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[8913] 魔法大戦リリカルなのはWizardS 2nd(ナイトウィザードクロス)
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:e607fa0a
Date: 2012/08/24 20:55
前書き@StS編。


 このお話は、魔法少女リリカルなのはシリーズをメインにした、アニメ版ナイトウィザード(一部原作設定あり)とのクロスSSの第二部となっております。
 お手数ですがこちらを読む前に、同名タイトルの第一部をご覧いただくことを強くおすすめいたします。




  ☆注意事項☆


・「愛と勇気と希望」がモットーの熱血バトルものです。インフレ上等!

・主人公最強物(最終的に、という意味で)。

・オリキャラありの再構成。リリなのキャラがオリキャラとくっついてます。

・魔改造多数。おもに戦力的な意味で。

・設定だの考察だのは欠片もありません。作者はミクロな展開しか書けません。だけど世界の危機は大好物。

・作者は重度の厨二病患者です。「厨二病乙」とか言ってばっさり斬ってやってください。

・携帯よりの投稿です。改行などが見づらい可能性があります。




 以上、完結を目指して適当にがんばっていく所存ですので、ご愛読いただければと思います。



[8913] 第一話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:f621e8a2
Date: 2009/05/20 22:55
 




 斯くて彼らは将来の神秘を知らず、
 太古のことどもを解することもなし。
 おのれに何が起こりたるかを知らず、
 将来の神秘よりおのれの魂を救うことなし。

      『死海写本』より









 神々が住まい、光と闇に分かれ闘争を続ける世界────“主八界”。




 八つとも、十四とも言われる世界の内の一つ──第八世界“ファー・ジ・アース”。

 我々が住む地球によく似た、しかし、異なった世界──その“下”には、“裏界ファーサイド”という名のもう一つの世界が存在する。
 “エミュレイター”、“侵魔”と呼ばれる、いわゆる悪魔が住む混沌の世界────
 その一画、無限に広がる蒼い海原があった。


 元来、裏界とは、あらゆる物理法則が通用せず、極度に歪曲された混沌の空間だ。
 故に、空間の様相は、そこに在るエミュレイターの意志によって決定される。

 蒼海にたゆたう蒼銀の宮殿は、近頃、裏界に新しく名を連ねた若き魔王の領域だった。
 “母”より受け継ぎし力で、裏界の住人たちに自らの存在を認め、知らしめた、人にして人ならざるモノ。



 その出自に由来して、彼の者はこう呼ばれる────


 ────“裏界皇子”と。




 縦長の豪奢なテーブルの端、椅子に腰掛けるのは銀髪金眼の可憐な少女。細い足を優雅に組み、おなじみのポージングで紅茶を嗜んでいた。

「ふぅん……。で、ホントに“そこ”へ行けばプラーナが手に入るわけ?」

 かちりとカップをソーサーに戻し、訝しそうに瞳を細める。

「まったく疑い深いヒトだね、君も。言っただろ? 一世界あたりのプラーナの純度は低いけど、世界の総数はこちらよりも遙かに上──全体で見れば大したものだ。
 ……邪魔なウィザードや神連中が居ないから、好き放題の入れ食いウハウハ。君にも悪い話じゃないと思うけど」

 テーブルの対岸で相対するのはこの宮殿の主──黒髪蒼眼の少年。少々うんざりした様子で吐息をこぼした。
 未だ幼さは抜けきっていないものの、じきに立派な美丈夫へと成長することは間違いない。

「…………そもそも、あたしはあんたたちと組むのが嫌なのよ」

 少年の正論に、少女は憮然として面倒くさそうに頬杖を突く。
 少女のマナーのなっていない仕草に少年は一瞬、不快感を覚える。
 それを言葉に乗せ、挑発。

「大事の前の小事。いつもそんなだから、ウィザードに返り討ちにされるんだろうが」
「……っ。あんただって他人のこと言えないじゃない!」
「否定はしないよ。君ほどじゃないけどね」
「ぐ……っ」
「この間は、真行寺 命にバッサリと叩き斬られたんだろ? あれ、それとも緋室灯に撃ち抜かれたんだっけ」
「うぐ、ぐぐっ……」
「で、どうするのさ。手伝うの? 手伝わないの?」

 少女の射殺すような視線を柳のように受け流し、少年が決断を迫る。
 もっとも、彼の内心は冷や汗ダラダラだったりするのだが。

「────いーわよ、やってやろうじゃないのっ!?」

 やけっぱち気味に言い切ると、少女は立ち上がり、背もたれにかけてあったポンチョを羽織る。

「この“蠅の女王”を味方に引き入れたことっ、たっぷり後悔させてやるから覚えてなさいっ!」

 どこかズレた捨てセリフを残し、少女はしゅんと姿を消した。

「…………。後悔させちゃ駄目だろ、おい……」

 そんな虚しいツッコミは虚空に消えて。
 まあいいか、と思考を切り替えた少年は、蒼く揺らめく自らの領域に視線を向ける。

 “力”は得た。準備もまあ、万端。
 発生した“イレギュラー”が気にかかるところだが、それもまた一興。
 人生は、何が待ち受けているかわからないから楽しいのだ。


「……例え“神”であろうと貫き進むのみ、ってね」


 愉しそうに小さく笑みを漏らし、少年は思考の海に落ちる。
 彼の胸中に浮かぶのはただ一つ──“故郷”に残した自分の“半身”、自分の“居場所”。


「“あの娘”が、どれだけ綺麗になっているか……楽しみだ」













    ────これは、“運命”の名を持つ少女と、白き羽根を持つ“魔王”が織りなす、希望の物語────




   魔法大戦リリカルなのはwizards
     〜Magical war fair of the Satan and Pluto〜


  第一話 「長い夜の始まり」












 ──四月の中旬。とある日、とある午後。
 場所は某県、海鳴市。

 桜の香りが僅かに残る、すっかり見なれた住宅街をとぼとぼと歩く。
 空からは、憎らしいくらいにさんさんと太陽の光が降り注いでいるけれど、私──フェイト・テスタロッサ・ハラオウンの気持ちは曇りに曇っていた。


「はぁ……」


 春は、キライだ。冬──というか、十二月と同じくらいに憂鬱になる。
 六年前──今ではかけがえのない親友となった“ふたり”と出逢った思い出の詰まった時期だというのに、私は毎年、密かに陰鬱な気持ちを持て余して、原因不明のやるせなさにため息をつく。

 春はキライ。冬もキライ。
 ──いつもは目を背けていられる、私の“ナカ”の足りない“ナニカ”をまざまざと見せつけられているようだから。
 “あのひと”に拒絶されたことを思い出すからかもしれないし、もっとほかに理由があるかもしれない。

 ともかく、私は春がキライだ。


「……はぁ」

 もう一つ、ため息。今日は特に最悪だった。
 せっかく“お仕事”のないオフの日だというのに──といっても、“お仕事”がない日にすることなど、私はほとんど知らないけど──、これはない。
 なにかのいじめだろうか、とくだらない想像をしてしまうのもしかたないと思う。

「たい焼き、売り切れだなんて……ひどいよ」

 私の大好物、とらやのたい焼き。それが、誰かに買い占められてしまい一個も残ってなかった。

 たかがたい焼きと侮るなかれ。
 不安定だと自覚している私の精神安定剤代わり……といえば、どれくらい大事なものかわかってもらえるはず。
 “余所”にもたい焼きはあるにはあるけれど、本場(?)の味には到底かなわない。
 というか、たしかにあそこのたい焼きは、ほっぺが落ちるくらいにとってもおいしいけど、買い占めるなんていくらなんでも非常識。どこのアラブの石油王の来日かっていう話だ。

「──はぁ…………」



 ──カスタードのたい焼き、食べたかったなぁ……。







 あてもなくぶらぶらしているうちに、いつの間にかいつもの公園に来てしまった。
 ごく普通のブランコに小さな砂場、サビが目立つ遊具──広さはそれなりだけど、どこかもの悲しい、こじんまりとした印象の公園。
 たい焼きを食べるときは、ひとりでここと決めている。親友たちにも教えていない、私だけのヒミツの場所。


 唐突に、ざあっと春一番には遅すぎる強い風が吹き荒れた。

「っ!」

 反射的にまぶたをつむる。
 びゅうびゅうと吹く風の音が遠ざかっていく。
 ややあって、ゆっくりと開いた私の視界に飛び込んできたのは、夜のように真っ黒なくせっ毛の男の子の後ろ姿。

 コバルトブルーのパーカーの上に、黒革のライダースジャケットを羽織っていて、クリーム色のカーゴパンツの裾を無骨なデザインの黒いブーツに突っ込んでいる。
 とても、男の子らしい服装だ。
 背丈はすらりと高くて私よりも拳二つ分くらい大きくて、体型は筋肉質そうだけど無駄なく引き締まっている感じ。
 同い年か、少し年上くらいだろうか。

 ──なぜだか、私は“彼”から目を離すことができなくて。
 まじまじと観察されていることに気がついたのか、その男の子が振り向く。

「──っ」

 びっくりしたように見開かれたのは、蒼い海みたいな深いシアンブルーの瞳。いつか見たような、ほっとするような、とても懐かしい感じのする色。
 少しだけ日焼けした精悍な顔立ちと合わさって、どこか頼もしい雰囲気を漂わせている。

 数瞬、見つめ合う。磁石の両極がくっついたみたいに離せない。
 引き込まれるような蒼い瞳と、ボサボサの黒い髪がミスマッチでなんだかかわいらしいかった。

「──こんにちは」

 男の子は、そう言ってにこりと社交辞令的に微笑む。
 とくんと高鳴る胸。……負けたような気がしてくやしい。

「こ、こんにちは」

 軽くどもりながら返事。
 ふと、その男の子が腕で抱えている紙袋が目に付いた。
 それは……、まさか……っ。

 私が違う意味で視線を奪われていると、男の子は紙袋から予想通りもの──ほかほかのたい焼きを取り出して、頭の方からぱくりとかぶりつく。
 ……すごく、おいしそう。

「ん?」

 男の子が手を止めて、じっと見ていた私のことを見返す。
 慌てて視線を外すけど、どうにも彼とたい焼きが気になってしかたがなくて、つい、見てしまう。
 すると、男の子はさっきの微笑と違う……こう、“あくま”のような笑みを浮かべた。

「たい焼き、欲しいの?」

 うっ……。
 知らない人から物をもらうなんて、子どもみたいにみっともない真似、中学三年生にもなってできるわけない。
 できる、わけ……。
 できる……。
 ……。


 ふらふらと揺れる、おいしそうなたい焼き。視線は釣られてゆらゆら。
 私の大好物。少なくとも今日はもう食べられない────


「…………」

 誘惑に屈してこくりと首を振る。

「ふふっ、そっか。じゃあ、どうぞ」

 男の子はたい焼きを差し出しながら、してやったりといたずらっ子な笑顔をこぼす。
 私はそれが、とても“彼”らしい笑顔だと思った────






 ベンチに男の子と並んで座って──なぜかいつも私が座るところだった──、もらったたい焼きをかじる。
 当然、私はしっぽから。頭から食べちゃうなんてかわいそうだ。
 もぐもぐ。もぐもぐ。
 やっぱり、たい焼きはおいしい。どうしてだろうか、今日は格段においしく感じる。

「……」

 夢中になっていて気がつかなかったけど、隣に座っている男の子は私を観察しているみたいだ。
 普通、見ず知らずの人にそんなふうに見られたらいやなものだけど、“彼”からの視線に不快感はない。
 むしろ、安心するというか。

「あ、あの……」
「うん?」

 とりあえず、不思議に思ったことを聞いてみた。

「どうして、私にたい焼きわけてくれたの?」
「そりゃあ……すごく物欲しそうにこっちを見てたから、かな」

 苦笑混じりに言われて、かあっと頬が熱くなる。

「まあ、それは冗談──でもないけど、俺の分はもうたくさんあるからね」

 “俺”の部分に少しの違和感。ちょっと、似合わない。

「それに──君みたいに、綺麗な女の子と一緒に食べられるのなら、こっちからお願いしたいくらいだよ」
「っ!? き、きれいだなんて、そんなこと……」

 ストレートな言葉に、さっきとは違う意味で顔が熱くなる。
 ──うれしいとか、はずかしいとか……私の感情は、一瞬でぐちゃぐちゃ。自分でもコントロールできない。
 そんな私の様子を楽しそうに見ていた男の子は、ふと席を立つ。

「っと、そろそろ行かないと。短気な連れが怒るんだよね。──残りは君にあげるよ」
「えっ、いいの?」
「いいよ。“いいもの”を見せてもらったお礼だから」
「あ、ありがとう」
「ん、じゃあ“またね”」

 そんな意味深なセリフを残して、黒髪の男の子は気まぐれな風みたいに唐突に去ってしまう。
 私は“彼”の背中を少し寂しく感じながら見送り、不思議とぽかぽかした気持ちであったかなたい焼きを存分に味わう。

「あっ、名前、聞き忘れちゃった……」

 はじめて逢った、もう逢えないはずのひとなのに、それがすごく残念なことだと思えて。



 ──またね、か。



 彼が残したことばを心の中でつぶやく。

「また、逢えたらいいな……」

 カスタード味のたい焼きをはみながら、私は暮れはじめた茜色の空に向かって、そう、願った。



[8913] 第一話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:78ad8cd3
Date: 2009/05/22 22:10
 


 四月二十九日
 ミッドチルダ臨海第8空港。

 普段、ビジネスマンや家族連れなど旅行者でごった返している空の玄関は、今や真っ赤な炎に包まれていた。


 休暇中、親友である“八神はやて”の元に訪れていた私と、もうひとりの親友“高町なのは”は、突如起こった火災に遭遇した。
 時空管理局の局員としても、ひとりの人間としても指をくわえて見ているわけにはいかない。

 私たちは現場に直行して、取り残された民間人の保護に奔走した。



「──!」

 だいたい、二メートルくらいの高さの廊下。
 藍色のロングヘアーの女の子が、床に伏せ、苦しそうに息をしている。
 駆けよって、抱き上げる。

「だいじょうぶ? ごめんね、遅くなって」
「あ、あの、妹がっ、スバルが……!」
「妹さん? ん……。だいじょうぶ、その子も保護されたみたいだ」
「よかった……」

 安心したように涙をこぼした女の子。
 突然、少し前方の壁が爆発。赤々とした炎が、私たちのいる通路に勢いよく這いだしてくる。
 ガス管かなにかが火災の熱で破裂したのかもしれない。ここも長くは保たないみたいだ。
 早く要救助者であるこの子を連れて、退避を────

「──っ」

 ぞくりと、背中に冷たいモノを差し込まれたような寒気──ううん、怖気を感じた。
 反射的に振り向く。そこは、さっき爆発で開いた大穴。
 よくないモノがいる──そう、戦いに関してだけなら、鋭いと自負している直感が訴える。

 炎の中で揺れる影。人の形にも見える“ナニカ”。

「う……っ」

 炎の中から這い出た“ソレ”は、半透明のヒトガタ。
 無機質で構成された歪な形をしているけれど、人間でいうところの頭部に当たる場所はスライム状の原形質の塊。
 うねうねと不気味にうごめいて、キモチワルイ。

 今まで感じたことのない異質な魔力、この世のものとも思えない不気味な姿。
 混沌が形をなしたような物体に、私は生理的嫌悪を感じて一瞬硬直した。

 “ソレ”は、そんなことはお構いなしと、ゆらりと機械的な動作で接近する。
 見かけによらず、その動きは速く鋭い。
 この子を守らなきゃ、と私は後の先で一気に距離を詰める。

 刃物のようになっている左腕が振り上がり、下ろされる。

 だけど──遅い!

「っ! はあっ!」

 刃をバルディッシュの穂先で受け止め、逸らす。体勢を入れ替えて、腰をひねる。
 バルディッシュをハーケンフォームに。
 そのまま、横に薙ぎ払う。
 胴を魔力刃て斬り裂かれた“ソレ”は、吹き飛ばされるようにして大きく後退。

 ヘドロに手を突っ込んだみたいな、すごくいやな手応え。思わず顔をしかめてしまう。

 “ソレ”は、糸が切れた操り人形みたいに、ガクガクと小刻みに身体を振動させて──

 何事もなかったかのように動き始める。
 再度振るわれる刃。刺突。

「うっ!?」

 なんとか魔力刃の腹で受けるけど、内心では混乱。
 今の一撃、完璧に決まったはずなのに。人間なら昏倒してもおかしくない────



 ──もしかして、“人間”じゃないから?



「キャアアァァッ!」

 まとまりかけた思考を吹き飛ばす悲鳴。
 視線を動かせば、保護した女の子を襲う異形の“ヒトガタ”。



 ──もう一体いたっ!?



 助けなきゃ。
 でも、目の前の“ソレ”に邪魔されて、近づけない。
 そうこうしているうちに、奇妙な刃が彼女に迫る。

 ──そのとき、一陣の蒼い風が私の横を通り過ぎた。

「えっ?」

 私を押さえ込んでいた“ソレ”は、瞬く間もなく真っ二つに断ち斬って、

「……っ」

 女の子に刃を振り上げていた“ソレ”は、眩いほどの蒼銀の光に焼き尽くされていた。


 燃え盛る紅蓮の炎に映し出される人影。
 すっ、と人影がかがむ。

「──怪我はないか?」
「は、はい……」
「それは、重畳」
「あ、あのっ、ありがとうございますっ」

 ぺたりと座り込んでいた女の子と目線を合わせ、安心させるようなやさしい声色で声をかけたあと、人影がゆっくりと立ち上がる。
 ぱさり。衣擦れの音。

「……非殺傷設定、か。それじゃ“コレ”は倒しきれない。次からは気をつけろ」

 よく通る、凛々しい声。
 左腕に蒼白い魔力の光で形作られた魔力の刃を纏わせ、右手には同じ色の光がちらつく。

 人影は、黒い髪の男の人だった。
 くせの強い前髪から覗く冷たい蒼の瞳が私を射抜く。

 明ける前の夜空に似たネイビーブルー──濃紺のバリアジャケットは、スーツとコートを合わせたよう。
 ダブルのボタンや、ベルトのバックル、手甲など一部の意匠は鮮やかなシアンブルー。白いシャツの首もとには、同じ色の洒落てるネクタイ。
 そして、指先は悪魔の爪みたいだった。

「あなたは……?」

 “彼”は、あのときの男の子。
 なぜだろう。冷たそうな雰囲気も、服装だって全然違うのに、私は確信を持って断言できた。

「通りすがりの“魔法使い”だ。覚えておけ、“魔導師”」
「……っ」

 返ってきたのは冷たい言葉。
 “魔導師”──それが、私を指す言葉だとわかったとたんに、ずきりと胸が痛んだ。
 あの子にはやさしい感じなのになんで? なんて思ってない。……思ってないもん!

 もやもやした気持ちに困惑する私。
 「──む」“彼”が小さく唸る。
 その途端、私たちの周りの床を破って、黒い蒸気のようなモノが吹き出した。
 奇妙な蒸気から、さっきの“ヒトガタ”が現れる。
 その数、二十五。
 私は警戒して、バルディッシュを構えると、女の子を小脇に抱えた近づいてきた“彼”が言う。

「お前はこの子を守っていているといい。──“アレ”を滅ぼすには邪魔だからな」
「えっ……でも──」

 ぽかんとした表情をしている女の子を下ろした“彼”は、私の言葉を無視して向き直る。
 ゆらりと気だるそうに揺れる肩。
 次の瞬間、“彼”は野生の獣のようにしなやかなストライドで廊下を疾走した。

 両腕に纏わせた蒼白い刃が閃く。
 踊るように、舞うように、淀みなく繰り出される斬撃──それは、接近戦タイプの魔導師である私から見ても、少し嫉妬してしまうくらいに見事な攻防一帯の剣舞。
 次々に“ヒトガタ”が黒い砂へと変わっていく。

「いちいち斬り倒すのも面倒だな……」

 半分ほど減らしたあと、“彼”飄々とした風につぶやく。
 すると、とても強い魔力が“彼”の全身から発露した。それは、私の親友たちを越えてしまうほど規格外の膨大な魔力。

「──神威の片鱗、その魂に刻め」

 だらりと垂らされた左腕の光刃が魔力を吸って大きく延びる。
 逆袈裟に振り上がる刃。しゅんと風を切る音。
 次の瞬間、数え切れないほどの蒼い光が縦横無尽に走って、“ヒトガタ”たちを斬り裂く。
 ズタズタの細切れにされた“ヒトガタ”の中心で、“彼”が悠然とたたずんでいた。

「──光に抱かれて眠れ」

 紡がれた言葉。露を払うように振り下ろした左手。
 それを引き金に、過剰すぎるダメージを受けた“ヒトガタ”が消し飛んだ。




 見つめ合う──にらみ合う、私と“彼”の間に沈黙が広がる。
 ややあって、“彼”はぷいっと視線を外すと、空間に溶け込むように姿をにじませた。

「っ、待って!」

 伸ばした手は届かず、“彼”の姿は闇に消えて。
 “またね”の意味がわかったような、わからないような──そんな、中途半端な気持ちは宙ぶらりん。
 私は、無意識に胸元のペンダントをバリアジャケットの上から強く握りしめていた。




 □■□■□■




 第97管理外世界“地球”。

 海鳴市のとあるスーパー。
 夕食時の前とあって、店内は買い物客でごった返している。

 聖祥大附属中学の制服を身につけた茶髪の少女が、若奥様風の金髪女性と連れ立って買い物をしていた。

 トマトを手にとって選ぶ、茶髪の少女──八神はやての表情は冴えない。
 ぼーっと、あまり新鮮ではなさそうなトマトを眺めている。

「はやてちゃん、どうしたの? 何か心配事?」

 その様子を心配に思った彼女の連れ──シャマルが問いかける。

「ん〜? あー、心配事いうかなぁ……」

 中途半端な生返事。

「──フェイトちゃん、最近さらに目に見えて元気なくてな」
「フェイトちゃん? ああ……もうそんな時期だったっけ」

 納得したように頷いて、シャマルが頬に手を当てた。
 「四月と十二月のフェイトはどこか危ない」のは、仲間内の間ではある意味、暗黙の了解だった。
 もともとどこか影のある印象の少女なのだが、この時期の間は特に酷い。笑顔など愛想笑いくらいしか見せなくなる。
 以前はみんなで──特になのはが──、それを何とかしようとあの手この手を駆使したのだが、フェイトは一向に持ち直さず、今では腫れ物に触るような扱いになってしまっていた。

「せやねん。この前、ミッドで大きな火災があったやろ? あのあとな、“夢は自分の部隊を持つことや!”って話をしたんやけど、上の空で“そうなんだ、がんばって”て……反応淡泊すぎて、少しヘコんでしもたわ」

 はやてがずーんと暗い雰囲気を漂わせる。

「うーん、でも、そこまで沈んでるのは近年稀に見るんじゃないかしら? なのはちゃんが大けがしたときもそれほどじゃなかったし」

 きゅうりを手に取りながらシャマルが言うと、はやては腕を組んで難しい表情をした。

「せやね。なんか理由があるんやないかと私はにらんどるんやけど……まさか、男かっ!?」
「まさかぁ。フェイトちゃんに限ってそれはないわよ」
「あはは、やっぱそうかぁ」

 自分のバカな予想をシャマルと一緒に笑い飛ばして、はやては夕飯の買い物に意識を切り替えるのだった。




 帰り道。
 他愛のない雑談を交わしている時、ふと、シャマルが真剣な表情で周りを見回した。
 はやてが怪訝な顔をする。

「シャマル、どうしたん?」
「はやてちゃん、魔力反応。結構、近いかも」
「! ──ほんとや。ん〜……、でも、なんや変な感じやな、これ。まあ、いいわ。見逃すわけにもいかんし、行ってみよか」

 シャマルの指摘で異常を感知したはやて。
 何か起こってはことだと、連れ立って不可思議な魔力の発信地へ向かう。

 そこは、土管が積まれただけの殺風景な空き地だった。
 某国民的青狸のマンガで、よく舞台になる空き地をイメージするとわかりやすいだろう。

 警戒しつつ、空き地の真ん中あたりまで進む二人。不自然な魔力を微弱に感じる以外、特に変わった様子はない。

「しっかし、なんも変なとこないなあ」
「……あっ」

 シャマルが上を見上げ、「ん?」とはやてが視線に釣られる。
 そこには、複雑なルーン文字と三角形が中心に描かれた、円状の青い光を放つ魔法陣。はやてが見たことのない様式だ。
 その魔法から、何かが落ちてくる。はやては呆気にとられて反応できず──

「ぷぎゃっ!」「きゃ!」

 何か──白い帽子をかぶった白い服の少女──につぶされたはやてが奇妙な声を上げた。

「ああっ、ごごごご、ごめんなさいっっ!?」

 他人を押しつぶしていることに気づいた少女が、大いにどもりながら、慌ててはやての上から降りる。

「だ、大丈夫? はやてちゃん?」
「うー……、シャマル! なんでこういうことがあるて言ってくれへんの! お嫁にいけへんようになったらどないするん!?」
「だ、だって聞かれなかったから〜」

 涙目でシャマルに文句を垂れるはやて。シャマルも別な意味で涙目だ。
 すると、あわあわと二人の様子を眺めていた白い帽子の女の子が、とてもびっくりしたような顔をして声を荒げた。


「っ、リオン・グンタ! アゼル・イブリスっ! ──……じゃあ、ないですよね、あれ?」


 これが、“夜天の王”八神はやてと“元魔法使い”志宝エリス、初めての邂逅────
 そして、次元にたゆたう世界の全てを巻き込む、大事件の始まりだった。



[8913] 第二話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:debc04f8
Date: 2009/05/24 22:45
 


 ファー・ジ・アース。
 “狭界”と呼ばれる次元の狭間にたゆたう絢爛なる宮殿──アンゼロット城、その執務室。
 本来の主である某世界の守護者の趣味通り、優雅で豪奢な内装の部屋で、忙しなく動く人影。

 留守中の主に代わってここに間借りしている、巫女装束の女性──赤羽くれはだ。
 今日も今日とて、はわはわ言いながら、人知を越える書類の山と必死に格闘している。

 とんとんとん。
 ドアをノックする音。

「あ、どうぞー」

 書類から視線を上げたくれはが応える。

「失礼します」

 ドアを開いて入室したのは、真紅の“ロンギヌス”制服に身を包んだ、藤色の髪の少女──志宝エリス。
 この春、高校を卒業したにしてはやや童顔で幼児体型なスタイルは、彼女の密かな悩みの種だ。

「くれはさん、ご用ってなんですか?」

 ウィザードではなくなったエリスだったが、尊敬するくれはの補佐という仕事に誇りを持っていた。“力”はなくても、世界は守れるんです! がここ最近の彼女の口癖。

 ちなみに、エリスのここでの役職は“赤羽くれは専属第一秘書官”兼“特殊部隊グリーンティー永世名誉隊長”である。

「うーん……。用があるというかなんというか……」

 エリスの質問に表情を曇らせたくれは。快活な彼女にしては珍しい。

「あの……?」どういうことかとエリスが小首を傾げる。
『説明しましょう』

 二人の間に、突然、魔法陣で出来たディスプレイが展開。
 そこに映りだされていたのは、銀髪白皙の美少女。ゴシックロリータ調の黒いドレスを纏っている。

「はわっ!?」「あ、アンゼロットさん?」

『はい、お久しぶりです。エリスさん。お元気そうで何よりですね。くれはさんもお仕事頑張っていらしてるようで、わたくしうれしいですわ』

 少女──アンゼロットが二人へにこやかな笑顔を向けて、挨拶をする。

「あの、アンゼロットさん。説明って?」

 問いに、待ってましたとアンゼロットが口を開くが、

『こ』
「はい!」

 条件反射的なスピードでエリスがそれに応える。

『……エリスさん、そのネタはもういいんです』額に指を当て、頭痛を感じるような仕草をしたアンゼロット。

「えっと、じゃあ、“私の質問にはいかイエスで答えてください”の方がよかったですか?」

 さらに、畳みかけられた言葉。それが、天然なのか計算なのかはわからないが。
 エリスの攻勢に、アンゼロットがぽかーんとアホの子な顔になった。かなりレアな表情である。
 二人のやり取りを見ていたくれはなど「強くなったね、エリスちゃん」と、涙をハンカチで拭っていた。

『な、何やらとてもふてぶてしくなりましたね、エリスさん。というか、話が進まないので、説明、初めてもよろしいですか?』
「あ、はい。お願いします」

 すぐさま再起動を果たしたアンゼロット。咳払いをして、説明を開始した。

『手っ取り早く言うと、エリスさんに“主八界”の外に消えていった、とある魔王を追跡していただきたいのです』
「えっと、いろいろ引っかかるところがあるんですけど、とりあえず、どうして私なんですか?」

 言外に、非戦闘員にそんなことさせんな(意訳)と主張するエリス。

「そのとある魔王っていうのが、あのシャイマールなんだよね」
「っ!」

 その疑問にくれはが答える。
 僅かに嫌そうな表情をしたエリスは、その言葉で大まかに自分が選ばれたあらましを理解したようだった。

 “シャイマール”──詳しい説明は割愛するが、その名はエリスにとって浅からぬ因縁を持つものだ。
 そして、つい先頃、突如現れたシャイマールを名乗る大魔王は、度々ファー・ジ・アースに現れては、愉快犯的に事件を起こしている。
 人を小馬鹿にしたような言動、交戦してもすぐに撤退する手際、人間の心理を突いた小細工など、驚異的なタフネスとバイタリティを誇る“蠅の女王”に勝るとも劣らない厄介さ。
 すでに、世界中のウィザードたちから大いに嫌われていた。

「私が選ばれたのは、“感知”できるから、ですか?」

 エリスは、シャイマールを──そして、“七徳の宝玉”の存在を感知する能力を持っている。
 未だ、彼女の魂に僅かに残る“シャイマール”の転生体としての因果に由来する力だろう。

『その通りです。先ほども言ったとおり、かの大魔王は“主八界”の外へと進攻したようなのです』
「“主八界”の外の世界──というと、柊先輩が前に行ったっていう“ミッドガルド”ですか?」

 以前から、“主八界”の外の世界について僅かながら確認されている。
 もっとも、ここでそれについて語る必要もないが。

『いいえ、未知の世界です。別段、その世界を守る義務がわたくしたちにあるわけでもありませんが、何がしかの力をこちらへ持ち込まれては面倒です』

 若干冷徹なアンゼロットの言葉を、複雑な表情のくれはが引き継ぐ。

「でも、距離があまりにも遠すぎて、今のところ、シャイマールと近い魂を持ってるエリスちゃんしか送れないんだよね。
 だから、エリスちゃんには先行してもらって調査してほしいんだ。いったんエリスちゃんがあっちに行けば、何とか転移できるようになるらしいから──」

 すぐに増援は送るよ、と結尾を切る。
 くれはの表情は、エリスを心配する気持ちと守護者代行としての責任感の表れ。

 エリスは考え込むように無言。
 おそらく、この任務に就いた場合に自分にかかる危険を予測しているのだろう。
 ──もともとエリスは賢い娘だったが、この数ヶ月の間、くれはの秘書として、時にはウィザードたちを死地に送り出す役目もこなしてきた経験が、彼女を確実に成長させていた。

「どうする、エリスちゃん? 現地がどんな場所かわからないし、危ないからやめても──」
「いえ、やります。やらせてください!」

 くれはの言葉を遮って、碧の瞳に確固たる意志の光を宿したエリスが決断した。










「というわけなんです」

 はやての自宅。
 広々としたリビングのソファーにちょこんと座ったエリスが、ひとしきり説明を終えて一息ついた。
 ずずず……と昆布茶で乾いたのどを潤す。

 なお、彼女の服装は以前着ていた白い制服に似たデザインの、白いジャケットと青いプリーツスカート。
 髪留めのリボンは水色だ。

「はぁ、“ファー・ジ・アース”ですかぁ……。見たことも聞いたこともない世界です。あやしいですね、そのお話、ほんとですか?」

 ふわふわと浮かぶ、体長三十センチという文字通り“小さい”水色の髪の少女が、半信半疑に言う。

 彼女の名前はリインフォースⅡ(ツヴァイ)──愛称エルフィ。
 未だ休眠を続けている夜天の魔導書の管制人格、リインフォースを復活させる一環として、はやてが製作した“融合騎”だ。
 ちなみに、エリスは彼女を「かわいい!」といたく気に入ったようである。

「そんな疑っちゃあかんよ、エルフィ。簡単に信じるのもあかんけど、最初から疑ってかかったら、ほんとうのことなんてなんもわからんくなってまう」
「は、はいです……」

 はやては末っ子を軽く窘めた後、エリスと同じくずずず……と昆布茶を口にした。

「この子──エリスちゃんの出てきた魔法陣、ミッドチルダやベルカとは全く違う様式のものだったわ。少なくても、未確認の魔法文化を持つ世界からの来訪者ってことは、本当じゃないかしら」

 エプロン姿がやけに似合っているシャマルが考察を披露する。

「それは同感や。ほんで、エリスさん、これからどうするつもりなんです?」

 初対面の年上──とてもそうは見えないが。主にスタイル的な意味で──ということで、丁寧な口調で問いかけたはやて。
 その視線はどこか鋭く、何かを探るようだった。
 エリスはそれに気づきながらも、努めて冷静に言葉を発する。

「はい……。その、私、てっきり、“こちら”は単一惑星でできた世界だとばっかり思ってまして。でも、はやてさんのお話を聞く限り、次元世界──すごく広いんですよね?」
「うん。少なくとも“管理外世界”はここ以外に96ヶ所あると思います。“管理世界”はもっと多いしな。……そん中からヒト一人探すんは、砂漠に落ちた針を探すよりも大変ですね」

 その途方もない話に、エリスはがーんと強くショックを受けて俯いてしまった。

「はう……どうしよう」しょんぼり涙目で呻く。
「なんやこの萌え生物……っ」はやてがよこしまな意味で呻いた。

「エリスちゃん、連絡手段とかはあるの? あるなら指示を仰いでみたらどうかしら」
「あ、はい。そうですね……」

 言いながら、荷物の入った小さなナップザック──ファー・ジ・アースの魔法技術の粋を結集して開発された、超☆大容量の“簡易月衣”。開発コード「十六次元ポケット」──から、薄紫色の折り畳み式携帯電話を取り出した。

「ケイタイ、ですか?」
「これは“0-Phon”っていう、高性能の携帯電話です。異世界での使用はもちろん、条件さえ整えば、過去からだって通話できるんですよ」
「か、過去て……マジ?」
「マジです」

 頬をひきつらせる面々を横に、エリスはカコカコとキーをいじくる。
 手慣れた手つきで「赤羽くれは」のアドレスを開いて、呼び出し開始。

「…………」

 耳を当てたまま、硬直。
 スピーカーからは「現在おかけになられた番号は……」というアナウンスが続いていた。

「あ、あれっ? ど、どうして?」

 あわあわと混乱してキーを操作するエリスに、「壊れちゃってるんじゃないですか?」とエルフィが尋ねる。

「そ、そんなことは! あ、こちらのお宅の電話番号、教えていただいてもいいですか?」
「ええですけど。えーと、────です」

 教えてもらった番号を打ち込んでみると、ややあってリビングにある据え置きの電話に着信。
 当然、相手はエリスの0-Phonだ。

「壊れとるわけやないみたいや。てか、ほんとにつながって驚いたわ」
「うう……」

 すっかり意気消沈した藤色の髪の少女の様子を、はやてはあごに手を当ててじっと観察する。
 他人の機微には聡いはやてである。今までのエリスの言葉や行動から、彼女の人となりを密かに分析し、信用にあたる人間なのか把握することにつとめていた。。
 何も無闇に不審な人物を家に招いたわけではないのだ。

 結果は──シロ。少なくとも、現時点で悪意は見えない。
 むしろ、善意の固まりというか、とても“ふつうの女の子”だ。──もしかしたら、自分や親友たちよりも。

 故に、はやては言う。軽くため息混じりで。

「──ほんなら、ウチにいたらええよ」
「えっ?」

 それはたぶん、ままならない自分の感情へのある意味での憤り。だが、悪くない。はやてはそう思う。

「幸い私ら、時空管理局の人間やから、次元を渡る手だてにあたりつけれるし。なにより──」

 なにより? と一同がはやての発する言葉の続きを待つ。

「こんなにかわいいヒト、ほっとくことなんて私にはでけへん!」

 ぐっと拳を握り、力説するはやて。
 ばばーんと何やら間抜けな効果音がエリスの耳に届き、しらーっとした空気がリビングに流れる。
 庭で伏せていたザフィーラが、眠そうに欠伸していた。



[8913] 第二話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:e607fa0a
Date: 2009/08/14 20:59
 


 “ミッドチルダ”──数多の次元世界を“管理”する、時空管理局の運営に強い影響力を持つ、ある意味で中心地とも言える世界だ。

 その中央区画。
 近未来的な建築物が建ち並ぶ、首都“クラナガン”の繁華街。

 人通り賑やかな大通りを歩く、赤みがかった茶髪をサイドテールに纏めた十代半ばの少女。
 “少女”と“女性”の間をさまよう瑞々しい肢体を、白と暖色系で揃えた女の子らしい格好で包む。

「ごめんね、ユーノくん。お買い物につきあわせちゃって」

 彼女──高町なのはが申し訳なさそうに言う。

「いや、いいよ。僕も久しぶりに取れた休暇を持て余してて困ってたんだ」

 その隣を行くのは、なのはと同年代の少年──ユーノ・スクライア。
 長い明るめの金髪を首の後ろで束ね、フレームなしの眼鏡や、緑など押さえ目の色合いのカジュアルな装いは、彼の理知的な雰囲気によく合っている。

「そういえば、こうして二人で出かけるのって久しぶりだね」
「うん、そうだね。私もユーノくんも普段は忙しいもんね」

 時空管理局の教導官にして若きエースと、無限書庫司書長兼歴史学者というきわめて忙しい身分のふたりである。たまの休みがかち合うことも滅多になかった。
 とはいえ、出会った頃から忙しさ自体はあまり変わっていないのだが。

「ほんとは、フェイトちゃんと来たいなって思ってたんだけど……」
「そ、そうなんだ」

 “フェイトの代わり”というなのはのセリフに、ユーノは軽くヘコんだ。
 以前からなのはの優先順位では下の方──魔法=フェイト≧はやて>自分。かなり省略しているが概ねこのようだと、ユーノは把握している──なので慣れっこだ、と思い直す。
 彼のこんな性格が、なのはに対する六年越しの想いが伝わらない遠因なのかもしれない。

「フェイトちゃん、また元気なくてなっちゃって」
「四月の中旬くらいに急に機嫌がよくなった、って言ってなかった?」
「うん。そうなんだけど、この前の火災のあとから、またすごく悩んでるみたいなんだよ。なんだか、初めて会った頃みたいに張りつめてて……」

 何故か自身も沈むなのは。
 親友であるフェイトを心配するあまり、自分まで落ち込んでしまっては元も子もない。

「そっか……。でも、下手に触らない方がいいんじゃないかな。ほら、フェイトって周りに心配かけまいとして無理するタイプだし」

 思わず出掛かった“なのはと一緒でね”という言葉は飲み込んだ。

 ──数年前、なのはが再起不能に近い大怪我をした出来事は、ユーノにとっても痛恨の記憶として残っている。
 どうしてもっと気にかけてやれなかったのか。「なのはを守る」と“約束”したのにと。
 誰と交わしたのかはどうしても思い出せないが、それでもこの“約束”をもう違えないとユーノは心に決めていた。

「ユーノくん?」
「あ。いや、何でもないよ、なのは」

 なのはから心配そうに見上げられて、慌てて取り繕うユーノ。暗くなった思考を無理矢理に振り払う。
 せっかく、なのはとふたりきりの買い物──デートじゃないのが残念だけれども──なのだから、楽しまなくては。そう気分を切り替えたユーノは、当たり障りのないアドバイスを口にした。

「ともかく、今はそっとしておくしかないんじゃないかな」
「そう、かな」

 なのはは腑に落ちない風に表情を曇らす。
 どうやら彼女は、“何もしないこと”──いいや、“何も出来ないこと”に不安を感じているようだった。

「そうだよ。フェイトだって子どもじゃないんだから、あまりしつこく構っても逆によくないよ」
「う……でも──」

 なおも食い下がるなのはが、二の句を継ごうとした時、



 ────空に、紅い月が浮かんだ。



「えっ?」
「これは……」

 建築物は血のように紅く染まり、仄暗い天空には不気味な紅い満月が鎮座する。
 突然の異常に通行人がどよめいく。

「ただの結界魔法、じゃない? 空間を浸食するような──こんな魔法、始めてだ」
「外に念話、つながらない。遮断されちゃってるみたいだよ」

 知的好奇心を刺激されたのか少し興奮した様子のユーノと、きわめて冷静に対応するなのは。
 優秀な魔導師である二人は敏感に感じ取っていた。まるで“常識を犯す”ような違和感を覚えるこの現象が、いかに異常なのかを。

 刹那、強大な魔力を前兆として、前方にそびえ立つ高層ビルが爆発炎上した。
 頭上で起きた大きな爆発や、降り注ぐ瓦礫に恐怖し、悲鳴を上げ、群衆がパニックに陥った。

「きゃっ」「なのは!」

 人の波に巻き込まれ、さらわれかけたなのはの手を取るユーノ。そのまま手を引いて、路地裏に逃げ込む。

「あ、ありがとう、ユーノくん」
「うん」

 人混みから離れ、一息。
 ふと空を見上げたなのはが、爆炎の中からが飛び出したふたつの影に気がついた。
 彼女の位置からでは詳細はわからないが、どうやらどちらも少女であるらしい。そして、この騒動に何らかの関係がある可能が濃厚だ。少なくとも、ビルを爆破したのは彼女らに違いない。


 ──かちり。
 そんな音を立てて、なのはの中でスイッチが切り替わる。
 中学生の高町なのはから、魔導師“高町なのは”へと。

「ユーノくん、民間人の避難誘導、お願い」

 なのはは、少女らしい柔和な面立ちを戦闘者としてのそれに引き締め、首にかけた紅い宝石を手に取る。
 輝く、桜花の光輝。
 一瞬にして白いバリアジャケット──“アグレッサーモード”──を纏ったなのは。
 その手に携えるのは“杖”。
 先端は湾曲した黄金色の装飾に抱く紅玉。付け根から延びたノズルや石突きも同じく黄金。
 取り回しやすい長さの持ち手は、持ち主の装束と同じく白。


 不屈の心──レイジングハート・エクセリオン。


「──わかった。……気をつけてね、なのは」

 ユーノの言葉に無言で頷くと、なのはは、桜色の三対の翼──アクセルフィンを靴に生み出して、紅い空へと飛び立った。












  第二話 「Darkness」












 上空。
 地上で、蟻の子を散らすように逃げまどう人々を、尊大に見下す二人の少女。

 ひとりは、ほっそりとした肢体を紫色の制服らしき装束で包み、南米の民族衣装を思わせるポンチョを羽織る、なのはたちと同世代に見える人形のような顔立ちの少女──ベール・ゼファー。
 腕を組み、眼下の人々へ大魔王らしい“虫けら”を見るような視線を送っている。

 ウェーブのかかった美しい銀髪が、紅い光を受けてティアラのように輝いていた。

「リオン、“ヤツら”は?」

 もうひとりは、整ったスタイルをブルーのゆったりとしたドレスで隠す、十代後半の外見を持つ少女──リオン・グンタ。トレードマークである分厚い書物を広げ読み込んでいる。
 俯き加減と、漆黒の前髪で面立ちは見えづらいが、やや眠たそうな半眼が印象的だった。

「……この月匣内にはもう居ないようですね。任務完了、とでも言いましょうか」
「そう。──ったく、どうしてあたしがこんな害虫駆除みたいなマネしてんのかしら」忌々しそうにベルが吐き捨てる。

「どうしてと言われましても。そのような契約を“彼”と交わしたからではないのですか? ……こうして人間を取り込んで、ちゃっかりとプラーナも回収するつもりのくせに」
「……ま、それもそうね」

 連れのもっともな指摘に、ベルはあっさり矛を収めた。溜まったストレスを愚痴として吐き出したかっただけらしい。

「さて、と。じゃあ、プラーナをいただこうかしら」

 好物を目の前にした子どものように無邪気に笑い、ベルは両手を突き出した。
 獲物は弱き人間たち。気紛れな魔王に命を摘まれる哀れな生け贄。

「顕現せよ、万物を消滅させる虚無の世界」

 拡大した黒い魔力が、立方体の魔法陣を形成、人々を包み込む。

「ヴァニティ──ッ!?」

 完成寸前だったベルの口上を遮るように、下方から桜色の光芒が迸った。

「……誰よ? あたしの邪魔をする不届き者は?」

 発動前の魔法を解除し、それを軽く回避したベル。高飛車なセリフを発したその表情は、不愉快そのもの。

「──時空管理局です! そこの子たち、直ちに魔法の行使を停止して投降を!」

 急速に上昇してくる白い装束を纏った少女──なのはに、殺気の籠もった鋭い視線を送る。

「なにあれ」
「……さあ?」

 顔を見合わせるベルとリオン。魔王にして人外たる彼女らがヒトの都合に従うはずもない。
 そんなことなど知る由もないなのはは、ふたりに向かって言葉を投げかけ続ける。

「あなたたち、“この現象”についてなにか知っているなら、お話聞かせて」
「……なるほど。大魔王ベル、この人間、“彼”の言っていた“高町なのは”のようですよ」

 お決まりの書物から“秘密”を読み取ったリオンが言う。
 名乗ってもいない名前を言い当てられて、びくりと身体を硬直させるなのは。もっとも、彼女も名の通った魔導師なのだから、そういう経験もあるのだろうが。

「ふぅん、この子が……」

 虫けらか塵芥でも見ているかのように凍えきっていた金色の瞳が、にわかに興味を帯び、薄く細められた。
 新しい玩具を見つけて喜ぶ童女のごとく、ベルはなのはの総身を絡みつくような視線で眺める。

「……ッ!?」

 妖しく光る金色の瞳に、自分の心の奥底を見透かされているような、言い知れぬ強い不快感。
 なのはは、寒気を感じ無意識に身体を震わせた。

「リオン、アンタは先に帰ってなさい。あたし、この子とちょっと遊んでいくから」
「わかりました。……ですが、お戯れはほどほどに」
「大丈夫、殺しはしないわ。殺しは、ね」

 絹糸のごとく柔らかな銀髪を掻き上げ、酷薄な笑顔をこぼすベルに軽く釘を刺すと、リオンは踵を返した。

「あっ! 待って、まだお話を──」
「あら、まだあたしが居るじゃない。失礼ね」

 飛び去るリオンを追い縋ろうとするなのはの進路を阻むベル。ぱさりとポンチョがはためく。

「……あなたの名前、聞いてもいい、かな?」警戒感を露わにしつつも、なのはは自らのスタイルを崩さない。

「ええ。今は気分がいいから、特別に名乗ってあげる」少女の見た目に不釣り合いな人外の色気を纏い、ベルは艶やかに唇を歪める。


「我が名はベール・ゼファー。あまねく空飛ぶものを統べる、“蠅の女王”」


 華奢な痩身から噴出する、地獄の底のような禍々しい魔力。想像を絶する膨大なそれは、あまりの高密度に半物質化し、漆黒の炎となって紅い空を灼く。

「ベール……、ゼファー……」

 黒い炎の奥に潜む魔力とは違う────だが、強大で異質な“力”を、漠然とだが感じ取ったなのはは、脅えたように“少女”の名前を繰り返す。
 不屈の心を自称する彼女ですら、“ソレ”と相対することで本能が抱いた恐怖を隠すことは出来なかった。
 無理もない。妖艶に微笑する“ソレ”を前にして、畏怖を覚えぬ人間など居はしないのだから。

「覚えておきなさい、高町なのは。──今から、あなたを壊す者の名よ」

「えっ?」

 猛烈なプレッシャーを発するのは、理不尽と破壊の権化────科学の世界に降り立った古き神の一柱。


「────さあ、一緒に遊びましょう?」


 ──甘美な言葉とともに、深淵の闇が、全てを飲み込む“虚無”が解放された。



[8913] 第二話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:9dd4cd1a
Date: 2009/08/14 21:00
 


「ふぅん。けっこう速いのね」

 紅く染め上げられた空に少女──ベルのソプラノの声が響く。
 突き出した片手から投射した“虚無”の矢──“ディストーションブラスト”が、高速で飛行する白い影へと迫る。
 白い影──なのはは、桜色の翼をはためかせ、それを難なく回避した。その動きは、ベルの言葉通り、なのはの経験と天賦の才に裏打ちされた見事な戦闘機動だった。

「これは犯罪行為だよ、おとなしく停止して!」
「ふん。そんなこと知ったことじゃないわ」
「誰かを傷つけたりすることは、いけないことなんだよっ!? 私の話を聞いて!」

 言葉が走り、桜色の光条と漆黒の虚無が幾重にも交錯した。
 なのはとベルはつかず離れずの距離を保ち、幾度となく魔法を撃ちかける。数え切れない爆光が紅い夜闇に爆ぜ、輝き、連なった。

「“魔王”に説教なんていい度胸してるじゃない。それはともかく──いい加減、自分を虚飾するのは止めたらどう? 高町なのは」
「──なんのこと?」
「ああ、気づいてないんだ。……だとしたら、あなた、とんだ道化だわ。──滑稽ね」
「それって、どういう──」

 意味深なセリフを吐き、ベルはクスクスと愉しそうに唇を歪める。
 意図がわからず困惑するなのはを無視して、ベルは光の奔流を何気なく逃げ惑う人々目掛けて撃ち放った。
 着弾した閃光が爆ぜ、大音量と灼熱の炎を撒き散らす。

「どうして……っ!!」

 突然の凶行に頬をひきつらせたなのはが、彼女にして珍しい、強い怒りの感情を込めた視線を人形じみた容貌の少女へ向けた。

「あらら、大変。あれで何人の人間が死んだのかしらね。あたし的には全滅だとあたりをつけてるんだけど、あなたはどう思う?」

 怒気を含んだ眼差しを鼻であしらい、ベルは自らが起こした虐殺をまるで、賭け事かゲームのように語る。
 歯を砕いてしまうほどに噛み締め、なのははベルを睨んだ。

『──大丈夫だよ。落ち着いて、なのは』
「ユーノくん?」

 慣れ親しんだ声。同時に、噴煙を斬り裂いて、グリーンの魔力光が現れる。
 ベルの放った砲撃を防いだのは、スクライアの民族衣装風のバリアジャケットを纏ったユーノ。

『多重障壁を張って防いだんだ。まあ、ほとんど破られちゃったけどね』

 少し自嘲気味にユーノが言う。自慢のバリアを破られたのが、悔しいのだろうか。
 そして、自らの魔法を防がれたことに小さく舌打ちしたベル。忌々しそうにユーノを見やる。

『下のことは気にせず、なのはは思いっきり戦って。いつも通り全力全開、でね』
『うんっ』

 いつもの調子を取り戻したなのはが、柔らかく破顔する。
 ふたりのやり取りに、焦れたベルが、音もなく滑るようにしてなのはに接近、

「ほらほらっ、仲良くお喋りしてる余裕なんてないわよっ!」

 声を荒げ、掌に形成した直径十センチの黒い球体──“ヴォーティカルショット”を射出する。
 桜色の羽を散らしてなのはが急上昇。
 入れ替わるようにビルに着弾した球体は、いったん消失した後、空間の歪みを創り出し、外壁を大きく削り取った。

『マスター、この領域にはまだ民間人が多数残っています。大規模な魔法の使用は控えてください』
『わかってる。物理干渉は切ったままでいくよ』

 その破壊の爪痕を視界の隅に置きながら、なのはは相棒と念話で言葉を交わす。

 そして、

「レイジングハート!」
『アクセルシューター』

 金色の穂先から、二十五個の光弾が発射された。
 光の尾を引き、桜色の魔弾が四方から高速でベルに殺到する。

「──ふふっ」

 魔弾の檻に囲まれたというのに、余裕の態度を崩ずしもしないベルは、魔力を発露しそれらを追い払うように片手を薙ぎ払った。
 吹き荒れる純粋魔力の暴風──それを無造作に叩き付けられたアクセルシューターは、呆気なく破裂して爆発。

「そんなっ!?」
「こんな“空っぽ”な豆鉄砲で、このあたしを捉えられるなんて思わないことね」

 自らが信頼する魔法が、いとも容易く破られたことに動揺を隠せないなのはを、ベルは嘲笑う。
 圧倒的優位に立つ者の余裕と、弱者をいたぶる嗜虐心。慢心、油断、侮りとも取れるそれは、しかし、“大魔王”を名乗るに相応しい絶対強者の風格だった。

「っ、だったら!」

 後方に下がりつつ、なのははバスターモードのレイジングハートを射撃体制で構える。穂先の下部の機構が二回コッキング、空薬莢を同じ数だけ吐き出す。

 収束する魔力。広がる魔法陣。震える大気。


 なのはの発露した魔力の量に「人間にしては結構やるじゃない」とベルは感想をこぼした。
 そして、小悪魔的な表情で両手を頭上に掲げる。

 溢れ出す魔力。高速で構築される術式。鳴動する空。



 そして、繰り出されるのは“彼女たち”の代名詞────

「ディバイィィィインッ!」
「ディヴァイン!」

 なのはとベル、異音同意の言葉を紡ぐ。

「バスタァァァァ――ッ!!」
「コロナッ!!」

 桜の魔法陣を纏う、金色の穂先から放たれた桜色の砲撃。
 紅い三連魔法陣から生まれた、黄金に輝く大光球──ふたつの魔法が、ふたりの間で激突した。

 光球を押し止めるように、曲線に沿って桜色の光が迸る。
 正面からの真っ向勝負。
 圧迫感に表情を歪ませるなのはとは対照的に、ベルは余裕を滲ませ微笑を浮かべていた。

 拮抗はほんの数秒。

「っ!?」

 ディバインバスターを押し切ったディヴァインコロナが、なのはに着弾。
 なのはの発した悲鳴は、灼熱の閃光に飲み込まれ、紅の空に絢爛なる大輪の花が咲き誇った。


「──だから言ったでしょう? “空っぽ”な魔法じゃあたしには届かない。まあ、術式自体はそう悪くなかったけど」

 もうもうと残る爆炎を呆れたように眺めるベルは、煙の中に桜色の光を見つけた。

「あら、今ので墜ちたと思ったのに、ずいぶんと頑丈なのね。……そんなところまで“あの子”と一緒なんて、ますます虐めたくなってきたわ」

 とっさに障壁を張り巡らし、落ちたる太陽の輝きを辛くも防いだなのは。
 しかし、鉄壁を誇るなのはの魔法障壁をもってしても、ディヴァインコロナが内封する大魔力と大熱量には耐えきれず、バリアジャケットの所々が焼け焦げている。
 なのはの表情はダメージの苦痛に歪み、険しい。

「レイジングハート。……物理干渉、オンにして」
『しかし、それでは──』
「あの子の魔法と撃ち合うには、それしかないよ」

 そう言って、なのはは相棒の意見を制した。
 レイジングハートの優秀な人工知能が、主の判断がもっとも合理的だと肯定する。それと同時に、なのはとともに歩んだ時間で培った感情と呼べる何かが、一抹の不安を感じていた。

『……了解。火器管制、物理干渉オン』

 だが、デバイスである“彼女”に拒否する意志など元よりない。
 一拍、間を置いて、レイジングハートが非殺傷設定から物理干渉──殺傷設定へと切り替わる。

「やっと、本気で遊んでくれる気になったのね。うれしいわ」
「こんなの遊びじゃない。ただの暴力、悪いことだよ」
「あら、お遊戯じゃない。殺す覚悟も死ぬ覚悟もなく、分不相応な力を手に入れて、粋がってる小娘にはちょうどいいゲームだと思うけど?」
「そんな覚悟、私はいらないっ!」
「だからダメなのよ。あたしにはわかるわ────あなたの矛盾が、あなたの歪みが……あなたの闇が手に取るように。
 ふふっ、あなたみたいに歪んだコ、あたし、けっこう好きなのよ? かわいらしくって……グチャグチャに壊したくなる」

 艶やかに、妖しく。
 ベルは嫣然と腕を組み、なのはの心を抉り出そうと言葉を次々に弄する。
 心に染み渡り、纏わりつき、深みに誘う蠱惑的な甘い響きの声音──それはまさに、数々の伝承に名を残す人間をたぶらかし、闇に落とす“悪魔”の呼び声。

「そんなこと、知らない! ベルちゃん、覚悟して。私なりのやり方で、お話を聞いてもらうから!」

 決然と叫び、なのははレイジングハートの穂先を、一瞬だけむっとした“魔王”へと突きつけた。




 □■□■□■




 桜と黒、二条の光が交錯しながら徐々に遠方へと離れていく。
 被害が出ないようになのはが誘導しているのだろう。


 地下シェルターの入り口に並んだ列はもう数人で終わりそうだ。

「よし。これで、この辺りは大丈夫かな」

 避難誘導が速やかに進んだことに、ユーノは安堵の息をついた。

 一月にあるかないかの頻度ではあるものの、管理局魔導師と犯罪者の戦闘が市街地で起きることがある。そのため、クラナガン市民は比較的こういった非常事態に慣れていた。各施設には避難設備が整備され、魔法的物理的に強い堅牢なシェルターが、都市の至る所設置されているのも幸いだ。
 もちろん、ユーノ自身の優れた補助能力もその一因だろうが。


「あ、あの……っ」

 住民な避難が終了次第、なのはの援護へ向かおうと思案していたユーノにかけられた声。
 怪訝に思い、振り向く。
 声の主は身なりのいい、二十代後半くらいの女性。顔面蒼白といった様子で、心底慌てているようだった。

「どうしたんですか、何か問題でも?」
「その、娘が、娘が……っ」

 嗚咽のように途切れ途切れな言葉は要領を得ない。錯綜している思考の糸を何とか繋ぎ止めて、何とか彼女は言葉を続けた。

「この騒ぎで、娘とはぐれてしまって……。どうか、探してもらえないでしょうか。お願い、します」

 涙混じりに必死で懇願する女性を、ユーノは錯乱している相手を安心させるように、努めてやさしい声色で質問する。

「お子さんの姿を最後に見たのはどこですか?」
「そこの建物の、一階です……」

 女性が示したのは目と鼻の先にそびえ立つ高層建築物。この一帯のランドマークとしてつい最近オープンしたばかりのスポットで、下層にショッピングモールやレストラン街、上層に商社のオフィスなどが入っている一大複合施設だった。

「わかりました。後のことは僕に任せて、あなたはシェルターに避難していてください。……大丈夫、必ず見つけ出しますから」

 お願いします、と何度も頭を下げる女性をシェルターへと促した後、ユーノは踵を返して、コンクリートで出来た巨大な塔へと駆けて行った。



[8913] 第二話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:1f083032
Date: 2009/06/03 22:12
 


 降り注ぐ、怒濤のような火線の間をベルは縫うようにしてすり抜けていく。余裕をにじませた表情でぐんぐんと速度を上げ、砲火の弾幕を作り出すなのはへと急速に迫った。

 天空に羽撃くモノ全ての支配者たるベルにとって、“空”はホームグラウンド──自らの領土だ。神の座から墜ち、大魔王として恐れられるようになった今でも、それは何ら変わることはない。
 ──大空の女王たる自分が、たかが人間の小娘に負けるわけがない。そう言わんばかりに膨大な魔力を惜しげもなく披露する。

「っ……!」
「さっきの威勢はどこに行ったの? さあ、もっとあたしを楽しませなさい、よっ!」

 挑発の言葉を吐いたベルは、舞踏を踏むような機動の合間に漆黒の矢を撃ち放ち、距離を取ろうと後退するなのはを執拗に攻め立てる。その冷静で老獪な攻勢は、なのはの体力と精神を少しずつ、だが確実に削り取っていく。

 疲労は僅かなミスを生み、ミスは小さな隙となり、隙は大きな致命傷を呼び寄せる。

 牽制の魔法を回避“させられて”体勢を崩したなのは目掛けて、先読みで放たれていた虚無の矢──ディストーションブラストが真っ直ぐな軌跡を残して飛翔。反射的に展開された全方位型の障壁──オーバルプロテクションに突き刺さると、八つに飛散して、巨大な空間のうねりを生み出した。

「う、あぅっ」

 膨れ上がる空間の歪みの内部で、なのはが苦痛の声を漏らした。幾重にもねじ曲げられた歪曲空間の影響は障壁をものともせず、ギリギリと全身が悲鳴を上げる。
 ややあって、終息した歪みから抜け出したなのはは、まただと内心で歯噛みした。

 魔力を注ぎ込んだ強固な障壁を張り巡らしているというのに、ベルから撃ちかけられる漆黒の魔法はそれを嘲笑うかのようになのはの身体を徐々に蝕む。
 自らの防御能力に絶対の自信を持っているなのはにとって、長年貫き続けていたスタイルの崩壊は、彼女の精神に強い焦りの感情をもたらしていた。

 ──負の力にて空間そのものを操作する“虚無”の魔法の前では、魔法的な耐性などはほとんど意味を成さない。バリアなどの障壁魔法で辛うじて軽減出来るものの、鉄壁の防御で相手の攻撃を受け止めて戦うなのはには、あまりに相性の悪い攻撃手段である。
 仮に、“もう一つのモード”を使用したとしても、ベルのスピードに翻弄され、防御の上から体力を削り取られてただ闇雲に嬲り殺しにされるだけだ。
 それをわかっているだけに、あまり得意とは言えない回避重視の戦法を取りざるを得ない。
 しかし、最適と思えたその手は、言い換えれば砲撃と防御のパターンを崩され、動揺したなのはの消極的な心が生み出した逃げの一手。

 接近されることを嫌うあまり単調になってしまった砲撃など、いくら撃ってもベルには障害にもならない。

「ざーんねん。鬼ごっこの鬼はちゃんと逃げなきゃ、ね?」

 金色の光──“プラーナ”を、限界近くまで解放して得た神速で、瞬く間になのはの懐に飛び込むと、胸に結ばれた赤いリボンにとんと右手を当てる。

(しまっ────)

 ぐっと一瞬だけ力を込めて、ベルは囁くように術式を発動した。

「──ヴァニティワールド」

 ゼロ距離で解放された漆黒の力。
 ベルの右手を起点にして、虚無の力が放射状に広がり、立方体状の魔法陣を形成。なのはごと空間を包み込んだ立方体の魔法陣は、人には聞こえない高周波のノイズを放って全てを喰らい尽くす。

 “ヴァニティワールド”──立体魔法陣の内部に取り込んだ全てを等しく無に帰す、虚属性の最上級魔法である。
 リオンに言った通り、殺さない程度には手加減していたが、その威力は絶大にして無比。“万物を消滅させる虚無の世界”の名に相応しい、破滅の力がなのはに襲いかかる。


「きゃああああっ!!」

 悲鳴を上げながら、白衣の魔導師が紅く染まった摩天楼へと墜ちていく。
 そのままとあるビルの屋上に墜落。コンクリートを砕いて出来た小さなクレーターの中心から、砂煙がもうもうと立ち昇る。


「く……っ」

 震える身体を叱咤して、レイジングハートを支えに何とか立ち上がるなのは。純白のバリアジャケットは見るも無惨にボロボロで、口元からこぼれた紅い血が筋を作っている。
 そんななのはの目の前に、ふわりとポンチョをはためかせ、ベルが悠然と降り立つ。

「あなた、力の使い方ってものが全然なってないわね。自分の力を過信して、得意な距離、得意な戦い方にこだわりすぎよ。……どうしてこう、馬鹿魔力の持ち主ってのは揃いも揃って馬鹿ばっかりなのかしら」

 こめかみに指を当てて、頭痛を感じているかのような仕草をして、誰かを引き合いに出してなのはを当て擦った。

「そんな、魔力を、持ってる……あなたに、だけは……言われたくない、よ」
「ふん、言うじゃないの」

 ダメージの色濃い身体で、なのはは苦し紛れに当て付け返す。

「ま、いいわ。完全なる敗北と、絶対なる絶望の味を心行くまでたっぷり教えてあげるから、ありがたく思いなさい」

 漆黒の陽炎を巻き上がる。
 ふわりと浮遊したベルの突き出した右手に、漆黒の輝きが瞬いた。




 □■□■□■




 なのはがベルに追い込まれていた頃、ユーノははぐれてしまった少女を探してショッピングモールの内部を走っていた。
 サーチャーで特定した居場所へと奔走する。

「はぁ……、はぁ……っ。これは、もう少し、運動した方がいいかな」

 デスクワークが主体だったユーノの運動不足は確定的に明らか。久々の全力疾走に痛みを訴えるわき腹を押さえてぼやく。
 そんな自分が情けないと自省しつつ、曲がり角を抜ける。

「ぐすっ、ママぁ……ママぁ……」

 少し先、一面ガラス張りの大きな窓のある廊下の床に、ぺたりとへたり込み、ぐずぐずと泣いている十歳前後の少女が見えた。
 栗色の髪を短いツインテールに結ったその少女に、初めて出会った頃のなのはの姿がだぶる。
 そんな益体もないことを思いながら、ユーノは少女に駆け寄った。

「大丈夫? 怪我はない?」

 突然声をかけられて驚き、びくりと肩を揺らした少女は、涙をためた黒目がちな瞳で恐る恐るユーノを見上げる。

「うっ……ひっぐ、おにーちゃん、だぁれ?」
「君のママに頼まれて、代わりに君を迎えにきたんだ。もう大丈夫、一緒にママのところに行こう」

 その言葉に、少し間を置いてから──おそらく、幼いなりにもいろいろと考えているのだろう──、こくりと頷いた少女に、ユーノはやさしく笑いかけた。








 大きすぎる慢心が災いしたのか、ベルはなのはの仕掛けた遅延型のバインドに引っかかり、空中に張り付けにされていた。

「くっ、しまったっ!?」
「全力全開! スターライトッ!!」

 桜色の拘束具に四肢を捕らわれ焦りの表情でもがくベルへ、なのははこの隙を逃しはしまいと金色の切っ先を突きつける。
 撃ち放つのは、渾身の一撃────スターライトブレイカー。
 きゅんと軽快な音を立てて、無数の“星”が、環状魔法陣を展開するレイジングハートの先に集い──集った“星”が収束して、巨大な光となった。
 直径五十メートルはあろうかという桜色の光輝を前にして、ベルは驚愕で表情を染め──

「──なーんて、ねっ!」

 一転、薄笑いを浮かべたベルの痩身からごっと金色の光が勢いよく吹き出す。その圧力に耐えきれず、ぱりんとガラスが割れたような甲高い音を立てて桜色の光が粉々に砕け散った。
 有り余る魔力と“プラーナ”で、力任せにバインドを破壊したベルは、ひらりと身を踊らせて巨砲の射線から離脱。

「ブレイ────え?」

 発射態勢に入っていたなのはは唖然として、目を見開く。
 臨界点を越えた大量の魔力は、対象を見失ったとしても、留めることなど出来はしない。
 放射された桜色の巨大な魔力の塊は、ベルが捕らわれていた位置の遥か後方にそびえ立つ、四十階建ての高層ビルに向けて一直線に走っていった。









 少女を連れ、転送魔法でここを離れる準備していたユーノは、ふと視線を窓の外にやる。

「ッ!!」

 そこには、紅い空の下、遠方からとても馴染み深い見慣れた色をした光の柱が、ユーノたちが居るビルへと直撃コースを取って突き進んでいる光景があった。
 その極太の光に込められた膨大な魔力に、ユーノの背筋が凍り付く。

(なのはのスターライトブレイカー!? 転送──ダメだ、間に合わない!)

 足下には、きょとんとした顔をして見上げてくるいたいけな女の子。
 どこか想い人に似た少女の雰囲気に、ユーノの目の前が真っ赤に染まる。

「くそっ!!」

 転送魔法を即座に破棄して跪くと、少女の頭を抱え込み、限界まで魔力を注ぎ込んだ最大強度の多重障壁を張り巡らす。
 刹那、世界そのものが揺れるような甚大な衝撃波が彼らを襲う。極大砲撃の余波で、多重障壁は簡単に損傷を受け。
 中層階は消し飛び、支えを失った上層部が一気に崩落を開始する。重みに耐えられなくなった鉄筋や、コンクリートが雪崩のように降り注ぎ、緑の防御膜の中で身を縮めるユーノの視界を覆った。









「あーらら、崩れちゃった」

 崩れた巨大な塔を見やり、ベルが愉しそうにクスクスと嘲う。
 そして、その軽薄な態度が不愉快なのか、顔をしかめるなのはへと艶美な眼差しを向ける。

「あんなに派手に壊れて、“人間が中にいたら”どうなったのかしらね?」
「それって……」
「猪武者じゃないんだから、少しは自分の頭で考えたらぁ?」

 遠回しな言葉に訝しむなのはに、ベルは馬鹿にしたような猫なで声で促す。

『──マスター!』
「っ!」

 レイジングハートの短い警告の意味をすぐさま理解したなのはは、ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべるベルを半ば無視して、弾かれたように飛び出した。



 コンクリートや鉄筋、その他いろいろな物が積み上がった瓦礫の山。
 微弱な生命反応を──いや、“少女の泣き声”を頼りに、なのはは“ソコ”に辿り着いた。

「ユー、ノ……くん?」

 祠のように積み重なった瓦礫の下から、紅い“ナニカ”が足下に広がっている。
 引き寄せられるように歩を進めると、紅い“ナニカ”がぴちゃりと跳ねてなのはの白い靴を汚す。立ち止まった靴のつま先に、ひび割れたノンフレームの眼鏡がぶつかる。

「どう、して……こんな……」
「──あなたがやったのよ」

 地面に突き立った五メートルほどのコンクリートの破片に腰掛けたベル。すらりとした細い脚を組み、冷たく光る金色の双眸でなのはを見下ろす。

「わたっ、私は……っ」
「言ったでしょう? あなたは分不相応な力に振り回されるだけの、ただの粋がった小娘だって」
「ちがっ、ちがう!」
「違わないわ。ほら、見てみなさい」

 瓦礫の奥、影になっていたところに紅い月の光が射し込む。
 真っ赤な血液を止めどなく垂れ流す数年来の親友──そして、彼から流れた鮮血に汚れ、恐怖に泣き喚く小さな女の子。
 流血した友の姿と、痛々しい少女の泣き声がなのはの心を深く突き刺し、容赦なく抉る。

「ぁ、あ……ああ、ああああっ!?」
「クスッ、好い顔。……ねえ? わかったでしょう? “それ”は、あなたが傷つけたの。あなたの力で──あなたのその手で、ね」

 なのははレイジングハートを強く抱き抱え、膝から血溜まりに崩れ落ちる。

「い、や………ちがう、ちがうの……私、そんなつもりじゃ……うそ、だって、知らない、知らないよ……。私……、私────」

 血の気が失せた青白い顔で長い髪を振り乱し、脈絡のない言葉を壊れたラジオのように繰り返す。

「フフッ、案外愉しいゲームだったわ。機会があったらまた遊びましょう? ……もっとも、あなたが“ソコ”から這い上がれたならの話だけど。……じゃあね──アハッ、アハハハハハハハッ!!」

 紅い闇の中に溶けていくベルの嘲笑だけが色褪せ始めた紅い世界と、崩れていくなのはの心に残されていた。



[8913] 第三話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:5ae433ae
Date: 2009/06/18 21:59
 


 本局ステーションに停泊中のアースラ。その艦長室。

 私の目の前、大きなデスクを挟んで革張りの高級そうなイスに深く腰掛けているのは、この部屋の主──クロノ・ハラオウン。私の義理の兄さんで、直属の上司。
 ……昔と比べて、ちゃんと年上に見えるようになったな、と私が密かに思っているのはここだけのヒミツだ。

「兄さん、話ってなに?」
「まずはこれを見てくれ」

 兄さんが差し出したのは一冊のファイル。厚さはだいたい30センチくらいの、資料とかをまとめたりするやつだ。
 “特秘”とだけ題されたそれを手にとり、何気なく開いてみる。

 そこには────

「ッ……!」

 なにかに食いちぎられたような惨殺死体の写真と、検視についての報告文。路地一面に広がった血液とか、バラバラに散らばった“ナカミ”の写った写真の惨さたらしさに、一瞬吐き気を覚えてしまった。


 執務官をやっていれば、人殺しの現場に出くわすことだってある。管理世界・管理外世界を問わず、魔法やロストロギアを悪用する人はあとを絶たないし、それを取り締まるのが管理局の仕事だから。
 当然、その中には快楽殺人を犯すような重犯罪者なども含まれる。実際、私も何人か逮捕したことがある。
 ──管理局の花形として華やかに思われがちな執務官という役職だけど、実際はすごくハードな仕事……というか、世間の“キタナイ”面を見ることが多い。
 もちろん、ロストロギアの探索だとかの“キレイ”な仕事だけをやり続けることもできるのだろう。でも、私はそれを良しとはしなかった。
 私は、“無様でも足掻き続けなきゃいけない”んだから、そんな弱気なことできっこない。

 昔、初めてヒトの遺体を見たときは盛大に戻しちゃって、母さんたちに心配されたものだ。「無理はしなくていいのよ」とか「やっぱり他の事件を回そうか」とか。私は、それじゃ管理局にいる意味がなって主張して、変にえり好みせずいろいろな案件を担当させてもらっている。

 閑話休題。私の情けない過去はとりあえず置いといて、そんなわけで私はこういったものに慣れてるつもりだった。

 ────でも、これは、ちょっと……

「この資料って、いったいなんなの?」

 問いかけると、兄さんは渋顔を作る。

「半年ほど前から次元世界全域に渡って頻発している、無差別連続殺傷事件──その捜査資料の一部だ」
「……そっか。それで最近、本局とか地上本部が騒がしいんだね。私に見せたってことはこの事件、アースラで担当するんだ?」
「いや、そうじゃない。ただ、この件に以前、フェイトが遭遇したと言っていた、濃紺色のバリアジャケットの男が関わっている可能性が出てきたんだ」

 その言葉に、どきりと心臓が高鳴る。ここ数日、頭の片隅でずっと考え続けていた、どうしても気になってしかたがない、名前も知らない蒼い男の子。

 あの大火災のあと、“彼”と“ヒトガタ”のことは報告書にまとめて提出していた。黙っているわけにもいかないし、二重の意味でなにかわかるかもしれないと思ったからだ。
 幸い、バルディッシュに交戦の記録が残っていたのでよかったけど、普通だったら“あんなもの”信じられるわけがないと思う。

「現場で何度かその男の姿が目撃されていてね。それから、局員とも交戦したらしい。かなりの使い手だって話だ。もっとも、どこの誰かはまだわかっていないが」
「…………」

 私は、不意に出た“彼”の話題に起きた内心の動揺を押し隠して、手元の資料に視線を落とす。

「えっと、場所は──第22管理世界。ここ、治安、かなりいいところだよね。こういう事件って起きなさそうなところなのに」
「そうだな。そこ以外にもいくつかの管理世界、管理外世界で似たような事例が報告されてる。……上の方も本腰を入れて捜査するつもりらしいな」

 ようやくだが、と不満そうな表情で皮肉混じりに言葉を切る。
 兄さんは、常々管理局の動きの重さに不満を感じているらしい。たまの家族団欒の時間にまでグチグチ言い出して、母さんにすごい笑顔で叱られてたな。

「……フェイト、そんなにまじまじと見るくらいなるならその資料、持って行ってもいいぞ」

 報告文を読んでいると、兄さんが呆れたような言葉をもらした。
 私、そんなにまじまじと見てたのだろうか?

「いいの?」
「どうせそのつもりで用意したコピーだからな。ああ、でも、あまり人には見せないように」
「うん、わかってる。内容が内容だしね」

 特になのはには見せられないかな。……なのは、こういうスプラッターなのって見慣れてないだろうし。
 そういえば、今日はなのは、お休みだって言ってたっけ。いくつか残ってた書類を仕上げたかったったから、お誘いは断ったんだけど。

『クロノくん、フェイトちゃん!』

 突然、アースラのメインオペレーター──エイミィのあわてたような声が艦長室に響いた。
 このパターン、なんだかすごくいやな感じだ。

『なのはちゃんとユーノ君が大変なのっ! 急いでブリッジに上がって来て!』

 ああやっぱり……。
 そう、どこか冷静な私がつぶやいた。












  第三話 「紅い月が嘲う」












 クラナガン。
 管理局傘下の市内最大級の規模を誇る総合病院。

 報告を聞いて、本局から飛んできた私は、手術中のランプが点灯したICU──集中治療室──の前のベンチで、力なくうなだれる無二の親友の姿に、言葉を失った。

「な、なのは……?」

 近づいて、おそるおそる声をかける。

「フェイトちゃん……」

 ゆっくりと顔を上げたなのはの面もちに、さらに絶句。
 黒目がちなアメジストの瞳を真っ赤に泣きはらして、濁ったように焦点が合ってない。
 いつものひまわりのような笑顔はどこにもなかった。

「ユーノくんが……、ユーノくんが……」

 経緯は大まかだけどここに来る途中で聞いてるから、なにも言わない。なにも聞かない。

「わたし、私が──」
「──なのは」
「違う、違うの。そんなつもりじゃなくて……私は、ただ、負けたくなくてっ! だけど……だけどっ!!」

 震える肩を抱きしめ、なのはは誰に言うわけでもなくつぶやいて。
 うつむき加減で垂れ下がった前髪が、光のない濁った瞳を隠していた。

「なのはっ!」

 錯乱して、放っておいたらどうにかなってしまいそうななのはを強く抱きしめる。

「う……っ、ううっ、ぁ、あああぁぁぁ……っ!」

 腕の中で、声を張り上げ、子供みたいに泣きじゃくるなのはに、私はただ無言で、胸を貸してあげることしかできなかった。




 □■□■□■




 ちょうど本局に用事があって来てたというはやてと合流。廊下のベンチに並んで座る。……なのははひどく錯乱してたから、鎮静剤を打ってもらって、今はすぐそばの空き病室で眠ってる。

「……なのはさんも、ユーノさんも、心配です」
「せやね……」

 膝の上で不安そうに見上げているエルフィの髪を、はやては優しく撫でる。その表情は、どんよりと曇ってた。きっと、私もはやてと同じような顔をしているに違いない。

「ユーノの容体、どうなの?」
「意識不明の重体やて。シャマルと主治医さんの見立てやと、今夜あたりが峠やそうや」

 手術は少し前に終わってるけど、まだ面会謝絶で予断を許さない。はやての護衛で付き添っていたシャマルは、ユーノの治療に当たっている。

「はあ……。これで私ら、三人揃って仲良く札付きやな」
「はやて、不謹慎だよ。冗談でもそんなこと言わないで」
「ごめん。あんななのはちゃん見とったら、なんや調子狂ってしもて」
「それは、そうだね……」

 あんな壊れてしまいそうななのはの姿を見たのは初めてだ。三年前、大けがしたときだってこれほどひどくはなかった。

 ふと、思う──“あの人”の事件のときの私も、そうだったのかな。

「なのは、どうなるんだろう。処分、ただじゃすまないよね」
「まあ、変に甘いとこのある管理局やし、正当防衛の上での事故ってことでお茶濁して、降格と謹慎──悪ければ、教導隊からの不名誉除隊もありえるやろな」

 はやてがため息混じりに考察を披露する。
 たしかに、実際の戦闘の様子は見てない──レイジングハートは検分のために回収されてる──から詳しいことはわからない。だけど、“あの”なのはが殺傷設定を使わされるまで追い込まれたっていうのは、情状酌量の材料になるだろう。
 でも、それって……

「ちょっと、軽すぎない?」

 思ったことを素直に口に出すと、はやてがぽかんとした顔で私を見返した。

「なに?」
「いや、フェイトちゃんの口からそんなセリフが出るとは思わへんかったから。フェイトちゃんて、なのはちゃんのこと、全肯定してるんやないん?」

 それはすごく心外だ。はやては私のこと、なんだと思ってるんだろう。
 親友だからこそ、いさめなきゃいけないことだってある。なのはが大けがしたとき、自分のことにいっぱいいっぱいで気づけなかったのは苦い記憶だ。

「……私だってこんなこと言いたくないよ。だけど、罪には罰──それって、私たちが一番よく知ってることじゃない?」

 それに、ときには間違いだと面と向かって言ってあげるのもやさしさだと思うから。
 大好きな人に嫌われるのはいやだけど、大好きな人が間違うのはもっといやだから。

「たしかに。まったくもって否定できひんわ」

 同意して、はやてが自嘲気味に笑った。
 私は知ってる。はやてが今も“闇の書”の被害者の人たちのところへ、頭を下げて回っているってことを。はやてはむしろ被害者側なのに、「家族のやったことやから。私が責任とらなあかんねん」と気にした素振りも見せない。
 昔からだけど、はやては強い。芯がしっかりしているというか、したたかというか。はやてのそういうところ、見習いたいなと思う。

 ──私は、どうなのだろう。
 “あの人”の遺した技術──人造魔導師、クローンの違法製造については気にかけているけど、不思議とそれほど強いこだわりも感じない。
 ────というか、目の前のことにいっぱいいっぱいで、そんな余裕、今の私にはないっていうのがほんとのところだ。

 ああ、そうだ。前に研究施設で保護した“あの子”は元気にしてるだろうか。最近は忙しくて顔を出していないから、ちょっと心配。
 余裕ができたら行ってみようかな──って、それがないんだった。

「はあ……」
「ため息つくと幸せが逃げるで、フェイトちゃん」

 なのはのこと。
 なのはの戦った誰かのこと。
 兄さんの話していた事件のこと。
 ──そして、“彼”のこと。


 わからないことだらけで、濃い霧が立ちこめたように見えない“真実”に、私は思わずため息をもらした。



[8913] 第三話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:78ad8cd3
Date: 2009/06/18 22:00
 


 青い間接照明で照らされた、薄暗いアースラのミーティングルーム。

 長いテーブルにつくのは私や兄さん、エイミィなどのアースラの主要人員。それから、はやても。
 本来は別部署に所属してる彼女がいるのは、今回の議題の関係者というだけじゃなく、なんでも私と兄さんに相談したいことがあるんだとか。

 ところで。
 前々から思っていたんだけど、どうしてここってこんなに薄暗いんだろう? 目が悪くなっちゃうと思うんだけど。


「みんなもう聞いてると思うが……なのはの処分が決まったそうだ」

 私をはじめとして、みんな一様に沈痛な面もちになる。
 結局、なのはの処分はおおむねはやての予想通りだった。違うのは、除隊じゃないのと無期限謹慎なだけ。
 除隊処分じゃなかったのは、きっと管理局の慢性的な人員不足のせいだろう。その本音を隠すための無期限謹慎、なのかな。
 もっとも、当のなのはは取り乱しててそれどころじゃない様子だったけれど。

「それで、その時の交戦記録が回ってきた。なのははアースラの関係者みたいなものだから、上も気を使ってくれたんだろうな。──エイミィ」
「うん。ちょっと待ってね」

 兄さんの指示を受けて、エイミィが目の前のコンソールを叩くと、テーブルの中心に備え付けられたプロジェクターが作動して、半透明なスクリーンが発生。

「…………」

 レイジングハートのAIから抽出された戦闘記録がスクリーンに映り出される。

 なのはと激闘を繰り広げているのは、見た目、私たちと同い年か少し年下くらいの女の子。
 ウェーブのかかったきれいな銀髪と、人形のように整った面立ち──そして、らんらんと光る小悪魔的な金色の瞳は、とてもかわいらしい。でも、同時にどこか作り物めいてて、なんだか怖い。着ているのは紫の……制服、かな?

 この子と戦って、私は勝つことができるだろうか。機動力はたぶん上、魔法の火力では負けてそうだ。近接戦は────だめだ、映像だけじゃ判断できない。

「この魔法、なんや見たことある気がするな」

 はやてがぽつりともらす。
 なのはのディバインバスター──このときはまだ非殺傷だったみたいだ──を、いとも簡単に押し返した小さな太陽。ミッドのともベルカのとも違う、未確認の術式で構成された魔法。
 その金色の輝きに、私ははやてと同じく既視感を覚えた。すごく懐かしいような、でもぜんぜん違うような、不思議な感覚。


「────だな」
「そうだね。フェイトちゃんはどう思う?」
「えっ?」

 既視感に戸惑い、もやもやとしててはっきりしない記憶の底をさまよっていた私の意識は、名前を呼ばれたことで現実に引き戻される。
 顔を上げると、私を呼んだエイミィをはじめ、この場にいたみんなの視線を一斉に集めてしまっていた。

 どうしよう。考えるのに夢中でなんにも聞いてないや。

 たらりと額に汗が流れる。

「えっ、と……ごめん、聞いてなかった。もう一度おねがい」

 とりあえず、素直にあやまった。
 しょうがないなぁ、と苦笑いするエイミィに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「アースラのエースに、この映像を見た感想を聞かせてほしいなーと。で、どうなの?」
「うーん……。魔法についてはたぶんみんなと同じ見解。この子の口振りからなのはのこと、あらかじめ知ってた感じだね──遭遇したのは偶然みたいだけど。あと、これはただのカンなんだけど……シグナムたちみたいに、見た目通りの年齢じゃないかもしれない」

 まとっている独特な雰囲気とか、コケティッシュな仕草とか、やけに洗練されてる戦い方とかは、どう見ても同世代には思えない。まだ、ヴォルケンリッターのようなプログラム体だって方が納得できる。

「なるほど。確かに、この少女──ベール・ゼファーからは、戦闘能力にしてもそうだが、何というか……言葉にしがたい異質な印象を受けるな」
「連れの黒い髪の子は“大魔王ベル”って呼んでたよね。通り名にしてはかなり仰々しいけど、なんかそれっぽい感じするかも」

 私の考えに賛同して、兄さんとエイミィがそれぞれ意見を出し合うけど、それはあくまで推論で。彼女たちの目的や、素性をはっきりとさせるような決め手にはならない。情報が足りなすぎる。

「未確認の術式を用い、Sランクの空戦魔導師を空で圧倒する戦力の“魔王”、か。……現時点ではこれ以上はわからないな。とはいえ、実際に破壊活動を行っている以上、放置している訳にもいかない」

 少しくたびれたような声色で言葉を切る兄さん。今回の件で、いろいろと奔走してるから疲れてるのな。
 でも、兄さんの言うとおり、わからないからと言って、このまま手をこまねいているなんてこと、できない。
 冷静に見えるかもしれないけど、私だって、なのはがひどい目に遭わされて頭に来てるから。
 心は熱く、頭はクールに、だ。

「……ちょっと、ええかな?」

 ひじを突き、組んだ手で口元を隠すという、ちょっと悪役チックなポーズ──なんだかそれがすごく似合ってる──で、じっと沈黙していたはやてが、口を挟む。
 私たちの視線を引きつけたあと、もったいぶったようにはやては続きの言葉を紡ぎ出した。

「──私、ちょっと心当たりがあんねん」




 □■□■□■




「ごめんなさい、お買い物につきあわせちゃって」

 地球。
 水平線に沈みゆく太陽に照らされた商店街。
 オレンジ色の光を受けて延びる三人と一匹の影。

 食材の詰まった買い物かごを小脇に下げたエリスが、共に歩く、桃色の髪をポニーテールにした長身の女性と、赤い髪をおさげにした十代前後に見える少女に、恐縮した様子で言葉をかけた。

 なお、エリスの服装は若草色のエプロンドレス──いわゆる、メイド服(本場英国式)だ。この服は、“特殊部隊グリーンティー”の制服で、一流のウィザードが一本一本に魔力を編み込んだ糸を、丹念に編み込んで作り上げられたオーダーメイドの特注品である。その高い対魔力は、魔法的な加護を失っているエリスにはお誂え向きな一品と言えるだろう。
 とはいえ、どう見ても普通の商店街にはそぐわない格好なのだが、そこはファー・ジ・アースの秋葉原に並ぶ人外魔境海鳴市。驚くほどメイド服が風景に馴染んでいた。


「いや、いい。我らは主はやてからお前の護衛を任されているのだしな」

 長身の女性──シグナムが、以前よりもいくらか柔らかくなった面差しを、客分である少女に向けた。

「そーそー、細かいことは気にすんなって。エリスの作った料理、けっこううめーし。まあ、はやてほどじゃねーけど」

 早速、餌付け……もとい、手製のお菓子を振る舞って仲良くなった、おさげの少女──ヴィータがシグナムに同意する。はやてと比較した言はヴィータなりの照れ隠しだ。

 エリスの持ち込んだ話をフェイトやクロノに相談するため、本局へ向かったはやてと入れ違いで帰宅した二人。
 当初は不振人物であるエリスに警戒していたものの、今では彼女の人柄と持ち前の明るさにすっかり打ち解けたようだった。

「そうだな。志宝が居るおかげで正直助かっている。私もヴィータも食事は作れないのでな」
「……お二人はお料理できないんですか?」

 苦笑混じりに言うシグナムに、エリスが不思議そうに首を傾げた。

「そうだが?」
「ヴィータちゃんはともかく、シグナムさんは家事とか得意そうな感じがして」
「……? なんでそう思うんだよ?」
「こう、“夢は新妻っ”というか。エプロンが似合いそうです」
「はあ?」

 少々ズレたエリスの発言に呆れ顔をしたヴィータが、ふと隣を歩く話題の人物を窺う。

「そ、そうか……」

 そこには、クールな表情を装っているものの、わずかに頬を染め、口元はゆるませた──端的に言えば、喜色を隠し切れていない同胞の姿。どうやら、「エプロンが似合いそう」と言われたのが余程うれしかったらしい。
 シグナムの見せた痴態に、ヴィータは頬をひきつらせた。

「あー……そ、そうだ! 今日の夕飯てなんだっけ?」妙な空気を変えようと、ヴィータが無理やり話題を変える。

「あ、今夜はハンバーグです」
「それは楽しみだな」

 三人の前をとてとてと歩いていた子犬モードのザフィーラが、振り返る。

「ザフィーラさん、喋れたんですね」
「む……」

 抗議するように唸ったザフィーラのリアクションに、三人はクスリと声を合わせて笑いあった。
 その時、ぞくりと肌が粟立つのを感じエリスが視線を上げる。

 いつの間に現れたのだろうか、目の前を塞ぐように、年の頃、五・六歳の可憐な少女が佇んでいた。
 金色の見事な巻き髪を揺らし、ぞっとするほど美しい微笑を浮かべている。

「“月匣”……──あなたは、」

 微笑する少女が背負うのは、真っ赤に輝く真円の月。

「ルー・サイファー! どうしてここにっ!?」

 戸惑いと驚愕を含んだエリスの叫びが紅い世界に木霊する。

「これは異なことを訊く。そちは我らを追って、わざわざこのような場所せかいまでやって来たのではないのか、志宝エリスよ」
「それは──」

 至極真っ当なセリフを呆れ混じりに吐いた少女──ルー・サイファーが、銀色の瞳を薄く細めた。

「エリス、下がってろ!」

 瞬時に展開した騎士服を纏い、戦槌グラーフアイゼンを構えるヴィータが、最大級の警戒心を露わにして前に出る。
 シグナム、ザフィーラも同様に──ザフィーラは人型だ──エリスを庇うようにして、神の造形とも呼べる愛らしい容姿と強烈なプレッシャーを振りまく少女に相対した。

「コイツ……」
「はい。彼女は、ルー・サイファー。裏界魔王の中でも最強最悪の侵魔──“金色こんじきの魔王”です」

 まるで「説明ご苦労」とでも言うかのように満足げな表情のルーへ、シグナムがレヴァンティンの切っ先を突き付ける。

「異界の魔王よ。何が目的で我らの前に現れた? 事と次第によっては──」
「“何が目的”、か。ククッ」

 白刃を前にして、ルーはくつくつと不気味に笑みを漏らす。

「何がおかしいんだよ!」

 そのはっきりしない態度に、元々沸点の低いヴィータが激した。

「いや、そちらの故郷には“平和の使者は槍を持たない”という諺があるのであろう? おっと、これは小話の落ちだったか」

 いつか、自分がなのはに向けた言葉をかけられて、思わず鼻白むヴィータ。当時、その場にいたザフィーラも、不可解なルーの言動に眉をひそめる。

「フッ。何、そちに少々借りがある故、我自ら出向いたまで。ただの戯れ、魔王の気まぐれぞ」
「借り、だと?」

 シグナムの疑問には答えず、ルーは瞳を閉じて言葉を発した。

「エイミー」
「──ここに」

 彼女の左隣の空間がヴンと歪み、その中から、現れたのは褐色の肌を漆黒のエプロンドレスで隠した二十代の女性。短めの三つ編みにした赤い髪をヘッドドレスで止め、柔和な面立ちをフレームのない丸メガネが彩っている。
 彼女──“誘惑者”エイミーは、面識あるエリスに向けて軽く会釈をした。

「アゼル」
「──いるよ、ルー」

 続いて、右側に発生した歪みから、病的なまでに豊満な白い肢体を漆黒の帯──ではなく、フリルのついた白と青のドレスで包んだ、灰色のショートヘアの少女──“荒廃の魔王”アゼル・イブリスが物憂い表情で現出する。
 帯を巻いた左の手首にはめる真っ黒な腕輪には、手の平サイズのデフォルメされたファンシーな蠅のマスコットが揺れていた。

「エイミーは青い狗を、アゼルは紅い小娘を抑えろ」
「かしこまりました」
「うん。……この“躯”のお礼はちゃんとするよ」

 指示を受け、テキパキとした所作で歩み出るエイミーと、腕輪をショートスピアに変じるアゼル。
 ザフィーラとヴィータが構え、攻撃に備える。

「さあ、我が光にて滅びよ」
「──!!」

 眼前に差し向けられたルーの左腕から、パキンと甲高い音を立てて、深紅に輝く、七枚の羽根がその偉容を赤き月の下に晒した。



[8913] 第三話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:2ad7f546
Date: 2009/06/18 22:01
 


 海鳴の、平々凡々な街並みに、天に届くほど高い粉塵の柱がいくつも立ち昇った。

 巨大な純白の羽根を操るのは、“金色こんじきの魔王”の異名を取る大魔王──ルー・サイファー。可憐な相貌を王者のごとく鋭利に変え、容易く倒れそうな指を指揮者のように情緒的に振り乱す。
 その白魚のような指の動きに併せて、二メートルを超えるまで大型化した七枚の羽根が、紅い光跡を残して大地に落下する。その目標は、護衛対象──エリスを小脇に抱え、建物の屋根の上を走り、逃げ回る烈火の騎士──シグナム。
 圧倒的な質量と莫大な魔力が込められたそれらは、次々に紅月の浮かぶ天空から降り注ぎ、建造物を無慈悲に叩き潰していく。
 この“月匣”内に、彼女たち以外の人間が誰一人囚われていないことは幸いだと言えるだろう。

「シグナムさん! ヴィータちゃんとザフィーラさんは──」
「喋るな、舌を噛む!」

 引き離され、それぞれ強大な魔王と今も交戦しているであろう二人を心配して声を上げたエリスを、シグナムは蛇腹剣──シュランゲフォルムのレヴァンティンを巧みに操りながら咎める。
 紫色の魔力を帯びた連結刃がうねりをあげて、頭上から迫り来る巨大な羽根にぶち当たり、その軌道を変えた。

 その様子を上空で滞空しながら見下ろすルー。

「……ふん」

 奮戦するシグナムの姿を見やり不愉快そうに鼻を鳴らした。
 小手調べとしてけしかけた羽根のことごとくが避けられたことで、彼女の大きすぎるプライドに火が着く。

 ──そも、今回の来襲とて彼女の私情が多分に含まれた“報復”である。
 彼女の眷属──弟にして息子が“こちら側”に来てしまったのは、彼女がシグナムに敗北したことが遠因だ。──それは、山脈よりも高いプライドを持つルーにとって許容出来ない事象だった。

 故に、報復。

 もっとも、現し身とシグナムの力量差を見誤った、自身の慢心による敗北だったという事実は、華麗にスルーされていたが。

「……さっさとケリを付けるか」

 気まぐれに呟いて、ルーは空間を歪めて転移した。





 ルーの先制攻撃で分断されたヴィータ。
 遠雷のような耳をつんざく轟音を聞き入れて、シグナムとエリスに合流しようと空を駆けるが────

「──ッ」
「くっ!」

 無音の気合い共に、漆黒の刃が横合いから走る。横薙ぎ一閃。
 穂先の根本に付いた場違いなマスコットが、身を反らすことで辛くも避けたヴィータの目の前を過ぎていく。

「ダメ、行かせないよ。あなたの相手はあたし」

 振り抜いたショートスピアを軽く振り回し、アゼルはその切っ先をいったん距離を取って警戒するヴィータに突き付けた。
 薄幸の美少女といった風情を醸し出す陰鬱な印象を与えるアゼルの面立ちは、普段とは打って変わり、ほんの僅かだが勇ましさを漂わせている。限定的とはいえ、自らの忌まわしい“力”が抑制され、自由を手に入れたことがよほどうれしいらしい。

「くそっ、おまえの声、なんかやりずれーな!」

 ヴィータが困惑顔で悪態を吐く。どこかの誰かにとてもよく似たアゼルの声色に、調子に狂わされているようだ。

「そんなこと言われても……。生まれたときからこの声だったんだけど……」

 アゼルの“能力”を抑制する“魔殺の帯”が巻きついた脹ら脛が盛り上がり、体内に内蔵された機械的な噴射口──ロケットブースターが露出。一拍置いて、青白いアフターバーナーを盛大に噴き出して突貫する。
 突き出された穂先と、展開された紅いシールドと衝突。激しい火花を散らす。
 突撃を真っ正面から受け止め、弾き返したヴィータが、お返しにグラーフアイゼンを振り上げる。体勢を崩したアゼルは反応できない。
 カートリッジロード。薬莢が飛び、グラーフアイゼンの穂先が変形した。

「ラテーケン──ハンマーッ!!」

 ハンマーヘッドに付いた推進機構が噴射剤を吐き出し、重力と振り下ろしによって加速したスパイクの一撃がアゼルに迫る。

「──っ!」

 スパイクの切っ先が何とか身を引いたアゼルの胸元をかすめ、彼女の纏うドレスを大きく切り裂いた。

「あ……っ」

 レースの上質そうなドレスは、身体の中心線に沿ってバッサリと断ち切られ、その切り口からは黒い帯に押し込められて窮屈そうな乳房が露わになった。

「ちっ、ハズしたか!」
「──っ」
「……うん?」
「……これ、“アル”に作ってもらったお気に入りなのに……」

 服が損傷したことがショックだったのか、うるりと瞳を潤ませてしょんぼりするアゼル。
 空中だというのに体育座りで座り込み、「どうせ、あたしは孤独……」と呟いて、器用に指で地面──空中だが──にのの字を書きはじめた。

「え、あ、あれ?」

 その周囲の生気まで盛り下がりそうな落ち込みように、ヴィータはいい知れない罪悪感に襲われた。

「えっと、その、わりい。」
「うぅ……。──っ……許さない!」
「なっ、ちゃんと謝ったじゃんか!」

 キッと視線を上げたアゼルは、ヴィータの抗議などお構いなし──彼女も一端の魔王であるからには当然だが──で、ロケットブースターを再度展開、突撃体勢に入る。

「エネルギー──」

 気を取り直したヴィータ。「ちっ」と舌打ちした後、弾丸を数発生成、戦槌で叩いて打ち出す。
 シュワルベフリーゲン──ベルカ式では珍しい誘導弾系の中距離射撃魔法である。

「────全、開……ッ!」

 突撃するアゼルに殺到した魔弾は、しかし、槍に内蔵された加速フィールド発生機構が生み出すエネルギーの膜に阻まれた。

「──くっ!!」

 一筋の流星となったアゼルが、ヴィータの展開した真紅の魔力障壁に突き刺さった。





「やあっ!」
「おおおおおッ!!」

 エイミーの伸縮自在の伸びる手脚を駆使した格闘が、ザフィーラの繰り出す大砲のごとき鉄拳とぶつかり合う。
 剛と柔──二種類の拳撃が幾度も交差した。
 ザフィーラが鉄をも砕く右のストレートを打ち放てば、エイミーがしなやかな両手を四連で突き出す。
 一進一退の攻防。共に主に使える身であることの矜持に賭けて負けわけにはいかないと、互いに一歩も譲らない。

「シッ!」

 顔面を狙うひねりの加わった強烈な正拳を、首を傾げて避けるエイミー。しかし、避けきることが出来ず、鉄拳が三つ編みの横をかすめて数本の髪を消し飛ばし、僅かに切れた頬には紅い血が一筋流れた。
 エイミーのメガネに隠れた大粒の青い瞳が、剣呑な光を帯びる。

「──はあああッ!」

 とんっと空を蹴って、バックステップで間合いを取り──刹那、裂帛の気合いとともに、鋭く踏み込まれる震脚。腰溜めに構え、放たれた両の掌底が、硬直してがら空きになっていたザフィーラの胴へと突き刺さる。
 ドン、と鈍い音が辺りに響く。
 魔王の大魔力を笠に着た超重量の一撃に、さすがのザフィーラも一瞬、悶絶した。

「……ッ、見かけに寄らず……っ!」
「一流のメイドたるもの、ご主人様を護るためなら時には牙を剥くことも厭わないのです」

 笑顔を浮かべ攻勢を強めるエイミー。身体を大きく沈め、刈り取るように鋭い下段の蹴りを放つ。エプロンドレスの裾が翻り、黒いストッキングが覗く。

「ぐ、ぬ……! くっ、どこのゴム人間だ!」

 鞭のようにしなる脚払いをくぐり抜け、高度を上げたザフィーラが吐き捨てた。

「あら、万病を癒す霊薬を飲めばこれくらいのことは出来るんですよ?」
「嘘を吐けっ」
「まあ、本当ですのに」

 ザフィーラが踏み込み、距離を詰めようと突進する。拳に迸る青い魔力。狙うは渾身の一撃。
 迫る縦の守護獣の巨体にもエイミーは笑顔を崩さず、冷静に腕を振り上げ、指先が紅く輝くルーンを空中に描き出す。

「スフィア!」
「ぬっ!」

 眼前に巻き起こる凄まじいまでの風。その圧力に阻まれて、ザフィーラは近寄れない。
 たたらを踏むザフィーラ。その隙を逃すエイミーではない。
 空間が波打つ。「水よ!」掌の中にテニスボールサイズの水球が現れた。

「──貫け! アクレイルッ!」

 月衣から取り出した水球を圧縮、硬質の水弾──アクレイルが射出された。
 数トンに達する衝突エネルギーが込められた水の柱がザフィーラに襲いかかる。

「ぬっ──、ぐおおおおッ!?」

 大量の水に押し流され、眼下の街並みへと墜落していくザフィーラを視界の隅に入れ、「うん、イケるイケるっ! ……なーんて」とのたまったエイミーは、クスクスと笑顔をこぼしてスカートの裾を直した。





 心配そうな表情で空を見上げるエリス。彼女の瞳に映るのは、空を覆い尽くして燃え盛る二色の炎。
 紫色の烈火を飲み込むように、黄金の獄炎が全てを焼き尽くした。

「が……ッ」
「シグナムさん!」

 全身火達磨で、エリスの側の民家に叩き落とされたシグナム。その衝撃で、二階建ての建物は半壊した。
 周囲を衛星のように回る三つの火球と、紅い燐光を放出する七枚の白き羽根を引き連れて、悠然と黄金の魔王が光臨する。

「志宝エリス、そちは其処で黙って見ておれ。“光”を失ったそちには、最早、出来ることなどありはしないのだからな」

 鋭い視線と辛辣な言葉がシグナムに駆け寄ろうとしたエリスを制す。
 ピクリと肩を揺らしたエリスは、しかし、歩みを止めず、倒れ伏したシグナムをルーから庇うように立ちふさがる。

「何のつもりだ」
「──戦う力はなくても、盾になることくらいならできます!」
「退け。そちとて死ぬのは怖かろう?」
「死んでしまうのは嫌です。でも、“仲間”が傷つくのはもっと嫌だから」

 決然として、迷いも躊躇いもない真っ直ぐな翠緑の眼差しと、絶対的なカリスマを漂わせる白銀の眼差しが交わる。

「そうか……。ならば望み通り、共に滅びよ」

 ルーの人差し指がエリスに突きつけられる。収束する魔力。眩い光が指先で輝き、ジジジ……と空気を焼く音を響かせる。
 自らを破壊し尽くして余りある閃光を前にしても、エリスは一歩も退かない。
 それを、エリス自身も無謀な蛮勇だと理解している。──だが、“仲間”に救われ、“仲間”と共に歩み、培ってきた信念に賭けて、この場を譲ることは出来なかったのだ。
 光輝が一層瞬き、放たれる刹那────
 瓦礫と化した天井の残骸から埃がパラパラとルーの頭上に降り注いだ。

「む……?」

 ルーが眉をひそめる。彼女自慢の見事な黄金の髪が、降ってきた埃で僅かに汚れた。
 唐突に、白い光が収まる。

「興が醒めたな。──エイミー、アゼル、退くぞ」

『……殺さなくていいの?』どこかでヴィータと戦っていたアゼルからの返答。
「構わぬ、捨て置け」と短く告げたルーは、エリスと倒れたままのシグナムに背を向ける。そして、事の推移についていけず、ぽかんと当惑するエリスを肩口から見やり、口を開いた。

「────志宝エリス。事の“真実”が知りたいのなら、次元の海を渡れ」
「どういう意味ですか?」
「フン。それくらい、自分の頭で考えるのだな」
「あっ、待って──」

 投げかけられた言葉に困惑を強めるエリスを置いて、天災のように気まぐれな大魔王は、最後まで気まぐれに闇の中へと溶けていった。



[8913] 第四話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:645970d5
Date: 2009/06/20 23:06
 










  第四話 「Dance of a white wing」











 暮れなずむ斜陽の病室。
 規則的な機械音が清潔に保たれた室内に響く。

 鼓動を示した機器や酸素を送り込むパイプ、栄養剤の詰まった点滴──有り体に言えば、生命維持装置に繋がれたユーノが、穏やかな表情で真新しいシーツにくるまれている。
 何とか峠を脱し通常の病室に移ったものの、意識は未だに戻らず、予断を許す状況にはなかった。


 空気の入れ換えのために開け放たれていたのだろう、薄く開いた窓から柔らかな恵風が部屋に入り込み、悪戯なそれに煽られて白いレースのカーテンがふわりとはためいた。


 気まぐれな闖入者が過ぎ去る。


「…………」

 どこから現れたのだろうか。黒と青を基調としたありきたりな服で身を包む、癖の強い黒髪の少年が、ベッドサイドに佇み、眠ったままのユーノを見下ろしていた。
 無音のまま過ぎる時間。
 鮮やかなアースブルーの瞳に宿した鋭い光がふと緩む。代わりに浮かぶのは柔弱な闇。

「──ままならない。本当に」

 誰ともなくぽつりと呟く。
 その表情は、誰が見てもわかるくらいに後悔を滲ませ、沈んでいた。少年のことを少しでも知る者がこの光景を目にしたのなら、自分の目を疑ったに違いない。
 ──泰然自若にして、飄々とした愉快犯……それが彼の世間一般から受けている評価だ。彼自身、“世界”に対してある種の悪意を持って接していることもその原因の一つだろうが、もともと本心を隠してなかなか表に出さない質である。
 この生粋のウソツキの気持ちをわかる人間は、今のところ“この世界”には居なかった。

「“こういうこと”も始めから織り込み済みのつもりだったけど、いざ現実になると……やっぱ、辛いよな」

 自らの選択を悔やむように少年は唇を噛んだ。
 “家族”にも見せない──いや、意地でも見せまいとしている弱音を吐き出す。

「だけど一度決めたことだ、投げ出すつもりはないさ。──中途半端で諦めるのは御免だ」

 例え、大切なひとたちから恨まれたとしても。例え、世界の全てを敵に回すとしても。
 罪なら被ろう。咎なら受けよう。汚れ役には慣れている。

 やると決めたら、最後まで諦めずに貫き通す──少年の根幹を成す、たったひとつの信念。それは“責任”という言葉で言い換えることができるかもしれない。


 少年は、淀みを吐き出すように軽く息をこぼすと、ボサボサな黒い髪を困ったようにかき乱し、

「苦情や文句は後で好きなだけ聞いてやるよ。お前と俺は……親友、だからな」

 少し頬を赤らめ、言いづらそうに視線を泳がす。その仕草には、素直じゃない彼の性根がよく現れていた。

 傷付き、眠り続ける友を前にして──
 決意を言葉に。意志を祈りに。
 黙祷するように瞳を閉じていた少年が、ふと顔を上げて部屋の入り口の方に振り向く。

 近付く人の気配。

 たぶん“彼女”だろう──こちらはこちらで何とかフォローしなきゃなと、心に決め──と当たりをつけた少年は、陰りを帯びた弱気な本音を虚勢の仮面で覆い隠し、不敵に唇を歪めた。
 そう──うじうじと悩むのは“自分”らしくない。少年は、自分の好きな“自分”で居るために、華美に着飾って前を向く。何よりも大切なひとに、愛するひとに、無様な姿は見せたくないから。
 どんな時でも格好付けて。見栄を張って。飄然と振る舞って。
 彼のそれは、すでに習性と呼べるまでに昇華していた。

「──じゃあな、ユーノ。ゆっくり養生しろよ」

 せめてもにと、親しみといたわりを込めた言葉を投げかけ、少年の姿が蜃気楼のように揺らめき、夕闇に溶け込んでいった。





 ややあって、カラカラ……と、控えめな音を立てて病室の引き戸が開かれる。

 消失した少年と入れ替わるようにして入室したのは、サイドテールの少女──なのはだ。
 目元には薄い隈が浮かび、あまり眠れていないことが窺える。

「……あれ?」

 なのはの、僅かに濁った紫石英の瞳が捉えた部屋の景色に違和感が残る。
 違和感の正体──それは、ベッドサイドに置かれた陶器製のシンプルな無地の花瓶に生けられた、見慣れない数本の白いバラだった。
 たしか、あれには自分が買ってきた他の花が生けていたはずなのに、となのはが不思議そうに首を傾げた。

「──誰か、お見舞いにきてくれた……のかな」

 実際に見舞い客が居たことなど当然知る由もない彼女は、とりあえずそう納得して、ここ数日で定位置になってしまったベッドの横の丸イスに腰掛ける。
 ふぅ、とこぼれた息。

「…………ッ」

 これで何度目になるかかわからない、自分の失策に対する強い自責の念に苛まれる。
 どうしてあのとき、戦ってしまったのか。どうしてあのとき、非殺傷を切ってしまったのか。どうしてあのとき、周囲への注意を怠ってしまったのか。どうしてあのとき、スターライトブレイカーを選んでしまったのか。

 そして──


 ────どうして私は魔導師を続けてる、の?


 自問に答えはない。あるのは深い後悔だけ。

 ザリ……となのはの脳裏に嫌なノイズが走る。フラッシュバックするのは紅い記憶。



 真っ紅な空。

 真っ紅な月。

 真っ紅な街並み。

 そして、真っ紅に染まった────




「──ッ!!」

 なのはの、年相応な少女らしい華奢な身体が、カタカタと音を立てて震え出す。噛み合わない歯を無理矢理に押しつけて。震える肩を両手で強く抱きしめて。
 溢れ出したどす黒い衝動を抑えると、厭な記憶を振り払うようにかぶりを振る。
 そして、未だ目覚めない数年来の親友の穏やかな横顔を辛そうに見つめた。

「────…………ねえ、ユーノくん。私、どうしたらいいのかな……?」

 依然、意識の戻らないユーノに──そして、とても近くに居た、だけど今は居ない“誰か”に助けを求めるような呟きは、辿り着く場所を失い彷徨う。



 陽光は、建ち並ぶ高層ビルの間に沈み────
 街に、夜の帳が落ちる。
 開け放たれたままの窓から、まだ少し肌寒い風が、夜闇と一緒にそっと静かに忍び込んだ。




 □■□■□■




『足掻いているのね。出来損ないの人形らしく、無様に』


   ────母さん。


『……まだそんな事を続けていたの?』


   ────母さん。そんな顔しないで。笑いかけて。


『本当に、あなたは馬鹿。大馬鹿者ね。私の言葉を唯々繰り返すだけの哀れなお人形。……今更、死人の記憶にすがりついて、戯れに遺した言葉に拘って、一体、何の意味があるのかしら』


   ────母さん。違う、違うよ。あの“言葉”は私に残った、最後の絆だから。


『…………。あなたのそういうところ──大っ嫌い』



   ────母さんっ、待って!」





 ──自分の叫び声で、目が覚めた。
 見慣れない天井。起きたばかりで鈍りきった頭は軽く混乱。
 まとまらない思考と感情とが、ぐるぐる、ぐるぐると際限なく私のなかで駆け回る。

「はぁ、はぁ……はぁ……っ、はぁ」

 息が切れる。のどが渇いていがらっぽい。
 脂汗をたっぷりと吸った、黒のタンクトップが肌にべったり張りついてすごく不快だ。キモチワルイ。
 自分の荒い息づかいも今は耳障りだった。

「……。また、あの夢……見ちゃったな」

 いつからか見はじめたおなじみの夢。未だに引きずってる“母さん”の夢。
 アリシアのことや、生まれのこととかは吹っ切った──つもりだ。誰の言葉かは忘れちゃったけど、“自分らしくありのままで生きていけばいい”と私は思うから。
 だけど、それとこれとは別の問題。
 あの慌ただしくも忘れられない一年から、ハラオウンの家に引き取られてから六年。まだ六年だ。──六年は、長いようで短い。少なくても、私にとっては折り合いをつけるにも、愛情を整理するにもぜんぜん足りない。
 私はまだ、“母さん”のことを愛してる。忘れられるわけなかった。


 かき乱された感情の濁流が徐々に収まりはじめる。
 汗が浮んで、前髪が張り付いた額に手の甲当てた。少しだけひんやりとしてて、気持ちいい。
 このまままどろみを楽しむには夢見がよくなくて。……まだちょっとぼんやりとした頭で、ここがどこか思い返してみる。

(──……そっ、か。私、いまアースラから離れてるんだったっけ)


 はやてが偶然保護したという女性から事情を聞くために、地球へと迎えに行くことになったアースラ。
 私は、それには同行せず──迎えに行くだけなのだから必要ないだろうと判断した──、単身、みんなと別れて「連続殺傷事件」が頻発している第22管理世界“ハイダ”本星に向かっていた。
 そしてここは、定期便の次元航行艦──もちろん、管理局の職員向けのものだ──の中で、この部屋は私に割り当てられた船室だ。
 今回みたいに単独捜査することもたまにあるから、ひとりで艦に乗るのもなれっこなのである。えっへん。


 別に、この件は私が担当しなきゃいけない案件というわけじゃない。だけど、この事件がなのはのことに繋がっているような、そんな予感がしたから──
 ……ううん、違う。それは言い訳だ。傷ついた親友をダシにした、汚い言い訳。
 私はただ、他人に任せているのがいやなだけ。ただ、あの蒼い眼の男の子の背中を追いかけたい──そんな身勝手な望み。利己的な自己満足。幼稚な執着心。

 これじゃまるで“恋する乙女”みたいだ。

「ん?」

 恋?
 あれ? これって恋なの?
 私、あのひとに恋してるの? あのひとのことが好き──

「っっっ!!」

 カット。カットっ。カットっ!
 やにわに熱くなった顔を枕にぼふっと押しつけて、そんなことないと取り繕う。
 ……というか、私はいったい誰に向けて取り繕ってるんだろう。よくわからない。

 まったく、なんなんだろう。あの火災の現場──じゃなくて、公園でたい焼きをもらってからこっち、調子が狂いっぱなしだ。
 ずるい。理不尽だ。
 むっ……なんかむかむかしてきた。

「あーっ、もうっ! 止め止めっ。さっさと起きよっと」

 考えてても仕方ないのでぐんと勢いをつけて上体を起こす。
 寝返って乱れた髪を手櫛でてきとうに撫でつけ、振り返る。ベッドの宮に置いてある簡素な置き時計を見やり。
 ……。
 到着予定時間まで、まだかなり間があるかな。

 なにげなく視線を胸元に落とす。
 パジャマ代わりのタンクトップが、すっかり大きくなって自己主張している胸の谷間に張りついてた。肩凝るし、腕が振りづらいからちょっとジャマなんだけどな。

 まあ、それはともかく、

「シャワー、浴びてこよう……」

 のそりとベッドから出て、立ち上がる。「んーっ」と軽く伸びをしてこわばった筋肉をほぐす。
 さてと、汗を流して、混乱しっぱなしの頭を冷やすことにしよう。“ハイダ”に着いたら、調査をがんばらなくちゃいけないんだから。



[8913] 第四話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:c9b6d0ad
Date: 2009/06/20 23:05
 


 第97管理世界“地球”、衛星軌道上。隠遁用の光学迷彩を展開して停泊中のアースラ、その談話室。

 ベンチに座り、くてっとテーブルに突っ伏す藤色の髪の女の子──エリス。服装はこちらに来たときに着ていた白いジャケットと青のプリーツスカートだ。
 エリスの話し相手は彼女の案内役を任された青いちびっこ──もとい、リインフォースⅡ。

「はあ、緊張した……。うまく私の話が伝わってればいいけど……」
「エルフィはちゃんと説明できてたと思うです、エリスさん」
「ありがとう、エルフィちゃん」

 文字通りに人形みたいなリインフォースⅡが、落ち込み気味のエリスを励まそうと、テーブルの上でぴょんぴょんと飛び跳ねている。
 その愛らしい姿にエリスは頬を緩ませた。


 アースラが地球に到着したのは、ルー・サイファー以下、裏界魔王たちが退いた少し後のことだった。
 そのままアースラに保護されたエリスは、クロノらの前ではやてにもした自らの素性やこちらの世界を訪れた経緯などを説明。さらに、フェイトが“シャイマール”と遭遇した際の記録や、なのはとベルの交戦映像──エリスはベルまでこちらに来ていたことにとても驚いていた──を確認照合、それから会議室を追い出されて──いったん、席を外すように言われただけだが──今に至る。

「それにしても──シグナムさんやヴィータちゃん、それにザフィーラさんが無事でよかった」
「とーぜんですっ。ヴォルケンリッターは夜天の書があるかぎりふめつなんですから」

 あれだけ痛めつけられたというのに、さすがというべきかシグナムたちは特に命の別状はなく、今現在は雪辱に燃えつつ療養中だ。仮に消滅級の大ダメージを負ったとしても、夜天の魔導書が存在する限りは問題にならない。──“家族”を傷つけられたはやての心情は別にするとしても。

「夜天の書……。エルフィちゃんの“お姉さん”だっけ。いいね、姉妹って」

 今もはわはわ言ってがんばってるであろう、くれはの姿を脳裏に浮かべながらエリスが微笑む。

「はい、エルフィのお姉ちゃんです。……まだ、会ったこともお話したこともないですけど」

 ──夜天の魔導書の修繕はすでに一部を除いて完了していた。
 ほとんどの機能は回復し、“闇の書”として次元世界に災厄と破壊を振り撒いていた面影はもうどこにもない。──しかし、肝心の管制人格、リインフォースは目醒めず。その原因は不明。夜天の魔導書本体を再生させる際に出来たはやてのコネに名を連ねる、“その道”の専門家たちもお手上げだった。


「でも、きっと……いつかきっとお姉ちゃんに会えるとエルフィは思うです」


 未だ見ぬ姉の姿を夢に見て、小さな妖精は小さな胸を力強く張って見せる。


「だから、お姉ちゃんが起きるまで、エルフィがはやてちゃん──みんなを守るんですっ!」


「──そっか。会えるといいね」
「はいですっ」

 それ以上は何も言わず、ただ、とてもやさしく、とても柔らかい笑顔をこぼしたエリスは、私も負けてられない、と決意を新たにした。

 そんな時、ぷしっと空気を抜く音を鳴らして談話室の自動ドアが開く。

「ちわー、三河屋でーす」
「あ、はやてちゃん」
「会議、終わったんですか?」
「……うん、まあ、そうやけど。で、個人的にもう一度、シャイマールとやらの映像見せてもらえへんかなと思て」

 ボケをあっさり流されて恥ずかしくなったのか、軽く頬を染めたはやてが苦し紛れに用事を口にする。
 若干口調が砕けてるのは、はやてがエリスを仲間として認識したからだろう。エリスの方は依然として敬語だが、それは彼女の性分だから仕方がない。

「もちろんいいですよ。ちょっと待っててくださいね……」

 はやての希望を受けて、エリスはテーブルの上に置いてあったナップザックに手を突っ込み、ごぞごそと探る。ややあって、中から取り出されたのは縦二十センチ、横三十センチほどの白い長方形な物体──ウィザード向けの携帯情報端末“ピグマリオン”、その最新モデルだ。
 パタリとそれを開いたエリスは、収録されている映像データを呼び出すべく、鮮やかな手つきでキーボードを叩く。ちなみに、デスクトップは土鍋に入った子猫の画像だった。

「ほー、手慣れたもんや」
「お仕事の関係でこういうことはよくやってるんです。一日数百件の事務処理をしてたら自然と……」
「それは……。ご愁傷様としか言えへん」
「壮絶ですぅ」
「五時前のオフィスは毎日戦場と化すんですよ。みんな定時に帰りたがるので」
「わかるっ、わかるわ〜。管理局もそうやもん。お役所仕事はこれやからあかんね」
「残業代も出ないんですよ? 最近、お肌も荒れぎみで……ぐすん」
「夜更かし疲労はお肌の大敵、乙女の天敵やな。……あれ? なんや前にこんなフレーズ聞いた気がするわ〜」

 年頃の少女がするには世知辛すぎる世間話をはやてと交わしながらも、エリスの指先は一向に澱まない。どう見てもマルチタスク的な技能を獲得してる辺り、言葉通りに相当な修羅場を潜ってきたことが窺える。

 ご近所トラブルから国家の存亡まで、世界の各地で多種多様な危機が日常茶飯事に頻発するファー・ジ・アース。当然、それを統括する立場にもなれば、舞い込む仕事量は目も眩むほどに膨大だ。
 くれはの秘書を始めた当初、各ウィザード組織との折衝だの、事件の後始末だの、会議向けの草案の作成だの、次々に舞い込む仕事にてんてこ舞いで目が回る思いをしたのはいい思い出だ、とエリスは密かに苦笑する。

 カリカリとハードディスクが駆動音を鳴らし、収録されたムービーが再生される。

「出ました──ってあれ?」

 間の抜けたエリスの声。

 液晶ディスプレイには、バラの意匠が施されたゴシックロリータ調の黒い衣装を着た二十代前半の女性が、アップテンポな歌を大観衆の前で熱唱している姿が映り出されていた。

「……なんともかわいらしいひとやね」
「はやてちゃんはやてちゃん。エルフィもこんなゴスロリが着てみたいです」
「ええよ。あとで作ったるな。……それにしても、すごい歌唱力や」

 艶やかな黒髪と、金と紫のオッドアイがひどく神秘的。激しい曲調の歌を歌い上げる声はさながら天使のようで。一同、しばしその歌声に耳を傾ける。

「──きゃ!? ま、間違えちゃったっ」

 思わず歌声に聴き入っていたエリス。ようやく精神の再構成に成功し、慌ててキーを操作、ムービーを停止させた。
 同じく聴き入ってしまっていたはやてが、怪訝そうな顔をして問いかける。

「で、今んは?」
「えーっと、ファー・ジ・アースの日本で活躍中のアイドル、露木椎華さんの武道館ライブの映像ですね」

 私、大ファンなんです、と自分のうっかりを誤魔化すように舌をちょろっと出す。その仕草にはやてが萌えていたのは些細なことだ。

「それはともかく、こっちが正解です」

 改めて、ムービーが起動。
 黒いごく一般的な学ラン姿の黒髪の少年が、軽薄な作り笑いを浮かべて、何かを告げている様子が映り出される。

「大魔王シャイマール。二つ名は“裏界皇子”。公爵級エミュレイター相当として登録されてます。同じ名前の魔王と区別するために、“アル”もしくは“アル・シャイマール”と呼ぶ裏界魔王も居るみたいですね」

 映像の横に、簡単な情報をまとめて記したテキストが流れる。

「ふむ……着てる服はちゃうけどやっぱり同じヒトや。──これが、“魔王”なあ……。私と同い年くらいの普通の男の子にしか見えへんけど」

 考え込むように、顎に手を当てるはやて。目を細め、じっと映像を──黒髪の少年を観察する。ほんの僅かな既視感に苛まれながら。

「魔王の見た目に騙されちゃだめですよ。たまに九歳くらいの姿で現れるので、一部では“ショタ魔王”なんて呼ばれてるくらいですから」

 映像が切り替わる。
 エリスの言葉通り、小学生くらいの腕白そうな黒髪の少年が七枚の白い羽根を巧みに操り、ウィザードたちを圧倒している。余裕綽々の態度が小憎たらしい。

「たしかにショタや」
「私、そういうのどこがいいのかよくわからないんですよね。男の人はもっと渋い感じじゃなきゃ」
「お、気が合いますなあ。こう、大人の魅力あふれたダンディーなおじさまって、ええよね」
「お髭なんか生やしたりして」
「そーそー。白いぱりっとしたタキシードと……」
「シルクハットにステッキ?」

 数瞬、顔を見合わせる二人。
 そして、ガシッと無言で手を固く握り合う。自らの趣味を周囲の友人たちに理解してもらえず、肩身の狭い思いをしていた彼女たちは、ようやく見つけた同志に心の中で涙した。

「ふたりそろってオジン趣味ですねー」
「なにか」「言ったんか、エルフィ?」
「な、なんでもないですぅ」

 天然腹黒と真っ黒子だぬきの凄みの効いたコンビネーションにたじろいだちっこいの。小動物みたいな素早さでピグマリオンの影に隠れた。戦略的転進である。

「そうや、エリスさんから見たあの火災現場の映像の感想とか聞かせてくれへん?」
「そう、ですね……。あんなに簡単に表に出たことが驚きです」
「そうなん?」
「一番最近の事例では、某国のテロリストに最新の細菌兵器と偽った偽物を渡して、それを盾に占拠されたイージス艦の叛乱を影から幇助したとか。鎮圧のために投下される寸前だったっていう強力な特殊爆弾で、首都圏の破壊をもくろんでたらしいですね」
「それなんて亡国」
「基本的に、人間をそそのかして起きた物事を離れたところから傍観するのを好むみたいです。敵対する両方の勢力に荷担して紛争を起こさせてみたりとか。武器や資金の横流しもしてるかもしれませんね。
 それから、姿を表に現しても、意味深な言葉を言ってウィザードの皆さんをおちょくるだけですぐに逃げちゃうんですよ。……私、ずるいやり方って、男らしくないと思うんです」

 溢れる不快感を隠そうともせずエリスは眉をひそめ、件の魔王のことを語る。温厚な彼女らしからぬ険悪ぶりに、はやては何かしら因縁でもあるのだろうかと首を傾げた。

「なにが目的なんか──決め手になりそうな情報はないなあ」
「すみません、お役に立てなくて」
「ええて。エリスさんがおらんかったら私ら、今以上になんもわからへんかったんやもん。感謝しとるよ」

 気遣うはやての言葉。
 エリスは彼女の真心を感じ、最初に出会ったのがはやてでよかったと思う。
 感謝の念で胸がいっぱいになったエリスは、ふと、まだムービーが映り続けている液晶の方に視線を向ける。その映像に、違和感を覚え──違和感が一つの“仮定”をエリスにもたらした。

「あと、もうひとつだけ……」
「もうひとつ?」

 はっきりしない様子に、はやては続きを促すようにオウム返しする。
 少し間をおいて、自分の考えをまとめるエリス。確信にはほど遠い、だが、不思議と腑に落ちる──そんな、口に出すにはまだ早い推理の一端を言葉に変えた。

「──あの映像を見て、シャイマールがなぜこの世界にやってきたのか、仲が悪いはずのベール・ゼファーがどうして一緒に来ているのか、それからルー・サイファーが残した言葉の真意が、少しだけ──ほんの少しだけ、わかったような気がします」

「……?」


 液晶画面の中では、ウィザードたちと協力するようにして、黒髪の“魔王”が、巨大でグロテスクな竜を思わせる“ナニカ”と激戦を繰り広げていた。



[8913] 第四話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:74c43ade
Date: 2009/06/24 21:49
 


 第22管理世界──“ハイダ”。

 星の赤道半径は6355.819キロメートル。月に相当する衛星“イオス”──先住の言葉で侍女の意──を持ち、全体の体積のうち72.7%が海という水の惑星だ。私の故郷、“地球”と比較すると少しだけ重力が弱く、一日の長さもそれに比例して短い。
 気候は温かで穏やか──地球、日本でいうと初夏に近いかな。海が多いというのに、湿度は不思議と低くて一年中過ごしやすい。政府もそのことを理解しているらしく、世界をあげて観光業の発展に力を入れているみたいだ。

 そういうわけもあって、この“ハイダ”は、毎年、管理世界中からたくさんの観光客が訪れて賑わう管理世界有数のリゾート地だった。ハワイやグアムなどの保養地を想像するとわかりやすいかもしれない。

 もっとも、お仕事で訪れている私には関係のない話だけれども。
 ────でも、いつか、“みんな”でこういう場所に遊びに来れたらいいな。





 午後。地平線に帰る準備をはじめた太陽の暖かな光が、空から降り注ぐ。

 たくさんの人がひっきりなしに行き交う大通りに面した、おしゃれなカフェテラス。目の前の、木製のテーブルには甘くておいしそうな苺のミルフィーユと、薄い湯気を上げるミルクティーが置かれている。
 午前中、ずっと歩き回って疲労のたまった身体にはぴったりな糖分補給だ。


 ──“ハイダ”にやってきてはや二日目。初日は、管理局の支部に顔を出したりしなきゃだったから、今日からが調査の本格スタートだ。

 とりあえず、午前中は事件現場──惑星全体じゃなく、都市部、特にリゾート地を中心に集中していた──を直に見て回ってみた。「現場百遍」ってよくいうし。
 そういえば、挨拶をしたとき、こちらの捜査責任者の人に内心のところはどうであれ、外面上はとても歓迎されたのには驚いたな。どうも捜査に進展がなくてあちらも困っていたらしい。
 観光地で連続殺人事件なんてイメージダウンもいいところだから、ここの政府から早くなんとかしろとせっつかれてるみたい。とはいえ、一介の執務官にあまり期待するのはどうなのかな。


 さくりとフォークでミルフィーユをひとかけら切り取って。
 それをそのまま口に運ぶ。
 もぐもぐ。もぐもぐ。

「うん、おいし」

 甘酸っぱい、苺とクリームの味が口いっぱいに広がって、ほっぺがゆるむ。きっと私の表情は、見るに耐えないほどにゆるゆるだと思う。
 ミルフィーユに舌鼓を打ちつつ、横目で道行く人たちを観察。
 これは執務官の仕事をするようになってからの癖だった。

 どうやら私は、その……他の人よりもヒトを見る目が鈍いらしい。
 昔、兄さんに注意を受けたことがある。「フェイトは人を信じすぎるところがあるな。もう少し、他人を疑うことを覚えた方がいい」と。
 当時は誰か疑うなんてことイヤだ、って思ったんだけど、こうして管理局の仕事をしているうちに、それじゃだめだと気がついた。
 執務官試験を二度落としたのも半分はそのあたりが原因──もう半分は、なのはの事故で動揺をきわめてたから──だ。
 捜査官としては致命的な欠点。それを補うために、こうして普段から人間観察に勤しんでいるというわけ。……役に立ってるかどうかは自分でもちょっと疑問だけど。


「あむ。…………」

 最後のひとかけらを口に放り込み、ゆっくりと味わいながら視線を踊らせる。
 人気の行楽地とあって、道行く人たちはさまざまだ。

 ──やさしそうなお父さんと美人のお母さんに囲まれて、屈託のない笑顔を浮かべた女の子。幸せそうな家族連れ。
 ──背の高い、頼りがいのありそうな男の人と、彼に甘えるきれいな表情をする女の人。お似合いなカップル。


「……っ」

 ──ズキリと胸の奥の方にうずきのような痛みが走った。原因は、わからない。

「……はあ」

 なんだか私、近ごろ感傷がすぎてる気がする。もともと、極端なマイナス思考なのは自分でもよーく理解してるけど、これは少し……異常だ。
 いけないいけない、と気分を切り替えるべくティーカップの縁に口をつけ、ミルクティーを流し込む。

 ──んっ?

「甘……っ!?」

 しまったっ。シロップ、入れすぎた……。
 これじゃまるで、リンディ母さんの入れたお茶みたいじゃないか。
 いくら私が甘いもの好きだからって、そこまで落ちぶれてないよ。人間、止めたくないもん。


「……あう」


 ──あまりに幸先のよくない出だしに、一抹の不安を感じざるを得ない私だった。




 □■□■□■




「ご注文の品は以上でよろしいでしょうか」
「うん。どうもありがとう」

 ぺこりと頭を下げて、バックヤードに帰っていくウェイトレスさんの後ろ姿を見送りながら、私はうまくいかない不甲斐なさにため息をついた。

 今日は、“ハイダ”に滞在できる最終日。
 こちらに来て数日、現地の人への聞き込みとかサーチャーの広域散布など、いろいろと手を尽くしてはみたものの、行楽地とあってか人の入れ替わりが激しく、これといった手がかりは得られなかった。
 そこで私は悪足掻きの前の腹ごなしに、レストランで早めの夕食をとることにしたのだった。

 明日の朝一番の便で、本局に戻らなきゃならない。そろそろアースラも帰ってきてる頃だろうし。そもそも、今回の単独行動は私の個人的なわがままなのだから、あまり長い時間は居られない。今夜が最後のチャンスだ。

 ……やっぱり、一人で全部こなすの、無理があるのかなあ。兄さんとエイミィみたいに、補佐官をつけてもらった方がいいのかもしれない。あとで兄さんに相談してみよう。


 あっと、早く夕飯を食べてしまおう。冷めちゃったらもったいないもんね。

 頼んだメニューは、デミグラスソースのかかったオムライス──ライスをオムレツで包み込むタイプのものだ。私にとっての縁起ものを食べて、今夜の捜査で手がかりが掴めるようにとこれを選んだ。
 ちなみに、訪れた先々でオムライスのおいしいお店を探すのが私の密かな楽しみのひとつだったりする。

「いただきます」

 手を合わせて、作ってくれた人に感謝。
 さまざまな具材の味がとけ込んだソースで染められた、黄色い山をスプーンで崩し、すくって、ぱくり。
 ん〜……味はまずまず、かな。とりあえず、本局の食堂のよりおいしいのはたしかだ。
 って、あれ? なんか私食べてばっかり? ……まあいいか、おいしいし。


 オムライスをはみつつ、窓の外を見上げる。

 雲一つない夜空は黒に近い紺色。距離の関係だろうか、地球のよりも大きく見える上弦の月。
 薄く散らばった星と、金色の月が宝石箱のように、きらきらきらきらと輝いていた。


 ふと、やさしく穏やかな蒼と、刺すような鋭い蒼──二種類の瞳が三日月にだぶる。



 ──この月を、“彼”も見てるのかな?


「──!」

 私のもらした心のつぶやきに呼応するかのように、突如として配置していた半自立型のサーチャーが反応を示した。
 魔力反応……それもかなり強い。この波形は────

 ゴン!

「ッ、イタっっ」

 勢いよく立ったから、ひざをテーブルにぶつけちゃった。
 痛い……。

 食べかけのオムライスが目について罪悪感。心の中でごめんなさいと謝って、伝票をひっつかむと一目散にレジへと向かった。
 これを逃したら、きっと後悔する──そんな予感に突き動かされながら。






 サーチャーの反応を頼りにして私がたどり着いたのは、薄暗い路地裏だった。
 目の前に続く夜闇は月の明かりを拒絶するかのように深く、終わりのない底なし沼みたいだ。

「……ッ」

 奥から漂う強烈な異臭に、足が止まる。
 鼻を突くような鉄臭い臭気。
 これは──血液だ、それも大量の。
 ついに訪れたアタリに歓喜し、はやる気持ちを押し殺して、警戒心を意識的に高める。
 安易な油断は隙を生み、隙は即、死につながるのだから。

「すーっ、はー……。よしっ」

 深呼吸して覚悟を決めて。
 白いマントと軍服のようなデザインのバリアジャケット、“インパルスフォーム”を展開し、長年付き添ってくれている私の無二のパートナー──“閃光の戦斧”バルディッシュを右手に掴むと、無明の闇の中へと進み出た。



 ──そこはひどい有様だった。

「う……っ」

 口元を空いた手のひらで押さえ、歩を進める。
 むせかえるような悪臭。
 壁一面にはおびただしいほどの血痕。
 澱みきった空気は異質で、ここが未知の異界かなにかと錯覚してしまうほど。
 足を踏み出すたびに、“ナニカ”を踏みつぶす粘着質のイヤな感触が伝わる。肉片らしきものが辺りにたくさん散乱していて、地面は真っ赤に染め上げてられていた。

 資料の写真と同じ──ううん、それ以上に壮絶で、ショッキングな光景。
 惨劇の現場──そんな言葉がよく似合う、死の気配が充満した場所の中心に……“彼”は、居た。


「────」

 ビルの谷間から差し込む月光の蒼白いスポットライトを一身に浴びて、まるで夜闇の世界を我が物顔で闊歩する王さまのように悠然と佇む、黒に近い濃紺色の衣を纏った“彼”。
 相対するのは、うずくまるようにしている──人影? 暗くてよくわからないけど、人型であることは把握できた。


 突然、言霊が響く。


「灰は灰に」


 歌うように。


「塵は塵に」


 祈るように。


「──俺がアンタにしてやれることは、“これ”だけだ」

 よく通る、凛然とした声が耳に届き、私は息をのむ。

 “彼”の右手に携えたなにか──鍔の中心部分に不気味な瞳の意匠が施して、波打つような刀身に見慣れないルーンを刻んだ1メートルほどの奇妙な長剣の切っ先が、天に差し向けられた。

 軽く柄に添えられる左手。
 蒼銀色の魔力が燐光を散らして刀身を覆う。

「だから、────」
 ささやくように発せられた最後の言葉は聞き取れない。

「グるオオォォォおおぉぉオッ!!」

 身の危険を感じたのだろうか、人影が立ち上がり、地の底から響くような雄叫びをあげて“彼”に襲いかかる。
 だけど、“彼”は動じない。

「ただ安らかに、眠ってくれ」

 振り下ろされる白刃。稲妻のように鋭い一閃。
 闇に咲く紅い華。
 苦痛に唸り、身も凍る断末魔の声。人影が崩れ落ちる。

 “彼”が人影を断ち斬ろうとしていることに気がつき、だけど、私は反応することができなかった。
 ──それはきっと、鮮烈なまでに光り輝く、けれど、どこか懐かしい蒼銀の煌めきに魅せられていたから。
 戯曲の一ページみたいなこの場面に、割って入りたくないって思ってしまったから。


 指先についた爪の飾りを刀身にはわせて露を拭い、私の方に振り向く“彼”。
 夜の闇よりも色濃い、艶やかな漆黒の髪と顔にかかった淡い月の光が、一見粗野な、それでいてどことなく品のある顔つきと相まって、“彼”の容貌を上品な悪魔のように見せている。

 そして、ひどく真剣な──もの悲しい色をたたえた鮮やかな蒼い瞳が、まっすぐ私だけを見据えていた。




 ────金色の三日月が見守る下、こうして私は、名前も知らない“彼”と、都合“三度目”の再会を果たした。



[8913] 第四話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:c75cc697
Date: 2009/07/02 20:58
 


 やさしい月の光が、紺色の空から静かに落ちてくる。

 私は息をするのも忘れて、黙りこくったままの“彼”と睨み合いを続けていた。
 すぎた時間は、一分? それとも十分? ……時間の感覚がバカになっちゃいそうだ。

 バルディッシュを握る手のひらがじとりと汗ばむ。

「で、こんな夜更けに何のご用かな、“魔導師”のお嬢さん?」

 ようやく“彼”の口から紡がれた言葉はおどけたように飄々としていて。子ども扱いされてるみたいでちょっとかんに障る。
 いろいろな意味でぽかんとしてしまった私は、動揺を押し隠して平静を装い、言わなきゃいけないことを口にした。

「──時空管理局です。この現場について事情をうかがいたい。武装を解いて、投降して」
「俺が“これ”に関係しているとどうして思う?」
「これだけの状況証拠があれば十分だよ」
「さて、それはどうだろう。関係してるもしれないし、違うかもしれない」

 要領を得ない、人を食ったような物言い。表情もどこか軽薄だ。
 ……論点をズラされてる。その手には乗らないよ。

「そんなの関係ない。あなたから話を聞けばそれで済むことだ」
「ほう……」

 今の返答のなにが楽しかったのか、“彼”が唇を薄くゆがめる。クツクツともらす軽薄な笑みに、私は期待を裏切られたような──そんな苛立ちを感じはじめた。

「道理だな。事実は数多あれども真実って奴はいつでも一つだ。
 だがな、お嬢さん。質問して、何でもすんなり答えが返ってくるなんて思わないことだ。人間ってのは誰しもが何かを偽って生きてるんだから。俺しかり、君しかり、ね」
「なにを……」

 煙に巻くような意味深なセリフに鼻白んでしまう。私のなにが偽っているっていうんだろうか。
 返す言葉を懸命に探していた私に、“彼”はにやりと人の悪い笑みを見せて、バックステップで数歩後ろに下がる。
 それから、ばさりとネイビーブルーのコートがひるがえして背を向けた。

「えっ」

 大げさに裾を振り回した“彼”は、そのまま脱兎のごとく暗闇の中に走り去る。
 見事としか言いようのないその逃げっぷりに、私は呆気にとられてしまって。

「あっ! ま、待って!」

 すぐに意識の糸を紡ぎ直し、あわてて彼の後を追う。
 視界の隅に、“彼”が斬り倒した人影──きれいに真っ二つにされた二十代後半の男性の遺体が映った。

 身なり自体は悪くないから旅行客かな? でも、服の端々が切れてたり解れたりしてて、浮浪者みたいだ。
 そして、一番の異常は────

(──ううん。今は、考えないでおこう。あのひとを追いかけるのが先決だ)

 余計な思考をカットして、追跡に専念する。──というか、“彼”、足が思いのほか早いからそんな余裕ない。
 最近、さらに身体能力が上がってきた感のある親友のひとり──すずかと同じくらいかも。

 五メートルくらい先をひた走る“彼”。袋小路になってる行き止まりに差し掛かると、なにを思ったのか勢いを保ったままビルの側面に足をかける。
 するとそのまま壁を足場にトントントン、と軽快な足取りで駆け登っていってしまった。

「……」

 あまりの暴挙にあ然として言葉が出ない。
 なんという技量と体力の無駄づかいだろうか。伊達や酔狂にも程度があるんじゃないかな?
 そこで、はたと思いついた。──どうして、私は「“彼”が飛べない可能性」を真っ先にあげないんだろう。陸戦魔導師だってこともあるかもしれないのに。

 自分の不可解な思考に心の中で首を傾げつつ、魔力を練り上げて飛行魔法を発動。バルディッシュのサポートの下、慣れ親しんだ術式が私の身体を重力から解放し、金属質のショートブーツがアスファルトを離れた。ふわりとマントがはためく。
 体勢が安定したのを確認すると、私は速度を一気に上げて、壁面と平行に飛行。ずいぶん先まで行ってしまった“彼”の追跡を続行する。


『こちら、テスタロッサ・ハラオウン執務官。本部、応答願います』
『──はい、どうされましたか?』

 急上昇しながらオペレーターを呼び出す。私が捜査中なのは伝えてあるからすぐに返答が返ってきた。

『事件の重要参考人を発見、現在追跡中。交戦が予想されるため周辺区域に強装結界を展開して隔離を。それから、被害者と思われる遺体の回収もあわせてお願いします』

 簡潔に事態を報告して、結界の構成を依頼。このまま“彼”を追いかければ、戦闘になることは明らか。
 市街地での戦いが危険なことは、なのはの姿を見て痛いほどわかってる。

『位置を確認しました。──武装隊の派遣は必要でしょうか?』
『いいえ。私一人で十分です』
『了解しました。御武運を』
『ありがとう』

 オペレーターの了承のあと、ややあって広がった結界空間。仕事が速くて助かる。
 “相手”もたぶん、閉じこめられたことに気がついているだろう。だけど、それに対するアクションがあるとは思えない。
 もしもそのつもりなら、最初、私に遭遇した時点で転移で逃げてしまっただろうから。


 私の予想通り、ビルの屋上に悠然と立ち待ちかまえていた黒髪の男の子。風にあおられて、コートの裾がはためいている。
 左手をボトムのポケットに突っ込んで、右手に持った長剣を気だるそうに担ぐ。

「…………」

 私の姿を確認した彼は、妖しく微笑すると、きびすを返して遁走を再開。
 獣のようにしなやかな走りで、ビルからビルへと次々に飛び移っていく。

 誘ってる。あからさまだ。


 ────いいよ。この追いかけっこ、つき合ってあげる。


「ぜったいに、あなたを捕まえるから!!」

 叫び声が聞こえたのだろうか、少し先を疾走する“彼”が、笑みをこぼしたような気配をわずかに感じた。




 □■□■□■




 夜の街を駆けめぐるふたつの人影。
 逃げるのは、黒髪蒼眼の少年。
 追いかけるのは、金髪紅眼の少女。


『プラズマバレット』

 黒き戦斧が発した合成音声と共に生成された魔力スフィア。

「──行け!」

「……!」

 逃げる少年の頭上から進路を塞ぐようにして、多数の帯電した金色の魔弾が雨霰のように降り注ぐ。
 フェイトの放った誘導射撃魔法──“プラズマバレット”が着弾し、その内に溜め込んだ高圧電流を炸裂、放電させて少年の行く手を遮った。

「──“荒御霊”」

 少年は何食わぬ顔で何かをつぶやき、迫る電撃から軽やかなステップで逃れる。そのままの勢いで、前方を取ろうと飛来したフェイトに向け、長剣を逆手に握った右の拳を突き出した。
 拳の先に生まれる闇黒の塊。
 発露する莫大な魔力。彼が“母”より受け継ぎし破壊の力──その一端が、“魔法”を変質させる。

「ヴォーテックス!」

 発動した魔法──“ヴォーテックス”は、その像をぶらせて無数の弾丸と化す。神の力の片鱗を揮う“荒御霊”により拡大された、“ヴォーテックス・ファランクスシフト”とでも呼ぶべき黒球の大群が、大口径のチェーンガンのごとく斉射され、金の少女に襲いかかる。

 前面にばら撒かれた魔弾。顔色を一瞬だけ変えたフェイトは、即座に突撃。臆することなく魔弾の中に飛び込んだ。

「くっ! ──こ、のっ!!」

 弾幕に出来た僅かな隙間。フェイトは、舞うように、踊るように──微細かつ丁寧な制動と卓越した体勢制御を駆使して、ほぼ速度を落とさずにすり抜け、少年に迫った。
 さすがにいくつかの魔弾は避けきれずにかすり、彼女のバリアジャケットに傷を残す。
 然しもの彼も、少女のあまりの無茶っぷりに目を見開き、同時に彼女が“何も変わっていない”ことに密かな笑みをこぼした。

 そんなこととはつゆ知らず。弾幕を抜けきったフェイトは、円心運動の流れる動作でバルディッシュを横薙ぎに払う。
 それに合わせて少年の携えた異形の長剣──“デモニックブルーム”が跳ね上がった。

 甲高い太刀音が鳴り響き、結界空間の静寂を破る。

「チ……」
「く……っ!」

 火花を散らして鬩ぎ合うバルディッシュとデモニックブルーム。顔をつき合わせるようにして、困惑と戸惑いの色を写した紅と好奇と獰猛な光を宿した蒼──ふたつの視線が交わった。

「事情を聞かせて!」

「“話してもきっとわからないから”」

「っ!?」

 芝居がかったセリフに、強い既視感を覚えたフェイトの意識に出来た一瞬の隙間──それを見逃す少年ではない。

「シッ!」

 半身の状態から、腰の捻りで放たれた左の手刀。顔面を狙った遠慮も加減もない一撃を、首を傾げることで何とか躱したフェイトは、いったん後退。体勢を立て直そうと距離を取る。

「まだまだぁ! ──走れッ!」

 休む暇は与えないとばかりに少年は追撃は続く。魔力の刃──“オリハルコンブレード”を纏わせた長剣を、左手に持ち替えながら横薙ぎに一閃。
 蒼白い魔力が鋭い光波となって低空を滑る。

「っ、と。──って、わっ!?」

 それを飛び越えることで回避したフェイトの眼に映った光波の群。袈裟斬り、斬り上げ、唐竹割り──連続して放たれた斬撃が、猛スピードで飛翔した。
 フェイトは、光波の嵐を前に雷速の集中で魔力を練る。

『ソニックムーブ』

 彼女の十八番──“ソニックムーブ”が発動。剣を振り下ろした格好の少年の目の前で、金の少女が残像を残して消え去った。

(──取った!)

 一瞬にして少年の背後に回り込んだフェイトが、バルディッシュを加減気味に振り下ろす。──明確な敵対者相手だというのに、大けがをさせないように手加減してしまうのは彼女の溢れる優しさ故だろう。
 ごめんなさい、と小さく呟いたフェイトの思惑はしかし、大きく外れた。

「うそ、なんで!?」
「如何に速く、眼で追えなくとも、そこに来るのがわかっていれば合わせるのなんて容易いさ。背後に回りたがるのは君の悪い癖だな。修正しておけ」

 背後から強襲する戦斧にピタリと白刃を合わせた少年は、したり顔を作り、驚愕に動揺している少女へと斬りかかる。
 ──速度を最大の武器とするフェイトの神速を予測し、あまつさえ防いで見せる人間などまず居ない。少なくとも、“初見では”。

「ッ、知ったような口を!」
「“知ったような口”、か。なかなか面白いことを言うね」
「さっきからごちゃごちゃと! なにが言いたいの!? あなたはいったい──私のなんなの!?」

 刃を数え切れないほど合わせ、言葉を投げかけ、交わし──フェイトはわだかまっていた感情を、衝動に突き動かされるまま吐き出した。

「それを解き明かすために俺と戦っているんだろう? ならば横着せず、俺を討ち倒して見せろ──“魔導師”!」

 返答は、突風の如き斬撃。

「違う! 私の名前は……そんなじゃないっ!」

 剣圧に弾かれ、吹き飛ばされながら、フェイトが砲哮する。
 主の叫びに呼応して、バルディッシュの柄の先に組み込まれた機構が可動。内蔵されたリボルバー式のカートリッジシステムが魔力の弾丸を炸裂させる。
 突き出された左手。発生するミッドチルダ式の円状魔法陣。それを取り囲む、加速・増幅用の環状魔法陣。

「私の名前は──フェイト・テスタロッサだ!!」
『プラズマスマッシャー』

 膨れ上がる金色の雷光と魔力が臨界点に達し、解放された。
 フェイト愛用の砲撃魔法──“プラズマスマッシャー”が、一条の光芒となって闇を斬り裂く。

「──ッ!」

 着弾。爆発。轟音。

「……はぁ……は……っ」

 巻き上がった粉塵が、夜風に吹かれて散っていく。

「ククッ、やるじゃないか。こんなに早く“羽根”を使わされるとは思ってなかったよ」

 愉悦と余裕を隠そうともしない声。
 雷光を遮ったのは、全てを包み込む“慈愛”の橙色を纏った白亜の大盾。
 ぱきんと音を立てて、七枚の白き“羽根”へと分離する。

「さあ、第二ラウンドの開始だ。せいぜい愉しませてくれよ?」

 七枚の“羽根”を侍らせた闇色の髪の“魔王”が、その大海を思わせる蒼い瞳を妖艶に光らせた。



[8913] 第四話‐5
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:f1aa9682
Date: 2009/07/02 21:00
 


 都市の中心を流れる大きな運河を滑るように飛翔する少年の前方に、二房の美しい金砂の髪を靡かせたフェイトが躍り出た。
 同時に動いた二色の光。
 魔力刃が干渉し、金と蒼の爆光がスパークを起こして巻き起こる。

 余波で瀑布のような水柱が立ち上がる。大量の水が、豪雨のように二人へと降り注いだ。

「やるじゃないか」
「くっ!」

 速度はフェイトが優勢。少年が背負った白い“羽根”を全力で噴かせても、“閃光”の如き速さを誇る少女を引き離せない。

 だが────

「おっと、残念無念。攻撃はもっと工夫しなきゃ。あまり素直すぎるのも考え物だな」

 斬撃を避け、羽根の一枚を足場にして急制動をかけた少年がからかい、煽る。

「っ、このっ!」

 逆上ぎみに振るわれた大鎌を、少年は軽く解放した“プラーナ”で強化した運動性で難なく回避する。
 ──幾度となく繰り返すフェイトの攻めは、しかし、そのことごとくが躱され、防がれる。少年は天性の勘と“経験則”で予測し、的確な──的確すぎるタイミングで往なしているのだ。

 この不自然な攻防に苛立つフェイトは、心の片隅で「それは当然のこと」だとも感じていた。


 何度目かの交錯。

「しつこいね、君も!」
「あなたを捕まえるって、言ったはずだよ!」

 魔力刃を弾き返し、作り出した刹那──バルディッシュがカートリッジシステムを作動させ、変形を開始する。
 完成するのは金色の両刃を輝かせたバスタードソード──“ザンバーフォーム”。バルディッシュ・アサルトの限定解除フォームだ。

「本気で俺を墜せると思ってるのか? 力の差くらいわかってるだろうに!」

「できるできないじゃない! やるんだ!」

「!!」

 裂帛の砲哮から放たれた斬撃。
 気迫と言霊が込められた強烈な一閃に、受けたデモニックブルームが少年の手中から弾かれる。
 主の手を離れた長剣は、回転しながら綺麗な放物線を描いて遠方のビル群へ飛んでいった。

「ああ、そうかいッ!」

 どこか愉快そうに軽く笑みを浮かべる少年は、得物がなくなったことなどお構いなしに──むしろ、「俺は素手の方が強い」と言わんばかりの様子で、蒼白い魔力を纏った中段蹴りを繰り出す。

「──っ!」

 咄嗟に展開された魔法障壁。
 10トントラックも斯くやという衝撃エネルギーの込められた蹴撃は、それなりの硬度を持っていたはずの障壁をベニヤ板のようにいとも容易く砕いた。
 フェイトの腹部に突き刺さる黒いロングブーツの踵。

「──う、ぐ……っ」

 自ら後ろに飛ぶことでダメージを軽減したフェイトは、極めて整った西洋人形のような面立ちを苦悶に歪めながら宙返る。すぐさま魔力を瞬時に高め、紫電迸る金色の球体を七つ生成。

「プラズマ!」
『ランサー』

 “プラズマランサー”──フェイトが多用する射撃魔法により発生した、電撃帯びる七本の“槍”が一斉に撃ち出された。

「──賢明の刃」

 全てを見透かしたような冷たい声色。
 少年の背から離れた七枚の“羽根”が青い光の刃を発生させ、同数の“槍”を一撃の下に破壊する。

 次々に起こった魔力爆発。
 結界により滲んだ夜空に炎の華が咲く。

 わだかまる噴煙。
 突如、爆炎の中から飛び出した人影。

「────はああぁぁッ!」

 最大戦速のフェイトが、大剣を下段に構えた形で一直線に突撃。少年の懐へ飛び込もうと一気に迫る。

(ランサーは目眩ましか!)

 彼女の狙いを看破した少年は、刹那よりも早い思考で最適な魔法を選択。
 雷速の集中で術式が構築。
 フリーになっていた右手の中に、夜闇よりもなお暗い闇の渦が創り出された。

「──暗黒の雲よ、拡がり呑み込め!」

 短めの詠唱を合図に掌の中の闇が一瞬だけ収縮、直後に爆発・拡大した。

「しまっ──」

 少年とフェイトの間に暗幕のような雲の塊が発生する。突然、目の前に現れたそれに回避する間もなく、抗うこともできず、フェイトは飲み込まれた。


「これ……っ!?」

 フェイトの視界全てを覆い尽くすのは無明の“闇”──ヴォーテックスのバリエーションの一つ、“ヴォーテックスクラウド”。雲状に変質させた闇の重圧により、飲み込んだ対象を圧し潰す範囲魔法である。

 彼女の全身に纏わりついた闇が、その脆弱な装甲を無慈悲にも削り取る。周囲に漂った漆黒の雲はジリジリと浸食し、僅かずつ、だが確実にバリアジャケットを侵していた。

(このままじゃ──)

 状況を打開しようと思索するフェイトの耳に、風切り音が届く。
 咄嗟に掲げた大剣。闇の中でも輝きを失わない金色の刃に、高速で何かが接触する。続けざまに後方、上下左右と襲い来る何か。それは、白い“羽根”だった。
 相手の視界を煙幕で奪い、装甲を削り、さらに遠隔攻撃で攻め立てる──実に姑息で“彼”らしい、小細工を弄した戦い方と言えるだろう。

 このままではじり貧だと判断したフェイトは、意を決して闇の雲から飛び抜けた。向かうは対戦者──黒髪の少年。居場所の方向は気配から概ね当たりをつけていた。

 金色の閃光が闇黒の回廊を翔け抜ける。
 開けた視界に映ったのは、何気につくりのいい面差しを驚愕で染めた少年。

(今度こそ!)

 そのまま特攻。一息に距離を詰め──
 横薙ぎ一閃。
 ザンバーの刃が半月を描き、少年を“断ち斬った”。
 そのあまりに軽い手応えに戸惑うフェイトは、見た。
 バルディッシュ・ザンバーに斬り裂かれた少年の像がゆらりと“霞む”のを。その口元に浮かんだ痛みに歪む苦悶ではなく、愚か者を嘲笑う歪んだ三日月を。


「──残念、ハズレだ」


「幻術──!?」

 “イリュージョナルスキン”によって創り出されていた虚像が夜闇に滲むようにして消え失せる。
 入れ替わりに“不可視の神宝”──光学迷彩で姿を隠していた少年が、幻術に気を取られた少女の死角、やや後ろに現れる。
 七枚の羽根が蒼白い燐光を噴出。そのまま、右足を大きく引き、左足を突き出す体勢で突貫した。
 羽根の推進力を乗せた強力無比な跳び蹴り────


「遅い!!」


 ────全てを粉砕する──無論、加減はしているが──古の一撃を一身に受けた金色の少女は悲鳴すらあげられない。
 小規模な魔力爆発と衝撃波を残して、フェイトは後方の建造物に激突した。

「か、は……っ」

 肺を強く圧迫され、フェイトの小ぶりな唇から吐息が僅かな血液と共に吐き出る。
 “エンシェントストライク”の直撃を受け、外壁に張り付けにされたフェイトの前に、十三枚の翼をはためかせた“魔王”が光臨する。

「んっ! 抜けなっ、くっ」

 見事に両手両足がコンクリートに挟まり、抜け出せずフェイトがもがく。
 装束に隠れてはいるものの、“女”の匂いを漂わせはじめた豊満な肢体が締め付けられ、背徳的な雰囲気を醸し出している。
 そんな少女の姿を悪魔のように柔らかな微笑を浮かべて眺める──いや、愛でていた少年が気取った風に口を開いた。

「“初めて”見たときから思ってたことだけど──」

 ぐっと、少年の顔が近づき、フェイトがやにわに頬を赤らめる。そして──

「君ってかわいいね」

「っっ!?」

「金色の髪も、大きな紅い瞳もすごく綺麗だ」

 続けて放たれたストレートな賛美の言葉に、フェイトはかあーっ、と音を立てて赤くなる。耳まで真っ赤だ。
 混乱を極める少女の様子に満足げな少年は、鉤爪のついた左手を薄紅色に染まった白皙の肌にゆっくりと伸ばした。

「ぅ、えっ、と、ぁ、その……あ、あの……」

 頬を優しく撫でられ、盛大に吃るフェイト。「そういう純情な反応もいいな。ますます好みだ」とのたまった少年の指先が、彼女の唇から垂れた血を拭い取った。

「な、なにを言って……」
「うん? 何って、君がとてもキュートだって話だけど?」
「あぅ……ううっ」

 破裂しそうな鼓動と、沸騰しすぎた頭に何が何だかわからなくなったフェイト。紅い瞳がくるぐると回りはじめた。

「さあ、もっと君のかわいらしい姿を見せてくれ」
「うっ……、ん……っ!」

 その時、壁に埋もれていた左手が偶然すっぽ抜ける。
 そのまま、反射的に──本能的に“身の危険”を悟ったのかもしれないが──放たれた神速の張り手が、少年の右の頬を打った。
 まさに雷神と言うべき一撃である。殴られた方は紅い閃光を見たとかなんとか。

「あっ! ご、ごめんさい」

「っ……。ふふっ、からかいすぎてお姫さまはご立腹かな? ……まったく、君は本当に愉しませてくれるね」

 口の中を切ったのだろう、少年の唇の端から紅い筋が流れていた。しかし、彼は飄々とした態度を崩さず、不敵に笑むと掌を街並みに向けてかざす。
 瞬間、“見えない手”にでも操られたかのように音もなく飛来したデモニックブルーム。それを掴み取ると、未だ混乱収まらないフェイトに背を向ける。

「ぇ? ──ま、待って! 私、まだなにも聞いてない!」
「残念、そっちはまた次回にしてくれ。じゃあ、“またね”」

 言いたいことだけ、やりたいことだけやって、自分勝手極まりないな黒髪の“魔王”は、お得意の空間転移で闇に溶けて。

「……あなた、は────」

 ひとり、取り残された少女は、彼に触れられていた頬を無意識の内に、何度も何度も……撫で続けていた。




 □■□■□■




 “主八界”ファー・ジ・アース。
 アンゼロット城内、特設転送室。青い光を放つ巨大な魔法陣の前に集まった五人の男女。

「というわけで、みんなには異世界に行ってもらおうと思います!」

 おなじみ巫女服姿の赤羽くれはが無い胸を張って言う。

「くれは……アンゼロットに似てきたわね」緋色の長い髪が美しい少女が、ぼそりと呟いた。

「くれはさん、エリスちゃんが先に向かってるって本当ですか!」続いて動いたのは碧い髪碧い瞳の自称清純派。無駄にハイテンションである。

「うん、そうだよ。先に行ってみんなのことを待ってるよ。……たぶん」
「ひさびさの出番ですからねー。あたし、がんばっちゃいますよっ!」
「うん。まあ、がんばって」
「あれ? くれはさん、なんだか言葉にキレがないんですけど、なぜ?」
「いやー、じつは、翠ちゃんじゃなくて別の人に頼む予定だったんだよねー。でも、回復が得意な人はみんな出払っちゃっててさ。つまり、数合わせ?」

 ちなみに、自称清純派の相方は任務で不在だそうな。

「がーん! ひどい、よりにもよって数合わせだったなんてっ。あんまりですっ! 横暴だーっ、あたしにも出番をプリーズっ!」
「翠、うるさい」
「は、すみませぬ」

 緋色の少女の一言で碧色の少女は、即座に自慢(?)のよく動く口を閉じた。
 このやりとり、二人の力関係を如実に表していると言えよう。……ちなみに、二人は不在のエリスとあわせて親友である──一応。


 姦しい女子三人を置いて、男子二人はシリアスで重い空気を纏っていた。

「相手は“シャイマール”、か……」灰色に近い黒髪の少年が、柔和な表情を僅かに曇らせた。かの魔王に何か思うところでもあるのだろう。
 彼の様子に緋色の少女は心配そうな視線を送る。

「……」背の高い、茶髪の青年は拳を握りしめ寡黙に決意を固める。“シャイマール”の側に自分が追うべき“彼女”も居るはずだから、と。


「それじゃあ、さっそく転送を──」

 男子二人の重たい空気を払うべく、努めて明るく号令を発しかけたくれは。
 その時、部屋の外から怒号が聞こえた。

「赤羽守護者代行はどこだ!?」「またいつもの発作か!」「まだ遠くには行ってないはずだ!」「探せ探せ!」

「はわっ、もう見つかっちゃった!? はわわっ! じゃ、じゃあ、あたし、今から逃げ隠れするから、みんながんばって〜」

 言うが否や、突風のような駆け足で逃げ去っていくくれはに、四人は顔を見合わせ苦笑する。
 未知の異世界に渡ると直前だというのに、何とも締まらない出発だ、と。



[8913] 第五話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:82b7820c
Date: 2009/07/04 20:59
 


 ミッドチルダ上空。

 近未来的な都市群から数十キロの高さに悠然と浮かぶ、巨大な結界──月匣。

 その内部──薫り高いお香の香りが漂うサロンがあった。
 並ぶのは一見派手さはないものの、その実どれもが一流の品でしつらえた家具や調度品ばかり。趣味のいいそれらは、この空間を創造した人物の趣向がよく反映されていた。


 そんな室内に、可憐な少女のドスが利いた声が響き渡る。

「はあ? なんですって? もう一度言ってみなさいよ」

 声の主、ゆったりとした造りのいいソファーに寝そべり、不愉快そうに形のいい眉を吊り上げる銀髪金眼の美少女──ベール・ゼファー。

「ああ、何度でも言ってやる。君は遊びすぎだと言ってるんだ、ベル」

 対するのは、こちらも不機嫌そうに細めた瞳で寝そべる少女を見下ろす黒髪蒼眼の少年──今日は学ラン風の黒い制服を身に着けていた。

「あんた、あたしに喧嘩売ってるわけ?」

 金色の瞳がギラリと光る。
 ベルの感情の高ぶりに呼応して漏れ出した魔力が、黒い陽炎のように揺らめく。

 二人の間に流れる剣呑な空気に、ドレスを新調したアゼル・イブリスがはらはらと見守っていた。大好きなベルと、それなりに友情を感じている“アル”が喧嘩をしているのが嫌なのだろう。

「俺は事実を言ったまでだよ。余計なことばかりして、本筋を疎かにするその癖を何とかしろ。今のままのペースだと“奴”が覚醒するのは時間の問題──だよな、リオン?」
「……ええ。小物は順調に排除出来ていますが、肝心の“本体”は未だ未確認です。今までの傾向から推察するに、この次元──“ミッドチルダ”に巣くって居るようですが……」

 二人から少し離れた位置のイスに座り、何を考えているかわからない微笑を浮かべて事の推移を静観していたリオン・グンタが、簡潔に答える。
 そのやり取りを見やり、ベルは鼻を鳴らす。

「ふん。そんな建前じゃなく、本音を吐き出したらどうなのよ? ……“オトモダチを傷つけられてボクは怒ってます”、ってね」

 ピシ、と空気が凍り付いた。
 アゼルは後に、ぷちっと何かが切れる音が聞こえたと語ったとかなんとか。

「ベル……お前」

 図星──それも、一番触れられたくない部分──を突かれた少年は、一瞬にして殺気立ち、蒼白い殺意の炎を瞳に宿してベルを睨みつける。

「ふぅん。やるってんなら相手になったげるわよ? この躯が現し身だからってなめてんじゃないわよ“坊や”」

 ソファーから立ち上がり、いつもの腕を組むポーズで睨み返したベル。極北の視線を向けられてなお、好戦的な嘲笑を浮かべて退かない。──大魔王の誇りに賭けて若造なんぞに負けてたまるか、と言いたげだ。

 二柱の大魔王が垂れ流す人外の魔力の渦に床が悲鳴を上げ、調度品があまりの恐怖にガタガタと揺れ出す。
 室内の大気が帯電し始め、月匣全体が大きく振動し……常人なら卒倒して余りある殺気に満ちた異常空間が形成される。──もっとも、この場にただの人など元とより居はしないが。

「ふ、ふたりとも、ちょっと落ち着いて。ケンカはよくないよ」アゼルが我慢しきれず、間に割って入った。

「アゼル、あんたは黙ってなさい。このクソガキに、力の差ってのを叩き込んでやるんだから」
「はっ、ごちゃごちゃと偉そうに。餓鬼はお前だろうが、このペチャパイ!」

 普段は割と紳士的な彼の、らしくない暴言。
 よほどベルに本心を暴かれたのが腹に据えかねたのだろう。

「ぺちゃっ!? なぁんですってぇっ!」
「あん? 言葉が難しすぎてわからなかったか? なら他の言い方をしてやるよ。ナイムネ、虚乳、幼児体型、抉れ胸!」

 ぷちっ。
 ベルの中で何か大切なもの──矜持とか、体面とか──が切れた。というか、自ら切った。

「コロスっ、コロスわっ! あんたはここでブッコロスっ!!」
「やってみろよ、洗濯板!」
「っっっ!!」

「だめだよベル!」とアゼルに羽交い締めにされながら、じたばたともがいて「ちちか! やっぱりデカいちちがいいのかっ!」とベルは涙を流しながら、血を吐くように叫ぶ。
 アゼルの豊満な胸が後頭部に当たっているのも彼女の怒りに油を注ぐ一因かもしれない。


 一触即発。


 まるっきり子どもの喧嘩のようなやり取りだが、彼らは曲がりなりにも裏界魔王。なりふり構わず全力全開で殺し合えば、惑星など瞬く間に消し飛ぶだろう。
 トサカにキて退くつもりなど端からない二人に涙目なアゼル。リオンは収拾を図る気などさらさらなく──ルーによく似た六歳くらいの少女を伴ってサロンにやってきたばかりのエイミーは、「あらあら」と楽しそうに困惑するばかり。

「死ねえええっ!!」「消し飛べ!!」


 怒りが頂点に達したベルと少年が、同時に大規模魔法を発動しようとした刹那────



 ────しゃらんと、澄んだ鈴の音が鳴り響いた。



「じゃじゃーん! みんなのアイドル、“超公”パールちゃんのお帰りよーっ!」

 天真爛漫な声と共に現れたのは、黒目がちな黒い瞳の小柄な美少女。
 小さな肢体を白い小袖に緋袴の巫女装束で包み──袴は膝上で裁ち切られ、ミニスカートのようになっていたが──、長いブロンドの髪を鈴の突いた紐で纏め、肩に届くほどの長さに垂らされている。

 彼女の名は“東方王国の王女”パール・クール──この次元世界に現在来訪している最後の裏界魔王。そして、“蠅の女王”ベール・ゼファー、“金色の魔王”ルー・サイファーと並び称される裏界帝国三強の一角だ。

「はー……パールちゃん、がんばっちゃってもうクタクタ。エイミー、おなかすいちゃったからなんかちょーだい。今すぐちょーだい。こう、おいしくて温かいものがいいなー」

 部屋に流れる殺伐とした空気など知ったことかと我が物顔のパール。ドカッとイスに座って、早速わがままを言い始めた。

 保有する魔力や、単純な戦闘力だけなら裏界第二位たるベルをも凌ぎ、現在の統治者にして最強のルーにすら匹敵するとの声さえ挙がるほどの彼女だが、その性格にはいささか以上に難がある。
 一言で言うなら天上天下唯我独尊。独善的で気性が荒く、子どものように幼く、わがままで残虐。
 ベルやルーと同じ爵位は相応しくないというアレな理由で“超公”を自称するような──つまり、アホの子なのだ。

「はい、ただいま。少々お待ちくださいね、パール様」
「はやくねー」

 軽食を用意するためにいったん部屋を辞したエイミーに興味をなくしたのか、巫女服の暴君は長テーブルの上にお茶請けとして置かれていたせんべいをバリバリとかじり始めた。
 一枚食べきり、指先についた醤油をペロペロと舐め。

「──あれえ? ベルとアルってば、バカみたいなカッコでなにしてんの?」

 灼熱の大光球を抱え、睨み合ったままの格好で停止していた二人にかけられたのは、無情な言葉。

「……」「……」

 そのマイペースぶりに、魔力が霧散し、強烈な殺気が急速に萎えていく。

「あーあ、バカらしい。やめよ、やめやめっ」

 言葉通り、白けた様子のベルがもと居たソファーに戻る。安心したように僅かに笑みを浮かべたアゼルが、彼女について隣に座る。
 ついでにベタベタとし始めた。
 一見うっとうしそうなベルだが、本気では邪険にしていないあたり満更でもないらしい。

 “無差別プラーナ吸収”という災害級の能力を持つアゼルだが、こちらに来る際、とある“魔導具”の欠片を組み込んだ“ホムンクルス”の“躯”を仮の器にすることで、その能力をある程度抑制──その代わり、戦闘力も格段に下がっているが──していた。
 さすがに直接肌に触れれば吸収されてしまうものの、相手は無限のスタミナを誇るベルだ。蚊に刺された程度にしか感じていないだろう。

 余談だが、裏界に居るアゼルの本体は一面の荒野の真ん中で、全長一メートルのビックサイズ“ぽんこつくん三百二十六号”──アゼルのドレスと同じく、全て“魔殺の帯”と同質の素材で作られた特別製だ──に乗っかって、ふかふかしてたりする。


「ふぅ……ん?」

 正気に戻り、ばつが悪そうにばりばりと天然パーマ気味の髪をかき乱していた少年の服の裾を、何者かがちょんちょんと遠慮がちに引っ張った。
 視線を落とせば、物欲しそうな瞳で見上げている紺色の髪の幼女──もとい少女。

「テスラか。どうした?」
「わたしもおなかすいた」

 彼女はテスラ・陽炎・フラメル。
 ルー・サイファー復活の媒体とされたウィザードの少女だ。
 身体を乗っ取られてしまったものの、未だにその心は残っており、ルーの精神が不在の時などにこうして表に出てはその茶色の瞳を寂しさに染めている。
 なお、二人の見分け方は髪や瞳の色、そしてドリルになっていないヘアスタイル。

「そっか。いつも通りチョココロネでいいかい?」
「うん、それでいいよ」

 儚く笑むテスラに微笑み返すと、少年は自らの月衣に常備してあるチョココロネを一つ取り出して手渡す。

「……ありがとう」
「どういたしまして」

 お礼を言い、はむはむと幸せそうに大好物をほうばるいろいろな意味で幸の薄い少女の頭を、少年がぽんぽんと軽く撫でる。
 ルーが彼の姉なら、テスラは妹分のようなものだ。
 テスラの方はといえば、まだ警戒心を感じてはいるものの、それなりに打ち解けてきているようだった。もっとも、彼女の“一番”は他に居るし、少年としてもあまり深入りするつもりはない。せいぜい大事に扱って、「お姫様をさらった悪い魔王」という役割を楽しむだけ。


「あーっ、あたしもそれ食べたーい」
「パールあんた、今からなんか食べるんじゃなかったの?」
「それとこれとは別の問題っ。というわけでちょうだい」
「はいはい。──ほれ、こいつはおまけだ」

 “お前のものは俺のもの。俺のものも俺のもの”を地でいくパールらしい要求。彼もそれを重々理解しているようで、おまけにメロンパンも付けて機嫌を取る。
 ──いや、これは単に誑しスキルによる条件反射かもしれないが。

「おー、あいかわらず気が利くね。アルのそういうとこあたし好きよ?」
「そりゃどうも」

 冗談半分なパールに、こちらも本気にしていない少年は肩をすくめる。
 気が利くのは“子ども”の扱いに慣れてるからだよ、とは口が裂けても言えない。口にしたら最後、消し炭にされること請け合いである。

「私もいただいて宜しいですか?」
「いいよ、何がいい?」
「では……メロンパンを」

 同調して言うリオン。
 渡されたのは、輝明学園秋葉原校の名物ふわふわメロンパン。もちろん、もっちりぎゅうぎゅうな“仕込む”方ではなく、ふわふわサクサクな“食べる”方だ。

「アゼルは?」
「じゃあ……、あたしもリオンと一緒で」

 カリカリ。もふもふ。
 夢中になってパンをほうばる多種多様な美少女たち。世界を滅ぼして余りある戦力が揃っているとは到底思えない光景だ。

「ん? どうしたベル? 君もほしいの?」
「べ、べつにい〜」

 意地の悪い少年の問いに、ベルは盛大に目を泳がせて興味がない風を装う。
 しかし、視線は横でもふもふ味わっているアゼルの手元に釘付け。

「ベル、メロンパンおいしいよ? 一緒に食べようよ」
「……サクサクした皮とふわふわとした中身のアンバランスさ……美味です」
「ベルがいらないっていうなら、代わりにパールちゃんがもらっちゃおうかなー?」

 カリもふを楽しんでいた三人からのコメント。

「うっ……ま、まあ、くれるって言うならもらってあげなくもないわよ?」
「最初からほしいって言えばいいのに。はいよ」
「むー。なんか釈然としないわー」
「気にするな、俺は気にしない。……って、これ久しぶりに言ったな」

 プライドは目先の欲望にたやすく陥落し、不承不承な様子で焼きたてのパンにかじりつく。
 何だかんだ言いながら、結構はおいしそうに食べるベル。


 ────そんな、近く始まる“パーティー”前の一幕だった。



[8913] 第五話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:8c5bc3a5
Date: 2009/07/02 21:02
 


 第22管理世界での後始末を終え、予定よりもずっと遅れて本局ステーションに帰ってきた私。
 重い足取りでタラップを降り、発着場を通り抜け、おみやげ屋さんなんかが立ち並ぶターミナルビルまでやってきた。
 たくさんの人で混みあった空港サロンのベンチに座って、ひと息。

「うう、疲れた……」

 疲労困憊。ガクリとうなだれる。

 “あのひと”との遭遇戦のあと、現地の捜査担当者と一緒に現場の見聞や、“アレ”の処置を協議をしてるうちになんだかんだと時間をとられ……。帰りの艦に乗ってる間は、報告書の作成とかしてたからけっきょくほとんど寝れてない。カンテツだ。

 ──それに、“あんなこと”面と向かって言われたら、落ち着いて寝てなんていられないよ……。

「ぁ、う……」

 わ、思い出したらふれられてた頬が熱くなってきちゃった。胸がどきどきしてるし。
 冷まさなきゃ。
 手のひらでパタパタと顔をあおぐ。

 それにしても戦闘中に、か、かわいいだとか、きれいだとか、その……すっ、好き、だとか(注:それは言われてません。幻想です)──いったいなんのつもりだったのだろう。冗談にしてはたちが悪い。本気だったらなおさらだ。どうかしてる。
 でも……“彼”の言葉が、すごくうれしいって思っちゃってる私の方が、もっとどうかしてるけど。


 ともかくっ、強行軍はけっこうなれてるんだけど、あれだけの戦闘のあとだとかなり辛い。
 とはいっても、これからことの次第を報告しなきゃいけないから、おちおち休んでもいられなくて────

「はぁ……」

 思わず、ため息。

 しなった気分を盛り上げようと、シャツの下に潜り込ませていたシルバーチェーンを引っぱり出して、きらきらときれいな光をこぼしす金色の宝石を手のひらに乗せる。
 そして、ギュッと握りしめ、胸に当てて目をつむる。

「……」

 誰からもらったものなのか、いつから持っていたのかすらわからない。
 ……だけど、見ているだけでとてもあたたかな気持ちになって、どんなに辛いときでも、どんなに不安なときでも、挫けそうなときにだって、諦めないでがんばろうって思える──そんな力をくれる大事なペンダント。

「──ちゃん」

 今まで何度、これに勇気をもらったんだろう。
 だからかもしれないけど、なくしちゃいけない、手放したら絶対に後悔するって感じてるたいせつな“おまもり”で“たからもの”なんだ。

「──トちゃん」

 それはそうと、これからどうしよう。いったんアースラに顔を出しておこうかな? あ、でも、“コレ”を大至急ラボに持って行かなくちゃいけないし────

「フェイトちゃん!」
「ひゃいっ!?」

 思案中に突然、大声で名前を呼ばれてビクッと身体がひきつる。
 後ろに振り向く。

「あ、あれ、はやて。こんなところでなにしてるの?」

 そこにいたのはブラウンの制服──ミッドチルダ地上本部の制服だ──姿のはやてだった。
 両手を腰に当てて、あきれたような顔をしてる。

 び、びっくりした〜。心臓がバクバク言ってるよ。

「こんなところでなにしてるの? ──ちゃうわ。艦の着いた時間はとっくに過ぎとるのに、フェイトちゃんがいつになっても戻って来うへんから迎えにきたんよ」
「あ、そうなんだ。ごめんね、ありがとう、わざわざ迎えにきてくれて」
「フェイトちゃんがぼーーーーっとしとるんは、今にはじまったことちゃうし」

 いつものことや、と言葉を切ってころころ笑うはやて。
 むうっ、なにげにひどいこと言われてない?

「あ、その人……」

 ふと気づく。
 はやての少し後ろに控えて、白い帽子を薄紫色のショートヘアに乗せたとてもかわいらしい女の子が、私たちのやりとりを柔らかな微笑を浮かべて見守っていたことに。

「うん? ああ、このヒトが例の“協力者”さんや」
「はじめまして、志宝エリスです。よろしくお願いします」

 帽子をとって、ぺこりと軽くお辞儀した彼女──エリス。異世界からの来訪者。
 この人の雰囲気、どこかなつかしい感じがする。────そう、“彼”に似てるんだ。顔だちとか体格とか、そもそも性別だって違うのによく似てる。

「フェイト・T・ハラオウンです。よろしくね、エリス」

 私も席を立ち、彼女にならって挨拶する。

「……フェイトちゃん。いちおう言っとくと、このヒト、私らより年上やで」
「えっ、そうなの?」

 ちんまりしてかわいらしいからてっきり年下だと思ったのに。

「ごめんなさい、呼び捨てにしちゃって。年下だと思ったから、つい。その……」
「いいですよ、好きなように呼んでくれて。それに、幼く見られるの、慣れてますから」

 諦めたように苦笑するエリス──許可が出たので名前で呼ぶことにしよう──。なんだか、どよんとした空気を流してる。
 ……私、悪いこと言っちゃったのかな?

「まあ、そう思うてもしゃあないな。なんせフェイトちゃんは──」

 ──むっ、殺気!
 いつの間にか、はやてに背後をとられてたみたいだ。気配、感じなかったのに。

「こーんな、立派なモン持ってるんやから」

 胸元へとやにわに伸びてきた両手をがっちりと掴んでガード。

「って、ありゃ、阻止されてしもた。これで通算十五勝二十二敗か。やるなあ、フェイトちゃん」
「……はやて、こういうのだめだっていつも言ってるよね?」
「ええやん、ケチケチせんと揉ませてや〜。減るもんやないし〜」
「減るよっ! なんかいろいろと減るよっ、きっと!」

 主に私の正気とか!
 こんな人通りの多いところであれをやられたら、恥ずかしくて死んじゃうよっ。

「あはは……。いいですよね〜、みなさん、年のわりに発育がよくて……」
「え、と、エリスさんどうしたん?」
「その点、私なんて……私なんて……ふふふっ」

 うつむいて、表情のわからないエリスが乾いた笑いをもらしてた。
 幽霊みたいなかすれた声で、「あのロリコン、もう死んでるけど殺してやりたいです」とかつぶいてた。
 な、なんかこわいよ。













  第五話 「夜闇の魔法使い」











 本局ステーションの一角。
 大きめの会議室を借り切っての捜査会議──というか、私の報告会みたいなものだけど。
 揃ったのは兄さんにエイミィ、はやて以下ヴォルケンリッターのみんな──私がいない間に新たな“魔王”と交戦したらしい──、それからエリス。

 そうそう、報告書を兄さんに渡したり、軽く情報交換したり、持ち帰った“モノ”をラボに届けたりしたあと、やっとひと眠りできたから体調は万全だ。
 でも、ちょっとおなかすいちゃったからお茶請けのマドレーヌ──エリスの手作りらしい──をぱくつく。
 もぐもぐ。
 わあ、これおいしい。あとでもっともらおう。


「“シャイマール”と、また遭遇したんだな、フェイト?」
「うん、それから少しだけ交戦したよ。……負けちゃったけど」
「そうか、テスタロッサを下すほどの実力者か……」
「シグナム、すぐにでも戦いたいとかって思っただろ」

 好戦的な瞳をギラリと光らせたシグナムに、ヴィータがジト目で言う。

「い、いや、そんなことは無いぞ? ああ、無いとも!」

「……うそくせえ」
「嘘だな」
「ウソですね」
「ですぅ」

「うぐっ」

 あわてて取り繕うけど、ヴィータ、ザフィーラ、シャマル、エルフィと矢継ぎ早に繰り出されたツッコミの前に沈黙。

「おバカなバトルマニアはほっといて。フェイトちゃん、報告よろしく」
「え、うん」

 はやてに促されたので、バルディッシュをプロジェクターにリンク。メモリに記録した映像を開始させる。
 ちなみに、サウンドはミュートだ。あんなの誰にも聞かせられないよ……。

 あ、シグナム「主はやてまで……」とか言って撃沈してる。


「“コレ”が、ラボに持って行ったモノの本体だよ」

 写り出されたのは“彼”が断ち斬った“ナニカ”。人間の左半分に、不気味な正体不明の結晶体が寄生した……そんな物体。

「うげ、グロいなあ」「うわ、これはきっついね……」「……っ」

 映像にみんなが口々に感想をもらす。
 遺体は現地で検死中だけど、結晶体の一部を切り離して持ち帰ってきてる。その組織片は現在ラボで解析中。

「これ、“冥魔”──“闇の落とし子”です。やっぱり、そうなんだ……」
「エリスさん、“冥魔”って?」

 映像を食い入るように見ていたエリスが、なにかに気づいたようにつぶやく。彼女の口から出た知らない単語にはやてが疑問の声を上げた。
 私も知りたい。どうやら重要な事柄のようだから。

「あ、はい、それはもちろん説明します。と、その前に……エイミィさん、これつないでもらえますか?」
「はいはい、おまかせ〜。互換できるプロジェクター、ちゃんと用意してあるよ」

 エリスがナップザックから取り出した小さめのノートPCっぽい情報端末に、ケーブルが接続される。

「では、あらためて」

 カタカタとキーボードを叩く軽快な音。
 ヴンと機械音が鳴り、プロジェクターが再度映像を映しをはじめた。

「“冥魔”、というのはファー・ジ・アース……いえ、主八界全体を滅ぼそうとしている勢力のことです」

 映像には、奇妙な姿の生物“冥魔”と、その詳細を示したテキストが流れる。その姿形の禍々しさに私たちは揃って顔をしかめた。
 ……あっ! これ、火災の時に戦ったのだ。えーと、名前は“闇の騎士”か。

「複雑な背後関係や成り立ちについてはこの際割愛しちゃいますが、“侵魔”……“エミュレイター”と大元を同じとした、似て非なるものと考えてもらえればいいと思います」

 のちほど詳細をまとめてプリントにしてお配りしますね、と続けるエリス。意外とちゃっかりしてるみたいだ。

「今回の件で一番重要なのは、“冥魔”が“侵魔”以上にやっかいだということです」
「厄介……どういうことだ?」

 すごく険しい表情をしてる兄さんの問い。たぶん、頭の中では今後の方針とか、上層部への上申の方法とか、いろいろと考えてるんだろう。兄さんは責任感が強い人だから。

「“侵魔”とは、ある程度コミュニケーションがとれるんです。利害関係が成立すれば、力を貸してくれることだってあります。……“侵魔”との戦いは、“外国との侵略戦争”と言えますね。
 ですけど、“冥魔”相手にそんな余地はありません。ただ、全てを破壊し尽くし、全ての生きとし生けるものを闇に落とすだけ。彼ら“冥魔”と私たち人間は、完全に相容れない存在なんです」

 実際に危機に直面してる世界の住人だからだろうか、その言葉はどこか重い。
 彼女の雰囲気から、“冥魔”がどれだけ危険なのものなのかよくわかる。

「あの映像にあった方は、おそらく“冥魔”のチカラによってヒトが変質した存在──“闇の落とし子”です。完全に墜ちたら最後、肉体的にも精神的にも変わり果てて、あとは破壊衝動のまま命を刈り取り続ける……」
「そうなった場合、元に戻す手段は?」
「ありません。魂と精神が汚染され切る前に浄化するか、さもなければ……」

 エリスが言葉を濁す。その続きは、わかる。わかってしまった。ほかのみんなも同様で、押し黙ってしまう。

 私はふと思う。もしかして“あのひと”は……。

「そんなものがこの世界に……。なら、次元世界で多発している無差別連続殺傷事件も、その“冥魔”が?」

「可能性はかなり高いと思います。それから、これは私の推測なんですけど────」

 そう前置きして、藤色の髪の女の子はとても真剣な声色で言葉を紡ぎはじめた。



[8913] 第五話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:74c43ade
Date: 2009/07/22 20:57
 


 カツカツカツ……、とリノリウムの清潔に保たれた床を短めのヒールが打つ。

 会議が終わってすぐ、私は資料の入ったケース片手にミッドチルダへ訪れていた。
 目的はユーノのおみまい。それから、なのはの様子がどうにも気になったから。慰める……っていうのは言い方が悪いけど、なのはを元気づけたかった。

 リズミカルに響く自分の足音を耳に入れながら、会議でのことを思い浮かべて私は思案の海に没頭する。


(……目的は“冥魔”の討伐かもしれない、か)


 エリスの推理を要約するとこうだ。
 シグナムたちの前に現れたルー・サイファー。そして、なのはと戦ったベール・ゼファー。
 この二人はとても仲が悪く、普段は絶対に力を合わせたりしない。むしろ仲違いして、互いに足を引っ張り合うくらい──ちょっと人間っぽいなとも思うけど──らしい。そんな彼女たちが唯一、協力しあうのが“冥魔”の相手をするとき。
 どちらも“冥魔”を目障りに思っていて、ときには人間──ウィザードとも共同するのだとか。

 といっても、それ以上のことはわからずじまい。“冥魔”の排除は単なるついでで、なにか危険なロストロギアを狙っていたり……もしかしたら単純に、この次元世界を征服しようとしてる可能性だってある。
 そもそも、どうして“冥魔”なんてものがこの世界に現れたのかさえわかっていない。エリスもわからないそうだ。

 だから、兄さんは上の方に掛け合って“魔王”と“冥魔”に対するなんらかの対策を早急にとるよう、働きかけてみると言っていた。

 でも、たぶん結果は芳しくないと思う。

 アースラを離れる前、兄さんがぽつりともらしてた。
 この件に関して管理局の動きが鈍すぎる。まるで見えない“誰か”の意志に邪魔されてるみたいだ、と。

 私もその意見に賛成だ。

 “ハイダ”のことだってそう。現場レベルでの捜査はそれなりに進んでたのに、時空管理局全体としてはやっと腰を上げた段階。仮にも執務官の私が、兄さんに資料を見せてもらうまで知らなかったし。これはかなりおかしい。
 普通、管理世界広域で殺人が多発したなんて、管理局の威信に関わる事態なのに動きは不自然ほど緩慢で──兄さんの言うように、何者かの妨害が入ってるとしか思えない。

 もっとも、いち執務官でしかない私にどうこうできる問題でもないのだけれど。

 それに、

(……みんなには悪いけど、私は)

 私は“彼”が、ほんとうは“敵”じゃないのかもしれない。争わなくてすむかもしれない。
 それがうれしかった。ほっとしてる。
 そして、くやしくて、情けなかった。



 ユーノの病室の前。

 ちょっとためらったあと、軽くノックする。少し間をおいて「どうぞ」と聞きなれた……でも、いつもよりずっと力ない返事が返ってきた。

 ゆっくりと戸を引く。
 広々とした、真っ白な病室。
 まず目に入ったのは、ベッドに横たわり、生命維持装置につながれたユーノの痛々しい姿。

 それから──

「──あ、フェイトちゃん」

 ベッドサイドの丸イスに座り、ゆらりと振り向く私の親友──かけがえのない友だち。満開のひまわりのような、春のひだまりのような笑顔がかわいらしい女の子。
 だけど、今は見る影もない。
 赤みがかった茶色の髪はつやを失い、透き通ったアメジストの瞳も今やくず石同然……私の記憶にある彼女の姿は、まるでまぼろしか蜃気楼だったかのよう。

「えっと、なのは……」

 少しこけた頬に濃いくま。無理矢理に笑ってるのがわかってしまう。
 焦燥しきったなのはの姿に思わずたじろぐ。

「……ユーノくんのおみまいに、きてくれたんだよね」
「あ、う、うん」

 慌てて取り繕う私。
 声色は明るく、表情は柔らかに。なのはを元気づけにきたのだからもっと冷静に応対しなきゃ。

「ありがとね、フェイトちゃん」
「ううん、いいんだよ。そうだ、これ、その……捜査してわかったこととかをまとめた資料だから、気が向いたら読んでみて」

 持っていたジェラルミン製のケースから小冊子を取り出して、紙製の花束──折り紙だろうか──の乗ったサイドボードの上に置く。あ、レイジングハート、返ってきたんだ。
 なのはの返事は「うん」とだけ。あまり興味はなさそうだ。

「それで、ユーノの様態……どう?」

 ふるふると、力なく首を横に振るなのは。やっぱり、意識はまだ戻ってないらしい。

「そう……。ねえ、なのは」
「なに? フェイトちゃん」

 懸念だったことを思い切って尋ねてみることにする。

「なのは、家に帰ってる? なのはの家族、みんなきっと心配してるよ?」

 ここ半月、地球に帰ってない私が言えたことじゃないけど、なのはの様子はあんまりだ。ひどすぎる。

「あ、一度戻ったよ? 着がえとか取りに行かなきゃだから」

 とんぼ返りだったけどね、と世間話をするような調子でなのはが言う。つまり、それ以外は戻ってないってこと?
 私は、頭がカッと沸騰するのを感じた。

「そんな……! だめだよ、なのは。ちゃんと休んでないんでしょ? このままじゃ、なのはが身体壊しちゃうよ!」

 親友の無茶に声を荒げる。
 すると、なのはは困ったふうにぎこちない苦笑いを浮かべた。

「私は……だいじょうぶだよ」
「だいじょうぶって──」

 イスから立ち上がったなのは。私の言葉を背に、サイドボードに近づく。

「この折り紙ね、ユーノが助けた女の子からの贈り物なんだよ」

 紙でできたピンクの花に指先で触れながら、噛みしめるような声色で独白する。

「“おにいちゃんがはやく元気になりますように”、だって。あんなに、怖い目にあったのに、あわせちゃったのに……、そんなこと関係ないように笑って──」

「な、なのは……」

 なのはの言葉には、痛いくらいにあふれる後悔が詰まってて。
 拒絶されてる、そう思った。慰めなんていらないと。
 自分を責めて、責めて、責め続けてるはずのなのはの背中は小さくて頼りない。

「だから、私、休んでなんていられないよ……ユーノくんが、目覚めるまでは」

「……っ」

 悲壮なことを悲痛な笑顔で言う親友に、私は言葉をなくして口をつぐんだ。




 □■□■□■




 ミッドチルダ北部、廃棄都市区画。
 数週間前に起きた海第8空港の大火災に伴い、放棄および閉鎖された市街地である。

 そんな用済みとなって打ち捨てられ、今はひっそりと静寂に包まれたビル群の中心──交差点跡のアスファルトに、突如として青い陽炎と燐光を放つ大きな魔法陣が描かれた。

 円陣の中に三角と三つの円を抱き、無数のルーン文字が書き込まれた複雑な魔法陣は、このミッドチルダ発祥の魔法や、ベルカ式と呼ばれる魔法で用いられるものとは全く別種の術式・術理によって生み出されたもの。
 遠く、因果の果てにたゆたう世界“ファー・ジ・アース”を発祥とする“夢見る神”の祝福を受けた神秘を操る“魔法”だった。


 収まり始める光。
 魔法陣のあった場所に、四人の男女が立っていた。


「……。ここに、エリスがいるのね」

 艶のある緋色の髪を乾いた風になびかせて、緋室灯が抑揚のない声で言う。
 彼女が纏うのは輝明学園の制服──紫のセーラー服に似た印象の黒いジャケットとミニスカート。そして、ニーソックスとコンバットブーツ。
 一見、普通の服に見えるそれらは、“強化人間”である彼女の肉体に備わる人外の身体能力を阻害しないよう、特別に用意された品だった。

「それにしてもずいぶんと寂れてますねー。誰かいないんでしょうか?」

 碧いポニーテールをゆらゆらと揺らして、真壁翠がおのぼりさんのようにふらふらと周囲を見回す。
 いろいろと軽そうな雰囲気を振りまく彼女だが、“伊那冠命神いささかのみことのかみ”という歴とした古き“神”の力を継ぐ“大いなる者”である。……とてもそうは見えないが。
 服装は灯とは対照的に、何気に豊かな胸元に水色のリボンを配する、清楚なデザインの白いロングワンピース。“清純派”を自称する彼女らしいチョイスだ。

「周囲に生体反応無し……どうやらただの廃墟ですね。ですが、ファー・ジ・アースと同等か、それ以上の文化を持っていると見て間違い無いようです」

 “人造人間”──“ホムンクルス”特有の感知能力を駆使し、油断なく状況を把握、分析するのは、茶髪に青い瞳を持つ二十歳ほどの青年──大泉スルガ。
 ファー・ジ・アースを守護するエリート集団“ロンギヌス”に所属するウィザードで、上司であるくれはからくせ者ぞろいのメンバーのお目付役を仰せつかっていたりする。

「それで、これからどうするの、命?」

 灯が振り向き、表情の乏しい面差しに隠しきれない親愛を浮かべ、最後の一人に問いかける。

「そうだね……とりあえず、エリスに連絡を入れてみよう。こっちに渡ったから繋がるはずだ」

 黒髪黒眼、日本人らしい特徴の少年──真行寺命が答える。
 見た目、頼りなさそうな彼もほかの三人と同じく一流のウィザードだ。服装は、シンプルなシャツの上におしゃれなジャケット、ジーンズというラフな格好。
 なお、つい最近まで昏睡していたのに高校を無事に卒業できたのは、某下がる男並みの過密スケジュールをこなしたからだとか。


「わかったわ。さっそく0-Phonで連絡を──」
「その必要はないよ」

 灯のセリフを遮って、よく通る少年の声が響き渡る。
 次いで、塗り変わる“世界”。

「月匣──!?」

 彼らの前方、開けた道路の中心に、学ラン風の黒い制服を纏った少年が、紅い満月をバックに立っていた。

「ミッドチルダへようこそ、ウィザードの皆さん」

「君は──シャイマール!!」

 命が自らの“通り名”を呼ぶと、彼は飄々と底知れない笑みを浮かべた。

「ふふっ、残念。俺だけじゃないさ。ほら──」

 少年が後ろを振り返る。

「──ルー・サイファー!」因縁浅からぬスルガが、その名を強い口調で呼ぶ。

 冷たい白銀の瞳で見下ろすのは、幻術で本来の姿を取り真紅の豪華絢爛なドレスを身に纏った“金色の魔王”。鮮やかな紅が、裏界随一の美貌を彩る。
 “誘惑者”が目立たぬよう主の陰に付き従っていた。

「ベール・ゼファー……」幾度となく交戦した灯が、最大級の警戒心を露わにする。

 “荒廃の魔王”と“秘密侯爵”を引き連れた“蠅の女王”が、妖しく艶やかな笑顔を零す。
 本日の御召し物は、かわいらしい漆黒のパーティードレスと、いつものポンチョ。首もとの、紫のバラをあしらったチョーカーがチャームポイントだ。

「ぱ、パール・クールさんまでいるんですか〜!?」あまりの理不尽に、翠がとても情けない声を上げた。

 しゃらんと鈴の音を鳴る。白と緋色の巫女服を身に着けた“東方王国の王女”が、尊大かつ傲慢に、その威厳を見せつける。


 裏界魔王、七柱が揃い踏み。
 まともなウィザードなら瞬時に死を覚悟し、この世を儚む強大な面々。命たちも例に漏れず、身を強ばらせる。
 彼らの様子に、“皇帝”の息子を自称する少年は愉快そうに目を細め、口を三日月に歪めた。


「熱烈大歓迎だ。受け取ってくれ」







 空に浮かぶのは、血のように紅い月。
 満ちる、深き闇の象徴しるし。

 太陽は熱を失い、鈍色の地平へ沈み、
 月門とびらが開く。

 耳を澄ませば、ほら聞こえてくるでしょう?
 あえかなる少女たちの囁きが。

 それは甘い破滅に彩られた語らい。
 いずれ、“世界”に悪徳の華を咲かせるでしょう。


 少女たちの名は、魔王──


 そのしなやかな腕は命を摘み取るために。

 その可憐な唇は死の接吻のために。

 その美しい微笑は散りゆく愚者のために。

 かくも、破壊と殺戮を愛するものたち。

 この“世界”の裏側で、いつも機会を狙っている。


 ──ほうら、今宵もまた紅い月が昇る。

 そして、告げるでしょう。

 昏き祝宴の始まりと、死の舞踏の始まりを────



[8913] 第五話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:b27b5b65
Date: 2009/07/10 21:03
 


「俺たちに待ち伏せされていたことが不思議で仕方ないって顔をしてるな、アンタら」

 予期せぬ襲来に戸惑い、狼狽するウィザードたちを嘲笑う黒髪の魔王。
 彼らを見やる瞳の冷たい色を変えないまま、ふと目の前の虚空を右手で掴み、握る。

「タネは簡単さ」

 そこを起点として、徐々に生み出されていく一振りの“剣”。禍々しく波打った刃、魔の祝福と尽きない威光を意味するルーン文字の刻み込まれた刀身、鍔の中心にあしらわれた魔眼の意匠──そして、“飛行機械”としての内部構造を露わにしつつ、“魔王”の名を持つ“箒”が主の手の中に顕現する。

「“こちら”と“あちら”を繋げる路を、始めに創ったのはどこの誰だと思っている? そこに誰が通るかなんて、把握しているに決まってるじゃないか」

「──!」

「通行料代わりと言っちゃなんだけど、創った路の入り口がどこに開くか決めるのも制作者の特権でね。……この言葉の意味、わかるな?」

 意味深に結尾を切り、少年はデモニックブルームを軽く振ると、気だるそうに肩に担ぐ。
 さらに、空いた左手をズボンのポケットに突っ込み、とても柄が悪そうに見える。

「じゃあ、私たちは……いえ、エリスは──」
「飛んで火にいる夏の虫、ってね。志宝エリスは──何処か、見知らぬ土地で野垂れ死んでるのかもな」
「ッ!!」

 血相を変え、珍しく激情を露わにした灯が、月衣から身の丈ほどの黒い大砲“ガンナーズブルーム改”──今では旧式となり“オールドブルーム”と呼ばれる機種の改良型で、彼女の愛用品だ──を抜き出し、その砲門をくつくつと愉快そうに笑う少年へ突きつける。
 真実を知り、直接まみえてもいるルーは意地の悪すぎる煽り文句に呆れ、密かにため息を吐いた。

「あかりん、落ち着いて。まだそうと決まったわけじゃない。エリスを、仲間を信じよう」

 我を忘れている灯の肩に手を置き、命は言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
 彼の眼差しは、緋色の瞳をまっすぐ貫いていた。

「──! そうね、命の言うとおり。ここを切り抜けたら私が作ったお弁当をあげるわ」
「うぐっ。そ、それはうれしいけど。あかりん、そのセリフはいろいろな意味で死亡フラグだから」
「……ぽっ」
「いや、今の会話のどこに顔を赤らめる要素があったの?」

 軽く夫婦漫才をしたあと、お互いの手を握り──ガンナーズブルームはどうした──見つめあう。
 ふたりの妙な雰囲気に触発されて、周囲には桃色の“げっこう”が形成されていた。
 それはそれは強力な“げっこう”である。

(わわわっ、二人とも大胆ですっ)(ところかまかずイチャイチャと。目障りだわ〜)

 翠とベルが甘ったるさに砂糖を吐いたり、

(次はどうなるのかしら? ワクワクワクワク)(いいなあ。あたしも、ベルと……)

 パールとアゼルが興味津々だったり、

(なるほど……これは興味深い)(仲がよろしいですね〜)

 リオンとエイミーがあらあらうふふと見ていたり、

(……)(……まったく)

 スルガとルーが僅かに苦笑していたりするのは些細なこと。

(──っ、チ……)

 それから、黒髪の少年がとても羨ましそうにしてたのも些細なことだ。

「あー、こほん。……お二人さん、そろそろいいかな? 質問がないなら始めたいんだけど」

 再起動を果たした少年が、ゆるーくなった空気を変えるように咳払いして促す。
 口調や声色が素に戻りかけているのは、命と灯ののろけにあてられたからだろう。

「はじめるって、なにをですか?」
「そりゃあ勿論……、魔王とウィザードが遭遇して、やることなんて一つしかないさ」

 首を傾げつつ発せられた翠の疑問に、何となしに気安かった少年の雰囲気が霧散。代わりに漂うのは濃密な殺気。
 刹那、瞬時に練り上げられた魔力を足裏で爆発させ、耳をつんざく炸裂音を響かせて突進する。

 鈍く光る白刃。「ッ、あかりん!」危機を察知し、命が咄嗟に灯を突き飛ばした。
 それと入れ替わるように、袈裟懸けで繰り出された斬撃。気休めに発動した防御魔装と衝突し、殺しきれなかった衝撃で命は大きく吹き飛ぶ。

「──殺し合いだよ」

 十メートルはあるだろうか、わだかまる噴煙に視線を送りながら、少年が酷薄な言葉を吐き出した。

「命! ──くっ!」

 自分の目の前に降り立った黒衣の少年に、半ば反射的に魔砲を突きつける灯。
 引き金が引き絞られ、巨大な弾丸が吐き出される間際──もう一つの黒い影が躍り出た。
 コツ、と軽快に着地し、ポンチョをはためかせる黒衣の少女。集中もなしに、左手から放たれる虚無の魔法。
 灯は地面を蹴って大きく飛び上がり漆黒の矢を回避。くるりと宙返りして、三メートルほど後方に着地、ガンナーズブルームを構えなおす。

「今回は歓迎会だからね、少しだけ趣向を凝らしてみたんだ。郷に入っては、とも言うし──“こちら”の流儀とお約束に則って、一対一のサシで殺ろうじゃないか」
「あんたってほんと性悪よね」
「ほっとけ」

 ベルの憎まれ口に、わずかに顔をしかめた少年の像がゆらりと歪み、そして消える。空間転移──“大いなる者”の十八番、空間操作能力の応用だ。
 ややあって、命が吹き飛ばされたと思われる辺りから激しく鋭い剣戟音が鳴り響く。どうやら彼は命にターゲットを絞ったようだった。

「ま、そういうワケだから。──ダンスのパートナー、お願いできるかしら、ミス?」

 おどけたセリフ。ベルが小首を傾げ、右手を灯へと差し出す。滅多には見せない優雅で気品ある所作は、身に纏った典雅なドレスと相まって言葉の通りにまるで舞踏会の一幕のよう。

「……」

 返答は砲撃。
 言葉の代わりに、青い魔法陣から吐き出される魔術処理が施された特殊合金製の砲弾。「あら、手荒いお返事ね」半身になって軽々と避けるベル。
 着弾した大質量の塊が地面を砕き、高々と噴煙を打ち上げる。
 その隙に、灯がちらりと視線の端で仲間の様子を窺うと、スルガ、翠も自分と同様に魔王と一対一に持ち込まれてしまっているようだ。
 分断された、と灯は内心で歯噛みする。これでは撤退もままならない。

「やっぱり仲間が心配かしら?」
「心配だけど、信頼してる。……それに、私があなたを倒して助けにいけばいいだけよ」

 余裕を隠そうともしないベルに、灯は気後れも誇張もなく、心の内をただ淡々と告げる。
 “強化人間”特有の合理的な思考と、さまざまなウィザードと共に戦ってきた経験を背負う彼女だからこその発言。以前、昏睡状態だった命を守るためとはいえ、親友と仲間に砲口を向けたのは苦い記憶だ。
 故に、灯は仲間を信じ、目の前の魔王を討ち倒すことで報いようと考えたのだった。

「あっそ。まあ、あんたならあの“小娘”よりは楽しませてくれるかもね」

「……?」

 漆黒の炎に変じた魔力が渦をなし、巻き上がる。
 好敵手の一人たる緋色の魔女を前にして、銀髪の女王がゆっくりと、悪魔のように美しく微笑んだ。






「一対一……。僕の相手はあなたですか、ルー・サイファー」

 バルーンスカートを摘み、裾を軽く引き上げたルーがスルガの前に悠然と降り立った。
 同時に、彼の右腕を包むように現出する巨大な盾と鉄甲が一体となったガントレット──“アイゼンブルグ”。このような形をしているが、これも立派な“箒”だ。
 感情を表に出さない凍てついた銀の瞳にその様子を写したルーは、ついっと視線をいずこかへとやる。

「……まったく、あれも無駄な気を利かせよる。“シャイマール”の後継の一人とはとても思えぬな」

 眼差しの先で戦闘中の、最近めっきり奔放で破天荒になってしまった“弟”にぼやくものの、その表情は穏やかで、母性のようなものすら漂わせていた。
 それに気づいたルーは苦笑する。“あちら”からあまりにも離れすぎている“こちら”では、自らの性──本能が些か薄くなるらしい、と。

(まあ、あの子たちは特に気にしてないみたいだけど)

「テスラの身体を返してもらいます」

 金色の魔王の内心など知る由もない鋼の守護者は、無機質な青い瞳に信念の炎を燃やす。

「この“躯”が、ただの現し身だということくらいは理解しておろう?」
「ええ。ですが、あなたの現し身を倒し、力を削ぎ続ければ、いつの日かテスラを救うことが出来るかもしれない。──いえ、必ず救い出す……!」

 彼を造った錬金術師の孫であり、彼が救うと誓った少女の名を胸に刻み、仮初めの命を持つ魔法使いは静かな──だが、確かな覚悟を口にした。
 ルーが侮りを露わにして鼻を鳴らす。

「ふん。随分と気の長い話よな。……我が力、易々削り切れると思うてか」

 ゴッ、と威圧するかのごとく吹き出す黄金色の魔力。間欠泉のようなそれは、酔ってしまうほどに濃密な死の気配。だが、裏界最強と謳われる彼女の力の僅かひとかけらにしか過ぎない。

「……!」

 魔王が垂れ流す圧倒的かつ暴力的なプレッシャーに、戦うため護るために生み出された“人造人間”であるはずのスルガの肌が、にわかに粟立つ。

「──アイン・ソフ・オウル」

 ルーの足元に紅黒い七芒星の魔法陣が生まれる。そして、彼女を囲むように、内部の結晶に紅い光を明滅させた七枚の白き羽根が──“シャイマール”の象徴がずるりと抜け出した。

「その力がどれだけ強大だとしても、どれだけの時間がかかるとしても────、押し通すだけです。あなたとて、一度は討ち滅ぼされているのですから」

 左腕の細胞を蠢かせ、音速の生体弾丸を発射する機構“ブラッドブレッド”が展開される。その砲口の行く先は、最強の魔王。
 ピクリ。ルーの端正な眉が揺れた。

「──口が過ぎるぞ下郎。己の分を弁えろ」

 自らの汚点を突かれたルーの美麗な容貌が怒りで染まり、覇気の籠もる言葉に空気がざわめく。
 それを合図として、アイン・ソフ・オウルが一斉に、スルガへと撃ち出された。





「うんと……命さんがシャイマールさんで、灯さんがベルさんで──」

 一人残された翠が、指折り数えて状況を整理していた。

「スルガさんとルーさん……。アゼルさんとリオンさんとエイミーさんは観戦中」

 やや上空に滞空して文字通り観戦している魔王三人は、手を出すつもりはなく、お菓子を片手に歓談している。魔王の余裕という奴だ。
 全員を相手にすればそれだけで詰み──ゲームオーバーだった翠たちにしてみれば僥倖だろうが。

「あれ? じゃあ、あたしの相手って──」

 しゃらん。不意に、澄んだ鈴の音が背後で鳴った。
 ギギギ……、と油の切れたブリキの人形のように振り向く翠。

「それはもっちろん。このパールちゃんに決まってるじゃない」

 そこに居たのはそれなりな胸を尊大に張る、巫女服の魔王パール・クール。
 無邪気にして残虐な彼女の恐ろしさをよく知る翠は目を泳がせ、ダラダラと滝のような汗を流して狼狽する。
 そして、恐る恐る口を開いた。

「え、えーと。あたし、役割でいうと後衛なんですよね」
「うんうん」
「いわゆるひとつのキャスターというやつでして」
「うんうん」
「灯さんたちみたく、一人では戦えないというか……」
「うんうん。それでそれで?」

 翠が矢継ぎ早に繰り出す言葉に、パールは楽しそうになんども頷く。

 一拍、間。


「逃げても、いいですか?」


 真壁翠、一世一代の懇願。
 極貧生活を支えるためのアルバイトで鍛えたとびきりかわいい笑顔で、だ。

「うーん……」

 人差し指を小振りな唇に当てて、パールは考えはじめる。
 ゴクリ。緊張した面もちの翠がのどを鳴らす。

 月匣に、痛いような沈黙が訪れた。


 たっぷり時間をとって、パールは翠に負けじととびきりかわいい笑顔で口を開き、

「だーめっ☆」

 無慈悲な一言を言い放つ。

「や、やっぱりーっ!?」

 涙目の翠の、悲痛な叫びが木霊した。



[8913] 第五話‐5
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:c4154b29
Date: 2009/07/18 21:14
 


 ヒトが造りし石塔の密林。打ち捨てられ、後は風化するのを待つだけの寂寥たる石碑群────その谷間を舞台に、二人の“魔法使い”が己の力と信念を賭けて雌雄を決する。

 “エミュレイターの勇者”としての宿命を背負わされ、それを否定しウィザードとして侵魔と戦う真行寺命と、“シャイマール”の並行存在として生み出され、それを肯定し魔王として振る舞う────。
 ある意味で表裏一体、コインの表と裏とも言える彼らの決闘は、必然だったのかもしれない。


「はああああッ!」

 国造りの神に捨てられた忌み子の名を冠する魔剣“ヒルコ”。ふたつに分かたれた一振り、光の貌を象徴する白い輝きが紅い闇を斬り裂く。

「ぐッ……、さすがに一流のウィザードは格が違うか──!」

 対するは魔剣の“箒”デモニックブルーム。蒼白い魔力の刃“オリハルコンブレード”を刀身に付与させて、白き両刃剣を迎え撃つ。

 甲高い太刀音を響かせて、二振りの長大な剣がその刃を合わせた。
 疾風怒濤の剣戟。
 魔力が爆ぜ、刃が走り、剣が翔て──数合、数十合と剣が打ち合ってオレンジ色の火花を咲かせる。
 膂力の差か、はたまた得物の差か──デモニックブルームはヒルコに幾度となく弾かれていた。

「チ……」

 たまらずバックステップで距離を取る黒髪の魔王は、接近戦での不利と見るや小さく舌打ちを漏らした。
 しかし、表情はお気に入りの玩具を前にした子どものように楽しげで、剣呑な鋭い光を灯した蒼い瞳は獲物を狙う猛禽にも似ている。
 そして、その視線の先には長大な剣を振りかぶるウィザードの姿。

「──まだだ!」

 命の“プラーナ”を喰ったヒルコが繰り出された斬撃を“延ばす”。
 振り抜いたヒルコから延びた白い突風が、ビルの間を一瞬にして駆け抜ける。「ぬ、ぐ……っ」少年は長剣を振るい、何とか迎撃。
 衝撃に身体が硬直、体勢が開く。その隙に、命が一気に勝負を決めようと地面を蹴り、疾走する。

「ヒルコオオオォォォッッ!!」

 裂帛の気合い。主の雄叫びに応え、白き“遺産”がその内に宿した古の力を解放した。

「──ッ」

 ひときわ眩い白の閃光を放つ魔剣が、居合い抜きの要領で左下から右上への軌道で斬り上がる。
 咄嗟に放たれた斬撃──真逆、右上から左下へと袈裟斬りで落ちる蒼銀の光剣。

 ──二本の剣が紫電の如き疾さで交錯した。
 白刃一閃。
 爆発じみた轟音が鳴り響き、真っ紅な飛沫が飛び散る。

 ヒルコで斬り上げたままの格好で停止した命。
 よろよろと数歩下がり、紅く染まった胸を押さえる少年。

 しゅんしゅんと風切り音を鳴らして“箒”が宙を舞う──命渾身の斬撃で、少年の手より弾かれたデモニックブルームが道端の瓦礫に突き刺さった。

 そして──一転の静寂。

 無音。透明。何も無い。その真っ白な音を、遠方で起こる散発的な爆音が汚していく。

 間合いは一足一刀。
 彼らの実力なら一息とかけずに詰められる程度の間だ。
 故に、どちらも動かない。動けない。

「……」

 命はヒルコを青眼に構えなおしながら、だらりと両腕を垂らして一見すると隙だらけな──その実、体勢は下がりスタンスはやや広い……誘っているようにしか思えない、自分よりも年下らしい少年の思惑に考えを巡らせる。
 この、目の前にいる“魔王”がひときわ酔狂な変わり者だと言うことは知っている。直接戦うのは今回が初めてだが、噂くらいは耳にしていた。

 曰わく──

 “力と知識を求めるものを好み、その望みに答える”

 “自らは表に出ず裏で策動することを由とし、策の正否は問わず起こる混乱を楽しむ”

 “時には自らの計略を、人間に協力することで台無しにすることも多々ある”

 などなど……。

 まさに悪魔の典型。気まぐれなトリックスターそのものだ。
 遥か昔、ヒトを誘惑し知恵の果実を与えたとされる“漆黒の蛇”らしいとも言える。

 しかし、今回のように自らの身を晒すようなタイプの“魔王”ではないはずだ。

 ──そして、命は目の前の少年に、以前から名証しがたい違和感を覚えていた。それこそ濃霧のように漠然としたものだったが、実際に対峙して、違和感は強まっていく。


「……裏界の勇者の証たる魔剣“ヒルコ”か」
「……!」

 ぽつりと零された一言。
 自らの宿業を遠回しに揶揄されて命が動揺する。

「その剣で、緋室灯を突き貫いたんだったよな、アンタは」
「それは……!」
「アスモデートに躯を乗っ取られてたからだろ? 知ってるよ」

 その剣幕に少年は苦笑。やれやれといった調子で肩をすくめ、宥めるような口調で二の句を告げる。

「どちらにせよ、恋人を殺しかけたっていう事実に違いはないさ。──まったく罪作りな男だね、お互い」

 ため息混じりの軽口に込められていたのは、からかいではなく自嘲。自らの不徳を嘲うシニカルな笑み。
 そのあまりに人間くさい表情に命の違和感は確信に変わった。

「君は──」
「……?」

 不意に発せられた呼びかけ。少年が訝しげに眉をひそめる。

「君は、本当は人間なんじゃないのか?」

 睨み合いの中で投げかけられた疑問に少年の眉がぴくりと反応し、海原のような蒼い双眸がわずかに揺れる。

「エミュレイター側の存在だったことがある僕だからかもしれないけど、なんとなく、わかる──君はただの侵魔じゃないって」

「……何故、そう思う?」

「気配、かな」

「気配?」

「気配があまりにも濁りすぎてるんだ。光でもなく闇でもない……どっちつかずの中途半端、まるで昔の僕みたいに」

 核心を突いた考察に、数瞬きょとんとした後、黒髪の魔王はふと、少年と青年の間らしい──“魔王”の仮面を取り払った、柔和で優しげな素の表情を浮かべる。
 獣じみた構えをゆっくりと解かれ、白い腕輪の巻き付いた左手をポケットに突っ込み、空いた右手でボサボサの髪を軽く掻き上げた。

「そうだな、アンタの言う通り、確かに俺は“ヒト”だよ。エミュレイター──裏界帝国の末席に身を置いて居るだけの、アンタらとは立ち位置が違うだけの、人間だ。……少なくとも俺自身はそう思ってる」
「そうか……」

 納得して、神妙な面持ちをして見せた命を、興味深そうに目を細め観察する少年。

「何故、裏界に与してる? とは聞かないんだな」
「今更だよ、そんなことは。今までだって闇に、力に溺れた人間をたくさん見てきたし、倒してきた。……どうやら、君は彼らと少し違うみたいだけど」

 そりゃどうも、とどうでもよさそうに応える黒髪の少年が右手を軽く地面にかざす。するとそれに呼応したのか、彼の右脇に豪奢な装飾が施された長剣が飛来して、突き刺さった。

「せっかくの機会だ、俺もアンタに一つ問いたい」
「なんだい?」
「アンタは……、“何だ”?」

 手元に戻ったデモニックブルームを逆手で引き抜きながら、黒髪の魔王が黒髪のウィザードに問う。
 答えなど端からわかりきっていた。故にこれは戯れ言。死闘の前の、無意味な問答だ。

「僕は人間、真行寺命だ」

 試すかのように自分を見据える蒼い瞳を、真っ直ぐ見返した命はまっさらな本心を言葉に乗せる。はっきりと迷いなく。それでいて決然と。
 ただ、飾りっけのない事実だけを口にして、命は燦然と白く輝くヒルコを八双に構えた。

 満足のいく返答に、少年がいたずらっ子のようにニヤリと口元を歪める。
 赫耀たる蒼銀を纏うデモニックブルームを右手で逆手に握り、刃を前面に押し出して半身を引く独特の構えを取る。

「結局、“羽根”は使わないのかい?」
「男と男の真剣勝負に、“小細工”なんて無粋だろ?」

 ふてぶてしく笑う奇妙な少年の、妙なこだわりに苦笑を隠しきれない命は、思い直しキッと表情を引き締める。
 それは夜闇を纏い、夜闇を駆ける“魔法使い”の顔。眼前に立ちふさがる“魔王”を討ち倒す、戦士の姿だった。




 □■□■□■




「このっ、逃げるなっ!」
「逃げるなっていわれても逃げます〜っ!」

 全長一メートルほどの魔法戦闘用杖型“箒”“ウィザーズワンド”──今回の任務にあたり支給された品である──に跨った翠は、火炎弾を乱舞させて追走するパールから必死な形相で逃げ惑っていた。
 何気に遁走しながらも、ディストーションブラストできっちり応戦するあたり、翠もなかなかに食えない。

「いいからちゃんとあたしと戦いなさいっ! 痛くしないから〜」
「戦ったら痛いじゃないですかっ!?」
「うーっ! つべこべうるさーい、あんたはさっさとあたしに殺されてればいいのよっ!」

 横暴なセリフと共にパールがぶん、と腕が振るう。三つの“ファイアボール”が、逃げる翠に目掛けて撃ち出された。

「なうぐぅおぉっ、ひゃわああっ!?」

 愉快な悲鳴を上げた翠は“箒”を急加速、脇道に逃げ込むことでそれらを回避。目標を見失った炎の塊が、ビルや瓦礫を粉砕して灼熱の海を生み出す。

「くっ、三下のくせしてすばしっこい! いい加減に──うん?」

 悪態を吐きつつ、何の気なしに視線を踊らせたパール。彼女のつぶらな瞳に、ウィザードたちと小競り合いを続けるベルやルーの姿が写った。

 どちらも第一位を自負するパールにとっては忌々しく思う目の上のたんこぶ、おじゃま虫だ。
 “外の世界”なんてすごく面白そうだし、ひとりだけ仲間外れにされるのは癪にさわるので黙って協力していたが、内心では寝首を掻いてやろうと虎視眈々と狙っていた。

 ──そう、パール・クールはベール・ゼファーとルー・サイファーが、目障りで目障りで仕方がないのだ。


「……ちゃーんすっ」

 何を思ったか、ぞっとするほどかわいらしい小悪魔的な笑顔を浮かべると、慣性や物理法則を嘲笑うかのように急停止、振り袖をくるりと翻して方向転換。
 明後日の方向へ飛び上がる。

「──えっ?」

 急に向きを変えた追跡者の意図が読めず、ぽやっとしている翠をほっといてパールはぐんぐん上昇。
 停止したのは遙か上空。戦場を一望する位置で巫女服の魔王は右手を力強く突き出した。

「────漆黒の空を穿たれよ、永久の深紅!」

 詠唱の声は鈴を転がしたように愛らしく。それは死の呼び声。

 直径二百──否、二千メートル級の広大な魔法陣が廃棄都市一帯に広がる。
 以前、“コレ”がベルに回避されたことを根に持っていたパールは、現し身に宿した魔力と“プラーナ”をこれでもかとつぎ込んで“無理矢理”に引き伸ばした、無茶苦茶で非常識な広域殲滅魔法を紡ぎ出す。


 灯と対峙していたベルが魔法の発動に気がついて、「なあっ!?」とあんぐり口を開き、愕然とする。灯はちゃっかり退避。
 スルガと激闘を繰り広げていたルーは「まったく……」と、最近癖になってきたため息をこぼし、呆然とする対戦相手を残して冷静にその場を離脱。
 命と鍔競り合いを演じていた少年は、目を白黒させてパールらしい暴挙に心底呆れる。それから、唖然としていた命に「“プラーナ”使って防御しないと、死ぬぞ」と警告した後、これまた離脱。


 巨大な魔法陣が、月匣に捕らわれた薄弱な精霊たちが、にわかにざわめく。

 そして────

「エターナルブレイズ・ザ・デストラクションっ!!」


 パールの砲哮を引き金にして、紅の魔法陣が烈火のごとく燃えさかった。

「あはははっ! みいーんなまとめて……爆ぜ消えろっ!!」

 ぱちんと指が鳴る。
 瞬間────世界が真っ白に染まった。

 空間が悲鳴を上げ、熱波が全てを焼き尽くす。ただ破壊のためだけに解放された魔力が、摩天楼を薙ぎ倒す。

 あまりに巨大な魔力の奔流に、空間すら焼き尽くす極大の爆発に月匣がその構成を維持できず、粉々に砕け散った。



[8913] 第六話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:e32ef082
Date: 2009/07/18 21:07
 


「強靱! 無敵! 最強っ!」

 月匣が解除された廃棄都市。その中心にほど近い位置──荒れ狂う余波で、木っ端微塵になったビルの残骸が山積する巨大なクレーター。
 五メートルほどの柱らしき残骸に立つ、小さな人影。勝利の味に酔いしれて、喜色満面の大魔王──パール・クールが、仁王立ちで片手を腰に当ててどこぞにビシッと指を指す。背後に、ドン! とトゥーンな書き文字が見えたとか。

「粉砕! 玉砕っ! 大喝采っ!! ふふふっ……ふっ、は、あはっ、あははははっ! ふぁーっ、ははははははははははっ!!」

 パールのバカ笑い──もとい、高笑いが閑散とした瓦礫の海に響き渡る。
 幾星霜、積もりに積もったベルとルーに対するライバル心を晴らせたパールの機嫌は、うなぎ登りに絶好調。それは過去例を見ないほどだった。
 気まぐれで消し飛ばされた哀れな部下たちも草葉の陰で涙していることだろう。……主に無念的な意味で。


 上空。よく晴れた青空。
 観戦していた三魔王が、眼下の事態ににわかに騒ぎ立つ。

「ああ、ベルがっ……」
「あら、これは大変。あれだけの大魔法ですから……みんな、死でたりして」

 涙目でベルのことを心配するアゼル。おたおたおろおろ、どうしていいのやらと狼狽しきり。
 そんなアゼルを煽るようなリオンのセリフ。他人ごとですと言いたげに、いつもの澄ました微笑を湛えたままだ。

「!! たたた、助けにいかなきゃっ!」
「まあまあ、落ち着いて。あのベルのことですから、きっと大丈夫ですよ……たぶん」
「そ、そうかな?」
「そうですとも……たぶん」

 泡を食い、今にも飛び出してしまいそうなアゼルを白々しく宥めるリオン。どちらもベルの部下──というか、協力者のはずなのだがその思惑は見事に対照的なようだ。

「お二人ともなにやら下で動きがあったようですよ、ほら」

 主の実力を信じているのだろう、特に慌てることもなく、ニコニコ営業スマイルを浮かべて静観していたエイミーが、何かに気がついたように促した。



「やっぱりこの“東方王国の王女”たる、超公パールちゃんが世界で一番賢くて、いっちばんかわいくて、超☆最強なんだからっ! ──って、あれ?」

 上機嫌に口上を述べていたパールがふと視線を落とす。
 彼女のすぐ側、コンクリートの破片が折り重なった場所がもぞもぞと蠢いた。

「──なーにが、“超☆最強なんだからっ”、よっ! げほげほ……」

 瓦礫を押しのけて、真っ黒に煤けてくすんだ銀髪がひょっこり飛び出した。

「あ、ベル」

 そう、灼滅の大魔法をどうにか凌ぎきったベルだ。無事ではあったが黒のパーティードレスはボロボロ、見るに耐えない無残な姿をさらしている。ぶっちゃけ、顔まで真っ黒である。

 ゴシゴシと、袖で顔の汚れを乱暴に拭うベル。
 それから金色の瞳がキッとつり上げ、間の抜けた表情で“私はがっかりしてますよー”と主張してはばからない金色ツインテールを睨みつけた。

「パール……っ、あんたねえっ、なにしてくれてんのよっ!? 一歩間違えたら死ぬところだったじゃないのっ!」

 回避されぬよう無理矢理に拡大したしわ寄せで、パールの魔法は一面あたりの破壊力を大きく減退させていた。
 その証拠に、命たちもベル以上に被害を受けながら何とか生存していた。一番防御に秀でていたスルガは、墜落して頭から瓦礫に埋まっている翠を引き抜いているし、持ち前の強運──悪運とも言えるが──でうまくやり過ごした灯は、命を助け起こしている。

 ともかく、詰めの甘いパールらしい結果だと言えよう。

「えー、殺ったと思ったのにぃ。パールちゃんつまんなーい。そうだ、今から死んで見せなさいよ、ベル」

 パールのあんまりなセリフに、ベルのあまり長くない──むしろ短い堪忍袋の緒がぷちっと切れた。

「──このっ、バカパールっ!」
「ばっ!? なんだとお! バカって最初に言った方がバカなんだからねっ!」
「ふん。ならあんたはアホよ、アホの子よ、アホの子パールちゃんよ!」
「ぬぅ〜っ、言うに事欠いて! バーカバーカ、ベルのかーちゃんでーべそっ!」
「あんたもあたしも、同じやつが創ったんでしょーがっ!」
「あ、そっか」

 頭の悪そうな口論を繰り広げる二人の見た目少女、中身ウン万歳の元カミサマ。
 そんな彼女らを少し離れた場所で見やるのは紅と蒼、二色の結晶を輝かせた計十四枚の白い羽根に護られている姉弟。背中合わせの格好で羽根を球体状に展開、破壊の奔流をものともしていない。
 姉──ルーは、頭痛を感じたようにこめかみに指を当て「あの子たちは……」と、ベルたちの醜態にため息をついている。弟の方はと言えば、ニヤニヤにやけるだけで止めるつもりはないようだ。


「うぅ〜っ、うるさいうるさいうるさい! ここであったが百年目っ、あんたとの因縁、決着つけてくれようぞっ!」
「……いいわ、あたしもあんたのことはつねづね目障りに思ってたのよ。覚悟なさい、パール・クール!」

 威嚇のつもりなのか、大量の魔力を噴出し戦闘体勢に入る大魔王二柱。どちらも額に青筋を立て、ひくひくと表情筋を引きつらせている。

「うわ、やば。──ほらほら二人とも、ちょっと落ち着けって」

 これは洒落にならんと、黒髪の少年が仲裁に入る。後ろにいた金髪の魔王は、止めるなら早く行けばよかったのに、と思ったとか思わなかったとか。
 大幅に戦力を落とした現し身とは言え、仮にも裏界魔王。つぶし合えば……まあ、結果は言うまでもないだろう。

「「うるさい! あんたはすっこんでろ!」」

 今にも爆発寸前にヒートアップした二人が同時に吼える。プレッシャーに、少年がたらりと額に汗を流した。
 実は仲がいいんじゃないか? と益体のないことを頭の端に置きつつ、暴走中の魔王二柱をなだめすかすために無駄に高速な思考で言葉を選び、紡ぎ出す。

「──ったく、みっともないったらないぞ、お前ら。それでも誇り高い裏界魔王か?」

 言いながら、スッと視線を逸らし、肩を貸しあい何とか立ち上がり自分たちを見上げていた命と灯へと送る。

「ぐ……っ」「むー」

 “みっともない”“誇り高い”という言葉に釣られて鼻白む二人。他人の目など気にしない天衣無縫な彼女らでも、こう言われるとやはり少々堪えるらしい。

「でもでもっ、ベルがあたしの悪口言うんだよっ?」
「あんたが先に手ぇ出したんでしょうがっ!」

 と、懲りずに口論を始めた二人。フーッ! と猫のように毛を逆立てて威嚇。
 こいつらは……、と内心で呆れる少年は最後の手段に、月衣に手を突っ込んで何かを取り出した。

「あー、わかったわかった。ほれ、飴玉やるから今は黙っとけ。──どうやら、お客さんが来るみたいだからな」

「お客さんって」「誰よ?」

 差し出された大粒の飴玉──レモンとハッカだった──を手に取りながら、ベルとパールが揃って首を傾げる。


 やや上方、鮮やかな空の色とよく似た青が輝いた。

 光の出所は、虚空に描かれた六芒星の複雑な魔法陣──膨大な魔力と“プラーナ”を内封した神秘そのものである魔王たちは、それが空間を疑似的に繋げるゲートであると即座に見抜く。
 同じく、転送魔法だと判断したウィザードたち。主八界のものではない様式の魔法陣に、新たな敵がやって来たのかと身構えた。

 ──それは半分正解で、半分不正解だった。


 ひときわ眩く輝いた転送魔法から、二つの人影が現れる。

「時空管理局提督、クロノ・ハラオウンだ。大人しく──とはいかないだろうが、事情を聞かせてもらおうか」

 白き魔導の杖を携え、漆黒のローブを纏う青年──クロノが、険しさと厳格さを感じさせる表情で、不敵に微笑する黒髪の魔王を睨む。
 そして、クロノの傍らには白い外套を羽織る黄金の少女──フェイト。漆黒の戦斧を握り、じっと黒髪の少年を見つめていた。

「…………」

 彼女は、ベルとパールに囲まれている少年の様子にひどく不愉快そうに眉をひそめている。
 ある種の敵意のような視線を二人──とくに、親友たちを傷つけた原因であるベル──へ向けるフェイトに、その感情の意味をそれなりに理解していた少年は内心で苦笑した。

「アレがお客さん? ふぅん、こっちの“魔法使い”、か。……ねえ、アル、あたしがアレ、壊してもいい?」

 自分に突き刺さる心地いい敵意と害意にパールの小ぶりな唇が吊り上がる。無邪気に残虐な声を合図に、戦意の昂揚によって漏れ出した魔力が、ジジジ……、と黒い雷となって空気を焼く。
 その、新しい玩具を見つけた子どものみたいなリアクションをするパールに、「パール、あんたって子は……」と呆れたように感想を漏らすベル。彼女はフェイトを歯牙にもかけていないようだ。

「駄目だ。“アレ”は俺のでね──いくらパールでも、それは譲れない」

 黄金色の髪の少女を見上げ、少年が傲然と言う。
 大胆なセリフにぴくりとフェイトの肩が揺れ、陶器のような白い肌がやにわに紅潮する。大事に思っている義妹を“アレ”呼ばわりされ、本人も何故か満更ではないことにクロノがむっと顔をしかめた。

「それって、あたしが他人のモノを奪うのが好きって知ってて言ってるのかなあ?」
「ああ、勿論」

 即答にパールは一瞬きょとんとし、次いで「……ま、いっか」とらしくなく素直に矛を収めた。ただの思いつきだったのか、それとも少年の本気を感じ取り、刃を交えることを避けたのかは定かではない。

「相談は終わったか? なら、こちらに投降して──」
「ベル、パール、お前たちは上の三人と一緒に退け。こちらのお相手は“俺たち”がする」
「──……話は最後までちゃんと聞いてほしいんだが」

 しかめた顔を崩せないクロノが肩を落としてぽつりと呟いた。

「そう。まあ、あたしもこんなナリじゃやる気にならないし、とっとと帰るわ」
「じゃあ、パールちゃん、レンタルしてきたDVDでも見ーよおっと」

 思い思いのセリフを残し、ベルとパールが空間を歪めて消え去る。上空で成り行きを見守っていた三人も後を追って転移。

 残されたのは、二組の“きょうだい”。

「だから、人の話は最後まで聞けと……!」
「に、兄さん……」

 ことごとく自分のセリフを無視されて憤りを隠せないクロノを、フェイトがおたおたとなだめる。そんな微笑ましい“兄妹”を目にやった少年。「ハイそうですかと簡単に捕まってやるわけにはいかないんですよ、提督殿?」とおどけて見せて、蒼白く燃え立つ焔のベールを創り出した。
 戦意を見せた“魔王”に、フェイトとクロノはそれぞれの愛杖を構える。もともと、この場に乱入した時点で戦いは避けられないとわかっていたのだ、覚悟はしていた。

 突き出し、振り抜かれた鉤爪に断ち切られ、焔が四散する。
 命によって斬り裂かれた──傷はすでに癒やされ、塞がっている──黒い制服は、濃紺群青のロングコートへと再構成されていた。

「さて“姉さん”、どっちとやる?」

 不敵に口角をつり上げ、右手で蒼のネクタイを軽くいじって締め直し、傍らに上昇してきた“姉”に問いかける。

「──まったく、しょうのない子ね」

 “姉さん”と呼びかけられ、それ相応の表情と口調に変えたルーは、自由奔放な“弟”の有り様に本日何度目かのため息を零し、育て方、間違ったかしら? と内心でぼやく。

「……なら、私はあの子を相手にしましょう。あなたが見初めた娘のチカラがどれ程のものなのか、“前から”興味があったの」
「さいですか」

「──!」
「来るか……!」

 黄金の美女の挑戦的な瞳が金色の少女を射抜き、漆黒の少年と青年の視線が交わる。

 ミッドチルダ廃棄都市群を舞台とした闘争の第二幕──その火蓋が唐突に切って落とされた。



[8913] 第六話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:f51a2889
Date: 2009/08/30 21:00
 


「灯ちゃん、翠ちゃん!」
「──エリス……!?」

 パールの置き土産のダメージで軽く流血した命の頭に包帯を巻いていた灯が、聞き慣れた親友の声に顔を上げた。

 木の柄に藁の穂という一見ただの箒に見える“箒”──実際には、航空力学などの最先端技術が詰め込まれた高機動を誇る名機である──テンペストに跨ったエリスが一足遅れて現場に降り立つ。
 やや足をもつれさせながら、仲間たちの下に一目散に駆け寄っていった。

「──よかった……みんな無事で。魔王と戦ってるって聞いて、飛んできたんだよ」

 懐かしい──といっても、こちらに来てから半月ほどしか経っていなかったが──仲間たちに会えたことで、緊張の糸が切れたエリスの翠緑の瞳がにわかに潤む。
 責任感の特別強い彼女だが、やはり異世界にひとりというのは心細かったようで感極まって、涙を浮かべてしまう。

「えっ、と、エリスちゃん? シャイマールさんが……あれ?」

 まさかこんなにも早くエリスと再会できるなど、露とも思っていなかった翠は目を白黒させて驚いている。
 どうやら魔王の戯言を真に受けていたようだ。脳天気な翠らしいと言えばらしいが。

「エリスも、無事でよかった。遅くなってごめんなさい……ひとりで頑張ったのね」
「うん……っ」

 相変わらずの無表情で──だが、親しいものならわかるくらいほんのわずかに微笑んだ灯が、親友の苦労を思って労う。
 エリスのつぶらな瞳からぽつりと小さな滴が落ちた。

「ご無事で何よりです、エリスさん。──それはともかく灯さん、命さんが苦しんでいます。早急に救出したほうがいいかと」
「……え?」

 スルガの指摘に包帯片手の灯がきょとんと首を傾げ、視線を追って手元を見る。

「あ、命」
「モゴモゴ、モゴっ!」

 包帯でミイラのようにぐるぐる巻きになった命の姿があった。
 息が苦しいのだろう、包帯を外そうと必死にもがいているが、いっこうに外れない。強化人間の並外れたパワーできつく絞められているのだから当然だ。
 エリスとの再会に気もそぞろだったにもかかわらず、灯の手は器用に命の治療を続けていたようだ。違う意味で悪化させて、命にトドメを指す寸前だったりするが。

 一息ついて。

「……エリス、あの人たちは、何?」

 上空──二柱の魔王と激闘を繰り広げているこの世界の“魔法使い”たちを見上げながら、灯が事情に通じているであろうエリスに問う。
 エリスは軽く微笑み、少しだけ胸を張ると、誇らしげに口を開いた。

「私たちの心強い味方だよ、灯ちゃん」





 光速の砲撃が走り、誘導弾が乱舞する。そのどちらも濃さこそ違うものの、同じく“あお”──鮮やかな蒼空と同じ色だ。
 三日月に似た鋭い光刃と、燃えたぎる灼熱の炎弾が交差。操る者の髪の色と同様に輝く黄金が炸裂し、美麗な華のように彩る。
 色合いの違う二種類四色の光は時折相手を変えて、激しく激突していた。


「──あかん、ふたりとも押されとる。あー、もう、クロノ君、男なんやからもっとガツンといったれっ! ほんと、焦れったいわ。──私らからも援護できればいいんやけど」
「乱戦すぎてムリっぽいな。私たちベルカ騎士は、一対一には強いけど乱戦には向かねえんだ」

 美しくも儚い闘争の光を、やや離れた場所で騎士たちと共に見守っていたはやて。傍らのヴィータが発した正論に押し黙り、悔しそうに唇を噛む。

 本局上層部直々の通達で、正体不明の魔力反応が確認されたミッドチルダ廃棄都市区に急行することに。
 許可の出た転送魔法で一足早く到着したクロノと、付近にいたフェイトに遅れること数分、エリスと共にやって来たはやてたちだったが、時すでに遅く、乱戦模様に手が出せないでいた。

「……」

 ふと、はやての思考に何かが引っかかる。
 まるで喉に残った魚の小骨のような、ちぐはぐですっきりとしない違和感──難しい顔で顎に手を当て、薄曇った違和感を晴らすべく思惟を巡らした。

「──なあシグナム、どう思う?」
「どう、とは?」

 主から投げかけられた主語のない問いかけに、シグナムが怪訝に首をひねる。

「質問に質問で返したらあかんで……というお約束はさておき、ヴォルケンリッターの将としてお偉いさんの思惑をどう見る?」
「“上”の思惑、ですか」
「せや。なんでか知らへんけど、地上本部が関与しようせえへんで、静観してるんや。そのくせ周辺区域の封鎖だけはやけに早い……てか早すぎる。
 その上、私ら──というか、アースラを呼び寄せたんも“りく”からの要請を本局が受けたかららしいし。これっておかしない?」
「……そうですね、それは私も不自然に思っていました。利害の一致、というだけにしてはあまりにも正直すぎる。不可解です」
「だよな。あの“オッサン”がわざわざ本局に助けを求めるなんて思えねーし」

 自らの考えをまとめるかのようなはやての言に、シグナムとヴィータが賛同した。

 本局と地上本部が仲が悪いなどという表現では生易しいほど犬猿なのは、管理局員が皆肌で感じている暗黙の了解だ。改めて説明するまでもない。
 その原因はいろいろとあるだろうが、とにかく縄張り争いをうっちゃって手を取り合うような生温い関係ではないことは確かだった。

「あの“うみ”嫌いの中将さんが本局に手柄譲って……、あまつさえ同調してるような動きを見せるなんて、シャマルの料理が百発百中で成功するくらいあり得へんわ」
「むっ。それはちょっと言い過ぎなんじゃないかしら、はやてちゃん」

 タカ派で有名なミッドチルダ地上本部の某中将と、うっかりで失敗する某軍師を引き合いに出して事態の不自然さを語るはやて。
 自分を比喩の材料にされた件のの軍師──シャマルは、心外そうに頬を膨らませて抗議した。

「だってシャマル、打率三割きってるやん」
「それくらいなら十分レギュラー取れると思うわっ!」
「肝心なところで凡退では使い物にならないな」
「むしろゲッツーじゃねえの? 失敗のレベル的に」

 はやてたちからの容赦のない評価に涙目のシャマル。しゅんと肩を落として「私だって、お料理できるもん」と呻いている。

「エルフィこの前、お砂糖じゃなくてお塩のクッキー食べさせられたですっ」
「それはわりと普通やで」
「えっ、そうなんですか?」

 ヴィータの帽子の上に乗ったリインフォースⅡがきょとんと小首を傾げた。

「談笑しているところ悪いが──」

 脱線に脱線を重ねた会話を咎めるように燻し銀な渋い声が響く。腕を組み、巌のように口を閉ざして戦況を睨んでいたザフィーラが、視線で家族を促した。

「戦闘が終わりそうだぞ」




 □■□■□■




 無数にばら撒かれた爆炎の弾幕を潜り抜け、金色の閃光が魔王に肉薄する。

「疾さはたいしたものね、誇っていいわよ」

 斜めに大きく振り抜かれた雷撃のごとき斬撃。

「だけど──」
「鉄扇!?」

 しかしそれは、閉じたままの扇によって易々と阻まれた。
 キン、と鉄と鉄が打ち合ったような軽い金属音が鳴り響く。

「動きが素直すぎるわ。“あの子”と並び立つには悪くないけど、もう少し虚動を意識なさい」
「……っ」

 まるで諭すような言葉。魔力刃が弾き返され、金色の扇がパンと開く。
 開いた面に豪奢な装飾の施され、先には純白のファーがあしらわれている。裏界最強にして最上の美貌を持つ彼女に相応しい優雅な逸品が、舞い踊るように空を斬った。

 迸る金色の輝きが、体勢を崩し、身体が開いたままのフェイトを襲う。

「う……っ!」

 咄嗟に張られた魔力障壁を犠牲にして斬撃を相殺。濃さの違う、二色の黄金が霧散した。
 優美な仕草で扇で口元を隠したルーが瞳を細め、体勢をどうにか立て直す淡いストレートのブロンドが愛らしい少女を見やる。

「まあでも、変にスレてないお嬢さんっぽいところはかわいらしくて好印象かしら」
「え……、えと、ありがとうございます?」
「ふふっ、礼儀正しいのね。そういう娘、お姉さん好きよ?」

 にこりと微笑んだルー。
 妖艶で、しかしどこかやさしげな眼差しを向けられてフェイトは大いに照れて、「あう……」と顔を真っ赤にした。母性愛を見え隠れさせる艶やかな巻き毛が麗しいブロンドの美女に、“母”の面影を重ねたのかもしれない。

「なに和んでんのさ、姉さん」

 そんな声を空から落としつつ、黒髪の少年が音も立てずにルーの背後へと降り立つ。
 ネイビーブルーのバリアジャケットが一部損傷している。どうやらクロノに手酷くしっぺ返しを食らったらしい。

「あら、普通にお話してただけよ?」
「俺には粉かけてるようにしか見えないんだけど」
「男の子の嫉妬は見苦しいわ」
「うぐっ……。それはともかく、充分遊んだしそろそろお暇しようか」
「劣勢だからって撤退? ちょっと情けないわね」

 さんざん茶化されて少年が不愉快だとむっとするも、姉はクスクスと楽しそうに笑う。いろいろと振り回されていることへの意趣返しも含まれているのだろう。
 端で姉弟のやり取りを見ていたフェイトは、彼の子どもっぽいリアクションに「……かわいい、かも」と密かに感想を零した。

「そうじゃないよ、あまり時間をかけ過ぎると“抑え”が効かなくなるって話。まだ、完全に掌握しきったわけじゃないからね」
「そうね、片手間じゃ“上の方”を唆すので手一杯だったし」

 手勢を使えれば楽なんだけど、とやや疲れたように漏らして言葉を切る。

「というわけで、また──」
「──逃がす訳にはいかない。フェイト、そこから離れてくれ!」

 空間に開いた幾つもの穴を通って撃ち出される、蒼白い砲撃の嵐を巧みに回避し切ったクロノが叫ぶ。
 次いで真白に輝くデュランダル。周囲の空気に含まれた水分が熱を失っていく。

「兄さん? わかったよっ」クロノの意図を汲み取ったフェイトがやにわに回避距離を取る。これから来る“魔法”の範囲の広大さを知っていたから。

「氷結魔法、俺たちを拘束するつもりか」
「なら、私の出番ね」

 りん、と涼やかな音を立てて黄金の七芒星が閃く。
 眩いばかりの金色に囲まれて、金色の魔王がその威容を誇る。発露する力は僅かに一端。しかし、“世界”を揺るがすには十二分の力だ。

「悠久なる凍土、凍て付く棺の内にて、永遠の眠りを与えよ!」
「遙か空に響け、久遠たる奇跡の祈り、その胸に灯せ永遠の炎!」

 空に巨大な氷河が──デュランダルの真骨頂、“闇”すらも封じる完全凍結魔法が生まれた。
 空に巨大な魔法陣が──パールの力任せとは違う、完全無欠に制御された空間爆砕魔法が広がる。

「「エターナル!」」

 同音同意の祝詞。
 氷河が蠢き、法陣が輝く。

「コフィン!!」「ブレイズ!!」

 あらゆるものを凍てつかせる絶対零度の青と、あらゆるものを焼き尽くす煉獄灼熱の金が同時に炸裂した。







 凍結魔法と爆砕魔法がぶつかり合って生まれた大量の水蒸気が晴れる。そこに、黒髪と金髪の魔王の姿はない。

「逃げられちゃったね、兄さん」

 悔しさをにじませた兄の横に、金砂の髪をなびかせた少女が浮遊する。
 その表情は、魔王たちを逃がしてしまったというのにどこかにこやかで、鈴を転がしたような声には彼女の胸の内側──魂に刻まれた“何か”が、ほのかな喜色となって込められていた。

「ああ……。だが、手掛かりがなくなった訳じゃない」

 妹の言葉を受け、眼下の来訪者たちに視線を送った彼は、さざ波立った感情を抑えるべく厳格さと強い責任感の帯びた瞳を、ゆっくりと閉じた。



[8913] 第六話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:f676cb3c
Date: 2009/07/25 21:00
 










  第六話 「背中合わせのエトランゼ」











 地上本部関連の医療施設──ユーノの入院先とは別だ──の一角、休憩室。

 エリスの仲間だという四人は、みんなケガをしていたのでこちらに移送した。
 いまは治療も終わり、エリスを囲んで再会を喜んでいる。
 つもる話もあるだろうからと、私とはやては離れたところでその様子を見守っていた。折を見て、兄さんから任された事情聴取について切り出そうと思う。

 ちなみにだけど、自己紹介はもうすませてる。
 緋色の髪がきれいで不思議な感じがする人が灯で、碧いポニーがよく似合ってる元気な人が翠。それから、柔和でなんだか頼りなさそうなのが命、背が高くてちょっと近寄りがたい感じがするのがスルガだ。

「……な、なんや、めっちゃけしからんもんが四つも並んどるっ。まさにパラダイスやっ」

 はやてがわなわなと震えながらそんな女の子らしくないことを言った。
 あ、両手をわきわきさせてる。
 ……まあ、たしかに灯も翠もかなり大きい──シグナムよりあるかも? ──とは思うけど。
 放っておくとそのまま突撃してしまいそうなので、たしなめよう。

「だめだよはやて、ちょっと空気読もう」
「のあっ!? フェイトちゃんにそんなこと言われる日が来るとは、夢にも思わんかったわ」
「……それってどういう意味?」

 なんかバカにされた気がするんだけど。
 ジト目で睨んでみると、はやてがあははと快活に笑った。

「フェイトちゃんはおぼこでかわいらしなぁ、って意味やで〜」
「そ、そうかなあ」
「そうやそうや」

 にっこり笑うはやてにつられて私の表情も緩む。
 かわいいって言われてうれしくない女の子なんていないよね。……そういえば、あのブロンドのすごく美人な女性ひと──ルー・サイファーだっけ──もかわいらしいって言ってくれたけど、どうしてそんなに私に好感を持ってるんだろう? もうあんまり違和感を感じなくなってきた私自身の気持ちも不思議だけれど。

 ……うん? って、あれ、私ごまかされた?

「はやて、いま──」

 ごまかしたでしょ? と追求しかけたとき、ゾクッと得体の知れない悪寒が背筋に走る。肌がぞわりと粟立った。
 はやても感じたのだろうか、ばっとほとんど同時に振り向いた。

「な、なんやあれ……」

 エリスの座っている方から毒々しい紫色の煙が、もわもわと立ち上ってる。
 うっ、すごい異臭が……。

「あわわわっ、今回のはいつもよりパワーアップしてますよっ!?」
「──命さん、申し訳ありません。僕は撤退させてもらいます」
「ちょっ、薄情者っ!」
「すみません。まだ、死ぬわけにはいきませんから……」
「シリアスな顔で洒落にならないセリフ言わないでくれるかな!?」

 あっちはとても慌ただしい。
 興味をひかれたはやてがてててっと近寄ったので、私もおっかなびっくりついていく。

「なんや楽しそやなあ。なに騒いでるん?」
「あ、はやてさん、えーと……」

 困ったようにエリスが苦笑い。
 若干及び腰になっているみんなの顔は、灯以外、一様に引きつってた。とくに命なんか青ざめて脂汗をだらだらと流してたりして。
 その中心には、テーブルにでんと置かれた強烈な存在感を醸し出す“ナニカ”。

「私の手作り弁当よ」
「……お弁、当?」

 これ、が? ……なんていえばいいんだろう。銀色の容器に紫だか緑だか赤だかのよくわからないものがいっぱいに詰まっている。
 ポコポコと不気味に泡立って、うごめいてるようにも見えるし……ほんとに食べ物?

「あ、灯ちゃん、料理がちょっとニガテというか……。し、失敗しちゃったんだよね? ね?」
「そんなことない。これが私の全力全壊」

 抑揚のない声。私のちょっとトラウマなセリフに、思わずびくりと身構えてしまった。……ごめんね、なのは。

「漢字が違いますよっ!?」
「それはメタやで〜」
「意味合い的にはむしろ正解のような気もしますが」

 軽快なかけあい。
 というか、会話に何気なく混じっているはやてはいったいなんなんだろう。数年来の親友だけど、近ごろのテンションにはついていけない。

「というわけだから約束通り、あーん」
「う……っ」

 灯が食べ物にはけして見えないナニカをスプーンでよそって、命の口元に差し出す。
 彼女の瞳はどこか艶やかに潤んでいて、同性の私でもドキッとしてしまうほどだった。

「ぐ、ぐぐっ……、あーん」

 うわぁ……ほんとに食べちゃった。

「おいしい?」
「おっ、おい、しい……よ、あかりん」

 ぷるぷる震えてながら、命がぎこちない笑顔を浮かべた。
 すごい。こういったら失礼かもだけど、あんなものを食べて笑えるなんてちょっと尊敬。
 あと、はやてが「世の中にはあんな恐ろしいもんがあるんやな……。シャマルイジるのやめとこ」なんて言ってる。

「よかった。もっとあるから食べて」
「っ……、いっ、いただきますっ!!」

 すごいね、すごくガッツがあると思うよ。

「灯ちゃんと命君、恋人同士なんです」
「この間、やっと一緒にいれるようになったんですよ。長かったんです……、ほんとうに」
「人に歴史あり、愛の力やねえ」

 青……じゃなく、土気色の顔でガツガツとやけくそ気味に、お弁当──らしき物体をかき込む命を見ながら、はやてがしみじみと感想をこぼした。

「恋人……、か」

 とても甘くて、きれいなコトバ。
 それがゆっくり胸に染み渡ると、奥の方にずきり鈍い痛みが走った気がした。悲しくて、苦しくて、辛くって、寂しくて……そんな痛みだ。
 心の奥の奥──すごく深いところがざわざわとざわめいて、私になにかをしきりに訴えかける。
 忘れてしまった、だけど、忘れちゃいけなかったはずのたいせつな────

「フェイトちゃん、ぼけーっとしちゃってどうしたん?」
「え……っ? あ、ううん、なんでもないよ」

 心配そうなはやての顔が視界いっぱいにあってびっくり。慌てて取り繕う。
 はやては「ふぅん……」と目を細めて、ワルそうににやりと笑い、

「私はてっきり、自分も彼氏ほしいなあ、とか思ってたんかと」

 と言ってのけた。
 どうしてだかわからないけど、すごく恥ずかしくて。かあーっと頭に血が上る。
 こんなところでそんなこと言わないでよっ。
 ああ、ほら、みんななま暖かい視線で私を見てるしっ!

