。ミサイルによる迎撃案を頑なにクローゼから却下されたヨシュアは、仕方なしに後部ハッチを開けて自ら露払い役を努める。指揮官変更のアクシデントがあったとはいえ、敵の防御策を読み違えたのは事実。怠惰な参謀も失策の尻拭いをせねばならず、超過勤務も止むなしといった所。また一部から「最初からヨシュア一人いれば」という愚痴が寄せられそうな無双展開に突入だが、有能な怠け者に苦労させる仮面男の密やかな企みは実った。
 結果、そのロランス隊長の倍以上の高さから飛び下りたヨシュアは、庭園の柱にロープを絡めて落下の運動力を縦から横に変化させると、その勢いを維持したままドロップキックを特務兵に見舞って二人纏めてノックアウト。安全を確保した特務飛行艇は悠々と空中庭園に不時着した。

「少しばかりタイムスケジュールが遅れたが、何とか女王宮に辿り着いたな」
 ヨシュアが双剣をしまったのとは逆に、エステルとクローゼは各々の得物を展開し次の戦闘に備える。エステルは愛用の物干し竿の他にクローゼの予備のレイピアを脇尺に差しているが、いかなる意図があるのだろうか? まさか学祭劇の紅騎士ユリウスさながらに、武具を棍から剣に変更する為とも思えないが。
「予定といえば、何で離宮からの援軍が既に城門前に殺到しているのでしょうか? まだオネンネしている時間の筈ですよね?」
 城下を覗き込んだ蒼騎士オスカーは特務兵の大軍を薄ら寒そうに見つめる。さっきまで攻略に手子摺った城門が今度は頼もしい防壁となって情報部の侵攻を食い止めとは皮肉な話だ。
「離宮で何かアクシデントが発生した以上のことは現状では分からないわね。とにかく私たちは自分の任務に集中しましょう」
 白の姫が思考停止を促したので、二人の騎士は意識を女王宮に向ける。親衛隊が城内にいるのは確かだが、先程までバルコニーで戦況を見守っていた敵の中隊長は部下を率いて姿を消している。敵が本腰を入れて迎撃に出向いた以上はユリア達も簡単には突破できそうもなく、当初の予定通りにこの場にいるメンバーでアリシア女王を救出するしかない。
 そう決意した学際トリオは女王宮の玄関口に向かう。以前、カリンのパンチラに惑わされた見張り役の特務兵はなぜか不在。遠慮なく通してもらったが、クローゼはアリシア女王よりも先に因縁の親族と決着をつけねばならなかった。

        ◇        

「反逆者どもが、ノコノコと現れよったな。私をリベールの新たな国主と知っての狼藉か?」
 オカッパ頭の独創的な髪形をした自称次期国王が護衛の奥に身を隠しながらキャンキャン喚いている。私用で公爵に呼び出された銃撃型の見張り番2名の他にも4人の近接鍵爪タイプに大斧を構えた重装特務兵の計7名が公爵を守護するように立ち塞がる。
(ちっ、数を多い上に厄介なのが一匹混じっているな)
 エルベ離宮での苦戦を思い出したエステルは軽く舌打ちする。むろん、対集団戦闘の権化である漆黒の牙がその気なら物の数ではないのだろうが、少女は先のコードレスバンジージャンプで自分の勤労分を果たしたと信じきっているようで、得物に手をかける素振りさえ見せずに微睡んでいる。
「おやっ? お前たちは例の遊撃士兄妹ではないか? それとそこにいるのは……ク……クローディアルか!?」
「叔父さん、お久しぶりです。できればこんな形で再会したくはなかったので残念です」
 制服姿のクローゼは恭しく頭を下げる。見慣れたオールバックの髪形でなかったので幾分時間はかかったが、エステルよりも早いタイムで正体を見破る。更に王子服でなくジェニスブレザーを纏った今の学生姿と結びつけて、兄妹とは学園祭の頃から連るんでいた真相まで看破した。
「そんなに早い段階からクローディアルと繋がっておったとは。はっ? まさか、お前らが私に近づいてきたのは私を追い落とす機会を伺っていた為か?」
「被害妄想も甚だしいおっさんだな。あんたが騒動を巻き起こすから俺達が火消しに駆けつけているだけじゃねえか。今回の件も含めてさ」
「無礼な。そもそも其方は私の即位を支持していたのではなかったのか?」
「んっー?」
 学祭の寿司模擬店での過剰な接待振りを思い出した公爵がヨシュアを指さし、ご指名を受けた少女は左頬に人指し指を突き刺しながら顔を45°に傾ける可愛らしいポーズで思案する。
「そんな蜜月もあったかしらね。ルーアンで出会った頃の公爵様は飛ぶ鳥も落とす勢いで、新国王候補の最右翼だったからね」
 マーシア孤児院の再建費用を全額負担して、リベール一の伊達男と紹介され拍手喝采を浴びていた当時のデュナン公爵は確かに光り輝いていた。
「けど、おじさん、今では落ち目の反逆者でしょ? アリシア女王にクローディアル殿下を後継者に任命されて焦る気持ちは分かるけど、その一発逆転を狙ったクーデターも鎮圧間近だしね」
 まさに諸行無常の響きあり。次期国王レースには再びクローゼが台頭し、落魄れた公爵はあっさりと見限られる。そう、ヨシュアは決して過去を振り返らずに未来に生きる強かな女なのだ。
「泥船にしがみつく趣味はないし、きっちり財産移し替えて勝ち舟に乗り換えさせてもらうわよ」
「ヨ、ヨシュアさん。胸が当たって……」
 ヨシュアはこれ見よがしに勝馬プリンスの左腕に自らの両腕を絡めて、その豊満の乳房を押しつけて媚を売り、少女の魔性を知り尽くしているクローゼもその蠱惑に抗えずに逆上せ上がる。
 大鴨に様々な先行投資を叩いてきた腹黒娘としては公爵から吸い上げたミラの額には不満が残るが、(百万ミラも貢がせたのに!)満足するまで深入りして破滅に巻き込まれては採算が取れないのでかっきり損切りするつもり。
 そのヨシュアが方々で知恵と力を絞って公爵の地盤を切り崩さなければ、今回のクーデターもある程度の所まで成功しそうだった件はとりあえず置いておくとして。
「これだから女という生き物は信用ならんのだ。小狡くて移り気で一途な男をぼろ雑巾のように平気で使い捨てて、直ぐに他の色男に色目を……うわあああっ!」
 何かトラウマスイッチにでも触れたのか、公爵は涙目になってジタバタと取り乱す。ミューズ(美の女神)の寵愛を受けたアウスレーゼ一族の遺伝子を受け継いでいるとは思えないブサ中年の恋愛歴は推し量って然るべき。クローゼが身分を隠した学生生活でモテライフをエンジョイしていたように、『ただし、イケメンに限る』という世の不文律には王族の権力と財力を以てしても抗えなかった模様。
「「「こ、公爵閣下、お察しします」」」
 鬼の目にも涙というべきか。デュナンのあまりの惨めな凋落振りに任務の為に心を修羅にした特務兵の瞳からも滴が零れ落ち、その同情心はエステル達にも伝染したが。
「ふわあああー、この茶番劇は何時まで続くのかしら?」
 肝心のヨシュアは人指し指で左耳をほじくったまま、実に無感動な瞳で大きな欠伸を噛み殺す。喪男の魂の慟哭もこの手の修羅場馴れしているプレイガールの鉄の心には何一つ響かないようで、敵味方に別れた男衆は誰がこの場で一番のワルなのか見解を等しくした。

