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[40400] 【習作】吸血少女と光術士【オリジナル・微百合】【完結】
Name: re◆c175b9c0 ID:5780111b
Date: 2014/09/05 17:57


長編の手癖抜きと女性一人称・視点変更・百合練習作品。
幻想水滸伝オマージュの、ほんのり百合臭オリジナルです。
全7話完結でちゃちゃっと終わります。大体完成してます。
何故百合かというと、最近マ○フィセントを見たので。



雨にも種を。(FinalFantasy8二次創作 完結済み ブログで公開)
無貌の神と箱庭(Persona4二次創作 完結済み Arcadia様で公開)
ネット小説家、同級生の家庭教師始めました。(オリジナル 完結済み 小説家になろう様で公開)
賢者と不死者と滅びの予言(ヴィーナス&ブレイブス~魔女と女神と滅びの予言~二次創作 完結済み Arcadia様で公開)
日陰者たちの戦い(機動戦艦ナデシコ二次創作 完結済み ハーメルン様で公開)




[40400] 1・光術士
Name: re◆c175b9c0 ID:5780111b
Date: 2014/08/26 20:04



ある時代。ある大陸、ある地域、ある国、ある王朝。
ありとあらゆる盛衰も過ぎてしまえばただの過去。
いずれは歴史書の一頁に纏められるのは歴史の習い。

その一頁、その一行毎の行間の中には。
私と同じように考え思い生きている人が数多にいて。
けれど、大きな歴史にただ押し潰されていくばかり。

願わくば。
未来の誰かが、行間の中に私のような人間がいたことを。
少しでも気にかけてくれればいいなと思えた。

「――――うん、言いたいことは大体判った。
 でも取りあえずは現状に目を向けてくれるかな?」

そう穏やかに私に呼びかけるのは、少年と青年の境目。
濃茶の髪に薄い灰色の瞳、意志の強そうな整った目鼻立ち。
理性を感じさせる声音は、この国の第7王子のものである。

軽装ながら鎧と剣を身に付け、とても凛々しい。
私よりも歳下だというのに、育ちの違いなのだろうか。
半泣きになりながら、私は王子に対して訴え掛ける。

「……嫌です。
 私、本気でおうちに帰りたいです」

言ってから、私は周りを見回した。
石造りの頑丈な通路、建築様式に詳しくないが古いはず。
ここは、100年以上前に打ち捨てられた古城である。

国土の辺境だが湖に面しており、場所は悪くない。
かつては小さな城下町もあったが、それももう寂れた。
今となっては禁忌の地として、人はここらに近寄らない。

100年。或いはそれ以上の時間が過ぎてなお。
誰かの手が入ったように、ある程度の綺麗さが維持されて。
……時折何処からか、何かが動く音が聞こえてくる。

「ここじゃないと駄目なんですか?
 あと、やっぱり私帰っちゃだめですか?」
「僕たちには拠点が必要だからね。
 あなたにも、折角来てもらったんだし」

王子はそう言って、穏やかに私の願いを否定した。
……こう見えて、反乱軍の首魁という恐ろしい人である。
武力に訴えてでも国を良くしようという、果断の人だ。

要は、王族や貴族が権力関係で色々グダってるのだが。
それを綺麗さっぱりするために、立ち上がったお方。
継承順位は低くとも、人徳と実力は私には計り知れない。

ちょっと前まで王軍の軍師やってた人だとか。
王軍の将軍を長年勤め、その後王族の指南役だとか。
そういった人をあっさり集めてくる才には不足をしない。

「――何を怖がる、吸血鬼の根城だぞ。
 光術が使えるお主なら、良い所路傍の石程度だろう」
「私は、あくまで司書に過ぎないですし……。
 不死族にはよく効くとは言いますけども……」

その元将軍、ああこれからも将軍が私に告げる。
口調は硬いが居丈高でなく、ただ不思議そうではある。
至極当然のように、戦いに慣れている人の論理を使う。

確かに、不死族――身体を魔力で構成するものには。
光術の類が極端に有効であるのはよく知られたことだが。
幾ら有効でも、私の心は怯えてしょうがないのである。

――そう、ここは不死族の上位種、吸血鬼の根城。
人型で身体能力と魔力が高く、不死族を生み出せる。
もっとも居るという噂だけで害があるとは聞いてないが。

吸血鬼の根城だからか、予想通りに不死者だらけ。
出るのは騒霊や動物の不死族が大半で、何故か人型はない。
術を当てれば倒せるから、まだ逃げ出しはしないけれど。

「……光術って、いわばただの凝縮魔力なんですよ?
 魔力自体が光るから光術って呼ばれるだけで」
「単純すぎて誰も修練しておらん。
 そのことは魔術院にいたお主こそ知っているはずだ」

光とはいうものの、別に光属性とかはない。
不死者に対してよく効くのも、不死者が魔力で動くから。
その魔力を直接打ち消せれば当然無力化できるのだ。

ただの魔力であるから、普通の存在にはあまり効果がない。
同量の魔力を使うなら火や雷に変えた方が余程マシ。
普通に魔術を習う人ならば、光術は覚えずそちらを覚える。

私は、理論としての魔術を習ってたから別だけど。
……理論は判ってるから使える、それ以上のものではない。
魔術師の傭兵みたいに、効率的に使えはしないのである。

「……戦いはこれっきりにしてくださいよ。
 治療術としての光術なら、幾らでも使いますから」
「期待してるよ。
 ……と、ここが吸血鬼の寝床かな」

私は、あくまで反乱に積極的に参加したのではない。
ただ逃げ出さないのは、この国が別に嫌いじゃないからだ。
幾ら今現状で荒れてても、一応この国に住んでいたのだ。

それと別に、人を殺すまでの強い意思などない。
ここにいる不死族だって、人型がいないのが幸いだった。
例え人の骨でも、きっと私は術を撃つのを躊躇うだろう。

「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
「吸血鬼が出ると思います」
「……そういう話ではないなぁ」

漸く辿り付いた城の奥。
使われなくなって、閉鎖された玉座の間――ではなく。
地下へと下りて牢を越えたその先にある、一つの部屋。

妙に密度の濃い魔力が渦巻いているのが判り、肌が逆立つ。
不気味というよりも、人の領域は越えている感がある。
その装飾をされた大きな扉を、前を歩く将軍が押し開く。

中は仄かに明るく、灯りをつけるまでもなく。
それが部屋の中央、棺に腰掛ける“誰か”の魔力であると。
それなりに鋭敏な私の感覚で、そう理解するに至った。

俯いていたその“誰か”は顔をあげる。
まだ若い少女に見えるその誰かは、眩しそうに瞳を細めた。
その挙動が、あまりに普通に見えて、思わず動くのを忘れた。

「――お客人、ですか。
 凄く久しぶりに人間を見ましたが」
「君がここに住むという吸血鬼、だね。
 すまないね、お邪魔させていただいたよ」

声も若い。私よりも少し歳下で、王子と同じ頃だろうか。
不死者の見た目や声が年齢と同じではないと判っていても。
白いドレスを着た姿は、吸血鬼の名前に似合わなかった。

背中の半分程の長さの、濡れたように光を吸込む黒髪。
白い、恐らく絹のドレスに劣らぬ熱量を感じない白い肌。
ほっそりとした印象は、相手が違えば可憐さすら感じるだろう。

なんというか、妙に雰囲気がある姿に呑まれ。
誰もが動かない間に、一番に動いたのはやはり王子であり。
不思議とそこの空間だけが、どこか高貴な空気になった。

「確かに吸血鬼をしております。
 一体、どのようなご用向きでしょうか」
「悪いけれど、この城を譲ってもらいたい。
 この国から出て行くならば、見逃してもいい」
「――そうですか、では申し訳ありません。
 私はここから出られないので、期待に添えません」

キラリ、と王子が見せた剣の輝きに。
少しだけ顔を曇らせた吸血鬼は座ったまま優雅に一礼した。
じり、と俺たちは身体を固め、その挙動に注目する。

けれど吸血鬼は穏やかに笑って、片手を胸に置いた。
ゆっくりと撫で、心の臓と思われる場所を手を止める。
……そこには今も血が流れているのだろうかとふと思った。

「見逃せないのなら、殺めてください。
 吸血鬼でも、ここを貫けば死ねますから」
「……戦う気はない、と?」
「私は貴方たちに抵抗など致しません。
 ……私は、もう疲れてしまいましたから」

そう言って、目を閉じる。
素人の私には、全身の力を抜いたかのように無防備で。
……少なくとも、魔術使用のための魔力制御はなく。

正直、目視で推測される魔力抵抗を考えても。
今から私が全力で光術を放てば確実に“落とせる”状況。
近接攻撃で私を潰すのも、位置的に前衛がいて無理だ。

「――おかしなことを言う。
 吸血鬼が、その生に飽いたとでもいうのかね」
「……好んで死にたくもありませんが」

割り込んだのは、いつの間にか王子の隣に立つ将軍。
剣を構え、ぴしりと張り詰めた空気が辺りに漂う。
恐らく、一度動けば切り捨てられる間合いなのだろう。

王子は将軍に目をやり、そして私に目を向けてきた。
強い意思が込められた確認の視線に、私は小さく頷く。
これで、王子に手元には確殺出来る手札が二つある。

「先ほど、ここから動けないと言っていたね。
 それは、この部屋から出られないということかな」
「……不可能ではありません。
 ですが、この部屋は私の為に作られているから」

選択肢があることを確認した王子は彼女に語りかけた。
将軍の構えはブレないし、私の術式はいつでも組める。
この場で、誰に飛び掛ろうと、次の一瞬には撃ち落とせる。

チラリと私を見る視線はそれに気づいてない訳がない。
ただ、やはり彼女には抗おうとする姿勢はまだ見られない。
静かに否定した吸血鬼の少女は、視線を落とした。

釣られるように視線を向けたその先には、魔法陣。
薄らと魔力光を放つそれは、一瞥で複雑であると判り。
それがこの部屋の、密度を作っているのだと気付いた。

「この魔法陣は、私のために作られた特別製です。
 ――循環と純化の複合4重、消耗は外部の大源のみ」
「……それが?」
「この中では、魔力を消耗しない。
 例え、不死族の構成魔力であったとしても」

