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[9513] Greed Island Cross-Counter(続編・現実→HUNTER×HUNTER)【完結】
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2010/09/30 21:24
 とある観測系念能力者の手記




 Greed Island Onlineのプレイヤーたちがハンター世界に飛ばされたのは、その年の冬だった。
 彼らは突如としてグリードアイランドに現れた。レイザーは彼らを不法侵入者と判断し、“排除”した。
 そしてプレイヤーたちはわけもわからぬままアイジエン大陸に放り出されてしまった。


 文章にすればたったこれだけの事実を理解するのに、しかし、プレイヤーたちは多大な時間を要した。
 あまりにも常識はずれの事態と、そして自らがおのれの設定したプレイヤーキャラクターの身を纏うこの現実を受け入れかねて。
 現実に気がついたとき、同時に悲劇も始まったのだ。


 プレイヤーキャラクターとなった彼らのすべては念能力者であり、そればかりか三分の二近くが、ライセンスを持つ正規のハンターだった。
 たとえ異世界に放り出されたとしても、ただ生きていくには、それは充分な条件だった。


 ただし、多くの者はこの世界で平穏に過ごすことを拒絶した。
 元の世界に帰る。
 その目標のもと、彼らは精力的に動き始めた。
 ほとんどの者が帰るための手段として、グリードアイランドを手に入れることを考えた。
“リープ”は彼らが考え得るほとんど唯一の脱出手段だったからだ。
 超えねばならぬ条件は多かったが、彼らは目的のために動き出した。


 ちょっと目端の効いたものは天空闘技場で金と名声の双方を手に入れることを思いついた。ただし、これは天空闘技場二百階クラスの人数増加とともにレベル上昇をも招いたが。


 初期においては、彼らはおおむね順調であり、しかし、順調でなかった者たちも居た。この世界にとどまることを選び、その上で原作キャラクターたちとの交流を図った者たちであった。


 原作主人公側に接触を図った者たちに起こったトラブルは、まだしも平和的であった。彼らは主人公たちに近づこうとする者を同胞であると認識し、しかし、一緒に仲よくなろうなどとは思いもしなかった。
 結果、彼らは、自分が近づかない変わりに他人も近づかせない。周囲からながめるのみという、いわば紳士協定を結ぶに至った。
 この集団が別の相貌を見せだすのは、また、後になってからのことである。


 ゾルディック家、あるいは幻影旅団に近づこうとした者こそ、哀れだった。
 もとより原作でも突出した戦闘能力を持つ彼らの感知域に、不用意に近づいた者たちは、拷問と尋問により、保有するすべての情報を引き出された後、適切に処分された。
 一方では犬のえさになり、一方では念能力を掠奪されたのち、放逐されることが多かったようだ。むろん、異郷の地で念能力をすら失った彼らの末路は言うまでもない。
 過少数の者は原作キャラクターと親しむ機会を得たが、それが危険に見合ったものであったかと言えば、やはり疑問が残る。

 
 異世界に飛ばされた彼らが、肩を寄せ合うようにコミュニティーを生成しなかったのは、ひとえに独力で生き延びるに足る能力を持っていたためだろう。
 そんな彼らが何よりも欲したものは、原作の情報だった。
 グリードアイランドを手に入れるため、危険な世界に足を踏み入れなければならない彼らにとって情報は何よりも貴重だった。


 電脳ネットにおいてそれを共有しようという動きが起こるのは当然のことだった。
 Greed Island Online と名づけられたサイトには百人近くの人間が書き込みを行い、おそらくはより多くのプレイヤーたちが見ていたことだろう。
 むろん、この後猛威を振るう同胞狩りたちもこのサイトを見ていたのである。


 グリードアイランド入手。
 そのクリア特典で手に入れられる脱出アイテム。
 プレイヤーの総数からすれば異常と言える狭き門であり、それがプレイヤーたちを一致協力させなかったと言っていい。
 もっと積極的に、競争者を殺すことを考え、そして実行した者たちもいた。
 彼らは同胞狩りと呼ばれGreed Island Online に所在地まで登録していたプレイヤーが、数多く犠牲になった。


 むろんこれに対抗する者たちもいた。
 その多くが、この異郷に飛ばされたものの中でも高い実力を保有する、いわばトッププレイヤーだったが、それでも多大な犠牲が出ることとなった。
 グリードアイランドクリアを目指すトッププレイヤーたちと同胞狩り。二者の争いは同胞狩り側の中心人物が全滅するまで続いた。
 
 両者の争いに決着がついたころから、時の歩みは緩やかになっていく。
 それが凍ったように止まったのは、ゴン・フリークスたちがグリードアイランドに入ったころからである。
 幻影旅団。爆弾魔。この両者による殺戮が収まるのを息をひそめて待つかの如く、このころのプレイヤーたちはなりを潜めていた。
 それぞれの時を、それぞれが過ごし。


 そしてハンター歴2001年4月。再び時は動き出す。






[9513] Greed Island Cross-Counter 01
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/06/12 21:55
 ハンター歴2001年4月6日。

 この日、一件のメールが、アズマのホームコードに届いた。
 差出人の名をみて、最優先で内容を確認したアズマは、そのまましばらく携帯端末のディスプレイに難しい顔を向けていた。目つきの悪さも二割増しだった。

 それを不審に思ったのだろう。旅の連れ合いであるエスト――通称ツンデレが、首をひょこりと覗かせてきた。
 金髪碧眼つり眼ツインテール制服姿にニーソックスといういでたちは健在だ。


「どうしたの?」


 彼女の問いに、アズマは難しい顔で、内容をかいつまんで説明した。
 それを聞いてツンデレも難しい顔になった。ばかりか、髪もドリルのようにねじくれている。これはロリ姫の仕業である。

 ロリ姫。フルネームはリドル・ノースポイントという。名が表す通り、縦ロールの金髪幼女だ。
 ただし、故人。現在は幽霊となってツンデレの髪にとり憑いており、ツンデレの髪形は彼女の気分に左右されるのだ。
 
 ともあれ、すぐさま差出人と連絡をとったアズマは、最短で落ち合える場所を確認して、そこで会うことを決めた。

 半日のち、アズマたちはヨークシンにたどり着いた。
 向かった先は、都市の中心部にある高級ホテルの一室である。
 部屋番号を確認し、呼び鈴を鳴らすと、扉は中から開かれた。

 迎え出たのは、アズマが知らない人物だった。
 アズマよりやや若年の少年だ。若干険の強い面差しだが、中性的な美少年である。鎖を身につけているのは、それが念能力の媒体であるからに違いなかった。


「あんた、誰だ?」


 アズマはうろんげな視線を向けた。
 少年の口元が苦笑の形をつくった。


「カミトよ。あなたにメールした、ブラボーの仲間。アズマに……」

「ツンデレだ」

「ツンデレちゃんね。ふたりとも、よろしく」

「ここでもツンデレ……」


 背後でつぶやくツンデレを無視して、ふたりは握手を交わした。


「ブラボーから聞いてるわよ。妹ちゃんの親友で、かわいいオトコノコだって」

「それはそれはこちらこそよろしくオカマさん」


 友好的な笑みを浮かべているが、ふたりとも目がまったく笑っていない。
 お互いに感じ合うところがあったようだ。

 カミトに案内され、エントランスからリビングに入ると、椅子にかけていたふたりが立ち上がってアズマたちを迎えた。

 ひとりはブラボーである。
 全身を防護服で鎧い、つばの長い帽子を目深にかぶった、キャプテン・ブラボーそのままのいでたちは変わっていない。


「おひさしぶりです、先輩」

「その節はお世話になりました」


 一年ぶりの再会である。懐かしさに、アズマは顔をほころばせた。
 ツンデレも屈託のない笑顔で頭を下げる。
 それに遅れて、彼女の髪が、意志でもあるかのように上下した。
 彼女の髪にとりついた幽霊、ロリ姫の仕業である。
 このとき、耳にオーラを集める習慣の付いていたアズマとツンデレだけが、彼女の声を聞いた。


「久しいな、武士もののふよ。拝謁を許す」


 頭を下げたのではなく、手をひらひらさせただけだった。


 ――偉そう過ぎだろう。ロリ姫。


 アズマは心中、突っ込んだ。それを口に出してしまっていることに、本人は気づいていない。
 ツンデレにとってはいつものことである。
 ブラボーにとってもそうなのだろう。彼が気にする様子はない。だが、ツンデレがこの場にいることについては、存分に驚いたようだった。


「君は……還ったのではなかったのか?」

「ブラボーさんには悪いけど……アズマがここにいるから」


 ブラボーの問いかけにそう答えて、ツンデレはとびきりの笑顔を作った。輝くような、心の底からの微笑み。
 ブラボーの疑問を晴らすには、それで充分だった。
 その横で、あきれたように口を開けたのはカミトである。


「えーと、ツンデレちゃん? あなた、一度現実に戻って、もう一度こっちに来れたの?」

「はい」

「……どうやって?」

「え? 普通にログインしてですけど?」


 ツンデレは首をかしげる。それで再び戻ってこれたことに、なんの疑念も抱いていないようだった。
 カミトも苦笑いするしかない。


「バカってすごい」


 瞳を明後日に向けて、カミトが小声でそう言ったのを、アズマは聞き逃さなかった。
 気を取り直して久闊を叙したのち、ブラボーは隣に座る青年に手を向けた。


「紹介しよう、彼はセツナ。同胞だ」


 アズマは紹介された少年を見た。
 透き通るような銀髪に金銀妖眼。これといって特徴のない、同胞としてはごく平均的な美青年だった。


「彼が厄介事を持ち込んだ当人ってわけですか」


 アズマは意図的に言葉に棘を含めた。


「アズマ」
「いいんだよ、ブラボー」


 嗜めようとしたブラボーを止めたのは、当のセツナだった。
 髪を手でかきあげながら、彼は自嘲気味に言った。


「彼らにとって、ボクはまさにそのようなことをしているんだからね」


 大仰で、芝居じみた仕草だったが、面に張り付いた苦悩の色はごまかしようがない。外面はともかく、事の重大さは充分に認識しているようだった。
 それを看取って、アズマは用意された席にどっかと座った。ツンデレがそれに倣い、最後にカミトが席に着いた。


「さて、まずは詳しい話を聞かせてもらいしょうか」


 硬い声を、アズマはブラボーに向けた。
 部屋の空気が重くなった。
 それよりもなお重い声で、ブラボーは語り始めた。








 話自体はごく短いものだったが、内容は深刻だった。
 聞き終えて、アズマは黙り込んでしまった。ツンデレも、言葉を失っていた。
 問題は、アズマが考えていた以上に厄介だった。


「どうする? もちろん、協力してくれなくてもかまわないわ」


 気遣うようなカミトの言葉に、しかしアズマは首を振る。


「どうもこうもない。先輩のハラが決まってるのなら、俺は手伝いますよ。なあ、ツンデレ」

「……わたしがいなかったら、誰があんたの背中を守るのよ。ねえ、ロリ姫?」


 アズマが同意を求めると、ツンデレはほほを膨らませて答えた。いまさら意思確認など、無用だというように。
 ロリ姫も、それに同意するようにツインテールの一房を動かす。

 その様子を見てセツナが「ボクにもだれかデレてくれないかな」などと小声でつぶやいていたが、みな故意に聞かないふりをした。


「すまない」


 ブラボーが、深々と頭を下げた。


「いいんですよ。俺は、先輩を手伝えることがうれしいんですから」


 アズマは苦笑しながら言った。心底からの本音だった。

 だが。
 と、アズマは表情を引きしめなおす。


「何とかするとなると、絶対的に手が足りませんね」


 アズマの言葉に、カミトがうなずいた。


「ええ。実際的なところを考えると、強力な念能力者が、最低でも十人。わたしたちを除いてあと六人はほしいところね」


 ナチュラルにハブられたセツナが、さみしそうに手のひらに“の”の字を書いている。
 それにはかまわず、アズマはカミトと話を進める。


「日数的な余裕は?」

「わたしも詳しくは覚えてないんだけど、二ヶ月足らずしかないと思う。現地での準備もあることだし、余裕はあまりないわ」

「二ヶ月か」


 反芻して、アズマは考え得る手段を頭に描きあげた。
 同胞をひとりひとり当たっていくには時間が足りない。雇うにはおそらく資金が足りない。金策する時間も惜しい。


「仲間を探すにも、手が欲しいところだな」

「それに関しては、ボクも手伝えるよ。仲間に手伝ってもらえば、すこしは役立てると思う」


 アズマの独白に、セツナが髪をかきあげながら手を挙げた。


「――ひとり、心当たりがある。オレはまず、そいつと連絡を取ろうと思う」

「わたしにも、あてがないことはないわね」


 ブラボーとカミトも、それぞれ目算があるようだった。

 自分たちはどうすべきか。
 アズマは考えた。実力者といって思い当る人物が、居ないではない。だが、どうもピンとこない。それが、状況を頭に描き切れていないせいだと気づいて、アズマは決めた。


「俺たちは、まず現地に行きます。むこうの状況を見て、対策を練ってから必要な能力者を探したい」


 アズマの言葉に、ツンデレとロリ姫がうなずく。
 それを確認して、ブラボーは一同を見回した。


「では、ひとまずおのおので仲間を集うことにしよう。カミト、アズマ、ツンデレくん、姫君、セツナ――同士諸君。頼んだぞ」


 ブラボーの言葉に。みな、それぞれの言葉で、力強く応えた。








 ごく短い会談ののち、一同は解散した。
 ブラボーはとりあえず電脳ネットで連絡を、アズマたちはセツナとともに、現地に向かうため、空港を目指した。カミトも遠出するようで、空港までは同行することになった。

 タクシーを拾って、その道中。
 後部座席に座ったアズマは、隣のカミトに尋ねた。


「あてがある――って、あんたは言ってたけど、くわしいことは言わなかったな」

言えなかった・・・・・・のよ」


 アズマの疑問に、カミトはそう答えた。


「あの場ではね。言えばブラボーは絶対に反対するから」

「……だろうね」


 アズマは同意した。
 その様子から察するものがあったのだろう、カミトは苦笑をうかべた。


「わかってて聞いたわね?」

「俺も、その方法は考えていたから」


 至極面白くなさそうに、アズマは言った。
 ブラボーが決して同意できない、しかし、手っ取り早く実力者を集める方法など、ひとつしかない。
 自力で現実に帰還した者、すなわちグリードアイランドをクリアした実力者の手を借りるのだ。
 説得はたやすくない。しかし、協力を得られれば、これ以上ない助力となるだろう。


「……たしかに、ブラボーは反対するわ。でも、やれることなら何でもやらないと」


 じゃらり、鎖が鳴った。カミトが鎖を握りしめたのだ。


「いまのままじゃあ、わたしたちの何人かは確実に死ぬ。それで後悔するのはいつでもあいつなんだから」


 遠くを見るようなその眼に、アズマはむっと口を引き結んだ。


「知ってるか? オカマさん」

「カミトよ。なにを?」


 憮然として訂正するカミトに、アズマはそっぽを向いて言った。


「先輩、ニンジンとセロリが食べられないんだ」


 カミトは一瞬、不意を打たれたように口を開き。
 くすくすと笑いだした。


「子供みたいね」

「そうなんだ」


 笑い合うふたりの横で、ツンデレはアズマの服の裾を握って、ぎりぎりと歯を食いしばっていた。
 助手席に座っていたセツナは、背後から沸き起こる殺意のごときものに、ひとり胃を痛めていた。








 一週間後、カミトは現実に戻った。
 使った“挫折の弓”は、ブラボーがカミトのためにとっておいた、最後の一矢だった。

 現実ではほとんど時が進んでいないことを確認してから、カミトはパソコンに向かった。
 かなり長い間デスクに向かっていたカミトは、シャワーを浴びて一息ついてから、再び Greed Island Online を立ち上げた。
 キャラクターを作り直すかどうか、一時間ほど悩んでから。
 カミトはふたたび“カミト”でログインした。







[9513] Greed Island Cross-Counter 02
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/06/14 00:33

 ハンドルネーム“ユウ”が、その書き込みに気づいたのは、ひと月後のことだった。

 Greed Island Online の公式ホームページ。βテスト開始以降は、管理人サイドもほとんど書き込んだ形跡のない、半ば放置されたような掲示板に書き込まれたごく短い一文は、多くの者にとっては意味のわからないものであり。
 ユウにとって、いや、Greed Island Online を介してあちらの世界に飛ばされたものにとっては、これ以上ないくらい意味の通る言葉だった。


“わたしはゲームマスター。わたしはあなたを排除した。わたしは誰?”


 その一文とともに貼られたURLには、ZIP形式の圧縮ファイルが置いてあった。

 ユウはディスプレイの前で、しばらく固まったままだった。
 むこうの世界での出来事を、忘れていたわけではない。
 ともに命をかけて戦った同志たち。そして志半ばで倒れた仲間たちのことは、現実に戻って平凡な日常を送っているユウが、忘れてはならないものだった。

 だが、時間とともに実感は薄れていく。頭では覚えていても、肌が感覚を忘れていく。
 それが、この書き込みを見て、一度に蘇ったのだ。

 しばらくして。ユウはようやく動き出した。
 マウスに置いた手のひらにじっとりと汗をにじませながら、ダウンロードパスに“レイザー”と入力し、ファイルをダウンロードする。
 圧縮ファイルを解凍すると、中に入っていたのはテキストファイルだった。
 偽装されたウィルスファイルでないことを確認してから、ユウはテキストファイルを開いた。

 そこに、ユウは懐かしい名を見つけた。


「カミト……」


 声が、震えた。
 それはむこうの世界で仲間だった少年の名だった。
 さらに文面を読み進めていき、最後まで読み終えたユウは、言葉を失った。

 彼女があちらの世界に残っていたこと。
 ユウにとって仇と言っていい彼と行動を共にしていること。
 あちらでは一年以上の時間が流れていること。
 そして、カミトたちが置かれている状況の一切と、助けを求めるメッセージ。

 ユウは迷った。
 書かれている内容を信じるなら、カミトはまさに死地に飛び込もうとしている。そんなカミトを、ユウは見捨てることなどできない。

 だが。
 ユウがいまこの現実で平穏に暮していられるのは、死んだ仲間たちあってのことだ。
 ヒョウにD、エース。彼らは消えゆく命を振り絞って、ユウたちに希望を託して死んでいった。
 ユウがあちらの世界に戻ることは、彼らの努力をも無にすることではないか。
 その思いが、ユウを躊躇わせていた。

 椅子の背もたれに体重を預けて、長い間、ユウは天井を見ていた。


「……あいつらなら、どう言うかな」


 つぶやいて。頭に浮かべたのは、ともに戦った仲間たちの姿。


 レット氏。三下属性を持つヘタレヒーローな彼なら「とんでもないっス! とんでもないっス! 無理、無理っスから!」などと高速で首を横に振るだろう。


 ミコなら。子供っぽい正義感を持つ、あのかわいいお嬢様なら「迷うまでもありませんわ! カミトさんたちがピンチなら、助けに行かなくては!」と、突貫しているだろう。
 

 シュウなら? あの王道好きのひねくれ者なら、どうするだろう。


「ほっとけ。他人助けるのにクソでかいリスク背負う必要ねぇよ」


 とでも言うだろうか。
 それとも。


「お前が行きたいなら、行けよ。仕方ねえからついて行ってやるよ」


 と、口をへの字に曲げながら言ってくれるだろうか。

 そこまで考えて、ユウは苦笑した。
 自分があちらに行くことを主張する前提で考えていることに気づいたのだ。

 そう、結局のところ。
 ユウは助けに行きたいのだ。カミトを、一緒に苦難に立ち向かったかつての仲間を。


「――情けないぞ、俺。だったらみんなを言い訳に使ってんじゃねぇよ」


 ユウは腹を決めた。
 ふたたび渦中に飛び込むことに、もはや迷いはなかった 。

 数分のち。
 ユウの部屋を訪れた少女は、起動したまま放置されたパソコンの画面を見て、低くつぶやいた。


「馬鹿兄ぃ……あのお人好し」








 一瞬の浮遊感ののち。気がつけばユウはシソの木の前にいた。
 姿が一変している。
 肩口で切りそろえた黒髪に、切れ長の瞳。すらりと伸びた手足を、ゆったりとした黒い上下が覆っている。
 ユウにとっては見慣れた、だが、懐かしい姿だった。


「また来たか」


 不意に声をかけられ、ユウは気づいた。
 シソの木の根元に、腰をおろしている男がいたのだ。
 巨漢だ。体格に見合った鋼のごとき筋肉と、そこに張り付いたような、ピッチリとした服。
 レイザー。グリードアイランドのゲームマスターが、そこにいた。


「レイザー」

「お前で四人目だ」


 レイザーは口を開いた。笑い顔ながら、不機嫌がにじみ出ている。


「事情はカミトから聞いている。
 だが、オレの仕事はあくまでグリードアイランドの管理だ。こう何度も行き来されてはな。こちらとしても対応を考えざるを得ん」


排除エリミネイト”のカードを取り出しながら、笑い顔のまま。
 レイザーはぞっとするような表情を浮かべた。


「つぎは、まともに通してもらえると思うなよ……それじゃあな」


 凍りついたユウに、“排除エリミネイト”が発動される。
 そのまま、ユウの体は光に包まれ、消えた。


「つぎに会う時が楽しみだな」


 彼方に向けられたレイザーの言葉は、どこか楽しげな響きがあった。









 気がつくと、ユウは森の中に立っていた。
排除エリミネイト”の効果で、アイジエン大陸のどこかに飛ばされたのだ。


「なんだか、すっごい地雷ふんじゃった気がするけど……ええい、あとだあと」


 レイザーの表情を記憶から振り払って、ユウは気を取り直した。
 彼との対峙はもっと後の話なのだ。


「にしても、慣れないな。方向感覚が目茶苦茶だ」


 不満を漏らしながら、ユウは懐に手をやり、携帯電話を探る。
 その手が、はたと止まった。
 体に壮絶な違和感を感じたのだ。
 ユウは首をかしげた。
“ユウ”の――女の体なのだから、違和感があって当然なのかもしれない。だが、以前はそのあたりの違和感を、まるで感じていなかったのだ。
 そこで、ふと気づく。


「ユウも男になってたからか」


 ユウと“ユウ”の人格が、混じったまま現実に戻っていたのだ。
 両者が男の感覚に慣れた状態で女の体に入れば、違和感があってもおかしくはない。


「ま、そのうち慣れるか」


 ユウはあっさり割りきった。そのあたり頓着しないのは、彼女らしい。
 再び懐を探って携帯を取り出すと、ユウはGPS機能で場所を確認した。
 アイジエン大陸中央部、カキン国の奥地。
 耳覚えのある国名だったが、ユウはそれだけ確認すると、カミトの番号をコールした。


「――もしもし?」


 数コールの後。聞こえてきたのは、カミトの懐かしい声だった。


「もしもし? 俺だよ」

「……ユウちゃんね? オレオレ詐欺じゃないんだから名前くらい言いなさい」


 苦笑交じりの声が聞こえてくる。
 ユウは泣き笑いの表情になった。


「カミト、久し振り」

「ひさしぶりね、ユウちゃん。ありがとう。来てくれたのね」

「あたりまえだろ?」


 ユウは、笑って言った。
 カミトが、あらためて謝した。その声に、ほんのすこし涙がまじっていた。


「――とにかく、まずは合流しましょう。ユウちゃん、いまどのあたり?」

「アイジエン大陸のど真ん中だ。カキン国のあたり。カミトは?」

「わたしはいまアイジエン大陸でも東岸のほうにいるんだけど……ちょっと動けないんだけど、来れる?」

「正確な場所をメールしといて。それで確認して行くから」

「わかったわ。すぐに送るわ」


 落ち合う場所をきめて、それから、すこしだけ話して。ユウはカミトとの通話を切った。
 別れ際の言葉が、否応なしにユウの気を引き締めた。


「気をつけてね、ユウちゃん。今度の相手は――キメラアントなんだから」







[9513] Greed Island Cross-Counter 03
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/06/15 00:23


 キメラアント。

 HUNTER×HUNTER を知る者なら、誰もが知っているであろう。ハンター歴2001年に世界を襲った、未曽有の災禍の原因だ。

 そう話せば、たいていの学者は失笑するだろう。本来、キメラアントは女王蟻でも体長10cmほどでしかないのだ。摂食交配により、生態系に影響を与えることはあっても、人間にとっての脅威はたかが知れている。

 だが、それが人間大であればどうか。
 人間大の昆虫という時点で、すでに脅威ではあるが、それに加えてキメラアントは摂食交配によって、他種の動物の特性をも備えている。昆虫や獣、魚はもとより、人間の特性――高い知能すら、備えるに至ったキメラアントでは?

 おそらく、大災害になる。
 対抗できるのは、高い殺傷力を持つ重火器か、それに匹敵する実力をもったハンターしかないだろう。

 そんな怪物となぜ、戦わなければならないかを述べるには、まずセツナとその仲間たちに関して説明する必要がある。

 セツナとその仲間たちは、数少ない、グリードアイランドをプレイすることに成功したプレイヤーである。
 だが、最初に無理をしてマサドラにたどり着いてしまったおかげで、行きも帰りもつかない、いわゆる“詰んだ”状態になってしまった。
 似たようなプレイヤーもいるもので、セツナたちはそんなプレイヤーを集めて、やっとのことで港から脱出することに成功したのだ。

 その後、グリードアイランド攻略、ひいては現実への帰還を半ばあきらめたセツナたちは、自分たち、あるいはその同胞にとっての安住の地を作ろうと思い立った。
 といっても、新しく土地を開発するには、いろいろと煩瑣な手続きがいる。未開の地を開拓するにも、文明の利器に慣れ親しんだセツナたちは、パソコンや家電製品を手放すことなどできなかった。
 そこで選んだのが、ヨルビアン大陸東部特別開発地区。文明圏の至近にありながら、害獣などの“地形や環境以外の要因”において、開発が止まっている地域だった。
 定住希望者には、国からさまざまな恩恵がくだる。通信、発電施設の無償給付もその中に入っていた。

 セツナは十数人の同胞を引連れて、ここに集落を作った。
 腐っても念能力者の集団である。害獣や外敵と戦うには十分すぎるほどの技量を持っていた。
 人が住めるようになったと知ると、ぽつぽつと移住してくるものが現れはじめた。
 同胞でない者が集落に住みつくことに、セツナたちは最初いい顔をしなかった。だが、共に苦労を重ね、開発を進めていくうち、しだいにそんな垣根もなくなっていった。
 一年もしないうちに、集落は千人規模になった。セツナたちはこの地に骨をうずめる気になっていた。

 だが、気づいてしまった。この土地の条件、そして、近い将来起こるであろうキメラアントによる災厄のことを。
 外部に情報の漏れない、ということに関して、この特別開発地区は問題なく当てはまる。この土地にキメラアントが現れる確率は、非常に高いといえた。

 だからと言って、いまさら土地を捨てることなどできない。
 同胞以外の者はどう言ってもこの土地を動かないだろうし、なによりセツナたちも、自らが開発したこの土地を愛するようになっていたのだ。
 だから、彼らは戦うことを決意した。
 未熟な腕を鍛えて、外敵に備えようと。

 だが、その中の数人が、暴挙に出た。


 女王を、いまのうちに殺す。


 負傷している女王なら、自分たち程度の実力でもなんとかなると、そう言って。
 そして、彼らは帰ってこなかった。
 どうなったのかは明白だった。

 セツナは苦悩し、窮した。
 彼らを止められなかった悔恨、そしてキメラアント禍に、最大級の爆弾を投じてしまった責任、間近に迫った災厄に。
 そのあげく、藁にもすがる気持ちで、セツナはブラボーを頼ったのだ。








 セツナの事情については、ユウもカミトを介して知っている。
 馬鹿なことだ、とは、ユウは思わない。
 きっと、飛び出して行った彼らにとって、その町は、かけがえのない、大切なものだったのだ。彼らは、町を守るために命をかけた。結果が最悪だからといって、その想いまで、誰が笑えようか。

 だから、ユウは彼らを助けることに迷いはない。セツナという名前には、非常に引っかかりを覚えていたが。
 ともあれ。


「まずはカミトと合流しないとな」


 ユウはつぶやいた。
 アイジエン大陸、カキン国の奥地。開発の手も届かない秘境である。周囲100km以内には、人工的な建造物など、なにひとつない。
 気候が違うためだろう。周りに茂る樹木も、見慣れたものとはすこし違う。だからだろう。ユウは自分が遭難した気分になった。


 ――見えないから、そんな気分になるんだ。


 と、思い立って、ユウは跳び上がった。
 オーラを足に集中した蹴りは、ユウの体をはるか上方に運ぶ。
 途中、枯れた立木の幹に足をかけ、さらに上へ。一瞬のうちに、ユウは立木の梢の上に片足立ちで立っていた。


「うわ」


 ユウは歓声を上げた。見渡す限りの緑。その中に、島のように岩山が生えている。人の手によるものなど、ひとつもない。はるか遠くの空をゆく鳥も、どこかから聞こえる獣の鳴き声も、ユウの知らぬ種類のものだ。
“凝”をせずとも、肌で感じられる、この巨大な森に住まう多くの命。
 遭難気分は、吹き飛んでいた。巨大な大地の営みに圧倒される思いで、ユウはしばらくのあいだ、魅入っていた。


「……と、こうしている場合じゃない。え、と、最寄りの交通機関は……飛行船があればいいんだけどなぁ」


 言いながら携帯をいじくるユウの目に、ふと異質なものが飛び込んできた。
 ユウからみて左手奥、ラクダを伏せたような形の岩山のすそ野から、煙が立ち上り始めたのだ。
 無論、ユウにはその原因に心当たりがあった。


「キャンプタイガーだ!」


 思考が大自然モードに入っていたユウは、歓声を上げた。
 その拍子。
 足場になっていた木の梢が、ぽきりと折れた。


「――っと」


 ユウはあわてず、トンボを切って地面に降り立った。


「うわ、ちょっと鈍ってるかも」


 以前であればやりようのないヘマに、ユウは頭をかいた。
 体が鈍っているわけではない。だが、仮にも一か月、現実の体で過ごしていたのだ。感覚のズレは、拭いがたく、あった。


「ちょっと気合い入れて鍛えなおさないとな」


 つぶやきながら、ユウは携帯の操作を再開する。
 東に120kmほど行けば、飛行船の発着場にぶち当たるようだった。


「東……なんだ、さっきの方角じゃないか。ついでにキャンプタイガー見に行こう」


 とてもついでとは思えぬ表情で、ユウは木の間を縫って駆けだした。
 ユウは、自分が「うかつちゃん」呼ばわりされる由縁を分かっていない。


「キャンプタイ……が?」


 岩山のふもとまでたどり着いたとき、そこでユウが見たものは、キャンプタイガーなどではなかった。

 目深にかぶった帽子、そこから流れる、たっぷり腰まである長髪。長身細身の、非常に見覚えのある男が、そこにいた。
 カイトである。
 ひとりで食事の支度をしているのは、およそジャンケンで負けたからに違いなかった。


「ん? ほかのグループの人間か?」


 むろん、ユウが口を開けて見ていることに気付かない彼ではない。
 カイトは視線もくれず、背中越しに声を投げかけてきた。
 どうやらユウのことを、この地域を調査しているほかのグループのメンバーだと勘違いしたようだった。
 そんなことはどうでもいい。ユウは一刻も早くこの場から立ち去りたかった。


「いえ、まあ、そんなところで。それじゃあ、失礼しますね」


 機械仕掛けのようにぎくしゃくと手足を動かして、カイトに背を向ける。
 隠していても視て取れる実力とオーラに、体が縮こまってしまっているのだ。


「まて」

「はいっ?」


 できる限り自然に、かつ全速で離脱しようとしていたユウは、呼び止められて飛び上がった。


「飯の準備ができたところだ。一緒にどうだ? じきに連れも帰ってくる」


 意外な提案に動転する頭で、ユウは計算した。
 この時期であれば、確実にゴンとキルアが合流している。ハンター試験がらみで、ユウはふたりと出会っていた。
 この時点で関わっても、これといって害はないに違いない。とはいえ、ユウは、主人公と接触することに、かなり遠慮がある。
 加えて、こちらの事情を説明するのも厄介だった。


「すみません。こっちでも、連れを待たせているので」


 嘘にならないように気をつけながら、ユウは断わりを入れ、その場を立ち去った。








 ほどなくして。


「カイト! オレ新種見つけたよ!!」

「うー、見つけた動物の数だったらぜってー勝ってたのに」


 デジカメを振り回してはしゃぐゴンと、くやしそうにうなるキルアを先頭に、カイトの仲間たちがぞろぞろと帰ってきた。





[9513] Greed Island Cross-Counter 04
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/06/16 22:36

 四日がかりで、ユウは合流の場所に到着した。アイジエン大陸東岸の港町である。
 日程的に最速だった。飛行機の発着場まで半日で走り抜け、そこから小型艇でいったんカキン国の首都へ。そこから高速飛行船で三日。これ以上時間を縮める要素などない。
 そこまで急いで行った場所に、カミトはいなかった。
 かわりに居たのはミコだった。深窓のお嬢様かと疑う豪奢な身なりの美女である。



「ユウさんっ!」
 


 彼女は目をきらきらに輝かせて、訪ねたさき――シティホテルの一室から飛び出してきた。
 ユウは不意を打たれた。
 固まっているユウに、ミコはそのまま飛び込み、体重を預けるようにして抱きついてきた。
 外見は成人女性である彼女の身長は、ユウよりこぶしひとつ以上高い。
 持ち上げるように抱きついてきたので、ユウはふたつの大きなふくらみに顔をうずめる格好になった。


「ミコ、も、来たんだ」


 必死に酸素を確保しながら、ユウは苦しそうに言った。


「当然ですわ! カミトさんたちがピンチなら、わたくしが助けに行かなくて、どうするというのです!」


 かまわず、力強く言う彼女のセリフは、ほとんど想像と変わりない。


「ひさしぶりだな、ミコ」
「おひさしぶりですわ、ユウさん」


 ふたりはたがいに笑い、再会を喜びあった。

 しばらくしてユウは、ミコの胸の中からやっと解放された。
 そこでようやく、ユウは気にかかっていた疑問を口にした。


「ミコ、ところでカミトは?」


 尋ねると、ミコは困惑の表情をみせた。


「それが、わたくしもカミトさんとこちらで待ち合わせをしていたのですけれど、ほとんど入れ替わりで出て行ってしまって……なにやらレットさんを助けに行かれるとか」

「レット氏も来てることに驚くのは置いといて――助けに行く?」

「ええ。なにやらグレートホールにピンポイントで転移させられてしまったとか」

「グレートホール?」

「アイジエン大陸の内陸部にある、自然の竪穴です。天に向かって巨大な口を開けている、世界屈指の巨穴――カミトさんがおっしゃるには、“ギアガの大穴”的なイメージ……らしいです」


 ミコは首を傾けながら説明した。いまいち分かっていない様子だった。
 小さいころ、携帯機でドラクエⅢをやっていたユウは、もちろんその名を知っている。
 あれに例えられる場所に無装備で放り出されれば、ハンターでも脱出は難しいだろう。


「レット氏、相変わらず妙なとこで災難を……」

「なにやらただならぬ業を感じますわ」


 厄払いに、ふたりはそろって手を合わせた。









 ミコと合流したユウは、ただ待っていることを嫌い、あらためてカミトと連絡を取って、手早く合流することにした。
 すこしだけ残念そうなミコを連れ、ふたたび飛行船で、向かったのは東南方である。最初に飛ばされた地点からみれば、大陸に逆“つ”の字を描く大移動だった。

 一日、飛行船に揺られ、ユウたちは昼前に発着場に着いた。
 便の関係上、カミトたちのほうが先に着いていた。
 ロビーで待つ彼らをみつけて、ユウは固まった。


「ユウ!」

「ユウさん!」


 ユウたちに気づいて、カミトとレットが声をかけてきた。
 だが、ユウは動けない。その後ろに、やたら怖い眼をした親友の姿を見つけてしまったのだ。


「し、シュウ、さん?」

「やあ、ユウ。ごきげんよう」


 猫なで声で、シュウが微笑む。ぼさぼさの金髪が、なにか得体のしれない力であらかた逆立っていた。


「お前も来てたんだな」

「し、シュウ……怒ってる?」

「怒ってないよー。全然怒ってないから。だって怒る理由なんて、なんにもないじゃないか」


 シュウの額には血管が浮いていた。口調も明らかに違う。
 じりじり迫るシュウ。じりじり退がるユウ。


「そりゃあ、オレになんの相談もなかったのは水臭いとは思うけどさ。まあユウだし? どうせカミトの手紙見て、勢いで飛び込んだんだろ? そんなことで怒っていたらキリがないじゃないか」

「シュウ? 口調がなんか怖いんですけどー!?」

「はっはっは、愉快なこと言うなあユウ。おれはちっとも怖くなんてないですよ?」

「うそつけ! なんだよその握りこぶしは!? なんで小走りで迫ってくるんだよ!? なんでオーラが全力全開なんだよ!?」

「はっはっは、久し振りに直で会えたからちょっと親しみこめて正義の拳あいさつしようってだけじゃないか」

「ルビ振った! いま明らかに無茶のあるルビ振った!」


 最後にはたがいに全力疾走で追いかけっこが始まった。


「ふたりとも、相変わらず仲、いいわねえ」

「そーっスねぇ」

「ですわね」


 残された三人は、達観した様子でそれを見ていた。








 ――川で菱の形に区切られた、ゆるい起伏のある森林地帯。


 アズマが上空からとらえた、この地の姿はそれだった。

 上流から流れてくるドナ川の流れが、この丘陵を内包した森にあたって枝分かれし、それが森を抜けるとまた合流している。
 広大きわまるこの土地のやや南に、島の如く浮かぶ、ひときわ高い丘があった。
 そこには住宅が立ち並び、さらによく見れば人が動いているさまもわかる。


「カピトリーノの丘だよ。ボクが名付けた土地さ」


 と、セツナが説明した。

 カピトリーノの丘から伸びる一本の道は、一直線に南に向かっており、それがドナ川の支流を乗り越えたところで、ドナ川に沿って走る公道につながっている。

 上流からドナ川の流れを追ってきたアズマたちは、そこで道を折れてカピトリーノの丘を目指した。
 アズマの念弾も跳ね返しそうな装甲車を運転しているのはセツナである。
 助手席にはアズマが乗り、ツンデレはその後ろの席だ。ロリ姫の仕業か、彼女のツインテールは六本に枝分かれしていた。

 百メートルほどの川幅を渡す橋の舗装の上には、よく見れば靄のようなものが漂っている。さらによく見れば、ドナ川全体にもそれが及んでいるさまが見えただろう。


「この靄が、東部特別開発地区と外界を隔てる壁なのさ」


 セツナがそう言うには、むろんわけがある。
 ドナ川を漂うこの靄は、微細な臭気を帯びている。むろんそれは川の水の匂いであり、もっといえば水に溶けた特定の物質が発するものなのだろう。
 人間にとってはほぼ無臭と言っていいこの匂いを、嫌う動物がいる。


「フラットタイガーと言ってね……そうだね。トラの、毛皮の敷物があるよね? あれがそのまま生きている感じかな? もちろん肉食さ。 素早いうえに、平たいから銃弾も当たらない。おまけに毛皮が恐ろしく硬くてね、爆弾も効果が薄いんだ」


 近代兵器がほとんど効かにということだ。恐るべき獣といえた。
 フラットタイガーの住む森。それこそが、ここを未開の地としている理由だった。

 だが。
 それ以上に恐ろしい獣が、この地に現れようとしている。


「キメラアントにとっては絶好の土地かもね。自然は豊かで外界から隔絶している。地理的にも、それほど離れていない」


 セツナが浮かべた苦笑には、多分に恐れの色が混じっていた。

 なら、どうしてこんなところを選んだんだ、とは、アズマは聞かなかった。
 ここほど好条件で開発援助をしてくれるところなどないだろうし――なにより、気候が故郷の日本に近いのだ。

 丘のふもとには、木で組まれた柵が何重かに立ち並んでいた。フラットタイガー除けである。高さは数メートルもある。フラットタイガーは木の上から滑空して襲ってくることもあるが、地形を考慮して、それでも越えることができないように工夫がなされていた。


 ――これも、キメラアントを防ぐことはできないな。


 柵を横目に、アズマは考えた。
 たとえ柵をさらに重ねても、鉄板張りにしたとしても、キメラアントならたやすく飛び越えるだろう。

 ならば、どうやってキメラアントに対抗するか。
 アズマには、すでに腹案があった。
 どうやっても、キメラアントの侵入を防ぐことはできない。その上で住民を守るためにはどうすればいいか。

 村に侵入される前に、向かってくる敵を倒せばいいのだ。
 すなわち。


「逆撃、しかないな」


 新興の活気溢れる街並みを横目に見ながら、アズマは静かにつぶやいた。






[9513] Greed Island Cross-Counter 05
Name: 寛喜堂 秀介◆c56f400a ID:a45bd770
Date: 2009/06/18 20:39
 ユウたちが東部特別開発地区に足を踏み入れたのは、アズマたちに遅れること二十日。五月初日のことだった。
 薄靄のたちこめるドナ川の渡しの手前まで来たところで、カミトは運転するバンを止めた。
 橋の中央に、人が立っていたのだ。


「うわ」


 助手席に乗っていたシュウが、淡い歓声を洩らすのを聞いて、ユウは身を乗り出した。
 窓の外、車を止めるように立っていたのは、金髪の少女だった。
 細身で、すらりとした手足。淡いブルーの瞳、そして特徴的なアーモンド形の瞳と、とがった耳。


「エルフだ」

「えっ!?」


 ユウのつぶやきに神速で食いついたのはレットだった。ユウを押しのけるようにして、彼はシートの間から身を乗り出してきた。


「うわー、エルフっスよエルフ! 本物っスよぶっ!?」


 当人にとっては至極失礼であろう歓声を上げるレットに裏拳を見舞うと、カミトは少女の前まで車をすすめ、パワーウィンドウを開けた。


「こんにちわ。わたしはカミトよ。あなた、同胞よね?」


 カミトがにこやかにあいさつすると、エルフの少女も笑顔になった。


「うん、そう。わたしマツリ。よろしく。カミトさんの名前、セツナから聞いてます。連絡もらったから、迎えに来ました」

「そう。じゃあ、案内してくれる?」

「はい」


 マツリはうなずいて、一同に車を降りるよう言った。


「一般車両じゃ、まだこの土地の往来、できないです。いま手持ちの装甲車ないから」


 そう説明するマツリに従って、一同は下車した。
 全員念能力者である。下手に車に乗っているより、外の気配を肌で感じているほうが、よほど安全といえた。
 足元にまとわりつく薄靄のせいだろう。ユウは吸い込んだ空気に潤いを覚えた。橋の先には森がある。森の中にまで這い寄る薄靄が、木々の足元を隠していた。
 しばらく歩くと、足元の靄は薄くなっていき、一キロメートルも進んだころには消えていた。足元は踏み固められた土である。舗装もされていない。


「このへんのフラットタイガー、あらかた駆逐したはずだけど、きおつけてね」


 先導するマツリが注意を呼び掛けた。
 マツリに続いてシュウと、なぜか異様にテンションの高いレット。その後ろで、レットを汚物のように見つめるミコと、エルフが気になって仕方ないユウ、最後尾に、背後を確認せずとも防御できるカミトが歩いていた。


「フラットタイガー?」


 シュウが尋ねた。


「この土地を未開にしている元凶の害獣よ。その名の通りフラットな虎――気をつけて!」


 カミトが説明を中断し、声を張り上げた。
 手に持つ鎖の片方。先端に三角形がついた鎖が、ひとりでに前方をさしている。

 みな、瞬時に“凝”た。それでもオーラが見えないのは、敵が野生の肉食獣ハンターだからだろう。
 空気が固化したように張り詰める。
 耐えかねたように、ずるりと、獣が現れた。
 フラットタイガー。毛皮の敷物を連想させる平面的な虎は、地を這うように姿を見せる。左右から一匹づつ、計二匹だ。


「うわ、マジでぺったんこ」

「誰がぺったんこだ!?」


 ユウの率直な感想に、なぜかシュウが激しく食いついた。
 むろんユウには彼がなぜ怒るのか、わからない。
 後ろから鎖を回して全員を守る体制をとっていたカミトが、シュウを憐れむような目で見た。


「エルフさんはオレが守るっす!」


 レットがマツリをかばうように前に出て、ミコは上空に彼女の念獣を飛ばした。新手を確認するためだ。


「みなさん! こいつの弱点は――」


 マツリが口を開いたときには、すでにユウとシュウが飛び出している。
 二人はそろって地面ごとフラットタイガーの顎を蹴上げ、あらわになった胴体に、一方は正拳、一方は手刀を見舞った。


「腹、だろ? グリードアイランドプレイしてりゃ、弱点探すのは習慣だからな。常時這いつくばってるのも、弱点を守るためなんだろうよ」


 ぐったりとなったフラットタイガーを振り払いながら、ユウは笑った。手は血の朱で染まっている。
 見かけより重量感のある音を立て、フラットタイガーが地面に落ちる。その下から、赤い色が染みだしてきた。


「さ、さすがです」


 マツリは少し腰を引きながら感心したように手を指をあわせた。


「お、オレの出番なしっスか……」


 レットが構えた拳を落とす。
 瞬間。


「馬鹿! 上だ!」
「木の上ですわ!」


 ユウとミコが同時に叫んだ。
 言葉が終らぬうち。
 木の上から、突如絨毯のごとき獣が襲いかかってきた。フラットタイガーだ。
 空を滑空しながら、フラットタイガーはレットに襲いかかった。


「うわっ!?」


 不意を打たれたレットはあわてて身構える。
 クロスさせた彼の腕まで、わずか数十センチ。
 虎の牙は、届かなかった。
 カミトの鎖が逆巻くように旋回し、襲いかかるフラットタイガーからレットを守ったのだ。

 弾かれたフラットタイガーは、弧を描いて再びレットの首筋に牙をつき立てんと襲いかかる。

 しかし、それは果たせなかった。
 彼方より飛んできた一条の弾丸が、フラットタイガーの目を正確に打ち抜いたのだ。
 フラットタイガーは断末魔の声をあげ、森の中に墜落した。弾丸は眼底を突き破って脳まで達している。致命傷だった。


「フラットタイガーはその平面的な体を活かして、空中を滑空して襲ってくるんだ。気をつけるんだな」


 声は、森の奥から聞こえてきた。
 みな、視線をそちらに向けた。

 しばらくして、森をぬけてきたのは三人の男女だった。

 目つきの悪い、黒づくめの少年。
 金髪碧眼ツインテールで、なぜか制服ニーソの美少女。
 銀髪に金銀妖眼の中性的な容姿の美青年。


「誰?」

「どなたですの?」

「ふん。アズマにその連れか」

「あーっ!? あの時の目つき悪い少年少女!」

「セツナに、アズマさんたち!」

「やっほー、アズマにツンデレちゃんにセツナ」


 ユウ、ミコ、シュウ、レット、マツリ、カミト、と。
 ほぼ同時に、みなが声を上げた。








 それぞれの意外な再会により、ちいさな混乱が生じた。

 シュウとアズマは、何度かの邂逅のすえ、たがいに犬猿の仲となっている。
 ツンデレにとってシュウは、アズマに重傷を負わせた仇だ。
 そのツンデレとアズマに、レットはぶちのめされたことがある。
 ユウは、そのあたりの因縁をかけらも知らなかったが、セツナの顔は“全力全開中二秒”という強烈な印象とともに脳裏に焼き付けられていた。
 セツナはと言えば、おもにシュウの姿を見て、悲鳴を上げた。彼のトラウマを作成した相手だったから当然と言えた。

 残るメンバーは、事情を知らない。だから首を傾げるしかなかった。
 
 ともあれ、カミトがその場を抑えて、それぞれ矛やら恐怖やらを収めさせることに成功した。
 カミトがいなければ、とうてい収まらなかっただろう。


「カミトさん、すごい。尊敬する」


 尊敬のまなざしを注いだのは、エルフの少女、マツリである。


「ふっ」


 シュウに、とりあえずこの場にいる市民権を与えられたセツナと、ツンデレにおびえていたレットが半歩前に出てひそやかな自己主張を行った。
 マツリの目はそちらにまったく向かわなかったが。


「とにかく。それぞれ知らない顔もあるみたいだから紹介させてもらうわね」

 そう言って、カミトは一同を見渡した。


「とりあえず向こうからね、端っこのスレた目してる金髪少年がシュウ。隣の黒いかわいい娘がユウちゃん。こっちのしょぼいのがレット、この娘がミコ」

「スレた……」
「かわいい……」
「しょぼい……」


 カミトの端的な紹介に、シュウたちは微妙な顔になる。


「きゃっ」


 と声を上げたのはミコで、これは肩に手を置かれためだ。


「で、こっちの目つき悪い黒いのがアズマ。隣がツンデレちゃん+ロリ姫ちゃん。で――」

「切ないセツナくん」

「おいっ!?」


 割り込んできたマツリの紹介に、セツナが全力で抗議の声を上げた。


「ちょっとひどすぎないかい!? 仮にもボクはリーダーだよ? リーダー! サブリーダーのキミがそのあたりしっかりしてくれないと、人がついて来ないじゃないか!」

さぶ・・リーダーはキョウスケくんに任せています。わたしは黒幕」

「なんでだよ!?」


 いきなり掛け合いを始めたふたりに、みな毒気を抜かれた。
 この上ない自己紹介ではある。


「どこまでもわたしはツンデレって呼ばれるんだね……ツンデレってなに?」

「なんでエルフさんとあんなに仲良さそうなんスか……ショボそうなくせに!」


 若干二名、隅のほうで、ぶつぶつ呟いていたが。







 合流時、混乱はあったものの、昼過ぎには無事カピトリーノの丘にたどり着いた。
 丘の防備は一変していた。
 まだ工事中のところも多いが、木の柵で重囲していた防御陣が、軒並み分厚い鉄板張りになっている。


「これ、アズマの仕業?」


 以前の状態を知っていたカミトが驚いて尋ねた。


「ああ。国に持ち込んで作らせてる。ま、工事車両の何台かは、フラットタイガーに襲われて、乗せた資材とともに消える予定だけど」


 もちろん実際に消えるわけではない。そういうことにして、「なくなったことになった」それらは周旋にかかわった政治家などのポケットに還元されるのである。危険区域の開発にはこういったうまみが付いて回るし、だからこそ仕事は早いと言えた。
 むろん、いままでセツナたちがそういった要人たちと築いてきた良好な関係がなければ、一夕には成しえなかっただろう。
 彼の言葉からそこまで読みとれたのは、ごくわずかだったが。


「黒いわねー、アズマ。ツンデレちゃんが染まらないことを祈るわ」

「なりふり構ってないだけだよ」


 カミトの言葉に、アズマはしれっと応じた。


「だが、相手はあのキメラだ。こんなものすぐに」

「破られるだろうな」


 口を引き結ぶシュウに、アズマが返す。


「それでも一秒は時間を稼げる。一秒で、やつらはどれほどの人間を殺せると思う? ほんの一瞬足止めできるだけでも、十分な意味があるさ」


 自分の金でもないしな、とアズマはうそぶいた。


「ふん」


 と、シュウは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
 シュウとアズマを比べれば、アズマのほうが、思考を一段深いところに置いている。その事実が、気に入らないのだろう。

 アズマの資質が優れている、というわけではない。
 アズマにはおのれが知術を尽くしても及ばない敵手がいた。シュウにはいなかった。その、経験の差だ。

 一方、ユウたちのほうは素直に感心している。マツリも、アズマの見識に称賛の言葉を惜しまない。それを見て、レットやセツナなどは自分もいいところを見せようと、頭を悩ませている。

 そうしているうちに鉄柵の防御陣を超え、町に入った。
 そこで、出迎えたものは。


「WELCOME!(ようこそ)」


 全身タイツにブリーフ一枚。顔に女性用下着を被った変態だった。
 しかもひもパンである。その上シマシマだ。

 至近で見てしまったミコが失神した。カミトもドン引きだ。シュウは視界に入らぬがごとく構え、ユウは、ああ、と納得している。
 レットは、その格好に何かトラウマでもあるのか、耳をふさいでしゃがみこみ、「パピヨンはいやっす」と連呼している。アズマとツンデレは、顔見知りなのだろう。軽く挨拶を交わし。


「ふっ。ちなみにマツリのパンツさ」

「なんで言っちゃうの!?」


 セツナのよけいな説明に、マツリが顔を真っ赤にして悲鳴を上げた。






[9513] Greed Island Cross-Counter 06
Name: 寛喜堂 秀介◆b96a8f27 ID:a45bd770
Date: 2009/12/28 20:08
 カピトリーノは、ゆるやかな起伏をもつ、真円形の丘陵地である。
 鈍色の鉄柵で覆われた麓から登っていくと、中腹辺りからちらほらと民家が見え始める。四、五百戸の家が、身を寄せ合うように立ち並ぶ住宅群の中央――丘の頂上付近には、電波の受信施設や発電施設の類が並んでいた。

 セツナに先導され、ゆるやかな丘を、一行は上った。
 途中、住民たちがみな、セツナに声をかけてくるので、ユウは驚いたものだ。


「あんた、意外と人望あるんだな」

「本当に意外だけど」


 感心するユウの言葉に、エルフの少女、マツリがすかさず付け加えた。
 髪をかきあげ、格好をつけていたセツナの体が傾いた。


「マツリ、まだ怒っているのかい?」


 傾いた体を持ち上げて、めげないセツナは流し眼で尋ねた。
 頬には真っ赤なもみじが張り付いている。
 さきほどのうかつな発言で、マツリにつけられたものだ。


「別に」


 マツリはそっぽを向いた。面には出していないが、声には不機嫌の色があった。
 ちなみに、変態仮面――キョウスケの頬にも、もみじが張り付いている。まったく堪えた様子はなかったが。








 頂上付近で、一行は別れた。
 それぞれ三人の家に別れて泊まることになったからだ。

 マツリの家にはユウとミコが割り当てられた。ツンデレも彼女の家で世話になっているから、女性陣がまとめられた感じだ。
 セツナの家にはアズマとカミト。
 アズマと同じ家に泊まることを嫌ったシュウは、自ら変態仮面の家を選んだ。さすがにひとりでは嫌だったのか、必死で抵抗するレットを引きずって行ったが。
 レットの強烈な嫌がりっぷりに、哀れをもよおしたユウだが、「どうせならエルフさんのとこがいいっス!」という彼の主張を聞いて、見捨てることにした。

 女性陣はマツリに従って、丘の西側に回った。同胞たちの家は、一般移住者のそれに比べれば、どれも数段大きいが、マツリの家は比較的小さい。

 造りに複雑さがなく、家具も自己主張のないものだが、どこかほっとする。そんな家だった。

 ユウたちにあてがわれたのは、南向きの一室。ツンデレが寝泊まりしている部屋だった。
 もともと大人数での寝泊りを想定していたのか、広さには申し分ない。
 寝台こそ二基しかなかったが、ダブルベッドなので、並んで寝る分には問題なかった。


「いっしょに寝ようか?」


 と、ユウがミコに提案すると、彼女は顔を真っ赤にして首をぶんぶん振りまわし、ツンデレのほうに行ってしまった。
 ユウは苦笑して、もう一方のベッドに手荷物を放った。

 とりあえず居場所を確保して。


「じゃ、あらためて。俺の名前はユウ。カミトの昔の仲間だ。よろしく」

「同じくミコですわ」
 

 ユウはあらためて、同居人となるツインテールの少女、ツンデレに挨拶した。
 ミコもそれに倣い、頭を下げる。


「う、うん。アズマの仲間でエスト。よろしく」


 どこか遠慮がちにな彼女の言葉に、ユウは首を傾ける。


「エスト? ツンデレじゃなくて?」

「それはアズマが勝手に言ってるだけよ」

「ああ」


 ユウは納得した。
 ツンデレとはずいぶんと趣味的な名前をつけるものだと思っていたが、あだ名なら納得である。本名だと言われても、半分くらいは納得しただろうが。


「あと、これがロリ姫」


 ツンデレが頭上を指さすと、それに応えるようにツインテールがひらりと舞った。
 習慣的に、ユウは目にオーラを集めた。
 そこにあったのは幼い少女の姿だった。金髪碧眼縦ロール。白いドレスを着た彼女は腕組をして、なにやら口をパクパクさせている。


「耳にオーラを集めてみて」


 ユウがツンデレの指示に従った。
 とたん、細く高い声が耳を打った。


「――そう、輝ける朔北の華! 永代の至玉! リドル・ノースポイント姫とは妾のことじゃ!」


 胸を反らして高笑いするロリ姫。
 どう反応していいかわからず、ユウは凍りついた。
 可憐な容姿とのギャップが半端じゃなかった。


「か」


 唐突に、ミコが口を開いた。眼がきらきらしている。視線はロリ姫に一点集中。直後。


「かわいいですわーっ!」

「な、何をする貴様ぁーっ!?」


 がっ、と飛びついてきたミコに、ロリ姫は悲鳴を上げた。
 実態のない幽霊であるからには、ミコには触れられないのだろうが、それだけミコの勢いに気押されたということだろう。


「ちょ、ミコさん? 落ち着いて! 胸押しつけないで!」


 胸の大きなお嬢様にのしかかられ、ツンデレが悲鳴を上げる。
 ミコの意外な一面を見た思いで、ユウは顔をほころばせた。


「そこな黒女も早く助けんかーっ!」


 ロリ姫が悲鳴を上げる。ほとんど必死の声だった。

 一連の騒ぎが収まったころ、マツリが紅茶を淹れてやってきた。
 少々乱雑に散らかされた部屋を見て、彼女はあきれ顔になった。








 夕食後、セツナの家のリビングに、全員が集合した。
 とりあえず現場にいる人間で、今後の方針を立てるためである。

 といっても、セツナの仲間たちの多くは、念能力者探しで出払っている。ブラボーもさる同胞を駆動ている最中で、結局ほとんどが昼間に顔を合わせた面子だった。

 場を仕切ったのはカピトリーノ移住組のリーダー、セツナである。
 冒頭、セツナはひとりの同士を紹介した。


「ふっ、紹介しよう。ブラボーの周旋で来てくれた同胞、ライだよ」

「……よろしく……」


 ぼそりと無機質な声でつぶやいたのは、二メートル近い大男だった。
 脂肪のほとんどない、硬質な面差しだ。面長で、黒髪をオールバックにし、全身ゆったりとしたローブに身を包んでいる。

 隠しているのか、オーラはほとんど感じられない。
 だが、それを補って余りあるほどの雰囲気を、彼は持っていた。
 ユウにとっては気に入らないが、ブラボーの選んだ人間である。役に立たないはずがなかった。

 紹介が終ったところで、作戦会議が始まった。
 まず、口を開いたのはアズマである。


「とりあえず、俺の目算を話す。異論疑問があれば、その都度言ってくれ」


 これには誰も異論はなかった。
 来る途中の言葉を聞いていても、彼がそれほど見当はずれの目算を出すとは思えない。叩き台を作るには適役と言えた。
 どこからも異論のないことを確認してから、アズマは話しはじめた。


「キメラアントが全国に拡散する契機は、女王の死だ。これが六月中旬のこと。およそひと月半後だ。
 ただし、これは原作通りであれば、だ。
 俺たちがいることで時系列に変化が生じているかもしれない。余裕を見て、六月頭には準備を終えたい」

「目安はそれとしても、人材はもっと早く集まってたほうがいいでしょうね」


 口をはさんだのはカミトだ。


「物が間に合わないのは仕方がないとして、人が間に合わないんじゃ話にならないし」

「そうだな。五月末週あたりをめどに、人を集めよう。それも、外に出てる面子に任せるべきだと思う。
 俺たちはここを空けずに、万一に備えたほうがいいだろうな――みんな、それでいいか?」


 アズマの問いかけに、ほとんどの人間が深くうなずいた。あきらかに要領を得ない人間もいたが。
 つぎに、具体的な防衛方法へと話が移った。これも、最初に口を開いたのはアズマである。


「みんな、この町を見てじかに感じただろうが、これほど広い土地を守ろうとすれば、どうしても穴が出る。むしろキメラが来るまでに、早期発見して迎撃する。そのスタイルで守ったほうが、犠牲を出さずにすむだろう。
 そこで、なんだが、編成を考えるのに、たがいの念能力を知っておくことが必要だと思うが」

「――ま、賛成」


 口を“へ”の字に曲げながら、手を挙げたのはシュウだった。


「キメラアントの実力は、正直なとこまだ計りかねてるんだけど、兵隊長クラスでもタイマンはヤバイ。師団長クラスなら、なんらかの手段でハメないと対抗できないだろうってのが、おおざっぱな印象かな。
 組み合わせや配置を決めるためにも、念能力の把握は必須だ」


 これにみなが同意し、それぞれが念能力を紹介した。


 アズマの念能力は物体を加速させる“加速放題レールガン”と、物品をその所有者に返す“送り屋センドバッカー”。

 ツンデレの念能力は、物理衝撃でオーラで相殺する除念系の念能力。その髪にとり憑くロリ姫は、“天元突破スパイラル”という触れたものをドリル化する念能力を持っている。

 カミトの念能力は“鉄鎖の結界サークルチェーン ”と“追尾する鉄鎖スクエアチェーン ”。それぞれ防御と捕獲を担う、二本の鉄鎖を操る能力だ。

 シュウの念能力は、有名になればなるほどオーラを増す“英雄補正ネームバリュー ”と、心の高ぶりを威力に変える“正義の拳ジャスティスフィスト ”。

 ユウの念能力は、敵の死角から死角へ瞬間移動する念能力、“背後の悪魔ハイドインハイド ”と、舐めている間、制約を
誤魔化す飴玉、“甘い誘惑スイートドロップ ”を具現化する能力。

 ミコの念能力は、あらゆる姿に化け、五感を共有する念獣を出す“ハヤテのごとくシークレットサーバント ”。

 レットの念能力は、変身し、オーラや身体能力を数倍に引き上げる“強化装着チェンジレッド ”。ただし発動困難。


「ふっ。ボクの念能力は――」

「戦闘系なら言わなくていいぞ。どうみても前線に立たせられないし」


 シュウに出鼻をくじかれ、セツナはかきあげた手をがくりと落とした。


「セツナくん超使えない」


 マツリがこっそり毒を吐いた。


「私の念能力は、女性下着をかぶることで潜在能力を100%発揮する能力だ。このように――」

「やめやめっ!」


 なにやらポーズを取ろうとした変態仮面に、カミトの鎖が絡みついた。
 がんじがらめにされた変態仮面は動けなくなる。


「収拾つかなくなるからここでの変態行為は自重しなさい!」


 肩を怒らせるカミトに、変態仮面は息を荒げながら言った。


「地獄のタイトロープ(つなわたり)がお望みか?」


 変態仮面は窓から放り出された。まるで堪えていなかったが。


「で、わたしの能力はこれ」


 言ってマツリが具現化したのは竹簡だった。


「“千人列伝サウザントライブズ”。名前と出身地がわかる人間の業績を、箇条書きで記す能力。たとえば――」


 マツリの手に、これも念能力によるものだろう、筆が現れる。
 彼女が筆を走らせると、丸めた竹簡の背に流麗な書体でセツナの名と出身地が記された。
 ぱらりと、竹簡が広げられる。
 そこにはセツナの業績が、墨痕鮮やかに記されていた。
 そしてひときわ目立つ場所に。


 1999年1月 第285期ハンター試験 予選落ち
 2000年1月 第285期ハンター試験 予選落ち


 セツナがあわてて竹簡を隠した。
 みな、なんだか微妙な顔になった。ユウもしょっぱい気い持ちになった。

 最後に、ライが前に出た。
 さきほどからまったく口を開かなかったライは、やはり無言のまま、やおらレットの腕をとった。


「な、なんスか――いだだだだぁっス!!」


 レットが悲鳴を上げて地面にへたり込んだ。
 ライの手が触れた瞬間、レットが痺れたように体を仰け反らしたのを、ユウは見逃していない。
 電撃か、衝撃か、そのような能力を持っているらしい。ユウは推測した。

 全員の念能力が出そろったところで、まず配置を話し合った。
 前線にシュウ、ツンデレ、カミト、それにブラボーを並べ、アズマは遠距離からの支援。ミコが偵察、その護衛をユウが担う。レットとは中衛として、多方面のフォローに当たる。残った面子は町の守備にあたることになった。

 ユウとしては、シュウたちが危険を冒して前に出ている以上、一緒に前に出て戦いたかったのだが、それは危険だと却下された。
 ユウの技術は対人間に特化しすぎていて、キメラアントとの戦いには適さないという判断からだった。ユウ自身は、これにかなり不服だったが。

 おおざっぱに役割をきめて、そのあと。キメラアントにはどんな念能力が有効か、意見を交わしていると。


「その話、ボクも混ぜてくれないかな?」
 

 不意に、破れた窓の外から、声が投げかけられた。 





[9513] Greed Island Cross-Counter 07
Name: 寛喜堂 秀介◆b96a8f27 ID:a45bd770
Date: 2009/06/24 22:34
 急に飛び込んできた声に、一同は戸惑った。
 不意を打たれたこともあるが、それ以上に、聞き覚えのない声だったからだ。
 ユウは戸惑いながら、声の源――窓の外を見た。
 姿は見えない。夜目の効くユウだが、明るい場所から闇の中を見通すのは、勝手が違う。それでも闇のむこうに誰かいることはわかった。

 闇の間境を超えて、彼らは姿を現した。
 ふたり連れの男だった。
 影のない笑みを浮かべる金髪の貴公子と、端正だが影のある面差しの、黒髪の優男。ふたりのオーラに、揺れはなかった。静かで、力強いオーラだ。

 窓の縁まで来て。金髪の貴公子は、さわやかに笑った。


「やあ。はじめまして。自己紹介をさせてもらうよ。僕の名はソルだ。こっちはレフ」


 彼は自ら名乗った。いっしょに紹介された連れも、こちらはにこりともせずにうなずいた。


「え?」


 と、声を上げたのはカミトである。


「ソルって、あのソル? Greed Island Online の管理人のひとりの?」


 よほど驚いたのだろう。カミトは常になく目をまん丸にしている。
 カミトの言葉で思い当たったのだろう。ほかの数人も声を上げた。

 ソルの名は、ユウも知っていた。
 Greed Island Online の存在は早くから知っていたし、同胞狩りを釣り出すために、常時アクセスしていたこともある。管理人の存在と名前は、頭に入っていた。

 印象としては、“人がいい人”。究極的には競争相手でしかない他の同胞に、グリードアイランド攻略の要とも言える情報を、自分から惜しげもなく与えていたことが、ユウの記憶に残っていた。
 現れた実物のソルは、その印象からまったく外れない、人の良さそうな好男子だった。

 迎えに出たセツナとともに部屋に入ってくるなり、ソルは白い歯を見せ、笑いかけてきた。


「はじめまして。ネットでは知っている人もいると思うけど、ボクが電脳ネットサイト“Greed Island Online”の管理人のひとり、ソルだ。よろしく」


 言いながら、ソルはみんなに握手して回った。
 かたく手を握られ、ユウはあっけにとられた。癖者ばかり見てきたユウにとって、はじめて見るタイプの人間だった。


「セツナの本物だ」


 ぼそりと、マツリがつぶやいた。
 ユウは思わず噴き出した。


「はっ――はははははっ! マジだ! 比べたらセツナがパチもんっぽい!」

「ヤバイマジツボに入ったっスよ!」


 レットも机をバンバン叩きながら笑い、ほかのみんなも笑っていた。さすがにカミトやアズマは自重していたが、それでも肩がふるえている。

 ふたりの容姿はそれほどよく似ていたし、自信あふれるソルに比べれば、セツナの格好つけは、薄っぺらく見えたのだ。


「はい、そこまで」


 いきなり、ユウは口をきけなくなった。
 ソルの指先が、不意に彼女の唇を抑えたのだ。
 ユウは愕然とした。避けられなかった。速かったわけではない。だが、彼の唇が指に当たるまで、動けなかったのだ。


「人を侮辱するのはよくないよ。ましてや面と向かって笑うなんてとんでもない。彼にも名誉があるんだ。それを傷つける行為は、結局おのれをも傷つけることになる。気をつけないとね」


 正論である。しかも、セツナだけでなく、ユウをも気遣った言葉だ。
 ソルの笑顔には、なんの底意も見られない。


「……セツナ、悪い」


 気がつくと、ユウは謝っていた。
 一直線の正論には、それだけの力があった。自分が恥ずべきことをしていた気になって、ユウは顔を赤らめた。


「イケ面は死ねばいいっスのに……」

「なんでなんでなんでなんで顔を赤らめているのかなお兄ぃは友には一度もそんな顔見せたことないのに……」


 約二名が小声で呪詛を唱えていた。

 一方、ユウの謝罪を見て笑顔でうなずいたソルは、振り返って皆を見渡した。


「ボクたちはいま、リマ王国で、五十人ほどの同胞とともに、コミュニティーを作っているんだ。いわばセツナくん。キミがやったことの二番煎じだね」


 なんのてらい・・・もない様子で、ソルが笑いかける。
 セツナのほうは、うろたえてしまって、生笑いで応えていた。


「それで、ここへはどんな用で?」


 セツナに会話を任せておけないと思ったのだろう。カミトが口をはさんだ。


「キミは?」

「カミトよ」

「カミト……Greed Island Online では見なかった名だね――そうそう、要件をまだ言っていなかったか。これは失礼。
 そう、ボクたちがここを訪ねた要件。それはまさに、キミたちが話していた事柄についてなんだよ」


 澄んだ青い眼で皆を見渡すと、ソルは話しはじめた。


 リマ王国は、ドナ川中流域の小国である。位置的には、ユウたちが集まっているカピトリーノの丘から、北東に三百kmほど行ったところにある。ヨルビアン大陸東部特別開発地区とは、近接していると言っていい。

 形としては王国ではあるが、実際は軍部が政権を担う軍事政権である。王室との関係も悪くなく、軍部を掌握している指導者ポドロフが老齢であることをのぞけば、政情に不安はない。

 ソルたちは仲間を連れて、この国を訪れた。
 ソルたちは歓迎された。多くの者がライセンスを持つプロハンターであり、全員が念能力者なのだ。体制に取り込めればよし、そうでなくとも、ただ居るだけで、なにがしかの抑止力が期待できる存在だった。彼らの中にはハンター協会とつながりの深い者もいたので、なおさらだったろう。

 しかし、ここにも、セツナたちと同根の不安があった。国家の体制上、外からは閉じられた国である。キメラアントに対しては、どうしても備えておかねばならなかった。


「――つまり、手を貸せと?」


 口をはさんだのはシュウである。目元にまだ怒りの名残があった。
 ソルはこれに首を振った。


「いや、協力さ。キメラアントに対抗するアイデアや情報、キメラに対する警戒網の構築に関してね。キミたちにとっても悪い条件じゃないはずだよ」


 助力ではなく協力。ソルが言ったことはそれだった。
 ユウたちにとっても、願ってもない話だった。
 地勢上、東と北からの警戒網をほぼ任せておけるのだ。それだけ人手を使わずにすむ。
 シュウが、にやりと笑った。


「なるほど。Greed Island Online を構築したあんたらしい考えだ。俺はいいと思うが――どうする?」

「わたしは賛成」


 賛意を表したのはカミトである。


「特にデメリットもないしね。メリットも多そう……念能力者を融通してもらうことは、可能かしら?」

「ああ、構わないよ。ただ、こっちは寄り合い所帯、と言うか、大所帯のせいで、キミたちほど統制がとれていなくてね。ボクの動きに積極的に協力してくれている仲間は、それほど多くない。
 だから、できるのは紹介までだ。説得はキミたちにやってもらうことになるよ」


 カミトの提案に、すこし困った顔でソルが答えた。
 彼らのほうでも、いろいろと事情があるらしい。


「それでいいわ……でも、こればっかりは外の人たちに任しておけないわね」


 カミトがうなった。
 戦えないものがいくら頭で考えても、本当に有効な手段を出すのは難しい。
 ここは実戦担当者が物色すしなくてはならない。
 だが、極力外に出ないよう決めたのは、つい先ほどのことだった。


「オレが行こう」


 手を挙げたのはシュウだった。
 戦闘、策略両方をこなすシュウなら適任と言えた。


「俺も行く。探したい念能力もあるからな」


 腕を組んで乗り出したのは、アズマだ。
 彼もまた、適任と言っていい。だが、シュウが口をゆがめて拒否した。


「要らん。来るな」

「お前が留守番してろ。俺が行く」

「はーい、喧嘩はやめましょうね」


 口喧嘩を始めたふたりを、カミトの鎖ががんじがらめにした。


「わたしも行くわ。それで文句ないわね」


 ふたりを押さえつけるように、カミトは笑った。凄みのある笑みだった。
 シュウとアズマは、不承不承といった様子でうなずいた。








 カミトたちは即日リマ王国へと旅立つことを決めた。

 急ぐ必要はない、と、ソルは言った。
 彼らの警戒網は、現在NGL付近に集中している。そこから何の連絡もないのだから、けっして急がなくてもいいのだと。

 だが、リマ王国で費やす時間に予測がつかないこともあり、急いだほうがいいという結論に至ったのだ。

 あわただしく旅立っていくシュウたちを見送って、ユウは、ひとまずマツリの家に戻った。

 ユウは落ち着かなかった。
 体が火照っていた。興奮のためである。想像もつかない大きな流れの渦中に、ユウという存在がたしかにある。それを、さきほどの会談で再認させられたのだ。

 ミコもツンデレも風呂に入って、すでに仲よくベッドに並んで寝ころんでいる。すこしだけ親しくなったのか、なにやら話している様子だった。

 ユウは体の火照りを覚ますように、リビングに行って冷たい井戸水を何度も飲んだ。
 そんなことをしていると、マツリに風呂に入るよう勧められた。
 マツリは、みんなが入ってしまうのを待っているのか、まだ風呂に入っていない。ユウは急いで汗を流すことにした。

 風呂場はユウが想像した以上に立派だった。
 総面板張りで、浴槽も詰め込めば三、四人は入れそうな大きさだ。よい香りが漂っているのは使っている木材のせいか、それとも香草でも焚き込めてあるらしかった。

 広い浴槽に足を延ばし、ユウはほほを緩めていた。
 ゆるゆるである。配るべき場所には気を配っているものの、彼女が許す最大限に緩んでいた。手足を伸ばして入れる風呂は、久しぶりだった。

 湯船に手を泳がせながら気持ちのいい汗を流していると、ユウは脱衣所のほうに気配を感じた。感じるオーラから、人も特定していた。マツリだ。


「ユウさん。お湯加減、どうかな」

「ちょうどいいよー」


 ユウが返事をして、しばらく。
 扉が開いた。

 マツリが、裸で、そこにいた。


「わたしも入るね」

「う、あ」


 ユウは思わずうめいた。
 自分が女性に対して性的欲求を感じないことを、ユウはすでに何度も実証している。だが、素っ裸の女性を生で目にするのは、さすがにこれが初めてだった。
 しかもエルフだ。やはり性的な興奮は覚えなかったが、かなり動揺してしまった。

 マツリはきれいだった。
 服の上からも感じていたが、まず体のラインが美しい。肉付きは薄いが、ぺたんこではなく、なだらかな丘陵は確かに胸を主張している。
 すらりと均整のとれた体が描くラインは、白磁のごとき肌とあいまって、極上の芸術品から受ける種類の感動をユウに与えた。

 マツリのほうはユウの視線に斟酌することなく、湯船に入ってきた。
 ユウは足を引っこめて、場所を開ける。広い湯船に、ふたりは対角に座った。

 ユウはドキドキしていた。性的欲求は感じないものの、本来異性であるマツリと裸で風呂に入っている。その背徳感がすごかった。あとぴょこんと飛び出した耳を超さわりたかった。


「ユウさん」


 ユウがマツリの耳をガン見していると、マツリのほうが声をかけてきた。


「なに?」

「ユウさん、変な人」


 真顔で言われて、ユウは最初、なにを言われたのか理解できなかった。
 頭に入った言葉を、十分に咀嚼して、ようやくユウは半眼になった。


「いきなり失礼だな」


 非難しても、マツリのほうはどこ吹く風である。


「セツナから聞いたユウさんとは、ちょっと違う。ジョーから聞いたユウさんとも、やっぱり違う」

「ジョー?」


 ユウはその名を繰り返した。かすかに覚えのある名だった。


「わたしの仲間。NGLに行って帰ってきてない」


 端的に説明すると、マツリは視線を落とした。
 意味するところはひとつしかない。キメラアントの女王を殺しに行って、返り討ちにあったのだ。

 そのとき、ようやくユウはその名の主を思い出した。
 グリードアイランド内にいたとき、セツナとともに行動していた関西人の名だ。


「そうか。死んだのか」


 ユウが感慨とともにつぶやくと、マツリは泣きそうな目になった。


「死んでない。ジョーも、ほかのふたりも。絶対生きてる」


 ユウには返す言葉がない。
 常識的に考えればすでに喰われているに違いない。さらに救われない可能性をユウは考えついたが、とても口にはできなかった。

 マツリは、仲間の命を、いまだあきらめていない。
 それを、ユウは笑えない。シュウが、カミトが、ミコがレットが、同じ状況にあれば、ユウもけっしてその命を諦めないに違いなかった。


「お願い、ジョーたちを助けて。」


 マツリが、すがるように言ってきた。


「ソルさんたちも言っていた。時間はまだある。だから、助けに行くのを手伝って」


 不可能だ。とは、ユウは言えなかった。
 だが、易々とうなずける言葉ではない。カミトたちから留守を任されたこともある。ユウがなによりも守らなければならないのは、ここの住民の命なのだ。

 ユウは悩んで、ふいに起こった疑問を口にした。


「なぜ、俺に頼むんだ?」

「ユウさんなら、あそこで生き延びられると思った。あなたには、そういう勝ち運がある」


 マツリは断言した。信じて疑わない様子だ。
 その信頼を裏付けるものを、マツリは取り出した。

千人列伝サウザントライブズ”。

 名と出身地を記せば、その者の業績を知ることができる、彼女の念能力である。すでにその背には、誰かに聞いていたのだろう。ユウ、流星街と書かれていた。


「幻影旅団の人間すら、倒してる。実力以上のなにかを、持ってる」


 お願いします、と、マツリが頭を下げた。
 マツリの願いに、ユウは答えられなかった。


「その頼み、オレに任せてくださいっス!」


 窓の外から、レットの声が割って入ったからである。
 ユウは眼を眇めた。マツリも汚物を見るような目になった。
 格好をつけているが、のぞきにきたに違いなかった。

 きっかり一分後、変態仮面の“地獄のジェット・トレイン”により、レットは成敗された。





[9513] Greed Island Cross-Counter 08
Name: 寛喜堂 秀介◆b96a8f27 ID:a45bd770
Date: 2009/06/27 19:57


 風呂から上がったユウは、エルフの少女、マツリにハーブティーをご馳走された。


「お風呂上がりにいい。体が温まるから」


 そう言って勧めてくれたのだが、正直なところ、ユウは気が進まなかった。
 他人の入れた飲み物を口にするという行為自体、あまり好きではなかったし、なんだかわからない葉っぱで淹れた飲み物には、まったく食指が動かなかったのだ。

 そのうえ、ユウは悩んでいた。
 風呂場でのマツリの発言である。
 NGLに行く。
 その行為は、敵の強さを肌で感じられないぶん、よけいに怖い。

 さらに、おおきな問題がある。
 カミト、シュウ、アズマ。切れ者三人が、まとめてリマ王国へ行ってしまったいま、相談できる人間がいないのだ。
 むしろユウが相談を受ける立場にあるという恐ろしい状況である。

 この問題に関しては。


「とりあえず、明日みんなに相談して考えよう」


 と、マツリには言っておいたのだが、意見をまとめる立場として、考えておかなければならないことは無数にあった。

 そんなことを考えて飲む茶が旨いはずがない。
 それでも薬効はあったのか、体が火照ってきた。眠気を覚えて、ユウはあくびをかみ殺した。


「眠くなってきた?」

「ああ。もう寝させてもらおうかな。じゃあ、マツリ、またあし……た……」


 席を立とうとして、ユウは机に突っ伏した。
 体に泥がまとわりついたように重い。強烈な睡魔が、波のようにユウの意識を削っていく。それが自然ならざる要因によるものだと気づいて。
 ユウの最後の意識は、睡魔にさらわれていった。








 つぎに目が覚めた時、ユウはベッドの上に転がされていた。
 マツリの家の客間ではない。
 窓が小さい、閉塞感のある部屋には、ベッドが一つあるきりだ。ユウはすぐに、ここがどこなのかを把握した。

 飛行船の個室だ。
 細部は違うものの、つくりに見覚えがあったし、なによりこのゆったりとした浮遊感と、微細な振動は、飛行中の船特有のものだった。


「目が覚めた?」


 不意に、声をかけられた。マツリのものだ。振り返ろうとして、ユウは自分が縛られていることに気づいた。


「これはひどい」


 自分の状態を確認して、ユウは思わずつぶやいた。
 マツリに借りた、微妙にきつい寝間着の上から、体のラインをおもいきり強調するように、細い紐で亀甲縛りにされていた。

 しかも微妙に縛りがきつい。
 紐が細いせいか、口にするのがはばかられる部分に、思い切り食い込んできていた。
 この恰好のまま搭乗口を渡らされたのかと思うと、ひどいとしか言いようがない。