「ちがっ、違うよっ! はやて、なに言ってるのっ!?」
「ふふん、せやろなあ。フェイトちゃん、私らの中では一番興味なさそうなタイプやし。いや、興味ないふりして避けとるんかな?」
「……そ、そんなこと──」

 返す言葉が思いつかなくて、口をつぐむ。
 ケラケラと楽しそうな笑顔をするはやてを、恨めしく見つめてみても柳に風で。このままじゃはやてにいいようにイジられるだけだ。
 どうしよう、なんとかしなきゃ……。
 まごまごと悩んでいると、ぷしっと空気の抜ける音を立てて談話室の自動ドアが開いた。

「あ、兄さんにエイミィ」
「……ああ、フェイト」

 入ってきたのは兄さんとエイミィ。なんてタイミング、これは天の助けだ。
 ……あれ? 兄さんなんだか眉間にしわを寄せちゃって難しい顔してる。エイミィも、若干挙動不審な感じだ。

「どうしたの、ふたりとも」
「少し、いいだろうか。一つ聞きたいことがあるんだが」

 私の問いには答えず、兄さんはエリスに声をかける。その声色はどこか深刻だった。

「はい、なんでしょう?」

 愛想のいい面差しでエリスが続きを促す。
 言いづらそうに、一拍間をおいて、兄さんが口を開いた。

「“君たち”は本当に人間か?」
「──!!」
「兄さん、なにを──!」

 灯とスルガを見ながら発せられた、不可解な言葉。
 私は目の前が真っ赤に沸騰するのを感じた。

「フェイトちゃん、落ち着いて。クロノ君も、理由なしに言ってるわけじゃないんだよ」
「でも……っ」

 エイミィになだめられても、私の手を放れて好き勝手に暴れ回る気持ちは、ぜんぜん落ち着かない。

「すまない。君たちを簡易的にだが検査させてもらった」
「担当官からの報告なんだけど、二人とも人間には思えないって。灯ちゃんは人間の身体にはない物質がたくさんで、スルガ君に至っては構造自体別物だって……」
「検査って……」

 エリスが不快そうに表情をゆがめた。翠と、それからいつの間にか復活した命が、二人をかばうように前に出る。

「本当にすまないと思ってる。立場上、簡単に流すわけには訳にはいかなかったんだ」
「ごめんなさい」

 兄さんとエイミィが揃って深々と頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。

「いえ、そう言ったことも配慮しておく必要がありましたし、こちらの手落ちですから。……その通り、僕は所謂“人造人間”──生体兵器です」
「私は、薬物やインプラントで強化された人間よ。“キリングマシーン”と呼ぶ人もいるわ」

 腕を銃器みたいに変えて見せるスルガと、どこか機械的に抑揚なく答える灯。どちらも、ただの事実と言うように包み隠さず自分の生まれを淡々と語る。


 ──人造、人間……。


 私、動揺、してる?
 気づいたら、両手が小刻みに震えていた。

「人造人間……。君たちの“世界”では一般的なのことなのか?」
「ええ。少なくても、ウィザードとしては珍しくないわ」
「僕のように自分の意志で組織の一員として戦う者もいれば、学生に混じって普通に生活する人もいます。もちろん、そうでない人もいますが……それはごく一部です」

 動揺を自覚すると、どす黒い濁った感情が底からドロドロと止めどなくあふれてきて。

「あの……」

 理性は押し流されて、代わりに首をもたげる疑問。

「ふたりは、自分の生まれのこととか、どうも思ってないの?」

 私の“事情”を知る、兄さんやエイミィ、はやてが息をのむ気配を感じる。
 自分でも、とても失礼な質問だったと思う。だけど、訊かずにはいられなかった。

「僕は、この造られた命に誇りを持っています。誰かを守り、誰かを救う──そう造られたからじゃない、僕が僕自身に科した生きる意味です」
「この力のおかけで、命やエリスに出会えた。これは私の一部、感謝することならあっても疎むことはないわ」

 答えは真っ直ぐで、淀みない。
 私には、なぜかふたりがとてもまぶしく見えた。

「あかりんもスルガも、僕らの大切な仲間です。もしも、危害を加えるつもりでしたら……」

 じり……、と後退しながら命が警戒感を露わにして兄さんを軽く睨む。
 高まる緊張。今にも戦いがはじまってしまいそうな雰囲気だ。
 強い眼光をじっと見返して、兄さんが静かにため息をもらした。

「……そう身構えないでくれ。心配しなくていい、管理局はそれほど傲慢な組織じゃないんだ。この件は僕の胸にだけ仕舞っておく」

 部屋いっぱいに詰まっていた痛いほどピリピリした空気が、ゆっくりと拡散する。
 兄さんと命の睨み合いを見守っていた私たちは、みんなほっと胸をなで下ろした。

「クロノ君、成長したねー。えらいえらい」
「エイミィ、いい加減子ども扱いするのはやめてくれないか」

 おどけたようになでなでとなでるエイミィと、なでられてぶすっとしてる兄さん。
 最近はあんまり見なくなった光景だ。……なんでかは知らないけど。

「こほん。……それで君たちは、こちらの味方──助っ人と思っていいんだな?」
「はい、もちろん」

 命が爽やかに微笑んでで手を差し出す。兄さんは一瞬ためらって、それから「よろしく頼む」と握り返した。

「……」

 そうして、話し合いはたぶん、丸く収まった。
 でも────私の心は、暗く曇って晴れない。それはまるで、鈍色の雲が覆い隠した冷たい冬の雨空のように、陰鬱だった。



[8913] 第六話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:39a503c9
Date: 2009/07/27 21:15
 


 どこからともなくやってきたぶ厚い灰色の雲の壁が、青かった空を覆い隠している。雨は降らないと天気予報で言ってたけれど、実際のところはどうなるかわからない。

 一抱えはある花束を二つ抱えて、私はきちんと掃除の行き届いた真っ白な石畳を一歩一歩確かめるように歩く。
 服装はいつもの執務官用の黒いスーツ。“この場所”には、これが一番ふさわしいと思うから。

 前触れもなく訪れた強い風。
 私は立ち止まり、あおられる前髪を右手で押さえつける。
 その間にも気まぐれな風は好き勝手に吹き荒れて、ざざあ……っ、と匂い立つくらいに青々とした芝生のカーペットを手荒になでていく。遠くで、針葉樹の防風林が幹と枝をしならせて大きく揺らいでいた。

 いたずらな風が過ぎ去る。
 花束がどうにもなってないことにほっと安堵した。
 白いセロファンで束ねられた花束には、華やかな色のものがほとんどない。あまり派手なのはふさわしくないと思ったから、選ばなかった。
 どの花も質素で、慎ましやかで、奥ゆかしくて……でも、それでいて誘うような甘い蜜の香りを忘れない。ひとつのことでいっぱいいっぱいの、不器用な私にはマネのできない──そんな花たち。

 歩みを再開する。
 視線の先に、上の部分が緩いカーブを描く白い石碑が、規則正しく並んだ光景が見えはじめた。芝生の青と、木々の緑と、石の白と──一見、きれいに整ったコントラストはどこかもの悲しくて。
 きっとそう感じるのは私自身の心境が影響しているんだと思う。


 場所はクラナガン近郊、小さな、ほんとうに小さな墓地。
 ────ここは“母さん”と、“私”が眠る場所だ。




 あのあと、私は兄さんたちに断りもせず、逃げるようにして施設を抜け出した。

 逃げ出したのは、灯とスルガを見ているのが辛かったから。
 自分とは違うんだって────弱くて、情けなくて、甘ったれで、いくじなしだってまざまざと突きつけられているようでいたたまれなくなったからだ。


 そうして、私はプレシア母さんとアリシアの眠る場所にやってきた。
 悲しいことや、悔しいこと、辛いこと、苦しいことがあったとき──心が折れてしまいそうなとき、私は決まってここに来る。
 時の庭園が虚数空間へと崩落するとき、プレシア母さんが“遺していった”言葉を思い出すために。諦めかけてしまう気持ちを叱咤して、無様でもあがき続けるために。
 ──ひとりでもがんばれるって、自分自身に証明するために。

 ほんとは生まれ故郷──と言えるかどうかは定かじゃないけど──のアルトセイムに二人のお墓を置きたかったのだけれど、あそこはミッドチルダの辺境で、こうして訪れるにはちょっと不便だったからここにしてもらった。いつか、いろいろと落ち着いたときに移すつもりだった。

 でも、その日が来るのはいつのことになるのだろうか。なにせ、こうして今日も女々しくすがりに来てしまうのだから。


 墓地の奥まったところにひっそりと立つ、母さんとアリシアの──中身のない空っぽなお墓が見えてきた。

「あれ……?」

 進む先、ふたつ寄り添うように立ち並んだ石碑の前に、先客の姿がある。背が高い、男性?
 黒革のジャケットの襟から覗く青いフード、白いパンツというラフな格好だ。
 ややうつむき加減の後ろ姿から、黙祷しているの、かな。「私以外がお参りなんて、誰だろう」そういぶかしむ私の胸が唐突に高鳴った。
 近づく気配に気づいたのだろう、“彼”がゆっくりと振り向く。

「──や、“魔導師”のお嬢さん。奇遇だね」

 強烈なデジャヴ。
 深い夜闇のように黒く、艶やかなくせの強い髪を緩やかな風に流し、真っ蒼な海原を思わせるきりりとした瞳は濁りのひとつもなく澄んでいて。
 男性と男の子の境目をたゆたう面差しはふてぶてしく、それでいて繊細に見えた。

「ぁ……」

 自分でもびっくりするくらいに色っぽい声が口をつく。う……、顔がほてってる。
 頭の中が混乱を極めていても、私の視線はきれいなアースブルーから離せない。

「ッ!」

 “彼”とは敵対している関係なんだと我に返って、待機状態のバルディッシュをスーツの内ポケットから取り出す。
 魔力を一気に練り上げて、セットアップを────

「ここで戦うつもりか? この墓には君の“大切な人たち”が眠っているんだろう?」

「──っ」

 そうだ、そうだった。
 母さんとアリシアが眠るところで戦えるわけがない。戦意が急速にしおれていくのを感じる。
 だけどこちらが戦えなくても、“彼”はそうじゃない。
 そうじゃないんだけど──

「心配するな。眠れる死者の魂を──命を冒涜するような真似、嫌いなんだ。今更な綺麗事、だけどな」

 心の懸念を読んだみたいに──顔に出ていただけかもしれないけど──“彼”が言う。付け足されたシニカルな言葉は自嘲、なのだろうか。

「どうして、ここに?」

「俺は神出鬼没が信条でね」

 捕らえどころのない笑み。

「君を待っていたのかもしれないし、ただ墓参りに来ただけかも知れない」

 相変わらずの要領を得ないあやふやな物言いに、知らず知らずのうちに眉間に力が入ってしまう。

「それ、答えになってないよ」

「俺のことはいいじゃないか。それより、ここへ何をしに来たのか思い出してみるといい」

「あっ」

 はたと気づいて、足元のお墓に視線を向ける。
 母さんとアリシアの名前が刻まれた白い石碑に手向けられた、放射状のスカーレットとピュアホワイトの花弁を咲かせる小さな花々。
 リコリス──彼岸花。珍しい白いものまであった。
 花言葉はたしか……“悲しい思い出”“また会う日を楽しみに”、それから──“想うのはあなた一人”。

「……手向けの花、これくらいしか思いつかなくてね」

 “彼”が軽く苦笑した。
 男の子だから、お花とかのことにはあまり詳しくないのかもしれない。
 それがなんだかおかしくて。

「……?」

 頬をほころばせた私に、“彼”は不思議そうに首を傾げる。それから、すっと何気ない動作でお墓の前から数歩下がった。
 場所を空けてくれたのだとわかったので、ちょっとあわて気味に開いたスペースに進み出る。
 膝を屈めて、抱えていた花束をリコリスの隣りにそっと手向けた。

「……母さん、アリシア。また、来ちゃった」

 届くはずのない言葉で呼びかけて、目をつぶる。



 ────私は、私が考えている以上に生まれのことを引きずっていたみたいだ。だから、あんな失礼なことを聞いてしまった。


 人造人間、強化人間──人造魔導師として生を受けた“フェイト・テスタロッサ”に近しい存在。
 だけど、彼らは“望まれて”生まれた。
 私とは、違う。
 正確に言えば私も“望まれた”のだろう。
 だけど、母さんの期待には添えなかった。私が出来損ないの欠陥品だからだ。

 振り切ったつもりだったのに、割り切ったつもりだったのに。
 私が“彼女”になれるわけないのに。

 自分と似た生い立ちの、“弟”みたいに思っているあの子を気にかけて、後先考えずに後見人を買って出でてみたり。身よりのない子たちを何くれとなくお世話をしてみたりしたのも、今ではただの代替行為にしか思えない。

 “代替物”にすらなりきれずに捨てられた人形が、生みの親の“代替物”を求めてるなんて、どんな皮肉だろう。

 私、バカだ。誰も“母さん”の代わりになるわけないのに。

 もちろん、リンディ母さんのこともたいせつだって、家族だって想ってる。想ってるんだけど────


「ぅう……っ」

 嗚咽が漏れる。
 全身から力が抜けて、ぺたりとへたり込む。

「う、ぁ……」

 堰を切ったみたいに涙があふれてくる。
 両手で顔を覆って抑えようとしてみても、それはぜんぜんできなくて。

「ふぇ、っ、ひっぐ……」

 あとから、あとから、途切れることなく涙がこぼれる。
 寒い。
 ココロが寒い。カラダが震える。
 奥の方から音を立てて凍っていくみたいだ。


 ──寒い、よ……。


 負の感情が広がって、真っ暗な闇を作っていく。そこに光はどこにもない。

「あ……」

 不意に、頭の上に大きな手のひらのが乗せられた。
 まぶたを開けて、顔を上げる。
 目の前には膝を立てて、私と目線の高さを同じにした黒髪の、敵対しているはずなのに、敵だとは思えない不思議な男の子。
 そのひとがやさしく、すごくやさしく笑ってた。

「──がんばったんだな」

 ただ一言。
 たったそれだけで、私のココロを長い間覆っていた暗雲は吹き飛び、寒々として震えていたカラダの芯からあったかくなる。
 それはまるで春の雪解けみたいに、私の気持ちを穏やかにしていく。

「──っ!」

 私は、よくわからないうちに“彼”の胸に飛び込んでいた。

「わっと、……ったく、しょうがないな」

 呆れたような、でも、どこか嬉しそうな声。少しだけためらうようして、背中に両手がかけられた。
 そして、ぎゅっと強く、大胆に“彼”の胸の中に抱き寄せられて。

 見た目よりもずっと厚い“彼”の胸板と、私の身体に挟まれたペンダントがドクンと脈打って熱を帯びる。

 その瞬間────、私の中のなにかがカチリと組み変わった。

 ……ううん、違う。“元に戻った”んだ。

 欠落していた記憶に刻まれたたくさんの想いがこみ上げる。
 あったかくて心地いい、言葉にできない想いで胸がいっぱいになる。
 切なくて、苦しくて、うれしくて、恋しくて。失くしていた間の時間、そのすべてに価値なんてないって思えてしまうくらい愛しい。


 ──そっか、そうなんだ。


 子どもの頃からちっとも色の変わらないボサボサの黒い髪と、冷たいように見えて、ほんとはとっても暖かい蒼い瞳も。
 成長して、ちょっとだけ男らしくなった──でも、イタズラっ子みたいな子どもっぽさも残した面立ちも。
 ぜんぶ、“懐かしい”。
 一目見て、何度も出逢ううちに惹かれていったのも、当然だ。

 名前を呼んでもらえなくてイライラしたことも、どうしてか理解できる。
 第22管理世界で出逢ったとき、“フェイト・テスタロッサ”とだけ名乗ってしまった理由も、いまわかった。

 私は“彼”を──、愛してるって言い残して消えてしまった“彼”を、無意識のうちに求めてたんだ。

 もうなにもかも、ぜんぶ思い出した。取り戻した。






 ああ、そうだ……、このひとは、私の────







「ふ……、ふぇ……」

「──え?」

「ふぇえ、ええええん、ぅえええええん」

「ちょっ? ほ、ほら、もう大丈夫だから……泣かないで」

「ぐすっ……ぅ、うぇええええん」

「……まいったな」

「ふええぇぇえええん、うわあ――ん」


 愛しい温もりと懐かしい匂いに包まれて────、私は六年間、溜めに溜めていた気持ちを吐き出すように、心ゆくまでめいっぱい、子どものように泣きじゃくった。

 けれど、この涙は悲しいから流してるんじゃない。
 うれしくて、泣いてるんだ。



[8913] 第六話‐5
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:e607fa0a
Date: 2009/08/02 20:56
 


「落ち着いた?」
「……うん、ごめんね。ありがとう」

 分厚い曇天の下、金色の少女と黒色の少年が向かい合っている。時空管理局に籍を置く魔導師と、異界より来訪した魔王──今は敵対する間柄であるというのに、二人の間に流れる空気は驚くほど穏やかだ。
 先ほどの醜態を思い返し、少女が頬を赤らめて恥ずかしそうに身を縮めれば、あの雨の夜のように感情に身を任せてしまったことを悔いているのか、少年がばつが悪そうに頬を掻いて目を泳がせる。

「……」「……」

 緩やかな沈黙。対照的な二色の双眸が絡み合う。
 少年は、自らに送られる紅玉の眼差しに込められた感情の質が、今までと違っていることに気がついていた。
 戸惑いではなく理解。警戒ではなく恋慕。──神話に登場する女神にも見劣りしないほど美しく成長した容貌は、純粋でひたむきな愛情で満ち溢れている。

 やっと思い出してくれたのか、と密かに胸を熱くした少年だったが、当初の予定通り自分から歩み寄る気はない。今までも、意味深な言葉を吐いてちょっかいを出す程度で自制している。豪放磊落に見える彼であるが、公私をきっちりわける分別も持ち合わせているのだ。

 ともあれ、それを一時的に曲げて涙する少女を慰めたのは、それだけ彼女のことを心から大切に想っていた故だった。


 居心地のいい静寂。
 崩してしまうのはもったいないけれど、と少女は胸中で決心し、意識して硬い表情を作り口を開く。

「あなたたちは、“冥魔”を倒すために動いているかもしれないってエリスが言ってた。それは、本当?」

 長い間引きずっていた暗鬱とした雰囲気を拭い去り、内に秘めた凛とした美しさを開花させた少女は、管理局の執務官として不敵に微笑む少年へ疑問を投げかけた。
 彼女にも、少なからず意地がある。言いたいことを全部言うまで甘えてあげないんだもん、とつんとすまして健気に振る舞っている。
 本心は、今すぐ首根っこに飛びついて思い切り甘えたい。だが、それを我慢出来るくらいには少女も成長していた。


 向き合う二人の気持ちは同じだ。──まだ全て終わったわけじゃない、と。


「ああ、その通りだ。……志宝エリスを引き合わせたのは正解だったな。うまく踊ってくれているようで安心したよ」

 そんな彼女の想いを知ってか知らずか、不敵に飄々と少年が言葉を紡ぐ。

「なら、みんなで一緒に力を合わせて──」

 ぱっと少女の表情が明るくなった。
 だが、それも長くは続かない。

「無理だな」
「……どうして?」
「大層なものじゃあないが、俺たちにも“譲れないもの”がある。君なら、わかるだろう?」
「っ、でも」
「君はこの“世界”を守る管理局に所属する執務官。そして、俺はこの“世界”を侵略しようとしている悪い大魔王──お互い、闘争以外に取る道はないさ」

 持って回った、それでいて茶化したような言い回しに隠れた確固たる意志をくみ取り、少女が説得は無理だと悟る。形のいい眉が悲しそうにしゅんと落ちた。
 きわめて冷たく──あくまでも彼女の主観では、だが──振る舞ってはいるものの、やはり少年と敵対しているのは辛いのだろう。

「それに──」

 何かを言い掛けた少年が、一転、厳しい顔をして「チ……」と小さく舌打ちした。

「え……?」

 突然、二人の周囲を取り囲むようにどす黒い瘴気の柱が、大地を割って吹き出す。

「俺の話はまだ終わってないってのに無粋だな。場所を弁えろよ、阿呆共──といっても無駄か。だからお前らは嫌いなんだ」

 少年のぼやきを合図に、瘴気の中からずるりと異形の軍勢が姿を現す。
 原形質の頭部を持つヒトガタの結晶体に、複数の頭を持つ無機質の蛇。無数の触手を生やす無機質の身体で構成された魚のようなバケモノ。うねうねと粘着質の身体を粘つかせるスライム状の物体。
 巨大な粘性の身体を蠢かせ、人の手足にも似た腕を持つ怪物。瞳のない、黒い煙を吹き出す四足獣。結晶質の体内に、脳髄のようなモノを持つ巨大なヒトガタ。
 多種多様、いずれも常人なら吐き気を催し卒倒しかねないほどに醜悪な姿の存在。生きとし生けるものを怨み、憎み、嫉み、滅ぼさんとする破滅の尖兵。

「こ、これ……」

 数え切れないほどに溢れ出したバケモノのあまりの醜さに、少女が身体を僅かに強ばらせる。

「“冥魔”だよ。雑多な雑魚の群れに、よどみの沼、無明の獣魔と闇黒晶魔──大物まで揃えてわざわざ俺を潰しに来たみたいだな。まったくご苦労なことだ」

 きん、と音を立てて紅の結界が広がり“冥魔”を現実空間から隔離した。
 蒼銀の光焔を巻き起こし、紺青の戦装束を創り出す。ばさりとコートの裾をはためかせ少年は身を翻す。

「君は下がって見ているといい」

 左手でネクタイを軽く弄り、右手で側の空間に広がった小さな波紋──月衣から“箒”を引き抜いた少年は肩口から背後を窺う。
 そこには金色の雷光を迸らせ、漆黒のドレスと純白の外套を纏う少女の姿があった。

「……何のつもりだ。まさか、一緒に戦うだなんて言わないだろうな」

「そうだよ」

「……俺と君は敵対しているというのに?」

「うん」

「また──いや、確実に、君は俺と戦うことになるんだぞ?」

「それでも、だよ。あなたが敵だとしても、もう一緒に戦うって決めたんだ」

 金色の大鎌を油断なく肩に担いだ少女は、少年に背を向けたまま決然とした口調で言葉を紡ぐ。
 それはいつか“彼”が“母”と交わした問答。会話の細部は違うものの、少女の答えは“彼”と同じだった。

「──私自身が、あなたを助けたいと思った。理由は、それだけで十分だ」

 ふと、背中合わせの少年が笑みを零したような気配を少女は感じた。

 待ちきれないと異形のバケモノどもが怖気をふるような唸り声を上げる。
 ──“目障りな魔王の五臓六腑を抉り出し、八つ裂きにしやろう!”
 ──“その柔らかな血肉を蹂躙し、陵辱し、喰い尽くしてくれる!”
 そう言わんばかりに“冥魔”が盛んに吼え猛った。

「フッ……、なら、足手纏いにはなってくれるなよ」
「あなたの方こそ、遅れないでね」

 互いを煽るように言葉を交わし合い。
 ────別かたれていた翼が今、再び大空を舞う。




 □■□■□■




 魚類に似た“冥魔”──闇魚が、稲妻のごとき斬撃に寸断され、細斬れになって霧散する。
 無数の頭かしらをうねらせる蛇の“冥魔”──闇蛇が、蒼銀の光芒に巻き込まれ、ダース単位で消し飛ぶ。
 魔力を込められて長大化した金色の大剣が、奇形の四足獣──無明の獣魔を一刀の下に斬り裂いた。
 銀色の雨を降らせて対抗するスライム状の巨大な“冥魔”──よどみの沼とお供のスライムは、天から降り注ぐ裁きの光の驟雨で一緒くたに駆逐された。

 金色の魔導師と黒髪の魔法使いは、お互いを庇い合い、フォローし、時には息を合わせた絶妙なコンビネーションを魅せる。
 獅子奮迅。“冥魔”の軍勢は急速にその数を減らしていく。

 縦横無尽に天翔る一対の比翼に向かって、“冥魔”たちが各々が備える魔法を撃ちかける。

 七枚の“羽根”が組み合わさって完成した白亜の大楯が、魔法の全てを完全無欠に遮断した。

「トライデント!」

 楯の奥から、何かが稼働する機械音と少女の可憐な美声が飛ぶ。弾かれるようにして少年が分離した“羽根”を連れて離脱。
 大楯に隠れていた少女の突き出す左手を基点として、金の魔法陣が広がる。

「スマッシャーッ!」

 円状魔法陣の中心から一本、続いて上下に枝分かれして三叉槍状に発射された光芒が、ひときわ大きな結晶体のヒトガタ──闇黒晶魔の胴体を突き穿つ。三叉槍が結合、反応し雷撃を伴う大爆発を引き起こした。

 わだかまる爆炎の中から進み出た闇黒晶魔が、大きく損傷した透明な躯を激しく明滅させ、お返しとばかりに閃光の魔弾を少女に撃ちかけようと腕を掲げる。
 少女は技後硬直で咄嗟に動けない。だが、その表情に恐怖などなかった。
 なぜなら、彼女はひとり戦っているわけではないから。
 “彼”と共に戦っていて、自分が負けるはずがないのだ。
 その期待通り、横合いから紺青の影が遮るように躍り出る。──たったそれだけで、“冥魔”の動きが留まった。

「邪魔だ」

 無慈悲な一言。しゅんと蒼白い魔力の刃を纏った長剣が露を払うように振り下ろされた。
 ピシ、と闇黒晶魔の体躯がズレる。
 太刀筋すら見えない、魔技とも呼べるまで昇華された恐るべき早業で、闇黒晶魔の巨体は真っ二つに両断され、上半身と下半身は見事泣き別れとなった。

 黒い砂と化して消滅する“冥魔”には目もくれず、少年はとん、と軽い足取りで大地を蹴って飛び上がり、少女と背中合わせの位置で停止する。
 周囲と眼下には未だ勢いの衰えない“冥魔”が蠢く。

「一気に蹴散らす! 行くぞ!」
「うんっ!」

 少年のいささか強引な指示に応え、少女が楽しそうに破顔した。ほぼ同時に、ふたりの魔力が練り上げられる。黄金に輝く光の剣が天空に掲げられ、蒼銀に煌めく切っ先が大地を指し示す。
 りんと涼やかな音が鳴り、二色の魔法陣が彼らの足下に描き出された。

 闇よりなお暗き漆黒の塊が刃先に発生。混沌を司るマイナスのエネルギーを広げ、圧倒的な重圧で敵を圧殺する闇黒魔法が──
 灰色の雲が俄かにざわめく。雷鳴轟き、多数の稲光が迸る。元となった儀礼術式を簡略化、範囲を限定した召雷魔法が──

 ──その力を解放した。

「ダーク!」「サンダー!」

 暗闇の塊が爆発的に拡大し、幾条もの雷光が空から落下する。
 着弾を待つだけの“冥魔”たちに逃げる術などない。

「「フォールッッ!!」」

 少年と少女の砲哮がひとつとなり、重力と雷撃の嵐が“落ちてくる”。
 超重力の闇黒が大地を覆い隠して“冥魔”の全てを押し潰し、高電圧の稲妻が天空から降り注ぎ“冥魔”の全てを撃ち貫く。
 断末魔の悲鳴を上げ、“冥魔”の軍勢は、数分も経たぬ間に塵芥へと還っていった。






 月の匣は解かれ、墓地は再び静寂に包まれる。
 少年の左手が長剣の刃に残った露を払う。少女が漆黒の戦斧を軽く抱きしめた。
 微風が、沈黙し、向かい合ったふたりの頬を優しく撫でた。

「やっぱり、協力しよう? その……なのはとユーノのこととか、あるけど……、あなたと私ならできるよ、ね?」

 やや上目遣いで、少女が懇願する。

「残念だけど手遅れなんだ」

 遠くに見える超高層ビルを見やり、少年が心から残念そうに瞳を閉じた。
 刹那、遠雷のような地響きが大地を揺るがす。

「!!」
「──ベルの奴、始めたか」
「はじめた、って……?」

 意図がわからず、少女がぽやっと首を傾げる。

「“世界”の中心──あらゆる感情が集まる場所であるこの次元を、根付いてしまった“冥魔”ごと破壊する。それで奴らも大人しくなるだろう」
「っ、そ、そんなっ!!」

 それを肯定するように、彼女を呼び出す念話が届く。
 正体不明の光の柱がクラナガンに現れた、と。

「ちまちま病巣を切り取ってるんじゃ埒が明かない。それに、俺の連れは気が短い連中ばかりでね」

 血相を変える少女へ、少年はポーカーフェイスでさもどうでもいいと言い放った。

「ッ──!」

 形のいい薄紅の唇が強く噛みしめ、少女はその紅の瞳をキッと鋭くさせる。
 彼女の内心では、理性と愛情が複雑に入り乱れている。だが、激しく渦巻く寂寞の想いをねじ伏せて、少女は酷薄に笑む“魔王”と真っ直ぐ向き合った。
 大切な人が間違えたなら、正さなきゃいけない──そう、少女は思う。たとえどれだけ辛くとも、間違いは間違いだと言える強さを彼女は持っているのだから。

「場所を変えよう。君だって、いろいろと言いたいこともあるだろう? “俺たちらしい”やり方で──決着、つけようじゃないか」

 清々しいほどに一直線なスタールビーの瞳を避けることなく一身で受け止めて、“魔王”は飄々と、気品ある悪魔のように微笑んだ。



[8913] 第七話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:169ed93c
Date: 2009/08/11 20:58
 


 クラナガン近郊の総合病院、その一室。
 薄く開いた窓の外は生憎の曇り空。時刻は宵の時。すでに太陽は、地平線の向こうへと帰り着いてしまっていることだろう。

 背もたれのない丸イスに座ったなのはが、フェイトの置いていった資料を精彩を欠いた空虚な瞳で読んでいる。自慢のサイドテールの髪もどこかくすんで見えた。

 細い指がページをめくり、紙と紙が擦れる音が静々と鳴る。
 印刷された文だけではなく、蛍光ペンを用いた手書きの注釈が丁寧に書き込まれたレポートは、制作者である“親友”らしい心配りの現れ。
 すぐ近くのボードには、折り紙で折られた花と紅のペンダント──解析を終えて返却されたレイジングハートが静かに座して、主を見守っていた。

「……」

 冊子に記された文字を一心不乱に拾う瞳の周りには、おどろおどろしいほどに深い隈が刻まれている。フェイトが訪れた後もほとんど寝てないのだろう。巡回に訪れた看護師にやんわりと注意されても、愛想笑いを浮かべてごまかすだけだった。
 今のなのはの興味は、未だ目覚めないこの部屋の主の安否と、資料の内容──とくに、自分が堕され、嵌められた件の“魔王”の情報にのみに注がれていた。

 けして薄くはないレポートを、穴が開くほど必死の形相で読み込む姿は、温厚篤実が取り柄の──ごく普通の少女とは思えないほど鬼気迫るものがある。
 それほどなのはの後悔と焦燥は強烈だったのだ。


「────」「────」「────」

 ふと、なのはが冊子から視線を上げた。

「……?」

 何やら外が騒がしい。
 不思議そうに小首を傾げ、なのはが席を立つ。白い引き戸を開けると、電灯のついた廊下に顔をひょこっと出した。
 キョロキョロと、小動物のようにしきりに首を回して辺りの様子を伺う。
 遠くで話し声や、ざわざわとたくさんの人が動いているような喧噪のようなざわめきがなのはの耳に届いた。

「なんだろう……?」

 すると、廊下の先からパタパタパタ……、とスリッパでリノニウムの床を叩いて女性の看護師が慌ただしく駆けてくる。目的地はなのはの居る病室のようだ。

「ああ、よかった」

 息を切らせた二十代前半ほどの年若い看護師が、なのはの姿を確認するとほっと胸をなで下ろしたよう見えた。

「あ、あの……どうかしたんですか?」
「それが、詳しい事情はわからないんですけど政府から避難勧告が出ていて、いま患者さんの移送をしているんです」
「避難……」

 オウム返しをしたなのははやや困惑顔だ。看護師も同じく少し困惑したように頷いた。

「ええ、パニックを起こさないように各病棟順番で。それで、この階が最後になっているので、いつでも動けるように準備しておいてもらえますか?」
「あ、はい、わかりました」

 看護師は答えに満足して、愛想良く微笑んだあとパタパタと駆けていった。おそらく、ここをなのはに任せて他の病室の準備に向かったのだろう。
 彼女を見送り、んーっと強張った身体を伸ばしたなのは。真剣に資料を読みふけっていたせいで、体中の筋肉はガチガチに凝り固まっていた。

 その時──

「きゃっ」

 突如、地震のような激しい地鳴りがなのはを襲う。足を取られ、軽くもつれさせて小さく悲鳴を上げる。

「な、なんなの──ッ」

 強い──いや、そんな表現など生易しいほどに巨大な魔力の波動を感じ取り、なのはの肌がやにわに粟立つ。

 この禍々しい魔力を、“知っている”。

 弾かれたように病室へ取って返すと、なのはは彼女にしてはいささか乱暴すぎる手つきで窓を大きく開け放つ。ぐんと窓枠の外へと身を乗り出した。
 遙か視線の先、高層建築が建ち並ぶ都心部の彼方に、雲を割り、天を突き、宇宙まで届かんとするほどに巨大な紅い光の柱が伸びている。

 それを護るように浮遊するのは漆黒。
 砲戦魔導師としての必須スキルとも言える──実戦ではデバイスの補助があるとしても、だ──魔力で視力を水増したアメジストの瞳が、“それ”の姿を捉えた。

「ベール、ゼファー……」

 煌々と燃え盛る爆炎に照らされて、女王の冠るティアラのごとき見事な銀髪が妖しく揺らめいていた。

 なのはは、ぎゅっと唇を強く噛むとボードの上のレイジングハートを手に取る。
 この紅い貴石は、ベッドで眠り続ける少年との思い出の証──そして、“魔法”と出会った後のなのはの全てだった。

「ごめんね、ユーノくん。……私、行かなくちゃ」

 悲壮な表情で、悲痛な声で、呼びかける。応えはない。
 瞳を閉じて、レイジングハートを握りしめた両手を胸に抱いたなのはを包み込むように桜色の光が溢れ出し、部屋いっぱいに渦巻いた。

 謹慎中の身である自分がこんなことをすれば、今度こそただではすまないだろう。
 だが、それでも、“彼女”との決着は自分の手でつけなければならない────そう心に堅く誓い、純白のドレスを纏った少女は大空へと飛び出していった。




 なのはの去った病室。
 開けっ放しの窓から吹き込んだ冷たい風が、レースのカーテンを虚しくも物悲しく煽る。

「…………」

 尽きない微睡みの底に墜ちていた少年の、堅く閉じられていた瞼がピクリと揺れる。
 透明な呼吸器に包まれた口がわずかに開いた。

「…………なの、は」













  第七話 「再誕 祝福の風が吹くとき」












 灰色の夜空を四騎の“箒”が翔る。
 先陣を切るのはテンペスト。騎手はエリス。
 タンデムしたはやて──彼女自身が飛ぶよりも遙かに速いため、相乗りとなった──と同じく、帽子が吹き飛ばされないように片手でしかと押さえていた。
 小柄な女性はいえ二人の人間を乗せてなお、速度を維持している点はさすが高機動型の面目躍如といったところか。

 少し遅れて灯と命を乗せた飛行形態“ストライクモード”のガンナーズブルームが、後部に展開した機構から箒条のブラストを吹き出して飛翔し、同じく飛行形態となったそれぞれの“箒”に跨る翠とスルガが追従していた。

「すごい圧力ですね、“アレ”。……魔法を使えない私でも、危険だってわかります」
「まったく、なんてせっかちなやっちゃで。“魔王”ってみんなそうなん?」

 “ソレ”から放たれる異様な威圧感を肌で感じるエリスに応じるはやての言は軽々しいが、表情は硬い。
 はやての帽子の中から、リインフォースⅡがひょっこり顔を出すも「はわわっ、速すぎですっ」とどこかの巫女さんよろしく驚き、身を縮ませて隠れてしまった。

 彼女らは、クラナガン中央部を囲むように現れた四本の光の柱、その一本に向けて急行していた。天文学的魔力を有するそれらは、次元震の予兆を伴って鎮座しており、一時間もすれば極大の次元震となってこの世界を覆うだろう。そうなれば、大惨事は免れない。

 フェイトはすでに交戦を開始してしまっている。折り悪く、クロノが本局に召還されてしまっていたのも痛い。

 ちなみに、ヴォルケンリッターは別の柱へと向かっていた。
 戦力を分散して両面作戦を採った、というよりも単純に彼女らでは“箒”の速力に追いつけなかったからだ。
 歴戦の騎士といえども、ファー・ジ・アースの英知の結晶“箒”の飛行能力にはかなわないようだった。


 灯が「少なくともベール・ゼファーは気の長い方ではないわね」と言えば、「そうですよ〜。どうせ、“あたしには小細工って合わないのよ”とか言っちゃったりなんかしてるんですっ!」と、翠がベルの声まねまでして混ぜっ返す。

「ともかく、あれを放置していたら大変なことになっちゃいます。なんとかしないと!」
「セオリー通りなら、どれかを停止することで阻止できるはずです。もっとも、魔王の妨害が予想されますが」
「場合によっては全て停止させなきゃ駄目かもしれないね。くっ、時間が足りないな……」

 エリス、スルガ、命が各々意見を述べ──

「まさしく“世界の危機”、やな」

 はやてが締めくくる。
 “箒”は日の落ちた夜空を裂き、ぐんぐんと光の柱が近づく。

「見えた……!」

 一キロほど先、光の柱の前にたゆたう“魔王”の姿を確認し、狙撃体勢に入ろうと灯がガンナーズブルームのグリップに手をかける。
 相乗り中の命は前傾姿勢になった彼女の腰に軽く抱きついている。若干、情けない。

「ッ、あかりん、回避っ!」

 命の警告。それを灯が認識した刹那──突如として積層した雲を切り裂き、紅黒い光の柱が七条、天から真っ直ぐに降り注ぐ。

 皆の顔が一瞬にして青ざめる。

 それぞれ散開。ギリギリのタイミングでの回避運動。光条の端がガンナーズブルームのスタビライザーを掠めた。

「くっ!」「うわあっ!?」

 小さな爆発。黒煙を引き、“箒”が推力を失う。

「灯ちゃん! 命くん!」

 エリスの呼び声虚しく、二人は重力の腕に捕まって物理法則に従い落ちていく。。
 彼らもウィザードであるからには常人を越える身体能力なり、月衣による限定的な物理法則遮断なりで切り抜けるとわかっていても、心配してしまうのが人情と言うものだろう。

 消し飛んだ雲の合間──濃紺色の空をバックに、閉じた純白の“羽根”が悠然と降臨する。
 下々の者に偉容をまざまざと見せつけて、“羽根”が開く。無数の白い羽の幻影がゆらゆらと舞い散った。

「ルー・サイファー!」

 七枚の“羽根”が構成した一対の大きな翼。その中心に抱かれていたのは、白いワンピースを纏う小柄な少女──テスラ・陽炎・フラメルの姿のままのルー・サイファーだった。

「それ以上の進入は罷り通らぬ」

 魔王の魔王たる所以──莫大な魔力を笠に着た超大な重圧をエリスたちにぶつけ、尊大にルーが言い放つ。

「今度はひとりなん? 私らもずいぶんとなめられたもんやな」
「ふん、たかが人間の群れ、我ひとりでも事足りるわ。それに──パールたちなら、今頃そちの騎士とやらの相手をしているやもしれぬな」
「なんやて!?」

 挑発的な軽口をしたたかに言い返されて“箒”の上から落ちてしまいそうなくらいに動揺するはやて。安定を欠きガクンと揺れる“箒”を「ちょ、はやてさん、暴れないでくださいっ」とエリスが慌てて立て直す。

「なにが目的なんですか、ルー・サイファー」
「知れたこと。目障りな“冥魔”諸共この次元を破壊する。奴らがこの“世界”を喰らい、力を付けられては困るのでな」

 にわかに一同の顔色が変わる。“世界の危機”が現実味を帯びてきたのだ、無理もない。

「我とベル、パール……、そして“シャイマール”、四者の魔力を流し込んだ“楔”を大地に穿ち、それらを共振させ、この星──ひいてはこの次元を打ち砕く」

 不吉に輝く紅い巨大な“楔”が煌々と、灰色の夜闇を照らす。

「あの柱──“楔”が最低二つ健在なれば我らの勝利……、臨界までに我らへ致命の傷を与えらればそちらの勝利。ベルではないが、簡単なゲームであろう?」

 可憐な容貌を妖艶に彩り、金色の魔王が微笑を浮かべる。
 “ゲーム”のルールと難易度に皆の表情が引きつった。

「ゲーム、なあ……。そら好都合や」
「何……?」

 そんな中、ひとりはやてはニヤリと不敵に笑みを零し、“箒”から降りて自らの翼で浮遊する。

「なんせ──」

 展開した剣十字の錫杖──シュベルトクロイツをルーへと突き付け、言い放った。

「私の悪運は最強や! ──エルフィ!」
「はいですっ」

 いつの間にか帽子から這いだしていたリインフォースⅡが、元気よく応答し自らの分身たる蒼の魔導書──蒼天の書を開く。
 そして、はやてが開いた紅い表紙の豪奢な書物──夜天の魔導書の頁が白銀に輝いた。



[8913] 第七話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:c5046c1f
Date: 2009/08/14 20:56
 


「あかりん、大丈夫?」
「ええ、ありがとう」

 コンクリートの地面に強かに打ち付けた背中をさすりながら命が、彼女にしては珍しく尻餅を突いて座り込んでいた灯に手を差し伸べ、助け起こした。

 “箒”ごと墜落した二人は、ぐずる“箒”を宥めすかして滑空させるも、踏ん張りきれずに地上へと落下。はやてたちと分断されてしまった。
 上空では幾つもの爆発が起き、幾本もの光の筋が交錯している。はやてたちとルー・サイファーの戦闘が始まったのだろう。

「でも、この子はもう飛べないわ。武器としてならまだ使えそうだけど」

 言いながら、灯は飛行ユニットからスパークと黒煙を上げるガンナーズブルームを拾い上げる。故障した愛機の惨状に、どこか悲しそうに眉を下げた。

 もともと内部構造が比較的単純で頑丈に造られている機種ではあるのだが、さすがにあの光に接触したのは拙かった。
 砲身などは歪んでいないので灯はそのまま使用するつもりでいるが、もしもの時は“代わりの武器”を使うことになるかもしれない、と内心で考える。

「困ったな……。上のみんなには合流できそうにないし」

 少し頼りない声を出して、命が空を見上げた。

 月衣の力で浮遊くらいは出来るが、それと空中での戦いは別の問題だ。“箒”の補助なしに空戦を熟せるウィザードなどそうは居ない。
 ──まあ、とある魔剣使いの男くらいにもなれば、倒れる鉄塔を駆け上って空中へ飛び出すくらいのことはやってのけるのだが。

 ともあれ、自分たちの行動を苦慮する命は困り顔で戦いの光を見つめる。
 ドン、と爆轟を響かせ、一際大きな爆炎が巻き起こる。金色の炎が小さな太陽となって闇を照らした。

 点いたままのネオンが、灯の美麗な造形の横顔を暗闇の中から映し出す。それに気づいた命は、やにわに顔を赤らめて、魅入ってしまう。

「……なら、あの子──フェイトと合流しましょう」
「──え?」
「命、どうしたの?」
「あっと、フェイト、っていうと……あの金髪の子?」

 一瞬凝固した命。不思議そうに小首を傾げる灯の姿に、さらに動揺を重ねるが何とか精神を再構築して、取り繕う言葉を何とか紡ぎ出す。

「ええ。どうやら地上で、それも独りきりで“シャイマール”と戦っているそうだから」
「“シャイマール”、か。わかった、そうしよう」

 二人は頷き合うと、禍々しい光を放つ紅い柱の一つへ向かって走り出した。




 □■□■□■




 灼熱を帯びた剣閃が走る。
 しゃらんと澄んだ鈴音が鳴り、金の尻尾を引き連れた白い影が、鋭利な一閃の隙間を掻い潜った。
 懐に飛び込み放たれる鉄拳。紅に燃え立つ。
 刹那よりも速く展開した鞘が、鉄拳を迎え撃った。

 鈍い激突音が響く。
 間髪入れず長剣が閃いた。内部機構に込められたカートリッジが炸裂し、紫電の速度で斬り返される。
 達人の、研鑽し尽くされた妙技により繰り出された斬撃は空間を斬り裂くかのごとく鋭く、それでいて美しい。
 しかし、必殺と思われた斬撃は身を反らすことで紙一重に躱される。白刃に触れた金糸の髪が数本弾け飛び、宙を舞った。
 緋袴の裾がひらりと揺らめき、純白のニーソックスに包まれたか細い脚が弓のようにたわむ。
 崩れた体制から無理矢理に放たれた蹴撃が、がら空きの脇腹に突き刺さる。
 蹴りの反動で、両者の間合いは大きく離れた。

 紅い火の粉が散る中、相対するのは白の陣羽織と紫の甲冑姿の“烈火の将”と、白の振り袖に緋袴を纏う“東方王国の王女”。

「ふ、はっ、あははははっ!」

 ミッドチルダを破壊せんとして穿たれた四柱の“楔”を守護する四柱の魔王──その一人、パール・クールが無邪気に哄笑する。
 その黒くつぶらな瞳は、愛剣レヴァンティンを青眼に構えながら、まんじりとも動かないシグナムへと送られていた。

 周囲ではヴィータ、ザフィーラ、シャマルのヴォルケンリッター三騎とアゼル、エイミィ、リオンの魔王三柱が激しい火花を散らして激突している。
 ヴォルケンリッターと魔王の遭遇戦──実際には、リオン・グンタお得意の“書物”を用いて先読みした魔王側の待ち伏せ、というべき形だったが──が、

 大地に穿たれた柱を巡る攻防は集団戦の様相を呈していた。


「あんた、結構やるじゃん。ルー程度に負けたって聞いてたから期待してなかったんだけど」

 弱体化したとはいえ、未だ裏界最強を誇るルーを“程度”扱いすると、死と硝煙の匂い香る戦場に血がたぎり昂揚したのか、パールの可憐な面差しは喜色満面、嬉々として輝く。
 彼女ら“魔王”の本性は、闘争と破壊。背徳と快楽。造物主に反逆し、“悪”の烙印を押された堕落した存在である。
 普段の頭の軽い言動や可憐な姿から一見、人間味や親しみが感じられても根元的なところは人外──ヒトではないのだ。
 そんな人外の狂気を充てられても、シグナムは不動のままだった。

「なぁにぃ、黙りしちゃってノリ悪ぅい。問答無用ってわけなの? パールちゃん、そういうのイケないと思いまーす」

 リアクションがないことにぶーたれるパールをシグナムは切れ長の怜悧な瞳で一瞥すると、突然反転。弾かれるようにぐんと上昇した。

「って、ちょっと! あたしを無視する──」
「ラテーケン!」

 直上から戦槌に取り付けられたロケットブースターを噴かせて、深紅──ヴィータが、シグナムと入れ替わるようにして、急速に落下してくる。

「ハンマァァァアアッ!」

 推進器の加速に、落下の重力が加算された速度でヴィータが特攻。雄叫びを上げながら、鉄槌が振り下ろされた。

「くっ!」

 咄嗟に張られた障壁が、ハンマーヘッドのスパイクを弾き返す。そこらの魔王ならば通ったであろう強烈な攻撃は、しかし、“楔”の維持による減退を感じさせないパールの大魔力──ベル曰く馬鹿魔力──により創り出された付与魔法により逸らされてしまった。
 渾身の一撃を容易く弾かれたことに、ヴィータは飛び退きながら内心で戦慄を覚え、「ちっ、これでもだめか」と舌打ちする。

「おまえらみんなして頑丈すぎんだよ。なんなんだ、その装甲!」
「知るか、ちびっこ! アゼルっ、ちゃんと足止めしとかなきゃだめじゃない。殺すよっ!?」

 上空でぽやっと滞空していたアゼルがその剣幕にびくりと身を竦め、「ごめんねー」と済まなそうに手を合わせる。
 しれっと吐かれた暴言に、ヴィータが「ちびっこ言うなー!」と激して気炎を上げた。

「おまえだって私とほとんど変わらないじゃん!」
「ふん、あんたの目は節穴? どこに目ぇつけてるのよ」

 割と豊満な胸を強調するように堂々と張り、パールがヴィータを挑発した。
 ヴィータはつつーっと頭を垂れて、自分の首から下を見やる。
 はやてデザインのゴシック調の紅い騎士服が真っ直ぐ延びている。視界はそのまま、眼下のビルへと届いた。

 鉄槌に打たれたようにショックを受けたヴィータ。「──う、うう〜っ! 私は八歳相当で造られてるんだからこれでいいんだよ!」と、血涙を流さんほどの勢いで吠えた。

「知らんな〜。そんなにちびっこがイヤならぺたんこよ。あ、これ名案っ。よし、あんたのあだ名、ぺたんこでけってーい」
「ぬあっ!? て、てめぇ、もう許さないからなっ」

 精神年齢が近いだろうか、ギャーギャーと、傍目にはじゃれ合いにしか見えないやり取りをする同朋に、密かに呆れ顔をしたシグナム。そんな彼女の行く先は、分厚い書物を開いて戦況を見下ろす青いドレスの魔王──リオン。いつもの内心が見えない微笑で書物を紐解き、時折味方に指示を出している。
 リオンが敵集団の頭脳だと見抜いたシグナムは、彼女を討ち取ることで形勢を引き寄せようという腹積もりだった。

 カートリッジを炸裂させ、蛇腹剣となったレヴァンティンが蜷局を巻く。飛竜一閃──シグナムの決め技が、天翔る竜のように夜空に唸る

「覚悟!」
「なるほど、先ずは私を討つと。悪くない判断ですが──」

 紫色の魔力光を巻き上げて、眼前に迫る連結刃。だが、リオンの澄まし顔はぴくりとも動かない。
 当然だ。彼女はシグナムの思惑などとうに“知っている”のだから。

「それも……、この書物にある通り」
「やらせないっ!」

 尖端とリオンの間を塞ぐべく、アゼルが腿のブースターを激しく噴かせ、躍り出た。
 横薙ぎに払われたグライディングランサーが、シュランゲフォルム──飛竜一閃を叩き落とす。
 続けて、槍を持たない左手を突き出すと、腕の中に仕込まれた四本のボルトが皮膚から突き出て、巻きついた帯ごと展開。

「!?」

 派手な音とともにボルトから放たれた幾条もの電撃が、硬直して動けないシグナムに襲いかかる。

「く、あっ!」

 “パニッシャー”──腕に内蔵した機構から、生体電気を増幅した高圧電流を放って相手を感電させる“バイオオーガン”、生体兵器である。
 強烈な──それも魔法的な付加効果を持つ──電撃により麻痺して動けないシグナムを見やり、リオンは右の掌に生み出した闇の塊を槍の形に形成した。
 ヴォーテックスランス。捻くれた切っ先は真っ直ぐシグナムに向いていた。

 おもむろに頭の上へと持ち上がる右手。「はらわたを、ブチマケろッ! ……なーんて」おどけたセリフと同時に白魚のような指先が、烈火の騎士を指し示す。
 それを合図に、ヴォーテックスランスが独りでに投擲。
 シグナムはまだ動けない。麻痺した身体でもがき、苦痛の表情で美貌を穢す。
 阻むものが居ない空を、漆黒の槍が飛翔する。


 標的に到達する刹那────


「シグナムは」「やらせませんっ!」

 ザフィーラとシャマルが庇い出て、青磁と藍白の魔法障壁を張り巡らす。
 着弾。解放された闇が黒い球体となり障壁に喰らいつく。しかし、多重多層のそれを貫くことは出来ず、魔力の残滓となって霧散した。
 自分の魔法を防がれたことに、リオンが「あら」とさして残念そうでもない感想を漏らした。

「……なかなかのコンビネーションです。流石、と言うべきでしょうか」

「くっ、不覚をとった……! すまない、シャマル、ザフィーラ」
「気にするな。元より俺の役目は仲間の盾になることだからな」
「困ったときはお互い様よ」

 麻痺が解け、持ち直したシグナムは仲間に礼を言い、愛剣を構え直してリオンを見据える。
 護衛のために進み出たアゼルの影で、“秘密伯爵”が妖艶な笑みを浮かべた。

「ですが、こちらももう一人居るのをお忘れですか?」

 膨大な魔力の奔流──
 意味深に笑みの真意を悟り、シグナムたちが顔を上げる。
 皆よりもやや上空に座したエイミーの指先が、複雑な紅いルーンを宙に描き出していた。

「逆巻け風よ!」

 両手が天に差し上げられ、その中心に七芒星の魔法陣が発生。
 頭上の魔法陣は上昇し、限りなく広がるように見える雲の天蓋に張り付く。

「ハリケーン!!」

 灰色の暗雲に幾つもの渦が巻く。そして、渦が大地に向かってゆっくりと伸び、螺旋の柱が──極太の竜巻が降りてくる。
 上空の雲を引き連れて、巨大な竜巻が戦場を、敵味方お構いなしに貫いた。



[8913] 第七話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:ee38cc22
Date: 2009/08/17 20:57
 


 空域一帯を包み込んだ凍えるような冷気を、一息に打ち払う灼熱の嵐。火球の弾幕が、凍てつく飛礫の群れを一瞬にして蒸発させる。
 間髪入れず剣十字を模した錫杖が横薙ぎに払われ、発生した不可視の刃が大気を斬り裂く。しかし、音速で滑る空気の刃は、七枚の白い盾が組み合わさって構成された大楯に弾かれ、霧散した。

 空気の振動が収まらぬ中、ぱきんと澄んだ音を鳴らして白亜の大楯が分離、三枚を主の側に残して射出される。
 標的は氷結と烈風を操る黒翼の魔導師──八神はやて。彼女の空色の瞳は普段よりも色合いが濃く鮮やかに、栗色のセミロングはプラチナブロンドに染まっていた。
 融合騎“ユニゾンデバイス”たるリインフォースⅡとのユニゾン。膨大な魔力を持つが故に、微細な制御を苦手としているはやての戦闘形態である。

 紅い尾を引いて突進してくる白い“羽根”。迫り来る脅威に、ちっ、と舌打ちしたはやてはリインフォースⅡに魔力障壁の展開を指示、自らは回避運動に努める。
 しかし、元より空戦機動など門外漢。簡単に追いつかれ、障壁を叩かれる。
 すると、紅い弾丸が“羽根”にぶち当たり軌道を変えた。
 左腕から砲身を生やしたスルガが生体弾を乱射して、はやてをフォローしたのだ。

「ありがとな」

 軽く礼を言い、はやてが目配せする。頷いたスルガは、生体弾をルーへ乱射する。
 はやても同調して、一メートルはあろうかという氷柱の槍を撃ち放った。

 攻撃は最大の防御。回復役が貧弱な──はやてと翠は一応使えるものの、本職ではないのでいささか心許ない──パーティーでの長期戦は不利と判断。最大火力で畳み掛けて一気に勝負を決めようと、熾烈な攻勢を仕掛ける。

 しかし、相手は“金色の魔王”ルー・サイファー。如何に“楔”の維持によるリソースの低下と、未だ癒えぬ傷によって全盛よりも力を減退させているとは言え、易々と倒されてくれるような存在ではない。

 巨竜の息吹にも似た灼熱が吹き荒ぶ。

 繰り広げられる激闘を、離れた場所で見ていることしかできないエリスは、悔しそうに唇を噛んだ。
 力がなくても世界は救えるけれども、仲間を助けることはできない、と自分の無力さを改めて感じていた。


 搭乗状態のまま前方に大楯を展開したアイゼンブルグ。スルガが、熱風を受け止める。
 その背後から、機を窺っていた翠が、ウィザーズワンドに跨って飛び出した。

「タンブリング、ダウン!」
「ぬ……!」

 指先から延びる冥闇の侵蝕。レジストし切れずに意識の一部を刈り取られ、一瞬だけルーがぐらりと体勢を崩す。
 僅かな隙。だが、それは格好のタイミング。

「穿てッ!」
『ブラッディダガー!』

 うわずり気味の声を合図に十本の短剣が、朱色の光を引いて追撃する。
 十の短剣が着弾し、十の炸裂を引き起こした。
 爆発。爆炎。
 咄嗟に割って入った三基のアイン・ソフ・オウルを引き連れて、ルーが噴煙を切り裂く。

「──ち……、鬱陶しい羽虫共め。先ずはそちから消えてもらうとしようか、真壁翠!」

 苛立ったようにルーは、両手の親指と人差し指で作った三角を、標準に見立てて翠に合わせた。
 指で作られた三角形の中に開く異界の扉。

「ま、また私ですかー!?」

 自身がウィザードとして覚醒することとなった一件──“合わせ鏡の神子事件”の最終局面で、ルーから貰った即死級の一撃を思い出し、青くなる翠。

 “ワールドゲイト砲”──前世の記憶を受け継ぎ戦う“転生者”と呼ばれる者たちが用いる、必殺必中絶対不回避の一撃である。


 眩いばかりの金色が、天地を揺るがすほどの莫大な魔力が“世界門”から溢れ出した。
 ルーの眼前に発生する五つの円から成る七芒星の複雑な魔法陣。
 光が臨界を越える。

 逃れ得ぬ死の気配に翠はぎゅっと瞳を閉じる。

「きゃあああっ……って、あれ?」

 いつまでたってもやってこない痛みに、不信を感じた翠が恐る恐る瞼を上げた。
 そこには、アイゼンブルグを飛行形態からガントレットに切り替え、その全身を覆い隠すほど巨大な盾を眼前に翳す、スルガの大きな背中。
 “箒”に増装された対魔・対物複合式のバリアシステムがフルパワーで起動。淡い虹色の幕を発生させて、必滅の光を軽減している。

「ぐ……、ア……っ!!」

 圧倒的な“ワールドゲイト砲”の威力を、その一身で引き受けるスルガ。恒星の灼熱もかくやという光の奔流が彼を襲う。
 避けられないのなら、受けきればいい──身を挺して仲間を護ることを自らの存在意義とするスルガは、“ワールドゲイト砲”の想像を絶する圧力に苦悶の表情で耐え忍ぶ。
 アイゼンブルグ最大の特徴、積層構造シールドが悲鳴のような軋みを上げた。


 霧散する光。全身から煙を立ち上らせるスルガは、仁王立ちのまま、巨石のように微動だにしていなかった。

「スルガさん!」
「ぼ、僕は、だい、じょうぶ……です……」

 息も絶え絶えなスルガの姿にはやては怯んだ表情を見せる。しかし、未だ健在な“魔王”の存在を思い出すと思考を切り替え、ルーに錫杖の尖端を向けた。
 夜天の魔導書が白銀に強く輝いた。

「ッ、汝、美の祝福賜らば、我その至宝、紫苑の鎖に繋ぎ止めん!」
『いくですっ! アブソリュートっ、ゼロ!!』

 はやての詠唱とリインフォースⅡのかけ声を引き金に、大気中の水分が凝固し、ルーを封印してしまうかのような白く儚い氷の棺桶が生まれる。
 絶対零度の名を冠した大魔法。常人であるならば、これ一撃で地に沈むことだろう。

 だが──

 砕けた氷塊の中から現れたのはほぼ無傷な金色の少女。黄金色の巻き髪に残った氷が虚しく散った。

『そんな、うそですっ』
「アレ喰らって、無傷っちゅうんかいな……!」
「この程度で我を滅ぼそうなど、笑止」

 渾身の魔法が効果をなさなかったことに動揺するはやてを鼻で笑い、上昇したルーがトドメを刺そうと魔力を高める。発露する金色の輝き──それが、深紅に染まっていく。

「身の程を知らぬ愚か者共め。裁きの時は来た──、存分に報いを受けるがいい……!」

 七枚のアイン・ソフ・オウルが連結し、一対の翼を形成する。純白の装甲に挟まれた紅い結晶が、激しい閃光を放った。

「受けよ、極光の洗礼」

 以前、“シャイマール”の力に飲み込まれたエリスが暴走し、木星を囲む衛星の一つ、パンドラを分断したのと同じ“光”。中途半端な覚醒だったその時ですら、天体を断ち切るほどの破壊力を持っていた。
 ならば、正当後継者たるルー・サイファーがそれを放てば、どうなるか────

「──全てを滅ぼす私の光」

 透明な声を引き金に、滅びを呼ぶ極大の光が天から降り注いだ。






 大地に突き刺さった光は、建築物を次々に粉砕。作り出された光景は、まさに煉獄を思わせるような劫火の海だった。

「ほう……、我が光を受けてまだ息があるか。存外しぶといらしい」

 感心したように、しかしどこか侮るようにルーは妖艶な笑みを浮かべる。
 直撃したわけではないというのに、皆は襤褸切れのように疲弊し息も絶え絶えだ。はやての帽子は吹き飛び、ユニゾンが解け、翠は“箒”の上で力なくうなだれ、スルガに至っては致命傷に近い。すでにチェックメイト寸前、打つ手はない。

「その目、気に入らぬな」
「……ッ!」

 だというのに、自らを毅然として睨み続けるはやてに、ルーは不愉快そうに眉をひそめる。
 彼女の手の中には、くたりとへたり込むリインフォースⅡが庇われていた。

「力の差は歴然、余力はもう無かろうに。大人しく諦めて、滅びを享受したらどうだ? 死と滅びは、誰しもに分け隔てなく訪れる唯一平等の安らぎぞ」

 尊大に、傲慢に──それは誘惑。
 幻想的な死をいざなう、甘い呼び声。

「諦めん! 諦めたらそこでなんもかもおしまいや!」

 冷たい白銀の眼孔を見返すのは青空のような双眸。そこには、強大な絶望を前にしても消えることのない熱くたぎる炎が爛々と灯っていた。

「私は──、私はこの子に、お姉ちゃんと会わせてたるって!」
「はやて、ちゃん……」

 はやての胸の中で、疲弊し、朦朧とするリインフォースⅡが譫言のように呟く。

 六年前、クリスマスの日にはやては眠りにつく“彼女”と約束をした。
 壊れたところを治してあげる、と。
 そして、ずっとひとりぼっちで泣いていた“彼女”に、どれだけの時間がかかろうとも、必ず家族を、幸せをあげると約束したのだ。

「──もう一度……、笑顔で逢おうって、誓ったんや! みんな笑顔で、完全無欠なハッピーエンドやって!」

 再びまみえるその時まで倒れるわけにはいかない。
 それがはやての戦う意味。武器を執る理由。
 大切な家族と共に歩み、共に生きると誓った彼女の“希望”だった。

「そちの事情など知ったことか。どれだけ叫ぼうとも、ここで終わりという厳然たる事実は動かぬ」

 血を吐くような魂からの叫びを冷酷に切り捨てて、ルーは小さな掌に光明を集める。
 “フラッシュエンド”──高密度の灼光により、対象を焼き尽くす攻性魔法。彼女の“弟”が近接戦で変則的に放つのとは違う、本来の使い方。

「さようなら?」

 黄金の少女が、見た目相応に稚い仕草で小首を傾げ、

「く……っ」

 真っ白な輝きが、はやてを焼き尽くさんと放たれた。


 ────約束守れんで、ごめんな。


 瞳を見開いたまま、心の中で謝って。はやては、せめてこの子だけはと小さな“末っ子”を抱き締める。



 ──刹那、夜天の魔導書が強く輝いた。


 暗い夜空に、一陣の風が吹く──


「何だと……!」

 余裕綽々の表情を取り払い、ルーは驚愕に目を見開く。


 それは旅立ちの風──


 満天に煌めく星々を抱き、流麗な月が静かにたゆたう夜空のように深い“紺青”の光が、破滅の閃光を遮断した。

 漆黒の羽が、ふわりと軽やかに舞い踊る。


 旅路の最初、惑う旅人の背中をそっと押す、はじまりの風──


 はやての前に立ち塞がり、灼光を退けた黒衣を纏う長身の女性が、三対の黒翼をはためかせ、ゆっくりと振り返る。

「リイン、フォース……?」

 どこか夢見心地ではやては、その名前を呼ぶ。

「遅くなって、申し訳ありません」

 ふと夜風が流れ、銀色の綺麗な髪を優しく撫でる。


 ──いつか別れた、きっとまた出逢えると笑い合った、やさしい祝福の風だった。


「夜天の魔導書管制人格リインフォース、只今、帰還しました。……大きく成られましたね、主はやて」

 万感の想いを言葉に込めて、“彼女”──リインフォースが、愛しい主の名を呼ぶ。

「っ、ほんと……、リインは寝坊助さん、やなあ」
「すみません……」

 懐かしい声、懐かしい姿。
 ずっと逢いたかった家族の姿に、ぽろぽろと止め処ない大粒の涙と、透き通るように屈託のない笑顔を零すはやて。六年間の悲願が成就したことで感極まったのだろう。

「お姉、ちゃん、ですか……?」
「そうですよ、エルフィ。後は私が引き継ぎます。ですから、あなたはゆっくりおやすみなさい。起きたらたくさんお話をしましょう、ね?」
「……は、い」

 優しく諭す“姉”の言葉に、安心したように微笑み、目を閉じる“妹”。

「せやな、感動の再会にはまだ早やかったわ」

 ぐいっと、袖で涙を乱暴に拭い、はやては向き直る。
 彼女の眼差しの先には白い羽根を侍らす“金色の魔王”。苛立ち、今にも襲いかからんと魔力を発露させていた。

「行けるな、リイン!」
「はい」

 “従者”の淀みない答えに頷いき、“王”は金色の錫杖を天高く差し向ける。
 りん、と白銀の魔法陣が輝いた。

「夜天の光よ、この手に集えっ!」

 祝福するかのように降り注ぐ、季節はずれの真白な粉雪。
 高らかに祝詞が天に響く。


「祝福の風、リインフォース! セーット、アップッ!!」



 悠久の時を経て、ここに“夜天の王”が再誕した────



[8913] 第七話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:1f083032
Date: 2009/08/14 21:01
 


 清涼なる白銀の風が夜空に煌めく。それは、全てを焼き尽くす熾烈な黄金の光にも匹敵するほどの輝きだった。

『ジェット!』

 シュベルトクロイツの尖端、剣十字を象った飾りから、金色の魔力光が吹き出す。
 高圧電流を帯びた魔力が、リインフォースの制御により両刃の剣の形に形成。はやてはそれをややぎこちない手付きで頭上に持ち上げ、振り回した。
 彼女の親友──黒いドレスの少女のごとく軽々というわけにはいかないようだ。

「ザンバーッ!!」
「うぬ……!」

 唐竹割りに叩きつけられた雷霆の斬馬刀が、防御に入ったアイン・ソフ・オウルとぶつかり合い、多量の電撃を撒き散らす。
 しかし、巨大な魔力刃は純白の大楯を断ち切ることが出来ず、砕け散る──否、“自ら砕けた”。
 強烈な衝撃に大楯は分解され、はやてはその反動を利用して一気に距離を取る。間髪入れず、両手で槍のように握ったシュベルトクロイツを眼前に突き出した。
 その構えは、彼女のもう一人の親友──白いドレスの少女によく似ていた。

「まだやッ! ディバイィィイイン!」
『バスター!』

 桜色に輝く魔力が収束し、一筋の光芒となって放たれる。オリジナルにも勝るとも劣らない魔力の砲弾が、鮮やかな流星のように空を翔る。
 再度防御に入ろうとする盾の間をすり抜けて、砲撃が魔王を強かに撃ち抜く。
 耳をつんざく轟音。爆発の華が暗い夜空に咲き誇る。


 六年の時間を感じさせない抜群のコンビネーションで、はやてとリインフォースは夜空を翔る。管制人格が起動したことにより解放された夜天の魔導書の真の力が、異界の魔王──古き神を抑え込んでいた。

 ──はやての魔力は今、精神の高揚によりかつてないほどに高まっていた。湯水のごとく溢れる全能感が彼女の指先────、身体を構成する細胞の一つ一つにまで行き渡り、限りない力を与えている。
 まるで今の自分なら奇跡の一つや二つ、鼻歌混じりに起こせてしまいそうな、そんな感覚に身を任せてはやては魔法を操る。


 追撃のブラッディダガーが閃き、炸裂した。

「──図に乗るでないッ!!」

 魂まで震え上がるような砲哮。白いワンピースを僅かに焦がしたルーが叫ぶ。
 爆風を切り裂いて、七枚の“羽根”が放射状に飛翔。紅い尾を引き、はやてに迫る。

「リイン!」

 瞬時に創り出された数十本の短剣。不可視の速度で射出されたそれらが“羽根”に衝突し、軌道を僅かに逸らす。
 その間を掻い潜って、はやては一息で相手の懐に潜り込む。有り余る大魔力にあかせた無理矢理の高速機動だ。

「!!」

 そのままの勢いで繰り出される左の拳。銀色の魔力が拳を纏う。ゼロ距離──避けようのない鉄拳がルーの胴に深々と突き刺さった。
 大砲じみた炸裂音と共に、魔王の小さな身体は高々と打ち上がる。
 吹き飛び、上空に打ち上げるルー。「ぐ、う……ッ」と呻き声を漏らして苦悶に表情を歪めながらも、瞬く間に魔力を集中。
 宙返りをして体勢を整え──

「天より落ちよ、太陽の輝き!」

 眼前に翳した両手の前方に発生した三重魔法陣から、直径五十メートルの光球──ディヴァインコロナを撃ち落とした。

『──“盾”!』
「……ッ!」

 咄嗟に張られた障壁ごと、“聖なる太陽の冠”がはやてを飲み込む。悲鳴すらも上げることの出来ない圧倒的な光の奔流。
 歯を食いしばり、光の猛威を耐え忍ぶはやて。障壁には罅が入り始め、魔力で編まれた甲冑が削り取られる。
 それでも何とか凌ぎ切り、光が霧散した時、彼女の目に飛び込んできたのはもう一つの“太陽”だった。

「な……!?」
「我が灼熱の劫火にて灰燼に還るがいい──! 消し飛べッ、ブラストフレア!!」

 続けざまに放たれた大魔法。
 はやての目の前で収束する金色の魔力、巨大な熱量。
 太陽よりも烈しく燃えさかる極大な爆発が、灰色の夜闇を一瞬だけ真昼へと変えた──

 極大爆炎魔法“ブラストフレア”──ディヴァインコロナが魔法的に集束された閃光の塊であるならば、こちらは純粋な火炎と灼熱を縒り集めた塊である。魔法的に制御されたそのエネルギーは、戦術核にも匹敵するほどの大熱量と大破壊を巻き起こす。
 ファー・ジ・アースに数多存在する“魔法”の中で、単純な破壊力でなら十指を誇る森羅万象を燃やし尽くす黄金の炎が、夜空に荒れ狂った。




 神がかった造形の面立ちを破壊の火で照らし、ルーは満足そうに艶やかな微笑を浮かべる。

「ふん、これでは少しは大人しく……ッ!」

 天を焦がす大火の残り火が夜の闇に溶けて──騎士甲冑を大きく損傷し、ほとんどインナースーツ姿のはやてが銀の魔力光を放ち、現れる。栗毛色の髪は一部が炭化し、所々が焼け焦げた顔の皮膚は痛々しい様相を呈していた。
 しかし、彼女は笑っている。火傷し、ひどく焼け爛れた顔で笑っている。
 一分の諦めや怖れを感じさせない笑顔。それは、自らの力と、自らの“従者”を信じて王道を往く“王者”の笑みだった。

「──!」

 刹那、銀色の闇から鎖が生み出され、ルーの四肢を絡め捕る。「こんなもの!」覇気の込められた魔力により、瞬く間に砕かれたバインド。だが、はやてが打つ最後の一手にはその瞬間があれば事足りる。

「行くで、ありったけ!!」

 そう叫ぶと、はやては解放可能な限界ギリギリまで魔力を一気に放出。リインフォースがそれの制御を受け持ち、複数の術式を連続・連結して起動する。
 ユニゾンという規格外の力を持つ彼女たちだからこそ出来る、規格外の力──連結魔法行使。
 閉じていた魔導書がおもむろに開き、白銀の光を放った。


『唸れ、炎よ!』


 錫杖を縦一閃に振り下ろす。
 その動作に併せて上空から無数の火炎弾が撃ち出され、唸りを上げる。


「舞え、吹雪よ!」


 続いて左に向けての横薙ぎ。
 一気に冷やされた空気が作り出した細氷が、冷気の渦となって舞い踊る。


『切り裂け、風よ!』


 右に返す一振り。
 双頭の竜巻が融合し、巨大な襲撃を巻き起こす。


「──これで、しまいやっ!」

 さらに金色の錫杖が頭上に大きく振りかぶられると、分厚い雲の天蓋に剣十字の魔法陣が発生。主の脇で浮遊していた夜天の魔導書がさらに強く、清らかに発光する。

『響け、終末の笛!』「ラグナロク!!」

 錫杖が勢いよく振り下ろされ、ベルカ式の魔法陣から巨大な銀光の柱が解き放たれた。
 天から降り注ぐ贖罪の剣にも見えるそれが、“金色の魔王”へと一直線に落下する。
 破砕し、粉砕し、爆砕する光の剣────込められた莫大な魔力が輝き、白銀色の大爆発が魔王の姿を飲み込んで欠き消した。






「──おのれッ、人間の分際で……!!」

 流血した左腕を無事な方の腕で庇うルーは、鬼の形相を見せて怒りに身を震わせる。銀色の瞳孔が興奮したように開き、耽美な容姿は紅い血の化粧が施されていた。

「そんならこう言ったるわ。カミ様だか魔王様だか知らんけど……ヒト様なめんな、ってな」

 肩で息をするはやては、満身創痍な様子で怒れる魔王へと不敵に言い返した。
 その時、クラナガン中央区を囲むように発生していた紅の“楔”、その一柱が光を失い消滅する。術式を維持する魔力を供給することが出来ず、安定を失って崩壊したのだ。

「私らの勝ち、やな」

 それを確認したはやては、疲労の色濃い面立ちでニッと破顔して、勝利を宣言した。




 □■□■□■




 時はルー・サイファー撃破から僅かに遡る────


 空中に腰掛け、気怠げに頬杖を突く紫の制服姿のベール・ゼファー。風にはためく茶色のポンチョもどこか締まりがない。
 背後には、紅い燐光を発する“楔”が聳え立っていた。

「ヒマねえ……」

 ベルは小さく呟くと、ふあっ、と大きな欠伸をして瞳を薄める。
 ついと、視線を踊らせば街の至る所で幾つもの光が瞬いている。どうやら彼女以外の魔王たちは派手に戦っているようだ。
 “楔”の守護をしている──というわけではないのだが、わざわざ戦う相手を求めて彷徨うなど、彼女の人一倍高いプライドが許さないかった。魔王は迷宮の奥深くで悠然と構えて下々の者を待ち受けるものだ、とは今回の事件を仕組んだ少年の言葉だ。

「……ヒマだし、ちょっと遊んでみようかな」

 独り言ち、ベルがおもむろに立ち上がる。
 彼女の軽く突きだした両手に、天光と虚無の力が生まれた。
 その二種類の魔力を胸の前で合わせ融合。魔法的な核融合を引き起こし、万物を消滅させる高位魔法──ニュークリアヴァニッシャー。退屈紛れの戯れにしては、あまりにも物騒すぎる破壊を持つ魔法だ。

「ニュークリア────ッ!?」

 混沌の光が解き放たれる刹那、数キロ離れた地点が光る。針穴を通すような精度で狙撃された桜色の光芒が、真っ直ぐな軌跡を描いてベルに襲い掛かった。
 彼女はすぐさま魔法を破棄すると、身を逸らして回避。目標を失った魔力光は“楔”に衝突して霧散した。

「──へぇ……、やってくれるじゃないの」

 遙か彼方、魔法が発動した方向に視線を送り、ベルは犬歯を剥き出しにした獰猛な笑みを浮かべる。その金色の瞳は、ギラギラと暴力的な光で輝いていた。

 たちどころに周辺の光景が歪む。

 人智を越えた力によって、歪曲された空間が遠く離れた場所を繋ぐ門。
 それを潜り抜けた先にあったのは廃棄都市地区。大魔法の傷跡が生々しく残る打ち捨てられた廃墟。
 人気のない無人の街は、決戦の舞台に相応しい場所だった。

「趣向を凝らしたご招待ありがとう。……久しぶりね、またあたしと遊くれるのかしら?」

 待ち受けていた“彼女”に、ベルはかわいらしく小首を傾げて愉快そうに語りかける。

「…………」

 妖艶に嘲う“蠅の女王”と対峙するのは、金色の穂先を持つ突撃槍を携えたひとりの“魔導師”。幼き頃に纏っていた、純白のロングドレスを思わせるデザインの戦装束──省魔力、高機動の概念を切り捨てた完全なる戦闘形態、“エクシードモード”のバリアジャケットを身に着けたなのはだった。
 彼女の、憎悪にも似た強烈な激情が込められた視線を浴びて、魔王の愉悦はますます高まってゆく。

「クスッ……、あたし好みの顔になったわね。感情に──、チカラに身を委ねるのは気持ちがいいことでしょう?」

「…………」

 なのはは答えず、唇を真一文字に閉じて無言のまま、限定解除形態のレイジングハート・エクセリオンを突きつけた。
 求めた反応が返ってこないことに、軽く肩を竦めるベル。

「ま、いいわ」

 ヴン、と音を立てて彼女の服が分解。魔力で編まれた繊維の一本一本が一斉にばらけ、一瞬にして編み直される。
 大胆なまでに丈の短いスカートに、すらりとした細い足を包むニーソックス、高いヒール。短めのマントと所々にあしらわれた紅いリボン──輝明学園のセーラー服は、大きく背中の開いた漆黒の戦闘用コスチュームへと瞬く間に様変わりした。

 ふわりと柔らかい銀髪を艶めかしい仕草で掻き上げて、ベルがその身に宿した莫大な魔力の一分を解き放つ。漆黒の炎をイメージさせるエネルギーが、ゆらりと陽炎のように揺らめく
 それに呼応したかのように、なのはの白いブーツから発生した桜色の翼、アクセルフィンに大量の魔力が無理矢理に流し込まれ、通常の二倍ほどの長さにまで肥大化。極限まで圧縮され、オーバーフローを起こした魔力により翼は紅に染まり、激しいスパークを夜闇に撒き散らした。


「──それじゃあさっそく、殺し合いをはじめるとしましょうか」


 打ち捨てられた廃墟を舞台にデザイン、配色が見事なまでに対照的な衣装を纏う魔導師と魔王の戦いが──天地を揺るがす激闘の幕が今、切って落とされた。



[8913] 第八話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:404e2d95
Date: 2009/08/25 20:57
 











  第八話 「地に墜ちた流星」












 灰色の夜を切り裂いて紅い光が迸る。
 翼の形をした光を大きく羽撃たかせ、真紅の流星が桜色の砲撃を連射しながら愚直なまでに真っ直ぐ、ただ一直線に漆黒の魔王に向けて突貫した。

「ああああ──ッ!!」
「ちいッ……!」

 撃ち掛けられる虚無の矢の直撃を受けながらも、なのはの速度は落ちない。むしろ、ダメージを受ける度に速度を増しているようにさえ見えた。
 “A.C.Sドライバー”──Accelerate Charge Systemを応用した突撃機動。三対の翼と、半実体化した紅の魔力刃“ストライクフレーム”を展開、攻性フィールドを纏った自らを砲弾に見立てて突貫する捨て身の特攻──それが、なのはがベルに勝つために考え出した秘策だった。


 巻き起こる衝撃波で周囲の建造物を薙ぎ倒しながら、なのはが猛進する。
 最低限、バリアジャケットの防御だけを残して、余剰の魔力全てを推進力だけに傾けた小回りなど端から捨てた機動は、ベルに容易く往なされてはビルの残骸に激突するも、すぐさま飛翔して飽きることなく突撃を仕掛け続ける。

 鬼気迫る突撃に内心で泡を食い、ベルは引き気味に機動する。その消極的にも見える動きはまるで緒戦の時のなのはのようだった。

「馬鹿の一つ覚えみたいに!」

 下方から猪突猛進に接近する白い流星に向けて、ディストーションブラストを連続して撃ち放つ。回避運動すら取ろうとしないなのはは、真正面から虚無の矢に直撃した。

「くっ……う、ああああっ!」

 魔法に接触し、解放された虚無の力から甚大なダメージを受けるものの、そんなことはお構いなしに進み続ける。一気に高度を上げてベルの背後を取ると、中距離誘導砲であるエクセリオンバスターを抜き撃ちに発射。生き物のように射線をくねらせた砲火が魔王を捉えた。

 ──爆発。炎上。

 なのはは、ここぞとばかりに未だ残る噴煙へと砲撃の嵐を叩き込む。排出された大量の空薬莢が霰のように地上へ降り注いだ。

「グ……、なめるなァッ!」

 裂帛の砲哮が噴煙と砲弾を吹き飛ばし、魔王がその強大なる力を発露する。
 頭上に掲げた両手の中に黒い光が集束。漆黒の球体と、それを取り巻く複数の帯状の魔法陣が形成された。
 虚空に閃く破滅の力が凶兆を呼び起こす。

「ヴァニティワールド・ジ・アンリミテッドッッ!!」

 かけ声と共に解き放たれる無秩序に荒れ狂う力の奔流。
 虚無魔法“ヴァニティワールド”を改造した彼女オリジナルの大魔法、“ヴァニティワールド・ジ・アンリミテッド”──無限と名付けられた漆黒に輝く混沌の光条が、なのはを一息に飲み込んだ。

「く、うぁッ!」

 360度、全方位から襲い来る圧倒的な圧力になのはの華奢な身体が軋みを上げる。
 歯を砕かんばかりに食いしばり、堪え忍ぶなのは。純白のバリアジャケットが漆黒の力に犯されて、次々に損傷していく。

「まだ、まだ……っ! レイジングハート、ブラスターモード……!!」
『ブラスター1、2』

 レイジングハートの合成音声とともにリミッターの段階を一気に飛ばしてカットされ、注ぎ込んだ魔力を増幅、人の身には過剰すぎる力が生み出される。
 ずきりと鈍い痛みを押さえ込むように、なのはは左腕を右腕で強く掴んだ。

 リミットブレイクである“ブラスターモード”によって得た限界を超えるほどのブーストは、“楔”の維持と現し身という制限があるにも関わらず、莫大な魔力を誇るベルに匹敵する力をなのはに与える。
 外からの圧力とは別のベクトルの、身体の内から沸き上がる圧迫感と身を切り裂かれるような痛みに耐えながら、白の少女は紅の翼を大きく広げた。
 それはまるで、彼女の心から止め処なく流れる鮮血のような色だった。

「はああああァァッ!!」
「く、うぅっ!」

 速力と魔力を乗せたレイジングハートを乱暴に振り上げ、叩きつけられる。即座に張られた正四角形の障壁にぶち当たり、鈍い打撃音が鳴り響く。
 半透明な障壁を挟んで、なのはとベルが睨み合った。

「ほんと、見上げた根性だわ。忌々しいくらい。……なにがあんたをそこまで突き動かすわけ? 別にあたしを倒さなくても、この“世界”が消えでも、あんたはなにも困らないでしょうに」

 わざとらしく考えるような仕草をして一拍間を置いた後、ベルは口を開いた。

「……ああ、やっぱり復讐?」

 禍々しい金色の眼光が、嘲るように問いを投げかける。

「っ、違う、そんなことじゃない! ──私はっ、理不尽な暴力からみんなを守りたいから、世界の平和を守りたいから、戦ってるんだよ!」

 ピクリとベルの眉宇が小さく揺れる。眉間に深い皺が刻まれた。

「だから、私はあなたを──」
「ハッ、笑わせんじゃないわよ!」

 鼻で笑い、ベルは反発力を持ったエネルギーを拳に纏わせる。
 “斥力場”とも言われる力が帯びた拳を障壁の上から叩き付けると、強烈な衝撃を生み出してなのはを大きく後方へと弾き飛ばした。

「理不尽な暴力……? “世界”の平和……? そんな、他人ひとから借りた耳障りのいい“キレイゴト”に、価値なんてないわ! 信念を語りたいなら、自分自身の言葉だけで語りなさい!!」

 大気を振るわせる一喝。
 烈火のごとく憤るベルは、不愉快さを隠さない眼差しでなのはを射抜く。その金色の瞳は、一見するとまっさらで純粋な少女の奥深くに巣くう、闇黒を写していた。

「“オトモダチ”を自分の手で傷つけて、少しは懲りたと思ったのに……あんたはなんにも変わってないのね」
「あれはっ、ユーノくんはあなたのせいで!」
「違うわ、あれはあんたの罪。力を持つこと──、そしてそれを篩うことの意味と責任を知らない、無知の罪が招いたことよ」

 冷徹な言葉が見えない刃となって少女の心に突き刺さり、その深淵に孕んだ“弱さ”を深々と抉り出す。

「だってそうでしょう? あんたのしているその生き方は、自ら“敵”を作る生き方よ。あんた自身にその気がなくても、力を篩う度に必ず誰かを傷つけて、痛めつける。それは転じて恨み辛み、怨念に変わるわ。
 この世に善人なんてのはいないの、幻想よ。ヒトっていう生き物は皆総じて愚かしく、残酷で、欲深くって、自分勝手なエゴイストばっかりなんだからさ」

 ヒトの自尊心を煽り、犯罪を教唆する悪しき存在。人心を闇で縛る“蠅の女王”だからこその言葉。
 遙か古から社会の暗闇に紛れ、ヒトの心の負の側面を見つめ続けてきた彼女は、それが真理だと未熟で幼い少女に突き付ける。

「あたしがやらなくても、いつかあんたの大切だっていう“ナニカ”を奪われて、犠牲にされるときが来たでしょうよ。“大切なもの”と“世界”とやらの平和と……そのどちらかしか守れないとなったとき、あんたはいったいどちらを選ぶのかしらね?
 そういうこと、一度でも考えたこと、ある?」
「それは……っ」

 瞬く間に血相を変えるなのは。背を預け合い、共に戦う親友たちや地球に残した家族、幼なじみたちの姿が次々と脳裏に過ぎる。
 そして、眠ったまま、起きようともしない少年の幻影が見えた。少年のイメージは、軽く微笑むと、そのままの表情で静かに闇の中に溶けていく。
 そんな不吉すぎるイメージを振り払うようになのはは頭を振る。狼狽し切ったその様は、あまりにも惨めだった。

 ──自分が傷つけてしまった少年が、もし本当に消えてしまうようなことになってしまえば、なのははもう二度と立ち上がることができないだろう。“高町なのは”の“世界”を真に構成するのは、名前も顔も知らないダレカなどではなく、自分を必要としてくれる──そばに居てくれるひとたちなのだから。


「私なら大丈夫。私にはそんなことは起きない。私ならなんとかできる。──そうやって、物事の本質から目を逸らして、都合のいいものだけを見て聞いて。傲慢で、浅薄で、戦いの意味も知らない半人前のくせして驕り高ぶり、上っ面だけ“キレイ”に糊塗する惰弱な小娘──それがあんた」

 普段ならば撥ね除けられたであろう言葉の刃。容赦のない棘のような言霊の数々。
 しかし、度重なる心労の果てに弱り切った心は抗うことができない。老獪な話術に容易く絡め捕られて、ズタズタに切り裂かれていく。

「挙げ句にこの有様。……ふふっ、無様ね」
「あなたに……っ! あなたに、私のなにがわかるって言うの!? 私の気持ちも知らないで!!」
「わからないわよ、そんなモノ。あんたの気持ちなんてあたしの知ったことじゃないし」
「っ、私は、正しいことのために──悪いことをする人を止めるために戦ってるんだよ!」
「それで? だから? やめなさい、正義だ悪だのと口にするのは。程度が知れるわ。──そんなもの、この世のどこにもないんだからさ。くだらない」
「くだらなくなんかない!」

 二人の主張はどこまで行っても平行線。交わる気配は微塵もどこにもなかった。
 無理もない。本来、良くも悪くもただの少女でしかないなのはと、“世界”を震撼せしめる大魔王であるベルでは、精神の構造からして全くの別物。フェイトやヴィータとは次元が違う。

「いい加減、自分に素直になったらどう? あたしが憎いって、あたしが憎くて憎くてしかたないから復讐しに来たんだって、吐き出してしまえば楽になれるわ。本当の気持ちを誤魔化すのは辛いでしょう?」

「──!! ちがっ、ちがう……っ、ちがうちがうちがう! 違うのっ、私はあなたを止めたくて! 平和を守りたくてっ……!」

 胸の奥に秘めていた澱んだ望みを強かに指摘され、なのはは動揺を極める。髪を大きく振り乱し、頭かぶりを横に振って否定を繰り返した。
 かさつき、ひび割れた唇が紡ぎ出す言葉の羅列は、どこか空々しく闇に響く。

「まだ言う。それがキレイゴトだって言ってんのよ。そんなものにしか戦う理由を求められないのなら──」

 吐き出す言葉の端々に憤りを滲ませて、ベルが掲げた両手の中に烈光が集う。
 漏れ出した金色のコロナが天を焼く。

「──力なんて、捨ててしまいなさい!」

 振り下ろされた両手とともに、小さな太陽がその内に孕んだ破壊の息吹を解き放った。



[8913] 第八話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:621a8af4
Date: 2009/08/20 21:00
 


 クラナガン中央区。
 夜も浅いこの時間、普段ならばまだ人通りのあるはずのその場所に、人の気配はない。あるのは闘争のざわめき。

 落雷ような衝撃音が響く。

「く……!」

 金色の月牙を閃かせた戦斧を強かに弾かれ、黒衣を纏う金髪の少女──フェイトは体勢を僅かに崩された。
 辺りに人気が“なさすぎる”ことを不審に思い、気を取られて生まれた僅かな隙。それを見逃してくれるほど、彼女が対峙する相手は甘くはない。

「おいおい、今の君に余所見している余裕なんてないだろう? もっと俺を愉しませてくれ──君の力で!」

 魔力を爆裂させて蒼い“獣”が驀進する。
 漆黒の刃が闇に走った。

「っ!」

 闇黒を凝縮した槍を器用に操り、体勢の崩れたフェイトへと追撃を掛ける紺青のコートの少年。その精悍な面差しに獰猛な笑みを張り付けて、次々に斬撃を繰り出す。
 刺突、袈裟斬り、斬り返し、薙ぎ払い──巧みに放たれる大蛇のように柔軟で、閃光のように鋭く速い刃の舞が唸りを上げる。
 もはや遠慮するつもりを微塵もなくした──無論、殺さないように力の加減はしているが──彼の嵐のような舞踏にフェイトは、焦りを帯びた表情と精彩を欠いた動きで受け手に甘んじることしか出来ない。

(くっ、一撃一撃が重い……! だけど軌道はもう読める。対応もなんとか──でも……っ)

 それ以前に、彼女が本気で彼を討つことが出来るだろうか。
 答えは否だ。
 やっと出逢えた、誰よりも、何よりも大切な想い人を討つことなど、フェイトには出来なかった。
 だからと言って戦いを止めるわけにもいかない。少年を放っておけばミッドチルダは次元震に飲み込まれてしまう。そもそも一度これと決めたことを翻すようなタイプではないし、彼を止めても次元震を防げはしないだろう。
 だが、少なくとも、この少年だけは自分の手で、とフェイトは自らの立場と心情を鑑みて思う。
 それに、フェイト個人としても憤りを感じていることがたくさんあるのだ。六年間放置されて記憶はなくとも辛かったこととか、せっかく帰ってきたのにあんまりな扱いをされたこととか────いろいろと。
 失った過去を取り戻したのにも関わらず、少年の名前を頑なに呼ぼうとしていないのもその気持ちの現れだった。
 ──意地を張っているだけ、とも言えるのだが。

 そうした複雑極まりない感情を持て余しているフェイトは、バックステップでいったん距離を取ると乱れ切った息を整えた。

 思った以上に動揺していることを自覚して、肺に溜まった澱んだ空気を大きく吐き出す。

「どうした? 太刀筋に迷いが映っているぞ」

 くるくると槍を右の鉤爪で弄んだ後、肩に担いで気だるく構えた少年が、薄ら笑いを浮かべて惑い続ける少女の内心を覗く。
 こうした会話や態度で相手の気を逆撫でて、自分のペースに持ち込むのが彼の常套手段だと痛いほど知っているフェイトは、冷静を保とうと努めて意識する。
 そして、昔は私の方が強かったのに……、と内心で不満を感じつつ口を開いた。

「私が、ほんとはあなたと戦いたくないって知ってるくせに」

 無意識のうちに、声色に険が表れてしまうのも仕方ない。

「そうだな、俺にも君は殺せない。だけど、こっちは時間を稼ぐだけでいいんだ。あの“楔”が臨界点を超え、次元震を引き起こすその時までね。つまり君は最初から時間というハンデを背負ってるってわけ」
「──! そんなの卑怯だ、ずるいよ」

 ぷくーっと頬を膨らましてフェイトが抗議する。鉄火場には似合わない小動物のような愛らしい様子に、少年は薄ら笑いとは違った趣の笑みを漏らす。それでこそいじめがいがある、とでも思っているのだろうか。

「卑怯で結構。世の中に平等なんて都合のいいものはないって覚えておくといいよ」
「……性格、悪いね」
「よく言われる」

 くつくつと愉快そうに咽を鳴らして少年がおどける。暖簾に腕押し、糠に釘とはこのことだ。
 柳のように飄々と佇む分からず屋を前に、フェイトは瞼を伏せて、ふっ、と小さく息を吐く。それから、ゆっくりと開かれた真紅の双眸は真っ直ぐに澄み渡り、迷いという曇りが残らず消え去っていた。
 凛々しさと可憐さが同居した、光り輝くような顔付き。
 それに少年は、ほう、と感心したような──いや、むしろ見惚れたようなため息を漏らす。
 彼はフェイトのこの表情が好きだった。凛々しく真摯で、一点の曇りもないこの表情が。
 彼女の一本気な──悪く言えば融通の利かない──在り様を、この世の何よりも美しいとさえ思っている。

 だが、今この場に立つのはただのひとりのヒトではなく、“七徳”を背負って“七罪”を為す裏界魔王“アル・シャイマール”。故に、自ら退くなど“魔王”としての矜持と信条に差し障る。
 フェイトと同じくらいに愛している二人──敬愛する“母”と、尊敬する“姉”の名に泥を塗るような真似など彼には出来ない。

「あなたは、この星と次元を犠牲にして、ほかの次元を護ろうとしてるんだよね?」
「…………」

 真摯な眼差しを逸らすことなく受け止めて、少年は紅い瞳を無言で見返す。
 フェイトは沈黙を肯定と受け取って言葉を続けた。

「でも、この次元に──ミッドチルダにだってたくさんの人が住んでるんだよ」

 どんな言葉をどれだけ尽くしても、きっとこのへそ曲がりな少年は自分を曲げたりしないだろう。それでもフェイトは、無駄だとしても言葉を交わすのを止めたくはなかった。
 彼との会話はどんな内容でも、彼女にとって何物にも代え難い“たからもの”になるのだから。

「次元を壊すなんて──、そんなことをしたらその人たちがみんな死んじゃう。だから私はあなたのやり方を、認めない」

 はっきりと拒絶の意志を示して見せるフェイト。そんな彼女の姿に、少年が目を細める。

「……その犠牲でもっと大勢の命が救えるのなら、それほど悪い選択でもないだろう?」
「っ、そんなの間違ってる!」

 少女らしい潔癖さを露わにして、フェイトが叫ぶ。

「そうかもな。だが、小を切り捨て、大を守るのも立派な手段だ。“独り”で全てを護るだなんてのは、身の程を知らない愚か者の戯言だよ。
 ヒトは皆、全知全能のカミには成れない。だから、どこかで折り合いをつけて最善じゃなく次善だとしても、選び取っていかなくちゃならないんだ」
「それは……そうだけど、でも、それでもっ! あなたなら、ぜんぶの人たちを救うことだってできるはずだよ!」
「そりゃ、買い被りすぎだよ。俺はそんなに大層なものじゃないさ」

 少年はシニカルな自嘲で唇を歪めると、スタンスを広げて体勢を沈めた。槍の柄が両手で強く握り込まれる。
 捻れくれた槍の穂先が金色の少女にぴたりと合わせられた。びくりと、半ば反射的にバルディッシュを眼前に構えるフェイト。
 すらりとした、しかし練り上げられた総身にぐっ、と力が込められ────

「俺“独り”に出来るのただ一つ……、全てを破壊することだけだ。──今も昔も、変わらずにな!」

 耳をつんざく爆轟が、深い夜闇に響き渡った。




 □■□■□■




 桜の魔力光と黒の虚無が迸る。
 なのはとベルの戦闘は、熾烈なドッグファイトへと移り変わっていた。
 幾度となく交錯し、炸裂する光────


「そうだよ! 私はあなたが憎い! ユーノくんを傷つけて、悪いことして……勝手なことばかり言うあなたが! 憎くて憎くてたまらない!!」

 砲撃を斉射しながら、なのはは喉を枯らさんばかりに声を張り上げ、自らの昏い望みを吐露する。憎悪を剥き出しにした彼女の表情に普段の優しい面影はない。
 度重なるダメージに、彼女の白いバリアジャケットは無惨にも半壊。骨でも折れているのだろうか、だらりと力ない右腕は辛うじて柄を握っているだけだった。

「ふん、やっと自分の本性を認めたのね! それで、憎いあたしをどうしてくれるわけ!?」

 短めのマントを翻すベルが、強い愉悦で端麗な表情を歪める。多少のダメージはあるものの、まだまだ余裕の様子で嘲笑う。

 強烈な火線と罵声をぶつけ合いながら、二人はぐんぐんと高度を上げていった。

「私はっ! あなたを倒す!!」

 魔力を逆噴射させたなのはが大きく後退、一気に距離を空ける。
 突然の機動にベルの反応がほんの僅か、一瞬だけ遅れた。その隙を突くように、レイジングハートの切っ先に桜色の光が収束。

「ディバイイィィイン! バスタァァアア――――ッ!!」

 収束した魔力が、一条の光の柱となった。
 光芒一閃。輝きがベルに迫る。

「そんな単調な攻撃が──」

 ひらりと砲撃を難なく躱したベルの目に飛び込んできたのは、光の奔流から飛び出した白い少女の姿。
 左手と脇を挟むこと構えた金色の突撃槍の先から赤い刃を発生させて、一直線に突進する。

「──馬鹿なっ、自分の砲撃に隠れて!?」

「うああああアアァァッ!!」

 獣のような叫び声。咄嗟に展開された障壁。
 鈍い激突音。
 障壁に突き刺ささり、貫通する真紅の刃。

「!!」

『エクセリオンバスター』

 刃の先に、眩いばかりの魔力光が収束する。目の前で膨れ上がる莫大な力に、ベルは余裕の表情を凍らせた。

「ブレイク!!」

 尖端下部に搭載されたカートリッジシステムが何度もロードを繰り返し、空薬莢をばら撒く。
 マガジンに残ったカートリッジの魔力全てを一身に受け止めるレイジングハートに刻まれた無数の亀裂。だが、なのははお構いなしに全身全霊の魔力を注ぎ込み続ける。


 ──この一撃に全てを賭けて。戦いに、決着をつけるために。



「シュ――――トッッ!!」



 解放された桜色の閃光が、全てを覆い尽くした。






「あーあ、負けちゃったか」

 倒壊しかけた高層ビルの中腹。
 ゼロ距離砲撃により、左腕と胸から上以外を消し飛ばされたベルは瓦礫に背を預け、至極残念そうに唇を尖らせる。

「あたしを独りで殺した人間は、あんたで二人目よ。誇っていいわ」

 満身創痍のなのはが、覚束ない足取りでベルの前に降り立った。額や腕から流した血によって紅黒く染まったバリアジャケットは、すでにドレスの体を為していない。胸元から左肩にかけて大きく破け柔肌が覗き、スカートは無残に千切れ真っ白な太股を露わにしている。リボンの切れた髪は宙を舞っていた。
 過剰なまでの大魔力で放たれた砲撃の反動と、3まで使わされたブラスターシステムの影響は深刻だ。確実に少なくない後遺症をなのはの身体に残すだろう。

「それにしても、理不尽な暴力からみんなを守りたい、だっけ?」

 精魂尽き果てた様子で呆然とする少女に、死にかけの魔王は唇を紅い三日月に変え、

「あんたがその、“理不尽な暴力”とやらになったら世話ないじゃない」

 そう、強烈な皮肉を吐き捨てた。

「──!」

「実力行使で邪魔者を排除するなんて、あたしたち“魔王”と一緒ね」

「それ、は……」

 アメジストの瞳を揺らして動揺する少女。魔王は、クスクスと彼女の矛盾を嘲笑う。
 妖艶に、酷薄にただ嗤う魔王の像が薄れ始めた。

「ま、あたしには関係ないこと、か。あんたとの殺し合い、それなりに愉しかったわ」

 ぼんやりと薄れる“蠅の女王”の見事な銀髪が、端正な容姿が──躯が、数え切れないほどの黒い蠅に変わっていく。

「──じゃあね」

 そんな、死に際にしてはあまりにも軽々しい言葉を残して、黒い蠅の群れは四散。深い闇の中へと消え去っていった。







 ────そして、星の光なき夜空の下に静寂が訪れた。


 主の手を離れたレイジングハートが、がらんと大きな音を立てて床に転がり落ちる。それとほぼ同時に、なのはは膝から弱々しく崩れ落てぺたりと床にへたり込んだ。

「ぅ……っ、ううっ……」

 両手で覆い隠された顔。押し殺したような嗚咽が漏れ出す。
 穢れなき純白にして無垢だった少女の啜り泣く声が、いつ終わることもなく深い闇に響いた。



[8913] 第九話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:ea7532d0
Date: 2009/08/22 21:06
 


 神速の斬撃が夜闇を裂く。
 闇に溶け込む黒き魔槍の鋭利な尖角が、激しい戦いの傷痕が刻まれた黒き戦装束を纏う少女へと襲い掛かった。

「せやあああああッ!!」
「つ……っ!」

 絶叫に近い砲哮。
 引き戻す動作の見えない五連突き。速射砲のようなそれを紙一重で掻い潜ったフェイトは、地面スレスレに走る大鎌を上弦の月を描く軌道で振り上げる。
 黒髪の少年の首筋を目指して閃く金月。通れば一撃で意識を刈り取るであろう斬撃を前にしても、彼の顔色は僅かも変わらない。引き戻された鋭鋒がそのままの勢いで捻り上げられ、真黒な柄が金色の魔力刃と噛み合う。
 ギン、と鋭い金属音が鳴り響き紅い火花が咲いた。

 至近、クロスレンジ。紅と蒼の眼差しが交差する。
 バルディッシュを握るフェイトの左手が柄から離れ、ガントレットに高圧電流が迸った。「このっ!」電気を帯びた拳が少年の顔面目掛けて繰り出す。
 「チ……」と小さく舌打ちし、首を傾げてそれをやり過ごした少年は、闇の槍を消滅破棄。上半身を沈ませつつ踏み出した左足を軸に半回転して、少女の懐に身体をねじ込む。

「あっ!」

 背を向ける形で電気を纏っていない二の腕を取り、身体全体を使った変則的な片手一本背負いの格好で、乱暴に投げ飛ばした。「きゃっ」と小さく悲鳴を上げたフェイトは、地面に激突する前に受け身を取ると片腕で素早く跳ね起き、その場を離脱。
 そこへ、入れ替わるように蒼白い光の束が突き刺さった。

 爆炎を背に、爆発的に魔力を高めるフェイト。自らの武器である“速度”でもって勝負を決めようと、イメージの中の引き金を引く。
 瞬間、金色の稲妻を残してフェイトの像が欠き消えた。

 歩法、体捌き、そして魔法──研鑽された技量は結実し、フェイトに肉眼では追えないほどの速度を与える。
 彼女は、予備動作から非常識なスピードで動く。それも一歩目の初速から。“ブリッツアクション”──身体全体の動作を高速化する十八番。十全に経験を積んだ者でも対応を見誤る、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンの戦闘能力の基本にして奥義。

 だが────


 金色の髪を靡かせ、瞬時に視界の外へと消える少女を、少年はただそれを見送る。否、全身から黄金の粒子──“プラーナ”を噴出させていた。

 生命の根源、存在の力が拡大した知覚と反応は、雷と同等の速さで縦横無尽に駆け巡る少女の動きを完璧に捉える。

「やあッ!」

 フェイントを織り交ぜた高速機動の終わり際。少年のやや右後方──左利き気味の両利きである彼の死角を突く位置に躍り出たフェイト。その方向に突き出された人差し指の尖端、白い鉤爪に仄かな閃光が灯る。

「コンティニュアルライト」
「──あぅっ!?」

 爆発的に明度を上げた烈光が、フェイトの視界を覆う。
 真白になった目の前。強烈なフラッシュが脳を焼き、鈍器で頭を殴られたような衝撃がフェイトの思考力を強かに刈り取る。

 本来は暗所を照らし出すためだけの魔法である“コンティニュアルライト”だが、夜というこの環境下、ごく近い距離で唐突に発光させれば、それだけで強力な目眩ましとなりえる。
 小手先の虚仮威しではあるものの、高速機動を処理するために魔法で知覚を拡大していたフェイトには痛烈なカウンターだった。

 フラフラと、覚束ない足取りでふらつくフェイト。
 トントントン、とバックステップで致命的な隙を曝け出した彼女との距離を測り、魔王は濃藍のコートを翻して夜闇を疾走する。放射状に取り巻く白い腕輪の嵌った左掌の中に、清冽な蒼白い輝きが集う。

「少し眠ってろ。その間に全て終わる」
「……っ!」

 閃光弾じみた輝きによる奇襲により、ほとんど茫然自失状態の少女へと灼光の爪甲が迫る。

 悪魔の腕が彼女の身体に真っ直ぐ伸び────


「──魔力爆裂弾」


 それを阻止するような抑揚のない声とともに、突如上空から鋼鉄の塊が落下した。

 フェイトと少年の間を遮るように着弾すると、内部に溜め込んだ魔力を放出して炸裂。
 小規模な──だが、強烈極まりない魔力爆発の内に黒髪の魔王の姿が飲み込まれた。

「あ、あなたたちは……」

 自失からようやく立ち直ったフェイトを庇うように、二人の男女が降り立つ。

「……真行寺命、緋室灯」

 噴煙を切り裂いて大きく跳び退いた少年が、忌々しそうに表情を歪めて乱入者たちの名前を呼んだ。

「何とか間に合ったみたいだね」
「……独りでは危険よ。一緒に戦いましょう」

 魔剣の勇者と緋色の魔女が、黄金の少女に共闘を呼びかける。
 “魔王”を討ち、“世界”を救うのが彼らウィザードの役目、存在意義だ。それは、異世界であろうと変わることはない。

「で、でも……」

 肩口から振り返った二人を順に見返して戸惑いの声を出したフェイトは、負い目を感じているのだろうか、悠然と佇む少年の顔色を窺うように視線を向けた。
 その不安そうな表情に内心で苦笑した彼は、いつもの不敵な笑みを作り口を開く。

「三対一ってのが気になるのなら、そいつは大きなお世話だ」

 おもむろに左手を目の高さまで上げられ、蒼いアームガードに覆われた手の甲を外に向ける形で翳し、強く握り込まれた。
 それを合図に手首に嵌った純白の腕輪が回転。手の甲側に回ってきた緑の宝玉が輝き、その威光をまざまざと見せつける。

「そんなもの、俺にとっては何のハンデにもならない。──“信頼の魔力”」

「──!!」

 彼の背後──深遠の闇から“信頼”の証たる緑の光を纏い、実体を持つ二体の幻影が顕現した。

 闇を凝り固めた槍──ヴォーテックスランスと、月衣から引き抜いた魔剣の“箒”──デモニックブルーム。それぞれの幻影がそれぞれの武器を持ち出す。
 刹那────、りん、と涼やかな音が鳴り、少年の足下、アスファルトの地面に七芒星を抱いた複雑な紋様の魔法陣が描かれる。あまりの唐突さに、誰一人として彼を止められない。
 いつの間にか左手の中に発生していた蒼白い光球が、天に向かって撃ち上がった。白き腕輪に、全てを打ち砕く“正義”を象徴する紫の輝きが灯る。

「ジャッジメントレイ」

 上空に達した光球は弾け飛び、辺り一帯に強烈な閃光の驟雨となって降り注ぐ。フェイトたちは皆、弾かれたように分散、回避運動に入る。
 ひとつひとつが強力な砲撃魔法と同等のそれらは、ビルや街灯、植木などを爆発でもって無慈悲に薙ぎ倒した。

 夢幻のような蒼銀の光を見やり、破壊を巻き起こした張本人は半身になって左手を前方に突き出す。腕に巻き付いた七枚の“羽根”が肥大化して、巨大な弓の形に組み上がった。

「さぁて、この“世界”の命運を掛けた勝負の第二幕──始めるとしようか」





 天まで聳え立つ紅い“楔”を背景に、魔法使いと魔導師が強大なる魔王に挑む。
 鋼鉄の砲弾と閃光の矢が街中を飛び交い、四種の斬撃が火花を散した。

 少年が、幻影に足止めされた前衛二人を射抜かんと白き大弓の弦を引けば、そうはさせじと灯が黒き魔砲の引き金を引く。
 一進一退──攻防は、後衛同士の読み合い、そして、駆け引きの様相を呈していた。


 軽やかな足裁きで戦場を駆ける灯。「当たって」抑揚のない機械的な声。魔弾の射手が、反動抑制の模様が描かれたガンナーズブルームの砲塔を魔王に突き付け、撃ち放つ。
 幾多の魔王を葬り去ってきた魔弾を、少年はサイドステップで躱しながら弦を引き絞る。右腕に帯同したピンポン球大の小さな十個の光球“マジックブレッド”、その全てを一挙に矢として形成してやや上方へ撃ち放った。
 山形の軌跡で落下する魔法の矢。降り注ぐ驟雨にいったん交戦を中断、回避運動を取るフェイトと命。幻影は、矢の落下地点を見切っているのだろう、回避に専念する二人に襲い掛かる。
 そんな混戦の状態でも灯は至極冷静に砲撃を放ち続ける。正確無比な射撃と強力な魔法を湯水のように放つ“本体”を放置していれば、自分たちが不利になるばかりだと聡明な彼女はわかっていたからだった。

「さすがだな、緋室灯。だが……!」

 度重なる執拗な射撃にじれた黒髪の魔王は、一気に決着を付けようと地面を強く蹴る。
 透明な音を立てて弓から分離した“羽根”が、灯に向けて突撃する。それに反応したフェイトだったが、彼女の相手をする槍の幻影に阻まれ動けない。
 青い光の尾を引いて突撃する七枚の羽根を、僅かな体重移動だけで避けた灯に最接近を果たした少年が、右腕から魔法の刃を発生させた。

「あかりん!」

 幻影と鍔迫り合いを演じる命が切羽詰まったような声を上げる。
 迫る凶刃を避けきれないと悟った灯は、躊躇なく“切り札”を切った。「幻想──」彼女の姿がぶれ、幻想的な虹色の光に包まれる。

「やらせん!」

 魔王が吼え、アイン・ソフ・オウルの一基が抱く青の宝玉が煌めく。七枚の白き“羽根”が宝玉と同じ色に発光。

「う……っ!」

 真実を見通す“賢明”の輝きが、灯の纏う幻想の光をいとも容易く破砕した。“力”を無理矢理に終了させられた反動で蹈鞴を踏んだ魔法使いの息の根を止めようと、蒼銀の剣が閃く。


 ──剣光一閃。
 蒼い光が闇を斬り裂いた。


 重い金属が落下したような鈍い音が辺りに響き渡る。

「チィ……! しぶとい!!」

 ガンナーズブルームを盾にして辛くも斬撃から逃れた灯に、少年が毒づく。
 そして、真っ二つになって地面に転がる“箒”の残骸を乗り越えて、後退する灯を追撃。灯は無手の状態、次の一撃は防げない。

「これで終わりだ、“紅き月の巫女”!!」

「……ッ!」

 黒いジャケットに隠された豊満な胸元──その奥にある鼓動の源を目掛け、魔力の刃を纏った手刀が繰り出される。

 しかし、


「はあああああっ!!」
「うおおおおおおッ!!」

 幻影をヒルコの錆にした命と、同じくザンバーフォームで幻影を斬り倒し、突破したフェイトがそれぞれ左右から挟み込むようにして突貫した。
 裂帛の気合いとともに叩き込まれた、彗星のごとき斬撃。
 主を庇うように機動した“羽根”と、対象を失った魔力刃が軌道を変えて振り抜かれる。
 ヒルコの刃を阻んだ白亜の大盾と、黄金の大剣と噛み合う蒼銀の剣。両側から二人に挟まれ、身動きの取れない少年が“魔王”らしい尊大かつ高慢な表情で、目の前のウィザードを睨め付けた。

「ッ、これで動きを止めたつもりか? 武器を失ったアンタじゃ何も出来ないぜ」
「いいえ、武器ならあるわ」

 灯は、いつもの無表情で──いや、僅かだが、確固とした自信を漂わせる面差しで、鋭すぎる剃刀のような蒼い眼光を受け止める。
 そして、無手となった両手を“何かを構える”ような格好に変えた。


「エンジェルシード」


 ────何もない空間から現出したのは、曇りの一つもない純白の“箒”。

「何、だとッ……!?」

 およそ二メートルほどの丸みを帯びた近未来的なデザインのそれは、“天使”の名を冠した魔砲の“箒”。“金色の魔王”すらも撃ち抜いた、今回の遠征任務に際して用意された灯の“奥の手”。
 三十センチはあろうかという水晶で構成された四角柱の弾丸をそれに装填し、緋色の魔女は白き魔砲を腰溜めに構えた。


「これで──、終わり……!!」


 透明な砲哮と共に白き“箒”砲口から解き放たれた魔力の輝きが、白き“羽根”の魔王を余すことなく撃ち貫いた。



[8913] 第九話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:e32ef082
Date: 2009/08/30 20:59
 


「グ……」

 呻き声を漏らし、片膝を突く黒髪の魔王。紅い鮮血が滝のように流れ落ち、地面を紅く染め上げる。純白の“箒”──“エンジェルシード”から放たれた“水晶魔力弾”は、彼の左脇腹を貫通して肉を大きく抉り取っていた。
 その力の象徴たる七つの宝玉を抱いた白き“羽根”が、何者も通さない意志を秘めた蒼銀の光を発して、深い傷を負った主を護るように周囲を漂う。

 式を管理していた者が倒れたことに呼応して、禍々しい輝きを放っていた巨大な“楔”が安定を失い、紅い粒子となって天に還っていく。
 魔王から少し離れた場所で油断なく構えていた二人の魔法使いは、不気味な波動を発していた“楔”が消滅したことに安堵のため息を漏らした。


 少年の脇腹には魔獣の顎門に喰い千切られたかのような傷跡が広がっている。暗がりのお陰で判別しづらいが、内蔵が傷口から零れ出しているかもしれない。
 そのダメージは甚大だ。
 首を斬り飛ばされようが肉体を丸ごと消し炭にされようが、そう簡単には“死ねない”存在に成り果てた彼である。これしきのことでは致命傷に成り得ない。
 だが、“楔”の維持に傾けていた魔力をカットして、肉体の治療に充てなければならないほどの損害を受けたのは確かだった。

「やって、くれたな……!!」

 身を引き裂くような激痛と、気が狂いそうな怒りに半ば我を忘れ、壮絶な形相で顔を上げた少年は、自分から数歩離れた場所で立ち竦み、血の気の引き切った真っ青な顔で自らを見つめる金色の髪の少女に気がついた。
 まるで、この世の終わりでも目の当たりにしたかのような深い絶望感の帯びた表情。紅玉の虹彩は狼狽の色を浮かび上がらせ、潤み、揺れている。

 一瞬、何をそんなに恐れ慄いているのかわからなかった彼は、自らの醜態に思い当たると自嘲混じりの微苦笑を漏らした。
 冷や水を頭からかけられたように治まっていく憤怒の感情。冷静さを取り戻した思考が、自らの不甲斐なさを罵倒する。


 ──まったく、情けない。馬鹿か俺は。


 おもむろに立ち上がり、脇腹の穴を左手で軽く撫でる。深々とした穴は、見る見るうちに塞がる。“楔”の維持に使っていた魔力と“プラーナ”で傷口を取り繕うと、喪失の恐怖に震える小さな女の子に余裕を漂わせたふてぶてしい笑みを見せてやる。
 その笑顔の意味するところを汲み取れた少女の表情から、ネガティブな感情がゆっくりと引いていく。まだどこかぎこちないが、しっかりと微笑み返してきたことに満足すると、少年は面差しを凛々しく鋭利に変化させた。

「…………」

 そして、蒼白い魔力で構成された菱形三対の翼を創り出した彼は、少女と魔法使いたちに背を向け、

「この“茶番”は“俺”の負けでおしまい、か。だが──」

 言葉に含みを持たせて意味深に結尾を切る。
 ふわりと、夜空のように深い紺青の外套の長い裾が翻った。

「あっ、待って……!」

 制止の声を無言で振り切り双翼を広げた魔王は、純白の“羽根”を引き連れて夜闇の彼方に消えていった。












  第九話 「双月ふたつきの光に抱かれて…」












 天に昇っていく蒼銀の光を、食い入るように瞳に焼き付ける少女──フェイト。焦がれるのように、じっと飽きることなく、一途に眺め続けている。
 その姿が視界の片隅に入り込み思考の端で不審に思う灯はそれをいったん切り捨てると、命に向き直った。

「これからどうするの、命」
「そうだね……。今なら彼を、“シャイマール”を斃せるかもしれない。後を追って決着を──」
「──あ、あのっ!」

 相談を終え、頷き合う命と灯に、フェイトは焦ったようにどもりながら声を出す。「何?」と不思議そうに振り向いた二人の視線を一身に集めてしまい、一瞬身を竦める。

「その……、助けてくれて一緒に戦ってくれたことは感謝してます。ありがとう」

 バルディッシュを両手で抱き抱え、おずおずと言葉を紡ぐ。
 やや引っ込み思案のきらいがあるフェイトだ。友人や家族、気を許した相手ならまだしも、ほとんど初対面に近い相手に“わがまま”を言うのは気が引けていた。
 緊張した様子で「でも……」と言いづらそうに濁す。内心で、言わなきゃ私っ! 自分と叱咤して次の句を──“お願い”を唇に乗せた。

「──“あのひと”との決着は、私ひとりでつけなきゃいけないんだ。だから、ひとりで行かせてほしい」

「──!」「……」

 その言葉に驚く命。彼の隣にいた灯は、ただ無言でフェイトを観察していた。

 “魔王と独りで戦う”──それは、“魔王”の脅威を身を持って知るウィザードにしてみれば、正気の沙汰ではない。
 こちらに来てすぐの交戦の際、命たちは皆、内心では死を覚悟したほどだった。
 それだけ“魔王”はヒトから隔絶した超然的な存在なのだ。

「独りって、そんな無茶だよ。ここは三人で──」
「わかったわ」
「──あかりん?」

 咎めようとした命の言葉を遮った灯。怪訝な顔をした命の問い掛けを半ば無視し、フェイトの悲痛にも見えるひどく真剣な表情を見つめ続ける。

 ──色合いの違うアカの瞳が交差した。

 灯は、自分を見返すルビーを思わせるような真紅の瞳に映る感情に、見覚えがあった。
 血みどろで膝を突く少年を前にして身を震わせていた姿を見た際にも感じた既視感。その意味するところに、灯は強い共感を覚えた。──それは、彼女の心の湖面に広がる鮮やかで暖かな色と同じ色。同じ感情だったから。
 一目見たときから、フェイトにどこか自分と似た印象を感じていた。彼女の素性など灯が知る由もないことだが、それはきっと“似たような存在”であるからではなく“ひとりの人を強く想う”もの同士だからなのだろう。


「ありがとう」

 控えめに咲き誇る白百合のように破顔するフェイト。そんな年頃の女の子らしい表情をする彼女を微笑ましく思いに、灯が少しだけ目を細めて柔らかく微笑した。

「……がんばって」

 灯らしい、飾りっけのないシンプルな言葉。とても優しい──そう、さながら子どもを送り出す母親のような声色に込められた想いに、フェイトがハッとつぶらな瞳を見開く。
 フェイトと灯、ふたりの心を繋ぐ不思議な共鳴。シンパシーとでも言うのだろうか、彼女たちの間に連帯感のようなものが生まれていた。

「うん!」

 灯に最大級の笑顔を返したフェイト。
 黒の装束に包まれた華奢な身体が、ふわりと地面から離れる。次の瞬間、彼女は重力の軛ら解き放たれ、大空に飛び出した。
 金色の閃光が、蒼銀の光輝の軌跡を追いかけるように勢いよく夜空を駆け上がっていく。


 ────もう失ってしまわないように。しっかり捕まえて、もう消えてしまわないように。






「本当に、これでよかったのかな」

 夜闇に消えてゆく輝きを見上げながら、命がぽつりと零す。
 この場に残った唯一の男性だった彼は、結局最後まで蚊帳の外だった。

「いいのよ、これ以上の邪魔は野暮だもの。……馬に蹴られて死んでしまうわ」

 同じく、空を見上げてしみじみと言う灯。
 フェイトのひたむきな姿に、少し前までの──そして、これからの自分をだぶらせていたのかも知れない。

「あの子の気持ち、なんとなくわかる気がするから」
「そっか……。僕にはなんだかよくわからないけど」
「命にはきっとわからないわ」

 恋人のきっぱりとした言葉に、命は肩を竦めるのだった。




 □■□■□■




 広々と晴れ渡った紺青の夜空に双子の月が浮かぶ。キラキラと満天に瞬く星々はまるで宝石箱から零れ落ちた貴石のよう。
 そして、その下には灰色に濁った雲海が遙か地平線の果てまで、延々と広がっていた。


 一面、絨毯のような雲海の上に佇むようにして浮かぶ、闇色の髪の魔王──今は“ただの少年”と表するべきかも知れない──は、両手をポケットに突っ込み、瞼を閉じてまんじりともせずに、ただじっと“待ち人”を待ち続ける。


「──来たか」

 海色の瞳がゆっくりと開かれる。
 彼の背後、三メートルほど離れた位置の雲が盛り上がり、眩いばかりに煌めく金色の光が溢れ出した。

「…………」

 雲海を割って現れたのは、黄金の髪を靡かせた紅玉の瞳の麗しい少女。少年にとっては天女に等しい、何よりも大切に想う強くて儚い女の子。
 彼女が纏うのは軍服を思わせる黒き衣と白のマントではなく、漆黒のレオタード。二の腕や腰に巻かれた紅のベルトがアクセントになっている。
 “真・ソニックフォーム”──魔力の全てを速さに費やした超高機動・高運動性特化形態。それに残る、幼き頃に身に着けていたバリアジャケットの面影に、少年の表情が僅かに綻んだ。

「それが君の“リミットブレイク”か」
「うん」

 その右手には、黄金に光り輝く方刃の長剣が収まっていた。
 旧バルディッシュの“シーリングモード”の尖端に似た印象の鍔飾りに、取り回しやすさを優先して柄頭に移動した回転式のカートリッジシステム。高電圧を帯びた魔力刃は、ザンバーフォームのそれを超えるほどの魔力が圧縮されている。
 “ライオットブレード”──バルディッシュ・アサルトのフルドライブモードだ。


「あー……、しかし、その、なんだ」

 らしくない歯切れの悪い物言い。
 何故か盛大に目を泳がしては、ちらちらと少女を見やる。──主に生地に押し込められた豊満な胸部や、やたらと強調されてしまっている臀部の辺りとかを。

「その格好……、少し、というか、かなり目の毒だな」

 気まずそうに頬を指先で掻きながら発せられた言葉。その真意が読みとれず、少女がきょとんとして小首を傾げる。疑問符を浮かべたまま、幾らかの沈黙を挟み「──っっっっ!!」絶句。
 耳まで真っ赤に茹で上がり、反射的に胸やら腰やらを両腕で隠してしまってもバチは当たらないだろう。

「も、もうっ! マジメにやってよっ!?」
「あはは、悪い。つい、な」

 精神の再構成を果たし、頬を朱に染めて憤慨する少女に、少年は悪びれた様子でどこか稚気の帯びたいたずらっぽい笑みを零す。
 再会してからこっち、やけに乙に澄ました態度が目立った彼の、“あの頃”の面影を残す表情──少女は、胸の奥がほんわかと暖かくなるのを感じた。
 やっぱりどこも変わってない、とうれしく思う。

「あ、そうだ。その……えと、おなかの傷は?」
「心配するな。もう塞いだ」
「でも……」
「俺は死なないよ」

 心配そうにする食い下がる少女を制す、飾り気のない簡素なセリフ。その言の葉に込められた絶対の自信と強固な信念に、彼女は息を飲んだ。

 数瞬の見つめ合い。

 優しく暖かな紅と、清冽に澄み渡る蒼。対照的で、それでいてどこか似通った印象を秘めた瞳に、お互いの姿が映り込む。
 少女の瞳に浮かんだ少年の像が唇を歪め、獰猛な笑みを形作った。

「それじゃあ、やるか」いつの間に回収したのだろうか、少年はデモニックブルームを月衣から抜き出して、肩に担ぐ。

「……うん」きりりと表情を引き締めた少女が、光の剣に形をしたバルディッシュを青眼に構えた。

「私も覚悟を──、あなたを倒すって、乗り越えるって決めたから……覚悟して」
「“覚悟”、か……。言ってくれるね。じゃあ返り討ちにしてくれる、とでも言っておくか」
「今度こそ、負けないよ」
「君の負けず嫌いは相変わらずだな」
「それ、あなたにだけは言われたくないよ」
「ふっ、違いない」

 軽口を叩き合い、二人はその身に秘めた魔力を発露する。

 漆黒の魔導師が黄金の雷光を全身に纏えば、魔法使いの背負う純白の羽根が蒼銀の粒子を噴き出す。



「「全力全開──!」」



 空に浮かぶ双月──その輝きを同じくする二色の光が、紺青の夜闇を照らし出した。



「行くよ!!」「行くぞ!!」







 ふたりの想い、ふたりの願い、ふたりの行く末……、


 その全ての答えは、静やかに、しんしんと降り注ぐ蒼き月光の向こうに────



[8913] 第九話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:debc04f8
Date: 2009/09/11 20:54
 


「たああああッ!」
「オオオオオッ!」

 雄叫びとともに、魔力の干渉波が周囲に飛び散る。
 バルディッシュ・ライオットブレードが発振する黄金の刃と、デモニックブルームの刀身を覆う蒼銀の刃が幾度となくぶつかり合い、燃え盛る気迫の炎が天を焼いた。

 夜空を翔る二筋の光芒。
 鳴神を思わせる金色の閃光と、鋭き名刀にも似た蒼き烈光──二色の光輝は、慣性を無視した不規則な軌道で幾度となく、もつれ合うように激突を繰り返す。戦士としての器量を遺憾なく発揮して鎬を削る一対の光の攻防はしかし、拮抗しているとは言い難い。
 黄金の輝き──フェイトの最大戦速は、蒼銀のそれを遙かに上回り、今も衰えることなく加速し続けている。

「ッ、──またも迅くなったな! “リミットブレイク”は伊達じゃないか……!!」

 圧倒的な速度の乗った斬撃を、魔力の刃で辛くも受け流した少年がその衝撃に苦悶の表情を見せる。柄を握る手に痺れが残るほどの重い一撃に、彼は内心で舌を巻く。
 迅い。迅すぎる。
 繰り出される斬撃に対応するのが精一杯の防戦一方。攻め倦ねていた。
 彼とて近接戦が苦手なわけでもなければ愚鈍なわけでもない。むしろ神業と言ってもいいほどの実力を備えている。だが、それを遙かに凌ぐほど、フェイトの発揮する速力が尋常ならざるものだったということだろう。

 なおも続く猛攻。鋭い太刀音が何度も鳴り響く。

 一方的に攻勢を掛けるフェイトだったが、彼女もまた内心で焦りを感じ始めていた。
 少年の柳のようにしなやかで巧みな守勢に、決め手を欠いていたのだ。
 しかし、ひとたび距離を離そうものなら、猛火のような魔法の嵐が襲っていることは疑いようのない事実。少年の戦闘能力の真髄が、豊富すぎる多種多様な魔法による砲撃戦だということを誰よりもよく知っているフェイトは、故に攻めることを止められない。


「く……っ! ──まだまだッ!!」

 このままでは消耗するばかりだと悟ったフェイトは、一気に決着を付るため、ギアをさらに上げた。
 瞬時に加速、すり抜けざまの横一閃からの急制動、そして反転。斜めに斬り上げ、斬り降ろし、薙ぎ払う──留まることのない疾風迅雷の剣撃。
 月光を受け、煌びやかに輝く見事な金糸の髪を振り乱し、雷光の乙女が優雅にして苛烈な剣舞を演じる。
 演舞の相手を務めるのは黒髪の少年。彼が纏う濃紺のコートに、次々と大小さまざまな傷跡が刻まれていく。

「はあああッ!」

 渾身の斬撃が、縦一閃で放たれた。

「これで──!」
「なめるなッ!!」

 恐るべき速度で走る金色の光剣を無理矢理に割り込ませた刃で弾き、少年が砲哮する。
 彼の全身から爆発的に噴き出した蒼銀の燐光。その中に混じる黄金色の煌めき。
 魔力とは違う、純粋無垢なる生命の光輝だ。

 少年の姿がフェイトの視界から刹那よりも速く欠き消える。

「またこの“光”……!? ──きゃああっ!」

 突然のことに虚を作ったフェイトを横合いから襲う衝撃。
 大きく吹き飛ぶ彼女の視界に、跳び蹴りを放った格好をした少年の姿が映った。

 有り余る“プラーナ”の一部を解放することによって引き上げられた速力は、全力を発揮したフェイトのそれに及ぶ。
 同じ魔力──魔力素、マナというチカラを操る“魔導師”と“魔法使い”。だが、両者には“プラーナ”の操作という絶対的に超えがたい、隔絶した壁が立ちはだかっていた。


 ──均衡が、破られる。


 右から左へ横一文字に斬り払われる長剣。刃から放たれた蒼白い光波が、弾き飛ばされて崩した体勢を立て直すフェイトを追い立てた。
 光波を魔力刃で受けた少女に、背負った“羽根”から魔力の粒子を噴射して追迫。空いた左手が、払ったままの長剣の柄を握り込む。

「ハアアアァァッ!!」

 間髪入れずに再度加速。爆発的なソニックブームが後方に巻き起こる。
 金色の刃と噛み合い、阻まれていた光波の上から、膨大な魔力を注ぎ込まれた蒼銀の光刃が雲燿の速さで叩き込まれた。
 蒼き月光の輝きを映した十字の斬撃が、フェイトの華奢な全身にのし掛かる。
 受け止めた魔力刃に亀裂が入り、次の瞬間、ライオットブレードの刀身が無残にも砕け散った。

「う、あ……っ!?」
「沈め!!」

 大斬撃の衝撃に、身体が浮いた少女の頭部を刈り取るように痛烈な追撃が突き刺さる。流れるような動作で放たれた上段回し蹴りが打ち込まれ、フェイトは灰色の雲海へと蹴り落とされていった。

 濁った雲が、まるで水しぶきのごとく吹き上がる。

「……」

 “箒”を逆手に構え直し、ゆらりと泰然として──それでいて油断なく少年は佇む。

 ──数瞬の静寂。
 真白な音が、紺色の空を包み込んだ。
 静かな湖面のように澄んだ心で、彼は辺りを窺った。
 その時、雲を割り裂いて少女が勢いよく飛び出て、逃げるような軌道を描いて退いていく。

(ここで退く……? らしくないな、何のつもりだ?)

 疑問を感じながらもすぐさま追い付き、“箒”を振りかぶる少年。フェイトは、振り向くが避けようとしない。表情は平時のまま──否、ひどく無表情だった。
 そのあまりの不自然な有り様に、彼の脳裏に強い違和感が過ぎる。しかし、魔法剣は停止することはなく、彼女のか細い身体を易々と“断ち斬った”。

「ッ、幻影、だと!?」

 分断された虚像がやにわに揺らぎ、霧散。
 刹那、黄金に輝く一振りの剣が背後の雲を斬り裂いて現出した。

「私にだって、幻術くらい使える!!」

 ザンバーフォームの面影を残しつつ、尖端が二股となった長大な剣──バルディッシュのリミットブレイクフォーム、“ライオットザンバー・カラミティ”を両手で握り、肩に担いだフェイトが全身全霊を賭けた特攻を仕掛ける。

「!!」

 “災厄”の名を関した雷霆の光剣が、意識外のことに動揺した少年に肉迫。間一髪で防御に入ったデモニックブルームの白刃を、超々高密度の魔力刃がバターのごとく切断した。
 重攻撃専用形態の名に恥じない万物斬断の一撃に、少年が一瞬だけたじろぐ。

「チイッ!!」

 怯んだ精神を切り替えるように舌打ちを吐き、使い物にならなくなった“箒”を破棄。両腕に蒼銀の魔法剣──“オリハルコンブレード”を発振させる。

「はあああああ──ッ!!」

 彼の行動に合わせるかのように、フェイトは大剣を瞬時に幾千幾万のパーツに分解・再構成。柄頭を金色の魔力ワイヤーで連結されたライオットブレード二刀流──“ライオットザンバー・スティンガー”を両手に携え、迎え撃った。


 彼らの心を映すように、澄んだ剣戟の響きが月下に木霊する。

 速度をさらに上げた二色の輝きが、光の尾を膨張させて激突した。


「あなたは──、いつも! いつもいつも!」

 秘めたる思いの丈を吐き出すようにフェイトが叫ぶ。寂寞の想い、その全てを言の葉に乗せて。

「勝手にあらわれて、勝手なことばかり言って……、勝手に好きだなんて言って! それで、最後は勝手に居なくなっちゃって!!」
「……ッ!」

 声涙ともに下り、言葉とともに走る右の剣。
 ほぼ同等の運動エネルギーが込められた迎撃の左と相殺。両者弾かれる。

「管理局がどうとか、世界がどうとかなんて、関係ないっ! 私は……私はっ、あなたがいっしょにいてくれるだけで──、そばにいてくれるだけで、それでよかったのに!」

 真紅の瞳から大粒の涙が溢れ出し、白皙の頬を伝い流れて宙を舞う。
 透明な雫が月の光を反射して煌めいた。

「いろんなこと、たくさん話して……、いっしょに学校へ通って、それからみんなと遊んだりして──、ふたりでいろんなところに行って……!」

 溢れ出す感情を飽和させたフェイトはとめどなく紅涙を絞る。
 袈裟斬りに振り抜かれた黄金の魔力刃が、防御の蒼銀の魔法剣と接触。夥しい量の爆光と衝撃波を撒き散らした。

「ときどきケンカして……、こんな風じゃなくて、普通に──。それから仲直りして、いっしょに笑いあって!」

 失った時間、忘れていた想い、魂の奥底に封じ込められていた数多の願い──それをフェイトは、叫ぶように声に出して伝える。
 いくら想っていても届かないと。声に出して、動き出さなければ伝わらないのだと彼女は知っているから。

「もっと──、もっともっといっしょにいたかったのに! いっしょにいて欲しかったのにっ! ──なのにどうして!?」

「ッ、俺だって──!」

 ただただ黙って、フェイトの剣撃ことばを受け続けていた少年が左手の刃を薙ぎ払うように振るい、叫ぶ。
 それを受けたフェイトは、言葉にならない小さな悲鳴を上げながら弾き飛ばされた。

「この六年、君のことを想わない日はなかった!!」

 常日頃から押し殺してきた昏い情念の渦が、理性という枷を弾けさせて爆発する。

「遠く離れた“世界”で、大切な君と離ればなれに、側に居れなくて……、それで君が誰かに気を移したりはしないか、何か酷い目に遭ってるんじゃないかって!
 こうして帰ってきても、思い出してくれるか不安だった! 不安だったんだ!!」

 苦虫を噛み潰したような表情で血を吐くように自らの思いを吐露し、少年は蒼銀の刃を閃めかす。
 それは澱み。
 深層意識の海原に澱んだ冥闇──あの雪の夜、別れの時に刻まれた挫折と焦燥の傷痕だった。

「だけど仕方ないじゃないか! あのときの俺には、こうすることでしか君を幸せには出来なかったんだから!」

「そんなの言い訳だ! どんなときでも、どんなことでも、投げ出さないで諦めないのがあなたじゃないの!?」

 二人の戦いはすでに、ただただ闇雲に剣を振り回すだけの無様な打ち合いとなり果てていた。
 不器用な想いを刃に宿して、相手の剣おもいに自らの剣おもいを打ち付ける。
 絶えることのない剣戟は語らいの音。途切れた絆を紡ぐ音。

「私は──、そんなあなただから好きになったんだよ!? 大好きで大好きで、しょうがないんだから!!」

 腕をクロスして放たれた峻烈な斬撃を受けて大幅に後退したフェイトが、喉が張り裂けんばかりに声を張り上げる。
 そして、慣性操作で体勢を無理矢理に立て直すと、自らの“魔力”の色とは違う黄金の“光”を身に纏って突撃した。

 ──それは高まった感情が引き起こした無意識の発動。
 フェイトの魂に偶然遺された“奇跡”のかけらが引き起こす、“覚醒”の契機だった。


「魔力じゃない!? この“光”は────」


 腕いっぱいに広げられた雷閃迸る双剣と、向かい風に煽られる艶やかな金砂の髪はまるで、大空を羽撃く一対の翼。


「ああああ──ッッ!!」


 雷速を超越した────極超音速にまで到達した黄金色の光翼が、蒼い夜闇を一筋に斬り裂いた。







 金の少女と蒼の少年が抱き合うような形で夜空に浮かぶ。紺青のコートには、焼き切ったようなV字の痕が刻まれていた。
 結局、少女は彼を討つことが出来ず、非殺傷設定で放たれた渾身の斬撃は、ミミズ腫れのような痕を少年の身体に残しただけ。

 光の剣を収納し、少女は空いた両手で少年の胸の辺りの服をぎゅっと掴む。

「……もう、どこにも行かないで」

 夜空色の生地が涙で濡れる。
 強烈無比な斬撃を受けたというのに、少年は巌のごとく揺るがない。それに込められた想いを甘んじて受け止めるように。

「ひとりにしないでよ、ユーヤぁ……」

 広く逞しい胸に額を押し付けて、フェイトは絞り出すように愛しいひとの“なまえ”を呼んだ。
 少年は────攸夜は、自分にすがりついてすすり泣く、容易く手折れてしまいそうなちいさな女の子を強く抱きしめる。
 そして、万感の想いを込めて、誰よりも大切に感じる自らの“居場所”と決めたただひとりのひとの“なまえ”を紡いだ。

「──……ごめんな、フェイト。だけど、もう離さないから……。ずっと、いつまでも、君の隣に居るよ」

「うん、うん……っ! ずっと、ずーっといっしょだよ……っ」



_



[8913] 第十話‐1(15禁? 注意)
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:c61ac231
Date: 2009/09/05 21:00
 


 天に寄り添い浮かぶ双子の月のように、少女と少年が夜空をたゆたう。ふたりを癒す治療魔法の幻想的な蒼銀の淡い光が、その光景をまるで物語の一ページのように彩っている。
 六年の空白──、それを埋めるように心と身体を重ね合う。そんなふたりを囲むように漂う七枚の“羽根”が、“七徳”の宝玉がちかちかと光らせて祝福していた。

 攸夜の首根っこにしかと抱きつき、フェイトは六年ぶりに──墓地での一件はカウントされていない──感じる恋人の温もりを、心ゆくまで堪能する。

「ユーヤ、ユーヤっ、ユーヤっ!」

 目尻に涙を溜め、何度も何度も飽きることなく愛しいひとの名前を繰り返す。
 そんな彼女の様子に、攸夜は微笑ましくも苦笑する。昔年の願いを成就させた彼の胸中は幸福感で溢れていた。それはその腕の中でめいっぱいに甘えている女の子も同じだろう。
 すると件の少女は何を思ったか、じっと上目遣いで攸夜の顔を見つめ始める。どこか不安そうな、それでいて陶酔したような顔付きに、何気に純情な少年の心臓がどくんと脈打った。

「えへへ……、ユーヤ〜♪」

 薄く開き、紅い舌の覗いた艶かな唇。そこから零れた鼻にかかったような猫なで声、鼻孔をくすぐる蜜のごとく甘い香りのする金髪。かわいらしくも美しい白百合の笑顔を彩るのは、うるうると艶めかしく潤むつぶらな瞳。
 それから、胸の辺りに押しつけられて潰れたとてもすごく柔らかいナニカの感触────

(ちょっ、近い近い近いっ! 息とか胸とか当たって!? ──やっぱりフェイト、ふわふわ柔らかくて気持ちいいなぁ……じゃなくて!!)

 妙なところで年相応な思考回路は過負荷によりショート寸前、パニック一歩手前の状態にまで追い込まれていた。
 有り体に言うなら、攸夜はとてもすごく照れている。

 そんなことなどつゆ知らず、出し抜けに瞳をぎゅっと瞑ったフェイトが首を伸ばした。「ん〜」と不自然に唇を突きだし、ぐいっと、攸夜の顔めがけて。
 二人はほとんど隙間なく密着した状態。

 当然────

「いたっ」
「きゃっ」

 ごちんとおでこをぶつけ合い、思わず離れる攸夜とフェイト。
 赤くなった額を撫でつつ攸夜が非難のジト目を向ける。不意打ちがそれほど痛かったのだろうか、わずかに涙目だ。

「……急に何のつもりさ。目から星が出たじゃないか」
「あう……、ご、ごめんね。えっと、いまのは、そ、その……」
「うん?」

 フェイトは、やんわりとした追求にもじもじと前掛けの裾を指先でいじる。「あの……」だの「うんと……」だのと呟くその頬は、羞恥の感情で朱に染まっていた。

「──したいなって……」
「はい?」
「ゆ、ユーヤとキスしたいなって思ったのっ!」

 かなり過激なセリフを発したお嬢さんは言ったきり、真っ赤に茹で上がって俯いてしまう。

 沈黙が流れる。
 ぽかーんと口を開いてフリーズした攸夜と、赤面したまま恥ずかしさのあまり縮こまるフェイト。

 現実世界にいち早く復帰した攸夜が「ははーん、なるほどなるほど……」と意地の悪い笑みを浮かべる。記憶にある“あくま”の笑みに背筋を凍らせたフェイトだったが、もう遅い。

 腕を取って引き寄せられると、唇を奪われた。

「んっ!?」

 じたばた。

「んんーっ、んむーっ!!」

 じたばたじたばた。

「んンっ……、ふあ……っ、んふっ、ちゅく、ちゅぷ、……んっ!?」

 こくっ、こくっ。

「んくっ、んうっ……んんん〜っ……っ、はぁっ、んっ、ちゅく、ぷちゅ、ちゅっ……」

 ──くてっ。

「ん……、ぷぁっ、ぁ……」

 情熱的すぎるベーゼより解放されたフェイトの小ぶりな桜唇から、熱い吐息と一緒に銀色の橋が伸びる。それがぷつんと切れて、白い頤をつつーっと垂れ落ちる様はひどく蠱惑的だ。
 好き放題に“じゅうりん”されたフェイトはシアワセそうに表情をとろけさせ、ぽーっと惚けていた。

「ふぅ……、お気に召しましたか、お姫さま?」

 たっぷりねっとりと愉しんだ攸夜は軽く息を吐き、のたまう。
 とろとろにとろけきった、自らが言うところの“お姫さま”を優しく抱き寄せる“あくま”が浮かべるのは、至極満足げな笑顔を見せる。密かに耳を赤らめているのはご愛嬌だ。

「うう〜……いきなりひどいよ。……ユーヤのえっち」
「あはは、俺はリクエストに答えただけですよ?」

 何とか精神の再構成を果たしたフェイトが恨みがましい視線を送るも、攸夜はどこ吹く風とおどけるのみ。むしろ、その視線を楽しんでいるようにさえ見える。
 こんな時の彼に何を言っても無駄だと知っているフェイトは、「もう……」とたおやかにはにかんで呆れるのだった。



 いろいろな意味で落ち着ついたフェイト。攸夜に抱き留められたまま、

「これからどうす──ッ!?」

 やや躊躇いがちに発せられた問いかけを遮って、足下──雲海の遙か下方から身の毛もよだつ気配が這い上がる。
 地の底から響く怨嗟の叫び声。魂までも震え、慄くような邪悪な波動に、フェイトの肌が粟立つ。不愉快極まりない悪寒を嫌い、彼女は無意識の内に攸夜の服を強く握ってすがりついた。

「なに、この感じ……?」
「これは──」

 戦慄と戸惑いがフェイトの口をつく。
 今までの弛緩した顔付きを一転させ、厳めしい戦士の顔をして見せた攸夜は、眼下の雲海──その先に現れた“モノ”の名を明確な敵意と共に呼んだ。

「──やっと“本命”のお出ましか、“災厄を撒き散らすもの”……!」












  第十話 「這い寄る混沌」












「ふぅん、けっきょくあたし以外は全滅かぁ〜……」
「く……ッ!」

 レヴァンティンの斬撃を、人差し指と中指の二本だけで易々と受け止めたパールは、誰ともなく呟く。挟まれ、びくともしない剣に相対するシグナムが焦りの表情を浮かべた。

 パールが制御するもの以外の“楔”は全て例外なく消滅し、クラナガン全域で勃発していた戦闘も小康状態に入っている。未だに小競り合いを続けているのは、ここの面々だけだ。
 “楔”同士の共鳴によって起動する儀式魔法は、過半数を失い完全に失敗したと言えるだろう。

 もっともパールにしてみれば成功しようが失敗しようが知ったことではないのだが。
 何せ、これは“祭り”──闘争と鮮血と殺戮とで彩られたカーニバルなのだから。

「ルーもベルもアルもだらしないなあ。……まっ、これでこのパールちゃんがいっちばん最強でかわいいって証明されたわけねっ☆」

 正確なんだか、ズレてるんだかよくわからない評価を“仇敵”たちに下して尊大に胸を張るパール。
 とはいえ、百戦錬磨のヴォルケンリッターを相手にしてさえも、致命傷はおろかトレードマークの巫女服に損傷の痕すら見あたらないことは、彼女の強大さを示す立派な証左なのは確かだろう。

 と、指先の力が緩んだ隙を突いてシグナムが離脱。大きく後退する。

「んー? あっれー、あんたまだ居たの? もう死んだのかと思ってたんだけど」
「……っ」

 気持ちよく口上を述べていたパールが一転、不愉快そうに眉をひそめて不届き者を睨み付ける。その口振りはまるで、「お前など眼中にない」と言いたげだ。

「あー、なんかめんどくさいし……あんた、消えちゃいなさい」
「──!」

 破壊を引き起こす術式を紡ごうと、横柄な態度で魔力を発露した刹那────


 唯一残る“楔”が禍々しくも激しい紅の輝きを放ち始める。
 次いで起こる地鳴り。激震。
 飛行している彼女らではわからないことだが、マグニチュード七級の直下型地震だった。


「ありゃ、“はじまっちゃった”んだ」

 そんな間の抜けたセリフを合図にしたかのように、眼下の街並みの様相が兇変した。





 ────クラナガン中央区画に、邪悪極まりない妖気が漂い始める。


 アスファルトの地面や、コンクリートの建築物を割って漆黒の瘴気が噴き出した。
 街灯や、ネオンの明かりが消えていく。

 それは“闇界”と呼ばれる異界の空気。全てを侵し、滅ぼす致死毒の大気だった。



 中央区画の象徴たる、時空管理局地上本部ビルにほど近い大通り──瘴気が最も充満した地点。
 どこまでも深い大穴にも見える漆黒の瘴気溜まりが波打つ。
 遙か深淵に繋がる穴から、多種多様──どれもこの世のものとは思えない姿をした異形の軍勢が無数に這い出る。
 師団規模にも及ぶ“バケモノ”が尽きることなく現れる中、ひときわ大きく波立つ闇。そこからずるりと這い出したのは、巨大な漆黒のカタマリ。

 黒曜石に似た漆黒の外皮に、血を思わせる朱い爪を持った六足の甲虫のような脚。
 山のように長大な体躯はぞろりと生え揃った凶暴な牙を持つ禍々しい魔獣の顔が、上下重なっただけの奇形。その背後から長く太い尾が大穴の奥底へと伸びている。
 そして、上部からは龍の頭部ような触手が数え切れないほど蠢く。

 見るも悍ましい異形の“龍”が、巨大な顎門を開いて雄叫びを上げる。それは断末魔の叫びのような薄気味の悪い砲哮。
 巻き起こる衝撃波で、周囲の高層ビルが崩壊を始めた。





「アレこそがこの“世界”に巣くった“冥魔”──我らが次元ごと討つべく画策していた“災厄を撒き散らすもの”、その真名をアジ・ダハーカ」

 負傷した躯を庇いながら、ルーは眉間に皺を寄せ、視線の先で暴虐の限りを尽くす存在の名を口にする。
 その声色は普段の優雅で気品溢れる彼女らしくなく、苦々しく吐き捨てるようだった。

「“災厄を撒き散らすもの”……」

 満身創痍のはやてを“箒”のタンデムさせたエリスが、その禍々しい異名を繰り返す。

「アジ・ダハーカ……、っていうとゾロアスター教の悪魔やな。剣で斬りつけても、傷口から爬虫類やらの邪悪な生きもんが出てきて倒せへんていう」

 読書家らしく、マニアックな知識を披露するはやて。辛そうではあるが、ミッドチルダの危機を前にして寝ては居られないと根性を発揮する。
 理解の早いはやてに、ルーはどこか満足そうに微笑んだ。その表情は、およそ自らに手傷を負わせた相手に向けるような性質のものではない。

「そう。その伝承の通りに、内在に孕んだ“災厄を撒き散らす”。近い性質のモノに“夜闇よりも冥きもの”があるが、アレはそれ以上に質が悪い。
 “世界”に溢れる怨念、悪意、嫉妬、恐怖、憤怒、疑心、そして絶望──あらゆるヒトの負の想念を糧にして、無尽蔵に“冥魔”を産み出し続ける……、アレは言わば“冥魔”の生体プラントだ。
 それが、この次元世界の中心地、あらゆる感情の終着点たる“ここ”に陣取れば……結果は自ずと導かれよう」

 その意味するところに一同が息を飲む。
 放置すれば、“世界”のどこかで今も生まれては降り積もる澱──それらを腹一杯に喰らって、“災厄を招くもの”は“冥魔”を際限なく産み落とすだろう。
 ──ヒトが生きる限り、負の感情が絶えることはないのだから。


 なお、端で聞いている翠はちんぷんかんぷんで頭から煙を出してたりする。


「何故、そんなものが今になって……」いくらか回復した様子のスルガが疑問を口にした。

「あの“楔”には次元震を起こす以外にも、アレを無理矢理に叩き起こす式を組み込んであってな。……というより、こちらが本命だったのかもしれぬが」

「──!!」

「何時目醒めるかわからぬのではやりにくい。だが、契機をコントロール出来れば話は別だ。所詮は“冥魔王”を名乗れぬ三下、我らの敵ではない」

 もっとも、この有様ではな、と自嘲混じりにルーは結尾を切る。そして、挑戦的な色を浮かべた白銀の眼差しを藤色の髪の乙女へと向け、

「さて、どうする志宝エリス」
「私……?」
「この“世界”の危機を前にして……ヒトの護り手の一員たるそちが、まさかみすみす看過するつもりではあるまいな?」

 からかうように妖艶な笑みを披露して、金色の魔王がそんな言葉を投げ掛けた。



[8913] 第十話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:1f083032
Date: 2009/09/02 20:57
 


「な、なんだよこれ……!?」

 アゼルと睨み合いを演じていたヴィータが、信じられないものを見たと驚愕する。
 釣られて視線を落としたアゼルが、わずかに表情を引き締めた。


 クラナガン全域のあちらこちらから地表を突き破って、悪しき気配を帯びた漆黒の瘴気が噴き出していた。
 満ち満ちとした“邪毒”が、近未来的な大都市を異界に塗り替えていく。
 死の街を徘徊するのは魑魅魍魎──様々な姿をした“冥魔”の群れ。共通して言えることは、そのどれもが生理的嫌悪を引き起こすカタチをした異形だということ。


「……大魔王パール」
「うん?」

 跳梁跋扈する“冥魔”をおもしろくなさそうに眺めるパールの背後に、リオンがいつの間にか現れた。
 いつもの、何を考えているか読みない微笑で小さな暴君に呼びかける。

「当初の打ち合わせ通り“限定解除”です。ですが……」
「わかってるって。“やりすぎないようほどほどに”でしょ」

 ため息混じりに同胞のたしなめを受け流し、パールがくるりと踵を返す。ツインテールを結った鈴の髪飾りが揺れて、しゃらんと鳴り響いた。
 相対していたシグナムは、クラナガンで勃発した急転直下の事態について行けず戸惑い、問い質す。

「どこへ行く! あの黒い煙は一体──」
「きゃんきゃん吼えるな駄犬。そんなに知りたきゃ、あんたの“飼い主”に思念通話でもしてみたら? どーせいまごろ、ルーが説明してやってるだろうし」

 文字通り野良犬か何かを追い払うかのように、シッシッと手を振るパール。にべもない。

「なっ、駄犬ッ!?」
「あ、そういえば。リオン、あんたどうすんの?」

 額に青筋を立てていきり立つシグナムを華麗にスルー。マイペースに事を進める。

「どうやらルーが負傷していらっしゃるようですので、そちらに」
「ふーん、あっそ。じゃあ、パールちゃんはちょとくら行って、“冥魔”をぶっ潰してくるからっ☆」
「ええ、ご武運を」

 リオンの抑揚のあまりない声援を背に、パールは腰を中心点にその場で半回転。マナを虚空で固めて創った足場に両足を付ける。
 ぐぐっ、と力を溜めるように屈伸し────ズドン、と耳をつんざく炸裂音が鳴り響く。
 反発力で打ち出された巫女服の魔王が、猛スピードで地表へと墜ちていった。

 それを見送ったリオンが、シグナムに向き直る。
 剣の騎士は、激発しかかった感情を何とか押さえ込もうと肩をプルプル震わせていた。

「パールの言葉ではありませんが……、あなたがたの主に伺いをたてたら如何でしょう」
「──確かにそれは道理だが……、助言のつもりか?」
「いえ、こちらとしても“手”は多ければ多いほど助かりますから。──それが例え、取るに足らない犬畜生の“手”であっても」

 辛辣すぎる毒舌を残して、リオンはしゅんと姿を消す。消え去る際に、口元が意地悪く歪んでいたのは見間違いではないだろう。

「…………」

 俯いたシグナム。垂れ下がった前髪で表情は窺えない。

「フ、フフフフ……フフフ、犬、犬か……。確かにそうかも知れんな、フフフフフ……」

 三日月のように歪んだ唇から怨嗟のような声が漏れ出した。
 その後、納剣した状態のレヴァンティンの柄を掴んで「斬る……、たたっ斬る……、斬って捨てる……!」などと割と本気で呟くシグナムを、シャマルが「お、落ち着いてシグナム。クールよ、クールにならなくっちゃ!」とおたおたなだめ始めた。もっとも彼女では、ある意味火事に原油をドバドバと注ぐ結果になっているかも知れないが。


「なあ、ザフィーラ」
「何だ、ヴィータ」

 戦闘を切り上げて──うやむやになったとも言う──手持ち無沙汰になったヴィータがグラーフアイゼンを肩に担ぎつつ振り向き、同じく丸太のよいう腕を組んで浮遊していたザフィーラに声を掛けた。
 どちらの表情もどこか白けている。

「あんなのが将と参謀で、私ら大丈夫か?」
「……言うな」

 鉄槌の騎士の呆れ混じりな問いに、盾の守護獣は気まずそうに目を逸らした。


 ちなみにアゼルとエイミーはと言えば、

「リオンってなにげに毒舌だよね、エイミー」
「まあ、“だって聞かれなかったし〜”が口癖の方ですから」

 などと、呑気に会話していたりする。
 なんだかもう、グダグダだった。




 □■□■□■




 クラナガン上空。

 手を繋ないだまま、分厚い雲の層を突っ切ったフェイトと攸夜の目に飛び込んできたものは、まさしく地獄絵図──“冥魔”の大群に蹂躙される人の営みの象徴だった。
 聳え立っていた摩天楼は次々に倒壊し、残されていた乗用車などはひしゃげて爆散する。
 それはまるで、世界の終末を記した黙示録のよう。

「クラナガンが……、ひどい……」フェイトが眼下に広がる惨状に呆然と呟き、安心感を求めて攸夜と繋ぐ左手をぎゅっと握る。
 すぐさま握り返された手。彼女のさざ波立っていた心の湖面が静まっていく。
 自らの気持ちの変化を肌で感じ、フェイトは攸夜が自分に不可欠な存在なのだと改めて思い知る。もう絶対に離れないと、心に強く誓った。

「あの一番大きいのが“災厄を撒き散らすもの”なの?」
「ああ。──野郎、ずいぶんと派手にやらかしてるな」

 いくらか落ち着きを取り戻したフェイトの口をついて出た問いかけに答え、攸夜が眉をひそめる。声を落とし、言い捨てるような口振り。
 どこか酷薄な横顔を少しだけ心配そうに見上げていたフェイトは突然、「あっ」と声を上げた。

「住民の避難! た、大変だ、どうしよう……」
「それは大丈夫。心配要らない」
「でもっ」

 恬としてやけに落ち着き払う恋人に、血相を変えたフェイトは食い下がる。“小を切り捨て大を護る”などと発言していたのだから無理もないだろう。

 打算などではなく、心の底から他人を思いやれる──そんな心優しい少女に、攸夜は軽く頬を綻ばせた。そんな君のためだから“力”を揮う気になれるのだ、と。

「フェイト」

 まるで睦言のように、少年が恋人の名前を呼ぶ。
 そして、今にも飛んでいってしまいそうなおてんばさんの肩に軽く両手を乗せて制した。

「大丈夫だよ、安心して」

 諭すように穏やかな声色。
 あまり見せない真摯な表情で、大粒の紅い瞳をじいっと覗き込んだ。
 惹き込まれるように透き通ったアースブルーの双眸に射抜かれたフェイトの胸は高鳴り、頬が薄く染まる。端正だが美形というよりは精悍で、それでいて気品のある──乙女フィルターを通すとそう見えるらしい──面差しに見惚れてしまう。
 ぽーっとするフェイトの胸中を知ってか知らずか、攸夜は気取った風に言葉を紡ぐ。

「何せ、この街には今、一般人なんて一人も居ないんだからさ」

「えっ……?」

 言葉の真意がわからず、ぽかんとするフェイト。こてんと小首を傾げて続きを待つ。

「打てる対策はもう施してあるんだ。戦いの勝敗は、始まる前から決まってるってね」

 恬然たる“魔王”は少女の期待に応えて、いつもの不敵な笑みを浮かべた。








 首都クラナガンの中心に聳える巨大な超高層建築物、時空管理局地上本部。
 各次元世界に展開した地上部隊──いわゆる“りく”を統括する本拠地である。

 その一室。無駄な装飾や調度品が省かれた、質実剛健な執務室らしき部屋に初老の男性が一人佇んでいた。
 厳つい面差しに切り揃えられた口髭は、恰幅のいい体躯を包むパリッとノリの利いたブラウンの制服と合わさって、巌のように揺るぎない厳格な雰囲気を漂わせている。

「……」

 彼の半生を写しとったかのような深い皺が刻まれた顔は、真っ直ぐ魔法の輝きが瞬くガラス窓の外へと向けられていた。

 コンコンコン。控えめなドアをノックする音。

「失礼します」

 入室したのは聡明な印象のすらりとした二十代ほどの女性。男の副官だ。

「中将、一般市民及び非戦闘員の避難が完了しました。ここに残っている非戦闘員もオペレーターや指揮官など、一部の職員と我々だけです」
「……そうか」

 副官の簡潔な報告に男はむっつりと応える。視線はガラスを隔てた向こう側──巨大な黒い体躯を揺らして都市を踏みにじる“冥魔”から離さない。

「……本当に、これでよかったのでしょうか」
「……」

 副官は困惑を隠しきれない。
 それも仕方ないだろう。お堅い見た目通り、彼女はあまり融通の利く質ではない。

「彼らの行為は明らかに管理局法に違反しています。例え、“アレ”を止めるためだしてもそれは──」
「わかっている。だが、“奴”には命脈を握られているのだ。従う他に道は無い」

 不快感を隠さず、苦々しく表情を歪める男。
 その脳裏には、数ヶ月前、何の前触れもなく青いドレスを纏った少女を伴い現れた“悪魔”の姿が過ぎる。
 どうやって知り得たのか、痛い腹の内を隅から隅まで次々に暴き出した上に、「こちらに協力して下さるなら、貴方の“望み”を叶えて差し上げましょう」そう不敵な笑みを浮かべ、慇懃無礼に言い放った憎たらしい小僧の姿が。

 何が“協力”だというのかペテン師め、と男が内心で毒づく。
 あの“悪魔”の握る情報がひとたび世間に公開されようものなら、男はすぐにでも失脚。社会的地位も数々の名誉も全部まとめて消し飛ぶことだろう。
 別段、男は地位や名誉に固執するタイプではないが、自らの手を“罪”に染めてまで成し遂げたかった“信念”を貫くためには、頷かざるを得ない。最初から選択肢などなかったのだ。

「クッ……! 奴め、管理局を乗っ取り、操るつもりか……?」

 本局の上層部も言葉巧みな甘言と教唆によって陥落し、手中に納められているものだと男は当たりを付けている。
 事実、廃棄都市地区の一件では地上本部にわざわざ断りが入り、あまつさえ丁重な協力の依頼まで申し込んできたことからも明らかだ。もっとも、事前に戦闘が行われる旨がご丁寧にも通達されていたのだから、対外的な体裁を整えるためのポーズとしか言えないが。

 男とて、いい様に使われている現状は業腹ものだ。しかし、“悪魔”が協力するにあたっての対価としてもたらしたモノは、管理局体制を根本から革新しかねないような代物だった。故に、男と本局の高官たち、そして両者の上位機関たる“彼ら”は、半ば望んで“協力”している。
 無論、打算と利害で成り立つ空寒い関係ではあるが、“洗脳”や“暴力”などで無理矢理に支配下に置くのではなく、弱みを握って退路を断ち、その上で“道理”を説いて“利益”を示して人心を掌握する──人間の心理を知り、社会という枠組みを逆手に取ったその所業は、少年のような見た目とは裏腹に老獪極まりないものだった。
 男は知る由もないが、それこそが“裏界王子”──またの名を“プリンス・オブ・デーモン”と呼ばれる魔王の本領である。

 ──今回の大騒動でも、さらにシンパが増えることは間違いないだろう。この世界の人間は皆、“冥魔”という未知の存在の恐ろしさに少なからず戦慄を覚えたのだから。

「中将……」

 物思いに耽っていた男に、心配そうな視線を送る副官。「ム……」と僅かにばつが悪そうに唸り声を漏らした男は、鋭い眼光を再び窓の外に向ける。

「まあいい。こちらも精々利用させてもらうだけだ。──“魔王”とやらの力を、な」

 誰ともなく紡がれた重々しい言葉は、未だ戦いの光絶えない灰色の闇に滲んでいった。



[8913] 第十話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:e7388da7
Date: 2009/09/05 20:59
 


 灰色の闇が覆う夜空に、“魔法使い”と“魔王”が対峙する。
 業火燃え立つ地上では、混沌の勢力が我が物顔で闊歩してた。

「私、は……」

 “金色の魔王”の問いに惑うエリス。今の彼女は、何の力もない無力な“イノセント”──魔法の力を失ったただのヒトだ。
 世界結界のない“ここ”でなら、“箒”なり魔道具なりを駆使して“冥魔”を滅する事が出来るかも知れない。だが、それが何になるというのだろうか。

 しかし────

「──志宝エリスよ。ここに“光”がある」

 ぱきんと澄んだ音を鳴らしてルーの“羽根”、アイン・ソフ・オウルが展開した。
 禍々しい紅に発光する結晶と宝玉がエリスの瞳に映る。

「──っ」

 無限光の名を冠したそれは、失った“力”の象徴。
 空に浮かぶ紅き月を思わせる煌めきは、望まずに背負わされた宿業の証だった。

「“シャイマール”の器であったそちなら、我が力──我が“羽根”を従えることも出来よう。これを用いて“冥魔”どもを存分に滅ぼすがいい。──破壊神らしく、な」
「──!!」

 古傷を抉る言葉。意図的に発せられたであろうそのセリフは、深々と少女のトラウマに突き刺さる。
 芯が強く、善き心を持っているエリスとて、本質的にはただの少女だ。自分自身の“存在”に悩み苦しんだこともある。それが原因で世界を滅ぼしかけたことも、ある。

「エリスさん……!」「エリスちゃんっ」

 動揺してふらついたエリスを、はやてと翠が気遣う。
 支える二人に向かって「だいじょうぶだよ」と微笑むも、その表情に力なく陰りが見てとれる。

 事実、エリスの胸中は混乱の極致を極めていた。
 “魔王”の紡ぐ言葉は甘美だ。それがどれだけ間違っていようとも、心の隙間にするりと忍び込む。
 カリスマ、威厳、威圧感──世界の運行を司る“神”の生態として生まれもった異常な魅力は、地の底に堕ちようとも失われることはない。

「何のつもりですか、ルー・サイファー」
「……そちとは話しておらぬ。黙って聞いておれ」

 庇い立てしたスルガの追求をピシャリと切り捨て、魔王は挑戦的な──期待にも似た色の込められた視線を送り続ける。

「さあ、どうする志宝エリス。この力を取って災禍と戦うか? それともそこらで無様に縮こまり、災禍が過ぎ去るのをただ待つだけか──道は二つに一つだ」

「わたし、私は……──」

 答えに窮するエリス。
 彼女の返答を見下すかのように尊大な顔で待っていたルーが、ふと背後に振り返る。「──む、リオンか」呟きを合図に空間を歪めて静かに現出する“秘密侯爵”。
「首尾は?」
「パールが“冥魔”との交戦を開始しました。直にアゼルとエイミーも始めるでしょう。……ですが、ベルが討たれてしまったようです。これも書物にある通り……とはいかないものですね」
「そうか。チ……、戦力が足らんか」

 今も際限なく増え続ける“冥魔”に視線を向け、密かにほぞを噛むルー。
 ベール・ゼファーは、パール・クールと並んで今回の案件での文字通りの柱だ。アジ・ダハーカが覚醒した際には、本体を斃す役目を務める予定だった。
 真の最強は“本体”を以て来訪した彼女の弟──攸夜だが、彼とて単独で“冥魔”だけを駆逐し尽くすのは難しい。
 惑星と次元の被害さえ考えなければ赤子の手を捻るよりも容易いものの、それでは意味がないのだ。この“世界”は、彼の“王国”となるべき場所だとルーは捉えているのだから。──本人の意思とやる気はともかくとしても。

 故に、大公たるベルの力を当てにしていた。多面的に“古代神”が戦場に展開出来るなら、たかが“冥魔”など物の数ではない。
 気に食わないが、ルーはベルの実力を認めている。気に食わないが。

「仕方あるまい。リオン、我も往く。傷の治療を──序でにあやつらにもくれてやれ」

 満身創痍のウィザードと魔導師を横目に、ルーがごく自然な様子で命を下す。その内容に、エリスたちは耳を疑った。

「宜しいのですか?」

 怪訝そうな語調で、その実、いつもの澄まし顔でリオンが聞き返す。

「構わぬ。元よりこやつらウィザードを引き寄せたのはこの時の為。結局、“あれ”の描いた脚本通りとなった訳だ」

 阻止された場合の対応まで組み込み、後の布石まで考慮して二重三重に張り巡らせた用意周到な──悪く表現してしまえば狡っ辛い策謀は、攸夜の案だ。
 魔王らしいとかと言えば首を傾げざるを得ないが、人の上に立つ者の思考としてはそれほど悪くない、とルーがほくそ笑む。事実、彼女を含めたアクの強すぎる魔王たちを率いてみせた手腕は、肉親の欲目があったとしても満足できるものだった。

 帝王学を徹底的に叩き込んだ甲斐があるものだ、と懐かしむルーの横、「……わかりました」と雷速で魔力を集中させたリオンの足元に、裏界の魔法陣──五つの円と菱形を組み合わせた七芒星が敷かれる。
 魔法陣から、ゆっくりと広がるオーロラのような癒しの輝きが、ルーを初めとしてこの場にいる全員──はやて、翠、スルガを包み込み、傷を塞いでいく。
 再生というよりも復元に近い現象。「やけど、まとめて治った……。なんつう回復力や」焼けただれていた痕が跡形もなくなった自らの皮膚を見やり、はやてが驚きの声を上げた。

 そうして、消費した魔力以外、ほぼ快調のコンディションとなったルーが、気品溢れる仕草で優雅に微笑む。

「さあ、答えよ、志宝エリス。考える時間はもう無いぞ。“冥魔”どもは、刻一刻とその数を増してゆくのだからな」

 銀色の瞳と、紅い光を見返してエリスは考える。

 このまま何も出来ず、何もせず、見て見ぬ振りをしているだけでいいのかと。
 傷つく友や仲間の姿を前にして、自らの無力を悔み、唇を噛んだのは偽りだったのかと。


 ──例え、それが忌まわしい“力”だとしても、私は……!


「ルー・サイファー……力を、貸してください」

「ほう……」

「エリスちゃん!? どうして──」

 詰め寄る翠を視線で制して、エリスは続ける。翠緑の左瞳が、仄かに碧く輝いていた。

「だけど、私は──“シャイマール”の器としてじゃなく、志宝エリスとして……ただひとりの人間として、あなたの“光”を使います!」

 強い、揺るぎない信念を滲ませて少女は魔王の鋭利な眼光から眼を逸らさない。
 白銀色の双眸が僅かに見開かれる。

「私は……、この“世界”とはなんの縁もないただの異邦人です。でも、だからって、誰かが困ってるのに、目と耳をふさいで見なかったことにするなんて、できない」

 灯や翠、命にスルガ。ファー・ジ・アースに残り、自分たちの帰りを待ってくれて居るであろうくれは。今もきっとどこかで、世界を護るために戦っているはずの“先輩”────
 そして、“ここ”で出会った人々。

「少しの間だったけど、“ここ”ではやてさんやシグナムさんたち……、それから、たくさんの人たちに会って」

 “社会”は、“世界”は小さな自分と、たくさんの誰かで形作られている。自分が、自分以外の誰かに支えられて生きていることを知ること……それは、とても簡単なようでとても難しい。

 ヒトは容易く独善に陥り、自分以外のものを廃してしまう。狭い自らの視野から抜け出せず、“自分こそが正しい”“これが正義だ”“あなたは間違っている”“こうじゃないと駄目だ”、そう、身勝手に決めつけて。
 だからこそ、エリスを創った“カミ”は、不完全なヒトを滅ぼして、新しい完全なモノを創ろうとした。

「見ず知らずの私に優しくしてくれて……“仲間”だって迎えてくれて、うれしかった」

 だが、エリスは創造主の願いを否定して“世界”を選んだ。
 ヒトはそれほど愚かな存在ではないと知ったから。大切な仲間が居ると知ったから。
 正しくあれと、全てを壊せと願われて創られた“シャイマールの器”としてではなく、様々な出会いを正しく糧にして形成された人間“志宝エリス”として。


「だから、私は“力”を取って戦います。
 護りたい大切な人たちがいるから……友だちが──仲間が、みんながそこにいるから!!」


「──……やれやれ、つくづくヒトとはいうものは──ふふっ……、それも良かろう。好きにするがいい」

 呆れたような──だが、どこか愉快そうな笑みを漏らした“金色の魔王”から七枚の“羽根”がおもむろに離れ、七徳の継承者”の側へと辿り着く。
 縮小した“羽根”が左腕に纏わり付き、お馴染みの白い腕輪と変わった。「……っ」エリスの表情は険しい。魂の奥底から急速に溢れ出す“魔法”の力に──取り戻した、しかし仮初めの“光”がもたらす負荷は膨大だ。彼女の華奢な身体が軋みを上る。

 ──エリスの右眼に紅月の輝きが宿った。

 本来“遺産”とは魂の一部。継承した者以外が使いこなすことなど出来はしない。しかし、彼女たちの“羽根”は別だ。
 “志宝エリス”と“ルー・サイファー”は、根元を同じくするコインの表と裏なのだから。

「……そちはそこの魔導師を連れ、“災厄を撒き散らすもの”を討ちに往け。有象無象は我が引き受けよう」

 “羽根”がエリスに馴染んだことを確認すると、ルーは一瞥して、まるで自らの配下にするように指示を飛ばす。
 幼い少女の姿だというのに、言葉や仕草には凛々しくも威厳に溢れている。思わず呑まれて従ってしまいそうな絶大なカリスマは、さすが数多のエミュレイターを従える大魔王だけのことはある。。

「ふぅん……力をエリスさんに貸してしもうて、ちゃんと戦えるんか、魔王さん?」
「ふん、小娘がなめるでないわ。──借りるぞ、テスラ」

 指図されたのが気に障ったのか混ぜっ返すはやて。ルーは不愉快そうに眉を寄せ、月衣から一振りの“箒”を引き抜く。
 波打ったルーンの刻まれた刀身に、不気味な瞳の意匠が施された鍔の長剣。それは、彼女が寄り代とする少女、テスラが用いていた“箒”──デモニックブルームだった。

「大泉スルガ、真壁翠」
「……」「は、はいっ!?」
「手伝え。雑魚を駆逐するには手勢が足りぬ」
「えっ? で、でも──」
「わかりました」
「──スルガさん?」

 即答する青年に、翠は訝しげな顔をする。当のスルガは無機質な青い眼差しを妖艶に微笑む魔王に送ったままだ。

「貴方と手を組むのは正直不愉快極まりないですが……、“テスラを護る”というのであれば話は別です」

 詭弁にも聞こえる物言い。“人造人間”らしい機械的な無表情で、スルガはデモニックブルームを見つめていた。
 惑いの欠片も見せない彼の様子がおもしろくないのか、ぷいと視線を外したルーはそのまま、エリスに向き直る。

「……この“金色の魔王”が力を貸し、あまつさえ霧払いまで務めるのだ。──志宝エリス、“災厄を撒き散らすもの”、見事討ってみせろ」
「もちろんです。あの……、ありがとう」
「要らぬ世話だ。早よう往け」

 居心地が悪そうに、つんとそっぽを向くその姿がどこかおかしくて、エリスはくすりと笑みを零した。

「──はやてさん、乗ってください!」
「よしきた、任せとき!」

 テンペストに相乗りするエリスとはやて。藁の束に偽装した推進機構に淡い魔力の火が点る。

「気をつけてね、エリスちゃん!」「後のことは、僕らに任せてください」
「──うん!」

 仲間たちの声援を背に、エリスは“箒”の柄を強く握り込む。
 噴き出したアフターバーナーが、“大嵐”の名に相応しい烈風を巻き起こし──“魔法使い”たちが、瘴気漂う漆黒の夜闇に向けて飛び立った。



[8913] 第十話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:3e539b6f
Date: 2009/09/08 21:05
 


 空を黒く覆い尽くすほどにひしめき合う“冥魔”の群れに、一筋の帚星が突入した。

 躍り掛かる異形の怪物を急加速と急制動の巧みな繰り返しで次々にパスして、“箒”が夜闇を駆け抜ける。目指すは漆黒の瘴気の発生源──巨大なる“冥魔”アジ・ダハーカ。“世界”に破滅と死滅を孕んだ災厄を撒き散らす、混沌の権化。

「っ、いくらなんでも多すぎんちゃうんかこれっ。一匹みたらなんとやらかっ!?」
『冗談を言っている場合ではありませんよ、主はやて』

 テンペストのタンデムシートに跨るはやて。朱色の短剣や、金色と桜色の魔弾を大量にばら撒いて、黒い鳥のような姿をする下級“冥魔”──闇鳥を当たるは幸いと撃ち落とす。
 軽口を叩いてはいるが、表情は厳しい。魔法魔弾の大盤振る舞いをしているというのに、一向に減らない“冥魔”に苛立っているのだ。

「私も! ──アイン・ソフ・オウルっ!」

 左腕を天に掲げてエリスが懐かしいその名を叫ぶ。ぱきんと澄んだ音を鳴らして、白き“羽根”が放射線状に射出された。

「行って!!」

 仮初めの主の命に従い、純白の盾が紅い光を引いて飛翔する。エリスの思考をフィードバックした複雑な軌道を描き、紅い輝きが“冥魔”を打ち砕いていく。しかし、それは黒い固まりの僅か一角を削り取ったにすぎない。
 どこから湧き出したのか、闇鳥は際限なく増え続けている。地上にも、闇の騎士やスライムなどの空を飛べないモノが大群をなして彼女らが堕ちてくるのを今か今かと待ち受けていた。

「くっ、いちいち戦ってたら埒が開かん!」
「っ、振り切ります。しっかり掴まって!」

 強烈なソニッグブームを引き起こし、テンペストが急加速。一匹の生き物のように蠢く黒い鳥の大群と、青白い光の尾を引く“箒”が熾烈なドッグファイトを繰り広げる。
 追いすがる“冥魔”を左右に蛇行運動で躱し、時折攻撃を仕掛けながら逃走を続ける。
 そうしているうちに、幾許か開けた空域に差し掛かった。

「──見えた!」

 眼前に見える小山ほどの怪物。触手のような竜頭から瘴気にも似たブレスを吐き出して辺り構わず暴虐の限りを尽くしている。
 ぎり……、と歯軋りするはやて。相応に愛着を感じている街がいいように蹂躙される様に怒り、震えているのだ。

「一気に接近します!」

 “箒”がその速度を上げた。




 □■□■□■




「──ソードオブ!」

 摩天楼の谷間に、巫女服の魔王の砲哮が轟く。
 彼女の十倍近くはある炎獄で形作られた大剣が、大きく振りかぶられた。
 紅蓮の炎が大気を焼き嬲る。

「スルトォォォオオッッ!!」

 縦一閃。
 パールの偉大なる力により拡大延長された“火の国の王剣”の斬撃が、大地を真っ直ぐに斬り裂き、天を突くほどの火柱を数キロに渡って走らせる。
 その軌跡に巻き込まれた“冥魔”や建造物などは有象無象に関わらず斬断され、分解され、消滅した。

「っと、この偉大なる“超公”パールちゃんにかかれば、ざあっとこんなものよ☆」

 超高熱に溶かされたガラス状の物体が山積する焦土を前にして、パールが尊大に胸を張る。“限定解除”の名の通り、魔王の魔王たる所以、ヒトを超絶した想像を絶するほどの圧倒的武力を遺憾なく披露した。
 ──ちなみに、これほど絶大な被害を引き起こしたにも関わらず、かなりの手加減している。アホの子なパールだが、たまには配慮だってするのだ。

「……」

 闇の騎士を愛剣で両断したシグナムが、複雑な表情でそれを見上げていた。
 はやてと連絡を取り、事情を把握した彼女は仲間たちとともに“冥魔”の駆逐に従事していた。パールたち魔王とは協調しているというわけではなく、「敵の敵は味方」とばかりに不可侵状態を通している。
 というか、魔王たちは好き勝手に暴れ回っているだけなのだが。

「ったく、数ばっかごちゃごちゃとうざってえ。気色悪ぃのばっかりだし」

 複数の球体が幾何学的に繋がり合う形をした怪物──リフレクションボールを叩き潰したヴィータが、ぼやきつつシグナムの近くに降り立った。
 総じて気が狂いそうなほど不気味な様相をした“冥魔”の相手に、さすがの歴戦の騎士も嫌気が差しているようだ。

「……ヴィータ」
「ん? なんだよ、シグナム」

 脱力して、不自然に隙を晒しているシグナムを怪訝に思うヴィータ。眉を軽く上げつつ、同胞の呼びかけに応える。

「私たちが戦う必要、あるのか……?」
「必要って、そりゃあ……」


 視線の先を追うヴィータ。

 そこでは“誘惑者”エイミーが、大気中の水分を圧縮した無数の刃を放つ水属性の極大魔法──“アクアレイブ”にて、雑多な“冥魔”をまとめてズタズタにしている。

 そして──

「ベル、だいじょうぶかなあ……心配だなあ……」

 目下音信不通な友の安否を気にしつつ突撃槍を振るうアゼル。気もそぞろだというのに、そつなく機械的に“冥魔”を斬り殺している辺り、“荒廃の魔王”の名に恥じない活躍ぶりだ。

「っと、まじめにやらなきゃ。──バレルセット」

 思い直したアゼル。彼女の鎖骨と脇腹の辺りから、プレートのような突起がドレスの生地を突き破って持ち上がる。
 たわわに実る膨らみを挟むように展開された四本のプレート。その中心に、漆黒の球体が産み出された。
 スパークを迸らせ、急速に肥大化する黒球。

「グラビトンランチャー、デッドエンドシュート……!」

 掛け声とともに、漆黒の球体が──超重力の塊が解き放たれた。それなりの速度で投射されたそれは、“冥魔”の一団に着弾すると高圧重力のフィールドとなって範囲内の全てを押し潰した。

「──って、アルに言えって言われたけど……なんの意味があるんだろ?」

 グロテスクな肉塊と化し、風化していく“冥魔”を意に介さず、アゼルは不思議そうに首を傾げていた。


「……ねーな」

 ズドンと腹に響くような重低音の爆発をBGMに、白けた様子のヴィータが呆然と零した。




 □■□■□■




 クラナガン地上。繁華街のとある大通り。
 周囲は、黒い薄もやがかかっているかのように視界が悪い。“冥魔”の影響で発生した瘴気が充満している所為だ。

 ──そんな地獄のような場所を舞台に、魔女と勇者が孤立無援孤軍奮闘で戦っていた。

「これでは、近づけない……」

 半物質式の魔力刃を発振させたエンジェルシード白兵戦モードで、灯が周囲の“冥魔”を一気に薙ぎ払う。

「ちょっと……、この数はしんどい、かな」

 命が額の汗を拭い、弱音混じりに応じる。
 突然現れた巨大な怪物と、多数の“冥魔”。事情については通信機代わりに繋げていた0-Phonを介してルーの説明を聴き、概ね把握している。
 故に、二人はそれらの進行を阻止しようと接近するも、散発的に現れる“冥魔”の相手に忙殺されて進めずにいた。

 そんな中、灯は突然、空を見上げる。

「あ、命、あぶない」

 いつもに増して感情のこもらないセリフ。有り体に言うと棒読みだった。

「え?」
「「きゃああああっ!」」

 釣られて見上げれば、上から女の子らしい叫び声を上げて、藤色乙女と茶色のちびだぬきが降ってくる。「ぐえっ!?」哀れ、命はお約束通りに蛙の潰れたような声を上げた。

「いたたた……」

 強かに打ち付けた腰をさするはやて。リインフォースの『飛行魔法を使えばよかったのでは?』との指摘はスルーされた。

「あうぅ……、また落ちちゃった……」

 ぽきりと折れて、使い物にならなくなった“箒”にエリスは複雑な表情をしている。

「エリス……?」
「あ、灯ちゃん! って、あっ、命君、ごめんなさいっ」

 灯の声にエリスは表情を明るくして顔を上げ、踏みつぶしている哀れな人に気づいて飛び退く。「だ、大丈夫だよ……」と引きつった笑みを浮かべる命だが、“冥魔”の攻撃よりもダメージを受けているようだ。

「その“羽根”……エリス、力が戻ったの?」
「……うん」

 短い返答に、灯は無表情に「そう……」とだけ呟く。しかし、緋色の瞳は僅かに揺れていた。

「詳しいことはあとで、ね?」

 柔らかく微笑むエリス。親友の心遣いをうれしく思いつつも、視線を前へと向ける。
 そう、今は武器を取り、戦うべき時なのだから。

「うまく合流できたんはラッキーやけど……」
「余計なものまでついて来ちゃいましたね」

 前方に大きな黒い影が落ち、だんだんと面積を増していく。
 ──“ソレ”が、“冥魔”を押し潰して着地。巨大な質量が落下したことで地響きが轟いて、地面の縦横に亀裂が走る。
 ごっ、と豪風を巻き起こして黒い巨体がエリスたち四人の前に立ち塞がった。

「……!」
「だ、ダークサウルス!?」
「これに追いかけ回されて私たち落っこちちゃったんだよ」

 頭部がゲル状の物質で覆われ、黒い体皮をぬらぬらと光らせた巨大な恐竜のような姿。しかしその背には、巨体に見合ったサイズの飛膜が生えている。
 ダークサウルス──いわゆる雑魚“冥魔”の中では強力な部類に入る“冥魔”だ。いくつもの“世界”の危機を切り抜けたウィザードも苦戦する相手、と言えばその強大さが理解できるだろうか。

 “災厄を撒き散らすもの”への進路を遮るように、ダークサウルスがその巨体を揺らす。

「まったく、しつこいやっちゃな。粘着質は女の子に嫌われんで?」
『主はやて、警戒を!』

 地面に刻まれたひび割れから噴出する漆黒の瘴気。
 瘴気の中や、裏路地などから多種多様な“冥魔”が列をなして這い出してくる。怨嗟のような唸り声、呪言のごとき遠吠え──様々な不の感情を呼び起こす悍ましい叫びが木霊して、大気が震える。

「ここを切り抜けないと」「先へは進ませてもらえんみたいやな」

 とん、と背中を合わせて庇い合う四人。
 左手を眼前に突き出して、紅に輝く七枚のアイン・ソフ・オウルを展開するエリス。錫杖の石突きで地面を叩き、白銀の光を放つ夜天の魔導書を開くはやて。

「なら、全部倒して──」「押し通るだけだ!」

 それぞれの武器を構え、灯と命が吠える。純白の“箒”に砲弾が装填され、両刃の大剣が純白の光を放った。

 対するのは破滅の先兵──“冥魔”。
 お馴染み、闇の騎士に闇蛇、スライムと闇魚の群れ。それから、無機質を人型にまとめたような姿の闇の妖術師に、狼のごとき姿のダークビースト──まさに“冥魔”の見本市だ。
 一、十、百千……数え切れないほどに溢れかえるそれらは皆、自らの本能である破壊衝動を、強烈な殺意にして垂れ流していた。

「さあ、遠慮せんとかかってきい。みんなまとめて返り討ちにしたるわ」

 そんな不敵な言葉を引き金に、喰らい尽くそうと“冥魔”が動き出し、




 ────不意に世界が紅く染まり、深紅の空から一筋の蒼き光芒が直上から降り注いだ。

「ッ、なんやっ!?」
「月匣……?」
「それにこの魔法は、リブレイド!」

 飛来した光はダークサウルスを一撃の下に撃ち抜き、着弾点で巻き起こった爆発の余波で数体の“冥魔”が消し飛ぶ。
 続いて、紅い真月の浮かぶ天蓋から、無数の剣軍が真っ逆さまに落ちてくる。蒼銀に輝く十字の聖剣と、天雷閃く黄金の光剣──一分の隙間もない剣の驟雨が、エリスたちを囲んでいた“冥魔”を無慈悲に打ち砕いていく。
 雷光の剣はもちろんのこと、対“冥魔”用に開発された光の十字剣もその特性を遺憾なく発揮し、混沌の勢力は例外なく塵に帰っていった。

 黒い砂が風に煽られて紅い夜空に巻き上がる中、ふたりの男女が悠然と降り立つ。

「ここか? 祭りの会場は」

 両手をポケットに突っ込む少年が飄々と濃藍の外套を翻せば、

「たいじょうぶ? はやて」

 金色の長髪を靡かせた少女は親友の身を案じて声をかける。大量の“冥魔”を造作もなく一掃したというのに、彼らの様子は平静そのものだ。

 天空に、紅い月しるしが妖しく光る。
 ────呆然とするエリスの前に、次元無双を誇る比翼の鳥が舞い降りた。



[8913] 第十一話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:349b94b8
Date: 2009/09/11 21:00
 


 深い暗闇の中、鎮座する溶液の詰まった三基のシリンダーが仄かな光を放つ。
 ──“闇”が蠢いた。

 それらの前方には幾つものスクリーンが虚空に展開している。映り込むのはクラナガンで続いている戦闘の様子や全景、沢山の数字と文字の羅列。
 映像内、都市の中心にほど近い場所に紅いドーム状の結界空間が広がっていた。

『ふむ、地上部隊はクラナガン外周に展開済みか。これで討ち漏らした“冥魔”についても問題は出んな。──レジアスめ、避難の手際といいよくやる』

『あれはあれで、無骨者だが無能ではない。しかし──、結界……月匣と言ったか? このタイミングで“災厄を撒き散らすもの”を隔離するか』

『大方、“冥魔”の危険性を映像なりに残すことで、世論操作や議会工作への布石とする腹積もりなのだろう。こちらに“力”の神髄を隠した上で、な。……姑息なことだ』

 溶液の中で、気泡が一定の間隔で浮上する。
 シリンダーに収められているのは、不気味なヒトの脳髄──妄執に駆られた過去の遺物だ。

『アル・シャイマール……。あの“魔王”が齎した異界の“魔法”は、ミッドチルダの魔導と文明を大きく前進させることに繋がるだろう』

 遺物たちの蠢動は続く。
 響く機械で合成された音声からは、凝り固まり切った驕慢なエゴしか感じられない。

『既にそれを用いた幾つかの草案が提出されているのだったな。“時空管理局抜本的改革要綱”──我々に当て擦るような題名だ』

『そう、斜に構えて捉えることでもあるまい。草案にしてはなかなかよく出来ていたではないか。──もっとも奴は、“ほとんど自分では考えていない”と吐いていたがな』

『相応のブレーンが居ると見て間違いなかろう、あの黒髪の女のように。──“魔王”と名乗る人外だけはある、奴らの力は強大だ』

 炎の大剣を振り回し、触れるもの全てを薙ぎ倒す“東方王国の王女”の姿がスクリーンの中で暴れ回る。
 大火の一振りは軌道上にあるものを焼き斬り、灰燼に変えていた。

『しかし、それをコントロールせねばならぬ。今回の件だけで“冥魔”の根絶は難しいという予測を奴は述べていたが、だからと言って無軌道に暴れられてはそれどころではない』

『そう、我々が奴ら“魔王”の上位に立つのだ。我らが理想、我らが悲願────、次元世界に遍く恒久的な平和を実現するのだ』

『この、最高評議会がな』












  第十一話 「KURENAI」












 紅き月が見下ろす中、“七徳”と“七罪”────蒼と紅の“羽根”が対峙する。

「あなたは──」

 ニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべる大魔王に、魔法使いが憎悪にも似た複雑な感情を露わにした。

「シャイマール!」

「そのパターン、何度目だ?」

 やれやれと肩をすくめる攸夜を置いて、緊迫した空気が立ちこめる。“父親”を思わせる気取った態度がエリスの気に障ったのだろう。

 魔導師二人は顔を見合わせ、険悪極まりない雰囲気に困惑顔だ。特にはやてなど、親友が“魔王”と行動を共にしている理由が理解できず混乱していた。

「どうして……ここに現れて、なんのつもりです!?」

 不倶戴天の宿敵が見せる不可解な行動の理由を問いつめるエリス。当の攸夜は余裕の表情を変えず「なんのつもりか、ね」と肩をすくめて、馬鹿にしたように鼻で笑う。

「退がって、エリス」

 親友と魔王の間に割って入るようにエンジェルシードを構える灯。もちろん、その銃口は攸夜にピタリと合わさっている。

 灯と同じく命がゆっくりと進み出るが、何故か無手だ。
 警戒する三人のウィザードを前にしても攸夜はポケットに手を突っ込んだまま、余裕綽々の態度を崩さない。
 広がるピリピリとした一触即発の空気。

「ま、待って! ユーヤは敵じゃないよっ!」

 それを破るように、フェイトは銃口と敵意の前へその身を晒した。躊躇いの欠片もなく、心通わせる恋人を守るために。
 発せられた“ユーヤ”、という名称を不可解な表情をする一同。そうでないのは言った少女とその名を背負う少年だけだ。

「フェイトさん、どいてください! そのひとは危険です!」
「違うよ! ユーヤは悪いひとじゃないっていうか、その、えっと……」

 消えゆくように萎む言葉。反論に詰まるフェイト。
 彼女も、攸夜の所業に擁護しきれない部分があることを重々承知している。しかし、それ以上に、。──その葛藤の大きさは計り知れない。

「いいんだ、フェイト」
「でも……」

 大いに悩み、だが必死になって自分を弁護してくれる少女の頭をポンポンと軽く叩くように撫でた攸夜。「……ありがとう」と耳元で告げると、ずいっと進み出た。

「どうして、と理由を訊いたな、志宝エリス」

 攸夜は蒼き眼光を鋭利に光らせ、疑念の浮かぶ翠緑の瞳を逸らすことなく受け止める。

「……俺は正直、主八界やファー・ジ・アースがどうなろうが知ったことじゃない。“冥魔”どもに蹂躙されようが“侵魔”たちに奪われようが、な」

 心底どうでもいい様子で語る黒髪の魔王。無責任な物言いに、ピクリとエリスの眉が揺れる。
 その飄々と捕らえ所のない佇まいは、変幻自在を旨とする彼らしいものだった。

「だが、“ここ”は違う」

 漂よっていたいい加減そうな雰囲気が霧散する。代わりに纏うのは不退転の決意。

「ここは……この“世界”は、俺の生まれた場所、俺の故郷だ。大切な人たちが居て、大切な思い出がたくさんある。……それに、だ」

 チラリと傍らの“大切な人”に目を向けてから、攸夜が不敵に口角を吊り上げる。
 そして、ポケットに突っ込んだままだった左の掌を目の前に軽く翳し、

「生まれ落ちては消えていく、矛盾に満ちた幾億もの“光”が溢れるこの醜くも美しい“世界”を──、“冥魔”なんぞにくれてやるのはもったいない」

 気障な言葉に合わせて“何か”を手中に収めるように強く握りしめる。そのひどく気取った仕草は、漂わせる独特の雰囲気と相まってとても様になっていた。

「──そうは思わないか? ウィザード」

 真摯な顔つきを消し去り、おどけて見せる攸夜。
 からかうような言いぐさや道化の仮面に隠した心情が微かに滲む。紛れもない本心の述懐に嘘偽りはどこにもない。

「……っ」

 誰かの息を呑む気配。
 エリス軽い既視感が襲う。“金色の魔王”の前で自らが語った信念と似通った──それでいて、決定的に違う言葉に魔法使いは動揺する。

 紅い月の光が静かに降り注ぐ。異界に由来する輝きは、あらゆるものを包み込むように優しく神々しい。
 それは“世界”に豊饒をもたらす大地母神の祝福──破壊の“光”が持つもう一つの貌、創世の“光”だった。

「あなたは、いったい……誰なんですか?」

 当惑するエリスの口から漏れた無意識の問い掛け。
 攸夜は待ってましたとほくそ笑み、「俺か? 俺は──」と思わせぶりに間を取る。続いて、決めゼリフを告げようと口を開き──、

「通りすがりの“魔法使い”、だよね?」

 小脇から、ちょこん顔を出したフェイトが掣肘して華麗に奪い去っていった。

「……フェイト、人のセリフを取らないでくれないか」
「ごめんね、ちょっと言ってみたくって」

 えへへ、と小さく舌を出してはにかむフェイト。決めゼリフを奪われた攸夜は、額に手を当ててしょうがないなと困ったように苦笑い。
 妙な空気が流れる。具体的に言うとあまーい感じの。
「あ、あの……?」居たたまれなくなったエリスがおずおずと声を掛けた時、今まで黙っていたはやてが唐突に「ああぁぁ〜っ!!」と奇声を上げた。

「──攸夜! 宝穣 攸夜!」
「なんだ、チビだぬき」
「ちびでもたぬきちゃうわっ! ──あー、このトゲトゲしくもかわいげのない憎まれ口。やっぱり攸夜君や」

 ムッとしかめる攸夜が、「かわいげのないとは言ってくれますね、八神さん。君も相変わらずのブラックストマックで安心したよ」と皮肉を言ってみせる。
 ガーン、と大仰なリアクションをするはやて。「うぬっ……、そちらさんこそさっそくフェイトちゃんをタラシこんだようで。うらやましい限りですなあ」と切り返した。
 鋭い指摘に、フェイトは真っ赤になって俯く。

「このやろう……」「なんや、やるんか?」

 ふふふふ……、と両者の口から乾いた笑いが漏れ出した。どちらも頬の表情筋を引きつらせ、目が笑っていない。
 そんな二人の様子にエリスたちはぽかんと呆気に取られている。無理もない、事情を把握しているフェイトでさえ矢継ぎ早な掛け合いについて行けず、目をぐるぐると回しているのだから。

「あ、あの、はやてさん……?」
「うん? ああ、このひととは幼なじみというか、腐れ縁というか。まあ、ともかく悪いヒトやない……んかな? うん、たぶんそうや。
 ……あれ? ていうか、なんで私、今まで攸夜君のこと忘れてたんやろ。リインを助けてくれた恩人なんに」

 この歳でボケなんていややなあ、などと惚けるはやて。だが、やはり記憶の欠落を不可解に思っているのだろう、表情は訝しげだ。
 歯切れの悪い評価に攸夜が密かにムッとしたり、記憶を取り戻したのだとフェイトがうれしそうにしていたりしているのは些末なことである。

「“忘れていた”……」

 灯は相変わらずの無表情で年少の三人組を眺めている。「そう……、そういうことなのね」と呟く彼女は微笑ましそうに納得していた。

「……まあ、そういうことだ。で、どうする? ウダウダやってる時間はないみたいだぜ」

 遠方で、幾つもの轟音が響く。互いの顔を見合わせる魔法使いたち。確かに時間はない。

「僕は信じてもいいと思うよ……今の彼なら。でも、最後に決めるのはエリスだ。この“世界”で頑張ってきたのは君なんだからね」

 穏やかに述べられる命の意見に灯が無言で頷き、視線を親友に送って決断を促す。仲間たちの眼差しを受け、エリスがすーっと大きく深呼吸した。

「私……あなたのこと、やっぱり信じられません。──だけど、はやてさんのことなら、仲間のことなら信じられます」

 朗々と紡ぐ言葉は淀みなく。翠緑の瞳に惑いはない。

「だから一緒に戦いましょう、大魔王シャイマール」
「……いや、違う。そうじゃない」

 肩透かしを食らって、「え?」と目を丸くするエリスに、人を食ったような装いを消し去った攸夜が快活に破顔する。

「宝穣 攸夜、それが俺の“名前”だ。シャイマールってのも嫌いじゃあないけどね」

「ユーヤ……」

 僅かに自嘲の込められた言葉。だが、普段よりも幾分幼く見えるいたずらっ子のような表情は、六年前──クリスマスの夜にフェイトが守る誓った、彼の正直な笑顔だった。



[8913] 第十一話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:0ebe659c
Date: 2009/09/14 20:58
 


 瘴気漂う大都会を駆け抜ける幾つもの光芒。先陣を切るのは清冽なる蒼銀──攸夜だ。
 その数歩分後ろに付かず離れずピタリとつけるのがフェイト。少し遅れて、灯と命の搭乗するエンジェルシードと“羽根”を翼として飛ぶエリス。最後尾がはやてとなっている。

 アイン・ソフ・オウルを翼のように──身体に接着しているのではなく、数センチ離れた空間に接続させて──背負い、推進器とする独特の運用方法。全てを連結し、一対の翼とする優等生らしい形で用いているエリスは「こんな使い方があるんだ」と感心している。もっとも、攸夜が“足場”にしたこともあると知れば微妙な顔をしただろうが。

 一同の目の前に、高層ビルと同等かそれ以上に巨大な、尋常ならざる躯を持った漆黒の魔竜──アジ・ダハーカ。闇黒神が産み出した、有害な生物を統べる“最強の邪悪のもの”。
 この異常な空間を創り出す元凶がお供の“冥魔”を引き連れて、手当たり次第に暴虐を振り撒いていた。

 近づく外敵を関知したのだろう、アジ・ダハーカの上部から生える竜頭の触手が顎門を開く。
 咥内に収束する黒い光。

『魔力反応増大……!』
「全員散開っ、お出迎えが来るで!」

 はやての号令と入れ替わりに、無数の触手がレーザー状の黒い熱線を吐き出す。ハリネズミのように四方八方に放射された黒い光の筋。だが、そのような盲撃ちに当たる者は居ない。各々が回避運動を取り、対象を失った熱線がビルを焼き切った。
 ズズン、と鈍い地鳴りを起こし倒壊する建築物をすり抜け、魔法使いたちが“災厄を撒き散らすもの”に接近する。それを遮らんと、摩天楼の谷間や向こう側から飛来した無数の魔鳥が集まって群れを成す。びっしりとひしめき合う様はまるで、真っ黒な城壁だ。
 ヒルコから放たれた白い斬撃や氷結の短刀、金色の雷槍が次々と放たれて城壁を削るが、どれも決定打にならない。密度が厚すぎるのだ。

「チ……、突破口を開く。続け、フェイト!」
「うんっ」

 急制動で停止する攸夜を、一息で追い抜くフェイト。擦れ違いざま、一瞬のアイコンタクトでふたりは互いの意志を受け取る。心が通い合う。
 アイン・ソフ・オウルが縮小して、攸夜の左手首に放射状の腕輪として収まった。

「薙ぎ払え、天壌の劫火!」

 雷速の集中。突き出された左手の先に展開する三重魔法陣。そこから放たれた蒼白く輝く大光球──ディヴァインコロナが“冥魔”の壁を抉り取り、こじ開けた。
 地面に落ちた太陽の輝きは、行きがけの駄賃とばかりに灼熱の奔流を撒き散らし、闇を呑み込む。
 大きく開けた空間に、申し合わせたかのような絶妙のタイミングで、金色の閃光が飛び込んだ。

 待ち受ける“冥魔”の輪の中心に降り立つフェイト。敵陣の真っ直中だというのに、彼女の表情に恐れはない。
 何も恐れることはないのだ。絶対の“信頼”を置く彼女の、蒼空を羽撃くための“翼”がすぐそばにいるのだから。

「──“信頼の解放”!!」

 間髪入れず突き出される攸夜の左手。フェイトの“信頼”を受けた純白の腕輪が、強い緑色の光を解き放った。
 包み込むような緑の輝きに照らされたフェイトの像が、二重三重と次々にぶれていく──否、増えていく。
 その数、七。

「「「「「「「烈風、一陣ッッ!!」」」」」」」

 二振りの光剣を携えた“七人”のフェイトが、声を合わせて口上を叫ぶ。
 刹那、金色の稲妻を残して欠き消えた。
 幾重にも折り重なった数え切れない無数の剣閃の嵐が、優雅に、熾烈に踊り猛る。金色の雷迅に触れたものは皆例外なく寸断、十六分割に斬り刻まれて、塵に還っていく。
 電光石火の斬撃はしかし、“冥魔”全てを断ち切るには至らない。もと居た場所に戻り、幻像が消えて独りになったフェイトに向け、討ち漏らした異形や防壁を作っていた怪鳥が殺到する。
 少女に迫る“冥魔”の大群、それを遮るように蒼銀の陽光が躍り出た。

「闇黒の力を──、終焉の光に」

 胸の前で両手を上下から球体を掴むような形に固定。手の中に白と黒の魔力が融合を果たし、生まれ出でる邪悪を駆逐する蒼銀の煌めきが夜闇の中から“希望”を照らし出す。
 蒼白い輝きを最大級の脅威と感じた“冥魔”たちは、少女から少年へとその矛先を変えた。
 ──だが遅い。

「その力を此処に示す! ──ラグナロックライト!!」

 勢いよく開かれた両腕と共に蒼銀の光──攸夜の代名詞、天冥融合魔法ラグナロックライトの光が球体状に拡大し、凄烈なる奔流を生み出す。七乗の斬撃を逃れた“冥魔”が蒼白い閃光の餌食となり、塵に還ってく。
 光が晴れ、攸夜がフェイトの背後に背を合わせるように着地した。
 閃光の範囲から逃れた“冥魔”が濁流のごとく押し寄せる。「まだまだァ!」叫ぶ攸夜とフェイトの周りに、それぞれの色の魔力スフィアが複数個生成され、「せーのっ!」フェイトの合図で二人は場所を入れ替える。
 円を描く軌道で腕が振るわれ、魔法の弾丸が弾けた。

「「爆ぜろッ!!」」

 蒼銀のサンライトバースターと黄金のプラズマバレットが着弾し、一斉に爆裂。強烈な爆炎と雷撃を幾つもの巻き起こし、今度こそ“冥魔”を完全無欠に消し飛ばした。

「これが私たちのっ」
「切り札だ! ──なんてな」

 自分たちを囮として敵集団を引き込み、攪乱させた後、広範囲魔法の連発で一気に壊滅させる対軍戦闘のコンビネーション。
 六年前、一緒に居た頃に何気なく決めた連携──驚くほど綺麗に決まったそれに、フェイトの胸の奥が熱くなる。どんなに離れていても心は通い合っていたのだとうれしくなり、彼女は思わず恋人の大きな背中にひしっとすがりついた。

「相変わらずというか、なんというか……。見てて背中がカユくなったわ」
「すごい……」
「まるで鎧袖一触ね。魔王の名は伊達ではないということ?」
「敵としては厄介極まりないけど、味方にすると心強いね」

 一足遅れて到着したほかの面々が呆然とした様子で漏らす。
 上から順に、はやて、エリス、灯、命のコメントだ。

「感心してないでさっさと続け。雑魚は一掃しても直ぐに湧き出してくるんだぞ」

 ぼやぼやしているはやてたちを攸夜がブスッとした顔で急き立てる。しかし、フェイトを好きに背中に張り付いかせているせいか、説得力が決定的に欠けていた。
 だが、すでに一行は漆黒の山の裾野には辿り着いたのだ。一刻も早く、この巨山のような“冥魔”を討たなければ、被害は広がるばかり。月匣で隔離していると言っても、それもいつまで保つかわからない。
 月の匣に囚われた邪竜が苛立ったように身悶えた。

「グゥぅぅおオオぉぉぉォォオオ――――ッッ!!」

「──!!」

 二つの竜顔が重なったような貌が狂暴な牙の並んだ顎門を開き、怖気を呼び起こすような悍ましい雄叫びを上げる。
 血のように朱い六つの瞳は、ギラギラあらゆる生命への殺意で輝いていた。




 □■□■□■




 クラナガン中央区画。展開した月匣から数百メートル離れた場所────
 そこでも“冥魔”との交戦は続いていた。

 勢いよく繰り出された鉄拳が魔法攻撃を反射する紫水晶の塊──水晶の魔を打ち砕く。
 不愉快な金切り声を上げてパラパラと落ちていく破片から視線を外したスルガは、ふと直ぐ側で轡を並べて戦う“魔王”に視線を向けた。

「はあっ!」

 金色に輝く光焔を刀身に纏わせた“箒”をルーが切り上げるように振り払い、スライムのぶよぶよとした身体を焼き斬った。
 小さい身体を懸命に使って、身の丈以上の長剣を振り回す姿はいっそ微笑ましいものがある。
 テスラを思わせる様子に目を細めるスルガ。それに気がついたのかルーがのっそりと振り向く。

「……何だ、その生暖かい視線は」
「いえ、何も」

 らしくなく曖昧なスルガの態度が不愉快なのかふんっ、と鼻を鳴らしたルーは、苛立ち紛れにデモニックブルームを無造作に振り抜く。
 剣先から放たれた火炎弾。そこらに居た哀れな“冥魔”が、魔王の癇癪に巻き込まれて消し飛んだ。


「行きますよぉっ!」

 それからやや後方、スルガとルーに守られるような位置に立つ翠が──完全な後衛型なのだから当然だが──息巻いて、ウィザーズワンドの石突きで地面を打つ。瞬間、青い魔法陣が広がっていく。
 高まる魔力。震える大気。周囲の薄弱な精霊たちが、“大いなる者”の威光に恐れ慄いている。

「彼方より来たれ、星屑の鉄槌!」

 翠が祝詞を上げると、灰色の天空に三角を抱く巨大な魔法陣が描かれた。
 水の惑星のごとき青に輝きがにわかにざわめく。

「スタァァァ、フォールダウン!!」

 ひときわ強く輝いた魔法陣から無数の岩塊──否、隕石が招来された。
 “スターフォールダウン”──幾つもの隕石を宇宙の彼方から呼び寄せ、敵を打ち砕く冥属性の極大魔法だ。

 魔法的ゲートを潜り抜け、広範囲に降り注いだ流星群が次々に地面に墜ちて炸裂する。隕石の大質量は落下により増幅され、絶大な破壊と爆轟をもたらした。
 衝撃波が異界の怪物を飲み込んでいく。跡に残るのは、瓦礫の山だけだ。


「これでぜんぶやっつけた……?」
「いえ、まだです!」

 スルガの鋭い警告。
 風切り音と共に、巨大な物体が落下する。
 エリスたちを襲ったものと同じダークサウルスが数体、地響きを起こして乱入した。

「ダークサウルス……、物理無効特性が厄介ですね」
「も、もう大技は品切れですよ〜!?」

 相性の悪さにスルガが表情を曇らせ、ガス欠気味の翠が涙目で頼りない声を上げた。

「……“アレ”を喚ぶか」

 迫る巨竜の群れを前に、ルーが何事かを呟き、その小さな全身を使って“宿主”の愛剣を大きく振り回す。
 デモニックブルームの剣尖がアスファルトを円状に廻り、オレンジ色の火花を散らした。

「──深遠より来たれ、我が鉄騎よ」

 地の底から響くような重苦しい声色で祝詞を詠むルー。“箒”を両手でしかと握り、切っ先を天に向けと、まるで某かの神に仕える巫女のように祈りを捧げる。
 大地に刻まれた円から数十メートルはあろうかという裏界の魔法陣が広がった。

 吹き出す紅い燐光。
 七芒星の魔法陣から巨大な円柱──いや、左腕のようなモノがおもむろに這い出して大地を掴む。

「立ち上がれ! ゼプツェン!!」

 ルーの小さな身体を乗せたまま、“ソレ”が夜の摩天楼に姿を現した。
 紅い意匠を施された蒼を基調とする分厚い丸みを帯びた装甲で身を纏い、大木のごとき両脚で大地に立つ鋼の巨人。ツインアイに、鉄兜を被ったような形の頭部の横に仁王立ちする金髪の幼女が、高圧的で妖艶な微笑を浮かべる。
 野太い腕や肩、背中に背負った灰色のタンクなど全体的にマッシブな印象を持つ二十メートルの巨体が、ダークサウルスの群れの前に立ちふさがった。脚を踏み出した衝撃が、ズンと響いてビルの窓ガラスが砕く。
 その圧倒的な威圧感に恐れを成したのか、魔竜たちは後込みして踏鞴を踏んだ。

「“真理の箒エメスブルーム”……というか、いささか大きすぎませんか?」

 あまりにも巨大すぎる“箒”をスルガは呆れた表情で見上げる。
 “真理の箒”とは、本来三メートルほどの操縦式ゴーレム型“箒”である。間違っても幼女が肩に乗って暴れ回るようなものではない。

「うむ、“女公爵”モーリィ・グレイの宝物庫に眠っていたものでな。死蔵しておくには少々惜しい代物であるから、我が召し上げて使っている」

 巨人の肩に乗るルーは黄金の美髪を掻き上げると、事も無げに答える。あまり回答にはなっていないが。

「さあ、痴れ者をその力で打ち砕いてみせろ、ゼプツェン」
『ヴァ!!』

 主の命を受け、ツインアイが紅く光る。独語で17と名付けられた蒼き鉄人が、光の祝福を受けた拳を振り上げて“冥魔”を強襲した。



[8913] 第十一話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:fd2586f4
Date: 2009/09/17 22:01
 


「やあっ!」
「でえぃやッ!」

 二刀のライオット・スティンガーを交差させるようにして繰り出すフェイトと、光のヒルコをすくい上げるように放つ命。
 金色と純白の刃が漆黒の塊に打ち込まれる。
 稲妻のごとき斬撃はしかし、アジ・ダハーカの強固な鱗に弾かれて、僅かに傷を刻むだけ。科学と神秘、力の方向性は違うもののどちらも強力な魔剣である。その二振りを容易く弾き返す堅牢な装甲は、伝承の通りだと言えるだろう。

「くっ!」「これでも通らないか!」

 大きく後退りながら、フェイトと命は手応えのなさに悔しさを滲ませる。どちらも、少なくない力を込めた斬撃が防がれたことにショックを受けていた。

 三本の竜頭が蠢いて、突出した二人に向けて鎌首をもたげて顎門を開く。紅い舌がちらちらと覗く咥内に、黒炎が燃え滾る。
 ゴウッ、と勢いよく吐き出された炎の塊となって降り注いだ。

「……!」

 二人を援護するべく、灯がエンジェルシードの引き金を矢継ぎ早に引く。砲口の先に展開した魔法陣を通って加速された魔法処理の施された砲弾が、黒い火炎弾を撃ち落とした。
 空薬莢が三つ、ガランと大きな音を立てて地面に転がる。

「まだ……!」

 灯の手の中に、波打つ空間から今し方放ったのとは別種の砲弾が収まると、空になった“箒”の弾倉に手早く装填。そのままトリガーを引き絞った。
 白亜の魔砲から撃ち放たれた砲弾が、アジ・ダハーカの大樹のような前脚に着弾。砲弾の中に詰まっていた魔力が爆発四散して、悪しき竜の脚を奪い取る。
 片足を失った黒い巨体はバランスを崩し、腹に響くような轟音を立てて倒れ落ちた。

「効いた……?」
「それならっ、アイン・ソフ・オウル!」

 最後尾に控えていたエリスが、爆撃で揺らいだことを好機と見て“羽根”の突撃を敢行させる。
 透き通るような声を合図に、紅い魔力光を刃とする七枚の白き盾が、アジ・ダハーカの上部に生えた竜頭の触手の数本を刈り取った。

「やっぱり! みんなっ、魔法攻撃なら通るよ!」

 その声を受け、それぞれが一斉に攻勢をかけた。
 命が純白の光をコーティングしたヒルコで大きく斬り裂けば、上空を取ったフェイトが怒濤のような金色の弾幕──フォトンランサー・ファランクスシフトを斉射。灯も、手持ち最後の魔力爆裂弾を惜しげもなくプレゼントする。

 連続して発生する大小の魔力爆発が、苦悶の砲哮を上げるアジ・ダハーカを飲み込んだ。

「やった……?」

 煙幕が晴れる。
 そこには、幾つもの裂傷を負っているものの、未だ健在な魔竜の黒い巨体があった。
 一斉攻撃により大きく抉り取られた痕がジュクジュクとうねり、やにわに泡立つと音を立て修復されていく。

「再生能力……」
「厄介だね」

 灯と命の表情が曇る。再生の速度自体はおよそ速いとは言い難いものだったが、“災厄を撒き散らすもの”の特性──負の感情を取り込んで“冥魔”を生産することを考えれば、持久戦は圧倒的に不利である。
 予想外の堅牢さに困惑した様子のフェイトは、助けを求めるような視線を上げた。紅い夜空では、際限なく飛来する黒い鳥を格闘する蒼銀と白銀の光が輝く。

(……ダメ、こんなんじゃダメだ。ユーヤにばっかり、頼ってたら……!)

 頭を振って依存したくなる気持ちを意識から追放すると、バルディッシュの柄を強く握った。
 ルビーにも似た真紅の眼差は、真っ直ぐぶれることなく“絶望”の象徴を射抜く。

 むくりと起き上がったアジ・ダハーカが、絶叫にも似た身の毛もよだつ遠吠えを上げる。一帯に強烈な突風が吹き荒れた。

「きゃ!」「ッ……!?」

 耳をつんざく大音量にエリスとフェイトは驚いて耳を塞ぐ。
 漆黒の竜が、その巨体に似合った大きな二つの顎門を開く。深淵の闇黒のような口腔に、悍ましいまでの魔力が集い始めた。





 上空。
 脚の速い飛行能力持ちの“冥魔”──闇鳥が月匣全域から集結し、その数を生かして地上を強襲せんと降下する。
 黒い襲撃者に割って入る小柄な影──はやてだ。
 横薙ぎに振るわれるシュベルトクロイツの動きに合わせて、鋭い空気の刃が発生。名刀の切れ味に勝るとも劣らない風圧の白刃が、鉤爪を開いて襲いかかる闇鳥を一度に寸断した。

 錫杖を振り回した勢いで後退するはやては、同じく“冥魔”を薙ぎ払う幼なじみと背中を合わせる。
 連戦の疲れを滲ませた彼女の息は荒い。ふぅ、と一息吐くと軽く後ろに振り向き、攸夜に声を掛けた。

「──なあ、攸夜君。こうバーッと一気にまとめてやっつけたりとかでけへんの? まおーパワーかなんかで」
「無茶言うな! こっちだってギリギリ切り詰めて戦ってるんだよ」

 空間を切り裂いて創り出したワームホールにリブレイドを何度も叩き込みながら、攸夜が荒っぽく答える。
 その間にも、蒼白い砲撃が黒い穴から次々に突き出ては光の条網を創り出し、闇鳥の群れを寄せ付けない。そこにアイン・ソフ・オウルが飛び込むと、不規則な軌道を描いて魂無き虚ろな者共を打ち砕いていく。

 攸夜は今日一日で命、クロノ、灯、フェイトの四人と交戦し、その全員からもれなくしっぺ返しをもらっている。その上、“楔”の維持に大量の魔力を放出した後とあってはいささか以上のハンディキャップである。幼少の時分から、頑丈さが取り柄だったとしても辛いものは辛いのだ。

「むぅ……」

 正論に若干鼻白み、それでも退かないはやて。

「じゃあ“闇の書の闇”んときみたいにはでけへんの? あの“魔法”なら一撃必殺やろ」
「そりゃあ、あの“力”が使えれば一捻りだけどさ。今の俺じゃあ制御し切れないんだよ、……情けないことに、な」

 無責任なはやての物言いではあったが、痛いところを突かれたのだろう、攸夜はしゅんと肩を落とす。
 そのどこか頼りなさげな様子をフェイトが目にしたならば、キュンとときめくこと間違いなしである。


 ──あれ以来、攸夜は“七徳”のシャイマールの力を解放することが出来ないでいた。
 無論、通常の“リミットブレイク”ならば問題はない。だが、あの土壇場で発揮された常識を凌駕する力を御することが出来たのは、ひとえに“母”の──シャイマールの魂が共にあったからこそ。アイン・ソフ・オウルに込められていた残り滓の全て同化したとはいえ、“運命”の手すらねじ伏せて“奇跡”を成し得る力はあまりにも絶大で。──少年の小さな手には余りあるものだったのだ。

 自分の不甲斐なさに内省する攸夜を、現実へと無理やり引き戻すむせかえるような魔力の波動。
 視線を眼下に向ければアジ・ダハーカが巨大な二つの口を開き、莫大な魔力を収束させているではないか。そのあまりにも禍々しい漆黒の輝きに、さすがの攸夜も背筋が凍り付くのを感じた。

「──ッ、はやて、ちょっと来い!」
「あんっ」
「変な声出すな!」

 はやてにツッコミを入れつつ横抱きにした攸夜は、蒼白い燐光を噴かせて一気に降下していった。





 “災厄を撒き散らすもの”が、二つの口腔から気の遠くなるほど莫大な力を解き放つ。収束・解放された魔力は闇よりもなお冥い漆黒のブレスとなって一直線に放射された。
 触れるもの全てを──そう、次元すらも滅ぼしかねない暴虐の奔流はしかし、唐突にニ岐へと分かれる。蒼銀と深紅──アイン・ソフ・オウルを展開した攸夜とエリスによって阻まれたのだ。

 左手を眼前に翳し、一行の前に立ち塞がる“七徳の継承者”たち。二色の光を放つ十四枚の“羽根”が組み合わさり、鉄壁の城壁となって災厄を防ぐ。
 進路を阻まれた破壊の息吹は、建造物を消滅させながら半球体状に突き進む。「く、ううぅ……っ!」筆舌にし難い圧力にエリスの柔和な顔立ちが苦悶に歪んだ。

 その間にもブレスは迸り、月匣の壁に打ち当たる。
 照射を受け、広範囲に渡って罅が刻まれる紅の結界。「ッ……!!」自らの一部とも言える月匣の損傷がフィードバックされ、攸夜の身を灼く。しかし、結界空間の崩壊を許すわけにはいかない。この月匣は、これ以上“冥魔”が外へ溢れ出さぬように張り巡らした“檻”なのだから。

 濁流のような重圧に押し込まれて膝を屈しかけるエリスと、玉のような脂汗を額に浮かべる攸夜。押し寄せる絶望が、左手を突き出して堪え忍ぶ二人の心の隙間に這い寄る。

(ッ、耐えきれない……!)

 不意に、攸夜の左手に銀色の籠手で包まれた繊細な指先がそっと寄り添う。瞠目した蒼い瞳に、凛々しくも美しい少女の横顔が飛び込んだ。

「……いっしょだから。どんなときでも、いつまでだって、私があなたのとなりにいるから。──だから、諦めないで」

 フェイトは前を向いたまま、清明な声で静かに語りかける。普段と変わらない調子で紡がれた言の葉から、万感の想いを感じ取れない攸夜ではない。
 傍らでは、フラついて体勢を崩しそうなエリスに灯が肩を貸して支えている。空気を読んだはやてと命は後ろで控えているようだ。

 潰えかけていた闘志に蘇る。心にほのおが再び灯る。
 漆黒の濁流をせき止めていた“羽根”がにわかにざわめき、その輝きを増していく。

 攸夜の唇が僅かに歪む。苦痛にではなく笑みに、だ。

「ここまで想われて! “冥魔”なんぞに負けてられるかよッッ!!」
「負けないっ! 負ける、もんかああああッ!!」

 二人の“継承者”たちが哮り立つ。二組のアイン・ソフ・オウルが感情の爆発に歓喜し、打ち震えた。蒼銀の“羽根”と共振を起こした深紅の“羽根”に収まる宝玉が、“七色”に染まっていく。
 勢揃いした十四枚の白き“羽根”が災厄の渦を撥ね除けた。





 様々なものを一緒くたに焼き尽くしたような、焦げ臭い悪臭が辺りに漂う。漆黒の奔流に呑まれた建造物は、その恐るべき破壊力に例外なく消失していた。

「エリス、大丈夫?」
「うん、なんとか……」

 ぺたりとへたり込んだ親友をいたわる灯。彼女の手を借りて立ち上がると、「ありがとう」とエリスが小さく微笑む。
 フェイトに支えられた攸夜も何とか立ち直る。次元破壊のブレスを防ぎきったことによるダメージは、予想以上に大きい。

「今の、もう一度撃たれたら……」
「みんな仲良くジ・エンド、やな」

 フェイトとはやてが深刻そうな声を出す。事実、次に漆黒のブレスを吐かれたのなら全滅は必至だ。
 このまま畳み掛けるつもりなのか、アジ・ダハーカはその巨体から漆黒の瘴気を噴き出した。闇の騎士や闇魚、闇蛇にスライム──“災厄を撒き散らすもの”が次々に“冥魔”を産み落とす。

「っ、また!」疲弊した仲間を守るように進み出た命が、ヒルコを青眼に構えた。

 その間にもアジ・ダハーカの躯は再生を続けている。このペースなら、数分も起たないうちに修復は完了するだろう。

「このままじゃ埒が明かない。最大火力で一気に倒し切るしかないね」
「でも命君、そんな簡単にはいかないと思うよ?」
「せやね……。みんな、大なり小なり疲れとるし、一か八かの賭になってまう」

 “冥魔”を産み出す隙や再生する間も与えず、波状攻撃を掛けるしか討つ手段はない。

「……」一瞬、考えるような仕草をした攸夜がおもむろに左手を突き出す。

「ユーヤ? なにを──」
「“希望”の光よ」

 冷厳な声が響き、“七徳”のアイン・ソフ・オウルが黄金色の輝きに包まれた。
 解放された宝玉の力──“希望”の力が世界のコトワリを歪め、運命の定めを覆す。──それは、小さな奇跡。絶望を駆逐する心の光だ。
 “プラーナ”の輝きにも似た煌めく粒子が、呆然とする命の前に集まる。光の粒は次々に収束すると、一つの形を成していく。

「これは──」

 そして突き立っていたのは、真っ直ぐな刀身が漆黒の帯に包まれた一振りの“剣”。
 刃と鍔が一体となった両刃の大剣。直線で構成されたデザインは切れ味を象徴するかのようで。

「“闇のヒルコ”……!!」

 漆黒の闇を纏う魔剣は、かつての主が再び手に取るのを静かに待ちわびていた。



[8913] 第十一話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:f621e8a2
Date: 2009/09/29 20:59
 


 真円の紅い月が焦土と化した大地を静やかに見下ろす。
 ──因縁の鎖から解放された勇者は、遠く離れた異界の地で再び自らの宿命と対峙していた。

「そう、ソイツはヒルコ本来の貌──“情欲”の大魔王アスモデート、その力の片鱗たる闇の魔剣だ。……もっとも、ここにあるのは“希望の宝玉”ででっち上げたレプリカだけどな」

 ああ、もちろん切れ味の方は遜色ないと保証するよ──攸夜は、世間話をするかのような口調の言葉を切ると、汗で額に張り付いていた髪を不愉快そうに掻き上げる。駿馬のたてがみにも似た漆黒の癖毛がふわりと靡いた。

「取れよ、真行寺命。今のアンタなら、闇のヒルコの力だって制することが出来るはずだぜ」

「…………」

 墓標のように突き立ち、物言わぬ黒き剣を食い入るように見つめる命。「命……」彼の因縁を痛いほど知っている灯は、とても心配そうな視線を送っている。
 期待感溢れる瞳で好敵手の動向を眺める魔王を、らしくなく睨みつけるエリス。古傷に塩を塗り込むようなやり口が気に入らないのだろう。攸夜もそれに気が付いているが、気にした素振りも見せない。
 今は少しでも強い力が必要なのだ。──“災厄を撒き散らすもの”を討つ滅ぼすための力が。

「──やるよ」
「命……?」「命君?」

 困惑の声を上げる二人を置いて、命は黒い魔剣の柄に左手をかける。
 ざん、とアスファルトから引き抜かれた剣の刀身を覆い隠す帯が、独りでに解かれていく。露わになる白刃から漆黒の闇が迸った。
 それをきっかけに右手に携える白き剣が脈動し、淡い光を放つ。まるで分かたれた半身の帰還を喜び、祝福するかのように。

「闇も光も、どちらも含めて僕の一部、自分自身なんだ。それを否定していたら前には進めない──ましてや……未来あすなんて、掴めっこない」

 闇のヒルコの磨き抜かれた刀身に自らの顔を映し、命は決然と宣言する。期待通りの答えに攸夜は愉悦を隠さない。

「それでこそだよ、真行寺命」
「……試したんだね?」
「さて、なんのことだかわからないな」

 にやりと不敵な笑みを交わす男たち。気の置けない友人同士のようなやり取りに何故かエリスがムッとした。灯は相変わらずの無表情だが。

「まったく、意地が悪いね。あ、ところで君のこと、なんて呼べばいいかな」
「何を急に……。アンタの好きにしたらいいじゃないか」
「そうか。じゃあ、攸夜、……さっさと片付けてしまおう」
「はいよ、センパイ」

 どこか楽しそうな会話。「……?」不思議そうに小首を傾げるフェイトの隣で「男の友情っちゅうやつやな」と、はやてがうんうん納得している。

「フェイト、はやて! 俺たちが先陣を切って活路を開く。お前たちは心おきなく全力全開でぶちかませ!」

 飛翔翼を展開さた攸夜が、指示を飛ばしながら左手を天に捧げる。それに合わせ、七枚のアイン・ソフ・オウルが飛び上がり、純白の大太刀へと連結を開始した。

「あ、うん!」
「りょーかい。……なんやこう、メンバーはちゃうけど六年前のクリスマスを思い出すなあ」
「ほんとだ。でも私たち、いつもこんな感じだったよ?」

 少女たちは顔を見合わせ、くすりと笑い合う。こうして“本当のこと”を話し合えるのも六年ぶりだ。奇しくも二人はこのとき同じことを考えていた──後で攸夜を徹底的に問いつめてやろう、と。
 嫌な予感に件の少年がビクッと肩を揺らした。

「──なのは、どうしてるんだろう? だいじょうぶかなぁ……」

 二刀の光剣を一振りの大剣に組み替えながら、フェイトはふと、この場にいない親友のことを思い、表情を曇らせる。しかし、この場に彼女の姿はない。
 それを心から残念に思いつつも、のっぴきならない現状に気を引き締めた。

 白亜の大太刀が蒼白い結晶で構成された長柄を伸ばし始めると、「二人も、それでいいね」命がエリスと灯に問い掛けた。
 頷く仲間に微笑みを返し、命は蠢く“冥魔”へと向き直る。

 出し抜けに、攸夜と命の周囲を黄金の粒子が飛び交った。急速に明度を増す燐光が、まるで間欠泉のように噴き出した。


 それは封印された真なる力を解放する究極技法。──“転生者”と呼ばれるものたちの奥の手だ。


「命……、“それ”は──」

 その強烈な輝きに胸騒ぎを感じ、灯は恋人の名を弱々しく呼ぶ。アスモデートとの決戦の記憶が脳裏に蘇る。喪失の恐怖は、いかに気丈な彼女と言えども何度も耐えられるものではない。


「……大丈夫」


 そんな少女を安心させるように、青年はとても真摯な表情で微笑んだ。


「──灯は僕が護るから」


 はっと息を呑む灯。
 いつか聞いた、けれど決定的に違う想いが込められた言葉。普段は“あかりん”と愛称で呼んでいる彼が、ここぞとばかりに放った決めゼリフは効果絶大で、灯はすっかり機嫌を直したようだ。しなを作って、脳内フォルダに今の映像を焼き付けている。
 睦言のようなやり取りにあてられたフェイトとエリスが少し頬を赤らめ、攸夜とはやてがイイモノを見たとニヤけていたのはまったくの余談だ。


 気を取り直し、“災厄を撒き散らすもの”が率いる混沌の軍勢を見据えた二人の“魔法使い”。その背中に愛するひとを背負う限り、彼らに敗北の二文字はない。

 空気がピンと張りつめる。

 ここに解き放たれるのは、比類なき力の顕現────



「「リミット……ブレイク!!」」


 ────純粋なる生命の輝きが、光の柱となって爆発的に噴き上がった。


 黄金色の光輝を纏った魔剣の勇者が光闇二刀を振り下ろせば、蒼銀の翼を長大化させた宝玉の魔王が大太刀の石突きで地を砕く。

「行くぞ!」
「ああ!」

 威風堂々。限界を超えた極光が充満した黒い瘴気を祓い、澄み切った風を呼び込む。
 いつの間に変わったのだろうか、攸夜の戦装束が夜闇のような濃紺と蒼から、神々しい純白と金へと染め上げられていた。

 オーバーロードした“プラーナ”と魔力の粒子を散らし、蒼光の魔法使いが残像を残すほどの速度で低空を疾駆する。
 戦場を先駆け、後に続く者の道を切り開く──いつでも自分の役目は変わらないな、と攸夜は追懐し、愉快そうに笑みを漏らしていた。

 アイン・ソフ・オウルが形作る大剣の刀身部分を覆うように蒼銀の刃が産み出される。魔力と半透明な結晶体で形成されたそれはあまりにも長大──成長した少年の身長すらも遥か越え、その刃渡りは優に彼の五倍は届くだろうか。
 大きすぎる刃の剣尖が地面に触れ、火花を上げて傷を刻み込む。


「全てを断ち斬る無限の光!」


 軌道上の“冥魔”を結晶の刃で斬って捨て、攸夜は猛火のような覇気を発露してアジ・ダハーカに突撃。竜頭の触手が接近を防ごうと幾つもの火炎弾を吐き出すが、そうはさせじと後方から飛来した雷撃や氷結の魔弾が相殺する。

 そうしてついに、蒼銀の“獣”が漆黒の魔竜に肉迫した。
 滑り込むように着地した両足が大地を砕く。


「アイン・ソフ・オウル──、一刀、両断ッッ!!」


 裂帛の気迫。
 疾風のごとき速力を乗せた白亜の大剣を、全身の膂力を用いて薙ぎ払う。小山のような魔竜の足下で巻き起こった光る風に、断てぬものなどない。
 刃の軌道と暴風のような剣圧に巻き込まれた“冥魔”諸共、アイン・ソフ・オウルがアジ・ダハーカを真一文字に断ち斬った。

「はああああああッッ!!」

 そのままの勢いで半回転した攸夜に向けて、雄叫びを上げた命が勇猛果敢に“冥魔”を蹴散らして突き進む。
 純白の大剣の腹に脚を掛けると、躊躇うことなく駆け上る。「おおォらアッ!」持ち替えた両手で柄を握り込んだ攸夜が吼え哮り、命ごと大剣を跳ね上げた。


「──ヒルコ……ッッ!!」


 上空に投げ出され、アジ・ダハーカの頭上を取った命。大きく振りかぶり、自らの半身の名を叫ぶ。
 主の“プラーナ”を喰らった二振りのヒルコの刀身に刻まれたルーン文字か光り輝く。絶え間なく吹き出す閃光によって刃が延びたように見えた。
 解放される古の力。
 振り抜かれる一対の魔剣。
 ────日子の白き光と蛭子の黒き闇が巻き起こした太刀風が、巨大な魔竜の躯に×字の斬撃を刻み込んだ。

 分離したアイン・ソフ・オウルの上に着地する命。

「フェイト!」「灯!」

 油断ない足取りで射線から離脱した攸夜と命。それぞれがそれぞれの想い人の名前を呼ぶ。

 返答など要らない。

 天雷が高く掲げられた黄金の光剣に落ち、白亜の巨砲がその偉容を月光の下に曝していた。


「雷光一閃! プラズマザンバァァァアッ!!」


 展開した魔法陣の上に立つ、金色の乙女が肩に担いだ大剣──ライオットザンバー・カラミティの刀身が、まるで万雷のごとき紫電を撒き散らし、爆光を輝かせる。唸り声にも似た凄まじい爆音と鼻に突くオゾン臭が満ちていく。
 弾倉に残る全てのカートリッジを炸裂させ、さらになけなしの魔力を注ぎ込んだまさに全力全開全身全霊のラストアタック。その鋭き尖端が向けられしは絶望の権化。


「ロングレンジバレル……展開! ターゲットロック……!」


 片膝を突いた緋色の魔女が、エンジェルシードの追加パーツ──“超ロングレンジライフル”の照準器を機械的に覗き込む。
 長い砲塔を支える支柱のすぐ側に展開した魔法陣を起点に、幾重もの光のリングが純白のバレルを取り巻き、甲高い音を立てて光が灯る。巨大な“冥魔”の弱点を射抜く、針の穴を通すような照準の先は悪しき存在、黒き“世界”。

 ──振り下ろされる大剣。引き絞られたトリガー。


「ブレイカアァァァァ――――ッ!!」

「……必ず、当てる!!」


 裂帛の気合いと共に繰り出された金色の大斬撃が、雷霆迸る極大の砲撃となって大地に降り注ぎ──純白の砲口から放たれた儚い幻想のごとき光条が、紅い夜闇を真っ直ぐに切り裂く。

 ──二条の光が闇黒の巨竜に吸い込まれる。

 一瞬の静寂。

 ややあって、莫大な魔力が膨れ上がり、大爆発を引き起こす。一拍遅れて炸裂音と衝撃波が駆け抜けて、天を突くほどの巨大な火柱が高く噴き上がった。


 漆黒の魔剣と純白の魔砲が、最大稼働の可負荷を癒やすように大量の蒸気を排気する。
 恐るべき威力を秘めた三重の斬撃と二乗の砲撃に打ち砕かれたというのに、“災厄を撒き散らすもの”の非常識な生命力は未だ尽きる気配なく。グロテスクな紅黒い腐肉を盛んに蠢かせていた。

「はやて!」「エリス!」

 疲れを滲ませた、しかし気丈さを損なっていない表情で振り向く二人のさらに後方────
 七枚の白き“羽根”を目の前に展開させた魔法使いと、豪奢な“夜天”の魔導書の頁を開いた魔導師。
 目も眩むほどの魔力を惜しげもなく披露して、出番を待つ姿は如才ない。
 ──共鳴により転化し、“七罪”から“七徳”と一時的に変じた七色の宝玉が、きらきらと瞬いていた。



[8913] 第十一話‐5
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:22c18486
Date: 2009/09/29 21:00
 


 りん、と鈴のような涼やかな音が夜空に鳴り響く。粉雪のように透明な銀色の燐光が剣十字の魔法陣からちらちらと舞い降りて。
 夜天の主──はやては瞳を閉じ、極大規模の儀礼魔法を放たんと一心不乱に最後の魔力を絞り出す。黒い三対六枚の翼を広げ、黄金の錫杖を掲げる姿は、夜空を統べるものと呼ぶに相応しい。

 左手側に浮遊していた紅い表紙の書物──夜天の魔導書がひときわ輝いた。

「──大地を司る十六の精霊、我が呼び声に答えよ」『宵闇に煌めく明星の主、春風と美と愛の化身よ、ここに集え』

 祈り、詠唱し、ささやく。

 はやてとリインフォースの祝詞が合わさって、一つのメロディーを紡ぎ出す。
 その甘い旋律に誘われて、黄色い光──大地を駆け巡る“精霊”がざわめき、集結を開始する。
 やや上空、斜めに傾いた形で展開した二つの中規模な魔法陣が、度重なる大打撃に凄惨な有様を晒すアジ・ダハーカを取り囲んだ。

「其れは小さきもの、自由なもの、力強きもの」『其れは生命と、創造と、根源とを現すもの』

 ぽつぽつぽつ……、ピンポン球大の黄色い光の球が順々にはやての周りに生まれては、不規則にゆらゆらと波打って。くるくると円を描く姿は愉快にポルカを踊るよう。
 その数、十六。
 遙か空高く、月匣の影響で赤く染められた暗雲のキャンバスに、白銀の光線がおもむろに走る。
 そして、完成したのは巨大な剣十字の魔法陣。


『汝ら、今こそ古の賢者の軛を解き放ち──』


 十六の“精霊”が、次々に天へ──魔法陣へ向けて昇っていく。
 全ての光の球が魔法陣に吸い込まれたのを確認すると、はやてはシュベルトクロイツを両手でしかと握り込み、天に突き出す。


「──至れ至高の秘法、大いなる神秘、黄金の太陽!!」


 アジ・ダハーカの両側に広がっていた魔法陣から、サーベル状の白銀の光が放たれ、突き刺さり、黒い巨体を拘束。
 天蓋にも似た魔法陣が臨界を迎え、強く発光した。


「私も行きます! ──アイン・ソフ・オウル!」


 七光を輝かす七枚の“羽根”が、継承者──エリスの声と捧げられた左手に呼応して、次々と天に昇る。
 藤色の宝玉を抱いた“羽根”を頂点に、青と紫が並列、その下に金と緑が直列、橙と赤が末広がりに連結。──完成したそれは、Y字を逆にしたような形の巨大な剣。攸夜が振るった大太刀と基本理念を同じとする、アイン・ソフ・オウルの形態の一。

 雲の合間から降り注ぐ天使の梯子の蜃気楼と、ふわふわと舞い落ちる無数の白い羽の幻影──そして、瞳を閉じたまま、光と羽の祝福を受ける少女。そのあまりにも神々しい光景が、殺風景な廃墟に神秘的な雰囲気をもたらしていた。

 眼前に下ろされた左手に合わせて振り落ちる白亜の巨大剣。
 瞼が悠然と開かれて。つぶらな碧と紅の瞳が、邪悪の化身を映し取る。


「────全てを貫く私の光」


 咎を裁き、断罪する天使のように厳粛な声が響き渡る。
 白亜の巨大剣の尖端から形成される、藤色に光り輝く魔法の刃。光刃に宿るのは無慈悲にして苛烈、極大にして無上の力。防ぐことすら許されない、必殺必滅の一撃────
 蒼銀の燐光を散らし、あらゆるモノを貫く藤色の光が“災厄を撒き散らすもの”を捉えた。

 それと時を同じくして。
 上空の魔法陣から莫大な魔力が放出され、剣十字の錫杖が振り下ろされた。


「砕け、母なる大地の剣つるぎ! オデッセイッ!!」


 天空に鎮座する魔法陣から、数百メートルはあろうかという両刃の剣が落下、アジ・ダハーカの巨体に突き刺さる。
 大地の力を凝縮させた巨大すぎる剣から熱く燃え滾るマグマのようなエネルギーが噴出し、アイン・ソフ・オウルから藤色に赫耀する“正義”の力を解き放たれて、貫き通す。
 常識の枠を遙かに超えた二つの“魔法”がほとんど同時に炸裂。それぞれが別々で放つのとは桁違いの威力を秘めた、完璧な連携魔法だった。





 閃光が終息していく。
 爆心地では、大量の粉塵が未だにもうもうと立ち上っていた。

「やった、のかな……?」フェイトが色濃い疲労を滲ませた顔でぽつりと漏らす。病的に蒼白な顔色は、限界まで魔力を使い切った弊害だ。

「……」

 彼女の少し後ろで腕を組み、沈黙する攸夜。普段ならばフェイトへ労をねぎらう一言でも掛けるところだというのに、その表情は抜き身の刃にも似て。冷徹な蒼い眼光を大破壊の跡から離さない。

 ────煙が夜風に流れ、徐々に晴れ渡っていく。
 分厚いベールから暴かれたのは、ブスブスと蠢き続ける醜い腐ったように真っ黒な肉塊。
 グロテスクな肉塊がうねり、泡立つ様は、アジ・ダハーカの衰えることを知らない生命力──いや、“世界”の隅々にまで溢れ、決して消えることのない負の感情を象徴しているかのようだった。

「ッ、なんてデタラメっ。あれだけ喰らってまだ動くんか!?」

 うそぶくはやて。彼女もフェイト同様、疲労は色濃い。気力、体力、魔力──どれもこれも軒並み揃って品切れだ。
 その間にも、“災厄を撒き散らすもの”は再生を続ける。月匣全域に漂っていた毒々しい瘴気が急速に集まり始めていた。

「“冥魔”の生産能力を再生能力に変換している……?」

 呆然とした様子で灯が言葉を漏らす。苦虫を噛み潰したような表情の命が、再度ヒルコを構える。しかし、彼の体力もすでに限界が近い。これ以上の戦闘は無謀だろう。
 闇よりも黒い多量の瘴気が溢れ、意志がごとく肉塊に群がる光景はひどく禍々しい。

 ────場の空気絶望感を支配する。

「まだだッ!」「これで終わりですっ!」

 黒い闇ぜつぼうを吹き飛ばす、鬨の声──白い光きぼう。心の煌めき。
 二対のアイン・ソフ・オウルが黄金の光輝を纏い、継承者たちの前に展開する。放射状に配置された二組の白き“羽根”は、まるで尽きることなく燃えさかる太陽の光冠。
 その中心に、幾何学的な三角と七芒星の蒼白い魔法陣が描き出された。


「無垢なる力を──、限り無き光に!」胸の前で両手を左右から何かを挟み込むようにする攸夜。白と黒、正と負の魔力が融合を開始する。
「私の光──、もう一度だけ力を貸して!」両手の人差し指と親指で作った三角でアジ・ダハーカを捉えるエリス。彼女の瞳が碧紅に染まり、三角の中に純粋無垢な光が溢れる。


「「“七徳”と“七罪”を、今ここに!」」

 合わさる声を契機にして、二組七つの宝玉に時計回りで光が灯っていく。
 橙、青、藍、緑、赤、紫、金──ヒトの心に秘められし七つの美徳を象徴する光華が瞬いて。
 光と闇、聖と邪、善と悪、正と負────相反し、決して相容れることのないが故に、うつろいたゆたう表裏一体の概念。それを体現する“シャイマール”の後継者が、気炎万丈を揚げて吠え哮る。


「「全てを貫く無限の光! ──アイン・ソフ・オウルッ!!」」


 ────臨界点を突破したチカラが解き放たれた。

 世界門と化した魔法陣を潜り抜け、異世界の力を取り込んだ蒼銀の奔流に追従して、純白の“羽根”に抱かれた七つの宝玉から七色の光線が溢れ出す。
 極大の輝きと七つの煌めきが混じり合い、生じるのは虹色の極大なる光。“七徳”と“七罪”──矛盾し対立するふたつ力が混じり合い、止揚を遂げたこのヒカリに貫けぬものなどありはしない。
 紅い世界に美しい七光が刹那よりも速く駆け抜け────
 あらゆるものを貫き通し、あらゆるものを包み込む二条の無限の極光が、漆黒の“冥魔”を撃ち抜いた。


「“災厄を撒き散らすもの”よ、混沌の闇に還りなさい! この無限光の中で──!!」

 虹色の大規模な爆光の奥から、悍ましい断末魔の砲哮が響く。
 エリスと攸夜──二人の継承者によって紡がれた無限光のエネルギーは、六年前“闇の書の闇”を討ち滅ぼした究極の光にも迫る。強大な“冥魔”とは言え、王を名乗れない程度の、その上虫の息なアジ・ダハーカに耐えられるものではない。──いや、このシャイマールの“光”を凌ぎきれる存在など、主八界全土を見渡しても数えるほどしか居ないだろう。


 漂う瘴気を巻き込み、漆黒の魔竜を飲み込んだ無限大の虹が光の柱となって天に帰ってゆく。
 強烈な突風に純白の外套を煽られながら、攸夜がゆっくりと左手を眼前に掲げ────、



「光に抱かれて永久に眠れ」



 そして、掌が強く握り込まれ、全てが光芒の果てに消えていった────






 月匣が解除され、本来の色を取り戻したセカイ。
 分厚い鼠色の雲はいつの間にか晴れ渡り、紺青の夜空には瞬く星々。そして、静かに寄り添う双月が優しく微笑むように見下ろしていた。


「ふぅ……」

 大きく息を吐き出して、エリスは女の子座りでぺたんとへたり込んだ。隣の攸夜も滲む疲労を隠せない。
 皆、精魂尽き果て限界だった。
 近くには、突き立てた錫杖に寄りかかり座り込むはやてや、“プラーナ”の使いすぎでふらつく命を支える灯の姿。

「これでほんとうに終わった……んだよね、ユーヤ?」

 振り返り、おずおずと控えめな声色でフェイトは問いかけた。
 遠方では未だ戦闘の音が聞こえるものの、“冥魔”を産み出す大元が断たれたことで直に沈静化することだろう。

「ああ、終わりだよ」

 笑みを返す攸夜。
 とりあえずはな──そんな、不吉な蛇足はぐっと飲み込まれて。疲れ切っているというのにまたぞろ不安にさせるのは不味い。
 事実、返答に安堵の笑みを漏らしたフェイトは、ふらふらと覚束ない足取りで攸夜の胸にぽすっと身体を預ける。

「フェイト、疲れた?」
「……うん、ちょっと」

 柔らかなブロンドを指先でやさしく梳かれながら、少女は上目遣いに頷く。
 攸夜に負けず劣らず、フェイトも強敵との激戦に次ぐ激戦を潜り抜け疲労困憊を極めている。誰よりも大好きなひとに抱き留められている安心感も合わさって、意識が薄れても仕方がない。

「なら、少し眠るといいよ。俺が側に居てやるから」
「ん……」

 ふと穏やかな微笑みを見せて、フェイトは瞼をゆっくり落とす。眠気に抗いもせず、そのまままどろみの底に沈んでいく。

「おーおー、見せつけてくれちゃてまあ」

 茶化しつつはやてが苦笑する。だが、その雰囲気に悪意は感じられない。
 乳飲み子のように安心しきった表情で寝息をたてる幼なじみを、微笑ましく感じていた。

「……でもま、こんだけ戦ったんは六年ぶりやしな、私もフェイトちゃんも」

 一瞬、きょとんとした攸夜。すぐさま回復すると、呆れ混じりにため息を零した。

「お前ら、怠けすぎだぞ? 第八世界じゃこんなの日常茶飯事だってのに。──なあ?」

 同意を求めるように、周囲の同郷人たちを見回す。

「そ、そんなことない……よね?」
「そうね、今回みたいな事件ならだいたい月に一度くらいよ。それが普通だわ」
「元一般人から言わせてもらうと、ぜんぜん普通じゃないから勘違いしないようにね」

 困った顔で助けを求めるエリス。淡々と事実だけを述べる灯。フォローを入れて締める命。
 三者三様、それぞれらしいリアクションだった。

「はぁ〜、難儀なことやなぁ」

 気の抜けたはやてのセリフ。錫杖にもたれかかり、だらけきった姿はどこかおかしい。

「う、ウィザードは常識に捕らわれちゃいけませんっ」
「私、魔導師やし」

 エリスの天然ぽいズレた発言に空気が弛緩して。
 ややあって、誰かが吹き出す。それを合図に穏やかな笑い声が弾けて響く。


 ────月と星が煌めく満天に透き通った夜闇は、どこまでも、どこまでも続いていた。



[8913] 第十二話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:f676cb3c
Date: 2009/09/26 21:07
 


 大きく開け放たれた窓から、うららかな日の光が差し込む。都心部の方では、重機の駆動音がひっきりなしに騒々しい演奏を続けていた。
 数日前、“魔王”と“冥魔”が無遠慮に繰り広げた激戦の跡は深く。後始末が終わるには、まだまだ時間がかかりそうだった。
 倒壊による保障だの都市部の再建計画だのと山積する問題に、担当者たちは今頃てんてこ舞いをしていることだろう。

 とはいえ、“ここ”はそんな雑事とは全く持って無縁で。穏やかな雰囲気に包まれていた。


 ──とある病院のとある病室。
 そこに間借りしている少年はリクライニングしたベッドにもたれかかり、読書をしている。
 その隣、丸イスに座った少女がうつらうつらと船をこいでいた。肩の重荷がまとめて降り、顔色がいくらかよくなったとはいえ、疲れを癒しきるには時間が足りない。──ココロも、カラダも。
 その辺りの機微を理解しているのだろう。少年は居眠りを咎めることはせず、分厚い年代物の学術書の字列をぼんやりと眺めては時間を潰していた。
 わずかに感じた人の気配に、彼の視線が上がる。
 近づく二組の足音。
 ピタリと足音が部屋の前で止まり、ノックが三回。その物音に、ほとんど寝入っていた少女──なのはがビクッと飛び起きた。

「どうぞ」

 内心では待ちきれなかったらしい少年──ユーノが笑みを浮かべて返事を返すと、引き戸が静かに開く。

 はたして。入室したのは二人、黒髪の少年と金髪の少女だ。
 黒革のライダースジャケットにクリーム色のカーゴパンツの少年と、黒い上下のスーツ──管理局執務官の制服姿の少女。カジュアル、フォーマルと対象的な装いではあったが、ちぐはぐというわけではなく。むしろ至極自然な印象を振り撒いていた。
 そう。包み隠さずにいえば、とてもお似合いのカップルであった。

「おっす、ユーノになのは。元気にしてたか?」
「おかげさまでね」
「いらっしゃい、フェイトちゃん、攸夜くん」

 左手を軽く上げて爽やかに挨拶する黒髪の少年──攸夜に、ユーノとなのはが釣られて破顔して。あの頃と何も変わらない、仲良しな幼なじみたちのやり取りを金髪の少女──フェイトは、彼らに負けないほどきれいな、幸福に満ちた笑顔で見守っていた。





 ベッドサイドに並んで座るフェイトとなのは。二脚しかない席を譲った攸夜は立ったまま近くの壁に身体を預けている。
 ちなみに、はやては事件の残務処理などに忙殺されているため不在だ。「この薄情者ーっ!!」とは、はやての負け惜しみ。

「これ、おみまいだよ」

 そう言って、フェイトがなのはに色とりどりの果物が入った中くらいのバスケットを手渡す。
 オレンジに梨、リンゴにバナナ……それから、竹製のカゴの中でも一番目を引く“それ”に、なのはが目をまんまるに見開いた。

「わっ、メロンおっきい。これ、高かったんじゃない?」
「さすが喫茶店の娘、お目が高い。お見舞いといえばメロンだろ、ということでなるだけ高価なの買ってきた。感謝しろよな、ん?」

 大袈裟に抜かし、ニヤリと笑ってみせる攸夜。ユーノが呆れ混じりに苦笑する。

「恩着せがましいね」
「恩着せてるんだよ」
「ひどい言いようだ、横暴だと思う」
「いいんだよ、ユーノなんだから」
「僕ってそんな扱い?」
「最初からだろ」
「……そうだね」
「フェレットに生まれた不幸を呪え」
「生まれてないし! 不幸って何さ!」

 軽快なテンポで続く軽口の応酬。気心の知れた彼ららしいやり取りに、フェイトとなのはが愉快そうに顔を見合わせた。

「あ、リンゴ、私がむくね」

 カゴから真っ赤なリンゴを手に取ったフェイトに攸夜が訝しげな表情をした。とても訝しげだ。

「……皮、剥けるのか? 駄目なら俺がやるけど」
「そ、それくらいできるよっ。もう子どもじゃないんだから」
「そうだよ。フェイトちゃん、家庭科の成績いいもんね」
「……」

 不自然な沈黙。攸夜は白々しく目を泳がしたりしている。
 そんなあからさまな態度にフェイトが気分を害して、ジト目を送った。

「むっ……ユーヤ、信じてないでしょう?」
「まさか。そんなことないですよ、フェイトさん」
「攸夜くんがそういうしゃべり方するときって、だいたい相手をバカにしてるんだよね」

 何気に一番つき合いの長い少女からの、核心を突く指摘。無言でついーっと視線をそらしたのがいい証拠だった。
 報復に、ほっぺぐにーっの刑が発動したのは言うまでもない。



 たわいのない雑談が続く────
 年頃の少年少女らしい、なんてことはないごく普通の会話はしかし、どこかよそよそしい。
 それはきっと、皆が腫れ物に触るように話題を選んでいたから。問題を意識無意識に関わらず、棚上げしていたからだろう。

 ベッドに備え付けられたテーブルに置かれた皿には、ウサギの形に切りそろえられたリンゴが数個。無論、フェイトの手によるものだ。
 それを手に取り、口の中に放り込んだ攸夜。シャキシャキとした歯ごたえと甘い蜜の味を楽しみつつ考える──この濁った空気をどうしたものか、と。
 無論、自分が原因なのは重々承知している。しているのだが、病室に充満した微妙な空気に胸中で苛々を募らせていた彼は、リンゴを飲み込むとそれとなく話題を投じた。

「……で、退院はいつなんだ?」
「うん、数日中には退院できるって。仕事がたまってるだろうからちょっと億劫だけどね。ここ、居心地もいいし」

 茶化したような言葉の中に自分への気遣いを感じ、なのはが堪えるように俯く。ネガティブな感情を気丈に抑えてはいるものの、この場にそれがわからないものなど居ない。
 現にフェイトはあわあわと動揺して落ち着かないし、攸夜は見通しが甘すぎたことを悟って気まずそうに左手で顔を覆うのだった。

 ふう、とユーノが大きく息を吐く。

「……ユウヤ、ちょっとこっち来て」
「うん? 急になんでさ」
「いいから」

 いつになく強引なユーノに首を捻りつつ近づく攸夜。──刹那、彼の目に飛び込んできたのは、翠緑色の魔力光を纏った鉄拳。コークスクリュー気味の大砲じみた一撃が、見事に顔面へとクリーンヒットした。
 ぐしゃあっとトマトが潰れたような音を立て、攸夜が盛大に吹っ飛ぶ。備え付けのキャビネットを巻き込んで。
 三重攻勢障壁を乗せていたとはいえ、人ひとりを殴り飛ばすその威力は、上体の捻りだけで繰り出されたものとは到底思えない。

「ユーノくん!?」

 なのはが戸惑いの声を上げる。
 それをあえて黙殺したユーノは、ベッドから降りると冷たい刺すような視線で、壁にもたれかかる“親友”を見下ろしていた。
 なお、ユーノは密かに拳をさすっている。思いっきり殴ったので痛いのだろう。

「ッ……、病み上がりの癖に、いいの持ってるじゃないか」

 口の中を切ってしまたのか、口角から垂れた血を攸夜は乱暴に拭い、嘯く。「ユーヤ、だいじょうぶ?」と近寄るフェイトには目もくれず、唇を獰猛に吊り上げて“親友”を睨み返した。
 しかし、その蒼い瞳に浮かんでいたのは敵意ではなく喜悦。殴られる“いわれ”があるとわかっていたからかもしれない。

 少女二人は険悪な空気を感じ取り、ハラハラと視線を行ったり来たりさせるのみ。男どもは睨み合ったまま動かない。
 ふと、ユーノの表情が緩む。

「みんなに黙って居なくなったこととか、なのはとフェイトに嫌な思いをさせたこととか……いろいろ言いたいことは山ほどあるけど、僕の分は今ので勘弁しておいてあげるよ」

 おどけたように締めくくられた言葉に、剣呑とした雰囲気が霧散して。
 誰かが安堵のため息を吐く。
 自分が入院する羽目になった遠因だというのに、ユーノはそれに触れようとしなかった。器が大きいからなのか、単にお人好しなだけなのか──攸夜には判別がつかなかったが。あるいはその両方なのかもしれない。

「……悪い」
「心から反省した?」
「猛省してる。今回ばかりは、な」
「そう、それはよかった」

 珍しく素直に謝罪する攸夜。
 そんな反応に満足したのか、ユーノの表情はいつもの穏和で理知的なものに戻った。少しずれた眼鏡を直しつつ、得意そうに手を差し出して口を開く。

「それじゃあ、ユウヤ……おかえり」
「──! ああ、ただいま」

 差し出された手は握られて、堅く握手。攸夜はにこやかなまま密かにグッと手に力を入れて、殴られたお返し。何気に器が小さい。
 そして、ユーノもそれに対抗したかのように力を込め始める。もちろんこちらも攸夜に負けず劣らずにこやかなままで、だ。
 妙なところで体育会系な二人だった。

 そんな暗闘のことなど知る由もないなのはは、日だまりのようににっこりと相好を崩し「よかったね」と親友に呼びかける。

「……」

 しかし、当の少女は浮かない顔でじっと二人を見つめていた。

「……フェイトちゃん?」
「え? あっ、と……なんでもないよ、なのは」

 不自然に笑って取り繕う親友の様子になのはが、追求の言葉を紡ごうとした矢先────


「はーい、検診のお時間でーっす」

 やる気の微塵も感じられない、間延びした声が遮った。

 現れたのは妖しい笑みを浮かべた銀髪の看護師さん。凹凸の慎ましやかな胸元にぶら下がるネームプレートには、“涼風 鈴”とご丁寧にも日本語で記されていた。

「えっ……!?」

 なのはがあり得ないことに見開いた目を白黒させ、文字通りにフリーズ。ユーノは何気に落ち着いている。不意の乱入者の正体に気がついたフェイトが狼狽気味にバルディッシュを展開させようとするが、攸夜に手で制された。

「……お前、こんなところで何してる?」
「なにって、ナースのおしごと?」
「質問に質問で返すのはよくないな、鈴子クン」
「鈴香、じゃなくて鈴です。──って、なんであんたがこのネタ知ってんのよ」
「ご本人から直接聞いたんだよ、鈴木クン」
「鈴です! ……もういいわ」

 攸夜とコントじみた会話を繰り広げるキュートな看護師さん──もとい、“蠅の女王”ベール・ゼファー。廃棄都市地区の決戦でなのはに討たれたはずの彼女だが、そんな様子は欠片も残さずコスプレなんぞをしくさっていた。

「ど、どどどどど、どうしてあなたがここにいるのーーっ!?」

 何とか再起動を果たしたなのはが、たまらず悲鳴を上げる。
 奇声を上げたのも無理はない。渾身の一撃をぶち込み、消え去るところまで嫌らしく見せつけられたというのに、こんなにピンピンされていては彼女の立つ瀬がない。乙女の涙を返せっ! である。

「デカい声出してんじゃないの、鬱陶しいったらないわ」

 耳障りだと眉をひそめるベル。ナチュラルウェーブな銀髪を指先で絡めるように梳いて、妖艶に嘲った。

「もしかしてあんた、あれしきのことであたしを殺したとでも思ってたの?」
「ううっ……」

 ストレートな物言いに鼻白むなのは。若干涙目だ。あの一戦が、ほとんどトラウマになっているのかもしれない。
 銀髪の魔王に、針の筵のような刺々しい視線を送りつけ、威嚇するフェイトをなだめていた攸夜は、「コイツのスタミナは非常識も甚だしいからなぁ」としみじみ感想を漏らした。
 それから、さすがに収拾がつかなくなってきたので諫める。

「おい、ベル。あんまりなのはを虐めるなよ」
「イジメてなんてないわ。あたしは挨拶にきただけよ、挨拶に」

 挨拶? と首を傾げる一同。攸夜以外は皆、困惑気味だった。

「そ。あたし、時々こっちに“遊び”に来ることにしたから」

 ほんと? とフェイトが視線で聞くと、攸夜はまあな、と呆れ顔をして視線だけで返答。
 茫然自失のなのはをチラリと見やったベルは、「ま、そういうわけだから──」とイイ笑顔でもったいぶった間を取って。


「コンゴトモヨロシク」


 笑顔を思い切り引きつらせたなのはと、不愉快さを隠そうともしないフェイト。そんな二人の姿に、今後の波乱を思った攸夜とユーノは揃ってため息を零すのだった。



[8913] 第十二話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:ea7532d0
Date: 2009/09/29 21:10
 


 第97管理外世界“地球”。
 極東日本。海鳴市のとある空き地。
 時刻は夜の帳が下りる頃────
 封時結界により封鎖されたその場所には、蒼銀の光が充満していた。

 蒼白い燐光を静かに巻き上げる巨大な魔法陣──七芒星を抱いた円状魔法陣を、囲むように張り巡らされた正四角形のライン。各頂点に、同型約二倍の大きさの魔法陣が配置されているそれは、有り体に言えば“ゲート”。この“世界”と、因果地平で隔絶された異なる“世界”とを繋ぐ門だ。
 それをコントロールすべく、攸夜が瞳を閉じて一心に精神を集中させている。
 彼からやや離れてフェイト、はやてとその一家。そして、エリスらウィザードが勢ぞろいして、固唾を飲んで見守っていた。



 ────“混沌”の災厄は一時とはいえ去り行き。魔法使いたちの帰還の時は、直ぐそこまで迫っている。



「────ふぅ……、こっちはいつでも行けるぞ」

 エリスたちが主八界に帰還するための“ゲート”の構築に専念していた攸夜が軽く息を吐き、ゆっくりと瞼を開いた。額には、玉のような汗が浮かんでいた。
 並列宇宙、次元世界間の移動程度ならばお手のものである彼だが、平行世界──確率世界ともなれば話は別だ。地球と各天体の位置関係、月の満ち欠け、時刻などに細心の注意を払い。そして、複雑極まりない術式の構築にも魔力・“プラーナ”・現地の精霊たちなどを微細に調節して初めて成せる大魔法だった。

 攸夜は今のところ、“自分と極めて近しい因果を持つ世界”にしか干渉できていない。もっともこの先もそうなのかは彼の成長次第、と言ったところだろう。
 なお、エリスたちがこちらに辿り着けた件に関しては、開きっぱなしの“ゲート”を観測が容易なように配慮されていたからである。


「どうもありがとう」
「ただのアフターサービスだ。気にするな、俺は気にしない」

 行儀よくぺこりと礼をするエリスと、つっけんどんに素気なく返す攸夜。この二人、つくづく相性が悪いらしい。

 エリスたちウィザード一行はクラナガンでの決戦の後、すぐさまとんぼ返り、というわけにはいかなかった。
 皆、街中を駆けずり回って疲労困憊であったし、何よりも上記の通り“ゲート”を開くにはそれなりの準備が要る。その間、悠々閑々とクラナガン観光に洒落込んだりしていたのは全くの余談だ。
 エリスと翠がおみやげの買い物中に銀行強盗に遭遇したり、灯と命がしれっとデートしていたり、スルガがテスラとばったり出会ったり──そんな、ちょっとしたドラマが生まれたことは、また別のお話である。


 態度の悪さに怒ったフェイトから、めっ! されてる攸夜から視線を外したエリスは、はやてたちに向き直った。

「はやてさん、いろいろとありがとうございました。はやてさんに会えなかったら私、どうなっていたことか……」
「そんなんええて。私らもずいぶん助けられたしな、お互い様や」

 なあ? とはやてが振り向いて自らの家族に同意を求めた。

「ええ、今回の勝利は我々の力だけで成したものではありませんから」
「エリスのハンバーグ、ウマかったしな〜。あ、あと、マドレーヌ!」

 静かに佇むシグナムと、両手を首の後ろで組んだヴィータがそれぞれらしく同調する。

「エリスちゃん、元気でね……ぐすっ」
「帰っても、エルフィたちのこと忘れないでくださいねっ」
「……よき旅を」

 シャマル、リインフォース姉妹がそれぞれ感謝の言葉を贈る。シャマルなど感極まって涙ぐんでたり。
 最後に子犬モードのザフィーラが、ワン! と一鳴きして締めくくった。

 場の空気がしんみりと沈みかえる。誰もが別れの時が迫っていることを肌で感じていた。

「そろそろ行きましょう、エリス」
「……うん」

 灯が促す。
 名残惜しそうな表情を見せて、エリスは仲間たちの元に──魔法陣の上に歩み寄っていった。
 いつまでもここに居るわけにはいかない。少しの間だが、ファー・ジ・アースを離れていたのだ。優秀なウィザードたちがたくさん残っているとは言っても、襲い来る災禍は数知れず。人手は幾らあっても足りることはない。
 それに、彼女たちは“異邦人”なのだから。
 ────魔法使いの出逢いは一期一会。出会いと別れを繰り返して皆、前に進んでいる。エリスが尊敬してやまない“先輩”たちもそうなのだろう。
 だから、惑いはいらない。躊躇いはいらない。

 魔法陣に一歩手前で立ち止まり、エリスが振り向いた。曇り一つない笑顔で。

「これでお別れ、ですけど……さよならは、言いません」

 因果の壁に阻まれたふたつの“世界”は、完全に独立している。住む場所が違うのだ。時間の流れる速さだって違うかもしれない。
 けれど、繋がりはきっと消えやしない。絆は絶対になくならない。
 この出逢いはほんとうに、奇跡だったから。

「また、いつか。はやてさん、お元気で」

「うん。エリスさんも、身体に気ぃつけてな。あんまり無茶したらあかんで?」

 にこりと感謝の微笑み。
 巨大な魔法陣が起動を始め、赫耀と光り輝く。間欠泉のごとく立ち上がる蒼銀のベールが魔法使いたちの姿を覆い隠した。
 そんな中、はやてに送っていた視線を攸夜へと移すエリス。「えっと……」言いづらそうに、語尾が濁る。

「何だよ」

 相変わらずブスッと愛想のない仏頂面で攸夜が応じた。言外に早く帰れ、と言わんばかりに。
 取り付く島のない様子に少し迷った後、すっーっと軽く深呼吸して、エリスは二の句を告げる。

「今回は、あなたの思い通りになっちゃいましたけど──」

 最初から最後まで、この“自称魔王”の思惑に振り回されてばかりだった。
 しかし、それも仕方のないことだろう。“ここ”は彼の故郷。彼の居場所。
 大切な場所を救うため、必死になっていたのだろう。
 通りすがりのエリスたちとは立場が違う。

 だが────

「でも、ファー・ジ・アースではそうはいきません。今度は、私も“ウィザード”としてお相手します。負けませんから、あなたには」
「……そうかい」

 鷹揚に答える攸夜。だが、どこか稚気を感じさせる雰囲気は楽しげで。
 エリスはなんとなく、このひどく天の邪鬼な──その実、とてもお人好しな“魔王”の本当の姿を垣間見た気がして、クスリと密かに微笑を零した。

 煌々とその光量を増していく目映い光の中。五人の姿が漂白されていく。
 すると、エリスは何を思ったのか、「あっ、そうだ」と素っ頓狂な声を上げた。
 怪訝な顔の攸夜に向けて、彼女が心に残った“忘れ物”を言葉にして紡ぐ。

「フェイトさんのこと、たいせつにしなきゃだめだよ、攸夜君?」
「なあっ!?」

 ひどくお姉さんぶったセリフに攸夜は驚き、大いに動揺して目を見開く。柔らかい、春先の陽の光にも似た眼差しの先に“母”の面影が重なって。
 一矢報いてしてやったりと表情は、赫々たる蒼銀の輝きに溶けていった。




 □■□■□■




 雲一つない青空が晴れ渡る。
 大海原に面する街には穏やかな海風に乗った潮の香りがわずかに漂う。


 聖祥大附属中学校、校門前。
 放課後とあって、帰路に就く女生徒たちでごった返していた。

「──やっぱりそういう条件を出してきたか。随分と足元見てくれるね、どうも……」

 そんな中に、場違いな男が一人。
 癖が強くて少し長い──ありのままに言えばボサボサな黒髪を緩い風に流す少年が、外壁に背を預けて電話をかけている。
 服装は青い無地のTシャツの上に黒の半袖のドレスシャツを羽織り、下はクリーム色のカーゴパンツ。ポケットによく日焼けをした浅黒い片腕を突っ込み、何ぞ悪巧みを企んだシニカルな表情を張り付けた姿はどこか様になっていた。

 同年代の男子が紛れ込んでいるのが物珍しいのか、それとも浮き世離れした独特の雰囲気が目を惹くのか──道行く生徒たちは、何事かとチラチラ横目で窺っている。

「──ああ、それで構わないよ、アニー。愚か者への制裁はスマートに、な」

 そんな雑音をまるっと無視する少年が耳を傾けているのは、シアンブルーの携帯電話──とある“特殊機能”を搭載した0-Phonの最新モデルだ。
 その滄海の瞳によく似た色の折り畳み式の携帯には、黒いワンピースを身に着けた黄色いたれ耳の犬のマスコットがぶら下がっている。年季の入った、しかし丁寧に扱われていることが一目でわかる人形が、ぶらぶらと楽しそうに揺れていた。

「──それから、引き続き議会工作と情報操作を遂行するよう、カミーユとファルファルロウへ伝えておいてくれ」

 了承の返答がスピーカーから聞こえると、ぱちんと手慣れた手つきで携帯を畳む。それを持った手ごとポケットに突っ込んで、少年は空を仰ぎ見た。
 青い絵の具を薄めずそのまま塗りたくったように鮮やかな蒼空──彼の好きな、この惑星ほしの色だ。


 ────紅い空も悪くないけど、やっぱりソラは青じゃなきゃな。


 澄み渡る大空をぼんやりとしばらくの間眺め、感傷に浸っていた少年が不意に視線を落とす。
 彼の視線の先、校舎と校門とを繋ぐコンクリート敷きの通路を歩く、ひときわ人目を引く少女たちの一団。
 ──どうやら待ち人がやってきたようだ。

「あっ、ユーヤーーっ!」

 大きく手を振って、ブラウンのブレザーを身に着けた少女が一目散に駆け寄ってくる。端整な顔立ちに屈託のない笑みで彩って。
 ぶんぶんと、先に付いた黒のリボンをはちきれんばかりに振り乱す黄金色の髪はまるで、動物のしっぽのようだ。
 あれじゃ子犬だな、と頬をほころばせる少年へと子犬と評された彼女は突進の勢いをそのままに、飛びかかるようにして首根っこに抱きついた。
 慌てて受け留める少年は、自分を中心に少女の華奢な身体をぐるぐると振り回し、突撃の勢いを逃がす。二周半ほどぐるぐるを楽しんだ後、すとんと着地。

「っと、急に危ないじゃないか。どうした、学校で何かあった?」
「ごめんね……ただ、その、ユーヤと逢えなくて、寂しかったから」

 上目遣いで寂しさを訴える金色わんこ。
 まさに小動物っぽいその仕草はひどく愛らしく、少年の庇護欲と独占欲を大いにかき立てる。彼の好みは戦場での凛んとした姿であったが、だからと言って甘えられるのが嫌いなわけではない。むしろすごく好きだ。
 思わず抱きしめたくなった少年を、ソプラノの声が制した。

「それどこの往年のアメリカンなドラマよ? ていうか、公衆の往来でベタベタしてるんじゃないの!」

 つり目がちな金髪美少女が肩を怒らして辛辣にツッコむ。「まあまあ落ち着いて、アリサちゃん」と隣の和風美少女がなだめすかす。

「だ、だって寂しかったんだもん……」

 しゅんと恥入りながら少女が言い訳を口にした。依然として少年に引っ付いたままだったが。

「だって寂しかったんだもん、やないで。たった半日、授業の間だけやんか」
「すっごくそわそわしてたけど、ちゃんと先生のお話聞いてた?」

 さらに幼なじみたちから次々と畳みかけられて。少女はついにいたたまれなくなったのか、小さくなって肩をすくめる。
 ゴシップ好きな年頃の娘さんたちも好奇を眼差しに湛えて、遠巻きに集まりだし──ざわざわと騒がしい。
 あー、とかうー、とか唸る少年。自分たちが置かれた状況にようやく思い当たったのか、決まりが悪そうにボサボサの髪を手荒くかき乱した。

 そして────


「──行くぞ、フェイト!」
「えっ、あっ、ちょっ! ま、待ってよ、ユーヤっ!」

 少女の手を取り、脱兎のごとく駆け出した。文句の付け所のない、見事な三十六計である。
 残された彼らの友人たちや野次馬はただ唖然として、逃避行を見送るだけ。


「……逃げちゃった」「ええ、逃げたわ」「いい逃げっぷりだったねー」「さすがやな。逃げ足に迷いがない」

 いち早く再起動を果たした幼なじみが口々に感想を漏らす。
 呆れ果てた、だがとてもやさしい表情で遠ざかっていく恋人たちを見守っていたのだった。



[8913] 第十二話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:e7388da7
Date: 2009/10/18 20:59
 


 十代中頃の少年少女が連れ立って当て所なくひた走っている。
 息を弾ませ、指を絡ませ、互い手のひらの温もりを頼りに。等間隔で並ぶ街路樹を抜き去って。驚き振り返る通行人になど脇目も振らずに。
 蒼瞳の少年と金髪の少女が連れ添って、海鳴の街を疾風のように駆け抜けた。


 自分の手を引いてリードする少年の、大きな背中を熱心に見つめながら少女──フェイトは例えようもない幸福感を感じていた。
 彼と──攸夜と一緒に居れることが、何よりもうれしくて幸せで……。フェイトが求めてやまなかった“日常”が、ここにあった。

 だがそれと引き替えに、この上ない幸福を喪失することへの底知れない恐怖が心の深淵から浮かび上がってくる。深い深い傷痕を塞いだカサブタがじわりと疼く。
 再び──いや、“三度”失えば、今度こそフェイトのココロは壊れてしまうだろう。

 不吉なイメージに抗って、繋いだ手に力を込めれば。響くように、繋いだ手が握り返される。それだけでフェイトのココロは満ちていく。幸福という名の甘い気持ちで。
 節くれ立った大きな手から伝わる温度は少し低い。手が冷たい人は心優しい、なんて言葉が脳裏を過ぎり。
 フェイトの表情は自然と和らいだ。
 晴れやかに。さわやかに────




 道ばたにぽつんと設置された木星のベンチに座る、フェイトと攸夜の姿があった。
 思いっきり、心行くまで走り通して息も絶え絶えだ。

「──くっ、ふふっ」

 だらりと脱力し、上体を背もたれに預けていた攸夜が堪えきれないように吹き出して、くつくつと馬鹿みたいに笑う。何がおかしいのか、からからと尽きることなく。腹を抱えて豪放に。
 一瞬ぎょっとしたフェイトも、晴れ晴れとした声に釣られたようにころころと笑みを零す。
 純粋な笑顔が、楽しげな声がとめどなく溢れ出した。
 走りに走って切らした息も、
 うるさいくらいに脈打つ鼓動も、
 全身に感じる心地好い虚脱感も、
 今の彼らには、愉快で仕方がなかった。


 それからややあって。
 ようやく落ち着いて話が出来る状態になったふたり。これからのことを話し合う。
 相変わらず、手は恋人繋ぎのままだったが。

「ごめんな、疲れたろ?」
「ううん、だいじょうぶだよ。……それに私、ちょっと楽しかったし」

 目尻に涙を残してフェイトが答えた。ちょっとどころかたいへん楽しかったのだろう。
 様々な雑事に囚われず──ただ子どものように、真白な気持ちで街中を走り回ったのがよほど痛快だったらしい。

「そっか」

 それは攸夜も同じだった。
 よくも悪くも彼らの関係は“普通”ではなかったから。
 出逢った頃──十にも満たなかった幼い二人の“日常”にあったのは、硝煙と血生臭い戦いの残り香。年相応に、泥んこになるまで遊び暮れたことなどなかった。
 もう、そういったことが出来る年頃ではないが、こうして無邪気にはしゃぐのもたまには悪くない。

「それで、これからどうするの?」
「うーん……」

 鮮やかな青空を鷹揚に見上げ、攸夜が考える。「あー、空が青くて綺麗だなあ」などと脱線しつつ。
 数瞬の間思考の海を漂って、彼のそれなりに回転の速い頭が名案を紡ぎ出す。

「じゃあ案内してくれよ、この街をさ」
「案内?」
「そ、案内」

 オウム返しでこてんと首を傾げたフェイトに、攸夜が飄々と笑いかけた。




 日も暮れ始めた住宅街。

 家々の間を並んで、てくてく歩く。二人の手にはほかほかのたい焼き。甘くておいしい思い出の味だった。

 この“散歩”の趣旨はこうだ。
 六年間、攸夜が不在の間で変わってしまった“故郷”の様子を六年間、曲がりなりにも住んでいたフェイトが案内する、というもの。こちらに越してきた頃とはまるで反対で、何だかおかしくなったのはフェイトだけの秘密だ。

「そう言えば。とらやのご主人、代替わりしてたんだな。前に来た時に別人で驚いた」

 最後に残ったたい焼き──チョコレート入りだ──のしっぽを口に放り込み、攸夜はしみじみと言う。
 はむはむ幸せそうに、本日七個目のたい焼きの頭にかぶりついていたフェイトが顔を上げた。

「うん、息子さんなんだって。なんでも、フランスにパティシエの修行に行ってたって聞いたよ。すごいよね」
「パティシエって……、そりゃあすごいけど。たい焼きに関係ないんじゃないか?」
「そう、かなぁ……。あ、でも、クリームとかチョコとか、変わり種の味が上がったって評判だよ?」
「……言われてみれば、確かに」
「でしょ?」

 ほとんど風化しかけた記憶と、今し方食べたばかりの味を比較して納得する攸夜。
 同意が得られてうれしいのか、フェイトはほっこり微笑む。それから、人差し指を顎に当てて散歩の道筋を思い返した。

「──うーんと……だいたい回った、かな。えと、ほかに行きたいところって、ある?」
「……ああ、それなら。あと一カ所だけあるよ」

 フェイトの口からふと何気ない一言に攸夜が静かに答える。どこか、真摯な表情で。


 そして────

 彼らは夕暮れの臨海公園へとやってきた。
 水平線の向こう側へ帰っていく太陽が、広々とした海原をオレンジ色に染め抜いて。潮騒のさざめく穏やかな音が耳に心地いい。

「ここ、懐かしいね」

 夕焼けの海を眺めながら、フェイトがぽつりと言う。晩春の潮風が金糸の髪をふわりと煽った。

「……六年、だもんな」
「うん、六年だ」

 それっきり、言葉は途切れて。
 しんみりとした空気が二人の間に流れる。沈黙が広がる。

「──情けないこと、言っちまったよな」
「えっ……?」

 漠然とした呟きの意味が読めず、聞き返すフェイト。攸夜は茜色の光が揺らめく水平線を眺めながら続ける。

「クラナガンの空で言ったこと……女々しかっただろ? “魔王”が聞いて呆れる」

 わかりやすい自嘲の笑み。「そんなこと……」一見すると過剰な自信家で、しかし本当は自虐的な恋人の姿にフェイトは胸を痛めた。

「そんなこと、ないよ。私、うれしかった」
「……」

 シンプルな、それ故に心に響く言葉。攸夜は圧倒されて息を飲み、ばつが悪そうにボサボサの髪を掻き乱して、スッとフェイトから数歩離れる。
 きょとんとする少女の眼差しを真っ直ぐ逸らさず見返して、攸夜が口を開いた。

「俺は、君のことが好きだ。この世界の何よりも、誰よりも」

「っっっ!? ゆ、ユーヤ、いきなりなにを──」

「いいから聞いて」

「う、うん……」

 まるで愛の告白。頬を真っ赤に染めて困惑の声を上げたフェイトは、真剣な攸夜の表情に気圧されて口をつぐんだ。

「だけど、この両手は血濡れだ。君みたいに綺麗じゃないし、きっとこれからも、沢山の血溜まりを築いていく。──エゴイストだからな、俺はさ」

 “魔王”として、自らの目的のために奪った生命は数知れず。
 自分で手を下したことも、張り巡らした策動の果てに消えたものも居るだろう。

「それを肯定する気も否定するつもりもないけど、君に嫌われたって仕方ないとも思う」

 攸夜は大罪を背負っている。善人と言えるような生き方はしていない。きっとこれからもそんな生き方はできない。
 血濡れでなければ成せないことがあるから。薄汚れでも護りたいものがあるから。
 だから、取り繕ったりはしない。誰よりも大切に想う、心優しい少女を前にして、言い訳なんてしたくなかった。

「それに、いろいろあって有耶無耶になっちまったしな。──だから、これは俺なりのケジメだ」

 純白の腕輪が巻き付いた左手がゆっくりと差し出された。

「この場所でもう一度、君の名前を教えてほしい。こんな俺ともう一度、始めてくれるのなら」

 差し出された手は、わずかだが小刻みに震える。
 フェイトはふわりと微笑んで、彼の手をそっと両手で包み込む。そしてそのまま、自分の胸の辺りへと導いた。

「あのクリスマスイブの夜に、言ったよね。
 ──苦しみも、悲しみも、痛みも、寂しさも、ぜんぶ私が受け止めてみせるから……って。
 いまも、その気持ちはなにも変わってないんだよ? これからもずっと、ずーっと」

 上目遣いで見つめる面差しは、輝くほど清らかで。告げたその想いに偽りはない。
 トクントクン……、命の鼓動が触れた左手から伝わる。

「私の名前は、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン。……あなたの名前も、教えて?」

 たおやかに、清楚な白百合のように金色の少女がはにかんで。

「俺は、攸夜。宝穣 攸夜──……ありがとう」

 うん、と零れた笑顔はいたずらを思いついた童女のようにあどけない。

「それとね。ユーノに先、越されちゃったけど────










  第十二話 「おかえり。」










 ────ユーヤ。……大好き、だよ」

 茜色に照らされた彼女の横顔が、さっと朱に染まる。それはきっと、夕日が射して込んでいるからだけではない。
 相変わらず、妙なところで恥ずかしがり屋な愛しい恋人に、彼は小さな笑みを見せて。

「……独りで、独りの“力”で世界を、笑顔を護ることなんて出来ない。どれだけ強くても、それは“独り”でしかないから」

「うん」

「でも君となら、そうじゃない」

「うん。あなたとなら……ふたりでなら、なんにだって負けない。どんな困難だって、きっと乗り越えていける」

 彼は握られたままの左手を引いて、空いた右手を添える。ふたりはまるで祈るように見つめ合う。
 紅玉の瞳はうるうると溢れんばかりに潤みを湛えていた。

「ただいま、フェイト」
「うんっ!」

 屈託のない満面の笑顔で、少女は誰よりも大好きなひとの胸の中へと飛び込んだ。
 夕陽に延びた影が、ひとつに重なる。
 もう離れないように。決して離さないように。


 ────少女の胸の内を覆っていた暗雲はとうに過ぎ去り。思う空に吹く風は、蒼く、蒼く澄み渡っていた。











 ────虚数空間。


 次元断層とも、ただ混沌とも呼ばれる極彩色の世界。
 上下左右、時間すらも曖昧で。あやふやで。不自然で。
 常人ならば発狂して余りある異常極まりない空間に、漆黒の羽が舞い散る。

 “それ”は、可憐な少女のカタチをしていた。
 ほとんど白に近い、腰辺りまで延びた長い銀髪は首筋のところで二本に結われ、黒い羽を模した大きなリボンが後頭部を飾る。
 少女らしい匂い立つような肢体を包むのは、そこかしこに羽を思わせるデザインが施されたドレス。二の腕辺りまで覆うグローブやガーターベルトで留められたハイニーソックス、そのどれもが黒。そして、その背に広げられた二対の翼は鮮血のように鮮やかな紅。まるで彼女が引き起こす虐殺を象徴するかのよう。
 かわいらしい容貌と透き通る白皙の肌にひときわ栄えるアメジスト色のつぶらな瞳が、何かを捉えた。


「あは、みーつけたっ」


 少女が歓喜の声を上げる。
 視線の先にたゆたっていたもの──それは、緑色の溶液が詰まったシリンダー。すぐ側には、まるでそれを護るかのように紫のイブニングドレスを身に着けた女の亡骸が寄り添う。


「もう、探しちゃったよ?」


 むくれたように少女が言う。
 白魚のような指が女の亡骸にかかると、シリンダーから無造作に引き剥がされた。生前は美しかったのだろう“彼女”は、混沌の深淵へゆっくりと落ちていく。
 少女は遠ざかっていく死体になど目もくれず、容器に指を這わせた。
 指先と金糸のような“ナニカ”が透明な容器越しに触れ合う。形のいい、小振りな唇が、壮絶な愉悦で歪んだ。


「でもいいんだ。キミを見つけたから」


 ひどく甘い、しかし底知れぬ闇黒と悪意とを孕んだ声が混沌に響く。


「──ねえ、アリシア・テスタロッサちゃん?」


 溶液の中に漂っていたのは物言わぬいとけない少女。まるで胎児のように膝を抱え、醒めることのない眠りの底に。
 ────そう、とこしえに、目醒めることはなかったはずの少女の姿だった。



[8913] 番外編 いちのいち
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:78ad8cd3
Date: 2009/10/09 20:57
 


 海鳴市の住宅街にひっそりと立つ高級マンション。
 その最上階。
 以前は時空管理局の次元航行艦“アースラ”のセーフハウスだったところであり、今現在はハラオウン一家のマイホームであるその一室。

 メゾネット式の上階が見える、だだっ広い室内はまさに成功の象徴。ハイソな雰囲気たっぷりなここは、俺こと宝穣 攸夜にとっても馴染みの深い場所だ。
 階が一つ違うとは言え、半年ほど住んでいた場所だからな。

 駄菓子菓子……だがしかし、穏やかな家族団欒の舞台となるはずのリビングは今や、公開処刑の場と化していた。

 目の前のソファに腰を付けるのは、世にも恐ろしい三人の怒れる美女。この三人の前では裏界魔王も裸足で逃げ出しそうだ。
 鬼子母神と阿修羅、それから……小悪魔? あ、あとおまけの一人息子もね。
 皆さん、程度は違うけど青筋立てて怒ってらっしゃるわけで。
 フローリングの堅い床に正座で黙する俺は、沈痛な面もちで頭を垂れて粛々と断罪の時を待つばかりだったのであった。


 ────拝啓、母さん。俺の命運、そろそろ尽きそうです。











  番外編 そのいち

  「大魔王の憂鬱 〜 宝穣 攸夜、帰還一日目のこと 〜」













「それで、釈明の言葉はあるか?」

 ソファの横に立っているクロノさんが高圧的な口調で詰問し、こちらを見下ろしている。相変わらずいけ好かない人だが、未来のお義兄さん(確定)なので無碍にも出来ない。
 ちなみにだが、正座する俺の目の前のソファに腰掛けて緑茶──息を吸うがごとく、砂糖をザバザバと入れていた──を啜っているのがリンディさんで、エイミィさんとアルフがそれぞれ左右に。クロノさんは前述のように立っていて、フェイトは俺の側に持ってきたスツールに座っている。

「いえ、全ておっしゃるとおりですハイ」

 そもそも、事情を話すと言って嘘を吐いたのも、逃げるように姿をくらましたのも事実なので否定のしようもない。
 素直な態度が気に入らないのか、大胆に脚を組んでいるアルフが面白くなさそうに「ふん」と鼻を鳴らす。

(このやろう、いぬっころの分際で……)

 などと心の中で悪態を吐くが、口には出さない。というか出せない。
 今、ヒエラルキー最下層を絶賛驀進中な俺である。反抗などしたら最後、フルボッコは確実だ。まあ、フェイトは優しい娘から庇ってくれるだろうけど、そんなのは男としてのプライドが許さない。だったら滅多打ちに糾弾された方が何百倍もマシだと思う。

 物理的にも精神的にも四面楚歌な現実から逃避気味に、現状を整理してみよう。
 ──諸々のことを終えてようやくゆっくり出来るようになった俺は、フェイトの誘いで彼女の自宅に招かれた。喜び勇んで向かったわけだったのだが、そうは問屋が卸さない。というか、むしろ飛んで火に入る夏の虫?
 玄関先で待っていたのはニコニコ壮絶に笑顔なリンディ・ハラオウン女史。それから、憤怒のあまり瞳孔が開ききったアルフと、にこやかだが少々危険な空気を纏うエイミィさん。ついでにクロ助、もといクロノさん。
 で、なだれ込むように始まったのがこのいわゆる家族会議というわけだ。いや、床に正座したのは自分の意志でだけどさ。

「攸夜君?」
「……はい」

 一家の長、リンディさんがついに口を開く。
 天網恢々疎にして漏らさずだな、としょうもないことを考えていた俺は弾かれるように背筋を伸ばして居住まいを正した。

「どうして六年前、あんな嘘までついて姿をくらましたのか私たちに教えてくれる?」
「……あの時は、あれが最善だったからです」
「────なるほどね。それ以上のことを話すつもりはない、といいたいのかしら?」
「…………」

 無言の肯定に、ため息混じりで眉を下げるリンディさん。そんなガッカリした表情されてもこれ以上言い訳も出来ないんですが。

 なお、リンディさんやクロノさんたちの記憶の修復についてだが、本人たちいわく“いつの間にか思い出した”そうだ。
 おそらく、“俺”とこの“世界”とを繋げたキーであるフェイト──正確には彼女の所持している“モノ”──に接触したことで、誘発的に修復が起きたのだろう。速度というか可能性の要因は俺との繋がりの深さ、と言ったところか。アリサやすずかなんかは顔を合わせてすぐに思い出してくれたしな。


「いいか? 大体、君はだな──」

 そして始まるクロノさんのお説教。ミッドチルダでひと暴れしたことについては無論のこと、六年前の素行の悪さまで掘り返しては延々と続く。
 至極まっとうな正論だし、反論する気など毛頭ない俺は神妙な顔をして「面目次第もありません……」と答えるだけだ。
 クロノさんはどうやら返答がお気に召さなかったようで、眉間に皺を寄せて憮然とする。

「僕が聞きたいのは、そういった当たり障りのない謝罪の言葉じゃないんだ」
「兄さん、ユーヤもじゅうぶん反省してるんだしそれぐらいで、ね?」
「しかしだな……」

 俺の窮状を見かねてフェイトが助け船を出してくれる。
 だがね、お嬢さん。残念ながらそいつはこの場じゃ逆効果なんだよ。

「フェイト、あなたは少し黙っていなさい。反省しているしていないはこの際、関係ないのよ」
「そうだよ、フェイト。アタシも頭に来てるんだからね」
「今回ばっかりはおねーさんも擁護できないな〜。攸夜君、おいたがすぎたね」

 ほら来た。リンディさん、アルフは勿論のこと、傍観を決め込んでいたエイミィさんまで同調。マシンガンのごとく矢継ぎ早に畳み掛けられたおかげ、でフェイトは涙目だ。かわいい。
 おおう、女性陣の醸し出す鬼気に気圧されてクロノさんまで引いてるじゃないか。

「攸夜君」

 騒然とする場の空気を締めるように、リンディさんが声を発する。

「正直言って、あなたには失望しました。──そういうわけだから、フェイトとのおつき合いは認められません」
「は──?」

 はいぃぃぃぃ!?
 いきなりしれっとナニ言ってやがるんですかこの人はッ!

「ちょ、まっ!?」
「か、母さん!?」

 不意打ちに、フェイトが血相を変えて動揺。俺も似たようなものだろう。ていうか、どういう話題転換だよ。
 渦巻く感情のコントロールに苦慮して言葉を窮していると、クロノさんが口を挟む。

「いや、母さん待ってくれ。確かに僕もこんな奴との交際には大反対だが、今その話は関係ない──」
「はいはい、クロノ君はちょっとあっち行ってようね〜」
「エイミィ、いつの間に!? は、放せっ! 僕の話はまだ終わってないんだぞ!」

 が、後ろからエイミィさんに羽交い締めにされて、どこぞに引きずられていく。男女の体格差を無視とは……恐ろしい。
 ……あれ? 何かムカつくこと言われたような気がするんだけど。まあ、いいか。

「フェイトもいいわね?」
「ぃ、いやっ!」

 意識の糸を紡ぎ合わせたフェイトが、“母親”の言葉に反発して声を荒げる。クールというか、穏やかであまり感情を露わにしないタイプのフェイトにしては、らしくない反応だ。
 それから、横合いから寄ってきてぴったり抱きつかれた。

「やっと……、やっと逢えたのにユーヤと離れるなんていやだ。母さんがなにを言っても、別れたりなんかしないから!」

 瞳を涙で潤ませて強く主張するフェイトの横顔に、俺は心を打たれた。好きな女の子にここまで想われて、嬉しくならない男が居るわけがない。彼女の気持ちに応えるように腰に腕を回して抱き寄せる。ほっそりと引き締まったくびれに少しドキドキしたのは秘密だ。
 両者はぴりぴりと緊張感漂わせて膠着状態に陥っている。若干以上にフェイトが押され気味か。
 ふと視線をやると、アルフがフェイトの言葉に腕を組み、うんうんと感慨深げに頷いていた。……味方してくれてる、のか? 少し意外だな。

「……その子はそう言っているけど、攸夜君はどうする気なのかしら?」
「そうですね……」

 試すような物言いに引っかかるものを感じながら、腰を軽く浮かして正座から片膝立ちに。視線は、毅然とした母性溢れる表情のリンディさんに向けたままだ。

「フェイトを連れて駆け落ちでもしますよ。もう絶対に離さないって約束しましたから……今度こそ、ね」

 腕の中のフェイトが驚く気配を感じつつ、分割思考を駆使して逃走のリスクをシミュレートする。
 六年前とは違い、今の俺には時空管理局“そのもの”という絶大な後ろ盾がある。当時、考えたように逃げ隠れする必要もないし、やりにくいとは思うけどフェイトも仕事を続けられるはずだ。
 借りを作ることになるが、評議会のじじいからミッドの戸籍を買って定住するってのもまあ悪くない。“故郷”を捨てるなんて本意じゃないけどな。

 管理局上層部の後ろ暗い──というか、ドス黒い実状を少なからず垣間見たから言える。あの時、短慮に走らなかったのは正解だった。
 下手に逃げ出して隠れ住んだとしても、まともに生活が出来るものではないし、捕まった後にふたりで仲良くモルモット、という未来もあり得たかもしれない。
 それを考えると虫酸が走る。
 正直、俺自身はどうなろうとかまわないが、フェイトは言うまでもなく別だ。そんな姿、想像するだけでも発狂しそうなくらいに胸くそ悪い。

「ユーヤ……?」

 ザリザリと、脳髄を削られていくような感覚に苛まれる俺を、フェイトが心配そうに見上げている。「大丈夫だよ」と笑いかけて向き直る。

「いい加減、不毛な腹の探り合いは止めませんか、リンディさん。フェイトが怖がってますし」
「あら、気づいてたの?」

 リンディさんが相好を崩して、はんなりと上品に微笑む。やっぱりか。
 まったく意地が悪い人だ、と内心で文句を垂れて種明かし。

「あんな唐突な話題の変え方じゃ気付きますよ、そりゃ。何より、リンディさんのキャラじゃありません、あんなの」
「ふふ、そうかしら。……ごめんなさいね、現役時代の癖がなかなか抜けなくて。それに、“こういうこと”一度やってみたかったの」

 うふふ、とお茶目に笑ってウィンクする二児の母。間の抜けた様子に力が抜ける。「お前なんぞにうちの娘はやれん!」ですかそうですか。
 というか、心臓に悪い冗談は止めてください。マジで。

「えっ、と……?」
「俺たち、どうやらリンディさんに一杯食わされたらしいよ」
「それじゃあ……」
「ええ、母さんは賛成よ。攸夜君の人となりは、重々承知していますからね」

 ふわりとした微笑。
 あるいは、今回の吊し上げは俺を試すためのものだったのかもしれない。随分な歓迎ですねっ!

「さあ、お夕飯にしましょう。今夜は攸夜君が帰ってきたお祝いよ」
「あ、俺も手伝います」

 立ち上がったリンディさんに倣って俺も腰を上げる。が、フェイトにシャツの裾をガシッと捕まれて止められた。

「ユーヤはお客さんなんだから座って待ってて」
「いや、でもな……」
「いいからっ。行こう、母さん」

 言うが否や、フェイトがキッチンへてててっと駆けていく。「攸夜君、ゆっくりしててね」と言い残したリンディさんと、いつの間にか子犬モードになっていたアルフがその後に続き。キッチンの方では、エイミィさんがすでに準備をしていたようで、彼女と合流すると調理を開始しされた。
 この場に残されたのは、フェイトの普段見れない押しの強さに呆気にとられた俺と、むっつりやってきてソファに深く腰掛けたクロノさんだけ。
 男は体よく蚊帳の外に閉め出されてしまった。……仲間外れにされたみたいで少し府に落ちないが。

(まあ……、いいか)

 けれども、楽しそうに調理をしているフェイトを眺めていたらそんな些末事、どうでもよくなってきた。どうやら“母親”や“家族”とも上手くいっているようだし。

 ──それに、だ。

 黄色いエプロンを着こなしたフェイトは、筆舌に尽くしがたいほどキュートで、かわいくて、愛しくて。
 俺は、そんな彼女の姿を見ているだけでホクホク満足していたのだった。



[8913] 番外編 いちのに
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:4dfe85e9
Date: 2009/10/16 21:10
 


 白いダイニングテーブルを囲んでの会食。“お祝い”というだけあって、テーブルに乗った料理はなかなかに豪勢だ。
 メインには熱々のラザニアに具だくさんのクリームシチュー、焼きたての海鮮ピッツァなどなど。サイドメニューは、山ほどのシーザーサラダとふかふかのバゲットだ。どれも大量に用意されている。……張り切って作ってくれたのは嬉しいけど、俺、こんな食えないぞ?

 それはともかく。

 欧州の香りたっぷりな献立はなるほど、ミッド風であるとも言えた。
 とりあえず、フェイト自ら焼いたというピッツァを食べてみることにした。何故にそのチョイスなのかは永遠の謎である。テスタロッサだけに、なのか?

 ……ふむ、見た感じは悪くないな。いや、むしろよく出来ている。手作りの生地もちゃんと丸くなっているし、トマトソースの赤い絨毯に乗ったエビやイカ、ホタテなどの魚介類が色鮮やかに食欲を誘う。
 二等辺三角形に切りそろえられた一枚を手に取る。とろとろに溶けたチーズが糸を引いててうまそうだ。
 隣で心配そうにこちらを見ているフェイトを視界の隅に納めつつ、パクリ。
 …………。
 んむ、なるほどなるほど。

「ど、どう……?」

 おずおずと探るように尋ねるフェイト。小首を傾げる仕草が小動物みたいですごくかわいい。
 あんまりかわいらしいもんだからちょっといじめたくなる。まあそれは思うだけにしておいて、素直に感想を言うことにしよう。

「ああ、すごくおいしいよ」

 過剰な装飾は必要ない。恋人の手料理、という欲目を抜いても本場顔負けな味だと思う。イタリアに行ったとき、実際に食べたからよくわかる。
 俺の感想に、ぱああっと表情を明るくしたフェイト。「よかった……」と安堵のため息を吐く。
 もっとたくさん食べて、とのリクエストに応え、俺はほとんど全部平らげた。満面の笑顔でそんなこと言われたら、食べきるしかないじゃないか。

「あっ、ユーヤ、口にソースついてるよ」
「ん?」

 白いハンカチが口元に伸びてきて、赤いソースを拭い取っていく。……何だか強いデジャヴを感じるな。

「うん、とれた」

 ──ああそういえば、前にもこんなことあったっけ。よし、これをネタに少しイジってやろう。

「ありがとな。……それにしても、指で拭って食べるんじゃないのか?」
「っ! も、もうそんなことしないよっ!」

 フェイトが必死に否定する。カーッと音が聞こえるくらい、真っ赤に茹で上がってちゃ説得力ないがな。
 畳み掛けるように「それは残念だ」と煽ったら恥じ入って俯いてしまった。

「……」

 ふと不審な視線を感じて周りを見渡してみれば。ぽかんと間抜けな表情をしている人々。足元でステーキ肉にかぶりついていたアルフまで馬鹿みたいに口を開けて見上げてやがる。
 みんな、食事の手を止めて凍り付いていた。あ、いや、リンディさんだけは、あらあらうふふと捕らえ所のない上品な微笑を零しているけれど。

「何です?」

 どうして固まってるのかは大体予想がつくので、白けた視線を送り返してみた。

「いやー、仲がおアツいなぁと思って」

 再起動したエイミィさんが代表して答える。苦笑いを浮かべて気まずそうだ。
 ではもう一つ爆弾を投げ入れてみますか。

「羨ましいでしょう? そういう“お二人”の方はどうなんです?」
「おおっと、そう切り返しますか。腕を上げたねぇ、攸夜君。ちなみに質問については黙秘権を行使するよ」

 何の腕だよ。
 エイミィさんは一転してころころ楽しげに笑っているが、クロノさんは軽く赤面してシチューをかっこんでる。しかし、カマを掛けただけなんだが当たりだったか、このむっつり屋さんめ。
 フェイト? 会話の意味がわからなくてキョトンとしてるよ。

「あ、そうそう! ねえ、ふたりってどこまで進んでるのかな?」

 興味津々に瞳を輝かせるエイミィさん。まあ、この会話の流れならそういう話にもなるだろうな。

「キスまでですよ」

「「!!」」

 何気なく即答したら場の空気が騒然となってしまった。主に、狼狽したフェイトとクロノさんが盛大に吹き出したことによって。
 むせてるフェイトの背中をさすってあげると、恨みがましい目で見られた。そんな目で見ないでくれ。

「いや、ごまかすようなことでもないだろ? 男と女なんだからさ」
「わぁ、大胆」

 言いながら、エイミィさんはチラリと横目でハラオウンさんちの長男を窺う。当の本人は気まずそうにサッと視線を逸らして咳払い一つ。エイミィさんがはぁ〜、と大きなため息を漏す。

 このように、夕食は概ね和やかに進んだ。
 そんな中、リンディさんが興味深そうに目を細めて、俺を──いや、俺とフェイトを眺めていたのがやけに印象に残った。


 ちなみに。
 明らかに作りすぎだと思われていた食事は、フェイトさんがペロリと食べきってくれましたとさ。




 □■□■□■




 夕食後。

 バスルームからリビングに向けて歩きながら、水分をたっぷり吸ったごわごわの髪をタオルで叩くように乾かす。成長して髪質が変わったのかは知らないが、最近さらにボサボサになって正直鬱陶しい。
 ソファに座ってお茶していたリンディさんとフェイトが、俺の気配に気づいて振り向いた。

「攸夜君、お湯加減はどうだったかしら」
「はい、いいお湯でした」
「そう、それはよかった。フェイトもいってらっしゃい」
「うん。じゃああとでね、ユーヤ」

 名残惜しそうに手を振るフェイトは、俺と入れ替わりで廊下に消えていく。ぱたぱたとスリッパが床を叩く音が耳に残った。
 ……ていうか、あんなに落ち着きのない娘だったっけ?

 このやり取りからもわかるように、今夜はハラオウンさんちに泊めてもらうことになった。

 その経緯を説明しよう。

 ──フェイトは中学を卒業するまで海鳴に居る予定だという。当然のことだが、彼女とつき合うには根無し草でいるわけにもいかない。まあ、戸籍なんかは割と簡単に偽造出来るんだけど。
 しかし、以前住んでいた部屋はすでに埋まってしまっている。だから、とりあえずの住まいとして近場の適当なアパートなりを間借りするつもりでいたんだが、姉さんの強い意向もあって何故か隣り街──遠見市、だったか──の高級マンションということになってしまった。
 姉さんいわく「由緒正しい裏界魔王がそんなところに住むなんてみっともないわ」とかなんとか。プライドが高すぎるのも考え物だ。

 で、その住処を準備するにはどうしても時間がかかる。家具やら何やらだって揃えなきゃならないから、今夜は野宿でもしようかと思っていた。幸い野営には慣れてるし──その理由については後ほど語ることになるだろうが──、月匣というかフォートレスを張っておけばそれで済むしな。
 それを夕食の場で話してみたらフェイト以下、その場の全員から大いに反対された。
 とまあ、そんなこんなでお泊まりとなったわけである。



「攸夜君、ひとついいかしら」

 ソファに腰掛け、風呂上がりの気だるさを楽しみながら、つらつらと今後の予定などに思惟を伸ばしていると、リンディさんに改まって呼びかけられた。
 その表情はどこか硬い。

「あ、はい、何ですか?」

 薄い湯気を上げる湯飲みがコトリと白いリビングテーブルの上に置かれる。

「さっきのお話の続きだけれど」
「さっきの、というと?」
「フェイトとのおつき合いのことについてよ」

 む、まだ何かあるのだろうか。俺は警戒して、弥が上にも気が引き締まる。
 わざわざフェイトが不在の場で切り出すくらいなのだから、彼女に聞かせられない内容だということは想像に容易い。

「あなたたちの交際はもちろん認めるわ。もともと、私も応援していたことだから。でもね、血の繋がっていないとしても母親としてはその……、あなたたちに年相応の節度を持ったおつき合いをしてほしいと思うの。
 あ、そんなに難しいことじゃないのよ? ただ、あの子……“そういうこと”に少し疎いというか鈍い子だから、攸夜君に気にかけてもらいたいなって」

 ほら、女の子はいろいろと大変でしょう? とやや言葉を濁す形で結尾が切られた。
 ……なるほど、そういうことか。確かにフェイトには聞かせられないな。直接的な表現は避けられてるけど、言葉の意図は容易に掴める。念を押したいのだろう。

「仰りたいことはわかっているつもりです。リンディさんが懸念するのはもっともです。
 ……少なくとも、あの娘が中学を卒業するまではプラトニックなつき合いにとどめていこうと思ってます。フェイトのこと、大切にしたいし……何より俺たちはまだ、子どもですから」

 “大切にしたい”というのは勿論、偽らざる想いだ。けれども、そこに“俺自身の事情”が含まれていることも否定できない。
 俺のポーカーフェイスは見抜かれなかったようで、リンディさんの表情が和らいだ。

「わかってくれているなら私からはもう言わないわ、無粋だものね。……信じてますからね、攸夜君?」

 リンディさんの浮かべるいわゆるコロす笑みに、背筋が総毛立つ。俺は冷や汗をダラダラと流して、脊髄反射的にぶんぶん首を縦に振っていた。
 ドラ息子の本能という奴だろうか、この人にはたぶん生涯逆らえないだろうというイメージが脳裏を過ぎる。
とはいえ、反目したりするつもりなど毛頭ない。やぶ蛇になってもつまらないし、何より俺の今の方針は“親善親睦親和親交”──当然相手にも寄るけど、敵対するより味方になってもらった方がずっといい。時には自分の意志を曲げることだって必要だ。
 まあ、人類みな兄弟、なんて妄言は吐かないけどな。

「さて、堅苦しいお話はこれまでにしましょうか。素直にお願いを聞いてくれたご褒美ってわけじゃないけど、フェイトのアルバムでも見てみるかしら? 昔のフェイト、ちっちゃくてかわいいわよ〜」

 なん……だと……!?

「是非ッ、是非に見たいですお義母さんッ!」
「あらあら、気の早い子ね」

 俺の問題発言を優雅な微苦笑で流すリンディさん。どうやら満更でもない様子だ。
 そのあと、アルバムの写真を肴に大いに盛り上がった。風呂から上がったばかりのフェイト──レモン色のパジャマがかわいかった──に見つかって、恥ずかしがった彼女と一悶着あったのはまったくの余談である。

 ────こうして、帰還初日の夜は賑やかに更けていった。



[8913] 番外編 いちのさん
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/10/14 21:16
 


 女子校────

 それは女の花園。魅惑の言葉。男どもが入り込めない禁断の領域だ。
 そんなところに、俺は居る。
 ふはは、羨ましかろう愚民どもッ! ……と言いつつぶっちゃけ何らかの感慨があるわけでもなかったりするんだが。
 何故なら俺は、今も昔もフェイト一筋だから。他の女の子なんてもはや眼中にないのだ。


 さて、時は真昼。女学生たちが弁当片手に、思い思いの場所でおしゃべりに花を咲かしている頃である。
 聖祥大附属中の屋上、その一角。
 ニスの塗られた木製のベンチの上に“立ち上がった”俺を囲む、五つの大きな人影。そのどれもが見目麗しい美少女ばかり。

「で、この薄汚いのはなんなわけ」

 人影の内の一つ──見上げるように巨人なアリサが言う。いや、俺の方が小さいんだけれども。
 しかし、薄汚いなんて失礼にもほどがある。風呂くらい毎日入ってるっつーの。

「薄汚いとは何だツンデレ」
「ツンデレ言うなっ! ……ってやっぱり攸夜、アンタだったのね」
「なんだかかわいいよね。なんの動物だろう?」

 頭痛を感じたように額に手を当てるアリサ。ほんわかとした雰囲気ですずかが感想を述べると、なのはがそれを受けて口を開く。

「えっと……たぶん、フェレット、かな?」
「たぶんじゃなくて、フェレットなの。ユーノの奴からコピったんだ」

 そう。俺は今、フェレットに姿を変えているのだ。真っ黒なイタチを想像してもらえればいいだろう。
 ……言うまでもないと思うが、公序良俗に反するようなことは何一つしてない。ずっとフェイトと一緒だったし。

「ユーノくんからコピったって……」
「フェレットモード、けっこう便利だよね。私もユーノから教えてもらったから使えるよ」
「ふえっ、そうなのっ!? そんな話、私知らないよっ!?」

 フェイトの何気ない一言に、やにわに動揺して食ってかかるなのは。ふーん、珍しいこともあるもんだ。……ユーノのこと、意識しだしてきたのか?
 そのまま目をぐるぐるさせて暴走するなのはを「まあまあ落ち着いて。あとで教えてもらえばええやん」とはやてが至極真っ当な正論でなだめ、話題を変える。

「しかしなんでまたフェレットのカッコでこんなところにおるん?」
「いや、フェイトがどうしても離れたくないって言うもんでな。こうして、小動物の姿で近くに居たんだよ。たまに念話したりなんかしてさ」

 なあ? と視線を上げて同意を求める。赤面したフェイトからの返答は、「ぅ、うん……」とまるでシャボン玉のように尻すぼみ。まったく愛い娘さんだこと。

「うんまあ、そないな姿してる経緯は理解したけどな……」

 歯切れの悪いはやてに「何だよ、なんか文句あんのか」と目線で問い掛ける。
 微妙な表情をしたはやては困ったように周りを見回す。フェイト、なのはとアリサは首を傾げているが、すずかだけは意図が読めたようで苦笑いしていた。

「なんつーか、真っ黒やし」
「体毛の色なんだから仕方ないじゃないか」

 イタチ科の生き物で黒一色の種類は居ないんだよな、確か。

「言いたいことがあるならはっきり言えって」

 ちびだぬき──もとい、はやては神妙な面もちので勿体ぶった間を作る。ゴクリ……、無意味な緊張感に誰かが喉を鳴らした。

「あんな……」

 そして、ついに重い口が開かれる。

「なんかその姿、ヒワイな気がするんよ」
「ひわっ、卑猥ぃぃっ!? なんでさッ!?」
「黒いし、長っ細いし」

 ぐ、ぐぬっ……! 否定できない……ッ!!
 ナニを指しているのか理解したなのはとアリサが頬を軽く染めて俯く。相変わらずフェイトはぽややんとしてるが。

「そ、そういうイジられ方するのはユーノの持ちネタじゃないかッ!!」
「そのセリフ、ちょっと聞き捨てならないんだけどなー」

 再起動を果たしたなのはから浴びせられたのは、ツンドラのごとき冷たさを帯びた声。

「うー! うーうー!」

 進退窮まった俺。逃げるようにベンチから飛び降りて、開けた場所で変身魔法を解除。ボン、と愉快な破裂音と白煙を巻き上げて元の姿に戻る。その服装は黒い学ラン──廃棄都市で、真行寺命たちを待ち受けていた際にも身に着けていたものだ。

「これでいいんだろ! これで!」
「……なにも泣かなくてもいいじゃない」

 呆れたアリサのツッコミが、グサリと胸の柔いところに突き刺さった気がした。



 昼休みの時間は有限だ。
 気を取り直して昼食を摂ることに。なお、さっきの茶番で負った心的外傷はフェイトに癒やしてもらいました。

「あれ? フェイトちゃん、お弁当は……?」
「あ、うん、それはね」

 なのはの素朴な質問に、手ぶらのフェイトが嬉しさを溢れさせてこちらを向く。
 俺は軽く笑みを返すと目の前に両手をかざした。
 ヴン、と音を立てて月衣の中から、三十センチ四方二段重ねで漆塗りの豪華な重箱が手の中に現出する。こいつは早朝から借りたキッチンにて作った自信作だ。
 ついでに六畳ほどもある大きな茣蓙を出してやる。

「さあ、お前らもぼーっとしてないで座れ座れ」

 ひとまず重箱を床に置いた後、茣蓙をバサリと広げて硬直しているなのはたちを促す。まあ、理由はわかるが。これくらい慣れろ、“魔法使い”の基本だぞ?
 事前に伝えていたフェイトは当然フリーズなどせず、さっさと俺のすぐ隣に着席。ちょっと遠慮気味なのがまたかわいらしい。

「ナップザックの中から竹箒が出てくるんも衝撃やけど、これはこれで効くなぁ」
「何言ってんだ。俺にしてみれば宝石とかバッチが杖になる方が驚くっつーの」
「どっちも非常識よ!」

 さすがバニングスさん、鋭いツッコミをありがとう。
 あ、ファー・ジ・アースの魔法科学でも似たようなことが出来るって指摘は簡便な?


 そんなこんなで昼食。
 かなり多めに作ってきた弁当をフェイトはもちろん、なのはたちにも振る舞った。
 俺も含め、皆食べ盛りな中学生、好評の内に次々とおかずが減っていく。女の子はみんな食べるのが好きだしな。
 弁当をあまりにも食べられるもんだからフェイトがへそを曲げてしまい。機嫌を取ろうと「あーん」ってしたらしこたまからかわれたのには参った。……フェイトには悪いことしたな。


「ところで攸夜君、学校ってどうしてるのかな?」

 和気あいあいと食事が進む中、どこか非難するよう声色でそう問うすずか。鋭い洞察はさすがだが、その不良を見るような目は止めてほしい。

「ちゃんと行ってるよ。“こっち”じゃないけどな」
「“こっち”じゃない言うたら、ファー・ジ・アースなん?」
「正解。毎度おなじみ輝明学園秋葉原校の中等部にね」

 なにが毎度おなじみよ、というアリサを華麗にスルーしてイモの煮っ転がしをパクリ。……んむ、我ながら上手く味が染みているね。

 こちらから主八界に渡った俺は、マジカル・ウォー・フェア最終決戦のおよそ五年前に転移していた。ほとんどの力──ウィザードとしては十分すぎるほどだったが──を封じられた状態で、だ。それが戻ったのはオリジナルの宝玉が砕け散った後のことであり……、そういうわけで帰還に時間がかかってしまった。
 で、俺はその時間のズレを「ちゃんと義務教育くらいは受けなさいよ」という“母さん”の意向と判断、輝明学園秋葉原校に紛れ込んで生活していたのである。あそこ、俺たち裏界勢力も入り込みやすいからいろいろと楽だし。

 この辺りの話は昨夜リンディさんたちを交えて説明してある。それ故か、フェイトは訳知り顔でだし巻き卵をパクついていたり。しかし、箸の使い方が上手になったな。
 だがひとつだけ、こちらに来て説明していないことがある。力が戻ったあとに決行した裏界での武者修行についてだ。
 自重しない馬鹿とやり合って腕や脚を潰されたり、内臓破裂などで死にかけたことなど一度や二度じゃない。……主にグラーシャとかグラーシャとかグラーシャとかに。たまにマルコとかにも。
 そんな刺激の強すぎることを話しでもしたら、フェイトなど卒倒しかねないからな。


「でも、攸夜くんここにいるよね? サボリ?」
「ああ、それは現し身を置いといてだな」
「現し身、って?」
「実体のある分身みたいなもんだと思ってくれればいいよ。で、そいつを替え玉にして、たまに送ってくる情報を受け取ってるって寸法さ」
「なんや、どこぞの金髪碧眼忍者みたいやな」
「訓練の効率が倍々になったりとかはしないけどな」

 エミュレイター、魔王というのは何も常に日本だけで活動してるわけじゃない。複数の国、複数の場所で並列的に策動することも必要だろう。そんな場合に、こういった情報召集用の半自立型現し身を用いることもある。
 ……まあ、どういうわけか揃いも揃って日本にご執心な奴らばっかなのが不思議だけど。

 便利な現し身であるが、気を付けなきゃいけないのは増やしすぎると本体や現し身自体が弱体化することだろう。現し身の作成に魔力や“プラーナ”が削られて死に体になった、なんて目も当てられない。本末転倒もいいところだ。
 そういや、分身しすぎて自分の首を絞める冥魔王が居る、とか姉さんが笑い話にしてたっけ。


 ────閑話休題。


「だから俺はちゃんと学校に通ってるんだよ。この制服も中等部のものだしな、生徒会長用の」

 ふーん、と声を揃える一同。
 …………。
 数瞬の沈黙。
 不自然な間を訝しみ、眉間の皺を深くすると────

「ええええぇぇぇーーーっ!?」

 驚愕極まりない、悲鳴ような声が見事にハモる。
 何がそんなに驚きなのかは知らないが、仲のいいことだ。

「う、ウソよっ! そんなの信じないんだから!」アリサが声高に否定する。目がなんか虚ろだ。
「せや、なんかの間違いに決まっとる! 攸夜君がそんなことするんて世界の終わりやっ!」同調して頭を振るはやて。飛躍しすぎだ馬鹿野郎。
「うぇっ!? だって、生徒会長さんだなんてそんなっ、ふぇえぇぇっ!?」なのは、お前は吃りすぎだ。少し落ち着け。

 どこかズレてるフェイトは平然として「ユーヤ、すごいねっ」、と屈託のない尊敬の込められたキラキラする眼差しを向けられた。まあ、悪い気はしないな。
 同じく落ち着き払った様子のすずかが、「あっ」と何かに気づいたように声を上げる。

「そういえば攸夜君、クラス委員してなかったっけ?」
「あー、言われてみればそんなこともあったような。……よく覚えてるわね、すずか」
「うん。攸夜君らしくないな、って印象に残ってたから」

 すずかのセリフに騒然とした空気が静まった。
 らしくないのは認めるが、他人に仕切られるくらいなら自分でやった方がマシじゃないか。

「はふぅ〜……。なんだか私、ますます攸夜くんがなにやってたのか気になってきたよ」
「そんなこと言われてもな」

 力いっぱい騒いで疲れたのか、ぐったりした様子でなのはが息を零す。

「そのご質問、僭越ながら私がお答えしましょう」

 不意に響く、女性の甘くとろけるような声。背後の空間が歪むのを関知してすぐさま振り向く。
 そこにはイヤというほどよく見知った、眼鏡のメイドが営業スマイル全開で佇んでいた。



[8913] 番外編 いちのよん
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/10/16 21:18
 


 驚きを隠せない俺たちに向けて褐色の肌の闖入者──“誘惑者”エイミーが恭しく一礼する。

「若様のお世話役兼教育係を仰せつかっておりますエイミー、と申します。ふつつかな魔王ですが、なにとぞよろしくお願いします」

 言って、七十度ピッタリに再度お辞儀するメイド魔王。相変わらず非の打ち所のない完璧な所作である。
 “魔王”の単語にフェイト、なのは、はやてがほぼ同時にビクリと肩を揺らして全身を強ばらせた。無理もない、“魔王”と戦って痛い目を見たのはつい最近だものな。アリサとすずかはさすがお嬢様、メイドなど珍しくもないようだ。

「エイミィ、さん?」
「エイミーです。くれぐれもお間違えないように」
「ご、ごめんなさい」

 ある意味お約束のやり取りの後、その場の全員から「若様?」と疑問の視線が一斉に突き刺さる。気まずいので、咳払いして話題を無理矢理に切り替えることにした。

「ごほん。エイミーお前、住処の準備をしてたんじゃないのか?」

 アインを思い出すので“ご主人様”と呼ばせないのは失敗だったかもしれない。

「はい。ですが、そちらはすでに整えてありますのでご心配なさらず」

 もちろん電化製品の設置も完璧ですよ、などと当てつけのように余計な一言を付け足して。
 ──同じ、“金色の魔王”の派閥に組する者として、そしてそれ以上に、保護者代わりだったり帝王学の講師だったり家事全般の師匠だったり……このメイド魔王はと古い顔馴染みだ。知られたくないことまで知られている、とも言えるが。

「攸夜くん、機械音痴まだ直ってなかったんだね」
「うるせぇやい」

 苦笑いするなのはの態度に、俺は不良座りでやさぐれる。
 大体、説明書からして分厚すぎるんだよ! あんなもん読んでられるかっ!