魔力は、いつまでもそのままである力ではない。
生き物ならば、無条件で備えている力ではあるけれど。
その場にあるだけで、時間と共に必ず劣化していく。

保存が容易なら、どんな大魔術でも技術だけで使え。
魔術師になることにも、生来の魔力量が関わらなくなる。
…………残念ながら、そんなに万能なものではない。

劣化するというのは、ほぼ全てに共通することである。
動く骸骨や死骸ならば、外部からの供給が必要になるし。
それが吸血鬼であるならば、それ相応の方法になる。

――――つまり、その名前の通りの吸血。
そこまでに思考が至って、私はまさかと思った。
その気持ちを知ってか知らずか、吸血鬼は続ける。

「構成魔力の補給のために、吸血する必要もない。
 この中で眠り続ける限りは、ただの人でいられます」
「血を吸う気は?」
「ありません、今までも、これからも。
 私はただの人のままで死にたいと思いますから」
「ただの人なら、なんで死を望むんだ」
「……月に数度の、満月の魔力で満ちるとき以外は微睡みの中。
 ――こんな悪夢なら、いつ終わっても問題ありません」

そう言って、哂った。
その言葉に、王子は振り向きもせず私の名前を呼んで。
そして私はそれに「はい」と小さく声をあげた。

入った瞬間には、部屋の魔力密度で気付けなかったが。
改めて見てみれば、床には高い精度で描かれた陣がある。
大分古い術式ではあるが、まだ起動している。

構成を見る。循環が1、全体は廻るように出来ている。
所々に浄化構造が配置され、魔力の劣化が防がれている。
その構造によって、循環速度もかなり遅くなっていた。

繋がる線の一番外は、純粋な魔力回収術式。
大源を集め、この式全体を動かす魔力源なのだろう。
陣として大きくすることで、基準値を越えているようだ。

そのどれもが精密で、そのどれもに執念を感じる。
いわば、澱まないようにと細心の注意で描かれたものだ。
その技術より何より、籠められた気合いを強く感じた。

――結論として。
私は今の話の、魔法陣に関しては真実であると思った。
目を閉じて息を飲んでから、小声で判断を述べる。

「……嘘ではない、と思います。
 少なくともこの部屋は、そのためのものかと」
「少なくとも、か」
「この部屋に関しては、確かに」

それ以外のことは、私に保証することはできない。
彼女が血を吸わなくても大丈夫かの保証なんて出来ない。
それでも、王子にはそれで十分のようだった。

微かな逡巡を見せた王子も、直ぐにその素振りを消した。
真っ直ぐな瞳は、いつも人を惹きつける輝きに満ちている。
答えは判っている。そう言いたげに、将軍は問いかけた。

「王子、一体どうするおつもりで?」
「……可能なら、助けたい。
 斬らなくてもいいなら、それを選びたいと思う」
「でしたら、それを叶えるのが臣下の役目ですな」

そう言って、将軍は私を見た。
――ああ、なんだか私の背中を悪寒が駆け巡る。
とってもややこしいことになりそうだなって。

「お主、戦争は避けたいと言っていたな」
「……まあ、出来れば」

私が王子に味方をするのは、成り行きでしかない。
国を変えたいとか、そんな強い思いなんて何処にもない。
だから、出来れば人に対して術式を使いたくはない。

それがとても困難なことであるとは知っていても。
それが他の人に剣を取らせることだと判っていても。
やはり私は誰かを傷つけるなんて、出来ればしたくない。

将軍は、そんな私の感情を知ってか知らずか。
ただその瞳は決して厳しいものではない、と私は思った。
……ああ、どちらにしても厄介事ではあろうけれど。

「王子のお望みだ。
 彼女を護衛し、救う為に最善を尽くせ」
「最善、とは」
「お主が思う全力を尽くせばそれでいい」

護衛とは、また色んな意味で複雑な言葉である。
彼女を人から守り、そして人から彼を守れというのか。
それに、全力を尽くせとは、また難しいことを言う。

つまり、彼女に対して私に出来ることが一体何か。
それを模索するところから、始めなければいけないのだ。
最善とは、全力とは、つまり目標も私任せなのである。

「幸い、お主なら責任も取れる」
「――判りました。
 出来うるならば、彼女に吸血とこの部屋からの自由を」

その責任という言葉の意味を、私は苦もなく理解して。
出来ればそんな悲しい結末にはしたくないと思えた。
……だから、せめて私の出来る範囲で、頑張ろうとも。

下げた頭を横に向け、視界には王子と吸血鬼の姿。
穏やかにいつも通りに笑う王子と。
静かな様で、どこか悲しい無表情を向ける吸血鬼。

その顔には、心の底からの諦観が見受けられて。
私の努力を期待しようとする素振りは少しもなかった。
それが悔しくて目を逸らし、私は王子と向き合った。

「彼女を、よろしく」
「……王子の仰せのままに」

そうして、古城は王子の拠点となり。
軍役から逃れることになった私には、別の仕事が待っていた。
私と人外の少女との奇妙な交流が始まったのである。





[40400] 2・吸血鬼
Name: re◆c175b9c0 ID:5780111b
Date: 2014/08/27 18:12



――――200年。
長く永いその時間も、眠りの中では一瞬の様なもの。
……目を覚ます度に、時計通りに時間が過ぎる。

満月の日に数時間、構成魔力の消費なく起きていられる。
その間にまた時が過ぎたことを理解し、飲み込む。
私をここに眠らせた人たちも、永遠の眠りに着いただろう。

彼女らが、一体どのような人生を送ったのか。
それを知る術などは、閉じられたこの部屋の中にはない。
ただ私には、起きている間に思いを馳せることしか。

従ってくれる動物霊達が、城を護ってくれる中。
厳密に言えば生きていないこの身体は、魔術的な眠りにつく。
夢など見ない。意識を閉じれば次はまた一ヶ月先だ。

永遠の時を生きている実感など、かけらもない。
眠って、起きて、眠って、起きて、それ以外の変化もなく。
今見ているのが夢か現実か、その境すら朧気になる。

その無限のような繰り返しに訪れたのは。
意志の強い瞳の少年と、私を殺しうる二つの力。
剣士も術師も、確実な実力を持っているように見えた。

私は彼らが吸血鬼を退治しにきたと思っていたから。
その時、この夢が漸く終わるのかと少し安心し。
けれど私は、殺されることなく、また眠りに着いた。

――――彼らなら、きっと私を殺せる。
私が次に目覚める前に、やはり心変わりしているかもと。
……吸血鬼など殺せと、そう決断してしまうかもと。

次目覚めなかったらと、この200年、何度も考えた。
恐くないと言ったら、多分きっと、嘘になる。
けれどそういう結末も悪くはないのでは、と思う。

苦しくも、悲しくもなく、いつの間にか終わるのなら。
それはそれで諦めもつくのにと思いながら、眠った。
――――――――そして、また私は目を覚ました。

暗い視界は、いつもの通り。
私の寝台、閉じられた柩の中には一筋の灯りもない。
蓋をずらして起き出て、そのまま柩に腰掛ける。

生きていた。いや、既に死んでいる身であるが。
部屋の中は眠る前から、小さな変化も見あたらない。
暗いまま、静かなまま、まるで時が止まったようだ。

もしかしたら、誰かが来ていたのは泡沫の夢だったのかと。
夢など見ないくせして何を、と思わず自嘲する。
溜め息の後飲み込んだ空気は、いつもより少し澄んでいた。

……淀んでいない、誰かが空気を入れ換えたのか。
通風口はあるが、これは扉を開けた空気である。
誰が、と扉に目を向けるのと前後して、ゆっくり扉が開いた。

覗き込むようにしながら入ってくるその人は。
視線をくるりと部屋中に向け、そして直ぐに私を見た。
ビクン、と跳ねたその人は、腰に提げた物を構えた。

こちらに差し向けられたのは鞘が着いたままの小剣。
片手で持ち、まるで指示棒のように真っ直ぐ向ける。
剣の使い手としてはあまりに適当で褒められたものでない。

けれどその先端には、既に複雑な光術式の展開がある。
十分に私を3度は殺せそうな術式が、計5つ。
魔力を注ぎ込まない術式の段階で、それは輝いて見えた。

「――起きた、みたいだね?
 私のことは判るかな、吸血鬼さん」
「……判ります。
 あの少年お付きの光術士、でしょう」

眠りに着く前に一度見たその輝きを、私は覚えている。
大体、20の歳を数えた頃の若く細身の女性。
か弱そうなその見た目に不釣り合いな高い魔法の力を。

幾分かの緊張を含んだ声の問いかけに私は答える。
術式は向けられていても、害意は私を向いていない。
剣先がゆっくり下りるのを、多少の怯えを内心に、見た。

……そして、それは彼女にとっても同じだったらしい。
ふわりと解けていく術式に、光術士の強張った表情。
残ったのは少し申し訳なさそうな、穏やかな顔だった。

「――良かった。
 一応、どうなるかは心配だったから」
「……どうなるか?」
「二重人格とか、凶暴化してたりとか。
 話が通じない可能性もあるかなあ、と」
「……いい忘れておりましたが。
 私の自意識は、寝て起きても地続きです」