「マツリさーん。ちょっと怒らないからこの紐を解いてくれないかな」


 無理やり笑顔を作って、ユウはマツリに呼びかけた。

 力を入れれば千切れそうな細い紐だが、相当丈夫にできていた。
 そのうえ、力が入られないよう心得て縛ってあるので、自力ではどうしようもない。


「怒られるからいや」


 ユウの額に血管が浮かんだ。


「怒られると思ったのなら……」


 口角をひきつらせながら、ユウは怒りを押さえつけて話す。


「なんで無理やり拉致なんてしたんだ。レットも変態仮面も賛成してたし、俺も協力していいと思ってたんだぞ?」

「でも、明日みんなで話すって言った」


 マツリが言う。背中越しなので、ユウには表情が見えない。


「あの三人とも、連絡取るでしょ? あの人たちは反対する」

「……それがこんな暴挙に出た理由か」


 ユウはため息をついた。
 初対面のアズマはわからないが、カミトやシュウは、NGLに行くことに否定的な意見を出すことに間違いはなかった。

 だけど。
 結局、最終的にはNGLに行くことを了解してくれる。ユウはそう確信していた。

 だからこれは、マツリの早計だったと言わざるを得ない。
 仲間たちに筋を通して、その上でNGLに向かうほうが、こんな暴挙に出るよりも、ずっと成功率は高い。ユウはそう考えていた。

 それを伝えようとして。
 ユウの視線の温度が零下に落ちた。


「たっだいまー! エルフさん! そろそろ到着するっスよー!」


 調子に乗った馬鹿がドアを開けて入ってきたからである。
 ユウの怒りのすべてが、彼に向けられたことは言うまでもない。








 ユウたちがいなくなって、残された面々は大混乱に陥った。

 最初に気づいたのはミコだった。テーブルの上にあった置手紙を読んで、彼女たちがなぜこの場にいないか理解したからである。


「ど、ど、ど、どうしましょう!?」


 ミコはあわててツンデレに相談したが、ツンデレも、どうしていいかわからない。


「ど、どうしよう!?」

「落ち着け。慌てるで無い。先ずは皆と相談せよ」


 慌てふためくふたりを見かねて、ロリ姫が口をはさんだ。

 とりあえず変態仮面に声をかけてから、セツナの家に向かおうとしたふたりだったが、そこでレットの姿も消えていることに気づいた。
 それが混乱を助長することはなかったが。

 セツナの家に向かい、すでに目を覚ましていたライに居場所を聞いて、眠りこけているセツナをたたき起したところで、ツンデレたちはさらに動転した。

 少なくとも半日は、カミトたちと連絡が取れないことを知ったからである。

 国柄、個人の携帯電話での国際通話ができないのだ。
 カミトたちが国境を超えたのは今朝がた。目的地に着くまでは連絡のとりようがなかった。
 マツリのほうも同じで、携帯を切っているらしい。連絡が取れない状態だった。
 
 さすがに、こんな変則的な事態では、セツナも納めるすべがない。
 ライは相変わらず口を開かないし、変態仮面は変態だし、ミコはおもにユウの心配をして慌てるばかりだしといった風で、結局考えるのはツンデレの役目になってしまった。


「――二手に分かれましょう」


 さんざん考えたのち、ツンデレは断を下した。


「アズマたちの意見を聞けるのが、一番いい。だけど、半日のロスは取り返しのつかない事態を起こしてしまうかもしれない。
 ――だから、分かれましょう。ここに残ってアズマたちに相談する人間と、追いかける人間に」

「わたくしは追いかけさせてもらいますわ」


 たおやかに手を挙げたのは、ミコだった。
 

「わたくしの念能力なら、広範囲の捜索が可能です。たとえユウさんたちがNGLに入っていたとしても、きっと探し出して見せますわ」

「自分も、行く」


 長身を揺らして口を開いたのはライだ。オールバックの髪は、早朝からピッチリと固められていた。


「もちろんわたしも行かせてもらうわ。セツナとパンツ仮面さんはアズマたちに連絡と、ここの守備を任せる。できる限り早く帰ってくるから――任せたわね」

「ふっ。まかせてもらおう」

「うむ」


 ツンデレの言葉に、セツナが髪をかきあげながら了承し、つづいて変態仮面がうなずいた。
 五月二日、午前八時過ぎ。彼女たちはマツリたちを追いかけ、NGLに向かった。





 当然のことながら、マツリ失踪の知らせを最後に知ったのは、カミトたちだった。
 Greed Island Online の管理人、ソルを中心とするコミュニティーに存在する専用の回線を使って、セツナたちと連絡をとったカミトは、一連の報告を受けて、受話器をとり落としそうになった。

 話を聞いて、錯乱しそうなほどに慌てたのはシュウである。
 ユウの親友を自称するこの金髪の少年は、すぐに引き返してマツリたちを追うことを主張した。
 アズマはこれに反対した。ここですべきことがあるというのがその理由である。


「冷たいな。オマエの連れも、下手したら巻き込まれるんだぞ」


 アズマを睨みつけながら、シュウが言った。焦りのさまがありありと見て取れる。


「あいつが戻ってきてから、あいつの保護者はやめたんだ。対等の相棒として、あいつが下した判断は否定しない。あいつがあいつのできることをやっているなら、俺は俺ができることをやるだけだ」


 シュウの視線を真っ向から受け止めて、アズマは答えた。


「正論ね」


 カミトがうなずく。


「ここで念能力者を物色することは、わたしたちしかできない。だったら、わたしたちがすべきことは――全速で仲間を集めて引き返すこと。違うかしら?」


 シュウは、しばらく答えなかった。
 カミトがシュウを説得するつぎの言葉を放とうとしたとき、シュウはやおら口を開いた。


「半日だ」

「え?」

「半日で念能力者を集めるぞ」


 そう言うと、シュウはソルに、コミュネィティーのみなを集めるよう依頼した。
 シュウの瞳には、決意の炎が燻っていた。









 仲間を助けるために。
 三様の思いが、彼らの心をNGLに向かわせた。
 だが、NGLではすでに絶望の芽が萌芽していた。

 かの国の最奥に、巨大な土山がある。
 否。これは蟻塚、住まうはまがまがしき異形の蟻の群れであった。

 土で固められた鍾乳洞のような空間に、乱雑に積まれているのは肌色の山。
 人だ。裸に剥かれ、目や口から体液を垂れ流している彼らは、生きていながら、すでに食材である。
 その間を行き交うように、異形の蟻が闊歩していた。


「ヂートゥ?」


 声を上げたのは、人ではない。蟻の一体だ。節足を持つ、二足歩行の白き大虎の姿をしている。


「そ。コルトにハギャにザザン――みんな名前をつけた」


 返事をしたのは、隣り合って話す、チーターの姿を模したキメラアントだ。
 白虎はフンと鼻を鳴らした。


「下らん」

「なんで? 名前があったら便利じゃねーの?」

「兵隊アリに個を示す名など不要だ。要らぬ自我を芽生えさせかねない……効率的であることは認めるがな」

「……相変わらずあんたの言うことはわかんねーな。ま、そういうことで、これからオレ、ヂートゥだから。お前、とかそこの、じゃ返事しないからな!」


 離れていく白虎の背に、ヂートゥは何度も声をかけた。


「ちぇ」

「あの方たちに言っても無駄だぜ? ヂートゥ」

「ハギャか」


 ヂートゥは振り返った。
 声をかけたのは、獅子の形をしたキメラアント、ハギャだった。


「頭硬てーんだよ。なにしろ“最古の三人”だからな――ま、強ぇのは認めるけどよ」


 キメラたちは、白虎の背を見た。そこからは、彼らには理解できない、莫大な量のエネルギーが放射されていた。




 



[9513] Greed Island Cross-Counter 09
Name: 寛喜堂 秀介◆b96a8f27 ID:a45bd770
Date: 2009/07/01 00:11


 亀甲縛りから解放されても、ユウはマツリに怒りをぶつけることをしなかった。

 彼女がやったことは、間違っている。理由には同情するが、やはりそれは、独りよがりな我儘でしかないだろう。
 だが。
 彼女のやったことは、すべて自分のためなどではなく――仲間のためなのだ。
 怒りはある。だけどそんな、必死なマツリを、ユウは嫌いになれない。

 そのことが、かえって自責の念を募らせたらしい。マツリは肩を縮ませながら謝罪を口にした。


「許す」


 とは言わなかったが、ユウは彼女の謝罪を認めた。


「だがレット氏、あんたは駄目だ」


 その口で、ユウはレットに宣言した。
 マツリに対してのみ込んだぶん、怒りは深い。


「なんでっスか!?」


 悲鳴を上げたレットの頭を押さえながら、ユウは静かに答えた。


「なんで? なんでってそりゃあ明快じゃないか。あんたがマツリに協力したのは下心があったからだろう?」

「――ちなみに、亀甲縛りを提案したのはレットさんだったりして」


 ぼそりとつぶやいたマツリの言葉に、ユウは修羅と化した。








 ユウがレットをペチャンコにしているうちに、飛行船は発着場に着いた。追い風のおかげもあってか、通常の三分の一ほどしか時間を要していない。
 ヨルピアン大陸の南端。ここで飛行船を乗り換え、NGLに向かうことになる。

 ユウはロビーでミコと連絡をとった。
 ミコたちはユウたちに遅れること半日、飛行船に乗り込んでいた。
 だが、風は彼女たちに味方しなかったようだ。到着には、このままなら予定通り――二日近くかかりそうだった。

 それでも、ユウは合流を優先したかった。
 反対したのはマツリである。
 感情論ではない。そうすべき理由を、彼女は提示した。


「いまならまだキメラアントは、念を覚えていない。だけど、一週間もしないうちに、念を覚えることになる」


 合流するメリットより、時間を浪費するリスクのほうが大きいというのだ。
 正論だった。
 念能力を覚えたキメラアントたちの中へ突っ込むことを考えれば、まだしも成算が高いと言える。


 ――先行してNGLに潜入し、あとで合流することを考えたほうがいい。


 ユウは決断し、その旨をミコに述べた。


「ユウさんは、NGLなんかに行くことに、賛成なんですの?」


 ミコの問いに、ユウは、ああ、と肯定した。
 むろん、ユウはマツリのように、彼女の仲間がいまだ生きているとは思っていない。いくつかの腹案があった。


「行く意味は大きいと、俺は思っている。だからミコ、お前たちも、力を貸してくれ」


 ユウは、彼方を見やりながら言った。
 返事は、明快だった。








 NGL自治国に隣接するミテネ連邦の一国、ロカリオ共和国。
 ユウたちがこの地に着いたのは五月三日の深夜だった。
 その足でNGLに向かわなかったのは、正規の手段でNGLに侵入する気がなかったからである。


「なんでっスか?」


 レットが尋ねた。
 答えは単純で、正規の手段ではNGLに、武器が持ち込めないからだ。

 NGL――ネオ・グリーン・ライフは、機械文明を捨て去り、自然の中で生活することをおのれに課した集団だ。当然その中に文明の利器、機械類はおろか金属や石油製品、ガラス製品すら持ち込めない。

 ナイフがなければ、ユウの戦闘力は半減すると言っていい。キメラアントの戦闘力と生命力を考えれば、丸腰で行くわけにはいかなかった。


「なら、ほかに持っていきたいもの、ある」


 言ったのはマツリだ。


「それは?」

「解毒剤」


 ユウの問いに、彼女は端的に答えた。

 ユウは納得した。
 キメラアントと戦うにあたって、なにが怖いかといえば、多くの個体が有する神経毒である。
 これで無力化されれば、どれほど戦況が有利だったとしても、一気に積む。
 対策は必須だった。

 毒に関してはユウも着目していたが、着眼点が違ったせいで、気づいていなかった。


「キメラアントの毒は、たぶん、この島の原生種に由来するもの。陸続きのロカリオ共和国なら、対応する解毒剤も、あるとおもう」

「なるほど……じゃあ、その調達、あとから来る三人と合わせて六人分の解毒剤、マツリとレットに任せていいか?」


 ユウの言葉に、聞いていたレットが怪訝な顔になった。


「あれ? ユウさんの分も要るんスか? 暗殺者なのに?」


 彼がそう言ったのは、暗殺者=キルアのような存在をイメージしていたからだろう。
 だが、キルアとユウでは根本からして違う。
 キルアは職業暗殺者。暗殺を生業とする人種だ。
 当然、生きて帰ってくることが前提となる。だから毒に対する耐性をつけるし、あらゆる状況で対応できるよう、体を作りこんでいる。

 一方、ユウはといえば、本質としては刺客に近い。目標を殺し、死ぬべき時には速やかに死ぬ。それを課せられた人種である。いわば高価な使い捨ての道具だ。自決用の毒で死ぬためもあり、耐性をつけることまでは求められていなかった。
 もっとも、死に至る最後の瞬間まで動けるようには、訓練されていたが。

 ユウは、そこまでマツリたちに言うつもりはない。


「毒が効かないんだったら、眠り薬で眠らないよ」

「あ、それもそっスね」

「ごめんなさい」


 半眼になりながらの言葉に、レットはうなずき、マツリは頭を下げた。
 本当に悪いと思っているらしい。口にするたびにしゅんとなるのがかわいくて、ユウは事あるごとにこの話題を口にしていた。

 それはともかくとして。
 解毒剤の件をふたりに任せたのには、わけがある。
 もうひとつ、ユウにしかできないことがあったからだ。








 ユウがマツリたちと合流したのは翌未明のことだった。
 マツリたちは絶句した。
 待ち合わせ場所に居たユウの体が、血に染まっていたからだ。


「なに、それ」

「あ、これ。ほとんど返り血」


 唇を震わし、絶句するマツリに、ユウは平然と言った。

 NGLに侵入するのに、正面突破は下策であると、ユウは考えていた。
 中枢は、おそらくすでに機能していないとはいえ、NGLはひとつの国家だ。その国法を一方的に破れば、ユウたちに対する裁きは、合法になってしまう。指名手配でもなんでも、やりたい放題だ。一般市民も、それを当然と思うだろう。
 捕捉される可能性は高くないとはいえ、これは避けたい事態だった。

 そこで、ユウは搦め手から侵入することを考えた。
 原作では、NGLの裏を知る構成員たちは、銃器を使用していた。
 彼らはこれをどこから持ってきたのか、そこからユウは類推した。

 むろん、分解して持ち入ることもできるだろう。検査する人間も身内である限り、それは可能だ。
 だが、組織の上層部、麻薬密売にかかわる連中が、律義にNGLの法を守るだろうか。
 おそらく否。であれば、銃器以外にも、大量の嗜好品や機械類が流入しているはずだ。

 これらを、どうやって持ち入るか。考えるときに、見逃せないものがある。
 D2。NGLで極秘に生産されている、飲むドラッグだ。
 この麻薬を搬出するにも、流通量を考えれば、少人数で持ち出せるものではない。


 ――大きなルートがある。それも地上や海上じゃない。


 地下、あるいは海中。頻度を考えれば地下だろうと、ユウはあたりをつけた。
 関わっている組織も、特定はたやすかった。
 銃器と麻薬を扱う組織。マフィア以外に考えられない。
 そう考え、調べるうち、ロカリオ共和国西部を勢力圏に持つメジオファミリーは、NGL、そのボス、ジャイロの持つ触手のひとつであると、ユウは確信した。


「それが……ここっスか?」


 レットがあっけにとられたように、口を開けてながめている。
 コンテナの集積場である。広大な土地に、所狭しと並ぶコンテナの群れ。トレーラーや重機が放り出され、奥には工場も見える。


「名義は違うがな。メジオファミリーのダミー会社が管理している」


 ユウたちは建物の中に入った。
 中は、血と死体が散乱していた。
 弾痕も散見される。争いがあったに違いなかった。
 見慣れていないのか、マツリは胃の上を強く抑えている。


「こ、殺しちゃったんスか?」

「そんな気はなかったんだけどな。観測が甘かった」


 レットの言葉に、ユウは淡々と返した。
 嘘ではない。最初に、ユウは相手と交渉することを考えていた。
 マフィア出身者であることを明かし、音信不通のNGL中枢部の調査しようかと、極めて婉曲に提案したのだ。

 返答は銃弾だった。
 NGLとメジオファミリーの関わりは、構成員でも上層部しか知らされていない、秘中の秘だった。
 だからこそ、動かせる有能な手ゴマを必要としている。ユウはそう読んでいたのだが、事実の秘匿のほうが優先順位が高かったらしい。

 ユウは、その場にいた構成員を皆殺しにした。


「でも、殺すことなかったのに」

「それで収まる連中でもないし、さすがに数も多くてな。鈍ってたこともあって、手を抜く余裕がなかった」


 死体に憐憫の目を向けるマツリに、ユウは返した。
 半ば嘘である。ユウたちが通路を往復する間、安全を確保するためにも、マフィアの連中は生かしておけなかった。

 この考えを、ユウは正当なものとは思っていない。もっとうまい手段もあったはずなのだ。
 だが、事態が転がってしまった上では、自分たちの安全とマフィアの命を秤にかけざるを得なかった。
 ユウはその中で、自分と仲間の安全をとったのだ。
 おのれが選んだことである。ユウはそれをほかの誰に帰すつもりもなかった。

 マツリの手が、強く握りこまれた。
 ユウはそこに、事実をおのれが引き起こしたものだと受け入れる、決意を見て取った。


「コンテナの中に、ちょっとした装備があった。それも失敬していこう」


 励ますように、ユウはからりと言った。








 なだらかな傾斜で地下に伸びていくスロープの先にある、鋼鉄製の、分厚い扉。機械制御で開閉する二重の扉は、既に開かれている。
 あらかじめ、ユウが開いておいたのだ。
 
 ひたすら真っすぐに伸びていく、巨大な地下道を前に、出陣の支度を終えたユウたちは立った。
 みな一様に、黒のジャケットを着込んでいる。この国の警察でも採用されている防刃ジャケットである。内には防弾ベストを着こんでいる。

 これは、キメラアントの神経毒対策である。
 針なり牙なりが通らなければ、毒に侵されるリスクは激減する。無論下半身も同様の装備をしていた。

 銃火器も大量にあったが、持ち込んでいない。
 威力と、遠距離から攻撃できるのは魅力的だったが、音が新たな敵を呼び寄せてしまう可能性を考慮したのだ。


「解毒剤は?」

「いちおう、できるだけそろえた。アンプルはわたしが持つ。カプセルはそれぞれ持って」


 マツリが取り出したカプセルを、対応する毒の説明を受け、分け持った。

 準備を終えて、ユウは静かに前を見た。

 道がある。
 そのさきにあるのは魔界。人ならざる者の闊歩する世界。多くの人の死を見てきたユウにとっても、未知の領域だ。

 それでも、ユウは歩を踏み出す。
 マツリとレットがそれに従った。


「――行くぞ。地獄へ」






[9513] Greed Island Cross-Counter 10
Name: 寛喜堂 秀介◆b96a8f27 ID:a45bd770
Date: 2009/07/04 21:14

 ジョー

 中背で、絞られた体の関西弁。ヤンキー面。強化系念能力者。


 マト

 初老の紳士。細身で長身、執事の姿に身をやつしている。強化系念能力者。


 パイフル

 銀髪の中華剣士。短身痩躯。強化系念能力者。


「見事に強化系ばかりだな」


 キメラアントの女王を討とうとした、三人の同胞の特徴を聞いて、ユウがつぶやいた。


 ――強化系は単純一途。


 ヒソカの、性格によるオーラの系統分析である。
 なんとなく腑に落ちて、ユウは苦笑いを隠し損ねたような、微妙な表情になった。
 死者を笑いの肴にすることを、ユウは良しとしない。ましてや同行するエルフの少女、マツリは、彼らの仲間なのだ。

 無神経に口を開きかけたレットの頭をはたいて、ユウはNGLでの優先順位を確認した。


 まず、最優先とすべきは生きて帰ること。


 つぎに、後発組――ツンデレたちとの合流。NGL一般教徒の目に触れない、それでいてぎりぎりまで“表の顔”に近い地点を選んだ。


 そして、キメラアントの毒の、サンプル採取ならびに同胞の救出。


 最後のふたつ、その前者こそ、ユウが危険を冒してまでNGLに行くことを選んだ理由のひとつだった。

 後者との順位にあえて差をつけなかったのは、それによって、仲間を助けることを望むマツリのモチベーションを下げることを恐れたためだ。
 ユウのもうひとつの目論見のためには、マツリの存在が不可欠なのだ。

 すべての確認を終えて、NGLへの隧道を駆けるユウの心は、常になく清澄を保っていた。
 不思議な心理状態だと、ユウは思った。
 おのれに混じった暗殺者の少女の心を切開くときの、冷たい冷静さとは違う。色のない、波ひとつない、穏やかな心だった。
 なぜ、そのような気持ちになったのか、ユウは自分でもわからない。


「ユウさん、なんで微笑ってんスか?」


 隣を走るレットが声をかけてきた。
 そこで、ユウは初めて、自分が微笑っていることを知った。








 数時間後、ユウたちはトンネルの出口を目にした。
 暗く、冷たい鋼鉄の隔壁が、外界とのつながりを断崖のように絶っていた。


「開いてないっスね」

「これから開ける」


 そう言ってユウはレットにそっぽを向かせた。
 念能力を使うためである。
 ユウの念能力、“背後の悪魔ハイドインハイド”は、敵の死角から死角へ、空間を跳躍する念能力である。遮蔽物など関係ない。おのれの“円”の圏内でなら、他人も連れて行ける。
 そのかわり、目標となる敵がいないと発動しない。レットを敵と見ることは難しいが、これは気持ちの持ちようである。幸い、前日軽く殺意がわくよなこともやってくれていた。

 すこし時間がかかったが、能力は発動した。

 足音もなく、ユウは扉の向こうに降り立った。
 ゆるやかに上っていくスロープ。造り自体は入口と変わらない。
 隔壁の数が違うのは、こちら側ではトンネルの存在を隠す必要がないからだろう。扉を開くスイッチも、壁面に無造作に張り付いていた。

 そこまで確認して。
 不意に、ユウは視線を感じた。

 ユウは振り返った。
 スロープの先、通路の出口。
 そこにいたのは、異形だった。

 巨大な、二足歩行の甲殻類。攻撃的な造形を持つそれは、定かならぬ視線を、はっきりとユウに向けていた。

 感じたのは根源的な恐怖だった。
 捕食者に遭った被捕食者が訴える、生存本能の叫びが、ユウの全身を突き抜けた。
 耐えがたき衝動にあらがって、ユウはおのれがすべき行動を迅速に行った。

 纏った外套に潜り込み、無理やりに作った死角から敵の死角へ、念能力による瞬間移動。そのうえで敵の急所をえぐり抜く。
 ユウ必殺の戦法である。
 
 完璧に虚を突いた。
 だがそこで、ユウは凍りついた。
 抉るべき場所を見出せなかったのである。

 無理もないと言える。
 ユウの戦法のベースとなっているのは、その身に叩き込まれた暗殺術である。
 人を殺す。その効率を極めるために、威力より急所を確実に抉ることを優先した技術だ。

 つまり、急所がわからない、あるいは急所を抉っても死なない。そんな敵には通じない技術なのだ。
 蟹の身体構造は、人とはあまりにかけ離れている。
 キメラアントは、首を飛ばしてもなお意識をつなぐすさまじい生命力を持っている。
 それが、ユウの手を止めた原因だった。


 同量の金貨よりも貴重な一瞬を消費して、ユウが選んだ手段。
 それは最大威力で敵を圧殺することだった。
 
 手に持つナイフに、おのれの全オーラを集中したユウは、いまだこちらに気づかない蟹の両目の中心からナイフを入れ、一気に振り下ろした。

 手応えさえなく背開きになった蟹に対し、ユウはさらに攻撃を加えた。
 戦闘手段を奪うため、岩のような鋏のついた腕を切り離し、崩れ落ちた蟹のふたつの体の双方に、オーラを込めた足で踏み抜き、粉砕した。

 体液と臓腑の混合物をまき散らすキメラアントから音もなく飛び退り、ユウはスロープの中ほどに降り立った。


 ――殺った……殺った!


 ユウは、動悸を押さえながら、確信を込めて息を吐いた。
 冷静に思い返せば、相手は女王が初期に生み出したキメラアントの戦闘兵。雑魚も雑魚である。
 それでも、ユウはおのれの力が敵に通じたことで、作戦に対する手ごたえを感じた。

 ユウはしばらくその場で臨戦態勢をとり続けていたが、後続は来なかった。
 それを確認してから、ユウは隔壁を開いた。
 重い音が響く。この音が敵を呼び寄せないことを祈りながら、ユウは隔壁が開くのを待った。

 ユウの念能力でふたりを運ぶ方法も、なくはなかった。
 だが、それではユウがいない場合、とっさに逃げることができない。そんなケースを考えれば、許容しなくてはならないリスクだった。


「ごくろーさまっス……て、なんスかこのにお――いっ!?」


 隔壁が開き、頭を下げながら入って来たレットが、臭いの元をたどって絶句した。
 ユウは言われてはじめて気づいた。呼吸を拒絶させるようなすえた臭気だった。興奮が感覚を鈍らせていたらしい。
 エルフの少女、マツリは衣服で口を覆っていた。


「いきなり遭遇して、倒した。いけるぞ。戦闘兵クラスなら余裕をもって倒せる」


 自信を持って吐き出された言葉に勇気づけられたのか、ふたりの顔が締まった。いきなりの災難も、一同の不安を取り除く役には立ったようである。


「急ごう。臭気が拡散すれば、敵も俺たちの存在に気づく」


 ユウたちはキメラアントのそばを通り抜けて、スロープを上りきった。
 広間に出た。工場のようだ。D2の搬出エリアなのだろう。大量のコンテナが積み上げられ、トラックが何台か止まっていた。
 人の姿はない。
 キメラアントの姿もない。もっとも、こんな至近にキメラアントがいれば、同族の死に、すぐさま駆けつけてきただろうが。
 

「あ」


 ふいにマツリが口を開いた。
 ユウとレットが振りかえった。


「銃声……それに悲鳴が聞こえる。上のほう」


 マツリが視線を上方に向けた。耳をぴくぴくさせている。
 ユウがどんなに耳を澄ませても、声など聞こえない。大きな耳は飾りではないらしい。


「戦闘の規模は?」

「小規模かな? 銃声と悲鳴の数、みると、人間が十から二十。キメラアントは不明。だけど、もうすぐ戦闘が終わる」

 人間側が負けるということである。戦闘兵相手なら、まだ銃火器が通用することを、ユウは原作知識として知っている。それが通じない相手――兵隊長から師団長クラスがいるとみたほうがいい。


 ――兵隊長なら戦ってみたい。


 ユウは思ったが、それは必ずしもいま必要なことではない。リスクも高い。まずはツンデレたちと合流することが先決だった。


「ひとまず、地上に出よう」


 ユウは提案した。
 レットは一も二もなく同意した。
 マツリは迷っているようだった。上の階に仲間がいると考えているのかもしれない。
 だが、彼女が行きたいと明言しないのは、聞こえてくる声に覚えのあるものがないからだろう。なら、斟酌する必要はなかった。








 地上に出て、穴居住宅のような岩山からひとまず離れ、森に入ったところで、ユウたちは運悪くキメラアントに遭遇した。
 猿と、蛇と、熊に、それぞれ酷似したキメラアントだ。
 わけても熊型のキメラが、飛びぬけて強い。


 ――猿と蛇が戦闘兵、熊が兵隊長クラスか。


 ユウはそう判断した。


「逃げてくる奴の捕獲なんて損な役回りだと思ったが、こりゃあ、ついてる」


 熊型のキメラが、間延びした人語をしゃべった。
 おっとりしているようで、表情からは残酷なまでの食欲が見て取れる。


「オレらで食っちまおう」


 熊型の言葉に残る二体は喜びの声をあげて襲いかかってきた。


「レット、マツリ、そいつらは任せた!」


 腕を振り回す猿の脇をすり抜けて、ユウはそのまま熊に向かった。


 ――熊は、すさまじい生命力をもっている。


 ユウは、知識としてそれを持っている。
 体は、頑丈の一言。数十メートルの崖から落下したり、拳銃弾を喰らっても、平気な顔をしていたともいう。
 人をはるかに超える速度で走り、腕力も恐ろしく強い。爪と牙は鋭いの一言だ。


 ――狙うなら一撃で首を落とすしかない。


 ユウは判断した。
 幸いこの時点のキメラアントは念能力を知らない。オーラをまとったナイフの切れ味には対抗できないはずである。

 相手は油断している。ユウにとってこれは好材料だった。
 敵は彼女を捕食対象としか見ていない。
 もっと言えば、反抗するだけの能力すら認めていないかもしれない。


「だったら、その幻想を抱えて――死ね」


 口中でつぶやき、ユウは跳んだ。
 木の葉がユウの身を隠す。
 そのまま、“背後の悪魔ハイドインハイド”で跳ぶ。

 熊型のキメラアントの後方やや下。敵は間抜けに首を上に向けていた。
 油断と慢心。
 戦闘経験の浅さ。
 瞬間移動の存在を知り得ない鈍さ。
 すべてユウに味方していた。
 
 瞬閃。
 最大威力のナイフが、熊型の命を首ごと刈り取っていた。
 返す刀で、ユウは宙に浮いた首を縦に割った。思念による通信を封じるためだ。
 
 反撃は、遅れてやってきた。
 抱き首に落とされた状態で、敵はその太い腕を振り回してきたのだ。

 鋭い一撃だった。
 心理的死角を突かれたユウは、すんでのところで避け損ねた。
 とっさにオーラを集め、防御。
 衝撃は殺せず、ユウの体は紙きれのように舞った。

 立木に体をぶち当てることになったが、ユウは無事だった。
 負傷は軽い打撲のみだ。もっとも、防弾防刃装備がなければ、手傷を負っていただろう。

 地面が、軽く揺れた。熊型の体が崩れ落ちたのだ。
 敵のたしかな死を見届けて、ユウは振り返った。
 それぞれの決着がついたところだった。

 レットが相手にした蛇型の頭部は、完全に破壊されていた。彼は実力はあるが度胸がない。ためらいなく頭部を潰せたことは褒めてよかった。

 マツリを相手にした猿型には、目に見える外傷はない。とどめで頭部を破壊されたが、それ以前に戦闘不能になっているところを、ユウはたしかに見た。
 竹簡と筆を具現化している。戦闘でも使える能力があるのだろうと、ユウは分析した。

 ユウは満足した。
 レットも、マツリも動ける。
 それでこそ、この地獄で清算もたつというものだった。

 蛇型のキメラは、むろん毒を持っている。その回収を、ユウはマツリに頼んだ。

 ユウは、周りに神経を配りながら、わずかに息を吐いた。
 ことは、順調に進んでいる。
 小隊規模であれば、三人でなんとか対抗できる。そんなたしかな手ごたえを、ユウは感じていた。

 だが。好事に魔は潜む。
 ちらりと見やった岩山から、ユウがまっすぐに視線を結んでしまったそれは、まちがいなくそれだった。

 圧殺されそうな強烈きわまる気配。心臓が鷲掴みにされる。
 ユウは一瞬にして最大級の危険を悟った。



「逃げるぞ!」


 ユウは声を殺して叫んだ。
 戦うという選択肢は端から抱きようがない。それほどの力の差を、ユウはいまの一瞬で感じていた。

 だが、ユウの言葉が終らぬうち。
 それは岩山から大きく跳躍して、ユウたちの目の前に降り立った。
 白き大虎の姿を持つ、キメラアントだった。










[9513] Greed Island Cross-Counter 11
Name: 寛喜堂 秀介◆b96a8f27 ID:a45bd770
Date: 2009/07/07 22:38

 二メートル半ばの巨躯である。
 獣毛は白銀。走る縞は鉄の様。腕回りはユウの胴より太い。
 ずんぐりとしたと手のひらの先からは、鋭くとがった爪が伸びている。
 大蛇のごとき尾。虎にはありえない節足。
 他を圧せずにはおれない、圧倒的な存在感を持つキメラアントだった。

 視線ひとつ。ただそれだけで、ユウたちは凍りついた。体中をめぐる恐怖が固化したようだった。

 なにより衝撃を受けたのは、大虎の白い巨体が纏う、桁はずれのオーラ。
 ユウはおのれの誤算を悟った。

 この時期、念能力を持つキメラアントが存在するとは、思いもよらなかった。
 甘い観測だったと言わざるを得ない。
 原作にない、ユウたち異邦人の干渉。それが最悪の形で出ていたのだ。


「お前は」


 粘りつく喉を押し広げ、ユウは声を発した。
 名を聞いたのは一縷の望み。この大虎が元同胞であり、記憶を保有しているわずかな可能性をたしかめるため。


「名などない」


 白虎が応える。獣性で包まれた、人の色が見えぬ声だ。


「女王の手足にして下僕。それだけの存在だ」


 ユウはおのれの、最後の希望が破れたことを知った。
 同胞ではない。たとえそうであったとしても、記憶などかけらもない。だが、オーラだけは、たしかに保有している。

 この状況から犠牲なしには逃げられない。
 ユウは冷静に計算し、背後に声をかけた。


「レット氏、マツリ。俺がどうにかして敵を引きつける。逃げてくれ」


 この状況で、敵を足止めしておけるのは自分だけだと、ユウは知っている。
 実力の差ではない。この大虎の前には、ユウもレットも変わらない。相性の差だ。
 それでも、ふたりが逃げ切れるだけの時間を稼ぐには、命を的にしなければ不可能である。


「ユウさん」

「たのむ。急いでくれ。俺ひとりなら、どうとでも逃げられる」


 体を震わせながらも心配するレットに、ユウは嘘をついた。このキメラアントが相手では、ユウが逃げに専念しても、逃げ切れる可能性は、おそらく五分以下だ。
 だが、それを言って彼らを躊躇わせていては、犬死になりかねない。


「うまく逃げろよ」


 背中にそう投げかけ、ユウは前に出た。


「わかったっス。合流点で待ってるっス」


 レットが、恐怖で竦んでいるマツリを抱え、走る、その足音を背中越しに聞いて、ユウは笑った。


「いくぞ、虎公」


 ユウの声に、大虎の咆哮が応えた。

 たがいの戦気にあおられ、オーラが立ち上る。
 敵に比べて、ユウのオーラは、悲しいまでに小さい。
 だが、ユウは生を諦めていなかった。

 白き暴虎が腕を振るう。
 そのさまは、まさに暴風。

 ユウがフェイントを、オーラを駆使しても、回避は紙一重。防刃繊維で編まれたはずのジャケットが、そのたび切り裂かれる。
 鋭利極まりない痕跡だ。

 ユウはタイミングを計っていた。
 ユウの念能力、“背後の悪魔ハイドインハイド”は、死角から死角への瞬間移動。初見ではまず知覚し得ない。

 たった一度のチャンスである。
 一度知られれば、敵はまず、二度目を許さないだろう。

 敵の攻撃を避けながら、ユウは巧みに木陰に回った。
 大虎の腕で、楯とした大木がなぎ倒されるさまを見ながら、念能力を発動する。

 ユウは敵の後方やや上に出た。降り立っては、敵の首には届かない。
 ナイフに“硬”。ユウの保有する、最強の攻撃。

 それが。
 兵隊長クラスのキメラアントの、首すら断ち切る鋭利な刃が、大虎の首筋にあたって、異様な手ごたえとともに――滑った。

 ユウは、即座におのれの失敗を悟った。
 体毛はもともと体を保護するためにあるものだ。目の詰まった体毛の上から刃を入れるのは、通常でもかなり難しい。
 ましてやキメラアントの念能力者なのだ。細心の注意をしてしかるべきだった。
 さきほどの、熊型のキメラアント。その首を断ったイメージが残っていたが故の、失敗だった。

 間をとって、ユウは刃先を見た。
 やすりで削ったように、刃がつぶれている。使い物にならなくなっていた。

 獣が怒りに吠えた。
 なにがしかのダメージがあったのだろう。だが、その代償は重すぎる。
 ユウのオーラを纏うほどに馴染んだナイフ、その最後の一本を、失ってしまったのだ。
 それはすなわち、眼前の敵に対する有効な攻撃手段を喪失したことに他ならない。

 攻防は数秒。
 仲間を逃がすには、あまりに短い。

 大虎が突進してくる。
 巨躯を裏切る速さ。
 振るう巨腕に大気が震える。
 すんでのところで、ユウはのけぞった。
 対刃のジャケットが切れていた。中から、血がにじみ出てきた。


 ――この獣相手に、あと数分。


 笑いがこみ上げてきた。
 絶望が裏返ったのだ。
 

 ――下手に、生き延びることに色気を出さずにすむ。


 ユウは生き延びることをあきらめた。
 いや、おのれの命を消費して仲間を逃がす。その覚悟が、腹の底から定まったのだ。


「おおおおっ!!」


 ユウは吠えた。獣のように。その気迫が、大虎を撃った。
 単純にして暴力的なキメラアントの攻撃を、最短の軌跡で避ける。一歩間違えば致命傷。安全マージンのない、自殺的な特攻。
 背中から血を吹き出しながら懐に入り込んだユウは、渾身のオーラを拳に込めて撃ち出した。
 大虎の巨体が飛んだ。

 音もなく着地して、大虎がうなった。
 瞳が、爛々と輝いている。
 それほど効いていない。だが、ユウに対して執着させるには、十分な打撃だった。
 ユウは、虎の脳内から逃げたレットたちのことが、きれいに消えていることを見てとり、にやりと笑った。


「来いよ虎公」


 ユウは手招きした。
 大虎が吠えた。

 そこからの攻防は、凄惨で一方的だった。
 避けながら、逸らしながら、あるいはフェイントで幻惑させて、反射を利用した不可避の殺し手を使って、ユウが文字通り身を削って与える打撃は、敵を引きつける用しか為さない。
 大虎の攻撃は空を切りながらも、確実にユウの体を削っていく。

 一分も経たずして、ユウは血だるまになっていた。
 直撃は受けていない。また受けていれば即座に終わっていただろう。
 それでも命に届く傷を与えられ続ける理不尽。
 ユウは従容としてそれを受け入れていた。


 ――仲間を、助ける。そのために一秒でも長く、このクソ虎を引き付ける。


 ユウの頭には、そのことしかない。

 損得は、すでに捨てていた。
 ユウをそんな心理状態にさせたのは、彼女の過去の体験からだろう。

 ユウは覚えている。
 命を賭してユウたちを助けた、仲間たちのことを。
 希望をユウたちに託した、仲間たちのことを。
 
 だからこそ、命を粗末にできない――ではない。
 彼らに救われた命だからこそ、仲間を見捨てない。
 それがユウだった。
 
 ユウは気づいていない。
 その覚悟が、彼女のオーラを高めていることに。
 それは、命の危機に瀕した人間の防衛本能が起こす、オーラの過剰放出現象――いわゆる“火事場のクソ力”とあいまって、ユウのオーラを際限なく増加させていた。

 だが、それでも危機は変わらない。
 ユウに引きずられるように、大虎の業も、見る間に磨かれていく。
 それは戦闘経験の浅いもの特有の異常進化。


「オオオオオォーッ!!」


 歓喜の声をあげて、大虎が咆えた。


「おおおおおぉーっ!!」


 命を絞りながら、ユウが吼えた。

 なおも攻防は続いた。
 吹きあがるオーラは、もはや等しく、だが、攻防も等しい。
 大虎の爪は、ユウの肉を次第に深くえぐりだし、ユウの手刀は大虎の獣毛を血で滲ませ始めていた。

 しかし、終わりは唐突に訪れた。
 命を抵当に絞り出していた、ユウのオーラが尽きたのだ。

 倒れて動けなくなったユウに、大虎が歩み寄る。


「賞賛する。お前は女王の餌にふさわしい」


 人の声で、大虎はつぶやき。爪を振り下ろした。
 重い音。地面が揺れた。








「ここまでくれば、とりあえず安心っス」


 森の端まで駆けて、レットは言った。
 マツリはまだ震えている。
 あの強大なキメラアントの存在は、マツリの楽観を、心ごと折ってしまったようだった。
 そんなマツリに、レットは笑って言った。


「じゃあ、エルフさんは合流点に向かってくださいっス」

「あなたは」


 マツリが、口の端におびえをにじませながら問いかける。


「あなたは行かないの?」

「オレは戻るっス」


 レットは答えた。言葉の端が震えていた。


「なぜ」


 と、マツリが問うた。

 ユウは、命がけで、ふたりが逃げる時間を稼いでくれた。
 いまさら戻るなど、ユウの好意を無にしかねない愚行だ。

 それは、レットも重々承知なのだろう。それでも、震えながら、レットは逃げてきた森をふり返る。


「……ちっさいころから、オレ、ヒーローに憧れてたんスよ」


 背中越しに、レットは語り始めた。


「お約束みたいだけど、将来の夢にナントカレンジャーとか書いてて。
 でも、現実のオレは根性無しで、他人が喧嘩してるとこに出くわしたら、怖くて眼を逸らしながら通り過ぎるようなヘタレなんス」


 でも、とレットは言う。


「レットは違う。レットは、オレがヒーローだったらって妄想の、具現化なんス。理想のオレなんスよ。
 ここでユウさんを見捨てるレットなんか、ヒーローじゃない。オレは、自分の理想まで偽物にしたくないんスよ」


 声を震わせながら、レットは言った。
 理ではない。すでに感情であり、信念だった。
 そんな彼の様子に、マツリの顔色が蒼白になった。


「……わたしだって。ここに来たのは仲間を助けるため。仲間を見捨てるためじゃ、ない」


 震える足を踏み出して、マツリがレットと肩を並べる。


「エルフさん」

「仲間を助けなきゃ。助けなきゃ。助けなきゃ……」


 なにかに憑かれたように、マツリは鬼気迫る表情でつぶやく。
 カピトリーノを出る時もこんな感じだったことを思い出しながら、レットはマツリを止めることをあきらめた。

 彼女を止める言葉を、レットは持っていなかったし、なにより。
 守るものがある時のほうが、レットは強くなれるのである。


「ユウさん――無事でいてくださいよ!」


 レットは駆けだした。マツリも、憑かれたように疾走した。








 だが、ふたりの切なる願いはかなわない。

 戻ってきたふたりは見た。
 数十メートルにわたって飛び散った血痕。なぎ倒された樹木の群れ。
 中心付近の地面は陥没していた。小規模なクレーターにさえ見える。その中央に、血だまりがある。
 水をよく含む土壌にあってなお、それは残っていた。

 マツリは“千人列伝サウザントライブズ”を具現化し、ユウの記録を見た。
 経歴の最後にこう書いてあった。


“白虎型のキメラアントと戦闘。敗北。心肺停止”


 最後まで読むことなく、マツリは“千人列伝サウザントライブズ”を地面に叩きつけた。

 ふたりは声をあげて泣いた。
 その声が、敵を呼び寄せるかもしれない。それがわかっていても、感情をあらわにせずにはいられなかった。













[9513] Greed Island Cross-Counter 12
Name: 寛喜堂 秀介◆b96a8f27 ID:a45bd770
Date: 2009/07/16 23:32

 リマ王国南部、ワウラ地方。
 その最大都市に近接する形で、ごく小さな集落があった。
 電脳ネットサイト“Greed Island Online”の管理人、ソルが同胞とともに造ったコミュニティである。

 同胞であるセツナたちが、同じようにカピトリーノに造った集落よりも、はるかに規模が小さい。


 ――一般人が少ないからだろう。


 アズマは推察した。
 同胞たちだけの、閉鎖的なコミュニティなのだ。それが結局、集落の発展を阻害している。
 とはいえ、プロハンターの多さゆえだろう。軍部から受ける恩恵は絶大だった。
 五、六十戸ほどの小さな集落に、外国への通信施設からネットまで完備されている。
 アズマはそこに、いびつさを感じずにはいられなかった。


 ――セツナたちのほうが、よほど健全な街づくりをしている。


 商店ひとつない、田畑もない。住宅の集合体でしかない土地を眺めながら、アズマはそう思った。

 五月三日も半ばを過ぎたころ、アズマたちは集落の中央にある広場までやってきた。ソルたちに、同胞を紹介してもらうためだ。
 迎えに現れたのは、ソルたちの仲間だった。

 といっても、ふたりしかいない。
 長身長髪でガタイのいい軍服姿の青年と、中肉中背で凡庸な顔立ちの青年だった。


「ダークだ」


 ソルに紹介され、軍服姿の青年が、面倒くさそうに長髪をかきあげながら、仏塔面で名乗った。
 ソルに同行していた黒髪の優男、レフとは仲が良くないらしい。目が合った瞬間、双方がそっぽを向きあった。
 かなり早くからソルと行動を共にしていたらしく、ソルは「昔からの仲間だ」と紹介した。



「よっ! ご機嫌ようだね御苦労さん!」


 と、太平楽に笑顔を見せたのは、もうひとりの同胞だ。
 中肉中背の、これと言って特徴のない男である。同胞としては珍しい、没個性な造作だが、不思議と存在感があった。
 アズマたちがさらに衝撃を受けたのは、その名前だ。


「ああああ」


 これが彼の名前だった。


「呼びにくいから、オレ様はアフォーと呼んでる」

「“あ”が四つであふぉー。“阿呆”っぽくてあれだけど、本名よりましだってね、はっはっは」


 ダークの補足説明に、“アフォー”はかんらかんらと笑う。まさに文字通り阿呆呼ばわりされているのだが、気づいていないらしい。
 アズマたちは満場一致で、彼を馬鹿のカテゴリに入れた。
 このふたりと、ソルの言によれば、家に引きこもっている人間がひとり、ほかに五、六人が国外で活動しているらしい。
 
 集落には、五十人ほどの同胞がいる。その中でキメラアントと戦うため、立ち上がったのはたったそれだけだった。
 その事実に、アズマは言いようのない、いらだちを感じざるを得なかった。

 原因を、正確に理解していたのはシュウである。


「このコミュニティーの大半が Greed Island Online 利用者――違うか?」


 問いただしたシュウに、ソルが返したのは肯定の言葉。

 それが理由だった。
 自らはなにもも為そうとせず、“どうやったら安全かつ楽に、現実への脱出手段を確保できるか”などといった話題を、掲示板でぐだぐだ話しているような連中である。
 最近はそれすらせずに、掲示板本来の用途など無視して、現実世界の益体もない話題で盛り上がっている。

 それを知っているカミトが、眉をしかめた。
 欲しい念能力の持ち主が、そんな“使えない”人間だったらと想像してしまったのである。極めて実現性の高い想像だった。








 ――これは駄目だ。


 三々五々、広場に集まってきた同胞たちの目を見て、アズマは直感的に彼らを切り捨てた。

 目が生きていない。
 成人年齢に達している人間も少なくないにもかかわらず、一様に表情が幼い。
 容姿は天性によるところが大きいが、表情は心が作るものだ。自己抑制に欠いた、浮ついた表情を隠しもしないでは、中身の質が知れるというものだった。
 
 これではたとえ目的の念能力を持つ者がいたとしても、まともに機能しない、どころか“腐ったリンゴ”になりかねない。
 早々にやる気を失ったアズマだが、さりとて集まった人間を帰すこともためらわれた。

 そんなとき、広場の奥のほうで騒ぎが起こった。
 見れば、数人の同胞が、ひとりの少女を追いかけまわしている。
 その姿を見て。


「ユウ?」

「ユウちゃん?」


 アズマとカミトが、そろって声をあげた。
 追い回されている少女の容貌は、仲間である暗殺者の少女、ユウそのものだったのだ。


「――じゃねーよ」


 即座に否定したのはシュウだった。
 ユウの容姿からプロポーションまで完全に理解しているシュウは、逃げ回る彼女とユウのあいだに、若干の差異を見出していた。特に、胸回りがユウより大きいことは、見逃しようがない。
 そしてなにより。


「だからオレはユウじゃないって言ってんだろぉぉぉ!!」


 本人が全力で主張していた。
 ユウのそっくりさんは、追いかけられながら、アズマやソルがいる場所まで駆け抜けて来た。
 間にいた数十人の隙間をきれいに抜けて。
 その際、希薄になった彼女のオーラが爆発的に広がったことを、アズマは知覚した。


「ダークさん助けてっ!」


 あっという間に、そっくりさんは黒髪ロンゲの軍服男、ダークの後ろに回り込んだ。
 追いついてきた男たちが、ダークの前で立ち止まった。
 ダークが頭をかいた。体全体で“面倒だ”と主張している。


「あー、キミたち。どんな因縁があるのかしらねぇが、こいつを迎え入れたのはオレ様でな。厄介事は――」

「うるさい! あんたはかんけーないだろ!」


 ダークのこめかみに青筋だ浮かんだ。
 ぼそりと、ダークが何事かつぶやいたかと思うと、つぎの瞬間には男たちは地面に叩きつけられていた。
 倒れた男たちの頭に、ダークの軍靴が無造作に乗っかる。


「あのさー。オレ様にナニため口聞いちゃってんの? そんなに偉いんですかテメー様は。 あ? 食物連鎖の最底辺からやり直してみっか?」

「ううすみません……」


 淡々とした口調だが、それがかえって恐ろしい。
 哀れ、男たちは完膚なきまでにへこまされた。


「ああ。でたよダーク様のオレ様節……」

「あいつらも馬鹿だな、ダーク様に逆らうなんて」


 そんな声が漏れ聞こえてくるのをとらえて、アズマは彼の性格を理解した。
  
 
「で? てめーらなんでコイツ追いかけてたの? 事情によっちゃ五分の四殺しのところを四分の三殺しにまけてやっても、まあ、いいんだが」

「それってほとんど変わら――うれしいなぁ! ほんとなら全殺しにされても文句言えないのにそこまで情けをかけていただけるなんて! さすがダーク様!」


 感涙とは明らかに違うものを流しながら叫ぶ姿は、さすがに哀れをもよおした。

 男たちの事情というのはほかでもない。ハンター試験で落とされた逆恨みだった。
 むろん、ユウに対しての逆恨みである。そっくりさんとは関係ない話だ。

 そっくりさんのほうはあくまでユウとは別人だと主張する。
 だが、瓜二つの姿だ。男たちが嘘だとはねのけるのも、また、しかたない。


「そいつ、ユウじゃないぜ。ユウはオレの連れだから」


 堂々めぐりのやり取りにうんざりしたのだろう。シュウが口をはさんだ。
 その言葉に、男たちの目の色が変わる。
 

「てめえ、あの女の――」


 彼らは言葉を最後まで口にすることができなかった。
 シュウの、酷薄な視線に気づいたのだ。


「口のきき方に気をつけたほうがいいぜ」


 言いながら、シュウは手前に居た哀れな男を踏みつけた。


「うっかり死にたくないだろ?」


 後頭部に言葉を落としたが、男が最後まで聞くことはなかった。
 シュウの見せた途方もない量のオーラに、気あたりを起こして気絶したのだ。

 ほかの男たちも、勢いあまって集まっていた同胞まで、気あたりで倒れていく。

 残ったのはアズマたちと、コミュニティーの主要メンバー、それにそっくりさんのみだ。そっくりさんは、半分腰を抜かしていたが。

 あまりに不甲斐無い光景だった。
 


「どうする? これ」

「ああ――うん。仕方ないね。ちょっと介抱してくるよ」


 あきれ混じりの横目を流したカミトに、コミュニティーのリーダーであるソルは苦笑しながら歩いて行った。


「こりゃ延期かな」

「なに言ってんだ」


 ため息をついたアズマに、言葉を返したのはシュウだった。
 にやりと笑いながら、向ける身線の先には、地面にへたり込んだそっくりさんがいる。


「欲しかった能力者、ここに居るじゃないか。多少骨もあるようだし」

「へ?」


 と、そっくりさんが頓狂な声を上げる。
 事情を説明して。


「大丈夫だ。比較的危険度が少ないポジションだ。あんたならやれる」

「無理無理無理ーっ! 買いかぶりだーっ!」

「そうそう。わたしが守ってあげるから大丈夫よ」

「言いながらなんで俺を鎖で縛ってんだよ説得力ねーよっ!」

「大丈夫だ。オレを信じてついて来い」

「言いながらオーラで恫喝しないでほしいんですけどー!?」


 と、こんな経緯を経て。
 半時間後には、そっくりさんを伴って帰路に着く、少年たちの姿があった。
 国境を越えるまでの間、そっくりさんは五十一回、「不幸だ」とつぶやいた。








 闇の中、縦横に走る光線。
 交点に、星が浮かんでいる。星の色は二色。赤と青。

 それを、ひとりの少女がながめていた。
 闇に溶けるような黒髪の主だ。肌は白く、顔立ちも美しい。
 少女は光の格子に浮かぶ星の群れを、じっと見据えている。そこからなにかを汲み取ろうというように。

 少女の前には、碁盤が据えられていた。
 碁笥は黒白両方とも彼女の手元にある。
 虚空の星を見据えながら、少女はゆっくりと、白石を盤上に置いた。
 パチリと、乾いた音がした。

 対局は半ばまで進められている。
 一見して黒が優勢だった。中央から左辺、そして上辺にまで伸びる石は、“生き”が確定している。

 それとつながろうとしている下辺の黒一団は、浮き上がって団子石にされながらも、中央の陣地につながりそうである。

 そこから左下の隅に、黒石が手を伸ばしている。
 左下は完全に白の陣地となっており、その中に取り込まれた黒二子を助けだすことは難しいだろう。

 白は、難しい。大きいのは左下の隅のみで、右辺の陣地は細かい。ほかの戦場でも白は押され気味だった。

 と、突然、闇の世界に光が差し込んだ。
 扉が開いたのだ、と、少女は理解した。

 同時に、宙にあった星がかき消えた。
 入ってきたのは、しかし闇色の男だった。一見して華奢な、黒髪の優男だ。


「ミホシ」

「……レフ。いきなり扉を開けないでください。集中が切れました」


 ミホシと呼ばれた少女は、無表情のまま青年を非難した。
 ふん、と、鼻を鳴らして。黒髪の青年――レフが、盤上に目をやった。


「帰って来るまでの間に“種”が発動した。状況が動いたと読んだのだが――ほう。キメラに突っ込んだか」


 下辺の団子石、そしてそこから延びる黒石を見やりながら、レフは薄い唇に冷たい笑みを浮かべた。


「助けに飛んだ一子が見事に攻めの対象だな。下手に繋ごうとすれば、大石まで逝きそうだ」

「そうさせたのは貴方です」


 ミホシは短く切るように言った。
 非難の色は見られない。ただ、事実を述べるような口調だ。


「あそこに、まとまった戦力があると邪魔だからな。
 位置も悪い。下手するとキメラが来てくれない・・・・・・かもしれない。あちらには最小限の防衛ラインで我慢してもらわないと、な」

「だから、NGLに向かうように仕向けた」

「私の念能力でな。悪いと思うか?」


 悪びれた様子もなくレフが言った。
 ミホシは首を横に振る。


「これも、ソルのためですから」

「そうだ。ソルができないことをやるのが、私やダークの役目だ。すべては――」

「――我らの理想郷を、造るため」


 ミホシは静かに言葉を継いだ。
 レフが薄い笑いを浮かべた。





[9513] Greed Island Cross-Counter 13
Name: 寛喜堂 秀介◆b96a8f27 ID:a45bd770
Date: 2009/07/16 23:31


 マツリたちは啼いた。
 満腔からの悲しみの発露だった。
 それが敵を呼び寄せるかもしれないと分かっていても、彼女たちは泣かずにはいられなかった。

 そして、必然の結果として、当然の如く、敵は現れた。
 キメラアントの一隊だった。
 それぞれが別種と思えるほど特異な特徴を持っている。得手とするところも、個体によって違う。
 それが、十体。

 マツリたちにとって、それは脅威と呼ぶに足る。
 数を利して押し包まれては、すべての攻撃を避けることなど不可能だ。
 キメラアントは毒を持っている。
 一撃でも喰らえば、そこで終わるのである。

 だが。
 そんな苛烈な窮地をこそ、マツリは望んでいた。
 ユウを死なせてしまった自責が、のうのうと生きるおのれを許さなかった。


「レットさん、いきます」


 静かに、マツリは“千人列伝サウザントライブズ”を具現化した。
 左手に流し開くは“太史”。高速復元能力を持つ、念で編まれた竹簡。
 それが大蛇のように伸び、敵に襲いかかった。

 獲物はクワガタムシを巨大化させたような姿をしていた。
 頭部から延びる長大な鋏は、しかし竹簡を切断できなかった。
 復元速度が速すぎて、刃が通る端から再生していくのだ。

 なすすべもなく拘束されたクワガタムシは、釣り上げられ、宙を飛ぶ。
 外骨格の接合部に、マツリの右腕が撃ち込まれた。

 右手に在るは“董狐”。折れず、曲がらず、敵を穿つ、最も堅き筆。
 それはキメラアントの神経束を容赦なくえぐり抜く。
 筆に塗り込めた、毒は、はや、敵の動きを奪い。
 つぎの瞬間、クワガタムシの頭部は彼方へもぎ飛ばされた。

 信じられるものを見たかのように、キメラたちの動きがほんの一瞬、止まった。
 それが、彼らにとって致命的だった。
 瞳に闘志を燃やすレットが、委細かまわず突っ込んでいったのだ。

 彼の狙いはただ一点、部隊長のみ。
 軌道上にいたキメラアントの一体、その頭部を一撃で粉砕し、おのれのアドバンテージ――オーラを収束させた蹴りで、カンガルーにも似た部隊長の胸から上を爆裂させた。

 あとは、虐殺だった。
 あまりの事態に生まれて初めて恐怖を覚えたキメラアントたちはもろくも崩れ、各個撃破されていった。
 一分後には、あたりに動くものはいなくなっていた。

 マツリもレットも、全身に返り血を浴びた、凄惨な有様だった。
 キメラアントの頭部を徹底的に粉砕した結果である。

 この苛烈な行為の根底には、自衛よりもまず、怒りがあった。
 ユウを殺した白虎のキメラへの怒り。ユウを死なせてしまった無力な、あるいは愚かな自分への怒り。
 それらがすべて、キメラアントへの殺意となって発露されたのだ。


「ユウさん」


 血まみれで、天を仰いだレットが、呆けたようにつぶやいた。
 殺戮を終えたいま、彼の瞳にあるのは深い悲しみだった。

 マツリはそれを見て、視線を落とす。
 レットとユウは、旧来の仲間だ。
 それを失った悲しみは、マツリのそれよりも数段深いに違いなかった。


 ――たとえば、自分にとってのジョーたちのように。


 そう思うと、マツリは胸が締め付けられた。


 いつも憎まれ口を叩いていた、それでいて町の開発にひたむきだったジョー。

 若年者ばかりがあつまる仲間たちの中で、ただひとりの老年、それゆえ交渉事で重きを成していたマト。

 口が重く、修道的だが、どこか横領が悪く、フラットタイガー相手にいつも苦戦していたパイフル。


 ともに笑い、ともに汗を流した、かけがえのない仲間だ。
 そんな人間が、死んだ。
 死体もない。白虎が女王の餌とすべく持ち帰ったに違いなかった。

 マツリの心に、重いものが圧し掛かっている。
 マツリにとって初めての経験である。
 彼女はこれまでずっと、責任を負う立場になかった。
 グループの中でも、町の開発でも、「黒幕」や「助言者」の位置に好んで立ち、乞われても主導的な位置に立つことはなかった。

 おのれの分際をわきまえていたとも言えるが、結局、責任から賢く逃れていたにすぎない。

 だが、今回のことに関しては、責任を他のだれに帰すこともできない。
 まぎれもない、マツリ自身の責任なのだ。

 幸いにして、と言うべきかどうか。マツリにおのれを責める時間はなかった。
 まき散らされた味方の血臭に誘われたのか、ふたたびキメラアントの群れが現れたのだ。

 数は、さきほどの部隊の数倍。師団クラスの規模だ。
 師団長の姿はなかった。
 カンガルーの部隊との戦闘を見て、警戒しているのかもしれない。

 遠くから観ているのか、それとも近くに身を隠しているのか。いずれにせよマツリたちの手の届かないところから指揮しているに違いなかった。
 高度に統率のとれたキメラアントの群れに、マツリたちは容赦なく押し包まれた。

 乱戦になった。
 高速再生する竹簡、“太史”の防御がなければ、あるいはユウが調達した防刃ジャケットがなければ、マツリは数度も死んでいただろう。
 数の波に押し流され、いつしかレットとも離ればなれになっていた。








 日が傾き、森は静寂に包まれた。

 気がつけば、マツリは独りだった。
 敵は去ったのか、それとも息をひそめて狙っているのか、それとも、レットが師団長を倒したのかもしれない。

 マツリは考えたが、それは間違いだった。
 乱戦の末、マツリが最後に倒した、栗鼠のキメラアント。それこそが、師団長だった。
 気づかなかったのは、師団長さえ苦も無く倒せるほどに、マツリがレベルアップしていたためである。
 短期間の、しかし熾烈な戦いは、実戦経験に乏しいマツリの実力を、そこまで引き上げていたのだ。

 激しい頭痛が、マツリを襲っている。
 オーラと肉体を、限界まで酷使した結果だった。
 疲労の極限まで達しながら、マツリは睡魔に身をゆだねることができなかった。
 意識が途切れる時が、死ぬ時になりかねないのだ。
 マツリは背が隠れるほどの大樹に身を預け、息を吐いた。
 
 おのれの足音すら消えた静寂の中に、マツリはふと、水音を聞いた気がした。
 耳を澄ますと、まちがいない。水の流れる音が、右手のほうから聞こえてきた。


 ――返り血を、洗い流そう。


 のどの渇きを癒すことより、マツリはまず、それを考えた。
 血の匂いは、否応なく敵を呼び寄せるのだ。

 身を引きずるようにして水源に向かったマツリは、しかし途中で足を止めた。
 暗い森の木々を縫うようにして、点々と落ちた血痕を見つけたのだ。
 深手を負った何者かが、歩いたあとだった。


 ――レットさん?


 マツリはまず、それを考えたが、確証が持てない。
 だが、彼だという可能性に思い至ったとたん、抗いがたい感情がマツリを支配した。


 ――レットさんを、助けなきゃ。


 マツリは疲労を押して、血痕をたどった。

 日が沈むころ、マツリはそこにたどり着いた。
 泉だった。
 小さな沢から流れ込んだ水が、森の中に小さな泉を造っていた。
 そこで、マツリは見た。
 泉のほとりに座り込む、巨大な影。

 それは白虎の形をしていた。

 かっとなったマツリは、飛び出したくなる衝動を、かろうじて制した。
 白虎の様子が、おかしい。
 オーラが、感じられない。
 腹から血がにじみだしている。


 ――傷を癒している。


 マツリは、涙が出るのをこらえた。
 ユウが残した傷に違いなかった。
 深手だ。
 だからこそ、白虎は“絶”を使って回復に努めているのだろう。

 マツリの心に、怒りが沸き起こった。
 ユウを殺した白虎への怒り――というよりも、そうさせた自分への怒りが、白虎を見て蘇ったのかもしれない。
 その区別は、マツリにはつかない。


 ――殺る。


 マツリは即断した。
 幸い、返り血の匂いは白虎の血臭に紛れているらしい。向こうが気づく様子はない。

 マツリは静かに、腰に仕込んだ薬の筒から、致死性の毒の入ったものを確認した。
“絶”で気配を殺しながら、マツリは木陰を縫って獲物に近づいていく。
 十メートルほどの距離に近づいたとき、不意に白虎が声を出した。


「出て来い」


 抑揚の利いた、静かな声だった。
 マツリは失敗を悟った。

 それでいて、彼女の中に逃げるという選択はなかった。
 気づかれていようが関係ない。毒を仕込んだ筆が傷跡にかすりさえすれば、白虎を殺すことがでいるのだ。
 そしてそれは、命を度外視さえすれば簡単な作業だった。

 マツリは、静かに、木の蔭から出た。
 覚悟は、疲労しきったマツリの体を、小動もさせなかった。

 だが、白虎は言った。


「マ、ツ、リ?」


 声には、驚きの色が含まれていた。

 マツリは茫然と立ち尽くした。
 それが言える者を、彼女はひとりしか知らなかった。


「パイフル……なの?」


 落としそうになった筆をかろうじて支えながら、マツリは尋ねた。


「パイ、フ、ル……パイ虎児フル……そうだ。私の名は、パイフル」


 自分に言い聞かすように、白虎のキメラアント――パイフルはつぶやいた。
 深手なのだろう。呼吸は浅く、短い。

 マツリは唇を引き結んだ。

 パイフルは、マツリの仲間だった。
 中華剣士の装いの、銀髪の美丈夫である。
 ともに汗を流してカピトリーノを開拓した仲間であり、趣味が似ていたことから、なんとなく好感を抱いてもいた。
 
 だが、マツリにとってパイフルは、けっして許してはいけない存在となっていた。


「マツリ?」


 素早く毒を浸した筆を構えたエルフの少女に、白虎は眼を見開いた。


「なぜ、ユウさんを殺したの?」


 マツリの青い瞳は、冷たく、澄んでいる。


「ユウとは、あの少女か――マツリ」


 パイフルの声は、唐突に止まった。
 猫科特有の、縦に割れた瞳孔が大きく開く。
 視線のさきは、木々に隠された闇の深奥。そこから、不意に声が聞こえてきた。


「おやおや。軍団一女王様に忠実なアンタが、ニンゲンなんかと仲良くお話とはなぁ」


 語尾を高く跳ね上げる、その声色に、マツリは本能的に不吉を感じた。

 ややあって、音もなく姿を現したのは、狐の姿を残したキメラアントだった。
 背は金色、腹側は純白の体毛。耳は尾の如く長く後ろに伸び、太い尾が、乱暴に地をなでている。


「嘆かわしいぜぇ、おなじ“最古の三人”としてぇ」


 狂相からは、悪意がありありとみて取れる。
 オーラもそれに相応しく、禍々しいまでに強い。


「戦う気か」


 パイフルが静かに問いかけた。
 けだるげなその声は、負傷の重さゆえか。
 対するキツネ型の声は、どこか楽しげだ。


「いいや、違うね。これは処刑だぜ。ニンゲンなんかと仲良くしてる裏切り者に対するよぅ」

「よく言う。さきほどから隠れて、様子を窺っていただろう。最初から私を狙っていたのだろう?」

「ああ。オレは端っからてめぇが気に入らなかったんだよ!」


 敵意は明らかだった。
 パイフルが、立ち上がって前に出た。
 マツリをかばう、その位置取りから、彼の意図は明らかだった。

 無茶だ、と、マツリは思った。
 手傷を負っているパイフルは、ややもすればマツリでも殺せるかと思えるほどに消耗している。
 おそらくはパイフルと伍する実力を持つであろうキツネに敵うわけがなかった。


「パイフル!」


 マツリは、さきほどまでの敵意を忘れて、叫んだ。
 だが、白虎が見せたのは笑顔。白く巨大な牙がむき出しになった。


「悪いな。いまの私は、お前よりはるかに強い」


 パイフルのオーラが、爆発的に膨れ上がった。
 マツリはたたらを踏んだ。
 強烈な圧力が、そうさせたのだ。
 パイフルの“錬”は、相対するキツネを押しつぶさんばかりに広がる。


「な、なんなんだよ、それはぁ」


 じりじりと、狐が後じさりした。
 獣毛の上から、汗がにじんでいる。
 つい先日まで互角だったであろう相手の力が、いきなり数段も上になっていたのだ。それもいたしかたない。


「くっ」


 痛恨の表情を残して、狐は闇の中へ消えていった。

 それをしばらく見送ってから、白虎のキメラは地に沈み込んだ。
 体に負担をかけたせいだろう。腹から新たに血がにじみ出ている。

 マツリは筆を握った。
 感情は千々に乱れ、自分がどうすればいいのか、わからなくなっていた。


「マツリ、さきほどの質問に答えよう」


 静かに、だが決然と、パイフルが口を開いた。


「私はあの少女――ユウを」


 マツリの筆が、地に落ちた。








 息を切らしながら、キツネ型のキメラアントは逃げていた。
 キツネの内面では、屈辱と怒りが渦巻いている。


 ――あいつ、ぶっ殺す。


 明確な意思を以って、キツネは決心していた。
 だが、それは、キツネ独力ではもはや不可能になっている。
 どんな魔術を使ってか、あの白虎のオーラ――キツネたち“最古の三人”しか持ち得ない力は格段に大きくなっていた。


 ――手が要る。オレの師団だけじゃ足りねぇ。


 だから。


「奴の手を借りるしかねぇな。いけ好かねぇが」


 キツネは舌打ちしながら、目的の場所へと走った。








 同日、夕刻。
 ツンデレ一行がNGLにたどり着く。予定よりもはるかに速い、到着だった。






[9513] Greed Island Cross-Counter 14
Name: 寛喜堂 秀介◆b96a8f27 ID:a45bd770
Date: 2009/07/20 22:05

 ツンデレ、ミコ、ライ。
 先行したマツリたちを追いかけた一行の乗る飛行船は、逆風に悩まされていた。

 飛行船は風のコンディションで、速度が大きく左右される。
 順風だったユウたちに対し、ツンデレ一行は、推定で二日も遅れをとるはめになった。

 遅々として進まぬ船に、焦れてきたころ。
 ツンデレの髪にとり憑いた幽霊幼女、ロリ姫が、唐突に妙なことを言い出した。


「念能力の、名前を変えたい?」


 ツンデレのあげた頓狂な声が、個室中に響いた。
 ベッドでうとうとしていたミコが、驚いて飛び上がった。
 ロリ姫は至極真剣な表情だ。


「うむ。他の皆の能力を聞いて居って、思ったのじゃ。妾の能力名も、もっと格好良い物にしたいと!」


 拳を握りこみながら、ロリ姫が主張する。
 名前にこだわらない性質のツンデレには、理解しがたい主張だ。


天元突破スパイラルって、けっこう格好いいと思うけど」

「嫌じゃ。妾も正義の拳ジャスティスフィストとか背後の悪魔ハイドインハイドのような、響きのいい名前が欲しいのじゃ!」


 並べあげられた能力名のどこが彼女の琴線に触れたのか、ツンデレはわからない。
 中二病などという言葉も、その情緒も解さない彼女である。


「ほーしーいーのーじゃぁー!」


 駄々っ子のように手足を振り回すロリ姫に、ツンデレは困り果てた。
 その手のネーミングセンスには、ツンデレはまったく自信が持てない。

 ミコはといえば、ほほに手をあてて、駄々っ子になったロリ姫をながめている。役に立ちそうにない。


「ど、ドリル……ドリル? ドリルなんとか……なんとかドリル……助けて、ミコさん」

「え?」

「やっぱり聞いてなかったんだ……ロリ姫の、念能力名。格好いいのがほしいの」

「え? あ、はいですわ」


 言われて、ミコは視線をしばし、宙に惑わせた。


「ドリルプレッシャーパンチとか」

「パンチはしないでしょ」

「ドリルミサイル」

「爆発するの?」

「ドリルスぺイザー」

「スぺイザーってなに!?」


 まったく当てにならないことが露呈したミコとともに、その後しばらく唸りながら考えていたのだが、どれもロリ姫はピンとこないようだった。

 しばらくして、個室のドアがノックされた。
 ライだった。無言のまま入ってきたオールバックの大男は、飛行船の到着予定時刻がまた遅れたことを、こもったような声で告げた。


「そう……仕方ありませんわね」


 ミコがため息をついた。
 先行したユウたちが心配でならないのだろう。


「ま、船は急げないし、無事を祈るしかないよ――ところでライさん? あなたも考えてくれない? ロリ姫の念能力」


 ツンデレがライに話を振った。
 無茶振りである。
 さすがに首をひねったライだったが、ややあって、カタカタと肩を揺らしだした。


「……マスタードリラー」

「其れじゃっ!!」


 ロリ姫が手を叩いて歓声を上げた。
 その名のどこが彼女の琴線に触れたのか、ツンデレには理解不能だ。


天元突破マスタードリラー――我が力に相応しい名じゃ! ふはははははっ!」


 ツンデレは眼を見張った。
 高笑いするロリ姫から放射されるオーラが、いきなり膨れ上がったのだ。

 能力名が、おのれに相応しいという確信。それは、否応なしに念能力を強化する。
 行き場を失ったロリ姫のオーラが、ツンデレのツインテールを、捩りながら暴れさせる。


「おおおおおおおっ!!」


 ロリ姫が、高陽して叫ぶ。
 ツインテールが、床を穿った。
 その先から、オーラが一直線に伸びていく。

 気合一声、雄叫びをあげたロリ姫は、つかみ取った虚空を散らすように腕を振り払い、唱え上げる。


「円錐螺旋を虚空に描き、廻る無限の渦旋陣! 城砦陣壁怒涛に波濤、すべてまとめて打ち破らん! 聞け! 妾こそは螺旋の支配者! 天元突破マスタードリラー!!」


 オーラのこもった声が、船を痺れさせた。
 つづいて、船が揺れた。

 ツンデレの勘違いではない。
 飛行船の駆動部まで届いたロリ姫の能力が、プロペラの形状を大幅に変化させたのだ。

 羽を持つ、ドリル。
 それは駆動音とともに、高速回転する。
 飛行船が、蹴飛ばされたように急加速した。

 いままでの遅れを取り戻すように、飛行船は空を駆け抜けた。
 到着したのは予定よりはるかに早い、五月四日の昼過ぎだった。
 調子に乗って念能力を使いすぎたロリ姫は、しばらく顔も見せられないほど消耗していた。








 夕刻。一行はNGLの玄関口にたどり着いた。
 その中に、オールバックの寡黙な大男、ライの姿はない。
 取り外し不可能な人工物が、体についているので、別ルートで入国することになったのだ。
 彼とは、ユウたちと約束した合流点で落ち合う手はずになっていた。

 検問所兼大使館となっている巨樹のうろ・・に入ったツンデレたちは、そこで、意外な人物に出会った。

 四人連れの男女である。
 入国チェック待ちなのか、めいめいくつろいでいる。
 見覚えがあったのは、そのうちのふたりだった。

 頭にターバンを巻いた、短身長髪の少年と、ゆったりとした服を身に纏う、ひと抱えはありそうな、大きな帽子をかぶった美少女。
 ポックルとポンズ。
 ゴンたちとともに、ハンター試験に挑んでいた受験生だった。


「やあ。あんた達もか」


 不意打ちに固まっているふたりに気づいて、ポックルが声をかけてきた。
 まったくの初対面だったのだが、身に纏うオーラから察したのだろう。


「オレはポックル。幻獣ハンターだ」

「エストよ。一応プロハンター。こっちはミコ」


 一方的に知っている人間と話す。そんな奇妙な感覚に戸惑いながら、ツンデレは自分とミコを紹介した。
 ミコのほうはまだ固まっている。


「目的は同じと観たが」

「えーと。たぶん。正解だと思う」


 会話は端的だ。
 NGLの人間がいる場所である。多言は良い結果につながらない。
 腹芸の出来ないツンデレの受け答えは、少々怪しかったが。

 と、ツンデレがポックルと話していると。


「か、か、かわいいですわーっ!!」

「わぷっ!?」


 唐突に。固まっていたミコが、がばっとポンズに抱きついた。


「ポンズさんですわ本物ですわかわいいですわーっ!」

「む、むぐー!?」


 豊満な胸に顔をうずめられ、ポンズが悲鳴を上げる。
 あっけにとられていたツンデレだが、先日のロリ姫の件で耐性ができていたぶん、我に返るのは早かった。


「ちょっとミコさん、気持ちわかるけど落ち着いて!」

「ふかふかですわ柔らかいですわお持ち帰りしたいですわぁ」

「本気で落ち着けっ! あんたさらっととんでもないこと口走ってるから! あー、なんでこんな時に止められる人居ないの!?」


 と、まあ、ひと波乱あったものの。
 ポックルたちとの出会いは、ツンデレにとって、実りのあるものだった。


「ほかの何組かのハンターとも、つなぎをとっている。おたがい定期的に連絡を取り合おう。その手段は考えている」


 という、ポックルの提案があったのだ。
 ポンズが若干嫌そうにしていたのは、まあ、仕方がないだろう。

 むろんツンデレに否やはない。
 探索方面などについて最小限の相談をしたところで、ポックルたちの順番が回ってきた。


「ああん。もうちょっとお話をしたかったですわ……」


 心底残念そうなミコだが、ポンズのおびえた様子を見れば、それが望めないのは明白だった。

 入国チェックは、順調にはいかなかった。
 ツンデレもミコも服装で引っかかってしまったのだ。
 ツンデレのセーラー服は言わずもがな、ミコも、装飾品をはじめとして何点かで引っかかっていた。
 仕方なく天然素材の服を買いそろえたふたりは、それでやっと入国することができた。

 外に出ると、平野が広がっている。
 ポックルたちの姿は、早、見えなくなっている。

 ツンデレたちもゆっくりしてはいられない。方角を確認すると、目的地に向けて一直線に走り出した。
 ツンデレの身体能力は並ではない。ミコも、いくつもの戦いの中で、確実に鍛えられている。
 いくらも経たないうちに、振り切ってしまったのだろう。監視の目もなくなっていた。


「ツンデレさん」


 合流地点に向けてひた走るツンデレに、並走するミコが、声をかけてきた。


「ポンズさんたち、あのままで良かったのですか?」


 ミコの声には迷いがある。
 このままいけば、ポックルたちは全滅する。
 それを知っているからこそ、見捨てたくないからこその、質問だろう。

 ツンデレとて、むざむざ見知った人物を死なせたくはない。
 だが、彼女は安易にうなずくことなどできない。
 ツンデレの意見は、そのまま行動の指針となる。その責任が重しとなり、彼女の心の重心を低くしていた。


「ユウさんたちと合流するのが先決。あの人たちを助けるのは後でもできる……そうじゃない?」


 しばらく言葉を選んでから。
 ツンデレはミコに、そう言い聞かせた。


 ――あいつもこんな気持ちだったのかな。


 神妙にうなずくミコを見ながら、少女は思う。
 深く考えない性分だったツンデレ。
 そんな彼女を、パートナーである仏頂面の少年は、いつだって最適と思える手段で導いてくれた。

 いままでの冒険を思い返して、ツンデレは苦笑を浮かべた。
 アズマの思考は、確実に、ツンデレの血肉として在る。


「さあ、ミコさん。目的地まで飛ばしましょう!」


 足にオーラを充実させ、ツンデレはさらに速度を上げた。








 合流地点にたどり着いた時、あたりは真っ暗になっていた。
 人工的な明かりなどないNGLの夜である。月明かりがなければ、とても走り抜けられなかっただろう。

 森林地帯の手前まで来て、ツンデレとミコは顔を見合わせた。
 先行していたはずのユウたちの、姿はおろか気配さえ、見当たらなかった。
 探したくとも、森の中は真正の闇である。夜目の利くキメラアントに遭遇した場合、危険である。


「ミコちゃん」

「はい」


 ミコはうなずき、念能力を発動させた。

 ミコの"ハヤテのごとくシークレットサーバント”は、「自在に姿を変形させる念獣」を創り出す能力である。
 念獣と術者は五感を共有する。術者から念獣が離れるほど、念獣の能力も感覚共有のレベルも下がるのだが、用途を探索に限定するなら、有効圏内は数キロメートルに及ぶ。

 ミコの体から、浮き出るように実体化したのは、小型の梟だった。


「行きなさい」


 ミコが命じると、フクロウは無言で鳴き、月に向けて飛び上がった。

 ミコが視るのは梟の視界である。
 むろん性質まで真似ることはできないが、それは感覚の精度を上げることで何とかカバーできた。


「――駄目ですわ。少なくとも、近くには居ないみたいです」


 場所を変えながら数十分も探索したのち、ミコは呻くように漏らした。


「むー」


 ツンデレも困ったように唸り声をあげる。
 NGLは、キメラアントの巣窟となっている。不測の事態などいくらでも考えられる。

 ユウが最後に連絡してきたのは、NGL潜入前――今朝のことだ。
 入国してからはお互い連絡が取れないので、とりあえず集合場所だけ決めておいたのだが。

 こうなっては、ツンデレはどう動くべきかわからない。
 別ルートから入国したはずのライが、まだ来ていないことも、ツンデレの焦りを助長する。
 携帯のない不便というものを、彼女はあらためて痛感していた。

 進むべきか、待つべきか。
 迷うツンデレの目の前で。

 不意に、ミコの首筋から血が噴き出した。


「どうしたの!?」

「……やられました」


 傷口を押えて、苦しげにつぶやくミコ。
 その様子に、ツンデレの心は不安に乱れる。

 三度、深呼吸して気息を整えてから、首筋を血で染めた美女は口を開いた。


「キメラアントです。わたしの念獣が狩られました」

「……場所は?」

「あちらに、一キロメートルほどです」


 気を静めて。
 ツンデレはミコが指さした方向を見た。
 視界が通っていないので、むろん確認はできない。
 それでも。なにか禍々しい気配がそちらにあることは、感じ取れた。


「――敵の形態は?」

「なにぶん一瞬でしたので……でも、念獣は“斬”られました」

「……ミコちゃん。すこし森からはなれましょう」


 ごくわずかの材料から、ツンデレは判断した。
 キメラアントが刃に類する特性を持っていた場合、木などの遮蔽物は意味を成さないだろう。


 ――障害物があるところで、それをものともしない相手と戦うのは、下策に過ぎる。


 アズマならば、そう言うに違いなかった。

 ツンデレたちは、待機位置を、東に二百メートルほど移した。
 森から離れる格好である。

 ほどなくして。
 月明かりに照らされ、ふたつの影が現れた。







[9513] Greed Island Cross-Counter 15
Name: 寛喜堂 秀介◆b96a8f27 ID:a45bd770
Date: 2009/07/25 00:28