「だいじょうぶだよ! ユーヤの代わりに私が全部やるもん!」

 フォローのつもりなのか、フェイトが声高に主張する。そう言ってもらうのはすごく嬉しいけど、何だか逆に情けなくなってきたよ。

「あらあら、若奥様ったら大胆ですのね。まるで生涯を供にすると宣言しているようなものですよ?」
「おくさっ!? なななななっ、なっ!?」

 ぼふっ、と音を立ててフェイトが茹で蛸のように真っ赤に湯立ってうろたえる。
 あー、くそっ、俺も釣られて顔が熱くなってきたじゃないか。

「若様の奥方となられる方なのですから、そうお呼びするのが筋かと」

 にこやかに、とんでもない発言をするメイド魔王。
 “いつかそうなること”について否定はしないが、今言うことじゃないだろう。ほら、なのはたちもちょっと引いてるし。
 というかフェイト、小声で「若奥様、ちょっといいかも……」とか言ってるんじゃない。

 話が一向に進まないことに軽く苛立った俺は、少し強めの口調で諌める。

「いちいち茶々を入れて混ぜっ返すな。それで、こんな場所までやって来て用向きは何だ?」
「はい。皆様が“あちら”での若様のご様子がお知りになりたい聞き及びまして、ご説明に上がった次第です」
「そんな気遣いは要らん。お前はデキシーズでバイトでもしてろ」
「あっ、知りたい! でもどうやって……?」

 なのはがわずかな警戒心も投げ捨てて食いつく。他の面々の表情も嬉々としていて似たようなものだ。

「それは、こちらのアルバムをご覧になればよろしいかと」

 波打った空間から、すとんとエイミーの手の中に落ちてくる一冊の分厚い書物。
 鮮やかな青い表紙に金箔で刻まれだ題名は、「Yuuya.H's Grown-up record」……。
 ──成長記録ぅ!?

「ちょっと待て! そんなものがあるなんて俺は聞いてないぞ!? 大体、俺は写真が嫌いで──」
「はい。ですので、こっそり草葉の影に隠れて撮影しました」

 いけしゃあしゃあと言ってくれる。このメイド魔王、それくらいやりかねないから質が悪い。黒幕は姉さん、か?
 苦し紛れに背後関係に想像の手を伸ばしている間にも、事態は刻一刻と進む。

「あの、見せてもらっていいんですか……?」
「ええ、もちろんです若奥様」
「ぁ、あぅ……」

 おずおずとエイミーに願い出たフェイトが、地雷を踏み抜いて自爆している。
 すると、今のやり取りを契機にしてか、お嬢さん方がエイミーに近寄っていく。
 マズい……! どんな写真が載ってるのかは知らないが、こいつらに見られたら碌なことにならないッ!

「ちょっ、まっ! ──のわっ!?」

 エイミーからアルバムを奪おうと腰を上げるた瞬間、俺は何かに躓いて、前のめりの形で盛大に転倒。胸を強く打って一瞬息が詰まる。鍛えていても、痛いものは痛いのだ。
 不自然な自分の有様を不審に思い見やれば、身体を何重にも拘束する銀と金の光の輪。
 ──バインド!?

「攸夜君はそこでちょっと寝ててな」
「ごめんね、私も読んでみたいから……」

 見上げれば、すまなそうに手を合わせるなのはと悪びれた様子も見せないはやて。その横をアリサとすずかが抜けていく。

 そして──

「えっと……」

 視線が紅い瞳とかち合う。が、すぐに逸らされた。
 フェイト、お前もか。
 昨夜、昔の写真でイジり倒した仕返しだな。そうなんだな?

 もう何を言っても無駄そうなので、俺は大人しく簀巻きになっていることにした。無理矢理破るのは簡単だけど、物騒だし。
 決して日和ったのではないと、強く主張しておく。




 □■□■□■




 芋虫のようにうつ伏せで床に転がった俺。目線の先には、アルバムを囲んで盛り上がる女性陣。
 時折、フェイトが心配そうにちらちらとこちらを窺っているのが印象的だ。そんなにすまなそうにするなら最初から荷担するなよ。

 ん? なのはがアルバムを持って近づいてくる。俺の話でも聞きたいのか。

「ねえ、攸夜くん、このひとは誰?」

 写真に写るのは、見覚えのある教室で俺と眼鏡の優男が何やら会話をしている姿。明らかな隠し撮りである。

「ウチの担任、まほうせんせいだな」
「まほうせんせい……? 担任の先生にしては若すぎじゃないかな」
「十八歳だったかな、確か」
「じゅうはちっ!? それって法律とか、だいじょうぶなの?」
「十歳児よりは遥かにマシだろ。それに、今のは時空管理局の局員から出るセリフじゃないよ」
「うっ……」

 言葉に詰まるなのは。自覚はあったのか、意外だ。
 続いてフェイト。近くの写真に、俺と一緒に写ったネコミミっぽい帽子をかぶる女の子を指差す。

「じゃあこの子は?」
「にゃふぅ」
「にゃふぅ?」
「東雲摩耶、通称にゃふぅ。同級生で、悪い娘じゃないんだけどちょっと変わっててね」

 有り体に言うとみそっかすにされてる。
 そういう時、取り繕うように笑う姿がなんとなくフェイトに重なって、それとなく気にかけてた。まあ、何を勘違いしたのか露出狂に“グランブルー”で押し流されたりもしたんだが。……アイツ、元気にしてるかな?

「ふーん……」
「なんだ? 焼き餅でも焼いてるのか?」

 図星だったようで、フェイトは目をまんまると見開いたあと、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
 他にも、“謎の美少女”に“地味系忍者”、“秋葉原のカリスマ”とそのヨメ。それから、“新米錬金術師”に“リンカイザー”などなど。──事件で共闘したり、敵対したり、平時で出会った人物も。
 小学生の頃のものから、“シャイマール”としての初陣の写真まであった。確かに「成長記録」と題されるだけのことはあるけど、こんなものどうやって撮ったんだ? 

「なんや攸夜君、交友関係広いんやなぁ。ちょっと意外やな」

 呆れ顔ではやてが言う。

「意外とはなんだ意外とは。人の心はコミュニティによって満ちるんだよ」
「それどこのながっぱなや」
「冗談はともかく、俺は快楽主義者だからね。不幸を気取って他人を拒絶するより、みんなで仲良く騒いだ方が楽しいじゃないか」

 フェイトとなのはがハッとしたように息を飲む。フェイトは別にしても、なのはにまで心当たりがあるとは思わなかった。
 しんみりとした、微妙な空気が漂う。このイヤな雰囲気、俺の仕業だというのは明白だ。

「えっと……あ! ねえ、攸夜君、この写真に写ってるのってアメリカのグランドキャニオンだよね?」
「ああ、そうだな」
「なんでまたアメリカなんかに行ったのよ?」

 空気を変えるすずかのアシストに、これ幸いとアリサが話題に乗ってきた。

「誕生日にすずかから料理の本をもらったろ? あれ読んで実際に作ってみたんだけど、なかなか納得のいく味に辿り着けなくてさ。仕方ないから本場の味を確かめに行ったんだよ」

 実際に食べて見なきゃわからないだろ? と問いかける。
 コクコクと頷く傍聴者たち。俺はそれに満足して、エイミーの淹れてくれた紅茶──ダージリンだった──で喉を軽く潤す。

「そうやって各地を回ってるうちに旅行するのが楽しくなってきてさ。あの手この手で時間を作って世界各国津々浦々、いろんなところに行ったな……」

 ただ吹く風に任せ、当てもなくあちこちを放浪していた頃に思いを馳せる。──陽炎揺らめく灼熱のサハラ砂漠。身体の芯から凍えるような南極大陸。旅先で訪れた異国情緒溢れる街々、風光明媚な田舎町、茜色に染まった地中海の海、広大で雄大なアフリカの大自然……。その一つ一つから受けた感情を呼び起こし、言葉に紡ぐ。フェイトたちは俺の話を熱心に聞いてくれている。

 いわゆる世界遺産なんかもいろいろ回った。マチュピチュ、リア・ファル、ストーンヘンジにパルテノン神殿とかもな。まあ、こっちは“仕事”の下見も兼ねてだけど。
 気付いたら紛争地域を縦断していたり、アマゾンで何日も彷徨う羽目になったことも今ではいい思い出だ。おかげで大抵のものは選り好みせず食えるようになったし、サバイバルな知識も実体験でかなり身についてしまったように思う。野宿に慣れているのはこの所為である。

 ────世界中を旅して、見て聞いて感じたことは確実に俺の中で息づいている。
 いいこと、美しいことばかりじゃない。悪いこと、醜いこともたくさんあった。けれど、だからこそ“世界”というものを強く認識出来るようになった。知識として知るのと実際に自分の目で見るのとでは、大きな隔たりがあるのだから。

「じゃあ、ユーヤって旅行が趣味なんだね」
「趣味と言えば趣味かな。今は百近くあるって言う管理世界を巡ることにも興味があるしね。……いつか一緒にいろいろなところに行こうな、フェイト」
「うんっ」

 満面の笑顔を零すフェイトの頭を軽く撫でてやる。くすぐったそうに目を細めてかわいらしい。
 いちゃいちゃ、いちゃいちゃ。不愉快そうな視線をチクチク感じるけど知ったことじゃない。

「特にローマには一緒に行きたいなぁ。真実の口とか、トレビの泉とか」
「……攸夜君がなにをしたいのかわかったような気がする」
「私もや」
「ベタね、ベタすぎるわ」

 フェイト、なのはがはてなマークを頭上に飛ばして顔を見合わせた。残りの三人は意図を察してくれたようだが。
 お前たち、仕事に熱心なのはいいけどもう少し文化的なことも嗜め。あれは古典だが名作だぞ?

「うんまあ、攸夜君が人生をすごーく楽しんでるんはよぉわかったわ」

 はやてのまとめ。さすが核心を突く観察眼に洞察力だと感心する。せっかくの“人生”、めいっぱい楽しまなきゃ損だものな。
 ちょうどそこで昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り、ひとまずこの場はお開きとなった。
 ──どうやら、俺の試練はまだまだ終わりそうにないようだ。



[8913] 番外編 いちのご
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/10/18 21:01
 


「やっと着いたな」
「予定だともう少し早くつくはずだったんだよね。……ユーヤが道、何度も間違えるから」
「…………。──ごめん」

 夕刻。もうすぐ宵の口を迎える頃。
 フェイトを引き連れ、遠見市のとある高層マンションの最上階──とりあえずの住処となる一室の前に辿り着いた。
 俺たちの手には、夕食となるべく買い揃えられた食材が詰まったナイロン製の買い物用バッグ。今晩は俺の好きにしていい、ということなので純和風の献立にするつもりだ。
 道すがら聞いた話によると、ここはジュエルシードの一件の際に彼女が間借りしていたところらしい。フェイトは「偶然だねー」と語っていたが、察するに姉さんは最初から知っていてわざわざ選んだのだろう。俺もそうだが、あの人はこういう細かい演出が好きなところがあるから。伊達と酔狂が裏界魔王の華だ。


「ただいまー、……ここに来るの初めてだけど」
「おじゃまします」

 高級マンションらしく、エントランスにしては広々とした廊下に、俺の間延びした声とフェイトの礼儀正しい挨拶が響く。


 放課後、調子に乗った若干二名──黄色いきつねと茶色のたぬきに捕まってこってり絞られた俺。ご丁寧にもなのはの実家、翠屋にてである。そこには当然、なのはの家族もいるわけで……。あとは予定調和のようにお決まりのパターンでいろいろと吐かされた。ついでにお代をまるっとおごりらされたし。……まあ、久しぶりに翠屋の味を存分に堪能できたからイーブンだけど。ザッハトルテ、おいしかった。
 ──そういえば、桃子さんが、最近なのはの様子がおかしいと漏らしてたっけ。「なにか知らない?」と訊かれはしたけど、心当たりが多すぎるので当たり障りのない受け答えではぐらかしたが。
 ベルと殴り合ったダメージはまだ抜けきってないらしいし、戦闘の際に交わされた言葉の内容を俺は知らない。ただ、なのはは“魔法”を避けているようにも見える。──大きなお世話かもしれないが、一度腹を割って話してみる必要があるかもな。


「お帰りなさい、攸くん。いらっしゃい、フェイトさん」

 俺たちの声を受け、紅いカーディガンをストール代わりに羽織った姉さん──幼女モードじゃなかった──が、優雅な微笑を浮かべて出迎えてくれた。すぐ後ろには、先に到着していたらしいエイミーが澄まし顔で付き従っている。如才ない奴だよ、まったく。

「ただいま、姉さん」
「お、おじゃまします。えと……」
「“ルーさん”、でいいわよ。昔みたいに、ね?」
「あ、はい、ルーさん」

 何故か恐縮した様子のフェイトに、姉さんが苦笑混じりに言う。“ルー・サイファー”として一戦やらかした後だから萎縮するのもわからなくはない、のか? それにしたって動揺しすぎだとも思うが。

 姉さんの招きで上がったリビングはフェイトの家にも見劣りしない広さだ。相変わらず、家具や調度品はアンティーク調のもので統一されている。姉さんは貴族趣味だからなぁ。

 そのあと。
 月衣の中に詰め込んでいた私物──プラモとかゲーム、それから本全般──を自室に置き、満を持してフェイトと一緒に夕飯の準備。二人でキッチンシンクに並んで調理した。
 「家庭科の成績がいい」となのはが言っていただけのことはあり、フェイトの手付きは危なげない。少し段取りが悪いような気もしたけど、及第点は余裕で越えていると思う。

「本当に料理の腕を上げたんだな。たいしたもんだ」
「うん、ありがとう。……きっと、覚えてなくてもユーヤに食べてもらいたかったからだよ」
「嬉しいことを言ってくれるね。これならいつでもお嫁に来れるかな?」
「も、もうっ、恥ずかしくなるからそういうこと言わないでっ」
「ははっ、ごめんごめん」

 このようにじゃれあいつつ調理された夕飯は会心の出来だった。フェイトと一緒に作ったからかもな。
 その味は姉さんにも好評だったらしく、近年稀に見る上機嫌さで食べてくれた。これだから料理はやめられない。
 ……ただ、食事の席でもフェイトの表情はどこか陰りが見えて。居心地が悪そうに──いや、思い悩んだようなその様子がひどく気にかかった。




 □■□■□■




 食後、時計の短針が九時を指した頃。
 風呂で一日の汗を流し、ようやく訪れたまったりできる怠惰な時間。しかし俺は、趣のあるL字型の大きなソファの上で胡座をかいて読書──というか、勉学に勤しんでいた。
 フェイトは俺から少し離れた場所にちょこんと座って、牛乳プリンを一口一口噛み締めるように味わっている。ほんと、幸せそうにものを食べる娘だ。見てるこっちまで幸せな気分になってくるよ。
 ちなみに、姉さんとエイミーは自室に退がっている。「ごゆっくり」と意味深な笑みを残して。
 何がごゆっくり、だ。

「…………」

 時折、こちらをチラチラと窺うフェイトを視界の隅に納めつつ、ミッドで買い求めた分厚い政治関連の専門書に目を通す。反芻するように、何度も。
 昔、姉さんにも言われたことだけど、俺は俺が思っているよりもずっと頭の出来が悪いから、しつこいくらいに勉強しなきゃな。

「ユーヤ……」
「うん?」

 視線を本から上げる。
 声の主、フェイトは何やらもじもじして遠慮がちにこちらを見つめている。どうやらプリンは食べきったらしい。
 俺は、専門書にしおりを挟んでソファに置いてから「どうした?」と、努めて優しい声色で問い返した。

「あの……、あのね、そっちに行っても、いい?」
「あぁもちろん。おいで」

 微笑んで手招きすると、フェイトは嬉しそうに近寄ってきた。すとんと横に腰を落ち着けて、少し躊躇ったあと遠慮気味に俺の腕に自分の腕を絡める。

「遠慮なんかしなくていいのに」
「うん、ありがとう……。でもね、ユーヤ、勉強してたでしょ? だから邪魔しちゃだめかなって」
「そうか……優しいな、フェイトは」

 言って、高級なシルクを思わせる柔らかな髪を撫でてやる。フェイトは「やさしいだなんて……、そんなことないよ」と薄く頬を染めて謙遜する。あれか、これが世に言うナデポか。初めて見たぜ。 ぐりぐり。なでなで。
 手触りのいい金髪を存分に楽しむ。フェイトもなされるがまま「ん〜」と気持ちよさそうに目を細めている。

「……私の髪、撫でるの好き?」
「そうだな、フェイトの髪はサラサラしてて気持ちがいいからね。触られるのは嫌?」
「ううん。私もユーヤに触れてもらうの好き、かな」

 あれ? 何か、空気が……。

「ねえ、ユーヤ」
「な、何かな?」
「……髪を触るって、とくべつなこと、だよね……?」

 ルビーの瞳を潤ませ、フェイトが俺の胸に体重を預けるようにしてしなだれかかってくる。襟元から少しだけ覗く白い肌は今や桜色に上気してひどく艶っぽい。
 女の子特有の甘いフローラルな香りが鼻孔をくすぐる。

(──!!)

 パリン、と何かが欠けたたような音が聞こえた。
 一瞬意識を飛ばしていた俺は、フェイトをギュッと思いっきり抱き締めていた。

「んっ……」

 女性的で、少し筋肉質で、だけどふかふかで優しい匂い──
 同い年には到底思えないフェイトの色香──たぶん天然──に、心中穏やかでない俺だったが、わずかに残った理性をかき集めて何とかそこで踏みとどまった。我ながらよく頑張ったと思う、うん。
 脳内の片隅で、薄紫の髪の幼女が「ほらっ、チャンスだよ! 押し倒しちゃえ!」と無責任なことを抜かしたような気がしたが、無視を決め込んだ。
 以前、劣情──かどうかは今でも定かじゃないが──に任せてフェイトを押し倒してしまった記憶は俺にとって痛恨だった。今もたまに思い出して、自己嫌悪に悶絶するくらいには。
 だから、当分の間は自制して一線を越えない──“穢さない”と決めている。だけど同時に、この娘を穢していいのは俺だけだという強い征服欲があることも否定しない。自己矛盾だな。
 リンディさんに言ったのはただの言い訳。自分でも逃げているということは理解しているけれども、こればっかりはどうしようもない。感情はロジックじゃないのだから。

「ユーヤ……?」

 気がつくと、フェイトが小首を傾げてこちらを見上げていた。どうやら無言だった所為で、心配させてしまったみたいだ。
 ──まったく度し難い愚か者だ、俺は。

「何でもないよ」

 内心の自嘲を押し隠して、金色の髪に軽く口付けた。

「ふぁ……」

 フェイトがくすぐったそうに身をよじる。少し不満そうな雰囲気も感じるが、概ね満足してくれたみたいだ。
 同時に、心底白けた顔をして「ヘタレー」と罵る幼女の姿を幻視した。
 ヘタレで悪ぅございましたねっ!


 ぐりぐりとおでこを俺の胸に押しつけ、じゃれつく黄色いわんこ。いくらか精神も落ち着いたので余裕を持って後頭部を撫でていると、わんこはソファに置きっぱなしだった本に目を付けた。
 さすがは若き執務官。目敏いな。

「……“次元世界関係論”? 外交関連の論述書、それもミッドチルダのだよね」
「うん、ちょっと“お仕事”に必要だから勉強してたんだ」
「外交官、目指してるの?」
「そういうわけじゃないんだけどね。ただ、必要なら資格も取るかもしれないな」

 ──俺は、この“世界”から“冥魔”を駆逐しきったとは思っていない。遠くない未来、奴らは再び現世に姿を現すだろう。ここに巣くった“冥魔”の元凶たる存在は、そういう性質を持っているのだ。まったく忌々しいことこの上ない。
 “冥魔”の跳梁跋扈を防ぎ、そして俺の野望──ということにしておく──を成し遂げるため、いくつかのプロジェクトとオプションを推進させている。今のところは極秘裏にだが、いつか俺自身が表舞台で活動する必要に迫られる状況が必ず来るはずだ。
 そのための予習というわけである。単に教養を深めるという意味でも無駄にはならないしな。

「そうなんだ、すごいね。……でも──」
「でも?」

 楽しそうにしていたフェイトは一転、眉を落とす。どこか悲しみを湛えた表情。胸の奥に鈍痛が走るのを感じた。

「あなたがなにをしてるのか、なにをしたいのか──、ちゃんと話してほしいなって。私、ユーヤのこと、もっと知りたい」

 俺の頬に白魚のような指先がそっと触れる。「だって私……、ユーヤのカノジョ、だもん」フェイトが愛らしくはにかんだ。
 自分の手を“カノジョ”の手に重ねる。

「フェイト……。君の言う通りだ、ごめん。今は無理だけど、時が来たら必ず話すから──、フェイトの彼氏としてね」
「うん、信じてる」

 無邪気で、あどけない笑顔。
 誰よりも大切で、大好きな少女が曇りのない全幅の信頼を向けてくれる。
 それが何よりも嬉しい。

 どんな高価なものよりも尊い、強くて儚い、愛するひとの笑顔を護っていたい。いつまででも見ていたい。きっとそれが俺の原風景。最も純粋な、混じりっけのない欲望だ。
 けれども、ただ独りでは何も叶えるなんて出来ない。ただの暴力では笑顔になんて出来ない。
 だから、“力”を求めた。暴力ではない“力”を。
 そして今、それはここにある。
 ──彼女は言った。「あなたなら、ぜんぶの人たちを救うことだってできるはずだよ」と。
 ならば救ってみせよう、俺なりのやり方で。
 飽くなき欲望を満たすため、何よりも愛するひとのため。この“力”で俺は、全てのヒトを────


「フェイト?」
「すー……、すー……」

 考え事をしてる間に、お姫様はくぅくぅと気持ちよさそうに寝息をたてていた。安心しきった、幸せそうな寝顔はまるで子どものようだ。はしゃぎ疲れてしまったのかもしれない。
 ……そんな顔されたら、起こすに起こせないじゃないか。

「おやすみ、フェイト。──愛してるよ」

 起こさないように囁いて、もう一度髪にキスをする。
 あと少しだけ、このまま恋人の温もりを味わうとしよう。


 ────全てのヒトを笑顔に。そして、“世界”全てをやさしく暖かいところに。
 それが君の想いに報いることになると思うから。



[8913] 番外編 にのいち
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:f0d3aa45
Date: 2009/10/25 21:15
 


 ────夏。

 夏と言えば、海。そう海である。
 白い砂浜、青い海原。大空から降り注ぐ燦々とした太陽の光────そして何より水着。女の子の水着である。
 もはやお約束を通り越して、古典芸能の域に達しているイベントだといえよう。故に、スルーなどあり得ないのだ、常識的に考えて。


「あー、空が青くて綺麗だなぁ……」

 澄み渡った青い空が視界いっぱいに広がっている。ギラギラと照りつける太陽は忌々しいほど。
 熱くて頭が溶けそうだ。このまま放置されれば日射病になりかねない。
 しかし、身体は動かない。何故なら首から上以外は全て砂の中に埋まっているから。寝そべってるんじゃなく、文字通り埋まっている。これではさすがに抜け出せない。
 ジリジリと天頂で痛いほど輝く太陽が、不意に遮られた。
 ──影を作り出した主は、羞花閉月の女神。垂れ下がる金砂の髪を耳元で掻き上げる仕草が艶やかだ。

「ユーヤ、だいじょうぶ?」
「うん。でも、フェイトの方がもっと綺麗だ」

 黒い紐で吊った白いセパレートのビキニが、シミ一つない白く透き通る肌を慎ましやかに隠している。
 決して生地の面積が少なすぎるわけじゃない。すらりとした長身、美しいラインを描く豊かな胸、絶妙にくびれた腰、引き締まった太股、キュッと細い足首──芸術的とも言えるプロポーションを誇る肢体が、あまりにも肉感に溢れているだけ。薄く汗ばんだ玉の肌と相まって破壊的に艶めかしい。
 露出は少ない方が好み──そんな些末事など、一瞬にして彼方に吹き飛ぶほど彼女は綺麗だった。

「〜〜っっ!? あ、あり、ありがとう……」

 きらきらと光るような──事実、金髪が日の光を反射して黄金に輝いている──美少女がたおやかに照れ笑いする。
 この、まるで淑やかな白百合の笑顔が見れただけで、今まで背負ってきた様々な苦労が報われた気がした。
 まさに男子の本懐だ。

 ──とまあ、感無量な気持ちはさておいて、

「ここから引っ張り出してくれない?」














  番外編 そのに

  「とある魔法使いと魔導師の休日」












 時は七月下旬。所は日本某所のとあるビーチ。ほど近いいくつかのロッジを貸し切っての夏合宿──もといバカンスだ。
 七月下旬と言えばもちろん夏休み。全国の学生たちが待ちに待った夏の長期休暇である。
 現役女子中学生であるフェイトたちも当然、休暇の真っ只中。で、どうするのかと話を聞いてみたらどうだ、今まで管理局の仕事で潰れてしまうことがほとんどだったと言うじゃないか。学生にはあるまじき非常識な回答に、表情筋が引きつったのをよく覚えている。
 いくら時空管理局が人手不足で忙しいからとは言え、十代の若い青春をそんなことに費やすとは何事かと軽く説教。そして、あらゆる手段──主に裏工作と袖の下──を講じ、身内全員のスケジュールを確保し。それから計画立案折衝その他諸々を整えて、この小旅行をセッティングしたというわけだ。まあ、俺自身に邪な狙いがあったことも否定しないが。

 ユーノやクロノさんから「仕事が忙しい」という抗議の声が上がったが、「気になる娘の水着を見れるまたとないチャンスだけど?」と一言言ってやったら主張を転じた。わかりやすくて助かります。
 女性陣は初めからみんな概ね賛同してくれて、特にフェイトはかなり乗り気だった。どうやら前々からこういうことをしたかったらしい。


「天気、晴れてよかったね」
「ああ、海に来たのに曇り空なんて最悪だもんな」

 砂まみれの青いアロハシャツを羽織直し、浜辺に敷いたレジャーシートにだらりと足を伸ばして腰を落ち着ける。慣れた様子で隣に女の子座りするフェイトにオレンジジュースのプルタップを開け、手渡した。クーラーボックスから持ち出したそれは、キンキンに冷えている。

「ありがとう」

 自分の分のコーラも同様に開ける。プシッ、と炭酸の抜けた音が夏らしくて爽やかだ。

「海、きれいだね。海鳴で見るのとはぜんぜん違う……」
「一応、ここは南国だからな。さすがに海鳴市とは違うさ」
「うん……。連れてきてくれて、ありがとね」

 この何とも言えない雰囲気を助長するべく、フェイトの腰に手を回して引き寄せる。彼女は頬を薄く紅潮させるが、嫌がる様子もなく俺の肩に頭を預けた。──顔、ちっちゃいなぁ。
 さざめく潮騒の音。遊びに興じる黄色い声。不意に、フェイトは眉をわずかにひそめた。

「ユーヤの身体、傷がたくさん……」
「ん、ああこれ? これは戦傷だよ、戦傷。大きいものならともかく、この程度じゃ、な」

 破壊するのは得意だけど、治癒とか創造は苦手だ。魔力を無駄に食うから、致命傷にならないもの以外は放置して自然治癒任せ。死ににくいというか、自分が生き汚いのを理解しているからあまり自分の命に頓着しなくなってきている。
 そんな意味も込めて、心配することはないと笑ってみせたのだが、紅玉の瞳には曇りが浮かぶ。この感情は──悲しみ?
 反応に困惑する俺を余所に、フェイトの白魚の指先が塞がって色の変わった傷跡を愛おしそうになぞりはじめた。触れるか触れないか、微妙な優しい手つき。だが、しっとりすべらかなの肌の感触を確かに感じて、俺の体温はやにわに上がる。
 ちょっ、まっ……!? 背筋がゾクゾクするからやめてっ!?

「ぅ、あー……、ふぇ、フェイトは海で遊ばないのか?」
「うん、遊ぶよ。……でも今は、ユーヤといっしょがいいな」

 フェイトが静かにはにかむ。頬を薔薇色に染めた表情はひどく愛らしい。

「そ、そうか」
「そうだよ、ふふっ」

 ……っ! 理性が揺れる。回路が焼き付く。意識が反転──
 これ以上はいろいろな意味で洒落にならない判断した俺は、思考をカット、かぶりを振る。それから、傷を触れていた手を取り、指を絡ませた。
 一瞬、びっくりしたように目を見開いたフェイトは、すぐにギュッと握り返してくれた。
 さすがにひと月半の間ほとんど付きっきりだったから、よほどのことがない限りドギマギはしない。けれども、余裕があるからこそフェイトの筆舌にしがたい美しさに見惚れてしまう。
 水着姿の彼女は、とても扇情的で、魅力的だ。こんなの他の奴には見せられない──いや、見せたくない。──最近、自分の独占欲や所有欲が人並み以上に強いことを自覚した。俺が“シャイマール”だからだろうか? もっとも、それを矯正する気などないが。

 再び混雑し始めた思考を紛らわせようと、視線を漂わせる。波打ち際では、なのは、アリサ、すずか、はやてとちびっこ──ヴィータがバレーボールに興じていた。あと、何故かユーノも混じっている。

 なのはの水着は桃色のシンプルなセパレートビキニ、アリサは、オレンジのビキニトップとショートパンツタイプのボトム。すずかが紺のワンピースタイプではやてが黄緑色のパレオスタイル──みんなよく似合ってるけど、フェイトのかわいさには到底かなわないな。
 ちびっこの格好? 見た目相応、フリル付きの赤い女児用水着だよ。

 ちなみに、ユーノは短パンタイプの白い水着とライトグリーンのパーカー。俺の方は、七分丈の青い水着に前述のアロハシャツという出で立ちである。
 しかし、肌白いなぁユーノ。そんなだから女の子みたいだ、ってからかわれるんだぞ? あとで少し扱いてやるか。

 遠泳しているアルフとザフィーラ、シグナム。ビーチパラソルの影で休んでいるクロノさん、エイミィさん、リンディさん。砂の城を造っているリインフォース姉妹とシャマル──その他の面々もそれぞれ、思い思いの方法で羽を伸ばしている。
 余談だが、クロノさんとエイミィさん、来年結婚するそうだ。クロノさんにプロポーズについて相談されたから知っている。フェイトにはまだ内緒、だとか。

 満喫するみんなの姿に、企画した甲斐があるってもんだと目を細める。じっと見過ぎて、視姦してると勘違いしたフェイトに頬をつねられたが。鼻の下なんか伸ばしてないってば!


「──しかし、酷い目に遭った。生き埋めに遭うなんて二度と御免だな」
「あれはユーヤが悪いんだよ。自業自得だよ」
「あんなのただのイタズラじゃないか」
「ふぅん……、“ただのイタズラ”、ね」
「うげっ、ベルっ!?」

 冷ややかな声をに背を向けば、いつもの腕組みポーズで“ゴゴゴゴゴ……”と効果音とエフォクトを背負った銀髪の魔王。俺を生き埋めにした張本人、競泳用の水着を着たベール・ゼファーだった。

 経緯はこうだ。
 姉さんとエイミーは元々来る予定だったのだが、どこから聞きつけたのかベル一味とパールまで参加をねじ込んできたからさあ大変。ルー姉さんだけでも守護騎士連中と折り合いが悪い──これは俺もだが──って言うのに、ベルたちまで居たら収拾がつかない。姉さんたちは現地集合にして、移動中にフェイトたちと顔を突き合わせないように配慮したくらいだ。
 で、手間がかかった意趣返しに、ちょっとしたいたずらとしてベルに黒スク──胸に名札として「べる・ふらい」と手書きしてやった──を用意したら、ブチギレた。いや、正確を期すなら文句を言いつつも着てきたので「幼児体型だからよく似合ってるな」と感想を述べたらキレたんだ。そりゃあもう、久しぶりに命の危険を感じるくらいに。──今着ている水着は、どうやら自分の魔力で編み直したらしいな。

 生き埋めにされる間際、「死にさらせええええええっ!!」というドスの利いた声が耳に焼き付いている。
 あれ? なんか同時にドデカい金ぴかハンマーで殴られたような記憶が……。

「“光となれ”でも懲りないだなんて、“雷神王結界”の方がお望み?」

 やっぱりお前の仕業か!
 ──って、おいっ!

「ちょっと待て、それどっちも第一世界の魔法じゃねぇか! そもそもお前、空属性ついてないだろ!?」
「一回こっきりのギャグ時空だからいーのよ」
「いいわけあるかっ!! ──大体、何でお前らまで来てるんだよ」
「それは……っ、──あ、アゼルが、海で遊びたいってうるさいからさ。連れてきてやったのよ」

 気まずそうに視線を逸らすベル。その先には、砂の城造り組に参加したアゼルの姿が。
 というか、無駄に上手いな。すごく精巧かつ精密な天守閣が見えるんですけど。

「はぁ……そうですか」

 それからリオンは木陰で読書。エイミーを伴った姉さんは、デッキチェアに寝そべってカクテルを含んでいる。あ、テスラが表に出てきて砂遊び組に合流した。大作確定だな、こりゃ。
 ……うん? 一番のトラブルメーカーが見あたらないな。

「なぁベル、パールは?」
「あそこ」

 呆れ顔でベルが顎をやって示すのは、サーフボード型“箒”──“ライダーブルー”に乗って、無邪気にはしゃぐ金色ツインテール。水のマナが豊富なこの海辺ではさぞや飛びやすいことだろう。
 おお、なんとも見事なキックバックドロップターン。パールの奴、なかなかやるじゃないか。

「なんだか楽しそうだね〜」
「何ならフェイトもやってみる? I can't flyってね」
「えっ? “私は飛ぶことができません”……? えっ?」

 きょとんとするフェイト。ニヤリと不敵に笑み、俺は立ち上がると月衣の中から“それ”を引き出す。
 ズズズ……、と空間を割裂いて現出した“それ”──白と青のツートンカラーで染められたサーフボード型“箒”の先端が、ざく、とサラサラの白い砂に刺さった。

「あんたも持ってたのね、ソレ」
「市販の“箒”ならほぼ全種類持ってるのさ」
「あっそ」

 興味なさそうにつんと澄ましたベルを一瞥し、座ったままのフェイトに向き直る。まるで騎士のように膝を突き、永遠の愛を誓った姫君に左手を差し出した。
 純潔のお姫様は、微笑んでその手を取る。
 視線が数瞬交差して──

「それじゃ、さっそくと行こうか? せっかく海に来たんだから思いっきり羽を伸ばそうな」
「うん!」

 溌剌な、大輪の笑顔を咲かせたフェイトの手を引いて、真っ青な海へと歩を進めた。



[8913] 番外編 にのに
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:75e3208b
Date: 2009/10/28 21:05
 


 疲れ果てるまで遊んだあとは浜辺で夕食のバーベキュー。準備から調理まで、ほぼ俺ひとりで──主催は客人をもてなす立場なのだから当然だ──用意した肉や野菜の焼き加減を見たり、鉄板で焼きそばを作ったり、カレーをよそってやったりと大忙し。
 大所帯の上、食い意地の張っている連中が傍若無人に振る舞い、夕食の場はまるで戦場のようだった。人数の三倍強は用意していたはずの食料は、遊び疲れて腹ぺこな怪獣の群れに襲われて。その胃袋の中へと瞬く間に消えていく。
 原因は知らないが、フェイトとベルとパールが張り合って大食い対決してたな。
 ちなみに勝敗は大差を付けてベルの勝ち。さすが“暴食”の魔王である。悔しがるフェイトはとてもかわいかった。


 さておき。日も落ちきって夜。
 男子用に借りた少し小さめのログハウス風ロッジ、そのラウンジにて。

「ユウヤ、よくみんなの都合を合わせられたね。いったいどんな手を使ったんだい?」

 俺の持つ、四枚のトランプを真剣な眼差しで窺うユーノが言う。
 彼の手札は二、対してこちらは四。その上、一枚には自転車に跨った道化師──つまりジョーカーが入っていた。いささか不利な戦況と言える。まあ、だからこそ燃えるんだが。

「管理局のお偉いさんとは“懇意”にしてるからさ。それでちょっと“交渉”して“お願い”したんだよ」

 ジョーカー持ちだということなど露とも見せず返答。表情はポーカーフェイス、視線だけはあからさますぎるくらいババに向けて。
 さんざん悩んだあげく、ユーノは“見せ餌”にまんまと引っかかってくれた。頬がひくつく。
 裏を読み過ぎたのが敗因だね、ユーノ君?

「交渉、か」

 さも胡散臭いとクロノさんが呟く。一瞬だけ俺に向けた目線は、ユーノのカードに移った。先ほどの様子からユーノの手にジョーカーが移動したのを理解したのだろう、警戒心が見え隠れしている。

「……む」

 トランプに興じる最後の一人、ザフィーラも固唾を飲んで動向を観察している。仮にババが引かれた場合、次はザフィーラの番だものな。

「そういった行為を職権乱用、越権行為と言うんだが。……しかし、君の動向は本当に読めないな。そもそも、そこまでコネクションを築いて何を企んでいるんだ?」
「企んでいるなんて人聞きの悪い」

 扇状になったユーノの持ち札の上を、行ったり来たりする指先。クロノさんの手持ちは四枚、目下最下位だ。
 俺が管理局の上層部と繋がっていることは、仲間内では公然の秘密と化している。最高評議会については漏れてないし、もともと隠しちゃいないしな。

「仮にも提督のクロノさんですから、近い内に耳に入るとは思いますけどね。──まあ、一言で説明するなら……人手不足の解消、かな?」
「人手不足の解消? そういえば、近頃開発局がデスマーチを敢行していると噂で聞いたが──」

 言いながら、クロノさんがカードを引く。すると、呆れ顔がやにわに固まった。文字通り、面白いくらいに表情がフリーズしている。……ふむ、ババを引いたか。

「次は俺か」

 空気を察したザフィーラが、渋い声を発する。眉間に皺を寄せ、厳つい顔を歪めた。こう、マッシブで男らしい感じは憧れるよな。

 ふと外に人気を感じて、視線を送る。紺色の夜闇の奥に茶色のサイドテールが踊るのが見えた。あれは──なのはか?
 なのはらしき人影は、そのまま海の方に歩いていく。アイツはフェイトたちと一緒に女子用の大きいロッジ──レンガ造りの豪華なものだ──に宿泊しているはずだ。ちなみに、姉さんたちはそれぞれ自分の月匣に引っ込んでもらっている。混ぜるな危険が多すぎるための苦肉の策だった。
 夜更けというにはまだ浅い時間だが、夜に年頃の少女がひとりで出歩くというのはいささか具合が悪い。それに────

「ユウヤ、君の番だよ?」
「悪い、俺ちょっと抜けるわ」

 返答を待たず、俺は席を立つ。足早に外へと繋がる両開きのドアに近寄り、ドアノブを捻る。ユーノの「え、ちょっ、ユウヤ!?」という戸惑いの声が背後で聞こえた。


 砂浜。
 邪魔をする人工の光源がない澄み切った濃紺色の空。そこに散りばめられた無数の星々が存分に輝きを誇っている。
 満天の星空は、サバンナで見上げたそれにどこか似通っていた。
 白い砂に足跡を残し、俺は体育座りをしているらしいサイドテールの少女に近寄る。気配は消して、足取りは自然に。

「なのは」
「にゃああっ!? ──って、攸夜くん?」
「おう。隣、いいか?」
「あ、うん」

 お許しが出たので、隣に腰を落とす。片足を軽く投げ出した緩い格好でだ。

「どうして攸夜くんが?」
「なのはが出て行くのを見たんだ。こんな時間に女の子の一人歩きは感心しないな」
「そう、だね……」

 ──沈黙。
 あまり気持ちのいい性質のものじゃないが、この時の俺は無意識のうちに聞き手に回ることを選んでいた。きっと、ここが“彼女”のターニングポイントになると思ったから。
 煌めく星を見上げ、気まずい間を潰す。
 なのはが突然、「あっ」と声を上げた。

「ねえ、攸夜くん。こうやってふたりだけでお話するの、はじめてじゃない?」
「そうだっけ?」
「そうだよ。だって、あのころはいつも誰かといっしょだったもん。……学校だとアリサちゃんとすずかちゃん、ジュエルシードを探しているときはユーノくん」

 まるで当時のことを思い返すように、クスクスと楽しげに語る。あの無邪気で居られた頃を思い出しているのかもしれない。

「それにフェイトちゃんが来たあとなんて、攸夜くん、ずーっとフェイトちゃんにつきっきりだったし?」
「……悪いかよ」
「ううん、悪くないよ。──あのころからフェイトちゃんのこと、好きだったの?」
「む……、まあ、ね」
「やっばりそうだったんだー。昔から美人さんだったもんね、フェイトちゃん」

 図星を突かれて顔が熱を持つ。暗がりのおかげでなのはには気付かれないだろうが。
 にこりと小さな、包み込むような笑み。なのはのこういうところは本当に変わってない。昔のままだ。
 ……。
 一拍置いて、俺は秘書官代わりを務める“知恵者”から受けた“報告”について切り出す。

「教導隊、除隊したんだってな」
「……うん」

 途端に、なのはの表情に陰りが差した。まるで仰ぐべき太陽を失った向日葵のように。
 なのはが受けたのは、正確には不名誉除隊──要するに処分だ。
 謹慎中の無断出撃、および戦闘行為──それは確かに処分されて然るべき行いだった。組織の規律に例外はない。時空管理局という巨大すぎる機構を運営する上でならば尚更である。

「あのね……私、管理局のお仕事、しばらく──高校を卒業するまでお休みしようと思うんだ」

 絞り出すように、なのはが言う。

「休職?」
「……うん。リンディさんとクロノくんと、それからレイジングハートに相談して、決めたの」
「どうしてか、理由を聞いてもいいか?」

 こくん、と肯定の頷き。
 無言で続きを促す。

「きっかけはベル……さんにね、言われたこと。私が、殺す覚悟も死ぬ覚悟もない、分不相応な力を手に入れて粋がってる小娘だって」
「……職務理念的に警官に準ずる管理局員に、殺す覚悟なんて的外れな指摘だろ? そんなもの、ベルの戯言じゃないか」
「そうだね。そうなんだけど……でも、私個人として、魔導師として──“魔法”を使うひととして、“殺してしまうかもしれない”って考えることは、たぶん必要だよ」

 言葉の意図が読めず、思わず俺はあからさまに怪訝な表情をしてしまった。
 なのは嫌な顔一つせず、言葉を続ける。

「ヒトって、簡単に死んじゃうんだよね。それが魔法だったらなおさらで……。知ってた? 非殺傷魔法だって、当たりどころが悪かったら命を奪っちゃうことだってあるんだよ?」

 それは実体験か、それとも教導官としての知識か。──たぶん後者だろうな。でなければ、こんなに無垢ではいられない。

「知ってるつもりだった。頭ではわかってるつもりだった。自分がしてることは、命のやりとりなんだって」

 悲痛な独白が訥々と続く。

「……管理局のお仕事をお休みする、ってお母さんとお父さん──家族に打ち明けたときね……、泣きつかれちゃった。私が決めたことだから今までなにも言わなかったけど、ほんとうはすごく心配だったんだ、って。そんな心配かけてたなんて、私知らなかった……。
 バカだよね。一度死にかけてるのに、ぜんぜんわかってなかった。ユーノくんを傷つけるまで、わかってなかった……ほんと、バカだよ」

 膝をギュッと抱えたなのはの姿は、普段よりもずっと小さく見えた。

「だからね、少しの間“魔法”から離れてみて、自分とかいろんなことを見つめ直してみようって思うんだ。
 いまでも、空を飛ぶことも、帰ってくる場所のことも好きだけど──そんな独りよがりな理由じゃなくって、もっとちゃんとした“戦う理由”、見つけたいから」

 “戦う理由”、か。
 なのはには、ちゃんと初めからあると思うんだけどな。──いや、見失ってしまったのかもしれない。
 しかし、コイツは──

「なのは」
「えっ?」

 まるでこの世の終わりを見たような顔をしたなのはに、デコピンを食らわせてやった。魔力強化付きのキツーい奴を、だ。

「い、いきなりなにするの〜っ!?」

 涙目を白黒させるなのは。真っ赤になったおでこをさすっている。俺から庇っているだけかもしれないが。
 微笑ましい仕草だとも思いつつ、呆れた風を装ってため息を吐く。

「なのは、お前はいちいち生き急ぎすぎなんだよ」
「生き急ぎ、すぎ?」
「そう。俺たちは今いくつだ? 十五、そう十五歳だ。まだ二十年と生きてない半人前の子どもだよ」
「それは……そうだけど」

 俺の言に不服そうな顔をするなのは。子ども、半人前と評されて気に食わないのかもしれない。

「そういうところが子どもだって言ってるんだ。
 ──いいか、なのは。お前が今までずっと突っ走ってきたこと、それはたいしたもんだと思う。尊敬するよ」

 投げ出していた脚に力を込めて、立ち上がる。
 パンパンとついた砂を払い、ポケットに両手を突っ込む。それから、満天の星を仰ぎ見た。

「だけど、だからこそ、今は休むべきじゃないのか? 時々立ち止まって、振り返って、何かに躓いて、たまには道草食ったりして……それが人生ってもんだろ? 生きることに解答はないし、近道もない。一歩一歩、確実に堅実に進むものなんだよ、きっと」

 星空から視線を外し、なのはを見やる。
 膝の間に顔を埋めた彼女は、俺を見上げると困ったように作り笑いを浮かべた。俺の話にピンと来ていないのだろう。

「むずかしい、ね……」
「難しいよ。でも、無理に正解を求めようとするから間違うんだ。だから、気負ったりしないでゆっくり考えて。時間は無限じゃないけど、少なくとも俺たちにはたくさんあるんだから」

 まるで説教みたいで決まりが悪いな……言いたいことが伝わっていればいいんだけど。
 ふと、遠くで声が聞こえる。「なのはー! どこー!? 返事してー!」わずかに焦りを帯びた声の主は──フェイト。きっと、姿の見えない親友を心配して飛び出してきたのだろう。

「……我らがお姫様のお呼びだ。そろそろ戻ろうか」
「そうだね。……フェイトちゃんがお姫さまなら、私はなにになるのかな?」
「なのはなんてお節介な妖精で十分だ」
「ちょっとそれってどういう意味なのかお話聞きたいなー。──って、あっ、待ってよー」

 むくれるなのはをほっといて、足を踏み出す。有り体に言えばとんずらである。
 ぷんすか怒れるイノシシ娘に構っていたら大けがをしてしまう。まあ、結果的には明るくなったみたいでよかったのかもな。


 なのはなら、きっと大丈夫。
 今は迷っているかもしれない。けれど、いつか必ず“答え”を掴む日が来るはずだ。
 ────なにせなのはには、何ものにも負けない“不屈の心”が宿っているのだから。



[8913] 番外編 にのさん
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/11/01 21:59
 


 祭り囃子の太鼓の音。ドンドンカラカラドンカララ、小気味いいリズムが提灯の光に照らされた夜闇に響く。
 いくつもの露天が軒を連ね、店主が活気のいい文句でお客を呼び込む。小遣い片手に目当ての出店へと走る子どもたちの姿が微笑ましい。
 ここ、臨海公園で開催された夏祭りには、海鳴市で最大級の規模とあって市内各地から集まった人々で溢れかえっていた。

 “袖”の中に左腕を仕舞い込み、にぎやかな喧噪を眺める。残った右手は顎をさすってみたりして。
 やっぱり祭りはいいな、ワクワクする。この一種独特な高揚感、他のことではなかなか味わえない。思わず高笑いしたくなるくらい──っと、いかんな。血が滾りすぎて変なスイッチが入りそうだ。

「遅いね、なのはたち」
「何を言うかねユーノ君。古今、女の子の準備は時間がかかるんだよ。男は黙って待つもんだ」
「そうなの?」
「そうとも」

 ユーノが漏らしたぼやきをピシャリと切り捨てる。かれこれ十五分ほど立ちっぱなしで疲れてるのか、あるいは想い人の晴れ姿を目にするのが待ち遠しいのか。まあ、気持ちはわからなくもないけどさ。

 俺たちはどちらも夏祭りの場に相応しく浴衣姿だった。
 俺は濃紺無地の着物に枯れ草色の帯、ユーノは唐草模様の入った若草色の着物と白い帯の組み合わせ。自分はもちろん、ユーノの着物を着付けたのも俺だ。浴衣は男女問わず、羽織袴や振り袖の着付けも一通りこなせる自信がある。……女性物の着付け方を覚えた理由が、「脱がした着物を直せるように」というのはここだけの秘密だ。


「んっ、来たみたいだな」
「あ、ほんとだ」

 少し遠く、公園の入り口辺りでぶんぶん元気よく手を振る、浴衣美少女一号。ほとんど白に近い薄紅色の生地に桜の花びらを模した柄が散りばめられた女の子らしい浴衣。帯に鼻緒、小物入れの鮮やかな赤が彼女──なのはの溌剌としたかわいさを現しているかのようだ。
 彼女の艶姿に当てられたらしいユーノが、表情をデレんデレんに崩壊させて手を振り返している。

「鼻の下が伸びてるよ、ユーノ君」
「ええっ!?」
「手で隠すなよ。──しかしいいよな、着物って。“はいてない”んだぜ、あれ」
「うん、“はいてない”んだよね、あれって。……僕、実はあんなに肌を隠しちゃうのはどうかなってバカにしてたんだけど、そうじゃないことを思い知ったよ」
「ユーノは即物的だなぁ。露出が少ないからそそるんだろ」
「それは同意できかねるかな。健康的に肌が見えるからいいんじゃない」

 眼鏡をクイッと上げ、あまつさえレンズを光らせてまで力説するユーノ。ぬ、この件については後ほど討論を重ねるべきか。
 さておき。俺の目当ては当然のごとくなのはの後ろに隠れるようして控えるお嬢さんだ。──隠れる? 何でさ?
 カランカランと下駄の音を響かせて、なのはたちが近づいてきた。

「ごめんね、久しぶりにお着物の着付けしたから手間取っちゃって。……待たせちゃったよね?」
「うん、十五ふモッ!?」
「いやいや、俺たちも今来たところさ」

 すまなそうな表情で手を合わせるなのはの謝罪に、素直すぎる返答をしかけたユーノの口を手で塞ぎ、代わりに爽やかな笑顔で返す。不心得者には念話で『余計なこと言うんじゃねーよ』と言っといた。
 不思議そうに小首を傾げるなのは。「そうだっ」と振り返る。

「ほらフェイトちゃん」
「ぅ、うん……」

 ニコニコ笑顔のなのはに促され、彼女の影からおずおずと進み出る浴衣美少女二号。白い花火の模様が入った藍染の和服に、帯は紅というより朱。小物入れと鼻緒が山吹色という出で立ちは、彼女──フェイトの落ち着いた、それでいて可憐な雰囲気によく合っている。胸が大きいと着物は似合わないというのが通例だけど、この娘には当てはまらないらしい。
 その中でももっとも目を惹くのは髪型だろう。普段はリボンで先を結っている黄金色の長髪を、今は後頭部でお団子状に纏めている。着物の襟元から白いうなじが露わになってひどく色っぽい。
 後に聞いた話だが、この髪型はルー姉さんの入れ知恵だとか。さすがは姉さん、俺の好みを把握してらっしゃる。

「フェイト、どうして隠れてたんだい?」
「だ、だって……! こういうの、久しぶりだから……」

 ユーノの至極真っ当な問いに、フェイトはもじもじと突き合わせた指先をいじり、どもる。軽く紅潮してどこか恥ずかしげだ。
 なのはに「そうなのか?」と疑問を投げかけると、彼女から「うん」と苦笑気味に答えが帰ってきた。

「フェイトちゃんがこっちに越してきてはじめての夏以来、かな? そのあとは、いろいろあったから……」
「……毎度思うが。お前たちは一体どういう学生生活を送ってきたんだ?」

 頭痛が痛いので、眉間を親指と人差し指で押さえてみた。「自覚はしてるよー」となのはがさらに苦笑いを深める。

「ゆ、ユーヤ……?」
「うん? どうした」

 瞳を潤ませ、惚けたような表情で上目遣いに見上げてくるフェイトが、おずおずと俺の名前を呼ぶ。いつものごとく、間延びしたふうに。

「えと……、あのね、私、変じゃない?」
「変? 何がさ」
「私の、格好……」

 消え入るようなフェイトの声。格好……つまり、浴衣が似合ってるかどうかを聞きたいのだろうな。
 しょうがないな、と内心で独り言ち、俯きがちな彼女の頤おとがいにそっと手を添えて顔を上げさせる。そのまま、怯えの浮かぶ紅玉の鈴を割ったような瞳を、出来る限り真剣な顔でじっと覗き込む。サッと、白い頬が薔薇色に染まった。

「変なところなんてあるもんか。すごく綺麗だ。その浴衣、すごく似合っているよ、フェイト」

 いつもながら歯が浮くようなセリフだけど、そこに込めた気持ちに嘘はなんてない。それはちゃんとフェイトにも届いたようで、すっかり機嫌を持ち直した彼女はふんわりと嬉しそうに微笑んでくれた。
 キスの一つも落としてやりたいところだけど、場所が場所だ。今回は自重しよう。
 しかし、海に行ったときはこんな風じゃなかったのに。……慣れない格好で不安だったのか? ──やはりというか、まだまだ精神的に不安定なところが目立つ。真っ直ぐぶれない芯は通っているのに、簡単に折れて潰れてしまう──そんなフェイトを支え続けようと、改めて自分に誓う。
 かれこれ何度目かの意思表明を終えた俺の目に、ぬぼーっとしている親友の姿が留まった。

『ユーノ、お前もなのはに何か言ってやれ』
『ええっ!?』
『ええっ!? じゃねーよ。ポイント稼ぐ絶好のチャンスだろ』

 ちらりと視線を浴衣美少女一号に向ける。何でか知らないけど、赤面してるね。

『そ、そうか……、ユウヤの言うとおりかも』
『シンプルに、思ったことだけを伝えればいいよ。お前さんに気障なセリフは似合わないしさ』
『うん、ありがとう!』
『おう、がんばれよ相棒!』

 ゴクリと唾を飲み、まるで死刑台に上がる間際のような顔をするユーノ。女の子を褒めることがそんなに覚悟の要ることか?

「あ、えっと……な、なのはもかわいいひょ」

 あーあ、噛んじゃった。ここぞとばかりに噛んじゃったよ。

「あ、あいがと」

 なのは、お前もか。
 嬉しさとか羞恥とか戸惑いとか──いろいろな感情があべこべで混乱した様子の二人は、耳まで真っ赤にして恥じ入り、俯く。その間には極めて甘酸っぱい、有り体に言えば青春的な空気が漂っていた。
 な、なんだこの居たたまれない雰囲気は……っ!? ──ああなるほど。これが普段、俺とフェイトの周りにいる奴が味わう気分なのか……。はやてたちがげんなりしていた理由が理解できた気がする。

「初々しいねえ」
「……ああいうのもいいかも」
「ふぅん……。フェイトは俺たちのつき合いに不満があるんだ?」
「ち、違うよっ! ユーヤに不満なんてないもん!」
「はいはい。ほら、ユーノもなのはも固まってないでそろそろ行こうぜ。祭りが俺たちを待っているッ!」
「ギュッとてしてもらうのも、撫でてもらうのも大好きなんだもん!」

 おいおい、フェイト。そんな恥ずかしいこと口走っていいのかよ? ──ああ、言わんこっちゃない。周囲の視線を集めちゃって真っ赤になってるじゃないか。

 自爆気味にオーバードライヴした三人も、しばらくしたら落ち着いて。それから俺たちは出店を回ることになった。
 その道すがら、射的や金魚すくい、型ぬきなどに興じるはやてと愉快な家族たちに遭遇したり、にやけ顔のアリサとすずかに出会して、あからさまな状況に茶々を入れられたりと些細なハプニングはあったものの、俺たちは夏祭りを大いに楽しんだ。
 ──今回、いつもの面子にはご遠慮いただいた。端からはダブルデートに見えるだろうし、俺とフェイトはそのつもりだったから。もっとも、ユーノとなのははデートじゃないと頑なに否定するだろうけど。その証拠に、二人の様子はぎこちなさがありありと残るものだった。
 ちなみに俺は、フェイトとたこ焼きの食べさせっこなんかをしてたりして。

 それでも、どこか吹っ切れた様子で無邪気に笑うなのはが印象に残った。本格的に管理局から──“魔法”から距離を置いて、いろいろと心の整理を付け始めたのかもしれない。


「花火、まだかな?」

 ベンチに座って夜空を見上げたフェイトが、待ちきれないと瞳をキラキラさせていた。彼女の傍らに立つ俺は、苦笑して「もうすぐだから、少し落ち着いて?」と軽くたしなめる。
 まるで親にいたずらを咎められた子どものように、しゅんと眉を伏せるフェイト。頭にちょこんと乗せた狐のお面も心なしか元気がない。

 最近、ますますフェイトが子どもっぽくなってきている気がする。──今まで気を張って、張り続けて……抑制してきた幼児性、言い換えるなら依存性とでもいうべきものが行動に滲み出しているのかもしれない。
 だが、俺はそれを否定しない。
 依存したければすればいい。甘えたいなら甘えればいい。──少なくとも、俺がフェイトの前から居なくなることなんて金輪際あり得ないのだから。
 邪魔するもの全てをねじ伏せ、フェイトが望む限り添い遂げる。そう、何だろうが関係ない。俺の、俺たちの行く手を阻むものは何であろうが全て皆殺しに──
 俺の思考が剣呑な方向に流れかけた時、

 ──ドンッ!

「わぁ……」

 大きな炸裂音と感嘆のため息がそれを現実に引き戻した。
 晴れ渡った夏の夜空に咲き乱れる大輪の花々。
 大きなもの。小さなもの。
 高く打ち上がった“玉”が破裂して、様々な形に“星”が飛散する。そして、生まれる火と光の芸術。
 七色の光が創り出す幻想的な光景を、フェイトは目に焼き付けるかのようにじっと見つめている。そしてすぐ隣、微妙な距離を保って座るユーノとなのはも同じように、空を見上げていた。──これでまた打ち解けてくれるといいのだが……。俺とフェイトは、“そういう”機微を一足飛びにすっ飛ばしたからあまり参考にはならないし──

(ま、なるようになるか)

 お節介極まりない思考をカット。おめでたい自分の頭の出来に苦笑して、夜空に咲く華に注視する。
 金色のしだれた花火が、まるでフェイトの髪みたいだなと俺は思った。



[8913] 番外編 にのよん
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/11/04 21:06
 


 季節は巡る。夏から秋に。

 青々としていた木々の葉が次第に色を変えて鮮やかに染まっていく。深まる紅葉はまるで、一つところに留まらず、移り変わり続ける時の流れを象徴しているかのようで。
 ──季節が巡るように。時が流れるように。不変で居られるものなど、この世のどこにありはしないのだ。少なくとも、“生き続ける”限りは。
 俺も、そして俺の大切な人たちも例外ではない。緩やかに、だが、確実に変わっていく。移ろっていく。
 善きところなのか、それとも悪しきところなのか──その行き着く先を、全知全能でないこの身で窺い知ることは出来ないけれども。



 清秋の空は高く、絶好の行楽日より。場所は何の変哲もないとある遊園地。──とりあえず、ネズミの王国ではないとだけ言っておく。
 さて。何故こんなところに来ているのか? 説明するまでもないと思うがでぇとである。遊園地にはフェイトと一緒に来たかった場所の一つ、ベタと言われようがこれは外せない。フェイトの方も楽しみにしていてくれたらしく、その喜びようは何日も前から手に取るようにわかるほどだった。
 ついでにユーノとなのはも誘ってやって、二人の仲を深める後押しをしてやろうという腹積もりだったのだが──


 おどろおどろしい建物──お化け屋敷の前で、茶色のこだぬきが遠い目をして疑問を呟く。背中に哀愁を背負っているような気がする。

「なあ……なんで私、ここにおるんかな?」

 知るか。

「なあなあ、なんでー?」

 絡むな、うぜえ。

「なあなあー」
「あー、鬱陶しいっ!」

 こだぬき──もとい、はやての執拗な追求に耐えきれず怒鳴り声が口を吐く。傍らのフェイトがビクリと肩を揺らした。
 しかし、今日のフェイトもかわいいなぁ。黄色と白の毛糸で編まれたボーダー柄のワンピースと丈のやや短めなすらりとしたシルエットのジーンズというコーディネートは、スタイルのいい彼女によく似合ってる。ちなみに足元は白いヒールスニーカーだった。

「そんな大声出さんと、周りに迷惑やで攸夜君?」

 周囲の行楽客が向ける怪訝な視線に気付いて、俺は肩をすくめた。
 ──このように、何を血迷ったかはやてまでついて来ていた。結果は見ての通り、あまり楽しめてはいないようだが。
 さもありなん。ジェットコースターではどこぞのお人と相乗り、ゴーカートでは一人寂しく──実際にはお着きが“二人”居るが──ドライブ、そしてここお化け屋敷でも一人で回る予定と散々だから。空気の読めるはやてのことだ、自分の場違いっぷりに辟易していることだろう。

「大体、フェイトとなのはに誘われてノコノコやってきたのはお前だろうが」

 事の発端はフェイトとなのはの親切心。休み時間の度に「ヒマー、ヒマやー。どっか行きたい〜」とのたまっていたはやてに気を使って持ちかけたらしい。──ああ、なんだ。ただの自業自得じゃないか。

「だってー、デートやって聞いとらんかったやもん。知っとったら来たりなんてせぇへんわ」

 膨れっ面で腕を組むはやて。「そうですっ!」と籠状のトートバッグからリインフォース妹が顔を出し、主の言葉に同調する。

「カップルに囲まれて、独り者のはやてちゃんは肩身の狭い思いをしてるんですよっ!」

 ふと目が合う。「ぴっ!」瞬間、奇妙な悲鳴が上がり、水色の妖精は身を震わせてすぐさま引っ込んだ。
 思いっきり怖がられてるようだな。まあ、守護騎士連中とはほとんど交流がないし──シグナムとは六年越しのケリを付けておいたが──、無理もないか。俺自身、それほど友好を深めたいと思えないでいる。わだかまりが残っているというか、どうやら俺は執念深いらしいから。これもまた、自己矛盾だな。

「……なあ、エルフィ?」
「はい?」

 はやてが地獄の底から響く声を発した。壮絶な笑顔を顔に張り付けて。

「だぁれが、独り身で寂しい行き遅れ確定の悲しいオンナやって……?」
「そこまでは言ってないですぅぅ!?」
『余計なこと言うからですよ、エルフィ。おとなしく、おしおきを受けておきなさい』
「お姉ちゃんのはくじょーものーっ!?」

 同じく、トートバッグに夜天の書の状態で入っていたのだろう、リインフォース姉から無情な通告。彼女の言うところの“おしおき”が始まった。まあ、はやてにほっぺをつねられてるだけなんだが。
 茶番じみた主従コントに送る白けた視線を、金色の少女が遮った。その表情に浮かぶ、わずかな心の揺れを俺は見逃さない。──それが何なのかまではわからなかったけれども。

「ユーヤ、エルフィをいじめちゃだめだよ? まだちっちゃいんだから」
「どっちかっていうとイジメてるのははやてだろ」
「そう、かな?」

 悪い顔をして鞄に手を突っ込んでいるはやてを見やり、こてんと小首を傾げるフェイト。
 どこかズレた彼女を微笑ましく観察していた俺の耳朶に、何処から悲鳴のような声が飛び込む。それはごく微かだったが、確かに凶兆を孕んでいた。

「──ぃぃぃいいやああああああぁぁぁぁぁああっ!!」

 恐ろしいまでのスピードで、パステルカラーのナニカが突っ込んでくる。その手はボロ布と化したグリーンのナニカの袖口をがっしりと掴んで。
 突然のことに、スイッチが入っていなかった俺は反応できず、至極当然の結果として────

「ぬぐぉっ!?」

 牽かれた。
 そのまま走り去るナニカ──というか、なのははご丁寧にも引きずっていたユーノを俺の背中に置いていった。
 重い……。

「ご、ごめんよ、ユウヤ」

 背中にユーノを乗せたまま、無様に俯せて。目の前では、ぺたりと地面にへたり込み、泣きべそかいているなのはをフェイトがあたふた慰めている。
 状況は概ね掴めたけど、とりあえず上の奴に訪ねてみるか。

「何が、あった」
「な、なのはが思いの外怖がっちゃってね……」
「うん、もういい、あらましは把握した。……ガンバレ、ユーノ」
「ありが、と……う」

 言ったきり、ユーノはガクリと脱力。意識を彼方に飛ばしたようだ。
 イノシシ娘に果敢にも挑戦した勇者を振り落とすわけにもいかず、俺はそのままの体勢でくすぶる恐怖に涙するなのはと、彼女を必死で慰め続けるフェイトを眺める。……我関せずとケラケラ笑っているはやてにムカッ腹を立てながら。

 なお、お化け屋敷に挑んだフェイトさんは、怖がる素振りなど欠片も見せず、興味深そうに仕掛けや役者を次から次に見抜いていたそうな。
 なのはほどとは言わないが、もう少しくらい驚いてくれてもいいんじゃないか?



 昼時、休憩所の一角。
 各自──俺となのはとはやてが──持ち寄った弁当を広げた備品のテーブルをみんなで囲む。
 漆塗りの重箱いっぱいのおかずは栄養バランス完璧で、目にも美味しい。中くらいのバスケットには、やや地味だが堅実で温もり溢れるお袋の味。それから、たこさんウインナーに顔つきおむすびなど、女の子らしい気配りの行き届く料理の詰まった黄色いお弁当箱。
 俺とはやてはまあ当たり前として、なのはの弁当もなかなかの出来映え。ユーノの奴など感涙しておむすびを食べていた。──気になってる娘に、上目遣いで「どう……かな?」なんて聞かれたら、嬉し泣きしてもおかしくはないけど。


「なんだか遠足みたいだね〜」

 ほこほこ笑顔のなのは。その日だまりのような──悪く言えば、のーてんきな雰囲気に触発され、「そうだなぁ」と俺も和む。
 テーブルの上では、リインフォース妹が小さい身体でおかずと格闘している。親睦を深めるために餌付けでもしてみるか?

「……芸術の秋、スポーツの秋、行楽の秋──。秋にもいろいろあるけれど」
「はやてちゃん?」

 唐突に、はやてが何か悟ったような顔をして語り出す。その空色の瞳は、幸せそうにおかずをつまむフェイトに向けられていた。
 たぬきの戯れ言は聞き飽きているので、まるっと無視してなのは謹製のたこさんウインナーをパクつく。……んむ、うまい。

「フェイトちゃんの秋は、食欲の秋みたいやね」
「う……」

 芋の煮っ転がしを頬ばっていたフェイトが、気まずそうに視線をついと逸らす。
 ふふん、と鼻を鳴らしたはやて。「フェイトちゃん──」そのわかりやすい反応に気をよくしたのか、悪そうな笑顔を浮かべて畳み掛ける。
 コイツ、何かやらかすな。そう見抜いたが、おもしろくなりそうなので静観を決め込んだ。

「最近、太ったんちゃう?」
「──!」

 絶句。
 ショックのあまり凍り付いたフェイトの手から箸が滑り落ち、プラスチック製のテーブルの上でカランカランと甲高い音を奏でた。
 なるほど、図星か。
 しかし、太った、ねえ……。
 プルプルと肩を振るわせるフェイトの全身を一通り眺めてみる。ジロジロ、ジロジロ。あ、赤くなった。
 ふむ……何度見返してもかわいくて綺麗だけど──、

「確かに輪郭がふっくらしてきたような気もするね」

 主に胸とか腰回りとか。一段と女の子らしくなってちゃってまあ。

「──!!」

 さらにフェイトが絶句する。
 真っ白に燃え尽きたように力なくうなだれた彼女は、滂沱の涙をそのルビーの瞳から零しだした。──って、ちょっ、涙流すほどのことかっ!?

「うわ……、エグいわ。まさかそこまではっきり言うてしまうとは」
「攸夜くんひどい、ひどいよ! 女の子にそれは禁句だよ!」

 罪悪感広がる俺の胸に、はやてとなのはの糾弾が突き刺さる。
 唐突に、フェイトがガタンとイスを倒しつつ立ち上がった。

「ダイエットする……、いまからダイエットするっ!」

 どどーん。
 仁王立ちして、拳を握るフェイトの背後に打ち寄せる高波を幻視した。

「フェイトちゃん、ちょっと脈絡ないよ?」
「そうだね。フェイト、少し落ちつきなよ」

 なのはとユーノが口々にたしなめるも、フェイトは狼狽激しく聞き入れない。
 ダイエットか……。

 後にはやてから聞いた話だけど、この時の俺はとてもやらしい顔をしていたらしい。てか、やらしい顔って何さ。

「ふぅん……。じゃあ、このデザートは要らないんだね」

 言いながら、三十センチ四方ほどの厚紙で出来た箱を月衣の中から引き寄せた。

「いつかなのはと約束した、翠屋の味を俺なりに再現した自信作なんだが」

 箱を開けると甘い香りがふわりと広がった。その場にいた全員から感嘆のため息が零れる。
 ショートケーキに、チーズケーキ。苺のミルフィーユとモンブラン、ガトーショコラ──中に詰まった各種ケーキはどれも会心の出来だ。
 おいしそうなケーキを前にして、フェイトはあうあうと意味にならないうめき声を上げて、深刻極まりない表情で悩む。数瞬唸ったあと、薄く頬を紅潮させておどおどと口を開いた。

「だ、だってユーヤ……、太った女の子はいやでしょう?」
「まさか。そんなことで嫌いになるわけないじゃないか」

 というか、ぽちゃぽちゃしてるくらいが好みです。
 出会った頃のフェイトは華奢というよりも痩せぎすで、痛々しくて見てられなかったものな。

「ほんとに?」
「ほんとに」
「ほんとにほんと?」
「ほんとにほんと。──むしろ、たくさん食べてくれるフェイトが、俺は好きだな」

 言って、微笑む。
 途端、真っ暗としか言いようのなかったフェイトの表情が、ぱあっと晴れ渡る。この世の春のような笑顔で「じゃあもっと食べるねっ!」と意気込み勇み、取りこぼした箸を取っておかずをはむはむもぐもぐ食べだした。うん、フェイトはこうでなくっちゃ。

「あ、悪魔や……! 天パの悪魔がおる……っ!」
「にゃはは……、これじゃあ幸せ太りしちゃうわけだね」

 はやての失礼な言い種と、なのはのどこか納得した風な苦笑い。それから、フェイトの無邪気な笑顔が残った。

 それから、この日以来、今までにもましてフェイトさんが食いしん坊になったこと。そして、いくら食べても一部を除いて──主に胸とかが──ほとんど太らないことに、周りの乙女たちが激しく凹んでいたことを追記しておく。



[8913] 番外編 にのご
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/11/14 21:13
 


 ────十一月初旬。

 天気は快晴。冬の到来はすぐそこだということを感じさせない、春めいた陽気。
 今日は聖祥大、そしてその附属校全体で開催される学園祭──その最終日。この合同学園祭は、金土日三日間の日程で取り行われる。一日目二日目を各校単独の出し物に割り振り、最終日を大がかりなイベントに当てる大々的なものだ。
 一、二日目は主にフェイトたちのクラス──メイド喫茶だった。はやての発案らしい──にお邪魔したり、フェイトと一緒に他の学部や部活の模擬店を見て回った。
 メイド喫茶はなのはが居るだけあってかそれなりに様になっていたし、男女各高校の演劇部が合同で演じた“ロミオとジュリエット”も、高校生にしては堂に入った演技で見応えがあった。フェイト、劇に感情移入してマジ泣きしてたっけ。

 ──こうして概ね楽しんだ俺だが、一つ、気になったことがある。
 それは衣装。レースふりふりのエプロンドレスはかわいかったけれども、スカート丈が膝上だったのが気に食わない。何とか二日目だけは都合を合わせてきたユーノの奴は満足していたようだが、俺は本場英国式の膝下丈じゃなきゃ認めないのだ。この件についても、奴とは決着を付けなければなるまいな。
 断じて、フェイトの美脚を他の男に見られるのが腹立たしかったからじゃない。ないったらない。


 大学部主催で行われたミスコンの熱気冷めやらぬメインステージ前には、たくさんの人だかり。次のイベントを待ちわびる見物人で溢れかえっていた。
 その人波から少し離れた片隅。俺はぼんやりと佇み、両手をポケットに突っ込んで準備中のステージをなんとなしに眺める。
 ぱっと見だけど、二千人はくだらない人が集まっている。そのなかには見知った顔もちらほらと。目的は俺と同じ、今から始まるメインイベントにして今年の目玉──総合音楽コンクールだろう。
 合唱・吹奏楽・バンドなど種類を問わず、一般参加もOKという意欲溢れるイベントで、地域の商店の協力まで取り付け、優勝賞品十万円分の商品券と副賞の温泉旅行まで用意するという念の入れようだ。この話を耳にして、このご時世によくやるものだと感心した。

 不意に、観衆がざわつく。
 舞台袖から、ミスコンに続いて司会を務める大学生の男女がステージ上に現れた。
 開催の前口上は淀みない。
 打ち上がった小さな花火の音は、群衆の怒号にも似た歓声にかき消され。メインイベントの幕が賑やかに上がる。

 トップバッターは初等部のちびっ子合唱隊。低学年くらいだろうか、十数人がちょこちょこ並んで行進する様はひどく愛らしい。
 途端に「かわいい〜」という黄色い悲鳴が上がり、「萌え〜」という野太い声が聞こえた。……後者は聞かなかったことにしよう、うん。精神衛生上よくない。

 さておき。このイベントに、なんとフェイトたちもガールズバンドとして参加しているのだ。今更軽音か、と内心でツッコんだのは内緒である。

 言い出しっぺは意外なことになのはだった。本人いわく「フェイトちゃんとはやてちゃんが引っ越しちゃう前に、みんなで思い出づくりをしたいの」だとか。
 ちなみに、当初渋っていたフェイトを焚き付けたのは他でもない、この俺だ。「フェイトの歌ってるところ、見てみたいな」ってね。

 フェイトとはやては卒業と同時にミッドに移り住むことが決まっている。だからだろう、なのはの張り切りぶりは目を見張るものだった。幼なじみと道を違えることに、何かしら感じるものがあると想像するに容易い。
 ──なのはの心境の変化は行動にも如実に現れている。高校進学に向けて猛勉強をしていることもその一つだろう。エスカレーター式で進学出来るからと妥協する気はないらしい。俺も文系科目の家庭教師に駆り出されたしな。
 ……そういえば、教育系の学科に入りたいとかって言ってたっけ。

 ともかく。熱心なことはいいと思う。だが、同時にどこか危うさというか、不安定さも感じた。
 今はまだ、“魔法”に打ち込んでいた情熱をすり替えて誤魔化しているだけなのかもしれない。けれども、いつかきっとその気持ちに折り合いを付ける日が来るはずだ。それまではいろいろと試してみればいいと思う。臆せず、何事にも挑戦すことが一番大事なのだから。


 万雷の拍手が響く。
 どうやらちびっ子合唱隊の演目が終わったようだ。小学生たちはややバラバラに一礼すると舞台袖にはけて行き、次の参加者がスタンバイを始める。
 フェイトたちの順番は中盤くらい。まだ少し先だ。
 今頃は、舞台裏で出番前の緊張感をたっぷりと噛みしめていることだろう。……フェイト、変にプレッシャーを感じて倒れたりしてなきゃいいんだけど。
 恥ずかしがり屋さんな恋人に気を揉んでいると、背後の空間が歪むのを感知した。

 この魔力は────

 首だけ肩口から振り返る。

「アニーか」
「はい」

 静かな返答とともに、物陰の暗闇から怜悧な容貌を持つ長身の女性が音もなく進み出る。パリッとノリの利いた黒いスーツを着込み、杓子定規な赤金のストレートヘアと理知的な眼鏡の奥に隠れた瞳は緑。
 彼女の名は、アニー・ハポリュー。“知恵者”の二つ名で呼ばれる裏界の公爵である。
 その異名通り、天地開闢の時より蓄積された情報と森羅万象あらゆる知識に通ずる大賢者だ。

「どうした? お前が俗世に姿を現すなんて珍しいじゃないか。槍でも降るかな」

 からかいの言葉はしかし、アニーのポーカーフェイスを崩すには至らない。

「早急にお伝えしたいご報告がいくつかありましたので」
「ほう……。言ってみろ」

 ひどく興味を引かれる話題に目を細め、本格的に振り向く。
 人間を、ふしだらでだらしのない存在だと毛嫌いするアニーがわざわざ出向いたのだ。よほどのニュースだというくらい馬鹿でもわかる。

「先ず最初に、“マシンサーヴァント”の量産試作モデルが開発局にてロールアウトしました。これらの稼働データを元に、制式量産機の開発に取りかかるとのことです」
「存外に早いな」
「オリジナルから機能を大幅にオミットした簡易型ですので当然の結果かと。評議会が秘密裏に流していた資金と資材、研究施設の一部を確保、流用した量産体制も整えています」
「さすが、アニー。如才ない手配りだね」

 俺のあからさまなおべっかに紅潮し、「い、いえ……」と動揺するアニー。相変わらず扱いやすい奴だ。

「ご、ゴホン! それから、“箒”の試作品も一応ですが形になったようです」
「ウィザーズワンドのデッドコピーだったか」
「はい。ですが、未だ要求スペックには程遠い粗悪品でしかありません。どうやら魔力炉の小型化が難航しているようです」
「わかった。その件については姉さんに──いや、テスラに相談しておく。ファー・ジ・アースの魔法技術を再現するには、俺たちが手を加えなきゃならないからな」

 「人員の確保」と「現状戦力の増強」──初期条件のクリアすらまだ先、か。
 “冥魔”との戦争を乗り越えるためには、どちらも達成せねばならない最低限の条件ではある。だが、この程度のことで“知恵者”が俗世に姿を現すとは思えない。そう問うと、アニーは首肯する。

「正式発表はまだですが、第三十一管理世界にて“冥魔”が確認されました」
「──! “魔王女”の予言通りとはいえ、半年も保たないとはね。で、ソイツはどうなった?」
「数人の負傷者を出しつつも現地の管理局魔導師によって討伐。その後の出現は未確認です」

 顔色一つ変えず、アニーが要点だけを簡潔に答えた。
 俺は顎に左手を当て黙考する。シナリオを修正する必要がありそうだ。
 “冥魔”の再来が予測よりもずっと早い。この“世界”は、俺の思っている以上に穢れていたとでも言うのだろうか。当初の予定から大きく離れたわけではないが、このままでは後手に回り兼ねない。
 見通せない先行きに苦慮する俺の背後、ひときわ大きい歓声が轟いた。
 反射的に振り返る。
 どうやら、少し話し込みすぎたらしい。
 舞台上に並ぶ五人の少女。彼女らが纏うステージ衣装は、黒を基調に紅を差し色にしたゴスロリ調の──微妙にパンク風味も感じる──ドレス。デザインはやて、製作俺のオーダーメイド品だ。
 ユニット名は「りりかる☆まじかる」──ま、まあ、これについてはノーコメントにしておこうか。

(うわ、フェイトってばガッチガチじゃないか)

 ステージ中央のマイクスタンドの前、フェイトはまるで油の切れたブリキの人形のようにしゃちこばっている。瞳をギュッと瞑り、首もとの何かを強く握って。──あれはペンダント、か?
 メインボーカルを務める彼女の両脇に勢ぞろいしたいつもの面々──ギターとベースをなのはとはやて。キーボードをアリサ、すずかがドラムを担当している──は、それなりに緊張感漂う面持ちをしているものの、フェイトのあまりの動揺っぷりに頭が冷えたらしい。心配そうな視線を送っている。

 仕方ないな──

「フェイトーッ、がんばれーっ!!」

 “いつでも見てるよ”──そんな気持ちを込めて送った大きな声援に、フェイトがハッと顔を上げた。
 視線が交差する。ニッ、と不敵に口角を吊り上げれば、帰ってくるのは控えめなはにかみ。
 ふぅ、と小さく息を吐くと、彼女の相好から怯えが消えて。たおやかでしなやかで、けれども自信すら感じる凛とした表情が浮かぶ。それは俺の好きな、凛々しい表情だ。

 フェイトが軽く振り返り、なのはたちと頷き合う。
 ──そして、演奏が始まった。
 軽快な前奏を経て、伸びやかで、透き通るような歌声が秋空に響く。“思い出づくり”に相応しい、前向きな詩と力強い旋律。自然と身体がメロディーに合わせてリズムを刻む──そんな歌だった。
 仕事に学業に。間を縫って必死に練習した努力の成果が今ここに、結実していた。

「シャイマール。一つ聞かせていただきたいことがあります」
「なんだ」

 視線と意識をステージに向けたまま、むっつりと答える。正直邪魔くさいんだが。

「何故回りくどい真似をするのです。人間に力を与え、尖兵にするおつもりであることは理解出来ます。ですが、世界結界のないこの“世界”ならば“アモルファス”を動員して制圧し、戦力にすることも容易なはずでは?」

 アニーらしい、実に現実的な意見だ。確かに、備えのないこの場所ならば赤子の手を捻るように容易いだろうな。
 だが、

「“魔王”級ならいざ知らず、そこらの“侵魔”ごときで“冥魔”には勝てないよ。それは歴史が証明している。“知恵者”ともあろう者が、人間蔑視で本質を見失ったか?」
「しかし……っ」

 鼻白むアニー。なまじ理路整然と物事を捉える性質が災いして、反論を紡げない。

「“俺たち”は、確かに運命をねじ曲げることが出来るかもしれない。けれど、それに立ち向かい、乗り越えることが出来るのはヒトだけだよ」
「……ウィザードたちのように、ですか?」
「ああそうさ。ヒトの“心”には、計り知れない無限の可能性があるんだ。それに、簡単に攻略できるゲームに価値なんてないだろう?」
「……」

 それっきり、会話は途切れ。ややあって、「承知しました。──失礼します」“知恵者”が姿を消す。
 俺は空間の歪みが終息していくのを感知しながら、懸命にのどを張り上げ、演奏する幼なじみたちを微笑ましく眺める。こう、はじめての学芸会でがんばる子を見守る父親の気分だろうか。
 フェイトたちの、元気いっぱいな歌声を俺は心行くまで堪能した。


 ちなみに、結果は三位。優勝は惜しくも逃してしまった。
 というか、優勝したのはいつの間にか参加していたルー姉さん。どこぞの天文部二代目部長の持ち歌まで披露する気合いの入りっぷり。そりゃあ、魔王が本気出したら人間なんて簡単に魅了されるんだろうけどさ……。
 何やってるのさ、てか何やってるのさ。はぁ……。



[8913] 番外編 さんのいち
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/01/06 23:08
 


 ──新暦72年 五月


 ここ“ミッドチルダ”首都クラナガンは、約一年前に起きた“冥魔”と呼ばれる敵性存在との大規模戦闘──後に“冥王の災厄”と名付けられた事変が残した傷痕もようやく癒えつつあり、一応の平穏を取り戻しはじめていた。
 しかし、破壊を機に開始された区画整理や非常時の備えなどの整備は未だに続き、慌ただしさは払拭しきれていない。
 それはまるで何かに追い立てられるように。絶え間なく続く。

 ────そう、戦いは……、戦争はまだ始まったばかりなのだ。












  番外編 そのさん

  「あるいはカレとカノジョの事情」












 クラナガンの中心地にそびえる時空管理局地上本部ビル、そのほど近くの一等地に立つデザイナーズマンションの最上階。
 十五畳ほどの広々とした寝室に、カーテンの隙間から朝日が射し込む。陽の光はキングサイズのベッドにまで延び、清潔なシーツにくるまった一糸纏わぬ姿の男女にかかった。

「う、ん……」

 黒髪蒼眼の少年──いや、青年が気だるげな動作で上体を起す。寝起き特有の覚束ない視線が彷徨い、ベッドサイドの時計を捉える。長針と短針は五時半を示していた。
 ガリガリと、ひどく寝癖のついた真っ黒な癖っ毛を掻き乱し、間の抜けた顔で大きな欠伸を一つ。隣で寝ている“彼女”には決して見せられない表情だ。

「──……んん〜」

 その“彼女”──フェイト・T・ハラオウンは、むずがってに寝返りを打つ。まだ彼女の意識はまどろみの底から浮上しきっていない。
 金糸の髪を起こさないようにそっと撫で、起こさないようにするりとシーツから抜け出る。

「さて、と。今日も一日、がんばるとしますか」

 ゴキ、と首の骨を鳴らし、青年──宝穣 攸夜は今朝も、愛する少女のために活動を開始する。
 首筋に、キスマークをつけたまま。


 予定通り、フェイトの中学卒業と同時に攸夜は活動拠点をミッドチルダに移した。本格的に時空管理局の仕事に携わるフェイトのため──攸夜に対しての人質にでもしようとしたのか、一時地上本部へ異動の話が持ち上がったものの、社会的な意味で潰されている──、そして攸夜自身の思惑を実現するために必要な処置だ。もっとも、クラナガンに定住するつもりなど二人にはなく、いつか一区切りがついたなら“故郷”に帰ると相談して決めていたが。
 “冥魔”の蠢動はもう始まっており、予断を許さない状況だ。一刻も早く戦力を整え、裏界の予言者“魔王女”イコ・スーにより必然の未来として予知されている大攻勢に備えなければならない。
 すでに時空管理局内、ミッドチルダ行政府内で一定の影響力を得ている攸夜は、この機会を利用して両者を完全に掌握するつもりでいる。なんだかんだ言っても裏界魔王、権力志向の強い攸夜だった。


 白を基調とする機能的なダイニングキッチン。その奥にはベランダに面したリビングが繋がっていて、家具は壁や収納などに調和したモノクロのシンプルでモダンなもので揃えられている。清潔感のある室内は隅の隅まで掃除が行き届き、妙なところで几帳面な家主の性格をよく反映していた。
 仲間内からは“愛の巣”と揶揄されるこのメゾネットタイプのマンションは、部屋四つにリビング、ダイニングキッチンを備えた造りをしており、人間二人が暮らすには少々広すぎる──実際に部屋が余っている──ものの、訪れる人々の頻度や多さを考えたならば適切と言えるだろう。ミッドチルダに越すに当たって、数ヶ月前から住宅情報誌を見繕い、ふたりで一緒に決めたふたりだけの“城”だ。
 当然と言えば当然だが、リンディ、アルフから同棲の許可を取る際に、熾烈な攻防があったことを追記しておく。

 ちなみに、家賃や光熱費は折半──攸夜の割合がかなり多いことをフェイトは知らない──だ。執務官という歴とした職のあるフェイトは当然として、攸夜も“箒”に関連するパテントや最高評議会との契約金など、収入源をしぶとく確保していた。地獄の沙汰も金次第である。


「いただきます」
「いただきます」

 白いダイニングテーブルにつく二人。どちらもワイシャツにスーツのボトムという格好で、これから仕事に向かうということが窺える。──攸夜の首筋にくっきりと残っていた痕は、幻術でごまかしていた。慣れたものだ。
 今朝はベーコンエッグにサラダ、トーストのごくシンプルな献立。攸夜としては白いご飯に納豆とみそ汁の純和風な朝食が好みだが、納豆が苦手なフェイトに配慮してこういった洋食をメインに置いていた。

 穏やかな朝食──
 どちらも食事中はあまり喋らない方であるし、アイコンタクトで大抵のことは通じ合えるのだから無駄な会話は要らない。新婚と熟年の雰囲気を併せ持つ二人だった。

『ジェイル・スカリエッティ被告の三回目の公判が────』

 リビングのテレビから朝のニュースが流れている。今年初頭に起きた大物次元犯罪者の電撃的な逮捕は、管理世界社会全体にも相当の衝撃を与えたようで、逮捕から三ヶ月以上経った今でも連日のように報道が続いていた。
 幾つもの罪状を抱えるこの男の裁判はいつ終わるともしれない。しかし、裏の事情を事細かく把握する攸夜ならば、“茶番”の一言で断じるだろう。どういった判決が出るのかも彼は知っている。隠れ家を暴き、捕縛して、あまつさえこの茶番の筋書きまで書いた張本人なのだから。

 ミルクの注がれた黄色いマグカップに口をつけたまま、フェイトがじっとテレビ画面を複雑な心境で注視している。浅からぬ縁──自分が“造られた”遠因とされる男の裁判、その成り行きに少なくない興味を引かれていた。

「やっぱり自分の手で捕まえたかった?」
「……そんなこと、ないよ」

 表情が陰る。
 その言葉はごまかしだと看破した攸夜。トーストにマーガリンを塗りながら本心の一部を打ち明ける。

「悪かったと思ってるよ、相談もなしに潰しちまってな。まあ、奴のバラ撒いていた“オモチャ”が目障りだったから排除したんだけどさ」
「だから別に……。だいたい私、この人について捜査してたわけじゃないもん。気にしてないもん」
「ならいいけど」

 言いながら、キツネ色のトーストにかじりつく。サクサクふわふわな焼き上がりに攸夜が満足した。
 一方、フェイトは信じてなさそうな攸夜の声色に腑に落ちないものを感じつつも、このまま否定し続けることの不毛さをわかっていたので話題を転換する。

「そんなことより、約束ちゃんと覚えてる?」
「もちろん。俺に会わせたい子がいるんだろ? キャロ、だっけ」
「うん、キャロ・ル・ルシエ。ちっちゃくて、ピンク色で、かわいい子なんだよ〜」
「……犬猫じゃないんだから、そう何人も拾ってくるのはどうかと思うけどね」

 件の少女を保護するに至った大まかな経緯を聞き及んでいる攸夜は、皮肉気味な言いようで興奮気味のフェイトをたしなめる。
 今のところ自分のことでいっぱいいっぱいなフェイトが、誰かを背負っていけるような女の子ではないと彼は知っている。それゆえの苦言。
 少し冷静になったフェイト。うつむいて唇を軽く噛むと、訥々と心情を零す。

「……だって、強すぎる力を持ってるから追放されて、強すぎる力が扱いきれないから使いつぶされて──そんなの、ぜったい間違ってる。
 キャロはまだ小さい女の子なんだよ? それなのにひとりで……、たったひとりで放り出されて、ひどいよ……」
「フェイト……」
「……ユーヤも、私と同じ立場だったら助けてあげるでしょう?」
「まあ、な」

 期待の込められた熱い視線に耐えかねて、攸夜は曖昧な返事をする。諸手を上げてフェイトの言葉を肯定するにはいささか汚れすぎていた。
 確かに、目の前にそんな娘がいたら手を差し伸べてしまうだろう、と攸夜は思う。自分のことを快楽のために善行を成す偽善者だと分析する彼だ、そんなさも正しいことが出来る恰好の機会を逃しはしない。心から助けたいと願うフェイトに比べてなんと醜いことだろうか。
 反吐が出る、と自虐した攸夜は非生産的な思考を一時振り払って、この話題を切り上げるべく締めに入った。

「──ともかく。六時にターミナルで待ち合わせってことでいいのか?」
「うん、それでいいよ。着いたら連絡するね」
「りょーかい。あ、ウチに泊めるんだよな?」
「そのつもりだったんだけど……だめ、かな?」
「いや、問題ないよ。それなら外食より、ここで夕食にした方がいいか」
「あ、うん、いいかも。名案だよ、それっ! お夕飯はオムライスがいいなぁ……」
「まあ、食べたいと言われれば作るけどさ。自分が食べたいだけじゃね?」

 大好物の味を想像し、ぽわわんと陶酔してとろけた表情のフェイトをツッコミつつ、攸夜が呆れ混じりの苦笑をもらした。




 □■□■□■




 出勤間際。玄関、エントランスにて。
 黒い制服の上着を着込み、どこから見ても立派に管理局執務官なフェイト。心なしか表情もきりりと凛々しい。
 その後ろには、ワイシャツの上からシアンブルーのエプロンをかけた──エプロン姿がやけに似合っている──攸夜が、まるで影のように付き添っている。この立ち位置が、彼らの関係性を如実に表しているようだった。

「これ鞄な。弁当は入れといたから」
「うん、ありがとう」

 攸夜からフェイトへ黒革の頑丈そうなビジネスバッグが手渡された。中には言葉通り、愛妻ならぬ愛夫弁当や仕事に必要な書類などが収められている。

「ん? フェイト、タイが曲がってる」
「えっ、あ……っ」

 不意に顔を近づけ、わずかに歪んでいた黄色のリボンタイを直す攸夜。ともすれば、こうして彼の最近さらに勇ましく、精悍になった相好と対面しているフェイトだったが、そうそう慣れるものではなく。生娘でもあるまいに、どきどきと胸をときめかせていたりする。

「これでよし。あ、ハンカチは持った? 忘れ物はない?」
「うん、だいじょうぶだよ」

 心配性のお母さんみたいだ、と攸夜のセリフに微苦笑したフェイトが、出勤前の“儀式”をすべく瞼を伏せて、攸夜の首に腕を回した。
 ちょんとつま先立ちで顎はやや上向きにした彼女の腰を、攸夜が優しく抱き寄せる。服の上からでもわかる腰のくびれ、胸板に押しつぶれるたわわに実った双乳──今更照れ入るような間柄でもないが、常々、美人は三日で飽きるという言葉は嘘だと思っている攸夜を魅了するには十分だった。
 かわいらしくおねだりする最愛の恋人の、ぷっくりとして艶やかな花唇をいつものように塞いだ。

「ん……」

 攸夜の広い背中に手を回し、ギュッと抱きしめたフェイトの胸中は、幸福感と充足感でいっぱいになる。こうして、ハードな仕事をこなすための勇気と英気を分けてもらうのが最近の彼女の日課だった。
 たまゆら、そのままで。お互いの体温を感じあい、刻みあう。

「はふぅ……」
「──それじゃあ、いってらっしゃい、フェイト。気をつけて」
「……うん。いってきます、ユーヤ」

 名残惜しそうに、恋人の頬へちゅっと短く口づけて、若き執務官は自らの戦場しごとばへと向かって行ったのだった。



[8913] 番外編 さんのに
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/11/17 21:18
 


 全身を映す姿見の前。トレードマークのボサボサ頭をオールバックに撫でつけた攸夜が、蒼い無地のネクタイを締めている。慣れた手つき、慣れた手順で危なげない。
 ネクタイを締め終え、紺色の背広に袖を通す。その胸ポケットに正方形に四つ折りし、さらに三等分したポケットチーフを頭が覗くように差し込んだ。ネクタイと同じの鮮やかなシアンブルーは攸夜のシンボルカラー。濃紺のビジネススーツと合わせて、バリアジャケットを思わせる衣服が彼の仕事着だった。


 フェイトを送り出したあと、攸夜はこの二ヶ月ほどで日課となった家事に取りかった。朝食の後かたづけを皮切りに、各部屋の掃除──特に寝室は念入りに──、衣類の洗濯、ゴミ出しなどなど。テキパキ動作は淀みなく、ハウスメイクを完璧に仕上げる手際はまさに芸術的。メイド魔王に師事していただけのことはある。
 家の仕事は二人で分担すると同棲を始めるときに──全て自分がやると主張する攸夜を、フェイトが押し切った形で──取り決めたのだが、本格的に入局し、執務官としての職務が増え始めたフェイトは、毎日帰ってくるだけで精一杯の有様。攸夜の分担が増えることは明々白々、自然の成り行きだった。
 そのことについてフェイトは忸怩たるものを抱えていたものの、一方の攸夜は嫌な顔一つせず、むしろ、最愛の恋人の世話が出来ることを至福の喜びに感じていたりするから始末に負えない。
 転生を経由した志宝エリスから性質の一部を引き継ぎ、家事全般を苦にしない性格の攸夜にとっては大した労力でもないのだろう。加えて、当初は一人で全てやるつもりだったのだから当然と言えば当然である。
 こんな感じで今のところ、二人の間に不和は起きていない様子だ。

 そんな攸夜だが、彼は彼で管理局関係者との打ち合わせ、各管理世界政府の要人との密会、犯罪シンジケートの撲滅、発生した“冥魔”の駆逐、勝手気ままな魔王の相手とその他諸々──かなりのハードスケジュールを東奔西走とこなしている。だが、基本的に彼の移動手段は次元すら越える空間転移──普通に徒歩などで移動すると絶望的に迷うため。たまに転移事故を起こしたりもする──であるし、その気になれば現し身の一つや二つ創って替え玉や人手にすることも容易い。だから、フェイトが帰宅する時間に合わせて夕食や風呂を用意しておくことなど造作もなかった。
 それに、どこに居ようが関係なく、攸夜にはフェイトの居場所が手に取るようにわかるのだ──比喩ではなく、事実として。
 理不尽極まりない異能を私生活にも遺憾なく、さりとて無駄に活用している攸夜だった。


「っと、そろそろ行くか」

 どこへ出しても恥ずかしくないビジネスマン然とした装い。ちなみに、冬場はこの上からベージュのトレンチコートを羽織るのが彼のお気に入りだ。おっさん臭いともっばら不評だが。
 室内の最終確認を終えた攸夜は、ワックスがけがされてツヤツヤの革靴を履き、ご丁寧にも玄関から外に出る。
 「ロック」の一言で戸締まりをして──、空間を歪める。黒い闇に溶け込むように、攸夜の長身は消えていった。



 ──ミッドチルダ某所。

 全容もわからないほどにほの暗い室内、三本のシリンダーが妖しく輝く。
 巨大組織、時空管理局をその開設当時から牛耳る“最高評議会”──その隠れ家であり、攸夜の主な仕事場の一つだ。ここで最高評議会と攸夜とで毎日行われる定例会議が始まる。
 秘書役のアニー・ハポリューが書類片手に佇んでいた。

「やあやあ、みなさん。今日もお元気そうで何より」
『それは肉体を捨てた我らに対する皮肉か、シャイマール?』

 ほとんどタイムラグなしで転移した攸夜は、軽薄な薄笑いを浮かべ、軽薄な物言いを脳髄たちに投げかける。機械によって合成された音声が、器用にも声色に込められた不愉快さまで再現して彼を迎えた。

「とんでもない。俺は評議会のみなさんと仲良くしたいんですよ。一緒に世界をよりよくしようと企むナカマじゃないですか」
『フン、心にも無いことを』
『お前が無断でスカリエッティを捕縛したこと、忘れたとは言わせんぞ。火消しにどれだけの労力を払ったと思っている』
「やだなぁ、あなた方の暗殺を未然に防いで差し上げたというのに。感謝されることはすれ、非難される謂われはありませんよ?」
『感謝しないとは言わん。しかしやりようを考えろ、と我々は言っているのだ。お前の勝手の煽りを受けて、こちらの研究機関は軒並み壊滅したのだぞ?』
「世の中の片隅が綺麗になっていいことじゃないですか。中将閣下も検挙率が一気に上がって喜んでいるでしょう」
『そのレジアスだが、今年度の予算が例年にも増して減ったと愚痴っておったがな。開発費と設備投資費が嵩んで管理局の財政は火の車だ』
『我々が確保していた機密費やプール金の一部で補填せねば破綻しかねなかったぞ』
『“世界樹”計画についてもそうだ。“冥魔”打倒に必要不可欠だとは理解しているが、あの全容はお前の個人的な趣味だろう? 過剰戦力だという、他の管理世界や聖王教会からの突き上げをどうしてくれる』
「はてさて、何のことやら」

 糾弾を、あからさまなお為ごかしで飄々と受け流す攸夜。梨の礫というか、破天荒な孫に振り回されるお爺ちゃん状態で、利用するどころではないようだ。
 このような間柄になるまでに、血で血を洗う血みどろの抗争が繰り広げられた、かどうかは定かではない。ただ、攸夜が身内以外に対する容赦をカケラも持ち合わせていないことと、最高評議会が“魔王”の──人知を越えた存在の恐ろしさを嫌と言うほど教えられた、ということだけは述べておく。

「前置きはこれくらいにして。アニー、今日の報告を始めてくれ」
「はい。ではまず、各部に配備されたマシンサーヴァント制式仕様の稼働状況ですが──」

 静観していたアニーが、手元の資料を捲りながら報告を開始した。
 ──“マシンサーヴァント”。それは、ファー・ジ・アースの“錬金術師”が用いる機械仕掛けの使い魔の名前である。獣、鳥類、幻想類はもちろん、人型にデザインされた個体も存在し、ここで話題にされているのは人型──いわゆる、ヒューマノイドタイプのものだ。
 本来、“錬金術師”でなければ扱えないところを様々な機能──主に戦闘力、武器変形機構など──のカットで解決、先行試作型の試験運用を経て、この春に晴れて実戦配備に成功した。開発局の有志と、監修に携わったテスラ・陽炎・フラメルの努力の結晶である。
 テスラの協力を得るために、攸夜はチョココロネを山ほど焼く羽目になったのは全くの余談だ。

 現在、管理局で稼働しているマシンサーヴァントは全て魔力炉を内蔵しない充電式で、オペレーターなどの非戦闘員系業務を担当している。ミッドチルダの優秀な人工知能技術を応用、ヒトと遜色ないコミュニケーション能力を備えた“彼ら”は、人手不足にあえぐ時空管理局のまさに天の助けとなった。
 現在、二千体を越える機械の隣人たちが、地上本部や本局にて日夜を問わず人々の未来のために働いている。

 なお、特にゴタゴタもなくマシンサーヴァントが受け入れられたことに攸夜は驚いていたりする。インテリジェントデバイスという前例の存在を加味しても、ミッドチルダや管理世界の民度はおおむね高いらしい。
 とはいえ、協力者である“詐術長官”カミーユ・カイムンと“告発者”ファルファルロウを使ってヒューマノイド・ロボットに関係する条文を管理局法にねじ込む作業は忘れていない。人間社会において法定遵守と根回しの大切さは説明するまでもなく、自ら隙を招くような真似はしなかった。

「“教育”の方はどうです?」
『至って順調だ。──まったく、我々をこき使いおって』
「亀の甲より年の功、未来の管理局を担う“人材”を自らの手で育てられるんです。本望でしょう?」

 マシンサーヴァント、そして、未だ完成を見ない“上位機種”の基礎人工知能の教育は、評議会と管理局魔導師が保有するインテリジェントデバイスのコピーデータが担当していた。
 任務の内容に合わせて最適化された知識はもちろん、道徳や一般教養、人間関係を円滑に進める術を学ぶ。そして、規格化生産された“身体”にデータを移植することで“彼ら”は生まれ、その後、それぞれが経験を積み、それぞれの個性を得ることになる。

「それから、無限書庫の“秘密侯爵”リオン・グンタより“ギャラクシアンライナー”建造を要請する上申が」
「……あの鉄子め。銀河鉄道でもSDFでも、落ち着いたら好きなだけ作ってやるから大人しくしとけと伝えておけ」
「了解しました。では続いて、教導隊で試験運用中のガンナーズブルームおよびウィッチブレードについてですが──」

 会議は続く。
 この後、報告に基づいて今後の方針の決定や、遂行中の計画の微修正などが話し合われるのだが、管理局全体の運営について攸夜は完全にノータッチ。口出しは基本的にしない。
 それは門外漢だからというより、必要がないからだ。最高評議会には長い間、時空管理局の巨体をある程度維持してきた実績がある。よほどのことがない限り、下策は打たない。
 実際、攸夜は最高評議会をお人好し集団だと見抜いていた。切羽詰まれば手段を選ばないだろうが、必要に迫らなければ間違った道は取らないだろうと。


 ──攸夜にとって、ここにある“遺物”たちは合従連衡の間柄であるものの、同時にいつでも蹴散らせる路傍の石でしかない。そうしないのは、利用するに足りる価値があるから、というのは建前で、単にその後に起こるであろう混乱の処理が面倒なだけ、眼中にないだけだ。黄河は水溜まりを叱らないのである。
 最高評議会が真っ黒なのは攸夜も重々承知している。だが正直、彼らが人体実験をしようが何をしようが知ったことではない。それで“世界”がよりよくなるのなら、嫌悪しつつも賞賛するだろう──身内に被害が出ない限りは。
 フェイトに述べた「命を冒涜する真似は嫌い」とは所詮その程度の、信念とも呼べない張りぼてだった。

 最大多数の最大幸福──それが人間社会の正しいあり方、最良の理論だと。肝心なのは、幸福の範囲を最大限にまで広げる努力と、こぼれ落ちてしまう人々を救う仕組みを作ること、それを“みんな”で維持することだと攸夜は考えていた。「独りでは何も出来ない」──この言葉は、その考え方を象徴している。
 以前、反目する攸夜とクロノについてユーノがフェイトに語ったことがある。「ユウヤは“自由”と“混沌”」の人だ、と。
 確かに、攸夜本人の性格にそういった要素があることは否定できない。しかしながら、本質的に宝穣 攸夜という“人間”の思想は、“管理”と“統制”──最も正しく、最も賢い、統べるに値する能力と意志を持った指導者によって統治・管理された世界こそが理想郷である、という独裁者の思想だった。
 ──考えてみてほしい、攸夜は破壊神“シャイマール”のレプリカだ。皇帝カイザー“シャイマール”とはその称号通り、群雄割拠の裏界ファーサイドを圧倒的な力によってまとめ上げ、裏界帝国という国家を造った始祖王を指す言葉である。その王の子を自称し、彼あるいは彼女から知識と記憶を引き継いだ攸夜が、そういった考えに行き着くのは当然の結果だった。
 極端な話、民草が安寧と幸福を得るなら、思想まで統制された完全なる管理社会を肯定しかねない。もっとも、エゴイストな攸夜であるから、自分とその周りが対象になれば断固として拒絶するだろうけれども。
 それでいて、自らが支配するという直接的な行動に走らないのは、世界が一部のイデオロギストのものではないと理解しているからだろう。由らしむべし、知らしむべからず──結局のところ、民衆は自分たちの頭がすげ変わろうとどうでもいいのだ。雨風がしのげる場所と一日の食事、明日へのわずかな希望さえあるのならば。


 ────あるいは。


 すでに攸夜は“世界”を手にしているからなのかもしれない。

 フェイトの傍らという、彼だけの、なにものにも代え難い“世界”を。



[8913] 番外編 さんのさん
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/11/26 21:05
 


 夕刻────

 各地方から首都クラナガンへと出発した列車が集う鉄道の中心地、巨大ターミナルビル。ここに停車する様々な列車目当てに、某魔王が毎日通っているとかいないとか。

 そんな駅前。

 おなじみ黒い制服姿のフェイトと並ぶ、桃色の髪と同じ色のワンピースと白いブラウスでおめかしした七、八歳くらいの少女──キャロ・ル・ルシエは、刻々と高まる緊張に身を強ばらせていた。
 抱えたバスケットから顔を出した銀色の仔竜フリードリヒが「きゅる、きゅるる〜?」と心配そうに見上げているが、それにすら気がついていない。

(うぅ〜、どうしよう……)

 手はじっとりと汗ばむ。ストレスを原因とする生理的反応が、彼女の精神状況を如実に表していた。

「キャロ、どうしたの? おなかすいた? あ、もしかしてお手洗い、とか……?」

 そんなキャロの様子を怪訝に思ったフェイトが膝を折りつつ、顔を覗く。
 執務官制服のままなのは、仕事を早めに切り上げたその足で、キャロがお世話になっている地方の保護施設まで迎えに行ったためだ。

「ぁ……、だ、だいじょうぶです、フェイトさん」
「そう……?」

 腑に落ちない顔をしているフェイトに曖昧な笑みを返して、キャロは抱えたバスケットをギュッと抱きしめた。
 ──彼女がこれほど緊迫している原因は、これから会う予定のとある男。窮状から救ってくれ、今は強く信頼し尊敬するフェイトから、人となりや馴れ初めをのろけ混じりに聞かされているけれども、まだ見ぬ男性との対面に不安は膨らむばかり。今よりも幼い頃、とある事情から住んでいた里を放逐され、それなりに苦労を経験したキャロが見ず知らずの男性に恐怖と警戒を感じるのも、無理からぬことだろう。

「──あっ、ユーヤっ!」

 屈んだままの体勢でキャロを心配そうに見ていたフェイトが、突如立ち上がり、ぶんぶんと大きく手を振った。
 クールで物静かだと思っていた恩人のイメージを、粉々にぶちこわす無邪気さに面食らったキャロ。なんとか復帰した彼女は、フェイトの視線の先を遅ればせながら追いかける。
 やや遠く、鷹揚に手を振り返しながら近づいてくるスーツ姿の青年が見える。遠くからでもわかる特徴的な黒い癖っ毛を、キャロは「ワカメみたい……」と何気なく思う。密かに彼が気にしていること言い当てるあたり、子どもは残酷である。
 青年は、大股歩きで近寄りながら、精悍さと稚気を併せ持った面差しを朗らかに相好を崩した女性にまっすぐ向けていた。

 百七十センチ後半の大柄な男の人の接近に、言い知れないプレッシャーを感じるキャロの横、フェイトは驚くほど綺麗な表情で青年を迎えた。

「時間ピッタリ、だね」
「あんまり待たせるのは悪いから早めに出たんだ」

 それでもギリギリだったけどね、と苦笑混じりに青年が答え、フェイトがくすりと笑みをこぼす。
 短いやりとりだったが、表情や言葉の端々に滲み出る信愛は、聡いとはいえまだ子どものキャロでもわかるほど。

(このひとが、フェイトさんのいちばん大切なひと……)

 まじまじと自分を見上げる桃色の少女の視線に感づいた青年は、片膝をついて目線の高さを合わせた。子どもの扱いを心得ているのだろう、キャロの感じていた圧迫感が弱まる。

「君がキャロだね?」
「は、はいっ」
「そんなに堅くならなくていいよ──フェイトから聞いてるとは思うけど、宝穣 攸夜だ」

 青年──攸夜は微笑から手を差し出す。ひどく優しい、包み込むような声色にわずかにくすぶっていた恐怖心が雪解けのように、ゆっくりとほどけていく。
 恐る恐る、キャロは自分の手の三倍はあろうかという大きな手を握る。柔らかく握り返された手の感触は、とてもゴツゴツとしていて頼りがいがありそうに見えた。

(おっきくて、なんだかあったかい……。これが男の人の手なんだ……)

 キャロの胸中に暖かな安堵感が広がっていく。事前に感じていた不安は、いつの間にかなくなっていた。

「きゃ、キャロ・ル・ルシエです。それからこの子は──」
「きゅるる〜っ」
「──あっ、フリードっ!?」

 籠から抜け出した仔竜が何を思ったか地面に着地すると、白い腹を攸夜に向けて寝そべる。
 それは服従のポーズ。鱗の薄い腹は飛竜種にとっては弱点であり、そこを無防備に見せることは最大限の敬意を相手に示しているのと同意義のこと。初めて会ったひとにこんなことするなんて──愛竜の行動を不思議に思うキャロ。一方、攸夜は、「ほう……」と得心したような顔で目を細める。

「俺の本性がわかるのか。賢いな、お前は」
「ユーヤの本性?」
「昔見たろ、“黒い蛇”。竜種とは遠い親戚みたいなものなんだよ」

 二人の間だけにしか通じない会話。「で、キャロ、この仔の名前は?」ひとり置いてけぼりのキャロに攸夜が問いかける。

「あ、フリードリヒって言います、愛称はフリード。わたしが里を出たあともずっとついてきてくれて……」
「そうか、いい名前だな。──フリード、これからもご主人様をちゃんと護るんだぞ」

 柔らかい腹をくすぐられてフリードリヒが「きゅるるる〜」と気持ちよさそうに喉を振るわせる。そんな、すっかり懐いてしまったその様子が何だかおかしくて。
 くすくす。キャロが控えめな笑い声をこぼす。
 和やかな空気が場に流れ、攸夜とキャロが上手く打ち解けたことに満足して、フェイトがふんわりと微笑んだ。



 二人に連れられて、キャロは市内にある彼らの自宅マンションへ向かった。
 帰宅するなり、攸夜はすぐさま夕食の準備に取りかかる。その際、部屋のあまりの広さにキャロの目が点になったり、妹分にいいところを見せようとしたフェイトが、自分もやると言い出したりと一悶着あったものの、調理は滞りなく進み──

「いただきます」
「「いただきます」」

 キャロとフェイトが並んで、その対面に攸夜という形で白いダイニングテーブルに着く三人。
 事前のリクエスト通り、夕飯のメインは赤いケチャップたっぶりのふわふわとろとろオムライス。それとかぼちゃのポタージュに具だくさんのサラダ。匂いはもちろん、見栄えも美味しい料理にキャロのおなかは我慢しきれず、くきゅーっとかわいらしい悲鳴を上げた。

「あ……」
「くすっ、キャロ、おなかすいちゃったんだね。食べていいよ」
「は、はい……」

 真っ赤になったキャロは微笑むフェイトに促されて、ほかほか湯気を上げる少し小さめのオムライスをアルミのスプーンでそっと崩す。
 黄金に輝く卵とパラッと炒められたチキンライスをすくったキャロはそのまま口に、ぱくり。

「わぁ! おいしい、すごくおいしいです!」

 十年とないキャロの短い、けれども割と激動の人生のなかでも、これほどおいしいものを食べたことはないと断言できる味だった。
 実際、攸夜の料理の腕は一流ホテルのシェフ並だ。食いしん坊なフェイトのために日夜研鑽を重ねた結果である。

「そんなに喜んでくれると、こっちも腕を振るって作った甲斐があるよ」

 心からの感想に、攸夜がゆったりと満足そうに笑む。

「あ、キャロ、グリンピースはちゃんと食べなきゃだめだよ?」
「おっと、君からそんな台詞が聞けるとはね。皿の端にどけてたのはどこのどなたでしたっけ?」
「むっ、それは昔の話でしょ? いまはもう食べれますっ」
「じゃあ納豆は?」
「……あんなの、人間の食べるものじゃないもん」
「フェイトさんって、グリンピースだめだったんですか?」
「──あっ」

 しまった! という顔をするフェイト。しかし、もう遅い。

「そりゃあもう。すごく苦そうな顔をして食べてたよ、食後のデザートにつられてね」
「へー」
「ちょっ、ユーヤ!」
「フェイトさん、ちょっとかわいいですね。意外です」
「だろう? 自慢の彼女なんだ」
「あ、あうぅー」

 お姉さん風を吹かせようとしたフェイトの試みは、一枚上手な攸夜によって脆くも崩れ去り。のみならず、かわいい妹分に昔の恥部を知られてしまう結果に。
 慣れないことはしないに限ることをキャロは覚えた。


 攸夜と同じ量、大盛のオムライスをペロリと平らげたフェイトの健啖ぶりに、価値観の崩壊を感じたり。女の子二人、一緒にお風呂に入ってたくさん話をしたり。
 なお、風呂場で交わした会話は八割がのろけだったという。攸夜はすっごく優しいのだとか、いつも一緒に入浴しているのだとか。

 そして、風呂上がり。
 膝の上にフリードリヒを乗せたキャロの髪をフェイトが優しく拭き、そのフェイトの髪を攸夜が丁寧に乾かす。
 男性にしては、手慣れすぎた手つきの攸夜を不思議に思ったキャロが問うと、ほとんど毎日フェイトの髪をとかしているのだという。
 女性にとって髪は命と同じくらい大事なものだ。同性のキャロから見ても羨ましいほど綺麗な髪をいとも簡単に任せてしまうのは、それだけ信頼していることの証。フェイトさんはユウヤさんのことをとても頼りにしているんだな──キャロは漠然と、そう思った。


「ユウヤさんはなんのお仕事をされてるんですか?」
「そうだな……、管理局員が毎日気持ちよく働ける環境を作る仕事、かな」
「……?」
「つまりね、ヒーローってことだよ、キャロ」
「フェイト、お前な……。とりあえずそれは違うからな?」


「召喚魔法か。珍しいね、こっちの使い手は始めて見たよ」
「そう、みたいですね。故郷ではみんな使っていたから、あんまり実感ないですけど……」
「ふむ、召喚……召喚、か。仕込めばアレを使えるか……?」
「ユーヤ、悪い顔してるよ。なにかか企んでるでしょ?」
「ははは、ソンナコトナイヨ?」


 他愛のない会話を交わしたり、家にあったボードゲームやテレビゲームで──どれもこれもキャロは初めてのものだったが、攸夜は丁寧にレクチャーしてくれた──楽しく、仲良く遊び。当初、遠慮気味にしていたキャロも、いつの間にか無邪気な笑顔をこぼしていた。
 その様子はまるで親子……というよりは、遠路はるばるやって来た姪っ子を遊ばせる若い夫婦といった風情。そう見えたのは残念ながら、本当の意味で“親”になる心構えは二人に──特に、フェイトにはなかったから。
 ──自分を“子ども”としてしか認識できない人間が、誰かの“親”を務めることなどおこがましい。ましてや、未だに“母”の面影を振り切れていない彼女にはなおさらだった。




 □■□■□■




 夜更け、草木も眠る頃。

「キャロはこんなに懐いてくれたのに……」

 遊び疲れて眠ってしまったキャロを膝の上で寝かしつけながら、眉尻を下げたフェイトがぽつりとこぼした。

「どうして、エリオはユーヤと仲良くしてくれないんだろう……」

 さらさらと、桃色の柔らかな髪を撫でる。そんなフェイトの胸中に浮かぶのは赤毛のかわいい弟分のこと。
 こちらに移る直前、攸夜と顔合わせするために会食の場を張り切ってセッティングした。けれども、彼はひどく無愛想な表情で素っ気ない態度をするばかり。平時はとことん鈍いフェイトにもわかるくらいの不機嫌な空気を発して。
 結局会食は微妙な雰囲気のまま終わってしまい、以来、攸夜も自分から会おうとは一切しない。「俺に会っても悪影響しか残さないだろうから」と苦笑いするだけ。
 その攸夜は、フェイトの隣で真剣な顔をして彼女の言葉に受け答える。

「あっちが心を開いてくれなきゃどうにも、な。それはわかるだろ?」
「……うん、でも──」

 フェイトには、どうして素直でいい子なはずの“弟”が攸夜を嫌うのかわからない、わかるはずもない。
 そもそもの“原因”である彼女には。

「まあでも、あの坊やの気持ちもわからないでもないよ。俺も同じ立場なら気に食わないしな」
「……?」

 持って回った意味深な言葉に、フェイトが怪訝な顔で小首を傾げた。攸夜はただ穏やかに微笑み、彼女がキャロにするのと同じように金色の髪を撫で、「いつかフェイトにもわかる時が来るよ」とだけ言うと、フェイトの肩をそっと抱き寄せた。



[8913] 番外編 さんのよん
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/12/06 21:10
 


 クラナガンに住み始めて数ヶ月ほど過ぎた、とある休日。

 生憎の曇り空を望むリビング。
 攸夜は、青いポロシャツにジーンズのラフな姿でソファに寝そべり、のんべんだらりと怠惰で退廃的な一日を過ごしていた。

 日に日に忙しくなっていくフェイトが取れた久々の休み。まとまった休暇が取れたならば念願の旅行に出かけたのだろうが、取れたのはたったの一日だけ。さらに午後から土砂降り雨の天気になるのではデートすることもできない。
 しかし、フェイトと一緒に居られる機会をみすみす逃す攸夜ではない。本当なら今日も予定で詰まっていたところを、ほとんど力業のごり押しで無理矢理に空白を作り出したのだった。
 フェイトの仕事を最大限以上尊重しつつ、フェイトを最大限以上愛でるのが彼のポリシーである。


 とととっ。不意な足音。
 今、この家にいるのは攸夜以外にはフェイトだけ。当然この物音は彼女ものだ。
 ──それにしては足音の間隔が小さすぎるような気もするけど、と攸夜は不思議に思う。

「ユーヤ、ね、ちょっと見て」

 どこか弾んだ声色。いつもより高いソプラノを怪訝に思いつつ、攸夜が笑顔でのそりと上体を起こす。

「なんだなんだ。何か楽しいことでもあったの、か……?」

 笑顔のまま、固まる攸夜。
 彼の目の前に居たのは可憐な金色の妖精。
 思い出深い桜色のリボンで金髪を結い上げ、懐かしい白いワンピース風の制服を纏う、いたいけな女の子が慎ましやかに立っていた。

「ちょっ、おま……っ!? 何やってんすか、フェイトさんっ!?」
「えと、どう……かな」

 スカートの裾をつまみ上げた妖精が、おずおずと問いかける。小首を傾げ、瞳は潤んで上目遣い。
 ずぎゃーん。攸夜の心臓をガンナーズブルームの弾丸が撃ち抜く。破壊力抜群のロリっこにメロメロだった。
 ちなみに、攸夜は年上のおねーさんが好みだったりする。

「か、かわいいけど! すごいかわいいけど! めちゃめちゃかわいいけどっ!!」
「えへへ……、ありがと」

 あまりのことに興奮しすぎて妙なテンションでほめちぎる攸夜。引くどころか、気合いの入った賞賛の嵐に頬を薔薇色に染めてもじもじ恥じらうフェイト。
 似た者同士、とてもアレな二人だった。

「──で、魔法使ってるのはわかるけど。急にどうしたのさ」
「うん。ちょっとクローゼットを片づけてたらこの制服が出てきて……」
「懐かしくてつい着てしまった、と」
「うん」

 ひょいとソファを乗り越え、はにかむ小さな女の子に近寄る攸夜。そんな彼を見上げるフェイトは、ユーヤってこんなにおっきかったんだ、と不思議な感慨で平べったい胸の内を満たす。
 他方、じゃあ中身は生か……、などと品のないことを考える攸夜は、片膝を突いてフェイトと目線を合わせる。
 サラサラと艶めく金色の髪、真っ白に透き通る白雪の肌、大粒の宝石のようにつぶらな瞳。まるでビスクドールのごとく整った目鼻立ちは、遠い記憶に刻まれた鮮烈な姿のまま──いや、思い出補正が入りに入って、攸夜には神々しく光り輝くように見えた。

「しかし、クオリティ高いな。ほっぺぷにぷだし」

 少し落ち着いた様子の攸夜が感心しきりに言う。指先で、みずみずしいもち肌をぷにぷにつんつん。
 魔力に対して異常なまでに敏感な攸夜ですら、よく目を凝らして見ないとわからないほど緻密かつ繊細な術式構成。細やかな魔力コントロールが持ち味のフェイトらしい、非の打ち所のない完璧な変身魔法だ。

「んんっ……、うん、お母さん直伝の変身魔法だから。昔のだけど、捜査で使ってるのよりは自分のカラダの方がイメージしやすいし」

 頬をぷにぷにとつつかれながらフェイトは答えた。くすぐったくて身をよじっている。

「リンディさん、そういうのやけに上手いもんな。…………前々から思ってたんだけど、二十歳の子どもが居てあの若さを保っているのはきっと──」
「ユーヤ、それ以上は言っちゃだめ。だめったらだめ」

 フェイトが、まるで見てはいけないものを見たかのように目を虚ろにして、珍しく攸夜の言葉を遮る。数瞬見つめ合い──というか真意を探り、「そうだな。俺、フェイトを残して逝きたくはないし」攸夜は素直に引き下がった。
 世の中、知ってはいけないことと知らない方がいいこともあるのだ。

 最近、稀にだが養母リンディのことを“お母さん”と呼び始めたフェイト。今まで以上にいい親子関係を築けていたのは、無理を重ねて、肩肘張って、背伸びして──フェイトの心に纏わりついた“呪縛”が少しだけほどけて、自然体で居られるようになったからかもしれない。
 こちらに移って以来、フェイトは、ほぼ毎週のように実家へ連絡を入れている。攸夜と同じく、家族をとても大事にする彼女らしいエピソードだろう。──余談だが、つい先日、結婚したばかりの兄嫁エイミィと自分のパートナーについて赤裸々に語り合っているらしい。

「それにしても……」
「……?」

 ジーッと、真剣な表情でちんまりなフェイトを眺める攸夜。どこか熱を帯びた真摯な瞳に、内心ドキドキしていたフェイトが小首をちょこんと傾げると、攸夜は何を思ったか彼女の小さな身体を持ち上げた。有り体に言うと、抱っこだ。

「きゃっ、ゆ、ユーヤ!?」
「いつにも増して軽いね。子どもだからかな、何となく体温も高い気がする」
「こ、子どもじゃないよっ」

 顔から火が出るくらいに恥ずかしがるフェイトの主張は、攸夜の「今は子どもじゃないか」という正論が封殺。反論に窮したフェイトは口を噤む。残念ながら、この姿では説得力の欠片もない。

「うぅー」
「こういうのは嫌?」

 一拍の間。

「……ううん。ちょっと、うれしい」

 消え入るような言葉通り、青いポロシャツの胸元を小さな両手でグッと掴むフェイト。どうせ自分たち以外は居ないんだから建て前を気にする必要ない、と思ったかどうかは定かではないが本格的に攸夜へと擦りつく。

「フェイト、こういうふうにしてもらったことは?」
「あんまり……」
「そっ、か」

 表情をわずかに曇らせたフェイトの心中を案じて、攸夜はそれ以上何も訊かず。ただ優しく背中を撫でるだけだった。

 ジュエルシードの一件のあと、ハラオウンの家に養子に入る前から、フェイトは一個人として意思を尊重されていた。
 その扱い自体は、当時の彼女の事情を鑑みれば当然だが、それまでの生活はスキンシップすら夢のまた夢の荒んだもので──故に、彼女は子ども扱いされた経験がほとんどない。誰かに抱き上げてもらったことなどせいぜい数回、両手の指で足りる程度。
 幼い頃から大人びているのも考え物だな、とフェイトをあやすように抱きながら攸夜は彼女ことを心から不憫に思う。そして、何気なく頭に浮かんだ言葉を口にした。

「俺たちに子どもが出来たら、ちゃんと抱っこしてやろうな」

 ぴくりと小さい肩が揺れる。

「……うん。そう、だね……」
「フェイト?」

 歯切れの悪い返事。気遣う声色で自分の名を呼ぶ攸夜の探るような眼差しを、曖昧な笑みで見返したフェイトは、唐突に彼の腕の中から逃れて飛び降りる。二本のしっぽとスカートの裾をふわりとなびかせて、ちょんと着地。
 くるりと半回転する仕草はまるでダンスのよう。

「私、もうオトナだよっ」
「だからその格好で言っても説得力ないって」

 ぷくーっとほっぺを膨らましたちいさなお姫様に、攸夜はわずかに苦笑した。




 □■□■□■




 晴れていれば、クラナガンの近未来的なビル群が一望できる見晴らしのいい広々とした窓。しかし今そこから見えるのは真っ黒に濁った空と、荒れ狂う風、叩きつけるように降り注ぐ雨だけだ。
 切れ間のない雨音が室内に響く。

 子どもの姿がよほどお気に召したのか、フェイトはそのままの格好でソファにちょこんと腰掛け、テレビをぼんやりと眺めている。テーブルの上の半分に欠けたレアチーズケーキと白い湯気を立てるティーカップがどこか寂しげで、雨の日の鬱々とした雰囲気を助長していた。

 テレビの液晶画面に映るのは、とある管理世界の雄大で美しいフィヨルド。「THE次元世界遺産」という題名通り、管理世界各地の遺跡や景観、自然などをさる大企業の協力の下、高画質の映像で紹介するネイチャー番組だ。旅行好きを自他ともに認める攸夜のお気に入りで、この番組のことを知った際、「ミッドチルダにもこういう番組があったのかっ!」と興奮していたのをフェイトはよく覚えている。はしゃぐ姿がかわいいくて、しっかり脳内フォルダに保存したのはヒミツだ。

 その攸夜はと言えば、後方のキッチンでいつものように夕飯の準備中。初めのうちは「私もやる!」と息巻いていたフェイトだが、最近はそんなこともなく。家事に関して全く太刀打ちできないことを悟ったから。さすがに下着の洗濯ぐらいは恥ずかしいと自分でしていたが。

「……」

 ぼーっと何も考えず、フェイトはただただ座る。
 普段、酷使している頭を休ませるための休息日。たまにはこういうのんびりした日があってもいいかな、と彼女は思う。お世話してくれるユーヤには悪いけど、と生真面目な一面も覗かせて。

 ──とはいえ、だらけるのも度が過ぎれば退屈なもので。

 大好きな攸夜にかまってもらえないフェイトは、現在進行形で手持ち無沙汰。しょうがないので目の前のチーズケーキに手をつけることにした。
 銀色のフォークを手に取り、おもむろにケーキをさくりと一口大にカット、小さな口にゆっくり運ぶ。

 はむ。もぐもぐ。

「ん〜♪」

 へにゃんと擬音が聞こえるくらい相好を崩壊させるフェイト。チーズケーキがよほどおいしかったらしい。
 さらにもう一切れ食べようと、手を伸ばした刹那──
 大きな稲光が轟く。

「ひっ」

 フェイトの手からフォークが滑り落ち、毛の短いカーペットに迎えられた。
 小さな悲鳴に反応した攸夜が料理の手をいったん止め、鷹揚な足取りでキッチンからやってきた。

「フェイト、まだ雷が苦手なのか?」
「ぅ、うん……」

 青いエプロンで手の汚れを拭いつつ、攸夜が涙目で縮こまっているフェイトに近寄る。怯える仕草が子犬みたいでかわいい、と場違いなことを考えながら。

「電撃ビリビリ娘が雷なんぞを怖がるとはね。嵐とか台風とかに大はしゃぎしそうなイメージだったんだけど」
「ゆ、ユーヤっ、私をなんだと思ってるの?」
「ははっ、ごめん。でも不思議だよな、普段から雷は身近だろう? サンダーフォールとかでさ」
「それは、そうなんだけど……。なんていうかね、ゴロゴロって音を聞くと、“母さん”に叱られたときのこと、思い出しちゃって……カラダ、固まっちゃうんだ」

 しゅんと力なく肩を落とし、フェイトはギュッとスカートの裾を握る。幼い相好には強い困惑の色が浮かび、まるで泣き顔のよう。
 複雑な表情で黙する攸夜。フェイトの負った“傷”の深さに思いを巡らせているのかもしれない。

「自分で起こすならだいじょうぶっていうか、戦闘中なら気にならないっていうか──」

 俯いたまま、訥々とフェイトが喋る。その時、濁された言葉を打ち消すようにふたたび雷鳴が轟く。
「ひゃっ!」と悲鳴を上げてフェイトは首を竦めた。ギュッと目は瞑り、両手は耳を塞ぎ。
 優しげに微笑した攸夜は隣に座ると、恐怖に慄くフェイトの脇に手を入れて抱き上げる。違う意味でびっくりする彼女にはかまわず、そのまま膝の間に。

「ほら、俺が一緒にいてやるから。な? これなら恐くないだろ」
「うん……、恐くない」

 攸夜の膝の上にちょんと座らされたフェイトは、背中に感じる大きな温もりに身体を委ねた。怯えて震える小さな手を、甲に血管が浮き出た男性らしい両手が包み込む。

「……ユーヤの手、大きいね」
「そうか?」
「そうだよ……ね、もっと、ギュッとして?」
「ふふっ、甘えんぼさんだなぁ、フェイトは」
「うん、私、甘えんぼさんだもん」

 手をにぎにぎし合いながら、二人で子どもの格好して一緒にデートしよう、と心に決めたフェイトだった。



[8913] 番外編 さんのご
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/11/26 21:12
 


 複数のコードが床を走り、用途のわからない機械が散乱した薄暗い室内。巨大な強化アクリル製シリンダーの内部、妖しく発光する溶液に浸かった機械の骨格が不気味に浮かぶ。

 ──“第八世界”ファー・ジ・アース。

 米国に本社を置き、ガンナーズブルームを初めとするウィザード向けの商品を開発、および販売を行う一大企業“アンブラ”。その極東支部に属するとあるラボ。

 姿を九歳の頃に変え、黒い学ラン風の制服を纏った攸夜が、デスクチェアに深く腰掛ける妙齢の女と向き合っていた。

「亜門女史、それが?」

 彼女の服装は奇妙だ。
 大胆に胸元の開いた赤い袴の巫女装束の上に、丈の長い白衣を羽織っている。不揃いな前髪がかかったツーポイントフレームの眼鏡と合わせて、どこか放蕩とした印象を醸し出していた。
 化粧っ気はまったくないがとても美しい女性で、「ちゃんとしたらモデルみたいになるんじゃないかと思える美貌」とは某女性が苦手な純朴少年の言葉。実の妹いわく「いわゆる変態さんやもん」とのことだが。

「そのとおりや。君からの依頼通り仕上がっとると保証する」

 女が顎を軽くしゃくり「なんなら確認してみたらええ」と、すぐ側に鎮座する白い洋風の棺を示した。
 真っ白の塗料で塗装された約二メートルほどの厳めしい外観のそれは、薄暗い室内の雰囲気と相まってどこか妖しい。攸夜は片膝を突くと重々しい蓋を開き、その中身を睥睨する。
 数瞬の後、立ち上がった攸夜の表情は満足げだった。

「確かに。どうもありがとう」
「……」

 ぽかんとあっけにとられた様子の女に攸夜が「何か?」と怪訝な顔で問う。「いやな」苦笑気味に前置きが一つ。

「まさか魔王から礼を言われる日が来るとはなぁ、と感心してしもて」
「誰にでも礼儀正しく、が僕のモットーなんですよ」

 心にもないことを吐きつつ、軽薄に笑う攸夜。女がニヤニヤとシニカルな笑みで応えた。


 今回、攸夜──正確には現し身──がここを訪れたのは、このラボを取り仕切る主にして一流の“陰陽師”、そしてその筋では名の知れた天才“箒”デザイナーでもある女にかねてから依頼していた“モノ”を引き取るためだった。
 こちらでは裏界陣営に属する攸夜。ウィザードである彼女がその依頼を受ける道理など本来はないのだが、所属母体であるアンブラそのものに裏取引を持ちかけることで目的を達した。どちらかといえば搦め手や謀略を得意とする攸夜らしい策だ。
 その取引の内容は単純明快。裏界とミッドチルダの魔法技術の一部を移譲すること。
 “箒”のシェアではトップをひた走るアンブラも異界系の技術には体質上やや弱い。競合他社である“トリニティ”や“オクタヘドロン”はその分野では先んじられている。そんな事情に加えて、ラボ自体にも少なくない資金援助が入れるともなれば受けざるを得ないだろう。実際、移譲された技術で開発された“箒”が、次期主力機トライアルに出展されたという話だ。
 ──もっとも、相手はマッドサイエンティストの気がある天才科学者だ。筋が通れば喜んで引き受けたかも知れないが。

 ちなみに、引き渡される“モノ”には、攸夜の意向で移譲された技術──特に、ミッドチルダ系の魔法科学がふんだんに応用されている。
 そんな無茶な要望に、小難しい専門用語のオンパレードな講釈──と言う名の小言を受け、攸夜がげんなりしたのは完全な余談だ。比較的明るい呪術的、あるいは魔術的な分野ならばともかく、機械音痴の彼にはさっぱりチンプンカンプンで、異星人の言語にしか聞こえなかったという。


「しかし、なんや──」

 白衣の胸ポケットから紙巻き煙草と今時珍しいネジ式の百円ライターを取り出す女。煙草をくわえ、火を点けた。

「相っ変わらずきれーなカオしとるなぁ、君。──なあ、お姉さんとええことしてせぇへん?」

 ぷかり、と紫煙が言葉と一緒に吐き出された。一見、冗談めかしてはいるが、目だけはさりげにマジだ。
 子ども相手にナニ盛ってるんだこの人は、と内心呆れる攸夜だったがそんなことはおくびにも出さない。

「あなたのように綺麗な女性ひとからのお誘いはうれしいですけど、残念ながらそっちは間に合ってるんで」

 天使のような作り笑いで、息を吐くようにおべっかを紡ぎ出す。弁舌と詭弁の芸術家“詐術長官”ほどではないにしろ、口先から生まれてきたような男である。

「ツレへん子やな。間に合っとるって、コレでもおるんか?」

 小指を立てる下品な仕草。攸夜はほとんど脊髄反射で首肯した。たとえ冗談に対してであっても、曖昧な態度でお茶を濁すのは恋人への侮辱だ。優しさと優柔不断は別である。
「ほぉ、なるほどなぁ」女がニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。まるでいい玩具を見つけたかのように。

「んで、ヤったんか?」
「ええ、ヤりましたけど何か?」

 即答で言い放たれた衝撃発言。さしものセクハラ天才陰陽師もこれにはたまらず、希少な間抜け顔を晒す。ぽかんと口が開き、くわえていた煙草が床にぽとりと落ちた。
 再起動を果たした彼女は、床の煙草を拾って月衣にポイッと放り込み、ため息を吐く。

「あかん、あかんわ。そないな受け答えされたら、イジリがいがあらへん。そういう子、うちは嫌いや」
「そう言われましても、本当のことですし。──何でしたら、僕らの夜の生活、事細かに説明して差し上げましょうか?」
「……もうええ、うちが悪かった。その話、興味はあるんやけど、年齢制限的にアウトや」
「それは結構」

 いちいち面白いリアクションを返してくれた某忍者の少年と、目の前の小憎たらしいショタ魔王を脳裏で比べつつ、女は新たに取り出した煙草に火を点ける。
 ぽかりと煙が輪になって消えた。
 精神の均衡を計っているのだろうと、攸夜は黙して一服が終わるのを待つ。彼はその間、はやてが歳食ったらこんな感じになるんだろうな〜、と失礼な想像を巡らせていたりする。

「ま、ええわ。HTBX01AⅡと仕様書にその他諸々、確かに引き渡したで。──機械とは言えうちの大切な娘なんや、大事にせえへんかったらしばいたる、覚えとき」
「ええ、肝に銘じます。礼金の残り半分は後ほど口座に」
「はいはい、よろしゅう」

 早速とばかりに攸夜は数十キロはある棺をふわりと浮遊させる。浮かした棺を引き連れて部屋から辞す寸前、「あ、ところで」攸夜がはたと立ち止まり、振り返った。

「何や、まだあるんか」

 若干煩わしそうな声色で、女が応じる。「さっさと去ね」と言わんばかりだ。

「この娘、言語機能はまともなんでしょうね? 01Aとか01Dみたいに前衛的な喋り方されるのは嫌ですよ、僕」

 ひどく嫌そうに顔をしかめる攸夜。脳裏には、「デス」だの「ざマス」だのが口癖な、キチガイでヘンタイなぽんこつどもの姿が過ぎった。

「それは大丈夫や。たぶん、きっと」
「…………」

 白々しいセリフがほの暗い室内に響く。少しハスキーな声は、どこか虚しく聞こえた。




 □■□■□■




 狭界、アンゼロット城。
 おなじみ、ファー・ジ・アースを一望するバルコニー。

「久しぶりに、顔を出してみれば──」

 この城の本来の主、“真昼の月”アンゼロットは、その華奢な肩を溢れんばかりの怒気で震るわせていた。

「ど・う・し・て! あなたがここにいるのですかっ、シャイマールっっ!!」
「そりゃあ、見ての通りお茶をいただいてるんだけど?」

 下級侵魔なら裸足で裏界に逃げ帰るほどの砲哮。それを柳のように受け流し、泰然と返答するのはもちろん、シャイマールこと宝穣 攸夜。イスに腰掛け、我が物顔で紅茶を嗜むその態度がアンゼロットの神経を一層逆撫でる。
「あ、アンゼロットさん、落ち着いてくださいっ」同席していたエリスが慌てたように青筋を額に立てる彼女をなだめ、頭の上に黒猫らしき何かを乗せたくれはが「そうそう、おいしーよー、このシュークリーム。アンゼロットも食べてみなよ〜」とややズレた感想を述べた。
 なお、“災厄を撒き散らすもの”の一件からエリスらが成長していないように見えるのは、“こちら”と“あちら”の時間の流れが違うからである。

「そうだね、彼女らの言うとおりだ。あまり怒ってばかりだと、ますます小皺が増えるよ?」

 絶妙のタイミングで攸夜がこれでもかと混ぜっ返した。

「ここここ、小皺っ!? 失敬なっ、そんなものありませんっ! わたくしは永遠のじゅうよんさいですわっ!!」

 肩を怒らせて声高に主張する年齢不詳の銀髪美少女。その叫びに、天使が通り過ぎたように場がしんと静まり返る。

「は、はわ……と、ともかくさ、いったん座ったら?」
「そ、そうですわね」

 促され、なぜだかちょっとよそよそしく席に着くアンゼロット。タイミングを見計らったかのように、エリスが「本日のお茶はセイロンティーです」と笑顔でフリップを出す。どうやら打ち合わせをしていたらしい。
 形容しがたい表情を浮かべて、アンゼロットがこめかみを押さえた。

「──で、なぜあなたがここにいるのです? 嘘偽りなく、さっさとおっしゃいなさい」
「いや、ちょっと世間話を」
「そんなはずあるわけっ……えっ、本当に?」

 こくこくと首肯するエリス。くれはが「わりとよく来てるよ〜」と補足した。
 アンゼロットは天を仰いだ。

「わたくしが留守の間に、この宮殿はどうなってしまったのでしょう……」
「大袈裟だね。魔王と守護者代行が会議を持つ時代に何を言っているんだか」
「最近、エミュレイターの事件が多くってね。彼の情報で助かったこともあるんだよ」

 くれはのフォローに、彼女の式神“こねこまた”が「みゅう〜」と鳴き声を上げた。
 訝しげにアンゼロットが攸夜を睨め付ける。本人は、どこ吹く風と薫り高い紅の液体を楽しんでいるが。

 こうしてたびたび現れては、世間話と称してルー以外の魔王が企む策動の情報や、未知の魔道具──その実体は、報償として贈られた次元世界のロストロギアだ──についての詳細を流している攸夜。余計な手出しをしなくても、ウィザードたちは自力で世界の危機を切り抜けるだろうが、タダ同然で恩を売れる機会を逃す彼ではない。
 ──実は、裏界からの攻勢が強くなったのは次元世界にて管理局が捕らえた犯罪者から、死なない程度に搾取した“プラーナ”で裏界が潤い始めたからで、自分がそもそもの原因である。
 壮大なマッチポンプの真実を知るものは少ない。

「で、ですが、エミュレイターとの馴れ合いには感心しませんわっ」
「器が小さいねぇ、手と手を取り合うのはいいことじゃないか。人類皆兄弟、ってね」
「あなたは人類ではないでしょうっ!」
「ははは、ひどいな」

 飄々と、苦笑混じりに肩をすくめる攸夜。“ヒト”として、確固たるアイデンティティを確立している彼にとって、罵倒に近い言葉も「ひどいな」程度にしか感じない。
 他方、密かに眉をしかめたエリスが場を取り繕うように言葉を紡ぐ。

「まあまあ、アンゼロットさん。このシュークリームをみんなで分けて食べましょう、ね?」

 テーブルの中心、山のようにドンと積まれたお菓子の山を示しつつ、エリスが言う。

「……実はわたくし、先ほどから気になっていました。くれはさんのおっしゃるとおり、確かにおいしそうですけれど……」
「攸夜くんの地元で有名なお店のなんだって。おいしいよ〜」
「……守護者代行、本名で呼ぶのはやめてほしいんだけど」
「ええ〜、かわいい名前じゃん。ならあたしのこと、“おねーさん”って呼んだらやめてあげる」
「全力で拒否するっ」

 じゃれる外野を後目に、アンゼロットは恐る恐るシュークリームを手に取りかぶりつく。次の瞬間、「こ、これは……!」つぶらな目をカッと見開いてガツガツ、割と下品にむしゃぶりついた。どうやら相当ストレスを溜めこんでいたようだ。
 その様子に、エリスとくれはは顔を見合わせて苦笑する。攸夜が“守護者”の餌付けに成功した、とほくそ笑んだかどうかは──定かではない。



[8913] 番外編 よんのいち
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/01/06 23:13
 











  番外編 そのよん

  「そして、嵐の前の……」











 地球、海鳴市────

「エイミィ、思ったより元気そうでよかった」
「むしろ元気すぎたような気もしたな。エイミィさんらしいけど」
「ユーヤ、それ、姉さんの前で言っちゃだめだよ?」

 夕焼け子焼けで日が沈む。
 オレンジ色に染まった繁華街を私服姿のフェイトと攸夜が、仲睦まじく歩いていた。

 ひどく幸せそうな雰囲気を発散するフェイトは持ち前の美貌と相まって、道行く人々が思わず振り返るほど魅力を振りまいている。
 その隣を何気なく寄り添う攸夜もさしものもので、どこか浮き世離れした雰囲気を纏わせる彼女に相応しく威風堂々、偉丈夫然としてエスコートしていた。


「それにしても赤ちゃん、ころころしててかわいかったね〜」
「見てるだけでなんか和むよな」
「うん、おさるさんみたいで。ふふっ」

 ──話題に上がるのは、先ほど出会った新しい“家族”のこと。
 忙しい仕事の合間を縫って帰郷した彼らの目的は、つい先日、元気な双子の赤ん坊を生んだばかりのエイミィのお見舞い。面会許可が出たと聞き、すぐさま飛んできた二人は、出産からこっちずっと付き添っていた彼女の夫とは入れ替わりだった。
 市内のとある総合病院の病室で面会したエイミィは、少しやつれていたふうではあったものの、産後の肥立ちは悪くなく母子ともに健康そのもの。見舞いにやってきたフェイトたちを暖かく迎えてくれて、初出産の苦労話などをおおらかにぶっちゃけていた。瞳をキラキラさせ、夢中でその話を聞くフェイトに見惚れて、攸夜はほとんど内容を聞き逃していたが。

 ちなみに。
 出産日から十月十日で逆算すると、結婚式の当日からはみ出ているのだが、そんなことは些末事だ。それが原因で、フェイトの兄に対する評価が絶賛暴落中なのも余談である。


「あ、でも、抱っこするのはちょっと怖かったかも」
「それは俺も思った。赤ん坊を抱くのってかなり気を使うんだよな。
 ただでさえ首が据わってないのに、体温高くて抱いてるうちに汗かくし、思った以上に重いから」
「そうだね、命の重さ……っていうのかな? そういうの、すごく感じた」

 ほんわかした笑顔から一転、フェイトはその整った顔立ちを少しだけ凛々しげに変える。
 夕日が射し込み、わずかに茜色に染まった横顔はとても綺麗で、攸夜は見惚れたように感嘆のため息をもらした。

「私、落としちゃわないかって、すごく緊張しちゃった」

 攸夜の方に視線を上げたフェイトはふたたび相好を崩し、柔らかい笑顔に変えた。

「緊張しすぎでぴーぴー泣かせてたけどな」
「むー……ユーヤだって泣かせちゃってたんだから、お互い様だよ」
「それもそうか」
「そうだよ」

 くすくす。ふたりは顔を見合わせて静かに笑う。笑顔が茜色の空の下に咲き誇った。
 ひとしきり、笑ったあと。

「……」

 フェイトが唐突にその場に立ち止まる。数瞬遅れて歩みを止めた攸夜が振り向いた。

「ねえ、ユーヤ……」

 沈んだように俯いたフェイトの表情は、垂れた前髪が陰になって窺い知れない。
 あからさまに思い詰めた様子を訝しむ攸夜は、努めて優しい声で「どうした、フェイト?」と問い返す。

 立ち止まった二人を、行き交う人々がお構いなしに追い越していく。

「私、ちゃんと“お母さん”になれるの、かな……」

 向かい合う攸夜の服の裾をギュッと握り、顔を上げたフェイトの瞳は涙で潤み、複雑な感情を映してゆらゆらと光彩が乱れる。
 “お母さん”──自分の口にした言葉に、彼女の胸の奥がずきりと痛む。それは鈍く、重たい痛みだった。

「エイミィがね、赤ちゃんにおっぱいあげてるの見て、なんだかすごいなって。こういうのが母親になることなんだなって、ぼんやりとだけどそう思ったんだ。
 大切なひとといろんな気持ちを育んで、新しい命を育んで──私も、あんなふうになりたい、なれたらいいなって……」

「……フェイト」

「でも、ね……、こわいんだ」

 今にも泣き出しそうなほど顔をくしゃくしゃに歪めて、ぐちゃぐちゃになった感情を吐露する。
 まるで助けを求めるように、攸夜を見詰めたままで。

「普通じゃない私が、ちゃんと生まれてない私が、まともなカラダじゃない私が……」

 普段は胸の奥底に封じ込め、抱え続けていた屈折した想いが、鼻声混じりの自虐的な独白となって溢れ出していく。
 歯を食いしばり、苦虫を噛み潰したような表情で攸夜は黙って聞いている。歯の砕けるような鈍い音が喧騒に紛れて溶けていった。

「“母さん”に捨てられた、いらないって捨てられた人形が、母親になる資格なんて──」

「フェイトッ!」

 ついにたまりかねた攸夜は名前を呼び、強く抱き寄せた。抱き締められた小さな肩がびくりと揺れる。
 そのままフェイトが落ち着くのをしばしの間待つ。
 落ち着いたことを確認すると、彼女の耳に唇を寄せて静かにささやく。息が敏感なところに触れて、フェイトの背筋がぞくりと粟立った。

「そんなこと言うもんじゃない。負い目に感じる必要もないよ」
「でも──!」
「君がまともじゃないんなら俺はどうなる? 客観的にはほとんど人間辞めてるんだぞ」

 冗談めかした軽口。フェイトの両肩に手を置いたまま、攸夜はいったん身体を離した。
「あ……」呆然と、小さく呻いたフェイトは自分の失言の意味に気がつき、見る見るうちにその血相を変えた。
 自嘲と冗談を混じえた言葉に込められた意味を感じ取ったフェイトの胸に、先ほどとは違う意味の痛みを走らせる。──彼女はヒトの感情の機微に鈍いわけではない。“感受性が強すぎて”わからないだけなのだから。

「ご、ごめんなさい。私、そんなつもりじゃ──」
「いいよ、わかってるから。謝らないで」

 世界の終わりのような顔で狼狽するフェイトへと、攸夜は自然体で微笑みかける。
 今にも溢れそうなほど涙を湛えたルビーの瞳を覗き込み、真摯な口調で語りかけた。

「君の悩みもよくわかるけど、今は難しく考えなくていいよ。時間が解決する、なんて陳腐なことは言わない──でも大丈夫、フェイトならきっと立派なお母さんになれるって、俺が保証する」

「うん……、ありがとう……」

 今度は自分から攸夜の胸に飛び込んで、フェイトは静かにむせび泣く。どこまでも自分の理解者で──味方でいてくれる攸夜に、今も優しく髪を撫でる最愛の恋人に感謝しながら。

 公共の往来など関係ないと言わんばかりに、いちゃいちゃするふたりだった。




 □■□■□■




 ファミリーレストラン“リンデンバウム”。
 たまには外食を、と少々早めの夕食にやってきたフェイトと攸夜。
 暖かみのある木目調の、割と広々とした店内はそれなりに混み合っている。自分の後輩らしき姿を見つけて、フェイトの頬がほころんだ。
 ──ここは、初めてのデートの時にお昼を食べた思い出の店なのだが、今回の話にはあまり関係がない。

 入店した彼女らに一人のウエイトレスが近づく。この店の店員だろう彼女の服は、かなり特徴的なデザインだ。

「いらっしゃいませー!」

 はきはきした快活な声が響く。赤みがかった茶色いサイドポニーがふわりと揺れた。

「って、あれ、フェイトちゃんに攸夜くん?」
「な、のは……? こんなところでなにしてるの?」

 営業スマイル全開から一転、きょとんととぼけた顔のウエイトレスさん──もとい、なのは。親友との思いもよらぬ遭遇に、びっくり仰天して目をまんまるに見開いたフェイトが尋ねる。

「なにって、ただのアルバイトだよ? 見てのとおり」

 時空管理局を休職して──現状、ほとんど退職状態だが──高校に無事進学したなのは。学業は順調そのもので、その合間に始めたアルバイトもウエイトレスを初めとして、新聞配達やスーパーのレジ打ちなどかなりの数に膨らんでいた。
 当然、彼女は苦学生というわけではない。「なんかじっとしてらんなくて」とは本人の弁で、いくつものアルバイトを掛け持ちする理由は、それ以上でもそれ以下でもないのだろう。汗水かいて働いているうちに、真っ当な方法な誰かの役に立っている実感に楽しくなってきたという理由もあるかもしれない。
 いつでもどこでも全力全開、思いこんだら一途に一直線。攸夜いわく“イノシシ娘”のなのはらしい動機だった。

 その辺りの話はアリサやすずかから聞いていたものの、二人とも実際に彼女が働いている姿を目にするのは初めてである。

「ファミレスで働いてるとは聞いてたけど、ここだったのか」
「うん、このお店の制服ってかわいいでしょ? だから、ね」

 先ほどとは質の違う笑顔で、なのはがスカートの裾をちょんとつまみ上げてみせる。
 彼女の言うとおり、フリルのついた白いシャツと、オレンジ色のツナギ風フレアスカートがかわいらしい、ひどく凝ったデザインの制服だ。
「なのは、すごく似合ってるよ。うん、かわいいっ」と諸手を上げて賞賛するフェイトに、「ありがと、フェイトちゃん」なのはが頬を染めてはにかむ。そして、ミーハーな動機に呆れた攸夜が半眼で「おいコラ」とツッコんだ。

「じょ、冗談だよ〜、にゃ、にゃははは……。……。お、お二人様ですねー、こちらへどーぞー」

 旗色が悪くなり、なのはがたらりと額に汗を浮かべて白々しく接客モードに戻る。どうも冗談というわけではなかったらしい。
 白い目から逃げるようにしてツカツカと歩いていくなのはに、顔を見合わせたフェイトと攸夜は揃って小さく吹き出した。


 窓際の席に案内された二人。
 テキパキ、なのはがお冷やのグラスやスプーンなどの小さな食器が入った籠を、次々テーブルに並べていく。
 その堂に入った手際のよい仕事っぷりに攸夜が感心したように目を細める。フェイトも目を見張って親友の働く姿を興味深そうに眺めていた。

「接客、やけに手慣れてるな」
「うん、びっくりしたよ」
「えへへ、まーね。ここけっこう長いし、ウチでお手伝いとかしたこともあるから。
 あ、当店のおすすめはこちらのハンバーグステーキになってます。お得なセットメニューなどいかがでしょう?」

 ふてぶてしく、メニューを示して営業トークを始めるなのは。

((ちゃっかりしてるなぁ……))

 フェイトと攸夜がまったく同時にまったく同じことを思い浮かべた。驚異のシンクロニシティである。

「そうだな……、なら俺はそのおすすめとやらをもらおうか。Bセットのライスとスープをつけてくれ」
「あ、じゃあ私もいっしょで。セットはサラダとパンかな」
「ついでにミックスピザと温玉ドリア、海の幸のスープパスタとサイドメニューからフライドポテトの盛り合わせも追加しといて」
「食後のデザートはえと、うーんと……」

 サクサク注文する相方とは正反対に、フェイトは優柔不断にうんうん唸って大いに悩む。
 フェイトちゃんもあいかわらずね、となのはが苦笑。攸夜はそんなカノジョを楽しそうに愛でている。

「うん、白玉あんみつとハニートーストにしよっと。ユーヤは、このスペシャルジャンボチョコレートサンデーでいいよね?」
「おうとも。ドンとこいだ」

「か、かしこまりました〜」

 矢継ぎ早に告げられた注文にかなり引き気味のなのはは、わずかにどもって返答した。食いしんぼさんだぁ、と食欲旺盛な親友たちに内心で呆れつつ、端末のタッチキーに注文を入力していく。
「じゃあ、お願いしてくるからちょっと待っててね。お飲み物はあちらのドリンクバーでどうぞ」と、非の打ち所のない笑顔と九十度のお辞儀を残してバックヤードに帰っていった。

「……炎のアルバイターなのはさんだな」

 仕事もきっちり忘れずに、颯爽と去っていったなのはの後ろ姿を眺めながら、攸夜が微妙に笑ってぽつりと呟く。

「なぁに、それ。くすっ」

 くすくす、ころころ。
 おかしそうに笑い声をこぼすフェイトは、密かに心配していた大親友の生き生きとした姿に、ほっと胸をなで下ろした。



[8913] 番外編 よんのに
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/12/10 21:14
 


 蒼白い光を放つ魔力の塊が、ぼんやりと辺りの光景を映し出す。そこは薄暗い、ひどく古びた石造りの通路だった。
 高さ四メートル、横幅三メートルほどのやや下り坂になっている通路には、開放感など微塵もなく。あるのは一抹の不安と多大な閉塞感──不透明で一寸先も見えない視界に似た暗い不安を孕む。

 ──ここは遺跡。

 打ち捨てられ、忘れ去られた過去の残滓だ。


「……」

 魔力の光源を頼りに、探検家風の格好をした青年が進んでいく。頑丈そうなブーツの靴底が石の床を打つ度に、コツ、コツ、と堅い音が通路に響き渡る。
 時が経つうちに堆積したのだろう、床に降り積もった埃が巻き上がる。特徴的なボサボサの黒い頭髪の中から、薄黄色い体毛のフェレットがひょっこり顔を出した。
 フェレットは、きょろきょろと興味深そうに周囲を見回している。青年──攸夜がしかめっ面で、数十本ほどの髪の毛を束ねて握る小動物に一言注意。

「おいユーノ、髪を引っ張るのはやめろ。禿げるだろ」
「あはは、ごめん。居心地がよくてつい」

 慌てて手を離したフェレット──ユーノは取り繕うように笑いつつ、謝罪する。

 攸夜は今までにも何度か、親友であるユーノの趣味と実益を兼ねたフィールドワークにつき合っていて、今回もここ、第118無人世界でつい最近発見されたばかりの遺跡──通称“銀の腕輪”の調査にやってきた。
 友達付き合いという意味もあるだろうが、さりげに好奇心が強く、旅行や探検が好きな攸夜にとっては娯楽の一つなのかもしれない。
 オトコノコは皆、冒険と浪漫を追い求める生き物なのである。
 ──ちなみに、フェイトは今日も今日とて執務官のお仕事だった。


「でもユウヤ、“禿げる”ってどういう意味?」

 不思議そうにユーノが尋ねる。

「そのままの意味だよ。見ての通り俺の髪は癖が強いから、ちゃんと手入れしないとな」
「そうかなぁ、気にしすぎだと思うけど」
「ばっか、お前……! 禿げ上がったら悲惨だろうが、いろいろ」

 やけに力の入った様子で力説する攸夜に、ユーノが若干引きつり気味で「そ、そうなんだ……」と曖昧に同意する。
 ドキドキすると女の子になってしまう因果な体質の某先輩に、「なんかウチの爺ちゃんの若い頃に似てるな、お前の髪型」と言われて以来、そんな予兆など微塵もないにも関わらずかなり過敏になっている攸夜だった。

「それはそうとユウヤ、あまり気を抜かないでね。今、僕らがいるのは、スクライアの調査隊が何度も足を踏み入れては撃退されてるエリアなんだから」

 気おとりなおしたユーノは、声のトーンを落とし、軽く言い咎める。今はフェレットの姿であるから余人にはわからないが、きっと彼は真剣な表情をしているのだろう。

 ──ユーノの古巣、ファミリーネームにもしている“スクライア一族”は、遺跡発掘を生業として次元世界を渡り歩くさすらいの一族だ。
 その彼らが発見したこの“銀の腕輪”遺跡は、最新の器機を用いて行われた事前の調査の結果、地下に大きく延びる三層構造であることが判明している。

 最上部、地表に出ている朽ち果てたモニュメント群と礼拝堂らしき跡地。
 中層部、迷宮のように入り組んだ遺跡らしい、古びた石造りのエリア。
 そして最深部、他の二層とはまったく違う材質で造られた、全容を見せない遺跡の中枢。

 現在、攸夜たちが居る中層部は、各所に仕掛けられたトラップが未だ生きており、先んじて潜った調査団の侵入を幾度となく阻んでいた。

 発掘のエキスパートであるスクライアの調査団もお手上げで、“無限書庫”司書長にして名の知れた考古学者であるユーノにお鉢が回ってきたわけなのだが、つまりそれだけこの遺跡の攻略が難物だということだ。
 その辺りの事情を鑑みれば、ユーノの心配も無理からぬことだろう。
 しかし、攸夜は彼の気持ちを知ってか知らずか、余裕綽々で鼻を鳴らして冗談めかす。

「安心したまえよ、ユーノ君。こう見えて俺はダンジョンアタックの達人! 君らとは年期が違うというところを見せてあげよう」
「なにバカなこと言ってるのさ、いつものことだけど」

 当てつけのような物言いはどこか楽しげで。攸夜はぶすっとした顔で「一言多いんだよ」と呟き、足を踏み出す。
 すると踏み出した足がガクンと“沈んだ”。

「え?」
「あ」

 ガコン。
 乾いた音が通路に鳴り響く。
 足元を見れば、攸夜の左足が床の一部を踏み抜いている。──有り体に言えばスイッチを押していた。

 ──ゴゴゴゴゴゴ…………

 ややあって、遠くの方から何やら腹の底に響くような重低音が、だんだんと大きく、大きくなって耳朶を打つ。それはそれは不吉な音だった。

「これ、は……」表情筋をひくひくと引きつらせる攸夜。
「やばい、かも」ユーノが乾いた声で、言葉を引き継ぐ。

 背後から、ぬうっと通路を埋め尽くすほど巨大な鉄球がゴロゴロ、ゴロゴロと二人に向かって転がってくる。

「なんて古典っ、気分はジョーンズ博士だなっ!」
「冗談言ってる場合っ!?」

 ユーノのツッコミと同時に攸夜は踵を返し、その健脚を持って鉄球から一目散に逃げ去る。まるで見事な三十六計だった。

 その後も、ちょっと歩けば落とし穴、壁に手を突けば槍が出て。石弓、毒針、火砲に地雷、水責めのオマケ付き。行き止まりに迷い込むことなどざらで、入った部屋が吊り天井で押しつぶされそうになったのは一度や二度ではない。
 あたかも狙いすましたかのようにトラップへ引っかかっていく親友の、無意味に漢らしい有様に、ちゃっかり自分だけはガードしていたユーノは「どこがダンジョンアタックの達人なのさ……」と虚しい感想をこぼした。



 罠に嵌り続けてボロボロの攸夜は、デモニックブルーム──フェイトに刀身を断ち斬られたものとは別に、新しく買い直した──を杖に代わりにして、大きく開けた広場に辿り着いた。
 不思議な淡い光が降り注ぐそこはまるで憩いの場所のようだ。

 ドシャッ、と盛大に倒れ伏した攸夜の頭の上からフェレットがぴょんと飛び降りて、てててっと少しばかり離れていく。
 翠緑の魔力光が溢れ、光の中から現れるのは紅顔の美少年。変身魔法を解いたユーノは、呆れたような表情で攸夜を見下ろした。

「ユウヤ、遊んでないでお昼にしない? ちょうどいい頃合いだし」

 決して力尽きた親友にかけるようなセリフではない。
 が、その親友は、腕の力だけで身体を起こして立ち上がると「だな。俺も運動して腹減ったよ」と何事もなかったかのようにうそぶいた。
 はぁ、とユーノが諦観して嘆息してもしかないだろう。彼の親友は世にもはばかる破天荒である。

「……相変わらず、理不尽なまでにタフだね」
「そんなに誉めるなよ、照れるじゃないか」
「誉めてないってば」



 大理石に似た材質の床にレジャーシートを敷き、休憩と腹ごなし。食料は当然の例によって例のごとく、攸夜の手作りである。
 美味しそうに食事するユーノに目を細めた攸夜は、ふとあることを思い出す。それは人づてに聞いたユーノに関する噂。
 割と気になっていたので真偽を本人に尋ねてみることにした。

「なあユーノ……、なのはと喧嘩したって本当か?」
「う、うん……」

 サンドイッチをはんでいたユーノが、食べる手を止めて俯き加減で首肯する。

「理由は?」
「他の女の子とメールしてたのを見つかって──」
「なん……だと……!? ユーノ君に二股をする甲斐性があったなんて、お兄さんびっくりだ〜」
「ち、違うってば! ただの文通相手だよっ。大体、別になのはとつき合ってるわけじゃないんだから」

 慌てて訂正するユーノ。余計な照れ隠しに眉をしかめた攸夜には気付かず、子細の説明を始めた。

「ユウヤも知ってると思うけど、前に女の子を庇って入院したことがあるじゃない? その子に懐かれちゃってね。退院した後もちょくちょくメールのやりとりをしてたんだ」

 古傷がずきりと疼いたが、攸夜は何食わぬ顔で親友の話に耳を傾ける。彼の面の皮は分厚い。

「“ユーノさんみたいに誰かを助けられるヒトになりたいんです”って、管理局入りを希望してるらしいんだよね。何かちょっとズレてるような気もするけど」
「ほう、なるほどね。リンカーコア持ちなのか、その娘は」
「いや、そうでもないみたい。ほら今、魔導師以外の武装隊員をリクルートしてるでしょ? それに応募するつもりだって本人から聞いたよ。
 ──で、いろいろと相談を受けてたんだけど、そのことを知ったなのはに何だかものすごい剣幕で問い詰められたんだ。僕も頭にきちゃって、後は売り言葉に買い言葉……ってわけだよ」

 詰問された理由がわからず、しきりに首を傾げるユーノ。そりゃどう見ても嫉妬だろう……、と攸夜は友人の鈍さに呆れ果てた。

 時空管理局では兼ねてから、リンカーコアのない人間に“箒”など各種装備を持たせて戦力化する計画を推進していた。無論、裏で糸を引いているのは攸夜である。
 ガンナーズブルーム──オリジナルとは違い、魔力炉から魔力を取り出して砲撃する──と専用の防具を装備した非魔導師は、一般的なAランク程度の魔導師を単独で制圧することも不可能ではない。
 とはいえ、その領域に到達するには相応の訓練時間とコストがかかる上、同等の装備で身を固めた魔導師には歯が立たないので、現状、魔導師の優位は揺るいでいない──というか、管理局は慢性的な人員不足に悩まされているため、そんなことを気にする暇がないというのが実情だ。

「事情は理解した。俺から言えることはただ一つ、さっさとなのはに頭下げとけ。僕が悪かった、ってな」
「ええっ!? 僕が悪いわけじゃないし……」

 ユーノが不服そうに口を尖らせる。優男に見えて、意外と亭主関白傾向なのかも知れない。
 他方、攸夜は親友の日和見な反応にやれやれと肩をすくめた。

「いいかユーノ。男ってのはな、自分にまったく否がなくても、やましくなくても折れなきゃならない時もあるんだよ。それが男女関係を長続きさせるコツだ」

 知った風な口で諭すものの、ユーノは納得できないと不満そうな顔を崩さない。
 ったく、このボンクラは──口の中だけで呟き、攸夜は目の前の朴念仁にトドメを刺すべく、頭の中で会話を組み立てる。

「なのはがいろいろバイトしてるのは知ってるよな?」
「もちろん。でもそれと今の話と何の関係が──」
「いいから聞けって。アイツは知っての通り、文句なしに飛びっきりの美人だ、俺のフェイトほどじゃないけどな。そんな娘を、世の男共が黙って放っておくと思うかよ」
「ッッ!!」

 挑戦的な言葉の意味するところを理解して、ユーノが目に見えて取り乱す。打てば響くようなリアクションに加虐心を煽られて、攸夜は畳み掛ける。

「男は新規、女は上書きって言うしな。バイト先で知り合ったイケメンになびくってこともなきにしもあらずだ。で、“ねえ……ユーノくん。おとなになるってかなしいことなの……”となると。──ま、俺なら間男なんぞあらゆる意味で抹殺、だがな」
「どどど、どうしようユウヤっ!?」

 物騒な最後の部分をスルーして、思い切り狼狽えるユーノの姿に、攸夜がわずかに苦笑する。やりすぎたかと反省したかどうかは定かではない。

「そんな目に遭う前にしっかり捕まえとけってこと。ただでさえ遠距離なんだからさ。……なのはのこと、好きなんだろ?」
「……たぶん」
「たぶんってのは気に食わないが……、なら話は早い、簡単だ。意地だのなんだの下らないことは捨てて、素直になれよ」

 軽薄な装いから一転、真剣な色が蒼海の瞳に浮かぶ。そこにあるのは、深淵のように深い後悔と焦燥と挫折の記憶だった。

「いつまでも、“今”が続くと思うなよ、ユーノ。──惨めだぜ、好きな娘を遠くから眺めてなきゃいけない男はさ。……情けなくて自分を殺したくなるんだ」

「──実感、こもってるね」

 まあな、と自嘲気味に口元を歪め、攸夜はごまかすように三十センチ級の巨大なおむすびを豪快にかぶりついた。



[8913] 番外編 よんのさん
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/12/21 23:01
 


 休憩は終了。探索が再開された。

 中層とはまったく違う、磨き抜かれた黒い大理石のような材質の通路。外部からの調査で確認された最下層と思われるエリアは、静寂と闇黒に包まれていた。
 遺跡の最奥へと歩を進める探検者二人連れ。深い闇を照らし出す蒼白い魔法の輝きだけを道標に、まだ見ぬ神秘のもとへと邁進する。


「ちょっとした疑問なんだけどさ」
「あん?」

 壁に開いた穴から一定の間隔で突き出す鉄の柱──直径一メートル近くある巨大なものだ──を器用に避けていく攸夜の頭上、フェレットモードのユーノが世間話をするのようなトーンで尋ねる。

「ユウヤたちって、喧嘩したりするの?」
「俺とフェイト? するよ、普通に」

 ひょいひょいと、鉄の柱の下を難なく掻い潜りつつ、攸夜が答える。上層でこれでもかと罠に引っかかっていた無様な姿はどこへやら、執拗な妨害をまるで意に介していない。

「へぇ……何だか意外だ」
「意外ってなにがさ」
「あぁうん、君たちっていつも仲がいいから、喧嘩なんかしなさそうだなって」
「そりゃ喧嘩の一つ二つだってしますよ、俺たち聖人君子じゃないもの。つい最近も目玉焼きに何をかけるかで言い争いになったしな」

「は……?」ユーノの思考が一時停止した。
 不自然な間に攸夜は足を止めて訝しむ。その隙を突いて左側の壁から、侵入者を粉砕しようと野太い鉄の柱が突き出た。
 しかし、仕掛けは哀れ、攸夜の左手が軽々と受け止められて停止する。受け止めた掌は引っ込もうとする柱の頭をがっしり掴んだ。
 堅いものが軋みを上げる音が壁の裏から聞こえる。仕掛けを駆動させている歯車が、行くも戻るもできずに悲鳴を上げているのだろう。

「ご、ゴメン、意味がわからなかったからもう一回言ってくれるかな」

 柱を掴んだままの体勢で、攸夜はため息をこぼす。察しの悪い親友に呆れ顔だ。
 柱を引き抜くように力を込める。ミシミシ、と嫌な音を立てて鋼鉄の塊が根元からへし折れ、無惨にもひしゃげて投げ捨てられた。
 まるで飴細工のような有様だが、この鉄の塊だけで数トンはある代物だ。魔力で肉体活性されているとはいえ、常軌を逸した理不尽な怪力である。

「だから、目玉焼きにかけるのは醤油かケチャップかで喧嘩したんだって。フェイトの奴、何でもかんでもケチャップかけたがるんだよ。ご飯だろうがカレーだろうがお構いなしにドバドバと。
 いや、アイツがケチャップ党なのはよく知ってるし、マナーがなってないとか、俺の味付けが気に入らないのか、なんて器の小さいことは言わないよ?」

 けどさ、一拍の間。
 床から飛び出た回転ノコギリの歯を蹴り砕く。

「目玉焼きにまでかけることないだろ、常識的に考えて」
「そ、そうなんだ……」
「目玉焼きには醤油一択! 半熟トロトロの黄身と醤油をご飯にかけるのがうまいってのに。わかってないんだから」

 らしくなく熱意を込めて同意を求める親友に、微妙な相づちを返したフェレット。それはそれで器が小さいんじゃ……、という彼の呟きは、忙しなく動く仕掛けの音に紛れて消えた。

 進行を再開。
 避けるのが面倒になったのか、攸夜は邪魔するトラップを手当たり次第に粉砕していく。
 どうやらダンジョン攻略ごっこに飽きたらしい。

「それで、どうやってフェイトと仲直りしたの?」
「模擬戦でケリを付けた」
「どうしてこの流れで、そんな物騒な単語が出てくるのさっ!?」

 長い渡り廊下に叫びが響く。眼下には、底が見えない真っ暗な奈落が広がっている。落ちたらただではすまないだろうが、生憎二人は浮遊できるので関係ない。
 そして、行く手を遮るように刃渡り十メートル近くある巨大なギロチンが数基、振り子のようにぶらぶらと揺れている。

「そりゃお前、俺たちにとっては“戦い”が一番のコミュニケーション手段だからだよ。出会った頃からずーっとな」

 喋りながら、攸夜は腕に纏わせた魔法剣でギロチンを易々と斬り伏せていく。
 断ち切られた巨大な振り子が次々に奈落へと落ちていった。

「目玉焼きの件も気が済むまで殴り合ったあと、お互いの食生活を尊重しようねってことになったんだよ」
「……僕、君たちのことがますますわからなくなってきたよ……」
「男女関係は十人十色。ユーノ君、勉強になったね」
「何かいいこと言った気になってるし」

 ユーノは力なく諦観して、がっくりと肩を落とした。



 遺跡最深部。
 ドーム状になった広間に五メートルを越えるほどの大きな扉があった。
 扉を中心にした壁の中、ずんぐりむっくりとした銅製の巨人像が六体埋め込まれている。
 あからさまに怪しいげなレリーフに警戒しつつ、攸夜たちは扉に近づく。
 やはりと言うべきか、想像通りに六体の巨人像が動き出す。機械仕掛けなのだろう、歯車の音が分厚い装甲の隙間から漏れ聞こえた。

「番人、かな」
「だろうな、まったくご丁寧なことで。──ブロンズゴーレムとでも呼べばいいか」
「ユーヤ、独りで倒せる?」
「余裕だね、俺を誰だと思っている? ……まあ一応、サポートよろしく」
「了解、素直じゃないなぁ」

 軽口の応酬は気心の知れた証。当然だ、彼らは“心友”なのだから。

「そんじゃあ、サクッと片づけますか」

 左腕にオリハルコンブレードの蒼い刀刃を纏わせた攸夜は、一息に戦闘速度まで加速。銅の巨人──ブロンズゴーレムの一体に、蒼い“獣”が疾風の速さで肉薄する。頭にしがみついたままのフェレットを気遣って、速度を抑えてはいるものの、愚鈍な巨人ごときに捉えられるものではない。
 ゴーレムは迎え撃つつもりなのか丸太のような腕を振り上げるが、遅い。遅すぎる。
 蒼い閃光が走る。
 分厚い銅で形作られた頑丈なゴーレムはバターのように断ち切られて、上半身と下半身は泣き別れ。轟音を立てて崩れ落ちた。
 ドームに音が反響する中、黒髪の魔王は番人を次々に駆逐していく。その様子は、まさに大人と子ども──いや、これほどまでに一方的では恐竜とアリと言うべきだろうか。まるで戦いになっていない。

 巨人は残り一体──

「ッ!」

 最後のゴーレムが目暗撃ちで繰り出した拳が背後から、一瞬だけ硬直した攸夜に迫る。蒼い眼光が肩口から紛れ当たりを捉え──
 刹那、翠緑の魔法陣が輝き、銅の剛拳を受け止めた。ボサボサ頭に陣取ったユーノの仕業だ。
 障壁に拳を弾かれ、体勢が泳ぐブロンズゴーレム。攸夜はすぐさま跳躍し、絶妙のタイミングで鋭い回し蹴りをその胴体へと叩き込む。
 明らかにオーバーキルな一撃が狙い余さず突き刺さり、銅の巨体はひしゃげつつ大きく吹っ飛んだ。

「──俺たちを止めたいなら、ミスリルゴーレムでも連れてくるんだな」

 着地した攸夜が嘯く。その背後で、銅の塊が爆発四散した。

 ぴょんと、攸夜の頭上から飛び降り、爆散し炎上している残骸を残念そうに眺めているユーノ。古代の機械──すでにスクラップだが──に知的好奇心を刺激されているのだろう。

「さんきゅ、助かった。──ユーノお前、障壁魔法の腕、また上げたんじゃないか?」
「どういたしまして。みんなには……特にユウヤには負けてられないからね。試行錯誤してるんだ、いろいろと」

 男の子らしい対抗心を覗かせる言葉の後に、数瞬の間が広がる。敏感に、空気が変わったことを攸夜は悟った。

「僕、ちゃんと役に立てたのかな……」

 沈痛な響きのする声。親友に対する問いかけに聞こえる言葉はしかし、その実、自分自身に向けた強い疑問だ。
 ユーノは常々、自分の力不足を痛感していた。力が足りなかったから、弱かったからなのはに悲しい思いをさせてしまったのだと自分を責めて。
 デスクワークが専門だからとか、結界魔導師は直接戦闘に向かないからとか。そんなことは関係ない、言い訳だ。
 ただ、大切に想っているひとを悲しませてしまったことが、何よりも悔しい──もともと責任感の強いユーノの葛藤はひどく強いものだった。

「……はぁ」

 ため息のあと、攸夜の口元が笑みの形に変わる。まるでしょうがない奴だなとでも言いたげに。
 そして、

「何言ってんだ。頼りにしてるよ、相棒」

 飾りっけのない真摯な言葉が紡がれた。
 ユーノは息を飲む。
 ほんの短い言葉──彼はそれだけで、救われたような気がした。偽悪家を気取る、本当は情にもろい天の邪鬼の、不器用だけど真っ直ぐな気遣いに。

「……ほら、先行くぞ」
「あっ、ちょ、僕も行くよ!」

 しんみりシリアスになりかけた雰囲気を嫌って、攸夜がずかずかと歩き出す。後から慌てて追うユーノは目敏く見逃さなかった。
 ボサボサの髪に隠れた耳が少し赤みを帯びていたのを。そっけない態度が単なる照れ隠しだということを。



 巨大な扉が開かれる。
 最深部、最も奥の部屋は神殿か祭壇のようになっており、材質不明の石像が七体、まるで佇むように鎮座していた。
 祭壇の中央、両刃の剣を地面に突き立てた、巌のように精悍な顔立ちの男神像。太陽の苛烈さを思わせる戦士の像だ。
 彼のやや左後ろに、両手に杯を持つ薄着のを着た若い女性の像。月のように静かな微笑が美しい。
 その後ろに、花冠をティアラにした若い女性。ハンマーを持ち、髭を蓄えた壮年の男性。角と翼と牙を備え、稲妻を模した槍を持った若い男性の像がそれぞれ続き、そして、竪琴を抱えた恰幅のよい初老の男性と、植物のような髪を持つ壮年の女性を象った像が一番奥に並んでいる。
 神像──そうとしか呼びようのない造形が、そこにあった。

「アーケ、ラ……駄目だ、文字がかすれちゃって読めないや」

 変身魔法を解いた状態で跪き、中央の男性像を調べていたユーノがやや落胆した様子で立ち上がった。

「読めるのか、ユーノ」

 攸夜が手に持ってイジっていた何かを投げ捨てて振り向く。おもしろいもの──金目のものではない──はないかと漁っていたようだ。
 彼が投げ捨てたのは、ボロボロに朽ち果てた一本のクレイモア。護りの加護をかすかに残したそれは、遙か昔にはさぞや立派なマジックアイテムだったことが窺えたものの、朽ちてしまってはその価値もない。
 ほかにあるのもガラクタばかりで、攸夜の眼鏡に適うようなものは何一つなかった。

「うん、一応ね。これでも学者の端くれだから。──このタイプの古代文字の使われた遺跡は、今までにもいくつかの無人世界で発見されてるんだ」

 だた、ここまで綺麗に残っている遺跡は初めてかもしれない──やや興奮気味にユーノは言葉を切る。学者の血が騒いでいるのかもしれない。

「じゃあ、新発見ってわけだ。スクライヤ教授の名が歴史に残るかもな」
「そんな大層なことにはならないと思うよ」

 大げさな言い様に呆れたような笑顔がこぼして、ユーノは部屋をゆっくり見回した。
 在りし日を偲ばせる七体の像はただ、静かにそこに在るだけ。

「──きっと、ここにも僕らの知らない魔法文明があったんだろうね……」

 遠く、この遺跡が作られたであろう頃に思いを馳せる。歴史学を修めるものの性なのだろうか、ユーノの瞳はどこか悲しげだ。
 同じように石像を眺める攸夜が皮肉の笑みで口元を歪めた。

「生者必滅──命あるもの、形あるものはいつか滅びる、か……。悲しいことだな」
「……ユウヤ?」

 いつになく感傷的なセリフを不思議がる声に、「いや、何でもない」と攸夜は首を横に振って曖昧にごまかす。

「転送ポート、さっさと設置しようぜ。上の人ら、首を長くして待ってるだろうからな」
「あ、うん、そうだね」

 いつもの調子に戻った親友に促され、ユーノは外部と行き来できる転送用の魔法陣を設置する作業に取りかかった。
 一抹の違和感を抱えながら。




 なお、ユーノとなのはは無事に仲直りができたそうだ。もっとも謝罪と仲直りに赴く前に、「ヘンなことで怒っちゃってごめんね」となのはの方から先んじられてしまったけれども。
 その顛末を聞いて、攸夜が「……ヘタレめ」とつぶやいたのは割とどうでもいい話である。



[8913] 超☆番外編 起
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/12/21 23:54
 


 ミッドチルダ、首都クラナガン。
 市内のとあるおしゃれなカフェテラスにて。

 珍しく休日が揃ったフェイト、なのは、はやての三人娘が私服姿でテーブルを囲み、仲良くお茶をしていた。
 積もる話で友誼を深める。少女らしい溌剌な笑顔とともに。

 なのは以外がミッドチルダに移り住み、離ればなれになってしまっても彼女たちの友情に何ら損なうことはない。むしろその結束は一層深まっていると言えるだろう。
 距離を置いてみて、初めて見えるものもあるはずだから。

「なぁなぁ、フェイトちゃん。前から気になってたことがあるんやけど」

 カップ半分ほどの紅茶をティースプーンでかき混ぜながら、はやてが唐突に尋ねる。

「ふぇ? んっく──なに? 気になってたことって」

 頬ばったアップルパイを飲み込んで、小首を傾げつつ応じるフェイト。口の端にドーナツの欠片をくっつけたまま、きょとんとする。
 ちなみに、かけらは横からなのはがひょいぱくと食べてしまった。

「あんな、ぶっちゃけた話、攸夜君との“初めて”はどんなだったん?」

 しんと、その場が静まり返る。
 数瞬の空白の後──
 ボンッ! 抽象的な言葉の意味をようやく理解したフェイトが、そんな音が聞こえるくらいに急速沸騰。

「ははは、はじめっ、〜〜っっ!?」

 絶句。耳まで真っ赤に染めて狼狽える。“オトナ”になってもフェイトはフェイトだった。

「それは、その……は、はやて、変なこと聞かないでっ」
「そない恥ずかしがらんでもええんやで? ただ、ちぃとばかし教えてくれれるだけでええんやから」

 ニヤニヤ、人の悪い笑みなちびだぬきの追求は止まらない。声を潜め、恥ずかしがり屋の親友に耳打ちするように言う。

「いつ、どこで、どんなふうに捧げたんか……どうやって私らより先に“オンナ”になったか、な」
「っ、そんなストレートな言い方しないでってば。恥ずかしいものは恥ずかしいの」

 澄ました顔で問い詰めるはやて。羞恥に顔を染めるフェイト。
 お茶を飲みつつ、状況の推移を見守っていたなのはには、ぐんぐんボルテージを上げるフェイトの周囲で、温度が一度上昇したような気がした。

「実はそれ、私も知りたかったんだよね。ねぇねぇフェイトちゃん、そこんところどうなの?」

 カップをソーサーに戻し、なのはが絶妙のタイミングで会話に参加した。
 言葉通り、好奇心に駆られだけなのだろうが、フェイトにとっては最後通告と同じこと。
 何せなのはは格別な友だち、お願いされたら嫌というわけにはいかないからだ。

「いや、あの……あのね? その、そういうことは他の人に話すようなことじゃないっていうか、私だけの思い出にしときたいっていうか──」

 それでも躊躇う。話しがたい。

「ケチケチせんと、しょーじきに白状せぇや。ほれほれ〜」
「きゃっ! わ、脇をくすぐるのやめて〜」
「はやてちゃんの言うとおりだよー。洗いざらい話しちゃえば楽になるよ? こちょこちょ〜」
「ひゃっ、あんっ! んっ、なのはまでっ!? だ、ダメぇ、ダメだよ〜っ! くすぐったっ、へ、変なところさわらないで〜〜っ!?」

 じゃれ合いはじめた三人。ヒトには聞かせられないちょっとアレな悲鳴が上がる。
 野次馬根性丸出しで迫る親友たちの攻勢に、進退窮まったフェイトはその場しのぎは通用しないと観念した。

「わ、わかった、わかったからちょっと待って!」

 途端、フェイトを責め立てていた手は止まり、代わりにわくわくでキラキラな視線が飛んでくる。
 人に話すのは遠慮したい事柄だけど、親友二人と共有するくらいならいいかもしれない。そんなふうに無理矢理妥協したフェイトは、「もう、ふたりとも強引なんだから……」と呆れた表情を浮かべて口を開いた。

「──それはね、」

 ──紡がれた声色は隠しきれないひたむきな愛しさを帯びて。

「ユーヤが帰ってきて初めてのクリスマスのことだったんだ────」










   魔法大戦リリカルなのはwizards
     〜Magical war fair of the Satan and Pluto〜


  超☆番外編

  「クリスマスキャロルをあなたに」












 それは十二月になってすぐの、ある日のこと。

 ジュエルシードを探索していたころと同じ、だけどまったく違うあたたかな家。
 広いガラス窓から見える夜景は、イルミネーションの青白い光がきらきらしていてとてもキレイ。クリスマスはもうすぐそこまでやってきている。……すこし、憂鬱だ。

「はむ……、ん〜♪」

 お風呂あがりの私。お気に入りなレモンイエローのパジャマを着てスツールに座り、牛乳プリンのとろける舌触りを楽しむ。
 ひとくちひとくち味わって、シアワセを噛みしめて。……うん、おいしい。お風呂から上がったあとはこれじゃないと。

「フェイト、痒いところは?」
「ううん、ないよ」

 そんな私の髪を、背後のユーヤが丁寧に拭いてくれている。これが毎日の日課だった。あと、たまにひざまくらで耳掃除とか。……気持ちいいんだけど男女逆だよね、これ。

「そうか。もう少しで終わるから、それまでじっとしてて」
「うん、わかった」

 水分をたっぷり吸った頭髪を、パリッと乾いたタオルが叩くように軽くふれていく。ときどき、ドライヤーから吹き出る温風がうなじに当たって心地いい。

 なのはたちから羨ましがられる私の髪だけど、お手入れはけっこうタイヘン。私だって女の子だから、日々の身だしなみだとか、おしゃれだとか……そういうことにもキチンと気を使ってる、つもりだ。でも、正直に言うと毎日のお手入れがちょっとわずらわしかった。
 だからこうしてユーヤが手伝ってくれると助かるし、うれしい。なにせ私は、ただアイスを食べてるだけでいいんだから。
 まるでお姫さまみたいだと思う。
 ──いっしょにお風呂に入れたら本当はもっとうれしいんだけど、背中の流しっこしたりして。……って、なに考えてるんだ、私っ!

「どうした、フェイト? 耳が赤いよ」
「な、なんでもない、なんでもないよ」
「……ふぅん、まあ、いいけどさ」

 イマイチ納得してなさそうな声を出したあと、髪を乾かす作業に戻るユーヤ。
 ……危なかった、変な女の子だとは思われたくないもんね。


 プリンを食べきるころには、私の髪はすっかり乾いていた。

「さて、今日もいじくるけどいいよね。答えは聞いてないけど」
「うん、ユーヤの好きにしていいよ」
「素直でいいね。ではさっそく」

 すっかり乾いた髪を、ユーヤは鼻歌交じりに櫛でとかしはじめた。絡めて痛めないように、一本一本細やかなタッチで櫛を通していく。
 手際よく甲斐甲斐しくお手入れしてくれるユーヤ。……いつも思うけど、なんだか楽しそうだ。やっぱり私の髪、好きなのかな? 最近はよく撫でてもくれるし。

 とても扱いなれた感じがするのは、きっとルーさんの髪のお手入れをしてたからだと思う。
 ルーさんはユーヤのお姉さんで、私は怖いというか、ちょっと苦手に感じてるひと──“魔王”はみんな苦手──だ。ユーヤとは“姉さん”“攸くん”と呼び合うくらいでとても仲がいい。……すこし妬けちゃうくらいに。
 今も、リビングの方から私たちを見守るみたいに眺めてる。達筆な筆字で「天下太平」と書かれた扇子を使って、はんなりした表情の口元を隠した仕草がなんだか上品で色っぽい。
 余談だけど、ルーさんは普段、次元世界中の美術品を収集して回っているそうだ。

 ──ユーヤとルーさんは、本当は“姉弟”じゃなくて“親子”みたいなものだと聞いてるけど、それ以上込み入ったことについては追求してない。……本音は、知りたいけど、でも、彼のつらそうな顔を見たくないからガマンしてる。


 ユーヤが私の髪をねじねじと編みこみはじめた。
 ねじねじ。ねじねじ。
 昨日は三つ編みだったけど、今日はいったいどんな髪型にするつもりなんだろう……?
 こうやって、髪型をいろいろにいじって遊ばれるのも最近の日課だ。お人形にされてるみたいで実はあんまりいい気分じゃないんだけど、すごく楽しそうなのでガマンしてる。触れてもらうの自体は嫌いじゃないから、苦じゃないし。

 待ってる間は手持ち無沙汰なのでユーヤとおしゃべり。内容は今日の学校のこととか、テレビのこととか。ほんとうにたわいのない会話──だけど、私は幸せだった。こんなに幸せでいいのかな、と不安になっちゃうくらいに。

「ねぇ、ユーヤ」
「なんだ? 改まったりして」
「ふと気になったことなんだけどね。ここのお家賃とか、毎日の生活費っていったいどこから出てるのかなって」

 うっ、とうめく気配。
 肩口から振り返ってみる。視線が合うと、気まずそうな感じで蒼い眼をそらされちゃった。

「実は、だな……」
「うん、じつは?」
「……マフィアだの悪徳政治家だのを潰して回るついでに、溜め込んでたモノをちょーっとばかしちょろまかしてるんだよ」

 へー、そうなんだ。たしかにそれならたくさんお金が入りそうだよね。うん、なっとくした。
 ──って、それっ!

「犯罪、だよね?」
「い、いや、これは“どらまた”由来の由緒正しい、趣味と実益を兼ねた──」
「まさか管理世界でもしてない、よね?」
「…………」
「……してるんだ」

 はぁ、と思わずため息。ガクッと肩は落ちる。
 そんなことじゃないかなぁ、とうすうすは思ってたけど、現実に肯定されちゃうとちょっとショックだ。

「私、いやだからね。ユーヤを捕まえるようなことになるの」

 ここは地球で、私はただの中学生。だからいまのは聞かなかったことにするけど、管理世界での私の身分は仮にも時空管理局執務官、法を預かるのが仕事だ。
 いくら大切なひとでも罪を犯したなら裁かなきゃならないのは当然のこと。……けど、いざそういう場面に直面したとき、感情を殺して職務に当たれるかどうかは正直、自信がない。取り乱して、わけがわからなくなったりするかも知れない、と漠然と感じている私もいる。

「大丈夫、フェイトの立場じゃ俺の尻尾は掴めないよ」
「むーっ、それってどういう意味?」

 あはは、とユーヤは曖昧に笑ってごまかした。
 そんな態度されちゃったら、いろいろ悩んでる私がバカみたいだ。……納得できないなぁ。

 ──あとにルーさんから「これは内緒よ?」と教えてもらった話だけど、お金のほとんどをまるごと慈善団体とか孤児院に寄付しているらしい。ときどき駅前にいる人たちに募金したり、電車でお年寄りに席を譲ったり、道ばたで困ってる人を助けたり──なんだかんだ言っても、結構お人好しなユーヤが大好きだ。


 そうこうしているうちに髪を結うのも終わったみたい。

「んむ、我ながらいい出来だ」

 うなじあたりから三つ編みの髪が二本、伸びてるような感触。
 これって──

「ヴィータ?」
「どっちかって言うとシータだな」
「……天空の城?」
「そうとも。あれは名作だ」
「うん、私も好き」

 この前、テレビでやってて一緒に観たもんね。私はほかにとなりのとか、もののけが好きだ。

「じゃあ、風呂入ってくるから」
「あ、うん。いってらっしゃい」

 立ち上がり、軽く笑いかけてくれたあと、ユーヤはスタスタとお風呂場の方に向かって歩き去ってしまう。
 後ろ姿も颯爽としててかっこいいなぁ……。ただの部屋着なのにすごくサマになってる。

 それはそれとして、もうすぐユーヤのお誕生日。けれど、本人は「クリスマスと一緒でていいよ」と笑うだけ。たしかにクリスマスも近いから、まとめてしまってもいいかもしれない。
 ──でもむしろ私には、ユーヤが誕生日やクリスマスの話題を避けているように思えた。
 ……理由は、わかる。痛いほど、胸が切なくなるほどわかるから、追求はしたくない。私にとってだって古傷、トラウマなんだ。

 だけど……、

「──どうにかしなきゃ、だよね」

 彼の消えていった方に視線を向けたままつぶやく。──右手は無意識に、首もとのネックレスを触わっていた。



[8913] 超☆番外編 承
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/12/22 23:53
 


 私の部屋。
 おこたでアルフと一緒に暖まる──ユーヤは客間だ。私の勉強の邪魔になるからだそうだけど、そんなの気にしなくてもいいのに。
 黄色い花柄のこたつ布団の中はあったかぽかぽか。学校の宿題をしつつ、コンソメ味のポテチをパリパリ。
 人型モードのアルフはうつ伏せで寝ころんで、マンガ雑誌を読んでる。楽しそうに耳がぴくぴく動いてかわいい。

「というわけなんだけど、アルフはどう思う?」
「なんだい、藪から棒に」

 アルフがむくりと上体を起こす。眉毛の間にはしわを寄せて。
 ……あっ、そうか。いくらアルフでも、ちゃんと言葉で説明しないとわからないよね。

「えっとね、つまり、カクカクシカジカでコレコレウンヌンなんだよ」

 ちょっと落ち込みぎみのユーヤをどうやって元気づけてあげたらいいか悩んでる、とアルフに相談してみる。
 どんなに考えても、名案が思いつかない。それもひとえにユーヤが本音を表に出さないから。
 ひとりで悩んでてもラチがあかないから、アルフの意見も聞いてみようと思う。

「ハァ……」

 アルフは天板にひじを突いて、呆れたみたいにため息をつく。
 あ、あれ……? リアクション、おかしいよね?

「……ここ最近、ホント、アイツのことしか喋らないねぇ、フェイトは。まあ、アタシはアンタが幸せならそれで満足だから、あんまりとやかく言いたかないけどさ。ちょっとは自重しなよ、いろいろと。アンタたちが愛し合ってるのはよーくわかってんだから。ノロケは一種の公害だよ?」

 そ、そんなに言わなくても……たしかにそのとおりかもしれない。
 いまもどこかで、私はユーヤを想ってる。いつでもどこでも、24時間、ずーっと彼だけのことばかり想ってる。
 最近はそうでもないけど、ユーヤが帰ってきてすぐのころは仕事も勉強も、なんにも手が付かなかった。──公私はちゃんと切り分けような、とユーヤから釘を刺されちゃうくらいに。
 毎日会っても、一緒にいても、ぜんぜん足りない。そばにいてくれないなんて、そんな寂しさ、我慢できない。

 だって────

「ユーヤは私の世界のすべてなんだから」

「ハイハイ、それももう何度も聞いてるよ。いくらアタシでも耳タコだよ、ったく」

 うう……、今日のアルフはなんだか辛辣だ。
 出番があんまりにもないもんだから、ふてくされちゃったんだろうか。

「で、アイツが元気ないからどうにかしたいんだっけ?」
「あ、うん。そうなんだよ」

 ようやく話題が戻って。
 うーん、とアルフが首を捻ってうなる。
 なんだかんだ言っても、最後は私のために真剣に悩んでくれるアルフ。私はまわりにすごく恵まれてるな、って思う。

「ならいっそ、襲ってみたらどうなんだい?」
「ふぇ……?」

 お、そう……? 強襲する、ってこと?
 首を傾げてみる。アルフがニヤリ。人の悪い笑み。はやての得意技。
 ──あ、なんかいやな予感。

「そりゃあれだ、夜這いだよ、夜這い」

 よばっ、え、えええぇぇーーっ!?
 つつ、つまりユーヤの寝てるところに忍び込んであんなことやこんなことを────
 かあっと、顔が火照る。
 う……っ、お、落ち着けフェイトっ、私は執務官なんだから!
 し、深呼吸深呼吸。
 すー、はー……、すー、はー……。


「そ、そんな、は、は、はしたないこと、できるわけないよ」
「おや、言葉の意味はわかるんだねぇ」

 しどろもどろで言い返すけど、アルフは意地の悪い笑みを崩さない。
 むー、ばかにして。それくらい知ってるよ、私だって、その……み、みだらなこととか想像して悶々としたり、そういうことを夢に見たりもするんだ。

 自分でいうのもヘンだけど、私は思春期まっ盛りの女の子。だから、えっちなことだって人並みには興味がある。すごく、興味がある。彼の部屋に忍び込んで“傾向調査”をするくらいには──なにも見つからなかったけど。
 将来を誓った──わけじゃないけど、未来のことを意識するパートナーがいるならなおさらだ。……普通だよ。うん、普通普通。

「でも……それじゃ、たぶんだめだよ」
「なんでそう思うんだい?」
「だって──」

 それはここ数ヶ月、ことあるごとにアプローチをかけてもぜんぜん手応えがないから。私のやり方もつたないとは思うけど……こんなに空振りだと魅力、ないのかなって不安になる。
 ユーヤは自分のことを快楽主義者だって言ってるけど、本当はモラリストなんじゃないだろうか。たとえばクロノみたいに。

 ともかく、ユーヤはキス以上のことをしてくれない。そりゃあ、ほとんど毎日毎晩、オトナのキスはしてくれるけど……私はずっと、あの夜の“続き”を待ち焦がれてるのに。
 だからすこしでも気を引きたくて、夏の水着は何時間もかけて一生懸命選んだし、秋の学園祭だって見たいと言うから恥ずかしかったけど、精一杯がんばった。
 ──逆に、いつも私のほうがドキドキしっぱなしだったけれども。
 たとえば、練り上げられた鋼みたいなカラダだとか、強い意志を底に秘めた海のような蒼い瞳だとかに。……そう、あの抱きついただけでわかるたくましい逆三角形も、キスするときの私だけを映した瞳も、全部ぜんぶ、私を虜に────

 ……はっ、いけないいけない。なんかぴんくな方向にトリップしてた。
 気を取り直して、アルフに視線を向けると、なぜかくすくす笑っていた。

「なにがおかしいの?」

 なんだかむっとしたので、頬を膨らませて主張しつつ、ジト目を向けてみる。
 アルフは「ゴメンよ」と手を合わせて謝って、「恋する乙女ちゃんやってるフェイトがカワイイと思ってさ」と続けた。

「とりあえず、添い寝から始めてみたらどうだい? アイツ、フェイトには心底甘いから、案外お願いしただけでコロッとオチるかもねぇ」
「そっか……、その手があったんだ。──うん、アルフの言うとおりかもしれない」

 ウジウジ悩んでたってなにもはじまらない、変わらない。行動しなきゃ、“はじめなきゃはじまらない”んだから。
 添い寝、というのはすごく引かれる単語だし……もしかして、もしかしたら、もしかするかもしれない。
 私は、彼に身も心も捧げてる、殺されてもかまわないと本気で思ってる。だから、一線を越えることも辞さない覚悟だってあるのだ、いちおう。

 善は急げとばかりにこたつ布団をめくって立ち上がる。まさに思い立ったが吉日、昔の人はいいことを言う。

「行ってくる!」
「ガンバんな〜。アタシも程々に応援してるからさ」
「うん! ありがとう、アルフっ」

 愛しい使い魔の声援を背中に受けて、部屋を出る。向かうのは、最愛のひとのところ。
 よーし、今夜は決戦だっ!





「で、結果は?」
「……男女七歳にして同衾せずだ、ってこっぴどくお説教された」
「よ、よりによってそれをアイツが言うかね。まあ……その、あれだよ、あんまり焦らずさ、ぼちぼちとやんなよ、ね?」
「……うん」

 とりあえず、お誕生日のお祝いっつてわけじゃないけど、17日にお夕飯を作ってご馳走することからはじめよう。
 ──ぐすん。




 □■□■□■




 12月 24日 

 あいにくホワイトクリスマスとはならなかったこの日。

「はやて、これはどこに飾ればいいの?」
「あー、それな。それはあっちの──」

「アリサちゃん、そんなに乱暴に扱っちゃダメだよ。折り紙なんだからもっと丁寧にやらなきゃ」
「わ、わかってるわよ。すずかもちゃんと手を動かしなさいよね」

「ごめーん、お皿出すの誰か手伝ってー」
「あ、なら私がやるね」
「お願い、フェイトちゃんっ」


 毎年、戦場になる翠屋のお手伝いをみんなでしたあと、そのままの流れで私のウチに集合。クリスマスパーティーの準備を開始した。
 今年のパーティーは、ミッドチルダに引っ越す私とはやてのお別れ会──こういう言い方、好きじゃないけど──もかねていて、何日も前から入念に準備するくらいみんな気合いが入っている。
 もちろん、それは私も同じ。
 これまでこの時期は、いろいろ思うところがあって鬱々としていたから、今年くらい思いっきり楽しむつもりだ。
 ちなみに私たちは、はやて発案ミニスカサンタのコスプレをしている。……丈が短くて、ちょっと恥ずかしい。

 準備の分担についてだけど、プロデュースと総指揮をはやて、クリスマスケーキとかお菓子類をなのは、お店の料理の予約をアリサとすずか。私はユーヤのお手伝いで、一緒にローストチキンとかをいろいろと作った。
 そのユーヤはといえば、予約した食べ物の受け取りに外出中。彼にはカグヤがあるから、たくさんの荷物を運べるので調達係になったんだけど……あの中に、いったいどれだけのものを入れているんだろうか。
 あと、シグナムやヴィータ、ユーノたちは仕事の関係であとから合流。それからお母さんやクロノは一日中不在だ。
 母さんたち、きっと私たちに気を利かせてくれたのだろうけれど、ひとつだけ引っかかることがある。朝、お兄ちゃんが家を出たあとにアルフが言った「今夜はエイミィとヨロシクやるんだろうねぇ」という意味深なセリフだ。あれは、いったいどういう意味だったんだろう?


「んしょ、っと」

 LEDの電飾が巻き付いた二メートルくらいのもみの木に、さまざまな装飾を施す私。
 雪を模した綿や光沢のある赤・青・金の玉飾りはもちろん、レイジングハートっぽい杖のおもちゃや、“ぽんこつ君”と“うしゃぎ”の人形を黙々と飾り付けていく。……この“うしゃぎ”、うさぎではない、らしい。
 制作者のユーヤは「主食はメロンパンとパンケーキ。はわわ〜、おなかすいた〜、と鳴くんだ」と得意げに語ってた。
 ……ときどき彼のことがよくわからなくなる。でも、こういう子どもっぽいところも魅力なんだろうな。かわいいし、いろいろな意味で。

 マルチタスクで分割した思考でそんなことを考えながら、飾り付けを黙々と進める。ユーヤが帰ってくるまでに終わればいいけど。

 ──……むむっ!

 ふと脳裏にある予感がひらめく。こう、ぴきーんって感じで。

 ピンポーン。
 数瞬遅れて、呼び鈴のチャイムが鳴った。

「はーい、いま行きま──」
「いいよ、なのは。私が出るから」
「──そう? うん、フェイトちゃんちだし、そうだよね」

 どこか自己完結したふうのなのはをすり抜けて、玄関へ。
 ……私の家だからという理由で制止したわけじゃない。“彼”を出迎えるのは私じゃなきゃだめなんだ。
 たとえ大親友のなのはでも……ううん、なのはだからこそ譲りたくない。はやては私と立ち位置が違うからたぶんだいじょうぶだし、アリサやすずかはどうがんばっても“ここ”には立てない──けれど、なのはだけは私の居場所を脅かしかねないと常々思ってる。
 もちろん、なのはや彼にそんな気がないのは重々承知してるけど、いやなものはいやだ。理屈じゃ片づけられない。

 扉を開ける。
 寒々とした空気が流れ込んできて、大好きなひとの少し赤らんだ顔に出くわした。
 ほんの一、二時間離れていただけなのに、ユーヤに逢えたことがうれしくて、頬がゆるゆるになる。

「おかえりユーヤ、寒かったでしょう?」
「ただいま。さすがに冬だな、息が真っ白だ」
「ウチのなか、あったかいよ。早く入って?」
「そうする」

 私と会話をしつつ、青と白のスニーカーを脱いだユーヤが部屋にあがる。一緒に脱いだ、フードにおしゃれなファーがついたカーキ色のミリタリーコートを預かる。
 彼の首に巻かれたままの蒼いマフラーは、六年前に私がプレゼントしたもの。それを宝物みたいに大切に使ってくれていることが、すごくうれしい。
 私もきっと、同じように大事に想われてるんだなって思うと、おへそのあたりがきゅんっとした。

「首尾はどうだ?」
「上々、かな」
「そっか。じゃあ、ユーノたちが来るまでちゃっちゃとすませてしまおうか」
「うんっ」

 笑顔を交わして、廊下を一緒に行く。私の定位置、ユーヤの後ろにピッタリついて。──パーティーまで、もうあとすこしだ。



[8913] 超☆番外編 転
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/12/23 23:52
 


 きらびやかにデコレーションされたリビング。てっぺんに星を頂き、ピカピカ光る大きなツリーがとても目立つ。
 ブッシュドノエルやホールサイズの各種ケーキを皮切りに、特上のお寿司のおけ、山ほど積まれたピザの箱、バケツみたいな箱に入ったフライドチキン、こんがり焼けたローストチキン──いっぱいの食べ物が、テーブルの上にところ狭しと用意されている。いい香り、おいしそう……。
 あと、はやての持ってきたシャンパンのビンがたくさん。──なぜかラベルがキレイに剥がされてるけど。

「メリー、クリスマースっ!」

 そんなにぎやかな部屋で、みんなの喚声とグラスが合わさる甲高い音が響く。
 ぷくぷくと泡立つ黄金色の液体を口に含む──……んん? おいしい、けど……舌がピリピリして、すこしヘンな味がするような……?

「……」

 ユーヤが眉をひそめてグラスを注視していた。

「どうしたの?」
「いや……このシャンパン、もしかして──」
「あ、あー、はいはい! みんな、今夜は無礼講や! 私が許す! パーッと楽しもな〜」

 なにか言おうとしたユーヤを邪魔するように、はやてがはやし立て「おー!」とバツグンのタイミングでシグナムたちが声を揃える。
 諦めたように苦笑したユーヤが気にかかったけど、いまはパーティーを楽しむことにしよう。


 見慣れたリビングはどこか混沌としている。みんな思い思いのことをしているからだろうか。
 そんな中、ユーヤは料理を取り分けたり、運んだりして忙しそう。
 あ、ヴィータがプチシューを要求してる。私もだけど、みんなユーヤに頼りすぎだよ。

 ──そのヴィータ。なのはの休職に反対するかと思っていたけど、そうでもないみたいだ。
 考えてみれば当然かもしれない。
 ヴィータが一番、あの大けがのことを悔やんでいたから。逆になのはを戦いから遠ざけられて安心しているのかも。
 私は……、なのはのしたいようにしたらいいと思う。そんなことで私たちの友情は損なわないって信じているから。

 あ、それからヴィータってば、いつの間にかユーヤと仲良しになってた。なんでも「同好の志」なんだとか。
 お近づきの印にお揃い──色は赤だけど──のケータイ“ARMS-Phon”というのを受け取ってたくらい。悔しいので私も黒いのをもらったのはいいんだけど、剣や銃になるなんて聞いてないよ。……まあ、ペンギンのストラップつけて使ってるけどね。ユーヤとお揃いというのは捨てがたいし。


 私はつとめて笑顔で、黙々とチョコケーキを口に含んでいる紺色の髪の女の子に近寄る。

「テスラ、楽しんでる?」

 彼女は食べる手を止めると、私を見上げてコクンと首を縦に振ってくれた。
 彼女──テスラ・陽炎・フラメルと私の関係は微妙だ。
 ときどき夕食を一緒にしたりもするテスラが抱えた事情の概要は、ユーヤから聞いている。とても痛ましく思うし、いますぐにでもなんとかしてあげたいけど、私にはどうにもできない。──だからせめて、“表”に出ているときくらい、やさしい世界にいさせてあげたい。
 それに、ユーヤが妹として扱っているなら私にとっても妹だ。お姉さんが妹にやさしくするのは当然のことだもん。

「えっと……、ほかにも食べる? なにか飲み物持ってこよっか?」
「大丈夫、心配いらないよ。わたしはいいから、フェイトのほうこそパーティーを楽しんで」
「あ、うん、そうだね」

 しまった、逆に気遣わちゃったみたいだ。小さい子相手に、情けない……。



 宴もたけなわ。
 お母さんがたまにストレス解消で使ってるカラオケセットを引っ張り出しての歌合戦。
 言い出しっぺははやてだ。

「〜〜♪」

 マイク片手に、思いっきりのどを張り上げる。情感を込めて、感情を入れて、歌い上げる。
 曲は私の持ち歌、「赤いスイートピー」。選曲の理由は自分でも知らない。知らないったら知らない。
 ちなみに、演歌なんかももわりと好きだ。

「ふぅ……」
「フェイトちゃん、やっぱり歌上手だね〜」
「あ、ありがとう……」

 ぱちぱち。なのはが笑顔で拍手する。賞賛の言葉がまっすぐすぎて、ちょっと照れちゃうな。
 人前で歌うのはあまり得意じゃないんだけど、最近はなんだか好きになってきた気もする。ステージで歌ったからかもしれない。

 次に歌うというシャマルにマイクを渡して、私の特等席──ユーヤの隣にすとんと座る。

「いい声だったな、フェイト。思わず聞き入っちゃったよ」
「あ……、ありがと……」

 ユーヤの柔らかい微笑みにあてられて、かああっと顔が火照る。
 ぼーっとしてきた頭をぽすっ、とユーヤの肩に預けたら、私の腰に彼の腕が回されてぐっと抱き寄せられた。
 うあ、身体中がぽっぽしてきたよ……。
 彼にほめられるのは、なのはのとはまた違ったベクトルで照れてしまう。「紅白はこれで安泰だな」と付け足された言葉は無視したい。メタだよ、それ。

「次は俺とデュエットでもしてみるか?」

 冗談めかしてユーヤが言う。
 デュエット……、それはすごく魅力的な提案だけど──

「んーん、いい……」

 なんか、さっきから暑いなぁ……暖房が効きすぎてるのかな?

「疲れた?」
「ん……、そうかも」

 全身がだるい、ふわふわする。胸がざわざわする。
 ……。
 ユーヤの、におい……。
 私の大好きなにおい……、私をドキドキさせるいいにおい……。きっと、私をメロメロにさせちゃうフェロモンが出てるんだ。

「……フェイト?」

 なんだろ……頭のなかにもやがかかったみたいで、気持ちよくなってきたような────




 □■□■□■




「なにこの乱痴気騒ぎ」

 諦観して攸夜が独り言た。
 その膝の上では、サンタの格好をした血統書付きの金色わんこ──もといフェイトが、ご満悦の様子でじゃれついている。新雪のように真っ白な肌を高揚で桜色に染め、甘い吐息を零す姿は情事を彷彿とさせる。
 正真正銘純粋培養の美少女が、発情したようにしどけない表情ですんすんと匂いを嗅ぐ──そんな倒錯的なシチュエーションは、割と変態さんな攸夜のツボに直撃、何気に欲情しかけていた。
 ……なんかイイ匂いするし。
 動揺と劣情を押し隠した攸夜は、それもこれもあのたぬきの所為だ、と内心で悪態を吐いた。

 ──フェイトがあられもない痴態を見せている原因は、はやての持ち込んだシャンパン。いたずら好きのたぬきが仕込んだアルコール入りの、である。
 度数が高くないからと見過ごした代償は高くついたようだ。

「え、えーと……なのは?」
「んん〜? なぁにぃ、ユーノくぅん?」

 ちょうどその反対側、スツールに座ったユーノの背中になのはがしなだれかかっている。いや、むしろ覆い被さっていると言うべきか。
 顔をほんのり薔薇色に染めた口元はだらしなく弛緩し、とろけきった表情に普段の快活な面影は微塵もないが、どことなく艶美で色っぽい。

「む、胸が、当たってるんだけど……」
「当ててるんですよぉ〜? にゃははは〜」

 形のいい唇から紡がれるのは文字通りの猫なで声。バカみたいに笑うなのはもやはりぐでんぐでんの酔っ払いだ。
 さりげに豊満な胸をぽよんと後頭部に押し当てられたユーノの顔は、また違った意味でだらしない。包み隠さず言うならとてもスケベである。

 ある意味で至福の時間を満喫しているユーノに二つの影が近づく。

「ちょっとぉ! なのはばっかり構ってないであたしのことも見なさいよねぇ!」
「……ユーノ君、おいしそう……」

 なぜかご立腹のアリサと虚ろな表情のすずかだ。──どちらももれなく出来上がっている。
 妖気を発散させた二人はユーノをなのはごと押し倒した。

「うわたっ、な、何してるのさ! ゆ、ユウヤっ、助けてっ!!」
「知るかよ、肉欲獣。──ああ、喰われるのはユーノの方か」
「不吉なこと言わないでよ!? ──って、なのはどこ触ってるの!? すずか、噛みつかないでっ! シャツ脱がさないでアリサっ、アッ――!!」
「ユーノ君、君のことは忘れないよ」

 元祖三人娘にまとわりつかれて身悶える親友の哀れな姿に、攸夜は合掌した。助ける気などさらさらないが。
 “捕食”中──本気で噛んではいない──のすずかを覚束ない瞳で見ていたフェイトが、真似するように攸夜の首筋に噛みついた。

「……フェイト、お前さんはバンパイアでもなんでもないんだから、噛んでも何も出やしないぞ」

 かぷちゅーっと吸いつき甘噛むフェイトに、無駄だと思いつつ注意してみる。
 唾液で、てらてら光るうなじから唇を離したフェイトのつぶらな瞳が涙で濡れはじめた。

「ふぇ? ……ゆーや、わたしのこときらいなの? ふぇいと、もういらないの?」
「え、何その飛躍思考。ていうか、喋り方おかしくね?」
「きらい、なんだ……ぐすっ」
「いや、だからなんでそうなるのさ」
「ふぅえ、わた、わたしっ、えぐっ、捨てられ、ちゃうんだ……すてないでぇ、すてな、うぇ、ぅうわぁぁあん!」
「はあ!? ちょっ……っ!?」

 常人には理解不能な流れでわんわん泣きじゃくる少女。大粒の涙に面食らった攸夜を極大の罪悪感が襲う。非など一片もないのだが、性分だから仕方ない。
「捨てないよ、大丈夫だから」声をかけつつよしよしとあやすが、何ら効果はなく。フェイトは泣きじゃくる──しっかりと抱きついたまま。

(……めんどくせえ)

 滅多なことではフェイトを否定しない攸夜もこの情緒不安定っぷりには辟易したようで、嫌な倦怠感を覚えて頭を抱えた。

「攸夜君、またフェイトちゃんを泣かせよったわ! くふっ、色男はツライなあ? あっははははは〜」
「……ほっとけ」

 浮ついた雰囲気を振りまくはやてが、危なっかしい千鳥足で接近する。他の面々に比べれば比較的マトモだが、それはそれでムカつく。

「んん〜? 攸夜君は酔っ払っとらんなぁ。なあ、なんで?」
「“蛇”は大昔からザルってのがお決まりなんだよ」

「ふーん」どうでもよさそうな生返事で流して、はやてがドカッとフェイトの反対側に座る。
 潤んだ紅い瞳がそれを捉え、剣呑な光を宿した。

「つか、どうすんだよ、これ……」
「しらーん、私、知らんもん」

 さすがたぬき、まるで他人事のようだ。
 相変わらず、ユーノの周りはサンタ娘がくんずほぐれずでシュールな有り様だし、場酔いしたらしいシャマルなどザフィーラに絡んでクダを巻いている。その隣ではどこから持ってきたのか、アルフが日本酒で酒盛りをしていた。
 そんな美女二人に絡まれているザフィーラは、瞼を閉じて巌のように黙りを決め込んでいる。プログラム体で酔うこともできない彼には、ご愁傷様としか言いようがない。

「……おい、ヴィータ。これをどうしてくれる?」
「悪ぃ、はやてに釘を刺してなかった私のミスだ」
「仮にも年上で保護者なんだからちゃんと監督しろよな、このバカ殿を」
「マジすまねぇ、この通り」

 ひどく居たたまれなさそうに正座するヴィータ。混迷を極めた場に素面で居るのは辛かろう。
 その後ろで「何故私にではないんだ?」と某烈火の将が不服そうに呟くが、攸夜とヴィータからの「お前、はやてに逆らわないだろーが」という指摘で押し黙った。自覚はあったらしい。
 ちなみに、リインフォースは空気に酔った妹を介抱しつつ、テスラと一緒に我関せずと食事中だ。

「あん、バカ殿なんてひどいっ。攸夜君のい・け・ず〜」

 媚びるような仕草でしなだれかかるはやて。もっとも、こんなちんちくりんになびくような攸夜ではないが。
 しかし、この状態はいろいろな意味でよろしくない。調子に乗りすぎのタヌキを叱ろうとした攸夜よりも速く、「だめぇっ! ゆーやはわたしのおヨメさんにするのぉーっ!」と大げさな叫び声が響いた。
 自分以外の女が攸夜に近くことを、金色のお嬢様はお気に召さないらしい。
 てか、ヨメってなにさ。

「……」

 もう一度言おう。

「なにこの乱痴気騒ぎ」

 毛を逆立てて威嚇するわんこと、彼女を意地悪くおちょくるたぬきに挟まれて、攸夜が天を仰いだ。



[8913] 超☆番外編 結
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/12/24 23:53
 


 日付が変わって25日。
 辺りがしじまる深夜、およそ一時頃。

 電灯の消え、寝静まったリビング。蒼白い光を放つツリーの輝きだけが、ぼんやりと、ほのやかに室内を照らし出していた。

 ソファや床では、騒ぎ疲れた少女たちが暖かそうな毛布にくるまって、泥のように眠っている。正気を保った面々は、一部を残して自室に下がっていた。
 眠りこけた連中が放置されているのは羽目を外しすぎたペナルティだ。朝目覚めた時、自分たちの有様に驚くこと請け合いだが、まあ、これはこれでもいい思い出になるだろう。

 そんな室内の一角。
 甘ったるい空気を充満させたソファの辺り。膝を枕にしてすやすや気持ちよさそうに眠る少女を、愛おしそうに撫ていた攸夜が気配に反応して顔を上げた。
「ふみゅ〜……、ゆーやぁ……」甘えて媚びるような寝言が漏れる。撫でられる感触がなくなったことが寂しいのかもしれない。

「テスラ、お前も寝るのか」
「うん。よい子はもうおやすみの時間だから」
「自分で言うかよ」

 しれっと言うのは錬金術の申し子。少し瞼を落とした眠たそうな表情が、薄幸の少女的な雰囲気をいっそう増していた。
 すっ、と茶色の眼差しがこの部屋唯一の光源を捉える。淡い輝きを放つ聖夜の木に、少女は何を思い、何を託すのだろうか。

「……楽しかった」
「そうか」

 “クリスマス”という行事に並々ならぬ、異常とも言えるほどの思い入れを持つ二人だ。短い言葉を交わしただけで、その含むところを汲み取れてしまう。

「──皮肉だな。始祖のヒトを唆し、知恵の実を喰わせた“蛇”の眷属が、揃いも揃って降誕祭を有り難がると来た」

 ニヒルな冷笑で攸夜は自らの感傷を嘲る。
 クリスマスツリーは、旧約聖書に記された知恵の樹──アダムとエヴァが食べたという、禁断の果実が生った“善悪の知識の樹”を起源にしているとされている。この奇縁を皮肉と言わず、何を皮肉と言うのだろう。

「……」

 テスラは無言で、攸夜の冷笑を見つめていた。その胸中を表情から窺い知ることはできない。

「本当は、大泉スルガたちと祝いたかったんだろう?」
「うん」
「即答か、正直だな」
「わたしはよい子だから。よい子じゃないと、サンタさんはプレゼントをくれないでしょ?」

 不敵な物言いに、攸夜がくつくつと喉を鳴らす。続けて「違いない」と楽しげに唇を歪めた。

「きっとテスラにはとびきりのプレゼントが届くよ、俺が保証する」

「おやすみ」声を潜めた挨拶をし、テスラは儚く微笑む。「いい夢、見てね」

「──ッ、あ、ああ、いい夢を」

 不意の言葉に、攸夜の鉄面皮がわずかに綻ぶ。それを見逃したテスラは、そのまま二階へと上がって行った。


 残された攸夜はひとり、背もたれにうなだれ、左手で顔を覆い天井を仰ぐ。

「いい夢を、か」

 誰とない呟きは、悲痛な響きが夜闇に消えた。
 六年前のクリスマスを最後に、“母”との決別を交わしたその日を最後に、彼は一度たりとも“夢”を視ていない。

 ──“エミュレイターは夢を視ない”。
 それは図らずもヒトを辞め、ヒトならざるモノに堕ちた攸夜とて同じことだ。

 後悔はないし、未練などあるわけがない。けれど、それでもその心は揺れる。揺れ動く。
 強すぎる理性と大きすぎる感情の狭間で惑い、迷い、持て余し続けるのが“宝穣 攸夜”というニンゲンのカタチだ。
 その様子はまるで、ヒトとの心が抱える“七徳”と“七罪”の矛盾にも似ていた。


 ──どうにも感傷的になりすぎだな、俺は。


 皮肉の笑みが唇を歪める。これでは癖になってしまいそうだ。
 細波立った心を落ち着かせるように、最愛の少女の艶やかな髪を軽く梳かして、攸夜は起こさないよう、慎重に立ち上がった。
 フェレットモードのまま気を失ったユーノ──三人娘から逃げようとしたのだろう──を掴んだまま、フローリング床に突っ伏したなのはや、折り重なって眠るアリサとすずかを器用に避け、クリスマスツリーの前まで来ると足を止め、振り向く。

「リインフォース」
「……はい?」

 ソファで丸まって眠るはやての横に座り、静かに彼女の髪を撫でていた手を止めたリインフォースが応える。すぐ近くのバスケットの中では、リインフォースⅡがすやすやと寝息をたてていた。

「忠告だ。この光景、記憶にしっかり焼き付けておけよ」
「……どういう意味ですか?」

 意図的にぼかされた言葉は要領を得ない。

「定命あるものはいつか滅びる。誰も彼も、例外無くな。
 幾ら深く愛そうとも、幾ら大切に想っていても、その運命を変えるのは並大抵のことじゃないし、変えちゃいけない。──“命”は有限だからこそ美しいんだ」

 訝しむリインフォースなどお構いなしに、攸夜が朗々と、詠うように言葉を紡ぐ。
 同時に、彼の周囲の空間がねじ曲げられた。

「だが、“俺たち”はどうなんだろうな?」

 長い、銀色の睫毛がわずかに揺れる。言わんとすることを理解したリインフォースは瞼を伏せ、両手を胸元に当てた。
 それはまるで祈るような、祝福するような仕草だった。

「はい……、忘れません。この幸せな時、その全てを」

 満足したように微笑んだ攸夜の姿は、夜闇の中に溶けていった。




 それからすぐ──

 黄金の眠り姫が深い眠りの底から目を覚ます。
 重苦しい動作で上体を起こし、顔にかかった髪を煩わしそうに払い。ぼんやりと焦点の合わない瞳は、すぐ傍にあった温もりを探して漂っている。意識が覚醒しきっていないらしい。

「ユー……ヤ……?」

 ややあって、大粒の瞳がじわりと潤みだす。「ぅ、うぐぅ……」少女は堪えるように瞼を固く瞑るものの、嗚咽を隠すには至らず。押し殺したすすり泣きが深夜のリビングに響き渡る。
 その様子を、無感動な紅の瞳で傍観していたリインフォースが口を開いた。

「フェイト・テスタロッサ」

 びくりと瞠目するフェイト。「り、リイン……フォース?」どうやら、リインフォースの存在には気づいていなかったらしい。
 精神を再構成したフェイトは慌てて涙を袖で拭う。

「あなたの探している人物はこの建物の屋上でしょう」
「おく、じょう……?」
「ええ。ここを去ったのはつい先ほどのことです。空間の歪みがすぐ上で発生、終息しましたから、まず間違いありません」

 簡潔に、知りたいだろうことを伝える。

「……早く行って差し上げてください。何やら、思い詰めていた様子でしたから」

 言いたいことだけを告げて、リインフォースは再びはやての髪を梳きはじめる。
 フェイトには、その姿がまるで我が子を愛おしむ母親のように見えた。

「……ありがとう」

 短い感謝を告げた後、刹那よりも速く、金色の魔力光とともにバリアジャケットが展開される。外套と両手のグローブ、籠手はカットした。
 軍服風の黒衣に、黒いリボンで金髪を結ったツインテール姿となった少女は、ベランダに面した窓を開けて空に飛び立った。

「……」

 開け放たれたままのサッシから、凍り付くような冬の風が静寂に包まれた室内へと吹き込む。

「ハァ……窓くらい閉めていけばいいのに。これだから、夢見がちな少女は周りが見えなくていけません」

 元“闇の書”の化身は、大げさに嘆息して毒吐いた。




 □■□■□■




 屋上。

 私の頭上に広がった紺色の夜空には、金色の三日月とたくさんの星がまたたいている。
 だけど、あのお別れの夜とは違って雪は降ってはいない。温暖化の影響、かな?
 風が強い。冷たい風にあおられた髪を押さえながら、まわりを見回した。


 ──見つけた。


 中心辺りで床にあぐらをかいて、夜空を見上げている男の子の背中を。
 遠くからでもよくわかる特徴的な髪は夜よりも真っ黒で、癖が強くてボサボサ。すこしだけ、無精にも感じる印象は小さい頃からぜんぜん変わってない。
 彼──ユーヤは私と同じで、ネイビーブルーのバリアジャケットを着ていた。
 足音を意識して立てつつ近づく。何事にも聡い彼のことだ、きっと私の接近なんてとうに見抜いているんだろうから、隠す必要なんてないし。
 ……うん、今夜は幻影じゃないみたいだ。

「となり、いい?」

 おっとりと振り向いた蒼い眼差しが私を射抜く。けれど、深い海のような瞳には悪意とかそういうモノは見えなかった。──愛しさとか信頼とか、やさしさとか……そんなあったかい感情が帯びているように感じるのは、気のせいじゃないと思いたい。
「いいけど、ちょっと待って」とユーヤは言って、どこからか取り出したハンカチを床に敷いた。「どうぞ」ってことは、ここに座れって言いたいのかな?

「ありがとう」

 うながしに従って、となりにぺたりと足を崩した形で座る。私が来たからなのか、素手がむき出しになっているのに気づいた。
 その手を取って指を絡めると、きゅって握りかえしてくれる。
 繋いだ手のひらから伝わる体温が、私の内側でくすぶっていた不安の色を安心に塗り替えていく。
 ──起き抜けに泣いてしまったのはきっと目覚めたときにひとりぼっちで、六年前のことを思い出しちゃったから。“お別れ”を告げられたあのときの気持ちが──悲しくて。切なくて。つらくて。苦しくて。溢れ出た気持ちが抑えきれなかった。

「寒くない?」
「だいじょうぶ、あなたがいるから」

 強い喪失感を感じる存在。
 ユーヤは、私のなかで大きな部分を占めている。
 いまのこの充実感……なにものにも代え難いと、思う。

 ……それにしても、こんなふうに自然に手を握れてしまう自分がびっくりだ。すこし前なら、手を握られただけでドキドキしちゃってたのに。

「なんだか、懐かしいね」
「そうだな……。六年前、ここでこうして月を眺めたのが昨日のように思うよ」

 もちろん、君に愛を告白したこともね──ひどく爽やかに見えるやさしい微笑。芝居がかった言い回しに、かああっと顔が熱くなった。
 あぁ、もう! どうしてこう、恥ずかしいくなることばっかり言うのっ?

「ぁ──、え、えと、わ、私眠っちゃってたでしょう? でね、その、記憶がちょっとないんだけど、なにかあったのかな。ユーヤ、知らない?」

 動揺をごまかすように訊いてしまったけど、疑問に感じていたのは本当だ。
 気持ちよく歌い終わって話をしたところまではぼんやりと覚えてるんだけど、そのあとからの記憶がすっぱりと欠落してた。
 その答えを知りたくてちょっとわくわくして見てると、気まずそうに視線をそらされてしまった。ぷい、って。

「……世の中には知らない方がいいこともあるんだよ」

 ひどく疲れた調子の言葉。
 こんなにげっそりした彼を見たのは初めてかもしれない。

「そう、なの……?」
「ああ、幻想がまとめて粉砕された気分だ」

 むぅ、ユーヤをここまで打ちのめすなんて、どんなことがあったのだろう。逆に気になる。
 けど、追求したらよくないことになりそうな予感がする。……主に私の羞恥心とかが。


「……」
「…………」

 不意に、会話が途切れた。
 いつもは心地よい沈黙も、いまはどこか痛い。
 吐き出した息が白く濁る。

「あのね──」

 意を決して、私は以前から聞きたかったことを切り出した。

「ユーヤ……その、なにか悩んでることとかあるんじゃない?」
「……」

 ユーヤは否定も肯定もせず、口をつぐんで空を見上げるだけ。その横顔がつらそうに見えて。
 黙ってしまったのはきっと、私に弱いところを見せたくないんだ。ユーヤはいつでも、キザでカッコつけだから。
 普段なら、これ以上は踏み込まない。踏み込めない。


 でも──、


「ユーヤ、悩みがあるなら話して? 私たち、恋人同士でしょう? ……言葉にしてくれなきゃ、なにもわからないよ……」

 いまは、いまだからこそ踏み込む。

「……」

 じっと蒼の瞳をまっすぐに見つめつづけると、ユーヤは「降参だ」とお手上げしてゆったりと苦笑する。
 そして、夜空の月を見上げたあと、その堅く閉ざした口を開いた。



[8913] 超☆番外編 完
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2009/12/25 23:55
 


 屋上には、私と彼だけ。
 あんなに強かった風も、いまは不思議と止まっていた。


「……悩みってほどでもないんだけどな」ユーヤは言いながら、ばつが悪そうにボサボサの髪をかき乱す。いつもの癖だ。

「不安になるんだ、こんな寒い夜は特に。──フェイトのこととか、俺自身のこととか、いろいろ考えて……上手く言葉には出来ないけどさ、蹲まって膝を抱えたくなる」

 私も不安になる。朝、目が覚めたとき、ひとりぼっちがこわくて、もうあなたに会えないんじゃないか、って。

「フェイト、覚えてるか。六年前、クリスマスのこと」
「……うん、覚えてる。忘れられるわけ、ないよ」
「──きっとあの時、俺は壊れてしまったんだと思う。自分の存在を否定されて、何一つ確かなものがないことを突きつけられて。傲慢だけど、君の気持ちが本当の意味でわかったよ」

 私は──、私たちは、ココロが欠けているのかもしれない。欠けた部品を補うように、お互いの温もりを頼りにしてどうにか立っていられる。
 鏡に映った姿みたいにそっくりで、どうしようもないほどよく似てて。出逢い方が違ったら、徹底的に憎み合ってた──そんなバカな想像までしてしまう。

「俺はあの時、“世界”に負けた。世の中とか、社会とか……そういう類のモノに。あれほど自分の無力さを痛感したことはないよ」

 心情を吐露するユーヤの横顔は普段どおり。だけど、私には苦渋が滲んで見えた。

「碌でもないしがらみに負けないためには、暴力とかじゃない、もっと別な“力”が──権力や組織力が必要だったんだ。綺麗事を真実にしてしまえるくらいの」

 ……それは、わかる。
 派閥や利権、縄張り争いで捜査を邪魔されたことなんて一度や二度じゃない。理不尽な仕打ちに涙したことだってある。
 正しいことと、悪いこと──白か黒かで割り切れるほど、世の中は簡単にはできていなかった。

「前に約束したよな? この“世界”で何をしようとしてるのか、ちゃんと話すって」
「……うん」
「俺はね、フェイト。“世界”中を笑顔で溢れさせたいんだ。誰もが安心して暮らせるような、やさしくて暖かい場所を──みんなが笑顔で居られるような世界が創れたら……そう思ってる」

 決然とした、だけどどこか無防備な眼差し──深い蒼の光に魅入られて、言葉が出ない。
 壮大なことのはずなのに、語る口調は穏やかで……。

「それは、ユーヤの夢?」

 ふと浮かんだ疑問を口にする。ユーヤはきょとんとして、考え込むように「夢、ゆめ、ユメ……」と繰り返した。

「確かに、夢かもしれない。青臭いガキの夢想だよ」

 顔を上げたユーヤがくつくつ喉を鳴らす。言葉とは裏腹に、どこか楽しそう。
 ──私は、ありのまま気持ちを乗せて、笑顔をまっすぐ大好きなひとへと贈った。

「ステキな……、とってもステキな夢だと思うよ」

 心から、思う。
 荒唐無稽な理想だけど、きっと彼はそれを成し遂げてしまう。やると決めたら折れず、屈せず、諦めないで必ずやり遂げる……あなたはそういうひとだから。

「──ありがとう」
「あ……」

 ちょっと強引に抱き寄せられた私の身体は、ユーヤの腕の中にすっぽり収まってしまう。
 肌で感じる温もりと鼓動が心地いい。

「……それなら──」

 少しだけ身体を離して、ユーヤの顔を見上げる。

「私が、あなたの作った笑顔を守るよ。ずっと、ずっと守るから」

「……!」

 蒼い眼がびっくりしたみたいに見開た。口を閉じたり開いたり……言葉が出ないの、かな?
 それがちょっとかわいくて。頼もしい胸板にぎゅって抱きつく。
 溢れる愛情に、胸の奥が熱くなる。こみ上げてくる愛しさを感じて、まぶたを閉じた。

 いつも依存して、尽くしてもらってばかりだけど、ほんとは支えてあげられるくらい強くなりたい。強くありたい。
 励み励ましあって、二人三脚でがんばって……たまに想いを確かめ合って。そんな関係が私の理想だから。


 ──管理局と関わるようになった私が最初にしたのは、“母さん”──プレシア・テスタロッサについて調べることだった。
 出来うる範囲で管理局やミッドチルダ政府のデータベースを漁ったり、生前を知る人に聞き込みして回ったり。そうやって知り得た情報は断片的だったけど、そこから汲み取れることもある。
 中でも一番目を引かれたのは、私の……ううん、アリシアのお父さんについてのこと。
 その人は“母さん”の幼なじみで、ごく普通の企業に勤める、凡庸な人だったみたいだ。リンカーコアもなかったらしい。
 5年に渡る大恋愛の末に結婚した二人は、とても幸せな家庭を築いていたのだという。……その幸せも、偶然乗り合わせた次元航行艦の事故で彼が帰らぬ人となり、終わりを迎えた。アリシアが生まれて間もない頃だった。
 ──……きっと“母さん”は、ひどく嘆き悲しんだはずだ。そして、ただひとりの一人娘を、夫の忘れ形見を誰よりも大切にしようと誓ったのだと思う。
 けれど、その娘、アリシアも──


 ……なにも、知らなかった。

 母さんなんて呼んでたけど、結局私は、あのひとのことをなにひとつ理解していなかったんだ。
 どんなことを思って、どんなふうに生きたのか。そして、どんな想いを賭けて禁忌に手を染めたのか──……あの頃の私が、それを知っていたら“愛してる”の言葉が届いたのだろうか。


 ──もう、わかりあえることはできないけど。


 でも、いまなら……、

 一生を懸けて愛するひとを見つけた、いまなら──全てを失って心を病んだ“母さん”の気持ちが理解できるような気がした。


「神さまに、感謝しなくっちゃ。あなたと出逢えたこと。……私ね、幸せだよ。ユーヤがそばにいてくれるから」

「俺も幸せだ。君に、こんなにも想われているんだから──愛してるよ、フェイト」

「ん……」

 どちらからともなく、ついばむように、何度もキスをして。私は床にゆっくり押し倒された。
 覆い被さるようにされても、いつかのみたいにこわい感じはしない。

 ──すこしの間、見つめあう。

 蒼い瞳が揺れて、ためらいというか迷いが映るけど、にこりとしたら引っ込んだ。
 だめ押しにこくり、うなづく。肯定の意味。……この状況がどういうことか、わからないほど子どもじゃないよ?

 観念したように微苦笑したユーヤが、しゅる、とネクタイを解いく。
 熱を帯びた私の頬に彼の手が触れる。

「……場所、変えようか?」
「ううん、ここでいい」

 はじめてが外なんて、はしたないとは思うけど。ここで──思い出深いこの場所で、ひとつになりたい。


「私を、オトナにして?」


 いたずらっこな笑みが見える。顔が、体中が熱い。どきどき、止まらないよ……。
 ──ああでも。やっと……いっしょになれるんだね。

「ああ。優しく、手厚く蹂躙してやる。……覚悟しろ、激しいぞ?」

「あんっ」

 ふと見上げた夜空は、どこまでも澄んでいる。私の心に、金色の月と満天の星空が焼きついた。




 ────このあとのことは、正直よく覚えてない。


 はじめはとろけるように甘い深愛を。そして次には、嵐のように寄せてくる激情に翻弄されて。
 気がついたら客間のベッドで添い寝をしてたから。……わりと口にできない有様で。

 けれど、とっても幸せなクリスマスの贈り物をもらったのはたしかだ。……“あげた”、ともいうのかな?




 □■□■□■




「とまあ、こんな感じで……」

 赤面気味のフェイトは思い出語りを締めくくり、カップに口を付けて喉を潤した。頬が紅潮しているのは、話しているうちに行為のことを思い出して照れてしまったからだろう。
 黙ってニトログリセリン級のノロケ話を聞いていたはやてがイスを蹴倒し立ち上がり、雄叫びをあげた。

「だぁぁあああっ!! 肝心なところがないやんか! 生殺しなんて納得いかへん!!」
「どうどう、はやてちゃん。気持ちはわかるけど、目が血走ってるよ。クールになろ、クールに」

 テーブルに身を乗り出した親友を諫めるなのは。最近ツッコミ役に回ることの多い彼女である。
 いくらか正気に戻ったはやては、起こしたイスに座り直して気まずそうに咳払いをした。

「私らが寝こけてる間にそんなことがあったとはなぁ」
「あとから母さんと義姉さんにバレて、祝福されちゃったよ。……ユーヤはなんか正座してたけど」
「ほぇ〜、告白されたところで、クリスマスイブの夜に結ばれるなんて、すっごくロマンチックだよ〜。いいなぁ、憧れちゃうなぁ……」

 紅潮した頬を両手で押さえて、なのはがもじもじしている。どうも乙女回路がいいカンジにスパークしているようだ。
 近頃、ますます思春期なサイドポニーの友人を一瞥し、肩を竦めたはやてはフェイトに向き直った。

「しかしまぁ、初っぱなからアオカンとは恐れ入ったわ。──攸夜君のことや、アッチのほうもさぞや達者だったんやろなぁ?」
「うん……すごく、すごかった」

 真っ赤なりつつ零れた屈託のない笑顔に、はやてが思わず目を逸らす。腹黒こだぬきにはまぶしすぎて直視できない。
 なお、なのはの精神は未だにお留守である。

「あっ」
「ん? どーしたんや、フェイトちゃん」

「あれ……」フェイトが指先の示す方向をはやての視線が追う。車道を挟んだ向かい側、赤信号で停車中のオンロードタイプ大型二輪に跨る背の高い男性が居た。
 男性の服装は、青いパーカーに黒革のライダースジャケット以下略。シアンブルーのフルフェイスヘルメットで顔はわからない。

「はやて、どう思う?」
「どう思うかて。フェイトちゃんレーダーが反応したんやから攸夜君、なんかなぁ?」
「だよねっ、だよねっ?」

 ぱああっと満面の笑顔を咲かせたフェイトがブンブンと手を振る。バイクを駆る伊達男──攸夜は、それに気が付くとバイザーを開き、左手を鷹揚に振り返した。

 鮮やかなメタリックブルーに塗装された車体が美しい、鋼の騎馬の名は“オラシオン”──最新型のバイク型“箒”だ。
 スクーター風のスポーティーな外装は、見るものが見れば地球のオートバイ「ホンダDN-01」に酷似していることに気が付くだろう。

「……」

 フェイトから目に見えて落ち着きがなくなり、親友たちの顔色をチラチラ窺いはじめる。
 無事帰還したなのはが親友の考えを察して「フェイトちゃん、私たちはいいから攸夜くんのところに行ってきたら?」と苦笑混じりに促した。

「いいよね、はやてちゃん?」
「えぇよ。なんならそのままツーリングと洒落込んだらどうや」
「ぁ……ありがとうっ」

 二人から出たお許しに最大級の笑顔で感謝を示して。
 フェイトはそそくさと席を立つと、あっと言う間に対岸に渡ってしまう。“閃光”の二つ名に違わない素早さだ。
 途中、横断歩道の信号に捕まっていた間など、気が逸ってイライラしているのが傍目からわかるほど。なのはが「フェイトちゃん、かわいい」ともらすのも無理はない。
 すでに念話で話をつけていたのだろう、道端に愛車を止めていた攸夜が息を切らせてやって来た恋人を出迎えた。

「うわ、マジで行ってまう気や。てか、ここの代金置いてかんかいっ」

 ぶつくさ文句を垂れるはやてを余所に、フェイトは渡されたゴーグル付きのヘルメットを装着、後部シートにタンデムする。
 攸夜の腹にしかと腕を回して二人乗りしたフェイトの姿は、遠目からでも絵になっていた。

 轟音を立てて走り去るバイクを眺める二人。どこか冷たい目のはやてと、うっとりとしたなのはの様子は対照的だった。

「女の友情は儚いなぁ」
「……私もカレシ、ほしいなぁ……」

 うっとりとする親友に、ギロリとはやてが幾ばくか鋭い視線を向けた。

「なのはちゃん、私に喧嘩売っとるん?」
「へ? なんで?」
「……もぉええわ。その乳もげてまえ」

 はてな、と首を傾げた脳みそお花畑娘に悪態を飛ばして、子たぬきはカップに残った紅茶をグイッとあおる。砂糖控えめの紅い液体はちょっぴり苦かった。

「もげっ、もげろってなんなのーっ!?」



[8913] 番外編 よんのよん
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/01/10 23:14
 


 ──新暦74年 九月


 音楽隊の演奏が高らかに青空へと響く。
 クラナガン近郊の演習場に特設された会場を舞台にして、管理局創設以来最大級となる観艦式が執り行われていた。

 “伝説の三提督”を初めとした管理局の主要な幹部や聖王教会と管理世界各政府の要人や政治家、財界の重鎮など次元世界を代表する人々が一堂に会している。
 その片隅、警備任務中のフェイトとそれに付き添う攸夜の姿があった。

「……」

 表情を強ばらせたフェイトが、どこか気負った様子で会場に目を光らせている。
 気負うのも無理はない。
 今回、多数の要人を招くに至り、管理局は前代未聞なまでの警備体制を敷いていたからだ。
 ひと月も前から出入国を厳しく制限し、テロを警戒して配置された選りすぐりの武装隊員数百人──魔導師だけではなく、“箒”を装備した非魔導師も相当数──が周囲を固めた厳戒態勢。その凄まじさは、執務官であるフェイトが警備に駆り出さていることからもわかるだろう。地上本部勤めのはやても、おそらく会場のどこかに居るはずだ。
 ──とはいえ、石を投げれば高ランク魔導師に当たるこの虎穴に、自ら飛び込む命知らずもそうは居ないだろうが。


「──っ!?」

 不意に、空気を切り裂く風切り音と地響きにも似た爆音がフェイトの耳に突き刺さる。それは遙か彼方から、物凄い速さで接近していた。
 すわ襲撃か、と身構えるフェイトだったが、頭に叩き込んでおいた式典のスケジュールを思い出して警戒を解く。
 彼女の傍らで壁に背を預けていた攸夜がくすりと苦笑する。両手をポケットに突っ込む姿がひどく様になっていた。

「わぁ〜、飛行機っ」

 空を見上げたフェイトの呟きとともに、白い胴体と可変翼に青い主翼の付け根が鮮やかなAに似たシルエットの航空機が七機、V字編隊を組んで青空を切り裂いていく。
 船尾から噴き出した七色のスモークが、空のキャンバスに虹の橋を描いた。

「なのはのバリアジャケットみたいでカッコいいね」
「“スカイマスター”、だな。教導隊カラーなんだろう、たぶん」

 釣られて空を見上げた攸夜のセリフを合図に、航空機は散開。複雑な曲芸飛行を演じ始める。
 大空を舞う“空の支配者”が描き出す軌道は、接触するギリギリで幾重にも重なり合い、離れていく。まるで種子を弾け飛ばす鳳仙花のように。
 数多の訓練を重ねたことが一目でわかる非の打ち所のない演技。会場内から、どよめきと感嘆の声があがった。
 質量兵器を廃絶し、魔導技術に文明の全てを賄う管理世界人には、こういった前時代的な航空ショーは物珍しいのかもしれない。

「“スカイマスター”?」
「戦闘機型“箒”。あれを運用する実験部隊を新設したって話だから、示威行動にお披露目も兼ねてるんだろうな」

 訳知り顔の攸夜が、事情を掻い摘んで疑問に答えた。

 “スカイマスター”──“錬金術師”が用いる“錬金兵装”の一種で、地球やファー・ジ・アースの軍用機を参考に作られた戦闘機型“箒”である。
 固定武装に連射と収束、二種類の魔力砲。魔力ジェット推進の圧倒的な速度によるドッグファイトもさることながら、大型の兵装用ペイロードに積み込んだ熱量ミサイルや爆弾・爆雷を用いた対地攻撃も可能という優れものだ。
 犯罪者相手には明らかな過剰装備だと管理局内外から配備を疑問視する声が上がったものの、いつの間にか沈静化していた。不可解な形で立ち消えたその真相は闇の中である。

「へー、そうなんだ……って、あれが“箒”?」
「そう“箒”。ファー・ジ・アースでは、空飛ぶ乗り物を全部ひっくるめて“箒”って呼ぶんだよ」

 かなり語弊のある説明をフェイトは疑いもせず素直に受け止めて、感心しきりに機械の鳥たちが繰り広げる舞を眺めている。こうしてまた一つ、彼女の知識に偏った認識が刻まれたわけだ。
 ちなみに、ミッドチルダでは“箒”のことを「ブルームデバイス」と呼称していた。こちらで生産されたほとんどの“箒”は、各種デバイスの代わりにもなるよう設計されているので間違ってはいない。間違ってはいないが、戦闘機までひとまとめにするのはどうなのだろうか。
 ──ミッドチルダの街を、空飛ぶリムジンが走る日もそう遠くではないかもしれない。

「……」

 勝つ自信はあるけど、あんなのに追いかけ回されるのはちょっとカンベンかな──演技を終えて離れていく“箒”を見送って、フェイトは思った。


 不意に、会場がにわかに静まりかえる。
 この一種異様な空気を作り出しているのは、壇上に立つ、ブラウンをメインカラーにした式典用の礼服を纏う男。

『──我々は、この次元世界は今、未曾有の危機に晒されている。それはここに集まった各々方もご存じの事だろう』

 重低音の声がマイクからスピーカーを通して会場に響く。
 壇上から弁舌を奮る、恰幅のよい壮年の男性──レジアス・ゲイズ。身振り手振りを交えた口調は冷静だが、同時に力強い。
 彼の背後、巨大なスクリーンに映るのは、多数のXN級次元航行艦やアースラの同型艦を引き連れたこの式典の主役たる一隻の巨大な“フネ”。どこまでも闇黒な宇宙に純白の悠然とした船体が栄える。

『三年前の“冥王の災厄”に始まり、昨年の第19管理世界“ラグオル”喪失事件──そして、先日の本局ステーション半壊事件。
 これらは全て、“冥魔”と呼ばれる存在が起こした惨劇である。数多の血が流れ、幾つもの嘆きが──』

 黙って聞いていた攸夜が、ふん、と鼻を鳴らす。険しい顔の眉間に深い皺が刻まれていた。
 フェイトはそれに気付き、表情を曇らせる。そして、いたわるように、切ないように、言葉を紡ぐ。

「……あれは、ラグオルが消えちゃったのはユーヤのせいじゃないよ」

 今から約一年前、第19管理世界にて“災害級冥魔”──アジ・ダハーカほどではないが、特殊な能力を持った文字通り災害級に強大な個体だ──が突如出現、多数の“冥魔”を引き連れて侵攻を開始した。当初、在中の戦力での制圧が可能と判断した管理局とラグオル政府の見通しは大きく外れ、溢れる異形の大群と“災害級”の力の前になす術なく蹂躙、現地は阿鼻叫喚の地獄と化した。
 発生から約三十五時間後、ようやく事態の深刻さに気づいた管理局が、押っ取り刀で戦力を差し向けるも時すでに遅し。戦力の逐次投入などでは数百万という尋常ならざる数を笠に着た“冥魔”には対抗しきれない。
 結果、第19管理世界は混沌に墜ちてしまい、手に余った管理局──最高評議会は処置なしと判断。あまりの愚鈍さに焦れ、単身現地に乗り込んで鎮圧活動に当たっていた攸夜に依頼し、やむを得ずラグオルが存在する次元は“冥魔”ごと破壊された。
 当時の管理局は“冥王の災厄”以来、大規模な“冥魔”の発生を経験していなかった所為もあって、自らに迫っている脅威をどこかで侮っていたのだろう。それまで出現していた“冥魔”を例外なく駆逐できていたことがそれに拍車をかけていた。
 結論から言えば、“冥魔”は力を蓄えていたのだ。この“世界”に溢れる不の情念を糧に増殖し、十分な戦力が整うまで。尚早に覚醒、討伐された“災厄を撒き散らすもの”と同じ轍を踏まぬように、と。

 ──管理世界消滅。

 それは、全ての管理世界に衝撃を与えた。明日は我が身──どこか対岸の火事だと思っていた彼らに、残酷な現実が無慈悲に突きつけられたのだ。
 もっとも、ラグオルの喪失と本局ステーション半壊事件──本局にて保存・研究中だった“冥魔”の肉片が突如暴走、周囲のモノを無差別に取り込み、暴れ回った事件だ。鎮圧したのは名もなき魔導師だったという──が、この式典の“主役”を表舞台に押し上げる後押しをしたのは皮肉な結果だった。

「……そんなこと、思っちゃいないさ」
「うそ、思ってないならそんな悔しそうな顔しないよ。ユーヤ、やさしすぎる……」

 紅の瞳を悲しげに潤ませたフェイトは、ポケットの中に入ったままだった攸夜の左手を引っぱり出し、両手で包むように握り締めた。
 ──握りなれた手は、ゴツゴツと節ばって傷だらけだった。

 幸いにも死傷者を最小限に抑えることはできたが、それも完全ではない。取りこぼした命もたくさんあった。
 家を、住む場所を、故郷を失い難民となってしまった人々の苦しみと悲しみは、いかばかりだろうか──

「一人で抱え込んじゃだめだよ?」
「わかってる、わかってるよ。ふたりで、みんなで……力を合わせなきゃだもんな」
「うん」

 満足のいく返事にフェイトはふわりと微笑んだ。
 その間にもスピーチは続く。

『もう一度言おう、我々は未曾有の危機に晒されている。──しかし、時空管理局はただ手を拱いていただけではない。それがこの“セフィロト”──、人類をあらゆる災厄から救う方舟である!』


 “次元封鎖特装艦セフィロト”──管理世界防衛計画、“世界樹計画”の要として建造された最新鋭の次元航行艦だ。
 全長70.740キロメートル、全幅18.30キロメートル、最大高9.400キロメートル──現行の次元航行艦を遙かに越える非常識な巨体を誇り、艦内部は都市圏がまるまる一つ収まるほど広大。非常時の脱出船としての性格も持ち合わせており、最大収容人数の約百五十万人が問題なく暮らせる設備が揃っている。
 特殊な術式によって無から生み出された超光速粒子を動力とする永久機関“魔力波動エンジン”と、空間を構成する情報を書き換えることで航行する“クライン・ドライブ”により、物理的に進入不可能な惑星の重力圏以外でほぼ無制限の活動が可能。通常時の運用のほぼ全てをマシンサーヴァントが担当し、有事には次元航行艦隊旗艦としても活用される予定だ。
 公式的には武装を何一つ搭載されておらず、艦載艦──機ではなく艦である──のみが戦力であるものの、魔法的な処理が施された人工単一素粒子製の船殻と、空間を幾何学的に幾重にも歪曲させて励起する絶対歪曲防壁は堅牢無比。魔導砲アルカンシェルですら、破壊は理論上不可能とされている。
 そして、最大の特徴は“次元封鎖特装艦”の名を与えられた原因、“世界樹システム”だろう。これは心臓部に存在する巨大な魔法陣とそれに付随する機関で、この艦の存在する次元を外界の干渉から隔離し、入出を完全な制御下に置くシステムだ。
 これらを併せてセフィロトは、「単艦で次元世界を制圧できる戦力」とまで言われている。


「次元を封鎖するって……オーバーテクノロジー、だよね? いくらなんでも」
「まあ、ファー・ジ・アース名物、“世界結界”の解析情報を基に創った術式だからな。ヒトの手じゃ再現は不可能だよ」

 ──その実体は、裏界魔王が用いる“要塞”の一種だ。
 外殻、フレーム、中心機関および各種生産プラントをあらかじめ裏界で建造し、ミッドチルダ周辺宙域にて秘密裏に組み立てられた。内部の都市や戦艦としての設備は管理局が構築したのだが、それだけでもXN級十数隻と同等のコストがかかり、全てを造ったと仮定した場合、管理局五十年分の予算が飛ぶとの試算が出ている。

 なお、持ち込んだ張本人は、巨大な建造物の転送に精魂尽き果て、三ヶ月近く真っ白な廃人状態に陥り「もう絶対にやらないぞっ!!」と泣いたそうだ。


『このセフィロトがミッドチルダを、そして全ての次元世界を護る大樹となる事を私は切に願う! そして──』

「……中将閣下は、セフィロトを外敵から身を守る“盾”みたいに言ってるがな──」

 皮肉げな視線を壇上に向け、攸夜がぽつりとこぼす。

「あれは“檻”だよ」
「……どういう、意味?」
「三年前のように、このミッドチルダに“冥魔”の軍勢が現れた時、奴らを閉じ込め、決戦の場にする。用途が逆なんだ、そもそも」
「…………」

 何気ない調子で紡がれた説明に、フェイトは表情を引き締めた。“冥魔”との決戦と自らが背負う無辜の命を思い、凛々しく。

「──私、がんばるから。みんなのためにも、攸夜のためにも」

「ああ、頼りにしてるよ」

 決然としたフェイトの想いがうれしくて。攸夜は晴れやかに相好を崩した。



[8913] 番外編 よんのご
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/01/23 23:07
 


 午後七時頃。
 ところ変わって地上本部近くの一流ホテル“アグスタ・sis”にて。

 貸し切られた建物内、絢爛豪華なホールに身なりのいい紳士淑女が集まり、ワイン片手に静かな闘争を繰り広げていた。
 四時間に渡ったセレモニーはつつがなく完遂されたが、実質的にはこのレセプションパーティーが本命となる。その証拠に、各国の政治たちはパイプを作るなり、何かを企てるなりと精力的に蠢いていた。
 こうして立食会などを呑気にしていられるのも、事前の根回しや警備に奔走した数多の管理局職員の尽力あってのことだろう。


 楽団の奏でる静かな音楽が流れる会場の一角、ミッドチルダを拠点にデバイスやその部品の開発・販売を行う巨大企業、“サジッタ社”の代表と談笑する攸夜の姿があった。

「では、セフィロトの模型を?」

 今夜の装束は、やや丈の長くスマートなシルエットの蒼いタキシードと黒いタイ。真白のマフラーを肩から垂らしている。
 ラメの散りばめられた上下をドレスコード通り着こなして、海千山千の狸や狐の群れに見事溶け込んでみせていた。高級嗜好な“姉”からのお仕着せは、流石というか不自然なくらい似合っている──夜のお仕事的な意味で。
 国賓を招いた晩餐会の礼服ならダークスーツが正しいところだが、公的な色の薄い会合であるから問題はなかろう。

「うむ、来年の初頭に発表する方向でスケジュールを組んでいるよ。……ウチの開発陣が張り切ってしまってね、1/10000スケールで限定発売することになってしまったんだが」

 デバイス関連のシェアの約40%を握るサジッタ社は、玩具の販売に関しても次元世界有数の企業である。
 メインスポンサーを勤めたテレビアニメ「異界戦記カオスフレア」は、大好評のうちに終了し、現在も様々なメディアで展開中。さらに近々第二シーズンが始まることが決定しており、むしろ玩具販売がメインでは? との声が上がるほどの業績を上げていた。
 ちなみに、最近のイチオシは「ヴァイスシュバルツ」というカードゲームなんだそうな。

「それ、7メーターもあるじゃないですか。──ああでも。ちょっとほしいな、作り甲斐がありそうだ」
「ほう……そんな趣味があるとは意外だね。君には世話になっていることだし、一つ贈ろうか?」
「いえ、それくらい自分で購入しますよ。こちらこそお世話になってますからね、業績に貢献しないと」
「おや、これは一本とられたかな」

 他愛のない会話を交わしているようにも見えるが、腹の中では何を企んでいるか知れたものではない。
 それから二言三言、世間話を交わした後、サジッタ代表は去っていった。この機会に乗じて、各世界の要人との関係強化に努めるつもりなのだろう。数多存在する管理世界でも屈指の大企業の経営者ともなれば、こういう場も忙しく働かねばならないのである。


「……。遅いな……」

 手持ち無沙汰な様子で会場の入り口付近に目を向ける攸夜へ、次元航行艦隊の紺色の礼服を着た男性と白いスーツの男性が近づいてくる。

「やあ、宝穣君。暇そうだけど、一人かい?」
「ん? ──ああ、クロノさん、お疲れ様です。宇宙うえから戻ってらしたんですね」
「ついさっきな。上の意向でね、部下に後のことを任せてとんぼ返りだよ」

 にこやかに挨拶した長髪の男には目もくれず、攸夜は未来の義兄を社交辞令的にいたわる。
 観艦式に馳せ参じた艦船の一つを指揮していたクロノは、式典が終了すると地上に呼び戻された。慌ただしいことだが彼も立場ある人間であるから仕方ない。
 会場を見渡せば、同様に“うみ”の人間らしき人物が十数人見受けられた。

「それは……本当にお疲れさまですね」
「これでも艦を預かる身だからね、こういう場にも顔を出さなきゃならない。……正直、柄じゃないんだが」

 肩を揉むジェスチャーで疲労感をアピールするクロノ。上流階級独特の、甘く腐敗した空気を好き好めるほど彼の性根は腐っていない。公務でなければ御免被りたいところだと辟易していた。

「君たち、僕のことは無視かい……」

 会話から閉め出されていたロン毛のハンサムがつぶやく。すると、今初めて気がついたかのように攸夜が瞠目した。

「おや、ヴェロッサさんも居たんですか」
「すまない。ついノリでな」
「ワザとらしくて泣けてくるね。……毎回、会う度に思うんだけど、僕に何か恨みでもあるのかな」

 白スーツの色男──時空管理局本局査察部査察官、ヴェロッサ・アコースが冗談めかして肩をすくめると、攸夜はあからさまに眉をしかめた。不快感を示すポーズだ。

「足下でウロチョロ嗅ぎ回られて目障りなんですよ。査察部の仕事だと理解はしてますが、ご自分の分くらい弁えていただきたい」
「しかしね、“次元封鎖特装艦”のまるで嘘のような建造スケジュールや“マシンサーヴァント”の性急な普及、そしてブルームデバイスの配備とそれに伴う非魔導師の戦力化などなど──君に関する黒い噂は後を絶えないんだよ、魔王殿?」
「何のことだか自分にはわかりませんが、ヴェロッサ・アコース査察官」

 軽薄な微笑を浮かべたヴェロッサの探るような視線は、無表情にも見えるポーカーフェイスに遮られた。仮面を身に着け、本音を隠すことは攸夜の数ある習性の一つ。こころを明かすのは、大切な人だけでいいのだから。
 しかし、対するヴェロッサも無言のプレッシャーに怖じ気ずくことなく追求を重ねる。

「包み隠さずに言えば、君が管理局の私物化を目論見んでいるのではないか、と警戒する向きもあるって訳さ」
「滅相もない、大袈裟ですよ。たかが一個人に、そんな大それたこと出来るわけがありません」
「いや、その話は僕も耳にしている。マシンサーヴァントは優秀であるし、“箒”──ブルームデバイスの普及で管理局全体の戦力が安定しつつあるのは確かだが、同時に、ごく一部の高官への権力集中を危惧する声があるのも事実だ──君が懇意にしている人物達への、な」

 クロノは目の端で、某国外相と親しげに歓談するレジアス・ゲイズの様子を窺う。それを当てつけと感じた攸夜がむっつりとした表情で返答する。

「……俺の身分は最高評議会のエージェントです。この言葉の意味、お二人ならご理解いただけると思いますが」

 “最高評議会”の一言にクロノとヴェロッサは鼻白み、口を噤んだ。

 開局以来、秘密裏に時空管理局を牛耳ってきた最高評議会だが、つい最近、一般職員に向けて概要が公表されていた。
 もっとも、あくまで管理局に上位機関が存在することを公開しただけなのだが。──これは、腐敗しつつある管理局の綱紀粛正の一環である。
 権限を強化し、なおかつ非合法な手段を自ら制限して規律を正す。無論、それらを主導しているのは評議会自身だが、その影に裏界魔王の暗躍があることは間違いなかった。

「最高評議会……君以上に黒い噂の絶えない組織だな。先のラグオル破棄は彼らの意向だと聞いているが──どれだけの命が犠牲なったのか、考えただけで目眩がするな」
「……お言葉ですけどクロノさん。少数を切り捨て、最大多数を救う決断をするのは為政者の責任でしょう?」
「世界のためという建て前を掲げれば、何をしても構わないというのは独裁者の傲慢だと思うが」
「ッ、傲慢でも何でも、誰かが泥を被らなきゃ綺麗事は真実ほんとうにならない! “曇りのない平和”なんて、この世のどこにもないんだよ!!」
「そんなもの、君に言われなくともわかっている!!」

 色合いの違うアオい瞳の間に、静かな火花が散る。公衆の目などお構いなしに気炎を上げる義兄弟に挟まれて、ヴェロッサはやれやれと頭を振った。

 もともと水と油な彼らだが、政治的な話題になると特に仲違いが酷かった。侃々諤々、水掛け論に次ぐ水掛け論で収拾がつかず、毎回、仲裁に入らないと戦闘に発展しかねないまでにヒートアップする。──つまるところ、宝穣 攸夜とクロノ・ハラオウンは相容れないのだ。
 根本的な立ち位置や観点、思想──イデオロギーというものがまるで違うために、意見が平行線にならざるを得ないのだろう。その点は公人としてのはやても同じで、たびたび攸夜と顔を突き合わせては激論を重ねていた。


(言い出したのは僕だけど、これ以上はさすがにマズいかな? 藪をつついて大蛇を呼んでもつまらないからね)

 さすがにこの場で戦いを始めはしないだろうが、言い争いをしているだけでもよろしくない。「あー……君たち、ちょっと冷静になりなよ」周囲の嫌なざわめきを感じ取り、ヴェロッサが睨み合いを続ける二人の間に割って入る。
 ジロリ、とアオい二組の眼光に射抜かれて、ヴェロッサの額にたらりと冷や汗が流れた。

「と、ところで妹君はどこにいるんだろうね、クロノ」
「んっ……言われてみれば姿が見当たらないな。攸夜、フェイトはどこだ? 一緒じゃないのか」
「フェイトですか? 彼女なら控え室ですよ。女性の支度には時間がかかりますからね」

 それまでの険悪な空気が嘘のようなトーンで掛け合う攸夜とクロノ。フェイトのことになると途端に団結する馬鹿二人に、ヴェロッサは頭を抱えた。
 攸夜が懐から銀製の懐中時計を取り出して時間を確認する。

「そろそろ来る頃かな──っと、ほら、噂をすれば」

 ざわ……、会場全体がにわかにざわめいた。
 入り口付近で、格調高い鮮やかな真紅のイブニングドレスと、同じ色の長手袋を纏った見事な美女──いや美少女が、キョロキョロと居心地が悪い様子で辺りを見回している。少女と表現するにはいささか艶やか過ぎるが、如何せん挙動不審な立ち振る舞いが子どもっぽくて台無しだった。

 ──だが、美少女だ。それも極上の。

 色白の肩と背中を大胆に露出したマーメードスカートのドレスはベルベット生地のオーダーメイド。大胆に切り込まれたスリットから黒のストッキングが覗き、無駄なく引き締まり、それでいてまろやかなスタイルを強調する。全体に緩やかなウェーブのかかったブロンドを、後頭部でまとめたヘアスタイルが大人びていてセクシーだ。
 黒いエナメルのハンドバッグを持ち、身に着けた装飾品はいつものネックレスと、シンプルなプラチナの腕輪とクロスのイヤリングだけ。しかし、質素なアクセサリーが返って淑やかな美しさを引き立てていた。

「ほう、これはこれは……」

 軟派なヴェロッサのニヤつきにクロノが眉をひそめ、攸夜の表情筋がひくつく。彼以外にも何名かが同様に感嘆のため息を零した。

 会場──主に男性──の視線を一身に集めてしまった少女は、真っ赤になって恥じらい、身を縮める。
 涙目で会場を見渡す様子はまさに親とはぐれた子犬のよう。ようやく蒼海の瞳を発見すると、薄化粧が施された美貌を満開の笑顔で輝かせた。その可憐な表情でさらに数人がオチたのは余談だ。
 慣れないヒールとドレスの裾に戸惑いつつ会場を横断し、三人の元に駆け寄ってくる。

「ユーヤっ!」

 まるで突進のように少女──フェイトは恋人の首根っこに抱きつく。
 どんっ!
 強烈なタックルをこともなげに受け止めて。攸夜は彼女の柔肌をそっと抱きしめてやった。

「よかった……、見つかって」
「大袈裟だな、フェイトは」
「だって……」

 少しむくれるフェイト。だが、その表情は安堵で満ちていて。馴染みのない場所でひとりぼっちが心細かったのだろう。
 “スイッチ”が入っている時ならばともかく、普段のフェイトは甘えん坊の寂しがりや。愛が足りないとしおれてしまう、脆くて儚い女の子だ。──その傾向が日に日にひどくなっている原因は、病的なほど溺愛して甘やかす攸夜にあったのだが。


「そのドレス、すごく似合ってる。──綺麗だ、フェイト」
「うれしい……その、ユーヤも、王子さまみたいでとってもステキだよ」



「……ヴェロッサ」
「なんだい、クロノ」
「無視された君の気持ちがわかったような気がするよ」
「そうか……、うれしくて泣けてくるね」

 ふたりの世界へと爆走するバカップルを見やりつつ、単身赴任中の旦那と文字通りの独身貴族は遠い目で、現実逃避した。



[8913] 番外編 よんのろく
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/01/23 23:09
 


 蒼穹と真紅──まるで対極的でお似合いな若いカップルは、古狸や化け狐を始めとした魑魅魍魎の中でもよく目立つ。それが人智を越えて理不尽な存在“魔王”と、そのウィークポイントとされるただ一人の少女なら、注目を集めてしまうのは世の必然だった。


 管理世界連盟安全保障理事会、常任理事世界の防衛大臣と攸夜が“仕事”──ネットワークセキュリティーに関しての密談を交わしている。
 その傍ら、ドレスのお嬢さんは引きつった笑顔まま凍り付いていた。

(あううぅ〜、さっきの人は聖王教会の司教さまで、今度もニュースで見たことある人で──あああ、みんなこっち見てるよ〜〜っ!?)

 頭の中はパンク寸前。ただいま元気にテンパり中だった。


 ──現在フェイトは、用談でお偉方と顔合わせしなければならない攸夜について、接待の真似事をしていた。
 初めは百戦錬磨の政客と渡り合う攸夜の仕事っぷりを新鮮な驚きとともに萌えていたフェイトも、腹芸を交えた小難しい話にちょっぴりウンザリフォーム。事前に「黙って愛想笑いを振りまいてればいいよ」と言い含められていたものの、ニュースや新聞で日ごろ目にする人物に緊張し、気疲れしてしまうのも無理はない。
 まあ、こういった堅苦しい場での経験が乏しい──リンディとクロノが意図的に遠ざけ、庇護していたためだ──箱入り娘の彼女にしては、むしろよくやっていると褒めてあげるべきだろう。ヒクヒクと頬を引きつらせても、笑顔は絶やしていないのだから。


 ちなみに、クロノたちとはずいぶん前に別れていた。
 迂闊にも、フェイトを冗談混じりとは言え口説こうとしたヴェロッサが、義兄弟タッグの逆鱗に触れたのは余談である。
 ひどく愉快そうな笑顔で憤怒する魔王のプレッシャーを味わった色男は、十年は寿命が縮んだと語ったとか。「俺の女を口説こうなんて、いい度胸じゃないか、色男。──コンクリに積めて湾に沈めるぞ?」とは攸夜の言葉だ。
 女の子同士のじゃれ合いでさえ嫌がる焼き餅焼きな攸夜と、お兄ちゃん道免許皆伝のクロノを相手に命があるだけまだマシといえよう。


 さておき。用談もあらかた終った二人はホールの隅っこで料理に舌鼓を打っていた。

「……フェイト、もう少しゆっくり食べたらどうだ?」
「はっへ……こほおいほほへんぷはおいひいんはほん」
「何? “だって……このお芋の天ぷらおいしいんだもん”? ──芋類好きだものな、フェイトって」

 訂正。フェイトは貪っていた。
 ビュッフェ形式で用意された料理の数々を──食べられない量ではない。念のため──、パクパクもぐもぐお口に運ぶ。
 ストレス解消なのかもしれないが、正直かなりはしたない。攸夜は「きっと後で、風呂上がりの体重計にヘコむんだろうなあ……」とあくどい顔で微笑ましく思った。

「うーはほいっほひはべほ?」
「“ユーヤもいっしょに食べよ?”──まあ、食べるけど。こういう料理を食べる機会ってあんまりないしさ」

 “何事もプロフェッショナルの仕事が一番”が持論の攸夜なので、こういった集まりで提供される料理を期待していたりする。どこぞの“志宝エリス”よろしく、さりげに食道楽だった。


 TPOに合わせ、優雅な箸使いでサーモンの寿司をつまむ攸夜と、見ているだけで胸やけしそうな量の食物を消費していくフェイト。そんな独特の空気漂うテーブルに、ブラウンの礼服を身に着けた威厳漂う初老の男性が、秘書らしき長髪の女性と跳ねっ毛の女性を引き連れて近付く。
 長髪の方はどこか鋭利で感情に乏しく、跳ねっ毛の方は目つきが悪くて眼鏡をかけている。どちらも金髪紅眼の少女を見ると金色の瞳を瞠目した。

「楽しんでいるようだな、宝穣 攸夜」
「これは中将閣下、ご無沙汰してます。さすがは地上本部の祝賀会ですね、僭越ながら満喫させていただいていますよ」
「相変わらず、ペラペラと口の回る男だ」

 男性──レジアス・ゲイズの姿を見てとり、攸夜はすぐさま席を立って挨拶と社交辞令とを紡ぎ出す。仮痴不癲、道化の擬態には慣れたものだ。
 他方、ハムスターのようにほっぺを膨らませていたフェイトは、とても偉い人の来襲に驚いて言葉にならない叫びを発する。そして、頬ばった食べ物を飲み下そうとするが──

「フェイト、そんなに慌てると喉に詰まらせるぞ」
「んぐっ!? ──ーっっ!」
「ああ、言わんこっちゃない。ほら、こっちにおいで」
「──っっっ、っっ!!」

 涙目で苦しそうに咽せる少女の背中を、攸夜が苦笑混じりにさする。水を飲ませ、口元の食べかすまで拭ってやる献身──というか過保護ぶりに、レジアスは娘がほんの小さかった頃のことを思い出した。

(オーリスにも可愛らしい頃があったな。オムツを代えたり、風呂に入れたり……)

 案外、子煩悩だったらしい。
 その娘の耳に入ったら、しこたまシバかれること間違いなしである。

「し、失礼しましたっ」死地から帰還し、しゃちこばって敬礼しようとする少女をレジアスの手が制す。「今は祝いの席だ、楽にしていい」と告げられても、フェイトは恐縮しきり。
 なぜか満足そうにうんうん肯いていた攸夜が、微妙な表情をしていた秘書二人組へと視線を向ける。蒼い眼光に射抜かれ、眼鏡の方が肩を震わせた。

「お前たち、ちゃんと真面目に働いてるみたいじゃないか。お兄さんは感心してしまったよ──なあ、四番?」

 当てこすりの言葉と無邪気すぎる笑み。“あおいあくま”がひさびさに光臨した……! とフェイトさんが他人事ながら震え上がる。

「はひっ! わわわ、ワタクシのような最低下劣でゴミクズでウジ虫以下な社会不適合者が息を吸えるのもみんな全て貴方様のお陰でございますですはいっ!」

 冷や汗を額に浮かべ、目をグルグルさせて激しく動揺する眼鏡の秘書(仮)が、異常に遜ったセリフを一息で言い切った。おどおどビクビク、明らかに怯え竦んでいる彼女を庇って、もう一方が前に出る。

「妹を虐めるのは止めていただけませんか」
「虐めてるつもりはないんだがなー。お前らが真人間になったことを心から感心してるんだぜ、俺は」
「……我々が働かなければ、ドクターは明日の食にも困りますので」
「毎月仕送りしてるんだっけ? 五番から聞いたよ。親思いで泣かせるねえ、浪花節って奴だ」
「そう仰るのでしたら資金援助を早急に増やしてください。困窮してるんです、割と真剣に」
「支流のプロジェクトには余るくらいの予算をつけてるはずだが。どうせあのマッドが趣味に使い込んだんだろ」
「うっ」
「図星か」

 仲良し──には見えないが、自分の知らない恋人の知人……それも妙齢の女性の出現に、フェイトの眉尻が自然とつり上がる。「だれ?」と冷たい声の問いが飛ぶと、「ん? 戦闘機人だよ」と世間話をするようなトーンの答えが返った。

「は……? えっ、せ、戦闘機人!?」
「そ、スカリエッティ印の戦闘機人。今は社会奉仕として、中将閣下の護衛と秘書をやってる二番と四番だ」
「ドゥーエです」
「く、クアットロと申します」

 おざなりな紹介を自ら修正する彼女らは、“ナンバーズ”とも呼ばれる“戦闘機人”──いわゆるサイボーグである。
 元々は管理局の人手不足を解消するべく最高評議会と、それに協力したレジアスの暗躍により産み出された戦闘機人たちは、今や時代遅れとされても差し支えない存在だった。製造にクローンニングや外科的処置が必須という倫理的な問題はもちろん、費用対効果から考えて、低ランクの魔導師に“箒”を装備させる方が明らかに安上がりで堅実なのだから。
 ──そんな彼女らは、法を犯し、図らずも“親友”を謀殺してしまったレジアスの罪咎の象徴だ。用済みとなった今も手元に置くのは彼なりの贖罪、代償行為だったのかもしれない。


 ──閑話休題。

 威丈夫の咳払でコントは終了。皆、居住まいを正す。

「重ね重ね失礼しました。それで、何かご用でしょうか」

 襟を正した攸夜が改まって用向きを問い合わせると、レジアスは首肯した。

「いくつか問いたいことがあってな。“評議会”ユニットの移送と“あの男”についてだ」
「“評議会”ユニットのことでしたら、無事にセフィロトへ到着したと部下から報告を受けています。今頃は接続作業の真っ最中でしょう。
 “ナイト”と“プリンセス”の足取りについては何も。個人的にも手勢を使って追わせてはいますが……」
「──そうか」

 どこか残念そうに瞼を伏せ、年月の刻まれた顔を感傷で染めたレジアスだったが、開眼した時には“管理局中将”らしい鋼のような面構えを取り戻していた。

「貴様が陳情していた“特務部隊”、来年度には発足出来るよう手配しておく。やるべき根回しは済ませておけ」
「了解です」
「邪魔をしたな」
「あ、はい」

 それぞれに一声かけると、用事は終わったとばかりに踵を返す。ドゥーエとクアットロが一礼してそそくさと後を追う。
 質実剛健──それがレジアス・ゲイズという男だった。



「ふぅ……ねえ、ユーヤ」

 全身の緊張を解いたフェイトが傍らの青年を見上げ、呼びかけた。

「あのクアットロってひと、なにかおかしくなかった?」
「ん、戦闘機人のことが気になるのか」
「そうじゃなくて……ううん、それもあるけど。ただ、あなたのことをひどく怖がってたみたいだから」

 ああ、と得心の声。

「小悪党の癖に態度が生意気だったんでね。ちょっとばかりおしおきと調教をして、性根を叩き直してやったんだよ」

 くつくつ愉しげに喉を鳴らす魔王の口元がサディスティックに歪む。
 その表情は非常に見覚えのあるもので、フェイトは何だか気の毒になってしまった。

「──ところでフェイト」
「うん、なに?」
「実は上に部屋を取ってるんだ。さすがにスイートルームとはいかないけど、ね」
「それって……?」

 柔らかな頬を両手で挟み、攸夜は紅い瞳をのぞき込む。
 ひたすら見つめる。ひたすらに。まっすぐに。混じりっけのない澄みきった蒼い瞳で。
 そこに凝縮された昏い何かが“母”を思わせて。フェイトの芯をぞくぞくと震わせる。

「や……、だめだよ……。ひとに見られるよ……」
「見たい奴には見せつけてやればいいんだ。気にするな、俺は気にしない」

 いたずらっぼい笑みが寄せられて、フェイトの震えが大きくなる。今からするの? と危ぶんで。してくれるの? と期待して。

「そういう問題じゃな、んんっ!?」

 気持ちとは裏腹な言葉を遮り、唇が押しつけられる。強くて熱い密着感が、フェイトの思考を沸き立たせる。
 露出した背中やキュッと締まった腰、ふっくらとした臀部を優しく丁寧に愛撫され、もうクラクラの腰砕け。女の悦びを徹底的に仕込まれた無垢な少女のカラダは、これだけで完全に出来上がってしまう。

「ぷぁ……、ゆーやぁ……」

 永遠のように長い間、好きなように蹂躙され、とろとろに惚けきった口元から吐息が零れ落ちた。

「で、何が問題だって?」
「……もう、イジワル」

 瞳を潤ませて、少女は恨みがましい視線をいじめっこな恋人に送る。その両手は、彼の胸元をしかと握りしめていた。

「今日のユーヤ……、なんだかえっちだ」
「フェイトがあんまり綺麗なもんだから、年甲斐もなく昴ぶっちゃっててさ」

 フェイトは、蒼海の瞳に常見られない情欲が揺れるのを見た。
 ──というか、おへそ辺りに熱くて堅いモノが以下略。

「今夜は加減が出来そうにないんだ。嫌だと言っても攫っていくよ、お姫様?」
「わっ、強引、だね」
「そうとも、俺は悪の大魔王サマだから。たまにはケダモノにもなります、よっ」
「きゃっ♪」

 新雪の肌を薔薇色に染めた“お姫様”を、自称悪い“魔王”は文字通りお姫様だっこで抱き上げて。そのままホールの真ん中を悠然と突っ切り、会場を後にした。
 その間、観衆の視線を一身に浴びて、フェイトはますます真っ赤っか。しかし、どこかうれしそう──どうやら、今宵の宴はまだまだ終わりそうにないようだ。



 こうして、“戦争”が激化する前の夜は更けていった────



[8913] 第十三話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/01/28 23:11
 


 凍り付くような北風が肌を刺す、ぐんと冷え込む秋の暮れ。旧暦では霜月とも呼ばれる頃。
 様々な物事の終わりを暗示させる、季節の変わり目────


 雲一つない、真っ青な大空から降り注ぐ比較的暖かな日差しを浴びて、少女は家族と旅立ちの挨拶を交わしていた。

「なのは、本当に大丈夫なの?」

 姉が心底心配そうな表情で、気遣うような声を出す。

「心配いらないよ、お姉ちゃん。高校生の間、ずっとお休みしたんだもん。充電完了、元気百倍だよ」

 身体を酷使していた頃の古傷や“魔王”と孤立無援で戦った代償は深い。だが、健やかに過ごした日々は確かに少女の傷を癒していた。
 さすがに完治とはいかない──右腕の感覚は未だに少し鈍い──が、それでも、同じ時間だけ無茶を重ねたのとでは比べようもない。

「……身体には気をつけるんだぞ、特に生水は危ないからな。夜道の一人歩きは絶対駄目だ。それから──」
「だいじょーぶ。なのははだいじょうぶです、お父さん。
 フェイトちゃんとユーノくん。クロノくんにはやてちゃん、ヴィータちゃん、シグナムさん、シャマル先生──それから、えっと……あ、あと、攸夜くんもついててくれるから」

 そうか、と父が言う。
 その声色には複雑な心境が滲んでいた。きっと、愛娘が死地に向かおうとしていることを察しているのだろう。
 けれども。決して止めようとしないのは、彼女が自らの意志で決めたことだから。もう彼女は子どもではないのだ。
 この無鉄砲な娘が、天下無敵の頑固者なのは父親である彼が一番よく知っていた。

「やっぱり、なのはが行くことないよ! 他の子に任せたって──」
「美由希、よしなさい」
「──でも、お母さんっ」

 食い下がる姉を母が諫める。
 とんとん、と肩を叩いて宥めると、笑顔のまま少女に向き直った。

「なのはが自分で考えて、考え抜いて決心したことだもの。私たちは応援してあげなきゃ──そうよね? なのは」
「うん。誰かに言われたとか、状況に流されたとかじゃなくて。自分でちゃんと決めたことだから……また、空を飛ぼうって」

 押し寄せる漠然とした不安に抗おうと、少女は首から下げた紅い宝石を握りしめた。
 不屈と呼ばれた少女の心は、粉々に砕け散った。なくしたのは“勇気”、困難に立ち向かう自分を信じる力だった。

 ──彼女は、自分の力が、魔法の力が怖かった。

 力を振るえば、必ずまたどこかの誰かを傷つけてしまう。誰かのナニカを奪ってしまう。
 あの「真っ紅な光景」は、今でも心に絡み付いて離れない。両手が真っ紅な血濡れに見えて、震えが止まらない。
 どうしようもなく、自分が穢れてしまっているように感じて。

 翼はあるのに、飛ぶのが怖くて────、


「──あっ……」

 昏い深みに嵌っていく思考を引き上げてくれたのは、暖かな温もりだった。

「でも……、辛くなったらいつでも帰って来ていいのよ。なんたって、ここはあなたの家なんですからね」

 少女を包み込みながら、母が言う。
 やさしい響きが乾いた大地に降る雨のように、じんわりと心の亀裂に染み込んでいく。

「……うん」

 ふわり──どこか懐かしいにおいが鼻腔をくすぐる。
 ああ、自分はこんなにも。こんなにもあったかい場所にいたんだ──家族のやさしさを改めて思い知り、少女は目頭が熱くなる。
 なくもんか! と瞼に力を入れたら余計に涙が零れて。母の胸は少女の涙で濡てしまった。──クスリと微笑ましく思われたような気がする。


 ──あの頃は、

 “魔法”に出会ったあの頃は。自分だけ、家族の中で浮いてるって思ってた。
 自分にできることはなんにもないって思ってた。魔法だけしかないって思いこんでた。

 けど、それは大きな間違い。

 ほんとはみんな、私のことを思ってくれてて。
 ほんとはいっぱい、私にできることがあった。魔法なんかじゃなくても、誰かのためになにかをできるんだって。

 お母さん、お父さん、お姉ちゃんと、いまは留守だけど、お兄ちゃん……みんな、ありがとう。
 わがままで、ごめんなさい。

(たしかに私……子どもだったよ、攸夜くん。勝手に期待して、勝手に失望して、ひとりでぐるぐる空回りして──まわりのこと、ぜんぜん見えてなかった。
 ……そんな私の、私だけの戦う理由、戦う意味……、それがなんなのか、まだよくわかんないけど──)


 ──でも。だから。今度こそ、

「今度こそ、決着つけなきゃ。いままでと、これからに」

 呪文のように小さく呟いて。
 ふう、と深く息を吐き、少女は顔を上げた。
 永遠の別れなんかじゃない。きっと、必ず、ぜったい──ここに帰ってくる。そんな思いを込めて、彼女は言葉を紡ぐ。


「それじゃ──、いってきまーすっ!」


 日溜まりのように朗らかな笑顔を咲かせて、少女──高町なのはは旅立ちの一歩を力強く、踏み出した。













  第十三話 「禍福は糾える縄の如く 運命の天秤は表裏の狭間で揺れて」











 ──新暦75年 一月某日


 週に一二度の割合で、“冥魔”や違法魔導師と管理局魔導師の市街地戦が勃発するものの、それ以外は至って平穏なクラナガンの休日。
 よく晴れた空の下、自宅マンション近くの公道に停めた蒼と黒のオートバイの側に攸夜はいた。

「〜♪」

 鼻歌を混じりでバイク型“箒”、オラシオンを磨く。
 ワックスの乗った布切れ片手にひどくご機嫌なのも無理はない。今日は久しぶりに、自分の全てよりもずっと大事な愛しい女の子とデートに行く予定なのだから。
 毎日毎晩年中無休でイチャついてるじゃないか、という至極真っ当な指摘は意味を成さない。「愛し合ってる二人が一緒にいることの何がおかしいか」と反論されるのがオチである。

 ──同棲を始めて約三年。

 たまに喧嘩をしたりもするが、彼と彼女の仲は未だにつき合い始めた頃のまま。その病的なまでのおしどりっぷりは、親しい友人たちは「さっさと籍入れろ」と口を揃えるほど。
 お互いがお互いを不可欠とする──、それはまさに比翼連理の契りと呼ぶに相応しい絆の在り方。しかし同時に、どこか危うい結びつきのカタチだ。


 余談だが、このオラシオンは“箒”コレクターである攸夜お気に入りの一品で、“箒”にも分類される自らの分身アイン・ソフ・オウルの次に大事にしている。
 形ある確かなものへの執着傾向がある攸夜は、こういったことでも拘りを遺憾なく発揮。ファー・ジ・アースのメーカーに赴いてデザインを事細かく指定した一品物だ。
 “自分の属すると決めた共同体のルールは最大限尊重する”がモットーの攸夜なので、もちろん車検や免許など、ミッドチルダの法律を遵守していることは言うまでもない。──権力を使っていろいろ優遇を受けているのは秘密だが。
 なお、機械音痴は相変わらずなので、“箒”の整備やオプションパーツの増設などはほとんど人任せだったりする。こればっかりは相性が悪すぎるので妥協する他ない。

「……んむ、我ながら見事な仕上がりだな。こう完璧だと、思わず世界を破壊する旅に出たくなるね」

 ピカピカなった愛車を眺めて、攸夜が満足げに頷く。独り言ちたセリフは割と洒落にならない。
 とその時、エントランスから少女──もうそう呼ぶには大人びてい過ぎる──が慌てて飛び出した。
 息を弾ませる彼女──フェイトが、ボロ切れで汚れた手を拭う攸夜の前に駆け寄った。

「いつも、ごめんね。待たせてばっかりで」
「ん、いいよ別に。俺は俺でコイツを磨いてたんだし。……それに、女の子の支度を待つのも男の甲斐性だからね」

「そうなんだ〜」大きな瞳をまんまるに見開いてフェイトが関心する。そして少し考えた後、「なんだかカッコいいねっ」とよくわからないコメントを炸裂させた。
 一方の攸夜も内側では「実際、二時間も待たされることになったよ」とバッチリ的中した数年前の自分の予想に苦笑していたりする。
 過去に思いを馳せることを切り上げ、攸夜はフェイトの柔らかくもすらりとした総身をじっくりと眺めた。──やらしい意味ではない、たぶん。

 彼女の今朝のお召し物は、赤いタータンチェックのスカートを主体にした活発な印象の装い。
 普段の大人しめな、ある意味清楚な服装ではないのはバイクで出かけることを考慮した結果だろう。黒のサイハイソックスを履いてくるあたり、攸夜の嗜好はしっかり把握していた。

 ジーッと見つめられて恥ずかしいのか、所在なさげにもじもじするフェイトを観察──というか愛でていた攸夜が、ふとあることに気づいて口を開く。

「……もしかして、メイクのイメージ少し変えた?」
「あ、う、うん。ユーヤ、あんまり派手なのは好きじゃないって前に言ってたから……ダメ、かな」

 金色わんこが不安げな上目遣いでアースブルーの双眸を覗き込んだ。
 最近、身だしなみ程度の化粧を覚えたフェイト。密かに義母や義姉、それからたまにメイド魔王からもおしゃれのイロハを学んでいる。
 生来の生真面目さと努力家な面を発揮して、それなりに上手くなっているようだ。──その根底には「大好きなひとにすこしでも喜んでもらいたい」という、けなげな想いがあることは間違いない。テスタロッサさん的世界観でいうところの「世界そのもの」である“ユーヤ”のためなら、命だって擲てることは十年前に実証されているのだから。

「駄目じゃないよ。──けど、どんな君でも好きだけど、俺が一番好きなのはありのままの君だな」

 フェイトがはっと息を呑む。まるで求愛の言葉に、白皙の肌がほんのり朱に染まうのも無理からぬことだろう。
 小さい変化にも目敏く気づき、歯の浮くような言葉を素面で吐けるところがタラシと呼ばれる所以である。何を思って彼の“母”がこういう性質を彼に持たせたのかは定かではない。某フラグクラッシャーの鈍感さに耐えかねたのだろうか。

「よかった、ありがとう。ユーヤにそう言ってもらえると、すごくうれしい……」

 安堵したフェイトは、ふんわりあどけなくはにかんだ。羽毛のようにやわらかで、どこか面映ゆい表情がすごくかわいくて、攸夜はほんの微かに紅潮した。
 ポーカーフェイスをまるで維持できず、赤らんだ顔を左手が押さえる。動揺を隠しているつもりで全く隠せておらず無様だ。──惚れた弱みという奴だろうか、こうしてフェイトが時折見せる可憐さに、不意打ちされることもしばしばだった。
 つまるところ、“フェイト・テスタロッサ”はあらゆる意味において“宝穣 攸夜”の天敵なのだ。

「ユーヤ……?」
「い、いや、何でもない。それより、そろそろ行こうか」

 動揺を取り繕い、無理矢理気味の話題転換。一瞬気遣うような様子を見せたフェイトだったが、それ以上の追求はしない。彼女の妙なところで鋭い勘が問題なしと告げている。

「うん、そうだね。そうしよ」

 故に、彼女は相好を笑顔に崩して提案を受け入れたのだった。




 フェイトが背後の座席に座ったのを確認すると、攸夜は白い羽根を模した飾りの付いたキーを捻った。途端、狭角V型2気筒680ccの魔力エンジンに火が点き、鋼の心臓が唸りを上げる。

 十七インチのタイヤにゆったりとした低めのシート、スクーター風のスポーティーな外装はしかし、ニーグリップが可能な本格派。後輪を、左右から挟むように取り付けられた金色の翼のようなスタビライザーが、“箒”であることを強く主張している。
 近く、これの運用思想を発展させたオフロードタイプ──人型サポートメカへの変形機構つき──が、陸戦魔術師向けに実戦配備される予定だ。

「ちゃんと掴まったな?」
「うん」

 準備万端をアピールするように、指定席に収まったフェイトが大きな背中にぎゅーっと抱きつく。そんないじらしい仕草に頬を綻ばせつつ、攸夜はメットのバイザーを下ろしてアクセルを入れた。

「よし、それじゃあ──」
「──しゅっぱつしんこー、だねっ」

 急速回転したホイールが道路に焼け付くような跡を刻み、鋼鉄の騎馬が朝の摩天楼を駆け抜けていった。



[8913] 第十三話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/02/05 23:21
 


 時空管理局のお膝元、ミッドチルダ首都クラナガンの中央に聳え立つ地上本部ビル。次元航行艦隊──通称“うみ”が次元世界、多元宇宙という領域を守る矛ならば、ここ地上本部が統括する地上部隊──“りく”は、管理世界の大地とそこに住まう人々の時間を守る盾である。
 “世界”の安定には協力が不可欠と理解しつつも、凝り固まったセクショナリズムを振りかざして反目しあっていた両者は今、かつて例を見ないほど堅く結びついていた。
 しかし、そうなった原因が本当の意味で“外部”からの干渉だということを知るものは少ない────



 悪人面な眼鏡の女性秘書官に案内され、はやては地上本部の支配者とも揶揄される男、レジアス・ゲイズ中将の執務室前へとやってきた。
 彼女の表情は冴えない。目に見えるほど暗鬱な雰囲気を漂わせている。

「はあ……いやや、帰りたい。お家でごろごろしたい……」

 はやてはため息と情けない弱音をこぼす。こんな気持ちになるのは中学の頃、バカ騒ぎしすぎて職員室に呼び出されたとき以来だ。
 その後ろで、眼鏡の秘書がさっさと入れよと視線でせっついていた。

「……」

 まるで堅牢な城壁のように見える両開きのドアを軽くノックし、呼びかける。

「八神はやて三佐、出頭いたしました」
「──入れ」

 いぶし銀の声が扉の向こう側から聞こえ、はやては丹田の辺りに力を込めた。じわじわと高まる緊張に押し潰されないように。

「失礼します」

 ドアを開き、レジアス・ゲイズ中将の執務室へと足を踏み入れた。
 初めて訪れたそこは簡素で機能的な印象の部屋で、一面のガラス窓からクラナガンの街並みが一望できる。
 立派な顎髭を蓄えたこの場所の主──レジアスはひとり、デスクに着いて何かの資料を眺めている。彼の副官にして実の娘、オーリス・ゲイズは不在のようだ。
 近づくつれ強まる異様なプレッシャーに、はやては反射的に身震いする。

(私、この人苦手なんやけどな〜……)

 ガチガチの急進主義者であるレジアスのレアスキル──先天技能嫌いは有名な話だ。どちらかと言えば漸進的な改革を望み、“夜天の魔導書”という伝説級ロストロギアの持ち主であるはやては、自分が確実にマークされているだろうという確信があるのだ。
 つい、と冊子から目を離したの老練な眼光がデスクを挟んで立つ若き士官を捉える。
 内心で「なんやー、やるんかーっ」と精一杯の護身を発動させて身構えるはやてを見透かすかのように目を細め、レジアスが口を開く。

「こちらも時間が惜しいのでな、単刀直入に用件を言わせてもらう。──貴官には、近々新設される試験部隊の指揮官を任せる事になった」

 ドクン──
 不意の一言を契機に、はやての心臓が強く脈打った。

「私が、試験部隊の指揮官──部隊長を、ですか?」

 詰まり気味に言いながら、はやては自分が混乱し、同時に興奮していくのを感じていた。
 自分の部隊を持つ──それは数年前から胸に秘めていた彼女の“夢”、それが思いも寄らぬところから降って湧いたのだ。困惑するのも無理はない。

「そうだ。これはすでに決定事項だが、拒否権も特別に認めよう。よく精査して決めたまえ」

 興奮覚めやらないはやてを一瞥して、レジアスは先ほどまで眺めていた資料をデスクに放る。

「……拝見しても?」

 無言の肯定を受け、恐る恐る書類を手に取るはやて。そこには、新設部隊──名称未定──の詳細な情報が記されていた。

「この試験部隊はカウンターテロを目的とした特務部隊だ。頻発する次元犯罪や、“冥魔”の襲来に伴う管理世界全体の治安悪化を押しとどめるべく計画されたテストケースの一つとして、クラナガンを中心に一年間活動する事となる。
 指揮系統の関係上、地上本部直轄──つまり私の下に就いてもらうが、実際はベルカ自治区を始めとした各管理世界政府と時空管理局の総力を結集した一大プロジェクトの一環だ。その全てが上官だと考えろ」

 こりゃまた大仰なことになったわ〜、とはやては天を仰ぎたくなった。
 社会的な意味での危機回避本能が、エマージェンシー警報を高らかに鳴らしている。コンディションレッド、第一種戦闘態勢発令である。

(えー、なになに……、部隊長補佐にグリフィス・ロウラン、前線部隊長にフェイト・T・ハラオウン、副隊長兼教導官にナノハ・タカマチ──なのはちゃん、実戦のカンを取り戻すとかでしごかれとるて聞いたけど、ついに教導官に復帰するんか……。うげっ、ウチのコらも全員勢揃いかいな。
 それからフォワードは、スバル・ナカジマ、ティアナ・ランスター、エリオ・モンディアル、キャロ・ル・ルシエ……みんな名札つきの新人さんばっかや──このランスターってコ以外、みんな知ってるコやな)

 嫌な予感をビシビシと感じつつ資料に目を通していく。
 ふと、過ぎる異物感に手を取め、そのページに注視する。

(──ん、特別補佐官ツキノ・ウサギ一尉? 誰やこの人、えらくファンシーな名前や。……ぷふっ、似合わん! 絶望的に顔と名前が合っとらんっ! ていうか、どこの美少女戦士?
 ……あー、なるほど。漢字で書くと“宇佐木 月乃”になるんか。名前は日系やけど、顔立ちは中華系っぽいなぁ。前髪ぱっつんの黒髪美人……私らん中にはおらんタイプや。──中っくらいやけど揉みがいのありそうなおっぱいをお持ちで、うひひ)

 ボケる余裕はまだあるらしい。
 唯一空欄になっている“技術開発顧問”についても気かかったが、はやての思索はもっと別のところに向かっていた。

(……つーか、首脳陣からライトスタッフまでほとんど私の知った顔だけで固められとるんやけど! なんなんこの八神はやてシフトっ!?)