「この売女(ビッチ)めが。お前たち、この不敬な小娘を私の前に引っ立てろ。爵位でも階級でもミラでも褒美は思いのままじゃぞ。雌犬に首輪をつけて私の靴を舐めさせて性奴隷に仕立てて、誰がこの国の主人なのかその身体に刻み込んでやる」
 涙を拭いた公爵は、どっちが不埒か分からない薄い本一直線の命令を下したが、味方の物欲を煽る効果はあったようで、特務兵は全員攻防力(STR&DEF)を大幅にアップさせる。
 逆にエステルとクローゼは表情を引き攣らせる。ヨシュアの身を案じているのではなく、むしろその逆。さっきまでバトルを殿方二人に丸投げしようとしていた不精者が復讐者(アヴェンジャー)を展開してやる気を漲らせる。ヨシュアは表面上ニコニコ微笑んでいるが、公爵は雌虎の尾を踏み潰してしまった。
「これで終わりよ」
 相変わらず戦闘を問題解決の一手段としか認識しない合理主義者は、外連味なくいきなり全体Sクラフト『漆黒の牙』を発動。特務兵6人をあっさり打ち倒すが、ブーストした成果はあったようで、筋力アップした最後の重装特務兵は大鎧を罅割れさせながらもヨシュアの剣撃に耐えきった。
「でかした、そのまま抑えつけろ」
 公爵は喜色をあげる。Sクラフト後の硬直時間を利して巨漢の特務兵はヨシュアを捕まえようとしたが、次の瞬間、ヨシュアは敵の羽交締めを逃れて頭上に大きくジャンプ。そのままクルクルと回転して単体Sクラフト『断骨剣』の態勢に入る。
「ぐはっ!」
 技を尊ぶヨシュアきってのパワー技。二つの刃がガードしようとした重斧をあっさりと両断。そのまま重鎧を砕いて戦闘不能にする。
「何ですか、今のは? 異なる二つのSクフラトを連続で発動させたような」
「ヨシュアの裏技だよ、クローゼ。人間相手に漆黒の牙を撃つときは基本的に手加減してるから、実はCPを半分(100)しか使っていないんだよ」
 CPがマックス(200)の時限定だが、Sクフラトに行使する闘気をきっちり100ずつに切り分けることによって、全体&単体Sクラフトを連チャンさせる。
「そんな神業が可能なのですか?」
「次行動が極端に早くて、Sクラフト後の待機時間がゼロ(※通常は最短でも5サイクル程)のヨシュアならではの芸当だな。流石に割り込みじゃ無理らしいけどな」