 現れたのは二体。甲殻の肌を持つ異形。
 赤く巨大な複眼。鋭く研ぎ澄まされた四本の節足。いくつかの昆虫の特徴を併せ持つ、キメラアントの戦闘兵だった。


「ロリ姫、最大威力でお願い」

「応」


 静かにつぶやいたツンデレに応え。
 ロリ姫は、ツインテールを地面に打ち込み、その先にドリルを生み出した。

 戦闘は、一瞬で決着がついた。
 ロリ姫が最大威力で打ち込んだ二本のドリルが、戦闘兵の上半身を粉砕したのだ。

 快勝。しかし、ツンデレは内心冷や汗ものだった。
 原作を読んでいるツンデレは、“王”や、親衛隊、それに師団長クラスといった規格外について、知り過ぎている。
 それが「キメラアント」という種そのものを過剰に恐れさせる結果となっていた。


 ――落ち着いて。いまのは下級兵。ポックルですら倒してるんだから、勝てて当然。それでキメラアントを過小評価しちゃだめ。


 冷や汗をかきながら、ツンデレは自分に言い聞かせた。
 過大評価も、過小評価も、対象に正当な評価を与えられていないという意味では同じだ。見切りの甘さは、厳しい局面で致命傷になりかねない。


「やりましたわね」


 ハンカチで、切れた首筋を押さえながら。ミコは軽く興奮した様子で話しかけてきた。
 入国時に、きらぎらしい身なりは、天然素材の簡素な衣服に改められている。
 それでもお嬢様めいた雰囲気を出しているのは、生まれのせいだろうか。

 駆け寄ってくるミコを尻目に、ツンデレは、上半身を失ったキメラアントを調べていた。


「やられた」


 不意に、ツンデレが言った。
 ミコはきょとんと首をかしげる。


「なにがですの?」

「ミコさん。見て、これ」


 ツンデレは、ミコに、キメラアントの前足を差し出した。
 人で言えば手首から指先にかけての部分は、鋭く研ぎ澄まされ、刃のようになっている。


「わたくしの念獣を斬ったのは、これですのね」

「違うわ。よく見て、この腕。最初から尖ってたんじゃないみたい」


 ツンデレは刃状になっている部分を指示した。
 よく観察すれば、砥いで刃をつけたような形跡があった。刃の部分は、地肌とは、明らかに色が違う。細工をして間もないことを、ツンデレはそこから読み取っていた。


「つまり、敵は別にいる、と?」

「ええ、手の内を暴くために手駒を使い捨て、しかもそれを隠蔽するくらいには頭が回る、ね」


 ツンデレは奥歯を鳴らした。
 そこまで頭が回らず、むざむざと手の内をさらしてしまったのだ。


「ミコさん、敵はどう出ると思う?」

「ライオンさん――レオルみたいに、出直してくれたらありがたいのですけど」


 ミコが言ったのは、原作でレオルがカイトを見て、戦うことをあきらめた場面があったからだ。
 その場面は、ツンデレも覚えている。
 だが、はたして彼女の実力で、敵に同じ決断を下せしめ得るだろうか。
 おそらく否。と、ツンデレは観る。


「ともかく、敵は来る、その心構えだけはしておこう?」


 ミコと顔を合わせ、頷きあう。
 合流するはずの仲間は、まだ来ない。
 夜はまだこれからである。








 カミトたちがリマ王国を出たのは、四日昼のことだった。
 一行を乗せた装甲車両は、一直線に伸びたハイウェイを突っ走っていく。


「くそっ! 出国に手間取っちまった! もっと飛ばせカミト!」

「わかった、わかったから横で騒がないでよ!」


 ばんばんとダッシュボードを揺らすシュウに、カミトが悲鳴を上げた。
 ユウと相似形の、黒髪つり眼の美少女は、微妙におびえた目で、後部座席からそのようすを見ている。


「なあ、え、と」

「アズマ」

「アズマ、なんであのひと、あんなに焦ってるんだ?」


 そう尋ねたのは、彼女が細かい事情を知らされないままに連れて来られてしまったからだった。
 むろん、ここに来るまでにも、そのあたりの事情について尋ねる時間は、十分にあった。
 その時間を、そっくりさんは、自分の不幸を嘆く作業に費やしてしまっていたのだ。


「簡単に言うとだな」


 アズマは、いつも通りの仏頂面で答える。


「俺らの留守中に、仲間が勝手にNGLに行った」

「なんという自殺行為」

「はしょり過ぎよ」


 運転席からカミトの声が飛んできた。
 たしかに、さきの説明では“なぜ”の部分が抜けていた。
 アズマはあらためて答えた。


「負傷しているうちに女王を倒そうとした同胞が、帰って来なくて、それを助けに行った仲間がいる。その中にあれの連れもいる」

「なるほど」

「外見はおまえにそっくりだな」

「そっくりさんかよ!?」


 と、そっくりさんが声を上げた。
 彼女にとっては不倶戴天というか、一方的に厄介事を押しつけ続けてくれた相手である。


「またなんてとこ行ってるんだよそっくりさん今度はキメラアントの恨み買うつもりかよそれでまた俺の方にしわ寄せ来るのかよっ! ヤバイ、ヤバイ、ありえねー!」

「静かにしてね」

「すみません」


 騒ぐそっくりさんを鎖が縛った。カミトである。鎖には尋常でないオーラが込められていた。
 そっくりさんは即座に頭を下げた。
 そのためらいのなさに、アズマが「すばらしい」と、称賛の声を上げた。

 先行したユウが心配で焦るシュウが、カミトをせかす。
 カミトがストレスをためる。
 そっくりさんがうっかり刺激してそのはけ口となる。
 アズマは見てるだけ。

 という、見事な循環が成立している。


「で、そっくりさん」

「名前で呼べよ」

「聞いてないぞ」

「ニセットだよ」

「……ニセか」

「やめろ! 俺をニセモノっぽく呼ぶな!」

「あんまりハンタになじまない名前だよな」

「それはあんたもだろ!? なんだよアズマって! レベルEのミキヒサかよ! 目つき悪くて仏頂面だけど!」

「……おお?」

「いまさら気づいたのかよ!?」


 ポンと手を打つアズマに、そっくりさん――ニセットが突っ込んだ。


「で、ニセ」

「だから略すな!」

「ニセユウ?」

「確信した! 悪意があると、いま確信してしまった!」

「まあ、いいじゃないか。ニセ、ソルたちのコミュニティーについて、どれくらい知っている?」

「あくまでそれで通す気かよ……そんなに詳しくない。
 ダークさんに連れられて、二日しか経ってないからな。あの国に迷い込んで、不法入国とかで軍警察にしょっ引かれるところを、あのひとに助けられたんだ」


 しれっと定着させようとするアズマに、ニセ嬢は半眼で答えた。
 さりげなく不幸っぷりをさらす彼女である。
 そのあたりを軽やかにスルーして、アズマは勝手にうなずいている。


「そうか、それじゃあ、あそこの内情にはそれほど詳しくないか」

「まあ、ひと通りはって感じだけど? なんか気になるのか?」

「いや、なんであの連中は、わざわざ足手まといを集めているのか、気になってな。勘ぐろうと思えば、いくらでも勘ぐれるからな」


 アズマが引っかかっているのはそれだった。
 コミュニティーに所属していて、しかもキメラアント対策にまったく寄与していないあの連中を、彼はかけらも評価していない。
 まったくの善意にせよ、なにか底意があるにせよ、アズマには理解できない行為である。
 不信と言うほど明確ではないが、アズマはそこに違和感を覚えていた。

 ニセ嬢が、ちっちっち、と指を左右させる。


「わかってないな、アズマ。リーダーのソルさんは、完膚なきまでにお人好しなんだぜ? あそこでちょっと話を聞いただけでもお人好しエピソードが山ほどだ」

「……個人ではそうなのかもしれないがな」


 アズマは、口をへの字にして応じる。


「集団の頭となれば、そんな我儘が通せるものかな。あれはほとんどボランティアの領域だぞ?
 ソルはそれでよくても、連れている人間は違うだろう? 実力もある、頭も回る人間なら、それに逆意を持ってもおかしくない。
 だが、それもなさそうだった」


 アズマはリマ王国で出会ったソルの仲間たちを思い出す。
 誰もが、ソルをリーダーとして立てていた。すくなくとも、あからさまに二心を抱いている者はいなかった。
 それがアズマには腑に落ちない。


「あー、たしかにダークさんは愚痴ってたな。
 でもあの人も、口は悪いけど本質的にお人好しっぽいし、そもそも、昔っからの仲間らしいんだよ。グリードアイランド攻略に取り組んでた」

「そうなのか?」


 アズマは驚きの声を上げた。
 同胞たちの情報共有サイト、“Greed Island Online”について、アズマはそれほど詳しくない。だが、それでも、住人を見ればその質が知れる。

 そこの管理人が、命の危険にかかわるような、グリードアイランド攻略に乗り出していたことは、アズマにとって、かなり意外だった。
 住民を見てしまったせいで、知らずに評価を下げてしまっていたのだ。


「ああ、聞いた話だけどな。“氷炎の”ソルと“コマンド”ダークって言えば、有名なチームだったらしいし。うわさじゃたったふたりで、グリードアイランドをクリアしたとか……眉唾だけど」

「クリアしたなら、いまだにこっちの世界には、居るわけないだろうしな」


 アズマは相槌を打った。
 しかし、噂には真実が含まれている。
 グリードアイランドをクリアした。そう言われて納得されるだけの実力が、あのふたりには、あるということだ。

 しかし。
 アズマは微妙な顔になる。


「“氷炎”とか、“コマンド”とか……」

「いや、笑い話じゃなくて、ほんとにその異名で通ってるらしいんだよ。もちろん他称でな」


 自分で二つ名を広めたわけではない、ということである。


「と、なると……その中二ったらしい二つ名は、呼ばれてる人間の特性――念能力と深く関わっているのかもしれないな。“氷炎”……温度操作っぽいが」

「“コマンド”とかは、外見からっぽいけどな。ダークさん、元リマ王国の軍人らしいし」

「なるほど。リマ王国にコミュニティを作れたのは、そういう理由もあったわけか」


 アズマは納得したようにうなずいた。
 軍服はコスプレではなかったのだ。


「ああ。それで、レフがコミュニティー成立前、ミホシやアホ殿その他のやつらは、成立時からのメンバーだ」

「くわしいな」

「だれかさんのおかげで、危機管理に、ものすごく敏感になっちゃってな。自分が腰据えてるところの内情は、知っておかないと落ち着かないんだよ。
 聞いて回り過ぎて、あいつらに追いかけまわされる羽目になったんだけど」


 ニセ嬢はうんざりした顔になった。
 ユウと間違われて追いかけられたことを思い出したのだろう。


「にしても、あんた、俺のどこを買ってくれたんだ?」


 ため息をひとつ吐くと、ニセ嬢が、不意に訊ねてきた。
 彼女の実力は、同胞の中でも中クラス程度だ。ユウと間違われ、追いかけまわされてきたおかげで、“Greed Island Online”の連中よりはよほど鍛えられているが、それでもキメラアントはおろか、グリードアイランド攻略さえ、おぼつかない。


「念能力だ」


 アズマは即答した。
 ニセ嬢がうろんげな顔を、アズマに向けた。


「俺、あんたに能力見せてないよな?」

「見たよ。コミュニティーで一度、な」


 アズマは当然のように言った。


「追いかけられて、障害になった人の群れを縫って走ったとき、一瞬オーラが広がった。おそらく、避ける空間を立体的に把握するために、オーラを拡げたんだろうが、あれは“円”と呼ぶには希薄すぎた。
 十中八九、オーラを拡散させる、操作系か変化系に属する能力。オーラ量と拡散率から、最大展開規模は数キロ四方に及ぶ――と、見たが?」

「え、え――え? そこまでわかっちゃうの? ――変態?」

「いや、普通に常識程度の観察力だと思うが。前にいるふたりも、そう考えたから即断したんだろうし」

「……ありえねー」


 アズマにとっては当然のことでも、ニセ嬢にとっては、そうではなかったらしい。
 少女は小声でつぶやいた。茫然を通り越して悟達の様だ。
 命を削るような戦いを繰り返してきたアズマと、それを避けてきた彼女の違いだろう。


「ほとんど正解だよ。オーラの粗密を操る――それが俺の能力だ。思いきり拡散して、レーダーみたいなことも、やろうと思えばできる。俺にやらせたいのはそれなんだな?」

「ああ。だから、キメラアントと戦うといっても、ニセは町の中心に陣取ってもらう形になる。あらかじめ決めておけば、オーラの粗密を使ったサインで、ある程度の情報伝達は可能だからな。
 危険度に関しては、もっとも低い場所だろう。護衛もつく。だから安心していい」

「そ、そうなのか」


 アズマの言葉を聞いて、ニセ嬢が安堵の息を吐き出した。
 と。
 ふと、気づいたように、彼女はアズマの様子をうかがい見た。


「って……ひょっとして、安心させてくれたのか?」


 おずおずと、ニセ嬢が尋ねる。
 アズマは口元をわずかにほころばせ、彼女の頭をポンとたたいた。


「話をろくに聞かないで、キメラと戦うってだけで無駄に怖がってたみたいだからな」


 そう言うと、アズマは背もたれに体重を預けた。


「アズマくんがニセちゃんを口説いているようです」

「これはぜひツンデレに報告すべき」


 前の席のふたりは、やたらと荒んでいた。






[9513] Greed Island Cross-Counter 16
Name: 寛喜堂 秀介◆b96a8f27 ID:a45bd770
Date: 2009/12/28 20:08

「恐ろしいな。空を飛ぶというのは」


 ブラボーは言った。
 仁王立ちで腕を組み、象徴たる防護服の裾は、風にはためいている。

 空を切る青眼の白龍の上である。
 地上数百メートル。落ちれば即死の高さだ。でありながら、龍から振り落とされれば、ブラボーには、なすすべがない。
 その実感が、ブラボーにさきの言葉を言わせたのだ。

 ともに乗る白いコートの青年――海馬瀬人が、鼻を鳴らして言った。


「自らの力で飛ばぬからだ。鳥は飛ぶことを恐れん」


 真理である。
 人は、自力では飛べない。それを感覚で知っている。だから、人は高所を恐れるのだ。


「だが、人は飛べる。プロペラを回し、ジェットエンジンを吹かし、大空を我がものとするすべを有している。それを含めて、人の力だ」


 視線を虚空に定め、誇り高き決闘者の姿を写す青年は、告げる。


「恐怖は、生物の本能が告げる、おのれの限界だ。
 しかし、ブラボー、わが同胞よ。人は、それを超えてゆけるのだ」


 断じた。
 人は飛べぬ。だから恐怖する。だが、そこで止まっていては、人類が空に舞う日はけっして訪れなかっただろう。
 人は恐怖を、種が持つ能力の、限界を超えることができる。それこそが、人の強さなのだ。

 実感を込めて、ブラボーはうなずいた。
 それができるだけ、彼は見てきた。人が恐怖に抗い、前に進むさまを。


「――だが、手に翼をつけて羽ばたくような真似をしても、人は飛べぬ。
 もし、貴様が独力であの地を守ろうとしていれば、オレは貴様を嘲笑していた」

「なりふり構っていられない。それだけだ」


 ブラボーは静かに答えた。
 海馬の表情が緩んだ。


「褒めているんだ。素直に受けろ。おまえ、こちらに来てから数段は柄を上げたぞ。それを考えれば、こんなファンタジーも、貴様にとっては、悪くはなかった」

「社長」

「と……どうもおまえと話していると、素の人格が強くなる――ふん、凡骨決闘者から、すこしはマシになったようだな!」

「言い直さなくても」

「まあ、良しとしておけ。こちらの人格に身を預けるのも、これでなかなか楽しいのだ」


 ふたりを乗せて、白き竜は飛ぶ。
 背中から照らされる夕焼けの彼方に、目的地はもう見えていた。








 五月四日、夕刻。
 カピトリーノの丘。その頂上に、白き竜は舞い降りた。
 町には一般市民も住んでいる。そこへ巨竜が舞い降りたのだから、ちょっとした騒ぎになってしまった。
 群衆は、青眼の白龍のすがたを遠巻きにして見ている。好奇と恐れが半ばといった様子だ。

 鼻を鳴らすと、海馬が闘技盤からカードを抜き払った。
 青眼の姿がかき消えた。


「待ちかねたよブラボーくん!」


 ざわめいた群衆のなかから、銀髪の美青年が飛び出してきた。
 セツナである。


「セツナ、どうかしたのか」


 その慌てた様子に、ブラボーはいぶかって尋ねた。
 待ちかねたように、セツナがブラボー不在中の出来事を説明する。


 電脳ネットサイト“Greed Island Online”の管理人、ソル率いるコミュニティーが、同盟を申し込んできたこと。


 そこから使える人材を漁りに、ブラボーの連れである鎖使いの青年、カミトたちがリマ王国へ向かったこと。


 カミトが伴ってきた同胞ふたりを連れて、セツナの仲間、マツリがNGLに向かったこと。


 ツンデレたちがそれを追って行ったこと。


 話を聞き終えて、ブラボーは決然と言った。


「助けに行こう。社長、連続だが、飛べるか?」

「NGLに着いたあと、しばらくは動けんだろうがな」


 ふん、と、海馬が、鼻を鳴らしたその時。

 カピトリーノの丘に、装甲車が飛来した。
 さすがのブラボーも面食らう。
 装甲車は勢いを減じながらも止まることなく、地面を転がって行き、裏返しになって止まった。

 しばらくして。
 ずるずると、中にいた者たちが、這い出てきた。


「あいたたた、アズマくん、無茶し過ぎよ」

「時間が惜しかったんだ。我慢してくれ」


 運転席側から出てきたのは、カミトとアズマのふたり。
 奥から、アズマに続いてもうひとり、這いでてきた。その姿に、ブラボーは眼を見張った。


「いたたた、ひどい目に遭った」


 尻に手をあてて呻く少女の姿は、かつて、ブラボーが深く傷つけてしまった少女のものだったのだ。


「ユウ!?」

「――じゃねーよ。他人の空似だ」


 驚くブラボーに声をかけたのは、助手席側から這い出たシュウである。


「シュウ。カミト……お前」

「……ええ。“外”に出て、助けを求めた。ユウちゃんも、ミコも、レットくんも、わたしが引き込んだわ」


 カミトは、ブラボーの目をまっすぐに見据え、言った。
 けっして、ブラボーには許せない行為だった。


「カミト」


 ブラボーは腕を振り上げ、そして下ろした。
 カミトを責める資格など、自分にはない。ブラボーはそう思っている。

 カミトにとってそれは、殴られるよりはるかに堪えた。


「カミトを責めるのはお門違いだぜ、ブラボー」


 ふたりの間に割り込んだのはシュウである。


「オレたちは自分の意思で来たんだ。カミトに言いくるめられたとでも思ってるのなら、それは侮辱だぜ? なあ、キャプテンブラボー」


 重い空気を吹き飛ばすように、金髪の少年は不敵に笑った。

 アズマも、驚いていた。
 当然のようにブラボーの傍ら立つ、海馬瀬人の姿にである。
 独善、不適、唯我独尊。
 アズマは海馬をそう評価していた。


「海馬」

「ふん、凡骨か」


 むしろ楽しそうに、海馬は鼻を鳴らした。
 アズマは口元をゆるめた。不思議と、気持ちが通じていた。
 
 その横で、ユウのそっくりさん、ニセットは、キャプテンブラボーと海馬瀬人が並び立つというカオスに目を回している。
 ここに変態仮面が混じれば、なお混乱していたことだろうが、幸いにして変態仮面は巡回中である。

 取り巻いていた野次馬たちは、三々五々と帰っていった。
 やってきた奇人たちがセツナの仲間だとわかったからだ。
 それだけ信頼されている、ということもあるし、変人扱いされている、ということでもあった。

 丘の頂から野次馬の姿がすっかり消えたころ。
 カピトリーノの空を、ふたたび青眼の白龍が舞った。
 同乗したのは、シュウ、アズマ、ブラボーの三人だ。
 カミトは残った。
 青眼が満員になったこともあったが、おもに不測の事態に備えるためだ。セツナと変態仮面では、やはり不安が残るので、仕方がなかった。


「安心して頂戴。ここは、なにがあってもわたしが守るから」


 そう言ってほほ笑むカミトに見送られ、ブラボーたちはNGLに向かった。
 途中、ブラボーは先行したメンバーを確認する。
 話がライに及んだとき、ブラボーは思った。


 ――ああ、あの少女も来てくれたのか・・・・・・・・・・・・、と。








 ドナ川に沿って、どこまでも続く公道。
 夕闇の帳が下りる中、南東に向かって、黒のセダン車が走っていた。
 乗っているのは、男女のふたり連れである。

 ひとりは二十代後半の女だ。
 着飾っていれば十分美人の範疇に入るのだろうが、化粧っ気もなく、白衣を着崩した姿は、だらしない印象しか与えない。

 もうひとり。運転しているのは、二十歳前後の男だ。
 若干くたびれた黒のブランドスーツを着こみ、丸いサングラスを鼻にのせている。


「よう、ヘンジャク師匠」


 男が、助手席に座る女性を横目で見やった。
 そのさい焦点が、白衣を突き上げるような、おおきな胸にあることを、女――ヘンジャクは知っている。


「なんだ? 不祥の弟子」


 そう返されて、男の顔が不機嫌に歪んだ。


「おまえなぁ、学校休んでまで師匠のお供してるかわいい弟子に向かって、そりゃねぇだろ」

「なにを言ってるんだ。この不世出の神医、ヘンジャクの神技的医術を間近で見られるんだぞ? それ以上の勉強が、あると思うか?」


 ヘンジャクは断言した。微塵のてらいもない。掛け値なしに事実なのだから、よけい性質が悪かった。
 さらに、その事実を学長につきつけて、彼の不在を無理やり公欠扱いさせてしまうのだからすさまじい。
 

「まったく。成績の割に実技だけは完璧なおかげで、ただでさえエリートさまから妬み買ってるっつーのに」

「お前はこの神医ヘンジャクの弟子なのだ。恨み妬みは買って当然だ」


 ぼやく男に、ヘンジャクはしたり顔で言う。


「だが、レオリオ。わたしがお前に与えてやれるものは、それを補って余りある。技術に名声、コネクション、それに“念”もな」


 ヘンジャクは笑った。
 性別をはなから捨てたようなところがある彼女だが、こんな時だけはきちんと女に見えるのだから始末に悪い。


「あ!? そういやアンタ、思いっきり騙してたろ、“纏”を“念”だって! 仲間の前でハジかいちまったじゃねぇか!」

「あれは、最後まで教えてたら、受験に差し障りが出ていたからだ」


 思い出したように叫んだ男――レオリオに、ヘンジャクは半眼で答えた。
 医学関連の知識に関しては、及第以上のレオリオだが、他は壊滅的だった。合格したのは奇跡に近い。
 そんなレオリオに、返す言葉など、あろうはずがない。


「ああ、レオリオ、ここで左に折れてくれ。ネテロのクソ親父に押しつけられた雑用の前に、恩人に会っておきたいんだ」





 



[9513] Greed Island Cross-Counter 17
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/08/02 01:13


 五月五日の朝日を、エストこと他称ツンデレは、眼をしばたたかせて迎えた。
 ツンデレもミコも、昨晩は一睡もしていない。キメラアントによる断続的な襲撃のためだ。

 部隊数にして四、数にして四十三体。
 それだけ相手にして、手傷はほとんど負わなかった。毒を警戒したためだ。
 キメラアントの神経毒は、喰らえば一瞬にして行動の自由を奪われる。それゆえ、神経質なまでに敵の攻撃を避けたのだ。

 だが、それゆえ、消耗は激しかった。
 精神的にも、体力的にも、そしてオーラも、見る間に摩り下ろされていった。

 襲撃が途絶えても、神経が休まることはない。
 敵がいつ攻撃を仕掛けてくるか、わからないからだ。

 キメラアントの死臭や体液の臭いが新たな敵を呼び寄せることを嫌って、戦闘のたび、場所も移してきた。
 むろん仲間にはわかるよう、ひそかにメッセージを残している。

 ほぼ二時間おきの攻撃が四度、敵は襲ってきた。五度目は、まだない。
 最後の襲撃から、すでに三時間は経過している。
 ひょっとして、すでに攻撃は中断されているのかもしれない。

 だが。


 ――わたしたちにそう思わせるために、間を置いているのかもしれない。


 そんな可能性が、ちらとでも頭をかすめれば、落ち着いて休めるわけがない。
 極力体を動かさず、オーラの消費を抑え、回復を図る。それしかなかった。

 四大行のひとつに、“絶”がある。
 体から自然と放出されるオーラを、完全に断つ技術だ。
 ツンデレたちは、回復力を高めるためにこれを使っていた。

 だが、“絶”は、思わぬ効果をも、もたらした。
 オーラという外皮が剥がれたせいだろうか。
 神経が見えざる触手と化して、体の外にまで飛び出ている。そんな妙な感覚に、ツンデレは囚われていた。

 遠くで、風にしなう草から、羽虫が飛びあがった気配すら、いまのツンデレには知覚できた。
 ツンデレは、原作を思い出す。

 天空闘技場で、ゴンが独楽使いのギドとの戦いで見せた、“絶”。
 目の精孔すら閉じた、オーラにたいして完全に無防備な状態で、どうして多方向からの敵の攻撃を避け続けることができたのか。


 ――視るんじゃない。感じてるんだ。


 それを、ツンデレは身にしみて理解した。

 日が昇りきってほどなく。
 ツンデレは、はるか遠くにオーラを捉えた。


 ――静かで、力強い。でも、どこか哀しい。


 そんなオーラだ。
 仲間のものではない。
 先行した仲間たちの中で、もっともオーラが大きいのは、黒づくめの暗殺者少女、ユウである。感じたオーラは、それよりもはるかに大きい。

 オーラの主は、まっすぐこちらに近づいてくる。
 原因に気づくまでに、さほど時間を要しなかった。

 風が変わっていた。
 ほぼ無風とはいえ、厳密には風上に立っている。嗅覚に優れた動物なら、これを逃すはずがなかった。

 ツンデレはこれをキメラアントと断じた。
 原作通りならばこの時期、念を覚えたキメラなど、いるはずがない。
 しかし、同胞による介入があったのだ。最悪の可能性は、否定できなかった。


 ――場所を変える? ダメ、逃げるには遅すぎる。


 ツンデレは、地面ごと草を握りこんだ。
 戦うしかなかった。
 二分の怯えを、八分の勇気で抑え込んで、ツンデレは腹を決めた。


「ミコさん」

「……はい」


 ミコの声には、強い覚悟があった。ツンデレの意図を汲んだ、力強い返事だ。
 彼女の目もとには隈ができていた。


 ――わたしも、ひどい顔になってるんだろうな。


 そんなことを考えながら、ツンデレは戦いに向け、集中する。
“絶”は、まだ解かない。
 ほんの僅かでも、オーラを回復するためだ。

 それからいくらも経たぬうち。
 巨大なオーラの主が姿を現した。
 速やかに、ツンデレは臨戦態勢に移った。

 やはりキメラアントである。
 白き大虎だ。巨躯である。ツンデレが、ツインテールを真上に延ばして、まだ届かない。
 その威容より、ツンデレの目を引いたのは、この白虎が背負っている人間だった。
 気絶しているらしい。後頭部が見える。そこから、長い耳が飛び出していた。


「マツリさん!?」


 ツンデレとミコの声が重なる。
 同胞であるエルフの少女、マツリだった。
 白虎の目が、鈍い驚きをともなって開かれた。


「これの知人か。なら、マツリを頼む」


 言って、白虎がひょいとマツリを投げてきた。
 飛んできたマツリの小柄な体を、ツンデレはあわてて受け止めた。
 気絶している。
 外傷、毒痕はない。単純に、オーラの過剰消費によるものと観て取れた。
 それを確認して、ツンデレは白虎に問うた。


「あなた、何者? ――いえ」


 わかりきった事実だ。確認するまでもない。
 ツンデレは質問を改めた。


「あなた、マツリの仲間でしょ?」

前世むかしはな。いまは、ふふ、敵かも知れぬ」


 白虎が、歯を剥き出しにして言った。

 人間であった頃の記憶よりも、キメラとしての性に、より強く縛られている。
 ツンデレはそう見た。


「忠告しておく。このまま立ち去れ。女王に仇なす者は、たとえ同胞であろうと――殺す」


 オーラではない。その、意志を込めた言葉だけで、ツンデレは威竦んだ。
 オーラが、膨れ上がった。暴力的な圧力。ツンデレは思わずたたらを踏んだ。


「帰る気は……ありませんの?」


 かろうじて口を開いたミコの問い。
 応える白虎の声音に揺るぎはない。


「我が故郷は、女王の御許、ただひとつ」


 断言だった。
 ツンデレは、NGLに来た目的の一つが、ついえたことを知った。
 この白虎はすでにマツリたちの仲間ではなく、キメラアントだった。


「力づくでも、とは、悔しいけど、言えないようね」


 額に汗をにじませ、ツンデレが言った。
 次元が違う。そのことを、否応なしに痛感させられていた。


「やめておけ。いまの私の“暗然銷魂功”に隙はない」


 同胞の記憶を宿したキメラアントは、そう言って背を向けた。
 厭うような調子だった。


「それから、カマーロは退いたぞ。すこし前だ。まだ、あきらめてはいないようだったが。いまのうちに帰れ」


 途中、足を止めて、白虎が忠告してきた。


「カマーロ?」

「師団長のひとりだ」


 ツンデレの疑問に律義に応えて、今度こそ、白虎は去って行った。
 後姿を見送ってから、ツンデレは集中の糸がふつりと切れる音を聞いた。
 ツンデレは、そのまま地面に倒れこんだ。ミコもそれに折り重なる。


「おい、小娘共! しっかりせぬか!」


 ロリ姫の声が、虚空に響いた。








 NGLを、おおざっぱに正方形に描いたとする。
 北部から弧を描く形で、平野が東部に向かって伸びている。
 北東部は山地である。そこから南に向けて、島をほぼ両断する形で、巨大な河川が流れている。これがNGLと、東のロカリオ共和国を隔てる国境である。

 平野部に包まれるように、NGLの中心付近は森林地帯となっている。
 国土の三十%超にもなる、この広大な森林地帯は、海に近づくにつれ漸減し、岩と砂がそれにとってかわる。
 沿岸付近は完全な岩石地帯である。

 ポックルが、キメラアントの生息地帯としてあたりをつけたのは、中央の森林地帯だった。
 キメラアントの生態を考えても、“巣”を造るのに適しているここが、もっとも怪しい。

 前日は平野部で野営して、五月五日未明から、ポックルたちは探索を開始した。
 調査を始めたのは、森林地帯の北部からだった。
 東部から調査を始めたハンターが多かったので、調査起点をずらしたのだ。

 探索を始めて数時間。
 蜂使いの少女、ポンズの“蜂のネットワーク”が、行き倒れの男を発見した。

 現地人ではない。ポックルたちの目にも、それは一目でわかった。
 なんと彼は、この人工物を危忌するNGLで、防刃繊維のジャケットなどを着こんでいたのだ。

 男は昏倒していた。
 念を納めたポックルには、それが、オーラを極限まで酷使した結果だとわかった。


「どうする?」


 ポンズが尋ねた。

 一見して不法入国者である。関わり合いになりたくはない。
 行き倒れているのも、いずれ自業自得だろう。
 見殺しにすることに抵抗はないが、この念能力者をここまで疲弊させたのは、はたして何者なのか。
 ポックルが気にかかっていたのは、そこだった。

 しばし沈思して、そして彼は決断した。


「バルダ、こいつを頼む。目覚めるのを待って話を聞きたいが、そうも言っていられないようだ」


 連れのひとりに男を預け、ポックルは森の奥を見た。


 ――なにか、途方もないことが、起こりつつある。


 嫌な予感が、喉元に張り付いていた。






[9513] Greed Island Cross-Counter 18
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/08/12 01:05


 NGLの中央を占める、森林地帯。その東のはしに、人が倒れている。
 ツンデレたちである。白虎のキメラアントとの邂逅のあと、それまでの連戦による疲労も手伝いって、彼女たちは倒れこむように眠り込んだのだ。

 ツンデレが再び目を覚ました時、すでに日は西に傾いていた。


「目が覚めたか」


 重たい頭を押さえるツンデレに、声をかけたのはロリ姫だった。
 皆が眠るなか、彼女はひとり、見張りをしていたのだ。

 ふんぞり返る幼い少女に礼を言うと、ツンデレはあたりを見回した。
 ひと眠りしても、まだ神経が尖っている。敵の気配はない。すくなくとも、しもうしばらくはキメラアントの襲撃がないことを、ツンデレは確信した。

 ミコとマツリは、と、ツンデレが見ると、まだ眠り続けていた。
 倒れたときには折り重なっていたのが、川の字にされていた。ロリ姫の気遣いだろう。ツンデレの腹が微妙に満ちていたのは、気遣いとはまた別だろうが。
 
 静かに寝息を立てるふたりを見ながら、ツンデレは考える。

 ミコは、まあ、寝かせておけばいい。
 昨夜からの戦いで、心身ともに消耗しているのだ。
 だが、マツリはそう言うわけにもいかない。
 ツンデレやミコなどよりよほど消耗している彼女を見れば、寝かせておいてやりたくもある。だがその前に、いろいろと聞いておかなくてはならなかった。
 とくに、先行したほかのふたりの行方は、いまだわからない。

 だが、マツリは起きなかった。
 ゆすっても、声をかけても、うなり声ひとつ上げない。
 深い眠り。それを強いた激戦を思い、ふと、ツンデレは不安に駆られた。


「あのひとなら、大丈夫だとは思うけど」


 胸をよぎる不吉な予感を押さえつけて、ツンデレは空を見上げた。








 おなじ空を、泥と糞で練り固めた奇形の砦から見上げる者があった。
 鳥類の翼を持つ甲虫だ。女王に許されて、コルトという名をもつようになった。


「コルト、なにを憂いでいる」

「ペギー」


 名を呼ばれて、コルトは振り返った。ペンギンの姿を持つキメラアントが、そこにいる。


「カマーロの師団がやられた。壊滅にちかい。部隊長も含めてな」

「なんと」


 ペギーが驚きの声を上げた。
 当然である。いままで、下級兵の死亡すら、数えるほどしか例がなかったのだ。部隊長クラスが、それも複数やられるなど、ただ事ではない。


「あそこの師団は、カマーロががっちりと統制を取っていたからな。それが災いしたのかもしれない」

「何者にやられたのだ?」

「わからん」


 コルトは目を伏せて、吐き出した。苛立ちが滲んでいる。
 ペギーが首をひねる。


「斥候に現場を確認させていないのか?」

「ああ。いま、あの近辺に兵を派遣することは禁じられている。“キツネ”様じきじきにな」

「なんと」


 ペギーが声を上げた。
 キメラアントのヒエラルキーの中で、女王のをぞいて現在最上位にあるのが、“最古の三人”である。彼らはそれぞれ独自の師団を持ちながら、それぞれほかの師団を指揮する、軍団長の権限を分け持っている。

 その中で、名を持たぬ白虎のキメラアントは、コルトやペギーと近い思想を持つ、女王至上主義者だ。
 キツネは、どちらかと言えばハギャやザザンに近い、おのれの快楽を優先するタイプである。コルトがあまり好きになれないタイプだった。
 最後の一人にいたっては、おのれの師団すら放擲している。さすがに女王の餌の調達を怠ることはないが、コルトからみれば言語道断である。


「手柄を独占するため、か? ふむ、あの方らしいといえば、らしいが……」


 ペギーが難しい顔になった。
 どうもきな臭いにおいが抜けない。


「とにかく、警戒が必要だ。とくにいま、女王様は王を生む大事な時期だからな。これ以上の損害を出すわけにはいかないんだ」


 雑念を振り払うように、コルトが言った。それのみが大事とでもいうような口調だった。
 事実、人間調達には、手はいくらあっても足りないのだ。失った手足は、自分たちの精勤で補うしかなかった。
 コルトは忙しい。それでも、漠然とした不安が、視線を彼方に向かわせる。
 雨は、しばらく振りそうになかった。








 夜半になって、キメラアントがふたたびツンデレたちを襲った。
 規模は十体前後の一部隊。昨夜ツンデレたちを狙ったキメラアントに間違いない。

 ミコはこの時すでに目を覚ましてる。
 マツリは昏々と、眠り続けていた。自然、彼女を守りながら戦うことになる。
 苦戦した。
 当然だ。相手は毒を持っている。ツンデレたちは、一撃も喰らえない。そのうえ動き回ることもできないのだ。足かせをつけて戦うようなものだった。


「いったん退きましょう!」

「うむ!」


 下級兵を袖ではたき倒しながら、ミコが叫んだ。
 暴れまわる二本のドリルの繰り手、ロリ姫もそれに同意する。

 だが、ツンデレは、はねつけた。


「駄目よ! ふつうの人を巻き込んじゃう!」


 このあたりの森は、すでにキメラアントの領域だと思ったほうがいい。
 ならば逃げるのは後方、平野部しかない。
 そこには一般の集落も、当然、ある。
 巻き込むわけにはいかなかった。純粋なNGLの信望者には、キメラアントに対抗する手段などないのだ。


「それはっ! ダメですっ!」


 叫びながら、ミコはザリガニ型戦闘兵の巨大な鋏をしゃがみこんで避け、ミドルキックを放った。
 同時にロリ姫のドリルが、部隊長を射抜き、それが最後。
 あたりにはバラバラになったキメラアントの死骸しか残っていない。

 ふう、と、息をついて、ツンデレはミコの言葉を受けた。


「ええ。それはやっちゃいけない。だから――」

「だから?」

「ここらで――反撃しましょう」


 言って、ツンデレは笑う。不敵な笑みだった。








 それからしばらく後、ツンデレたちは闇の領域に足を踏み入れた。
 木々の合間から見えるほのかな月明かりと、鍛えた念による感覚だけを頼りとして、少女たちは奥へと向かっていく。

 当然のように襲撃があった。
 襲ってきたキメラアントたちは、闇を苦にしなかった。
 苦戦は必定。だが、ツンデレたちはあえて正面から立ち向かった。

 ツンデレはおのれの拳で戦った。
 マツリを背中に抱え、防御をロリ姫にまかせて、容赦なく敵陣に突っ込んでいく。
 ミコも駆けた。静々と進むようでいて、ツンデレにぴたりと張り付いている。

 五体のキメラが、一瞬にしてけし飛んだ。
 反転して、ツンデレは追ってきた戦闘兵を、唐竹に割って捨てる。そのあいだにミコは、上から襲ってきた一体を葬っている。
 体力の配分など考えない、暴走に近い攻撃。ふたつの暴風が、敵勢を散らす。

 だが、闇はやはりキメラアントに利した。
 木々を縫って伸びてきた毒の尾を、ロリ姫のドリルが止めた、瞬間。尾の先から飛んできた毒針が、ツンデレの太ももに突き刺さったのだ。
 ツンデレは声もなくその場に倒れた。


「小娘!」

「ツンデレさん!」


 ロリ姫とミコが叫ぶ。
 動揺が、手元を狂わせた。
 対峙していたキメラアントと相討つように、ミコも毒の牙に掠ってしまったのだ。
 
 ツンデレと重なるようにして、ミコも倒れた。
 唯一生き残った、毒の尾を持つ昆虫型の戦闘兵が、ふたりに近づく。
 ツンデレたちが動かないことを確認すると、戦闘兵は虚空に頭を向けた。

 しばし時間をおいて森の奥から、一体のキメラアントが現れた。刃状の鎌をもつ、巨大なカマキリだった。
 カマキリは様子をうかがうように、倒れたツンデレたちに近づいていく。
 巨大な複眼が、少女の顔にもっとも近づいた、その時。

 ドリルが、音もなく高速回転を再開した。
 飛び退ろうとするカマキリより、なお速く――ドリルはキメラアントの頭部を粉砕した。

 返す刃で生き残った戦闘兵を葬ったドリルは、しばらくすると回転運動を止めた。
 最後の力を振り絞ってのことだったのか、キメラアントの毒を甘く見たのか。
 脅威が去って、それでもキメラの死臭漂うそこに倒れたままでいる少女たち。

 それを確認したように、ゆっくりと。
 数体のキメラアントが姿を現した。先頭に立つのは、カマキリの姿を持つキメラアントだ。
 さきほどのカマキリよりは、二回り以上小さい。ジーンズの、腰の部分だけ除いたものを履いている。

 師団長、カマーロである。
 動かなくなったツンデレたちにも油断せず、自分とよく似たキメラを偽の師団長に仕立て上げ、様子を見させたのだ。

 カマーロは、ツンデレを危険と判断したのだろう。
 部下に命じてツンデレの背からマツリを引きはがすと、ツインテールの少女に、躊躇なく右腕を振り下ろした。
 蟷螂の斧が地面を深くえぐる。鮮血が飛び散った。


 ――否。


 飛び散ったのはツンデレそのもの。
 カマーロの鎌が彼女を切り裂く直前に、ツンデレは火に炙られたロウのように溶けた。
 この瞬間、カマーロの意識は、完全に虚となった。

 そしてそれは、ツンデレが胃をひきつらせながら待ちわびた瞬間だった。
 
 ドリルが、土中から生えた。
 モーター音を立てて高速回転するそれは、カマーロの胴に突き刺さり、なお回り続ける。
 手足を四裂させ胴を破られ、残った頭部でカマーロは見た。
 累々と横たわる部下たちの死体。その下から、ツインテールの少女が姿を現すさまを。


 ――図られていたのは、己か。


 キメラアントであった短い命の最後に、カマーロは驚きとともに、淡く笑った。
 人を、だまし続けてきた人生だ。その自分が、逆にだまされるとは。
 そこまで考えて、カマーロはふと、首をひねった。


 ――だまし続けてきた? 誰を? そもそも、自分は、何者なのだ?


 人であったころの記憶に混乱しながら、カマーロの意識は闇に沈んでいく。


 ――カマーロサマ ハ ヤラレマシタ。


 部下たちの断末魔とともに、いずこかへ向けたテレパシーを、最後の瞬間に聞いた。








「ふう」


 ツンデレは闇の中に息を落とした。
 足元には、キメラアントの死骸が転がっている。なかには、まだ手足が動いているものもあった。それが土や立木を叩く音は、死臭にもましてツンデレに不快を与える。


「やりましたわね」


 耳をやさしくなでるような声が、足もとから聞こえてきた。
 ミコである。
 ゆっくりを身を起こすしぐさに、毒の影響は見られない。
 当然だ。彼女は服の下に、マツリが着ていた防弾ベストを着込んでいた。はじめから毒など喰らっていなかったのだ。
 
 毒を食らって倒れたツンデレは、彼女の念獣である。本物は乱戦のうちに土中に紛れ込み、“絶”で気配を絶っていた。
 死角の多い森の中だらこそ、また、体臭をキメラの死臭で誤魔化せたからこそ、それができた。
 敵の師団長がカマーロ――絵面だけでも原作に登場していた個体だったことも、幸いだった。


「マツリさんはほんとに動けないから、ひやひやしたけどね」


 眠って動かないマツリに、毒で動けなくする以上のことはしてこないだろう。

 キメラアントたちが師団長の元、完璧に統制されていたからこそ、そう確信していたツンデレだが、実際はどう動くかわからない。ツンデレは飛び出したくなる気持ちを抑えるのに苦労した。

 あれだけの戦闘があっても、マツリはまだ眠り続けている。
 図太いというより、体がそれを欲しているからなのだろうが、気楽なものだと、ツンデレは思う。


「でも、じりじり追い詰められるより、危ない橋でも一気に勝負を決めるほうが、性にあってましたわ」

「わたしも」


 ミコの言葉に、ツンデレは苦笑しながら同意した。
 ツンデレは元来、表裏のない性格である。心の裏など考えないし、他人のそれも推し量らない。
 ある種美質なのだろうが、それだけに、人をだますことに慣れていない。
 ミコも似たようなもので、ロリ姫の添削がなければ、敵の師団長、カマーロの注文に、きれいにはまっていたかもしれなかった。


「こんな時、アズマがいればなぁ」


 慣れない思考で消耗したためだろう。ツンデレはしみじみとため息をついた。
 実感と、それ以上の信頼がこもった言葉に、ミコが首を傾る。


「そういえば、ツンデレさんはアズマさんと恋人さんなんですの?」

「にゃっ!?」


 いきなり言われて、ツンデレは妙な声を上げた。


「そそそそそんなわけないでしょいったいなにがなにやら」

「嫌いなんですか?」

「そんなわけないでしょ!」

「じゃあ、好きなんですね?」

「うううー」


 見事に返答を誘導され、ツンデレは真っ赤になってうなる。
 好意は否定するつもりはないが、他人から言われると、恥ずかしさが先に立つものだ。


「変な勘違いしないで! アズマとは、別にそう言うのじゃないんだから!」


 ツンデレは思わず、そう叫んでしまった。
 強がりめ、と、ロリ姫がつぶやく。
 それを見て、ミコが、しみじみとうなずいた。


「なるほど、ツンデレなんですね」

「……ねえ、ミコちゃん? 前々々からすっごく気になってたんだけど――“ツンデレ”って、なに?」


 非常にいまさらな質問だったが、問われて答えないミコではない。
“ツンデレ”について、懇切丁寧な説明が、ツンデレに対してなされた。
 感心深げだったツンデレの顔が、しだいに赤くなっていく。話を聞き終えたとき、ツンデレは顔を真っ赤にして叫んだ。


「あ、あ、あ、あ、アズマぁーっ!!?」


 羞恥を振り払うように、ツンデレは腕をばたばたと振りまわす。


「殴る殴る殴る、絶対殴るぅーっ!」

「どうしたんですか、ツンデレさん?」


 首を傾げるミコ。
 あらためて呼ばれると、同胞の前、公の場所はおろか天空闘技場でそう呼びたたえられていたことまで、芋づる式に思い出される。


「お願いミコちゃんツンデレって呼ばないでぇーっ!」


 身もだえしながら、ツンデレは悲鳴を上げた。






[9513] Greed Island Cross-Counter 19
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/08/19 23:14
 
 襲い来るキメラアントの指揮者、師団長カマーロを倒したツンデレたちは、森をなでつけるように南へと移動した。
 目標があるわけではない。風下を選びながら進んだ結果である。
 体に付着した体液の臭いが、キメラアントを呼び寄せることを嫌ったのだ。
 
 薄暗い木々を縫いながら、一時間ほどは歩いただろうか。
 ツンデレは集落を発見した。
 
 人はいない。
 深夜だから、ではない。木造家屋のあちこちに、ハンマーで打ち壊したような破砕痕がある。そのうえ、かすかに血臭が匂っている。

 キメラアントに襲われたあとだった。
 付近にキメラアントの気配はない。生き残りを探し、家捜ししていると、ちょうどサイズの合う服を見つけた。

 手織りのものだろう。服には、所有者の名が縫いとってある。
 おそらくその名の主が袖を通すことは、二度とないだろう。心中手を合わせながら、ツンデレは服を借りることにした。
 返り血を浴びた服はかまどの灰をたっぷりまぶして埋めた。ほうっておくと、敵を呼び寄せかねない。

 冷たいベッドに昏睡するエルフの少女、マツリを寝かせ、見張りをロリ姫にまかせて。自信も眠りについたのは、五月六日の夕方であり。
 その夜更け、凶暴な獣が、この地を襲来した。

“最古の三人”と呼ばれる、狐の姿を持つキメラアントだった。










 キツネは狐の姿を持つ“最古の三人”の一体だ。
 彼と、白虎のキメラアント、パイフル、そしてもう一体は、女王がこの地に来て最初に生まれたキメラアントだ。
“最古の三人”と呼ばれる、それが所以である。

 おそらく、直前に摂食した人間たちの特徴を映してのことだろう、“最初の三人”には、ほかのキメラアントにはない、特殊な力が生まれつき備わっていた。

 念、と、人が呼ぶ能力だ。
 その能力と高い知能ゆえ、キツネとパイフルは、師団長の上、軍団全体を指揮する立場に置かれた。

 もし、女王のもと、三体がそれぞれ配下を統率していれば、たがいに牽制が効いて、うまく釣り合いがとれたかもしれない。
 だがもう一体は、その癖の強さゆえ、縦割りからは外れてしまった。

 それゆえだろう。キツネはただひとりのライバルに、強い対抗意識をいだいていた。
 だが、女王大事のパイフルは、それ以外の瑣末事にはこだわらない。
 それが余計にキツネに憎悪を抱かせる原因となった。

 投げ与えられた座をを喜んで受け入れられるほど、キツネの腹は練れていない。
 人としての性質を受け継ぎ、複雑な思索もできる彼だが、なんといっても生まれて一か月少々でしかないのだ。感情をのみこむすべを、彼は持っていなかった。

 だから、キツネはパイフルを憎んだ。
 陰で、この寡黙な白虎を追い落とす機会を、ずっと窺っていたのだ。
 パイフル負傷の報告を部下から受けたとき、キツネは好機と見た。
 それは、白虎が人と接触し、友好的なそぶりさえ見せたとき、確信に変わった。

 だが、目論見は、もろくも崩れ去った。
 どんな詐術を使ったのか、パイフルは強くなっていた。満身創痍のはずが、対峙しただけで死を確信させられるほどに。

 屈辱だった。
 つい先日まで肩を並べていたのだから、なおさらだ。
 苦渋の選択として、第三者の――それも自分と同格である、“最古の三人”最後の一人の手を借りることすら、考えた。


 ――だが、まて。


 キツネは、しかし、思いとどまった。
 彼とキツネが手を組めば、たしかにパイフルを倒すための最強戦力がそろう。
 しかしそれでも、パイフルが見せたあのオーラの前には、成すすべもないのではないか。
 たとえ手を借りても、結局はパイフルの前に這いずることになるのではないか。そんな予感がある。

 キツネは苦悩した。
 パイフルが己より上である。その事実を受け入れられないことが、苦悩を深めていく。


 ――あいつが強くなったのは、人を食ったからじゃないか?


 カマーロに兵を貸したあと、天啓のように閃いたのは、常にその苦悩がキツネを支配していたからだろう。
 無論ただの人ではない。カマーロの部隊を蹴散らすような、特異な人間。もっと言えば、オーラを操る人間だ。


 ――パイフルにあれほどの手傷を与えたのも、おそらくその手の人間だ。


 キツネはそう確信している。

 カマーロ死亡を耳にして、キツネは確信を深めた。
 あらたに手駒を呼び寄せ、一帯を捜索するうち、キツネは目標を発見した。
 時間がかかったのは仕方がなかった。一度襲った村である。そこに残ったキメラアントの臭気にごまかされていたのだ。

 だが、キツネの目には、はっきりと見える。
 民家の一つから、静かな、それでいて力強いオーラがあった。








 ツンデレは飛び起きた。
 明かりとりから入る、おぼろな月の光。音の波ひとつ立たぬ静寂。
 安らぎに包まれた環境で、生存本能だけが、あらん限りの声を振り絞って悲鳴を上げている。
 ツンデレだけではない。隣で寝ていたお嬢様、ミコも目を覚ましていた。


「ツンデレさん」

「ツンデレはやめてね」


 小声で忠告しながら、ツンデレは立ちあがり、睡眠に鈍った体から堕気を追い払う。


「どうやら、化け物に見つかっちゃったらしいわね」


 ほほを伝う冷や汗を感じながら、ツンデレは口元を引き絞った。
 感じる気配は猛烈。
 さきに出会った白虎のキメラアントは、まだそれを鞘に納めていた。いま感じているそれは、まるで抜き身の妖刀だ。


「強い、な。呑まれるで無いぞ」


 ツインテールをニ、三度跳ね上げながら、ロリ姫が言った。
 ツンデレはうなずいて、外への扉を開いた。
 ミコがそれに続く。脇にエルフの少女、マツリを抱えている。
 彼女を置いてはいけなかった。木造の民家など、壁の役にも立たない。

 静寂が耳を打った。
 ツンデレは静かに、気配を探る。それを待たず、闇の中から敵が姿を現した。

 キメラアントだ。数は十に満たない。
 だが、その中央に立つ、キツネの姿を持つキメラアント。そこから発せられる獰猛なオーラに、ツンデレは腰が砕けそうになった。


 ――キメラたちが念を覚えれば、兵隊長クラスでもヤバイ。


 キメラアントたちと戦う中で、ツンデレはそう実感している。
 いま彼女の前にいるキツネ型のキメラは、確実に師団長かそれ以上。
 
 だからといって、逃げることはできない。
 正面以外の三方にも、敵が配備されている。
 ツンデレは、敏感にその気配を感じ取っていた。
 念を知らないとはいえ、迎撃するにも手間取った相手である。待ち構えている敵の中に突っ込めば、どんな罠があるかわからない。


「う……ここは」


 そんなとき、思わぬ声が上がった。
 マツリの声だ。
 回復のための深い眠りから、強制的に目を覚まさせたのは、やはりキツネのオーラだろう。
 しきりに目をこすりながら、キツネと目が合った瞬間、マツリの瞳に光が戻った。


「まだ、地獄、なわけですね」


 全快にはほど遠い顔色で、それでもエルフの少女は不敵に笑ってみせた。








「ほう? 貴様はあいつと一緒にいた……てめえは別に役に立ってもらうぜ」


 言ったキツネの瞳が、ツンデレに向いた。


「てめえらは俺の餌だ」


 声が、圧するように発せられた。
 鋭く釣り上った目は、紅の三日月のよう。

 金色の瞳に見射られ、ツンデレは心臓を鷲づかみにされたような錯覚を覚えた。
 さきの、白虎のキメラアントは、ツンデレたちに敵意を抱いていなかった。
 だが、この獣は別。確実におのれの命を奪う。

 死。
 が、目の前にある。

 それをまっすぐに見据えながら、ツンデレは前に出た。
 この絶対的な強者に対抗しうるのは、自分しかない。ツンデレには、それがわかっている。

 
 ――アズマがいないところで、死んでたまるもんですか。


 硬く硬く手を握りこんで、ツンデレはゆっくりと歩を進める。
 その足が、急に止まった。
 横から延びてきた竹簡が、ツンデレの行く手をさえぎったのだ。
 マツリの念能力、“千人列伝サウザンドライブス”が具現化する、無現再生能力を持つ竹簡、“太史”だった。


「マツリさん」

「わたしの命には、別件で用があるみたい。わたしが足止めする。だから逃げて」


 その声は、平素より一段低い。
 目と腹の据えようが尋常ではなかった。
 つづいて横合いから、ミコも歩み出てくる。


「わたくしも、戦います。もう、自分が知らないところで仲間が死ぬなんて、いやだから」


 声がふるえていた。
 ツンデレは知らない。
 ともに戦った仲間の、実に半数近くを、ミコが失っていることを。その中には妹のように感じていた少女がいたことを。
 その死すら看取れなかった後悔が、ミコの背を押していることを。

 だが、不思議と気持ちは通じた。
 ツンデレも、長い旅の中で仲間を失っているのだ。


「勘違いしないで」


 ツンデレは言った。


「あいつと正面から戦れるとしたら、わたしだけ。だから、わたしが戦る。ほかのはふたりに任せたから」


 あえて笑って見せて、ツンデレはキツネに向かった。
 迎えるキツネが、ほくそ笑みながら腕を振り上げる。

 力、スピード、オーラ量、どれをとっても、ツンデレはキツネに、圧倒的に及ばない。
 だが、念能力者同士の戦闘では、“その外”があるのだ。
 暴風のごときキツネの左腕は、しかし、ツンデレの細腕の前でぴたりと静止した。


「なにぃ!?」


 キツネに浮かぶ驚愕の色。
 ツンデレは余裕をもって笑う。
 そのツインテールが、脇に控える甲虫型のキメラアントを粉砕した。
 と見るや、鎧のごとき甲殻が瞬時に変形する。
 土よりもはるかに、鋭く、固いドリルがツインテールの先端に屹立した。


「喰らえぃっ!」


 ロリ姫が、必殺の気勢を上げる。
 だが。
 ドリルがキツネを貫くことはなかった。
 二本のドリルは、ツインテールの先を掴まれてむなしく唸りを上げている。


「なるほどなぁ、こんな芸もあるのか」


 キツネの口元が釣りあがる。
 ツンデレはぞっとして身を引く。
 が、ツインテールを押さえられ、動けない。


「おらっ!」


 体ごと引っこ抜かれ、ツンデレは宙に舞った。
 そのまま振り回され、天地を失った状態で、地面に叩きつけられる。
 かろうじて受身が間に合い、衝撃を腕に流して集めたオーラで相殺する。
 殺しきれず、体に流れた衝撃が、内臓を揺らす。
 わずかに息を吐いてそれを堪え、ツンデレは即座に立ちあがった。

 一部始終を観察する、キツネの冷たい眼をツンデレはたしかに感じていた。


「面白れえ。おい、お前ら、退がれ」


 キツネが左右のキメラアントに命じた。
 ツンデレたちの手により、すでに三体、数を減らされている。


「手を出すなよ? 差しでやってやるぜ」


 言って、キツネが手を離す。
 ツンデレは跳び退り、構えなおした。


「ツンデレさん」

「向こうがそう言ってくれるなら、好都合じゃないの」


 駆け寄るミコに、ツンデレは、そう言って口の端を釣り上げた。
 一対一でも、圧倒的な不利は変わらない。
 だが、それでも。
 敵に総出で掛かられるよりは、ほんのわずか、勝ちの目が出る。
 なにより、敵をひとりに限定し、それに集中できれば、キツネほどの攻撃速度でも相殺しきる自信が、ツンデレにはあった。


「――さあ、戦りましょう」


 ツンデレは静かに、キツネとの間合いを詰めた。
 神経は最大限まで研ぎ澄まされている。
 それは、すべて、キツネに集中していた。

 だから。
 横合いから飛来した一本の毒針を、避けることなどできなかった。


「あ」


 脇腹近くに毒針を食らって、ツンデレはくたりと崩れ落ちる。


「な!? 一対一じゃありませんでしたの!?」

「ああ、言ったぜ? 嘘だがな」


 怒声を上げるミコに、キツネが当然といったように答えた。


「こんな手に引っ掛かるなんざ、てめえら馬鹿じゃねえのか?」


 ミコの顔が怒りに紅潮するさまを。
 マツリが歯を食いしばるさまを。
 ツンデレはぼやけた思考の中で眺めていた。

 失敗は致命的だった。
 ミコやマツリの念能力では、キツネに対抗するすべはない。完全に積んでいた。

 ミコがキツネの爪を避けきれず、肩口から脇腹まで切り裂かれる光景を目の当たりにしながら、ツンデレは涙を流した。体をめぐる毒に、歯ぎしりもできない。


 ――ごめん、アズマ、もう会えない。


 ぐったりとなったミコの体を、キツネが持ち上げる。
 鋭くとがった歯が、ミコのやわらかい体につき立てられる、まさに寸前。

 キツネが悲鳴を上げた。
 その手には、いつの間にか黄金の輪がはめられている。
 
 
「なっ? なんだこりゃぁっ!?」


 悲鳴を上げるキツネの手から、ミコが落ちた。
 それを拾ったのは、マツリではない。むろん、動けぬツンデレでもない。

 虹色の、幼い少女だった。





[9513] Greed Island Cross-Counter 20
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/08/24 23:31

 唐突にあらわれた、ひとりの幼い少女。
 彼女の髪は、瞳は虹の色彩を帯びて、月光に怪しく照り映えている。

 その魔的な妖しさに、エルフの少女、マツリの身が凍った。
 姿かたちは間違いなく人のものでありながら、とても人とは思えなかった。

 目が逢う。
 動けぬマツリに、幼い少女が向けたのは――やさしい笑顔だった。


「すまない。手間取っちまった。ミコさんの止血を」


 少女はそう言ってミコの体をそっと横たえた。
 マツリは魅入られたように動けずにいる。


「それと、これ」


 幼い少女はかまわず、逆の手に抱えていたものを放り投げてきた。
 キメラアントの死体だった。


「ツンデレさんを狙撃したキメラだ。解毒剤、そろえてたろ? 頼む」


 ごく自然に、少女は仲間たちの名を呼ぶ。
 マツリは知らない。
 この一度でも見れば忘れようのない異色の美少女が、マツリたちを知る、その理由を。
 彼女が何者なのかを。


「あなた、誰?」


 だから、エルフの少女の質問は当然で。
 しかし、幼い少女にとってはすこぶる不思議なことだったのだろう、きょとんと首をかしげてしまった。
 しばらくして、彼女の瞳に理解の色が浮かぶ。


「おれはライだ」


 それで説明義務を果たしたというように、幼い少女――ライは向こうを向いてしまった。
 彼女の視線のさきには、一匹のキメラアントがある。
 触れるだけで呪殺されそうな禍々しいオーラをまき散らしながら、うめく、狐の姿を持つ、キメラアントの将。
 腕にはめられたリングを押さえる獣の瞳は、怒りに染まっている。


「てめえ、何しやがった」

「教えてやんねー」


 怖気のするような低い声を、虹色の少女は、こともなげに笑い飛ばした。
 手には、リングが黄金の光を放っている。キツネの腕にはまっているそれの、倍ほどの大きさだ。


「あんたの相手は、おれがしてやるよ」

「貴様あっ!!」


 オーラが、膨れ上がった。
 人の域を超えた、暴力的な量のオーラだ。
 ライのそれも、マツリなどからみれば、十分大きい。だが、それでもこのキメラアントとは比較にもならなかった。


 咆哮が森を震わせる。
 キツネが動いた。
 彼我の距離をひと蹴りで無にし、振るう右腕は轟音を従える。

 マツリの目では追うだけで精一杯のこの一撃を。
 ライは受けた。

 驚きの声を上げたのはキツネだった。
 一抱えもある巨木すら抵抗なく打ち割るであろう攻撃を、ライは真正面から止めたのだ。

 その理由を、マツリは理解した。
 キツネの右腕には、オーラが篭っていなかったのだ。
 いや、それは正確ではない。
 右腕から立ち昇るオーラのすべてが、呑みこまれているのだ。ライがキツネに嵌めた、黄金の色彩を放つリングに。

 ライの念能力は具現化系に属する。
 具現化物は“リング”。嵌めた周囲のオーラを吸い取り、衝撃に変えて送り返す性質が付与されている。“錬”で拮抗させねば、リングからの不可避の衝撃を食らうことのなる。装着した者のオーラが強ければ強いほど、衝撃は強くなるのだ。

 キツネが、悲鳴を上げた。
 左の腕に、リングが嵌っていた。
 わけもわからず、痛みにのたうつしかないキメラアントの将。
 その様子を、ライは虹色の瞳に映している。


「知ってるか?」


 ライの小さな口が、笑みの形に広げられる。


「念能力者同士の戦いで、もっとも重要なもの、それは――相性だ。
 いくら馬鹿デカいオーラでも、垂れ流すしか能のないお前とおれの相性は……最悪だよ」


 両手を封じられていながら、敵はなお、彼女のはるか高みにある。
 それでも、ライはこのキメラアントを見下した。
 己が上であると、貴様が下であると、言葉をぶつけた。

 それも戦いのうち。肉体でなく心を攻める手段だと、キツネは気づいていない。
 嫌と言うほど人間を捕えていても、それは戦いではない。
 キメラアントに、決定的に足りない、戦いのキャリア。はじめて人間の“敵”に遭ったキツネは、その自覚すらなく、心を侵略されていた。
 
 虹色の少女は、またひとつ、リングを具現化する。
 月の光を鈍く受け止めるそれを、彼女はまっすぐキツネに向けた。
 リングの外周に触れるライの指先に、オーラが集中する。


“硬”


 高圧のオーラが、衝撃と化して奔る。

 うめき声をあげ、のけぞるキツネの首に。
 直後飛来したリングが、嵌った。

 キツネが、ひときわ大きな悲鳴を上げた。

 ライが走った。
 キツネの頭部はいま、オーラで守られていない。
 いくら頑強なキメラアントといえど、オーラを込めた打撃には対抗できない。


「畜生」


 だが、ライの必殺の打撃よりも。


「ちぃっくしょおおおおっ!!」


 怒りの爆発のほうが速かった。

 オーラが、爆発した。
 そう思えるほど高速で広がったオーラがライの体をすり抜けたとき。
 彼女が纏う、すべてのオーラが消えた。
 それだけではない。
 キツネの四肢に嵌められたリングも、きれいに消え失せている。


 ――除念、しかも一瞬!?


 見ていたマツリも、その危険性を理解した。

 最悪の念能力だ。
 相性も何も関係ない。純粋な地力がものをいう念能力。そして地力でキメラアントに敵うものなど、いるはずがない。

 キツネも、それを理解したはずである。
 だが、この凶暴なキメラアントがつぎにとった選択は――逃走だった。

 ライがキツネの心に与えた手傷が、攻めるべき局面でためらいを生じさせたのだ。
 とはいえ、キツネは初期の目的を果たしている。完全な敗走とは言えない。
 その目的とは、“最古の三人”の一体にして彼が敵と見定める白虎のキメラアント、パイフルに対抗する力を得ることである。








「ライさん」


 キツネに続き、ほかのキメラアントたちが引いていく気配を感じながら、マツリは幼い虹色の少女に声をかけた。
 ツンデレは、解毒剤が効いているのだろう。すでに呼吸は正常に戻っている。ミコの傷も、とりあえずは止血できていた。


「ライさんって、あのライさん?」


 疑問は当然だった。
 さきほど名乗ったとき、ライは明らかにその含みを持たせていた。
 カピトリーノの丘に現れた、ブラボーの紹介で来たという、オールバックの巨漢と、虹の髪と瞳を持つ、幼い美少女。
 マツリにはそのふたつが、どうしてもイコールで結べない。


「ああ」


 と、ライが言った。
 つぎの瞬間、ライの体が、彼女の念で具現化されたリングに覆われる。
 見る間にそれが顔の、鋼のごとき肉体の形になっていく。
 あらわれたのは、オールバックの巨漢の姿だった。


「こんな感じだったろ?」


 変装を解いて、ライが笑ってみせる。


「“鉄の処女アイゼルネ・ユングフラウ”。リングが放つ衝撃を、常に“錬”で跳ね返し続ける。これは本来修行用の念能力なんだ。
 この姿じゃまともに人前に出られないし、やっぱり敵がキメラだったからね。ぎりぎりまでオーラを高めたかったんだ」


 平然と彼女は言ったが、それがどれほどすさまじいことかはマツリにも理解できた。


「声は?」


 ふと、気になってマツリが尋ねると、ライは携帯だ、と答えた。
 最近の機種では、打ち込めば機械音声で再生する機能がついているものがあるのだ。
 しゃべる時、いつもカタカタ鳴っていたのはそのためだった。

 得心して、マツリはふっと表情を緩めた。


「ライさん……ありがとう」


 あらためて頭を下げると、ライの表情も緩む。


「つぎからは相談するんだね。おれは賛成してたぜ」


 極上の微笑だった。








「にしても、すげーな。応急としては、手当て完璧っぽい」


 ライが感心したように言った。
 ミコの傷跡を見てのことだ。

 彼女と、キメラアントの毒を受けたツンデレは、家の中に運び込んでベットに寝かせてある。
 呼吸は確かだ。処置が速く、出血が少なかったおかげだろう、命に別条はなかった。


「セツナくんたちが、よく怪我してたから。でも急場はしのげても、ちゃんとしたとこで手当はしないと、傷跡も残っちゃうだろうし」

「回復系の念能力者がいればよかったんだけどな。おれも具現化系だから出来ないし」

「系統的にはツンデレさんが近いんだろうけど、こんな状態だしね」

「ごめんね……なんとかできたらいいんだけど」


 ツンデレが億劫な様子で言った。解毒剤は効いているが、まだ動けるほどには回復していない。

 思案していると、不意にマツリは不意に肩を叩かれた。
 振り向くと、金色の髪の毛がそこにあった。
 ロリ姫だ。彼女がツンデレの髪を操ったのだ。


「縫うだけならば、妾も出来る。やってみよう」


 言うや、髪がばらけ散り、ミコを覆った。
 髪が肉に刺さり、抵抗なく抜けて傷跡を縫っていく。
 一瞬にして。
 傷口は完璧に縫合され、ほとんど線でしか確認できなくなった。
 縫合に使うには髪の毛は多少太いが、応急としては上出来だった。

 こつこつと、ドアをたたく音がしたのは、それからしばらく後のことだった。
 人の気配はない。だが、音は鳴り続ける。

 不審に思ったライが扉に隙間を作り、様子をうかがおうとした、瞬間。
 そこから、小さいものが飛び込んできた。


「これ、ひょっとして、ツンデレさんのボタン?」


 ツンデレの上に落ちた小さなボタンを拾い上げて、マツリが首をかしげた。

 そのとき、半分開いた扉が、こつこつと鳴った。
 視線が扉に集まる。
 扉が大きく開く。
 アズマ、ブラボー、シュウの三人が、そこにいた。








 彼ら三人を、マツリたちのもとに導いたのは、アズマの念能力だった。
送り屋センドバッカー”。持ち主のもとへ物を送る能力だ。

 これのおかげで、一行はほとんど最短時間で合流を果たすことができたのだ。

 その中に、海馬瀬戸はいなかった。
 彼はNGLに入国していない。決闘盤とカードを手放すことができなかったのだ。それはけっして念能力に必要だからという理由だけではなかった。
 それでなくても、海馬は休みなしに青眼の白竜を飛ばし、消耗しきっている。
 体を休めるためにも、彼は国境にとどまっていた。

 結果、森の中の小さな集落に集まった同胞は、七人だった。

 乾いた音が屋根に響いた。
 ブラボーが、マツリのほほを張ったのだ。
 マツリがみなを助けにいくと言った、その結果である。
 
 マツリの軽挙の結果、いまの惨状がある。
 それは変えようのない、取り戻しようのない、事実だった。
 マツリ自身、それは悲しいほどに自覚している。だからこそ、オーラもろくに回復していない病み上がりのような身で、それを言ったのだ。

 惨状を起こしたことにではなく――そのことが、ブラボーを怒らせている。


「楽をしようとするな。償う道は、もっと厳しいものだ」


 ブラボーがマツリに言い聞かせる。
 言葉の矛先は、半ば自身に向けられていた。


「もし」


 ブラボーに諭され、うつむくエルフの少女に、シュウが言った。


「もし、ユウが死んでたら、オレはお前を許さない」


 シュウの目は据わっている。
 もし、ここで、マツリが自己弁護などしていれば、シュウはためらうことなく彼女を殴り殺していただろう。
 だがマツリは、はっきりとうなずいた。


「ええ。絶対に許さないで」


 表情は真剣そのものだ。
 その気迫に、むしろシュウが目を見張った。

 マツリの脳裏には、気を失う前に、たしかに聞いたパイフルの言葉がある。


「とどめを刺す前に、あの少女は奪われた」


 死んでいない。どこかで生きている。マツリはその言葉を信じている。






[9513] Greed Island Cross-Counter 21
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/08/27 07:22


 夜明けとともに、彼らは行動を開始した。

 集落を出立したのは、アズマ、シュウ、マツリの三人だった。
 いまだ行方の知れないふたりの同胞、その居場所を探すためだった。
 ブラボーも同行を望んでいたが、それは叶わなかった。

 キメラアントとの戦いで、毒と負傷に倒れた少女たちは、まだ動かせない。虹色の幼い少女、ライは強力な念能力者だが、彼女ひとりでは、さすがにふたりの負傷者を守ることはおぼつかない。

 それに本来残る側にいるべきツンデレの相方、アズマは、念能力を必要とされて捜索組に加わっている。
 彼に頼まれては、ブラボーも残らざるを得なかった。

 アズマたち三人が目的地に着いたのは、昼を回ったころだった。
 岩山を掘り抜いて造られた穴居群。
 NGLの裏の顔。呑むドラッグ“D2”の製造工場だ。
 それを見上げる近さにある森の中に、惨劇の残滓はあった。
 血の臭いがまだ漂うそこで、アズマが発見したのは、折れたナイフの破片だった。

 仏頂面のまま、アズマはそれを尊き物のごとく両手で掬いあげ、静かに念を施した。
 ナイフは音もなく浮き上がり、宙をニ、三度さまようと、森の奥へと滑るように飛んでいった。


 ――“返し屋センドバッカー”。


 ナイフの破片は持ち主のもとへ戻る。
 鈍く輝く鉄片の導きに従い、エルフの少女マツリと、ナイフの持ち主、ユウの親友であるシュウが、さきを争うようにして駆けだした。










 ポックルに拾われたレットが目を覚ましたのは、この前日。五月六日、朝のことだった。

 目を覚ました彼は、自分が置かれた状況を把握できなかった。
 長期の睡眠と、それを強いた極限までの疲労が、頭の働きを鈍くしていた。
 そんな状態の彼の前に、ポックルとポンズがいたのだ。
 夢か、幻の類だと勘違いしてしまったのも無理はない。

 女の甲高い悲鳴が上がった。

 正気を取り戻したレットのほほには、拳と紅葉のあとが張り付いていた。
 口をへの字にして腕を組むポックルに、レットは事情を語った。

 森林地帯中央――名目上自然保護区として立ち入り禁止になっている地域は、すでにキメラアントの巣となっていること。
 キメラアントとの戦闘のすえ、仲間とはぐれてしまったこと。


「戻って援けを呼んだほうがいいっスよ。あんたたちじゃあ、このさき出てくる強力なキメラトは戦えないっス」


 言うべきか迷いながら、レットは結局忠告した。

 不安はある。
 忠告した結果、話の流れが変わってしまったら。
 ひょっとすれば、取り返しのつかない結果を生んでしまうかもしれない。
 だが、レットは死地に赴こうとする彼らを、見過ごすことができなかった。

 その気持ちが、必ずしも伝わったわけではない。
 ポックルとレットは初対面であり、信頼は、むしろマイナスである。
 だが、ポックルには、レットの強さがわかる。
 病み上がりの身でなお、ポックルより強いオーラ。それが、彼に決断させた。


「ポンズ、連絡を取っているハンターたちに、警告を。バルダたちは至急戻って、協会に事情を話してくれ」

「ポックル」

「逃げようってんじゃない。が、どうやらオレたちには荷が重いらしい。
 この事件との関わりかたを、考え直すべきだろう」


 話し合うポックルたちをながめながら、レットは、これでいいと思った。
 最悪の結末を知っていて、それを見過ごす。
 そんなことができる人間を、レットはヒーローだと認めない。
 そして、“レット”はヒーローでなくてはならないのだ。








 決断は、しかし遅すぎた。

 レットは知る由もないが、軍団を指揮するキツネにより、NGL中央部を占める森林地帯の東部には、キメラアントたちは侵入できない。
 その分各師団はほかの三方に手を伸ばしていたのだ。
 その触手に、ポックルたちは既に触れていた。

 最初に現れたのは戦闘兵だった。
 女王に近い、それゆえ旧式の、言葉も操れぬ下級兵。

 ポックルの“虹色弓箭レインボウ”を頭部に受けたこの蟻は、死の直前に、部隊長に向かって思念を送っていた。

 応じて現れたのは、蜘蛛の特色を色濃く受け継いだ、人頭蜘身のキメラアント――パイクだった。
 つづいてキメラアントの一部隊が、地を滑るように駆けてくる。
 冒涜的な異形の群れの襲来に、バルダが悲鳴をあげた。

 その声に誘われるように、人頭の蜘蛛蟻が、尻から粘糸を吐き出した。
 絡めとられ、釣り上げられるバルダ。
 人の頭に備わった凶悪な牙が、彼の頭部をかみ砕く、直前。
 パイクの首が跳ね上がった。

 レットだった。
 粘糸にがんじがらめにされたバルダを小脇に抱え、パイクからむしり取りざまに蹴りを喰らわせたのだ。
 だが、病み上がりのレットでは、パイクに致命傷を与えることはできない。


「任せろ!!」


 それを分かっていたようなタイミングで、ポックルが追い撃った。


 ――“虹色弓箭レインボウ”。


 オーラにさまざまな特性をつけ、矢として飛ばす、放出系の念能力だ。
 このとき放った“橙”の矢は、速度特化。最速の一箭を、しかしパイクはのけぞりながらつかみ取った。


「なっ!?」


 驚くポックル。
 だが、レットは驚かない。驚くはずがない。

 なぜなら――レットはそうなることを知っている。

 口から血をにじませながら、パイクは丸い瞳をぎょろりと向けてくる。
 緊張と、殺気が肌を焼く。
 敵の殺意には、同量の食欲が交じっている。人とは異質な心の働きをする、狡猾獰猛な獣に囲まれ。

 ポンズやバルダなどは、なすすべもなく悲鳴を上げている。

 この状況で、レットはにやりと笑う。
 笑えるほどに、条件は整っていた。


「変――身!!」


 両の拳を交差させ、レットは叫んだ。
 赤いスーツがレットの体を覆う。
 オーラが、吹きあがった。


 ――“強化着装チェンジレッド”。


 相手が強く、多勢であり、自分以外の誰かがピンチになっている。
 ふざけてるとしか思えない条件の元でのみ使える、レットの念能力。
 だが、だからこそ効果は大きい。フィジカルスペックとオーラを、軒並み数倍に引き上げてくれるのだ。
 能力発動時のレットの戦闘能力は、ブラボーに匹敵する。


「な、なんだべ!?」


 目を見開く異形の蜘蛛に向かい、レットは渾身の力を込めて地を蹴った。


「レッド――キーック!!」


 声とともにオーラが吹きあがり、足先に集中する。
 紅のオーラが強く強く猛る。

 だがそれが、逆にパイクから、攻撃を受けるという選択肢を奪った。
 八本の手足を地につけて、パイクはすべてを放り出して逃げだした。

 兵隊長を欠いたキメラアントの群れは、しかし、逃げ散ることはなかった。
 もともと統率のとれていない蟻たちは、猛り狂って襲いかかってきた。


「――ポックルさん!!」


 レットとポックルが目でうなづきあう。
 ふたりの手で、キメラアントが葬られるのに、三分とかからなかった。








「ポックルさん。退いてくださいっス」


 戦いが終わって。
 この地にとどまる危険が、みなの胸に染み渡った頃合を見て、レットは言った。


「あんたはどうするんだ」


 肩で息をしながら、尋ねたのはポックルだ。
 レットは眉を引き締めて言った。


「俺は、助けなきゃいけない人がいるんスよ」


 ともに戦ううち、はぐれたエルフの少女、マツリのことである。
 彼女もまた、いまだこの地にとどまっていることを、レットは確信している。


「……オレも行こう」

「ポックル!」


 バルダが悲鳴をあげた。


「バルダ、ダルパ、ポンズ。お前たちは国境まで引いて、協会に連絡と、ハンターにつなぎを」

「――わたしは残るよ」


 ひとり首を横に振ったのは、ポンズだった。


「ポンズ」

「探し人がいるなら、蜂に探してもらうほうが早い。それくらいは役に立たせてよ」


 ポンズが口元に微笑を浮かべる。
 ポックルは真面目腐った顔でこくりとうなずいた。








 バルダとダルパはいち早く国境まで退いた。
 残る三人は、蜂使いの少女、ポンズの蜂を頼りに、生き残りの探索を始める。
 真南に向かった彼らだったが、途中、蜂の知らせを受けて南東に進路を変えた。

 つきあたったのは、小さな集落だった。
 ぽつぽつと建つ木造りの家。その一軒から出てきた人物を見て、レットは思わず声をあげた。


「ブラボーさん!!」

「レット!!」


 白銀の防護服――ではなく、それに似たコートを纏う、長身の男が歓声を上げた。

 再会を果たしたレットたちが腰を落ち着けるひまもなく、今度は全員が驚きの声を上げる出来事があった。
 ポックルやポンズにとっては懐かしい顔であり、ほかの皆にとっては偶像と言ってもいい存在。
 ゴン、キルア、それにカイトが、この集落を訪れたのだ。
 彼らの来訪は、異邦人たちの記憶よりも、数日は早かった。

 けが人がいる家を避けて、別棟に集まったのは、カイトたち三人とポックルにポンズ、レット、ライ、それにブラボーの八人である。
 ライはなぜかオールバックの大男の姿になっている。
 ゴンが、鼻をひくつかせ、首をかしげていた。

 さておき、ブラボーはおのれの持つ情報をカイトに伝えた。
 キメラアントの数のおおよそと、その凶暴さ。敵の中に、念能力を持つ強力な個体が存在すること。
 ポックルも自分の知る情報を言い添えた。北部の状況は、彼のほうが詳しい。
 事情をあらかた聞き終えて。


「なるほど」


 カイトがうなずいた。
 念能力を使う、極めて強力な異種生命体。その危険性を、彼は十分認識しているはずだ。
 それでいて、表情からみて取れるのは、恐れでも危機でもないく――ある種の喜びだった。

 カイトの表情を見て、ブラボーは漠然とした不安を感じた。
 強者がいる。
 それと戦う。
 ハンターの業のようなものだ。


 ――だが、その業がカイトを殺す。


 ブラボーだけでなく、ライもレットもそれをよく知っている。

 話を終えてすぐ、カイトたちは集落を発っていった。
 ひとつだけ、ブラボーは忠告した。


「敵は、君が考えているよりも――はるかに強い」


 行くな、とも、逃げろ、とも、ブラボーは言わなかった。
 ジン・フリークスを師に持つ一流のハンターに対する、それは冒涜でしかないからだ。








 それよりすこし前、キメラアントの陣営に動きがあった。
 キツネの名で出されていた、森林地帯東部への進入禁止令が解かれたのだ。

 コルトが数名の部下を引き連れ、さっそく様子をうかがいに出た。
 流れは、確実に加速している。







[9513] Greed Island Cross-Counter 22
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/09/03 07:05


 NGLは、いくつかの自然保護区を抱えている。
 その中で最大のものは、言うまでもなく同国中央部にある巨大な森林地帯だ。
 国土の三十%超にもなる、この広大な森林地帯の半ばが、自然保護区として一般人の立ち入りを禁じられている。

 その東部に、NGLの“裏の顔”。呑むドラック“D2”の精製工場がある。
 キメラアントにより、いまや壊滅したそこから、まっすぐ北西に進むと、小さな沢に行きあたる。
 それが泉をつくるかたわらに、白い獣が、静かに身を横たえていた。

 パイフルである。
 キメラアントを統率する強力な個体、“最古の三人”の一体だ。
 白虎のようでありながら、どこか昆虫の色を残す巨体の腹は、しかし、血で染まっていた。
 針金のごとき獣毛も、鋼のごとき腹筋をも貫き、傷は内臓にまで達している。
 
 パイフルはこの数日、泉のほとりにとどまっていた。
 傷を癒すことに専念するためである。このため、女王への食料調達も、各軍団長に一任してしまっている。

 白き大虎は焦れていた。
 それは、おぼろげに思いだした前世の記憶に起因する。


 ――女王は死ぬ。


 白虎となる前のパイフルは、不思議とそれを知っていた。
 どうやって、誰に、女王が殺されるのか、記憶にはない。なぜ未来のことを知っているのか、それも記憶にない。
 ただ、絵本か漫画のようにデフォルメされた女王の映像と、女王が死ぬという確信だけがあった。

 それがゆえに、パイフルはかつての仲間たちを警戒している。
 彼らに関しても、断片的にしか覚えていない。だが、キメラアントが現在もっとも警戒しなくてはならないものは、彼ら人間のハンターであると、パイフルは確信していた。

 だからパイフルは、かつての仲間と決別した。
 だが、なんの皮肉か。
 彼がもっとも警戒すべきだったものは、現在の仲間だった。


「……お前か」


 姿を現したキメラアントを見て、パイフルは静かにつぶやいた。
 キツネ――狐の特徴を持つキメラアント。おなじく“最古の三人”の一角だった。
 言葉を交わすまでもなく、殺気が意図を明白に語っている。


「殺しに来てやったぜ……貴様を!」


 キツネの口から、口蓋がのぞき見える。
 それは紅の三日月のごとく、パイフルの瞳に映った。








 二種のうなり声が上がった。
 地を響かせるそれは、周囲一キロからあらゆる獣を去らせた。
 生命エネルギー、オーラが巨大な柱となって噴き上がる。

 超常の戦いが始まった。
 一瞬にして周囲の木々がけし飛び、ふたりの周りは平地と化してしまった。
 二体のキメラアントが放つ、爪牙の乱舞がそれを成したのだ。
 戦いはパイフルが優勢に進めていた。それを決定づけているのは、彼我のオーラの差だった。


 ――“暗然悄魂功”


 武侠小説を好む“以前のパイフル”が考えたこの念能力は、おなじく異邦人の少年、シュウの“正義の拳ジャスティスフィスト”と同質にして対極。
 心が沈めば沈むほど、オーラを増加させる念能力である。

 己が置かれた境遇と、かつての友人たちと敵対せねばならぬという思い、なにより女王の死を考えるだけで、パイフルの心は深く沈んでいく。
 それが、白虎のキメラアントのオーラを果てしなく強化していた。


「ちぃ、マズイ……とでも言うと思ったか!?」


 だが、それも、キツネが念能力を発動させるまでだった。
 瞬転。爆発的に膨れ上がったキツネのオーラに、パイフルの念能力はオーラごと洗い流されたのだ。

 オーラを無効化させる空間を作り出す。キツネの念能力により、一瞬にして両者のオーラが消え去った。


「む、う」


 パイフルは唸ると、構えなおした。
 こうなると、頼れるのはおのれの肉体のみ。傷の癒えぬパイフルの不利は明白だった。

 だが、予想は覆った。
 不利を補ったのは経験の差。
 人であったころの、断片的な記憶、そしてそれを取り戻すきっかけとなった、暗殺者少女との戦いの経験が、攻防を互角に引き戻していた。

 だが、奥の手はキツネにあった。


「やれ!」


 爪と爪を打ち合わせながら、キツネが叫んだ。
 それは“最古の三人”最後の一体にたいして向けられた言葉だった。
 だが、声はむなしく響いただけだった。








 パイフルとキツネ、二体のキメラアントが争う激戦の地より南に一キロメートル下る。

 エルフの少女マツリ、仏頂面の少年アズマ、そしてシュウ。
 行方知れずとなった同胞、ユウを探す三人は、彼女が残したナイフの破片を追いかけ、北へと向かっていた。
 
 不意に、先頭を走るシュウが足を止めた。
 それを見て、並走するマツリがつんのめる。転びそうになった彼女を、アズマが片手で引き戻した。

 みな、凝視するのは目の前にある木々――ではない。
 その奥に、異物が潜んでいた。


「これは」

「エルフっ娘、退がっていろ」


 一瞬遅れて気づいたマツリを、アズマは後ろへかばった。
 直後、現れたのは――深緑の暴風だった。

 最初に巻き込まれたのはアズマだった。
 深緑色の何者かが懐に飛び込んだかと思った瞬間、アズマの体は後ろへ吹き飛んでいた。
 真後ろにいたエルフの少女が一瞬にして巻き込まれる。


「アズマっ!!」


 金髪を逆立てながら、シュウが叫んだ。
 オーラが吹き上がる。
 真横にいたシュウには、彼らをふっ飛ばしたのが何者か、見えている。

 キメラアントだ。深緑の外皮と真紅の複眼をもつ、バッタのキメラアント。
 それも、念を習得した。


 ――“最古の三人”!!