 拒否権を認めると言いつつ、どう見ても自分に隊長をやらせる気満々な人事に悪態が漏れる。
 過保護なまでにお膳立てされた計画の影に、某かの強い意志を感じるのだ。──具体的に言うと、ドライなように見えて実は超がつくほどウェットな天パの親友だとかの。

「……ヒドい身内人事ですね。いったいどんな手を使われたんで?」
「フッ、さてな。貴官が指揮を執るに最適の人材と最高の環境を整えたと上層部われわれは考えているが……これでは不足か、八神二佐」

 牽制のジャブを鼻で笑い、痛烈な皮肉で返すレジアス。これにノーと返事をしたら自分は無能だと宣言したも同然である。

「い、いえ、そんなことは」

(くっ、このオッサン……言うに事欠いて! これは本当に本局のお偉いさんも噛んでると見て間違いないな。
 あぁん、いやや〜、こないなうさん臭いモンには関わりたないぃ〜。私は、もっとマトモな方法で隊長になりたいんやぁぁーーっ!!)

「……この件について、いくつか質問してもよろしいでしょうか」

 心の中で泣きを入れても、表層には出さずに切り込む。
 はやてとて、それなりに権力闘争という奴を知っているのだ。弱みは見せない。──背中は嫌な汗でベットリだが。

「機密に抵触しない限りは答えよう」
「ありがとうございます」

 レジアスの説明が確かなら、この話を断れば上層部からの覚えは悪くなり、冷や飯食いに一直線なのは明らか。出世など絶望的だ。
 ならば懐に飛び込むしか道はあるまい。毒を食らわば皿まで、である。

「まず最初に、なぜ私なんでしょうか。こういった重要な案件は、もっと経験豊富な指揮官に任せるべきと考えます」
「貴官が、“冥魔”及び“魔王”との直接戦闘を経験している事を評価した結果だ。他の人員についても、基本的にこれを基準として選出している。
 現在管理局と裏界魔王は合従連衡、互いに不可侵の間柄だ。だが、奴らがいつ手の平を返すかわからんからな」

 ──なるほど、正論だ。
 湯水のように涌いてくる“冥魔”ならともかく、悪辣非道な“魔王”と戦闘した魔導師などはやての身内にしか存在しない。
 彼女らがいつまでも大人しくしているはずがないのだから、そういった備えも必要だろう。──もっとも、あの幼なじみならきっちり抑えるとはやてはある種の確信を感じていたが。“彼”には、そう思わせる何かがある。

「つ、次に部隊保有ランクが規定を明らかに超過している件についてですが」
「問題ない。近く、保有ランク制限に関連する特別措置法が“全会一致”で採択される。安心しろ、仮にも実戦部隊にリミッターを掛けて戦力を低下させるような本末転倒はせんよ」

 ──これも正論。
 強力な戦力を集めたというのにわざわざ力を制限するなどナンセンス、愚の骨頂である。別の場所に分散させた方がリスク管理の観点から見ても上策だ。
 ……不可解な四文字熟語が混じっていたような気もするが、全力でスルーである。

 そのあと、いくつか質問──主に、この件の“背景”について──をしたものの、それらは「機密だ」の一言で切り捨てられた。

「さ、最後に、難度の高い任務に赴くこととなる部隊に、任官して間もない新人を配属する意図をお伺いしたいです」

 いろいろな意味でグロッキーになりつつ、はやては一番訊きたかったことを問う。
「ふむ」レジアスが芝居がかった仕草で顎髭をしごいた。「時に八神二佐」

「はっ」
「一騎当千の魔導師一人で“平和”を守る事は可能か?」

 答えになってへんやないかいっ! と思うものの、抽象的な問いを試されていると感じたはやては慎重に答えを選ぶ。

「……いえ。たとえそれがSランクオーバーの魔導師であっても、万能ではありません。個人でできることの範囲には必ず限界が存在します」
「その通り。ごく一握りのエースが戦域を支配する時代はもう終わる。これからは画一的な装備と、確固たる組織力がこの次元世界の平和を担ってゆくのだ。故に、私は貴官らに直接的な戦果を期待していない」

 軽く演説をぶち上げたレジアスは、聞き捨てならない言葉でそれを締めくくった。
「は……?」と思わず不敬な言い方をしてしまうはやて。思考が停止しかけている。

「何、スポイルしろと言っているわけではない。しかしな、若く見目麗しいエリート魔導師と血気盛んな新人たちが切磋琢磨する──これほど見栄えのいいものはないと思わんか?」

 言い様は下世話だが、レジアスの鉄面皮はわずかも揺るがず。はやてはその意を汲み、眉をひそめた。

「……つまり、私にお仕着せの部隊で客寄せパンダの音頭を取れと」
「そうだ。広報活動、プロパガンダの大切さは貴官も理解しているだろう。任せるのはそういった性格を持つ部隊だと把握しろ。そしてその上で結果を出せ、八神“一佐”」
「──ッ!! 一佐、ですか」
「その若さで部隊長ともなれば風当たりも強くなろう。これは、現場レベルでのいざこざを回避するための措置だ。無論、そのような些末事で煩わせるつもり毛頭ないがな」

 試験部隊などと聞こえはいいが、要するに捨て駒上等の鉄砲玉だ。何か不祥事を起こせば、確実に責任者──この場合、はやての首が跳ね飛ぶ。
 昇進はその前の“アメ”、といったところか。

「さて一佐……どうだこの話、受けてくれるか?」

 含むような答えの催促。こうまで外堀を埋められてしまっては、進退窮まるどころの騒ぎではない。
 うらむで、攸夜君……。はやては、この件を黒幕と思われる魔王しんゆうの勝ち誇った邪笑を幻視した。
 以前、ギル・グレアムのやり様を「手緩い」と切り捨てたことのある彼だ。悪辣非道な手段を用いて徹底的に暗躍したのは間違いない。

 ──腹はくくった。
 何、結果を出せばいいのだ。
 身内ばかりで馴れ合い部隊になってしまいそうだが、そこは自分がしっかり規律を締めてやれば問題ない……たぶん。

「八神はやて一佐、その任、謹んで拝命いたします」

 非の打ち所のない敬礼。その堂々とした振る舞いに、レジアスの巌のような表情が一瞬、興味深そうに綻んだ。

(いまに見とれ古狸っ。今回はやられっぱなしやったけど、いつかぎゃふんと言わせたるっ! ──あー……あかん、私、はやまったかもしれへん)

 けれども。
 はやての内情は、情けなくもいい具合にカオスだった。



[8913] 第十三話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/02/19 23:26
 


「ごゆっくりどうぞ〜」

「どうも。──じゃあ行こうか、フェイト」
「うんっ」

 どこにでもあるような、それこそ海鳴市にだってあるごく普通のバーガーショップ。
 午前中、いろいろなお店を回った私たちは窓際のカウンター席に並んで、すこし遅めのお昼を楽しんでいた。

「あむ……」

 できたてホカホカのチーズバーガーをがぶり。
 とろとろに溶けたチーズがお肉の汁とからんでとってもおいしい。ユーヤの愛情たっぷりな手料理もいいけれど、こういうジャンクフードのほうが私の舌には合ってるのかもしれない。そのユーヤは、隣でちょっとしんなりしたフライドポテトをつまんでた。ハンバーガーに手をつけてないのは、彼が好きなものは最後まで取っておくタイプだからだ。

 ちなみに移動に使ったオートバイは、例のごとくユーヤのカグヤの中。お買い物の戦利品はともかく、あんなに大きなものまで入っちゃうなんてほんと便利だよ。

「しかし意外だな、フェイトに下着の収集癖があるなんて」
「癖って……、大げさだよ。私、大きいから、かわいいデザインのあんまり売ってなくて、だから、その……」
「はいはい、わかってますとも。スタイルのいい彼女を持って、俺は幸せだよ」

 っ、またそうやって恥ずかしいことをっ。かああっと顔が火照る。
 帰ってきてからこっち、ユーヤはずーっとこの調子。もちろん、ほめてもらえるのはすごくうれしいんだけど、時と場合くらい考えてほしい。

「しかしあの黒いのにはさすがに面食らったけどね」
「あ、うん、あれね。かわいくて、思わず買っちゃった」

 彼が言っているのは、さっき寄ったランジェリーショップで購入した黒いシルクのネグリジェのこと。フリルがひらひらで透けてるのところにひとめぼれしちゃって、衝動買いしてしまった。けっこう高くて今月のおこづかいはピンチだけど、いい買い物だったと思う。
 今夜さっそく着てみようかなって、ちょっとワクワク♪

「かわいい、ね……」

 ユーヤが微妙な表情でコーラのストローをすする。──あれ? 私、なにかおかしなこと言っちゃった?

「じゃあ、あの虎柄のかぼちゃぱんつもかわいいと?」
「あ、あれはっ! ただの冗談っていうか、その──……たしかに気に入ってるけど」
「……。……いや、ふぇいとさんのすっとぼけたところ、ぼくはすきですよ?」

 ひどい棒読み。ユーヤの空っぽな視線が痛い。
 ……。
 うん、話題を変えよう。

「と、ところで、ユーヤ。あそこ、女の子のお店なのにけっこう楽しんでたよね? 気まずかったり、気後れしたりとかしないの?」
「いんや、別に。一人では入ることなんてないから、物珍しくってさ。パステルカラーがいっぱいで目がチカチカしたよ」
「そうなんだ……男の人って、ああいうお店が苦手だって聞いてたけど。兄さんもそうらしいよ」
「まあ、普通はそうなんだろうな。だがしかし、アニマとアニムスを併せ持つ攸夜さんに隙はなかった」

 ふふん、とユーヤは得意げに鼻を鳴らした。……意味がよくわからない、変なの。
 彼のこういうノリにはちょっとついていけないところがある。うまく波長の合わせられるはやてがうらやましいよ。


「はむ……。んむ、たまにはこういうチープな味もいいよなぁ」

 大きなBLTバーガーに、ユーヤが大きな口を開いてかぶりつく。私のこと、「食のブラックホール」とか「はらぺこかいじゅう」だってからかうけど、ユーヤだってけっこう食いしんぼさんだ。

「……」

 もしゃもしゃ、よく噛んで食べる横顔は男らしくて頼もしい。男の子だからなのかな、ときどき野性味? みたいなものを感じて見とれてしまう。
 そういうことをみんなに話すと、とくにはやてやアリサなんかは「それは幻想、気の迷い」だって言う。なのはまで同意するし……納得できない。ユーヤの魅力をわかってないんだ、みんなは。──あっ、でも、ほかのひとが知ったらアプローチとかはじめちゃうのかな……? だ、ダメっ、ダメダメ! いまのナシっ!

「ごっそさん。さて、お次は何にしようかな、と」

 私が悩んでいるあいだに、ぜんぶ平らげてしまったらしいユーヤの口の端には、ケチャップが残っていた。
 ……ちょっと子どもみたいな彼が、どうしようもなく愛しくて──

「ユーヤ、こっち向いて?」
「ん?」

 私はその衝動のまま、振り向いたユーヤの頬に不意打ちで──
 ちゅっ
 キスみたいにケチャップをなめとる。

「っ!?」
「えへへ、ユーヤの味がして、おいしい」

 唇が触れたところを押さえて、目を白黒させるユーヤ。顔を赤くしちゃって──微かすぎて、私以外にはわからないと思う──、かわいい。
 けどたぶん。私の顔も、ゆでダコみたいに真っ赤っかだ。



 昼食のあと。
 お店を出て、街中をお散歩。
 恋人繋ぎでぶらぶら歩く。ユーヤのことだから、きっとまた迷子になってしまうに違いない。でも、それが楽しい。
 行くあてなんて、目的なんてなくったって、彼がそばにいてくれるなら私はそれだけで幸せだ。……ユーヤも同じなら、いいな。

 歩きながら交わすのは取り留めのないお喋り。
 いつも、いつでも、どんなときでも一緒の私たちだけど、会話の話題が尽きてしまうことはない。他愛ない、明日になったら忘れてしまいそうな──だからこそ、大事にしなきゃいけない時間だ。

「──そういえば。なのはが管理局の仕事に復帰したって話、聞いた?」
「うん、このまえ一緒に遊んだときに言ってたよ。……でもだいじょうぶかな、なのは。ブランクも長いんだし、またいつもみたいに無茶しなきゃいいけど」

 うー……、考えてたら余計不安になってきた。あとで連絡してみようかな。

「そんな心配することでもないだろ。アイツは、レイジングハートを手に入れて半月ほどで君を下した天才中の天才だぞ? ──無茶については反論出来ないが」
「それは、そうかもしれないけど……。ユーヤ、冷たい」

 うまく言葉にできないけど、なにか違う。もっと、こう……、あー、もやもやする!

「冷たいよ、俺はアリサ曰わく薄情者だからね──というのは冗談にしても、時には突き放して見守るのも優しさだよ、たぶんな」
「……そういうの、よくわからない」

 困ってるなら助けてあげたい。寂しいならそばにいてあげたい。泣いているなら支えてあげたい。
 ──そう思う気持ちは間違いなんかじゃないはずだ、ぜったいに。
 少なくても、私はそうやってユーヤとなのはに救ってもらったんだから。

「まあ、フェイトにはまだ難しいかな」

 くすくす、小さな笑い。
 バカにするようで、それでいてどこか暖かな──いろいろと鈍い私だけど、子ども扱いされてることくらいはわかる。またそうやって、わかったような顔して大人ぶるんだから。
 キッ、と非難がましく睨んでみた。……ダメだ。ユーヤ、涼しい顔してどこ吹く風を決め込んでる。

「もう……」

 ふてくされたふうを装って。視線を当て所なく泳がせた。
 私たちのまわりには、同じように道を行く人たちの姿。小さいこ、若いひと、大人のひと、お年寄り。男のひと、女のひと──みんな、穏やかで活気に溢れてる。
 ほとんど毎週のように、ユーヤがいうところの「世界の危機」が訪れてるのに、悲壮感なんてぜんぜんない。ミッドのみんなは案外図太いのかも。

 ──こうやって平穏な街を眺めているのは好きだ。あったかな、ぽかぼかとした気持ちになれるから。私の執務官としての働きが、この平和に貢献できてるって思えて。

「……ッ」

 でもときどき。切なくて、胸の奥のほうが苦しくもなる。
 とくに幸せそうな家族連れを見たときには。

 両親の愛の結晶なんて比喩を受けられるような、そんなまとも生まれじゃない。自分は、冷たい試験管の中で生まれた紛い物の命──その思いもまだ、胸の中でくすぶってる。
 彼と肌を重ねたあの夜から、日増しに強くなっていくこの感情を、たぶん私は生涯ずっと、死ぬまで──ううん、朽ち果てるまで抱え続けるだろう。
 不安は消えない。
 いまが幸せだからこそ、その幸せを失ってしまうのがこわくて。ひとりになるのがつらくて、こわくて……。
 いま思い返せば、彼のいない時間はひどく虚しくて色褪せているようだった。がむしゃらに、意味も見いだせずに……ただ前だけを見て突き進む日々──それはたしかに、私に自分の背負った重荷を忘れさせてくれたのかもしれない。けれど、そんなものはまやかしだ。
 “プロジェクトF”の影に、いまさら執着を感じているのがいい証拠。すべては、歴史の闇の中に葬り去られてしまったあとだというのに。


 役目を果たせず、必要とされなくなった人形に価値なんてあるのだろうか。
 容姿も命もすべて借り物、作り物のレプリカに意味なんてあるのだろうか。
 こんなマガイモノに、こんなにも想ってもらえる資格なんてあるのだろうか。
 私は……、新しい命を育むことができるのだろうか。


 ──“母さん”の言葉どおりにあがいて、ユーヤみたいに諦めないで、ありのままの私になろうって生きてみたけれど。いくら考えても、答えは出ない。

 「F.A.T.E.」……運命と名付けられた私の“運命”は────

 やっぱり、打ち捨てられた人形は腐り果ててしまうだけ?
 意味なんてないの?
 母さんを救えずに、犠牲にしてまで幸せになってもいいの?

 ……私はほんとうに、生きててもいいのかな────


「フェイト」
「ふえ?」

 不意に、名前を呼ばれて私は足を止める。ユーヤが数歩進んだあと、振り向いた。

「顔が強ばってるぞ」

 言いながら、ユーヤは私の両頬を引っ張る。ふに、と引っ張られても痛みはほとんど感じない。
 びっくりした私の目に飛び込んできたのは、透き通るサファイア。捕らえ所のない、刻一刻と色を変える瞳は私の心を捕らえてはなさない。

「またしょうもないことで悩んでるだろ?」
「しょうもなっ!? わ、私だって、私なりにいろいろ考えて……!」

 けっこう真剣だったのに、そんな言い方失礼しちゃうよ。
 ぷりぷりお冠な私の心なんてお見通しのユーヤは、やれやれと肩をすくめて大げさにため息をついた。

「悩むのは大いに結構だし、内容も何となくわかるけどな。お前の場合、悩み過ぎて余計に惑ってるじゃないか。回し車で遊ぶハムスターじゃないんだからさ」

 ……たしかに私、考えすぎの袋小路に迷いこんでぐるぐる回ってた。でも、ハムスターはないと思う。
「いいか、フェイト」彼の声が私の名前を呼ぶ。

「辛い時、悲しい時だからこそ笑うんだ。媚びず甘えず挫けず──自分を信じて艱難に打ち勝つために、な」

 いつもの不敵な笑みと傲岸な言葉が胸を貫く。こうやって、ユーヤは迷ってばかりの私を導いてくれるんだ。

「うん……、そうする。ありがとう」

 星空みたいな蒼い瞳を見上げて、私は精一杯の笑顔を浮かべた。“ありがとう”は、いつの間にか元気な気分になれたと気づいたから。……きっとあなたは、落ち込んだ私を元気づけようとしてくれたんだね。

「やればできるじゃないか。その方が、さっきの辛気くさい顔よりずっと綺麗でかわいいよ」
「ん……」

 そう言って、ユーヤは満足そうに私の頭をぐりぐりと力強く撫ではじめる。すこし痛いくらいの荒っぽさがいまは心地よかった。

 ──こうしてまた、私は漠然とした不安を隅に追いやって、蜜のように甘いやさしさに溺れていく。
 見たくないものから目をそらし続けている私は、いつか手酷い報いを受けるかもしれない。


 でもきっと、だいじょうぶ。


 どんなに悲しい過去も……どんなにつらい“運命”だって、ふたりの絆でなら乗り越えられる。
 彼からもらったたくさんの“希望”は──色褪せた私のセカイに意味をくれたこの光は、強くてやさしい心のチカラだ。

 そうして、今度はその光を世界中に広げていきたい。私にできることなんて高が知れてるけど。
 でも、それでも、

 諦めない。投げ出さない。

 ────だってこれが私の夢。生きる意味と戦う理由だから。



[8913] 第十三話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/02/12 23:14
 


 午後。
 案の定ふらふらと街中をさまよい歩いたあと、私たちはクラナガンの中央区画にあるセントラルパークにやってきた。

 緑に溢れ、まるで自然のなかにいると錯覚してしまうこの公園の広さは、南北に4キロ、東西に800メートルくらい。クラナガンに住む人々の憩いの場で、私たちもよく訪れてる。
 今回の目的は、ここでお店を開いている移動式のクレープ屋さん。近ごろミッドチルダの女の子の間でおいしいと評判の隠れた名店だ。テレビや雑誌の特集を見た遠くの次元世界の人が、わざわざ食べにやってくるくらいそれはもうおいしいのである。

 入り口からすこし入ったところ、ピンクのかわいらしい改造トラックが停車していた。
 幸い、並んでいる人がいないので早く食べられそう、だ……?

「あ」
「げっ」

 お店の前で、私たちは灰色の髪の女の子を連れた銀色の髪の女の子に出会した。
 むむっ。私の眉間には自然と力が入り、ユーヤの服の裾を思わず引っ張ってしまう。

「あー、アルだ。こんにちはー」
「おう、久しぶりだなアゼル。擬体の調子はどうよ?」
「うん、ばっちりだよ。でも、やっぱり動きづらいな」

 そこはかとなくはかない感じのする灰色の髪の子、アゼル・イブリスが人懐っこい笑顔でユーヤと挨拶を交わしている。
 私のことをナチュラルに無視してるけど、気にしない。気にしないったら気にしない。

「我慢しろ。それはお前の力を封じる拘束具なんだからな」
「うん、わかってる。……そういえば、このまえ温泉に入るとき、うっかり“脱ぎすぎて”星を滅ぼしちゃった」
「おいそれ幾つ目だよ? せめて人の居ない世界でやってくれよな。次元世界中の温泉地がうっかりで壊滅したらかなわん」
「はーい」

 ──ちょっと聞き捨てならない言葉が聞こえたんだけど?
 それはそれとして。ユーヤの話だと、彼女は次元世界すべての秘湯名湯を制覇するために各地を放浪してるそうだ。スケールが大きい、いろんな意味で。
 ていうかこの子、私とキャラがかぶってるんだよね。妙にユーヤに馴れ馴れしいし、気にいらないな……。

「んで、ベル。君は何やってんのさ?」
「その言葉、あんたにそっくり返してやるわよ」

 高慢ちきな言いぐさをするのは銀髪の子、ベール・ゼファー。彼女の目にも私の姿は入ってないみたいで、ユーヤにだけ切れ長な金色の瞳を向けていた。

「ったく、なんであんたの馬鹿面を拝まなきゃなんないのよ」
(馬鹿、面……?)

 失敬な暴言を吐き捨てた彼女は腕を組んでイヤそうな顔をしている。
 コメカミのあたりが自然反射でひくひく痙攣した。がまん、我慢だ私……っ!

「相変わらず辛辣だな。てか見ればわかるじゃない、デートですよ、でぇと。古風に言えば逢い引きだな」

 言いながら、ユーヤは私の肩を抱き寄せる。けっこう強めに抱かれると、いまでもドキドキしてしまう。まあ、それが心地いいんだれど。
 はふぅ……。かぎなれたユーヤのにおいに、ささくれ立った神経が治まって──

「へぇ……。フン」

 鼻で笑われて、高揚した気持ちが一気に醒めた。頭から冷や水をぶちまけられたみたいに。
 ベル──ううん、もうムシケラでいいよね、ハエだし──の私を見る眼は、道端の小石に向けたみたいにまるで興味がない。
 ……私、この子がキライだ。
 なのはを散々にいたぶって泣かせたこと、忘れてない。それにユーヤをいちいち見下す態度にも腹が立つ。彼がそんな態度を許容していることが気に入らない。
 気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない気に入らない────
 ユーヤの手前、大人しくしてるけど、そうじゃなかったらいますぐにでもザンバーでバラしてやりたいと思ってる。どうせ殺したって死なないんでしょ?

「フェイト、なんかすずか並みに真っ黒なオーラが……」
「えっ、なんのこと?」
「イエ、ナンデモアリマセンデスハイ」

 ……? 変なの。


 どうやら彼女たちもクレープを買いにきたらしく。なぜだかいっしょに食べることになってしまった。ユーヤのおごりで。
 せっかくふたりっきりだったのに。納得、いかないなぁ……。
 胸の中のもやもやはどうにも晴れないし、そんな気分で食べるクレープはぜんぜんおいしくない。これじゃ、せっかくのお休みが台無しだよ……。

「これおいしいね、ベル」
「まあ、そうね。悪くはないわ」

 急転直下な私のテンションを余所に、クレープにかぶりつく二人の魔王。彼女たちの姿はどこからどう見ても普通の女の子そのものだ。これで、次元航行艦を単独で墜とせる戦力だっていうんだから信じられない。同じことを魔導師がするとなると、かなり高位──それこそ“母さん”クラスにでもならないとムリだろう。
 ……よく勝てたな、私たち。

「──なあ、フェイト。いい加減機嫌直してくれよ」
「……私、機嫌悪くないもん」

 私の隣、ベンチに座ったユーヤがボサボサの髪を困ったようにかいている。すこし心苦しいけど、もっと困ればいいと思う。

「ほら、俺のチョコクレープやるから、な?」
「……」

 食べかけのチョコレートたっぷりなクレープを差し出すユーヤ。食べ物で釣ろうったってそうはいかないよ。……まあ、くれるんならもらうけど。

「あは、女の尻に敷かれてやんの。なっさけなーい」
「ほっとけ」

 一糸乱れぬ整列をしたハトの群れにパンくずをあげているムシケ──もとい、ベルが高飛車に言う。ちょっとむかっときた。
 どうも彼女は鳥に好かれるタイプらしく、さっきなんて公園中のハトにたかられてた。かなりホラーだ。そういえば、前にユーヤと見た映画で似たようなのがあったっけ。

「ところでベル」
「あによ。クレープならあげないわよ、いやしいわね」
「いらねーよ。……聞いてるぞ、ラジオ。何気にノリノリだよな、お前」

 ……ラジオ? なんのこと?
 会話についていけない私を置き去りに、コントがはじまる。

「え、ちょ、ち、違うわよ。あれはリオンが勝手に始めたことで──てか、聞いてるって現在進行系!?」
「だって俺、ハガキ職人だし。先週も「さげすんで、ベル様」で読まれたな。夜ノ森ユウ、あれ俺だから」
「最初期からのリスナーじゃないっ!? 毎週お便りありがとう! それからあんたの送ってくる罰ゲームのお題はいちいち絶妙すぎるわ、死ねっ!!」
「やだよ、死ぬの痛いし。ちなみにBLF団ミッドチルダ支部会員ナンバー000、名誉会長も俺なんだぜ」
「そこまで徹底してると逆に気持ち悪いわ。ストーカーね」
「ストーカー言うな。歴としたファン活動の一環ですぅ」
「ぶりっこするな、キモいわっ。だいたいあんた、何でもかんでも粘着質なのよ」
「まあ蛇だし? 昔から言うだろ、蛇は執念深いって」
「あんたの場合は末代まで祟りそうよね……」

 息をつかせぬ軽妙な掛け合い。アゼルが感心したようにパチパチと拍手してる。
 こういう息の合ったところを見せつけられると、カノジョとしてはすごくおもしろくない。私じゃできないからなおさらだ。

「……ねえ、ユーヤ。ラジオってなに?」

 暗い感情を無理やり押し込めて質問する。声が冷たくなってしまうのは仕方ないと思う。

「ん、ベルがリオンと一緒にパーソナリティーをやってる“ふぁーさいど通信”のことだよ。略称ふぁーつぅ。これ語感悪くて言いづらいよな」
「仕方ないわ。伝統だもの」

 むー、また私のわからないこと言って……。やっぱり解体しようかな?
 ──あ、ファンクラブうんぬんについてはあとでキッチリ説明してもらうから覚悟してね。



「さて、と。あたしたち、そろそろ帰るわ」

 ばさっと大げさにポンチョを翻すベル。威風堂々、颯爽とした振る舞い──こういうところ、ユーヤに通じる感じがする。

「何だ、もっと遊んでいけばいいのに。一緒に野山を駆け回ろうぜ! 近くに山なんかないけど」
「イ・ヤ・よ。──なんかこのあたりがムズムズすんのよね、さっきから」

 彼女はそうつぶやき、首の裏をさすりながら眉をしかめた。悪寒を感じたみたいに両腕で自分をかき抱く。顔色もよくない。

「……予知か? リオンやイコじゃあるまいに」
「うるさい、あたしだって伊達に古代神やってないのよ。行くわよ、アゼル」
「あ、うん。じゃあね、アル」

 しゅん、小柄な銀髪の女の子の姿がかき消えた。ついで、灰色の髪の女の子も空間転移でその場を去る。
 転移する直前、無垢な笑顔でふるふる手を振るアゼルの姿が私の印象に残った。──やっぱりかぶってるよ、なんとなく。




 □■□■□■




 夕暮れ、逢魔が時。
 クラナガン郊外のとある墓地。空は不気味なほど鮮やかに朱く焼け、人気のない墓地には厳かな雰囲気で満ちている。
 強く吹いた冷たい風に煽られて、芝生が一斉に細波立った。

 墓石の並んだ小道を二人はぴたりと寄り添って歩いていた。
 穏やかな表情で攸夜の肩に頭を預けるフェイトが抱えるのは、色鮮やかな花束。数年前、この場所で“再会”した時よりも明るい色合いの花々は、今の彼女の心を象徴しているかのようだ。
 クラナガンに越して以来、彼らは幾度となくここを訪れていた。──フェイトは未だ、“母”への郷愁を捨て切れていない。

「ん……悪い、電話だ。フェイト、先に行っててくれるか?」
「うん、わかったよ」

 てくてく、素直に離れていくフェイトの後ろ姿をしばし眺めた後、攸夜は懐から蒼いARMS-Phonを取り出した。
 ぼんやりと光る液晶画面には“宇佐木 月乃”の文字。彼の名付けた名前だ。

「俺だ」
『お休みのところ申し訳ありません、主上。火急の報告があり、ご連絡差し上げました』

 電話口の向こうからアルト気味の美しい声が響く。その声の持ち主は主八界から呼び寄せた腹心のひとり。元々“シャイマール”の熱狂的な信奉者だった彼女は、“魔王墓場”から蘇らせた攸夜に絶対の忠誠を誓っている。

「前置きはいい、話せ」
『はっ。地球のアリサ・バニングス嬢が何者かに拉致されました』

 攸夜の眉が一瞬だけ揺れた。

「ほう……、それで?」
『しかし、現地の工作部隊により対象は即座に救出、怪我ひとつありません。犯人グループは無力化の上、拘束しております。いかがなされますか?』
「そうか、ご苦労。背後関係を徹底的に洗った後、まとめて“処理”しろ。見せしめだ、手心は要らない」
『御意に』

 冷酷に指示を下すと、攸夜は携帯を片手で器用に畳んだ。
 今の言葉で少なくない“命”の命運が決まり、呆気なく潰えることになるだろう。フェイトが知れば確実に嫌悪して然るべき所業だというのに、攸夜の感情は凍てついて揺るがない。法と秩序の枠より自らの意志で外れた落伍者に、与えるだけの慈悲を彼は持ち合わせていなかった。

 パサ……、何かが落ちる軽い音が静かな墓地に響く。

「……? どうしたフェイ、ト──」

 花束を取り落とし、呆然と立ち竦む少女のすぐそばまで来て、攸夜は同様に言葉を失った。

 ──跡形もなく粉々に砕かれた二つ並びの墓碑。

 ──灼熱の業火に焼かれかのように消し炭の芝。

 ──あたり構わず暴れた何かが抉った痛々しい地面。

 ──引きずり出された空っぽの棺は、巨大な刃物か何かで両断されている。

 そして──

「人間……いや、動物の血液か?」

 得体の知れない鮮血と肉片が、辺り一面にぶち撒けられていた。
 酷い悪臭を漂わせる夥しい血の海はまさに、苦悶と呪詛に満ち満ちた煉獄。苦痛にのたうつ怨霊の呪いの言葉まで聞こえてくるようだ。

「ひど、い……どうして、こんな……」

 “家族”の眠る場所の惨状に口元を押さえたフェイトの声は、恐怖に震えて意味にならない。攸夜が茫然自失する彼女の肩を堅く抱き寄せる。

「この魔力……」

 わずかに残った魔力の残滓は邪悪な瘴気にも似て──
 この凄惨極まりない光景から、腕の中で震える少女に向かう憎悪と殺意と敵愾心とが綯い交ぜとなった、空恐ろしいまでの強烈な悪意を感じ取り、攸夜は言い知れない胸騒ぎに顔をしかめた。



[8913] 第十四話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/04/09 23:14
 


 ──新暦75年 四月上旬


 クラナガン湾岸地区。
 首都にほど近い南駐屯地A73区画に、“世界樹計画”の一環で設立された地上本部直属特務機動隊“機動六課”──他のテストケースを含め、六つ目であることから名付けられた。別に遺失物管理部と関係があったりするわけではない。念のため──の隊舎があった。

 やや年季の入った建物の玄関前に、十代前半の少年少女が横一列に整列して並んでいる。
 その中の一人、オレンジの髪をツインテールに結った少女──ティアナ・ランスターのつり目がちな瞳は、いつにも増して吊り上がる。彼女の漂わせるピリピリとした緊迫感を敏感に感じ取り、赤毛の少年と桃毛の少女が身を竦めた。
 いや、二人も同じように緊張しているのかもしれない。これから行われる上官たちとの顔合わせと──、この先に待ち受けるであろう幾多の困難を思って。

 ティアナが緊張を感じるのも当然だ。機動六課という機関は、凶悪な次元犯罪者や強大な“冥魔”と正面切って戦うことが決定づけられた、極めて即応性の高い実戦部隊である。部隊長──報道陣も集まった発足式のスピーチでは、どこかダウナーでアンニュイな雰囲気を発していた──の八神はやていわく「お役所のすぐやる課、なんでもやる課みたいなもんや」。言い得て妙だが、時空管理局自体がお役所なあたりどうなのだろうか。
 そんな部隊になぜ自分が選ばれたのかは定かではないが、あらゆる意味において今まで彼女が行っていた災害救助とはまるで違うのだ。

「……」

 だが、訓練校以来の相棒──スバル・ナカジマはそんな同僚たちの空気などお構いなしに、普段の数百倍近い脳味噌お天気な雰囲気を発散させていた。彼女の髪の色と同じ、まさに青天の晴れ空ともいうべき幸せっぷりが正直めちゃくちゃ鬱陶しい。
 憧れの人と同じ職場で働けてうれしいのはよーくわかるが、少し自重しろ。

 ──彼女らがここに転属になった理由は至極単純、上からの正式な辞令である。駆け出しの職員であるティアナたちに拒否権などあろうはずがない。
 部隊長との面談の後、直接打診を受けたとかそういう類のことは全くなく。ただ前の部隊の隊長から「転属だ」と言い渡されただけだった。無論、隊員総出の送別会をしてもらったのは言うまでもないが。
 その際、わんわん大泣きしたスバルからもらい泣きしてしまったのはティアナだけの秘密だ。

 短い間とはいえ苦楽を共にした同僚たちと離れがたいと思うことは、ヒトとして当然の感情。しかし、組織とは得てして理不尽な存在だ。そのような個人的感情など関知しない。
 もっとも、執務官になるという明確な目標──大望を持つティアナにとってこれは千載一遇の大チャンス。彼女は是が非でも──それこそ汚泥を啜り、石にかじり付いてでも結果を残すと頑なに誓っている。

 それにしても、だ。

 スバルを挟んで反対側に並んでいる“同僚”──エリオ・モンディアルとキャロ・ル・ルシエを見やり、ティアナは密かにため息をついた。
 先ほど簡潔に自己紹介を交わした際に知った年少二人の実力は、ティアナの才能に対する劣等感を大いに刺激してくれた。十歳児がAランクとかなんの冗談よっ!? てなもんである。
 けれども。訓練校の同期で、現在十五歳のスバルのひとつ年下──本年十四になるはずの学友を思えば、あまり驚くようなことではないのかもしれない。

 なぜなら、彼女は落ちこぼれどころか“魔導師”ですらなかったのだから。

 リンカーコアを持たず、座学も壊滅的なドベ一直線。それでもめげず挫けず、持ち前の努力と根性と──それから“箒”を操って、仕舞いには自分たちと首席の座を争うまでに成長したあの少女は元気にしてるだろうか。

(……ま、大丈夫か。あの子、スバルに輪をかけた筋金入りのバカだし。むしろ相方の心労の方が心配よね)

 自分と同じ、常識人で委員長タイプなもうひとりの学友の苦労を慮って、ティアナは思わず苦笑をこぼしてしまう。

「──みんな揃ってるみたいだね」

 物思いに耽っていたティアナを、透明なひどく印象に残る声が現実に引き戻した。
 声の主は黒い執務官制服をバッチリ着こなした背の高い美女。腰まで届く長くて美しいブロンドは、傍目で見てもシルクのようにサラサラしているのがわかる。
 白を基調にした教導官制服のかわいらしい女性と、ブラウン系の地上部隊用制服を着た少女……幼女? それから、同じ制服の眼鏡をかけた柔和な感じの女性が後に続く。
 皆、ティアナたちの上官だ。女子率が異様に高いのは気のせいである、たぶん。

「はじめましての子もいるから、いちおう自己紹介するね。私の名前はフェイト・T・ハラオウン、普段は本局の方で執務官をやってます。六課の現場ではみんなの隊長を務めることになるよ。これから一年、よろしくね」

 口上を終えた彼女は、同性すらも見惚れてしまう可憐さ満点な笑顔を咲かせる。太陽の光を受けた髪が黄金色に煌めく様はいっそ神々しい。
 「よろしくお願いします!」同僚たちと合わせたティアナの声はやや上擦った。女神のような微笑に当てられたからかもしれない。

 フェイト・テスタロッサ・ハラオウン──四年前、クラナガンを襲った“冥王の災厄”にて活躍した若き執務官。魔導師、捜査官としての実力はもちろんのこと、その類い希なる美貌は管理局の広報誌などでたびたび特集記事が組まれるほど──まさに絵に描いたような才色兼備の女性である。あまつさえ彼女の公式ファンクラブなんてものも存在するらしい。なんの公式だ。
 執務官を目指すティアナにとって彼女は、遙か雲の上の頂と言える存在だろう。しかし、どこかほんわかした雰囲気は、とても“閃光”などという苛烈な二つ名で呼ばれるような敏腕執務官には思えない。もっとクールで超然とした、悪く言えば鼻持ちならないエリート的なイメージを持っていたティアナだったが、それは修正せねばならないようだ。
 ちなみに、ティアナは彼女について“イケニエ”だとか“魔王の情婦”だなどと陰で言われているのを耳にしたことがある。どういった意味なのかは知らないが、決して気持ちのいい質のものではないのは確かだろう。

「うん、いい返事だ。じゃあ、次ね」

 満足そうににこりと微笑み、金髪の執務官は軽く身を引いて教導官制服の女性を促す。
 高町なのは二等空尉──つい先日、ティアナとスバルが受けた魔導師ランク昇格試験の試験官を勤めた女性だ。
 “エース・オブ・エース”の称号を背負う天才空戦魔導師であり、スバルの命の恩人にして憧れの人。活躍の批判を聞かなくなってから久しかったが、どうやら一身上の都合で休職していたらしく、ティアナたちの試験が教導官に復帰して最初の仕事だったそうだ。スバルはそれにいたく感激して「私となのはさんは運命の赤い糸で結ばれてるんですね!」とかなんとかのたまっていた。バカなの? ねえ、バカなの?

「えーと……」

 歯切れの悪い口振りから、どこか堅さが見て取れる。前述のように職務に復帰して間もないそうなので、まだ本調子ではないのかもしれない。
 すぅーっと深呼吸した彼女は、意を決したように口を開いた。

「高町なのは、じゅうななさいですっ☆」

 キラッ、と効果音が聞こえそうなまでにイイ笑顔。目の辺りでピースをキメたポーズは、まるでどこぞのアイドルのよう。

「「「…………」」」

 絶句する一同。白々しい空気が場に蔓延する。
 ちびっ子二人が訳もわからずおろおろするし、スバルはぽかんと馬鹿面を晒している。頭痛が痛くてティアナが頭を抱えた。

「なのは……、ほんとにやらなくても……」
「だ、だって! こういうのはつかみが大事だしっ。はやてちゃんがこれならバッチリだって」
「……け、結構ユニークなんですね、なのはさん。意外です、いろいろな意味で」
「シャーリーもそんな目で見ないでよ〜」

 真っ赤な髪をおさげにした幼──いや、少女が今にも吹き出しそうな口を押さえている。肩をプルプルと震わせて今にも爆発しそうだ。

「……あれ? なのささんって、今年で十九歳だったはずじゃ……?」

 不思議そうに首を傾げ、スバルが真顔で問いかける。
 悪気のない、だがタイミングは最悪の疑問にサイドテールの教導官がぼんっと音が聞こえる勢いで赤面。あうあうと言い訳らしき何かを言う。
 さすがはスバル。空気を読めないことにかけては他の追随を許さない。

「──ぶふっ、あはっ、あはははははっ!」
「ちょ、ヴィータちゃん! 笑わないでよ〜」
「で、でもよ、“じゅうななさい”とか……ぐふ、あはははっ、ば、バカみてー!」

 ヴィータと呼ばれた少女は、身体をくの字に折って抱腹絶倒を極めている。今のやり取りがよほどツボに入ったらしい。
 ほぼ全員──白けているティアナと笑けている少女、それからこの状況を作り出した張本人以外──がどうしたらいいのかわからず途方に暮れて。もうなんかグダグダだが、とりあえずティアナとしてはこれだけは言っておかねばなるまい。

「十七話にはまだ早いですよ、碧ちゃ──もとい、なのはさん」

 お約束である。











  第十四話 「歩くような速さで」












 涙を浮かべるくらい爆笑するヴィータをいさめたり、顔が真っ赤で恥いるなのはをなだめたり──私はそうして、なんとか場を取り繕った。だからはやての口車には乗らないほうがいいって言ったのに……。

「改めまして、高町なのはです。見てのとおり、教導官としてみんなの教導を担当します。現場だと前線チームの副隊長で、おもに作戦指揮とオペレーターをやるよ。みんな、よろしくね」

「「「「よろしくお願いします!」」」」

 まだ赤みの残る顔だけど、毅然とした態度はさすがなのはって感じだ。

「あ、でもオペレーターって……なのはさんは一緒に戦わないんですか?」
「うん、いい質問だねスバル。基本的に、私は現地と本部を繋ぐパイプ役なんだ。まあ……いざというときの予備戦力みたいなもの、かな? 何事も臨機応変に対応しないとだし、みんなはまだまだ危なっかしいからフォローしないと、ね?」

 すこし冗談めかした言い様に、場が和む。だけど、ほんとはそれだけじゃないことを私は知ってる。
 ──なのはは魔法を“使いたがらない”。誘導弾や射撃魔法はともかく、砲撃魔法だけは復帰して以来一度も撃っていないらしい。……たぶん、なのはは悩んで、模索しているんだと思う。自分と魔法の、これからについてを。

 ちなみに、執務官の私もここ機動六課ではフォワードチームの隊長でしかない。まあ、はやてに次いで身分が高いから、書類仕事だとか偉い人へのプレゼンだとかをいろいろやらなきゃだけど。
 ……「捜査官としてはいらない」って言われてるみたいで不満はある。でも、みんなと一緒に仕事ができるんだもん、割り切らないと。


 ヴィータとシャーリー──シャリオ・フィニーニ。普段は私の補佐官をしてくれている子で、今回の異動でもついてきてくれた──がそれぞれ自己紹介する。
 技官で、みんなとはたびたび顔を合わすことになるはずのシャーリーはもちろんとして、シグナム率いる別働隊で“とある重要人物”の追跡に当たる予定になっているヴィータも、その合間に行う教導の補佐に先駆けて今回の顔合わせに参加してもらった。

「私となのは、それにあなたたち四人を加えた六人が機動六課の前線メンバー。空を抑える私と四人一組のみんなに分かれて、なのはの指示を受けつつ活動するのが基本形だよ。
 コールサインは“ナイトウィザード”、一年間使う言葉だからよーく覚えておいてね」

 四人が私の言葉に頷く。うん、素直でいいね。
 “夜闇の魔法使い”──名付け親ははやてで、縁起を担いでいるんだそうだ。たしかに“冥魔”と戦うにはこれ以上ないってくらい打ってつけかも。

「さて、と。じゃあ、細かい打ち合わせはあとにして、まずは軽くオリエンテーションでもしよっか?」

「「「「オリエンテーション?」」」」

 不思議がる四人に、なのはが意味深な笑顔を見せた。



[8913] 第十四話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/02/26 23:30
 


 機動六課訓練施設“陸戦用空間シミュレータ”。
 つい数分前まで、海上に張り出した広い空き地だったこの場所はいま、崩れかけたコンクリートのビルや打ち捨てられた残骸が散乱する廃棄都市に、がらりと様相を変えていた。

 このシミュレータは、市街地からから森林まで、様々な環境を再現できる六課とっておきの最新鋭設備だ。
 内容監修をなのは、製作総指揮をシャーリーが担当して、あと六課の技術開発顧問“ドクター”って人も基礎設計に協力したらしい。……よくわからないけど、この通称っぽい名前に不快感を覚えるのはなぜだろう。

 閑話休題。
 今回ここで行われているのは、なのはの言うオリエンテーション──四人の実力を計るための模擬戦だ。
 ルールは簡単。このフィールド内に放たれたターゲット全機の撃破。手段は問わない。

 私たちは、それなりに高さのある廃ビルの屋上からその様子を観戦していた。

 眼下に広がった廃墟をものすごい勢いで駆け抜けるスバル。足元のローラーブーツが砂ぼこりを巻き上げている。この引きつけるような動き──、ティアナの指示かな?

 そんなスバルと追いかけっこを演じているのは、白いタマゴみたいな形の機動兵器“ガジェットドローンⅠ型”──正確にはその改良型。そして、私たちにとって因縁浅からぬ存在と言えるだろう。
 もともとはジェイル・スカリエッティというある意味著名な大物次元犯罪者が、愉快犯的にばらまいていたもの──私がその真相を知ったのは、彼が逮捕されたあとのことだった──で、なのはが大けがをした一件の原因。
 けれど、それもいまでは管理局の施設警備や訓練用の標的などに広く活用されていた。どうも製造プラントをそのまま押収して転用しているらしい。思いついたのが誰だかは知らないけど、ちょっとセコいよ。

 ガジェットドローンの機能の中で、もっとも特筆すべきなのが“AMF”──アンチマギリングフィールドだろう。とてもざっくりと説明すると、魔力素子の構成を阻害する働きのある一種の結界魔法で、さっきもスバルの“ウィングロード”──空中に足場を創る先天魔法だ──や、ティアナの射撃魔法を霞のようにかき消していた。
 この“AMF”が違法魔導師の制圧にかなり有効な上、“冥魔”にも多少なりとも効果があるということで、相当数のⅠ型が首都防空隊などに配備されている。そして、六課の活動中に領域下での作戦もあり得るから標的にガジェットが選ばれた、というわけ。
 もちろん、“AMF”を展開している空間ではこちらも効力を受けてしまうけれども、魔力炉からの供給がある“箒”なら魔力砲弾の威力や射程が下がる程度でほぼ問題はないそうだ。というか、ディバインバスタークラスの魔力砲撃をほとんどリスクなしに連発するのは反則じゃないだろうか。


 スバルの右手──リボルバーナックルが水色に輝き、バイパスの土台を砕く。倒壊した瓦礫が彼女を追いかけていた数機のガジェットを押し潰した。

「よっし! ティアの言うとおり!」

 たしかにこれなら“AMF”領域下でも関係ないね。──だけどスバル、油断は大敵だよ?
 気を緩めたスバルに三機のガジェットが接近して、出力を抑えた模擬戦用のレーザー光線を照射する。

「わわっ!?」
「──スバル!」「スバルさん!」

 トーンの違う、ティアナとエリオの声。
 物陰から飛び出したエリオが、カートリッジを吐き出すブルーの槍“ストラーダ”を地面に突き立てる。発生した刃のような幾条もの青い雷撃と、その間を縫う狙撃が見事にガジェットを捉えて撃破した。
 伏兵に不意打ちされたスバルは、ティアナの援護射撃とエリオのサンダーレイジでなんとか危機を脱する。即席にしては悪くないコンビネーションだ。
 キャロ、は……ティアナの横で、ブースト魔法を使ってサポートしてるね。ブースト系は苦手だって言ってたけど、そうは見えない。
 ──家族みたいな間柄のエリオとキャロはいいとして、資料でしか知らなかったスバルとティアナの実力も私の満足がいくものものだった。
 とくにティアナの幻術など、私のよりもずっと上手だ。使い方自体がまるで違うから比較するのは間違いだけど、少なくとも一度に創り出せる幻像の数じゃかなわない。まあ、術式の洗練さとかなら私が勝ってるけどっ!
 ……と、ともかくっ、見てる限りでは四人とも優秀で即戦力に思えるけど、これはあくまで私の主観的な印象。客観的な見方のできるプロの意見を仰いでみよう。

「なのは、教導官としてみんなのことどう見える?」
「うん、悪くないね。みんな任官して間もないのに、それぞれ光るところがあるよ。ただ……」

 私の質問に、目線を戦域に向けたままで曖昧に答えたなのは。視線が変わらないのは、みんなの動向を見逃さないようにしているから。そして、さっきからずっと忙しそうな手元は、チェックシートにみんなの評価や気づいたことを書き込んでいるからだ。

「それ以上にアラが目立っちゃってるなぁ……。たとえば、スバルは突出しすぎで注意散漫、ティアナはティアナでちょっと視野が狭いね。ふたりとも、もうすこし余裕を持って行動できるようになったらもっと伸びるんじゃないかな」

 なるほど、言われてみたらそうかもしれない。さすがは教導官、ブランクを感じさせない鋭い意見だ。……あ、でもそれ、なんとなくなのはにも通じるのは気のせい?

「エリオもせっかちっていうか、安定感に欠ける感じ。結果を出そうとして焦ってる……のかな?
 ただ、キャロだけはよくわかんないんだよね。つかみ所がないっていうか──、たぶんまだなにか隠してるんだと思うけど」
「隠す、ですか?」

 不思議そうにシャーリーが聞き返す。うんそう、と答えたなのはも確信はないみたい。
 ヴィータがなのはの意見に反論する。

「訓練つーか、試験みたいなこの場で擬態なんてするか? ヒヨッコだっつっても、プライドとか意地くらいあんだろ」
「そうだよね。キャロは召喚魔導師だって聞いてるし、さっきもきっちり鉄の鎖を喚んで援護してたけど……でも、なんか違和感があるんだよ」
「違和感、ねぇ……」

 思案顔で頭を悩ませる三人。でも私は、おそらくその真相を知っている。

「それはほら、キャロの魔法の先生ってユーヤだから……」

 途端に「ああ……」と三人揃って微妙な表情で納得された。自分で言っといてなんだけど、この一言で理解されても困るよ。

「あ、キャロがなにかやるみたいですよ」

 シャーリーの言葉にみんながキャロを注視する。
 オープンフィンガーグローブ型のブーストデバイス“ケリュケイオン”を輝かせ、キャロは魔力を解放させた。
 桃色の光を伴って広がったミッドチルダ式の魔法陣が、徐々に違う形に──複雑な、七芒星の魔法陣へと塗り替えられていく。

「来たれ“風雷神”! 顕現せよ、古き世界を統べる静かなる支配者ッ! ──フール・ムール!!」

 荘厳な詠唱を引き金に魔法陣がより強く輝く。

 ゴッ、と突風が巻き起こったあと、キャロの背後には白いワンピースをまとった二十代くらいの女性が姿を現していた。
 長い緑色の髪。眠たげな紫と茶色のオッドアイ。肌色は透き通るように真っ白。──ふわふわと浮遊するその姿はまるで天女のよう。
 突然のことに隣のティアナがすごい形相で驚いている。まあ、初めて“彼女”を見たらびっくりするよね、誰でも。

「皇帝の眷属との盟約により参上した。……願いは何時もの通りか、小さきものよ」
「はいっ! よろしくお願いします、フールさん」
「フゥ……、我は子守ではないのだがな。──炎よ逆巻け」

 気だるげな、だけど威厳を感じる声に導かれて不可思議な一陣の風が吹き、空気が──世界のルールが塗り変わる。
 その現象が、魔法的な効果を秘めていることは誰の目から見ても明らかだった。

「フリード、全力砲撃!」
「きゅるるる〜っ!!」

 小さな仔竜がかわいらしく砲哮して、大きく口を開く。同時に、周囲の空間がにわかにざわめき。フリードの口から体長の三十倍近い火の玉が撃ち出されて、ガジェットの一陣に着弾。十メートル近い高さの火柱をあげて、それらをまとめて焼き尽くした。
 この一撃で、ターゲットの全てが撃破されたことになる。

「…………」

 その破壊力にキャロ以外の三人はもちろん、なのはたちも度肝を抜かれて目が点だ。

「フェイトちゃん、あれって……?」
「“侵魔召喚”。レアスキルみたいなもの、かな?」

 “彼”のもう一つの故郷、ファー・ジ・アースに数ある魔法体系のうちのひとつで、“侵魔”──つまり“魔王”を召喚してその絶大な力を限定的に使役する学術的な魔法だ。まあ、あちらの魔法はオカルトじみてて、私には原理とか詳しいことはよくわからないんだけど。
 召喚魔導師のキャロとは相性がいいみたいで、いまのところ四体の魔王を呼び出せるのだという。もっとも、“彼”のキャロをテストケースにこの魔法を普及させるという試みは、召喚魔導師自体が希少で上手くいってないらしい。

「でも、キャロの実力はあれだけじゃないんだよ。ちょっといいかな、なのは──」

 ごにょごにょ。ちょっとした悪巧みを耳打ちする。

「……えっ、それ、危なくない? みんな完全に油断してるし──」
「たぶん、だいじょうぶ。やってみて」
「う、うん」

 いまいち浮かない顔でなのははパネルを出すと、施設のコントロールシステムにアクセス。キャロたちのすぐ背後にターゲットが現れるように設定する。
 すぐさま光とともに、二機のガジェットが出現した。

「なっ!?」

 倒しきったと安心していたティアナが増援に驚く。不意のことに身体が硬直して動けない。
 スバルやエリオも気づくものの、間に合わない。

 けど──

「──ッ!」

 無音の気合い。素早く反応したキャロは、振り向きざまに右手を乱入者に向けて強く突き出した。
 刹那、桃色の魔力光が弾けて、厚さ三十センチ、高さ二メートルほどの分厚い鋼鉄の壁──“アルケミックバリケード”が地面から立ち上がり、レーザーを遮断する。
 さらにキャロは素早く走り込むと、壁を足場にして空高く舞い上がる。見得を切って宙返りする彼女の両手には、短めのダガーが二本ずつ。

「やあッ、たあッ!!」

 小さな身体を大胆に振り回した勢いで投擲。自己ブーストで水増しした身体能力から繰り出した四本の短剣が、装甲の脆弱な部分に突き刺さって、ガジェットを無力化した。
 ふわり、華麗に着地する桃色の女の子。二本づつ打ち込んで、キッチリとどめを刺しておくあたり抜け目がない。

「ナイフ……? あんなもの持ってましたっけ」
「あれは“アポート”──引き寄せの魔法だね。決まった場所から物品を引き寄せる召喚、っていうか転送魔法の一種だよ。召喚魔導師なら使えてもおかしくないけど……」
「よくもそんなマイナーな魔法を……。あいつ、マジで即戦力だな」
「──うん。私の教導、意味あるのかなぁ……」

 私以外のみんなは今度こそキャロの秘めた力に言葉もないようだ。──あれ? ティアナ、キャロのこと睨んでる……?
 それはともかく。何事もなかったかのような澄まし顔で、落ちた帽子をかぶり直している妹分が頼もしくて、私は誇らしい気分になった。


 ──キャロはすこし前まで、自分の持つ力を疎ましく思っていた。当然だと思う。そのせいで故郷を追われたのだから。
 それを解消すべく、“彼”は一計を案じた。まず、キャロが里を追い出された原因の竜──ヴォルテール、だっけ?──と、気が済むまで対話させた。胸に抱えた淀みを全て吐き出させるために。
 その上で、自分の力に飲み込まれずにちゃんとコントロールできるように、あらゆる面を徹底的に鍛えたんだ。
 そんなこんなで、いまではキャロもすっかり心身ともにたくましくなり、自分に自信が持てるようになった。“彼”との半年におよぶ“修行”について、「この世の地獄を味わいました……」とシニカルな笑みで語るくらいに。
 ……純粋だったキャロが、あんなにもスレた子になってしまって、私は悲しいよ……。



[8913] 第十四話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/03/05 23:29
 


 機動六課が稼働を開始してから約一週間が過ぎた、ある日のこと。

 隊舎内、部隊長執務室。
 機能的な間取りの室内には苦悶の呻き声が満ちていた。

「はぁ〜……」

 ぐてーっとデスクに突っ伏した八神はやてが盛大にため息を吐く。彼女の周りにはたくさんの書類が散乱している。そのどれもが六課の運営に関わる大事なものだ。
 科学技術が大きく発達したミッドチルダ──そこを中心地とする時空管理局だが、こういった重要な公文書の類は紙の書面であることがほとんど。人間に頼れるのはやはり、手に取れる確かなものなのである。

「手ぇ痛いぃ〜、ハンコ押すん飽きたー。おなかすいたー、おんもで遊ぶぅぅ〜」
「はやてちゃん、ガンバですよ! あと39枚じゃないですか!」
「もう、駄目や。疲れたよパトラッシュ……」
「せめてそこはザフィーラにしてあげてほしいですぅ」

 机の上でリインフォースⅡが声援を贈っても、ヘタレたぬきは起きあがらない。
 元々、部隊長就任には乗り気でなかったはやてのこと、やる気も意欲も何かとすぐ切れる。──彼女に、組織の長としての職責を担えるだけの自覚が生まれるのは、まだ当分先のようだ。

「今日もなのはちゃんたちは訓練やろな……。ええなぁ〜、それに引き替え、私なんて来る日も来る日も部屋に缶詰……、いい加減干からびてまうわ」
『彼らは彼らで自らの役目を果たしているだけでしょう。主はやても部隊長としての職務をさっさと全うなさってください。さあ早く、ハリー、ハリー、ハリー』
「リイン、なにげにスパルタやね……」
『甘やかすのは教育上によくないと学びました。主の場合は特に』

 デスクの本立てに挟まっている夜天の魔導書の中身、リインフォースがぴしゃりと言う。口調はいつもの通り平坦で穏やかだが、中身はいささか辛辣だ。
 無理もない。この主、放っておくと各種コンピューターゲームをやり始める根っからの廃人。目を光らせておかねば、だらけるのは明白なのだから。
 ちなみに、リインフォースは曹長である妹と違い管理局の階級を持っていない。彼女はあくまでも夜天の魔導書の管制人格、スタンドアローンで活動できるようには創られていないのである。

 不意に、ドアがノックされた。

「はーい、あいてますよー」

「お仕事中、失礼します」
「失礼します」

 リインフォースⅡの声に従い、知的な印象の青年──グリフィス・ロウランと、艶やかな黒髪の美女──宇佐木 月乃が恭しく入室した。どちらも紙の束を抱えている。
 上官がぐんにょりしているのに気が付くと、グリフィスは毎度のことに呆れ混じりの苦笑を見せたが、月乃の方はツンと澄ました表情のままだった。
 彼らははやての補佐官で、ここ数日はずっと顔を突き合わせている人物だ。──はやては、“宇佐木 月乃”の人となりを未だに見切れていないでいる。人物観察は彼女の得意とするところなのだが、なかなかどうしてホンネを覗かせてくれない。

「おお、つきのんとグリフィス君やん」
「私の名前は月乃です。その間抜けなあだ名、やめていただけませんか」
「ならふわふわうさこちゃん。ウサギだけに」
「ミッフィーの方がまだマシです。そんなことより部隊長、こちらの書類に判を。上層部に提出する各部署の査定をまとめたレポートです」

 上司の妄言を軽くあしらい、月乃はドンと紙の束を机に置く。
「うげ……」その重量感に、はやての頬がひくついた。

「あ〜ん、そんな殺生なぁ。グリフィス君、後生やから助けて〜!」
「それはさすがに……。あ、こちらの案件の決済もお願いします」
「ええー!?」

 唯一の味方かと思われたグリフィスの手ひどい裏切りに、はやては絶望の表情を浮かべてうなだれた。
 だがしかし。

「お疲れのところ申し訳ありませんが、部隊長……」
「三十分後に、聖王教会のグラシア少将とテレビ会談を予定していますのでそのおつもりで」
『いい加減に観念すべきです、主はやて』
「はやてちゃん、オウジョウギワがわるいですぅ」

「う、ううー……」

 まさに四面楚歌、孤立無援。涙目のはやては渋々、手を動かし始めるのだった。




 □■□■□■




 ちょっとした用事で、今日は一日中外回り。六課の隊舎に帰り着いたころには、すっかり日が落ちていた。
 今回はたまたま余所でお仕事だったけど、普段はなのはの手伝いで仮想敵をしたりデスクワークが中心で、“うみ”のときよりいくらか楽をさせてもらってる。正直、ちょっと手持ちぶさたなくらい。

 政治的な調整や、言い方は悪いけど裏工作といったことは、“彼”と六課の活動を支援してくれる人がしてくれて。そのおかげで、私たちは煩わしいゴタゴタに巻き込まれることもなく、のびのびと仕事ができている。汚れずに、キレイなままでいられる。

 ──だけど。

 ここはきっと箱庭。安心できて居心地のいい、けれど狭い狭い小さな鳥かご。
 いくら居心地がよくても、いつかは旅立たなきゃいけない場所なんだ────



 開放感のある広い食堂は、お夕飯を食べにきた職員で賑わっている。いいにおいがいっぱいで、おなかすいてきちゃった。
 各種定食を筆頭にラーメン、カレーの定番どころはもちろん、各次元世界の郷土料理などなど──ここのメニューはどれも安いのにハズレもなくて、みんなも楽しみにしているみたい。
 ──でもほんとうは……“彼”の作ったごはんが、食べたいなぁ……。

 特盛りのオムライス──ソースは当然トマトケチャップだ──と野菜たっぷりのスープが乗ったトレイを持って、私は目当ての集まりを探していた。

(──あ、いたいた)

 テーブルを囲んで夕食をとっている四人を見つけた。レッド、ピンク、ブルー、オレンジ──色鮮やかな後頭部がかわいらしい。
 気配を消して、そっと近寄る。忍び寄るのはちょっとしたいたずら。

「ここ、いいかな?」
「あっ!」「フェイトさん」

 私の登場に驚き、席を立ちかけた四人を手で制して、もう一度尋ねるように首を傾げる。上官だからって無理強いするのはよくないと思ったから。

 ……。
 全員の同意がもらえたので空いてる席に座る。そこでテーブルに乗った山ほど──比喩ではなく本当に山のような料理に目を疑った。

「わっ、エリオがたくさん食べるのは知ってたけど、スバルもなんだね」
「「うっ……」」

 スバルとエリオの頬が赤らむ。
 別に恥ずかしがるようなことじゃないのに。よく食べる元気な子、私は好きだよ?

「あ、あはは……ここのご飯おいしくって、つい」
「それを言ったら、フェイトさんだってたくさん食べてますよっ」
「私? 私は普通だよ〜」

 エリオったら、なに言ってるのかな。二人みたいに非常識な量を食べられるわけないじゃない。
 苦笑気味のキャロがなにか言いたげに口を開くけど、それより早くティアナがスバルをどやしつける。

「てかスバル。あんたの場合は燃費が悪すぎるだけじゃない。見てるこっちが胸焼けするわよ」
「だって〜」猫なで声でスバルがティアナにしなだれかかった。「だあーっもう! ひっつくなっ!」
 じゃれ合う二人。すこし乱暴な振る舞いの端々に、強い信頼がにじみ出ている。私となのはのとは違う──けどこれも、きっと絆のかたちなんだね。


 食事をしながら、四人とおしゃべり。部下とのコミュニケーションはとても大事なことだ。……まあ、これははやてからの受け売りなのだけれども。
 ということで、まず今日の訓練のこと──いつものように、なのはの指導は厳しかったらしい──と、六課での生活について感想を求めてみた。

「毎日の訓練はつらいけど、がんばります! ──ご飯、おいしいし」
「……まあまあ、ってところですかね」
「ええと、まだちょっと戸惑ってます。初めてのことばかりで……」
「みなさん親切にしてくれて楽しいですよ。訓練も思ったより楽だったし」

 上からスバル、ティアナ、エリオ、キャロの言葉。
 不安になるくらい天真爛漫なスバルと、どこか私たちと距離を置いてるティアナ。危うくも感じるけど、二人とも訓練校を卒業した社会人なんだし、心配ないよね。
 なにげに図太いキャロはいいとして、気になるのはエリオだ。
 施設で育ったからかな、エリオは利発な子なのに人付き合いがあまり得意じゃないみたい。そういうところ、私によく似ている。……よくない影響を与えてしまうなんて、本当に至らない。

「フェイトさん、このちびっ子二人の後見人をなさってるって聞きましたけど」
「あ、うん、そうだよ。エリオはかれこれ五年、キャロは三年くらい前から面倒みてるんだ。二人とも、いろいろあって……」

 いまでこそ明るく笑ってる二人だけど、あのころは本当に酷かった。
 抜き身の刃物みたいだったエリオや、真っ暗な眼をしたキャロの姿を思い返すと胸が痛む。

「あっと、フェイトさんにはお世話になってるんです。育ての親って言うか……」
「そうそう、テーマパークにつれてってもらったり。エリオ君もだよね?」

 暗くなった雰囲気と話題を、エリオとキャロが息を合わせて変えてくれた。育ての親、というのは私には過ぎた肩書きで馴染まない。

「うん、孤児院のみんなと一緒に」
「孤児院?」
「ユーヤが援助してるところでね、たまに小さい子を預かってるんだよ。ころころしててかわいいんだけど、みんなわんぱくで。これがけっこう重労働なんだ」

 “彼”の趣味だという慈善活動について、私は詳しい経緯を知らない。せいぜい「アル・モルゲンシュテルン」の名義で福祉目的の基金を設立したとか、身寄りのない子どもたちの住む孤児院を支援してるとか、そういう話を聞いてるだけ。
 ……一見平和に見える管理世界だけど、児童虐待や人身売買といった犯罪は後を絶たない。
 執務官の仕事やニュースで子どもが虐げられる現場を目にするたび、自分の無力さを痛感する。時空管理局の一職員でしかない私にできることはそれほど多くないから。──子どもが自由にユメを見られない世界なんて間違ってる、絶対に。

「あの、“ユーヤ”って……?」
「あ、そっか。スバルたちは知らなかったっけ」

 訝しげな顔をする二人の素性に思い当たり、反省。急に知らない人の話をされても困るよね。

「ユーヤは私の幼なじみで、おつき合いしてるひとなんだよ。そういう関係になって四年──ううん、十年になるかな」

「ええっ! フェイトさん、つき合ってる人がいるんですかっ!?」「ウソっ!? ……ちょっと、意外です」

 目を見張るスバルとティアナ。リアクション、いくらなんでも大げさすぎない?

「それ、どういう意味?」
「いえ、なのはさんとすごく仲がいいように見えて。そういうご趣味なのかなと」
「やだなぁ、ティアナ。なのはと私はただの親友だよ? ──あ、彼の画像あるから、見る?」

 懐からペンギンつきのケータイを取り出して、パチンと開く。待ち受けに、ちょっと困った顔の“彼”と笑顔でその腕を抱き寄せる私が映った。
 これは、前にアルトセイムへ小旅行したときに撮影したもの。“彼”の写真嫌いは相変わらずで、なかなかいっしょに写ってくれないのでわりと貴重な一枚だ。

「この人が? へえー……髪型がワカメみたい」

 キャロとエリオが盛大に噴き出した。──スバル、あとで隊舎裏にごー、ね?

「こらバカスバル! えと、け、けっこうハンサムな方なんですね」
「でしょ?」

 フォローでも社交辞令でも、恋人をほめられて悪い気はしない。ついつい頬が緩んでしまう。

「ユーヤはね……、世界一強くて、世界一やさしくって、世界一頼りになって、世界一かっこいい私のヒーローなんだよ」

 笑った姿、気取った姿、おどけた姿、勇ましい姿──胸に焼きついたいろんな場面を手繰り寄せる。「それでね──」

「ストップです、フェイトさん」キャロが慌てたふうに言う。

「いつもみたいに続けられたら明日の訓練に影響が出ちゃうので、またの機会に」
「……そう?」

 残念だな。“彼”のことなら、一日中と言わず一週間だって語ってられるのに。



[8913] 第十四話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/04/09 23:16
 


 四人との会話はそれなりに盛り上がった。
 ただ、スバルとティアナはかしこまった感じが残ってて、込み入った話ができなかったことがすこし心残り。二人と打ち解けるのには、まだ時間がかかるかな。


 残業中のなのはを手伝うべく、みんなと別れて食堂の外へ。

「あのっ、フェイトさん」
「うん? エリオ、どうかした?」

 出てすぐ、エリオに呼び止められた。改まった様子で、どこか表情も硬い。

「ええと……“あの人”は、六課に来てないんですか?」
「あの人……? ユーヤのことなら、いまはいないよ。でも、来月の初めくらいには合流できるそうだから、安心して」

 私自身にも言い聞かせるように答える。“彼”と離れている寂しさをにじませないために。
 そうですか……、エリオはわずかに眼を伏せた。どこか残念そうだ──残念?
 そういえば、さっき“彼”の話題になったとき、急に黙りこくって静かだった。

(やっぱり、エリオ──)

 ひざを折って、目線の高さを合わせる。

「ユーヤのこと、嫌い?」

 ハッ、と顔を上げたエリオ。一瞬だけ戸惑いを浮かべて、気まずそうに視線を逸らす。

「嫌いってわけじゃ、ないです。ただ……」
「ただ?」

 濁した言葉を、私はあえて聞き返した。掘り返すようなマネをするのは、この確執を放置していたらよくないと感じたから。
 一瞬見せたエリオの表情はまるで、出会ったころの……見るもの全てに憎しみを向けていたあのころのようで。

「胡散臭いじゃないですか、あの人。なんか軽薄で、なに考えてるのかわからなくて信用ならないですよ。あんな人、フェイトさんにふさわしくないです」

 どこかふてくされたような素振りにカチンときた。
 子どもの言葉だ、取るに足らないと理性は訴える。けど、大好きなひとを悪し様に言われて黙ってられるほど私は軟弱じゃない。
「エリオ、いまの態度は──」叱りつけようと、強めの口調で口を開き──

「──あんまり、ししょーの悪口は言わないでほしいなぁ……」

 背後から、地の底から響くみたいな冷え冷えとした声が投げかけられた。

「キャロ……?」「る、ルシエ、さん……?」

 ゾッとして、同時に振り返る私とエリオ。声の主──壮絶な笑みを浮かべるキャロの周りには、局地的なブリザードが猛烈に吹き荒れていた。頭に乗っかるフリードも、あまりの寒さに身体を震わせている。

「キャロって呼んでっていったよね、エリオ君?」

 コクコク。
 エリオが冷や汗を浮かべて、壊れた機械みたいに首を縦に振る。

「じゃあ、ちょっとあっちでお話しよっか。ふたりっきりで、ね?」
「はいっ! え、ええっ!?」
「フェイトさん、エリオ君を借りてきますね」
「あ、うん」

 怒るタイミングを逃して唖然とした私を余所に、桃色の鬼が赤毛の男の子の襟首をむんずと掴む。
 そのまま、ズルズルと廊下を引きずられて小さくなるエリオの姿を見ていたら、ドナドナの歌詞が脳裏によぎった。

 ──……あっ、しまった。エリオの本心、聞きそびれちゃった。しょうがない、追求はまたの機会にしよう。
 二人が見えなくなるまで見送って、私はその場をあとにした。




 □■□■□■




「ここまで来ればもうだいじょうぶかな」

 呟いて、桃色の少女が握っていた小さな手を開く。ドサ、と引きずっていたモノがぞんざいに投げ捨てられた。
 赤髪の少年は背中と後頭部を床に打ち付けて悶絶。涙目で、凶行に及んだ同僚を恨みがましく睨んだ。

「いたい……痛いよ、キャロさん!」
「フェイトさんのお説教から逃がしてあげたんだから、それくらい我慢して。男の子でしょ?」
「お説教……? どうして?」

 これだから男の子は、と言わんばかりにやれやれと首を振るキャロ。頭の上の仔竜が、主を真似て肩をすくませたようなジェスチャーして見せる。
 まだ意味がわかっていないエリオに、キャロは両腰に手を当ててずいと顔を近づける。リンゴのように赤面するエリオのウブな反応に内心で苦笑しつつ、行動を注意するに相応しい表情を装う。

「ししょー──ユウヤさんがフェイトさんにとってどんな人か、エリオ君は知ってる?」
「ま、まあ、それなりに……」

 エリオ的には聞きたくないが、フェイトの話す話題の約40パーセントが“ユーヤ”との惚気だ。年中無休、ところかまわずノロケられれば嫌でも詳しくなる。

「ならわかるでしょ? 大好きな人を悪く言われたら気分を害すのは当たり前のことだ、って。エリオ君の言うことは一部もっともだと私も思うけど」
「! で、でもっ、フェイトさんはそんな人じゃ──」
「フェイトさんは普通の人間だよ」

 零れかけた歪みを押しのけて、キャロは颯爽と言い放つ。エリオの耳朶に届いたその声は、ひどく澄み渡っていた。

「怒りもするし、泣きもする。間違えだってする……、完全無欠の女神さまじゃないんだよ。──尊敬するのはいいけど、崇拝になっちゃうのはよくないと思うな」

 図星を突かれて、エリオが押し黙る。彼のフェイトに向ける感情には、盲信に近い崇敬が含まれていた。

「そういうの、きっとフェイトさんの重荷になっちゃうから」
「……重荷?」
「うん、重荷。あの人はなんでもかんでもひとりで背負って、それでもがんばれちゃう人。裏切られても、傷だらけになっても、自分以外の誰かのために戦える強い人だよ。
 ──でもね。だからって、その気持ちに、強さに甘えて、負担になるのは間違ってる。……誰かに甘えてもいいのはコドモだけなんだと、私は思うんだ」

 どこか大人びた物言い。エリオは知らず、その語り口と雰囲気に引き込まれていた。

「一人前になろうと、フェイトさんの力になろうとして。自分の意志でここにいる私たちはオトナ? それともコドモ?
 立場を使い分けて言い訳にする……、そんな情けない男の子にはならないでね、エリオ君」

 謎かけのような言葉を紡いで、桃色の魔法使いがあどけない笑顔を浮かべる。
 返答も、反論も思いつかず。エリオはただぼやっとバカみたいな顔をして、少女を見上げていた。──この子は本当に、自分の知っているキャロ・ル・ルシエなのだろうか?

「ふふ、おやすみなさい。また明日、ね?」
「きゅるる〜」

 頭の上で、挨拶らしき砲哮を上げる愛竜にくすりと笑みをこぼして、キャロは唐突に踵を返す。
 何が楽しいのか、鼻歌混じりにふてぶてしく引き揚げていった。

「……なんだよ、それ」

 ぽつんと取り残された少年が、唇を尖らせて憮然する。
 言いたいことを言いたい放題に言い放ち、飄々と歩き去った小さな少女に“あの人”の──一目見て「勝てない」と悟った、母とも姉とも思うひとを奪っていった男の影が重なって。
 なぜだかエリオは言い知れない悔しさを覚えて、奥歯を噛みしめた。


 ────この時の言葉の真意に、エリオは長らく思い悩むことになる。




 □■□■□■




 深夜。静まり返った宿舎の廊下をてくてく、てくてく。
 隣には、私と同じく仕事を終えて帰路に就くなのは。日誌のまとめと報告書の作成に思ったよりも手間取って、こんな遅い時間になってしまった。
 昼間の疲れも相まって、眼がしばしばする……。

「じゃあ、やっぱり?」
「うん、まだ個人プログラムには早いと思う。フォーメーションの確認、させてあげたいし。……とくにキャロには」
「あの子、チームワークなんて知ったことか! って感じだもんね」
「問題児だよ〜、ホントに。誰に似たんだろうね、親の顔がみてみたいよ」
「あ、あはは……ごめん」

 道すがら、なのはとおしゃべり。どちらかというと事務的な話題になってしまうのが残念だけど、私たちは責任ある立場だから仕方ない。稼働して間もない六課にとって、いまは大事な時期だ。

「……エリオとキャロのこと、気になる?」
「うん。私には、あの子たちを見ててあげなきゃいけない責任があるから」

 エリオとキャロが管理局員になりたいと言い出したとき、私の心境は複雑だった。
 私の力になりたい──そう言ってくれるのはうれしい。けれど、時空管理局の仕事は命の危険のある大変な仕事だし、本音ではそんなことには関わってほしくない。
 でも。私に二人の人生を決める権利なんてないから、せめて目の届くところで一人前になれるようにしてあげたい。リンディ母さんやクロノも、私のことでこんな気持ちになったのかな……?

「あんまり思い詰めるのよくないよ。ただでさえフェイトちゃん、背負い込み癖があるんだから」
「……それ、なのはにだけは言われたくないかな」
「おおっ、言うね〜?」

 軽口を交わして、声を潜めてくすくす笑い合う。
 ちょうど上級士官向けの部屋があるエリアに辿り着いた。私たちの部屋はお隣同士だ。

「それじゃあおやすみ、なのは。ちゃんと休まなきゃだめだよ?」
「フェイトちゃんは私のお母さんか! と、はやてちゃんなら言うところだね。わかってます、身体は資本だもん。──おやすみ、また明日ね」
「うん、また明日」

 なのはが自室に入ったのを確認して、私もそれに習う。
 ぴ、電子音が鳴り、自動ドアが開くと、目の前には不安になるような暗闇が広がっている。真っ暗で、冷たくて、寂しくて──それがすごくいやで、私はすぐに電気をつけた。

「きゅう〜」

 明るくなった部屋。私の足元で、小さな白い生き物が小さな鳴き声をあげる。まるでおかえりと言ってくれるみたい。

「ただいま、せいろん」

 私が屈むと、ブルーのハンカチをスカーフ代わりに巻いた蒼い眼のオコジョ──“せいろん”が後ろ足二本で立ち上がり、差し出した指先をぺろぺろと舐めた。かわいい。

「遅くなってごめんね?」
「きゅう」

 ……気にするな、と言っているのだろうか? うん、たぶんそうに違いない。

 この子は、私が執務官の仕事のときなんかに“彼”が置いていくお目付役。名前の由来はセイロンティーからで、「ドンペリに対抗して」らしい。
 なんでも、この子を通して私の行動をいつでもどこでも知覚できるそうで「“悪魔の蠅”の真似っこだ」と“彼”は語っていた。よくわからないけど、使い魔みたいなものだと私は思ってる。
 それから、この子以外にあともう一匹(一人?)護衛がいるらしいとか。

 脱いだジャケットをハンガーにかけ、去年のクリスマスにもらった黄色い文字盤のペアウォッチを思い出のネックレスと一緒にドレッサーの引き出しへ。
 ……シャワーはさっき浴びたし、明日の朝も早い。もう寝てしまおう。


 せいろんにおやつのクッキーをあげたり軽く遊んだりしたあと、使い古しの白いワイシャツ──“彼”がお洗濯に出したものをちょろまかし……じゃなかった、ちょっと拝借した──を寝間着に、“ウチ”から持ってきたベッドに潜り込む。
 薄暗い、間接照明の中──もう春だというのに、シーツの中は雪のように冷たくて。一人には大きすぎるベッドの中で、私はぎゅっと身体を縮こまらせた。

 ひとりで寝るのになかなか慣れないし、慣れたくない。なのはやほかの誰かの部屋で厄介になればいいとか言われそうだけど、それには強い拒否感がある。なんかこう……“彼”に対する裏切りのような気がするんだ。
 ──その“彼”はいま、六課関係の“裏方”として別行動をしている。「フェイトが六課のことに集中するには邪魔だろうし、たまには距離を置いてみるのも楽しいかもな」──別れ際にそんな言葉を残して。

 半月ものあいだ、大好きなひとのいない時間を過ごして再確認したことがある。……それは、“彼”がそばにいてくれなきゃいやだということ。
 毎日電話をくれたって、メールの返事をすぐくれたって。そんなこと、初めからわかりきったことだった。
 ……私だって、“彼”の仕事がどれだけ重要で大変なことかくらい知っている。私にかまってるリソースも惜しいことぐらい、わからないほど子どもじゃないもん。


 ──でも、それでも、


「さびしいよ……、ユーヤ……」

 冷たい寝床で呟いた不安は、薄闇の中に溶けていった。



[8913] 第十五話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/04/02 23:14
 


 使い道のよくわからない機械が、ごちゃごちゃ散乱する薄暗い室内。
 そこに、私を含めたいつものメンバーが揃っている。みんな神妙なやけに面もちだ。──私? 私はなんだか埃っぽくて、ムズムズする鼻が気になって上の空。油断したらくしゃみが出ちゃいそうではらはらしてた。

 ──私たちはいま、六課の技術部にいる。

 ここをみんなして訪れることになった発端は、つい先日まで遡る。
 いつものとおりの過酷な訓練の帰りがけ、スバルのローラーブーツとティアナのアンカーガンが、度重なる酷使に耐えきれず壊れてしまったんだ。
 訓練校時代からの相棒パートナーを突然失い、二人はけっこうショックを受けていたみたい。バルディッシュがもう使い物にならなくなったりしたらすっごくショックだし、その気持ちはよくわかる。
 でも、デバイスもないんじゃ訓練にならないし、もしもこのタイミングで初出動なってしまっては一大事。これもいい機会だと、かねてから開発が進められていた「実戦用次世代デバイス」のお披露目会に相成った、というわけ。

「技術開発顧問“ドクター”設計のもと、機動六課の技術部が総力を結集して開発した第五世代デバイス──“マッハキャリバー”と“クロスミラージュ”です!」

 ぱんぱかぱーん。この研究室のヌシ、シャーリーが妙なファンファーレと一緒に得意満面に“ソレ”を紹介する。
 作業台の上には待機状態のデバイスが四機。青いクリスタルのネックレスタイプのものとカードタイプのもの、それからデジタル腕時計型のものと翼の意匠が施されたアクセサリー型のもの。あとの二つは、予めメンテナンスと改装をかねて預かっていたエリオとキャロのデバイスだ。

 第五世代デバイス? と四人が聞き慣れない単語に揃って首を傾げる。すかさずなのはが、ぴっと左の人差し指を立てて解説をはじめた。

「第五世代デバイスっていうのはね、カートリッジシステムを廃止して小型魔力炉を搭載したインテリジェントデバイスとアームドデバイスのことを指すんだよ。ちなみに、“箒”──つまりブルームデバイスが第四世代ね。
 改良されたと言っても、カートリッジシステムの過剰使用はいまでもとっても危険なのはみんなも知ってのとおり。で、そんなデメリットを解消して、ついでに強力な“AMF”テリトリーでも楽に活動できるようにしちゃおう! っていうのがこの第五世代デバイスの大まかな趣旨なの。
 瞬間的な爆発力はカートリッジに劣るけど、かわりに継戦能力とか安定性、信頼性は既存のものと比べて抜群なんだ」

 流暢で丁寧な説明に、四人はいちおう納得したみたい。……なのは、解説役が板についてきた感があるは気のせいだろうか。

「このコたちは、なのはさんのレイジングハートを参考に設計された最新鋭のデバイスでね」

 なのはの説明をシャーリーが引き継ぐ。

「それぞれの仕様についてだけど、スバルのマッハキャリバーにはリボルバーナックルとの同調機能と、虎の子のフルドライブモードを。ティアナのクロスミラージュには中遠距離の射撃戦モードと、いまは制限されてるけど近接戦モードを搭載してて、さ・ら・に! 二人に合わせてバッチリ手厚くセッティングしてあるから、きっと満足してもらえると技術部が太鼓判を押す自信作だよ。
 それと、ストラーダとケリュケイオンも機能制限の一部解除とカートリッジシステムの交換で、次世代化してあるから安心してね」

 エンジニアらしい視点の補足をして、四機のデバイスをみんなに手渡していく。
 この子たちの開発には、私もなのはと一緒にアドバイザーとして参加してる。だからじゃないけど、四人に気に入ってもらえるとうれしいな。

「わあ〜、ありがとうございますっ! よろしく、マッハキャリバー!」
『こちらこそ』

 まるで誕生日プレゼントをもらったみたいな笑顔を弾けさせ、マッハキャリバーを受け取るスバル。エリオとキャロもそれなりに好感触の様子。反応がいまいちなのは見た目が変わってないからかな?
 でもきっと、実際に使えば使用感の違いにびっくりするはずだ。前に、魔力炉内臓型ストレージのテスターをしたことがあるからわかる。ワンオフ品のバルディッシュと比べるほどじゃなかったけど、それでも魔力炉にリンカーコアをサポートされる独特の感覚には驚いた。
 なんと言えばいいのだろう……。こう、胸の奥がぽかぽかして力が沸いてきて、あったかいなにかに包まれてるような、そんな感じ。このときの感想を話したバルディッシュが、おへそを曲げてしまったのはちょっとした余談。

「……」

 そんな中、ティアナだけは浮かない表情でジッとクロスミラージュを見つめている。
 表情からヒトの心境を窺うことはあまり得意じゃないから、なにを考えてるのかまではわからなかった。

「ティアナ、その子じゃ不満かな?」
「あっ、いえ、そういうわけじゃないですけど……」

 なのはの単刀直入な問いを受けて、言いにくそうに言葉尻を濁すティアナ。あまり言いたくないみたい。
 ここ数週間のつき合いでわかったことだけど、この子もこの子でけっこう強情というか素直じゃないところがあるから、口を割らせるにはなかなか骨が折れそう。

「ちゃんと使ってもらわないとこっちも困っちゃうよ」気を利かせたのだろうか、シャーリーが茶化したように言う。「なにせみんなの戦闘データは、さらなる次世代機を開発する礎になるんだから」

 ちょっとアブナい目──いわゆるマッドサイエンティスト、というのだ──で技術革新を語る彼女の口調は、とても熱が入っていた。技術者というのはみんなこうなのだろうか、とちょっと心配になってしまう。

「す、すみませんでした。ありがたく使わせてもらいます」ティアナが軽く頭を振る。引きつったような笑いがおかしくて、場が和む。

「……でも、それってつまり、僕らはモルモットってことですよね」

 不意に発せられた温度の低い声。隠しきれない不快感を伴って、どこか浮ついていた空気を一瞬にして凍りつかせた。
 その場の全員がぎょっとして視線を送った男の子は、気まずそうに肩をすくめている。

 “そういったこと”に敏感なエリオらしい感想は、彼の感受性の強さと相まって正鵠を得ていた。実際、本局や地上本部の幹部たちは“私たち”に人身御供、人柱の役割を望んでいるのだから。
 ──けどたぶん、エリオのナイーブさや過敏さはよくない性質のもの。それを修正するのは後見人で、年上で、お姉さんの私のつとめだという自負がある。

「エリオ、そういうふうに物事を悲観的な方向に捉えちゃうのはよくないな」
「ですけど、フェイトさん──」
「たしかに実験台にされている一面もあるかもしれない。だけど、大きな組織っていうのはどうしても暗い一面を持つものだし、たとえモルモットであっても私たちがすべきことはなにも変わらないよ。
 世界と、そこに住む人たちの平和な時間を守る──、それが私たち、時空管理局の役割なんだから」
「……」

 難しい顔をして、エリオは俯いてしまった。
 納得できないのはわかるけど、割り切れなければいつかきっと現実と自分の心の齟齬に押しつぶされてしまう。……でも、この真っ直ぐさそのものは悪いものではないから、難しい問題だ。
 ……シビアを気取った私は、もう穢れてしまったのだろうか? そんなことを思って、赤毛の頭を撫でる。エリオは、くすぐったそうに目を細めた。
 これで、機嫌を直してくれたらいいけど。

 ────そんなとき、赤い非常灯が点灯した。

『地上本部より緊急入電。北部ベルカ領自治区へと向かう輸送列車が、何者かに襲撃を受けているとの通報が入りました。魔力反応の波形からアンノウンを“冥魔”と断定、本部は機動六課の出動を要請しています』

 繰り返します──、とアナウンスが続く。
 鳴り止まないアラート。私はけたたましいサイレンの意味が理解できず、呆然としてしまう。

「フェイトちゃん!」

 いち早く自失から立ち直ったなのはに名前を呼ばれて、我に返る。やっぱりなのはがそばにいると心強い。“彼”がいないからなおさらそれを実感して、ありがたかった。
 うん、と無二の親友に肯き、まだ動揺を隠せない──キャロだけは変わらないけど──四人に向き直る。
 表情は、意識して引き締めて。

「みんな、」

 ここで口にする言葉は、みんなの士気を高める上でとても重要だ。アジテーションは好きじゃないけど、指揮官として相応しい、毅然とした振る舞いをしないと。

「聞いてのとおり突然のことだけど、私たち機動六課フォワードチームの初任務だよ。──ぶっつけ本番、行けるね?」

 一人一人と目を合わせながら、声色に精一杯の威厳を込める。うまく、いったかな……?

「「「「はい!」」」」

 歯切れのいい返事が思いの外頼もしくて、頬がほころんでしまう。いけないいけない、まだはじまってもいないんだから、気を緩めちゃだめだ。

「それじゃあ、っ、くちゅん! あ……」

 思わずもらした情けないくしゃみに、シリアスな空気はあえなく霧散して。殺到する生温かい視線に顔がかああっと火照る。

 もう、なにもこのタイミングで出てこなくたっていいのに──こっちの都合なんてお構いなしの“冥魔”へ、私は苦し紛れの悪態を呟いた。












  第十五話 「ファーストコンタクト」













『……始まったか』

 薄暗い室内に、重々しい合成音声が響く。

『ああ、“魔王女の黙示録”の通りにな。忌々しいことだが』
『これを契機に“冥魔”との戦争が始まる。最早、我々に逃げ場はない』

 双月を抱く惑星“ミッドチルダ”の衛星軌道上に座す、白亜の超々弩級艦“セフィロト”──その最奥。
 激化するであろう“冥魔”との戦いに先駆け、地上からセフィロト内に居を移した最高評議会が蠢動する。

『レジアスはやはり、機動六課を当てるつもりのようだが。あのような小娘の集団に果たして“世界樹計画”──その真の姿、“プロジェクト・メサイア”の中核が務まるものか』
『機動六課を戦争の矢面に立たせるのは既定路線、今更変えようもない。それにあの部隊は“奴”の肝入り、問題あるまい』
『然り。莫大な予算を掛けているのだ、相応に働いてもらわねばな』

 彼ら最高評議会はすでに肉体を捨て、脳髄だけの存在に成り果てている存在だ。肉体という枷を持たないが故に、彼らは互いの思考領域を繋いだ魔法的な電子回路を介して意志疎通を計ることができる。
 “評議会システム”──現在では、このセフィロトの統合管理システムとなった生体コンピュータの名称である。本人たちが生前持ち合わせた能力と、錬金術を初めとした主八界のテクノロジーを結集させた演算能力は、地上本部及び本局ステーションのメインサーバーを同時に、それもほんの数分で掌握できるほど。これもまた、セフィロトが「単艦で次元世界を制圧できる」と言われる所以だ。
 にもかかわらず、こうしてわざわざ合議を開くのは、彼らの感傷の現れ。肉体を捨て、機器の一部となって生き長らえている歪みの発露だった。

『あの娘たちの持つ運命とやらが、この“世界“の救世主──メサイア足り得るものなのか……見物だな』
『しかし、年端もいかない小娘に頼らざるを得ないとは、情けないものだ。“奴”流に言えば、我々は「悪の首領」であるというのに』
『フ、自らを“悪の大魔王”と嘯く彼奴らしい物言いだな。……悪の首領、いいではないか。どんな誹りも喜んで受けよう』
『そう。我々の宿願はただ一つ──、この次元世界の安定と安寧だけなのだから』


 彼らはある意味、他利他欲の塊である。
 でなければ、「次元世界の安定」という夢想のために自らを機器の一部とし、時間を止めて不死になることなど出来はしまい。その覚悟とエゴは、狂気にも似ていた。
 無論、今まで彼らが成してき所行の数々は決して誉められたようなものではないだろう。むしろ、批判を受けて然るべきことだ。

 だが────
 原初にあったその理想だけは、きっと間違いではいなかった。



[8913] 第十五話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/04/09 23:17
 


 ミッドチルダ北部、ベルカ領自治区外苑。
 切り立った崖の上、駐留した大型輸送ヘリ“ブラックスター”の黒い巨体が太陽の光を鈍く照り返している。

「じゃあもう一度、作戦の内容を確認するよ」

 きりりと凛々しい感じで言うのは、ブラウンの制服を着たなのは。それを黙って聞く私たち──今回の作戦のために、途中で合流したエルフィも一緒だ──は、揃ってバリアジャケットを纏っていた。

 エリオとキャロは変わらずの“ライトニングスタイル”。そして、スバルとティアナは新作の“スターズスタイル”──なのはのバリアジャケットを思わせるデザインと、ホワイトを基調とした配色が爽やかな感じだ。
 ちなみにこれらの名称、フォワードチームが分隊形式だったころの名残で、「てか隊を分ける意味とかないよな」という“彼”の鶴の一声でいまの形になった裏話がある。

「いまから約五分後、すぐ下の線路に貨物列車ギャラクシアンライナー594号“ホワイトスワロー”が通過します。
 現在列車は多数の“冥魔”に。内部の状況は不明、最後の通信によると死者は出ていないものの、負傷者が多数出ており状況は予断を許しません」

 どこか強張った表情と口調で、いつもとぜんぜん印象が違う……なのは、緊張してるんだ。責任重大だから当然かな。
 エリオたちもみんな険しい感じだし……うあ、意識したら私まで緊張してきたよ……。手のひらに人を書いて飲んどこう。──観客はカボチャに見ろ、ってなんだっけ?

「まず、フェイト隊長が先行して威力偵察および制空権の奪取。できる限り、外の“冥魔”を引きつけてください」

「あ、うん、やってみる」

「エリオ・キャロはフリードに騎乗して接近。難しいとは思うけど、なんとか突入口を開いて」

「はい!」「わかりました」

「ウイングロードを使用して接近したスバル・ティアナと合流したあと、エルフィの先導で内部に突入。激しい抵抗が予想されるから気をつけてね」

「は、はいっ!」「了解です」「エルフィにおまかせですぅ」

「侵入後は、普段のツーマンセルで二手にわかれて“敵”の排除を目的に内部の探索を。細かい指示は、追跡のヘリから私が逐一入れます。……ここまではいい?」

 一様に頷く私たち。“竜魂召喚”で巨大化したフリードが背後で雄々しい雄叫びをあげた。

 なのはが私のことを「隊長」と呼んだのは、公私をきちんと区別するためなんだそうだ。
 最近はやてが「馴れ合いはあかんよ。規律はしっかり守らなな」と口癖のように言ってるので、それに影響されたのかもしれないけど……そういうの、馴染めない。
 職務遂行のためだとしても、親友と他人行儀にするのは抵抗感がある。……ダメだなぁ、私。これじゃあエリオたちに示しがつかないよ。

「内部での行動は臨機応変に。列車の運行システムの掌握と生存者の救出──、それからみんなの命が最優先事項だよ、いいね?」

「「「「はい!」」」」

 いたわりの込められた訓示に、はきはきとした気持ちのいい返事が飛ぶ。なのはが満足そうな笑顔を浮かべて頷いた。

「訓練どおりにやればだいじょうぶ。みんななら、きっとできるよ」

 ひとりひとりと視線を合わせて。その笑顔がまぶしくて、私はしばし見とれてしまった。さりげなく部下を気遣うやさしさも忘れないところ、なのはらしいな。
 ──このあと、「私も隊長としてなにか言わなきゃだったのかな?」と気づき、ダメダメな自分がふがいなくて密かに自己嫌悪した。



 ──降下時間予定まであと数分。私たちは思い思いのことをして、出撃に備える。

 エリオとスバルは準備運動に余念がない。それぞれの方法で、ぐいぐい全身の筋肉をほぐしてる。……ていうかスバル、「土」の字で地面とべたぁーっとくっつけるなんて、身体柔らかいね。
 ティアナは難しい顔でクロスミラージュと打ち合わせ。今日会ったばっかりなんだし、インテリデバイスとのコミュニケーションは魔導師として基本中の基本だ。
 キャロはフリードの首のあたりを撫でて、ごろごろさせている。うーん……あいかわらず肝が据わってるっていうか、これから任務なのに自然体のままで余裕綽々って感じかな。

 そんなふうにみんなの様子を観察しつつ、軽くストレッチ。両手で握ったバルディッシュを頭上に掲げ、んん〜と大きく仰け反る。こきこきっ、と背骨が伸びてきもちいい。
「フェイトちゃん」後ろから声をかけられた。

「っと……なに、なのは?」

 上体を戻す。目の前には、どこか思い悩んだ雰囲気の親友がいた。

「……フェイトちゃんには、一番危険なポジションを任せちゃうことになるんだけど……」
「うん、そうだね。でもなんとかなるよ、たぶん」
「……。やっぱり、私も──」
「だいじょうぶ」

 心配顔で眉を下げるなのはの両手を取って、私は微笑む。

「私を信じて任せて、ね?」

 そのまま、アメジストの瞳を見つめて小首を傾げる。
 戦力的な不安はたしかにある。だけど、“いまのなのは”を前線に押し出す方が私にとってはもっと不安だった。
 アグレッサーならいざ知らず、実戦でいつもの思いっきりに欠けたままじゃ、きっと命取りになる。そんなの絶対ダメだ、認められない。

「でも……」

 まだ浮かない顔で食い下がるこのかわいい親友をどうやって納得させようか。なのは、昔っから頑固一徹だからなぁ……。
 すると、


 ────ならば、我々が力を貸しましょう。


 声なき声があたりに響き渡り、ヴンと空間が歪んだ。

 日の光あふれる晴れた空には似つかわしくない黒い闇が揺らめいて、青いドレスと茶色のポンチョの特徴的な姿をした二人の女の子が──まあ……ありのままに言ってしまうと、魔王が私たちの前に姿を現した。

「!!」

 ザッ、とその場の全員が身構える。エリオたちはとくに驚いたようで、泡を食ったように戦闘態勢に入っていた。
 そりゃあ、こんな異常なプレッシャーと魔力を放つ、正体不明の二人組が突然目の前に現れたら誰だって警戒するよ。もっとも私となのはの場合、それとは別の理由だけれども。

「……ベール・ゼファーにリオン・グンタ、だね。──いったいなんの用?」

「えっ!?」「これが、魔王……」「ッ!」「……」

 代表して問いただすと、四人から息を飲んだような気配が伝わってきた。彼女たちのこと、座学のときにきちんと説明しておいてよかった。

「何、大した事ではありません」

 真意の読めない笑みを浮かべ、もったいつけて言葉を切る“秘密侯爵”。──うう、この値踏みするような視線、苦手だよ。
 バルディッシュを握る手に否が応でも力がこもる。場合によっては交戦もあり得るかもしれない、いつでも飛びかかれるようにしないと。

「……どうやらお困りのようでしたので、是非ともご助力を参上した次第」

 開いた口から飛び出した予想外の目的。「え?」間抜けな反応をしてしまう。
 助力……? じょりょく、ジョリョク──力をそえて手伝うこと。加勢すること。
 ……えーと?

「嘘おっしゃい、あんたの極々個人的な事情で首を突っ込んでるだけじゃないの。あたしまで巻き込むんじゃないわよ、この鉄娘っ!」
「何を仰います、大魔王ベル。鉄道とはヒトが作り出した唯一にして無二の芸術品、至高の存在です。それを下賤なる“冥魔”から守ると言うことは、殉教にも似た崇高なる行為ではありませんか」
「装飾語がゴテゴテしいわ!」
「……ダイヤグラムの複雑怪奇に絡まりつつも規則性を失わない美しさ、大自然や街中を王者のように縦断する列車の優美な姿……あぁ、すばらしきこの世界……!!」
「一人でトリップしてんじゃないの、気色悪いっ!」

 ……要領を得ない。
 というか、この忙しいときにコントなんてしないでもらいたいんだけど?

「えと……」頬を引きつらせて、なのはが三文芝居を繰り広げる二人に声を掛ける。

「つまりベルさんとリオンさんは、私たちに協力してくれるんですか?」
「ええ、その通り。……魔王シャイマールより、その旨が伝わっている筈ですが」

 たしかに、“彼”から事前に彼女たちと協力──そのために、かなり足元を見られた条件を飲んだらしい──を取りつけたという話は聞いていた。「裏界魔王は一度交わした契約を遵守するものだ。自分のプライドに賭けてな」とは“彼”の言葉だ。
 昨日の敵は今日の友、じゃないけれど、彼女たちの力を借りれたら心強い……かもしれない。信頼できない相手に背中を任せるのは正直すごく不安だけど、“彼”のことなら信じてるから信用して一緒に戦おうとは思っていた。

 ──……でもまさか、初任務からなんて想定してないよぉ〜。

「魔王が二人、とてもお買い得です。ほら、早くしないと列車が来てしまいますよ?」
「ちょ、ちょっと待っててくださいっ! いま確認しますから」
「どっちでもいいからさっさとなさい、高町なのは。愚図は嫌いよ」

 なのはが身振り手振りでせっつく二人をなだめつつ、なにやらインカムを通して通信をはじめた。あれはたぶん、六課司令部“ロングアーチ”に伺いを立ててるんだ。
 ……うん? 私たちから少し離れたあたりがにわかに騒がしい。「そんなことやめなさいって」とか「近づいたら危ないんじゃ……」とか「やめなよ、噛まれちゃうよ!」とか──エリオたちがなんか揉めてる。
 どうやら、こっちに来ようとするキャロを押しとどめようとしてるみたい。

 だけどキャロは、みんなの制止を振り切ってずんずんと出てきてしまう。そして立ち止まったのは回答を待つ魔王二人の前。

「“蠅の女王”さまに“秘密侯爵”さまとお見受けします」
「んっ、何よあんた」

 恐ろしいほど冷たい、絶対零度の視線を浴びているというのに、キャロはスカートの裾を摘んでスッときれいなお辞儀をする。ふてぶてしい……、大胆不敵だ……!

「“裏界皇子”の契約者、キャロ・ル・ルシエと申します」
「へぇ……、“侵魔召喚師”?」
「はい、非才の身ながらみなさまのお力をお貸しいただいています。ぜひ一度、裏界に名高い偉大な大公さまの偉大なるお姿を拝見したいと思っていまして。聞きしに勝る偉大な美しさに感服いたしました」

 きらきらと眼を輝かせ、憧れのスターを見るような視線をベルに向け、キャロが言う。その口上は過剰装飾が過ぎていた。
 ……ねえ、いまのなんかおかしくない? わざと?

「あら、契約主よりは礼儀がわかってるんじゃない? ──ふふん、おもしろい。気が向いたらあんたに喚ばれてあげてもいいわよ? もっとも、実力が伴わなかったら吸い殺してやるけど」
「はい、ありがとうございます。その折はどうぞよろしく」

 なぜか気分をよくして尊大に胸を張る銀髪の女の子に、キャロが深々と礼をする。……なにかよくわからないけど、話がまとまった、のかな……?
 意気揚々とみんなのところに戻るキャロの横顔が「ふっ、ちょろいもんですね」と言っているように見えたのは、私の気のせいだろうか。──こういうの、慇懃無礼っていうんだよね。


「──ええと、お二人と協力して事件解決に当たれとのことです。それで、作戦についてですけど──」
「そうですか、それは結構」

 作戦を伝えようとするなのはを完全にスルーするリオン。非常に読みにくい薄笑いを浮かべたまま、相方の方に向き直る。

「……では早速行きましょう、ベル。一刻も早く、私の鉄道を救うのです」
「はいはい。行けばいいんでしょ、行けば。──ったく、何であたしがこんなことを……」

 しゅんっ──そんな音を残して。ここに現れたときとそっくり同じで身勝手に、気まぐれな魔王たちは姿を消した。

「──指示を聞いてくれたらうれしいな〜。……なんて」
「…………」

 なのはの虚しい懇願は、当て所なく空をさまよい。私の額にはたらりと汗が一筋流れた。

「が、がんばろっ! なのは!!」
「そ、そうだよね、フェイトちゃん。ガンバんなきゃだよね、あは、あはははは……」

 乾いた笑いがあたりに木霊する。──先が思いやられるとはこのことだよ、はぁ……。



[8913] 第十五話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/04/09 23:18
 


 やや煙った空に幾条もの魔法が交錯する。炸裂した魔力がたくさんの火花となって輝き、耳障りな爆音が轟いた。

「このっ!」

 気合を込め、振りかぶったハーケンフォームのバルディッシュを袈裟懸けに一閃。私は斬り捨てたキモチワルイ姿の魚型“冥魔”に目もくれず、グンと飛行速度を上げる。
 眼下、深い森林と切り立った崖に挟まれた線路の上を八両編成の真っ白な列車──ギャラクシアンライナーが、纏わりつく怪物の群れから逃れるように疾走していた。流線型の車体には“冥魔”がつけた損傷が見受けられ、所々からもくもくと黒い噴煙が上がる姿は痛々しい。

 ──制空権の確保と外部の敵を引きつけるおとり役を任された私は、列車からつかず離れずの距離を保ったまま、大量の“冥魔”とのドッグファイトに挑んでいた。


「──ッ!」

 背後から追走する何者かの気配を感じて、慣性制御と体捌きを駆使しし、その場で逆さまに半回転。それ──鳥型の“冥魔”、闇鳥の群れと後方に進みながら相対する。
 私はあらかじめ準備していた魔法を解き放つ!

『プラズマランサー』

 合成音声を合図に、斉射された雷撃の槍が数体の鳥のバケモノを貫く。その瞬間、槍型の誘導弾に付与した魔力が解き放たれて、電気を帯びた爆炎が巻き起こる。
 鼻につくイオン臭に顔をしかめつつ、くるりと元の体勢に戻って視線を躍らせる。防衛目標である白い車両はずいぶん先に進んでしまっていて、私は慌てて後を追った。

 “箒”としてもカテゴライズされるだけのことはあって、ギャラクシアンライナーの速度はかなりのものだ。激しい損傷がたたって機能が落ちているにしても、戦闘機動を維持したままついて行くのは一苦労。ぼやぼや“冥魔”の相手をしてたら、すぐに置いてかれてしまうだろう。気をつけなければ。

 すでに、スバルたちは列車の内部に突入している。初めての実戦ですごく心配だけど、ここは任せるしかない。
 空戦魔導師より、建物内など閉鎖空間での戦闘を得意とする陸戦魔導師の方が今回の任務に適していることは、子どもでもわかる簡単な図式。……それに、相手を信頼して託すこともチームワークを形成する上で大切なことだ。
 私は、私に与えられた役割を全うするだけ。外から見ててヒヤリする場面が何度あっても、その度に駆けつけて手を差し伸べたくなる自分をグッと抑えた。──だって、そうしなければ、困るのは私以外の誰かだってことを知っているから。

 ……たとえ、心の底から気に入らない僚友と空を飛ぶことになろうとも。それはかわらない────


「く、数ばかり揃えたって!」
『フォトンランサー』

 目の前を阻むように浮遊する巨大な水晶の集団に、私は八つの誘導弾をけしかけた。
 光の尾を引いて、フォトンランサーが四方から水晶体に殺到する。
 取った──!
 そう思ったのもつかの間。水晶体の内部が不気味に発光し、金色の魔法弾は突然操られるかのようにくんっと軌道を変えて、こちらに跳ね返ってくるではないか。

「っ!?」

 不可解な現象の意味がまるでわからず、愕然とした私の思考に幾ばくかの空白が生まれた。会心の一撃をいともたやすく、それも非常識な方法で無力化された衝撃は大きい。
 オートプロテクション。
 バルディッシュが展開した障壁と反射されたフォトンランサーを相殺して、強い衝撃を生み出す。

「ぐ、うあ……っ!」

 大きく弾き飛ばされた私は、体勢を無様に崩した。
 ぐるぐると回る視界に、身体を構成する結晶をいまにも撃ち出そうとする敵の姿が映る。

(しまっ──)

 無情にも、水晶柱は一斉に撃ち出された。


 ──避けられない……!


 ばさっ。なにかがはためく音がする。
 上空から猛スピードで落ちてきた黒い影が、水晶を打ち砕く。次いで、巻き起こった嵐のような黒い炎の渦が“冥魔”を飲み込んだ。
 次々に粉砕された結晶が黒い砂に還るのと同時に、水晶の弾丸も同じように霧散した。……私に接触する寸でのところで、だ。

「馬鹿ね、“水晶の魔”に魔力攻撃が通るわけないでしょうに。そんなことも知らないワケ?」
「……っ」

 私の窮地を救った銀髪の女の子──ベルは、こちらにゆっくりと振り向くと呆れたようにため息をこぼした。
 右の足先にくすぶる黒炎、風になびくポンチョ。私を見下す金色の瞳には、ハッキリとした失望の色が浮かんでいた。
 し、知らなかったわけじゃないもんっ、ちょっとど忘れしただけだもん!

 ちらりと視線を落とすと、ギャラクシアンライナーの速度が緩んでいるように見る。みんながうまくやったの、かな?

『こちらCP。ナイトウィザード01、応答してください』

 念話を介して、聞き慣れた親友の声が届く。

「こちらナイトウィザード01、CPどうぞ」
『エルフィからの報告だけど、車両管制システムの掌握が完了したそうだから、フェイトちゃんはそのまま外部での戦闘を続けてくれる?』

 やっぱり突入班がミッションを達成したみたいだ。残った慣性がなくなれば、直に停止することは間違いない。
 あとはまわりの“冥魔”を一掃するだけだ。

「了解。予定どおり、残った“冥魔”の掃討に入るね」
『うん、お願い』

 念話を切り上げたとき、突然ぶあっと突風が吹き荒れて周りにいた“冥魔”たちが爆発四散した。
 突風の発生源、ベルは右腕を振り抜いた体勢で留まっていた。──あれはただ腕を振ったんじゃない。純粋な……だけど強烈な魔力の塊をぶつけたんだ。

「しっかし、やけに数が多いわね。鬱陶しいったらないわ」

 横柄に腕を組んだポーズになって、さっきとはまた違うトーンのため息をつくベル。表情もうんざりした感じだ。
 そのぼやきを受けて、私たちよりもやや上空──分厚い本を抱えた青いドレスの女性が口を開く。

「……記録によれば、これほどの“冥魔“がこの惑星に出現したのは、こちらの時間で四年前の一件以来のようですね」
「ふぅん、あれ以来、ねぇ……」

 リオンの簡潔な説明に、金の瞳が妖しく光る。鋭く切れ長な瞳はまるで気まぐれな猫のようだ。

「嫌がらせかしら? 奴らのやりそうなことだけど」
「大方、“全次元銀河鉄道化計画”の妨害をしているのでしょう。……私の崇高なる計画を邪魔立てするとは大変不届きなことです。速やかに粛正せねば」
「断言してもいいわ、リオン。それだけは絶ッ対にないっ」

 白けた顔でベルが言うけど、意見を否定されたリオンはすました感じで易々と受け流している。よく目にする光景だ。それにしても、相変わらず好き勝手にして……。

「…………」

 まだくだらない雑談をしている二人から視線を外し、私は目の前の“敵”──この単語は好きじゃないけど、今回は別だ──に向き直る。
 深く息を吐き、バルディッシュの握りをもう一度確認する。そして、エリオたちみんなの晴れの舞台──それを汚されたという幼稚な苛立ちをぶつけるために、最大戦速で“冥魔”の集団へ突貫した。




 □■□■□■




 戦域より数百メートルほど離れた地点。ホバリングするツインローター式輸送ヘリ型“箒”──“ブラックスター”が、集団からはぐれた数体の“冥魔”を備え付けの三十ミリ近接防御機関砲で撃ち落としていた。
 特殊部隊向けに開発・改良された性能を遺憾なく発揮し、二機の回転翼を忙しなく回転させて生み出した円運動で揚力で飛来するを難なく回避していく。

『ナイトウィザード03、四号車制あ──スバルッ!』
『わっ、わわっ』
『ったく、頭下げて! ──クロスファイヤー、シュートッ!』
『……ご、ゴメン、ティア。油断してた』
『ぼさっとしないの、あんた時々ウカツなんだから。初任務で殉職とか冗談じゃないわよ?』
『ゴメンっ、ホントゴメン! この埋め合わせは必ずするから』
『ほぉ、言うじゃない。じゃあ、帰ったらスバルのおごりでケーキ食べ放題ね。それで許したげる』
『!! そんなぁ〜、私お給料日前なのに! ティアのオニ、アクマ!!』
『ふふん、なんとでも言いなさい。痛くも痒くもないわ』

『フリード、そんなザコ蹴散らして!!』
『キャロさん、僕は?』
『──え? エリオ君? エリオ君は、うーんと……てきとーに突っ込んでて』
『ええー』
『ええー、じゃないよ。だってエリオ君、それくらいしかできないじゃない』
『……ねえ、僕怒ってもいいよね? いいよね?』
『よーし、フリードっ! いっくよーっ!』
『無視されたっ!?』

 開きっぱなしの回線から、突入班の動向が伝わってくる。……危なっかしいことこの上ない、いろいろな意味で。
 後ろからその様子を監視している新米先生は、生まれ持ったお節介を発揮して気が気ではなく──

「ッ、陸曹、もっと寄って!」
『無茶言わないでください!』

 ヘリの内部では、状況開始から幾度となく交わされたやり取りが再燃していた。
 興奮気味に声を荒げるのは我らが教導官、高町なのは。そして言い返すのがこの機のパイロット、ヴァイス・グランセニックだ。

『これ以上近づけば“ヤツら”の本隊にも感づかれますよ!? 今でもギリギリなんスか、らッ!』
「っ……!」

 “冥魔”の攻撃を躱した振動で激しく揺れる機内。至極真っ当な言い分に、反論できないなのはは言葉にできない悔しさを滲ませて歯噛みした。
 本来彼女は、戦場において直情径行・独断専行な人物であり、決して辛抱強いとは言える質ではない。以前であれば「もういい! 私がやるっ!」とでも叫び、愛機片手にさっさと飛び出していっただろう。

 しかし──

(ダメ……、こんなんじゃダメだなんだよ、私はっ……!)

 過去、戦闘に熱くなるあまり犯した判断ミスが原因で、彼女は幼なじみの命を奪いかけた。「理不尽な暴力からみんなを守りたい」と考えていたなのはにとってそれは、絶対にあってはならなかったこと。


 ────あんたがその、“理不尽な暴力”とやらになったら世話ないじゃない。

 ────実力行使で邪魔者を排除するなんて、あたしたち“魔王”と一緒ね。


 銀髪の魔王が言い放った皮肉は今もまだ、彼女の心を縛っている。──完膚なきまでに打ちのめされた“蠅の女王”との戦いは、なのはが初めて経験した完全なる挫折の記憶だった。

 なのははシートに座ったまま、目の前に展開したモニターに映る部下たちの姿を真剣な眼差しで見つめ続ける。一瞬でも見逃すまいと、瞬きさえも忘れて。
 決めたのだ。たとえ至らなくても、指揮官として部下たちを見守るのだと。
 ──強く握りしめた手の平からは、紅い鮮血がじわりと染み出していた。





 同時刻、ミッドチルダ某所。

 岩石をくり抜き、作られたと思わしき人工的な空間にぼんやりと淡い光が溢れている。光を生み出しているのは大きなディスプレイや様々な情報を映し出すモニターだ。

「フ、フハハハ、アッハハハハッ!!」

 白衣を身に纏う、紫の髪の男が呵々大笑と咽を張り上げる。一見若く見えるが、年の頃はわからない。
 彼の爛々と光る金色の瞳に浮かぶ狂気──、常人の理解を越えた領域に存在する精神を今捉えていたのは、大型ディスプレイに映った映像だ。
 大空を縦横無尽に翔る黄金の魔導師。列車内で鉄拳を繰り出す空色の少女。屋根の上にて大立ち回りを演じる赤毛の少年。──それらは全て、なのはが見ていたものそのままだった。

「ハッ、“F”の残滓に“タイプゼロ・セカンド”──素晴らしい!!」

 興奮した様子で男は叫ぶ。その背後では、同じく白衣を着た女性が淡々とコンソールを操作している。

「是非サンプルとして解剖したいなぁ。あぁ……、改造して“レリック”を埋め込むのも悪くない……!」


 ──随分と愉しそうじゃないか、スカリエッティ。


 ナイフのように鋭く、よく通る声が洞穴内に響く。
 夢想の愉悦に浸っていた男──ジェイル・スカリエッティがゆっくりと、狂喜の表情を消して振り返る。

「やあ、シャイマール」

 明かりの当たらない漆黒の闇。不遜な笑みを湛えた背の高い青年が壁に背を預け、佇んでいた。



[8913] 第十六話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/04/18 23:02
 


 首都まで電車で三十分。クラナガンへのアクセスに便利な地点にある、ありふれた岩山に穿たれた洞穴の深奥。白衣を羽織った男と、濃紺のビジネススーツを着こなした青年が向かい合っている。
 スーツ姿の青年はもちろん、“裏界皇子”こと宝穣 攸夜。堂々と腕を組んだ立ち姿は傲岸不遜、ひどく様になっていた。

「やあ、シャイマール。相変わらず君は突然現れるね」

 このどこかフランクなトーンで話しかける白衣の男の名はジェイル・スカリエッティ。そしてここは、第一級次元犯罪者だった彼の収容施設──とは名ばかりの研究所だ。
 次元世界に悪名を轟かせたその悪魔的な頭脳を買われ、「時空管理局へ全面的に協力する代わりに、好きなことを好きなだけ研究させてやる」という司法取引の条件を飲んだ彼は、数年前から密かに様々な分野の研究を続けている。
 ──飼い主が“裏”から“表”に変わっただけのくだらない茶番劇だが、スカリエッティは現状をある程度満足していた。何せ、主八界由来のテクノロジーを直に触れるのだ。そんな絶好の機会をこの稀代のマッドサイエンティストが逃すはずもない。
 ちなみに主な研究成果は、“箒”の運用思想を本格的にデバイスへ流用した第六世代デバイスなどなど。“応用”ではなく“流用”な辺り、さすがの奇才も世界の神秘に端を発した“魔法”の全容を理解するには未だ時間が必要らしかった。
 なお、自らが設計した新型デバイスのデビューについては概ね満足している。

「神出鬼没が俺の信条でね。──ところでなんだ、さっきのセリフは?」
「何、ここで言わねばならない気がしたのだよ。特にこれといった意味はない。……まあ、私の芸風というかお約束だね」
「身も蓋もないことを言うなよ」

 予想外の返答に呆れ、攸夜は広間の中心へとてくてくと歩を進めた。

 たしかに“プロジェクトFの成果物”や“戦闘機人のプロトタイプ”に興味がなかったわけでもないが、今更そんな「枯れた技術」にかかずらっているほどスカリエッティは暇ではないのだ。研究三昧的な意味で。
 故に、現在連絡がつかず行方知れずになっている彼の“作品”──二人の被験者についても、興味を失い記憶にも残っていなかった。

「しかし意外だね。君のことだ、冗談でも“あのような事”を言えば、殺気の一つも浴びせてくると思ったのだが」

 自らの助手も務める戦闘機人──ウーノが用意した円卓に着き、スカリエッティは少し拍子抜けした様子で肩をすくめた。
 現状、ほぼ無敵に近い攸夜の唯一とも言える弱点が「フェイト・T・ハラオウン」であることは、事情について知る人間の間では割と有名なことだ。──その弱みを突いてイニシアチブを握ろうと画策し、逆に身を破滅させた俗物がごまんと存在することも。

 別に、と前置きして、用意された椅子に悠然とした所作で腰をつける攸夜。幾度となくここに訪れているからだろう、悠然と足を組んだ姿はまるで遠慮というものを知らない。

「アンタの好きにしたらいいさ。……生きたまま、脳髄を引きずり出されてホルマリン漬けになりたければ、の話だけど」

 ゾクッ──

 感情の籠もらない声色に戦慄が背筋を駆け抜け、ウーノはティーセットを用意する体勢のまま凍り付く。
 最初期型とはいえ戦闘機人であり、全身くまなく調整を受けているはずの肌がぞわりと粟立つ。彼女の脳裏には、スカリエッティを捕縛すべく来襲した“魔王”との戦いが──否、惨劇の場面がフラッシュバックのように再生されていた。

 重圧の闇に飲まれ、ひしゃげたガラクタの山。破滅の光が全てを壊し尽くし──
 理不尽としか言いようのない力の顕現に手も足も出ず、なす術なく蹂躙されていく妹たち。特に四番の妹など、身内以外を見下す性格が災いして、傲り高ぶる精神を徹底的に破壊されて今も会う度に恐れ慄いているという。
 ──後に知ったことだが、この青年は「利用されること、支配されることが嫌い」らしい。ついでに「自分が世界の中心だと身の程知らずにも勘違いして、思い上がった雑魚はもっと嫌い」だとも。なるほど、たしかに四番の妹とは相性が最悪だとウーノは納得すると同時に、見せしめにされた妹が不憫だった。

 十数年の歳月をかけ、入念に準備していた“計画”の最後は呆気ないものだったが、実行せずに済んだのはむしろ幸運だったのだろう。管理局の魔導師相手ならまだ勝ち目はあるだろうが、こんなバケモノと敵対するなど正気の沙汰ではない。少なくとも、現世にある尋常な手段での打倒は不可能に近いのだから。

 気まぐれな“機械仕掛けの神”の所業は、因果応報──今まで数多の命をいたずらに弄んだ狂信者たちへの報いだったのかもしれない。


「興味深い、管理局のフィクサーらしくない表現だね。ここは“始末”すると言うべき所ではないのかい?」

 面白がるような声色でスカリエッティが問うと、攸夜の眉が左側だけくいと上がる。

「死と滅びは万物全ての終着点、分け隔てなく持ちうるただ一つの安らぎだろ? 何故それを罰として与えてなきゃならない」

 こんな常識も知らないのか。そんなニュアンスを含めて攸夜は鼻を鳴らした。

 定命がなく、基本的に不変にして不滅である“古代神”にとって、生命とは所詮はその程度のものだ。愛玩動物のように愛でるならともかく、命の重みだなどという普遍的な概念すら持ち得ない。むしろ「最上位者自ら刈り取ってやることが、愚かな泥人形に相応しい最大級の慈悲である」と彼らは考える。

「永遠に近い間、責苦を受け続ける方がよっぽど罰になると思うけど」

 それは攸夜も変わりなかった。
 ヒトであろうと振る舞っていても、今の彼の根底にあるのは“破壊神”の記憶と知識。それらが彼に歪んだ生死観を与えているのだ。

 ────古来よりヒトは、絶対的な“死の恐怖”から逃れようと様々な方法を模索してきた。
 不老長寿──その試みが成就した試しは、神話の時代に逸話が残るのみ。ほとんどが例外なく夢破れ、終焉の滅びを享受して無の彼方へと還っていった。
 しかし仮に、その夢を叶えたとして。死を免れ、不滅の永遠を手に入れたとして、ヒトは果たして幸せになれるのだろうか?

 答えは否だ。

 精神とは、時間とともに磨耗し、腐っていくものなのだから。

「……アンタだって、自由を奪われて延々とただ闇雲に生きるのは嫌だろう?」
「ふむ……、それは確かに退屈そうだ。遠慮したいところだ」
「アンタにしては賢明だな」

 物騒極まりない事柄をまるで夕食の献立のように語り合う二人。狂人と人外──常人とはかけ離れた精神構造を持つ彼らは、常人には理解し難い理由で納得しあった。
 ──まあ、唯一の観客であるウーノは、人外の存在を相手にしても泰然として揺るぎない生みの親に、尊敬と畏敬の念を深めていたのだが。


「時に、シャイマール。いい加減お父さんとは言ってくれないのかな?」
「誰が。プレシアならともかく、アンタを親と呼ぶ道理がどこにあるか、気色悪い」
「道理ならあるじゃないか。“プロジェクトF”の根幹理論を創り出したは私だ。つまり、その産物たる“彼女”は私の娘という事になるのだよ」
「……それ、本人の前では絶対に言うなよ。ザンバーでホームランされるぞ、確実に」

 など、毎回微妙に内容を変えて行われる押し問答をBGMに、ウーノは準備した紅茶をティーカップに粛々と注いでいく。
 ありがとう、と声をかけた攸夜は姉とメイドに躾られて身につけた優雅な所作で、カップを手に取る。
 立ち上る湯気に含まれた芳しい香りを感じようと鼻先を近づけ、

「む……、この紅茶──」

 紅茶には少々うるさい攸夜の鋭い嗅覚がその香りに違和感の捉えた。
 白いカップの中一杯に満ちた紅の液体はどこかくすんで見える。攸夜が胡乱げに口を開く。

「いったい何杯目だ?」

 主語の抜けた問いは果たして、意味を通じた。

「はぁ……やはりわかりますか」ティー・パックの入ったポットに視線をやり、ウーノが申し訳なさそうに答える。「これは来客用なので二回目です。普段は使用後に乾かして、十回くらい使ってるんですけれど」

「苦労、してるんだな……」
「ええ……、月末は特に辛くて。妹たちには迷惑ばかりで」

 頬に手を当てて日々の倹約への疲れを垣間見せるウーノの様子に、攸夜は趣味に散財放題の旦那を支える健気な嫁の姿を幻視した。その旦那は、うっすーい紅茶をさも美味そうに飲んでいる。
 この研究施設の奥、プライベートスペースには洗濯用のロープが張り巡らされており、使い古したティー・パックがたくさん干されていた。それ以外にも有象無象の涙ぐましい努力によって、生活力皆無なスカリエッティは脳天気に研究を続けられるのである。

「そうか……」

 生まれてこの方金に困った経験のない──ぶっちゃけいいとこのボンボンな攸夜だが、あちこちを放浪していた頃にはひもじい思いをしたことがあったので彼女の境遇にわずかな同情を感じた。
 迷いに迷って、雑草やらよくわからない生き物を食らって飢えを凌いだ記憶は惨めだった。あまりに惨めすぎて、意気地が折れそうになったことも少なくない。その度、最愛の女の子の笑顔を思い浮かべては「なにくそ!」と奮起し、これも強くなるための試練だとポジティブに捉えたわけだが……まあ、これは余談である。

 今度、安くておいしい節約メニューをまとめたノートをお土産に持って来よう。攸夜は苦笑いを浮かべてそう決心した。


「ところで君は、何をしに来たのかい? とりあえず世間話ではなさそうだが」
「おっと、そうだった」

 今更な指摘にはたと目的を思い出した攸夜は、ヴン、と月衣から何か大きな物を引きずり出す。
 ずん、と床に立てられたそれは二メートルほどの真っ黒な長方形の匣。まるで棺桶のようで不気味な威圧感を放っている。

「アンタに依頼されていた“ホムンクルス”──その現物だ」

 座ったまま、隣に聳え立つ匣をトンと軽く叩く攸夜。スカリエッティは、椅子から中腰になり、ぱあっと新しい玩具を買い与えられた子どものように瞳を輝かせた。
 さんざ待ち焦がれていたサンプルが目の前にあるのだ、無理もない。

「元々はさる傭兵派遣企業の“備品”だったんだが、倫理思考に重大な欠陥があったそうでね。味方や一般市民まで見境なく惨殺するシリアルキラーに成り下がり、見かねて“処分”されたものを譲り受けた」
「ということは、それは死体かい?」
「勿論。生きたままこちらに持ち込むのは手間がかかって面倒だし、第一疲れる」
「ふむ、そうか。ありがたく使わせてもらうよ」

 特にも異論を挟まず、素直に納得する肩透かしな反応に攸夜がきょとんと呆気にとられる。
 何かね? とスカリエッティが不審な目を向けた。

「いや、てっきりアンタのことだから生きた現物が欲しいとか無茶を抜かすのかと」
「心外だね。解答を見て“正解”に辿り着くつもりはないのだよ、私は。学問というのは試行錯誤と思考実験の繰り返しで進めていくものだ。世界の真理を解き明かすのに、近道などありはしない」
「むぅ……」

 らしくない正論に攸夜が思わず唸る。スカリエッティなんかに言い負かされて悔しい、と子どもじみた感情が浮かぶ。

「まあ、いいか。──それからコイツは土産だ」

 くだらない感情を切り捨てた攸夜は、月衣からジュラルミン製のアタッシュケースが現出させる。
 ばちん、と留め具が外され開かれたケースの中には、黒い緩衝材に包まれた拳大の宝石が収められていた。

「“第七世代”用のエネルギーコアとして使えるか、検査して欲しい。好きに弄ってもいいが壊してくれるなよ? 用意するには苦労するんだ」
「ほう……」

 七色の不思議な赫耀を放つ六面体の宝石から強大な波動が広間に響き渡り、スカリエッティが感嘆のため息が漏らした。かなりのものだと自負している彼の観察眼には、これだけのパワーを秘めたこの魔宝石が“未だに眠っている”と見抜いていた。

「これは一体?」

 ふ、と広角をわずかに釣り上げ攸夜が薄く笑う。

「“天使の種”、さ」



[8913] 第十六話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/04/13 23:16
 











  第十六話 「ツバサの欠けた天使」












 特にアクシデントもなく、無事に初任務を終えた四人の教導メニューは、個人レッスンへとランクアップした。
 それぞれのスキルに合った講師と、一対一でのトレーニング。内容はもちろん、教導官であるなのはが一生懸命考え抜いたもの。
 みんなのことをつぶさに観察して、何日も前から練っていたメニューはきっと効果バツグンなはずだ。
 ──そんな五月末の、とある日のこと。

 今日も青空の下、空間シミュレータで再現した森林を使った個人訓練。才能の原石を懸命に磨いて、光り輝く宝石とするために。

「……」

 ふと仰ぎ見た空は突き抜けるように蒼く、澄み渡るみたいに晴れ晴れとしていて。
 まるで“彼”の瞳の色みたいだと思うと、私の心はとたんに浮かび上がった。
 そわそわ、じりじり。
 自分でも、落ち着きがなくてみっともないと思う。でも、どうにも自制ができなくて。
 顔がゆるゆるだ。

 もうすぐ──

 あとほんの少しで、私の大好きなひとに逢えるんだと思ったら、いてもたってもいられない。
 “彼”に逢ったらなにをしよう? そればかりを考えてしまう。
 まず最初にぎゅーっと抱きついて、次にいっぱいおしゃべりをして……。

 それから、それから──


 ──フェイトさん!」

「わひゃあっ!? ……と、エリオ、なに? 急に大声だしたら驚いちゃうよ」

 足下で私を見上げる男の子を軽くとがめる。めっ、だよ?
「すみません……」しゅんとするエリオは、どこか戸惑ったように二の句を告げた。

「でも、課題が終わったのにいくら呼んでも気づいてくれないので……」

 ──しまった。私、なにやってるんだろ。

「そっか、そうだったよね。ごめんね、えと……、どこまでやったっけ?」
「“基本動作の高速化”です、フェイトさん」
「エリオ、ごめん。悪いけど、もう一度やってみせてくれるかな」

 私の身勝手なお願いにも、嫌な顔をせず「ハイ!」と元気よく返事して、エリオがソニックムーブの機動に入った。
 ……うん、たしかに注意をちゃんと聞いて、動作の入りと終わりを意識するようになってる。キレもわずかだけどよくなってるし。
 評価はバッチリだと告げると、エリオはうれしそうにはにかんで頬を薄く染めた。

 個人レッスンの教官についてだけど、エリオには同じ電撃変換資質持ちで、タイプも近い私が。スバルにヴィータ、ティアナにはなのはが面倒を見ている。
 そして、キャロには──

「あらあら。訓練中に監督官がぼんやりしてはいけませんよ、フェイト隊長。たしかにいいお天気で、眠たくなるのもわかりますけど」

 森の奥からやってきた物腰の柔らかな、長い紫色の髪の女性にやんわりとたしなめられて、私は自分のダメさ加減に恥入りたくなった。
 想像にかまけて監督を忘れるなんて教官失格だ。穴があったら入りたい……。

「すみません、メガーヌさん……」
「私に謝っても仕方ないでしょう。次からはこういうことがないよう、気をつけてくださいね?」
「はい、そうですよね。エリオも、ほんとごめんね」
「いえ、僕は別に……」

 私をやさしく注意した彼女の名前はメガーヌ・アルピーノ。シグナム率いる別働隊のメンバーで、階級は二等陸尉。みんなの頼れるお母さん的存在、かな?
 彼女はつい最近管理局に復帰した古参の局員で、「個人的な事情」から機動六課に飛び入りで参加した。それまでは、管理局傘下の養生施設で戦傷の後遺症のリハビリをしていたと聞いている。
 ……公式の記録では、数年前に起きた“戦闘機人事件”でMIA──要するに生死不明になっていたはずなんだけど、そのあたりの経緯はよくわからない。本人いわく「機密に抵触するから禁則事項よ」とのこと。──なんとなく察しはつくけど、深く詮索しない方がよさそうだ。

「えと、メガーヌさん。キャロはどうですか?」
「とっても優秀な子ね。教えたことをスポンジみたいに吸収してくれて、教えるこちらが楽しくなるくらい」

 ニコニコするメガーヌさんの視線の先を追うと、背後にフール・ムールをつけたキャロが、大量の剣──錬鉄召喚の一種、“アルケミックソード”だ──を頭上に召喚して、速射砲みたいに地面に撃ち込んでいた。
 ズガガガガッ! と土がものすごい勢いで耕されていく。
 あの魔法、対人戦には明らかにオーバーキルだよね。

 ──これはおそらく、膨大な魔力を消費する魔王の召喚を維持しながら、ほかの魔法を同時に行使するための訓練なのだろう。いくらマルチタスクがあるっていっても、複雑な術式を並列的にコントロールするのはかなりの負担なはず。……メガーヌさん、けっこうスパルタかも?

 そうこうしているうち、キャロは召喚をやめてこっちに近寄ってきた。疲れてるのかな、フラフラしててかわいい。

「せんせー、課題の百ダース、召喚し終えましたー」
「はい、よくできました。じゃあちょっと休憩にしましょう」

 屈んでキャロのくせっ髪を軽くなでるメガーヌさん。その表情はとても柔らかでひどく穏やか。
 はーい、と返事をしたキャロは背後でふわふわ浮かぶ人影に振り返る。

「フールさん、あっちでお話しよー? 占いの続き、聞かせてください」
「……懲りぬな、小さきものよ。我は子守ではないと何度言えば──」
「いいからいいから〜」

 ついーっと滑空してきたフリードをキャッチしたキャロが、無邪気に頬をほころばせた。

 召喚、というのはそれなりにレアなスキルだ。当然、教えられる人材も総じて少なくて、私たちじゃ大したことをしてあげられない。その点、実戦経験の豊富な一流の召喚魔導師であるメガーヌさんはキャロの先生役にピッタリ。
 キャロからも「せんせー」と慕われていて、エリオのこともなにくれとなく気にかけてくれてるみたい。スバルのお母さんとは同僚だったそうで、二人で話してるのをよく見かけるし、ティアナに先輩としていろいろアドバイスしてるのも知ってる。
 ──“オトナの包容力”というのだろうか、私にはない不思議な魅力にちょっぴりジェラシーを感じてるのはヒミツだ。

 閑話休題。
 そんなわけで、彼女の加入は部隊の運用面でも確実にプラスになってると思う。年長者がいる安心感は、なにものにも代え難いんじゃないだろうか。
 ちなみにメガーヌさんも“侵魔召喚”の使い手だ。こちらはキャロほどじゃないそうだけど。

「……エリオ、私たちもひと休みしようか」
「あ、はい」

 ──ただひとつ、不思議なことがある。
 彼女のキャロを見つめる横顔が、どこか憂いを帯びていて。遠くの誰かを重ねているような──、そんな気がするのはどうしてだろう、と。



 木陰に座って小休止。
 ぼかぽかした、うららかな日差しに身を任せていると冗談抜きで眠たくなる。
 そんなのどかな時間を切り裂くように、遠くの方から怒号のような大声が飛び込んできた。

「──ああもうっ、ほらまたっ!!」

 ……うん? これ、なのはの声だ。ずいぶんエキサイトしているみたいだけど……。

「動くなら動く、止まるなら止まる! どっちかハッキリしなきゃダメだって何度も言ってるでしょ!? もっと視野を広く持って!!」
「は、はい……」

 うわー……。ティアナ、かなり参ってるみたいだ。

「そんな中途半端な動き、実戦では通用しないよ? もう一度最初から、できるよね」
「──ッ、やれます!!」
「よし。それじゃあ、いっくよーっ!」

 若干やけっぱちなティアナの返答からすぐ、再び乾いた銃声がせわしなく鳴り始めた。
 砲撃を封印して以来、コントロールのキレが増した感のあるなのはの誘導弾が一斉に襲いかかっているのだろう。性質の異なるそれらを的確に撃ち落とすのが、ティアナの訓練メニューなんだけど……。

「……なのはさん、いつにも増してスパルタですね……」

 声と音だけでヒシヒシと伝わる訓練の苛烈さに、私の近くに座って休んでいたエリオはちょっと退いている。まあ、気持ちはわかるよ、うん。

「……それは違うよ、エリオ君」
「え、キャロ?」

 不意に発せられた否定の言葉に、エリオが戸惑いを含んだ声を上げる。
 そういえば、エリオはいつの間にかキャロのことを呼び捨てするようになっていた。なかよしなのはいいことだ。

「スパルタっていうのはね、ジャングルで二十時間耐久鬼ごっこをしたり、二百メートルくらいの崖を魔法なしで這い上がったり、砂漠のまん中に一週間置き去りにされたり、零下10度以下の極寒をバリアジャケットだけで耐え抜いたりすることをいうんだよ?」

「「「…………」」」

 虚ろ瞳でキャロが一息に言う。その非常識な内容に、私たちは揃って絶句した。
 さすがのメガーヌさんも笑顔をひきつらせているし。──ていうか私、そんなことになってたなんて聞いてないよっ!?

「うふふ、あれはつらかったなー、ほんとうに。あははは……」

 殺伐すぎるサバイバルの苦難を感じさせる乾いた笑い。
 ちいさい女の子になんてことさせてるんだろう……。“元凶”には、あとでキッチリ“おはなし”しないとダメだと、私は決心した。




 □■□■□■




「ティア、だいじょうぶ?」
「うう……大丈夫じゃないかも……」

 空が茜色に染まった頃。
 帰路に着く集団の最後尾、ぐったりした様子のティアナとそれを支えるスバルが、情けない感じの会話を交わしている。
 スタミナ自慢のスバルと教官役が緩いエリオ、基礎がほぼ完成しているキャロは特に疲れた様子を見せていない。
 才能豊かな同僚たちと比べて、自分はなんて無様なんだろう──ティアナはそんな思いに駆られて、ギリと歯軋りが漏れ出すほど強く歯噛みした。

「ティア?」

 純粋に親友が心配で、スバルは俯き加減な顔を横からのぞき込んだ。前髪が影になって、表情を窺うことはできない。

「だらしねぇなぁ。んなことでヘバってるようじゃ先が思いやられるぞ」

 後ろ歩きで、二人に呆れ混じり視線を送るヴィータが嘆息する。もっともらしい小言が耳に痛くて、ティアナは身を縮ませた。

「どうどう、ヴィータちゃん。ティアナだってガンバって訓練してるんだから」
「……でもよ、なのは──」
「訓練なら、いくらひどい失敗したって取り返しのつかないことにはならないんだし。いいじゃない」

 幼い見た目に反してヴィータも結構厳しいが、今は笑顔で擁護を述べるティアナの教官は想像以上に容赦というものをしらない。

「……なのはが言うと説得力ビシビシあるよな、なんか」
「経験談だからね〜」

 にゃはは、と彼女特有の言葉遣いで照れ笑うなのは。それが、自嘲を含んだ苦笑いだとスバルとティアナは気付かなかった。

「フェイトちゃんもそう思うでしょ?」

 笑顔を絶やさぬまま、なのはが親友に同意を求める。
 がしかし、一人先頭を行く金髪の親友は、ぽけーっと心ここにあらず。完全に眼中にない。

「……フェイトちゃん?」

 なのはが訝しむ。
 突如、ぴきーんと効果音を鳴らし、電気らしき何かが前髪のてっぺんに走るのをその場の全員が目撃してしまった。
 途端にそわそわ落ちつきを失うフェイト。

「ははーん」

 長年の付き合いで事情を察したなのはが、チシャ猫のように目を細めた。

「先、行ってきたら? 来たんでしょ?」
「えっ、いいの!?」
「ちょ、それには食いつくんだ……。いいよ、残りのお仕事は私がやっといてあげるから」

 びっくり目を見開いたフェイトは、心やさしい親友の配慮に感極まって突進。なのはにガバッと抱きついた。

「なのは、大好きっ!」
「はいはい、わかったから」

 スキンシップの激しい幼なじみの背中をポンポン撫でて、なのはが手慣れた様子であしらう。
 じゃあね、と皆に断りを入れたフェイトは隊舎の方角へ瞬く間に走り去った。後には、漫画のような砂煙だけが残る。

「……なにあれ」
「さ、さあ?」

 状況がサッパリのティアナとスバルは、顔を見合わせて一様に首を捻ったのだった。



[8913] 第十六話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/04/18 23:17
 


 まあ、行けばわかるよ、というなのはの言葉に従い、一行はとりあえず帰路を急いだ。
 実際、度合いは違えど皆訓練でヘトヘトのハラペコだったのだ。きっと今夜の夕食もおいしいに違いない。

 道すがら、大体の経緯を知る三人のちびっ子たちの反応は三者三様それぞれ個性的だった。
 まず一番付き合いの古いヴィータは興味がまったくないようで、夕飯は何定食にしようかと思考の翼を伸ばしていた。
 次に“二人”と特に親しいキャロは、ワクワクを隠しきれない様子でメガーヌとお喋り。仲のいい様はまるで本物の親子のようだった。
 最後にエリオだが、どこか不機嫌な雰囲気を漂わせて若干ふてくされていた。彼にはおもしろくなかったのだろう、“恋敵”の登場が。

「あ、フェイトさんだ」

 斜陽差し掛かる隊舎の玄関前、約百メートルほど離れた辺りに件の人物の姿を認めたスバルがのんきな声を上げる。
 彼女はまるで、主人の帰りを玄関先で待つ忠犬のように佇んで、じーっと埋め立て地と本土を繋ぐ長い橋の方を見つめて微動だにしない。
「フェイトちゃんかわいい」その一途で熱心な様子になのはがほくほくしつつぼそりと感想を漏らした。

「フェイトさん、なにしてるんだろ?」
「誰かを待ってるんじゃない?」
「うん、ティアナの言うとおりだよ。まあ、お目当ての人はまだ来てないみたいだけど」
「ますます感度に磨きがかかっとるみたいやねぇ、フェイトちゃんレーダーは」
「そうだねぇ……、小学校のころはあんなじゃなかったのに。──って、はやてちゃん!?」

 ごく自然な流れで会話に混ざっていた六課の一番偉い人に、一時場が騒然となる。叫んだなのはの口はヴィータが押さえた。
 慌てて敬礼しようとした若い部下たちを手で制し、はやてが「おーす」と軽快に挨拶。頭の上に乗っけたリインフォースⅡも「おーす、ですぅ」と主に続く。

「部隊長はどうしてここに?」
「はやておまえ、こんなところで油売ってていいのかよ。またマジメコンビに小言言われるんじゃね?」
「なにかて、そらザフィーラの散歩や。グリフィス君とつきのんには断ったし問題ないやろ」

 声を潜めたティアナとヴィータの指摘に、はやては流れるように受け答える。彼女の足下で、黙して静かに伏せているザフィーラが片目だけを器用に開いた。

「お散歩を口実に逃げ隠れしてるだけですけどね〜」
「エルフィ、余計なことは言わんでよろし。……そんでな、隊舎のまわりをぐるーっと散歩しとったんや。んで、ちょうど戻ってきたら──」
「フェイトちゃんに出くわした、と」
「せやねん。目の色変えて疾走してくるんやもん、もうはやてさん何事かてビックリ仰天や」

 ヒソヒソとお互いのことを確認し合っていたその時、状況が動きを見せる。
 遠方から、透き通るような独特のエキゾースト音が響く。
 やって来たのはメタリックブルーの大型オートバイ。ネイビーブルーのスーツに、フルフェイスのヘルメットを着用した人物をシートに乗せ、六課の敷地に乗り入れた。

 ライセンスを持ち、プライベートでツーリングをしたりもするティアナは、それが近頃地上部隊の陸戦魔導師から憧れの的となっているバイク型“箒”オラシオンの一種であることを見抜く。ぶっちゃけ一度乗ってみたいと思っていたので、密かに管理局の広報誌やアングラなミリタリー雑誌でチェックしていたのだ。

 バイクは悠然と速度を落とし、フェイトの目の前にぴたりと停車、横付けする。ササッと物陰に隠れた一同が嬉々交々、固唾を飲んで見守る中、鋼の騎馬を駆る人物が颯爽と降り立った。
 狭苦しいヘルメットから解放された馬のたてがみのごとき漆黒の癖毛が、潮を含んだ海風に流れる。フェイトとの身長差からして180センチほどだろうか、スラリとした印象の美丈夫だった。

「わぁ……」「へぇ……」

 なぜかうっとりとしてため息を零した教え子たちを横目で見やり、シチュエーション補正がかかってるなとなのはは思った。
 まあ確かに、よく見知った自分の目から見てもあの幼なじみはなかなかのモノだが、自分の好みのタイプはもっと別の……こう、理知的で穏やかで自然体なのだ。眼鏡が似合う感じの。
 そう、例えるならどこぞの司書長とか────

 ブンブンブンッ!!

 サイドポニーがはちきれんばかりに頭を振り回し、妄想を打ち消す。ばちんばちんと髪の毛が顔面を強打し、なのはは悶絶した。

「いたひ……」
「な、なのはさん?」

 突如として奇行に走り、いろいろな意味で真っ赤っかな顔を両手で押さえる上官に、スバルが胡乱げな目を向ける。
 にゃはは。なのはは苦し紛れに笑ってごまかした。


 ──夕陽の中、影法師を長く伸ばす二人の男女。軽くハグし、眼差しを絡め合う。

「わ、わわっ」「フェイトちゃん、いい具合にイっちゃってるね」「……ッ」「ちょ、こんなところで──!?」「ししょー、楽しそう」「ベタベタベタベタしくさってからに。道路に落ちたガムかちゅう話や」「相っ変わらず暑苦しーヤツらだなぁ……」「まあ、はやてちゃんとヴィータちゃんにはムエンのセカイですけどね〜──ぷぎゅ!?」「まあまあ。今時の子たちったらずいぶん大胆なのね」

 オレンジに染まった海面がキラキラと宝石のように輝き、彼らの浮き世離れした雰囲気と相まって神秘的な空間を形成していた。

「部隊長、あの人が……?」

 まさに映画のワンシーンのような光景に、不覚にも感じ入っていたティアナがはやてに問いかける。恥ずかしそうに頬を染めるのはご愛嬌といったところか。

「せや。宝穣 攸夜、公称十八歳。特技、家事全般。得意料理、オムライスと肉じゃが。趣味、旅行と模型いじり。賞罰とくになし。
 私らの幼なじみで、フェイトちゃんの“ダーリン”やね」

 視線の先で、フェイトと親しげに語らう黒髪の青年を眺めながら、はやてがすらすらと簡単なプロフィールと口にする。
 他方、ひと月ぶりの恋人との逢瀬を楽しむ金色の乙女は、まるで童女のように綺麗で無垢な笑顔を咲かせ、息を飲むほど美しい。
 笑顔は女性にとって最高の化粧、とはまさにこのことで。
 ──なのはとはやては内心、ちょっと大げさすぎじゃない? と思わなくもなかったが、「恋は盲目」を地でいくフェイトの“病気”はもはや毎度のことなので、無意味な疑問をさっさと放棄した。
 あの天下無敵の色ぼけカップルと友だちをやるには、この程度で動揺していては無理なのである。

「攸夜君は私をクビにできる権限を持っとるお人のうちの一人でな。表向きは六課の協力者オブザーバーっちゅうことやけど、事実上の権利者オーナーにして黒幕フィクサー──まあ、要するに上層部の代理人やね。
 ちなみに君らを選出してここに送り込んだんも彼なんよ。みんな、よう覚えとき」

 あれでけっこーえらい人やから、敬わんとあかんよ〜──敬意も何も込められていない声でテキトーなことをのたまい、はやての言葉は締めくくる。
 明かされた新事実に、四人──特に、自分の適性を常々疑っていたティアナ──はそうなのかと目を丸くして感心しきりだ。──この時、自分たちとたいして歳の変わらない青年の、あまりに高すぎる社会的地位を原因に若干名の胸中に複雑な思いが生まれたのだが、ここでは割愛する。

 何やら浮かない顔でいたなのはが、胸に浮かんだ疑問を漏らした。

「……あれ? みんなを選んだのはマルドゥック機関とかっていう組織じゃないの?」
「ピュアやね、なのはちゃん。そら完璧に攸夜君に担がれとるわ。ま、元ネタ的な意味では正しいんやろけど」
「な、なんですとーっ!?」

 がびーん。なのはが奇声を上げる。
 四羽のひよこは自分たちの親鳥きょうかんが、何気にドジッ子で親しみやすい人だという認識を深めた。


「ところでなあ……、なんで私だけ“八神部隊長”なんやろ」
「そりゃ人徳の差だな」「人徳の差ですぅ」「ワウッ」
「……アレ? なんや私、バカにされてる系?」

 八神一家の軽妙な漫才を横目に、一同はピーピングに勤しむ。
 なのはとスバルの師弟コンビはかなりノリノリで、ティアナも興味がない振りで横目でチラチラと。年少組二人は相変わらず対照的な雰囲気を漂わせ、しかし目を離すつもりはないようで。
 最年長のメガーヌが、一歩下がったところから苦笑混じりにその様子を見守っている。席を外さないのは、彼女も若いカップルの恋愛事情に興味があったのだろう。

「あっ!」

 その声は誰が上げたのか。
 いつの間にか熱い抱擁を交わしていた二人がどちらからともなく、ごく自然な流れで──そうすることが当たり前のように唇を重ねた。
 待ちに待った熱烈で濃厚なラブシーンの到来に、デバガメたちはにわかにヒートアップするかと思われたが──

「キャロさん、エリオくん。あなたたちにはちょっと刺激が強すぎるかしらね」
「「ええ〜」」

「ティア〜、なんで私まで?」
「う、うっさい! アンタみたいなお子様には早いのよっ」

 早々に目隠しされた三人が声を揃えて抗議するも、保護者たちは取り合わない。もっとも、赤面したティアナの言葉に説得力は皆無である。年頃の少女には少々刺激が強過ぎたようだ。
 なお、ちびっ子二人の視界は、メガーヌの魔法で召喚されたアルミのバケツが遮っていた。

「うわ……いつものようにところかまわずだね、あの二人」
「ほんとにな。もうあっこまでちゅっちゅするんは公害も甚だしいと思うんやけど、どう?」
「だよね〜、目の前であんなベタベタされるちょっとウザ──じゃなくて、ウンザリっていうか。……既成事実、さっさと作っちゃえばいいのに」
「本音が出とるでー。そういや、なのはちゃんは年内入籍に賭けとるんやったな」
「うん、いい加減いっしょになったらいいと思うんだよ、私は。はやてちゃんはどうだっけ?」
「うーん……攸夜君、あれで変に倫理観とかしっかりしとるやろ? フェイトちゃんの仕事のこと考えて、二の足踏んでもうてるんやないかなと思うんよ。せやから保留や。勝てへん戦いはせぇへん主義です」
「あー、それあるかも。フェイトちゃんもいまの関係に甘んじちゃってるしね〜。けっこう奥手で恋愛ベタなんだよね、なにげに」
「……ソレ、なのはちゃんにだけは言われたないと思うわ」

 当人たちには聞こえないからと好き放題、言いたい放題の二人。サラッと問題発言絶好調のなのはだが、自分も某フェレットもどきとの仲を身内一同から生暖かく観察されていることを知らない。

「あ、フェイトさんたち行っちゃいますよ!」

 焦りを帯びたスバルの発言通り、連れ立って、建物内に消えていく二人。やはりと言うべきか当然と言うべきか、ピタリと寄り添って離れない。
 その際、ほんの一瞬だけ流し目に細められた蒼い瞳がざわつく野次馬たちを捉えた。
 お前らのことなど最初からお見通しだと言わんばかりの眼光、薄く口角を吊り上げて三日月の形にした口元。──その様相を垣間見た者は誰もが例外なく、狡知に長けた悪魔のようだと表現するだろう。……まあ実際、悪魔の類だが。
 射竦められたなのはは、性悪でいじめっ子な親友の性質を思い浮かべ、額にタラリと冷や汗が浮かんだ。
 さもあらん。あれだけギャースカ騒げば嫌でも気がつく。

「そ、そろそろ帰ろっか」
「せ、せやね。もうええ時間やし、みんなも異論ないな?」

 同じ想像をしたのだろう、冷や汗をかいたはやてがそう言うと、ヴィータとメガーヌ以外が一斉にガクガクと首を何度も縦に振った。蒼い眼の、異様なプレッシャーに怖じ気づいたのだ。
 そそくさと退散する面々に、年長(?)二人がそれぞれ複雑な表現でため息を零した。


 この後、食堂のド真ん中で人目もはばからずいちゃつくバカップルの“げっこう”に巻き込まれ、独り身の職員が男女問わず軒並み撃沈し、家庭を持つ職員たちも深刻なホームシックにかかる被害が続出。一時、機動六課の全機能が麻痺する異常事態が起こったことを追記する。

 ……これが後に、「六課最強のおしどり夫婦」と渾名されるふたりの武勇伝の始まりだった────のかもしれない。



[8913] 第十六話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/04/23 23:32
 


「んん……。……ふぁ、おかえり、ユーヤ」
「ああ、ただいま」

 私と“彼”──ユーヤの唇は離れて、つーっと銀色の橋が渡る。
 かれこれ五分くらいはしてたかな。カラダの芯からとろけるような、濃厚で情熱的なオトナのキスに頭の中はまっ白で。はふぅ……、まだクラクラするかも。
 ここは寮の一室、その入り口。堪えきれなくなった私は、人目がなくなってすぐユーヤに襲いかかったのだった。
 雌伏の時間はもう終わり。たっぷりユーヤ分の補給もしたし、これからずーっと幸せにしてもらうんだもん!


 隊舎の玄関前でユーヤを出迎えてそれから夕飯を食堂で食べたあと、私は彼をいっしょに暮らす部屋──つまりここに案内した。一瞬、「女子寮に男の人を連れ込んでもいいのかな」という疑問が浮かんだけど、まあユーヤだし、マチガイなんて起きないんだから心配する必要もない。

 てててっ、と小さな白い影が私たちの足下に駆け寄ってくる。
 あ、せいろんだ。

「ただいま、せいろん」
「きゅう」

 私の挨拶に応じたあと、後ろ足で立ち上がったせいろんは、ビシッと左前足を頭に当ててユーヤを見上げた。そのポーズ、敬礼みたいだ。

「任務ご苦労。退っていいぞ」
「きゅー」

 ひと鳴きして、せいろんの白い姿がしゅんと欠き消えた。いまの、もしかしなくても空間転移?
 ユーヤを見て、小首を傾げてみる。彼はすぐ、私の疑問をくみ取ってくれた。

「ん? あぁ、ナリは小さくても俺の“一部”であることには変わりはないからね。そこらの魔導師程度なら負けないよ、アイツは」
「そうなんだ」
「そうとも。伊達に護衛じゃないってわけだな」

 ……実はせいろん、けっこう強かったのかもしれない。

「それはともかく──」

 気を取り直したように言い、しげしげと部屋の中を見回すユーヤ。どこか楽しげで、悪く言うとすごくイジワルだ。

「ん、部屋を綺麗にしてるじゃないか。ちゃんと一人暮らしができてたみたいだな」
「と、とーぜんだよ。お掃除だってお洗濯だって、私ひとりできるもんっ」

 わりと好感触な感想で、言葉とは裏腹にほっとする。実はこうなるんじゃないかと、あらかじめ昨日のうちに部屋中を片づけておいたんだ。
 彼はなんだかんだできれい好きだし、なによりだらしのないところは見せたくない。家事関係で負けっぱなしじゃ、女の子としての沽券に関わる。せめて一矢くらいは報いないと。

「ははっ、そっか」

 わしゃわしゃと、ユーヤが私の髪を撫で回す。ちょっと乱暴な手つきが心地よくて目を細めた。

「……でも、もう二度とはしたくない、かな」

 そう言うと、はっとしたような気配がして。
 私はそっと抱き寄せられた。大きくて頼りがいのある胸……。

「──ごめんな、寂しいを思いさせて」

 頭上から、静かな声が降りてくる。
 その声色に含まれた後悔の感情を感じ取って、胸の奥が熱くなった。──ああ、同じ気持ちだったんだなぁ、って。

「うん……寂しかった。すごく寂しくて、不安だった……」

 彼と離ればなれになっていたあいだ、私は身体の半分がなくなってしまったような──、絶望的な喪失感を感じた。ふとひとりになったとき、ひたひたと迫ってくる言い知れない恐怖……。

 ──私は臆病だ。

 失うのがこわい。
 見捨てられるのがこわい。
 ひとりぼっちになるのがこわい。
 ……母さんに捨てられて、否定されて。ユーヤとお別れしなきゃならなくなって。
 痛くて、辛くて。
 悲しくて、苦しくて。
 胸が張り裂けそうなくらい切なくて。
 ──……いま、こうして思い返すだけでも、涙があふれて止まらない。

「ぅぅ……」

 蘇った記憶が脳裏に浮かんで、ぶるりと震えた身体をぎゅーっと痛いくらいに抱きしめられた。
 顔を上げる。
 海のような、空のような、惑星ほしのような──とても深い色をした真っ蒼な眼差しが、私をまっすぐ見つめていた。

「ユーヤ……?」
「戯れでさ、“たまには距離を置いてみるのも楽しいかも”なんて言ったけど……君と離れてみて思い知ったよ。──やっぱり俺、フェイトがいないと駄目なんだなって」

 私の頬をそっと撫でて、ユーヤは真摯な眼差しのままそう言った。
 そんなの、

「私だって、同じだよ……。だから──、もうどこにも行かないって、約束してくれる?」
「ああ、誓うよ。君がしわくちゃのおばあちゃんになっても、ずっと一緒だ」
「……うん」

 しわくちゃだなんてあんまりな言いぐさだけど、それはきっとユーヤなりのユーモアなんだろう。
 いのちのぬくもりと、いのちの鼓動と。嗅ぎなれた彼のにおいが、私の欠けた部分に満ちていく。

 ……ん? におい? 

「あっ!」

 ばっ、と慌てて離れる。
「どうしたフェイト?」と明らかにいぶかしむ様子のユーヤ。いますごくいい雰囲気だったんだもん、当然だ。
 でも私、言いにくいけど大事なことに気づいちゃったんだよ。

「えと、ほら私、訓練してたでしょ? それでその……、臭くない? 汗いっぱいかいたから……」

 運動したあとなのに、シャワーすら浴びてないことをすっかり忘れてた。ユーヤと入るつもりで先送りにしたのは失敗だったかもしれない。ていうか私、運動着のままだし。
 ああでも、洗いっことかひさしぶりにしたいというかそれはむしろ恋人としての当然の権利なわけでいやでもいますぐ押し倒すという案もなきにしもあらず────

「んー……まあ確かに匂わなくもないか。でも嫌いじゃないぜ、こういう匂い。動物的で、そそるじゃないか」

 真顔でそんなことを言われて、顔がボッと火照った。……もう、えっちなんだから。
 しまらないなぁ……、お互い様だけど。



 彼の脱いだ背広を預かってハンガーにかけ、備えつけのクローゼットにしまう。ちなみにこのクローゼットには私の制服一式が二種類六着、いまかけたものとまったく同じデザインの──オーダーメイドで、けっこうお高い──スーツ一式が四着。それと、何着かの私服が納められている。
 ……それにしてもこういうの、すごく“おくさん”って感じがしてすごくイイ。こうしてお世話する機会なんてめったにないからだろうか、浮かれてしまう気分をうまくコントロールできない。

 すぐとなり、ネクタイを指先だけで器用にほどいているユーヤを横目でじーっと窺ってみる。
 ……ああ、私の大好きひとはなんてすてきなんだろう。
 仕草のどれもが洗練されていて、どれをとっても視線が惹きつけられてしまう。それなのに私のことを「見る目がマヌケ」だなんて失礼しちゃう。
 普段の生活の中でこんなにかっこいいんだもん、お仕事中とか戦いの最中の威風堂々とした雄々しさにも肯けると思う。──もちろん、中身もとってもすてきなんだけどね。

 ううー……、なんだかまたすりつきたくなってきちゃった。

「……フェイト」
「うん、なに?」

 ちょっと本格的に見惚れていたら、改まった感じで名前を呼ばれた。
 ──なんだろう、思い詰めてる……?

「君の家族──、プレシアとアリシアの墓のことについてなんだけど」
「ぁ……」

 ザリ──
 目の前が一瞬、紅く暗転した。

「ごめん。方々手を尽くして犯人を捜してるんだけど、手掛かりがほとんどなくて……、本当にごめん」

 真摯に謝るユーヤを見ていたらなぜだか胸がきゅんと切なくなって、動揺は収まる。
 えっと……、そう! フォローしなくっちゃ!

「あ、うん、いいんだ、わからないならわからないで。……その、こういうのは難しいってこと、よくわかってるつもりだから」
「……だけどあれはお前の家族が眠ってる場所だろう? だったら──」
「い、いいから! この話はこれでおしまい、ねっ?」

 無理やり話題を切り上げて、うやむやにする。ユーヤはまだ、どこか納得していないふうだった。


 ──“どうしてのお前だけが、欠陥品のお前だけがのうのうと生きているんだ。”


 あの真っ紅な光景に──“母さん”たちに、そう責められているようで。あまり、考えたくない。

 ──ユーヤがここに、私のそばにいるのに。
 イヤな予感だけが、降り積もっていく。









 月夜の密林。

 夜行性の生き物たちがざわめく森の中、開けた広場のような一角でパチパチと音を立てて燃え立つ焚き火のオレンジが映える。
 不規則に揺れる灯りに照らされて、二つの影が浮き彫りとなっていた。

 ひとつは少女。未だ幼いという表現が相応の、小さく儚げな紫色の髪の女の子。
 ひとつは小人。ふわふわと浮かぶ、三十センチほどの焔を思わせる紅い女の子。
 どちらも系統は違うが可憐なことには変わりなく、この暗く鬱蒼とした木々の直中にはあまりにも似つかわしくない。

「────」

 切り倒した立木を枕に、地面に生えた雑草をベッドにして、少女は眠りについている。
 だが、その眠りは決して安らかなものではない。
 彼女は薄汚れた赤い布の切れ端を大事そうに──まるで縋るように抱きしめて、迫り来る悪夢にうなされていたのだ。

「──リュー……、ダメ……!」

 掠れ掠れに漏れ聞こえる譫言は、悲痛一色に染まり。堅く閉じられた瞼から、つ、と涙がこぼれ落ちる。
 ──止めどなく流れるこの悲しみを、晴らす術はあるのだろうか。

「ルールー……」

 彼女の枕元に浮遊して心配そうに様子を見つめる小人は、自らの無力さに打ちひしがれていた。
 自分がこの子の夢に入れたなら、一目散に駆けつけて助けてやれるのに。“現実”では無力だったとしても、“夢”の中でなら救うことができたかもしれないのに、と。


 ──それもこれも、あの紅い羽のヤツが来てからだ!


 それまでは、鬱陶しいヤツからの面倒な依頼があったくらいで、うまくやっていたのに。
 なのに“アイツ”を殺されて、この少女は笑わなくなってしまった。本当に、本当の意味で。

「……クッ」

 世の中の理不尽を、大声で喚き散らしたい気持ちが沸き上がり、彼女はグッと抑えた。
 自分たちはここ何年、当て所なく追手からの逃亡を続けているのだ。例え悪夢に囚われていたとしても、疲れて眠ったところを起こしてしまうわけにはいかない。気が短くても、その程度の分別はつく。

 ザワ──

 唐突に、明々と燃え盛っていた炎の勢いが弱まる。森がシン、と静まり返り、生き物たちの気配が一斉に途切れた。
 闇が、その濃さを増した。

「ルーテシア、アギト」

「っ!!」

 背後、暗闇の中から溶け出すように現れたのは、漆黒に紅い縁取りの入ったローブを纏う不気味な怪人。フードを目深にかぶり、体格や性別もゆったりとした衣装でわかりづらいが、背丈からおよそ十代後半以降だと予測できる。

「……ゼストは?」

 しかしその声はひどく透明で、心地よさまで感じられるほどの美しいソプラノ。世界すべてに憎悪するような、強烈な悪意を孕んだ雰囲気には不釣り合いなものだった。

「旦那なら、いまは留守だぜ。オマエ……なんの用だよ」

 まるで物語の魔女のような風体の侵入者に、小さな少女は敵意を隠すこともせずぶつける。生憎小さすぎて、犬歯を剥き出しで威嚇しても迫力は足りなかったが。
 ふぅん……。どうでもよさそうな反応の意味は、言葉の内容か、それとも敵意についてか。

「まあいいか。……“アンリ”からの伝言。──本格的に動くわ、準備してなさい」
「ッ! またオレたちをいいように使おうってのかよ!?」
「ふふ、そうよ。あぁ、はやくあの“失敗作”を八つ裂きにしたいなぁ、クス……たのしみ」

 “彼女”は、近く始まるであろう血生臭い宴を思い、サディスティックな危うさを露わにする。
 感情の高ぶりに呼応して漏れ出した瘴気が、静謐な森の空気を穢す。わずか瞬く間のことでしかなかったが、薄弱な生命や霊魂は“混沌”を源とする邪毒に当てられて潰えた。

「用件はそれだけよ。……じゃ、おやすみ」

 最後に不可解な労りを零して、深紅の魔女は闇に溶ける。

「……なんなんだよ、いったい」

 月夜の密林は、元通りの静けさを取り戻していた。



[8913] 第十六話‐5(15禁? 注意)
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/05/02 23:25
 


 しん、と静まりかえったほの暗い部屋。すえた栗の花のにおいと、甘い欲望の残り香が満ち満ちている。
 シーツにくるまる私と、楽な姿勢で座っているユーヤは生まれたままの姿で小休止。……ドラマとかなら、彼がタバコを吹かしているところだろうか。

 念願の混浴──シャワーだけど──は目論見どおり達成した。
 本音を言うと、広いお風呂でゆったりしっぽりがよかったんだけど、ここの個室にはバスタブがないから妥協した。……隊長権限で大浴場を貸し切りにすれば────

 閑話休題。

「明日も訓練で早いんだろ? せっかくいつもより“手加減”したんだ、そろそろ休んでもいいんじゃないか」

 私の頭をなでなでしながらユーヤが言う。

「いいよ、関係ないよ。そんなことより、もっといっぱいお話しよ?」
「いや、よくはないだろ……」

 気だるい倦怠感といっぱいの充足感に、なんだかぜんぶがどうでもよく感じる。たくさんいじめられて、たくさんかわいがられて──疲労感もあるけど、幸福な悦びの方がずっと強かった。
 ……加減してこれなのに、“裏界流房中術”の本気はまだまだこんなものじゃないらしい。いまでも翻弄されっぱなしなのに、もっとスゴかったら私……いったいどうなっちゃうんだろう?


「もうすぐ日付が変わるな」
「うん、そうだね」

 カチコチカチコチ、規則正しい音を刻む枕元の置き時計。長針と短針がぴたりと寄り添って、また新しい一日がはじまった。

「フェイト、ちょっと起きてくれないか」
「いいけど?」

 求めに応じて、胸元をシーツで隠しつつ体勢を起こす。向かい合う形になったユーヤの顔を見上げて首を傾げる私の前に、彼は何かを握った左手を差し出した。

「あ……、きれい」

 それは花束。白いセロファンとレモン色のリボンでラッピングされた、真っ白な大輪のバラが十本。どこかデジャヴを感じるのはどうして?

「“出会って十年”は生憎過ぎてしまったから──、君と“友達になって十年”の記念に」

 呆然とする私にそっと花束を握らせて、いたずらっぽくユーヤが微笑んだ。私の一番好きな表情。
 思いもかけないことに、言葉が出ない。私の短い人生でいちばん、もう限界突破ってくらい感動してたから。

「うそ、私なにも……」

 ──だってまさか、覚えててくれたなんて。あ、だめ、涙が……。

「──覚えてるよ。フェイトとの思い出は全部大切だから」

 その一言で、もともと緩い涙腺は見事に決壊。氾濫する気持ちが私の手を放れて、ぐるぐるでたらめに暴れまわる。

「ぁぅ、ふぇえっ……」

 涙が滲んでなにも見えない。
 胸がどきどきして、もうなんかよくわからない。
 頭のなかがバカになっちゃったみたいだ。

「ふふ、泣き虫だなフェイトは」
「だ、だってぇ〜」

 ぐしぐし鼻をすする私を、ユーヤは慰めるように抱きしめた。

 ────あの臨海公園ではじめての“友だち”ができてから、今日で十年になる。
 私にとってあの日、あの場所はすべてのはじまり。生まれた日みたいな、特別なできごと。
 だから私は今日この日を、自分の誕生日だと決めていた。
 べつに誰かに宣言したとか、そういうわけじゃないけど。でも今日は、とても、とっても大事な日で……。

「すてきなプレゼント、ありがとう」
「喜んでくれて嬉しいよ。愛してる、フェイト」
「うんっ……! ユーヤ、好きっ、だーいすきっ!」

 だから、ちゃんと覚えててくれたのがうれしくて、私は本日一回目のキスをした。

 男の人って、こういう記念日ごとを忘れてしまうものらしい。
 他ならぬうちのお兄ちゃんも、うっかり結婚記念日に仕事を入れてしまい一週間も家に入れてもらえなかったことがあったそうだ。エイミィからその話を聞いたときは「そんなのひどいっ!」と憤ってしまったものだけど、私の未来の“だんなさま”には心配無用みたいだ。──無用だよね?

「ワンパターンで悪いな」
「ううん、気にしないで。私もバラは好きだから」

 なにかにつけて白いバラを贈ってくれるユーヤの影響で、私もいつしか好きになっていた。
 でも、本人が一番好きな花はソメイヨシノなんだとか。ワビサビのわかる男の人はすてきだと思う。
 さておき。花束をそのままにしておくのはかわいそうなので、生けることにする。
 床に投げ捨てられてた彼のワイシャツ──脱ぎたてほやほやだ──をひっかけ、お手洗いへ。
 洗面台、シンプルなガラスの花瓶に水をためる。茎の先はちょきんと斜めに切って、と。──落ち着いたらガーデニングとか、してみたいなぁ……。

「あ、ねえ知ってる? 白いバラの花言葉」

 ふと疑問に思ったことを聞いてみた。もちろん作業は続けながらだ。

「ん? いや、知らないな」
「“あなたにふさわしいのは私”、っていうんだって」

 この言葉、ユーヤと私の関係にこの上なくピッタリだと思うのは自惚れだろうか。
 ……。
 反応がない?
 洗面所からひょこっと顔を出して様子を窺ってみると、彼は眉間にしわを寄せて頭を抱えてた。

「……あのロリコン、そんなつもりで贈ってたのか……」
「え?」
「いや、なんでもないよ。気にするな、俺は気にしない」

 ……? 変なの。



 バラを生けた花瓶をテーブルに飾って、ベッドの指定席に戻る。ぽすっ、柔らかなマットレスが私の体重を受け止めた。
 ──ココロとカラダはまだ、昂ぶったまま。むずがゆい火照りが抜けてくれない。
 ひと月もお預けされてたんだから仕方ないと思う。そのあいだ、自分で慰めたことだって……。
 だから、私は──


「ねえ、ユーヤ──、」
「ん?」

 しゅる、羽織っていたシャツが肩から落ちる。

「さっきの続き……しよ?」

 媚びるような猫なで声で、愛しいひとにおねだり。せいいっぱいの魅力を振り絞る。
 こういうのはきらい? はしたない女の子はいや?
 どきどき、胸が期待で高鳴る。
 果たして。ユーヤは驚きもせず、穏やかに、ほんとうに穏やかに微笑んだ。

「……いいよ、おいで」
「えへへ、やった♪」

 私を迎え入れるみたいに軽く開いた腕の中に、遠慮なく飛び込む。逞しい黒鉄のような胸板に押し潰されて、むにゅんと大きな脂肪のかたまりが変形した。
 すりついて、なでられて。しあわせで。
 それからいつもみたいに、情熱的に、果てるまで──まあその、ユーヤとたくさん愛しあったのだった。

 求めあって。与えあって。支えあって。──私たちの関係はイビツ、なのかもしれない。

 でも……、

 この胸にある想いはきっと、なによりも尊いものだから。
 この絆はきっと、どんな“運命”にも負けないものだから。
 この魅了チャームの魔法はきっと、永遠に解けないトクベツの魔法だから────





 ちなみに。

 キャロの教育方針については、ユーヤときっちり“おはなし”したことを述べておく。




 □■□■□■




 翌朝。
 私はすっごくしあせな気分で朝を迎えることができた。
 ここ数十日、味わえなかった安らかな気持ちが欠落したこころを満たしていく。
 目が覚めて、すぐそばに大好きなひとがいてくれる──これ以上幸福なことが、この世界にあるだろうか。寝起きのふにゃふにゃな頭で、誰かに抱きついけるのがこんなにも幸せだったなんて思わなかった。
 ……それに、起き抜けのキスももらえたし。

 ──けれども。この世の中はそんなに甘くなかったらしい。

 彼の気遣いもむなしく、見事に朝練の時間に寝過ごして、訓練帰りのなのはから「今日のお仕事はいつもの三倍お願いね」と笑顔で言い渡されてしまったり。廊下でばったり出会したしたはやてに「昨夜はお楽しみでしたね」なんて、人の悪い笑みでからかわれてしまったり。
 はやてと一緒にいたシグナムからは「今朝のテスタロッサは一段と肌の色艶がいいな」と、苦笑混じりのコメントをいただいてしまった。
 私も女の子の端くれなので、容姿をほめられてうれしい。含まれた揶揄にいたたまれなくなったという説もあるけど。
 まったく散々な朝だった。
 ユーヤってば、ニヤニヤしてないで起こしてくれたらいいのに。「君の寝顔がかわいくて、ずっと眺めていたかったんだ」なんて言われたら、怒るに怒れないよ……ずるいなぁ。


 そんなこんなで場所を移して、隊舎の食堂。私たちは、遅めの朝ご飯を取ることになった。

「いただきます」
「いただきます」

 こんがり焼けたお魚とほかほかまっ白のご飯、わかめとお豆腐のお味噌汁に春菊のおひたし、おしんこが乗った小鉢──それが二セット、テーブルの上に用意されていた。
 今朝のメニューは見てのとおりの焼き魚定食。じつは私、ここの食堂で和食を頼むのは今回が初だったりする。
 なぜか私たちのまわりの空席が不自然に目立つことを不審に感じつつ、黒いプラスチック製のお箸を手に取った。割り箸じゃないのは、ミッドチルダがエコロジーに力を入れている世界だからだ。

「……」

 目の前には、おいしそうな焼き目のついたお魚さん。香ばしい磯の香りが食欲を誘う。
 ──むむ、さあどうしてくれようか。
 数瞬、にらみ合う。
 じつを言うと、私は骨のついた焼き魚を食べることが得意ではない。むしろ苦手といってもいいだろう。
 私がやると、どうしても身がボロボロになってしまってきれいにできないのだ。我ながら、不器用だなぁ……。
 と、こんな感じにフリーズして悩んでいたら、ユーヤがニヤリと笑った。

「ほらフェイト、貸してみ」
「あっ」

 お皿を奪ったユーヤは、お箸だけでお魚の骨を器用に解体していく。
 淀みのない見事な箸使いは優雅そのもので、彼の育ちの良さをにじみ出ているかのよう。おおらかに見えて、ユーヤはマナーにちょっときびしい。

「はい、出来上がり」
「……ありがとう……」

 きれいに骨と身が分離されたお魚を乗せたお皿が、元の場所に戻る。ユーヤは満足そうにひとつ頷いて、自分の食事に手をつけはじめた。
 このとき私は、余計なことを──とは思わなかった。だいたい、骨のついてるお魚を食べるときは毎回取ってもらってるんだから、不満なわけがない。

「しかし、またどうしてわざわざ焼き魚定食なんて選んだのさ。いつもは頼まないのに」
「……ユーヤといっしょじゃなきゃやだ」

 それが今朝、和食を選んだ理由。普段はトーストとかですましてしまうけど、今日からは違うんだ。
 きょとんとしたユーヤは、それから心底うれしそうに頬をほころばせた。ちょっと耳が赤して、かわいい。

「フェイトは本当にかわいいな」

 ひどく上機嫌になったユーヤが私のおでこをつんつんうりうり突っつく。
 やんとか言ってしなを作り、内心でほくそ笑む。計画どおり。

 ユーヤが私の弱いところを知り尽くしているように、私もユーヤのグッとくるツボを把握しているのである。いくら鈍い私でも、一緒に住んでいればそれくらいわかる。
 彼は独占欲と支配欲が人一倍強いひとなので、そこを刺激するようなことを言えばこのとおり、喜ばせるのはわり簡単だ。
 ポイントは「誘導されていることを気づかせない」こと。ユーヤの勘はびっくりするくらい鋭くて、その上誰かにコントロールされるのを極端に嫌うから注意しなければならない。わざわざ地雷を踏んで嫌われたくはないし。

 どうやら隷属体質っぽい私と、唯我独尊オレ様なユーヤ──そういった意味でも、私たちの相性はバツグンなのだ。ふふふ……。


「やはり朝食の締めはTKGだな」
「てぃーけーじー?」
「たまごかけごはんの略」
「ああ! そっかあ」
「本当は納豆も入れると完璧なんだけどね」
「う、納豆はちょっと……」

 などと他愛のないおしゃべりをする。普段、食事中の会話をあまりしないんだけど、今朝はとくべつ。
 もっともっと、ユーヤとお話したい。触れ合っていたい。一緒にいたい。理解したい。

 ──これからの私はきっと、いままでの百万倍、がんばれるんだろうな。
 おかわりしたごはんをガツガツと威勢よく消費していくユーヤを眺めながら、そう思った。



[8913] 第十七話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/05/07 23:43
 


 高級そうな絨毯の敷き詰められた会場に身なりのいい人たちが溢れかえっている。
 喧噪に包まれた場内、目立たないように小さくなる私の格好は、パープルの大人っぽいドレス。薄いネイビーのストールを肩に掛けて大人っぽい感じ。隣のはやても髪をアップにして、グリーンが基調のかわいらしいドレスでおめかししている。
 ただ一人、地上本部の制服を着ているなのはがひどく浮いてるのは気のせいじゃないはずだ。

 ──ここ、“ホテル・アグスタ”はクラナガン南東に位置する老舗の高級ホテルだ。深い森にひっそりと建つ白い建物はどこか厳かで格調高い。
 以前、観艦式の後夜会で訪れた“アグスタ・sis”の本店で、あちらは支店──つまり妹さんなんだそうだ。

 さて、どうして私たち機動六課がそんなところに来ているのかといえば、当然お仕事である。
 今回の任務は、ここで行われる管理局主催のオークションの警備と来客の警護。
 仮にも実戦部隊である私たちに、こういった類の任務が回ってくるのはお門違いも甚だしいのだけど、地上本部直々のお達しだから従うほかない。私はともかく、なのはやエリオたち四人の能力に問題はないと思うし。

 さておき。オークション開始までまだ猶予がある。
 好奇の視線に堪えられなくなった私たちは、打ち合わせという名目の雑談で時間をつぶしていた。

「ごめんねなのは。私たちだけ、こんな格好で……」
「いいよ、べつに。外のみんなは誰かが見てあげなきゃなんだし、気にしないでフェイトちゃん」

 そう言われても、仕事中にこんな姿してたら遊んでるみたいで居心地が悪い。
 警備チームの指揮を担当するなのはには本当に申し訳なく思う。立場上、お偉方の応接とかもしなきゃならない私とはやては、緊急時の防衛戦力となるのが今回のプランだ。──私はとある密命を受けているのだけど、いまは置いておく。

「まあ、適材適所っちゅうヤツやな。……それはともかくフェイトちゃん、またおっぱい大きくなったんやない?」
「え? ああ、うん、実はそうなんだ」

 若干場違いなはやての指摘を受け、ついと視線を落とす。露出が多い服装だからバレたのかな、と両手で挟んでふにふに確かめてみたりして。
 最近、バストサイズがまた上がってしまってすこし難儀している。どうせ成長するならもっと身長が伸びてくれればいいのに。シグナムくらい背丈があったらリーチも伸びて戦いやすくなるし、格好もつくのになぁ……。

「あんまり大きくなっても鬱陶しいだけなんだけどね。邪魔だし、肩も凝るし」

 でもまあその……、ユーヤとおつき合いする上ではいろんな意味で役立ってるから無駄じゃないというか──
 うん? なんかいま、ぶちって音が聞こえたような……?

「あははー、さっすがカレシのおる人は余裕ですなー。こないなけしからんもんをぶら下げてからに、いやはや……」
「ちょ、や、はやて、なにしてっ!? んっ、そんなに、あんっ、強く揉まないでよーっ!」
「おっぱいマイスターもびっくりですなー。ザコムネの私にイヤミですかーそうですかー」

 なぜか額に青筋を立てたはやてに、むんずと胸を鷲掴みされた。ぐわしぐわし、と遠慮なしで揉まれるのは痛い。ていうかはやて、言うほど小さくないじゃん!

「なのはー、助けてー」
「いいんじゃない? はやてちゃんに揉まれたらもっとおっきくなるよぉ〜、きっと」
「そんなぁ!?」

 ニコニコ言い放つなのは。変なオーラが出てるのは気のせい?
 親友に裏切られ、進退窮まった私の視界に鮮やかなブルーが過ぎった。

「セクハラするんじゃない、このエロボケだぬき」
「あだっ!?」

 ぱかんっ! と高速で飛来した物体がはやての後頭部にヒット、膝から崩れてうずくまる。
 私は逃げるように、オールバックと蒼いタキシードでビシッと決めた救い主──ユーヤのところへ駆け寄った。

「ぬぐぅぅ、ついに黒幕のご登場やな……!」

 ゆらりと立ち上がるはやてを大きな背中に隠れて眺める。──あ、私の選んだコロンの香り。使ってくれてるんだ。

「誰が黒幕だ。フェイト、そのドレスよく似合ってるね。かわいいよ」
「あ、ありがと……」
「私らは無視かい! ていうかたぬきちゃうわ!」
「まあ、いつものことだよね」

 恥ずかしくなってうつむくと、床に転がる十円硬貨が目に入る。どうやら飛んできたのはこれらしい。痛そうだ。

「ったく、女の子同士のスキンシップの邪魔なんて無粋やで?」
「どこがスキンシップだ、どこが。お前のはいちいち過剰なんだよ、不愉快だ」
「はっはーん、攸夜君、嫉妬やな? 男の子のヤキモチはみっともないなぁ〜」
「嫉妬じゃない。俺の許可なくフェイトの身体に触れるなと言っているだけだ」
「うわ、なにその傲慢」

 そっか、私ってユーヤの許可なしに誰かに触れられちゃいけないんだ。うん、これは大事なことだ、覚えておこう。

「ところで攸夜くんはなんでここにいるの?」
「お仕事やろ。フェイトちゃんから聞いてへんの? 私は本人から聞いたんやけどな」
「あれ、ユーヤも来てるって言わなかったっけ?」
「……私、ぜんぜん聞いてないんだけどな〜……」

 ゴゴゴゴゴ……、なのはからそんな音が聞こえた。
 びくぅっ、全身が恐怖で強ばる。全力全開ヤメテコワイゴメンナサイ。

「まあ、落ち着け。はやての言う通り仕事でね、貴婦人のお守りをやっている」

 持って回った言い回しで答えるユーヤ。──彼がここにいるということはつまり、“あの人”も近くにいるということで。

「お守りだなんて失敬ね、攸くん。それからあなたたちも、こういった場ではしゃぐのはあまり感心しませんよ?」

 甘い蜜のような声が私たちをやんわりと咎めて。イヤな予感を感じつつ振り返る。
 パニエで広がった宮廷ドレスは血のように紅く。豪華絢爛な黄金の髪は縦カール。白銀の瞳がまるで彫刻みたいな端正な美貌を彩る。──絶世の美女が、そこにいた。

「やあ、姉さん」
「「「うう……」」」

 異口同音。共通の“天敵”の登場に、私たちの声は見事にハモったのだった。












  第十七話 「騎士と姫、魔女と獣 前編」












「こんにちは、フェイトさん、なのはさん、はやてさん」
「「こんにちは、ルーさん」」「──にちは……」

 なんとか挨拶を返す──遅れたのははやてだ──と、ルーさんがはんなりと微笑み、影のように付き従う褐色のメイドさんが一礼した。幸いうめき声は聞こえなかったようだ。
 いまの私たち三人に共通しているのは、怯んでガチガチになっているということ。
 ルーさんに対して、私は美人すぎて気後れするという印象が拭えないし、なにより“おしゅうとめさん”だから頭が上がらない。なのはにとってはおてんばな頃を知られてる近所のお姉さんだし、はやては単純に命を賭けて戦った間柄。シグナムたちとの折り合いも最悪だから苦手らしい。
 ──要するにこの女性ひとは、私たちにとって天敵なのだ。

「えと、ルーさんもこのオークションに?」
「ええ、そうよ。出品される美術品に興味があったから。それに、ユーノ君の晴れ舞台も見てみたいし」

 ユーノの話題が出た途端、なのはの頬が薄く紅潮した。なんてわかりやすいんだろう。
 今回のオークション、無限書庫の司書長にして著名な考古学博士でもあるユーノがプレゼンテーターを務めるのだ。道すがら、ヘリの中でそのことを誇らしそうに語っていたなのはが印象的だった。
 ……“恋する女の子”というものをはじめて間近で見た気がする。

「どうやってこないなとこに紛れ込んだんですか? まさか、なんぞ非合法な手段で……」
「お言葉ですけど、これでも管理局のスポンサーよ。お呼ばれくらいします」

 ピッ、と人差し指と中指で挟んだ招待状を示しつつ、ルーさんは心外そうに口を尖らせる。
 高級そうな黒い紙はたしかに正式のものだった。

「はぁ、さすが金ぴか。羽振りのいいこって」
「賞賛として受け取っておくわ。手慰みに始めた事業だけれど、会社の経営というのもなかなか楽しいものよね」

 “あちら”でもやってみようかしら? ルーさんは「商売繁盛」と筆で書かれた扇で口元を隠し、くすくす不吉に笑っていた。

 十年前、海鳴に住んでいた頃には株式売買や資産運用で生計を立てていたらしい。コツは「適当に選んでほっとけばいいのよ。黙っていてもお金は増えるわ」だそうだ。
 同じようにミッドチルダでもこの数年で巨万の富を築き、いくつかの大企業のオーナーを勤める次元世界有数の資産家になってしまっている。“ルリア・モルゲンシュテルン”といえば、経済界で知らない人はいないんだとか。
 ……なんというか、“魔王”というものは例外なくスケールが大きい。ユーヤにしたって、いつの間にか時空管理局の重要なポスト──方法の是非についてはこの際置いておく──に納まってしまっているし。
 彼らには様々なものを引きつけて巻き込んで、ぐんぐんと引っ張ってしまう力がある。良くも悪くも“世界”に強い影響を与える不思議な引力──こういうのを“カリスマ”、というのだろうか。
 ──だからって、私とユーヤぎに釣り合えてないなんて思わない。意地でも思わない。
 釣り合わないなら釣り合うように、なにかが足りないなら足りるように──諦めないで努力したらいいんだ。
 ダメなのは諦めること。無理だと決めつけて、投げ出してしまうこと。

 それに──、

 ユーヤの居場所は私だけ。ユーヤのとなりにいていいのは私だけなんだから。
 不安に思う必要なんて、ない。

「そろそろ入場時間だな」

 その声にはたと正気に返る。周りを見渡せば、たしかにさっきより人の流れが慌ただしくなっているみたいだ。
 ぱちん、扇を畳む音。

「……そうみたいね。じゃあ私はもう行くから、攸くんも“お仕事”、頑張るのよ」
「ああ、わかってる。姉さんは安心してオークションを楽しんでいて」
「ふふ、頼もしい言葉……、それでこそ私の“弟”よ」

 ルーさんがうれしそうに微笑む。すると、“姉弟”の間に他人には立ち入れない独特の空気が生まれた。
 ……上手く言葉にはできないけど、二人の姿はとてもサマになっている。まるで最初から、そうしているのが自然なことのように。
 ズキッ、胸の奥の方に鈍い痛みが走った。

「エイミー、後の事は頼む」
「お任せくださいませ、若様」

 すらすらとよどみなく会話は進んでいく。相手がなにを話すのか、なにを求めているのか、それがわかっているみたいだ。
 ──じくじくと、胸の痛みは消えてくれない。理由はわかってる。だから無視する。

「あなたたちも、しっかりやりなさいね」
「「「はい」」」

 母性を感じるやさしげな微笑みを残して。
 優雅にスカートの裾を翻したルーさんは、しずしずと続くエイミーを伴い肩で風を切るように私たちの前から離れていく。
 ──私は、彼女たちの姿が見えなくなるまでずっと、ユーヤの服の裾を強く握りしめていた。


 開始時間も迫ってる。そろそろ気分、切り替えなくっちゃ。
 じゃあ私も行くね、と自分の持ち場に戻ろうとしたなのはを「待て、なのは」とユーヤが呼び止めた。
 ……?
 私はなんのつもりだろうと若干ドキドキしつつ、その様子を黙って見守ることにした。はやても口を出す気はないみたい。

「外は半人前たちとシャマル、ザフィーラで抑えるんだったよな?」
「うん、そうだけど」

 質問に、「疑問を感じてますよ」という感じで答えるなのは。マジメだ。
 今回は警備任務ということで、索敵要員のシャマルと防衛戦のエキスパートであるザフィーラが作戦に参加している。──それにしても、“半人前”って……。

「それがどうかしたの?」
「俺も一緒に行こう。そのメンツじゃあ心配だ」

 はやてが眉間を指で抑えてため息一つ。「え?」と疑問符を頭の上に浮かべた私となのはに、ユーヤはいつもの不敵な笑みを見せ、

「──手を貸してやると言っている。魔王おれの力、上手く使えよ?」

 ふてぶてしく、言い放った。



[8913] 第十七話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/05/07 23:45
 


 ホテル・アグスタ屋上。

 ここをCPコマンドポストとして、機動六課は警備活動を行うことになっている。
 すでにスバルたち四人はそれぞれ所定の位置についているのだが、退屈な──彼らの主観では──任務に暇を持て余しているようだ。広域監視を担当するシャマルが欠伸を噛み殺す様子を見て苦笑した。
 あとで気がゆるんでたことを注意しとかなくっちゃ──なのはは頭の中で部下たちの査定にペケをつけ、パネルを目の前の空間に展開。見取り図を用いて配置を確認し始めた。

「うーん……、それじゃあ攸夜くんは北東に回ってくれる? ちょっと手薄になってるから」
「了解。仮に“敵性存在”が現れた場合の行動は?」

 試すような問い。事実、攸夜は彼女の指揮官としての資質を試している。

「そうだね、攸夜くんは機動力と打撃力があるから遊撃かな。できるだけハデに暴れてくれるとスバルたちが楽になると思う」

 朗々と迷いなく紡がれる答え。悪くない作戦だ、と頷く攸夜。さらに、ふむ、と芝居がかった仕草で顎を撫でる。

「──しかし防衛と言うが、全て壊滅させてもかまわんのだろう?」

 格好をつけて攸夜が大言壮語を言い放つ。何やら背中で語りだしてしまいそうな勢いだ。
 きょとんとしたなのはは「え、そこまでやらなくても──」と遠慮の言葉を言い掛けて、思い直す。

「ううん、攸夜くんならやれちゃいそだね」
「おうとも。何せ俺は“大魔王”だからな」

 攸夜らしい根拠のない自信に、なのはがほわっと破顔する。まるで日差しに向けて咲き誇る向日葵のような笑顔だった。
 この頼りになる親友が敗北に塗れるところを、なのはは想像することが出来なかった。滲み出るよくわからない風格というか雰囲気に飲まれて、思わず信じてしまいそうになるのだ。──もっとも、実際は割と負けっぱなしなことは言わないお約束である。

「でもほんとに来るのかな、“冥魔”……」

 不意に笑顔はなりを潜め、不安が零れた。
 無理もない。“冥魔”の行動には規則性がなく、予測することが困難とされているのだから。
 これまで“冥魔”は、強力な魔力構成体に引き寄せられているのではないか、と考えられていた。しかし前回の列車襲撃事件の際、輸送中のロストロギア“レリック”が無事であったことからその推測も破棄され、今も研究が続けられている。

「来るさ。まあ、五分五分といったところだけどな」
「どうして言い切れるの?」

 幾つか理由はあるが、と前置きして、攸夜は真剣な顔で自分の考察を明かす。

「奴らは“負”の感情を喰らって増殖する。であるなら、この場所は奴らにとって格好の餌場だと言えるだろう」
「たしかに、そうかも」

 今ここは、人間の欲望が渦巻く坩堝と化している。攸夜の言葉を信じるなら、ホテル・アグスタに集まった人々の感情は極上の“エサ”となるだろう。基本的に争いを好まないなのはとしては、心苦しい事実だが。
「まあ、一番の理由は」不意に攸夜が真面目な雰囲気を霧散させ、軽薄な表情で二の句を告げる。

「ここに、最強である俺が居ることなんだけどな。モテる男はツラいね」
「ぷっ……攸夜くん、自意識過剰だよ、それ」

 冗談めかした付け足しに、なのはが思わず吹き出すと攸夜は満足げにくつくつと笑う。
 “友だち”同士らしい和やかな光景。彼女の親友であり、彼の恋人である女性がこの様子を目にしたら、嫉妬の炎を燃やすこと請け合いだ。

「まあいっか──それで、コールサインはどうするの?」

 コールサイン? と胡乱げにオウム返しする攸夜に、なのはが教師然として説明する。

「部隊間の識別信号、符号のこと。私たちでいうと“ナイトウィザード”だね」

 ああ……、微妙な表情をして攸夜がうめく。
 そして、「……別に要らなくないか?」とひどく面倒くさそうに表情を歪めた。

「むっ、ダメだよ、ちゃんと決めてくれなきゃ! 勝手されたら指揮が混乱しちゃうでしょ。戦場で大事なのは、指揮・統制・通信・情報の四つなんだよ?」
「あー、はいはい。わかった、わかりましたよ、お嬢さん」

 サイドポニーを揺らす友人の剣幕に、降参だと攸夜が手を上げて肩を竦めた。なのはの頑固っぷりは彼もよく知るところだ。
「そうだな……」しばし黙考した後、脳裏に浮かんだ単語を彼は言葉に乗せた。

「──“ライアー”」
「“うそつき”? もうちょっとカッコいい言葉にしようとか思わないの?」
「いいんだよ、別に」

 自虐的なネーミングに呆れるなのはを適当にあしらう攸夜が不意に、明後日の方角に広がる虚空を睨む。

 ──世界が、揺らいでいた。

「来るか」
「えっ?」
『なのはちゃん気をつけて! 周囲に強力な空間異常よ、“冥魔”が出るわ』

 シャマルの焦りを帯びた声。展開したままの広域マップに、アンノウンを示す光点が急速に増え始めていた。

「ほぇぇっ!? ウソっ、ほんとに来たあ!?」

 不測の事態に泡を食うなのは。ぶっつけ本番には強いはずの彼女だが、この慌てぶりは攸夜の予測を話半分で聞いていた証拠か。
 わたわたとパニクるなのはを無視して、攸夜は左手をガッツポーズのような動作で握り込んだ。
 ぱきん、涼やかな音が響き渡り、七色の宝玉を抱いた純白の腕輪が七枚の板に分離、蒼白い光のベールが噴き上がった。

「ハッ!」

 鋭い爪甲が光の渦を断ち割り、勢いよく斬り払う。
 光焔が舞い、光風が踊る。
 セットされていた闇色の髪は解かれ、ボサボサの癖毛が雄々しく靡く。──夜空のごとき濃紺色の衣装を身に纏う魔王の姿がそこにあった。

「さて、と」

 蒼いネクタイの根元を指先で軽くいじる仕草。
 鋭利な金属の装飾が所々に施され、ネイビーブルーに染め抜かれたダブルスーツ風のコート。それが攸夜のバリアジャケット──正確には魔王が魔力で織る戦装束である。

「攸夜くん!」
「任せろ」

 我に返った親友に応えて、攸夜は蒼銀に輝く三対の翼を発生させる。──なのははこの時、菱形の魔力翼が普段の半分ほどのサイズであることに気付く。
 グレーのブーツが音もなく床を離れると、主に侍っていた七枚の“羽根”も活動を開始する。
 三枚一組が連結して二対の盾となり両脇の空間に固定。残った一枚──“希望の宝玉”を抱いたものだ──が、一メートル程度まで大型化して魔力翼の間に納まった。

「いつもと、違う……?」

 なのはの独白を聞き入れ、悠久の夜を統べる王は稚気に満ちた悪童のような笑みを浮かべた。
 迸る蒼銀の燐光。
 その姿はさながら白い甲冑に身を固めた中世の騎士のよう。

「じゃあな、なのは」
「あ、うん、気をつけて」

 無限の記号にも見えるわずかに重なった光の輪を残して──、蒼き獣が戦場へと翔ぶ。




 □■□■□■




「はぁ……」

 私のファンだというおじさん──けっこうえらい人らしい──の相手からやっと解放されて、思わずため息。肩をぐるぐると回してこわばりをほぐす。
 まったく、なれないことをすると肩が凝る。ユーヤに付き添ってこういう催しには何度か出たことがあるけど、どうにも堅苦しくて息が詰まってしまう。
 はやても今頃、会場のどこかで接待をしているんじゃないだろうか。──もちろん、いかがわしいことはされてないけど。そんなこと、彼が許すはずないもん。

 なんとなしに、オークション会場の方に視線を向けてみた。

『さて、次の品は“クリスタルスカル”。第百八無人世界の遺跡より出土したロストロギア、解析不能の透明な物質で構成された特異な形状の頭蓋骨です。現在は厳重な封印処理を施していますが、これは尋常ならざる磁力場を発生させており────』

 壇上、声変わりがほとんどしてない声で競売の品の説明をしているのは幼なじみの一人、ユーノ・スクライア。
 女の子に見間違えるほど柔和な面差し、ほっそりと華奢な中背、長く伸ばして根本で結ったクリーム色の髪、若草色のすっきりとしたスーツ、ノンフレームの知的なメガネ。どこかナヨナヨしてて頼りなく見えるけど、やるときはやる人だ。
 実際ああに見えて、ユーヤと拳でコミュニケーションしてのける超一流の結界魔導師である。

 ちなみに。
 ユーノはなのはの好きな男の子──本人は隠せてるつもりみたいだけど、バレバレだ──で、ユーヤの大親友。そんな彼に、私はなんとなくシンパシーを感じている。おもに危なっかしい親友に振り回される的な意味で。同じ理論派だし。

「ユーノ、がんばってるなぁ……」

 いまのユーノはなんというか、常日頃にはない威厳があふれている。なのははきっと、こういう時折見せるギャップみたいなものに惹かれたのだと思う。
 ──私とユーノが建物の中にいて、ユーヤとなのはが外で戦ってる。組み合わせのあべこべなシチュエーションが不思議に思えて、ちょっとおかしい。
 ふ、と私の唇は自然と笑みの形を作った。

 このホテルを中心とした半径一キロメートル圏内に“冥魔”の一団が出現、六課のフォワードチームと交戦が始まっている。
 ユーヤの活躍もあって戦況はいまのところはこちらに有利。
 ただ、ホテル周辺を強装結界を用いた防御壁で覆っているとはいえ、ここが危険であることには変わりない。にもかかわらずオークションの中止をしないのは、集まったの人たちに管理局の威信を見せつけるためなのだという。

 ────時空管理局は“冥魔”などには屈しない、と。

 なるほど、どうりで私たち機動六課に警備なんかを任せたわけだ。“冥魔”出現のアナウンスのあと、会場で発生した軽いパニックを抑えるのに苦労したのは余談。
 しかしこの手際のよさ、あまりにも不自然すぎる。上層部はあらかじめ、“冥魔”の出現を予期していたとでもいうのだろうか。

「はぁ……」

 うだうだ考えても意味がない。結局、私程度の権限では真実を知ることができないのだから。
 そう割り切って、いま抱えている“もうひとつの厄介ごと”について考えることにした。


「フェイト、うまくやれよ。執務官としてのお前の力、期待している」


 ──これは、なのはと外へ出るときにユーヤが残した言葉だ。

 彼は颯爽と私の横を通り抜ける際、まるで世間話をするみたいなトーンで言ってのけた。
 詳しい事情は割愛するけど、管理局のとある高官が、ロストロギアの横流しで巨額な不正資金を得ているらしい。その人物、なかなか頭が働くようで、すこし前に管理局内部で吹き荒れた大粛正の嵐もくぐり抜け、いまのいまでのうのうと私腹を肥やしていたのだという。
 で、このオークションを隠れ蓑にした違法ロストロギア密売の現場を押さえて、芋ずる式に検挙する足掛かりにしてしまおうというわけ。──さっき査察部のヴェロッサを見かけたし、上層部は本気のようだ。

 それにしても、ユーヤも簡単に言ってくれる。たしかに私は司法を預かる執務官で、そういうことをするのがお仕事で。ついでに摘発したことなんて数えるのもばからしいくらいあるけれど。
 ……あれ? 私ってこの上なく適任?
 と、ともかく! 準備期間だとか内偵だとか、必要な段取りをぜんぶ無視していきなり「犯人を捕まえろ」だなんて、いくらなんでも無茶ぶりがすぎる。
 だいたいユーヤは、いつもいつも自分勝手なんだから。私が断れないって知ってて、いじわるばかり。……でも、そういう強引にリードしてくれるところが好きっていうか──

 …………。
 ま、まあ、他ならぬユーヤのお願いだ。私の中に拒否するって選択肢ははじめからないし、せいいっぱいの全力以上でやり遂げるつもりだけど。
 ──冷静に考えてみると、私はユーヤに依存しすぎなのかもしれない。けど決めたんだ、どこまでもついて行くって。

「はぁ……やめやめっ。さっさと犯人捕まえてこよう」

 私は三回目のため息をついて、非生産的な思考を破棄する。こんな格好をしてるけど、いまは仕事の最中だ。頭を“執務官としての私”に切り替えて、解説を続けるユーノの声を背に会場をあとにする。
 まずは、私を手伝ってくれるという「ユーヤの部下」と合流するとしよう────



[8913] 第十七話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/05/16 23:15
 


 ──“冥魔”がホテル・アグスタ周辺に現れ出してから数分。
 蒼き魔王が君臨する領域は、殺戮舞踏の一人舞台と化していた。

「……」

 悠然とボトムのポケットに手を突っ込み、上空百メートルほどの位置に浮遊する攸夜。その足下には緑が広がり、無惨な死骸を晒した“冥魔”が次々に黒い砂となって消えていく。
 多種多様、近年次元世界でも見られるようになった種類ばかり。それを蒼く、底冷えのする瞳で見下ろす攸夜の姿は、以前といささか異なったものになっていた。

 “慈愛”、“賢明”、“剛毅”の三枚が連結し、完成した一枚の盾が左肩近くに。“信頼”、“節制”、“正義”の三枚一組が同様に左肩の空間にそれぞれ固定。そして最後に余った“希望”が長大化して、通常の半分ほどの長さの魔力翼の間に配置されている。──さながら、鳳が背後から覆い被さっているかのよう。

 これが無限光の新たなカタチ、“アイン・ソフ・オウル強襲形態ライザースタイル”。
 度重なるフェイトとの模擬戦で露呈したアイン・ソフ・オウルの弱点──「一度に複数の機能を発揮することが出来ない」ことを解消すべく編み出された形態である。
 七枚全てを背後に配し、推進力を集めた“高機動形態ハイマットスタイル”よりも速力や空間戦能力は数段落ちるが、常に張り巡らされた魔力フィールドの防御力と、フレキシブルに稼働する二枚の盾と背中のバインダーが生み出す運動性はむしろ、近接戦闘を好む攸夜にお誂え向きと言えるだろう。
 なお、ハイマットだのライザーだのの大仰な名称に意味はない。ただ単に「その方がかっこいいから」という理由で本人が呼んでいるだけだ。ネーミングの由来はお察しである。


 スッと攸夜の左手が斜め前方の空に向けられた。
 閃く蒼銀の魔法陣。
 青いキャンバスにぽつんと零れた黒いシミ。それに向けて、蒼白い魔光が迸る。
 刹那、鋭い爆光が天に轟き、膨れ上がる爆炎に巻き込まれた十数体の闇鳥があえなく消えた。
 続けるようにして、攸夜は突き出した右手の中にバレーボール大の黒い球体を生み出す。“ヴォーテックス”、彼が牽制によく用いる“冥”属性の基本的な攻撃魔法である。
 ──が、今回はいささか趣が違うようだ。

「──“裂弾”」

 パアン、と破裂して、ピンポン球サイズとなった無数の闇球が辺り一面の“冥魔”を無差別に襲った。
 本来なら対象を包み込んで圧殺するヴォーテックスだが、これらは対象の躯を易々と貫通して致命傷を与えた。

 “ヴォーテックス・スプレッド”──攸夜のオリジナルスペルの一つだ。
 ヒトとして望まれた攸夜は、普遍であるはずの“古代神”では特例的に「成長」という概念を与えられている。故に彼は、より高みに辿り着くための努力を惜しまず、自らの魔法の改良にも余念がなかった。
 とはいえ何百年もの間、第八世界の賢者たちが“世界”の陰で研鑽を重ねて今に至る“魔法”であるから、一朝一夕でどうこう出来るものではなく。せいぜい構造的にシンプルで、すでにいくつかの類型が存在したヴォーテックスの術式を改竄した程度ではあったが。
 幼少のみぎり、近接戦で力を発揮した“ヴォーテックス・ランス改”や、小さな弾丸を無数に乱射する“ヴォーテックス・ガトリング”など、破壊力よりも使いやすさを重視した魔法が目立つ。
 これはミッドチルダ式や近代・古代ベルカ式の応用力に、彼がインスピレーションを受けた結果だろう。誘導弾系統が見られないのは、自らの“箒”があれば事足りるから。そんな便利な魔法、主八界には最初からないという説もあるが。
 補足として、フェイトとの「追いかけっこ」で見せた“ファランクスシフト”は異能で効果を拡大させたものであり、これらの範疇には入らない。


 蒼い眼光が新たな獲物を捉えた。
 空中を泳ぐ鮫のような化け物──ダークシャークが数体、バラバラに、しかし攸夜を挟み撃ちにしようという意志を顕わにして突進する。
 腰の辺りに近づけられた徒手の両手に、投擲用のダガーが標的と同数が月衣から現出。指先で挟むように保持した。
 一瞬、蒼白い魔力光が小刀を包み込む。

「──ッ」

 無音の気合い。抜き放つモーションで小刀は両側面に振り抜かれた。
 ひゅん、風切り音が鳴る。
 指先を離れたダガーは、ただ投擲されただけとは到底思えない速度で的に命中。例外なく内蔵をぶち撒けた。
 ──“ディスチャージ”と呼ばれるこの魔法は、純粋な魔力だけよって物体の運動エネルギーを加速、投擲して攻撃する一風変わった魔法だ。
 おもに刀剣類を媒体に用いて使用し、放つ物体の性質によってはディヴァインコロナ・ザ・ランスをも凌ぐ破壊力を発揮するとされる。さきほどはやてへのツッコミに用いたのもこれだ。
 “こちら”でも同様の魔法が存在していて、たとえばなのはの“スターダストフォール”や、ヴィータの“シュワルベフリーゲン”、はやての“ブラッディダガー”などがそれに当たる。だが、純粋魔力攻撃が全盛である現状ではあまりポピュラーな系統とは言えないだろう。
 なお、愛弟子であるキャロの投擲術は、彼が刀剣類の扱いとともに護身用として教え込んだものだ。血の滲むような特訓の後、「ダガー投げ準一級」の賞状──攸夜の手書き──を手渡したキャロがわんわん泣いていたのを攸夜はよく覚えている。訓練が終わったことがうれしかったという可能性について、あえて考慮に入れていない。性悪である。


「チ……、いい加減鬱陶しい」

 その場から動かず、攸夜は射程圏内に存在する“冥魔”の殲滅を続ける。ぞろぞろと列を成す団体に、さしもの彼でもいささか辟易する。
 この一帯に存在する数多の生命体の中で、彼ほど絶大な魔力と圧倒的な“プラーナ”を誇るものはいない。“冥魔”たちにしてみればそれは、新月の夜に焚かれた篝火のようなものだ。格好の標的と言える。
 もっとも“ラグオル”喪失事件の時に比べれば物の数ではないが。脱出する住民三千万人の殿を務め、ボロボロになりながらも数百万の“冥魔”をほぼ単騎で殲滅したのだから。

「しかし妙だな」

 襲い来る“冥魔”をあらゆる方法で機械的に処理しながら、ぼつりと疑問を漏らした。
 瘴気が噴いていない。混沌から生まれた害毒の大気が。
 次元の断層から漏れ出す漆黒の噴煙は、“冥魔”には付き物の現象だ。しかし、索敵要員であるシャマルからは瘴気を観測したとの報告は入っていなかった。
 必ず発生する、というものでもないからさほど重要視する情報ではない、が──
 つらつらと思惟を巡らせる間にも、破壊の洗礼は止まることを知らない。
 、四角形に張り巡らされた結界内に超重力の闇が発生、捕らわれた闇の騎士などを一挙に押し潰す。巨大な振動が森の木々を揺れ、遙か遠方では鳥たちが空に逃げ去った。

 その後も、攸夜は滞空したままで弓から放つ魔弾、あるいは降り注ぐ光剣など小・中規模の魔法だけで排除を続けていく。
 あまり効率的な方法ではないが致し方ない。彼の“光”はまぶしすぎる。
 この森の中、ディヴァインコロナやジャッジメントレイなどの巨大な熱量を生む大魔法で薙ぎ払えば、たちまち大火事になるのは自明の理だ。いくら植物とはいえ、彼らもこの世界に息づく立派な生命。破壊しか出来ないからこそ、攸夜は無意味な殺生を出来る限り回避していた。

「む……」

 小さく唸る。視界の隅に、ひときわ禍々しい存在感を放つ異形──闇黒晶魔。水晶のような物質で構成された人型の中で、その意志を映すかのごとく気味の悪い光が乱反射する。
 ──大型種。
 放置するには危険な相手だ。近くで戦っているであろう“半人前”たちがという意味で。
 ここで初めて、攸夜が動いた。
 やにわに二枚の盾から蒼銀の粒子が放射され、濃紺の姿が弾かれるように地上へと落下する。光のリング。物理法則を明らかに無視した急加速だった。
 光が──、蒼い光が奔る。
 冷たく蒼白い光は、恐ろしいほどの猛スピードで木々の間をすり抜けていく。
 目にも留まらぬ光芒が通り過ぎた後には、事切れた“冥魔”の残骸が残るだけ。斬殺、圧殺、撲殺あるいは轢殺──共通するのは完膚なきまでに破壊されたという事実のみ。
 背後、急速に肉薄する存在に辛くも反応した闇黒晶魔が、振り向きざまに腕を振る。腕部から飛び出した凶刃がギラギラと光った。
 亜音速で接近する物体を迎え撃った反応は褒められたものだろう。
 しかし、相手が悪かった。
 不気味な結晶体の巨人の腕を易々と掻い潜り、蒼銀の猛禽が喉元に食らいつく。

「悪いな──、」

 鋭い爪牙がおぞましく光る胸板に食い込むと、掌の中にきゅんと光が収束した。
 それはまるで天で瞬く星々の輝き──

「強者と鎬を削るも愉しいが」

 飄然とした表情が悦楽に歪む。攸夜は生粋の戦闘狂バトルジャンキーである。
 掌から放たれる幾条もの星光が“冥魔”を貫く。
 “スターライト”──貫通力の高いレーザーを発射する“天”の攻撃魔法だ。比較的火力の低いこれならば、火災の心配はない。

「──弱者を弄ぶのも嫌いじゃないんでね」

 嗜虐的な文句を吐いて、すでに死に体の“冥魔”を持ち上げる。自身よりも遙かに巨大なそれを軽々と掲げた左手に、さらなる魔力が集まった。
 握り込むと同時に解放された灼光が結晶の塊を無慈悲に焼き尽くし、爆炎が“羽根”の白き装甲に映り紅く燃ゆる。
 異形のヒトガタは、跡形もなく砕け散った。
 一流のウィザードでも苦戦は免れない闇黒晶魔も、“古代神”の力の前では呆気ないものだ。──例えそれが、なり損ないの“レプリカ”だとしても。

 その“レプリカ”は、大地に足を着けて腕を組んでいた。

「……これは召喚、か?」

 呟きは半信半疑。
 しかし状況からみて、転送あるいは召喚魔法といった手段で“冥魔”を呼び寄せていると考えるのが自然だ。
 ──もっとも攸夜は、“冥魔召喚”などという芸当を終ぞお目にかかったことがなかったが。

「こういう時は元から断つのが定石だな。確かめに行くとするか」

 意識的に広げた感知の網に引っかかる違和感を捉えて、攸夜は独り言ちる。敵の補給路を断つのは兵法の基本であるし、何より姑息な感じが好みだった。

「なのは、今から持ち場を離れて遊撃を開始する。少し気になることがあるので調査したい」
『──こちらCP、調査というのは?』

 返答の声は努めて事務的。その主は指揮を執るなのはだ。

「“冥魔”の出方が妙だ。奴らを呼び込む協力者がいるのかもしれない」
『……了解しました。こちらでも調べてみます』
「よろしく」

 軽薄な響きのする声色。通信の向こうから呆れ混じりのため息が聞こえてくるかのよう。
『ていうか』なのはの声色が素に戻る。ああ、これは怒ってるな、と攸夜は内心身構えた。

『攸夜くん、ちゃんと決めたとおりにしてくれなきゃだめじゃない。コールサインはライアーでしょう?』
「ああ、そうだったな。悪い、忘れてた」
『うそだぁ、わざとだよっ!』

 おざなりな返事でぷんすか怒れる親友の追及をあしらう攸夜の背筋に、戦慄が走った。
 ──誰かが自分を視ている。明確な憎悪を込めて。強烈な殺意を向けて。
 彼にしてみればそれは、かわいらしい子どもの癇癪のようなものであったが。
 知らず、攸夜は薄く笑った。
 ぞっとするほど綺麗な、アルカイックスマイル。

『──え、攸夜くん話聞いてる?』
「……なのは、今の無し。お客さんの相手をしなくちゃならなくなったみたいだ。調査は余所に任せてくれ」
『え? ちょっと待って、それってどういう──』

 念話を一方的に切って、攸夜はゆっくりと背後を仰ぎ見た。
 ひときわ高い樹木の頂上。蒼い瞳に映り込むのは、黒に紅い縁取りのゆったりとしたローブを纏う、正体不明の人物。目深にかぶったフードの奥、わずかに覗く双眸の色は燃えたぎるカーマイン。深紅。紅い血の色。
 いつか森で出逢った“彼女”の瞳と同じ色。

「何か用かい、“お嬢さん”?」

 深き森の中、魔女と獣が遭遇する。
 ────定められた“運命”の輪がそっと、廻り始めた。



[8913] 第十八話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/05/16 23:27
 


 ホテル・アグスタ、地下駐車場。停車している自動車はみな立派なものばかりだ。

「では後のことはこちらで処理しておきますので」
「はい。よろしくお願いします」

 サングラスに黒いスーツ──いかにもな格好の男性と挨拶をして、私はオークション会場への道を引き返す。
 逮捕した密売人の一味はさっきの人たちに任せておけばだいじょうぶ。“冥魔”との交戦が終われば、きちんと然るべきところに連行してくれるだろう。
 彼らはユーヤの部下──というか、最高評議会直属のエージェントだ。おもに潜入捜査や内偵などといった、いわゆる“裏方”の仕事を次元世界各地で秘密裏にしているらしい。評議会が表沙汰になるずっと以前から活動しているというからその実力は推して知るべし、なのである。


 ホコリひとつない、きれいに掃除された廊下をひとりで歩く。
 カツンカツン、パンプスのヒールが床を打つ音が響きわたる。
 通路には、不気味なほど人気がなくて。物思いに耽るには格好のシチュエーションだった。
 ──それはたとえば、外のみんなの安否だったり、いま着ているドレスのことだったり、三時のおやつはなににしようかとかだったり……まあそんな感じで、内容はわりと他愛のない。

「…………」

 つらつらと益体のないことを考えていているうちに、憂鬱な気持ちが首をもたげはじめた。……今回、私の出る幕はなかったんじゃないかっていう疑念を。
 なにからなにまでお膳立てされてて──それ自体は、ユーヤらしいひねくれたやさしさを感じてくすぐったいけれど──、結局やったのは犯人一味を捕縛しただけ。護衛らしき魔導師も、それほど強くなくて呆気なかった。スタンモードのハーケンでポカンと一撃だもん、張り合いがない。
 要するに今回の件は、「捜査権を持っている法務官」なら誰でもよかったんだ。
 建前上、黒服の人たちは“いないこと”になっている。だから書類では、私が一から捜査したことになるはず。
 ──きっと彼にはそんな意図はないんだろうけど。根暗な私の、勝手な思いこみだけど。
 まるで代用品みたいに扱われて……不愉快にならないわけがない。私にだってプライドの一つや二つくらい、あるんだ。

 でも──
 強い憤りは感じているのに、彼のことを嫌いにはなれない。
 選んでくれてうれしい。
 任せてくれてうれしい。
 必要としてくれてうれしい。
 ──そう感じている私が、たしかにいる。
 “代替物”で……、誰かの身代わりでいるのはもうイヤだったはずなのに。
 これが「惚れた弱み」というものなんだろうか。わからない。
 ……こんなとき、感情表現の下手な自分がうらめしい。自分の心を理解できないのは、とてもこわいことだから。

「──はぁ……」

 ──納得、いかないなぁ……。


「あ、はやて」

 会場に入ってすぐ、壁の花になっている翠のドレスの親友に遭遇した。どうやら私を待っていてくれたらしい。

「おーす、フェイトちゃん。お勤めご苦労さん」

 人なつっこい笑顔で手を振り、はやてが近寄ってくる。私も、知らず知らずのうちに頬がほころぶ。
 彼女の持つ雰囲気というか、人徳がそうさせるのだと思う。“夜天の王”の異名は伊達じゃない?

「さっすが、フェイトちゃん。管理局期待のホープといわれるだけあるわ」
「もうやめてよ。私、そんなんじゃないってば」
「過剰な謙遜は時に嫌みに聞こえるんやで。タダでくれる評価や、大人しく甘んじときぃ」

 他人事だからって、簡単に言ってくれるよ。正直、目立ったり祭り上げられたりするのはあまり好きじゃない。むしろイヤだ、積極的に拒否したい。
 まあユーヤなら、「イメージ戦略の一環だ、我慢しろ」とかうそぶくのだろうけれど。

「それはそうと、はやてこそずいぶん時間がかかってたみたいだね」
「せやねん。有象無象のオッサンらは軽くあしらったんやけど、ヴェロッサ君にしつこく口説かれてしもてな。いやあ、モテる女はツラいわ」

 たはは、と冗談めかして肩をすくめるはやて。何となくシニカルで、女の子のするにしては感心できない仕草だ。クセになったらよくないと思うよ。

「せっかくアプローチしてくれてるんだし、おつき合いしてみたら? ヴェロッサ、けっこういい人じゃない、軟派だけど」
「ま、エエ男なんは認めるけどな。私の好みはダンディーでロマンスグレーなオジサマや。まだまだ、渋みと深みが圧倒的に足りてへんわ。十年早いっちゅう話やよ、軟派やし」

 どうやらはやて、ヴェロッサのことは歯牙にもかけてないみたいだ。私はお似合いだと思うんだけど、本人にその気がないなら仕方ないかな。
 ……でも、そんなに選り好みしてるといつかほんとうに嫁き遅れちゃうよ? なんたって年齢=彼氏いない歴なんだし。

「……なあフェイトちゃん。なんやえらく失礼なこと考えてへん?」
「え? ぜんぜんそんなことないけど?」

 ヒクヒクと表情筋をひきつらせてはやてが眉間にしわを寄せる。いったいなにが気に障ったんだろう、よくわからない。

「まぁそれはええわ、いやあんまよくないけど──、外の方はどうなっとんのかな」
「ああ、うん。けっこう激戦みたいだね。みんな手こずってるみたい」
「二回目のオペレーションにして難しい防衛戦やしねぇ。……なんやけったいなアクシデントでも起きんとええけど」

 一転、はやては冴えない表情でため息をこぼした。心配なんだ、みんなのことが。
 無理もない。表面的には無関心を装って、でも実は裏でしっかり部下を大切にするのがはやてなのだ。
 けれどそんな心配、今回に限っては必要ない。

「……私は別に、心配してないよ」
「ほぉ、過保護なフェイトちゃんらしないお言葉やな。その心は?」

 興味津々な様子で聞き返す親友に、私は心からの笑顔を向けた。たぶん、いまから口に出す言葉はもう予測されているのだろう。つきあい、長いから。

「だいじょうぶだよ、ユーヤがついてるんだもん」
「でたー、フェイトちゃんの真骨頂! なんでも攸夜君理論ッ!!」

 なにそれ。

「……よくわからないけど。ユーヤがいればだいじょうぶなのは、ほんとのことだし」
「ハイハイ。こんなとこまで来てノロケんでええよ」

 むっ、別にのろけてないもん。
 ──ユーヤは誰よりも強くて、気高くて、どんなものにも屈しない孤高のひと。それは絶対のぜったいで、なにがあっても覆らない宇宙の真理なんだ。──私以外には、という大前提がつくけれど。
 なのはやはやて、シグナムたちにだって負けちゃダメなんだからっ!

「──ッ!!」

 と、我ながら支離滅裂なことを考えているとき、不意にざらりとした感触が私の全身を貫いた。

「フェイトちゃん?」

 身体が硬直する。まるで“母さん”に叱られたときみたいに。
 訳がわからない。
 どうかしたん? と、はやては気遣わしげに顔をのぞき込んでくると、私は反射的に言葉をこぼした。

「ん……、なんか、変な感じがする」
「変なカンジ?」

 オウム返しして首を捻るはやてを意識の外に追い出すように、私は自己に埋没する。
 背筋がぞわぞわするような、胸がもやもやするような、言い知れない不快感……。
 ──……私はこの感情の正体を知っている。ある意味私にとってはおなじみで、いつまでも慣れない心の隙間。
 これは──

「不安……、私は不安を感じている……?」

 胸元のネックレスを両手で強く握る。
 嫌な胸騒ぎは、墨汁を真っ白な紙を汚すようにじわじわと、だけど確実に、私の心に広がっていった。












  第十八話 「騎士と姫、魔女と獣 後編」












 青雷一閃。
 無機質で構成された狼を真っ二つに斬り裂いて、赤毛の少年が額に浮かんだ汗を拭う。──彼、エリオとそのバディは指揮官の指示を受け、“不審な生体反応”が検出された地点を調査していた。
 彼らがこの偵察に選ばれたのは偏に、その機動力と柔軟性の高さを評価されたため。チームワークは今一つだが、フリードリヒと“魔王”という強力な追加ユニットのお陰で、ちょっとやそっとのことでは崩れない。
 なお、拠点防衛をザフィーラに任せる際、「「ザフィーラってしゃべれたんだ」」「ム……」というお約束なやり取りがあったことを追記しておく。

「……ッ」

 愛槍を握っていた手には絶命した“冥魔”の感触が残り、エリオは思わず顔をしかめた。
 未だにエリオは、「“冥魔”を殺す」という行為を割り切れないでいる。
 “冥魔”が超古代、高位生命体──いわゆる“神”と呼ばれる存在によって産み出された戦闘兵器であることを、エリオは知っている。座学でさんざん学んだことだし、その程度の情報なら一般職員でも入手可能な機密レベルだ。──無論、某かのバイアスがかかっていることは否定できないが。
 にもかかわらず、葛藤や嫌悪感を裡に抱えてしまうのは彼の優しさの発露に他ならなかった。

 さて、そんな悩める若人のすぐ側では、彼の同僚である少女が舞うように飛び跳ね、両手に携えた両刃の小刀で“冥魔”を斬り殺していた。
 その装束は普段と異なる。
 魔力を帯びた闇色の外套、動きやすいように普段よりも短くなったスカート。その裾から、ほっそりとした白い太股がまろび出る。
 果敢に地面を蹴って、軽快にステップを踏んで。逆手に携えたダガー──小柄な彼女が持つと、ショートソードのようにも見える──が縦横無尽に乱れ舞う。
 よく見ればわかるが、その剣捌きは一方を攻めに、もう一方を防御に用いたごく一般的な二刀流の型だ。攻守を巧みにスイッチし、時には両方を攻撃に使う洗練されたフェイトのそれに比べれば、児戯に等しい。
 しかし────

 ああまた一匹。芋虫のような“冥魔”が三枚に下ろされた。今度は別の──
 エリオは食い入るようにその光景を見入っている。いや、見惚れていた言うべきか。
 決して迅いわけではない。決して巧みであるわけでもない。
 一瞬の躊躇もなく、一分の無駄もなく、一切の容赦もないだけの効率的な殺戮の剣舞。天賦の才は感じられない真っ直ぐな太刀筋は、ある種の美しさを帯びていた。

「キャロ……、きれいだ……」

 だから思わず、そんな本音が口をついて出てしまう。
 トンッ、と軽やかに着地し、桃色の剣姫がくるりと少年の方に振り向いた。

「エリオ君、なにか言った?」

 こてんと小首を傾げるキャロ。先補とまでの狂乱はいずこか、このくりくりした愛らしいまなこに見つめられて動じない男がいるだろうか。いやいない。

「うぇっ!? あ、いや、そのっ、えと……!」

 案の定、かあああっと盛大に赤面したエリオはしどろもどろで言葉にならず。「変なエリオ君」と呆れ混じりに微笑まれて、さらに恥入る。彼にとって幸いなのは、彼女が失言を聞き逃したことだろうか。
 嫉妬やそれに類する昏い感情を覚える以前に、エリオはキャロの剣舞を心から美しいと思った。同い年の少女が繰り広げるひどくアンバランスな光景に、すっかり魅了されていたのだ。
 ──それは手に届かないものへの憧れだったのかもしれない。

「そんなことより、このすぐ近くに召喚魔導師がいるはずなんだよ。そうだよね、ケリュケイオン」

 ちかちか。召喚の共鳴を探知したケリュケイオンが、主の問いに水晶部分を光らせる。肯定の意味らしい。「そういうことだから、ちょっと探してみようよ」
「あ、うん、わかった」何とか再起動を果たしたエリオは、まだ赤い顔を僚友には見せないように取り繕う。「じゃあ僕はあっちの方に──」
 踊らせた視線の端、木々の間を逃げるように走り去る人影が過ぎる。

「……女の子?」

 それがまるで、長い紫の髪を靡かせた自分たちと同世代くらいの少女に見えて。エリオは数瞬の間、呆然と自らの目の精度を疑い、次いで隣のチームメイトに向き直る。

「キャロ、今の見た?」
「うん見た。女の子だった」

 返答は同意。彼女も紫紺の影を目撃したようだ。
 二人は顔を見合わせて頷き、確かな形を得た“真相”の後を追うべく、弾かれるようにして駆け出した。



[8913] 第十八話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/05/23 23:27
 


「何か用かい、お嬢さん?」
「……!」

 大木の先に佇む“お嬢さん”が息を飲んだ。
 染み出た動揺を嗅ぎ取って、蒼の魔王が嗜虐的に口元を歪める。──予想外に大物が釣れたものだな、と。
 くすりと攸夜は冷たく嘲って、“魔王”らしい尊大な態度を演じ始めた。

「何故女だと決めつけているのか、不思議に思っているのだろう?」
「……」

 紅の魔女の返答は無言。しかし無視されているにも関わらず、攸夜は気にした様子もない。
 “魔王”というイキモノは往々にしてお喋りである。自分の強さを過剰に誇示し、ひけらかし、如何に偉大なのかを遍く知らしめることは彼ら共通の習性だ。
 もちろん個人差は存在するが、うっかり自らの弱点や世界滅亡計画を漏らし、墓穴を掘ってハマるのはもはやお馴染みの光景と言っても過言ではないだろう。

「クク……、偉大なる魔王の威光の前には、何人たりとも隠し立てする事は許されない。そういうことさ」

 実際のところ、ゆったりとしたローブから垣間見える丸みを帯びたシルエットや顎のライン、そしてよくわからない嗅覚──見た目三、嗅覚七の信頼度──から女性と判断しただけなのだが。
 こうして、ありとあらゆる手段で自らのペースに乗せ、主導権を奪うのが攸夜お決まりの手なのである。

「……」

 観客のリアクションはなく。「連れないね」と攸夜が気障ったらしく嘆息して肩を竦め、腕を組んだ。

「────」

 言葉もなく、睨み合う魔王と魔女。方々で鳴り響く戦闘の音も、この場には届かず。ただピン、と緊張の糸が張りつめるだけ。
 涼しげな蒼い視線と、憎しみを隠そうともしない紅い眼差し。──二組の双眸は、好奇心と敵愾心という正反対の感情を映し出していた。

「──ッ」

 先に動いたのは深紅の魔女。
 状況に焦れたのか、歯噛みした気配とともに“左手”の袖口から紅色のナニカを引きずり出す。
 ズッ──
 物理法則を嘲笑い、アカイ狂気が姿を現した。

「──鎌?」

 それは巨大としか言いようのない、長柄の処刑鎌──、攸夜が嫌というほどよく知っている長大な武器だった。
 ぐるん、と左手を軸に回転して円を描き、禍々しい大鎌はまるで上弦の月のように、逆さの状態でぴたりと停止した。
 刃渡り一メートル近い深紅の刃の表面に、大小さまざまな半球状のデコボコが不規則に存在し、同じ色の柄の長さは彼女の身長を軽く超えるだろうか。

 ──決して長身とは言えぬ身体に、不釣り合いな大鎌を担う姿が、最愛の女性と重なって。
 攸夜の仮面に亀裂が走る。余裕に満ちた不敵な表情はいつの間にか消え失せていた。


 ──“コレ”は、誰だ?


 彼の愛する“彼女”を一言で例えるならば「乙女」。
 金色の魂魄をその身に秘め、黄金の意志を胸に抱く金糸の髪の穢れなき戦姫。無限光を継ぐ夜闇の王者と想いを交わし、ただひとり連れ添う運命の花嫁。同時に、悪しき幻想と絶望を討つ希望の剣である。

 ──だというのに、

 目の前で死神の鎌を担ぐ、“彼女”によく似た、似過ぎているこの女はいったいなんだ?
 不愉快だ、我慢ならない。
 濁りきった醜い魔力も、瘴気が澱む歪んだ気配も。魂に絡みついた冥闇くらやみも。絶望に染まった心も。

 ────そして、何よりそんなものに“彼女”を重ね見てしまった自分自身に一番、我慢ならない。
 ああ、そうだ。今すぐ壊そう。目障りな“コレ”を跡形もなく破壊してしまおう。そうだ、それがいい。
 ガキンッ、どこかでなにかの撃鉄が落ちた。
 攸夜の精神こころが切り替わる。ヒトからヒトならざる者へと。

「──!!」

 空気が変わった。否、空間が変容したというべきか。
 攸夜を中心とする領域が彼の意志の許に下り、漏れ出した魔力が蒼い雷光を形作る。空間を統べる“大いなる者”の異能。
 肥大化する負の激情を察知したのだろうか、半回転して肩に担がれた刺々しいディープレッドのサイズ──、その刃の腹にあるいくつもの突起が次々に“開いていく”。
 それら全ては紅い縦の瞳孔を持つ、不気味で悍ましいイキモノの眼球だった。

(“カースドウェポン”。やはり“落とし子”──、それも“冥魔王”の系譜か。……だが、魂は完璧に墜ちていない。チ……、厄介な)

 瞠目して蠢く幾つもの視線に晒されながら、攸夜は静かに、揺らぐことなく相対する者の裡を観察していた。
 冷静に。冷徹に。冷厳に。
 アースブルーと称される瞳の奥に蒼白い焔を滾らせて。

「──ッ」

 魂まで見透かされる悪寒。ローブの女は反射的に担いだ得物を振りかぶり、大鎌の刃と同じ鮮血色の光輪を撃ち放つ。
 一閃──
 魔力の円刃は真っ直ぐに、棒立ちの男へと飛翔した。

「フン」

 つまらなそうに鼻を鳴らす攸夜の目の前で、血濡れの刃は粉々に砕け散った。
 彼を包み込むように揺らめく橙色の薄い幕。放たれた斬撃は、アイン・ソフ・オウルが張り巡らせた陽炎のごとき防御幕に阻まれたのだ。
 本来のカタチである“慈愛の盾”の絶対強度に比べれば取るに足らない障壁だが、たかだが“冥魔”の眷属ごときに斬り崩せるような代物ではない。

 しかし、相対する魔女もその程度は想定していたのだろう。次の一手を繰り出すべく樹木を蹴り、斜め後方へと大きく飛び上がる。大鎌を軸に、くるくると軽業師のごとく宙返りを打った。
 彼我の空隙は約二百メートル。その気になれば一息で詰められる間だというのに、魔王は動かない。まるで見極めるように、ただ見上げるだけ。
 りん──、涼やかな音が鳴り、流麗な響きに似つかわしくない不浄なる呪詛が解き放たれた。
 ローブの裾や袖から噴出した黒い毒素が、周囲の薄弱な生命体の命を奪っていく。
 漆黒の瘴気を纏う女の足下に描かれたミッドチルダ式の魔法陣──複雑なルーンと五芒星の幾何学模様。携えた武具と同様に紅く輝いた。
 大鎌を左に抱え、突き出した右腕に環状魔法陣が仮想砲身を形成。渦巻く魔力、高まる力。瘴気が収束し、紅い魔力を侵す。

 刹那──、深紅あかい雷鳴が轟いた。

 強烈なプラズマを帯びた光条が、大気を斬り裂いて。鮮やかな魔力光の筋が地面に落ちていく。
 某かとの契約によって得た混沌の力──“落とし子”の魔力が込められたこの砲撃ならば、アイン・ソフ・オウルの防御膜を貫くことも可能だろう。
 しかしその力は、自らの身を削る諸刃の力である。
 瘴気というものは、人体に有害極まりない一級の呪詛だ。そのようなものを体内に抱えていれば、魂が穢れ、心が磨耗し、命の火が刻一刻と弱まっていく。強大な神秘を顕す代わりに受ける代償は、非情なまでに大きい。

 接近する破壊の光を泰然と眺める攸夜が組んでいた腕を解いた。強く握り込んだ拳に蒼白い魔力が覆う。
 そして、目の前まで迫った光の塊へ払うように鉄拳を叩きつけた。

「──!?」

 驚愕、いや絶句か。彼女にとっては必殺だったであろう魔法は、“殴り飛ばされて”呆気なく進路を変えた。
 数瞬の後、明後日の方向の地面に着弾。爆風と雷撃が木々を薙ぎ倒される。

「……」

 立ち尽くすロープの女。魔力が込められていたとは言え、拳で殴るなどという埒外な方法で会心の一撃を無力化されたショックは計り知れない。

「ふむ、まあまあだな。しかし魔力の練り込みが甘い。術式の編み方もなっちゃいないし、使い方なんて最悪だ。俺に当てたければもっと創意工夫を重ねろ」

 白煙煙る左手と右手を軽く二度打ち合わせ、攸夜は砲撃について酷評を下す。まるで教師か何かだ。
 数秒間、呆然としていた魔女は思考の糸を繋ぎ直すと魔力を発露、姿を消した──いや、雷速で動き出したのだ。

「おっと、今度は白兵戦か? その思い切りのよさは嫌いじゃないな」

 未来予知じみた戦略眼が、これまた“彼女”と同等かそれ以上の高速移動、その軌道を読む。──もっとも、これまでの行動パターンを踏まえれば予測など簡単だ。赤子をあやすよりなお容易い。
 何故なら攸夜は誰よりも“彼女”を想い、見つめているのだから。

「だが──」

 狙いは背後。振り向きざま、攸夜の右手が左脇の虚空を掴む。
 それより一瞬後、宿敵の首を刈り取るべく背後に現れた魔女。深紅に血塗れた断頭台が落ち、現出していく“刃”の上を左手の爪が滑って火花と蒼銀の魔光を生んだ。
 交錯する蒼と紅──

「──ここは俺の距離だ!」

 蒼刃閃き、魔王の名を冠す魔剣がさながら居合いのように奔った。絶妙のタイミング。
 衝突した蒼と紅の魔刃が噛み合って耳障りな音を鳴らす。
 攸夜は振り返る勢いのまま、右足を軸にして左の脚が振り上がる。
 流れるように上段回し蹴りが放たれた。

「ッ、きゃあああっ!?」

 強烈な追撃をもろに受け、吹き飛んだ魔女はついに悲鳴を上げる。その声はとても可憐で、そしてひどく聞き覚のあるものだった。

(やはり女か。しかしこの声……)

 妙な既視感に攸夜が眉をひそめる。
「く……っ」女は何とか着地するとすぐさま地面を蹴り、食らいつくように突撃を再度敢行。攸夜が大地にしっかと両足を突け、立ち向かう。
 ──真っ向勝負。
 空間を縦横無尽に使った三次元戦闘。数十合に及ぶ剣戟、火花が飛び散る。
 二振りの得物が奏でる刃金のシンフォニーが鳴り止まぬ中、ふたつの異形が深い緑を舞台に鬩ぎ合った。

「せぇええい!」
「──ッッ!」

 剣戟の暴風雨の中で、攸夜の口元は自然に吊り上がってた。先ほどまでの不快感はどこへやら、もうすでにほとんど残っていない。
 先に立つのは好奇心と身を焦がすような闘争本能のざわめき。
 彼は愉しいのだ。血で血を洗う殺し合いがどうしようもなく。
 理由などもはやどうでもいい。ただ「破壊」を愉しめればどうでもよかった。
 ヒルコの担い手。先代無限光の継承者。あるいは白き“箒騎士”の少女。──好敵手と定めたウィザードたちとの死闘のように。

 ──宝穣 攸夜は破壊者だ。

 破壊神“シャイマール”の劣化コピーであるが故に彼は、何かを生み出すことができない。破壊者はどこまで行っても破壊者であり、それ以上でもそれ以外でもあり得ない。
 だのに“彼女”は──フェイトは何の迷いもなくこう言うのだ。「あなたはやさしい」と。一点の曇りもない、とびきりきれいな笑顔で。
 そして攸夜は、そんな笑顔すらも壊してしまいたいと思っている。滅茶苦茶にしてやりたいという欲望が止められない。狂おしいほど愛したい。
 昏い衝動は雄と雌の交わりにも現れている。月明かりの中、白雪のごとき滑らかな女神の肢体を浅黒い獣ケダモノが荒々しく蹂躙する──彼らの情事を誰もがこう表現するだろう。
 甘美な快楽に溺れさせ、心の壊れた肉塊にしてみたいと試みて。「こわい」という呟きに、我に返ったことは一度や二度ではなかった。
 その度に自己嫌悪が深まる。これではいつかの夜の繰り返しじゃないかと。


 ──一際大きな太刀音を響かせて、両者が大きく弾かれた。
 魔王のコートには傷一つなく、対照的に魔女のローブはボロボロ。致命傷となるダメージは未だないが、レベルの──いや、ステージの差は歴然だった。

「……ッ」

 獣のような前傾姿勢から体勢を戻した攸夜は軽く息を吐き出す。昴ぶった本能が潮を引くように収まっていった。
 精神の再建は得意だった。彼は昔から不安定な“人間”だったから。

「アイツによく似た戦型、よく似た魔法、よく似た声──、正直言ってお前は不愉快だ」
「……」
「しかし同時に興味深くもある。……いろいろと教えてくれると嬉しいんだけどな、お嬢さん?」

 冗談めかした投げかけにも、やはり返答はない。黙りか、と攸夜はいささか残念に思う。
 だが、“冥魔”と繋がりがあるであろうこの人物を捕らえれば、奴らの狙いが見えるかもしれない。フェイトに似ていると感じる理由がわかるかもしれない。
 ──浅黒い多国籍風の面差しは今や、いつもの不敵で飄然とした笑みを湛えていた。

「ふん、まあいい。──さあ始めようか、“お勉強”の時間だ」

 嘯いた芝居臭い文句。紅い魔女は何故か脅えように、びくりと肩を揺らした。



[8913] 第十八話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/05/28 23:06
 


 攸夜が紅い大鎌の魔女と死闘──というにはいささか一方的な戦いを繰り広げていたその頃。
 物語の主役たる機動六課フォワードチームにも転機が訪れようとしていた。

『ナイトウィザード5よりCP、現在重要参考人を追跡中。なのはさん、指示をください!』

 屋上。戦いの様子を真剣な表情でモニターしていたなのはに、偵察チームからの報告が飛び込んだ。
 白魚のような指先が操作パネルの上で軽やかに踊り、逃げ惑う“参考人”を地図上で捕捉する。

「こちらCP──うん、こっちでも捉えたよ。女の子……、ずいぶん保有魔力が多いみたいだね。Sランクくらいあるかな?
 ともかく見失わないように誘導するから、追いかけて拘束して。遭遇する“冥魔”は無視してもかまわないよ」
『了解です!』

 すらすらと行動の方針を伝えている間に、新たな通信ウィンドウが表示された。映し出されたのは、管理局が保有する軍事衛星“エンジェルハイロゥ”から送られた俯瞰映像と、連絡用サーチャーが撮影するエリオの姿。木々の間を駆け抜ける赤毛の少年の肩口から、スピード自慢の相棒に遅れぬよう懸命に併走するキャロが見え隠していた。
 他にも、情報を映すモニターがいくつか展開しており、指揮に必要な周囲の状況を流し続けている。それらを収集しているのは、地上本部の制服の上に白衣を羽織ったシャマルと八面体の水晶が先に付いた振り子──クラールヴィント。情報・電子戦では六課最強を誇るコンビである。

「あとくれぐれも深追いと無茶は禁物だよ、エリオ」
『わかってます!』

 あんまりな返答を最後にプツン、と音声が途切れた。
 血気盛んな部下に釘を差したなのはだったが、藪蛇になってしまったようだ。

「うーん、ほんとにわかってるのかなぁ……」

 こめかみに手を当ててぼやくなのは。心配性の虫が騒ぎ出し、思わずため息がこぼれてしまうのも仕方あるまい。
 スバルは無鉄砲な突撃癖がなかなか直らないし、エリオは足下をおろそかにしがちだ。キャロなどなまじ実力が伴っているから手に負えない。まったく持って手の焼ける問題児ばかり。
 しかしそんな中で唯一、ティアナだけは、当初から戦況を見極める戦術眼を持っていた。
 天性のものであろうそれは、本人のたゆまぬ努力の甲斐もあり実戦でも一応通用するレベルまで達している。感性で物事を判断する自分よりよほど理路整然としていて指揮官らしいではないか、と思い至って密かに落ち込んだのはなのはだけの秘密だ。
 そんなわけで、なのはは四人の新人の中でティアナが一番バケると常々考えている。今は戦闘技能の向上を目的に射撃の基礎を反復練習させているが、一段落したら戦術指導──特に指揮官向けの──を訓練カリキュラムに組み込むつもりだ。ティアナは執務官希望なので、そういった方面の知識も必要だろう。
 つまるところ、なのははティアナの“才能”にとてもすごく期待しているのだ。教導官に復帰してすぐ、こんなとびきりの素材に巡り会えたなんて、と。
 まあこの評価こそ「師匠の欲目」かもしれないが。

「なのはちゃん、“冥魔”の増援が緩慢になってきているわ。たぶん追い回されて召喚できないのね。宝穣くんの予想は正しかったみたい」
「そうですね。この調子ならなんとか守りきれると思います」

 二人の推測は概ね同じようだ。
 攸夜は未だアンノウンに拘束されているが、他の戦域は順調そのもの。ザフィーラはさすがの安定感で防衛を続けているし、スバル・ティアナ組も定位置よりやや前に出すぎだが許容範囲内だろう。フォローしなくてもティアナなら上手くやるはずだ。
 ──なのはの預かり知らぬことだが、今回の任務は悪目立ちする六課を試金石にした「囮作戦」である。“エサ”の豊富な場所に“宿敵”を配置することで挑発し、敵の出方を探る──この動乱を裏で糸引いている存在が自己顕示欲の強い“古代神”であるなら、何かしらのアクションを起こすのは間違いない。事実そうだった。
 監督脚本主演、すべて同一の陳腐な茶番劇。その事実を六課内部で承知しているのは、部隊長である八神はやてと“黒幕”の下僕たる宇佐木月乃のみ。地上本部と本局の上層部のごく一部、そして最高評議会も当然この企みを把握した上で承認している。──管理世界の守護という大戦略から見れば、機動六課とは捨て駒程度の価値しかないのだ。
 そういった経緯も踏まえて、エリオとキャロが追跡中の参考人を捕縛できれば、パーフェクトで任務達成と言えるだろう。

「あ、捕まえた」
「さすがキャロ、抜群の安定感ね」

 まったりモードの観測者たち。
 じゃらじゃらと乾いた音を立て、無数の鎖が召喚師らしき少女を絡め捕った。全身を縛られているのにも関わらず何ら表情を変えない少女を見て、「あれ? この子、誰かに似てる……?」となのはが首を傾げる。
 ともあれ、どうやら不意の遭遇戦──というタテマエ──のミッションは大成功に終わりそうだった。

「……よかった。今回もみんな、無事に帰れるね」

 ほっと一安心するなのは。戦場で気を抜くなど指揮官としてあるまじき行為だが、仕方あるまい。
 これだけ思い通りに物事が進めば、たとえ常在戦場油断大敵を心掛けている彼女と言えども都合のいい期待を抱いてしまうものだ。
 ──斯くしてほのかな“願い”は、手酷く裏切られることとなる。

「あら? なにかしらこの反応。データベースに該当者あり……?」
「シャマル先生?」

 なのはが不審そうに顔を上げる。

「シグナムたちの追跡対象……、嘘っ、保有魔力量測定不能!?」

 焦りを帯びたシャマルの声は要領を得ず、悲鳴にも似て。突然のことに目を見張ったなのはが同様のウィンドウを開くと、見る見るうちに顔色を蒼白へと変えた。

「二人とも気をつけて! そっちに強い魔力を持った敵が近づいて──」

 慌てて発した警告は一足遅く。サーチャーの映像には、草むらを突き破って現れた薄汚れたフード付きコードの纏う正体不明の人物が映り込んだ。
 紫の少女を拘束していた鎖を瞬く間に砕き、彼女を庇うがごとくエリオたちの前に立ちはだかる大きな身体──その様はさながら、か弱き姫を守る寡黙な騎士か。
 シルエットは筋骨隆々。深くかぶったフードで目元は判別できないが、骨格から少なくとも男性であることが窺える。
 携えるのは無骨な大槍。エリオのストラーダよりも太く、長大な得物は幅広な刃の長刀。
 そして纏う気配は堅牢無比。武人然とした佇まいが相対する者に強烈なプレッシャーを与える。

『──ベルカ騎士っ!?』『エリオ君、下がってっ!』

 異様な威圧感に硬直し、戸惑いの声を上げた少年を一息に追い抜き、少女が双剣を以て斬りかかる。上空から音もなく滑空した白銀の仔竜が、援護とばかりに火球を放った。
 見敵必殺、先手必勝。──かわいらしい容姿には似合わぬ容赦のなさは師匠譲り。殺られる前に殺るのが彼女の流儀だ。
 それがたとえ、到底適う相手ではないとしても。

『でぇいやああああっ!!』

 裂帛の気合いが迸り、白刃が閃く。その迅さ、鋭さは、キャロの自己ベストを越えていた。
 しかし、

『え──』

 ぽかんと開いたエリオの口から零れた間抜けな声。カートリッジを吐き出した大槍が炎を纏ったと思えば、次の瞬間にはキャロの小さな身体が高々と吹き飛んでいた。
 飛び散る鮮やかな血飛沫。
 まるでボールのように地面を何度も跳ねた桃色の少女は、大木の幹に衝突して停止した。

「「キャロ!!」」

 二重の悲鳴は観測者から。
 ズル──、紅い鮮血の跡を引いてキャロが崩れ落ちる。ぐちゃりと響く湿った音。
 空白が辺りを包む。
 未だ状況を把握できず、混乱の淵で立ち竦んだエリオに槍を携えた大男が向き直る。
 ゆらり。鍛え抜かれた刃のごとき色の眼光が、フードの奥でわずかに覗いた。

『う、うわあああああああ!!』

 それを引き金に、意味にならない砲哮をあげて青き雷鳴が炸裂する。
 反射的に受けに入った大槍とストラーダが激突し、激しい火花と魔力の爆光が飛び散った。

『ぬ──!』

 恐慌。錯乱。そうとしか言いようのない状態に陥ったエリオの猛烈なラッシュ。迸る魔力が青い稲妻に変わり、出鱈目に落雷して大地を暴れまわる。
 火事場の馬鹿力でも発揮しているのか、その鬼気迫る気迫が槍の大男との隔絶した技量差を埋めていた。
 パワーとスピード──大小二人の騎士の戦いは拮抗を見せる。
 だがそれも、長くは続かない。徐々にエリオの挙動が精彩を欠いたものになっていく。

「っ──、シャマル先生、あとをお願いします!」

 教え子の危機に際し、一瞬にして純白のバリアジャケットを生成して飛び出そうとするなのは。白い靴の踝に三対六枚の翼が輝いた時、紫水晶の瞳が不吉な予兆を映し出した。
 彼女は気付いてしまった。
 展開したままの画面の一つ、その奥にある光景を。
 オレンジの髪の少女が、自らの周囲に数多くの──制御不能なほど大量の魔法弾を生み出している様に。

 ──なのはの脳裏に、真っ紅な血の海に横たわるダレカの姿がフラッシュバックした。

「ティアナ、だめっ!!」

 制止の叫びは届かない。
 非情にも解き放たれた誘導弾が雑多な怪物の群れに降り注ぎ、一挙に掃討する。しかしその中でただ一つ、ティアナのコントロールを離れた一発が見当違いの方向に流れていく。
 その行く先には、拳撃を浴びせて中身ががらんどうのリビングメイル──絶望の鎧を粉砕したスバルの後頭部。
 人体の急所。致命的な部位。
 硬直したスバルに、避ける術はなかった。




 □■□■□■




「ぁ──」

 引き延ばされた時間の中、ティアナは自分の放った魔法の行方を呆然と眺めていた。
 研ぎ澄まされた思考回路が独りでに回り出し、状況を解明する。
 自分はスバルと、“冥魔”の掃討をしていたはずだ。
 特に追い込まれて劣勢だったわけでもない。むしろこれで最後になるはずだった。
 倒すだけなら、あんな大量にスフィアを生み出す必要なんてなかった。ただやり場のない焦燥感を何かにぶつけたかっただけだ。
 その結果がこれ。
 明らかな同士討ち。フレンドリーファイア。
 自らの技量を過信したスタンドプレイのあげくミスショット──なんて、無様。


 ──ああ、ごめんスバル……アタシ、アンタを殺したわ。


 ティアナは諦めた。
 “冥魔”を確実に討つため、非殺傷設定を切った魔力弾は親友の容易く命を奪うだろう。魔力による身体能力強化と、さらにとある事情から非常識なまでに頑丈なスバルでも、当たりどころが悪ければ致死に至る。
 少なくともあの角度なら脊髄損傷の上、半身不随は目に見えている。しかし、止める手立ては自分にはない。
 だからティアナは諦めた。

 一秒よりも短い時間。
 不思議とティアナは冷静でいられた。むしろ無感動だったと言えるだろう。
 無二の親友だというのに。苦楽をともにした相棒だというのに。最高だと思えるパートナーだというのに────

 刹那、鮮烈な真紅がティアナとスバルの間を駆け抜けた。
 甲高い音が響きわたり、橙色の球体が弾き飛んでいく。

「──バカ野郎ッ、どこに目ェつけてんだてめぇは!? 仲間殺しでもしてぇのか、このノーコンッ!!」

 魔弾を鉄槌にて弾き飛ばした真紅の影は、やにわに振り返るとティアナに辛辣な罵倒を浴びせる。
 ゴシック調の紅いドレスに“のろいうさぎ”の付いた紅い帽子──別働隊で活動中のはずのヴィータであった。

「ヴィータ、さん……?」

 状況がわからず、スバルは戸惑う。
 安堵からだろうか、ティアナがへなへなとその場にへたり込んだ。怒りに燃える青い眼光に射竦められては自己弁護も紡げない。

「オイなのは、お前がついてながらこの有り様はいったいどーいうことだ?」

 桜色のサーチャーに向かっていきり立つ紅の少女の眼光は鋭く。危険行為を止められなかった失態を責める糾弾が容赦なく飛ぶ。
 その怒声も、力なく座り込んだティアナには届かない。「スバルを躊躇いなく見捨てようとした自分」に、愕然としていたから。



[8913] 第十八話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/06/04 23:29
 


 ティアナのミスショットが戦鎚に弾かれる光景は、モニターするなのはの元にも届いていた。
 だが傍観者でしかない彼女はただ、血の気の引いた顔で画面の前で成り行きを見ていることしかできない。

『──バカ野郎ッ、どこに目ェつけてんだてめぇは!? 仲間殺しでもしてぇのか、このノーコンッ!!』

 へたり込んだティアナをひとしきり罵倒し、ヴィータは近くで浮遊するサーチャーを仰ぎ見る。

「ヴィータちゃん……? どうして、ここに……」

 モニター越しに目線が混じり合う。ヴィータの青い瞳は怒りに染まりきっていた。

『オイなのは、お前がついてながらこの有り様はいったいどーいうことだ?』

 責任を問う声はまるで吹き荒ぶブリザード。出会った頃よりもずっと冷静でクレバーになったヴィータが激怒している──改めて、なのはは自分の失態のほどを思い知った。
 部下の独断専行を許してしまったのは明らかな失点だ。もっとも実戦に参加して間もない新人とはいえ、信頼した結果がこれでは浮かばれないが。

『黙ってないでなんとか言えよ』

 そう強く睨まれたなのはだったが、茫然自失で言葉が返せない。三年前の“罪”を責めるように、じくじくと疼き始めた右腕を強くかき抱く。

『ったく……』

 嘆息して頭を振ったヴィータが、未だに状況を把握できずオロオロとするだけのハチマキ娘を一瞥する。
 ヴィータの怒りの矛先はとりあえずのところ納められた。これ以上の問答は無意味であるし、なのはを公的に叱責する権限は彼女にない。

『このバカ二人は私がそっちに連れてくから、ちょっと待ってろ。“私ら”が追いかけてた奴らがエリオたちんとこで暴れてるからな、急いで援護に行ってやらねぇと』
「あっ!」

 完全に失念していたなのはが声を上げた。口元を手で隠しているシャマルも同様らしい。
 動転しつつ、もう一組の教え子たちを実況するモニターに目をやった。

「エリオ……!」

 拮抗していたはずの戦いは今や一方的なものとなっていた。取り柄の速度で何とか取り繕ってはいるが、それも時間の問題だろう。
 いくら一時的にポテンシャル以上の力を発揮出来たとしても、地力の差はどうにもしがたい。無茶な機動が疲労となって体力を徒に消耗させていく。

『うわっ!?』

 案の定、ソニックムーブの“抜き”をしくじり、足がもつれて尻餅をついた。
 繰り出される刺突。赤毛の少年は反射的に目を瞑る。
 取り返しのつかないミスを穿つ鉾先──しかしそれがエリオを貫くことはなかった。

『ム』
『……え?』

 悲鳴のような金属音の残響。
 恐る恐る瞼を開いたエリオの目に映ったのは、大きく後方に飛び退いた男と自分を背に立つ長身の女。

『無事か、エリオ』

 燃え立つような薄紅色の髪を後頭部で結わえ、紫色の甲冑で身を包む麗人。担う魔剣の刀身が陽の光を受けてギラリと輝く。
 ──ヴォルケンリッター“烈火の将”シグナム。機動六課別働隊チーム、暗号名“シーカー”を率いる歴戦の騎士である。

『……し、師匠? どうしてここに……』
『任務だ。お前はそこで休んでいるといい』

 短いやり取りの後、シグナムは雑草を踏みしめ、ここ数ヶ月幾度か刃を交えた相手に鋭利な双眸を向けた。

『ゼスト・グランガイツ……、今度こそ私とともに来ていただく。貴方の“ご友人”が首を長くしてお待ちだ』
『性懲りもないな、貴様は。俺は始めに言ったはずだ。断る』
『何を今更。私も始めに言ったはずです、我々の任務は貴方とその少女を保護することだ』

 まさか貴方が“奴ら”と通じているとは思わなかったが──魔剣の切先を眼前の男に突きつけ、烈火の剣士が厳かに言い放つ。
 ゼストと呼ばれた男は逃走が不可能と悟ると、重心をわずかに下げ、大槍を腰だめに備える。その構えに付け入る隙は微塵もない。
 愛剣を八双に構え、シグナムもまた一分の隙も見せない。
 武芸を極めた兵つわものの放つ気迫は木々をざわめかせ、大地を揺るがす。

 他方、シグナムより一足遅れてこの場に到着したメガーヌもまた、召喚師の少女と対峙していた。
 白と紫をベースにした丈の長いローブ状のバリアジャケットを纏う彼女が引き連れるのは、十代前半の少女。銀髪緑眼、装飾過多なゴシック調の黒いワンピースとヘッドドレスを身につけ、縦笛らしき何かを携えている。

『ルーテシア……』
『……!』

 自らの名を万感の思いを込めて呼ぶ女性の姿に、紫の少女は無表情の仮面が揺れた。
 不安。困惑。動揺。そして、憧憬。
 自分によく似たこの女性が誰なのか、少女はすでに知っている。できるなら、今すぐにでも駆け寄りたい。思いっきり甘えたい。
 狂おしいほど求めたものはすぐそこに。手を伸ばせば届くところにあるというのに。
 ……けれども、彼女の置かれた状況はそれを許さなかった。

『ゃ、ヤダ! こないでっ!!』

 目前の安らぎを拒絶するかのように紫紺の魔力光が光り輝く。
 どろどろの原形質に覆われた全長一メートルの巨大な芋虫が四匹、影からずるりと這い出す。凶暴な牙を剥き出しにして、不気味な魔蟲が耳障りな奇声を上げた。

『ッ、闇妖虫……? いえ“冥魔”に侵されてしまったのね、可哀相に……』

 混沌に汚染された命に同情し、メガーヌはわずかに睫毛を伏せる。

『……ルーテシア、待っててね。いま助けてあげるわ』

 ブーストデバイス“カドゥケウス”が仄かな輝きを灯す。
 ──ケリュケイオンの兄弟機であるこのデバイスは、メガーヌが以前使用し、現在はルーテシアと呼ばれた少女の元にある“アスクレピオス”とほぼ同等の性能を備えていた。

『シアースちゃん、お願いね』

 背後に控えていたドレスの少女がコクンと首肯して進み出る。
 彼女、“音の魔”シアース・キアースが縦笛──有り体に言えばソプラノリコーダー──を小さな口でくわえ、息を吹き込むと伸びやかな音律が森に響く。
 見事な演奏に合わせ、周囲の植物たちが蠢き出した。
 根を足に見立てて立ち上がり、あるいは枝葉を触手のように伸ばす──樹木を支配下に納め、自在に操る“音の魔”の魔力。

 ──緊迫する戦場、高まる戦意。

『──うふふっ、』

 乾いた哄笑が水を差す。その場の全員がギョッと声のする方に目を向けた。
 見る影もなく血みどろキャロが、音もなく立ち上がる。
 ぽたり、ぽたり。
 前髪を伝って滴り落ちた生暖かい雫が地面に染み込んでいく。
 しとどに濡れた前髪が垂れ、表情は窺えない。薄く笑みを描いた口元がひどく不気味だ。

『ふふ、ふふふふ……イタイ、イタイです。いまわたし、すごく……すごーく、イタイんです。ふふふふふふ──』

 感情の欠如した呟きはどこかおどろおどろしく。年端もいかない少女が纏うにはあるまじき異様な存在感が辺りを満たす。
 ドドドド、とか、ゴゴゴゴ、とか──そんな不穏な効果音まで聞こえてくるかのよう。

『許せません……。この憤り、どこにぶつけたらいいんでしょう……? くすっ、わたし、じつはけっこう気が短いほうなんですよ?』

 虚空をさまよう独言。
 溢れ出す主の力にケリュケイオンが驚き、チカチカと光る。ゆっくりと胸の前でクロスした両手、その甲に煌めく桃色の宝玉から展開した四対の翼──制限中であるはずのサードモードが何故か起動していた。
 濃縮され、物理現象を伴った魔力がスパークし、桃色に光る七芒星の魔法陣を大地に描き映す。ケリュケイオンに内蔵された“超小型八卦炉”が増幅する魔力は限界を知らない。ちなみに銀の仔竜はしっぽを丸めて逃走済みだったりする。
 カッ、とキャロがつぶらな目を見開いた。

『──我が許に来たれ、八界の嵐よッッ!!』

 画面が桃色の閃光に埋め尽くされ、大規模な魔力爆発が森の一角で炸裂した────




 □■□■□■




「──とまあ、これが今回のミッションの顛末って訳さ」

 オークション終了後。
 執務官制服に着替えたあとでユーヤと合流、任務の首尾を説明してもらった。

「……なんていうか、試合に勝って勝負に負けたって感じだね」

 思わず、ため息。ホテル内の警備や密売の取り締まりがうまくいったから、余計にそう感じる。
 ちなみに。
 最後に一矢報いたキャロは病院へ直行。幸いなことにそれほど重傷ではなく、二日くらいで退院できるとのこと。
 エリオが病院に付き添っていて、スバルとティアナは危険行為のペナルティも兼ねた警戒任務中。
 二人組は爆発に紛れてまんまと逃走、行方は不明。監視衛星で姿を追えないなんてどうかしてる。で、シグナムたちは彼らの追跡のためにここを立っていた。

「事実上の完敗だろ」

 むっつりと腕を組んだユーヤが吐き捨てた。オブラートに包んだ意見はお気に召さないみたい。
 自称リアリストなユーヤらしい意見だけど、交戦した正体不明の魔導師をどさくさに紛れて取り逃がして不機嫌な部分もあると思う。“闇の書”事件のとき、グレアム元提督の使い魔にいいようにあしらわれてクロノと二人で憤っていたのを思い出した。
 ……それにしてはイライラしすぎな気もするけど。私と顔を合わせたとき、一瞬だけど動揺してたし。
 ──もしかして、浮気?