それは申し訳ない、と小さく頭を下げる彼女に首を振る。
私が人外で、化け物であることは否定しようがない。
話をする、警告する余地があるだけでも友好的だろう。

私が寝てる間に心変わりしないとも限らなかった。
そうならなかったのが、嬉しいような残念なような。
……彼の、私の寝る前の方針は変わってないのだろうか。

「その、私が床についている間に。
 何か変化などはお有りでしょうか」
「あ、と。
 ……そうだね、説明しておくね」

直接聞くのが少し心が引けて、わざとぼかした問い方に。
軽く驚いた様子の彼女は、複雑そうな顔をした。
何を思っているのかと見守る私に、彼女は口を開いた。

あの後城は整備されて、革命軍の本拠となったらしい。
昔は町だった城下も、それなりに人の往来が生まれ始めた。
城の中にも人が増えて、騒がしくなってきたそうだ。

「……そうなのですか。
 ここは、静かな様に思いますが」
「私が管理させてもらってる。
 知らない人に見せて勘違いさせる訳に行かないし」

この地階の奥は、目の前の光術士の管理であり。
この城の魔術防衛施設として、関係者以外の立ち入り禁止。
特にこの部屋には、知っている者しか入らないとのこと。

「――ま、その分研究も進んでないけどね。
 それは勘弁してほしいかな」
「研究?」
「……約束したでしょ。
 あなたを、ここから離れられるようにするって」

女性が、さも当然のような声音でいうものだから。
なんと言えばいいのだろう、言葉を選びかねた。
要は、驚いたのだが、彼女は別の受け取り方をしたらしい。

「……あ、信じてなかったね?
 こう見えても、それなりの術士なんだよ」
「いえ、それは判りますが」

私に向けられた術式を見れば、それで一目瞭然。
技術も魔力も、並の術士の領域は遥かに越えている。
私が主と共に習っていた先生にも負けないのではないか。

そんなことよりも、どうやら私が思っていた以上に。
あの口約束に、彼女が本気らしいことが窺えて。
なんというか凄く意外で、思わず口から溢れ出てしまった。

「本気で言ってたのですね……」
「当たり前でしょう。
 王子とも……あなたとも約束したもの」
「――ごめんなさい。
 寝てる間にというのも、あり得ると思っていました」
「ああ……。
 それも、考えなかったとは言わないけどね」

そういって彼女は決まり悪げに前髪をくるりと弄り。
素直に認めるのかと、私は少し不思議に思った。
その言葉の続きを期待して、彼女のことを見つめる。

「……正直、研究しないと判らないし。
 もしかしたらその方が安全かも、ぐらいはね」
「では、何故」
「助けられるなら助けたいってね。
 私も、どうやら王子の影響受けちゃってんだよね」

笑って見せる彼女は、どこか子どものように見えて。
きっと、それは凄く純粋で、裏はないと私には思えた。
――信じたいと思える程には、期待したくもあり。

「……信じていいのでしょうか」
「絶対の約束は出来ないけど、頑張るよ」

小声の、寧ろ自分への問いかけは、柔らかな声が返された。
彼女を見る。少しいたずらな顔をして、私を見ている。
彼女は、私に手を伸ばし……私の手を取り、軽く力を込めた。

「――それより。
 折角起きたんだし、色々しなくちゃ!」
「……色々、ですか?」
「そう。
 ご飯食べたり、お風呂入ったりだとか」

なんだろう。この、久しぶりに聞いた日常会話は。
生きていないこの身体には吸血以外の食事など必要ない。
それ以前に、そんな話をする相手もいなかったけれど。

思わず、思考を止めてしまった私に。
彼女は思い出した様に、「あっ」と小さく声をあげた。
そして、伸ばされてきた手に今度は両手が掴まれる。

「あのね、私ね。
 あなたに、出来る限りのことがしたいの」
「……」
「だからまず、ご飯食べて綺麗にして。
 それから、沢山沢山、あなたのことを聞かせて」

真っ直ぐと私を見つめるその瞳はただ静かに光り。
浮ついた感情を感じさせず、その本気を明確に伝える。
それこそ、なんでこんなにと思ってしまうほどに。

緑色の瞳が、私を貫く。
手のひらから伝わる人の熱を、感じたのは何時以来か。
胸に湧く感傷に、伸ばしていた背筋から力が抜ける。

「――はい」
「それじゃ決まり、ね。
 まずは、ここのすぐ近くにお風呂があるから入ろう?」
「……この部屋から出るのですか」

出れないわけではないけど流石にかなり抵抗がある。
構成魔力もすぐには消耗しないけれど、積み重なれば。
そう思って、引かれかけた手を中空で止める。

問うつもりで向けた視線は静かな笑みが待ち受けて。
肩までの、波がかった焦げ茶がふわりと揺れた。
目を奪われかけた私に、彼女は柔らかく微笑みかけた。

「あなたが寝てる間に調べたよ。
 時間さえ掛ければ、同じ魔法陣は私にも作れる」
「……もしかして」
「この階の半分だけね。
 それ以上は大源がぶつかるから作れないけど」