 その存在と正体を、シュウはマツリたちの持つ断片的な情報から推測している。

 キメラアントの女王を倒しに向かった、元同胞。マツリの仲間たちだ。
 いや、“元”をつけるべきだろう。
 以前の記憶を取り戻したという白虎のキメラアント、パイフルでさえ、女王への忠誠を手放していないのだ。

 目と眼が逢う。
 それだけで、シュウは自分が勝てないと悟った。
 格が違いすぎる。大人と赤子が戦うようなものだと、ただの一瞥で、シュウは思い知らされた。

 つぎの瞬間、シュウはふっ飛ばされていた。
 腹に一撃。
 ふっ飛ばされて、後方の木五本を巻き込んだ。

 かろうじて防御が間に合ったのには、理由がある。
 全力で防御に専念したからだ・・・・・・・・・・・・・
 天空闘技場のフロアマスターになり、同胞狩りを、“爆弾魔”一味の一角をも前に出て倒したシュウが見せた、初めての弱腰。
 それが結果的に彼の命を救った。
 
 シュウは冷や汗が止まらない。
 一瞬でも防御が遅れていれば、彼の体には風穴が開いていただろう。

 だが、どちらにせよわずか数瞬の違いだった。
 すでに眼前には、深緑の悪魔が拳を握りこんでいる。


 ――死ぬ。


 深緑のキメラアントから吹き上がるオーラは、シュウの優に五倍超。
 人ならぬ筋力から放たれるパンチは、人の身に受けられるものではない。

 シュウの思考が暴走する。
 時間が飴のように伸び、思考が映像となって視界を埋めた。
 過去から現在に至る、記憶のすべて。ありとあらゆる映像に“ユウ”が。シュウである彼女が慕う兄の姿がある。


 ――死ねない!


 瞬間、シュウのオーラが膨れ上がった。


 ――“正義の拳”。


 想いを力に換えるその念能力が吐き出したオーラを、すべて拳へ。


 ――“硬”。


 一点に集中することで爆発的にオーラを増す技術。
 拳が交錯する。
 深緑のキメラの拳は、シュウのそれより速く。

 真横に流れた黒い弾丸は、それよりも速かった。


「――加速放題レールガン


 黒い弾丸が、深緑の暴風を吹き飛ばす。
 シュウの前に降り立ったのは、アズマだ。


 ――加速放題レールガン


 物体を加速させる念能力。
 それをおのれに使い、加速にきしむ体で蹴りを放ったのだ。
 それだけではない。深緑のキメラアントに食らった一撃も、彼はこの念能力で衝撃方向に自信を加速させることで半ば殺している。

 だが、それでも。蹴りを放った後、アズマは膝をついた。
 殺しきれなかった衝撃がアズマに与えたダメージは、軽くない。

 その前に、明白な意図を持ってエルフの少女が立つ。


「仲間を……殺させない!」


 険しい表情で、マツリが筆を握りこむ。
 ちらとそれに怪訝な眼を向けながら、アズマも立ちあがった。
 向かう先は一点。何事もなく立ち上がった深緑の狂獣。


「――へっ」


 シュウは、口の端で無理やり笑いをつくり、立ち上がった。


「ユウを助けるんだ。こんなとこで手間取ってられるかよ、なあ?」


 ふたりに言葉を送って、シュウは敵を睨みつける。
 応じるように、敵が地を蹴って向かってきた。

 暴風のような敵の攻撃を、シュウたちはよく凌いだ。
 物体加速による変則的な無拍子で、神速の攻撃を敵に読ませないアズマ。
 無現再生する竹簡“太史”を駆使し、敵の動きを制限するマツリ。
 この強大なキメラアントですら無視できない“正義の拳ジャスティスフィスト”を持つシュウ。

 三人の連携が、高い領域で噛みあった結果だった。
 特に、なにかと反発しあっていたシュウとアズマの息は、これ以上ないくらいに噛みあっている。


「――へっ」

「――ふん」


 暴風のごとき深緑のキメラアントの攻撃をかいくぐりながら、一歩間違えば即死という状況で、ふたりは笑う。
 大切なもの以外には興味がなく、考えは理詰め。それでいて情を捨てきれない。
 互いが互いの鏡であるふたりは、だからこそ反発しあい――だからこそ、噛みあうのだ。

 敵の意識を彼方から此方へ、たがいに誘導して敵の意識を散らし、散漫な攻撃を果敢に掻い潜っていく。
 急所ではマツリが無現再生する竹簡“太史”で足を止め、その隙にアズマが、シュウが攻撃に転じる。
 完璧な態勢だった。

 
 ――敵に傷を負わせられないことを除いては。


 さすがに予想外の事態だった。
 シュウは焦った。
 たんにオーラ量の差だけではない。敵が、瞬く間に成長していくのだ。
 戦闘経験の浅さ故の、異常成長。それが、深緑のキメラアントの身に起こっている。
 一合、手を合わすごとに敵は強くなっていく。
 焦りが、シュウの判断を狂わせた。
 シュウは賭けに出た。

 さきほどは合わせそこなった、“硬”の“正義の拳ジャスティスフィスト”。
 威力のみを論じるなら、実力差を補ってなお余り、敵の死命さえ制するに足るそれを、シュウは放った。
 深緑のキメラが、アズマのほうに意識をとられている、その隙を突いての一撃だった。

 もし。
 これを放ったのが一番最初であれば、敵に対抗する術はなかっただろう。
 だが、短期間で膨大な戦闘経験を積んだキメラアントは、シュウの攻撃に対応した。
 放たれる拳を完全に無視し――身に纏うオーラをシュウに投げ放ったのだ。
 攻撃手段としては微弱に過ぎる放出系の攻撃は、オーラにたいして完全に無防備になったシュウの体を、容赦なく打ちすえた。


「シュウ!」


 吐血して倒れるシュウに気を取られたアズマが、つづいて深緑のキメラの拳を腹に食らった。
 骨が折れる鈍い音が響いた。
 後方へ飛びはしたが、間に合っていない。かろうじてオーラを集約して防御できた。それだけの理由で、アズマは生き延びている。

 赤い複眼が最後に向けられたさきはマツリだった。
 跳ね飛ばされるようにマツリは逃げた。
 生きるためではない。敵の注意をおのれにのみ向けるためだ。
 彼女の頭の中には、白い大虎に単身立ち向かったユウの姿がある。
 おのれのみ生き延びることなど、選択できるはずがなかった。


 ――今度はわたしが、みんなを守る!


 マツリは心の中で叫んだ。
 かたちは違えど、それはユウとおなじ、自己犠牲。
 だが、それすら。エルフの少女には叶わなかった。

 ほんの数十メートル逃げただけで、深緑のキメラアントは少女の眼前に回り込んで来たのだ。
 圧倒的な身体能力の差。時間を稼ぐことにすら、実力が追いつかない理不尽。
 それでも、マツリは逃げた。


 ――たった一メートルでもいい。ふたりからこいつを離す!


 そのために、マツリは足掻くことを止めなかった。
 走って逃げ、片足で跳ぶように逃げ、身を引きずるように逃げ、這いずって逃げた。

 ついに、動く力を失ったマツリに、しかしとどめの一撃はなかった。
 なぜなら。
 突如降り下りた黒い旋風が、深緑の暴風を吹き飛ばしたからだ。


「あ……あ……」


 呆けたように、傷だらけのマツリは口を開けた。
 突然の事態に、思考が凍りついている。

 マツリの眼前には、黒い少女がいた。
 黒い防刃ジャケットはボロボロになっている。風に揺れる黒髪もボサボサだ。
 それでも、片手にナイフをつまみ持ち、もう一方の腕でマツリを抱えて、少女はそこにいた。


「ユウ」


 潤みかけたマツリの目は、しかし見開かれた。
 深緑のキメラアントを吹き飛ばした、もうひとつの腕が目に入ったのだ。
 いや、腕ではない。


「よ、あぶないとこだったな」


 そう言って笑う少女の背からは、無数の触手が生えていた。






[9513] Greed Island Cross-Counter 23
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/09/09 21:00

 マツリは息をのんだ。
 白き大虎の前に命を投げだし、いままたマツリの命を救ってくれた、ユウ。
 この暗殺者少女の背に、異物を見出したからである。
 ユウの背には、無数の触手が生えていた。
 
 ユウは、絶句するマツリに気づかない。
 視線は一点に向けられていた。吹き飛んだ深緑のキメラアントにではない。彼女が見ていたのは、数十メートル先、シュウとアズマが倒れているあたりだ。

 木々に目隠しされて見えない。だが、親しいオーラを感じたのだろう。
 ユウのオーラが、静かに広がった。
 抱えられたマツリは、一瞬、浮遊感にも似たものを感じ。
 気付けば、足元にアズマが倒れていた。


 ――"背後の悪魔ハイドインハイド”。


 マツリは知っていた。敵の死角から死角へと瞬間移動する、ユウの念能力だ。


「アズマ……シュウ」


 足元と、右手に転がされたふたりの姿。それを見て、少女の表情に厳しいものが加わる。
 
 ユウが、手を一振りした。
 従うように、触手がふるわれた。触手はオーラを帯びている。それがねっとりとした透明な液体となって触手をさきまで伝い、シュウとアズマの、それぞれの負傷部位にぬとり・・・と落ちた。

 服が溶けた。


「ユウさん!?」


 マツリが悲鳴をあげた。
 粘液は服を溶かし、素肌を伝って広がっていく。
 ユウはそのさまを静かに見ている。

 見る間に、ふたりの上半身は素裸に近い状態になった。
 顔を赤らめながら、マツリは見た。
 深緑のキメラアントの拳を喰らったアズマの、腹部のうっ血が徐々に引いていく。

 傷を癒す念能力。
 だと、マツリは気づいた。
 とたん、放り出された。
 こぼれた粘液に尻を濡らしてしまい、さすがに抗議の声を上げようとして、マツリは止まった。

 ユウをはさんだ森の奥に、深緑のキメラアントがいた。
 真紅の複眼から発しているのは強い――怒り。


「ふたりを頼む」


 ユウが背を向けた。
 マツリは触手の正体を知った。
 甲殻を持つイソギンチャクか、それに類する動物。
 それが、ユウの背中に張り付いていた。

 その意味を、マツリが理解するより早く、戦闘ははじまった。


 ――“錬”。


 ユウのオーラが、爆発的に膨れ上がる

 マツリは眼を見張った。以前のユウとは段違いのオーラ量だ。
 敵が身構えた。
 それをさせるだけの威圧を、この黒い少女は持っている。

 少女の背から広がる触手は縦横に八つ。子供の腕ほどもあるそれは、うなりながらユウの隙を補っている。

 敵が先に動いた。
 深緑の暴風となったそれは、一直線にユウの急所を貫かんと疾り。
 応じるユウの視線は、その神速の拳を、たしかにとらえている。

 拳と腕が噛み合った。








 唐突に。
 キツネは思い出した。自分が何者であるかを。

 とたん、匕首のごとき白虎の爪が、ほほを掠った。
 激闘のさなかである。些細な心の揺れも、致命傷を生む。
 キツネは苦いものをかみしめながら考えた。

 いま、この状況で、この白虎などと戦っている暇はない。


 ――馬鹿らしい。


 キツネは、ついさきほどまで腹の底から望んできたことの虚しさを知った。

 この大虎を殺してキメラアントを掌握したところで、その天下は半月と続かない。それを、人であったころの記憶が教えていた。

 だが、引くに引けない。
 背を向ければ、白虎の爪牙がキツネの命を攫っていくことは明白だった。

 神経を削る、しかし無益な戦いのなか、キツネは別のことに気づいた。
 さきほどからいくら呼びかけても答えなかった“あいつ”――パイフルを倒すためにわざわざ口説いた“最古の三人”最後の一体が、よそで戦っていることに。

 キツネは舌打ちした。
“最古の三人”最強の実力を持つ代償とでも言うように、彼の頭の中には、戦うことと食うことしかない。いまも、敵を見つけて考え無しに飛び出した結果に違いなかった。
 敵にも味方にもしたくない、それが理由である。
 
 だが、だからこそ。
 キツネは彼を捨て石にすることを躊躇わなかった。








 奇跡のような攻防を、マツリは見ていた。

 暗殺者少女、ユウと、深緑のキメラアントの戦いは、五分で進んでいる。
 互角ではない。
 ユウの攻撃は、敵にたいした打撃を与えていない。
 オーラ量の差と、鎧のごとき甲殻の前では、ユウの攻撃など所詮紙の槍にすぎない。

 だが、ユウは紙の槍で、敵の足を止めた。
 四本の手足と八本の触手。合わせて十二本による速射砲。圧倒的な連射が、敵を釘づけにしていた。

 魂をすり減らすような攻防でも、ユウは敵にダメージを与えられない。
 だが、ユウの目は死んでいない。マツリたちを逃がす様子もない。確たる勝利を、彼女の黒い瞳は見据えている。


「あ」


 マツリは気づいた。
 この攻防で、ユウは横にしか動いていない。
 念能力を使っていない。
"硬”や“凝”。オーラを集中させる行為を行っていない。
 それこそがユウの勝負手への布石。
 
 ユウが飛んだ。
 いきなりの縦の動きに、敵の複眼も姿を追いきれない。
 そのあいだに、触手がユウの体を敵の死角へと運んでいる。


 ――"背後の悪魔ハイドインハイド”。


 死角に跳躍したユウが、指先にオーラを集め。
 そこへ、ふたりの暴君が乱入した。

 狐の特徴を持つキメラアント、キツネ。
 白き大虎のキメラアント、パイフル。ともに“最古の三人”の一角。

 ふたつの暴風は、側面からユウたちの戦いを蹴散らした。
 入り乱れる四つの影の動きが、ほんの一瞬、止まる。
 かけらの躊躇もなく動いたのはキツネだった。


「あとは任せたぜ!」


 それだけ言い残して、狐のキメラアントは逃げた。
 白い大虎――パイフルがこれを追わんとしたとき、深緑のキメラアントがこれを止めた。
 この戦闘狂のキメラアントは、キツネの言葉を正確に理解していた。

 白き暴虎と深緑の暴風の争いが始まった。


「逃げるぞ」


 ユウがマツリにささやいた。
 深緑のキメラアントの標的は完全に白虎に移っていた。

 だが、マツリは。


「おねがい。彼を――パイフルを助けて」


 腹から血を滲ませて戦う白虎の背に、涙した。

 ユウが差し伸べた手が止まる。
 彼女はパイフルの名を知っているのだ。
 女王を倒すため、NGLに赴き、そして帰ってこなかった仲間として。

 だが、他ならぬパイフルこそ、ユウ自身の仇。
 ゆえにマツリは窮して泣き。
 それがわかるからこそ、ユウも揺れた。

 深緑と白の暴風が吹き荒れている。
 ユウの目が惑う。
 掌風に、拳圧で、木々がきしむ。

 ユウが目を見開いた。
 触手が飛ぶ。

 真紅の複眼は確実にそれを捉え。
 一瞬の逡巡が均衡を破った。
 パイフルの念を乗せた掌打が、深緑のキメラアントを厳しく打ち震わせた。
 糸の切れた操り人形のように、暴獣は力を失い倒れた。


 白き大虎の、金色の瞳が、ユウに向いた。


「お前は」


 声にはあわい驚きが含まれている。

 以前は捕食者と被捕食者にすぎなかった。
 いまは、複雑な縁が絡みついている。


「貴様らの目的はなんだ」

「同胞の救出」


 答えるユウの声に、迷いはない。
 パイフルのしなやかな尾がゆっくりと持ちあがり、落ちた。


「ならば、仲間を連れて早く去れ。何人たりとも、女王に手出しさせぬ」


 声に揺れはない。
 纏うオーラが、静かに覚悟を主張していた。
 呑まれそうになりながら、しかし、ユウが浮かべたのは苦笑だった。


「あいにくと……こっちが助けたい仲間には、あんたも含まれてるらしくてな」


 マツリは震える息を呑みこんだ。
 感謝を言葉にすることすら、できなかった。


「マツリが助けるべきパイフルは、すでに死んでいる。これが答えだ」


 白き大虎が断ずるように言った。
 揺るぎなく、そして明白な、訣別の言葉。
 それを残して、パイフルは自ら背を見せた。倒れた深緑のキメラアントを抱え、ともに森の奥に消えていく。


「パイフル!」


 後ろ姿に、マツリは縋るような声をかけた。


「マツリ。敵には――ならないでくれ」


 白虎の足は止まらない。静かな声だけが返ってきた。
 マツリはその背をずっと見つめ続けた。

 キメラアントたちの姿が消えた。
 しばらくして、森に生気が戻ってくる。


「こちらも戻ろう。帰りがてら、そっちがどうなってたのかも聞きたい」


 ようやく、ユウが声をかけた。
 マツリはなお、パイフルの消えた森を見据えて。


「ええ。わたしも知りたい。あなたが、どうなって、いまここに居るのか」


 大事なものをしまいそこなったような、そんな表情で、ユウの触手を見た。


「ああ。じゃあ、俺から話そう。あれから――」








 泥と糞で練り固められた醜怪な城に、静かに飛来したものがあった。
 コルト、ラモット。
 ともに鳥類の特徴を色濃く受け継いだキメラアントだ。

 ラモットは城に入るや否や、血を吐いて呪詛を吐いた。
 被捕食者であるはずのちっぽけな人間が、ラモットに七転八倒するような苦しみを与えている。

 コルトは見た。小柄なコルトよりさらに小さい人間たちが操った、そしてそれを見守る長身の男が身にまとった、オーラ。
 キメラアントのうちでも“最古の三人”にしか備わっていない力を、彼らは自在に操っていた。
 驚嘆に値する出来事だ。


「コルト、戻ってきたか!」

「ペギー、何事だ」


 待ちかねたように走ってきたキメラアント軍団の参謀役に、コルトは難しい顔を向けた。
 コルトは師団長である。野生より理性が強く、女王への忠誠はなお強い。それを買われて、コルトはペギーからよく相談を受けていた。

 暴れるラモットの声に顔をしかめ、二体は場所を移す。
 そしてペギーはコルト不在中の出来事を説明した。


 キツネ――“最古の三人”の一角であり、軍団を統帥する立場にある彼が、戻ってくるなり自分の師団構成員を集め、ひそかに何かをやらせていること。

 しばらく姿を見せなかった、おなじく“最古の三人”である白い大虎のキメラアント、パイフルが、倒れた同僚――深緑のキメラアントを抱えて戻ってきたこと。

 そのパイフルが現在、全軍を統率し、食料調達部隊から人数を割いて女王を守る体制を敷いていること。


 ペギーの困惑を深く理解し。
 でありながらコルトに迷いはない。


「なにが起こっているのかわからん。だが、オレが従うとすれば白虎だ。あのかたの、女王への忠誠は確かだ」


 数日のち、一体のキメラアントが生まれた。
 女王直属護衛軍。キメラアントヒエラルキーにおいて女王直下に立つ統率者として。
 この個体は女王によってネフェルピトーと名付けられた。






[9513] Greed Island Cross-Counter 24
Name: 寛喜堂 秀介◆c56f400a ID:a45bd770
Date: 2009/09/19 13:36

 目を開いた。
 暗闇だった。ぬるりとした液体が半身を浸している。
 狭い。体育座りのような格好でいる体の随所に、土の壁が当たっている。小さな球状の空間に押し込められているようだった。

 ユウは首をかしげた。
 意識が途切れる直前の光景は、彼女の死を約束するものだった。
 だがユウは生きている。体の痛みもなかった。


「ここは」


 言いかけて、ユウは背中の違和感に気づいた。
 だが、彼女にその正体を知るすべはない。手を背に回す空間すらない状態だった。

 暗闇の中、ユウは両の手を壁にあて、形を探る。
 滑らせた手が前を向いたとき、湿った土の感触が途切れた。
 横穴である。手探りから、ユウが通るに十分な幅があるようだった。
 身を乗り出しかけて。ユウは首をかしげた。
 
 衣擦れに違和感がある。
 胸の敏感な突起が、ごわごわした防刃服にじかに触れている。

 ひとまず疑問を差し置いて、ユウは横穴を這って登る。
 光が見えた。外だ。
 心に張りを覚えたユウは、一気に這い上った。
 
 光がユウの目を焼いた。
 片手で目をかばいながら、ユウは地面から体を引っ張りあげる。
 ずるり、と、なにかを引きずった。それが背に連動する違和感。
 振り返る。
 野太い荒縄のごとき触手の束を、背中から引きずっていた。


「なんじゃこりゃぁーっ!?」


 叫びは森にこだました。








「――と、言うわけだったのさ」

「え?」


 エルフの少女、マツリが眼をキョトンとさせた。
 仲間たちと合流するため、帰路の途中である。


「説明、終わり? 触手のことは?」

「むー、言ってもな」


 ユウは困った様子で首を傾けた。
 背からは触手が伸びている。太さは子供の腕ほどもあるそれのさきに、気絶黒髪少年と金髪少年、アズマとシュウがぶら下がっていた。
 ともに半裸である。
 そんな少年ふたりが触手にまきつかれている。
 微妙にイヤな光景である。いろんな意味で目の毒なので、マツリは意図的にそちらから視線を外している。

 問題は触手である。
 しかしユウはあっけらかんと答えた。


「気がついたらあったし。なんか思い通りに動くし。ハンター世界的便利な生き物?」

「いや違うでしょ!? 寄生されてるよ、ユウさん! それ、絶対、キメラアント!」


 マツリは即座に突っ込んだ。
 先端のほうは見たくないものがぶら下がっているのでよく見ていないが、ユウの背中、ちょうど心臓の真裏にある触手の付け根には、甲殻を持つイソギンチャクか、それに類するものが張り付いている。
 見るからに海の生物である。それがこんな内陸部に居るはずがなかった。

 マツリがそれを指摘すると、ユウは納得したように手を打った。


「言われてみりゃそうなのかも。でもまあ、おかげで生きてるわけだし。下手に追及すると怖い答え、出そうだし」


 医者を怖がる子供のような様子である。
 それを見て、マツリ心配しながら、あえて追及することは止めた。


「オーラ量が急にあがったのも、それのせい?」

「いや」


 マツリの問いに、ユウは否定の言葉を返した。


「あの虎公(パイフル)との戦いのときに、火事場のクソ力って言うか。まあ、そんな力の絞りかたのコツをつかんだみたいで。総量自体はそれほど変わってないから、すぐにガス欠になるけどね」


 さらっと言ったが、それはそれですごい要訣である。
 マツリにそれを羨む気持ちはない。そんな法外な力を体が必要とするまでの死闘を、ユウは経験したのだ。
 マツリは思い出す。彼女の念能力、“千人列伝サウザントライヴブズ”に書かれた、心臓停止の文字。
 死の淵に沈む直前まで、彼女は戦っていたのだろう。


「傷、とか、残ってないの?」

「ああ。こいつのおかげで、すっかり」


 ユウの言葉に応じて、とろりとした液体が触手の先から分泌された。
 アズマたちの服もどんどん溶けていく。


「なんか回復する液体」

「消化液、じゃないのかな? 服、溶けてるし」


 オーラが関係しているのは“凝”てわかる。
 消化液に傷を癒す能力を付与しているかもしれない。マツリはそう考えた。


「うん。俺の服も、下着とかは溶けてた」


 なんの気なしに口にした、ユウの言葉。
 マツリの視線が下がる。
 防刃装備越しでわかりにくいが、よく見ればそれ以外なにも着ていないようなラインの出方である。

 ふと、マツリは気づいた。
 ユウとおなじ防刃装備は返り血まみれとなっていたため、ツンデレが破棄している。いま着ている服はは天然素材のものだった。
 恐る恐る確認する。
 液体に濡れた尻の部分。手が、素肌に触れた。
 マツリは悲鳴を上げた。

 その声で、アズマとシュウが目を覚ます。
 彼等も悲鳴と怒声を上げた。
 大惨事だった。








 たがいに縛られたまま、罵りあいをするシュウとアズマ。
 しゃがみこんで悲鳴を上げるマツリ。
 どうしたものかとユウは頭をかく。
 そこへ。


「これは……どういう状況だ」


 カイトが現れた。


「あ」


 気づいたユウが凍り付き。


「い」

「う」

「え」


 アズマが目を見開き、マツリが木を背にして尻を隠し、最後にシュウが気づいた。


「お」


 と、ユウの顔を見て声を上げたのはキルア。


「あーっ!?」


 最後に元気な声を上げたのは、ゴンだった。








 珍客である。


 ――早すぎる。


 と焦ったのはアズマやシュウ、マツリである。
 長時間意識が途切れていたユウは、そんなに長く眠っていたのかと、愕然とした。

 たいする三人にとっても、この邂逅は意外だった。
 カイトはNGLに入る直前の仕事(ハント)でユウと出会っている。
 ゴンはハンター試験の試験官として、ユウを知っていた。
 キルアはそれより前、彼がハンター試験の受験を決めたころに、彼女から多少の施しを受けたことがあった。

 三人にとって見知った人物でありながら、しかし目の前に現れた彼女は別物だった。
 それぞれが出会ったころと別人のように強くなっていたし、なにより、背から生やした触手には驚かざるを得なかった。


「ユウさん、どうしたの? それ」


 聞きにくいことをはっきり尋ねたのはゴンである。


「死にかけて、目が覚めたらなんかついてた」

「いや、その説明じゃ、わからないでしょう」


 答えたユウにマツリが突っ込んだ。
 ユウは首をひねった。
 事情を説明するのは容易い。しかし、突っ込んで説明すると、キメラアントの状況についてかなりのところまで話さなくてはならない。
 はたしてこれは本来カイトたちが与えられるべき情報なのか。知った結果、彼らの行動が原作からどんな外れ方をするのか。それがユウを躊躇わせた。

 代わって説明したのはマツリだった。
 マツリには多少の下心がある、
 彼らが女王を狙う以上、かつてのマツリの仲間、白虎のキメラアント、パイフルとぶつからざるを得ない。マツリはそう考えている。
 あらかじめパイフルの存在を知っていてもらいたかったし、あわよくば避けてもらいたかったのだ。
 だから女王に喰われた人間の特性を受け継いだキメラアント。彼らが生前の記憶を持っていることも、彼女は伝えた。

 アズマやシュウはそれを止めなかった。
 同情的なものではない。
 パイフルやキツネのようなイレギュラーがある以上、話は絶対に原作通りには進まない。
 であれば、可能な限りの情報を知っていてもらうというのは、悪い選択ではない。

 話を聞き終えたとき、ゴンは深く考え込むような表情になっていた。
 キルアも、唇を拳にあて、考え込んでいる。

 念能力を持つ強力なキメラアントがすでに存在すること。
 彼ら"最古の三人”の特徴と、その念能力。
 真正面からやれば彼らですらカイトをしのぎ、さらにその上に君臨するものがいること。

 キメラアントの生態に関してはカイトのほうが詳しい。彼が新たに認識した危険は、この三点だった。


「俺たちはいったん戻る。よかったら、あんたたちも一緒に対策を練らないか?」


 最後に、ユウが提案した。
 カイトは首を横に振った。


「事態がここまで深刻になっている以上、一刻も早い対処が必要だ。とにかく、オレたちは先ず女王を討つ」


 無謀なわけではない。危険を認識していないわけでもない。
 そこにはおのれの為すべきことを、しかと見定めたハンターの姿があった。

 その姿を、ユウは、ユウたちは羨ましいとは思わない。
 彼女たちが為すべきことは別にあり、守らねばならぬものも別にある。
 死地に向かうカイトたちを見送りながら、四人はそれぞれに、おのれの道を見定めていた。

 カイトらと別れたユウたちは、仲間たちが待つ集落へ急いだ。
 シュウもアズマも半裸である。マツリはとりあえずズボンを割いて尻の部分を隠している。かわりに太ももが丸見えになっていた。


「素晴しい」


 とアズマがほめたが、マツリはあまり嬉しくなさそうだった。
 半日のち、彼女たちは集落にたどり着く。
 ユウは足を止めた。
 迎え出た仲間たちの中に、キャプテン・ブラボーの姿を認めたのだ。

 マツリと、アズマと、そしてシュウが足を止めた。
 ユウだけが、歩みを止めない。


「ユウ」


 ブラボーが言葉にできたのは、それだけだった。
 ユウの返答は拳だった。
 遠慮のない一撃が、ブラボーの腹に突き刺さった。


「あーっ!!?」


 叫んで飛び出そうとしたのはアズマで、シュウがそれを静かに止めた。


「いまのは、あのとき殴りそこなった分だ」


 静かな、しかしこもった声。ユウの表情は見えない。
 あのとき、とは、ブラボーが図らずも導いた同胞狩りによって仲間たちが惨死した時のことだ。
 同胞狩りとの戦いで消耗しきったユウには、ブラボーに手を出す力は残っていなかった。
 重い、恨みの拳だ。

 ブラボーはそれを甘んじて受けた。
 本来絶対の防御力を誇る防護服を、彼は装着していない。
 だが彼は耐え、立っていた。


「仲間のためだ。いまだけはその顔を我慢してやる」


 拳をブラボーに押し当てたまま、顔を下に向けたまま。ユウは歯を食いしばっている。
 うつむいた彼女の背にうごめく触手を見つけて、ブラボーは佇立している。


「ユウ」


 彼女の拳に手をそえて、ブラボーは言った。


「俺を決して、許さないでくれ」


 ユウの拳がふるえる。
 それが腹まで染みたような声で。


「ああ。俺は一生、お前を、許さない」


 ユウが、顔を上げる。
 少女の面には、挑むような表情が浮かんでいる。
 ブラボーが静かに、うなずいた。


「まるで告白」

「YOU 結婚しちゃいなよ」


 すこしあきれたようなポンズの言葉を継いで虹色少女、ライが茶々を入れた。


「あと、お前はキャプテンブラボーなんだろうが。暗く沈んでるのは、らしくないぞ」


 ユウの最後の言葉は、あきらかに照れ隠しだった。







[9513] Greed Island Cross-Counter 25
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/09/24 20:59

 ブラボー、アズマ、ツンデレ、ユウ、シュウ、レット、ミコ、マツリ、そしてライ。
 NGLという名の蠱毒の壺に落ちた九人の異邦人たちは、しかし、欠けることなく集まった。

 加えてポックル、ポンズ。
 異邦人の手によって死の運命から逃れたものが、ふたあり。

 それが正しいのか、間違っているのか。
 答えは誰にも出せない。
 だが、ひょっとすれば、キメラアントたちの念能力習得を遅らせたことになるかもしれない。
 ポックルの遺体から情報を引き出していたネフェルピトーを思い出しながら、幾人かはそう思っている。


「これからどうするか」


 十一人が集まり、まず相談したのはそれだった。
 ポックルとポンズのふたりは、先立って一同の出した方針に従うことを宣言している。
 独力でこの地獄に留まる実力など、彼らにはない。
 だが、もし彼らがとどまるのならば。協力してこの未曽有の災害を防ぎたい。
 それが彼らの腹のうちだった。


「戻って守る」


 ことを主張したのはシュウである。
 むろん主語は、仲間たちの待つカピトリーノに、だ。

 さいわいと言うべきか。彼らはすでに無数のキメラアントに襲われいる。
 毒はおろか個体サンプルにも事欠かない状況である。
 初期の目的を考えればこれ以上NGLにとどまる利は、すでに薄い。

 これからキメラアントたちが念能力を覚え、劇的に強化されることを考えれば、このあたりを帰りどころと見極めるのも、間違いではなかった。

 シュウのこの意見に、レットがすかさず同意した。


「わたしは残る。パイフルたちを助けたいから」


 静かに。決意を口にしたのはエルフの少女、マツリだった。
 暗に、自分ひとりでも残るという含みがあった。
 ただし、彼女もひとりで突っ込んでいくほど無謀ではない。それなりの腹案はありそうだった。


「わたしは……守るのなら、ここでやりたい」


 言ったのは金髪ツインテールの少女、ツンデレだった。
 彼女は数日前にキメラアントの毒を受けている。解毒剤が効いたとはいえ、いまだ病み上がりの身であり、それを押しての主張だった。


「みんな、知ってるでしょ? これからどれくらいの人が死ぬか。わたしたちだけが知ってる。だったら、助けられるのはわたしたちだけ、なんだから」


 言葉の意味は、同胞には十分に伝わるものだった。


「同意」


 短く賛意を示したのは黒髪の暗殺者少女、ユウだった。


「俺もだ」

「無論、妾もじゃ」


 仏頂面のアズマに続いて、ロリ姫が操るツンデレの髪が、元気良く揺れた。


「わたしも。この国の人たちが無力なまま殺されるのを、止めたいですわ」


 ミコが静かに覚悟を示す。
 キメラアントとの戦いで重傷を負った彼女は、ユウの触手の治癒粘液により、なんとか動けるようになっていた。


「ま、賛成」


 腕組をして、虹色少女、ライが言った。
 ユウが同意したことで、シュウは前言を翻す。レットもこれに従った。マツリも、この場所に残るという意味では同意である。
 みなの視線は最後のひとり、ブラボーに集中した。


「……俺は、仲間が傷つくことを、見過ごせはしない」


 長い沈黙の末、ブラボーは口を開く。


「だが、より多くの者を守ろうとする、戦士諸君……君たちの想いは、なお尊い。
 このキャプテン・ブラボー! 諸君らのブラボーな覚悟に――殉じよう!!」


 そう言ってブラボーは“奇妙な”ポーズを決めた。








 この地にとどまると、全員が決意を定めた。
 ゴンたちはすでに女王の巣をもとめ、NGLの深部に突入している。
 これは間もなく、念能力をもったキメラアントが量産されることを意味している。


「早ければ明日にも、そんなキメラアントが姿を現すかもしれないな」


 辛い見方をしたのはアズマである。
 時間はない。その中で、彼らは体制を整えねばならない。

 自然保護区と呼ばれる地域には一般人は出入りできない。これを勘定に入れないとしても、周辺の森林部に点在する集落の数だけでも、おそらくは百を超える。

 それを。


「ほぼ全滅している」


 と見たのはシュウだった。
 裏付けたのはポンズの蜂による情報網である。
 さすがに森林地帯全域をフォローしているわけではないが、それでも住民の生存は絶望視せざるを得なかった。

 いや、仮に無事な集落があったとしても、手が割けない。
 念能力を覚えた師団長クラス。それに従う兵隊長たち。それらが徒党を組んで攻めてくる事態を考えれば、戦力の分散は無謀でしかなかった。

 すでに外に向かって救援を発信している現状ではあるが、人員がすぐに増えるわけでもない。
 仮に増えたとしても、キメラアントに対抗できるレベルのハンターが、まとまった数現れることは期待できない。

 数日もすればハンター協会の会長、ネテロをはじめとした実力者たちが現れることを、ポックルとポンズを除いた全員が知っている。
 だが、それは原作通りなら、と、但し書きがつく。
 すでに事態は数日の誤差を見せている。ネテロたちが期日通りに着くとすれば、彼らの到着は一週間後にもなるかもしれない。

 結局。


「しばらくはこの集落を起点に、網にかかったキメラアントを迎え撃とう」


 ということになった。
 積極的に狩っていくと必然的に“最古の三人”やネフェルピトーに遭いかねない。そうなれば対抗手段がない以上、辺部で防壁をつとめるしなかった。
 むろん、手札が増えればできることも変わってくるのだが。

 現時点ではそれしかないと、ツンデレやミコは苦い顔で同意した。
 両の手に掬える人の数は、二百万を超えるNGLの人口からみれば、あまりにも少ない。
 だが、それでも。彼らの背後には数百を数える集落があるのだ。
 
 レットはNGL国境へと向かった。
 逃げたわけではない。国境に待機している海馬瀬人と連絡を取るためである。

 現状からみて、女王の死はまだ遠い。
 だが、どんな不測の事態があるか知れない。
 カピトリーノを放置しておくわけにはいかないので、レットと海馬に戻ってもらうことにしたのだ。

 ふたりとも貴重な戦力だが、海馬はNGLに入るつもりはなく、またレットも実力者が集まったいまの状況では、念能力の発動が困難になっている。
 カピトリーノに置いた方が、有効に活用できるという判断だった。本人はポンズやマツリがいるこちらに未練があるようだったが。

 レットが去り、残るは十人となった。
 おのおの、民家を借りて落ち着いている。
 それぞれが分かれて住むにも十分な軒数があり、食料も、穀物類などはキメラアントにも食い荒らされずに残っいる。それに周囲は恵み多き森である。狩り(ハント)と併用すれば飢える心配はなかった。

 しばらくして。
 住み家から飛び出たユウは、ちょうど近くを静々と歩いていたお嬢様と目が合った。


「ミコ」

「ユウさん、どうしたんですの?」

「たいしたことじゃない」


 尋ねてきたミコに、ユウは苦笑を返した。
 

「これのこと、ちゃんと調べろってシュウのやつがうるさくて」


 これとはユウの背につく触手生物のことである。
 一同、はじめはこの姿に面食らっていたが、ユウが平然としているので、みな表向きは気にかけた様子を見せなくなっている。
 それでもシュウだけは、事あるごとにしつこく言い立てるのだ。


「シュウさんも、心配して言ってるんですから」

「わかってるよ。わかってるけど、現状うまくいってるのに変に突っつきたくないというかなんというか。ともかく、いまはこの能力、失うわけにはいかないし」

「ユウさん」


 ミコが服の裾を握りしめた。


「もし、それが必要なくなったら。ちゃんとお医者さんに見てもらってくださいね」

「わかってる」


 ユウは照れたように鼻先をかいた。


「ミコも、病み上がりなんだから、あまり無理しないようにな」


 ミコの口は小さなへの字を描いていた。

 と、唐突に甲高い怒声が上がった。
 すぐそこの民家からである。アズマとツンデレが選んだ家だった。
 ユウはミコと目を合わせ、耳をそばだてた。


「だからわたしのことをツンデレと呼ぶなぁーっ!!」


 どうやらツンデレ少女が自身の呼称に関して、名付け親に文句を言っているらしかった。


「なんでいまさら?」

「ツンデレさん、“ツンデレ”って知らなかったのですよ。それで、わたくしが教えてしまって」

「いま修羅場?」

「いえ、それはもう済ましたというか、アズマさんが誤魔化したというか。でもアズマさん、彼女をツンデレツンデレと呼ぶので」

「それが怒りをあおってる?」

「みたいです。まあ本気で怒ってる感じではないですけれど。基本的にツンデレさん、アズマさんのこと大好きですし。恥ずかしいから勢いで怒ってるって感じですかね」


 ミコは頭をかいている。
 ユウも苦笑した。どうやら犬も食わぬ類の話らしい。

 ミコと別れて集落のはずれに出ると、開拓途中だったのだろうか。ぽっかりとなにもない空間が顔を出した。
 中央ではポックルと虹色少女、ライが組み手をしていた。
 たがいの両手両足には、金色に輝く腕輪がはまっている。


 ――“鉄の処女(アイゼルネ・ユングフラウ)”。


 常に“錬”と等しい圧力のオーラをかける、修行用の念能力である。

 たがいに念能力を使えぬ状態。
 でありながら、実力差は明白だった。
 ポックルは、息を切らしながら、空間を目いっぱい使って攻めている。
 対するライは虹色の髪を揺らしながら、ほとんどその場から動いていない。

 ポックルも小柄なほうとはいえ、まだ幼いライはさらに小さい。
 それが一方的に攻撃をさばいているのだから、異様な光景と言えた。


 ――身体能力(フィジカルスペック)もそうだが、なにより戦歴(キャリア)が違う。


 と、ユウは観た。
 ユウもこの世界に来てからこちら、幾度も修羅場をくぐってきた。その彼女からみても、ライの引き出しは。


 ――底が知れない。

 
 と思う。
 だからこそ、ポックルは修行の相手に彼女を選んだのだろう。

 虹色少女のほうも、ただ稽古をつけているわけではない。
 ポックルの修行につきあうことで、自分の技を見つめなおしているふしがある。
 なんにせよ、虹つながりのこのふたり、相性は悪くないらしい。


「治療が必要になったら言ってくれよ」


 声をかけて立ち去る、途中。
 ユウは蜂使いの少女、ポンズを見つけた。


「やあ」

「あ、うん」


 受け答えしながらも、ちらちらとポックルたちに目をやっている。
 どうも相性の良すぎるこのふたりの関係を勘ぐっているようである。


「ポックルは別にロリコンじゃないと思うぞ?」

「べ、べつに、そんなこと気にしてるんじゃないわよ」


 ユウの言葉に、ポンズが慌てて取りつくろった。


「でも、普段ムッツリしてるポックルが、なんだか楽しそうだから。仲間としてはやっぱり複雑かも」


 照れながら言う彼女に、ユウは振り返る。
 手合わせするふたりの表情は、やはりどこか楽しげだ。


「恰好の師匠だからな。男にとって、強くなれるってのは、まあ、楽しいもんさ」

「知ったようなこと言うんだね。あなたも女なのに」


 ユウは笑ってはぐらかした。

 集落に戻ったところで、ユウはふと見上げた。
 集落の中央に、不安定な格好の物見櫓が建てられている。
 ブラボーたちが敵襲に備え、あたらしく建てていたものだ。上には見張り当番のブラボーとマツリがいるはずである。

 下からは、上の様子は見えない。
 だが、ふたつのオーラが、静かに昇るさまが“”えた。
 ふたりが上でどんな会話をしているのか、ユウにはわからない。








 五月十一日。
 この日、一体のキメラアントが生まれる。
 猫と人の特徴を強く受け継いだこのキメラアントに、女王は自ら名を与えた。


"ネフェルピトー”

「にゃっ」


 名付けられた小柄なキメラアントは、女王に向かって片膝をついた。


“これよりはあなたが軍団を統率なさい。わからぬことは前任のあの子に尋ねるよう”


 女王がさしたのは白き大虎、パイフルのことである。
 そのパイフルは、女王の間から出てきたネフェルピトーに片膝をついて礼をした。


「指揮権をお返しいたします、軍団長。現在の状況ですが」

「んー、いいよいいよ」


 ネフェルピトーはぷらぷらと手を振った。


「とりあえずは全部まかせるから。いままでどおり、キミが適当にやっといて」

「は? いや、しかし」

「じゃ、まかせたよ。僕はちょっと散歩してくるから」


 尻尾を振って、ネフェルピトーが去っていく。
 その背を見ながら、パイフルは漠然とした不安を感じていた。
 生前、たしかにあったはずの未来の記憶は、茫洋として定かでない。






[9513] Greed Island Cross-Counter 26
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/10/02 17:16
 その日、見張り台に上がっていたのは黒髪の暗殺者少女、ユウと、虹色髪の幼い少女、ライだった。

 森の中、ぽつんと突き出したちっぽけな台は、ふたり並べばいっぱいになる。
 NGLの日差しは強い。
 とはいえ、吹きゆく風は涼やかであり、日陰を作ってやれば案外涼しい。
 戸板を流用した簡単な屋根の下で、ふたりは緑の海が風に波立つさまを眺めていた。


「なあ、ライ。なんであんな変な恰好だったんだ」


 ふと、ユウが問いかけた。
 最初出会ったとき、ライは黒髪オールバックの巨漢姿だった。
 いまではそれがライの念能力――“鉄の処女(アイゼルネ・ユングフラウ)”に鎧われた姿だと分かっている。
 ただ、わざわざ顔合わせのときまで変装していた理由は気になっていた。


「変な恰好言うな」


 眉根を寄せてから、ライが答える。
 理由は単純にして明快。敵はあのキメラアントである。たとえ一ミリメートルでも生の淵に近づく。その努力を惜しむわけにはいかなかったのだ。


「それにおれ、こんなナリだろ? どこへ行くにも目立つんだよ。だから人前に出るときはたいていあの恰好なんだよ」

「なんでこんな恰好に設定したんだ?」


 虹色の髪を手にとりながら、ユウは尋ねた。
 絹糸のような髪は光を受けて、虹色に照り映えている。


「うるさいな、当時は格好いいと思ってたんだよ」


 眉を顰めるライに、ユウは察した。
 人とは違う。ということに憧れる時期が、誰しも存在する。
 自分は特別な存在であり、凡庸な人間ではない。社会常識から外れることが格好いいのだと信じ、いたずらに反発する。その嗜好は外見にも求められるものだ。

 だが、そんな一種の自己陶酔から醒めてしまえば、残るのは一般社会で生活することすら困難な身体的特徴のみである。
 嫌気がさして大男の殻に篭ってしまったのも無理はない。


「まあ、お察しするよ」

「あんたに言われたかねぇよこのエロ触手女」


 不貞腐れたように、ライがそっぽを向いた。
 ユウは無言で触手を這わせた。四肢を縛られ、ライの体は天に差しあげられた。


「おわ!? やめろ!!」

「いまの一言、えらく傷ついたわけで」

「わかった! 謝る! 謝るから離してくれ! 溶ける! 溶けてる!」

「いいじゃん。子供は子供らしくどろどろになって遊べ―」

「どろどろの意味明らかにすり替えられてる!?」


 ユウは子供のいたずらを咎める調子でやっているのだが、やられるほうはシャレにならない。
 なにより絵面が凶悪なまでに犯罪的である。


「ごめん! ほんとにごめん――あーっ!?」


 ライが大声を上げた。
 ユウはライの視線を追う。
 大きいオーラの持ち主が近づいてきている。
 オーラに覚えがあった。銀髪の暗殺者少年、キルアのものだった。








「水、一杯くんない?」


 ゴンを抱えたままのキルアは、息を切らしながら口を開いた。
 ユウはあわてて水を汲みに行った。
 彼女がかえってくる頃には、ほとんどの面子が集まっていた。
 ライがいないのは、まあ、人前に出られない格好になってしまったからだが。


「想像以上だった」


 人心地ついたあと、キルアはそう話した。


「カイトは?」

「敵を足止めすんのに残った。たぶんもう……」


 つづく言葉は、たやすく予想できた。
 期せずして複数人からため息が上がる。
 それは、変わらぬ未来にたいする落胆ゆえか。


「あんたたちも戻った方がいい。ここも全然安全じゃねえよ」


 そう言い残して、キルアは去った。
 その背を見やりながら、ポックルがつぶやく。


「あいつはここにで足を止めなかった……オレたちじゃまったく相手にならないやつがいるってことか」


 “最古の三人”やそれをはるかに超える護衛軍の驚異を、彼はまだ肌で感じていない。








 数日後、国境側から集落を訪れる者があった。
 老人と、巨大なパイプを背に担いだ巨漢と、黒スーツの優男。
 ネテロ、モラウ、ノヴである。
 彼らは気配も絶たずに現れた。
 みな、飛び出してきた。

 そのうちのいく人かに目をやり、モラウが感心したように歯を見せて笑った。


「ほ」


 ネテロが片眉を上げた。
 視線の向かうさきはユウである。


「おぬしが本物のユウじゃね?」


 ユウは眼を瞬いた。
 ネテロが一目でおのれを見分けたのは、試験官をしたときに顔写真でも見たからだと推測がつくが、“本物の”と注釈を付ける理由には、てんで思い当たらない。
 思索に気を取られた、ほんの一瞬。
 その隙に。齢百を超える老人は、ユウの視界から姿を消した。


「ふむ?」

「ひゃっ!?」


 背筋をつ、と撫でられ、ユウは跳びあがった。


「嬢ちゃん、けったいなものをつけとるね?」


 そのさまを見て笑いながら、ネテロが言った。
 その背後でシュウがブチ切れかけているのだが、ネテロは平然としたものである。


「近郊はおろか、世界中のどの地域に生息する固有種とも一致しねえな。新種でなければ、おそらくそれが――キメラアント、だろ」


 パイプをふかしながら、モラウが言った。
 ユウの背にはちらと眼をやっただけである。


「ユウと――ふむ、そこの白いでかいの。すこし、話をせんかね」


 仲間に視線をやってから、最後にユウと目を合わせ。ブラボーは提案を受け入れた。
 ネテロが深くうなづき、ノブに声をかけた。
 黒スーツの優男は眼鏡を正しながら応じた。

 ノヴがなにやら地面に描いた、瞬間。彼のからだは地面にとぷん・・・と沈んだ。


 ――“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”。


 自らが造りだした念空間へ、人や物を転送する能力である。


「ついて来なさい」


 言い残して、ネテロの姿は土中に沈んだ。
 ユウとブラボーはためらいなくそれに続いた。








 ユウたちが降り立ったのは小さな個室だった。
 窓もない無機質な部屋の中央に、一抱えほどの丸テーブル。周りに椅子が据えられている。
 三脚あるそれのひとつを、ネテロが占めていた。その脇にはノヴが立っている。


「ま、掛けたまえ」


 誘われるまま、ユウとブラボーは椅子に腰を落とす。
 隅にある冷蔵庫から冷えたジュースを取り出してコップに注ぐと、ノブは会長に一礼した。


「それでは会長、用件が終わりましたら内線の三で呼び出してください」


 それだけ言って、ノブの姿は壁の中に消えていった。


「ワシが、おぬしらの素性を知っている、と言えば、驚くかね」


 コップの中身が半分ほど減ったころ、ネテロはおもむろにそう尋ねてきた。


「いえ」


 ユウは首を横に振った。
 ライセンス取得にすら、あれほどまでに異常な資質を求められるハンター協会の、会長である。驚きはなかった。
 だが。
 こちらの人間に素性を知られているという事実に、ユウはうそ寒いものを覚えずにはいられなかった。

 そのあと、ネテロは簡単に経緯を語った。
 存在に気づいたのが“同胞狩り”のあとで、コンタクトを取るのに手こずったこと。
 複数人からの情報を総合して、おおよその事実を把握したこと。
 ユウとも話をする予定だった。
 その場として用意したのが、ハンター試験にほかならない。
 もっとも、そっくりさんの登場と、ユウが途中で逃げたのとで機を逸してしまったのだが。


「ネテロ会長に聞きたい。われわれは、何者なのか」


 ブラボーが尋ねた。
 その疑問は彼の心の片隅に、常にあったのだろう。言葉の短さに反して、込められた意味は、重い。


「知らんよ」


 ネテロの言葉は突き放すような調子だった。


「ワシにわかるのは、おぬしが、ユウが確かにこの世に存在していたことだけじゃ。ほかの者もな。
 おぬしらが自分のことを“ゲームで設定したキャラクター”であると思っているように、ワシらには“こちらの人間が突然心を乗っ取られた”ようにしか見えん。さて、これはどちらが正しいんじゃろうな」


 異邦人ふたりは黙ってしまった。
 ゲーム“Greed Island Online”と、この世界の“グリードアイランド”が、なんらかのつながりを持ってしまったが故の現象であることには違いない。
 だが、ユウたちがこちらに来る前にも、“ユウ”の、“ブラボー”の人生があった。その事実を、どう考えるべきか。
 ユウがさきか、“ユウ”がさきか。


「どちらでもいいと、ワシは思うがね」


 ユウたちの迷いを、ネテロはそう言って笑い飛ばした。


「おぬしらは異邦人であり同郷人、それでいいじゃないか」


 ネテロの言葉は、軽いものではない。
 その深みを、ユウは存分に噛みしめた。


「ま、しかしじゃな。おぬしらの持つ、未来の情報。これがシャレにならぬくらいに当たっているのは事実でな。今回のキメラアントも、できれば当たってほしくはなかったが」

「……未来を、変えようとは思わなかったんですか? 会長なら――」

「それは、チト買いかぶりじゃな」


 ネテロが、ため息で髭を揺らした。


「ハンター協会の会長とはいっても、いんや、だからこそ外部組織や国家に対して我は通せん。そして協会内の意見すらまとめることが出来ねえってのが、いまのワシじゃよ」


 ネテロが動く場合、必ず“ハンター協会会長”の肩書きがついて回る。
 いくら一個人を主張しようと、協会の意に背く行為など、ネテロには許されないのだ。
 協会に反対勢力がいる現在、ネテロに許されることは限られている。
 今回、自ら出動するに当たっても、相当無理を押してのことだ。それ以上のことは、ネテロには許されない。

 そのあたりの事情を察したのはブラボーである。


「副会長のほうにも同胞からの情報が流れていた、と、そういうことですね」

「あ!」


 ユウも気づいた。
 キメラアント禍を未然に防ぐ動きを、ことごとく副会長派に止められていたのだ。
 おそらく、すべての責任を会長に被せて、自らがつぎの会長に収まるために。
 ユウは泥を食った気分になる。冷えたジュースをあおった。ひさしぶりの強い甘味でも、不快はぬぐえない。


「ま、察してもらえればありがたい」


 ネテロは結局非難めいたことを口に出さなかった。

 話題は転じる。
 キメラアント襲来を知るブラボーたちが、そのうえでNGLに居る理由を、ネテロは尋ねてきた。


「ひとつに、同胞を救うため。もうひとつはこの土地の民を守るためだ」


 ブラボーの答えに迷いはなかった。


「いい答えじゃ」


 ネテロは静かにうなずいた。


「なればこそ、ワシらも後ろに憂いを残さず進めるというものじゃ。では、後方は任せたぞ」


 その信を、ふたりは真正面から受けた。
 ネテロの頭が静かに下がった。

 会談は終わった。ネテロが壁に掛けられた電話でノヴを呼び出した。


「あ、それと、ユウ」


 思い出したようにネテロが声をかけてきた。


「はい?」

「お前さんの背についとるそれ、医者に見せてやってはくれんかね」

「あ、まあ……大丈夫ですかね?」


 ユウは腰を引きながら尋ねた。


「腕は保証するよ。古馴染みの友人でな。ワシの知る限り最高の医者じゃよ」


 ネテロは片目をつぶった。
 ユウとしても、そこまで言われては断れない。


「では、君はこちらへ」


 ノヴが出口とは別の壁に出口を開いた。
 ブラボーに後事を託して、ユウはその中に身を躍らせる。
 そのさきで、ユウは強い衝撃を受けて地面に倒れこんだ。


「――やあ」


 頭上から声を投げかけられる。
 あわててユウが見上げると、山がそこにあった。
 白衣を衝くような巨大な胸の、三十路まえの女医である。


「そこから出てきたってことは、あのクソオヤジの関係者だろう? 知っているかもしれないが、わたしはヘンジャク。医者だ」


 ぼさぼさ髪を後ろでまとめた女医は、そう言って笑った。
 魅力的な笑顔である。ユウは思わず釣られて笑顔を作ってしまう。


「さっそくで悪いが、ちょっとどいてくれないか。弟子が幸せで死にそうなんでな」


 言われてはじめて、ユウは自分が人を敷いていることに気づいた。
 あわてて体をどかす。
 ユウは眼を見開いた。
 彼女の体の下敷きになっていたのは――レオリオだった。


「え――え?」


 不意打ちである。ユウは混乱してしまう。
 そのさまを、女医がにやにやとみつめている。
 レオリオは幸せそうに目を回していた。





[9513] Greed Island Cross-Counter 27
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/12/28 20:09
 ロカリオ共和国ドーリ市。
 NGL国境にほど近いこの地の中心部に、総合病院がある。
 ユウが飛ばされたのはその一角。ネテロと旧知の女医ヘンジャクと、その弟子レオリオが仮寓している診察室だった。


「改めて。ヘンジャクだ」

「ユウです。よろしく」


 なんとか落ち着きを取り戻したユウは、差し出された手を握りかえした。


「レオリオだ。よろしくな」

「よ、よろしく」


 レオリオとも握手を交わす。
 締まりのない笑顔である。真面目なときのレオリオが好きなユウにとっては、あまり見たい姿ではない。
 彼を意図的に視界から外すと、ユウはヘンジャクに向き直った。
 ろくに梳かしてもいないぼさぼさの髪をかきあげて、ヘンジャクは白い歯を見せる。


「おまえさんがなぜ、こっちに来たかってのは、まあ、背中のそれを見りゃわかるか。
 ちょっと、さきにかたさなきゃならん用があるんでな。すこしだけ、待ってもらおうか」


 彼女の視線は続きの間に向けられた。

 そこは手術室だった。
 中央に据えてある台に乗せられているのは、頭部がつぶれたキメラアント。


「さっき眼鏡の――ノヴが持って来たもんだ」


 ヘンジャクはそう説明した。
 集落に来るまでにネテロたちがキメラアントに遭遇したとは考えにくいので、おそらくはユウの仲間たちが倒した死体を回収したのだろう。

 キメラアントはヘンジャクの手によって組み立て前のプラモデルのようにばらばらにされた。
 臭気がすさまじい。片隅で見ているユウですら、鼻を押さえている。
 助手を務めていたレオリオが、嘔吐感に堪えかねたように体を“く”の字にした。額には玉の汗が浮かんでいる。


「吐いてもいい。だが、医者なら手だけは止めるな」


 手を休めず、ヘンジャクはレオリオを一瞥した。

 医者も人である。臭気に嘔吐を覚えても、それはしかたない。
 だが、そのせいでやるべき作業をこなせないのなら、そいつは医者ではない。
 厳しい口調で言う彼女の額にも、汗はにじんでいる。

 レオリオは蒼い顔で立ちあがった。
 ヘンジャクの言っていることなど、彼もとうに承知しているのだろう。
 叱責の名を借りた、それはヘンジャクの励ましだった。

 作業は一時間とかからなかった。
 個体サンプルを取り、採取した毒腺から毒を抜き取る。それを別所に送って、ヘンジャクは作業の終了を告げた。
 とたんに外に飛び出したレオリオの背に苦笑を送りながら、インスタントコーヒーを淹れた。
 それを一気に干すと、ヘンジャクは口の端を釣り上げた。


「さて、そっちの作業に入るか」

「いや、休まなくてもいいんですか?」

「そんなにヤワじゃないよ。まあ、不肖の弟子はちょっと休ませないといかんがね」


 そう言って苦笑を浮かべる彼女を、ユウは可愛いと思った。


「さて、ちょっと上着を脱いで見せてくれないか?」


 言われて、ユウは上着を脱いだ。
 下着はつけていないので胸をさらすことになる。
 ヘンジャクはためらうことなく、ほっそりとした指でユウの胸を掴んだ。


「ちょ、なにするんですか」

「冗談だよ。背中を見せてくれ」

「オレも手伝うぜ!」


 レオリオがすごい勢いで扉を開けて入ってきた。
 膿盆が、その額を直撃する。
 レオリオはそのままあおむけに倒れた。
 タイミングが悪いのか、それとも狙ってやっているのか。


「ふむ、ふむ」


 納得するような声を、ユウは背中越しに聞いた。
 手術台にうつぶせにされているため、表情は見えない。不安だった。


「接合部は、と」


 言いながら、ヘンジャクが顔をのぞかせた。
 指がユウの肌と、フジツボのような寄生体を隔てようとした、瞬間。

 触手が暴れだし、ユウの意思に反してヘンジャクに襲いかかった。
 ユウは血の気が引いた。
 だが、ヘンジャクはそれをあっさりとさばいた。
 それどころかメスとカンシで八本の触手すべてを手術台に縫いとめてしまった。


「患部が医者に逆らうな」


 ヘンジャクは平然と言った。








 ユウの前にレントゲンが差し出された。
 光に透かすと、触手が肉を噛んで心臓部と繋がっているさまがわかる。


「結論を述べると、だな。このキメラアントはあんたの心臓部に癒着するかたちで寄生している」


 コーヒーをすすりながら、ヘンジャクは説明する。


「意のままに動くのは、共有している血液、その中に含まれる物質から宿主の感情や状態、意志を解析しているからだな。
 寄生体自体には知性というものは、ほとんどないようだな。防衛本能はあるようだがな。ま、あんたにとっては、事実上手が増えただけと考えてもいいだろう」

「体に害は」

「ない、とは言い切れないな。血中に感情に関係する物質を逆に流し込んで、ある程度気持ちを操作している形跡もある。意志までは動かせないが、あまり気持ちのいいものではあるまい。わたしなら切除もできるが」


 ユウはその言葉を受け止め、咀嚼した。
 そのうえで、出した答えは。


「まだ。まだしばらくは、つけたままでいたいです」


 この触手の持つ治癒能力を、現状手放すわけにはいかない。
 だから、ユウは多少のリスクは見過ごすことにした。


「取りたくなったらいつでも来たまえ」


 ヘンジャクは苦笑を浮かべた。
 そこへ、唐突に電子音が鳴った。備え付けの電話である。
 レオリオが出た。
 しばし話を聞いて、レオリオはユウに受話器を寄越した。
 不審に思いながら、ユウは受話器に耳を当てる。


「……はじめまして、わたしパームと言いますうふふふふふ」


 ものすごく切りたくなった。
 パーム。
 その名をユウは知っている。ノヴの弟子である。
 現時点では、と、ユウが記憶を照合すれば、ちょうどモラウの弟子を倒すためにゴンやキルアを鍛えようとしているころである。

 用件はまさにそれだった。
 ある人物を鍛える。そのために選んだ人間のサポートをしてほしい。
 占いにそう出たのだからぜひそうしてほしいいやそうすべき、ということだった。
 
 断る勇気は、ユウにはない。
 それに、キメラアント側が強化されているいま、ゴンたちの強化はユウたちにとっても理のあることだと、ユウは考えた。
 結局、ユウはパームの依頼を受けることにしたのだが。
 用件を聞いてきたレオリオに、うっかりゴンとキルアの名を漏らしてしまった。


「頼む! オレも連れて行ってくれ!」


 頭を下げるレオリオに、ユウは困惑した。


「だけど、君にもやるべきことがあるんじゃないか?」

「ばっきゃろー! 友達が問題抱えてるってのに、そんなの構ってられっかよ!」

「行っても、なにもできないかもしれないのに?」

「――それでもだ!」


 迷いない言葉に、横で聞いていたヘンジャクが苦笑した。


「ユウ。そいつも連れて行ってやってはくれないか」

「いいんですか? ひとりでも手が欲しいんじゃ」

「いっぱしの男が、そんな面して啖呵切ったんだ。止められるかよ」


 なぜか男っぽい表情を浮かべて、ヘンジャクは笑った。








 クゥエン市のバス停で、パームは待ち構えていた。
 ざんばら髪の、すさまじい負のオーラをまとった女である。
 その姿を見て、レオリオはドン引きしている。ユウも思いきり及び腰で挨拶した。

 パームに引きずられるようにして連れて行かれた宿のなかに、見知った顔が並んでいる。
 
 ゴンに、キルア。
 加えてもうひとり。ゴシック趣味なドレスをまとった美少女がいた。
 ビスケである。とんでもなく若づくりな、ゴンたちの師匠である。

 修行中だった。
 ゴンとキルアは“練”を維持する訓練をしている。
 ビスケはベッドに腰をかけ、女性向きの十八禁指定なグラビア誌を見ながらふたりを監督していた。

 三人の目が、いっせいにユウに向けられた。
 そのユウの後ろから、レオリオが顔をのぞかせる。


「よっ!」

「レオリオ!?」


 少年ふたりが驚きの声を上げた。


「びっくりした! レオリオ、なんでこんなとこに?」

「ガッコ行ってないってことは……浪人?」

「ばっきゃろー! ちゃんと受かったっての! こっちにゃ師匠に連れてこられたんだよ! ――にしてもひさしぶりだなお前ら。背、伸びたな!」


 旧交を温める三人。
 修行の手は止めていない。一秒たりとて立ち止まれない理由が、彼らにはある。レオリオもそれを察しているようだった。


「貴方が修行をサポートしてくれるハンターね」


 ビスケが笑顔で近づいてきた。微妙に猫を被っている。
 ユウは微妙な笑顔を返した。この人形のような美少女がゴリラマッチョになってしまうと考えれば、素直な目では見られない。
 それにしても本当に幼く見える。


 ――ほんとに57歳には見えないな。


 ユウがそんなことを考えた瞬間、すさまじい視線で睨まれた。おそろしい勘である。


「私はビスケット・クルーガー。よろしくね。さっそくだけど、貴方、なにができるの?」


 尋ねてきたビスケに、ユウは背に負う触手が持つ治癒粘液のことを話した。
 修行に求められているものはそれだと、ユウは察している。


「なるほど、思い切り痛めつけていいってわけね」


 なにやら恐ろしいことを口走るビスケ。
 耳の端で聞いていたのか、キルアの顔色が変わった。

 つぎの日の朝、レオリオはドーリ市へ戻っていった。


「あいつら見てるとな、オレもやんなきゃなって思わされるぜ」


 そう苦笑していた。
 この修行で、レオリオが協力できることはない。
 だが、当たっている問題はおなじく、キメラアントについてだ。
 なら、レオリオはレオリオなりに、これに当たることこそ、結果的にふたりを助けることになる。
 カイトの話を聞いてレオリオが出した、それが彼なりの答えなのだろう。


 ――仲間っていいな。


 ユウはしみじみと思う。
 ふと、シュウのことが気になった。








 NGL中央を占める森林地帯。
 中央から南部にかけてがキメラアントの主たる勢力範囲である。
 ネテロたちは東部から侵入し、“巣”に近づいている。
 その背面を守るように、ブラボーたちは敵に備えている。警備の網にかかった数体のキメラアントを、すでに屠っていた。

 ユウが外に出たことを知った当初、シュウは飛び出しそうになった。
 かろうじて思いとどまったのは、彼女が医者に診てもらっていると知ったからである。ただ、日が経つにつれ、次第に焦れてきている。
 ユウがゴンやキルアの修行につきあっていることなど、彼らが知る由もない。

 巣では、キメラアントたちが着々と念を習得していた。
 原作との差異はひとつ。ポックルがつかまっていない。それゆえ、彼から修行方法を訊きだすことができていない。
 それを補ったのは白虎のキメラアント、パイフルだった。
 彼は生前の知識として、断片的ではあったが水見式などの念能力系統判定法や修行法を心得ていた。

 パイフルは諸事に忙殺されている。
 唯一の上司である軍団長ネフェルピトーは職務をほぼ丸投げしにてふらふらしている。
 同僚のひとり、深緑のキメラアントは自分の区画に引きこもって出てこなくなった。

 キツネの存在も、パイフルの頭痛の種である。
 深緑のキメラアントを巻き込んだ一件以来、キツネもまた、自分の子飼いを引き連れ、中枢から離れたエリアに篭っている。
 情報が伝わってこないので、詳細はパイフルにとって謎だった。

 実はキツネは部下たちに念能力を習得させていた。
 キメラアント全体で行っているそれより、はるかにきめ細やかに。
 四大行を修業させ、水見式で各個に見合った系統の能力を習得させようとしていた。
 キツネもまた、生前の記憶からそれを知っていたのだ。
 
 某日、キツネはおのれの念能力を部下に見せた。
 いくら念を修業しようと敵わない。おのれの力を見せつけるためである。
 自儘なキメラアントたちをカタに嵌めることが、キツネの急務だった。

 キツネの“発”――除念空間が巨大な球状に広がった瞬間、。
 パタリコと、だれかが倒れる音がした。


「いたたた――はっ!?」


 人間の女だった。
 キメラアントたちはあっけにとられた。
 真っ先に我にかえったのはキツネである。
 気配を隠蔽し、姿を隠す類の念能力。こんなところまで斥候が入り込んでいたのだ。


「テメエら! 捕まえろ!」


 キツネは号令を下した。


「うわわわっ!?」


 女が算を乱して逃げる。
 キメラアントたちがそれを追った。
 キツネが自ら向かわなかったのが、この際失策である。

 どのような能力を使ったのか、女はまんまと逃げおおせてしまった。
 女は銀髪で、メイドとシスターの融合体のような奇天烈な姿をしていた







[9513] Greed Island Cross-Counter 28
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/10/20 20:41

 世界は未知と神秘であふれている。
 あまたのハンターが挑み、解き明かしても謎は尽きない。
 理知と論理の昇華であるはずの科学の領域すら、時にそれは侵入ってくる。

“電波を渡る歌姫”と呼ばれる存在がある。
 公共の電波を気まぐれにジャックする正体不明の歌姫である。
 きわめて迷惑な存在ではあるが、歌は本物である。技法こそ見るものはないが、人の心を打たずにはいられない切実たる歌声に、いまでは放送関係者も彼女の出現をむしろ心待ちにしている。
 その正体が、念能力の暴走により、他者に干渉はおろか認識すらされなくなったひとりの少女だと知っているものは、あまりにも少ない。


“歌姫”――シスターメイはいま、NGLにいた。
 銀髪の美女である。震えがくるほど奥行きの深い瞳は印象的ではあるが、それよりもまず、シスターとメイドさんをごちゃまぜ・・・・・にしたようなその格好に目がいくだろう。

 彼女がNGLを訪れた理由は単純である。
 キメラアントの“痕跡”を見るためだ。

 おのれの念能力“ガラス越しの風景スタンドアローン”、他者に干渉する能力を放棄することにより、ほかの誰からも干渉されない。
 極限まで強まったこの能力は、シスターメイを孤独の世界に放り込んだ。
 無機物だけの、ただ諸物が淡々とめぐる世界を生きる彼女は、そんなわずかな娯楽すら、求めずにはいられなかった。

 キメラアントの巣を発見した彼女は、誰もいない巣をふらふらと歩き回った。
 とりあえず女王の部屋らしきところを発見し、巣の南側から抜け出て、もう一度戻ろうとした、そのとき。

 シスターメイの耳を、命の息吹が叩いた。

 気がつけば、まわりはキメラアントだらけ。
 わけもわからず、彼女は超逃げた。
 追手を完全に振り切ってから、ようやく彼女は、まわりの生物が見える不思議に気づいた。


「あれ? これって超ラッキー?」


 彼女はかるくのたまったが、望外の幸運であることは言うまでもない。
“ガラス越しの世界(スタンドアローン)”により外界に干渉する術を失った彼女に、対象を取る形での“除念”は意味を成さない。
 ただ、あくまでもそれは念能力によるもの。空間にたいする、しかもより強力な“除念”には、無効化される。
 しかしそれは、アズマたちがこの一年、鉄の草鞋をすり潰すようにして探しても、見つけることが出来なかった能力であった。

 だが、稀有の幸運の残照ゆえか、シスターメイは奇妙な邂逅を果たす。
 ネテロ、モラウ、ノヴ。
 キメラアント討伐に向かっていた三人と、彼女は出会った。


「なんと!? ネテロとモラウ&眼鏡!?」


 シスターメイは叫んだ。
 身体に直接危害を加えられる心配のなかった彼女は危機管理意識が低い。
 心の声をストレートに口にしていた。
 その一言で察したネテロが、ふむ、と口髭をしごく。


「おまえさんも異郷の人かね?」

「チョイ待ちっ!!」


 ネテロに手のひらを向け、シスターメイは深く深く考え込む。


「モラウ×眼鏡――いや、眼鏡の鬼畜攻めも……あーいっそふたりまとめてネテロにっ!! やばっ! みwなwぎwっwてwきwたwww」


 鼻息が荒く、シスターメイが叫ぶ。
 彼女の言葉に、わからないなりに不穏なものを感じた三人だが、止めることはできなかった。

 話を聞かない。手も触れられない。
 そんな彼女を止める手段などありはしない。
 結局無視してさきを急ごうとしても、微妙について来ながら妄想を垂れ流す。
 回避不可能の精神攻撃である。


「ワシ、ちょっとくらいこいつを痛い目にあわせても罰は当たらんと思うんじゃが」


 至極疲れたようにネテロが言った。


「まったくだ」

「同感です」


“監獄ロック(スモーキージェイル)”と“四次元マンション(ハイドアンドシーク)”で、それぞれ彼女を隔離しそこなったモラウとノヴがため息をついた。









 一時間近く経ってから、ようやくシスターメイは我にかえった。
 彼女が三人に簡単な経緯を話すと、モラウが頭を抱えた。


「ウソだろ? あの曲歌ってたのてめえかよ……CD買っちまったよ」

「ファン? わたしのファン?」


 ものすごく落ち込んでいるモラウに、シスターメイは天然で追い打ちをかけている。


「事情はわかりました……これっぽっちも分かりたくないですが」


 眼鏡を正しながら、ノヴがこぼした。


「ま、せっかく“巣”の位置を探ってくれたんじゃ。案内を頼もうかの」


 ネテロはシスターに向けて言った。
 女王の死までおよそひと月。
 ネテロはそれを“外”よりもたらされた情報で知っている。
 期間を目いっぱい使いきって、王誕生を阻むつもりのネテロだったが、行動開始が速いに越したこともなかった。
 なによりも彼女なら、捕まって“敵”となる気遣いもなかった。


「いいですとも!」


 シスターメイは元気よく返事した。
 こののち、拠点を確保したネテロたちはすぐさま行動を開始した。“探り”を入れる必要のないゆえに、敵戦力を徐々に削る、その速度も速かった。







 
 NGL自治国の隣国、ロカリオ共和国の都市、クゥエン市。
 NGLをでたユウが滞在しているのは市街地にある宿の一室である。
 部屋の中には、パンツ一丁で血まみれの子供二人がぶっ倒れている。


「児童虐待だ」


 ユウは、つぶやきを聞き付けたビスケに殴られた。


「バカなこと言ってるんじゃないの! ほら、治療!」


 頭をさすりながら、ユウは倒れたふたりに触手を伸ばす。
 その先から滴り落ちた粘液が、下着を溶かしながら傷を癒していく。
 ものの数分のうちに、負傷はあらかた癒えた。

 なお倒れたままのふたりに向け、ビスケが念能力を発動させる。


 ――まじかるエステ。桃色吐息(ピアノマッサージ)。


 クッキィちゃんによるオーラのローションを使ったマッサージは、わずか三十分で八時間の睡眠に匹敵する休息効果を得ることができるのだ。


「高い負荷がかかると、筋組織の一部は破損してしまう。
 人体ってのは良くしたもんでね、丸二日ほどかけてこれを回復させちゃうんだわさ。破損前より太く、強く、ね。超回復って呼ばれる現象よ」


 マッサージに身をゆだねるゴンたちを見やりながら、ビスケは説明を続ける。


「あんたの力があれば、筋肉を削って回復してが超速で回せるわさ」

「ご機嫌なところ恐縮だけど、粘液は無限じゃないです……ていうか、俺からもナニか出てるっぽいです」


 スポーツドリンクで水分を補給しながら、いくぶんげっそりとしたユウは弱く抗議した。


「唾液かなにか?」

「せめて体液とか……いや、もういいです」


 突っ込み返す気力もうせていた。
 ゴンたちが“練”の継続三時間を突破するまで、この苦行は続く。
 その頃にはユウの体重は、同体型のモデル並みに落ちていた。








 心労の種が増えた。
 白虎のキメラアント。キメラアント軍団長代行、パイフルはため息をついた。

 新しく生まれた女王直属親衛隊、シャウアプフ――のことではない。
 同じく親衛隊のネフェルピトーのことでもない。
 むしろ最近は部下を鍛える“素材”を提供してくれたりと、気まぐれなりに役立ってくれている。

 キメラアントの個体が減っている。
 いまパイフルの頭を悩ませているのはこれだった。

 とくに、東向きに遠征した師団の傷みが激しい。
 手口は判を押したように同じだった。
 さきに師団長が消え、それから配下たちが消えていく。
 明確な意図を感じるそれは、彼らの敵、人間の手によるものに違いなかった。
 近々ではチオーナ隊とウェルフィン隊が、部隊長ごと消えている。
 到底看過できる状況ではない。

 
「代行どの、どうされますかな?」


 ともに頭を突き合わせて考えているのは参謀のペギーと、女王への忠誠厚く、頭も回るコルトである。


「消えたタイプはほとんどが奔放型――師団長が部下を好きに泳がせているタイプか」


 パイフルはつぶやいた。
 忠告したところで耳を傾ける奴らではない。
 はいはいうなずいておいて聞き流すに違いなかった。


「逆に泳がせて網を張るか?」

「ふむ」


 コルトの意見を聞いて、パイフルはしばし考え込み。首を横に振った。


「これ以上の犠牲は女王の食料調達に支障をきたす。さいわい、城内のことは軍団長のふたりに任せられる。ここは――私が出よう」


 パイフルは静かに宣言した。





[9513] Greed Island Cross-Counter 29
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/10/17 07:33

 ゴンがナックルを抱えて帰ってきた。
 初対面ではあるものの、ユウは彼を知っている。
 ゴンたちがキメラアントと戦うために越えねばならぬ壁である。

 キメラアントを単純に害獣として討伐させない。
 そんな理由でNGL行きを望むこのビーストハンターは、しかし、完全な武闘派。ゴンたちが一朝一夕でかなう相手ではない。

 だが、ユウとビスケの支援でふたりの能力は、飛躍的に増している。
 正味の能力なら、もうすでに五分近い。
 ユウはそう観る。


 ――でも。まだ当分、ゴンはナックルに勝てない。


 ゴンには決定的に足りないものがあった。
 それは。


 ――実戦経験。


 だった。

 ゴンの発想力は並ではない。
 五千を数えるナックルの戦歴から引き出される発想を、それは凌駕し得る。

 だが、発想を下支えする能力が追いついていない。
 ゲンスルーとの戦いで、攻撃に“流”が追いついていなかった。
 これから行われるナックルとの戦いでも、オーラが足りずに勝ちを逃していた。

 発想を実行に移すにあたって、それが自分に可能かどうか、分かっていないのだ。


 ――実戦をこなして、そのあたりの甘さが抜ければ、とんでもない達人になるんじゃないか。


 そんな予感を覚えずにはいられない。
 ビスケが気に入るのもわかるというものだった。

 そして。
 ビスケが気に入ったもうひとりの人物が、目下ユウの悩みの種だった。
 キルア・ゾルディック。
 暗殺者一家、ゾルディック家に生まれ、サラブレットとして育てられた少年も、戦闘者として致命的な弱点を抱えている。

 危険を冒せない。
 格上を相手にするときには、生き残る前提で考えてしまう。
 簡単には克服できない問題である。

 だがユウは、それをたやすく解決する方法を知っている。
 
 キルアの頭部には針が刺さっている。
 それがキルアの思考を制御する。手に余る敵とは戦うなと、針がささやく。
 キルアの兄が埋め込んだこの針を、取り除けばいいだけなのだ。


 ――だけど、本当にそれでいいのか?