 男二人が呑気に雑談に興じる中、ヨシュアはゆったりとデュナンに歩を進める。今ので体内の闘気タンクは空っぽになってしまったが、馬鹿公爵を折檻するのに態々クラフトなど必要ない。
「さてと、首輪をつけて性奴(スレイブ)として飼い馴らしてくれるそうね? 私、強引なプレイも嫌いじゃないから実に楽しみだわ」
 顔は笑っていたが琥珀色の瞳はちっとも笑っておらず、威嚇するように双剣をクルクルと回転させる。デュナンはひたすら後退したが、直ぐに背が壁にぶつかってしまい逃げ場を失う。
「けど、当然、調教中に野生狼に喉笛を食い千切られるリスクは承知の上よね?」
「ひっ、寄るな、寄るなー。フィリップー、助けてくれー」
「公爵閣下!」
 そのデュナンの悲鳴に職務に忠実な執事がすっ飛んできた。漆黒の牙としては最も苦手なタイマン特化型の理(ことわり)の術者と対面したが、フィリップは力で抵抗するつもりはないらしく、公爵を庇うように身体を割り込ませるとひたすら頭を下げる。
「ヨシュア様、女性を侮蔑した我が主の非礼の数々、面目次第もございません。全ては陛下をお育てしたわたくしの不徳の致す所なので、これ以上の罰はわたくしにお与えください」
 ヨシュアは冷やかな視線で銀髪の執事の後頭部を見下ろす。チラリとエステルとクローゼに目配せすると冷然たる事実を突きつける。
「フィリップさん、私への暴言はあなたに免じて水に流してあげるけど、公爵さんが仕出かした謀叛については話が別よ。まさかとは思うけど、一介の執事に過ぎないあなたの土下座に、この国のクーデター騒ぎをチャラにするだけの重みがあると自惚れているのかしら?」
「い、いえ、決して、そのような思い上がりは……」
「そうよね、頭を下げてどうにかなる段階はとっくに過ぎている。貴方が本気で公爵さんの断頭台送りを阻止しようと思ったら、力で以て無法を最後まで押し通すしか道がない」
 ヨシュアはエステルの脇尺からレイピアを引き抜いて、フィリップの目の前に放り投げる。主を守る為に剣を捨てた老兵に再び剣を取れと示唆した。
「あなたと公爵さんが今の事態をどれほど楽観的に考えていたかは知らないけど、デュナン公爵がやらかしたのは、王を殺して地位を奪う。そう文字通りの弑逆。いかに陛下が寛大でも、自分と孫の身命を脅かされたとあっては極刑にするより道はない」
 実際のアリシア女王がどう判断するかはともかく、謀叛人に対する一般的な君主の対応としてはヨシュアの主張は至極真っ当なので、フィリップはぐうの音もでない。
「公爵さんを救う道は唯一つ。この場で私たちとクローゼの首を撥ねて、更には女王陛下の口を塞いで謀叛の事実を知る証人をことごとく消し去るのみ。さあ、たとえ血みどろの簒奪でもデュナン公爵を最高位に就けることがリベールの未来に繋がると信じるのなら、今すぐこの場で私たちを討ちなさい」
 ヨシュアは故意に問題を拡大させて、公爵と執事を袋小路に追い詰めて退路を絶つ。デュナンもここにきてようやく事態の深刻さを悟ったようで、「私はそんなつもりじゃ……」と顔面蒼白になってブツブツ呟く。まあ、実際には軍事クーデターというのはそこまでの大事の筈なので、ヨシュア以外の周囲のお人好しの反応が温過ぎるのかもしれないが。

 謀反人として潔く共に散るか? それとも、クーデターを成功させて簒奪を革命へと歴史書に書き記すのか? フィリップの前には二つの道が岐れていたが、クローゼの姿を細い瞳に映し出した老執事は目の前の剣を掴むことなく首を横に振る。
「できません。私は王宮の務め人ゆえ、王太子殿下に刃を向けることは叶いません」
「フィ、フィリップー」
 デュナンは再び泣きそうな情けない面を晒す。その発言は自分を守らないという職務放棄にも等しいからだが、さしもの馬鹿公爵も己の立場のヤバさを自覚し始めたようで、「ならば遊撃士兄妹だけでも力ずくで排除しろ」とは命じなかった。
「なるほど、王族には手出しできないときましたか」
 無論、デュナンが本気で祖母孫を害するつもりがないのはヨシュアも承知している筈だが、なぜか妙に粘着質に絡んでくる。
「では質問を変えましょうか、フィリップさん。それなら守護すべき王族を破滅に導こうとしたリシャール大佐を、どうして貴方の手で討たなかったのですか?」
 ヨシュアは追求の手を緩めずに、今度は別角度から攻めてみる。そもそもの諸悪の根源の芽を未然に詰む機会があったことを指摘する。
「余人ならいざ知らず、貴方にはそれが可能だった筈よ、剣狐さん。今回のクーデターはリシャール大佐の個人的な統率力の高さに支えられていたから、彼一人を取り除ければ確実に瓦解した」
 剣狐の単体Sクラフト『エスメラルハーツ』は、対象を闘気の檻に閉じ込めて物理防御をゼロにした状態でその立方体の檻ごと斬り捨てるという文字通りの一撃必殺技。奇襲で一端檻に囚われたらリシャール大佐はおろか、剣聖カシウス・ブライトでさえも回避は不可能。
 そして、常にデュナンの影として付き従って、単身で打ち合わせに訪れた大佐の無防備な背中を幾度となく見つめてきたフィリップには、確かにそのチャンスが無数にあった。
「その場合でも、デュナン公爵の身命は保証された筈よ。情報部の人達は王族に手をかける勇気はないって、エルベ離宮で自ら宣言していたしね」
 本当にリシャール大佐が死んだら、救国の志も何もかも投げ捨てて復讐鬼に身を堕としそうな女性を一人知っていたが、敢えて素知らぬ風を装うところがヨシュアの嫌らしさだ。
「あれっ? けど、そうしたら公爵さんは助かっても、逆上した情報部の残党に多勢に無勢でフィリップさんは殺されちゃうわよね」
 まるで試験問題の設定ミスを発見した女教師のような態度でポンっと両掌を合わせると、ヨシュアはあっさりと前言を翻した。
「ごめんなさい、フィリップさん。私が間違っていたわ。メイルさんもこの世で最も尊いお宝はミラでも人間同士の絆でもなく自分の命だって言っていたし、単なる金銭雇用主に過ぎない公爵さんの為に頭は下げれても、生命まで張れというのは酷すぎる要求だったわよね」
 老執事の針のように細い目が見開かれ、微妙に肩が震える。エルフ耳の少女の価値観は間違いなく人類の最大公約数に属するが、王室親衛隊のようにその真逆の信念に誇りを抱く者達もいる。故にヨシュアの謝罪は一見すると彼が行動を起こさなかった怯懦の正当性を後押ししたように思えるが、王家に無二の忠誠を誓ったかつての鬼の大隊長に対してこれほど深く自尊心を傷つける刃は他にない。