――それにしても、大した才能には違いない。
軽々と言っているけれど、そんな簡単ではないだろう。
部屋が違えば、当然だが条件も異なってくるのだ。

正確に模倣するだけでは、到底できないことである。
理解し、条件ごとに再構築しなければいけない。
それだけの技術を、彼女は私を連れ出すためだけに。

「一ヶ月に少しだけなんだよ。
 だから、私に精一杯のことをさせて?」
「……はい」
「うん、じゃあ行こう!
 綺麗な黒髪なのに、手入れしないのは勿体無いよ」
 
――この身体は時間で劣化もしないのだけど、と。
そんな反論も、思いはしたけれど口からは出なかった。
口元は、溢れる感情で端が上がるのを止められない。

何時ぶりだろう。今日だけで何度そう思っただろう。
光術だけではなくて、私には彼女がとても眩しく思えて。
敵になった陽光よりも、ずっと私に優しい光だ。

この200年の間、一度もなかったその輝きに。
少しは。そう、少しは期待してもいいのではと思えた。
そうして、私は彼女の手に引かれて行くままに。

暖かな湯と軽い食事。そして彼女との短い語らい。
どれもが始めてであるぐらいに新鮮で、泣きそうな程。
久しぶりに、目覚めるのを楽しみに思いながら眠った。





[40400] 閑話1・光術士
Name: re◆c175b9c0 ID:5780111b
Date: 2014/08/28 18:02



この城に住み始めてから、とある日課が出来た。
朝起きて身支度をして、ご飯を食べたら直ぐに地下へ。
そこがこの城の魔術防衛施設。私の職場になる。

地下とは言えど、ここは地面の中ではない。
湖に面するこの城の、湖側にあるこの地階の中には。
窓を開ければ、湖からの風が吹き込んでくる。

時折、少し湿っているのが残念ではあるけれど。
部屋によっては陽も射し込むし、決して悪くはない。
私の自室だって、この階に移してしまった程だ。

通路には魔術の灯はチラチラと。
陽の射さない部屋であろうと、それなりに明るい。
流石に大昔とは言え、王族の城であっただけはある。

――さて。
そんな城で眠っていた、お姫様の部屋は奥側だ。
流石に彼女の部屋は、陽が射さないところにある。

彼女の身分については言葉を濁されたけれど。
こんな場所に、こんな魔法陣を作られているのである。
それなり以上に高貴な方ではあるんだろうな。

そんな風に思いながら、扉を開ける。
真っ暗なその部屋に、私は自前の魔力で火を灯す。
光術ではなく火術。得意ではないが使えなくはない。

静かで暗いその部屋の、まずは通風孔を最大に。
空気だって、入れ替えなければ腐ってしまう。
出来る限りは毎日、この部屋の掃除をしに来るのだ。

とはいえ、誰かが動くわけでもないこの部屋。
毎日毎日全体を掃除するのは、必要のない手間だ。
なので少しずつ少しずつ。数日で全体になればいい。

今日の掃除をする場所は、ええと。
昨日が掃き掃除をしたから、今日は棺の掃除だ。
軽く布巾で拭いて、埃を拭っておかなければ。

部屋の奥に、勝手に置かせてもらった箱の中。
簡単な掃除道具を用意してあり、そこから布巾を出す。
薄い布。ちゃんと手入れしてるから汚れてもいない。

その布巾を、部屋の奥側にある水場で濡らす。
この城は本当に凄い。古い形態だけど水道があるのだ。
大抵の部屋には、石で出来た流水場がついている。

今時の水道と違って、ずっと流れ続けるけど。
別に使用するのに、大きな問題があるわけでもない。
水に浸して、軽く絞る。拭ける程度に水は残す。

彼女は、この水場をどう使ってたのかなーなんて。
微妙に気になったりもするけれど、聞くことでもない。
もしかしたら使ってないということも考えられる。

吸血鬼の身体は、元の生物の死体で出来ている。
その身体を魔力で満たし劣化しないようにしている。
例え傷ついても、魔力がある限りは元通りになる。

その魔力は消耗も劣化もするけども。
本来はそれを、吸血によって補っていると聞いている。
彼女らの食事とは、魔力を補うものであるのだ。

そして、この魔法陣の中では消耗も劣化もしない。
ここの中にいる限りは、彼女は不滅の存在なのである。
……ま、割と直ぐに限界はくる様子ではあるけども。

しかし、彼女自身はほぼ不滅だとしても。
埃は溜まるし、着ている衣服だって痛むはずなのだが。
どうやらそれは無意識で、魔力を使っているらしい。

そうでもなければ絹なんて200年も持たないだろう。
髪だって、埃を被ってペタペタのボサボサになるはずで。
自然にあれだけ綺麗にして置けるはずはないのである。

魔術は習っただけで、殆ど使えないとのことだが。
流石に吸血鬼にもなると、元々の魔力量自体がかなり大きい。
無自覚でも、案外魔術って使えるものなのだと感心する。

とにかく、掃除を始めることにした。
部屋の真ん中に置かれた、大きな柩の前に立って腕まくり。
綺麗な装飾が施されたそれは、確実に貴族のものだ。

紋章とかは描かれてないので、正式ではないだろうけど。
それでも決して庶民のものではないことぐらいは判る。
……紋章があれば、誰かも判ったはずなんだけどなぁ。

私も一応調べたけど、王族ではないとは思う。
200年という言葉を信じれば、その当時の王族は少ない。
吸血鬼になっていたら、大きく騒がれていたはずだ。

その紋章のない、ただの装飾を指でなぞる。
数日前に拭いたはずの、その煌びやかな文様たちは。
綺麗な分、僅かに積もった埃で白く霞むように見えた。

手に持った布巾で、柩の上に薄く積もった埃を払う。
閉じられた部屋であっても、流石に埃は舞ってしまう。
どうやら以前は、動物霊が片付けていたらしいけど。

霊を支配下においた時点で、知性を与える様であり。
だから城もある程度の清潔さを維持していたのであるが。
城の中で、人が動くようになってからはとんと見ない。

いなくなったのか、隠れてしまったのかは判らないが。
今度彼女が起きた時にでも聞いてみようかな、と。
いきなり不死族が動いたら、驚く人もあるだろうから。

数分かけて、柩全体を拭き終わる。
大きいけれど、ただ水拭きをするだけならその程度だ。
これで終わりと思いかけて、ふと足を止めた。

柩は綺麗にしたが、その中は。
そう汚れるものではないだろうが、少し気になった。
ちょっと悩んでから、柩の蓋に手をかけてずらす。

ギィと小さな音を立てて蓋はずれた。
中は柔らかな布が敷き詰められ、そこに彼女は寝ている。
あいも変わらず白いドレスが火に照らされ赤く染まる。

火の光を受けても、中で眠る彼女の肌はただ白く。
全く目覚める様子がないことに、少しだけ安心しながら。
私は柩の中を、上から下まですっと見回した。

判っていたことではあるが、そう汚れた様子もない。
彼女が眠りについた時と殆ど変わりはないだろう。
徒労だったかと思いながら、私の目は顔で止まった。

綺麗な貌だ。白い肌に形の整った小さな目鼻立ち。
こんなことになってなかったら、どうなっていただろう。
きっとその美しさで、誰かと幸せになっていたのでは。

こうして吸血鬼でなかったら、ただの凄く綺麗な子だ。
会話をしたのは僅かだけれど、性格も悪くはないだろう。
少なくとも、害しあうことなく友祖も結びえたのである。

そう思うと、やっぱり私は可哀想だと思う。
こんな場所で長い時間を、一人過ごすような人ではない。
なんとなく彼女に触りたくなり、頬に手を伸ばしてみた。

「――触ってみるとやっぱり違うね。
 この身体、本質的には生きてないんだ」

人の肉とは違う、異質な何かで出来ているような身体。
仄かな熱を放つけれど、人の体温にはまだ届かず。
例えば蝋人形を触っているような、そんな冷たさがある。

その身に宿っている魔力も、やはり異質なものである。
身体を覆い尽くすように、じんわりと固まって動かない。
人であるならゆらゆらと揺れてそこにあるというのに。

けれど、思っていたのと違う点が一つ。
吸血鬼の構成魔力も、どうやら普通の魔力と同じらしい。
光術と同じで、特定の色を持たないようであった。

この魔力を、どうにかしてあげなければ。
まだ方針を考えている段階ではあるが、どうにかしたい。
最短なのはこの魔法陣の小型化だが、恐らく無理だ。

機能を大きさに頼っている分、小さくなったら。
考えてはいるけれど、それに対する回答は見当たらない。
彼女に自由を与えるのには、まだ時間が必要だろう。

やはり、この人は吸血鬼なのだ。
人間と同じ姿で、人間と同じ心を持っていても、それでも。
全く別の時間を歩んでいるのだと思うと、少し悲しかった。





[40400] 3・吸血鬼
Name: re◆c175b9c0 ID:5780111b
Date: 2014/08/29 19:13



――――まるで人間になったみたいだと。
そんなことを思った時点で、自分が人でないと認めている。
ちょっとした馬鹿馬鹿しさに、内心自分を嘲笑する。

目覚めて、食事をして、入浴して、そしてまた眠る。
たったそれだけのことを、何度か繰り返して。
そんな風に感じてしまう私は、どれだけ弱っていたのか。

目を覚ます度に途方に暮れて、また意識を落とす。
その繰り返しから逃れただけで、人間であると勘違いする。
私の短絡さに、流石にかつての主も大笑いするだろう。

でも、嬉しい。泣きたくなるほどに嬉しい。
もう無理だと思っていたものが、今は掌の上にある。
例え望んでいた全てではなくても、今の私にはこれで十分だ。

暖かな湯が、身体の汚れを洗い落とす。
その暖かさは、身体だけでなく心までも温めるようだ。
まともな体温を失った私に、仮初なれども生を実感させる。

暖かさなど、200年の間に一度も感じなかった。
陽の光とこの身は無縁、灯火を炊きすらすることはない。
石造りのこの立派な墓の中、私はただ死んでいた。

――必要がない、と断じていたから。
実際、暖かさなど生きていない私には必要がないけれど。
そうして何もしてこなかったのに、このざまである。

馬鹿馬鹿しい。愚かだ。そしてそれ以上に心が暖かい。
この身が化け物であることに変わりはなくても。
暖かさに蕩ける心は、まだ人間の形をしている様である。

適度な所で切り上げて、湯殿から出る。
身体を拭きあげ、髪を簡単に纏めてから衣服に身を通す。
彼女が用意してくれた、当世風の衣服ということだが。

言うなれば、白くて薄い生地の貫頭衣のようなもの。
繊細な編み飾りなどは、女性向けの衣装だからであろう。
私には風変わりに思えるが、仕立ては悪くない。

しかし、その。全体的に短い丈が少し気にかかる。
膝までしか隠さないので、私の見窄らしい足が丸見えだ。
白く細く、まるで骸骨のようではないかと思えてくる。

彼女の様に、女性らしい体つきならばともかく。
こんな私が着るには、あまり似つかわしくないのではと。
そう主張もしたのだが、似合っていると押し切られた。

まあそれでも、軽くて着心地がいいことは認めよう。
どうせ彼女にしか見られない、彼女がいいというならば。
寝間着だと思えば、まだ露出も少ない方である。

湿ったままの髪と不足する裾から感じる心細さを。
小さく心の中に納めながら、私は彼女の元へと向かう。
卓へつき、書物を読んでいた瞳が私を捉えた。

「おかえりなさい。
 やっぱり、そのワンピース似合ってるね」
「……この服のこと、ですね。
 少し、長さが心もとなく感じますが」
「そうかなぁ。
 膝丈だからあまり短くもないんだけど」

そういって彼女は、可愛らしくその細い頸を傾げる。
私とは違い、細くてもその肌には生きている人間の色がある。
彼女が今着ている服も、よく見れば似た意匠のものである。

この様な服は、やはり彼女の好みでもあるのだろう。
鮮やかな色で染め上げられた花柄は、彼女によく似合う。
それと比べれば、私の白はまるで死装束めいているようだ。

などと、折角選んでくれたものに吝嗇など付けられない。
流石に思考だけにしても、卑屈に過ぎるというものだろう。
寧ろ、華やかすぎなくてありがたい程である。

微笑みの作り方を、記憶の何処かから掘り起こしながら。
衰えた表情を、どうにか口の端を持ち上げることで形作り。
近づいていく私の、濡れたままの髪に彼女は目を止めた。

「濡れたまま、かな。
 きらきらしてて宝石みたい」
「言い過ぎです」
「そんなことないよ。
 ね、こっちに来て、乾かしてあげる」

彼女はそういって、隣の椅子を片手で引いた。
断る理由もなく、私も近くに行きたかったから素直に従う。
私が椅子に腰掛けると、立ち上がった彼女が後ろに立つ。

すっと頭に手が伸ばされる音がして、頭が撫でられた。
髪のひと房ひと房が優しく手に取られて、暖かさが広がる。
漏れ見える光は火の赤と水の青と風の緑の、複合三重。

「凄く嬉しそうな顔だけど。
 お風呂、そんなに気持ちよかったの?」
「……温まりますから。
 身体は、汚れてはないんですけど」

私は生きている訳ではないから、汗や垢は出ない。
埃ですら魔力が勝手に防いでいるから、汚れはしないが。
それでも気分の問題として汚れが落ちている気がする。

体温を失った私に、染み渡るような暖かさ。
暖かさが宿った身は、生きている様に脈動する気がする。
火照る肌から熱が抜けていくのもまた、心地良い。

髪を触る彼女の手つきもまた柔らかく、暖かい。
手に取る度に、髪は暖かさに包まれてふわりと乾いていく。
その優しい熱量に、私はどこかくすぐったさを感じた。

「さらさらの黒い髪。
 お手入れなしでこの髪は、ちょっと羨ましいなぁ」
「黒いだけ、です。
 あなたの方が綺麗でしょう」

彼女はふわふわとした傾らかな波をうつ、淡い栗色の髪。
軽やかで鮮やかで、私の様な陰気さは欠片も見当たらない。
ふわふわ。ふわふわ。まるで綿あめみたいだと思う。

私の髪が綺麗だと彼女は言うが、しかし。
ふわふわとした髪の方が、陰気な黒より魅力的ではないか。
服の花柄も合わせて、可憐な蝶々の様に見えてくる。

太陽の下、鮮やかに咲く大輪の花に集い舞う蝶々。
暖かい日差しの中で良い香りがするのは、彼女そのものだ。
そんな光景の中にいるのが、凄く似合いそうである。

「私の髪なんて全然だよ。
 私はその……大分手抜きしてるし?」
「手抜き、ですか」
「光術使ってるもの。
 ちょっとぐらいの傷みなら治せちゃうから」

そういって、彼女は私の髪から手を離した。
小さく振り返った私が見たのは、髪先をくるりと撫でる姿。
なるほど、その毛先は少しの傷みもないような気もする。

光術をその様に使う人間は、他に心当たりはないが。
使えるというからには、その様な用途もありはするのだろう。
高い技術の使い道としては、少し納得が行かないけれど。

私が生きていた頃は魔術師と言えば尊敬の対象であったが。
時代が変わり、感覚も変わってしまったのだろうか。
そんな身近なことに魔術を使うものなのだなぁと思いもする。