 だめだ、話題を変えよう。

「──なのは、だいじょうぶかな。だいぶ落ち込んでるみたいだけど」

 ホテルの従業員の人と話をしている親友が、私は心配でならなかった。
 表面上は気丈に振る舞っているけどかなり参ってる。信頼してた部下があんな危険なことをしでかしたんだもん、当然だ。
 ……すっごく辛そうな顔してティアナを叱ってるなのはを見たら、いますぐ抱きしめたくてうずうずしちゃうよ。

「反省してるんだからそっとして置いてやれ。それに、慰めるのは俺たちの仕事じゃない」
「むー……」

 そんな彼の皮肉げな言いぐさに、思わず膨れてしまう私。
「じゃあ誰の仕事?」と問いかけると、ユーヤは訳知り顔で顎をしゃくる。「そりゃあもちろん、アイツの役目だろ」
 若草色のスーツを着た男の子が朗らかな笑顔で近づいてきた。

「やあ二人とも、お疲れ様。いろいろと大変だったみたいだね、はやてから聞いたよ」
「あっ、ユーノ。おつかれさま」
「お疲れさん。プレゼンテーター、しっかり勤め上げたそうじゃないか。大したもんだって姉さんも感心してたぞ」
「いや、僕なんてまだまだだよ」

 労いの言葉を交わす私たち。そこはかとなく大人な感じ。
 お目当ての品を落札してホクホク顔のルーさんが、帰り際にユーノのことをご機嫌で語ってた。小さい頃から利発な子だった、とかなんとか。

「……なのは、元気ないみたいだね」

 ふと、真剣な表情でなのはの方を見たユーノ。
 むむ、めざとい。愛されてるね、なのは。

「ああ、今ちょうど俺たちもそのことを話していたところだ」
「ちょっと任務でしくじっちゃって……」

 うん、聞いてる、と苦笑ぎみに言うユーノ。でもすぐに、人当たりのいい笑顔を浮かべた。

「で、相談なんだけど、時間があるならこの後四人で食事に行かない? なのはを元気づける会、ってことで」
「なるほど、いい考えだな。フェイト、この後の予定は?」
「えと……ちょっと待ってね」

 スケジューラーを呼び出して予定を確認、っと。

「ここを撤収して、みんなでキャロのお見舞い。隊舎に戻って検討会と報告書の作成があるから、そのあとならフリーだよ」
「じゃあ決まりだな。店は俺が決めてもいいのか?」
「うん、任せるよ」
「りょーかい。任された」

 ユーヤはこういう段取りや仕切りも得意なのだ。

「でも四人でごはん食べるのって久しぶりだよね〜」
「だな。──おいユーノ、弱ってる今がなのはを口説くチャンスだぞ」
「し、しないよそんなことっ!」
「はぁ……。だからお前は意気地無しだというのだ、この馬鹿弟子がぁ!」
「弟子って誰がさ!?」

 明るく陽気なユーヤに、ガシッと強引に肩を組まれたユーノはちょっと困り顔。けれど、とっても楽しそう。
 ん〜っ、なんか私もわくわくしてきた。……なのは、元気になってくれたらいいけどな。



[8913] 幕間 1‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/06/13 08:29
 


 首都クラナガン、中央ターミナル前。
 帰宅ラッシュの時間帯を迎えた駅前は、帰宅を急ぐ人々や夜の街へと繰り出す若者たちでひどく混雑している。

 人混みから少し外れた車道の側、手持ち無沙汰ぎみに佇む二人組。一方は、ライトグリーンのスーツを身につけた線の細い、温和で理知的そうな金髪の青年。もう一方は、濃いネイビーブルーの背広を着た体格のいい、夜のお仕事風な黒髪の青年。どちらも十代後半だ。
 容姿の系統から身に纏う雰囲気・性格まで。まったく正反対の二人だが、彼らはお互いを親友と呼び合う十年来の幼なじみである。

「第二十八管理世界の不況、なかなか終わらないね」
「あそこの政治家連中、次元世界有数の無能揃いだからな。まだ続くぜ、多分な」
「不吉なこと言わないでよ、妙に説得力あるんだから」
「事実だよ。民の命と財産を背負い込む気概が足りないし、言動不一致も甚だしい奴らばかりさ。脳味噌が間抜けか、ってんだ」
「手厳しいね……。まあでも、ミッドチルダの経済圏も結構影響受けているみたいだし、あの世界に住んでる人たちのためにも早く収まればいいよね。ただでさえ“冥魔”のことで全体的に下降気味なんだし」
「まぁな。ったく、くだらない人気取りしてる暇なんてないはずなんだが……面倒だからちょっと行って消してこようか?」
「それはやめなよ、洒落になってないから……」

 などなど。
 話題は主に管理世界の政治経済について。
 遊び盛りの若者にしてはえらくお堅い内容だが、彼らはこう見えても時空管理局の要職に就く責任ある立場の人間。世情には敏感でなくてはならない。
 ──まあ、二人はただの世間話のつもりなのかもしれないが。

「ところでどこに行くかもう決めてあるの?」
「もちろん。最近偶然に見つけたところでさ、いろいろな意味で気に入ってるんだ」
「へぇ、それは楽しみだなぁ」
「料理も一見素朴なんだけど、これがまた美味いんだよ」
「君が言うんだからよっぽどなんだね。ますます楽しみになってきたよ」

 一転して和やかな会話。
 すると狙い澄ましたかのようなタイミングで、黒塗りのスポーツカーが彼らの前に停止した。
 両サイドのドアを開いて、二人の女性が降車する。助手席側、赤みがかったサイドテールがかわいい童顔気味の女性はどこかばつが悪そうに。運転席側、黄金色のストレートヘアが美しい眉目秀麗な女性はとてもうれしそうに。
 どちらの服装も地味な地上部隊用の茶色い制服で、残務を片づけたその足でやってきたのだろう。

「待たせちゃってごめんね」

 開口一番、謝罪の言葉を口にしたのはサイドテールの女の子。申し訳なさそうな面持ちで、いつもの陽射しのような溌剌さが見られないのは、ついさっき仕事で酷いミスをしたばかりだから。
 そんな彼女を慰撫して元気づけよう! というのが今回の集まりの趣旨であるのに、さらにヘコませてしまっては意味がない。
 金髪の女の子がわたわたフォローを試みる。

「え、えっと、なのは、はやく来ようってお仕事すっごくがんばってたんだよっ! だから、その……」
「わかってるよ、フェイト。僕もユウヤも怒ってないから、ね?」
「ああ気にするな、俺は気にしない」

 お決まりのフレーズに場が和む。穏やかな空気を作り出した青年は、ひどく見覚えのある高級車に目を向けて呆れたようなため息を漏らした。

「しかし車で来たのか……。どうせ後で酒が入るだろうに、どうするんだ?」

 軽く頭を抱える。
 海上の埋め立て地である南駐屯地A73区画には、首都への移動手段がほとんどない。申し訳程度にモノレールが通っているが、六課職員は基本的に自動車等を用いている。近場にはコンビニもなく、寮住いの面々は難儀しているそうだ。

「まあまあ、落ち着いて。まずはこれをどこかの駐車場に置いてからだね」
「……だな。二人もそれでいいか」

 はーい、とおどけた返事をする女子二人。如才なくリードする男性陣が頼もしくて、頬をほころばせた。












  幕間 「ともだちの絆 〜 変わるもの、変わらないもの 〜」













「“居酒屋ろんぎぬす”?」

 立ち止まり、紅いのれんに黒い筆字で書かれた店名を読み上げるフェイト。和風っぽい珍妙なネーミングが気になる。
 ちなみに、某がめついロリバ──もとい守護者の私兵組織とは何の縁もゆかりもない。ないったらない。

「フェイトちゃーん、置いてっちゃうよー」
「あ、いま行くー!」

 取り残されていたフェイトが慌てて皆の後を追う。
 てちてちのれんを潜ると、店内では攸夜が女性の店員相手に受け答えしていた。

「いらっしゃいませー、何名様ですかー?」
「四人です。奥の個室は空いてますか?」
「はい、ございますよー」
「じゃあ、そこで」
「かしこまりましたー」

 さくさく話が付いた。
 取っ付きにくそうに見えて、攸夜は意外と人当たりがいい。「敵じゃなければとりあえず仲良くしてみる」のが彼の処世術だ。
 しかし、けっこう美人な店員さんとにこやかに会話している様子が不愉快で、フェイトさんはちょっぴりムカムカきてたりする。
 まあ当たり散らしたり、意味もなく攻撃的にならないだけマシだろう。


 畳の敷かれた八畳ほどのこじんまりとした座敷風の個室に通された四人。間接照明が暖かな、落ち着いた雰囲気の部屋だった。

 座席は以下の通り。
 入り口の近くに陣取った攸夜を起点として、右隣にフェイト、卓を挟んだ反対側になのは、その隣にユーノ。オーダーや配膳をする関係上、攸夜が入り口付近に座るのはお馴染みのことで、なのはがデキる女の子をアピールしたがって真似をするのも同様だ。対抗心でも燃やしているのだろうか。
 フェイトは言わずもがな、ユーノもしれっとお目当ての場所に着くので、この席順が崩れることはまずない。四人の関係性がよくわかる構図だった。


 ──さておき、飲み物の注文である。

「じゃあ僕はウーロン茶」
「あ、私も同じので」

 ユーノとなのはは無難なところを。気になる男の子と同じ物を選ぼうとするのは、いじましい乙女心の現れか。

「とりあえずアイスティー」
「えと……、私オレンジジュース」

 フェイトと攸夜の注文はおよそ居酒屋で頼むような代物ではない。親友たちのマイペースっぷりに、常識人を自認する二人が顔を見合わせて苦笑した。
 ミッドチルダの法律上、四人は飲酒が可能な年齢だが、諸々の事情もあり今のところは自粛中。

「うーんっ、それにしても」

 リラックスしてのびをするなのははいたくご機嫌な様子。彼女も日本生まれ日本育ちの日本人、藺草の香りには格別の思い入れがあるのだろう。

「お店の中、思ったより感じがいいね」
「うん♪」

 フェイトも同じく上機嫌で同意した。彼女の場合は、久々に四人で集まれたのが楽しくて仕方ないのだろう。
 なのはの言うとおり、古めかしいというか、ステレオタイプ的な外観とは打って変わって、モダンでおしゃれな内装は女性も安心できる雰囲気を創り出していた。
 実は内心、「居酒屋」というあまり馴染みのない場所に不安がいっぱいだったなのはにとっては嬉しい誤算だ。

「攸夜くん、よくこんなところ見つけたねー。隠れ家ってやつ?」
「フハハハ、凄かろう偉かろう。好きなだけ崇めることを許すぞ」
「キャラが崩壊してるね、ユウヤ」
「我と書いてオレと読ませればいいのか」
「むしろ“計画通り!”って顔する人だよね、黒いノート持ってる感じの」
「そんな“最弱”と一緒にしないでくれ」
「ネタが錯綜してるよ……」

 彼氏の妄言には慣れっこなフェイトは、三文芝居を華麗にスルーしてメニューを熱心に閲覧中。
 鶏肉の唐揚げとじゃが芋のうま煮が気になるようで、じぃぃぃぃぃぃっと穴が空くほど見つめている。

「冗談はさておき、クラナガンの飲食店はだいたい押さえてるな。接待とか合コンに使うからさ」
「合コン……?」

 ぴくりとなのはの眉が吊り上がる。しかし、最初に食ってかかるはずの美人さんは我関せずでメニューとにらめっこ。妙に余裕があった。
 変な憶測が生まれぬよう、先んじて攸夜が二の句を告げる。

「幹事役をやって、独り身の連中に出会いを斡旋してるだけだって。人身掌握の延長でさ。
 ……フェイトには許可を取ってるぞ」

 な? と話題を振られた当の本人はメニューから視線を外し、コクンと首を振って肯定する。
 それから、ついと横目で隣のお調子者を見やった。鮮やかな紅い瞳はことさら冷たい。

「浮気したら許さないけど」
「は、はは……。まあそういうことだ」

 ピシャリと釘を刺されてひきつった笑いを浮かべる攸夜。額にはじわりと冷や汗がちらほら。
「ほぇー、さすがフェイトちゃん。年期が違うね」締めるべきところはキッチリと締める親友の見事な手管に、なのはがうんうんと感心していた。


 注文の第一陣が到着、準備は万端。

「それじゃあ乾杯」
「「「かんぱーい!」」」

 攸夜の音頭に合わせ、一同はコップを触れ合わせた。そのまま軽く飲み下すと、テーブルに並んだたくさんの料理に手をつけ始める。
 普段は人の十倍働いている彼らだが、こうして年相応に遊んでいる姿はまさしく平凡な大学生のよう。
 ──果たして。類い希な天分に恵まれることは幸せに繋がるのだろうか。


「……あ、はやても呼べばよかったかな?」
「ほっとけ。アイツはそういう役回りなんだよ、この話ではな」
「ユウヤ、メタな発言は厳禁だよ」

 何はともあれ。
 楽しい夜は、まだまだ始まったばかりだ。




 □■□■□■




「ぶぇっくしょい!」

 しんとした室内に響き渡る盛大なくしゃみ。魔導書の中から出て、任務の事後処理の手伝いをしていたリインフォース──なぜか黒縁の伊達眼鏡を着用──が、何事かと顔を上げた。

「風邪ですか、マスター」
「いや……、これはちゃうな。攸夜君あたりが私の悪口を言ってるんや」

 ちーんとちり紙で鼻をかみ、はやてはデスクに行儀悪く肘を突いた。
 何気に鋭い。
 長い間死の淵を彷徨っていた影響だろうか、彼女の勘はよく働く。おかしなところにばかりなのが玉にキズ。

「……はあ、そうですか」

 生返事して仕事を再開するリインフォース。書類に「八神はやて」とミッドチルダ語でサインを認める。本人のものと寸分違わぬ筆跡だった。
 八神さんちの皆さんは例外なく、家長直筆のサインを完璧に模写できるのだ。よからぬことにしか使えないムダ特技だが。

 泥のようなインスタントコーヒーに口を付け、はやてがいかにも苦そうに顔をしかめる。
 体重を預けた背もたれが、ぎぃと悲鳴を上げた。

「はぁーあ、部隊長の私がこーんなマッズいコーヒーすすってるってときに、なのはちゃんたちときたら──」

 コーヒーが不味いのは経費削減の結果である。

「ダンナを連れてノンキに飲み会なんて、まったくいいご身分や。なあ、世の中不公平やと思わへん?」

 くるくると軽快に指先でペンを回すはやて。就業時間はとうの昔に過ぎている。サービス残業真っ盛りだ。

「いえ、特には。彼女たちは自分のやるべきことを成していると考えます」
「リインはお堅いなぁ。ここは臣下として同意するところやないの?」
「……お言葉ですが主はやて」

 キラリ、伊達眼鏡が光る。

「そもそも“まとまった休みが欲しい”と仰る主のために、こうして私が手伝っているのでは? 陸士108部隊との合同演習も近いのですし、文句を言わずに仕事をしてください」
「いやな、私は六課の風紀について真剣に──」
「仕事をしてください」

 無機質な紅い眼がぶーすか不満を垂れるたぬきを見定めた。
 無音の時間が二分ほど続く。
 じわりとはやての額に汗が浮かぶ。
 ドールハウスのベッドで夢心地のリインフォースⅡ。むにゃむにゃ寝言をもらした。

「はい……」
「理解してくださって幸いです」

 観念してうなだれたはやては、もう一度泥のようなコーヒーを飲み干すと、粛々とサインを書類に書き込むのだった。



[8913] 幕間 1‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/06/18 23:30
 


 四人の上着が壁に掛けられた純和風の個室。

「──だいたいさぁ!」

 コップをテーブルに叩きつけ、らしくもなくなのはが声を荒げた。半分ほど注がれたウーロン茶がとぷんと踊る。

『アルコール入ってんのか?』
『まだのはずだけど』

 目が据わった彼女の剣幕に攸夜が軽く身を引き、ユーノは苦笑。ぽけぽけマイペースに食事しているフェイトだけが普段通りだった。

 現在絶賛反省会の真っ最中。
 お互いの近況報告や他愛のない四方山話をしている間は朗らかな雰囲気が流れていたのだが、先ほどの任務の話になった途端にこうなった。
 さすがのなのはも部下の不始末の責任をとって何らかの懲罰が確定している身では、管を巻かねばやってられないのだろう。

「ティアナってば、自分を過小評価しすぎなんだよね。実力も才能もあるのに、ことあるごとに凡人凡人って口癖みたいに言っちゃってさ」
「あ、私それ聞いたことあるよ。幻術の使い方をほめたら“そんなことないです、私なんて凡人ですから”って謙遜されちゃった」
「そうそう! そりゃあ、たしかにスバルたちと比べたら華やかさは欠けるかもしれないけどぉ」

 黒いのの賛同を得て、ますます語気を強める白いの。部下であり教え子のことを熱弁し、ボルテージはぐんぐんと上昇中。

「ひとつひとつ、確実に目標を叶えていける力があるはずなんだよ、ぜったい!!」

 どどーん。
 演説をぶちまけたその顔はまだ未熟だが、同時に指導者然としていて。攸夜が感心したように目を細めた。
 あらかた愚痴を吐き出して満足したのか、なのはは皿に残った鶏軟骨の唐揚げを摘んで口に放り込んだ。
「ああっ、私の唐揚げっ!」フェイトが血相を変えて卓の上に身を乗り出す。

「最後の、一個だったのに……」
「あ、ごめんごめん」

 口では謝るなのはだが、いささかも悪びれていない。むしろ面白がっているようで、これ見よがしに咀嚼している。
 もっきゅもっきゅ。少し冷えてしまっているものの、口いっぱいに広がるコラーゲンの味はささくれ立った神経を慰めるのに十分で。
 目の前で美味そうに味わう様子を見せつけられて、力なく座布団に座り込んだフェイトはわりとマジ泣きだ。
 やれやれと攸夜が肩をすくめた。

「ほらフェイト、これやるから機嫌直せ」

 皮付きのフライドポテトを素手で摘んで差し出せば、あーん、と催促するお馴染みの光景がごく自然に繰り返される。

「あーん……あむ」

 もぐもぐ。
 まるで躊躇せずそれを口の中に含んだフェイトは、途端に頬を赤らめて喜びを全身で表現する。上機嫌なのは、芋料理が卵料理に次ぐ彼女の好物であることも関係しているだろう。
 攸夜が与えるフライドポテトを、次々に平らげていくフェイト。おいも♪おいも♪と、しっぽとたれ耳をぱたぱたするイメージつきで。

「あ、セロリの野菜スティックもちゃんと食べような」
「ええっ!? で、でもにおいが……」
「好き嫌いは駄目だっていつも言ってるだろ」
「う、うぐぅ〜」

 ──彼らの辞書に「倦怠期」という言葉はないのだろうか。

 ああまたやってるよ。仲の良すぎるバカップルを、なのはとユーノは微笑ましくも生暖かく見守っていた。
 若干鬱陶しく感じるものの、フェイトがニコニコしていればなのはも同時にうれしくなるし、攸夜が穏やかな表情をしていればユーノはやさしい気持ちになれる──最近はそんな風に思えてきた二人だ。達観ではない、断じて。
 ──もっとも、ぴったりとくっついて座っているフェイトと攸夜に比べ、なのはとユーノの間には拳一つ分くらいの隙間が残っている。奥手な二人の心の距離はまだ縮まらないようだ。

「……ともかくさ、」なのはが横道に逸れた話の流れを戻すべく声を上げた。
 餌付けの手を止めて、攸夜が向き直ると、フェイトがあからさまに残念そうな顔をする。

「ティアナは自分のダメな部分とかを、真正面から認められないんだよね。……完璧主義っていうのかな、そういうの」
「完璧を目指そうとするのはいいことじゃないの?」

 言葉に込められた否定的なニュアンスを感じ取り、フェイトが小首を傾げた。

「べつに悪いとは言わないけど。それにこだわりすぎて、自分勝手に思い上がるのはいただけないよ」
「おっと、高町教導官殿から金言が飛び出したな。ありがたやありがたや」
「ユウヤ、茶化さない」

 手を合わせて拝む攸夜をユーノがやんわりと注意する。シリアスな空気にならないように道化を買って出てるにしても、悪ふざけが過ぎるだろう。
 続けて、とユーノに促されたなのはは数瞬思い淀んだ後、考えを打ち明け始めた。

「ティアナが自分を卑下するのは完璧でないことを認めたくない気持ちの裏返し、護身なんだよ。そうしていれば、自分で自分を傷つけなくてすむから」
「……囚われてるんだね」

 囚われてる? と不思議がるなのはにフェイトは微苦笑を送る。

「私も同じだから、なんとなくわかるんだ。囚われて、絡まって、抜け出せなくて……どうにも身動きができなくなっちゃうんだよ、そういうときって」

 意味深い独白。彼女の事情をよく知る一同はかける言葉もなく押し黙る。
 ──こんな空気のとき、いつも一番にアクションを起こすのは攸夜だった。

「ランスターのことは資料でしか知らないが、話を聞く限りだと肥大化した自尊心、あるいは何かしらの強迫観念が根底にあるように思えるな。
 ……そういう類の鬱積を解消するのは骨が折れるぞ」

 他人事のような言い種。
 けれど、本人以外の誰もが知っている。無関心を装っていても、いざトラブルが起きれば彼は真っ先になのはたちの力となるということを。
 何だかんだで情に篤く、困っている人を放っておけない天の邪鬼は今も健在だ。

「それで、なのははどうするつもり?」
「うーん……いまのところは手の出しようがないかなぁ。ああいうタイプって、一度完全に折れなきゃまわりを省みないから」
「なのはみたいに?」
「こらこら」

 フェイトの天然発言にユーノが苦笑混じりに注意する。最近、毒舌気味になってきたフェイトだ。
 なのはも特に気にしていないのだろう、真面目な顔つきを崩さない。

「それに信じてるから、ティアナのこと。きっと間違ったりしないって」
「……信頼を裏切られるかもしれないぞ。いや、もうすでに一度裏切られているな」
「うん、そうかも。……だけど、信じる。自分から信じなきゃ、信じてもらえないよ」

 意地の悪い攸夜の質問にも揺らぐことなく、迷うこともなく、なのはは毅然として答えた。
 まぶしいな──、一点の曇りもない晴れ晴れとした笑顔を見返して、攸夜は心からそう思う。彼女の強さの本質は、魔法によるものではない。その心の深いところにある何かだ。

「さーてっと、いっぱい話したらおなかへっちゃった。焼きそば頼もっかなぁー──、すいませーん!」

 にぱっと相好を崩して、なのはが大声で店員を呼び寄せる。

「また焼きそばか……、飽きないねぇ」
「お生憎様。焼きそばは魔法少女の主食なんですーっ」
「おいおい。もう少女って歳でもな──」

 言葉が言い終わるよりも先に、レイジングハートの尖端が攸夜に突き付けられていた。

「ちょっおまっ、んな物騒なもん向けんな! フェイトもバルディッシュを振りかぶるんじゃありません!」
「あはは、今のはユウヤが悪いよ」

 三人のドタバタの傍らでユーノが楽しそうに笑う。
 変わらない日常の一ページがまた、紡がれた。




 □■□■□■




 モノレールの最終便が駅を離れていく。
 無人のプラットホームぽつねんと残された攸夜とユーノ。背中に疲れ切って眠ってしまったそれぞれのパートナーを背負う。
 愛らしい寝顔を惜しげもなく披露する美女二人は、モノレールに揺られているうちに夢の世界へと旅立ってしまった。──羽目を外して飲みすぎたのも原因の一つか。
 ちなみに例の自動車は月衣の中だ。

「んじゃ、行くか」
「そうだね」

 顔を見合わせ、歩き始める。
 フェイトたちと同じく、彼らもかなりの量のアルコールを接種しているはずなのだが、両者とも何食わぬ顔で平然としている。
 女顔のユーノだが、自他共に認めるうわばみの攸夜と付き合う程度にいける口なのだ。


 AIが管理する無人の改札を潜り抜け、閑散として人気のない夜道に。
 紺青の空、満点に煌めく星々、そして蒼白い双子の月。
 凪いだ海が暗色の鏡となって静謐な月明かりを映す──、それはひどく幻想的な光景だった。

 静かな海に面した道を攸夜とユーノは特に会話を交わすこともなく、ぶらぶら進む。
 駅から六課の宿舎までは徒歩で約十分。ゆっくり歩いたとしても三十分とかからないだろう。

「ところでユーノ君」
「うん、なに?」

 いくらか進んだところで、攸夜が唐突に口を開いた。

「今晩の寝床はどうするおつもりで? こんな時間じゃ帰るわけにもいかないだろ」
「うーん……、男子寮の空き部屋を借りようかなと思って」
「なんだ、なのはの部屋に泊まるんじゃないのか」
「っな!?」

 ユーノが絶句した。あんぐりと大きな口で。

「なななな、何言ってるのさっ!? そんなことできるわけないじゃないかっ」
「声を潜めて大声を出すとか器用だな、オイ」

 盛大に動揺する相棒を愉しげに眺める“あおいあくま”。もっと混ぜっ返してやろうと追撃をかける。

「フェイトから聞いたんだけどさ、なのはの奴、お前さんが居候してた時に使ってた籠とかハンカチを後生大事に持ってるらしいぜ。まるで宝物みたいだ、って」
「え……?」

 ぴたり。ユーノの足が完全に止まった。
 意識しないように努めていた女の子特有のいい香りとか、耳にかかる微かな吐息とか、背中に当たる柔らかい二つのモノとか、太ももを直に触れた感触とか──護りたいと想う女性ひとの温もりを再認識してしまい、ユーノはかあっと顔を赤らめた。
 足を止めて振り返る攸夜。じっと、真っ直ぐな眼差しを親友へと向けた。

「……もうわかってるんだろ、なのはの気持ち」
「……!」

 長い沈黙。逡巡を重ねたユーノがようやく複雑なその心の裡を零し始めた。

「わかってる、と思う。応えたいとも思う。……でも、怖いんだ。今の居心地のいい関係が変わってしまうことが」

 悔しそうに表情を歪め、俯いたユーノの背中でぴくりと何かが動く。けれど思い悩む彼は気付かない。

「変わらないものなんてないよ、どこにも。だからよりよい方向に変えようと全力を尽くすんだろう? ──フェイトやなのはのように、さ」
「そうだね……」

 彼女たちのそんなところに、彼らは惹かれているのだ。

 もう食べられないよ〜、とお約束も甚だしいフェイトの寝言に顔を見合わせる二人。幸せそうに緩んだ顔でよだれを垂らしている姿は見なかったことにした。

 ごほん。咳払いを一つ。

「まあ、なんだ──」

 飄々とした笑みに稚気が帯びる。

「我が親愛なる心の友が、テンプレートな鈍感朴念仁じゃなくて安心した。お前ら二人はお似合いだよ、俺が保証する」
「ユウヤ……」

 少々オーバーにおどけた言葉に不器用な思いやりを乗せて。
 性根はひねくれているが、本当の気持ちを伝える手段はとてもストレートな彼だから、ユーノもありのままの好意を形にする。包み隠さずに。

「君のそういうとこ、僕は好きだな」
「んなっ!?」

 今度は攸夜が絶句した。

「くす、そんなに照れなくてもいいのに」
「っ……無闇に好意を向けられるの、苦手なんだ」

 ぷい、とそっぽを向く。
 両手が塞がっていて照れ隠しに頭も掻けず、攸夜は憮然として歩き出した。
「やっぱりユウヤはツンデレだ」くすくすと忍び笑い、ユーノはどこか子どもっぽくて、けれど憎めない相棒の後を追う。
 ──背負った女の子の耳が、先まで真っ赤に染まっていることに気づかずに。


 なお、結局ユーノはフェレットモードでなのはのところにお世話になった。
 そして、起き抜けで寝ぼけた部屋の主とドタバタ劇を繰り広げたのだが──、それはまた別のお話である。



[8913] 第十九話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/06/25 23:32
 


 機動六課敷地内、女子寮。

 古い建物を改築して誂えた隊舎とは打って変わって新築したばかりのこの寄宿舎は、埋め立て地という立地条件もあって日当たりがよく、どの部屋も比較的広くて職員たちからも好評。「そこらのアパートを借りるよりずっといい」とのこと。
 スバル・ナカジマとティアナ・ランスターに割り当てられた一室も例に漏れず、それなりの広さもあり午後になれば暖かな西日が射し込む。
 もっとも今は夜の帳が降り、照明も最低限しか点いていない部屋の中は薄暗かった。

「……」

 二段ベッドの下段、ティアナはだらりと寝転がり、頭上のスタンドライトの明かりを頼りにしてファッション誌をぺらぺらと流し見ていた。呆れるくらい何度も読み返した雑誌では暇つぶしにもならないが。
 ライトの横に置かれた型落ちのポータブルミュージックプレイヤーが、同居人の迷惑にならない程度の音量で流行りの音楽を流している。数年前に買った一品で微妙にガタがきているものの、収入の少ないティアナには買い換える余裕もない。生まれも育ちもブルジョアな某ぽややん執務官とは違うのだ──というのは彼女のやっかみにも似た偏見だが、その認識は概ね間違っていない。

「…………」

 ゴソゴソ、ゴソゴソ。
 と、上の方が騒がしい。件の同居人は久々の夜更かしに目が冴えてしまっているのだろう。
 何とかと煙は高いところを好むというが、スバルは訓練校の寮でも二段ベッドの上を選んでいる。今よりもずっと大人しく控え目だった彼女に気遣って、好きな場所を選ばせたのはティアナだった。柄にもなく、年上の余裕をというやつを見せて。
 上段に上がり、おずおずしつつもはしゃいでいたスバルの姿がおかしかったのをティアナはよく覚えている。後から聞いたところによると、二段ベッドを使うのは初めてだったらしい。道理ではしゃぐわけだ。

 さておき、ティアナは読んでいた雑誌を乱雑に放り投げた。

 現在の時刻は十一時を回ってすぐ。消灯時間は過ぎ、本来ならばもう眠っている時間だ。
 ティアナもさっさと眠りたいところだが、相方はまだ目が冴えているご様子。しかし、翌朝の訓練は特別な事情があり免除されているとはいえ、この現状はやや目に余る。少し釘を差してやろうと彼女は思い立った。

「ちょっとスバル、アンタいい加減寝なさいよね。明日は余所で演習なんだから、寝坊なんかしたら大恥よ?」

 トントン、ベッドの背板を軽く小突く。
 ──明日は、新たに配備されることとなる“新装備”の評価演習の前座として、とある部隊との合同実践演習が予定されている。
 “うみ”と“りく”の幹部はもちろん、各次元世界の主要なプレスにも公開されるそうだ。上層部からはもっぱら「子どもばかりのお飾り宣伝部隊」と見られている機動六課が参加するのは必然と言えよう。──首都近郊に駐留する部隊の中では最強の一角であるし、一応。
 ティアナとしては、未だ海のものとも山のものとも知れない“新装備”とやらの前座扱いはひどく不愉快で気に入らない。だが、つい先日、彼女が起こしたありえないミスを帳消しするにはまたとないチャンス。ここで活躍したならば、集まったお偉方の覚えがよくなること請け合いだ。
 ──皮算用はともかく。
 さすがにスバルが寝過ごすということは考えにくいが、夜更かしして寝不足になるというのはいただけない。機動六課フォワードチームの一員としても、そしてティアナの心境的にも、明日の戦いで無様な姿を上官たちに見せるわけにはいかないのだ。

「わかってる〜、あと五分〜」

 猫なで声で子供みたいな事を言うスバル。アタシはアンタのおかんか! とティアナは心の中だけでツッコんだ。
 携帯端末をいじって何やらやっているのは知っているので、ちょっかいを出してみる。

「……スバル、アリカとメールしてんの?」
「うん、そうだよ。──あ、ニナにもはやく寝ろって怒られたって」

 ベッドから大胆に身を乗り出して、逆さまになりつつスバルが応じる。その手にはやはり、携帯端末を握っていた。

「ほら見なさい。あの子たちも忙しいんだし、あんま迷惑かけちゃダメよ?」
「そっか……二人の所属って、防空隊だからきっと私たちのところよりハードだよね」

 うんうん、と同意するスバル。手慣れた手つきで端末をいじって相手へ断りのメールを送った。
 話題に上った訓練校時代の友人たちとの親交は、それぞれの進路に進んだ後も続いている。スバルは特に例のホウキ娘と仲がよく、その相方と何だかんだで気が合うのがティアナだった。
 手の掛かる相方を持った委員長タイプ同士だからだろうか、たまに仕事の愚痴なんかをぶちまけたりもする。真面目キャラは真面目キャラでいろいろ大変なのだ。

「うん、あっちももう寝るって。じゃあティア、おやすみー」
「ん、素直でよろしい。おやすみ、スバル」

 引っ込む青頭。
 それからすぐ動く気配がして、すぅすぅと静かな寝息が聞こえてくる。
 スバルは驚くほど寝付きがいい、枕が変わるとなかなか眠れなくなるティアナが羨ましく感じる程度には。

「さっ、てと……アタシも寝るか」

 布団をかぶり、明日に備えなければ。もう失敗は出来ない。自分は──“ランスター”は無能なんかじゃないと、もはや習慣となった“呪文”を自らに強く言い聞かせ。
 パチン、スタンドライトが消える。
 部屋の中を照らす明かりは、わずかばかりの間接照明を残すのみとなった。













  第十九話 「盾の乙女“スカルメール”」












 キレイに掃除の行き渡った廊下。私の目の前には飾りっ気のないドアが立ちふさがっている。
 ここはクラナガン第三演習場。機動六課の敷地と同じ、首都の近海にぽつんと浮かぶ広大な埋め立て地を使った総合訓練施設だ。
 首都周辺にいくつかある演習場の中では最大級の敷地面積に都市を再現した。六課の空間シミュレータほどの柔軟性はないけど、こと市街地戦におけるシチュエーションの再現度では他の追随を許さない。元々は首都防空隊向けに作られた場所だから、特に違法魔導師とのゲリラ戦なんかを想定されているみたいだ。
 ちなみにクラナガンに駐留する各部隊は言うまでもなく、たまーに訓練校の生徒たちも授業で使用することがあるとのこと。
 そんなこんなで今回の任務──地上本部主導の新装備評価演習および合同陸戦演習には、まさに打ってつけの場所というわけである。


 ふぅ、と一息。
 別段緊張するようなことでもないけれど、部屋の中には初対面の子もいるから侮られないように気を引き締めなくっちゃ。
 意を決し、扉をくぐる。
 管制施設内で一番大きい控え室には一足先に到着していたなのはといつもの四人組、それから見慣れない五人の女の子が揃っていた。
 ちなみにみんなの制服は地上部隊のもので、私ひとりだけが着慣れた黒の制服。演習に参加しない私は、一番上等な格好をするようにと言われている。

「遅れてごめん、なのは」
「ううん、ちょうどいいタイミングだったよ」

 なのはと軽く会話を交わし、向き直る。
 私は、とても懐かしい子に再会した。

「久しぶりだね、ギンガ。四年ぶりかな、元気にしてた?」
「はい、フェイトさん。その節はお世話になりました」

 背中まで届く豊かな藍色のストレートヘアを揺らして、彼女は軽く腰を折った。
 ギンガ・ナカジマ。四年前、空港の大火災のときに私が助けた女の子だ。名前のとおりスバルの実のお姉さんで、階級は陸曹。十七歳にして捜査官を任されている才女である。
 陸戦魔導師としてはもちろん、指揮官・捜査官としてもたいへん優秀、というのが彼女のプロフィールを読んだ私の感想。助けた頃には障壁を張るだけで精一杯って感じだったのに……まさに光陰矢の如し?
 それはともかく、陸士108部隊の一小隊を任されているそうで、今回の合同演習では模擬戦の相手チームの監督をつとめることになっている。

「私たちはもう自己紹介すましちゃったから、フェイトちゃんもお願いね」
「あ、うん、そうなんだ」

 むむ、さすがなのは。抜かりはないみたいだ。
 というわけで名乗る。

「じゃあえっと、フェイト・T・ハラオウンです。演習には参加しないけど、みんなの統括役を言いつかってます。よろしくね」

 ぺこりと一礼。
 どうやら私はそれなりに有名人らしいので、わざわざ詳しく説明するまでもないだろう。……自分のことを話すのって、ちょっと恥ずかしいし。

「私のことはご存じでしょうから省略して、この子たちに自己紹介させますね」
「ではまず、姉もとい私から」

 ギンガに促されて、背がひじょーに小柄(十歳くらい?)な長い銀髪の女の子が口を開く。右目を眼帯で覆っているのはファッションかなにかかな?

「名はチンク。ハラオウン執務官もすでに知っていると思うが、戦闘機人をやっている。部隊では妹たちのまとめ役だ」

 “戦闘機人”の単語に、私は無意識のうちに頬の表情筋がひきつるのを感じた。いや、事前に資料見てるから彼女たちの素性とかは知ってるよ、もちろん。
 と、私の動揺を見抜かれてしまったのだろうか、チンクと名乗った少女はシニカルな苦笑でかわいらしい顔を歪めた。
 むぅ……、また年下に気を使われてしまった。つくづくだめだなぁ、私って。

「んじゃ次は私っスね。名前はウェンディ、ナンバーズのムードメーカーっス!」
「くすっ、元気だね」
「それが私の取り柄っス」

 鮮やかな長めの赤い髪を後頭部でツンツンのアップにした女の子が、陽気なテンションでニシシと笑う。
 思ったよりも人なつっこい雰囲気で、いろいろな軽そうな子だ。こういう感じ、嫌いじゃない。

「……ディエチ。よろしく」
「うん、こちらこそよろしくね」

 茶色の髪を大きなリボンで後ろに結わえた、どこかエイミィ姉さんに似た髪型の女の子。こちらは一転、無表情で抑揚のあまり感じられない口調だ。
 なんとなく、印象が灯っぽい。なんとなく。

「……」

 四人目。赤いショートヘアの女の子に目を向けると、彼女は不機嫌そうな仏頂面でそっぽを向いてしまった。
 なのはとギンガが苦笑してるところをみると、私が来る前もこんな感じだったのかもしれない。……視界の隅でスバルがおろおろしてるし。そういえばこの子、なんかスバルに似てる……?
「……ノーヴェ」とチンクにやんわりと注意されてもなしのつぶてで。……私、本格的に嫌われてるみたいだ。

「まったくお前は……。無礼ですまない、ハラオウン執務官。このノーヴェは人見知りするというか……少々無愛想で気難しくて」
「いいよ。私、べつに気にしてないから」

 どうやらまとめ役のチンクはいろいろ苦労してるみたいだ。……昔の私みたいに、社会経験が極端に偏ってると苦労するよね、うん。

 ──彼女たち四人は、ジェイル・スカリエッティが“制作”した戦闘機人“ナンバーズ”だ。
 私の預かり知らないところでいろいろあって保護観察となった彼女たちは、ギンガの所属する陸士108部隊でお世話になっているのだという。この部隊が選ばれた背景には「高度な政治的判断」があるらしい。……なんだかさっきから「だという」とか「らしい」とか曖昧な表現ばかりだけれど、蚊帳の外で関わり合いになれないのだから仕方ないと思う。
 正直、ちょっとくやしい。

 まだちょっと割り切れていない葛藤に思いを馳せていたそのとき、控え室の自動ドアが開いた。

 ──とあることだけに適応した第六感が反応する。

 いま入室したのは誰? ……そんなもの、いまさらいちいち確認するまでもない。
 この胸の奥がぽかぽかする気配の持ち主を、私が間違うわけないのだから。
 こみ上げる愛しさを唇に乗せて、彼の名を紡ぐ。

「ユーヤっ」「ユウヤさん!」

 ──え?
 すらりとしたシルエットのスーツを着こなした彼は、なんとも微妙な顔で声を発した私とギンガを見比べる。その背後には見慣れない金髪碧眼の女の子がいて……。
 決して鋭いとは言えない勘が、高らかに警鐘を鳴らしていた。



[8913] 第十九話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/07/02 23:22
 


 部屋の入り口に立ち止まり、曖昧に苦笑するユーヤ。そんな彼とギンガを何度も見比べる私は、なにがなんだかよくわからなくて、ぽかんと口を開けてしまう。ていうか、みんなも似たような顔してるし。
 ピアノ線のように、ぴんっと張り詰めた空気は室内にすごく気まずい。最初に動いたら負けかな、とかみんな思ってるのかな?
 と、ギンガがユーヤに駆け寄った。

「ユウヤさん! ユウヤさんも、こちらにいらしてたんですね」
「ギンガか。演習に参加するわけじゃないが、よろしく頼む」
「ハイっ!」

 ……どうやら二人は顔見知りらしい。

「ところで“ギムレット”の調子はどうだ?」
「あ、はい問題ないです。まだちょっと扱いづらいですけど、必ず使いこなしてみせます!」
「ん、まあ頑張ってくれ」

 和気あいあい、そんな表現がぴったりの会話。ギンガなんてわずかに頬を染めて、まるで恋する女の子みたいな表情をしていた。──恋する?
 その様子をたとえるなら、親犬にまとわりつく無邪気な子犬のような……。

「……っ」

 なんだろう、これ……、すごく、ムカムカする……。
 私を差し置いてユーヤとおしゃべりするなんて冗談じゃない。そのポジションにいていいのは私だけなのに──
 噴き出すどす黒い感情をうまくコントロールできなくて、目の前が真っ赤に染まる。
 フリーズしたみたいに固まったなのはに、あわあわとうろたえるスバル。エリオとティアナが茫然自失で。キャロは静観を決め込んでフリードと戯れ、半歩立ち位置を退がった戦闘機人の四人はどこか警戒感を滲ませて身構えていた。

「なるほどなー。これが世に言う修羅場、あるいはトライアングラーというやつでありますか。たいへん興味深いので、記憶領域に専用のアルバムを作成するであります」
「人聞きの悪いことを言うんじゃない、空気読め」
「では空気を読んでわたしも、“わたしの一番の大切は、あなたの傍にいることであります!”と叫んでマスターに抱きつくべきでありましょうか?」
「……アイギス、いい加減にしろ」
「は、失言でありました。訂正してお詫びするであります」

 渦中のユーヤはのんきに金髪の子とコントしてるし。……いまの発言、ちょっと聞き捨てならない、かも。
 ともかく。ギンガとの関係や、彼を「マスター」呼ばわりするこの女の子ことなどなど、謎は尽きない。

「えっと……攸夜くん?」
「ん、悪い。初っ端からグダグダだな。とりあえずみんな、どこでもいいから座ってくれ」

 再起動したなのはに困惑顔で呼びかけられて、すまなそうに苦笑したユーヤは襟を正し、そう告げた。
 指示のとおり、何本か部屋に設置されているベンチへそれぞれが座るのだけれど、私はユーヤの左側に寄るだけにしておく。

「フェイトは座らなくていいのか?」
「……ここでいい」
「そ、そうか」

 いまユーヤから離れるのは、不安だ。……うまく言葉にはできないけど。
 右側を金髪の子に取られたギンガが渋々とベンチに座った。ふふん、いい気味。
 ──あ、目があった。
 私負けませんから! と主張しているような気がする。むーっ、ユーヤは私のなんだからっ!
 と、ギンガを威嚇をしていたら、大きな手のひらが私の肩に添えられた。
 びっくりして、となりを見上げる。

「フェイト」

 私を呼ぶ声。
 わずかに微笑んで、静かに見つめ返す蒼い瞳が「心配するな」と告げているように思えて。心に渦巻いていた不安とか不快感はキレイさっぱりなくなった。
 ──本当に、こういうさり気ないフォローの上手なひとだと思う。

「初めましてになるのはランスターとナカジマ妹だけだが、一応名乗っておく。この演習の責任者、宝穣 攸夜だ。
 最高評議会直属ということになっているが、正式な階級は持っていないから自由に呼んでくれ」

 はい、と声を揃えるスバルとティアナ。……ふーん、あの子たちとも知り合いなんだ、とギンガの部下四人に目を向ける。
 まあ、ユーヤの立場を思えば当然かな。スカリエッティを捕縛したのはほかならぬ彼なので、そのときに交戦したのかもしれない。──なるほど、だからユーヤが部屋に入ってきてからずっと脅えた感じがするんだ。ご愁傷さま、だね。

「アイギス、お前も挨拶しろ」
「はっ、了解であります!」

 ビシッと完璧な最敬礼をして、金髪碧眼の少女が進み出る。
 私よりも小柄な彼女の肌は真っ白で、整った目鼻立ちはまるで美しさを計算し尽くされた彫刻のよう。白と赤と金の、ヘッドフォンみたいなカチューシャがさらさらショートヘアをいっそう引き立てていて、思わず抱きつきたくなるくらい愛らしい。
 そんな美少女が纏うのは、金色の縁取りがされた純白の軍服風ロングコート。シンプルだけど、ぴったり身体のラインを強調するシルエットで、ボトムは白のスラックス、かな?
 白いシャツの襟元を彩るふわふわの赤いリボン、たくさん縫いつけられた金色のボタンには七枚の花弁の細工が刻まれていて、同じ色の飾り紐が左肩を飾っている。──あまりにも装飾過剰な服に感じる、ちょっとした既視感。
 ……あ、どうりで見たことあると思ったらこれ、セフィロトの制服だ。
 私も実物を目にするのは初めてなんだけど、リミットブレイクしたユーヤのバリアジャケットと同じ配色だから印象に残ってた。……でも、白すぎて汚れが目立ちそう、と心配してしまう私はずれているのだろうか。

「初めまして、アイギスです。“冥魔”掃討を目的に活動中であります」
「このHTBX01AⅡアイギスは、今回の新装備評価演習──その主役となる“汎用人型決戦箒”のプロダクトモデルだ。陳腐な表現だが、いわゆる機械の乙女だな。ちなみにコイツが俺をマスターと呼ぶのは仕様だ、気にするな」
「……“箒”? この子が?」

 表情とか言動が人間ぽくて、とても機械には見えない。

「その通り。まあ“箒”の癖に空も飛べないポンコツだけど」
「シャラップ、でありますマスター。わたしアイギス七式は、アニスお姉さまの直系後継機にしてウィザードタイプ“強化人間”の戦闘データを基に開発された陸戦砲撃最新型“盾の乙女”。飛行機能など最初からノープロブレムなのであります」

 えっへんと胸を張る他称機械の乙女。……言われてみればたしかに、首周りは白革張りだしヘッドフォンっぽいのは排気口のようだ。
 つまりこの子は、完全戦闘用のマシンサーヴァントだと理解したらいいかな?

 いわゆるアンドロイドであるマシンサーヴァントも、最近ではそれほど珍しい存在じゃなくなってきている。六課のような末端の施設ならともかく、本局ステーションとか地上本部ビル、それと政府の施設でたくさん働いている姿を見かけるからだ。
 オートメーション化が進んでいるXN級次元航行艦では、艦の運用をほとんどを任せられているくらいだし、民間にも参入するのは時間の問題だと思う。
 いつか市民権を獲得する日が来るかも、なんてユーヤが笑い話にしてたり。

 ──“人型箒”……機械の乙女、か。
 心のなかで呟くと、ちくり、胸に鈍い痛みを感じた。

「しかし、これが戦闘機人でありますか……」

 まさしく人形じみた顔を飾る瞳は侮るようで。アイギスはナンバーズの四人をゆっくりと睥睨する。……ヒトのことを「これ」っていうのはよくないと思うよ?

「聞きしに勝る低脳ぶりでありますな。まさに帯に短したすきに流し、無用の長物とはこのことであります」

「なんだとっ!?」「その言い様、さすがに姉も聞き捨てならない」「私らに喧嘩売ってるんっスか!?」「……ムカ」

 一触即発。
 こんなわかりやすい挑発、聞き流す方が難しい。──あっ、いま鼻で笑った。あきらかに鼻で笑ったよね?

「AMF領域下でなければAランク魔導師にも劣る半端者が粋がるなであります。さらに製造にかかるコストから見ても工業製品として失格でありましょう」

 だめ押しの暴言。いまにもケンカが始まりそうな空気に、当事者たち以外は少なからずおろおろしてしまう。
 私は、密かにムカムカしてる。理由はわからないけど。

「お前たち、場所を弁えろ」

 冷たい一喝。
 でもノーヴェは犬歯を剥いて「アンタに指図される」と反抗することをやめない。

「ちょっとノーヴェ、ユウヤさんにそんな口利いちゃダメよ?」
「九番。その反骨心と度胸は大したものだと思うが、実力が伴わなければ負け犬の遠吠えと変わらんぞ」
「っち……」

 口々に咎められ、赤毛の怒りんぼうはようやく矛を収めた。
 怒りっぽいなぁ……、ちゃんとカルシウムを採らなきゃダメだよ?

「ったく……アイギスお前もだ。その毒舌、どうにかならないのか?」
「お言葉ですがマスター、お姉さま方のお茶目な言語回路に比べれば上等かとアイギスは愚考するであります」
「反論できないのが悔しいな……」

 呆れたようにこめかみを押さえるユーヤ。それから、憤懣やるかたない様子の四人組に視線で釘を差し、「さて、自己紹介も粗方終わったところで君らの今日のスケジュールを伝える」と手品みたいに取り出した端末を片手にすらすら要点を述べる。

 ──なのはたちに関するスケジュールは、わりとシンプルだ。
 三十分後、機動六課の四人と陸士108部隊の四人がそれぞれなのはとギンガの指示の下、演習場を使った本格的な模擬戦。その勝敗に関わらず、休憩を挟んでアイギスのデモンストレーションが同じ場所で行われる、というのが主な流れ。説明はとてもわかりやすく、簡潔にまとめてあって感心した。
 ちなみに私はユーヤと観覧室で観戦の予定。はやてもそっちだそうだ。

「──以上だ。何か質問は?」

 ふたたび端末をしまい、人当たりのいいやさしげな表情をつくったユーヤはゆっくりと室内を見渡した。
「あの、聞きたいことがあるんですけど……」スバルがおずおず手を挙げた。

「許可する。言ってみろ」
「えっと、ユウヤさんとギン姉ぇはいったいどういう関係なんですか?」

「「「「!!!!」」」」

 な……っ!?
 たしかに気にはなるけど、いま聞くことじゃないでしょ、常識的に考えて。
 スバルの発言で収まりかけた空気がふたたび騒然とする。私も絶句しておおいに動揺中。──しかし、私の大事なひとは一味違う。ふむ、とふてぶてしく芝居ぶって唸ってみせるだけ。

「昔、ギンガの命を救ったことがあってね。フェイトと一緒に、と言えば君も思い当たる事件があるだろう? ──そう、四年前の大火災の時に、な。
 それと、そこの数の子連中の監査約をしてるからその縁でも割と顔見知りではある」

 その説明でスバルは納得したみたい。“ナンバーズ”だから数の子? かわいい愛称だね、ふふっ。

「四人も攸夜くんと知り合いなんだね?」
「三年前、姉たちの住んでいたアジトに監査官殿が来襲したのだ」「けちょんけちょんのボッコボッコにされたっス」「……呆気なかった」「……フン!」

 やっぱり戦ってひどい目にあったんだ。キャロが同類を哀れむような目で見てるよ。まあ、二度目になるけどご愁傷さま。

「む、そろそろ時間か。じゃあなのは、フェイトは借りていくぞ」
「あっ……」

 返事を待たず、私の手を取るユーヤ。今日も変わらず強引だ。

「仲良くやれよ、お前ら」
「誰がこんなヤツと!」「命令でしたら善処するであります」

 あーあ。アイギスとノーヴェ、完全に仲違いしちゃってるよ。ほかの三人も同じような目をしてるし。まさに水と油って感じだ。
 苦笑いをかみ殺すユーヤをなのはが非難する。

「ちょっとユウヤくん、こんな空気を放置して逃げるの!?」
「悪いが不満は聞けない。後は任せるから適当に頑張ってくれ」

 わりとひどい逃げ口上を残したユーヤに手を引かれ、その場をあとにする私はかろうじてなのはたちに「演習がんばって、応援してるから」とだけ告げることができた。
 ──控え室を出る間際に聞こえてきた「責任とれー、このやろーっ!!」というなのはのやけっぱちな叫びは、スルーされてしまったのでした。

 ……この演習、始まる前から前途多難だよぉ……。



[8913] 第十九話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/07/09 23:16
 


「……」
「────」

 音もなく閉まるエレベーターのドア。
 すぐに箱は動き出して、魔法で飛ぶのとは違う不快な浮遊感を感じて顔を密かにしかめる。
 重力に逆らい上昇を続ける三畳も満たない密室の中は、なんともいえない沈黙で満たされていた。
 控え室があったのは最下層、そして私たちの目的地である観覧室があるのは施設の最上階。つまり、わりと長い時間ふたりっきりになるということで……。
 普段ならいい、普段なら。
 でもいまは──

(うう、沈黙が重い……)

 聞きたい。
 ギンガのこと、どうしてあんなに馴れ馴れしくさせてるのか。その辺のことを詳しく、とことん、徹底的に聞き出したい。
 ……たしかにスバルにした説明は理に適ってたし、いちおう納得もしたけど、それじゃどうにも安心できなくて。心の中のもやもやが晴れてくれない。
 こういう気持ちは理屈じゃないんだと、最近やっとわかるようになってきた。その……、恋とか愛とかといっしょなんだ、たぶん。

(いや、そうじゃなくてっ!)

 ふるふる。頭を大きく振る。
 エレベーターはもうすぐ目的の階にたどりつきそうだ。
 ふたりっきりの時間はもうすぐ終わり……聞くなら、いましかない。
 突飛な行動に怪訝な顔をした恋人の横顔をちらりと盗み見て、小さく息を吐く。

(私、がんばれっ!)

 苦悩や不安を無理やりに押し込めて、口をつぐんでしまいたくなる自分を奮い立たせる。
 ──昔から私には、イヤなことから目を背け、耳をふさぎ、心にウソをついて、自分をごまかす悪癖がある。
 膝を抱えてうずくまってしまえば楽になれるから。傷つかなくてすむから。
 たとえそれが、逃げでしかなくても……。

 でも、本当に知ってほしい気持ちは、言葉にして伝えなきゃだめなんだ。そう、言い聞かせる。

「あの、あのね、ユーヤ──」
「フェイト」

 なんとか絞り出した言葉を遮るよく通る声。慣れ親しんだ、私の名前。好きじゃない、名前。
 ガクン、エレベーターが目的の階に停止した。

「君の言いたいことはおおよそわかっているつもりだよ」

 ──ああ、そっか。
 その一言で。ひどく真摯な表情で、あらためて理解した。ユーヤは私のこと、なんでもお見通しなんだって。
 どこまでも、いつまでも。
 “フェイト・テスタロッサ”の一番の理解者でいてくれる──、それがすごく、心地いい。

「ギンガのことだろ? ……俺たち、こういうことは初めてだから混乱するのも仕方ないよな」

 うんそう、それだ。私の引っかかってたことは。
 いままで、恋敵というか……あんなふうに、私たちの関係に割り込んできた子はいなかった。
 なのはやはやてなんかはこっちが勝手に警戒しているだけだし、彼の周りにいる女性もみんな、ちゃんと一線を引いていたように見えたし。……改めて考えるとユーヤって案外モテないのかな?
 まあ……、二号さんとか三号さんとか、そういう女性ひとがぞろぞろ増えるというのもそれはそれで困るけど。というか、そんなの認められるわけないもん。

「四年前の火災の時、助けてやった所為なんだろうな。まあ、憧れの先輩とか近所のお兄さんとか、そういうレベルの好意だよ、あれは。妹の方がなのはを慕ってるのと一緒の理屈さ」
「そう、かなぁ……。あの眼は本気だったよ?」
「へぇ、女の勘ってヤツか」

 ユーヤが興味深そうにスッと目を細めた。
 きっと、ギンガはギンガなりに本気だ。なんとなくわかる……誰かを好きになるってことは、すごくたいへんなことだから。「女の子は、恋愛も戦いも常に全力全開なの」とはなのはの受け売り。そのパワーをユーノ相手にも発揮したらいいのに。

「……うん、そうだと思う。ユーヤは女の子に好きって想われて、うれしくないの?」
「いんや、別に」

 うわ、ひどい。一言で切って捨てたよ。

「ギンガには悪いが、眼中にないな。好かれるよりも嫌われる方が楽だしさ」
「……じゃあ、私の気持ちは迷惑なの?」
「そんなことはない! フェイトは特別だ」

 とくべつ……うれしい。
 ユーヤに共感してもらって、いくらかもやもやが薄れた気がする。
 でも──、

(やっぱり、不安だよ……)

 昔からマイナス思考に陥りがちな私だ、一度悪い想像が始まれば自分じゃ止めることができない。
 たとえば、ほかの女の子に目移りしちゃうだとか──そんなネガティブなことばかり、思い浮かべてしまって。

「……浮気、してないよね?」

 だからついつい、心にもないことを聞いてしまう。

 いくらかっこよくて、分け隔てなくやさしいからって、ユーヤはそんなこと絶対しない。……た、たぶん、きっと。
 ──期待を込めて、彼の顔を窺う。

「してる、と言ったらどうする?」
「──え?」

 ぞわり、背筋に寒気が走る。キュッと心臓が縮まるような気がした。目の前が真っ暗になるような気がした。
 いつもの冗談だって理性はわかってるのに、心が受けつけない。……どうせまた、私をからかうつもりなんだろう。そう簡単にはいかないもん!

「なら──、あなたを殺して私も死ぬ」

 反射的に言ってしまった口を両手で隠した。吐き出した言葉は、もう飲み込めない。
 ……我ながら不穏すぎる発言の半分は、本気だった。ほかの誰かにこの幸せな日々を奪われるくらいなら、いっそ────

「くくっ」

 バッドトリップから正気に返った視界に飛び込んできたのは、ひどく愉快そうに崩れたユーヤの笑み。ぽかんと間の抜けな顔が写る蒼い瞳は薄く細められ、危険な色を帯びさせていて。
 どう見ても、悪いことを考えている顔だ。

「ぁ……、や、やだ。うそだよ、いまのなしっ! 冗談だから本気にしないで」

 思わず、そう叫ぶ。
 いくらなんでも、病んだ子だって思われるのはいやだ。──もう手遅れかもしれないけど。
 ふ、と微笑するユーヤ。冗談だ、と混乱する私を慰めるように髪を梳いてくれる。それから手を引かれて、エレベーターの外に連れ出された。
 ドアが閉まる。
 廊下には人気がなかった。演習の前だからかな?

「まあ、フェイトに滅ぼされるなら本望というか本懐だけど、そんなことは絶対にさせないって約束する」
「……ほんとに?」
「ああ本当だとも。今まで一度でも、俺が君との約束を破ったことがあったか?」
「……ううん、ない」

 有言実行、誠実なのもユーヤの魅力のひとつだ。……なにか物騒なことを言ってたような気もしたけど、考えたら負けだよね、うん。
 真摯な微笑から一転、いつもの飄々とした態度に転じたユーヤが軽薄にうそぶく。

「それに俺って、恋の狩人だからさ。欲しいものは自分の力で勝ち取らなきゃ気が済まないんだ。恋愛でも何でも、誰かに主導権を握られるのは嫌なんだよ」
「そ、そうなんだ。あ、あはは……」

 なんて横暴。
 ……でも、思い返せば、十年前のユーヤもそんな感じだったかも。
 なにかと私の無意識のアプローチに逃げ腰で、彼がいろいろな意味で積極的になったのは忘れもしない、あの月の夜以来だった。

 深い紺色の夜空。
 きらきらときらめく星々。
 やさしくほほえむ金色の月。
 ──そして、静かに佇む大好きな男の子……。いまでもその光景が瞼の裏にはっきりと焼きついてる。私の心の原風景。
 ぁ、あう……、思い出したら顔が火照ってきちゃった。

「しかし、フェイトに焼き餅を焼かせたのは明らかに俺の手落ちだな。……と、いうわけで、そのお詫びじゃあないが──」
「ぁ……」

 いたずらっ子な顔で、覆い被さるように近づいてくる。
 背後には壁。逃げられない、というか逃げるつもりもないというか……。
 さすがに、この状況の意味がわからないほど子どもじゃない。だけど、場所くらいわきまえてほし──

「んんっ!」

 有無を言うタイミングもなく、強引に唇を奪われた。いつものことだ。
 全身の産毛が泡立つ。強い快感が体中を駆けめぐる。思考が漂白されていく。
 ──キスは、すき。
 してる間は、とろとろにとろけて、いやなことを考えなくてすむから。

「ん……、んふ、ふぁ……」

 彼の背中に回した手を、ギュッと握る。
 あったかい……舌。きもちよくて。私ごと、からめ、とられ────

「──主上」

 スキンシップに夢中だったそのとき、横合いからアルトの声が響く。
 すぐそばから呼びかけられて、私たちはすこしだけ間を離す……抱き合ったままで。
 沸騰するように顔に熱が集まってきた。ど、どこまで見られてたのかなっ!?
 私ほど真っ赤じゃないけれど、ユーヤも耳を赤くしてる。彼は密かに純情なのだ。

「む、月乃か」

 声の主は、非常に気まずそうな表情をしている宇佐木さん。今日はブラウンの制服ではなく、アイギスと同じ制服を着ている。彼女は六課司令部の人で、もともと最高評議会の方で仕事してたらしいからその関係だろうか。
 ──じゃなくて!
 じたばた、じたばた。恥ずかしくて逃げようともがいても、がっちりハグされて身動きが取れない。
 ううー、うううーっ!

「……月乃、見ての通り取り込み中なんだが?」
「はい、申し訳ございません。しかし何分皆様が観覧室にてお待ちになっておりますので……」
「おっと、それはいかんな」

 !! 大事なことをすっかり忘れていた自分をなじりたくなる。
 彼女はたぶん、いつまでたってもやってこない私たちを迎えにきたんだろう。お手数かけてごめんなさい。
 ユーヤもちょっとばつが悪そうに頭をかいて、

「仕方ない。些か名残惜しいが、お仕事だしな」

 と言い、自分と私の乱れた衣服をいそいそと直しはじめる。──私? なされるがままだけどなにか?

「よしできた。──じゃあフェイト、続きはまた後でな」

 ささやくように意味深な言葉を残して、ユーヤは歩き出す。
 どうしてこう、いちいち恥ずかしい表現するのかな? 顔が熱いよ……。
 はぁ……なんか、一人で悶々としてた私がバカみたいだ。
 かといって、

「もう、ばか……」

 と、ぼそぼそ抗議することしかできないからなおさらくやしい。
 だいたい、私が悩んでいたのはぜんぶあなたのせいで──とかなんとか、文句を心の中でつぶやいて、ユーヤの後ろについて行く。
 ……このリンゴみたいに赤くなった顔、部屋につくまでに落ち着けばいいけれど。




「ところでユーヤ。ひとつ、いいかな」
「ん、なんだ」
「あの戦闘機人の子たちに、いったいどんなことしたの? ずいぶん怯えてみたいだけど」
「両手両足の腱を斬り落として死なない程度に痛めつけた」
「……。え?」
「だから無力化して半殺しにしたんだって。高濃度のAMF領域下で調子乗っててムカついたからさ、ちょっと格の違いを身体に刻みつけてやったんだよ。ちなみに一番ボッコにしたのは四番な」
「あ、相変わらず理不尽だね、ユーヤって」
「んむ、賞賛として受け取っておく」




 □■□■□■




 首都クラナガンより約十キロ、青く澄み渡った広大な海原の深くに“ソレ”はいた。

 母なる海に住まう数多の命を奪い、刈り尽くす“ソレ”は、彼らが持つわずかな存在の力を糧に、少しずつ力を蓄えていた。
 静かに。
 慎重に。
 用心深く。
 気取られないように。
 ──何せここには、全てを滅ぼす破壊の光を担う“魔王”が居座っているのだから。
 彼の者の逆鱗に触れれば、力を蓄える前の“ソレ”など瞬く間に蒸発していただろう。
 “ソレ”を生み出した存在は、誰よりもその力を知っていた。
 故の、消極策。


 だが、雌伏の時はもう終わりだ。


 鮮やかな紅い巨躯が莫大な圧力をものともせず、悠然と海水を切り裂いた。
 ゴツゴツとした海底を、十階建てのビルの高さを有に越える脚が突き砕いた。
 その背後に続く紅い軍勢。
 魚群が驚き、一目散に逃げていった。

 “ソレ”に確固たる意志はない。

 “ソレ”はただ、命を破壊するためだけに生み出された。

 “ソレ”に与えられた使命は一つきり────生きし生けるものすべての破滅。


 凪いだ海面に、クレナイの先触れが映し出された。



[8913] 第十九話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/07/17 00:28
 


 観覧室に入った途端、歓談をやめてこっちを向く人たち。うう、好奇の視線が痛い……。
 そんな最中、物怖じしないで堂々と振る舞えるユーヤはほんとに図太いって感心すると同時に、その揺るぎないあり方がとてもまぶしく思えた。

 開放的で広々とした部屋には、派閥を問わず主要な高官が一堂に会している。まあさすがに“伝説の三提督”のみなさんはいないみたいだけど。
 ……あ、顔なじみの記者さんたちだ。取材、ご苦労様です。

 開始予定時刻までまだ猶予があるうちに、ユーヤは招かれた人たちと軽く挨拶を交わす。
 私はいつもどおり、彼のとなりで愛想笑い。執務官の職務の傍ら、たまに大きなレセプションパーティーなんかに出席して秘書まがいのことをしてて、こういうことにも慣れてしまった。
 ユーヤに釣り合う女の子でいるのはとってもたいへんなのでした。

 さておき。まず最初に接触したのは、地上本部のレジアス・ゲイズ中将。娘で副官のオーリスさんを連れている。
 二人の会話は……どこか、というかかなり不穏だ。
 一見、お堅い話を何気なくしているように見えて、その実牽制と挑発とが言葉の中に巧みに織り交ぜられている。たぶん、ユーヤの慇懃無礼な態度がいけないんだ。「中将閣下」って呼び方、ぜったいケンカ売ってるし。
 ハラハラ冷や汗ものだった私に比べ、平然としていたオーリスさんが印象に残った。……この大人気ないやりとり、いつもやってるんだろうか。

 次に声をかけたのは、はやてと歓談していたカリム・グラシア少将。ブロンドがきれいな聖王教会──古代ベルカ文明を発祥とし、“聖王”と呼ばれる過去の聖人を崇める宗教組織だ──のシスターさんで、ヴェロッサの義理のお姉さん。私も知らない仲じゃない。
 彼女は“人型箒”の視察にやってきたらしい。あと、聖王教会預かりになってるナンバーズの子たちの報告も兼ねてるのだとか。
 一緒にいたことからもわかるように、はやてとカリムは友人同士。古代ベルカの遺産“夜天の魔導書”の縁で知り合い、リインフォースの復活にも協力してくれたカリムははやての大切な友だちというわけ。
 ちなみに、聖王教会から距離をとってるらしいユーヤとカリムの会話はぎこちなくて、あまり和やかものにはならなかった。まあ、教義が甘々なことで有名な聖王教会としても、「リアル神さまっぽくて魔王」なんて存在、許容できないよね。

 そのあと、“うみ”と“りく”のえらいひとに挨拶して回って、最後にゲンヤ・ナカジマ三佐と接触した。
 この壮年の男性は今回、機動六課の演習相手となる陸士108部隊の責任者で、ファミリーネームのとおりスバルとギンガのお父さん。さらに、はやてが師匠──部隊運営のノウハウ的な意味で──と仰ぐ人だ。
 実際に会うのは初めてで、はやてから聞いてたイメージどおり彼女好みのいぶし銀なおじさま、という感じだった。
 なんかユーヤと「また今度飲みに行きましょう」みたいなことを話していたのがちょっと気になる。──ユーヤって家事とか仕事とかですごく忙しいはずなのに、いつそんなヒマがあるのか不思議でならない。

 余談だけど、今回挨拶した人たちみんなにユーヤはお土産を渡していた。もちろん、それぞれの好みに合わせてお酒とかお菓子とかを用意して。
 ユーヤいわく「御中元みたいなもんだ」。こうやって人脈を築いていくんだなぁ……。
 ほんと、マメなひとだ。


 あらかた挨拶まわりも終わったところで。

「──で、どうして君がここにいるんだ? ベル」

 ユーヤが頭痛を堪えた表情で“彼女”を言い咎めた。
 特徴的なポンチョ、ふわふわなショートボブの銀髪に可憐で小悪魔的な笑み──一度目にしたら忘れられない強烈な個性の持ち主が、さも当然といった顔で紛れ込んでいた。誰もそれを指摘していないほど自然だからなおさらタチが悪い。
 あ、ポンチョの下に地上部隊の制服着てる。なるほどだから誰も不自然に思わないんだ……って、そんなわけないよっ!

「リオンから、なんかおもしろそうなことやるって聞いたからさぁ〜、まぁヒマだったし? 興味もあったから来てやったってわけよ。あたし自ら出向いてやったんだから光栄に思いなさいよね」

 つん、と腕を組んだ尊大な態度。やっぱり気に入らない。
 いつものごとく、大きな本を抱えた青いドレスの女性を連れている。アゼルは……いないみたいだ。

「リオン……、お前の愉快犯的な行動は本当に迷惑だな。アポロガイストさんも真っ青だよ」
「……いえ、今回に限って言うと、主に来たがったのはベルの方なのです」

 わずかに心外そうな様子のリオン。といっても、顔は内心の読めない微笑のままだけど。

「“人型箒”のデモンストレーションと告げた途端、目の色を変えて“出掛けるから準備しなさい、リオン”と……」
「そういえば、ベルはアイツらとも縁があったか。……知り合いの妹が心配だったとか?」
「へ、変な勘ぐりするんじゃないわよっ。だいたいあんな木偶人形になんか興味ないんだからっ!」
「発言が微妙に矛盾してるぞ……」

 ……とりあえず、私としては演習を邪魔さえしなければどうでもいいや、うん。
 ちょっと投げやり?

 とまあそんな感じでついに始まった模擬戦だけれど……。

「これはひどい」

 ……うん、あのねユーヤ。この状況をとても的確に表現してるのはいいけど、そんな端的な言い方はないと思うんだよ。もうちょっと包み隠してっていうか……。
 と、ユーヤの発言にツッコむ私は現在現実逃避中。
 だって、うちの子たちが完全に手も足も出てないんだもん。

 すでにキャロが脱落し、いまも残りの三人でなんとか戦線を押し返そうとしてるものの、勝負がつくのも時間の問題だ。
 どうも、キャロがチーム最強だと見抜かれたようで、開始そうそうに単独行動で孤立したところを四人がかりで強襲。一分ほど耐えたキャロも、最終的には重傷判定を受けてあえなくリタイアしてしまった。
 まさに速攻、侵魔召喚する暇もなかったのだからその苛烈さがわかってもらえると思う。

「あの四人、ずいぶん洗練されたチームプレーするね。なんていうか、有機的?」
「そうだな。よく訓練しているのがわかる部隊運用だ」

 熾烈なインファイトを繰り広げるスバルとノーヴェをモニター越しに眺めながら、ユーヤと感心し合う。
 ──あ、ティアナがやられた。

 相手方の陣容は、スバルと似たスタイルのノーヴェがフロントアタッカー、浮遊するボードを操るウェンディがガードウイング、大砲を抱えたディエチがフルバック。そして、スローイングダガー使いのチンクがセンターガードというセオリーどおりの布陣だ。
 セオリー、定石というのは戦いにおいても大切な要素の一つ。頑なにこだわるのはよくないけれど、闇雲に奇をてらっても効果は上がらない。

「まあ当初はまさに“機械的”で、ゆらぎが全くなかったから連携パターンを読むのも容易かったんだが……ある程度改善されているみたいだな」
「へぇ、そうなんだ」

 資料によると、彼女たちは仲間の交戦記録を読み込むことで機能──じゃなく、経験や能力をアップデートできるらしい。
 でも一番大事なのは、実際に体験して得た経験だ。彼女たちも、そうやって強くなったんだと思う。

「それにしても……、すごくきわどい格好だね、あの子たちのコスチューム。全身タイツみたいで見てるこっちが恥ずかしいよ」
「概ね同意だが、恥ずかしさでは真ソニックとどっこいだろ」
「そ、そんなことないもんっ!」
「いやいや」
「むーっ!!」

 ────エリオが最後まで粘ったものの、結局六課チームはナンバーズの四人に一矢報いることもできないまま負けてしまった。まさにワンサイドゲーム……、もちろん悪い方向で。
 ともかく。あらためてチームプレーというか、チームワークの大切さを確認させられた一戦だったと思う。

 それぞれの戦闘力は特筆するほどのものじゃない。けれど、短所を長所で補い合い、お互いの力を何倍にも高めていくその戦いぶりは、私やなのは、ユーヤのような“一騎当千”のそれとはまた違った質の強さだった。
 反面、こちらの四人の自力も、彼女たちに引けを取るようなものじゃない。むしろ、得意分野では勝っていた部分もあるはずだ。
 それなのに負けてしまったのはひとえに、連携のお粗末さとスタンドプレーの横行が原因であると私は考えている。このあたり、要改善、だ。

「ったく、恥をかかせよってからに。帰ったらお説教やな、まったく」

 ぶつぶつつぶやくはやては額に青筋を浮かべ、かなりお冠の様子。その気持ち、よくわかる。
 用事があって地上本部に顔を出すと「お遊び部隊」だとか「なかよしクラブ」だとか、六課の陰口をよく耳にするから。
 そういうやっかみとか後ろ暗い感情の矢面に立つはやてとしては今回の模擬戦の結果は、納得できないものだったのだろう。
 はぁ……。なのは、また荒れそう……。


 模擬戦の後始末を兼ねた休憩のあと。
 ついにアイギス──“汎用人型決戦箒”の評価演習、デモンストレーションが始まった。
 司会進行は、いつの間にか姿が見えなくなっていた宇佐木さんが務めるそうで、ここからユーヤがここから指示を行う。

 大型モニターに映るフィールドで出番を今か今かと待つ鋼の乙女。白い革張りの、女の子特有の丸みを帯びた機体を外気にさらしている。
 肩のあたりや腰回り金色の飾り、関節部分のボールジョイント──こうして見ると、たしかに彼女の身体は機械のかたまりだった。

「アイギス、ミッションは配置された標的の全撃破だ。民間人に相当する標的への攻撃は許可しない。まずは通常兵装でアタック、いいな?」
『任務了解。ハンドマシンガン、ロードであります』

 両腕側面の空間が歪んで、ドラム状のカートリッジが装着された。彼女の持つ“疑似カグヤ”による現象だ。
 コンソールの上に軽く乗り出して、ユーヤが発破をかける。

「晴れの舞台だ、加減は要らない。存分に暴れろ!」
『突撃、であります!』

 吠えるように応じたアイギスは、ぐんっと脚をたわめて走り出した。
 両腕を後ろにのばす独特のストライドで、市街地を模した演習場を駆け抜ける。
 起動するターゲット。一斉にレーザーを放たれるけど──

『スカルメール1、エンゲージであります!』

 アイギスはそれを巧みに回避し、反撃を試みる。
 手首を高速回転させて、指先から青い魔力の弾丸を火花とともに発射。猛烈な勢い、文字通りの機関砲。
 けして集弾率の高い武器ではないはずなのに、無駄な弾が一つもない。恐ろしいくらい的確な狙いでターゲットを撃ち抜いていく。もちろん、民間人として設定されたターゲットには一発も当てていないのは当然だ。

『兵装選択、グレネードランチャー。──ファイア!』

 右腕部分、肘より先の空間が揺らめいて、一瞬のうちにモスグリーンで口径の大きい大砲のような兵器に換装されていた。
 耳をつんざく破裂音。
 一抱えはある魔力の塊が放たれて、ターゲットの集団を一緒くたに爆砕した。

『兵装選択、アンチマテリアルライフル。ターゲットロック』

 グレネードランチャーがかき消え、また違う火器が展開される。
 大きなターゲットを捉える真っ白な長銃身のライフル──というか、砲塔を腰だめに構える。

『砕け散るんだ、であります!』

 本来は備え付けの対戦車砲らしいそれは、ありえない発砲音を響かせて大型ターゲットを破壊した。

 続いて空高く飛び跳ね、両手から牽制の弾丸を掃射。ターゲットの中心に危なげなく着地したアイギス。──あんなふうに飛び込んだりして、いったいどうするつもりだろう?
 構わずユーヤが指示する。

「よし、オプションパーツの使用を許可する。派手にブチ撒けろ!」
『AAマジックミサイルおよびコンテナミサイル展開、ターゲットマルチロック』

 両足と背中、計四つの箱みたいな鉄の塊が疑似カグヤから現れる。

『ミサイルパーティー! 総攻撃であります!』

 機械の少女の砲哮を引き金に、破壊の嵐が解き放たれた。



[8913] 第十九話‐5
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/08/07 23:24
 


 演習施設内、控え室。

 つい数分前まで行われていた演習で、文句なしの大敗を喫した機動六課の新人四人とその指導教官は、もれなくどんよりマイナスの空気を発生させていた。
 あまりの湿っぽさは、実際に室内の温度と湿度が数パーセント落ちていると錯覚するほどだ。

 そんな中、とりわけ症状が酷かったのはティアナだ。ずーんとめっきり落ち込んだ様子で「……。ごめんおにいちゃん……アタシ、もうダメかもしんない……」と何事かをぶつぶつ呟いていた。

「てぃ、ティアぁ〜」
「……ちょっとほっといて」

 いつものごとくスバルがまとわりついても、のれんに腕押しで覇気が全く見られない。
 “夢”の進退を賭けて挑んだ演習が散々な結果に終わってしまい、ティアナは情けなさと悔しさに打ちのめされていたのだ。

 部屋の片隅でうずくまっているエリオも同様に鬱々として鬱ぎ込んでいるし、ベンチに座ったキャロなどは仏頂面でさっきから一言も喋っていない。内面はどうあれ、普段通りに振る舞っているのはスバルただ一人か。
 情けないにもほどがあろうが、試合後に「思ってたより手応えなかったっスね〜」とか「あんなんがギンガ姉ぇの妹かよ」など、ひどく軽い感じであんまりなセリフを吐かれてしまっては無理もないのかもしれない。

 なお、ギンガたちとは別室に分けられている。さすがに模擬戦のすぐ後では気まずかろう、という上層部側の配慮だった。


「うう……」

 控え室に蔓延する灰色に曇った嫌な雰囲気に、なのはが思わず眉毛をハの字に下げる。傍目には順風満帆に見える彼女とて、完全な敗北を──自らの無力さと情けなさを味わった経験など嫌と言うほどあるので、教え子たちの気持ちは理解できた。まあ、だからと言ってメンタルのケアに適している人材かどうかについては甚だ疑問が残るが。
 ぶんぶん。なのはが気を取り直すように頭を振る。こんなときこそ年上の私がしっかりしなきゃ、自らを鼓舞し、奮い立たせた。

「ほ、ほらみんな元気だして! いまのうちにさっきの模擬戦の検討会しよ? 料理は熱いうちに食べなきゃ!」

 自分も少なからずショックを受けているだろうに、なけなしの負けん気を振り絞り宣言する。発言にややズレている感があるのは、彼女も敗戦から立ち直りきっていない証拠だろう。
 重い腰をようやく上げ、押っ取り刀で集まってくる教え子たちに「ちょっとなめられちゃってるかも?」となのはが密かに落ち込む。あながち、普段──訓練時を除く──の若干頼りない言動とも言えないところが悲しいところだ。
 ──こう見えても高町なのはは十九歳の女の子。至らないところもあるのです。


「じゃあまずはさっきの映像を見て、どこが悪かったか意見を出し合ってみよっか」

 部屋に備え付けの端末から施設の機能にアクセスし、模擬戦の映像をスクリーンに映し出すよう設定すると、なのははマルチタスクを全開で働かせて訓辞の内容を脳内シミュレートするのだった。



 ────そろそろ今回の共同演習のメインイベント、“汎用人型決戦箒”のデモンストレーションが始まる時間だ。
 なのはたちも検討会をいったん切り上げて視聴する体勢に入る。

 皆一様にして、不安と期待とが綯い交ぜになった表情で固唾を呑む。不安が特に強く見えるのは、主役であるアイギスの能力に疑問を感じていたから。──フェイトと攸夜が去った後、控え室は本当に悲惨だったのだ。

 お互いのレーゾンデートルを賭けていがみ合うガイノイドとサイボーグ。なまじ在り方が近かしいが故に、その近親憎悪は凄まじいものがあった。まあ、ほぼ原因は暴言を撒き散らして挑発するアイギスの方にあるのだが。
 どうも彼女は本格的にナンバーズの存在が気に食わないらしく、なんとか宥めようとした外野たちの辛労たるや涙なくては語ることができないほどで、「普段はもっと聞き分けのいい子たちなんですけど……」とはギンガの言葉。

 そんなゴタゴタを引き起こした機械の乙女は、クラナガンの街並みを再現したフィールドの直中で無言のまま佇んでいた。
 しかし彼女は何も、無為に時間を持て余しているのではない。
 思考を司る精密極まりない電子回路に、余人では計り知れない速度と量の情報を走らせ、来る戦闘に備えているのだ。

『アイギス、ミッションは配置された標的の全撃破だ。民間人に相当する標的への攻撃は許可しない。まずは通常兵装でアタック、いいな?』
『任務了解。ハンドマシンガン、ロードであります』

「あ、ししょーの声だ」
「ししょー?」
「ユウヤさんのことです。私の魔法と戦い方のお師匠さまなので」
「へぇー、そうなんだ」
「そうなんです」

 キャロとスバルは完全にくつろいでの観戦モード。どうやら二人は気持ちを持ち直したようだ。唯我独尊と天真爛漫の勝利、と言ったところか。
 一方、ティアナはまだ若干落ち込んでいるようで、エリオの方はといえばこの話題には混ざりたくないと黙りを決め込んでいる。彼と攸夜の確執を知らないなのはは怪訝そうに首を傾げていた。


『スカルメール1、エンゲージであります!』

 そうこうしている間に、白金の少女は自らのコールサインを合図とばかりに走り出す。
 迎え撃つターゲット。浮遊する機動砲台や、三脚状の脚を持つ小型トーチカなど、多種多様の兵器。実戦仕様のガジェットには劣るが、充分に手強い相手だ。
 この評価試験の難易度は、「敵の殲滅」というシンプルな目標に反して推定陸戦AAAランクに相当する。現状のスバルやティアナたちから見れば、逆立ちしても攻略できない難攻不落の要塞であり、同時に潜り抜けることが出来たなら同等の魔導師に比肩する力があるということ。
 慢性的な人手不足に喘ぐ管理局には心強い見方となるだろう。


 襲い来る無数の光条。
 しかしアイギスはそれらを冷静に交わし、捌いていく。
 小気味いい音を立てて手首が回り始め、白魚のごとき指先から青く光る弾丸が絶え間なく放たれる。あまりに精密過ぎるその射撃スキルは機械ならではだ。

『兵装選択、グレネードランチャー。──ファイア!』

 右腕に装着された大口径の重火器が火を噴く。
 発射された魔力の塊が炎熱を伴った魔力爆発を引き起こし、ターゲットの集団を余すことなく粉砕した。
 次々に破裂していく窓ガラス。爆発の余波で様々なものが薙ぎ倒される中、アイギスは冷静に侵攻を続ける。

『兵装選択、アンチマテリアルライフル。ターゲットロック』

 再度換装。
 右腕に接続された純白の長銃身を持つライフルを腰だめに構え、砲撃体勢。すらりとした両足がアスファルトの地面を突く。
 照準が捉えたのはおよそ三百メートル先に配置された、大型トレーラーほどはある巨大なターゲット。魔導師ランク昇格試験などでも使用される、いわゆるボスキャラだ。
 その強固かつ堅牢な装甲は、ちょっとやそっとの攻撃では破れない。
 しかし、

『砕け散るんだ、であります!』

 腹に響く重い発砲音が響き渡り、大型ターゲットはさながら紙細工のように、前面からいとも容易くひしゃげて爆散した。
 アンチマテリアルライフル──対物狙撃銃の名に相応しい、圧倒的な火力。撃ち出したのは本来の実弾ではなく、アイギスが内蔵する“プラーナ”転換式高出力魔力エンジンから捻出された魔力弾であるものの、オリジナルのそれと遜色ない破壊力を発揮していた。

「すご……」
「ほんと、すごいね。……陸戦限定だったら、いまの私じゃ勝てないかも」

 思わず零れたスバルの感嘆に、真剣な眼差しで応じるなのは。その紫の瞳はまるで──腐っても魔導師、幾多の戦いを越えて育まれた戦闘者としての血が騒ぐ。

 獅子奮迅。鎧袖一触。

 大言壮語は嘘ではなかった──アイギスの戦いぶりはそう思わせるに足るものだった。
 主八界、第八世界ファー・ジ・アースの代名詞“強化人間”の機能をほぼ忠実に再現した七番目の機械の乙女の弾丸は、強大なる裏界魔王にすらも届きうる。
 遙か混沌より来る邪悪なる意志、それに抗う術を持たない多くの人々の盾となる──それが“盾の乙女”たる彼女の使命。与えられたのではない、自ら選んだのだとアイギスは言うだろう。

 まるで軽業師のごとく軽々と飛び跳ね、空中に躍り出たアイギスは弾丸を一斉にバラ撒く。
 魔力弾のシャワーを惜しみなくプレゼントして足場を確保した後、彼女はターゲットがひしめく真っ只中へと着地した。

『よし、オプションパーツの使用を許可する。派手にブチ撒けろ!』
『了解。AAマジックミサイルおよびコンテナミサイル展開、ターゲットマルチロック』

 箱状の鉄の塊が大小四つ、疑似月衣の内から現出し、両足と背中のハードポイントに装着する。最新型“人型箒”の面目躍如──一般的な“箒”とのオプションパーツ互換機能である。

『ミサイルパーティー! 総攻撃であります!』

 コンテナの蓋が展開し、中に納められた弾頭が露出する。
 ランダムに発射された多数のミサイル──炎熱属性を付加された魔力が実体を持たない熱量の塊となって、雨あられと降り注ぐ。
 アイギスを囲んでいたターゲットの群れは、もれなく莫大な熱波に焼き尽くされて屑鉄に変わった。


 黒煙くすぶる戦場。
 背負い物を分離、月衣に収納して軽装に戻るアイギス。彼女の知覚範囲──設定されたフィールド上に敵性ターゲットは存在しない。民間人の負傷も皆無、ミッションコンプリートである。

『敵殲滅、であります』

 両手の手首をメカっぽくくるくる回し、勝ち名乗りを上げるのだった。




 □■□■□■




 デモンストレーション終了後、

「続きまして、戦略兵装ポジトロンランチャーの試射を行います。武装についての詳細はお手元の資料、三十一ページをご覧に──」

 宇佐木さんがマイクを片手に説明している。──ていうか、ポジトロンって陽電子のことだよね……仮にも管理局がそんな物騒なの使ってもいいのかな?
 まあ、それはともかく。ターゲットを圧倒的な火力で壊滅させたアイギスの評価試験は、大成功だと言えるだろう。
 その性能にはここに居並ぶ管理局のえらい人たちもおおむね好感触のようで、ロールアウトを待つ彼女の妹たちもおそらく直に実戦配備が始まるはずだ。

 でも……。

 ──「ヒトの手によって生み出されたヒトによく似た存在」……そのありように思うところはある。けれど、それはあくまで私自身の身勝手な葛藤であってアイギスたちにはなんの関係もないこと。
 ……要するに私はまだ、いろいろな“わだかまり”を捨て切れていないんだ。

 ほんと、情けない。


「へぇ……意外にやるじゃない、あの子」
「だろう? 伊達に“汎用人型決戦箒”と名付けられるだけのことはあるよ」

 次の試験の準備をしているアイギスを見やりながら、テンポよく掛け合う二人。

「まぁお人形さんにしては、だけど。まだまだあたしの眼鏡に適うようなものじゃないわ」
「素直じゃないねぇ、このツンデレさんめ」
「とりあえずあんたにだけは言われたくないわぁ」

 いつも思うけどこの二人、相性がいいのか悪いのかよくわからない。
 反発しあっているようにも見えるし、気があっているようにも見える……不思議だ。
 まあ、やきもきしてもしかたないのはわかりきっているので、黙ってニコニコ笑顔でいることにする。──私はユーヤに、「私らしい私」を好きでいてもらいたいから。

 と、こんな感じで機嫌のいいユーヤを──ベルのことは断じて見てないと強く主張しておく──、微笑ましく眺めていたときのことだ。
 唐突に、けたたましい騒音が施設に響き渡る。

「っ、警報!?」

 これ、第一種警戒警報──“冥魔”!?
 ざわ……。
 みんな私と同じ結論に達したのだろう、室内が言い知れない危機感に包まれる。でも、取り乱したり混乱する人は誰もいなくてさすが時空管理局の局員だと妙に感心してしまった。

「……なんか嫌な予感がするわ」
「奇遇だな、俺もだ」

 ──そんな中、私の横でふたりの“魔王”がぼつりともらした。



[8913] 第二十話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/08/07 23:26
 


 鳴り止まないアラート。
 肩で風を切るようにしてユーヤが観覧室の中心を突っ切る。彼は威風堂々、王者の風格をまとって完全にこの場の空気を支配していた。
 慌てて後を追う私の視線は、その凛々しい横顔にくぎづけで。まあようはまた惚れ直しちゃった、ってことだ。

「月乃、状況は?」
「はい主上、こちらを」

 宇佐木さんの操作で、さっきまで演習場の様子を映していた大型モニターが切り替わる。
 クラナガンの全景。
 ビルが建ち並ぶ近未来的な街並みに非常識な物体がうごめいていた。建造物の高さから比較するに、全長100メートル以上はあるだろうか。
 それは紅くて、とても堅そうで、トゲトゲしてて、脚が長くて、両腕にハサミがついてて──

 ていうかこれって……、

「カニ、だね」
「カニだな」

 悪い冗談としか思えない光景に、私とユーヤは言葉を失うのだった。













  第二十話 「第二次首都クラナガン会戦」












「首都近海より突如現れた超弩級“冥魔”は現在、同系統と思わしき“冥魔”多数を引き連れ、進路の建造物を破壊しながらクラナガンを縦断中。首都周辺に配置された部隊が各個に出撃して防衛に当たっていますが──」

『『『うわー、もうだめだー』』』

「と、このようにそれぞれの連携はとれておらず、戦況は芳しくない模様です」
「奇襲を許した原因は?」
「近海で秘密裏に力を蓄えていたものと推測されます」

「“冥王の災厄”の再来か!!」

 宇佐木さんの説明に名前も知らないえらい人が声を荒げるけど、私の思考には届かなかった。

 ──どう見てもあれはカニ、カニさんだ。脚がクモみたいに長いし……タカアシガニ、とか?

 カニ──主に海や川などに生息している甲殻類の節足動物で、堅い甲殻に包まれた手脚の身はもちろん、おミソもとってもおいしい。ちなみにお鍋とか汁物の具にしてもらうのが私の好み。カニクリームコロッケなんかもいいなぁ。じゅるり。
 ……でもなんかビームっぽいの出してるし、めちゃくちゃおっきいんだけど。できれば見なかったことにしたいなぁ、だめかなぁ。

 と、混乱中な私の横で、ユーヤが眉間にしわを寄せたすごく難しい顔で唸る。それから後ろに振り返り、口を開くけど──

「おいベル、ちょっと協力──」「帰らせてもらうわっ!」

 ベルの叫びが遮る。
 言葉のとおり姿を消そうとする魔王と、一瞬で距離をつめてぐわしと肩を掴む魔王。いまの動き、見えなかった……!

「離しなさい! 主八界産の海鮮類が厄介なのはあんただって知ってるでしょう!?」
「だから力を貸せっての」
「イ、ヤ、よっ!」

 くわっ、と目をむくベルは手を振りほどこうと強くもがく。彼女はらしくなくひどく動揺していて、いやそうな顔だった。──海鮮類がやっかい……? どういうこと?
 むむむ、にらみ合いが続く。
「チ……、ポンコツ魔王め、臆したか」業を煮やしたユーヤがぼそっと暴言を呟いた。

「ぽんこつ言うなっ! だいたいあんたなんか格下にしか勝てないへっぽこじゃないっ! このへっぽこ魔王!!」
「へっぽ……!? んだと、もう一遍言ってみろ!!」
「お望みなら何度だって言ってやるわよ! このっ、へっぽこへっぽこへっぽこーっ!!」

 があああーっ、とひどく低レベルな言い争いを始めたふたり。止めなきゃいけないことはわかるけど、私はすぐそばでおろおろするしかできなくて。

(ああ……、さっきのすっごくカッコいい雰囲気が思いっきり台無しだ)

 とか思ってた。
 ……あれ、私、案外余裕?

「よし……いい度胸だポンコツ。表へ出ろや、ブチ壊してやる」
「返り討ちにしてやるわよ、へっぽこ」

 バチィッ! お約束的に二人の間で火花が散る。
 って、冷静に実況してる場合じゃないよっ、いろんな意味で!

「ふ、二人とも落ちついてっ!」

 間に割って入ることもできず、とりあえずありきたりな言葉をかけてみる。
 ……うん、ダメそう。
 ああっ、本気のぶつかり合いを始めそうな雰囲気っ!? どどどど、どうしようっ!?

 ──そんなときだ。

「……これぞまさしくどんぐりの背比べ」

 ピキッ、激しく口論していた二人が一瞬にして凍りつく。
 たった一言で殺気を瞬間凍結させた張本人は、口元を大きな本で隠している。きっとあの影でニヤニヤしてるんだ、そうに違いない。

「……なにか?」

 若干殺気混じりの視線を一身に集めたリオンは、澄まし顔でそんなことを言い放った。ほんと、いい性格してるよ。
 一連の流れで、ユーヤもベルもだいぶクールダウンしたみたい。まさに冷や水をかけられた感じだろうか。

 はぁ、と疲れたようにため息をこぼしたユーヤは部屋の上座、腕を組んで席に座っているレジアス中将に目を向けた。

「──閣下、指揮を執っても?」
「いいだろう。全権を任す」

 レジアス中将は、言葉の意味を正確に読みとって返答する。緊急事態にもまったく動じていない。さすがだ。
 この場には中将よりも階級の高い人もいるけれど、ここはミッドチルダ首都クラナガン──本部を預かる事実上の最高責任者に認可を仰ぐのは正しい。ほかの人たちも文句はなさそうだ。
 軽く一礼をしたユーヤはコンソールに向き直り、備え付けのマイクを掴む。

「なのは、ギンガ、聞こえているな」
『えっ、攸夜くん?』『は、はいっ』

 戸惑いのわかる返事がスピーカーから帰ってきた。控え室のみんなにも、少なくても警報は聞こえてるはず。

「既にお前たちも状況は理解していると思うが、“冥魔”の軍団に襲われたクラナガンは現在戦場と化している。当然、民間人の避難など始まっていないし、統率を欠いた指揮系統は混迷を極めているようだ。
 ……まあ俺が見立てたところ、あのデカブツが“災害級”ではなさそうなのが唯一の幸いだがな」

 あのでっかいカニが“災害級”じゃなくて、ほんとによかった。“死滅の光”だとか“消失の刻限”だとか、そんな文字通り即死する反則じみた特殊能力を持ち出されたらどうしようもないもん。
 ちなみに、“死滅の光”は魔法的な抵抗力のない人たちの命を例外なく奪う力で、“消失の刻限”は対象にした人物を決まった時間に消滅させる、というもの。
 ほかにもいろいろ厄介な力が揃っているのだけれど、詳しい説明は割愛する。

「そこで二人には部下たちを率いて現場へ向かってもらいたい。互いに協力し合って事態の鎮圧に尽力してくれ。──なに、さっきの演習の続きだと思えば楽なものだろう?」

 さも簡単そうに言い放つユーヤ。「そんなわけないよ!」とツッコめないのが宮仕えのつらいところだ。
 階級という明確な地位こそ持ってないけれど、彼の発言力はあの最高評議会に次ぐ。実権だってその気になれば──力ずくなり、絡め手なりで──握れてしまうだろう。そうしないのは本人いわく「暗躍してる方が楽しいから」。快楽主義者を自称するユーヤらしい建て前だ。
 ──建て前だと断定するのは、彼にもっとちゃんとした理由もあると思うから。……ある、よね?

『うん、了解だよ』『わかりました』
「おそらくこの戦いは、クラナガンに駐留する部隊の力を結集した総力戦になる。……半人前共々、気合いを入れてかかれよ」

 強い意識を含んだ低い声色が、じわりとおへそのあたりに染み込んでくる。
 総力戦……。
 そうだ。こういうときのためにユーヤは──、そして私たちはこの四年のあいだ、力を蓄えてきたんだ。
 知らず知らずのうちに、身が引き締まる。戦意が高まっていくのがわかる。──バトルマニアとか、言わないで欲しい。

「それからはやて」
「はいな」
「お前はここで、皆さんの護衛をしていてくれ」
「まぁええけど。私これでも二佐で部隊長なんやねんで?」

 そんな地味な仕事やりたくない、とはやては言いたげ。ユーヤがふんっと鼻を鳴らす。

「なら訊くが、条件次第で“魔王級”ともやりあえるお前以上の適任が、他にいるのか?」
「……いらんな。うん、任された」

 早々と言いくるめられて意見を翻したはやてだけど、あれでけっこう合理的でサバけた考えの持ち主だから、正論には弱い。……普段はナマケモノさんなのに。

「グラシア少将、騎士団に支援要請を出していただけませんか?」
「ええ、もちろん。これはミッドチルダの危機です、聖王教会も協力を惜しみません」
「お願いします。それからオーリスさん。オーリスさんにはここを対策本部に、指揮系統を立て直しをしてほしい。烏合の衆では“冥魔”の軍勢に太刀打ち出来ない」
「お任せを」
「“うみ”の方にも連絡を入れておきましょう。最悪、事の後始末には艦隊の艦砲射撃が必要になる」
「そちらも併せて手配します」

 ユーヤは、テキパキと慣れた様子で指示を出していく。怖めず臆せず──動揺も不安も、ましてや恐れるなんて考えられないパートナーの姿がとても心強い。頼もしい。
 ……いまここに、こうしてたくさんのえらい人が集まっていたのは、むしろ幸運だったのかもしれない。戦いのイニシアチブこそ逃したけれど、一致団結してことに当たれるから。
 “後の先”、という言葉もあるわけだし、まだ手遅れじゃないはず。

「フェイトには俺と直接前線に出てあのデカブツを潰す。いいな、フェイト」
「うん、まかせて」

 唐突なお願いにも、私は満点の笑顔で応えることができた。シンキングタイムはゼロコンマ一秒以下。

「頼りにしてる」
「ん……」

 なでなで。
 満足そうな笑みを浮かべ、ユーヤが頭を撫でてくれる。──くすぐったくて、きもちよくて、しあわせで、私は目を細めた。
 七つの音にこめられたたくさんの想いを感じて、表情が崩れてしまうのがわかる。もう、ゆるゆるだ。

 ユーヤが私を必要としてくれた──その甘くて切ない喜びが、胸一杯に満ちていく。
 私の力が必要だと言うのなら、この身すべてを燃やし尽くして捧げよう。……あなたのためなら、生命いのちだって惜しくない。


 だって、私のすべてはあなたのものなんだから。


「それと月乃、お前はアイギスと組んで“冥魔”狩りだ」
「あのガラクタ人形と、ですか……」

 冷静というか、感情を出さない印象の宇佐木さんが眉をひそめる。アイギスと仲よくないのかな。

「仕事に好き嫌いを挟む無能は要らない。あまり俺を失望させるな」
「は、申し訳ありません主上」

 ズバッと言い捨てるユーヤに、宇佐木さんはタジタジ。でもなんとなく、さっき見たアイギスとのやりとりと似ているのは気のせい?
 そうして指示を出し終えたユーヤは、研ぎ澄まされた刃物のような表情をしてベルを見る。腕を組んだ彼女がわずかにふくれっ面なのは、半ば放置されていたからなんだろうか。もう、わがままだなぁ。

「……見ていろベル。俺をへっぽこと呼んだこと、土下座と一緒に訂正させてやる」
「はんっ、青二才が粋がってんじゃないわよ」

 バチバチッ! ふたたび火花が散る。まだ引っ張るんだね、それ……。


「さて、と」

 言うなり、ユーヤは莫大な魔力を何食わぬ顔で惜しげもなく発露する。相変わらずの規格外、理不尽なまでの魔力は現状でも普通の魔導師の数十倍はあるというのに、まだまだ本気じゃないらしい。……もう一度言う、理不尽だ。

 ──清く澄んだ蒼白い光の粒。きらきらときらめく蒼銀色の風が吹く。
 夜の闇をそのまま形にしたようなロングコートを翻し、瞳と同じ色のネクタイをいじる悪魔の指先。いつもの仕草。
 しん……、と静まり返る室内。

「──いい機会だ」

 白い七枚の“羽根”が取り巻く左手を握り込む。それはさながら“世界”を手の中に収めるかのように。
 夜闇の魔王が力強く、そして厳かに宣言する。

「結集したヒトの力、“冥魔”共に見せてやろうじゃないか」

 惑星ほしの色をそのまま写し取った蒼い瞳は、どこか楽しそうに輝いていて。まるで仲のいい友だちと、遊びに行く子どもを思わせる無邪気な光彩。
 ──そう、みんなで力を合わせて乗り越えるんだ。この「世界の危機」を。



[8913] 第二十話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/08/07 23:27
 


 白い雲の浮かぶ青空を二筋の鋭い閃光が切り裂いていく。
 競い合うでもなく、離れるでもなく、まるで寄り添うように瞬く二色の赫耀。
 美しく光り輝く黄金。
 青褪めるような蒼銀。
 一対の“魔法使い”は今日も一心同体のごとく空を飛ぶ。

 ──真紅の“冥魔”が跳梁跋扈するコンクリートの密林を熱心に観察する人影がいた。
 しゃらん──強風に混じって鈴の音が鳴る。

「ふぅん。今回の“冥魔”、なかなか粋なカタチしてるじゃん」

 クラナガンでもっとも高い建造物、時空管理局地上部隊本部ビルの屋上に彼女はいた。
 砂金のように滑らかなブロンドを鈴のついた髪留めで束ね、身に纏うのは紅い襟袖の目立つ和装とやけに丈の短い切り袴──皆さんご存知、“東方王国の王女”ことパール・クールその人である。

「エビじゃないのが残念だけど、名付けるなら“南海の大決戦”ってとこねっ☆」

 ひどく楽しげに、街を練り歩く巨大なカニの群を見下ろすパール。わくわくわくわく、と黒目がちな瞳を大きく輝かせ、戦況を観戦している。
 馬鹿デカいカニの大群のみかと思われていた“冥魔”は今や、風船のごとくふわふわと浮かぶタコや流線型だからと低空を滑るように飛ぶイカ──どちらも規格外のジャンボサイズだ──まで加わって、さながら港の朝市じみた様相を呈していた。
 これら海鮮類は、主八界的価値観ではある意味“古代神”よりも恐れられている存在である。プライドの高いベルがしゃにむに嫌がるのも無理はない。

「でも惜っしいなぁ。怪獣王か光の巨人でもいたらシチュエーション的にもっとカンペキだったのにぃ〜」

 両腕を振り、悔しさを全身で表すオーバーアクション。口にしたぼやきは現実になったら洒落にならないにもほどがある。そんなけったいな存在まで街中で暴れ始めたら、クラナガンの人々はそれこそ涙目だろう。

「んんっ! でも無力な人間が無様に抵抗する、って意味ならこれはこれでありかもっ。よーし、もっとやれーっ☆」

 あーでもないこーでもない、危険な妄想を好き勝手に垂れ流すパールは典型的アホの子。故に、彼女はでっかくておっきいものが大好きなのだ。

「ふふ。この戦い、サイッコーの見せ物になりそうね」

 くすくすご機嫌な巫女魔王。
 どうやら殲滅の手助けをする気が微塵もないのは、彼女の宿命のライバルと同様だった。




 □■□■□■




 さて、私は現在暴れている“冥魔”を討伐するため、ユーヤと一緒にクラナガン中央区に向けて急行中だ。
 目の前に広がる見慣れた街並みは見るも無惨な廃墟ばかりで、否が応にも四年前の戦いを思い浮かべてしまう。あのときと違って、市民の避難なんてできてないから状況はずっと切迫してると言えるだろう。
 超大型“冥魔”は、時速100メートルで本部ビルに接近中。組織だった動きもせず、破壊活動をしている小型種もどうにかしなきゃいけないし、さらにいつの間にかタコやイカまで増えちゃって、冗談抜きに手に負えなくなってきている。早く殲滅しないと首都が平らになっちゃうよ!

 巡航速度の差でユーヤの背中を追うように飛びながら、進路上の小型“冥魔”を適当な魔法で蹴散らしていく。

「展開中の陸士部隊は民間人の避難を最優先、不用意な戦闘は厳禁だ。首都防空隊を主軸に本部ビル前の防衛戦を維持しつつ、特科車両5121部隊と第118戦術航空隊の到着まで持ちこたえろ。こちらも直に接敵する」
『りょ、了解っ。──あ、南西部より360独立陸戦部隊が戦域に侵入しましたっ』
「“フォーリナー・キラー”のストーム1か……よし、横合いから強襲、そのまま好きに暴れさせろ。彼は真価は遊撃にあるからな」

 ここでもさりげに指揮官ぶりを発揮するユーヤ。相手をするオペレーターの子はまだ駆け出しなのか、返答の声は焦燥感と動揺でうわずっていた。

 いまの会話の中で固有名詞が上がった部隊はすべて、“世界樹”計画に沿って設立された特殊部隊で、言わば機動六課のお兄さん。
 彼らは、次元世界各地から──管理世界、管理外世界を問わず──集められた選りすぐりの人材を擁する超一流の戦闘集団。その実力は推して知るべし、である。


「っ、そんな……」
「好き放題やってくれたな」

 私たちは高度をゆっくりと落とし、グランドケンプファークラブの侵攻(進行?)で半壊した大通りを飛ぶ。
 ああっ、行きつけのカフェがつぶされてるっ!? ううー、あそこのチーズズコットがおいしくておきにいりだったのにっ!

 ちなみに、“グランドケンプファークラブ”というのは管理局がつけたおっきいカニさんの呼称だ。ちっちゃい方が“ケンプファークラブ”ね。
 正直、ミッドチルダ語とベルカ語が混ざった実にひどいネーミングだと失笑を禁じ得ない。……演習施設に残ったお偉方が話し合って決めたらしいけど、ヒマなのだろうか。


 高濃度のAMF領域下特有の息苦しさにうんざりしながらの飛行。ユーヤといっしょじゃなきゃ、投げ出したくなる────

「はわっ!?」

 私は、とても重大な事実に思い至ってしまった。
 AMFの影響などまるで感じていない様子のユーヤが、速度をゆるめて顔だけ振り向く。

「ん、どうしたフェイト。どこぞの守護者代行みたいな鳴き声をあげたりして」
「え……あ、うん! なんでもないよっ、なんでもっ!」

 慌てて取り繕う私。ユーヤは「そうか?」とすこしだけ不審げな顔をしたけど、それ以上は追求されなかった。やっぱりユーヤはやさしい。

 ……こうしてふたりっきりで同じ空を飛ぶのは、ほんとうに久々で。──よくよく考えれば、“コンビ”で戦うのは墓地での一件以来、二度目だった。
 もちろん、模擬戦とか一騎打ちならあきれるくらい何度もやった。でも、味方として共闘したのはほんの数回ほど。そもそもジュエルシードの一件のときは敵対関係だったし、“闇の書”事件のときだって最後の最後までバラバラだったわけで。
 そのあとは長い、ほんとうに長いあいだ離ればなれになってしまい、帰ってきたら礼のごとく敵同士。紆余曲折あってようやく添い遂げても、ラストバトルは当然みんなで後始末。


 ──出逢いは偶然、再会は闘争。
 それはどんなときでも変わらなかった。


 それから四年、世界はそこそこ平穏無事で。本格化した執務官の任務が忙しく、私はプライベートな時間もなかなか取れないありさま。いち捜査官・いち司法官でしかない私と、時空管理局と管理世界共同体の大戦略において重要な場面で活躍する彼の立ち位置は、空と陸よりもずっと遠い。
 これでどうやってふたりっきりになれるっていうんだろう。……力を合わせることに不満はないけど、釈然としないものもたしかに感じる。

 そんなこんなで、私たちがいっしょに戦うのはすっごく稀なことなのだった。

(これはチャンスかもしれない……!)

 そう思うと、なんだか気分まで高揚してくる。
 ここでいっぱい活躍して、いっぱいほめてもらうんだ。──誰よりも愛しいユーヤに。

「えへへ……」
「何幸せそうにニヤけてるんだ──ッ、フェイト!」

 え?
 らしくなく動揺した声で妄想から我に返る。目の前に広がっていたのは、スターライトブレイカーにも迫るほどの極太ビーム。


 ──ッ、避けられない……!?


 視界を埋め尽くす真っ白な光。圧倒的な熱量に、肉も骨も焼き尽くされる自分の姿がありありとイメージできた。
 けれど、予想した衝撃はやってこない。

「──あまり冷や冷やさせないでくれ、心臓に悪い」
「あ……」

 押し寄せる光の奔流をせき止めるアイン・ソフ・オウルの盾。
 私の目の前で、左手を突き出したユーヤが肩口から振り返る。気の毒になるくらい心配そうな表情に、ちょっときゅんとしてしまった。

「ご、ごめんなさい……」
「敵前で気を抜くなんて、君らしくもない」

 ユーヤはごく自然体でいるのに、なんだか責められているような気がして。
 うう……、情けない。こんなあり様でなにが「活躍してほめてもらう」だ。ああーもうっ、私のばかばかばかばかっ!!

「それにしてもマジで“蟹光線イブセスマジー”撃ってくるのか。厄介だな、本当に……!」
「いぶ……?」
「イブセスマジー、またの名を蟹光線。本来はカニアーマーっていう魔導具に備わった機能で、装着者の生命エネルギーを転換して撃ち出すものなんだが──、“闇界”に堕ちた品が混沌に汚染されて“冥魔”と化したようだな」

 腕を組み、左手をあごに当てて考え込むユーヤは私に対する説明で、自分の考えをまとめているみたい。蒼い瞳が冷たく光る。

「見たところ、小型種はヤツが産み落としているらしい。“災厄を撒き散らすもの”の下位互換、といったところか」

(はぅ……真剣な顔、かっこいい……)

 紅潮していく顔面を抑えつつ、脳内フォルダに保存保存、っと。

「だが、単純な戦闘力では不完全体だったアジ・ダハーカを上回っていそうだ」
「……完全じゃなかったの?」

 あんなに手強かったのに。

「ああ。伝承によるとアジ・ダハーカは本来三つ首の竜なんだ。無理矢理に覚醒して弱体化させたからこそ、“最強の邪悪のもの”を滅ぼせたわけだな。
 ──まあそれはいい、まずは牽制だ」

 言うなり、ユーヤがスッと右手を掲げる。その動作に合わせて、倒壊したビルの瓦礫の中から比較的形を保ったままの鉄材が、周囲のコンクリートとかと一緒にゆっくり浮かび上がる。
 テレキネシス……ではなく、以前にジュエルシードを横取りされた“マジックハンド”という魔法の応用だそうだ。もうすでに、“ハンド”ってレベルを越えてるような気もするけど。

「……ユーヤ、最近ますます悪役っぽくなってきたね」
「ふっ、仮にも魔王だからな、俺は。こういう演出効果も必要なのさ」

 これ演出なんだ……。

「んじゃま、あのご立派な甲殻がどれだけ堅いか試すとしますか」

 ぎゅるん、と鉄の塊を一回転させたユーヤは、槍投げ選手のように半身の体勢で頭上に掲げる。左手を弓を引くようにして右腕を腹に添えて、肩に担ぎ上げるようなイメージだろうか。
 彼我の距離は約500メートル。
 鉄筋が蒼白い魔力光に包まれ、同時にいくつものリング状の魔法陣が取り巻いていく。バリアジャケットに隠れた分厚い背筋が、ググッと盛り上がるかと思うくらいの気迫。

「オオオオ、らァああッ!!」

 ケモノが、吠えた。
 全身の膂力を込めて投擲された巨大な質量が、蒼白い光の筋を引いてまっすぐ飛んでいく。
 この角度と軌道、ヒットするのは間違いない。私は半ば油断して、その行方を傍観していた。

 ──結論から言う。油断するのはやっぱりよくない。

「うそ……」
「オイオイ、冗談キツいぜ」

 見事に貫くかと思われた鉄の槍は、なんと紅い甲羅に当たったところからひしゃげてしまった。こう、グシャっと押しつぶすような感じで。
 唖然とした私とユーヤは、万有引力の法則に従って地面に落ちる鉄塊を呆然と眺める。もう二人してぽかーん、だ。

「インスタントヘヴィアームズにディスチャージ諸々乗っけて、期待値100は余裕で越えてるってのに……ノーダメとかどんな装甲してんだよ、アレ」

 心底呆れかえった声。……とりあえず言葉の意味は考えないことにする。深く考えたら負けだ。
 頭を抱えて「まさかまたファンブった? 馬鹿なっ!?」とかうなってるけど、気にしない。ツッコミもしないっ!

 すると、カニさんが右のハサミをのっそりと振り上げた。

「チッ……!」「きゃっ」

 ユーヤにその場から突き飛ばされた私のすぐ前を、高々と巻き上がった粉塵──というか砂埃の柱だ──とものすごい衝撃波が通り過ぎていく。
 私たちの間を抜けてった衝撃波の傷跡はすさまじく、アスファルトが完全にえぐり取られて地肌が露出してしまっていた。

「「……」」

 地面を見て、顔を見合わせる私とユーヤ。たらり、と額にいやな汗が流れる。頬がひきつる。

「ちょ、ちょっと……」「──手こずるかも、な」

 ふたりの気持ちがユニゾンした瞬間だった。



[8913] 第二十話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/08/07 23:37
 


 一足遅れ、輸送ヘリにて現場に到着した機動六課フォワードチームと陸士108部隊の面々は、急ぎ戦支度を整えていた。
 この緊急事態にさすがになのはも参戦を決意し、お馴染みの白と青のバリアジャケットを纏っている。

 と、ストラーダの点検していたエリオがあることに気がついた。

「あの、ギンガさん。その左手にくっついているのって……」

 ああコレ? とギンガは左腕に装着した紫色のリボルバーナックルを見やる。
 スバルと色違いのそれには、明らかに後付けと思わしき青いパーツがタービンを挟み込むように取り付けられており、長さ20センチ程度の白く鋭利な円錐状のパーツが手首付近から背後に向けて突き出していた。

「“モノケロスギムレット”、リボルバーナックルの強化ユニットよ。突き刺すのはもちろん、切り払いだってできる優れモノなんだから」

 ガシャンと音を立てて突起が二倍の長さに伸びたと思えば、鋭く尖った猛獣の角が拳に被さるように展開。拳先から突き出すがごとき形。
 ちゅいーん、と高速回転するタービンに連動して回り始める円錐形の衝角を高々と掲げてみせるギンガ。自身の魔力光、青みがかった紫の光が螺旋を描いて包む一角獣の名を冠したドリルをどこか誇らしげに眺めていた。

「あらゆる防御を問答無用で貫通する恐ろしい装備だ。……正直姉は、アレを着けた隊長とは戦いたくないな」
「ぶ厚い鉄の壁を軽くぶち抜いてたのを見たことあるっス」
「てか生身で受けたら冗談抜きでミンチだよな、アレ」
「……ドリル、ぎゅるぎゅる」

 以上、部下たちからの証言。
「ギン姉ぇかっこいい〜!」皆が一様に言葉を失っている中、実の妹だけは瞳をきらきらと輝かせており、ギンガも「ふふ、あとで使わせてあげるわね」と満更でもないようだ。

「なるほどなー。ロマン溢れるステキ装備でありますね。帰ったらアテンザ技師あたりに開発を申請しておくであります」

 ──訂正。
 ホウキっぽいものも賛同していた。

「──では高町副隊長、我々はそろそろ」
「はい、宇佐木さんお気をつけて。……あ、でも防護服とか着なくていいんですか?」

 いざ戦場へ向かうという月乃の服装は先ほどと同じ、およそ戦闘には適さない白に金の装飾が施された礼装のまま。なのはが疑問に思うのももっともだ。
 しかし問われた黒髪の美女は、冷たい印象のエキゾチックな顔立ちを些かも変えず言い放つ。

「無用です。我が愛剣、ただ一振りあれば充分」

 鈍く光る片刃の中華刀──“月光の太刀”の抜き身の刃は夜闇に輝く三日月。柄の部分に、拳大の無色透明な玉が嵌ったそれを携える姿は様になっていた。初めからそうであることが当然と主張するかのように。
 ──何を隠そう彼女、宇佐木月乃の正体は“月宮の蟇蛙”ジョー・ガ。宝玉を巡る戦いの際にウィザードたちに討ち取られ、魔王墓場送りになっていたところを拾われた正真正銘の“魔王”である。
 現在は人の身に転生しているため大幅に減じさせているものの、彼の“蠅の女王”をして一目置かざるを得ないその力は未だ強く、有象無象の“冥魔”ごときに遅れを取りはしない。

 なお、セフィロトの白い制服は、例外なく強靭な特殊繊維に呪術的処理が施された“呪練制服”。下手な魔導師のバリアジャケットよりもずっと軽くて強固なので、本当に無用の心配だったりする。

「さて。では行きますよ、アイギス」

 アルトの美声を響かせ、コートが颯爽と翻る。その芝居がかった振る舞いが気に入らないのか、アイギスは眉をしかめた。

「……なぜあなたに命令されているのか、アイギスは納得できないであります」
「これは異なことを。前代の譜代である私が主導権を握るのは道理でしょう?」
「その“前代”が入った転生体を殺しかけておいてよく言うと言わざるを得ないであります」
「っ、貴様……」

 痛いところを突かれた月乃は、苦虫を噛み潰したように相好を歪める。件の“転生体”の正体に気づけなかったのは第八世界名物“世界結界”からの記憶の修正を受けていたからであり、彼女自身には何ら落ち度がないのだが、密かに気にしていたらしい。
 膨れ上がる殺気。
 アイギスが月衣から弾倉を瞬く間に取り出して武装する、半ば待ちかまえていたかのように。
 ──がしかし、月乃はグッと怒りを堪えて深く息を吐き出すだけに留めた。

「やらないのでありますか?」

 どこか不満げに口を尖らせ、アイギスが疑問を投げかける。

「……小競り合いをしている暇などない、それだけです。主上はあれで組織の秩序に拘るお方、無能な真似をお見せするわけにはいきません」
「同意であります。自分はルール無用な混沌の権化のクセして理不尽であると言わざるを得ないであります」
「それが主上という人です、諦めなさい」

 ギスギスした雰囲気から一転、何やら意気投合したかのようにしみじみと頷き合う二人。上司の無茶ぶりに振り回される者同士、共感を得たのかもしれない。

((((切り替えはやっ!?))))

 この時ばかりは皆の心が一つにまとまった。

「では改めて。高町副隊長、どうかご自愛を。……あなたに何かあれば主上が悲しまれますので」
「数の子もせいぜい足を引っ張らないようにガンバレであります」
「「数の子言うなっ!」」

 そんな捨てゼリフを残し、その場から足早に去っていく元魔王とホウキっぽいの。即座に吠えたのはノーヴェとウェンディである、言うまでもなく。

「あのふたり、仲がいいのか悪いのか、どっちなんだろうね?」
「えっと、なのはさん、私に聞かれても困まるんですけど……」

 顎に指を当て、無駄にかわいらしい仕草で首をひねるなのはに問いかけられたギンガは、返答に窮して曖昧な表情を浮かべるしかなかった。

「うん。じゃあ簡単なブリーフィングをしておくね」

 気を取り直すようになのはが声を発する。キリリと表情を引き締めた、お馴染みの先生モードで。

「今回の任務は単純明快、クラナガンの防衛だよ。私たちは小型の“冥魔”とあのタコみたいな“冥魔”、クラウドクラーケンって名づけられたそうなんだけど、それの相手を任されてます」

 ヘリで移動中、クラナガンの空を我が物顔で浮遊する馬鹿デカい軟体動物をその目で見たエリオ以外の一同は、それを思い出して個人差はあれど生理的嫌悪を露わにする。妙齢の女性なら、なおさら気色が悪かろう。
 なお、イカの方──スカイスクイッドは、すでにいくつかの部隊──特に空戦を得意とするもの──と熾烈な攻防を繰り広げていた。例に漏れず、センスを欠いたネーミングである。

「まだ避難がすんでいない住民の捜索と誘導も平行しなくちゃだから、ちょっと大変かな」

 神妙な面持ちで説明を聞き入るルーキーたちの様子に、なのはが朗らかに微笑んだ。

「幸い、いまこの街には私たち以外にもたくさんの部隊が展開しているから、そんなに気負わなくてもいいよ。失敗しても、みんなで助け合えばいいんだから」

 ね? と、言い含めるように小首を傾げると場の緊張感が薄まり、和やかな空気が流れる。温厚篤実な人徳の成せることだった。

 「失敗しても、みんなで助け合えばいい」──以前の、自分の力を過信していたなのはならばこの場で口にはしなかっただろう言葉。足りないからこそ、支え合ってもっとずっと強くなれる──無二の親友たちの生き様から学んだことの一つだった。
 なお、もう一つは「愛と絆はなにものよりも強し」、である。

「あ、そうそう、ひとつ注意点だけど。防衛のために強度の強いAMFが展開されていること、ここにはじゅうぶん気をつけてね」

「「「「はい!」」」」

 指を立て、付け足した補足はスバルたちへのもの。
 訓練で経験しているとはいえ、普段と勝手の違う戦場では、いつぞやのようなミスは命取り。取り分けメンタル面に不安のあるティアナなどに念を押したい、という思惑の現れでもあった。


 ──打ち合わせも終わり、その場を後にする一同。

「スバル?」

 ふと独り立ち止まり、空を仰ぎ見ていた相棒を心配してティアナが声をかけた。大規模なミッションを前に緊張しているのだろうか、と。

「──うん、ちょっとね」

 スバルはすぐに向き直ると、少し恥ずかしげにはにかんだ。

「……アリカたちとかさ、訓練校を一緒に卒業したみんなもこの近くにいるのかなぁ、って」
「……そうね。あの子たちも戦ってるのよね、ここで」

 一拍の間。ティアナの思惟は大切な思い出を巡る。
 共に学び、切磋琢磨した同窓生たちが選んだ道は皆それぞれに違う。それは当然のことで、故郷に戻って家族や親しい人々のために戦うものがいれば、栄達を求めてこの地で命を懸けることを選んだものもいた。
 ──自分は、彼らに胸を張って会えるような人物になれたのだろうか? それはまだ、わからない。
 けれど……、

「──あたしたちも、負けてらんないわね」
「うん!」

「おーい、スバルー、ティアナー! 置いてっちゃうよー!?」

 上司にして師の呼ぶ声。
 二人は顔を見合わせると、晴れ晴れとした笑顔を弾けさせて駆け出した。
 ──自らのすべきことを、精一杯為すために。





 一方その頃。

 首都防空隊に所属するとある分隊が戦う区域にて、遠雷のような轟音と地響きが何度も響いていた。
 それは砲撃音。
 圧縮され、物理現象を伴った魔力素が物体を粉砕する音。
 命中した砲弾がコンクリートで固められた地面を惨たらしく抉り取り、土煙と瓦礫と、そして“冥魔”をバラバラに吹き飛ばす。

 破壊の傷跡に真剣な鳶色の眼差しを送る一人の少女。比較的低めなビルの屋上に陣取り、流れる風に三つ編みした長い二本の栗毛を任せていた。
 身に纏う桃色のレオタード風の近未来的な戦闘服“スターイーグル”は、リンカーコアを持たない──「魔導師ではない」ことの証。その小柄な身体に不釣り合いな蒼い長方形の鉄塊──複合型“箒”“フォールンエンパイア”と併せれば、彼女が“魔法”を持たない身であることがわかるだろう。

「ルン、次はあのおっきなのをやるよっ! 水晶弾ロードッ!」
『ラジャー』

 しかし少女は戦う。
 命をかけて自分を救ってくれたあの人のように、誰かの笑顔を護れる立派な人になりたい。
 それが彼女の願い。“夢”だから。

『魔力水晶弾、装填完了。いつでも行けます』

 小さな主の求めに応じ、“箒”に搭載された人工知能“Iris”が圧縮空間より呼び出した弾丸を自らの“カラダ”に組み込む。

 標的はカニ型“冥魔”。
 小型種──とは言い難い、全長十メートル程度にまで成長した中型サイズのもの。やはり十本の脚が異様に長く、その甲殻は鋼鉄のように強堅だ。

 だが──

「あったれぇぇぇぇッ!!」
『魔力、解放』

 砲口の先、展開した青い魔法陣からレーザー状の莫大なエネルギーが解き放たれ、紅の異形を貫く。
 引き起こされた魔力爆発が晴れ、大柄な“冥魔”の姿は跡形もなく消滅していた。

「よっし、あたしはやっぱりやればできる子っ!」
『そういうことを自分で言うのはどうかと思います、アリカ』
「ええーっ?」

 ぶーたれて口を尖らす少女。いささか幼い仕草も、元気な彼女のチャームポイントだ。

『アリカ、状況は?』
「あ、ニナちゃん」

 不意の通信、訓練校以来コンビを組む親友の声。

「バッチリ! ぜんぶやっつけたよ」
『じゃあこっちに合流して。エルスも向かってるから』
「りょーかい! 急行するねっ」

 少女は言うなり、長方形の“箒”の後部を引き出すと、内部に納められていた飛行用のシングルシートが飛び出す。同時にスタビライザーが房状に広がり、フォールンエンパイアの空戦形態ストライクモードが完成する。
 訓練校時代から愛用していた中古のガンナーズブルームが故障した時、恩人の友人を名乗る人物──少女は“アシナガさん”と呼んでいる──から送られた最新型“箒”だ。

「じゃ、行こっ、ルン!」
『巡航モード、テイクオフ』

 無二のパートナーに跨ると、少女は戦場の蒼穹へと羽ばたいた。



[8913] 第二十話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/08/15 23:02
 


 仮説対策本部となった第七演習場管制室はさながら修羅場と化していた。
 各部隊から情報が集い、怒号のような指示が飛ぶ。
 一級線の部隊が到着するまでは現有戦力で防衛線を保たねばならず、そのため文官たちはおろか普段は奥で偉ぶることが仕事のお偉方まで右往左往と奔走する。

 ──その一角。

 銀髪の美少女ベール・ゼファーは、下々の者たちの動乱などお構いなしと高飛車な態度で椅子に腰掛け、いつものように足を組む。
 稚気が残る金色の双眸が捉えていたのは大型モニター。そこに映る“戦争”の映像に、ひどく愉快げな色を帯びさせる。

 激化する戦闘。
 交錯する数々の意志。
 地上部隊の正式装備を身につけた名も無き魔導師たちがいた。応援に駆けつけた聖王教会傘下の騎士たちがいた。
 いくつもの重火器を使い分け、戦場を蹂躙する孤高の兵士がいた。ヘッドがクマの頭の形をした、トンチキなインテリジェントデバイスから魔法を乱射する少女がいた。

 もちろん、戦っているのは魔導師たちだけではない。
 サイドカータイプのオラシオンが変形した逆関節二脚の機動兵器が、複数で戦線を構築し。頭から爪先までを覆う生物的なデザインの強化外骨格“ブルームテクター零式”を身に纏った人物が、赤いマフラーを靡かせる。
 彼らは例外なく“魔法”を扱う才を持たない無力であったはずの人々だ。

 そうしてまた、混迷した戦場に新たに馳せ参じる部隊がある。
 専用に改造された大型輸送機“ブロンズスター改”から、全長九メートルの人型機動“箒”──“B‐Kブルームナイト”が三機落下。サイズアップされた大太刀やアサルトライフル、熱量ミサイルなどで大型“冥魔”を駆逐し始めた。


 ──それはまさに、総力戦。

 完全に不意を打たれたというのに士気を総崩れさせず、ミッドチルダに住まう“人類”は性別や人種の垣根を越え、手を取り合って「世界の危機」に立ち向かっている。
 天空にて、裏で糸を引く仕掛け人たちはまずまずの“予行練習”だと満足していることだろう。


「……ちっ」

 あるものが映った途端、嬉々とした色を消失させ、忌々しく舌打ちするベル。混沌を愛でる“蠅の女王”にとって、この状況はまさしく最高の娯楽であろうにもかかわらず。
 彼女が不機嫌になった原因は一つ。その声からして気に食わない小娘──“高町なのは”が、性懲りもなく戦場に出ていること。
 部下たちを守るように浮遊した彼女は、桜色の魔法弾を大量に操って“冥魔”を封殺している。しかしベルには、お得意の砲撃魔法を封じ、中途半端に誘導弾や射撃魔法で戦うどっちつかずなその性根が我慢ならなかったのだ。「眼をかけていたのに幻滅した」とは絶対に認めないだろうけれども。

 つと、視線をずらす。
 巨大“冥魔”に接近を試みる攸夜とフェイトは、大量の小型種からの妨害もあってかなり手こずっているようだった。

「ったくあいつも律儀によくやるわぁ。チマチマやってないでさっさと薙ぎ払えばいいものをさ──リオン、あんたもそう思わない?」
「……恐らく」

 傍で静かに付き従う女性、リオン・グンタは内心の読めない澄ました表情のままで、その問いに答える。

「ご自分の領域を穢したくないのでしょう。……“破滅の光”を現世で振るえば、惑星など容易く滅びてしまいますから」
「ふん」

 リオンの解説に、ベルは頬杖を突いてつまらなそうに鼻を鳴らす。その仕草はあくまでも妖艶で、どこまでも尊大だった。

「ま、“ここ”はあいつの縄張りだし? 荒らしたくないって気持ちはわからないでもないわね」

 彼女は別段領土などに固執する質ではないが、裏界には治める領域を持つ歴とした“王”。為政者の機微くらい把握している。
 それに誰だって、自分の住処──“居場所”を好き好んで荒らしたいとは思わないだろう。
 もっとも、攸夜が極力「人間たちを傷つけないようにしている」ことについては完全に理解の範疇外だが。仮にも裏界魔王の末席にあろう者がなんと軟弱な、というのが彼女の意見である。

「……ん、仕掛けるのかしら」

 モニター内。
 バルディッシュ・ザンバーを携えたフェイトが、攸夜の援護を受けて果敢に巨大“冥魔”の背へと降り立つ。構造上、死角となっている小山ほどの広大な甲殻の上から、一方的に攻撃するつもりなのだろう。

 振り下ろされる雷光の剣。
 ──がしかし。あらゆる敵を斬断してきた金色の刃は堅牢な装甲に跳ね返され、衝撃で体勢を崩したフェイトは踏鞴を踏む。致命的な間隙。

「あらあら」

 猫のように目を細める可憐な魔王が皮肉げに笑う。
 金色の魔導師の周囲にえていた突起状の棘から伸びた細長いモノ──身も蓋もない言い方をするといわゆる触手が、青ざめるフェイトに襲いかかった。
 ひゅん、と泳いだ脚が引っかけるように巻き取られ、右足一本にて逆さ吊り。さらに四方から伸びた何本もの触手に全身を縛られて、迂闊な魔導師は哀れにも捕らわれの身に。
 きつく拘束されたことで豊満なスタイルが強調され、なんだかとっても形容し難い卑猥な姿に成り下がったフェイトの有り様に、頬を引き吊らせたベルから呆れ混じりの嘆息を零れた。

「ほんと、つくづく行かなくてよかったと思うわ〜」
「触手……、それは魔法少女モノに付き物のギミック……」

 全身を拘束され、逃れようと必死にもがくフェイト。その彫刻のごとく整った美しい相好が嫌悪感をまざまざと表す。
 まあ、見ている方は至って呑気なものだが。

「……しかしヌメリ分が足りません。あれではただのゴムホースではありませんか」
「リオン、あんたね……」
「無様なデザインした絵師は、全国三千万人のしょくしゃーに謝罪すべきです」
「時々あんたのことがわからなくなるわ、長いつきあいだけど」

 二人が主従漫才を繰り広げている間にも、状況は刻一刻と変わりゆく。

 沸点を超え、凍り付くような表情を見せた攸夜が腕を胸の前でクロスさせ、上空から飛び降りるようにして落下した。
 目標は一つ。
 捕らわれの恋人の下へ。

 着地する寸前に“抜刀”。
 手刀を包み込む蒼き魔法剣──オリハルコンブレードの二振りが閃く。
 刹那、フェイトを拘束していた触手は粉微塵に切断されていた。明らかにオーバーキルなのは、最愛の人を害されて腹を立てているからだろうか。
 拘束が解けたフェイトを両腕でしかと抱き止めた攸夜は、三対六枚の翼をはためかせ、その場から即座に離脱する。鮮やかな一連の流れは驚嘆に値するものだった。

「えー、もう助けちゃったの? つまんなーい」

 その様子を半眼で見やり、ぼやくベル。攸夜の腕の中で恥ずかしげに縮こまっている金髪の娘をまるで値踏みするかのように、睨め付ける。

「それにしても。あんなに執着するようなモノなのかしらね、“アレ”」

 攸夜にとっては目に入れても痛くないほど溺愛しているフェイトも、彼女の眼にはお花畑な頭が残念な小娘としか映っていない。まだなのはの方が、二重三重の意味で興味を惹いているくらいである。

「……彼女、フェイト・テスタロッサの“プラーナ”はこの世界にあって有り得ない異常です。……先天か後天か──それは不明ですが、その保有量と質は“第一世界人”に勝るとも劣らない程」
「たったそれだけじゃない」
「……。こちらでの常人の数十倍を、“それだけ”と断じる方は貴女を置いて他には居ないでしょうね……」
「ふふん、もっとほめていいのよ?」

 無尽蔵のスタミナを誇る裏界屈指の策謀家──後ろにかっこわらいが付く──が、得意げにない胸を張った。

「……或いは、自らを滅ぼす存在だと無意識に感じているのかも知れません。……ベルにも身に覚えがおありでしょう?」
「む」

 マジカル・ウォーフェア最初期、洋上で出会した“お兄ちゃん”を思い出し、ベルが小さく唸る。
 言いくるめられたようでムッとしたベルは、不心得者の従者に問う。

「それは予言?」
「……さぁ? ──フフ……、全ては我が書物にある通りに……」

 返答はお決まりのセリフと、意味深な微笑みのみだった。




 □■□■□■




「──ったく、世話の焼けるお姫様だ」
「ぅぅ……」

 心配とか呆れとか、気苦労とかがない交ぜになった声が頭の上から降りてくる。
 申し訳なく思いつつも、あったかな温もりと日だまりのような匂いにほっぺがふにゃりとにやけてしまう。私は単純である。

 ──いろいろあって一時戦線から離れた私たちは、とある通りの街灯の上に退避して様子見中。……お姫さまだっこされたままというのは、ちょっぴり恥ずかしい。
 ちなみに、四方から飛んできてるビームはすべて強襲形態のバリアに阻まれて霧散している。理不尽だ。

(ううー……気持ちわるかったぁ〜。まだ肌ににゅるにゅるが残ってるような気がするよぉ……)

 ──正直“アレ”に捕まったときは、いろんな意味で身の危険を感じた。
 あの、口に出すのもはばかられるおぞましい感触、思い出しただけでも身の毛がよだつ。あんなのに触れられてただなんて、一生の不覚だ。

「……助けてくれてありがとね。あと、その……ごめんね」

 ぎゅっと彼のスーツの胸のところを握りしめる。とくん、とくん──規則正しい命の鼓動が、わだかまる恐怖と不快感を洗い流してくれる。

「ん、気にするな、俺は気にしない──と言いたいところだが、一人で闇雲に突っ込むのは感心しないな。張り切るにしても、もう少し考えて戦ってくれ」
「はい……、反省してます……」

 諭すような響きの声色に、思わず萎縮してしまう。
 ユーヤがいっしょだからって、私は知らず知らずのうちに気がゆるんでたのだろうか。だとしたら、最悪だ。そんなの体たらくで、ユーヤのパートナーが務まるわけがない。

「じゃあ罰として、フェイトはしばらくこのままな。反省してろ」
「ええっ!?」

 どこかイジワルな発言にビックリしたフリ。
 むしろ、ご褒美です。

「さて、リブレイドを何発かぶつけてみたが、あまり効いてないな。見ての通りの物理耐性だけじゃなく、魔力にも相当に強いらしい」

 さっきの交戦でわかったことを冷静に分析するユーヤ。私との初戦でも頭脳プレイが冴え渡っていた──フツーに顔を狙われたことも忘れてないよ?

「あるいはブレイカー級の魔法なら通じるかも知れんが──」
「倒しきれる自信、ないよ……」

 失態続きでなけなしの自信はもうボロボロ。弱音が出てしまうのもしかたない、と自己弁護してみる。
 うー、諦めちゃダメだ諦めちゃダメだ諦めちゃダメだ諦めちゃダメだっ!

「おや、騎兵隊のお出ましか」

 大きな爆音が、どこからともなく近づいてくる。それは空を切り裂く鋼鉄の鳥──戦闘機だった。
 先頭を行くのは黄色いリボンみたいなマーク──いわゆる“メビウスの帯”──が尾翼に描かれた白い機体。青い魔力光の尾を引き、みごとな編隊を組んで空を飛んでいる。

「あれは第118戦術航空隊。戦闘機型“箒”、スカイマスターを専門に扱う空戦魔導師とパイロットの集団だ。彼らにはイカの殲滅を任せてある」

 ユーヤ、わかりやすい解説ありがとう。いつかの式典で飛んでた人たちかな?
 空から視線を外し、大きな山のような“冥魔”を後目に口を開く。

「それで、これからどうするの?」
「上から攻めるのは無理そうだから、視点を変えて陸から接近してみよう。細かいのを出来るだけ排除しつつ、な。──急がば回れ、昔の人の言葉は常に正鵠を射ているよ」

 芝居がかった振る舞いはいつものように大仰で。いちいち持って回った言い回しが聞く人によっては鬱陶しく感じるかもしれない。私だって、たまーにうんざりすることもある。
 でも、そういう残念なところも寛容な心で受け止めるのも“愛”だと思うので、なにも言わない。まあ、イヤってわけじゃないし?

「接近して斬る。関節を狙えば何とかなるはずだ」
「なんかシグナムみたいだね」
「シンプルイズベストさ」

 くすり、笑いあう。こういうやり取りが、私は大好きだ。

「じゃあ行こうか」
「うんっ」



[8913] 第二十話‐5
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/08/15 23:28
 


「ハァァッ!」

 “冥魔”の群れと相対し、雄叫びをあげるユーヤ。フォトンランサーの連弾を眼くらましに、黒い闇の魔力を帯びた右の拳で手近な“冥魔”の一体をかち上げる。抉り込むようなアッパーカット。
 そこからさらに繰り出す左手。白い灼熱の光を浮かせた“冥魔”にお見舞い、両側のアイン・ソフ・オウルより粒子を撒き散らして前方にダッシュ。ほかの“冥魔”を薙ぎ倒して突き進む。

 十メートルほど直進して着地、ユーヤは左手を引き絞り魔力を集束。地面に叩きつけた。

「打ち砕くッ!!」

 光が、弾けた。
 砕けたアスファルト、解放されたチカラ。
 蒼白い爆光に飲み込まれ、あれほどひしめいていた“冥魔”は跡形もなく粉砕された。

「っと、こんなもんか」

 ぱちぱち、手を払う軽い音。
 大軍勢にも超然と立ち向かう彼の姿はとても雄々しくて。

(私の援護、必要なのかな……)

 っ! 不意に浮かんだ弱気な感情をカット、破棄する。ユーヤにはもう“全力”で戦わせないって誓ったこと、忘れたの?

 ──以前、純粋な好奇心から「本気の全力」というのを見せてもらったことがある。そのとき、私の胸中に去来した感情は、“悲しみ”……それだけだった。
 こわいとか、すごいとか──、そんなんじゃなくって。“あの姿”をしたユーヤを前にしていたら、わけもなく泣けてきて彼を困らせてしまった。

 だから私は、もうあんな“姿”をさせたくないから。足手まといになったって、ユーヤを支えることをやめないんだ。


 左右の路地や道から増援の“冥魔”がたくさん溢れ、ビームを撃ちかけてくる。一発一発は大したことなくても、集中されたらやられてしまう。

「囲まれたか」
「けどっ!」

 とん、と背を合わせる。直に感じる温もりをどんなものにも負けない力に変えて──
 半身のまま、互い違いになるように怪物の群れを迎え撃つ。私たちに合図なんていらない。

「プラズマ!」
「聖・光・爆・裂!」

 砲撃体勢で突き出した左手に環状の魔法陣が取り巻き、急速に集まる雷光。腰だめに構えたユーヤの両手の中では、まばゆいばかりに蒼光の球体が輝く。

「スマッシャーッ!!」
「貫けッ!!」

 高めた魔力を解き放つ。
 金色と蒼色──二色の奔流がまったく同時に炸裂し、紅い“冥魔”を跡形もなく吹き飛ばした。

 爆炎と砂煙が残る中、素早く立ち位置をスイッチ。今度は私がオフェンスだ。
 行く手を阻むのは、この集団のリーダーと思わしき全長三メートルを超えるバケモノ。倒すことに、ためらいなんてない。

「──裁きの光よ!」

 蒼光が弾け、天空から砲撃の豪雨が降り注ぐ。
 ごうごうと轟き渡る爆音と閃光を切り裂く七枚の“羽根”が並列に地面に突き立って、その隙間を蒼い水晶が繋いでいく。

「“剛毅なる進軍”──行け、フェイト!」
「うんっ!」

 目の前に伸びるのは藍色に光る一本の“道”──、この空間に満ちたAMFの効果を遮断する虹の架け橋。
 その想いに、応える──!!

 鋭く踏み込み、術式を起動。
 ブリッツアクションで純白の花道を駆け抜け、大型“冥魔”に肉薄。カートリッジロード、バルディッシュをアサルトからザンバーフォームに。
 最大戦速、トップギア。AMFの影響はすでなく、魔力のロスは皆無だ。

「やぁぁあああああッ!!」

 振り下ろされたハサミをステップで掻い潜り、片手半剣を袈裟斬りに叩き込む。速度を乗せた斬撃が紅の甲殻を深々と斬り裂いた。

「まだだっ!」

 声を張り上げ、再度のカートリッジロード。回転式のマガジンに込められた魔力の弾丸を炸裂し、バルディッシュが二つに分かれて変形する。
 ライオットザンバー・スティンガー──真ソニックとはシステム的に切り離しているのでバリアジャケットはそのままだ。

「はああぁぁっ!!」

 二刀から繰り出す雷速の連撃。右斬り上げ、刺突、斬り払い、袈裟斬り、斬り返し──様々な斬撃を紅い異形に浴びせていく。
 踊るように、舞うように。瞬くよりも速く、鋭く。
 視界の端に、自慢のツーテールが振り乱れて何度もよぎった。

 九撃目。
 合体させたライオットザンバー・カラミティから渾身の突きを繰り出す。

「これで──」

 ずぶり、と装甲に突き刺さった刀身の魔力──その全てを、ゼロ距離で解き放つ!

「トドメッ!」
『プラズマバスター・ゼロシフト』

 強力無比な砲撃が“冥魔”を内部から消し飛ばし、着弾した場所では電撃を帯びた大爆発が巻き起こる。
 残心を意識しながら、刀身を失ったバルディッシュをザンバーフォームに戻し、魔力を込めなおした。

 全部で十の斬撃。
 この間わずか十数秒。自慢じゃないけど、速さには自信があるんだ。

「どう? 名づけて、雷刃十連撃っ」

 前々から考えてたコンビネーションが完璧すぎるくらいに決まって、若干わくわくしつつユーヤに感想を求めてみる。
 彼の戦い方を参考に、いろいろ試行錯誤を重ねた末に編み出したとっておきなのだ。……まあ、まだまだ改良の余地はあるけど。

「2Pカラーっぽいアホの子が好きそうな名前だな、雷刃だけに」

 むむ、なんかバカにされてる気がする。

「……じゃあユーヤは、たとえばどんな名前つけるの?」
「ん? ああ、俺ってカタカナ派だからさ」
「カタカナ?」
「そそ。インサニティプレリュードとか、ジェノサイドブレイバーとか、ワールドデストロイヤーとか、ファイナリティデッドエンドとか、ネガティブレインボウとかエーテルストライクとかキャッチ・ザ・サンとか──例を挙げればこんな感じだな」

 どこか得意そうに腕を組んだユーヤがふふんと鼻を鳴らした。
 ……どれもこれも物騒で不穏だよ。ていうか長いし。



 そんなこんなで、やっと親玉の側までたどり着いた私たち。
 山のような巨体をほぼ真下から仰ぎ見る。……近くで見ると、やっぱり大きい。

「じゃあ打ち合わせ通りにな」
「うん、わかってる」

 カグヤからデモニックブルームを引き抜くユーヤにうなづく。
 とそのとき。頭上でまばゆい、まばゆすぎる閃光が輝いた。

「「ッ!!」」

 すぐさま離脱、二手に分かれた私たちの間を間一髪のタイミングで光の柱が切り裂く。
 熱線がアスファルトを焼く臭いに顔をしかめつつ顔を上げれば、グランドケンプファークラブの全身に生えたトゲトゲがミサイルとなって発射された。
 いち、にー、さん、よん……ああっ、もうたくさんだよっ!?

「おやおや、熱烈大歓迎か?」

 喜色の混じったのんきな声。こっちはそんなお気楽してられない。

「っ、バルディッシュ!」
『クレセントセイバー』

 白煙を引いて飛来する多数の生体ミサイルに目掛けて、ザンバーを横一閃に大きく振り切る。三日月状の刃が剣筋から放たれて、紅い弾頭を引き裂いた。
 ──この“クレセントセイバー”は、ユーヤの光波をまねっこした中距離斬撃魔法だ。ハーケンセイバーのように誘導性はないけど、変わりに速度とか効果範囲はそこそこイケてると自負している。

 一方、ユーヤは──

「“賢明の牙”」

 両側の“盾”が風車状に変形し、振りかざす両手の動きに合わせて弧を描いて飛んでいく。
 ギザギザの円刃を形成して空を切り裂く二枚の“牙”はさながらブーメラン。青い筋を引いて、飛翔体を撃墜していった。
 その間、攻撃した隙を突くべく、私は一気呵成に突撃。ザンバーを振りかぶり、ビルほどの高さがある前脚の関節を断ち斬る。
 離脱から一拍の間をおいて、ズズズンと崩れ落ちる“冥魔”。巨体を支えていた脚は失なわれ、ついに機動力を奪うことに成功した。

「わっ、ほんとに斬れた」
「おいコラ。信じてなかったのかよ」

 素直に驚いたらユーヤにジト目で見られてしまった。

「あ、あはは……ほ、ほら、そうと決まればやっつけちゃお? 被害がこれ以上増える前にね?」
「ったく、調子のいい──」

 私の下手なごまかしを呆れ、腕を組むユーヤの頭上にかかる大きな影。

「ゆ、ユーヤっ!?」

 目を見開き、叫ぶ。ほんの目の前で、推定数十トンの物体が彼のいた場所に突き刺さった。
 ユーヤがあれくらいでどうにかなるなんて思ってない。けれど、感情が理解するかどうかは別の問題だ。

「────不意打ちとは、なかなか味な真似をしてくれるな」

 そうして。私の期待をいつだって裏切らない不遜な声が、蒼い風に乗って聞こえてきた。

「こいつは礼だ、くれてやる」

 “冥魔”の背後で光が結集、形成する見慣れたネイビーブルーの衣。特徴的な長剣を地面と水平に引いている。
 蒼刃が閃き、振り下ろされたままのハサミを撫で斬りにした。ユーヤはやっぱりかっこいい。
 とはいえ、

「ちょっ、え、え? ええぇぇーっ!? ふえぇぇぇぇぇっ!?」

 あまりに常識外れすぎる現象を前に私の頭は処理できなくて。大混乱でほっとする間もない。

『身体を微細な魔力素子に変換し、物理的攻撃を無力化したものと推察されます、お嬢様』

 バルディッシュ、冷静な解説ありがとうっ!
『ヴォルケンリッターと同じ魔法生命体であるからこそ──』とかなんとか続けてるけどあんまり頭に入ってこない。

「“節制の解放”──、さあフェイト、カタを付けるぞ」
「ぁ、う、うん、わかった」

 円陣を作り、“冥魔”を囲んだアイン・ソフ・オウルが赤く輝き、その魔力を無慈悲に奪い去る。暴走したジュエルシードさえも押さえ込んだ“節制”の輝きにさらされ、明らかに力は減じていた。

 鋭い眼光を無力化した紅い巨体に向け、だらりと構えて浮遊するユーヤのすぐそばまで浮かび上がる。
 交わる視線。
 澄み渡るプラネットブルーの瞳に映るたしかな信頼。

「これで終わりにしよう」

 静かな……けれどよく通る声に、頷き返しバルディッシュをリリース、バッジの形態に戻して両手を空ける。同時に、アイン・ソフ・オウルがこちらに帰還して連結を開始した。

 ──次々に繋ぎ合う白い七枚の“羽根”は、決して離れることのない絆の証。

 わずか数秒で、Yの字を逆さにしたカタチが完成する。
 二股に分かれた部分から伸びる蒼い結晶の柄を、私たちはお互いの手を握り合うようにして掴んだ。

「フェイト!」
「いつでも行けるよ、ユーヤ!」

 いま、この手にあるのは白亜の宝剣。全てを貫き、全てを破壊するユーヤの力の象徴。ヒトの心を司る七色の輝きを供に担う資格が、私にあるのだろうか。
 ──彼は、これを他人に触らせることを極端に嫌っている。当然だ……だってこの“羽根”は、自分の半身で、お母さんとの絆そのものなんだから────


「「全てを貫く無限の光!!」」

 声を、想いを重ね、その切先を巨大なバケモノへと突きつける。
 宝玉の一つが輝き、薄紫色の淡い光刃が伸びていく。想いを貫く“正義”の刃。


 ──みんなの命を、笑顔を脅かすものはここで倒すんだ!


 魔力の足場を同時に蹴る。
 アイン・ソフ・オウルから吹き出した粒子による推進力──そして私とユーヤ自身の魔力を乗せた、全力全開全身全霊の特攻。必殺を賭け、身体を左右に振って回転を加えた。
 苦し紛れに放たれた無数のミサイルはいつかのように幻影に惑わされ、虚空を穿つ。


「「いっけええええええッッ!!」」


 円錐状になった薄紫の光で堅牢な甲殻を破って背後に突き抜け、地面を滑るように着地。勢いを軽減する。


「「──光に抱かれて眠れ!」」


 おなじみの決め口上に合わせ、大剣が七つに分離。そして“冥魔”の巨体からたくさんの光が溢れ出し、大爆発と閃光の中に消滅した。

「やったねっ」
「あぁ。フェイトが力を貸してくれたお陰だ、ありがとう」
「そ、そんなこと……えへへ、うん」

 あとは各地に散らばった小型種を片づけるだけ。見つめ合い頷き合うと、私たちは掃討のためにその場をあとにした。


「時にフェイト」
「なぁに? ユーヤ」
「帰ったら触手プレイっていうのは──」
「しないよっ!!」


 ────後に“第二次首都クラナガン会戦”と呼ばれることとなるこの戦いは、こうして幕を閉じたのだった。



[8913] 第二十一話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/08/19 23:43
 


 機動六課隊舎内、食堂。

 本日のお仕事もつつがなく終わり、ユーヤとお夕飯をとっていたときのことだ。

『今回お伝えするのは、今クラナガンの女性の間で話題沸騰中の人気スイーツ──』

 備品のテレビ──なぜかアンティークっぽいデザイン──から流れる夕方のニュース。マイクを片手に若いレポーターの女性が、ちまたでブームのお菓子を調子が外れた語りで紹介していた。
 あんなにめちゃくちゃだった街並みはわずか一週間ですっかり元通り。道行く人には笑顔があふれ、みんなとても幸せそう。

「……逞しいよな、人間は」

 そんな活気のある映像を眺め、ユーヤはしみじみと感嘆をこぼした。

「そうだね〜」

 つられてなんだかほんわかあったかな気持ちなってきて。きっといま私の顔は、満面の笑顔になっているはず。
 つらいことがあっても、めげずに立ち上がって、挽回しよう一生懸命がんばる──そんな諦めない気持ち、私も見習わなくっちゃだ。

「私たち、ちゃんと守れたんだよね。……みんなの、笑顔」

 すこし、不安になる。きっと取りこぼしたものもあるはずだって、わかるから。
 ふと、ユーヤが微笑む。
 それは私の好きな、とてもやさしい表情だった。

「ああ、フェイトは立派に役目を果たしたんだ。これからも、一緒に守っていこう……俺たちの住む“世界”を、さ」
「うんっ」

 胸の奥に澄み切った風が吹き込んで、不安が晴れていく。

 ユーヤのコトバは魔法だ。
 どこまでも私への愛情にあふれ、いつだって私に勇気をくれる。
 それはきっと心の蒼空に吹く、金色に光る風──私の希望そのもの。

「──んむ、しかしこの海鮮丼は思いの外美味いな。特にカニの身がジューシーだ」
「あんなことがあったのに、よく食べられるよね……」

 ……シリアスにモノローグを決めてたのに。しまらないなぁ。


 あの熾烈な防衛戦から一週間とすこし。
 ミッドチルダは今日も今日とてそれなりに平和だった。












  第二十一話 「蒼月鏡華 前編」












「あ、そうだ。ユーヤも明日の教導に参加するって、さっきなのはから聞いたんだけど」

 スプーンにすくったミルクプリンを差し出しながら問いかける。
 すると、ユーヤはとくに躊躇する様子もなくスプーンごとプリンを含んで、ちゅるんと食べた。

「ん、まぁなのはにどうしてもって頼まれてね。模擬戦の仮想敵をやることになったんだ」

 言いながら、食べかけの生チョコケーキをフォークで取り分けるユーヤ。サクッと刺したひとかけらは私の鼻先に。

「あむ……」

 私も彼に倣ってぱくりとほおばる。
 もぐもぐ……。──んん〜っ、ビターな甘さとコクが口の中に広がって。……はぅ、しあわせ……。

「そうなんだ。それで、訓練はどんなことするの?」
「ふふ、それは見てのお楽しみと言っておく」

 どこか嗜虐的な笑顔で、優雅にティーカップを傾ける佇まいは悪魔的にかっこいい。見慣れたはずなのに、ついつい魅入ってしまう。
 と、その肩越しに見える席でエリオたちと食事をしていたキャロが、たちどころに身体を強ばらせてキョロキョロと周りを見回してた。なかなかいい勘してるね、キャロ。

「なんか不安だなぁ……。穏便にはできないの?」
「いくらフェイトの頼みでも無理だな。いちいち手心を加えて甘く接してたらアイツらのためにならないだろ、仮にも軍事訓練なんだからさ」

 聞こえのいい正論も、発言者がユーヤでは簡単に頷くことができない。

「むーっ」

 なので、ぷくーっとふうせんみたいに膨れてみる。口では勝てないんだもん、いろんな意味で。
 するとユーヤは、目元を柔らかにして私の頭をわしゃわしゃと撫で始めた。

「んっ」

 思わず、眼を細める。

「……ふぁ……」
「そういうフェイトの優しいところ、俺は大好きだけど。……安心して、悪いようにはしないから」

 艶のある声色と心地いい手触りが気持ちよくて、例のごとくふにゃ〜っととろけてしまう私。
 ──はっ!? や、やさしくしてごまかそうったって、そうはいかないんだからねっ!

「でもけっきょく厳しくはするんでしょ?」
「当然。トラウマになるくらいにはな」

 一転、つくつと人の悪い笑みでのどを鳴らすユーヤはとても楽しそうで。
 やっぱり、いじわるだ。




 □■□■□■




「起動シークエンス。空間シミュレータ展開、密度固定でスタンバイ。──こっちは準備オッケーです、なのはさん」

 翌日、訓練施設にて。

 シャーリーの操作で、まっ平らな空き地からビル群が次々に生えていく。「いつもありがと、シャーリー」と労いの言葉をかけたなのはが、一列に整列したエリオ・キャロ・スバル・ティアの四人に向き直った。
 なお、私の立ち位置はなのはの右隣。人一人分くらいの間をあけて立っている。

「みんな、おはよう!」

「「「「おはようございます!」」」」

「うん。今日も元気にがんばろうね」

 うんうん、と何度も頷くなのはの笑顔はとても満ち足りて輝いている。はきはきとしたみんなの挨拶が気持ちのいい──とはなのは本人の言葉。
 いつも思うけど、指導教官というよりも学校の先生に見えるのは気のせい?


 さておき。朝の挨拶からはじまった今日の訓練。
 ここから軽くアップしたり、体力づくりのランニングなんかに入るのが普段の流れ。でも、今回はそうじゃない。

「えー、突然ですが」

 どこか神妙な面もちでなのはが口を開く。まあ、長いつきあいの私には、ことさら演技してるのがありありとわかるのだけれど。

「本日は特別ゲストをお招きしています」
「特別ゲスト、ですか?」

 ティアナが代表して疑問の声を上げる。すでに四人のリーダー格が板についてるティアナだ。

「うん、そのとおり。攸夜くーん?」

 その呼びかけにあわせてなのはと私の間の空間が歪んでいく。
 よく晴れた青空には違和感のある黒い闇の中から、濃紺のビジネススーツを身に着けた出で立ちでユーヤが颯爽と姿を現した。

「呼んだか?」
「呼んだよー」

 わーわー、ぱちぱち。
 神出鬼没なユーヤの登場にあわせて、シャーリーといっしょに拍手して場を盛り上げてみる。──事前に打ち合わせしてただなんて、言えないよ。

「なんなんだこのノリは……」
「にゃはは。いいじゃんいいじゃん、攸夜くんもにぎやかなほうが楽しいでしょ?」

 曖昧げにごまかすなのは。意外にこういうところあるんだよね、なのはって。
「否定はしないが……」と、頭を抱えるユーヤを一時放置して紹介が続けられる。

「というわけで、本日の特別訓練でアグレッサーをしてくれる宝穣 攸夜さんです。ハイ、みんな拍手っ」

 ぱちぱちぱち。戸惑いながらも、なのはの指示に半ば反射的に従った四人が、まばらに拍手する。よく訓練されていることがわかる光景だ。
「まぁよろしく頼む」妙なテンションの紹介に苦笑いし、ユーヤは鷹揚に応じる。
 ──むぅ、またエリオがユーヤを睨んでる。もう……どうしてなかよくできないのかなぁ。

 ふとそのとなり、キャロの方に目を移してみると、彼女は抱き抱えたフリードと顔面蒼白になって、ガタガタ震えていたことに気づく。あ、フリードは初めから白っぽいか。

「し、ししょーがアグレッサー……? じょ、冗談ですよねなのはさん!?」
「喜べ弟子一号、これは現実だ。紛れもなくな」

 と言うユーヤの壮絶な笑顔に恐れをなしたのか、キャロはまんまるな目をぐるぐる回して激しく狼狽する。
 あわわわ、ってベタなうめき声まで上げちゃったりして。こう言ったら不謹慎かもしれないけど、慌てふためくキャロは小動物みたいでかなりかわいい。

「さあ、錯乱しているキャロは放っておいて本題に入ろうか」
「い、いいんですか?」

 シャーリーが心配げな声を上げるけど、

「いいんだよ。キャロは芯の強い子だからな」

 問答無用とばかりに切り捨てられた。
 いやいや、そういう問題じゃないでしょ──このとき、みんなの気持ちが一つになったような気がする。
 なにはともあれ。世界最強のまおーさまには、常識的な理屈なんて通じないのでした。

 ゴホン。
 妙な空気の場を取り繕うように、ユーヤがせき払いをひとつ。

「もうお前たちも薄々わかっているとは思うが、今回の訓練内容はシンプルに模擬戦だ。……極めて実戦的な、という条件付きのな」
「じゃあユーヤさんと戦えるんですかっ!?」
「いや、違うから。話は最後まで聞いてくれ、ナカジマ。つーか目を好戦的にギラギラさせるんじゃないっ、暑苦しい!」

 異常な食いつきで、鼻息荒く詰め寄るスバルにユーヤはちょっと引きぎみ。スバルってば、なにげに戦闘狂?

「先日の演習はもちろん、訓練の様子も何度か間近で見せてもらった」
「いつの間に。ぜんぜん気づかなかった……」
「未熟者に気取られるほど鈍くはないさ。──というかランスター、お前も黙って聞けないのか?」
「す、すみません」

 耳ざとくティアナのつぶやきを聞き取り、ピシャリと注意するユーヤ。お前たちはいったいどんな教育してるんだ、と言外に告げる横目を受けてなのはが肩をすくめる。
 私もなんだか自分が怒られたみたいに感じてしゅんとしてしてしまった。……すこし、自由にさせすぎたかな?

「ともかく、お前たちの実力は概ね把握している。その上で、はっきりと言わせてもらおう」

 言うな否や、すぅーっと大きく息を吸うユーヤ。不可解な行動に「え?」と不審に思う私たち。

 しばしの沈黙が流れ……、


「────全く持ってなっとらん!!」


 ビクゥッ!!
 大声量の一喝が響き渡り、その場の全員が身をすくませる。なのはとシャーリーも、だ。
 わ、わわわ私は平常心だったよっ!?

「いちいち問題点を指摘してやるのも煩わしい。貴様らの戦いは無様、無様の一言に尽きる!」

 貴様きたー!?
 どうやらユーヤはよほどお冠のようで、すらっとした眉尻をつり上げて憤怒の表情をしていた。
 ぜんぜんらしくないはずなのに、とっても似合って見えるのはどうしてだろう?

「世の中には、“スタンドプレーから発生するチームワーク”というものも確かに存在する──、がしかし、それは高次の力を持っているからこそのこと。少なくとも今の貴様らにそんな芸当が出来るほどの技量は備わっちゃいない。
 にも関わらず、貴様らときたら性懲りもなく自分勝手に振る舞うばかり。──個々の強さなど、結集した多数の力の前には微々たるものだと知れ」

 ビリビリと空気を振るわせる怒声から打って変わり、今度は低く冷たい声色で説き伏せるように淡々と言葉を連ねていく。
 吹き荒れるお説教のブリザードはみんなに少なくない衝撃を与えたようで、一様にうつむいて押し黙ってしまっていた。……なのはも私も、あんまり強く叱ったりしないもんね。

 押し黙った四人を睥睨し、ユーヤが口を開く。

「……そんなチームプレーもチームワークもない半人前以下のお前らに、お誂え向きの対戦相手を用意した」

 ぱちんっ!
 指を鳴らした小気味いい音が響くと、二列に並んだ私たちのちょうど左側あたりに、蒼白い魔力光がたまり始める。

 光は徐々に形を変えて。
 四つのヒトガタになった。

「え……?」

 戸惑いと困惑を多分に含んだスバルの声。目の前の不可解な現象を目にすれば、彼女がそんな声を上げたのもうなずける。

 晴れ晴れとした空色のショートヘアの元気な女の子。
 オレンジの髪を黒いリボンで結った勝ち気な女の子。
 燃え立つように鮮やかな赤い髪の快活な男の子。
 桃色の髪を白い帽子に押し込めたやさしげな女の子。

 見覚えのある、ありすぎる姿をしたヒトガタ──

「──わた、し?」

 スバルが困惑を吐き出す。
 ほかの三人も──ううん、この現象を引き起こした張本人以外の全員が、言葉を失い呆然とその場に立ち尽くす。
 酷薄な笑みを描き、蒼い眼の魔王が静かに宣言した。

「さあ──、せいぜい足掻いて、俺を満足させてくれよ?」



[8913] 第二十一話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/08/23 23:27
 


 突然現れた四人の姿形は、新人たちにうり二つのそっくりさん。それはまるで、鏡か澄んだ水面に映る虚像のようだ。
 みんな理解の範疇を越えたできごとに、鳩がディバインバスター食らったみたいにぽかんと間の抜けな顔をしてる。私もびっくりだ。

「少々趣向を凝らしてみたんだが……どうやら気に入ってもららえたようだな?」

 私たちの反応が期待どおりだったようで、ユーヤが得意げに唇をつり上げる。
 着ている服も本人のバリアジャケットと同じデザインなんだけど、色だけは白と黒のモノクロームに変わっていた。

「……なんか、」

 それを見ていたら、ふと感想がわき上がってきたので素直に口にしてみる。

「とっても悪そうな感じだね」
「こういうのは様式美だからな。ニセモノってのは、本物と似ているようで決定的に違わなければならないのさ」

 ……よくわからないけど。なにやらユーヤなりのこだわりがあるらしい。よくわからないけど。

「さて、“彼ら”は俺が魔力で編んだ分身体に変身魔法をかけた幻影だ。まぁ“シャドウ”とでも呼んでくれ。ちなみに実体もちゃんとあるからな?」

 “シャドウ”と呼ばれた四人の幻影──“ティアナ”と“スバル”がお互いのほっぺを引っ張り合い、“キャロ”が“エリオ”のほっぺを一方的に引っ張っている。
 この様子、本人たちの関係性そのままのようだ。

「つまり──」

 いち早く混乱から立ち直ったティアナ。ほかの三人より先んじて、持ち前の頭の回転の速さを発揮する。

「私たち自身と戦え、そういうことですか?」
「理解が早いなランスター、その通りだ。賢い奴は嫌いじゃないぞ?
 まあ、お前たち自身と言っても、あくまで“俺”が変身したという事実は変わらない。故に戦闘能力自体ならともかく、使用武器・攻撃手段・戦型その他諸々についてはそれなりに変化しているがな」

 その言葉に従って、四人のコピーたちがそれぞれの武器を取り出した。

 “スバル”の武器は大きな盾とガントレット。
 左の前腕を包むように装着した無骨な武器には見覚えがある。以前、事件で出会った“魔法使い”──スルガの使っていた“箒”、アイゼンブルグだ。

 “ティアナ”の武器は身の丈ほどはある流線型の大砲。
 白と黒に染められた兵器の名前はガンナーズブルーム。こちらも前の事件で共闘した灯の“箒”と同じだけど、彼女のものよりも新しい機種のようだ。

 “エリオ”の武器は闇色の長大な槍。
 暗い闇の固まりを握り潰して生み出したそれは、ユーヤがたびたび用いる魔法の槍。不吉に捻れた鉾先を天に向け、軽々と肩に担いでいる。

 “キャロ”の武器は鈍く光る一対の短剣。
 本人が使用しているのと同じデザインの、これといった魔法処理の施されていない両刃のダガー。二人は師弟関係にあるから、同じ品を持っててもおかしくない。


 ──ユーヤの言葉どおり、彼が再現可能な範囲で模倣しているということがうかがえる。

「では、詳しいルールを説明する」

 とくにズレてないネクタイをいじりつつ──どうもクセになってるらしい──、ユーヤは居住まいを正す。とても真摯な感じだ。
 なのはは黙ってことの成り行きを見守っている。今日の訓練は、ユーヤにまるまる任せちゃうつもりなのかな?

「これから行う模擬戦は四対四の団体戦だ。制限時間無制限の一本勝負、範囲は空間シミュレータ全域。管理局の規定を逸脱しない範囲の方法で相手チームを制圧するか、あるいは敵拠点のフラッグを奪えば勝利だ。……お前たちの陣地にも設置してあることは、言うまでもないな」

 言うなり、ユーヤの両手に赤と青のフラッグが現れた。
 遠回しな言葉の意味──つまり、フラッグを取られたら負けということ──をちゃんとくみ取り、神妙にうなづく四人。なんだかユーヤとギクシャクしてるエリオも、今回ばかりはマジメに話を聞いてるみたい。……いつもこうならいいんだけどなぁ。

「対戦相手は言うまでもなく四人のシャドウだ。さっきも説明したように、ある程度お前たちと戦力が拮抗するようにしてある。
 しかしながら、まったく同一という訳でもない。例えば“キャロ”は召喚を使えず、“ティアナ”は射撃よりも砲撃を主体としている、などだな」

 幻影たちの装備や事情を鑑みれば、それも納得の情報だ。
 さすがというかやはりというか、キャロはさっそく敵戦力の分析を始めたようで、自分たちそっくりな四人の方をまじまじと見つめている。眉間にしわまで寄せちゃって、表情は真剣そのものだった。

 ……防衛対象を守りながら迎撃するか、それとも逆に敵陣へ攻め込むか。一対一に打って出るのもアリだし、各個撃破で全滅を狙うという手もある。
 ざっと考えるだけでもこれだけ選択肢が用意されている上に、対戦相手は自分たちとほぼ同等の強さを持っていて──
 ううーん……この訓練、一見するとシンプルだけどなにげによくできてる。設定難易度、かなり高いかも?

「それから注意というか、ちょっとした補足だが。──お前たちの姿を模倣しているこのシャドウ、その衣装の色を変えたりだのして攪乱をする気はないから安心してほしい。誰が味方かと疑心暗鬼になる必要はないぞ」

 え? そんな不利になること、教えちゃってもいいの?

「いいんですか、私たちに話してしまって。戦術を狭めてると思うんですけど」

 ティアナも私と同じことを思ったみたいで、すぐに疑問を露わにする。

「いや、むしろこちらとしては意図して教えているんだな、これが」
「どういうことなの、攸夜くん?」

 たまらずなのはが声を発する。
 するとユーヤは器用に右の眉尻だけを上げ、旗をカグヤに戻した両手をポケットに突っ込んだ。飄々とした立ち姿と奥深い表情は、彼の底知れない雰囲気を助長していた。

「これは訓練だよ、なのは。俺の口振りや、今こうして見せている装備などから得られる情報も踏まえて作戦を立て、実践する──それもまた課題の一つと考えてくれ」
「! そっか、なるほどね」

 説明を反芻するように噛みしめて、なのはが納得した様子を見せる。
 ユーヤ、そこまでこの子たちのこと考えててくれたんだ。なんかうれしいな。

「逆に、お前たちの方が同様の手段で惑わそうとしても無駄だぞ。奴らは俺を頂点とする群体だからな」

 ……これってつまり、「非常識なくらいとても息のあった団結力」を持ってるって意味なんだけど──、四人とも気づけたかな?

「仮に幻術なりに嵌めるなら、小手先じゃなくもっと創意工夫を凝らせろよ。どうせなら俺を欺くぐらいの、な」

(……それはちょっとムリなんじゃないかな〜)

 心の中で反論してみた。
 ユーヤといえば幻術、幻術といえばユーヤ──というのがイメージが私の中にある。
 実際、バリエーションこそ少ないものの、使い方が巧みで上手だし、なにより勘が鋭すぎ、目がよすぎですぐに見抜かれてしまう。あのミッド上空での一戦以来、一度として私の幻術が効果を上げた試しがないといえば、その難しさがわかってもらえるだろう。
 ……まあ私の幻術がへっぽこだって説もあるけど。──ていうかそもそも、実体のある分身とか反則だよっ!


 ざわめきが収まるのを目を閉じてじっと待ち、ユーヤが改めて口を開いた。

「最後に。駆け出しのお前らへ、センパイからのささやかなアドバイスだ」

 張りのある声を響かせ、一人一人と目を合わせるようにユーヤはゆっくりと四人を見回す。背が高いから自然、四人を見下ろすような形になる。
 ごくり、誰かが息をのんだ。

 そうして。たっぷりと間を取り空気を掌握し、おもむろに──もったいぶって──口を開く。

「戦いの勝敗ってのは、いつだって始まる前から決まってるんだ」

 いつか耳にした言葉。彼の人生観というか、勝負観みたいなものなのだろう。

「勝てる戦いには確実に勝つこと、勝てない戦いには望まないこと、勝てないなら勝てるように策を巡らすこと、勝てなくても負けないように諦めないこと。──これはあらゆる勝負事に通ずる定石、絶対的な真理だと俺は思う。
 ……強請るな、勝ち取れ。俺から言えることはそれだけだ」

 少しぶっきらぼうに結尾は切られた。……ユーヤらしい、すてきな訓辞だったと思う。
 四人はそれぞれなにか言いたそうだったり、考え込むようだったり、腑に落ちなさそうだったり、頭から煙を出してたりしてた。うーん、まだちょっとみんなには難しかったかな。

「むー、私よりもずっと先生してる……」とかなのはがぼそぼそ不満をもらしている。
 うん、たしかにそうかも。……あっ、いや、えっと、なのはがだめだめだとか、そういう意味じゃなくてね? その──

「ざっと概要の説明はしたな。開始の前に作戦会議の時間を十分やるから、せいぜい頭を悩ませろよ」

 おどけるように、ふとユーヤが笑む。不敵で、不遜で、自信に満ちあふれた男らしいって感じの表情だ。

「シャリオ、雛鳥共を陣地に誘導してやってくれ。旗の設置もついでに頼むよ」
「はい。じゃあみんなー、ついてきてね」

 旗を手渡されたシャーリーの指示に従って、四人は粛々と移動を開始する。私となのはは手を振って見送るのだった。




 □■□■□■




 現在作戦タイム中。

 私たちは手頃な高さのビルの屋上で待機している。戦闘エリアの全体を見渡すには絶好のポイントだ。
 ふわふわの雲が浮かぶ青青とした空は、とっても清々しい。まるで絵の具の原液を塗りたくったみたい。

「はてさて。どうなることやら」

 屋上の縁付近におもむろに腰を落ち着けあぐらをかくユーヤ。ひどく楽しそうに、あどけない笑顔をしている。
 そんな彼の隣にそろりと近寄り、すとんと横座りで腰を下ろす。それから、もたれかかって腕を絡めちゃったりして。……よかった、嫌がられてない。
 ここからなら、下とか周りがよく見えるもんね。ユーヤとくっつきたいという気持ちもなきにしもあらずだったり。

「えーと、フェイトさん。職務中にそういう行為は、ちょっと……」

 シャーリーが恐る恐るって感じで、とがめるようなことを言う。
 そういう行為……?
 ユーヤの腕に絡めた自分の腕と彼の曖昧な苦笑い、それからひどく困った顔のシャーリーを何度か見比べて、考える。
 ……。
 私なりの答えはわりとすぐに浮かんできた。

「だいじょうぶ、私の愛は年中無休だからっ」

 元気っぱい、笑顔で発言。
 ユーヤ限定大特価バーゲンセールだよ♪

「いや、そうじゃなくてですね……」
「ムダだよ、シャーリー。こうなったフェイトちゃんは処置ナシだから」

 どこか憂いた表情のなのはがやれやれと頭を振る。処置ナシとか、なんかひどくない?

「ホントそういうとこ見境ないよね〜、フェイトちゃんて。頭んなか、攸夜くんのことでいつもいっぱいなんでしょ?」
「そんなことないよ」

 失敬な。私だって、ちゃんといろいろたくさん考えてるんだから。

「ユーヤのことは、だいたい九分の八くらいかな」
「どっちにしろ変わんないよっ!」

 なのはの叫びが空に響く。
 と、なにを思ったのか、くすりといたずらっぽく笑ったユーヤが私の肩に手を回して抱き寄せ、耳元にそっと唇を近づけてくる。

「俺は四六時中、君のことばかりを考えてるよ」
「ほんと? うれしい……」

 甘いささやきにどきどきしてしまう。

「……。えいっ」

 ごすっ!

「きゃっ」「いたっ」

 背後からそんな声が聞こえ、頭上に衝撃が走った。
 いたい……。
 鈍い痛みを訴える頭を両手で押さえ振り向くと、腰に手を当てたなのはがぷんすか肩を怒らせていた。どうやら彼女にチョップされたらしい。

「こらっ! お仕事中はマジメにやらなきゃダメでしょ、ふたりとも!」
「「ゴメンナサイ」」

 なのはのお叱りに即断即決で謝る私たち。
 本格的に怒ったなのはに逆らっちゃダメなことは、仲間内の暗黙の了解なのだ。──全力全開スターライトブレイカーはもういやだなんだよ。



[8913] 第二十二話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/08/27 23:43
 


「なんていうか。攸夜くんってビックリドッキリメカだよね、なにげに」

 操作パネルで訓練の準備──おもにカメラ、安全設備とか──をしていたなのはが突然そんなことを言う。
 藪から棒だよ、なのは……。

「……とりあえず。褒めてるのか貶しているのか、どっちだ?」

 横目で睨まれて、冷や汗を浮かべるなのは。たとえるなら……大口を開けた蛇に睨まれたウサギ、とか?

「にゃ、にゃはは……。そ、そうだ、さっきから気になってたんだけど、私のシャドウって作れたりするの?」
「あからさまに話を逸らしたな。……まあ、できるけど」

 ほれ、と指が鳴れば。
 小さな女の子の二人組が、蒼い光を伴ってすこし離れたところに現れた。

 白に青の杖らしきものを抱えた“なのは”が元気に。
 大きな両刃の実体剣の影に隠れた“フェイト”が控えめに。
 こちらに向かって手を振ってる。──どうやら、“闇の書”事件当時の私たちをモデルにしているらしい。バリアジャケットのカラーリングは変わっていて、私は黒に青、なのはの方は白に赤だ。……というかこの色合い、見てると無性にむかむかするんですけど?

「うわー、すっごーい! ほんとそっくりだね〜」

 黄色い歓声を上げたなのはが“フェイト”に駆け寄る。
 びくっ、と小動物みたいに身体をすくめた小さな私は、おずおずとはにかんだ。……あの頃の私って、客観的にはあんな感じだったのかな?

「“なのは”の杖が“ストライカーワンド”、“フェイト”の剣が“ブルームカリバー零”だ。どちらもそれらしい“箒”を持たせてみた。ちなみにユーノver.もあるぞー」

 こだわりやさんなユーヤの説明を背に、私も近寄ってみる。もっと近くでよく見てみたいし。

「……」

 にぱーっと満面の笑みで私を見上げる“なのは”。太陽のようにまぶしく、青空のように晴れ晴れで。
 花にたとえるならひまわり。
 空に向かって咲き誇る大輪の笑顔。

「か……」

 うめく。
 こくん、とちいさな女の子が小首を傾げる。不思議そうな顔。
 つぶらな紫の眼。ぷっくりとしたほっぺ。さらさらな茶色の髪──

「かわいいっ!!」
「うにゃ!?」

 ガマンできず、抱きしめる。ぎゅーっと。
 ふかふかで、柔らかい。それに、子供らしい高めの体温とか、ミルクのような香りとか──再現率がハンパないよっ!
 …………あれ。でもこの子の中身はユーヤなわけで。じゃあ性別は……?

「攸夜くん……この魔法でヘンなコト、してないよね?」

 はたと気づいたようになのはが自分の胸のあたりを抱きしめ、まるで隠すように半身になる。言いたいことはわかるけど、あんまりだ。

「ばっ……! んなことするか、馬鹿じゃねーの!? つーか馬鹿じゃねーのっ!?」

 すぐさま全力で全否定するユーヤ。珍しく動揺しちゃって……ふふっ、かわいい。
「どうだか〜?」と、混ぜっ返すなのはのジト眼はことさら疑惑的。でも、完全にからかってるよね、あれ。
 おちびさんたち、顔を赤くしちゃってるし。

「──みなさん、なに遊んでるんですか……」

 シャーリーの呆れたような声で我に返った私たちは、顔を見合わせて恥入るのだった。












  第二十二話 「蒼月鏡華 後編」












 ついにスタートした特別訓練。
 ビルの屋上から見守っているだけの私──座っている場所は言うまでもなくユーヤの隣だ──も、なんだかどきどきして緊張してしまう。
 なのはやシャーリーも黙りこくってデータの収集と全域の監視の作業にいそしむ。私たちは相手チームの詳しい動向を知ることはできない。ユーヤいわく、「何が起きるかわかったら面白くないだろう?」とのこと。

「やっぱいつもどおり、スバルが威力偵察するみたいだね」
「……だな」

 大通りをまっすぐ疾走するスバルを眺めながら、なのはとユーヤが会話する。
 そばで聞いていて、どこかユーヤの様子がおかしいことに気づく。眉の間に深いしわを寄せて、苦虫を噛み潰したようなひどい顔をしてるし……。

「おそらくはランスターの差し金だな。様子見……、というよりは速攻を仕掛けるつもりなんだろうが──」
「なにか気になることでもあるの?」

 不安になって、思わず探りを入れてしまう。……私、ユーヤの感情に影響されやすいのかな。
 浮かない顔のまま、ユーヤは声のトーンを下げる。

「戦略的には間違っちゃいないとはいえ、どうもにな」

 氷河のように冷ややか眼が、スバルのやや後方を行くティアナを捉える。
 そして、紡がれた声色も驚くほど冷え冷えとしていて──

「アイツ──、ランスターはパートナーを捨て駒にしてやしないか?」
「な……っ!?」

 絶句。
 絶句だ。
 私もなのはも、シャーリーも。思ってもみない、想像するわけがない発想に言葉を失い、驚愕で目を見開くばかり。

「そ、そんな、そんなはずないよっ! ティアナとスバルはすっごく仲良しで、それで──」
「だがな。アグスタでのミスショットを初めとした行動の傾向を見て、一点の曇りもなく“違う”と言えるのか?
 本当に相方を信頼していたのなら、あんな軽はずみな行動は取れないはずだ。ランスターは自分の目標のため、立身のためなら友すらも切り捨てる──、俺にはそう見える」
「う……」

 叩きつけられた言葉の羅列を否定できず、口をパクパクと開閉するだけのなのは。ショックで顔を青ざめさせて。

「まあいいさ」

 厳しさを霧散させ、ユーヤは肩をすくめる。いまはもう、普段の飄然としたいつもの彼に戻っていた。

「これは俺の単なる杞憂だ。アイツがそんな人でなしじゃないことを祈るだけだよ」

 皮肉も忘れないあたり、いじわるである。

「攸夜くん……」
「んな顔すんなって。ほら、下じゃあ小競り合いが始まってるぞ?」

 あ、ほんとだ。戦域では、スバルが“スバル”と交戦を開始していた。
 繰り出すリボルバーナックルをアイゼンブルグが受け流す──それはさながら鏡写しの戦い。マッハキャリバーのない“スバル”だけど、自らの健脚と魔力爆発──ユーヤが陸戦で使う技法だ──で、そのディスアドバンテージを補い互角の力を発揮している。
 幾度も激突する鉄拳の衝撃がここまで届いてしまいそう。

『──っ、シューティングアーツ!?』
『いぐざくとりー♪ さすがに解っちゃうよねぇ、キミには。
 そんじゃまあ、ちょっとばかしワタシにつきあってってよ。退屈はさせないから、さぁ!!』
『ぐ──、うあっ!』

 魔力爆発による加速からの痛烈な一撃。スバルがたまらず大きく吹き飛んだ。……やっぱり女の子の“演技”、上手すぎない?

「スバル……ううん、ギンガの動きによく似てる……」
「そうなの?」
「うん。このまえちょっと手合わせしたから」

 い、いつのまに……。
 あんまり無茶はしてほしくないんだけどなぁ。腕とか、撃墜されたときの古傷があるんだし。

 まあ、気を取り直して。
 どうして? と視線でユーヤに聞いてみる。なのはも知りたそうにしていた。

「ん? 見てコピった」

「「はい?」」

 いまなんて?

「魔力の流れを見て覚えたんだよ、シューティングアーツを。まあ、所詮はにわか仕込みの付け焼き刃。ギンガほどの練度はないんだがな」

 あっさりと。ごく自然に言いのけた。
 “見て覚えた”って……そんなばかな。魔力にすごく敏感だからだなんて、そんなばかな。
 苦労して会得した武術をあっさりマネされたんじゃ、ギンガも立つ瀬ないと思うよ?

 ていうか──

「それって写輪眼?」
「惜しい! そこは白眼と言ってほしかったな、中の人的に」
「中の人なんていないよっ!」

 うん、いいテンポの掛け合いだったね。うんうん。


「おー? ギリギリ間に合ったみてーだな」

 聞こえた声にふと顔を上げてみれば、紅いドレスの女の子が屋上に降り立つ。着地した瞬間に真紅の光が弾け、服装はブラウンの制服に変わっていた。

「あれ、ヴィータちゃんだ」

 別働隊所属のヴィータだった。予定では、今日も探索任務で出払っていたはず。

「外回りから帰ってきてたんだね。シグナムは?」
「ついさっきな。我らが将殿なら、今頃は報告書でも書いてるんじゃねーの?」

 投げやりな返答。
 なにかピンときたらしいなのは。「デスクワークから逃げてきたんだ?」
「……まぁな」ヴィータが気まずそうに視線を逸らした。

 ごほん!
 ヴィータのせき払い。

「んで、戦況は? 訓練はどうなってんだ」
「まだまだ、始まったばかりさ。見所はたんと残ってるよ」

 ここで初めてヴィータに視線を向けたユーヤがニヒルに言う。
 ──そうこうしているうち、戦況は移り変わっていた。

 ティアナたちが激闘を繰り広げる二人のインファイターに接近する。どうやら援護して各個撃破するつもりみたいだけど……。

「月並みな台詞だが。そうは問屋が卸さないんだな、これがさ」

『狙い撃つわよ!』

 それを読んでいたユーヤの呟き。伝え響く、女の子の砲哮。

 ちゅどーん。

 一瞬遅れ、ティアナたちの目の前に粉塵と土砂の柱が吹き上がる。行く手を阻むのは、遠距離からのピンホールスナイプ。
 ──すでにそこは、“彼女”の射程の真っ直中だったのだ。

『狙撃!? どこから──』
『ほらほらぁ! ぼやぼや突っ立ってると挽き肉になるわよ!』

 どーん。

 砲撃を放つのは、とあるビルの屋上の立つ“ティアナ”。おそらく“ティアナ”は、開幕直後から光学迷彩で姿を隠し、さらにガンナーズブルームの機動力を生かして狙撃位置を確保していたのだろう──誰の目にも留まらず、秘密裏に、だ。
 こういうクレバーな戦い方は、“彼女”がユーヤの分身であることを如実に感じさせた。

『有象無象を飛び越えて、あたしの魔弾は敵を射抜く!』

 どどーん。

 雨のように降り注ぐ鉛の嵐が破壊の爪痕を刻んでいく。
 この破壊力、とても模擬弾を使ってるようには思えない。あたりどころが悪くてケガしないだろうか、と見ている方はハラハラだ。

「つーか反則だろ、ガンナーズブルーム」
「あの破壊力に機動力がデフォルトだもんねぇ。砲撃魔導師のプライド、ちょっと傷つくかも」

 教導隊出身の二人の統一見解に、私も内心で同意。
 とか言いつつ余裕綽々なあたり、なのはも負けず嫌いというかなんというか……。

『くっ、やられた……! ちびっ子コンビっ、いったん散開してポイントB6で合流! いいわね!?』
『はい!』『了解です!』
『スバルっ! アンタもはやく撤収──』
『あれぇ、しっぽを巻いて逃げちゃうんだ? でもいいのかなー、そんなんで“なのはさんみたいな魔導師”になれるの?』
『っ!』

 焦りを隠せないティアナの指示にかぶせた“スバル”の挑発に、さあっとスバルの顔が紅潮した。ほんと、いじわるだなぁ。

『くすくす』
『あっ、待てッ!!』

 悪意のある嘲笑。反転したシャドウがものすごい速さで走り去る。
 マッハキャリバーを起動させ、スバルが追いかける。完全に頭に血が上っちゃって、パートナーの制止の声も聞こえていない。

『逃げるなー!』
『あばよ〜、とっつぁんっ♪』

 熾烈かどうかは微妙な追撃戦。逃げる“スバル”に、スバルの手が届くか届かないかの瞬間──

『うわわっ!? ──ぐぎゃっ!?』

 どてーん!!
 突然、スバルが盛大にすっころげた。
 ずざざーっ、と勢い余って地面を滑ると大の字になって沈黙。あれはかなり痛そうだ。
 でも、どうしてあんなところで……あっ、スバルのこけた場所に重たげなコンクリートの残骸が。そっか、“ティアナ”が瓦礫を幻術で隠蔽していたんだ。

『あちゃー、足下にはご注意を』

 “スバル”がスバルを嘲笑う。
 なんて単純で、なんて意地の悪いトラップなんだろう。ユーヤらしい費用対効果に優れた一手だと感心してしまった。

 ──もっとも。

「うわー、エグいね」
「エグいな」
「エグいです」

 なのはたちの感想はそうじゃないみたいみたいだけど。



[8913] 第二十二話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/08/31 23:20
 


『どう、キャロ。ティアナさんたちと繋がった?』

 砲撃の雨から逃れ、なんとか合流ポイントに到着したエリオとキャロ。スバル・ティアナとは完全に分断されてしまっていた。
 念話で連絡を試みていたキャロが首を横に振る。

『──ううん、ダメ。何度やっても、応答なしだよ』
『そっか。……まだ交戦中なのかな』
『たぶん……』

 らしくなく、弱気な声を上げるキャロ。幻影とはいえ「ししょー」と慕うユーヤが相手だからだろうか、完全に気後れしてしまっているようだ。
『きゅるー……』フリードが意気消沈ぎみの飼い主を心配して、情けない鳴き声をあげた。

『えっと……大丈夫だよ、きっと。ティアナさんもスバルさんも強いんだし。それに、その──』

 言葉に詰まり、エリオはどこか言いづらそうに頬をかく。そのほっぺはリンゴみたいに赤く染まっていた。

『なにがあっても、僕がキャロを守るから』

 不安がるキャロを安心させるように、エリオが若干ぎこちなく笑いかけた。──おお! かっこいいセリフが飛び出したよ。
 やるなぁ、エリオ。あのキャロが、不意打ちにびっくりして目をまんまるにさせちゃってるし。

『エリオくん……、ありがとう』

 すこし恥ずかしそうな、うれしそうなはにかみがこぼれる。どうやら、気落ちしたキャロを元気づける試みはうまくいったみたい。エリオもつられて恥入ってしまっているのはご愛嬌かな。
 二人の甘酸っぱいやりとりに、後ろの方できゃーきゃー黄色い歓声を上げてるなのはとシャーリーは見なかったことしよう。無視無視。

 普段は冷静沈着、自信満々でなにごとにも動じないようでいて、ふとした弾みで見せる女の子らしいか弱さはひどくアンバランスでギャップを感じさせる。──こういうのを、「男殺し」とか「小悪魔系」って言うんだよね、世間では。

(うん。でも男の子はそうでなくっちゃね)

 まっすぐな眼差しで戦域を望む、世界で一番頼りになる男性の凛々しい横顔をちらちら盗み見る。
 いまのエリオもなかなかに頼もしかったけれど、私の理想の男性である“彼”と比べてしまえばまだまだ未熟だ。男らしさのレベルが段違いだもん、仕方ないよ。
 でもまあ今後の成長には期待大、だね。


 弟分の男の子らしいところを感心していたそのとき、エリオの背後でぎらりと光る鈍い輝きがよぎる。
 瞬間、路地に広がっていた暗がりから一筋の影が跳び出した。

『──ッ!?』
『エリオくん!』

 ──ぎぃんっ!

 飛び散る火花。堅い金属と金属とが衝突した甲高い音が鳴り響く。
 受けたのは青い槍。
 仕掛けたのは黒い槍。
 それらを携えるのは、どちらも赤い髪の利発そうな男の子。鏡合わせの少年騎士──ふと、そんなしょうもないフレーズが頭に浮かんだ。

 黒い槍の持ち主は、奇襲が失敗したと見るや間髪入れずに飛び退く。5メートルほど離れた場所に軽快な足取りで着地すると、構えを解き、ことさら──演技に見えるくらい──驚いたような顔をする。

『防がれた? ……あっれー、おっかしいなぁ、今のは完全に取ったと思ったのに。さすが、シグナム師匠に稽古付けてもらってるだけのことはあるね』

 エリオに襲いかかった男の子──シャドウである“エリオ”は、黒塗りの槍を気だるげに両肩で担いでいた。
 言葉こそ残念そうだけど、口調そのものは軽薄に聞こえるほどひどく軽妙で。その言動、振る舞いはエリオ本人よりもずっと印象が幼く、子どもっぽい。年相応とも言う。
 ──辛い経験をしなかった「暗い部分をもっていないエリオ」、とでも言えばいいのだろうか。

『僕のシャドウ……!』
『待ち伏せされた!? そんな──』
『ははっ、ザンネン! キミたちの相手はぼくだけじゃないんだよね〜』

 ニシシ、と“エリオ”がイタズラっぽい快活な笑顔を浮かべる。とてもエリオが浮かべるような種類の表情じゃない。
 ふと、かすかな風切り音が耳に届いた。──上?

『っ、ケリュケイオン!』
『サークルプロテクション』

 とっさに反応したキャロが両手を掲げ、桃色の光の壁が二人と一匹を包み込む。上空から襲い来る未知の脅威を魔法の障壁がどうにかというタイミングで阻み、防ぐ。

 ──ききききんっ!

 いくつもの軽い金属音。
 地面に転がっていたのは、鉄製らしき黒くて太い針のような、五寸釘のようなもの。十本、いや、二十本はあるだろうか。

『もう一人……!?』

 “エリオ”の隣に音もなく、そっと降り立つ桃色の髪の女の子。軽装のミニスカートドレスと闇色のマントをふわりとはためかせ、遠慮がちににこっと微笑む。
 この子はどちらかというと物静かで控えめで、おっとりな印象。その様子は、私が管理局の施設で出会ってすぐの頃、“彼”の影響を受けていない頃を彷彿とさせる。芸が妙に細かい。

『どうしてこんな先読みされてるの!?』
『……このコたちが教えてくれるんです、あなたたちがどこにいるかってことを』

 キャロの疑問に答える“キャロ”の肩に止まった、一羽の蒼い小鳥。そして、足元でしゅるしゅるととぐろを巻く蒼い蛇。それら、透明な水晶の身体を持つ美しい生き物たちは、“サーチャー”の魔法が作り出した簡易使い魔だ。
 この世界に漂っている意志の弱い精霊とか霊魂などに働きかけ、“意味”を与えて使役する──といった魔法らしいんだけど、いまいちよくわからない。科学を発端に発展してきたミッドチルダの魔導師に、そういうアストラル的な存在はあまりにもなじみがないものだから。
 ──ユーヤの見えている光景をいっしょに共有できないことは、とても残念でさびしい。

『情報収集は戦闘行為の基礎の基礎です』
『予め“目”を放っていれば、このとおり』
『どんな策でもお見通し』
『だって、最初からぜんぶ“見てる”んだからね』
『つまりみなさんは』
『飛んで火にいる夏の虫だった、ってわけ!』

 やけに息の合っている二人の言葉を信じるなら、全域にかなりの数の使い魔がばらまいているらしい。
 まずその用意周到さに唖然として。次に焦りと悔しさを露わにして、エリオが叫ぶ。

『くっ、そんなの卑怯だ!』
『卑怯ぉ? 失敬だなぁ、戦略的って言ってよ。そんなんだから、本体に“坊や”呼ばわりされるんじゃない。なっさけなー』
『っっっ!!』
『エリオくん、抑えて。あれがししょーのやり口だって、知ってるでしょ?』

 挑発にいきり立つエリオをキャロがなだめる。
 あーあー、エリオ、顔を真っ赤にしちゃって。あれ、完全に頭にきちてるよ。……まあ、あんな言い方されたら無理もないけど。

『ははっ、ぼくらの本体ならこう言うだろうね。“情報を征したものが戦場を征するんだ”、ってさ』
『ししょーのドヤ顔が目に浮かぶ……』
『……なんだかその言い様、ちょっとむかつきます』

 額にちょっと青筋を立てた“キャロ”が、それぞれ三本づつ両手の指の間に黒い針を挟み、腕をクロスさせて構える。まるで扇を開いたよう。
 同時に、キャロはバリアジャケットを闇色のマントをまとったスカート丈の短い軽装形態に変化──彼女はこれを“アサルトスタイル”と呼んでいる──させ、さらに両手に両刃の短剣を喚び寄せた。

 それが合図になったのか。
 誰からともなく、ぐぐ、と身体を深く沈みこませる四人。

 ──時間いっぱい。
 爆ぜるようにして、四種の刃が街頭に交錯した。


「……飛針?」

 飛び交う無数の針を見たなのはのぼそりとしたつぶやき。
 そういえば、実家の武術とかでああいう武器を使うんだったっけ。私はよく知らないけど。

「どっちかというと棒手裏剣だな、あれは。投げるのに技術は要るが、牽制に使うなら軌道を見切りにくい分ナイフよりは幾らか上等だ」
「……まさか張り巡らしたワイヤーの上を走り回ったりとかはじめない、よね?」

 え。なにその超人。
 魔法使ってでもなきゃできないよ、そんなこと。

「さすがにそりゃあ無理ってもんです。──まあ、単分子ワイヤーくらいならもってるけど」

 言うなり、虚空からワイヤーの束を取り出すユーヤ。なのはの言葉じゃないけど、ほんとびっくり箱みたいなひとだ。いろんな意味で。

「はあ。“箒”をたくさん持ってるのは知ってたけど、そういうのもあるんだね」
「まぁな」
「ほかにはどんなの持ってるの?」

 ──きっとこのとき、なのははほんの軽い気持ちで聞いたんだろう。とうぜん、すぐに後悔することになるなんて、神さまじゃない私たちにはわかりようのないことなわけで。

「ロングソードやレイピア、グレートソードなんかの西洋剣は基本形として──」

 しゅんっ、何本何種類もの剣がザクザクと床に突き刺さる。
「え」と、無造作に現れた剣群に驚く私たち。思考がフリーズする。

「ヌンチャク、トンファー、ウォーハンマー。手斧、脇差し、青竜刀に日本刀。短槍、長槍、長刀、ハルバード。ダーツ、手裏剣、ボウガン、弓矢。ハンドガンサブマシンガンショットガンアサルトライフルライトマシンガンアンチマテリアルライフルロケットランチャーグレネードランチャー」
「え、ちょ」

 呪文を唱えるような言葉の列挙に従い、なにもない空間にドサッと現れる武器の数々。時代錯誤の刀剣類から最新鋭の近代兵器まで、その種類は幅広い。
 ──ていうか豊富すぎるよっ!

「それから──」
「まだあるのかよ!?」

 やけくそぎみにツッコむヴィータ。その気持ちよくわかるよ。

「カイザーフィストに九節棍、破砕丸と方天戟。桃剣、クリスタルエッジ、メテオライトソード。フェイタルホーク、スカーレットテイル、サイズ。もちろん暗器各種やハンドグレネードも──」
「ちょ、待って! わかった、もうわかったからぁっ!」
「ん、そうか?」

 切羽詰まったなのはの悲鳴をもって、武器兵器の大行進はようやくのうちに終了。「まだ出してないのが山ほどあるんだがなー」、と軽い感じで武器を収納し直したユーヤはどこか物足りなさそう。

「おまえは歩く武器庫か」

 ヴィータがあきれたような言は驚くほど的確な比喩だ。ほんと、その気持ちよくわかるよ。

 以前、聞いたことがある。自分のカグヤにどれだけのものが入っているのか、ユーヤ本人にもわからないらしいってことを。
 そのくせ、ほしいものは念じれば出てくるのだから始末に負えない。

「攸夜さん、どうしてそんなにたくさんの武器を持ち歩いてるんですか?」
「加減がしやすいからな」
「加減?」

 シャーリーからの質問の答えは主語を抜かしたもの。続けてなのはが追求する。
 すると、ユーヤはシニカルに苦笑し、左手を何度もにぎにぎ握る。確かめるような仕草がどこか寂しそうに見えるのは、気のせいではないはず。

「軽く小突くだけで普通の人間をミンチにしちまうんだよな、俺。だから相手の無力化とか得意じゃなくてさ。
 その点、魔法処理の施されてない刀剣類や近代兵器ならその心配もないだろう?」
「それは……」

 冗談にしても、笑えないよ。
「え、えっと……」ブラックジョークまがいのセリフに言葉を失う。なのはも、シャーリーも同様だった。
 私たちの反応に自嘲的な冷笑を深めたユーヤが、ふいに虚空に目を向け、ため息をつく。

「おやおや。今日は予想外の客が多い日だね、どうも」

 意図のわからない不可解なつぶやき。その意味を、私はすぐに目の当たりにすることとなる。

 ヴン、と耳障りな不協和音を立てて空間が歪む。
 これは“魔王”が現れる前兆。と、いうことは──?

「俺は招いたつもりはないんだがな。ベル、それにパール」

 非幾数学的にねじれた多次元空間が、ゆっくりと本来のカタチに終息していく。

「あたしにも、招かれた覚えはないわね」
「やっほー☆ アル、元気ぃ?」

 姿を現したのは非常に見目麗しいふたりの美少女。
 深いパープルのセーラー服に、麻色のポンチョを羽織った銀髪の女の子。そして、白と赤のいわゆる巫女服と呼ばれる和装をした金髪の女の子。

 しゃらん──
 透明な鈴の音が、吹き抜けた風に乗って屋上に響き渡った。



[8913] 第二十二話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/09/04 23:30
 


「お前らが揃って出てくるとは珍しいこともあるもんだ。こりゃあ、槍でも降ってくるかな」

 どこか気持ちのこもっていない言葉で、思わぬ訪問者たちを迎えるユーヤ。ほんのわずかに歪めた口元は、皮肉げな雰囲気を漂わせている。
 む、と不快感をにじませる銀髪の少女。一方、金髪の少女は特に気にした様子をとくに見せていない。

「……」

 ユーヤがいればよほどのことにならないとわかっていても、思わず身構えてしまう。これはもう、本能的な反応だ。
 すすすっと、こっそりシャーリーの後ろに隠れるなのはが視界の端に見える。そんなに苦手なんだ、あの銀髪の子のこと。……あれだけ痛めつけられたら無理もない、か。

「べつに。一緒に仲良くってわけじゃないわよ、当然でしょ」
「ベルが勝手についてきただけだよ」

 心外そうな魔王二人組。息が合ってるようにしか見えない。

「ったくもぅ、鬱陶しいったらないのよね。ブンブン小バエが目の前を飛び回ってさぁ、やんなっちゃう」
「それはあんたでしょうが! ピーチクパーチクくっちゃべって、目障りなのよっ!」
「はぁ? 目障りなのはこっちのセリフ! だいたいベルってば、スタミナだけが取り柄の体力バカのクセして大きな顔しすぎだっつーのっ!!」
「ぬぐっ! なめたこと抜かしてるんじゃないわよ、くっだらない計画ばっかり立てる脳味噌スライムの分際で!!」

 ひどい罵倒の応酬、罵りの嵐。あまりの口汚さに、観客である私たちは呆然とするばかり。
 事情を知らず、交流の少ないない──というか、私的な会話を交わしたことのない──私でもわかるくらい、この二人の対立はそうとうに根深いらしい。

「なにおう!?」
「なによっ!!」

 がるるるるーーっ! と歯を剥き出していがみ合う姿はまるで猛獣のよう。ただしこの猛獣、一度暴れ出したら手がつけられないほど凶暴だ。
 止めなくていいの? とユーヤに目で語りかける。彼は困ったように肩をすくめ、どっこいしょと押っ取り刀で重い腰を上げた。
 立ち上がるとき、ユーヤがそっと私の耳元にこんな言葉を言い残した。「ちょっと怖いかもしれないけど、少しの間我慢して」って。
 こわい……? それってどういう──

「喧嘩をするのはお前たちの勝手だが」

 悠然と腕を組み、ユーヤが口元に薄い笑みを浮かべた。
 どこか耽美で、ぞっとする表情。目が笑ってないけど。──途端に、強烈な悪寒が私の全身を駆けめぐる。血の気が引いていく。

「我らが領土たる裏界でならいざ知らず、ここが俺のシマだってことを忘れないでもらいたいな」

 その声は絶対零度の冷たさで、この場の絶対強者が誰かを告げていた。
 空気が一段と重たくなる。
 心臓を直に掴まれたような、吐き気をもよおすような──そんな、いままで味わったことのない濃密な死の気配に、私は縮こまって震えることしかできない。このまま気を失ってしまえば、楽になれる、かな……?
 幸い、離れた場所にいるなのはやヴィータはそれほどの威圧感は感じていな──ああっ、シャーリーが緊張のあまり立ちくらみをっ!?

「……わーってるわよ、そんなこと」
「んー、パールちゃんとしてはここで決着つけるのもやぶさかじゃないけどぉ〜。ま、アルの顔を立てて、今日のところはおとなしくしてあげるわっ☆」

 ぷいっ、とそっぽを向くベルと無邪気に笑うパール。

「ん、わかってくれたならいいんだ」

 気圧されたわけではないだろうけれども、とりあえず納得する姿勢を二人が見せるや否や、ユーヤは一転して、とてもにこやかに微笑む。それで、険悪極まりない空気が霧散した。
 ふぅ、と私以下、当事者たち以外から安堵の息がこぼれる。慣れない修羅場──それも特上級に危機的な──の雰囲気に耐えられなかったシャーリーは、なのはに助け起こされていた?
 いい加減、心臓に悪いよ……。

 ユーヤいわく、自分と彼女たちとのパワーバランスは五分五分。それで裏界だと、まともにぶつかればほとんど勝負にならないんだとか。
 あの放胆さと自尊心の固まりみたいなユーヤが、あんな消極的な発言するなんて信じられない。ほんとうに、“魔王”ってどれだけ強いんだろう。想像もできない。

「で。お前らも模擬戦の観戦に来たと?」
「そうよ」
「ヒマだったしねっ。アルの戦いって奇抜でおもしろいし」
「はぁ……さいですか」

 邪魔だけはしないでくれよ、と若干おざなりにユーヤは許可を出した。苦労人だね。
 おへそを曲げられても困るので、私もなのはも口を噤んで異論を挟まない。あまり関わり合いになりたくない、という部分もあることも否定はしない。


 さて、ちょっとしたハプニングはあったものの、まだまだ戦闘は続いている。すぐに意識を切り替えて、注意をそちらに向けた。
 年長者として、上司として。みんなの戦いは、片時も見逃すわけにはいかないもんね。

『でええぇぃやあぁぁっ!!』

 喉を張り上げ、拳撃を何度も繰り出すスバル。鼻の頭のあたりが真っ赤になっているのは、さっきの悪辣なトラップのせいだろう。
 現在、彼女はほかの仲間と分断されて一騎打ちの真っ最中。一番近くにいるのはティアナだけど、砲弾の雨を抜けるのに四苦八苦。合流には時間がかかる。“ティアナ”が陣を張っているビルのすぐそばまで引き込まれているればなおさらだ。

 まっすぐで、悪く言えば直情径行なスバルらしい鉄拳はしかし、“影”には届かない。当然だ、その本性は戦上手なトリックスターなのだから。

『甘いよっ!』
『わっ、うわっ!?』

 上半身のひねりだけで拳をかわした“スバル”は素早くスバルの腕を取り、背負い投げの要領で投げ飛ばした。私が昔もらったことのあるパターンだ。
 投げ技、という選択肢が頭になかったのか、うまく受け身がとれずスバルが背中を強打する。そこを見逃す“スバル”ではない。

『はあっ!』
『くっ!』

 頭部を踏みつぶすような蹴撃。
 間一髪。ゴロゴロと地面を転がり、スバルはなんとか追撃から逃れることに成功した。
 でも、投げからの関節技をしてこないないだけまだマシだ。私なんて、格闘訓練のときに腕ひしぎ十時固めとか四の字固めとかを何度も決められたし。地味に痛いんだよ、アレ。
 時折私は、護身術というか、デバイスが使用できないシチュエーションに出会したときのために、ユーヤに無手での戦闘術を見てもらっている。力任せの喧嘩殺法のようでいて案外術理がしっかりしているのだ、ユーヤは。さりげなく努力家だしね。
 幸運なことに私の魔力変換資質は“電撃”、格闘との相性は抜群。なので、人間を無力化するくらいならそれほど威力はいらないし、デバイスの補助を必ずしも必要とするわけじゃないんだ。……絶縁体とか対策されるとダメダメだってことは言わないでほしい。


『そらそらそらそらぁ!!』
『っく!』

 連打連打連打。
 息もつかせぬ怒濤のラッシュ。時折、蹴り技も織り交ぜた激しい攻勢にスバルは防戦一方。力は同等だというのにこうも違いが現れる原因は、戦型の完成度だ。
 “シューティングアーツ”という格闘技の詳細を知らないので詳しくはわからないけど、一撃一撃の動作が洗練されているように見える。ユーヤのそれは基本的に、理不尽なスペックを笠に着たごり押しだから。

 戦局の天秤がついに“スバル”へと傾いたそのとき──

『シュートッ!!』
『っ!』

 横合いから飛び込んだ誘導弾を腕の盾で弾き、回避し、“スバル”はわずか一足で射程圏内から跳び退いた。瞬発力では本人を上回っているようだ。

『ティア!』
『ゴメン、突破するのに時間がかかって』
『ううん、助かった。ありがとう』

 ティアナがスバルのそばに駆け寄る。“ティアナ”の砲撃圏内からどうにか逃れた、ということなのだろうか。……すこし、腑に落ちない。

『2対1かぁ。さすがにちょっとヤバイかも』

 言葉とは裏腹にのんきな“スバル”。表情も余裕綽々といった感じだ。
 キッ、とビルの屋上あたりを睨みつけたティアナが、なにかを決心したように告げる。

『……スバル、ウィングロードでそこのビルの屋上まで道作って』
『ティア?』
『上にいる、アタシのシャドウとやらにギャフンと言わせてやるのよ。こちとら一方的にやられまくって、いい加減仕返ししてやらなきゃ気が済まないわ』

 うわー、ティアナかなり怒ってる。弾幕抜けるのに苦労して、相当鬱憤がたまってるみたいだ。

『うん、わかった』
『見逃すと思ってんの?』
『思ってないわよっ!』

 そうはさせじと飛びかかる青い髪のシャドウに、抜き撃ちでショートバレルを放つティアナ。それくらいでフロントアタッカー相当の“スバル”の装甲は揺るがない。けれど妨害としては上出来だった。
 その間に、青い翼の架け橋が地面と屋上とを繋ぐ。

『スバル、任せた!』
『任されて!』

 やや傾斜がきついの坂道を、ティアナが健脚を生かして駆け上っていく。
 その背後を守るのはスバルだ。一言だけで意志の疎通ができるあたり、さすがは訓練校以来のコンビだと思う。

『させるか!』
『ここは通さない! はあああっ!!』

 再びの激突。拳と拳がぶつかり合う音を背に、ティアナは屋上に到達した。監視用サーチャーの視点が彼女を追いかける。
 下の争乱が届いていたのだろう、ティアナを認めた“ティアナ”がガンナーズブルームの砲口をこちらに突きつけた。
 瞬間、発砲。
 耳をつんざくのあと、ズズン、と射線上にあったビルが中程から倒壊する。幻術で投影されたティアナの像を突き抜けた砲弾が当たったんだ。

 ダッ、とタイミングをずらしてティアナが地を蹴る。
 陸戦魔導師らしい俊足を生かし、両手のクロスミラージュを乱射しながら“ティアナ”に突撃をかけた。

『リロードの間隔なんて、とっくのとうにお見通しよ!』
『チィ!』

 弾倉を開き、リロードの準備に入っていた“ティアナ”は舌打ちをして作業を止め、退避行動に出る。

『懐に入ればっ!』

 そう叫び、果敢に飛び込んでいく。あんなに大柄で取り回しの悪い大砲を抱えて、身軽に動けという方が無理というもの。
 インファイトに持ち込めば、ティアナのデバイスが小回りの利く拳銃タイプな点が有利に働く。

(これは、決まったかな)

 誰もが──少なくとも私が──そう思った瞬間だった。

『くあっ!?』

 たくさんの爆竹が破裂したような炸裂音に混じる、ティアナの悲鳴。苦痛と、困惑を帯びた声。
 下腹部に“銃口”を押しつけられ、まるで機関銃のごとき連続射撃を受け、ティアナは無理やりに後退させられた。あれは痛そうだ。

『懐には入れば? 甘い甘い。あんたはあたし、あたしはあんた。あんたに出来ることがあたしに出来ないわけないじゃない』
『ッ……!』
『本体の言葉とあたしの得物に惑わされたわね。“射撃をしない”、なんて一言も言ってないのに』

 ひざを突いたティアナをまるで取るに足らないものと見下し、“ティアナ”がくるくると手で弄ぶるのは長大なガンナーズブルームではなく、リボルバータイプの大型拳銃。鈍色の、全長30センチくらいあってゴッツい。
 形状から見て、込められた弾丸は三つ程度だろう。それにしてはマシンガンのように連射できていたから、カートリッジシステムのようなものではないかと私は推測した。

「「ダディか!」」

 ──え?
 場の空気が停止する。
 原因は、ヴィータとパールが口走った意味不明なこと。いや、うん、ほんと意味わからないよ?
 彼女たち自身も異常に遅まきながら気がついたのだろう、お互いの顔をお見合いする。
 数瞬の沈黙。
 不意に、ガシッと二人は手を堅く握りあう。熱い握手だ。

「ね、ねえ、攸夜くん」

 眉間にしわを寄せ、こめかみに指を当てるなのはの言葉を引き継ぐ。

「なんか、意気投合してるみたいだよね。どうして?」

 私となのは、そしてからの視線を一身に集めたユーヤは一瞬言葉に詰まり、それから「……知るか」と投げやりに言って深いため息をこぼしたのだった。



[8913] 第二十二話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/09/16 23:08
 


 ──屋上には白々とした空気が蔓延している。

 ティアナと“ティアナ”の激しい銃撃戦は依然続いていても、イマイチ身が入らない。
 それというのも……、

「でさー、超古代都市ルルイエがないかって探してみたのよー、ファー・ジ・アースで」
「ガタノゾーアが出てきたらどーすんだよ。で、あったのか?」
「ぜんぜんっ。だからこっちの地球には期待してるのよねっ☆」
「見つからないことを心から祈ってるよ……」

 鼻をつき合わせて雑談をしているヴィータとパールが気になって仕方ないからだ。
 さっき意気投合してからこっち、ずーっとあの調子でおしゃべりを続けている。なかよくなるのはとてもいいことなんだけど、なんか腑に落ちない。あと、なんとなーく会話の意味がわかってしまう私は、ユーヤに毒されていると思う。

「あら、あれって呪文詠唱銃じゃない。よくもまぁ、あんな骨董品がまだ残ってたもんだわ」

 そんなとき、ベルが誰ともなくつぶやく。どうやら、“ティアナ”が使っている武器について心当たりがあるらしい。
 彼女の独り言にユーヤが反応を見せた。

「マジカル・ウォーフェア当時、俺が使用していたものだよ。あの頃はアイン・ソフ・オウルを封じられていたからな」
「そういやあんた、ファー・ジ・アースじゃ“魔弾”とも呼ばれてたっけ」
「へぇー……」

 格闘のイメージが強いユーヤだけど、それ以上に多用しているのが射撃・砲撃だ。破壊力、命中精度ともにバツグンな攻撃方法を多数保有する彼なら、“魔弾”という異名もふさわしく思える。
 なので、「ユーヤの持ち歌と同じだね」とちょっと茶々を入れてみた。……って、あれ? ユーヤ、いやそうな苦い顔してる。どうして?

「そんな開始早々退場しそうな二つ名、御免被りたいんだけどな」
「そっかぁ……じゃあ、ちょっと捻って“緋蝶”とか」
「後方不注意はもっとイヤですぅ」
「でもマンガ版じゃ後輩を守ってたよ?」
「どっちにしろ退場は免れないがなっ!」

 ──こう、テンポのいい会話って気持ちがいいよね。
 最近、ようやく彼のノリにつき合ってくだらないかけ合いができるようになってきた。達成感もひとしおだ。

 っと、訓練に集中しなきゃ。

『いい加減に墜ちなさい!』
『それはこっちのセリフよ!』

 同じ声で言い合う二人のガンナー。オレンジとブルーの弾丸がお互いを撃ち抜かんと激しく飛び交う。
 アクロバティックに飛び跳ねる“ティアナ”のスタイルは、さながらサーカスの曲撃ち。あれ、なんか親近感が……?

『ふん、どこ狙ってんのよ。ノーコン!』
『そう見えるんなら、あんたの目は節穴ね』
『えっ──?』

 “ティアナ”の放った一発の銃弾が逸れていき、屋上の一角で、ぴん、と張り詰めたピアノ線らしきものを断ち切った。

 瞬間──

『うっきゃあああーーっ!?』

 ちゅどーん!
 あらかじめ仕掛けられていたらしい爆薬が、連鎖的に次々炸裂して屋上を火の海に変える。ご丁寧にもティアナを中心として、だ。
 とりあえず、この威力でビルが倒壊してないのは偶然じゃない、完全完璧に計算されたプロの仕業だった。
 え、“ティアナ”? 彼女なら“箒”に乗ってさっさと退避しちゃったよ。ちゃっかりしてるなぁ。

「ナイトウィザード03重傷判定、戦闘不能。──ティア、負けちゃいましたね」

 プスプスこんがりいい感じにコゲたティアナへ無情な判定を下し、シャーリーが苦笑した。
「あちゃー」と困ったような顔をして額に手を当てるなのは。そのままちょっと頬を膨らませてユーヤを見やる。教え子が負かされたのが悔しいらしい。

「最初っからこうするつもりで誘導してたんだね、ティアナたちを」
「まあな。ランスターは頭こそ切れるが、物事を自分の常識に填めて決め付ける視野狭窄な傾向がある。だからこうやってお粗末な罠に引っかかるわけだ」
「そうかなぁ? ティアナって、けっこう柔軟な考え方のできる子だと思うけど」

 なのはが異を唱える。

「頭の出来じゃないんだよ、問題は。いや、なまじっか思考力が優れているからこそ自分の考えに固執するんだろうさ。
 ま、要は思い込みが激しいんだな、誰かさんみたいに」
「……誰かさんて、まさか私のこと?」
「はっはっは、何のことだかわかりませんね、高町さん」

 耳ざといなのはの指摘に、慇懃無礼な口調でユーヤが笑う。そのパターン、見えすいてるよ?

「ともかく。今回の敗因は、パワーゲームで勝敗を決しようとしたこと。この訓練の攻略法、肝心要なところは別にあるのさ」

 むぅ、これは意味深だ。なにか見逃しているファクターがあるのだろうか。

 ……でもまあ、どっちにしろ大勢はもう決まっちゃったかな。4対4の形が崩れてしまったし。
 いくら個人の力が強くたって、戦いにおいて最終的にものを言うのは数である。もちろん、状況次第ではあるけど。
 Sランク魔導師である私やなのはだって、百人単位の人間を制圧するのは困難だし、千人を越えた軍隊を打ち倒すだなんて無理な話だ。リインフォースとユニゾンしたはやてならそれくらい蹂躙できる、という点についてはこの際置いておく。
 ちなみにユーヤは、一万だろうがなんだろうが独りで打倒してしまう。「俺を止めたければ、管理局の全戦力を持って来るんだな」とは本人の言葉。兄さんが試算したところによると、全ての戦力をフルに使って七日七晩戦って、それでもせいぜい相打ちが限界なんだとか。どんだけー?


 ともあれ、視点をもう一方の戦場に移そう。
 こちらは建物の内部で戦っているようだ。オフィスにピッタリな広々としたフロアでは、激闘が続いていた。

 稲妻が奔る。
 青と黒の雷光が何度も煌めき、その度に激しい硬質音が撃ち響く。
 彼らは影を置き去りにする速さで動き回り、残像すら掴ませない。
 縦横無尽──ほとんど同じ姿をした小さな騎士たちが、ほとんど同じ動きで鉾先を交える。しかし、これではいつまでたっても勝敗がつかない。いわゆる千日手、というものだ。

 ……では、その均衡を崩す要因はなにか。
 ──第三者、である。

『合わせて、エリオくん!』
『わかった!』

 言いながら、ナイフを三本投擲するキャロ。“エリオ”がそれを槍で叩き落とすことで生じたわずかな間隙を縫い、エリオが魔法の発動体制に入る。

『ストラーダ!』

 軽く飛び上がるこのモーション、私にもなじみの深い魔法だ。

『サンダーレイジ』
『いっ、けええええっ!!』

 床に突き立ったストラーダから生み出された幾条もの青い雷撃──サンダーレイジがシャドウたちに襲いかかる。
 大技を放つとき、たいていの場合、相応の隙が発生する。私が見るに、エリオと“エリオ”の戦闘能力はほぼ互角。であれば、普段以上にそういった一瞬の隙が勝敗の決め手と言っても過言じゃないだろう。

 だから、キャロのサポートは的確だった。

 けれども。
 相手もひとりではないことも、忘れてはいけない。


『シッ!』

 “キャロ”が小柄な身体を存分に使い、振り回すようにして飛び道具を放つ。コンクリートに刺さった鉄製の針に引き寄せられ、雷の筋が散っていく。
 あれを文字どおりの避雷針に見立てて──どうやら特別な加工も施されているらしい──、雷撃の進路を逸らしたようだ。
 こういう風に、簡単に対策をとられちゃうのが雷撃系の弱点なんだよね。

『てんきゅ』
『どういたしまして』

 大きく飛び退く“エリオ”は、天井の角にピタリと吸いつくように着地する。
 くるん、と槍を逆手に持ち替えての投擲体勢。彼の前に、蒼い、幾数学的な七芒星の魔法陣が描き出され、同時に槍をリング状の光の帯が取り巻いた。

『そぉら、お返しだよ!』

 かなり無理のある体勢から投擲された黒い槍が魔法陣を通過して数え切れないほど分裂、撃ち下ろすように放たれる。
 エリオとキャロは、圧倒的な破壊力を持った黒い雨にさらされた。

『くっ、バリケードぉっ!!』

 ギリギリのタイミングで二人の前に立ちふさがった鋼鉄の壁が、猛威を振るう黒い嵐をどうにかこうにか防いでいた。
 いまの技は、電撃による範囲攻撃ができないからそのかわり、ということなのだろう。それにしては、威力がありすぎるような気がしなくもない。まあ、深く考えたら負けだ、うん。

 舞い上がった砂煙が室内を包み込み、視界を曇らす。さらに鉄の壁が立ちふさがっていれば、まったく前が見えなくなってしまう。
 そしてこの状況を黙って見ているほど、シャドウたちは甘くない。

 風のように走りながら地面に刺さった槍の一本を抜き、“エリオ”が猛然と技後硬直中のキャロに肉薄する。
 死角からの襲撃。

『ッ! 裏界の公爵、宵闇に馳せる麗しの騎士、疾く来たりて彼の者を阻めっ!!』

 とっさに反応したキャロの早口な詠唱。一瞬で魔法が紡がれる。
 “エリオ”の強襲を際どいタイミングで阻む、黒い旋風が吹き荒れた。

『──“魔騎士”エリィ・コルドン。盟約の下、馳せ参じた』

 バサリ、と闇色に染められたマントをはためく。鮮やかな裏地の紅が目にまぶしい。
 キャロを背にかばうように現れた金髪青眼の人物は、いつかマンガかなにかで読んだ──そう、リボンの騎士。まさしくそんな感じの服装をした綺麗な女性だった。

「ふぅん。あの子、エリィも喚べたんだ」
「裏界魔王の中では比較的御し易い分類に入るからな、“魔騎士”は。空気読めないけど」
「ま、そうね。空気読めないけど」

 と、ユーヤとベルの会話の話題は召喚された女性のこと。キャロの召喚は“侵魔召喚”、つまり異界から魔王を呼び寄せ力を借りる技法だ。なので、呼び出された相手のことをこの二人が見知っていても、なんらおかしくはない。
 ──あ、よく見るとあの人のマント、キャロのとお揃いだ。なにやら魔力の織り込められた一品だったし、彼女から譲り受けたりするのかな。

『エリィさん、彼の相手、お願いします』
『任せておきたまえ。弱き者を守るが騎士の務め、我輩の矜持であるからして』

 ぴんっ、と目の前に立てていた銀色に輝く豪奢なレイピアを“エリオ”に突きつけ、銃士姿の麗人が古風な言葉づかいで大仰に言い放つ。
 私が今まで目にしてきた“魔王”たちと同じく、優雅な所作の一つ一つに気品と自信があふれていた。
 芝居がかったところがさらに、その印象を強めていて──まるで、いつかユーヤと観に行ったオペラに出てくる登場人物みたい。

『して、敵はシャイマールの分体か──、ふふっ、面白い。相手にとって不足無し』

 “エリオ”の正体をひと目で看破した麗人は広い帽子のつばに指先を添え、流麗な声を響かせる。さきほどの詠唱から察するに、彼女は“公爵級”──ユーヤと同格だ。かなりの実力者と見て間違いないだろう。
 それを裏づけるかのように、じりじりと後退して間合いを計る赤い髪の男の子。陽気に振る舞っていた彼がここに来て初めて、苦々しい表情を見せた。

『裏界最速の騎士、か。キャロも嫌なヒトをピンポイントで喚んでくれるね』

 むむ、最速……。
 いったい私とどっちが速いんだろう……、競争、したいなぁ──

『さっすがはぼくらの本体の一番弟子、やることが悪らつだ』
『……ほめられてるような気がしないんですけど』
『ふむ、我輩にもそうは思えんな』
『うう……、ししょーなんかに師事したばっかりに、まともなヒロインになれないんですぅっ!!』

 うなだれたキャロが理不尽を世界に叫ぶ。涙目だ。
 キャロ……、そんなこと言ってるからいつまでも正統派になれないんだよ、はやてみたいに。──はっ!? なんか変な電波受信してた。
 なお、ユーヤは「なんかとはなんだ、なんかとは」としっかりきっちりツッコミを入れてる。

『些か邪魔が入ったが。──では改めて、舞踏の時間と参ろうか』

 麗しき女騎士が高らかに宣言する。
 返答は、あふれるような魔法の息吹──ソニックムーブやブリッツアクションと同類の高機動補助魔法、“リフレクトブースタ”だ。

『いざ尋常に──』

『『勝負!!』』



[8913] 第二十二話‐5
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/09/16 23:26
 


 ユーヤとベル、二人の会話は依然として続いている。
 ほんと、訓練そっちのけだ。

「で、他にはどんなメンツがいるのよ」
「“狼の王”と“狩人”だ」
「マルコは単純だからわかるけど、レライキアってあたしんとこに付いてるヤツじゃない。人間の言うことなんて聞くかしら?」
「アイツは消極的排除派だろ。人間なんて眼中にないからとりあえず協調してるだけで、お前さんの思想に共鳴してるわけじゃないよ。それに──」

 いったん言葉を切り、ユーヤが疲労感を漂わせて肩をすくめた。どこか遠い目に、哀愁が見えるのは私の気のせいじゃないはず。

「ブンブン・ヌーやらグラーシャ・ロウロスよかずっとマシだろう、常識的に考えて」
「たしかに、ね。だいたいエレガントじゃないもの、あいつら」

 ……私、ぜんぜん話についてけないんだけど?
 なんか仲間はずれにされてるようでもやもやする。こう、「地元の話で盛り上がる中に取り残された」みたいな? うん、我ながらいいたとえだ。

「……ああ、グラーシャに何度殺されかけたことか。同じくらい壊し返してるけど。あのシリアルキラーめ」

 ……。
 ま、まあとりあえず、穏やかじゃないということだけは、よーくわかった気がする。

「それはあんたが、あっちこっち見境なくちょっかい出すからじゃないの」
「仕方ないじゃないか、俺の溢れるような協調性が成せる業なんだからさ。友好を結べるか、試してみなきゃ駄目だろう」
「協調性とか友好って、最も“魔王”らしくない概念だわね」

 ふわふわの髪をかき上げてベルが辛辣に言う。表情から、ユーヤのことを見下して軽蔑しているのは間違いない。
 ふと、困ったようにユーヤが微苦笑を見せる。

「自分でもそう思うけどさ。昔言われたんだよ、“協調性の無さと我の強さを修正した方がいい”ってな」

 自嘲的な笑み。大切な思い出を語るような雰囲気を、愛おしいげな表情や声色に感じた。……いまの、“お母さん”のこと、なのかな?
 でも誰とでもなかよくできるひとって尊敬できるし好きだよ? 私、なのはとかはやてと違って、人見知りだし……。

「ふぅん……。まぁ、案外顔が広いのよね、あんたって」
「姉さんの派閥の連中については言うまでもないと思うが、エリィ以外にはカミーユともよく連んでるぞ。何かと話が合うしな」
「ねーねー、パールちゃんはー?」
「もちろん、パールともよく遊んでるよな。後はアニーやリオン、ファルファルロウにイコ、シアースとか、大体この辺りか。脳筋共とはどうもに馬が合わん」
「さりげない知性派アピールがムカつくわね」

 魔王にも複雑な人間(?)関係とか事情があるんだなー、と横で聞いていて感心してしまった。──“あちら”の一部のひとたちが、侵略者であるはずの彼女たちに親しみを持ってしまうのも、ちょっと納得かもしれない。

「話を戻すけど。能力のバランスはわりと考えられてるのね」
「アタッカーのマルコ、ディフェンダーのエリィ、フールーがキャスターでレライキアがヒーラーだな、一応。
 もっとも、今のキャロは一度に二人喚ぶのがやっとなんだが」

 ふむふむ、なるほどね。“あちら”では、そういうふうに兵科をわけてるんだ。
 エリオたち四人に当てはめるなら、スバルがディフェンダー、ティアナがキャスター、エリオがアタッカーでキャロがヒーラーってところかな。
 語感がシンプルだし、役割分担もはっきりしててわかりやすいね。


 話も一段落したことだし、訓練の方に戻ろう。この模擬戦ももう終盤、終わりが見えてきた。

 トラップにひっかかり撃墜済みのナイトウィザード03、ティアナ。そして、自分の“影”に拘束されて身動きがとれないナイトウィザード04、スバル。──むしろ一騎打ちを楽しんでるように見えなくもない。
 ま、まあ、それはともかく。
 この両者は現在、物理的に行動不能状態だ。
 つまるところ、残りの二人と一匹が踏みとどまらなければ、またこの前の演習のように残念な結果になってしまう。ここがふんばりどころだよ、がんばって!

『これで2対1──、あなたが私と同じだけの力を持っているというなら、これでチェックです』

 激烈な剣戟音を背に、キャロが凛々しく言い放つ。両手に両刃のショートソードを握り、だらりと腕を垂らした構え。ユーヤがよくやる無形の型だ。
 追いつめられた“キャロ”は、じりじりと後退りする。いくらなんでも二人を同時に相手するのは無理だろう。
 みんなの隊長としては、ここで一矢報いてもらいたいところだ。さっきからいいようにやられっぱなしだし、せめて一人くらい撃墜してもらわなくっちゃ。

『……ねぇ、キャロ。今ふと思ったんだけど、最初からあの人を喚んでいたらもっと有利に戦えたんじゃないかな?』
『うっ』

 エリオの鋭い指摘にキャロが言葉に詰まる。

『え、エリィさんって、いつも弱い方の味方するから……』
『つまり、有利なシチュエーションで喚び出すと敵に回る……?』
『う、うん』

『……』『……』

 ビミョーな空気が二人の間に流れた。
 高速戦闘の激突音だけが、BGMのように室内に響く。なんだかシュールかも。

『これで勝ったと思うなよーっ!』
『あっ、待って!』

 二人が呆然と見つめ合っていたその隙に、“キャロ”がエリオたちに背を向け、駆け出す。いかにもテンプレートな捨てゼリフだ。
 彼女が逃走した方向は通りに面した一面にガラスの張られた壁。完璧な行き止まり。
 二人があわてて追いかけるけど、一足遅く。“キャロ”はなんの躊躇も見せず、窓ガラスに体当たりするように突き破った。

「飛び降りた!?」
「まあ見てろ。直ぐにわかる」

 その先は当然、建物の外。重力の手に捕まり、桃色の髪の女の子が落下していく。
 ──白い帽子が宙を舞う。
 勢い余って窓際に身を乗り出したエリオとキャロ。彼らの目の前を、大きな影が猛スピードで上昇していった。

『うわっ!?』『きゃっ!』

 強風にあおられた二人が悲鳴を上げて、こてん、と仰向けにしりもちをついた。
 ──影の正体は、純白に輝く一頭の馬。青く光る一対の魔力翼を広げ、黄金のたてがみをなびかせた天翔る美しき幻獣が蹄を鳴らす。
 ほぅ、と思わずため息。

「わぁ……きれい……」
「ほんとだね……」

 なのはのうっとりとした声に同意する。青く晴れた空に太陽の光を反射する白のコントラストがとてもすてきだった。

「ペガサス、ですね」

 これはシャーリーの言葉。
 同様の生物がとある管理世界に生息しているけれど、あれはどこか作り物めいた美しさを感じさせる。

「ペガサス型“箒”、“ロードアルビオン”だ。キャロの騎乗に合わせて使わせてみた」
「あれも“箒”?」
「おう。改造や追加パーツにかなりの資金をかけた自慢の一台だよ」

 そうなんだ。自慢の一台が多いんだね。

「へぇー。ちなみにお値段はおいくら?」
「一般的なサラリーマンの年収約六十年分」
「たかぁっ!?」

 気の遠くなるような金額に、大げさなリアクションでのけぞったのは庶民派代表、なのは。いい感じで金銭感覚破綻してるんだよね、ユーヤって。

「そういうフェイトちゃんもたいがいだと思うの」
「も、モノローグ読まないでよっ!」


『騎獣……!? それならっ、フリードっ!』
『きゅるるーっ!』

 待ってましたとばかりにかわいく砲えた銀色の仔竜が、開けた窓から外に飛び出す。
『あ、ちょっ──』置いてけぼりのエリオには目もくれず、キャロは“キャロ”と同じように、命綱なしのダイブを敢行した。

『竜魂召喚──!!』

 詠唱破棄から一瞬にして広がった桃色の魔法陣ゲートをくぐり抜け、白銀のワイバーンがその本来の姿を太陽の下に現した。
 巨竜の砲哮が大気に轟く。

『フリード、行くよっ!』
『受けて立ちます!』

 白銀の飛竜と白妙の天馬、それぞれに騎乗した魔法使いの少女たちが、上を取り後ろを取りの高度な空中戦を繰り広げる。
 時折、ナイフや針が飛び交っては落ちていく。
 最高速度はだいたい同等で、旋回能力ではペガサスが、破壊力では圧倒的にワイバーンが勝っている。けれど、フリードの火球はロードアルビオンのバリアに弾かれてしまって決定打になってない。逆に、ロードアルビオンからの魔力をまとった強烈な突進や投擲攻撃は散発的で、決して積極的とは思えないいし……時間稼ぎをしてるのだろうか。でも、なんのために?

「これがラストバトルだな」
「ほぇ? まだ決着がついてない組みもあるのに?」

 ユーヤの独り言に反論するなのは。たしかに撃墜されたのはティアナだけで、スバル、エリオ、キャロはまだ健在だ。
 私もそう思う、と目線で訴えてみる。
 するとユーヤは、私たちに呆れまじりの視線を送り返してきた。蒼い眼から読み取れる言葉は、「お前たちは何を馬鹿なことを」って感じ。

「何も相手を全滅させるだけが勝利の方法じゃないぞ。特になのは、指導教官のお前が忘れてどうする。若年性痴呆症か?」
「……なるほど、そういうことね。ていうか、なにげにひどくない? その言い方っ」

 むすーっ、となのはが頬を膨らませる。
 むむ。どうも、なのはには意味が通じたみたい。──私、まだわかってないのに……。

「えっと、どういうことなんですか?」
「私もわからないよ。説明して、ユーヤ」

 シャーリーと一緒に声を上げる。私たちは断固として説明を要求するよっ!

「俺は説明お兄さんじゃないんだがな、まったく……」

 とか言いつつ、ユーヤはきっちり解説する体制に入ったようだ。なんだかんだで面倒見いいよね。

「最初に言ったはずだよ。“相手チームを制圧するか、あるいは敵拠点のフラッグを奪えば勝利だ”、ってさ」

「「あっ」」

 なるほど。その言葉を聞いてようやく納得できた。
 ぽん、と手を打つ。

「この訓練の正否は実のところ、同等の戦力を持つ敵相手に如何にして浸透突破するかにかかっている。極論を言えば、どれだけ部隊が損傷したっていいんだよ。最後の一人がフラッグを奪えればな。
 作戦立案にはリスクマネージメントが何より肝要だ。愚直な力押しなんてナンセンスだね」

 どうやら私たちは、ひどい思い込みに囚われてしまっていたらしい。
 正直、力ずくってやり方しか頭になかったよ。こういうの、なのはの領分なのに、反省……。

「ちなみに攸夜くん、模範解答は?」
「そうだな。例えばフリードに騎乗したキャロと坊やを囮に、残りの二人が幻術で敵陣に隠密接近、とかどうだろう。割とベターな戦術だと思うぞ。仮にこうだったなら、戦況はもっと泥沼化してただろうになぁ」

 残念そうに肩をすくめる。

「まあ、それも過ぎたことだ。ほら、見てみろ」

 そう言ってユーヤが示すのは、赤い旗を片手に掲げて勝ち誇る“ティアナ”の映像。ガンナーズブルームの機動力を生かして、フラッグのあるところまで一気にたどり着いたようだ。
 ティアナたちとのやりとりも、このための布石だったのかな。

「相変わらず性悪ねぇ」
「そこがアルのいーとこじゃない」
「はいはい、どーもね。じゃあシャリオ、終了のアナウンスを」
「あ、はい! シャドウ1がフラッグを奪取、訓練終了。戦闘行為を中止してください」

『え? ええっ!?』
『な──、そんな!』
『や、やられた……』

 上からスバル、エリオ、キャロ──三者三様のリアクション。共通しているのは、茫然自失しているということ。
 きっと相手の全滅しか頭になかったはずだから、なにがなんだかわからないって感じなんだろう。私だってそうだし。

「さて、と」

 おもむろに立ち上がり、お尻についたホコリを軽くはたき落とすユーヤ。私がつられて腰を上げたら、そっと手を取って立たせてくれた。やさしいな、ユーヤって。

「この俺の前で、無様な戦いをしたひよっこ共を絞ってやるとしますか」

 どこか落胆というか、失望した様子のユーヤを心配しつつ。このあと、徹底的にかわいがられるだろう四人の無事をいまから祈っておくことにしよう────



[8913] 第二十三話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/10/01 23:08
 


「にゃん、にゃにゃ〜?」

「にゃ!」「ふにゃあぁ」「にゃあにゃあ」「うにゃ?」「にゃーん!」

 茜色に暮れなずむ機動六課隊舎。正面玄関脇。
 巫女服を身に纏う、絢爛豪奢な金髪ツインテールの少女──パール・クールが地面にうずくまって数匹のネコと戯れていた。
 にゃんにゃん、パールのネコ語のようなものはネコたちに通じているようで、彼らあるいは彼女らは見ている方が微笑ましく思うほど懐ききっている。
 黒ネコ、白ネコ、ブチに以下省略──ともかく、たくさんのネコたちに囲まれて、まおーさまはたいへんご満悦の様子で。

「よーし、ハラペコのおまえたちにご飯をあげちゃうぞー」

「「「「にゃあ〜♪」」」」

 パールは月衣から大きな白い平皿とミルクタンクを取り出し、準備に取りかかった。
 とくとくとく。
 こぼさないように丁寧な手つきで注がれた牛乳が、白いお皿に満たされていく。
 傍若無人が巫女服を着てふんぞり返っているような存在である彼女にしては珍しく、というか考えられないほど穏やかで、慈悲に満ち溢れた表情を見せていた。

「うん、カンペキっ──て、あっ、コラッ」
「「「「みゃあみゃあみゃあ〜!」」」」

 我先にと容器に注がれた栄養満点のミルクに群がるネコたち。折り重なるように殺到し、元気いっぱい合唱する。
 半ば野生化した野良が、ここまで無防備に懐いていることは驚くべきことだろう。海上に孤立した埋め立て地であるこの駐屯地に、ネコたちがどうやって渡ってきたかは永遠の謎である。

「こらこらおまえたちぃ、ケンカするんじゃないのよ。みんなでなかよく食べなさい、いいわね?」

「「「「うみゃあー♪」」」」

 そう鳴き声をあげるネコたちは素直にパールの言うことを聞き、大皿を囲むように整列してミルクを舐め始めた。
 その様子を、頬杖をついて満足そうに眺めるパールの眼差しはいつになく柔らかい。
 裏界にてもっとも強大な勢力を誇る一人にして、戦場では勇猛苛烈な戦女神である彼女は、自らの雷により“混沌”を打ち倒し、人の手に海を渡したという伝承を残す立派な豊穣神だ。ファー・ジ・アースや裏界では残念な子として通っているパールだが、こう見えてかつては“世界”の管理を担っていた神々の一柱。故に、こういった慈悲深い側面も持ち合わせているのだ。

「ふーふーふー。このかわいさアピールで、パールちゃんの好感度はうなぎ登り急上昇中ねっ☆」

 ──それがどこをどう間違えばこうなるのかは、定かではない。



 さておき、パールが鼻歌交じりでネコたちの世話をしていたすぐ横。日課の午後の訓練を終えたなのはたちとスバル、ティアナ、キャロ、エリオの四人が隊舎に帰ってきた。
 六課が発足して間もない頃は、四人とも程度差はあれど息も絶え絶えといった様子だったが、今ではもう厳しい教導にも慣れたものだ。さすがは選りすぐりの金の卵たち、どこか余裕すら生まれ始めている。

「スバルさん、食べながら歩くと危ないですよ。というか、女の子としてそういうはしたないのはちょっと……」
「らってぇ、んぐ──だって、なのはさんの作ってくれたものだし、おいしくって」

 もそもそとスライスされたレモンらしきものをくわえたスバルが、キャロの苦笑混じりなたしなめに顔を赤らめた。スバルの腕にさも大事そうに抱えられた大きめのタッパーの中で、ハチミツの海の中で数えるほどしか残っていないレモンが寂しげに揺れている。
 スバルが食べているのは、なのは特製レモンのハチミツ漬け。皆の訓練の疲労を労うために、彼女が早起きして手作りした品だ。

「にゃはは、そんな喜んでもらうと、作ったこっちがうれしくなっちゃうよ」
「僕、こういうの初めて食べたんですけど、思ったよりずっと甘くて驚きました」

 手放しの賞賛に照れ笑いを浮かべるなのはに、エリオが続けて感想を述べる。

「運動のあとの栄養補給にはわりとポピュラーなんだよ? 簡単に食べれるし、栄養もたくさんだしね」
「詳しいんですね」
「んー。学生時代に運動部のマネージャーしてたから、それでね」
「へぇー」
「ラクロス部だったんだけどね、練習とか試合のあととかに配ってたんだよ。バイトをいくつか掛け持ちしてて毎日やってられたわけじゃないけど、楽しかったなぁ……」

 懐かしそうに、心行くまで満喫した高校生活へ思いを馳せる。
 諸々のことで深く傷ついたなのはの心を癒したのは、どこにでもあるような他愛のない日常の連続。そして、家族を始めとした身近な人々だった。
 ──それらがどれだけ得難いものか、そして自分が今までどれだけ蔑ろにしてきたのかを思い知ることで、再び彼女は“この空”に戻ってくることが出来たのだ。

「なのはさん、なんでもできるんですね! ますます尊敬しちゃいますっ」
「強くて、優しくて、仕事もできて気が利いて──、カンペキですね、すごいなー」
「その上、きれいでかわいいなんて。どうやったらそんなふうになれるのか、ぜひ教えてほしいです」

「や、やめてよ〜。私、そんなんじゃないってばーっ」

「「「またまた〜」」」

 スバル、エリオ、キャロの順でやんややんやと過剰に持ち上げられ、困り切ったなのはがわたわたとうろたえる。実際、彼女はこの数年で料理全般の腕を上げ、喫茶店を営む両親から「いつでも跡を継げる」とのお墨付きをもらっているのだが。

「もう、みんなでからかって……?」

 ぱたぱたと、熱を持った顔を手で扇ぐなのはの目に、会話にも参加せず、最後尾を一人とぼとぼと歩くティアナの姿が映った。
 まるで他人を拒絶するような空気。どこか思い詰めたようにも感じられた。

「……ティアナ?」

 疑問を乗せた彼女の名前は届くことなく、暮れていく空に溶けて消えた。













  第二十三話 「譲れない願い、すれ違う想い」












 深い紺色に染められた夜空には今宵も蒼白い双子の月が浮かぶ。
 静かにたゆたう蒼白の月は気の遠くなるような遙か以前、太古の昔にこの惑星ほしが生まれた頃から、ずっとこの大地ほしを見つめ続けている。
 そっと、そっと──


「っは、く──つあっ!」

 草木も眠る深夜。
 機動六課女子寮側の雑木林で少女が独り、銃火の舞踏を踏んでいた。
 ランダムプログラムに沿って四方八方から襲いかかるにターゲットを避け、時にはそれに銃口を向けて処理していく。一人で対応するには明らかに多すぎるそれらを、彼女は電光石火・正確無比な判断で見極め、見事に処置していた。
 様々な軌道で飛び交っていたターゲットが一斉に停止する。これも、あらかじめプログラムされていたインターバルだ。
 同時に少女──ティアナがその場にへたり込んだ。

「はー……っはー……っ、はぁ、はぁ……」

 息を整える彼女の顔は、目に見えるほど土気色。軽い酸欠状態に陥っていたのだろう、呼吸はひどく乱れ、飢えに飢えた肺が酸素を貪欲に求める。
 立ち上がろうとする脚はガクガクとまるで生まれて間もない子鹿のように震え、覚束ない。蓄積した疲労がここぞとばかりに吹き出していた。

 無理もない。毎朝早朝から夕方まで訓練に明け暮れ、その合間にはデスクワークなどの庶務の諸々。──そんな環境の中、さらに“冥魔”の掃討というハードな任務が重なるとなれば、心身ともに磨耗することは明白。その上でオーバーワークを続ければどうなるかは自明の理であろう。

「……っと」

 何とか立ち上がったティアナが、ぱちん、と自らの頬を両手で挟む。自らに気合いを入れ直し、深く息を吐き出した。

「──うしっ! 続きやるか、シューティングミラージュ、難度をもう一段上げて」
『了解。プラクティスモード、レベル8で起動。3、2、1──スタート』

 こうしてまた、ティアナは訓練を繰り返す。
 胸にくすぶる漠然とした不安と不満、そして言い知れない焦燥と劣等感をぶつけるように────




「──いいのか、なのは」

 建物の影になった一角。
 片目を閉じて腕を組み、壁に背を預けたスーツの男性が暗闇のように音もなく佇んでいる。攸夜だ。
 瞼に遮られていない片方の蒼い瞳が、側にいるもう一人をまっすぐに射抜く。

「……うん。ティアナの気がすむまで、好きにさせてあげるつもり」

 答えるのは、今も気炎を上げる教え子をどこか不安な様子で見守るなのはだ。
 ここ数日ほど前──丁度、攸夜が監修した特別訓練でこっぴどく負けて以来、ティアナが通常業務の終了後に自主練習を行っていることに感づいた彼女はこうして、影ながら見守ることにしたのだった。自分も、遅くまで仕事をこなしているにも関わらず。

「あんな無闇な訓練を続けていたら、いつか潰れるぞ」
「そうかも。……でもティアナ、しっかりしてるし、自分の限界くらいはわかってるよ、きっと。ちゃんと体調管理できてるって、信じてるから」
「……見解の相違だな」

 なのはの希望的観測を含んだ意見を切って捨て、攸夜は寄りかかっていた壁から身を離した。

「攸夜くん?」
「退がらせてもらう。……フェイトを部屋で待せてるんでな」

 ──これ以上、ガキの駄々に構ってられるか。そんな心中の毒を気障な言葉に隠し、攸夜は親友に背を向けた。
 元々、ここにいるのはお節介焼きな親友を気遣ってのこと。これ以上なのはの我が儘に付き合ってやる義理はないと攸夜は考える。
 それに、フェイトの気持ちを最優先に行動するのは攸夜の基本仕様の一つだ。今ごろ愛の巣二号では、甘えんぼの金色わんこが今か今かと首を長ーーくして待ちかまえているであろうし。

「じゃあな、なのは。夜更かしするんじゃないぞ」
「うん、わかってる。ありがとね、心配してくれて」

 それでも。親友へのさりげない配慮を忘れないのは彼の情に厚い人柄故だろう。
 出力の方向こそまったく正反対の平行線だが、本質的には“志宝エリス”と同一なのだから。

「別に。お前が風邪でもひいたら、ユーノの奴にどやされるからな」

 ──天邪鬼な照れ隠しも基本仕様の一つである。

「ふふっ。おやすみ攸夜くん」
「あぁ、おやすみ」

 軽く挨拶を交わし。夜闇の中に溶けていく親友の後ろ姿を最後まで見送り、ほぅ、となのはが小さく息を吐いた。

「……うまく、いかないなぁ」

 ぽつり。弱音がこぼれる。
 普段は気丈に振る舞う彼女も、一人となれば不安に駆られる。かつて“不屈”と称されたその魂こころは、とうの昔に砕かれていた。

 ──なのはにだってわかっている。今のティアナの傾向は決してよくないものだということくらい、わかっている。
 いつか自分のように無茶が祟って身体を壊し、後悔すると。いつか自分のように増長が仲間を傷つけ、たいせつなものを奪い去ると。
 どこの誰よりも、痛いほど。
 だが同時に、なのはにはそんな至らぬ自分がどの面を下げて説教するんだという思いもある。
 未だに迷い、模索を続ける自分に、自らの歩む道程すら見つけられない自分に、誰かを導く資格などあるのだろうか。

「……“先生”はむずかしいね、レイジングハート」

 胸元で光る真紅の宝玉を手のひらに乗せて向かい合い、語りかける。

『同意です。しかし、マスターは充分以上にやっているとレイジングハートは判断します』
「……そう、かな。そうだと、いいんだけど」

 十年来のパートナーの励ましとも取れる発言に曖昧な返事をして、夜空を仰ぐ。
 都心から距離のあるここでは、瞬く星がよく見えた。

 ──こんな静かすぎる夜は、無性にユーノの声が聞きたくなる。柔和でやさしい、あのひとの声が。
 寂しくて、淋しくて、さびしくて──、けれど、なのはにはその想いを素直に伝え、甘えることが出来ない。彼の命を奪いかけたという自責の念が、途方もない罪悪感となって彼女を苛み続けていたから。

「……がんばれ、ティアナ」

 結局この日も。跳ねっ返りな教え子の奮闘を最後の最後まで見守ってから、なのはは自室への帰路に就いた。



[8913] 第二十三話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:b2edb3bc
Date: 2010/10/08 23:39
 


 女子寮裏、小さな空き地。

 雲の切れ間から覗いた蒼白い月光が降り注ぐ。
 音もなく大地に降り立った光は、建物や木々などに遮られて影のグラデーションを創り出す。

 ──そんな幻想的な光景の中、手頃な木の幹を背もたれにしてティアナとスバルが訓練の合間の小休止をしていた。
 数日ほど前からスバルも参加し始めたこの夜の自主練習。ティアナとは同室であるスバルが加わるのはごく自然の流れであり──、二人の様子に気がついたエリオもまた、時折付き合うようになっていた。ハードな訓練を受けているうち、いつしか仲間意識が生まれていたのだろう。
 ──もっともキャロだけは、僚友たちの動向を把握していてなお、終ぞ参加することはなかったが。

「とうとう明日だね、ティア」
「ええ……」

 神妙な面もちで語り合う。
 明日は教官であるなのはとの模擬戦、ここ数ヶ月の教導の成果を披露する晴れの舞台だ。
 二人──特にティアナは、その模擬戦になおさら賭けていた。最近、負けが込んでいる自分たちはここで挽回しなければならない、と。

「明日の模擬戦……、イケるかな」

 スバルが言う。
 密かに──少なくとも本人たちはそう思っている──編み出した秘策は、通用するのだろうか。
 自らの代名詞たる砲撃魔法を封じているにも関わらず、なのはの実力の天井は一向にして見えてこない。それがまるで、彼女との間に横たわる隔絶した“違い”を見せつけられているようで。
 エースオブエースと讃えられる超一流の魔導師にはやはり、勝てないんじゃないのか──、そんな強い諦観が浮かんでは消えていく。振り解くことができない。

「……とーぜんよ、あんだけ練習したんだから。もっと自信を持ちなさいよ、自信を。アンタ、意外と緊張しいなんだし」

 いっそ蛮勇に聞こえるほど勇ましい叱咤。ティアナとて、緊張していないわけではない。むしろ、明日の戦いを思うと震えがくる。──挑発的なことを言うのは不安の裏返し、ただの空元気だ。
 けれど、唯一の家族を亡くしてひとりぼっちになったティアナは、強がって、突っ張るしか生き方を知らなかった。

「まあでも。成功率はいいとこ八割くらいかな、実際」
「うん、そんだけあればたぶんだいじょうぶ」
「──……」

 現金にも立ち直るスバルとは対照的に、ティアナが不意に表情を陰らせる。

「スバル、アンタはほんとにいいの?」
「なにが?」
「アンタの憧れのなのはさんに、ある意味、逆らうことになるから……」

 不安そうなティアナ。するとスバルは力強く言い返す。

「私は怒られるのも叱られるのもなれてるし、逆らってるっていっても強くなるための努力だもん。ちゃんと結果出せばきっとわかってくれるよ。──なのはさん、やさしいもん」

 えへへ、と自分の発言に照れ笑いする脳天気な相棒に、くすりと微笑み、ティアナが立ち上がる。
 んーっ、と大きく伸びをして、スバルにことさら笑顔を向けて声をかけた。

「じゃ、もう一セットやって、今夜は終わりにするとしますか」
「おー!」




 □■□■□■




 洋上、訓練施設。
 廃棄された近未来都市を模倣した箱庭が今日の舞台だ。

 観戦は定例の通り、手近なビルの屋上。本日は肉眼でよりよく観察するため、なのはたちのいる地点からそれほど離れていない適度な高さの建物が選ばれた。
 そこには、緊張した面もちで模擬戦を次に控えるエリオとキャロ、戦闘の準備に余念のないオペレーターのシャーリー、どこか落ち着かない様子のお目付役兼上官(一応)であるフェイト。そして、両手をポケットに突っ込み戦域を睨む攸夜が揃っている。

 エリオたちの手前、さすがのフェイトさんも今回ばかりは攸夜に張り付かず、自重していた。──ウズウズちらちら、攸夜の方ばかりに気を取られていることは無視するべき事柄であろう。
 彼女の「エリート敏腕執務官」という対外的な印象を守るためにも。

 さらに。

「どうやら間に合ったようだな、テスタロッサ」

 物見遊山にやってきたポニーテールの麗人が、数人の部下をぞろぞろ引き連れて颯爽と見物人の輪に加わった。

「あ、シグナム」
「師匠!」

「せんせー、こんにちはー」
「ええ、こんにちは。キャロさんとエリオくんが心配で、観に来ちゃったわ」

「ヴィータもか。お前も案外暇なんだな」
「ヒマじゃねー、仕事だ、仕事。私も教導隊だからな、なのはの教導の成果が気になんだよ」

「ヴァイス陸曹、珍しいですね」
「姐さんの付き合いさ。……俺に声をかけてくれるのはシャーリーちゃんだけだよ」
「名有りモブの悲しさですね、わかります」

 挨拶もそこそこに。
 始まる会話の話題と言えば、教導官とのその教え子たちによる戦いについてほかにない。

「シグナムたちも、なのはたちの模擬戦を見に?」
「ああ。今回の戦いは、ここ数ヶ月の訓練の総決算なのだろう? 別小隊とは言え私も一応、上官だ。高町の教導の成果、この目で拝ませてもらおうと思ってな」

 ちらりと弟子であるエリオの方を横目で見やり、シグナムは冗談めかして腕を組む。
 むにっ、とボリューム満点の双丘が押し上げられる様をエリオとヴァイスが思わず凝視した。近くにいた女性陣から散々な仕打ちを受けていたのはお約束。
 ちなみに。男性陣で唯一被害を受けていない攸夜だが、そもそもフェイト以外を女として認識しているかすら怪しいのでさもありなんと言わざるを得ない。


 さておき。そうこうしているうちに、毎度のごとくスバルの突撃から模擬戦が開幕した。

「行きますっ、なのはさんっ!」
「いつでもいいよ、スバル!」
「はああああッ!!」

 ティアナの援護射撃で頭を抑え、速度に優れたスバルが前進するセオリー通りのファイア&ムーブメント。空に伸びたウイングロードを駆け抜け、スバルがなのはに接敵する。
 この程度の回避など容易いが、これはあくまでも訓練、模擬戦だ。あえてその場に留まったなのはがレイジングハートを掲げて迎撃。リボルバーナックルとレイジングハートが激突し、オレンジ色の火花が空に咲く。

「っっ──、強くなったね!」
「なのはさんに、さんざん鍛えられてますから!」

 スバルの拳は、数ヶ月と比べて明らかに重さを増している。
 今までの訓練でも幾度となく受け止めた確かな成長の証を肌にひしひしと感じ、なのはの口元が自然と緩む。魔法の“暴力”に強い嫌悪感と忌避感を覚えていても、やはりうれしいものはうれしかった。

 激しい交錯の後、ヒットアンドアウェイよろしく急速離脱するスバルに追撃を仕掛けるなのはの動きは、先読みしたティアナのクロスファイヤーに牽制されて叶わない。
 ──と、ここまでは概ね想定通りの展開と言えるだろう。
 及第点を与えてもいい定石に則った試合運びに満点の評価をあげつつ、なのははアクセルシューターを展開、斉射した。

 ハラハラとしたり、考え込んだり──各々思い思いのリアクションで激闘を観戦している。
 そんな中、一際目立つ異物感がひとつ。──真っ黒なボサボサ頭の攸夜だ。

「…………」

 無言。痛いほどの沈黙。
 普段の飄々とした超然さはどこへやら、ひどくむすっとした顔つきであからさまに機嫌が悪い。
 文字通り「“憤怒”のシャイマール」といったところだろうか。最近、感情の沸点が低くなってきている攸夜である。

 そんな攸夜の様子を横目に、シグナムがぽつりと彼に質問を投げかけた。

「ところで宝穣、どう思う」
「断言する。駄目だな」

 迷いのない即答に、ほう、と整った眉を上げてみせるシグナム。攸夜はまだ険しい表情でなのはとティアナ、スバルの戦いに視線を向けたまま。らしくないほど行儀が悪い。
 主語の抜け落ちた会話に付いていけず、端で聞いている人間の半数は頭上にクエスチョンマークを乱舞させている。例外は、事の概要を把握しているフェイトとヴィータ、メガーヌの実戦部隊首脳陣だけだ。

「ふむ……だが、問題は無いように見えるが?」
「根本的な欠陥を修正出来ていないんだ、絶対に何かやらかすに決まってる。どうせ最初だけは言うことを聞いておこう、とかなんとかしょうもないこと考えてるんだろうさ」

 ……小賢しいガキ共が。学芸会のお遊戯じゃねぇんだぞ。
 差し当たっての一般論を痛烈に否定し、忌々しいと吐き捨てる攸夜。なまじ人間の本質を見抜く“眼”を持っていれば、こうした澱み、歪んだ昏い情念が嫌でも目に付く。
 それは、仮にも“七徳”を背負う攸夜にとっては不幸だと言えよう。

 眉間に深い皺を刻み、攸夜はヒートアップしていく。

「なのはのヤツ、結局最後まで事なかれ主義で日和見やがった」

 いつになく冴え渡る毒舌から手に取るようにわかる、抑え切れない苛立ちと不満。
 ティアナとスバルの独断専行に関して、常に警告する立場を貫いていた彼は予期してた──手酷い破綻の訪れを。

「何が“指導教官”だ。やり方がいちいち温いからガキにつけあがられるんじゃないか、ド阿呆が」
「まぁそう苛立つな。──仕方あるまい。年齢以上に大人びて見えるが、高町もまだまだ若いんだ。迷いもするし、時には謝るのも無理はないだろう」
「ハッ、んなこたぁアンタに言われなくてもわかってるっつの」

 乱暴に言い捨てられた言葉に、シグナムが肩をすくめる。親友を思いやっているのはよくわかるが、もう少し言葉を選んだらどうだ、と。
 現に。側で聞いているエリオやキャロがあわあわと動揺しているし、ヴィータなどなのはを悪し様に言われて不快感を隠そうとしない。大人なメガーヌは別として、ほか二名もまあ、似たようなものだ。

 ──有り体に言えば、場の空気は最悪をとうに通り越していた。

「ユーヤ……」

 とても心配そうに愁眉し、フェイトは攸夜の服の裾をギュッと強く握っている。まるでどこか遠くに行ってしまわないように。
 別に息の合った様子のシグナムに嫉妬しているというわけでもなく、攸夜の不安定が極まって煮詰まりすぎた精神状態を真摯に気遣っているようだった。

 ──フェイトは攸夜の心の動きに影響されやすい。マイナスの感情であれば、特に。
 攸夜が喜べばフェイトも華やかな笑顔を咲かせ、攸夜が悲しめばフェイトも哀切の涙を流すだろう。そして逆もまた然り。
 お互いがお互いを補完し合い、足りないところを補い合ってゆくのがふたりの関係だ。それはきっと、彼らが“友だち”になった頃からずっと変わらない。
 攸夜を、「自分の世界のすべて。世界そのもの」と臆面もなく言えるフェイトだからこそ、こうしていとも簡単に悪影響を受けてしまう。

「まったく相変わらずだな、お前たちは」

 シグナムは今日も今日とて無闇矢鱈に仲睦まじい好敵手たちを微笑ましく思い、次いで年長者としての苦言を呈しておく。

「しかし宝穣、お前がそのような態度でいるとテスタロッサも不安がる。器量が知れるぞ?」
「っ……さすが守護騎士サマは言うことがご立派だね。亀の甲より年の功ってわけか」

 今日の自分は大変よろしくないとわかっているはずなのに、やはり返答はトゲトゲしい。横で聞いていたフェイトがついに険悪な空気に参ってしまい、本格的に涙目に。
 妙なところで子どもっぼい──ぶっちゃけ意地っ張りな攸夜の性質が、悪い方向に働いている。仕方のない奴だな、と言葉にはせず呟いてシグナムがそれとなく話題を変えた。

「はぁ。……私は別段構わんが、シャマルの前では歳のことを言ってやるなよ? あれでかなり気にしているようだ。我々に、老いなどという概念なぞありはしないのにな」

 やれやれ、とかなりオーバーに呆れを表して肩をすくめる始末。彼女なりのジョークに毒気を抜かれ、攸夜が目をぱちくりさせた。表情からは険が抜け、何とも言い難いビミョーな顔に。

 ややあって。
 はたと自分の変化を自覚した攸夜は、どこかばつが悪そうにそっぽを向き、癖っ毛を荒々しく掻いたのだった。


 ──くしゅん!
 どこかの医務室で医療品の整理をしていた某黄緑色の人が盛大にくしゃみをしたのは、完全な余談である。



[8913] 第二十三話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:b2edb3bc
Date: 2010/10/08 23:37
 


「さっきから聞いてれば、師匠もユウヤさんもあんまりです! ティアナさんやスバルさんを馬鹿にして!」

 あまりの言い様にたまりかね、ついにエリオが声を上げる。攸夜の機嫌が少々持ち直し、プレッシャーが大幅に軽減されたのも理由の一つだろう。
「エリオ……」どこか辛そうな視線を送るフェイト。しかし彼女はかける言葉が見つけられず、おろおろするばかり。
 二重の意味で嘆息し、攸夜は髪を逆立てる赤毛の少年を見やる。蒼い瞳から見下ろされ、エリオが思わず身を強ばらせた。

「なら聞くが。この模擬戦の狙いは何だと思う?」
「えっ。そ、それは──」

 突然の問いかけ。
 予想外の方向からの切り返しに言葉を失い、どもりながらもエリオは必死に頭を回転させる。論点をずらされた、という事実には気付かないままに。
 尊敬し、ほのかに思慕するフェイトの目の前で無様な姿は見せられない。

「なのはさんに勝つこと、じゃないんですか?」
「違う。間違っているな、坊や」

 坊や呼ばわりされ、ムッとするエリオ。そんなことは些末ごとだと攸夜の言葉は続く。

「ここで重要なのは勝ち負けじゃない。今まで訓練してきたことをどれだけ自分の血肉に出来ているのか、そこが大事なんだ。間違っても指導官をコテンパンにしてやろう、だなんて考えちゃいけないよ」

 先ほどまでの燃えたぎるマグマのような怒りはどこへやら。攸夜の口調は静かで柔らかいものだった。
 うんうん、と横でヴィータが神妙に頷いている。教導隊に所属していた身として共感する面もあるのだろう。

「じゃあ、スバルさんたちの努力はムダだって言うんですか!?」
「そうは言っていない。例えば、訓練の課題に教官の撃破が含まれれば、倒そうと試行錯誤することに意義がある。そういう訓練は今までにあったはずだよな?」
「は、はい。ありましたけど……」
「自分勝手に振る舞っていいのは何の責任も持たない子どもだけ。お前たちは独り立ちすると自分で決めたのだろう?
 なら、責任ある者として、上司には可能な限り従うべきだよ。それが納得のいかないものだとしても、な。割り切れなくても割り切るのが“オトナ”ってもんだ」

 あくまでも諭すという姿勢は崩さない攸夜の言葉は不思議とエリオの心に響き、納得を与えた。
 苛烈で冷酷な言動が目立つ攸夜だが、面倒見がいい一面も持っている。本質的に、目の前で困っている人を放っておけるようなタイプではない。

「こんな俺だが、評議会や政府からの依頼はキッチリこなしてるんだぞ?」

 冗談混じりに茶化すと、少しだけ場の雰囲気が和らいだ。

「勿論、納得出来ないならその意見をちゃんと上申することも大切だけどな。報告・連絡・相談は社会人の基本だ。
 まあ……、部下とのディスカッションも碌に出来ない無能な上官だと思われているのなら、なのは自身の落ち度だが」

「そんなことっ!」「あるわけないじゃないですか!」

 意地の悪い言に、血相を変えて反論するエリオとキャロ。どれだけなのはが慕われているのかを再確認にして、攸夜は僅かに目元を緩めた。

「それを聞いて安心したよ。……結論を言えば、コミュニケーションが足りていないんだな。なのはも、お前たちも」

「確かに。耳が痛いな」
「私ももっと気にかけてあげるべきだったわ」
「面目ねぇ」
「……ごめんなさい」

 シグナム、メガーヌ、ヴィータ、フェイトが口々に非を認める。決して彼女らが無能だったというわけでない。しかし管理職の仕事に忙殺され、結果として部下のケアを怠っていたことのは確か。

「まぁいいさ。それは今ここで糾弾すべき事柄じゃないし、俺にそんな権利もない。……今は見守ろう、全てはその後だ」

 他人事のように漏らし、攸夜は“魔法使い”たちが舞う空を見上げた。


 ──縦横無尽。
 ウイングロードがなのはを取り囲み、さながら鳥籠のように大空を埋め尽くす。
 地上から、ティアナがクロスファイヤーシュート──無数の誘導弾を撃ち上げ、白いを檻の中心へと追い立てた。
 そこに、スバルが捨て身で飛び込む。強烈極まりない打撃を何とか弾き返し、なのはが叱責に声を荒らげる。

「こらスバルっ! だめだよ、そんな危ない軌道!」
「ごめんなさい! でもちゃんと防ぎますからっ!」

「ああ……、たしかにダメだな。──ち、スバルの奴、あとでシめてやるか」
「あらあら、スバルちゃんたらしょうがないわね。クイントが見たら確実にお冠よ」

 ヴィータとメガーヌがスバルの無謀な行動に渋面を浮かべ、

「でもどうしちゃったんでしょうね、二人とも」
「そうだね。なんだかいつものキレがないみたいだし……」

 シャリオとフェイトが不可解な戦いの推移に違和感を訴える。

 発言こそしないがヴァイスもおおよそ同意見らしく、複雑な表情で辺りを見回している。いつの間にか姿の見えなくなったティアナを探していた。
 とある事情から狙撃手を廃業し、今は輸送ヘリのパイロットをやっている彼だが、かつて一流を誇ったスナイパーの“観察眼”は未だ錆び付いてはいない。

「──ん? ありゃあ……」

 鷹の目が、お目当ての少女を捉えた。
 戦域から少し外れたビルの屋上。両手のクロスミラージュを眼前に構えたティアナが、オレンジ色に輝く魔力を収束させている。

「ティアナが、砲撃?」
「狙撃でもするつもりか?」
「いいや、違いますね。像が若干歪んでる、おそらく幻影だ」

 一足遅れて彼女を発見したフェイトとシグナムの読みを訂正する。やはり眼力は衰えていない。

「なるほど陽動か。では、本人は……」

 砲撃の照準用レーザーを器用に避けながら、なのはが錐揉み回転しながらシューターを乱射する。殺到する桜色の光線を足場を飛び跳ね、時には身体を捻ることでやり過ごし、スバルが再度の接敵を試みた。

「でりゃああああっ!!」

 三度激突する魔力。
 桜色の障壁に阻まれ、空色の光が激しく飛び散る。
 押し込まれたなのはの動きが、止まった。
 それは確かな好機。

 二人の遙か頭上。天に伸びる青き路を駆け上がり、太陽色の髪の少女が捻るようにして空中に身を投げ出した。
 その手には、燈黄色の刃を生やした白い拳銃。銃剣、バヨネット。鉄壁の防御を貫く刃を眼前に構え、真っ直ぐに停止したなのは目掛けて落下する。
 会心のタイミング、とでもティアナは思っただろう。


 ────しかし、



「レイジングハート……、モードリリース」



 眩い閃光が奔る。
 派手な爆轟とともに強烈な爆風が吹き荒れ、その余波は観戦者たちのいるビルにまで届いた。

「なのはは……!?」

 強風に長い髪を煽られながら、フェイトが親友の身を案じて悲鳴混じりの叫びを上げる。吹き上がった砂煙で遮られ、現状の様子はわからない。
 そして数瞬の後、噴煙が晴れると同時に広がった光景に一同は絶句した。

「おかしいな、ふたりとも……。どうしちゃったのかな……」

 ほのかな桜色の光に包まれ、宙に停止したティアナ。
 鉄拳を突き出した体勢のままのスバル。
 そして、

「……がんばってるのはわかるけど、模擬戦は、ケンカじゃないんだよ」

 リボルバーナックルを左手、クロスミラージュの銃剣を右手で受け止めたなのはが、そこに立っていた。
 オレンジ色の魔力刃を掴んだ手の平からは、生々しい鮮血が止めどなく流れる。

「練習のときだけいうこと聞いてるふりで、本番でこんな危険な無茶するなんて──、練習の意味……、ないじゃない」

 俯いたまま、かすれた声。

「私の言ってること、私の訓練……、そんなに間違ってる? そんなに私、頼りない……?」
「ッ!」

 魔法で空中に固定されていたティアナはその瞬間、拘束を破壊して対岸の足場まで飛び退き、激情に任せてクロスミラージュを構えた。
 トリガーの空引き、魔導炉がドライヴ。砲撃魔法の術式が起動させる。

「わ、私は──!」

 が、次の言葉にその意気も霧散した。

「信じて、たのに──」

 絶望。
 裏切られた信頼が変わるのは仄暗い悲しみ。言葉には出来ない悲痛な叫びが音もなく響く。
 裏切られれば悲しい。
 心が傷つく。
 そんなもの、誰だって同じだ。

 ぽつり。
 水滴が、澄み切ったしずくが青く輝く道端を濡らした。

「なのは、さん……?」

 顔色を失い、スバルが虚ろな声で“あこがれのひと”の名を呼ぶ。

「あ……」

 脱力するよう崩れ落ちるティアナの前で、収束していた魔力が解けて四散した。

「──なのは、泣いてる?」
「チッ」

 フェイトが戸惑いの声を上げ、攸夜が苦々しく舌打ちする。
 どちらの胸にも鈍い痛みが到来し、ほとんど同質の不愉快な感情が沸き上がった。

「あ、あれ? どうして私、泣いてるんだろ……? ──なん、で、なんで、だろ……よく、わかんない、や……」

 ようやく自らの異常に気が付いて、なのはの口をついて出たのは戸惑いの言葉。訥々とした独白は意味をなさず、一度自覚してしまえばあとは涙が堰を切ったかのように溢れ出し、ポロポロと青空に散るだけ。

「えと、えっと──、ご、ごめんね、ふたりとも。その、もう一度はじめからやりなおそっか」

 止めどなく流れ落ちる涙を袖で乱暴に拭うと、なのははぎこちない笑顔を浮かべた。涙は止まらない。
 自失した教導官としての自分を無理矢理に立て直し、職務を全うしようと精一杯に取り繕う。その笑顔が、その姿があまりにも痛々しくて、ティアナとスバルが息を飲んだ。

「ッ──、やはりこうなるか」

 ギリ──
 歯軋りが聞こえるほど食いしばり、攸夜は漏れ出してしまいそうな怒気を必死に押し殺す。その表情はひどく能面じみていて。

 我慢の限界は、とうに越えていた。

「フェイト」
「うん」

 ポケットに入れていた両手を抜き出し、パートナーに短く声をかける。意図が正しく伝わったこと確認する間もなく、攸夜は予備動作なしに大きく跳躍した。
 彼の動きを目で追えたのはフェイトとシグナム、エリオのみ。近くいた他の四人はもちろん、接近されたなのはやスバル、ティアナたちすらも感知出来ない。

「え、攸夜くん──?」

 音もなく背後に現れた攸夜の気配に振り返り、きょとんとして小首を傾げるなのは。無邪気にも見える表情に、そして涙で潤んだ瞳にわずかにたじろぎ、苦い罪悪感を抱えながらも攸夜は努めて平静な声でなのはに告げる。

「もういい。止めろ、なのは」
「やめろって、なにを? あ、模擬戦なら、いまからやりなおして──」
「もういいんだ……、少し、眠っていてくれ」
「えっ?」

 首筋辺りに当て身を受け、なのはがゆっくりと崩れ落ちる。まるでぷつりと糸の切れたマリオネットのように。
 ざわり、と周囲に動揺が走る。
 気絶したなのはを左腕で抱き留めた攸夜の隣に、フェイトが一足遅れて降り立つ。彼女はわずかに敵意の籠もった視線を茫然自失している部下たちへと送り、すぐに攸夜の顔を見上げた。

「ユーヤ、医務室に連絡したよ。ベッドの準備、しておくって」
「わかった。すぐに行こう」

 相談の間、二人はティアナたちに一切の意識を払おうとしなかった。──まるで道端の石ころみたいだ、とティアナは真っ白な頭で他人事のように思う。

「シグナム! 後のことを任せていいか? フェイトを除くと、アンタがこの場で一番階級が上だ」
「道理だな、承知した。高町を早く連れて行ってやれ」
「悪いな」

 好敵手に後を託し、攸夜はこの日初めて穏やかな微笑みを浮かべた。もっともそれは、恋人を安心させるためだけのものだったけれども。

「医務室まで跳ぶ。ちゃんと捕まったな、フェイト」

 こくり。神妙に首肯するフェイトは、なのはを抱き抱えた攸夜に横からしっかりと抱きついていた。
 一見微笑ましい三人の姿が歪み、空間に溶けて──


 呆然と立ち尽くす二人の少女たちだけが、その場に残された。


「──さて。スバルにティアナ、お前たちもさっさとこちらに戻ってこい。訓練は中止だ」

 朗々としたシグナムの声が、冷たく訓練場に響いた。



[8913] 第二十四話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/11/08 23:44
 


「すぅ……、すぅ……」

 清潔に保たれた医務室。
 窓際のベッドに横たわる眠り姫。顔にかかる日差しを嫌がるように寝返りを打ち、色っぽい吐息をこぼした。

「……んにゃ、むにゃむにゃ……、えへへ〜、ゆーのくぅん。あん、そんなとこ、だめだよぅ……ふにゃああ〜……」

 彼女はいったいどんな夢を見ているのだろうか。──ひどく幸せな夢である、ということだけはよだれを垂らして緩みきった顔からハッキリと窺えた。

「んん〜、んー──、ふにゃ……?」

 ふと、目が覚めた。
 眠り姫──なのはは、ゆっくりと起き上がり、「ふあぁ〜〜っ、……はふ」大きな口で空気をはみ、筋肉の強張りを解こうと大きく伸びをする。

「ん〜……? なんかいま、すごーく惜しいことしたような気が……?」

 存外鋭い感を披露しつつ、なのはが焦点の合わない半眼でぼんやりと辺りを見回し始めた。
 まず、お気に入りの淡い桜色のパジャマを来ていることに軽く違和感を覚え、次に無味無簡素な寝具に首を傾げる。最後にサイドボードの上に置いてあるレイジングハートを見つけ、ほぅ、と胸をなで下ろした。

「ここ、どこだろ……?」

 見覚えがあるような、ないような。きちっとはしているものの、あまり生活感の感じられない室内。開け放たれ、薄手のカーテンが揺れる窓から射し込む日の光は割と高く、昼前といったところだろうか。
 そうして周囲の状況を観察しているうちに、寝起きで胡乱げだった意識も徐々に明瞭になっていく。

「あ、れ? 私たしか、模擬戦してて、それで……っ」

 ズキリ、と鈍痛を感じ、発生源の右手を見やる。二十歳前の女性にしては固く、タコや傷だらけのあまり綺麗とは言い難い──と、本人は割と本気で思っている──手のひらには、少しくたびれた包帯が巻かれていた。
 見覚えがない。いつの間にこんなものが巻かれたのだろう。第一ここは……?
 この時に至ってようやく、なのはは自分が六課隊舎内の医務室にいることに気が付いた。

「あらなのはちゃん、目が覚めたのね」

 見計らったようなタイミングで、おなじみ地上部隊の茶色い制服の上からパリッと糊の利いた白衣を羽織ったこの部屋の主が、バインダー片手におっとりやって来た。

「シャマル先生……」

 顔を上げたなのはに笑顔を向け、シャマルがベッド脇のパイプ椅子に腰掛ける。

「あの、どうして私、ここに? ティアナたちと模擬戦、してたはずなんですけど……」
「いろいろあって気を失ったあなたを、攸夜君とフェイトちゃんが運んでくれたの。訓練の方はシグナムがちゃんとみんなをまとめてお開きにしたそうだから安心してね。あ、ちなみにそのパジャマを着せたのはフェイトちゃんよ。さすがに制服のままで寝かせるわけにはいかないものね。それから手の怪我だけど、幸いそれほど深くなかったから痕は残らないと思うわ」
「は、はあ……」

 起き抜けの頭にこのマシンガントークはいささか辛い。曖昧な返事してしまうのもむべなるかな。
 しゅん、と指を一振り。検査魔法で健康状態に問題がないことを確認すると、シャマルが上品に微笑んだ。

「でもよかった。まる一日眠りっぱなしだったんだもの、みんな心配してたのよ」
「え? そんなに?」

 ええ、そんなに。
 呆然と瞠目するなのはに笑顔のまま応え、シャマルはバインダーに挟まれたカルテらしき書類をぺらりとめくり、確認する。

「原因は単純、心労と寝不足ね。攸夜君から聞いたわ、ティアナたちの訓練を夜遅くまで見てたんですってね」
「は、はい……」
「ダメでしょう。撃墜された時の後遺症とか腕の傷は完治していないんだし、無理は禁物よ」
「……。すみません……」

 やんわりと叱られて、なのはがしゅんと肩を落とす。自覚はあったのだろう、こうして窘められるては強く出ることも出来ない。
 患者の素直な反応に満足し、シャマルは居住まいを正した。

「高町二等空尉。あなたには目覚め次第、部隊長執務室へ出頭するようにとの命令が出ています。──はやてちゃんから、直接お話があるそうなの」
「はやてちゃんが?」
「ええ、そう」

 着替えの制服は、そこの壁に掛けてあるから。
 そう告げ、自分のデスクへと戻っていくシャマルを見送り、ベッドから裸足のままゆっくりと降りたなのはは、ハンガーに掛かった制服を手に取った。
 すっかり見慣れてしまったブラウンの制服には、クリーニングが施されていて。それを目の前に掲げ、小さく嘆息した。

 どうして部隊長室に呼び出されたのかはわかっている。
 ティアナとスバルのことだ。

 ──ショックだった。信じてたのに。
 少し冷静に──割り切れない感情はまだ、たくさんわだかまっているが──なった今でもそうなのだから、あの時、目の前で信頼を手酷く裏切られたあの瞬間に受けた衝撃は、自分自身でも計り知れない。
 感情が振り切れ、わけがわからなくなって、パニックに陥って──しまいには、情けなく泣き出してしまった。
 自主練のとき、二人が何かよからぬことを企んでいたのには気が付いていた。けれど、二人のことを信じていたから、知らないフリをして目を瞑り、耳を塞ぎ、口を噤んで注意することを怠った。

 それが、この様だ。

「やっぱり……、怒られちゃうんだろうなぁ」

 この件でお叱りを受けるのはこれで二度目。一度目はホテル・アグスタでの誤射未遂についてである。
 ドライなようで身内に甘いはやてでも、いくらなんでも今回ばかりはきつい処分を下さざるを得まい。そう思うと、なのはの気持ちは一層暗鬱なものとなってきた。
 ……とはいえ、どれもこれも及び腰な自分が蒔いた種だ。どんな叱責でも甘んじて受け入れよう。──そうでもしなければ、きっとだいじな教え子たちにも累が及んでしまうから。

 萎えそうになる自らを叱咤して、なのはは決意を固める。確固たる決意を。

 堪えることは慣れている。
 傷付くことも、我慢できた。

「──よっし、着替えよっかな」

 ひたひた。素足から直に伝わるリノリウムの床の感触はひんやりとしていて気持ちいい。
 ジャッ、と間仕切りのカーテンが勢いよく閉まり、なのはの姿を完全に覆い隠した。













  第二十四話 「ほしぞら。」











 医務室の自動ドアが開く。

 制服をぴっちりと着こなし、どこからどう見ても管理局職員として完璧な装いをしたなのはが一礼をし、退出する。
 サイドテールに髪をセットし直し、歯磨きなどの身だしなみも出来る限り整えている。少々ワーカーホリック気味のなのはも一皮むければ普通の女の子、さすがに不潔な格好のままで人前に出たいとは思わない。

 てくてく。無人の通路を歩く。
 就労時間はすでに始まっているころだが、皆自分の部署で自分の仕事をしているのだろう。

(それにしては、人気がなさすぎな気もするけど)

 わずかな違和感を感じつつ進むなのはの視界に、優雅にウェーブのかかった美しい銀髪を持つ少女の姿が映る。

「あ……」

 彼女は、すぐ手前およそ五十メートル先腕を組んで壁にもたれ掛かっている。なのはを待ちかまえていたかのようだ。

 ──引き返したい。
 咄嗟に、そんな言葉が頭を過ぎる。
 けれど、この道を通らなければ部隊長執務室に辿り着けないし、何よりここで踵を返したら負けて逃げ出したみたいで何かすごく嫌だ。そう考え直し、なのはは何度かぐずぐずと躊躇を繰り返してから意を決し、踏み出した。

 すれ違う二人。
 丁度、なのはが銀髪の彼女を追い越した最中──

「──無様ね」

 不意打ちの言葉に、なのはの足が止まる。肩が小さく揺れた。

「視たわよ? ふふっ……、ほんとあんたってつくづく無様な子よね。ピエロみたいに愚かに踊って、見てて飽きないわ。くすくす……」

 あからさまに嘲られ、かあっと頭に血が上り、半ば反射的になのはが振り向く。紫の瞳はわずかに濡れていた。

「わ、私っ! 私なりに、せいいっぱいやって──」
「言い訳は要らないわ。聞くに耐えないもの」

 苦し紛れの弁明をベルがピシャリと撥ね除ける。金色の魔眼に射抜かれて、なのはの反抗心はまるで空気の抜けた風船のように萎んでいく。
 ふん。不愉快そうに鼻を鳴らし、ベルは気に食わない小娘へ駄目押しに“目を背けたい現実”をくれてやる。

「あんたがどれだけ苦心したかは知らないけど。人心掌握をしくじって、惨めに泣き喚いたって事実は変わらないでしょ」
「……ッ」

 暴論にすら聞こえる正論を並べ立て、二の句を封じる。いささか過剰装飾が過ぎるのは、ベルはベルなりになのはの有り様を憤っていたから。

「自分の不甲斐なさに後悔しているくらいなら、空元気でも前を向きなさい。あんたの取り柄は、それだけでしょう」

 だからこうして、ついつい“余計なこと”まで言ってしまう。
 はて、とかけられた言葉の意図がうまく汲み取れず、なのはが首を傾げた。


 ──…………あれ? もしかして私、励まされている?