「囀るな、小娘」
 それでもフィリップ当人は何一つ弁明することなく、ヨシュアの言葉の暴力にじっと耐えていたが、意外な人物が老兵の弁護を買ってでた。
「フィリップはあくまで私の望みを叶える為に、今日まで私に尽くしてくれたのだ。この者への侮辱は私が許さぬぞ」
「閣下……」
 さっきまでフィリップの影で生まれたての子鹿のように震えていた公爵が、持てる勇気を振り絞って執事を庇うようにヨシュアの前に仁王立ちする。この時のデュナンの顔はいつぞやの学園祭の時に見せた王族の威厳に溢れていた。
「おい、マジにきたな、クローゼ」
「ええ、僕も正直驚いています」
 ヨシュアの辛辣な物言いの数々は主犯格の公爵はまだしも、従犯の老執事に対して明らかに度が過ぎていたが、二人がここまで全く口を挟まなかったのは予め通達されていたからだ。

「公爵さんは今日まで耳に痛い諫言や都合の悪い現実から目を背けて生きてきたから、今更何を訴えても効果は薄いでしょう。もし、その公爵さんの心の琴線に触れられるとしたら、当人ではなく彼の大切な者を攻撃してみることかもしれないわね」
 ルーアンでの決闘で意外と育ての親の執事を思う気持ちはあるようなので駄目元で試してみたら効果覿面。恐らくは人生で一番の男気を見せて漆黒の牙という怪物と正面から睨み合っている。

「あらあら、許さないって、どうしてくれるのかしら? 王族の権威や執事さんの武力に頼ることなく、あなた個人の器量で私をやり込められるとでも?」
「ふん、それを言うなら小娘、お前が今担ぎ上げている新たな神輿も似たようなものではないか」
 「へい、バッチコーイ」と中指と人指し指をクイクイさせる黒髪の少女の挑発を無視して、公爵は自らの甥に向き直る。物理ファイト、舌戦共にヨシュアと戦ってもまず勝ち目はないのでクローゼ一人に照準を絞ったようだが、戦略的判断としては上出来だ。
「クローディアル、お前は玉座が欲しいのか?」
「ぼ、僕は……」
 その直接的に物言いにクローゼは言葉が詰まる。このクエストをギルドに依頼した時に覚悟完了した筈だが、まだ迷いが残っているようで、その煮え切らない態度に公爵は憤慨する。
「また、それか。お前は何時でもそうだ。私が欲しい物を何食わぬ顔で横から掻っさらっていく。お前がいらぬ王冠なら同じ王族の私が奪って何が悪い?」
 確かに即位には本人の意志は大事な要素だ。世の王族にはクローゼのように国王の地位を忌避する変わり者もおり、そういった人物を能力だけで最高権力の座に放り込むのもまた暴君を産み出す土壌の一つであるのは歴史が証明している。

「公爵さんの言い分にも一理あるけど、ジェニス王立学園のクラス委員長への立候補ならまだしも、一国の王を血統とやる気だけで決められては堪らないわね」
 そうヨシュアは風刺を挟んだが、そのマキャベリストがドキモを抜かれるような大胆な提案が公爵の口から囁かれた。
「クローディアル、リベール王族としてお前に決闘を申し入れる」
「へっ?」
「おい、今何て言った、おっさん?」
 エステルは自分の耳を疑ったが、聞き違いではなさそうだ。公爵は左手の白手袋を外すとクローゼに叩きつけて、地面に落ちている剣を拾い上げた。
「決闘を申し入れるといったのだ。フィリップにもそこな小娘にも手出しはさせぬ。どちらがリベールの国主に相応しいか剣を以て定めようではないか」

 女王宮にしばらく沈黙が続いた。かくしてヨシュアの合理的な思考フレームでさえ、可能性の検討すらなされなかった事象が現実に発生。次回、玉座を賭けて王族同士で血で血を洗う骨肉の死闘が繰り広げられることになるのだろうか?