「はい、これで終わり。
 さらさらしてて、凄く触り心地が良かった」
「……触る人も、もういませんから」

主は、よく私の髪を触っていたけれど。
200年前、髪を遊び道具にしようとする手つきを思い出す。
編んだり、結ったり、飾り付けたり、好き放題されていた。

もうされないんだなと。もう生きてはいないのだなと。
主がどうなったか気になりつつも、私に聞く勇気はなかった。
単純な意味で幸せになることは難しい生まれの人であった。

置いていかれたのか、それとも置いていったのか。
もう会うことのない乳兄弟に、小さく小さく苦い思いを抱く。
私がいなくなって、彼女は寂しい思いをしたのだろうか。

そんな思いで口にした言葉は、思ったよりも虚しく響いた。
まるで同情を引くためのように思えて、後悔する。
自分で自分を嘲笑いはしても、同情を引きたいのではない。

そう思った私が、更に言葉を続けようとするよりも前に。
彼女はすっと私の隣に回り、膝を折って視線を合わせてきた。
向けられるのは、強い意思が光る瞳と柔らかな微笑み。

「私がいるよ。
 どこにも行ったりしないって約束するよ」
「そんな」
「この黒い宝石みたいな綺麗な髪も。
 細くて白い身体も、今は私だけのもの、ね?」

そんな約束はしないでと。
私なんかにあなたを縛り付けたくはないと止めようとして。
その私を遮るように、彼女は私を上から下まで見渡した。

髪を見て、貌を見て、首筋へと下がり、肢体へと至る。
彼女の視線に射抜かれて、私はその熱量から逃げ出せない。
言われた言葉にも、素直に頷くことしかできなかった。

――私は、彼女の患者である。研究対象である。
彼女によって、この部屋から解放されるまではずっと。
そういう意味の言葉であると判っていても、なお。

太陽の下で生きられる、鮮やかで華やかな彼女が。
私を、自分のものであると言ってくれたことが少しだけ。
生きていてもいいと言われたようで、少しだけ嬉しかった。

「――うん、勿体無いなぁ。
 こんなに綺麗なのに、私しか見れないなんて」
「吸血鬼、ですし。
 他の人に見られたら退治されます」
「それは判ってるんだけどね。
 ね、折角だし一度お化粧してみない?」
「……し、しません」

私の頬に手を伸ばし、ふわりと両手で挟まれた。
緑色の瞳はきらきらとしながら、顔の造作を一つ一つ見る。
どう見ても、面白がっているようにしか見えなかった。

玩具にされるのは、苦手だ。
人に触られ慣れていないから、どうしてもくすぐったい。
私は主ほどには身支度の全てを人任せにはしなかった。

今の彼女はまるで、主が戯れに人形遊びをするような。
そんな不穏な空気を感じたので、少し頭を引く。
立ち上がっていたのなら、大きく一歩は後ろずさる所だ。

「そっか、残念。
 でもきっと、外に出る日には着飾らせてね?」
「……そうですね。
 あなたと一緒なら、それもいいかもしれません」

この城の外に、太陽の下に出る日が来るのなら。
その時ぐらいは着飾るというのも悪くないかもしれない。
隣に同じ様に着飾った彼女がいるのなら、尚更だ。

日差しは私を切り刻まず、優しく包み込むように。
爽やかな風が吹いて、そこには木々花々の香りも広がり。
横を見れば、花柄の服を着た太陽のような微笑み。

そんな日がもし来るのなら。
こんな呪われた運命も、悪くはなかったのではないかと。
まだ手の届かない想像だけでむず痒さを感じてしまう。

叶わなくてもいい。ただ夢を見られるだけでいい。
それ以上の幸せが、今の私には想像すらも出来ないから。
私の世界は、それ以上の広さを失ってしまったから。

最高に手が届くかもしれないという希望。
私の冷たい胸の中には、そんな優しく暖かいものがある。
生きていたなら、この胸は高鳴っていたかもしれない。

心と身体に温もりを与えてくれたあなたに。
私は一体何をすれば、この恩を返すことが出来るだろうか。
悩み考えても、やはり私にその術はない。

いつか。いつかはそんな日がくればいいなと思いながら。
その日が来たら、私は彼女に恩返しをしたいとも思う。
今は無理でも、いつか。共に陽の下を出歩ける未来に、また。





[40400] 4・光術士
Name: re◆c175b9c0 ID:5780111b
Date: 2014/08/31 14:37



王子は基本的に忙しい。
本格的に反乱を起こしている中で、その首魁なのであり。
各方々への面会だとか、或いは交渉で外に出てばかり。

基本的な城の内側の話は、軍師さんとそのお付きの方。
実務的なことは、そういう方が担当している訳で。
王子がするべきなのは、旗頭としての振舞いなのだろう。

反乱軍の主要な人に限らず、色々な場所に顔を出す。
それは、魔術防衛拠点であるこの地階も含めたことであり。
私のことですら、定期的に様子を見に来るのである。

元々城だったので、魔術防衛の施設は揃っているし。
それを稼働させて強化するぐらいなら、無理な話ではない。
幸い、貴重な魔術師をこちらにも回してくれている。

大魔術で城ごと消し飛ばされることはないぐらい。
外から転移術式で飛んでくることも完全拒絶体制である。
……要は、防衛よりも吸血鬼を気にしての行動だろう。

普段王子が見に来るのは、昼間。
勿論、吸血鬼である彼女は柩の中で眠りについたままで。
私と彼女の顔と、進捗を確認するだけなのだが。

「――仲、良さそうだね?」
「仲良しですよ。
 もう可愛くて可愛くて仕方ないです」

恒例となってきた、お風呂後の髪の乾燥。
絹のような触り心地を満喫している時に、王子は来た。
整った顔で、平然と私たち二人を微笑んでみている。

一応、彼女が目覚める日は満月近くだし。
今日だと魔術的に判っていたから人払いをしたのだけど。
それを判って入ってきてるということは、つまり。

王子の視線が向かうのは、私ではなく。
その視線を受けて立ち上がり、短いスカートをつまみ。
彼女は貴族らしい所作で、小さく可憐に一礼をした。

「……ご無沙汰しております。
 遅れながら、見逃していただいたご厚情に感謝致します」
「うん、あのまま倒すのも忍びなかったしね。
 それよりどうかな、不自由はしていないかい?」
「この部屋の外に出る自由も頂きました。
 過剰な程に、温情をお恵みいただいております」

――あ、やはり結構上の階級の出身なのだなぁと。
流麗に口から出て行く、端的ながら上品な言葉の使い方。
普段のより、型式ばった会話の方が得意なのかもしれない。

最高礼を取ろうとする彼女に、王子は手でとどめ。
そのまま続いて、視線を私へと向けてきた。
伺うような視線に、いつも通りの進捗の報告を口に出す。

「……まだまだ、ですね。
 魔法陣の仕組みは解析し終わりましたが」
「ほう」
「ただ、その次が中々続かないです。
 小型化も出来ず、他の手段を模索中です」

吸血鬼である彼女が、何故血を吸わなくてもいいか。
それは、血を吸う理由である構成魔力の消費がないからだ。
消費さえなければ、この城からの自由だってあげられる。

城の地階の奥底に眠ることによって、日の光を浴びず。
起きて動くのを満月の日に制限することで消耗を避けて。
この魔法陣の中から出ずに、摩耗すら食い止める。

日の光は、魔術で防護膜を作ればいいと思うが。
魔法陣の小型化ができないというのが、足止めになっている。
これ、持続発動の魔力を陣のサイズで補っているのだ。

単純に小さくすると、魔力が足りずに持続が出来ず。
効果を下げては意味がないし、効率化しても届かなかった。
吸血以外の魔力補給手段を模索した方が早いかもしれない。

いっそ、光術で補給が出来るならそれが楽だけど。
構成魔力は純粋な魔力に弱いから、即消滅確定である。
試すまでもなく、有り得ない手段であることは判る。

「魔術防衛についてはいつも通りですね。
 最近もずっと、転移術が結構引っかかってます」
「一度通りかけたと聞いたが」
「ああ、そうですね。
 防衛式の盲点を突かれた形ですけど」

一応、阻止そのものは間に合ったのだが。
基本的に魔術防衛とは既存術式にそれぞれ対抗するもの。
全く新しい術式だと、対抗できないものもなくはない。

転移術自体が難易度が高くて使い手が希少なんだけど。
だから、新しい構成で組むことなんてないと思ったのだが。
流石に王立魔術院を抱えていると、無理ではないらしい。

「光術陰術風術までは予測してましたが。
 まさか、地術転移だなんて思いませんでした」
「ありえるのかい?」
「向いてないですね。
 対策無しで弾けたのはそれが要因かと」

転移術と言ったら、光術陰術風術のどれかである。
風術転移が一番使い手も多いし、よく知られているけど。
まさか属性ごと変えてくるとは思いもしなかった。

確かそんな術式は魔術院の図書館にも蔵書はない。
つまりは新しく作られたものだろうけど、よくやるよ。
洗練されてなかったから本当に出来たばかりだろう。

風術に比べて出現反応も遅かったし、見え見えで。
城の基礎防衛に多少の妨害を挟んだだけで抵抗したが。
これでもっと早かったら内部出現されていたはずだ。

「次はあるかい?」
「ありません。
 想定される術式は防衛式に組み入れました」
「なら問題は物理的な暗殺者だけか。
 ありがとう、君がいてくれて助かっているよ」
「褒めても何も出ませんよ。
 ……いえ、彼女を愛でる権利をあげましょう」
「遠慮しておく」