「えっと、いまのって──」
「っ、ち、違うわよっ! た、ただ脳味噌お花畑なヤツがウジウジしてるのが鬱陶しくて見てらんないってだけ! 勘違いするんじゃないわよっ!! いいわねっ!?」
「う、うん……」

 なぜか激しく動揺したベル──明らかに赤面している──は叫ぶように早口でまくし立て、脱兎のごとくその場から走り去った。いつもの空間転移もうっかり忘れてしまったようだ。

 そうしてひとり、その場に取り残されたなのはは呆然として首を傾げた。

「……? いまの結局、なんだったんだろ?」




 □■□■□■




「なのは、よかった……っ!」
「にゃ!? ふぇ、フェイトちゃんっ?」

 部隊長執務室に入ったなのはを迎えたのは、真っ紅な眼を泣きはらしてさらに真っ赤したフェイトだった。
 ガバッと力の限り包容され、なのはが軽く頬を染めつつ目を丸くする。フェイトのスキンシップ過多は昔からだが、何年たってもなかなか慣れない。どちらかと言えば羞恥心が先に立つ。

「……だいじょうぶなの?」
「うん、もうだいぶ落ち着いたよ。ごめんね、心配かけて」

 ふと視線を巡らすと、応接用らしき高級そうな黒革張りのソファに我が物顔で腰掛ける攸夜と目があった。
 彼はややくたびれた様子で左手を軽く挙げ、挨拶した。
 察するに、情緒不安定なフェイトを慰めるのに手を焼いたのだろう。恋人に対して献身的に尽くすのは相変わらずらしい。

 若干、室内の空気が弛緩する。

「──さて、なのはちゃん」

 その声に一同が顔を上げる。
 発言者は、こちらもかなり高そうな黒革のオフィスチェアに座ってなのはたちに背を向けた何者か──いや、はやてだ。
 ぐるり、と椅子が180度回転する。大仰に、もったいつけて。

「何で呼ばれたんか、当然、わかってるんやろな?」

 背後にクラナガンの遠景を背負い、はやてはデスクに両肘を突いて組んだ両手を眉間の辺りに当てている。そのせいで表情が判別し難く、一種独特の威圧感があったりなかったり。
 とりあえず。黒幕するのがピッタリそうな格好だった。

「はやてちゃん、マダオポーズなんてしてもにあわないしイゲンもないですぅ」
『久々のまともな登場シーンで張り切っているようですね。それにしても演出過剰ですが』
「しょせんモブに毛が生えたていどのあつかいですからねぇ〜」
『エルフィ、ああなってはいけませんよ。プライドは大切にするべきです』

「ええい、そこっ! ぴーちくぱーちくうっさいわっ!」

 こそこそお喋りする空飛ぶ古本と妖精もどきのヘンテコ姉妹に耐えかね、茶色のこだぬきが叫んだ。
「『きゃー」』棒読みの悲鳴を上げ、逃げ惑うリインフォース姉妹。我関せずの攸夜は雅びに紅茶を飲んでいて、フェイトはぼんやりぽやぽやニコニコしてる。
 ──皆、いつも通りマイペースそのものだ。

「ええと……、私どうしたらいいのかなー、なんて。──みんな聞いてないし」

 思わぬ肩透かしで決意の落としどころを見失い、なのはがガクッと肩を落とした。



[8913] 第二十四話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2010/11/26 23:37
 


 げふんげふん。
 ざーとらしく咳払いで場を繕ったはやてが、デスクの前までやってきたなのはに半眼のキツい視線を向けた。
 まるで非難するような水色の瞳──、なのははそれを当然のものとして神妙な面持ちで受け止める。ここにくるまでに、もう腹は括っていた。

「んで、なのはちゃん。今回の失態に関しての申し開き、なんかある?」
「ううん、ないよ。ティアナたちにあんなことさせたのは、私の責任だから。罰は、ちゃんと受けます」
「ふーん、いい返事や」

 なのはのとても殊勝な返事に内心で満足しつつ、はやては処分を言い渡す。

「原稿用紙十枚分の始末書と減俸15パーセント、それから謹慎とまではいかんけどなんらかの懲戒処分を考えとくわ。あとで正式な書類出しとくけど、とりあえずな」
「わかりました。……ごめんね、はやてちゃん、迷惑かけちゃって」
「なーに、みんなの面倒みるんが部隊長のお仕事や。ま、仏さんの顔も三回までやけどなぁ?」
「うう……」

「ちなみにスバルさんとティアナさんの二人は、トイレ掃除一週間の罰なんですよー」
『訓練中とはいえ、あのような行為をするようでは当然ですね。お咎め無しとはいきません』

 信賞必罰。その点について、はやては手抜ぬきをする気はさらさらない。
 たとえ親友と言えど、駆け出しの新人と言えど、ミスをし、組織の規律を乱すのならば容赦はしない。非情に聞こえるかもしれないが、ただでさえ機動六課はやっかみを受けやすい立場なのだ。上層部から強力な庇護を受けてはいるものの、いつまでも胡座をかいていては足下を掬われかねない。
 あくまでも自分は雇われ部隊長というのがはやての認識だった。

 それに、この部屋にいる誰もがわかっていた。はやてとて、好きでこのような真似をしているわけではないということを。
 本当は家族思いで優しい心根を持った女性なのだ、はやては。……ちょっといい加減で、やる気に欠けるのが玉にきずだが。

「あとそこでぽけぽけしてるフェイトちゃん。フェイトちゃんにも懲罰はあるんよ?」
「ええっ!? どうして私っ?」

 自分に飛び火するなど思っても見なかったフェイトが、慌てふためき異義を申し立てる。動揺を隠せず、見開いた目を泳がせておもしろいほどの狼狽えよう。
 が、はやては呆れ混じりに嘆息し、取り合わない。

「隊長なんやから監督責任があって当然やろ。ったく、揃いも揃って部下の管理一つもできんとは、情けなくて言葉もないわ。
 というわけで攸夜君、このお粗末さんな二人にお説教してやってー」

「なんでさ」

 脈絡もなく話を振られた攸夜が、わずかにムッとしつつ即座に聞き返す。

「いやぁ。だってここ攸夜君の見せ場やん? このイベントでSEKKYOUするんはもはやお約束、様式美やよ。しとかなあかんて、実際」
「やだよ。面倒くさい」

 身も蓋もないはやての要求をにべもなく切って捨て、ティーカップに口を付ける攸夜。とても嫌そうにしかめっ面をしている。

「大体お前、部外者の俺に何を期待してるんだ。部下を叱責するのは上官の務めだろうが」
「ええ〜。だって攸夜君、“ほんとはSランクやけどめんどうなんでAランク”とかやってないし。ここらでやるべきとちゃうん?」
「何の話だ。……まあ、加減はしてるぞ、一応。それでも総合SSランク相当らしいけどな」

 ちなみにこれはクロノの見立てだ。
 当然、戦術理論・知性・知識その他諸々も相当と呼ばれるに相応しいものをもっているらしく、未来の義兄からは「このワンマン・アーミーめ」などと苦々しい感想を戴いていた。
 ──そもそも攸夜は管理局局員でもなんでもないので、魔導師ランクを取得する理由などないという点はスルーの方向で。

「ムム。んならSHOUBAIとかどうなん? コネとかいろいろあるやん?」
「興味ないね。美味しいところだけピンハネしたらいいじゃない」
「ぐぐ……、じゃあNAISEIは? お偉方ともつき合いあるんやろ?」
「政なら評議会の脳み──、もとい爺様連中に任せておけば万事間違いないさ。どっちも俺の仕事じゃないね」

 目まぐるしいやり取りに置いてきぼりをくらい、きょとんとするフェイトとなのは。メタな会話の内容を彼女たちはほとんど理解できていない。

「なんつー言いぐさ。やーさんも真っ青の外道やな」
「あくらつひどうですぅ」
『仮にも法に携わる人間の言葉ではありませんね。……この人でなし』

「はっはっは、何とでも言うがいいさ。何せ自分、魔王ですから」

 はやてとリインフォース姉妹が投じた暴言にもまるで動じず、攸夜は余裕の表情を浮かべた。
 むしろ最上級の賞賛と受け取ったらしい。

 さておき。
 一通りじゃれてお互い満足した攸夜とはやては、一転シリアス顔で居住まいを正す。やはりフェイトとなのははこの切り替えの速さについていけないようで。
 なお、古本とちみっこの姉妹は出番は終わりとばかりに部屋の端っこでお喋りなどをしていた。

「でもまあ……」

 肘掛けに肘を立て、頬杖をついた攸夜が薄く細めた瞳で渦中の二人を順々に眺める。

「叱りつけたくなるのは確かだな」

 蒼い眼光は研ぎ澄まされた妖刀のごとく鋭く。別段睨みつけているというわけでもないのに、見られた方はビクッと身を強ばらせた。
 すると何を思ったか、フェイトがそそくさと地べたに膝をそろえて座り始める。ご丁寧にもパンプスまで脱いで、ちょこんと正座する様がかわいらしく見えるのはフェイトの人柄故だろう。
 そんな、「お説教バッチこい!」な態勢の親友の意味不明な行動を不思議に思い、なのはが首を傾げる。

「……フェイトちゃん、なんで床に正座してるの?」
「いや、ユーヤに怒られるときっていつもこうだから」
「いつも?」
「うん。いつも」

 わかったようでわからない、と言いたげな顔のなのは。もうすでに足が痺れてきたのだろうか、もじもじと落ち着かない様子のフェイトを一瞥して、はやては攸夜に向き直る。

「……。自分で言うといてなんやけど、本気でフェイトちゃんもどやしつけるつもりとは思わんかったわ」
「間違いを間違いだと正してやるのも相手への思いやり、歴とした愛情さ。
 水魚だろうが竹馬だろうが刎頸だろうが忘年だろうが関係ない。ただ闇雲に賛美しているだけなんて太鼓持ちと変わらないじゃないか。愛とは躊躇わないこと、と昔の人も言ってるしな」
「それなんて宇宙刑事?」

 攸夜は皮肉げな笑みを浮かべ、世の道理とばかりに大仰な言葉で説く。
 彼にしては珍しい道徳的意見になのはとはやては意外だなぁ、とついつい感心しまう。フェイトなど、「ユーヤ……っ」とまん丸な眼をキラキラさせて猛烈に感激している。……まあ彼女の場合、常に何かしら攸夜の言動にきゅんっとキているのでさして特筆するようなことでもないが。

 三人から送られてくる妙な目線にはたと気が付き、決まりが悪いとばかりに攸夜が肩をすくめる。
 照れているのだろうと、いい加減つき合いの長い彼女たちは簡単に見抜いた。

「つーわけで、はやての言うことにも一理あるしな。ここは一肌脱いで、一計を案じることにするよ」

 諦観したように言う。
 状況に流されるのは本意ではない。だが時として、嫌でもやらねばならないこともある。
 だからせめて、自分が決断したのだと言い張るために攸夜はこうして嘯くのだ。

「いっけい? ……私、いやな予感しかしないんだけど?」
「お前さんにとってはそうなるだろうよ。覚悟しておけ、なのは」
「……??」

 存外勘の鋭い友人に憐れみじみた視線を送り、攸夜は静かに目を閉じた。
 そうして。口を噤んでしまった攸夜のいつになく物思いに沈んだ雰囲気に引きずられ、一同はかける言葉もなく沈黙する。

 ──ずっと正座のしっぱなしで、痺れて立てなくなったフェイトが涙目になるまで。




 □■□■□■




 その日の夕方。
 隊舎本館、ブリーフィングルーム。
 いくつかの座席と壁面に大型モニターだけが設けられた機能的な部屋に、機動六課フォワードチームの面々が顔を揃えていた。
 ミッドチルダ近海に“冥魔”が発生したとの緊急要請を受け、当初予定していた「これからについての大事なお話」を中止し、召集された。
 その弊害だろうか、室内には任務を控えた緊張感とはまた別種の緊迫した空気が漂っている。

「敵、師団規模の“冥魔”は現在首都に向かって海上を南下中。活動を抑制するため、予想進路にはあらかじめ中濃度のAMFが展開されているそうです」

 そんな中で一段高くなった壇上に立ち、ミッションの説明をするなのは。先日の取り乱しぶりが嘘のような凛々しい表情、はきはきとした理路整然な口振り、一見すると毅然とした振る舞い──スバルとティアナは普段通りの上官の様子に困惑する。
 結局あの模擬戦の後、弁解や言い訳の機会もなく、ましてや心の準備する間もなくなのはと向き合わなければならないのは彼女らにとって苦痛でしかない。
 しかし“冥魔”討伐は機動六課に与えられた大事な責務、使命である。例え部隊内に不和が広がっていたとしても断れるようなものではないのだ。

「──そういうわけだから、みんなは残念だけどお留守番ね。今回は私とフェイト隊長の二人で対処するよ」

 特に気負うこともなく言い、はははフェイトと軽く視線を合わせて頷き合った。
 海上は、陸戦魔導師の活動に適したフィールドとは言い難い。“箒”やそれに準じた補助機材・魔法を用いれば可能とはいえ、自由自在に飛び回ることのできない四人を戦力外とする判断は道理に適ったものだ。

 ──しかし、そう思わない者も中にはいる。

「……言うことを聞かない奴は──」
「ティアナ?」

 そう呟き、勢いよく立ち上がるティアナ。一同が不審な視線を彼女に集める。

「──言うことを聞かない奴は、使えないって、ことですか」

 ひどく感情的な教え子の叫びになのはが悲しそうに眉を下げた。しかしそれもわずか一瞬、すぐさま精神を平静に立て直して苦笑する。
 もっとも、その傷つきやすい心の裡でどのような葛藤が渦巻いているのかは、余人には窺い知ることはできないが。

「えと……私の説明、ちゃんと聞いてくれてた? 現場が海の上だから、みんなには外れてもらうってだけだよ?」
「ティアナ、被害妄想で言いがかりするのは止めてくれないかな。自分で言っててわからない? 当たり前だよ、それは」

 やんわりと訂正するなのはと、切り捨てるように言い放つフェイト。金色の執務官は「何を言っているんだろうこのコ」と言いたげに眉をひそめた。
 対照的な反応。大事な“親友”を傷つけたティアナとスバルに対して、フェイトは不快感を隠そうともしない。

「……ッ」

 下唇を噛み、うつむいたティアナは元の席に座り込む。どう声をかけたらいいのかわからないのだろう、隣のスバルとエリオは不安を隠せない顔で、ティアナと上官たちとを交互に見やるばかり。

 何となく不愉快な、気まずい雰囲気。

 この降着した状況を打開する手だては、まったく意外なところから現れた。

「──おーおー、案の定荒れてますなぁ。はやてさんの思ったとおりや」

 場違いに明るい声と共に入室する二人の男女。両者とも、揺るぎない足取りでツカツカと靴を鳴らして一同に近寄る。

「はやてちゃん……? それに──」

 困惑をにじませるなのはの瞳に映ったのは、ある意味で期待通りの展開に底意地の悪い笑みを口元に描く総責任者と、

「ユーヤ……」

 濃紺のスリーピースをぴっちりと着こなした背の高い男性──、いつになく硬い顔付きの蒼い“魔王”の姿だった。



[8913] 第二十四話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:1c181d03
Date: 2010/12/03 21:28
 


「ユーヤ……」

 どこか呆然としたフェイトは眼をまるまると見開き、ポケットに両手を入れて飄々と構えた恋人の名を呼ぶ。
 妙なところで勘の鋭いフェイトのこと、自らの半身の接近には薄々感づいていた。そんな彼女にとって意外だったのはその瞳──、母なる大地と広大なる海原を思わせる蒼い双眸だ。
 眼は時として物言うよりも雄弁であると言うが、溶けることのない氷河のように感情を閉ざした冷たいプラネットブルーは、怒りも悲しみも何も映していない。
 まるで空虚、仄暗い海溝の底を覗いたかのようで。あの忌まわしい“金色”でないだけまだマシかもしれないが、フェイトの意気地を挫くには余りある。

 案の定、フェイトは「う……」と息を飲んでたじろぎ、後ずさる。
 するとはやてが、はぁー、といかにもなため息を吐く。これまたいかにも「私は憤っています」という表情を作って見せた。

「いまからお仕事やってのにこんなザマで、ほんとにあんだけの“冥魔”を捌けるんかいな」

 お調子者の彼女らしからぬ辛辣なセリフは心配の裏返し。例の模擬戦が確実に響いているであろう二人のメンタルコンディションを鑑みれば、ケアレスミスで失敗する姿は想像に難くない。
 フェイトとなのは、どちらも時に頑迷に見えてしまうほど意志の強い女性だが、同時に殊の外脆くて不安定なグラスハートの持ち主。そんな親友たちをどこか冷めているようでいて、人一倍母性本能の強いはやては心配で心配でたまらないのだ。

「だ、だいじょうぶだよはやてちゃん。特に強力な個体は発生してないそうだし、平気だよ。なんとかなるって」
「うん。なのはの言うとおり、私たちなら絶対できるよ」

 軽くどもりながらも当たり障りのない意見を述べる教導官と、根拠もへったくれもない自信を滲ませる執務官。「だからよけいに不安なんや……」という呟きは口の中だけに留め、悩める部隊長は“予定通り”の口上を紡ぎ出す。

「ま、その辺のことについて攸夜君からありがたーいお言葉があるんでな。心して聞くように」
「ありがたいお言葉って、お前な……」

 こんな時までおちゃらける悪友に頭痛を感じ、攸夜がこめかみを押さえた。
「ったく……」とりあえずため息混じりで気を取り直し、両手をポケットから出して鷹揚に腕を組んだ。

「フェイト、なのは。悪いがお前たちの予定はキャンセルだ」

 そして攸夜は“台本通り”の言葉を言い放ち、茶番劇の幕を強引にこじ開けた。

「……それってどういうこと?」
「“冥魔”は俺とはやてで掃除する。俺らの方が遥かに効率がいいし──、何より今のお前たちには任せるわけにはいかないんだ、これがな」

 広域破壊・大軍殲滅を特に専門とする二人である。海上という、周りの被害を配慮しなくてもよいフィールドはまさしく彼らのテリトリー、思う存分に暴れられる狩り場となろう。
 世界最強を謳う“魔法使い”と密かに“準魔王級”とまで評される魔導騎士の前では、師団規模の“冥魔”と言えどものの数ではない。
 ──しかしそれは本来、彼らの役目ではないこと。明らかな越権行為である。

「な、なんで急に……?」

 任せるわけにはいかない、という言葉に動揺を見せるなのは。それはつまり、機動六課における存在意義の大半を奪われたも同じこと。

「自覚はないのか? あの模擬戦の結果を事前に察知しておきながらみすみす見逃したお前に、大事な任務を任せられるわけがないだろう。……何のために半人前共の自主訓練を見ていたんだ、お前は」

「「「!!」」」

 なのはが紫の瞳を大きく見開き、ティアナとスバルの顔色が見る見るうちに変わっていく。後者は自分たちの訓練が知られていたこと、そして作戦が看破されていたらしいことにショックを受けていた。

 仮にも教官であるなのはなら、ティアナたちの“自主訓練”の内容から彼女らの意図を正確に読み取れていてもおかしくはない。
 事実、でなければあの絶妙な奇襲を往なすことなどできなかっただろう。
 休職する以前ならば土壇場でも切り抜けられたかもしれないが、今のなのはの実力では到底無理。戦闘におけるスキルも、危機に対する直感も、闘争に向けた意欲も、当時とは雲泥の差だとなのは自身が自覚しているほどなのだから。

「そ、それは……スバルとティアナを信じてたからで──」
「知ったことかよ」

 苦し紛れの言い訳も梨の礫。

「アグスタでも裏切られておいて、今更信じる何もあるか。そんな甘ったれた考えで、よくもまあ教導官などと名乗れたもんだな」

「ち、違うんですっ!」

 言い被せる痛烈な当て擦りに辛抱が尽き、スバルが勢いよく立ち上がる。隣でうなだれたパートナーの敵討ちをするかのように潤んだ、しかし真っ直ぐな光の籠もった瞳で黒い悪魔を睨み付けた。

「悪いのは、言うこと聞かなかった私たちで、なのはさんはなんにも悪くないんです! だから──」

 身振り手振り、全身を目一杯使って上官の無実をアピールするスバル。必死な声や姿はひどく憐憫を誘うが、その程度で同情してやる攸夜ではない。
 自分の役目は終わったと傍観者を決め込んでいたはやてが「あー、そらあかんわぁ」とスバルの行為を誰ともなく評する。今口出しをしても弾劾者にさらなる糾弾の口実を与えるだけ。

「……フン」

 読み通り、攸夜は不愉快そうに鼻を鳴らしてスバルと、それからソファに座ったまま俯くティアナを準々に眺めた。
 はっきりと見下す視線──、蒼い瞳の湖面にはどんな感情も浮かばない。

「ガキはすっこんでろ。大人の話の最中だ」

 冷たい一喝。スバルを文字通り子供のようにあしらった攸夜の叱声は高々と潮を打ち上げる荒波のように、ますますもって厳しさを増す。

「叱責中に口を挟むとは、相変わらず礼儀も教育もなっていないな。……指導者の程度が知れるとは思わないか?」
「ぅぅ……」

 度重なる皮肉に堪えきれなくなって、じわ……と紫の虹彩が滲む。

「ゆ、ユーヤ! いくらなんでも言いすぎだよっ」

 悔しそうに唇を噛み、俯き加減で立ち尽くす親友を見ていられなくなったフェイトが間に割って出る。キッ、と心優しい彼女には珍しく目尻を怒らせて、いつも以上に乱暴横柄な恋人と対峙した。

「何だ? 何か言いたいことがあるなら言って見ろ」
「……そんな、言い方って……」
「言い方がどうした?」
「……ないんじゃ、ないかなって……その、あの……」

 じっ、と。
 紅と蒼、対象的な色と反比例な感情を宿した眼差しが見つめ合う。

「……あぅ……」

 交わることわずか数秒。
 深い色合いの蒼茫たる眼光を前に、フェイトは涙目となって早々に敗退。土台、彼女が自らの想い人に逆らうことなど、天地が三度ひっくり返っても無理というものだ。

 つい、と攸夜がつまらなそうにしおれてしまったフェイトから視線を外す。それから、部屋の面々一人一人に目を合わせながら口を開いた。

「突撃しか能のない前衛に、功を焦って自滅するガンナー」

 ほとんど名指しされた二人が、身に覚えのある指摘に身を竦ませて。

「未熟で甘ったれな騎士と仲間を信頼しない召喚師」

 心外そうに眉をひそめる少年と恩師の罵倒に下を向く少女。

「そして、無能な部下を修正もせずにただ馴れ合うだけの無能な指揮官たち。……まったく碌なモノじゃないな」

 最後に、今にも泣き出しそうな年長者二人が頭をしなだれると結尾を切り、攸夜がやれやれと大げさに頭を振るう。その仕草がまた一段と芝居がかっていて、一同の神経を逆なでした。

 横目で自分の発言がどれほどのダメージを与えたのかを確認して、攸夜は身を翻す。
 目的はほぼ達成したこの部屋に、もう用はない。
 そして、おそらくの今まで以上の致命傷になると予想される捨てゼリフで駄目押しした。

「──お前たちには失望した」

 その一言で。

「あ……」

 ぐらり、とフェイトの全身から力が抜け、その場に崩れ落ちる。まるで立ち眩みでも起こしたかのように膝から床にへたり込む。
「フェイトちゃん!?」なのはが絹を裂くような悲鳴を上げ、急ぎ駆け寄って彼女を支える。「……ありがとう、だいじょうぶだよ」とぎこちない笑顔で答えたフェイトの顔色は、知らずなのはが息を飲むほど血の気が引いていて。
 その右手は、自らの胸元──ブラウスの下に隠れたあのネックレスを強く、皺になるくらい強く握っていた。

 そんな金色の乙女の様子には目もくれず。漆黒の魔王はやってきた時と同じく、神出鬼没自由奔放に出て行ってしまう。
 ご立腹やなぁ……、と小さく呟き、はやてが騒然とする場をまとめるように声を上げる。

「まあそういうことやし。私らでちゃっちゃと片づけてくるから、なのはちゃんも“やること”ちゃーんとやっといてや」

 そう笑って、彼女はのらりくらりと攸夜の後を追う。
 そうして残されたのは、力なくうなだれた者たちと意味深な言葉だけ。

「…………」

 しかし、親友たちのぶっきらぼうな振る舞いに秘められた意図を正しく受け取ったなのはだけは、決然と顔を上げていた。
 ──堅固な意志を胸に抱いて。




 □■□■□■




 嵐のような二人組が去った後、室内にはこれ以上ないほど最悪なムードが蔓延していた。
 特に酷いのはフェイトで、どよーんとネガティブな効果線をかぶり部屋の隅でうずくまっている。最愛の人に「失望した」と言われたのことが余程のショックだったのか、まるで抜け殻のように真っ白だ。──まあ、放っておけばいつか復活するだろう。

「……怒られちゃったね」

 そんな空気を払拭するべく声を上げたのはなのはだった。
 にゃはは、とばつが悪そうに頭をかき、いつもの困った笑顔。けれど、いつもの愛想笑いとはどこか違って見える。

「でもまぁせっかく時間を作ってくれたんだし、込み入った話でもしよっか?」

 少し冗談めかした問いかけ。
 先ほどのやり取りの趣旨を正しく理解しているからこそ、なのははこうして別段打ちのめされることもなく、落ち着いた気持ちでいられた。

「なのはさんは……」
「うん? なにかな、スバル?」

 不意に、俯いたまま発言した教え子へと人当たりのいい笑みを向けて、なのはが不思議そうに首を傾げる。
 がばりと顔を上げたスバルは、今にも泣き出しそうな情けない表情だった。

「なのはさんはくやしくないんですか!? あんなひどいこと言われて! ……どうしてっ、どうしてそんなに笑ってられるんですか……っ!!」

 溢れる涙で瞳を濡らして、スバルが叫ぶ。
 血を吐くように、泣き咽ぶように。自分のことのように。

「スバル……」

 隣の席のティアナがパートナーを辛そうに見つめる。
 一瞬だけ面食らったなのははしかし、すぐにふんわりと微笑む。それは所在ないあやふやな苦笑ではなく、ただ静かに全てを包み込むような微笑──

「くやしいよ? ふがいない自分にムカムカして、なにも言い返せない自分が情けなくて、友だちを怒らせちゃった自分が恥ずかしくって。……でもね。くやしくてしかたないから、だからこうして逃げないでみんなと向かい合おうって思えるんだ。
 ──だってそれが、私の“お仕事”だもん」

 真っ直ぐにスバルの瞳をのぞき込んで、なのはが言う。
 何も気負わない透明な心、透明な表情で。

 自分の代わりに泣いてくれたことがうれしかった。
 自分の代わりに憤ってくれたことがうれしかった。
 ……だから。こんなにもひたむきな子たちを、自分のように間違った道を歩ませたくなかった。

「お話しよ? これからのこと」

 真摯に。ただ真摯に。
 教え子たちと真っ向から──本音でぶつかり合うことを無意識に避けてきたツケを、今ここで清算するために。
 なのはは皆を見据える。

「いままでみたいに“なあなあ”な関係のままじゃ……だめだと思うんだ、私たちは」



[8913] 第二十四話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:62e603df
Date: 2010/12/10 22:44
 


 ミッドチルダ近海。
 朱に染まる海原と、波間に揺れる水月を望む黄昏の空に黒き翼が翻る。

「『遠き地にて、闇に沈め」』

 赤い表紙の古めかしい書物を片手に魔導の王が祝詞を上げる。
 夜を呼び、闇を呼び、破滅を喚び込む聖なる歌声。不浄なる者共を眼下に、主従は破滅の詩を歌い上げる。

「デアボリック、エミッション!」『デュエット!!』

 振り下ろされる剣十字の錫杖を引き金に魔法が発動した。

 虚空に爆発する“二つ”の闇。響き合い、共鳴し合う漆黒の波動が“冥魔”を飲み込んでいく。
 押し寄せる怪異の波、その勢力を大きく削り取った。

 “夜天の王”八神はやての十八番──オリジナルスキル“二重詠唱”により威力を相乗した魔法は、AMF領域下でも減衰しないまさしく魔導の極致と言えるもの。十把一絡げの魔導師には及ぶべくもない。
 ──しかしこの戦場には、彼女の闇をも遥かに凌ぐ冥闇を統べる天光の神子がいた。

「テトラクティス・グラマトン……!」

 何かが砕けたような、透き通った音が薄暗い空に鳴り響く。
 十三枚の翼アイン・ソフ・オウル高機動形態から光の粒子が一斉に吹き出す。
 放射状に広がる光はまるで天壌ことごとくを覆うオーロラ、暗闇を斬り裂く太陽の光冠。

「風よ、火よ、水よ、土よ。汝等、此処に召喚す」

 響く霊験な声。
 莫大な魔力が渦巻き、青く鮮烈な光が夜空に走る。完成した直径約一キロの巨大な魔法陣が、海上と上空に蠢く無数の“冥魔”全てを包み込んだ。

「風よ、火よ、水よ、土よ。我に従え、制裁す」

 アイン・ソフ・オウルが後背から射出され、魔法陣に中心に突き立っていく。
 “羽根”が紫に、輝き始めた。

「彼方より此方へ。久遠よりへ刹那へ。来たれ、来たれ、来たれ、始まりの泥より来たれ原初の混沌────!!」

 蒼銀の魔法陣の中心から、形容し難いナニカが溢れ出す。あえて人語に訳すなら“泥”に例えればいいだろうか。
 うねり、急速に膨れ上がる“泥”は、周囲の“羽根”から発せられる紫光──“正義の魔力”を受け取って、完全な球体へと変貌していく。
 それは純粋無垢な“混沌”。
 “冥魔”たちが浴びた「余り物」などではなく、世界が産声を上げた時より存在した万物創世の源がここに、招来された。

「彼の者らを在るべき場所へ還せ! ──プリミティブカオス・ジ・エンドッッ!!」

 超広域完全殲滅魔法“プリミティブカオス・ジ・エンド”────終焉に相応しい無慈悲で無軌道な破壊が訪れる。

 音を置き去りに爆発四散した“混沌”が、数万トンの海水を空高く吹き上げる。“冥魔”は、圧倒的な破壊の濁流に為す術なく翻弄されて消えゆくだけ。
 空間が抱えきれない膨大な魔力に軋み、崩壊した。

「うひゃあ〜! 海の上やからってエグいことするなぁ。なんや私、敵さんがかわいそうに思えてきたわ」
『これだけ暴れて次元震が起こらないことが不思議でなりません。概算して“闇の書”の暴走の数倍規模の魔力飽和です』

 黒翼の主従が安全圏から人事のように言う。
 次元震が起こるどころか、この大破壊を引き起こした張本人にしてみれば、この程度の制御は片手間で出来ること。児戯でしかないのだ。

 ────蹂躙の時が過ぎ去り、海上にはひとときの静寂が訪れた。


「……なんか悩みごとでもありそな顔してへん?」

 一息つき、はやてが上空で浮遊する攸夜を仰ぎ見て尋ねる。
 尋ねられた当人は、苦々しく顔付きを歪めてそっぽを向く。

「別に。何にもねーよ」

 ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、その背中からは苦渋が滲み出ていた。
 それを先ほどの一件が原因と見抜き、はやては軽く茶化す。

「……ふぅん。父親の厳しさってやつかいな、立派やなぁ」
「そんな上等なものじゃないよ、俺は。外野がしゃしゃり出ることじゃない、それだけさ」

 はぁ、とため息。

「ったく、いったいいつになったら素直になるんかしらこのコ」
「うっせ。大きなお世話だっつの」

 憎まれ口を叩き、攸夜が連結した大弓の弦に蒼銀の矢を番えた。
 大きく弦を引き取る不器用な悪友のリアクションは予想の通りで。こだぬきが白々しく大げさに肩をすくめて見せた。

「フェイトちゃんも、こないなへそ曲がりのどこがええんやろか。……黙ってればけっこうイケてんのに」
「ん? 何か言ったか?」
「なんでもないですー」

 さり気に本音をこぼしつつ、じゃれ合う様子はわずかな気負いも張り詰めた緊張感もない平時そのもの。元よりこの二人、真っ当な神経などどこかに置き忘れてしまったような人種だ。
 例え絶対的な絶望を前にしても、挫けることなく真っ直ぐ立ち向か──それが攸夜とはやての持ち味。故に彼らは、“自分”という領土を治めるただ一人の“王”たりえるのである。

『敵第二陣、来ます! 前方、距離3000!』

 オペレーターの報告。
 太陽はすでに水平線の向こう側へと沈み、暗い夜の帳が世界を覆い隠す。これからは、夜天の女王と夜闇の魔王──この世の半分を統べる王者の時間だ。

「──さぁて、もういっちょドデカい花火かましたるか!」

 はやての叫びに合わせ、吹きすさぶ冷気が広大な海原に白い雪原を生んだ。




 □■□■□■




 ところ変わって隊舎本館、多目的レクリエーションルーム。普段は職員がクラブ活動などに使用している部屋に、場所を移して。

「とりあえずみんな、好きなところに座って?」

 促され、四人は白いソファに横並びで座り始めた。まだぎこちない雰囲気は残っている。
 部下たちが着席したのを確認し、なのはは彼女らと背の低いテーブルを挟んだ反対側のスツールに対座した。茫然自失から何とか自己修復したフェイトも同様だ。

「…………」

 暗い沈黙が続く。
 道すがら、一同は一言も言葉を交わさずにここまで来た。空気は未だ最悪、少なくとも朗らかに話し合いをするような雰囲気ではない。
 そんな中、

「ええと……まず最初に、昨日のことについて謝るね。訓練を中途半端にしちゃって、ごめんなさい」

 言って、深く頭を垂れるなのはに驚きが広がる。
 そして、トレードマークのサイドポニーを手ぐしで直しながら「大人げないところ、見せちゃったよね」と苦笑して見せた。
 こうなると困るのが、彼女に“大人げないところ”を見せさせた張本人たち。どういう顔をしたらいいのかと視線を泳がせる。
 そんな二人に、なのはは柔らかく穏やかに笑いかけた。

「だいじょうぶ、ちゃんと聞くよ。頼りないかもだけど、私はみんなの“先生”だから」

 はっ、と瞠目したのはティアナ。その想いが届いたのか、わずかに逡巡してから重い口を開いた。

「……あれから一晩、考えたんです。アタシたちのなにが悪かったのか、そしてどうしてなのはさんはあんなに悲しんでたのか、って」
「うん」

 訥々とした独白に、なのはがやさしく相づちを打つ。
 ティアナは賢明な少女だ。追いつめられてヒステリーさえ起こさなければ、きちんと理論立った思考をできる。

「……いろいろ考えて、考えて……それでその、一番間違ってたのは、スバルを捨て駒みたいに扱ったことじゃないかって、思ったんです」

 キュッ、と下唇を噛みしめて俯いてしまうティアナ。彼女の脳裏には、ホテル・アグスタでのフレンドリー・ファイアの瞬間が過ぎる。
 親友と呼んでもいい友人が危機に晒された瞬間、自分は何をしていたのだろう──冷静に我が身を振り返り、愕然とした。自己嫌悪で吐き気がした。自分は、夢のためなら親友を犠牲にするような、そんなクズみたいな人間だったのだろうか、と。

 今にも泣き出しそうな表情で、制服の裾を固く握りしめる。

「あれが実戦で、相手が凶悪犯だったらって考えたらアタシ……」
「──もういいよティアナ。ティアナの気持ちは、よくわかったから」

 小刻みに震え、声を絞り出す教え子が不憫で思わずなのはは口を挟んでしまう。
 ティアナが顔を上げた。

「言うことを聞いてくれなかったのもショックだったけど、もっとショックだったのは二人が捨て身みたいなマネをしたこと。……あの作戦自体の是非はともかく、命を軽んじるような戦い方、訓練でも実戦でも認めるわけにはいかないの」
「……! で、でも、だけどっ! 命がけでがんばることって、そんなに悪いことなんでしょうか!?」

 口調こそ柔らかいが、きっぱりとした叱責にスバルが食ってかかる。いつもよりずっと小さく見える友の代わりをするかのように。
 珍しく──それこそ初めて自分に刃向かう彼女の変化をうれしく思い、なのはは思い違いを正してやる。

「そんなことないよ、スバル。私にだって命がけで戦った経験、何度もあるし。でもね、その結果取り返しのつかない失敗や、命に関わる大けがしたことだってあるんだよ」
「なのはさんが大けが、ですか?」

 エリオが声を上げる。

「そう。四年前の“冥王の災厄”事件のときと、十歳のときにちょっとね」

 気恥ずかしそうに頬を掻く。
 “エース・オブ・エース高町なのは”──その完全無欠な偶像にそぐわないエピソードを聞かされ、驚く四人。個人個人の差はあるものの、驚愕の色は一様にして濃い。

「かいつまんでいうと、調子に乗って限界以上のオーバーワークして、あげくこっぴどく撃墜されちゃってね。──もう二度と空を飛べないかもってお医者さんに言われて、それでも空が飛びたくて……一年くらい、死に物狂いでリハビリしたっけ」

 けっこうツラかったなぁ……。
 人事のように壮絶な過去を語る影には、無鉄砲で無遠慮で、“勇気”と“蛮勇”をはき違えていた過去の自分への後悔がある。
 そんな心の裡を敏感に嗅ぎ取り、フェイトが「なのは……」と心配そうに彼女の肩をそっと触れた。
「うん」気遣ってくれる親友に笑みを返して、なのはは苦い思い出の詰まった昔語りを締めくくる。

「家族や友だちにたくさん心配とか迷惑かけて……、それだけリハビリしても完治できなかったんだけどね──っと、ごめん、なんか話が脱線しちゃった」

 サバけた笑いを零すなのはとは対照的に、動揺を見せる新人たち。ひどく極端な例ではあるが、これから長い人生を歩む彼女らにとっても他人事ではないかもしれない。

「だからじゃないけど、みんなには私みたいな思いをしてほしくないの。命は誰にもひとつしかないから、大切にしてほしいの。自分のものでも、ほかの誰のものでも」

 その言葉を神妙な面持ちで聞いたティアナは、まるで自分に誓っているみたいだ、と思った。──事実それは、魔導師として再びを“杖”を執ったなのはが、他ならぬ自分自身と交わした誓約だった。

 会話が途切れ、しんみりとした空気が流れる。

「……あのね、私からもみんなに言っておきたいことがあるんだ」

 そんな静寂を乱したのはフェイトの声だ。
 皆からの視線を一身に集めると彼女はにわかに赤面するものの、「負けるもんか!」と密かに奮起して四組の瞳を見つめ返す。

「誰かに頼ることは悪いことじゃないし、助け合うことも悪いことじゃないよ。──人間ひとりができることって、ほんとうにとっても小さいんだ」

 静かに語りかける声はひどく澄んでいた。
 焼き付いた恋人の背中を思い浮かべながら、紡ぐべき言葉を心の海より汲み上げる。

「その……うまく言えないけど、だから私たちは、絆を繋ぐんだと思う。ひとりじゃ立ち向かえないことに向き合うために。そして、倒れてしまわないように支え合うために」

 祈るように。願うように。恋うように。
 両手を胸元で──思い出のネックレスの上で組み、フェイトはゆっくりと長い睫毛を伏せる。

 まだまだ頼りないけれど、いつかきっと光り輝く希望のたまご──その可能性を正しく導くのが自分たちの役目なのだと。

「──いっしょに戦おう? 私たちにはみんなの力、必要なんだ」

 白百合の笑顔とともに開かれたスタールビーの瞳は、ひたむきに真っ直ぐ“仲間”たちを見つめていた。

 ──この時の四人の返答を改めて記す必要はないだろう。
 それは誰しもがきっとわかりきっていたことなのだから……。



[8913] 第二十四話‐5
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:62e603df
Date: 2010/12/17 23:45
 


「……はぁ」

 星のきれいな夜。
 機動六課女子寮のほど近く、なだらかな坂になった芝生の上で、ティアナがぽつねんと黄昏ていた。終わりの見えない自己嫌悪に苛まれていたのだ。

「…………。ふぅ……」

 ぼんやりと海の方を見てうずくまり、ため息を零す姿はとても年頃の少女には思えない。
 そんな無防備極まりない背中に近づく人影が。

「ティーアナっ、こんなとこにいたんだ? 探しちゃったよ」
「っ! ──あ……、なのはさん……」

 はっ、と振り返ったティアナの目に飛び込んできたのは上司の人懐っこい笑顔。

「隣、いいかな?」
「あ、はい」

 柔らかな緑のカーペットにぺたりと座り込み、腰を落ち着けたなのは。ティアナと同じく、街の灯りが波間に揺らめく仄暗い海へ目線を向けた。
 どこか気まずい雰囲気。
 どうしよう、とティアナは思案したが答えは浮かびそうにない。頼みの上官は不気味なくらいにこにこしていて沈黙しきりだし。

「……私、」

 そんな時、突然なのはが口を開いた。

「ちょっとうらやましいかな、ティアナのこと」

 脈絡もない発言にティアナが怪訝な顔をする。

「うらやましい、ですか?」
「うん。うらやましいよ、すっごく。──私、ティアナやみんなみたいに、ひたむきに目指せる“夢”って持ってないから」

 しみじみと、微苦笑する。自嘲めいた表情は彼女らしくない。
 そうして、ぽつりぼつりと言葉を綴り始めた。

「……昔ね、ミスショットである人にひどい大けがさせたことがあるの」
「え……?」

 思いも寄らない言葉にティアナは目を丸くする。同時に、ズキリと鈍い幻痛が胸に走った。

「戦いに熱くなって、周りが見えてなくて……たいせつな、私に“魔法”をくれたたいせつなひとの命を、その魔法で奪いかけたの」
「……恋人、ですか?」
「そ、そんなんじゃないよぉ〜」

 シリアスな雰囲気から一転、ふにゃりと崩壊した顔を盛大に赤らめて悶えるなのは。わたわたと否定しきりなこの女性、普段は割とわかりやすい。表情豊かいうか、案外年相応というか。
 ティアナは冷え切っていた胸の内が、少しだけ暖かくなったような気がした。

 こほん、と咳払いで仕切り直しを試みるなのは。赤みの残った顔面は全くもって直せていなかったが。

「ともかくそれ以来かな、管理局にいて、魔法で戦うことに意味を感じられなくなって……もともとね、戦いとかあんま好きじゃなかったし。いま六課にいるのも惰性っていうかケジメっていうか──まあ、そんな感じで」
「なのはさん……」

 沈痛な面持ちのコウハイに「この話、みんなにナイショね?」とおどけて見せた。
 生憎和みはしなかったけれども、隔意のような心の壁はいつの間にか取り払われていた。彼女がどうして自分たちに親身にしてくれるのか、どうしてあれほど感情的になったのか──、その理由がティアナにはわかったから。

「でもなんか意外です、撃墜の話もですけど。なのはさん、アタシなんかと違って才能あるし、順風満帆な人生を歩んできたんだなって勝手に思ってました」

 だからつい、本音を口走ってしまう。あっ、と口を押さえたが後の祭り、一度出た言葉は引っ込まない。
 それは違うよ、となのはが静かに首を振った。

「ティアナはよく“自分は凡人だ”って口癖みたいに言ってるけど、そんなことない。才能なんて関係ないよ。ティアナはティアナの歩幅で、夢を目指せばいいんだから」
「私の、歩幅……?」

 ──それはティアナにとって、考えもしなかった革新的な発想だった。

「ティアナはね、ちいさな夢を赤ちゃんの歩みみたいに一歩一歩、確実に堅実に叶えていけるタイプだと私は思うんだ。
 ひとつひとつはちいさくても、たくさん叶えたらきっと最後はおっきな夢になる。──ほら、あの星みたいに」

 天を仰ぐなのはが示す先──深い群青の空には、数え切れない煌めきが広がっていた。

「ひとつひとつを繋いでいって、カタチにしたらいいんだよ。ティアナだけの、ティアナにしか描けない“ユメ”っていう星座を」

 すーっと白く細い指先が星空のキャンバスをなぞる。
 ティアナには、それが何を描いたのかわからなかった。けれどそこにはなのはだけの、なのはにしか見えないものが描かれているに違いない。
 「自分には夢がない」、そう語ったなのはにも本当はあるのではないだろうか──、どうしても叶えたい、強い想いが。

「ティアナ、クロスミラージュをちょっと貸してくれるかな?」
「いいですけど……、いったい何を?」

 まあ見てて、と待機状態のデバイスを受け取って教導官権限で起動させる。
 すっかり見慣れたティアナの相棒、白い拳銃。

「リミットリリース。サードモード、セットアップ」
『了解』

 リミッター解除のコマンドを受け、クロスミラージュは自身に納められた小型魔導炉をフルドライブさせた。

 オレンジ色の発光し、持ち手を残して弾け飛ぶパーツ。
 大小さまざまな部品が圧縮空間から放出され、複雑に組み上がっていく。

「これ……!」

 ティアナが驚愕の声を上げた。
 自動式拳銃オートマチックが変貌したのは、白赤とオレンジに染め上げられた回転式拳銃リボルバー。短めの砲身、その下部から手を守るように伸びたパーツから少し離れた空間に沿って、刃渡り60センチほどの魔力刃が発生している。
 遠近一体の設計思想を備えた第五世代デバイス──正面に構えれば、逆刃の鎌にも似た形になるだろうか。
 ゆるりとした曲線とオレンジ色の魔力光が美しい。

「クロスミラージュのサードモード、“ダブルトリガー”だよ。ティアナは執務官志望だし、いつか独り立ちしたときにこういうモードも必要かなって。
 ……まあ、はじめはダガータイプにと思ってたんだけどね」

 せっかくの射撃スキルを殺してどうするんだ、って攸夜くんに叱られちゃった。
 ぺろっと小さな舌を出してなのはが冗談めかす。「どう? 気に入った?」
 感激のあまり言葉を失うティアナを見れば一目瞭然、なのはも喜色満面でうんうんと頷く。

「あの……、あのっ、ありがとうございました!」
「うん、どういたしまして。──それと、これからもよろしくね、ティアナ。みんなでいっしょにがんばろ」

 水色の眼を潤ませた未来の執務官は、ここ機動六課に転属して以来初めて、心からの笑顔を満開に咲かせた。

「はいっ!!」


 ──少し遠回りしたけれど、ふたりはようやく歩み寄ることができた。

 ヒトは間違っても、やり直すことができる。

 ヒトは争っても、分かり合うことができる。

 ぶつかり合って傷つけ合って、分かり合った彼女たちなら。締めるところはきっちり締めて、砕けるときは砕けて──そんな厳しさと楽しさ共存するような場所を創れるはずだ。


 この日を境に、夜、自主訓練するなのはとティアナの姿が、時折目撃されるようになったことを追記しておく。




 □■□■□■




「──雨降って地固まる、か」

 寮の廊下に面した窓辺から師弟──いや、新しい“仲間”たちの様子を眺めて呟いたのは、“冥魔”の駆逐を終えて帰還した攸夜である。
 途中、海上を滑るエイのような超巨大“冥魔”にやや苦戦したものの、はやて・リインフォースの協力もあって無事撃退。こうして戻ってきた次第だ。
 相方は今頃、事後処理に追われているだろう。

「月並みな結末だが、なのはらしいな」

 細められた蒼い瞳に剣呑さはなく、静かに凪いだ海のよう。
 梃入れの結果は上々のようだ、と満足げに振り返る。が、その気勢もすぐに吹き飛んだ。

「……フェイト?」

 明らかに沈んだ雰囲気を纏い、廊下に立ち尽くす恋人の姿によって。
 ついさっきまで自分の無事な帰還を喜んでいてくれたはずなのに、どうして──

 不意打ちで、彼女は攸夜の胸に飛び込んだ。
 無駄のない華奢な身体を難なく受け止めた攸夜は不審を強める。

「……急にどうした? 酷い顔色だよ」
「──ないで」
「?」

 かすれた声で上手く聞き取れない。

「見捨て、ないで……」

 やっと漏れ聞こえた声に、はっとする。
 感情の機敏に人一倍敏い攸夜には彼女がこれほど怯えている理由に心当たりがあった。


 ────“失望した”。


 壊れかけた人間関係を清算するため、焚き付けるために自分の吐いたセリフだ。

「がんばるから……、私、もっとがんばるから。ひとりにしないで、見捨てないで……」

 顔を押しつけたまま、彼女は嗚咽を混じらせ懇願する。押し込めていた昏い澱んだ感情が、ここにきて爆発した。
 全身全霊を賭けて愛するひとに罵倒され、それでも年少の者たちを心配させまいと気丈に振る舞ったのだと思うと、攸夜は酷い罪悪感に襲われた。

 彼女は──フェイトは、親に虐げられ、親に捨てられた子だ。そして、その小さな肩には重い……重すぎる“運命”を背負わされた子である。
 心に受けた傷痕は根深く、献身的な愛情を以てしても決して癒されることはないだろう。

 なのに。それなのに。
 彼女を傷付けてしまった。
 しかし攸夜に、必要だったとか、自分もつらかったとか──そんな見苦しい言い訳などできようもない。
 だから、

「ちゃんと仲直り出来て……偉いな、フェイトは」

 ことさらに柔らかく言って、金糸の髪を撫でる。さらさらと手に馴染むシルクのような感触が今夜はどこか物悲しい。

「……大丈夫、君を見捨てなんてしないよ。──ずっとそばにいるから……」

 こくんと首肯する気配。
 ようやく全身から強張りが解けたフェイトを、攸夜は愛おしむようにやさしく抱きしめた。
 渇愛し続ける彼女へ惜しみない愛情を注ぐこと────、それが自分に出来うる唯一のことだと。









 ────闇。一面の闇。

 そこでは時が歩みを止め、光さえもがその輝きを失う。無限大に広がり続ける多次元宇宙から不要とされ、こぼれ落ちた“負”が支配する闇の世界。
 悪意と呪詛と絶望とが蔓延した汚泥のような漆黒に、人影が漂って──佇んで──いた。
 年の頃は十代前半、制服らしき薄紫のブレザーを着た姿は一見学生のようにも見える。しかし、ただのヒトがこの世全ての害悪が実体化したような、形あることさえ不可能な混沌の中で無事でいられるものだろうか。
 ──無論、彼はヒトではない。もっと邪悪な何かだ。

 そこに紅い翼の堕天使が舞い降りる。

「──アーンリっ♪」

 漆黒の衣を身に着けて、白銀の髪を靡かせる少女。後頭部を飾った黒いリボン状の羽が可憐な顔立ちに際だたせている。

「やあメイオ。今日は何の用?」

 少年が振り返り、フランクに答えた。女性のようなボーイソプラノはどこか高圧的でもある。
 皮肉げな表情。長い真白の前髪に覆い隠された右目の色はおそらく、露出した左目と同じくスカーレット──鮮血じみた色であろう。

「準備は進んでるかな〜、って思って」
「ボクの方は順調そのものさ。直に“ゆりかごの鍵”も出来上がるから、期待してくれていいよ」
「ふーん、そっかぁ……。でもそこ、“生まれる”っていうところじゃないのかな?」
「所詮は生贄──、神に捧げられるための道具に過ぎないよ」

 それもそっか、と少女はあっさりと引き下がる。そして一転、不満げに頬を膨れさせて文句を垂れ始めた。

「あーあ、はやくベルちゃんに会いたいなぁ。アンリってば、せっかくベルちゃんがすぐそこにいるのに会いに行っちゃダメってイジワル言うんだもん。……アリシアちゃんをイジメるの、飽きちゃった」
「後少しの辛抱さ。キミには相応しいステージを用意しているんだからね」
「ぶーぶー」

 ご機嫌斜めでぶーたれる暴君と、それを薄ら笑いで宥め賺す少年。一見、コミカルな光景だが、辺りに広がるのは決して明けることのない“無限の闇”だけだ。

 ──先の見えない常闇に異形の軍団が蠢動する。
 少年は薄ら寒い表情を浮かべ、紅黒の瞳で虚空を仰ぎ視た。

「もうすぐ、ありとあらゆるものが絶望の底に沈む──それを成すのはこのボク、“この世全ての悪”だ」



[8913] 幕間 2‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/01/14 23:06
 


「──だああああっ! なんでそこでメアド交換するんや!? 彼女おるんやから男らしく断れやっ!」

 高級そうな黒革のデスクチェアに座り、はやてがなにやらヒートアップしている。
 その手には、第97管理管理外世界の日本において毎週水曜日に発売されるマンガ雑誌。どうやらその内容がお気に召さず、憤慨されているご様子。

「なにが“帰ってきだけです”や、アホか。なあなあ、攸夜君もそう思わん?」
「……ん? 何がさ」

 接客用のソファセットで優雅に紅茶を嗜んでいた攸夜が、話題を振られて顔を上げた。今日も今日とて我が物顔である。

「アオダイもユズ子もクズすぎやろ、常識的に考えて。まー、ある意味お似合いっちゃお似合いやけど、当て馬にされたアスカがかわいそやわ」
「だから何の話だよ」

 話の趣旨が把握できず、苦笑するだけの攸夜。それでも一応相手にはするあたり存外に甘い。
「まぁええわ」と雑誌をぞんざいにデスクへ投げ捨て、はやては背もたれに思いっきり体重を預ける。一頻り文句を垂れて満足したらしい。

「ヒマやなー、しかし。なんかおもろいことない?」
「お前なぁ……。それならポケモンで対戦するか?」
「飽きた。だって攸夜君、伝説ばっか使うんやもん。種族値とか個体値とか性格とか、ちゃんと一から吟味せえっちゅう話や」
「やだよ、めんどくさい。アルセウス三体とミュウツー三体でいいじゃん。かっこいいし」
「よくないわっ、小学生か!」

 吼えるはやて。どんなことでも理不尽な彼女の友人は、余裕の表情でソーサーにカップを置き、足を組み直した。

「じゃあデュエル」
「社長ワンキルはもういやや。いちいちリアルチートドローしくさってからに。何のギミックもなしにパーツぜんぶ揃えるとかあり得ん、王様か」
「そこは社長と言ってくれ。つーかお前の方が大概だろ、ライロだのBFだの満足だのガチデッキばっか使いやがって」
「勝てばいいんですぅ。何があかんの?」
「まず浪漫が足りない。ネタ積んで、その上で勝つんだよ」
「ロマンでおまんまは食えへんのよ。これだから男はアカンのや」

 ──などとしょうもない話題で主義主張をぶつけ合う二人。ちなみに現在、勤務時間まっただ中である。

「はぁ……なんかどれもこれもパッとせぇへんなぁ。んん〜〜……」

 妙案が浮かばず、はやては唇に人差し指を当て何やら考え始めた。
 その様子を横目で見る攸夜は、はやての仕草をかわいいなぁ、などとは絶対に思わない。やけに雅な所作でカップに口を付け、当然のごとくアウトオブ眼中まっしぐらだった。

 ややあって。
 ぽんっ、とはやてが手を打つ。

「夏──、そう夏や! いまは夏やな、攸夜君!」
「……まあ、暦の上ではな」
「リアルはおこたが恋しい季節です」
「メタ言うな。今回は恒例の特別編なんだよ」

 攸夜の方がよっぽどである。

「それはともかく。夏と言えばアレですよおにいさん、ぐふふ」
「アレ、か……なるほどな」

 悪巧みたくらむゲスい笑みを浮かべたはやての抽象的な発言に、何かを感じて納得する攸夜。妙なところでツーカーな二人だ。

「で、俺にどうしろと?」
「そりゃもちろん、“祭り”に一枚噛んで」
「なんでさ」
「そんなこと言わんと力貸してーなぁ。友だちやろ〜、ええやんかー。なあなあ〜、後生やから! 一生のお願い!」
「小学生かよ……」

 猫なで声で泣き落としを始めたたぬきちゃん。こうなると情にもろい攸夜は「鬱陶しいなぁ……」と苦笑しつつも断りづらくなる。若干乗り気になってもいたので、協力してやることにした。

「ったく仕方ないな。──仕切りは好きにやらせてもらうぞ?」
「はいな、おまかせおまかせ♪ ──さぁ〜、忙しくなってきたでーっ!」
「……楽しそうだなぁ、おい」

 お調子者な悪友に上手く乗せられたことに嘆息する攸夜だった。












  幕間 「夏だ! 機動六課全員集合! ポロリもあるよっ☆」













「……なんなんですか、このサブタイトル」
「さあな。どっかの誰かさんが悪ノリでもしたんだろうよ」

 数日後。夏らしいかんかん照りの日差しの下、水着に着替えたエリオとヴァイスのんびりだべっていた。

「しかし、空間シミュレータにこんな使い方があるとはね。この砂浜、リアルそのものじゃないか」

 ここは機動六課の敷地の片隅。普段、訓練が行われているエリアが高級リゾート地にも勝るとも劣らない真っ白なビーチへとビフォーアフターしていた。
 ヴァイスの述べたとおり、空間シミュレータの応用である。

 本日は部隊長の厳命により、職員全員に丸一日の休暇を与えられている。「六課が始動して四ヶ月、がんばってくれたみんなにちょっとしたご褒美や」という“てい”で、だ。
 とはいえあまり施設から離れては緊急事態の際に支障が出るし、明日は当然通常業務。というわけで、特設海水浴場の海開きと相成った。
 事前に水質汚染の有無を調べていたあたり、この“祭り”の仕掛け人は確信犯だったらしい。

 ちなみに。
 現在人員がごっそりと抜けた穴を埋めているのは、セフィロトから動員したマシンサーヴァントたち。職権乱用であることは言うまでもない。

「僕は技術の悪用だと思いますけど」
「エリ坊はお堅いねぇ」

 “坊や”呼ばわりに、エリオはむっとした。
 同室同士ともあって、この二人は割と仲のいい。エリオは基本的に素直で優等生体質であるし、ヴァイスが面倒見のいいというのもあるだろう。──機動六課は男子が少なくて肩身が狭いから結束している、という説もあるが。

 太陽に照らされた砂浜をてくてくぶらぶらと歩く二人。同じように、六課の職員──例外なく男性ばかりだ──の姿がちらほらと見受けられる。

 と、真っ白な海岸に木造平屋のひなびた感じの家屋がぽつんと立っていた
 敷地面積はかなり広く、外には達筆な筆文字で「特設 海の家」と看板が出ており、中には安っぽいパイプイスや木製の大きなテーブルや、奥に座敷らしき一角が設けられている。ゆっくり首を振る古びた扇風機が、何やら風情を醸し出していた。

「海の家……ってなんですか、ヴァイスさん」
「んー、まあ簡単に言うと海水浴場にある食堂だな」
「へぇー」

 いろいろあって社会的な知識の足りないエリオは、こうしてよくヴァイスに質問したりする。どこぞの自称魔王よりよほど懐いているぐらいだ。
 ここで噂をすればではないが、海の家からガタイのいい長身の男性が顔を出した。

「おや、陸曹に坊やじゃないか、いらっしゃい。──って言ってもまだ準備中だけど」

 そう言ったのは、黒いシャツの上からブルーのエプロンをかけた攸夜。例の如く、下はハーフパンツタイプの蒼い水着という格好だった。
 気にくわない人物との遭遇にエリオが顔をしかめる。

「これは監査官殿。どうしてここに?」
「この店、俺がプロデュースしたんですよ。やっぱり海水浴場には海の家が付き物でしょう」

 攸夜は言いながら、横の壁板を拳で軽く小突く。
 やるからには完璧に仕上げると、わざわざひなびた外観にしている点からして芸が込んでいる。──無論、メニューのレシピも攸夜直々の監修だ。

 興味に駆られ、エリオは中を覗いてみた。
 店内には店員らしき水着姿の女性が数人、慌ただしく動き回っていた。彼女らもマシンサーヴァント、人件費の節約である。

「ちなみにここでの儲けは全て慈善団体に寄付する予定です。……というか陸曹、俺に敬語は必要ありませんよ」
「いやあ、最高評議会の代理人て言えば立派なお偉いさんでしょう。タメ口は拙いかな、と」
「上司ってわけじゃないんですから、堅苦しいのはナシってことで。呼び捨てで構いませんし」
「そうかい? ──それにしちゃあお前さんはやけに丁寧だが」
「俺はいいんです。年上には最低限の礼儀を払う主義ですから」

 キャラに合わない殊勝なことを言う攸夜。格下を演じて油断を誘う彼なりの処世術であった。


 それからぽつりぽつりと四方山話を──主に攸夜とヴァイスが──して時間を潰す三人。
 数分前からそわそわとし始めたエリオがぽつりと零す。

「……遅いですね、みなさん」

 女性陣のお約束な遅い出足が、まだ若いエリオにはじれったく思えた。
 そんな修行の足りない少年を、オトナの二名が口々にやんわりと窘める。

「まあ、そう言いなさんな。女の子ってのは準備にいろいろと時間がかかるものなんだ」
「それを黙って待つのも男の器量だよ。例え待たされたのが一時間だろうが二時間だろうが、最高の笑顔で迎えてやるのがいい仲を保つコツさ」
「おおっ? さすが彼女持ちは説得力が違うねえ」

 若干下世話に囃し立てられるが、それしきで動じる攸夜ではない。

「フェイトには、いつでも笑顔で、幸せでいてほしいですから。その前じゃ、俺自身の心情なんて二の次です」

 静かに言って、微笑む。
 自然体で、それでいてフェイトへの混じりっけのない愛情に溢れた表情──そこに、いつもの軽薄な仮面はない。同性すらも惹き付ける魅力があったりなかったり。

「ヒュゥ〜♪」臆面もない惚気にヴァイスが感嘆の口笛を吹く。
 そして、しばらく黙って聞いていたエリオは……。

「…………」

 不満げに攸夜の横顔を見上げているだけ。どうやら彼を見直すには至らなかったようだ。

 そんな時、横合いから茶々を入れる集団があった。

「リア充爆発しろ!」「俺たちのフェイトさんを独り占めにして!」「くぅーっ、嫉ましいぞこの野郎っ!!」「ベル様と仲良くしてるのも気に食わねーッ!」「イケメンこじらせて死ね!」「そうだそうだー!」

 そう声高に弾劾するのは、いつの間に集まってきたらしい名も無き男性職員たち十数人。
 その鬼気迫った雰囲気に、外野の二人が身を引いた。

 攸夜と某フォワードチーム隊長の熱愛ぶりは、機動六課の誰もが知るところだ。
 場所を弁えずベタベタイチャつけば嫌でも目に入るということもあるだろうが、独り身の寂しい者や彼の執務官を密かに想い慕うファンたちにとって攸夜は不倶戴天の仇敵。絶世と言ってもいいファッションモデルじみた彼女の美貌に、十分釣り合っているところも彼らの神経を余計に逆なでするのだろう。

 まあそんな感じで、嫉妬にまみれた醜い敵意を一身に集めた攸夜だったが、いささかも気にかけていない。まるで涼しげに、勝ち誇ったかのような笑みを浮かべて男共に流し目を送る。

「なるほど……。そこのモブどもは週末のコンパには参加したくない、と」
「「「「すいませんっしたーっ!」」」」

 一転、職員たちは一斉に、それはそれは見事なジャンピング土下座をかました。。
 余計に引く外野の二人。

「コンパって、そんなことしてんのかよ」
「人心掌握の一環です。ヴァイスさんもどうです? 実は本部経理課のランファ・メイから、是非呼んでくれって頼まれてるんですよね」
「あの子か……。昔世話になった人の妹さんなんだが──」

 当たりの強い妹分を脳裏に思い浮かべ、困り顔で頬を掻くヴァイスは、粘ついた気配を感じて振り返る。そこには撃沈していたはずの男共が、ジトーっと湿った目で彼を見ているではないか。
 タラ……、と額に嫌な汗が浮かぶ。決して高い気温が原因ではないだろう。

「裏切り者め!」「陸曹も俺らと同じパンピーだと思ってたのにっ!」「ランファちゃんからのご氏名だと!? 羨ましいじゃねーか!」「ちくしょー! やっぱ顔か!? 顔のスペックかー!?」「そんな奴やっちまえー!」「そうだそうだー!」

「なっ、今度は俺かよ!?」

 糾弾の矛先が自分へと向いたことにヴァイスが目を剥く。この後の展開はまあ、言うまでもないだろう。
 一目散に逃げ去るルームメートと男衆の背中を目で追いかけ、困惑気味のエリオはとりあえず隣のオトナに尋ねてみた。

「えと……いいんですか、あれ」
「いいんじゃない? 見てるこっちは面白いし」
「は、はあ……」

 頼りにならない悪いオトナに、少年は曖昧な相づちをするしかなかった。



[8913] 幕間 2‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/01/22 01:23
 


 珍事から数分後、

「あ! エリオいたいた、探しちゃったよー。攸夜くんといっしょだったんだね」

 ピンクのビキニスタイルのなのはを先頭に、同じくブルーのビキニを着たフェイトなど女性メンバーがようやく姿を見せた。はやてやヴォルケンリッターの面々の姿はない。
 なお、細かな描写は割愛するが、ぶっちゃけ各々の水着は版権絵をイメージしていただければ間違いないだろう。

 待たせちゃった? そうでもないよ云々というお決まりのやり取りはさておき。
 談笑するフェイトに無駄に決然とした表情のエリオが接近する。何やら関知したキャロがむむっ、と眉間にしわを寄せて不機嫌を露わにした。

「エリオ? どうしたの?」
「あ、あのっ、フェイトさん! その……すごく、きれいです」
「うん、ありがとうエリオ。うれしいよ」

 エリオ渾身の賛辞は、ありがちな社交辞令に対する応答のように軽く流された。
 ガクッと膝を突くエリオを半ば無視する形で、フェイトは攸夜の側に近寄っていく。

「ユーヤ、この水着、どうかな……?」

 上目遣いでおしゃれの感想について尋ねるフェイト。生来のネガティブシンキングがまたぞろ顔を出している。
 彼女の一番の理解者を自負する攸夜は、安心させるように柔らかく微笑んでそっと頬に手を触れた。

「ああ、今日のフェイトも綺麗で素敵だよ。ブルーって、新鮮な感じで可愛いな」
「ふぁ……ありがとう、うれしいっ!」

 白皙の頬を桜色に染め、フェイトがぱああっと輝くように破顔した。
 その後ろでは、敗北感に打ちひしがれたエリオの肩をキャロがポンポンと叩いている。慰めているつもりなのだろうか。
 天然とは時に残酷なのである。

「フェイトはかわいいなあ!」
「きゃっ! ──もう、みんなの前だよ?」
「かまうもんか」
「は、はずかしいよ……」

 大胆にハグされたフェイトが、猫なで声で形だけの意思表示をする。説得力など欠片もない。
 そうして、人目もはばからずスキンシップを計るバカップル。すでに空気みたいな光景なので、桃色な雰囲気に充てられて恥ずかしがったりする人物はもういない。むしろ呆れ果てるばかりだ。
 例のごとく恋人以外はアウトオブ眼中で無礼な幼なじみに、なのはがジト目を送る。

「……あのさー、毎回思うんだけど私たちにもお世辞の一言くらい言ってくれていいんじゃない? こーんなにかわいい女の子が揃ってるんだし」

 若干誇張しつつ、なのはがぷくっと頬を膨らませてぶーたれた。攸夜を恋愛対象として見ていないとはいえなのはも一人の女性、毎度毎度こうもあからさまに無視されると堪えるものがある。
 うんうん、と横で他の女性陣もその意見に深い同意を示していた。ティアナとキャロはともかく、ボーイッシュっぽいイメージのスバルも思うところがあるようだ。

 そんな感じの複雑な四組の視線を受けた攸夜はといえば、

「興味ないね。大体なのはだって、俺に誉められてもうれしくないだろう? お前はやっぱり最近何かと人気な“アイツ”じゃないと、さ」

 バッサリと一太刀にて斬り捨て、返す刀で揶揄するという念の入れよう。
 言葉の意味を理解した途端、ボンッ、となのはが瞬間沸騰で茹で上がった。

「うにゃっ!? にゃにゃ、にゃにゆってるのかな攸夜くんは!? ゆゆゆ、ユーノくんは関係ないじゃんっ!」
「うん? 俺は一言もユーノだとは言っていないぞ?」
「〜〜っっ!?」

 誘導尋問にもなっていない罠に引っかかり、盛大に自滅したなのは。かああっと紅潮した顔で、攸夜を恨めしそうに睨む。リンゴのように真っ赤な面では怖くも何ともないが。

「やれやれ……む?」

 存外うぶな友人をイジって満足した攸夜は不意に、邪な思惟を感じた。
 だいたいの予測をしつつ、振り向く。

「マジ天使ッス、フェイトさん!」「うはー! 照れてるなのはさん萌えーっ!」「意外とナカジマってのもアリだよな」「ティアー俺だー、もっと蔑んだ目で見てくれーっ!」「キャロちゃんかわいいよキャロちゃん」「エリオきゅんはあはあ」
 鼻息荒いむさ苦しい集団が犇めく。やけに鼻の利く亡者どもである。

「またお前らか……。見るのは勝手だが、程々にしろよー」

 ねっとりとした視線を全身に感じ、フェイトが「やっ!」と小さく悲鳴を上げて攸夜の背中に隠れる。その他の面々も、壮絶な怖気と身の危険を覚えて自分を掻き抱いていた。わりとマジで。

 こんな機動六課で、ミッドチルダの平和は大丈夫なのだろうか。




 □■□■□■




 真昼、太陽が一番高くを行く頃。
 仮設の食堂は昼食時を迎え、満員御礼を極めていた。

「チャーシュー麺定食を大盛一に焼きそば二、冷やし中華一とお好み焼き一、かき氷四つが追加です店長」
「はいよーっ」

 修羅場と化した厨房で忙しなく自慢の腕を振るう攸夜の傍には、ちょこちょこと動き回り献身的にサポートするフェイトの姿があった。
 彼女の格好は、先ほどの水着に白いパーカーと黄色いエプロンをかけたもの。たれ耳わんこのアップリケがかわいらしい。

「フェイト、チャーシューは?」
「もう切ってあるよ。はい」
「ん、サンキュ。じゃあ、次はそっちの野菜の下拵えをしてくれるか? さっきの焼きそばで具が切れててさ」
「うん、わかった」

 矢継ぎ早な指示にも慌てず応え、テキパキ仕事をこなしていくフェイト。普段から一緒にキッチンに立っているので、息はピッタリだった。

「〜〜♪」

 鼻歌交じりでキャベツをざく切りにする包丁捌きは、全く危なげがない。
 はやてや攸夜には敵わないものの、同年代の女性と比べれば十二分だろう。さすが家庭科は得意と豪語するだけのことはある。

「よし、できたっと。ユーヤ、なにかほかに手伝えることってある?」
「いや、大丈夫だ。ありがとう」

 会話を交わしながら、大きな中華鍋を鮮やかに振るう攸夜の横顔を、フェイトはぼうっと熱の籠もった瞳で見蕩れていた。
 おいしいお料理をどんどん生み出していくあの手はまるで魔法みたいだ、と。

 フェイトは料理をしている攸夜が好きだった。
 勇ましく戦っているところももちろん好きだし、普段の飄々としたところだって好きだが、一番は一生懸命に食べものを作っている姿だった。
 自分を“破壊者”であると自称する彼にも、ちゃんと何かを生み出すことができるのだと、そう思えてうれしいから。

「どうかした、フェイト?」
「ううん、なんでもないよ♪」
「……??」


 それから数刻後。
 調理で発生した熱気の充満する調理場は、真夏の厳しい日差しも合わさってひどく過酷だ。
 首にかけた青いスポーツタオルで額の汗を拭い、攸夜は深く息を吐いた。

「っと、これでとりあえず一段落はしたか。フェイト、そろそろ俺たちも一休みしよう。後は店員たちに任せてさ」
「私、まだだいじょうぶだよ?」

 休憩の提案に、流し台で皿洗いをしていたフェイトが答える。
 そうは言うものの彼女も暑いのだろう、申し訳程度に閉められた胸元に浮かぶ汗がやけに扇情的だった。

「大丈夫、ねぇ……」

 きゅるるる〜……。
 バッチリのタイミングで、おなかの虫がかわいらしく空腹を訴えた。
 下品よりも愛らしく聞こえるのは、彼女の溢れんばかりの魅力故か。

「ふふ、お姫様はお腹を空かせておいでのようだ。やっぱり休憩にしよう、フェイト」

 攸夜が微苦笑すると、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にしたフェイトは、俯きながらも小さく頷いた。



「ふぅ……さすがにしんどいな」
「そうだねぇ」

 奥の座敷に向かい合って座り、少し遅めの昼休み。
 背の低いテーブルの上のラーメンが、扇風機の風に乗せて湯気を揺らめかせている。出来立てのアツアツだ。

「でも、ちょっと楽しかったかも。お店で働くのってこんな感じなのかなぁ、って」
「まあな。文化祭の出店みたいなもんだけど、汗水垂らして働くのもたまには悪くないね」
「うん、なんかいいよね、こういうの。みんなユーヤのお料理をおいしいおいしいって食べてくれて、私うれしくなっちゃった」

 やや上気して興奮気味に語るフェイトの目の良さに感心し、攸夜は目元を綻ばせる。作業の合間に観察していたらしい。

「そうだな……。フェイトが退官したら、海鳴でレストランでも開いてみようか。第二の翠屋を目指して、さ」
「あっ、それいいかも! なのはのご両親みたいになれたら、いいなぁ……」

 想像の翼を伸ばして幸せそうな恋人を微笑ましげに見守る裏で、攸夜は冷徹に“現実”を精査していた。

 仮に、そうなるとして。
 現実的に考えれば、現地でこれといった経済的な基盤のない自分たちがその夢を叶えるのは、かなり難しいと言わざるを得ない。高町夫妻の話を聞くだけでもその苦労が偲ばれるくらいだ。
 だがまあ、不安はない。
 自らの才覚をフルに発揮すれば如何様でもやりようはあるし、何よりフェイトが傍にいてくれる。ふたりでなら、出来ないことなど何もないのだから。

 “叶えてあげる”のではなく、“ふたりで叶える”のだと。そう思えるだけ、攸夜は以前よりもずっと成長していた。



 ズルズルー、っと威勢のいい音を立てて縮れ麺をすする攸夜の一方で、フェイトがちまちまレンゲに麺をすくって食べている。どうも麺類をすすって食べるのは苦手らしい。
「なんかはしたなくて恥ずかしい」とは本人いわく。妙にお嬢なフェイトである。

「ところでフェイト、海で泳がなくてもいいのか?」
「あ、それはほら、私って日に焼けるとひどいことになっちゃうから……」

 フェイトがそう苦笑する。
 シミや黒子の一つもないきめ細やかな肌は、生まれ持った色素の関係でほとんど日焼けせず、長時間紫外線に晒されると酷く腫れ上がってしまう。
 とはいえ幸い普段普通に生活する分には支障はないし、魔法を用いて防げるのだから泳げないはずはない。

「それは知ってるけど、やりようはいくらでもあるだろ? 俺のことなんてどうでもいいんだからさ、みんなと遊んでくればよかったのに。なのはの奴なんか、偶の休みを馬鹿みたいに満喫してたぞ?」
「ばかみたいって……」

 攸夜が引き合いに出したのは、先ほど昼食に焼きそば大盛を三杯も平らげていった幼なじみ。別れてから、年下の部下たちに混ざってはしゃぎ回っている様子が確認されている。
 まあ、教導官に復帰してからこっち、いろいろあって鬱憤やらストレスやらを山ほど抱えていたのだろう。

「いつも働き詰めで頑張ってるんだし、今日ぐらいゆっくりしたっていいじゃないのか。俺はフェイトに、自分を大事にしてほしい」
「……うん、でも」

 フェイトには、攸夜の気遣いは痛いほどわかっていた。出逢った頃から彼はずっとそうだったのだから。
 けれど、与えられるだけが愛じゃない──少なくとも彼女はそう考える。

「でも私、なんでもいいからユーヤのお手伝いがしたかったんだ。……自分なんてどうでもいいとか、言わないで。私も、ユーヤにもっと自分をだいじにしてほしいよ……」
「フェイト……」

 わずかに潤んだ紅い瞳に見つめられ、言葉が詰まる。こういう健気で純粋な想いがうれしいくて、攸夜はこの心優しい女の子を惚れ直すのだ。

 ────尽くしたがりで甘えたがりなふたりは、こうして何かにつけて絆を深め合っているのである。





「そういえば、」

 コップに瓶のオレンジジュース(果汁30%)を注ぎながら、フェイトははたと何かに気がついた。

「はやてたち見てないけど、どうしたんだろうね。あんなに海水浴を楽しみにしてたのに」
「……ん? ああ。あれだよあれ」
「あれ?」

 攸夜は説明する代わりに親指で背後の壁を示した。
 そこには、

“タッグビーチバレー大会 参加者求む! ※主催者 八神はやて”

 と書かれたポスターが張り出されている。

「へー、なんだか楽しそうだね」
「さて、それはどうかな。フェイトも人事じゃないんだな、これがさ」
「……?」

 ニヤニヤ訳知り顔の攸夜を不思議に思い、フェイトは小首を傾げるのだった。



[8913] 幕間 2‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/01/28 23:26
 


『さぁ、はじまりましたタッグビーチバレートーナメントぉ!! 実況はわたくし、八神はやてがお送りします。そして解説はこの方っ!』
『宝穣 攸夜だ。よろしくな』

 バレーのネットが設置されたビーチサイド。パイプイスと粗末な机の解説席に今回も黒幕、茶色のたぬきと黒いへびが雁首を揃えていた。
 空にはご丁寧にも大型空間モニターが展開されており、そこに映った黒へびの好青年がごとき爽やかな笑みに黄色い悲鳴が上がる。見た目だけなら美形だし、物腰も上品で柔らかなので隠れファンが存外いたらしい。
 まあ、余計な媚びを売った所為で後ろの方に金色夜叉が光臨してたりするのだが。

『受けたからには完璧にやらせてもらう。だが贔屓はするぞ、全力でな』
『めっちゃわかりにくいノロケも入ったところでっ! 今回の趣旨の説明するからよう聞きやー!』

 横に控えていたアシスタントのリインフォース──海らしく、黒いスイムスーツ姿だ──が無表情でフリップを出した。

『試合はトーナメント方式の1セットマッチ! 総勢十六チームの中で一番強いコンビが優勝や!』
『身も蓋もないな、しかし』
『バトルを勝ち抜き優勝の栄冠を掴んだチームには、モルゲンシュテルンファウンデーション傘下の高級焼き肉料理店“失楽園”から、特別無料招待券一年分と──』

 勿体ぶって言葉を切り、茶だぬきが机に片足を乗せて立ち上がると、数枚の写真を片手に高々と掲げた。

『副賞として、私を含めた隊長陣のプライベート生写真を超☆進呈っ! はやてさんイチ押しの逸品を特だしやでぇ!』


 ──うおおおおおおおおおおおっっっ!!


 煽り文句に合わせて、地鳴りを伴った野太い歓声が青空へと飛んでいく。一部、女性の声が混ざっていたことも否定できない。副賞と銘打ってはいるが、むしろそちらの方が本命ではないかと思える熱狂ぶりである。
 ヒートアップする群衆のさらに背後、ていのいいダシにされた件の二人は手に手を取り合って「ぜったい勝とうね!」「うん!」と誓いを新たにしている。優勝しなければ自分たちの恥ずかしい写真が流出するとなれば、真剣と書いてマジにならざるを得なかった。

『セクハラにパワハラとか最悪だよな』
『そういう攸夜君は愛しのお姫さまのハズカシーとこ、見られてまうけどええの?』
『ふっ、たかが写真じゃないか。気にするな、俺は気にしない』

 私は気にするよっ! という金髪娘の切実な叫びは残念ながらスルーされた。

『はいはい、ごっそさん。さてさて、気を取り直してさっそく第一試合の開始や!』

 歓声を背に、二組の乙女が砂浜のコートに上がる。
 戦意はすでに満タンといった表情のフェイトとなのは。そしてこちらもヤル気満々なスバルと、ちょっと白けた感じのティアナがネットを挟んで相対した。
 「なのさんたちが相手だからって負けられないよね、ティア!」「ま、焼き肉食べ放題だしアンタにしたら切実かもね」「……じつはなのはさんの写真が……」「そっちかい!」と若干の温度差もあるようだが。

『優勝候補筆頭! 高町なのは&フェイト・T・ハラオウンの隊長副隊長コンビに対するは若き新星、スバル・ナカジマとティアナ・ランスター! まさに師弟対決というわけですねぇ、宝穣サン』
『最初からクライマックスだ、と言っておく。──んっ、フェイトー、頑張れよー! やっぱりフェイトはかわいいなあ!』
『ノロケはもうええっちゅうねん!』

 満面の笑みで、ふるふると手を振り合っているバカップルにしっかりツッコミを入れつつ。無風という絶好のシチュエーションの中、スバルの見事なジャンピングサーブから試合が始まった。
 ちなみに審判は六課のメガネっ娘、シャリオだ。

『さてこの注目のカードをどう見ますか、宝穣サン』
『そうだな……まあ、フェイトたちが八割方有利と見て間違いないだろう。個人としてもコンビとしても年期と地力が違い過ぎる。そこに、ランスターとナカジマがどれだけ食らいついていけるかが勝敗の鍵だな』
『おおー、あんがいまともな解説や』
『……お前、俺を何だと思ってんの?』
『フェイトちゃん一点豪華主義?』
『ああ! その通りだ!』

 試合は一進一退、長いラリーが続く。1セットマッチということでどちらも出し惜しみナシの全力全開だ。──魔力ブーストがかかっているように見えるのは気のせいではないだろう。
 白熱した試合運びはもちろん、はやての実況とも混ぜっ返しともとれない軽妙な語り口に、観客は大いに盛り上がっている。惜しげもなく披露された、それぞれに魅力的な肉付きのいいカラダも火に油を注ぐ一因だ。

『はちきれんばかりに跳ね回るお乳さま。そして、飛び散る若いおなごの汗……ぐふふ』
『お前はオヤジか』

 と、その時。
 なのはの強烈なスパイクをティアナが何とかレシーブ、しかし威力を殺しきれなかったボールが不意に飛び跳ねて、一直線に解説席──というかはやての方へと飛来する。邪な感想にさっそくバチが当たったのだろう。
 あっ、危ない! と観客の誰かの叫びを余所に、はやては脇で丸まっていた青いふさふさの固まりをむんずと掴む。

『ザフィーラバリアー』

 なんと、青い犬っころが身代わりとなってボールに直撃した。
 ぐはあ、と渋い声の断末魔が漏れ聞こえる。
 どさりと砂地に落ちた今際の際に「ほ、本望だ……」と口走った忠犬は、リインフォースの手により粛々とシャマルの待つ救護室に運ばれていった。

『……どこのプリンセスだよ、お前』
『つまりはやてさんがそれだけかわいいってことやね。キラッ☆』
『ないわー』
『なんやとお!? 表でたろーやないの!』
『いや、ここ表だぞ』

 実況席の漫才を見やるフェイトは何か釈然としないものを感じ、ぶーっと膨れて子どもっぽく不満を露わにしていた。実に独占欲の強い娘である。

 ──とまあ、そんなこんなでちょっとしたアクシデントはあったものの、試合は順当になのは・フェイトチームの勝利に終わった。
 以下、敗者のコメント。

「ま、こればっかりはしょうがないわね」
「なのはさんのブロマイド……」
「アンタはまだそれを言うかっ」



『手に汗握る激闘、涙あり笑いあり……さまざまなドラマを生んだこのタッグビーチバレートーナメントも、ついに決勝戦を残すのみとなりましたっ!』
『展開がやけに巻いてないか?』
『尺の都合です』
『なら仕方ないな』

 依然、マイペースに実況という名目の漫才は続いている。
 それまでとの違いは攸夜の隣、自分たちの試合を勝利で飾ったフェイトが彼の腕にすりすり甘えていること。
 ぎゅっと指を恋人繋ぎで絡めて、見ている方が恥ずかしくなるぐらいと〜〜っても幸せそうにとろけきっている。これぞ珍獣“たれふぇいと”である。


 たれふぇいとの生態

 感触:さわるとやわらかく、ほのかにあたたかい。意外としっとり
 動き:とってもはやい。脱ぐともっとはやい
 好物:たい焼き。糸の先につけるとわりとかんたんに釣れる


 ──とまあ、冗談はさておき。彼女がここまでゆるんでいる原因は、言うまでもないが攸夜である。
 準決勝の相手、モブ男性職員代表チームとの激戦──煩悩パゥワーを発揮してかなり手強かった──を制したフェイトをめちゃくちゃに猫可愛がりしたのだ。こう、某動物王国の王様ばりに。
 最近失態続きであまり誉めてもらっていないこと手伝って、ふにゃ〜っとゲシュタルト崩壊を起こしてしまった。これでは敏腕美人執務官の肩書きも形無しだ。

『かっこがアレやし、いつにもましてエロエロやな』
『ん? 部屋ではもっとすごいぞ。もちろんR18的な意味で』
『いやん、えっちいわあ』

 悪ふざけにおいては一切自重しないおーさまたちである。

『さて、気を取り直して決勝戦を争うのはこの四人っ! 見るのはええけど触ったらあかんで! エリオ・モンディアル&キャロ・ル・ルシエの“六課のマスコット”チーム!!』
『何その煽り』
『そして、期待どおりここまで勝ち上がって来た隊長副隊長チームの入場やっ!!』
『頑張れよ、フェイト。優勝したらご褒美に何か美味いもの作ってやるからな』

 攸夜に名前を呼ばれた途端、たれふぇいとの状態からシャキッと立ち直ったフェイトは、無駄に凛々しい足取りでコートに向かう。
 なんぞ「この勝利をユーヤに捧げるよ!」などとのたまい、眼には紅い炎を燃やしている。なのはが妙なテンションに置いてけぼりでぽかーん、だ。

『ちなみにヴィータやシグナムはもう敗退してるんや。優勝商品の横取り狙っとったんやけどなあ』
『説明乙。アイツら、この大会の準備に駆り出されていたらしいが……ご愁傷様としか言えないな』

 一部を除き戦意満々な両チーム。「ここで勝てばフェイトさんの生写真が……!」と鼻息荒い赤毛の相方を、キャロはハイライトの消えた──有り体に言うとゴミに向けるような──目で見ている。彼女がなぜこんな茶番に参加しているかは永遠の謎である。
 ちびっ子チームがこのような調子でここまで勝ち残れたのには訳がある。強敵とかち合わなかったくじ運と、強力な“ブレイン”の存在であった。

『さぁ時間一杯! 決勝戦の開始や!』

 はやての号令で、決戦の火蓋が切って落とされた。
 当初の下馬評は隊長副隊長チームの圧勝。──駄菓子菓子、もといだがしかし。
 背丈の差などどこへやら、なのはのスパイクを予測していたかのようなタイミングでエリオがきっちりブロック。会心の一撃を防がれ、なのはが悔しそうに歯噛みする。

『おおっとぉ、ちびっこチームこれまたうまくかわしたっ! これは意外な番狂わせもあるのかあっ!?』

 身体能力の面では一歩も二歩も上回っているフェイトたちは、キャロのいわゆる“老獪”な試合運びに振り回されている感がある。幼女にいいように弄ばれている一応大人な二人、かなり情けない構図だ。

『まあ何だかんだで脳筋だからな、アイツら』
『搦め手に弱いなのフェなのでした』
『略すな。しかし一兵卒ならまだしも、管理職にもなって力押ししか出来ないってのは正直どうかと思うよな、実際』

 酷い言われようにリズムを崩し──トドメを刺されたとも言う──、とうとうマッチポイントまで追い込まれた。
 すでになのはなど、「負けても私には被害ないし、いいかなー」なんて思い始めていたり。
 が、彼女の相棒は「勝利を捧げる」と言ってしまった手前、負けるわけにはいかないし諦めるという選択肢は端から存在しない。手段と目的がごっちゃとも言う。

 進退窮まったフェイトかついに最終手段に打って出た。
 ラリーの応酬の際に隙を見て魔力を高め、ネット際に飛び出してチャンスボールを強打。そこから放たれたスパイクは、プラズマを纏い雷速で砂地に突き刺さって運動エネルギーを発散するとやがて停止した。
 シン……、と静まり返る会場。大人気ないにも程がある、文字通りの意味で。

『まさにイナズマスパイク! 強烈な一撃が決まったあ!』
『超次元バレーってか?』
『このヒト、なにげにサッカーが得意です』
『皇帝ペンギン二号、三号なら出来るぞ。割とマジで』
『皇子だけに?』
『うん、皇子だけに。MFはフィールドの王様だもの』

 本筋とは全く関係のない雑談はともかく。
 いち早く再起動したエリオが「ちょっ、こんなのアリなんですか!?」と抗議の声を上げるが、そうは問屋が卸さないのがはやてさんクオリティ。

『アリやろ。ルールには“魔法の使用禁止”なんて書いてないし』
『常識的に考えればナシだけどな』

 と、お墨付きが出てしまった結果、魔法を本格的に使い始めた両チーム。スピード狂のビリビリ二人に何だかんだでつき合うなのは、キャロも師匠譲りの負けず嫌いを発揮して召喚魔法で対抗。ド派手だが、もはやバレーでも何でもない。
 試合はなのフェの勝利で終わったが、もうグダグダとしか言いようがなかった。



「……楽しかったか、はやて」
「うんっ! めっちゃ楽しかったわあ〜」

 ……まあ、某部隊長のストレス発散にはなったようだが。
 どっとはらい。



[8913] 第二十五話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/02/04 23:23
 


 新暦75年 9月10日

 空が高くなり、陽気もどこか秋めいてきた朝の玄関ホール。
 お出かけ用にかわいらしくおめかししたエリオとキャロを見送った私は、もどかしい感情を持て余していた。

「だいじょうぶかな、エリオたち……ちゃんとモノレールの切符、買えるかな。降りる駅、間違えちゃったりしないかな……」
「フェイトちゃんてば心配性だねぇ。あの二人ならだいじょうぶだと思うよ? 歳の割にしっかりしてるし」
「そうならいいけど……。ああぁぁ〜っ、心配だよーっ!」

 機動六課が始動して早5ヶ月とすこし。
 そんな今日は、激動の5ヶ月間を乗り越えた新人のみんなに与えられた全面休暇の日。別にごほうびってわけじゃないけど、訓練とか任務とかいっぱいがんばってるしね。
 エリオたちは前述のとおりで、ティアナとスバルもヴァイス陸曹から借りたらしい真っ赤なバイクで街に繰り出してたようだ。

 ……正直うらやましいな、と思う。
 今日も私は──もちろんなのはやはやても──お仕事で、ああやって一日中出歩いたりなんてことは職務上できない。
 この前のお休みはぜんぜんお休みにならなかったし。それもこれもはやての悪ふざけのせいだ。

「じゃあ、オフィスに戻ろっか?」
「……うん、そうだね」

 とりあえずなのはの意見に従って、ここを離れることにした。
 ──んだけど、

「──あっ」
「どしたの、フェイトちゃん? ……ああ、なるほどね」

 私の第六感が訴えるいつもの感覚に従って。愛しい気配のする方に視線を向ければ、そのとおりに彼がいた。

 はだけたサファイアブルーのアロハシャツにクリーム色のハーフパンツ、ビーチサンダルというラフな出で立ち。アロハの下は黒いランニングシャツ、かな? ……ミッドチルダの気候は比較的穏やかで暖かいとは言っても、もう暦の上では秋だ。季節感が致命的に欠けてるよ。
 あぁ、あと、釣り竿の入ったケースと中くらいのクーラーボックスを肩にひっかけ、ボサボサ頭にスポーツ選手がつけるみたいなサングラスを乗っけてて。それから、アクセサリーとして首にドッグタグらしきものを下げてた。

 ──うーん、なんか違和感。なんかこう……チャラい?

「む。フェイト、今なんか失礼なこと考えなかった?」
「えっ!? あ、あはは……や、やだな、私がユーヤを悪く言うわけないじゃない。……ほんとだよ? ほんとだもん!」

 我ながら苦しい弁明にユーヤが微苦笑し、なのはが首を傾げている。……以心伝心っていうのも、ときには考え物だよね。

 パタパタと、サンダル特有のちょっとマヌケな足音を響かせてユーヤが近寄ってくる。
 おはよう、と朝の挨拶を交わしたあと、なのはが尋ねた。

「そのカッコ……攸夜くん、釣りに行くんだ?」
「ああ、趣味と実益を兼ねてね。今日の晩飯は刺身にでもしようかと思っててさ。ここって人工島だろ? だから結構いいポイントがあるんだよ」
「でも、なにもわざわざ自分で調達しなくたって……」
「魚ってのは鮮度が肝心だからね。素材の生きがよければそれだけで味は二割り増しってわけさ」

 さすがユーヤだ、言うことがひと味もふた味も違う。食べ物の話題だけに、なんて。
 ……。
 ……こ、こほん。なんでも彼は昔、“あちらの地球”の中東とか南米あたりを放浪していた──突拍子もなくて、旅行好きってレベルじゃないと思う──時期があるらしく、サバイバルな知識が自然に身についたんだそうだ。
 その一つとして、魚介類はもちろん鳥とか豚とかそういうたぐいの生き物の解体や処理もできるし、フグなんかの特別な免許のいる生き物だってお料理できるんだ。えっへん。
 そういう物知りなところ、頼りがいがあるなぁと思う。

 ……ちなみに私、お魚を捌いたりするのは大の苦手だ。目にするのも遠慮したい。
 やり方がわからないというのもあるけれど、ずいぶん前にお母さんの手伝いをしようとしてグロテスクな“ナカミ”を目撃してしまい、キモチワルくなったことがあったから。それから1ヶ月ぐらい、お魚が食べられなくなっちゃったくらいだし。
 ──遺体とか殺人現場とかはもうぜんぜん平気で、慣れちゃったのになぁ。自分がふしぎだ。


 閑話休題。

「それに出来る限り美味いものを食べさせてやりたいじゃないか、フェイトにはさ」
「はいはい。どうもごちそうさまです」

 ユーヤの何気ない一言を、呆れ顔のなのはにからかわれてしまった。うれしいやら恥ずかしいやらで私の顔がぽっぽと赤くなる。
 ……こういう恥ずかしいことを臆面もなく言えて、それがまたサマになっているところ、かっこいいなって素直に思うけど。こう何度も不意打ちされる方としてはたまったものじゃない。
 すーはー、と深呼吸して動揺を抑えるのに努める。

「で、二人はちびっこカップルの見送りか?」
「うん、そうだよ。エリオたちはついさっき出発したところなんだけど……フェイトちゃんが、ね」
「う……だって心配だよ、やっぱり」

 忘れかけていた懸念の素が掘り返されて、不安の虫がうずく。
 いやな想像を膨らますことを止められない。いつまでたっても直らない私の悪い癖。余計な暗い感情に囚われて、しなくていい最悪を自分からイメージしてしまう──これ、思いこみが激しいとも言う。……自覚症状、いちおうあるんだ。

 そうして勝手に沈みこむ私の髪を、ユーヤはいつものようにわしゃわしゃと撫でる。ちょっと乱暴だ。

「ならさ、駆けつけてやればいいだよ、所謂ピンチって奴の時にね。俺たちにはそれが出来るんだ、そうだろ?」
「……うん」

 うなづくと、なのはが安心したように息を吐く。心配させちゃったみたいだ。ごめんね、なのは。
 ……こんなにめんどくさい私を、陰に日向に支えてくれる人たちがいる──そのことを、決して忘れてはいけないと、思った。












  第二十五話 「運命の矢 ─THE ARROW OF DESTINY─」













 真っ青に晴れ渡った秋の空、絶好の行楽日和。
 私はユーヤと隊舎本館の目と鼻の先にある防波堤にいた。

 ざざぁーん。
 ざざぁーん。

 潮騒の音。
 カーボンファイバー製の釣り竿の先端から伸びた糸が、波打ち際にゆらゆら揺れる。
 じつはいま職務時間中なんだけど、「攸夜くんと行ってきたら? 今日はそんなに書類とかないし、私ひとりでも平気だよ」となのはに勧められるがままについてきてしまった。
 なのはに気を使わせてしまったのはこれで何度目だろう。それを心苦しく思いつつ、どうしてもユーヤを優先してしまう私はイヤな女なのかな?
 ……わからない。

 ちょっとネガティブになってきた気持ちを切り替えようと、ユーヤに声をかける……餌のケースの中で、ウネウネウゴウゴしてるイキモノはできるだけ視界に入れないようにしよう、うん。

「釣れないね」
「まだ始めたばかりだぞ? 気が早い」
「そっか。うん、そうだね」

 とりとめもない会話。でも、彼の声を聞いていくらか落ち着いてきたので、なんとなしに水面の浮きに目を向けてみた。

 赤い浮きは、寄せては返す波にぷかぷか揺られて気持ちよさそうだ。
 ユーヤとふたり、のんびりひなたぼっこする時間……しあわせ。ぽかぽかのおひさまもそうだし、ときおり吹いてくる潮風も気持ちいい。
 イタズラな風のしわざで、顔にかかった髪をかき上げて耳に流す。

「見てるだけだと退屈じゃないか?」
「ううん。ユーヤといっしょだから、楽しいよ♪」

 触れ合った肌から、疑うような気配が伝わってくる。
 もう、うそじゃないよ。
 私、あなたとならどこでだって──たとえ世界の終わりだって楽園に思えるんだから。

「……」
「…………」

 ざざーん。
 ざざーん。

 打ち寄せる波と海鳥の鳴き声はどこか懐かしい。きっとそう感じるのは、私たちの故郷にどこか雰囲気が似ているからだろう。はやてもそれを考えて、この土地を選んだに違いない。

 波の音。潮の香り。
 彼の鼓動。彼の匂い。

 ……海は、好きだ。

 ユーヤの瞳の色だから。
 大好きな蒼い色だから。

 どこまでも深くて、どこまでも遠くて、どこまでも広くて──蒼く澄み渡った海原はあらゆるものを許容して、あらゆるものを包容してしまう。
 時に苛烈なほど激しく、時にやさしく穏やかな顔を覗かせる様はまさしくユーヤそのものだと思う。

 忘れもしない十年前のクリスマス。あの夢の中の世界で、心と心で直接、直に触れ合って私は誓った。
 その海を、心の海をたくさんの光で満たしてあげたい。
 昏い悲しみや絶望から、ずっとずっと護っていきたい。
 ……私にユメがあるとするならば、きっとこれが私のユメ。“普通じゃない”私にはもったいないほどの、“普通のしあわせ”をくれたあなたを────


「──フェイト?」

 呼ぶ声で、はたと我に返る。飛び込んできたのは「どうした?」と気遣わしげなユーヤの顔。
 安心する。今日もユーヤはちゃんと私を見ていてくれているな、って。
 ──たまに「束縛されたり干渉されたりしてうっとうしくない?」とか聞かれるけど、私はそうは思わない。
 私をずっと見てほしい。
 私をもっと知ってほしい。
 私を、私を──

 ……だからきっと、
 彼を束縛しているのは私の方だ。


 とりあえず、不毛な思考は切り上げて。自分の思う、とびっきりに最高の笑顔で見返した。

「……うん、あのね。ユーヤのこと大好きだな、って」

 彼が目を丸くした。普段はしないきょとんって顔がかわいい。
 すこし赤面した顔で、困ったようにボサボサの髪をかき乱す仕草……照れてるんだね。

「俺も、フェイトが大好きだよ。愛してる」
「うん」

 しばし見つめ合って、どちらともなく口づける。
 小鳥がついばむような、触れるだけのキス。……ちょっとくすぐったい、ふふっ。

「……あまり格好つかないな、このシチュエーションじゃ。釣り竿片手だし」
「そうかな? 私はこういうのもありだと思うけど」
「しかし、なぁ……」
「くすっ、ユーヤは気にしすぎだよ。──あれ? 引いてるよ、糸」
「なにっ? ──ぬ、コイツ、デカいぞ……!」

 もの凄くしなった竿にユーヤが驚く。
 海の底でお魚が釣られまいとして暴れているのだろう、糸があちらこちらに強く引っ張られている。これってひょっとしなくても大物、だよね?

「フェイトも手伝って!」
「う、うんっ!」

 慌てたユーヤの要請で、援護部隊の急行ですっ!
 二人で協力して釣り竿を引っ張る。って、うわ、これ重たっ!?


 ────それから三十分くらい全力で格闘して釣り上げたのは特大、60センチオーバーのタイっぽいお魚。種類はわからないけど、このあたりのヌシらしい?

 ざざぁーん。
 ざざぁーん。

 地上の大騒ぎなんてお構いなしで、海は穏やかに打ち寄せては帰っていった。




 □■□■□■




 クラナガン中央区。
 人々が行き交う繁華街から少し外れた薄暗い路地裏。

 ボロ切れを、申し訳程度に身体に巻き付けた幼い少女がフラフラと引きずるように歩いている。その奥には、彼女が這い出たと思わしきずらされたマンホールが見受けられた。
 一見すると五、六歳くらいだろうか、浮浪児にしてはとても見えない姿。艶やかすぎる蜂蜜色の金髪と、色合いの違う翠緑と真紅の瞳──所謂、ヘテロクロミア──がひどく象徴的だった。

 彼女は覚束ない、虚ろな足取りで歩みを進める。まるで生まれたばかりの子鹿のように、さながら何か“怖いもの”から逃げ延びようと。

「……っ!?」

 不意に何かに躓いて、少女は盛大に倒れ込み、その拍子に小さな何かが地面へと転がり落ちる。
 宝石のように見えるソレは、カラカラカラ……と硬質な音を立ててアスファルトを滑り、ゴミの詰まったコンテナの足に当たってようやく停止した。

「……ぅぅ……」

 泣いているのだろうか、少女は俯せの体勢で肩を震わせる。起き上がる気配はない。

 ──薄暗い路地の一角で菱形の青い宝石が、仄かに、妖しく輝いていた。



[8913] 第二十五話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/02/11 23:46
 


 時刻はだいたい十一時を半分すぎた頃。
 海釣りを切りのいいところで切り上げた私たちは、用意したイスとテーブル──キャンプとかで使う、折りたたみのできるやつだ──で、少し早めのお昼ごはんを食べることになった。
 いっぱい運動したし、おなかはもうぺこぺこだ。

 目の前のテーブルには、ほかほかのごはんと野菜が入った具だくさんのあら汁。それから新鮮なお刺身に煮付けetc.etc.──ほんの今し方釣ったばかりの海の幸をふんだんに使った、目にも豪華な食事。こんな場所でよく、これだけの料理を用意できたなとあらためて尊敬してしまう。
 それから準備についてだけど、お魚の処理を見ると悲惨なことになるので、私は食卓の準備をしたりお味噌汁を作ったり、ごはんのよそったりしていた。
 このごはん、お昼に食べるつもりであらかじめ炊いていたものらしい。ほんと抜け目ないなぁ、ユーヤって。

 ちなみに釣果は上々。大きめのクーラーボックスに入りきらないくらい、たくさんのお魚を釣ることができた。
 それについてユーヤはにこやかに「今日は勝利の女神が傍にいてくれたからね」、なんて冗談めかしてた。彼のことだ、本気で言ってるのかもしれない。

「「いただきます」」

 手を合わせて、お箸を手に取る。私は黄色でユーヤは青、どちらもウチから持ってきた私物だ。
 まあ、ついさっきまで元気に飛び跳ねていた様子を思い出して葛藤してないってわけじゃない。けど残して捨てるほうがよくないし、ちゃんとぜんぶ残さず食べるつもりだ。

 まずセオリーに則って、私の作ったあら汁から食べることにした。……いちおう味見はしたけど、まだちょっと不安だったし。
 お椀に口をつける。
 ずずず……。
 ──うん、おいしい。ちゃんとかつお節と昆布からとったお出汁が利いている。ユーヤも満足そうに食べてくれていた。

 うーん……、次は煮魚に手をつけてみようかな。

「さて、お姫様のお口に合うかどうか……」
「ふふ、心配してないよ。ユーヤのこと、信頼してるもん」
「そっか」

 私が食べはじめると、ユーヤはとてもすごくうれしそうににこにこしてた。前に、「いっぱい食べる君が好きだ」と真顔で言われたのを思い出して、恥ずかしくなってしまう。
 わ、私、そんなに食いしんぼうじゃないもん! ……ないよね?

「卵焼き、食べるか? フェイト好みの甘めな味だぞ」
「あ、うんっ、食べる!」
「よしきた。あーん」
「あーん……あむ」

 もぐもぐ。
 おいしい。さすがユーヤ、絶妙な味つけだ。こう、お砂糖の上品な甘味と、卵のナチュラルな甘味がうまく溶け合っている感じ?
 ……って、あれ? また乗せられた?

 むぅ、となんとなく恥ずかしくて睨んでみるけど、ユーヤはやっぱりにこにこしてるだけ。気づいてるんだろうけど。
 こうして彼に笑顔を向けられると、どれだけ不満があってもうれしくなってなにも言えなくなってしまう。惚れた弱みとでも言うのだろうか、ずるいなぁ……。

 それはさておき。
 唐突だけど、男の人と女の人が同棲したり、その……け、結婚したりしたとき、味覚の不一致というのはトラブルの種になりやすいことの一つだ。そういう話は方々でよく伝え聞くし、実際エイミィもクロノの好みに合わせるのは密かに苦労したんだとか。
 その点、私たちは二人とも濃いめの味付けが好きなので問題ない──というか私の味覚の大部分がユーヤと、それからリンディ母さんの味付けが基本になっているので、とくに和食なんかは彼の好みがダイレクトに反映されてたりして。……こう言ってはなんだけどお母さんって味覚が大ざっぱだし、影響受けてるような気がする。

「あらためて思ったんだけど、私たちってなんだか相性バツグンだよね」
「唐突だね。否定はしないが」
「うん、食べ物のの好みがいっしょでよかったなぁ、って」
「目玉焼きにかけるもので戦闘に発展したけどな」
「それはっ……その、主義主張の違いだよ」

 正直、なんにでもお醤油をかけてしまうところだけは信じられない。

「でもあんまりケンカとかしないでしょ?」
「しないな。確かに」

 私たちは言い争いをしてもたいていの場合、すぐにお互い折れるからケンカまで発展しないのだ。
 ほんとに譲れないもの、負けられないことは実践さながらの模擬戦で決着つけるけど。もちろん、そのあとごめんなさいして仲直りするのもいつものこと。

「ま、当然だよな。なんたって俺たちは愛し合ってるんだからさ」
「そうだね……えへへ」

 とまあ、おおむねこんな感じで。
 いつもどおり私たちはなかよくごはんを食べたのだった。



 食後のティータイム。

 コバルトブルーの高級そうなティーカップを、上品な仕草で傾けるユーヤは内面の高貴さがにじみ出ていてとても絵になっている。まさしく眉目秀麗、かっこよくてすてきだから当然だけど。
 そして私は、しあわせな気持ちでそんな彼を眺めている。単純だとかおめでたいとか、なんとでも言えばいいと思う。

「──あ、メールだ。ちょっとごめんね」
「ん」

 片方の眉毛だけ上げて応えるユーヤ。器用だ。
 制服の内ポケットから、黒と黄色の折りたたみの携帯電話を取り出し、メーラーを開く。
 その内容に、思わず眉をひそめた。

「本部から緊急召集……? なんだろ」

 ──いやな予感が胸によぎった。




 □■□■□■




 クラナガン中央区、繁華街エリアに設置された管理局のヘリポート。
 六課からここまで来るのに使った黒い大型ヘリが、その大きな機体を燦々と照りつける日の光の下にさらしていた。

「──それで、この子が?」
「はい。路地で倒れているところをキャロが見つけて保護したんです」
「スラムでもないのに、小さな女の子があんな姿でいるのはおかしいな、って」

 向こうで、エリオとキャロがなのはに事情を説明している。

「なるほどね……シャマル先生、どうですか?」
「見たところ擦り傷以外、目立った外傷はないわ。でも、それ以上は専門の施設じゃないと……」

 ストレッチャーの上で横たわり、シャマルの診察を──膝を抱えて丸まった格好で──受けているオッドアイの幼い女の子。発見されたときは粗末なボロ布を巻いていたらしいけど、いまは簡素な病院着(前掛け?)を着ている。

 私はそんな様子を、ヘリポートの職員の人と会話しながら横目で窺っていた。
 ちなみに私たちの服装は地上部隊の制服のままだ。

 ──事の始まりは、エリオたちから六課本部へ「不審な少女を保護した」との一方が入ったこと。
 いままで首都をゆっくりと見て回る時間のなかった二人は、私の強い勧めで市街地観光をしていた。私的にはドキドキわくわくなんだけど、出がけのキャロいわく「フリードがいるからデートじゃないです」とかなんとか。その辺の基準がよくわからない。
 まあ、それはともかく。
 さりげに相性のいい二人と一匹だから、けっこう休日を楽しめていたんだそうだ。ユーヤに簡単なスケジュールを立ててもらったこともあるかもしれない。
 で、大事で大事なふたりのはじめてのデートは成功裏に終わるかと思われたとき、ふと通りかかったなんの変哲もない路地で件の少女を発見。同じく休暇中のティアナとスバルに連絡を取って合流し、本部へ指示を仰いだというのが今回の経緯だ。
 路地裏で、ちいさな女の子がうつ伏せですすり泣いていたらそりゃあ誰だって気になる。妙な人に見つかって連れさらわれたりしなくてよかった。最近のクラナガンの治安は日本程度にはよくなったけど、そういう人がいないとも限らないし。


「フェイトさん!」
「あ、ティアナ。どうしたの?」

 ティアナがエルフィを肩に乗せて駆け足で近寄ってくる。スバルはいっしょじゃないらしい。
 手にはなにやら頑丈そうなアタッシュケースが握られていた。

「ちょっと見てほしいものがあるんです」
「見てほしいもの?」
「ええ、これです」

 彼女はうなづいてケースを開く。

「あの子の側に転がってたものを回収したんですけど、たぶん結晶型のロストロギアじゃないかと」
「エルフィ、コレなんか見たことある気がするです」

 その中身を見て、さあっと血の気が引いていく音が聞こえた気がした。

「ちょっと貸して!」
「あっ、フェイトさん!?」

 半ば引ったくるようにしてケースを受け取り、なのはたちの側に走り寄る。

「なのは!」
「フェイトちゃん?」

 いつもは聞けば落ち着く親友の声も、意味がわからず混乱したいまの私には届かない。
 揺れる感情のまま、混乱の“原因”を頼れる親友に見せた。

「なのは、これ……!」
「!! ……ジュエルシード、だね。それもシリアル21、私が一番最初に封印したやつだよ」

 黒い緩衝材に収められていた見覚えのある宝石。それは私たちにとって忘れがたい──決して忘れてはいけない青い輝き、歴史の闇に眠ったはずの遺物だ。

 ──不意に、“母さん”の狂笑が脳裏によぎる。

 なぜ? どうして?
 そんな思いが、疑問が、塞いだように思えたカサブタから吹き出す。

「でも、本局で厳重に保管されているはずで、こんなところにあるわけ……!」
「フェイトちゃん、落ち着いて。まずは本局に問い合わせてみよ? うまくいけば、この子の素性もわかるかもだし」

 もっともな意見に言葉が出ない。
 ひどく因縁深いロストロギアが思いも寄らないところから現れたというのに、なのはからは動揺が伝わってこなかった。
 けれど、困惑していないわけじゃないはずだ。
 私に比べて平静を保てているのはきっと、責任感とかで不安を押し込めているから。……それともただ私が動揺しすぎってだけなのかな?

「そ、そうだね、ごめん」
「うん」

 ……とりあえず、十年前になのはが施した封印式はまだ有効のようで、ジュエルシードの発動がなかったことだけは幸いだ。


 ──それにしても、いったい誰が……?


 あごに手を当て、思考する。
 管理局から流失したルートはどこだろう? 管理局自ら放出したというのはジュエシードの危険性から見て考えづらい。それ以前にそんな徒に混乱を招くこと、ユーヤやいまの最高評議会が許さないだろう。つまりは何者かに奪取されたってこと。

 その目的は?
 管理局のかく乱?
 ジュエルシードの力?
 それとも──

 なのはが初めて魔法を使った“相手”という点に、なにか作為的なものを感じてしまうのは穿ちすぎだろうか。
 ……いまの段階じゃ手がかりが少なくて憶測の域を出ない。考えただけどつぼにはまりそうだ。

「なのはさん、ジュエルシードって言うのは? ……見たところ、ロストロギアのようですけど」
「ああ、うん。これは私とフェイトちゃん、攸夜くんが友だちになったきっかけなんだ」

 私の思考が回転していく横では、なのはがティアナたちに軽く説明中。いかにも問いたげな顔のスバルたちに代表して質問したティアナのリーダーっぷりは、板についている。
 ティアナ、完全に吹っ切れたみたいだ。前に相談された指揮官講習の件、準備を進めてもいいかもしれない。

「ジュエシードについては置いとくとして。これからどうしよっか?」
「……なら、なのははその子と病院に行ってあげて。私たちはこれを地上本部に移送するから」
「そうだね、それがいいと思う。じゃあさっそく行動かい──」

 なのはが空元気に号令を出しかけたそのとき、

 ──どぉぉぉぉぉんっ!!

 頭の痛くなるくらい大爆音があたりいっぱいに轟いた。
 反射的に音のした方に目を向けると、約一キロ先──ここからでも見えるほど大きな爆炎が、高層ビルの谷間で燃えさかっていた。
 唖然として言葉を失う私たち。なんとなく、なのはの方に見てしまっても仕方がないと思う。
 視線が集中したなのはがたらりと額に汗をかいた。

「……えと、わ、私のせいじゃないからね!?」

 そんなことはわかってるよ、なのは……。

 違う意味で動揺したなのはをなだめる私たちに入ったのは、“冥魔”の一団が市街地に出現したという一報だった。



[8913] 第二十五話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/02/18 23:37
 


「“冥魔”……! このタイミングで!?」
「フェイトちゃん、どうするの?」

 燃える街から視線を外して、なのはが問いかける。
 表情は不安そう……じゃない。むしろ頼もしく思える雰囲気をまとっているように見える。──なのははいつだってなのはだとてことだ。

「それは……」

 すこし、言い淀む。
 これからの方針の決定権は、隊長である私にある。そして、みんなの命を預かっているのも私なんだ。
 責任は重大。うかつなことはできない。

 いくつもの視線を感じつつ、じゅうぶん黙考してから決定を下した。

「──予定どおりに行動しよう」
「じゃあ、“冥魔”は放置ってこと?」
「うん。都市の防衛や住民の避難はほかの部隊に任せるべきだと思う。それに……たぶん、ユーヤが駆逐に行くはずから」

 それは確信。
 “魔王”を自称し自任する彼が、自分の“庭”で無法をみすみす許しておくわけがない。
 そうなれば、一山いくらの“冥魔”なんてあっと言う間に薙ぎ払われてしまうだろう。

 ──と、私としては正論だったんだけど……。

「はいはい。またものろけをごちそうさまです」
「そ、そんなんじゃないよっ」

 なのはにテンプレートな文句でからかわれてしまった。
 ていうか最近、私の扱いが雑じゃない? ……え、昔から?

「もう、なのはってば……──」

 ゾワッ──

 背筋に強烈な寒気が走る。
 全身をズタズタに斬り裂かれるイメージが脳裏に浮かんで、肌に鳥肌が立った。

「みんな、離れて!」

 苦し紛れの警告。本能的な感覚に身を任せてケースから手を離し、抜き撃ちで展開させたバルディッシュを“それ”の軌道に置いた。
 その瞬間、ケースが床に落ちる硬質な音と同時に来た衝撃で、私は大きく後方に吹き飛ばされた。

「フェイトちゃん!?」

 なのはの悲鳴。
 だけどいまはそれどころじゃ……!
 逆さまの視界、宙返りの要領で体勢を立て直す。
 床を蹴り、すぐさま追撃に出た襲撃者──フードを目深にかぶった女性らしき人物が振りかぶった巨大なサイズは、紅い半円の軌道を描いて私の首を刈り取ろうとする。
 バルディッシュを両手で振り上げて迎え撃つ!

「ぐっ、くぅっ!」
「ち……」

 再度の激突。咲く火花。
 しっかり踏ん張ったので、今度はなんとか吹っ飛ばされずにすんだ。
 ここでわずかでも力を緩めれば、私の首と胴は一瞬で離ればなれになるだろう。
 フードの奥から、壮絶な害意の──ううん、敵意の浮かぶ“紅い”瞳が覗いた。

(この人、アグスタでユーヤが戦った……!)

 バルディッシュ・アサルトと鮮血色の大鎌が鍔競り合い、耳障りな金属音とオレンジ色の火花を散らせる。
 せめてもと、マルチタスクで魔法を準備しておくのが精一杯。バリアジャケットを創る余裕なんて、ない。

「っ──、ティアナ!」

 絞るように叫ぶ。
 意図をくみ取ってくれたティアナはすぐさま床に落ちていたケースを回収、スバルたちに指示を飛ばして撤収を始める。
 落としたケースに意識を向けない様子から考えるに、この人の狙いはおそらく私だ。
 ならここは、囮になってでも踏ん張るしか!

「ケースの確保はキャロ、アタシとスバルはその護衛、エリオは遊撃。あとは臨機応変に、ってちょっとエリオ、なにぼさっとしてんの!?」
「でも、フェイトさんが!」

 けど、エリオがグズグズためらっていた。
 ──もうっ、こんなときに!

「私のことはいいから!」
「そんな……!」
「はやく! お願い!」

 そう怒鳴ると、エリオはビクッと大げさに肩を揺らしてやっと退いてくれた。あとはティアナに任せておけばだいじょうぶ。
 このレベルの相手と戦いながら、あの子たちのフォローなんてとてもじゃないけどできない。女の子とジュエルシードを抱えた状態じゃなおさらだ。

「エルフィはみんなについてって! シャマル先生、行きましょう!」
「はいです!」「わかったわ!」

 そう指示するなのはと目が合った。
 私の身を案じてくれるような視線、きれいな紫色の瞳──「気をつけて」「だいじょうぶ、負けないよ」、アイコンタクトで通じ合う。

 私たちの視線が絡み合ったのは一瞬で、それからなのはは1ミリの躊躇もなくヘリの方に撤退していく。
 思いきりがいいというか、サバけてるというか……でも、がんばれる力と勇気をもらえた気がした。

「へぇ……よそ見するヒマがあるんだ」
「!!」

 くぐもった、予想よりずっと幼い、冷酷な声が私を現実に引き戻す。
 強いデジャヴ。一抹の違和感をかき消し、鋭い蹴りが腹部に突き刺さった。

「か、は……っ」

 一瞬の判断で、重さはないけどスピードの乗った一撃の勢いを生かして後方に飛び退く。
 自分から飛び退いてダメージを軽減たけど、痛いものは痛い。激痛で漏れそうになる悲鳴をかみ殺し、限界まで集中して魔力を練り上げる。
 その間にも、追い討ちをかけようと接近する敵魔導師に、あらかじめ遅延していたプログラムを走らせ、魔力弾を数発けしかける。地面に命中した魔力弾が電撃をばらまいて、足止めに成功した。

 このチャンスに──!

「バルディッシュっ!」
『バリアジャケット、セットアップ』

 全身を、まばゆいばかりに輝く金色の魔力光が包み込む。
 軍服風の黒いミニスカートのスーツ、ゆったりとした襟つきの白いマント。そして硬質な素材の靴に、左手を鋭利なデザインのガントレット、右手をオープンフィンガーのグローブが覆う。
 着慣れた私の戦装束──バリアジャケット。戦場に赴き、戦うための正装だ。

 銃倉が回転して、カートリッジの一つが炸裂。込められた魔力が解放され、黒い戦斧の先端が回転したところから金色の刃が生まれる。

「ふーっ。……」

 深呼吸して、私はゆっくりと立ち上がった。
 白いマントを強風になびく中、三日月の大鎌を肩に担ぐ。
 戦闘モードのスイッチは入った。準備万端、もう無様なところは見せたりしない。

「……これでやっと、戦えるようになった」
「……」

 対峙するのはボロボロのローブを纏う正体不明の魔導師。私と呼応するように、巨大な鎌を肩に担いだ“敵”……。
 赤い。
 朱い。
 紅い大鎌の腹で、いくつものグロテスクな瞳が縦に割れた瞳孔をギョロギョロとうごめかす。構えから察するに、相手の利き手は左だろうか。こうして向かい合ってみるとまるで私と鏡写しだ。
 ──数合の交錯を交わせばイヤでもわかる、速さと鋭さを武器にした自分とよく似た戦闘スタイル。ユーヤから事前に聞いていたけど、こう目の前で突きつけられるとなにか吐き気がする。
 キモチワルイ。

 ……この人の実力は、私には無敵とも思えるユーヤに手こずらせるほど。彼の見立てでも、力の底は測れなかったそうだ。


 ──そんな相手に、勝てるのか……?


 ふとよぎった弱気を振り払う。そんな迷い、私には必要ないから。
 時空管理局執務官として、機動六課フォワードチーム隊長“ナイトウィザード01”として、一人の魔導師として。
 そして、“彼”のそばに寄り添う恋人としても。

 絶対に、負けられない。

 ……私はなのはのようにやさしくないから、いちいち戦う理由をたずねたりなんてことはしない。
 事ここに至れば、

「──はあああッ!!」
「……!!」

 ──問答は無用、だ。




 □■□■□■




 ──ギンッ!

 人気のなくなったヘリポートに激突音が響いた。
 金色の光が奔る。
 深紅の闇が滾る。
 稲光にも似た鋭さをもって放たれた斬撃が空を斬り裂き、噴出する鮮血の如き一撃が大地を砕いた。
 速力は優劣付けがたく。技は金色が勝ち、力は深紅が勝る。
 故に、戦いは速度を競い合うかのようなハイスピートを極めていった。

 ──ギギギンッ!!

 数え切れないほどの剣戟の嵐は澄み渡り、協和音を伴って戦いのリズムを刻む。
 それはまるで舞踏だ。
 円状のヘリポートを舞台に見立てた美しい死の舞。いくつもの足跡だけを残し、鋭刃という舞踏を繰り出していく。

 ──ガギンッ!!

 一際大きい激突の後、弾かれるように両者は距離を取った。

 それぞれの大鎌は刃を地面に添えるように腰だめに構えられ、睨み合う。
 その間合い、約十メートル。
 彼女らにとっては一足一刀の間合いだ。

「……」
「……」

 沈黙が風に溶ける。
 相手を見据え、微動だにしない。迂闊に動けばまざまざ隙を晒すだけとわかっていたから。

 広くスタンスを取った二人の足元に、金色と深紅の稲妻が迸る。それはまるで高まる戦意のように、徐々に輝きを増していく。

 発光が最高潮に達した刹那──、両者の姿はほぼ同時のタイミングで雷光と共に欠き消え、再び響きわたる斬撃のセッション。
 これまでは様子見だったのだろう、更なる魔力を解き放ちギアを上げる。
 その速度は常人の目では影すら捉えられない領域を軽く越えてなお、加速していく。

 虚空から突如放たれた金色の月輪がビルの角を刈り取り、朱色の光輪が雲を断ち切る。
 剣が、槍が、落雷の如く降り注ぐ。
 二色の魔力弾が絡み合うようにして飛び交った。

 実力伯仲。激突する度に衝撃波が屋上のコンクリートが削り、二色の稲妻が唸りを上げる。
 クロスレンジでの超高速戦──お互いに戦闘機も斯くやという速度で、その上絶えず縦横無尽に動き回っていれば相手を視界に収めることも難しい。
 そんな中で見事な戦闘機動を行えるのは、ひとえにフェイトの類い希な動体視力と身体能力の結晶。生まれ持った優れた天稟と幼い時分より磨き続けた努力の結果だ。
 しかし同時に、このローブの魔導師にはフェイトと激戦を繰り広げられるだけの力量が備わっていることを意味する。
 大鎌という特異な武装も相まって、両者はひどく相似していた。似過ぎていたと言ってもいい。

「ハッ!!」
「──ッ!!」

 互いの脇を斬り抜けるように刃を交え、その勢いのまま間合いを大きく開ける。
 急速に膨れ上がる魔力が大気を軋ませ、高層ビルを震わせた。

「撃ち抜け、轟雷!」

 振り向きざま、小脇に抱えたバルディッシュが斧頭下部から炸薬を吐き出し、フェイトの突き出された左手に金の雷光が収束する。

「ブチ抜け、爆雷!」

 同様に振り向き、ローブの魔導師が大鎌を小脇に抱え、右手を突き出した。眼前の閃光を飲み込まんと紅い冥闇が渦を巻く。

「プラズマァァァ!」
「ブラッディ……!」

 突き合わされた腕に環状魔法陣が取り巻き、仮想砲身を形成。ゴールドとスカーレットの魔力光が、輝くミッドチルダ式の魔法陣を織りなす。
 起動したプログラムが回路を描き、複雑な回路を魔力が通る。回路を満たした魔力が術式を構成し、“世界”に魔法を顕現した。

「「スマッシャ――ッ!!」」

 ふたたびの鏡合わせから放たれた二条の光線が一直線に走り、中央で衝突する。
 魔力変換資質により電撃へと変換された魔力が無秩序にスパークし、空気を焼いて独特のオゾン臭を撒き散らす。
 ほぼ同等の威力の魔力砲撃。
 拮抗し、膠着した状況に変化をもたらす要因はまた別の“異質な力”だ。

 突如、ローブ姿の魔導師の全身から紅黒い瘴気が噴き出した。

「!?」

 “闇”──そうとしか表現できない、邪悪なモノに汚染された魔力の奔流を前にして、フェイトが目を大きく見開く。
 刻一刻とその濃度を深める瘴気はまるで、命そのものが漏れ出しているかのよう。事実それは術者の生命力を代償に、破壊の力へと変換する最悪の外法だった。

「うっ、くっ!? そ、そんな……!」

 フェイトが信じられないと叫ぶ。
 噛み合い、膠着していたはずの二色の光条は見る見るうちに状況を変化させる。金色のそれは、今まで光景の嘘のように瞬く間に押し返されていく。
 目深にかぶったフードから覗く口元が狂喜に歪んだ。

「“リバースストライク”……! 消えろ、出来損ない!!」

 ──紅黒い闇が、爆ぜた。



[8913] 第二十五話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/02/25 23:39
 


 本来なら、休日を楽しむ人々でごった返しているはずの人気のない目抜き通りを行く四人の少年少女。ジュエルシードの移送を仰せつかったフォワードチームの面々である。
 前衛を最も防御力と突破力のあるスバルが司り、中央を射程距離と判断力に優れたティアナとキャロ、最後尾を四人中最速で鳴らすエリオを配したフォーメーション。なのはの教導で何度も繰り返し訓練した浸透突破作戦時の基本形だった。

 一同はもしものことを考え、避難の完了したエリアを選んで慎重に進んでいる。かなり遠回りな道程となってしまうが、民間人がいる中で“冥魔”と遭遇して戦闘にでもなれば目も当てられない。
 餅は餅屋。市民の避難誘導は担当の部隊に、というわけだ。
 もっとも機動六課も“冥魔”退治の専門家と言えば専門家だが、今この戦域には選りすぐりのエースたち──中には人型機動“箒”や戦闘機型“箒”のような過剰火力持ちの戦略兵器を駆る──が多数展開している。
 彼らに任せておけば、余程のことがない限り大丈夫だろう。

 とにもかくにも今のミッドチルダは次元世界で一番危険で、最も安全な世界なのである。


 上空から進路の警戒を終えたリインフォースⅡが、隊の臨時リーダーを務めるティアナの前に静かに降下した。

「前方、敵影ないです!」
「了解です、エルフィ曹長。あ、本部はなにか言ってきました?」
「“そのまま可能な限り戦闘を避け、至急ロストロギアを輸送すること”、だそうですよ」

 彼女は六課本部との情報リンクを担当しており、偵察で得た生の情報や周囲で活動している各部隊から上がってくる報告の分析を行っていた。
 こんなナリだが、伊達に空曹長を名乗ってはいない。

「そっちもりょーかい。……簡単に言ってくれるわね、ったく」

 ぼやくティアナ。うっすら汗の浮いた額には前髪がへばりついており、強ばった表情から緊張が否が応でも伝わってくる。
 爆発音やらなにやらがそこかしこから聞こる中の行軍は新人には堪える。いつどこから来るかわからない敵襲に神経をすり減らし、ヒリヒリと焼け付くような死と闘争の気配を肌で感じながらでは仕方ない。

 ティアナのただならぬ緊張感に気付き、リインフォースⅡは吉報というフォローを入れる。

「あ、でも、マイスターはやてが援軍をよんでくれたんですっ。みなさんも知ってる陸士108部隊ですよ!」
「お父さんの? じゃあ、もしかしてギン姉が!?」
「そのとおりですぅ。合流地点はおって連絡するとのことですよ」
「そっかぁ、ギン姉といっしょに戦えるんだ。ふふっ、なんかうれしいなぁ」
「よかったじゃない、スバル。──そう、ギンガさんたちが……」

 前の演習ではいいようにやられたわね、とティアナはにやけ顔の相棒に呆れつつ思い返す。あの時は悔しさと惨めさで彼女らを妬みもしたが、今なら素の気持ちで向き合える……ような気がする。
 彼女たちの実力は身に染みて知っているので心強い味方であることは間違いないだろう。

「よしっ、じゃあもうひと頑張りってわけね」

 そう、ティアナが独り言ちる。初めて指揮官の真似事をしているにも関わらず、意外と気負っていない自分が不思議だった。

 と、臨時リーダーが気合いを入れ直している背後、最後尾のエリオが物憂げにしている。
「エリオ君?」相方のただならぬ様子に気づいたキャロが声をかけた。

「キャロは……、キャロはフェイトさんのことが心配じゃないの?」

 心外だとキャロが眉を顰めた。

「心配だよ? 心配に決まってるよ。……あの敵、なんかイヤな感じしたし」
「じゃあ戻って──!」
「戻ってどうするの? フェイトさんの足を引っ張るだけだよ?」
「……っ」

 言い返すことができず、エリオは悔しそうに唇を噛んだ。
 彼だって頭ではわかっているのだ、自分が行ってもフェイトの力になれないのだと。
 だが、理解はできても納得するかどうかは全く別の問題。良くも悪くもエリオ・モンディアルはまだまだ子どもだった。

「はぁ……」キャロが大げさに肩をすくめる。大きな帽子にちょこんと乗った仔竜が真似をする。

「そんなだから、いつまでたってもいまひとつなんです、エリオ君は」
「……どういう意味?」

 睨むような、あるいは訝しむような視線を、クスリと曖昧な微笑でいなして。

「煮え切らない男の子、きらいだな……」
「!!」

 痛烈な一言にショックを受けた模様の赤毛の少年に、桃毛の少女は少しだけ溜飲を下げた。

 キャロだって、出来ることなら今すぐにでも駆けつけたい。フェイトは彼女にとっても、姉とも母とも想い慕う大切な女性だ。そんなひとのことが気がかりでないはずがない。
 けれどあの人がいるから。
 キャロが最も信頼し、畏怖し、尊敬する“ししょー”ならきっと、彼女が傷つくことを決して許しはしないし、どんなに遠く離れていてもどんな手段でも使って救うだろう。

 ──いつだって、ヒロインのピンチを救うのはヒーローの役目だと相場は決まっているのだ。

 だから自分は、自分にできることをやろう。
 全力で、精一杯。

「……ティアさん、お客様みたいです」

 不意に足を止め、隣の僚友に声をかける。
「らしいわね。あちらさん、おっかない顔してるわ」すでに二挺の短銃を構えて戦闘態勢に入っていたティアナは、行く手を塞ぐ大小二人の人影を厳しい表情で睨んだ。

「キャロ、知った顔?」
「ええ。ホテル・アグスタでちょっと」
「なるほど、ね……」

 短く応じ、若干含むところのあるワードから記憶を検索すると、すぐにヒットした。
 槍を携えた壮年の男は元管理局員で古代ベルカ式の使い手、ゼスト・グランガイツ。少女の方はルーテシア・アルピーノ、自分も世話になっている上司メガーヌの実の娘だ。
 もう一人(?)、リインフォースⅡと似たような背丈の悪魔っぽい格好の小人がいる。いわゆる“融合騎”という奴だろうか。
 ヘリポートでフェイトを強襲したローブの魔導師も、ホテル・アグスタのミッションで妨害行為が確認された人物だ。彼らの仲間と考えてまず間違いない。

「……それ、渡して」

 儚げな声で、紫の少女が端的に言うと、呆けていたスバルがようやく再起動して構えを取り、殿のエリオが慌て気味に前列に出る。
 虚ろな視線はジュエルシードの入ったケースを捉えている。
 目的はこれなんだ、とキャロはケースを改めて抱き抱えた。

「お前たちに恨みはない。大人しくそのロストロギアを渡せば、命までは奪わん」
「そうだそうだ! おまえらなんか旦那とルールーにかかればイチコロなんだかんな!」

 渋い深みのあるバリトンと勝ち気ないメゾソプラノが口々に要求をする。後半のセリフはややシリアスに欠けていたが。
 少女や融合騎はともかく、男の方は明らかに四人よりも格上だ。漂う歴然の戦士的な風格からして次元が違う。四対一でも勝てるイメージが全く沸いてこない。むしろ無惨に殺される自分たちがありありと想像できた。

 とはいえ、ロストロギアを渡すという選択肢は最初から存在しない。
 対峙したまま、まんじりともせずにスバルは背後のパートナーへ問いかける。
 その大きな瞳には不安が覗いていた。

「どうするの、ティア?」
「そんなの、決まってるじゃない」
「さっすがティア、このピンチを切り抜ける秘策があるんだねっ!」

 ぱあっ、と人懐っこい笑顔を咲かせてスバルが振り返る。敵への警戒はいいのだろうか。
 そんな無邪気なリアクションに、ニヤリと効果音の聞こえる気持ちのいい笑みで応じて。

「一目散に、逃げるのよっ!」
「えっ、ええ〜っ!?」

 一転、踵を返して駆け出したティアナにスバルが困惑の声を上げる。

「行くよ、エリオ君! スバルさんも!」
「あ、うん!」
「ああっ、待ってよティアーっ!」
「はわわっ、みなさんエルフィを置いてかないでくださいですぅ〜」

 ほぼ同時にキャロが続き、一拍出遅れた残りの三名がドタバタと逃走を図る。
 予想外の展開、そして鮮やかとは言い難い引き際に不意を突かれ、襲撃者たちは意識の糸を紡ぎ直すのにわずかだが時間を要した。
 結果、五人はまんまと逃げおうせる時間を稼ぐことに成功。ある意味見事な遁走だった。




 □■□■□■




 蒼天に膨れ上がる深紅の闇。
 荒れ狂う濁流から、一粒の光が飛び出た。

「──つぅ……」

 咄嗟にブリッツアクションを発動し、射線上から辛くも退避したフェイト。軍服風のコートやマントの一部が焦げ付き、ニーソックスが破けているなど損傷が目立つ。
 そして何より邪悪な魔力に巻き込まれ、精神の根幹に強烈なダメージを負っていた。あと数秒長く浴びていれば確実に命を失っていただろう。

「っ、はぁっ、はぁっ……なんて、力だ……!」

 荒い息を吐くフェイトは、自らの受けた“力”をそう表した。

 悍ましい魔力だった。
 全身に粘り着くような、吐き気を催すような──一言で言い表すなら、不吉極まりない“ヨクナイモノ”……。フェイトは生理的な拒絶反応を感じていた。

(あんな力、この世にあっちゃいけないっ!!)

 正体不明の力を強く警戒し、フェイトが一気に勝負を決めるべく魔力を練り上げる。
 カートリッジロード。
 空薬莢を排出したバルディッシュを紫電纏う光の大剣へと変形させ、最大戦速で斬りかかる。

「でぇぇぇぇえいっ!!」
「っ!」

 真っ向から繰り出された斬撃を、およそ防御には向かない形状の武具が受け止めた。
 だが、無意識のうちにフェイトが発動させたプラーナを乗せた爆発的な一撃は、防御を容易に粉砕。その衝撃で、ローブの魔導師が体勢を崩す。

「──これなら!」

 開いた懐を目掛けて、フェイトが猛追をかける。
 下段後方に流した金色の刀身が光り輝き、激しくスパークした。

「ザンバーッ!!」

 斬撃一閃。
 だがしかし、会心の一撃は惜しくもローブを捕らえるだけに留まる。
 そして、寸断されたローブの影から現れたのは、見目麗しい妙齢の女性だった。

「……え?」

 年の頃は代後半と言ったところ。白い、血の気の感じられない人骨色の素肌に、人形のようにひどく整った目鼻立ちは絶世の佳人である言える。
 その中でも、特に印象的なのが鮮やかな紅い瞳と黒いリボンで二房に結われた灰銀の髪だ。
 どこか濁って見える紅の双眸が爛々とした敵意で燃え猛り、色素の抜け落ちたと思わしき髪は手入れが行き届いていないのか艶がなくパサパサ。しかしそれらが、彼女の纏う一種壮絶な雰囲気を際立たせていた。
 その装束は黒一色。
 起伏の少ない細すぎる肢体を、胸元に十字状の切れ込みのあるぴっちりとしたノースリーブの衣装が包み、ミニスカートからまろび出た左の太ももを黒色のベルトが締め付けいる。
 両手をフェイトのそれとよく似た鈍色のガントレットが、両脚を膝辺りまであるソラレットがそれぞれ守っていおり、スーツと同じく漆黒に裏地が紅の外套の裾は虫食いのようにボロボロだった。

 言葉を失い、棒立ちするフェイトをスカーレットの瞳が捉える。

「……バレちゃったらしかたない、か」

「ぁ……あ、ああ……」

 ──その声、その顔、その容姿。
 どれもがフェイトを打ちのめし、否定したい、けれども否定しがたい“現実”を彼女に突き付る。
 毎朝鏡の前で見る見慣れた自分の姿……服装も髪の色も全く違うが、わかる。本能で、躯に刻まれた遺伝子で、魂レベルの深い領域で理解してしまう。
 目の前にいる女性が誰なのか。
 その狂おしいほどの憎しみの正体が。

「そう。わたしはお前の思っているとおりの存在よ」

「ゃ、やだ……、う、うそだ……そんなのうそだ! 信じないっ!」

 フェイトは頭を振り、絶叫する。“彼女”の存在を認めたくはないと。
 錯乱するフェイトの様子を満足げに眺め、くすくすと嗜虐的に嘲う“彼女”は今日この時、この瞬間のための言葉を紡ぐ。

 ────“運命”の矢が、放たれた。




「わたしの名前はアリシア──、アリシア・テスタロッサ。おまえの見捨てた、プレシア・テスタロッサの娘」



[8913] 第二十六話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/03/04 23:26
 


 時は遡り、“冥魔”が首都全域に発生し始めたその頃。

 激烈な戦場と化したクラナガン中央、ビジネス街の片隅を悠然と行く長身の人影。周囲に完膚なきまでに粉砕された“冥魔”の死骸が散乱する中、癖の強い黒髪と濃紺のコートを靡かせて、まるで王者のように君臨している。
 払うように両手を二回打つ。

「さて、と、この辺りの掃除はこれで終わりかな。しかし……今回もまた随分とド派手な催しをしてくれやがったもんだが、一体何が目的なのやら。まったく、奴らの考えは理解出来ん」

 蒼黒の王──攸夜は独り言をぼやきつつ、地面に突き刺さっていたデモニックブルームを引き抜く。
 彼自身、常人と価値観がいささかかけ離れていることは自覚しているが、気狂いの考えていることなどわからないし、わかりたくもなかった。


 不測の事態を想定し、待機していた攸夜の耳に“冥魔”出現の一報が入ったのはフェイトを送り出して直ぐのことだった。
 攸夜は、いち早くレジアス地上本部中将と最高評議会から許可を取り付けると、即座に行動を開始、こうして地上部隊に混じって掃討に参加していた。もっとも、以前から指揮系統など投げ捨てて暴れ回っているので、あまりいい顔はされなかったが。
 時空管理局との軋轢、魔王の道理や美学などを弁えている攸夜は、このような差し出がましい真似は本来好まない。要請がなければ傍観を決め込んでいただろう。
 しかし今回は妙な胸騒ぎというか、虫の知らせというか、とにかく表現しづらい第六感のようなものに突き動かされ、傍観者でいることが出来なかったのだ。
 実際、ジュエルシードが発見されただの身元不明の少女が保護されただの、奇っ怪な報告も聞こえてくる。それらと“冥魔”出現との因果関係は不明だが、無関係とも言い切れず、雲行きが怪しくなってきていることだけは間違いない。


「……ま、考えても無駄か。俺はただ、全てを破壊するだけだ」

 いつもの自虐を吐き、攸夜はだらりと自然体に構えた右手のデモニックブルームの刀身の根本から先にかけて左の爪を滑らせ、オリハルコンブレードを纏わせる。

「断空一閃ッッ!! ──なんてな」

 蒼い魔剣を左脇から右上へ、無造作に振り上げた軌跡が斜めに“ずれる”。その延長線上、遙か彼方で群をなしていた鳥獣型“冥魔”が空間ごと、世界ごと数十匹まとめて斬り落とされ、同時にその奥に浮かんでいた絹積雲が寸断されていた。
 これも空間を斬り裂く異能“次元斬”の応用である。

 敵を撃破した攸夜は、けれども何故か無感動に眉を顰める。何かを睨むように、鋭い目つきで虚空をじっと見つめていた。

「チ……しかし何なんだ、この肌に粘りつくようなプレッシャーは」

 攸夜の意識を捕らえていたのは、先ほどから感じている正体不明の不快感。誰かに視られている──強いて言えばそんな感覚だろうか。
 未だ具体的な性質は判然としないが、もしそうであるならば“魔王”を探ろうなど不埒極まりない。万死に値する行為である。
 別に全知全能を気取るつもりはないが、わからないことがあるのは不愉快だった。

 不愉快ついでに手近な“冥魔”を手当たり次第に粉砕しつつ、攸夜はコンクリートジャングルを疾風のように駆け抜ける攸夜。八つ当たりの的にされた“冥魔”の方はたまったものではない。碌な抵抗も出来ぬまま、一方的に破壊されては消滅していく。
 また一群が、炸裂するサンライトバースターの爆光に巻き込まれて消し飛んだ。

 ストレス解消とばかりの駆逐作業を続ける中、攸夜がピタリと動きを停止した。
 “冥魔”の真っ直中である。
 何かに気を取られた破壊者に、これ幸いと襲い掛かる“冥魔”たち。もっとも何処からともなく飛来したアイン・ソフ・オウルがめったやたらに打ち倒していたが。

「──これは……、“世界”がざわめいている……?」

 魔力や神秘に対して極めて鋭敏な感覚が異常を訴えてた。
 周囲に漂う精霊が、目には見えない霊魂たちが戦慄に慄ている。以前、パール・クールが特大魔法を放った時とは比べものにならないほどの恐怖に駆られて悲鳴を上げている。
 とびきり不吉な予感だ。

 攸夜が顔をしかめる。
 濃紺のコートの背から数センチの空間を空けて、蒼白い半透明の魔力翼が閃く。
 トン、と軽快に地面を蹴り、攸夜の長身が浮き上がると、近くで一番高いビルの給水棟の上へゆっくり降り立った。

「……」

 激しい戦いを示す極彩色の魔力光が、聳え立つ摩天楼を鮮やかに色付く。
 暫しの間、視線を険しく細めた紺碧の双眸が異変を捉えた。

「あっちは確か……廃棄都市群、だったか? ますます嫌な予感がするな」

 疑問は小さく。行動は迅速に。
 蒼銀の翼に寄り添い、七枚の“羽根”が放射状に展開する。毎度おなじみ、高速空戦仕様の高機動形態だ。
 空路で一気に距離を稼ぐつもりなのだろう、ダークグレーのロングブーツの足先が給水棟からふわりと離れた。

 放出される魔力の粒子。純白の装甲が太陽の光を照り返し、透明な七色の宝玉の内部で陽光が乱反射する。

 一際強く光の粒子をバラ撒いた後、ひゅん、と独特の透き通った飛行音を響かせて“獣”が飛び去っていく。
 いくら超の付く方向音痴の攸夜でも、さすがに見えている場所に一直線で向かって辿り着けないほど狂ってはいない。たぶん、きっと。


 ────残された蒼白い粒子の軌跡はまるで、虹のような美しい弧を描いていた。




 □■□■□■




 風を切るツインローターのくぐもった音が響く機内。

「やっぱり難しいかな、アルト。このまま突っ切るのって」
「ええ。かなり中央は混戦になっちゃってるみたいですし、ヘタすると味方に誤射されかねませんよ」
「そっか……、無茶言ってごめんね」
「いえ」

 この機のパイロット──アルト・クラエッタが答えると、なのはは納得したふうに瞼を伏せ、手慰みに隣の座席で丸まっている少女の髪を軽く撫で梳いた。
 明るいブロンドの手触りは、妙にごわごわとしていて。なんとなく「あとで洗ってあげなくっちゃ」と思う。彼女自身、そう考えた理由はいまいち判然としなかったが。

 現在、なのはたちは空路でミッドチルダ北部ベルカ領自治区へ向かっていた。
 最寄りの地上本部傘下の病院に移動するという当初の予定も、“冥魔”の出現と共に始まった混乱の中では難しく。ティアナたちと同様の理由で戦場を大きく迂回して進んでいる。目的地は、戦域から距離があり、なおかつ比較的安全な聖王教会関連の病院施設だ。

「なのはちゃん、“エンジェルハイロゥ”からの映像が来たわ」

 シャマルの声に、はたと顔を上げる。

「それで、どうなんですか?」
「フェイトちゃん、かなり苦戦してるみたい。相手も相当の手練れね、レイジングハートに回線を回しておくわ」
「ありがとうございます、シャマル先生」

 胸元のデバイスが展開した空間モニターに、軍事衛星が撮影したヘリポートの様子が映る。
 魔力反応から未だ戦闘が続いているのはわかるが、常識外れの速度で機動する両者の姿は肉眼では捉えきれない。なのはたちは、処理された映像でその動向を確認しているにすぎなかった。

「フェイトちゃん……」

 なのはは孤軍奮闘している大切な親友の安否を想い、その一方では不思議と納得していた。
 自分たちの判断は間違っていなかった、と。

 金髪の親友と速さで争えるほどの強敵──そんな相手との戦闘では、部下たちはもちろん、なのはとて足手纏いになってしまう可能性が高い。二対一だとか、気心の知れた親友同士だとかいう問題ではなく、単純になのはでは機動力や運動性が足りなくて追いつけないのだ。
 例えばこれが近接に強いだけ──シグナムのような──のタイプであれば、砲台として援護程度のサポートは充分にできただろう。けれども今回の場合、要求される戦闘機動があまりにも高度で、小回りの利かない移動砲台はとろくさくって役にも立たない。──というのがなのはのやや自虐的な意見だが、それほど的外れというわけでもない。
 故に、内心忸怩たるものを感じつつも親友に任せるしかなかったのである。

 彼女、フェイト・T・ハラオウンが一流の魔導師であることは疑いようのない事実だ。
 ジュエルシードの一件でなのははフェイトを破ったものの、あの時の彼女のコンディションは最低最悪、常識的に考えればとてもまともに戦えるような状態ではなかった。あの勝利はもちろんなのはの多大な才能と真摯な研鑽、それからわずかな幸運によるものだが、同時に必定の結果であったとも言えた。
 その後──攸夜が“世界”から消失してから──、幾度も行われた模擬戦でのなのはとフェイトの戦績はほぼ五分五分。内容的にはややフェイトの優勢であったことが証明している。
 もっとも、なのはが手酷く撃墜されてから二人の模擬戦は行われていないし、今戦えば手も足も出ないままに下されるだろうけれども。

 全力全開トップスピードのフェイトと速度で張り合える人物などあのイジワルな黒髪の幼なじみくらいだと、なのはは思う。
 あまつさえ最高速で阿吽の呼吸な連携までしてみせるのだから、感心を通り越して呆れてしまう。「どれだけ仲がいいのかな、君たちは」と。…………自分もあやかりたいくらいだ。

(──って違う違う)

 逸れた思考に自分でツッコミを入れ、なのはは隣ですぅすぅと規則正しい寝息をたてる不思議な少女に目を向けた。

「それにしても。この子、いったいなんなんだろ……」

 今ある情報から、素性を推測してみる。
 蜂蜜色の髪に、紅と碧のオッドアイ──これだけ特徴的なら、行方不明者届けとかが出ているだろうか。いや、状況から見てジュエルシードを所持していたわけだからただの民間人とは到底思えない。

(まさか“人造魔導師”? ……って、それこそまさかだよね)

 脈絡もなく浮かんだ思いつきを即座に否定する。
 教導隊では、訓練生と犯罪者に魔法をぶっ放すのがお仕事だったので込み入った事情は把握していないが、概要くらいならフェイト経由で知っている。もっとも情報元の方も、例によって事後処理の段階で魔王なカレシから裏事情を聞かされたのだが。
 時空管理局の暗部に纏わる後ろ暗い歴史の多くは、人知れず闇に葬られることになるだろう。

「ううー、ぜんぜんわかんない……」

 小さく呻いて、ため息をつく。
 いくら考えてみても、答えは出そうにない。
 というか、彼女はこういう難しくてドロドロとしたことが極めて苦手なのだ。もともとあまり賢い方ではないし、もっとシンプル──例えばズドンで済むよう──な事件構造の方がいろいろな意味で気が楽だと。

「まぁどっちにしても病院についてから、かな」

 とりあえず疑問についてはそう自己完結しておく。
 なのはが考えるべき課題は他にもたくさんあるのだから。
 フェイトのこと。
 ティアナたちのこと。
 そして“冥魔”のこと。

 もう状況に、周囲に流されるだけではいられない。自分で考え、自分の責任で決めていかなければ────

「!!」

 不意に、なのはの全身が総毛立った。

 ──何か、よくないものが降ってくる。
 確証は何もないけれど、確信した。今までに感じたことのないほどの巨大な、禍々しい“チカラ”の、破滅の到来を。
 ……この時、なのはがいち早く予感を抱いたのは宿命だったのかもしれない。


「アルト、避けてっ!!」

「ええっ?」

 突然の警告に、操縦士が怪訝な声を上げる。

「──っ、うそ、次元跳躍攻撃!?」
「は、はいい!?」

 一拍遅れてシャマルが、さらに遅れてアルト──正確にはブラックスターの計器類──が、空間の異常と尋常でない魔力を捉えた。
 回避はもう、間に合わない。
 なのはは咄嗟にオッドアイの少女に覆い被さり、振り絞るようにしてドーム状の魔法障壁を張り巡せる。
 それは奇しくも四年前、ユーノが見ず知らずの少女を護るためにとった行動と同じだった。

「──……マ、マ……?」

 抱きしめられた少女がそう呟くのとほぼ同時に、猛烈な暴虐の奔流が訪れた。



[8913] 第二十六話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/03/18 23:23
 


 晴天に紅炎の花が咲く。
 直径約200メートルの巨大な炎とドス黒い噴煙は、さながらを真っ青な空を汚す汚泥のよう。魔力爆発の余波か、黒煙に青い稲妻が幾条も迸っていた。

 上空に吹き荒れる風によって煙が晴れていくと、薄緑色の膜に包まれたヘリコプターの機体が無傷の状態で現れる。

「────っ、……あ、あれ? なんで──」

 襲い来る衝撃と痛みに堪えようと、ぎゅっと目を瞑っていたなのはが恐る恐る顔を上げる。
 少女を庇う体勢のまま、キョロキョロと落ち着かない様子で機内を見回すと、自分と同じように困惑顔で辺りを窺っていたシャマルと目が合った。
 どうやら咄嗟に防御結界で機体全体を守ろうとしていたらしいクラールヴィントが、涼やかな魔力光を放っている。さすが腐ってもヴォルケンリッター、緊急時でも冷静に対処できていた。……かなり涙目で格好がついてないが。

 しかし、自分たちが無事なのはその魔法のおかげというわけではないようだ。
 ふと人の気配を感じて、背後を振り返る。

 ──窓ガラスの外、蒼白い魔力の翼を背負う背中は広くて頼もしく。奥には攻撃を防ぐのに用いたのだろう、白亜の大楯が見えた。
 はためく紺青のコートはいつかと違う色だったけれど、なのはにはどこか懐かしく思えた。
 きっとそれは、なのはがイメージする“彼”の姿そのものだったからだ。

「攸夜くん!?」
『やれやれ、間一髪だったな。怪我はないか、なのは』

 しかし、念話で聞こえた気遣う声はひどく張り詰めた印象で。

「う、うん、みんな無事だよ。攸夜くんはどうしてここに?」

 らしくない幼なじみの違和感に少し戸惑いつつ、疑問を呈す。
 どこの誰から攻撃されたのか、なぜ? どうして? ──なのはにはわからないことだらけだった。

『俺は神出鬼没が信条でね。と、そんなことよりなのは、今のうちにここを離れろ』
「え、でも……」
『いいから行ってくれ。正直、お前たちを護りながら戦える自信がない』

 自信過剰な彼ではあり得ない弱気なセリフが飛び出し、親友を見捨てざるを得なかったこと愚図っていたなのはがギョッとして目を剥く。
 攸夜はその驚動をあえて無視して、蒼白い魔力を解放した。
 ぱきん、と甲高い音を立てて分離する“羽根”が、二対の盾と残りの一枚に分かれて背後から攸夜に覆い被さる。そして蒼銀の翼の面積が広がって、ネイビーブルーのコートが神々しい純白と金色に染まっていった。

 ──蒼銀の粒子に、金色の粒が混じる──

 アイン・ソフ・オウル強襲形態に、白金のリミットブレイク──アジ・ダハーカ戦以来、数年に渡って使用しなかった現時点での最強形態を披露してもなお、攸夜の横顔は険しいままだ。

 なのはは見た。
 真っ青な大空に、大きな裂け目が開くのを。
 そのスキマから現れた、二対の真っ紅な翼を広げる黒い天使の姿を。
 そして、強化ガラス越しでもわかる絶対的で絶望的な力量の差を。

 いや、正確には感じ取れたわけではない。“ソレ”が自分の計り知れない存在であるということを、辛うじて理解しただけ。


 ──なのはは、自分の中の大切な何かが折れる音を聞いた。


 シャマルの指示で、ヘリがその場から離れていく。

『“冥刻王”……また厄介なのが出てきたな』

 危機感の籠もった声を最後に小さくなる攸夜の背中。
 それを見送るしかできない悔しさを噛みしめ、なのはは黒い天使の姿を紫水晶の瞳に食い入るように焼き付けていた。













  第二十六話 「冥刻王、蒼天に君臨す」













「はじめましてなのかな、キミとは。……ねぇ、シャイマールの“レプリカ”クン?」

 去っていく大型ヘリを見送って、黒い天使──メイオルティスが人懐っこい微笑みを浮かべた。

 ──彼女は、“冥魔王”と呼ばれる存在だ。
 元々は、ベール・ゼファーたち裏界魔王と同じ、主八界創世の際に創造された存在。至高神──生みの親に叛逆し、そして破れた古き神々の成れの果てである。
 同じく叛逆した古代神、ベルたちとの違いはその後の幽閉場所。どこまでも傲慢で欲深いが、比較的世界の管理者であった頃から変質していない裏界の魔王とは異なり、世界の深淵──“混沌”へ堕とされた者たちは、生存することすら困難な途方もない“負”の要素に本質までもを汚染され、逆にそれを喰らって力とした。
 人における魂の部分を根底から歪められた彼らは、全てに破滅をもたらす正真正銘のバケモノと成り下がったのである。
 ちなみに、「第八世界ファー・ジ・アースに封じられたものたちは、至高神の特にお気に入りであった」、という俗説も存在するが真偽のほどは定かではない。

「……ふん」

 あからさまな挑発に、ぴくり、と攸夜の眉尻が吊り上がる。

「これはこれは、彼の“冥刻王”に名を知られていたとは光栄だね。ウィザードたちに負け続けてこちらに逃げてきたのかい? 情けないことだ」

 こちらも、負けず劣らずの挑発をやり返す。

「むぐっ、んなわけないじゃん! あたしはベルちゃんのいるところ、火の中水の中混沌の中、どこにだって行くんだから!」

 ちょっと向こう側へ逝っちゃった感じのお嬢さん。どこぞでぽんこつ魔王が怖気を感じてたりなんだり。

「ふん、質の悪いストーカーめ。花は愛でることの何たるかをわかっていないな」
「ストーカーじゃないもん! キミだって、好きな女の子をつけ回してたって聞いたけど、それってどうなの? 男の子して」
「人聞きが悪い。俺は影から慎ましく見守るだけ、基本的には彼女の自由を尊重しているのさ。散々ちょっかい出して嫌われてるアンタとは違ってね」
「ぐぐぐ……! むきーっ!」

 図星を突かれたのか、とうとうメイオルティスがブチギレた。
 前哨戦のさぐり合いの軍配は攸夜が上がったようである。まあ、どっちもどっちの低レベルな争いだが。

 さて、気を取り直して。

「──で、アンタの狙いはあの保護したとか言う少女か」
「うん、そうだよ。あの子ね、もともとはあたしたちのモノなの。ちょっとした手違いで逃げられちゃったんだけど、大事なモノだから返してほしいなっ♪」

 屈託のない笑顔でお願いする姿は純情可憐、まともな男性ならコロリと参ってしまうかもしれない。

「なるほど、大体わかった」

 腕を組み、左手を顎に添えた案ずるような仕草する攸夜。口元の胡散臭い笑みを例えるなら「作り物めいた笑顔」とでも言おうか。
 対するメイオルティスも、わくわくと擬音の聞こえそうな「にぱー☆」っとした笑顔で待っている。どちらも表面上はにこやかで、傍目で見れば和やかな会見の場に見えなくもないだろう。
 だが、答えなどとうにわかっているのだ。

「なら断る」

 不躾な返答が、大弓へと連結したアイン・ソフ・オウルの矢とともに放たれた。
「わわっと!」メイオルティスは軽快な飛翔でそれを難なくパスすると、元の位置に戻ってぷくっと頬を膨らませる。「あっぶないなぁ、短気は損気だよ? ……まあ、キミならそういうと思ってたけどね」

 プンプンと腕を大げさに振って何だかかわいげだ。
 再度分離して、アイン・ソフ・オウルが強襲形態の定位置に戻る。攸夜は冷たい無感動な眼で。

「で、交渉決裂だが。いったいどうするつもりなんだ、“冥魔王”」
「ふふん、もっちろん♪ そんなの決まってるじゃん」

 無邪気なままに、メイオルティスは右手に持った槍状の杖を突き出す。
 尖端部に収束する紅い魔力──ミッドチルダ式とも近代・古代ベルカ式とも、もちろん裏界の様式とも全く違う紅紫の魔法陣が描かれる。
 複雑なルーンが織りなすヘクサグラムの中心に、凶兆が膨れ上がっていく。

「──力ずくで目的を達成するんだよ。“冥魔王”らしく、ね」

 ゾッとするほど無垢な笑顔の天使が破壊の光を解き放つ。
 なのはのディバインバスターに勝るとも劣らない太さ、規模の魔力を前に、攸夜は左手をかざした。

「っ……!」

 いつかのように素手で魔法を受け止める暴挙。吹き荒れる衝撃波と魔力の残滓で、彼の特徴的なボサボサの黒髪が吹き上がる。
 さすがにそのまま殴り飛ばすわけにもいかず、圧力に押されてわずかに後退する。
 紅い光の嵐は、数秒停滞した後、砲撃を大きく頭上に弾き飛ばす。軌道を無理矢理変えられた砲撃は、都市部から遠く離れた岩山に着弾してそれを崩壊させた。

 白煙の残る左手を下ろし、攸夜が薄く笑う。獰猛な、獲物を前にした“獣”の表情だ。

「“冥魔王”らしく、ね。……いいぜ、乗ってやる。その方がシンプルでやりやすい」
「あはっ♪ ノリがいいね、キミ。あたし、そーいうの嫌いじゃないよ」

 不遜に言葉を交わし、両者は申し合わせたように動き出し、激突した。




 □■□■□■




 魔法の光条を幾条となく交差させ、乱れ舞うように激闘を繰り広げる二柱の破壊神。未だ小手調べであろう魔法の数々はしかし、眼下の廃棄都市に流れ落ちれば建物が一瞬で粉砕されるだけの威力が秘められていた。
 強烈極まりない魔法の余波で大地がめくれ、空が裂ける。打ち捨てられた自動車や瓦礫、標識などが粉塵に紛れてまるで紙屑のように吹き飛んでいく。
 聖なる爆光が、天壌に輝く太陽の光冠が、深紅の砲撃が、全てを貪り喰う虚無が、次々に蒼天で炸裂した。

「あははははははっ! ほらほら、さっきまでの威勢はどうしたの? キミの力って、その程度なの?」
「チ……、好き勝手言ってくれる!」

 高らかに嘲笑う天使へ悪態を吐く魔王は、回避と反撃を続ける。それでも避け切れなかった魔法、“虚空の牙”が障壁を掠めて大きく削り取っていった。
 一方、メイオルティスは撃ちかけられる魔法など物ともせず、強引に機動を続ける。障壁すら張らず、リブレイドが直撃してもまるで無傷だ。
 明らかに、火力で劣っている。
 魔法自体の“質”の差もあるだろうが、このメイオルティス、どれだけの魔力と“プラーナ”を今回の現し身に注ぎ込んでいるのだろう。少なくとも、単純な戦闘力だけなら確実に攸夜の数段上を行っていた。
 攸夜は言うまでもなく本体であり、さらに活動中の分身体の極一部を除いて破棄・回収、その上リミットブレイクまでして力を高めているにも関わらず、だ。

 だがあり得ないことではない。
 彼女はメイオルティス、“冥刻王”メイオルティスなのだから。

「ならば!」

 現状、魔法の撃ち合いは不利と見た攸夜は果断即決、月衣から愛剣を抜刀。オリハルコンブレードの術式を刀身に走らせる。
 そして、アイン・ソフ・オウルより∞の形の光輪を発して瞬時に亜音速まで加速、メイオルティスに詰め寄った。

「させないよ!」

 接近されることを嫌ったのだろうか、後方に退きつつあるメイオルティスが杖の先から放った拡散砲撃──まるでディバインバスター・フルバーストのようだ──を、攸夜はデモニックブルームで次々に斬り払い、突貫する。
 弾く、弾く、弾く。
 弾く弾く弾く弾く弾く弾く弾く弾く──圧縮され、強烈な概念を付加された魔力素の塊の悉くを弾いて、攸夜は黒衣の天使に肉薄する。余裕の笑みをわずかに歪め、メイオルティスが得物を掲げるが──

「オオオオオッ!!」

 裂帛の砲哮。
 噴射する魔力が一層激しく輝く。

(その杖ごと、断ち切る!)

 蒼光一閃。
 稲妻のような斬撃が繰り出される。

 しかし真一文字を描くと思われた会心の蒼は、割って入ったナニカに半ばから阻まれた。
 それは朱紅いナニカだった。

「──なっ!」
「ふふふ……、いい切り込みだったけど、考えがもうひとつ甘かったね?」

 メイオルティスが勝ち誇る。
 攸夜は瞠目した。

 蒼い光刃を受け止めていたのは、鍔飾りに一輪の薔薇をあしらった紅緋色に光る華美で豪奢な両手剣。大振りだが美しい、そしてそれ以上に禍々しい気配を醸す凶器──全体像こそ違うものの、攸夜の知識に該当する存在が確かにあった。

「──魔剣アルティシモ……だと!?」



[8913] 第二十六話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/04/01 23:25
 


「魔剣アルティシモ、だと……!?」

 魔剣“アルティシモ”──
 四本の妖刀に分けられ、ファー・ジ・アースの各地に封印されていたメイオルティスのかつての愛剣である。

「馬鹿な! それはすでに砕かれたはず!」

 そう、アルティシモがこの場所に、彼女の手にあるはずがない。
 分割された内の三本が、第八世界の“魔法使い”たちによって破壊されたのだから。

 動揺を隠しきれない攸夜に、メイオルティスがしたり顔で説明する。

「んふふ、慌てない慌てない。これはあたしの杖を同じ形に似せただけのニセモノ、中身の入ってないハリボテなの。だから残念、あたしのチカラを補助する機能はついてないんだ。
 よかったね、キミにも勝ち目が出てきたよっ☆」
「チッ、大きなお世話だ!」

 攸夜と鍔迫り合う体勢で、黒い天使はニタニタと自らの優位性を誇示する。
 その言葉通り、このアルティシモには特殊な能力は付与されていない。さしずめ、斬り合いをするには使い慣れた形状の武器が必要だったということだろう。
 また、攸夜の知るものと形状が異なっているのはおそらくこれこそが完全な姿であるから。詳しい説明は割愛するが、ファー・ジ・アースにおいて復活を果たしたアルティシモは、四分の三の性能を取り戻しただけにすぎなかった。それでも大層凶悪な魔剣だったそうだが。

「まあそういうわけで、これはただのハリボテなワケだけど──、切れ味はホンモノと変わりないんだ、よっ!!」
「ぬ、ぐ……っ!」

 メイオルティスがその華奢な身体に似合わない怪力で、攸夜ごと剣を振り抜く。わずかばかりの抵抗などまるで無意味だ。
 無造作に薙ぎ払らわれた剛剣。
 吹き荒れた剣圧が大地に生々しい爪痕を残した。
 深く刻まれた斬撃の痕はまるで渓谷か何かのよう。間一髪で身を退き、大斬撃を回避した攸夜は、紅い剣を構えもしない黒い天使を視界に納め、焦りを鉄面皮の仮面で隠し、歯噛みする。


 ──やはり“ここ”じゃあ無理か……。


 攸夜は力を制限している。
 そこには様々な要因や理由が存在するが、一番の理由は惑星ミッドチルダに与えるダメージ。発生するであろう被害を考えてしまうと、とてもじゃないが全力を出すことができないのだ。
 とはいえ、十分の一以下の出力で“冥魔王”級、それも戦闘神としてなら破格の力を誇る“冥刻王”メイオルティスと戦うなど力不足、いや自殺行為もいいところ。さきほどの魔法戦でわかった魔法の“質”の差は歴然、単純な膂力でさえも劣っているようではもう立つ瀬がない。
 さらに言えば、攸夜得意の奇策がそうそう通じるような相手でもないだろう。言動やら振る舞いから頭が軽くて馬鹿っぽく見えるが、幾億年の長き時を生きる歴とした神格なのだから。

「むむ、なんかばかにされた気が……」
「知るか。俺じゃないぞ」
「ん〜、ま、いっか。
 それにしても、思ってたよりずっと強いね、キミ。レプリカにしてはよくやるよ、伊達にシャイマールじゃないってことかな」

 どこか愉快そうに、メイオルティスが言う。この状況では皮肉か嫌みにしか聞こえないが、どうやら彼女としては本気で健闘を褒め称えているようだ。
「ありがとうよ」と投げやりに言い返す攸夜の内心は、焦燥感で一杯だった。主導権を握られている現状は、彼の性質からして我慢がならない。

「……でもいいのかな、こんなことしてて」
「何? 何のことだ、藪から棒に」

 判然としない物言いに、攸夜が眉を顰めて訝しむ。
 ニタニタと意地悪くにやけるメイオルティスが、ここで特大の爆弾を投下した。

「アリシア・テスタロッサ、知ってるでしょ? キミも一度“戦った”はずだよ?」
「アリシア、テスタロッサだと……?」

 深まる困惑。言われるまでもなくその名はよく知っているし、以前時の庭園でその姿を見たこともある。
 しかし、“戦った”とは──

「──まさか!?」
「そう、そのまさかなの。
 死んでいたあの子に命と力を与えて、キミたちふうに言うなら“落とし子”にしてあげたの。あたしが虚数空間から引き上げてきたんだから。探し出すのたいへんだったんだよー?
 いまはフェイトちゃん……だっけ? キミのお気に入りの子と遊んでるんじゃないかなっ♪」
「!!」

 ついに攸夜の堅い仮面が剥がれ落ち、暴かれた素の部分から生の感情が滲み出た。
 フェイトとアリシアが接触すればどうなるか……想像するに難くない。“冥魔”がそこに関わっているとするとしたら、碌でもない企みが進行しているのは目に見えている。

「くすくす……助けに行かなくてもいいの? 大事なだいじな“つがい”なんでしょう? はやく行かなきゃアリシアちゃんに殺されちゃうよ、あの子」
「っ、貴様ッ!!」

 動揺を誘うような猫なで声に、攸夜が激昂する。
 瞳孔が開き、制限していた魔力が無意識の内に漏れ出す。蒼銀の魔力光に“紅黒”の光が混じり始めた。

「あはははっ、いいね、その眼。ゾクゾクしちゃう」

 ギラギラと純粋な殺意に光る蒼い瞳に臆することもなく、逆に哄笑するメイオルティスはやはりどこか壊れている。
 唯一無二の弱点を突かれ、怒り狂って完全に我を忘れたように見えた攸夜だったが、大きく息を吐くと、バチンと両手で頬を挟むように思いっきりひっ叩いた。

「あや?」

 つつー……、と口角から薄く血が垂れ下がる。強く叩きすぎて口内を切ったらしい。

「……生憎だが、そんな安い挑発には乗らないぜ」

 軽く頭を振れば、攸夜の蒼い瞳にはもう確かな理性の光が戻っていた。
 現時点でも戦力的に不利だというのに、その上精神面でも優位に立たれてはたまらない。精神の建て直しは急務だった。

「ええ〜っ、けっこう薄情なんだ。あたしだったらベルちゃんのピンチなら、すぐに飛んでっちゃうのになぁ」
「何とでも言え。今俺がすべきことはただ一つ、アンタを食い止め、あわよくば殲滅することだよ!」

 再度、攸夜が突撃する。
「くぅっ!?」強烈なタックルに、思わず悲鳴を漏らすメイオルティス。
 再度鍔迫り合いに持ち込んだ攸夜は、メイオルティスの後背の空間に干渉して何処かへと繋ぐゲートを開いた。

「まさか、死ねば諸共!?」
「それこそまさかだ。まだその時じゃない」
「そっかー、よかったー──って、いま“まだ”って言ったの? やっぱ自爆特攻じゃん!」
「違うわ! いいから黙って墜ちてろ!」

 低レベルな言い争いをする白の魔王と黒の天使は、大きく開けた次元の裂け目の中に消えていった。




 □■□■□■




「ん……、ここ……は……?」

 杖に戻した得物を支えにし、メイオルティスが“水面”に立ち上がる。
 彼女の眼前に広がっていたのは、水の平原──そうとしか表現できない場所だった。

 深い底まで見通せてしまいそうな澄み渡った凪いだ水面、遙か遠くまで広がった見渡す限りの水平線が空と繋がり、幾つもの岩柱が点在する幻想的な風景。空気もどこか澄んでいた。
 ──明らかに、ミッドチルダではない。

「……?」

 小首を傾げるメイオルティスは、背後から聞こえる水の跳ねる軽やかな音に振り返る。水面に波紋を立たせて近付いてくる攸夜に目を向けた。
 絶妙な距離をとり、両者は対峙する。

「……この次元宇宙に、知的生命体は存在しない。隅々まで調べて確認した」
「つまり、いくら壊してもかまわない戦闘フィールド、ってこと?」
「Exactly」

 陽気に言って、攸夜は深く深呼吸する。長い間自らに架していた枷の全てを解き放つ。
 刹那、紅黒い魔力が天を穿つほどに噴き出した。

「ここなら俺も、加減せずに戦えるってわけだ。とはいえ、まさかこんな早くに切り札を切ることなろうとは思わなかったがな……」

 そう苦々しげに言い、ゆっくりと、瞼を閉じる。
 瘴気じみた朱紅あかい魔力が勢いを増す。それはまるで燃え立つ地獄の業火の如く。

 アイン・ソフ・オウルの結晶部分が朱紅く染まった瞬間──、

「リミット、ブレイク!!」

 光が爆発した。



 ──純白の装束が侵蝕されるように漆黒に染まり、


 ──両手の爪から紅い炎が吹き出て甲の装甲を弾けさせ、


 ──そして深紅に輝く魔力の流動ラインが両腕の側面を走り、


 ──肩の突起をも弾き飛ばす。


「ぉぉぉおお──、がああああああアアアアアアァァッ!」

 腰だめに両手を構え、砲哮。壮絶な気迫が大気を震わせる。
 パージされた装甲の箇所から、烈火と化した魔力がまるでアフターバーナーのように噴出し、煌々と燃え上がる。
 同様にコートの下、ボトムにラインが走り、ブーツまで到達すると足先から炎に包まれ、爬虫類の鉤爪のような形状に形成された。

「へぇ……」

 メイオルティスが感嘆の声を上げた。
 ずるり、と黒く細長い竜尾がコートの裏から這い出て空を打ち、漆黒の髪を押し退けた一対の角が天を突くと、攸夜は構えを解いて瞼を開いた。
 この水に覆われた惑星のように蒼く透明な双眸は、濁った金色に染まっていた。

 巨大な炎爪、うねる尾、禍々しい角。全身に流動するクリムゾンレッドの魔力光が明滅を繰り返す。

「“魔王の全身は憤怒の炎で朱紅く燃え盛り、そのあまりに巨大な体躯は太古の竜を思わせた。竜の七つの頭はそれぞれ王冠を戴き、十本の角が生えていた。”
 ……さしずめ“黙示録の獣”かな、シャイマールの再来にふさわしい姿だね。いっしょに戦ったあのころを思い出すよ」

 黒衣の天使が謳う。
 祝福と賞賛、賛美歌の如き歌声は甘く美しい響きをもって蒼い水面に溶けていく。
 内容はともかく、彼女が混沌に汚染される前ならばそれは、すばらしい生誕を祝う詩となったはずだろう。

「……でも髪は伸びたりしないんだね」
「死神代行や子供先生とは違うからな。どっちかというと海賊麦わらとか九尾の人柱力の類だし」
「なんだかよくわからないけどなんとなくわかった気がするよ」

 結局のところよくわかっていないらしい。

「それで、ヒトのふりはもう止めたんだ?」
「ああ。アンタが相手取るなら、形振り構っていられないようなんでな」

 この姿はあまり好きじゃないんだが、と“獣”は自嘲気味に苦笑して肩を竦める。脳裏に過ぎる金色の女の子の泣き顔が胸を締め付ける。

 ──彼女、フェイトはこの濁った金瞳を恐がっている。
 まあ無理もない。精神世界で、この眼をした自分と悲しい死闘を繰り広げたのだ。途中、遭遇した“母”の影──どうやら未来のヨメを自分の目で見てみたかったらしい。お茶目なひとである──の影響もあるのかもしれない。

 しかしなるほど、「ヒトのふりはもう止めた」とは言い得て妙だ。真理を突いている。
 たしかにこの姿は、“アル・シャイマール”の本性。真なるリミットブレイクとは正反対の方向に突き抜けた無限光の一つの到達点。いわゆる古代神モードである。

「さあ始めようじゃないか、殺し合いをさ」
「んん、よゆーそうだけど、わかってる? キミが全力で戦える環境ってことはさ、あたしだって気兼ねなく力を振るえるってことなんだよ?」
「ハッ、わからいでか。理由は知らないが、アンタが手を抜いてることなんざとっくのとうに見抜いているさ。それでも俺が勝つ、勝たなきゃならないんだ」
「ふぅん、自信満々だね。でも残念、キミじゃあたしには勝てないよ」

 赫耀と燃え上がる紅蓮の炎を金色の瞳に映して。
 狂気を孕んで深紅に光る二対の翼を広げて。

 “七罪”の魔王が半身になり、すうっと上げた左手の指を眼前の敵に突きつけ、宣言する。
 冥府の天使が自らの杖の鉾先にそっくりの飛翔体を背後の魔法陣から召喚し、周りに滞空させる。

 気が狂いそうなほどの濃密な魔力を垂れ流し、二柱の破壊神がその真価を遺憾なく発揮する。

「“冥刻王”──、アンタは俺が破壊する! 今、ここで!!」

「あはっ♪ さあ、やっちゃえ! あたしの愛し子よ!!」


 ここ名も無き水の惑星において、次元世界全体を揺るがす空前絶後の頂上決戦が始まろうとしていた。

 ────ハルマゲドンの蓋が今開く。



[8913] 第二十七話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/04/01 23:28
 












  第二十七話 「過神激突/イミテーション・ゴールド」













 音速の数十倍で空を切る黒のヒトガタ──攸夜と、それ以上の速さで追撃する自立機動砲台の群。鋭い尖端から次々に放たれたビームが、獲物を蜂の巣にしようと光の牢獄を創り出す。
 追い立てられる側もただ闇雲に逃げ惑うわけでは決してなく、ダイナミックかつアクロバティックな円運動を魅せ、初速と連射性に優れたスターライトの魔法を撃ち放つ。
 慣性の法則や、運動量保存の法則──様々な物理現象を無視した機動で繰り広げられる空中戦はもはや、人知の及ばぬ領域を越えていた。

「──シッ!」

 スパイクを展開し、突撃してくる飛翔体を身体を捻るようにして躱した攸夜は、両手に取り出した短剣を紅い火炎を纏わせて投擲、追いすがる飛翔体の二つ撃墜する。さらに投げ放った勢いをそのままに、長く柔軟な尾を鞭に見立てて三機まめて破壊した。

「えぇぇえい!!」

 そこに緋色の魔剣を携えて上空から落下するメイオルティス。大上段に構えたアルティシモ・レプリカが縦一文字で振り下ろされた。

「ぉらぁッ!」

 獄炎纏うアッパーカットがねじ込むようにして迎撃する。

「「──!!」」

 激突で発生した衝撃波が周囲の石塔を粉砕。一瞬、水面が空気の圧力で擂り鉢状に押し潰され、飽和した圧力に耐えきれず大量の海水が爆発的に吹き上がる。
 攸夜とメイオルティスを広がり包む水のカーテンは、さながら重力に逆らって昇り上がる大瀑布。打ち合った格好のまま海水の雨を被り、両者が停止した。

「やっぱデキるね、キミ!」
「まだまだァ!」
「!?」

 不意に刃を掴んだ攸夜は、そこから腕を機転にぐんっと軽業師のように横に振り上がり、メイオルティスの体重や腕力を利用した強烈な蹴りを繰り出す。

「うに゛ゃあああぁぁぁぁぁーーーっ!?」

 首筋を横殴りに刈り取られたメイオルティス。ドップラー効果付きの愉快な悲鳴を上げ、音速の壁を越えて地平の彼方へと真っ直ぐ水平にぶっ飛んでいく。

「はああああっ!」

 さらに攸夜は、両脇のアイン・ソフ・オウルからエネルギーを噴射、高度を上げながら創り出した三つの光輪が、メイオルティスの消えた方向に照準を合わさる。
 左の爪先に、紅黒く鈍い輝きが集まった。

「せいやあああああッッ!!」

 繰り出されたのは完璧なフォームの跳び蹴り──最大出力限界突破のエンシェントストライク。空間カタパルトと魔力収束装置を兼ねた光のリングを潜り抜けて得た亜光速の運動エネルギーを、今まさに体勢を立て直していたメイオルティスに容赦なく叩き込んだ。

「むぎゅっ」

 ────この惑星唯一の大陸に紅く輝く禍津の星が落ちた。


 流星は、第97管理外世界“地球”で言うところのユーラシア大陸とほぼ同等という広大な陸棚の中心に落着し、極大規模の魔力爆発を引き起こした。
 巻き上がる大量の土砂。最悪の視界の中で、攸夜は後方に飛び上がり、完璧なフォームの宙返りでメイオルティスが埋まっていると思われる場所から距離を取ると、流れるような動作で腰だめから両腕を突き出す。
 瞬時に描き出される三枚の魔法陣。
 発動するは、攸夜が最も得意とする天の光を司る極大閃光魔法──

「ディヴァインコロナッ!!」

 駄目押しとばかりに紅く光り輝く天壌の劫火を特大サイズで叩き込み、地形諸共辺りを滅却した。



「あいたたたた……。足癖悪いねぇ、キミ」

 瓦礫──というか岩山──を軽々と押しのけ、呑気に感想を言うメイオルティス。多少、衣装が汚れているようだが大きな外傷は見当たらない。せいぜい髪の毛がコントのように縮れているくらいである。それはそれで一大事だが。

「チッ、やっぱ失敗したか……。例の“絶対障壁”でも張られたか?」攸夜が吐き捨てる。
 文字通り地形を変える一撃を“足癖が悪い”で片づけられるのは少々心外なだったが、彼自身、通用するとも思っていなかったので心理的な動揺はなかった。

「モチーフにした技が悪かったな、こりゃ。トラの所為だなうん、トラが悪い」

 何気に酷いことを言う。

「一人で納得してるとこ悪いけど、次はあたしの番だよ! 風の力を借りて、“死竜暴風破”!」

 ひどく無邪気な調子でメイオルティスが杖を掲げる。
 彼女の背後に渦巻く濁った灰色の風が編み合わさり、生まれた荒れ狂う巨大な暴風の蛇が土煙や土砂を巻き込みながら攸夜を飲み込む。
 乱れ舞う真空の竜巻に囚われた攸夜が苛立ちを滲ませて叫ぶ。

「チィッ、鬱陶しい! こんなもので俺を止められるとでも!?」
「思ってないよ、所詮はかませ犬の風だもん」

 こちらもなかなかに手厳しい。

「あたしの本命はこっち!」

 新体操のバトンのように杖を振り回して円を切ると、メイオルティスは攸夜の背後にすぐさま転移、同様の動作で円をもう一つ描いた。
 その時ようやく攸夜が風の檻を力ずくで粉砕、脱出する。

 しかし、一手遅かった。

「1000000000000℃の火球と−1000000000000℃の冷気だよっ! 受けてみて!」

 不敵な宣言と共に前後の魔法陣から発生したのは、赤々と燃え盛るプラズマと青白く輝く極寒の氷塊。相克する二種類のエネルギーが今まさに挟み撃ちにしようと牙を剥いていた。
 まさしく前門の虎、後門の狼。双子の魔法陣が空間を歪めているのだろう、この布陣から簡単に抜け出せないことに気がつき、攸夜の顔色が変わる。

「“極大消滅”!!」

 キーワードを合図に幾何学模様から放たれた二条の光──魔法的にコーティングされ、封じられていた莫大な熱量と、絶対零度を越えた極寒の冷気が対象──攸夜──を挟んで正面衝突し、対消滅と空間崩壊を引き起こす。本来ならば対極である正負の極大エネルギーから、尋常ならざる破壊の奔流が生み出される。
 その名の通り、半径数千キロに渡って大地が“消滅”した。



 収まりつつある滅びの閃光を、上空より悠然と見下ろすメイオルティスの付近に、紅く光る球体が浮き上がってくる。
 恐らくは恒星の反対側へ着てしまったのだろう、いつの間にか空が真紅に染まっていた。

「…………色々混ざりすぎだろオイ」

 呆れたように言う攸夜の周りに張り巡らされているのは、紅黒い保護膜。通常のフィールドとは桁違いに濃密で分厚く堅牢なそれは、原子レベルまで抹消する“極大消滅”の渦中とあっても何ら損なうことなく主を十全に守護した。
 彼の魂に溶けた“母”の意志の残滓が力を貸してくれていたのかもしれない。

「ありゃりゃ。これでも倒しきれなかったか」
「ふん、たかが大陸破壊程度でやられるものかよ」

 両者ともに余裕綽々の様子で軽口を交わす。
 実際、攸夜は差してダメージを負っていない。せいぜい貯蔵した魔力の数パーセントを削られた程度。彼に言わせれば、「これくらい必要経費だ」と嘯くだろう。
 もっとも、古代神モードでなければ魂レベルまで消し炭になっていたことも否定できないが。


「チマチマやっていても時間の無駄だ、ギアを上げるぜ……」

 ゴッ、と魔力が吹き荒れる。
 マグマが噴出する大地は大きく裂け、抉りられたクレーターに流れ込んだ海水が渦を巻き、蒸発していく。
 さながら地獄絵図。世界の終わりとはこういった光景なのだろうか。

「オオオオオオオオッ!!」

 獣じみた砲哮を上げ、一瞬で肉薄。

「くっ、つぅ! ──あたし、ショートレンジは苦手なんだけど、なっ!」

 メイオルティスは怒濤の拳打連撃を上手く捌いている。小回りの利かない得物を一旦格納、両手両足でもって受け流して時折反撃まで繰り出す様は熟達そのもの。これには攸夜も、自分の距離でラッシュをかける目論見を早々に挫かれた格好だ。
 さすが古代神きっての武神、不得手な近接格闘も難なくこなすセンスは戦闘民族も吃驚である。

 千日手を悟った攸夜は刹那に決断、ハンマー状に握った両手で叩き落とした──メイオルティスは腕をクロスさせて防いだ──後、不本意ながら距離を測った。
 だからと言って戦闘行為が停止したわけではない。

 荒れ果てた地面スレスレで停止した黒衣の天使は、妖しい笑みを崩さない。
 ブン、と杖を振り、先ほどのものよりも小さな飛翔体を二つ喚びだして上空に放つ。高々と彼女の頭上に位置した飛翔体が周囲の魔力素を貪欲に貪り始める。

「“百倍”……──」

 対するは紅蓮の魔王。
 背を地面に向けるほど身体を捻り、腰だめに構えた両手の中に紅黒い光球が集束。鈍い閃光が指の隙間から漏れ出すと、光球が徐々に大きくなる。
 飛翔体から魔力をたらふく孕んだ稲妻が掲げた杖の先に落ちると、メイオルティスはそれを天に輝く満月──攸夜に差し向けた。

(──来るか!)

 攸夜は、手の中に収まりきれないまでに膨れ上がったエネルギー塊を押し出す。

「行くよ! “幻月の皇帝”!!」
「リブレイド!!」

 掛け声とともに、二人が同時に魔法を解き放った。
 真正面から激突した破壊光線のパワーは完全に拮抗している。
 険しい顔で魔力を込め続ける攸夜の胸中を、激しい焦燥の炎が焦す。

(ごめんフェイト、君を助けに行けそうにない……。──どうか、どうか無事でいてくれ……!)

 凶光が弾けた。



 □■□■□■




「ぁ……、ぁ、ああ、あぁ……」

 力なくへたり込み、フェイトはカタカタと小さく震えていた。
 当惑?
 狼狽?
 拒絶?
 恐怖?
 ──フェイトの心中はぐちゃぐちゃで。
 立つことも、まともな声を上げることもできず、ただ無力な子どものように呆けることしかできなかった。

 冷徹な血みどろの瞳でその様子を見下す漆黒の魔女──アリシアが、嫌悪感や不快感を隠そうともせずに顔をしかめる。

「お前、なんなの?」
「ぇ……?」

 凍て付く声と視線がフェイトを射抜く。

「そうやって泣きわめけば誰かが助けてくれる……いいよね、お前は。甘やかしてくれるおともだちや、守ってくれる男がいるんだもの。
 ──お前は満たされて、世界に愛されてる……紛い物の、ニセモノのくせにッ!」

 嫉妬と。
 憎悪と。
 敵意と。
 純粋な──どこまでも黒い感情にさらされたフェイトの心のトラウマを刺激し、抉り出す。
 周囲に庇われ、護られてきた彼女に、自分だけに向けられた冥い呪詛に抗う術はない。
 ガタガタと震えて絶句したフェイトの姿がアリシアの神経を殊更に逆撫でる。

「わたしは……、わたしはそれが許せない! ママを見捨てたお前が、それなのに幸せそうな顔をしてのうのうと生きてるお前がッ!!
 ──ママのことを忘れて、ニコニコ笑ってられるお前がッッ!!」

 ──それらはすべて、フェイトの心の奥底の、どこか昏いところでずっと、わだかまっていたことだから。

 噴出するアリシアの激情を喰らい、スカーレットの鎌──カースドウェポン“ジブリール”が不気味に蠢いて変質する。
 刀身に不気味な瞳が幾つもの浮いた両刃の両手剣。イビツで歪んだカタチは、持ち主の有り様をそのまま映し取っていた。

「ちが……、違うっ! 私は、わたし、は……!」

 唐突に、フェイトの呼吸が不規則に乱れる。目眩と手足の痺れ、そして過呼吸──典型的な精神性の過換気症候群の症状だ。
 動悸を起こす胸元を──黄金の宝石を──押さえ、俯せで倒れ伏すフェイト。取り落とし、床に投げ出されたバルディッシュがAIユニットを明滅させる。

「……なに、それ……。
 情けない、情けないっ、情けない!! ──それでもお前、ママの娘なの!?」

 怒声を上げ、激昂したアリシアは、引きつけを起こす自分の複製品を激しく睨み付ける。
 見上げているようで焦点の合わない真紅の瞳からは、すでに意志の光が消えかけている。呼吸困難で、意識が朦朧としているのだろう。

「もういい……、目障りだ。──所詮、お前はイミテーション……人形にもなれない出来損ないは、消えろ!!」

 ありったけの憎悪と殺意をぶつけるように。
 断罪の深紅が振り下ろされた。



[8913] 第二十七話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/04/08 23:46
 


 深紅の魔剣と金色の乙女の間を裂くように純白の影が走る。

「っっ!! 白い盾……!?」

 突如として来襲した七枚の飛翔体に追い立てられ、アリシアはその場から大きく後退した。
「──ゅ……、ゃ……?」おぼろげな視界に、慣れ親しんだ真白の光を映して。フェイトが掠れた声で“彼”に助けを求める。

 コツ、コツ──男性にしては軽やかすぎる靴音が辺りに響いた。

「──期待を裏切ってすまぬな。我が弟は今手が放せぬ故、代わりに参った」

 ピンヒールの音も高らかに。
 豪華絢爛な紅い宮廷ドレスを纏う淑女が、倒れ伏したフェイトの側に優雅に歩み寄る。
 無防備に晒した背中を守る七枚の“羽根”を警戒して、アリシアは動けない。

「……ぁ…………」
「もうよい。しばし休め」

 語調こそ尊大だが、言葉の端々には確かに労るような暖かさが込められていて。
 自分と同じ美しい黄金の髪を優しくひと撫ですると、彼女は淑やかな所作で立ち上がる。優雅な仕草で開いた扇を口元を隠し、冷徹な銀色の双眸に威厳という名の光を宿す。さきほどの慈愛溢れる慈母じみた様はどこにもない。

「──ルー・サイファー、“金色の魔王”……!!」

 露骨な警戒感を露わにするアリシアには目もくれない乱入者──ルーは、俯せたフェイトの影を静かに見下ろす。

「……抑えよ。憤激するのはわからぬでもないが、そちが出るには些か時分が早い」

 切り札とは可能な限り秘すものぞ、とあたかも誰かに語りかけるように言の葉を綴る。
 事実、それに応えたかのように平面であるはずの“影”が、ざらりと一つ揺らめいた。

「意味のわからないことをごちゃごちゃと! わたしを無視するな!」
「……ふむ? 其の方、おったのか。余りに矮小で見えなんだわ」
「なっ、馬鹿にしているのか!」
「我は事実を言ったまでだ。──なるほど、どこぞの駄神に導かれ、冥府より舞い戻ったと見える。まったくご苦労な事よな」

 今し方、気づいたばかりと言わんばかりに振る舞うルーの挑発にアリシアが激発する。さっそく精神的優位を握りにいっているあたり、明らかに役者が違う。
 と、いつの間にか無言で傍らに控えていた褐色の肌のメイド──“誘惑者”エイミーが、意識を失ったフェイトを恭しく抱き抱えた。
 おそらくも何も、気絶した彼女を逃がそうとする意図は明らか。それを見て取り、逃がしはしないとアリシアが大剣片手に躍り掛かるが、アイン・ソフ・オウルが突撃して機先を制した。

「そうはいかぬ、と言っておこう」
「くっ、邪魔するな!」
「あまりいきり立つでない、見苦しいぞ。その金切り声はいちいち五月蝿くてかなわぬ」

 不愉快そうに眉間に皺を寄せ、嘆息する。その間にエイミーは綺麗に一礼すると、フェイトを連れて転移、無事に戦域からの離脱を果たした。
 後一歩のところで仇敵を取り逃したことに苛立ち、舌打ちするアリシアの血みどろの瞳はギラギラと剣呑な光を帯び、瞳孔が完全に開いていた。

「まったく……優雅さの欠片もない奴よ。まるで野良犬のようよな、小娘よ」
「うるさい! 関係ない奴がしゃしゃり出てくるな!」
「関係がないだと? 馬鹿なことを申すでない。我はあの娘を気に入っておるのだ。そちにどのような主張があるかは知らぬし興味もないが、そのような些末事であれほどの“逸品”をみすみす殺させる訳にはいかぬ」

 アリシアの痛ましいほどの憎悪を“些末事”と切って捨て、ルーはその絢爛なブロンドを優雅に揺らしてみせた。

 美の女神に愛されたかのような容姿、司法の番人を務められるだけの知性、品行方正で穏やかな性格、無限の可能性に満ちた奇才、有り余る魂の輝き──どこを取っても文句の出しようのない器量は、自らの弟にして分身のパートナーとなるに十全と思えた。ルーの類い希なる審美眼に適う人間の娘など、ありとあらゆる“世界”を見回しても二人といないだろう。
 ──他の魔王の多くがそうであるように、ルー・サイファーもまた極度のナルシストである。
 裏界の存続と繁栄を願うのも、攸夜を弟として愛でるのも、結局のところナルシシズムから発生した自己愛の延長線上でしかない。故に、だからこそ彼女は、フェイトのことを本当に心から認めているのだ。

「アレはこの“世界”と同じく我が弟の所有物。その身、その心、その才、その命運の全ては“王”に捧げられしもの。生命を奪う事も、慈しむ事も、傷つける事も、愛おしむ事も──、所有者が自由に弄ぶ権利を持つのは道理であろう?
 ……そして、それを侵すことは万死に値する。我が直々に裁きをくれてやろう」

 自らの言葉を疑いもせず、厳かに振りかざす傲慢な魔王の道理。ここ最近めっきり丸くなってきた感のある彼女も、やはりヒトとは全く違う観点・価値観の中で生きる人外だった。

「──ッッ!!」

 全身から紅黒い瘴気を滾らせ、犬歯を剥き出しにしたアリシアは、自分の身長を超える長大な剣を片手で軽々と扱って肩に担ぐ。重心を必要以上に下げ、空いた右手を地面に突いた構えは四足獣のよう。
 魔王の傲岸不遜極まりない言動が純粋に不愉快なのか、あるいは自分と同じ姿のフェイトを物扱いにする言動が許せないのか。濁った瞳からは、“世界”全てに対する憎しみしか浮かんでこない。

「わたしの邪魔をするなら、誰であろうと倒すッ!」

「フ、小娘が大言を吐きよるわ」

 パチンと畳んだ扇の音を皮切りに、アイン・ソフ・オウルが主の前方に展開。埋め込まれた七つの紅い宝玉が輝き、装甲に刻まれた流動ラインの光が紅の結晶体の中で明滅する。

「ならば受けよ! 我が無限光の洗礼を!!」

 一斉に尖端をアリシアに合わせた無限光から紅黒い七つの光条が放たれた。




 □■□■□■




 仄暗く、湿ったトンネルを淡い魔法の光が照らしている。
 微かに聞こえる水音がどこか不気味だ。
 優れた魔導科学技術の結晶、超近代都市であるクラナガンの地下に、蜘蛛の巣のように張り巡らされた上下水道──そのうち、現在は使われていない下水道をティアナたちは進んでいた。

「ううー……、ティア〜、なんか変な臭いがするよー」
「我慢しなさいっての。下水道なんだからしょうがないでしょう。てか、バリアジャケットでカットしてるじゃない」

 呆れたようにティアナが言う。
 時空管理局のバリアジャケットの術式には、毒ガスなどに対抗する空気清浄機能がデフォルトで組み込まれている。自己流であるならまだしも、正式仕様を用いているのだから生活排水の悪臭など柳に風のはずなのだが。

「そこはそれ、気分の問題だよー」

 スバルの返答に、ズルッとすっ転んだ(実際にはこけていないが)一同。

「スバル、アンタって子は……」
「あはは。まあまあティアナさん、スバルさんは場を和ませようとしてくれてるんですよ」

 脳天気な物言いに頭を抱えるティアナを、エリオが苦笑気味に宥める。いろいろな意味でフォローに必死だ。

「まあでも、できるだけ早く抜けた方がいいですよね。……フリード、本気で辛いみたいだし」
「きゅるるる〜」

 異臭に耐えられず、飼い主の帽子の中に引っ込んでいたフリードリヒが力なく同意の声を上げる。
 アタッシュケースを抱えたキャロがポンポンと帽子を叩いて慰めていた。

 そもそも、ロストロギア「ジュエルシード」輸送任務中の彼女らがこのようなところにいるのには訳がある。
 現在、首都全域には強力なジャミングがかかっており、念話や電波通信が完全に使用できない事態に陥っている。そのため、首都に展開中の各部隊は個々の判断で“冥魔”と戦っている有様だ。
 そのため、ティアナたちは混沌甚だしい地上を避けて──さらに付け加えるなら追跡者の目を眩ますため──、地下道を進んでいるのである。
 コソコソとドブネズミのように逃げ回るのはいささか情けないが、致し方ない。ユニゾンデバイス付きのSランク魔導師──一人は手練れのベルカ騎士──二人組との戦闘など、もはや正気の沙汰ではないのだから。
 さらに、何らかの方法でデータベース上よりも遥かに強化されている、という未確認情報まである。
 何か思うところのあるらしいエリオは若干渋っていたものの、キャロが実力行使で黙らせていた。さっそく尻に敷かれているようだ。

 なお、幸いにも先導役を勤めていたリインフォースⅡのデバイス“蒼天の書”にクラナガン周辺の地形の最新データがあったため、特に迷うこともなくスムーズに進めてる。ティアナは、高性能デバイスにはそういう使い方もあるのか、と大いに感心した。
 ちなみに、フェイトは簡易型のストレージデバイス──いわゆるUSBメモリ型──を所持しており、執務官の用事に使う各種データや普段は使わない変身魔法などの術式を納めることでバルディッシュの容量を節約している。「デキる魔導師の“常識”だ」とは彼女の兄のお言葉。

「地図によると、もうちょっとで本部近くの河川に出るです。あとすこしですよー、みなさんっ」
「あっ! ティア、出口が見え──」

 先頭を行くスバルが不意に立ち止まり、言葉を詰まらせる。
 一同の視線の先、逆光差し込むトンネルの出口に佇む大小の人影。

「手間をかけさせる」
「追いかけっこはもう終わりだぜっ」

 行く手を阻むように、ゆらり、と闘気をたぎらせる鋼の武人と姦しく騒ぐユニゾンデバイスの小女。少し後ろに陰気な召喚師の少女の姿も見える。
 咄嗟にストラーダを構え、エリオが女性陣を庇うように前に出た。なかなかに男らしい。

「っ! 全員戻るわよ!」
「無理ですティアさん、囲まれてます」
「なんですって!?」

 キャロの端的な報告に振り向いたティアナが、うげ、と表情を歪ませる。言ったキャロやスバル、リインフォースⅡも同様で、向こうの女性陣もなにやら苦い顔をしていた。
 退路を塞いでいたのは大小数体のスライム。どこから集まってきたのか、狭い通路一杯に犇めき合ってぬるぬるウネウネと不気味に蠢いている。
 この、見ているだけで正気が削られそうな“冥魔”と相対するのは正直避けたかった。主に生理的嫌悪的な意味で。

 背後の“冥魔”が足止めの手段かと思うと、ティアナの胸中には強い焦りが生まれる。

(やられた……! こっちの逃走ルート、完全に読まれてた!)

「せっかく仕掛けた罠がムダになっちゃったわ」
「地下を進むとは悪くない考えだ。しかし、本部へ隠密に辿り着こうとするならば出口はここしかあり得ん」
「……ふん、ご高説どうもありがとう」

 太い声の説明に納得を感じ、悔しさを押し隠して精一杯の強がりを返す。
 この男、ゼスト・グランガイツは元管理局地上本部所属の捜査官だという。第一線で活躍していたならば、クラナガンの地形を詳しく把握していたとしてもおかしくはない。むしろ熟知していて当然だろう。

 甘かった──
 カリ、と神経質そうに親指の爪を噛むティアナ。悠々自適の逃走計画が一転、自ら燃え盛る火に飛び込んだ愚かな羽虫の状態である。不測の事態に弱く、動揺を露呈する彼女の頭を冷やしたのは僚友たちの場違いな会話だった。

「……まともに戦うとけっこう手こずるんですよね、あの“冥魔”って」
「そうだよねぇ。スライムってゲームとかだと弱いモンスターの代名詞なのにね」
「んー、でもスバルさん、古〜いのだとスライムって強い敵なんですよ?」
「へぇ〜」
「詳しいですね、リイン曹長」
「じつははやてちゃんのウケウリなんですぅ」

 なるほどー、と納得の声。
「この子たちは……」とティアナが頭を抱える。

「こうなったらやるっきゃない、だね、ティア!」
「はぁ……ったく、機動六課がこんなにハードな職場だったってこと、数ヶ月前の自分に教えてあげたいわ」

 やる気満々、拳を固めるスバルに応え、ぼやきながらツインモードのクロスミラージュの銃口を突き付けるティアナ。エリオとキャロもそれぞれ得物を構えて準備万端な様子だ。

「雪辱戦です! 行こっ、エリオ君!」
「……うん!」

 四人のヒーロー候補生たちが覚悟を決め、絶体絶命の危機に立ち向かう──



[8913] 第二十七話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/04/15 23:15
 


「でりゃああああっ!!」

 裂帛の気合いが轟く。
 スバルがマッハキャリバーの速度を乗せた右ストレートを繰り出す。高速回転したタービンが渦を巻き、空気ごと拳をねじ込んだ。

「ぬぅん!」

 迎え撃つはゼストの剛槍。
 堅く握った拳と鈍く光る刃が真正面から打ち合い、オレンジ色の火花が咲く。
 足下に流れる水が衝撃で四方に弾け飛んだ。

 戦場は地上本部にほど近い川幅二百メートルほどの名もない中型河川。あまり清潔とは言い難い、深さ三十センチの流れ緩やかな川である。

「リボルバーナックルにシューティングアーツ……、クイントの娘か」
「!? お母さんを知って……!?」

 不意に亡くなった母の名前を出され、動揺を見せたスバル。予想外のことに青い瞳が大いに揺れ動くが、ゼストは何も答えず無言のまま剛槍を振り抜いた。

「きゃあっ」
「スバルさん!」

 鍛え抜かれた剛腕による一撃に、たまらず女性らしい悲鳴を上げ吹き飛んだスバルを後ろに入ったエリオが受け止める。
 そんなあからさまな隙を見逃しはしないゼストが追撃にかかるが、召喚された“冥魔”を相手取っていたティアナのクロスミラージュが火を噴き、足元に盛大な水しぶきを上げて阻止。撃つ際に、まるで見もしなかった本人は、対峙した無機質の人型──闇の騎士──に見事な右上段回し蹴りをお見舞いしていた。

「いい加減落ちろ、バッテンちび!」「ち、ちびっ……!? エルフィには、はやてちゃんがつけてくれた“リインフォースⅡ”って名前があるです!」「るせぇ! ごちゃごちゃした名前しやがって!」「ムチャクチャな因縁ですっ!」

 その頭上ではリインフォースⅡとアギトが氷柱と火球を交わし、低レベルな言い争いを繰り広げている。
 そしてキャロは頭上に剣槍斧戟──無数の武具を招来し、周囲の有象無象を串刺しにしていた。

「大丈夫ですか?」
「な、なんとか……」

 ざぶ、と川をかき分けてスバルは立ち上がり、油断も隙もなく槍を携える敵対者を見据えた。

(この人、強い……!)

 鋭い眼光に負けないよう真っ直ぐ見返し、小さく歯噛みする。
 四人がかりでかれこれ十分ほど戦っているにも関わらず、この窮地を突破する活路が見えない。さらに召喚魔法で“冥魔”が次々に湧いて出るとなればもう、笑うしかないだろう。
 予定外の援軍を期待する、というのはいささか甘い考えだ、とスバルは考える。恐らく無二の親友も同じ考えのはずだ。
 確かにここは本部の目と鼻の先だが、他の部隊はいつものように“冥魔”に掛かり切り。少なくとも、頼りになる一級線の部隊は皆出払っているだろう。
 そんな中、唯一助力を期待できるのが実の姉であるギンガとナンバーズの面々。通信妨害の影響が続いているとはいえ、地上に出たことでこちらに気づいてくれる可能性は大幅に増えている。
 こうした理由で時間の経過は自分たちに味方するが、いつ来るとも知れない援軍を待たざるを得ない状況は、スバルに焦燥感を募らせるばかりだった。

 ──普段、脳天気さだとか直情径行が目立つスバルだが、こうして状況を見極める冷静さも持ち合わせている。伊達に訓練校を首席で卒業してはいない。

 さておき、この歴戦の騎士を打倒するのは現状不可能である。勝てる見込みがまるでなく、さりとて逃げることも困難で。

「僕が行きます!」
「あ、ちょっと!」

 だからだろう。
 エリオがスバルの制止を振り切り、自分の身長の二倍以上はある大男に立ち向かうのは。
 前回の交戦時とは違ってある程度冷静さを保っている様子だが、やはりどこか気負いや焦り──不安定な危うさがエリオには感じられた。

「ストラーダ!」

 駆けながらデバイスに指示。内蔵された魔導機関が産み出す魔力が、鉾先下部に備わった噴射口を通って前進する運動エネルギーへと変換された。
 青白いアフターバーナーを噴かせて青き雷が突貫する。

「やああああッッ!!」
「──!!」

 迎撃の薙ぎ払いに弾き飛ばされたエリオは、くるりと体勢を入れ替えると周囲の壁を足場に再度突撃をかけた。

「あなたは!」
「……」
「あなたは管理局の、平和を守る騎士だったんでしょう? なのにどうして!」

 剛風伴う斬撃を潜り抜けるその速度は雷、放電を繰り返す一筋の稲妻。鋭く、迅く、愚直なまでの突きを繰り出していく。
 鍛錬の賜物だろう、前回と比べれば幾らか抵抗できていた。無論、ゼストが手心を加えていたのは変わりないが──

「黙ってないで、答えてください!」
「語る舌を持たん!」
「ぐ──、ううぅっ!?」

 斬り返しからの石突をまともに腹に受け、くの字に身体を折り曲げて吹っ飛ぶエリオ。その影から、タイミングを計っていたスバルの拳打が飛び出した。
 咄嗟に持ち手の部分にぶつかって、砲撃じみた打撃音が空気を振るわせる。
 一合した後、スバルは深追いはせず、マッハキャリバーを逆回転させて回避距離を取る。エリオが体勢を立て直す時間を作りたかったのだ。
 背後で立ち上がる気配を感じ、肩口から軽く振り返った。

「エリオ! 一人じゃ勝てないよ? 協力しなきゃ!」
「……すみません」

 濡れ鼠の少年は、素直に過ちを認める。スバルのわずかに見えた表情に真摯な心配を感じ取ったから。

 一方、

「……きて」
「召喚!? これ以上させない!」

 召喚魔法に伴う独特の“ゆらぎ”をいち早く感じとったキャロは、ジュエルシードの入ったアタッシュケースを片手に猛然と駆け出した。
 裏界魔王の加護を織り込まれた外套の後押しもあり、少女は流れる川の水面を切り分けて疾風の如く召喚主に迫る。
「邪魔です!」横合いから庇い立てするリビングメイルの鼻面に右手のケースを鈍器代わりで叩き込み、彼女の疾駆は止まらない。

「──覚悟!」

 桃色の風が紫紺の影の喉笛に喰らいつく、刹那──ずあ、と水中からスライムが壁のように立ちはだかり、キャロは思わず蹈鞴を踏んだ。

「しまった……!」

 ──その言葉は誰のものだったのだろう。
 天に完成した六芒星の幾何学的な魔法陣ゲートから、空を覆い尽くさんばかりの“冥魔”が現れる。その全長、一千メートルあまり。

「うっわ、でっか!?」
「はわわ……危険度レベル7、“闇妖虫”の成体ですぅ!!」

 アギトと交戦していたリインフォースⅡが思わず氷柱を投擲する手を取め、巨大な異様に恐れ慄く。
 巨大でグロテスクな蛾──そうとしか形容できない異形の魔蟲。極彩色の鱗粉をまき散らし、羽撃く様は吐き気を催す。
 総じて“冥魔”は生理的・根本的に嫌悪感を覚える見た目だが、これは極めつけだ。

「ここに来てこんな大物……!?」
「これは、本格的にマズいかも……」

 頭上で奇怪な巨体を見上げた一同の表情には一様に絶望が浮かぶ。諦めという闇が、心を蝕み──

 刹那、視界の後方から魔力とはどこか違う質のエネルギーが野太い光線を描いて闇妖虫の頭部を捉えた。
 爆発。
 巨体が揺らぐ。
 次いで、同じ方向より飛来したドリルのように高速で捻れる紫色の激烈な渦が巨体の中心に突き刺さった。
 さらなる爆発。
 巨体が完全に空を仰ぐ。
 貫通こそしなかったが、光の渦をまともに受けた闇妖虫がその圧倒的な運動エネルギーに押し出され、背後にあった橋を崩しつつ墜落した。

「「「っ!?」」」

 推定一万五千トンの巨体が落ちた影響で、軽い地鳴りと地震が発生する。ざあっ、と墜落の衝撃で下流の方から逆流する川の水。
 と同時に上空から針らしきものが降ってきて、水中に潜ると次々に爆発。豪勢な水柱が次々に立ち上がる。

「なに? 今度はなんなのよっ!?」

 不測の事態に弱いティアナが涙目で声を上げる。

「──騎兵隊の参上っス!」

 その疑問に応えたのは、上空からの陽気な声だ。
 空中を軽やかに滑るフライボードからグレーのコートを翻す銀髪の少女が、ゼストからスバルたちを庇う位置に降り立った。
 さらに上空を紫色の光の道が走り、二人の人影が次々に降下する。

「食らいやがれッ!!」

 先に落ちた人影は、正座のような体制で両足に装着されたタービンを回転させ、“冥魔”を強襲。落下速度と体重を乗せた重い爆撃が無機質の兵士を圧殺する。

「退がってノーヴェ! はああああっ、ガトリングッ!」

 声に合わせてその場から跳び下がった最初の影──ノーヴェと入れ違いに、紫の戦装束を纏った藍色の髪の女性──ギンガが、左のモノケロスギムレットを水面に向けて突き出す。
 高速回転する衝角から発生した特殊な振動数を持つ魔力の波が、有象無象を瞬く間に蹴散らした。

「スバルっ、ケガはない?」
「はっ、ずいぶん苦戦してたみたいじゃないか」
「ギン姉! それに、えーっと……」

 心から妹を気遣う姉と、その妹を皮肉げにからかう赤毛の拳士。見事なコンビネーションで機先を制してみせた二人は、油断なく前方を見据えている。

「九番さん??」
「ノーヴェだっ!」

 飛び出した天然ボケに思わずいきり立って言い返すノーヴェ。

「遅れてごめんなさい、でももう大丈夫よ」

 青筋を立てる部下をスルーし、ギンガは妹とその僚友たちに労いの柔らかな笑みを向けた。

「チンク、か……」
「ゼスト、どうか投降してほしい……。私は、またあなたの命を奪いたくはない」

 形勢の逆転を理解したゼストの呟きに、どこか憂いを帯びた銀髪隻眼の少女──チンクが漏らしたただならぬ発言で場が凍る。

「……」

 ゼストは返答を返す代わりに、自らの裡に巣くう“モノ”を静かに解き放った。
 ぞろり、と地面から吹き出した紅黒い瘴気が男に纏わりつく。

「ゼスト!?」
「旦那っ、その力は使っちゃダメだ!!」

 アギトが目を見開いて悲鳴を上げる。
「グッ……」押し殺す苦痛を贄にするかのように、槍を携えた右手を結晶状の無機質が覆っていく。

「ゼスト、その姿は……!」
「そうだ、俺はもう“死体”ですらない。唾棄すべき外道の走狗に成り果てた“化け物”──過去に戻ることなど、もはや叶わん」

 不気味な無機物が右腕全体を覆い尽くすその姿は“闇の落とし子”──そう呼ばれる存在そのものだった。

「……ティアさん、これから私、使い物にならなくなると思うのであとはよろしくお願いします」
「はいぃ!? ちょ、アンタ、なに勝手に!」
「召喚には召喚です!」

 カッ、と見開く円らな双眸。
 お説教覚悟でリミッターを解除しておいたケリュケイオンが魔導機関をフルドライブさせて魔力を捻出する。
 足下の川底、閃く七芒星の魔法陣。桃色の光が湖面に映る。

「来れ四柱! 以下省略っ!!」

 あまりにもあんまりな詠唱に、雷速で練り上げた莫大な魔力を乗せて。様式やら手順やら用法やらを全て蹴っ飛ばし、最速最短の召喚式を高らかにあげる。
 ひときわ魔力光が輝き、異界の神秘が結実した。

「……何という適当な祝詞で喚んでくれたのだ、娘よ」

 ふわりと羽衣をたゆわせて、呆れ顔で嘆息する天女が背後に。

「ははは。我らを一度に喚び寄せるとは恐れ入った。さすが“裏界皇子”の一番弟子であるな」

 愛剣をフェンシングスタイルで構え、ご満悦な様子の銃士が左手に。

「まぁ、概ね同意だけど。そんな詠唱でのこのこやってきた私たちって、どうかと思うわ」

 弓を片手に、自らの存在価値を考えて頭を抱える弓兵が右手に。

「そんなのどうでもいいけんっ! 早くアイツと戦うんじゃ!」

 好戦的に犬歯を剥き出し、ぴくぴく犬耳を震わせる傭兵が前方に現出する。
 侵魔召喚を初めて目の当たりにしたギンガたちに動揺が走った。

 “風雷神”フールー・ムールー、“魔騎士”エリィ・コルトン、“狩人”レライキア・バキア、“狼の王”マルコ──何れも裏界に名だたる魔王の御光臨である。

「っぅ……、やっぱり、一斉召喚と四人の維持は、つらいです、ね……」

 魔力を根こそぎ搾り取られるような感覚にキャロが弱音を漏らす。しかし膝を突くような軟弱な真似だけはしなかった。

「──さあみなさん、やっちゃいましょうっ!」



[8913] 第二十七話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/04/22 23:16
 


 溶岩が噴火し、海原が割れ、大地が隆起する。
 舞い上がった大量の灰がカーテンとなって夜空を覆い隠し、摩擦で発生した静電気が青白い稲妻を奔らせる。
 ──神々の戦争の決着は未だ、見えてこない。


 何度目の攻防だろうか。
 攸夜の繰り出す拳打──亜光速の連撃六百六十六発目がメイオルティスの防御をするりと乗り越え、彼女の脇腹辺りに深々と突き刺さる。肉と骨とを粉砕する生々しい手応え。
 衣服状の障壁──バリアジャケットと基本的には同じ原理のものだ──を衝撃が貫き、仮初めの肉を抉り取られたメイオルティスはくの字に身体を折り曲げながらも、右手に現出させた魔剣ですくい上げるようなカウンターを放つ。
 咄嗟に半身になるが避けきれなかった攸夜の右腕が、二の腕の辺りから綺麗に斬り飛ばされた。
 が、彼は意に介さず、抜群の身体操作でもって不安定な体勢から前蹴りを打ち出す。強かに蹴り落とされたメイオルティスは急速に地面へと衝突し、何度もバウンドしながら転がる。時折岩山などを粉砕しつつ、ついにはマグマ溜まりに沈没する。

 その付近に音もなく攸夜が地に降り立つと、赤々と燃え滾る溶岩が盛り上がって真紅の翼が姿を現した。

「ふぅ。ちょっとびっくりしちゃった♪」
「…………」

 再び相対する両者の損傷はすでに跡形もなくなっていた。
 その現象は治療というよりは修復、再生ではなく否定。有り余る“プラーナ”を解放し、「肉体の損傷」という現実を力付くで塗り潰す神の御業だ。
 所詮、外傷など古代神にとっては飾りでしかない。この次元ステージの戦いでは、魔力を削り、“プラーナ”を削り、そしてその奥に秘められた“本体”──核心の部分を破壊することが戦いの本質となるのだ。

「……いい加減、しつこいな」
「それはお互い様じゃん? にしてもずいぶんとがんばるね。そんなに“ここ”が大事かな」
「ああ、大事だとも。だから、この“世界”に俺以外の理不尽は必要ない。ヒトであろうとカミであろうと、な」

 悠然と腕を組み、尊大に放言する攸夜にはどこか王者の風格すら漂っていた。
 傲慢にして不遜。その傍若無人な在り方は、正しく魔王の血脈と絶大なカリスマを受け継ぐ証であった。

「ほえ? もしかしてキミ、“唯一神”になるって言いたいの? あははっ、そんな幻想みたいなことを真顔で言うひと、はじめてみたよっ☆」

 心底おかしそうに声を上げるメイオルティスを、攸夜は無感動な様子で「何とでも言え」とすげなくあしらう。

「──じゃあさ、あたしたちに協力してみない?」
「……なんだと?」

 脈絡の欠けた提案が理解に及ばず、顔をしかめて訝しむ攸夜。にたり、と愛らしい顔かんばせを妖艶に歪ませ、メイオルティスが甘い誘惑を囁く。

「キミも“冥魔王”になってさ、ぜんーぶ壊しちゃおうよ。そしたら“唯一無二”にもなれるじゃん? シャイマールであるキミなら、その資格があると思うな」

 勧誘、だろうか。
 依然、こぼれる朗らかな笑みの底にあるものは計り知れない。またぞろよからぬことを企んでいるのか、あるいは単なる天然か──
 が、考えるまでもない。攸夜の答えは最初から一つだ。

「断る。テイクは好きだがギブは大嫌いなんでね。それに言っただろう? 俺は、俺以外の理不尽を認めない。だからアンタたちの存在は、不要だ」
「ん〜、交渉決裂かなっ☆」

 軽やかに杖を一振り。
 足元──不気味に泡立つマグマの海──に魔法陣が輝く。

「じゃあやっぱりキミは抹殺だね♪」
「っ!」

 弾ける魔力光。
 一瞬のうちに発生した紅い刃状の弾幕が攸夜に殺到する。

「死ぬがいい!」

 次元断裂を引き起こす斬撃による360度──アリの抜け出る隙間もない全周囲絶対包囲攻撃、それが一挙に押し寄せる様は絶望的としか形容の仕方がない。
 音もなく切り裂かれる空間。何重にも裂断し、歪曲した次元の裂け目から名状しがたい色合いを見せる虚数世界が広がっていた。

「嘆き、苦しめ! そして自らの無力さを呪え! これぞ鮮血の結末!!」

 土煙を巻き上げる斬断の弾幕が織りなす理解不可能なまでに歪んだ空間は、常人の正気を削る。
 その狂気的な光景を見下ろしたかわいい冥魔王は、キャラが崩れるほどの絶好調で相好を染めた。

「アハ、アハ、アハハハハハハハハ、アーハハハハハハハハッ!! ──うっとうしい“夢幻神”の横やりがないとすがすがしいね! やっぱり楽しいよねぇ、こうやって全力全壊で戦えるのって!」

「──間違いもお約束だなァ、オイ!」

 気が狂ったような──事実、彼女は狂っている──哄笑が響く中、攸夜が土煙と歪曲空間を文字通り切り裂いて姿を現す。踏み込みで足場の地面を爆砕して、瞬く間にメイオルティスに肉薄した。
 大きく振り抜かれた左の爪撃が次元を引き裂く。激突の余波で海水が一瞬にして蒸発し、大地がめくれあがる。

「あははっ、そうこなくっちゃね☆」
「オオオオ――ッ!!」

 焼け、爆ぜ、弾け、砕けていく惑星の生命──、それを引き起こすのは全身を武器に哮る漆黒の大蛇。地上戦は完全に攸夜の独壇場だった。

 両手の爪甲を振るいながら攸夜は考える。
 メイオルティスが思いの外接近戦にも強かったことにはいささか驚かせられもしたが、適性の差で僅かに押し込めている。魔法戦ならいざ知らず、このまま殴り合いを続ければいずれは押し切れるかもしれない──

(……っと、我ながら馬鹿げたことを。アレがこの程度のはずがないだろうに)

 都合のいい希望的観測を打ち消した。
 天を裂き、地を砕くこの戦いなど前哨戦、児戯に等しい。自分もそうだが、メイオルティスの方とて本気の一割も晒してはいないだろう。
 あくまでも惑星の重力圏内に収まる程度の力を振るうのみ。星々を砕く神々の戦いはまだ始まっていないのだから。

(たがどうする? “古代神化”でこちらの出力が上がったとしても、絶対的な格の差でヤツの“神聖魔法”に勝てないことは明白。かと言って決定打の欠けた殴り合いでは威力が足りず千日手。その上、例の能力もある)

 ──“冥刻王”の代名詞、限定的な時間逆行によるダメージキャンセル能力は見たところ使われた様子がない。
 今までの戦闘で確実に損傷を与えられているはずだが、どうやらギリギリまで取っておくつもりらしい。特殊な魔法具のサポートがなしでも一度や二度くらいなら問題なく発動できるはずだ。
 故に、後一息のところから振り出しに戻される可能性を警戒しておかなければならない。

(逃げと防御に徹して、スタミナ勝負に引きずり込めばこちらに分があるが──)

 “蠅の女王”ほどではないにしろ攸夜も体力としぶとさには自信がある。特にその強健さは異様だ、異様に堅い。
 対してメイオルティスは完璧無敵とも言える“絶対防御結界”を備えるが現し身であり、内封したエネルギーの総量は攸夜とは比べものにならないほど小さい。時間をかければじきに息切れすることとなるだろう。
 かなり消極的な作戦であるが勝算はあると思われた。

(──いいや、無理だな)

 しかし攸夜は浮かんだ案を自嘲気味に破棄する。

(今はフェイトのことがある……、情けないが冷静を保ち続ける自信がない)

 今この時この瞬間も、攸夜はフェイトが心配で心配で堪らないのだ。
 つらい目にあってはいないか。
 怪我はしていないか。
 泣いてはいないか。
 不安ではないか。
 ──分割した思考のほとんどがそれに費やされている。
 現状はプライドやら使命感やらでポテンシャルをキープしているが、いつまで取り繕っていられるかは本人にもわからない。むしろ今すぐにでも全てを投げ出して傍に駆けつけたい、抱きしめたいという気持ちが疼いている。
 だから今回に限っていえば刻一刻と進む“時間”そのものが彼の敵なのだ。一刻も早く片付けなければ不利になるばかりである。
 時間を操る“冥刻王”が相手にこの状況、悪い冗談のようだ。まったく、自分の悪運にはほとほと嫌気がさすな──攸夜はシニカルに口元を歪めた。

「ならばやはり、短期決戦しかないか!!」

 意を決し、再度距離を取る攸夜。すぐさま月衣からデモニックブルームを抜刀、一気に古代神の魔力を注ぎ込んだ。
 伸びる紅黒の光刃。徹底的なまでに圧縮されて魔力刃を形作る莫大なエネルギーに耐えきれず、刀身が光の中で消滅していく。
 破壊神の破壊神たる所以──永遠不滅たる魂魄をも滅ぼす“破壊”の概念が織り込まれた必殺必死の魔法剣だ。

 破壊の化身を携え、魔王が突撃を計る。

「わっと、それはさすがにやばいかも♪」

 黒の天使はふわふわと地面スレスレを制空しながら、杖の先に展開した魔法陣より剣状の黒い魔力弾──“騎士の剣”を乱射して寄せ付けない。一発一発が島一つを消滅せしめる強烈な密度の弾幕は重機関銃を彷彿とさせた。

「チィ、猪口才な!」

「ん〜、ちょっと足場を悪くしてみようかな」

 余りの量に踏鞴を踏みざるを得ない攸夜を余所に、軽い調子のメイオルティスが杖の石突で地面を突く。
 瞬間、魔法陣が展開するとともに紅黒い蜘蛛の巣のような地割れが四方に走り、彼女の頭上に幾つもの青白い魔力塊が生み出される。人知の想像を易々と絶する運動エネルギーが、残り僅かとなった大地を無慈悲に砕いた。

「っ!?」

 地殻変動とそれに伴う地震を嫌い、上空に逃れる攸夜を制すように大地の裂け目から噴き出る衝撃波と、煽られた巨大な岩塊が群を成して撃ち上がる。
 さらに弓なりの軌道で落下してくる無数の魔力ミサイル。頭上に蓋をされた格好の攸夜は回避行動を破棄し、全力防御の体勢に入る。
 殺到する暴力の具現が大地に、そして紅蓮の魔王に着弾した。

 音を置き去りにして、爆発が轟く。
 魔法的に引き起こされた絶大無比な熱量が形ばかりの山脈を焼き払う中、メイオルティスは空間転移で地上から50キロメートル──この惑星の成層圏まで瞬時に跳躍する。

「アハハハハハハッ! あたしのターンはまだまだ続くよ!」

 大きく開いた深紅の翼が同じ色の羽根を舞い散らす。
 紺青の宇宙そらをバックに高々と掲げられた槍杖。鉾先に納められた宝石が不気味に輝き、一抱えはある三つの白い光球が生まれて、鉾先を中心として正三角を形成した。

「とくと堪能してよっ、あたしのとっておき!」

 真っ白な光に照らされた可憐な面立ちを溢れんばかりの狂気に染め上げ、黒の天使がその身に秘めた非常識なまでの魔力を解き放つ。
 爆発する紅い魔力光。世界が軋むような悲鳴を上げた。

「この世すべてを滅ぼし、この世すべてを平らげ、我、此処に冥府を創世す!!」

 古き神たる自分自身に祝詞を捧げ、地上を冥界へと導かんと杖を振り下ろす。
 ゆっくりと、円を描きながら大地に墜ちていく三つの光。その一つ一つに込められた天文学的総量のエネルギーはもはや理解不能──特別な概念もなく、特殊な効果もなく、ただただ純粋に破壊だけに特化した暴力的で美しい魔法が、発動する。

「消・え・ちゃ・え〜〜っっ!!」

 全てを白く焼き尽くす凶光。
 惑星上に広がっていく圧倒的な熱量は、陸を、海を、緑を──ありとあらゆるものをのべつまくなしに飲み込んでゆく。
 その行く末は、虚無のみ。
 遥か成層圏、宇宙空間からでも見える大爆発の規模は想像を絶する。一兆トンという土や岩が大気中に飛び散るその衝撃を科学的な単位に換算すれば、約10の24乗ジュール──核爆弾十億個が爆発したに等しい。

「ふふふ……」

 破滅の爆光が地表を覆う中、満面の笑みを浮かべるメイオルティスは両手に持った杖を突き出す。
 りん、と鈴の音に似た音が鳴り響き、彼女の眼前で血みどろに鮮やかなスカーレットの幾何学的な六芒星が描き出された。

「ついでに、もってけっ! ──“冥光・星砕き”!!」

 腰だめに構えた槍杖の先、魔法陣の中心に溢れる眩い光明。集中し、束ねられていく魔力は渦を巻くように膨れ上がり、球体を形作る。
 一際強く輝き、照射された直径数百㎞の光柱が爆発の中心を穿ち────

 星が、砕けた。



[8913] 第二十七話‐5
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/04/29 23:32
 


「にゃははは〜……これってやっぱやりすぎ?」

 極大の砲撃を受けて爆砕した惑星の残骸を少し離れた場所から見やり、メイオルティスが呟く。
 あの自己主張してはばからない焔のような紅き魔力は、どこにも見当たらなかった。

「アンリにはくれぐれも殺さないようにって言われてたんだけど、う〜ん……ちょっとはやまっちゃったかな?」

 得体の知れない協力者の言葉を思い返し、かわいらしく小首を傾げる。ついつい興が乗って手加減抜きの砲撃を撃ち込んでしまったメイオルティスだったが、ここに来て若干の後悔を感じていないこともなかった。
 もっとも、別に殺したことを悔いているわけではなく、協力者──“アンリ”の言うところの「最高に絶望的なフィナーレ」を観てみたかったのだ。

「でも、この程度でやられちゃうなんて期待はずれもいいとこだよ。まったくガッカリなの。けっこうデキると思って──っ!?」

 突然、背筋に悪寒が走る。
 その直感に従い、振り向いた彼女の瞳に映ったのは紅黒の粒子が蜃気楼のように形作る漆黒のコート。紅い光輝が闇黒の宇宙に映えり、鋭い斜めの軌道で斬り込んで来る長大な紅い光の束。

「くっ!」

 咄嗟に球状の絶対防御結界を張り巡らせるメイオルティス。切先が魔力の壁に触れ、激しい火花が散る。刃先が通らない。
 刹那、アイン・ソフ・オウルの白い装甲に収まった紫色の宝玉が眩い光を放つ。
 すると、半透明の膜に遮られ停止していた紅黒い剣光が、ズ、と障壁を紙のように割り裂いて、メイオルティスの肩口から胸元にかけてを深々と切断する。
 鮮血とともに散り乱れる紅い羽。裂傷から四散した血液が瞬時に沸騰、蒸発した。

 致命傷に近い大打撃を瞬時に修復した冥魔王は、思わずその場から後退した。

「いっつつ……、いまのって七徳の宝玉かな? まったく厄介だね、その力……!」
「──道理だろう。シャイマールの光は遍く全てを破壊する破滅の光……そこに例外はない」

 光の粒から完全にカタチを取り戻した攸夜が静かに告げる。

 あの絶望的な大破壊を逃れた能力の名は、“光子化”──自らを光量子、つまり光そのものに変換して攻撃を無力化する彼オリジナルの回避術だ。
 ヴォルケンリッターやいわゆる使い魔などのように基礎となる魂と、それを包む魔力だけで自らを固定している非物質的な存在である攸夜。元々“神霊”とは高次元にありながら確固とした姿を持たず、あまねくものに宿り、あまねくものに浸透できる精妙なもの。その特性を生かした反則的な戦法である。
 なお、同種の能力に、蝙蝠や霧などへと姿を変える“吸血鬼”の“霧散化”が上げられるが、こちらは文字通り光の力を帯びており、反属性である闇に連なる力を受ければダメージを負うことは必然である。

「言ってくれるね……」口元に残る血を乱暴に拭い、眉尻を吊り上げたメイオルティスが彼女なりの賞賛の声を上げる。「ならこっちも──」

「ギアを上げていくよッ!!」

 そして、“冥刻王”たる自らの力を揮うに相応しい相手と改めて認め、その強大なる力を解き放った。
 少女らしい華奢な痩身から瘴気のような魔力が溢れ出す。紅い魔力光はそれそのものが破壊力を帯び、接触した惑星の残骸などの塵芥が跡形もなく消し飛ぶ。
 杖が変化したアルティシモ・レプリカから、不吉な気配が滲み出てていた。

「────」

 そんな悍ましくも驚くべき力の奔流を目の当たりにしても、燃え上がる紅蓮の業火の勢力は留まることを知らない。
 無限光アイン・ソフ・オウルが分解し、強襲形態から高機動形態に姿を変える。
 形態を変えたことにより強く放射される魔力粒子のコロナ。闇黒の世界を燦然と照らし出す輝かしい雄姿は、時に破壊と殺戮とを振り撒く太陽を思わせた。

 両者の漲る戦意が目に見える闘気、オーラとなって揺らめいている。

「壊れろ、メイオルティスッ!!」「消えなよ、シャイマール!!」

 砲哮に震える次元。
 全てを斬り裂く紅黒の光剣と、悍ましくも美しい真紅の魔剣が叫びと共に激突した。




 □■□■□■




 底知れない黒一色の世界。
 上も下も。
 右も左も。
 自分の立つべきところも、自分の所在ですら定かではない虚空の世界。
 転々と散らばる光点の光もどこか弱々しくて心許なく、闇雲に不安を煽るばかり。とてもヒトの居ていいような場所ではなかった。

 ──二条の光が濃密な漆黒の空間に深紅の尾を引く。
 時折光線を交わし合い、もつれるように激突しては離れるを繰り返すその速度は超光速。人々の知恵と想像力が解明したこの世の物理法則げんじつを嘲笑い、星系から星系へと破壊と災厄を振り撒く。
 生まれたばかりの恒星に突入した二条の光は、それを粉々に粉砕して衝突を続ける。

 アステロイドベルト──小惑星帯。
 恒星や惑星の重力の井戸に捕らわれ、星屑や氷の塊が時間を止めて漂う宙域で二柱の邪神が幾度目かの最接近を果たした。

 現代に蘇った黙示録の獣──攸夜が振るう疾風のような袈裟斬りを切り払い、返す刃で横薙ぎに剣を振るう冥刻を告げる堕神──メイオルティス。
 強引に往なされた攸夜は、一転して素早く右手を柄から離して月衣から次の一手を引き抜く。
 二本目のデモニックブルームが斬撃を弾き、逆襲の刺突を繰り出す。メイオルティスは剣尖を間一髪で躱して、距離を取る──ことはなく、さらに身体を無理やりに押し込んで敵を斬殺せんと魔剣を振るった。

 断頭斬胴。幾重にも織り込まれた必殺の意志が火花を散らせ、空間を斬り裂く。
 一時でも気を抜けば命を失う死の舞踏。迅く鋭い技量で剣を繰り出す攸夜と、剛腕でもって力づくで剣を振り回すメイオルティス──その実力は伯仲である。

 メイオルティス、その戦闘スタイルは至って単純、

 殴る。

 ただそれだけだ。

 回避、防御、妨害。
 彼女は本来、それらを必要とはしない。相手からの攻撃を食らい、自らの圧倒的な攻撃でもって相手諸共を粉砕するパワーファイター。さらには硬軟巧みな業を使い分ける知的な部分も併せ持つ。
 不必要な回避行動を取っているということは、それだけ攸夜の攻撃が致死的であるという証拠だ。

 対して攸夜は、あらゆる手段を用いて勝利を手繰り寄せる謀略家。変幻自在千変万化、卑怯卑劣何でもござれ、目的達成のためなら自らのプライドや慢心すらも損得に入れて利用してしまう。
 “力”に目醒めてから、格上や難敵の相手ばかりをしてきた経験がそのクレバーな気質を培ったのだろう。それでいてなお、甘いところや青い部分を捨てきれない「魔王らしくない魔王」、それが攸夜である。
 もっとも、そういった狡っ辛い部分が実力の重厚さにも繋がっているのだが。

 ──閑話休題。

 一瞬の隙を突き、メイオルティスのか細い足首に竜尾を絡めた攸夜は、彼女を振り回して手近な小惑星に叩きつける。
 直径数十キロはあろうかという巨大な岩石の塊が粉砕された。

「ッ、しつこいねぇキミも!」
「そう思うなら今すぐにでも自壊しろ!」
「そんなのまっぴらお断り、だよ!」

 そう言い返すとメイオルティスは体勢を立て直して急速に加速し、岩礁宙域を巧みにすり抜けていく。周囲に呼び寄せた機動砲台からの砲撃による牽制も忘れない。
 飛来する猛烈な砲撃の嵐。
 牽制とは言っても、一つ一つに込められたエネルギーは惑星上でのそれとは明らかに規模の桁が違う。しかし攸夜は舞うような美しい機動でそれら光条や、時折岩陰からスパイクを展開して突撃してくる機動砲台をやり過ごし、追撃する。
 進路を塞ぐ小惑星を鮮やかな手際で×字に切り刻み、彼は速度を緩めない。しかし、いつまでも追いかけていては埒が明かないと見て、ぴたりと停止した。
 すると七枚の翼──高機動形態──から、二組の楯──強襲形態──にアイン・ソフ・オウルを変形合体。そして、眼前に突き出した二刀の魔剣が凶光を帯びる。アイン・ソフ・オウルに挟まれた間に超々高密度の魔力が集束・圧縮され始め、それが一気に解放された。

 宇宙を灼く眩いばかりの極光。
 加速され、運動量を増大させた魔力が光の断層となって深紅の光の帯を作り出す。
 超光速の数千倍の速度で伸びる閃光の奔流を潜ることで辛くも躱したメイオルティスが、目の前に広がる光景に瞠目した。

「っ、砲撃!?」
「斬撃だッ!!」

 長大極まる光の束を、攸夜は唖然とする冥魔王に向けて振り下ろした。

「──ぅうあああああッッ!!」

 どこまでも膨れ上がる極大の光刃が全てを飲み込み、宇宙規模の規模な次元震を引き起こしながらことごとくを斬り裂いてゆく。
 メイオルティスを巻き込んだ軌道上──、数百万光年に渡り銀河の星雲が一刀の下に両断された。

 儚い光の残滓が刹那の間輝き、四散する。

「まだだ!!」

 斬撃の体勢から間髪入れず逆手に返した長剣を握ったまま、立てた右手の剣指で七芒星を宙に切る。

「テトラクテュス・グラマトン……!!」

 神聖四文字を現す呪文を紡ぎ、莫大な魔力を解き放つ。
 りん、と透き通る音が広大な宇宙空間に鳴り響いた。

「風よ、火よ、水よ、土よ。汝等、此処に召喚す。風よ、火よ、水よ、土よ。我に従え、制裁す」

 世界を構成する五大元素、その内の四つに呼びかけ、掌握する。無音の世界であるこの宇宙の現実も、古代神の幻想によって塗り替えられてしまっていた。

「天翔る凶兆の証、天覆う災禍の訪れ! 明星よ、災禍を人界に遍く告げ、彼の者等を討ち滅ぼせ!」

 足下で強く煌めいた紅黒の魔法陣に合わせ、何処より呼び寄せられた蒼白い星の遙か彼方のメイオルティスを取り囲む。
 360°を隈無く覆い尽くす輝きの星は何光年と離れた位置からでもよく見えた。

「万象諸共砕け散れッ! スターフォールダウン・ジ・カタストロフィーッッ!!」

 その示すトリガーワードを合図に無数の星々が紅黒に染まり、巨大な質量とエネルギーを持った流星群となって中心に向けて殺到した。

 闇、影などのマイナスのエネルギーを司る“冥”属性の最高位に位置する魔法、“スターフォールダウン”。それに、惑星系間での射程と速度、そしてどこまででも食らいつく誘導能力を組み込んだ、超々広域極大殲滅魔法──その威力・効果範囲ともに絶大過多。惑星の重力圏内ではとても使えたような代物ではないが、この人外魔境天地無用の決戦にはいっそ相応しい。

「くっ!?」

 弾幕の僅かな切れ目を掻い潜り上昇していくメイオルティスを、火の玉にも似た光弾の群が直角で進路を変える。慣性を無視した縦横無尽の軌道に変化して振り切ろうとするターゲットを、明星の瞬きはさながら自意志を持っているかのように追いかけていく。
 紅翼羽撃く天使と、蒼白く光り輝く彗星群が繰り広げる光速を越えた追撃戦。質量を持つ物体が光速以上で動き回ることで生まれる運動エネルギーは、想像を遙かに絶する。
 事実、この決戦場となった次元宇宙にはすでに相当な負担がかかっている。崩壊するのも時間の問題だろう。

 ──無論、そのような些末事をいちいち斟酌する古代神たちではない。

「ああん、もうっ! うっざい!」

 どこまでも追尾してくる誘導弾に苛立って口汚く吐き捨てたメイオルティスは、速度を維持したままくるりと反転して背後を向き、目の前の流星の大群に腰だめに構えた杖を突きつけ、その尖端に魔力を収束させる。

「潰れろーっ!!」

 魔法陣の中央、一瞬にして膨張した紅い魔力光があまりにも太過ぎる砲撃となって星々を真っ向から飲み込んだ。
 流星が無数の爆発を残して雲散霧消する。

「ふぅ。これで──」
「甘い! 第二陣、突撃!」

 強い光と魔法陣が瞬き、再び展開する数限りない流星群。
「うにゃあっ!?」メイオルティスの妙な奇声を引き金に、光球の群が牙を剥く。
 爆発。
 爆発。
 また爆発。
 とめどなく炸裂する猛烈な勢いの波状攻撃。巨大な魔力の華が暗黒の宇宙に咲き乱れた。



[8913] 第二十七話‐6
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/05/06 23:47
 


 怒濤の勢いで押し寄せる流星群。その巨体に孕んだ莫大なエネルギーを惜しみなく吐き出して、大宇宙に慈悲なき破壊を撒き散らす。
 震える次元。軋む宇宙。
 数多の爆発が絶え間なく炸裂している。

「……っ、くっ!」

 激烈なる破壊の渦中からメイオルティスが抜け出した。
 結界を用いて防御したのか、一見するとダメージは見られない。攸夜はそこにさらに、駄目押しの一手を試みた。

「オオオオオオオオーーッ!!」

 雄叫びと共に、全身より迸る紅蓮の魔力光。両肩と両手の装甲跡から紅黒い猛火が噴き出す。
 攸夜の側頭部から突き出た一対の角が不意に捻れて、衝角のように前方へ向き直る。角の間に幾条もの漆黒のスパークが走り、尖端の空間に常闇と虚空を司る冥い魔力が集中──
 その重く、異質な力の総量は、天地創造──宇宙を生み出すビッグバンを構成するエネルギーの数百倍を優に超える。
 鋭い黒光が渦を巻くように圧縮され、極限まで集束──薄ら寒さすら感じるだけの馬鹿げた力が渦を巻いた。

「──!!」

 迸るタナトスの一撃。
 解き放たれた魔力が、“シャイマール”のブレスを象った黒き光条となってメイオルティスを飲み込んだ。

 空間が、次元が、宇宙が。
 森羅万象のすべてが断末魔の悲鳴を上げて死んでいく。
 “災厄を撒き散らすもの”アジ・ダハーカのそれとは比べようもない──比べるべくもない──破滅の輝き。破壊神の真骨頂たる漆黒の力は星々の瞬きを、その意志を、その未来を、運命さえも押し流して完全な消滅へと導いた。

 漆黒の破壊光が終息する。
 その位置には、荒い息を吐くシルバーブロンドの少女の姿があった。
 オリジナルにも届きうる黒き輝きの前に修復する余力もないのか、痛々しく裂けたブーツ一体型のニーソックスなど彼女の衣装には大きな損傷が目立ち、紅い翼の左下の一枚を含めた左半身の大部分を失っている。獣の顎門にでも食い千切られたような痕──どうやらブレスが直撃をしたらしい。
 一言で端的に表すなら虫の息。真っ当な生物であればショック死していてもおかしくないだけの甚大な損害だ。
 だが──、


 ──躯を復元していない? 何故だ……?


 攸夜の見る限り、メイオルティスは致命傷と思えるだけの重傷を負っている。にも関わらず鬼札の時間逆行を発動していない──いや、肉体の再生こそしているようだが、その勢いは格段に衰えている。“本体”にまで及ぶ壊滅的ダメージで魔力・“プラーナ”は風前の灯火のはず、今更出し惜しみをする必要性はないはずだ。
 しかし浮かび上がった疑念も、高圧の魔力を感知した刹那には過去に過ぎ去る。

「よくも……! やったね……!!」

 どうにか四肢を再生させたメイオルティスが紫の瞳を怒りで紅く染め、杖を腰だめに構えた体勢から拡散系の砲撃を撃つ。狙いは虚空──否、宇宙空間に大きく口を開けた裂け目だ。
 遙か天頂に位置していた攸夜の周囲に開く紅黒いスキマ。仄暗い歪みの底から迫る紅色の光に攸夜が大きく目を見開いた。
 メイオルティスがお返しとばかりに繰り出したのは、65535ヶ所からなる同時多数攻撃。事実上、回避は不可能である。

 ──攸夜、以外には。

「当たるものかよッ!」

 光の槍が貫く瞬間、紅黒い姿が解け、同じ色の粒子が濃霧のようにばら撒かれる。再度の光子化。
 総勢65535騎にもおよぶ軍勢が紙一重で残像を通過──正確には貫通──し、次々に同士討ちをして爆発していく。

 再構成されるのはメイオルティスの死角の中──彼女の背後。両腕を胸の前でクロスして二刀の“箒”を脇に流し、その体勢から×字の剣線を狙う。

「取った……!!」

「そんなの、お見通しだよ!」

 振り向きざま、メイオルティスは襲いかかる黒い獣に手を翳す。残り僅かとなった自らの裡にある魔力と存在の力を爆発的に高め、外界に解放。世界そのものに干渉する。

「──“冥刻メイオの世界”ッ!!」

 メイオルティスの叫びが宇宙に木霊した。




 □■□■□■




「ガッ、ハ……ッ!」

 紅い魔力の槍が何本も突き刺さり、紅蓮の魔王を鮮血に染める。数え切れない裂傷を負い、苦悶に表情を歪めた攸夜は濁った血反吐を吐き出す。
 あれだけ煌々と燃え盛っていた紅黒い焔も衰弱し、今は完全に勢力を失っていた。──既にバリアジャケットも通常のネイビーブルーに戻り、“古代神”としての体裁は崩れている。

(──っ、ま、まただ……)

 傷だらけの身体を力を込めて槍を砕きながら、攸夜は歯噛みする。渦巻く困惑の感情を処理しきれない。
 ──確実に攻撃を避けたはずなのに、次の瞬間には打ちのめされている。常時展開している防御幕や光子化すらも通用せず、アイン・ソフ・オウルが“楯”を組む暇もない。これでは意味がわからなくても無理ないだろう。

 片翼の欠けた三枚の紅翼を広げるメイオルティスは、ニヤニヤと意地の悪い嘲笑を浮かべて混乱する様を見下ろしていた。

「……その、能力ッ──」

 未だ闘志を失わない視線を頭上で嘲る天使へと向ける。
 数度、飽きるくらいにその身で味わい、ようやくこの不可解な現象の正体が掴めた。

「時間停止か……!」
「ご名答〜♪」

 攸夜の推察をメイオルティスがご機嫌な語調で肯定する。
 ぱちぱちぱち。賞賛のつもりなのか、気の抜ける調子の拍手に攸夜は表情を歪めた。
 時間の流れを塞き止め、その間に攸夜を攻撃していたとするならばつじつまが合う。ごく狭い範囲ながら時を操る彼女なら、そういった芸当ができたとしてもおかしくはない。

「ふふん、あたしのチカラのちょっとした応用だよっ☆」
「くっ、世迷い言を……!」

 絶望的な戦力差に、攸夜は苦し紛れの負け惜しみを口にすることしかできない。
 オリジナルならいざ知らず、“希望”の宝玉の完全制御もできない彼は、停止した時間の中で活動することは不可能。一切の抵抗は叶わず、一方的に嬲り殺しにされるだけだ。
 けれども、これだけ巨大な現象を作り出す幻想ならば、それ相応の代償が必要であることは間違いない。であるなら、そこを突けば──

「まさかキミ、耐え続ければいつかはとか、思っちゃったりしてる〜?」
「ッ!」
「あはは。実はさぁ、あたし自身の時間を巻き戻すのよりも、ほんの数秒“世界”を止めることの方がずっと簡単なんだよね〜」

 考えを当てられ、鼻白む攸夜に打ち明けられる力の秘密。

「──ま、あたしレベルの相手なら時間が止まっても動けるヤツなんてザラだし、だいいち、代わりに巻き戻すための“能力の容量”を使っちゃって併用できないから、あんま意味ないんだけどね」

 それでも、と。
 意味深に言葉を切り、メイオルティスは笑みを浮かべる。圧倒的上位に立つ者特有の、優越感に満ち満ちた極上の笑みを。

「いまこの場の、キミとあたしには関係ないよね♪ ……まだあたし、何百回と時間を止めることができるよ?」

 それは絶望的な宣言だった。
 衝撃に瞠目した攸夜の胸中に狂おしいほどの感情が溢れる。

 自分が、負ける?

 こんなところで?
 こんな、無様に?

 何も成せずに。
 何も残せずに。
 護りたいものも護れず。
 救いたいこころも救えず。
 ────あの娘に、フェイトに人並みの幸福を……、“家族”をあげることも出来ぬまま、無為に、無惨に、誰にも知られず辺境の世界で孤独に朽ち果てる。
 そんな惨めな最期──

「──そんなもの、認められるか!! “ヴォーテックス──」
「まだやる気? ムダムダぁ! “冥刻の世界”!」

 メイオルティスを中心に、広がっていくチカラが“世界”を塗り替える。

 ──宇宙に、絶対なる静寂が訪れた。

 魔力の光を輝かせ、右手に超重力と闇黒物質の塊を構えた攸夜も。
 公転する星も、赫耀と燃え盛る恒星も。旅する光さえもその動きを停止した静かなる灰色の世界。
 そこに立つのはただ一人、真紅の翼に黒衣を翻す銀髪の美少女。天下無双の戦闘神にして凶悪なる邪神メイオルティスのみ。
 「メイオの世界」──この刻の止まった世界まさしく、メイオルティスの、メイオルティスによる、メイオルティスのためだけの場所だ。

「ふふふ……」

 幼さの残る顔立ちに妖艶な笑みを貼り付け、携えた槍杖を紅薔薇の魔剣へと造り換える。
 すぅっと音もなく近づき、アルティシモ・レプリカを振りかぶる。瞬く間に紅い剣線を幾つも残し、攸夜の横をすり抜けた。

「そして世界は動き出す──、なんてね♪」
「ゼロ”! ──ぐあっ!?」

 時が動き出したのと同時に攸夜の身体中に斬撃が刻まれ、紅い鮮血が噴出する。右腕が肘の辺りから千切れ、明後日の方向に宙を舞う。その手の中で発動した魔法は対象を見失い、斬り飛ばされた腕を巻き込んで暴発する。
 限定的に生み出された銀河系の数万倍の重力集中点──重力異常域グレート・アトラクターによって崩壊する次元と次元の境目。ガラスのようにひび割れ、砕けた境界から虚数の世界が通常空間に流出し始めた。

「ほぇ〜……いまのはちょっとヤバかったかも、ね?」

 巻き起こる重力異常を振り返り、のんきな感想をこぼしたメイオルティスは向き直る。
 周囲に瞬いた魔法陣から召喚された数機の機動砲台。それらに全身を串刺しにされ、空間そのものに磔とされた攸夜の左の眼球に変化させた杖の先を無造作に突き立てた。

「ッッ、がああああああああああ!!」

「あは♪ 再生するヒマなんてあげないよ?」

 左の眼球を抉った槍杖をことさらかき混ぜるように、グリグリと弄くる。
 わざわざ尖端から魔力を流し、無理やりに痛覚を開かせて攸夜に激痛を味合わせる。冥魔王がサディスティックに嘲った。

「異物が刺さったままじゃ、肉体の再生なんてできっこないもんね。くすくす……まさかここまで手こずらされちゃうとは予想外だけど、これでようやくチェックメイトなの」

 文字通り脳内を好き勝手に掻き回され、攸夜は叫ばずにはいられない。格下と侮っていた相手にコケにされたと感じているのだろう、悲鳴を聞くメイオルティスの表情はどこか恍惚としていた。
 まるで子どもの癇癪。自らの油断と高慢を省みない超越者故の悪癖──メイオルティスが初手から時間停止を使わなかった理由が、ここにある。
 仮に初めから用いていたならば、攸夜は手も足も出ないまま惨めに敗北していたのだが……。

「────」
「……うん? なにか言いたいことでもあるのかな?」

 不意に囁かれた声を訝しみ、メイオルティスが聞き返す。

「ハッ……油断大敵、っつったんだよ、ド阿呆が」
「はぁ? ……な!?」

 皮肉げな冷笑と、ふと見上げたモノに余裕の態度が凍り付く。
 二人の頭上、空間潜行を解いた七枚の白い“羽根”が円を組んで姿を現す。その中心で燦然と光り輝くのは黄金の光球、太陽の光冠。
 空間と空間の狭間に隠され、その間に宝玉の力をたっぷりと孕み、膨らんだ劫火絢爛たる聖なる焔の光が宇宙の闇を斬り裂く。

「あ、アイン・ソフ・オウル!? いつの間に……!?」
「フフッ……獲物を前に、舌なめずり、は……三流の、証拠だな」

 敵を捕らえたことで気が緩み、警戒すべきアイン・ソフ・オウルを失念していたメイオルティスの間隙を突く悪足掻き。
 空間に固定されていた左腕を力ずくで引き剥がす。ブチブチブチッと生々しい音を立てて裂ける腕の肉には見向きもせず、攸夜は眼球に突き立ったままの槍杖を掴んだ。

「──!?」
「戦術的、勝利なら……、幾らでも、くれてやる……。アンタの力を奪えれば、俺の勝ちなんだからな!!」

 自らの瑕疵を厭わない壮絶な気迫に思わず気圧される冥魔王。攸夜渾身の魔力が頭上で輝きを増す。もう次元を破壊するほどの威力はないが、弱体した“冥魔”を灼き殺すのならば十分だ。

「ちょっ、ちょっと本気!? そんな魔法、こんな距離で解放したらキミだって無事じゃあ……!」
「──“ディヴァインコロナ・ザ・サン”! ……付き合って貰うぜ“冥刻王”ッ、死出の旅路へ……!!」

 光が、全てを飲み込んだ。



[8913] 第二十八話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/05/13 23:22
 


「「「きゃあ!」」」「うわぁ!」「くっ!」

 強烈な衝撃をまともに受けて、スバルとエリオ、ノーヴェ、それからギンガとチンクが大きく吹っ飛ぶ。
 人数分の水柱が時間差で上がる中、衝撃波を巻き起こした元凶──“闇の落とし子”と化したゼストと、先ほどの一撃を辛くも耐え抜いた“魔騎士”及び“狼の王”が激闘を続けている。

「つつ……チンク、かなりやられてたみたいだけど、大丈夫?」
「この“シェルコート”が守ってくれました、大事ありません姉上。しかし、我々全員を相手にしてなお圧倒するとは……」
「ううー……。あの人、一騎当千ってレベルじゃないよ、ギン姉っ!」

 青い槍を支えに無言で立ち上がる赤毛の少年を見やりつつ、ギンガは何時になく冷静さを欠いた部下を気遣う。続いて発せられた妹の泣き言に姉は場違いにも苦笑した。

 すでに“狩人”レライアはティアナを庇って送還されており、そのティアナも追撃で気を失って戦闘不能。彼女と、無理を通して召喚を行い、戦力を失ったキャロ、そしてジュエルシードの入ったケースの防衛に専念している“風雷神”フールーの参戦も難しい。
 なお、ウェンディとディエチは上空で闇妖虫の成体と戦闘中である。召喚師であるルーテシアがそれを呼び寄せて魔力切れを起こしたらしく、戦闘不能なのが幸いと言えば幸いか。

 旗色の悪い戦況──多勢に無勢でなお、劣勢に陥っている彼女らが情けないのではない。強健で才気ある魔導師と戦闘機人六名に加え、大幅に弱体化しているとはいえ、AAAランク魔導師と同等かそれ以上の戦闘能力を有する裏界魔王四柱。それを相手に、しかも単独で返り討ちにできるゼストがどこかおかしいのだ。

 “混沌”に──悪しき幻想に由来するどす黒いオーラが猛威を振るう。
 見ているだけで不快感が肌を泡立たせる闇を纏った尖兵を睨み、赤毛の少女拳闘士ノーヴェが拳を打ち合わせた。

「っち、あのオッサン、マジでバケモンだな!」
「ノーヴェ! 口が過ぎるぞ!」
「ええっ? いやぁ、でもさぁ……」

 急に叱りつけられて、しどろもどろになるノーヴェ。個人的な私情もあり、ゼストを何としても救いたいチンクは妹の何気ない一言にも過敏に反応して、つい声を荒げてしまう。
 姉妹喧嘩に、ふぅ、とギンガが嘆息する。

「チンクこそ、ちょっと言いすぎよ。焦っているのはわかるけど、今はそんな場合じゃないでしょう?」
「っ……すみません。ノーヴェもすまない」
「まぁ、私は気にしてないんだけど。……チンク姉ぇ、なんか思い詰めてない?」

 ノーヴェに指摘され、チンクは無言で顔をしかめる。眼帯を巻いた右目に手をやった。
 ゼストをあのような境遇に堕とした原因は自分だ、という思いが彼女の中にはある。
 妹たちには知らせていないが、チンクに科された刑罰は他のナンバーズの面々の中でも特に重い部類に入る。──殺人という、とてつもない罪を犯しているから。
 当時は自由意志を与えられていなかったし、造物主の命に従い戦うことが自分の使命だとも考えていた。その考えは通りすがりの“魔法使い”に敗れ、檻の外に広がる広大な世界を知ってから消え失せたが、代わりに「良心の呵責」を抱えるようになった。
 もちろん、その罪を誰かに転嫁するつもりはない。
 しかし、どうせ解放するのなら、もっと早く、ヒトを殺める前に解放してくれていたならよかったのに。そうしたら、誰も泣かずに、泣かせずに済んだのに──そうチンクは、攸夜をお門違いにも恨んでしまう。
 その思いはきっと、愛しい娘を救いたい一心で機動六課に所属し、必死で戦っているメガーヌも同様だろう。

 “どうして助けてくれなかったのか”、と。
 ──神は、世界はいつだって平等に残酷だ。

「ハイ、お話はここまで! みんな、気分を切り替えて? 戦闘はまだ終わってはいないんだから」

 自然とリーダー格に収まっていたギンガの一声が、散漫となった空気を引き締める。はっ、と彼女以外の面々が顔を上げた。

「きゃいんっ!」
「チィ……“冥魔”の加護を受けたとはいえ、ヒトの身でこれほどか! 我が輩も、もはや決闘を所望するなどとは言っていられん!」

 どうやら魔王二柱もそろそろ限界のようだ。特に、外面を捨て始めたエリィがいろいろな意味でヤバい。

「で、でも戦うって言っても、どうやって……。私たちの攻撃、ぜんぜん通用しないし──」
「それでもやるしかないだろ! 戦わなきゃ、ヤられるのはこっちだ!」
「──行きます!」

 スバルとノーヴェの問答を余所に、一人駆け出すエリオ。一拍遅れてチンクが続き、「ああっ、もう! また勝手してー!」と叫ぶスバル、ギンガとノーヴェがそれぞれ両足に装着した推進機器を起動させた。
 一端退いたマルコ、エリィを瞬く間に抜き去り、エリオがゼストに肉薄。タイミングが良かったのか、豪槍吹き荒れる攻撃圏の内側に飛び込んだ。

「うおおおおおっ!!」
「ぬぅ……!」

 歴戦の老将と若き騎士。
 信じた正義に裏切られた男と、未だ自らの正義を知らない少年が三度激突した。

 溢れ出す瘴気が流水を瞬時に汚染し、迸る雷撃がそれを瞬く間に蒸発させる。
 絶え間なく鳴り響く鋼の音色。繰り広げられる激闘に、出遅れた四人は割って入ることができない。

 たった一人、エリオは善戦している。ゼストが多少手心を加えていることもあろうが、決定的な要因は彼本人の鬼気迫るその気迫。この壮年の騎士に何か思うところがあるのだろう、ことさら感情的に挑みかかっていた。
 メンタルのコンディションで実力が大きく変わるのはフェイトと同様のようだ。

 と、そのとき。

「ゼスト……!」
「旦那っ、ロストロギアはもういいから退けってヤツらが!」

 戦いを見守っていたルーテシアとアギトが口々に声を上げる。どうやら何らかの要因で、状況が変わったらしい。
 ちなみにリインフォースⅡは火の玉の直撃で目を回している。

「……ここらが潮時か」
「うわっ!」

 言うやいなやの豪槍一閃。
 ゼストが槍が横に斬ると黒い衝撃波が巻き起こり、体重の軽いエリオは煽られてサッカーボールのように弾き出された。
 さらにそこから縦に振り下ろし、放たれた漆黒の大斬撃がエリオやスバルたちの間を断ち割って大量の水をブチ撒ける。
 打ち上げられた水が引力に引かれ、辺り一帯に降り注ぐ。
 白く染まる視界。その光景はさながらどしゃ降りのスコールだ。
 川底に突き立てたストラーダを頼りに猛烈な濁流に耐えていたエリオの眼が、白いカーテンの先に揺らめく黒い闇を捉えた。

「ま、待て!」
「ゼスト!」

 雨が収まると同時に、エリオとチンクが制止の声を上げる。
 そこに込めた感情は正反対ではあったが、届かないとわかっていても叫ばずには居られなかったのは同じだった。
 歩みを止め、ゼストが肩口からわずかに振り返る。

「この勝負、預ける。チンク、そして少年よ」

 巌のようなその声を最後に、彼とその仲間たちは深淵の先に沈んでいく。退き際も見事な手際だった。

「……くそっ」

 ジュエルシードを守ることこそ達成したが、各々の心にどこかやるせないしこりを残した戦いは、こうして幕を下ろした。




 □■□■□■




「原罪を糧に燃焼せよ! ギルティフレイム!」

 天空で、あらゆる罪咎を焼き尽くす灼熱の獄炎──“ギルティフレイム”が幾度となく炸裂し、超高熱の波動を振り撒く。
 罪の重さに比例して威力を増すこの魔法の前では、冥魔”の毒を孕んだモノは格好の燃料だ。

「天を突く古いにしえの焔ほむらッ、燃え上がれ! スカーレットイグニスッ!!」

 大規模な緋色の火柱──“スカーレットイグニス”に包まれ、辺り一帯が焦土と化す。
 “古代神”の莫大な魔力を持って生み出された圧倒的な熱量は建物を瞬く間に焼き尽くし、灰燼へと還元する。

「く……、ああっ!」

 それらをまともに受け、アリシア・テスタロッサが小さな悲鳴を上げて墜落した。
 焼け焦げ火達磨の身体をビルの屋上に強く打ち据え、くすぶる炎を消すかのようにのた打つ。遅れて落下した大剣──カースドウェポン“ジブリール”が地面に突き立つ。

 ふわり、とパニエによって優美に膨らむ煌びやかなドレスを翻し、魔王ルー・サイファーが静かに降り立つ。

「……ふむ、大口を叩く割にはだらしのない。もそっとまともな抵抗は出来ぬのか? これでは気の長い我も退屈で欠伸が出てしまうぞ、小娘」
「……っ!」

 呆れ混じりで嘆息し、侮蔑の視線を横目で送る。
 次元の違いをまざまざと見せつけられ、復讐の魔女は悔しそうに唇を噛んだ。
 ──ルーはこの戦いで、自らの分身たるアイン・ソフ・オウルをほとんど使っていない。それでなお、フェイトとほぼ同等の戦闘力を保有すると思われるアリシアを一蹴するその実力。不完全な状態ですら圧倒的なカリスマとパワー──それが“金色の魔王”、裏界帝国最強の大公である。

「さて、戯れもこれまでか。……そなたは今回の事件、その核心に近い場所におるようだ」

 言うが早いか、アイン・ソフ・オウルが俯せたアリシアを取り囲む。純白の装甲に挟まれた紅い結晶が光を放ち、解放される“節制”に酷似した力──名付けるなら“怠惰”と言ったところか。

「うぅ……く、はあっ、わたし、の……、魔力、が……!?」

 傷ついた身体から魔力が拡散されていく。
 七枚の“羽根”が放つ神秘に僅かな魔力さえじわじわと略奪され、荒い息を吐くアリシアは立つこともできない。
 抵抗力を完全に奪い去り、弱ってからゆっくりと拘束しようというのだろう。口元を上品に扇で隠し、ルーは苦痛に這い蹲るアリシアを見下ろした。
 気品ある色合いの銀眼はひどく冷たい。

「そちにはいろいろと聞きたいこともある。さあ、我と共に来るがいい」
「だ、誰が……!」
「命ならば救ってやるぞ? 穢れた魂を救済する程度の奇跡、我らにとっては安いものだ」
「そん……、なもの! こっちから、お断りよ!」
「……ふむ。では我に降る気も話す気はない、と?」
「しつこい!」
「──そうか。ならば疾く死ね」

 それっきり、足下に這い蹲った“落とし子”から興味を失ったルーの意志を受け、アイン・ソフ・オウルが出力を上昇させる。
 容赦なく魔力を奪われ、アリシアがとうとう痛ましい悲鳴を上げる。元々生気の感じられない病的な白い肌から、みるみるうちに血色が失われていく。

「魂魄を“混沌”に汚染されたまま魔力を失えば、その生命を保つ事も危うかろうが。どうせ元より死していた身、さして変わらぬだろう?
 ……我が手ずから、穢土にて待つ母の下へと送ってやろうぞ」

 左の手の中に拳大の火球を生み出し、俯せのまま沈黙した少女を見下ろす。
 絶世の美貌をオレンジに染めて灼熱の炎が煌々と燃え盛る。

「……ま、ママ……ママの、ために、わたしは──」
「む?」

 俯き、何事かを呟くように独語するアリシアの姿をルーが訝しむ。ようやく心が折れたのかと僅かに気を緩めた瞬間、それは起こった。

「──うウゥあああああああァアアアアアアアアアアーーーーーーッッ!!」

「うぬ……!?」

 喉を張り裂けんばかりに振るわせた絶叫を引き金に黒い瘴気が爆発する。
 拡散した濃密な漆黒の魔力がアイン・ソフ・オウルを四方に弾き飛ばし、ルーは咄嗟に腕で自らを庇う。

 ──凄まじい魔力爆発が収まった頃には、アリシアの姿はもうなかった。

「……逃した、か。──まったく詰めの甘い、これではベルのことを笑えないわね」

 ぽつりと自嘲をこぼしたルーに、部下からの悲鳴のような強い思念が届いた。

『ご主人様っ!』
「どうしたのエイミー? そんなに慌てて、エレガントではなくてよ?」

 やんわりと無作法を窘め、のんびりとした口調で問いかけた。
 だが、その常日頃に纏った優雅な態度も、もたらされた本題の内容によって容易く崩れ去る。

『申し訳ありません。しかし、若様が──』
「っ、なんですって!?」

 顔色を変えた大魔王は後始末も忘れ、瞬く間にその場から転移した。



[8913] 第二十八話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/05/17 23:18
 












  第二十八話 「たったひとつの冴えたやり方」













 聖王教会本部。

 ミッドチルダ北部、鬱蒼とした森林に囲まれたベルカ様式の──第97管理外世界に置き換えるならゴシック様式に近い──荘厳な建築物である。
 古代ベルカ文明に端を発するベルカ人たちの拠点、あるいは彼らの現在の故郷たるベルカ自治区の実質的な政庁として。また“教会”の名の通り、次元世界中の聖王教徒の信仰を集める大聖堂としての機能も合わせ持っている。
 近隣には付属施設である聖王医療院が併設されており、訪れた患者たちからは都市部よりも空気がずっと綺麗だと好評だという。

 機能美を徹底的に追求したクラナガンの街並みと比べると、華美で格式ある──悪く言えば過剰装飾・古くさいといった印象の廊下を、妙齢の女性二人組が歩いている。六課制服姿のフェイトとなのはだ。
 二人は先の事件の報告や後始末もそこそこに、カリム・グラシアの執務室へ呼び出されていた。

「……フェイトちゃん、目の回りが真っ赤だよ?」

 不意にかけられた言葉に、はたと足を止めるフェイト。なのはが同様に歩みを止めて振り返る。

「え? そお、かな」

 なのはの言葉通り赤く腫れ上がった瞼の辺りを触れながら、フェイトは小首を傾げる。いつものぼんやりとした表情が逆に痛々しい。
 有り体に言えば泣きはらしたような……、そんな印象をなのはは傍らの親友に感じていた。

「そうだよ、鏡見た? うさぎさんみたいに真っ赤だよ。……ねぇフェイトちゃん、なにか、あった?」

 おずおずと問うて見る。
 存外に泣き虫な親友のことであるから、目を腫らすまで泣くというのも珍しくはないが、涙を流した理由がわからない。

「うーん……ちょっと、ね」

 困ったように苦笑するフェイト。一応、心当たりはあるらしいが、歯切れがどうにも悪かった。

「そっか……。それでフェイトちゃん、その“ちょっと”は解決したの?」
「現在進行中、かな」
「理由は、やっぱ教えてくれない?」
「……」

 無言の肯定。それ以上追求することをなのははしなかった。
 以前のなのはなら、無理やりにでも聞き出そうとでもしたかもしれないが、今の彼女はそんなこと思いつきもしなかった。この十年の人生経験はなのはを精神的にも成長させていたのだ。

 フェイトが言いたくないのならそれでいい。自分に相談してくれるなら自分の力が必要な事柄であり、そうでなければ自分の力では解決できない問題だということ。
 いつか誰かが言っていた。
 “同じ道を歩むのが仲間であり、違う道を行くのが友である”、と。
 ──であるなら、やはりなのはとフェイトは友だちなのだ。

 違うものを見て、違うことを感じて。
 違う願いを抱いて、違う場所を目指して。

 それでも心は、しっかり繋がっている。
 地球に残った親友たち──アリサやすずかともそうであると信じている。信じたい。

「でも、ピンチのときはちゃんと頼ってね。──友だちでしょ? 私たち」
「……うん。ありがとう」

 親友の気遣いを噛みしめるように、フェイトははにかむ。
 こぼれた笑顔は、野に咲く可憐な一輪の花のようで。


(……ふぇ、フェイトちゃん、その笑顔は反則だよぅ……)

 思わず赤面した顔を両手で隠し、なのはは恥ずかしそうに俯くのだった。




 □■□■□■




 カリム・グラシアの執務室。

 日当たりがよく、格調高い調度品で統一された部屋の応接用のソファーセットに、神妙な面持ちで座るフェイトとなのは。はやてと合流し、初対面同士の自己紹介も済ませている。
 なお、この部屋に集合したことに深い意味はない。はやての親しい友人であり、管理局・聖王教会において一定の地位を有しているという点を考慮して選ばれただけである。

 さておき、部屋の主である修道女服の女性──カリムは自分の執務机に着いており、青いゆったりとしたドレスを纏った黒髪の女性が静かに佇んでいた。

「では、ユウヤさんは……」
「……魔王シャイマールは現在、此方の医療施設に収容されています。意識こそ回復していますが、動けるまでには今暫くの時が必要でしょう」

「そ、そんな……」
「ウソやろ……」
「……っ」

 青いドレスの女性──リオン・グンタの情報に部屋の空気が氷点下を下回った。

 個人的な交友のほとんどないカリムはともかく、絶句して言葉も出ないなのはやはやてのショックは計り知れない。事前に知っていたらしいフェイトでさえ、ひどく沈痛な面持ちで膝の上に置いた両手を握りしめているのだから。

(……フェイトちゃんが泣いてた理由って、これだったんだ……。攸夜くんが命に関わる大ケガしたんじゃ、当然だよね……)

 途切れ途切れになった意識の糸を手繰り寄せながら、なのははそう納得していた。
 自分だって信じられないし、ひどくショックなのだ。恋人であるフェイトの心痛は如何ばかりだろうか。想像だにできない。
 もっとも、真相は当たらずとも遠からずと言ったところだったが。

 と、茫然自失からいち早く立ち直ったはやてがリオンに質問する。

「それで、攸夜君と相打ちになった敵のことわかっとるんか?」
「ええ。その名を“冥刻王”メイオルティス……ファー・ジ・アースにも来襲し、配下を使って破滅を振りまく強大なる“冥魔”の王の一柱です」

「“冥刻王”……」

 禍々しい渾名を絞り出すように呟くフェイト。その鮮やかなスタールビーの双眸の奥底に一瞬だけ、昏く濁った感情が過ぎる。

「……彼にほぼ相打ちに持ち込まれ力を減じている可能性もありますが、油断は出来ません。……“我々”がどれだけ盛強な存在かは、ご存じでしょう」
「たしかに……」

 なのはが呻くように同意する。魔王の──というか、ベール・ゼファーの被害を一番被ったのが彼女である。

「はぁ……、ますます事態が混迷して来たようね。私のレアスキル、“預言者の著書プロフェーティン・シュリフテン”もこの有様よ」
「うわ、真っ黒ですね」
「まったく読めへんのは相変わらずみたいやな、カリム」
「ええまったくよ、はやて」

 ぼやくカリムが一同に見せたのは、ページ一面が黒く塗り潰された手記らしき書物。年に一度、近しい未来を抽象的ながら予言する彼女の古代ベルカを由来とする“才能”も、四年前──“冥王の災厄”以来効力を失っていた。

「……当然ですね。ヒトの矮小なる力で運命を識ろうなど行為自体、不遜極まりない」

 “秘密侯爵”の不躾な言い様にむっとカリムが眉間に皺を寄せた。少なからず誇りとする才をバカにされて面白くないのだろう。

「だいたい、なぜあなたがここにいるのです?」
「……貴女方に、この事態についてご説明差し上げよと仰せつかったのです。疑問もおありでしょう?」

 カリムの非難がましい視線を涼しげに流し、リオンが答える。
 彼女の言葉に反応を見せたのは意外にもはやてだった。

「なら一つ、教えてもらおうやないの。前々から訊いてみたいことがあったんや」
「……なんでしょう」
「“冥魔”って結局のところなんなん?」
「……。……“冥魔”とはかつて、神々の戦争の際に産み出された生体兵器であり──」
「ちゃうちゃう、そういう知識的なことやなくてな。なんで“冥魔”が私らの“世界”に現れるんか……そこが私にはわからんのや。あんたらなら、なんか掴んでるんと違うか?」

 挑むような視線を正面から受け、リオンは諦めを込めて小さく嘆息した。

「……結論から言えば」

 結論から言えば? とオウム返しする一同。どこか期待するような、ワクワク感がある。
 勿体ぶった沈黙を生み出し、思考の読めない微笑を浮かべた魔王がその重い口を開く。

「理由はわかりません」

 鮮やかに肩すかしを食らってずっこける。
「わからへんのんかい!」とはやてがツッコミを入れた。

「……大樹の如く無限に枝分かれする確率世界、あるいは我々の主八界を始めとする異次元宇宙──、それら平行世界とは本来交わってはならないもの。どこまで進んでも絶対に交わらないからこそ、“平行”と称されるのです」

 自らの故郷を例に、“秘密侯爵”は真理の一端を説く。

「ひとつひとつの“世界”は同じに見えて、世に満ちた理も、世を形作る構造も、過ぎ去った過去も、歩み至る未来も、記録された運命も……あらゆるものが決定的に異なっている」

 “魔法”という概念一つ取ってみてもその差異は明らかであるように、ファー・ジ・アースと第97管理外世界というふたつの“地球”もまた、完全に異なった別個の宇宙なのである。

「故に両者は交わらない、はずだった」

 それは書物を紐解くようで。
 あるいは歴史を紡ぐようで。
 いつの間にか、聞き手はその語り口に引き込まれていた。

「じゃあどうして私たちはこうして出会って、話すことができているの?」
「……それは、シャイマールが両者の世界を縁えにしで結んでいるのです」
「えにし?」
「ええ。……偶然にしろ必然にしろこの世界に流れ着いた彼を基点に、ヒトが縁、あるいは絆と呼ぶものが生まれたのです」

 絆、とフェイトが声には出さず繰り返した。

「貴女方も知っているように彼は一度、自らの存在全ての消滅と共にこの世界から去っています。
 その原因は身の程を超えた、“運命”すら塗り替える力を揮った反動にありますが、彼はしかし諦めませんでした。汚泥を啜ってでも力を蓄え、然る後に帰還しよう、と。
 幸い、在るように上書きされた世界にあってただ一つ、変わらない“絆”がありましたから」

 はっとして、フェイトが両手で胸元──金色のネックレスを押さえる。これが自分たちを再び惹き合わせてくれたのだという漠然とした思いが、確信に変わった。

「そうして全ての準備が整い、此方へと凱旋する段階になって初めて……絶対に有り得てはならない異常を見つけた」
「それが……“冥魔”」

 こくり、とリオンが頷く。

「自分の一人には手に余ると考えた彼は、他の裏界魔王たちに協力を求めた訳ですが……ここからは割愛しましょう。……ともかく、我々にも原因が掴めないのです」

 本来、こういった事の調査は“魔王女”の得意分野なのですが、と憂鬱そうに言葉を切る。
 その「一人不思議の国のアリス」こと“魔王女”イコ・スーはと言えば。自らの自室に籠もって、『すごくこわいことがおきるのです……、とてもこわいことがおきるのです……』と念仏のように繰り返しているとかなんとか。“冥魔”に関することと基本的に距離を置いている彼女だが、この件は特に関わり合いになりたくないらしい。
 とはいえ、ミッドチルダ──ひいては次元世界に訪れるであろう“カタストロフィー”をきっちりと預言しているのはさすがと言えよう。

 解決の手掛かりが失われてしまい、部屋の雰囲気が沈む。
 ……ただ、とリオンが囁くように呟いた声がやけによく響いた。

「……此方の“冥魔”はやはり、主八界のそれとは少々趣を異なる様です。生命体というより……そう、強いて言うなら現象の様な、そんな印象を感じます」

 抽象的で要領を得ない物言いに困惑が広がる。

「そういえば、保護したっていう女の子はどうなったんや。“冥刻王”とやらに狙われてたらしいし、なんや知ってるかもしらんよね」
「ああ、あの子ね。あの子なら、いまは病院のほうで精密検査を受けてると思うけど……」

 つい、と詳しく事情を知っていそうな聖王教会の幹部になのはが目線を送る。

「ええ、その件は伺っています。そろそろ検査も終わるころですから、連絡があってもいいはずですが」

 と、そのとき。
 執務机に備えつけられた趣味のいいアンティーク調の電話のベルが鳴る。

「はい、もしもし。……あらシャッハ、どうしたの? ──そう、わかったわ、あなたは人手を集めてちょうだい。私たちもすぐに捜索に向かいます」
「……カリム?」

 訝しげにはやてが問うと、受話器を置いたカリムは険しい表情でこう答えた。

「例の少女、行方を眩ましたわ」



[8913] 第二十八話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/05/21 23:15
 


 清潔が保たれたリノリウムの廊下をフェイトが足早に行く。その足取りには隠しきれない焦りと苛立ちが滲み出ていた。

 ──保護した少女が行方を眩ました。

 カリムの執務室でそのことを知らされたフェイトたちは、すぐに聖王医療院に赴くと手分けして付近の捜索を開始。少女自身は何も知らないにしろ、“冥魔”の企みを解き明かすためのカギであることは間違いないし、年端もゆかぬ幼い少女を一人っきりにさせているというのは精神衛生上よろしくない。早急に探し出して保護する必要があった。

(はぁ……、次から次にトラブル続きで、なんか疲れちゃったな……)

 ただ、今のフェイトには行方不明の少女のことは割とどうでもよかった。
 より正確に記すなら、一時は生死の境をさまよっていた恋人の体調が気になって、それどころではなかったのである。

 もちろん少女の身を案じてもいるし、早く見つかればいいとも思っているがとにかくタイミングが悪かった。
 カリムとの面談が終わればすぐにでも攸夜のところに向かうつもりでいたのに、未だ自分は延々と歩き回っている。さすがに仕事の一環では投げ出すこともできず、本人も気づかぬまま募らせた焦燥は尋常ではない。任務中に遭遇した、あえて目を背けて考えないようにしている“彼女”のことも合わさって、フェイトの心はじわじわと蝕まれていた。

 ──フェイトにとって「世界そのもの」である攸夜の存在は、それだけ彼女の多くの部分を占めているのだ。


 建物内を探し回ってはや十分。精神的にも肉体的にもハードな任務明け、さすがに足取りにもやや疲れが見え始めた頃。
 子どもの足でこの施設の敷地外に出たとは考えにくい。どこかに隠れていたりするのだろうか。

 ふと、思いつく。

「バルディッシュ、探査魔法とかってできる?」
『可能ですが、ここ一帯は魔法禁止区域内です。使用は控えた方が賢明では?』
「そっか……、そうだね」

 パートナーの指摘に納得して意見を取り下げる。
 自分がやらなくても聖王教会の職員の誰かがすでにやっているだろうし、わざわざ規則を破って叱られても面白くない。
 第一、監視カメラの映像や何やらですぐに足取りを追えそうなものだ。そもそもこうして探し回る必要がはたしてあるのか、という思いが脳裏を過ぎる。

(…………。……これだけ探しても女の子は見つからないし──、ユーヤのとこ、行っちゃおうかなー……)

 真面目な優等生である彼女らしからぬ自分勝手な思考。疲労と心労はピークに達し、弱気の虫が頭をもたげる。
 フェイトのモチベーションは現在最安値を更新中だった。

 ふと視線を窓の方に向けると、見慣れたサイドテールの後ろ姿を見かける。

「……なのは?」

 白いを着た例のオッドアイの少女を後ろに庇い、聖王教会のシスターらしき人物と向かい合っている。何がどうなって現在の「まるで戦闘開始五秒前」な状況に推移したのかはよくわからないが、自分も今すぐ向かった方がよさそうだ。
 フェイトはそう結論づけると、最寄りの階段を探して再び歩き始めた。




 □■□■□■




 聖王医療院、中庭。

 季節の花々が咲き乱れた華やかな花園。素人目で見ても隅々まで丹誠込めて手入れをし、育て上げたことがわかる見事な庭園だ。
 美しい自然の芸術に目と興味を引かれつつ、フェイトは声を上げた。

「なのは!」
「フェイトちゃん」

 心強い味方を得たとばかりになのはが安心の笑顔を浮かべる。
 フェイトはやや当惑した様子で対峙する両者を見回した後、当事者にして事情を知っているであろう親友に問う。

「ええと……、これってどんな状況?」
「あ、うん。えと、それはその……」
「そこの人造魔導師を引き渡していただきたいだけです」
「……人造魔導師?」

 ショートカットのシスター──シャッハ・ヌェラの端的な言葉にフェイトは紅い瞳をわずかに見開く。
 人造魔導師──、彼女には因縁浅くない単語だ。自然とフェイトの姿勢は厳しくなり、敏腕捜査官としての顔となる。

「検査の結果、その少女が人造魔導師であることが判明したのです。どんな危険な力を持っているかもわかりません、早急に身柄を拘束しなければ」
「そんな乱暴な言い方しなくたって……この子が、ヴィヴィオちゃんが恐がってますよ」
「その弱々しい姿すら擬態かもしれません。世界の災いとなるならば、いっそ──」
「っ、それが聖職者の言うことですか!?」

 シャッハの害意となのはの大声に驚いたのか、足元の少女──ヴィヴィオという名前らしい──が身を竦ませた。
「ママ……」なのはのスカートの裾をきゅっと強く握りしめ、小さく肩を震わせる姿は憐憫を誘う。子どもの世話好きなフェイトはずきりと胸に幻痛を感じた。
 でも“ママ”って……なのはのことなのかな? と首を傾げてもいたが。

 とりあえず念話ではやてとカリムに連絡を取りつつ、フェイトは不毛な問答を続けている二名を宥めることにした。

「なのは、落ちついて。それから、えっと……」
「シャッハ・ヌェラです。シスター・シャッハとお呼びください」
「あ、はい。ではシスター・シャッハ、あなたの個人的意見の是非はともかく、私たちにその子をどうこうする権利はないんじゃないでしょうか。まず騎士カリムやウチの部隊長に指示を仰ぐべきだと思います」

 若干毒の入ってしまった感はあったが、決して間違った意見ではない。その証拠にシャッハは少し考える素振りを見せたのち、「……たしかに。少し考えが飛躍していました、すみません」と謝罪して矛を収めた。
 なのはもひとまず胸をなで下ろした様子で、少女の髪を撫でている。

 ようやく騒動が終息したかに見えたそのとき、

「──おや、それは処分しないのかね。私はそこのシスターの意見に賛成なのだが」

「「「!!」」」

 横合いから投げかけられた第三者の言葉に再び場の空気がざわめいた。
 発言者はずかずかと近寄ってくる白衣姿の男性。
 肩まである紫のウェーブがかかった長髪に、整っているがどこか年齢不詳の顔立ち。フルーツの盛り合わせの入った籠を持つ、何の変哲もないスーツ姿の女性を連れていたが、フェイトは男の方から目を離せなかった。悪い意味で。
 ──見覚えがある。忘れるわけがなかった。

 無言でフェイトは男性からなのはと少女を庇うように歩み出て、数瞬遅れてなのはが男の正体に気がつく。ミッドチルダとその文化圏の時勢に疎いなのはであっても、顔くらいは知っていた。
 次元世界に悪名を轟かせた希代の次元犯罪者。その名は────

「ジェイル、スカリエッティ……!!」
「初めましてと言うべきかな? “エースオブエース”高町なのは、そして、フェイト・テスタロッサ・ハラオウン──“F”の落とし子」
「……ッ」

 嫌と言うほど思い知る自分の仄暗い出自をあげつらわれ、フェイトは美しい眉の間に鋭い雷を走らせた。

「フフ……」

 粘着いた視線と胡散臭い笑みにさらされて、フェイトの全身が総毛立つ。
 明確な拒絶と不快感はある意味でデジャヴ。ガラス越しの実験動物を見るような目に、今思い返せば“母”のそれと酷似する色を感じた。断じて認めたくないことだったが。
 それを意識した途端、身体の震えが襲う。
 十年間、心の奥底に根を張って弱い部分を自傷する心的外傷は簡単に拭い去れるものではなく。
 震える自分の身体を押さえ込もうと自らを掻き抱き、フェイトは唇を掻んで瞼をぎゅっと瞑る。膝を突くことこそなかったが、腕から血が滲んでしまいそうなほど強く掴んでいた。

 すると、どこからともなく飛来した黒い槍がスカリエッティの顔の、わずか数センチ横を通り抜けて後方に着弾。エグい音を辺りに轟かせ、木々を木っ端微塵に粉砕する。
 はらはらと紫の毛が舞い、場の空気が一瞬にして凍り付いた。

「「「「…………」」」」


 絶句する一同。妙な静寂を破る甲高い電子音。
 スカリエッティが懐から電子音の源らしい、タブレットタイプの携帯端末を取り出す。どうやら電子メールの着信音だったようだ。
 ディスプレイをタッチし、メールフォルダを開く。そこには「余計なことはするな」の一文。

「おやおや……彼の魔王はどうやらお怒りのようだ。怖い怖い」

 自らのすぐ脇に広がる惨劇の痕を見、スカリエッティはそう冗談めかした。
 一見、澄ました表情で取り繕ってはいるのだが、頬の辺りがひくひくと引き吊っていることをフェイトは見逃さなかった。

(ユーヤ……、ありがとう……)

 援護射撃──実力行使的な意味で──の贈り主は考えるまでもない。暖かな安堵とともに、してやったという小さな優越感が豊満な胸を満たす。
 隣では、今にも泣き出しそうな涙目の少女を屈んで慰めていたなのはが、「愛だねー……」としみじみ呟いていた。

「なぜ、あなたがここに? あなたは管理局の監視の下、収監施設に拘留されているはずだ」

 某過保護な魔王によるまさかの武力介入でいくらか正気を取り戻し、さりとて敵意を隠す気もないフェイトが語気を普段よりも強めて問い質した。

「さて? 君の疑問は最もだが、私はこうして君の目の前にいる。いったい何故だろうね、執務官殿?」
「はぐらかさないで! ことと次第によっては実力行使も辞しません」

 詰問を茶化され、声を荒げるフェイトは懐のバルディッシュに手をやる。薄笑いと返答の軽薄さが彼女の憤りに拍車をかけていた。

「……やれやれ、まったく気の短いことだ。それは──」
「それは私が呼んだからや」

 肩をすくめるスカリエッティの言葉を引き継いだのは、彼女たちの幼なじみにして親友の上官だった。

「はやて?」

 カリムとともにやってきたはやてはシャッハの横を颯爽と抜け、フェイトとなのはの隣──二歩半ほど前に立つ。カリムは自分の部下と合流し、軽く状況を聞き出している
「攸夜君、誰がこれ弁償すると思っとるんやろ……」と破壊の爪痕に対して感想を独り言ち、渦中の少女と科学者を交互に見やった。

「その子が人造魔導師やってさっきカリムから聞いてな、一番事情を知ってそうなこのマッドを呼び付けたんよ」
「シャイマールが重傷だと耳にしてね、見舞いの準備をしていた最中だったのだが。まさか迎えのヘリまで寄越されるとは、豪気なことだと感心したよ」
「はんっ、そんならちょうどよかったやないの。こっちはあんたが外を出歩けるよう上に掛け合ってやったんや、むしろ感謝してほしいくらいやわ」

 スカリエッティの皮肉に軽口を叩いて返すはやて。親しげ──ではないが、両者は明らかに顔見知りの様子。
 何か妙なことになっている、とフェイトはなのはと顔を見合わせて首を傾げる。

 ごほん、とはやては改まった咳払いをし、事情が判然とせず困惑の色を隠せない部下たちに向けて口を開く。

「さて、改めて二人に紹介しとくわ。機動六課の技術開発顧問、“ドクター”ことジェイル・スカリエッティ氏や」
「そしてこちらは助手のウーノだ。彼女共々よろしくしてくれたまえ」

 紹介を受け、今まで沈黙を保ち続けた付き添いの女性──ウーノが一礼する。
 が、フェイトとなのはは呆然としていて全く聞き届いていなかった。

「……えっ?」「はやてちゃん、いまなんて?」

 口々に聞き返す二人。当惑混じりの声色からは「否定してほしい」という気持ちがありありと伺える。
 苦笑するはやて。次々に流転する展開についていけず、動転しきりの友人たちを宥め賺すように──あるいはとどめを刺すように──、再度、努めてわかりやすい、端的な表現を選んで告げた。

「信じたくないんはよーくわかる。せやけど、これは現実や。……このおっさんは私ら機動六課の身内です」

「「え、ええぇぇぇぇ〜〜〜〜っ!?」」

 自分たちとの意外すぎる関係をようやく理解させられた二人の、息の合った悲鳴が庭園に響いたのだった。



[8913] 第二十八話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/05/25 21:27
 


「このおっさんは私ら機動六課の身内です」

 割と衝撃的な事実が明かされ、「ええーっ!」と驚愕しきりの親友二人を鮮やかに無視して、はやてはニヤニヤするマッドサイエンティストに問い質す。

「単刀直入に聞くけど、あんたその子の正体を知ってんやろ?」
「ふむ、端から決め付けかね八神部隊長。まあ、心当たりなら確かにあるよ。私としては些か想定外なのだが」
「んなら勿体ぶらんとキリキリ吐きや。隠し立てすんならしばくで?」

 詰め寄る剣幕は、今にもデバイスを取り出しかねないほど。
 あんまりな言われ様に、スカリエッティは胡散臭い笑みを顔に張り付けたまま肩をすくめた。

「では単刀直入に言わせてもらおう。おそらくその少女は古代ベルカ時代の指導者、“聖王”──正確にはそのクローンだ」
「なんですって!?」
「ちょっとカリムうるさい。黙っといて」
「うぐっ」

 瞠目して、悲鳴のような声を上げた友人の出鼻をぴしゃりと挫くはやて。自らが信仰する宗教の根幹に関わることなので、カリムにとって聞き捨てならないのも無理はないのだが。

「……ねぇフェイトちゃん、“聖王”ってなんだっけ?」
「うーん。私もよく知らないけど、ずっと大昔のベルカを率いてたひとで、聖王教会の祀っている神さま?らしいよ。
 昔のベルカはミッドチルダと戦争をしてたんだけど、ロストロギアの暴走で文明は滅びちゃったんだって」
「へぇー。じゃあ、えらいひとなのかな?」
「……たぶん」

 ──などと置いてけぼりを喰らった感のある二名が、ひそひそ声を潜めて相談していたりもする。
 フェイトの説明はかなり漠然として要領を得ない。
 歴史に何の興味もない一般的な年頃の女性ならばさもあらんと言うべきだろうか。一応、自分が所属している国家と組織に関連する事柄でもあるのだが……。

「その根拠は?」
「あの特徴的なヘテロクロミアだよ。DNAを照合してみなければ正確な事は言えないが、まず間違いないだろう。文献によればベルカの聖王は翠緑と深紅のオッドアイであり、虹色の魔力光──“カイゼル・フェルベ”と無敵の“鎧”を持っていたとされている」
「ええ、確かにその通りです。……その子、よくよく見ると記録に残る聖王の面影があるようにも思うわ」
「私も、騎士カリムと同意見です。部外者に指摘されるまで気づかなかったとは……不覚です」

 聖王教会関係者が口々に同意を示す。だが、そのクローンニングの元となった遺伝子情報の出所という、新たな謎が浮上した。
 カリムがふと思い浮かんだ可能性を口にする。

「まさか、盗まれた聖遺物から……?」
「ふむ、おそらく。以前、部下に命じて聖王の遺伝子情報が残っていると思わしき聖遺物を盗ませたことがあってね。そのデータは解析した後で裏社会に流したんだが」
「原因はあんたか!」
「聖遺物の紛失の一件はあなたの仕業だったのね!」

 はやてとカリムが口々に責め立てる。

「ハハハ。君たちは知らないだろうが、その件も私の罪状に付いているのだよ。一事不再理というじゃないか」

 そう言われてしまえば追求できない。うまく居直られてしまい、フェイトは内心で少々残念に思った。

「だが、断じて言うが実際に製造したのは私ではないぞ? 手間を省くために、遺伝子情報を拡散させたのだからね。第一、そういった違法な生命科学を研究する機関は軒並みシャイマールに撫で斬りにされている」
「そういや攸夜君がそんなこと言うてたなぁ。……ほんとにあんたと違うん?」
「そもそもクローンニングなど時代遅れの技術、興味など感じんさ。今の私の研究課題は“ホムンクルス”の実現だ」

 次のナンバーズは“ホムンクルス”として──だのと自分の研究についての話題に脱線しだしたマッドは放っておき、はやてとカリムが相談する。

「となると、いったい誰がその子を生み出したかが問題になるわね」
「“冥魔”がどっかの研究者を洗脳なりなんなりして、とか?」
「あり得るわね……。でも、なんのために?」
「うーん……せやけど、あんたなんで聖遺物なんて盗ませたん?」

 再び、スカリエッティに話題が向く。

「うん? そうだね。無論、研究目的というのもあったが、一番の理由はやはり“ゆりかご”だろうか」
「“ゆりかご”というと、あの?」

 カリムがスカリエッティの言葉に応える。
 聞き慣れない単語にフェイトとなのはが顔を見合わせた。

「そうだ。最高評議会がその存在を秘匿し、今は聖王教会が管理・調査しているあれだよ。“ゆりかご”とは聖王の御座艦にして“鎧”──この現代に聖王の血を蘇らせる理由があるとするなら、あの兵器以外には考えられない」
「少々ベルカの歴史を学んでいればわかることとはいえ、ずいぶん詳しいですのね」
「シャイマールが来襲する以前、管理局に対して起こすつもりだったクーデターの切り札にと考えていてね。例えば、搭載されていた防衛兵器はいわゆるガジェット・ドローンの雛形にさせてもらった」
「あんたそんなこと企んでたんかい……」
「今となっては無駄な時の浪費だったと反省しているがね」

 政治色の濃い会話を黙って聞いていたなのははふと、毎日の日課になっているユーノとのメールのやりとりで出た、「最近発掘された古代ベルカのフネの見取り図の捜索を、聖王教会から依頼された」という話題を思い出した。
 “兵器”という仰々しい単語に少し不安になって、なのはが質問する。

「……その、“ゆりかご”っていうフネはそんなに危険なものなんですか?」
「いや、それほど大それたものではないよ。通常の魔導師相手ならいざ知らず、高濃度のAMFと防衛兵器を用いたとしても戦闘機型や戦車型の“箒”、そして“B‐K”部隊の攻勢を食い止められるものではない。よしんば月の魔力を得られる衛星軌道に辿り着けたとしても、ミッドチルダの宇宙そらには“セフィロト”がいる」

 スカリエッティは嘲笑を浮かべ、蒼く晴れた空に浮かぶ双子の月──その遙か先にあるであろう白亜の巨艦を指さした。

「おそらく“ゆりかご”では迎撃用の反応魚雷はおろか、対空砲火の誘導レーザーにすら耐えられないだろうね。逆に空間歪曲障壁を抜くことも、単一素粒子の装甲を傷つけることも尋常な兵器では不可能だ。
 両者には、大人と赤子というレベルでは済まない戦力差があるのさ」

 “セフィロト”の非常識かつ理不尽な仕様を楽しげに解説するスカリエッティ。単艦で次元世界一つを制圧できるという売り文句は決して誇大妄想ではないのだ。
 無論、その運用には厳しい制限が科せられており、基本的には管理世界共同体の国際会議による議決でのみ他の次元世界に進出することが許される。しかし、ミッドチルダ周辺の領域であればある程度裁量の自由が認められている。その点、彼の考察は正しい。

「──が、“冥魔”の王がその少女を欲していたというのなら話は変わってくる」

 一転、冷酷な声が一石を投じた。

「彼らには彼女と“ゆりかご”を有効的に活用出来る、何らかの手段や思惑があるわけだ。もう一度言うが、私は速やかな処分を推奨しよう」
「まぁ、せやろなぁ……」

 はやての疲れ混じりの言葉を皮切りに、その場の全員の視線がオッドアイの少女──件のクローンへと向けられた。
 ぽけーっと花畑で舞う蝶々を目で追いかけていた少女は、大人たちから注目に慄いて再びなのはの足に抱きつく。

「たった一人の犠牲で、失われるかも知れない数千数億の命が救われる。簡単な引き算だと私は思うがね」
「それは──」

「そんなの、ダメだよ!」

 なのはの悲痛な声が傾いた流れを断ち切った。
 いささか感情的になっている彼女は、足下の少女を大人たちの視線から庇うように抱き寄せる。それを見て、密かにはやてが面白がって笑みを浮かべた。

「こんな……、こんな小さな子を犠牲にして。それで手に入れた平和なんて、そんなの間違ってる!」
「私も、なのはの意見に賛成だよ」

 フェイトも賛同を示すと、なのはが安心したように微笑んだ。

「ふむ。確かに最善とは言い難いが、最も優れた次善の策ではないのかね?」
「最善を目指すなんていわない、世界がそんな単純じゃないことだってわかってる。……でも、誰かを救うためだと言い訳をして、こぼれ落ちる命を諦めるなんて私にはできない」
「何も切り捨てず、全てを救うと? それは理想だよ、妄想と言ってもいい。その空虚な幻想から産まれた恣意的ヒロイズムが、さらなる悲劇を生むとは考えないのかい?」
「私は、はじめる前からできないって諦めたくないだけ。たとえあなたの言うことがたった一つの正解だとしても、犠牲が出ることを仕方ないなんて言葉で片づけてしまうくらいなら──」

 言葉を切り、フェイトは薄笑みを浮かべるスカリエッティを正面から見据えた。

「そんな正解、私はいらない」

 正論にも揺らぐことのない瞳は、その鮮やかな真紅に断固たる信念と混じりっけのない覚悟を宿していた。

「お話にならないね」
「っ、あなたは!」

 険悪なムードが漂う。
 ここではやてが行動を起こす。

「と、いろいろ意見が出たわけやけど。カリムはどう思う? 聖王教会の幹部としての立場からご意見をどーぞ」
「嫌な言い方をしてくれるのね。……包み隠さずに言うなら、その少女をこちらで確保したいところよ。もし本当にその子が聖王のクローンなら、ね」
「おやおや」

 争いの火種を嗅ぎ取り、愉快げな声で茶化すマッドが武闘派シスターに殺す気で睨まれて肩をすくめた。

「でも、今の管理局と下手に事を構えたくないのも教会の本音。だから私ははやての決定に賛同し、最大限協力することにするわ」
「そこで丸投げするカリムもええ性格してるわぁ」
「あら、当然の流れだと思うけど。責任重大ね、部隊長さん?」

 そう言って、軽くウィンクする食えない友人に若干の徒労を感じつつ、はやては襟を正す。

「さて今回の件やけど、まさしく“冷たい方程式”やね。まあ原典の“カルネアデスの板”でもええけど」

 読書家らしく無駄に蘊蓄を披露するはやて。頭上にクエスチョンマークを浮かべる一同──スカリエッティは何やら思い当たるらしい──に、彼女はお得意のふてぶてしい顔を見せた。

「私らの故郷、第97管理外世界の古い哲学の問題でな。

 とある一隻の船が難破し、乗務員は全員海に投げ出されました。一人の男が命からがら、一枚の板にすがりつきました。
 するとそこにもう一人、同じ板に捕まろうとする人が現れました。けれども二人が捕まれば、板そのものが沈んでしまうかも知れない。そう考えた男は後から来た人を突き飛ばして殺してしまいました。
 そのあと救助された男は殺人の罪で裁判にかけられたましたが、罪には問われませんでした。

 ……と、こういう筋書きのお話や」

「ふむ、なるほど。緊急避難の命題というわけだね。人間心理と社会の矛盾を突いたなかなか興味深いテーマだ」
「あんた無駄に博識やね……」

 言わんとするところをすんなり理解した科学の鬼才に感心を通り越して呆れるはやて。
 気を取り直す。

「まとめると、誰かを犠牲にして生き残ることは、法治社会では時に悪でなくなることもあんねや。──ひとりの命を代償にその他大多数を救済する……たしかに合理的な冴えたやり方や。たとえばそれが、幼い少女の命やっても」

「はやて……」
「はやてちゃん……」

 不安げに見つめる親友たちに思わず笑ってしまう。そんなに自分は頼りないのだろうか、と。

「でもなぁ、私は物語でもなんでも、ハッピーエンドが好きなんや。完全無欠の大団円ならもっといい。
 トゥルーもグッドもいらん。誰も失わず、誰も悲しまんと笑顔になれる──、私はそんな夢みたいな未来がほしい」

 かつて忌まわしき“闇”に囚われ、親友たちの懸命により救われた彼女が取り得る手段など、初めから一つしかないのだから。

「──せやから私がどうするかなんて、決まってるやろ?」

 現実の、辛さや厳しさも併せて飲み込んで。はやては今日も、ニッと大胆不敵に笑うのだった。



[8913] 第二十八話‐5
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/05/29 22:02
 


 夕暮れの聖王医療院、とある病室。

 私はベッドサイドのイスに座り、まっ赤なリンゴの皮を剥いていた。
 このリンゴ、スカリエッティにお見舞いだと押しつけられたもの。──とりあえず、へんなところはない、と思う。

 あっ、皮、途中で切れちゃった……皮を切らさないように剥くのはやっぱり難しい。
 はぁ、とため息。リンゴを脇に置く。
 かたわらのベッドで黒髪の男の子が規則正しい寝息を立てている。夕焼けに染まる穏やかな寝顔に幼いころの面影を見て、胸が苦しくなる。
 着ているものこそ普通の紺色のパジャマだったけれど、シーツから覗くギプスで固められた右腕や、真新しい包帯に包まれた左目が痛々しくて。
 ……なんだか、目の奥がツンとした。

「ユーヤ……」

 名前を呼んで、頬に触れる。
 そっと、そっと。けして起こしてしまわぬように。
 ……指先から伝わる温もりがうれしくて、同時に悲しくなる。
 彼がこんなに酷く傷ついたところ、はじめて見る。こうして目の当たりにしてもまだ信じられない。四年前の決戦でも十年前のクリスマスだって、彼の翼はボロボロになりながらも気高く力強く夜闇を制していた。
 私はまだどこかで過信していたのかも知れない、私のユーヤはどんなことがあっても負けないと。……あのころから進歩のない自分に嫌気が差す。自己嫌悪で吐き気がした。


 ──中庭での話し合いのあと、私は六課に戻らずまっすぐこの病室に向かった。一秒でも早く、彼の顔を見て無事を確かめたかったから。
 わけもなく不安だった。……“彼女”に出合って、散々になじられて。私の心は弱っていたんだろうか?

 あいにく彼は眠ってしまっていて、代わりにそれまで彼の相手をしていたルーさんとすこしの間、いろいろお話した。彼のケガがほんとうはどれだけ酷いのか……とか、いろいろ。
 詳しく聞いて、愕然とした。
 包帯をしている以外は元気そうに見えるけれど、実際はそう見えるように取り繕っているだけ。ギプスに包まれている右手の中身はからっぽで、包帯でくるまれた右目なんて潰れてて。正しく彼は満身創痍──、それを治す余力さえないのだと。

「……」

 少しだけ開かれた窓から忍び寄る秋色の風が、レースのカーテンを揺らす。私にはそれが寂しげに思えた。
 そろそろ閉めた方がいいかもしれない。カゼをひいたら大変だ。

「ん……」

 窓を閉めていると不意に、意外と長いまつげがしばたたく。私は慌ててベッドのそばに跪いた。
 薄く開いた蒼い瞳──、私の好きな星色の宝石。

「──フェイ、ト……?」
「あ……」

 声を聞いた途端、名前を呼ばれた途端、目の前が滲んだ。
 ぐしぐしと袖で拭うけど、あふれる涙が止められない。そんな私に、すっかり目覚めた様子の彼はほのかに苦笑する。

「少し眠ってただけだってのに、大袈裟なだな」
「だって……だってっ……!」

 だって、ほんとうに心配だったんだよ? あなたのこと。


 ────ルーさんの言葉が脳裏に蘇る。

 『崩壊した宇宙の虚数空間でエイミーが見つけたときには、生きているのが不思議なくらい酷い有様だったの。
  魔力の欠如や肉体の損壊もそうだけど、一番致命的だったのは“プラーナ”の欠乏……あらゆる存在が持つ根源的なエネルギーが限りなくゼロになっていたわ。一歩間違えば……いいえ、おそらくこの子でなければ消滅していたでしょうね』

 ルーさんはさらに、『“慈愛”の魔力がなければ、今頃はこうしていられなかったでしょう。まあ、この子のことだから、そこまで計算に入れての挺身なのだろうけれど』とも言っていた。困ったような、愛しげな表情で。
 聞き慣れない単語の意味こそわからなかったけれど、そこに込められたニュアンスならわかる。
 ……なんで。どうして、そんなにも自分を軽く扱えるのだろう。心配する私の気持ちも、知らないで。

「……ごめん」

 ユーヤはそう言い、涙でぐしゅぐしゅになった私の顔に右手を伸ばそうとして、はっとした。たぶん、手が使えないことに気づいたんだと思う。
 行き先を失ってさまよう手を取り、胸に抱き寄せる。
 ぽた、ぼた。
 しずくが落ちて、包帯に跡を残した。

「……もうこんなこと、しないで……」
「フェイト……」
「ぐすっ……やだよ、ユーヤがいなくなっちゃうの、わたしもうやだよぉ……ひぐ」
「ごめんな……」

 抱きしめられた私はしばらくのあいだ、子どものように彼の胸を濡らすのだった。




 □■□■□■




 思いっきり泣いたあと。
 寝汗をかいたというユーヤの背中を湿らせたタオルで拭ってあげた。……かなり特殊なシチュエーションに、ちょっとどぎまぎしたのはナイショだ。
 それから、中庭で起きた騒動の顛末を説明することになったので事細かく報告した。……スカリエッティについて秘密にされてたこととかの抗議の意味を込めて、いろいろ文句言ったら逆にたしなめられちゃったけど。それはまた、別の話だ。

「それでその、ヴィヴィオって子を預かることになったわけか」
「うん、そうなんだ。なんだかやけになのはに懐いちゃってて、それなのに引き離すのはかわいそうだよね」
「そうだな」

 リクライニングしたベッドにゆったりと身を預けたユーヤは、あまり上手じゃない私の話を合いの手まじりで楽しそうに聞いてくれていた。

「あ、でもなのは、かなり困ってたなぁ……。六課で保護するって最初に言い出したのははやてだったんだけどね」
「まあ、見ず知らずの幼児に“ママ”呼ばわりされちゃあな」
「うん、私もそう思う。ちょっといきなりすぎだよね」

 彼のすこし投げやりな意見に同意して、苦笑し合う。
 縁あって、たまに預かったりしてる孤児院の子たちに「お母さん」と呼ばれることのある私でも未だに違和感というか拒否感を覚えるのだから、なのはが困惑するのも当然だ。

「だけどなおさらフェイトも面倒見てやらないとな。……あのなのはに、子育てなんて出来るとは思えん」
「そうだね、できるかぎり力になるつもり。……それにほら、私って普段けっこうヒマだし」
「仮にも隊長が暇ってのはどうなんだ」
「だ、だって……」

 ちょっとした冗談を言っただけのつもりなのにたしなめられた。予想外の展開に言葉がない。
 機動六課では捜査官としての活動のない今の私の主な職務は、必然的にデスクワークばかり。同じ中間管理職だけど、教導を受け持っているなのはより時間に余裕ができてしまう。けしてサボっているわけじゃないことはユーヤも承知してるはずなのに……。

 ううー。
 涙目でにらんでみた。
 ……だめだ、とってもイイ笑顔を返された。わかっててやってるんだね、ひどいんだから。

「ま、そういうことなら俺も協力させてもらおう。とりあえず上との調整は任せてくれ、力付くで認めさせるから」
「もう……あんまり無茶しちゃだめだよ?」
「あはは、心得てますって」

 まったく、笑い事じゃないよ?
 不穏なことを臆面なく断言してしまう頼れる私の恋人は、大ケガを負っていてもなんにも変わっていなかった。

 しゃり、とリンゴをつまんでかじるユーヤ。おいしい、と言ってくれてうれしかった。うまく切れてるね、とほめてもらってもっとうれしかった。
 でもその喜びも、長くは続かなかった。

「──それにしても、ジュエルシードにアリシア・テスタロッサ、か……」
「あ……、ぅ、うん……」

 呟くような一言。ガン、と頭を殴られたような衝撃を感じた。
 心臓が痛いくらいに激しく脈打って、胸が苦しい。

「てっきりジュエルシードは管理局が保管しているもんだと思っていたんだが……実際のところはわからないな。この十年で散逸した可能性も充分にある。俺の方でも調べてみよう」
「……うん……」
「問題は“アリシア”、か。虚数空間からサルベージしたと言っていたが……“落とし子”にして君にぶつけるとは、下種なことを考えた奴もいたものだな。痺れも憧れもしないが」
「そう、だね……」

 考えをまとめているような独り言に生返事しか返せない。
 絶望色の感情に、胸のなかが埋め尽されていく──……くるしい、くるしいよ。

「……フェイト、アリシアに“ニセモノのくせに”とでも言われたかい?」
「っ、……どうして?」
「わかるさ、君のことなら」

 小さな微苦笑。あたたかく包み込んでくれるやさしさに、心が救われる気がした。
 彼はふと真剣な表情をして窓の方を見た。

「──お互い、真正面から向き合ういい機会かもな」
「向き合う?」
「ああ。俺たちが抱えた厄介な業と、さ」
「業……」

 重苦しい言葉が、ずん、とのしかかってくる。
 彼の言う、私の“業”というものがなんなのかはわかってる。いままさに目の当たりにして打ちのめされているのだから。
 だけど、あなたは……?