[34189] 21―13:攪乱するグランセル(ⅩⅢ)
Name: けびん◆6e0becf3 ID:13917592
Date: 2015/08/22 00:02
「本当に生きていると退屈しないわね。現実は何時だって私のちっぽけな思惑を捻り潰してくれる」
 フィリップに脅しをかける単なる小道具としてエステルに持たせたクローゼの予備のレイピアが、まさか王冠争奪を巡る武具として用いられるとは想像だにせずにヨシュアは軽く両肩を竦めた。
「閣下、その本気で王太子殿下と決闘を……」
「無論じゃ。だから、お主は手出し不要じゃぞ、フィリップ」
「御意に」
「それと小娘、私が勝ったら先のフィリップへの非礼は詫びてもらうぞ」
「ええっ、土下座でも裸踊りでも何でもしてあげるわよ。ただし、あくまでもクローゼに勝てたらの話ね」
「ぐっ、今に見ておれよ、小娘」
 左手をヒラヒラさせる少女の琥珀色の瞳に明らかに揶揄する色が浮かんだので立腹したが、この場はぐっと堪えてウォーミングアップに努める。
「マジに馬鹿公爵をクローゼとサシで戦らせる気かよ、ヨシュア?」
 本来ならこういう漢同士のタイマンには合理主義者の義妹よりも熱血兄貴の方に理解がある筈だが、対戦カードが異色すぎるので控えめに疑問を提示する。
「公爵さんから言い出したことだし特に止める理由もないわね。何よりも両軍大将による一騎討ちには大きな利点があるわ」
 戦争という形を取ればどちらが勝とうと夥しい量の血が流れるが、代表者による頂上決戦ならば犠牲となるのはデュエリストのどちらか一人。故に白の花のマドリガルでも二人の騎士は親友同士で雌雄を決しようとした。
「この敗北で公爵さんが納得してくれるなら、むしろ僥倖ね。いずれにしても現国王のアリシア女王の意志を無視しているのだけは問題だけど」
「判りました、ヨシュアさん。そうこう事なら争いは好みませんが、この決闘を受けて立ちます」
 クローゼはそう覚悟を決めると、独闘に精を出す公爵の姿に意識を注ぐ。多少なりとも剣狐から宮廷剣術を指導されていたのかと思いきや、お尻を大きく後ろに逸らしたへっぴり腰で剣を振るう姿はズブのド素人。握手に託つけたヨシュアの掌診断でもアマチュア確定しており、もし猫被り娘のように実力を偽っているならかなりの大人物だが、それは買い被りの模様。10回ほど素振りを繰り返しただけで既に息があがっており、全身からガマガエルのような大量の脂汗が滲み出る。
「ふう、熱い、熱い」
 公爵は高価な絹の上着を脱いで上半身裸になる。衣服の下には鋼の筋肉が隠されていたなどというベタなオチはなく、汗でギトギトに滑ったブヨブヨの肉塊が露出する。
「上手い料理を鱈腹食って寝ての典型的な脂肪太りか。自分に甘い性格が伺えるな」
 エステルもジャンクフードが好物の大食漢であるが、修行好きの上に体脂肪率10%未満の筋肉が寝ているだけでもカロリーを大量に消費するので、その身体には贅肉の欠片も伺えない。
「クローゼ、怪我させないように気遣ってやれよ」
「判っています、エステル君」
 クローゼとデュナンには2倍近い体重差があるが、ウェイトが物を言うのはあくまで筋量に隔たりがある場合のみ。脂肪をいくら身に纏った所で何の驚異にもならず、ましてや剣同士の闘いになれば、無手格闘ほどには体格差は問題視されない。
 男二人は勝利を規定の未来として戦後処理の打ち合わせに入ったが、ヨシュアは公爵の裸体を値踏みするように眺めている。
「どうした、ヨシュア?」
 ピザ中年のセミヌードは到底女性の鑑賞に耐えうる代物ではないので、てっきり恒例の養豚所の豚を見るような目で蔑むのかと思いきや、ヨシュアは見惚れているように思える。
「おいおい、まさか」
 以前、似たようなシチュで爺萌えと勘違いした経緯があるので、「実はお前、デブ専なのか?」と茶化す言葉を何とか堪える。実際にエステルの対応は正しく、またしても武術的なお話だった。
「これは、もしかすると手子摺るかもしれないわね」
「はあ?」
 エステルは素っ頓狂な声をあげると、タラリと冷や汗を流す義妹を懐疑的な瞳で見下ろす。敵の防御策の読み違えに続いて予期せぬ王族同士のデュエルと最近の腹黒参謀の予言は空回りしてばかりなので、とうとう少女自慢の合理的な思考フレームにもヤキがまわったかとエステルは思っていた。あくまでも、この時には。
「それじゃ、これよりデュナン公爵とクローゼ……いや、クローディアル殿下との決闘を始めます。両者構え、始め!」
 公平な立会人としてエステルが号令をかけて、剣を構えた二人の王族による骨肉のバトルがスタートした。

「ぬわわあああ!」
 公爵はしっちゃかめっちゃかに剣を振るうが、スピードは遅く動きも直線的な上に予備動作も大きいのでクローゼの目からはテレフォンそのもの。カウンター気味に自分のレイピアを公爵の剣に絡めて一気に振り抜くと、剣は公爵の手元から大きく弾かれた。
「おいおい、開始5秒で決着かよ?」
 やはりヨシュアの思わせぶりな態度は単なる取り越し苦労の模様。予想以上の瞬殺劇にエステルは肩の荷を下ろし、剣を喉元に突きつけて死命を制したクローゼは降伏勧告する。
「降参してください、叔父さん。できれば怪我をさせたくありません。それに武器がなければもう戦えないでしょう?」
「ぬうう、舐めるな、小童(こわっぱ)が。剣がなくとも、この二つの拳があるわあ!」
 剣による決闘を示唆した癖に、何時の間にかバリートゥード(何でもあり)に種目が変更される。ただし、この場合は公爵の往生際の悪さを呆れるよりも、根性なしの彼が最後まで勝負を諦めることなく見せた不屈の闘志を讃えるべきか。両腕を競泳のクロールのように循環させながら襲いかかる。
「あれは回転式拳法(ぐるぐるパンチ)。作戦、戦法、戦略、効率など一切の謀を捨て去った純粋な感情をぶつける、恐らくは人類最古の最終兵器……」
「言っていて虚しくならないか、ヨシュア?」
「……ええ、少しね、エステル」
「意味深な台詞を吐いた手前、引っ込みがつかないのは分かるけど、無理に盛り上げようとしなくてもいいからさ」
 口惜しそうな黒髪少女の頭をポンポンと叩くと、再び戦闘に目を向ける。ポカ、パカという牧歌的な打撃音を残して公爵の拳が何発かヒットするが、低防御力のクローゼをしてダメージを受けた様子は全く見受けられず。この子供の喧嘩を決闘と称するのは無理がありすぎる。
「たっく、痛ましくて見てられねえな。もう終わりにしてやれ、クローゼ」
 エステルの催促にクローゼはコクリと頷くと、一本突きの態勢でレイピアを構える。鳩尾を突いて一撃で意識を刈り取ろうと、水月を強打したが。
「えっ?」
 何が起きたのか? グニャという妙な擬音がしたかと思うと、何時の間にかクローゼは後方に吹き飛ばされている。まさか公爵にクローゼの攻撃が跳ね返されたとでもいうのか?
「くっ、ならば」
 クローゼは今度は本気で剣を構えて、解除クラフト『シュトウルム』で連続で剣撃を公爵の身体の中心線に叩きつける。解除効果とは無関係に単純に彼の手持ちの戦技の中で一番高威力な技なので選択したが、まるでゴムのような弾力で全ての衝撃が吸収された。