 ユウは思わずにはいられない。

 習いは性である。
 キルアの身に刻まれた教えは、針が抜けても、キルアを呪縛せずにはいられないだろう。
 独力で呪いに抗い、克服する。
 その過程なしに、ただ針を抜くことは、キルアにとって致命傷になりかねなかった。

 とはいえ放置しておくのも問題である。
 もし、ゴンがナックルに勝ってしまえば。
 キルアが兄の呪縛を受けた状態ですらシュートを上回れば。
 そのままのキルアをNGL入りさせてしまうことになるからだ。
 現状ふたりの成長率を見れば、それは充分現実的な未来だった。

 ユウの悩みを、ゴンやキルアは知らない。
 寝る間のない修錬に、ただ基礎能力を上げていく。
 外ではナックルと戦い、実戦経験を積み上げていく。
 事態は追い立てられるように進んでいった。

 六月九日、NGL国境に姿を現したのは五人のハンターだった。
 キルアの頭部に、針はいまだ残っていた。








 この前々日に、ユウとビスケは町を離れている。
 ゴンたちが敗北した場合の、パームの怒りを恐れてのことだった。
 
 ユウはその足でドーリ市に向かった。
 市街中心部の総合病院に、ヘンジャクが占領する一室。
 そこにあるノヴの念能力、“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”へとつつながる“扉”を使い、ブラボーたちが待機する集落へと戻るためだ。


「おいっ! ゴンたち! ゴンたちの勝負はどうなったんだ!?」


 部屋に入るとレオリオが押し倒すように詰め寄ってきた。


「つーか、おい!? えらく痩せたな!! どうしたんだそれ!?」

「……えーと」

「慢性的な水分不足と疲労、それによる気力減衰から来る食欲不振の悪循環」


 どちらに答えたものか、ユウが迷っていると、奥から声が飛んできた。
 むろん部屋の主であるところの神医ヘンジャクである。


「まったく。優れた素材を持ってるんだから、もすこし美容に気をつけろ。美人が台無しじゃないか」


 ものすごくお前が言うな的な空気が漂った。

 ヘンジャクの有無を言わせぬ勧めで栄養剤を打ってもらいながら、ユウは事情を話した。
 レオリオは、時に真剣にうなずきながら、時に笑いながら相槌を打つ。ユウとしても話しやすい相手だった。


「しかし、なんであのクソオヤジはこんな七面倒くさいことをしてるんだ?」


 横で聞いていたヘンジャクが首をかしげた。


「ヘンジャクさん。前から思ってたけど、会長のことクソオヤジ・・・って」


 ユウが尋ねると、ヘンジャクは苦り切った顔になった。


「あのクソオヤジが生まれる遥か前から“ヘンジャク”は存在しているんだけどな……初対面の時に年下で、しかもとんでもない借りを作っちまってな。以来頭が上がんないんだよ」


 いろいろと気になる言葉が含まれていたが、突っ込みがたい雰囲気だった。


「そうそう、最初の話だ。あのノヴやモラウはともかく、その弟子たちより腕の立つハンターくらい、いくらでも融通利かせられるだろうに、なんでわざわざ馬鹿弟子の友人を鍛えるみたいな面倒な真似をするんだろうな」

「それは」


 言いかけて、ユウは止めた。
 副会長や審査委員会に足かせをはめられていても、ネテロならばナックルやシュート以上のハンターを都合できるのかもしれない。

 しかし。ナックルやパーム、それにゴン。
 彼ら以上に強烈な動機を持って自体に当ろうとするハンターは存在するだろうか。

 キメラアントのために、師匠のために、そして恩人のために。
 彼らは命をかけられる。
 その覚悟をこそ、ネテロは求めているのかもしれない。
 ユウはそう思う。
 敵は、老いたりとはいえハンター最強をほこるネテロ会長より、強いのだから。

 そして、ユウ自身も。
 ヘンジャクの疑問から生じた問いに、答えなくてはならない。


 ――俺は、仲間のためなら、命をかけられる。


 ユウの覚悟の定めどころはそこだった。
 仲間、とはシュウであり、ミコであり、アズマやマツリたちである。
 キメラアントとなったパイフルらは含まれていない。それゆえ、積極的にキメラアントを攻めることを、ユウは考えていない。

 だが、ここに至ってユウに迷いが生じている。
 原因はゴンとキルアである。
 ひと月近い時間をともにしたふたりの少年たちを、ユウは知らず、仲間のように感じていた。








 ゴンたちのNGL入国と同日。
 キメラアントを狩る存在を追っていた白虎のキメラアント、パイフルは、煙に遭遇した。
 霧状に森を覆うそれをみて、パイフルは確信する。
 これこそが、キメラアント消失の原因であると。
 ほどなくして、パイフルの体は煙の中に沈み消えた。

 出たさきは、キメラアントにとっての地獄だった。
 封鎖された“箱”のなかには、同胞の躯が乱雑に転がっている。
 窓もない。扉もない。逃げ場のないそこに、この地獄を現出させた元凶がいた。

 人間の老体、とは思わなかった。
 パイフルの目に映った彼は、地獄を我が物顔に睥睨する悪鬼羅刹。
 噴き上がる恐怖を抑え込み、白き大虎は静かに構えた。
 その身からオーラが奔出する。念能力“暗然悄魂功”の悲壮を加えたオーラは、渦を巻いて層倍に膨れ上がる。


「ほっほう」


 鬼が声を上げた。
 強者に対した、それは喜びの声か。纏うオーラは、理不尽なまでに練磨されている。

 拳と拳が噛み合った。
 一合にして、敵わぬことを知った。

 それでも、パイフルは往く。
 狂風を巻いて吹き荒れる鋭い爪は、しかし敵には当たらない。
 受ける拳は、一合ごとになお重くなっていく。
 五体で拳を受けぬ場所はなく、鋼の強度を誇る獣毛は千々に乱れた。

 それでも、パイフルは退かない。
 この悪鬼が、女王にとって最大の脅威であることは、疑いようがなかった。
 ならばせめて、腕の一本、目玉一個でも、地獄の道連れにすることが、パイフルの使命だった。

 パイフルは構えた。
 命を差し出す特攻に移るための構え。
 その覚悟に、鬼は応えた。鬼の掌が、胸の前で静かに合わさる。


「私は、パイフル」


 白き大虎は、敵将に向かってそうするように、名乗りを上げた。


「女王軍軍団長代行、パイフルだっ!」


 白い巨体は紫電のごとく敵に襲いかかる。
 鬼は無情に答えた。


「そうかね。わしはただのジジイじゃよ」


 その背後に、パイフルは仏を見た。






[9513] Greed Island Cross-Counter 30
Name: 寛喜堂 秀介◆356db487 ID:a45bd770
Date: 2009/10/16 22:33


 ブラボーらの居る集落へ向かうユウに、同行した者がいる。
 ノヴとシスターメイである。
 シスターメイとはこのときが初対面だったが、ユウは一目で彼女を同胞と見破った。
 シスターとメイドさんが合体したような奇妙な格好で、そのうえ銀髪である。丸わかりだった。

 集落へとつながる扉を出るまでに二、三言葉を交わしたが、ユウはそれだけでほぼ完璧に彼女という人物を理解した。
 強い脱力感を伴う作業だったが。

 四次元マンションの出口は集落の真ん中である。
 ユウたちが出てきたところへ、真っ先に駆けつけてきたのはシュウだった。


「なんですぐに連絡くれなかったんだ!」

「いや、だって。お前NGLにまともに入ってるから携帯持ってないし。急がないとパーム怖かったし。
 だからヘンジャクさんに、ノヴさんが来た時伝えてくれるようたのんだんだからちょっと怒るのは待ってくれいまの体調じゃまずい!」

「ふん……まったく、こんなに痩せて。心配させんなよ」


 そんなやり取りの横で、シスターメイは「鉄板カップリングキターッ!」とか言いながらはしゃいでいた。

 その騒ぎっぷりに、三々五々と人が集まってきた。
 驚きの声を上げたのはそのうちのふたりだった。
 黒髪仏頂面の少年と、金髪碧眼猫目ツインテールの美少女。
 アズマとツンデレである。
 彼らは声をそろえてシスターメイの名を叫んで跳びついた。
 ふたりの体がシスターメイを通り抜けたので、今度は見ていた皆が驚くことになったが。


「シスターメイ!」

「変態シスター! 一体どうやって戻ったんだ!?」

「いやアズマ。そのあだ名を公衆の面前で呼ぶのは、おねーさんどうかと思うな……」


 涙目のツンデレに続くアズマの発言に、シスターメイは軽く抗議する。
 それから、かるく近況を交換したあと、彼女はなにげない調子でアズマたちに尋ねた。


「ところでおふたりさん、子供はまだ?」


 この発言にツンデレは吹いた。
 興味のある輩が目を輝かせて寄って来た。


「ロリ姫が憑いてるのにできるわけないだろ」


 アズマはこういうことを真顔で言う。
 ツンデレは顔を真っ赤にして不思議な踊りを踊っていた。

 集まった面子にポックル、ミコお嬢様、虹色少女ライとキャプテン・ブラボーの姿はない。狩り(ハント)に出かけたのだと、シュウが説明した。


「彼らが戻って来るまで、待たせていただきましょう」


 ノヴは眼鏡を正しながらそう言った。
 ブラボーたちが帰るまではまだ時間がある。ユウは眠ることにした。
 仮寓していた家屋に入り、ベッドの上に倒れこむと、ユウはすぐに寝息を立て始めた。









 ユウが再び目を開けたとき、すぐ横でミコが寝ていた。
 甘え癖のある彼女は、ときどき他人のベッドにもぐりこんでくる。
 一時期同じ宿でともに過ごしていたユウは、それを知っていたから慌てなかった。

 だが。
 ちょうどユウを訪ねてきたシュウを混乱させるには充分な光景である。


「え? ちょ――ちょ……なに状態?」

「なんでもない。ミコはときどき甘えてこういうことやるの」


 目を眇めて勘違いを正すと、ユウはミコを起こさないよう、静かに布団から抜け出た。
 とたん、くう、と腹が鳴った。
 シュウの表情が、苦笑に変わった。


「飯だろ? いま作ってやるよ」


 シュウが最初に持ってきたのは、りんごかそれに類する果物だった。
 口にすると温かい。火を通してあった。そのせいで甘みが丸くなっており、飢えた体に障ることなく溶けていく。
 つぎにミルクとスライスしたパン。いずれも温かい。厚切りのハムを焙ったものを出され、ユウはこれも平らげた。


「このハム、どうしたんだ? ここにあった肉気の食べ物って軒並みキメラに喰われてたろ?」

「近場の集落でもらってきた」


 ユウの疑問にシュウはそう答えた。


「おかわり」

「だーめ。喰いすぎはかえって体に毒だ」

「うー」

「そんな眼しても駄目だから」


 シュウはあらためてため息をついた。


「まったく。痩せすぎ。ちゃんと食ってたのかよ」


 ユウは生笑いでごまかした。
 ヘンジャクの点滴と睡眠で血色は戻っているが、体重はまだ戻っていない。


「そういえば俺、どれくらい寝てた?」

「丸一日くらいかな。外出てた連中もとっくに帰ってきてる。そのあと集まって会議してたんだけど、お前、起きなかったしな。あんだけの騒ぎだったのに」

「騒ぎ?」

「マツリがわたしも連れてけって暴れてな。ツンデレが殴って止めた。ありゃどうみても――いや、まあ、そんな騒ぎがあった」

「マツリが? いや、そうか。あいつは仲間を助けたいんだもんな」

「だからこそ、女王討伐には連れて行けないんだろうけどな」


 シュウが言った。
 マツリには感情的なところがある。そのうえキメラアントに同情的なのだ。作戦に折り込めないのは仕方がなかった。


「あれ? “わたし”?」

「目ざといな。ああ。アズマがな、むこうの作戦に参加することになった。成功率上げるためにあいつの念能力が欲しいんだと」


 その作戦について、シュウはざっと説明を加えた。

「なんてむちゃなこと思いつくんだ」


 ユウはあきれ交じりにつぶやいた。


「発案はシスターメイみたいだけどな。ネテロ会長もよく採用したとおもう」

「あのひとか」


 出会ってごく短いが、彼女がかなり無茶な性格だということは分かっている。
 彼女が考えたと言われると、ユウも不思議と納得してしまう。


「なあ、シュウ」


 ユウは切り出した。


「俺も、向こうの作戦に参加するよ」

「言うと思った」


 あらかじめわかっていたと言うように、シュウは苦笑し、そして言った。


「なら、オレも行く」

「シュウ」

「仲間を助けたいって想いは、お前だけのもんじゃないさ。もっとも、オレの仲間はユウだけだけどな」


 後半は、つぶやくような小声だった。
 シュウの決意に返す言葉を、ユウは持ち合わせていなかった。








 それからすぐに眠り、また目が覚めたとき、ゴンたち五人が姿をあらわした。
 ユウは半ば驚いた。
 ゴンたちが来る可能性を六分、ナックルたちが来る可能性を三分とみていたのだ。五人で来るのはそれ以外の可能性のひとつでしかない。
 しかし、ゴンがいると、妙に納得もしてしまう。だから驚きは半ばであった。


「どうやら、賭けには負けたようですね」


 ノヴがため息をついた。
 ユウの知識では、彼は五人全員が来ることに賭けていたはずだが、逆の目に賭けていたようだ。変に事前知識を与えられていたからかもしれない。

 パームは師の横にいるシスターメイに対して殺せる視線を送っていたが、実害があり得ないためだろう。彼女はどこ吹く風だった。
 久闊を叙し、彼らがネテロたちのもとに赴く段になって、ようやくユウはゴンたちに言った。


「俺と、シュウも行く」


 それについては、ノヴやブラボーらも了解済みである。
 ミコも行きたがったが、彼女の能力はむしろブラボーたちのほうが必要としていた。彼女はへそを曲げ、見送りには出ていない。
“蜂”の警戒網に反応があったせいで、ブラボーやライたちはこの場に居ない。
 見送りはツンデレだけだった。
 ノヴとシスターメイ、それに続いてゴンたち五人もつぎつぎと“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”の“扉”へ飛び込んでいく。


「ツンデレ、あとを頼む」

「まかせて。アズマも気をつけて」


 短い言葉のやり取りの後、アズマはあっさりと“扉”の中へ消えていった。
 そのあとをじっとみつめるツンデレを横目に、ユウたちも続いた。








“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”の一室で、一同は集まった。

 ネテロ会長。
 モラウとその弟子、ナックルにシュート。
 ノヴとその弟子パーム。
 ゴンとキルア。
 アズマとシュウ、それに、ユウ。

 これが作戦に参加する全員である。
 あらためて、みなの前で作戦の説明がなされた。
 駒が増えたことで。また、それぞれに思うところがあるせいで、当然詳細は変わっている。


「みな、よろしく頼むぞ」


 そう言ったネテロの体からは、触れただけで斬れそうなほどに研ぎ澄まされたオーラが放たれていた。

 その日はゆっくりと休息をとり、翌日、日が昇ってから、作戦は決行された。








「オルァーッ!! オレぁビーストハンター ナックル・バインだァ!! キメラアントどもォ出てきやがれェッ!!」

「……バカだ。馬鹿がいる」


 キメラアントの巣に向かって叫ぶナックルの大音声を耳にして、ユウは肩を落とした。
 真正面。
 ナックルは真正面から巣へと向かっている。


「真っ向からぶつかりあって、ヤツらのことを理解わかりてえ」


 まさに言葉通りの、彼の行動だった。
 一緒に居るにもかかわらず止めていないシュートも同罪である。


 ――それを含めて、陽動役に指名されたんだろうけど。


 裏手から回るユウは口の中でつぶやいた。
 すでに巣は近い。
 ネフェルピトーの禍々しいオーラが結界のように巣を覆っている。
 ユウは畏れを感じざるを得ない。
 人では理解し得ない心の働きが、不吉なオーラのゆらめきから、否応なしに観て取れる。
 それが一瞬、ゆらめき、消えた。
 ナックルたちがネフェルピトーの結界に触れたのだと、ユウは判断した。


「行くぞ」


 ユウは隣のシュウに声をかけた。
 恐怖はある。実際の重量さえ備えたそれに、ユウは抗える。
 友を守る。その目的と、なにより隣にシュウがいるから、それができた。


「ああ」


 シュウは短く答えた。








 戦場を俯瞰する。
 キメラアントの巣の正面からナックルとシュートが殴りこむ姿勢を見せている。
 キメラアントたちは迎えうつため、ばらばらと出てきている。
 巣をはさんでその対角で、ユウたちは潜入の隙をうかがっていた。

 先陣を切るキメラアントの部隊長にたいするナックルの一撃で、戦いは始まった。
 ナックルたちはたったふたりだが、敵にそれを斟酌する義理はない。
 キメラアントたちは獲物に向かってわれ先に殺到した。

 苛烈な乱戦となった。
 だが、ナックルにとって乱戦はむしろ望むところである。
 相手側はそこら中味方だらけで著しく動きが制限される。
 これに対してナックルたちは当たるを幸い暴れまくればいいのだ。
 逆境に強いシュートにとっても、この強い重圧をともなう戦場は、本領を発揮できる理想の空間だった。
 彼らは臆することなく堂々と戦っている。
 
 それからしばらくして、ユウたちの存在に気づいたキメラアントたちが、裏手から迎撃に出てくる。
 こちらはナックルたちの正面からの突撃に不信を覚えた、知恵の回るキメラが含まれている。
 彼らの率いる兵たちは、念能力習得時に数を減じたとはいえ、統制ており下手に乱戦に持ち込めば、乱す隙なく圧殺されるは必定である。

 ユウたちは気配を消して潜行しながら、一体一体確実に“削る”作戦に出た。
 ユウの本領であり、援けるシュウも危なげなく仕事をこなす。
 なかには原作で見たキメラアントもいる。しかしユウは迷わない。
 
 キメラアントたちが迎撃に出たことで、巣が空いた。
 もともとネテロらの“削り”などによってその総数は著しく減じている。
 夜行性で眠っているものを除けば、巣の中にはわずかな員数しか残っていない。

 空の巣のなかに、不意に手の平ほどの大きさの、折りたたまれた紙片が舞い込んだ。
 びっしりと得体の知れぬ文字で覆われた紙片の隅には、昆虫の爪と思われる欠片がつけられている。

 紙片は宙をゆらゆらと舞い、巣の奥へと潜っていく。
 女王の間の手前にそれが来た時、異変が生じた。
 紙片の中から指がにょきりと伸びたのだ。

 オーラを纏った指先が、紙片の隅に触れる。
 その瞬間、紙片がばらりと広がった。
 如何様な織り方か、指先を中心に残したまま、紙は一メートル四方に展開する。

 その中央から。
 五人の人間が飛び出してきた。

 彼らは迷うことなく、おのれの目的に向かい、一直線に駆けた。







[9513] Greed Island Cross-Counter 31
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/11/10 01:20
「ねぇ、眼鏡」

「ノヴです。シスターメイ」

「眼鏡の念能力ってフラットなものであればどこにでも“扉”作れるよね? それで思いついたんだけど」

「なぜ、オレの念能力を詳細に把握しているのかは知りませんが……って聞いていませんね畜生」

「“神字”――オーラを込めて書くことで、物とか空間自体に特定の効果を持たせるやつね。あれで、“練”すると接着力を失う箱とか見たことあるんだけどね。それ、紙で出来ない?」

「……ふむ。貴女の言わんとしていることはわかりました。つまり、“扉”をつくった紙を折りたたみ、“神字”で接着、“練”に反応して開くように細工する。それをキメラアントの巣に送り込み、奇襲をかけると?」

「Exactly(その通りでございます)!」


 シスターメイは格好をつけて一礼した。


「はぁ。それで、それをどうやって巣に運び込むんですか?」

「え? あ、そりわ……私がぱーっと潜入して」

「はっきり言いましょう」

「はい?」

「あなたの技量と、そのハデな頭と格好では、潜入は不可能です」

「デスヨネ!」


 と、彼女の案を却下したノヴだが、発想自体は否定しなかった。
 考えてみる価値はある、と思ったが、彼はそれを言葉にはしなかった。
 シスターメイが調子に乗ることは目に見えていたからである。
 
 ともあれ、ノヴはシスターメイの話をそのままネテロに持っていった。
 作戦はネテロたちによって補強されたのち、仏頂面の黒少年アズマと、ノヴの弟子パームの参入により、よりリスクを抑えたものに仕上がった。


 ――“返し屋(センドバッカー)”。


 物品をその所有者へと送り返す、アズマの念能力。
 漂着した女王の体の一部に念能力を施せば、必ず女王のもとへと届く。
 これに“神字”を施した紙をくくりつけ、目的の場所でオーラに反応させて広げる。
 タイミングを計るのは、パーム。
 瞳に写した対象の姿をを水晶玉に示す彼女の念能力があれば、紙の行方は確実に追える。
 そして巣の間取りから女王の部屋までは、シスターメイがすべて把握していた。

 残る問題はただひとつ。
 この紙を、どうやって無事に送り届けるかである。
 いかにキメラアントといえど、紙が巣の中をふらふら漂っていれば怪しむ。
 それを避けるには、どうすればいいか。

 その答えが、ナックル、シュートによる正面からの攻撃と、シュウ、ユウによる逆方面からの奇襲。
 二重のおとりで敵を引きつけた隙に、紙はひそやかに巣に侵入し――目的地に到達した。

 女王の間の、出入り口。“神字”の接着が解け、紙が一気に広がる。
 最初に現れたのはネテロだった。
 それにノヴ、モラウが続く。
 女王の間に入った瞬間、モラウが手に持つ巨大パイプをふかし、煙を吐き出す。それは部屋中を覆い尽くすと、何物にも負けぬ鉄壁の監獄と化した。


 ――“監獄ロック(スモーキージェイル)”。


 モラウが持つ念能力の応用技だ。
 女王の間は閉鎖された。
 だが、彼らはすぐに気づいた。
 自分たちが、遅すぎたことに。

 女王の間はキメラアントの残骸が散らばっていた。
 数体のキメラアントが放心したように立ち尽くしており、彼らに囲まれるようにして、胎を破られた女王は息も絶え絶えに天井を仰いでいた。


「こりゃあ」


 モラウの声は硬い。
 修正した予想より、さらに速い。考えうる最悪のケース。


「見ての通りだ。女王に子を産むちから・・・はない。ここに居る我々は降伏する。どうか女王を――助けてくれ」


 表情を見せず、コルトは声を落とした。








 ゴンとキルアは、ネテロたちとは逆方向に駆けた。
 彼らが救うべきはゴンの恩人、カイト。当たるべき敵は護衛軍のひとり、ネフェルピトーである。

 ゴンの指先には二本の髪の毛が括りつけられている。
 それぞれカイトとネフェルピトーのものだ。彼らが戦った場所で採取したものである。
 髪にはアズマの“返し屋(センドバッカー)”がかけられており、それぞれの目標をまっすぐにさしている。

 ゴンは唐突に足を止めた。
 二本の髪が、それぞれ別の方向を指したからだ。
 いや、ただそれだけならば、ゴンは迷いなく敵のほうへ走る。ゴンとて己がなすべきことは分かっている。
 だが、ネフェルピトーの髪は外、それもはるか彼方をさしていた。

 追いついたキルアは後ろから覗き込んで、一瞬で事態を把握した。

 どのような理由か、ネフェルピトーは外へ出ている。
 戻ろうにもすでに女王の間は“監獄ロック(スモーキージェイル)”で閉じられている。あらかじめ渡された紙の“扉”で脱出する手はずになっていた。

 であれば。
 ゴンは迷いなく走り出した。
 いま、彼がなすべきことは、ひとつしか残されていなかった。
 キルアもゴンの思考を追って、あとに続いた。
 あのキメラアントはどこへ行ったのか。生じた疑問をその場に残して。

 カイトはすぐに見つかった。
 階層をひとつ下った東の間。探すに困難はない。
 だが、それからが、ゴンにとっての地獄だった。

 カイトは。
 うつろな瞳で。
 意味のないうなり声を上げて。
 そこに、いた。

 ゴンの瞳から光が消えた。


「カイト」


 声が震えている。


「大丈夫……もう、大丈夫だよ」


 ゴンはゆっくりとカイトに歩み寄り。
 横薙ぎに払われた拳でふっ飛ばされた。


「ゴンっ!?」

「――っ、平気」


 口から血を滲ませて、ゴンは立ち上がる。


「だから、キルア。手は、出さないで」


 そしてきっぱりと、加勢を拒絶した。

 カイトの攻撃は機械的だ。
 そこに人の意思は感じられない。
 だから、ゴンはすぐに気づいた。カイトがどうなってしまったか・・・・・・・・・・


「あの時以来だね。カイトに殴られるの」


 幼いころ、ゴンはキツネグマの縄張りに入り込み、自業自得のように襲われて。そこをカイトに助けられた。殴られたのはその時のこと。


「あれは痛かったなあ」


 静かに。殴られながらも、ゴンは歩みを止めない。
 あまりに単調な攻撃。
 ゴンが憧れさえしたカイトの身のこなしは、無惨に奪われている。
 ゴンはおのれの罪を、体に刻みつけるように、攻撃を喰らい続けた。


「ゴン!」

「来るなッ!」


 キルアに向けて、ゴンは手を振り払った。


「邪魔したら。オレはキルアを許さない」


 言いながら、ゴンの瞳はカイトを捉えて離さない。
 その、カイトの手に。
 唐突に、抽象化されたピエロが現れた。


『ヒャッハー! 皮肉な相手だなデクノボウ!』


 気狂いピエロが悲しく騒ぐ。


『ドゥルルルルルルル――2!』


 それは、カイトの腕で鎌状に変化し。
 振るわれた。

 キルアは、とっさに跳んだ。
 ゴンは、避けない。
 真空の刃が、泥と糞で固められた土壁を裂いた。

 その、内側で。
 ゴンは、カイトに、抱きついた。


「ごめんね、カイト。オレ達のせいでこんな……」


 ゴンの声は涙に濡れている。


「少し……休んでいいよ。後はオレ達に任せて」


 カイトは動きを止めた。
 ゴンの言葉によって、ではない。もっと過酷で凄惨な現実による産物。

 ゴンの目にはたしかに映った。
 カイトを残酷に操る、人形繰りの姿が。


「これが」


 ゴンは見て悟った。
 カイトが、だれに操られているか。
 人形繰りから感じる禍々しいオーラは、忘れられるものではない。
 ネフェルピトー。猫の特徴を持つ強力なキメラアント。
 それが、カイトをこんなありさまにした張本人だった。


「カイト」


 ゴンの瞳が、怒りに燃えあがる。
 カイトの有様を、しっかりと目に焼き付けて、ゴンは言った。


「オレが、絶対に、元に戻すから」


 ゴンの手が、ふたたびカイトの胸に触れる。
 瞬間。
 ゴンは真横に吹き飛ばされた。


「ゴンっ!?」


 壁に打ち付けられたゴンを気遣う暇もない。
 カイトは、次にキルアを狙った。


「――!?」


 鋭い差し足に、キルアは身を低くして迎えう――


 ――逃ゲロ。


 呪縛が、顔を出した。
 カイトの拳を腹に食らい、キルアの体は壁際に吹き飛ばされた。
 それを追うカイト。
 キルアは腰を浮かし。
 ふたりのあいだに、ゴンが割って入った。


「カイト」


 カイトの拳を真っ向から受け止めて。


「ごめん。オレ、バカだから、どうしたらいいかわからないけど。
 カイトが止まらないのなら。オレは……オレがカイトを止めなくちゃいけない」


 心の震えを押さえて、宣言した。








 ゴンのその姿を後ろから見せられて、キルアはたまらなくなった。
 ゴンは友達だ。
 友達が苦しんでいるのに、キルアは何もできない。
 体が動かない。カイトという脅威を前に、体が逃げろと全力で叫ぶ。


 ――イヤだ!


 キルアは心の中で叫んだ。
 ゴンは、キルアの、生まれて初めての友達なのだ。
 それを見捨てて逃げられるはずがない。
 
 だが、体は動かない。
 逃げられないならせめて目をつけられぬようにと体は不動を命じる。


 ――動け、動けよ! なんで動けないんだよ! 見ろよ! ゴンがやばいんだよ! ゴンじゃあのカイトにも勝てるわけないじゃん! 見殺しにする気かよ! 動け! 動けっ!


 キルアは呪縛に抗う。
 だが、都合のいい奇跡など起きない。


「おお? お前、たしかあの時のガキじゃねぇか」


 起きたのは奇跡ではなく運命の悪意。
 翼腕を持つ耳長のキメラアント、ラモットが、東の間の入り口に姿をあらわした。


 ――逃ゲロ。


 声がささやく。
 身が凍る。
 その様子を見て、ラモットの顔が喜悦に歪む。


 ――逃ゲロ逃ゲロ。


 声がささやく。
 ラモットが残忍な表情を浮かべ、近づいてくる。
 後ろにはゴンがいる。恩人を相手に、悲壮な戦いを続けるゴンが。


 ――オレの大事な……友達。

 ――逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ逃ゲロ。


「うあああああああああっ!!」


 咆哮。
 助けを求める悲鳴ではなく、抗うための。
 脳が痛む。
 声が響く。
 その、元凶を。キルアは。根元から――抉り抜いた。


 「はは……やられた……」


 キルアの手には、呪縛の源がある。
 親指ほどの長さの、ごく細い針。


「イルミの野郎、こんなもん刺し込んでやがった。オレの脳(アタマ)ん中にさ」

「なに言ってやがる。イカレタか?」

「わからなくていいよ。お前はここで――死ぬんだから」


 言ったときには行動は終わっている。
 ラモットの頭部はえぐり取られ、すでにキルアの手の中にあった。
 おそらく、ラモットは自分がどうして死んだかも分かっていない。
 キルアはラモットの頭を、その場で握りつぶした。


「はは、すげーすっきりしてる。脳みそ引き抜いて冷たい水でジャブジャブ洗ったみてー」


 奇跡は起きない。
 起こるのは必然のみである。
 だが、必然を起こすのは人の意志なのだ。








『ドゥルルルル――3!』


“気狂いピエロ(クレイジースロット)”は棍棒と化す。
 手繰り回す風切り音は重く、鈍い。
 死の音を振りまきながら、カイトが得物を振りかぶる。

 カイトが具現化する武器は固有の特性を持つ。
 武器の性質がわからぬ以上、ただガードするわけにはいかない。

 ゴンの選択は、回避。
 速度の差は先読みで埋める。
 多少複雑になったとはいえ、カイトの動きは機械的で至極読みやすい。
 避けるだけならば、けっして無理ではない。

 だが、ゴンが望んでいるのはそれ以上。
 カイトを止める。
 そのためには、ただ避けるだけでは足りない。
 通そうとする無理のツケは、すぐさまゴンの体に跳ね返ってきた。
 数度の被弾に骨格がきしむ。
 いずれゴンが地に倒れ伏すことになるのは確実だった。

 破綻はついに訪れた。
 ゴンの膝が、意志とは関わらず“く”の字に折れる。
 体勢の崩れたそこに、カイトの棍棒が、微塵の容赦もなく振り下ろされた。

 だが。
 棍棒がゴンの体に触れることはなかった。
 ゴンと、棍棒のあいだに、一本の手がある。それが致命の一撃を阻んだのだ。
 棍棒の柄を掴む手には血管が走っている。
 棍棒は万力に挟まれたようにビクともしない。
 カイトが武器を手放して跳び退った。残された棍棒は宙にかき消える。
 
 初めて、手の主はゴンを振り返った。
 銀髪の少年は顔に陰のない苦笑を浮かべた。
 ほかならぬゴンが、邪魔立てに眉を怒らせていたからだ。


「意地張んなよ。お前ひとりじゃカイトを止めらんねーよ」

「キルア、オレは」

「だから」


 みなまで言わせず、キルアは笑う。


「お前でもカイトを止められる、そんな方法を考えてやるよ」


 表情には遠慮も迷いもない。
 どこか吹っ切れた様子の少年に、ゴンははっきりと――うなずいた。


『ドゥルルルル――7』


 カイトがふたたび"気狂いピエロ(クレイジースロット)”を具現化する。
 形状は、刀。
 ゴンにとっては懐かしい形だった。
 細部は違えど、はじめて出会ったときに彼が持っていた刀と酷似している。


「懐かしいね。何年か前に戻ったみたいだ」


 ゴンは、まっすぐな目で、カイトを射抜く。
 透明で、真摯な瞳。
 

「オレ、あれからまた、強くなったよ。カイトを――助けるために」


 身を、沈ませる。


「見てて」


 ジャン、ケン。
 静かに吐いた言葉とは裏腹に、暴風のごときオーラが立ち昇る。

 体を傾け、飛び込んでくるカイト。
 その制空圏に踏み込みながら。
 脅威的な動体視力で切っ先を見切り。
 最小限の移動のみで致命傷を避け。
 肩から血をほとばしらせながら。


「グー!!」


 拳を、撃ち込んだ。
 カイトの体はきしみをあげながら吹っ飛ぶ。

 そのさきには、キルアが待ち構えていた。
 両手のあいだには、おおきな紙切れが揺れている。
 ノヴが“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”の“扉”を作った紙が。

 とぷん・・・と音を立て、カイトの姿は紙の中へ潜り消えた。
“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”の念空間に、カイトを隔離する。
 それがキルアの考えた作戦だった。


「押忍っ!!」


 ゴンは顔を伏せたまま、消えたカイトに一礼した。






[9513] Greed Island Cross‐Counter 32
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/12/28 20:06
 ロカリオ共和国ドーリ市。
 神医ヘンジャクが滞在する総合病院の一室に、ノヴは訪れた。
 直前まで彼が居たキメラアントの居城より直線距離で数百キロメートル。ノヴの念能力をもってすれば、費やす時間は一瞬で済む。


「そうか。王は生まれたか」


 ヘンジャクは感慨深げにつぶやいた。感傷は一瞬のことで、すぐに彼女は医者の顔に戻り、しかるべき場所へ連絡を取ると、自身は念能力によってNGL内部へとつながる“扉”に向かった。
 弟子のレオリオが慌ててそれにつづく。
"扉”をくぐろうとしたふたりの背に、となりの治療室から彼女たちを呼びとめる声があった。


「おお、来たか」


"扉”をくぐって現れたヘンジャクたちを見て、相好を崩したのはネテロである。
 女王の間にいる人間は彼と巨大パイプを担いだハンター、モラウのみだ。遠巻きにヘンジャクを迎えた者たちはみなキメラアントであり、彼女が診るべき患者も例外ではなかった。

 患者である女王に一瞥を送ると、ヘンジャクは黙ってキメラアントの群れを押し破り、女王を診ていた蛸型のキメラアントに尋ねた。


「状況は」

「胎が破られたときに、複数の重要な臓器が損傷している」


 人であるヘンジャクの目にも、このキメラアントの絶望が見て取れた。
 ネテロたちが殺したキメラアントたちを解剖して、身体構造についてかなり把握しているヘンジャクでも、別物といっていい一世代前の個体(女王)を瞬時に診ることはできない。それゆえこのキメラアントに尋ねたのだ。
 彼から話を聞きながらも、ヘンジャクは女王のあらゆる反応を観察している。


 ──二対八、だな。


 前者が助かる確率である。神医ヘンジャクの手を以てしてもそこまでしか生存率を上げられない。
 だが、そんなことはおくびにも出さず、彼女は施術を開始した。
 彼女の生をつなぎとめる念能力、“死線の番人(グリーンマイル)”が女王に訪れる死神の鎌を拒絶している。だが、それは女王の回復を保証するものではない。

 彼女たちの後ろではざわめきが生じている。
 ヘンジャクに続いて現れたレオリオ、彼が担ぐようにして姿をあらわした巨躯の主を見てのことだ。
 白き大虎のキメラアント、パイフルが、満身創痍の姿でそこにいた。


「無事だったのか」


 声をかけたのはアライグマの特徴を持つキメラアントだった。
 彼の中ではパイフルもまた、行方不明のひとりである。女王への忠誠心の強いパイフルのことである。いずれ敵に殺されたのだろうと彼らの中では結論付けられていた。
 だがパイフルは生きている。


「無事、ではないな」


 パイフルは弱い苦笑を浮かべた。
 全身に巻きつけられた包帯に血がにじんでいる。胴の部分にはコルセットの親方のようなものが巻きつけられ、ガチガチに固められている。瞳に力はなく、素人目に見ても棺桶に片足を突っ込んでいるようなありさまだった。
 パイフルは体を引きずるようにして歩を進める。その瞳が、ネテロをとらえた。


「ネテロ、会長」

「はて? おぬしとは初対面だったと思うがの」


 ネテロはとぼけた。そのさまにパイフルは苦い笑いを浮かべた。


「ああ。私が戦ったのはただの爺だったか」


 と、ほかの人間にはわからぬ言葉をつぶやいて、パイフルは重たげに一礼を送った。


「代行」

「女王の容体は」


 周りの心配をよそに、満身創痍のパイフルはまず女王の安否を問うた。
 そのパイフルらしさが、キメラアントたちを安心させたらしい。アライグマのキメラアントは安堵の息をつくと、女王について、つづいて現状を説明した。

 王誕生の折の傷で死に瀕した女王を助けるために、親女王派のキメラアントたちは討伐隊に降伏を申し入れたこと。
 すでに王は巣から立ち去ったこと。
 いちいち咀嚼して、それから、パイフルは医者の邪魔にならぬよう気遣いながら女王に歩み寄った。

 無言。
 パイフルはただ女王を見つめている。
 パイフルは無力であり、無能であった。
 となりで虚脱したように女王を見つめるコルトの姿がある。パイフルも同じ貌をしていた。








 そのころ、外ではようやく戦いが収まろうとしていた。
 すでに発せられていた降伏の報に、多くのキメラアントは戦いの手を休めなかったからだ。戦闘の興奮がそれを許さなかったともいえる。むしろ知らせに接した討伐隊の囮部隊、ユウたちのほうが気を取られて少なからず手傷を負う羽目になっていた。

 狂熱が冷めたとき、キメラアントたちがとった行動は、おおむね二種に分かれる。
 女王重篤を知り、その場にへたり込んだものと、逃げだすもの。
 前者より後者がはるかに多く、彼らの大半は、なぜかまっすぐ南東に向かって逃げた。多くのものは疲労と消沈によってそれを気に留めなかった。

 ユウもようやく血に染まった手を休めることができた。
 とは言え、ネテロたちとすぐに合流できるわけではない。戦闘そのものは終わったが、ついさきほどまで闘っていた、お世辞にも友好的とは言えないキメラアントたちが“巣”をぐるり取り囲んでいるのだ。うかつに近寄れるはずもなかった。


「ユウ」


 手近な木に背を預けていると、シュウが声をかけてきた。
 体中血と体液に汚されているのは、戦闘スタイル上、致し方ない。
 

「怪我はないか?」


 シュウの問いに、ユウは、ない、と答えた。
 正確には傷を負うたび、機を見て癒していたのだ。そのため現状は無傷であった。ただし破れた服まで治るわけではない。防刃ジャケットが破れ、素肌を見せている場所がいくつかある。
 そう言うシュウも、よほどうまく立ち回ったのだろう。打ち身や擦り傷はあるが、一見してわかるような深手はなかった。数十のキメラアントを敵に回して、奇跡といっていい浅手である。


「生き延びたな」

「ああ、生き延びた」


 たがいの生存を喜びながらも、ふたりの顔は暗い。停戦を告げたキメラアントの声は、ユウたちの耳にも入っている。当然王誕生を阻止できなかったことも知っていた。

 
「王は」

「すでに旅立った、みたいだな。気配もない。ナックルたちが正面から突っ込んで行ったあと、ネフェルピトーの“円”が消えたろ? ちょうどそのころ出たんだとだと思うけど」

「ナックルたちは無事かな?」

「たぶん、な。あいつらがやられてたら、オレたちのほうにもっとキメラたちが来てるだろう。気づかれなかった可能性もなくはないが……まさか」

「なんだ?」

「いや、なんでもない」


 シュウは一度東の空を見て、想像を払うように首を振った。


「とにかく、会長たちと合流しなけりゃ始まらない」


 もっともだとユウはうなずいた。
 現在状況を最も正しく把握しているのは、女王の間に居るであろう会長たちであることは疑いようがなかった。

 だが、キメラアントを刺激せずに女王の間へ行く手段がない。
 ユウたちが額を突き合わせて頭を悩ませていると、思いがけず迎えが現れた。
 翼を持つ、飛行型のキメラアントだ。女性型である。形状はツバメに似ていた。


「医者が呼んでいる」


 という彼女の言葉に従い、脚につかまるかたちで、巣の上層部に空けられた大穴から、直接女王の間にはいりこんだ。ユウやシュウは、王が殴り壊した穴だと知っている。

 広い室内にはすでに対象さまざまな機材が運び込まれている。さすがに設置まではされていないが、早すぎる段取りである。
 その周りに、十数のキメラアントと白衣を着た、医師団か研究者と思しき集団が見えた。

 ツバメに連れられ、ユウはキメラアントたちの輪をかいくぐった。
 巨大な寝台に身を横たえた女王と、揺らぎなく手を動かす神医ヘンジャク。それを手伝うレオリオと一体の白衣を着たキメラアントがいる。

 すこし離れたところにコルトがいる。その横に巨躯の大虎の姿を見つけて、ユウは眉をひそめた。パイフル。元、同胞。彼がマツリやセツナたちの仲間だとわかってはいても、ユウにとっては命をかけて戦った敵である。すぐに狎れる気にはなれない。

 だが、満身創痍のおのれを顧みず女王の身を案じるパイフルの様子は、ユウにとって見過ごせるものではなかった。
 一本の触手を送り、無言のまま粘液を垂らした。パイフルは避けない。体中に巻きついた包帯が溶けた。同時に体の傷も、ゆっくりと溶けるようにして埋まっていく。


「女王のお体に障ることは、なさそうだ」


 自分の体をつぶさに見てまずそう呟き、パイフルはユウに、「感謝する」と短い謝辞を返した。


「なるほど、レオリオの言う通り、使える力だ」


 どこか懐かしそうに、ヘンジャクが言った。かつて似たような能力を持つ助手が彼女に居たことを、ユウは知らない。


「これならいくつかの臓器はなんとかできるな。すまんがわたしの指定した場所に、正確に粘液を落とせるかい?」

「細かすぎなければ」


 ユウは短く答え、ヘンジャクの矢継ぎ早の指定どおり、粘液を落とした。
 女王の傷が癒えていく。だが、ユウの粘液では欠損した部分を取り戻すことはできない。いまだ予断を許さない状態が続いている。
 しかし、複数の臓器が機能を取り戻したことで、女王は多少の回復を見せた。

 その女王が行ったのは。
 ヘンジャクを振り払うことだった。
 ヘンジャクはとっさに受け身を取ることもできず、飛ばされた。
 彼女を受け止めたのはユウである。偶然ヘンジャクの後ろに居たのだ。彼女を抱えて、ユウは尻もちをついた。


「女王!? 何をなさいます!」


 声を上げたのは、パイフルよりコルトが先だった。
 女王の命をつないでいるのはヘンジャクの神技的医術とその念能力、“死線の番人(グリーンマイル)”である。生命力の強いキメラアントといえど、彼女の助けがなければ女王が死を拒絶する術などなかった。

 だが、女王もそれは承知していた。


“延命など無用です”


 キメラアントにしか理解できぬ声で、彼女はそう言った。


「女王! しかし──」


 身を乗り出して叫ぶコルトを、女王は思念のみで制した。
 女王は言う。


“私はすでに、子が産める体ではありません。女王としての私は死んだも同然で、そうなってまで生にしがみつこうとは、私は思わない”


 女王の間が、水を打ったように静かになった。
 うなだれるキメラアントたちの様子にただならぬものを感じたのか、人間たちもまた、口を開かない。


“私は満足です。王を、世界の王となるものを産めたのだから。私は女王としての役目を、これ以上ない形で果たした。このうえ望むものは、なにもない”

「女王! 生きてください! 我々にはあなたが必要なのです!」


 コルトは伏して頭を地にこすりつけた。
 それに対し、女王は同種にしかわからぬ笑みを見せた。


“世界の王に、ふさわしい名を。メルエム──と”

「女王!」


 コルトの手を。わずかに早く伸びたパイフルの手をかいくぐって、女王の爪は彼女自身の首を高く飛ばした。
 虚ろになった首を求めて、血が吹き上がる。
 コルトは啼いた。
 慟哭が女王の間で連鎖反応を起こす。
 パイフルは虚ろを掴んだおのれの手を、血がにじむほどに握りしめた。


「馬鹿野郎」


 ヘンジャクがちいさくつぶやいたのを、彼女を抱えていたユウだけが聞いた。

 ユウは女王の声を聞いていない。だから、いきなり起こったあまりの出来事に、茫然とするしかない。
 そのあと、コルトが女王のもうひとりの子を取り上げるさまを、モラウが「人を喰わない」を言う条件のもと、彼らを守ると宣言したことも、ユウは他人事のように見ていた。


「ユウ」


 それが終わったころ、ユウは名を呼ばれた。
 シュウである。至極深刻な声だ。ユウはようやく意識を切り替えた。彼に従い部屋の隅に移動する。
 そこにはネテロとノヴのほか、アズマやパームといった突入支援班も集まっている。

 ナックルとシュートも、既に到着していた。ナックルが涙を拭っているさまを見れば、しばらく前からいたらしい。キメラアントの軍勢と正面から立ち合っただけあって、さすがに傷だらけである。うち数か所は重い。ユウは即座に粘液をかぶせた。ふたりとも、黙って治療を受け入れた。
 
 面子を見まわして、ユウは気づいた。
 ゴンとキルアは別行動だから当然としても、アズマ、パームと一緒にいたシスターメイの姿がない。


「いま、ゴンたちを探しに行ってる」


 ユウの疑問に答えたのはアズマだった。
 シスターメイの念能力、“ガラス越しの世界(スタンドアローン)”は他者による干渉を拒む能力である。必ずしも一枚岩とは言えないキメラアントたちの巣を探しまわるのだ。相手を刺激しないためにも、彼女の能力は最適だった。

 だが、ユウは首を傾ける。


「“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”には戻ってないのか? 脱出用に“扉”は用意してたはずだろ?」

「ああ。ただ、部屋にはカイトがいたらしいからな。目的自体は達してるようだ。部屋をカイト捕獲に使ったせいで、巣に残されてるんだろう。
 だが、カイト以上の脅威があれば、ゴンたちは危険を冒しても部屋に避難しているはずだ。そうでない以上、無事ではあると思う」


 仏頂面で答えたアズマだが、ユウにもこれが彼の普通であると分かっている。納得して素直にうなずいた。
 ゴンが、彼の手でカイトを取り戻せたのは、喜ぶべきことだった。
 だが、ユウは不審に思った。それならば、なぜシュウが深刻な顔をしていたのか。
 ユウの表情から察したのだろう。シュートがその答えを端的に述べた。


「戦闘中、王らしき影を見た。わき目も振らず、東の空へ飛んでいった。それもすさまじいスピードで」


 その意味するところがわからず、ユウは言葉を反芻した。
 待っていられないというように、横からシュウが補足した。


「王が欲しているのは念能力者(レアモノ)だ。それが大勢いる場所を、軍団長だったピトーやプフは、部下からの情報で知っていたんだろう」


 ユウの顔色が変わった。
 シュウがうなずき、言った。


「王が向かったのはオレたちの拠点。狙いはブラボーたちだ」

「──すぐ戻ろう!」

「待て」


 前のめりになったユウの手を、シュウが掴んだ。
 王が発ったのは、一時間ほど前のこと。巣から集落までのは、彼らの足でも二日かかるのだ。急がなくては間に合わないといいうことは、決してない。


「むしろいま決めなくてはならないのは」

「──迎え討つか、決戦を後日に伸ばすか、じゃな」

「ま、答えは決まりきってるけどな」


 ノヴの言葉を、ネテロが受け継ぎ、ついで巨大パイプを背に担ぎ、戻ってきたモラウが言った。
 
 この場所とブラボーたちが居る集落では条件がまったく違う。そのうえ王が居る。王誕生阻止のため、練りに練った作戦は、すでに意味のないものになっている。ここで無理に迎え討つより、後日万全を期して挑むほうが確実ではある。
 
 だが、それをすれば、王はさらに東へ向かい、東ゴルトー王国を支配する。数十万の国民を虐殺する。
 ここで止める。それはネテロたちにとって当然の答えなのかもしれない。
 彼らの覚悟は鮮やかであり、だからこそ、ユウは気が急いている自分をちっぽけな人間とみた。それは間違いだった。

 キメラアントたちは女王の死を悼みながらも、あらたな命の誕生に希望を見ている。
 研究者たちはキメラアントたちを慮って、普通なら狂喜してもおかしくないデータの山を前に、静かに目をつぶっている。
 パイフルは女王の骸を寝台に寝かせた。キメラアントに墓などない。
 ヘンジャクは助けられなかった命を見据えていた。レオリオはその後ろに控えながら、親友の無事を案じている。
 女王の間のざわめきは、しばらく止みそうになかった。






[9513] Greed Island Cross-Counter 33
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/12/28 00:37
 キメラアント討伐隊の面々が、東に飛び去った王たちに対する作戦を練り始めたこの時、ユウの仲間たちはキメラアント狩りに出ず、集落に待機していた。

 女王討伐作戦の結果、国境にキメラアントが大挙して押し寄せてくる可能性を考え、終日待機していたのだ。

 自室で休むものもいれば集まって仲間の安否を気遣うものもいる。期待と不安を抱きながら、彼らはそれぞれの時間を過ごしていた。

 こんな時でも、全身防護服もどきを着込んだキャプテン・ブラボーは、律義に見張り台に立っている。
 討伐隊からの報せを、一秒でも早く受け取りたい下心からだろう。金髪ツインテール少女、ツンデレがそれにつきあっていた。
 だから、最初にそれを発見したのは彼らである。


「あれは」


 ツンデレの髪にとり憑く幼き亡霊姫、ロリ姫が西の空を指した。
 つられてツンデレのツインテールも西を向いた。それに引っ張られるようにしてツンデレも目を向け、ブラボーもそれに倣った。

 ふたりの表情が凍てついた。
 はるか西の空に点としか映らぬ影がある。
 そこから極悪と言っていい禍々しき気配を感じたのだ。

 影は瞬きごとに大きくなっていく。
 大気の震えがここまで伝わってくるような錯覚さえ覚える。


「王か!?」


 正体を察し、ブラボーは斬るように叫んだ。


「──っ!!」


 金髪の少女が、声にならぬ声を上げた。

 王が近づいてくる。ブラボーたちに向けてまっすぐに。
 その意味に思い至ったブラボーは、ツンデレに向けて叫んだ。


「ツンデレくん、ノヴ氏に連絡を! 狙いはここ・・だ!」


 剣幕に弾かれるように少女が台から飛び降りる。
 ブラボーも叫ぶと同時に空中に身を躍らせている。
 ノヴの念空間、“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”につながる“扉”は見張り台の傍らにある。垂直落下はそこへたどり着く最短経路。

 だが、それでも遅い。
 地に降りたふたりは、そこから一歩も動けなかった。
 彼らが着地する、その寸前。四つの凶悪な存在が目の前に降り立っていたのだ。

 人の特徴を強く有し、猫の特徴を併せ持つキメラアント、ネフェルピトー。
 おなじく人の特徴を強く残す、蝶の羽を持つキメラアント、シャウアプフ。
 人型でありながら人とは遠く離れた心性を持つ魔獣型キメラアント、モントゥトゥユピー。
 そして、王。
 並び立つ絶望の群れに、ブラボーは息を呑むことさえ、できなかった。

 王の視線がブラボーたちに向けられる。
 邪視に射抜かれたように、ブラボーの心臓の鼓動が、ほんの一瞬だけ止まった。


「間違いない──レアモノだ」


 すべてを威圧する声。瞳に喜悦の色を浮かべ、王は舌舐めずりする。


「食欲をそそる」


 王に従う三体が静かに引いた。
 食事を邪魔すまいとの気遣いなのだろう。
 ブラボーたちを危険とみる様子など、ない。


 ──彼我の距離は十メートル。


 ブラボーは心の中で計算した。“扉”は後方、約三メートル。
 たったそれだけの距離を、王に背を向けて走れば、どうなるか。
 彼の脳裏には百舌鳥のはやにえ・・・・のようになった自分の姿が、たしかな未来として映った。


 ──ならば活路は……前にしか、ないだろう。


 ブラボーは自ら前に出た。
 助けを呼ぶことは、すでに彼の頭からは消えている。
 そんなものを残していては、この暴君を相手に、一秒たりとて生き残れない。
 手段も、人選も、すべて仲間に託して。仲間を信じて。ブラボーは王と戦うことだけを心に残した。








 ツンデレは両の手で心臓を押さえ、震える。
 王を見て、その圧倒的な重圧に、思考さえ結べなくなっている。
 だが。


「小娘、臆するでない」


 静かに、言ったものがいる。
 彼女を支えるように、励ますように。それは震えながらも、頼もしい声。

 ロリ姫──リドル・ノースポイント。
 ツンデレと共に在る、誇り高き英霊。


「戦うと、決めたのであろう? あやつの横に、ずっと立って居たいのであろう? 此処で戦わずして、如何してアズマに胸を張れると言うのじゃ!
 臆するな! 戦え! 妾の、お主の信じるあやつと共に在りたいのならば、起って戦え我が朋友よ!」


 その言葉が。ロリ姫の想いが。
 ツンデレの言葉を打たぬはずがない。


「かふっ」


 ツンデレは、涙とともに息を吐きだした。
 そこから恐怖を追いだしたとでも言うように、両の拳を強く握りしめ、彼女は前に出る。


「ほう、抗う気か」


 王が哂う。
 ただそれだけで、気圧される。
 触れただけで押しつぶされそうな、すべてを蹂躙するオーラ。
 ふたりはそれに耐えた。
 覚悟と、想いを重しとして。
 ふたりのオーラが鋭く爆ぜ、膨れ上がった。

 構えるブラボーとツンデレ。王は腕組したまま動かない。


「来ぬのか? それとも──そこの陰に隠れている者が先か?」


 王の視線が見張り台に移った。
 いや、その奥。視線は一軒の民家の影を正確に射抜いていた。

 はじかれるようにそこから小柄な人影が飛びだした。ポックルだ。
 歯で引き絞る、両手十指から伸びたオーラの弓弦を、彼はすかさず射った。

 赤橙黄緑青藍紫、七色に彩られたオーラの矢。それはまさに虹。


 ──“七色弓箭(レインボウ)”


 それぞれ別種の効果を持つ七色七箭の外、ポックルの奥の手たる虹の矢である。その威力は大型幻獣種を一撃で仕留めうる。

 羽虫と巨象の戦いだ。
 おのれの持つ最強の攻撃をまずたたき込み、一穴を穿つくさびと為す。
 ポックルは間違っていない。
 それを不正解に変えたのは、単純な──力の差である。

 虹龍が猛る。
 王が哂う。
 まるで五月蠅いものでも追うかのように、王が手を押し出す。
 虹龍はそこから一ミリも進めなくなった。
 虹の軌跡が大蛇のごとく揺れる。
 七色の色彩が王とそこにあるすべての者を染めた。

 やがて光はおさまり、虹の弓箭は姿を消す。
 王の掌には微細な傷すらない。

 信じられないものを見るように、ポックルは眼を見開き、そして膝をついた。
 オーラを酷使した反動だろう、息が荒い。
 だがつぎの瞬間、ポックルは微笑を浮かべた。
 視線の先に、虹の残滓を捉えたからだ。








 ポックルと逆の民家から飛び出したのは、ライだった。

 王たちの来襲にいち早く気づき。
 身を隠して静かにひそやかに、完璧な絶を以て忍び。
 ポックルの攻撃をすら囮として。
 この虹色髪の少女は、絶対捕食者が当然の権利として持つ無警戒を突いた。

 彼女が“発”を顕す、その須臾の間。
 王とその従者たちの瞳は当然のごとく、この虹色髪の少女をとらえる。
 委細かまわず、彼女は叫んだ。


「“鉄の処女(アイゼルネ・ユングフラウ)”──最大展開!」


 具現化されるは彼女の全身を鎧う円環七十七輪少女の体からはじき出されたそれは知恵の輪のごとく連なり、広がり、敵を包囲する巨大な円を描く。


「ん?」

「にゃ?」


 モントゥトゥユピーとネフェルピトーの視線が円環を追う。
 シャウアプフの切れ長の瞳が、鋭く光る。
 王は不動。それを崩す凄味が、ライには足りない。
 だが。


 ──見てろ。凍りつかせてやる。


 気合い一声。
 念能力が発動する。
 王たちを囲う円の内を、衝撃の波がうねりをあげて荒れ狂った。

 王は平然とそれを受けている。
 だがライは会心の笑みを浮かべた。


「──む」


 王の顔がわずか、歪んだ。
 従者たちの顔色が変わった。
 津波のごとき衝撃のうねりが、力を増したのだ。

“鉄の処女(アイゼルネ・ユングフラウ)”は相手のオーラを取り込み、それに拮抗する衝撃波を吐きだす念能力だ。敵が強ければ強いほどその威力は高まる。
 しかしあくまで拮抗。どれほど強くなろうと、衝撃は相手の肉体を侵すことはない。

 だが、複数個体を包むこの最大展開状態は別。
 王プラス直属護衛軍三体分。荒れ狂う衝撃波は個々の許容量をはるかに上回る。

 耐えきれなくなった従者たちが次々と“堅”での防御に切り替える。
 それすら衝撃波に換え、衝撃の嵐は層倍に膨れ上がる。
 人間であれば、ライやブラボーですら一秒と耐えられぬ規模と威力。

 キメラアントの王は、それをも嘲笑する。


「ふ、は、はははははっ!」


 王が声を上げて笑う。
 そのオーラが爆発的に膨れ上がった。


 ──“練”。


 オーラが爆発する。
 膨れ上がるオーラの支配圏は衝撃の波を侵し、七十七の円環に接した。

 ライの顔色が変わる。
 押し広げられた円環が悲鳴を上げ──消えた。

 衝撃の波が収まる。
 額に汗をにじませながら、ライは弱く舌打ちした。

 王は無傷である。
 同じ量の衝撃を受けた護衛軍の三人は、体のあちこちに傷みが見えた。服などはボロボロになっている。
 護衛軍の一体、シャウアプフが切れ長の目をライに向けながら、王に歩み寄り、一礼した。


「王、我々に──」


 シャウアプフの顔が跳ねた。王が頬を打ったのだ。


「興を殺ぐな」

「──は。失礼いたしました」


 シャウアプフは片膝をつき、頭を下げた。
 それ無視し、王の瞳はブラボーたちに向けられる。
 王の視線がポックルからツンデレ、ブラボー、ライへと移る。


「1、2、3、4──」


 王が振りあげた右腕から念弾が生じ、ライの右手にある小屋に突き刺さった。
 重い音とともに小屋に風穴があいた。
 破片が飛び散る。風通しの良くなったそこには、ミコとマツリが身を寄せ合うようにして身構えている。その背後ではポンズが震えていた。


「5、6、7……ふむ、七匹か」


 数えて、王は言った。


「興が乗った。抵抗を許す。足掻いてみよ」

「──ならば、足掻くとしよう」


 王の言葉の熱が冷める間もなく、声を上げたのはブラボーだった。


「怖じけずに前に出るか」


 王は言う。

 否。ブラボーにも恐怖はある。
 だが。それを乗り越えて事を成せる。それこそが人の尊さだ。
 海馬瀬戸の言葉である。ブラボーもそれを信じ、おのれのなすべきことを見定めている。
 だからブラボーは迷わない。


「なにを隠そうオレは──キメラアント退治の達人だ!」


 襲いかかる恐怖を剄烈な意思で降し、ブラボーは大見得を切った。


「ほう」


 王が言った。
 表情に変化はない。
 ただ声音に意外の調子がある。
 面と向かって屈さない人間にはじめて出会ったためだろう。


「破ッ!」


 ブラボーが地を蹴った。
 その体が天に舞いあがる。


「反転流星ブラボー脚!!」


 見張り台を蹴って反転、ブラボーは王に向けて蹴りを放つ。
 王は動かない。
 流星が王の胸元に突き刺さった。

 王の体が膝元まで地にめり込んだ。
 しかし王は揺るがない。歯をむき出しにして哂っている。


「それが全力か──痒いわ」


 つぎの瞬間、ブラボーの体は上空に吹き飛ばされていた。
 尾の一撃である。
 ブラボーアイを以てしても影しかとらえられぬ一撃。
 それはたやすくブラボーの命を奪う──はずだった。


「ブラボー!」


 ライの悲鳴に応えるように、ブラボーは宙で反転し、ツンデレの横に降り立った。一瞬だけ、膝が折れた。
 無事である。外傷も見られない。

 むろん仕掛けはある。
 防弾、防刃装備。ユウとともに非正規にNGL入りした青年、レットが身につけていたそれを、ブラボーは譲り受けて装備しているのだ。

 触れたものの性能を強化するブラボーの念能力、“最大強化(パワーブースター)”により強化されたそれにより、ブラボーは王の一撃に耐えたのだ。


「ふん」


 王は地から足を引き抜き、つばを吐いた。
 尾の一撃に合わせて、ブラボーは王の顔面に蹴りを入れていたのだ。


「殺すつもりで殴った。それを餌ごときに受けられ、あまつさえ反撃さえ受けるとはな」

「どんな気持ちだ?」

「……ふん。食前の運動程度には、楽しめそうだ」

「それは……ブラボーだ!」


 ふたたび王とブラボーは対峙する。
 言うまでもなくブラボーが圧倒的に劣勢。
 でありながら、誰もそこに飛び入ろうとしない。

 ロリ姫はそれを咎めない。
 下手な横槍は、王の興を殺ぎかねない。
 王の酔狂の上に成り立つ仮初の拮抗であることを、彼女は理解していた。


 ──どうしたのロリ姫。いつもみたいに行けって言ってくれないの?


 心で問うたのはツンデレである。
 面には不敵な表情が浮かんでいる。


 ──わたしは行くわよ……信じてるから。仲間を、アズマを、ロリ姫を、ミコちゃんたちを。そしてみんなが信じてくれている、わたしを!


 震える手を握りしめ、ツンデレが歩を進めた。
 ロリ姫は笑った。


「応。我ら一心一体・・・・。おぬしが信じる道を、共に歩まん!」


 ブラボーのとなりに、ツンデレは歩み入った。
 時を同じくして逆側に並んだのは、虹色髪の幼き少女。


「まったく。こんな状況でも見捨てられないなんて。すっかり伝染うつっちまったかね」


 苦笑交じりにライがつぶやき、三者が並ぶ。

 ブラボーは止めない。
 彼ひとりでは王を足止めすることさえできない。
 脇腹の痛みに耐えながら、ブラボーはその事実を受け止めた。

 だから、三人で止める。
 覚悟は三人の思いを同じくしていた。
 王が笑う。その従者たちは王命に従い動かない。


「来ぬのか」


 王が促した。
 応じてひとりが、歩を進めた。ツンデレである。
 髪止めに仕立てられていたキメラアントの甲殻が、ロリ姫の力でドリルと化す。

 腕組を崩さぬまま、王が動いた。
 尾の一撃。鞭のようにしなうそれを、ツンデレは受け止めた。


「ほう?」


 王が目を開いた。
 試すような攻撃は、ブラボーへの一撃より格段に遅い。
 だがそれでも、体勢すら崩さずに受けられるものではない。

 物理衝撃を、オーラで相殺する念能力。
 むろんツンデレのオーラで、王の大気すら震わせる一撃に耐えられるものではない。王のオーラで、王の攻撃を相殺したのだ。

 この能力も万能ではない。
 能力を使える範囲は、両手のみ。
 受け損なえば、待っているのは死しかない。
 それを覚悟して。ツンデレは王の前から逃げない。


 ──ならば。攻撃の手を緩めるは妾の役目よ。


 不規則な軌道を描いて、ドリルが舞う。


「ブラボー!」

「応っ!」


 ライが投げた円環に合わせ、ブラボーが走る。
 それを平然と受けながら、王の攻撃はツンデレに集中する。

 攻撃は次第に速く強くなっていく。
 ツンデレの額に異常な量の汗が浮かぶ。
 不意に王が腰を落とした。このときはじめて、王は腕組を解いた。
 つぎの瞬間、ブラボーの姿が消えた。
 王は拳撃を打ち終えた体勢になっている。

 家が爆ぜた。それを成したのは、砲弾と化したブラボー。
 ブラボーは自らが作った瓦礫に埋もれ、動く気配がない。空気が凍てついた。

 ライが円環を具現化する。
 虹色少女がつぎの行動に移るよりより先に、王の尾が動いた。
 ツンデレはそれを左手で受け。右手で止め。王の攻撃軌道に入ったドリルが砕かれた。
 王が再び、拳を構える。

 血が舞った。
 ツンデレは鮮血に染まって、茫然となる。
 心臓を貫かれている。
 同胞であるエルフの少女、マツリが。

 彼女が一瞬にしてツンデレと入れ替わったわけではない。
 ツンデレの危機に走ったマツリは、間に合わぬと確信してとっさに竹簡を投げ、ツンデレを引き寄せようとした。
 それに不快の表情を浮かべた王が、尾の一撃をマツリに送ったのだ。
 胸を打ち抜かれて、マツリはその場にくずおれた。

 ツンデレが悲鳴交じりにマツリの名を叫んだ。


「順番が変わったか」


 王がつぶやく。
 血泡を吹くエルフの少女を、王の尾が引き寄せる。
 王の口が開く。
 それがマツリのやわらかい肉を食む、寸前。
 王の体が吹き飛んだ。


「あ、ああ」


 信じられないものを見るように、ツンデレが目を見開いた。
 王と入れ替わるようにツンデレの前に立ったのは、触手を背負う、黒づくめの暗殺者少女。


「ユウ!?」


 少女は答えない。その背から伸びる八本の触手は、王から延びるあらゆる力を遮るように、広がっていた。








 王が起きあがった。ほとんど同時に地面から煙が湧きだした。
 足元を白く染める煙の波の中、怒りをたたえた凄絶な瞳が、ユウを射抜く。

 はじかれるように、ユウの背から触手が消えた。
 重大な喪失感とともに、ユウは心の中で目を閉じた。

 ユウは静かに、王と対峙する。
 発するオーラは、そのありように反して高ぶっている。
 舌打ちしながら、遅れて“扉”から出てきたシュウが並んだ。そこから一歩も動かないと言うように、シュウが腰を落とし、構える。

 静かな怒りと不動の覚悟。そのありようは別でありながら、ひどく似て見えた。

 その間にも、煙は流れる。
 このとき王はなにを思い、これを見ていたのだろう。
 自分を足蹴にしたこの不遜な女を喰らうことに気を取られたのか、それとも、おのれの不可侵を疑わなかったが故の、慢心だったのかもしれない。

 煙の正体に気づいたのは、ネフェルピトーだった。
 キメラアントを狩る謎の存在。
 それが放った、人でなく獣でもない存在と同質のオーラを、ネフェルピトーは煙に見た。


「王!」


 だが遅い。
 発した声が王の心を揺さぶるよりはやく、煙は一斉に昇り、鋼に勝る硬度を持つ檻と化した。


 ──“監獄ロック(スモーキージェイル)”。


 煙の檻はそばにいた仲間を的確に避け、王と護衛軍だけを閉じ込めた。
 パームの目は、ユウやシュウを通してあたりの状況を的確に把握している。それゆえの精密操作。

 煙の発生地点から、二つの影が飛び出した。
 ノヴが地面に二か所のサインを描くと、煙は地曳網のようにそこへ引きずられていく。
 途中煙の檻は激しく歪んだが、鉄の硬さと煙の空疎さを兼ね備える“監獄ロック(スモーキージェイル)”は単純な腕力では絶対に破れない。


「さて」


 広大な室内に煙が押し寄せてくるさまを見ながら、ネテロは言った。


「各個撃破といこうかね」






[9513] Greed Island Cross-Counter 34
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/12/28 00:38
 紫煙が部屋いっぱいに膨らんだ。
 急激に広がった空間の中に、ネテロたちの敵は居た。
 ネフェルピトーとシャウアプフ。猫と蝶の特性を持つキメラアントたちだ。

 二体はネテロと、そこにならぶ存在に目を見開いた。
 白虎のキメラアント、パイフル。
 そして横にはバッタの甲殻を鎧うキメラアントがいる。
 ゴンとキルアの姿を見て、思い出したのだ。おのれが何者であるかを。自分が為すべきことを。
 だから彼はここにいる。


「ジョー」


 と、パイフルは深緑のキメラアントに呼びかけた。
 それは女王を倒しにNGLへ向かい、帰ってこなかったマツリたちの仲間の名である。

 無言でうなずいて、ジョーは構えた。
 静かに、パイフルも構える。


「おまえたち」

「王に敵する気ですか」


 ネフェルピトーが目を細め、言葉を継いだシャウアプフは目を細めた。
 オーラは剣呑。だが、パイフルは揺れない。大きく裂けた口で不敵に笑う。


「我らには我らの王がいる。我らの王の安寧のため、あなたがたには死んでもらう」


 ふたつのオーラが爆発的に膨れ上がった。
 直属護衛隊とて到底無視できるレベルではない。
 ネテロが前に出て言った。


「おぬしらはそっちの蟻んこをたのむ」


 目で促したさきにはシャウアプフがいる。
 そのシャウアプフはネフェルピトーに対して言った。


「ピトー。時間を稼いでください」

「わかったよ。何とかする」


 シャウアプフが退く。
 ネフェルピトーが前に出る。その背から人形の姿がわき出た。
 姿は操り人形。その糸は術者の手足に伸びている。


「“黒子夢想(テレプシコーラ)”」


 鳶色の瞳が霞を帯びた。
 同時にネテロも戦闘態勢を完了している。
 胸元で合掌。背負ったオーラが千手観音の姿を映す。


 ──“百式観音”。


 パイフルが静かにつぶやいた。
 彼を一撃で死の淵へ追いやったネテロの念能力だ。

 つぎの瞬間、一人と一体は交錯した。
 百式観音の掌とネフェルピトーの手足が、瞬息のうちに七度ぶつかり合う。
 八度目の攻防で双方の体がはじけ飛んだ。
 たがいに壁を地面として跳躍。再び拳を合わせる。
 掌脚の嵐が部屋の中場を埋めた。


「ジョー。すまんが盾になってくれ。私はプフどのと戦う」


 三人を足止めしろ、と言われた限り、ネフェルピトーはプフを守るだろう。
 敵のもとに向かうパイフルを、ネフェルピトーは必ず妨害してくる。その足止めを、ジョーに頼んだのだ。


「まかしとき」


 ジョーは苦笑にも似た息を吐いてうなずいた。
 だが、その作戦は叶わなかった。
 ネフェルピトーは無理やりにでもプフとの間に身を割って入り、崩れた体制からですらネテロの、パイフルの、ジョーの攻撃を止め、弾く。
 死角はなく、動きには熟練すら感じる。


「こ奴。練れておる」


 感心したように、ネテロはちいさく鼻を鳴らした。








 地上では、モラウが“監獄ロック(スモーキージェイル)”の維持に努めている。
 ひと先ず死地から脱した。
 ユウは息を吐いた。伝染したようにシュウも息を吐く。あとは虚脱して動けないようだ。


「マツリ……さん」


 疲れきったような声で呼びかけたのは、ツンデレである。
 彼女を守るために、マツリはあのような無残な姿になったのだ。

 ユウは眼を閉じて苦いものをかみしめた。
 ほんのすこしでも到着が速かったら、助けられたかもしれないのだ。
 いや。どの道触手は王に睨まれて逃げただろうし、結果はいっしょだったかもしれない。
 そういえばあれはどこへ行ったのだろうと考えていると、ふたたびツンデレの声が耳に入った。


「マツリ、さん?」


 声が上ずっていた。
 ユウは思わず振り返った。

 マツリの背中に、ユウの背から逃げたはずの触手が乗っかっていた。
 治療用の粘液が漏れている。服が解けて白い肌が見えている。
 ユウは思わずうつぶせで倒れているマツリをひっくり返した。
 王の尻尾に貫かれ、空洞になっていたはずのマツリの胸を、見たこともない様な器官が埋めていた。
 
 脈をとった。ごく弱いが、そこに脈動を感じる。
 
 
「生きてる」


 ユウはおもわずへたりこんだ。


「お前が助けてくれたんだな」


 ユウが微笑みかけると、触手がうごめいた。知性がないわけではないらしい。


「とりあえず、医者に診てもらった方がいい。蘇生するのか、それとも生命維持にすぎないのか、わからないからな」

「でも、俺のときはそのまま回復したけど」

「心臓が破れるような事態じゃなかったろ? 専門家に見てもらった方がいい」

「わたし見てもらってくる!」


 言うや、ツンデレはノヴに声をかけ、マツリの体を抱えて“扉”に走って飛び込んだ。
 ツンデレにとってはおのれの命を投げ出してまで助けてもらった恩人である。気が気でないのも仕方がない。


「ユウさん!!」


 と、ミコが駆けてきて、ユウに抱きついた。シュウの眉がぴくんと跳ねあがった。


「来てくれると信じてました!」


 それに対してユウは笑顔を向ける。


「ミコが“ハヤテのごとく(シークレットサーヴァント)”を寄越してくれなかったら、間に合ってなかった。お前の手柄だよ」


 ユウが頭柄をなでてやると、ミコは照れたように微笑んだ。


「王さまたちに“扉”に気づかれないようにするのに、気を使いましたわ」


 王に家を潰されたのを好機として、破片の影を縫って小石に擬した念獣を扉に沈めたのだ。とっさの機転は褒められてよかった。


「そういやブラボーは? まさか」

「あっちで倒れてるよ。信じらんねーけど、生きてる」


 言ったのは地面に胡坐をかいているライである。


「あ、よ、様子を見てきます!」


 慌てたようにミコが走っていった。
 それを見送って、ユウは視線を天に向けた。いつのまにか、空の半ばを雲が占めていた。








 一部始終を、遠間からのぞく者があった。
 シャウアプフである。ただし体が異様に小さい。極端にデフォルメされた、キャラクター商品のようの姿だ。
 彼の本体である。とっさに切り離して煙に巻きこまれるのを避けたのだ。


「王を閉じ込めた念能力者らしいものは、いない。閉じ込めているのは、あのパイプ。倒すしかありませんか」


 ですが、と、シャウアプフは続ける。
 視線はライ、モラウ、ユウへと移る。


「それには、やはり残している体が必要ですね。ゆっくり、気取られぬように、その限りで全速で戻りましょう。王よ、どうかご無事で」








「ヘンジャクさん!」


 女王の間に着いたマツリは、居並ぶ人間とキメラアントたちの中から目的の人物を見つけ、駆け寄った。


「ツンデレくんか」


 振り返った白衣の女は口元を潤びさせた。
 久闊を叙する暇もなく、ツンデレは弱弱しく息を吐くエルフの少女を託した。
 ヘンジャクの手がマツリに触れる。


 ──“死線の番人(グリーンマイル)”。


 どのような重傷にあろうとも、死を拒み命を守り続ける神医の守り手だ。


「わかった。この娘の命、私が預かる」

「お願いします。わたしを助けてくれたんです」


 ツンデレは深々と頭を下げた。
 そうして振り返ったツンデレは、討伐隊の面子が固まっている場所に、アズマやゴン、キルアの姿がないことに気づいた。ノヴもいない。
 戸惑いながら、ツンデレはナックルとシュートに駆け寄った。


「すみません。ほかの人たちがどこにいるか、知りませんか?」

「ああ。ゴンたちなら、さっき入れ替わりで“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”に入っていったぜ? カイトを止める方法をキメラアントの連中から教わって、安全に医者に診られるようになったからな」

「え、と、アズマは」

「ああ、あいつなら、ほれ、そっちでヘンジャクさんの弟子と話してる」


 ナックルの指さすさきに目をやったツンデレは、女王の間の隅、ちょうど王が開けた大穴のそばでしゃがみこんでいるアズマともうひとり、見知った姿を見つけた。

 レオリオである。初耳である。
 どぎまぎしながら、ツンデレは小走りにアズマのもとへ走りかけ、足を止めた。“扉”から複数人が出てくる気配を感じたのだ。見れば、ちょうどゴンたちが“扉”をくぐって出てきたところだった。

 ツンデレは目を見張った。
 ゴンの背には、眠るように動かないカイトの姿がある。
 彼女の知識にはない姿だ。じわりと感動が滲みだしてくる。ツンデレは静かに胸を押さえた。


「やはー」


 ゴンの後ろに続いて現れたシスターメイが気さくに手を上げた。


「ツンデレちゃん。わたし腹ァいっぱいだぁー」


 ほっこりしている。いいものでも見たのだろう。不謹慎である。
 そのあとからキルアとノヴが続いて出てきた。キルアはゴンに目配せすると、一度ヘンジャクのほうをうかがい、彼女の手が空いていないことを確認して、レオリオのほうに走っていった。
 ゴンはカイトを背から下ろし、そっと地に寝かせた。宝物をさわるようなしぐさだ。
 
 ややあって、キルアが戻ってきた。
 うしろにレオリオとアズマを伴っている。アズマはツンデレの姿を見て破顔した。


「大丈夫だったか」

「……心配してた?」

「信じてた。けど、心配はしてたよ」


 微妙にふたりだけの世界である。ツインテールがその存在をしきりに主張している。騒がないのが最大限の譲歩といった風情だ。
 
 カイトの体をひとしきり触診したあと、レオリオは短く息を吐いた。


「生体反応は、ある」


 レオリオが診察の結果を説明する。


「さすがにアタマん中がどうなってるか、こんなとこじゃわからねぇが、とりあえず生きてる」


 安堵のため息をついたのは、キルアばかりではない。
 シスターメイやツンデレ、アズマ──カイトが頭部を斬られて完膚なきまでに死亡している事実を知っている彼女たちは、より深いため息をついた。
 奇跡に感謝する、というより、カイトを修復したネフェルピトーの技量をたたえるべきかもしれない。

 だが、どれくらい生きているかは、知りようがない。
 植物状態かもしれない。障害が残るかもしれない。カイトをカイトたらしめている大切なものが、失われているかもしれない。

 女王の自殺を知っている者たちは、レオリオの言葉に不吉なものを覚えた。


「とりあえず、カイトを操っている念。これをどうにかしないと、どの道カイトは死んだも同然だ」


 シュートの言葉に、ツンデレは名乗りかけ、それをためらった。
 カイトを操っている念人形。それが持つ凶悪なオーラを無力化する自信を持てなかったのだ。

 ゴンは静かな目でカイトを見ている。
 見る者が見れば、それは頑強極まりないバネが強い力で押しつけられているさまに見えたかもしれない。


「考えるまでもないと思うけどね」


 不意に、口を開いたのはシスターメイである。みなの視線が彼女に集中した。


「いまの状態でカイトは自分の念能力が使えたんでしょ? だったらカイトはちゃんとカイトでいるんだよ。ピトーの念さえどうにかすれば、きっとどうにかなる。それくらいには、カイトを信じましょ」

「その念をどうにかするのが問題なんじゃねぇか」


 顔を顰めたナックルに、シスターメイは笑った。透明な笑みだ。


「──おい、まさか、やめろ!」


 彼女の意図に気づいたアズマが声を上げた。

 ネフェルピトーが施した念をシスターメイならば、除念できる。
 自分と世界との関わりを引き換えに。
 以前彼女はたった二度の能力使用でアズマたちの前から消えた。ふたたび戻れたのは奇跡と言っていい。
 奇跡は二度起きない。アズマ、そしてツンデレにとって、カイトと引き換えにしていいものではない。
 
 だがシスターメイは止まらない。さきほどとは一転した、にやりとでも表現すべき笑みを浮かべ、叫ぶ。


「漢女舐めんな! ゴンやキルアやカイトの笑顔のためなら、自分の存在くらいいくらでも賭けるわ!」


 ──“分析解析一析(サンセキ)”。


 対象を分析し、解析し、そして分解する彼女の念能力が発動した。

 しばらくして、カイトは目を開けた。
 彼は半身を起し、見守る者たちをぐるり見回した。そしてゴンと目をあわせると、自嘲と慈愛を混ぜ損ねたような、みょうな笑いをうかべて、ゴンの頭に手を置いた。


「──ゴン、つらい思いをさせたな」

「カイト」


 ゴンは最後まで言葉にできず、泣きだした。
 キルアはこめかみを掻き、ナックルはもらい泣きし、シュートはひそかに拳を震わせてそれぞれこのふたりを見ていた。

 シスターメイの姿は、ある。消えるには至らなかったようである。彼女は自分のことなど構わず、カイトとゴンを見て半ば恍惚の表情を浮かべている。

 彼女の背に、アズマが手を落とそうとして、体を泳がせた。
 いきなり胸につき出てきた腕に、シスターメイも驚いてふり返る。
 ふたりの目が逢う。
 いたずらを見つかった子供のように肩をすくませたシスターメイに、アズマは普段の仏頂面を崩して、眉尻を落とした。


「心配させるな」


 さりげなく手で表情を隠すアズマに、シスターメイはごめんなさい、と謝った。
 ツンデレはその光景に、一瞬だけ、口の端を震わせた。


「おい」


 と、そこに、背後から声をかけた存在があった。








 王たちが閉じ込められたのは、ネテロたちが待っていたそれよりやや小さめの部屋だった。
 自分たちを閉じこめる煙の檻を破らんと、モントゥトゥユピーが暴れている。
 彼の拳は、煙に埋まるばかりで、いっこうに破れる気配がない。

 王はしばしそのさまを見つめて、つぶやいた。


「オーラに包まれた煙は鋼の硬さ。衝撃は効かず、圧力にも逃げるのみ、か。なるほど、面白い」


 しばらくは物珍しそうに煙の檻を見ていた王だが、やがて飽きたのか、暴れるユピーを静止した。


「もうよい。それよりも腹が減ったな」

「は、しばらくお待ちを」


 ユピーの言葉に、王は軽く首を回した。


「余は腹が減ったと言っている」


 爛々と光る瞳は、目の前のキメラアントを捉えていた。








 モラウが、不意に顔色を変えた。
 異常を察知して、とっさに腰を浮かしたのは暗殺者少女、ユウとその相棒、シュウ、虹色髪の幼い少女ライだ。

 ミコは重傷のブラボーを看病していたし、ポックルとポンズは外──巣から逃げ散ったキメラアントの来襲に目を割いている。それを除けば残るすべてが異常に反応した。

 つぎの瞬間、モラウの“監獄ロック(スモーキージェイル)”がいびつに膨れ上がる。不規則に不自然に複数回跳ね上がった煙の幕が見張り台の高さを超え
たとき、“監獄ロック(スモーキージェイル)”はついに破れた。

 中から現れたのは、王である。
 腕組した姿勢のまま、王は地上に降り立った。

 ユウは全力で跳び退った。ほかの三人もそれぞれ王の存在に弾かれるように飛び散った。


「ふ。出口さえわかれば脆弱な檻よ」


 王はうそぶいた。
 ユウは王がやったことを、おぼろげながら理解している。
 念弾、か、それに類する中長距離攻撃で出口を探り、そこへ超スピードで跳び上がる。煙は逃げきれずに王を追う形となる。伸びに伸びた煙の幕がもっとも薄くなったところで、これを振り払ったのだ。

 むろん条件がある。
 攻撃が数メートルの鉄を貫き破る威力を持つこと。そのうえで、逃げる煙を追い越す超ジャンプ力が必要なのだ。

 だが、不審がある。
 モラウは王を目の当たりにしている。そのうえで、この超越したキメラアントを閉じ込めるに足る厚みの檻を用意したはずである。さすがにそこを見切りそこなうモラウでもないだろう。

 モラウの目利きを上回る力を、王は出した。


 ──いや。上回り過ぎている・・・・・・・・


 戦慄とともにユウはその意味を理解した。


「王! ご無事でしたか!」


 どこからか飛来した小さな影があった。
 シャウアプフである。ユウたちは知る由もないが、この群体としての性質を備えたキメラアントは最初からその本体を、“監獄ロック(スモーキージェイル)”から逃がしていたのだ。
 本体は、ほんの小さな、シャウアプフをひどくデフォルメしたすがたをしている。


「うむ」


 うなずいた王に、シャウアプフは首を左右させる。


「王、してユピーめは」

「ああ、美味かった・・・・・


 王はこともなげに言った。


「は?」

「この上もない美味だった。レアモノなどとは比べようもない」


 理解できないと言うように目を見開くシャウアプフに、王は陶然とした様子で言った。


「お前も美味そうだ」

「王!?」


 シャウアプフが意味を理解する時間があったかどうか。
 王の素早い口は、はや彼の頭部にかぶりついていた。血が飛び散った。赤い血だ。

 ユウは動けなかった。その底には恐怖がある。

 王は同族すら喰う。
 分かっていたことだった。だが、それがどれほどおぞましい行為か。ユウは目の当たりにして初めて知った。
 人が人を喰らう醜悪さにすら、比せられるべきではない。人を喰らう鬼同士が喰らい合う修羅の巫蠱を見るおぞましさだ。

 同族すら喰う王は、世界に存在するあらゆる生物を喰らうことに、なんらためらいを覚えないだろう。
 世界の敵。
 シャウアプフであった残骸を喰らう王の正体を、ユウは腹の底から思い知った。

 骸のことごとくが王の腹に消えた。
 王のオーラが膨れ上がった。
 獲物のオーラを、食べることで自分のものにできる。王の能力だ。


「まただ!! 来たぞ!! ふはははは、力が満ちて来おるわ!!」


 王が哂う。
 オーラが膨張する。それはもはや爆発の領域。


 ──ヤバイ!