なんということを。こんなに可愛らしいというのに。
先程のワンピース姿で裾をあげたのとか、可愛かったのに。
着慣れてない服だから、どうなるかを想像してないのだ。

こう、白くて細いスラリとした足が。
白いワンピースが持ち上がったことで、太ももまで顕に。
なんかもう、お金を払わないといけない気分になる。

折角だから王子もお金を払っていくといい。
そうして彼女を飾り上げる資金を私に献上していくのだ。
次はフリルとレースを効かせたネグリジェを渡そう。

そんな積もりで資金源、もとい王子を見ていると。
王子は私を見て表情を引き締め、真面目な顔をされた。
……言われることの想像が、すぐについてしまった。

「君にも、悪いことをしているな。
 早く司書に戻れるように努力させてもらう」
「いえいえお気になさらず。
 このお仕事もちゃんと楽しいですから」
「済まない。
 これからも色々と頼むよ」

王子に巻き込まれてしまったのは事実だけれど。
まあ、それ程職場の居心地が良かったわけでもなかった。
とっても可愛い被保護者もできてしまったことだしね。

こうして、一人一人の入軍の理由を把握して。
ちゃんとフォローする当たりが王子のアレな所である。
見た目もいいから、心酔してしまう人も出るほどだ。

綺麗で凛々しく超然とした人。
でも、反乱軍を立ち上げられるほどには汚れている人。
……人を殺してでも、現実を変えることを選んだ人。

よくわかんないなぁと思う。
王子が部屋から出て行くのを頭を下げて見送りながら。
あの方は、無条件で信じられる程いい人ではない。

それに反して、どうだ。この彼女の清らかさは!
この世俗の匂いが一切しない感じが、どうにも堪らない。
もしかしたら、生きていた時も霞を食べていたのかも。

いいなあいいなあ。そう考えると更に神秘的な感じ。
今度、正教会の姫巫女の服に似せて作らせてみようか。
白くてさらさらした服は、綺麗な黒髪が映えるはずだ。

「――あなたは。
 あなたは光術士ではないんですか?」
「ん、なんで?」
「あの方は、あなたをシショだと。
 今の仕事は、昔のものとは違うのでしょう?」

シショ、という言葉の響きは平坦で。
そういえば、王立図書館が出来たのは100年と少し前。
彼女が知らない言葉なのか、と直ぐに気がついた。

それに加えて。
彼女が私について質問をしてきたのは、恐らく初めてだ。
いつもは、私が彼女から聞き出してばかりだったから。

なんというか、彼女が私を気にしてくれたというか。
彼女のピントが、始めて“今”を見たような気がして。
不思議な、本当に捉えきれない感情が胸に湧いてくる。

「私は、ね。王立図書館で司書をしてたの。
 司書っていうのは、本の管理とかする人なんだけど」
「図書館、ですか?」
「うん。本がね、いっぱいあって。
 入ったらどれだけでも見られる場所なの」
「私でも?」
「あなたでも」

入るのに、それなりに高額な入館料が必要で。
殆どが、貴族や大商人か或いは魔術院の魔術師ばかり。
誰にでも解放されている所ではなかったけれど。

彼女ならきっと大丈夫だったのではないかなと思う。
どこの誰だったのかすら知らないけれど、なんとなく。
そういう不自由さとは、無縁であったのではないか。

私とは、違うかなぁと思った。
生活に不自由はしなかったが、凄く裕福ではなかった。
平民としては。平民風情が。そういうのだった。

「魔術院を卒業して、司書になったの。
 研究員になりたかったけど、平民ではダメだった」
「そう……なの、ですか」
「だからね、王子にちょっと期待してるの。
 もしかして、少しだけでも変えてくれないかなって」
「その為に、反乱軍に?」

違う、と私は頭を振った。
私は王子と違って、変える為に行動は中々できない。
期待をするだけ、口にも出さずに見守っているだけだ。

司書というのも、決して悪い職業ではなかった。
閑職で低く見られる職業だけど、騎士階級で剣所持だ。
平民の卒業生の中では、まともな勤め先ではある。

別に、今更研究員になりたいという訳ではない。
貴族の暴政と王族の無力を嫌がった王子なら、なんて。
その程度。私がここにいるのは、ただの流れだ。

「……反乱の初期にね。
 王子の信奉者が図書館に逃げ込んできたのね」
「はい」
「若い女の子で、凄く小さいの。
 それを兵士たちが囲んで髪を掴んで床にへし倒した」

丁度その時、私は入口で窓口をやっていて。
ブチブチと千切れる髪と、殴られ口から溢れる血を見た。
手首を踏みつけられて、動けなくなる少女を見た。

私は、それを見ていられなくて。
何が正しいか判らないまま、私は魔力を紡いでしまった。
兵士たちを囲んで、眠りの霧が目に見えて渦を巻いた。

力押しで、魔力を大量に使って全員を眠らせられて。
少女に駆け寄って傷を癒している間に、王子たちが来た。
そこで、私はついてくるかいと聞く王子の手を取った。

――あの時。
全てを王子の責任にするというのも、選択肢にあった。
そのことに私は気付いていて、それでもそうしなかった。

「多分そういう運命だったのね。
 ついていくのも、それもいいかなって思ったの」
「私と、同じですね」
「同じなんだ、嬉しいな。
 ……だったら、あなたに出会えたのも運命かな?」
「私は、そう思います」