「やはり私の見立ては正しかったわね。あれは一万人に一人の資質を持つ者が人智を超えた暴飲暴食の果てに辿り着くといわれる脂肪遊戯(キングオブハート)。あの幻の肉体を持つ者がこの時代に現存するとは驚きね」
「一応は突っ込んでやるが、何なんだよ、ソレ?」
 ようやく解説魔の面目躍如の機会が訪れ、ヨシュアは水を得た魚のように知識を披露する。
 エステルやジンのように過酷な修練によって剛の肉体を造り上げた者は武の世界に五万といるが、堕落の境地によって柔の脂肪を産み出した者は歴史上でも数える程しかいない。脂肪の鎧が緩衝材となり、あらゆる攻撃を無効化してしまうので、対物理においては無敵に等しい防御力を誇る。
「なんか凄えんだか、凄くないのか良く分からない奥義だな」
「今時の若い子は体型を気にして体脂肪や高カロリーを忌み嫌うけど、実はそう馬鹿にしたものじゃないのよ」
 アザサシなどは分厚い皮下脂肪のお陰で寒さも減っちゃらで、飢えてもしばらくは持ち堪えられる。もし飲まず喰わずの飢餓状態に追い込まれたら脂肪燃焼効率の良すぎるエステルは三日で餓死してしまうが、公爵は脂肪に蓄えられた栄養分で一週間は生命を繋げるので、実は箱入り公爵の方が遊撃士のエステルよりもサバイバルに強いことになる。
「よーするに、クローゼの剣じゃ公爵さんには一切ダメージは与えられないということよ。仮に対戦相手がエステルだったとしても、物理である以上は結果は同じでしょうね」
 ヨシュアの説明に二人は唖然とするが、それ以上に驚いているのはデュナン公爵本人である。当人は自分の特異体質など知る由もなく、引くに引けない事情からある意味自暴自棄で挑んだバトルだったが、勝算があると知って常の傲慢さを取り戻した。
「ぬっふふふふ。どうやら形成逆転のようだな、クローディアル」
 小太りの公爵の身体が河豚みたいに大きく膨れ上がったように錯覚し、クローゼを怯ませる。公爵の肉体改造はどれほどしょーもない分野でも、人並み外れて突き抜けられれば一芸を極められるという稀有な成功例に属するのだろうか?
「くっ、打撃が駄目なら斬撃で切り刻むまで。叔父さん、悪いですが、少し血を見てもらいますよ」
 気を取り直したクローゼは剣を横に捌いて、肉塊を切り裂こうとしたが、全身を覆う脂ぎった汗に阻まれて剣は表皮を滑った。
「なっ?」
「対物理においては無敵と言ったでしょ、クローゼ。私や執事さんみたいな物理防御(DEF)を無効化する特殊スキルを持たない限り、公爵さんにダメージは与えられない」
「ぬおおおお!」
 自身の防御性能に自信を抱いたデュナンは無防備に突進する。クローゼは迎撃しようとするも全ての剣撃は弾かれて、マトモに体当たりを食らい壁まで一気に押し込まれる。
「かはっ!」
 公爵の打撃に殺傷力はないが、全体重を乗せてコンクリート壁にサンドイッチされれば話は別。クローゼの口から血が零れる。危うく意識が飛びかけたが、何とか正気を維持して距離を取る。
「クローゼ!」
「不味いわね、今ので肋骨に罅が入ったみたいよ」
「大丈夫です、エステル君、ヨシュアさん。僕はまだ戦えます」
 口元の血を拭ったクローゼは儚げに微笑んだが、膝は震えて足元をふらつかせている。細身のクローゼにはかなり堪えているようで、後二、三発食らったら戦闘不能は必至。
「中々に厄介ね。絶対防御と謳っても人体なんて急所の固まりだから、レイピアを目に突き刺して眼球を抉るとか、股間を蹴りあげて睾丸を潰すなり色々と遣りようはある筈だけど、線が細い王子様にはそういう芸当は無理でしょうし」
「いや、それ、俺にも出来ねえから。というか本当におっかねえこと言うよな、お前」
 エステルは冷酷な物の怪を薄気味悪そうに見下ろす。義妹はこの旅の間に色々な情緒を学んできたが、決してその本質が変化した訳でない。必要とあれば目潰しや金的のようなエゲツナイ真似も躊躇なくこなせる。
「けど、このままだとクローゼ、マジにヤバイのか?」
 消化試合と思われた王族対決の勝敗の行方が迷走し始めたのでエステルはハラハラするが、クローゼの敗北に貞操の一部が賭かっている少女の顔には焦りはない。
「ピンチには違いないわね。けど、こう言っては何だけど、ここで戦闘素人の公爵さんに不覚を取るようなら、とても激動のリベールを任せられる器ではなく、アリシア女王の見込み違いということになるけど」
「そうだな、ヨシュア。俺たちの旅の仲間のクローゼはそんなにヤワじゃないよな」
 エステルは親友への信頼を取り戻す。クローゼもまたエイドスに選ばれた八人の導かれし者の一人なのだから。