 ユウはとっさに身構えた。
 衝撃が襲ってきた。ほとんど同時。“練”が間に合った。
 あらゆるものが崩れ吹き飛ばされる音を、ユウの耳は捉えた。
 視界が消え失せる。
 嵐のごとき衝撃の波が収まったとき、ユウがみたのは王の姿だけだった。

 ほかにはなにもない。家も、見張り台も、なにもかもがなくなっていた。


「ち」


 ほとんど奇跡的に“監獄ロック(スモーキージェイル)”を維持していたモラウが舌打ちした。
 その隣にはライがいる。
 ほかに地面に立っているものはない。
 ポックルも、ポンズも、ブラボーもミコも、そしてシュウすら、いまの爆発でふっ飛ばされたようだった。


「はは、吹っ飛ばされた方がよかったかもな」


 虹色髪の少女はおびえから逃避するように笑った。


「そこの人間」


 王が指したのはモラウだった。


「煙を消せ。余は早くもう一匹を喰いたいのだ。貴様らは後回しにしてやる」


 格別の温情だとでも言うような、王の口調だ。


「同族を、忠誠を誓った臣下を、喰うのか」


 ユウは、あらためて尋ねた。
 王は直言に不快げな様子を示し、それでも言葉を返した。


「ああ。それが?」

「だったら、お前は王じゃねえよ」


 吐き捨てるように、ユウは言葉を叩き付けた。
 すべてを喰らう王のもとには民はありえない。あるのはただ食料のみである。あらゆる存在の敵でしかない存在は、王にはなりえないないのだ。


「それがどうした。忠など要らぬ。余の力のもとには、すべてが均しくひれ伏す。その姿のどこが王でないと言うのだ」


 むしろ侮蔑の表情すら浮かべて、王が返した。
 その言葉を、ユウは歯を食いしばりながら笑いとばした。


「知らねーのか? そう言うのは、裸の王様ってんだよ!」


 明確な侮辱である。
 さすがに王の表情が変わった。


「気が変わった。お前はさきに喰ってやる」

「そうかよ」


 殺意ですらない、ただの食欲。それですら、向けられただけで脂汗がにじみでる。
 だがユウは引かない。背負っているものの重さをユウは知っている。
 だから。
 ユウは征く。


 ──“背後の悪魔(ハイドインハイド)”。


 敵の死角へ転移する念能力。
 対象の死角にいなければならない制約を、もうひとつの念能力で誤魔化し、ユウは王の背後へ跳んだ。

 狙うは頸椎。
 指さき一点にオーラを集め、首筋の急所を的確に打った。
 王が振り返って歯を見せた。


「いま、なにかしたか?」

「挨拶だよ」


 ユウは折れない。
 懐からちいさな刃物を取り出して王と相似形の笑いを浮かべる。


「俺は暗殺者だ。刺客にやられた王が、いままでいくらいると思う?」

「余が生まれた瞬間より、すべての王は偽物に堕したわ。偽りの王なぞ倒れて当然だ」


 心の戦いは、たがいに一歩も引かない。
 だが。


「だったら──お前もニセモノなんだろうよ」


 声はあらぬ方から聞こえた。
 同時に、王の口になにかが飛び込んだ。


「が? ぐ、ぐぐ」


 変化はすぐさま現れた。
 王が顔色を変え、苦しみだしたのだ。


 ──毒。それも王に効くほど強力な。


 さすがに暗殺者の記憶を持つユウは、症状から気づいた。


 ──でも、だれが?


 モラウではない。ライでもない。吹き飛ばされたほかの仲間たちでもない。
 戸惑うユウのすぐ隣で、盛大に息を吐きだす音がした。
 居たのは、パーカーを着たカメレオン型のキメラアント。
 ユウは知っている。
 他者に知覚されない“神の見えざる手(パーフェクトプラン)”をもつキメラアント、メレオロンだ。
 その隣には黒髪黒服の少年、アズマが仏頂面で立っている。


「効くだろう? 世界一の医者が、その主義を曲げてまでつくった特製の毒薬だ」


 凄絶な瞳でアズマを睨みながら、王はしきりに毒を吐きだそうとする。
 だが、胃をひっくり返さんばかりの嘔吐にも、苦痛が止むようすはない。


「無駄だ。毒はお前の胃袋から絶対に離れない」


 ──“返し屋(センドバッカー)”。


 持ち主のもとに品物を届けるアズマの念能力だ。
 使ったパーツはおそらく王の喰らったキメラアントの遺体の残り。それに毒を塗るなり、毒で固めるなりしたのだろうと、ユウは推測した。

 王は毒に抗おうと目を剥き声を張り上げる。
 そんな仇の姿を、メレオロンはひどく真摯にみつめている。心のうちは知りようがない。

 ふいに細いが澄んだ声がモラウの名を呼んだ。
 ユウが目をやると、“扉”からノヴの弟子、パームが顔を出していた。


「“監獄ロック(スモーキージェイル)”の解除を」


 それは分断した護衛隊の討伐終了を意味する。
 モラウはすぐさまパームの言葉に応じた。
 煙が霧散する。その奥から飛び出してきたのは、“心”一字を刻んだTシャツを着た老人。ネテロである。

 ようやくにして王は動かなくなってきた。
 そのそばに、ネテロは静かに歩みよっていく。


「人の王か」


 驚くほど明瞭な声で、王が問うた。


「いんや。強さだけでは王にゃなれんよ。人の世はいろいろと複雑でな」


 ネテロの口調も静かなものだ。


「余は、死ぬな?」

「そうじゃな。人を敵にし、同胞はらからを敵にし、すべてを敵とした、当然の結末じゃろうて」


 ふん、と王は弱く鼻息を鳴らした。


「すべてを相手にせずしてなにが王か。
 しかし、ふ。破れた以上、余は偽物だったのだろう」


 王の目が静かに閉じた。
 唇が小さく動いた。


「殺せ」


 と。

 間際に立ち合うことを望むかのよう、王に吹き飛ばされたものたちが、白虎と深緑複眼のキメラアント、パイフルとジョーが、女王の間に居た討伐隊の面々が、三々五々と集まってくる。

 ネテロが手を合わせた。その背後に巨大なオーラが浮かび上がる。
 それは観音の形を成し、ネテロの動きに合わせて王に抜き手を放った。

 ぽつぽつと雨が降って来た。王の死を悼むようだった。
 しばらくのあいだ、そこから動くものはなかった。






[9513] Greed Island Cross-Counter 35
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2009/12/28 00:34

 雨は降り続ける。
 地にまき散らされた王の血がことごとく洗い流されたころ、王の遺骸を前に不動であったネテロは仲間たちに向けて表情を崩し、言った。


「さて、戻るかね」


 ネテロの言に従い、ほとんどの人間が“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”内に移った。
 ユウたちもである。
 王が発したオーラの圧力により、建物は全壊している。集落内に休める場所はなかったのだ。

 天衝く巨人の足跡のようにすべてを踏みにじられた集落を見やって、ユウは思う。


 ──もし、王が問答無用だったら、みんな殺されてたな。


 ただ当たり前の実感を口中つぶやき、ユウは“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”に身を沈めた。

 雨音は次第に増していく。
 動かぬ王の前に、腰を落としてしゃがみこみ、動かぬものがいる。
 ナックルである。


「おう、王さまよ。てめえはどんな奴だったんだ?」


 もの言わぬ骸に、問いは落ちる。
 キメラアントを討伐することに、ナックルは反対だった。
 はぐれ者だから。外れ者だから。
 そんな理由での討伐など、許容できるものではなかった。

 むろん彼は知っている。
 王という生物が、同族すら喰らう非情の業を負う、人類の敵であることを。

 だが、ナックルは王と戦っていない。理解していない。


「本当に──コラ、毒ゥ使ってでも殺さなきゃなんねぇ、そんな奴だったのかァ?」

「そんな奴さ」


 答えるもののいない問いに答える者がいた。
 メレオロンである。
 雨の中、火のついていない煙草をくわえて、カメレオンの特徴を持つキメラアントは視線を王から離さない。


「すくなくとも、オレにとってはな……それじゃ不足かい?」


 人であったときの里親、ペギーを目の前で殺され、喰われた。
 その事実がある限り、メレオロンは王とともに天を戴くことはできない。それこそ、どんな卑劣な手段を以てしても。


「──いや」


 ナックルはかぶりを振っって立ち上がる。感傷を振り払うかのように。


「すまねぇな。オメーらに当てつけたわけじゃねぇんだ。実際オメーらはスゲェ。
 腹ァ立ってんのは不甲斐無ェオレにだよ」


 そんなことはない、と誰もが言いたかったに違いない。
 数十に及ぶキメラアントたち相手に勇戦し、その負債を抱えてなお、ナックルは王と戦う覚悟を決めていた。
 予想外に早い王の脱出と、メレオロンの参戦が、ナックルからその機会を奪ったのだ。

 王を見据えつづけるナックルの肩を、相棒のシュートが叩いた。
 思いを同じくする。そんな表情だった。
 三人はおなじ表情を浮かべ、その姿も、やがて雨中に没した。








「それにしても、よく毒が効いてくれたな」


“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”の一室に移動したユウは、しみじみとつぶやいた。


「効くだろうさ。王だって生物だ」


 と、答えたのはアズマである。ユウの横で彼女の相棒、シュウがむっと口をへの字にした。


「ただ、王の胃は念能力に深くかかわっているからな。不安はあったが、そのあたり、エロ医者──ヘンジャクも心得ている。おそらく選んだのは胃液に反応して出たガスで肺から侵す──青酸カリに近いタイプの毒じゃないかと思う」

「そういや効き目も早かったしな」


 暗殺者の記憶を持つユウは毒に詳しい。納得げにうなずいた。
 それが面白くないのか、シュウはいち早く床に座り込んでしまう。

 ユウは苦笑してそれに倣った。
 腰が落ちると自然、睡魔が生じた。当然だった。女王討伐作戦から精神と体力を削りつづけてきたのだ。
 部屋に腰を落ち着けるもの。仲間に庇われ治療に向かうもの。重傷の仲間を見舞いに行くもの、ずぶ濡れで戻ってくるもの。
 それらをまどろみの中で映しながら、ユウは眠りに落ちた。








 ユウが再び目を覚ましたとき、部屋はあわただしい空気に包まれていた。
 あちらからこちらへ、医療機器と思しき機材が流れており、白衣を着た一団がそれを指揮している。
 キメラアント研究チームが引き上げているのだ。
 その光景をぼうっとながめていると、ほかの人間も順に起きだしてきた。見れば、ほとんどの同胞が顔をそろえている。

 彼らとあくび混じりのあいさつを交わすうち、ネテロが姿をあらわした。
 拳で肩の凝りをほぐしながら、ユウたちを見まわすと、ネテロはやわらかい笑みを浮かべ、言った。


「みな、御苦労じゃったな」


 言葉がユウの胸に深く染みる。
 安堵がさざ波のように、仲間へ広がっていった。
 キメラアントに関する一連の災害、その収束を、ネテロの言葉は示していた。

 それからユウたちは、会長が施した処置と事後処理について説明を受けた。

 まず降伏したキメラアント数十体、および女王が産んだもうひとりの仔については、モラウが責任をもって保護することを誓った。
 かわりに彼らに対して、特別保護区から出ず、人を喰わないことを約束させている。これは彼らの存在を秘匿するためにも必要な処置である。

 つぎに、女王のくびきを離れ、巣を去ったキメラアントたちに関しては、心配することはない、とネテロは言った。

「王死す」の報を受けたハンター協会──というより副会長派が、本格的に腰を上げたのだという。


「この件を無事納めれば、ワシの動きを邪魔したあやつの失点が浮き上がるかたちになるからの。協力したという格好だけでも作って帳尻を合わせるつもりじゃろう」


 ネテロは鬚をしごいて意地の悪い笑みを浮かべた。
 帳尻とは言うが、逃げたキメラアントたちの数は百近い。多数のハンターを動かせるとはいえ、流血は避けられないだろう。
 もっとも、それは副会長派の実力者たちのものではありえないが。
 おそらくたとえ討伐に失敗しても、彼らの身は痛まない、そんな配慮までしているに違いなかった。


「大半のキメラアントは東南に逃げたらしい。それを迎撃するために、国境にハンターたちを集めているようじゃな」

「あちゃ」


 と、ライが顔を手で覆った。


「カチ合ってないといいけど」


 言葉の意味を理解できるものはこの場におらず、みな聞き流した。
 ネテロの説明により重要な問題を見出したためである。
 

「そういえば、外で戦ってたキメラたちも、そっちへ逃げてったな」


 思い返しながら、ユウは疑念を口にする。


「でも、まとまって、ってのもおかしな話じゃないか? 女王が死んだら上位のキメラアントたちはそれぞれ“王”を目指すんじゃなかったか?」

「それを──主導した者がいる」


 低い声が飛んできた。
 医師団に混じって現れた白虎の姿を持つキメラアント、パイフルのものだった。
 彼に続いて深緑のキメラアント、ジョーが、シーツにくるまれたマツリを抱えて現れた。
 危険な事態を脱したらしい。マツリのほほには血の気が戻っている。それを確認してから、ユウはパイフルに説明を促した。


「キツネ──“最古の三人”のひとりだ。やつは女王健在の折から自分の手足となる集団を組織していた。女王になにかあれば、自分の集団に合流するよう声をかけてもいたようだ」

「なるほど」


 ユウはうなずいた。


「そいつ──キツネは女王が死ぬことを知っていた。だからその後のことを用意していた……やはり同胞。あんたらがパイフルとジョーだから、自動的にマト、になるのか?」


“最古の三人”が女王に返り討ちにあった同胞三人であることは、事情を知る者にとって共通認識だった。
 だが、パイフルとジョーはたがいに顔を見合わせた。


「まさか」


 かぶりを振ったのはパイフルである。


「マトは、キツネのような奸悪の性ではない。性格に多少問題はあったが、方向性が全く違う」

「ぶっちゃけ女の前以外ではフルオープンにスケベやったんやけどな。自称“いろんな意味で紳士”やもん。でもええ奴やったで」


 パイフルがぼかした言葉を、ジョーがぶっちゃけた。
 その時、マツリのシーツが持ち上がり、こぼれ出たジョーの肩をトントンとたたいた。


「ん? なんや?」


 触手は黙って己を指す。しつこく指す。ひたすらに指す。


「……まさか、お前がマトさんやっちゅーんか?」


 不審げな声でジョーが尋ねる。
 ヤドカリから生えた八本の触手がそろってうなずいた。


「んなアホな」

「いや……そうか」


 かぶりを振ったジョーに対し、パイフルは腑に落ちるところがあったようだ。


「私がこの体で初めて目を覚ましたとき、さきに生まれたものの痕跡があった。だが女王はなにも言わなかった。てっきり死んだものと思っていたが……いち早く自我を取り戻して逃げたのか」


 甲殻を持つキメラアント、マトはその触手を使って肯定の意を示した。


「礼を言う。私は危うく同胞殺しになるところだった」


 パイフルは腹をさすりながら目を細めた。

 一方、ユウはこの話題を追及することに不吉な予感を覚えていた。

 触手にはバッチリ自我がある。
 中身は自称紳士の変態。
 治療と同時に服を溶かす念能力。
 蘇生した時ユウは素っ裸になっていた。

 キーワードからは、不吉なものしか連想し得ない。
 想像が実像を結ぶまでに、ユウは思考を切り替えた。自己防衛本能である。さいわいにも目の前に疑問が生じた。


「なら、キツネあいつは何者なんだ?」


 マツリの仲間のいずれでもない、第四の同胞。
 その正体に、ユウは思い当たらない。ただ、女王を事前に討つことを考えたものが、ほかにもいたらしいとは想像できた。
 それが本来あり得ない知識をもって、野望をたくましくしているであろうことも。








 ともあれ、このあと事態がどう推移するにしろ、舞台はNGLの外に移る。
 本来の目的──セツナやマツリたちの開拓した町を守るために、ユウたちも戻らねばならなかった。

 ブラボー、シュウ、アズマ、ツンデレ、ミコの五人は、正面からNGLに入っているので、出国にも正規の手続きを要した。ブラボーの負傷は軽くはなかったが、彼は「時間を浪費している暇はない」と、出立の口火を切った。

 ポックルとポンズもNGLを出る。一足先に出国した仲間たちと合流して、また四人で辺境を巡るらしい。
 去り際にライと固く握手するポックルと、それに複雑な表情を向けるポンズが、ユウの印象に強く残った。

 さきに出発したシュウたちと合流場所を決め、ユウとライの不正規入国組は、ノヴの助力を得て一足先に出国することにした。
 入院が必要だったマツリも一緒である。


「マツリを、よろしく頼む」


 パイフルは頭を下げ、マツリを託した。

 患者が戻るため、神医ヘンジャクとレオリオもユウたちとともに出国することになった。
 レオリオは年少の友人たちとひとしきり話してから、からりと笑って別れた。


「患者が居るんだ。ほっとけねぇよ」


 そう格好をつけたレオリオだったが、患者が美少女でなかったら、去る足はもっと重たいものであったに違いない。

 そのゴンたちは、残ることを決めている。


「納得するまで、見ていたいから」


 すこし見ない間にまた一回り成長した少年は、ユウにそう説明した。
 キルアもカイトも異論はないようだった。

 ナックル、シュート、モラウの師弟三人は、女王の仔とそれを慕い守ることを決めたキメラアントたちとともに、やはりNGLに残った。
 ネテロ会長、ノヴとその弟子パームも、経過を見守りつつ、NGLと外を往復することになるようだ。


「いずれ、改めて」


 と、だれもが言った。
 再会の、そして返礼の約束だった。

 別れるすべての者に挨拶を済ませ、帰る段になって同行者が増えた。
 飛蝗の姿を映す深緑のキメラアント、ジョーである。


「マツリもこんなんなっとるし、一人くらいセツナに説明するやつが要るやろ。はぐれ者がおったらコルトらも迷惑やろしな」


 ジョーはそう言ってパイフルらと別れた。
 キメラアントの表情はユウにはわからない。

 そしてユウはNGLを出た。
 口を突いて出た言葉は、期せずしてほかのふたりと同じだった。


「外だ」


 ユウは自然、虚空に手を伸ばしていた。
 硬く握られた拳に掴んだものは、彼女しか知らない。









 ユウの出国より一日半後、NGL国境に到達したキメラアントの集団は、迎撃にあたったハンターたちと衝突する。
 キメラアントの特性を殺し、効率よく狩るために組織されたハンター集団は、しかし十全に機能することなく壊乱した。
 想定外の異物が割り込んできたからである。

 異物はハンター、キメラアント両陣を等しく撫で斬りにしながら、もっとも強力なオーラを持つキメラアントと戦い、ついには屠った。

 混乱のうちにハンター集団は壊滅し、キメラアントたちも半ば逃げ散った。
 あとに残ったのは、たがいに数十を数える人間とキメラアントの死体のみ。その幾体かには、さして鋭利にも見えぬカードが突き刺さっている。
 災厄の主が最後に倒したのは、獅子の姿を持つキメラアントだった。


 そこから数十キロも離れたとある街の郊外で、こんな通話があった。


「お待ちしておりました。この番号を知っている、と言うことは、フォックスさん、あなたですか」

「ああ。出迎え御苦労。ヤツに伝えてくれ──祭りの始まりだ、とな」




 NEXT Greed Island Cross-Counter“王国”編






[9513] 登場人物(ネタバレ含む)
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2010/08/18 21:09

本編主人公組(ユウ、シュウ、レット)

 主人公ユウと、その仲間たち。ハンタ―世界に飛ばされた同胞のなかで、積極的にグリードアイランドクリアを目指した。
 ゲームマスターを中心とする“同胞狩り”と戦いながら、現実帰還に成功する。
 仲間の危機を知り、自らの意思でH×H世界に戻ってきた。




ユウ

 本編主人公。プレイヤーは男だがアバターはセミロン黒髪ツリ眼の少女。流星街出身の暗殺者。念能力は制約を誤魔化す“甘い誘惑(スイートドロップ)”と敵の死角に転移する“背後の悪魔(ハイドインハイド)”。




シュウ

 ユウの相棒。現実世界でもネットを通しての友達、と言うのは仮の姿。その正体はユウの実妹。ひねくれた性格のわりに王道が好き。

 アバターは男性で正統派熱血主人公タイプ(性能的には)。ツンツン金髪少年。

 念能力は想いを威力に変える“正義の拳(ジャスティスフィスト)”と名をあげることでオーラを増す英雄補正(ネームバリュー)。




レット

 ユウの仲間。戦隊ヒーローの赤色のようなアバターだが、中身は三下へたれ。念能力はヒーロー化。








ブラボー組(ブラボー、カミト、ミコ)

 本編中においてトッププレイヤーであり、ゲームマスターでもあるキャプテンブラボーと、その仲間たち。
 グリードアイランドクリア後、ブラボーは同胞をすべて救うために、カミトはそれを助けるために、残留した。
 唯一現実に帰ったミコも、仲間の危機を救うためにH×H世界に帰還する。




キャプテンブラボー

 同胞の一人。キャプテン・ブラボーな外見の、暑苦しい性格の熱血漢。ユウたちと手を組み、グリードアイランドを攻略した。触れた物を強化する念能力を持つ。
 実は“Greed Island Online”のゲームマスター(GM)の一人。仲間と信じていたGMの裏切りにあい、また自身も操られてそれに加担してしまった。それを悔いてすべてのプレイヤーを助けようと心に誓っている。




カミト

 同胞の一人。ブラボーの仲間。外見は中性的な美少年だが、演技する気皆無なため、カマっぽく見られる。鎖を操る念能力、“追尾する鉄鎖(スクエアチェーン)”と“鉄鎖の結界(サークルチェーン)”。元ネタに世代を感じる。




ミコ

 同胞の一人。ブラボーの仲間。外見は二十すぎのお嬢さまだが、中の人のせいか、歳のわりに幼いところがある。形状を自在に変える念獣“ハヤテのごとく(シークレットサーバント)”は偵察、戦闘をかねる汎用性の高い念能力。








外伝主人公組(アズマ、ツンデレ、ロリ姫、シスターメイ)

 外伝 Another Wordの主人公たち。寄り道しながらも現実帰還を目指していたが、同胞狩りに出会い、彼らを倒すことに目標を移した。
 同胞狩りを倒したのち、ブラボーの助けでツンデレは帰還したが、すぐさま戻ってきている。




アズマ

 Another Word の主人公。目つきの悪い黒づくめな男のアバターをもつ。
 基本仏頂面。他人に勝手にあだ名をつけて呼ぶ癖がある。ブラボーの後輩らしく、彼に対しては敬語を使っている。
 念能力は物体を加速する“加速放題(レールガン)”と物体を持ち主に返還する“返し屋(センドバッカー)”。




ツンデレ(エスト)

 アズマの相棒。金髪碧眼猫目ツインテール女子高生風ツンデレ。現実世界での知り合いではないが、H×H世界では設定上幼馴染。まっすぐで純真だが、素直になりきれないところがある。ツンデレ。
 除念に転用可能な、オーラを破壊する念能力を持つ。




リドル・ノースポイント(ロリ姫)

 ツンデレのツインテールにとり憑いた幽霊。金髪碧眼ドリルヘア幼女。男気のあるロリ。
 触れた物をドリル化する念能力“天元突破(マスタードリラー)”を持つ。




シスターメイ

 同胞。GMの一人。同胞狩りを止めるためにアズマたちを鍛える。“相互不干渉”な念能力を持つ。念能力の副作用で消失していたが、キツネの空間除念能力により復帰する。








開拓組(セツナ、変態仮面、マツリなど)

 さまざまな挫折ののち、現実に帰還することを諦めてハンタ―世界に根を下ろしたプレイヤーたち。
 自分たちの安住の地として最良と思える土地を拓いたはずが、同時にそれは、世界に散らばったキメラアントに狙われる条件を満たしていた。
 それを防ぐために向かった仲間たちはキメラアントの女王の餌食となっており、それがもたらす変化に対しても気をもんでいる。




セツナ

 同胞の一人。銀髪オッドアイ中性的美系なアバターの持ち主。中身も中二病真っ盛り。いくらへこたれてもめげない、芯のある気取り屋。それゆえか、開拓組のリーダーに収まっている。一般人との関係も良好。
 念能力は“四神”。




変態仮面

 同胞の一人。セツナの仲間で、開拓組の副リーダー格。本名はキョウスケ。パンツをかぶると超人化する念能力者。




マツリ

 同胞の一人。セツナの仲間。エルフのアバターを持つ美少女。仲間思い。半端に頭が回る。
 念能力は、記したものの経歴を知ることができる“千人列伝”。具現化した筆と竹簡は、戦う手段にもなる。ツンデレを庇い、瀕死の重傷を負う。




パイフル、ジョー、マト

 キメラアントの女王を水際で倒すために旅立ち、帰還せず。








“Greed Island Online”組

 ハンタ―世界に飛ばされたプレイヤーたちのための情報共有サイト、“Greed Island Online”の管理人たちを中心とする、同胞のためだけの小さなコミュニティー。




ソル

“Greed Island Online”の管理人の一人。ユウいわく「セツナの本物」。
 正論家。ふたつ名は「氷炎」。




レフ

 ソルとは古い付き合いの同胞。彼を補佐する位置にある。




ダーク

“Greed Island Online”組の副長格。元軍人。ソルとは初期からのつきあいらしい。ふたつ名は「コマンド」。




ミホシ

 ソルの仲間。囲碁で戦局を図る。




ああああ

 ソルの仲間。楽天家。基本馬鹿にみえる。








キメラアント組

 NGLに根を張るキメラアントの軍団。女王が王を生むための準備に入り、実質的な指揮は“最古の三人”がとっている。
 活動時間や習性、また個性の違いから、まとまった行動をすることはほとんどなく、指揮と言っても大まかな方向性を示すことくらいか。
 各自得物を求めて勢力圏を広げている。




パイフル

 キメラアントの軍団を統率する“最古の三人”の一体。白き大虎の特徴を持つキメラアント。
 女王に捕食された開拓組のパイフルであったことを思い出す。念能力は“暗然銷魂功”。新たな王を守るため、NGLに残る。





キツネ

 キメラアントの軍団を統率する“最古の三人”の一体。狐に似た姿のキメラアント。
 パイフルが気に入らない。キメラアントたちを率いてNGLを脱出する。空間除念能力を持つ。





 ジョー

 キメラアントの軍団を統率する“最古の三人”の一体。深緑の飛蝗の特徴を持つキメラアント。女王に捕食された開拓組のジョーであったことを思い出し、ユウたちに同行する。








その他




海馬瀬人

 同胞。海馬瀬人なアバターの持ち主。念能力もデュエリスト仕様。孤高の精神の持ち主だが最終的にアズマたちを助けた。ツンデレ。ブラボーとは元の世界でつきあいがある。




ヘンジャク

 神医。シュウと戦い、瀕死になったアズマを助ける。巨乳の“着飾ったら美人”な女医。アズマたちとは互いに恩人の関係。命をとどめる念能力を持つ。
 レオリオの師匠で、彼に念能力を教えた。




ライ

 同胞。ブラボーに協力して開拓組を助ける。オールバックの大男。
 中身は虹色の髪と瞳を持つ美幼女。拘束した相手に、放出するオーラと拮抗する衝撃を発するリングを具現化する能力を持つ。




ニセット(そっくりさん)

 同胞の一人。ユウとまったく同じアバターを持つ。そのせいでとばっちり受けまくり。“Greed Island Online”のコミュニティーに紛れ込んでいたところを捕獲される。オーラの粗密を操る念能力を持つ。





[9513] Greed Island Cross-Counter 36
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2010/08/18 20:53

 闇のなか、光で描かれた格子模様。
 交点に浮かぶ赤青二色の星々は、ゆっくりとその模様を変えている。

 星の明滅を見つめながら、ミホシは碁笥(ごけ)から黒石を握り取った。
 ほっそりとした指は、闇の中、まばゆいまでに白く映える。榧(かや)の碁盤に乾いた音が鳴った。置かれたのは白石。

 盤面下辺の戦いは、それで終わった。
 左下隅、敵陣深く打ち込まれた白石は、一石も捨てられることなく下辺の眼形とつながり、さらに黒の大石を呑みこんで堂々たる勢力を成している。逆に黒石は隅から追いやられ、小さく生かされたにすぎない。ここの攻防は白の完勝である。


「王が逝った、か。にわかには信じ難い卦だな。まさかの展開だ」


 碁盤を見やりながら、レフがつぶやいた。
 闇に溶け込むような黒ずくめの美男子であり、Greed Island Online 利用者達のコミュニティーのリーダー、ソルの片腕とも呼べる人物だ。

 言葉には、ごく少量だが苦いものが含まれている。


「“九星陣(テンゲン)”が示すのは、あくまでその時々の情勢ですから。囲碁のルール通りには、なかなかいきませんよ。だから、見るべきはあくまで現状。それを鑑みて、作戦は修正していけばいいのです」


 ミホシは、静かに答えた。


「たしかに、その通りだ……といっても、下辺から浮かされて孤立した黒一団。これは逃げたキメラアントだろう?」

「おそらくは。ですので、予定に大幅な変更は必要ありません」

「なら、我々が打つべき手は」


 ミホシは無言で黒石を打ち、追いたてられる黒石を助けた。


「――だな。その黒石になれそうなのは……やはり私か。ミホシ、ここの事はダークに任せておく。あとは頼んだぞ」


 そう言って、黒髪の青年は星に彩られた空間から去る。
 その背に、ミホシはつぶやくように声をかけた。


「あなたも、気をつけてください。キメラアントは、決して仲間ではありません。敵味方、黒白はこちらが勝手に色分けしているだけなのですから」








 6月13日、ユウたちはNGLを出る。
 次の日の深夜から翌未明にかけて、逃亡したキメラアントの一団と、これを迎え撃つハンターたちとの戦闘が、NGL国境付近で行われた。

 結果は散々なものだった。
 第三者の介入によって布陣が崩され、泥沼の戦いののち、両者とも生き残りはほとんどないというありさま。さらに戦ったキメラアントたち自体が囮であり、相当数のキメラアントが出国していたことまで判明した。

 ユウはこの知らせを同日早朝ドーリ市で受けた。
 ともにNGLを出たふたり、虹色髪の少女、ラインヒルデ・ザ・レインボーと、深緑の甲殻を持つ元同胞のキメラアント、ジョーは、正規出国組と合流するため、この時すでにイニング市に向かっている

 NGLでの戦いで壊した携帯電話ほかもろもろを買いなおすのに時間がかかったため、かえって早く知ることができたのだ。


 ――面倒なことになったな。


 ハンター協会の不手際にいらだちを感じながら、ユウは頭を悩ませた。
 情報によれば、相当数のキメラアントが国外に逃げおおせている。
 それぞれ王を目指す彼らが、侵略に適した条件を持つ同胞の街カピトリーノに向かう可能性は、低くない。

 ユウはまず買い換えたばかりの携帯でNGL正規出国組の仲間に一報を入れ、イニング市で合流することを決め、それから世話になった神医ヘンジャクとレオリオに別れを告げるため、市内の総合病院を訪ねた。


「行く前に耳長の嬢ちゃんを看ていかないか。もうすぐ目を覚ますころあいだ」


 寝癖も直さないまま白衣姿でうろついていたヘンジャクにそう言われ、寝顔だけでも見ていくつもりで、ユウは王との戦いで瀕死の傷を負ったエルフの少女、マツリの病室に立ち寄った。
 こん睡状態にあった彼女が目を覚ましたのは、ユウが部屋に入った直後だった。


「ここ、は?」

「NGLの外だ。ロカリオ共和国ドーリ市の総合病院」


 かすんだ瞳で戸惑いを見せるマツリに苦笑して、ユウは経過を説明してやった。


「……ツンデレさんは助かって、王が死んで、このヤドカリ触手がマトさんで?」


 朦朧として思考が追い付いていないのだろう。言葉を繰り返しながら、マツリは首をひねっている。
 ユウは苦笑して話を切り、今からカピトリーノに向かうつもりだと告げた。


「キメラアントの残党を相手にすることになるが、まあ、王や護衛軍に比べたら楽なもんさ」


 ユウの認識は、この時点ではこの程度だった。
 だから。マツリが当然のように言った言葉に、ユウは横っ面を張られたような衝撃を受けた。


でも気をつけてね(・・・・・・・・)ソルたちも(・・・・・)なにか仕掛けてくるかもしれないから(・・・・・・・・・・・・・・・・・)


 ユウは動かなかった。
 しばらくしてからマツリに詳しく問いただし。怒りのあまり蒼白となった顔で病室を出ていこうとする。


「ごめん、なさい! 知らなかったこと、知らなかったから――落ち、着いて!」


 青ざめ息を切らしながら必死でなだめるマツリの声も耳に入らない。
 ひと声、吼えるように怒りを爆発させると火の玉のようになって病室から飛び出していった。


「ユウさん、待って!」


 マツリの声はすでに届かない。
 5分後、病室に来たレオリオが、地面に這いつくばって倒れている彼女の姿を発見する。


「電話を……ブラボーさんたちに、連絡、はやく」


 安静にしてろと言うレオリオの言葉も聞かず、マツリはうわごとのようにそれだけをつぶやき続けた。








 15日午前10時、マツリからの報をキャプテン・ブラボーが受ける。
 NGL出国半日、ようやく来た定期バスに乗り込んだ矢先のことだった。


「なんということだ」


 話を聞いてブラボーは慨嘆した。
 ユウからの知らせがあったのは、ほんの一時間ほど前のことだ。
 その時の声音からは想像もつかないような、突然の激発だった。

 彼の様子を見て、仲間の何人かが不安げに、あるいは心配そうにようすを窺う。
 直接的に尋ねたのは、そのうちの一人、ユウの親友であるツンツン頭の金髪少年、シュウだった。


「ブラボー、ユウか?」

「……そうだ。あの事実を知ったらしい」


 シュウの問いに応える声は、重いものだった。
 
 あの事実、とは、マツリについての問題だ。
 これまで彼女はたびたび、暴走としか思えない行動を繰り返してきた。
 薬を洩ってユウたちを攫うようにしてNGLに連れて行ったことが、その最たるものだが、ほかにもユウを助けるため、仲間を助けるため、何度か無謀な行動に出ている。

 キメラアント討伐の最終作戦においても、彼女は暴走を起した。
 仲間を助けるためにネテロたちと同行することを申し出、それが断られると無謀な実力行使に及んだのだ。
 むろんすぐに取り押さえられたが、この時シュウがマツリの行動に違和感を覚え、彼女を調べた。

 結果、驚くべき事実が発覚した。
 マツリの暴走は、他者の念能力により仕組まれていたこと。
 そして、残留していた念の質が、同胞であり、たがいに協力を約束していたグループのメンバー、レフのものと一致すること。

 つまり彼らは何らかの意図を以ってマツリを操り、ブラボーたちをNGLへと誘導していたのだ。
 当時キメラアントたちとの対決中であり、ひとまず後回しにされていた問題だったが。


「それで、飛び出したか……あのばかちんが」

「俺の迂闊だ。ユウが知れば、こうなることは予想できたはずだ」


 ブラボーは己を責めた。
 ユウは身内に甘い人間である。
 それだけでなく、身内に危害を加えるものに対しては、排除する傾向にある。
 NGLでのキメラアント始末が終わった直後にでもブラボーが柔らかく伝えておけば、突然こんな行動に出ることもなかったはずなのだ。

 ユウの目的は、おそらくはマツリを使って策を巡らせた人間すべての排除だ。
 ブラボーはこれに加担できない。
 最大の敵は倒したといっても、いまだキメラアント禍は収まっていない。
 彼らの真意を質すのは当然のこととして、カピトリーノを守るためには敵を二方面に向かえる愚など避けたいのだ。


「オレが行くよ。一人でな」


 ブラボーの思考を読んだように、シュウが告げた。


「シュウ」

「お前らと、ライと、ジョーだったか? あのキメラアント。それから向こうにいるカミトたちを合わせたら、敵を迎え撃つには十分な戦力になるだろ? ユウのほうは、オレが何とかするさ」


 シュウはユウの親友で、ブラボーたちと出会うはるか以前から行動を共にしていた仲間だ。この提案は、おそらく正しい。
 にもかかわらず、ブラボーはしばらく無言でいた。


「なんだ、不服か?」

「いや。同士・シュウ、ユウを頼んだ」


 応じるようにブラボーは頭を下げた。
 声音には、切実なものが混じっている。

 かつて、ブラボーは仲間を裏切った。
 念能力で操られた結果である。仕方のないことだと、他人は言うかもしれない。
 だが、ほかならぬブラボー自身が、自分の裏切りを許していない。許されてはいけないと、誰よりも強く思っている。
 
 だからだろう。
 ブラボーのことを決して許さない。そんなユウの態度に、ブラボーは救われていた。


「言われるまでもないよ」


 シュウの微笑には、複雑なものが混じっていた。








 一般的に、ユウは周りから、身内に甘い人間だと認識されている。
 正しい判断だ。ユウは身内に甘すぎるほど甘い。そのために、命をかけられる程度には。

 だが、ユウも最初からこのような人間だったわけではない。
 最初、ユウはただ甘いだけの人間だった。
 当然だろう。現代日本に生きていたユウである。いかに殺し屋の記憶経験を得たとしても、それほど急に変われるはずがない。

 それが、故郷に帰るための限られた牌(パイ)の奪い合いの中で。
 助けて、助けられて、協力して。
 騙されて、奪われて、殺し合って、変わっていった。
 現在のユウを律するルールはきわめてシンプルだ。

 身内は助ける。
 それを害する者はどんな手を使っても排除する。
 この理の元、敵を排除するために、いまユウは動かんとしていた。


「防弾、防刃装備は手に入れた。ナイフも急場で手に入れたもんにしちゃ上等だ。その他もろもろ、オールおっけー」


 ザックを背負ってユウが立ち上がる。


「さて、殺すか」

「こ、の、ばかちんがぁーっ!!」


 頭をはたかれ、つんのめったユウは、とっさに振りかえった姿勢のまま固まった。
 そこには、すでにイニング市で飛行船を待っているはずの親友が、額に青筋立てて立っていたのだ。


「し、シュウ?」

「なにがさて殺すかだ! 勝手にテンパるなっての!」

「いや、だって」

「だってじゃない! つーか先走るな! 連絡くらいしろ! オレがなんで怒ってると思ってやがる!」


 その言葉に、ユウは目を見開き、それからふっと表情を緩めた。


「すまん。お前にだけは言っとくべきだったな」

「そうだよ」


 言って二人はたがいに笑った。
 ひとしきり笑ってから、ユウは急に真顔になってシュウを見据え、言った。


「ぶっ潰してやる。奴らのもくろみ、何もかも。手伝ってくれ、シュウ」

「……ま、そんな事だろうと思ったよ」


 シュウはため息を落とした。
 ユウの一番の理解者である。説得など不可能と知っているのだろう。
 だからシュウはむしろ乗ってきた。


「具体的にどうすっか――つーか、奴らの狙いすらわかってねー癖に」

「決めつけるな――いや、わかってないけど……シュウはわかるの?」

「NGL出てからそんなに早く調べられっかよ、と言いたいところだけど、ほら」


 言いながら、シュウがとりだしたのは書類の束だった。


「奴らに関する資料だ。カミトが調べといてくれたよ。ここに来るまでに目を通しておいたが、まあ八割がた狙いは読めた。奴らはキメラを自国に引き入れるつもりだ。それで――」

「いや、いい」


 と、ユウはそれ以上の説明を止めた。


「なぜ、とか、それでどうするつもりだ、とか、そういうのはいいんだ。要するに――」


 ――逃げたキメラアントを全部ぶっ潰せば、奴らの計画はご破算ってことだろう?


 そう言うユウの目は笑っていない。ぞっとするほど冷たい表情だった。








 ロカリオ共和国南部。
 NGL国境にほど近い小さな街を、ユウたちはまず訪ねた。
 ソルの敷いたキメラアント警戒網の南端、NGLに最も接近している地点だ。
 それを素早く調べ上げたシュウは、情報と逃げたキメラアントの位置を吐かせるため、彼らの観測所を急襲した。
 しかし。


「居ない?」


 観測所はもぬけの殻だった。
 街の西端にある、粗末なコンクリート二階建て、昼間とはいえ明かりもない。
 本棚に山と積まれた雑誌、食洗機に並べられた一人分の食器と、二人分のカップ。見張りに使われたと思しき、西側小部屋の望遠鏡と通信機。さまざまな生活のあとを残しながら、人の姿だけがない。

 いや。
 入口に面した広間まで戻ってきたユウは鼻をひくつかせる。
 かすかながら、真新しい血の匂いが残っている。なにか変事があったのかもしれない。


「つってもくわしく調べてる時間が惜しい。敵を見張ってた機材になんか残ってないかだけ見て、無かったらもすこし北の観測所当たろう」

「ああ。早いとこ奴らの企みをぶっ潰さないと、気が収まらない」


 シュウの言葉に、ユウが拳を手のひらに打ち当てながら同意した、その時。


「――それは、俺が困る」


 唐突に、声が飛んできた。


「誰だ」


 ユウは素早く気配をさぐった。
 声の主がいたのは戸口。想像よりはるかに近い位置だ。
 黒いローブで全身くまなく覆い隠しているため、性別は確認できないが、声は男性のものだ。
 
 ほとんど同時に、目の前に何かが飛んできた。
 ユウはそれをとっさに指で挟み取った。それから横目で飛来物を確認する。


 ――カードだ。


 そう認識した、瞬間。
 カードを受け取った二人の姿は、広間から掻き消えるようにして無くなっていた。


「――だから、少し飛んでもらおうか」


 ほの暗い広間に、男のつぶやきのみが残された。






[9513] Greed Island Cross-Counter 37
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2010/08/20 22:51

 気がつくと、視界が一変していた。
 それが何によるものか、ユウは即座に気づいた。


 ――瞬間移動!


 慣れた感覚だ。間違えようがない。
 ユウは足場を確認してから、素早く視線を一周させる。

 洞状の空間だ。薄闇の中、苔むした岩肌がてら光っている。
 光源は、はるか先からの、ほのかな明かり。いびつにのたうつ長い岩肌の通路。その途中に、ユウたちは存在した。



「瞬間移動……か?」

「ああ。間違いない」


 すこし遅れてつぶやいたシュウに、ユウは同意し、次にかぶりを振った。


「どこに飛ばされたかまでは、わかんないけど」


 熟練したハンターなら、たとえば岩肌の苔ひとつからでも、おおよその位置を知ることができるだろうが、ユウには無理な話だ。


「原因はこれ(・・)か」


 ユウは黒いローブの男が投げてきたカードを“凝”た。
 なんの変哲もない、厚紙でできた白紙のカードだ。仕掛け一つ見つからない。


「ただの紙切れ。これ自体には仕掛けはないな。おそらく念能力の発動条件――と、捨てたり破ったりするなよ? それをトリガーにした二段目の能力発動があるかもだ」


 シュウが素早く注意する。
 うっかり破り捨てるところだったユウは、あわててカードを大事にしまいこんだ。
 苦笑しながら、シュウもそれに倣う。


「それにしても」


 と、ユウは思い返す。
 自分たちをこのような場所に飛ばした、黒いローブの男。


「あいつ、いったい何者なんだ。レフの仲間か?」

「キメラアントを全滅させるっつったお前に、“それは困る”だからな。おおかたその辺だろうよ。でも、いまは考えてても仕方ない。外に出れてからだ」


 シュウが先走りをいさめた。
 湿った空気は、先程からしきりに鼻先を撫でている。どこかで外と通じているのは確実だ。

 しかし、単純にそれを喜ぶわけにはいかない。
 火口水中密室その他致命的な場所に転移されなかったのには、何か理由がある。

 それを能力の制約や敵の甘さと片づけるほど、ユウもシュウも平和ボケしては居ない。


 ――罠があると思った方がいい。


 以心伝心。
 たがいに目配せし、気配を消して風上に歩き出した。
 湿気に濡れ、滑る岩肌に手をかけながら、ふたりは進む。
 周囲に罠がないか、慎重に探りながらなので歩みは遅い。
 とくにユウは、洞穴が狭くなった場所で、膨らんだザックをぶつけないよう気をつけねばならなかった。

 そうして、ほんの数十メートルも進んだところで、ユウは危うく悲鳴をあげかけた。
 のたうつ大蛇の軌跡を描く、洞穴の曲がりばな。奥を覗き込んだところ、向こうからも人の顔がにゅっと出てきたのだ。
 
 もちろん、ただそれだけで悲鳴を上げるほど、ユウは憶病ではない。
 が、不意打ちにしてもこれは斜め上も過ぎた。


「おやおや◆」


 と、口の端を釣り上げたのは、ユウもよく知った顔の奇術師だったのだ。








 奇術師ヒソカ。
 知り得る限り最悪の戦闘狂にして殺人鬼である彼と、ユウは面識がある。

 一度目はハンター試験の折、同じ受験生として。
 二度目は一年後のハンター試験の折、試験官と受験生として、顔を合わせた。
 その時のことは思い出したくもないし、二度と会いたくない、というのがユウの個人的な感想だ。まあ、こうしてあっさりと裏切られたわけだけれど。


「久しぶり◆」


 舐めまわすような視線を感じ、ユウは身震いした。

 第一級の危険人物である。
 ユウとシュウは互いに相手を庇おうとして体をぶつけ、どちらがどちらを守るかを争って視線で喧嘩を始めた。ヒソカをそっちのけにして。

 それがよほど面白かったのか。
 ヒソカはやおらくつくつと笑いだした。


「ずいぶんと警戒してるみたいだね◆ たしかにキミたちに興味がないと言ったら、嘘になるけど。今はそんな場合じゃない◆」

「……どういうことだ」


 慎重に言葉を吟味してから、ユウは問いかけた。
 ヒソカは答えない。さわやかに不気味な笑いを浮かべて、親指で奥を指すと、くるりと背を向け歩き出した。

 ついて来い、ということだろう。
 そう判断し、ふたりはうなずき合うと、ヒソカに従った。
 
 数分も歩いただろうか。歩を進めるユウの顔色が変わってきた。
 すでに三人とも絶で気配を絶っている。王との死闘を乗り越え、いまだ高ぶる感覚は、敏感に敵の存在を感じ取っていた。
 
 風は奥から吹き込んでくる形で動いている。
 ゆえに、かすかに感じる獣の匂い。加えて鈍く濁った、しかし力強いオーラを感じる。


 ――キメラアント。


 それ以外には考えられない。
 果たしてそうだった。通路にも似た狭い洞穴が、ドーム状に開けた空間の天井近くとつながった場所で、ユウは眼下にたむろする無数のキメラアントを見つけた。
 すぐ向こうが外なのか、姿がはっきりと見えるほどには、明るい。


「よう、ほんとによかったのか? フォックスさまについていかなくて」

「なにビビってんだ。もう女王は居ないんだぞ? オレたちは自由なんだ。それぞれの王を目指してもいいんだよ!」

「それに、しゃぁ。フォックスさまが向かうのは、しゃぁ。ここよりずっと寒いところだと聞く、しゃあ。蛇の俺にはちょっとつらい、しゃあ」


 彼らは頭を寄せ合って、相談している。


 ――師団長クラス無し。兵隊長クラス3、雑兵12。


 ユウは瞬時に判断した。
 一対一なら負ける要素はないが、相手は遮蔽物のない、ひらけた場所に集まっている。こんな場所で戦えば、打つ手なく包み込まれて終わりだ。


 ――三人がかりならなんとかなるか。


 思ったところで、ユウはヒソカの意図を察した。
 
 と同時。
 ユウの背を、不意に誰かが押した。
 ヒソカだ。呻きを押し殺しながら、ユウはトンボを切って着地する。


「――だれだっ!?」


 不意の出来事に敵が度を失い、身構えるまで、ほんの一瞬。
 そこに隙を見いだしたユウは、とっさにキメラアントたちのなかに飛び込んだ。

 キメラアントは毒を持っている。
 一撃でも食らえば終わる以上、防戦は下策。
 NGLでの経験が、ユウを迷わず突き動かした。


「ユウ!」


 わずかに遅れてシュウが飛び降りてきた。
 突然の奇襲に浮足立つキメラアントたち。彼ら全員が二人に対し構えた、その虚を見逃さず。
 粘着性と伸縮性を兼ね備えた念能力“伸縮自在の愛(バンジーガム)”をロープ代わりに、残忍な奇術師が敵の背後に舞い降りた。

 不意を打たれたキメラアントの殲滅には、5分も要しなかった。


「いや、お見事◆」


 戦闘を終えたヒソカは、にこやかにほほ笑んできた。


「おみごとじゃねぇ。てめぇ最初っからオレら囮にする気まんまんだったろ」


 この戦闘狂の前でも、シュウは物怖じした風はない。
 肝の据わり方が普通ではない。


「まあ、ね。乱戦ならともかく、あの数を一手に受けるのは手こずりそうだから◆」


 返すヒソカもたいがい図太い。


「ま、こっちも手間が省けたからいいけどな」


 ――ふつーの会話だなぁ。


 ユウは妙に感動してしまった。
 無論こんなささくれ立った普通の会話などない。
 感覚が一般人と盛大にずれていることを、本人は自覚していない。


「で、ウォーミングアップを終えたところで、本番か?」

「いいね◆」


 そしてユウ基準の普通からも一瞬でスピンナウトした。


「と、本当なら大歓迎なんだけど……残念◆ それを見せられちゃね◆」


 ヒソカに笑顔で襟元を指差され、ユウは思わず襟をひっくり返す。
 見つけたのは、虹色をした髪の毛。ともにキメラアントと戦った同胞の少女、ライの毛髪だ。
 防弾服は洗い方が分からず、手入れしていなかったので、NGLで彼女とじゃれていたときについたものが、そのままになっていたのだろう。


「……ひょっとして、これ? ライを知ってるのか?」

「やっぱり身内だった◆」


 奇術師はにたりと笑う。


「あの娘とは、まあちょっとあったから◆ 彼女の身内を簡単に殺すわけにはいかないからね◆」

 ――ナニやったあの幼女! ナニやったあの幼女!

「そう言えば、キミたち◆ どうやってここへ?」


 ユウが脳内で虹色髪の少女をブレインシェイクしているうちに、ヒソカが話題を変えた。
 質問から、ユウは察した。
 洞窟の出口は足元に息絶えているキメラアントたちに塞がれていた。
 ヒソカはその奥にいたのだ。となれば、彼もユウと同じように閉じ込められていたと考えた方が自然だ。


「黒いローブを目深に被った男に飛ばされた。そっちは?」

「こっちも似たようなものだね◆ ひと戦闘(バトル)終えてさあ次ってとこで、同じ奴に◆」


 ユウの予測通りだった。
 NGL国境でのキメラアント防衛戦(イベント)に乱入して師団長(ハギャ)を殺したとかツッコミどころはいくらでもあったが、とりあえずは過ぎたこと。
 ユウはまず、黒いローブの男が何者か、ヒソカが知らないか確認した。


「はっきりとは分からないね◆」


 ヒソカはにこやかにかぶりを振った。


「むしろ、キミたちの方が心当たり、あるみたいだけど◆」

「まあな」


 逆に問われて、シュウがうなずいた。

 そうして、とりあえず事情を簡単に説明していると、不意に洞窟の出口側から強いオーラを感じた。

 三人とも瞬時に警戒態勢に入り、敵襲に備える。
 しかし、やってきたのはユウたちが見知った存在だった。


「お前たちは……」

「コルト」


 ユウが声を上げた。
 姿を見せたのは、元女王派のキメラアント、コルトだった。
 他にも数人のキメラアントを連れているが、ほとんどが巣で見た姿だ。


「――ってことは、ここはNGL?」

「ああ。NGLの……東南部になる。はぐれ(もの)たちに、こちらに従うよう説得しに来たんだが……無駄足だったようだな」


 足元に散らばる死骸を一瞥して、コルトがため息をついた。
 このやり取りに、ヒソカはこっそりと隠し持っていたカードをひとまず納めている。


 ――殺る気満々だったな。


 ヒソカの様子を気配で察したユウは、こっそりとため息をついた。


「なぜここに居る? もう外に出ているものだと思っていたが」

「そうだったんだけどね」


 怪訝そうに尋ねてくるコルトに、ユウは経緯を説明した。
 ソルたちの背信、彼らの計画を水泡に帰すため、国外に逃げたキメラアントを全滅させようとしたこと、そして黒いローブの男に、この洞窟に飛ばされたこと。


「なるほど。おおよそ解かった」


 生真面目に聞いていたコルトは、淡々とうなずいた。
 もともとの仲間を殺そうというユウに、意趣を持つ様子もない。指揮系統を外れた蟻に対して、それほど身内意識を持っていないらしい。


「まあ、そんなわけで、早くここを出たいんだけど……ノヴさんはいまどこ?」

「巣だな。会長にゴンとキルア、カイトもそこに居る」

「じゃあ、ゴメンだけど、連れてってくれないかな」

「ボクも連れてってよ◆」


 ユウがコルトに頼んでいると、不意にヒソカが口を挟んできた。


「お前が?」


 シュウが露骨にいやな顔をした。
 しかし、この殺人鬼を標的に事欠かないNGLで野放しにしておけないのも事実である。なにより。


 ――ゴンキルの名前が出ちゃったからな。


 ひたすら嫌がるシュウの横で、ユウはすでに拒否することをあきらめていた。








 イニング市を出て北へ向かう飛行船。
 その一室で、キャプテン・ブラボーは細かい文字がびっしりと詰まった文書と格闘していた。
 ソルたち“Greed Island Online”組の目的を探るため、カミトが収集してくれた資料である。ブラボーが手にしているは、そのうちリマ王国についての資料だ。


 リマ王国。
 ヨルビアン大陸東部、ドナ川の中流域に位置する小国である。
 形としては王国ではあるが、実際は軍部が政権を担う軍事政権だ。


「軍事政権」

「といっても、軍事国家にしちゃ平穏なほうでしょう」


 黒髪仏頂面の少年が横から補足した。
 アズマである。簡素なつくりの椅子に座るブラボーに対し、こちらはベッドに腰を掛け、資料を漁っている。


「指導者のポドロフと国王が個人的には親友で恩人らしくて、両者に軋轢はほとんどない。統治も安定しているし、だからか思想犯に対しても苛烈な処置を行っていない。反動的な思想家たちは国家に対し、声を大にして異を唱える自分に満足している状態です」


 アズマがすらすらと説明する。
 カミトやシュウが居らず、一行の脳筋率が非常に高い現在、頼りになるのはアズマしか居ない。
 本来ならそこにシスターメイを加えてもいいはずだが、彼女は現在「萌えが爆裂した」とか言って個室に缶詰になっている。


「出来過ぎだな」

「でもないですよ。不安要素もしっかりとあります」


 統治者の老齢がそれだ。
 ポドロフは王に対して礼節を保っている。
 だが彼はすでに八十を超えた老齢なのだ。次にどうなるかは分からない。
 後継者候補と見なされる者も、それに国家の重要な議席を占める者も、のきなみ七十を超えている。


「これが大きい」


 と、アズマは強調した。

 乱がない、軍事行動の余地がない。
 これはすなわち奇功を立てる余地がないということだ。
 軍の上層部は年寄りで埋まっている。若手、ことに才能のあるものには、自らの地位に対する不満が募っていることだろう。


「――だから、若い連中は奇功に飢えています。彼らがキメラアントの情報を知れば、妙な野心を持ってもおかしくはない」

「野心?」

「キメラアント撃退による昇進、じゃあ動機として弱い。なにせ上が詰まってるんです。いくら功を立ててもたかが知れている。
 それに、どうせバレれば銃殺ものの陰謀なんだ、いっそのことキメラが軍幹部を一掃してくれれば、風通しも良くなるし、あとでバレて殺される危険も回避できる」

「一種のクーデターか」

「おそらくは。まあ、実現できるかはともかくとして、彼らがやる気を起こすくらいの現実味はあるんじゃないですか?」


 アズマは結論付けた。
 カミトの資料には、むろんそんなことは書かれていない。
 そこから即座にこんな推論を挙げるアズマに、しかし才気走った危うさは見られない。
 地に足とつけたようなたしかな力を、ブラボーはアズマの声から感じた。


「ならば。ソルたちは、その野心に巻き込まれたか」

「いや、それはないでしょう。それじゃ順番が逆になる。キメラアントについては、知っている人間はごく限られています。ソルたちが話を持ちかけ、彼らの野心を煽ったって考えるほうが自然だ……もちろん第三者が情報を流した可能性は、否定しませんがね」


 ブラボーは帽子を目深にかぶりながら、ため息をつく。


「そんなことをして、なんの得がある」

「共犯者が一国の政権を担う。これは立派な得です。他にも何かとんでもないアクロバットを考えてるのかもしれませんが、本線はこれでしょう。
 まあ、に消される危険もありますが、それを回避する程度の才覚はあるんでしょう。ソルたちと若手将校が不自然に連絡を取り合った形跡も、記録上はないですし」


 これは事実である。
 ことにソルの片腕である、元リマ王国軍人、ダークなどは、彼らとのパイプ役としてうってつけのはずだが、そんな形跡は見られなかった。


「しかし、アズマの推論が事実だとすれば、奴らがなぜこちらをハメたのかは分かりやすい」


 腕を組み、ブラボーは言った。
 この件に関しては、ブラボーも推測しやすい。キメラアントが世界中に散った場合、彼らが攻めてくる経路はすでに考えつくしている。


「ええ。敵が攻めてくるとわかっていたら、俺ならまず索敵圏を広げて網にかかったものを迎撃することを考えます。
 あまり手を伸ばされて、リマ王国に導いたキメラアントまで倒されてはたまりませんからね。
 だからこちらの戦力を削ぎ、水際で迎え撃つしかできない、そんな状態に抑え込もうとしていたんでしょう」


 そして事態は相手の望むように推移した。
 操られたエルフの少女、マツリはNGLに向かい、それを追ってブラボーたちはみすみす守るべきカピトリーノの戦力を削いでしまっている。


「で、どうします?」


 苦いものを噛みしめるようなブラボーに、アズマが問いかけた。
 この言葉にはキメラアントに対する方策ではなく、ソルたちをどうするかの含みがある。


「どうもしない――いや、できない」


 ブラボーはきっぱりと言った。
 けっしてソルたちを慮っての言葉ではない。


「カピトリーノにキメラが襲ってくる確率はゼロではない。である限り、オレはあそこを守る。すべてはそれからだ」


 キャプテンブラボーは、己が罪深い存在だと確信している。
 だから、こと同胞に対しては、ブラボーは自分がどんな仕打ちを受けたとしても、それを受け入れる。

 だが、それが守るべき同胞を巻き込むのなら。
 ブラボーはけっして容赦するつもりはなかった。
 触れてはならぬ虎の尾に、彼らは触れてしまったのだから。









 6月15日午後。カピトリーノへの旅程は未だ一日半を残していた。
 ブラボーたちはキメラアントがカピトリーノへ来るとすれば、最速でも自分たちの到着の2時間後と見積もっていた。

 その予想は甘かった。
 この時すでにキメラアントたちは海峡を渡り、まっすぐ北へと向かっていたのである。






[9513] Greed Island Cross-Counter 38
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2010/09/30 21:29
 6月16日。
 鎖使いカミト率いるカピトリーノ防衛線に、観測所のひとつから、キメラアント接近の知らせが届く。

 この観測所はカピトリーノの南およそ100キロメートルの位置にある。
 監視を務めているのはカピトリーノ開拓組のメンバーではなく、Greed Island Online組、ソルの仲間だ。
 彼らにはめられたことをすでに知る仲間たちが情報の信頼性を疑う中、カミトだけは情報の正しさを確信していた。


「だって、嘘をつく意味なんてないじゃない」


 カミトの思考は明快である。
 ソルたちの策略により、戦力を殺がれた現在、カミトたちはカピトリーノを動くわけにはいかない。
 騙されても見破っても行動が変わらないのなら、嘘をつく必然性がないのだ。


 カミトの判断が正しかったことは、すぐに証明される。
 同日正午。カピトリーノ南縁部の観測所に詰めていたユウと瓜二つの少女、ニセットが、強力なオーラの持ち主の侵入を察知した。
 観測所といっても急ごしらえの小屋である。そのなかでカミトとテーブルをはさんで雑談していた彼女は、やおら立ち上がり、叫んだ。


「来た! 数は十程度……なんだこの強力なオーラは? ありえねーっ!」

「情報は正確にお願い」


 声を張り上げた少女に、カミトは冷静に口をはさむ。
 ニセットがあわてて敵の気配を探りなおす。オーラの粗密を操る念能力を持つ彼女は、オーラを限りなく希釈することによって、非常識なまでに“円”を広げることができるのだ。


「あ、敵は十人。推定キメラアント。飛びぬけて強えのが一体。たぶん師団長クラス! 目標は間違いなくここ――スピード上げやがった! 15分かかんねーぞこれ!?」


 ニセットがひどく焦ってまくし立てる。
 聞きながら、カミトはテーブルの上に置かれた地図に目を落としている。
 丘の南に位置するこの小屋を中心に、丸が三つ描かれている。最も広いものがニセットの感知圏の限界点だ。半径、およそ二十キロ。
 カミトによる地獄のしごきの末、ニセットは感知圏をそこまで伸ばしていた。


「20キロを15分――早いわね」


 窓から見える深緑の海をねめつけながら、カミトは呟いた。
 東部特別開発地区。この深い森を、時速八十キロメートル以上で移動している計算だ。


「――来たか」


 ふいに、白いコートがカミトの視界の端でなびいた。
 海馬瀬人だ。敵襲までセツナの家で休んでいるはずの彼が、いつの間にか来ていたのだ。


「よくわかったわね」


 カミトが称賛交じりに言うと、海馬はふん、と鼻を鳴らした。


「頃合いを見計らっただけだ。ついでに凡骨(レット)は連れてきてやったがな」


 海馬の背後にいるさえない感じの青年が、頭を掻いた。
 意外に落ち着いた様子だ。NGLで修羅場をくぐってきたからだろうか、以前とは腹の据わり方が違ってきている。


「よし。アタックチーム、揃ってるわね。念のためにもう一度確認しておきましょう」


 レットの様子に満足し、カミトはテーブルの上に広げられた地図を指差した。


「カピトリーノの住民には頂上付近に集まっていてもらう。この直営はセツナくんたちにまかせてある。
 わたしたちはカピトリーノ外郭の防御壁を出て、出迎える形でキメラと戦う。レットくんと海馬さんは前衛。わたしは後方から援護に回るから、敵の細かな位置は、偽ちゃんがオーラの粗密を使って教えて」

「偽言うな」


 ニセットの抗議は無視された。
 カミトや同胞はおろか、開拓村の一般人にまで、すでにこの呼称は浸透している。
 すべては名付けたアズマの責任なのだが、ニセットはユウを恨んでいる。自分とそっくりな彼女のせいで割を食い続けたニセットは、もはや習慣的になんでもユウのせいにするようになっている。


「くそ、そっくりさんめ」


 完全に口癖になっているので、ニセットの発言は完全にスルーされている。








“敵は別れて行動。進行方向に先触れ2匹。遅れて2分ほどで本隊が来る”


 3人が車道沿いに南へ走っていると、ふいに宙に文字が浮かんだ。
 オーラを収束させて描いた、ニセットからのメッセージである。銀髪を風になびかせながら、鎖使いの少年カミトは文字に触れた。これで了解の意が伝わっている。


「行くわよ。前方にキメラアント二体! 速攻で殺るわよ!」

「ふん」

「わかったッス!」


 海馬とレットはそれぞれの調子で了解の意思を発した。

 そのままニセットに誘導され、カミトたちは森の中を進んでいたキメラアント二体に、不意打ちに近い形で襲いかかった。
 相手は一見して知性に乏しい非人間タイプ。


「兵卒格――なら!」

「オレたちで十分ッスね!」


 素早くカミトとレットが動いた。


「――“追尾する鉄鎖(スクエアチェーン)!”」


 カミトの鎖が二体のキメラアントをまとめて縛り上げ。


「レッドキック(マイルド)!」


 生身で放つレッドの必殺技がまとめて兵隊蟻を貫いた。
 続けざま、レッドは手早く兵隊蟻の頭を砕いている。


「ふん。さすがの手際だな」


 海馬が褒めた。
 NGLで死地をくぐって鍛えられたのは心だけではない。肉体的にも、レッドは確実に強くなっていた。

 だが、それ以上の会話をはさむ時間はない。
 本命の敵が、すでに間近まで迫っているのだ。

 三人が息を整えた直後に、敵は現れた。
 数は五体。それぞれ鹿、サソリ、トカゲ、水牛、リスに酷似している。
 雑魚は居ない。全員が兵隊長クラスだ。

 だが。


 ――師団長クラスが居ない?


 カミトは内心で首をひねった。
 そっくりさんの探知では、師団長クラスが居るはずだ。
 それに敵の数は10。先の二体を合わせても、三体足りない。

 ちょうどその時、彼女からのメッセージが来た。


“敵が分かれた。三体が迂回。1・2にバラけた。要警戒域、危険域に入り次第連絡する”


 ――面倒なっ!


 カミトは舌打ちを押し殺して了承の意を送った。
 カミトがやや後方でやり取りをしている間に、レットと海馬瀬人は五体のキメラと対峙している。


「気をつけろ。奴ら、できるぞ」


 水牛のキメラアントが注意を呼び掛けた。
 さすがに敵も警戒している。不意打ちは、もはや利かない。


「――では、決闘(デュエル)だ!」


 海馬が、決戦の口火を切った。
 決闘盤(デュエルディスク)より六枚のカードを抜き取り、白いコートの決闘者は構える。

 息をつく暇もなく五体のキメラアントが襲いかかって来る。
 鹿と水牛はレットに、サソリとトカゲは海馬に、そしてリスはまわりこんで後衛のカミトに。


 ――連携? キメラアントが?