彼女はそう言って、小さく微笑んだ。
今まで見た顔の中で、一番温度のある表情だと思った。
この小さい身体に宿った、初めての体温みたいだと。

細い肩に腕を回して抱きしめる。
やっぱり温度はなくて冷たいけれど、柔らかかった。
私の背中に彼女の腕が回って、私たちは抱きしめ合った。

戦争が終わったら。
彼女を図書館に連れて行こう。彼女に本を読ませよう。
この200年の間に何が変わったのかを、彼女に伝えよう。

彼女が何を思っても、どんな感情を抱いても。
今こうしているみたいに、全てを抱きしめてあげたい。
これが運命であれば、とても素敵なことだと思えた。





[40400] 閑話2・吸血鬼
Name: re◆c175b9c0 ID:5780111b
Date: 2014/09/01 21:08



思えば、私には生まれた時より自由などなかった。
生まれる以前から生き方は決められ、主は決まっていた。
私の世界は、宮廷の外には最初からなかったのである。

私は、騎士と王妃の女官の子どもとして生まれた。
身分としては父よりも母の方がほんの少しだけ高いけれど。
それでも、珍しい程に仲の良い夫婦であったと思う。

王妃が私の主、第三子の姫君をそのお腹に宿した時。
それとほぼ同じくして、私も母のお腹の中に出来ていた。
母は姫君の乳母となり、私は乳兄弟となったのである。

姫は私を一の家来として、私は姫を唯一の主とした。
それは私たちが生まれる前より決まっていたことである。
姫に断る理由はなく、私には断る権利すらなかった。

勿論嫌なことではない、光栄なことである。
あの時代に柵のない人間などいないし、今もそうだろう。
用意されていた立場としてはかなり上等なものである。

姫は斎宮として、正教会の姫巫女として育てられ。
私は姫に従う侍女と、そして護衛の教育を受けた。
勿体無くも姫のお傍に仕え、時には同じ講義を受けた。

魔術は苦手であったが、剣術は嫌いでなかった。
勉学も礼儀作法も、侍女の仕事も身につけていった。
私と姫は、主と侍女としての関係を作り上げていった。

清らかであれと育てられた姫と、従う私。
宮廷の外に出る機会は、齢を重ねても数える程だった。
私たちの世界は狭く、私の全ては姫のものであった。

私の身体も、心も、人生も。
その中でも姫は、私の黒髪が大のお気に入りだった。
整える為以外に短くすることを命令として禁じた。

姫が斎宮として、湖畔の城に入城された時も。
私は閉じられた馬車の中で、姫にただお仕えしていた。
長い道のりで、退屈されないように話をしていた。

湖畔の城は、中々良い場所だった。
当然だ、ここは斎宮として作られた場所であるのだ。
神殿として、環境が悪いわけもなかった。

湖からくる風は、時折水分を含むこともあったが。
それでも風光明媚であることには変わりはしなかった。
私は、この城の美しさが決して嫌いではなかった。

城の中で、静かな生活をする日々が続き。
やがて、一つの噂がこの城を駆け巡ることになった。
人の血を吸う吸血鬼がこの国に現れたというのだ。

血を吸うことで生きながらえる吸血鬼。
清らかであるほど、その化け物には美味であるらしい。
この国で最も清らかなのは、姫に他ならなかった。

神的な祝福、魔術的な洗礼。
毎日のように禊を重ね、国の信仰の中心となる姫巫女。
生まれたばかりの赤子より、清らかな乙女である。

経緯は省こう。私は姫の代わりに血を吸われた。
乙女の私は吸血鬼と化し、討ち取られる存在になった。
その運命を、私は呪うこともなく受け入れるつもりだった。

しかし、姫はそれをお許しにならなかった。
吸血鬼などに襲われたこの城は縁起が悪いと捨てられて。
私が眠り続ける為の場所を、この地に残したのである。

城の奥底。本来ならば姫が禊をされる場所。
そこに姫ご自身が魔法陣を組み、私の為の結界を張った。
私が化け物とならず、眠り続けることが出来るように。

この地は禁断の地と致します。
姫の宣言によって、城に人間が近づくことはなくなった。
そして、私はただ眠りにつくこととなったのである。

姫は、何故私を眠らせたのであろうか。
眠るだけでは、ただ期限を引き伸ばしただけに過ぎない。
引き伸ばしただけなら、何時かまた限界が訪れる。

ならば、姫は私を助ける手段を模索したのだろうか。
そのための時間稼ぎとして、私は眠らされたのだろうか。
姫は微笑むばかりで、何もお知らせにはならなかった。

その結果は、一体どうなったのだろうか。
私は200年の時間を過ごし、姫が来ることはなかった。
姫は、私を救う手段を見つけられなかったのだろうか。

それとも。
それとも、私のことを忘れてしまわれたのだろうか。
取るに足らない過去として、記憶の中にしまったのか。

今の私では知りようがない。これからの私でも判らない。
私がそれを知る可能性があるのは、ここを出た時だけだ。
100年が経った時、その可能性も既に尽きたと思った。

次に目を覚ました時に姫がいるのを想像して眠り。
そしてその夢は叶うことなく、私は永遠に城に囚われた。
もう姫は来ない。その事実が、私の心を凍らせた。

何を信じて、何を期待して生きていけばいいのだろう。
恐怖に震える身体を抱きしめても、そこに温りなどない。
動きすらしない心臓と、最低限の熱があるだけだ。

身体を擦れば熱は出る。しかしそれは体温ではない。
それは身体を温めて、心を溶かすものにはなり得ない。
私は死んだ。私の心は生きることを諦めたのだ。

それでも浅ましい私は、自分から死を選べない。
何時かは誰かが助けに来てくれるかもしれないと願い。
姫に死ぬなと命令をされたのだと、必死に思い込み。

――そして、今に至った。
私は姫とは別の、全く似ていない人に手を引かれている。
似ているところといえば、私の髪が好きな所だけだ。

彼女の手は暖かい。彼女の瞳は優しい。
私を受け入れようとする彼女の心はふわりと私を包み込む。
凍りついていた心が、また綻んでいくのを感じた。

彼女は私に、自由を与えたいと言った。
私に外の世界を見せたいと、出来る限りをしたいと言った。
それは、私の今までには、何処にもないものであった。

外の世界など知らない。見たこともない。
私が知っているのは、宮廷とこの城の中だけの世界である。
彼女はそれ以外の場所に、私を連れ出そうとしている。

世界とはどんなものだろう。
街とは、市場とは、草原とは、一体どんなものだろう。
私が見たことがないものを、彼女は知っている。

それは想像ほど綺麗なものではないだろうけど。
きっと想像より騒がしくて、素敵なものであるだろう。
彼女と一緒なら、どんなものでも素敵に見えるはずである。

何時か、この城を出て歩いてみたい。
日差しの下を、この二本の足で地を踏みしめて歩きたい。
きらきら光る全てのものを、この瞳の中に収めたい。

その時、私の隣には、出来れば彼女がいてほしい。
花柄のワンピースを着た、満面の笑みを浮かべた彼女が。
知らない世界に戸惑う私の手を引いていて欲しい。

私は怯えながらもその手を強く握り返して。
そして彼女について、きらきらした世界を見て回るのだ。
古くさいドレスではなく、この白いワンピースを着て。





[40400] 最終話・光術士
Name: re◆c175b9c0 ID:5780111b
Date: 2014/09/05 17:55



盤面はもう決まった。勝敗は覆せない。
王子の、反乱軍の怒涛の勢いは王軍に止めようがない。
残っているのは王都だけ、それも時間の問題だろう。

反乱軍は王都を取り囲み、後は詰めていくのみ。
内応者も数多く、順に施設ごとで制圧が進んでいく。
例え王子を殺しても、その流れは止まりはしない。

――止まらない、はずだ。
ここに至る時点でまだ諦めてない人間はいないだろう。
ただ、諦めの中で、最後に何かを捨てきれないのだ。

持っていたはずの特権だとか。
この戦争の中で、命を掛けるほどの怨恨が出来たとか。
色々な理由があって、まだ抵抗するものがいる。

けれどそんなのは、ただ時間を長引かせるだけだ。
ただ余計な犠牲を増やすだけだと知って、それでもなお。
戦争は未だ終わらず……この城にも迫ってきていた。

王都を取り囲む為に、殆どの兵は城から出払っている。
それに伴って主要な将も従軍し、城には僅かな守兵のみ。
魔術師も魔術防衛に携わる私ぐらいしか残っていない。

そんな日の、夜。みんなが寝静まる頃に。
まだ何かを捨てきれない誰かが、この城を襲撃した。
……魔物の集団が、城下町を襲撃したのである。

城の周辺に魔物がいないわけではない。
しかし大物どころか危険があるものは全て狩っている。
子どもが一人でも、街道を歩ける治安なのに。

そんな状況で、自然に集団で襲撃してくる訳もない。
これは明らかに人為的だと推測出来るが、それだけだ。
理由が判っただけでは意味がない。対策しなければ。

走り出し、向かう先は地階の奥。
守兵は既に戦いを始めているし、私に指揮など出来ない。
住民の避難も既に他の人たちが誘導を始めている。

ならば私に出来るのは、これ以上の混乱の阻止だ。
城内に避難した人が、彼女を敵と勘違いしないように。
それがまず、私にしか出来ない一つ目のことである。

鍵を開けて扉の中に入ると、彼女が柩に座っていた。
満月まで数日あるが、起きているならその方が都合がいい。
バンと大きな音を立てて飛び込む私を、彼女が見つめた。

「――魔力が、渦を巻いてます。
 何か、外で騒ぎが起きたのでしょうか」
「城に襲撃があったの。
 地階にも、人が避難してくるから」
「……そうですか。
 それでは、出ないようにいたします」

そうだ、それでいい。鉢合わせしなければ十分だ。
彼女が討ち取られる可能性がないのなら、文句はない。
寝起きの彼女は、寝乱れた髪を手で掻き分けた。

さて、これからどうしよう。
私は魔術師。今城にいる中では最高峰の一人である。
何かをすれば、もしかしたら被害者は減るかもしれない。

「あなたは、どうするのですか……?」
「私は」

考えて、足を止めてしまった私に彼女は首を傾げた。
私の魔術なら、怪我人の手当も魔物の退治も出来るはず。
やれることなら、確実にどこにでもあるはずだ。

避難してきた人の手当をするか、それとも戦場か。
安全で怖くないのは確実に前者だけど、でも後者なら。
私の力でやれることは、確実に後者の方が多かった。

「――私は、襲撃に対応しに行きます。
 すぐ戻ってくるから、お願い待っててね」
「戦う、のですか」
「守兵だけだと不安だし……。
 魔術師が一人はいた方がいいだろうしね」