(どうすれば良い?)
 焼きつくような胸の痛みを堪えながら、クローゼはひたすら思案する。確かなことは今の手持ちのクラフトにはデュナンに通じそうなカードは一つもないという過酷な現実のみ。
(きっと、僕は心のどこかで叔父さんのことを見下していたんでしょうね。だから、あの人に追い詰められた絶体絶命の状況にショックを受けている。何も持たないのは叔父さんでなく、僕の方だと言うのに……!)
 この時、クローゼは常日頃からアリシア女王から口酸っぱく諭されていた言葉を思い出した。『まずは自分の弱さを認めて、そこから全てが始まる』のだと。
 人は容姿、才能、家柄など生まれ持ったプロパティは全て異なるが、他者に比べて劣った自分を嘆いた所で現実は何も変わらない。
 それは人でなく国でも同じこと。個人としては高い水準に属するアリシア女王やクローゼも、リベールという小国の国主の地位に封じられた瞬間に他の大国に比べて足りない自国を省みなければならない。
 人口が少ない、兵力に乏しい、国土が狭いなど数え上げれば切りがないが、そんな現状に愚痴を零した所でどうにもならない。今ある現実を受け入れた上で知恵を絞り対策を練るしかない。
(そうだ、考えろ。剣が全く通じない今の僕に打てる手は……!)
 利発なクローゼが正解に辿り着くのに、そう時間はかからなかった。クローゼは無用の長物と化したレイピアを放り捨てると、印を組んだ。
「自力で気がついたわね、クローゼ」
 この瞬間、勝利を確信したヨシュアは内心で密かに安堵する。解は真に単純。何度も腹黒娘が会話にヒントを散りばめていたように物理が駄目なら導力魔法(アーツ)で攻めれば良い。クローゼは身体を青色に光らせて水属性アーツの詠唱に入る。
「ぬっ、クローディアル、貴様!」
「剣の勝負を破棄したのは叔父さんの方ですから、僕も遠慮なく遣わせてもらいますよ」
 確かに先にルール破りを仕出かしたのは彼である。解除クラフトを持ち合わせていない公爵にクローゼの詠唱をキャンセルする術はなく歯噛みするが。
「閣下、ダイヤモンドダストは範囲指定型の小円アーツですから、その場から離れれば回避可能です!」
 執事は大声でそう叫んで、公爵の喚起を促す。
 広範囲アーツには対象指定型と範囲指定型の二種類がある。対象指定の場合はどれほど動いた所で単体アーツ同様にトレースされるので絶対に逃げ切れないが、範囲指定は詠唱開始時に入力した絶対座標が固定されるので、上手く範囲を読めれば脱出できる。
「おい、執事さん、あんた……」
「コホン、決して手出しはしていませんよ」
 ジト目で睨む兄妹にフィリップは赤面しながら咳払いする。賭け対象のヨシュアでさえも空気を読んで直接的なアドバイスは控えていたというのに、主の窮地につい口出ししてしまった模様。
「でかした、フィリップ」
 公爵は喜色を浮かべると、クローゼがどのポイントに範囲を絞ったのか推測する。常識的に考えれば今踏み締めている大地だが、賢しらなクローディアルのこと。案外、彼の移動を予見して別の場所を指定した可能性もある。範囲指定のマーキングは詠唱終了時に出現するので先読みは不可能だが、一ヶ所だけクローゼが絶対に指定しない安全地帯があるのに気づいた。
「それは今お前がいる場所だ、クローディアル!」
 公爵は突進すると、再び体当たりを敢行。公爵の腹相撲で吹き飛ばされたクローゼは再度壁に叩きつけられる。
「クローゼ!」
「大丈夫よ、エステル。インパクトの瞬間、軽く後ろに飛んで衝撃を和らげている。そして何よりもチャックメイトよ」
「ぬっ、これは?」
 セーフティーゾーンを奪い取ったと安堵した次の刹那、デュナンの足元に青い小円のマークが浮かび上がる。ここはクローゼが元々いたポジションなので、もし公爵に押し出されなかったら確実に自爆するポイントを範囲指定していたことになる。
「そう来ると思っていました、叔父さん」
 先のおしくら饅頭でHPをレッドゾーンに突入させながらも、詠唱を完了させたクローゼは不敵に笑う。二人の戦闘キャリアには大きな隔たりがあり、心配性の執事の介入も足元に地雷が埋まっていると知った人間が安住の地を求める習性も全て読み切った上で、理詰めで罠(トラップ)を構築したクローゼの作戦勝ちだ。
「やあ、ダイヤモンドダスト!」
「ぐおおお!」
 公爵の身体目掛けて冷気を宿した氷塊が次々と襲いかかる。いつぞやの黒鮪のように瞬く間に瞬間冷凍(フリーズ)されてデュナンは氷の彫像と化した。