 驚きながら、カミトはリスの攻撃を“鉄鎖の結界(サークルチェーン)”で防御し、“追尾する鉄鎖(スクエアチェーン)”で劣勢に立たされた前衛二人を援護する。

 レットは燃えていた。
 彼の背後には守るべき仲間が居る。敵は強く、二体がかりでは劣勢必至だ。


 ――だからこそ、レットの念能力がものを言う。


「変――身!!」


 “強化着装(チェンジレッド)”。フィジカルスペックとオーラを、のきなみ数倍に引き上げる念能力が、発動し、一瞬にして深紅のバトルスーツが鎧われた。

 海馬は苦戦していた。
 彼の念能力は、基本的に同格以上との戦いには向かない。
 決闘中はあらゆる念の行使が封じられるうえ、一方的にターン制を守らなくてはならないからだ。
 決闘形式でなければ、本来海馬のオーラはこの場に居るだれよりも強い。
 だが、海馬は決闘での勝利にこだわった。決闘に殉じる。それが決闘で葬った友に対する礼だと心得ているからだ。


「オレのターン!」


 カミトが防ぎ損ねた敵の攻撃にオーラをごっそりと削られながら、海馬は傲然と構える。


「――手札より“簡易融合(インスタントフュージョン)”を発動! 融合デッキより“暗黒火炎竜”を呼び出す! そしてフィールドの“暗黒火炎竜”を除外することで、出でよ“レッドアイズ・ダークネスメタルドラゴン”!」


 召喚するは友の魂のこもったカード。
 鋼の皮膚を持った赤い瞳の黒竜が持つ威容に、二体のキメラアントが後じさる。


「――そして、“レッドアイズ・ダークネスメタルドラゴン”の効果発動! 一ターンに一度、手札、墓地からドラゴン族モンスターを特殊召喚することができる! 出でよ我が僕“青眼の白龍(ブルーアイズホワイトドラゴン)”!」


 そして、海馬自身の魂のカードが降臨する。
 この間に、海馬のオーラ量と直結したライフポイントは、3000にまで減らされている。

 だが、すでに決着はついている。
 青い宝玉のごとき瞳を持った純白の巨竜。二体の咥内がそれぞれの竜皮の色に染まっていく。


「羽虫どもを撃ち滅ぼせ! ダークネス・メタル・フレア! 滅びのバーストストリーム!」


 白と黒の光が、それぞれ敵を薙ぎ払った。

 拮抗が破れた瞬間、決着はついた。
 残るキメラアントたちも海馬の火力とレットの必殺技のもとに沈み、そしてキメラアントは全滅した。


「これであと、三体」


 短く息を切りながら、カミトが言った。
 カミトは、人間以外の化物を相手にするのは初めてである。しかも連戦だ。緊張から消耗も激しかった。

 海馬のほうはオーラの消耗が激しい。
 師団長クラスの攻撃をくらえば、ライフポイントは一撃でゼロになるだろう。
 本人もそれは分かっているはずだが、海馬に怖じた様子など見られない。
 ただいつもならば即座に消すはずのモンスターを残している。連戦に備えているのだ。

 レッドは敵を倒したと同時に変身を解いている。
 これは消耗を抑えるためではなく、制約によるものだ。

 二人の状態を確認してから、カミトはニセットに合図を送る。
 ほとんど同時に目の前にメッセージが浮かんだ。


“敵もう一体発見。兵隊長クラス以上のオーラの主が、師団長クラスともうすぐ合流。ほか二体はまっすぐカピトリーノへ。現在要警戒域侵入”


 速い。全速で街を目指さないとこんなに早く要警戒域には達しない。


 ――間違いない。奴らは街の存在を知って、はっきりとそれを狙ってる。


 そこに何者かの意思を感じながらも、今、カミトにできるのは動くことだけだ。


「行くわよ。一体でも侵入を許したら、わたしたちの負けよ」


 言葉の端に焦りをにじませながら、カミトはふたりに追撃を告げた。








 同刻。後方カピトリーノの丘、南縁部。
 開拓組のリーダー、銀髪の美青年セツナは、丘を守る防壁を超え、閉じられた鋼鉄の門の前に立った。

 敵を迎え撃つ。そのために。
 迎撃組をすり抜けたキメラアントのうち二体は、まっすぐこちらに向かってくる。
 カミトたちが間に合うかは、五分。丘の頂上には住民たちが集まっており、ここを戦場にしては犠牲を避けられない。
 だからセツナは、自ら前に出てきたのだ。


「任せておいてくれたまえ。この町は、ボクが守るよ」


 住民たちの前で、セツナは虚勢を張った。
 自信などない。相手はキメラアントである。セツナとてこの数ヶ月、何もしてこなかったわけではないが、原作を知るだけに、やはり恐ろしさが先に立つ。


「ああいやだいやだ。結局オレも戦うんじゃねーか」


 ニセットは震えている。
 彼女は探知時にオーラが直接触れている。敵の強さを肌で感じているんだろう。
 それでも一緒に来てくれた彼女の、そんな様子を見て、セツナは銀の髪をかき上げ、笑って見せる。


「ふっ。ボクに任せたまえ。キメラアントの一匹や二匹、“四神”で蹴散らしてやるさ」

「……この場にきてまで強がり吐けるんだから、あんたも大したもんだよ」


 ニセットが苦笑交じりにため息を落とした。

 ただ気取っているわけではない。
 すこしでも少女の心をさせえてやろう。
 この強がりにはそんな思いやりから発せられたものだ。

 セツナはもともと憶病な男だった。
 他人の目を気にしてなにもできなくて、それでも自分を大きく見せたくて、精いっぱいに大物ぶっていた。自分のなかで築いた、虚構の自分の大きさに縋るだけだった。

 この世界に来て、大きな力を得て、それでもセツナは変わらなかった。
 彼を変えたのは、人。
 変態仮面やジョーたち、同邦の仲間。
 いっしょになって街を築き上げた、異邦の同志たち。

 リーダーと仰がれ、セツナは初めて頼られた。
 そこでセツナは、自分の小ささを知った。自分の器量でできる限界を知った。

 それでも、リーダーは明るい方がいいと。担ぐ神輿はせいぜい気取ってろと、言ってくれた仲間のためにも、セツナは虚勢を張ることを止められない。
 虚勢とは、己の自尊心を守るためにではなく、他人のためにこそ、張るべきものだ。
 セツナはそう、固く信じている。


「――来たぞ!」


 おびえを振り払うように、ニセットが声を張り上げた。
 セツナは見た。
 自分たちの開いた粗末な車道を駆けてくる、絶望の権化を。

 キメラアント。
 人ではない、それでも人に等しい知恵を持つ異形たち。
 ハイエナ。そしてネズミにそれぞれ酷似しているものの、内実はまるで別物。発するオーラの強さ凶悪さに、セツナは身震いした。


「ひゃっはー! ニンゲンだニンゲン! 食えるぞ美味えぞしかもレアモノだ! なあカジリアッチ!」

「落ち着きなさいジャコウさん。わたしたちの目的はあくまで街なんですよ?」


 勝てないと、一瞬で悟った。
 だが、セツナは背の向こうにあるものを思い、踏みとどまった。

 丘の中腹には、武器を手に集まった男衆がいる。
 彼らはセツナが止めても、俺達も戦うと言って譲らなかった。
 ともに拓いた街を守るため、敵わないとわかっていながら、キメラアントと戦うと言ってくれた、俺達も頼ってくれと言ってくれた、(ゆめ)を共有する、戦友なのだ。


 ――盾になる。


 そう、覚悟したのだ。
 この素晴らしい仲間たちを守るために。
 ガタガタ震えながら、一分一秒でも敵の襲撃を遅らせるために。
 カミトたちが帰る時間をわずかでも稼ぐ、ただそのためだけに、セツナは歯を食いしばって前に出た。


「出でよ、“四神”――白虎!」


 叫びながら、セツナは右手を振り上げる。
 白地に縞模様の入った弓小手が具現化される。

 だがつぎの瞬間、ハイエナの爪によってセツナの体は具現化した小手ごと切り裂かれていた。
 血がほとばしる。
 セツナはたたらを踏みながら、なんとか踏みとどまった。
 具現化した弓小手のおかげでかろうじて致命傷を逃れたにすぎない体を、守るべきものの重さのみが支えていた。

 だが、無情にも。


「ひゃっはー! 後で山分けだぜカジリアッチ!」


 キメラアントたちは、セツナを無視して防護壁を乗り越えにかかる。
 持ち前の素早さで敵の攻撃を避けたニセットも、無視された。


「みんな! 逃げるんだぁーっ!!」


 カミトは丘の中腹で敵に備える男たちに向けて叫んだ。
 だが、彼らは誰一人として逃げない。化物のような怪物を前にしても、なお戦おうと武器を構えている。

 その抵抗はセツナ以上に脆弱だ。
 キメラアントたちは雑草を刈るようにして彼らを殺すだろう。


「くそっ!」


 無傷のニセットが追うも、敵のほうが早い。
 壁を超え、キメラアントたちが蛮声を上げながら男たちに襲いかかる。

 その爪牙が彼らの命を刈り取らんとした、まさにその時。


「がっ!?」

「なんです!?」


 一本の鎖が、キメラアントたちの動きを止めていた。


「カミトさん!」


 泣きそうな顔になって、セツナは叫んだ。
 きしむ鎖は上空、青眼の白竜の背から伸びている。








「うわっとと!」


 勢いに引きずられてつんのめり、カミトは青眼から落下する。
 委細構わず鎖を引っ張り、銀髪の鎖使いは不敵な笑みを浮かべ、キメラアントたちを上空に放り投げた。

 そこには黒白二匹の巨竜が口蓋を光らせ待機している。


「間に合ったのは、セツナと――悔しいけど、アズマの手柄だわ」


 ――ほんの一瞬足止めできるだけでも、十分な意味がある。


 防御壁を作ったときのアズマの言葉を思い返して、カミトは苦笑を浮かべ。


「ちぃくしょおおおおおおっ!!」

「このわたしがぁぁぁぁっ!?」


 滅びのバーストストリームが、二体のキメラアントを焼き払った。


「――まだだ! あと一匹! 空!」


 安堵する間もない。ほとんど続けざまにニセットが叫んだ。
 カミトは見た。
 青眼よりはるか上空、米粒のように見える隼のキメラアントが、スピードを上げてみるみる近づいてくる様を。

 超高高度からのダイブ。
 感知域を上空から越えた接近は、ニセットの発見を遅らせた。

 狙いは青眼。海馬瀬人――いや。


「逃げて! 丸ごと殺る気よ!」


 カミトが叫んだ。

 隼が赤く燃え上がる。
 そのさまは、さながら流星のよう。


「喰らえ! “メコンの落日(ファルコンダイブ)”!!」


 隼が叫ぶ。
 海馬は避けようとして――青眼を制止させた。
 心中悲鳴を上げながら、カミトは理由を察した。海馬の眼下には無力な民衆が居る。彼らを守るため、海馬はあえて避なかったのだ。


「――間に合えぃっ!」


 カードをドローしながら海馬が青眼の頭を隼に向ける。
 傍目で見ても、隼の一撃の威力は海馬の許容量(ライフ)を上回る。
 ライフポイントがゼロになれば、彼は以後、オーラを行使する力を失う。
 それでも、海馬は臆することなく我が身と青眼を盾にせんと隼に立ち向かった。

 隼が迫る。


「“追尾する鉄鎖(スクエアチェーン)”!!」


 祈りにも似た気持ちで飛ばしたカミトの鎖も、隼を捉えられない。

 その速度は、まさに神速。
 灼熱の流星が、白き巨竜に向かって降りかかる。
 だが、それをはるかに超える超速度で、深緑の光が流星を穿った。


「な!?」


 驚きの声が上がった。
 地上から高速のとび蹴りを放ったのは、深緑の甲殻を持つ異形。
“最古の三人”の一角を占める強力なキメラアントにして、元開拓組の一員。


「ジョー。間に合ったのね」


 カミトがつぶやいた。
 人目を避けるため、彼だけは飛行船に乗らず、別ルートでカピトリーノに向かっていたのだ。

 流星が燃え落ちる。
 それを背にしてジョーは着地する。
 男たちが銃を構えながら後じさった。


「間に合ったみたいやな」


 それでも、深緑のキメラアントは元気な声で言った。
 そこへ、あふれる血を抑えながら、セツナが駆けてくる。深手だ。


「セツナ、早く手当てを」

「ああ、その前に――ジョー?」


 ジョーの背が、震えた。
 誰もがおびえる異形の姿を、セツナは一目でジョーだと見抜いたのだ。


「ジョーだろ?」

「……ま、ただいま。おまっとーさん」


 お待たせ、と言ったジョーの声は、どこか気恥かしそうで。


「ふっ。このボクが、親友を見間違えると思うかい?」


 そんな二人の姿は、異形と人でありながら、まぎれもなく親友だった。


「ふう」


 ニセットが、ユウとそっくりの猫目を伏せながら、息をついた。
 長時間“円”を展開し、そのうえ戦闘の緊張と戦ったのだ。消耗は激しい。それでもカミトは、彼女を休ませるわけにはいかない。


「偽ちゃん。ほかのキメラは?」

「おっと、意識がそれてた……うん。二体が合流して――ってなんじゃこりゃ?」


 ニセットが、首をかしげたのと、同時に。
 カピトリーノの西に広がる森の一角に、突然氷の嵐が吹き荒れた。


「な、なんなの!?」


 一同、あっけにとられて見ているしかない。
 ほどなくして、凍てついた森から、人影が姿を現した。
 その姿に、だれもが目を疑った。
 ゆっくりと、丘を登って来るのは、まぎれもない。自分たちをハメたGreed Island Online 組のリーダー。


「やあ」


 涼しげに金髪を掻き上げながら、ソルは笑った。








 そのころ、カピトリーノ西のはずれで、もこりと地面が盛り上がった。

 出てきたのはモグラの特徴を持つキメラアントだ。地面を掘り進んでここまで来たのだ。
 地下はニセットの感知領域も及んでいない。それを見越したわけではないが、結果的には虚を突く形となった。


「っとと、やっぱりいきなり光の下はきついぜ。さっぱり見えやしねえ」


 モグラは小さな瞳を手で擦りあげる。

 その時。どうぞ、と、布が手渡された。


「おお、済まねえな」


 モグラは何故か疑問も抱かず受け取った。
 おびえも敵意もなかったので、思わずそうしてしまったのだ。

 モグラは渡された布で目を拭いた。
 だがこの布、どこかに引っかかっているのか引っ張るたびに抵抗があり、すこぶる拭きにくい。
 
 モグラは目が見えないまま、布が引っ掛かった先を手で探った。
 なにか生暖かいものが手に触れた。


「ん? 何だこりゃ」


 ようやく見えてきた目で、モグラは手が触れている物を確認する。


「――それは私のおいなりさんだ 」


 声と同時に、認識する。
 モグラが使っていた布は、筋肉隆々としたむさくるしい男の――ブリーフだったのだ。


「な、ぎゃああああっ!?」


 ぷらぷらぷらぷらと、モグラは触ってしまった手を振りはらう。
 よく考えれば実害はほとんどないうえ、敵もそれほど脅威でもなかったのだが、パニックになったモグラはそれも判断できない。


「喰らえ――変態秘奥義・悶絶地獄車!!」


 男の股間に顔を押しあてられ、そのまま車輪に組まれてモグラは丘を落ちてゆく。


「成敗!」


 再起不能となったキメラアントを前に、変態仮面は両手を交差させた。







[9513] Greed Island Cross-Counter 39
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2010/08/25 01:31
 16日昼過ぎ。
 キャプテンブラボーら、NGL組がカピトリーノの開拓街に駆け込む。
 元開拓組のキメラアント、ジョーに遅れることわずかに20分。予定より半日も早い到着だった。

 この早さにはわけがある。
 ミテネ連邦から海峡を渡り、飛行船を乗り継ぐ時間待ちをしていた時、偶然キメラアントと思しい集団の北進のうわさを聞きつけたのだ。
 確認を取ったが、海峡付近の観測所では、キメラアントは発見されていない。




「アズマ。どう思う?」

「見間違いなのかもしれませんが、見過ごすにはリスクが高すぎます。それに念能力なら何でもありうる。この際敵が先行していると考えましょう」


 ブラボーの問いに、黒髪仏頂面の少年はそう答えた。

 ここからの手際は迅速極まりない。
 小型の飛行船を借り受け、手早く航路を確保すると、即座にカピトリーノを目指し出航した。
 ちなみにチャーター代を出したのはアズマだ。物欲の薄い彼は、天空闘技場で稼いだ金にほとんど手をつけていなかった。

 この飛行船は、順風時の航行速度に倍する速さで空を駆けた。
 金髪碧眼セーラー服少女、ツンデレの髪にとり憑いている幽霊幼女、ロリ姫の念能力(マスタードリラー)で、プロペラを超高速回転させた結果だ。
 船を降りてからも、借りたワンボックス車をブラボーの念能力、“最大強化(パワーブースター)”で性能強化し、ほとんど飛ぶような速度で駆け抜けた。

 急ぎに急いでカピトリーノにたどりついた一行は、丘の中腹に人が集まっているのを見つけ、車を乗り捨てて駆け寄り――絶句した。

 カミト、海馬、レット、変態仮面、ニセットなどカピトリーノ防衛組に、別ルートを行った元同胞のキメラアント、ジョー。その他集落の若い衆勢ぞろいの真ん中で、Greed Island Online系コミュニティーのリーダー、ソルがロープでぐるぐる巻きに縛り上げられていたのだ。


「やあ」


 しかもそんな状態のソルが、にこやかに挨拶してくるのだから、ブラボーたち一同、言葉を失うのも無理はない。


「……どういう状態だ?」

「いや、ふざけた顔して手伝いに来たよとか言いやがったから、とりあえずふん縛っといたんだけど」


 戸惑いながらブラボーが尋ねると、カミトも腑に落ちない口調で答えた。
 無理もない。ゲームのラスボスが主人公の家にお茶をしに来るようなものだ。


「どうしてこうなったかは、こっちが聞きたいくらいなんだけどね」

「ソルさん、空気読んでください。アンタこっちじゃ敵意バシバシなんだから」


 冷や汗を浮かべてニセットが言った。
 この、ユウとそっくりな黒髪猫目の美少女は、助けてもらった恩もあって、まだソルたちに対して友好的である。
 平和そうなソルの態度が、一同の神経を逆なでしている様を見かねての忠告だった。


「あー。とりあえず、一から説明した方がよさそうだな」


 激発しそうになるツンデレやミコをさりげなく抑えて、アズマが前に出た。
 ソルの様子は、事情を知る者としては明らかにおかしい。とぼけている風もない。


 ――ひょっとすれば、ソルは蚊帳の外にされている。


 思いながら、その推理が正しいか確かめるためにも、アズマは事情をぶつけてみることにした。


「その前に場所を移そう。とりあえずセツナの家を借りていいか?」


 街の人間にまで聞かせるような話ではない。アズマはそう提案した。








 セツナの家の大テーブルを囲んだ中で、アズマは説明した。

 開拓組の一人、エルフの少女マツリが、ソルたちが来た日の深夜、街を飛び出しNGLに向かったこと。
 そして、それをさせたのが、ソルの片腕、黒髪の優男レフであること。


「あり得ない。誤解だ」


 驚いて口を開いたソルは、それからあわてて弁護を始める。


「確かにレフの念能力なら、そういうこともできるかもしれない。だけど、ボクは彼を信じている。信じてほしい。レフはけっしてそんな奴じゃないんだ」


 切々と説くソル。その声音には真が込められており。
 しかしアズマの心を打つことはない。むしろアズマはこの発言から、レフの関与を確信した。
 その理由を、アズマは説明する。


「マツリの胸のなかには、種状のオーラの跡があった。その質は、レフのものとそっくり同じだ」


 そこまで言うと、ソルは青ざめた顔でうなだれた。


「あんたは、知らなかったのか」


 アズマはあえて尋ねた。
 その実、すでにソルは無関係だと確信している。


「そうでしょうね」


 横から口を出したのは、カミトだった。


「もしソルが謀略に携わっているなら、ここのキメラアントの始末を、こんなに早くつけさせるわけがないわ」


 カミトは説明する。
 
 カピトリーノを攻めたキメラアントの師団長を屠ったのはソルである。
 ソルの助けがなければ、敵師団長はやすやすとカピトリーノに侵入していたかもしれない。そうなれば、街の被害は甚大になっていただろう。なにより、戦いはもっと長引いていたはずである。


「わたしなら自分たちを恨んでいる人間に、考える時間なんて渡したりしないわ。彼に関しては、信じてもいいと思う」


 この事実があったからこそ、カミトたちはソルの処遇に困っていたのだ。


「まあ、この時期にこんなところに居ること自体、こいつが謀略に関わってないって証拠みたいなもんだし」


 アズマはさりげなくソルを擁護した。

 アズマの推測が正しければ、謀略の焦点はリマ王国に置かれており、だったら不確定要素の多いキメラアントを使う以上、策を巡らせる人物がリマ王国を離れていいはずがない。
 体よく追い出されて蚊帳の外にされたのだ。


 ――すると謀略の主はレフか、あるいはダークか。


 アズマは推測した。
 それぞれソルの片腕と、相棒だ。彼らがリーダーであるソルを排して、謀略を練っている。


 ――これは、思ったよりも入り組んでいる。


 そのことに不吉な予感を覚えざるを得ない。


「ソル。奴らは何をするつもりだ? いや、そこまでは推測がついている。アンタ以外の能力者が念能力を使えば、どんなことができる?」


 アズマはソルに尋ねた。
 それがわかれば相手のもくろみも自然と見えてくるはずだ。

 ソルは答えなかった。
 長い間、黙然と考えている様子だった。


「丸ごと、盗るつもりか」


 ふいに、ソルがつぶやいた。
 瞳から迷いが消えた。かわりに悲しみがあふれている。


「止めなくては」


 言って、ソルが立ちあがる。
 体を縛っていた縄が、一瞬で解けた。

 不意の行動に一同身構えた。
 しかし、つぎにソルがしたことは、皆への深々とした、礼。


「すまないが急いで戻らなくちゃいけない。この責任は必ず取る。どうか行かせてほしい」


 不意を衝けば逃げることもできたに違いない。
 しかし彼はあえてそうしなかったのだ。誠意にあふれた態度は、だからこそ哀しい。

 こんな人間だからこそ、利用され、また裏切られるのだろう。


「わかった。このキャプテンブラボーが承認しよう」


 皆を代表して、ブラボーがうなずいた。


「すまない。ありがとう」


 ソルはもう一度頭を下げた。
 それからソルは部屋の窓を開くと、桟に足をかけ、飛び上がった。
 アズマが追って見上げると、天高く舞い上がったソルが、炎の尾を引きながら北東の空へ飛んでいく姿が見えた。


「なるほど、それで“氷炎”ね……」


 つぶやきの意味は、当人にしか分からない。








 キャプテンブラボーは、窓の外を見つめていた。
 その背中はどこか寂しげで、おのれの無力を嘲っているように見えた。

 その背中を、セツナは知っていた。


「ふっ。キャプテン・ブラボー」

「同志・セツナ。その怪我はいいのか?」


 よいはずがない。
 腕と、胸から腰にかけての裂傷は、縫ったばかりなのだ。
 いかに常人より頑強な念能力者とはいえ、すぐに動ける怪我ではない。

 それでもソルのことが気がかりで、術後無理やり帰宅した。
 医者にはしつこいほど、安静にしているよう言われた。
 だが、あの背中を見てしまった以上、セツナは寝ているわけにはいかない。


「あらためて礼を言わせてもらうよ。ありがとう。キミの、キミたちのおかげで、だれも死なずに済んだ。そればかりか、ジョーまで戻ってきてくれた」


 銀の髪をかき上げると、セツナは腕を優雅に交差させ、一礼した。
 痛々しい包帯巻きの姿で、それでもセツナは苦痛を見せなかった。


「だから、もう、十分だよ」


 セツナは言った。
 ブラボーを見たとき、彼は察した。
 彼はリマ王国へ行きたいのだと。
 
 だが、ブラボーは約束した。このカピトリーノを守ると。
 一度は退けたものの、ふたたびキメラアントがこの地を襲わない保証はない。
 カピトリーノという、セツナたちという荷物を背負わされ、身動きできないブラボーは、己の無力を嘲っていたのだ。

 親友を失い、キメラアントの脅威にどうしていいかわからなかった、かつてのセツナのように。


「キミに助けてもらわなくても、ボクたちは、もう自分の足で立てる。
 もしまたキメラアントが来たって、ジョーが居るんだ。負けやしないさ」

「その通りや」


 ジョーがセツナと拳をぶつけて見せた。
 その横で変態仮面がポージングして自己主張する。


「ボクたちはもう貴方の荷物じゃあない。だから、ブラボー。キミは自分のやりたいことを、やるべきことをやってほしい」


 セツナは、拳を前に突き出した。
 ジョーと変態仮面も、それに倣う。


「同志・セツナ、ジョー、キョウスケ……その通りだ! 無辜の民を巻き込んだふざけた謀略など、この俺が許しては――ならない!」


 三人に拳を突き出して、ブラボーは部屋を出ていく。
 目深にかぶった帽子の内には、秘めたる決意を宿した瞳が光る。


「そうっス! ヒーローだったら!」

「見過ごすことなんて、できませんわ!」


 レットとミコ。さえないヒーローと無邪気なお嬢様がブラボーに倣い、セツナたちに拳を突き出し部屋を出ていく。


「――ま、礼を言っとくよ」

「ありがとね。ブラボーをわかってくれて」


 黒髪仏頂面のアズマが片手をあげ、鎖使いのカミトが、片目をつぶってそれにつづく。
 金髪ツインテール制服姿の少女ツンデレが、シスターメイが、虹色髪の少女ライが、海馬瀬人がそれぞれ三人と言葉を交わしながら出ていく。

 部屋に残ったのは三人と、ニセットだけだ。
 三人の視線がニセットに集中する。


「な、なんだよ」

「……いや、キミも行かないのかなーって」


 なんとなくノリで彼女も行くのだろうと思っていたセツナは、頬をかく。
 ニセットがあわてた様子で両手をわたわたさせた。


「居ちゃいけないのかよ? 役に立つぞ? ほら、レーダーとか! それから、日雇い労働してたから土建関係けっこう詳しいし!」


 焦ってまくし立てるニセットに、三人は目を見合わせる。


「……ひょっとして、ここに残ってくれるのかい?」


 おそるおそる、セツナは尋ねた。


「悪いのかよ」


 ニセットがむくれ顔で答える。


「いや、居てくれるのなら、ホントに、本当に歓迎するよ。ニセット――ようこそ、ボクらの街へ」

「っ……へへへ。こちらこそ、よろしく」


 セツナの手を差し伸べると、ニセットは顔を赤らめて、どこか照れくさそうに握り返してきた。








 ダーク。
 傲岸不遜に軍服を着せたようなこの男がソルと出会ったのは、この世界に飛ばされて間もないころだった。

 場所は、アイジエン大陸東はずれの波止場。
 ふと顔を合わせたふたりは、何気なく立ち話をして、互いが同胞だと知った。
 どちらも元の世界に帰ることを望んでいた。それゆえふたりはごく自然に仲間になった。


「ボク達が帰るためには、おそらくグリードアイランドが必要だ」


 と、ソルは言った。
 同名のゲームが原因で飛ばされたのだ。
 鍵はグリードアイランドにある。これは推論として的を射ている。


「だけど多くの人間は、グリードアイランドについて本当に正確な情報を持っているとは言えない。そこでボクは、同郷の人間にだけわかる電脳ネットサイトを作って情報を共有しようと思う」

「それが、何の得になるんだ」


 ソルは原作に詳しい。
 グリードアイランドの指定ポケットカードもほとんど把握していた。
 である以上、そんなサイトを運営する意味は希薄で、ダークにすればほとんどボランティアとしか思えない。
 
 だが、このまぶしいまでにつややかな金髪の美青年の視点は、より広い。


「そうだね、少なくとも不要な争いが減るかな」


 怪訝な顔を作ったダークに、ソルは説明する。

 たとえば挫折の弓。
“離脱(リープ)”を十回撃てるこのアイテムの存在を知らない者にとって、一回のクリアで元の世界に戻れるのは二人までだ。これではろくに協力もできず、ゲームの奪い合いになってしまう。

 だが、一回のクリアで最低二十人の帰還が保証されるなら、大人数での協力も可能になる。無用な争いを避けられる。


「ダーク。ボクは無知ゆえの悲劇を無くしたいんだ」


 ソルの青い瞳には、曇り一つない。
 ダークはため息をつかざるを得なかった。
 ソルは基本的に甘い。お人よしだ。だが、ただのお人よしではない。頭も回るのだ。

 ソルの提案に、ダークは賛成した。
 彼にもメリットがあるということもあったが、理由としてはこのどこか危なっかしいお人よしを助けてやりたかったというのが大きい。
 口では愚痴もたれるが、ダークも根っこのところではソルに通うところがあったのだ。

 こうして電脳ネットサイト“Greed Island Online”を作ったふたりは、帰るための算段を図りつつ、このサイトを管理することになった。
 そのうち、サイト内でのコミュニティーで知り合った幾人かが仲間になり、彼らは帰還のための具体的な方策を練った。

 まず、最初の困難はグリードアイランドの入手。
 これは数人の仲間がハンターライセンスを売り払うことで解決した。

 難航したのは実際プレイするメンバーの選別だった。
 誰も命の危険があるグリードアイランドなどプレイしたくはない。
 それでもメンバーの主導的立場にあったソルとダークは率先して名乗りを上げた。しかしそれ以外のメンバーは、だれも手を挙げようとしなかった。
 とくにライセンスを手放した数名はそれだけでもう義務を果たしたといわんばかりに、他者を責める。結局グリードアイランドに入ったのは、ソルとダークだけだった。

 ふたりを危険に放り込んでおいて、残ったメンバーはぬくぬくと過ごし、ソルたちをねぎらうことなく、カード収集が進展しなければ非難しさえした。
 さすがにダークは怒り、何度か投げかけたが、それでもソルはダークをたしなめ、文句ひとつ言わず懸命にカードを集めていった。

 そして彼らはクリアした。たった二人で幾多の困難を乗り越えた。
 王宮でふたりはゲームマスターの一人、ドゥーンから、特例として指定ポケットカードであれば、フリーポケットからでもカードを選べることを伝えられた。


「同胞がゲームをクリアすることがあれば、便宜を図ってほしいと、最初のクリア者に頼まれてな。境遇には同情するし、それならまあ、手伝ってやろうと思ったのさ」


 ボサボサ髪をかきながら、この気さくそうな男はそう言って笑った。

 ふたりは思いがけず3枚の“挫折の弓”を手に入れることができた。
 だが、仲間たちは愚かだった。帰ってきたソルたちのねぎらいもそこそこに、ふたりが血を流して手に入れた大切なカードをまるでおもちゃのように扱い、挫折の弓を何度も空撃ちした。場所を選らばなければ効果がないことなど、すこし考えればわかるはずなのにだ。


「大丈夫。人数には余裕があるさ」


 ソルは青ざめた仲間を、それでも励ました。
 だがそれは間違いだった。彼らは勝手に人を集めていたのだ。
 皮算用で集めた人数は、すでに挫折の弓で帰れる人数を超えていた。

 窮した彼らは最も愚かな手段を選んだ。
 ソルとダークに睡眠薬を盛り、挫折の弓を持ち去ったのだ。
 目が覚め、“挫折の弓”を盗まれたことに気づいたダークは、今度こそ切れた。
 追って殺す腹を決めたダークを、ソルはそれでも止めた。


「こちらにはグリードアイランドもあるし、クリアする実力もある。また取りなおせばいいじゃないか」


 だが、探すまでもなく彼らは見つかった。


 ――むざんな死体となって。


 集まった人間に、たったひとり分足りなかった帰還枠。
 それがために争いは起こり、ほどなくして殺し合いに発展した末、皆死んだ。
 挫折の弓”戦いのなかですべて壊れていた。

 報われない。
 だが、それでもソルは正しい道を歩む。弱者の庇護をやめない。


 ――だから願ったのだ。
    彼に、ふさわしい報酬を与えてやりたいと。
    身を削らずとも善を為せる権力(ちから)を与えてやりたいと。
    そのためなら、奴らがそうしたように、ほかの者など踏みにじってやると。


「どったの? ダークさん」

「――いや、なんでもねえよ。アフォー」


 お気楽な青年に尋ねられ、ダークは回想を振り払った。


「ダークさん、朗報だよっ! 国境付近でキメラアントたちが確認されたってぇ話だ!」

「そうか。レフからは何もねぇのか?」

「残念ながら、こっちはなーんも」


 ――死んだか。


 ダークは目を閉じた。
 相手はキメラアントである。その危険は常に付きまとう。
 だが、夢に手が届く、その寸前になってのリタイアは痛恨だった。


「博士のほうは?」

「動けないってさ。偉くなるってのもかんがえもんだーね!」


 博士とはダークたちの仲間である。
 発明が趣味で、念関係の発明品を多数作り、そのため協会に歓迎されてけっこうな地位に居たのが、つい先日、ひょいと重役についた。
 キメラアント討伐戦での不始末で首を飛ばされた副会長派の人間の後釜に収まったのだ。
 朗報ではあるが、人手がほしい今は痛し痒しだ。


「――頃合だな。よし、連中を広場に集めやがれ」








「よう、お前ら」


 だらだらと広場に集まってきた同胞たちを見下ろしながら、ダークは言った。


「いま、情報が入ったぜ。キメラアントがこっちに来るらしい」


 ざわめきがさざめいた。
 当然だろう。ほとんどの人間にとって、キメラアントは危険を超えて死の代名詞である。
 構わずにダークは続ける。


「奴らは首都を狙う。俺様たちはこれからキメラアントを狩りに行く。テメェらもだ」


 ざわめきが強くなった。
 なぜ。いやだ。なんで俺が。わけわかんねえ。そんな声が漏れてくる。


「――黙れ」


 ぴたりとざわめきが鎮まった。
 ダークに威圧されたわけではない。
 今のダークの剣呑さがわかるほど、この連中の危機意識は発達していない。

 言葉を封じられたのだ。ダークの念能力によって。
 青ざめる彼らを、ダークはあざ笑う。


「“一言実行(ワンブレスコマンド)”。平たく言やあ俺様の命令を能力(ちから)づくで従わせる能力だ。言葉が短いほど、実行時間が短いほど、強制力は増す――と、これは今は関係ねえ」


 すでに念の効果は失せているが、だれも口を開かなかった。
 これほどむき出しの悪意を向けられたのは、彼らにとって初めての経験だった。
 おびえ静まり返った同胞たちに、ダークは最後の追いうちを与える。


「俺様のもう一つの能力を教えてやろう。“尽忠報恩(インビジブルコントラクト)”。恩を受けたお前たちは、すでに俺様の部下だ。今まで売った恩、まとめて返してもらうぜ」


 悲鳴が上がった。
 それを一言で黙らせて、ダークは歩き出した。
 悲鳴をあげながらも、哀れな同胞たちは従わざるをえない。レミングスのごとき悲壮な行軍が始まった。


「さて、向かうは首都リマだ――英雄になりに行くぜ」








 フォックスは、もともとソルたちの仲間の一人である。
 ソルが構築したキメラアント監視網のうち、彼はNGL内という最も危険な地域を担当させられた。
 仲間内で飛びぬけた武闘派だった、わけではない。所在を隠ぺいする念能力の持ち主だったからだ。

 彼の役目は、二つ。一つは表向きの目的。キメラアントを監視すること。
 そしてソルの知らない裏の役目は、女王死後にキメラアントと接触し、キメラアントたちをリマ王国に誘導することだった。

 その目的は、フォックスの死で一度頓挫したはずだったが、彼が“キツネ”として生まれ変わったことで、ふたたび実行に移されようとしている。

 だが攻め入るのはフォックス本人である必要はない。
 カピトリーノでそうしたように、師団の一つも送れば、本来事足りるのだ。
 なのにフォックスは今、ありったけの兵隊を連れて、北へと向かっている。
 その数90におよぶ異形の軍団は、わき目もふらず、ただ王都のみを目指していた。





[9513] Greed Island Cross-Counter 40
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2010/08/27 06:41

 16日午後7時。
 リマ王国首都リマを、キメラアントの軍団が疾風の如く襲った。
 この情報を軍部が受け取ったのは、キメラアント来襲のわずか15分前であり、国防長官セロの散々の罵声のなか、最高司令官であるポドロフ了解のもと、軍幹部たちを急場に召集し、対策会議が設けられた。

 その直後である。
 軍幹部たちが集まる司令部に、数体のキメラアントが突如としてなだれ込んだ。
 最悪のタイミング。この奇襲で指揮系統は一時的に麻痺し、軍部は混乱。さまざまな情報が錯綜する。

 某国の襲来だ。いや、極秘の生物兵器の暴走だ。いや、生物兵器だが、我が国のものではなく、某国のものだ。

 その間にも首都リマの各所で炎が悲鳴が上がる。
 さまざまなデマが市民にパニックを引き起こし、一部が暴徒化した。


「ついに始まった! 我々の時代が!」


 ガルシア小佐は、炎の上がる軍司令部を見やりながら歓喜を爆発させた。
 34歳の彼は長い間鬱屈のなかに居た。英雄と呼ばれたポドロフ将軍とその与党に占められた高位の席を羨望のまなざしで見つめながら、手柄の立てようのないこの国の平和と、いつまでも老人のまま、変わらず生き続ける彼らを憎悪し続けていた。

 だが、そんな日々もこれで終わりである。
 この未曽有の災厄でポドロフ将軍以下老害どもは軒並みくたばり、自分たちが新しい英雄になるのだ!


「マルコス隊、カラヤ隊、続け! 将軍たちをお助けするのだ!」


 内心、くたばっていろ、と呪いの言葉を吐きながら、ガルシア少佐は因果を含めた部下たちを選抜して自ら軍司令部へ突入していった。

 受付は血にまみれていた。
 ガラスが四散し、無数の弾痕が刻まれている。


 ――戦争だ。まさしくこれは戦争だ!


 わき上がる歓喜を押し殺しながら、ガルシアは奥へ向けて駆けた。
 彼の率いる部下たちの装備する銃には致死毒を仕込んだ銃弾が込められている。
 いかに凶悪な魔獣であろうと当たれば殺さずにはいられない、そんな猛毒だ。奴らの言う化物――キメラアントでも、毒の弾幕相手では歯が立つまい。

 戦いの予感に心躍らせながら、ガルシアは軍高官たちの詰める会議室へとひた走った。
 心の内では、死んでいろ、死んでいろとつぶやき続けている。

 つぶやきがふいに途切れたのは、会議室の前でだった。
 観音開きの扉は壊れている。なかは薄暗く、様子を確認できないが、赤いじゅうたんを汚すシミのようなものが確かに見えた。
 だが、ガルシアの思考を止めたのは、そんなものではない。
 薄暗い闇の奥、確かに存在する人の影を、彼は見いだしたのだ。

 ふいに火が灯った。
 ライターの火だ。朱の光に照らされ、円卓に腰をかける存在が明らかになった。


「セロ国防長官……モラレス幕僚長……」


 驚愕のあまり、ガルシアはそれだけしか言えなかった。


「よう、お若いの。ここに何の用かね」


 葉巻を吹かしながら、モスグリーンの軍服をぴしりと着こなした白ひげの老人が、シワだらけの口の端を引き上げた。


「モラレス幕僚長……は、その……」

「おいおいお若いの。一人前の軍人ですとおっしゃりたい(・・・・・・・)のなら、まずはその馬鹿みたいに開けた口をどうにかしてはどうかね?」


 とんとんと、モラレス幕僚長は円卓をたたいて葉巻の灰を落とす。白い灰が絨毯に落ちた。


「たるんどる!」


 雷鳴のような声に、ガルシア少佐以下兵士たち全員、竦みあがった。
 老齢にもかかわらず成人男性二人分ほどの量感のある巨体。軍服の上からでもわかる引き締まった筋肉。シワこそ刻んでいるものの、なめし皮のようにつややかな肌。戦で光を失ったのか、片眼には眼帯をしている。


「セロ国防長官閣下!」


 彼に敵意しか持っていないはずのガルシア少佐が、思わず背筋を伸ばした。


「司令部が炎上して駆けつけるまで5分もかかるとは何事か! しかもこのような取るに足らん獣の奇襲を許すだと? 普段の心がけが足らん証拠じゃわ!」

「そういじめてやるなよセロ? ――よう、小僧。このあとはどんな手はずになっておるのかね?」

「はっ?」

「とぼけんじゃねぇよ。エディの鼻ったれが吐いたぜ? まあ、思ったより根性がなかったせいで全部聞く間は無かったがな」


 そう言うと、モラレス幕僚長は歯を剥き出しにして哂った。
 ガルシアはガタガタ震えている。すべてを見透かされるような、幕僚長の切れ長の瞳がたまらなく恐ろしい。


「お前さんはあの哀れなエディよりも丈夫かね?」


 闇に慣れてきたガルシア少佐は、やっと気付いた。
 部屋の隅、キメラアントのものと思しき残骸に混じって、ぼろ雑巾のように転がされている、彼の同志の、惨たらしい死体に。


「うわああああああっ!!」


 恐怖が、ガルシアに銃を撃たせた。
 触発され、最前線の兵士も銃を乱射する。
 狂騒にも似た衝動とともに、地を打つ薬莢の音が止まった時、ガルシアは見た。ふたりの老人が、まったく無傷でいるのを。


「き、強化ガラス……」

「おいおいお若いの。わしらがなぜこんな暗い部屋にいたと思いかね」


 呆然自失するガルシアに、幕僚長は滑稽な寸劇でも見たような表情。


「まったく……たるんどる!」


 その不注意が腹立たしいとばかり、怒鳴りつける国防長官。

 ふいに部屋の両隅の天井が開き。そして銃弾の雨がガルシア達に降り注いだ。


「……まったく。体に一発の銃弾も埋まっとらんヒヨコがわしらを出しぬけるとでも思ったのかね?」


 つまらないものでも見るように、モラレス幕僚長は死屍累々たる様を見下ろす。


「たるんどる! そんなザマだから老骨ひとつ墓場に送れんのだ――と、始末してよかったのかよ、モラレス。作戦を聞き出すんじゃなかったのか?」

「なに、こうなれば大枠は見えたさ。なにか一大事を起してわしら一か所に集め、一網打尽。ついでに通信を麻痺させ、返す刀で化け物どもを葬ってわしらになり替わろうって寸法だろう。それに関しては問題ない。あっという間に収めて見せるさ」


 首をかしげる国防長官をよそに、幕僚長は慣れた手で携帯式の無線機を操る。


「ああスハルトか? 俺だ。ポドロフの大将はいるかい?」

「――ここだ。いま国営放送に情報を渡したところだ。そちらはどんな様子だ?」

「なに、若造どものいたずらだ。たいした事はない」


 同時に建物が揺れた。断続的な炸裂音が鳴り響く。
 ベレーの上に落ちた埃を払いながら、モラレスはにやりと笑う。


「問題は、若造どもが火消しの準備もせずに火遊びをしやがったってところだ。こいつぁちょいとばかりやっかいだぜ」

「……手間をかけるな。モラレス。セロ」

「なに、久しぶりのピクニックだ。楽しみでウキウキしているところさ」


 モラレスは笑いながら、集まってきた部隊に、手振りだけで迎撃の指示をした。








 リマ王国首都リマに駐在する軍隊は、当然のことながら、外敵から都市および司令部、そして国王を守る事を想定して配置されている。
 ミサイルやタンク、対空砲など、揃えられた数々の装備は、そのほとんどが外敵に備えたもので、内部に侵入したモンスターを相手にすることなど想定していない。


「なに、ほんの40年ほど前に戻っただけのことさ」


 幕僚長モラレスは笑いながら、通信施設の死守を命じた。
 ここをやられると、林立するビルのブッシュに潜む敵を相手にする羽目になる。
 敵のほうが個体戦闘能力に優れている以上、ゲリラ戦をやられてはかなわない。部隊を有機的に運用するためにも高度な情報把握が必要だった。


「なら、老兵(ジジイ)どもの出番だな」


 セロ長官の言うとおりだった。
 混乱と熱気に引きずられ、浮足立つ若年の兵を抑えたのは退役間近の老兵たちだった。
 普段彼らの武勇伝を聞きあきていた若手将校たちも、この時ばかりは彼らの存在に感謝するばかりだ。

 彼ら老兵に助けられた各部隊と、それらを有機的に運用するモラレスの手腕。
 そして皮肉にも、クーデターを企てたガルシア少佐が用意させた、対キメラアント用の弾丸により、彼らは多大な犠牲を出しながら、キメラアントたちにも無視できない損害を与えていた。

 首都リマに侵入したキメラアント、その数およそ90。
 うち首都北西にある軍司令部に侵入した3体は、早々に始末されていた。
 司令部から展開された部隊は、徐々に中央に勢力を伸ばしつつあり、また北部にある王宮も、近衛部隊の存在と、なにより駆けつけたポドロフ将軍の存在により、何者にも侵されていなかった。

 だが、街の随所ではいまだ悲鳴と絶叫は絶えない。
 たった90の猛獣の暴走は、人々に恐怖と絶望を与えずにはいられなかった。
 細切れにされた男がいた。頭から喰われた女性がいた。丸のみにされた子供がいた。

 人を襲い、人を食う。この野獣を恐れぬものがあろうか。
 いかな指令の下か、キメラアントたちは都内各地に散らばって阿鼻叫喚を撒き散らしていく。
 
 首都南寄りの住宅地。
 そこで血の海を作っていたヤモリ型のキメラアントは、突然飛んできた念弾に驚きたたらを踏んだ。
 素早く視線を飛ばした先には、あきらかに通常とは違うオーラを持つ人間たち。


「きゃ? レアモノきゃ?」


 ヤモリはむしろ喜び勇んで彼らに襲いかかった。
 だが。


「止まれっ!」


 先頭に立つ軍服の男の一言。
 それを耳にしただけで、ヤモリの足が止まる。
 驚き焦るヤモリの前に、悲鳴を上げながら飛び出してきた銀髪黒装束の男が、刀を振りかぶり、躍りかかって来る。


「うわあああっ! (みなごろ)せっ――人間無骨!」


 刀が、十文字の槍へと変化する。
 しかし一直線に突きかかって来るその動きは鈍重極まりない。


「止まれっ!」


 避けようとしたヤモリに、また軍服の男の声が飛んだ。ヤモリの体が硬直する。

 動けぬまま、ヤモリは槍に心臓を射抜かれた。
 むろんそれだけでキメラアントが即死するはずもない。
 しかし反撃に移ろうとするヤモリの動きは、軍服の男にまた止められた。

 怒りと屈辱のなか、ヤモリは普通なら防御せずとも跳ね返せる程度の弱い念弾で、擂り潰すようにして殺された。


「……よし、つぎに行くぜ」


 軍服の男が命ずると、悲鳴と罵声が上がった。
 飛び出した銀髪黒装束の男は、涙と鼻水が混じったものを垂らしながら呻いている。怪我はなく、純粋に恐怖と気あたりによるものだ。

 隊伍が整うのを待つ間に、逃げ散っていた人々がおっかなびっくり集まって来る。


「あ、ありがとうございます。あなた方は?」


 腰が引けながら、それでも頭を下げた初老の男に、軍服の男――ダークはにやりと笑い、そして言った。


「俺様たちは――“ソルの部隊”だ。忘れんなよ?」


 ダークの命令一下、念能力者たちは悲鳴を恨みの言葉を吐きながら、キメラアントとの戦いに身を投じていった。


 午後八時、“ソルの部隊”参戦。
 しかし首都リマの命運は、いまだ揺蕩っている。








 青赤の光を散りばめた闇の空間に、光がさした。
 締め切っていた扉が開けられたのだ。開いたのはソル。街灯の光を背負って金髪がまばゆくきらめく。

 それとは対極の、闇色の髪を持つこの空間の主は、碁盤を前にして眉一つ動かさない。


「ミホシ」

「……来ましたね、ソル。予想より早い。流石です」


 言葉を紡ぎながら、ミホシは白石を盤面に打つ。
 中央に飛び込んだ石と、眼形をつなぐ必生の一石。


「ミホシ、ダークたちは」
 
 
 ソルが気ぜわしく尋ねる。
 焦りを抑えきれない様子だ。

 ゆえにミホシは明快に答えた。


「キメラアントを倒しに、首都リマへ。全員が、です」


 そうか、と、ソルは呟いた。
 その表情は、悲しみに満ちている。
 一連の事件がダークらの画策によるものだと、すでに気づいているのだ。

 ミホシは表情を揺るがさない。ただ碁笥より石を取りだす、その手がわずかに震えた。


「なんのために、こんなことを」

「あなたに……英雄になって欲しいからです」


 ミホシは言った。
 それだけで、ソルには通じている。


「バカなことを」


 悲しい声で、ソルはかぶりを振った。
 それにたいし、ミホシの表情がわずかに厭の色を帯びる。


「バカなことですか」


 ミホシは問う。


「すぐ近くに、ぼろぼろになっても、罵られても、他人のために頑張ってる人がいて、その人に、行いにふさわしい報いを受けてほしいと願うのは、そんなにバカなことですか?」

「ミホシ……」


 ソルが目を伏せた。
 この時初めて、ソルはダークらの愚行の意味を、正確に理解したと言っていい。
 だが、それでも、ソルはかぶりを振ることしかできない。


「思いは、うれしい。でも、そのために多くの人が巻き込まれ死ぬのなら、やっぱりボクは許容できない」

「……そう言うと思ってました」


 悲しげな顔の青年に、ミホシは虚ろな笑みを向ける。


「だからあなたは英雄になる。あなたは王都へ皆を救いに行くでしょう。行かざるを得ない。そんなことは、計算のうちなんですよ」


 投げかけた言葉は震えている。
 深い苦悩の色を残して、ソルはミホシに背を向けた。


 ――わたしはソルを傷つけた。


 それがミホシには痛いほどよくわかっている。


 ――この上、どうして顔を会わせられましょう。


 傷心とともに、彼のもとを去る覚悟を決めて、ミホシはソルの背に声をかける。


「ひとつだけ、忠告があります。新しく起した棋譜が、明らかにおかしい。誰かがわたしたちを裏切ります。くれぐれも、気をつけてください」


 ソルは止まらない。
 宵闇の中に男の姿が消えていく。


「……ソル。お慕いしておりました」


 涙の粒が、碁盤を濡らした。







[9513] Greed Island Cross-Counter 41
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2010/09/30 21:33
 ――東地区の住民は至急――


 ザッ


 ――首都リマの住民の皆様は――


 ザッ


 ――ポドロフ将軍の指示のもと、避難勧告が――


 ザザッ


「ちょっと、アズマ、助手席でテレビのチャンネル回すの止めてくれない?」


 ライトバンの運転席に座る鎖使い、カミトが隣に座る仏頂面の少年に非難の目を向けた。アクセルはべた踏みである。危険な行為だ。


「すまないが我慢してくれ」


 アズマのほうは、いつも通りの仏頂面で携帯型のテレビをいじっている。
 防護服姿のキャプテンブラボーが後ろから映像を覗き込んでおり、ブラボーの隣に座る金髪ツインテール制服少女、ツンデレと、豪奢な身なりのお嬢様、ミコも、釣られてアズマの手元を覗き込んでいる。

 そのさらに後ろの席ではシスターでメイドな行かれた格好をした美女、シスターメイがラジオをいじっているが、これは自分の歌が流れているのを聞きつけたためである。横に座る海馬瀬人と虹色髪の幼い少女、ライは迷惑そうな目で彼女を見ている。
 最後の一人、真っ赤なジャケットを着込んだしょぼい青年は、膝を抱えて荷物スペースに座り込んでいた。微妙に車酔いしているのか、顔色が悪い。

 8人乗りのライトバンは、満員の車体を揺らしながら、吹き飛ぶような勢いでリマ王国首都リマへ続く道を突っ走る。


『――リマの市街が炎上しております! 怪物です! 怪物が現れたのです!』


 アズマがチャンネルを回す手を止めた。
 放送は、謎の怪物の突然の襲来と、民間人が多数死亡していること、軍隊、そしてダークたちがキメラアントと戦っている状況まで克明に実況していた。


「これが、あいつらの“思い通り”なの?」


 ツンデレが唇をかみしめる。ツインテールが揺れる。


「だったら、絶対に許せない」

「同志・ツンデレ。気持ちは分かる。だが今は」

「勘違いしないでよね」


 声をかけたブラボーに、ツンデレは肩を怒らせる。


「キメラアントから、無力な市民を助けた後あいつらをボコる。それがわたしたちの最速でしょ? そんなことわかってるんだから!」

「す、すまない」


 微妙にツンデレっぽいセリフに「素晴らしい」と口中つぶやきながら、アズマはふと首をかしげた。


「――どういうことだ」

「アズマ、どうしたのだ」


 ブラボーと、それにつられてミコ、ツンデレが前を覗き込む。


「首都がこれほど混乱状態にあるのに、報道が活発すぎるんです」


 アズマは振り返って説明する。


「こんな状態では、混乱を避けるために情報統制されていてもおかしくはないし、そうでなくても、とても出歩けませんよ。事実ほかの放送局じゃあ軍からの情報と避難勧告を流しているだけです」


 言われて、ブラボーはしばし沈思し。


「これも奴らの策だと思うか?」

「まさか」


 問うたブラボーに、アズマは首を横に振った。


「奴らがするとしたら、自分たちを英雄に祭り上げるためでしょうが……稚拙すぎます。これが有効である状況といえば、軍幹部が全滅したときだけです。だけど、避難勧告はポドロフの名前のもとに出されている。この混乱の中でも彼が生きている。だったらこんな小細工意味がないどころか、逆効果だ」

「奴らがバカだって可能性は?」


 横から口をはさんだのは、鎖使いのカミトである。
 アズマはこれに、まさか、と返した。


「カミト、あんたが調べても、ソルたちと軍若手のつながりは見えなかったんだろう?
 それほど隠密に事を運んできたやつらが、こんなところで下手を打つはずがない」

「だったら」


 運転しながらで思考がまとまらないのか、カミトは厭わしげに眉をひそめた。
 それを代弁する形で、アズマは言葉を継ぐ。


「こんな放送をして、得をする。そんな奴が居るに違いない」

「――そう言えば、おかしくないッスか?」


 ふいに奥から声が聞こえた。
 収納スペースに収まったレットの声だ。


「その放送、中継場所はあちこち飛んでるのに、現場レポーターの声……みんな一緒じゃないスか?」


 言われてみればそうだった。
 生放送である。動きながら撮っているのだとしても、よく考えれば移動が速すぎる。


「そういえば」


 レットの疑問に引きずられるように、カミトがふとつぶやいた。


「キメラアント。奴らがカピトリーノについたの、早すぎると思わない?
 数百キロほど瞬間移動したとでも考えないと、とても計算が合わないくらい」


 しばし、車中に沈黙が流れ。


「カミト。運転を代わろう。もう充分に休めた。ここからは、どうやら飛ばした方がよさそうだ」


 決然と、ブラボーは言った。
 さらなる加速と揺れの予感に、レットが小さな声で悲鳴を上げた。








 首都リマではいまだ地獄が続いている。
 ダークら“ソルの軍隊”、また国軍により、極地では優勢を保っているものの、その影響力の及ばぬ場所では阿鼻叫喚は収まらない。

 そして、リマ王国軍も苦境が続いている。
 もとより戦闘力が隔絶しているのだ。たとえ弾幕を張ったとしても、毒の弾丸で狙撃しても、ブービートラップにハメても、空中におびき寄せてタンクの砲撃を浴びせたとしても、それでもなお動く怪物相手に、いかなる手段を用いて戦えばいいと言うのか。

 兵隊長クラス以上のキメラアントに対しては常に劣勢を強いられ、部隊一つが壊滅することも稀ではない。
 そんな状況にあって、それでも古つわものに支えられたリマ王国軍は奮戦を続けていた。


「――変だ」


 長身長髪の元軍人、ダークは訝しげにつぶやいた。
 近辺のキメラアントの始末をつけたところで、周囲に敵の姿はない。

“ソルの軍隊”は首都リマを南から侵入し、中央目抜き通りにまで達していた。
 隊列を為す哀れな同朋たちは、慣れたのか、それとも恐怖することに疲れたのだろうか。虚ろな目で整然と隊伍を保っている。


「おっと、なにがです?」


 ああああが、てしと額をたたきながら尋ねた。
 彼の念能力は、“六面俯瞰(キューブサイト)”。視界に納めた対象を六方向から視ることができる能力だ。キメラアントの襲撃に備え、隊列を自在に動かすために欠かせぬ能力である。


「王国軍の活動が活発すぎる。軍部の中枢を叩かれたにしては、部隊の動きがまともすぎねえか?」

「ははあ。言われてみりゃー……指揮系統が混乱、ってーのは無さそうですなっ」


 司令部にキメラアント襲撃の痕跡があるのは、ああああの“六面俯瞰(キューブサイト)”で確認している。
 であれば若手将校のクーデターも実行されている可能性が高い。
 両者の攻撃をしのぎ、この戦闘の指揮を執っているとすれば。


 ――しぶとい。


 と言うほかない。


「ま、キメラアントが予定の、軽く五倍はいるんだ。むしろありがたいか……アフォー、キメラたちのほうはどう動いてる? オーラの強い奴だけでいい」

「了解っ! ふーむ」


 唸りながら、中肉中背の楽天家は瞳にオーラを集めた。


「師団長クラスと思しき個体、スラムに一体、王宮に向かう一体、王国軍と遊んでいるのが一体、といったとこだーね。
 それぞれ部下が居るっぽいんだけど……適当に暴れさせてるだけだねありゃ。あとリマ市中トンボだらけだ。まいったネ」

「探知系の念能力だな」

「あい」

「なら、俺様たちの動きも知れていると思って間違いはねえな」

「そりゃあそうだ」

「なら、そろそろ向こうからのリアクションがあるだろうよ。気をつけとけ」

「あいあいさー!」


 ああああが大仰に敬礼して見せた直後。


「――と、このタイミングで出にくいんだけどよぉ」


 突然、ビルの合間から声が飛んできた。
 銃声と悲鳴飛び交う戦場にあって、この声は静かでありながら不思議とダークに届いた。聞き覚えのある声だ。


「その声は、フォックスか」

「その通りだぜぇ」


 ダークはその返事を、淡い驚きをもって受け止めた。
 無理もない。NGLに入ったまま音沙汰もなく、とうに死んだと思っていた人間なのだ。


「ふぉっくすぅ?」

「そっちに伝わってなかったかぁ? ったく、ひとが命懸けでキメラ連れてきてやったってのによぉ」


 ああああの驚きに、ふてくされたような声が返ってくる。
 ダークにはこれも意外だった。キメラアントをリマ王国に導いたのは、同志でありソルの片腕だったレフだと思っていたのだ。
 そこでダークは、ふと、ある可能性に気づいた。


「姿を見せろ。声だけじゃお前かわからん」


 遅ればせながら、ダークはそう命じた。

 彼の言を信じるなら、フォックスはキメラアントと直接会っている。
 キメラアントたちの念能力には、未知なものも多い。オウムに類するキメラアントであれば、声をまねることも容易いはずだ。


「用心深ぇな」


 その声音にはむしろ面白がるような響きがある。
 ほどなくして、声の主はビルの陰から姿を現した。

 小麦色の金髪を背中まで伸ばした、顎のとがったキツネ目の青年だ。
 身を隠していたのと、本人証明のつもりだろう。青年は“絶”でオーラを絶っている。未知のオーラの痕跡はない。ダークは彼がフォックス本人だと確信した。


「よう、久しぶりだな。フォックス」

「奴らを連れてくるには手間が折れたぜぇ、ダークさんよぉ」

「そうだな。少々予定は変わったが……よくやってくれた。礼を言うぜ」


 歩み寄り、男たちは不敵に笑い合う。


「それに、よく来てくれたな。助かるぜ」

「当然だろうがぁ。オレが来ねぇでどうする」


 もとよりこの二人はガラが悪い。
 双方ポケットに手を突っこんだままなので、まるでヤンキーのにらみ合いのようになっている。


「そういやレフの奴がNGLのほうに行ったんだが、お前、見てねえか?」

「さあなぁ」


 ダークの問いに、フォックスはふいに口の端を釣り上げた。


「いまごろ冥途で寝ぼけてんじゃねぇかぁ?」


 見た者の背筋が凍る。
 口を耳元まで裂けさせたような、おぞましい笑み。


「なに――?」


 油断である。
 ダークは相手が仲間だと確信した時点で、彼に敵意がないことを疑わなかった。
 それは間違いだ。仲間でも友人でも、はては家族の間でも、悪意をもって害されることはあるのだ。

 だからフォックスの接近を許した。
 そしてもはやすべてが遅い。


「てめぇも死ねよ」


 言葉とともに送られた拳は、いとも容易くダークの腹を貫いた。
 ダークの背から生えた手は、鋭い爪をもち、獣毛に覆われている。

 フォックスの姿は、狐にも似た獣の姿に変わっていた。
 背は金色、腹側は純白の体毛。耳は尾のごとく長く後ろに伸び、太い尾が、乱暴に地をなでている。オーラが、爆発のように広がった。


「ぐっ、て、てめえ――狐が化けてやがったか」


 口から血を吐き、ダークは歯噛みする。
 キメラアントの姿に戻ったフォックスが、三十日月のごとく目を細めた。


「狐が化けるか。凶狸狐だよ――いや、フォックスだけどなぁ」


 言われて、ダークは理解した。

 フォックスが女王に喰われたこと。
 凶狸狐のキメラアントとして蘇ったこと。
 そして彼が、ダークたちとは別の野望を持ってしまったこと。


「オレもてめぇには散々恩を受けてるからなぁ。不意打ちの命令で殺されちゃたまんねえんだ」

「てめぇ……“フォックス、死ね”!」


 血を吐きながらの短い命令は、しかし効果を発揮しなかった。
 フォックスの念能力によって、ダークの念は無効化されたのだ。

 “尽忠報恩(インビジブルコントラクト)”の効果を消された哀れな同胞たちは、しかし誰一人として動けなかった。
 戦うにも逃げるにも、あるいは命乞いするにも、フォックスの放つオーラはあまりにも凶悪で、凶暴で、絶望的だった。

 フォックスは狂笑を浮かべて吠える。


「テメーさえがいなけりゃ、たとえソルでももう怖かねぇ! これでオレが王だぁ!」


 耳を覆いたくなるような笑いを轟かせながら、フォックスは宮殿に向けて一直線に駆けていった。
 残された同胞たちなど、まるで眼中にない。おかげで彼らは命びろいした。


「ダークさんっ!」


 ふたたび大量に血を吐いたダークに、思い出したようにああああが駆け寄る。
 腹から背中まで通る巨大な穴。そこにあるべき臓器はなく、あふれる血は止まらない。誰が見ても致命傷である。


「ふん……こりゃあ死ぬな」


 自覚しながら、ダークはむしろ淡々と言った。
 キメラアントと戦うのだ。元より死は覚悟していた。
 だが、また裏切られ、挙句に死ぬというのは、なんとも皮肉な話だ。


 ――ソルよ、どうやら俺様はそんな星の下にあるらしいぜ。


 笑っても、心の中のソルは笑ってくれない。
 当然だ。キメラアントによる災厄を引き起こしておいて、始末も付けず、無責任に逝くのだ。


「ダークさん、ダークさんっ!」


 ――わかってるぜソル。でも、いまさらなにができるってんだ。


 すでにダークは仲間の姿を見ていなかった。
 彼の目に映っているのは記憶の風景。自らが引き起こしてきた惨劇。

 炎の地獄。子をもとめ駆けまわる母親。泣く子供。
 そこらじゅうに転がるミンチのような人の残骸。怒号。絶叫。

 硝煙と炎の香り。
 ダークが記憶として知る懐かしい香り。
 混濁した意識の中で、ダークは、最後に自分がなすべきことを見いだした。


「勝手だが、押しつけるぜ……野郎共、俺様の“最後の命令”だ」


 うつろを眼に映しながら、ダークは言う。
 眼前に迫った死に抵抗するように、膨れ上がるオーラは、執念のように同胞たちにまとわりつく。


「民を守れ。そして自分の命を守れ……以上、だ……」


 ダークの言葉はそこで途切れた。
 黒い瞳には、もはやなにも映っていない。

 ダークは死んだ。
 だが残されたものに、悲痛に暮れる暇はなかった。
 ダークの、命を込めた最後の命令は、問答無用で彼らを突き動かす。

 彼らはもはや泣いていない。
 命令に縛られ、逃げることはできず、また逃げてもキメラアントの餌食にしかならない状況で、戦闘の要のダークを失って初めて、彼らは心の底から必死になった。

 泣いている暇はない。泣く余裕もない。
 自分の命すら守ることが難しいこの地獄で、彼らは無力な人間すら守らなくてはいけないのだ。


「みんな、ダークの命令を聞いたな? さあ行こう。民を守れ、自分を守れだ! 大丈夫、なんとかなるさ、あんたはあんたを信じなさいってやつだ!」


 努めてか天性か、ああああが気楽に言った。
 地獄の中で、彼の明るさは一種の救いである。
 これよりああああ指揮のもと、“ソルの軍団”の行動はキメラアント討伐ではなく、民衆の防衛にシフトする。








 午後9時を回った。キメラアントの襲撃、その最大の激戦地となったのは王宮だった。師団長率いるキメラアント達の攻勢に、王宮直営の護衛兵たちは、大量の出血とともにじりじりと戦線を後退させられていった。


「よう」

「おおポドロフか」


 王座にて近衛兵に守られていたリマ国王は、ライフル銃を肩に担いだ軍服姿の老友の姿を見て立ち上がった。

 王座はフロアよりも3段ほど高い位置に作られている。そこに上る階段に、ポドロフは腰をかけた。胸ポケットから煙草を取り出し、ポドロフは火をつける。
 この暴挙に、近侍の兵の顔が蒼くなった。しかし王もポドロフも平気な顔である。


「悪いのかね、情勢は」

「ぼちぼちかな。まあ、40年前ほどには、しんどそうだ」


 ポドロフは紫煙を吐いてから、王の問いに答えた。
 40年前、と聞いて、王がひどく懐かしげな顔を見せる。


「あのときお主は殺されるところだったわしを背負って戦ってくれたな」

「さすがにあの時ほどの馬力はねえよ。こちとら、おい、80の爺だぜ」

「それを言うならわしも70すぎの爺だよ。近頃は足元もおぼつかなくてな」

「そりゃあ、国王よ、あんたが肥ったからだぜ。なんだよその腹は。子供でも生むつもりかよ」

「置け。こういうのはな、貫禄があるというものだ。お前なぞ、見てみろ、鶏がらのようではないか」


 軍の最高指導者と国王の会話に、近衛兵たちは赤くなったり青くなったりしている。
 外向きにはたがいに敬意を払い続けてきた二人だけに、こういう稚気のある姿を他人に見せるのは、実は初めてである。


「まあ、なにがあろうとあんただけは守って見せるさ。軍棋で言えば、あんたは王だからな」

「例えずとも王だと言うのに……懐かしいな。あのときもそう言って守ってくれた」


 ポドロフは近衛兵の幾人かを引き連れて、王に背を向けた。
 防衛線は下がり続け、王の近衆を借り出さねばならぬまでになっている。


「体を厭えよ、ポドロフ。わが友よ」

「あんたもな、国王。愛すべきわが盟友よ」


 すり消した煙草を胸ポケットに入れて、ポドロフは後ろ手に手を振った。
 キメラアントの王フォックスが炎のごとく王宮に攻め込んだのは、この5分後だった。





[9513] Greed Island Cross-Counter 42
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2010/08/30 23:30


 救いを求める民衆を探し助けながら、敵のいない経路に逃がしていた“ソルの軍隊”は、突如陥穽に落ち込んだ。

 助けを求める人々を餌にして、キメラアントが待ち構えていたのだ。
 ゴリラ型、オランウータン型、テナガザル型、メガネザル型。すべて猿系のキメラアント。
 道幅の狭い歓楽街。頭上まで張り出した看板の群れ。コンクリートの密林の中を縦横駆けまわるその動きは、まさに野生。そして野生の獣ゆえ、気配を消すのもお手のものである。


 ――まいったネ。


 中肉中背、さしたる特徴の無い、ゆえに同胞の中では異色とも言える容姿の主は、ポリポリと頭をかいた。

 もとより彼は気楽な男である。
 Greed Island Online のコミュニティーに参加した理由も、おそらく他の同胞たちとさして変わらない。
 キメラアント対策、ひいてはダークたちの画策に加わったのも、とくに強い動機があったわけではなく、たまたまほかの人間より彼らに近い位置に居たためにすぎない。

 もとより、それほど鍛えられた念能力者でもない。
 さすがにほかの同胞と比べれば頭抜けているものの、強烈な意思を以って己を鍛え抜くその動機が、彼には無かった。

 だが。
 たまたま、ダークたちに協力するにあたって彼の特訓を受けた。
 たまたま、探索に適した念能力だったので、部隊を指揮するダークの意思を、ダイレクトに感じることができた。

 そこに、才能の萌芽があった。


 ――まいったネ。自分にこんな才能があるなんて。


 頭をかきながら、彼は一瞬にして迎撃陣に組み替えた。
 彼の念能力、“六面俯瞰(キューブサイト)”に、もとより不意打ちなど通用しない。
 罠にはまったふりをして相手の油断を誘ったのだ。

 大胆な方策である。
 ふり(・・)であっても、罠にはまった以上、そこに不利は厳然と存在する。
 相手に賢明に立ち回られれば劣悪な態勢で戦わなくてはならなかった。

 それでも彼があえてスタンドプレイに走ったのは、ほかでもない。“ソルの軍隊”に、4体ものキメラアントと正面から立ち合い、死傷者を出さずに勝利する地力が無かったためだ。

 民を守れ。そして自分の命を守れ。
 ダークの遺命を果たすために、ああああはあえて力戦を避けたのだ。

 奇策は当たれば実入りがでかい。
 この逆撃と、それに続くああああの的確かつ辛辣な指揮が功を奏し、彼らはだれ一人死者を出すことなく、4体のキメラアントを殺すことに成功した。


「あ、ありがとうございます!」


 泣きすぎて枯れた声で、囮にされていた人々が礼を言ってくる。
 彼女たちがこうなった原因を作ったのは自分たちである。いま泣きながら礼をいう人々も、事実を知れば手のひら返すだろう。


 ――でも、それでいいじゃあないか。


 感謝されたら喜んで、罵倒されたら泣けばいい。
 ああだこうだと考えるより、その方が単純でいいじゃないか。


「よっ、ありがとさん! 避難所まで送るからついてきてちょーだい!」


 軍を動かす彼とはかけ離れたいい加減さで笑うと、ああああは部隊を進めた。


「さあみんな、あっちにははぐれた子供がうろついてるぞ! 助けに行こう、大丈夫、なんとかなるさ、ぶぁーっと行こう!」








 中央目抜き通りの片隅に、ひとつの死骸がある。
 ミンチになっていない、食べられても居ない、きれいな死体である。体の上に手を組ませてすらいる(・・・・・・・・・・・・・・)

 だから、空の上からでも目を引いたのは、自然なことだったのだろう。


「ダーク」


 日の光にも似た黄色の髪の青年、ソルは、死骸の前に降り立つと、つぶやき立ちつくした。

 市街は地獄だった。
 ダークたちの策略でこうなったのだ。出会ったら殴ってやるはずだった。
 不思議とソルは、死骸を目にするまで、ダークが死んでいるとは思っていなかった。


「命をかけてまで、するべきことだったのかい? ねえ、ダーク」


 遺体を見やり、ふと、ソルは違和感に気づいた。
 すぐさま眼にオーラを集める。“凝”。隠ぺいされたオーラを見破る技術である。
 案の定だ。ダークの指のそばには、オーラで文字が書かれていた(・・・・・・・・・・・・・)。日本語である。


 ――敵はフォックス。キメラアントになって奴らを率いている。凶狸狐型。王宮に向かった。狙いは王。


 ダークの遺言だ。
 書かれた情報は必要最低限。おそらくそれしか書けなかったのだろう。
 はるか遠くで上がる銃声を聞きながら、ソルはしばらくその遺言の前で動けなかった。


「いたぞ、レアモノ(ごちそう)だ!」


 ふいに、空から声が飛んできた。
 ソルは迷わず視線を移した。居た。
 トンボ、フクロウ、コウモリ、キメラアントの集団。フクロウにぶら下がる一体のキメラアント、ワニの姿をしたそれのみ、オーラのケタが違う。


「師団長クラス」


 どこか他人事のように、ソルはつぶやいた。


「都合よくはぐれてやがったな? レアモノの集団(メインディッシュ)の前に喰ってやるぞ」


 ワニ型のキメラアントが哂う。
 そのさまを、ソルは虚ろな瞳で見つめる。
 師団長の命令一下、キメラアントたちがソルに襲いかかる。


「――都合がいい?」


 ようやく。
 ソルは呟くようにいった。
 瞳が、急速に焦点を結ぶ。
 そこには明確で、強烈な意思がある。


「ああ、たしかに好都合だ――空に居るのなら、遠慮なく全力が出せるからな!」

「なにを――」


 オーラが爆発的に広がり、それが収束したかと見えた、刹那。
 眩いまでの白い光が、線となってワニたちのわきを通り過ぎていった。

 つぎの瞬間。


 ――光の線が爆発した。


 そうとしか思えないほど、爆炎が猛り狂った。
 悲鳴すら上がらない。炎の蹂躙はそれほど圧倒的で、瞬間的だった。
 気づけば4体のキメラアントなど、影すら残っていない。師団長クラスと思しき、ワニ型すら。


「――裏切り者は、フォックスか」
 

 顧みもせず、ソルは遠くを見つめ、拳を握りこんだ。


 ――誰かがわたしたちを裏切ります。


 闇色髪の少女、ミホシの占いは当たっていた。
 
 それでも、ただ裏切られただけなら、ソルは黙って受け入れただろう。
 だが、ダークが死んだ。多くの人が死んだ。そして国王が死ねば国が乱れ、より多くの人間が血を流すことになる。

 そんな事態は、なんとしても避けねばならない。


「フォックス。キミを、殺すよ」


 覚悟を、言葉にして。ソルは王宮に向けて飛んで行った。








 同刻、リマ市の南端。
 一台のライトバンが猛烈なスピードで市内に突っ込んできて、止まった。
 限界を超えて酷使し続けた結果だろう。エンジンルームからは、もくもくと煙が出ている。

 動かなくなった車から、次々と人がまろび出てきた。
 キャプテンブラボーと、その仲間たちである。

 彼らは辺りを見回して、いずれも悲痛な表情を浮かべた。
 郊外ではあるが、このあたりはキメラアントの侵入経路でもある。町のそこここに、血と死体と人のうめき声があった。


「くっ! 何処だ! ドコに行ったらいい!?」


 舌打ちしながら虹色髪の少女、ライが叫ぶ。
 ほとんど同時に白い影が動いた。防護服の超人、キャプテンブラボーである。
 彼はライトバンの屋根をけり、天空高く跳び上がり、叫んだ。


「心眼! ブラボーアイ!」


 そのまま市街地を一望し、やおらブラボーはバンの上に飛び戻った。
 

「見えたぞ! 同胞たちはここよりまっすぐ北だ! 北西では軍隊とキメラアントがぶつかっている。ならば進路は東だ! ゆくぞ! 無辜の民を犠牲にしてはならない!」

「……何でもありだな」


 あきれたように、白いコートを着た長身の決闘者、海馬瀬人が言った。
 若干素である。


「ふん――だが」


 腕を振り、街に残る阿鼻叫喚の残滓を示しながら、海馬は口元をゆがめる。


「これを見て放っておけるほど、オレも血は冷たくはない。よかろう――凡骨、いやレット!」

「なんスか!?」


 バンのバックドアは外からしか開かない。
 誰も出してくれないので後部座席に這いだし、ようやく出てきたレットは、状況を把握しきれていない様子で返してきた。


「オレたちは別ルートを行く!」


 海馬はそう宣言した。


「そんな勝手に――いや、なんでもないっス」


 レットが抗議しようとして海馬ににらまれ、すぐさま発言をひっこめた。


「しかし」


 渋るブラボーに、海馬は言う。


「一人でも多くを助けたいのだろう? なら、兵力を分散するリスクも覚悟しろ」


 リマ市は広く、そこに広がるキメラアントたちの数は多い。
 固まって行動していては、とても手が回らないのも事実だ。

 それに、人選も最適。
 集団のなかに居る限り、レットは実力を発揮できない。
 だがレットの発は、使用時の戦闘力はブラボーを超えるほどに強力無比。
 ならば遊ばせておくよりは青眼に乗せて機動的に運用しようと言うのが彼の腹である。


「なら、俺も別れましょう。ツンデレ、幼女二号、来てくれ」


 言ったのはアズマだ。


「どこまでもその呼び方、変えないつもりね」

「……幼女二号とか酷過ぎる呼び名だ」

「幼女一号は妾か?」


 ツンデレと虹色髪の少女、ライが肩を落とし、ツンデレのツインテールにとり憑いたドリルヘアの幼い幽霊姫、ロリ姫が己を指した。


「アズマ」

「心配しなくても、このメンツなら戦えますよ。俺たちを、信じてください」


 ブラボーに対して、アズマはがっと拳を突き出した。


「はいはい! わたしは? わたしは!? そのハーレムにかわいい歌姫の需要はありませんか!?」

「悪い。“加速放題(レールガン)”で飛んでいくつもりなんだ。あんたは俺に掴まれないだろう?」

「ひどい差別を見た!」


 若干もめたものの、皆、別れての行動に異論はなく、その覚悟が、ブラボーに沁みぬはずが無い。


「では、オレは西へ」

「俺は東へ」

「そしてこの俺は、西北だ」


 海馬、アズマ、そしてブラボーが拳を打ち交す。
 皆、それぞれの調子で笑い合い。


「では、王宮で会おう!」


 各人の無事を誓い合い、散っていった。








 ソルが疾風の如く王宮に飛び込んだ時、宮殿内はすでに静寂に包まれており、いまだ血みどろの戦いを続けている外とは異世界のようだった。

 だが、有るのは真正の地獄。
 迎撃に当たっていたとみられる軍人たちの残骸が足の踏み場もないほどに散らばっており、屋内は死臭と血臭でむせかえるほどだ。

 蒼白になりながら、仲間の起こした惨劇を目に焼き付け、そしてソルは奥へと進む。
 プロハンターを多数抱える集団の長として歓迎されていたソルは、コミュニティーを築く折、国王に面謁を許されている。それゆえ迷うことなく玉座の間にたどりつけた。

 そこでソルは息をのんだ。
 悪意の塊が、まがまがしいオーラを伴い、けたたましく笑う声が起こったのだ。

 ソルは見た。
 王を守るように折り重なって死んでいる人々。
 兵士だけでなく、王宮に勤めていたであろうスーツ姿の人間もある。
 その、向こうに。腹に大穴をあけて、それでも倒れ伏した王を仁王立ちで守る、この国の指導者の姿が、あった。


「ぎゃははは、スゲーぞ! 大した根性だ!」


 ポドロフを嬲りながら、狂気のように哂う狐のキメラアントの、おぞましい姿。


「フォックス」


 ソルは押し殺した声で、絞り出すように言った。


「――へっ。ソルか。ちと楽しみすぎたか」


 キメラアント、フォックスは、醒めた瞳を取り戻すと舌打ちした。
 ポドロフは、まだ立っている。王を守るため、王を1ミリでも死から遠ざける、ただそれだけのために、致命の傷を負った体を無理やりに立たせている。


「……なぜ、こんなことを」


 ごく抑えた声で、ソルは問いかけた。


「王になるため。他に理由が必要かよ?」


 フォックスの返事は、キメラアントとしては完全に正当なもの。
 そこに人間としての心の働きは、一切介在していない。


 ――ああ、だったら。


 なんの斟酌もなく、この同胞の記憶を持った獣を刈ろうと、ソルは改めて決めた。

 そして人と獣は相対す。
 まっすぐに向けられたソルの瞳に、フォックスの口元が不快にゆがむ。


「……スカした面しやがって。前々からその面ぁ気に入らなかったんだ――よ!」


 消えたともとれる速さで背後に回ったフォックスの爪がソルに襲いかかる。
 一瞬の交錯。鈍い音とともに、ソルの足元に亀裂が入った。返しにソルが振った裏拳は空を切った。


「遅ぇ! どうした!? ソルさんともあろうお方が、止まって見えるぜ!」


 喜悦に喉を震わせるフォックス。
 無言のまま、ソルのオーラが大きく膨れ上がる。
 それに押されるかの如く、フォックスは後じさった。

 ソルのオーラは急速に縮む。
 キメラアントの群れを焼き尽くした時と同じ現象。

 しかし、それ以上はなにも起こらなかった。


「へっ。てめえの“氷炎”の種は、もう割れてんだよ!」


 得意の面持ちで、フォックスは哂った。

 ソルの念能力の正体は、単純明快。
 オーラに物理干渉力を持たせる。ただそれだけの、しかし、強力無比の能力だ。

 たとえば物理干渉できるオーラを風船状に変化させ、収縮させる。
 内部の空気は加圧圧縮され、高熱を発する。それを敵に向けて解放すれば、敵を焼きつくす炎となるだろう。

 逆に真空状態にまで減圧してやれば、対象の持つ水分を気化させ熱を奪い、凍らせることもできる。これこそが“氷炎”の原理。


「――そうだろう? ソルさんよぉ!」


 フォックスは得意満面でソルの手妻の正体を解いて見せた。
 ワニ型たちとの戦闘を、フォックスは探知系の念能力を持つキメラアントに見張らせていたのだ。


「それが、どうした?」


 能力を暴かれたソルは、しかし冷たく返した。

 フォックスは速やかにソルの念能力を封じるべきだった。
 しかし、フォックスはソルの知性にコンプレックスを持っていた。頭脳戦モドキで勝つことにこだわった。これが致命的な失策。


「な、あぎゃぁっ!!?」


 フォックスの腕が、いきなり千切れた。
 ソルがオーラを巻きつけ、ねじ切ったのだ。

 空気がプラズマ化するほどの力を加えられる、ソルのオーラの圧力。
 それがただの暴力として自身に向けられればどうなるか、フォックスはそこまで想像することができなかった。ひと桁は格下のただの人間相手と、どこかで考えていたが故の、致命的な油断。


「ッ、畜生!」


 フォックスが、オーラを爆発的に広げる。
 本来ならばその圏内にあるオーラは、すべて消え失せるはずである。
 しかし。ソルの身には、相変わらず力強いオーラが纏わりついている。


「オーラを無効化する能力、だろうね。すごい能力だと思うよ。でも、錬度が足りないな。ほら、痛みとパニックで、発動できないじゃないか」

「うわあああっ!?」


 悲鳴を上げて逃げだしたフォックスは、つまづいて無様に転んだ。
 それからばたばたと地面を這い、軍靴に触れて、はたと動きを止めた。
 哀れな狐は見た。虫の息で、それでも倒れることを拒絶した、この国の巨人の姿を。


「うわあああっ!!」


 鬼気迫る形相に、どうしようもない恐怖に駆られて、フォックスは逃げた。
 それも、見えない壁に阻まれる。ソルの念能力によるオーラの壁。それがまとわりつき、瞬く間にフォックスの両足をねじり折る。

 表情を見せずに、啼くように。
 ソルはフォックスを見下ろしていた。


「ボクは――悲しいよ。フォックス」

「――へ、へへ。善人ぶるんじゃねえよ、この偽善者が。てめえだっていろんなもんを踏みにじってきてんじゃねぇか」

「ああ、その通りだ」


 と、絞り出すようにソルは言い。
 にやりと笑う、フォックスの姿が、一瞬にして変わる。それは、銀髪紅瞳の少女の姿。

 ソルの顔色が変わった。


「それは」

「見覚えがあるかよ。てめえが持ってきた“挫折の弓”をめぐって争い、死んだ――オレの女だよ」


 フォックスは明らかに憔悴している。それでも言葉は止まらない。


「別に、どうでもよかったんだ。あんな女……あんたらにはいろいろ世話になったしよ。そんなもん気にしやしねえし、すぐに次の女つくったし」


 でも、気づいたんだよ。
 と、キメラアントの同胞は言った。


「感情に、蓋して、自分を騙してただけだったってな。キメラになって、思い出して、初めて分かったんだよ。オレはあんたとダークの奴が……憎かったんだってな。へへ。全部ぶっ壊してやりたいくらい、たまらなくなぁ」


 女の姿で、フォックスは哂う。
 それは、逆恨みでしかない。“挫折の弓”の奪い合い、その末の全滅に、ソルたちの意思は一切介在していない。
 それでも憎まねばならぬほど、フォックスは、あるいは少女を愛していたのかもしれない。


「どうした? ソル。殺せよ。同じ奴を二度殺して、それでもきれいごとを吐いて見せろよ!」


 なおまくし立てようとするフォックスの首を、ソルは無言のまま、ねじ切った。


 それから、しばらくして。


「う…ポドロフ?」


 意識を取り戻した王が、肥満した体を起き上がらせた。
 探し人は王の目の前に居る。死すべき体を動かしていた奇跡という名の燃料は、すでに切れていた。王を守るために、最後まで立ったまま、ポドロフはこと切れていた。


「ポドロフ」


 王はまさに絶句した。
 やがて、急に老けこんだ王が、力なくつぶやく。


「体を厭えと、言ったではないか……」


 体を横たえ、自らはおるマントを体にかけてやり、軍隊式の敬礼で、王はポドロフを送った。知らずソルも従っている。
 戦友を見送ってから、王はようやくソルに向き直った。


「ハンターの……ソルよ。若き勇者よ。よくやってくれた。おかげで余の身は救われた」


 王はフォックスとの因縁を知らない。
 あるいは知っていて、あえて言わなかったのかもしれない。
 とにかく王は短く褒賞の言葉を送り、そうしてから決然たる語調で言った。


「すまぬが、余を軍の司令部へ。こうなった以上、この老体にも役目があろう」


 フォックスの死から前後して、彼に従うキメラアントたちは、ブラボーらの手により、次々と討たれている。終息しつつある災禍のなかで放映された王と勇者のすがたは、市内の住民はおろか国中に希望を与えた。







[9513] Greed Island Cross-Counter 43
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2010/09/05 21:23
 しばらくして、玉座の間に三々五々と人が集まってきた。

 兵士がいた。王室関係者もいた。手傷を負って肩で息をしている者もいたし、助けを求めてまろび出てきた者も居た。
 安全を見計らって出てきたのか、からだに傷一つ負わず、疲れも見えぬ身で、これ見よがしに王の安否を気遣う者も居た。
 
 結局十数人の人間が、リマ王の周りに集まった。
 そこに交じる気になれず、さりとて王の無事を喜ぶ人々を止める気にもなれなかったソルは、王が自ら出発を告げるのを、ただ待っていた。

 ソルは疲れ切っていた。
 体が、ではない。心がだ。
 自分の心は誰からも理解されず。親友を失い。かつての仲間に裏切られ、心の傷跡を抉られた。救いなど一点もない。本音を言えば、何もかも放り投げてしまいたかった。

 それでも、この金髪の正論家は何一つとして捨てようとしない。
 抱えるものに押しつぶされそうになりながら、誰も助けてくれないなかで、それでも孤独に皆を支えている。

 歓喜の声を背景にした孤影。
 その、一幅の絵画のごとき光景を踏みにじるかのように。

 不意に、拍手の音が響いた。


「誰だっ!?」


 ざわめく人々を尻目に、ソルが素早く誰何の声を上げる。
 探るまでもない。ふいに生じたオーラは隠しようが無く、強い。
 王座を狙った凶悪なキメラアント、フォックス。彼が築き上げた屍の山の陰に、音の主は居た。

 黒いローブを身に纏った男だ。
 若い。年のころは二十歳前だろう。フードから漏れる髪は、禍々しい闇色。
 半ば隠れた顔の造作は、ぞっとするほど美しい。だが、見入るより先に嫌悪を抱かざるを得ない、そんな雰囲気を持ち合わせていた。


「おめでとう」


 切れ長の瞳をぎらぎらと輝かせながら、男が拍手した。
 その目を見た――瞬間。ソルはおぞましさに背筋が震えた。

 この男は危険だ。
 誰よりも、なによりも。
 そう、あの凶悪な元同胞のキメラアント、フォックスでさえも、“危険”と言う一点に限っては、この男には及ばないだろう。


「……国王陛下。さきにお逃げください。南から迂回すれば比較的安全です」


 ―― 一分一秒でも、この場に王を居させてはいけない。


 予感に駆られて、ソルはリマ王に避難を促した。
 幾人かが王、ひいては自分を守るように罵声を投じたが、ソルは振り向かなかった。
 その必死が伝わったのか。


「――わかった。無事を祈る」


 王はうなずくと、配下の者たちに避難を促し。
 ソルはオーラを壁状にして、彼らの脱出を援護し。
 危険な男はにやにやと笑いながら、それを見逃しにしていた。

 王たちは虎口を逃れた。
 この場に残ったのは、ただ二人。ソルと、男のみ。
 玉座に上る階段の一段目に立つソルと、フロア中央、屍山血河の中心に立つ男。
 彼我の距離はおよそ10メートル。
 たったそれだけしか離れていない。そう、ソルは感じた。


「キミは、何者だ」

「……エンド。そう名乗っても、オレが何者か、見当もつかんだろうがな」


 ソルの問いに、そう言って男は肩をすくめて見せた。
 そんな仕草にさえ、ソルは嫌悪感を抱かずにはいられない。


「ともあれ、おめでとう」


 男――エンドはふたたび祝辞を述べると、続けて言った。


「このリマ王国を恐怖の底に落とした化け物ども――その頭を、お前は倒した。
 民を守り、王を守り、国を守ったお前は掛け値なしに、そう、何の掛け値もなしに、こう呼べる……“英雄”と」


 ――英雄。
 

 その言葉に、ソルは反感を覚えずにはいられない。
 ダークたちの暴走に気づくこともできず、無能をさらし、いたずらに犠牲者を出しただけである。


「英雄なんておこがましい。ボクはただの愚か者だよ」

「謙遜するなよ。内実はどうあれ、お前は間違いなく英雄だよ……そして」


 ソルの心を読んだかのように、男は黒いローブをひるがえし、哂い、それから言った。


「――英雄を殺したオレは、最強の力を手に入れる!」

「どういう」


 意味だ、と、真意を問いかけて、ソルは言葉を止めた。
 エンドの背後から、突然影のように現れた、ひとりの男。
 見間違えようがない。ソルが築いたコミュニティーの運営を大いに助けてきた、得難い仲間にして片腕。


「レ……フ?」


 驚きのあまり、続く言葉が見つからない。
 なぜレフがいまここに、しかも自分を殺そうという男の後ろに侍っているのか。


「あらためて名乗ろう」


 ソルの様を楽しむように口元をゆがめて、男はふたたび名乗る。


「オレはエンド。一連の事件の――黒幕だ」


 そう、男は言った。
 ダークが死に、ポドロフ将軍が死に、フォックスが死に、多くの関係ない人々の命が失われた、この一件を、裏で糸を引いていたのは、自分だと。


「すべて、キミが……」

「ああ。オレがこいつを使って、やったことだ」


 エンドは傍らに居るレフを示して見せた。
 黒髪の少年は、無言のまま影のごとくエンドに従っている。まるで、ソルに対してそうであったように。

 ソルは痛恨の表情で唇をかみしめる。


「レフ、なぜだ。なぜこんな企みに加担した!?」

「……加担という言葉は、正確ではないな」


 ソルの悲痛な問いに、返すレフの声には、温度が無い。
 人の意思をまるで感じさせない、ぞっとするほど冷たい声音だ。


「――私はエンドの従属物だ。主の意思に従わないという選択肢などない。自らの意思で協力するというニュアンスのある“加担”は、用法として正確じゃない」

「……どういうことだ?」

「――“百鬼夜行(デッドマンウォーキング)”」


 ソルの問いに、横から答えたのはエンドだった。


「遺体遺品にオーラを込めることで、死者を再現する念能力だ。それで再生したレフには、半自立、独立思考型の念獣、という以上の意味などないさ」


 ソルはレフの言葉の意味を、ここで知った。
 つまり、レフはすでに死んでおり――エンドの念人形として蘇らされたのだ。


「いつから……いつからレフは操られていた?」

「最初からだ。お前と出会った時から、レフはオレの操り人形だったさ」

「……そうか」


 ごく、静かに。ソルはつぶやいた。


「いま、納得したよ。ブラボーたちをNGLに引きずり込んだのも、ダークたちに妙な策を吹き込んだのも、おそらく、フォックスをけしかけたのも、全部キミが、レフを使ってやったんだね」


 瞳に強い意志を宿して、ソルは糾弾するように言葉を投げつける。
 その反応を楽しむように。このおぞましい男は口の端から歯を見せ哂う。


「そう、お前がフォックスにやられないよう、ダークのそばに情報を置いてやったりもしたな」


 ソルは、ダークの亡骸のそばにあったメッセージの存在を思い出した。
 フォックスに関する情報を伝えた、オーラによる伝言。ソルはダークのダイイングメッセージだと思い込んでいた。


「なぜ」

いまこの状況が欲しいからさ(・・・・・・・・・・・・・)


 エンドの言葉の意味を、ソルは察しきれなかった。
 キメラアントがこの国を襲い、ソルがこれを退治して英雄になる。
 いままでのエンドの言動を総合すると、彼の目的はそれしかない。

 だが、なぜ。
 その理由が、ソルには見当もつかない。


「なぜだ。キミの目的はなんなんだ」

「そこまで教えてやる義理はないさ――さあ、冥土の土産にしちゃ十分だろう? とっとと死んでくれよ――英雄ぅ!」

「悪いが、そう簡単に死んではやれないさ――外道ぉ!」


 エンドの語調の強さに魅かれるように、ソルは感情を爆発させた。

 ソルはずっと怒りを覚えていたのだ。
 ソルを騙し、他人を手ゴマのごとく使い捨てにして、死者を冒涜するような真似さえする、この外道に!