「情緒が不安定になっている今の君にこれ以上、追究する気はないけどね。……甘いかな、俺は」
「ううん、そんなことないよ。……ありがとう」

 ユーヤは自由になる左手で私の手を取る。私は指を絡めて、ぎゅっと握り返した。
 ……漠然とだけど、感じてた。
 いつか“運命”に立ち向かい、乗り越えなきゃって。そうしなければ、きっと私はいつまでたっても前に進めない。
 光差す未来になんてたどり着けやしない。

「ふたりで、乗り越えよう」

「ああ。ふたりで、な」

 だから、決着をつける。
 アリシアのこととも、“母さん”のこととも。

 ──あなたの笑顔に誓って。




 □■□■□■




「ご主人様、宜しかったのですか?」
「何がだ、エイミー」

 テスラの姿で廊下の長いすに座り、病室内の恋人たちを黙して見守っていたルーが褐色肌の部下の声に顔を上げる。

「彼女の良質な“プラーナ”を用いれば、若様の傷を癒す助けになったはず。今のままでは復調に時がかかりすぎるのでは?」

 フェイトの保有する“存在の力”は傷ついたカミを癒すに相応しいもの。
 彼女ほど上質ならば直接魂魄から抜き出すのではなく、生命の危険が少ない血液などの体液摂取で済む。愛するひとのためならそれくらい易いだろう──そう入れ知恵しようとしたエイミーだったが、他ならぬルーに止められた。
 彼女はなぜ魔王らしい合理的な方法を採らないのか、その真意を主に問いたかったのだ。

「確かにな」
「でしたらなぜ」
「だが要らぬ」
「しかし」
「諄いぞ」

 静かに一喝され、「差し出がましいことを」とメイド魔王はあっさり引き下がった。
 ルー自身、その方法を考えなかったわけではない。しかし結局は攸夜に判断を委ねた。
 ──ヒトに破れ、世界の未来を託した彼女と。ヒトに恋し、世界の未来を信じた彼。その動機はある意味では同質であった。

 時に、自分の命すら投げ捨てる行き過ぎた献身を見せる“血”を分けた弟──あるいは息子──が好ましいと思う自分が居ることに、彼女はもう驚かない。
 見てみたいのだ。
 “シャイマール”や他の古代神のようにヒトを否定するのではなく、ヒトと供に歩む路を模索するカミとその仲間たちの創る“世界”が。

「……行くぞ、エイミー。奴らに目にものを見せてやらねばな」
「はい」

 あるいはそれは、失われたエデンなのかもしれない。













 ──やあ、メイオ、ご苦労さま。手間をかけたね。

『ほんとだよ、まったくもー。酷い目にあっちゃった』

 ──ボクもまさかあんな自爆紛いの手段に出るとは思わなかったよ。さすが“裏界皇子”と言うべきかな。

『それにしても、よかったの? あのコをさらってこなくて。キミがその気ならいつだってできたのに』

 ──いいんだ、これでね。全てはボクのシナリオ通りに運んでいるのさ。

『ふーん……?』

 ──種は蒔いた。後はそれが芽吹いて、実を成す刈り取りの季節を待つだけだよ。

『……ま、あたしはベルちゃんと遊べればなんでもいいんだけどっ♪』

 ──キミのそういうシンプルなところ、嫌いじゃないよ。
 ──……さて。絶望の未来に至るトラジリディの第二幕の、開幕と行こうか。



[8913] 第二十九話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/06/03 23:27
 


 機動六課隊舎、玄関ホール。

 高町なのは(十九歳)は頭を抱えていた。

(……はあ、どうしよ)

「ううー……」

 おなじみ白を基調とした教導官制服姿の彼女の足下には、涙目でこちらを見上げる金髪の幼女──ヴィヴィオ(推定五歳)。色違いのまん丸な瞳がたいへんかわいらしいが、今のなのはには強大無比な敵としか思えなかった。

「ヴィヴィオ、私はこれからお仕事にいかなくちゃだめなの。それでね……」
「やだー! なのはママといっしょがいいのー!!」
「そんなこと言わないで。いい子だからお願い、ね?」
「やあー!」

 努めて優しく言い含めるが、小さな暴君はぎゅうっとスカートにしがみついたまま離れてくれない。おかげで白いウサギのぬいぐるみがぺちゃんこである。
 保護三日目にしてこれだ。
 本日午後からの予定は、来るべき“冥魔”との激戦に備えて出向・着任した陸士108部隊の面々との初訓練。否が応でも気合いが入り、ばっちり準備したかった。

(……はあ、ほんと、どうしよ……)

 朝の訓練はまだよかったのだ。
 ヴィヴィオはまだ起きておらず、訓練から戻って朝食を一緒に食べたときも機嫌がよさそうに見えた。書類仕事の時間だって、同じ部屋でだがおとなしくひとり遊びしてくれていた。
 が、問題はそのあと。
 午後の訓練の準備のため、一足先に訓練施設に向かおうとしたなのはだったが、ヴィヴィオを預かってくれそうな人が今日に限っていないことに思い当たる。そして、何とかヴィヴィオに留守番を言い含めようと小一時間、嫌だの一点張りで言うことを聞いてくれず、完全にお手上げだった。

 どうやらヴィヴィオ、独りになるの怖いらしい。普段は聞き分けがよく、手の掛からない“良い子”なのだが。
 なのは自身、幼少期にいろいろあって寂しい思いをした愛情に飢えた子だったので──無論、その思いは「家族に放置された孤独な私かわいそう」という赤面モノの自己憐憫だと自覚しているが──、ヴィヴィオの気持ちはよーくわかる。痛いほどわかる。
 その上、出生不明で天涯孤独の身。だから可能な限り寂しくないようにしてあげたいと思う。不本意ながら自分が面倒を見ることになってしまったが、それで冷たく当たるほどなのはは薄情ではない。
 しかしなのはに年下の、それも幼児をあやすスキルなんてないのだ。
 末っ子だし、わりかしかわいがられて育ったし。同じ末っ子な幼なじみが、妙に子どもの扱いに慣れていることは横に置いておくにしても。

(……誰か代わりに見ててくれる人がいたら、なぁ)

 寮母のアイナやシャマル、あるいはメガーヌ辺りが候補なのだが、あいにく三人とも所用で六課を留守にしている。
 次点のはやては一応部隊長ともあってやはり忙しいだろうし、何より問題はフェイトだ。

(……フェイトちゃん、今日も朝から攸夜くんとこ行っちゃったしなー……)

 協力する、という舌の根も乾かぬうちに朝っぱらから遠くの病院へ直行した金色わんこの所行に、友人ながら呆れ果てる。入院中の恋人が心配なのも理解できるが、正直少し自重しろと言いたい。これだからバカップルは。
 もっとも、彼女は彼女で幼少期のトラウマが軽く再発しているから致し方ないのだが。──今頃、金髪の親友は病院で黒髪の幼なじみとよろしくやっているのだろう、イチャイチャしてるのだろう。……羨ましい。むしろねたましい。
 私だって、ユーノくんと会いたいのに。

 そんななのはの内心に湧いた黒いものを敏感に感じ取り、ヴィヴィオが再びぐずりはじめた。
 あたふた、あたふた。
 めそめそぐずる幼女の前で右往左往するオトナ未満。

「どうかなさいましたか、高町教導官」
「あ、宇佐木さん。それに……」

 そんなところに声をかけたのははたして、攸夜直属の部下にして機動六課にかけられた“首輪”、部隊長補佐官・宇佐木月乃であった。

 そして、もう一人。
 茶色のポンチョに紫のセーラー服、ゆるふわの銀髪が美しい。百人が百人がかわいいと表現するであろう可憐な面差しに、高飛車な表情を張り付けた文句なしの美少女──

「……ふん」

 ご存知なのはの天敵、“蠅の女王”ベール・ゼファーである。
 今日は珍しく御付きの姿が見あたらない。

「ええっと、珍しい組み合わせですね」
「そこで出会しただけです」
「あえて言うなれば、人間なんかに身を堕したかつての同朋を嘲笑ってる、ってところかしら」
「……私は今の身分に満足していますので」
「あっそ」

 当たり障りのない返答に、ベルは興味なさげに吐き捨てる。期待外れだったのだろう、わずかに残念そうだ。

「見たところ、その子がだだを言っているようですのね」
「ええと、そうなんです。これから午後の訓練なんですけど、ヴィヴィオがぐずっちゃって……」
「たしかにそれはお困りでしょう。会議の予定がなければ私がお預かりしたのですが……」

 足下に落とした月乃の目線に、ヴィヴィオのぬいぐるみが留まる。
 このぬいぐるみ、フェイトの私物で元々は攸夜が趣味で制作したものだった。彼女らの部屋にはそういったものが山ほどあり、フェイトはそれらほぼ全てをヴィヴィオに快くプレゼントしている。代わりになのはの部屋はぬいぐるみだらけになってしまったが。

 月乃は膝を屈め、なのはの足にひしと抱きついたヴィヴィオとの目線の高さを合わせる。

「あなた、兎が好きなの?」

 ヴィヴィオがおずおずと首肯する。人見知りするわけではないのだが、見慣れない人間に警戒しているのだろうか。
「そう」と警戒を解きほぐすよう、にこやかに笑いかける。普段の怜悧で冷たい印象を覆す母性溢れる表情だった。

「ならこれをあげましょう」

 彼女はそう言うと、何もない虚空──月衣から、ちゃんちゃんこを着たウサギのぬいぐるみを取り出す。手には杵だろうか、棒っぽいものを持っている。
 ぱああっ、とヴィヴィオのオッドアイがにわかに輝く。

「わあっ、うさぎさん!」
「この子の名前は“スペースラビット”」
「すぺーす……?」
「月に住んでいるかわいい兎よ」
「おつきさまにはうさぎさんがいるの?」
「ええ。夜になると、臼と杵でぺったんぺったんお餅をついているの。仲良くしてあげてね?」
「うんー!」

 ウサギのぬいぐるみをもらったヴィヴィオは、「ぺったん♪ぺったん♪」と口ずさんですっかりご機嫌を直したようだった。
 ……なんだかすごく手慣れている。意外な伏兵だ、となのはが軽くショックを受ける。

「趣味が裁縫なんです、私」
「は、はあ」
「主上や八神部隊長、他有志のみなさんと“手芸同好会”の活動をしています」
「そ、そうなんですか」

 屈んだまま幼女の頭を撫でる怜悧な才女の意外な一面に、なのはは驚くばかりだ。
 と、ここで彼女は問題が何一つ解決していないことをいまさらながらに思い出した。

「それにしても、ヴィヴィオのこと、困ったなぁ……」
「ならこのベール・ゼファーにやらせればよろしい」
「はあ? なんであたしがそんな面倒なことしなくちゃならないのよ」

 脈絡もなく話の矛先を向けられ、ベルが胡乱げな目を元魔王に送る。なのはも首を傾げているが、月乃には何やら根拠があるらしかった。

「以前、生まれて間もない幼児を物心がつくまで養育したことがおありでしょう? 経験者なら打ってつけではありませんか」

 黒き星の皇子参照である。

「へぇー」
「んなっ!?」

 なのはが心底意外そうな顔をして、ベルが絶句する。

「ななななな、なぜそれを!? あんた月に引きこもってたじゃないのよっ!?」
「“秘密侯爵”から聞きました」
「リーオーンーっ!!」

 ここにはいない、無口なくせにおしゃべりな部下に自分の黒歴史を漏らされたまおーさまは激怒した。
 その声量はヴィヴィオを怯ませるには十分で。びくぅっと身を竦ませると三度目を潤ませ、瞬く間に決壊した。

「あ、あわわ……」
「おや」
「ちょ、ちょっと。ピーピー泣いてんじゃないわよ……」

 三者三様。
 反応はそれぞれだが、共通しているのは程度は違えど慌てていることである。

「……泣かせよったのう、ベール・ゼファーよ」
「うっ……」

 ぼそっと地を出し、月乃が糾弾する。さしものベルも泣いている幼子には勝てないのか、言葉を詰まらせた。
 どうしたらいいのか見当もつかず、狼狽えて取り乱すなのは。傍らで腕を組み、我関せずの態度を貫いていたベルだったが次第に苛立ちを感じ始めた。ピキピキ、と額に青筋が立つ。

「ああんもう! じれったい! ちょっと寄越しなさいっ!」
「あっ!」

 とうとう我慢がならなくなったベルは、ぱっ、と強引にヴィヴィオを抱き上げた。
 初めは大いに嫌がっていたヴィヴィオだが、そのうち抵抗を止めて大人しくなっていく。抱え方やあやし方が巧いのかどうなのか、ぽんぽん、と背中を叩かれている様子はどこか安心しているようにも見える。
 あまりの早業、なのはは呆然とするしかない。

「……どうやら問題ないようですし、後はお任せください高町教導官。私も、時間を作って様子を見に来ますので」
「そうですね……。なんか、無性に納得できないんですけど」
「割り切ることです。あなたはまだ若く、力不足なこともあるのですから」
「はあ……」

 何か敗北感というか、腑に落ちないものを感じる“新米ママ”なのだった。













  第二十九話 「君の空に」













「──ということがあったらしくてだな。まあ、フェイトからの又聞きなんだが」
「…………」

 薄暗く狭苦しい室内に満たされた高温に熱せられた蒸気──いわゆる蒸し風呂、あるいはスチームサウナと呼ばれるもの。

「何のつもりかは知らないが、口では嫌々言う割に何度か相手して、これが結構打ち解けているみたいでさ」
「…………」
「前々から思ってたんだが、面倒見がいいのか悪いのかよくわからんよな、ベルの奴は」
「…………」

 その奥の方、段々になったベンチに腰掛けている若い男性の二人組。ボサボサの黒髪をバンダナ代わりのタオルで纏めた青年と、長い金髪を同じくターバン状に巻いたタオルで包んだ青年。どちらも趣こそ違うものの、なかなかの美男子だ。
 二週間の入院から無事退院し、ふらりと親友の顔を見にやってきた攸夜と、無限書庫で引きこもっていたところを、お騒がせな親友に半ば無理矢理引っ張り出されたユーノである。

 ここは時空管理局本局ステーションの一角、数千万人の職員の福利厚生を目的としたスパ施設。温水プールや本格的なスポーツジムなどを完備した立派なものだ。
 二人はこの施設をよく利用しており、主に運動不足気味のユーノを攸夜が連れ出す形で友好を深めている。なお余談だがこの「男同士の裸のつきあい」、クロノやヴェロッサも時折参加していたりする。

「って、ユーノ? さっきから黙りこくってどうしたよ」
「………………僕、なのはがそんな子を預かってるだなんて、ぜんぜん聞いてない」
「ああ……」

 少し不機嫌そうなユーノから呟かれた言葉に攸夜は得心した。彼にしてみれば、かなりショックな事実だったのだろう。

「んー、さすがにつき合ってる男に“ママになっちゃいましたっ!”とは言い出しづらいんじゃねえの? うら若き乙女のなのはさんとしてはさ」
「いや、僕らつきあってないし。ただの仲のいい友だちだし」
「まだ言うか、この子は」

 時々ふたりだけでデートしてるくせによく言う、と友人の頑なな態度に攸夜は嘆息した。
 照れ隠しの冗談なのだろうか、“強請るな、勝ち取れ”が信条の攸夜には理解しがたい。

「そうだ、機動六課に行こう」
「そんなCMみたいなこと言って。だいたい、僕には無限書庫の仕事が……」
「堅いこと言うなよ。第一、有給余りまくってんだから少しは使え。上司がワーカーホリックじゃ部下が休みづらいだろうが」
「うっ」
「それに会ってみたいだろ? ヴィヴィオに、さ」
「…………うん」

 素直な奴だ、と攸夜は玉のような汗を浮かべた顔で完爾と笑うのであった。



[8913] 第二十九話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/06/10 21:29
 


 明けて、翌日。

「やってきました機動六課」
「勝手知ったるなんとやら、って感じだね」

 機動六課の隊舎にやってきた二人。迷いのない足取りでずんずん進む親友の背を追い、ユーノは幼なじみたちの働く職場に初めて足を踏み入れた。

 攸夜の押しの強さに負けた身だが、実はユーノも内心では今回の来訪を心待ちにしていた。
 久々になのはと会える──これ以上に嬉しいことはない。それから、彼女を“ママ”と慕う少女との面会も。攸夜の印象では「聞き分けのいい普通の女の子」ということだったが、はたして?

「まあ、実際すぐそこの寮に住んでるしな」
「女子寮なんでしょ? いいのかなぁ」
「いいに決まってんだろ。俺がフェイト以外に不埒な行為をすると思うか?」
「思わないけど。威張って言うことじゃないよね、それ」

 明け透けな物言いにユーノは呆れて苦笑するしかない。
 だが確かに、彼はそのようなしないと断言できる。軽薄な言動は単なるポーズで本当は呆れるほど一途なのだ、この幼なじみは。
 幼いころ、フェイトに手書きの手紙を贈りたい、ミッドチルダ語を教えてくれないか、と頼み込まれたことをユーノはよく覚えている。もともと語学系に長けていた彼は習得にかけた強い熱意と真剣さもあって、ほんの数週間でミッド語の基本的な読み書きをマスターしてしまった。
 今思えばその熱意の原点は、フェイトへの無自覚な恋心だったのかもしれない。

「へー、外見はちょっとくたびれてるけど、意外と内装はキレイなんだね」
「キチンとリフォームしたからな。匠の業が冴え渡っているよな」
「つまりこういうことかな。“なんということでしょう”」
「そうそう、“なんということでしょう”」

 くだらないやりとりに笑みがこぼれた。同じ友人のクロノとはちょっとできない類の会話だ。

 さておき、ユーノの服装はいつものライトグリーンのスーツなのだが、攸夜の服装はかなり奇抜と言わざるを得ない。
 プライベートだからなのか、見慣れた紺の背広ではなく、黒いカッターシャツに右腕の部分だけがブルーになったアッシュカラーのジャケット。立てた襟に二列のベルトがついており、上下のファスナーを適度な長さで開けている。
 そしてインナーとボトムも蒼く、ベルトやブーツ、クロスのネックレスや無骨な鎖のウォレットチェーン、同じく鎖の腕輪のアクセサリーも調和が取れていた。
 ──たしかにおしゃれだし似合ってもいるが、いささかパンクすぎやしませんか、とユーノは他人事ながら不安になる。とても自分にはできそうもない格好だと生真面目な司書長は結論づけた。

「それはそうと、ユウヤ」
「うん?」
「身体の方は本当に大丈夫なの?」

 この友人、つい先日退院したばかりである。
 ユーノも仕事の間を縫ってお見舞いにも顔を出したが、目を疑うほど酷い怪我だった。とても二週間やそこらで治るようなものとは思えなかったし、実際再起不能レベルの重態だった。体調を気遣うのはもっともである。
 しかし当の本人は、おどけたようにすっかり元通りの右腕を腕まくりして力こぶのポーズをして見せた。

「見ての通りさ。フェイトと退廃的に過ごして、お互い心身ともにリフレッシュさせてもらったよ」
「あはは……相変わらずフリーダムだね、ユウヤは」
「それが俺の魅力だろう?」

 攸夜は左目を閉じて、臆面もなくキザな台詞を言い放つ。“お互い”と表現するところが憎らしいが、さんざ心配させられた方としてはいささか釈然としない。

「……ま、実を言うと、戦力的にはアースラ級を沈められる程度までしか回復してないけどな」
「それって十分なんじゃ?」
「まだまだ。全力の一割未満だよ」

 宝玉の魔力もほぼ空だしな──一瞬だけぞっとするような表情をして、攸夜は自嘲した。
 ここまで回復できたのには訳がある。

 ──フェイトの“プラーナ”を喰ったのだ。文字通りに。

 無論、理由を全て彼女に打ち明けて理解と協力を求めた上でだが。その身は強大な神秘を内包した極めて高度なアストラル体、他者の“プラーナ”を取り込むのは容易い。フェイトとの“相性”のよさもそれを助けた。
 だが、本来忌諱すべき手段をとらざるを得ない攸夜にとっては痛恨の極み。故の自嘲だった。


「はてさて。お姫様はどこにいらっしゃるのかな、と」
「フェイトに予定とか、聞いてないの?」
「うんにゃ。サプライズにしようと思ってさ、黙っといたんだよ。──っと、丁度いいところに顔見知り発見。
 あー、ちょっといいかな、そこのお嬢さんたち」

 ラウンジのようになった一角でお喋り中の女性三人組に近寄ると、攸夜は人当たりのいいにこやかな表情で声をかける。知り合いのようだが、きっかけがまるで安いナンパの手口じみている。この場にフェイトがいたら、血の雨が降るだろう。

「あ、おはようございます、ユウヤさん」
「「おはようございまーす」」

「ああ、おはようシャリオ、アルト、ルキノ。歓談中に悪いんだが、ちょっと訊きたいことがあるんだ。構わないかな?」
「はい、いいですよ」

 代表して応対する眼鏡の子。ユーノも眼鏡愛好家なのでちょっと気になる。

「あ、でもそちらの方は……」
「ん? ああ、すまない」

 当然の疑問に攸夜はやや強引にユーノの肩を組んだ。
「うわっ、とと」友人のこの乱暴な行動には慣れっこだったので、ユーノは衝撃でずれた眼鏡を直すだけに留めた。

「コイツは俺たちの幼なじみで親友、ユーノ・スクライアだ」
「よろしくね」

 ざわっとする三人。

「……あの、ユーノさんてもしかして、無限書庫の司書長の?」
「ああ、そうだよ。あの“伝説の司書長”さ」
「ちょっとユウヤ。やめてよ、それ。言われるこっちは恥ずかしいんだから」

 敬意と好奇心がない交ぜになった視線がこそばゆい。しかし、攸夜と行動を共にしているとよくあることなので、ユーノは気にしない。せいぜい司書長としての自分を知っているのだろうとか、雰囲気が派手な友人と地味な自分の組み合わせが物珍しいのだろうとか、その程度の認識だ。

 その三人組──はやて直属の部下らしい──と軽く挨拶と自己紹介を交わし、本題へ。
 彼女らの話だと、なのはたちはレクリエーションルームで出向組の面々との親睦会をやっており、どうやらお目当ての幼女もそこにいるらしい。お誂え向きとはこのことだ。
 礼を言い、二人はその場を離れた。


「……なんか、背景に薔薇の花が咲いてるよねー」
「「ねー」」
「どっちが受けなのかな」「やっぱりユーノさんじゃない?」「かわいい顔してたもんねー」「いやいやー、案外逆かも」「その発想はなかった」「フェイトさんにはヒミツの禁断の愛!みたいな?」

「「「きゃあー!!」」」

 姦しい黄色い悲鳴は、幸いにもユーノには届かなかった。




 □■□■□■




 レクリエーションルーム。

 攸夜が先立ち、電子ドアを開く。

「おかえりユーヤっ! はやかったね、どうしたの? ──って、あれ? ユーノ?」

 ドアの開閉と同時に咲き乱れる笑顔の花。半ば予想していたかのように待ち構えていたフェイトが恋人を出迎える。
 やはりフェイトの攸夜を察知する能力は常軌を逸している、とついで扱いのユーノは苦笑を禁じ得ない。

「よお、邪魔するぜ」
「や、久しぶり、フェイト」

 砕けた挨拶は気心の知れた間柄の証。
 ブロンドの幼なじみとの挨拶をもそこそこに、ユーノはきょろきょろと“彼女”を探す。そしてすぐに見つけた、赤みがかったサイドテールの女の子を。

「え……、ユーノくんっ!?」


 大きく見開かれた紫水晶の瞳が若草色の眼差しと交わる。
 ユーノは自分の心臓が、どくんっ、と高鳴った気がした。

 なのはがやにわに立ち上がり、小走りでこちらにやってくる。その際、周りの部下たちに一言断るあたり彼女らしい。

「あ、いや、その……久しぶり、だね、なのは」
「う、うん……」

 会話に漂う妙なよそよそしさにユーノが内心で歯噛みする。想い慕う女の子に気の利いたこと一つ言えないのか、と。
 電子メールでのやりとりは続けていたものの、こうして直接顔を合わせるのは数ヶ月ぶり。否が応でも緊張してしまう。いろいろな意味で意識してしまうからなおさらで。
 そんな二人の空気を察して、攸夜とフェイトはそっとその場から離れる。

「でもユーノくん、どうしてここに?」
「うん、なのはが小さい女の子の“ママ”をやってて大変だって、ユウヤから聞いてね。一度、なのはの職場を覗いてみたかったし、いい機会かなと思って」
「あっ……ご、ごめんね、ヴィヴィオのこと、ユーノくんに黙ってて。……べつに秘密にしてたとかじゃなくて、えと、タイミングがなかったっていうか、その……」
「いや、責めてるわけじゃないんだ。ちょっとショックだったけど、でも、なのはも言い出しにくかったんだってことは僕にもわかっているから」

 らしくなくしどろもどろに弁解するなのは。わずかに違和感を感じながら、ユーノはあえて衝撃を受けたことも隠さず告げて、彼女をなだめた。

「あっ……うん、ありがと……」
「えーと、それでその子はどこかな?」

 部屋を見渡すと、ユーノの見知った顔もちらほら見受けられた。以前、ホテル・アグスタの一件で見かけたなのはの部下たちだ。それ以外にも数名の見知らぬ女性もいたが、こちらはおそらく余所の部隊から出向して来た子たちだろう。

 と、攸夜とフェイトが管理局の施設には似つかわしくない金髪の幼女と対面していた。──彼女が件の少女らしい。

「元気にしてたかー、ヴィヴィ子」
「ヴィヴィこじゃないよっ、ヴィヴィオだよっ! おじさん!」
「おじさんじゃなくてお兄さんだって言ったろう、なあヴィヴィ子?」
「ひゃっ、いひゃいいひゃいっ!」
「はっはっは、元気が有り余ってるみたいだな。重畳重畳、いいことだ」

 両方のほっぺを抓られ、暴れていた女の子が攸夜の手から逃れると、傍らでその様子を微笑ましく見守っていたフェイトの足元にまとわりつく。こわいお兄さんから隠れているつもりらしい。
 ピンクの髪の少女が一連のやりとりを何やら複雑そうな様子で眺めていた。

「──あはは、ユウヤにはずいぶん懐いているんだね」
「そうなんだよー。攸夜くん、すぐにヴィヴィオとなかよくなっちゃって。フェイトちゃんだってあやすの上手だし……なんか私、自信なくしちゃうなー……」

 どこか疲れた表情で、なのははぽつりと弱音を吐露する。違和感の正体はこれか、とユーノは納得した。
 子どもの接し方を熟知している二人と、昨日今日始めたばかりのなのはの間に差があるのは道理。これから経験を積めば十分埋められる差だというのに。

 ──そんな気弱な表情、なのはには似合わない。

 肩ごしにそっと見守った笑顔はまぶしくて、なによりも尊く感じて。優しさと強さの分だけ傷つきやすい、その青空のような心を護りたいと願った。

 ユーノは、衝動的になのはの両手を取る。

「そんな顔しないでよ、なのは。僕がついてるから、ふたりで力を合わせて一緒に頑張ろう」
「ぁ……」

 ぽっ、と。
 びっくりしてユーノの顔を見上げていたなのはの頬に薄紅が差し、茫然した紫色の瞳がうるうると潤む。
「わっ、ごごご、ごめんっ!」ユーノは自分たちの状態に気づき、慌てて手を離そうとする。「だめっ!」
 突然の声にびくりと動きを止めた手を白魚のような指先が絡め取る。それはゆっくりと、控えめで、ためらうようだった。

「な、なのは?」
「……手、もう少し……」
「あ……」
「…………」

 手を繋いだまま、見つめ合うふたり。陶然とした表情で、自分たちの世界に浸っている。あとほんの一押しあれば、めでたくゴールイン──そんな甘酸っぱい雰囲気。彼らにしては珍しい。
 だからふたりは、すっかり失念していた。

「じー」

 自分たちを見つめる数々の瞳に。特に、何やら不満そうな色違いの小さな瞳に。

「「!!?」」

 ぱっ、と慌てて離れたユーノとなのはは真っ赤にのぼせて俯くのだった。



[8913] 第二十九話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/06/17 21:20
 


 ユーノと、スバルたち四人+ギンガとその部下五人の自己紹介はつつがなく進行した。
 もっとも、肝心のヴィヴィオとの初対面は残念ながら見事玉砕と相成ったが。
 幼女いわく「フェイトママがいいのー!」。ユーノはフェレットモードでなかったことをちょっぴり後悔したという。

 閑話休題。
 交流会の流れを汲んだ攸夜がティーセット──お茶菓子は主にマドレーヌ──を用意すれば、お茶会となるのは当然の推移だろう。
 普段は戦場を翔る乙女たちも今日ばかりは戦いを忘れ、姦しくお喋りを楽しむ。ナンバーズの四人も社会経験を積んで年頃の少女らしくなっていたようだ。──その陰で、フェイト・ギンガ間でポジションを争う女の暗闘が勃発していたりしたのだが、わりとどうでもいい。

「ヴィヴィオ、おいしい?」
「おいしー」

 ママの膝の上で自家製マドレーヌにご機嫌な幼子はさておき、やはり話題の中心を独占するのはユーノのこと。時空管理局の有名人にティアナとスバルは興奮を隠せない。

「──へぇー、無限書庫誕生にそんな裏話があったなんて」
「さすが“伝説の司書長”! すごいです、尊敬します!」
「あはは。“伝説”だなんて、大袈裟に誇張されてるだけだよ。たくさんのスタッフが力を貸してくれたおかげだから、僕だけの功績じゃないよ」

 おおー、と謙虚で大人な切り返しに感心の声が上がる。そんな反応もユーノの謙遜を深めるだけだったが。
 しかし、当時情報のカオスであった無限書庫を時空管理局の重要機関にまで育て上げたのは、ユーノの偉大な功績であることは間違いない。彼が一部で“伝説の司書長”と褒め称えられるのはこのためである。

「いやいや。実際ユーノは有能だし、凄い奴だぞ。何せ若干九歳にして新しい部署を立ち上げちまったんだからな。脳筋のフェイトやなのはとは出来が違う」
「ちょっとそれ、どういう意味かな?」
「私も一緒くたなんだ……」

 容赦のない言われ様に、ぷんすか問い質すなのはとがっくり肩を落とすフェイト。
 二人に曖昧な表情を向けて誤魔化そうと試みた攸夜はふと、不自然に黙り込んだ後輩たちに気がついた。

「……ん? なんだ、どうしたお前たち。鳩が豆鉄砲食らったような間抜け顔をして」

「し、ししょーがフェイトさん以外のひとをほめるなんて……、天変地異の前触れですか?」
「監査官殿から他人を賞賛する言葉が出ると、正直……驚きを通り越して少々怖気がします」
「そーそー、似合わないっスよ。いつも私らを鍛えるとき、一日中立ち直れないくらいメッタクソにいうくせに」
「あー、やっぱり? 私も“そのヘナチョコな拳は何だ!”って怒鳴られたっけ。……なのはさんの教導がやさしいって思ったの、初めてだよ」
「だいたい、手加減てものを知らないんですよね、この人」
「……実際、ドSだし」
「戦闘機人がちょっと頑丈だからって、高層ビルの上から叩き落とされるのはさすがになー。マジで死ぬところだつーの」
「いや、普通に死ぬからそれ」

「お前らな……」

 これ幸いと口々に責められて、攸夜の表情がひくひくと引きつる。無論、日ごろの行いの結果である。
 額の青筋から不穏な感じを悟ったギンガが泡を食って話題の転換を計った。彼女もしごかれて結構ヒドい目にあっていたから。

「え、えーと、それにしてもユウヤさんとユーノさんはとっても仲いいですねっ!?」
「そうかな? まあいい加減付き合い長いからね、僕らも」
「だな。……出会ってすぐの頃、お前に責任なんてないのに責めたこともあったっけ。今更だが悪かったな、因縁付けてさ」
「はは、ほんと今更だね。でもユウヤの気持ちはもっともだし、お互い子どもだったから。僕は気にしてないよ」
「ユーノ……っ!」

 魔王様は甚く感動のご様子。
 ユーノくんてばなんてやさしいんだろう、と二人のやりとりを聞いていたなのははキュンときた。当時を知る唯一の人物である。
 攸夜が優しくも荒々しい海原だとするなら、ユーノを全てを受け入れ内包する大地だろうか。
 ともかく彼の包容力はハンパないのだ。

「あはは……。なのはさんやフェイトさんとも幼なじみなんでしたよね」
「二人とも、十年来の大切な友だちだよ。……本当に大変なことばかりだったけど、もしかしたらみんなと出会ったあの頃が一番情実していたかもしれないね」
「そうだな……」
「私たち四人が揃ったらどんなことだってできる──そうだよねっ、フェイトちゃん」
「うん」

 笑顔をほころばせ、胸に仕舞った大事な心の情景に思いを馳せる。結ばれた絆は強く、そして深い。
 少し空気がしんみりとしたところで、天然娘スバルが爆弾を放り込む。

「でも、それにしたって仲良すぎかも?」
「なんかちょっといやんな感じがするっス」
「ちょっと、失礼よスバル、ウェンディ。…………ユウヤさん、まさかそんなわけない、ですよね……?」

 冗談とはいえさすがに言い過ぎだ、と妹たちを窘めるギンガ。しかし、ちらちら反応を伺っているようでは説得力がない。耳年増なのか、そういうのに興味があるなのか定かではないが。
 まさかー、と一同はひきつり笑いで顔を見合わせた。

「ん? 正直なところ結構イケるぞ、ユーノならな」

 何気なく放言された衝撃発言に場の空気が凍る。ザ・ワールドである。
 ギギギギ……、と油の切れたブリキのように首を動かして、なのはは平然と紅茶を飲んでいやがる幼なじみの方を向いた。

「じょ、冗談……だよね?」
「安心しろ、割と本気だ」

 肯定。その瞬間、フェイトとユーノ以外の全員がざざっと身を引く。例外なくドン引きだ。
 ちなみにヴィヴィオは向こうの方でお絵かきにご執心だった。

「まあ、掘ったり掘られたりなんだりはやらんがな。第一、絵面が美しくない」
「じゃあどうするんですか?」
「聞き返すんじゃないわよ、バカスバル!」

 盛大に地雷を踏み抜きに行った相方の脳天に、ツンデレ委員長のツッコミが炸裂する。
「どうするって……」よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに微笑む攸夜。親しい者は知っている、この顔は何か悪巧みしている顔だと。
 ドロン、という効果音とともに白い噴煙が上がり、彼の姿を完全に覆い隠してしまう。

「──こうするに決まっているではありませぬか?」

「えっ……!?」

 白煙が晴れると、そこには和装に身を包んだ癖っ毛蒼瞳の美少女が楚々と微笑んでいた。

 年の頃は十五、六。
 優しさと上品さを合わせ持つ凛とした顔立ちに、肌理細かい玉肌は透き通るような白皙。白い花弁に似たふわふわの髪飾りで、ツーサイドアップに結われた長い髪は烏の濡れ羽色でいわゆる振り袖の清楚な和服は、桜を連想させる薄紅色と高貴とされる紫色の二重であり、長くて紅い提灯袴がスカートのようにも見えた。
 それはまさしく日本の“お姫さま”、小柄で起伏の少ない躯が逆にその印象を助長している。鈴の音のような涼やかな美声も麗しい婉然たる美女であった。
 どれくらい美しいかというと、“彼”を嫌いなはずのエリオが思わず見惚れるくらい。即座にキャロにしばかれていたが。

 これはいくつかある“彼”の工作用擬態のうちの一つ。さすが姉弟というか、深窓の令嬢のイメージをそのまま実体化させたような姿はルー・サイファーを彷彿とさせた。特に声とか。

「えっ、ええ? 攸夜、くん? あれ? でも女の子……? ふ、ふぇぇえええーーっ!?」

 理解不能の事態に混乱し、なのはが叫ぶ。

「媛わらわのことは、ゆうや、ひらがな三つでゆうやとお呼びくだされ」
「どこのヴァイオリン好きな天才少女ですかっ」
「良い切り返しですね、ティアナ殿。誉めてつかわします」
「ど、どうも……」

 妙なトークに調子を崩され、生返事するしかないティアナ。ちなみにひらがな三文字は伝統である。

「て、ていうかなんなのそのしゃべり方?」
「仕様です。きゃらづけとも言いまする。昨今、この流行り廃りの激しい時勢に没個性では生き残れませぬ故」

 古風な“姫言葉”が、純和風な容姿や洗練された佇まいと相まって、異様に似合っている。もっともその内容は、いつものごとく勿体ぶって小難しい言葉で煙を巻くようなものだったが。

「この前の訓練のときからおかしいとは思ってたけど……」
「魔法はみんなを幸せにするんです!」
「脈絡ないなぁ、もう! なんか無性に反論しなきゃいけない気がするしっ!」

 声的な意味で。

 さておき。しっちゃかめっちゃかになった空気を余所に、お姫さまはさらなる奇行に走る。

「さて。この姿であれば、殿方と閨を共にしてもなにも問題ありませぬでしょう……?」
「わ、ちょっ」

 見た目美少女にしなだれかかられたユーノは当然動揺する。が、あまり迷惑そうではない。むしろちょっと嬉しそう?
「!!」くわっ、となのはが目を見開いた。まるで般若のようだ。

「だめー!!」
「おや」

 繰り出されたなのはの体当たりは、するりと流水の如き優雅な動きで躱された。
 そのままユーノに抱きついたなのはは、彼を彼女から引き離して激しく威嚇する。割と大きめな胸を顔に押し当てられて、ユーノはたじたじだった。

「だめ! ユーノくんにくっついちゃだめっ!」
「はて、媛は心の友と触れ合っていただけですのに」
「だめなものはだめっ! 男の子同士とかそういうのはだめなの! だめだめだめだめだめだめだめーーーーっっ!!」
「ふふふ。そう思うのなら、そなたも早よう自分のモノにしたらよかろう? 媛のように、ね?」
「うぐぐ……っ」

 全てを見透かすような妖艶な笑みに、なのはの気勢は瞬く間に切り崩された。
「この人、小悪魔だー!?」と、妙な修羅場的展開を傍観していた面々は心の中で異口同音を叫ぶ。なお、現在唯一男子は相方に幼女の方に引きずられて行った。なんか悪い影響を与えそうだから。

 興味津々なスバルが訊く。

「魔法だってことはわかりましたけど、女性になるのに抵抗とかないんですか?」
「これは異なことを。“どちら”も媛なのですから、抵抗など有りませぬ。言うなれば彼方が男性的・父性の象徴であり、此方が女性的・母性の元型でしょうか」
「分析心理学における集合的無意識の話かな?」
「さすがは我が友ユーノ、その見識には感銘いたしまする。──そも、我ら裏界魔王に雄雌の区別など無意味。これは肉体、精神とは別次元の、存在の根底に当たる“方向性”でのこと。
 ……で、我がことながら感心致しますが、媛はどちらでもいけるのです。どちらか一方、ということはありません」

 人それを両刀という。

「古来より、英雄、色を好むと申しますし。美少年は良い、美少女はもっと良い。──まぁなんであれ、美しいものは大好物です」

 どこぞの赤い暴君が言いそうな、いっそ清々しいほど男らしい口上だった。
 再起動したなのはがヤバめ戯言に呆れ顔を向ける。

「またそうやって……、フェイトちゃんからもなんか言ってよ」
「んう?」

 一人もぐもぐとマドレーヌを平らげていたフェイトがはたと顔を上げる。ぱちくりとつぶらな目を瞬かせ、はんなり微笑む和風美少女と相対した。
 彼女は特に考えるわけでもなく言う。

「姿かたちがどんなでも、ユーヤはユーヤだよ。だから私の気持ちはなんにも変わらないよ」
「ふふ……、媛はそなたのそういうところを好いております」

 十年変わらぬ恋人の想いを感じ、お姫さまがひしと寄りすがる。どこか妖しいこの雰囲気、もはや中の人が男性だとはとても思えなかった。

「今夜は、此方の姿で夜伽を勤めようかえ?」
「そ、それはちょっと」
「ふふ、冗談です」
「よかった。女の子のユーヤはかわいいけど、やっぱりかっこいい男の子のユーヤの方が私は好きかな」
「!! そなたという人は、なんと……!」

 何かイチャイチャしはじめたよコイツら──もうみんなげっそりだ。特にギンガなど幻想がブロークンである。

「……はぁ。なんだかまた、のろけられただけみたい」

 覚めた顔でぽつりともらしたなのはのコメントに、一同は心底疲れ顔をして「ですねー」と賛同した。



[8913] 第二十九話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/07/01 21:20
 


 ところ変わって六課玄関前。
 快晴の秋空の下、攸夜とユーノは人を雑談で時間を潰していた。

「はぁ〜……、ユウヤのおかげでひどい目にあったよ」
「何言ってんの。誰のおかげでなのはのチチを堪能できたと思ってんだ」
「まあそうかも。役得だよね」
「ははは、このムッツリさんめ」

 ──事の始まりは、せっかくの行楽日より、ヴィヴィオを連れて四人でどっか行こうぜ──という攸夜の思いつき。
 当初、難色を示していたなのはとユーノだったが──フェイトは「なのはたちが行かなくても行こうかな」と最初から乗り気だった。隊長のクセに──、攸夜から、「ヴィヴィオに“外”を見せてやりたくないか?」と言われてしまえば黙るしかない。むしろこの提案が彼の本命だったのだろう。
 そんなこんなで後事をギンガとティアナ──攸夜いわく「これも経験だ」──に任せ、四人はヴィヴィオを連れて街に繰り出すことと相成ったというわけだ。
 このことを聞きつけたはやてが「なんで私も誘ってくれへんのや!!」と大いに憤慨し、副官二人に呆れさせたのは余談。


「ところでユウヤ、この車ってフェイトのだよね?」

 二人の目の前には、ハードトップの屋根を全開にした“青い”スポーツカーが鎮座している。

「そうだぞ。お前もいつかの飲み会ん時に見たろ?」
「うん、覚えてる。でもさ、これって黒じゃなかった? 今は明らかにブルーなんだけど」
「ん? ああ、なんでも塗装が特別らしくてな。うーん、何だっけ……外装表面のナノマシンに電気流して、光の屈折率を操作して色を変えている──とかなんとか、フェイトから聞いた」
「無駄にハイテクだねー」
「正直よくわからん」
「ていうか機械音痴は直ってないんだ、ユウヤってば」
「ほっとけ」

 ぶすっとふてくされ、そっぽを向く仕草は相変わらず子どもっぽい。
 やれば人並み程度にはできるのはずなのになぁ、とユーノは言葉に出さず独り言ちる。実際、使うだけなら超科学の塊である“箒”も問題ないらしい。武器だからだろうか。

 そんな感じで益体もない無駄話をダベっていると支度を終えた女性陣がやってくる。毎度お決まりのパターンだ。

「おまたせー!」
「ごめんね、なのはの準備が手間取っちゃって。ユーノと遊びに行くからって張り切っちゃうんだから」

 しれっと責任の押し付けを計るフェイト。事実だが、さすがになのはもむっとする。

「むむっ。フェイトちゃんこそ、攸夜くんとおでかけだからって気合い入れてたじゃん。おあいこだよ、それ」
「あう……」

 返す刀の図星な指摘にフェイトが言葉を失った。

 張り切るなのはの格好は、白のブラウスにオレンジのベスト、デニム生地のショートパンツ。それから、ボーダー柄のニーソックスにベストと合わせたスニーカー。なのはらしい、活動的で年相応な装いだ。
 ちなみにバックは花柄桜色のトート。こちらもなかなかどうしてかわいらしい。

 一方、フェイトの服装は、水色のロングワンピに白い長袖のカーディガンとヒールのサンダル、つば広の真っ白な帽子──青いリボンが巻いてある──がアクセント。両手に持ったキャメルのショルダーバックも高そうだ。
 テーマは「清楚なお嬢さま」。もともとおしゃれにあまり興味を示さないフェイトが、恋人の偏った趣味に影響されまくった結果だった。

 二人とも厚くはないがメイクもばっちり。そりゃあ時間もかかるわけである。

「そう言ってやるなよな、なのは。俺のために頑張ってくれたんだ、男冥利に尽きるってもんさ。──よく似合ってるよ、フェイト」
「うん、ありがとう」

 何気なく放たれたほめ言葉。それでもフェイトはうれしそうに頬を染めてはにかむ。
 つくづく気の利く男だが、その理由はつい先ほど判明したばかり。あの混乱の中、フェイトは「だからランジェリーショップとかが恥ずかしくないんだね」とか納得していたらしい。やはりどこかズレている。

「で、ヴィヴィオは……ほー、なかなか悪くないな。やっぱなのはが見繕ってやったんだよな?」
「うん、そうだよ。おでかけだから、ちょっとがんばっちゃった。ねー、ヴィヴィオ?」
「えへへー、おでかけー、おめかしー!」

 子供らしいデザインの、ピンク色のワンピースを着たヴィヴィオは、にぱーっと満面の笑みで元気いっぱいばんざいする。よほど“おでかけ”が楽しみなのだろう、全身がありったけの喜びを表現している。
 なにこのいきもの、かわいすぎるっ! ──あまりの愛らしさに撃沈したフェイトとなのはが口元を押さえて悶絶した。

「お前ら、鼻血は拭いとけよー。……さてと、じゃあそろそろ行こうか。運転は任せとけ」
「一応聞いとくけど。免許は持ってるの、ユウヤ?」
「愚問だな。各種自動車に船舶・航空機、次元航行船まで何でもござれだぞ」
「よかった。あとは無事に目的地につけるかだね」
「…………ナビ頼む」
「はいはい、任せてよ相棒」

 助手席側のドアを開き、ユーノは満足そうに破顔した。




 □■□■□■




 クラナガンの繁華街。
 とりあえず昼食を、と言うことでその辺のファミリーレストランへ。
 ヴィヴィオの両脇をフェイトとなのはが挟み、その反対側に攸夜とユーノがそれぞれという席順。幼女の意見を汲んで“ママ”たち二人が側にいてあげているわけだが、本人たちはちょっと不満気味だった。

「ヴィヴィオ、おいしい?」
「うんー!」

 いわゆるお子さまセットのプレートを前に、ヴィヴィオは至ってご満悦の様子。内心の不満をおくびにも出さず、なのはがその口元についたケチャップやらなにやらをハンカチで拭う。
 子ども用のフォークを片手に悪戦苦闘するヴィヴィオだったが、なのはの教育方針(?)で手伝わない。過保護なフェイトが助けたくてうずうずしていたが、自分の大好物である黄色いふわふわのソレが来た瞬間、その習性はどこかに行ってしまったようだ。

「それにしてもフェイトちゃん、オムライス好きだねー」
「うん、大好きっ」

 天真爛漫な答えに、子どもかっ、というツッコミをなのははなんとかグッと飲み込んだ。
 フェイトにとって、オムライスは攸夜が初めて自分のために作ってくれた思い出の味。そして初めて明確に感じた“愛情”の象徴でもある。
 記憶を失っていた間も無意識のうちに好んで食べていたのだから、それがどれだけ彼女の荒んだ心の救いだったのか──余人に計り知れない。
 ちなみにたい焼きは恋と優しさの象徴。

 豚カツ定食をつついていた攸夜が、ふと思い出したように話題を切り出した。

「いつだったかな。こっちに帰ってきてすぐの頃、夕飯にオムライス作ってやったことがあったんだよ」
「ふむふむ、それで?」
「本当に久々だったからさ、精根込めて俺の持てる技術の粋を込めた最高傑作を振る舞ったんだけど……泣かれたんだ、フェイトに」
「泣かれた? おいしくなかったの?」
「うんにゃ。美味しくて、懐かしくて、幸せだからって」
「うわー、フェイトちゃんらしいというかなんというか……」
「フェイトは感動屋だね」

 恥ずかしい過去を暴露され、かあっとフェイトが頬を紅く染める。そんな恥ずかしがり屋な恋人の様子を楽しみ、攸夜は優しく笑いかけた。

「俺もう嬉しくってさぁ〜、ますますフェイトのことが好きになったってわけさ」
「結局のろけなの!?」

 攸夜の話題は九分九厘、彼女のことについてである。



 一通り食べ終わり、食後のデザートの時間。ショートケーキやモンブラン、ザッハトルテなどなど。どれも甘くて美味しそう。
 ──と、なのはとユーノが仲良くしているのを見て、ヴィヴィオがむくれる。“ママ”が取られるとでも思ったのだろう。

「むー」
「そう邪険にするものじゃないぞ、ヴィヴィオ。このお兄さんは、お前のパパになってくれるかもしれない人なんだからな」
「……パパ? ヴィヴィオの?」

「「なっ!」」遠回しなからかいに声が上がる。
 が、攸夜は無視して言いたいことを言う。そろそろにぶちんで奥手な二人も覚悟を決めて、お互いの気持ちに真摯に向き合うべきだろう──そんな思いを込めて。

「そうだぞ〜。お兄さんとしては、お前に二人の仲を取り持ってもらいたいくらいだ。古人曰く、子は鎹って言うしな」
「かすがい?」
「仲良くなるってことだ」

 純粋無垢な幼子に碌でもないことを吹き込むわるーいまおーに、なのはは黙っていられない。

「ちょっ、攸夜くんっ! いきなりなんの話なの!?」
「うん? なんだ、なのは。まさかお前、その歳でシングルマザーにでもなるつもりか? お兄さんは感心しないなぁ、片親は確実に子どものためにならないぞ?」
「違っ、そうじゃなくて! ていうかどうしてそういう話になるのかなっ!? そもそもお兄さんておかしいよ、攸夜くん私より年下でしょ! 8ヶ月だけど!」
「まあまあなのは、落ちついて。ユーヤはちょっとやりすぎ」

 ぷりぷりエキサイトして支離滅裂な友を宥め、フェイトがじとっと睨むと攸夜は肩をすくめた。
 茶化しているような言葉が本心であるとフェイトは見抜いていたし、焚きつけていることも理解していたけれど、心情的には親友に味方したくなる。からかわれて恥ずかしいのがわかるから。

「冗談はさておき。真面目な話さ、地球でもそうだが、ヴィヴィオみたいな孤児を養子にするには、配偶者が必須条件なんだよ」
「え……そ、そうなの? ユーノくん?」
「うん。いわゆる特別養子制度だね。ちなみに、養親になるには二十歳以上じゃなきゃ駄目なんだ、地球じゃどうなのかは知らないけどね」
「ま、俺がこっちに来た当初は時空管理法にはそんな条文なくってさ。明らかに片手落ちだから議会工作かけて改正させたんだが」
「工作って……」
「それが俺のお仕事です」

 実際、制度の穴を悪用した人身売買じみた犯罪が横行していたのだが、何がしかの利権が絡んでいたらしく──あるいは戦力を求める最高評議会の意向で──、長らく是正できなかったという経緯がある。フェイトがハラオウンの養子になれたのもこの穴のおかげなので、痛し痒しと言ったところか。

「詳しいんだね、ユウヤ」
「フェイトの仕事の手伝いになるかなと思って、民法・刑法・国際法は一通り勉強したんだ」

 なお、フェイトはそれなりに優秀なので今のところあまり役に立ってはいない。

「うう……、で、でもでもっ、べつに親子になる必要はないっていうか、いっしょに住むだけなら──」
「それ、ちょっとむずかしいかも」
「フェイトちゃん?」

 意外なところから待ったがかかり、なのはは首を傾げる。
 その発言者──フェイトは食後のデザートであるプリン・ア・ラ・モードを放置して、割と真面目な眼差しをなのはに向けていた。

「あのね、なのは。ヴィヴィオみたいなワケありの子どもを親元から保護したり、いっしょに住んで面倒みたりするのには児童指導員資格っていうのが必要なんだ。国際資格だよ」
「そうなの?」
「うん。私、執務官の仕事で必要になったからがんばって勉強してとったんだ。エリオのときは持ってなくて、いろいろ手続きとか大変だったんだよ。そのせいで、さびしい思いさせちゃったし……」
「縁もゆかりもない子どもの里親になる訳だからな。知識だけじゃなく人格素行面なんかが厳しく考査されるのさ、もちろん社会的地位も大事だけどね。
 ちなみに俺も持ってるぞ。キャロを俺たちの家に住ませてた時期があったからね」

 今でこそ簡単に言う攸夜だが、実は割と必死に勉強していたことをフェイトは知っている。彼の面子を潰してしまうので言わないが。
「はぅぅ〜……」情けない鳴き声を上げて、テーブルに突っ伏すなのは。胡乱な目で自分を“ママ”と慕う幼女を見る。

「……“ママ”になるのって、たいへんなんだなぁ〜……」
「そうだね。お母さんになるのはすっごく、すーーっごく、たいへんなことなんだよ。たぶん、きっと」

 うんうんと頷き、ひとりで納得するフェイトになのはの目が点。ユーノと顔を見合わせた攸夜はやれやれと首を振り、紅茶を啜った。



[8913] 第二十九話‐5
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/08/05 21:06
 


 食事のあとは五人仲良くショッピング。
 子ども用品店や玩具店などを巡って買いあさる。今までのものは伝手を頼って集めたお古だったので、“ママ”たちはここぞばかりに奮発した。──もちろん、お金は男性陣持ちで。
 幸いどれだけ買っても荷物持ちには困らない──攸夜の月衣は容量無限大──、フェイトとなのはは心行くまで買い物を楽しむことができた。ヴィヴィオでいろいろな服を着せかえ遊びしたのはいいストレス解消になっただろう。

 平日の繁華街とはいえさすが第一世界ミッドチルダの首都、次元世界各国から訪れる人は絶えることがない。
 車での移動中もそうだったが、ヴィヴィオは目に映るもの全てが珍しく感じるようで、目をいっぱいの好奇心できらきらと輝かせ、「あれはなに?」となのはやフェイトにしきりに尋ねている。その都度、二人は嫌な顔一つせずヴィヴィオの疑問にひとつひとつ丁寧に答えていく。教えることが仕事のなのはと子ども好きなフェイトである、ちいさな生徒の相手もお手のものだった。


「じゃあ私たち、そろそろ行くね?」
「うん」

 必要なものも買い終わり、二組に分かれて自由行動することになった一行。フェイトと攸夜が空気を読んだ結果だが、ふたりっきりになりたかったとか──本音はそんなところだろう。

「まぁ、親子水入らずの時間を楽しんでくれや」
「だからっ! ……もういいよ、それで」

 訂正しかけて、ガクリと肩を落とすなのは。こう度々からかわれては、さすがに反論する気力をなくしてしまう。
「あはは」と人事のように笑っているユーノをなのははちょっぴり恨めしげにジト目で睨む。その脳内では、「全部ユーノくんのせいなんだよっ!」とかなり飛躍した結論が展開していた。

 今回の外出の主旨はユーノとヴィヴィオが打ち解けることにあるので、当然子守をするのはなのはとユーノの役目。基本的にヴィヴィオはおとなしい子──最近は情緒も落ち着き、夜泣きもしなくなった──なので、新米二人でも何とかなるだろう、というのがフェイトと攸夜の出した結論だった。

「……うー……」

 ふと所在なさげにしているヴィヴィオに気がついて、フェイトが膝を屈める。不安げな顔が正面に来た。
 くりくりした色違いの瞳を覗き込み、フェイトはやさしく微笑んだ。

「ヴィヴィオ、なのはとユーノの言うことをよく聞いて、いい子にしてるんだよ。わかった?」
「あいっ!」
「いい子だ」

 元気だけれど舌っ足らずな返事に気をよくし、蜂蜜色の髪をサラサラと撫でる。
「んん〜……」気持ちよさそうに目を細めるヴィヴィオ。見つめるなのははちょっぴり複雑だ。
 たっぷりと髪の手触りを堪能したフェイトは立ち上がり、傍らのパートナーを見やる。一瞬のアイコンタクト。

「フェイト」
「うんっ」

 攸夜の差し出した腕にフェイトはごく自然に自分の腕を絡めた。
 すでに二人は、ふたりだけのバカップル的な空間を形成している。公衆の往来で見つめ合ったりなんかしちゃって、健全な不純異性交遊である。どちらももういい大人だが。
 いいなー、と羨ましげに見ているなのはのことをユーノは無論気がついていたが、彼には自分にとってかなり難易度の高い行為に思えた。十年間、片思いを──実は両思いなのに──続けるだけで、行動に移さない奥手さは筋金入りだった。

「じゃあね、みんな」
「何かあったら連絡してくれ」
「うん、わかったよ」

 そう言い残し、彼らはさっさと雑踏の中に消えていった。もちろんラブラブな雰囲気を無差別的にまき散らしながら。

 後に残されたのは、何ともいえない緊張感を醸したなのはとユーノ、沈黙する二人をきょとんと見上げるヴィヴィオ。
 まったく同時のタイミングで相手のことを窺おうとして不意に眼が合い、二人はなんだか気恥ずかしくて目を逸らした。

「あー、いや、その……い、いつも通りだよね、ユウヤたちは」
「にゃ、にゃはは……そだね。……えっと……」

 両者とも、しどろもどろで会話になっていない。
 さんざん茶化されてからかわれて変に意識してしまったにぶちんさんたちは、しばらくその場でお見合いして立ち往生するのだった。




 □■□■□■




「……むむ、なんかそこはかとなくラヴ臭が」

 思考停止から回復してしばらく、散歩の途中で立ち寄った雑貨店でのこと。レジで会計を終えてきたなのはがいきなりぽつりと呟いた。
「急にどうしたの、なのは?」隣のユーノが問い掛ける。なのはは眉間にしわを刻み、頭痛に頭を抱えるようなジェスチャーをする。「なんか、どっかでフェイトちゃんと攸夜くんが恥ずかしいくらいいちゃいちゃしてるような気がして」

 へー、とユーノが感心した。

「でもそれってさ、普段からじゃない? あの二人のことだし」
「あ、それもそっか。あの二人だもんね」

 続く指摘に納得したなのはがぽんと手を打つ。
 それはさておきヴィヴィオはといえば。すぐ側で膝を丸めて陳列棚を熱心に見ている。
 どうやら陶器製のブサカワなウサギの置物にご執心らしく、それに気づいたなのはが微笑ましくて眼を細めた。

 一方、ユーノは密かにそわそわしていた。
 キュートでファンシーな小物で溢れ、女性客ばかりのこの店内は猛烈な場違い感で居心地が悪い。なお、無限書庫しょくばでも彼の周辺の女子率は異様に高いのだが、完全に無自覚である。
 無論、みんなのお目当てはエリートでかわいい司書長。なのはさんのライバルはさりげに多い。

 一刻も早くここを去りたいユーノはその気持ちを隠しつつ、気になっていたことを尋ねてみる。

「ところでなのは、さっきは何買ってたの?」

 その問いかけに顔を上げ、なのはが小さな紙袋を後ろ手に隠して無邪気に破顔する。

「えへへー、ひみつ!」

 ユーノのハートがずきゅーんと撃ち抜かれた。
 端から見れば余所様のことは言えない二人の様子を、ヴィヴィオがじぃぃっと観察していた。



 ありふれた市民公園、噴水のある広場にて。
 店を出た三人はとあることをするために場所をここへと移した。

「えー、突然ですが、よいこのヴィヴィオちゃんにプレゼントがあります!」
「え、プレゼント!? なのはママ、ほんとー!?」
「ほんとほんと。その前に、そこのベンチに座ってちょっとの間目をつむっててくれるかな?」
「はーいっ!」

 元気よく返事したヴィヴィオは指示したとおりうんしょ、とベンチに上がってギュッと目を瞑る。そんな彼女に近寄り、何かの作業をするなのは。ややあって、“それ”は完成した。

「もういいよ、ヴィヴィオ」

 素直にパチリと瞼が開く。
 最初、ハテナを浮かべていたヴィヴィオは頭の両側に妙な違和感を感じて、触ってみる。
 そこには彼女の髪を一房に束ねた水色のリボンが結ばれていた。小学生時代のなのはを思わせるツインテール、あるいはピッグテールと呼ばれる髪型。
 なのはの取り出した手鏡で改めて見て、ぱあっと笑顔が咲く。

「わああっ、これ、リボン?」
「そう、リボンだよ。それもね、私たちとお揃いなんだ」

 紙袋から取り出して見せたのはヴィヴィオのと同じ空の色をした二本のリボン。さきほどの雑貨店で買い求めたものだった。
 自分とユーノ、そしてヴィヴィオ──お揃いのものを身につければ、“家族”になれるかもしれないと。

「ありがとう、なのはママっ!」
「ふふっ、どういたしまして」

 素敵なプレゼントを大いに喜ぶヴィヴィオは、ベンチから飛び降りてその場で回り始めた。くるくる、スカートの裾が軽やかに広がる。

「ママ、あっちで遊んできていーい?」
「うん、いいよ。あ、でも、あんまり遠くに行っちゃだめだからね?」
「はーいっ!」

 たたたーっ、と元気いっぱいにヴィヴィオは遊具の方に駆けていっ。
 それを見送って、なのはは自分の髪をサイドポニーに結うリボンに手をかける。緑色の布がしゅるしゅると解かれる。
 さらさらの柔らかいブラウンの髪を腰辺りまで降ろして、活発な印象から一転とても大人っぽくなったなのはに、ユーノは内心大いにドキッとした。

「じゃあ、ユーノくんも」
「えっ──、ああ、うん」
「……?」

 どぎまぎしてるユーノの反応を不思議に思いつつ、なのはは彼をベンチに座らせて背後に回る。
 やや白みがかった長く髪質の堅い金髪を、首の辺りで結っていたリボンを解き始めた。

「じっとしててね」
「うん」

 緑色のそれを解いたら、鞄から取り出した櫛を入れて軽く梳いていく。特に必要はなかったが、なのはは無性にユーノの髪をいじってみたくなったのだ。
 奇しくもこのとき、なのはとユーノは同じことを考えていた。
 なんだか昔に戻ったみたいだなあ、と。──もっとも、当時は飼い主とペットの戯れみたいな状況だったけれども。
 なのはは今、過去にユーノをペット扱いしていたことを猛烈に悔いている。子どものころの思慮の足りない振る舞いの所為で、不器用なふたりの心の距離感はどこかおかしくなっていた。
 近づきたいのに、近づけない。どうしたら“トモダチ”の先に進めるのかがわからない。
 いちばん近くて、いちばん遠い存在──四年前の一件がなければ、なのははいつまでも自分の気持ちに気づけなかったろう。

 ──ぬるま湯のような関係から脱却する時はいつの日か。








 闇。
 黒い闇。
 闇よりも遙かに暗く、闇すらも飲み込む深淵の世界。
 コールタールを一面にぶちまけた漆黒の冥闇に、薄紫のブレザー──輝明学園秋葉原校中等部の制服を着た白髪の少年が漂う。昏く濁った血みどろの瞳が無邪気な稚気を帯びていた。

「フフ……、そろそろテコ入れの段階かな?」

 闇黒が震える。
 少年がおもむろに上げた右手に二輪の真っ黒な薔薇が忽然と現れた。
 目を瞑り、美しい八重咲きの花弁を鼻先に近づけ、芳香を嗅ぐような仕草。そして、腕を振る。
 何気ない動作で投擲された黒薔薇が暗闇に突き立った。

「──“ザリチュ”、“タルウィ”」

 少年の呼び声を引き金に一面の闇が泡立ち、二輪の薔薇に殺到する。
 渦を巻く闇黒が膨れ上がり──絡み、捻れ、縒り合わさった闇がヒトガタを形作った。
 二体のヒトガタが少年の前に跪く。

「ザリチュ、参上仕った」

 一人は男。筋骨隆々、鋼のような筋肉の鎧を全身に纏う。

「タルウィは御前に」

 一人は女。端麗妖美、色気を醸す豊満な肢体が曲線を描く。

「やあ、よく来てくれたね」

 頭を垂れる臣下を見下ろし、主君たる少年は両手をポケットに突っ込んだ体勢で、彼らを和やかに迎える。
 だがその声色の響きはどこか無感情にして無機質。悪意と敵意と傲慢と拒絶と嫉妬と否定と無理解と──世界のありとあらゆる“穢れ”を孕んだかのよう。

「キミたちには、“ゆりかごの鍵”を取り戻して来てもらいたいんだ。邪魔立てをするものは抹殺してくれてかまわないよ。──例えそれが“裏界皇子”でもね」

 口元を弧月に歪め、まるで子どもにお使いか何かを言いつけるような口調。しかしその調子とは裏腹に内容は極めて血生臭い。

「ご主人様のご命令とあればこのタルウィ、どんな困難でも達成して見せますわ。……この野蛮な筋肉達磨との共同というのは気に入りませんけれど」
「ふん、アバズレが。主上の御意でなければ誰が貴様のような雌豚などと組むものか」

「「…………ッ」」

 口汚く相手を罵倒し、しまいには殺気を込めて睨み合う部下たちに少年はやれやれと首を振る。
 これでもこの二体は、彼の配下の中でコンビネーションに最も優れた個体。今回の“イベント”にはお誂え向きの配役と言えるだろう。

「ま、キミたちなら巧くやってくれるとボクは期待しているよ。──さあ、行くんだ」

「「はっ!」」

 少年の指令は下り、男女のヒトガタが姿を消した。

 辺りに静寂が戻る。
 闇。
 黒い闇。
 闇よりも遙かに暗く、闇すらも飲み込む奈落の世界。
 暗黒が笑う、嘲う、嗤う。

「……さて、と。残り少ない家族ごっこの時間、精々楽しみなよ」

 暗黒の帳は依然、世界を覆ったまま────



[8913] 第三十話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/08/19 21:09
 


 白亜の超巨大次元航行艦“セフィロト”。

 第97管理外世界のとある宗教思想に登場する、全ての命の起源とされる“生命の樹”の名を冠した時空管理局次元航行艦隊総旗艦である。

 人工知能技術を応用した“艦載艦”を多数の戦艦を搭載する空母であり、反応魚雷・光子魚雷・重力波砲・艦首三重連波導砲などの超兵器を備えた最強の戦艦。
 また、緊急時に五千万人超の人員を収容し、そのまま次元の海に脱出できるだけの都市機能を完備したヒトの叡智の結晶──セフィロトは、まさしく最後の“方舟”と言えるだろう。
 叡智の結晶が“生命の樹”とはなかなかに皮肉だが。

 その第一艦橋。
 広大な宇宙と星々を望む扇状のフロアでは、数十名の職員が忙しなく働いている。様々な人種の人々が集まるその中心最上段、指揮官用シートに深々と腰掛けた男がいた。
 年の頃は六十代半ば。豊かな灰色の髭を蓄え、セフィロト上級士官用の濃紺の制服と制帽を着こなした老紳士。質実剛健、まさに歴戦の勇士といった風格を備えたこの男、正確にはヒトではない。
 男はようやく体裁の整ってきた司令部を満足げに見渡し、懐に納めたシガレットケースとライターを取り出した。
 煙草を一本取り出し、口にくわえる。そして、火を着けようとしたところで待ったがかかった。

「“艦長”、ブリッジは禁煙です」
「ム……、そうかね」

 年若いオペレーターの女性に窘められ、“艦長”と呼ばれた男は肩をすくめてくわえた煙草を戻した。
 と、背後の自動ドアが音もなく開く。

「また喫煙ですか。それで寿命を縮めたというのにあなたもつくづく懲りませんね、“艦長”」
「……“参謀”」

 言いながらシートの傍らへ立ったのは、ノンフレームの眼鏡をかけた二十代後半の理知的な男だ。
 すらりとした長身痩躯に、後ろに撫でつれた金髪──冷徹な印象を醸すの彼もまた、濃紺色の制服を几帳面に身に纏っている。

「そういうお前こそ、わざわざ艦橋まで定時報告に出向いているではないか。我々にそんな手間は必要あるまいに、その几帳面さはもはや病気だな」
「確かに。ですが、仮初めとはいえこうして百年ぶりに躯を得てしまえば、あの頃のように振る舞いざるを得ないでしょう?」
「フ……、違いない」

 事情を知らなければ要領の得られない、不可解な会話を繰り広げる男たち。
 “参謀”と呼ばれた男は微笑にも見える底知れない表情で、自らの仕事を全うすべく報告書らしい書類の束を“艦長”に渡す。科学の発達したこの時代にあえてアナログな書類のは“参謀”の個人的な理念によるものだった。
 規定の職務も終えたので、世間話に戻る。

「ところで、“副長”の姿が見あたりませんが、やはり下に?」
「ああ。戦闘母艦としては形になったが、セフィロトの都市機能は未だ完全とは言えん。早急に体制を整えねばな」

 ここにはいない彼らのもう一人の同志は現在、避難施設などの整備に追われている。
 少なくともクラナガンの市民だけでも受け入れられなければ、来るべき“大戦”での惨事は免れない。
 故に、彼らは必死だった。
 「自己を捨てて」まで護りたかった世界のために。

 シートに深く体重を預け、“艦長”は制帽の鍔を摘んで眼を隠す。男の、“生前”からの癖だった。

「……シャイマールの事実上の敗北と、それに伴う次元世界の混乱は不可避だ。最早、我々には一刻の猶予も残されてはない」
「しかし、依然世界は静かです。恐ろしい程に」
「我々ヒトなど取るに足らない存在だと、連中はそう言いたいのだろうな」
「おそらく」

 憮然とした“艦長”のセリフに“参謀”が同意を示す。
 口惜しいが事実だ。
 このセフィロトとて、外装や根幹システムを用意したのは“人外”である。ヒトの知恵のみでは到底成し得なかったろう。

「だからこそ、我々もまた地獄から引きずり出されなければならなかったのでしょう」
「まったく、死人に鞭打つとはこのことだな」

 前途多難な未来を思い、“艦長”が目線を帽子で隠したまま小さくぼやく。
 スクリーンに投影された宇宙はどこまでも深く、瞬く星々は何ら変わることなく輝いていた。












  第三十話 「心に炎、かがやく勇気」













 時は遡る。

 恥ずかしがってにっちもさっちもいかなくなっているなのはとユーノの様子を、すぐ側の物陰からそっと窺うバカップルがいた。
 ヴィヴィオの世話を丸投げしたと見せかけて、実は影から友人たち初々しいやりとりを見守っていたフェイトと攸夜である。覗き、ピーピングとも言う。

「わぁ……、すっごく意識しちゃってるね、なのはとユーノ」
「あれだけ散々っぱらからかってやったからな、むしろ意識しないんじゃこっちが困るよ。処置なくて」
「そうだねぇ、見てる私たちの方がもどかしくってむらむらしちゃうもんね」
「お前がムラムラしてどうする、そこはヤキモキだろ」
「あ、そっか」

 てへ、と小さく舌を出して楽しげにおどけるフェイト。ハハハこやつめ、と楽しげな攸夜がその額を突っつく。通りがかりの通行人が砂糖を吐いている。
 夫婦漫才はそこそこに、真面目な態度を取り繕う二人。

「……うまくいくかな? あの三人」
「さあな。何せ初めてのことだから、手探りでやっていくしかないんだろうさ」

 攸夜はあっけらかんと答えた。けれど、その表情はどこか楽しげで確信に満ちている。おてんばなお姫さまもすぐに懐くだろう──何せユーノは、へそ曲がりで天の邪鬼な魔王をその人柄で手懐けたのだから。
 何やら相談していたなのはたちは目的が定まったのか、ヴィヴィオに何か告げると踵を返した。

「──ね、ユーヤ」
「うん?」
「“親子”って、いいよね」
「……そうだな」

 子どもを挟んで横に並んで歩く三人の後ろ姿はごく普通の親子連れそのもの。ありふれた、けれど幸福そうな家族の肖像。──たとえそれが、ごっこ遊びの域を出ていない拙いものだったとしても。
 ヴィヴィオがユーノとも手を繋いでいてくれれば完璧だったのに、とフェイトはちょっと残念に思う。

「いいなぁ……、家族って」

 再び呟く。
 雑踏に紛れて見えなくなったなのはの姿に、フェイトは在りし日の──“彼女”の記憶の中の──“母”の面影を見た。
 寂寞の念が胸を締め付ける。
 切なさが込み上げて来て仕方ない。
 そんなとき、いつも彼女を暗闇から引き上げてくれるのは傍らを歩むパートナーだった。

「少し、羨ましいな」
「……うん」

 フェイトと攸夜はともに繋いだ手に力を込めた。
 これは傷の舐め合いなんかじゃない。きっと。絶対。

 もちろんフェイトにだって家族はいる。無二の使い魔アルフ、やさしい母リンディ、頼りになる兄夫婦のクロノとエイミィ……みんなみんな、たいせつな大切な家族だ。
 だけど、だからこそ強く心から願う。
 大好きな人と家族を築きたいと、大好きな人に家族を贈りたいと。お互い理由は違うが失って──持っていなくて──、心のどこかで今でも欲しくてたまらないと思うものだから。
 願うことは同じ。心に灯した光から、心に抱えた痛みまで──鏡写しの二人だから。

 あちらはもう心配いらないと見切りをつけ、フェイトたちはぶらぶらと散策することにした。
 六課の準備や活動が忙しく、最近あまりのんびりできていない。もともと二人はアウトドア趣向、部屋に隠っているとストレスがたまってしまう。

「ねえねえユーヤ、あの車変わった形してるよ」
「本当だ。地球のビートルみたいだな」
「ころころしててかわいいね」
「まぁな。フェイトほどじゃないけど」
「もー、またそうやって変なこというんだから」
「釣った魚には餌を欠かさない主義なんだ、俺」
「私、釣られちゃったの?」

 くすくす、と。フェイトがあどけなく笑った。

 街をぶらぶら散策する。
 さりげなく、だけどしっかり恋人繋ぎに手を絡めて。お互いが、どこにも行ってしまわぬように。
 老若男女、人種も様々ないのちの営みを眺め、フェイトは身に余る幸せを噛みしめる。けれど「それ」を恥じることは、あらゆるものへの裏切りだとも感じている。
 だから彼女は思うのだ。

「……なんだか私、すこしわかってきた気がする。なにと向き合わなきゃいけないのか、なにに立ち向かわなきゃいけないのか」

 誰ともなく、決然と言う横顔はひどく可憐で。どこまでも真っ直ぐな眼差しは凛々しく。
 “アリシア”との対峙でなりを潜めていた彼女の生まれながらにして持っていた輝きが、僅かに蘇り始めていた。
 ほぅ、と攸夜が感嘆のため息をこぼした。

「ああ──、やっぱり俺、フェイトのことが大好きだ」

 脈絡もなく、何気なく発せられた言葉。
 瞬く間に頬を薔薇色に染め、耳先まで真っ赤なフェイトが場所も弁えず恥ずかしい発言をした不届き者の方を振り返る。

「〜〜っっ、も、もう! いきなり恥ずかしいこと言わないで!」
「本当のことなんだから仕方ないだろ。何度だって言ってやるぞ、俺、宝穣 攸夜はフェイト・テスタロッサ・ハラオウンを愛してる」

 真剣な顔で、真っ直ぐな眼差しで、真摯な声で。
 攸夜はフェイトと向かい合う。激しくドキドキして赤面しながらも、フェイトは自分を一心に見つめるサファイアブルーの双眸から目を逸らさなかった。

「私も──」

 だってフェイトは約束したから。「ぜんぶ受けとめてみせるから」と。
 だから、攸夜の重たい愛情も、狂おしいほどの執着も、すべてまとめて真正面から受け止める。
 受け止めて、包み込んで、癒やして――――

「私も……あなたのこと、愛してる、よ?」

 ちょんとつま先立ちをして。精一杯の背伸びをして。
 フェイトは攸夜の頬にちゅっとキスをした。

 ──ちなみにこの一連のやりとりが、なのはの受信した怪電波の正体だったりする。




 □■□■□■




 もうこれといった用事もないので、なのはたちはそのまま公園でヴィヴィオを遊ばせることにした。
 一通り揃った遊具たからのやまに幼女は大興奮。すべり台を何度も滑り降りたり、ジャングルジムで探検したり、タイヤの飛び石の上で飛び跳ねたり──特に、ユーノの膝の上に座ってブランコに揺られるのがお気に召したようだ。
 ベンチに座ったなのはは、割とすんなり打ち解けたユーノとヴィヴィオを微笑ましく眺めながら「みんなで遊園地とか動物園とか行ったら楽しいかも」と思った。気分はもう若奥様である。

 そんな妄想力たくましいなのはのもとに、水色のリボンを揺らしたヴィヴィオがとてとて拙い足取りで近寄ってくる。
 運動したからか、それとも興奮からか。ぷにぷにしたほっぺが上気してピンク色に染まっていた。

「いっぱい遊んだね、ヴィヴィオ」
「うんー、ユーノくんと遊んできたのー」
「そっか、よかったねー」

 ヴィヴィオの頭を撫でたなのはは、自分とお揃いのリボンで髪を結ったユーノと顔を合わせて微笑んだ。
 まだヴィヴィオの中のユーノの好感度は、“パパ”と呼ぶには至らないらしい。くん付けはなのはママのまねっこである。
 厳しいなぁ、とユーノは頬を掻いていた。

 と、何やら耳に残る妙な節回しの呼びかけがどこからともなく耳朶に届く。

 ──いしやーきいも〜、やきいもーっ──

「……あ、この近くに焼き芋屋さんが来てるみたいだね。ミッドでもかけ声同じなんだ」
「おいも?」
「そうだよ〜。あまくてほっかほかのおいもさんだよ」
「わあっ、ヴィヴィオもおいもさん食べたーい」

「え゛」

 突然カエルが潰れたような声を上げるユーノ。なのはとヴィヴィオがびっくりして彼の方を見る。

「どしたの、ユーノくん?」
「あ、ああ、いや、なんていうかトラウマを抉られる感じが……」
「??」

 よくわからない、と言いたげな顔で、小首を傾げるなのはとヴィヴィオ。その仕草があんまりそっくりで、ユーノは思わず苦笑する。
 それから。リアカーの屋台を見つけた三人は、蜜たっぷりの焼き芋を仲良く分け合って食べたのだった。

 ──東の空を、どす黒い雲が覆い始めていた。



[8913] 第三十話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/08/12 21:02
 


「……!!」

 攸夜が突然立ち止まり、険しい表情で虚空に目をやる。眉間に皺を刻み、蒼眼に剄烈な光を宿した。
「どうしたの、ユーヤ?」パートナーのただならぬ様子を察し、フェイトが心配そうに彼を見上げる。

「邪気が来る……! それもこれは──」

 世界が歪む。
 数拍遅れて響く耳をつんざくような叫び声。
 悲鳴。
 人の悲鳴だ。それも複数の。

「フェイト!」
「うん!」

 弾かれるようにして二人は駆け出した。
 雷速で錬られた魔力が金色の雷光と蒼銀の焔風となって二人を包み込み、瞬く間に彼らの姿を変質させる。
 白き外套の黒い魔導師と夜闇の衣の黒き魔王は、逃げ惑う人々の波に逆らい、人工の密林を駆け抜けた。

 そして、辿り着いた。
 惨劇の現場に。

「……チ」
「な……、なに、これ……」

 攸夜が舌打ちし、フェイトが絶句して口元を押さえた。
 繁華街にぽっかりと空いた空隙に充満する肉の焼け焦げた臭い。アスファルトについたヒトの形に象られた黒ずんだ跡や、ミイラのように渇き切ったヒトだったもの──明らかな虐殺の痕跡が散見された。
 この陰惨な光景を作り出した邪悪なるモノが、折り重なるヒトガタの中心で今も犠牲者を増やす。
 腰辺りまである長い黒髪の、燕尾服を着た二メートル以上はある糸目の巨漢に頭を鷲掴みにされた女性が、みるみるうちに干からびていく。
 また、金髪をまるで巻き貝のようにアップにし、際どいスリットの入った白いロングのチャイナドレス風の美女から口づけを受けた男性が、全身の至る所から紫色の炎を吹いて絶命した。

「ぷはっ──……あらあら、皇子様とお姫様のご到着ですわね。お早いこと」
「ふむ、もう暫くは“プラーナ”を収集に集中したかったところだが……」

 用は終わりと、ぞんざいに投げ捨てられる遺体。生前は恋人同士だったのだろうか、男女の表情はどちらも恐怖と苦痛で酷く歪んでいる。
 痛ましい光景に青ざめるフェイト。激情の稲妻を瞳に走らせ、この惨劇を引き起こした存在へと純粋な怒りをぶつけた。

「“冥魔”……!」

「如何にも。我が名は“渇き”のザリチュ、“この世全ての悪”に仕えし者」
「わたくしはタルウィ、“熱”のタルウィと申します。以後お見知り置きを」

 慇懃無礼な名乗りは自信の現れか。
 攸夜は油断なく構えながら、内心で歯噛みした。ダメージが抜けきれておらず、月匣を展開して隔離することができないのだ。通常の結界魔法では容易く破られてしまうだろう。
 すでに念話で地上本部──フェイトは六課──に連絡しているが、陽動らしき“冥魔”出現の報もある。相手は高度な知能を持つ高位の“冥魔”だ、故意に民間人を標的にされる可能性もあって避難誘導の時間を稼ぐのは難しいと言わざるを得ない。

「ふん、拝火教の大魔か。“王”の位も持たない三下の分際が、人様の庭で随分と味な真似をしてくれたじゃないか」

 雑多な雑兵とは違う“凄み”を肌で感じつつ、攸夜は焦りを押し殺して尊大に言う。裏界魔王たる傲慢なペルソナを前面に押し出した挑発。吹き荒ぶ禍々しい蒼銀のプレッシャーが局地的な焔風を巻き起こし、周囲のビルの窓ガラスをぎしぎしと軋ませた。
 攸夜は有り体に言ってキレていた。
 自分の手で奪うならまだしも、他者に──それも“冥魔”などによってヒトの命が失われた。それは歪んでいるとはいえ、ヒトと世界を自分なりに愛する彼には我慢がならないこと。故の激怒。
 また、メイオルティス相手に、ほぼ敗北に近い相打ちを喫したというストレスは、本人が気づかぬうちに視野を狭めていた。
 攸夜の本質は“憤怒”、紅き煉獄の焔を纏う漆黒の蛇である。そのプライドはルー・サイファーと同じく、山よりも高く海よりも深い。

「勘違いしないで頂きたい」
「何だと?」
「わたくしたちは“王”になれないのではなく、ならない。我が君に傅くことこそがこの身の存在理由故に」

 僅かに眉を吊り上げる攸夜。
 凡百般万の“冥魔”の統率者たる“冥魔王”は、それぞれ特徴を現した冥○王という二つ名を持つのが通例だ。メイオルティスの“冥刻王”しかり、第一世界ラース=フェリアに侵攻した王たちしかり。
 無論何事にも例外はあるが、攸夜が勘違いするのも無理はないだろう。

「左様。故に、少なくとも今の弱体な貴殿よりはというもの」
「……」

 魔神の安い挑発にゆらりと立ち上る殺気。攸夜の蒼い双眸が剣呑な光を灯す。
 フェイトが心配そうな目を攸夜に向ける。よくない傾向だ。攸夜は案外、沸点が低い。

「何をそのように憤っておられるのか、“裏界皇子”よ」
「……何が言いたい」
「我らがヒトを殺すことがそんなに不愉快か? 既に自らの手で何千何万と命を奪ってきたというのに。貴殿の両手は我らと同じく数多の血で汚れている」
「それは矛盾ですわ。ヒトでもありカミでもあり、同時にヒトでもなくカミでもない──、それが貴方の長所であり短所。どっちつかずの中途半端、千変万化の魔王とはよくいったものですわね。だって……“柱”となるべきものがあやふやで何もないんですもの」
「ッ!」

 妖女の痛烈な非難に動揺を見せる攸夜。これではいつもとてんで逆である。
 いけないっ、とフェイトが咄嗟に声を上げる。

「ユーヤっ!」
「わかっている。──俺は、冷静だ!!」

 両の手刀に蒼白い刃を纏わせ、七枚の“羽根”を引き連れた攸夜は未だ得体の知れない二柱の悪神に突撃を敢行した。
 地面を踏み砕くほどその速さ、風の如し。
 ぜんぜん冷静じゃないよっ! と内心で叫び、フェイトはバルディッシュ・アサルトを片手に彼の後を追従した。普段なら相手の出方を見るなり、目的を探るなり、自分のペースに乗せるなりするはずのパートナーに、一抹の不安を抱えながら。

「任務遂行の前に、主上の理想を阻む危険分子を粉砕するのも一興か。──足を引っ張るなよ、アバズレ」
「ウフフ、少々遊んで差し上げましょう。──そちらこそ、邪魔をしないでくださいましね、筋肉達磨」
「ふん」

 迎え撃つは強大なる魔神。
 巨漢の紳士が組んだ腕を解き、堅く握った鉄拳を腰だめに構え。
 妖美な淑女がドレスを優雅に翻し、十の指先より伸ばした光刃を閃かす。

 ──死の舞踏ダンス・マカブルが、始まる。




 □■□■□■




「……」

 不意に遊んでいた動きを止めて立ち止まるヴィヴィオ。じっと明後日の方向を見つめていた。

「ヴィヴィオ?」
「……っ」

 彼女は何かに怯えたようになのはの脚にしがみつく。

「ヴィヴィオ、どうかした?」
「こわいものがくるの……」
「怖いもの?」

 要領を得ない呟きになのはが首を傾げる。問い返されたヴィヴィオはいやいやとだだをこねるように首を振った。
 二人の傍らに寄り添うようにして立つユーノは、深刻な表情で眉を寄せる。

「嫌な感じだ……」
「うん……」




 □■□■□■




「が、ハッ……!」

 音を置き去りにした拳をガードの上からまともに喰らい、攸夜が放物線を描いて吹き飛ぶ。二十メートルほど後方の、ショーウィンドウのガラスを突き破る。
 その衝撃は、十の指先から爪──紫色の魔力と超高熱を帯びた刃だ──を繰り出す妖女と切り結んでいたフェイトの元にも届いた。

「ユーヤっ!?」

 無論、生じた隙を見逃す魔神ではなく。

「ウフフ……、よそ見する余裕なんておありかしら?」
「っ、きゃあっ!」

 襲いかかる炎熱を帯びた五条の爪撃。辛うじてバルディッシュで受けはしたものの、泳いだフェイトにピンポン球大の誘導弾が十数発まとめて殺到する。
 咄嗟に張った障壁とぶつかり炸裂した魔弾の衝撃で、フェイトのメリハリのある華奢な身体が吹き上がる。微かな悲鳴を聞きつけ、すぐさま飛び起きた攸夜が彼女の後ろに回り込み、全身で抱き留めた。
 そこに撃ち込まれる追撃の大魔法。

「熱烈なる慈悲をお受けなさい──、“火天滅焦”」
「やらせるか! “慈愛の盾”ッ!!」

 即座に連結した白亜の大盾が、天より降り注ぐ摂氏三万度を越える灼熱の嵐を遮断した。

 オレンジ色の優しき光に包まれながら、二人は周囲の建造物をドロドロに溶かすほどの猛烈な熱に堪え忍ぶ。
 「大丈夫?」「うん」と視線でのやりとり。それから「頭、すこしは冷えた?」とジト眼で問いかけられた気がした攸夜は、「マジごめん。反省してます」と瞳で訴えた。
 お冠のフェイトさんは寛容な心で許してくれたらしい。

「……チッ」

 冷静になれば自分の危うさが理解でき、攸夜は無様な失態に舌打ちをした。
 そして、冷えた頭で分割思考を高速で展開して敵戦力を分析する。
 ──フェイトとのコンビネーションはいつも通り完璧だった。
 頭に血が上り、かつ“プラーナ”の不足で普段のズレた攸夜のリズムをフェイトの献身が補ってくれていたから。
 しかし、相手のそれは二人の上を行っていた。
 高い防御力・打撃力と巨体に似合わぬ俊敏さを有するザリチュと、各種炎熱魔法と爪撃を使い分けトリッキーに立ち回るタルウィ。お互いがお互いの足りない部分を補い合っており、老獪な連携の隙が見当たらない。
 その上、単体の戦力は裏界魔王でなら最低でも“公爵級”、いや“大公級”であってもおかしくないほど。攸夜自身“公爵”の位を戴く大魔王であるが、現在は大幅なパワーダウンを余儀なくされているためかなり厳しいと言わざるを得なかった。
 なるほど、伝承によれば“ザリチュ”と“タルウィ”はコンビで災厄を振り撒く悪神だという。コンビネーションに優れているのも道理。
 もっともその割に、会話から察する雰囲気が険悪のようだが。…………仮に自分なら、不仲なこの二柱を「フェイトと攸夜」にぶつけるかもしれない。主に嫌がらせ目的で。

(……考え過ぎか)

 いよいよ煮詰まった思考を振り払う攸夜。ふと視線を向けた傍らで苦しげに息をするフェイトの額には、玉のような汗が浮かんでいた。
 バリアジャケットには対熱遮断効果があるにも関わらず、彼女は熱波の影響を受けているようだ。おそらく精神攻撃の一種だろう、“慈愛”の護りが弱まっていることが悔やまれる。
 灼熱の愛撫がようやく過ぎ去った。

「フハハ、“裏界皇子”と言えど弱体すればこの程度か。タルウィ、此奴らは我が相手をする。様はその間に“ゆりかごの鍵”を確保するのだ」

「なっ!?」「ッ!」

「あら、わたくしが手柄をあげてもよろしくて?」
「愚問だな。主上の願いを叶えることが我らの本懐、功績を争うなぞ下らぬ行為だ」
「ウフフ、確かに。では後のことはお任せしますわ」

 思わぬ形で判明した敵の狙い。攸夜は半ば納得し、フェイトは激しく動揺した。
 “ゆりかごの鍵”──それはすなわち、ヴィヴィオを指す言葉。そして、彼女のそばにいるであろうなのはたちへ災禍が訪れることにも繋がる。
 親友の危機を看過できるフェイトではなく。

「そんなことさせない!」

 カートリッジロード。空薬莢を吐き出したバルディッシュをハーケンフォームに変形させ、フェイトは今まさにこの場を去ろうとする女に猛然と斬りかかる。

「ふん!」

 男がおもむろに腕突き出して衝撃波を創り出す。
 乾いた空気が幾層にも重なった不可視の壁に阻まれ、金色の処刑鎌は刃を進めることができなかった。

「くっ!?」
「我が渾名は“乾き”、故に我が拳は原子を砕く」

 どこが乾きかッ! と叫びたいところをグッと我慢して、攸夜は空中で致命的な隙を曝したフェイトを横抱きにかっさらう。間一髪、猛烈な拳圧がそこを穿った。
 手近な街灯の上に降り立つ攸夜。お姫様だっこされて、フェイトは軽く赤面していた。

「ご、ごめん、ありがと……」
「いや」

 素っ気なく言い、薄ら笑む紳士に厳しい視線を送る。嫌な笑みだ。

「フェイト、先ずはあのデカブツを片付けることに専念しよう。マジでやらなきゃこっちがやられる」
「で、でもっ!」
「心配なのはわかる。けどな、俺たちの親友はそんな柔じゃない……信じよう」
「……うん」

 フェイトは悔しさを滲ませて、渋々首肯した。



[8913] 第三十話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/08/19 21:14
 


「……やっぱり、何か起きてる」
「うん」

 ユーノの深刻な響きの言葉になのはが不安そうに首肯する。
 首都クラナガンに蔓延する闘争と死の気配を敏感に察知し、二人は否が応でも焦燥を抱えずにはいられなかった。

「どうする、なのは」

 なのはの脚に抱きついて震えるヴィヴィオに視線を送るユーノ。
 恐怖を訴える幼い子どもを痛ましく思い、なのはは彼女を抱き寄せることで慰めようと試みる。

「フェイトちゃんたちはもう向かってるよね、きっと。……でも、ヴィヴィオがいるし、私たちが行っても二人の足手まといになっちゃうと思うの」
「うん、そうだね。結果的に丸投げしちゃうユウヤたちには悪いけど、僕らはシェルターに避難して――」

 消極的だが妥当な意見に同意し、ユーノがこれからのことを話そうとしたその時、


「――――それはおよしになった方が賢明ですわ」


 どこか空虚な響きの美声とともに邪神が姿を現した。

「「ッ!?」」

 なのはとユーノは半ば反射的に身構えた。
 濃密な邪気が平穏な空気を瞬く間に汚染する。
 生理的、本能的な怖気に震えながらなのはは察知していた。この女性ひとはよくないものだ、と。
 なのはとヴィヴィオを正体不明の女から庇うように、ユーノが一歩前に進み出る。その脳裏には既に膨大な数の分割思考が展開され、いくつもの推察と戦術、そして魔法の術式が浮かんでは消えていく。

「……あなたは?」
「ウフフ、わたくしはタルウィ――ただのしがない“冥魔”ですわ」

 空気が凍る。緊張が走る。
 なのはとユーノが知恵ある“冥魔”と対峙するのはこれが初めてである。ヒトに近い姿をしたヒト以外の何かが放つ圧倒的な悪意を前にして、二人は動揺を隠せなかった。

「何も難しいことを要求するつもりはありませんわ。わたくしどもは、そこの“人形”を頂戴しに参りましたの」
「っ、人形……? ヴィヴィオが人形だっていうの、あなたは!?」
「ええ。“ゆりかご”を操るための鍵として造られた哀れな生け贄……それを人形と言わず、なにを人形と言いましょう」

 女の身振り手振りを交えた芝居がかった物言いは、およそ幼子について語るものではない。
 胸元の宝石を握りしめ、怒りを露わにするなのはの肩を優しく静止する手。ユーノだ。

「なのは……君はヴィヴィオをつれて逃げてくれ」
「ユーノくんっ!?」

 抗議を含んだ声に彼は何も答えず、なのはを押し退けるように――あるいは遠ざけるように再び進み出る。その身はすでに、彼の生まれ育った部族の民族衣装を模した魔力の衣を纏っていた。
 明確な戦意を見て取り、タルウィは、ニィ、と異様なまでに整った作り物めいた顔かんばせを歪めた。

「ウフフ……、許すと思いまして?」
「そこを押し通すのが僕の役目かな」

 ニヒルに言い返し、ユーノは駆け出す。
 いつの間に用意していたのか、隔離結界が広がる。ズレた異空間が両者の姿を隠す刹那、ユーノは肩口から背後を見る。
 とても強い意志の込められた翠緑の瞳と視線を交わしたなのはは悲痛な表情で、混乱して泣きわめくヴィヴィオを抱えてその場を後にした。




 □■□■□■




 隔離された結界空間。

 陽炎揺らめく灼熱の井戸において、翠緑の魔導師と灰白の魔神が激突する。

「情報では、あなたは単なる結界魔導師と伺っていたのですけれど――」

 正面に張った八角形の三重障壁を頼りに、ユーノが“熱”の妖女に突撃する。彼の親友が“最強防御”などと冗談半分感嘆半分で名づけた最堅の盾は、飛行魔法の速度を得て最強の矛となりうる。
 迎撃するタルウィ。手刀にし、形作った紫色の毒々しい光刃は光盾を切り裂くことなく火花を散らすだけ。
 強かに追突された“冥魔”は、少なくないダメージを受けながら後退を余儀なくされた。

「――なかなかどうして、お強いようで」
「お褒めにあずかり光栄、だッ!!」

 軽口を言い返したユーノは、右手から創り出したチェーンバインドをさながら鞭のように操り、女怪に叩きつけた。

「ですが、わたくしのダンスパートナーを勤めるには役者不足ですわ」

 爪撃一閃。撫でるような何気ない仕草で五本の光爪が閃き、魔力の鎖はバラバラに断ち切られる。
 地面に散乱した残骸を乗り越え、魔神が魔導師を引き裂かんと再び爪甲を振りかぶる。
 だが、それこそがユーノの狙い。

「弾けろ!!」
「っ!?」

 予め設定しておいたトリガーコマンド。
 チェーンバインドに込められた魔力が安定を奪われてオーバーロードし、分割された無数の破片が次々に小規模な爆発を起こす。バリアジャケットのリアクティブパージ機能の原理を応用した、一種の機雷だ。
 突然足下を爆破され、しかしタルウィはそれを乗り越えてユーノに肉薄を試みる。

「こんなもの!」
「効くとは思ってないよ!」

 ゼロコンマ一秒の隙間、余人には理解不能な複雑怪奇なプログラムが走る。
 繰り出すは本命の追撃。攸夜の魔力噴射による爆発的な推進を真似た技法で、格好の隙を晒した魔神の懐に飛び込んだ。
 デバイスを使えず、魔力の収束はおろか射撃もできず、創った障壁の投射すらほぼ不可能。性格その他諸々も、戦闘行為には向いていない。

 ――だが、ユーノは天才だ。

 本人は自覚していないし、周りに非常識で理不尽な才能の持ち主が溢れているため忘れられがちだが、希有な天稟の持ち主であることは間違いない。
 ユーノ・スクライアは、世紀の傑物なのである。

「はああああッ!」
「っ、くは!?」

 翠緑の光を纏った左のボディブローがタルウィを打ち抜いた。
 ズドンッ、と重たい音が鳴り、浮き上がった身体に叩き込む怒濤の連撃。全身を駆使して生み出した運動エネルギーが威力に変わる。
 ただの拳ではない。攸夜との訓練という名の殴り合いの果てに会得した、“護る力”――管理局の制式武術の一つであるストライクアーツ。武才こそなかったが、積み重ねた鍛錬は裏切らない。
 護りたいひとがいるから。
 護りたい願いがあるから。

「でぇええええい!!」

 裂帛の砲哮とともに、ユーノは全身のバネから練り出した渾身の右ストレートを叩き込んだ。

「はぁ、はぁ……っはぁ……」

 肩で荒く息をするユーノ。暑さと疲労で額にびっしりと汗をかき、膝が笑っていた。
 やはり元来は研究者、華奢な体格は些か心許ない。とはいえこれでもひたむきにトレーニングを続け、四年前からは段違いなスタミナを身につけている。だが、その努力を嘲笑うように体力を奪っているのがこの熱気。魔神の放つ呪詛じみた熱量が、彼の体力をじわじわと削っていたのだ。

 ユーノは気を抜くことなく“冥魔”が埋まっているであろう場所を睨んでいた。
 数瞬後、瓦礫が吹き飛ぶ。
 咽ぶ熱風。熱量に負けて、ドロドロに溶けたアスファルトや建築物が異臭を放つ。

「“やったか?”とか、迂闊なことを言った覚え、ないんだけどね……」

 文字通り烈火のごとく怒る魔神を前にユーノは余裕を演じて嘯く。どうやら親友の悪癖が移ってしまったらしい。

「この……っ、人間風情がああああっ!! わたくしを虚仮にしたことを、冥府にて後悔させて差し上げますわ!!」

 セットした髪を振り乱し、女は激する。耳まで裂けた口が悍ましい。
 塵虫のように思う存在に刃向かわれ、少なからないダメージを負った事実が、“冥魔”のプライドをいたく傷つけたのだ。

(これはさすがに、不味い、かな――……なのは、ごめん)

 この世のものとは思えない殺気、心臓を握りつぶされたような錯覚に襲われる。脚が、身体が恐怖で震える。
 それでもユーノは退かない。一歩たりとも。
 無理で無茶で無謀でも、男には決して退いてはいけない時があるのだと知っているから。

「お逝きなさい!!」

 そして、万物を融解させる熱の濁流がビーム状の熱線となってユーノを飲み込んだ。




 □■□■□■




「ユーノくん……」

 青年を残してきた方を見て、なのはが呟く。
 今にも倒れてしまいそうな自分を抱きしめて、叱咤して、彼女はどうにか立っていられた。
 傷ついてたらどうしよう、負けちゃってたらどうしよう。――殺されちゃってたらどうしよう。

「……っっ!!」

 次々に浮かぶネガティブな想像を必死に振り払う。
 ユーノを失う。それは何よりも恐ろしいこと。一度自分の手で奪いかけたから、余計に。
 けれど、自分なら何とかできるかもしれない。砲撃を、半ば封印した力を揮えばあるいは――
 でも、こわい。
 誰かを傷つけることが、誰かの命を奪うことが。
 独善的な感情に任せて暴力を振るえてしまう「高町なのは」が、どうしようもなく怖かった。

「ママ……」

 なのはが自分に縋りついたままの少女に意識を向けた時、何かが砕けた甲高い音が辺りに響く。
 これはおそらく結界空間が崩壊した音。それを裏付けるように、ビルとビルの合間から火柱が噴き上がっていた。
 戦いの音が聞こえる。彼が戦っているのは明らかだ。
 行かなきゃ、と思うのになのはは恐怖で動けない。肝心なときに役に立たない自分の情けなさに、涙が出た。
 不意に、脚にかかっていた重さが消え失せた。

「ヴィヴィオ……?」

 じっ、と涙を溜めた大粒の瞳で幼子が見上げている。
 色違いの瞳に弱さを見透かされたようで、なのははドキリとした。

「なのはママ、泣かないで! ヴィヴィオがまもるから、泣かないでっ!!」
「あ……」

 根拠も何もない、けれど必死な叫びにガツンと殴られたよ衝撃を受けた。
 この子は、恐怖に震えているか弱いこの子は、今なんと言ったのだろう?
 誰のため? 何のため?
 ――そして唐突に気がつく。

「そっ、か……そうだったんだ……バカだなぁ、私。こんな近くに、たいせつなものがあったなんて……やっぱりなんにも、見えてないや」

 泣き笑いして、空を仰ぐ。
 見上げた空は、いつの間にか突き抜けるように晴れ渡っていた。
 ――――見失いかけていたものを、なのははようやく思い出した。
 戦う意味、力を求めた意味。
 傷つけることなんて本当は嫌なのに、それでも戦おうと決めた原初の願いの理由を。
 首に下げた紅い宝石を手に取る。“彼女”には苦労をかけた。

「……レイジングハート、こんな頼りない私と、またいっしょに戦ってくれる?」
『Yes My Master』

 簡潔な、けれど頼もしい相棒の言葉に笑みがこぼれる。
 なのはが顔を上げた。決意に満ちた表情で。

「我、使命を受けしものなり。
 契約の下、その力を解き放て」

 唱えるのは魔法の言葉。
 初めて出逢ったあの夜のように、大切な彼のくれた魔法を。

「風は空に、星は天に――」

 風が吹く。
 光が輝く。
 星が瞬く。
 変わらないものは――

「そして、不屈の心はこの胸に! この手に――、魔法をッ!」

 挫けでも、傷ついても、また立ち上がる心のチカラ――あの日、胸に灯った永遠の“炎“。

「レイジングハート! セーット、アーップ!!」
『Stand by ready Set up』

 桜色の光が弾けた。
 静謐な魔力が形を成していく。

「きれい……」

 優しき風に乗り、降り注ぐ光の粒を見上げながら、ヴィヴィオが熱に浮かされたように陶然と呟いた。

「ブラスターモードッ! ドライヴ!!」
『Ignition!!』

 純白の衣は誓いの証。
 金色の杖は願いの証。
 今度こそ護り通すと、この確かな想いを貫いていくと。

「ヴィヴィオ、“ママ”ね、いまから大切なひとを助けにいかなくちゃいけないんだ」
「……ユーノくんを?」
「そうだよ。……だからね、待っててくれるかな? ひとりで待っていていられる?」
「うんっ! ヴィヴィオ、待ってる」
「ありがとう」

 目には見えない心の炎が怖れを、戸惑いを焼き払う。
 そして変わっていく。小さな星が生まれるように生まれ変わる。偽りの平穏を、振り払って。

「――じゃあ行ってくるね、ヴィヴィオ」
「がんばって、なのはママっ!」

 無邪気な声援を背に今再び、光の女神てんしが勇気の翼を広げ、戦いの蒼空そらへと飛び立つ――――



[8913] 第三十一話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/08/26 21:43
 


「ぐ、ぁ……」
「ウフフ……、散々手こずらせてくれましたけれど、これで終わりですわね」

 灼炎燃ゆる市街地。
 見るも無惨なボロボロの姿で地面に伏せたユーノの右手を、壮絶な笑みを浮かべたタルウィのピンヒールが踏み潰している。
 結界を力づくで破られ、通常空間に放り出されたユーノは、怒り狂った魔神の力に為すすべもなく嬲られ、鮮血に塗れていた。
 両者が帰ってきた時点で、民間人の避難が始まっていたことは唯一の幸いか。

 嗜虐心を露わにし、グリグリと骨が折れんばかりに体重を込める。その度に、足元から呻き声が聞こえ、タルウィの憤懣は愉悦に変わっていく。
 紅いマニキュアの塗られた指を立て、その先に膨大な魔力が集まる。それは瞬く間に膨れ上がって、一つのを形成した。
 火球とはまた違う、純粋な熱の塊。防護服で守られているユーノはともかく、アスファルトや周囲の建築物、車両などが圧倒的な温度に曝されてみるみるうちに溶かされていく。
 それはまるで火の点いたロウソク、刻一刻と失われていくユーノの命を暗喩しているかのようで。

「果てなさい」
「……っ」

 致死量の熱がユーノを焼き尽くさんと解き放たれるその刹那――

 眩いばかりに光り輝く奔流が空間を切り裂く。
 タルウィを横合いから飲み込んだ光はビルに突き刺さり、巨大な爆発を引き起こした。

 今まさに多大なる破壊を引き起こすその暖かな色合いの薄紅色に、ユーノは見覚えがあった。
 わからないはずがない。
 傍らでずっと見続けていた魔法の光。憧れて、護りたいと想う光だから……。

「ッ、お前は――!?」

 爆心地、瓦礫を押しのけて立ち上がるタルウィが睨みつけた先に、燃え盛る炎の中を悠然と進むシルエットがある。
 力強くも優雅な印象を与える白青のドレス。熱風に揺らめく白いリボンと二房の髪。その左手に槍状の杖を携え、白い靴から三対の光翼を広げた純白の魔導師――――

「高町、なのは……!!」

 憎悪を込めて名を呼ばれた彼女――なのはは、魔神にちらとも視線を向けずにただ静かに、真剣そのものといった表情で歩を進め、傷ついた青年の傍らに辿り着く。
「なの、は……」ズタボロの身体を無理に起こして、ユーノが見上げる。エクシードモードのバリアジャケットを纏う彼女の凛々しい姿に懐かしい面影が重なる。
 真剣な雰囲気を崩し、なのはがユーノに語りかける。どこか涙を流すように、微笑んで。

「ユーノくん、すこし休んでて」
「……ごめん、僕が――」
「うん、すぐに終わらせるから」

 短く言葉を交わすふたり。
 自分を見つめる清廉な青紫の瞳に浮かぶ断固たる意志を見て、ユーノは安心して微笑み、自らを癒すための結界を張った。
 なのはは彼にもう一度笑みを返して、“冥魔”へと向き直る。

「――ふ、ふんっ、たかが小娘が出てきたところで今更! ましてやマトモに戦えないような臆病者など、わたくしの敵ではなくってよっ!」
「なんとでも、好きなように言えばいいよ。……私はもう迷ったりしない、そして見失いもしない。ただ、この胸の想いを最後まで貫き通すだけ――」

 翼が羽撃き、なのはがふわりと浮かび上がる。
 桜色の羽が舞い散る様はいっそ幻想的なほどに美しく。その光り輝く姿はまさしく“天使”――か弱き人々の盾となり、邪悪な意志から護り抜く勇気の星。牙なきものの牙、絶望に抗う者たちを導く先導者。

「――ッ!?」

 言い知れぬ気迫と闘気に気圧されて、タルウィは反射的に後退った。
 仮にも悪徳を極めた魔神が、たかだか強い力を持っているだけでしかないヒトの小娘に、である。
 ごく静かな表情で、レイジングハート・エクセリオンを腰だめに構えるなのは。その尖端から伸びる紅くれないの刃――ストライクフレーム。自分の全てを賭して弱きもの――大切な人たちを護るという、彼女の決意の結晶だ。
 すぅ、と深呼吸。顔を上げたなのはは、キッ、と凛々しい青紫の瞳を眼前の魔神へと向けた。

 ――この手にあるのは、撃ち抜く魔法。
 涙も痛みも、運命も。
 そして、邪悪な意志さえも。

「あなたに! 見せてあげるっ!!」
『ブラスタービット、Set up』

 背後の魔法陣から、レイジングハートの鉾先を模した機動砲台が四つ召喚された。

「エース・オブ・エースの力をッッ――――!!!」

 四機のブラスタービットを引き連れ、白き天使が悪しき魔神に向けて突撃した。












  第三十一話 「ETERNAL BLAZE WーFULL DRIVE mode」













 フェイト、攸夜と“渇き”のザリチュが繰り広げる死闘は、熾烈を極めていた。

「ぬぅうううんッ!!」
「ぜぇえええああああッ!!」

 原子を砕く拳と万物を破壊する拳とがぶつかり合う。
 その余波たるや凄まじく、発生した衝撃波が建造物や自動車、街路樹などを例外なくなぶり、粉々に粉砕し尽していく。
 瓦礫の山の中心で、破壊を広げる二柱の邪神。全身を凶器に、嵐のごとき肉弾戦を繰り広げる。
 決定的なダメージこそないが、焦燥感の帯びた表情で疲労を僅かに漂わせた攸夜。度重なる激突で服が弾け、筋肉が異常に発達した上半身を露わにしたザリチュ。
 超越者同士の激闘は続く。

「砕け散れぇい!!」
「ぐっ!?」

 毎秒十万回以上の振動エネルギーが込められた鉄拳と真正面から打ち合い、攸夜は体格差で弾かれる。しかし、後方に吹き飛ばされた彼の影を縫うように迸る金色の雷光が、硬直を曝した魔神の死角から襲い掛かった。

「むっ」
「やああああっ!!」

 バリアジャケットを大部分をパージしたレオタード姿――真ソニックフォームを開帳したフェイトが、ライオットスティンガーの刺突を繰り出す。
 狙いは魔神の胸板、心の臓――時に軍事用レーダーすら置き去りにする速度で喰らいつく。
 だが――

「ッ、そんなっ!?」
「無駄無駄ァ、我の“鎧”を貫くことなど不可能也!!」

 パキィッ、響く甲高い音。
 ザリチュの筋肉質な全身を覆う超振動の“鎧”が、刃の侵入を阻んだ。
 ズン、と大地を揺るがす震脚。振動が“空気”を固める。

「あぐっ!?」

 反動で弾かれ、体勢を崩した格好で空中に張りつけにされたフェイトを襲う拳。螺旋を描くコークスクリューが唸りを上げた。

「やらせん!」

 素早く割り込み、カバーに入った攸夜と大盾に連結したアイン・ソフ・オウルが、鉄拳を受け止めた。
 彼はフェイトから魔神を遠ざけるべく、すぐさま挑みかかる。
 ただでさえ装甲の低下甚だしい現在のフェイト。その上、空気を固めて動きを留められては迅さを生かすこともできず、拳を喰らえば新鮮なミンチになるのは目に見えている。相性は最悪だ。
 攸夜としては一撃たりとも彼女に食らわせるわけにはいかず、フォローに回るばかりで戦況は降着していた。

「っち、馬鹿力が!」
「そういう貴殿は貧弱だな」
「抜かせ、三下!!」

 罵倒を吐き、拳を怒濤の如く繰り出す。
 連打、連打連打連打――――

「オラオラオラオラオラオラオラオラオラ――――ッッ!!」
「ヌゥゥゥオオオオオオオオオオオオ――――ッッ!!」

 連打連打連打連打連打連打連打連打連打連打連打――――
 激しいが決定打に欠けた攻防。
 本来の攸夜ならば鎧袖一触のところ、“冥刻王”との戦いで受けた傷がそれを不可能にする。
 だが“プリンス・オブ・デーモン”の真骨頂は単純な武力ではない。むしろそのクレバーな知性と戦闘センス、そして変幻自在の戦法にこそが最大の武器なのだ。

「シッ!」

 不意の前蹴りで虚を作った攸夜は、掌に直径50㎝ほどの高速回転するギザギザの光輪――“シャイニングカッター”を創り出して叩き込んだ。

「ぬっ!?」

 ザンッ、とザリチュの野太い右腕が半ばから切断された。
 綺麗な断面から紅黒い血液が噴出する。未だ空中にあった攸夜は続けて魔力を術式に込める。
 追撃には、必殺の意志を乗せて。

「闇に散れ! エクスキューショナーッ!!」

 突如地面から噴き出した幾条もの漆黒の火柱が、巨漢の悪魔を襲う。ザリチュの肉体がグズグズに焼け爛れていく。
 “エクスキューショナー”。触れた相手をほぼ確実に死に至らしめる闇を、術者の指定した範囲に生み出す“冥”の魔法。

「ぬ……、我に“闇”など無意味!」
「知ってるさ、そんなことは!!」

 言い返す攸夜は、すぐさま膨大な魔力を練り上げた。
 人差し指と中指を立てた左の剣指にて幾度も空を切る。“シャイマール”の知識――“古代魔法”によりアレンジされた術式が発動、世界の法則を塗り替える神秘の力。
 ザリチュを何重にも取り囲むように発生した帯状魔法陣、その中に莫大な光子が集まった。

「――消え失せろッ!!」

 左の掌が開かれたことを合図に、魔力が爆発する。
 辺り一帯に溢れかえる無垢なる蒼銀の輝きが、影さえも飲み込んで――
 “トゥルーレイ”。「真実の光」と名付けられた、闇を完全に滅ぼす光で攻撃する“天”の魔法がビル街の中心で炸裂した。


 蒼白い討滅の烈光が収まり、塵が徐々に晴れていく。
「やったの……?」攸夜の側に来たフェイトがやや不安そうな顔をして彼を見やり、ぽつりと呟いた。

「フェイト、それはフラグだ」
「……フラグ?」

 スラングの意味がわからず、こてんと小首を傾げる。
 と、彼の言葉通り噴煙を衝撃波で吹き飛ばしたザリチュが健在な姿を現した。
 光輪に斬り飛ばされた腕が元に戻っている。おそらく、トゥルーレイに焼かれた肉体と併せて再生したのだろう。

「ぬぅ……おのれシャイマールッ!!」
「ち、しぶとい。雑魚は雑魚らしく、黙って壊れていればいいものを」

 憤怒で鬼の形相をした魔神にも臆せず、攸夜が軽口混じりに吐き捨てる。
 様子から察するにかなり致命的なダメージを与えられたようだが、短時間で完全再生された事実は無視できない。高位の人外同士の戦いでは珍しいことではないが、それでも忌々しいことに変わりはなかった。

 火力が足りない――

 不甲斐ない、と歯噛みする攸夜。魔力も強度も戦力も足りなくて、今の自分では敵を壊しきれない。“空気を固める”という厄介極まりない能力を持ったこの“冥魔”を打倒するには、あと一手、もう一押しする決定的な何かが必要だった。

 ――――苦悩する魔王を救う手は、蒼天より舞い降りた。

「!!」

 突如青空を桜色の輝きが覆い尽くし、頭上遙か高くから同じ色の巨大な光の柱が落ちてきた。
 その場から大きく後退するフェイトと攸夜。野太い魔力の束の向こう側、ザリチュもまた距離をとった模様だ。
 夥しい純粋な魔力の奔流が、魔力爆発。地面に突き刺さった光条が徐々に細くなっていく。
 閃光が消えて、すり鉢状に削り取られた爆心地の中心に倒れ伏していた人影。
 それは、

「タルウィ!?」

 徹底的に打ちのめされた悪神の片割れ。もう片方が驚愕で顔を歪める。

 とても懐かしい魔力の感触、攸夜が密かに笑みをこぼす。
 それは勝利を確信した笑み――誰の仕業かなど、わかりきっていたから。
 このように激しくも清廉な純粋魔力砲撃を放てる魔導師など、次元世界広しと言えどただ一人――呆然と空を見上げていたフェイトはパートナーと同じ結論に達し、期待に胸躍らせ、目を見開いて振り返る。

「これって――」
「おうおう、随分とまぁ派手な登場をしてくれるじゃないか。――なぁ、相棒?」

 不敵な笑みを浮かべた攸夜の呼びかけに答えるように、一同の前に降り立つ純白の天使。コッ、と白い靴が音を立て、桜色の粒子が舞い散る。
 彼女の肩の上には、クリーム色の毛並みをしたフェレットがちょこんと掴まっていて。

 今までの焦燥感を綺麗に捨て去り、フェイトは花が満開に咲き誇るように相好を崩す。
 傍らに立つ青年は、その切り替えの早さに苦笑を禁じ得ない。

「――なのはっ!」

 親愛の込められた歓喜の声に迎えられ、なのはがにこりと微笑した。



[8913] 第三十一話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/09/02 21:13
 


「――なのはっ!」

 親愛の込められた歓喜の声に迎えられ、なのはがにこりと微笑した。
 感極まったフェイトが子犬のように駆け足で、戦闘中であることも忘れて親友へと駆け寄る。熱烈なハグで、なのはをびっくりさせていた。
 彼女の抜けた穴のフォローに、攸夜はアイン・ソフ・オウルを分散展開させ、薄い防御幕を張り巡らせる。一分の隙もなく構え、蒼い眼光が前方を見据えた。
 半透明の光の向こうでは、墜落した女怪と相方の巨漢がこの期に及んでお互いを罵倒し合う。

「――それで、もういいのなのは? その、砲撃とか……」
「うん。だいじょうぶだよ、フェイトちゃん。……心配、かけちゃったよね」

 レイジングハートを軽く掲げながらなのはがカラッと言う。そこには散見された陰も、くすぶっていたわだかまりも一切ない。
 フェイトは悟った。“エースオブエース”高町なのはの完全復活である、と。
 なのはの肩から飛び降りたフェレットが、緑色の魔力光とともに姿を変える。民族衣装風のスーツに、ブラウンのマント――ユーノだ。

「ユーノ、何でまた今更フェレットモードなんだ?」
「焼け石に水だけど、体力と魔力の回復をしてたんだ。……なのはがどうしてもって言うからね」
「も、もうっ、黙っててって言ったでしょユーノくんっ!?」
「あはは、ごめんごめん」

 何気なく暴露され、なのはが恥ずかしがって赤くなる。十年ぶりにデバイス起動の呪文から唱え、テンションがおかしくなってはしゃいじゃっていたらしい。
 くすり、とフェイトが小さく笑みをこぼした。

「ふふっ……なんだか昔に戻ったみたいだね、私たち」

 フェイトと攸夜、ユーノ……そして、なのは。出会った頃を重ねて、思い出してしまうシチュエーション。奇しくも身に纏う装束もかつてを思わせるもの。
 この頃、地球の実家で赤毛の幼女がくしゃみをしていたのは余談。現場に向かうヘリで、ちょっと地味めな某部隊長が「また私みそっかすかいなっ!?」と叫んでいたのはもっと余談。

「十年ぶりかな、私たちが揃っていっしょに戦うのって」
「そうだね。僕は前線から退いてたし、ユウヤも行方不明だったからね」
「悪かったな、行方不明で」

 痛いところを突かれてそっぽに向く攸夜。それから真面目な表情を取り繕い、しかし陽気な雰囲気でなのはを見やる。

「――今日の主役はなのは、お前だ。一発、威勢のいい掛け声を頼むぜ」
「え? えっ? ふぇええ!? わわわ、私ぃっ!?」
「うん、そうだね。私たちを引っ張ってきたのはなのはだもん、それがいいよ。ぜひやってよ」

 突然の提案に困惑するなのは。フェイトの後押しを受け、ユーノの穏やかな笑みを見やってから渋々というか、おずおずといった感じで切り出した。

「えっと、じゃあ行くよ。……私たち四人が力を合わせれば――」

 なのはが笑顔で言う。いつかのように。
 フェイトが笑顔で応える。いつかのように。

「できないことなんてない! ――だよねっ?」
「フェイトが締めちゃ駄目だろ。ま、その通りだけどな」

 攸夜が苦笑した。
 なのはと、フェイトと、ユーノと、攸夜と。四人が揃えば何だってできる。“奇蹟”だって起こせる。少なくとも彼らはそう確信していた。

 魔神たちに変化が現れる。
 男の方は頭部から羊に似た鋭く尖った角をを生やし、筋骨隆々な上半身を爬虫類の鱗が覆い。
 女の方はコウモリのような皮膜の翼を広げ、蠱惑的な肢体を黒いボンテージが包み込む。
 人間の姿を捨て去り、禍々しき瘴気を放つ二柱の悪しき神。

 ――――されど、恐れる必要はない。

 場には、ついに最強のエースが配されたのだから。
 最高のエースと最凶のジョーカーが息を吹き返し、そこにもう一枚、最良のワイルドカードが加われば敗北などあり得ない。

「さあ、いい加減ケリをつけようぜ、“冥魔”ッ! ――リミットブレイクッッ!!」




 □■□■□■




「高町なのはァッ!! お前は、お前だけはッ、わたくしがズタズタの八つ裂きにして差し上げますわッ!!」

 上空、女同士の戦いは激しさを増していた。
 本性を現し、耳まで裂けた口で吼えるタルウィを、金砂の髪をなびかせた戦姫が阻む。

「なのはは私が守るっ!」
「ぐぅ! 邪魔を……!」

 爪撃が繰り出だされた瞬間にはすでに彼女はその場におらず、代わりに金色の斬撃が閃いた。
 空間固定現象から逃れたフェイトは、最大の武器――音速を凌駕する速力を遺憾なく発揮する。
 唸る稲光。輝く閃光。
 タルウィとて“熱”の能力の応用で驚くべき速力を発揮しているものの、“金色の閃光”には遠く及ばない。
 さらに、固定砲台・空中要塞と化した生粋の砲撃魔導師の砲撃支援が加われば――

「ディバイィィィン、バスターーーッ!!」

 レイジングハート本体とブラスタービット、計五機の尖端から桜色の光条が発射された。
 本命のレイジングハートと、周囲に死角を潰す形で展開したビットが念密かつ回避不可能な十字砲火を作り出し、砲撃の豪雨が大空を揺るがす。
 時折、アクセルシューターなどの誘導弾も交え、相手を封殺する基本に忠実な戦術。四年のブランクを何ら感じさせないキレのある砲撃魔法。術式の完成度も、魔力素の集束率も、針の穴を通す技量も、錆び付いてはいなかった。

 魔力爆発が蒼天を灼く。
 エース二人のコンビネーションに手も足も出ず、タルウィはもはやなされるがままだ。

「……今度こそやったかな?」
「油断はできないよ。あの人、かなり頑丈だから。なにせバインドして、ディバインバスターを3ダースくらい撃ち込んだのに倒せないんだもん」
「そ、そんなに……?」

 たらり、と冷や汗を流すフェイト。あるいは、バインドされてスターライトブレイカーを食らった記憶が蘇ったのかもしれない。
 予想通り、墜落したタルウィはよろけながらも未だ健在。なのはが少し落胆する。

「うーん……やっぱダメみたい。ブラスターのレベル上げるのも、ブラスターでスターライトブレイカー撃つのもあんましたくないしなー……」
「……じゃあなのは、久しぶりに“あれ”、やる?」
「“あれ”っていうと、もしかしてはやてちゃんたちとの模擬戦でやったあれ?」
「うん」
「おー、フェイトちゃん、それナイスアイディアっ!」

 きゃいきゃいと相談する二人。起き上がったタルウィが怒りを露わにする。

「ええい、なにをゴチャゴチャと! 燃え散りなさいッ! “辺獄烈火”――」

 上昇し、闇色の炎――その正体はやはり莫大な熱量の集合体――を頭上に生み出す。
 燃え盛る黒炎。害悪の現れ。
 冷静に、ライオットザンバー・スティンガーを合体させたフェイトは、臆することなく荒ぶる闇色の烈火に突っ込んでいく。
 思考はクールに、けれど心はホットに。それが闘いの鉄則。

「はあああっ! イマジンッ、ザンバー!」

 紫電迸り、振り下ろされたライオットザンバー・カラミティが、熱量の塊を呆気なく両断する。
 “イマジンザンバー”。AMFに酷似した特殊なフィールド、破壊神“シャイマール”の加護によりマナの結合を斬り裂く対魔法剣技。“スプライトザンバー”の上位互換魔法である。

 霧散した自らの魔法に、タルウィの顔が驚愕に染まる。その致命的な隙を逃す二人ではない。

「フェイトちゃん!」
「行くよ、なのは!」

 魔力全開、オーバードライブ。
 ロードしたカートリッジが大量にばらまかれる。

「全力全開!!」「疾風迅雷!!」

 レイジングハート・エクセリオンが展開するバレルフィールド。
 なのはの魔力を集中させたライオット・カラミティを、フェイト自らの魔力を乗せて一閃。溜め込んだ魔力を全て放出。

「「ブラストシューーーートッ!!!!」」

 形成されたフィールド内部に、ディバインバスターとプラズマスマッシャーが撃ち込まれた。
 空間中に満たされた膨大な魔力が飽和して、崩壊現象を引き起こす。超絶的な威力を誇る空間攻撃が完成する。
 なのはとフェイトの合体魔法――“ブラストカラミティ”が炸裂した。



 一方。
 地上を舞台に、激突する男たち。

「ハッ! お前も嬉しいか、アイン!!」

 嗤う。白金の衣を纏う魔王が愉快げに嗤う。
 白き“羽根”に収められた七つの宝玉が光を灯していく。力を取り戻していく。

 アイン・ソフ・オウル――否、“七徳の宝玉”とはヒトの心の善き形質の結晶である。
 また、七徳の反存在たる“七罪の宝玉”もまたヒトの心の悪しき形質の象徴だ。
 善きにしろ悪しきにしろ、罪にしろ徳にしろ、無限に変わりゆく“心の力”こそがその本質。時に激しく、時に静かに揺れ動くヒトの感情の脈動こそがその源。
 故に、攸夜の、フェイトの、なのはやユーノの心の震えが、アイン・ソフ・オウルと“七徳の宝玉”に限りない力を与えていたのだ。

 青い軌跡を残して閃く七枚の“羽根”。斬り開かれた虚空から聖なる光の奔流が次々に巨漢の魔神に襲いかかる。
 力を取り戻しつつある攸夜の猛攻に押されるザリチュは、もう一人に的を絞った。

「ヌゥ……、なれば!」
「それは見切った!」

 空気の固定を引き起こす衝撃波がユーノを襲うが、解き放たれた“賢明”の力がそれをキャンセルする。
 神格の差は歴然、しかし強大な力ほど代償は激しい。宝玉は連続で解放できないことを知るザリチュは勝利を確信し、最大級の衝撃波を放つ。
 されど――

「馬鹿な! 同じ“宝玉”の解放を連続して……!?」
「残念だが、俺たちの進化は止まらない! 一秒先の俺は一秒前の俺を凌駕する!! そして――」
「僕を忘れないでもらいたいな!」
「ガッ!?」

 懐に飛び込んだユーノが言葉を引継ぎ、展開された巨大な八角形の障壁がザリチュを突き飛ばす。
 待ちかまえていたように伸びた翠緑の鎖がザリチュの胴体に巻きつき、拘束。さらに、六本の鋭い円錐状の魔力塊が四方から突き刺さった。
 “ニードルバインド”。拘束力と殺傷性を併せ持つ、凶悪極まりないユーノのオリジナルスペルである。

「まだくたばるには早いぜ、“冥魔”ァ!!」

 光を纏った手刀と足刀を円環状に振り回し、攸夜が拘束された魔神を滅多斬りにする。まさしくサンドバッグのごとく、だ。
 攸夜とユーノは今までの鬱憤を晴らすように、持てる限りのポテンシャルを存分に発揮する。“信頼”する心友と共に、在らんばかりの力を合わせ。
 ――苛烈な連撃に耐えきれなくなったバインドが、音を立てて砕け散った。
 背後に吹っ飛ぶザリチュの巨体、攸夜とユーノが一気に肉薄する。

「合わせろッ!!」
「任せて!!」

 かけ声を交わし、二人は拳を握り込む。

「おおおりゃあッ!!」「はああああっ!!」

 裂帛の気合いとともに、棒立ちの魔神へ完全にユニゾンした連撃を加えていく。
 まるで音楽に合わせてステップを踏むよう――もっともその演目は、アップテンポの激しいラテン系音楽であったが。

「「いぃけぇええええええッッ!!!!」」

 攸夜の左、ユーノの右がそれぞれの魔力光を纏い、ザリチュの鳩尾に突き刺さる。
 堅い鱗を、振動の“鎧”を貫き、かち上げた。
「!?」ザリチュの首筋にユーノの掌から発したチェーンバインド――尖端が鉤爪状になった――が食いつく。ユーノは、細身の体に似合わない膂力で魔神を空中に放り出す。「――ッああああっ、ユウヤ、今だよ!」

「合点!!」

 蒼銀の翼を広げ、上昇。緑の光、“信頼”の輝き――攸夜の像が七つにぶれる。
 残した三つの蒼銀のリングを、飛び上がった頂点から跳び蹴りの格好で急下降して潜り抜ける。
 背後に展開したアイン・ソフ・オウルが魔力のアフターバーナーを吹かせ、速度を上げた。
 光の輪を通る度、つま先に集中する蒼白い魔力――必殺の一撃、エンシェントストライク。六体の分身を引き連れ、“獣”が吼える。

「「「「「「「はああああッ、せいやあああああああ――――ッッ!!」」」」」」」

 運動エネルギーと落下エネルギー、そして莫大な魔導エネルギーの三乗。
 蒼い七つの彗星が、大地に堕ちて。

 ――――そして同時に二つ、極大の大爆発が世界に轟いた。



[8913] 第三十一話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/09/09 21:11
 


「決まったねっ、ユーヤ!」
「ああ」

 無邪気な笑顔を咲かせたフェイトが攸夜と両手のハイタッチ。そこからお互いに指を絡めて、ぶんぶん腕を上下させる。
 かなりの高等テクニックだ。

「…………」

 じーーーーっ、と羨ましそうな顔で親友たちのラブラブな様子を見ているなのは。それに気づいたユーノが、やや躊躇いがちに問いかける。

「えっと……僕らも、してみる?」
「あ……、うんっ!」

 ぱあああっと晴れやかに笑顔が咲き誇り。なのはとユーノは控えめにハイタッチし、そっと手を握り合う。
 それだけでひどく赤面してしまった二人。けれど、友だち以上恋人未満な関係からほんの少しだけ、前に進むことができたようだった。

 ――そんな時だ。

「「「ッ!?」」」

 ザリチュとタルウィが倒された地点から、大量の濁った魔力が噴き出す。
 それは瞬く間に膨れ上がり、爆発した。

 ――怨、
 怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨怨――――――!!!!

 黒い呪詛の汚泥を纏う全長約200メートルの巨大なバケモノ。そびえ立つビルさえも見下ろす巨体、羊の角に、コウモリの翼――撃破した二柱の“冥魔”の特徴が辛うじてわかるグロテスクで醜悪な姿が生まれ落ちた。
 斃された悪神の怨念が強烈な呪詛になり、街路樹の木々を腐さらせ、建築物や街灯を風化させていく。バケモノの全身を覆う黒い汚泥が地面に落ちると、じゅうじゅうと不気味な音を立てて腐食させた。
 文字通り腐っても悪神、滅びてもなお、その強大な悪意が世界に邪悪をはびこらせる。
 疾うに自我などないだろうに、恨み辛みだけが暴走していた。

「いわゆるタタリ神、ってか?」
「お、おっきい……」

 攸夜が軽口を叩く。あまりの巨大さに呆然と仰ぎ見るなのは、フェイトもあんぐりと口を開けて絶句し、両目をまん丸と見開いて立ち竦んだ。
 ユーノは冷静に、効果のありそうな魔法を脳内で選定する。

「だがな、巨大化復活は古典的な敗北フラグだってことを教えてやるよ! ――アイン・ソフ・オウルッ!!」

 攸夜の左手が天を指し示し、七枚の“羽根”が順々に昇る。

 “慈愛”の橙。

 “賢明”の青。

 “剛毅”の藍。

 “信頼”の緑。

 “節制”の赤。

 “正義”の紫。

 “希望”の黄金。

 ――――連結していく白き“羽根”が、一振りの巨大な剣を創り出す。
 天から光の橋と白い羽毛の幻影が降り注ぐ中、攸夜は“攸夜”の力を最も引き出す力ある言霊を世界に宣言した。

「全てを貫く無限の光――――!!」

 先端から形成される七色に輝く光の刃。“七徳の宝玉”の力が結集した無限の光、極大無双の力がここに開帳された。
 蒼白い結晶体の柄を両手で握り、振り下ろした白亜の大太刀を腰だめに構える。

「動きを止めるよ!」

 翠に光り輝く巨大な魔法陣の上、ユーノが残り僅かとなった魔力の限りを振り絞って、渾身のバインド魔法を創り出す。
 総勢三十本の野太い鎖が360°、ありとあらゆる方向から生成されて腐食した巨人を拘束する。だがバインドは、巨人――正確には黒い汚泥――に触れた途端、グズグズと崩れ始めた。

「!! ッ、魔力まで腐る……!? あまり長くは保たないよ、ユウヤ!」
「ああ! これで終わりだ!」

 親友の声に応える魔王の全身から、莫大な黄金の闘気――“プラーナ”が放たれる。

「生まれ出よ、森羅万象の翼ッ!!」

 吹き上がる焔のように延びる三対の翼を広げ、白金の“獣”が邪悪を打破せんと吶喊する。
 本能的に危機を察知した巨人の全身から、黒い汚泥が驟雨のごとく放たれた。
 散開したフェイトとなのはが砲撃体勢を取る中を、白亜の大剣が街を、そして悪意を貫いていく。
 撒き散らされたソニックブームにより、周囲の窓ガラスが砕けていった。

「■■■■■■■■――――ッッッ!!!!」

 悍ましい絶叫。
 いや、それはもはや叫びなどという生易しいものではない。物理的な影響を与える呪いである。

「オオオオオオオ――――ッ!!!!」

 どす黒い瘴気を突破して、七色の光刃が実体を持った呪詛に突き刺さる。
 そして後方、莫大な魔力を秘めたるふたりの乙女がそれぞれのデバイスを構えた。

「レイジングハート!」
『All right』

「バルディッシュ!」
『Yes Sir』

 白衣の魔導師の足元に発生する、澄んだ桜色の円状魔法陣。金色の杖の尖端を、砲身となるリング状の魔法陣が取り巻く。
 黒衣の魔導師が、光り輝く大剣を振りかぶって肩に担ぐ。眼前に、雷光迸る黄金色の巨大な魔力スフィアを生成した。

「ディバイィィィィィィインッ!!」
「プラズマァァァァァァアッ!!」

 結晶体で構成された柄を握る攸夜の両手に、更なる力が込められた。

「はああああッッ!!」

 蒼銀の光翼が激しく明滅し、七枚の“羽根”から放たれる太陽のごとき黄金の粒子が勢いを増して――――

「――貫けッ!!!!」

 一筋の閃光が天を裂き、虹色の刃が腐食した巨人の腹部を深々と貫く。
 貫く光刃。絡まる鎖。
 空中に張りつけとなった憎悪の塊を倒さんがため、二人の戦乙女は極限まで高めた魔法の力を解き放った。

「「バスタァアアアアアアアア――――ッッッ!!!!」」

 閃光を輝かせる桜色、稲光を纏わせる金色――溢れ出す二色二条の破城砲が邪悪な呪詛を飲み込んだ。

「せーのっ!」

 なのはのかけ声で二人の魔力光が混ざり合い、マーブル色の極大な奔流となって腐り果てた巨人を撃ち抜く。
 清らかなる四色四条の光に包まれて――、凶悪な怨念は浄化され、無へと還ったのだった。






 深き暗黒の中。
 パリンッ、と音を立てて漆黒の薔薇が二輪、砕け散る。

『やられちゃったね、アンリの部下たち』

 ――そうだね。だけど、なかなか愉快な見せ物だったよ。

『いいの? チャンス合ったのに、また“鍵”を取り返せなかったよ?』

 ――回収するのはまだ時期尚早だよ。ボクのシナリオ通り、今回は前フリさ。エースオブエースの復活も含めて、ね。

『ふーん……。でさ、あの二人やっぱり復活させるのかな?』

 ――いいや、そのつもりはないよ。

『なんで? 一応、使える配下だったんじゃないの?』

 ――古今東西、再生怪人は弱いって相場が決まっているからね。ボクは、無意味な労力はかけない主義なんだ。

『……再生? よくわかんない』

 ――様式美、ってヤツさ。
 ――フフ……、甘露な絶望を創るにはより深く、よりじっくりと熟成させないとね。パンドラの匣に残された最後の災厄……“希望”は最高のスパイスなのさ。




 □■□■□■




「あちゃあ〜、一足遅かったか。ええとこ全部、なのはちゃんたちに取られてしもたなぁ」

 手透きの部下を引き連れ、ヘリにて大至急で現場へやってきたはやてが見たものは、いつにも増して酷い有様の崩壊した街並みと、濃い魔力の残り香。
 有り体に言うなれば、激闘の名残だった。

 そんな激しい戦いを繰り広げた今日の主役――なのはといえば、無事合流を果たしたオッドアイの少女をあやしている。ユーノが傍らで二人を微笑ましく見守っていて、フェイトと攸夜が仲睦まじく肩を寄せ合っていた。
 見ているだけで和んでしまいそうな、それでいて近づきがたい雰囲気。

「ひさしぶりにはやてちゃんが活躍できそうだったのに、とっても残念ですっ」
『やはり主はやてはこういう損な役回りが似合いますね』
「……なんや腹立つわぁ、この姉妹」

 頭上をやいのやいのと飛び回る古本と小人に若干の怒りを感じ、頭を抱えるはやてに青色の髪の少女――スバルが声をかける。

「八神部隊長は行かなくてもいいんですか?」
「あそこにか? あー、ムリムリ。あの四人ん中に入れるんはよっぽど空気読めへんやつか、幼児くらいのもんや」

 なのはたちの側にはヴィヴィオ以外誰もいない。完成した絵画のような光景が恐れ多くて近づけないのだ。
「……でも、すごいですよね」朗らかな笑顔をこぼす師と仰ぐ女性を見やり、スバルがぽつりとこぼした。

「ん、なんやスバル。藪から棒に」
「だってなのはさんたちが倒した“冥魔”って、私たちが普段戦ってるのよりずっと強かったんですよね?」
「せやなぁ。実際街の様子見たら、どんだけ手強かったかよぉわかるわ」
「でも、そんな相手をやっつけて、事件を解決しちゃうんですから。ヘリからあのでっかいのを見たら私、もうダメだーって本気で思いましたもん」
「たしかにねぇ……、アタシもさすがに今回はダメかと」

 ティアナが同意する。
 しかしはやてとて、彼女らと同じことを思わなくもなかったが――

「つまり私の幼なじみはすごいっちゅうこっちゃな」

 何故か胸を張る上司に、一同は呆れ顔を向けるのだった。
 ――エリオがひとり、フェイトと攸夜をじっと見つめていたことにも気づかないままで。




 □■□■□■




 後日、機動六課隊舎本館。
 玄関ホールの片隅で、なのははヴィヴィオの相手をしていた。
 攸夜に教えてもらったあやとりやお手玉などをして二人で遊ぶ。情操教育は大切、とは彼の言葉だ。

 再びデバイスを取ったなのはだったが、彼女の日常には大きな変化はなかった。
 教導官の仕事と副隊長としての仕事、そして馴れない子育てに四苦八苦する毎日。
 ――けれど、気持ちは違う。
 ただ状況に流されているわけじゃない。見失ったものを取り戻し、自分の意志で考えて、勝ち得た日々は今まで以上に充実していた。
 特筆すべき事柄として、今までよりユーノと連絡を取り合うようになったことが挙げられる。
 他人には言えないことを相談したり、時には通話越しとはいえヴィヴィオの面倒を見てくれたり。ようやくヴィヴィオも彼に懐いてくれたようで、なのはも一安心。さすがに「ユーノパパ」とは呼ばないが、むしろそう呼び始めたら気恥ずかしくて困ってしまうので「今のところはこれでいいかな」となのはは日和見ている。

 と、ヴィヴィオが何かを見つけて唐突に立ち上がった。

「あっ、ベルちゃん!」
「えっ?」

 ハッとして、振り返る。
 短いシルバーブロンドに、猫のような金色の瞳。トレードマークのポンチョを靡かせ、颯爽と歩いてくる美少女――

「その呼び方はやめなさいっていつも言ってるでしょ、ヴィヴィオ」

 “蠅の女王”ベール・ゼファーである。

「ごめんなさーい。……ベルちゃんも、いっしょにあそんでくれるの?」
「あんたね……もういいわ」

 なんとなく仲のいい二人。
 ベルは気まぐれでヴィヴィオの面倒を見てくれているらしく、なのはは複雑な思いをしている。何気に彼女、面倒見はいいのかもしれない。
 まとわりつくヴィヴィオを適当にあしらい、ベルはなのはに向き直った。

「高町なのは」
「え、は、はい。なに、かな?」

 途端に挙動不審になるなのは。いつかの戦いのイメージが尾を引いている。

「見てたわよ。魔王級の“冥魔”を倒したのね」
「あ、うん」
「ふぅん……」

 歯切れの悪い言葉、ベルの目が細められる。
 全てを見透かすような金色の瞳に対して、なのはは視線を逸らすことなく真っ向から見返した。
 視線と視線がぶつかり合う。

「……まっ、少しはマシな眼になったみたいじゃない。もっとも、あたし好みじゃないけどさ」

 ぷいっ、とそっぽを向いたベルの賞賛にも聞こえる言葉に、なのはがぽかんとした。

「え……?」
「けどね。これで満足してんじゃないわよ――“なのは”」
「あ……」
「言いたいことはそれだけ。……じゃあね」

 本当に言いたいことだけ言って、さっさとどこかへ歩き去ってしまう。
 こてんと小首を傾げるヴィヴィオをぎゅーっと抱きしめたなのはが、小さくなる背中を見つめてぽつりとこぼした。

「ちょっとは、認めてくれたのかな……」
「なのはママ、うれしそうっ!」
「そうお? ……うん、そうかも、えへへ」



[8913] 幕間 3‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/09/16 21:17
 


 廃棄されたビル街。
 戦場と化した廃墟にカラフルな光彩の魔力が飛び交う。
 鉄拳が瓦礫を粉砕し、砲撃が着弾して炸裂し、雷撃と鉄剣の雨が降り注ぐ。

 爆音轟き、硝煙が煙る中を単身で突っ切る少女――ティアナ・ランスター。両手に握った回転弾倉式大型拳銃――クロスミラージュのフルドライブモード、ダブルトリガーが機関砲のような唸りをあげ、姿を現して無差別に攻撃してくるターゲットを撃破する。
 リミッターをカットした魔導炉からのほぼ無尽蔵に近い魔力供給、一発一発の弾丸の破壊力、連射性、命中精度――あらゆる意味で、ダブルトリガーは通常形態のクロスミラージュのスペックを超えている。現在は習熟のために近接ブレードをカットしているが、それでも十二分に性能を発揮していた。

「! ちっ……!」

 物陰から飛び出した数十機のターゲットがレーザーを撃ち放つ。ティアナは慌てて側の瓦礫の影に隠れてやり過ごした。
 そして、光線が止むタイミングで飛び出したティアナが双子の銃口を障害へと向ける。

「はぁああああっ!!」

 ぶん、二挺の大型拳銃を振り回し、周囲に魔力弾を乱れ撃ち、数十機のターゲットが一息に撃破された。

(――ったく、アタシが振り回すのにぴったりの重さじゃない)

 手に馴染むデバイスの感触にティアナは思わず舌を巻く。これでは「性能が良すぎて逆に不安」などという罰当たりな考えも起きやしない。
 ティアナのためだけに設計されたクロスミラージュ・ダブルトリガーは、ティアナが操るためだけにデザインされており、重さ・重心・銃身の長さにいたるまで、完璧に計算し尽くされていた。未だ試してはいないが、おそらくブレードの使い心地も抜群であろう。

「……これじゃあますます惚れ直しちゃうわね、アンタを」
『光栄です』

 右手のクロスミラージュを軽く掲げ、冗談を言い合う。
 なかなかノリのいい相棒に笑みをこぼし、ティアナは緊張で乾いた唇を軽く舐めた。

「さぁて……細工は流々、仕込みは完璧、あとは仕上げをご覧じろってね。今回こそは勝たせてもらうわよ」

 敵陣深く切り込む典型的な浸透突破作戦。
 仲間から離れ、自らを囮とした今回の策――負け越しているナンバーズの四人に勝つべく、ティアナは再び歩を進めた。












  幕間 「突撃! となりのバカップル」












「実際さぁ――」
「んー?」

 夜の機動六課女子寮。
 ごろんとベッドに寝っ転がってファッション雑誌をつらつらと眺めていたティアナが、唐突に声を上げる。
 ちなみに昼間の模擬戦は、ナンバーズ四人のうち、バカコンビ(ノーヴェとウェンディ)を不意打ちとはいえティアナ一人が討ち取って、完勝した。
 もちろんなのはからはありがたーい叱責をもらったが。

「アタシたちって、ユウヤさんのことほとんど知らないのよねぇ……」
「ユウヤさん? ああー、そうかも」

 デスクの椅子でマンガの単行本を読んでいたスバルが、同意の声を上げた。
 部隊長以下、首脳陣の幼なじみにして機動六課の黒幕とされる黒髪の青年――宝穣 攸夜。
 対外的には「最高評議会から派遣された機動六課の監査官」となっている彼は、エリオとキャロは言うに及ばずギンガやナンバーズの四人も因縁浅からぬ仲であるように思われるのだが、二人とは全くと言っていいほど接点がない。
 実際、彼が特別に訓練のアグレッサーを務めるとき以外、朝の挨拶するだけの有り様だ。

「でもティア、なんで急にそんなことを?」
「いや……アタシ最近、フェイトさんに幻術を習ってるじゃない?」
「うん」

 ティアナは言葉通り、指揮官研修の合間にフェイトから幻術関係のレクチャーを受けている。彼女から学んだ繊細かつ論理的な魔法のロジックにより、術のキレは確実に以前とは段違いに上がっていた。
 さらにその際フェイトに「やっぱり幻術に関しては自分より筋がいい」と誉められて以来、ティアナは絶好調だった。順風満帆と言ってもいい。
 ようやく賞賛を素直に受け止められるようになったわけだが、ずいぶんと安い凡人コンプレックスである。

「でさ、そんときフェイトさんに言われたわけよ。「幻術の使い方なら、私よりユーヤに教えてもらったほうがいいよ」って」
「ふーん、なら教えてもらいに行ったらいいじゃん」
「無茶言わないでよ。……話しかけづらいじゃない、なんか怖いし」
「あー、それわかるかも。雰囲気っていうか、オーラがすごいもんね」
「そうなのよねぇ……」

 ティアナは時々見かける青年の姿を思い返して、憂鬱そうにため息をついた。
 気品と精悍さを兼ね備える彼は六課の一般女性職員の一部から密かに“黒の王子さま”などと呼ばれ、アイドル紛いの扱いを受けている。見た目まさしく“お姫さま”なフェイトと仲良く一緒にいる様子が、彼女たちの乙女心をいたく刺激するらしい。まあ実際、皇子ではあるのだが。
 話してみると案外気さく、とはティアナとも親しい某陸曹の言葉だが、そう簡単なことではない。いつぞやの訓練やキツーいお説教の印象が強すぎるのだ。

「んー……じゃあさ、インタビューとかしてみたらどうかな? さっきの私たちみたく」
「インタビュー?」

 脳天気な響きのセリフを怪訝そうに聞き返すティアナ。
 ミッドチルダ防衛計画の一環で設立された試験部隊である機動六課――部隊長いわく「客寄せパンダ」――の隊員を務めるティアナたちは、度々マスメディアの取材を受けている。今日も勤務の合間に、簡単なインタビューをこなしたりもしていた。
 もちろん管理局の広報部を通じた歴とした公務なのだが、新人四人はなかなか馴れることができないでいる。さすがと言うべきか、なのはやフェイト、はやてなどはそのあたり馴れたものであり、普段は飄々としているキャロが毎回一番緊張しているのが印象的だった。

「そーそー、いろんな人たちに聞いて回ってさ。なんか事件の捜査みたいで楽しそうだよねっ!」
「スバル、アンタね……」

 今日も今日とて無邪気な相方に、ティアナは頭痛を覚えて頭を抱えた。




 □■□■□■




 翌日、ティアナとスバルは訓練や仕事など合間に関係者から聞き込みを敢行した。

 以下、主な聞き取りの結果。


 ――同僚C・R・Rの証言。

「ししょーですか? そうですねぇ……ものすごく厳しい方です。自分にも他人にも。
 ……ええ、はじめはかわいがってくれたんですけど、私が管理局で働くことになったとたん扱いが酷くなって……あ、いえ、そういうことではなくて。たぶん、私を“オトナ”として接してくれてるんだと思いますよ。だから、厳しいひとなんです」


 ――同じく同僚E・Mの証言。

「……あの人のことですか。……キャロとか、もっとよく知ってる人に聞いたらいいんじゃないんですかね。……そうですか、わかりました。
 ――正直、あんまり好印象はないです、何か軽薄で。……いえ、そういうわけじゃ……すみません、もういいですか?」


 ――今日も全力全開な教導官の証言。

「え? 攸夜くんのこと? ……うん、友だちだよ。
 そうだねぇ、初めて会ったのは小学生のころなんだけどね。最初はなんだかこわそうな子だなぁって思ったんだけど、いざつき合ってみるとほんとは思いやりのあるひとなんだよね、すごく。――あとね、なに考えてるかわからないところがあるかなぁ……私とは考えた方が根本的に違うんだよね。そういう意味でも、頼りになるかな」


 ――わりとヒマな部隊長の証言。

「攸夜君なぁ……悪友で恩人、かな。あとな、理不尽が服着て歩いてるようなひとや。
 変に飾ったりせんと楽につき合えるし、なんや知らんけど波長が合うんよ。……え? 恋愛感情? あはは、ないない。私の理想のタイプは年上のダンディーなオジサマや。まあ、ええオトコとは思うけどな」


 ――現在出向期間中な実姉の証言。

「あらスバル、どうしたの? ……えっ!? ゆ、ユウヤさん……? そ、その、えっと――(以下、しどろもどろで会話にならない)」


 ――機械にも強い執務官補佐の証言。

「ユウヤさんのこと? そうねぇ、私は前からいろいろお世話になってるよ。
 ……うん、フェイトさんとのお仕事の関係でね。お二人のご自宅におじゃまして、晩ご飯をごちそうになったことが何度もあるの。料理もできて家事も完璧、女性の仕事に理解もあって、なによりハンサムっ! あーあ、私もすてきなダンナさまが欲しいなぁ……」


 ――クールな別動部隊隊長の証言。

「……宝穣のこと? ふむ……、浅からぬつき合いではあるが。一言で言えば、そうだな……好敵手だ。テスタロッサとは違う意味でのな。
 騎士としては正直あの戦い方はどうかと思うが……いや、違うな、奴の辞書に“正々堂々”と言う言葉がないだけだけか。しかし戦士として見習うべきところもある。――と、すまん、これから会議でな、そろそろいいか?」


 ――銀髪眼帯ロリなお姉さんの証言。

「……む、監査官殿のことか? プライベートな交友関係ないが、妹たちともどもお世話になっている方だ。
 姉は投擲術やトラップ戦術、近接格闘などを時折教えていただいたな。もちろん妹たちも同様だ。……そうだな、ノーヴェ以外はそれなりに懐いているみたいだ。ああ、そうだ、ちょっと聞いてくれるか? ノーヴェやウェンディときたら――(以外、妹たちへの愚痴)」


 ――あかロリな上司の証言。

「ユウヤ? あー、アイツはなぁ……昔は大っ嫌いだったんだけどさ、今はそれなりって感じだな。
 ……んー、なんつーか、まあぶっちゃけ私と趣味が共通してんだよ。はやてもそうなんだけど、やっぱ趣味が合うヤツと話しするのは楽しいだろ? 取っつきにくいけど、ちゃんと話してみるとわりといい奴だぞ。それに、アイツの作ったお菓子はギガうまだしなっ!」




「――で、今日一日いろんな人に聞き回ってみたわけだけど……」

 ティアナとスバルの部屋。
 ベッドにティアナ、デスクチェアの背もたれを抱え込むようにスバルが座り、調査結果について語り合う。

「うーん、やっぱりいいひとなのかな? 悪く言う人ほとんどいなかったよね」
「みたいね……」

 聞いて回ったところによると、彼に対する六課職員の感情は概ね好意的である。特に魔力資質のない非戦闘員系の職員からウケがいい。何かと便宜を図ってくれるからなんだとか。
 まあ、施設内で――あくまで公許良俗に反しない程度に――イチャイチャされるのはさすがに辟易する、という意見も大量にあったが。

「証言を総合すると、面倒見がいいようね。あと、マメっていうか気が利く感じ?」
「思ったとおり、男の人たちからすごく嫉妬されてたよね〜。でもあんまり嫌われてなかったのは不思議だけど」

 齟齬を感じる妙な現象に、首を傾げるスバル。
 フェイトのようなとびきりの美人を恋人に持てば、嫉妬の一つや二つ浴びて当然。しかし、嫉妬しているにしても友好的な感は否めない。

「どうも合コンとか定期的に主催してるらしいから、そのあたりじゃない? 原因」
「そう聞くとなんか軽薄な感じだね……」
「アタシは逆にしたたかだなって思うけど」
「なんで?」
「だって、なんだかんだで人間関係掌握してるんだし。自分はフェイトさんとつき合ってるって予防線張って、敵を減らしてシンパを増やしてるわけでしょ? やっぱしたたかよ。ていうか姑息?」
「姑息って……」

 ティアナのさばけた評価がおかしくて、スバルが苦笑した。

「でも話を聞いてるだけじゃ、やっぱイマイチ人物像が掴めないわね」
「じゃあさ、じゃあさ、明日は尾行とかしてみようよっ! ちょうど朝練ないしっ!」
「はい? いやアンタね、尾行ったってそんなことできるわけ――」
「ますます事件の捜査みたくなってきたよねっ! あー、なんかワクワクしてきたーっ!」
「オイコラ、バカスバル。ちょっとは人の話を聞きなさいよ」

 完全に舞い上がった相棒にもうお手上げで、ティアナは考えるのをやめた。



[8913] 幕間 3‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/09/23 21:33
 


 翌朝、午前6時頃。
 普段通り早起きしたスバルとティアナは、寮の一角――高級士官向けフロアで息を潜めていた。

「まだ出てこないねー」
「ふぁ……我ながら、よくやるわ」
「……うー、なんか緊張してきたー」

 フェイトの部屋の前の物陰に隠れ、様子を窺う二人。はしゃぐスバルを横目に、ティアナが眠たげにあくびした。
 時折、側を通る人に不審そうな視線を向けられていたが、朝からハイテンションのスバルはお構いなしである。

「って、あれ、なんで向こうから……?」
「どうやらジョギングか何かをしてたみたいね。大方、アタシらと入れ違いになってたんじゃない?」

 本来、女子寮にいてはならない男性がスバルたちのいる場所から見て、通路の反対側からやってきた。
 今回のターゲット、攸夜だ。
 服装は光沢のある明るい青色のジャンパーにグレーのジャージ、青い運動靴。ティアナの読み通り、日課を済ましてきた彼は、そのまま自室――対外的にはフェイトの部屋――に入っていく。
 さすがに部屋の中に押し入ったり、サーチャーなどを送り込むなど無理な話。いくらなんでも確実にバレるし、それ以前に立派な犯罪だ。
 というわけで、スバルが隊舎内の購買で買ってきたアンパンと牛乳――本人いわく「張り込みの鉄則」――を朝食に食べつつ、時間を潰す。やはり道行く人に奇異の目を向けられ、偶然通りがかったなのはとヴィヴィオに「……なにやってるのかな、二人とも」「おなかいたいの?」などと言われる始末。さすがのスバルも、憧れの人と幼女に呆れられたのは堪えたらしく、撃沈した。

 そうこうしているうちに、時刻は8時を回る。
 そろそろ寮内も、活動を始めた人々の気配で騒がしくなってくる頃。
 ちなみに、訓練がない日のスバルたちの登庁時間はだいたい八時四十分前後。隊舎の近くに併設された寮住まいなので、その辺は比較的余裕がある。その分、現場の仕事はハードだが。

「あっ、きたよっ」

 声を潜めるスバル。
 個室のドアが開いて、地上部隊向けの制服を着たフェイトと紺青の背広を着た攸夜が出てきた。今日も二人のスーツ姿は様になっている。
 別に腕を組んだりするわけではないが、何やら楽しそうに会話をしながら建物の出入り口の方に向かう二人。時折笑顔をこぼし、仲睦まじく歩いていく。
 キャロ辺りなら、「読唇術です」とか言って会話の内容を読んだりできそうだ、とスバルは思った。背後からじゃ唇の動きは読めないというツッコミはこの際ナシだ。

「フェイトさんと一緒だね」
「そうね……まだ六課の仕事を始めるには時間が早い気もするけど。というか、二人してどこに行くのかしら?」
「うーん……、ホテルとか?」
「んなわけあるかいっ」

 洒落にならないボケをかますスバルを鋭くツッコむティアナ。
 と、何もない空間から出現した蒼い大型オートバイを見て、ティアナが「オラシオンいいなー」と呟く。
 最近、一般販売の始まったバイク型“箒”だがかなりのお値段で、下っ端武装局員のティアナにはとても手の届かない一品である。

 と、恋人のネクタイを直していたフェイトが不意に瞼を瞑り、つま先立ちする。ひょっとしなくても、キスの催促だ。

「うっわ、キスしてるよティア〜!」
「いちいち興奮しないの。……ったく、朝からアツアツね」

 そして、長ーいベーゼの後。
 フェイトから名残惜しそうにそっと離れた攸夜は、フルフェイスのメットをかぶるとオラシオンに颯爽と跨り、爆音響かせて去っていく。背広のままで。
 ぼーっとその様子を眺めていたティアナが、あることに気づいた。

「……外回りに出てかれたら、尾行の意味なくない?」
「ううっ」

 ごもっともな意見である。

「うー、ミッション失敗しちゃった……」
「ミッションて、アンタね。……ていうかもうやめにしない? アタシ、夕食時にでも普通に聞きに行くし」

 スバルが意気消沈したのを好機と見て、ティアナが中止を進言する。どうも面倒になってきたらしい。
 肩を落としてしょんぼりしていたスバルが突然、顔を上げた。ガバッ、って感じで。

「それだ! もうこうなったら、直接本人に聞くしかないよねっ!」
「ええっ、まだやる気……?」
「夕ご飯のときに食堂に行けばたぶん会えるよ! 女は度胸! やるっきゃない!」
「もうどうにでもして……」




 □■□■□■




 そして夕方。
 普段と時間をずらして食堂にやってきた二人。目当ての人物は、予想に違わず今夜も恋人とともにディナーを楽しんでるようだ
 発見するのは容易かった。
 だって、食堂の中心あたりで思わず砂を吐きそうなピンク色の空間が発生していたから。
 絶世の佳人と黒い貴公子のお似合いだけど浮き世離れしたカップルは、やはり何をしていても絵になる。遠巻きでチラチラ見守る職員の視線など気にもせず、和気藹々と会話を交わして笑顔が絶えない。

 カウンターでトレイを受け取った二人は、こそこそと声を潜めて相談する。

「ほらスバル、アンタが言い出しっぺなんだからさっさと声かけなさいよ」
「ええー、わたしー?」
「アンタ以外の誰がやるってのよっ!」

 ティアナは自分の発言が事の切っ掛けなのを完全に棚に上げ、相方をけしかける。
 脳天気な元気ムスメ、と思われがちなスバルのキャラクターはこういうときにこそ役に立つ。実体はそうでもないというのはこの際関係ない。

「す、すみませーんフェイトさん、相席いいですか?」
「スバルに、ティアナ?」
「「はい」」

 のっそりと顔を上げるフェイトに丁寧に会釈する。相手は曲がりなりにも上司である、社会人として礼を尽くすのは当然だ。
 金髪の美少女は二人を見やり、小首を傾げて周囲を見回した。

「相席って言っても……、席いっぱい空いてるよ?」
「え、あ、いえ、その……ちょっとお二人に相談というかお聞きしたいがあって――」

 至極最もな指摘を受け、しどろもどろでティアナが補足した。
 「お二人」という枕詞に興味を示して攸夜が目を細めたが、フェイトは特に重要視していないようで、困った顔で恋人に視線を送る。

「相談? そうなんだ。……ユーヤ、どうしよう?」
「ああ、俺は構わないよ」

 さあ座りなさい、と手で差し示して優雅に微笑む攸夜。すると、目の前の椅子が独りでに引かれた。トレイで両手が塞がった二人を気遣ってのことだろう。なかなかに紳士である。
 しかし魔法の応用だということは理解できるが、スバルたちには魔力の流れすら感じ取れなかった。恐るべき練度だ。

「し、失礼します……」
「失礼しま〜す……」

 定食のトレイを机に置き、おずおずと席に着く。

「それで二人とも、相談ってなんなの?」
「……フェイト、いくら何でも急っかち過ぎだよ。まずは飯を食わせてやろう」
「あ、そっか、そうだよね」

 ごめんね、と素直に謝るフェイト。
 ああ、天然だなぁこの人。スバルとティアナは、このぽややんとした金髪の上官を微笑ましく思った。
 仕事中のキリッとクールな感じと、プライベートのダラッとキュートな感じの落差は同性から見ても愛らしい。彼女の一番の魅力と言えるだろう。

「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
「い、いただきます……」

 何だか妙な展開になったと思いつつ、二人は食事を開始した。
 居心地の悪さをひしひしと感じ、黙々と食べる。
 任官して日の浅いスバルたちの懐事情は寂しい。当然、選んだメニューは安めでボリュームのあるもの。
 一方、目の前のバカップルは当然のごとく高給取り。二人して、とてもおいしそうなビーフカレーを食べている。野菜から肉まで具がごろごろとしてて大きい。
 食堂のメニューをランチを含めてほぼ全制覇しているスバルが、目聡く違和感に気がついた。

「……あれ? なんかそのカレー、ちょっと変……?」
「うん。これはね、ユーヤが作ってくれたんだ」

 スプーン片手に言い、にこーーっと幸せそうに破顔したフェイトが隣の男性に視線を送る。
 ああ、と静かに首肯する攸夜。ナプキンを手に上品な所作で口元を拭い、ついでにフェイトの口も拭いてやっていた。まるで仲のいい娘と父親のようだ。

「昨日の夜から厨房の隅をちょっと拝借してね。調理場の迷惑になるからあまりしたくはないんだが、フェイトがどうしても言うもんだからさ」
「はぅ……、だ、だって、久しぶりにユーヤのカレーが食べたかったんだもん……」

 大人げない行為を暴露され、恥るフェイト。赤面して俯き、ごにょごにょ言い訳らしきことを口にして、縮こまっている。
 スバルとティアナはそんな上司を意外に思う。どこか抜けているが、真面目で穏やか、知的な才女――まさしくクールビューティーな彼女が、子どもじみたわがままを言う姿は想像しがたい。

「カレー、フェイトの好物なんだ。オムライスの次くらいにさ」
「あっ、私、前にフェイトさんがオムライス食べてるの見ました」
「だろ? 大体、子ども舌なんだよ。食べず嫌いも多いしな」
「そっ、そんなことないもん! 味とかちゃんとわかるもんっ!」

 必死で否定するフェイトを素知らぬ顔であしらう攸夜。しばし、痴話喧嘩という名の茶番劇が繰り広げられる。
 機嫌を害した風のフェイトが膨れっ面で攸夜を見やる。スバルたちにはわからないアイコンタクト。

「ん、仕方のないお姫様だ。ほれ、あーん」
「あーん、あむっ……もぐもぐ」

 攸夜の差し出したスプーンを躊躇いもなく含み、見たこともないくらい屈託のない笑みをこぼすフェイト。機嫌は瞬く間に直り、「私はしあわせです」と顔にありありと書かれているようだった。
 自重しろ、バカップル。スバルとティアナの心の声がユニゾンしたのも無理はないだろう。

「えへへ……おいしい。次、私ね、あーん」
「あーん、はむ……」

 同じように攸夜へ食べさせると、フェイトはさらに相好を綻ばせる。いや、それはもはや綻ぶというより崩れる――キャラの崩壊だ。
 いつもは凛としたフェイトの、意外すぎる一面。少女というよりも、まるっきり子どもの笑顔は二人にとっては軽く衝撃だった。

「もっと食べるか、フェイト」
「んー、食べるっ♪」

『こ、これは……精神的にキッツいわね……』
『なのさんや八神部隊長がいっしょにごはん食べない理由、わかったよぉ……』

 念話で言い合う二人。どちらもすでに辟易しきりで。
 付き合いの長いなのはたちは、その辺りを嫌と言うほど理解させられている。二人を密かに親代わりとして慕うキャロやエリオすら、食事時には一切近づかないことからもその破壊力がわかるというもの。
 迂闊な突撃を早くも後悔しながら、スバルとティアナは心の中で恩師に祈った。

 拝啓、なのはさん。あなたの教え、やっぱり正しかったみたいです――――




 □■□■□■




 食後。
 まったりした空気が流れる中、攸夜が言う。

「――お前たち、デザートを食べたくないか? お兄さんが奢ってやるから、何か好きなものを頼んできなさい」
「えっ、いいんですかっ!?」

 若干の物足りなさを感じていたスバルが、これ幸いと身を乗り出す勢いで食いつく。瞬く間の出来事だった。
「ちょっと!」隣のティアナが脇を肘で突っついて咎めるものの、「遠慮するのは失礼だよ〜」と正論ぶる。対照的な二人のやり取りが可笑しかったのか、攸夜が微苦笑した。

「おらランスター、ガキが余計な遠慮をするんじゃない。ナカジマ妹のように素直になってろ」
「でも……、スバルってめちゃくちゃ食べますよ?」
「知ってるよ。ギンガや数の子、フェイトで十分にね」
「わっ、私はそんなに食べないよっ!?」

 一緒にされたくない、とフェイトが必死に叫ぶ。正直、説得力は1ナノグラムもない。
 結局、二人は奢られることとなり。その際、攸夜はフェイトについて行くように告げ、自分の分と一緒に彼女にも好きなものを頼むように一言付け加える。
 そのスマートかつさりげなく恋人の機嫌取りをしている姿に、スバルたちは人心掌握の妙技を見たのだった。



[8913] 幕間 3‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/09/30 21:05
 


 とりあえず、攸夜に「スバル」「ティアナ」と名前で呼ばせる程度には打ち解けることに成功した二人。彼のおごりで買ってきた山ほどのスイーツを、彼の入れたロイヤルミルクティーで味わい、甘い幸せを堪能していたスバルはふと思い出す。本来の目的をすっかり忘れていることを。
 慌てて聞きたいことがあると切り出したスバルだったが――

「――ん、なんだ? 俺とフェイトの赤裸々なセックス事情でも聞きたいのか?」
「セッ……!?」

 明後日の方向から切り込まれ、見事に赤面した。

「あはは、初心だな」
「セクハラですよっ!」
「気にするな、俺は気にしない」

 明け透けにもほどがある、とスバルは熱を帯びた顔を押さえながら困り果てた。男性経験どっこいなティアナはともかく、フェイトまで真っ赤になって恥ずかしがっていたのは謎だが。
 ごほん、と攸夜の咳払い。

「冗談はさておき。お前らもいつかは身を固めて、親御さんやらを安心させてやらなきゃ駄目だぞ? ……もしかして同性がよかったりするのか?」

「「違いますっ!」」

 下衆の勘ぐりは全力で否定。たまに同僚やら上司に心配されるから余計にだ。
 でもこれは逆にチャンスかも。スバルはポジティブに考え、果敢に話題のコントロールを試みた。

「なら参考までに、ユウヤさんの好きなタイプを教えてくださいよ」
「可憐で儚げ、愛らしくも雪のように綺麗、聡明で勇敢かつ優しく、素直でクール、慈愛に満ちていて決断力もあって、だけど謙虚で控えめで、どこか子どもっぽくもあり、声も歌も素晴らしいエンジェルボイス、人形のように可愛らしい、プロポーション抜群な金髪の美女だな」
「それってやっぱり、フェイトさんのことですか」
「はっはっは、そうとも言う」

 事実はともかくとして、当人は本心からそう思っているらしい。もはや褒め殺しレベルの美辞麗句、フェイトがさらに恥じ入った。
 内心で「ギンねぇ……これはムリだよぉ……」と姉の恋に早くもトドメを刺したスバルに続き、ティアナが質問を投げかける。

「え、えーと、ユウヤさんって具体的にはどんなお仕事をなさってるんです? 六課の監査官とお聞きしましたけど……」
「管理局の上位組織、最高評議会のエージェントでな。六課にとってはお目付役だ。
 普段は政策を立案・実行したり、管理世界や管理外世界を回って政府・企業との折衝や調整をしている。どちらかというと裏方の仕事がメインかな」
「つまりね、ユーヤはヒーローなんだよ」
「フェイト、それはもういいから」
「……あ、もしかして今日もどこかに行ってたり?」
「ほう、よくわかったなァスバル?」

 自分で設置した地雷を踏み抜き、ギクッと身を強ばらせるスバル。ティアナが涙目で非難の視線を送る。
 あはは……、と心当たりがありすぎて愛想笑いしている二人を軽く睨め付け、攸夜は言葉を続けた。

「今日は、某大使館とミッド行政府で打ち合わせをしていたよ。それから、フロニャルドに武力介入してきた」
「……ユーヤ、余所様に迷惑かけちゃだめだよ?」
「ふっ、最後のは冗談さ」

 冗談には聞こえない、とスバルは思った。
 ティアナが感心した風に言う。

「へー、外交官ってわけですね。なんかかっこいいです」
「まぁ、所詮は態のいい使いっパシリさ。一応、外交官資格は持ってるけどな。
 最近、“冥魔”の被害が管理外世界にも拡大して来ていてね、自分たちも管理世界にしてくれと言い出すクニが後を絶たなくて忙しい。評議会の爺さんたちはこれ以上、管理世界が増えるのを避けたいらしいが……」
「あっ、その話、今朝の新聞で読みました。たしか……オルセア、でしたよね?」

 ニュースペーパーの国際面に掲載されていた話題。関係者から直接聞くと、なかなかリアリティがある。

「ああ、そうだ。さすが訓練校主席だな、スバル。前にギンガやゲンヤさんがよく勉強していると褒めていたぞ」
「えへへ……」

 思いもよらない賞賛の言葉、スバルが嬉しそうにはにかむ。

「じゃあ、趣味とかってなんですか?」
「趣味、ね。いろいろとあるが、アウトドアスポーツと旅行、それから世直しかな?」
「よ、世直しですか?」

 世直し。間違っても趣味の話題で出てくるような単語ではない。

「趣味の範疇で、次元世界中で公的機関の無能者を粛正したり、マフィアとか犯罪シンジケートなどを潰して回っている。もちろん管理外世界のも含めてな」
「ええっ!? それっていいんですか?」
「いいわけないよ」

 スバルの疑問を即座に答えたフェイトは憮然とした様子。同じく、執務官を目指す法律家の卵もうんうんと強くうなづく。

「まぁ、その辺に関する主義主張の違いで、よくフェイトと喧嘩するんだけどさ。
 ……今この瞬間にも誰かが飢餓により死に、誰かが病により死に、誰かが貧困により死に、誰かが誰かに害されて死ぬ。お前たちよりもずっと幼い子どもがどこかで虐待にされ、あるいは人身売買の被害に遭っている。
 俺も、児童虐待には特に気にかけているんだが、どうもな……」

 苦しむ子どもたちを思い、攸夜とフェイトが揃って悔しそうに目を伏せる。
 ティアナはふと、キャロから聞いた、攸夜が児童施設や孤児院などの支援活動に熱心だという話を思い出した。

「人種差別、性犯罪、麻薬被害、理不尽な暴力、貧富の格差、テロリズム、イデオロギーの衝突、相互不理解、国家間戦争――“冥魔”だけじゃない。いつだってどこだって、ヒトは平等に不平等で、この世は喜劇と悲劇で満ち溢れている。
 しかし、これらに曝される全ての人々を救うことは困難だ。大体、管理局法を管理外世界に適用など出来んだろう。その柵の所為で救えない命はどうする? 見捨てるのか?」
「それは……」

 投げかけられた問いに、スバルたちは答えることができなかった。
 目の前にいるのに救えない、腕が届かない――時空管理局という巨大組織が抱えるジレンマの一つである。

「俺の持論だが、“悪に人権はない”。悪ってのは基本的に様々なルールを逸脱し、他者から何かを奪う存在を指す。ならば逆に、他者から奪われたって文句は言えないだろ?」
「でもそれだって悪いことですよね?」
「無論、ダブルスタンダードだとは理解しているよ。俺も奪われたくないから守るために自衛する、体制側に組みして暴力ではない“力”だって手に入れる。……誰だって、奪われるのも失うのも辛いもんな」

 自虐的に笑う彼の手を、フェイトがテーブルの下で握ったことに二人は気づかない。
 上品な仕草で持ち上げたティーカップに口をつけ、喉を潤す攸夜。表面上は、涼しげに澄ましていた。

「ま、法務官を目指すなら知識だけじゃなく、自分なりの正義を身につけるこった。杓子定規に処理してたら、罪は裁けてもヒトを幸せには出来ない」
「正義、ですか……」
「だが、正義は時にヒトを容易く残酷にするってことも忘れちゃならん。正義と善は、必ずしもイコールでは結ばれないんだぜ?」
「難しいですね……」

 心なしか肩を落とすティアナ。いつか自分が正義を振るう立場になったときを思い、重責を感じたのかもしれない。

「でも、なんていうか意外です。ユウヤさん、“フェイトさんがすべて”って感じかなって」
「よく言われるよ。善行というか、慈善活動や人助けは結構好きでね。まあ、100%善意かって言うと全くそうでもないんだがな」
「どういう意味ですか?」
「感謝されたり、笑顔を見るのが嬉しいだけ、善行をしている自分が好きなだけの、自分本位の偽善なのさ。誰だって、悲しいよりは楽しい方がいいだろ?」

 今まさに苦笑する黒髪の男性の思想を聞いているうちに、スバルの胸中には漠然とした違和感が疼いた。
 よくも悪くも素直な彼女は、素直に疑問を口にする。

「あのー、不躾な質問ですけど……ユウヤさんって、“魔王”なんですよね?」
「ちょっとスバル、失礼よ!」
「はは、かまわないよティアナ。確かに、俺は“魔王”だ。ちなみにこの場合、職業じゃなくて種族な」
「は、はぁ……」

 本気か冗談か判断しづらい発言に困惑し、顔を見合わせる。
 フェイトが一瞬悲しそうに瞳を伏せたことを気づいたものは、攸夜以外にはいなかった。

「じゃ、じゃあ、実は世界征服を企んでたり……?」

 スバルが続いてあんまりなことを聞く。
 “冥魔”などという存在が闊歩するこの時代、裏界魔王のごく簡単な概要もまた一般の局員にも公表されている。機嫌を悪くされたらたまったものではないからだ。
 が、彼女は単純にフィクションなどでの“魔王”のステレオタイプなイメージを本人に訊いてみただけ。深い意図はない。
 しかし、返ってきた返答はひどく意外なものだった。

「ないな」
「どうしてですか?」
「“世界”はすでに俺のものなのに、わざわざ支配する意味なんてないだろう?」

((な、なんかすごいこと言ってるこの人ーーっ!?))

 二人は絶句した。
 だが実際、人間社会の構造に精通している攸夜がその気になれば制圧など造作もないこと。じわじわ社会に浸透し、時間はかかるが悪辣かつスマートな手段で最終的に支配してしまうだろう。
 彼が本気でファー・ジ・アースを制圧しようとしないのは、偏に興味がないからである。

「俺は魔王だ。誰よりも強く、誰よりも孤高で、誰よりも偉大でなければならない。そしてだからこそ、強者(おれ)が弱者(ヒト)を守ることは――、特別な力を持つ者が持たない者の幸福を守ることは、義務であり責務であり権利であり必然なんだ。下等なお前らは、黙って俺に守られていればいいのさ」

 すごく歪んでるけど結果的に正しいから何も言ないっ。スバルたちは言葉もない。そこは普通、「ヒトを守るための力があるから守る」とかもっと別の言い方があるだろう、と。
 恋人の唯我独尊な思想を聞き、フェイトが微苦笑をこぼした。

「しょうがないひとでしょ?」
「あ、いえ……」

 金髪の佳人の楚々とした微笑みに思わず赤面する二人。
 彼の、そんな部分すらも愛してる――フェイトの慈愛に溢れた表情からは、彼女の強くて深い想いが伝わってくる。

「……ユーヤはね、わざとワルモノぶって人を寄せつけないんだよ。本当はとってもやさしいのに、理解されなくてもいいって」
「むっ……」

 わずかに眉を顰める攸夜。それはきっと図星だったから。

「だからね、私はユーヤの心を守りたいって想うんだ。私を理解してくれる人はたくさんいるかもしれないけど、ユーヤを理解してあげられるのは、私だけだから」
「……お前には負けるよ、フェイト」

 余人には割り込めない、二人だけの世界。スバルとティアナが困惑顔を見て、攸夜が場を取り繕うように声を上げた。

「……まぁなんだ、これで俺がどんな奴だかよーくわかったろう? 今度からはこんな回りくどい真似はしないで、素直に相談に来なさい。いつでもとは言えないが、可能な限り答えてやるから」

「「あっ」」

 どうやら質問していたつもりが、逆に質問させられていたらしい。「以逸待労だな」攸夜が嘯いた。
 隣でフェイトが口元を手で隠して、くすくすとおかしそうに微笑んでいた。




 □■□■□■




 スバルとティアナの部屋。

「いやー、やっぱ奥が深いわ機動六課。まさしく魔窟ね、もしくは伏魔殿」
「キャラ濃かったよねー、ユウヤさん」

 ベッドに腰掛けたティアナと、椅子の背もたれを抱え込んで座ったスバルが話し込んでいた。
 スナック菓子を適当にパクつきつつ、今日の感想をダベる。

「機動六課は、個性派じゃないとじゃないと務まらないのかしらね?」
「かもねー。八神部隊長もフェイトさんもなのはさんも個性たっぷりだし」

 自分らも存外に個性派であることを彼女たちは気づいていない。いいことなのかなんなのか。

「でも、“オトナ”って感じだったよね〜。オーラって言うか、雰囲気?」
「たしかに。あのフェイトさんがベタボレなのもわかる気がするわ」
「「…………」」

 大浴場などで見かけた、彼女の生まれたままの姿を思い出し――圧倒的な戦力差に敗北感と徒労を感じざるを得ず、二人は力なく嘆息したのだった。



[8913] 幕間 4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/10/07 21:45
 











  幕間 「フェイト・T・ハラオウンのふわふわでぽやぽやな一日」












 ミッドチルダ新暦72年  10月◎日 天気 晴れ


 05:54 起床

 寝起きのあまりよくない私の朝は、決まってユーヤに起こされることから始まる。
 日課のジョギング帰りの彼におはようしてじゃれつき、しばし甘える。……実は毎朝起こされるまで寝たフリしてるのはナイショだ。
 ぼーっ、とぼんやり頭をシャキッとさせるために、熱いシャワーを浴びる。ユーヤといっしょだから、その……ごにょごにょ……。
 そ、それからっ、歯磨きとか髪のセットとか軽くお化粧とか、身支度をいろいろする。洗面台で、黄色と青色の歯ブラシが並んでいるの見るのが朝の密かな楽しみだ。
 ユーヤに手伝ってもらっててるんだけど、支度にはとても時間がかかる。
 女の子の朝はたいへんです。


 08:00 朝食

 制服に着替えたら、ダイニングへ。
 朝ご飯の準備が整うまで、今日のスケジュールの確認をしたり、バルディッシュがまとめてくれていた朝刊のニュースを斜め読みしたり。一人前の執務官ともなると、世相世情には人一倍敏感でなくっちゃ……お兄ちゃんの受け売り。
 今朝の献立はフレンチトーストにお野菜のスープ、それとごく普通のサラダ。
 サラダのトマトを残そうとしたら叱られた。……ユーヤはいじわるだ。


 08:25 植物の水やり

 出かける前に、植物のお世話をするのも最近の日課。サボテンの植木鉢とか花瓶のお花とかの観葉植物を日当たりのいいところに置いて、霧吹きお水をあげる。肥料はもちろん適量で、剪定が必要ならするし、害虫にも気をつけなくっちゃ。
 このごろ、休日とかに街に出たときに生花店でちまちまと買い集めてるんだ。もちろん、ユーヤからもらったのもたくさんあるけど。
 ……いつか広いお庭で、真っ白なバラを育ててみたいな……。


 08:30 出勤

 ユーヤと二人で部屋を出る。目的地はいうまでもなく、同じ敷地内の隊舎本館。すぐ目と鼻の先だ。
 今日のユーヤ、午前中はヴィヴィオのお世話をしてるとのこと……なんだかちょっとうらやましい。どっちに、なのかは……ヒミツ。


 08:40 ミーティング、指示出しおよび打ち合わせ

 出勤してまず最初にやることは全体ミーティング。各部署の主な管理職クラスが集まって、職務方針の決定・確認する大事な会議だ。毎日あるわけじゃなくて、そういう日ははやてのところで会議というか、いろいろ相談している。
 ちなみになのはは参加しない。一応、私の部下ということになってるから。階級的にも一段低いし。

 それが終わったら、今度はフォワードチームのミーティング。こっちはほぼ毎日やっている。
 会議で決まったことがあるならみんなに連絡・指示出ししないといけないし、なのはと今日の訓練予定を確認も忘れちゃだめだ。それに、いまはギンガたちが出向してきてるから、そっちの面倒もみないと。
 ……ほんと、提督としてたくさんの人を率いているクロノには頭が下がる思いだ。私じゃ絶対ムリだな、うん。


 10:00 外出、会議

 この日は地上本部でえらい人たちとの会議の予定があった。
 と、いうわけではやてを助手席に乗せて、中央区の本部ビルまで自動車で移動。
 時には本局まで行ったりして、午前中は結構忙しかったり。こういう政治的な事柄をユーヤがさばいてくれていなかったらと思うと、ぞっとする。
 ……だってほら、ここに来るとときどきなんか粘っこい視線を感じるんだもん……。


 12:30 昼食

 地上本部の食堂でお昼ご飯。会議が長引いちゃって、帰れなかった。
 今日もユーヤが持たせてくれた愛情いっぱいのお弁当を食べる。はやてに「おいしそうな愛妻弁当やなぁ」なんてからかわれるのも、もうなれっこだ。学生時代からだし。
 それにしても、はやてのお弁当はシャマルが作ったって聞いたけど、だいじょうぶなのかな……?


 13:00 訓練

 出先から六課に帰って、なのはたちの訓練に途中参加する。
 エリオを始めとした接近タイプのみんなと手合わせ。半年前よりずっとずっと強くなってて、何度かヒヤッとさせられた場面もあった。さすがなのはの教え子たちだ。
 機動六課は、“冥魔”と戦い駆逐するために説利された実戦部隊(難しい言葉だとタスクフォースかな?)。その隊長として、エースの一人として、私も腕が鈍らないように気をつけないと。


 15:00 シャワー

 訓練でかいた汗を流すために、シャワールームへ。そこで偶然、シグナムと出会した。
 追跡任務の帰りだという彼女とシャワーを浴びながら世間話していたら、「そうだ、テスタロッサ。お前がよければ、久しぶりに手合わせでもしないか? 明日から数日、私はこちらで交替部隊の指導に当たる予定なんだが……」と模擬戦に誘われた。
 彼女との模擬戦は得るものがたくさんあるし、最近たるんでいる気がしてたからナイスタイミングだった。こっちからお願いしたいくらいだし……ちょっと楽しみ、ふふっ♪


 15:20 子守り

 まだ訓練中のなのはに変わって、ヴィヴィオの面倒を見る。
 場所は、六課の裏手の空き地にいつの間にかできていた公園。……なんかここ、ユーヤがポケットマネーで造ったとか言ってたけど……。
 ブランコとかジャングルジムとかで遊んだり、「あんたがたどこさ」「げんこつやまのたぬきさん」「ちゃつみ」など、地球、日本の昔ながらの遊びを二人でした。全部ユーヤから教えてもらった遊びだ。

 ヴィヴィオ、今日の昼間は寮母のアイナさんと過ごしてたみたい。他にもはやてやシャマル、ザフィーラ、メガーヌさんに部隊長補佐の宇佐木さん、あと不可解だけどベール・ゼファーとか、たくさんの人が彼女のお世話をしてくれている。
 ともかく、ヴィヴィオは六課のみんなに大人気。やっぱり、ヴィヴィオがかわいいからかな?
 それとたまに訓練終わりのエリオとキャロが遊びに来たりして、そういうときは三人に勉強を教えてあげている。
 しっかりしてるけど10歳のふたりはまだまだ子ども、本格的なデスクワークには参加させてない。そんなことより、道徳とか世間の常識、一般教養を学ぶほうがずっとずっと大切だ。……実体験だから、説得力あると思う。


 16:30 書類整理、事務処理

 ヴィヴィオとお別れして、オフィスでデスクワーク。私はこれでも隊長なので、処理しないといけない書類は毎日山ほどある。
 残業なんてしたくないから、気合いを入れてがんばりますっ。

 こういう仕事は得意な方だし、苦にならない。……こう言ってはなんだけど、法務関係の案件の処理はともかく(私は執務官、六課の法務担当だ)、事件の捜査はしてないから楽勝だ。
 うーん、六課が今の形じゃなかったら――たとえば古代遺失物管理部とかだったら、たいへんだったんだろうなぁ……。


 18:20 日報、打ち合わせ

 一日の業務の締めくくりは、なのはとの打ち合わせ。
 今日一日の訓練などの経過報告を受けて、明日以降のスケジュールを二人で相談しながら作成・修正する。あと、みんなの様子を教導官としての観点から聞いたり。
 ……実はこの時間、なのはとお仕事関係以外の話題でもお話できる貴重な時間だったりする。
 で、報告によると、エリオとキャロがちょっと不安定な以外、おおむね良好とのこと。
 なんだろう、いやな感じだな……。


 19:00 入浴

 19:30 夕食

 外出先から戻ってきたユーヤと合流、いっしょに食堂でお夕飯。ご飯を食べながら、その日あったことを話し合う。
 今晩のメニューは純和食。ユーヤの勧めで、サンマの塩焼きに大根おろしを乗せて食べたらとってもおいしかった。
 味が薄いのが難点だけど、かわりにヘルシーなのでイーブンだ。美容には、それなりに気を使ってる。私も女の子だし、いちおう。

 会話の流れでなにげなく、「今日はなにしてたの?」って聞いてみたんだけど、曖昧にはぐらかされた。いつもはちゃんと教えてくれるのに。
 たとえば昨日は本局で、第3管理世界の外務大臣を迎えるための打ち合わせをしていたそうだ。
 今夜はこんな感じだけど、普段はどうしてもお仕事関係の難しい話題ばかりになってしまう。お互い責任ある立場だし、なんていうかこう……仕事人間だから、私もユーヤも。


 20:50 帰宅

 ようやく私たちの部屋に帰ってきた。今日も無事何事もなくてよかったと安心する。
 まずユーヤとお風呂に入って、一日の疲れを流す。上がったら、髪を乾かすついでにマッサージしてもらった。
 毎日の習慣なんだけど、これがもうすっごく気持ちよくって……なんだか私、ダメになっちゃいそう。
 ユーヤはほんとうになんでもできるひとだ。指圧だけじゃなく、管理栄養士や美容師、あとネイルとかそんな感じの資格をたくさん持ってるらしい。なんでも、ルーさんのお世話をするために勉強したんだって。
 ……案外、尽くすタイプ?


 22:00 自由時間

 まず、実家や友達にメールする。毎日じゃないけど、週に最低二回は送ってる。
 どうやら、双子ちゃんは元気にすくすく育ってるみたい。アルフいわく「毎日が戦場」だって。

 ちょっと関係ないけど、お母さんと話してて思うのは、私たちには政治的インテリジェンスが乏しいってこと。一線を退いても、管理局内外に影響力を残す「リンディ・ハラオウン提督」の手腕はさすがという他ない。
 お母さんやクロノたちに、影に日向に守られてなかったら今ごろいったいどうなってたんだろうと、不安に思う。
 ――だからこそ、ユーヤはそういう道を選んだのかなぁ……あ、でもはやては世渡りうまいから、なんとかしそうかも?

 いつもはユーヤとお話して過ごしたり、部屋のお掃除――家事は同棲してたときと同じで分担している――したり、エリオやキャロ、なのはとヴィヴィオのところに遊びに行ったりするんだけど、今夜は真面目に勉強してみることにした。
 さて、勉強と一口に言ってもいろいろ種類がある。
 今夜の私が選んだのは、ガーデニングのハウツー本。……うん、趣味の勉強なんだ。
 園芸は、食べ歩き以外、趣味らしい趣味のない私にとっては数少ない趣味の一つ。始めたばかりで、まだまだ本格的な園芸学に手を出すのは早いけど、少しずつ学んでる。
 あと、私が勉強してる間、ユーヤもなにやら難しそうな学術書を読んで、レポートらしきものを書いていた。気を使ってくてるんだね、うれしい。
 ちなみになのはの趣味は電気屋さん巡りとネットサーフィン。……なのは、子どものころからお休みの日とかぜんぜん外に出なかったもんね……。


 0:30 就寝

 深夜、日付も変わって夜の帳が降りたころ……これからは、オトナの時間だ。
 朝に響かないように、時間から隔離するゲッコウを創ってくれる。この中にいると、ユーヤに包まれてるみたいですごく落ち着くから好き。
 「こういう力の使い方してるって姉さんに知られたら殺されるな」とは彼の言葉。ときどき悪ノリして、分身したり変身魔法使ったり――それでナニをするかは、想像にお任せする――するんだから、いまさらだと思う。

 彼のは太くて、熱くて、硬くて、たくましくて。しっかり奥まで届いて。すっごく男らしくて――って、違う違うっ!
 ……最近なんだか、私のほうからユーヤを求めることが多くなってる気がする。
 ――たぶん、原因は彼女……“アリシア”。
 忙しく働いてたり、なにかに熱中している間は忘れていられるけれど。こうして夜、眠ろうと目をつむると聞こえてくるんだ。
 彼女の声が、私を糾弾する声が。

 ――――出来損ないのおまえに、幸せになる資格なんてない。

 ……だからこうして、今夜も温もりを求めてる。そうでもしないと、ひび割れたココロが壊れてしまいそうで。
 めちゃくちゃになるくらいに愛して……、なにも考えられなくなるくらい愛し合って――
 甘く切ない幸せに浸って、溺れてる。与えられる快楽に縋って、甘んじてる。

 ――――私は、ずるい。



[8913] 第三十二話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/10/14 21:33
 


 クラナガン近海、埋め立て地。
 普段は、演習などに用いられる比較的市内に近い空き地に設けられた特設会場には、明らかに一般人と思われる人々で大いに賑わっていた。

 全長約6メートルほどの巨大な人形が六体、静かに佇み、青空の下にその偉容を見せつけていた。
 ブルームナイト――“箒”にカテゴライズされる魔導式機動甲冑、いわゆるパワードスーツの一種である。通称はBーK。
 取り込んだ光子を魔力に変換する新型魔導炉を主機とし、強靱な装甲の防御力と柔軟な人工筋肉が生み出す良好な機動性は。陸戦、空戦はもちろん、水中や宇宙空間などの活動も可能という全天候型汎用機動兵器であり、ミッドチルダ防衛計画の要の一つだ。
 製造・維持コストの高さと整備難度の問題から、現在は「特車二課」の九機しか運用されていないが、後々は管理世界駐留部隊の全てに配備し、さらには民間向けの作業重機としての活躍が期待されている。
 そんな巨大な人型機械の足元に、たくさんの人だかりができている。そのほとんどが、十代前後のいたいけな子どもばかり。
 どこか温厚な、ぽややんとした雰囲気の青年と黒髪をポニーテールに纏めた凛々しい少女が、元気にはしゃぐ子どもたちにまとわりつかれて難儀している。彼らはブルームナイトのパイロットだろうか。

「やっぱりブルームナイトは大人気ですね、スバルさん」
「うん、すっごくかっこいいもんね〜」

 そんな様子を案内の仕事をしているスバルとキャロ――無論、フリードリヒも連れている――が、その様子を微笑ましく眺める。どちらも服装は制服ではなく、バリアジャケット姿だった。

「私も、一度でいいから乗ってみたいなー……」
「ししょーにお願いしたら、試乗くらいならさせてもらえるかもしれませんよ?」
「ええっ、ほんとに!? ううーん、頼んでみようかなぁ……」

 本気で悩み始めた同僚に、キャロは思わず苦笑した。

 本日の機動六課の活動は、管理局広報部が主催するイベントのお手伝い。この催しは、ミッドチルダ各地方の児童を主なターゲットに「管理世界の未来を担う魔導技術とふれあおう」という趣旨のもとに開催され、特設会場には大人でも楽しめる本格的なアトラクション施設まで建ており、さながら遊園地じみた様相を呈していた。
 また、男の子向けの大型機動兵器だけではなく、女の子向けに手持ちタイプの“箒”も何機種か公開されている。特にストライカーワンドは人気のようだ。

 見た目極めて華やかな機動六課のフォワードチームの面々は、決まってこういったイベントでは引っ張りだこ。今回も、警備員兼案内のお姉さんとして会場内を見回っている。なお、ティアナはなのはの、エリオはフェイトのアシスタントとしてそれぞれ会場内のどこかにいるはずだ。
 彼女らははやての予言通り、いい意味でも悪い意味でも「客寄せパンダ」扱いだった。


「――ああいうの見ると、なんか肩見狭いよなー」
「あ、ノーヴェ」

 短い赤毛のボーイッシュな少女が二人に声をかける。身体のラインが露骨に出るぴったりとした戦闘用スーツの上に、ジャケットを羽織ったノーヴェである。
 彼女もギンガや他の姉妹たちと、今回のイベントに参加している。六課を立つ際にブツブツと文句を言っていたのだが、仕事は真面目にやっているらしい。
 拳を武器にする戦闘スタイルを始めとして、何かと似ているところのあるノーヴェはスバルにとって密かにライバル視している最も身近な好敵手。とはいえ最近の共同生活を通して親交を深め、今では友人と言えるくらいに仲良くなっている。「刺激を与え合ういい関係」とはなのはの言葉。

「肩身が狭いって、どう言うこと?」
「そのまんまの意味。……あたしら、こんな“身体”だろ? なのにアレとか戦車とか戦闘機になんて、どう考えたって勝てる気しないし」

 どこかニヒルなふうに頭を振り、ノーヴェが嘆息する。
 戦略兵器とたかがサイボーグ――比べるのも馬鹿らしい戦力差。勝ち目などないことは、理性では納得できた。
 けれど用済みだから、役立たずだからと突然自由を与えられても、戦う以外の生き方を知らない彼女はどうしたらいいのかわからない。そして結局、今もやっていることはこれまでと一緒――血生臭い因果な稼業。体制側かアウトローかの違いでしかないのだ。
 人々の時間を、次元世界の平和を守るため――耳触りのいい謳い文句も、虚しく聞こえる。

「……ときどき考えちゃうんだよね。あたしが産まれたことに、なんの意味があんのかなー、ってさ……」
「……」

 普段、人を突き放したような雰囲気のノーヴェが見せた弱々しい一面。スバルは面食らって――あるいは衝撃を受けて――言葉を失った。
 しんみりとした空気が漂う。
 そんな三人の背後に近寄る人影。

「なーにシリアスぶっちゃってんの、そんなのあんたには似合わないって」
「あだっ!?」

 ごちんっ!
 不躾なセリフとともに、何者かがノーヴェの後頭部を殴打した。

「いたた……誰だっ! って――」
「よっ、久しぶりだねノーヴェ。元気そうじゃん」

 そこにいたのは水色の髪をセミロングにした快活な印象の少女。黒と白に染められたシンプルなデザインのロングワンピース――聖王教会の、いわゆる修道服を来ていた。

「せ、セイン姉っ!? なんでここに?」
「私がお世話になってる教会のオシゴト。St.ヒルデの遠足の引率を手伝ってるんだよ」

 驚愕するノーヴェに、修道女風の彼女――セインが端的に事情を説明する。

「ノーヴェさん、こちらの方はどなたですか?」
「あたしの“姉妹”、セインだ」
「よろしくね、おチビちゃん」

「は、はあ……キャロ・ル・ルシエです」明るく気さくな雰囲気にちょっぴり困惑気味のキャロ。フリードリヒの紹介に続いて、スバルが人懐っこい笑顔で挨拶する。「スバル・ナカジマです。よろしく」
 その名乗りに、セインが反応を示す。

「ナカジマ……あなたもしかして、“ご同輩”?」
「!?」
「――あぁいや、ごめん、私の勘違いみたいだ」

 唐突かつ脈絡のない質問を投げかけられ、笑顔を凍らせたスバルのただならぬリアクションに驚き、セインが慌てて訂正する。
 もっとも、無駄に聡い桃色の少女には感づかれてしまったようだが。

「それにしてもいいのかしらね、あんなものを世に出しちゃってさ」
「どうしてさ、セイン姉」
「聖王教会のお偉いさん、“箒”が世に出回りすぎることを警戒してるみたいなんだよね。ほら、あれって魔導素質(リンカーコア)がなくてもそこそこ使えるじゃない?」
「たしかに」

 引き金を引けば魔力砲撃――あるいは物理砲撃――を撃てるガンナーズブルームは言うまでもなく、ブルームナイトやスカイマスターもリンカーコアの有無を搭乗の条件としない。
 事実、首都防空隊には魔導資質を持たないにも関わらず、スカイマスターを駆ってトップエースに登り詰めた人物がいる。無論、逆もまた然り、だが。

「もしも戦略レベルの機体がテロリストなんかに渡ったら、って考えるのは当然の成り行きだと思うよ」

 訳知り顔で、セインが聖王教会の内情を語る。
 諜報・破壊活動にうってつけの“先天技能”を持っており、聖王教会へのスパイ活動を期待されているという説もあるが、実際のところは不明である。

「だいじょうぶですよ。そういうヤカラは、ししょーがぜーんぶ駆逐しちゃいますから」
「ししょー?」

 ぺたんな胸を張る少女の言動を訝しみ、首を傾げる。

「アイツだよ、アイツ。あたしらをボロクソにしてくれた」
「ああ、フェイトお嬢様の……」

 話題の彼とは直接的な接点のないセインはようやく思い当たり、何とも言えない微妙な顔をする。
 ちなみに彼女、魔王襲撃事件の際は最後まで生き残った一人だった。隠密行動に特化した能力のため、結果的に難を逃れたのだ。
 一番最初に狩られたのはウェンディとクアットロ、そして三番目。チンク、ノーヴェは戦闘スタイルがよかったのか悪かったのか、遊び半分でかなりいたぶられた。その辺りがノーヴェの攸夜嫌いの原因でもある。

「お嬢さま……?」

 恩人兼後見人の名前につけられた妙な敬称に、キャロが怪訝な顔をする。それとは違う意味で妙な顔をしたノーヴェが、潜めるような口調に言う。

「……セイン姉。それ、本人の前では絶対言っちゃダメだよ」
「なんでよ?」
「メガ姉もといクア姉が、実際に口にしてしこたま折檻受けたらしい。この前、地上本部に顔を出したとき、ドゥーエ姉から聞いたんだ」
「あー」

 最近めっきり不憫キャラが板に付いてきた元謀略家の四番を思い、セインは「あちゃー」と頭を抱えた。
 気まずくなった空気を変えようと、ノーヴェが口を開く。

「そういえばさ、チンク姉やウェンディには会った?」
「会った会った。ま、普段から連絡取ってんだけどね――」

 と、親しげに会話を始めた姉妹。スバルはキャロと居づらそうに顔を見合わせ、絶賛歓談中の二人に声をかけた。

「あの、私たち、席を外しましょうか? いちおう、警備任務中だし……」
「ん、ああ、ごめんごめん。気ぃ使わせちゃって悪いね。これからも迷惑をかけると思うけど、妹たちと仲良くしてやってよ」

 ぱちん、と、ウィンク一つ。面倒見のよさを存分に発揮するセインの姉っぷりに、スバルとキャロは苦笑する。もちろん、答えはYESだ。
 和やか談笑する姉妹と別れ、二人はその場を後にした。




 □■□■□■




 集団からはぐれた迷子の子を保護したり、時には一般の大きなお友だちの相手をしたりしながら、スバルとキャロは会場内を順調に巡回する。
 人懐っこいスバルと礼儀正しいキャロのコンビは、来客たちにもなかなか好評なようで。連れ歩いている銀色の仔竜も、ここぞとばかりにマスコット効果を発揮して、大活躍だった。
 こういう仕事もけっこう楽しいなー、と何やらやりがいを感じてウキウキしていたスバルの耳に小さな女の子の声が入った。

「キャロおねえちゃん!」
「! マリー?」

 キャロの名を呼び、キャロよりもずっと小柄な女の子が向こうから、とてとてと拙い足取りで走り寄ってくる。
 およそ七、八歳くらいだろうか、白い髪に黄色い眼――どこか作り物めいた真っ白な肌の大人びた女の子だ。あと、おでこがちょっぴり広い。

「マリー、どうしてここに?」
「きょうは、社会見学です。フェイトさんが施設のみんなを招待してくれたんですよ」
「あ、ほんとうだ。フェイトさんと、エリオくんもいるね」

 たどたどしいが、年頃の割にしっかりとした喋り方でマリーと呼ばれた幼女が事情を説明する。
 彼女の視線を追うと、たくさんの子どもたちに囲まれた金髪の綺麗な佳人が見えた。彼女は、遊具施設の監視員をしているはずだ。
 その近くには赤毛の少年がおり、やや年下くらいの男の子たち相手に自らのデバイスを見せびらかすようにして、何やら会話している。
 彼は普段よりもずっと年相応な笑顔で、とても楽しそうだった。

「キャロ、知ってる子?」
「はい。ししょー――ユウヤさんが支援なさっている児童養護施設の子です。それが縁というか、前に動物園に連れていってもらったときに知り合って友だちになりました」
「はじめまして、マリーです」

 ぺこん、と丁寧にお辞儀する幼女。物静かな外見のイメージよりもずっと、はきはきとした挨拶だった。
 礼儀正しい子だなぁ。スバルは大いに感心する。

「お姉ちゃんも、アレルヤたちに会っていってください。たぶんみんな、会いたがってますよ」
「……あの、スバルさん」
「いいんじゃない? フェイトさんたちと合流するついで、ってことで」

 皆まで言うなとばかりに、ニカッと音が聞こえそうな溌剌な笑顔でスバルが答える。年下の二人は顔を見合わせ、嬉しそうに笑い合った。
 さっきのセインに影響されたのか、はたまた末っ子としてお姉さんぶってみたかったのか――ともかく、そういうことになった。



[8913] 第三十二話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/10/21 21:14
 


 管理局の保有する最先端技術を応用――無駄遣い――した遊具が設置された広場。
 至る所に魔法技術を応用した新機軸の遊具――たとえば、無重力空間を発生させて空戦魔導師の飛行魔法を体験できるシリンダー型アトラクション――が設置され、“箒”の試乗会などが行われている。このチャリティーイベントのためだけに開発された遊具の数々には、巨額の経費がつぎ込まれているらしい。
 協賛企業の筆頭は、モルゲンシュテルン・ファウンデーション。官民癒着ではない、たぶん。

「フェイトさん」
「あ、二人とも、巡回の途中?」
「「はい」」

 ここの監視員、バリアジャケット姿のフェイトに声をかけるスバルとキャロ。銀髪の女の子は二人から離れ、近くにいた黒髪のおとなしそうな男の子――その瞳はヴィヴィオと同じ、虹彩異色症(オッドアイ)だった――のところに向かっていった。

「にぎわってますね、ここ」
「うん、そうだね。みんな元気いっぱいで、たいへんだよ」

 言葉とは裏腹に、フェイト自身が楽しんでいるようだ。子ども好きここに極まれり、である。
 それからキャロは、引率らしい優しげな老婆や顔見知りの子どもたちと挨拶し、彼らにスバルを紹介する。屈託のない笑顔を満開にさせてまとわりついてくるちびっ子パワーに、スバルはたじたじだった。
 どうやらキャロは子どもたちにとても懐かれているようで、すぐさま囲まれて土産話をねだられている。同世代から年下まで、のべつまくなしだ。
「きゅるるーーっ!?」一部のちびっ子たちに追いかけられら逃げ回るフリードリヒ。小さな身体ではあまり高くは飛べないようで、逃げきれない。
 子どもというのは動物を触るときにも容赦がないので、彼も必死だった。

「ふふ、追いかけっこして……フリードもみんなとなかよしね」

 しかし、飼い主は明らかに逃げているのがわかっていて放置を決め込んだ。案外、手の掛かるやんちゃ坊主たちの気を逸らす、イケニエにしたのかもしれない。
 微苦笑しつつも自分より年下の子どもたちの相手をする桃髪の少女。フェイトや、引率の先生たちにも負けず劣らずの面倒見っぷりだった。

「へー……、キャロ、けっこうお姉さんしてんじゃん。なんか、意外な一面って感じ」
「スバルさん」
「エリオ」

 小さな同僚のらしからぬ感心していたスバルを、もう一人の小さい同僚が呼び止める。
 やはり彼もバリアジャケットを身に纏っていた。

「スバルさん、キャロのつきあいですか?」
「うん、別に案内の仕事が忙しいってわけじゃないしね。……エリオ、友だちには会えた?」
「えっ、あ、その、えぇと……はい」

 不意に言われて、エリオがはにかむ。さきほどデバイスを見せていたのは彼の友人なのだろう、と薄々感じていたスバルの直感は正しかった。

「前いた施設の仲間に……会えました……」

 尻すぼみに恥ずかしがる様子を見て、スバルはニヤニヤといたずらっ子な笑みをこぼす。

「ちゃんと“お兄ちゃん”ってカンジだったよ」
「そ、そうですか?」

 赤毛の少年は指摘に頬を赤らめ、しかし嬉しそうだった。
 と、そこに子どもたちの相手から解放された――逃げてきたともいう――キャロがやってくる。ぐったりした銀色の仔竜を抱えていた。

「ふー、ひどい目に遭いました」
「あっ、キャロ、おつかれ〜。あと、フリードも」
「きゅるる……」

 出迎えるスバル。酷い目に遭ったのは自分だ、と仔竜が思ったかどうかは定かではない。
 ふと、目をやる。
 依然、子どもたちに囲まれて、しかし嫌な顔一つせず相手を続ける金髪の上司のスタミナと我慢強さには恐れ入る。スバルはとてもじゃいけど真似できないと思った。

「それにしても、ちっちゃい子がたくさんいるよねー。今日って平日のはずなんだけど」
「みんな、学校の遠足なんかで来てるみたいです。今回はとりあえず、クラナガン近郊の小学校と施設の子たちを順次招待しているそうですよ」
「とりあえず?」

 エリオの端的な説明に首を傾げるスバル。

「行く行くはミッドチルダ全土の子どもたちを招きたい、とフェイトさんが言ってました」

 はぁー、とスバルは声を上げた。なんともまぁ、壮大な構想である。
 しかし、彼女の――あるいはこのイベントを企画した人物の――意図するところもわからなくもない。いくらキレイゴトを連ねても所詮管理局は武装組織、その在り方に是非を問う声は止むことがない。凶悪な次元犯罪が横行していても、“冥魔”という明確な驚異を前にしても、無知で無辜なる市民たちは謳うのだ。

 ――「戦いは野蛮だ」「管理などけしからん」と。

 ただ闇雲に権利を強請り、主張を押しつけるばかりで、義務を果たすことも現実を直視しようともしない――世の中にはそういう無自覚な悪意を撒き散らす人種も確かに存在する。むしろ大多数の市民がそうだろう。
 誰もが自らのできることを自覚し、それに邁進していけるとは限らない。六課で、あるいは管理局で懸命に働く人々のようなヒトは極少数だ。
 ――次元の海は広い。
 だからこそ、一般市民と直に触れ合う機会を設けて、時空管理局のことをもっとよく知ってもらい、理解を広めていく宣伝活動も、現場で直に人命を救うことと同じくらいに大切である。否が応でもメディアの矢面に立たなければならない機動六課に所属して、三人はそれを学んでいた。

「「無駄とも思える草の根活動が数年先、数十年先、いつかの平和を創る」――、ししょーの受け売りですけど」
「ふーん、でもなんかわかるなぁ……」

 スバルはキャロの言葉をしみじみと頷く。何やら彼女なりに思うところがあるようで、神妙な面もちで語り出す。

「私が前にいた災害救助部隊でのことなんだけどね、建物の構造上の欠陥や耐用年数の超過が原因の事故って、けっこう多いんだよ。あと、防災設備の不備とかもあったっけ。
 要するに、事故とか犯罪をなくすには対処療法をしてるだけじゃだめ、構造そのもの原因そのものをどうにかしなきゃなんだよね……って、なにそのお化けを見たような顔」

 自身の経験を下地にした解釈を述べたスバルは、自分を見上げるエリオとキャロの何とも言えない間抜けな表情に眉を顰めた。
「だって……」「ねえ?」と顔を見合わせるちびっ子たち。

「スバルさんから、その……そんな哲学的な発言が出るなんて、思わなくて」
「ティアナさんが言ったならわかるんですけど」
「ひどっ!? 私一応陸士訓練校主席なんだけどっ!?」

 言われてみれば、と二人は手を打って納得顔をした。
 普段のキャラのせいで忘れられがちだが、スバルは訓練校を首席で卒業できるくらい頭の出来も悪くない。頭脳労働より、身体を動かす方が好きなことも事実だけれども。

「正直、知的なキャラじゃないです。シスコンこじらせて、鈍器振り回してるほうがそれっぽいですよ?」
「そうだよね、メガネとか三つ編みとかも似合わなそうだし」
「それ関係ないよねっ!? 二人とも、なに言ってるのかわけがわからないよっ!?」

 純真だったエリオも、相方の毒舌にすっかり毒されて。酷い言われように憮然とし、再び明後日の方に視線を移すスバル。
 向こうでは、フェイトがたくさんの子どもたちに囲まれてとても幸せそうにしている。さっきよりも子どもの数が増えているように見えるのはなぜか。
 と、さっきの銀髪の子とオッドアイの子がフェイトに甘えている。その様はさながら母親にじゃれつく子犬のようだ。

「へー、なんかほほえましいなぁ、ちいさなカップルって感じで。幼なじみとかだったりするのかな?」
「……マリーと、それから隣にいる黒髪の男の子、管理外世界に作られた違法研究施設をししょーが襲撃したときに保護されたんだそうです」
「……え?」
「人体実験の被検体――、詳しいことは教えてもらえませんでしたけど、そういうことらしいです」
「っ!?」

 唐突な、淡々としたキャロの語り口にスバルは絶句せざるを得ない。傍らで聞いていた赤い髪の少年が苦虫をかみしめたように、盛大に顔をしかめた。

「いまでこそああいうふうに笑ってますけど、初めて会ったときは人形みたいな子たちでした。たぶん、まとも(・・・)な扱いを受けてなかったんでしょうね。それこそ、実験動物みたいな」

 思い返すように、少女は語る。静かな声色は、感情を押し殺そうと努めているようで。
 スバルは以前、黒い青年と話した会話を連想した。

 ――――今この瞬間にも誰かが飢餓により死に、誰かが病により死に、誰かが貧困により死に、誰かが誰かに害されて死ぬ――――

 ニュースなどで報道される事象は、“世界”全体のごく一部……とても狭い範囲でしかない。
 広大な次元の海――、時空管理局が観測している宇宙は約百数十、管理――正確には同盟と表現すべきなのだろうが――する世界は五十を少し越えた程度。一説には、次元宇宙とは遙か昔どこか一点より枝分かれた並列世界(パラレルワールド)であるともされ、それこそ無数に存在し得る。可能性とは無限大なのだから。

 ヒトの営みがあれば、そこには闇が――“呪い”が生まれる。
 ヒトは生きていくために、他者から奪わなければならない。そして、ヒトは様々な理由から同族を殺す。ヒトが、生き物である限り逃れられない自然の摂理――、呪いにも似た習性が生み出していくものは自明だろう。
 ヒトの世の負の側面。
 小さな悲劇、大きな悲劇。ありふれた悲劇、理不尽で不条理な悲劇――――
 全ての不幸から、あらゆる人々を救うにはどれだけの労力がかかるのだろう。たとえ一つの惑星ですら絵空事であるというのに、それを広げれば幻想妄想の類にほかならない――すなわち、不可能であるということ。
 神ならぬ身では――、否、神ですらも不可能なことなのかもしれない。でなければ、この世界はこんなにも悲劇と絶望が蔓延るはずがないはずだから。

「――……フェイトさん、僕らと同い年くらいのころに虐待を受けてたんです。それも、実の母親から」
「!! それって……」

 絞り出すようなエリオの声。
 “二つのファミリーネーム”に秘められた意味。美しさと知性、優しさと慈悲に満ちあふれた、ある種理想の女性である彼女の生い立ちは、きっと壮絶なものだったに違いない。そしてその辛い経験と記憶が、内面の魅力を磨いたのだろう。
 キャロはすでに知っていたらしく、沈痛な面もちであるが特に驚いた様子はない。
 エリオが続けて口を開く。一瞬走った痛みを認めたのはキャロだけだった。

「だからなんでしょうね――、“あの人”が慈善事業、それもとくに子どもの福祉に関する活動に熱心なのって。フェイトさんみたいな子どもを生まないように、救えるように」
「そうだね……でも――」

 どこか含みを持たせ、キャロが同意を示す。濁された言葉に込められた意図を汲み取って、エリオは眉を伏せた。

「……」「……」「……」

 一同の間に、しめやかな空気が流れる。
 シリアス極まりない雰囲気に堪えかねたスバルは、三度フェイトの方に視線を送る。
 ひどく可憐で綺麗な美人が子どもたちに囲まれている光景はとても微笑ましいけれど、彼女の事情の一端を知った今はまた違った風に見えた。

「…………」

 スバルは母の形見に包まれた右の手のひらをしばしの間じっと見つめ、そっと拳を固める。
 初めて夢見た憧れの先――その手に何を掴むのか。漠然と感じていた、あるいは見えていなかった何かが少しだけ垣間見えた気がして。
 そしてきっとそれが、明るい未来なのだと信じて――――、スバルは決意を新たにした。



[8913] 第三十二話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/10/28 21:20
 











  第三十二話 「六十五刹那の間隙に舞う」













 夕暮れの機動六課。
 隊舎本館傍らの公園に響く甲高い音――
 麗人と少年が、それぞれ木製の模擬刀と槍を振るい、打ち合っていた。

 燃え立つような赤い髪の少年が、未だ未発達の小さな体格を余すことなく使った刺突を繰り出す。
 雷光にも似た一条の突き。
 しかしそれは、模擬刀の曲線に沿って巧みに受け流がされ、逸らされた。
 鮮やかな濃い桃色の髪をポニーテールにした麗人が、攻撃を流した勢いを乗せて薙ぎ払う。
 咄嗟の判断で、少年が地面を蹴る。持ち前の身軽さを遺憾なく発揮し、攻撃圏から後退。そこに、大上段から唐竹割りが襲いかかる。
 空気すら断ち切るかのような真っ向からの斬撃を、少年は紙一重で躱し、得物を突き出した。
 一合、二合、三合――――
 攻性魔法こそ使用していないものの、実戦さながらの激闘。だがしかし、それも長くは続かない。

「疾ッ!!」

 ついに斬線が、少年の影を捕らえた。

「うわっ!」

 鋭い袈裟斬りをまともに受け、少年――エリオが吹き飛ぶ。宙を舞う小柄な身体が地面に叩きつけられた。
 残心を意識しつつ、ゆっくりと構えを解く麗人――シグナムは地に這う少年に告げた。

「エリオ、今日の組み手はここまでにしよう」
「師匠、僕はまだ――」

 顔を上げ、言い募るようにエリオが声を上げるが、シグナムは無言で頭を振る。
 負けん気はあるが基本的には素直な少年は、それ以上をわがままを言うことできずうなだれた。

 師弟関係にある彼らは、時折こうして六課の敷地の片隅で手合わせを繰り返している。
 とはいえ、追跡任務で六課を離れていることの多いシグナムである、エリオに稽古をつけてやれる時間がなかなかない。だからこそ彼女は、スケジュールが許す限り弟子をしごいてやっているのだが――今日はいささか趣が違うようだった。

「そのように気もそぞろでは訓練になるまい。心技体、強さとはバランスだぞ」

 講釈を垂れるシグナムは、金網にかけてあったハンドタオルを手に取り、投げ渡す。不承不承で受け取ったエリオが、太陽の匂いのするふかふかなタオルで汗を拭う。
 彼が一息ついたのを見て、シグナムは口火を切った。

「エリオ、お前の太刀筋には迷いが見える」
「迷い……」
「心当たりがあるのだな」

 こくり。静かな首肯。
 この古き騎士には、未だ未熟な少年騎士の葛藤などお見通しのようだった。不具合が起きていたとはいえ、伊達に古代ベルカ時代から存在続けているわけではない。亀の甲より何とやら、である。

「大方、テスタロッサと――、宝穣のことだろう? あるいはあの男、ゼスト・グランガイツが原因かもしれんが」
「そう――、ですね」

 師の指摘を受け、神妙に肯定するエリオ。シグナムはその様子に違和感を覚えた。
 普段なら、黒髪の青年の名前が出れば脈絡もなく無闇に敵愾心を露わにする彼である。やはり何かあるな、とシグナムの直感は確信へと変わった。
 どこか逡巡するように口ごもり、ややあって躊躇うように少年が胸中を会かす。

「僕は……、僕は、強くなりたいんです。フェイトさんに恩返しできるくらい、守れるくらいに。でも――」

 彼女の傍らには完璧に見えるお似合いの恋人(パートナー)がいた。実力人格その他諸々――どれを取っても勝ち目などない。
 エリオとて理解しているのだ、自分の淡い憧れが叶わぬことなど。だからせめて、強くなろうと思い、一層訓練に励んだ。
 しかし、彼の前に立ちはだかる壁は高すぎた。攸夜はもちろん、二度ほど刃を交えた壮年の騎士にも脳内で勝てるイメージが湧かない始末。
 幼い少年に早すぎた挫折だった。

 ふむ。小さく唸り、シグナムは考える仕草をする。

「しかしな、その若さで横恋慕は止めておけ。叶わぬ恋に固執するのは不毛だぞ?」
「そそそっ、そういうことではなくて……」
「フッ、わかっているさ」

 担がれたのに気がついて、エリオが拗ねる。気に入った相手をからかうシグナムの悪い癖。
 茶目っ気と稚気が見え隠れする表情を取り繕い、再び口を開く。

「目標はあるが、それが高すぎて到達する手立てはおろか進む道さえも見失っている――、と言ったところか」
「……はい」

 しゅんとするエリオ。まるで道ばたに捨てられた子犬のようだ。
 シグナムが腕を組む。重たそうな膨らみがむにっと押し上げられる。思春期に片足を突っ込んだエリオには目に毒で、例に漏れず視線を泳がした。

「ならは、決闘を挑め。無論、宝穣にな」

「け、決闘……ですか?」明後日の方向にかっ飛んでいった結論に、エリオは戸惑いを隠せない。

「そう、決闘だ。ベルカ騎士の習わし、などと古臭いことを言うつもりはないが、正面からぶつかり合えば何かが掴めるかもしれんぞ? エリオ、奴とは戦ったことがないのだろう?」
「はい……」

 突拍子もない提案。しかし、何となく彼女の言わんとすることが理解できてしまうあたり、エリオも大概である。
 要は「拳を交えて語り合え」ということだ。

「師匠も、そうだったんですか?」
「さて、な」

 シグナムは苦笑気味に言葉を濁し、瞼を伏せる。怜悧な美貌にニヒルな笑みがよく栄えていた。

「テスタロッサとはともかく、生憎、私と奴の戦いはあまり褒められた類のものではないからな。……今も、昔も」

 エリオはその言葉を「きわめて実戦的な模擬戦」だと解釈したが、実際は違う。文字通り、彼らの“果たし合い”はお互いがお互いを殺す気で行われるのだ。
 シグナムにとっては鈍りがちな実戦(殺し合い)の勘を養う数少ない機会であるし、攸夜にとっても“遠慮なく”戦える相手――とはいえ、フェイトとの模擬戦(コミュニケーション)ですらほぼ壊す気で戦っているが――、互いに利害が一致している。万が一があっても、“慈愛の宝玉”で蘇生させればいい、そういうことなのだろう。現実に起きたことはないが。

 ともかく、彼の魔王に容赦という言葉は存在しない。
 しかしそれはシグナムが人間でないから、というわけではない。魑魅魍魎、悪鬼羅刹の王たる攸夜にとって人間とは、犬猫家畜と変わらない下等な存在だ。“庇護しなければならないもの”“儚くも尊いもの”という枕詞がつくが、人殺しに忌避感など感じないし、プログラム体であるヴォルケンリッターの扱いも例外ではなかった。ある意味、平等であると言えるだろう。

「挑んでみろ、エリオ。決して勝てはしないだろうが、悪いようにはなるまい。――何なら一矢報いてしまえ、今の奴になら出来るかもしれんぞ?」
「……」

 俯き、必死な様子で思案を始めた弟子を満足そうに見やり、騎士は再びニヒルに微笑んだ。
 夜空には、幾つもの月と煌めく星々が瞬いていた。




 □■□■□■




 翌朝、六課隊舎前。
 早朝の訓練のために集まったなのはたちフォワードチームとギンガ以下出向組の面々。
 だがしかし、もはや見慣れた風景に一抹の違和感があった。

「……あれ、エリオがいないね。どうしたのかな?」

 一人足りない部下を探して辺りを見回し、小首を傾げるなのは。スバルやティアナたちも互いに顔を見合わせているあたり、彼女らにも子細はわからない様子だ。
 しかし、ズル休みとは考えにくい。彼はとても生真面目で勤勉な少年だった。
 と、中でも小柄な少女が声を上げる。

「なのはさん、エリオくんは先に訓練場に向かったそうです」
「そうなの?」
「はい」

 自主練かな?と腑に落ちない様子でつぶやく教官へ、やや複雑な眼差しを向けるキャロはそれ以上何も言わず、口を閉ざす。

「んー、ま、いっか。とりあえず向こうに行こっか」

「「「「はい!」」」」

 疑問を残しつつ、皆に指示して演習場へと移動を開始するなのは。彼女の疑問は、すぐに氷解することとなる。



「――えっ、フェイトちゃん?」
「なのは……」

 すでに起動して、廃ビルが建ち並んでいる施設の状態を疑問に思い、向かったビルの屋上で出会したのは空間シミュレータの操作をするフェイトだった。
 振り返る彼女はどこか物憂げで、何かをひどく心配しているようになのはは感じた。長年のつき合いによる経験則だ。

「あれ、下にいるのちびっ子一号ッスね」
「お、ホントだ。何やってんだ、アイツ」

 ウェンディとノーヴェが口々に言う。
 二人の言うとおり、眼下の十字路に青いデバイスを携えた赤毛の騎士が佇んでいる。もちろん、服装は騎士服(バリアジャケット)だ。
「なにを――」言いかけるなのはを置き去りにして、状況が動いた。

 突如、コンクリートジャングルに蒼白い光風が吹き荒れる。
 魔力を伴った風は仄かに輝きながら速度を増し、局地的な嵐となって渦巻く。
 そして光が弾けた中心に、人影があった。

「ゲッ」「さすが監査官殿、派手な登場だ」「ユウヤさん、カッコイイ……」

 などと声が上がる。
 スマートな濃紺の背広をぴしっと着こなした美丈夫。闇色の髪をなびかせた蒼眼の魔王――“裏界皇子”アル・シャイマールこと宝穣 攸夜である。

「フェイトちゃん、これ、なんなの?」
「ごめんね、なのは、朝練ジャマしちゃって……でもいまは、エリオの好きにさせてあげて」

 やや不満げな声色の問いかけに、フェイトが懇願する。「答えになってないよ」、というなのはの疑問に答えたのはやはり足下の少女だった。

「結論から言うと、いまからエリオくんがししょーと決闘をするんです」
「け、決闘ぉっ!?」

 予想の斜め上を越えた事態を前に、なのはの素っ頓狂な声が響き渡った。




 □■□■□■




「しかし、決闘とは剣呑だな、坊や?」
「……その呼び方は、やめてください」

 いつにない切り返し。ほう、と感心したように攸夜が息をこぼした。
 挑む気概はそのままに、至極冷静な瞳が強大なる魔王を見返していた。

「はやく始めましょう。みなさんにご迷惑をかけてますから」
「まぁ待て。物事には順序ってものがあるんだ。――フォトンチェンジ」

 何やらのたまい、攸夜をまばゆいばかりの蒼い光が包む。
 魔法の光――バリアジャケットの展開かと訝しむエリオの前で起きた現象は、彼の想像の斜め上いっていた。

「!」

 青年の代わりにいたのは、エリオと同い年くらいの少年。
 人好きのする柔和な面差しに、稚気を感じさせる蒼い瞳が浮かび、癖の強い黒髪が朝日を照り返して艶めく。背丈はエリオの方が若干高そうだ。
 身に纏う黒き戦装束はシルエットこそ普段と同じだが、デザインが所々違っていて。頭上のビルから歓声が上がったような気がしなくもない。

「まさかその姿……ハンデのつもりですか?」
「それこそまさかさ。そんなもの、血で血を洗う決闘には不粋だよ。決闘とは、気高く公正で在るべきだ」

 芝居がかった言い回し、少年が微笑む。獰猛に、婉然と。
 文字通りの“コロス”笑みを前に本能的な恐怖を受け、エリオの肌が粟立った。

「この姿になったのは、こっちの気分の問題だよ。仮にも大人が、子ども相手に本気を出していいわけがないだろ? だから僕自ら同じステージに降りたまで。
 安心してよ、これでも僕の武力は何ら落ちてないからさ」

 ま、リーチは相応に短くなってるけどね。その自信満々な発言を肯定するように、物理現象すら伴う猛烈な魔力の嵐が解き放たれる。
 蒼いスパークが唸り、輝き、迸る。道ばたに転がっていた小石や粉塵が巻き上がり、ふわりと宙に浮かんでいた。
 その理不尽な“質”が――そして何より眼前の存在が、エリオの心胆を寒からしめる。

「――ッ!」

 だが、立ち向かわなくては。
 勝っても負けてもいい。臆さず、真っ向から立ち向かわなければ自分は前に進めないのだと。
 だから少年(エリオ)は、勇気と空元気を振り絞り、青き槍を手に小さな魔王と退治する。自分自身に打ち克つために。

「ふふ、僕は手加減ができないから――、覚悟してよね、お兄さん?」



[8913] 第三十二話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/11/04 21:40
 


 廃墟と化した市街地に対峙する二人の少年。
 硬い表情に緊張感を漂わせる赤毛の少年――エリオと、飄然とした態度を崩さず佇む黒髪の少年――攸夜。
 空中戦を挑むつもりはないらしく、攸夜の背には翼がなくアイン・ソフ・オウルの展開もしていない。これもハンディというよりは、彼の流儀上の問題なのだろう。

「ほえぇ……なんかなつかしいなー、攸夜くんのあのバリアジャケット」

 あらましをキャロ――彼女はシグナムに協力してくれるよう、頼まれたらしい――から説明され、とりあえず納得しておいたなのは。せっかくなので見学しようと皆に告げ、幼なじみの懐かしい姿に思わず笑みをこぼす。

「ねぇ、フェイトちゃんもそう思わな……い?」

 振り向いて、ギョッとした。
「ちっちゃいユーヤ……、かわいい……」フェイトがたれたれした表情で、小さくなった恋人を見つめていたから。鼻の辺りを押さえているのはもしや鼻血だろうか?
 ショタっけもあったんだ、となのはは親友の痴態に軽く引いた。あと、ギンガもなんだか萌えていたがそっちはスバルとチンクが処理しているようだ。

「フェイトさん……」

 母親とも姉とも言える女性の醜態にキャロが頭を抱えた。フェイトがそんな腑抜けでは今戦っているエリオの立つ瀬がないではないか、と。
 正直、彼女がこんな風に無邪気というか脳天気でいるからエリオがこうも迷うのだ、という思いがキャロにはある。そして、父代わりの青年にも、最近密かに不満を感じている部分があったりするのだが……。

 閑話休題。

「……始まる」

 チンクの独白を皮切りに、決闘の火蓋が切られる。
 先手必勝。右手の中で一瞬にして闇色の槍を創り出し、攸夜が突撃をかけた。小規模の魔力爆発で、アスファルトの地面が大きく削り取られる。
 見え見えの攻撃。エリオは高速移動(ソニックムーブ)で難なく回避。
 突撃の勢いで空中に投げ出された攸夜は、ぐるんと宙返りして逆さまの体制のまま、身体を弓なりにたわめた。
 一瞬にして閃く蒼銀の魔法陣。
 人外の性能を誇る肉体から生み出される運動エネルギーが、槍を投げ放つ。
 投擲された槍が魔法陣を潜り、無数に分裂。散弾じみた槍の軍勢が飛翔する。
 “荒御霊”による魔法の効果拡大――エリオの“影”も使っていた攻撃。目標はもちろん、ソニックムーブの終わり際に隙を曝したエリオだ。

 黒い嵐がビル街を貫く――

 咄嗟に伏せたエリオの頭上を間一髪で通り過ぎた黒槍の群は、物理法則を無視してぐんぐん加速していき、いくつもの廃ビルを紙のように易々と貫通した。
 それは、観客たちのいたビルも例外ではない。

「ちょ、わわっ!?」

 なのはが思わず悲鳴を上げる。
 音速突破によるソニックブームだろうか。構造体に損壊を受けた建築物は脆い。

「スバル、ウィングロード!」
「了解っ!」

 途端に不安定になる足場。ナカジマ姉妹が息を合わせて魔法の足場を創る。
 ビルが倒壊していく中、光の道に間一髪、難を逃れた一同。解き放たれた超重力の闇が遙か後方で発動した。

「うっわ、エグ……」
「ていうかあれ、かすっただけでも確実に死ねるわよね?」

 ウィングロードの上。スバルとティアナが魔法の餌食となって闇に沈んでいくビルを見やり、感想をもらす。

「恐るべきはあの不安定な体勢から投擲を放つ身体操作と、そんな体勢からでも攻撃を仕掛ける積極性か」
「まるで野生のケモノみたいッスね」

 さらにチンクとウェンディが口々に言う。
 四肢を地面について着地する姿はまさしく獣、野獣である。ウェンディの失言を咎めるものはいなかった。

 攸夜は四肢をバネのように使い跳ね起き、立ち上がるエリオに闇の塊を撃ちかけた。
 たんっ。軽快に地面を蹴り、射出されたヴォーテックスをいともたやすく。
 それだけではない、着地とともにストラーダの鉾先が大地に突き、幾状もの青い雷撃が発生した。フェイトから受け継いだ魔法、“サンダーレイジ”――非殺傷設定などお構いなし、ストラーダの魔力炉をリミットギリギリまで稼働させた乾坤一擲の攻撃だ。
 地を走る稲妻の嵐。
 しかし攸夜は避けるそぶりも見せず、ただ左足を踏み出した。

 ただそれだけで――

「「「「!!」」」」

 ズドンッ。地面を踏み抜くほどの強烈な踏み込み。
 魔力を伴った衝撃波に宛てられて、サンダーレイジはいとも容易く威力を減衰させ、消滅した。

 ――辺りは一瞬の静寂に包まれた。

 その大魔王(非常識)っぷりに、見学者たちはもはや言葉もない。
 プラズマスマッシャー級の砲撃を、素手で殴り飛ばす攸夜である。未だ未熟な少年騎士の雷撃なぞ蚊蜻蛉のごとし、力づくで散らすなど造作もない。レベルが違いすぎて、回避や防御を必要としないのだ。

「……ゆ、ユウヤさんって、なんていうかこう、もっとスマートに戦ってるイメージがあったんですけど……」

 ギンガがあまりにムチャクチャな対処法を見て、若干引きつった表情で言う。彼女の印象の根底にあるのは、いつかの火災での姿なのだろう。

「うーん……ユーヤ、子どものころはあんなふうに猛々しい感じだったよ? ……まあ、こんなに派手じゃなかったけど」

 だねー。なのはがフェイトの所感に肯定の意を示す。当時は貧弱というか未完成だったからこそ、本性を剥き出しにせざるを得なかったとも言えるのだが。
 彼の一番弟子も、うんうんと強く首肯していた。彼女の場合、修行中にたいへん酷い目にあっていたからである。

 短い攻防で次元(ステージ)の差をまざまざと見せつけられたエリオはしかし、怯むことなく果敢に挑む。魔力を込め、ストラーダを薙ぎ払う。
 斬撃の軌道から放たれた真空の刃。
 対する攸夜。冷静に、再び生み出した黒槍を払い、闇の刃を飛ばして相殺した。目には見えない空気の刃を迎撃したこの業、彼の魔力関知の妙と言えるだろう。

 ――魔王の攻撃は続く。

 周囲に瞬いた白い輝きが数十本の十字剣の形をとる。ソードレイン――本来は天から光の剣を落とすところを、投擲のように投射する術式へと改竄していた。
 射出される光の剣軍。横殴りの雨のようなそれの隙間をエリオは掻い潜り、悠然と佇む対戦者に突き進む。
 ストラーダが第二形態に移行、噴射機構が火を噴いた。

「エリオ、仕掛ける気だね」
「……うん」

 教官たるなのはの言葉を、フェイトは眼下を見つめたまま同意する。心配そうな面もちは果たして、誰に対してのものかは定かではないが。

 フェイトの心配を余所に、エリオがストラーダの推進力を頼りに攸夜へと果敢に挑んでいく。
 元より、遠距離で勝ち目はないのだ。ならば、自らの唯一の長所――速力を生かした近接戦闘による一転突破でしか勝機は掴み取れない。
 その判断は正しい。――たとえ相手が、尋常ならざる高みに頂く埒外の存在であったとしても。
 ――金色の闘気(プラーナ)が、戦場に爆発した。




 □■□■□■




 何十倍にも引き延ばされた時間の中――、刹那の間隙を縫い、幼き稲妻と老獪な烈光が激突を繰り返す。
 槍同士が激突する度に、色合いの違う青い爆光が何度も散る。
 足場になった地面や周囲の建造物に、無数の傷跡が残った。

『――模倣だな』
『っ!?』

 加速した世界で、攸夜が思念を送る。音すら置き去りにするこの状態では、声帯から発した言葉など無意味だ。
 その間にも両者は数十合と槍を交わしていた。

『君はフェイトやシグナム、あるいは誰かのモノマネをしているだけさ。戦い方も、生き方も、主義も主張も信念も。――“F”の産物である君が、モノマネで生きているなんて最高に皮肉だと思わないか?』
『何を……!!』

 心の裡を切り開くような暴言に半ば逆上し、エリオが死角――背後を奪おうとする。しかし、彼の上位互換たるフェイトと相対し続けてきた攸夜にとっては見え透いた手。防御魔法“ヴァニシング”の光が発動し、切っ先を弾く。
 一転、体勢を崩したエリオ。それは、この超加速状態では致命的な隙だ。

「ふん……」

 瞬く間に攻撃圏の内側に潜り込む攸夜。無造作な回し蹴りが、エリオを横殴りに叩きのめす。

「ぐ、あ……っ!?」

 途端にソニックムーブが解け、地面に何度も強かに叩きつけられたエリオが呻いた。
 同じく、加速状態から復帰した攸夜は闇色の槍を破棄し、両手をボトムのポケットに突っ込んで地に這う少年を見下ろした。
 その、蒼い双眸に浮かぶ感情は――

「……君の槍は“軽い”」
「かる、い……?」

 伏せた状態のまま、エリオは。言葉の真意を探るように。

「一撃一撃に込めるものがないから――他人に戦う理由を求めるから、肝心な時に届かない。自分の想いじゃないからね」

 ちらりと頭上の見学者たちを見やり、攸夜は続ける。

「本当に毅いヤツってのはみんな、心に譲れない、熱く燃え滾る信念を持ってる。それは誰かとの絆だったり未来に描く夢だったり、あるいは理想や理念、野心、主義、思想、欲望……果ては復讐心や快楽と言った後ろ暗いものかもしれない。
 けれど得てしてそういう強烈な感情はヒトを毅くする。善くも悪くも、“心”ってのは底知れないものなんだ」

 講釈を打つその少年は魔王。
 ヒトの“心”の力を――想いを愛する奇特な存在。自由にして無限、限界のない唯一とも思える力を見つめ続ける者。

「君にはあるのか? 命の限り貫くべき信念が。借り物ではない君だけの戦う意味が」

「……っく」青き騎士槍を支えに、赤毛の少年騎士が軋む全身に活を入れ、よろよろと立ち上がる。「あなた、には……それが、あるって言うんですか……!?」
 逆境を前に反骨心を失わない、毅然とした瞳。ふ、と口元だけで微笑む幼き魔王の小さな体躯をたちどころに蒼白い焔が包む。
 焔が霧散した後に立つのは、長身の青年。漆黒の鬣を風に流す“蛇”。

「俺は、みんなが笑顔でいられる世界がほしい。誰も泣かさないでいい世界が……やさしい世界ほしいんだ。どれだけの時間がかかったとしても、どれだけの苦難と絶望が待ち受けていたとしても、必ず成し遂げてみせる――それが俺の理想だ」

 強く、毅く。そして傲慢に。
 何の迷いもなく、攸夜は決然と宣言した。

 美しく飾り立てた理屈、天から見下ろす高邁な信念、一騎当千万夫不当の英雄――それらは、戦闘を終わらせることは出来ても、争いをなくし、平和を創ることは出来ない。
 血の滲むような、誰からも賞賛されず共感も得られず、かつ果てしない世界の整備。気の遠くなるような積み重ねの一つ一つがやがて、やさしい世界への礎となるのだ。


「お前には資質があるよ――、エリオ」

 出会って以来、初めて名前を呼ばれ、少年は瞠目する。

「魔導の才、武の天賦――、そういう類のものじゃない。何の変哲もない、英雄(ヒーロー)の資質だ」

 抽象的な物言いに困惑を隠せない少年はしかし、青年が解き放つ莫大な魔力にその戸惑いも吹き飛んだ。

「悪に対する怒りで身を震わせ、身近な悲劇を前にして立ち上がる、どこにでもいるただの英雄(ヒト)――、俺の計画を阻むのはいつだってそういうヤツだった。……だからこれは、そんな資質を持つお前への選別だ」

 パキン、と音を立て、七枚の“羽根”が展開され、背後にる。噴き上がる蒼銀の粒子。
 それだけで意味を悟ったエリオは、すでに満身創痍だというのにストラーダを構える。届かないと知りながら、せめて一太刀は、と。
 ほぼ同時に、両者は踏み出した。

「「――――!!」」

 交錯は一瞬。
 アイン・ソフ・オウル最大速度で放たれた拳がストラーダを砕き、貫いた。

「お前はお前の信じた路を往け、エリオ」

 意識を失い、崩れ落ちる赤毛の少年。踵を返す黒髪の青年の視界の片隅、ウィングロードからいち早く飛び降りる桃色の少女が見える。
 “敵対者”の役目を終えた青年はそっと微笑みをこぼすと、その場を一人立ち去るのだった。

 ――その後、たいそうお怒りの白黒コンビに「やりすぎ!」とお叱りを受ける彼の姿があったことを追記する。



[8913] 第三十三話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/11/11 21:45
 


「……かあさん……」

 深夜。
 キングサイズのベッドの上、攸夜は傍らから聞こえたかすかな声に目を覚ました。
 声の主はもちろん、フェイト。素晴らしいバランスを誇る理想的な肉体を、扇情的な黒いレースのネグリジェで包む美の女神。

「……リシア……ゆるして……」

 固く瞑ったまなじりから一筋の雫がこぼれ落ちる。長いまつげがかすかに揺れた。

「……フェイト」

 悲痛な面持ちで、攸夜は苦しむ彼女の名を呟く。おそらく酷い悪夢を観ているのだろう。おおかたの内容は想像できた。
 彼女がこうして悪夢にうなされることは珍しくない。
 約半年前、荒らされた墓を目撃してから時折うなされるようになり、アリシアと遭遇してからはほぼ毎晩のこと。その度に、攸夜が全身全霊を以て癒していなければその心は粉々に壊れていたかもしれない。
 プレシアとアリシアにまつわることは、フェイトの拭い去れない心的外傷(トラウマ)であり、心の深い部分に根ざした源初の感情。攸夜との出逢いから始まる一連の出来事と並んで、彼女の人格を成さしめた根幹とも言える。
 その片割れから傷を抉るかのような憎悪を向けられれば、強いが脆いフェイトの精神は簡単に砕けるだろう。それがたとえ、言いがかりじみた理由だとしても。


 ――――“夢使い”なら悪夢の中でも救いに行けるのに。


 攸夜は浮かんだ考えを払うように、頭(かぶり)を振る。
 そんな出来もしないこと、考えたって意味がない。妄想以下の余計で惰弱な思考、魔王(おれ)には余分だと。
 強く、どこまでも毅く。――でなければ、護りたいものも護れない。救いたいひとも救えない。掴み得たい理想も掴めない。
 王が怠れば民は戸惑い、王が誤れば禍が訪れ、王が揺らげば国が滅ぶ。

「……大丈夫、君は俺が護るから」

 静かに独白し、攸夜はフェイトをそっと宝物を手に取るように、抱き寄せる。
 温もりと、匂いと、優しさと――悲痛に歪み、険しかった彼女の表情も心持ち和らいだように見えた。
 半ば落とし子になりかかっているフェイトは、攸夜の魔力との親和性が極めて高い。故にこうして直接接触して肉体に魔力を流してやれば、物質的な側面から精神の安定を図ることも可能だ。他人ではこうはいかない。
 ――きっかけは十年前。シャイマールの力で砕かれたフェイトの魂魄を再生させた時。その上で、悪魔の中の悪魔、悪魔王たる彼と交わればただではすまないのは道理だ。
 しかし、攸夜にフェイトを完全な落とし子とする意図はない。そうなれば、彼女の希有な“才能”の成長を妨げ、歪めてしまうから。
 現状は不可抗力である。

「……」

 この、可憐な少女の苦しみと悲しみを拭うにはどうしたらいいのだろう。救えるのなら、攸夜は自分の命運を捧げることだって厭わない。
 だが、彼に出来ることなど傍にいて惜しみない愛を注ぎ、和らげてやるぐらいしかない。
 子を産み、母になれば、あるいは――

(現状、無理だな)

 表にはなかなか出さないが、“親”になることをひどく恐れているフェイト。だから攸夜も彼女の複雑な胸の内を慮って変に強制することはないし、行為に及ぶときもきちんと配慮している。
 ネグレクトなどの虐待を受けた子どもが親になったとき、自分の子を虐待する側に回るというのはそれほど珍しいことでもない。フェイト自身そういった事例を見聞きして、かつ自らの生まれの特殊性を鑑みて「私はお母さんになれない」と思い込んでいる。それはもはや、思い込みと言うより妄執であろう。
 そんなことはない――少なくとも攸夜はそう信じている。普段の生活の中で、あるいは子どもたちと触れ合う彼女を見つめ続けた彼だからこそわかること。
 けれどこの問題も、どうしようもない。フェイト自身の心の問題だから、自分自身で乗り越えるしかないのだ。
 時には相手を思いやって突き放す“父親”の愛情で、世界を見守る。

「どちらにしても、鍵はアリシア――、か……」












  第三十三話 「last moment」













 機動六課、空間シミュレータ。
 次第に秋めいてきた空の下、今日も今日とてなのはの指導を受け、新人四人とギンガ、そして元ナンバーズの面々が訓練に明け暮れている。

『ちょ、あぶなっ!?』
『大丈夫、いまのは峰打ち』
『砲撃でなにが峰打ちかっ!』

 ディエチの“箒”――彼女専用にカスタムされたガンナーズブルームから放たれた物理砲撃を、何とか躱したティアナ。砲手ののたまった戯言に逆上する。

「相変わらず、ティアナはディエチと相性悪いねぇ。いつも調子崩されてるし」
「性格の問題だな。ツッコミとボケ的な意味で」

 訓練を監督する教導官副姿のなのはの所感を補足するのは、同じく訓練を観戦していた背広姿の攸夜。彼の傍らには地上部隊制服姿のフェイトがいつものように寄り添っている。さすがにイチャついてはいないが。
 一時不安定だったエリオも先日の“決闘”を機に吹っ切れたらしく、より熱心に訓練に――何故か徒手空拳の格闘術に傾倒して――励んでいる。持ち直した彼に引っ張られるかのように、キャロの方も普段の調子を取り戻していた。
 とりあえず、教官として懸念材料だった年少組の心理的問題が片づいたことは喜ばしいが、気づいてケアしようと思ったら外的要因によりいつの間にか解決されていた。上官としてはやや複雑な思いだ。

「ところで攸夜くん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど?」
「何だ、藪から棒に」

 その起爆剤となった幼なじみに、部下の件とは違う懸念材料について尋ねる。

「ジュエルシードの件、どうなってるのかな。調べてくれてたんだよね?」

 ぴく。フェイトが反応を示す。彼女も因縁深いロストロギアの行方を内心、気になっていたのだろう。
 両手をポケットに突っ込み、どこかウンザリとした様子の攸夜が二人の視線に応える。

「結論から言えば、全て紛失していた」
「やっぱり……」

 フェイトが深刻そうに呻く。

「古代遺失物管理部が保管していたもの、聖王教会に研究目的で委譲していたもの、全てな。……それから、ご丁寧にも時の庭園の動力源まで無くなっていたよ」

 担当者はまとめて減俸か左遷だな。やれやれと言わんばかりの仕草で肩を竦め、報告を締めくくる攸夜。彼は有能な人物には慈悲を与え愛でるが、無能者には残虐にして苛烈である。

「時の庭園の動力源って……あれ? フェイトちゃんが預かってるんじゃないんだ?」
「あ、うん。法的には私が相続するべきなんだろうけど、その、いろいろあったし、相続権を放棄して管理局に寄付したんだ」
「ふーん……」

 親友の奥歯にものが挟まったような物言いに、なのはは釈然としないものを感じつつも、あまり立ち入るのはよくないなと会話を切り上げた。

 フェイトの語った理由は真実ではない。クローンでしかない自分がプレシアの遺産を受け継ぐなどおこがましいという、ネガティブな考えが原因だ。
 その経緯を知る人物は当時実際に相談を受けたリンディとクロノ、そして恋人である攸夜のみであった。

「でも、なにが目的でジュエルシードを?」
「さて、な。魔力と、それに準ずる次元干渉型エネルギーの結晶たるジュエルシードだが、俺たちのような人外にとってはそれほど役に立つものでもない。仮に次元世界の崩壊が目的だとしても、全力の俺なら同程度の現象を片手間で引き起こせるしな」
「それ、さらっと暴露する内容じゃないよね……」

 なのはは苦笑せざるを得ない。わざわざ使う意味がない、と彼が言いたいのだということは理解できたが。

 そも、“冥魔”の目的は六課に対する嫌がらせ、というのが攸夜の見解だ。
 根拠は、ヴィヴィオが所持していたジュエルシードのシリアルナンバー。ある意味なのはと攸夜に関わりの深いそれが、自分たちの前に再び現れる――そして、フェイトにお門違いな憎悪を燃やすアリシアの存在も合わせれば、邪推もしやすいというもの。ここまで要素が重なれば偶然とは考えづらい。

「しかしこの分だと、虚数空間に消えたものも連中に回収されていると見て間違いないな」
「えっと、つまり地球に落ちる前になくなった一つと、プレシアさんが最後に使った分?」
「ああ。アリシアの件から考えても、その可能性は高い」

 自分の“オリジナル”の名が挙がると、フェイトは目に見えて動揺した。一見平静を装っているようだが、つき合いの長い幼なじみに隠し通せるようなものではない。
 あえてその動揺を無視して、攸夜は考察を続ける。

「大型“冥魔”発生やら何やらで延び延びになっていた公開意見陳述会――、ヤツらが決起するならここだな。少なくとも、俺ならそうする」
「どうして?」
「それが即ち戦力の上昇に繋がるからさ」

 こてん、と同じタイミングで小首を傾げ、クエスチョンマークを頭上に乱舞させるフェイトとなのは。こういう政治的な問題が絡むとどうも思考を停止しがちな彼女たちへ、攸夜は解説を試みる。

「この次元の“冥魔”は、理由はともかくアジ・ダハーカの特性を色濃く受け継いでいる。要するに、ヒトのマイナスの感情を糧にして増殖するわけだが、ここで問題となるのが件(くだん)の公開意見陳述会は例年通りに一般公開され、管理世界から注目を集めているってことだ。今年は“冥魔”の件があるから尚更だな。
 でだ、この現代社会、情報伝播の速度はきわめて速い。各管理世界間に張り巡らされた光量子を用いた情報網は、光の速さを優に超えるほどだ。“冥魔”が決起し、ミッドチルダが戦争状態に突入して、その情報を知った次元世界の人間の全て――、いやその半数でもいいが、たくさんの民衆が一斉に絶望なり恐怖を覚えたら、どうなると思う?」
「……つまり、マスメディアを通してミッドチルダの危機が次元世界中に流れたら、“冥魔”の力になっちゃうってこと……?」
「そういうこと。俺が六課(おまえたち)に、広告塔としてメディア戦略を任せているのと同じでな。目に見えてわかりやすい希望を広げることで、連中の力を削ぐことも目的の一つだった」

 フェイトが提示された情報から自分なりに推察した予測を、攸夜は何食わぬ顔で肯定する。機動六課が「客寄せパンダ」になっているのは、やはりこの男の思惑の内だったらしい。

「そこに併せて他の管理世界でも“冥魔”が溢れ出してみろ、無論現地の軍も動くだろうが、もともとギリギリの管理局のキャパシティはオーバーフロー、そして鼠算式に殖えていくバケモノ、犠牲となった人々の阿鼻叫喚の渦――延々と巡る負の螺旋の先に待ち受けるのは次元宇宙の終焉、だな」
「そんな……」

 攸夜の語る最悪の未来を想像し、フェイトとなのはは表情を凍らせて絶句した。

「一説には、パンドラの匣に残されたものは“全知”だとも言う。識ってはならない真実を知れば、ヒトは否が応でも絶望せざるを得ない。愚者であろうと賢者であろうと、な」

 それに立ち向かう俺たちは愚者よりも愚か者だがな。皮肉げに自嘲する。
 攸夜自身、“賢明の宝玉”の力の応用で予知紛いのことは可能であるし、その気になればこことは違う平行世界だって覗けるだろう。もっとも、迂闊に「胸くそ悪い“結末”を迎えた世界」などを覗いてしまうと精神衛生上よくないので、一度も試したことはない。直接介入できるならば話は別だが、手の届かない辛さは六年間の別離で嫌という知っていた。
 未来など――“運命”など知ったとしても、害悪にしかならないといういい喩えだ。

「……最悪の事態だけは何としてでも回避したいが――、覚悟だけは、していた方がいいかもな……」

 不穏な独白を最後に沈黙し、腕を組んで思考の海に没した攸夜。その真剣な横顔は、精悍で整った造りと相まってなかなかの男前である。
 そんな彼をほけーっと、見惚れる金色わんこ。とろんととろけた瞳をうるうる潤るませていた。
 途端にシリアスな空気が霧散して、代わりにピンクで桃色な空気が漂ってきて。呆れ顔かつジト目のなのはがバカップルを見やって、ため息混じりにこう呟いた。
 ――バカばっか、と。



[8913] 第三十三話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/11/18 21:57
 


 混沌の闇の帳が降りる。
 闇よりも昏い暗黒の世界。
 陰々滅々とした怨嗟の声が渦巻く邪悪の坩堝。

「あれ〜、あれれ〜?」

 無邪気に聞こえる少女の声が響き渡る。
 ふわりと軽やかに舞い降りたのは、妖しく光る紅き翼の黒い天使――“冥刻王”メイオルティス。キョロキョロと、何かを探すように常闇の領域に視線を彷徨わせていた。

「アリシアちゃんいないなー、どこ行っちゃったんだろ?」
「――どうしたんだい、メイオ」

 その背後、闇から溶け出すように薄紫のブレザーを着た少年が姿を現した。
 紅い羽根を折りたたみつつ、振り返るメイオ。この領域を作り出した人物を見つけ、作り物めいたかわいらしい笑顔を浮かべる。

「あっ、アンリ」
「彼女に何か用事かな?」
「うーん、そーいうわけじゃないんだけどねー。なんかヒマだし、アリシアちゃんで遊ぼっかなーって」

 ある意味彼女らしい、無邪気で不穏なセリフ。「遊ぶ」の意味は額面通りではないのだろう、人形のように整った顔立ちに浮かぶ表情は空恐ろしい。
 しかし少年は、薄ら笑みを崩すことなく、納得したふうに頷いた。

「ああ、そういうことか」
「アリシアちゃん、お使いかなにかな?」
「いや、今のところ特に予定はないからね、彼女には自由にさせていたんだけど――ちょっと探してみよう」

 そう軽い調子で言うと少年は瞠目し、数瞬の間、思索に没頭する。自らの強念を広げ、“表”の世界へ伸ばしていく。
 探す相手は自ら(・・)の落とし子。彼の言うシナリオの要となるべき存在――そしてそれはすぐに見つかった。

 ――――さしもの少年も予想だにしない“出逢い”とともに。

「おやおや、これはこれは……」
「どしたの?」

 瞠目し、少年の様子にメイオが不審げな声を上げる。
 少年のに浮かぶのは、常の薄ら笑いではない。
 どこか楽しげな玩具(おもちゃ)を見つけた子どものように。あるいは、裏庭で捕まえた昆虫の足をもいで遊ぶ幼児のように――
 喜色満面としか言いようのない表情。残酷で、無慈悲で、不条理で、理不尽な――、それでいて純粋無垢な、心の底から愉快そうな笑み。

「少し、見過ごせないイレギュラーが発生したみたいだね」

 “彼”の持つ妙な奇縁は重々承知していたつもりだが、まさかここまでとは。彼の人物の趣向から推察すると、あるいは気まぐれで少年の計画を根底から粉砕しかねない。
 だが逆に、このイレギュラーを利用すれば今までにない極上の悲劇(トラジリティ)を演出することができるだろう。少年は、そう考える。

「イレギュラー? アンリのシナリオにもそんなことが起きるんだねぇ」
「人生は、アクシデントと準備不足の連続さ」

 気障ったらしく肩をすくめ、戯言を吐く。
 ふぅん、と短くもらし、メイオは口元に妖しくも艶やかな笑みを浮かべた。
 比喩的な表現の真実は定かではないが、彼女はその極めて高い知性がひしひしと感じ取っていた。とても愉快で悲劇的なことが起こる――そんな予感を。

「まあ、これもいい機会かもしれないね。そろそろ、彼と直に相見えるとしようかな」

 す、と身を翻す少年。その後ろ姿を、可憐な冥魔王がひどくワクワクとした面もちで見つめている。
 無邪気な色を帯びた深紅の双眸は好奇心できらきらと輝く。
 なんだかいいヒマつぶしができそうかも。そう内心で期待するメイオが彼に協力している理由はいくつかあるが、一番の理由は「愉しいから」。少年の創り出す混沌は、本場(・・)の“冥魔”たる彼女にとって心地のいいものだ。
 ここでなら、自らが率先して謀略を編み出し、無能な配下たちを動かさなくてもいい。ただ本能の赴くまま、破壊と絶望を振りまくだけでいい。後は、“ベルちゃん”を確保できればもっと最高なのだが。

「にゅふ、にゅふふ……」

 妙な方向に思考を跳躍させたメイオを視線の端に置き、少年は静かに、超然と宣言する。

「シナリオを進めよう。――この僕の手によって」




 □■□■□■




 時空管理局地上本部にて某中将との悪巧みという名の会合の後、攸夜は市内のジュエリーショップでちょっとした野暮用(・・・)を済ませると、いつもの背広姿のまま愛車(オラシオン)に跨って、目的もなくクラナガンの街を走っていた。
 風に吹かれて気の向くまま、自由気ままな浮き雲のように、独特の駆動音を響かせて機械仕掛けの騎馬がコンクリートの森林を駆け抜ける。

 性質的に魔王な攸夜は防衛という戦術戦略は苦手であり、不得手だ。その上正体も掴めぬ敵を相手にすればどうしても後手後手に回らざるを得ず、そうした理由で若干煮詰まった気分を転換する目的で、彼はこうして時折独りで街を彷徨う。
 さすがにこの緊迫した情勢の中、ふらりと当て所なく放浪するわけにもいかない。致命的な方向感覚に任せて走れば、見たこともない風景に出会うこともままあり、それなりに好奇心と冒険心が満たされて楽しめているので攸夜としては満足している。
 また、時にはクラナガン各地に点在する児童養護施設――要するに孤児院へと足を運ぶこともある。攸夜自身の自由に動かせる資金を用い、趣味の人助け――あるいは世直し――で支援している施設の子どもたちと戯れるのだ。
 フェイトほどではないが彼もなかなかの子ども好きであり、よくも悪くも無垢な感情の塊たちとの触れ合いはストレス解消になる。無邪気というかわがままなところも、叱りはするがそれはそれで微笑ましい。

 “子ども”とは、どんな金銀財宝よりも尊い“宝”である。その未熟な身に秘めた無限大の可能性は、命を懸けて護るに値するだけの価値があるものだ。
 “子ども”とは、攸夜の歪な正義感――正義と悪は相容れる――と、人外の価値観――ヒトの心は素晴らしいが、ヒトの命は空気よりも軽い――の中でも、最上位に位置する概念なのである。

 ――――結論を言えば、宝穣 攸夜は奇特な魔王だ、ということだ。


「……うん?」

 ヘルメットの斜光バイザーの向こう、高速で流れていく景色に、攸夜は見慣れない――ある意味で見慣れた小さな姿を見留めた。
 黒いリボンでツーサイドテールに結った灰銀色の痛んだ髪。胸元に、小さな赤いリボンがあしらわれたモノクロカラーのシンプルなワンピース。長ずれば、相当な美女となるであろう目鼻立ちの少女が、錆の目立つブランコにひとり寂しく座っている。
 ――――どこか儚げな、危うげな雰囲気を纏った幼い少女だった。

 オラシオンの速度が落ち、直に路肩に停車する。
 攸夜には、彼女に心当たりがあった。こんな街中で見かけるはずもないが、彼が“彼女”を見間違えるなどあり得ない。

(――ったく、またこのパターンか。自分の奇運にはつくづく呆れるばかりだね。まさしく“混沌の運命”、ってか?)

 フルフェイスのヘルメットの下、自身に宿るやっかい極まりない運命――縁(えにし)に微苦笑をこぼして。
 オラシオンを急激にUターンさせ、もと来た道を戻る。
 そして、訪れたのはセントラルパーク、自然公園の一角。錆びついた遊具がぽつねんと設置されている小さなスペース――
 人々の記憶から置き去りにされたかのような、どことなく寂れた雰囲気がフェイトとの思い出の場所を連想させた。

 ヘルメットとオラシオンを月衣内に収納し、攸夜はあえて“彼女”の死角に回り込んで近づいていく。当然、気配を消して風景に溶け込むように息を潜めて。

「――よお、妙なところで逢うなァ」
「ひゃあっ!?」

 背後から突然チンピラめいた声をかけられ、文字通り飛び上がった少女がブランコから転げ落ちる。背中から、こてんとひっくり返った。

「いたたた…………っ!?」

 痛めた腰をさすり、仰ぎ見る。生暖かな笑顔で見下ろす攸夜と視線が合って、彼女は絶句した。スカーレットの瞳をまん丸と、あらんばかりに見開いて。
 彼女の名前はアリシア・テスタロッサ――フェイト・テスタロッサ・ハラオウンのオリジナル。“冥魔”によって黄泉路から引きずり出された哀れな娘。
 交戦時と明らかに背丈や体格が違うのは、変身魔法の結果。攸夜にも見覚えのあるこの四、五歳前後の容姿がおそらく彼女本来の姿なのだろう。

「なっ、なななな――なんで、お、おまえ、どうしてっ!?」

 ぱくぱくと、酸素を求めるコイみたいに口を開け閉めして言葉を失うアリシア。ようやく出てた言葉もどもりにどもる。

「それはこちらのセリフだな。“闇の落とし子”が、こんな街中を堂々とぶらぶらしている方がおかしいだろう。常識で考えろ、常識で」
「うぐ」

 反論の余地もない正論。ぐうの音も出ないとはこのことだ。
 と、ここでようやく正気に戻ったのか、アリシアの全身から瘴気じみた身の毛もよだつ魔力が噴き出す。戦闘態勢に入る予兆であろう。
 攸夜はしかし、呆れるような声色で「やめておけ」と高圧的に告げるだけで歯牙にもかけない。

「お前の実力は見切った。フェイトならともかく、俺とじゃ勝負にもならんよ」
「……っ」

 軽く殺気と魔力をぶつけてやれば、アリシアは次元(ステージ)の差を理解させられて矛を収める他ない。ホテル・アグスタでの一戦から見ても、力の差は歴然だった。
 それでも、血みどろの瞳で睨らむのをやめない度胸というか負けん気は称賛に値するだろう。小さく愛らしい姿では、跳ねっ返りのお転婆娘に見えてしまいかわいらしくて仕方がないのだが。

「でさ、結局お前さんは何してんの?」
「……」

 遙か高見から見下ろす視線を鋭いルビーの目線で睨み返し、黙りを決め込むアリシア。しかしそれは、怯えと警戒心の裏返しでしかない。
 やはりというべきか、この娘も傷ついた野生動物じみた反応をする。ただ、フェイトが犬科とするならこちらは何やら猫っぽい。
 濁っていなければ、好奇心の強そうなくりくりした眼や、気分屋で気難しそうな佇まいが小さな淑女(レディ)を思わせた。
 ――たまにフェイトにネコのコスプレをさせていることは、この件には何ら関係ない。

「まあ、ぶっちゃけた話目的とかこの際どうでもいいんだけどな。どうだろうと、俺のやることは変わらないし」
「はぁ? おまえ、なにいって……うひゃあ!」

 言うなり攸夜は不審顔の少女の背後を音もなく取ると、腰の辺りをむんずと左腕で抱え上げ、小荷物のように軽々と小脇に抱える。およそ、淑女(レディ)に対する扱いではない。

「世の中は弱肉強食、弱者は強者に従うしかないのさ」

 益体もないことを爽やかな笑顔でのたまう攸夜。仮にこの場にフェイトがいたならば、「蒼い“あくま”がいる……!」と彼のイイ笑顔に震え上がり、恐れ戦いたことだろう。

「や、やだっ、はなして!」

 当然、アリシアは目一杯に喚き散らして暴れるが、為すすべもなく捕らわれの身になってしまう。羞恥で真っ赤になっているのが妙にかわいらしい。
 何故か異能の力が使えないので、アリシアは五歳の幼女は素のままの身体能力で抵抗しなければならない。攸夜が別に人外でなくても、ちょっと子どもの扱いに手慣れていれば制圧など簡単だ。

「はなせ! はなせってば、このバカっ! 変態っ! スケベっ! ロリコンっ!!」
「はっはっは、何とでも言うがいいさ。お兄さんは元気いっぱいな子が大好きだぜ」
「わたしの話を――ちょっ、ちょっとぉーーー!?」

 罵声にも聞こえる抗議の声を、微妙にアウトなセリフでスルーして、攸夜は何処かへと歩き出した。
 ――未成年者略取、立派な犯罪である。



[8913] 第三十三話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/11/25 21:44
 


 クラナガン市内、とある大手百貨店。
 平日の昼間にも関わらず、広々としたフロアは買い物客で盛況だった。

「……」

 そんな中を、サラサラな灰銀色の髪をゆるゆるとなびかせて歩く可憐な美少女――アリシア。真紅の双眸と病的なまでに白い白皙の肌が、その高貴なビスクドールのような顔立ちと相まって醸し出される神秘的な雰囲気は、ひどく人目を惹く。
 だが、しかし。

「……むー……」

 蜂蜜色のクマのぬいぐるみを抱えた件の少女(アリシア)は、お饅頭のようなぷにぷにで愛らしい頬をぷくっと膨らませ、まるで虜囚のような気持ちでとぼとぼ足を進めいた。
 そんな彼女の手を、彼女の歩幅に合わせて引くのは黒髪の美丈夫――“シャイマール”。すらりとした長身でスマートだが同時に精悍さも併せ持ち、背広姿には得体の知れない頼もしさすら感じる。カリスマ、という奴だろう。
 彼に本名というか、ヒトとしての名前があることを今のアリシアは知らない。

 ――――アリシアは“落とし子”である。

 邪悪の中の邪悪、破壊の化身、全ての命の天敵、遍く破滅を招来するもの――“冥魔”の眷属。
 虚数空間にて、永遠の眠りについていたその身に混沌という劇毒を流し込まれ、隷属させられた。“冥魔”の張り巡らした、悪辣な奸計の一つとして。
 要するに、アリシアとこの男は敵対関係にあるのだ。
 使役されているとはいえ、彼女には彼女なりの――歪められた――目的があり、その目的を阻むであろう一番の障害。ついでに言うなら、現在絶賛誘拐され中だ。

 それでも、大人しく従っていたのは、相手が“シャイマール”だから。その気になれば自分など、木っ端のごとく消滅させしめる大魔王であると知っていたから。
 訳も分からず“落とし子”にされ、紅い翼のかわいい冥魔王により戦い方を無理矢理学ばされていた時、アリシアは世の中の真理の一つを知った。

 ――弱者は強者に逆らってはいけない。

 奇しくも攸夜がのたまった戯言と同じ。
 不興を買って、あるいは気まぐれで、ボロ雑巾のように散々に痛めつけられた。もう砲撃魔法をグロス単位で喰らいたくない、と意識に浮かんだ半ばトラウマになった出来事を振り払う。

 ちらり、と横を窺うと視線がかち合った。
 慌てて視線を外す。
 笑みの気配があった。

「おう、ちびっ子。あめちゃん食うか? いろいろあるぞ」
「いらない」
「さいで」

 突き出された色とりどりの飴玉を前にして、つっけんどんに言い返すと彼は微苦笑して小さく肩をすくめる。その気障ったらしい仕草が妙に板についていて、逆に鼻についた。
 というか、どこから飴玉を取り出したのだろう。まさかいつも持ち歩いてたりするのか、そんなバカな。アリシアの思考は二転三転し、何気に混乱していた。

 事の始まりはアリシア自身の気まぐれ。
 暇を持て余し、意味もなく――あるいは好奇心に負けて――クラナガンをぶらついていたアリシアは、ふと立ち寄った公園で彼に捕まってからかれこれ半日ほど連れ回されている。
 まず最初に立ち寄ったのは美容院。毛先の先までひどくボサボサで、手入れの行き届いていなかったアリシアの髪を見かねた彼が、無理矢理連れて行ったのだ。
 髪の手入れなど、蘇生されてから一度もしたことがなかった。
 追っ手から逃げるため、放浪を続けるゼストたちと行動を共にしたこともあれば、よくわからないキモチワルイ場所に放り込まれ、たくさんの“冥魔”と殺し合いをさせられたこともある。
 だから、少し嬉しかった。不本意だが。

 そしてやってきたこのデパート。
 特に目的もなく、店内をブラブラと連れ。訪れたおもちゃ屋のぬいぐるみコーナーでは、思わずはしゃいでしまった。
 今持っているぬいぐるみは、その時に買い与えられたものだ。
 くれるというならもらってやろうとアリシアは思う。不本意甚だしいが。

 昼食は、店内にあるこじんまりとした洋食店で済ませた。
 食べたのはカレーライス。大好きな“ママ”の――プレシアのことを思い出して、不覚にも泣けてきた。
 研究者として働きつつ、幼いアリシアを必死に育てていたプレシア。遅くに帰宅することもままあったから、保存の利くカレーはお決まりのメニューだった。……そういえば、かわいがっていた山猫のリニスはどうなったのだろう。きっともう寿命は尽きているだろうから、会えないけれど。
 あと、果汁100%のオレンジジュースが酸っぱくてむせたら、生温かい目をして和まれた。解せない。

(なんなの、こいつ……)

 アリシアはもう一度、横目で窺う。
 自分を連れ歩く意図がまったくわからない。酔狂な人物であることは聞き及んでいたが、ここまでとは。
 懐柔? 尋問? それとももっと他の何か?

(そ、そんなみえすいた手には乗らないんだからっ!)

 ともかく完全な子ども扱いに反射的な反発を感じて、アリシアは強がる。
 ヒトと“冥魔”の戦いの情勢など、聡明だが未だ幼い彼女には難しくて理解が及ばないが、あの“出来損ない”への憎悪と害意だけはホンモノだと。母を見捨て、自分の場所を奪ったフェイトに対する復讐心だけが、今のアリシアを支える“真実”であった。

 けれど――――

(……なに、この胸がぽかぽかする感じ…………)

 アリシアは自分の心の動きに困惑する。
 繋いだ手のひらから伝わる温もりは――、久しく感じていなかったヒトの体温はとても心地よかった。




 □■□■□■




 夕暮れ時。逢魔が時ともいう時間。
 奇妙な二人連れは、最初の公園へと戻ってきていた。

「腹減ったろ、ほれ」
「……なに、これ」

 自らの月衣から茶色い紙袋を現出させ、攸夜はそこから魚の形をした茶色い物体――有り体に言うとたい焼きを取り出すと、少女の鼻先に突き出した。
 見慣れない物体に怪訝な顔をするアリシア。しかしふんわりと漂ってくる芳ばしい香りに興味を惹かれているのか、小鼻がひくひくと小刻みに動いている。

「たい焼きだ」
「……タイヤキ?」
「ああ、とある管理外世界のお菓子さ。本当は焼き立てが一番なんだけど、手持ちはこれしかないんだ。まぁ、許せ」

 何が嬉しいのか、ニコニコと人の良さそうな――あるいは人を食ったような――微笑みを浮かべ、攸夜はアリシアを眺めている。
 むっ、と睨み返してみるが、やはり梨の礫で。仕方がないので渋々受け取り、見つめてみる。

「…………」

 魚を模した奇妙なお菓子、肌触りはパリパリしているようでしっとりもしている。
 ちょうど、時間的にも小腹が空くころだ。
 ややあって、ついにアリシアは欲求を我慢できずに、その小さな唇でたい焼きにかぶりついた。
 頭から、はふはふもぐもぐ。
 一心不乱に咀嚼する彼女の様子に攸夜が和んでいたりもするが、当人は目新しいお菓子の味に夢中で気がつかない。

「……………………おいしい」
「そいつは重畳」

 そうして全部食べ終えたアリシアの、たっぷり合間をとって発せられた不承不承の感想を聞き、攸夜は頬を緩めた。
 ブスッとした膨れっ面は、ぷにぷにしてて愛らしい。

「……ねぇ」
「うん?」

 ついに堪えかねて、アリシアは声を上げた。

「……なんなの、おまえ」
「ふむ、何が言いたいのかな」
「おまえ、なにがしたいの? こんなことして、なんになるっていうの? わたしを手なずけるつもり? そんな、思いどおりにはならないからねっ!」

 目尻をつり上げ、声を張り上げ、精一杯の威嚇をするアリシア。
 攸夜は苦笑した。やはりこの娘はネコである、と。

「そうさな――、単純にお前さんに興味があったのさ」
「興味?」

 返答の意図が理解できず、アリシアはオウム返しする。

「“冥魔”に使われるだけの馬鹿か、それとも悲劇のお姫様か――、まぁ、結果は割と意外なものだったんだが」
「なにそれ、イミわかんない。もっとほかに、なにかないの? たとえばその……お墓をめちゃくちゃにしたのはおまえか、とか! あの“出来損ない”と戦うな、とか!」
「別に、前者は犯人もわかりきっていることだし、どうでもいい。大体、お前さんとの決着はアイツ自身でつけるだろうしな。俺の出る幕はないよ」
「……なんで、言いきれるの。わたしに殺されるかもしれないんだよ」
「信じてるから」

 短い、だがはっきりとした返答。アリシアは、そこに込められた想いに圧倒されて息を飲んだ。
 攸夜のフェイトへの信頼は、愛情は――揺らがず、変わらず、大樹のようにしっかりと彼の心に根付き、また海原のように広く、深い。ほんの短い、わずか五年たらずほどの人生経験しかないアリシアにですら、何ものにも代え難い強い繋がりが感じ取れた。
 一点の曇りも、屈託のない笑顔がどうしようもなく不愉快で――――、この彼と彼女のような“絆”をもしかしたら自分が得られたかもしれないものだと思うと、無性に胸がモヤモヤした。

 ――アリシアはそれが“嫉妬”という名の感情であると。彼女がフェイトにぶつける憎悪の正体であると、知らなかった。

「……っ」

 悔しげに下唇を噛むアリシア。潤んだ瞳に見上げられた攸夜は居住まいを正し、真剣極まった表情で口を開いた。

「……アリシア、俺と一緒に来ないか?」
「!? な、なにを……」
「俺なら、お前を救える。お前は堕ちきっていない。混沌の汚泥に穢れきっていない今ならば、お前の魂に巣くった闇黒を祓うことも出来るだろう。
 お前の母と対峙したガキの時分ならともかく、今の俺は物質世界、現世(うつしよ)の理を――、生命の死すらも超越した存在だ。小娘一人を救うなど、容易いさ」

 彼の言い回しはいちいち大袈裟で、大仰で、芝居がかっていて、回りくどかったけれど。手を、救いの手を差し伸べてくれている、それだけは理解できた。
 出口のない迷路で彷徨う自分を、じわじわと心をコワしていくような闇黒の底で悶え苦しむ自分を、救おうとしてくれている――様々な感情が錯綜して混乱して葛藤して、アリシアの頭の中はもうぐちゃぐちゃで。

「そんなの、できるわけ……!」
「出来るさ。お前が、“そこ”から一歩足を踏み出せば。そうしたら、俺が、俺たちが引き上げてやれる。
 ……憎悪を捨てろとは言わない、彼女(フェイト)を恨むなとも言わないよ。だがな、あの人(プレシア)が、余命幾ばくもない病の身を削り、全てを犠牲にしてまで救おうとした愛娘(おまえ)が……落とし子に身を堕しているなんて――哀しすぎるだろう、そんな結末」
「!!」

 存外に長い睫毛を、まるで黙祷するように伏せる。
 このひとも、母の死を悼んでくれるんだ。そう思うと、アリシアは目頭が熱くなった。
 いや、アリシアの言う“出来損ない”――フェイトだってきっと、心から悼んでいるのだろう。だからこそ、幸せでいることがアリシアには許せないのだが。

「だから、俺に救わせてくれないか? ――お前を……アリシアを」
「……ぁ……」

 柔らかく微笑みかけ、攸夜は手を闇に捕らわれた少女へ差し伸べた。
 優しい声が、ささくれ立った心に染み渡る。荒んだ
 揺れる。アリシアの幼い、けれども堅く心に誓った歪んだ決意が、根底から揺らいだ。

 ――――この手を取れば、また行けるのだろうか。

 あのころのように、穏やかで暖かい場所(ところ)に。母の惜しみない愛に包まれて、無邪気に笑っていられた、夢にまで視たあのやさしい世界に――――

「わ、わたしは……」

 ひび割れた心に染み込んでいく暖かな感情は、冷たい闇の中でもがき苦しむ少女には抗い難い。ほんの短い時間だが攸夜の人柄に触れ、頑なだったアリシアの心に変化の兆しが芽生えていた。
 ふるふると震える手が、無意識のうちに差し伸べられた手へと伸びる。
 ……けれど、願いは叶わない。
 夢はいつか醒めるのだ。
 それがどれだけ美しい夢であっても、夢は所詮夢でしかないから――――


「――そこまでだよ、アリシア」


 不意に響き渡るボーイソプラノが、二人の間を引き裂いた。



[8913] 第三十三話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2011/12/02 22:07
 


「――そこまでだよ、アリシア」

 不意に響き渡るボーイソプラノが、二人の間を引き裂いた。
 世界が――、常識が瞬く間に塗り替えられていく。
 何の変哲もない公園の風景は、真っ黒い影法師のように立体感とディテールを失った高層ビルらしきものが建ち並ぶ、人気のない紅い都市に変貌していた。
 攸夜たちが今いるのは、ビルに囲まれた大きな立体交差点の中心。周囲に奇妙な建造物が立ち並ぶ様は“書き割りの街”、そんな印象さえ受ける。
 空を染め上げるのは滴る血のように鮮やかな紅、人の世を切り取り閉じ込める非常識の領域(せかい)。見慣れたはずの光景はしかし、強烈な違和感をもって攸夜の前に存在していた。

 ――――その原因は、紅天に座す純黒の月。

 どす黒いとしか言いようのない満月から、コールタールのような粘着いた粘液が垂れ落ちて、大地に降り注いでいた。

「黒い月匣……!?」

 驚愕し、攸夜は目を剥く。
 月の匣に満ちた見知らぬ――いや、違う、この魔力の質はアリシアの身を蝕む混沌と同じ、既知の感覚だ。
 アリシアの主(あるじ)がメイオルティスでないことは、魔力の波動の違いでわかっていた。けれどそれは同時に、“冥刻王”クラスのまだ見ぬ敵が存在するという証左である。
 そしてその通り、“彼”は攸夜の前に立ちはだかったのだ。

「なかなか愉快な茶番だったけど、もうお終いの時間だよ」

 反射的にアリシアを背後に庇う。
 理性が無意味だと訴えていても、篤志家ぶる攸夜にとって子どもとは護るべき大切な“宝”。無限の可能性を秘めた宇宙で一番尊いものだ。
 それが、かつての恋人を思わせる娘ならなおさらで。

「あ、アン、リ……」

 恐怖に震えるアリシアが呆然と、呻くように、その存在の名を口にする。
 二人の目の前、道路に落ちたビルの暗がりから音もなく歩み出たのは、およそ十四、五歳くらいの少年――攸夜は強烈なデジャヴを覚えた。

「キリヒト……?」
「ハハ、やっぱりそう見えるかい? キミにそう言ってもらえると、わざわざこの姿を選んだ甲斐があるよ」

 愉快そうに嗤う少年の態度が癇に障り、攸夜は眉を顰めた。
 薄紫色のブレザー――輝明学園中等部の制服を身に纏う姿は、志宝エリスのアイン・ソフ・オウルと対消滅した“全てを見つめる者”の化身(アバター)そのもの。差異は頭髪と瞳の色、それから前髪の分け目の左右くらいだろう。
 悍ましいほど白い髪と血みどろの濁った紅い瞳、病的に色素の抜けた青白い肌。アリシアと同様の、攸夜のそれと完全に正反対な配色はアンチテーゼを嫌でもイメージさせる。
 本能的に攸夜は理解した。
 “これ”は全身全霊を賭けてでも破壊しなければならない存在だ、と。

「まずは、彼女を返してもらおうかな」

 パチンッ。高らかにハンドスナップが鳴り響く。

「きゃあっ!」
「アリシア!?」

 突然発生した透明な壁がアリシアを囲み、攸夜と分断した。
 振り向き様、四角柱状の障壁へと手加減なしの裏拳を叩きつける。が、大規模な砲撃魔法すらも殴り飛ばす理不尽な拳はいとも容易く弾かれた。
 そうしている間に、少女を捕らえた結晶の檻はふわりと浮かんで離れて行く。

「ッ、貴様、何者だ」

 振り返り誰何する攸夜は、一瞬にして解放した魔力を織り上げ、創造したミッドナイトブルーの戦装束を身に纏う。両足を肩幅に開き、重心を軽く落とした戦闘態勢。魔力と“プラーナ”がスパークした。
 心なしか、展開したアイン・ソフ・オウルの纏う光さえも普段より赫耀と輝く。――目の前の存在を滅ぼさねばならないと強く訴えて。

「フフ――」

 無限光の脈動を感じ取ったかのように、少年は口角をつり上げる。

「ボクは“この世全ての悪”アンリ・マユ――、キミの影、アイン・ソフ・オウルの反存在。――無限に広がる闇の権化さ」

 シャイマールの司る無限光、その凄烈な輝きによって生まれた大いなる闇――――
 大地を灼き払う悪しき翼。
 最後に来るもの、恐ろしい闇。この次元宇宙に蔓延する邪念の源――絶対なる絶望を齎す強大な悪が、“七徳の継承者”の前にその名を顕した。




 □■□■□■




 透明な水晶の檻に囚われた少女が見守る中、二柱の神が激突する。表裏一体、どちらかがどちらかを抹殺せねば存在し得ないと。

「ハハッ、どうしたシャイマール! キミの力はこんなものか!?」
「っく――」

 哄笑が耳朶に響く。
 何もない空間から、透き通った鋭い“槍”が幾本も突き立っていく。
 アイン・ソフ・オウルの速力と身体操作がなければ、すぐにでも串刺しにされていただろう。この領域を構成する空間そのものが攸夜の敵だ。

「どうだい? ボクの“月匣の槍”のキレ味は!」
「鬱陶しいだけだ!」

 アイン・ソフ・オウルを強襲形態から高機動形態に移行させ、バレルロールで突き出す槍を掻い潜り、回転するまま射出して叩き潰す。
 アンリ・マユは時折空間転移で距離を取りながら、彼の言う“月匣の槍”で攻撃を仕掛けてくる。攸夜とて空間転移ができないわけではないが、高速戦闘中に使えるような精度はない。
 さらに――

「フッ、ディヴァイン!」
「っち、ディヴァイン!」

 紅黒と蒼銀。二色二種類の魔法陣が閃く。

「「コロナ!!」」

 三重の魔法陣から放たれた同規模の大光球が衝突する。魔法の威力は完全に同等、ともなれば共倒れは必定。
 二つのディヴァインコロナに込められた莫大な魔力が解き放たれ、相殺し、炸裂した魔力爆発が紅い夜空を染め上げた。

「ジュエルシードを集めて、何が目的だ!」
「ほぼ全て、キミの考えているとおりだよ。主な理由は、キミらへの嫌がらせさ。――まあ、それだけでもないんだけど、ね!」

 超重力の塊を無数に放ち、光の剣軍をけしかけ。あるいは降り注ぐ裁きの閃光や無垢なる混沌で破壊を広げる。
 繰り出す魔法は吐き気がするほど同一で、それでいて決定的に対極の“質”を帯びている。
 この魔法の撃ち合いで攸夜は理解した。理解させられた。――この敵(アンリ・マユ)が、自分(シャイマール)の反存在であるということを。

「ボクはね、シャイマール! キミが夜天の魔導書の“宿命”を書き換えた、あの時に生まれたんだ!」
「何を!」
「本来なら彼女(リインフォース)は、滅びる定めにあった。避けようのない未来だった。――だけどこの世界線には、キミというイレギュラーがいた――」

 刀身に蒼銀の光を纏うデモニックブルームが、真っ向から打ち込まれる。しかし斬撃は、周囲の空間から隆起した“月匣の盾”に阻まれた。
 不発と見るやすぐさまその場から後退する攸夜。彼のいた空間を無数の“月匣の槍”が貫く。

 ――アンリ・マユの“月匣の槍”は決定打になりえず、攸夜の魔法はいずれも“月匣の盾”を砕けない。

「“闇の書の闇”を根底から滅ぼした無限光の輝きが、反存在であるボクを産んだんだ」
「光あれば闇あり、善あれば悪あり――そう言いたいのか、貴様はッ」
「そのとおり。理解が早くて助かる、よッ!」

 天光と闇冥。全く等しい魔法を繰り出し、両者は激闘を繰り広げる。その目も眩むような多彩極まる魔法の応酬は、さながら鏡写しのよう。
 だが、鏡に写った虚像にいくら殴りかかっても自分の手を傷つけるだけ。無為で無意味な行為でしかない。

「だからだよ! “七徳”たるキミが善性であるなら、その反存在(アンチテーゼ)たるボクはまさしく悪性ッ、絶対悪ッ! この醜いヒトの世に絶対悪を齎す絶望の化身、世界半分の支配者だ!!」
「戯れ言を!」
「一つ、いいことを教えて上げよう! 聖王のクローンを産み出させたのはこのボクさ。キミが切り捨てた技術者を、“説得”してね!」
「……!」

 わずかに瞠目する攸夜。
 やはりか、という思いもある。事実、ヴィヴィオを狙う二柱の魔王級“冥魔”との戦闘は記憶に新しい。今更、聖王のクローンなどを持ち出す理由は解せないが。

「まぁでも、所詮はキミとボク――、光(きぼう)と闇(ぜつぼう)が雌雄を決する最終戦争(ハルマゲドン)の前の、児戯(ひまつぶし)だけどね!」
「その児戯とやらで、貴様はどれだけの命を弄んだ!!」
「ハッ、よりによってキミが言うか!? ヒトを家畜と見做すキミが!!」

 古代ペルシアの拝火教における、光明神と対立する悪性の容認者――、それがアンリ・マユ。

 人世では敵対者(サタン)と呼ばれ、地獄の軍勢を率いる悪魔王――、それがシャイマール。

 最悪にして最凶、悪魔の中の悪魔。神話における最大級の“登場人物”たる二柱の悪神は絶大な呪詛をぶつけ合う。
 次第に激化する魔法戦。両者の戦闘スタイルの齟齬から、自然と様相は撃ち合いとなる。
 未だ互いに全力とは言い難いが、それでもなお激突により巻き起こる強烈極まりない余波で月匣内の街並みが崩れていく。

「貴様が俺の、“反存在”だと言うのなら!」

 小手先の攻撃の撃ち合いでは埒が明かぬと見て、攸夜は大きく後退し、金色の闘気を解き放つ。

「俺の手で貴様を破壊するッ! ――リミット、ブレイクッッ!!」

 爆発する黄金の輝き――、身に纏った戦装束が、純白と金色に染め上げられた。三対の蒼き光翼がその面積を見る見るうちに増していく。
 後背に翼のように位置したまま七枚の“羽根”は連結を開始し、結晶製の長柄を伸ばした。

「全てを貫く無限の光――――ッ!!」

 背中の長柄を頭越しに掴み、剣形態のアイン・ソフ・オウルを振り下ろす攸夜。身長よりも腰だめに構える。
 一撃必殺、アイン・ソフ・オウルの特性と、自身の武力を最大限に発揮できる攸夜が最も頼りとする戦型――

「アイン・ソフ・オウルッッ!!!!」

 音速を超え、吶喊する一筋の光。アンリ・マユは微笑を崩さぬまま、おもむろに右手を掲げた。

「全てを呑み込む無限の闇」

 掲げた右手を基点に、漆黒の闇が広がっていく。

「――!?」

 攸夜は見た。アイン・ソフ・オウルの切っ先が、闇に阻まれた瞬間を。
 ――漆黒の力が描くのは、無形、虚無、闇の三重円。
 夜闇よりもなお冥い、深淵の闇黒。光り輝く白き無限光(アイン・ソフ・オウル)の最果てに位置する極めて近く限りなく遠い、対極の概念――――

「トホー・ボフ・チャザック」

 呪文が紡がれ、七つの闇が瞬いた。

「ガッ――!?」

 極闇のベールが禍々しく蠢き、まるでアイン・ソフ・オウルの光が――、あらゆるものを貫くはずの“七徳”の光輝が跳ね返されるようにして攸夜を襲う。全身に裂傷を負い、ビルらしき黒い塊に叩きつけられた。

「な……」

 息とともに血の固まりを吐き出す攸夜の胸中は混乱を極めていた。
 あり得ない。“母”から受け継いだ無限光がこんなもあっけなく、ましてや反射されるなんて。
 通用しなかったことなら今までにも何度もあった。だが、今のは――――

「トホー・ボフ・チャザック。キミに無限光(アイン・ソフ・オウル)があるように――、ボクには無限の闇がある」

 高らかに宣言する大いなる闇の権化。彼の周囲の空間が、ゆらりと七度、蜃気楼のように揺らめいた。
 ただ“七徳”のアイン・ソフ・オウルに対抗するためだけに造られた概念兵装。確固たる形を持たないアンリ・マユの遺産は正しく無限光の闇黒面(ダークサイド)、虚のリアリティを司る三重のヴェールであった。
 光が輝けば輝くだけ――、闇もまた深くなるのだ。

「さて、と……そろそろお暇させてもらおうかな。行こうか、アリシア」
「……」

 すぅ、と音もなくアリシアの傍らに上昇し、アンリ・マユは彼女に水を向ける。振り返る紅い瞳と視線が絡み合う。
 未来を生きる希望を失い、何もかもを諦めたような、虚ろな瞳――ズキリ、と胸に鈍い痛みが走る。それは決して肉体の損傷によるものではないだろう。

「フフ……、ここでキミを討ってもいいんだけれどね。やはりボクらの決着は、相応の“舞台”でするべきだ。――いずれまた会おう、シャイマール」

 嘲笑を浮かべた邪神とその虜囚の姿が消え、黒い月匣が解かれる。攸夜に、圧倒的な敗北感を残して――――



[8913] 第三十四話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:62e603df
Date: 2012/02/03 21:35
 


「――では、会場内の警備計画についてはどうか、テスタロッサ・ハラオウン執務官」
「はい。まずお手元の資料、6番をご覧ください」

 時空管理局地上本部、大会議場。やや楕円形の大きな円卓に、総勢数十名の管理局高官が集まっていた。
 いわゆる“伝説の三提督”やレジアス中将を始めとした管理局を代表する錚々たるメンバーを前に、フェイトは臆することなくハキハキとした声で言葉を紡ぐ。
 傍らのはやては腕を組んで席に着き、やや硬い神妙な面持ちで部下の答弁を聞いていた。

 来週に控えた「公開意見陳述会」、その最終的な協議の場に、フェイトとはやては機動六課の代表として出席している。同様に、首都防空隊を始めとする常設の武装隊や、“世界樹計画”によって新設された部隊の代表も参加していた。
 ここに集まったのは、“うみ”・“りく”を問わず今日(こんにち)の時空管理局を牽引してきた古強者たちであり、ミッドチルダ延いては次元世界全ての未来を担うであろう次代の新星たちである。
 その中でも、フェイトたち機動六課の担う役割は重要だ。
 エースクラスとはいえ通常の魔導師を揃えた六課は、大型の“箒”や特殊装備を扱う他の部隊に比べてフットワークや小回り・隠遁性に優れている。故に、今回の公開意見陳述会においては会場内の警備と出席する要人や傍聴人の護衛を任されており、その重責は計り知れない。
 事実、フェイトは説明しながら、少なくないプレッシャーを感じている。じっとりと汗ばむ手のひらは少し不快だった。
 ――あるいは、ホテル・アグスタ警備任務はこのための予行演習だったのだろうか。

「――以上です」
「宜しい。次に、緊急時の市民の避難についてだが――」

 説明を無事に終え、話題が余所に移るとフェイトは席について密かにほっと息をこぼした。
 奥手で人見知り、照れ屋な上に引っ込み思案な彼女にはこうした場での答弁は苦行である。管理局に正式に入局してはや四年が経つが、未だに人前で話すことは慣れることができない。

「フェイトちゃん、おつかれさん」
「うん」

 声を潜めて、大役を務めた親友に労いの言葉をかけるはやて。フェイトが恥ずかしげにはにかんだ。

「はふぅ……緊張したよー」
「せやろか。フェイトちゃん、普段苦手いうてるわりにすらすら喋れてたやん。かわいこブリっこはあかんよ」
「ぶりっこって、そんなつもり……」

 こそこそ会話する二人だが会議の内容もきちんと理解している。十人の言葉を聞き分けられるほどではないが、マルチタスクで分割した思考を会話と聴覚に意識を割り振る程度の応用は一流の魔導師の必須スキルだ。

 ――陳述の続く会議場は、一種緊迫した空気が支配していた。

「……はやて、“冥魔”が意見陳述会のときに襲ってくるって思ってる?」
「なんや、藪から棒に」

 怪訝な顔のはやてに、不安そうなフェイトは以前恋人から聞いた考察を説明する。
「なるほどなぁ……」はやては得心した様子で頷いた。

「せやったらたぶん、襲撃はあるやろな。たしかに、これ以上ないタイミングや」
「そう……だよね……」
「お偉いさんもそれがわかっとるからこんな空気になってんやろね、ココ」

 はやては会議場を見回し、確認する。個人個人で程度の違いはあれど、皆どこか焦燥感を抱えている様子が見て取れた。フェイトが意見を尋ねたのも、やはりそうしたやるせない焦燥からだ。
 今回の公開意見陳述会には、時空管理局および管理世界に連盟するほぼ全ての次元世界の威信と未来がかかっている。
 仮にこれを取りやめたのなら、民衆は管理世界政府が“冥魔”の脅威に屈したと考えるだろう。そうなれば、ただでさえ危うい現在の体制は根元から瓦解しかねない。故に、半ば大規模な“冥魔”の発生が予想されていたとしても、開催しないという選択肢は存在しないのだ。
 さらにそれを肯定するかのように、管理局の上部組織、最高評議会が戦力の拡充を急いでいるという噂もある。

 ――――“戦争”が、にわかに現実味を帯び始めていた。


「はぁ、難儀なことや。ヘタにエラくなるんのも考えものやね」

 そう他人事(ひとごと)のようにぼやいて頬杖を突くはやてを、お行儀が悪いよ、とフェイトが窘めた。














  第三十四話 「深愛のブルー・ムーン」














「――と、今日はここまでにしましょうか」
「はい、せんせー、ありがとうございましたっ」

 機動六課隊舎本館、学習室。
 生徒役のキャロの元気な挨拶に、教師役のメガーヌがたおやかな笑みを浮かべた。
 出来のいい生徒の面倒を見るのは、メガーヌにもいい刺激になる。少なくとも、“侵魔召喚師”という意味では二人とも未だ駆け出しである。

「せんせー、これからいっしょにお夕飯食べませんか?」
「ええ、いいわよ」

 ホワイトボードに踊る本日の授業の名残――、複雑怪奇な数式を消しているメガーヌに提案したキャロ。それが受け入れられるとにっこり笑い、いそいそと教材やらノートやらを鞄に片づける。
 キャロはこのルーチンワークが、なんとなく普通の学校みたいで好きだった。

 片づけを終えたら、連れ立って食堂に向かう。
 道すがら、何人もの職員とすれ違った。皆、一様にして忙しそうだ。

「……やっぱり、大きな戦いがあるんでしょうか」

 館内に漂うただならぬ空気を肌で感じ取り、キャロが独白する。

「どうして、そう思うのかしら?」
「ここ最近のせんせーの授業は、実践に即した応用が中心ですし。それに……フェイトさんとししょーが、あんまりかまってくれないんです……」

 きゅる〜……。フリードリヒがしゅんとした飼い主の代弁として、寂しげに鳴く。
 大人びているように見えるキャロも、案外懐いた相手――特に年上――には年相応の顔を覗かせる。幼い身空に親元から離れた彼女の処世術であり、彼女なりの甘え方だった。

「……そうね。私たちが呼び戻されたのも、“決戦”に備えるためだから」

 現在、厳戒態勢の機動六課は部署を問わずきわめて慌ただしい。外回りであるメガーヌたちも呼び戻され、準備に奔走していた。
 一般武装局員の監督やら警備計画の作成やら、やらなければならないことは山積み。キャロの相手はある意味息抜きでもある。

「――今度ばかりは負けるわけにはいかないのよ、私たちは」
「……せんせーは、ルーテシアさんを?」
「ええ。私が戦う理由は、あの子の他にないもの」

 普段の温和でたおやかな表情を消し去り、“母”ははっきりと言い切る。他の人々と同じ、しかし決定的に違う焦燥感を抱えて。
 彼女がこの機動六課に参加している主な目的は、“冥魔”に利用されている娘を救い出すことだ。
 自身の所属していた部隊を陥れた上司にも、娘を売り渡した組織にも、そして自分たち親子をいいように弄んでくれた犯罪者にも――恨み骨髄に徹しているが、それらを押し殺して現状に甘んじている。何故ならそれが、目的を成すのにもっとも確実で的確な近道だから。
 娘を救うためなら自分の感傷など二の次だ、と。母は強しと言う他かないだろう。

「もし――、もしも、あの子を救い出せたなら……」
「はい?」

 一転、メガーヌは厳しかった表情を崩し、ふわりとした微笑みをキャロに送る。慈母の慈愛でもって包み込むように。

「キャロさん、あの子と――ルーテシアと、お友だちになってくれるかしら?」
「もちろんです!」

 元よりそのつもりだと、キャロは力強く答えた。




 □■□■□■




 深夜、女子寮。
 何となく寝付けなかったスバルは、気晴らしに自動販売機で何か飲み物を買い求めようと、部屋を出た。
 そこで彼女は、意外な人物と遭遇する。

「あれ、なのはさん?」
「ん――、あっ、こんばんは、スバル」
「あ、はい、こんばんは……」

 愛想よく挨拶され、脊髄反射的に挨拶を返すスバル。しかし語尾が胡乱げで、やや失礼だ。
 白と青の教導隊制服姿から察するに、残業の帰りといったところだろうか。

「こんな遅くまで、お仕事ですか?」
「にゃはは……ま、ね」

 気まずそうに苦笑するなのは。もう、深夜と言って差し支えない時間帯である。さすがにやりすぎだという自覚はあるようで。
 ふと、彼女が預かっている幼子のことが脳裏を掠め、スバルは思わず質問した。

「……ヴィヴィオ、ひとりでだいじょうぶなんですか?」
「今夜は、フェイトちゃんと攸夜くんに預かってもらったから」

 あの妙に子ども好きなバカップルなら、ヴィヴィオをうまくあやして寝かしつけていることだろう。その点は心配してない。
 と、なのはは急に押し黙ってしまったスバルを訝しむ。

「……スバル?」
「あ、その、ウチ、両親共働きだったんで――」

 スバルの濁した言葉の続きが、なのはには簡単に予測できた。
 くすっ、となのはが小さく笑みをこぼした。ヴィヴィオのために、気を砕いてくれたのがうれしかったから。

「私のとこも、共働きでね。小さいころはいろいろ忙しくって、それで、疎外感とか感じちゃったこともあったよ」
「そうなんですか」
「うん。だからなるべくヴィヴィオといっしょにいてあげたいなー、って思ってるんだ。……でも、なかなかうまくはいかないね」

 自身のいたらなさに、微苦笑する。特に今は職員が一丸となって準備に奔走している時期。どうしても、ヴィヴィオのことは後回しになってしまう。
 母親の真似事をしてみて初めてわかる子育ての苦労。親の心子知らずとはまさにこのことで――自分を含め、三人の子どもを仕事をしながら立派に育て上げた母には今更ながら頭が下がる思いだった。

「なのはさん、すっかり“ママ”ってカンジですね」
「……どうかな。守りたいって思うけど……イマイチ釈然としないんだよね」

 未だになのはは、自分の感情の区別がついていない。ただ小さな子どもだから守りたいのか、ヴィヴィオだから――“娘”だから守りたいのか。それは些細な違いだが、決定的な差異だ。
 これが天然気味な金色の親友なら、母性全開で一片の迷いなく「守りたいから守るんだ」と断言するだろうし、ちょっぴり地味めな方の親友なら適度に割り切って上手く母親役を演じるだろう。
 何でも肩肘を張って全力投球してしまうのが、なのはの直らない悪癖だった。

 ふと、なのはの脳裏に疑問が浮かんだ。

「……スバルは、さ。どうして、魔導師になろうって思ったのかな?」
「え、うえぇぇえっ!?」
「そ、そんなに驚くこと?」

 突然の奇声に、なのはがぎょっとした。
 無理もない。スバル的には一番聞いてほしくて、なおかつ一番聞かれたくない人物に動機を訊かれてしまったのだから。
 何度か口を開け閉めして、ニコニコしている憧れのひとを見て、スバルは打ち明ける決心をした。

「あの……、なのはさんと初めてあったときのこと、覚えてますか」
「うん、覚えてるよ」

 自分が一番自惚れていたころだから、とは言わない。後輩に聞かせるべきではない余計な一言だ。

「それで私、あのときのなのはさんに憧れて、魔導師を目指したんです」
「私? お母さんとか、ギンガとかじゃなくって?」
「はいっ!」

 言い切ると、スバルは真っ赤になって恥ずかしげにうつむく。慕ってくれているのは薄々感じていたけれど、まさかそこまでとは。
 ――いや、改めて考えれば当然かもしれない。
 スバルのオリジナル魔法“ディバインバスター”――なのはの十八番(おはこ)とは似て非なる術技である――、あれは、明らかにあの時の体験に由来するものなのだろう。
 誇らしいような、むず痒いような、そんな気持ちになのはがはにかむ。

「初めて、聞いたかも」
「認定試験のとき言えなくて、そしたら言い出すキッカケが掴めなかったんです……」
「そっか……」

 当時のなのはは、復帰後初の監督官任務を立派に勤め上げようと緊張していた。精神的に余裕がなくて、気が回ってなかった。
 思い返せば、つくづく自分はダメダメである。最近、自省自責が多い。
 そして、思い立った。

「……ねぇ、スバル、ちょっとお話しない?」



[8913] 第三十四話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:62e603df
Date: 2012/03/02 21:25
 


「はいっ、スバル。これね」
「すみません、おごってもらっちゃって」
「いいよ、ムリ言ってるのはコッチだし」

 買い求めたスポーツ飲料水を手渡し、なのはは緑茶の缶を手にスバルと並んで通路のベンチに座る。
 何となく引き留めてしまったが、よい子はもうお休みするべき時間。明日の訓練に響かないように早めに切り上げるか、あるいは訓練そのものの時間をずらしてもいいかもしれない。
 今は応用課程というか、基礎固めの時期はとうに過ぎて、それぞれの得意分野を重点的に鍛えている段階だ。“決戦”を前に、根本的な体調のコンディションやモチベーションなどメンタルの部分を整えるべきだろう。

「そういえば、スバルと一対一でお話するのってはじめてかも」
「あ、たしかに。…………ティアとはよく話してるみたいですけどー……」

 同意しつつ、ふくれっ面でつぶやくスバル。不満そうな様子に、なのははピンときた。
 心持ちニヤニヤして、ちょっぴりジェラシーな膨れるかわいい後輩の顔をのぞき込む。

「なになに? ヤキモチ?」
「なっ!? ち、違いますっ!」

 どうやらズバリ図星だったようだ。もしかしたら、二重の意味で――親友を取られたこと、恩師を独占されたことに――妬いていたのかもしれない。
 なのはがくすくすと忍び笑いをもらすと、スバルはムッと膨れる。そのリアクションがかわいくて、ますます笑顔を誘う。

「にゃはは、ごめんごめん。今度なんかおいしいものとかおごるからさ」
「むーっ。なのはさんが言うなら、そうします」

 そんなやりとりのあと、二人はふと顔を見合わせて同時に吹き出した。

 ――それから、いろいろなことを話した。
 訓練や魔法、仕事に関してのことではなく、家族のこと、昔の思い出など他愛のない会話を、まるで戦いなんて知らない普通の女の子のように楽しんだ。たとえば、いつかティアナも交えて遊びに行こう、というなのはの提案にスバルが恐縮したりとか。
 そんな中、なのはが不意につぶやいた。

「私ね――、みんなにはストライカーになってもらいたかったんだ」
「ストライカー?」

 不思議そうにするスバルに、なのはが微笑みかける。

「エースのように華麗じゃないけど、どんな困難にも、恐れることなく立ち向かって真正面から打ち砕く、そんな魔導師を称える言葉だよ。――いまのスバルにぴったりでしょ?」

 なのはが茶目っ気たっぷりに微笑む。過分な評価に、スバルは再び恐縮を示した。

「そ、そんな……、私なんて、ぜんぜん、まだまだです!」
「そういうことなら私だって、まだまだ未熟者だよ。……スバルやティアナ、ヴィヴィオに教えられてばっかり」

 微苦笑するなのはの胸中には様々な情景が駆け巡る。
 再び自分の“魔法”を信じようと思えたのも、慕ってくれる後輩や頼もしい仲間たち、あるいは迷う自分を支えてくれた家族のおかげだ。決してひとりで乗り越えたのではない。

「だから、いっしょにがんばろ? 全部のひとはムリでも、ヴィヴィオを――、大切なみんなの笑顔を守るためなら、がんばれるから」
「――はい!」




 □■□■□■




 ――最近、ユーヤがおかしい。
 公開意見陳述会を明日に控えた朝食の席で、フェイトははむはむと蜂蜜たぷたぷのホットケーキを食しながら、そんなことを考えていた。

「……」

 目の前の彼は、今も食事の手を止め、物思いに耽るようにぼーっと窓の外を見ている。
 というか、手に持ったニュースペーパーが上下逆さまだし、あれだけ好んでいるはずの紅茶もほとんど手つかずのまま冷めてしまっていた。

 普段から、仕草の端々に余裕と気品に溢れる攸夜らしからぬ状態。数日前――、仕事で地上本部に赴いた。詳しいことは話してくれないし、フェイトもなんだか思い詰めた雰囲気を感じて聞きづらかった。
 すわ他に女でも、などと益体もない想像が浮かぶ。
 まあ、そのあたりはフェイトも信じているので本気で心配しているわけではない。焼き餅を焼くと喜んでくれるので、それっぽく振る舞っているという面もあるから。もちろん、天然で。
 しかし、攸夜が悩んでいるのを見ているのはつらい。とてもとてもつらい。
 彼の抱えるものは普通のヒトとは違う重くて特殊なものだから、解消してあげることは難しくても、一緒に背負うくらいならきっと出来る。そしてそれは、世界でただひとり、フェイトにしか出来ない大事なことだ。
 ――攸夜にグイグイ引っ張られ、攸夜を陰日向に支える。一見矛盾しているようだが、少なくともフェイトの中では論理破綻は起きていない。

(…………ユーヤが悩んでるなら、私が支えてあげなきゃだよね。うん!)