守兵の殆どは弓と槍を武器にしているはずで。
魔獣や魔鳥はともかく、騒霊みたいなの戦い難いはず。
光術士、せめて魔術師がいないと話にならないのだ。

怖いか怖くないかと言ったら、当然怖いし嫌だ。
だけど、それで出来ることがあるのに引きこもるのも嫌。
腰につけたままの騎士剣の柄を、私は小さく握った。

「行かれるのですね」
「うん、ごめん。
 大丈夫だよ、絶対に戻ってくるから」
「……いえ、私に剣をお貸しください。
 道中の露払い程度でしたら、私でも出来ます」

そう言って、彼女は私に手を伸ばした。
その先は握ったばかりの剣の柄、つけているだけの剣。
しなやかな掌が、此方に渡してとばかりに向けられる。

驚いた私は、思わず遠のくように向きを変えた。
道中、という言葉の意味を、捉え間違える訳もない。
彼女は、この部屋から出ようと言っているのか。

「……外に、出るの?」
「夜、ですし。
 多少なら、それ程消耗もしないと思います」
「でも」
「行かせてください。
 ……あなたを、一人にはさせられません」

立ち上がり、近づいてきた彼女は私の手を握った。
ひんやりとしたその手がしっかりと手を掴んだことで。
小さく、身体が震えていることに私は気がついた。

……駄目だなぁ、私。
誰かを助けられるのに、怯えて逃げ出そうとしている。
これは、誰かを傷つける戦いじゃないというのに。

義務感だけじゃなくて意思で戦うつもりだったけど。
私は、やっぱりそこまでは強くなれないと思い知った。
自由なもう片手で、彼女の手をそっと挟み込む。

「――お願い。
 私も、あなたと一緒なら頑張れそう」
「はい。
 一緒に行って、一緒に戻ってきましょう」

ふわりと笑った彼女は、緊張の欠片も見えなかった。
もしかしたら、知らないだけで戦いに慣れているのかも。
彼女のことをまだまだ私は全然知らないのだろうか。

鞘ごと渡した騎士剣。それを彼女は左手に持った。
騎士剣とは言うが、文官用の、儀礼的なショートソード。
それでも軽くない金属の塊を、彼女は軽々と振った。

吸血鬼としての腕力もあるのかもしれない。
しかし、それだけではその綺麗な動きの説明は出来ない。
私と違って、剣術を学んでいるのかもしれなかった。

「……行きましょうか。
 あなたのことは私が必ず守ります」
「怪我、しないでね。
 光術で治してあげること、出来ないから」

彼女には光術が使えない。使うわけにはいかない。
怪我をすればするほど、身体の構成魔力が減るだろう。
ならば、私に出来ることは一体何かと考えてみれば。

……使い慣れない攻撃術式を複数用意する。
魔力を無駄遣いしないように、丁寧に無駄をなくす。
護衛をする彼女に手が届く前に打ちのめすのみだ。

――そうして私たちは、夜の闇を走り出した。
煌々とした灯火は、襲撃の騒ぎの中で照り照り光る。
矢が飛び交う前線に辿り着くまで、時間はかからなかった。

術式を組む。撃つ。術式を組む。撃つ。
右手には常に砲撃用の火術式を組み、広範囲を狙い続け。
左手はどんな術式でも組めるように自由にしておく。

殆どが魔獣。中には魔鳥。極少数の飛竜さえいる。
ふわふわと浮かぶ騒霊と邪霊を光術で払い、大物を狙う。
その私を、守り続ける白いワンピースを着た吸血鬼。

まるで細剣のように長く持ち、敵からの距離を開け。
時には吸血鬼の腕力で、鞘で魔鳥や魔獣をなぎはらい。
私の騎士様は、可憐なままで剛力の剣闘士であった。

――幸い、敵の練度は決して高くない。
一体一体が強くもないし、組織だっている訳でもない。
守兵たちも落ち着いて、一体一体を片付けている。

時折、彼らに治癒用の光術を飛ばしながらも。
私たちは城下町の、広場で魔物の襲撃に抵抗していた。
……広くて、四方八方から襲われていて、だから。

光術で邪霊を灼いて、近くの魔鳥の群から距離を置く。
その為に一歩引いてからくるりと反転しようとしたとき。
石畳に軽く足を引っ掛けて、私は態勢を崩しかけた。

倒れるとまではいかず、なんとか踏ん張れたものの。
それで私はたたらを踏んで、魔鳥へと近づいてしまった。
再度逃げ出すにも、私の身体がいうことをきかない。

周りにいた兵士たちも、少し距離があって。
魔術防壁も、この近さでは間に合いそうにもなかった。
致命傷だけは避けられればいいなと、目を閉じて。

「――守る、と言ったでしょう。
 あなたの笑顔は曇らせなどしません」
「うそ……嘘だよね?」
「嘘ではありません。
 私は、あなたには絶対に嘘をつきたくない」

――襲いかかるはずの痛みがなく。
次に目を開けた時、目の前に啄まれる彼女の姿があった。
私を庇うように立ちふさがり、此方を向いている。

立ち上る黒い魔力は、明らかに彼女から流れ出ていて。
背中に集られているのを気にも止めず、笑っていた。
抵抗も反撃もせずに、ただ彼女は私を見て微笑んでいた。

密度の高い魔力。きっとそれは、彼女の構成魔力。
それを食い荒らすためか、魔鳥の群はバタバタと跳ね回る。
こちらから見えない彼女の背中から、鈍い音が聞こえる。

ドンッドンッという音の後に、グチュリと湿った音。
水分が混じった音は、それはつまり、彼女の。彼女の。
それなのに私に向けられた微笑みは、少しも変わらず。

その頬に、両手を伸ばし。
熱のないほっそりとした首を越えて、抱きつくように。
重なる頬はさらさらと柔らかく私の頬を受け止める。

「――ほ、むらよ。
 なせ。集え。廻り……巡りて――焼き尽くせ」

燃やせ。燃やしてしまえ。全てを、私ごと燃やせ。
私の思いを受けた魔力が、渦を巻き朱色の炎となっていく。
肌を撫でるように、炎が踊りながら全てを燃やしていく。

術式も何もなく、ただ感情だけで暴発させた魔術を。
私は更に強い感情で、力押しのレジストをする。
“私と彼女だけが残るように”、全てを燃やし尽くす。

ふわり、と風が舞って。息が苦しくなって。
噎せるように息を吐くと同時に、視界は赤くなくなった。
鼻が擦れる程の距離に、彼女の微笑んだままの顔。

長い睫毛は、しっとりと濡れているように見えて。
私は泣きそうになりながら、更に強く、強く抱きしめた。
彼女の“傷を癒そうとして”光術を感覚で紡ぎながら。

唇が触れ合うような近さで、私は小さく言葉を紡ぐ。
彼女が吸血鬼であることを、思い出したその時には。
白い光が、私たちを包み込むように溶けていって――。





獣たちは火を恐れる。例え魔獣でも変わらない。
戦場の真ん中で立ち上る火柱を、多くの魔物が恐れた。
魔鳥の群がそれで消滅したことも大きかっただろう。

散り散りになった魔物たちは各個撃破。
襲撃の主犯たちは、時間も掛らず簡単に発見されて。
死んだり捕まえたりされて、その数を減らしきった。

「――という顛末で。
 大体、これで襲撃は終了したわけなんですけども」

報告書である。カリカリと手書きで準備中である。
あの襲撃の時に前線にたっていた中では。
私が一番立場が上であったらしくお鉢が回ってきた。

反乱軍は遂に、反乱軍でなくなってしまった。
王子は既に王都入り。この城にはもう戻ってこない。
ここは、まあ普通にこの街の領主館になるのだろう。

私は。それなりに、色々とやることが残っている。
この城の魔術防壁を普通のものに作り替えたりとか。
反乱軍の資料の王都への輸送のお手伝いとか色々。

それはともかく。
やることが片付いたら、私もこの城からお別れだ。
この地階にも。この部屋にももう用はないのだ。

…………そう。この部屋でなくても、もう大丈夫。
そう思いながらペンを止め、後ろを振り返る。
微笑みながらこちらを見るのは――大切なお姫様。

「――もう終わったんですか」
「うん。ごめんね、待たせて」

いいえ、とその人――吸血鬼は首を振る。
細い首筋は相変わらず、可憐な仕草も変わりはしない。
彼女の身体には、小さな傷一つ残ってはいない。

――そう、何一つ。
魔鳥の群のついばみの痕も、彼女に残ってない。
彼女の傷も身体も全て、私の光術で治せてしまった。

「……本当に、まさかよね。
 吸血鬼に光術が、たった一つの正答だったなんて」
「あなたの技術があって、ですけど」

あの時。彼女に吸い込まれていった私の魔力は。
彼女の構成魔力を傷つけることなく、静かに収まった。
構成魔力と同化して、完全に綺麗な元通りの姿へと。

そも、構成魔力とはただの魔力に過ぎず。
やはりただの魔力に過ぎない光術と、ほぼ同等のもの。
同質である以上、反発させなければ同化するは道理。

……詰まるところ。崩すも治すも光術で自由自在。
ただそこに、悪意があるかないかで全ては決まる訳で。
後は崩さず繊細に魔力を扱う技術があればいい話だ。

もしかしたら、最初に光術を使った人も。
本当は、治そうと思って使ったのかもしれないと思う。
ただ、技術が足りずにその構成魔力は崩壊してしまった。

そして、吸血鬼は光術に弱いという事実が先行する。
善意を持って、吸血鬼に光術を使うことがなくなる。
そうすれば、今までに知られなかったのも納得である。

「――とにかく。
 私と一緒なら、外にでても大丈夫ってね」
「はい。ご迷惑をおかけしますが」
「そんなことないよ。
 あなたと一緒にいられて、嬉しいもの」

どれだけ構成魔力が乱れても、私が治せばいいだけ。
それが判れば、何を躊躇うことがあるというのか。
少なくとも彼女には、この城からの自由をあげられる。

ただ、それでも。完全な自由はまだそこにない。
自由といえども、優れた光術士が必要にはなるのだ。
現状、この国では私が一番都合がいいわけだけど。

「それより、あなたはいいの?
 私と一緒に図書館に行くことになっちゃうけど」
「いいですよ。
 本は好きですし……あなたが一緒ですから」

そう言って、彼女は笑う。
研究はまだ続けるつもりだけど、それまでは一緒だ。
朗らかな笑顔は、本心のものだと私に思わせる。

かわいい、と思う。素直に。
守り続けたい。私が彼女の隣にいる限りはずっと。
そう思いながら、懐に持っていたものを渡す。

「これ、つけて。
 陽の光から身を守る術式が入ってるの」
「指輪……ですね。
 どの指に填めればいいでしょうか」

一応術式としては、光術じゃなくて陰術になるが。
得意ではなくても組むこと自体は難しくはない。
持ち運ぶ為に、多少の工夫は必要としたのだけれど。

小さな石がついた指輪は、とてもシンプルで。
彼女に似合うようにもう少し可愛く作ればよかった。
聞かれたことで、考えなしだったことにも気付く。

「――あ、ごめん。
 考えずに作っちゃったけど、どの指でも大丈夫だよ」
「そう、ですか。
 ならどの指に填まるか試してみますね」

小さな指を一つずつ試して行って。
ちょうどしっくりいった様子なのは、左手の薬指。
満足したように、白い手でその指輪を撫で上げる。

「この指。
 なんだかとってもしっくりきます」
「……えー、うん。
 いや、うん。しっくりくるならいいんだけど」

まるで。その。
その指はなんというか、また別の意味合いがある気が。
困惑する私を、彼女は不思議そうに首を傾げて見る。

一応、結婚の誓いを指輪にする風習があるのだが。
もしかして、そういう風習が昔はなかったのだろうか。
だとしたら下手に追求するのも、おかしい気がする。

というか、態々私からいうのは気恥ずかしいし。
そうして、ぐるぐると頭の中で一人考えた結果として。
――悪い気はしないし、いいかという結論に至った。

「――うん。
 折角だし、外に行ってみようか」
「外に、ですか……」
「やっぱり怖い?」
「……いえ、あなたと一緒なら大丈夫です」

私も、あなたと一緒なら何も怖くないと思えるよ。
そう口にしようかと思って、凄く恥ずかしくて言えず。
その代わりに、彼女の手を握って引くように歩く。

大きな扉を越える。暗い石造りの廊下を抜ける。
細工石が積み重ねられた階段を上り、ロビーに出る。
木で作られた大きく重い城門は、今は開かれたまま。

「ね、この指輪。
 お揃いで、あなたもつけませんか」
「……そうだね。
 それも悪くないかもしれないなぁ」

歩みを進める中で、彼女が少し楽しげに口を開く。
本当に、結婚指輪みたいになってしまうけど。
これはあなたへの誓いだ。それもいいかもしれない。

外の光が、石畳に反射して私の目に刺さる。
小さく震えた手を、震えないように強く握り締める。
その手は暖かくないけどしなやかで柔らかかった。

一歩ずつ踏み出す。この古い牢獄から抜け出す。
完全じゃないけどあなたに自由を、命をあげよう。
お代は、陽の光を浴びたあなたの微笑みで十分だ。




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