        ◇        

「ま、頭を冷やすには丁度良いかもしれないな」
 氷柱に閉じ込められた公爵の間の抜けた表情を眺めながら、エステルはクローゼの手を掲げて勝利宣言する。
「公爵さんにしては頑張ったと俺は思うぜ。ラストは紙一重の攻防だったしな」
 最後の遣られ方はギャグそのものだが、お笑いバトルにしかならないと思われた決闘なのに、クローゼが敗北一歩手前まで追い詰められた。
 デュナンが最初の場所から一歩も動かなければ自らのアーツで自滅していたリスクの高さもそうだが、もしダイヤモンドダストの氷結効果が発動しなかったら、既に満身創痍のクローゼは次の攻撃で確実に戦闘不能に陥っていた。
「あら、エステル。博打には違いないけど、それでも十分な勝算があったからこそ策を実行に移したのよ。何しろクローゼは水属性のスペシャリストだからね」
 戦術オーブメントの固定属性はスロットの汎用性を縛る枷と思われがちだが、固定属性が多いほどその属性アーツの威力と追加効果の発動率を高められる裏設定がある。
 通常の氷結率は20%程度の低確率だが、水の固定属性を三つも抱えるクローゼなら80%の高確率にまで高められるので、これなら十分に戦略に組み込める。
「ティアラ」
 クローゼは水の回復アーツを自らに唱える。罅の入った肋骨が完全に修復し体力まで全快。例の蘇生魔法の功罪にさえ目を潰れば、並の術者の倍近い回復率の高さだ。
「なるほど、同じワンラインのオリビエはどんな属性アーツも組める反面、クローゼやタットみたいに特化した属性部分はないって……あれっ? もしかして無属性の上にラインが壊滅している俺や親父は一番使えないってことかよ?」
「そうなるけど、二人ともとっくにアーツには見切りをつけたのだから構わないんじゃない?」
「それじゃ、フィリップさん。氷は十分もしたら溶けると思うので叔父さんの介抱をよろしくお願いします」
「殿下、かたじけない。それと閣下、今日まで仕えてきてこれほど嬉しく思った日はありませんぞ」
 氷漬けの主に敬礼する執事の細い目頭が熱くなる。公爵が自分を庇ってくれたことと、何よりも負けたとはいえ最後まで勇敢に戦い抜いたことを誇らしく思っているようだ。涙を拭ったフィリップは今度は兄妹の方に向き直ると、何か言いたそうにヨシュアの顔をじっと見つめる。
「どうしたの、執事さん? もしかして、そんなに私の裸踊りが見たかったのかしら? 良い年齢してお盛んなおじいちゃんね」
 ヨシュアは蠱惑的な仕種でからかったが、生真面目かつ枯れた年寄りは首を横に振る。
「冗談の通じない人ね。謝罪の方なら決闘はクローゼの勝ちだから、取り決め通りに無しよ。何よりも私は間違った事は言ってないと思うけど?」
「いえ、何一つ返す言葉もありませんでした。恥ずかしながら今回のクーデターも、わたくしは陛下なら許して下さるだろうと甘く算段しておりました」
「まあ、実際にアリシア女王はそういう御仁だから、臣下からそう舐められちゃうのも仕方がないわよね」
 再びフィリップは言葉に詰まる。ヨシュアは女王の寛容さを王者の度量の広さではなく、為政者にあるまじき公私混同と見做しているようだが、恩赦に預かる立場のフィリップが抗議するのは厚かまし過ぎるので黙っていた。口に出したのは別の主張である。
「お二人方兄妹や王太子殿下に比べて、わたくしが成すべき事を全く果たさなかったのは確かです。ですが、それでもわたくしの手でリシャール大佐を討つべきか迷わなかったと問われれば嘘になりますが……」
「言い訳するのではありませんが、もし大佐が単なる私利私欲で閣下を反逆罪に引きずりこもうとしていたのなら、刺し違えてでも首を撥ねる覚悟でした。しかし、彼もまたこの国の未来を本気で憂いている人物で、リベールは何時か必ず彼の力を必要とする危機が訪れます。ですから」
「おい、執事さん。それって、リシャール大佐は優秀だから、後日の事を考えて今は多少の悪さには目を瞑れっていう意味か?」
 少しばかり感情を害した風でエステルが横から口を挟む。マーシア孤児院やユリアファンの奥方など情報部関連で財貨を失った者は数知れず。だが、マキャベリズムに徹するなら有象無象の多くの平民よりも大佐一人の方が国家に貢献できるキャパは遥かに大きい。
「その危機とやらに見舞われたら大赦を与えて有能な大佐の罪を免責する一方で、無能な一般人は家を焼かれたりなどの理不尽な目に逢わされても黙って受け入れろって言いたいわけか?」
「やめなさい、エステル。執事さんには王宮の人間としての立ち位置があるのよ」
 散々フィリップを攻撃したヨシュアが今度は擁護にまわる。公爵を追い詰める作戦上、敢えて重箱の隅を突ついて泥を被らせただけで、一連の事件に主体的な責任を持たない老人をこれ以上苛めるのは少女の本位ではない。
 王室親衛隊は王族を守護するのを第一義に結成された組織なので、極論すれば百の市民よりもたった一人の王家の血筋の者を優先して守らなければならない役職にある。ましてやアリシア女王やクローゼのようなお人好しは小を守る為に御身を危険に晒すような危なっかしさがあり、気を揉む親衛隊は尚更非情にならざるを得ない。
「今回のクーデターみたいな非常事態ではブレイサーのフットワークの軽さが勝るように、軍隊のような無情な戒律の元で大規模な統率が取れないと守れない物も数多くある。戦車や飛行艇などの導力兵器が数多く導入される国同士の戦争になったら、ブレイサーの個人戦闘力なんて高が知れてるからね」
 ギルドの国家権力に対する不干渉云々の建前は置いておいても、百人戦役でリベールを守ったのはS級遊撃士の個の力ではなく、希代の戦略家に率いられた無名の王国軍兵士の集団的な犠牲と献身によってである。まあ、この世界にはヨシュアも含めて生身で戦車相手に無双できる規格外の化物が存在するのもまた事実であるが。
「私たちは力なき市民の生活を守る為に全力を尽くすブレイサー。それだけで十分でしょ、エステル?」
 人それぞれ志は異なるのだから、他者の選んだ人生に口を挟むのではなく、自らの道(タオ)を貫き通せば良い。大軍兵器と称され極めて戦争向けの能力を持つクルツが軍隊でなく遊撃士協会(ギルド)に身を置くのも、エステルと同じ理想を抱いているからである。

 そう話を纏めたヨシュアは公爵と執事に別れを告げると、いよいよ救出作戦の最終目的地であるアリシア女王の私室へと向かう。だが、そこで少女は捨て去った筈の自らの過去と向き合わなければならなかった。

 ⇒22―01:銀の意志(前編)に続く


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
3.3009970188141