 そう結論づけて、切り出そうとしたのだが――

「フェイト」
「ひゃいっ!」

 唐突に決意の機先を制され、瞠目するフェイトがピクリと硬直する。考え事に夢中で、いつの間にかジッと見られていたことにも気がついていなかった。
 攸夜が訝しげに目を細めたあたりで復帰して、フェイトは何とか応対する。

「な、なに?」
「君に、大事な話があるんだ。……仕事が終わった後、時間、とれるか?」

 挙動不審はあえて無視して――フェイトにはよくあること――、攸夜は告げる。
 スタールビーの瞳を覗き込む真摯な眼差し。海原(うみ)のような、惑星(ほし)のような――フェイトを魅了して止まない宝玉の瞳。茫洋とした蒼に見惚れて、心の深いところを囚われてしまう。
 高鳴る動悸を自覚しつつ、フェイトは九割がた恋人のことでいっぱいの思考を必死に働かせる。一応、バルディッシュにスケジュールを確認してから答えた。

「えと……、今日は明日の警備任務のローテーションとかフォーメーションの最終確認と、あと荷物のお引っ越しの監督しなきゃだから――、6時くらいからなら、たぶんだいじょうぶだよ」
「そうか、よかった。俺は今日も外回りだから、待ち合わせしよう」
「うん」

 フェイトが提案を受け入れると、攸夜はにこりと高貴に微笑む。とりあえず、普段の調子を取り戻したらしい彼の様子を見て、フェイトはほっと一安心した。
 ……でも、改まってお話なんて、なんだろう? そう不思議に思いつつ、彼女は三枚目のホットケーキにかぶりつくのだった。




 □■□■□■




 部隊長執務室。
 ぺたんぺたん、と一定のリズムで刻まれるのどかな音が続く。
 かさり。ローテクな紙の書類が乾いた音を奏でた。

「っと、これでおしまいや」
「ご苦労様です、部隊長」

 判を押した決済済みの書類を手文庫に入れ、はやては愛用のデスクチェアに体重を預けた。
 目の前には彼女の補佐官(お目付役)その1、グリフィス・ロウランがいる。
 容姿の系統的には某司書長に近いが、どちらかと言えばイケメンなカテゴリに属する優男だ。もちろんオジコンのはやてのタイプではない。
 ちなみに噂では、ロングアーチ――六課司令部――のオペ娘の一人とイイ仲だとかなんとか。完全な余談である。

「はぁーっ、しんど。……グリフィス君、とりあえず必要な分はこれで全部かな?」
「はい。後は、それぞれ各部署に届ければ完了です」
「さよか。いやー、久々に仕事したーっ、ちゅう気分やわ。なな、がんばったはやてさんはエラいと思わへん?」

 ほめてほめて、と満面の笑みでのたまうたぬき(はやて)。
 そこに、ズバッと切り込むモノがあった。

「いつもサボってるはやてちゃんがわるいだけだと思うですぅ」
『妹に全面的に同意です』

 道化じみておどけていた表情を一転、ぐぅ、と鳴き声がもれる。赤茶けた本と、青い小人の姉妹の毒っぷりは、ますます冴え渡っているようだ。

「……八神部隊長は、いつもとお変わりないんですね」

 そんな八神さんちの日常的な光景を眺めていたグリフィスが、ぽつりと呟いた。

「あん? なんやて?」
「いえ、部隊長は緊張なされていないようなので。明日の公開意見陳述会は機動六課の言わば正念場。ですから――」

 訝しむ上官に、補佐官はやや気まずそうに表情を曇らせ、理由を説明する。
 無理もない。明日には、今までにない規模の“冥魔”の発生が予測されている。予測は所詮予測でしかないが、緻密な行動分析と超常の力を根拠に管理局は準備してきた。どちらにしろ、公開意見陳述会は成功裏に終わらせなければならないのだ。

「んー……まぁ、なんちゅーかな、私、ドライやねん」
「はぁ」
「ぶっちゃけ、ウチのコらや、なのはちゃんとかフェイトちゃんが万が一死んでしもたりしても、わりとはやく立ち直ってまうような気がするし。なんとなく」

 あっさりとした口調で聞き捨てならない言葉が飛び出した。
 あまりにもあんまりな発言に、グリフィスとリインフォースⅡがギョッとして絶句する。それは職務には不真面目だが、不思議と部下に慕われるはやてらしからないセリフだったから。

「つーか、たぶん自分自身の生き死ににも無頓着なんやろなぁ……、私」
「それは達観、ですか」
「一言で片づけるならそうやね。あるいは諦観かもしれへん。
 家族や友だち、職場のみんなとワイワイ騒いでる後ろに冷めた私がいて、それを見つめて――なに思ってるんやろな、私にもわからんわ」

 160°回転する椅子が、キイと軋む。

「私な――、子どものころは足が不自由で歩けなかってん。車いすっ子やったんよ」

 何気なく、本当に何気なく。世間話をするようなトーンで鬱々とした暗い過去を語るはやて。
 ジッと黙って聞くリインフォースは今、魔導書から出ていなくてよかったと心から思った。書の裡(うち)に籠もっていなかったら、辛そうな、泣きそうな顔を不覚にも主にさらしていただろう。――本当に辛かったのも、泣きたかったのも、主(はやて)だったろうに。

「朝ひとりで起きて、前の日にヘルパーさんの用意してくれた朝ご飯を温めて食べて。本読んだりテレビ見たり勉強したりして時間つぶして。お昼を食べたら、ときどき病院行ったり図書館行ったりしてな。そんで、夜ご飯食べて、お風呂入れてもろて、ひとりでお布団入って……。
 ――そんな毎日を繰り返してたんよ」

 淡々と、独白が続く。
 そこに事実を列挙する以上の感情は込められていない。それが逆に、当時の彼女の空虚な心の裡を如実に表しているようで――

「んでな、夜、寝るときいつも決まってこう思うんや。――このまままぶた閉じてしもたら、私は明日の朝を迎えられるんやろか……、ってな。寝てる間に死んでまうかも、って考えたら、こわくてこわくてしかたなかってん。まぁ、そのうち慣れたけど。
 ……死の神サマと眠りの神サマは兄弟やっていうけど、アレマジやんなぁ。昔のヒトはうまいこと考えたわ」

「「……」」

 あっけらかんと片づけて、とぼけて見せた。

 彼女は、死を見つめすぎた。
 十歳にも満たない幼い子どもが親もいない孤独の中、正体不明の病気を患った身体を抱え、何時尽きるとも知れない命と向き合う――そんな過酷な環境にさらされ続ければ、心が歪むのは必定であろう。
 孤独と絶望の淵から燦然と輝く“希望”を拾い上げたフェイトのように。あるいは、挫折と後悔の果てに真なる“勇気”を勝ち得たなのはのように。
 そんなはやてだからこそ、見ず知らずのシグナムたちを家族として受け入れ、果ては自分を苛んでいた闇までをも包容するだけの“愛情”を得られたのかもしれない。
 “ヒトを愛すること”がどれだけ大切で尊いことかを、身を持って知っていたから。

「――ま、実際のとこ」

 ぐるん、と椅子を半回転させたはやてはいつもの調子でおちゃらけた。

「そんな鬱陶しい展開は御免やけどな。なんせ私、ハッピーエンド至上主義やし?」
「なんだか最後にダイナシです……」
『まぁ、主はやてですから』

 ほっと空気が弛緩して、いつもの部隊長室に元通り。カラカラと笑う上司を見やり、やはり部隊長はさすがだ、と妙に納得するグリフィスだった。

 ――――夢を夢だと断じる強さ、過ちを過ちと認める毅さ。自分のためだけでなく、誰かのために差し出せるその手こそが、八神はやての本物の“力”である。



[8913] 第三十四話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/05/04 21:22
 


『ポポポポ〜ン!』

「ぽぽぽぽ〜ん!」

 レクリエーションルームの多目的スペース。
 ブサカワ系の黒いウサギのぬいぐるみを片手に、モニターに流れる童謡のビデオ――情操教育のために攸夜が監修、フェイトが編集したもの――を見てはしゃぐオッドアイの幼女。落ち着かない六課の大人たちをよそに、今日も元気いっぱいだ。

「ヴィヴィオ、あんたってばそれ好きねぇ」
「うんー!」

 そんなヴィヴィオのソファにダラッと寝そべり、ばりばりとせんべいを消費する美少女。何を隠そう彼女は魔王、ベール・ゼファーである。
 満面の笑みで答えるヴィヴィオの手にあるぬいぐるみは、なのは作「いたずら黒うさぎさん」。ぬいぐるみとしての単純な出来はともかく、デザインが若干ブサイクなのは製作者のセンスの問題だろう。

 ノー天気な笑顔を視界から外し、ローテーブルの上の湯飲み――達筆な筆で「蠅」と書いてある――を手に取る。ずず、と茶色の日本茶――いわゆる焙じ茶――を飲み、ほっと一息。

「……ったく、あたしをなんだと思ってんのよ。ベビーシッターじゃないんだからね」

 頬杖を突き、ぶちぶちと文句を垂れる。いつの間にか子守役になっていることには未だに腑に落ちないが、ベルとて腐っても元神、自分に懐いた――いわば“信仰”する存在を無碍に扱うのはいささか難しい。
 無論、必要なら一切の躊躇いもなく襤褸雑巾のように使い捨てにもするが、幸いこの無邪気な幼女を犠牲にすることはないだろうと思われる。

「――ん?」

 ばりばりむしゃむしゃとせんべいを消費するベルは、近づく気配に顔を上げる。存在感アリすぎでウザったい、やたらと金ぴかな気配(オーラ)――最近似たようなのがもう一人増えたが、そっちは明け透けに蒼くて鬱陶しい感じだから、間違えようがない。

「お邪魔するわね」
「あ、ルーおねぇちゃんだ! こんにちはっ」
「こんにちは、ヴィヴィオちゃん」

 予想に違わず、“金色の魔王”ことルー・サイファーが現れた。にこにこと人のよい――ベルにしてみれば胡散臭い笑みを浮かべて。
 浮き世離れした真紅の宮廷ドレスではなく、現代に溶け込む紅いワンピースに金糸のストールを羽織った砕けた服装だが、髪型は相変わらずこれでもかとぐりんぐりんにカールされている。手土産のつもりだろうか、紙袋――中身は大量のチョココロネだ――を抱えていた。
 最近、彼女がチョココロネを食べている姿をよく見かけるが、「共食いか」と思わなくもないベルである。

「なんか用?」

 チョココロネをヴィヴィオに与えている同輩を横目に、嫌なものを見た、と言わんばかりに顔をしかめる。しかしルーはつっけんどんなリアクションにも顔色一つ変えず、涼しい笑みを浮かべるばかり。
 まあ、この(・・)ルーは鬱陶しいほどの姉オーラ全開で裏界魔王の面々に接してくるので、そう珍しくもない。その無駄で無意味なカリスマに絆されて、思わず態度を和らげてしまうから始末に負えないが。

「ベル、明日(あす)にも“冥魔”の大攻勢が予知されていることは知っていて?」
「らしいわね。リオンも最近は「世界の鉄道の平和(ダイヤ)を守る」とかで張り切っちゃて、なんか忙しそうだし」
「まあ、あの子らしい。それはそれとして、あなたにはこの施設の防衛をお願いしたいの」
「パス。余所をあたって」
「何故? その子を奪おうと、“冥刻王”が来襲するのは目に見えててよ?」
「だからよ。アイツと鉢合わせなんて、死んでも御免だわ」

 疑問に首を傾げる“金色の魔王”に、むっつりと理由を答える“蠅の女王”。水を向けられた幼女がきょとんと顔を上げたが、すぐに積み木遊びに戻る。賢い子である。

 正直なところ、ベルとしてはあれ(・・)と極力関わり合いにはなりたくない。逃げようのないファー・ジ・アースでならまだしも、息抜きのバカンスのつもりで来ているここで、あんな厄介なモノとドンパチなど御免被る。実際に遭遇すれば全力全開で相手をするが、自分から好き好んで遭おうは思わなかった。

「……そう、仕方ないわね。じゃあ、首都での遊撃を頼めないかしら? ココの子たちじゃ少し不安なの」
「ま、それくらいならやったげてもいいケド」

 言葉とは裏腹にさほど残念そうでもない提案を、不承不承で了承する。あるいはベルが断ることも折り込み済みだったのかもしれない。
 ヒト同士の諍いならともかく、“冥魔”が伸長するのはベルとしても困るので、連中との戦争に協力するのは吝かではないのだ。最近は大規模な戦闘も発生していないし、ここらで暴れてストレスを発散したいという思惑もある。
 ちら、とベルはヴィヴィオを見やった。

「……。ここを防衛するのは誰よ」
「気になる?」
「別にっ! ちょっと聞いてみただけ」
「……まあ、いいわ。パールとアゼルよ」
「……? パールはともかく、アゼルがどうして?」
「メイオルティスに借り(・・)を返したいそうよ。あの子にしては珍しく、自分から名乗り出てくれたわ」
「アゼル……」

 いつも自分の後ろに隠れている儚げな少女の姿を思い浮かべ、ベルは瞼を伏せる。気弱そうに見えて存外、芯は強い。
 パールの方については――、何を考えているのかよくわからない。アレはアレで頭の出来はいいのだが、思考回路の接続が絶望的にズレているのだ。でなければ、「281,4749,7671,0656%」の件や「因果律振動弾」の件など、ワケのわからない突飛な――頭のオカシイ――発想は生まれてこないだろう。
 ベルも、あのアホの子にはさんざ酷い目に遭わされたものだ。

「ま、いいわ。……ところでさ、ちなみにあんたはどうするのよ。参考までに聞かせてくれない?」
「手勢を率いて地方都市の防衛と遊撃ね。カミーユやアニー、リオンも使うつもり」
「手勢っていうと……あいつの配下の?」
「ええ。あの子を頼ってこちらに来た子たち、存外に使えるから色々させてるの。まあでも、主戦力はアモルファスを取り憑かせた魔導師だし、あまり戦果は期待できないけれど」

 ベルの言うあいつ(・・・)――“裏界皇子”に心酔し、付き従う侵魔(エミュレイター)は多い。彼の方針や嗜好を反映してか、武力一辺倒の武断者より、知性に秀でた者や芸達者が多く集まっているのが特徴だ。
 また、弱肉強食の世界である裏界(ファーサイド)にあって力が弱く、秘めたる才能を発揮する間もなく淘汰されるようなモノたちを庇護し、勢力に取り込んでいる。そのため他の勢力からは軽んじられ、嘲られたりもしているが、そもそも攸夜にとって主八界での活動は準備でしかないので気にも止めていない。
 徳、孤ならず。必ず隣あり――有徳者は孤立しない。必ず理解者が近づく、といったところだろう。

「しっかしあんたらも物好きねぇ。こんな異世界くんだりまで来て、ヒトの面倒なんかを見てるなんてさ」
「そうかしら? 向こうほど切羽詰まっているわけでもなし、衆愚を導くというのも存外楽しいものよ」
「宗旨替え?」
「ヒトの効率的な使い道を見つけただけよ。……それに、手間暇をかけて育てた“資源”だもの、横から成果だけ奪われるのは、癪だわ」

 こちらではより管理神・創世神としての性質が表に出ているルーは、そう傲岸に断ずる。
 世界の有する“プラーナ”は有限だが、生き物の“プラーナ”はある意味無限だ。
 “プラーナ”とは存在の力であり、同時に意志の力でもある。
 時に、神の定めた運命すらも乗り越えてしまうヒトの意志の力は、決して馬鹿にできない。ヒトの社会構造を利用し、応用する――攸夜の一般的な裏界魔王にはない独自の視点は、最近第八世界で「経済的な侵略活動」を始めたらしいルーだけでなく、人間社会の完全なる破壊を目指すベルとしても婉曲に過ぎるが参考になる点は多々あるのだ。
 もっとも、ヒトを家畜としていい意味でも悪い意味でも愛でる彼の価値観は、是非の分かれるところだろう。

「97管理外世界から一部戦力を引き上げることになりそうね」
「そんなことまでしてるワケ?」
「あそこはある種の“特異点”だし、何よりあの子の庭(・)だもの。死守するのは当然よ」

 この次元宇宙の地球にも“冥魔”が出ないわけでもないが、ミッドチルダほどの発生頻度はない。それも、選りすぐりの精鋭たちが秘密裏に処理している。
 が、いろいろと暗躍しすぎて数年以内に地球連邦的な意志統一機関が発足しそうだったり、技術的ブレイクスルーで宇宙開発が始まったりしそうなのは完全な余談。

 す、上品な相貌を冷徹に変えてルーが居住まいを正す。ただならぬ気配にベルが柳眉を顰めた。

「――あの子が、向こうの首魁と交戦したわ」
「へぇ……どこのどいつよ?」
「アンリ・マユ。そう名乗っていたそうよ」
「アンリ・マユ? ちょっと、それって――」
「ええ、私の――いえ、“皇帝(カイザー)”シャイマールの異名の一つね。アジ・ダハーカのことでもしや、とは思っていたけれど。
 でもアレはおそらくシャイマールの転生体などではなく、もっと別のナニカ。無限光の輝きに照らし出されて生まれた歪みが闇となって、現し世に蔓延する悪意――あるいはあらゆる世界と繋がる根源、原初の泥に混じった負のエネルギーが結びつき、形を得た存在……あの子の反存在だという話も納得ね」

 アジ・ダハーカは、かつて主八界で勃発した神々の戦いにおいてシャイマールが創造した“冥魔”の一つである。攸夜たちが詳細を知っていたのも道理だ。

「勝てるの?」
「勝つのよ。私たちは神であり魔王――、敗北などあってはならない」
「まあ、負けて今みたいな境遇に墜ちてるわけだけど」
「……痛烈な皮肉ね」




 □■□■□■




 ――闇。

 暗い、昏い闇の中。
 闇よりもなお深い闇黒が胎動する。
 この世全ての悪であれと、発生した瞬間から決定づけられた最も悍ましい“冥魔”。無限光(アイン・ソフ・オウル)の闇黒面(ダークサイド)を担う最凶最悪の闇黒神――アンリ・マユ。
 全てを否定し、全てを無に帰す邪悪なるもの。七徳でもなく七罪でもない――ただヒトを殺し尽くす人類種の天敵が、闇すら霞む闇黒の中で嗤う。

「――フフ、機は熟した」

 アンリ・マユの声に合わせ、深い闇が蠢く。
 蠢くものの正体は無数のバケモノ。幾千、幾万――、天文学的な数のマモノたち。
 無機質で構成されたヒトガタ、暗闇が獣の形になったようなケダモノ。粘着質のスライムに、妖しく点滅する結晶体――中には、未だヒトが確認したことのない、竜と蝙蝠を混ぜ合わせたかのような未知の異形の姿もある。
 共通しているのは、そのどれもが醜悪な魔力を放っていること。そして、いきとし生けるものを恨み、憎み、妬む邪悪な意志だ。

「世界に満ちた芳醇なマイナスエネルギーを喰らって、我が軍勢は力を増した。――アジ・ダハーカの時のような、中途半端なことはさせないよ」

 してやられた、というべきだろう。決着を逸り、そこをつけ込まれた。育ちきる前に自らの分身を引きずり出され、想定以下の損害しか人類に与えることが出来なかった。
 だが今回は違う。
 この四年、ヒトが戦いに備えていたように、彼ら“冥魔”もまた力を蓄えていたのだ。

 ふと何気なく、アンリ・マユは振り返る。
 そこに佇むのは、俯き加減でいる灰銀の髪の少女。生気の感じられないまるで人形のようだ。

「わかっているね、アリシア」
「……はい」
「キミにはもう、戦う以外に残された道はない」
「……はい」
「“彼女”を殺すこと、期待しているよ」
「……はい」

 アリシアは、機械的に返答を続ける。虚ろな瞳の奥に揺れる剥き出しの感情をひた隠しにして。
 それでいい、アンリ・マユはそう考える。ギリギリの瀬戸際まで迷いに惑ってもらわねば、自意識が残るよう調整した甲斐がない。
 偽りの光明在ればこそ、闇黒の芽は育ち、ついには絶望の華を咲かせるのだから。

 どこからともなく取り出した青い菱形の宝石を右手で弄び、アンリ・マユは謳う。

「蒼き月は堕ち、生命の樹は魔界の混沌に蝕まれて立ち枯れる。さあ――嘆きと絶望が大地を覆う時は、もうすぐだ」



[8913] 第三十四話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/05/04 21:24
 


 その日の夕刻。
 本日の雑事を全て片づけたフェイトは、朝方決めた、攸夜との待ち合わせ場所に向かって歩いていた。

「〜♪」

 とてとて。てくてく。
 仕事が上手くいき、ご機嫌の鼻歌混じりで進むフェイト。どこか無邪気な童女みたいに、軽やかな足取りで。咲き誇るような笑顔を振りまいて。
 その幸せそうな姿は、世界の命運を左右しかねない一大決戦が明日に控えているとは思えない。
 そして隊舎から少し離れた波打ち際に、見慣れた紺の背広姿の、見間違えようのない広くて大きな背中を認めて、歩を早める。

「ユーヤっ」

 喜びを隠そうともしない呼び声。彼は振り向くと、鷹揚とした笑顔を浮かべる。
 フェイトは足早に、恋人の元へと近づく。

「ごめんね、待たせちゃって」
「いや」

 攸夜は言葉少なに応じ、再び海の方に視線を向ける。
 常にない態度に一抹の違和感を感じつつ、フェイトはいつものように定位置の左側に立ち、そっと視線の先を追う。彼と同じ景色が見たくて。

「……」

 寄せては返す波間、水平線の向こう側へと沈んでゆく夕日のオレンジ色が揺らめき、きらきらと幻想的な光を放っている。
 そして頭上には紺青の夜空が広がり、暖かな月明かりと満天の星が二人に降り注ぐ。
 飄々としてるが、同時に気取り屋――悪く言えば、キザなロマンチストらしいシチュエーションのチョイスだ。

「えと……つ、月がきれいだねっ」
「そうだな。ミッドの空気は向こうと違って、綺麗だから」
「う、うん……」

 何故だか会話が上手く続かない。フェイトは沈黙も嫌いではないが、今夜はどういうわけか落ち着かなかった。
 ――あるいは、彼女は本能的に感じ取っていたのかもしれない。自分たちの関係に、大きな変化が訪れることを。

「――アリシアに、逢ったよ」
「えっ!?」

 ぽつりと何気なく告げられた事実に、フェイトは大きく瞠目した。
 意味がよく理解できず、混乱覚めやらぬ彼女を置いて、攸夜は言葉を続ける。

「偶然街で見つけてさ、観察がてら連れ回してみた」
「連れ回してみたって……」

 彼と初めて逢ったときの強引さを思い出し、フェイトはさんざん振り回されたであろうアリシアに少し同情してしまった。
 そうするうちに動揺が収まったのを見て、攸夜は話を再開する。

「普通の、ちいさな女の子だったよ。お菓子とかぬいぐるみとか、そういうことにいちいち一喜一憂して――暗黒に、まだ心が飲まれていないんだ。……今なら、救い出せる」
「救う……?」
「ああ」

 糸を張ったような、凛とした瞳――力強い眼差しがフェイトを見つめる。
 その不思議な色合いの蒼は引き込まれるように深く、沈みゆく夕日が映り込んで反射する様はまるで星の瞬く宙(そら)のよう。

「俺は、アリシアを救ってやりたい。幼い身空で命を落として、“冥魔”なんぞに利用されてまた命を散らす――、そんな理不尽があの娘の“定め”だって言うなら、そんなクソみたいな運命、俺が破壊してやる」

 左手を強く握り込み、やや俯き加減の険しい表情で、攸夜は厳かに宣言する。どこまでも真っ直ぐな使命感を滲ませて。

「あの娘だけじゃない。この世に溢れる全ての悲劇から、絶望から世界中のヒトを救いたいんだ。
 例え超人的な力があったとしても、独りで出来ることなんて所詮たかが知れてる。世界を変られやしないってこともわかってる。けど、砕けない意志があるなら……その意志を共有する仲間がいるなら、出来ないことはない。――俺はそう、信じたい」

 フェイトは見た。
 蒼い瞳の奥に燃ゆる決意の蒼白い炎を。
 太陽のように燦然と輝く心の光を。

 ――――気高く尊く、幻想の如き理想。
 その出発点は、いつかのフェイトの言葉。それが、彼の中でくすぶる“ヒトの心”と触れて、神として、魔王としての道理と結びつき、今の理念・理想の原動力となっている。致命的な矛盾を抱えた存在に、意義を与えるように。

 叛逆者の血と意志が叫ぶのだ。世界の“理”という巨大で分厚い壁を破壊せよ、この世のありとあらゆる悲劇を根絶せよ、唾棄すべき邪悪がもたらす絶望を駆逐せよ――と。
 覇気と呼ぶべき王者の気風。未だ未完の大器ではあるが、攸夜は正しく“皇帝”の子――人々の羨望と志を集め、意志を束ねる道標となる資質がある。
 その点では、フェイトもまた彼の魔的な魅力に惹かれた一人と言えよう。

「……ごめん、矢面に立つのはフェイトなのに。勝手なことを言った」
「ううん、そんなことないよ」

 フェイトは首を横に振り、穏やかに微笑む。
 彼の想いが痛いほど理解できたから。その夢が、尊いものに思えたから。

(――私の身の上を聞いて、時の庭園にひとりで乗り込んでいったとき、ユーヤはこんな感じだったのかな……)

 フェイトは少しの嫉妬と、大きな共感を覚えた。
 そしてその気持ちを、世界でいちばん大好きな――、恋も、愛も、友情も、家族愛も、全部ひとくくりにして「大切」なひとに伝えたいと思った。

「――私ね、この金色の髪も、紅い眼も、それから“フェイト”って名前も、ぜんぶ嫌いだったんだ。
 あなたは好きって言ってくれるけど。これはおさがりだから、私(・)のものじゃないから、空っぽなものだから――嫌いだったんだ」

 フェイトのやや唐突な独白を、攸夜は黙って聞く。

「アリシアに……“出来損ない”って言われて、場所を奪ったって言われて――母さんを見捨てたって言われて。私は、何のために生まれたんだろう、って考えたんだ。
 考えて、考えて、考えて――、どれだけ考えても答えがでなくて。目を逸らさないのは辛くて、苦しくて、胸がバラバラになりそうで――」

 紛い物の自分が、幸せになってもいいのだろうか――そんな思いが、いつも心の片隅でくすぶっていた。
 プレシアの残した“呪い”は未だ彼女を蝕んでいる。――だが、それが全てではない。

「そのうちに気づいたんだ、だいじなことに」

 キュッ、と胸元の宝石を握り込むいつもの癖。あの別れの日から肌身離さず身につけ、彼女の“希望”を一番近くで見つめてきた、言わば分身のようなもの。
 決して縋っているのではない。運命と向き合う力を、立ち向かって乗り越えるための力を分けてもらっているのだ。

「あなたと出逢って、なのはと友だちになって――」

 フェイトは胸元の宝石を握り込む手の力を緩め、空いた手をその上に重ねて置いた。
 さながら願うように、祈るように、言葉を紡いでいく。

「ユーノやはやて、アリサ、すずか。お母さん、お兄ちゃん、エイミィ――、たくさんのひとに助けてもらって、“絆”を結んで、空っぽだった私に中身ができた。それはすごく、すごく、すてきなことで……奇蹟みたいなことだって、思う」

 “絆”――、いつしかフェイトが心に抱くようになった言葉。
 空虚で歪んだ心の隙間を埋めたたくさん絆が、今の“フェイト”という人格を形作っている。
 プレシアからお仕着せで与えられたものではない、フェイト自身が培った大切なもの。

「だから、もし、もしもだよ? ユーヤの言うとおりなら、私、アリシアのこと、助けたい。みんなが私を助けてくれたみたいに」
「……いいのか?」
「うん。きっとこれは、私にしかできないことだと思うから」

 罵倒も敵意も憎悪も、全て甘んじて受け止めよう。けれどそれが、アリシアを拒絶する理由には、救いの手を差し伸べない理由にはならない。
 底抜けにお人好しで、何も知らない子どものように純真で、どこまでも善良で善人の彼女が。暗闇の底でもがき苦しんでいる女の子を救おうとしないわけがないのだから。
 その過程で、傷つくこともあるだろう。だがフェイトは、決して絶望には屈しない。
 愛情にはいつだって責任が伴う。誰かを大切にすることは、そして家族を持つということはきっとそういうことなのだと、フェイトは悟った。
 透き通る声に、とめどなく溢れる“すき”を込めて。
 万感の思いで言った。

「私は――私(・)はね、ユーヤ。きっと……、きっとあなたを護るために、そのために生まれたんだって。“運命”って言葉、あんまり好きじゃないけど……でも今なら、そう思えるんだ」

 攸夜は圧倒された。
 濃紺の夜空の下、蒼白い月明かりに照らされて佇み、透き通る笑顔で微笑む美しい少女に。ほのかに、けれども確かに輝く“希望”の光に。
 攸夜の光が強さであるなら、フェイトの光は優しさだ。
 天高く座す太陽のように苛烈に輝き、理不尽な闇を打ち砕く黎明の蒼。夜空に浮かぶ月のように静かに煌めき、心に巣くう闇を断ち斬る絢爛の金――二色の光は、重なり合えばこそより光り輝き、世界を照らす。
 光差す、未来へと――

 ふと、攸夜は相好を鷹揚に崩した。
 そんなことを女の子に言われて、腹を括らぬ男がいるものか。男子が廃るというものだ。

「……まるでプロポーズだな、今の言葉」
「えっ、あっ!? そそそ、そういうつもりじゃなくて……その」

 からかいに顔を赤らめ、あたふた取り乱して訂正を試みるフェイト。さっきまでの凛々しい雰囲気が台無しだ。
 けれど攸夜は、フェイトのそんなところが好きだった。等身大の、ひとりの女の子として愛している。一目惚れして、その輝きに魅せられて、一途に想い続け、育んできた恋心は“レプリカ”である攸夜の数少ない確かなものだったから。

「いや、俺たち以心伝心だなって、ちょっと感心しただけだよ」

 攸夜は微苦笑すると、懐から小さな小箱を取り出した。
 ちょうど掌の上に乗るくらいの藍色の箱。スウェードだろうか、一見すると柔らかな毛で覆われている。
「え? えっ?」つぶらな目を白黒差せて、フェイトは困惑を示す。さらっとそれを無視して、攸夜が決定的な言葉を紡いだ。

「結婚しよう、フェイト」

「ふぇ……?」

 理解が及ばないフェイトを置き去りに、攸夜は小箱が開く。
 大粒の金剛石を戴く白金の指輪が、月明かりを受けてきらきらと輝いていた。
 この指輪は兼ねてから密かに準備していて、アリシアと接触した日に受け取ったもの。これもまた、“運命”だろうか。

「この戦いを終わらせて、アリシアを救って……ふたりで、家族を創ろう」

 ――――宝穣 攸夜、一世一代のプロポーズ。

 断られるなどとは微塵も思っていないが、あえて今日この場で告げたのには理由(わけ)がある。全世界の未来を賭けた死闘を前に、フェイトと、そして自分自身に勝利と未来を誓いたかった。
 今のふたりなら、もっと先(・)に進めるはずだと。フェイトの独白と決意を聞くうちにそんな気がして、攸夜は今夜この場で求婚することを決心したのだ。

「ほ、ほんと……?」
「本当だとも」
「わ、私なんかで、ほんとにいいの?」
「何かとは何だ、何かとは。一緒に人生を歩むパートナーは、一生の伴侶には君以外、考えられない。その気持ちは、あの頃からずっと変わってないんだ。
 ……俺に、君の時間をくれ。代わりに俺は、全身全霊を賭けて君を幸せにする」

 左手を、無限の光を象る腕輪をつけた手が差し出された。
 少女は赤らんだ顔で、微笑む青年の顔を見上げる。紅玉の瞳は潤み、想い人だけを映していた。
 その手を取ることに躊躇いは――、ない。

「はい……っ!」

 消え入るような、か細い声。
 頬をうっすらと紅潮させたフェイトがはにかむと、攸夜はそのほっそりとした右手をそっと取り、誓いの証をはめる。もちろん、彼女の薬指に。
 永遠に変わらないものなど、この世には何一つとして存在しない。それはどんなに強く堅く結ばれた絆とて同じこと。

 けれど――――

「誓うよ。俺はいつまでも君の傍で、いつまでも君とこの世界を護り続ける」

「私も、誓う。あなたとずっといっしょに、あなたと世界をずっと護るよ」

 黒き皇子と金の乙女はここに、不朽の愛を誓う。
 二人の影が重なる。
 深々と更けていく冬の夜に、寄せては返す潮騒の音が静かに響く。

 ――――海辺に映える蒼い月明かりは、今夜も変わらず恋人たちを照らしていた。



[8913] 第三十五話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/06/01 21:12
 


 機動六課、ヘリポート。

 警備任務のため、ブラックスターでクラナガン中央へと赴く六課主要メンバー。フェイト、なのは、はやてはもちろん、スバルら四人や、ギンガとその仲間たちの姿もある。皆、例外なくどこか緊張した面もちだ。
 見送るのは攸夜。濃紺の背広姿で、吹き荒ぶ海風に癖の強い鬣(たてがみ)を流して。

「……攸夜君、ほんとにあんな少数で大丈夫なん? やっぱシグナムかヴィータ呼び戻そか?」
「必要ないよ。ヤツらにはヤツらの任務があるんだしな」

 やんわりと提案を拒否する攸夜。その声に含まれた違和感というか妙な安心感を嗅ぎ取り、はやては内心首を傾げる。

「ヴィヴィオのことお願いね、攸夜くん」
「任せろ――と言ってやりたい所だが、断言はできないな」
「……消極的だね、らしくないよ?」
「まぁ、今回ばかりはさすがに、な。――それに、だ」

 自嘲したふうに肩を竦め、稚気の帯びた笑みを浮かべる。

「ヴィヴィオを救うのは、なのは(ママ)の役目だろう? それまでの時間稼ぎくらいは、やってみせるさ」
「攸夜くん……」
「だから、はやく帰って来いよな」
「うんっ」

 日溜まりのような笑顔が咲いて。満足そうに頷いた青年は親友たちとの語らいを終え、恋人と向き合う。
 混じり合う蒼と紅の眼差し――、どちらも強い意志の光を湛えていた。

「フェイト」
「ユーヤ」
「気をつけて」
「あなたも」

 少ない言葉を交わし、見つめ合うバカップルはいつものように“ふたりの世界”を形成する。
 が、今日のは特に近寄りがたく。いつもと違う雰囲気に、なのははなんとなく十年前のクリスマスイブ――“闇”の底から帰還した二人の姿を連想した。
 シリアスだった雰囲気を瞬く間にピンク色に塗り替えられ、頭を抱えたなのはの視界の隅にキラリと光るものが映る。
 ついつい要らぬ好奇心が刺激され、話題を変える意味でも問うてみた。

「ところでさぁ、フェイトちゃん。その指輪って、わたしはじめて見た気がするんだけど、どしたの?」
「あ、これ?」

 左手の薬指の指輪について親友に指摘され、フェイトはひどくご機嫌に、まるで婚約記者会見のような仕草でプラチナのリングを見せつける。

「なんやそれ、エンゲージリングみたいやな。…………え? マジで?」
「えへへ」

 白い頬を薔薇色に染め、はにかむフェイト。
 それが、答えだった。

「「「「「ええええぇぇぇええーーーーっ!?」」」」」

 悲鳴に近い絶叫が響き渡る。
 中には声を上げていないものもいたが、それでも驚愕は隠し切れていない。

「ひゃあっ」
「煩いな……」

 唐突な奇声にびっくりするフェイトと、耳をふさいで顔をしかめる攸夜。

「そんなに驚くようなことか?」
「だよねえ?」

 不思議そうに顔を見合わせる二人。婚約しても、混乱の中心にあってもバカップルは天下無敵にマイペースだ。
 彼らにとって結婚という関係は、いつかたどり着くべき終着点であり出発点――もはや遅いか早いかの違いでしかない。それに以前より周囲から「はやく結婚しろバカップル」、と飽きるくらいに言われていたのだから酷い手の平返しに思えるのだろう。

 復帰したスバルたちがフェイトに群がる。
「おめでとうございます!」「お似合いだと思ってました」「式はいつなんですかっ?」などなど、自分のことのように喜んで口々に婚約を祝福する。エリオとキャロもいろいろ振り切れたようで、素直に祝いの言葉を口にしていた。それでも、わずかに寂しさを滲ませていたけれども。

 一方、ナンバーズの四人に集られる攸夜。お調子者のウェンディが「案外カイショーあったんスね」などと迂闊なことを口走り、制裁を受けていた。
 やはりと言うべきか、ギンガはショックを受けているようだが、攸夜はあえてそれを無視した。下手に慰めの声をかけても闇雲に傷つけるだけなのは目に見えている。好意を持たれていることは攸夜とて理解していたが、さりとて特別扱いするつもりもない。
 自分のような半端モノなどではなく、もっと素敵な男性を見つけてくれればいい――そんな身勝手な感想を抱きつつ、攸夜は適当に少女たちの相手をしていた。

 と、ここでようやく再起動したなのはが叫ぶ。

「うぇええ、ふぇええぇぇぇえーーーっ!? つ、ついになの? ついにきちゃったの!? 年貢を納めちゃったの!? ゴールインしちゃったのーっ!!?
 どどどど、どうしよはやてちゃん!? アリサちゃんとすずかちゃんに連絡しなきゃ!!」
「やかましい」
「ぷぎゅ」

 取り乱して支離滅裂気味のなのはの脳天に、はやてがチョップをかました。しかし、はやてははやてで眼の焦点が合っていない。
 深呼吸してそれなりに冷静になったはやてが、恐る恐る事情を尋ねる。

「――で、なんでそんなことになったんや?」
「うん。昨日の夜ね、この戦いが終わったら結婚しようって、プロポーズされちゃって」
「ちょ、それ特大のフラグやん」
「フラグってのは真っ向から噛み破るもんだ」

 盛大にのろけられ、その上意味不明な持論をぶち上げられてはやては困惑した。
 周囲の年頃の少女たちが、にわかに熱気立つ。まるで映画みたいにロマンチックなシチュエーションが見事にストライクだったらしい。これが作戦前でなければ、フェイトと攸夜は質問責めに合っていただろう。

「い、いやな。なにも今せんでもええんと違う?」
「今だからだよ」

 一転、真剣な声が響く。
 攸夜が道化じみた居住まいを正すと、それだけでふわふわと浮ついた空気が引き締まる。

「決戦の前だからこそ、悔いを残して(・・・)、生きることを諦めないようにしたい――、お前たちにだってあるんじゃないのか。叶えたい希望(ユメ)がさ」

 よく通る声が響き渡る。聞く人の心にダイレクトに届くような、そんな力があった。
 半ば反射的にノーヴェが反発する。「あたしたちにそんなもん、あるって本当に思ってんのかよ」
 それを咎めることなく、攸夜は微苦笑した。

「勿論だ。今、その心にないのなら探せばいい。ヒトってのは、生きている限り“希望”を求める生き物なんだと、俺は思う。……お前たちだって、ヒトだろう?」
「っ、あたしは……」

 困惑を見せたノーヴェは一転、思い悩むような顔をする。少なくとも、攸夜の説教については納得した様子だ。
 また、スバルやギンガも同様に、何かを感じ入っていた。
 それを見た攸夜は、一人一人にしっかりと視線を合わせる。皆の心を覆っていた緊張感は、いつの間にか払拭されていた。
 そして、彼は快活な笑顔を浮かべてみせた。

「――さあ行ってこい、機動六課!!」

「「「「はい!!」」」」

 親鳥の声援を背に、雛鳥たちがちいさな翼を羽撃かせる。
 その先に待ち受けるものは、希望か絶望か――――












  第三十五話 「ミッドチルダが静止する日」












 クラナガン郊外。
 岩山の影に隠れた人工の洞穴の奥に設営された秘密研究所にて。

「ドクター、今一度御再考を!」

 この施設の主、ジェイル・スカリエッティに女性が詰め寄っている。背の高い、どこか中性的な雰囲気の女性だ。
 彼女はトーレ。戦闘機人集団ナンバーズの三番目であり、主にスカリエッティの身辺警護を任務としている。

「既に決定したことよ、トーレ。今更我が儘を言わないで頂戴」
「しかし、ウーノ。私がここを離れたら、誰がドクターを御守りするんだ」
「それも、何度も話し合ったでしょう」

 ナンバーズの長女、ウーノがたしなめるものの、トーレは頑として主張を取り下げない。
 両者の言い争いは、かれこれ二時間ほど続いている。

「ふむ、確かにトーレの言う通りかもしれないね」
「ドクター!?」
「例えば――」

 後ろから撃たれて非難の声を上げたウーノを放置して、スカリエッティは弁舌を振るう。

「混乱に乗じて、ゼスト・グランガイツ辺りが襲撃を仕掛けてきてもおかしくはない。あれだけの事をしておいて恨まれていないと思えるほど、私は恥知らずではないよ」

 事も無げに言い放つ。
 例に出したゼストにしてみれば、恨み骨髄と言ったところだろう。あるいは旧友たるレジアスの元に向かうやもしれないが。
 とはいえトーレとて、ハード面・ソフト面ともに最新技術でアップデートを受けているものの、“闇の落とし子”と化した彼の騎士には到底届かない。
 また、最初期・非戦闘型で、武力は常人並のウーノなどでは荷が重いと思われた。

「ですからドクター、命令を撤回してください」
「しかしだね、トーレ。君は大事な事を忘れてはいないかい?」

 トーレの背後にあるソレ(・・)に視線を向けつつ、スカリエッティは核心に至る事実を投げかける。

「私は君に、“妹たち”の移送を任せたと記憶しているのだがね」
「っ!」

 図星を突く指摘にトーレが言葉を失った。
 意地の悪い笑みを浮かべたスカリエッティの視線の先には、溶液を内部に満たしたシリンダーが三つ。それぞれ「VII」「VIII」「XII」のナンバリングが施されていた。
 彼女らは、ここ最近のスカリエッティの研究の集大成――ナンバーズ後期シリーズにして、ファー・ジ・アースの魔法科学を応用して産み出された“人造人間(ホムンクルス)”である。
 現在、最終調整を残してほぼ完成を見ているが、実戦投入にはいささか速すぎるため、トーレは彼女らを安全な場所への移送任務を命じられていた。

「君が移送を監督してくれなければ、私は彼女らを安心して送り出せないのだがね。……まさか“妹”を見捨てるとは、言わないだろうね?」
「……っ」
「ふむ。では予定通り、宜しく頼むよ。せっかくあと一息で完成する作品が台無しになるのは心苦しいからね」

 完全に反論を封じられ、トーレが沈黙する。満足そうに頷いたスカリエッティは、それっきり興味を無くしたように彼女から視線を外し、研究に没頭する。ウーノが目に見えて落ち込んだトーレを慰めていた。
 ――しかし、自分も一緒に退避するという選択肢が最初から考慮されていない辺り、スカリエッティのマッドサイエンティストぶりも大概である。



 □■□■□■




「中将、お時間です」
「……そうか」

 地上本部ビル。
 自身の執務室でスピーチの原稿に目を通していたレジアスは、オーリスの声に顔を上げた。
 粛々と支度を済ませる中、レジアスは鉄面皮な娘に目を向ける。
 誰に似たのか、堅物な気性の彼女。もういい歳なのだし、父親としては相手を見つけて身を固めてほしいものだ、とつらつら考える。

「……何か」
「いや」

 冷たい視線を誤魔化すように、レジアスは部屋から退出した。
 オーリスと、ナンバーズの二名を引き連れてエレベーターで下の階へ。ドゥーエはともかく、クアットロもすっかり秘書業務が板に付いてきたようだ。

 地下の駐車場で待ちかまえていた自動車型“箒”リムジンブルームに乗り、公開意見陳述会が行われる会場へと向かう。
 窓ガラスの外、流れていくクラナガンの景色は静けさに包まれている。まるで誰も彼もが“災厄”が過ぎ去るのを待ち、息を潜めているかのようだ。
 過去の偉人たちが血と汗を流して築き上げたこの都市(クラナガン)が戦場になる――そう思うと、レジアスは憂鬱な気分になった。
 しかし、敵方の首領がついに姿を現した今、もはや“冥魔”との決戦しか次元宇宙に住まう人類に道はない。
 あの最高評議会でさえ、セフィロトを用い、次元宇宙全体の最終防衛ラインの守護として不退転の覚悟で挑んでいる。
 どうやら彼らも、シャイマールに影響を受けているらしい。
 セフィロトに居を移したのも彼の思想に共鳴し、不滅の身で未来永劫、永遠に平和維持活動を続けるための準備でもあった。
 これについて評議会は「我々の贖罪だ」と漏らしていたが、ならば果たしてレジアスの贖罪とは――

「――――やはり私の元に来るか、友よ……」

 自身を恨んでいるであろう旧友の背中に思いを馳せ、レジアスは誰とも無く、独白した。



[8913] 第三十五話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/06/15 21:12
 


 南駐屯地A73区画。
 青々と繁った芝生の上に、何本もの巨大な鉄骨が突き立つ異様な光景が広がっている。

『主上、機動六課職員およびミッドチルダ在住の関係者の収容を完了しました。これよりセフィロトへ移送を開始します』
「よろしい。希望者にはミッドチルダ宇宙からの脱出も視野に入れて進めてくれ。くれぐれもスマートに、な」
『御意に』

 先の鋭く尖った鉄骨を肩に担いで運ぶ攸夜は、空いた手で0ーPhonを操作して部下からの連絡を受けていた。
 背広は近くのベンチに、腕まくりした白いワイシャツの胸ポケットには、トレードマークの蒼いネクタイが突っ込まれている。

 月乃は今回、管理局関連施設で働く非戦闘員の避難誘導の任についていた。
 また、シャマル、ザフィーラはそれぞれ医療施設と民間施設で、同様の任務に人手を率いて当たることになっており、現在は未だ準備段階にあるが、事が始まればすぐさま民間人を安全な場所まで輸送を開始するだろう。

『……』
「うん? まだ何かあるか?」
『……いえ』
「意見があるならはっきりと言え。部下の諫言も聞き入れない能無しか、俺は?」
『そのようなことはありません! 主上は素晴らしい方です! 私(わたくし)に新たな命と役割を与えて下さりました!』
「なら言え。聞いてやる」
『は、はい……』

 誘導尋問にもならない話術にかかり、月乃は渋々といったふうに述懐した。

『その……これまでの策、いささか消極的ではないかと。それに、ヒトごときのためにここまで主上がお心を砕く必要があるのか、と常々疑問に思っておりました』

 差し出がましいことを、と結尾が切られる。
 ふう、と息を吐き、攸夜は担いだ鉄骨を適当に地面へと突き立てた。
 この部下は優秀で、よく――ある意味、信奉レベルで――仕えてくれるのだが、如何せん魔王としての意識が抜け切れておらず、無意味に高慢な部分がある。攸夜の主義とあまり噛み合っていないのが玉に瑕だった。

「お前の言いたいこともわかるがな、世界全体を巻き込む大戦はもはや不可避だ。その戦渦に巻き込まれ、命を落とすものもいるだろう。
 力あるもの、高貴なるものには弱者を護る責任がある――、徒に臣民を犠牲にするのは暗愚のすることさ。お前には、何度も言い聞かせているな?」
『はい……』

 電話口の向こうから、うなだれる気配が伝わる。
 ちょっと虐めすぎたか。ばつが悪くなった攸夜は、少しフォローしてやろうかと思い立つ。お気に入りにはついつい甘くしてしまうのが彼の悪癖だ。

「ま、後手後手の泥縄だとは自覚しているがな。……市民の避難誘導、頼むぞ。お前の活躍には期待している」
『はい』

 わずかに喜色が返答に含まれて、通話が切れる。
 黄色い犬のチャームがついた愛用の蒼い0ーPhonをパチンと折り畳み、月衣に放り込むと攸夜は深く息を吐いた。

「――さて、と。これくらいやっときゃ十分かな」

 ぱんぱん、と軽く拍手し、コキコキと首の骨を鳴らす。
 よくよく見れば、突き刺さっているのは鉄骨だけではない。近代兵器――特に、ミッドチルダでいうところの質量兵器の数々が地面に、まるで墓標のように所狭しと突き刺さっていたのだ。

「アル」
「アゼルか」

 そんな攸夜に、背後からかけられた声。振り向くと、そこにいたのは青と白のかわいらしい衣装に身を包んだ灰髪青眼、白皙の肌の美少女――アゼル・イブリスである。

「うん。スゴいね、コレ(・・)」
「ああ、コレな。連中も相当な物量をぶつけてくるだろうし、得物はあればあるに越したことはないよ」

 キョロキョロと鋼鉄の森を興味深そうにするアゼルに合わせ、もう一度辺りを見渡す攸夜。肉眼では確認できないが、この駐屯地周辺には魔術的なトラップが二重三重と仕掛けられている。
 無論、これら全ては襲撃をかけて来るであろう“冥魔”を殲滅するため。攸夜自身、このような付け焼き刃で凌ぎきれるとは思っていないが、「念には念を入れて」とか「効果があればめっけもの」とか、そんな考えで準備した。
 現し身を使えるなら話は簡単なのだが、“冥魔王”級と戦うと仮定するとやはり本体の戦力低下は厳しく、すでにごく一部の例外を除いて全て回収している。頼りは自分自身と仲間、部下たちだけだ。
 何事にも過剰なほど準備する彼の流儀を、はやてあたりなどは「過保護」と表現するが、全くその通りである。

「それはそれとして、アゼル、準備は万全か?」
「うん。わたしは大丈夫、いつでもいけるよ」

 ぐっと拳を固め、何時になく語気を強めて答えるアゼル。彼女は“冥刻王”メイオルティスに、いつぞやの一件で弄ばれた借りを返すと意気込んでいた。
 また、極めて数少ない「友だち」である“アル”の手伝いをしたい、という気持ちもなくはない。ベルほどではないにしろ、有り余るスタミナで吸収能力を耐え抜き、何くれとなく気にかけ、時折土産話をしてくれ――しまいには自由に歩ける“環境”を用意してくれた。これで、友情を感じるなと言う方が無理というものだ。
 なお、ルーも理屈の上では耐え抜ける――そもそも吸収能力は彼女の管轄する能力だ――が、こちらはアゼル自身がルーを苦手としているので友誼を結ぶのは難しいだろう。

 今回彼女は、六課本館――正確に言うならヴィヴィオの護衛を担当することになっている。
 本館に避難したヴィヴィオを建物ごと月匣で包み込み、内部でルーラーとして維持し、隔離と防御を行う。仮にも魔王たるアゼルが全力で防御に入った月匣に力づくで進入出来るのは、“冥刻王”や“この世全ての悪”くらいのものだろう。
 そして、それら高位の“冥魔”が来襲した際には、攸夜とパール・クールが対処する手筈になっていた。

 ――――つまるところ、ヴィヴィオは厄介な敵を引きつける“囮”というわけだ。

 この処置を聞いたとき、フェイトとなのはは烈火の如く反対したが、「“冥魔”に狙われていることは明白」「このまま放置していると無意味な犠牲が増える」「どうせ来るなら、待ちかまえて罠を用意したずっと方がいい」などなど、懇切丁寧に説得されて渋々納得した経緯がある。
 実際、攸夜は先程から最大級に不吉な予感をビシビシと覚えており、職員の避難――私物なども念のため引き上げさせた――は正解だったと感じていた。

「ところで、パールはどうした? 一緒じゃなかったのか?」
「パール? パールなら、むこうでネコさんたちと交渉してたよ」

 猫? 訝しげに眉を顰める攸夜。交渉というのも、よく意味がわからない。

「ここがもうすぐ戦場になるから、みんなに避難するように説得するんだって」
「あー、そういやアイツ敷地で野良猫飼ってたっけか」

 攸夜は言いながら、あの暴君の代名詞たる巫女服魔王(パール)らしからぬ慈愛っぷりを思い返した。
 どうもパールは神格として猫との縁が深いらしく、よく懐かれるし、本人もえらく可愛がっている。ベルで例えるなら、ハトやカラスなどの鳥類を従えやすいのと同じ理屈だ。
 ちなみに攸夜は、蛇などの爬虫類および竜種全般に強い影響力を持つ。

「パールのヤツ、猫には妙に面倒見いいんだよな。……気まぐれで消された部下が浮かばれん」
「そうだね。でも、ベルはもっともーっと、やさしいよ?」
「お前ね……」

 ベル至上主義のブレないアゼルに、嘆息せざるを得ない攸夜だった。




 □■□■□■




 ミッドチルダ中央地区。
 中央監理局、地上本部ビル前。

 夜間警備を担当していた部隊と入れ替わりに、フェイトたち機動六課は現地入りした。

「みんな、ここがふんばりどころだよ。しっかりねっ」

「「「「はい!!」」」」

「よしっ、いい返事だね」

 なのはがスバル、ティアナ、エリオ、キャロの四人に渇を入れている。
 ここは本来、チームの隊長(フェイト)が声をかけるべきなのだろうが、彼女は生憎こういうことが苦手なので副隊長(なのは)に委ねた次第だ。

 金色の装飾品と紅の首飾りがそれぞれ、ティアナとスバルの手の内にある。それらはもちろん、フェイトとなのはのデバイスである。
 本部ビル内の会場は、デバイス等の武器の持ち込みが禁止されている。また今回はそれなりに強力なAMFが展開されており、とりあえず尋常な相手なら容易く制圧出来るだろう。
 こんな時にまで律儀に慣例を守らなくても、となのはがもらしていたがお役所仕事とは得てして融通が利かないもの。フェイトは執務官の経験から、そう判断している。

「リイン、このコらのお目付役頼むな」
「はい。主も、お気をつけて」
「うん」

 リインフォースはいつもの無表情な顔で答える。もっともはやてには、優しく微笑むように見えていたが。
 夜天の魔導書の管制人格である彼女もまた、会場に入ることは許されていない。
 激しく濃密な経験を得て、今では一人前と言えるほど成長したスバルたち四人だが、まだまだ危なっかしいところも多々見受けられる。その点、リインフォースは、その戦闘力で彼女らを導いてくれることだろう。
 ある程度スタンドアローンで活動可能で超一流の魔導師に迫る実力を持つ点は、バルディッシュやレイジングハートには持ち得ない彼女だけの強みだった。

「それじゃあ行こう、なのは、はやて」
「わあ。フェイトちゃん、なんだかやけに気合い入ってるね」
「せやな。なんや妙なオーラが見える気がするわ」
「絶対に、負けられないから」

 スタールビーの瞳に宿る強い意志の光。このほど不安定だったフェイトの情緒はここにきて、かつてないほどの安定を見せていた。
 もともと彼女は、メンタルコンディションが良くも悪くも実力に影響を与えるタイプ。今までも、強い感情の震え(・・)を爆発的な“力”に変えて、遥かに各上の相手――主に攸夜――を制してきた。
 そして、現在の安定の原因は疑うべくもなく恋人との婚約であろう。
 単に浮かれているだけかもしれないが、少なくともフェイトは少女から大人へと、精神的な階梯を登り始めている。――もっとも、その先に進めるかどうかは彼女の心がけ次第だろうが。

(……フェイトちゃん、なんだかカッコいい……)

 そんな親友の姿を見て、なのはは思う。
 自分も彼と――ユーノともっと深く繋がることができたなら、彼女のような何ものにも負けない毅さを得られるのだろうか、と。
 今はまだ気恥ずかしさが先に出るが、いつかそういう関係になることも意識している。意識せざるを得ない、というべきだろうか。
 ――偶然の出会いから端を発したちいさな想いは、罪科(つみとが)でもって花開いて、そして自分を母(ママ)と呼ぶ少女と接しているうちに、だんだんと強くなっていった。

(……ユーノ、くん…………)

 なんとなく彼の名を呼べば、じわりと弱気が顔を出す。けれど、その弱さすらも心地いい。
 なのはは、ほのかに熱を持つ胸の中心を両手で押さえた。

 ヒトとヒトの繋がりは――、“絆”の種類(かたち)はたくさんある。
 それは友情であったり、愛情でったり、損得であったり、無償であったり。双方向だったり、一方通行だったり、あるいは無関心すらもある意味では繋がりなのかもしれない。
 だから、ユーノと添い遂げることが最上で絶対だとはなのはも思わない。けれどもあふれる想いは静かに募り、焦がれる恋心は密やかな熱を持って膨らんでいく。
 ――きっともう、この気持ちを見て見ぬふりをすることも、解き明かさずに留め置くこともできないだろう。
 熱を持った胸の奥――心から生まれる限りのない“力”に比べれば、今まで頼りにしてきた魔法の力など何と弱々しいことか。
 所詮、独りで出来ることなどたかが知れている。故にヒトは“絆”を繋ぎ、力を合わせるのだと、なのはは心で感じ、理解することができた。

 今なら、どんな恐ろしいことにだって立ち向かえる――そんな“勇気”が、心の深いところから止めどなく湧いてくるようで。

「――行こう、フェイトちゃん、はやてちゃん」

 力強く頷く友とともに、高町なのはは決戦の舞台へと足を踏み入れた。



[8913] 第三十五話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/06/29 21:11
 


 クラナガン中央区。
 近未来的な街並みが一望できる高層建築物の屋上に、彼女はいた。

「……嫌な空気、反吐が出る」

 肌をざわめかすいい知れない不快な雰囲気を吐き捨てる。
 緩やかに波立つシルバーブロンド、濃い紫のセーラー服、月と太陽の絵柄が描かれたポンチョ――その全てを強風になびかせ、魔性の美少女が憂鬱そうに愛らしい美貌を歪めた。
 少女の名はベール・ゼファー、裏界に名だたる大公にして傲慢なる天空の女王。本人は孤高を気取っているが、最近はなんだか面倒見がいいとか一般ピープルから思われちゃったりしているお茶目さんである。

「――む。なんかヒジョーにムカつくこと言われてる気がするわ。パール(アホの子)かメイオ(ヤンデレ)が噂でもしてんのかしら?」

 怪電波を受信して額に青筋を刻みつつ、足を組んだいつものポーズでベルは眼下に広がる街並みを眺める。
 そこには、確かな違和感があった。

「……静か、ね」

 彼女のもらした言葉通り、活気に溢れているはずの街は不気味なほど静まり返っている。平日の昼前にもかかわらず、だ。

「ゴミゴミしたのも鬱陶しいけど、こうも静かすぎるのも不気味だわ」

 ため息混じりに呟いて、ベルは組んだ脚を組み替えた。
 あるいは、何も知らないはずの市民たちも感じ取っているのかもしれない。――この都市に満ちた粘ついた気配を。

「……ふむ」

 ベルが徐に月衣からコンパクト――“遠見の鏡”という立派な魔法具である――を取り出し、開いた。
 小さな鏡には、機動六課隊舎の屋上にいるアゼルの姿が映っている。準備運動のつもりであろうか、突撃槍を手に何やら屈伸らしきことをしている。
 薄曇りの空の下でもなお儚げな朋友の姿を、ジッ、と見つめ、ベルは眉間に皺を刻む。身も蓋もないことを言うなら、彼女はアゼルが心配でならなかった。

 アゼルは、決して強い魔王ではない。
 生まれ持った“プラーナ”吸収能力は確かに強力だが、逆にその生態が災いして戦闘の経験値が圧倒的に足りていないのだ。
 何より彼女はかつての大戦を経験していない比較的若い世代の魔王、とてもメイオルティスに対抗できるとは思えなかった。

「ハァ……、心配してても仕方ない、か」

 憂鬱になりそうな気分を切り替え、ベルはポンチョを翻した。




 □■□■□■




 広大な会議場ホールに響き渡る低く重い声、レジアスの答弁が続いている。
 意見陳述会は今のところ滞りなく予定を消化している。懸念されていた“冥魔”の襲撃は未だ確認されていない。しかし、会場内に漂う異様な緊迫感は刻一刻と増すばかりで。
 そんな中、フェイトはなのはとともに会場警備を粛々と勤めている。はやても同様にVIPの護衛だ。

「……」

 レイジングハートを身につけていないからだろうか、なのはがどこか不安そうに胸元で左手を何度も空握りしている。
 もっとも、フェイトの心境とて大差はない。

 ――拭い去れない不安が、彼女の胸中にはある。
 それは自分ではなく、恋人、フィアンセとなった攸夜についてだ。
 最近の彼は、平静を装っていながらどこかナイーブになっていた。その理由は恐らくこの戦いの黒幕――アンリ・マユ。彼の邪神との対決後、攸夜は酷く思い詰め。あれほど焦燥した恋人の姿を見たのは、十年前の彼の誕生日以来のことであった。
 昨夜と今朝の様子では一見普段の調子を取り戻していたようだったが、攸夜はああ見えて自分のネガティブな感情を一人で処理しようとして最後には自滅してしまうタイプ、フェイトと根っこの部分では同類だ。
 似た者同士であるからこそふたりは惹かれ合ったのだが、だからこそ自分にもしものことがあれば、彼も共倒れしてしまうだろう。
 それはフェイト自身にも言えたことだが、戦闘能力その他の違いから潰れるなら己だという明確な違いがある。
 ――アリシアとの対決をようやく心に決めたというのに、フェイトの嫌な予感は膨れ上がって仕方がなかった。

「――ッ、きた……」

 不意に、フェイトの鋭敏な第六感がささやく。
 と同時に、足下から突き上げるような衝撃が会場を襲った。

「っきゃ!」

 立つのも難しいほどの強い振動。思わず悲鳴を漏らし、なのはが傍らの壁に寄りかかる。

「なに、なんなの……?」

 なのはの戸惑う声。
 ――それは唐突に、やってきた。

『――次元宇宙に住まうヒトの諸君、初めまして。ボクはアンリ・マユ、この世界の“冥魔”の総領にしてキミたちヒトが有史以来、育ててきた“この世全ての悪”そのものだ』

 高圧的な印象を与えるボーイソプラノ。そこに含まれた邪気は、聞くものの背筋を凍らせる。
 フェイトやなのはだけでなく、この会場内の――あるいは、全管理次元宇宙のあらゆる人種のヒトに暗黒神の声が届いた。

『最初に言っておこう、ボクはキミたちヒトが嫌いだ。――愛だの夢だの希望だのと口では耳障りの善いことを謳いながら、その一方で平然と他者の命を奪い、犯し、弄ぶ。他人を不幸に落として、何ら恥じる素振りも見せない最低の生き物だ。
 そんなヒトに、生きる価値なんてあるのか? いや、ない』

 罪を断じる声。身に覚えはあるが、そこまで言われる謂れはないとフェイトは反発した。
 ヒトのマイナス面を見つめ、それでも光を信じて追い求める攸夜の傍らにいるからこそ、そう感じたのであろう。また彼女自身も、執務官というヒトと社会の闇に向き合う仕事を通して、確固たる価値観を築き上げた経験がある。

『故に、不出来で不完全な存在であるキミたちヒトを、キミたちヒト自身が育てた悪意によって全ての文明を滅ぼし、平らげて――、ありとあらゆる“世界”に、虚無という名の静寂をもたらすことをここに宣言しよう』

 フェイトは漠然と、この演説に虚構の響きを感じ取っていた。アンリ・マユが語る内容には“実”が伴っていない、と。

『まずは前哨戦、デモンストレーションとして管理世界を滅ぼすことにした。せいぜい力の限り足掻くといい、キミたちの絶望がボクの糧になるのだからね』

 プツン、とテレパシーが途切れる。
 と同時に再び大きな振動がビルを襲い、どこか遠くでいくつもの大規模な爆発が起きているのだろう。また、戦闘による魔力の波動も微かながら感じ取ることができた。
 次いで念話式の機械無線から、外の情報が慌ただしく飛び込んでくる。念話妨害がなされているのか、あるいは中継基地が破壊されたのか、ノイズ混じりでひどく断片的な報告だった。
 けれども、切迫した状況は伝わってきた。

 フェイトは弾かれるようにして、傍らのなのはに視線を向ける。やや呆けていたなのはは、強い意思の灯った紅い双眸に見つめられて我に返った。

「行こう、なのは!」
「うんっ!」




 □■□■□■




 南駐屯地A73区画、機動六課敷地。

「…………」

 鈍鉄の墓標の中心で、背広姿の攸夜が腕を組み、瞼を伏せて“その時”を静かに待っている。
 ジッとまんじりともせず黙することで、大気や大地に流れる魔力素(マナ)を取り込み、かつ自身の内裡に備わるある種の生体魔力炉を稼働させ、自らの精神と肉体をベストコンディションへと導いているのだ。
 だが、それでも。どれだけ準備を重ねても、消せない不安がある。

 ――――果たして自分に、アンリ・マユの“遺産”、無限闇(トホー・ボフ・チャザック)を破ることが、出来るのだろうか。

 攸夜は、身を持って理解した。
 あれこそは七徳と七罪、その両者とも相容れない完全なる虚数に属するもの。“この世全ての悪”などと名乗ってはいるがその実、善悪や正負、聖邪光闇などといった普遍的な概念を超越した場所に立っている極めてネガティヴな存在だ。
 まさしく闇黒面(ダークサイド)、反存在(アンチテーゼ)――攸夜の立ち位置が今よりも悪に寄っていたなら、あるいは逆に善を説く存在であったかもしれない。無論、所詮はifでしかないが。

 どうしても後手後手に回り、泥縄の対応しか打てない現状、攸夜本来の戦術よりも戦略を重視し「勝てる状態にして勝つ」という戦いがまったく出来ていない
 故に、心の片隅に湧く弱気の虫を押し殺せない。勝つ、と自信を持って断言することができなかった。
 ヒト並みの脆弱な心を飄然とした仮面と魔王の矜持で覆い隠して、彼は辛うじて立っていられる。――その歪みこそが彼の長所であり、欠点であろう。

「ねーねー、アルぅ」

 思考の海に沈む彼の傍らに、特徴的な改造巫女服の少女――パール・クールが降り立った。

「……んっ、なんだ?」
「あのさぁ、ヤツらがきたら、あたしの好きなように暴れていいんだよね?」
「まぁ、そうだな」
「ふふーん、そっかぁ……」

 曖昧な相づちを返し、攸夜は金髪ツインテールの暴君。返答に気をよくして、黒目がちな瞳をギラギラと輝かせる。
 今回の戦いに、気まぐれが服を着て歩いているようなパールが妙に乗り気なことが攸夜には逆に不安に思えた。
 何か彼女なりの理由があるのだろうが、これと言った思い当たるものはない。あるいは、単に特大の闘争を愉しみたいとか、そういう仕様もない理由なら逆に安心できるのだが。

 そんなふうにつらつらと益体もない考察していた攸夜の感覚器官が、不浄なるものの気配を捉えた。

「「――ッ」」

 ほぼ同時に顔を上げる攸夜とパール。
 裏界魔王たる鋭敏な感性が、二人に世界の異変を告げている。

 大地が。

 海原が。

 天空が。

 そして宇宙そのものが、恐怖に震え、鳴動している。

「ふん。御大層な演説をぶちあげやがって……」

 苦虫を噛み潰したような顔で言い捨てる攸夜。二人にも、アンリ・マユの“声”は届いている。
 だが、そのような些末事に意識を割く彼らではない。

「――来たか」

 攸夜の視線の先、曇天と濁った海の水平線を埋め尽くす黒い影――破滅と混沌を遍く撒き散らす“冥魔”の軍勢だ。
 アンリ・マユのオリジナルだろうか、見たこともない西洋竜を思わせる頭部に、蝙蝠のような皮膜の翼を持つ黒い中型“冥魔”の姿が多い。また、水中にも背徳的で冒涜的な悍しい姿をした怪物が蠢き、軍団を形成している。

 ニィ――、パールの可憐な唇が、壮絶な愉悦で歪んだ。
 血で血を洗う凄惨な闘争の気配を嗅ぎ取って、魔王の本能が逸っていた。

「……フォトンチェンジ」

 闘志を黒き稲妻に変えて漲らせる朋友の傍らで、攸夜は静かに言霊を紡ぎ、巻き起こった蒼白い旋風が彼を包む。
 清涼なる光の風が晴れ、姿を現したのは、魔力によって編み上げられたミッドナイトブルーのスーツコートを身に纏う蒼眼の魔王。首もとの蒼いネクタイを締め直すおなじみの仕草で、意識を戦闘モードに切り替えた攸夜は、全天を覆い始めた黒い塊を睨め付けた。

「内心、“魔王女”の予知が外れることを願っていたんだが――」
「んなの、起きるわけないじゃん。あの子の力が外れるなんて、あり得ないってば」
「だよなぁ」

 パールのもっともな指摘を従容に応じつつ、攸夜は莫大な魔力を解き放ち、徐に左手を眼前で横に薙いだ。
 瞬く間に燐光が弾け、無数に描かれる蒼白い七芒星の魔法陣。
 総勢666。いわゆる“獣の数字”と呼ばれる、彼とは馴染みの深い数の魔法陣(ほうだい)に莫大なエネルギーが充填されていき、ついには臨界に到達した。
 蒼銀の烈光が瞬く。
 強く、激しく発光した魔法陣から光の束が放たれて、それらは箒の穂のように膨れ上がる。幾条にも分かたれた光線が“冥魔”を次々に貫いた。
 悍ましい断末魔の声を上げ、滅んでいく怪竜は数千、いや数万に及ぶ。しかし、鈍天を覆い尽くす魔物の群れは、僅かも減少したようには見えなかった。

「結局、こうなる運命か……。上等だッ、来るなら来い! 全て破壊してやる!!」

 生臭い海風に、闇色に光る鬣(たてがみ)をなびかせ、“七徳”の光を継ぐ者が今出陣する。
 全人類――否、ありとあらゆる生命に訪れた絶望的な“運命”を覆さんと。

 ――――ここに、次元宇宙の行く末を決する“魔法大戦”の火蓋が、切って落とされた。



[8913] 第三十六話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/07/13 21:18
 


 新暦75年、11月。
 第一世界ミッドチルダ本星を、大いなる“闇”が覆った。

 大地や建造物を裂き割って幾本もの紅い角のような柱が姿を現し、また地面の裂け目からどす黒い瘴気が大気を汚染し、惑星を覆い尽くしていく。
 混乱により、正常な管制を敷けない状態に陥ったミッドチルダ行政府は非常事態宣言を発令、直ちに駐在の時空監理局全部隊に出動を依頼する。同時に、ベルカ自治区を実質的に治める聖王教会もまた、協定に従って保有する戦力全てに動員をかけた。
 また、同宙域に駐留中の次元航行艦隊総旗艦セフィロトの指揮を執る最高評議会の手で、第一宇宙は完全封鎖された。
 時を同じくして、各主要管理世界で“冥魔”の大軍勢が蜂起、駐在の管理局武装隊および各国自衛軍はその対応を余儀なくされる。管理外世界でも特に情勢が不安定な惑星でも“冥魔”が現れ、無秩序な破壊を開始していた。

 ――――これが後の世に言う、“魔法大戦”の始まりである。














  第三十六話 「魔法大戦 〜The World at the End of Timo〜」












「やらせるかよ!」「第三中隊、突撃ー!!」「ああっ、ジョニーがやられた!」「救護隊! 救護隊を早く!」「ヤツらをこれ以上近づけるな!」

 中央監理局地上本部前に、怒号と悲鳴が響く。
 アスファルトに走った亀裂から噴き出す漆黒の瘴気より具現し、押し寄せる“冥魔”の軍勢を食い止めんがため、最前線で奮戦する武装隊の中にギンガたちの姿があった。


「はあああああッッ!!」

 インラインスケート型デバイス“ブリッツキャリバー”が唸りを上げ、地面に二筋の傷を刻む。
 また、パープルに染められた左のリボルバーナックルがカートリッジを炸裂させ、取り付けられたドリル状のアタッチメント、モノケロスギムレットが高速回転。巻き込まれた空気と魔力素が渦を生み出す。

「スパイラルシェイバーッ!!」

 魔法を纏い弾丸と化したギンガは“冥魔”の群れに突貫し、醜いミンチに変える。突撃の運動エネルギーと、超高速回転したモノケロスギムレットの相乗効果は絶大である。
 この魔法は、強化アタッチメントの試験を任されてから彼女が独自に編み出したとっておきのひとつだ。拳闘というスタイルからはいささか離れていたが、関係ない。ギンガにこれを勧めてくれた男性(ひと)は憧れで、目標だったから。
 生憎、初恋かどうかも判然としない淡い想いは、理解しきる前に破れてしまったけれど――

「チンク、ディエチは?」
「狙撃位置を確保した後、援護砲撃を開始すると――っ、邪魔だッ!」

 アタッチメントを格納し、カートリッジを取り替えながらギンガが言う。応じるチンクは振り向き様、投げつけたスローイングダガーが炸裂炎上し、手近な“冥魔”を砕く。
 その近くでは、ノーヴェとウェンディが抜群のコンビネーションで“冥魔”を多数相手取り、大立ち回りを繰り広げている。この混乱の中、彼女たちのチームは辛うじてだが連携を保てていた。

『エリアB7-3に新たな一団が出現、急行願います!』
「了解!」

 辛うじて繋がるデータリンクから、司令部よりの指示が舞い込む。ギンガは半ば反射的にそれを受諾した。
 きっとあの人たちならこう振る舞うだろう、と。
 あの大火災の日――スバルがなのはに憧れたように、ギンガもまた彼らのありように。妹のように、悪い影響を受けていないという点は少々趣が違っていたが。

「――よしっ、頑張らなくっちゃ」

 グッ、と両の拳を握り込み、ギンガは気合いを入れた。
 戦争はまだ、始まったばかりである。




 □■□■□■




 中央監理局地上本部ビル、中腹。
 何とか外部と連絡が取れたフェイトたちははやてと合流後、建物からの脱出の先駆けとして廊下をひた走っていた。

 今のところ、行程は順調だ。
 “冥魔”との遭遇やこれといったアクシデントもなく、現在は停止したエレベーターのケーブルを伝って階下へと進んでいる。
 要人たちは、彼女らが切り開いたに従って脱出を試みている。護衛のSPたちは選りすぐりの優秀な戦闘者ばかりであり、レジアスの護衛を務める戦闘機人の二人がついていたことも幸いだった。
 特に、クアットロの先天技能(インヒューレントスキル)である幻術(シルバーカーテン)は要人を守りつつ、“冥魔”を攪乱するのに最適だ。

「なのは、だいじょうぶ?」
「うん、問題ないよ」
「……フェイトちゃん、私には声かけてくれへんの?」
「だってはやてだし」

 包み隠さない親友のあんまりな言いぐさに、子だぬきはピキッと額に青筋を立てた。
 現在の高濃度AMF領域下では、簡単な身体強化魔法ですら難易度が跳ね上がる。それは高ランク魔導師にして大魔力の保有者であるフェイトとなのはや、準魔王級呼ばわりされるほど規格外なはやてとて例外ではない。
 また、この建物には転送魔法に対する妨害措置が施されている。空間の位相をランダムにずらすことで転送魔法の座標演算を困難とさせるこの技術は、次元世界の建築物ではポピュラーな技術だ。
 さらにデバイスの補助がないため、身体強化の術式にマルチタスクのリソースをかなり裂かなければならない。
 この三重苦を背負っている現状、本格的な戦闘行為は出来る限り避けたいところで。「進入が困難」であることが「避難の妨げ」に繋がるとは、皮肉な話である。

 エレベーターの縦穴から出て、しん、と静まり返った長い廊下を慎重に進む三人。
 先頭はフェイト、中堅にはやて、最後尾をなのはが恐る恐るついていく。
 こういった潜入じみた作戦行動では、フェイトとはやての捜査官としての経験がモノを言う。逆説的に、武装隊出身でブランクもあるなのははあまり役に立たない。
 つまり、足元がお留守であり――

「っ、なのはっ!」

 いち早く敵の接近を察知し、フェイトは鋭い警告の声を上げると、懐から二つ折りの携帯端末を取り出す。
 素早い手つきで目つきの悪いペンギンのチャームがついた端末を展開させ、「く」の字の形に変形させて迫る“冥魔”に突き付けた。
 閃光が奔り、甲高い破裂音が廊下に響く。
 アンテナの尖端から放たれた光弾は、闇の騎士の頭部を見事に捉え、粉々に粉砕した。

「っ……!?」

 一拍遅れて背後を振り向き、崩れていく黒い砂に唖然とするなのは。フェイトの方に向き直ると、今の不可解な現象について説明を求める。

「ふぇ、フェイトちゃん……それ、ケータイ、だよね?」
「うん、そうだけど?」

 フェイトは軽い調子で受け答えしつつ手早く端末を畳み、今度はアンテナを引き出す。すると、アンテナを纏うようにして刃渡り40センチほどのエネルギー刃が形成された。
 ぶんっ、と具合を確かめるように一振りするフェイト。手応えが軽すぎたのか、微妙な顔で首をかしげている。
 ARMSーPhon。通信機能はもちろん、レーザーブレード兼レーザーガンとしても使える趣味的な一品だ。
 恋人とお揃いといういかにも健気な理由で持ち歩いていたものだが、こんな時に役立つとはフェイト自身予想だにしていなかった。あるいは、攸夜はそこら辺も折り込み済みで持たせていたのかもしれない。なお、エネルギー光のカラーはイエロー(カスタム済み)である。
「ああ、ヴィータもおんなじもんもらってたなぁ」などとのんきに考えていたはやては、はたと重要なことに気がついた。

「ていうかここ、武器持ち込み禁止とちゃうん?」
「だいじょうぶだよ。いまさらバレないから」
「フェイトちゃんがグレちゃったー!?」

 はやてのたしなめに、しれっと言い放つフェイト。その悪びれない様子に、なのはが悲鳴をあげた。
 とりあえず、三人には今のところふざけ合う程度の余裕もあるようだ。

「それより、はやくスバルたちと合流しよう」
「うん、そうだね」
「せやな」




 □■□■□■




 鉄屑と黒い砂とが散乱する中庭。そのほぼ中心に、巨大な紅い光を放つ半球体状のドーム――月匣が広がっている。
 機動六課本拠地での戦闘は、激化の一途を辿っていた。

「砕け散れッ!」

 怪物の間を蒼い修羅が舞う。
 両手に携えた突撃銃(アサルトライフル)が鉛玉を吐き出し、青色の光を纏う白き“羽根”が縦横無尽に動き回って進行を阻む。
 空を覆い尽くす翼を持った異形の怪竜――ダエーワ。
 海の深淵から這い出る背徳的な大蛸の怪物――ダゴン。
それぞれアンリ・マユが生み出した凶悪な“冥魔”を、彼は単独で駆逐していた。
 敷地に敷かれた魔術トラップが発動して触手を瞬く間に焼き尽くし、あるいは嵐のような弾丸が皮膜の翼を穿つ。――時にはバズーカや機関砲などの重火器を以て破壊を振りまく。

「次ッ!」

 攸夜は弾を打ち尽くした銃を手放し、RPG――いわゆる携帯型ロケットランチャーを地面から引き抜いた。
 砲口から放たれた火を噴いた飛翔体が、破裂音を大気に轟かせて炸裂する。
 結果も確認せず、攸夜は空になった本体を無造作に投げ捨てて手近な鉄骨を手に取った。

「でぇええりぁあああああアアア――――ッッ!!!」

 巨大な鉄の塊を攸夜は豪快に振り回す。地面に突き刺すために加工された尖端は、さながら槍のように鋭い。
 蒼い竜巻が“冥魔”を喰い散らす。破壊神たる彼の前では、例え強大な海魔や怪鳥だろうがひとたまりもない。
 当たるは幸いに敵を粉砕し、最後に鉄骨を投げ槍の如く投げる。込められた魔力が解き放たれ、爆発させた。

「っと……キリがないな。どうやら向こうさんは、俺をここに釘付けにしたいらしいが――」

 見え透いているからとは言え、攸夜にここで戦う以外の選択肢はない。どのみち、彼の少女を奪われれば碌なことにはならないのだから。
 こうしてヴィヴィオを護って暴れていれば、業を煮やした幹部クラスが姿を現すはず。どちらにしろ、“首魁”を討たねばこの戦争は決して終わらないだろう。

 ――ズドンッ、と大気が震えた。

「おうおう、パールの奴も張り切ってんなァ、オイ」

 爆炎の華が咲いた空を見上げ、攸夜は嘯いた。
 その間も、半自立運動するアイン・ソフ・オウルが停止することはない。
 再び、天空にて巨大な爆炎が膨れ上がる。無数の炎弾が絶え間なく飛び交う様はまるで炎熱の弾幕――大小・遅速、いくつものパターンを織り交ぜた魔弾が創り出す極めて美しい光景は、芸術的としか言いようがない。
 黒い稲妻を伴った紅炎(プロミネンス)が、曇天を赫燿と灼く。
 “東方王国の女王”たるパール・クールの闘争心は、留まることを知らない。天を覆い尽くす怪魔の群を次々と滅ぼし、燃え哮った。

「さて、と。こっちも――!?」

 ふと気が緩んだ一瞬、凶兆が瞬いた。
 不意に遙か彼方、攸夜ですら関知できない超々遠距離から、天空を引き裂く光の矢が到来する。
 狙いは上空――、パール・クール。

「パール!」

 紅黒い光条は味方であろう“冥魔”をも巻き込み、文字通り空を割り裂く。
 直撃したのだろう、巫女服の少女が黒煙を引いて攸夜のすぐ脇に墜落した。

「アンニャロっ、やってくれちゃってッッ……!!」

 すぐさまクレーターから飛び出したパールが歯を剥き出しにして、壮絶な笑顔を浮かべる。
 不埒な一撃をかましてくれた乱入者が、彼女の待ちかねていた存在だったからだ。

「パール、行けるか?」
「とぉーぜんッ!」

 闘気を黒い稲光に換え、小さな暴君が剣歯と敵意を剥き出して天を仰ぐ。
 ベルよりもルーよりもずっとずっと気にくわない存在――、パールは自らの手で粉砕しなければ気が済まない目障りなヤツ。
 紅い翼を広げ、ゆっくりと降下する無邪気で邪悪な黒い天使――、この戦争の勝敗を握る役者の一人が万を辞して降臨した。

「あは♪ ザコが群がっちゃって、無様だねぇ」

 黒い衣を纏う可憐な少女が無邪気に言う。
 白銀の髪を爆風に靡かせ、尊大で高慢な表情をして眼下の魔王を見下している。

「来やがったわね、“冥刻王”――」
「――メイオルティス!!」

 ――その残虐な笑みは、血みどろの結末を予感させた。



[8913] 第三十六話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/08/03 21:10
 


 本部ビルから脱出中のフェイトたち三人。
 建物の中腹を過ぎた辺りでスバルたちとの合流を無事に果たし、それぞれのデバイスを受け取っていた。

「なのはさん、レイジングハートお届けにきました!」
「うん。ありがとう、スバル」

 日だまりのような微笑みを浮かべ、紅い宝石のデバイスを受け取るなのは。やや頬を上気させたたスバルの態度は、憧れの人の役に立てた嬉しさから故と思いたい。
 同じくフェイトもエリオからバルディッシュを受け取っており、その脇でははやてが魔導書に姿を変えたリインフォースを手に取っている。
 また、ティアナとキャロは周囲の警戒を怠ってはいない。

「しっかし、予想よりすんなりいってしもたなぁ」
『はい。我々も道中“冥魔”との接触はほとんどありませんでした。例え遭遇しても――』
「愚にもつかんザコばかり、か。……イヤな予感バリバリやわ」

 はやてが難しい顔で眉間に皺を刻み、唸る。
 本格的に合流を妨害されたら、かなりの時間をロスしたはずだ。彼女らは、ここミッドチルダの守りの要である。行動を制限するのは戦略的にも戦術的にも道理に叶っていた。
 “冥王の災厄”以来の“冥魔”の行動には、何かしらの目的意識があったにもかかわらずこの杜撰さ――何かあると邪推してしかるべきだろう。

 ――そしてそれは、唐突に/必然に訪れた。

「……ッ!」
「な、何事や!?」
「きゃあっ」

 前方の外壁が突然の爆発し、粉塵が一同の視界を覆う。
 咄嗟に皆の前に飛び出たスバルが、リボルバーナックルの回転機構を作動させ、噴煙のベールを一気に切り裂く。
 空間の切れ間――そこには、紅い魔力を迸らせた黒衣の少女の姿があった。

 憎しみと絶望に濡れた紅い瞳に、紅いリボンで二つに括った灰白色の長髪。ボロボロの黒い装束に包まれた青白いほど病的な肌は、いっそ悍しい。
 西洋人形(ビスクドール)じみた容貌は美しくどこか儚げで。その面差しはまさしくフェイトの生き写し――、否、フェイトそのもの。

「……アリシア」

「「「「っ!?」」」」

 ぽつりとした呟きに、なのはたちは乱入者の素性を知り、一斉に瞠目した。
 刹那、迸る金色の魔力光。
 まばゆいばかりの稲光を伴った輝きが収まって、黒衣に純白の外套を纏った戦乙女が姿を現す。右手に携えた閃光の戦斧が、三日月の刃を形作った。
 それに呼応するように、足元に吹き溜まった瘴気から紅緋の大鎌(ジブリール)を引き抜く彼女――アリシアは、目の前の“レプリカ”を鼻でせせら笑う。

「へぇ……今日はしゃんとしてるじゃない。また泣きわめくだけかと思ってた」
「そうだね。もうあんな情けないところは見せないよ」

 安い挑発などものともせず、フェイトは至極冷静に答える。それが意外だったのか、不愉快そうにアリシアが表情を歪めた。
 ぴんっ、とピアノ線のように張り詰めた空気――
 下手に動けば均衡を破りかねず、なのはたちはまんじりともできないでいた。

 黄金色と紅緋色の戦鎌をそれぞれ携え、対峙する魔導師と落とし子。まるで鏡写しだ、となのはは固唾を飲んで見守る傍らに、そう思う。
 服装や髪の色などが違うだけで、向かい合うフェイトとアリシアの印象は酷似していて。お互いの利き手の差異が、余計にその印象を深めている。
 無論それは当然のことであるが、初めてアリシアの全容を見たなのはがそう思うのも無理はない。

「……なのはちゃん」

 いつの間にか騎士服(バリアジャケット)を纏っていたらしいはやてが、重たげに口を開く。

「ここはフェイトちゃんに任せて、私らは離れよ。どこもかしこも大混乱やし」
「えっ、はやてちゃん?」
「言いたいことはわかっとる。でもな、私らは私らでやらなあかんことがあんのや」
「で、でも――」
「それに、あのコと向かい合うんはフェイトちゃんには大事なことやって、私にはわかる。せやから邪魔立てはでけへん」

 常にない真剣な面持ちで、はやては言う。
 こう思うのは、あるいは彼女が“闇の書”に沈んだとき、共に見ていたはずのフェイトの夢(・)を垣間見たからとでもいうのだろうか。

「行きましょう、なのはさん」
「エリオ?」
「僕も同じだからわかるんです。もしも“エリオ”が僕の目の前に現れて、戦わなくちゃいけないとしたら……やっぱり自分の手で、決着をつけたい」

 そう、力強く言い切る赤毛の少年騎士は、握り込んだ拳をじっと見つめている。
 かつてはフェイトを過度に心配し、指示より優先しようとしたエリオがいの一番に同意の声を上げたことで、他の三人も追従の意思を示した。

「わかったよ、みんな。――レイジングハート!」
『All right』

 主の覚悟を汲み、デバイスが応じる。薄い紅――桜色の魔力光が弾け、一対の翼が広がる。
 戦装束たる純白と青のバリアジャケットを纏うなのは。紅黒い瘴気を放つ魔女と相対する親友に一度だけ視線を向けて、白の魔導師は飛び立った。

 ――なのはは、機動六課駐屯地……ヴィヴィオのもとへ。

 ――はやては、未だ上層階で立ち往生するの人々を救うため。

 ――スバルたちは、前線で奮闘するギンガらの支援に。

 それぞれの目的地へと離れていく色とりどりの魔力光を横目で見、アリシアは皮肉げに口角を歪める。

「……薄情なおともだちね。いま全員でかかれば、わたしを殺せてたでしょうに」
「かもしれない。――でもそれじゃ、あなたの心は救われない」
「!?」

 アリシアは、混乱したように瞠目した。いつかの“彼”の言葉が脳裏によぎる。
 濁った魂(こころ)を解きほぐす輝かしい太陽(きぼう)の光――だがそれは、今のアリシアにとっての救いではない。

「おまえも……、おまえもあいつとおなじことを言うのかッ!?」
「そうだよ。私も、あなたを救いたいんだ」

 動揺を見て取り、フェイトはあえて構えを解いて無防備に隙を晒した。
 バルディッシュを抱え、まるで祈るように胸元に両手を当てる。瞳は決して逸らさず、真摯な気持ちで。

 悪意と憎悪に立ち向かう勇気をもらった。

 抱えきれないほどたくさんの愛をもらった。

 明るい未来(あした)を夢見る希望をもらった。

 ――――後は、挫けず諦めない意思さえあれば、どんな“運命”だってきっと変えられる。乗り越えられる。

「ユーヤに言われたからじゃない、あなたに同情したからでもない。私自身が、あなたを救いたいと思う。
 私は、みんなが笑い合える未来が見たいんだ……あなたと、いっしょに」

 それはフェイトの偽らざる本心だった。
 “母”の呪いすら飲み干して力に変えられる毅さが、今のフェイトにはある。与えられた希望(おくりもの)に、特別な力なんてないけれど――

「それに、母さんは――プレシアはあなたを愛してた。命を……ううん、ほかの全てを犠牲にしてでもあなたを救いたいって願っていた。だから、私は――」

「ッ、おまえが――」

「アリシア……っ!?」

 全身から紅黒い瘴気と厄災を振り撒き、アリシアが吼える。
「く、きゃあっ」吹きすさぶ魔力の圧力に、フェイトは吹き飛ばされた。
 追い詰められた精神が、理性と言う軛を弾き飛ばす。爆発する感情――、華奢な痩身から汚染された魔力となって解き放たれる。
 その余波で崩壊する渡り廊下から、辛くも離脱したフェイトは見た。爆風の中に、禍々しく輝く紅黒い凶光を。

「おまえが――、出来損ないのおまえが、ママを語るなァアアアアアア!!!」
「……!!」

 ――破壊神に愛された少女と暗黒神に囚われた少女が今、紅く染まった戦禍の空に激突した。




 ■□■□■□




 地上本部ビルを中心とした戦線は現在、膠着状態に陥っていた。
 一時は最終防衛ラインギリギリまで押し込まれた人類側だったが、人型機動“箒”BーK(ブルームナイト)や戦車型“箒”ランドバスターの来援により戦況は好転、橋頭堡と思わしき巨大な円錐状の紅い塔――仮称“戦角”――付近まで一気に押し返した。
 クラナガン各地より駐屯部隊も次々に集結し、市内各地で避難誘導と平行して必死の抗戦を続けている。
 また、飛行する個体に奪われた制空権を取り返すべく首都防空隊を始めとした空戦魔導師や“箒”使いたちが奮戦していた。

「うへーっ、マジしんどいっス……」

 押し返した前線より一時後退し、補給――体力・魔力的な意味で――休憩をしていたギンガたち陸士部隊の面々。ウェンディが壁に背中を預けて座り込んでいる。表情からは色濃い疲労がうかがえた。

 ウェンディは、開戦当初から数少ない航空戦力として八面六臂に活躍を見せていた。
 同じく傍らでうずくまり、体力回復中のディエチもガンナーズブルーム使いで同様だが、彼女はあくまでも狙撃手、狂気的なバケモノとのドッグファイトをしてはいないため、それほど消耗していないようだ。

「隊長、援軍はどうでしょうか? さすがに我々だけでこれ以上の戦闘は危険です」
「あと10分ほどでスバルたちが来てくれるそうよ。それまで持ちこたえましょう」

 朗報を伝え、部下たちを元気づけるギンガ。来援する援軍の実力を知っているチンクの表情は、いくらか明るくなった。

 と、そのとき――

 ズズンッ、と轟音が辺りに響き渡る。
 後方に聳える本部ビルの一角で、紅黒い爆炎が膨れ上がった。

「!?」
「何事だ!」

 ギンガたちだけではなく、本部の防衛に回っていた全ての人員が一瞬、硬直した。
 突如、紅黒の魔力光が溢れる。
 薄暗い辺りを真っ白に照らし出すほど強烈な閃光が輝き、射線上に巻き込まれた航空部隊が大小の火球に変わった。
 そして爆煙の中から、何かがゆっくりと降下する。

 ――それは、ヒトの形をしていた。

「……おや? おもしろいモノがあるじゃないか」

 頭上から降ってくるやや低めのボーイソプラノ。
 怖気がするほど血みどろの瞳、透けるほど白い髪と肌。造形こそ美しいが、人形じみていて恐怖すら覚える。
 ブレザー姿のソレが撒き散らす吐き気を催すほどドス黒く邪悪な魔力――、大気が、漂う魔力素がみるみるうちに侵蝕され、汚染されていく。

「……なっ!?」

 生理的嫌悪を伴う圧倒的なプレッシャー。暴力的なそれにさらされて、ギンガは思わず膝を突いた。
 辺りには、気を失うものすらいる。

 ――勝てない……。

 一瞬で理解した。
 コレ(・・)と比べれば、自分など塵以下の存在であると。
 その気配は例えるなら暗黒の宇宙――光も闇も関係なく際限なく飲み込んで無に帰す、外なる世界の大いなる冒涜的な狂気そのもの。生命を育む母なる宇宙たる無限光と対極に位置するあらゆる命の天敵は、上空に浮かんだまま彼らを見下した。

「――戦闘機人タイプゼロ・ファーストに、“無限の(アンリミテッド・)欲望(デザイア)”製の戦闘機人(ナンバーズ)……、なるほど、キミたちはいい舞台装置になりそうだね」

「「っ!?」」

 見も知らぬ少年に自らの正体を言い当てられ、目に見えて動揺する一同。特にギンガの動揺は甚だしい。
 チンクたちナンバーズはともかく、ギンガの――正確には姉妹の――抱えた秘密を知るものはごく僅か。父、ゲンヤ・ナカジマと定期検診(メンテナンス)の担当官、それにティアナ、はやて、攸夜と一握りの高官のみだ。
 攸夜がその情報を掴んでからは最高評議会主導の元、完全な統制下に置かれているはずだった。

「フフフ」

 舐めるような嫌らしい視線でギンガたちを見、少年が嘯く。

「それぞれにいい“闇”を心に飼っているね。益々もって好都合だ」
「っく、ナメやがって!」
「止めろノーヴェ、迂闊に突っ込むな!」

 チンクの制止を振り切って、いきり立ったノーヴェが飛び出した。両手両足のタービンが唸りを上げる。
 少年はなおも挑発的な笑みを浮かべ、一同を見下ろすだけ。

「隊長!」
「わかってるわ。行くわよ、ディエチ、ウェンディ!」
「……了解」
「ったく、手の掛かるおねーちゃんっスね!」

 馬鹿正直に突撃する赤毛の少女を追いかけ、姉妹が続く。
 鋼の乙女たちは、絶望的な悪意の源に立ち向かう――――



[8913] 第三十六話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/08/10 21:01
 


 クラナガン郊外の岩山に隠された、ジェイル・スカリエッティの秘密ラボ。
 首都より離れたここにも、ミッドチルダに起きている変異が届いていた。

 最深部、大ホール。
 戦況を煌々と写していた無数のモニターは、すでに半数以上がブラックアウトしている。市内の定点カメラが戦闘によって破壊されているためだ。
 辛うじて機能している画面の一つでは、戦車型“箒”ランドバスターが機体下部のブースターを片側だけ噴かせてダイナミックなローリングを決めている。戦車にあるまじき圧倒的かつ柔軟な機動性は、“箒”の“箒”たる所以と言えるだろう。

 コンソールに向かって、施設内の防衛設備をコントロールしていた白衣の女性――ウーノが不意に顔を上げ、振り返る。

「ドクター、対象が来ます」
「ふむ……」

 短い呼び掛けに、黙孝するこの施設の主――ジェイル・スカリエッティはもたれていた椅子からおもむろに立ち上がり、話題の侵入者を出迎えた。

「――やはり君かね。茶の一杯も出せずにすまないが、せいぜいゆっくりして行きたまえ」

 顔に皮肉げな笑みを張り付け、心にもない歓迎の言葉を吐く狂気の科学者。
 傍らに付き従う従者が白衣を脱ぎ捨て、ナンバーズ用の戦闘服を身に纏った肢体を惜しげもなくさらした。

「…………」

 その様子を見上げるのは、ボロボロに草臥れたコートを纏う壮年の男――ゼスト・グランガイツ。施設内に溢れかえってきた警備のドローンを蹴散らして来た益荒男(ますらお)は、武骨な槍を無造作に携えて静かなる鬼気を放つ。
 ――問答無用、ということだろう。

「しかし、概ね私の予測通りで些か味気ないが……まあ、所詮この程度のもの、か」

 あのようなアクシデントなど、早々あるものではないな。スカリエッティは残念そうに、誰ともなく所感を口で転がす。
 長い期間をかけて密かに進めてきた計画を、力づくで覆されたあの驚愕は筆舌にしがたい。当時の彼は完全に驕りたかぶってており、自らを全知全能か何かと履き違えていた。
 もっとも、今冷静に精査すれば杜撰で無意味な計画であったが。

 無為な思考を切り上げ、スカリエッティは両手の紅いクリスタルが光るグローブ型ストレージデバイスを見せ、不敵な笑みを浮かべる。

「――さて、我々もクラナガン防衛に多少なりとも貢献するとしようか」
「申し訳ありませんが、手向かい致します」

 主に追従して事務的に言うウーノが、自身の格納空間からガンナーズブルームタイプの黒い“箒”――ナイトブラックを取り出して腰だめに構えた。
 ほのくらい広間に、戦意がにわかに高まっていく。

「……クイントの仇、討たせて貰う」

 ゼストが静かに告げ、魔力と瘴気を解き放った。




 ■□■□■□




 時空管理局本局ステーション。ミッドチルダの異変の余波を受け、現在蜂の巣をつついたような騒ぎになっている。

「……」

 次元航行艦クラウディア、艦橋。
 最上段に座すこの艦の提督――クロノ・ハラオウンは、ひどく不機嫌な様子で手元のパネルに流れる情報の羅列を眺めていた。
 愛用する青と黒のマグカップには、余分なものが一切入っていないブラックコーヒーが満たしている。

『クロノ!』

 本局ステーションとのホットラインに、無限書庫の司書長の柔和な、しかし焦燥の浮かんだ顔が写った。

「ユーノか。管理職専用回線を私用で使うな」
『それどころじゃないよ!』

 明らかに動揺したユーノが、語気を強めて言い募る。

『ミッドが――、クラナガンが大変なんだ!』
「わかっている」
『わ、わかってるって……』
「全て予定通り(・・・・)、だ」

 忌々しいと言いたげに吐き捨てるクロノ。彼は基本的に、攸夜と最高評議会の「全のための一の犠牲は已む無し」という方針に反発している。
 この戦いは予測された予定調和であり、すでに駐留艦隊にもこれからの作戦が通達されている。どの艦もクラウディアのように、慌ただしく出向の準備を進めていることだろう。

「本艦も直にここを離れ、各管理世界政府の支援に出ることになっている」

 淡々と、事実を連ねるクロノ。主な任務は戦力と物資の輸送だ。
 また、彼には監理局の計画とは別に、本国で戦っているであろう友軍を支援する独自の腹案があったが――

『そっか……。ミッドチルダのみんなが心配だな……』
「フェイトやなのはたちはともかく、攸夜は殺しても死なんと思うがな」
『まあ、確かにそんな感じだけど。ちょっとひどくない?』

 やや表情を緩めたユーノが苦笑した。
 第一印象が悪かったというべきか、未だにクロノと攸夜の仲は険悪である。彼自身大人げないとは常々思っているが、どうも義弟(仮)と顔を突き合わせていると突っかかりたくなるのだ。
 それはもはや条件反射と言ってもいい。
 ちなみに向こうは、単に嫉妬しているだけなのだとクロノは薄々感じている。

 だが、気に食わないのと同時に、かわいい義妹(いもうと)のパートナーに相応しい男であるとも認めていた。
 本人たちの意思や相性はもちろんだが、社会的地位や経済力など、いささか即物的で現実的な面でも二人は充分釣り合っている。少なくとも食うに困らせることはないはずだ。
 結婚して子どもを儲け、家庭という責任を負って、心境に変化があったのだろう。
 ――と、そのとき。

「むッ」
『――っ!』

 ピシリ、と。
 マグカップの縁に、ヒビが入る。

『クロノ、それって――』
「ああ。フェイトと攸夜から、クラウディア竣工記念に贈られたものだ」

 ユーノの指摘に、クロノが重苦しく答えた。
 苦虫を噛み潰した表情。画面のユーノも難しい顔をしている。

「……オカルトなど、信じてはいないが――」

 そう独り言ち、クロノは最愛の妹と反りの合わない義弟、そして旧友たちの無事を誰ともなく祈った。




 □■□■□■




「うおおおおおおおお――――!!!!」「はぁあああああああ――――!!!!」

 紅蓮の炎が燃え上がり、深紅の刃が空間を断つ。“東方王国の女王”と“冥刻王”が曇天の空を舞台に激闘を繰り広げる。
 彼女らが衝突を繰り返す度、巻き起こる狂気的な衝撃波に巻き込まれ、“冥魔”が消し飛ぶ。
 パールが大量の魔法弾による弾幕をバラ撒き、メイオルティスが強烈極まる砲撃を撃ち放つ。
 それぞれ戦闘スタイルはある種対照的だが、ダイナミックかつ暴力的であることは同じだった。

(パールの奴も健闘しているように見える、が……)

 未だメイオルティスが全力を出した様子はない。攸夜はダゴンの群れを聖光(リブレイド)で焼き殺しながら、そう分析する。
 自身との戦いでいくらか弱体化しただろうが、それでもパールとの力の差は歴然だ。

 戦況は思わしくない。
 “冥魔”の大群を捌きながら、メイオルティスと戦闘するのは極めて困難だ。現に今もアゼルの月匣に何体かが群がり、その守りを破ろうと牙を突き立てている。すぐさま攸夜が魔法で粉砕するが、別の“冥魔”が入れ替わるだけのいたちごっこ。無為な努力でしかない。
 予想していた以上の物量に駐屯地まで侵入を許し、用意していた大量の銃火器や鈍器、トラップは疾うに使い切ってしまった。別段魔力をケチっているわけではないが、出来る限り節約したいという考えもある。どうせ、凡百の“冥魔”なぞ、拳一つで事足りるからだ。
 現在は、適度に集まったところで順次大規模魔法により焼き尽くしているため、六課の敷地は完全な焦土と化していた。

「いい加減ウッザいんだよ、キミは!」
「ちぃ――、なめてんじゃないわよ!」

 罵倒の応酬。パールの分厚い炎の弾幕を、メイオルティスの野太い光の砲撃が切り裂く。
 膨れ上がる爆炎の中心を突き破って巫女服の魔王が突貫――、“東方王国の王女”は“冥刻王”との肉弾戦に突入する。
 一撃必殺を込めた拳が虚ろを穿ち、刃が空間を断つ。
 数合の激突。鋭い飛び蹴りを、アルティシモ・レプリカが防いだ。

「「――ッ!」」

 飛び散る衝撃波、両者の距離が大きく開く。

「ったく、いちいち力づくで美しくないね! 弾幕は避けるものだっつーの!」
「あたしの知ったことじゃないよ、そんなの!」
「これだから“冥魔”ってヤツは! いつ如何なるときも強く美しく優雅たれ、が裏界魔王のモットーよ!」

 独特の美的感覚を披露しつつ、パールは黒い稲光を伴う魔力を解き放つ。
 りん、と広がった裏界の魔法陣を蹴り、パールは豪々と燃え盛る煉獄の炎を纏って切り込む。

「やああああっ、燃え散れぇい!!」
「っ、ぐうううっ!」

 黒炎の拳と紅薔薇の大剣が激突する。
 火花散らす黒と紅の視線が、空中で交錯した。

「こっ、のおっ! ――弱いくせに、鬱陶しいんだよっ!」

 業を煮やして激昂したメイオルティスが、大剣を力付くに振るう。パールは斬撃に巻き込まれ、墜落――アゼルの月匣に激突した。
 一瞬、出遅れる攸夜を他所に、追撃の砲撃が紅いドームに突き刺さる。
 パリンッ、とガラスの砕けたような音を響かせて月匣が崩壊していく。露出した隊舎の屋上、灰色の少女が天を仰いでいた。

「アゼル!」
「……大丈夫だよ。わたしもちゃんと、戦える」

 立ち上がりつつ腕輪を引き抜き、突撃槍(ランス)へと変化させたアゼル。また、月衣から大剣型の青い“箒”――アーマードブルームを取り出し、鋭い視線で上空の黒い紅翼の天使を睨みつけた。
 彼女は常にない鬼気を身に纏い、戦闘体勢を取る。元より月匣が破られることは想定の範囲内、故にアゼルは時間稼ぎ役を請け負ったのだ。
 攸夜はその間、密かに念話でヴィヴィオの護衛部隊へ撤退を命じておく。マシンサーヴァントたちでは時間稼ぎにもならないだろうが、打てる手は打っておかねば後悔するのは自分だ。

「もはやここまでか……」

 防衛を放棄し、打って出る覚悟を決めた攸夜はしかし、僅かな違和感に気がついた。

「何ッ……!?」

 ゴポリ――
 足元に、粘ついた闇黒が地面に広がっていた。
 コールタールのような黒い闇が攸夜の足首に纏わりつき、拘束する。
 それは徐々に形を成し、ヒトの手となった。

「貴様ッ――、アンリ・マユ!」
「アハハハハハッ! 足元がお留守だねぇ、シャイマール!」
「ぐあ!?」
「キミが隙を見せるこの時、この瞬間を待っていたんだよッ!」

 どろりとした闇の泥が形取ったのは、白髪のヒトガタ。作り物めいた相貌に狂いに狂った喜悦が浮かぶ。
 咄嗟に突撃させたアイン・ソフ・オウルが泥に突き刺さり、しかし主人と同じように絡め取られて、汚泥に沈む。また、自滅を恐れず発動させたリブレイドもうまく起動せず、不発に終わった。
 次の瞬間、攸夜の体が闇黒の泥に大きく沈み込む。どこまでも終わりのない深淵――、まるで底なし沼のようだ。

「「アルっ!」」

 異口同音の声。パールは驚愕、アゼルは悲鳴とそれぞれに含まれた色は違うが、友の身を案じる意思だけは共通していた。
 動揺を隠せない二柱を、つまらなそうに見やる紅い翼の堕天使。攸夜を呆気なく拘束しみせた協力者に、にぱっと効果音の聞こえてきそうな無邪気な笑みを送る。

「と、いうワケで。あとはあたしの勝手でいいよね、アンリ?」
「ああ、時間稼ぎご苦労だったね、メイオ。お陰様で“欲しかったモノ”は粗方手に入ったよ」
「ホントだよぉ。ザコの相手は飽きちゃった」

 どうやら向こうは向こうで、独自のシナリオを進めていたようで。メイオルティスの余裕っぷりが憎たらしい。
 アンリ・マユはアル・シャイマールの鏡映し――攸夜の戦闘力だけではなく、「戦う前に勝利を確定させる」という戦略思想まで映し取っている。その上で手段を選ぶ必要がないとなれば、最初から勝ち目などなかったのだ。

 この無様、俺の未熟の結果か。胸の辺りまで暗黒に沈んだ攸夜は、不思議と冷静に自己分析していた。
 あるいはらしくない諦観の発露とも言えたが。

「パール、アゼル……悪い。後は、任せる」

 そう、朋友に向けて呟いて――――

 蒼き魔王は、この世界から姿を消した。



[8913] 第三十七話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/08/17 21:09
 


 金と紅の魔力光が漆黒に染まった天を切り裂き、激突を繰り返す。
 瞬く光刃が閃き、轟く魔弾が炸裂する。
 放たれた二条の魔砲が正面からぶつかり、対消滅したその余波が分厚い雲を瞬く間に焼き尽くす。
 まばゆい光の尾を引いて、二人の少女は縺れ合う。
 落下するように高度を落とし、ビルの隙間を超音速で駆け抜ける。撒き散らされたソニックブームが、窓ガラスを粉々に砕いて。
 薄曇りの世界。粉砕されたガラスの欠片が、激突の余波で迸るスパークを反射してキラキラと鈍く光り、大地に降り注ぐ。

 交錯する鏡合わせの少女たちは刃を振るい、お互いがお互いを傷つけ合っていた。

 金色の乙女は光輝く希望を。
 未来を示した願いを。

 深紅の魔女は闇昏い絶望を。
 過去に残した呪いを。

 それぞれに掲げたレーゾン・デートルを賭して、それぞれを救わんと/殺さんと莫大な魔力を解き放つ。
 黄金色に煌めく闘気(プラーナ)が闇を斬り裂き、あるいは朱緋色に澱んだ闘気(プラーナ)が光を飲み込んで――
 その力の量は同一。その力の質は相反。
 互いに物理(せかい)の法則(じょうしき)を超えた神秘をその身に秘め、ヒトには過ぎたるチカラを振るった。

「「ああああああ――――ッッ!!!」」

 力の限り叫びを上げ、二人は大鎌を全力で操る。
 肉眼では影すらも捉えらえることは許さない圧倒的な戦闘速度。音速を超える両者の衝突は、大気が大きく振動させた。
 さながら滲む傷跡を無理矢理に開き、自傷を続けるように、刃と魔法と想いをぶつけ合う。
 拭い去れないパラドックス――、解消できない矛盾を抱えてもがき足掻く。

「消えろ、出来損ないッ!!」

 紅色の少女――アリシアが振るう呪詛の稲妻を迸らせた紅の大剣が、金色の少女――フェイト目掛けて真っ直ぐ降ってくる。
 彼女は、最上段に構えたバルディッシュ・ザンバーの腹を盾に、邪な剣雷をあえて受け止めた。
「ぐぅ……っ」瞬間、腕やなど全身に走る数々の裂傷。“落とし子”の“落とし子”たる由縁――、“冥魔”に由来する邪悪な瘴気が心身を傷付ける。
 が、フェイトはその憎悪を甘んじて受け止めなければならなかった。

 アリシアを救いたい――

 今、フェイトの胸中にある気持ちはそれただひとつだった。
 なのはに、攸夜に救われた自分のように、彼女を絶望の暗闇から救い出したい。
 紛い物の自分にも掴めた輝く未来は――、やさしくて暖かい世界で生きる権利は、誰にでもあることを知ってほしい。勇気を出して、少し手を伸ばせばそこにあるのだと、わかってほしかった。
 だからフェイトは、アリシアの憎しみを受け止める。
 そしてそれを、真っ向から打ち破ろうとしているのだ。

「ぐ、うう――、ああああッ!!」

 斬撃一閃。魔力を込めた力付くでザンバーを振り抜き、フェイトはアリシアを吹き飛ばす。
 さらに流れるような身体操作で剣を操り、切り返して、追撃の光波を放った。
 音速に近い速度で空を裂く魔力の刃を、カースドウェポンが受け止める。
 飛び散る火花。瞬く魔力光。

(――ここでっ!)

 フェイトはこの瞬間、絶好の好機を見出だした。

「まだ!」
「――ッ!?」

 脳裏に恋人の大胆な剣技を浮かべ、彼の太刀筋をトレース。脳内の演算領域に、彼女にとって十八番とも呼べる術式を走らせる。
 ソニックムーブの発動――斬撃魔法が効力を失い切るその刹那、アリシアとの距離を雷速で以て踏み潰した。

 あらゆる距離で欠点のない攸夜との戦いを幾度となく経験し、彼女は自身の未熟に直面した。
 魔王やそれに準じた常識外の存在を打倒するには、今のままでは不足である事実をまざまざと突きつけられたのだ。
 故に、彼女はより一層の努力を重ねた。
 攸夜が幾多の新しい戦型を考案して身に付けたように、フェイトが求めたのは多種多様な剣技と音の壁をも超えるスピードと純粋なパワー。いくつもの魔法を新たに編み出し、いくつもの戦技を会得して――ようやく彼女は、彼と共に轡(くつわ)を並べて戦うに足る力と自信を得たのである。

「おおおッ――」

 攸夜の業を模倣し、自分のものとして昇華したのもその一環である。お互いに支え合い、お互いに高め合うことが、フェイトの思う愛情の形だから――

「――はあああっ!!」

 裂帛の気迫で放たれた雷霆の剣が、一条の閃光となって朱き魔女に降り注ぐ。
 今の彼女は単なるオールラウンダーではない。まさしくジェネラリスト、あらゆる状況に対応する完全なる魔導師である。

「っくぅ……!?」

 真っ向からの縦一文字に堪えかねて、アリシアの口から苦悶がもれる。
 光波と斬撃、そして突進の速力を組み合わせた強烈な強撃。フェイトも模擬戦などで幾度となく苦しめられた攸夜お得意の戦技だ。
「うあっ!」相乗された運動エネルギーの直撃を受け、ついには弾き出されたアリシアは小さな悲鳴をあげてビルの外壁に激突した。
 さらにフェイトは攻撃の手を緩めることなく、フォトンランサーを大量に生み出し、アリシアが落ちたと思わしき場所に叩き込んだ。

(手加減なんて――、してられない!!)

 常に優しく、冷静沈着な彼女らしくない苛烈な攻めは焦りの現れ。
 そしてまた、自らを上回りかねない対戦者の力量に、脅威を感じているからに他ならない。

「……!」

 突如、噴煙や魔法弾を巻き込み、放たれた野太い魔力の柱がフェイトを襲う。
 深紅の光条を間一髪で回避した彼女のすぐ背後に、同じ色の残像を残してアリシアが現れた。

「っ、――しまっ!?」
「――さっきの、お返しィイ!!」

 辛うじて振り返ったものの、アリシアに襟首を掴まれたフェイトは、そのまますぐ側のビルの外壁に背中から強かに叩きつけられた。

「が、はっ……!」

 無理矢理に肺を押し潰され、息を吐く。
 化け物じみた怪力によって、コンクリートよりもずっと頑強なはずのビルの構造体が砕けた。
 ギシギシと、フェイトの耳朶を打つ全身が軋む嫌な音。襟首を強く締め付けられ、脱出はおろか身じろぎもままならない。

「このまま――――、死ィィィねぇぇぇぇええッッ!!」

 歪んだ狂相を浮かべたアリシアは叫び、外壁とガラスを粉砕しながらフェイトを引き摺っていく。外壁を力付くで砕く様は、残虐としか言いようがない。
 拘束され、バリアジャケットでも殺し切れない衝撃とダメージに身を苛まれるフェイトはもがき苦しみ、酸素不足で意識を朦朧とさせながらも、半ば機械的に魔法の術式を構築していた。

(――ここ、だっ!)

 一瞬の刹那を見切り、フェイトは眼前に雷光球を生み出した。
 急速に膨れ上がる雷光球が、作り出した本人すらも傷つけ、爆発四散する。
 ほとんど自爆じみた抵抗。無軌道に撒き散らされる強烈な雷撃と衝撃波を嫌って、アリシアは腕で自らを庇いながら距離を取る。
 すかさずのカートリッジロード。魔力を込めた弾丸が炸裂し、空薬莢が排出された。

「っづぁ――、バルディッシュ!」
『Get.set! Plasma――』
「ジャベリンッ!!」

 喉を張り上げた掛け声と共に、ザンバーの切先を目前に向けて突き出す。
 尖端から雷光の槍と化した魔力が放たれ、体勢を建て直していた魔女を襲う。超雷速を誇るこの魔法を至近距離で放たれ、アリシアは反応できず、光に巻き込まれた。
 砲撃と斬撃、両方の特性を兼ね備えた単純かつ強力な魔法、“プラズマジャベリン”のクリーンヒット。たまらずアリシアは一時離脱して、側の外壁をまるで床のようにして着地する。
 フェイトもまた同様に、壁を頼りにして油断なく立ち上がる。先程のダメージで痛めたのか、右腕をかばっていた。

「はぁ、はぁ、はぁ……」
「げほっ、ごほっ……」

 重力(じょうしき)を捩じ伏せ、壁を足場に立つ二人。
 ぜえ、ぜえ、と息を切らせ、けれども紅い瞳の奥には戦意を絶やさず、向かい合う。
 ギラギラとした瞳を己の現し身に向け、アリシアが叫ぶ。

「っ、は――、く、おまえ、いい加減大人しく死んでろ!」
「それは、できない。あなたを救うまで、私は!」
「そういうキレイぶったのが、うっとうしいのよッ!」

 もはや言い合いにもならない問答を経て。二人はまったく同時に踏み切り、力の限り斬撃を繰り出す。
 真っ向から激突した二色の刃が火花を散らせ、刃鳴りの悲鳴を上げた。

「っく!」
「ちぃ!」

 接触による衝撃で、弾かれる両者。足場のガラスを粉砕しながら、大きく後退する。
 奇しくもこのとき、彼女たちの脳裏に閃いた次の一手は全くの同一だった。

「「ならッ!!」」

 りんっ、と涼やかな音が響き、金と朱の魔法陣が二人の足元に描かれる。術式は――、双方共にミッドチルダ式。
 雷速の集中から、魔法の撃鉄が落ちる。

「サンダァァァァーーッッ!!」
「――レイジィィィィイッッ!!!」

 金色と朱色に光る万雷が、地を這うように奔る。
 轟く雷鳴が静寂(しじま)を切り裂いた。

 穢れなき願い、その身をがんじがらめに縛る運命の鎖――宿命の少女たちが天穹の彼方にぶつかり合う。
 ――――飛び散る血飛沫は、純潔の証か。














  第三十七話 「造花は鮮血色に染まって」














 戦禍と硝煙に煙る空を、白き魔導師が飛翔する。
 桜色の羽を散らし、彼女――高町なのはは持てる限りの全速力で機動六課へ帰還を急いでいた。

「ヴィヴィオ……!」

 崩落したモノレールの残骸を辿って海上を進むなのはの胸中に浮かぶのは、自分を母と慕う幼子。短い間だったが寝食をともにし、まるで本当の親子のように過ごしてきた。
 ただ情に絆されただけなのかもしれない。
 ままごとみたいな関係だったかもしれない。
 ――けれど彼女は、ヴィヴィオは、なのはの護りたかったものの象徴だから。
 今度こそ、間違えたくない。
 傷ついてほしくない。
 護り通したい。
 だから――

「無事でいて! いま、行くから……!!」

 未だ幼さの残る容貌に悲痛な色を滲ませて、なのはは叫ぶ。
 戦乱によるものか、思念通話や電波通信が可能な範囲は徐々に狭まってきており、クラナガンは半ば陸の孤島と化している。彼女の無事を遠隔に確認する手段はすでにない。
 故に、焦燥感は募るばかりで――

「……っく!」

 突き進むなのはの前に、皮膜の翼を広げた巨大な“冥魔”が姿を表し、進路を阻む。
 怪竜は、魔導師を叩き落とさんとその巨大な右腕を振り上げた。

「ジャマ、しないで!」

 勇ましい叫び。巧みな空戦機動でするりと怪竜の鉤爪を潜り抜け、すれ違い様に砲撃魔法(ショートバスター)を叩き込む。
 脇腹から背中にかけて大穴を開け、腸(はらわた)をブチ撒けながら爆散していく怪物には目もくれず、なのはは機動六課を目指して真っ直ぐ一心不乱に急いだ。

 視界の先、海上に浮かぶ埋め立て地で、爆発が大小いくつも膨れ上がっては消えていく。
 おそらく施設防衛を担当する裏界魔王たちと“冥魔”が戦っているのだろう。
 ――しかし、そこで戦っているはずの親友たる蒼い魔王の息吹が感じられず、なのはの不安は増すばかりだった。
 他の者ならともかく、彼の気配を他ならぬなのはがわからないはずがない。いっそ異常と言えるくらい敏感なフェイトほどではないにしろ、なのはにもあの特徴的な気配なら少しは感じとることができる。
 なぜなら、彼は幼馴染みで、かつて共に苦難に立ち向かった大事な友だちだから。

 荒れ狂う海を飛び越え、無数の怪物を葬り、なのはは辿り着いた。
 青紫の双眸に映る光景に、彼女は絶句した。

「そん、な……」

 崩れた建物。
 紅蓮に燃える炎。
 散乱する瓦礫とヒトのなれの果て。

 そして――――

「ママぁ、ママぁぁぁーっ!」

 恐怖に怯えて母に助けを求め、泣きわめく囚われの幼子と、

「――あれれ? もう戻ってきたコがいるんだ。思ったよりはやいね、びっくりだよ〜」

 無邪気な笑みを浮かべる、血色の翼を広げた黒い堕天使の姿であった。



[8913] 第三十七話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/08/31 21:20
 


 崩壊の機動六課。
 紅蓮の猛火が赫々と燃え盛る中、白衣の魔導師と黒衣の堕天使が対峙した。

「ヴィヴィオっ!」
「ママぁぁ、ママぁぁぁーーっ!!」

 薄い紅紫の半透明な結晶体の牢獄に囚われた幼子が、母を求めて泣き叫ぶ。
 眼下には、護衛のマシンサーヴァントのものと思われる残骸が散乱している。しかし、パールとアゼルの姿はどこにも見当たらなかった。

「ふーん。キミが高町なのは? たしかに、あたしの声にそっくりだね」

 不躾な声に、なのはは我に返る。
 灰銀色の髪をシンプルなおさげげに結った髪型。後頭部には黒い羽を組み合わせてできた大きなリボンをしていて、ほっそりとした肢体をいささか露出の激しいボンテージ風の衣装で隠している。背中には、鮮血のように真っ赤な二対の翼が悠然と羽撃いていた。

「あなたは……」

 レイジングハートを握る手により力を入れたなのはは、いつでも引き金を引けるように構えて誰何する。
 金色の杖の尖端を突きつけられた銀髪の少女は、その形のいい小降りな唇の端を吊り上げた。

「うふふ。あたしはメイオルティス――、“冥刻王”メイオルティスだよ。せっかくだから、親しみを込めてメイオって呼ぶことを許してあげるよ」

 一見、無邪気に聞こえる名乗りは、あくまでも大上段から見下ろした傲慢極まりないもの。いつか、ヴィヴィオと出会ったときに感じたプレッシャーの正体を目の当たりにして、なのはは警戒感と焦燥を隠せなかった。
 肌で直に感じる暴力的なオーラは、いつか対峙した“蝿の女王”のそれを上回って余りある。

 今にも砕けてしまいそうな心を勇気で叱咤し、なのはは目の前の少女に送る視線により一層の力を込めた。

「その子を――、ヴィヴィオを捕まえて、いったいどうするつもりなの?」
「どうする? どうするって……どーしよっかなぁ、うふふ」
「っ、ヴィヴィオを返して!」
「返すもなにも、このコは最初からあたしのだよ? キミたちにはちょっと貸してあげてただけ。必要になったから、取り上げただけだもん」
「ヒトを、モノみたいに言わないで!」

 メイオルティスの暴言に反発し、なのはが叫ぶ。

「……くふっ」
「えっ?」
「ふふ、あはははははっ!」

 何がそんなに愉快なのか、メイオルティスは腹を抱えて哄笑を上げた。
 ひとしきり笑った彼女は、目元に浮かぶ涙をぬぐい、口を開く。

「あー、おかしい。……キミさぁ、今まで食べたパンの枚数をいちいち全部覚えてる?」
「……!?」
「そーいうことだよ、くすくす……」

 投げ掛けられた返答が理解できず、混乱して、なのはが目を白黒させる。
 会話がまったく噛み合ってない。悔しさを滲ませ、歯噛みしたなのははここに至って対話での事態解決を諦め、メイオルティスと戦う覚悟を決めた。
 しかし、彼女の胸中に一抹の不安が浮かぶ。
 相手は、あの攸夜を相討ちとはいえ実質的に下した強大無比なる魔王である。ただのヒトでしかない自分が、勝つことができるのだろうか、と。

(でも……!)

 視界に映る、今もなお自分を呼び、泣き叫ぶ小さな女の子の姿。
 あの子を、ヴィヴィオを救いたい、いや、救わなくてはならない――そんな、義務感にも似た激情に突き動かされ、不安と恐怖はいつの間にか感じなくなっていた。

「――ヴィヴィオは、返してもらいます!」
「ふーん、あたしとやる気? くすくす、身の程を知らないんだねぇ、キミ」

 挑発的な物言いにも動じず、キッと凛々しい視線で見返して、なのはは戦意を明らかにした。
「ふむ」かわいらしく小首をかしげたメイオルティスは、まるでのように言う。「仕上げの前の余興には、ちょうどいいかな♪」
 にやり。好戦的な、あるいは嗜虐的な表情を浮かべた無邪気な堕天使は、虚空から槍杖を生み出し、右手に携える。

「じゃあちょっとだけ――、遊んであげるよっ!」

 得物を無造作に一振りし、冥魔王はあくまでも余裕の態度を崩さない。

「行くよ、レイジングハート!!」
『All right! 必ず彼女を助け出しましょう、マスター』
「うんっ!」

 息巻く主の意気に応える金色の杖(デバイス)が桜色の翼を煌めかせ、エクシードモードの白きドレスを紡ぎ出す。

 両者の魔力が、同時に解き放たれた。
 ――――白き不屈のエースが今、圧倒的な絶望の権化に挑む。




 ■□■□■□




 天(ち)に浮かぶは漆黒の太陽、濁った満月。
 地(てん)に広がるは虚ろな街並み、影の如き摩天楼。

 本来、空があるべき場所には黒い汚泥がまるで一面にたゆたい、大小の岩塊が多数、宙に浮かんでいる。
 ここは、すべての正負が転じた逆悪の世界――

「――ッッ、う、ぐ、ヤツは……?」
「ようこそ、シャイマール。我が領域――“魔界(クリフォト)”へ」

 転移酔いで鈍った頭(かぶり)を振り、攸夜は頭上からの声に顔を上げた。
 そこには、汚泥を垂れ流す漆黒の孔(たいよう)を背負う白髪の少年――“この世全ての悪”アンリ・マユ。

「貴様……!」
「ハハッ、いい憎悪だ。もっとボクを憎んでよ、シャイマール! キミの憎悪は最高に心地がいい!!」

 おおむねアンリ・マユの固有能力を把握している攸夜は、宿敵の高笑う姿に小さく舌打ちした。
 敵意や憎悪を向ければ向けるだけ、相手に利するのだからやりづらいことこの上ない。
 どちらかと言えば、激情を力にして戦う彼にとって“この世全ての悪”は、二重の意味で最悪の相手と言えよう。

 いつか見たアンリ・マユの月匣を思わせる冒涜的な光景を横目で見、攸夜は静かに言う。

「クリフォト……、生命の樹の根本に広がるもう一つの世界樹、邪悪の樹。虚のリアリティの世界――」
「そうさ。キミに方舟(セフィロト)があるなら、ボクに魔界(クリフォト)があって然るべきだろう?」
「……嫌な言い様だ」

 攸夜が顔を盛大に顰め、絞り出すように呟く。
 アンリ・マユの物言いは、まるで友人の持ち物を欲しがる幼稚な子どものようで、ますます彼の神経を逆撫でした。

(……っち、冗談抜きでヤバイな、“ここ”は……)

 鋭敏な感覚気管が頻りに訴えていた。
 ここは主八界の奥底に封じ込められた“混沌”に最も近い場所――、あらゆる次元宇宙の底に沈殿した根源的なモノ、その終着点。生命の光に溢れた表の世界とは、どうあっても相容れない暗黒面(ダークサイド)であることを。
 さながらここは全ての光を喰らい尽くす虚無のブラックホール――、かつての神々が堕とされた超深淵(アビスモ)――“冥界”の再現。周囲に満ちるのは“混沌”と同じヒトの手に余るほど強烈な“負の存在”、例えば大気は超重闇(オスクロン)とも呼ばれる極めて比重の重い物質だ。
 この世界を構成するものすべてが、攸夜の――否、生きとしいける万物の敵である。おそらく主八界の古代神たちも、壮絶な“負”に曝されてその魂を変質させたのだろう。

 ここに光はなく――、安らぎも救いもない。
 あるのは虚ろな“負”のみ。
 破壊神シャイマールのレプリカたる攸夜でなければ、瞬く間に濃密なマイナスの要素に汚染され、魂までもを虚無に熔かしていただろう。

「――つまりここは、俺たちが雌雄を決するために誂えた特設会場って訳か」
「そのとおり。ボクとしても、ヒトを闇雲に殺すことは力の衰退に直結するからね。出来うる限り避けたいのさ。キミとてそうだろう?」
「……」

 アル・シャイマールとアンリ・マユ――それぞれに掲げた違いははあれど、ヒトを家畜と見なして活用している点に大差はない。要はベクトルの違いだ。
 アンリ・マユの固有能力と言動から推察するに、ヒトを生きたままし力を抽出することが目的と考えられる。その結果、次元世界が阿鼻叫喚の渦に飲み込まれるのは自明の理である。

 ――そして攸夜は、そんな“悲しみ”を許せない。

「フン。そういうことなら話は早い。お前との妙な因縁、ここらで断ち斬らせてもらおうか」
「まあ、そう焦らないでよ。定石に則って、まずは前菜(オードブル)からさ」

 持って回った軽妙な言い回しで言って。パチンッ、アンリ・マユのハンドスナップが世界に響き渡る。
 ぞわり――、黒い世界がざわめいた。

「……ッ」

 さながら生え出るようにして黒い地平を埋め尽くす“冥魔”の大軍に、攸夜は思わず息を飲む。
 およそこの世に存在するであろうありとあらゆる種類の“冥魔”が、そこに列を成していた。
 前後左右、見渡す限り万象一切全て敵――卓越した知覚力により、自分をぐるりと囲む“敵”の気配に、自然と表情は険しくなる。

 さすがの攸夜も警戒感を隠せない。その様子に喜色ばり、アンリ・マユは高らかに言う。

「最強の一を攻略するには、最弱の大群を当てるのが一番なのさ。ちなみにおかわりは自由だから、存分に楽しんでいってよ」
「……言ってくれる……」

 得意気に勝ち誇る白髪の少年の表情には、自信と慢心に満ち満ちていた。
 “冥王の災厄”以来、攸夜をさんざ苦しめてきた“冥魔”の基本戦術は、大軍勢をぶつけて地道に戦力を削り取るものである。
 目の眩むような物量をほぼ無尽蔵に用意できる、アンリ・マユだからこそ可能な戦術だろう。
 なるほどそれは、彼の言う通り最強の一に対して有効な戦術のひとつと言えた。

 だが――――

「その程度の小細工でこの俺を倒せると思ってるのなら、まったくナメられたもんだな」

 己の月衣から両手で二本のデモニックブルームを引き抜き、攸夜はいささか気を害した様子で傲岸に言い放つ。
 魔王としてのプライドに、そしてフェイトと交わした約束に懸けて――、負けるわけにはいかない。負けてやるものか。

 蒼銀のオーラが攸夜の全身から噴き上がり、“魔界(クリフォト)”の闇を切り裂く。
 総身から放たれた魔力はまるで嵐のように激しく渦巻き、邪気を巻き込んでいく。彼の膨れ上がる闘争心に呼応するかのように、七枚のアイン・ソフ・オウルが激しく明滅を繰り返した。

「ならば――、まずはその思い上がりを破壊する! この無限光でッ!!」

「ハハッ! できるならやってみなよ、シャイマール! どう足掻いても抜け出せない、絶対的な絶望の闇を――味わえ!!」




 ■□■□■□




 なのはよりやや遅れ、中央監理局ビルから脱出したスバルたち四人は、前線で戦っているであろうギンガたちを支援すべく急行していた。

 機動力に劣るティアナを背負い、ウィングロードの上をマッハキャリバーを走らせるスバル。エリオとキャロは竜魂召喚で巨大化したフリードリヒに騎乗している。
 後から後から際限なく湧いて出る“冥魔”を乗り越え、目指すは敵の橋頭堡と目される紅い円錐状の構造体――“戦角”。
 細々とだが通じていた通信網もすでに全滅しており、ミッドチルダに展開した部隊は各々の判断で“冥魔”と戦っている。
 また、つい先程中央監理局ビルの一角から放たれた巨大な魔力砲撃のこともあって、自然、スバルたちの足は早くなる一方だった。

「あの光……なんだかすごく、嫌な感じがしました」
「うん……」

 フリードリヒの手綱を操りながらキャロが言い、神妙な面持ちでスバルが同意を示す。

「……八神部隊長とリインさんがやられちゃったとか?」
「ま、まさかぁ」

 ぽつりとこぼれたキャロの懸念に、スバルがたらりと汗を流して否定する。
 はやては――正確にはリインフォースとユニゾンした彼女は――、六課の誰もが認める最強戦力である。現在の時空監理局に、曲がりなりにも魔王級侵魔と一対一で戦える魔導師は彼女を置いて他にはいない。
 故の“準魔王級”――、そのはやてがもし破れたとなれば、それは絶望的な状況と言えるだろう。

「ウダウダ考えてても仕方ないっ。ウチの部隊長を信じて、アタシたちはアタシたちのできることをしましょう」
「ですね。――あっ、あそこ! 見てください!」

 ティアナの発破に応じるエリオが、何かを発見して声を上げる。
 彼の示した先――、廃墟の路地から覚束ない足取りで艶やかな銀髪を血とオイルで汚した少女の姿があった。
 スバルの表情が驚愕に染まる。

「あれは……チンク!?」



[8913] 第三十七話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/08/31 21:18
 


「チンク!」
「おまえ、たち……?」

 廃墟の壁に身体を預け、ぐったりとしていたチンクが上空から接近するスバルたち四人に気がつくと、顔をあげた。
 その血みどろに汚れた様は、さながら敗残兵。専用防具シェルコートを失っており、ナンバーズ共通のバトルスーツは無惨にも破れて素肌をさらしている。
 銀髪の少女は、僚友の姿に険しかった表情を緩めるが、不意に何かに気がついてハッと瞠目した。

「ッ、お前たち逃げろっ! ここにいたら――」
「――アハハハハハハッ!!」

 どこか焦った様子のチンクの声に被さって響く聞き覚えのある、だが酷く違和感のある哄笑。
 よからぬものの気配を感じ、条件反射的に皆の前に出て防御体勢を取るスバルは、上空から落下してきた彼女(・・)の姿を見て強い動揺を浮かべた。

「え――、ギン、姉……?」

 目の前の陰惨な光景に、スバルは呆然として言葉を失う。
 また、ティアナたちも同様に絶句した。

「キャハハ、あははははッ、みーつけたぁぁっ! ――あら?」

 優しげな風貌を醜く歪めた藍色の髪の彼女――、ギンガは、スバルたちの存在に気がつくと首をかしげた。
 左腕のリボルバーナックルとモノケロスギムレットを覆い尽し、凶悪な姿に変えている気味の悪い無機質。また左半身の所々に同じ物質を生やしており、足元のブリッツキャリバーも同様に左側だけが結晶に取り込まれている。
 半透明な無機質に覆われた左目の奥で、不気味な金色の虹彩が揺らめいていた。

「その、姿……!!」

 ティアナが辛うじて悲鳴を押し込めて、叫ぶ。
 いつかゼストが見せた異形の形態。“闇の落とし子”――そう呼ばれる邪気に汚染されしもの、それに間違いなかった。

「あら? あらあらぁ? うふふ、みんなもいたのね。うふふ」

 普段の面影などない酷く歪んだ笑顔。ギンガの言葉は支離滅裂で、気が狂ったとしか思えない。

「そん、な……うそ、嘘だって言ってよギン姉っ!!」
「スバル!!」

 ふらふらと、夢遊病のような足取りで、スバルは姉に近づく。
 妹を見、ギンガの表情から狂気がすぅ、と消えた。

「……スバル? スバル? ――いや、いやっ! いやああああ、来ないで!! 私を、見ないでええええーーーっ!!!」

 一時的に正気に戻ったのか、ギンガは頭を抱えて悶え苦しみ、近づく妹を激しく拒絶する。
 ――膨大な混沌色の魔力が、瞬く間に膨れ上がって。

(マズッ!)

 ティアナは咄嗟に立ちすくむスバルの腕を掴む。澱んだ魔力の渦を纏った尖角が無慈悲に薙ぎ払われた。
 間一髪、ティアナがスバルを引っ張るのと同時に、汚染された魔力に抉られた地面が次々に爆発・炸裂する。
 轟く爆音を背に、スバルとチンク以外の三人は、それぞれ前者と後者を抱えて散開し、建物の中に身を潜めた。

「バカっ! スバル、アンタ死にたいの!?」
「で、でもっ、ギン姉が!」
「だからって、アンタまでやられててちゃ助けられるものも助けられないでしょう!!」
「……!!」

 未だ動揺する相方をとりあえず言い含み、ティアナは小さく息を吐いた。
 ギンガは暴走した魔力を振り回し、周囲を無差別に破壊しているらしく、多少考える時間はあるようだ。

『ティアナさん、僕たちはどうしたら?』
『チンクさんが言うには、“冥魔”らしき少年と交戦してああされたらしいです。一番最初に汚染されたノーヴェさんに致命傷を負わされた自分は、ギンガさんのお陰でなんとか逃れたけれど、そのかわりに彼女も汚染されてしまったのだろうって』
『あの子たちも……他には?』
『あと……前線は、残りの三人のせいで総崩れだそうです』

「……ッ」

 キャロとエリオからの念話に、ティアナは焦燥を感じてほぞを噛む。
 “闇の落とし子”化した人間を救う手段は、初期段階で浄化するのみ。手遅れならば、殺すしかない。
 チンクの証言から考えて、ギンガ――残りの三人も――は、汚染のごく初期段階であろうことは想像に難くない。理論上、強力な純粋魔力攻撃で浄化できることは陸士訓練校での講習で知っている。また、六課の任務で、実際にフェイトやなのはが浄化している様子を何度か間近で目にもしていた。
 だが、果たして――

(アタシたちに、ギンガさんを止められる……? いえ、それ以前に、本当に彼女を救えるの?)

 ティアナは自身に、疑問を態する。
 見たところ、ギンガの汚染具合はゼストと比べてより色濃いようにも感じる。仮にそうなら、特別な――例えば攸夜のような存在でなければ救えないのではないだろうか?

 必死に解決策を模索して、ティアナはグルグルと思考の袋小路に陥る。
 突如、轟音を響かせて外壁を破壊し、巻き上がる砂煙の中からギンガがゆらりと姿を表した。

「ギン姉……!」
「っく、やっぱやるしかないの!?」

 困惑と焦燥を吐き捨てながら、ティアナはクロスミラージュのトリガーを三回空引き、内蔵魔導炉がフルドライヴ。サードモードにして限定解除形態、ダブルトリガーに愛機を変形させる。
 未だ近接ブレードの扱いには不安が残るが、明らかに強化されているギンガを止めるにはこれしかない。

『スバルさんっ、ティアナさん!』
「ちびっ子コンビっ! ここはアタシたちに任せて、アンタたちはチンクを連れて撤収! 合流はポイントはE8ー46、いい!?」
『――っ、了解ですっ!』

 二人を見つめるギンガの金瞳の奥に、剣呑な光が浮かぶ。

「ギン姉ぇ!!」
「あは、あははははははははっ!! スバル、あなたも一緒にコワレましょう!!?」

 悲痛な悲鳴をあげて高速回転する尖角が、ティアナとスバルに襲いかかった。




 ■□■□■□




 中央監理局、地上本部。
 リインフォースに周囲の警戒を任せ、はやては魔力刃を纏わせたシュベルトクロイツを無造作に振りかぶる。
 ザンッ、と分厚い特殊合金製の物理隔壁を叩き斬り、脱出路を切り拓く。

「……ふっ、またつまらんもんを斬ってしもた」
「我が主、またと言うほど斬撃系魔法は使用していないと記録していますが」
「ええやん。ノリやノリ。魔法はテンションがいっちゃん大事やで?」

 戯れをのたまい、はやては堂々とした足取りで閉ざされていた区画に足を踏み入れる。
 そこには、壮年の男性と数十名が待ち受けていた。

「ゲイズ中将、お迎えに上がりました」
「随分と派手な登場だな、八神一佐」

 非の打ち所のない敬礼を、先頭の男性――レジアスが皮肉を言う。
 こんなときでも嫌みかいな。内心で自分の嫌われっぷりに苦笑しながら、はやてはざっと周囲を見渡した。
 ドゥーエ、クアットロの姉妹と護衛の魔導師部隊に、オーリスを筆頭とした文官一同、そして危険を承知で公開意見陳述会に参加した各管理世界の代表者たち。その人数は最後に確認したときと変わりなく、どうやら誰一人欠けることなく脱出が達成できそうだ。

「八神一佐、指揮は任せる」
「はっ。護衛部隊のみんなは先行して通路の安全確保、ナンバーズの二人は私とVIPの方々の護衛や」
「了解です」「はい」

 すっかり素直になった戦闘機人たちを引き連れ、元来た道を引き返す。
 予めはやてが拓いていた通路を足早に進み、ややあって一同はヘリポートに辿り着いた。
 ヴァイスの操るブラックスターが、ローターをアイドリングさせて停泊している。“冥魔”の溢れた市内を突破するのはいささか火力に不安は残るが、小回りと速度にもっとも優れた機種だ。

 ヘリに乗り込みながら、はやてが言う。

「予定通り、“ダアト・ポイント”に移動します」
「向こうの進歩はどうだ?」
「稼働率70パーセントってとこです」

 中央監理局ビルはすでに拠点としての機能も体裁も残しておらず、破棄が決定している。代わりに、都心に程近い演習場の地下に秘密裏に建造され、今日(こんにち)まで秘匿されていた巨大基地施設“ダアト・ポイント”を拠点に抵抗活動を指揮する予定だ。
 元々、非常事態の際に使われるこの施設には現段階でも大部分の職員が移っており、指揮所としての機能が十全に使えるよう準備を始めている。地底に埋蔵されたエーテル光子製ケーブルによる最新式の有線通信設備を用いれば、戦線を建て直すことも可能だろう。

「では、戦線はどうなっている?」
「最悪ですね。未確認情報ですが、防衛部隊は壊滅状態だと」
「……そうか」

 犠牲者の無念を思い、レジアスは黙祷する。

『――部隊長!』
「どないした、陸曹?」
『レーダーに感ッ、Sランク級魔導師の反応――というか、コイツは……!』

 光学カメラに映る人影。
 武骨な薙刀風の槍に、くたびれたコート。鬼気迫る闘気を纏う武人――
「ゼスト、やはり来たか……」眉間に皺を深く刻み、レジアスが呟く。「――だが私の命、まだ貴様にくれてやる訳にはいかんのだ」
 上官の呟きに、はやてはにまりと笑みを浮かべる。

「ご安心を。私には頼もしい騎士がおりますので」

 はやての言葉にあわせて上空から、紫炎を纏った蛇腹の刃と赤い光の尾を引く鉄球が降り注ぐ。
 烈火の将と鉄槌の騎士が、主の危機に馳せ参じたのだった。




 ■□■□■□




 クラナガン郊外。
 低級侵魔や崇拝者を引き連れ、辺境地域での民間人の避難誘導完了し、主戦場たる首都へ向かうルーは思わぬ妨害に遭っていた。

 ズズンッ、と重たい地響きが響き渡る。

「むぅ……!」
「ご主人様っ!」

 上空で、飛行型“冥魔”の相手をしていたエイミーが悲鳴を上げた。

「おのれ、碌な知恵もない獣(ケダモノ)の分際で……!」

 憎々しげに吐き捨てて、ルーは真理の箒(エメスブルーム)ゼプツェンに致命的なダメージを与えたそれ(・・)を、憎悪に塗(まみ)れた眼を向けた。
 それ――、捩れた鋭い一対の大角と、硬質な黒い毛を全身に生やした巨大な牡牛は悍しい咆哮をあげて、ルーと擱坐したゼプツェンに突っ込んでくる。

「っ!」

 瞬く間に魔力を練り上げ、生み出した極大爆炎魔法(ブラストフレア)を無造作に投げつける“金色の魔王”。
 漆黒の牡牛を模した全長50メートル級の“冥魔”に、灼熱の火球が命中する。
 しかし、黒い体毛に触れた瞬間、魔力の炎が欠き消えていった。

「ちぃ、やはり魔法完全無効化(マジックキャンセル)能力か!」

 放った魔法が目眩ましにもならないと判断したルーは、即座にゼプツェンを月衣内に回収。さらに空間転移を発動、一気に安全圏の空中まで退避した。
 丁度すぐ側に現れた主の身を案じ、泡を食ったメイド魔王が一目散に近寄ってくる。

「ご主人様っ、お怪我はございませんか!?」
「我は大事無い、エイミー。……しかし、“箒”には本格的な修理が必要だな」

 目標を見失い、足元で暴れる“冥魔”を視界に収めつつ、やや憮然とした風に応じる。別段、エメトブルームを失ったとて困るものでもないが、それなりに気に入っていたことも事実。壊されて面白くないはずがない。
 月衣より呼び寄せたアイン・ソフ・オウルで眼下の巨大“冥魔”を適当に往なす傍ら、ルーは考える。
 ここで自分が滅ぼすのは容易いが、屈辱を晴らすには些か締まりが悪い。修復・強化したゼプツェンを以てして、この雪辱を果たしてくれよう――そう、彼女が決定を下したその時、

「これは……」
「!! ご主人様、若様の気配が――」
「…………よい、捨て置け。しかし、どうもあれには負け癖がついているらしい。後で、我直々に鍛え直してやらねばな」

 動揺する部下を安心させるため、ルーはことさら余裕を見せてやる。だが、語った内容は本心からのものだ。
 “弟”の気配が消えた点について、ルーはあまり心配していない。本当に滅びたのなら、彼女にはわかるはずだ。
 そして何よりあの攸夜が――“裏界皇子”が、悲願を達成せず志半ばで斃れる訳がない。

 ――何故なら彼は、“シャイマール”なのだから。

 災禍渦巻くクラナガンにちらりと視線を送り、ルーが言う。

「――大変業腹ではあるが、一旦セフィロトへと退く。どうやら、あの娘ら(・・・・)の力を引き出す“準備”をせねばならぬ事態のようだからな」
「はい、ご主人様」



[8913] 第三十七話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/09/07 21:18
 


 激しく刃をぶつけ合いながら、フェイトは必死に訴える。

「アリシアっ、話を聞いて! 母さんはあなたを――」
「おまえがママを語るなって、言ったよ!」

 拒絶の言葉とともに振り抜かれる瘴気を放つ朱い大剣。頭上から落下する雨粒を切り裂く刃を迎え撃って、光の剣が掲げられた。
 魔剣同士が激突し、火花が飛び散る。
 半透明の魔力刃越しに、憎悪と絶望に濡れた紅い瞳がフェイトを射貫く。
 カースドウェポン=ジブリールが変化した朱緋色のバスタードソードの破壊力は、高電圧の属性を与えられた魔力の塊たるバルデッシュ・ザンバーのそれを大きく上回る。

「こん、のおおおお!!」
「!?」

 鍔迫り合いに苛立ったアリシアが、瘴気を全身から噴出させた。

「ガアアアアアアアアアアッッ!!!」
「っ――、きゃあ……!」

 獣(ケダモノ)が如き咆哮から力付くで振り抜かれる魔剣。襲い来る魔力と瘴気の衝撃に逆らわず、フェイトはそのまま後方に吹き飛ばされる。
 間近で相対する刹那、彼女の優れた動体視力と魔法的な関知力が捉えていた。自分と瓜二つの、しかし灰白の髪と病的に白い肌を持つ少女を蝕む邪悪な力を。

(これが、“落とし子”の力っ……!)

 ギシギシと軋む身体を抱え、戦慄に打ち震えるフェイト。彼女はアリシアと対峙するにあたって、攸夜から概要や注意点を言い含められている。以前の小競り合いでの経験もあって、“落とし子”という異能についてもある程度理解していた。
 今の一撃は、“侵魔瘴破”というワザの一種だろう。
 魔導とはまったく違う、未知の術理による邪悪なる幻想。より主八界由来の神秘に近い位置に居るフェイトでなければ、抵抗はおろか関知すらできず一方的に汚染されて敗退していたはずだ。

 速射砲のような魔力の礫が上空から降り注ぐ。
 フェイトは仕切り直しのタイミングをうかがうべく、地面スレスレをきわめて高速で飛行する。廃墟などを盾にして、魔弾をやり過ごして。

(――っ、やっぱりこの子、強い……! まるで鏡に映った映像を相手に戦ってるみたいだ。……ユーヤと戦ってなかったら、たぶん、手も足も出てなかった)

 冷徹な戦闘理論が敵戦力を客観的に分析する。
 これまでフェイトの迅さに追い付いてこれた相手はただ一人、攸夜のみである。また、彼とて“プラーナ”の補正があった上でのこと。事実上、彼女の“世界”に足を踏み入れたものはアリシアが初めてと言っていい。
 だが、極めて危険な実力者を前にしてなお、フェイトの胸中に浮かぶのは対戦者のみを案ずる気持ちばかりだった。

(でも、負けられない! あんな力を使い続けてたら、絶対アリシアが壊れちゃう。だからなおさら、負けちゃダメなんだ!!)

 ――“落とし子”の力は命を削り、魂を蝕む。
 時間が経てば経つほど。
 戦闘が激化すればするほど。
 アリシアの命運は失われていく。
 心は汚れて濁り、躯は腐り果て、魂の輝きは潰えるだろう。そしてそんな理不尽な“運命”を、フェイトは許容できない。

「っ!」

 刀身のダメージを簡易的に検査し、支障が出ていないことを確認したフェイトは意を決した。
 上空に陣取るアリシアが放つ鮮血色の弾雨を切り払って掻い潜り、ついには肉薄する。

「私に、あの人を語る資格がないことはわかってる!」
「だったら黙れッ!」
「だけどッ!!」

 自分の現し身と激しく斬り結びながら、フェイトは叫ぶ。
 ありったけの想いを言葉に乗せて、金色の刃を力の限り振りかぶる。二撃からなる斬撃魔法、ジェットザンバーが朱緋色の魔女に襲いかかった。

「ぐうっ!?」
「だけどそれは、あなたが救われなくていい理由にはならない! 今こうして生きてる――、たとえ“冥魔”の力だとしても、あなたは生きてるんだよ!!?」
「……ッ!?」

 アリシアの仮面に罅が入り、幼い本心が顔を出す。
 だが、深く絡まった邪悪な“呪い”がそれをすぐに覆い隠した。

「うるさいッ、うるさいうるさいうるさいうるさい!! ママを見捨てたおまえを殺す――、わたしにはそれだけあれば十分よ!」
「アリシア! 私は――」
「くどい!」

 想いは届かず、逆に憎悪を逆撫でするばかり。
 フェイトはアリシアと斬り結ぶ最中、自分の無力を噛み締め、悔しさとやるせなさに歯噛みする。彼女がどれだけ必死に言葉を尽くしても、アリシアの閉ざされた心には届かない。昏く深い、絶望という名の暗黒に囚われた幼い心には。

 あのときもそうだった。
 この世すべてを悲観して、絶望と憎しみに膝を屈した“彼”を救わんと、彼の悪夢が創り出した紅い世界で激闘を繰り広げた運命の夜。

 ――言葉を尽くして。

 ――全力の限界を超えて。

 ――全身全霊、命の限りを燃やして。

 ――――そしてようやく、彼女の“希望”は彼に届いた。

 当時のフェイトはそこまで深く考えて行動していたわけではないが、だからこそ、純粋な想いに突き動かされた結果とも言える。
 その想いの源泉は一つ。
 誰かを救いたいという掛け値も混じりっけもない願い。子どものような純真な心を原動力に、フェイトは信じた想いを貫く。
 もっとも、自分の命の価値を安く見積もり、簡単に擲ってしまうのは未だ治らない彼女の悪癖だが――

「それ、ならッ! 行くよ、バルディッシュ!!」
『Yes sir!!』

 カートリッジが炸裂し、黒き閃光の戦斧がその姿を変える。
 余分な装甲を脱ぎ捨て、空いたリソースに推進力や運動性を高める術式を可能な限り詰め込んだ漆黒のレオタード――真ソニックフォームと、カートリッジに保存された夥しいまでの大魔力を究極的に圧縮した雷霆の大剣――ライオットザンバー・カラミティ。
 フェイトの決戦形態であり、乾坤一擲の意思を賭けたラスト・カードである。

「はああああ――ッ!!」
「……!?」

 十年の時を経て。
 そして、自身の“業”が具現化した存在とも言える少女(アリシア)と対峙して。
 フェイトの裡に眠るある種の“才能”が今、再燃していた。

「――力づくでもッ、あなたを救う!!」

 身体の内側からわき上がる力を手に、金色の魔導師は光の剣を振るう。今までとは比べ物にならないほど、迅く鋭い踏み込み。

「でえぇぇぇえいッ!!」
「ちぃ……!」

 左脇から右上へ。フェイトは、ライオットザンバーの斬撃を神速で繰り出す。
 金と朱、二色の稲光と衝撃波が天に木霊した。




 ■□■□■□




 暗雲立ち込める摩天楼の谷間。銀髪の女王が異形の怪物を相手取り、激闘を繰り広げていた。

「――フンッ!」

 ベルのかざした掌から、虚無の矢ヴァニティブラストが放たれる。灰色の尾を引いて飛翔する魔法が炸裂し、羽撃く邪悪なものをまた一体滅ぼされた。
 これで、ベルがこの場で戦っていた“冥魔”の群れは全滅したことになる。

「……ったく。ワラワラとまぁ、次から次へと。こう数が多いと、さすがに嫌気が差すわね」

 妖艶な仕草で髪を掻き上げ、ベルは嘆息する。
 彼女は現在、クラナガン市内を適当に徘徊し、手当たり次第に“冥魔”を駆逐して回っていた。
 時折遭遇する監理局の部隊を気まぐれに助けたり、時には逃げ遅れた一般市民を安全な場所――セフィロト――に送ったりと、八面六臂とまではいかないがそれなりに活躍している。

「さて、雲行きが怪しくなってきたけど……」

 豪々と燃える都市群。
 このまま火災が続けば、ひと雨降るかもしれない。

(――っ、この気配……?)

 と、不意に感じた魔力の気配。ベルにとっては馴染みの深いものだ。
 その弱々しい波動に妙な胸騒ぎを覚え、ベルは身を翻す。

 そして辿り着いたビルとビルの谷間、激戦により倒壊した建物の瓦礫の上。
 彼女は、傷つき、倒れ臥した同胞の姿を見つけた。

「――パール? アゼル!」
「おー、ベル、かぁ…………パールちゃん負けちった、えへへ……」

 そう、弱々しく笑うパールは右腕と腰から下を失っており、トレードマークのツインテールの右側が根本から千切れている。また、その傍らに横たわるアゼルに至っては、左半身をまるまる抉り取られた上に、胸には自身の突撃槍が深々と突き刺さっていた。
 アゼルはもう手遅れだ、義体に込められていた現し身の魂が感じられない。

「な……なん、で、こんな――」
「あたしら、“冥刻王”にヤられたのよ……」

 あまりの惨状に言葉を失うベルに苦笑して、パールは何気ないトーンで事情を語る。

「死んだら向こう(・・・)に還るだけのあたしはともかく……、アゼルの擬体(カラダ)を、連中にくれてやるワケにはいかないっしょ?」
「……ッ!」

 凄惨な光景を想像して、ベルは表情を大いに歪めた。仮の躯とはいえ、アゼルが“冥魔”に貪り喰われることなどあってはならない。
 おそらくパールは、最後の力を振り絞って自分より先に戦闘不能になったアゼルを連れ、逃れたのだろう。――あのプライドの高く自己中心的で負けず嫌いなパールが、である。

 アゼルの亡骸には、青い巨大な機械式腕――アーマードブルームの残骸が申し訳ばかりに残っていた。
 きゅっ、と下唇を噛み、ベルは突き刺さった槍を慎重に引き抜き、物言わぬ骸をそっと抱き上げる。思ったよりもずっと軽くて、その事実が胸に痛む。

「……アゼル、どうして……っ」
「この子、言ってたよ。……ベルを困らせてるあいつを、自分がやっつけるんだ、ってね」

 ま、返り討ちになっちゃったけどね。
 自嘲気味に笑って、言葉の末尾を切る。

「なら、あんたは何で? その現し身じゃ、メイオに届かないことくらいわかってたでしょうに」
「……だってあいつ、ムカつくじゃん? …………あんたのライバルは、このちょーこーパール・クールだけでいいのよ」
「!」

 不敵で不遜な宣言に込められた本意の一端に触れて、ベルは少なくない衝撃を受けた。
 ガツンと頭を殴られたような、だけどなぜか嬉しくてむず痒い感覚。虫の息だと言うのにパールの尊大さは変わらなかったが、今は普段と違って見えて。

「あんた……」
「――あー、だめ。もう限界」

 言いかけるベルだったが、パールの言葉通り、彼女の身体は先端からゆっくりと解けて“プラーナ”の粒子光に変わっていた。
 きらきらとした黄金の光が辺りを仄かに照らし、銀髪の少女と金髪の少女を深い闇の中から浮き彫りにする。

「パール、しっかりなさい! あんたらしくないわよっ!?」
「あはは……、なっさけない顔ぉ……」
「……っ、こんなときまで、憎まれ口叩くんじゃないわよっ!?」

 普段の反目も忘れ、必死に呼び掛ける“好敵手”を茶化すように笑うパール。だが、その皮肉にはいつもの切れがない。
 もはやを余力もないのだろう彼女は、不意にキュッといずまいを正し、ベルを見据える。黒目がちな瞳に見つめられ、たじろぐ。

「いいこと、ベル。あたし以外に負けたら――、あんなやつに負けたりしたら、承知しないんだからねっ」

 最期まで尊大な言葉を残して。パールの身体は、金色の粒になって欠き消えた。

 それから、ベルはしばしその場で放心していた。
 ぐるぐると、益体のない考えが脳裏に浮かんでは消える。なぜ自分は、こんなにも心を揺り動かされているのだろうか、と。
 ……あるいは、自分が無様にも日和見ず、彼女たちとともに立ち向かえば――

「……っ……」

 乱暴に袖で顔を拭うと、ベルはようやく顔を上げ、立ち上がる。
 抱えていた骸を地面に横たえると、それを空間転移で安全な場所――セフィロトへと送る。大破した躯が直せるかどうかはわからないが、ここに置いておくよりはずっとマシだろう。

「いいわ。パール、アゼル……あんたたちの仇は、あたしが討ってやる」

 漆黒の魔力が噴き上がり、ベルの華奢な身体を包み込む。
 魔力により編み上げられた黒と紅のバトルコスチュームを身に纏い、“蝿の女王”が静かに宣言する。

「――待ってなさい、メイオルティス。あんたとの因縁、この手で断ち斬ってあげるから」

 冷たい殺意の炎を、金色の瞳に灯して――



[8913] 第三十七話‐5
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/09/14 21:04
 


 瓦礫と廃墟が攅立する灼熱の釜の底、機械仕掛けの姉妹の死闘が続いている。

「うおおおッ!!」

 透き通る空色の魔力が、濁った紫色の魔力と真っ向から激突した。
 魔力の粒子が弾け飛ぶ中、金色に輝く禍々しい瞳がスバルを捉える。その瞳孔は開ききり、視点は虚ろで危うい。

「あはは、うふふ――、戦うのって楽しい! 光が、炎が迸って、魔法が飛び交って! 全部カチ上げて、蹴散らして、全て弾けて、ブチ撒けて――」
「ギン姉、目を覚ましてよ!」
「何もかも粉々に、バラバラに吹き飛ばすの!!」

 どこか熱に浮かされたような狂相を浮かべ、支離滅裂な言葉を口走る姉に妹の叫びは届かない。

「この強さがあれば――、この力を手に入れて! あのひとにもっと見てもらえる! 振り向いてくれる!!」

 響き渡る悲鳴にも似た衝突音は、心を削って肉親と戦わなければならないスバルの、あるいは暗黒に囚われたギンガ本来の心の叫びのようで――

「簡単にコワれるものは……、コワされるべきものなのよッ! だから、みーんなぶっコワす――スバル、あなたもねェェェェェッ!!!」
「くううううう!?」

 高速回転する結晶のドリルが拳の先に展開された魔力障壁を抉らんと、夥しい火花を生み出す。
 バキンッ、と嫌な音を立て、ついにシールドにヒビが入る。
 障壁が粉砕されると同時にすぐさま飛び退くスバルに、ギンガはそのままドリルを突き出して追撃する。バランスを崩して一瞬硬直したスバルには、渦巻く衝角に抗う術はない。
 ――もっともそれは、彼女一人であった場合の話だ。

「行けッ!!」

 強く吐気を吐き、ティアナが相棒(デバイス)のトリガーを引く。二対のクロスミラージュから放たれたオレンジ色の光の塊が、ギンガに迫る。
 特殊チャンバー内に魔力エネルギーを一定時間充填して、一気に解放するダブルトリガー専用戦術のひとつ、“チャージショット”。左右合わせて二十発からなる魔力弾の群れが、開いたスペースを通ってギンガに直撃する。
 爆音を伴う小規模の魔力爆発。――膨れ上がる爆炎を切り裂いて、紫色の砲弾が飛び出した。

「うわっ!?」
「スバル!」
「っく、だいじょうぶ!」
「アハハハハ!!」

 噴煙から飛び出したギンガは大したダメージもない様子で、瞬く間にスバルへ肉薄する。
 激しい拳打の応酬が再開され、ティアナは援護のタイミングを逃した。ギンガほどの相手では、文字通り付け焼き刃の近接戦闘ブレードでは役に立たない。

(ッ、これでも駄目なの!?)

 渾身の一撃を与えてなお健在な姿を目にして、立ち竦んだティアナは、目の前が暗くなるような錯覚を覚えた。
 “闇の落とし子”と化し、ただでさえ頑丈だったギンガの装甲は常軌を逸した堅牢さを誇り、生半可な攻撃ではびくともしない。また、ギンガを傷つけてしまわないかと無意識に力をセーブしていることも決定打を打てない原因のひとつだろう。
 ――今の二人には、師匠(なのは)ゆずりの思いきりの良さが決定的に欠けていた。

「ぐっ!」

 一方のスバルは、苦戦を強いられている。
 両者、母譲りのストライクアーツを駆使して戦う様は、構えと装備の差異も合間って鏡映しさながら。
 しかし、技術の完成度や力量という点に置いては同一とは言いがたい。

 ――やっぱりギン姉、強い……!

「ダメよォ、戦いの最中に考え事しちゃあ!」
「っ!?」

 拳打の間隙に生まれる空白を縫い、蹴り上がるギンガの左足。
 不気味に光る結晶に取り込まれたブリッツキャリバーは、まるで氷上を滑るスケートの刃。鋭く光る刃が、スバルの首を狩り取らんと一閃する。
 間一髪で無理に体勢を反らしたスバルの眼前ギリギリを刃が掠め、前髪が数本ハラリと舞う。
 ぐるり、と上段回し蹴りの威力をそのままに、流れるような身体操作で繰り出された追い討ちの後ろ蹴りが、スバルの腹に深々と突き刺さる。
 魔力を纏い回転するブレードがバリアジャケットの防御を抜き、素肌を深く傷つけた。

「あぐっ!?」
「あは、スバルの血はキレイな色ねえ!」

 身体をくの字に曲げ、後退するスバル。
 本来のギンガならばするはずもない残虐な戦い方――、ダメージを受けた当人はもちろん、ティアナも激しく動揺する。
 ――ここで、二人の固い絆が裏目に出た。
「っっ!」パートナーの流血を見て気が動転し、冷静な判断力を欠いたティアナは、半ば反射的に両手のデバイスで乱射しながら飛び出してしまう。

「――来ちゃダメっ!!」

 スバルが叫ぶ。
 ギンガが腕を振り上げる。

 ――――紅い花が、弾けた。

「ぐあああああああああ!!」
「スバルっ!」

 不意を突かれたスバルは、右腕をリボルバーナックルごと肩の付け根まで大きく抉り取られて吹っ飛ばされた。
 構成の甘い防御フィールドを易々と貫いたモノケロスギムレットには、赤々とした鮮血がベッタリと染み付き、滴り落ちる。
 ティアナは激痛に叫ぶ相棒のもとに駆け寄って、抱き寄せる。――しかしてそれは、致命的な悪手だった。

「うふふ――」

 ギンガの左腕が弓のように引き絞られる。それに合わせ、水晶体の円錐がより一層速く、より一層激しく回転し、唸りを上げた。
 あまりにも高まった莫大な魔力は空間を歪め、肉眼で視認できるほど。
 空気を巻き込む邪悪な竜巻が、スバルとティアナに向けて解き放たれる。

「バイバイ、スバル」




 ■□■□■□




 機動六課、上空。

「無様だねぇ、口ほどにもないよ」
「っ、くぅぅ……!」

 漆黒の曇天をバックに紅い翼を広げた堕天使を見上げ、荒く乱れた息を吐くなのは。純白のバリアジャケットはすでにボロボロでインナーが大きく露出しており、防護服の体裁を為していない。
 しかし彼女は相棒(デバイス)を握る手に力を込め、気力を振り絞る。

「まだ――、まだだよっ! ブラスター……!!」
『3rd!!』

 レイジングハートが残り少なくなった魔力カートリッジを炸裂させ、解除コードをコールする。空薬莢が排出されるのと同時に、なのはの身体の内側に激痛を伴った莫大な力が膨れ上がる。
 最後の奥の手、ブラスターモード第三段階を切ってもまだ、“冥刻王”の余裕(慢心)を崩すには至らない。

「へぇ、まだやるの?」
「ヴィヴィオを、取り返すまでは!」

 血を吐くような叫び。白い砲弾が、一直線に冥魔王に迫る。
 侮っているのだろう、メイオルティスは迎撃の素振りも見せない。なのはは臆せず、相手の懐に飛び込む。

「っ!!」
「おっと、危ないなぁ」

 すれ違い様、レイジングハートを乱雑に振り回し――最初から当たるとは思っていない――、メイオルティスの背後に回ったなのはは、くるりと宙返りするように半転。金色の穂先を未だ振り返り切っていない背中に突きつけた。
 コンマにも満たない刹那、広がる魔法陣の中心に収束する魔力――
 牽制のショートバスターを撃ち、カートリッジロード。圧縮空間に格納した予備パーツで構成された、レイジングハートの分身を呼び寄せる。

「ブラスタービットッ!」
「相手してあげるよ」

 牽制の砲撃をあっさりと躱したメイオルティスが杖を掲げると、背後に広がった魔法陣から五機の飛翔体が姿を顕す。
 あえてなのはのブラスタービットと同数だけ呼び寄せたのは、余裕と侮りの現れ。
 そしてそれは、間違いではなかった。

「くぅっ!?」
「ほらほら〜っ、狙いが甘いよ?」

 それぞれの杖から砲撃を撃ち合いながら飛翔する両者。
 その背後では、二組五機の浮遊砲塔が尋常ではない軌道を描き、魔力砲撃を放って交錯する。
 ドンッ、と小さな爆発を起こして、ブラスタービットが一機爆散した。

「ど、どうして!?」
「キミたちヒトとは、存在としての位階(ステージ)が違うんだよ」

 冥魔王が魔導師を嘲る。
 呆気なく、一方的に撃墜されていくブラスタービット。バインド効果の魔力帯を発生させて自爆特攻を試みるも、メイオルティスのビットが展開した魔力の牙の餌食となってあえなく破壊された。
 だが、なのはは諦めない。
 ならばと魔力を最速で高め、自らがもっとも信頼を置く魔法を紡ぐ。

「それならッ! ディバイィィィィイン!!」
「おおっと、チャージなんてさせないよ!」

 ぱちん、とハンドスナップが鳴り響く。

「!?」

 瞬く間に展開した機動砲塔が、夥しいばかりの光条を照射する。十字砲火の檻に捕らわれたなのはは、四肢を撃ち抜かれる。
 黒天に、爆炎の花が咲いた。

「きゃあああっ!」

 悲鳴をあげ、なのはがついに墜落する。
 六課の瓦礫に墜ち、全身を強かに打ち付けてのたうつ。辛うじて気を失うことは避けられたが、致命傷であることは明らかだ。
 地面に這いつくばるなのはを見下ろすメイオルティスの眼は、取るに足らない虫けらを見るように冷たい。

「……なんかもう、飽きちゃった」

 子どもじみた無邪気な表情を消し去り、メイオルティスがぽつりと漏らす。

「でもま、キミはヒトにしてはそこそこ愉しめたから、特別にごほうびあげちゃう♪」
「……なに、を!」
「――新たな“冥刻王”誕生の瞬間を目に焼き付ける名誉を、ね!」

 一転、ご機嫌な様子で結晶の檻を呼び寄せる。
 そこに囚われたままのヴィヴィオは、涙の滲んだ瞳でじっとメイオルティスを見返していた。――優しいけれど、戦いのときはいつも毅然としていた“ママ”みたいに。

「なーんかその目、ムカツクなー……」

 メイオルティスは紅紫の瞳を細めると、おもむろにヴィヴィオに手を翳す。
「ひっ!?」パリンッ、と硬質な音を鳴らし、クリスタルの牢獄が砕け散る。重力に引かれて落下する少女のか細い首を、冥魔王の白魚のような手が乱暴に掴んだ。
「うぐっ」ヴィヴィオが呻き、身を捩る。ニヤリとメイオルティスが無邪気な暗い笑みを浮かべた。

「……死んじゃえ」

 瞬間、漆黒の電撃がヴィヴィオを襲う。

「きゃあああああああああああ!?」
「ヴィヴィオ!」

 全身を痙攣させた少女の口から、痛ましい悲鳴が上がる。
 残酷な言葉とは裏腹に、あくまで苦痛を与えるためだけの攻撃。しかしそれは、幼い少女の脆い身体に致命傷を与えるには十分な威力で。

「あああああああああああああああ――――!!!!」

「ふふっ、ニエの分際であたしに歯向かうから痛い思いをするんだよ。いーいきみっ、あはははっ」
「やめて! もうやめてーっ!!」

 なのはの叫びを無視して、“冥刻王”は魔力を流し続ける。その残虐な折檻はおよそ三分間にも及んだ。

「これで身の程がわかったかな? ……ってもう聞こえてないか」
「……」

 全身から白煙をあげ、ぐったりとするヴィヴィオ。指先や両足がわずかに痙攣していることから、息はあるように見える。
 だがそれも、もはや語る意味のないことだ。

「じゃあ最後の仕上げだよっ♪」

 ぶわり、と膨れ上がった色濃い暗闇がヴィヴィオを徐々に呑み込んでいく。
 その悍しい様は、まるで彼女の存在ごと捕食するかのようで――、ただその様子を見上げるしかないなのはの目にそれは映った。
 うつむき震える小さな唇が、声にならない言葉を形作る。

 ――ママ、と。

「ヴィヴィオーーー!!」

 叫びは虚空に消えて。
 ついに、少女の全身は闇に飲まれて潰えた。

「――うふふ、ふふはは、あはははははっ! 馴染む、馴染むよ! “聖王”の力がよく馴染む! あたしに誂えて造られただけのことはあるねぇ」

 瞠目した双眸を、ヴィヴィオと同じ紅と翠のオッドアイに染めたメイオルティスの狂った哄笑が、廃墟に響き渡る。
 吹き荒れる澱んだ魔力はかつてないほどに膨大であり、もはや人知を超越していた。
 莫大にして絶望的な力が周囲の空間を瞬く間に制圧し、邪悪な思念で汚染していく。
 その背中から生えた二対の翼は、血潮の如き深紅から夜闇よりも冥い漆黒へと染まっていた。

 青紫の瞳に絶望を浮かべるなのはを見やり、メイオルティスは無情にも高らかに告げる。

「あえて名乗るなら“冥刻聖王”――、この世に滅びの福音をもたらす存在だよ♪」



[8913] 第三十七話‐6
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/09/21 21:28
 


 日が沈む。
 命を育む陽光は地平の彼方に堕ち、闇黒の帳(とばり)が世界を包んだ。
 始まる。
 恐怖と絶望を孕んだ明けない夜が――――


 ぽつり、ぽつり、ぽつり。
 立ち込める煙と黒雲で真っ黒に染まった空から、雨粒が落ちてくる。
 至るところで起きている大規模な火災で熱せられた空気が上昇気流となって遥か上空に舞い上がり、冷やされて液体に変わる。次第に勢いを増した雨が、廃墟となった機動六課の敷地をしとどに濡らしていた。

「あ……、ああ――、あああああああ!!」

 崩壊した瓦礫の山の中、白い魔導師――なのはは恥も外聞もなく、枷の外れた感情に任せて叫ぶ。
 目の前で起きたことが信じられなくて。
 あの子が奪われたことを信じたくなくて。
 両膝を突いて上体を起こし、天を仰いだ格好で、喉を張り裂けんばかりに慟哭する。
 それを見下ろす漆黒の堕天使の瞳は奪った命を誇示するかのような異色であり――、口許に浮かべた笑みが明確な悪意で歪んでいた。

 ヨロヨロと立ち上がったなのはは、邪悪な天使を憎悪に濡れた瞳で仰ぐ。

「ッッ――、レイジングハートォォォオオッ!!!」

 金色の尖端を掲げ、パートナーの名を叫ぶ。紅い宝珠が、怒りと憎しみに答えて力強く瞬いた。
 バキッ、と嫌な音が腕の中から聞こえたが、なのはは構わず魔力を込める。“彼女”自身も、それを強く望んでいたから。
 天を指し示す先端、戦場に満ちた無数の魔力素が集っていく。

「うあああああああああアアアッッッ!!!!」

 もはや意味をなさない叫び声を上げ、全身全霊、残りわずかな魔力を絞り出して術式を組み上げる。
 虚空に描き出される巨大な魔法陣。半壊同然のレイジングハートを光の帯が取り囲む。
 過去例を見ないほどの速度と密度で残留魔力が集束し、巨大な桜色の光の球体が完成した。

「スタァァァァライトォォォォーーーッ!! ブレイッ、カァァァァアアッッ!!!!」

 放たれた星々の輝きが、悠然と浮かんだまま避けようともしない冥魔王を飲み込み、彼方の向こうの黒雲を突き破る。
 渾身のスターライトブレイカーEX――なのは最強の魔法。
 ビットを失った影響で光条の数は全力状態には届かないが、決して無視できるような破壊力ではない。

 だが――

「なん、で……?」

 洪水のような桜色の魔力が空の彼方に霧散した時、それは姿を現した。
 “光の帯”とでも言えばいいのだろうか、くすんだ虹色の真球状のバリアらしきものが、メイオルティスの全身をすっぽりとくるんでいる。
 この不可思議なバリアが、スターライトブレイカーを完全に防いだのだった。

「これがあたしの新しい権能(チカラ)……、冥き光の鎧“冥王の鎧(アミューレ・プルトーネ)”だよっ♪」

 濁った虹色の幕が、無慈悲に明滅を繰り返す。
 それがヴィヴィオを取り込んで得た力であることは明白で。

「――ッ」決死の必殺技があっさりと耐えられたことに少なくない衝撃を受けながら、なのははなおも止まらない。止められない。
 ストライクフレームと三対の翼を展開したレイジングハートを腰だめに構え、A.C.S.ドライバーの体制に入る。
 紅く発光(オーバーロード)し、暴走状態のアクセルフィンが強く羽撃いて彼女を空へと誘う。
 尖端の刃と羽撃いた翼。過剰に供給されて深紅に染まる魔力は、傷ついた心が流す血の色を暗喩していた。

「ハァァァァァッ!!!」
「……あーあ、ムダなのになぁ」

 降りしきる雨粒を切り裂き、一直線に突撃するなのはの冷静な部分が敵を分析していた。
 いくら強固な障壁だとしても、攻撃の瞬間には解くのがセオリーだ。ビットの類いも使わずに、バリアを展開したまま攻撃などできるわけがない。
 また、相手は自分を侮りきっている。先程の戦闘でも簡単に勝てていただろうに、なのはを散々にいたぶった。
 そこに一筋の勝機を見出だして――、障壁(シールド)殺しとも言える魔法、エクセリオンバスターA.C.S.に勝利を託す。

「ヴィヴィオを、助ける――!!」

 ――絶対に!!

「と、ど、けえええええええええええ!!!」

 ストライクフレームの先端が暗虹色の“鎧”に接触する。刺さり切らない魔力の刃が障壁との摩擦で激しく火花を散らし、スパークを放った。
 バリアは想像以上に堅く、全くと言っていいほど歯が立たない。だが、この状態を維持していれば反撃はない――

「まったくもお……、何でそうカッカしちゃうかなぁ。みっともないよ?」

 幕を挟んだ向こう側、メイオルティスは呆れたように言い、手に持った杖をどこかに格納する。
 それから、すぅ、と上げられた右手の人差し指がなのはを指差す。
 ポツ、ポツ、ポツ――拳大のエネルギー塊が、冥魔王の周りに七つほど発生する。

「キミさぁ、なんていうかぁー、暑苦しいしぃ……」

 そんな、バカな。
 なのはは半ば結果を予期しながら、あるいはそれを頑なに否定しながら、魔力の球が螺旋を描いて指先に集束していく光景を愕然として見つめていた。

「――ちょっと頭、冷やそっか」

 嗜虐的な笑みと、冷ややかな声。
 指先に集まった魔力塊は一種の砲撃魔法となって放たれ、強固なはずの障壁に阻まれることもなく素通りして、魔導師と魔法杖に直撃する。
 悲鳴を飲み込む大規模な魔力爆発。
 膨れ上がる歪んだ火の玉から、レイジングハートのパーツと思わしき残骸がまるで星屑か流れ星のように飛散していく。

「あは♪ これでゲームオーバーだね。残念無念、まった来週ぅー! あははははっ」

 “冥刻王”――否、“冥刻聖王”の嘲笑が、再び墜落して意識を失うなのはの耳朶に残った。




 ■□■□■□




 大粒の雨粒が、真黒に染まった空から落ちてくる。
 “冥魔”に蹂躙され、廃墟と化した街に落ちてくる。

 刻一刻と失われていく命を悼むように降り注ぐ雨の中、フェイトとアリシアと決闘は未だ続いていた。
 希望の乙女と絶望の魔女が繰り広げる戦いは、音速を超えて加速していく。
 金と朱、閃く刃がぶつかり合う。悲鳴にも似た甲高い不協和音を響かせ、夥しいばかりの雷鳴を轟かす。
 まばゆいばかりに輝く光条が夜を切り裂いて――

 魔力は同質。
 速力は同等。
 パワーは“落とし子”たるアリシアが明らかに優れていたが、技量に置いては圧倒的に戦闘経験が豊富なフェイトが、一歩も二歩も先を行っている。
 一進一退の攻防。二人の総合的な戦力は伯仲と言っていい。
 だがすでに、フェイトは切り札たる真ソニックとライオットフォームを開帳してしまっている。仮に、アリシアの何らかの手段で力を増したならば――、拮抗した戦い天秤の均衡は容易く崩れ去るだろう。

「おおああッ!!」「であああ!!」

 裂帛の気合いとともに、魔刃が走る。

「わたしは――、わたしは負けられない! もう、後戻りなんてできないんだから!!」
「そんなことないよ、アリシア! 引き返せるよ! やり直せるよ!」
「うるさい! 何度も言ったでしょ! わたしには、おまえを殺して、ママの仇を討つ――、それ以外ないの!!」
「アリシア!!」

 すでに語るべき言葉は尽くした、そう言わんばかりにアリシアはフェイトを猛然と攻め立てる。
 後は刃と魔法で決着を――、互いが抱く願い/呪いのどちらが生き残るべきか……、それを決するのみだ、と。
 激しく刃を交わす中、紅い少女は叫ぶ。

「アンリッ! わたしのすべてをあげるから! あいつに、あいつに勝てる力をちょうだい!!」

 歪められた願いと魔力が爆発し、瘴気の暴風が吹き荒れる。フェイトは思わず後退し、腕で顔を庇った。
 かつてないほどに高まったアリシアの魔力が爆発し、背中のマントと腕を覆うアームカバー状の袖が弾け飛ぶ。
 漆黒のバトルドレスが、目にも禍々しい鮮血色(スカーレット)に染まっていく。
 まるで生々しい鮮血を頭からぶち撒けられたかのような、悲惨で悲痛な姿――、両手両足の籠手(ガントレット)と脚甲(ソルレット)は、“冥魔”を象徴する不気味な無機質に覆われて肥大化していた。
 また、両手に握るのは、異形の大剣が分かたれたと思わしき二降りの朱緋(あか)い魔剣。これまで以上に禍々しい形に変わり果て、生き血を求めて激しく脈動している。

 ミッドチルダ由来の魔導師から主八界の魔法使いに状態をシフトし、真なる意味で“闇の落とし子”へと変貌した形態――スカーレットフォーム。
 その姿はやはり、フェイトを強く意識したものだった。

「おまえを殺せるなら、ママの敵を討つためなら、わたしの命も、未来も――ぜんぶ要らない!!」

「……!!」



 アリシアの覚醒――

 邪神の加護(ぜつぼう)を受け入れたことで爆発的に高められた魔力は、もはや常軌を逸しているというレベルではない。
 全身から攻勢の瘴気を撒き散らし、音速を遥かに越えた常識外の速度で飛翔する紅の魔女。
 互角から一転、フェイトは苦境に立たされていた。――本当に、あっけないほど、簡単に。

「がああああッッ!!」
「うぐあっ!?」

 技術も何もない左の袈裟斬りにデバイスを力づく弾かれ、引きつられて体勢を崩されるフェイト。なんとか建て直す間にも、もう一方の紅い双剣がその頸(くび)を刈らんと恐ろしいほどのスピードで迫る。
 追撃を受けた魔力刃に皹を入れられ、避け切れなかった斬撃に身体中を斬り刻まれ。
 さらには次々に繰り出される斬撃に合わせ、刀身から噴き出すドス黒い瘴気の余波――物理現象を伴った強烈な呪いが、フェイトを襲う。
 ただでさえ脆弱なソニックフォームの装甲は呪詛に耐えられず腐り落ちるように損傷し、防御を貫いた魔術的攻撃が肉体と精神に致命的なダメージを与える。
 ぷし、と赤い血が弾け、肉感的な太ももにまたひとつ、浅くない傷が刻まれる。飛散した血潮は紅い魔剣に吸い取られ、邪悪な力の糧とされた。

(っ、これじゃ、まともに魔法も使えない……!)

 もはや牽制の役にもたたない魔力弾をバラ撒き、距離を取るフェイトは胸中で焦りを吐露する。
 魔法を放とうにも隙がなく、猛攻に防戦一方。
 激戦に次ぐ激戦で魔力は底が見えてきており、スタミナも限界が近い。全身の裂傷によりジワジワと流れる血液、正常な判断力をも奪われていく。
 バリアジャケットが損傷して機能を失い、降りしきる雨に打たれた身体は冷えきって――
 度重なる疲労が頂点に達した瞬間、それ(・・)は必然に訪れた。

「っ!?」

 不意に、意識がブラックアウトする。
 好機と見て、すかさず大技の体勢に入るアリシア。彼女の生命力と“プラーナ”を喰らい、変換された瘴気が紅い魔双剣へと流れ込んでいく。
 煌々と燃え盛る冥き焔を纏う双剣を頭上高くに掲げてクロスさせ、渾身の一撃を放つ。

「カラミティィィィイイ――――、フラッドォォォォーーーオオッッッ!!!!」

 縦一閃。殺意と瘴気を束ねた朱緋色の大斬撃がフェイトを飲み込む。
 弾ける血飛沫、砕ける黒きデバイス。
 そして、墜落――――








 大粒の雨粒が、真っ黒に染まった空から落ちてくる。
 “冥魔”に蹂躙され、廃墟と化した街に落ちてくる。

「アリ……、シア……」

 瓦礫に背を預けて臥し、虫の息の“レプリカ”を無機質な表情で見下ろすアリシア。
 右手の朱紅(あか)い魔剣がゆっくりと持ち上げられ、その鋒が柔らかな胸板を貫く。

「ぁ……」

 小さい吐息がこぼれた。
 びくんびくん、と何度も痙攣する肢体。
 無造作に刃が引き抜かれる。
 溢れ出した体液が雨と混じって地面を汚し、直に紅玉の瞳からは生気の光は失われた。

「……っ」

 命を奪った感触の残る手のひらに目を落とし、アリシアは雨に顔をしかめる。
 どこからともなく姿を現した凡百の“冥魔”が、悍しい怨嗟の唸り声を上げる。それらの両目は、この光り輝くような美しい少女を滅茶苦茶に喰い犯せるという昏い欲望で、例外なくギラギラと輝いていた。

「……。目障りだから、ソレ、消しといて」

 どこか泣き出しそうな歪んだ表情で吐き捨て、朱色の魔女は去っていく。
 地に堕ちた金色の乙女を、独り残して――――



[8913] 第三十八話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/09/28 21:09
 


 ――雨が、降っている。

 ざあざあと、灰色に濁った雨が瓦礫が積み上がった廃墟に降り注ぎ、地面に刻まれた亀裂に流れ込んで深い水溜まりを作っている。
 暗黒の帳(とばり)が落ちたクラナガンは雨に濡れ、そこかしこで起きている悲劇を押し流す。
 方々から響き渡る悲鳴と怒号と戦闘の音が暗闇に溶けて――、阿鼻叫喚が渦巻く崩壊した街並みの片隅に、“彼女”はいた。

 コンクリートの破片に上体を預けるようにして、自らの流した血の海に沈む金色の魔導師――フェイト・テスタロッサ・ハラオウン。
 大粒の宝石を思わせた紅の虹彩はドス黒く濁り、太陽の光を受けて輝いていた美しい金髪も血と埃で薄汚れて見る影もない。また、生命活動の極端な低下に伴いリンカーコアが停止した影響で、漆黒のバリアジャケットは徐々に魔力の残滓に変わり、素肌が露出し始めていた。
 胸の中心に穴を開け、そこから流れ出る夥しい血と臓腑を外気に曝した哀れな姿を見れば、もはや彼女の命運は潰えたように思える。
 また周囲には、彼女を取り囲むようにして絶望の神が遣わした混沌の尖兵――およそ三十体ほどの“冥魔”が犇めき、その身を喰らわんと色めき立っていた。

 だらだらと涎を垂らし、醜い欲望を曝け出してお互いに牽制し合うバケモノ共。彼女の躯(むくろ)は直に、無惨にも食い散らかされ、辱しめられることだろう。
 お互いを牽制し合いながら、“冥魔”たちはじわりじわりと囲いを狭めていく。
 そして狗の姿をした“冥魔”の一体が他の者を出し抜き、およそ半径2メートル県内に足を踏み入れた時だった。

 ゆらり、と少女の影が揺らめいたかと思うと、次の瞬間には“冥魔”が頭からまっ二つに両断される。
 危機感もなく、余裕すら漂わせていたバケモノどもの間に、にわかに殺気が走った。

「グルルル……」

 ずるり、と影から抜け出す巨体。体長5メートル、全高2メートル、毛先が青紫に染まった黒い体毛の狼が、牙を剥き出しにして異形の群れを威嚇している。
 どこか海に似た印象の蒼い双眸が明確な敵意に揺らめき、まるで刃のように鋭利な体毛は逆立っており、強靭な四肢はさながら大弓のように引き絞られ、いつでも飛び出せるよう前傾姿勢を保っていた。

 睨み合いに焦れた“冥魔”のいずれかが、身じろぎをした。
 その瞬間――

「■■■■■■■■■■ッッッ!!!!」

 機先を制す黒い狼の雄叫び。
 強烈な咆哮は物理的な衝撃のみならず、“冥魔”たちに恐慌や重圧などの魔法的な悪影響(バッドステータス)をも与え、出鼻を挫く。
 強靭な四足が、ひび割れたアスファルトを蹴る。漆黒の風が巻き起こり、怪異の群れに吶喊した。

 黒い大狼が、“冥魔”の群れを相手取り孤軍奮闘、激しい戦闘を繰り広げる最中のこと。
 スカーフを首に巻いた白いイタチがどこからともなく姿を現し、小さい身体の短い四肢を懸命に使い、彼女の身体の上によじ登る。胸の中心にぽかりと空いた傷を埋めるように、その場に伏せた。
 そしてイタチが身体を震わせた瞬間、仄かな蒼銀の光が柔らかく広がり、いつしか黄金に煌めく粒子のベールとなって、彼女を優しく包み込んでいった。














  第三十八話 「よみがえる翼、宇宙(ソラ)へ」












 機動六課、跡地。
 降りしきっていた雨はいつしか止んだものの、敷地のあちこちから黒煙が上がっていた。

 空間が、唐突に歪む。
 開いた虚空のスキマから、黒いバトルコスチュームのベール・ゼファーが姿を現した。

「……ずいぶんと、やられたもんだわ」

 廃墟としか言い様のない荒れ果てた様を見下ろして、ベルは小さく感想をこぼした。
 別段ここに思い入れがあったわけではないが、こうも跡形もなく破壊し尽くされた跡を目にしては世の無情を感じてしまうのも無理ないだろう。
 それが、気に食わない存在がもたらした結果ならなおさらで。

 未だ炎が燻る瓦礫の山の間を、銀髪の少女が歩く。
 魔法的な、あるいは超常的な直感を頼りにして、ベルは探し人である“生き残り”を探し当てた。

「――こっちもこっちで酷いわね」
「……ぅ……ぁ……」

 大小の破片に埋もれた赤茶色の後頭部を見下ろし、ベルが嘆息する。
 積み重なった瓦礫に邪魔されて全体を確認することはできないが、致命的な深傷を負っていることは疑いようのない事実。このまま放置していればまず間違いなく命を失うだろう。
 一瞬だけ、金色の双眸に複雑な感情を浮かべたベルは頭(かぶり)を振ると、なのはの背中に折り重なるそこそこ大きいコンクリートを足蹴にして退け、スペースを確保する。

「とりあえず、死んではいなさそうだけど。――フリップフラップ」

 手を差し向けて魔力を練り上げ、独自の法則で世界を塗り替える。
 灰色の光が弾けると、みるみるうちになのはの傷が消えていく。治療でもなく再生でもなく、怪我をした事実そのものを上書きすることで対象を癒す“虚”属性の魔法、“フリップフラップ”。
 その強力な効果から、比較的難易度の高い部類に分類される魔法である。

「……ぅ、う、ん……?」
「あらま、一発成功? ……ホントあんたって悪運強いのね」

 一転、息を吹き返して身じろぐなのはを見下ろし、ベルは茶化したような感想を述べた。
 かつて、リオンの“書物”の記述を超える結果を掴んで見せたなのはである。想いを実現させる存在の力“プラーナ”の保有総量は、先天的・後天的要因で極端に多いフェイトには及ばずともこの次元宇宙全体で屈指の存在だ。
 もっとも世の中には、持って生れた天運があまりにも強すぎて、逆に面白いように貧乏くじを引きまくる“珍獣”がいたりするからおもしろいのだが。

 閑話休題。
 まだ痛みが残っているのだろう、小刻みに震える腕で何とか顔を上げたなのはが困惑を表情に浮かべ、酷薄な金色の双眸を仰ぐ。

「ベル、さん……?」
「ふんっ! ほら、起きなさい。あんたには聞きたいことがあるのよ」
「うぐっ」

 あらかた傷が治ったのを確認し、ベルはなのはの襟元に掴んで容赦無く引き起こした。
 彼女の言葉通り、聞かなければならないことがあるのだ。
 たとえ、答えがわかりきっていたとしても――

「それで。あの子は、ヴィヴィオはどうしたの?」
「……っ」
「そ、だいたいわかったわ」

 くしゃり、と涙を堪えるような悲痛な顔をしたその態度で、事態を大まかに理解したベルは用済みとばかりに掴んだ手を離した。
「きゃんっ!?」結果的に突き飛ばされた格好のなのは、尻餅を突つ。涙目で頭上を見上げると、銀髪の少女は明後日の方向を向いて苛立ちげに舌打ちをした。

「っち、ったくあのバカ。中途半端に甘いから、連中がつけあがるのよっ!」

 八つ当たりぎみに当て擦り、毒づくベル。あのバカ、とはこの戦いのシナリオを描いた人物――攸夜について揶揄した言葉だ。
 ベルに言わせれば、この次元宇宙全体のヒトを間引いて“冥魔”の勢力を間接的に削ることが最も簡単かつ効率的な対処法である。その方法を取らなかった時点で、この無様な結果は見えていた。
 とはいえ彼女とて結果を半ば捨てて、過程を楽しむ本末転倒なタイプなので人のことを言える立場ではない。

「ま、いいわ。行くわよ」
「行くって……?」
「とりあえず、ここじゃないとこよ。いつまでも居たってしょうがないでしょうに」
「……あ、あのっ!」

 傲慢に言い放ち、踵を返すベルをなのはが呼び止める。

「レイジングハートが、私の杖が見当たらなくて」
「……杖?」

 小首をかしげたベルは、ふと目をやった瓦礫の影に隠れた光る何かを見つけた。
「……これのこと?」言って、酷くヒビ割れた紅い球体を無造作に拾い上げる。

「ぁっ……」

 ぶっきらぼうに突き出されたそれ――レイジングハートのデバイスコアを震える手で受け取り、なのははゆっくり胸に抱き締める。――十年間、苦楽を共にした大切なパートナーの変わり果てた姿に彼女は胸を痛め、静かに涙をこぼした。
 傍らで見つめるベルは、腕を組んで小さく嘆息した。

 ――そんな二人の頭上に、巨大な飛翔体が近付いていた。




 ■□■□■□




 クラナガン市内、繁華街。

 暗黒の芽を植え付けられ、暴走するギンガが青藍の渦を解き放つ刹那――――
 黒い影が乱入した。

「っ!」

 横合いから蹴り込まれ、ドリルの尖端が変わる。
 自分のすぐ脇を通り抜けていった衝撃波に、思わず尻餅をつくティアナ。激痛のあまり意識をシャットダウンさせたスバルを抱え、彼女は目の前の光景に呆気にとられていた。

「……」

 二人を庇うように立ち塞がる黒い異形のヒトガタ。黒に紅い意匠の施された外骨格に包まれた四肢は細く、無駄なものを極力削ぎ落とした流線型。ヒトの頭蓋とは思えない細く小さな頭部の奥で赤い複眼が光り、首に巻いた紅いボロボロのマフラーを棚引かせて油断なく佇んでいる。
 恐ろしげな姿とは裏腹にその立ち姿はまるで、弱き者を自らの身を挺して護る騎士のようだった。

「ガリュー、治療の時間を稼いで! ギンガさんを傷つけてはダメよ!」

 ティアナたちの背後から、聞き覚えのある声で鋭い檄が飛ぶ。
 指示を受け、黒き騎士は機先を制して瞬く間に数メートルの距離を踏み潰し、暴走する魔導師に襲い掛かる。
 残像すら残す速度でギンガに肉薄し、鋭い爪を一閃。黒騎士は主の命に従って、鋭い牽制攻撃を繰り返す。
 激突の度、火花を散った。

 ティアナが振り変えると、ローブ風のバリアジャケットを身に纏う紫髪の婦人――メガーヌ・アルピーノが、駆け寄って来るのが見えた。
 彼女は二人の元に辿り着くと、まずは胸に手を当てて弾んだ息を整える。

「ふぅ、さすがに寄る年波には勝てないわ。ティアナさん、大丈夫?」
「メガーヌ、さん……?」
「酷い怪我……、応急処置はしておくわね」

 最愛の姉の手によって粉砕されたスバルの右腕――特に、もはや原型を留めていないリボルバーナックル――を目にし、悲痛な思いで顔を歪めるメガーヌ。放心しかけ、顔色を真っ青のティアナを半ば無視する形でスバルの治療を始めた。
 短い集中、紫色の魔力光が膜のように広がって血を流し続けるスバルの右肩を覆う。
 下手に傷を塞ぐと、後々の本格的な治療に差し障る。メガーヌは細心の注意を払って治癒魔法をコントロールしていた。
 幸か不幸かスバルの腕は、グチャグチャに粉砕されても取り返し(・・・・)がつく。大量出血によるショック死を防ぐために、最低限の止血を行えばよい。
 千切れた血管を魔法的に処置を終え、そのまま魔力を腕全体に纏わせて固定化させておく。可能ならば清潔な布できちんと清潔にさせたいところだが、この状況下ではそう贅沢なことも言ってられまい。
 さすがは一級線の召喚魔導師の面目躍如と言うべきだろう、スバルの治療はほんのわずかな時間で完了した。

「ティアナさん、キャロさんとエリオ君は?」
「……あ、そ、その、今は別行動中で――」
「場所は?」
「E8ー46、です」

「そう……」いささか不明瞭なティアナの応答を得て、しばし考え込む。「ならここは、撤退の一手ね。あんなギンガさんを、一人で放置していくのは心苦しいけれど……」

 ガリューと呼んだ黒騎士と激闘を繰り広げる親友の娘の片割れに目を向け、メガーヌが心底悔しげに言う。
 黒騎士の放った灼炎の焼夷弾が高速で分裂し、ギンガの足元で炸裂する。

「くっ! アアアアアッ!!」
「……」

 ことごとく出足を潰されて苛立ち、動作が大振りで荒くなったギンガの突きを強かに弾いて飛び退き、ティアナたちのすぐ目の前まで距離を取る。

「ガリュー! 粒子加速砲(バニシングバスター)、拡散放射!!」

 メガーヌは叫び、両手のカドゥケウスに魔力を注ぎ込む。
 契約のパスを通じて流れ込んだ魔力を胸部装甲を鏡開きに開き、内蔵機関を露出させた。
 甲高い呼気とともにエネルギーが高まり、ついには臨界を迎える。
 拡散照射される紅黒い閃光――同色の光線が連続して着弾して爆発。それを目眩ましにメガーヌは短距離転送魔法を発動し、戦線を離脱した。



[8913] 第三十八話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/10/12 21:42
 



「…………ん、う……んんっ……、ふみゅ……?」

 目が、覚めた。
 コンクリートとコンクリートが折り重なってまるで洞窟みたいになっているところ。地面には、厚手の毛布が敷かれてた。
 ずきずきと疼く重たい頭を抱えて、混乱する思考を無理矢理動かして現状を把握する。
 ……おかしい。私はアリシアとの戦いに負けて、この胸をひと突きにされたはずだ。
 傷ついて動かない身体に感じた絶望や、刃に肉を切り割かれたときの気が狂いそうな激痛を覚えているし、心臓を貫いた刃に命を吸われていくようなおぞましい感覚や、意識が閉じていく冷え冷えとした恐怖だって記憶に残ってる。

 そこまで経緯を思い出して、私はようやく異変に思い至り、慌てて自分の身体を確認した。

「――〜〜〜っっっ!?!?」

 思わず、悲鳴をあげかけた。
 だって、だって……!

(なんで私、裸なのぉぉぉぉっ!!?)

 正確に言うと、肌触りのいい白いシルク地のシーツのような布でくるまってた。
 かああっ、と顔が真っ赤になる。は、はずかしい……っ!
 ……たしかに、バリアジャケットの魔力が強制解除されたらこうなるのは、じゅうぶんありえることだけど……。
 でも、服を着てない以外にこれといった異常は見当たらなくて、ほっとした。
 変なことも、されてないみたいだし――あ、変なことっていうのは、そ、その……つまりは、そういうことだ。

 ……。
 …………。

「――ええっ!?」

 おどろいて、私はもう一度、自分の身体を確認する。胸に両手を当てる。
 …………。きちんと、心臓は動いてる。あのネックレスだってちゃんと首にかかってるし、意識すればアルフとのラインだって繋がっていることも確認できた。
 それに、なんだかアリシアと戦ってたときより身体のコンディションがずっといいっていうか、かつてないほど絶好調っていうか。
 おかしい。致命的におかしい。
 だって私、死んじゃったはずなのに……。

 とりあえず、自分の頬をつねってみる。

「いたひ。――夢じゃないんだ。でも、ならどうして?」

 意味がわからなくて、ますます混乱する。
 というか、こんな大事で不思議なことに今ごろ気づくなんて、かなり頭の働きが鈍ってる。たしかに私、寝起きは悪いけど――……あれ?
 ふと、鼻に嗅ぎなれた匂いを感じた。

「すんすん。すんすん。――……ユーヤのにおいがする?」

 愛しいあのひとの、大好きなにおい。私を安心させてくれる大好きなあのにおいが、ふわりと鼻孔をくすぐる。
 でも、どうして?
 はぁ……、彼のことを考えてたら、なんだか心配になってきた。胸騒ぎもしてきたし。
 ううー、わかんないことだらけだよぅ……。

「っ!」

 何かが身じろぎする気配。はっ、として振り向く。
 今、ようやく気がついた。
 隅の方に、ひっそりとうずくまる大きな影があったことを。……私、やっぱり注意散漫になってるのかなぁ?

「……私を守ってくれたのは、あなた?」
「くぉう」

 おっきな黒いわんちゃんは、私の言葉に応えるように小さく鳴き声を上げる。
 それから彼――なんとなく、男の子だと思った――はすくっと立ち上がってこちらに近寄ってくると、見覚えのあるブルーのハンカチに包まれたなにかを目の前に置いた。
 目線で開けろ、と訴えてくるわんちゃんに従って、そっと包みを開ける。

「……!! バルデッシュ!!?」

 それは、私の大事な家族、大切なパートナーの無惨な姿だった。

「ひどい……」

 そうとしか、言えなかった。
 黄色いクリスタルのようなデバイスコア部分にはヒビが入ってて、内部の機構が露出してる。本体のパーツは大部分が紛失してるらしく、刃も柄も、カートリッジシステムも見当たらない。自己修復も不可能なダメージ――
 辛うじて一番大事な中枢部分は無事なようだけど、再起するのにはたくさんの時間と労力がかかるだろう。少なくとも、シグナムに壊されたときよりもずっと重症なのは間違いない。
 ……それにこのハンカチ、私がせいろんにプレゼントしてあげたものだ。

 そう思い出して、唐突に理解した。
 理由とか理屈はぜんぜんわからないけど、あのこが私の身代わりになってくれたんだ、ってこと。

 ぎゅっ、と壊れてなにも言ってくれないバルディッシュを胸に抱き上げる。
 私の……私の、せいだ。
 私が弱かったから、私が負けたからバルディッシュは壊された。せいろんが犠牲になった。アリシアを、救えなかった。
 ――わたし、の……

「くぅーん」
「なぐさめてくれてるの、かな? ……ありがとう」

 鼻先をすりすりと擦りつけてくるわんちゃんから、あのにおいがした。たぶん前に聞いた“護衛”というのは、きっとこのこのことだ。
 妙に過保護で心配性な彼だから、私にもしものことがあってもだいじょうぶなようにって、そういうことだと思う。

(ユーヤ……)

 “彼”は、ユーヤはいつもいつも私のことを第一に考えていてくれる。
 そして私の気持ちも尊重してくれて、肝心なところは守ってくれる――そう思うとうれしくって、不甲斐ない自分が情けなくって。
 ぎゅう、とわんちゃんを抱き締めた。ここにはいない、あのひとを想って。

 ――しばらくそうしてたら、わんちゃんが、地上部隊の制服一式と下着、ストッキングにサイズぴったりパンプスまでどこからともなく取り出した。……すっごく見覚えあるけど、ツッコまないからねっ!
 ……ごほん。腑に落ちないものを感じつつ着替えて、そそくさと身支度を整える。
 そういえば私、全身ドロドロだったはずなんだけど……わんちゃんがきれいにしてくれたのかな? 髪の毛はちょっとごわごわするけど、ガマンできるレベルだ。

 制服に着替えたら、意を決して外に出る。サーチャーは……、敵をひきつけたりしそうだからやめておこう。
 あたり一面ガレキの山で、景色から現在位置を割り出すのは難しい。標識か何かの残骸でもあれば別だけど……。
 降っていた雨は止んでいたけれど、遥か空の彼方は雲とも思えない別の真っ黒い何かで一面覆われていた。
 ……すごく、すごくイヤな感じだ。
 まるで、アリシアが“落とし子”の力を行使したときのような――

 地面に、大きな影が落ちる。
 私は空を仰ぎ見た。

 あれは……、
 ところどころ違いはあるけど、でも見覚えのある、間違えようのないフォルムのあれは――

「――アースラ……?」




 ■□■□■□




 やっぱり、アースラだった。

 不明艦、もといアースラ?に招かれた私を迎えてくれたのは、どこかくたびれた様子の親友だった。

「はやて!」
「よお、フェイトちゃん。無事でなによりや」

 気だるげに片手をあげるはやて。その声には、なんだか張りがない。
 ……私、ほんとはぜんぜん無事じゃなかったんだけど、わざわざ言う必要ないよね。
 ちなみにあの黒いわんちゃんは、いつの間にか姿が見当たらなくなっていた。でも、なんとなくまだ近くにいてくれるような気がするので、とりあえずいいかなって思うことにした。

 はやては探るような視線を向けてくる。

「――あのあと、アリシアちゃんには……」
「うん……、負けちゃった」

 あえて笑みを交え、軽めの口調で答える。ずきりと胸の奥でうずく痛みは、つとめて無視して。

「そか……、みんな似たようなもんやな」

 痛々しい苦笑とともに放たれた言葉に、私は首をかしげる。
 それに気づいたはやては表情を改めて、口火を切った。

「なのはちゃんはあちらさんの幹部にやられてレイジングハートも大破、おまけにヴィヴィオを目の前でさらわれてしもて。スバルはスバルで、“闇の落とし子”にされたギンガに右腕を潰されててな。……唯一助かったチンクの話じゃ、ノーヴェたちもおんなじ目に遭ってるらしいわ」
「そ、そんな……!」

 愕然とした。言葉もなかった。
 完敗って表現すら生ぬるい最悪の状況と、悪意に満ちた采配に薄ら寒さを感じて、ぶるりと身体が震える。

「なのはちゃんは医務室におると思うけど、ケガは“蝿の女王”が直してくれて大事ないし。せやけどかなり精神的にショック受けとるっぽいから、今はそっとしといてあげてな」
「う、うん、それはわかったけど……“蝿の女王”って、あの、ベール・ゼファーが?」
「せやせや。なんだかんだ言って、面倒見いいんかねぇ?
 ちなみにちびっこ二人は無事やで。今は、メガーヌさんを手伝ってスバルの治療中やろな」

 せやから、そっちも邪魔せんといてな。と、二重に釘を刺されてしまった。くすん……。

 艦橋に向かって移動する道すがら、はやてが簡潔に経緯を説明してくれた。
 私と別れたあと、レジアス中将たちVIPのみなさんと本部ビルを脱出したはやては、ゼスト・グランガイツに襲われた。
 けど、シグナム、ヴィータコンビの加勢でなんとか振り切り――でも、それ以来シグナムたちとの連絡はついていないのだとか――、抵抗活動の拠点「ダアト・ポイント」にたどり着いた。
 そこで――

「そんでな、このアースラの改造艦「ネェル・アースラ」に乗り込んで、デバイスの反応(マーカー)辿ってみんなを回収して、最後にフェイトちゃんを収容したってワケや。
 ……なのはちゃん拾ったとき見たメチャクチャの六課には、さすがのはやてさんもちょっと堪えたわ」

 あっけらかんと言うはやて。……ムリしているようには、見えない。

 悠長に空を飛んでいて“冥魔”に襲われないか心配だったけど、なんでも“見えざる傘”という最新のステルスで姿を隠しているのだとか。
 で、今このフネは、惑星ミッドチルダを脱出する航路をとっているのだそうだ。ウチの誰かが動かしてるのかなぁ?

「ねぇ、はやて。このフネって、あのアースラだよね? でもアースラって、たしか廃艦になったはずじゃ……」
「んん? あぁー、それはなぁ――」
「――私の仕業だよ、ハラオウン執務官」

 むっ、この嫌な声。
 目の前の通路の角から、声の主があらわれた。
 けど――

「スカリエッティ……?」

 びっくりした。
 だって、あのいけ好かない紫ワカメが車イスに乗って現れたんだもん。
 後ろで車イスを押しているのは、いつか病院で見た白衣姿の女性――ウーノだ。彼女も、頭に包帯を巻いた痛々しい姿をしている。

「ふむ。私のこの姿が物珍しいかね?」

 ニヤニヤと、意地の悪い笑みを浮かべるスカリエッティ。カチャカチャと耳障りな音を鳴らして、機械の右手を動かしている。
 彼の右腕は手首のあたりまでしかなくて、かわりに不格好――まるで、ガラクタを利用して急造したよう――な義手になっていて、膝の上にかけられた毛布の不自然な盛り上がり方からみて、両足もなくなっているように見える。

「君の観察は正しいよ。ゼスト・グランガイツにラボを強襲されてね、抵抗はしたんだがこのザマさ」

 幸い、ウーノはそれほど大怪我をせずに済んだのだがね。背後を軽く振り返りながら、スカリエッティは神妙に言う。
 さすがの大犯罪者も、あんな大ケガを負って参ってるのかな? これで過去を省みて、懲りててくれたら嬉しいんだけど。
 ――とと、なんだか話題がズレてる。修正しなきゃ。

「それで、このフネは?」
「ああ、君のフィアンセに改修を依頼されたんだよ」
「ユーヤが?」
「随分と前の事だったが、急に旧式艦を持ってきて「最新技術でヴァージョンアップしろ」と無茶振りされてね。まったく、参ったよ」

 彼らしいエピソードに、思わず笑みがこぼれる。
 もしかしたらこの状況さえも、彼には想定済みなのかもしれない。……ただ偶然に、もしもの保険がうまく噛み合っただけかもしれないけど。

「まあ、まさしく“こんなこともあろうかと”というヤツだねぇ」

 ハハハ、と軽快に機械の右手をカチカチと鳴らして言う。ずいぶん楽しそうだ。
 ……前言撤回。このひと、ぜんぜん参ってないし懲りてもいないよ。ていうか、「こんなこともあろうかと」って言いたかっただけなんじゃないのかな、もう……。



[8913] 第三十八話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/10/19 21:27
 


 アースラ、艦橋。

 懐かしい自動ドアを潜り抜け、足を踏み入れた私たちを待ち受けていたのは、金髪碧眼のお人形みたいな美少女だった。

「お久しぶりであります、ハラオウン執務官どの」
「あなたは……えっと、アイギス?」
「はい。HTBX01AⅡ七式アイギス、現在作戦行動中であります」

 しゃちこばって敬礼する白い女の子。素肌というか、革張りの身体の上に何も着てないのはきっと、今が戦闘中だからだろう。
 あいかわらず、つかみどころのわからない子だ。軍隊風?というんだろうか、いちいち妙な言い回しで……なんか苦手。
 ――“彼”がいるかもしれないって、違うって確信しててもちょっと期待してたんだけど……。

 ブリッジの周囲を見渡すと、アイギスによく似た容姿の女の子が三人、オペレーター席で忙しなく働いていた。
 あの子たちはたぶん、彼女の量産タイプってことなんだと思う。こうして改めて見せつけられると、なんだか複雑だな……。

「今、作戦行動中言うてたな。どういうことやの?」
「マスター直々の特命であります」
「! ユーヤの?」
「イエス。質問されれば説明するよう、言いつけられてるであります。お聞きになりますか?」

 はやての質問に答えたアイギスは向き直り、そう私に問いかけてくる。
 彼が計画したことなら、私としてはとても興味がある。ぜひ聞きたい。
 うなづいて、続きをうながす。はやても聞きたそうな顔してたし。

「わたし、アイギス率いる盾の乙女(スカルメール)隊の任務は機動六課主要メンバーの保護およびセフィロトへの移送であります。その皮切りとして、そこの犯罪者のもとにあったこの艦を確保しました」

 ビシッ、とスカリエッティを指差すアイギス。あんなのでも、ヒトを指差ししたらダメなんだよ。とか、注意してる空気じゃない……かな?
 私、空気は読める子なんだから。

「君たちのお陰で、私とウーノは生き埋めにされずにすんだよ」
「このネェル・アースラと、預けてあった“天使核”を回収するついでです。おまえのような腐れマッドはお呼びじゃないであります」

 ほらきた毒舌。容赦ない言われように、さすがのスカリエッティも困ったように肩をすくめた。
 チンクたちとのいざこざの話を聞いていたんだろうか、ウーノがすごい顔してにらんでた。まあ、気持ちはわかるよ、うん。

「こらこら。話しが横道にそれてんで」
「そうでありました。皆さんをこうして集め、宇宙(ソラ)へと上げるのは、この宇宙を救う勝利の鍵であり最後の希望だからであります」
「私たちが、希望?」
「そうマスターから聞かされてるであります」

 “希望”――たいせつなひとからもらった私の根幹をつくる大事な概念。その言葉のきらきらとした響きに心を牽かれて、きゅ、と胸元で揺れるネックレスのヘッドを握る。
 このちいさな金色の貴石(きせき)に彼の想いが込められているように感じて、胸の奥がぽかぽかした。

「その希望とやらは、具体的には一体どのようなものなんだね?」
「詳細については、不明であります。しかし、この危機的状況を覆す起死回生の秘策があるのだと思われます」
「ふーむ。希望うんぬんはわからんけど、六課そのもの――、いや、せやないな、一連の“世界樹計画”自体が攸夜君の仕込みやってんな」
「イエス。最新鋭の装備と最精鋭の人員で最重要の拠点を守り、敵を迎え撃つ。さすが、マスターの深謀遠慮であります」
「ま、そのワリには現在進行形でフルボッコ中ですけど」
「んぐ……!」

 はやてもイジワルを言う。私的には、アイギスの意見に賛同したいかな。

 ふと前面スクリーンに浮かんだ空間投影モニター、アースラの外部カメラが外の戦いの様子を映し出している。
 その光景は凄惨の一言に尽きていた。

「――……ッ」

 逃げ遅れたひとたちを守って、必死に抵抗する監理局の武装隊員。私の仲間たち。
 男の人とか、女の子とか。
 老いているとか、若いとか。
 魔法が使える使えないなんて、関係ない。
 誰もが目の前の絶望的な状況に立ち向かおうと、自分のできること精一杯こなして命の限り戦っている。

 助けにいかなきゃ。
 そう、思う。

(でも……っ)

 ギュッ、と下唇を噛む。
 悔しい。悔しくて悔しくてたまらない。
 戦う力も、守る力も――今の私には……ない。

「そのためにも、まずはこの惑星ミッドチルダを早急に脱出し、次元航行艦隊総旗艦セフィロトへたどり着くことが先決です」
「確かに、同意しよう」

 アイギスの結論を、スカリエッティが引き継ぐ。

「この艦はもとよりダアト・ポイント基地施設の設備と人員でも、タイプゼロ・セカンド――」
「スバルです」

 私の声に、空気が停止する。
 はしたないとは思うけど、あんな言い方をされたら口を挟まざるを得ないよ。

「タイプゼロ・セカンドの――」
「スバルですっ!」
「……ふむ。スバル・ナカジマの損傷した右腕の修理――もとい、治療や、高町なのはのデバイスの修復及びバージョンアップは不可能だ。体勢を建て直すにも、方舟の最新鋭設備は必要だね」

 とりあえず言い直したので、さっきの暴言は不問にしよう。ふとはやてを見たら、やれやれって呆れ顔されちゃった。
 でも、仕方ないよ。あの子が戦闘機人であることも、ご両親の実の子どもじゃないことも知ってるけど、ああいうモノみたいな言い方って、許せない。

 ――うん? レイジングハートのバージョンアップ? ……もしかして、バルディッシュも治してもらえるのかな?


 それからしばらくして。
 ステルスを駆使して敵を避けるアースラが、対流圏から成層圏への圏界面に差し掛かったときだった。

「隊長っ!」
「どうしたでありますか?」
「クラナガン北部、ベルカ自治区にて莫大な魔力エネルギー反応を感知っ!」

 ブリッジがにわかに慌ただしくなる。といっても、私やはやてたちはゲスト席で座ってるしかないんだけど……。

「……あのあたりにはたしか、教会所有のロストロギア関連の特別封鎖区域やったはず……」

 隣の席のはやてが眉間にシワを寄せ、考え込むしぐさをしてつぶやいた。
 そのときだ。

「巨大な質量の浮上を関知ッ、来ます!」

 すぐさま映像を撮し出す正面スクリーン。施設を隠していた覆いを突き破り、地面の下からゆっくりと、それはあらわれた。
 目算で全長数キロ。船首から外周に沿ってガラスみたいな半球体が見える。優美な曲線で構成された荘厳な姿はまるで、よくできた芸術品のようで――

「“聖王のゆりかご”……」

 スカリエッティが険しい顔で、うめくように言う。
 あれが、“ゆりかご”……?

 突然、艦の両舷に取り付けられた半球体がまたたき、濁った虹色の魔力光を放つ。
 見たこともない――ミッド式やベルカ式、それにユーヤたちのとも違う――魔法陣が艦首の空間に描かれる。
 それは瞬く間に大きくなって、不吉な発光を繰り返す。“ゆりかご”との対比から直径は数十キロはあるだろうか、とても尋常なものとは思えない。
 魔法陣が、ひときわ強く光り輝いた。

「きゃあ!」
「うくっ! なんやのっ!?」

 ――撃たれた!?

 壁にしか見えないほどの光の柱が、フネの左側を抜けていく映像を外部カメラが捉える。
 辛うじて直撃は免れたアースラだったけど、艦内はひどい揺れに襲われて立つこともままならない。

「防御フィールド消失! 再展開まで30秒!」
「左舷第一装甲板にダメージ! 損傷率78%!」
「シット! かすっただけでこの有り様でありますか!」

 混乱する艦橋。正面スクリーンの画像が、ザザァッと突然荒れ出した。
 強制的に切り替わる画面。映し出されたは黄金色の広間の天井はすごく高くて、大きな壁には不気味に濁った七色の魔力ラインが走っている。
 魔力の発生源――大きなイスに腰かけた銀髪の女の子。背中には真っ黒な翼を生やしていて、どこか見覚えのあるレッドとグリーンのオッドアイに、ひどく不快感を覚えた。

「“冥刻王”……!」

 絞り出すように、アイギスが少女の正体を言い当てる。その顔色が青ざめているように見えたのは、気のせいだろうか。
 あの眼の色――、ヴィヴィオを“取り込んだ”って、ほんとうなんだ。
 ぎり、と知らず知らずのうちに噛み締めていた奥歯が鈍い音を鳴らす。

『はろはろ〜♪ イタズラ心、わくわくしてますか? 冥界いちのスーパーアイドル、メイ――』
「――メイオ! あんた、どのツラ下げてあたしの前に顔出してんのよっ!?」
『ああーっ、ベルちゃん! あたし渾身の名乗り、先に取っちゃダメだよーっ?』

 ふざけた向上を遮り、画面に食って掛かる銀髪の女の子――ベール・ゼファー。同乗してるって聞いてたけど、いつの間に。
 不意に気配を感じて振り向く。一歩遅れてブリッジに入ってきたのは……

「……なのは!?」
「フェイト、ちゃん……」

 白い貫頭着を身につけ、ふらふらとおぼつかない足取りのなのは。私があわてて席を立ち、駆け寄ったときには壁に力なくもたれ掛かってしまっていた。
「だいじょうぶ?」って問いかけると、「うん」と短い答えが帰ってくる。だけど顔色はよくないし、焦燥してるように見える。
 親友の体調を心配している間に、後ろのやりあいはますますヒートアップしていた。

「わざわざこんな手の込んだ手段で顔を見せたりして、いったいなんのつもり?」
『べっつにー。ベルちゃんの顔が見たかっただけだよぅー』
「ふんっ、なるほどね。手に入れた新しい力を見せびらかしたいってワケ。幼稚で小狡いあんたらしいわ」

 とげとげしい言葉のはしばしに、痛々しいほどの苛立ちと敵意が感じられる。
 彼女、なんだかんだ言ってヴィヴィオのことかわいがっていたから、ほんとに怒ってるのかもしれない。

『ぶっぶー! ベルちゃんの愛が冷たーい。……ま、メッセンジャーにそこのニンゲンを生かしておいたのは正解だったかな』

「あ……」映像越しに視線を向けられて、全身をこわばらせたなのは。そして、力が抜けたように膝から崩れ落ちる。
「なのは!?」いつかなのはがしてくれたみたいに、私は彼女を抱きとめて支えた。

「報告! “ゆりかご”艦尾後部付近に、ブリッツキャリバーおよびナンバーズ三名の反応アリ!」
「あの子たちが、あの艦に……!?」

 立ち上がり、悲鳴のような声をあげるウーノ。やっぱり妹たちのことが心配なのかな、すごく動揺してる。
 ブリッツキャリバーの反応もあるなら、ギンガも同じところにいるはず。どうにかして、助けてあげたいけど……――

『もうじき、“ゆりかご”はこの惑星の衛星軌道に到達するんだよ。そしたらね、ベルちゃん。あたしはますます完璧な存在に近づくんだ』
「……?」
『“聖王”の器を手にして、あたしは“ゆりかご”と繋がってるんだよ。アルティシモとか“七罪の宝玉”にはずっと劣るけど、補助動力としてはじゅうぶんだよね♪』
「なるほど、月の魔力を利用した半永久機関という訳か」
「そうなったら、ますます手がつけられへんやないの!?」

 スカリエッティの推察に、はやてが悲鳴をあげた。
 あれだけ大きなフネだ、動かしている魔導機関だけでも相当なエネルギーだろう。ましてや、月の魔力まで得たりしたら――

「っち、そこのポンコツロボット! さっさとフネの行き先をあれに向けなさい! あの腐れ外道に一発デカイのブチかまして、ぎゃふんと言わしてやるんだからっ!!」
「とりあえず、ぽんこつにぽんこつ呼ばわりされたくないであります。――機関最大!」
「イエッサー!」
「ちょ、ちょっと!?」
「全速力で大気圏を離脱するであります!」

 アイギスの号令で、アースラの心臓に火が点る。
 私は急いでなのはの手を取り、ゲスト席に取って返して身体をしっかり固定した。

『ふーん、逃げちゃうんだ。……ま、いいや。どうせ戻ってくるしかないんだし、それまで待っててあげるよ。あはははははっ!』

 映像が消える瞬間まで響く嘲笑。それを背に、アースラはミッドチルダの重力圏を離れた。
 苦い敗北の味を、無力さと悔しさを噛み締めながら――――



[8913] 第三十八話‐4
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/10/26 21:33
 


 薄暗く人気のない静かな通路に二組の足音が響き渡る。
 ブリッジでの騒動のあと、私は顔色の悪いなのはを最寄りの休憩室まで送ることになった。
 医務室ではないのはなのは自身の希望から。向こうにいるエリオたちに迷惑をかけたくないって言ってたけど、ほんとは一人になりたいからなんだと思う。
 あと、ベール・ゼファーはふらりとどこかに消えてしまった。無責任だよね、ほんとに。

「……」

 なのははあれからすっかり意気消沈してしまい、道中私が声をかけてもうつむいたまま、なにも応えてくれなくて。
 性根がネガティブな私の言えたことじゃないけど、なのはは普段が明るい分一度落ち込んだらずっとずっとひどくなってしまうのかもしれない。ユーノに大ケガさせちゃったときも、それはもう痛々しくて見ていられないくらいだったし。

 そうこうしているうちに、目的地にたどり着いてしまった。

「……」
「……えっと……」

 沈黙が気まずいよりなにより、心が痛い。
「とりあえず、中入ろ?」って促すと、なのははこくんとうなづいてくれた。
 自動ドアの一部――ドアノブのかわりだ――にタッチして、真っ暗な室内に足を踏み入れる。……ちょっとホコリくさい気がするけど、エアコンがつければすぐ気にならなくなるだろう。
 手探りで照明のスイッチを入れると、連動して起動した窓――実際に外と接してるわけじゃなくて一種のモニターで、乗員のストレス軽減を目的としているそうだ――が外の情景を映し出した。
 どこまでも底の見えない漆黒の宇宙は、いつ見て少し怖い。
 少しして、ミッドチルダの全景が見えてきた。

「ミッドチルダが……」

 目の前の光景は、何度見ても絶句してしまう。
 地平線や、大気層の薄い膜が描いた弧を塗りつぶすように、あるいは蝕むように広がる不気味な暗黒の空間。その中心地は、位置関係から考えてクラナガンなのだろう。
 アースラの計器が観測したデータによればあの黒いモノはある種の時空断層で、日光はもちろん、およそミッドの科学力で考えうるあらゆるに物理現象よる干渉を無効化するのだという。スカリエッティによれば、ファー・ジ・アース系の魔法科学による新型のバリアシステムがなければ、私たちも突破できなかったそうだ。

「……あの下で、みんな戦ってるんだ……」

 ぽつり、とそんな言葉が口をついて出た。
「フェイトちゃん、は……」不意に名前を呼びかけられて、振り返る。「えっ?」

「――フェイトちゃんは、こわくないの?」

 辛うじて聞こえるかすれた声で、なのはは疑問を投げ掛ける。
 弱々しく陰った表情、輝きの失った瞳……こんなの、見てられない。

「私は、こわいよ……。ヴィヴィオを助けなきゃって頭では思うのに、身体が震えて……力、入らない……」
「なのは……」

 切なくなって、壊れてしまいそうで。私は思わず、なのはを抱き締めた。
 彼女は声をあげず、静かに泣きじゃくった。
 ……無理も、ないかな。
 どんなに力を振り絞っても通用しなくて、守りたかったヴィヴィオは目の前で奪われて、レイジングハートまで粉々に壊されて。
 ――惨めに、敗北した。

(……同じ立場なら、私だって耐えられない)

 そう、思う。
 奇しくも私はこのアースラで、心の一番大事だった部分を完膚なきまでに折られたことがあるから、よくわかる。……イヤな偶然だ。
 自分の“魔法”を特別誇りにしてたなのはに、この仕打ちは余計つらいはずだと思う。
 “冥王の災厄”事件のとき、なのはは翼を奪われた――自分自身の手で折ってしまった。だけどヴィヴィオと出会い、ユーノの勇敢さに勇気づけられて、もう一度空を飛ぼうと思えたのに……その翼はふたたび奪われたんだ。
 ベール・ゼファーには、未だに強い憤りを感じる。だけど、私に彼女を糾弾する権利はない。
 あの事件の少し後、夏休みの終わりくらいになのはが言っていた。


 ――私ね、フェイトちゃん。あのとき、ベルさんに完敗してよかったって思うよ。

 ――……どうして?

 ――だってわかったから。
 ――私が、身勝手で独りよがりだったってこと。

 ――そんな! なのはがあのとき手を差し伸べてくれたから、私は今こうしていられるんだよっ!?

 ――うん。ありがと。
 ――でもいいんだ。おかあさんたちの気持ちをぜんぜん考えてなかったのは、ほんとうだし。
 ――……それにね。今は空を飛べなくても、私の心は自由なんだって思えるから。

 ――なのは……。

 ――だからね、私が知らなかった、知ろうともしなかった私の弱さを教えてくれたベルさんには、感謝してるんだ。


 そう言って、彼女は日だまりのように満面の笑顔を浮かべた。
 そんな顔されたら、怒るに怒れないじゃないか。
 たいせつな親友に慰めの言葉をかけてあげたいのに、なにも思い浮かばない。口下手で表現力のない自分がイヤになる。

 ――こんなとき、ユーヤなら、あなたならどうするの?

 目を閉じて、問いかける。
 記憶に、心に、魂に焼きついた彼の肖像に。
 声が返ってくるわけじゃない。でも、それでもよかった。
 ……だって答えははじめから、私の中にあるんだから。

「――なのは」

 抱き締めた身体をやや強引に離しながら、親友の名前を呼ぶ。

「フェイト、ちゃん?」

 なのはが困惑した様子で顔をあげる。私は、真っ赤に腫れた青紫の瞳をじっと見つめた。
 これから私が言うことは、今のなのはにとっては残酷なことかもしれない。そう思うと、気後れしてしまう。
 だけど――

「なのは。諦めちゃダメだ。諦めて絶望に負けたら、なにもかも終わっちゃう」

 でも、それじゃダメなんだ。
 相手を大事に想うことと、ただ甘やかすことはまったく別のものなんだから。

「私は諦めない。絶対に、アリシアを助け出すって決めたんだ。どうやったらいいのか、まだぜんぜんわからないけど……でも、どれだけ傷ついても、どれだけ苦しくっても――何度でも立ち上がって、必ずやりとげる。
 生前の“母さん”の願いだからってことも否定しないし、ユーヤの望みだからってことも認めるよ。だけど、それだけじゃない」

 “生前”、って単語がすっと口から出たことに自分でも驚きながら、言葉を続ける。

「それはね。私がアリシアと、この蒼い世界で、やさしい世界でいっしょに生きていたいって思うから。アリシアに生きていてほしいからなんだよ。
 ……私がそうしたいから、だからこの命を懸けられるんだ」

 そう、これは――この胸に抱いた想いは。私の、私自身の意思なんだ。
 他の誰でもない、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンの――

「“踏み出さなければ世界は、明日は変えられない。だけど、ほんの少し、足を踏み出す勇気があればきっと変えられる”……私は、そう信じてる。――なのは。あなたは……、あなたはどうしたいの?」
「……っ」

 ハッ、となのはが大きく目を見開く。
 それだけ言って、部屋を出る。視界の端にすとんとベッドに座り込んでしまうなのはの姿が見えたけど、後ろは――、振り返らない。
 つらいときに、抱き止めてあげるだけがやさしさじゃない。時には突き放すのもやさしさだと、私は教えられたのだから。




 ■□■□■□




 休憩室を後にした私は、その足で医務室に向かうことにした。
 大ケガを負ったというスバルやチンクもだけど、なにより仲間が傷つけられてショックを受けているかもしれない年少の二人が心配だったからだ。

 医務室に入ると、薬品のつんとした独特のにおいが鼻孔を刺激する。
 清潔に保たれた内装は、あの頃と変わってないように見える。正直ここにはいい思い出がなくて、アースラの現役時代はあんまり近寄ってないから、実際はまるっきり違うのかもしれないけど。

「! フェイトさんっ!?」

 私を目にして、パイプイスに座っていたバリアジャケット姿のエリオが立ち上がる。隣には同じようにバリアジャケットを着たキャロと、フリードもいたけれど……ティアナの姿が見えないな。
 私の顔を見て、二人はホッとした表情している。こんな状況下だし、やっぱり気を張ってたんだね。

「エリオ、キャロ、二人とも無事だったんだね」
「はい」
「私たちはスバルさんたちと違って、ほとんど戦ってないので……」

 キャロが苦笑する。
 おかしいな。図太い子なのに、今回はだいぶ参っている感じだ。……なにかフォローしたほうがいいかな。
 と、怪我人の処置中だったらしいメガーヌさんが、奥の部屋から出てきた。彼女もバリアジャケット姿で、どこか張りつめた様子だった。

「あら、フェイトさん。よかった、あなたは元気みたいね」
「はい、おかげさまで……って言ったらなんか変ですけど」

 苦笑ぎみに答えると、なんとなく場の空気が緩んだ気がした。
 アリシアに負けて殺されちゃいました、なんて正直に言うわけにもいかないし、ここは無難に受け答えするしかないよね。

「それで、メガーヌさん。スバルとチンクの様子は……」

 そう質問すると、無言で目を伏せて首を横に振るメガーヌさん。そのしぐさや、エリオたちの雰囲気でわかってしまった。
 はやてから聞いてはいたけど、そんなにひどいんだ……。

「ここの設備じゃ、現状維持が限界なの。二人とも、ちょっと特別な身体をしてるから、ね」

 まあ、その身体のおかげで命を繋いでるんだから、皮肉な話ね。メガーヌさんは、痛々しい笑顔でそう言葉を締める。
 私は言葉も出なくて、黙ってしまう。
 うつむいて、膝の上のフリードを抱いていたキャロがぽつりと口を開いた。

「ティアナさん……スバルさんが大ケガしたのは自分のせいだって、ずっと自分を責めてるみたいなんです」

 そう胸の内を語るキャロの声には、いつもの自信満々なハリがない。
 ぎゅっ、と小さな両手がスカートを握りしめてしわくちゃにする。

「わたし、なにもできなかった……四人で一番強いって、思い上がってたくせに。――わたしなんて、うぬぼれ屋の大バカです」
「そんなことないよ、キャロ! みんなが来るまで、合流地点を守りとおせたのは君の魔法のおかげじゃないか!」

 いつになく感情的な様子で、エリオが叫ぶ。フリードも、心配そうに小さくいななく。
 なのはほどじゃないけど、キャロはひどく焦燥してた。
 みんな、ボロボロなんだ。身も、心も。
 ――……六課崩壊の危機に直面した今だからこそ、私がしっかりしないと。

 そっと隣のイスに座ると、キャロがぴくりと肩を揺らした。
 私はそれに構わず、彼女の頭を抱き寄せる。

「……だいじょぶ。だいじょうぶから、ね?」
「ぁ……」

 空いた手で髪を軽くすいてあげたら、キャロの身体から強張りがすーっと抜けていく。
 向こうに見えるエリオがなんだか羨ましそうにしてたので、「エリオもおいで」って呼び寄せる。すると、渋々というかおずおずって感じでキャロとは反対側に座ってくれた。
 ぎゅっ、てそばに抱き寄せる居心地悪そうに身じろぎして、だ。やっぱり男の子だからこういうの恥ずかしいのかも、ユーヤも昔そうだったし。
 なんとなしに、私は笑顔になった。

「ティアナのこと、今はそっとしてあげよう? きっと、私たちじゃ力になれないと思う」
「はい……」

 つとめてやさしい声で諭すと、二人とも納得してくれたみたいだ。
 ふとメガーヌさんと目が合うと微笑まれた。な、なんだか恥ずかしい……。

「! みんな、船外カメラの映像を見て」

 何かに気がついたらしいメガーヌさんの声にしたがって、窓代わりのスクリーンに目を向ける。
 そこに映り出されていたのは、漆黒の宇宙に浮かぶ白亜の方舟。

「きれい……」

 キャロが呆けたようにため息を漏らす。私も、同感だった。
 この世界のものとは大きくかけ離れた思想を感じさせる独特の外観が、私にはどこか生き物のように見えて。
 アースラの目的地であり、私たちヒトと攸夜たち裏界の叡知の結晶――

「――あれが、セフィロト」



[8913] 第三十九話‐1
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/11/09 23:33
 


 第一世界ミッドチルダ本星、首都クラナガン。
 魔導技術の粋を凝らした超近代的な街並みは“冥魔”の軍勢の破壊行為により脆くも崩れ去り、もはや見る影もないほど荒れ果てている。
 冥き瘴気より次々と這い出た絶望の尖兵が、無軌道な破壊活動を繰り返し、邪悪な波となって大地を蹂躙していく。
 悲鳴。
 怒号。
 炸裂する魔法の轟音――
 命の光が消えゆく音が戦場に木霊する。

 この惑星(ほし)の守り人たる魔導師たちは、そんな絶望的な状況の中でも決死の覚悟で諦めることなく奮闘している。
 一時は崩壊した戦線も、レジアス・ゲイズ以下に詰める士官たちの不断の努力により辛うじて建て直されていた。

 そんな戦場の一角。

「ハァ、ハァ……」

 科学のローブを身に纏い、魔導の“箒”を駆る栗毛の少女が息を吐く。

「はぁ……っく、ルン、次行くよ」
『アリカ、無理は禁物です』
「わかってる! でも――、やるしかないんだよ!」

 傷ついた身体で青い相棒を抱え直し、少女は気炎を上げる。
 その脳裏に過るのは、母や祖母を始めとした家族や友人の姿。「自分以外の誰かを守れる人になりたい」という少女らしい夢と憧れを抱き、彼女は戦っていた。
 周囲には訓練校以来のバディや同僚たちの気配もあるが、いつまで皆が無事でいられるかはわからない。
 今この場所で、命の価値は驚くほど安いのだ。

 彼女や、その仲間たちの戦いはほんの一例に過ぎない。クラナガン各地で、彼らは絶望に抵抗を続ける。
 ――――夜明けは、まだ来ない。













  第三十九話 「退路に絶望、進路に希望」












 セフィロト、発着場。
 アースラと繋がったタラップを、先頭になって埠頭に降りる。
 転送装置じゃないのは、防犯上の観点から定点(ポート)以外、艦内での使用が禁止されているからだそうだ。

「すごい……」

 ひと足先にセフィロトに降り立った私は、目の前に広がった光景に改めて感嘆した。本局ステーションとは違う独特の雰囲気がなんだか物珍しくて、ついきょときょとしてしまう。
 アースラをまるまる収容してなお余裕のあるほど広大な艦内。上を見上げてみても、まるで天井が見えない。
 まわりにはクラウディアの同型艦や小型の輸送艇、それに見たこともない真っ白くて大きな艦(フネ)がたくさん停泊していた。あれがウワサの“艦積艦”なのだろうか。

「まったく。フェイトちゃんはおぼこいなぁ」

 そんなことしてたら、次に降りたはやてに後ろからそんなことを口にする。
 バッ、と振り返ると、はやてだけじゃなく、エリオたちにまで生暖かい視線を向けられてた……わ、私、子どもっぽくなんかないもん!

 みんなの反応にちょっぴり傷つきつつ、視線を戻す。
 ――うん? 向こうの方――たぶん移動用の転送ポートかな――から近づいてくるあの女の人は……

「……アルフ?」
「ん、ああ、ほんとや。元気に走っとぉねぇ」

 はやても私に一足遅れて認めたらしく、のんきな感じで同意する。
 オレンジ色に近い赤毛の頭に、三角のふさふさとしたかわいいお耳がぴょこんと飛び出てる。遠くから見てもわかるくらいスタイル抜群な美人さん。やっぱり、アルフだ。
 でも、アルフは地球にいるはず――あっ、無限書庫の方でお仕事してたって可能性もあるんだ。ていうか、アルフの戦闘モード見るのってほんと久々なんだけど。

 とりあえず、手を振って呼び掛けてみよう。

「おーい、アルフーっ!」

「――フェェェェェイトぉぉぉぉおおおおーーーーっ!!!!」

「……え?」

 なんかアルフ、私の名前を叫んで一直線に突進してくるよ?
 こっち見つけたら速度があがって、全力ダッシュして砂煙まであげてるし。
 ちょ、魔法まで使ったらアブな――

「おおおおーーーっ、フェイトっっっ!!!!」
「ぎゃんっ!?」

 避けるわけにもいかず、突撃をモロに受けた私は止めきれなくて、ごちんっ、と主に頭とかを床に強打した。
 女の子にはあるまじき悲鳴をあげちゃった気がするよぉ……。

「いたた……あ、アルフ?」
「フェイトぉ、ふぇいとぉぉっ」

 アルフは私にすがりついて、人目もはばからず、わんわんと泣き声をあげていた。
 パスからも、彼女の複雑な心境が伝わってくる。喜怒哀楽、感情の振れ幅がぐちゃぐちゃで言葉じゃ説明できないくらいの激情が。

「ミッドが大変だって、ユーノが、そしたら急に消えて、フェイトを感じられなくなって、だから、アタシ、アタシ……っ」
「あ……」

 えぐえぐと鼻をすするアルフの言葉は支離滅裂だったけど、言いたいことは理解できた。
 パスがきちんと繋がってるからって安心してた。私の身になにかがあれば、使い魔であるアルフにはわかるはずなのに。

「フェイトちゃん、それどういうことなん……?」

 はやてが眉間にシワを寄せ、不審げな顔をする。
 カンの鋭い親友に内心で冷や汗をかきつつ、アルフをなだめることにする。はやて相手じゃ、ヘタにごまかすとボロ出そうだし。

 錯乱中の愛しい使い魔を落ち着かせるのに四苦八苦してるうちに、エリオやキャロ、憔悴した様子のティアナもメガーヌさんにつき添われて続々とセフィロトに降り立つ。アイギスとその部下の子たちも降りてきた。
 あ、なのはだ。教導官の制服着てる。着替えたんだ。
 でも目が合ったら逸らされた。地味にショックだったけど、あんなこと言ったあとだし、今はしょうがないよね。……ぐすっ。

「――シャマル! ザフィーラ!」

 不意に響く声で顔をあげると、たしかにシャマルとザフィーラがいた。いつのまに……。
 家族に会えて嬉しいんだろう、はやての声にはわかりやすく喜色が混じってた。

「二人は、私たちを迎えに来てくれたのかな」
「アタシといっしょにきてたんだよー」

 そう答えたアルフはようやく落ち着いてくれて、子犬モードで私の頭の上にしがみついている。……首、ちょっと重たい。

「二人とも、無事やったんやな」
「ええ、なんとかね。私たちが担当していた民間人は全員無事、ここに避難できたわ」
「六課の人員も、交換部隊の面々とシグナムたち以外欠員はありません。……主、ヴァイスはどうしたのです?」
「彼、クラナガンに残っててん。「自分はシグナムの姐さんの援護に残りますよ」ってな。なかなかニヒルやったわぁ」

 フネにヴァイスの姿が見当たらないと思ったら、そういうことだったんだ。……わ、忘れてたわけじゃないんだよ?

「ようこそセフィロトへ。歓迎しますよ、機動六課の皆さん」

 そうしてみんなと再会を喜んでいると、見知らぬ男性が声をかけてきた。
 いつかのアイギスが来ていたのと同じデザインの、濃紺色の制服――肩章や飾り紐は金色で豪華だ――を着ていて、見た目二十代後半くらい。
 体型はすらっとした長身で、金髪を後ろに撫でつけた髪型。紫色の瞳にノンフレームの眼鏡をかけてて、たとえばユーノみたいに理知的な雰囲気ではあるんだけど、もっとこう……神経質で冷たそうな感じかな。
 キリッとした目鼻立ちはすごくキレイで、一見すると女性に見えてしまうくらい。

(ふぇぇ……、美人さんだぁ)

 と、はやてが代表して誰何する。

「あなたは?」
「私はアラン・スミシー、この艦の参謀長を務める者です。参謀、とお呼びください」

 彼は参謀?さん、というらしい。参謀長っていうくらいだし、エライひとなんだろうな。
「んん?」はやてが妙な顔をして首を捻る。すると当然、参謀さんは追求した。「何か?」

「あ、いやー、何でもないですぅ。それで、その参謀長さんが私らみたいな一兵卒んとこまでわざわざ?」
「艦の責任者が貴殿方との面会を求めています。私はその先導を命ぜられました」

 ああ、その前に。参謀さんはどこか鋭い笑みを浮かべ、言葉を続ける。

「重症者が二名、居るそうですね? ラボの方の受け入れ準備は既に整っています。――スカリエッティ、君も行って処置を手伝いたまえ」
「何か初めて命令された気がしないのだが、治療に否やはないよ」

 ……意味深なやり取りだ。
 それにしても、思わず従ってしまいそうなよく通る声。ただ一見人当たりはよさそうなのに、どこか高圧的というかプライドが高そうというか、ありていにいうとちょっぴり偉そうな声だ。

「よろしい。では――」
「ちょっと待ってくださいます?」

 参謀さんの言葉を遮り、突然メガーヌさんが待ったをかける。なんのつもりだろう?

「何か?」
「私も同行してよろしいでしょうか。……大事な親友の忘れ形見を、こんな犯罪者に任せるのは不安ですので」
「……それは、随分な言い種ではないかね?」
「あなたが今までしてきたことを、胸に手を当てて思い出してご覧なさいな」

 不快感を示すスカリエッティをぴしゃりと突っぱねるメガーヌさん。さすがだ。
 たしかに私も、死んでもあの人には治療されたくない。知らないうちにロストロギア埋め込まれたり、改造されちゃいそうでイヤだもん。

「わかりました、貴女も同行していただきます。では、Dr.シャマル、移送の指揮をお願いできますか?」
「は、はひっ!?」

 参謀さんから水を向けられたシャマルだけど、なぜだかはわはわ挙動不審に慌て出す。顔、真っ赤だし。
 その瞬間、はやての両目が「きゅぴーん」って光ったように見えた。……ラブ臭?

「Dr.シャマル?」
「よ、よろこんで!」
「……? まあ、いいでしょう。アイギス、君の部隊は残って収容作業の補佐を。それから、回収した“天使核”の輸送も忘れないように」
「了解であります」
「それでは移動しましょう。こちらです」




  ■□■□■□




 転送ポートを経由して、道幅5メートルくらいある真っ白な通路を、参謀さんの先導に従って進む私たち。
 広くて静かな通路にはすれ違う人もいなくて、なんだかちょっと不気味……。
 ややあって、前方から短い茶髪の背が高い男性が歩いてくるのが見えた。特に目を惹くような養子じゃないけど、参謀さんと同じ紺色の制服を着てる。
 男性はこちらに気づくと、その歩みを早めた。どうやら関係者みたいだ。

「よお、参謀ちゃん。そちらのお嬢ちゃんたちがウワサの“救世主”ご一行かい?」
「お前か。いい加減落ち着かん奴だな、艦長とともに艦橋で待って居ればよかろうに」
「いやー、ちょっちマズイ事になっててな。お前さんの力がいんのよ」

 男性が不躾に言うと、参謀さんはむっつりとして考え込む仕草をする。

「成る程、了解した。だが、お前が来ずともネットワークを用いれば報告できるだろうに。非効率だ」
「ハハッ、ソイツはお互い様だろ?」

 ……? よくわからないけど、今のやり取りで話がついたらしい。あうんの呼吸、ってことなのかな。

「失礼。私は所用が出来てしまいましたので、この後の案内はこちらの軽薄な男が担当します」
「ひでーなァ、参謀ちゃん。オレはジョン・ドゥ、一応ここの副長をやってるモンだ。親しみを込めて、副長さんって呼んでくれ」

 と、自己紹介する長身の男性――副長さんは、とっても気さくな人だけど、言うほど軽薄じゃ、ないよね?
 あと、はやてがまた「んん??」って首を捻っていた。ただ名乗られただけなのに、なにがそんなに不思議なんだろう。そういう態度、失礼だよ。

「えと、私たちは――」
「おっと、自己紹介には及ばんよ。お嬢ちゃんたちのことは知ってるんでね。有名だぜ、“ヒロイン天国部隊、機動六課”ってな」

 と、イイ笑顔で言い放つ副長さん。三流タブロイド誌かなにかの煽りの引用かな、そう揶揄される方としてはすごく恥ずかしいんだけど。
 なんだか複雑そうなエリオを見てたら、ずずいと副長さんが近づいてきた。

「あ、そうそう。オレ、フェイトちゃんのファンなんだよね〜。サインくんない?」

「は、はぁ!?」

「アホや、アホがおる」
「……貴様という奴は」
「じ、自由なひとだねぇ、にゃはは」

 急に言われてびっくりしたぁ。……なんていうか普段のユーヤよりも軽いの人だなぁ、と私は呆れて脱力してしまうのだった。



[8913] 第三十九話‐2
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/12/07 21:21
 


 セフィロト、第一艦橋。
 副長さんの先導でたどり着いたブリッジは外観どおり、アースラのとは比べ物にならないくらいとても広くて大きい。
 白を基調とした広いフロアの床や壁には青い魔力光の流動ラインが走っていて、前面のパネルには宇宙空間と暗黒に蝕まれたミッドチルダを撮し出されている。階下のブロックでは、何十人もの白い制服を着た女性が忙しなく働いていた。
 フロアに満ちた喧騒と、そこに混じる言い様のない緊迫感が肌をピリピリと刺激する。

 そんな場所で私たちを待ち受けていたのは、意外なひとだった。

「来たわね」
「ルーさん?」

 未来的なこの場所で、ひときわ異彩を放つ真っ赤で豪華なドレスに見事なブロンドの美女――ルー・サイファーそのひとだ。
 彼女の後ろでは、いつものようにつき添うエイミーが静かにお辞儀していた。

「ふふ、貴女たちを待っていたのよ」

 「無事到着」と達筆な字で書かれた扇を開き、はんなりとした仕草で口許を隠すルーさん。
 こんな最悪の事態でも普段の調子で、ちょっと安心する。

「もしかして、あなたがこのフネの責任者なんですか?」
「いいえ。それはこちらよ」

 わずかに微笑み、彼女はもったいぶったように振り返る。その奥、フロアを見渡せる位置のアドミラルシートがくるりとこちらに振り向く。
 そこに座っていたのは壮年の男性だった。
 参謀さんや副長さんと同じネイビーブルーの制服に、同じ色の制帽を目深に被ってる。お年を召してるようなのに、制服の上からでもわかるくらいすごい体格。鍛え抜かれた鋼の肉体だ。
 その隣には、いつの間にか副長さんが立っていた。

「リチャード・ロウ元帥、このセフィロトの支配を委任された方よ」
「ようこそ人類最後の防衛戦線へ、諸君の活躍は耳にしている。私の事は艦長と呼んでくれたまえ」

「げ、元帥っ!?」

 ざわ――、動揺が広がる。私とはやてなんて思わず敬礼してしまったくらいだ。
 元帥といえば、あの伝説の三提督の方たちより偉いってこと。長らく空位だったけど、最近になって新しく任命されたとか就任したとかって聞いてたのは、こういうことだったんだ。

「そう畏まらなくていい。楽にしてくれ」
「いやぁ艦長、ソイツは無理な相談でしょう。何せ我らがキャプテンは強面(こわもて)であらせられる」
「茶化すな、副長」

 ロウ元帥――もとい艦長さんが、副長さんを厳格な雰囲気でたしなめる。深くかぶった帽子と顔の下半分をおおったふさふさのおひげで、その表情はよく読み取れない。
 なんというか、まさしく「歴戦の提督」って感じ。グレアム元提督みたいにロマンスグレーのすてきなおじさまだし、はやてが好きそうなタイプだなぁ。
 そう思って、ふと隣を盗み見てみる。そしたらはやては、「んんんー?」ってまた首を捻っていた。

「ちょっとはやて、失礼だよっ」
「うーん、せやけどなぁ……」

 困惑顔で唸るはやてを小声でたしなめてみても、なんだか歯切れが悪い。
 なにがそんなに腑に落ちないのか、意味がわからないよ。

「どうやら八神ちゃんは、俺らの名前が余程気になるみたいだぜ」
「ふむ。その様だな」

 ほ、ほら! 気づかれちゃったよっ!
 あわわわ……えらいひとににらまれたらクビにされちゃうっ。

「ご、ごめんなさいっ」
「いや、いい。八神一佐なら気づくだろうと、シャイマールから言付かっていたのでね」
「……?」

 シャイマール……ユーヤが? どういうことだろ?
 不思議に思う私。同じような顔をしてるほかのみんなを見渡すようにして、艦長さんが口を開いた。

「今までに我々が名乗った姓名は全て、第97管理外世界の言葉で“名無し”という意味を持った仮の名だ」
「やっぱりなぁ。失礼ですけど、えらいけったいなお名前やなと思ってました」
「ハハ、八神ちゃんは手厳しいねェ。――つっても、オレらが偽名を名乗ってる理由は教えられんのよ。気になるだろうが、すまんね」

 真相を聞き、はやてが納得したようにつぶやくと、副長さんが冗談めかして補足してくれた。
 なるほどね。はやてって妙に物知りだから、引っ掛かってたんだ。

「さて、本題に移ろうか」

 バリトンの重たい声が、和やかだった雰囲気を押し潰す。
 艦長さんの声のトーンが変わったのを感じて、私たちは姿勢を正した。

「現在本艦は、“冥魔”に対する大規模な反抗作戦を準備中である。“冥魔”共に半ば占拠されたミッドチルダ本星に乾坤一擲の一撃を与え、奪還するためのな」

 副長さんの操作で、青い魔法陣による空間スクリーンが次々と展開していく。
 映し出される文字列やパラメータは計画表だろうか、現地の地形や地上に残った部隊の状況などが事細かに記されている。
 アースラからのデータがフィードバックされているんだろう、“聖王のゆりかご”のカタログスペックと予想進路が示されている。“ゆりかご”が月軌道に到着するのは、今から数時間後……それまでにメイオルティスを討てなきゃ、ヴィヴィオは――

 そっか、戦いの準備はもう始まってるんだ。
 暗闇に包まれて先の見えない未来に、一筋の光が指したような気がした。

「私は――いや我々は、その“ミッドチルダ奪還作戦”において、諸君等の活躍に大いなる期待を寄せている。奴等“冥魔”の大軍勢を倒滅し、絶体絶命の危機に瀕した次元宇宙を救う者たち……“救世主”なのだとな」

 鈍くて鋭い眼光が私たちを射貫く。
 “救世主”って……そんなの大げさだと思うし、大きく期待されたら逆に萎縮してしまう。
 そういう内心まで見抜かれているように感じて、身をすくめる。

「とはいえ、本星に再突入ともなれば決死行となるだろう。故に、命が惜しいならば止めはせん。このセフィロトも、人手は足りておらんのでな」

 ごくり、と誰かが息を飲む気配がした。
 残酷な言葉だ。私たちに期待してると言いながら、その口で選択を強いてくる。
 いっそ頭ごなしに命令された方が、どれだけ気が楽だろう。
 仮にも私たちは時空管理局に席を置く組織人で、上官から命令されたならよっぽどのことじゃなければ拒否できない。でも、これじゃ――

「一先ず、嬢ちゃんたちには休んでもらう、連戦で疲れてるだろうしな。詳細は追って連絡するが――ウチの艦長も言ってるように、突入作戦への参加は強制しねェよ」

 副長さんが言葉を引き継ぎ、これからの連絡事項を告げつつ念を押すように締め括る。
 彼らは私たちのことを考えているようで、その実突き放して――ううん、違うな。私たちの意思に“責任”を求めてるのかな。
 ……なんだか、ユーヤみたいだ。

 重たい言葉の真意を噛み締める私たち。はやてが珍しく考え込んでるし、なのはもどこか暗い表情でうつむいていた。
 急に「世界の命運」なんて大きなもの背負わされて、その上命が惜しいなら戦わなくていいなんて言われて、みんな困惑してるようだけど――、私は私にできること、やらなきゃダメなことを全力でやるだけだ。
 私の覚悟は、とっくのとうに決まってる。

「次は私ね」

 切れ長な銀色の瞳を私たちに向け、ルーさんは口火を切った。

「時間もないし、単刀直入に言うわね。――今のあなたたちでは、世界はおろかあなたたちが救いたい人すらも救えないわ」

 無情な宣告に、空気が一段と冷え込む。
 薄々自覚してはいたけど、そう改めて言われると余計ヘコむよ……。

「けれど、私たちもただ手を拱いていただけではなくってよ。――起死回生の切り札として、これから皆のデバイスをバージョンアップさせます」

 デバイスのバージョンアップ……! アースラで言ってたやつだ。
 暗い空気を払拭するような頼もしい笑顔に、いやが上にも期待が膨らむ。

「まず最初に、フェイトさんになのはさん、破損したデバイスコアは持っていて?」

「はい」「……はい」

 私の返事に一拍遅れてなのはが答える。

「それを預けてくれるかしら? 大丈夫、あなたたちの大事なパートナーは必ず目覚めさせるわ」

 ルーさんの心強い言葉を合図に、エイミーが銀色のトレイを手にして一歩前に歩み出る。あの上に乗せろ、ってことなんだろう。
 私はなのはと頷きあい、懐から青いハンカチに包んだバルディッシュのコアを取り出す。同じように、なのはもレイジングハートのデバイスコアを大事そうに抱えていた。
 ――レイジングハートは、遠目で見てもわかるくらいバルディッシュと同じくらい破損がひどかった。

(――ごめんね、バルディッシュ……)

 私が一時の別れを惜しむ隣では、なのはが祈るように壊れたコアを提出していた。

「さ、次はあなたたちの番よ。デバイスを渡してもらえる?」
「あ、あのっ」

 唐突に声をあげたのはティアナだ。

「スバルは――、スバルはどうなるんですか?」
「ふふ、心配しないで。彼女のデバイスも、身体の治療と同時に改良する予定よ」

 答えに納得したティアナが、カード型の待機形態を取ったクロスミラージュを差し出す。こんなときでも友だちの心配して、やさしい子だね。
 続いてエリオ、キャロもそれぞれのデバイスをを提出する。もちろんどちらも待機形態でだ。
 三人のデバイスたちはコアをカラフルに光らせて、それぞれの持ち主に自分の気持ちを伝えていた。

「それからフェイトさん、今あなたのしているペンダント、渡してくれないかしら?」
「え……!?」

 ドクン――、心臓が脈打つ。
 突然の不意打ちに、動悸が激しく乱れる。
 な、なんで? なんで今さらそんなこと――
 私の動揺を知ってか知らずか、ルーさんは言葉を続ける。

「……あなたがそれをとても大事にしてくれていることは、私も承知しているわ。でも、バルディッシュを今より強く甦らせるために必要なことなの」

 どこかなだめるような声も、半ば耳に入ってこない。私の感情的で感傷的な部分が、かたくなに理解を拒む。
 でも、だけど――
 すごく複雑――っていうか、すごくイヤだったけど、バルディッシュの、ひいてはアリシアを救うためだと言われたら拒否できない。それにもともとこれは、ユーヤのものなんだもん。
 しかた、ない……。

「ほーら、そんな泣きそうな顔しないで。悪いようにはしないから」

 ね? ルーさんがふわりと微笑む。
 まるで、ちいさい子どもに言い聞かせるような声色。その笑顔は記憶にある母さんの、あるいは大好きな男の子のそれを連想させた。

「う、ううぅ〜……」

 みっともないうなり声が口をつく。これじゃ私、聞き分けのないだだっ子みたいじゃないか。
 こんな情けないところ、エリオたちの前で見せてるわけにはいかない。私の、お姉さんとしての威信が大ピンチだっ!

「わ、わかりました」

 結局、おとなしくシルバーのチェーンを首から外して、引き渡すことにした。
 ……自分でも、往生際が悪いと思う……。

「――で、私にはなにかないんですか? 強化イベント的な」
「ありません」
「え、なんて?」
「あなたにはないと言ったのよ、八神はやてさん」

 はやての要請?をぴしゃりと突っぱねるルーさん。つんつんっ、てすました感じで、なんか妙に似合ってる。
「な、なんでやっ!?」とはやてが抗議の声をあげてるけど、たぶんそれ、逆効果だよ……。

「……仮にもこの“金色の魔王”を下したあなたに、今さら強化イベントとやらが必要だと思って?」
『私こと“夜天の魔導書”が不足と言うなら、いい度胸だと言い返しましょう、我が主よ』

「で、ですよねー」

 ほらね。ルーさんとリインに口々に攻められて、はやてはタラリと汗をかいた。それにしても、すごい迫力だよぉ……!
 ま、まあ、こういうのもはやてらしいよね、うん。ていうか、リインってば久々に喋ったんじゃない?


 それから私たちは、体力の回復を図るためにブリッジを離れ、居住区まで案内――今度は一般の乗員さんだ――されたところで解散した。
 ――そういえばブリッジを出るとき、なのはが一人だけルーさんに呼び止められてたけど、あれっていったいなんだったんだろう? ……なのは、驚いたりうれしそうにしてたなぁ。



[8913] 第三十九話‐3
Name: かぜのこ◆30e1ca02 ID:a69fb242
Date: 2012/12/28 21:30
 


「ふぃぃぃ〜……、ああ゙ー、しんど」

 割り当てられた休憩室――ちょっとしたホテルの一室を思わせる設備だ――に入ったはやては、いの一番にそう言い放った。仮にも年頃の女性にはあるまじきセリフである。
 彼女はそのまま、ぼすっ、とセミダブルのベッドへ身を投げ出した。よほど疲れていたのだろう、うつ伏せのままで制服を脱ぐ気配はない。
 すると、いささかぞんざいに投げられた赤茶の魔導書から濃紺色の燐光が溢れ出し、ベッドの側に、黒いインナースーツを着た銀髪紅眼の美女――リインフォースが実体化する。

「……制服に皺がついてしまいますよ」
「かまへんかまへん。いざとなったら騎士服着てごまかすし」

 おっ、これもしかして名案? などとのたまい、独りで得意顔を浮かべる主に忠実な僕(しもべ)は表情を変えず、溜め息をこぼした。
 身の上の所為か、どうにも肯定しがちな騎士たちや妹に代わり、はやての生活態度などを母親のごとく注意しているリインフォースだったが、あまり効果は上がっていないようだ。

「しっかし、いくらドでかいフネ言うたかて、休憩室にこんな広い部屋造っててええんかねぇ?」
「結界魔法の要領で、内部空間を拡大していると推察します。公式に明示されているスペックの大半は、対外的な欺瞞だったようですね」

 室内を軽く見渡した後、推論するリインフォース。古い魔導書の管制AIらしく、魔導に関する知識には一家言ある。
「ふーん……」はやては生返事してごろりと寝転び、サイドテーブルにあった備え付けのタブレット端末を手に取る。セフィロトのネットワークにアクセス、閲覧可能な情報を流し見始めた。

「「最新の魔導技術により内部時間を圧縮、最大1時間=14日まで調整可能」やて。ほほーう……ハイテクやないの」
「ハイテクと言うより、ファンタジーと表現すべきでは?」
「ファンタジックな古本がよく言うわ」

 冷静な相方のツッコミに、意味のない茶々を入れるはやて。いつものやり取り。
 いつものやり取りなので、今さらず気にも止めずリインフォースは考察を続ける。

「現在は、一時間を一日に設定されている模様です。その間に体勢を整えよ、ということなのでしょう」
「まーったく、人使いの荒い管理局さまやで。前から思ってたけどな」

 ぼやくはやては、上着とスカートをぽいぽいっと無造作に脱ぎ捨てる。下着とストッキングにシャツ一枚という大胆でセクシーな姿を見せつける“いいひと”は、未定である。
 とりあえず、ひどく疲れていることを理解しているリインフォースは注意せず、粛々と投げ捨てられた制服を拾っては畳んで片付けていた。

 しばらくダラダラしていたはやてが、ぽつりと呟く。

「……設定が1時間なんは、市民感情を考えてのことなんやろな」
「おそらくは。艦内で自給自足が完結しているセフィロトとはいえ、避難民たちの心的重圧を考えれば徒な籠城戦は下策と言えましょう」

 戦禍を逃れるように故郷を離れ、セフィロトに避難した市民の負担は疑いようがない。まして相手はヒトの精神的なマイナスエネルギーを糧に増殖する“冥魔”ともなれば、そうした非戦闘員の負の感情は敵に利するだけである。
 人類に残された勝利の道はただひとつ――即ち、敵首魁の撃破による戦争の早期解決だ。
 時間をかければかけるほどに、状況は不利になっていく。
 機動六課に課せられた期待は、あまりにも大きい。

「よぉ考えてはるねぇ、評議会(・・・)のお歴々も」
「評議会……?」

 皮肉げなはやての発言に、リインフォースが怪訝な顔をする。

「参謀とか、副長とか、艦長とか……えらいけったいな名前名乗ってたヒトらいおったやろ? あれたぶん、例の“最高評議会”やで」
「! 我が主よ、その根拠は?
「うーん……強いて言えばカンかなぁ。攸夜君から聞いてた印象に近いってのもあるけど」

 根拠を問われて曖昧に濁す口振りの割りに、はやてには確信があるようだ。

「それにな、なんかウチのコらに似てる感じすんねん。雰囲気とかたたずまいとか、なんとなくな」
「……守護騎士(ヴォルケンリッター)に? ――なるほど、守護騎士プログラムですか」

 リインフォースの出した答えに、こくりと神妙な面持ちではやてが首肯した。
 かつてはやては、夜天の書再誕の協力を仰ぐために構成データの大部分を管理局や聖王教会へ提出している。そのため、解析された成果を何らかの形で利用されていてもおかしくはない。
 ――しかし、なぜわざわざ守護騎士プログラムを用いていたかなど、疑問は尽きないが……。

「――ま、ついにシャマルにも春が来たー、ってからかうネタになるからええか」
「……ほどほどにしてあげてくださいね」

 二人は、参謀アラン・スミシーに話しかけられ、明らかに動揺していた湖の騎士の様子を同時に思い浮かべて、それぞれ違った感想を浮かべた。
 はやてはどうやってイジり倒してろうかなどと下世話な考えを、リインフォースはおもちゃにされる彼女の未来を不憫に思って。

「んん〜〜っ……寝るっ! パジャマ出してぇ〜」
「はい」
「着せてぇ〜」
「ご自分でしてください」

 無体なわがままを一太刀で切り捨て、自らの格納領域から常備しているお泊まりセット――はやては枕が変わると眠れなくなる質だ――を取り出し、リインフォースは準備を始める。
 普段よりずっとおちゃらけている主に、メンタルケアの必要性を感じながら。




 ■□■□■□




 セフィロト、技術研究開発区。

 常人には用途の理解できない機器の数々や、特殊な溶液で満たされたシリンダーが鎮座する。管理局開発局の技官たちが紙束を抱え、忙しそうに行き交っている。
 ここは次元宇宙における最新鋭の、あるいは異界からもたらされたオーバーテクノロジーの粋が集められたセフィロト最重要エリアの一つである。

 その一角にて。

「さて、第五世代デバイス改良案の草稿は纏まったが……」

 そう独り語ちるのは、希代の魔導科学者ジェイル・スカリエッティ。この施設に到着した彼は、自身の腕と両足の治療も忘れて一心不乱にを続けていた。
 傍らでは、きちんと怪我の手当てをしたウーノがアシスタントとして粛々と手伝っている。大怪我を負ったにも関わらず没頭するに某ついて、彼女がどう感じているかは不明である。

 また、同じ作業スペースの片隅ではシャリオ・フィニーニがいた。
 アースラより一足先に到着していた彼女は、個人用端末で新人四人のデバイスの運用データを自分なりに纏めたりなどしていたが、あまり集中できていなかった。
 それもそのはず、彼女はスバルたちのデバイスを設計し、整備計画などのやり取りをしてきた“ドクター”の正体を知って動揺しているのである。著名な次元犯罪者と同じ部屋にいては、さすがに落ち着かないだろう。

 そんな妙な空気が漂う一室に、光のように華やかな女性が優雅に現れる。

「……辛気くさい部屋ね」

 “金色の魔王”ことルー・サイファーである。

「おやおや、大魔王様のお出ましかね」
「治療の計画は組めていて?」

 戯言を無視して、ルーは淡々と用件を告げる。フェイトたちと対峙していた際とは違い、魔王らしい傲慢さを全面に押し出した振る舞いだ。
 スカリエッティが、いささか気障ったらしい声色で答える。

「無論だよ。これでも、戦闘機人に関しては第一人者と自負している」
「こちらです」

 ウーノに渡されたタブレット端末を危なげなく受け取り、ざっと内容に目を通すルー。そこに示された一文に視線が止まる。

「……あら、治療はスバルさんが先? チンクさんの方が傷は浅かったのでしょう?」
「本人達(たっ)ての希望でね。自分よりも先に治してやってほしいと健気に頼まれれば、受けざるを得まい」

 どこか冗談めかすように、スカリエッティが嘯く。
 彼の返答がよほど意外だったのか、ルーは感心したように目を細めた。

「妥当な判断ね。あの娘の方が、運命力も“プラーナ”も断然上だもの。勝機が増えるわ」
「ふむ……?」

 耳慣れない単語を聞き、興味深げな顔のスカリエッティを放置して、ルーはもう一度計画表を脳内でシミュレートする。
 計画に特に問題がないことを確認して、一つ頷いた。

「――よろしい。スバルさんの治療は貴方に任せるわ。……くれぐれも、余計な真似はしないように」
「…………了解してるよ、余分な時間がないことくらいはね」

 怪しい間で了解する科学狂いのマッドサイエンティストには冷たく釘を刺しておき、ルーは身を翻す。それきり興味を失った彼女は次に、居心地が悪そうにしている眼鏡の少女へと近づいていく。
「シャリオさん、よろしい?」声をかけられたシャリオはひときわ大きく身体を揺らすと、弾かれたように立ち上がる。「は、はひっ!」

「ふふ、そんなに緊張しないで。あなたには、スバルさんたち四人のデバイスの改良作業をお願いしたいの」
「わ、私がですかっ!?」
「そう、あなた」
「で、でも……私なんかが、そんな」

 笑顔を交え、ルーはその蜜のように甘い声で萎縮する少女に語りかける。

「あの子たちの成長を傍らで見つめ、支えてきたあなただからこそ……いえ、あなたにしかできないことだと、私は考えるわ」
「……っ!」

 選ばれた理由を告げられ、レンズの奥の瞳ににわかに強い意思の光が灯る。

「基本的なコンセプトや改造の設計図は、そこの死に損ないが用意してるはずだから、それに従ってくれればいいわ。――よろしくて?」
「ハイ!」

 三人分のデバイスを手渡されたシャリオの表情には、すでに弱気な感情は微塵も浮かんでいなかった。
 自覚のない自尊心をくすぐり、誘導する話術はヒトを煽動する魔王の面目躍如である。

「それじゃ、私はこれで」
「ええ、頑張ってね」

 さっそく作業に入るため、小走りに走り去る背中を見つめるルーは一抹の痛快さを感じていた。――これだから人間はおもしろい、と。

 そうしてあらかた仕事の指示を出し終えた金の魔王は、自分のために用意された一室に入る。
 最大値、1時間=14日まで時間が遅延された大部屋にはやはり、正体不明の機器が乱立している。また、奥には床に複雑な魔法陣が描かれたスペースがあった。
 忠実な召し使いは先んじて到着しており、月衣から荷物をテキパキと取り出しては準備を整えている。

 部屋の中心を占める大きな作業台――そこには、第八世界(ファー・ジ・アース)からだけではなく、ルー・サイファーが悠久の時をかけて収集した主八界全土を見ても極めて貴重・稀少な物質が集められていた。
 ミスリル、オリハルコン、ルナチタニウム、アダマンチウムを始めとした第八世界のレアメタルや、アクチン、ミシオンといった錬金術――主に“箒”の製作――で用いる各種魔術的触媒。第一から第七までの世界特有の物質も見受けられる。
 それだけではなく、応龍の逆鱗、麒麟の角、鳳凰の心臓、霊亀の甲羅といった滅多にお目にかかれないような幻想種(モンスター)から採られた素材。世界樹の葉、生命の樹の実など入手が困難な素材。さらには主八界最恐と恐れられる“精霊獣”の身体の一部さえも、四大属性分が無造作に積まれていた。
 見る者が見れば、垂涎どころか卒倒しかねない逸品の数々。
 そんな中に一際異彩を放つのが、金色に輝く宝石と七色に煌めく六面体だ。
 かつてルーから攸夜へ、そしてフェイトの手へと渡り、今再び舞い戻った黄金の小さな輝石。不可思議な光を湛える“天使核”と並べても、その輝きはいささかも見劣りしていない。
 大きく破損した二機のデバイスコアの傍らに並べられたそれらは、まるで来るべき時をじっと待つかのように鎮座していた。

 ルーは作業台に歩き寄ると、沈黙する彼らに目を落とす。

「……さあ始めましょう、テスラ。救世(ぐぜ)為す希望の創造を、英雄に相応しき剣(つるぎ)の鍛煉を――、いつしか神成る同胞(はらから)の誕生を」

 自身の裡に存在する意思に優しく語りかけ、“金色の魔王”は涼やかな声で静かに謳う。――今、新たに生まれようとしている“神話”、その行く末を想って。


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