 ソルの“錬”が燃え上がる。
 エンドとレフ。ふたりのオーラが、応じるように爆発した。


 ――オーラの強さでは、ボクが上。


 感じたレフだったが、油断はしなかった。
 当然だ。エンドのオーラからは異常な禍々しさが感じられる。
 そしてなによりも、エンドの凶悪無比な念能力を、無視できるはずが無い。


 ――“百鬼夜行(デッドマンウォーキング)”。


 死者を蘇らせ、意のままに操る念能力。
 もし、この能力でフォックス――あの、王にならんと欲した凶悪なキメラアントが蘇れば、自分の念能力の正体すべてを晒してしまったいま、勝算は薄い。


 ――警戒すべきは、フォックスの遺骸に近づかせないことだ。


 ソルは傍らに転がっている凶獣の亡骸の位置を確認した。
 欲を言えばいまここで焼き払ってしまいたかったが、やれば一瞬、敵に対して無防備になる。それは避けねばならなかった。

 この時、ソルはレフの念能力を意識の隅に追いやっていた。


 ――“感情の種(エモーショナルシード)”。


 対象にオーラの種子を植えつけ、特定方向に対する感情を暴走させやすくする念能力。
 能力の特質をよく知るが故に、現状での有用性が薄い彼の念能力に対する警戒を、ソルは欠いてしまっていたのだ。

 ソルは考えるべきだった。なぜエンドがわざわざレフの姿を見せ、己の念能力まで明かしたのか。


「どうした、かかって来ないのか――なら!」


 動かないふたりに、ソルが必殺の熱線を繰り出そうとした、直前。
 エンド。この凶悪な男は、ぞっとするような笑みを浮かべ、言った。


もう済んだ(・・・・・)

「……なに?」

「“感情の種(エモーショナルシード)”は、ただ感情を増幅する能力じゃない。高ぶらせた感情を吸収し、種に蓄えることこそ、その本質だ」

「――そして対象が死ねば、あるいは除念しようとすれば、術者の手元に戻る。蓄えた感情はそのままにな。マツリの“仲間を思う心”。フォックスの“野心”により育った種は、いまお前に根付いている。そして」


 エンドの説明を引き継いだレフは、ふいにソルを指差した。


「成長した“感情の種”は、術者の意思をトリガーとして爆発する」


 そう、すでにこの時点で、ソルは詰んでいたのだ。
 すべてを察したソルが、何か行動を取るよりも早く。


「ほ・ほ・え・み・の・爆――弾(エモーショナルボム)!」


“感情の種”を植えつけられたソルの心臓は、爆発していた。

 血反吐を吐いて、ソルが倒れる。
 致命傷である。ほどなくしてソルは死んだ。
 最後に、エンドに手を向けて。最後まで、抱えようとして。

 救国の英雄は死んだ。その姿は、映像としてリマ王国中に流された。


「ふ、ははははは、よく見ろ、リマ国民よ! お前たちの英雄は、いま死んだぞ!」


 英雄の遺体を踏みつけにして、エンドが笑う。
 巻き起こる悲鳴、憤怒、憎悪、絶望。感情の渦はすべてエンドに向けられる。
 それが視覚化されたように、瘴気じみたどす黒いオーラのシャワーを、エンドは全身に浴びた。

 そのすべてを、吸収したように。
 エンドのオーラが、爆発的に膨れ上がる。
 どす黒いオーラが、王宮を全体を包み込むまでに――膨れ上がった。


「己に向けられた悪感情を力に変える。これこそ、オレのもう一つの念能力、“悪の華(ビカロマニア)”。一国の悪感情を吸い上げた今のオレは、地上最強だ――そして」


 つぶやき、ジ・エンドは宣言した。


「いまこの時より、オレがこの国を、ひいては世界を支配する!」


 宣言して、エンドは手を一振りした。
 血に倒れ伏していた屍の山から、二つの影が起き上がってくる。


 キメラアント“最古の三人”の一人、凶狸狐のキメラアント、フォックス。

 電脳ネットサイト“Greed Island Online”の管理人にして、たった二人でグリードアイランド攻略を成し遂げた“炎氷”の念能力者、ソル。


 生きていたころと寸分たがわず、だが、決定的に何かを欠いた、そんな姿で、彼らは蘇った。

 いや、彼らだけではない。
 玉座の間には、先程までいなかった人間が、何人もいる。
 エンドと同じく、皆一様に、黒のローブで頭まですっぽりと包んだ姿だ。
 顔は、わからない。だが、みんながみんな、強力なオーラを秘めた能力者だった。


「やはり、オーラが強いと違うな。これほどの術者を蘇らせて、まだ余裕があるか」

「エンド。ポドロフ将軍は蘇らせなくてよろしいので?」


 自らの強さを確かめるように、手を握り、開くエンドに対し、レフが口を挟んだ。


「いらんよ。オレはこの国を穏便に支配したいわけじゃない……恐怖で支配するんだ――フォックス!」

「はっ!」

「外で暴れている虫どもに命じろ。王宮に集まるようにと。ほかの奴らは手近な黒い布を集めておけ。オレの軍団のあかしとして、全員に身につけさせろ。オレは」


 エンドは部屋の隅に目をやった。
 テレビカメラと、何人かの人間が、無表情でそこにいる。
 テレビ局の人間だ。彼らの多くは殺され、エンドの忠実な下僕になっている。
 移動系能力者によって取材班は各所に運ばれ、現地レポートを行ってきたのだ。


「――奴を、従えに行く。ミナミ、連れて行け」


 彼らの一人の声をかけ、エンドは目を外に向けた。








“ソルの軍団”は王宮前まで来ていた。
 避難しそこなった人たちを拾い上げ、避難させ、キメラアントたちと戦ううちに、いつの間にかたどり着いてしまったのだ。

 ソルに避難を促されたリマ国王たちが、王宮から出てきたのは、まさにこの時だった。


「君たちは」

「国王、無事でしたか。ソルの仲間ですっ!」


 事前にダークから国内の要人の顔を暗記させられたのが幸いした。
 軍団の戦闘に立つ一見凡庸な青年、ああああは、まっすぐ王に向かって跪く。さすがに言葉づかいにも気を使っていた。


「おお、あの若き勇者の」


 そんな言い方をした王に、ソルの安否を問い、ああああは彼の無事を知った。


「すまんが助けてくれんか。すぐに統帥府に行かねばならん。ポドロフ亡きいま、軍部の混乱だけは避けねばならんのだ」


 王はさらりと重要な情報を漏らした。
 もっとも、ポドロフの死は、すでに全国に放送されている。当人は知らないが、すでに隠す意味はなかった。


「といっても、この状況じゃあ」


 ああああは言葉を迷わせた。
 どこから銃弾が、爪牙が降ってこないかわからない状況だ。
 なによりダークの遺言がある。民を守れ、自分を守れ。それを優先するのなら、王を守っている余裕などない。

 と、その時である。
 突然、王宮より禍々しいオーラがほとばしった。


「な、なんだぁ?」


 驚くああああだったが、彼は瞬時に適切な判断をした。
 仲間とともに王を連れて、急いで統帥府に向かったのだ。


 ――どの道、王が死んだら国民みんなが難儀する。だったらこれも遺命のうちだ!


 そう開き直った結果である。
 より多くの人間を助ける、という視点から見れば、この判断は正しい。
 結果、王たちも“ソルの軍団”も、王宮に向かい集まって来るキメラアントたちと遭わずに済んだのだからこの男も王も、よくよく悪運が強い。
 最後にソルの無事を祈って、ああああたちは去っていった。

 命拾いしたのは、リマ軍兵たちも同じだった。
 薄皮を剥がれるように、戦力を失いながらも持ちこたえて来た彼らだったが、すでにその数は半数を割り込んでおり、多くの古参の兵も犠牲になっていた。
 若年兵は役に立たず、果てにはポドロフの死を知って、士気は完膚なきまでに崩壊した。

 そこに、国王が姿を現した。
 ポドロフと並ぶ国の象徴である。それが強兵を引き連れて前線に立ったのだ。意気が上がらぬはずがない。
 現場指揮官スハルトの励ましと、戦図を描くモラレスの手腕、そして動じぬセロ長官の督戦もあり、部隊は完全に持ち直した。

 ちょうどその時、キメラアントが退き始めた。
 追いたいところであるが、彼らも限界である。王を保護するためにも、ひとまず統帥府に向かって退却していった。

 助かったと言えば、あるいはキャプテンブラボーたちもそうだったかもしれない。
 移動に次ぐ移動、キメラアントたちとの連戦は、彼らを否応なしに消耗させていた。これ以上戦いを続けていれば、あるいは万一のことが起こっていたかもしれない。

 突如キメラアントたちが退きはじめたおかげで、彼らはようやく一息つけた。
 凶悪なオーラを纏う“悪”がブラボーのもとに姿をあらわしたのは、この直後である。


「――よう。ゲームマスター」


 現れて、開口一番。エンドはそう言っておぞましい笑みを浮かべた。





[9513] Greed Island Cross-Counter 44
Name: 寛喜堂 秀介◆f631922d ID:a45bd770
Date: 2010/09/09 23:08
「何者だ」


 ブラボーは問う。
 突如現れた黒衣の男たちの素性を、真に測りかねていた。
 ブラボーのことをゲームマスターと呼ぶからには、事情に詳しいものに間違いない。


 ――プレイヤーか、あるいはそこから情報を引き出した者。


 そう、ブラボーは判断した。

 その背後では、ミコが後じさっている。
 キメラアントの王と対面したこともある彼女だが、無理もない。

 あの王に抱くのは、いわば理解の及ばない絶対者に対する恐怖。
 対して目の前に居る人間は、わかりやすい。それがおぞましいのだ。一目見てわかる異常者と、ともすれば共感してしまいそうな自分が。

 シスターとメイド服をミックスした珍妙な衣装の主、シスターメイがさりげなくミコを庇う位置に出た。


「ああ、自己紹介を見ていなかったか」


 手を打って、黒衣の男は口の端をゆがめた。
 ぞっとした。嫌悪感よりも先に、恐怖を起させる。そんなおぞましい笑みだ。


「――オレの名はエンド。新たにやってきたプレイヤー、そういう言い方をすれば、分かってもらえるだろう?」


 男が名乗る。


「キャプテン・ブラボーだ!」


 びしっ、と、ポーズを決め、ブラボーは名乗り返した。反射的に。
 そうしながら、男――エンドの言葉の意味を考えている。


 新たにやってきた(・・・・・・・・)


 これはβ版のテスト開始時の事故以降、新たに、ということだろう。
 すなわち、オンラインゲーム、Greed Island Online が、本当のグリードアイランドとつながっていると知り、その上でこちらの世界に来ることを望んだ人間だということだ。

 ブラボーにはわからない。
 情報は、生還した人間から聞いたのだろう。
 ゲームとログインIDも、生還者の誰かから入手したのだろう。
 この馬鹿げた強さは、不正改造でもしたとすれば、納得できる。
 
 だが、何のために?


「――世界征服でも、するつもりなの?」


 ブラボーの傍らから、カミトが問うた。
 この俊敏な鎖使いは、先程から構えを解いていない。
 警戒からではない。畏れからだ。
 ただ、立っている。それだけで、エンドの持つ魔的なオーラは、人の心を侵す。


「ほう? 頭の回らんクズでもないようだな」


 カミトの皮肉めかした質問を、エンドはあっさりと肯定して見せた。


「その通り。オレの望みは世界征服だ。まずはこのリマ一国。そしていずれは世界を取る!」

「不可能よ。この広い世界を、たった一人の人間が支配するなんて。どんなにすごい統治システムを構築できたとしても、無理がある!」

「むろん、そうだ。我が念能力、“悪の華(ビカロマニア)”、“百鬼夜行(デッドマンウォーキング)”。この二つをフルに活用しても、純粋に力のみの統治が及ぶのは、このリマ一国。現行の統治体制をうまく流用しても、せいぜい数ヶ国といったところだろうさ」


 ――ただ力に酔っているわけではない。


 ブラボーは内心つぶやいた。

 エンドは個の限界を知っている。
 厄介なのは、その上で野望をあきらめていないところだ。
 巨大すぎる野望。迷わず突き進む強烈な意志。


 ――いかん。呑まれるな!


 ブラボーは首を振った。
 おぞましいにもかかわらず、魅かれてしまう。そんな異常な引力が、エンドにはある。


「オレ一人じゃ無理だ。だから、お前の力が必要なんだよ。ゲームマスター」


 エンドが、ブラボーを指さす。
 指先から伸びるものが体にまとわりつくような錯覚を覚え、ブラボーは身震いした。


「そんな言い方をするからには、貴様が欲しているのは、このキャプテン・ブラボーの力ではあるまい」

「ああ。察しが早くて助かる。そっちの力が欲しいだけなら、とっくに殺しているさ」


 殺す。という言葉が、軽い。
 とても人を殺してきたとは思えない。殺人にまるで重みを感じていない言いようだ。


 ――化物。


 体がではない。心がだ。
 キャラクターの人格に引っ張られ、おかしくなった人間を何人も見てきたブラボーだが、エンドは彼らとはまた違う。

 最初から、心にモンスターを抱える化物。
 相対して、抱かざるを得なかった嫌悪感の正体はそれだった。
 そして、にもかかわらず魅かれてしまう。そんなエンドの魔的な魅力は、なお恐ろしい。


「ブラボー。ゲームマスターとしてのお前が、欲しい」

「きゃーっ!」


 ふいに、黄色い悲鳴が上がった。
 誰のものかは言うまでもない。隣に居た鎖使い、カミトが小声で本人を咎める。


「しっ! 空気読みなさいシスターメイ」

「いや、だって、あんなワルエロ黒いイケ面がブラボーに“お前が欲しい”とか! 欲しいとか!」

「いいから黙ってなさい変態シスター!」

「はっ!? 嫉妬? 嫉妬なのね!? それはそれでっ!!」

「マジ黙れ変態!」


 争うカミトとシスターメイ。
 一言も理解できないミコお嬢様は、怪訝な顔でそれを見ている。
 期せずして心を立て直すことができたブラボーは、背後のシスターメイを指差した。


「……あれもゲームマスターだが」

「畑違いだ……言っとくが趣味がじゃないぞ? あれはキャラクターグラフィック担当だろう?」


 ――そこまで調べているのか!


 ブラボーはあらためて戦慄した。
 Greed Island Online 開発チームの担当まで割れているということは、よほど綿密に調べている。


「理解したか。なら、オレがお前に何を求めているかもわかるよな?」


 ぐいと押し込むように、エンドは言葉をねじ込んでくる。
 でかくて、強大で、そんな彼に飲み込まれ翻弄されてしまいたい。人に根差す従属願望を満たす不思議な引力が、そこにはあった。


「キャプテン・ブラボー。オレに協力しろ」


 抗いがたい手を、エンドは差し伸べてきた。








「そんなことになってたのか」


 アズマが仏頂面で言った。
 別行動をとっていた仲間たちは、すでに合流している。
 突然発生した異常なオーラが、ブラボーたちの向かった地区に移動したのを見て、急行したのだ。

 全員が集まるのを待って、鎖使いのカミトが事情を説明した。
 それを受けての、アズマの発言だった。


「そいつ、そんなにすごいの?」


 金髪碧眼ツインテールの制服少女、ツンデレがカミトに問いかける。


「すごい、というより、したたかで、賢いわ。“悪の華(ビカロマニア)”――名前と今までの行動からみるに、行った悪の量だけ強くなるとか、あるいは受けた悪感情の量だけ強くなるとか、そんな感じでしょうけど――おそらく奴はこの能力を、いままでほとんど使っていないわ。じっと待って、自らのオーラを爆発的に上昇させる、この機会を伺ってたのよ」

「なんで? そんなことするより、こつこつでも悪いことして、ちょっとずつオーラを上げていったほうが、もっと早く強くなれてたんじゃない?」

「そのまえに、買った恨みで身を滅ぼしてるでしょうね。憎まれる、恨まれるってのはそれほどリスクのある行為で、だからオーラの上昇率も高いのよ」


 ふたりの会話が一区切りついたとき、虹色髪の少女、ライが手を挙げて口を開いた。


「で、結局ヤツはブラボーに何をもとめてるんだ?」

「ちょっとは考えろ幼女二号」

「二号言うな――いや幼女言うな」


 アズマに突っ込まれて、ライが抗議の声を上げる。


「向こうは世界征服したい。でも手が足りない。考えるのは協力者、同志を募ること。その一番簡単な手段は、向こうの世界から引っ張って来ることだ」

「……そっか、そうすりゃ全員念能力者だし、すごい戦力になる……でも、向こうでゲームとIDばらまいて、大量に引っ張りこんだとして、みんなすんなり協力してくれるか?」

「無理だろう。だから先輩(ブラボー)が必要とされてるんだ。そもそもただ開発者の協力が欲しいだけなら、向こうの世界に残った誰かを抱きこめばいいんだからな――そうだろう? 変態シスター」

「変態シスターは止めて」


 アズマの変態呼ばわりに、シスターメイが抗議の声を挙げた。
 とたんに方々から異論が上がる。


「変態じゃない」

「紛うことなき変態だろ」

「自覚ないんスか?」


 フルボッコにされ、涙目になるシスターメイ。自業自得である。


「――なるほど、逆らえぬよう首輪をつける。下種の考えそうなことだ」


 それを尻目に、エンドの意図を察した海馬瀬人が鼻を鳴らした。
 シスターメイも、ちょっと涙目になりながら、納得したようにうなずく。


「向こうの意思一つでプレイヤーを殺せるようプログラムを付け加えろ、ってとこね。
 プレイヤー関連のシステムはブラボー任せだったからねー。たぶん外の子たちでも無理。
 あいつにしても自分のキャラクターは弄れても、システム自体をいじるのは無理っしょ」


 海馬とシスターメイ。ゲーム開発に関わったふたりが推察する。


「だからこそ、貴様を仲間に引き入れようとしたのだな。ブラボー」


 海馬が言葉を向けた。
 みなの話を黙って聞いていたキャプテンブラボーは、静かにうなずいた。


「それで、断ったの?」


 首をかしげてツインテールを揺らし、ツンデレが尋ねる。
 それに対し、鎖使いカミトはくすりと笑った。


「なんで笑うの?」

「いや、こいつがエンド相手に切った啖呵を思い出して」

「言うな、カミト」

「え、先輩なに言ったんです?」

「気になるところだな」


 若干焦り気味に止めるブラボーだったが、それがかえってまずかったのだろう。海馬とアズマまでが興味深げに顔を寄せてきた。


「あのね、一緒に世界を征服しようっていうエンドに、ブラボーはこう言ったの。断る、って」


 カミトはいたずらっぽく笑うと、止めるブラボーに構わず、手振りを交えて再現する。


「何故ならば、俺はハンターを、この世界を愛しているからだ!
 この俺の目の黒いうちは、決して世界を蹂躙させるものか!!」


 みんなポカンと口を開け。
 ブラボーらしい、と笑顔を向けた。


「言うなというのに」


 言って、ブラボーは背を向けた。恥ずかしがっているのだ。
 ほほえましいものでも見るようにその姿を眺めていたアズマが、ふと思いついたように尋ねた。


「それにしても、そこまで言ってよく生きてましたね、先輩」

「よほど自分のプランに未練があったのだろう。それに世界征服どころか、リマ一国、否、この首都リマすら、ヤツはいまだ掌握していない。説得は後からでも遅くはないと判断したのかもしれんな」


 ブラボーは、そう、つぶやく。
 あの場に居た4人が生きているのは、おそらく、それだけの理由でしかない。


「キメラアントが突然退いたのは」

「十中八九キメラの頭を復活させ、引かせたのだろう。目的は奴らを支配下に置くこと」

「頭がヤツに従っているのなら、造作もないことでしょうね」


 虹色髪の少女ライの疑問に、海馬が、そして鎖使いカミトが答えた。


「つまり、俺たちがすべきことは」

「並みいるキメラアントをぶち抜いて、復活再生能力者どもをぶっ飛ばし、黒幕エンドをぶち倒す。それだけの簡単な仕事です☆」


 アズマに続いてシスターメイがおちゃらけて言った。
 エンドの野望を阻む。すでに全員の腹は決まっている。


「みんな」


 ブラボーは言いかけ、帽子を目深に下ろした。
 この世界をぶち壊そうとする同胞を、見過ごせる。彼らがそんな人間だったら、いまこの場所に来ているはずがない。


「気遣いは無用よ、ブラボー。何を隠そう、私たちは――」


 ――悪人退治の、達人だっ!


 皆が己を指差して、その言葉をなぞった。


「……ブラボーだ」







 午後10時過ぎ。
 引き揚げてきた兵たちとともに、リマ王が軍司令部に到着する。
 現地で指揮をとっていたスハルトを伴い、王が会議室に入ると、居並ぶ軍の重鎮たちは喜色を以って王を迎えた。


「よく、御無事で」


 モラレス幕僚長は王の無事を祝福した。
 この場に居る全員の気持ちを代弁したものだったが、王は首を横に振った。


「半身を奪われたわ」


 その意味は、痛ましいまでに伝わった。
 司令部の人間にも、ポドロフ将軍の死は伝わってきている。
 みな、何らかの形で彼から恩を受けた者たちだ。個人的にポドロフを兄と、父と慕う者もいた。王の気持ちがわからぬはずが無い。

 だが、事態は感傷を許さない。
 ポドロフを殺したキメラアント――を殺した英雄ソル――を殺した、エンド。
 彼の化物の処遇に、司令部の人間は頭を悩ませていたところだ。いや、それ以上に頭の痛いことがあった。


「セロ国防長官」

「はっ!」


 王が国防長官に声をかける。
 セロ長官は即座に軍式の礼で受けた。


「リマ国王の名のもとに、卿をポドロフ将軍に代わる位置に置く。急ぎ軍をまとめて対策を取れ」


 失望とともに、安堵の空気が会議室に流れた。

 指導者であるポドロフ将軍が死に、誰もが次代を意識していた。
 指揮系統が定まらない今の状況で、下手に動けば、足元をすくわれかねない。
 キメラアントの被害がひとまず収まった今、その思いが、軍の動きを鈍らせ始めていたのだ。
 
 ポドロフの後を継ぐことに食指を伸ばしていた幾人かは失望を隠しきれなかったが、とりあえずこれで軍は、なんの掣肘を受けることなく行動できる。


 ――このあたりは、さすが老獪だ。


 古狸の首魁と言っていいモラレス幕僚長がにやりと笑った。
 ともあれ、頭痛の種は取り除かれた。会議は自然、活発になってくる。


「まず、現状です。王宮を占拠した男――テレビではエンドと名乗っておりましたが、世界を征服する、などと宣言して以降、放送には出ておりません。詳しい目的は依然不明です」

「身元は?」

「それも不明です。ただ、個人ではなく、何人かの人間が従っているようです。いずれもてだれ(・・・)でしょう。通常火器での制圧は、困難です。それに、キメラアントたちも、王宮に集まってきています。両者が対立する様子はありません」

「ふむ、示し合わせていた、わけではないのかね?」

「――それは違うな」


 報告する士官の代わりに答えたのはリマ王だった。


「こ、国王陛下」

「ヤツが怪物――キメラアントと言うらしいが――を一方的に利用はしていても、協力していたわけでもないだろう」


 リマ王が説明した。
 王はキメラアント、フォックスの死に対してあの怪人、エンドが見せた態度を知っている。だから言下に否定することができた。


「しかし、前後のことはいざ知らず、とりあえずエンドに従っているようには見えますな」


 葉巻をしがみながら、そう言ったのは幕僚長、モラレス。


「――ま、一か所に集まっているのなら都合がいい。最悪あそこにミサイル落とすことも、考えといた方がいいぜ」

「王権の象徴を破壊しようというのか!」


 モラレスの発言に、何人かが席を立ち、怒声を発した。
 聞くに堪えない罵言を吐いた者もいたが、当の本人はしれっと聞き流している。


「敵にブン捕られた時点で名誉もなにもねぇよ。
 もっとも、こりゃまず王に聞くのが筋ってもんだが」

「かまわぬよ。奴らを見逃す害の方が大きい」


 リマ王は即断した。
 モラレスはにやりと笑う。


「と、いうわけだぜ、将軍代行?」


 話を振られた国防長官も、火急時に迷うような性質ではない。


「よし、ミサイルを王宮に向け――」

「――ちょーっとまったぁ!」


 いきなり会議室のドアを開け、命令に待ったをかけた者が居た。
 凡庸な造作の、絵にかいたようなお気楽面。明らかに関係者には見えない私服姿である。

 ああああ。王を守って司令部まで来ていた“ソルの軍団”の現指揮官だ。


「なんだ?」

「無礼な!」

「警護の兵は、たるんどる!」


 怒声を抑えたのは、リマ王だった。
 王には彼らに命を助けられた恩がある。


「君か。どうしたんだね」

「王宮への攻撃を、待ってもらいに来ましたぁ!」

「ほう? 話を聞いてみようかい」


 面白そうにけしかけたのは、幕僚長のモラレスである。
 彼に対してやや無礼な礼を述べると、孫ほども年の離れた青年は手元から携帯式のテレビを取り出しかけ、モニタに同じ映像が映っていることに気づくと、そちらを指差した。

 モニタには、キメラアントたちがたむろする王宮の前に立つ、9人の男女の姿がある。
 ブラボーたちだ。
 ソルの死、そして新たな民への脅威に珍しく頭を悩ましていたああああは、彼らの姿を見るや否や、会議室に駆け込んだのだ。


「何者だい?」


 幕僚長が尋ねる。
 ああああは、彼らのことをどう説明したものか迷った。
 むろん同胞云々を説明するつもりはない。尋ねた老人も、素性のことなど聞いては居ないだろう。彼が求めているのは、あの9人が、この事件にどういう関わり方をする人間か、ということだ。

 ああああは、はたと思いついた。
 他人の苦難に命を賭ける。他人の危機を助けて回る。
 そんな人間に、ぴったりの言葉があるじゃないか!


「正義の、ヒーローですよ、彼らは」


 正義のヒーロー。
 場違いとも言える言葉に、会議室中がざわめく。

 彼も必死だった。
 王宮を爆撃されては、市民に被害が及ぶかもしれない。またそれ以上に、あの正義のヒーローたちをすこしでも助けたかった。
 ここでああああは、一世一代の啖呵を切る。


「この国を、守りたいってぇのなら、みなさん――あのヒーローたちを信じてみちゃあ、くれませんか!」


 しん、と、場が静まり返る。
 この場に居るのは、ほとんどが戦場を往来した古老たちである。
 その彼らの、発言を止めるほどに、ああああの言葉には必至の念が篭もっていた。

 意思を言葉に込める――“舌”(ゼツ)。心を燃やす、“燃”の四大行の二。
 彼は知らず、その境地に至っていた。

 と、その時、爆音が建物全体を揺らした。


「――何事だ!?」


 疑問に答えるように、ほどなくして、一人の兵士が入って来る。


「基地に備えているミサイルが、ば、爆破されましたっ!」


 この報告に、一同が嘆息して天を仰いだ。


「どのみち、任せるしかなくなったわけだ」

「そうだな――なあ、モラレス」


 王が言い、セロ長官が僚友に声をかける。
 幕僚長モラレスは背もたれに体を預け、天に紫煙を吐く。


「ああ。あとは若いのに任せるとするかよ」


 同意してから、つぶやくようにぼそりと言った。


「――いざとなったら、胸に薔薇でもつけて挨拶にでも行こうかね」


 誰も笑わなかった。モラレスの言葉の意味を、正確に察したからだ。
 貧者の薔薇(ミニチュアローズ)。小型ながら、規模、威力ともに異常なまでに強力な大量破壊兵器。
 ブラボーたちが破れれば、モラレスはそれを身につけ、特攻する覚悟なのだ。








 闇色髪の少女が、街道をとぼとぼと歩いていた。
 ミホシである。背中に碁盤をくくりつけ、キャリーバッグを転がしている。
 ソルのコミュニティーを去る決意をした彼女は、リマ王国を出るための道を行く。
 途中、大荷物を抱えて走る車を何台も見かけた。ミホシとおなじように、国を去ろうとしているのかもしれない。


 ――ソルは、ダークたちはどうなったのでしょう。


 未練に引かれる後ろ髪を断ち切るため、彼女は王都の異変に関する情報を故意に絶っている。
 彼女にとって、それは良かったのかもしれない。
 傷心癒えぬ状態で、ソルの、ダークの死を知ったなら、彼女は即座に自ら命を絶っただろうから。

 何も知らず、彼女は夜の道を行く。
 星をちりばめた夜空は、涙が出るほどに美しい。


「あ、ツバメです」


 月明かりの下、飛ぶ鳥を目にして、彼女はつぶやいた。






[9513] Greed Island Cross-Counter 45
Name: 寛喜堂 秀介◆c56f400a ID:198ddce6
Date: 2010/09/30 21:36
「さすがに壮観だ」


 照明に照らされ、白く輝く王宮を前に、ブラボーがつぶやいた。
 王宮の入り口に至る距離、およそ200メートル。間には広大な庭園が横たわっている。
 その、いたるところに。守備を命じられたであろうキメラアントたちが、手ぐすね引いてブラボーたちの侵入を待ち構えていた。


 その数、およそ40。


 ――ユウたちはこんな光景を見たのか。


 ブラボーはふと思う。

 NGL自治区、キメラアントの巣。
 女王を守る蟻たちを誘導するため、暗殺者少女、ユウたちは自ら囮となってこの化け物どもと戦った。


 ――あらためて尊敬するぞ。戦士ユウ、戦士シュウ!


 この場所に居ない戦友に対し、つぶやくと、ブラボーは王宮を仰ぐ。
 建物からは、異様とも言えるオーラが放たれている。触れることすらためらわれる、そんなオーラだ。

 エンド。
 同胞にして、世界征服をもくろむ最悪の侵略者。
 同胞として、ゲームマスターとして、そしてなによりもキャプテン・ブラボーとして。ブラボーは彼の存在を許容することなどできない。


「エンドは、俺が止める」


 口元を鋭くとがらせ、ブラボーは言葉を吐いた。
 

「だから皆……俺をヤツの居る玉座まで、たどり着かせてくれ!」


 連戦の末、師団長を相手にしたあとだ。疲労が蓄積している。
 この上キメラアント、そしてエンドが復活させた死者たちと渡り合い、その上でエンドと戦うなど不可能だ。

 だからブラボーは、信頼する仲間に、困難を託した。
 その思いが酌めぬものが、いまこの場所に居るはずがない。


「わかったわ」


 鎖使いのカミトが、口元を引き絞り、言う。


「私たちがあなたを、エンドのところまで無傷で送ってあげる」


 カミトの言葉に、全員がうなずき。
 放たれた九本の矢は、一丸となって敵陣に突っ込んだ。








 敵の数は40。
 とはいえ相手は陽動を警戒してか、分散している。
 ひと塊りになり突き進むブラボーたちのほうが、局地的にみれば多数で敵に当たれると言える。

 この際スピードが命である。足が止まれば数の差は容易く逆転するからだ。
 移動しながら戦っているのだから、キメラアントの生死は後回しにして、ブラボーたちは当たるを幸いキメラアントたちを撫で切りにしていく。

 ブラボーは自分たちの状況を、ユウたちに比したが、それはけっして正確ではない。
 ユウの場合、個対集団だった。相手の懐深く飛び込んで、ほかの敵の動きを掣肘し、同志討ちを誘うこともできた。いわば個ゆえ、相手を個に解く余地があったと言える。

 しかしブラボーたちは9人。この数になると、もう集団と言っていい。
 集団と集団の戦いは、数の論理がより強く働く。そしてそのしわ寄せは、力が劣る者に、確実に降りかかって来る。
 敵にも、そして味方にも。

 王宮までおよそ100メートル。
 堅牢な巨体を持つ甲虫型のキメラアントとぶつかる。
 先頭を駆けるブラボーのブラボー脚。アズマの純正無拍子に続けてツンデレの相棒、幽霊幼女ロリ姫のドリル。倒すのにかかったのは、わずか3合。かわりにほんの一瞬、行き足が鈍った。

 そのわずかな間に、キメラアントが次々と駆け付けて来る。
 虎口を逃れるため、ブラボーたちがふたたび全速で駆けだす、直前。一発の念弾がミコの細い脚に当たった。
 ほとんど偶然の一発は、一人の少女の足を、完全に止めた。


「ミコ!」


 ブラボーは叫び、全力でブレーキをかけた。
 止まらざるを得なかった。このいとけないお嬢様に、ブラボーは保護者のような気持ちを抱いている。

 だが、ブラボーは止まることを許されなかった。
 何者かが後ろから、ブラボーの体を突き飛ばしたからだ。
 
 それはミコの念獣だった。
 彼女はまっすぐにブラボーを見た。
 自分を置いて先へ行け。間違えようのない強い意志のこもった瞳。

 だが。


「――俺は、捨てない!」


 両足を地面に突っ張らせ、ブレーキをかけるとブラボーは逆方向に跳ぶ。
 それより早く、赤い影が戻っている。レットだ。


「ここは、俺が!」


 足を旋風のように振りまわし、ミコに群がるキメラアントを吹き飛ばすと、レットが叫ぶ。


「みんなは先へ!」


 レットが皆を促した。瞬間。
 乾いた音をたて、広がったオーラの壁が、ふたりとブラボーたちを隔てた。

 それはブラボーたちが倒した甲虫のキメラアントの念能力だった。
 死に瀕したこのキメラアントは、敵を遮断するため、能力を発動したのだ。


「わたしが!」


 ほとんど何も考えずにUターンしてきたツンデレが、壁を殴りつける。
 だが、オーラの壁である。物理衝撃でオーラを相殺するツンデレ式除念法では、解除などできない。

 そうする間にもキメラアント達が集まって来る。
 壁の向こう側に25。ブラボーたちの側には10。


「行ってください! 貴方には、やるべきことがあるのでしょう!?」


 片足を引きずった状態で、それでも念獣を操り戦いながら、ミコが叫ぶ。


「その通りッス! みんなが居ない方が、俺も力が発揮できるんスから!」


 レットは不敵に笑い。
 変身。
 そう唱えて。
 レットが念能力を発動させる。


 ――“強化着装(チェンジレッド)”。


 オーラや身体能力を、軒並み数倍に引き上げる、レットの強力無比な念能力。
 着装時のレットの戦闘力は、キャプテンブラボーすら上回る。


「レッドキィーック!」


 たがいに背を守りながら戦い、ふたりは声をそろえて叫ぶ。


「ブラボーッ!!」


 そろってサムズアップ。
 この意気が、ブラボーの心を打った。



「ブラボーだ!」


 ブラボーはふたりに向かって強く拳を突き出し、駆けだす。
 ロスは大きい。王宮へとつづく道は、複数のキメラアントにより、塞がれている。
 脇からすり抜けようにも、そちらからも敵が迫ってきている。

 だが。敵の重囲を破るように。


「――“加速放題(レールガン)”、満天花雨!!」


 オーラのこもった数十のパチンコ玉が、ショットガンのごとく前方にはじけた。
 アズマだ。物体加速の念能力で撒き散らしたパチンコ玉には、アズマのオーラが強く込められている。
 下手な銃器よりもよほど強いこの攻撃で開けた突破口を、最後尾から一気に先頭に躍り出たブラボーが、まだ止まらず、地を這う流星となって打ち開く。


「衝撃! ブラボーインパクト!!」


 前方ががっぽりと開く。
 続く5人がその間隙を駆け抜けた。

 5人だ。一人足りない。
 残ったのはシスターメイ。メイドとシスターを融合させた珍妙な衣装に身を包む、銀髪の少女。

 彼女は分かっていた。
 この突撃は、どこかで必ず足が止まる。
 そこを敵に包まれれば、死は逃れられない。
 だからシスターメイは、強いてあの壁を“分解”せず、いままた足を止めた。

 すべて、敵を分散するため。


「こっちよ! キメラども!」


 別方向へ走るシスターメイを、数体のキメラアントが追っていく。
 彼女は敵の攻撃が効かない。敵を何体引きうけようと、無謀ではない。

 と、背中越しに、アズマの声が飛んで来る。


「シスター! “分解”は絶対に使うなよ! また会おう(・・・・・)!」


 シスターメイが振り返ると、黒づくめの仏頂面は、もうこちらに目もくれず、目的地に向っている。


 ――まったく、この男前。


 シスターメイはアズマたちに向けてサムズアップすると、襲い来るキメラアント達の攻撃を避けるふりをしながら逃げた。
 もともと彼女には攻撃が効かない。反面、相手にも干渉できない。それがバレては、敵を引きつける役目を果たせないのだ。








 ブラボーたちが王宮に駆け込んでゆく。
 それを見やってにやりと笑いながら、レットは右脇から襲い来るキメラアントの頭部を裏拳で砕いた。
 同時にしなう腕でわき腹を打たれている。


「かはっ」


 呼気を漏らしながら、レットは向かい来るキメラアントたちの攻撃をいなす。
 本来、躱せる攻撃だ。にもかかわらず、喰らってしまう。背後に、ろくに動けないお嬢さまが居るからだ。


 ――ヤバイッスね。


 レットは不思議と笑いながら、心中でつぶやいた。
 この状況、仮にレット一人だとしたら、あるいは敵を全滅寸前くらいには持って行けたかもしれない。

 だが、それも動けない少女とともにでは、無理な話だ。
 彼女もけっして足手まといではない。変幻自在の念獣“ハヤテのごとく(シークレットサーバント)”を使い、ミコは常にレットの死角を守ってくれている。
 だが、敵に押し包まれる中、自在に動くことができない。これは致命的だった。


 ――だからと言って、見棄てられるわけないっスけどね。


 ピンチになれば、必ず現れて、助ける。
 それがレットの理想とするヒーローの姿だ。
 守るべきものを見棄てるなど、レット自身を否定する行為だ。そんなことができるはずがない。

 だから、レットは賭けに出た。
 守り、削られていく中で、幸いにも条件は満たしている。


「――サンライトブレード!!」


 突如、昼をあざむくばかりの光が、レットから放射された。
 昆虫の性質を深く残しているキメラアントの何体かが、方向を見失ってほかのキメラアントにぶつかる。

 光が、集束する。それは剣の形となり、レットの手に収まった。
 敵の動きが止まる。この深紅の戦士の、未知の能力に警戒しているのだ。


 ――好都合っスけどね。


 不敵に笑うと、レットは渾身の力を込め、叫ぶ。


「受けろ光の斬撃――サぁンライトっ――ブレードぉ!!」


 剣先の軌跡がレットを中心に一周する。
 瞬間。
 光が奔る。
 風が割れた。
 大気が裂けた。
 斬撃の威力は敵を巻き込み、庭園中に破壊を巻き起こした。
 巻き込まれたキメラアント、数多。直撃を受けた蟻は、死骸すら残していない。

 これぞレットの最終念能力、サンライトブレード。
 変身に使われていた全てのオーラを、たった一撃に換える、一撃必殺の斬撃。
 

 ――まだ、足りないっスか。


 レットは見た。
 庭園のそこここで、身を起こすキメラアントの姿を。
 その数、すでに五指に満たない。それでも、いまのレットにとっては、致命的だった。

 オーラを絞りつくしたレットは意識を失い、倒れた。


「レットさん!」


 ミコの叫び声。
 柔らかい感触が、レットを包んだ。
 それが何なのか、レットが気づくことが無いまま。
 折り重なったふたりの姿は、襲い来るキメラアントの中に埋没した。








 通路は死体で満ちている。
 弾痕が壁一面に見てとれ、ここであった戦闘の激しさを偲ばせる。
 通路をまっすぐ駆け、大階段を登れば、そこはエンドのいる玉座の間。
 一心不乱にそこを目指して、6人の戦士はわき目もふらず一直線に駆け抜ける。

 ふいに、殺気が揺れた。


「――そこっ!」


 鎖使いカミトの“鉄鎖の結界(サークルチェーン)”が、天井からの一撃を未然に防いだ。
 同時に異音。攻撃を受けた“鉄鎖の結界(サークルチェーン)”が、半ばからふたつに千切れ飛んだ。


「やるわね」


 弾かれながら笑い、背後に着地したのは、サソリの特徴をもつ女性型のキメラアント。


 ――ザザン、師団長。


 カミトは心中、つぶやく。
 続いて二匹のキメラアントが、天井から降りてくる。
 4本の巨腕をもつ大猿と、全身鋭利なとげのついた甲殻をもつキメラアント。


 ――ザザンの師団に居た兵隊長。


 ここでカミトは覚悟を決めた。
“鉄鎖の結界(サークルチェーン)”が破壊された以上、カミトの戦力は半減している。
 だったら、この先の敵と十分に渡り合うことができないなら、命を賭して戦う場所は、ここしかない。


「ブラボー、こいつらは私が止める。だから先へ」

「フン。一人では無理だ。オレも残る」


 カミトに続くように。
 コートをなびかせ、海馬瀬人が一団の背後に立つ。
 たがいに、ブラボーたちに向けて背中越しにサムズアップ。
 ブラボーも、振り向かない。拳を天に突き上げ、玉座の間を目指し、駆けていく。


「不快」


 ザザンが眉を顰め、言った。


「二人だけでこの私を止める気?」


 カミトの鎖が、地面を打った。
 ブラボーたちを追おうとしたザザンの配下二体の動きを、それで止めたのだ。
 それがザザンを無視した行為に見えたのだろう。ザザンの額に青筋が立った。


「あなたたち、そっちの男と遊んでなさい。私はこのクソ生意気なガキに――教育してあげるわっ!」


 言うや、ザザンはカミトの鎖を宙で捉え、振りまわした。
 暴力的なまでの力に翻弄され、カミトは壁にぶつけられる。壁が破壊され、それでも止まらず数枚の壁を抜き、外までぶっ飛ばされた。

 カミトの視界は万色の薔薇で覆い尽くされた。
 王宮東側に在った薔薇園の中に突っ込んだのだ。
 人の侵入を感知したからだろう。照明がつき、辺りをこうこうと照らしている。

 薔薇のとげに裂かれながら、体勢をたてなおしていると、カミトが開けた大穴から、ザザンがゆっくりと出てきた。


「ゆっくりと、薄皮を剥ぐようにして、解体してあげるわ」


 凶悪な尾を振い、薔薇の花を散らしながら、ザザンは三日月のごとく口の端を釣り上げた。


「後悔なさい」


 ――あの尻尾。


 カミトは身構えながら、思考を走らせる。


 ――私の“鉄鎖の結界(サークルチェーン)”を砕く威力。まともに食らえば即死!


 カミトは左手首に巻いた、長さ半分以下となった鎖をはずした。
 いまのこれは、カミトの愛用する鉄鎖ではなく、その残骸だ。“鉄鎖の結界(サークルチェーン)”として用を為さなくなっている荷物をぶら下げている余裕など、ない。


「喰らいなさい!」


 尾の一撃が、カミトを襲う。
 避けざま、“追尾する鉄鎖(スクエアチェーン)”を送り込み、束縛を狙うが、一瞬のちにはザザンの姿は右後方にある。

 かろうじて目で追ったカミトは、襲い来る拳撃を、腕で受ける。
 かなりのオーラを割り裂いたが、それでもガードした腕が悲鳴を上げる。
 防御に専念しながらも、別の意思をもったように“追尾する鉄鎖(スクエアチェーン)”はザザンに絡む。


「――っとおしいっ!」


 ザザンの尾が振われる。
 カミトは瞬間的に鎖を送り出し、尾の軌道から鎖を逃がした。
 そうなると今度はカミトに攻撃が来る。


 ――なんて攻撃! 防御が精いっぱい!


 攻撃の軌跡が薔薇を舞わせる。
 魅入られるような花吹雪の中、戦いは続く。
 攻撃をしのぎながら、カミトはじりじりと、攻撃に移る機会を探っている。


 ――ザザンも、どんな攻撃でも私の鎖を破壊できるわけじゃない。


 拳や足では無理だ。
 破壊力の集約された、尻尾の一撃のみが、鎖を破壊しうる。

 その判断は正しい。
 問題は、ザザン自身もそれを知っていたことだ。
 だからザザンは、待っていた。カミトが、この厄介な鎖を積極的に使ってくる機会を。
 そのために、あえて尾の動きを、ほんのわずか、敵に違和感を与えぬ程度にセーブしていた。

 結果、一合。
 カミトの繰り出した“追尾する鉄鎖(スクエアチェーン)”は、手元20センチのところできれいに砕かれた。

 鎖の砕片が飛び散る。
 ザザンがサディスティックな笑みを浮かべた。


「これであなたの牙は抜いてあげた。あとは――処刑ね」


 操作系の念能力者は、使い慣れた武器を失えば、戦闘力が激減する。
 小生意気な少年は恐怖に震え、無様に泣き叫ぶことしかできないはずだった。

 だが、カミトの面に絶望の色はない。
 有るのは強烈な覚悟と意思。


「ありがとう」


 カミトは目を伏せ、礼を言った。


「いざとなると、なかなか覚悟ができなかったのよ。手足のようになじんだ、愛着のある武器だから」

「なにを――」


 ザザンが絶句する。
 いつの間にか動けなくなっているのだ。
 すぐさま“凝”。瞳にオーラを集めたザザンは、見た。
 己を拘束する、強烈なオーラの気流を。


「気づいた?」


 カミトは笑う。
 念能力を作った時、カミトはこのような事態を想定していた。
 だから、モデルとなったキャラクターになぞらえて、ひとつの能力を作ったのだ。
 ふたつの鎖を失ったときにのみ発動可能な、だからこそ、圧倒的に強力な念能力。


「これ喰らって死ななかったら、素直に尊敬するわ」


 散らされ、地に積もった薔薇の花びらが舞い上がる。
 オーラの気流が唸りをあげ、カミトの手元で加速する。


「ちくしょぉぉぉぉっ!!」


 ザザンの、痛恨の叫びすらかき消して。


「――“星雲嵐(ネビュラストーム)”!!」


 破滅的なオーラの嵐が吹き荒れた。
 この嵐に巻き上げられたはずのザザンは、落ちてこなかった。
 かけらも残さず、ザザンは消滅したのだ。

“星雲嵐(ネビュラストーム)”を放った態勢のまま、カミトは前のめりに倒れた。
 その上に、舞い散る薔薇が覆いかぶさっていく。


 ――私はここまでみたい。みんな……あとは任せたわよ。


 薔薇の雪に埋もれながら、カミトは意識を手放した。








「オレのターン!」


 海馬瀬人は決闘盤からカードを引き抜いた。
 海馬は舌打ちした。手札には即時に召喚できるモンスターもギミックもない。いわゆる手札事故だ。

 全身を棘で鎧ったキメラアントが、抱きついてくる。
 それを紙一重で避け、続く大猿の攻撃を躱す。4本の腕を避けきれず、肩口に攻撃がクリーンヒットする。
 物理的ダメージはない。かわりにオーラがごっそりと削られた。

 現在ライフポイントは2300。
 いまのダメージだけではない。カピトリーノから続く連戦、念能力の連続行使により、オーラは全快には程遠い。

 まともに戦えば、それでも海馬はこの二体相手に優勢に渡り合えるだろう。
 しかし、海馬にそのような選択肢は有りえない。


「“トレード・イン”を発動! 手札からレベル8のモンスター、“青眼の白竜(ブルーアイズ・ホワイトドラゴン)”を捨てることで、デッキから2枚ドローする!」

「――ナンだテメエ、バトル中にカード遊びなんかしやがって。馬鹿じゃねぇのか?」


 海馬がカードを引く間にも、攻撃の手は止まない。
 攻撃を受けながら、それでも海馬はけっしてひるむことなく、不敵に笑う。


「オレのターン! “未来融合-フューチャー・フュージョン”を発動! 融合素材となるモンスターを墓地に送ることで、二ターン後に融合モンスターを特殊召喚する! 指定するのは“F・G・D(ファイブゴッドドラゴン)”だ! オレは五体のドラゴン族モンスターカードを墓地に送る!」


 期は、満ちた。


「“竜の鏡(ドラゴンズ・ミラー)”を発動! 墓地の“青眼の白竜(ブルーアイズ・ホワイトドラゴン)”三体を除外し――出でよ! “青眼の究極竜(ブルーアイズ・アルティメットドラゴン)”!! それに加え“巨大化”を発動だ!」


 白銀の竜皮をもつ、三つ首竜が、通路を埋め尽くすように現れた。
 魔法カード、“巨大化”の恩恵を受け、その攻撃力は、実に9000。
 この威容に圧され、二体のキメラアントの動きは、否応なく止められた。


「一撃だ」


 海馬は指を一本立て、それを敵に向け、そして吼える。


「――スーパー・アルティメット・バースト!!」


 光の奔流が、通路を埋め尽くした。
 避ける余地などない。キメラアントたちの姿は光の中に消えた。
 光が収まる。
 圧倒的な破壊。あとには塵一つ残っていない。


「バカな戦いか。確かにそうだろう」


 虚空に向けて、海馬はつぶやく。


「だが、これがオレの――プライドだ」


 カードを手に、海馬は構えを解かない。
 通路の向こうから、広場に居たキメラアントたちが侵入してくる姿が見えたのだ。
 残りライフポイント、わずかに100。すでに海馬は消耗しきっている。
 それでも海馬は敵を鼻で笑い、カードをドローする。


「――オレの……ターンだ」







[9513] Greed Island Cross-Counter 46
Name: 寛喜堂 秀介◆c56f400a ID:364f7003
Date: 2010/09/30 21:38
 ブラボーたちは駆ける。
 玉座へとつづく道を。そこに居るであろう敵を倒すために。
 あとを彼らに託して、敵のさなかに残っていった仲間たちの思いを抱えて。

 ついにたどり着いた階段。
 登れば玉座の間はすぐそこ。
 ほとんど一蹴りで階上まで上がった彼らは、しかし、そこで立ちつくした。

 階段の先は、あろうことか壁で閉ざされていた。


「これは」


 ブラボーはつぶやいた。
 四方を壁で囲まれ、正面の壁には扉。
 建物の構造として、あり得ない景色だ。


 ――念能力。


 ブラボーは即断した。
 同時に、扉が音を立て自然と開く。
 奥に見えるのは、何の変哲もない部屋。
 一見して高級品とわかる調度が並んではいるが、王宮にあるものとしてはありふれている。


「俺が様子を見に行きましょう」

「いや。どの道、ここを抜けねば先へは進めん。行くなら皆で、だ」


 アズマの主張を退け、ブラボーは強く言った。

 この先待っているのは、ほぼ間違いなく、罠だ。
 だがブラボーが居れば、敵はこちらが全滅するような大仕掛けは使えない。
 なぜなら敵の大将、エンドは、生きているキャプテン・ブラボーにこそ、用があるのだから。


「行くぞ」


 ブラボーを先頭にして、扉をくぐったのはほとんど同時。
 みな、すぐに部屋を見渡した。
 応接室らしい。高級調度品に囲まれた空間は、きらきらしく賑わっている。
 四人の視線が集まったのは、そんな空間のただ一点。奥へとつづく扉のわき。


「――そこっ!」


 アズマが叫ぶや、物体加速の念能力でパチンコ玉を打ちこんだ。

 反応は、ない。
 奥の壁が破壊される。パチンコ玉が跳ね返って来る。
 そういった、常識的に予想できる現象すら、起こらなかった。

 パチンコは、ただ宙に制止し、浮かんでいる。


「これは、みなさん素早い」


 声が響いた。
 一座を賑やかす道化のような、甲高い声。
 と、宙に浮くパチンコ玉の周りに、影が生じた。


「ワタクシ、マーチェスと申します」


 影に、色彩が生じる。
 茶色の体毛に覆われた、黒い瞳の異形。
 人に極めて近いシルエットを持つ、兎型のキメラアント。
 その指と指の間には、パチンコ玉が挟み取られていた。


「みなさま。ようこそワタクシのテリトリーへ」


 キメラアントは深々と腰を曲げ、歓迎の礼を示した。
 わざとらしいまでに完全な作法に、警戒心はいや増す。


「テリトリー?」


 そんな空気など読まず、ツンデレが反射的に尋ねた。
 兎のほうは、その質問を歓迎するように両の手を合わせて見せる。


「その通り。ワタクシの念能力、“迷宮組曲(ラビットハッチ・ラビリンス)”により、王宮は一直線の数珠つなぎに捻じ曲げ組みなおされております」


 兎は道化じみた手振りで説明する。
 
 唐突に、アズマが動く。
 部屋の隅まで跳ぶと、やおら壁を殴りつけた。
 炸裂音。部屋が揺れ、壁にぽっかりと穴が開く。

 その向こうを見たブラボーたちは、背筋を凍らせた。
 穴の先は、無。なにもない闇の空間が、ただ絶望的に広がっている。


「そちらへ行きたいのなら、止めはしませんよ。ただし、身の保証は致しかねますが」


 いきなりの暴挙に腹を立てたのだろう。やや不快気に、兎が言った。


「行くも戻るもご自由に。ワタクシもあえて留めは致しません。
 ただし――玉座へは、この先の扉を通ってしか、たどり着けませんが」


 言葉とともに、兎のわきにある扉が音もなく開いた。
 同時に、兎の姿が闇に溶け、消える。今度はわずかな気配の揺れすらない。完全に居なくなっていた。


「なるほど」


 ブラボーは扉の先を見て、うなずいた。
 王宮の部屋を縦一列に配した一本道。
 それを通ってしか、大将のもとへたどり着けない仕組み。

 だとしたら。


「間違いなく、守護者が居るでしょうね」


 ブラボーの思考を読んだように、アズマが言った。


「―― 一本道ってことは、そこを通らなきゃ先に進めないってことだ。そこに強力な戦士を置けば、少ない人数で効率的に守れる」

「だろうな。流石に部屋の数だけということはないようだが」


 開かれた扉の先、無人の小部屋を見ながら、ブラボーは同意する。


「でも、行くしかないのよね」


 あっけらかんと口にしたのは、金髪碧眼ツインテールの制服少女、ツンデレだ。


「だったら、とっとと行きましょう。止まってる暇なんか、ないんだから」


 少女の言葉に、全員がうなずいた。








 それから、いくつかの扉をくぐると、ふいに開けた場所に出た。
 元は会議室なのだろう。部屋の隅にはそれを偲ばせる残骸が散らかっている。

 平らになった部屋の中央には、一体のキメラアントが待ち構えていた。
 チーター型だ。しなやかでたくましい四肢。纏うオーラが、並みの蟻より数段強い。


 ――ヂートゥ。


 虹色髪の少女、ライは心の中でつぶやいた。
 王の旗下に収まっていた、師団長クラスのキメラアントだ。


「へへっ、来た来た。獲物が四人か。あれ? 一人は喰っちゃいけないんだったっけ? まあいいや。来なよ。キツネ――フォックスから教えてもらったオレのスッゲー念能力見せてやるからさ!」


 はしゃぐように、腕を上下させるヂートゥ。
 軽薄な言動に、ともすれば油断してしまいそうだが、それでいて師団長が務まっていたのだ。間違いなく、強敵。


 ――おれか、ブラボーくらいだな。タイマンで戦れるのは。


 敵の強さを肌で感じたライは、だから迷わず前に出た。
 ブラボーを残すわけにはいかない。ほかの二人を捨て駒にするわけにはいかない。
 ゆえに、彼女にとってこの選択は、必然。


「おれに任せて、みんなは先へ」


 ラインヒルデ・ザ・レインボー。
 その名にふさわしい、虹色の髪と瞳を持つ幼い少女は、静かに両腕を広げる。
 それぞれの手には、いつの間にか、黄金の光を放つリングが具現化されていた。


「ライ」

「心配しなくても、あとから行くさ」


 声をかけてきたブラボーに、ライは笑って、背中越しにサムズアップ。
 ライにとってそれは掛け値なしに本気で、だからブラボーも、それを素直に受け止めた。


「あー。いーよーいーよ。みんな先に行っちゃって」


 そのやりとりに水を差すように、チーターのキメラアントは手をひらひらさせる。


「――どうせ、後から追い付くからさっ!」


 そう言って笑った、直後。
 ヂートゥの姿が、いきなり掻き消えた。

 瞬間、ライの視界がズレた。
 そのまま壁に衝突するまで、蹴られたことすら気づかない。
 壁に大穴があき、砕けた瓦礫の中に埋もれて、ライはやっと攻撃を受けたことに気づいた。


「ライっ!」


 ブラボーが叫ぶ。
 拍子抜けしたように、チーターのキメラアントが頭をかいた。


「あっちゃー。追いかける必要なくなったかな?」

「――んなわけねーだろっ!」


 一直線に虹が流れた。
 と見えたと同時、ライの姿はすでに部屋の中央にある。
 ライの繰り出した金のリングは、すんでのところでヂートゥに受け止められていた。
 期せずして、鍔迫り合いのような格好になる。


「幼女二号!」

「その呼び方やめれ。つーか心配してねーで早く行けっての!」


 アズマに言われ、思わず言い返してから、ライは叫ぶ。
 
 三人は目配せしてうなずき合うと、ライたちのわきをすり抜けて、つぎの部屋へ向かう。
 最後に、ブラボーが振り返り、拳を突き出した。


「任せたぞっ、ライ!」


 扉が閉まる。
 それを見て、ようやくライは顔をしかめた。
 目が慣れる間もなく食らったヂートゥからの初撃は、彼女の上腕骨にヒビを入れていた。


 ――早く行ってくれねーと、まじで役立たずになっちまいそうだからな。


 拳を交わす。
 そのたびに走る鋭い痛みにあぶら汗を流しながら、ライは敵に立ち向かう。
 だが。彼女の必死をあざ笑うかのように、チーターのキメラアントはにやりと笑った。


「いくぜっ! ――紋露戦苦(モンローウォーク)!」








 さらにいくつかの部屋を抜けたところで、また開けた場所に出た。
 会議室に劣らない広い空間だ。その中央に、黒衣姿の敵がふたり、待ち構えていた。

 シルエットは、完全に人間。
 おそらくエンドに復活させられたのだろう。それぞれが馬鹿げたオーラを持つ手練だ。


 ―― 一人じゃ足止めすら、できない。


 そう判断したアズマは、隣に居るツンデレに目配せすると、前に出た。


「俺たちが戦ります。あとは頼みました、先輩」


 以心伝心。金髪ツインテールの制服少女、ツンデレと、その髪にとり憑く幽霊少女ロリ姫も無言でアズマに並ぶ。

 そろってサムズアップ。覚悟と、強さを秘めた笑み。


「強くなったな」


 ブラボーが、ふいに言った。


「遠慮なく、頼らせてもらうぞ。カイリ」


 その一言に、アズマは泣きそうになった。
 先輩と慕った相手に、心の底から頼られる。
 そんな存在に自分が成れたことを、さまざまな感慨とともに実感した。


「よっしゃ来い! 全然負ける気しないぞ!」

「……アズマはちょっとブラボー好きすぎだと思う」


 微妙な危機感を面に出して、ツンデレがぼそりとつぶやいた。

 ブラボーは行った。
 扉を守る役目にあるはずの黒衣ふたりは、それを追おうともしない。
 扉が閉まる。部屋に、静寂が流れた。


「……礼を言うぜ。アズマ」


 黒衣の片割れが、ふいに口を開いた。

 言われて、アズマは総毛立った。
 忘れられない、忘れもしない声だ。


「――ブラボーの奴と顔を合わすのは、さすがにバツが悪すぎるからな」


 フードを払った男の顔を、アズマは知っている。
 中背だがたっぷりと量感のある筋肉室の体。黒いサングラスに黒のスーツ。灰色の髪を乱暴に後ろに撫でつけた、三十がらみの男。

 見間違えるはずがない。
 アズマが最後まで超えられなかった、アズマの敵手。
 同胞。ゲームマスター。プレイヤーキラー。


「ブラン」

「おうよ。いまは下種の手先だがよ」


 ブランが歯をむき出しにして、拳を合わせる。


「テメエとやれるってのは、まあ救いだぜ」


 続くように、もう一人の男がフードを取った。
 その下にある顔も、アズマは知っている。


「ミナミまでか」

「ああ。素晴らしくもない奴隷生活だが、俺にとっても、お前らとやれるのは素晴らしく、嬉しい」


 ミナミが切れ長の瞳を細めて言った。

 ふ、と、アズマは笑う。
 ツンデレも、表情は同じ。
 知術で、戦闘で、アズマがついに超えることができなかった敵たちだ。


「望むところよ!」

「妾とて、同心よ!」


 ツンデレが腕を組み、挑戦的に笑う。
 ツインテールが伸び、壁面に突き立つと、壁を食らって巨大なドリルが出来上がる。
 ふたりに向かい、アズマは構えて笑った。


「――来いよ。あのときの俺じゃないってことを、教えてやる」








 最後の扉を開き、ついにブラボーは玉座の間に到達した。

 死臭が、ひときわ鼻を突く。
 その原因を、ブラボーはすぐに察した。
 広間の中央に、屍の山が築かれているのだ。
 長く居ることを拒むような異臭の中、男は平然と玉座に座り、膝を組んでいた。

 エンド。
 世界征服をもくろむ、ブラボーの敵。
 脇には二人の黒衣が無言のまま侍っている。
 見覚えのある顔だった。キメラアント“最古の三人”のひとり、フォックスと、電脳ネットサイト“Greed Island Online”の管理者、“氷炎”のソル。

 薄暗い広間の中、壁面にプロジェクターでテレビ放送が映されている。
 放送されているのは、一連の事件のダイジェスト。
 王都が襲撃され、ポドロフ将軍が死に、そして王を救った英雄も殺された、そのさま。


「よう」


 今気づいたというように、エンドが手を挙げた。
 市街でまみえた時より、纏うオーラが禍々しく、大きくなっている。
 リアルタイムで見ていなかった人間が、この放送を見た結果だろう。


「一日くらいは開けて出直してくるかと思ったんだが、存外素早いな。流石だ」


 エンドが称賛の言葉を贈る。
 ブラボーは拳を握り、ゆっくりとエンドに近づいてく。


「一日待てば、少なくとも軍人は全滅しているだろう。
 そうすることによって、人々の最後の希望を砕くために」

「その通りだ」


 泥を吐く思いで言ったブラボーの言葉を、エンドはあっさりと肯定した。


「そしておそらく、そうなった時点でこの地上でオレに敵う人間は居なくなるだろう。どのような手を使ったとしても、な。
 そうなる前にここまで来れた判断の素早さと実力。さすが二年以上の間、この世界で戦い続けてきただけのことはある」


 そう、言って。
 広間の半ばまで来たブラボーに、エンドはやおら手を差し伸べて来た。


「――もう一度、問おう。キャプテンブラボー、オレと組んで世界を手に入れないか?」

「……なぜ、そうまでして世界を手に入れたい」


 ブラボーは尋ねた。
 さして興味があったわけではない。
 どちらかというと攻撃の機会を計るための時間稼ぎだ。
 だが、エンドのほうは、質問を真剣に受け止めたらしい。しばし沈思し、それから彼は口を開いた。


「戦乱の世に生まれたかった。そう考えた事はあるか?」


 エンドはそう、尋ねてきた。
 答えを求めてのことではない。事実彼は間をおかず、言葉を続けた。


「オレはある。生きるすべは己の才覚ひとつ、腕っ節ひとつ。
 弱肉強食。ただ生きていくことすら困難。そんな苛烈な時代の灼熱の中を、炎に巻かれながらどこまで走れるか、試したい。そう、考えていた」


 エンドの瞳は狂熱を帯びている。
 語る思想への情熱が、並々ならぬものである証拠だ。


「まあ、ガキじみた妄想だ。平和の毒にどぶ漬けにされたいまの日本じゃ、そこまでなりふり構わん生き方などできん。
 そう、あきらめながら、それでもオレは心のどこかで求めて続けていたんだろう――狂熱を」


 エンドは語る。
 そんなとき、“Greed Island Online”の存在を知ったのだと。


「喜びに震えたぞ。今よりはるかに狂熱に満ちた世界が、そこにある。
 ならば己を試すのみだ! 世界を相手に、器量すべてをぶつける。そのための――世界征服だ!」


 爛々とした瞳で、口吻に熱を昇らせ、エンドは拳を天に突き上げた。
 それは紛れもなく、天に挑戦するかたち。

 ブラボーは、ここに至ってエンドという人間を理解した。
 エンドは己の欲によって世界を欲しているのではない。彼にとっては世界すら、ただの試金石。


「つまり、世界を手に入れ、何を為すわけでもなく」

「その過程こそが、オレの望みだ。ゆえに征服した世界に興味はない。お前が欲しければくれてやるさ――だからブラボー。オレに手を貸せ」


 懐柔のための方便ではない。
 掛け値なしの本音を、ブラボーはエンドの瞳に見た。

 世界征服を行うため、征服した世界を与える。
 欲の在り方と捨て方に“人”を感じさせない。
 畏怖に近い感情を抱きながら、ブラボーはエンドの誘いを即座に断った。
 当然である。こんな化け物を、この世界に存在させてはならない。取引などもってのほかだ。


「断る」

「だと思ったよ。お前がそんなものを、求めているはずがない――だから、こんな趣向を用意した」


 エンドの合図とともに、玉座の背後からもう一人の黒衣が現れた。
 女性だ。目深にかぶったフードの奥に見える唇は、妖艶なほどにつややかだ。
 
 懸命に計ってきた攻撃の機会すら放りだし、ブラボーは硬直した。
 黒衣の女性に、見間違えようのない故人の面影を見た。


「アマネ」


 枯れた声で、ブラボーがつぶやく。
 黒衣の女性が、フードを上げた。病的なまでに白い肌の、人形めいた美女。


「……兄様」


 かつてブラボーを操り、仲間と同志、そして己をも破滅させた、ブラボーの妹、アマネの姿だった。
 自失のあと、激しい怒りがブラボーを襲った。
 エンドの念能力。“百鬼夜行(デッドマンワーキング)”は死者を蘇らせる念能力。
 であれば必ず遺体が必要となるはずだ。アマネの遺体は、ブラボーが手ずから埋葬している。その場所を知るものは、ほとんどないはずだ。


「……貴様、アマネをどうやって」

「お前に妹が居て、ともにこちらに来ていることは調べていた。だからこいつがすでに死んで、とある港町の郊外に埋葬されていることもすぐに調べられたさ。だから密かに回収しておいた」


 淡々と、悪辣な行為を告白すると、エンドはおぞましい微笑を浮かべ、言った。


「――人質だよ」


 ブラボーは歯噛みした。
 世界とたった一人の人間。本来なら天秤にかけるまでもない。
 だが、アマネはブラボーのたった一人の妹だ。
 罪を犯したとはいえ、肉親として、ブラボーはアマネを深く愛している。たやすく見捨てられるはずがない。

 とはいえ、最終的な答えは決まりきっている。
 妹のために、世界を危機にさらすわけにはいかないのだ。
 苦悩の長さは、そのままブラボーの妹への愛の深さだった。


「兄さま? 苦しんでおられるのですか?」


 ふいに、アマネが口を開いた。
 震えるほどに妖艶で、残酷なまでに無邪気な、彼女の声。


「迷っておられるのですか? 悩んでおられるのですか? 兄さま――だったら」


 コロコロと、鈴を転がすように、アマネは笑う。


「――原因を、消してしまいましょう」


 不意打ち。
 前触れもなく生じた黒い塊は、エンドを包み込んだ。
 声もなく、エンドの姿が掻き消える。


 ――“悪夢の館(スプラッターハウス)”。


 念能力により創造された、数々の致死の罠を仕込んだトラップハウスに転移させられたのだ。


「アマネ」

「あは、兄さま、喜んでいただけました?」


 振り返り、アマネが笑う。
 妖艶で無邪気なほほえみ。
 あふれる涙をこらえ、ブラボーは無言のままアマネに並んだ。
 これまで無言を保っていた黒衣ふたりが、主の危機に動き出したのだ。


「ふん、ソルよ。オレは蟻どもへの指示に忙しい。お前がやれ」


 面白くもなさそうにフォックスは鼻を鳴らし。


「ああ。エンドに言われて黙っていたが、さすがにこの状況は看過できないみたいだ」


 ソルはどこか悲しげにつぶやき、構える。

 ブラボーは知っている。
 電脳ネットサイト“Greed Island Online”管理人。リマ王国での同胞コミュニティーのリーダーである彼の、同胞にたいする無限の愛を。味方の暴走を止めようと必死になった彼の姿を。

 だから、いまのソルを、見過ごしにはできない。


「兄さま、殺りましょう。一辺の慈悲もなく、一辺の肉片も残さず、邪魔者を殺しちゃいましょう」

「ああ。ソルを……葬ってやろう!」


 邪気にあふれた、悪意のないアマネの言葉にブラボーはうなずき。

 戦いが、始まった。
 二体一。とはいえ不利はブラボーたちにある。
 ブラボーは度重なる戦いで完調には程遠い。アマネはオーラこそ法外だが戦い馴れしていない。

“氷炎”ソル。オーラに物理干渉能力を付与する、無敵の念能力“硬気(ハードロック)”に阻まれ、ブラボーたちはじりじりと手傷を負いながら、ソル自身に傷をつけることができない。

 そして奇跡の時間はあっけなく切れた。








 アマネの前に突如浮かび上がった闇の塊は、前触れもなく闇色の男を吐き出した。
 エンドである。身に負うた傷は、寸毫たりとてない。戦闘の渦中に現れた黒衣の主は、ゆっくりと首を鳴らし、そしてブラボーたちを見た。

 悪寒に駆られてブラボーは跳び退る。
 同時にアマネも退いている。ふたりは肩を並べて構えた。

 そのさまを目にして、エンドが訝しげに眉を顰めた。


「驚いたな。いくら“百鬼夜行(デッドマンウォーキング)”が自律式とはいえ、オレに逆らえるようにはできていないはずだが」

「知らないの? 愛はすべてを超えるのよ」


 自信に満ちた声で、アマネはうそぶいた。

 彼女の言は正確ではない。
 アマネが、死してもブラボーの指に残した念能力“愛の契約(エンゲージリング)”。
 対になる指輪をはめた、たがいがたがいを最優先にするこの呪いじみた念が、エンドの念の強制力を上回ったのだ。


「……そうかそうか、そういうこともあるのか――なら消すだけだがね」


 うなずき、エンドが指を鳴らす。
 そんな、指して労力を要したとも思えぬ動作で。

 アマネは消えた。
 なんの前触れもなく、なんの言葉もなく、無情なまでにあっさりと、アマネの姿は消えうせる。
 残った骨が、からからと地面を打つ。


「あ、ま……」


 衝撃のあまり、それしか言えないブラボーを尻目に。
 ソルがオーラの手で、アマネの骨を残らず攫っていった。


「……答えを、まだ貰っていなかったな」


 平然とした様子で玉座に座り、エンドが言った。


「さあブラボー。答えてもらおうか。オレに味方するか、それとも妹を捨てオレに敵するか――お前はどちらを選ぶ?」


 悪魔のごとき選択を迫るエンド。
 彼と戦う力など、ブラボーにはすでに残されていない。
 ソルとの戦いで、骨が何本かイカレている。オーラも残り少ない。
 ソルとフォックス。ふたりの強力な敵を越え、エンドに至る道すら、ブラボーには見えない。

 だが、それでも。


「俺は己に誓った。二度と、俺がブラボーであることを裏切らないと」


 歯を食いしばり、血を流すほど拳を握りこんで、ブラボーは告げる。


「俺の名はキャプテン・ブラボー。それが答えだ!!」


 絶望の闇の中、それでもブラボーは己を曲げなかった。
 ブラボーだけではない。仲間たち全員が、己の果たすべき役目から目をそらさず、決してあきらめなかった。

 だから。
 これから起こる奇跡は、みなが手繰り寄せた細い糸の先にあった、必然。

 奇跡のきざはしは、突如天井を割って現れた。
 瓦礫とともに落下し、音もなく着地した影は、三つ。
 その姿を見て、ブラボーはむしろ呆然として名を呼んだ。


「ユウ、シュウ、それにパイフル」


 黒髪猫目の暗殺者少女、ユウ。
 ボサボサ金髪の少年、シュウ。
 そして元同胞にして“最古の三人”の一角、白虎のキメラアント、パイフル。

 はるか南の島国で別れた、この場所に居るはずの無い三人。


「俺たちだけじゃない」


 暗殺者少女、ユウは涼やかに笑った。








「オラァ、かかってきやがれェ! ――シュート。オメーはこいつらを医者ンとこへ!」

「わかった!」


 王宮前、庭園。
 現れたのはナックルとシュート。
 倒れたレットと、彼を庇ってキメラアントの攻撃を受けたミコ。かろうじて息のある二人を、シュートは“暗い宿(ホテル・ラフレシア)”の念腕で引っ掴み、地上に広げられた一枚の紙の中に突っ込む。
 二人の師匠の同僚、ノヴの念能力“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”の出入り口だ。つながる先に待つは、神医ヘンジャク。


「まってまってまってじゃすとあもーめんとっ!」


 戦うふたりのもとへ、ものすごい勢いで駆けて来たのは、シスターでメイドな格好をした女性、シスターメイと、それを追う数体のキメラアント。


「こいつらもお願いっ!」


 彼女と二人が交錯し、ナックルとシュートはより多数の敵を相手取るハメになった。
 劣勢の中、しかしナックルは笑う。
 NGLで接してきたキメラアントに比べ、こいつらの目の、なんと濁ったことか。
 ずたぼろになったミコたちの姿を思い出す。


「――へっ。やっぱ殴んならよォ。相手は外道のほうがいいってモンだッ!」


 王宮入口。
 巨大なキセルを担いだグラサンの巨漢、モラウが姿を現した。
 両の肩には力尽き、倒れた海馬瀬戸と鎖使いカミトが抱えられている。
 ともに倒すべき敵を倒した二人の寝顔は、どこか満足げだ。

 二人を“監獄ロック(スモーキージェイル)”で保護し、モラウは口の端を釣り上げ、言った。


「ちょっと待ってろよ――弟子どもの方に手が要るらしい」


 そして、王宮内の随所で。


「久しぶりだね◆」

「げぇっ ヒソカ!? つか血! なんの血!?」

「ああ。なんだか途中にヘンな兎が居たから◆ 殺っちゃった◆」


 虹色髪の少女、ライのもとに現れたのは、奇術師ヒソカ。


「ゴンとキルアと……メレオロン?」

「NGLでは、助けられた……今度は、オレたちがみんなを助ける番だっ!」

「ま、そーいうこと」

「ペギーの敵討ちを手伝ってくれた恩もあるしなっ!」


 黒髪仏頂面のアズマと、金髪ツインテールの制服少女、ツンデレの元の現れたのは、ゴンたち三人。

 そして玉座の間。
 砕かれた天井から見える空で、ツバメが弧を描きひとつ鳴いた。







[9513] Greed Island Cross-Counter 47
Name: 寛喜堂 秀介◆c56f400a ID:364f7003
Date: 2010/09/21 01:33

 ユウは言った。


「これは俺たちの問題なんだ」


 対してゴンは言った。


「カイトを助けるのは、俺たちの問題だったよ」


 でも、みんな助けてくれた。
 ゴンはまっすぐにユウを見つめて言う。


「――つぎは俺たちの番だ」


 ゴンたちの物語に交わるのではなく。
 ゴンたちが、彼らの物語に、自ら交わる。

 だからこれは、そんな話。








 王宮、会議室。
 赤く染まったカードの端をぺろりと舐めて、血染めの道化師はくつくつと笑う。
 傍らでは虹色髪の幼い少女、ライがあっけにとられたように、ぽかんと口をあけている。


「なんでこんなところに」

「ちょっとツバメに運んできてもらっちゃった◆」


 ヒソカの言葉は、正確ではないが真実だ。
 NGLにおいて女王討伐時にも使った手法の応用。“4次元マンション(ハイドアンドシーク)”の出入り口を仕込んだ紙を、ツバメのキメラアントに運んでもらったのだ。


「でも、まあ派手にやられたね◆」


 ヒソカはライの体を舐めまわすように見る。
 左腕亀裂骨折。十数か所に及ぶ重度の打撲傷。擦過傷はそれ以上。


「それだけキミが強いってことだ……ねえ◆」


 そんなライを気遣うでもなく、ヒソカは嬉しげに、戦うべき獲物に目をやった。
 ヂートゥ。チーターの特徴を持つ、キメラアント師団長。発するオーラは力強く、筋肉(にく)は見るからに極上。


「へっ。試してみなよ!」


 一言、吼えて、ヂートゥが襲いかかる。
 速い。
 ヒソカは体を半身に開きながら攻撃をいなそうとして――足裏に抵抗を感じた。


「――!?」


 隙は一瞬。
 だがヂートゥの攻撃は、その間に十数発ヒソカの体に叩き込まれた。
 たまらず退がろうとして、また足裏に抵抗。膝が崩れる。動きが鈍る。

 キメラアントのさらなる追撃を封じたのは、金色に輝くリング。
 飛来したそれを避け、ヂートゥはようやく退き、ヒソカは危機を脱した。
 最低限、オーラでの防御が間に合っていたため、打撲だけで済んでいる。


「どうだい? オレの紋露戦苦(モンローウォーク)は!?」


 ――操作系、か、変化系かな?


 得意げなヂートゥを見ながら、ヒソカは考察する。
 先程感じた足裏の抵抗。足を地面から離すたびに起こる抵抗。
 それが敵の念能力だ。
 床表面を粘着質のオーラで覆う、あるいは床そのものを粘着質に変える。


 ――それか、靴に対して働きかけたか◆


「気をつけろ。見極めても対策がムズカしい、厄介な能力だぞ」


 ライが忠告する。
 たしかに。なにが厄介かといえば、敵のスピードが途方もない上に、こちらの足が殺されてしまうこと。

 いや、スピードだけではない。
 殺されるのは武術そのものだ。
 足を床から引き剥がしながらでないと移動できない。
 この状況では、体捌きの要といえる歩法が使えない。

 自然、身体能力に任せた乱暴な戦いになる。
 ぶん殴り、ぶん殴られるわかりやすい戦いの図式。
 キメラアントにそんなものを仕掛けて勝てるはずがない。

 だが。奇術師は笑う。


「ライ。ちょっとそれ借して◆」


 そう言いながら、ライのほうを振りかえる。


「それって……“鉄の処女(アイゼルネ・ユングフラウ)”のこと?」

「そう◆」


 言いながら、金のリングの端に触れる。


「なにやってんの? のんびり話してる暇なんかないんじゃない?」


 ヂートゥはひとつ跳ねると、囃したてるように言ってくる。
 そんな彼に対し、ヒソカは邪気に満ちた笑顔を崩さない。


「気づいてないのかい?」


 ただ、そう問いかけた。
 訝しげに周りを見回すヂートゥ。

 ヒソカは“陰”を解いた。
 ヒソカから伸びたオーラが、ヂートゥの両足に繋がっている。
 さらに、もう二本。こちらはライの“鉄の処女(アイゼルネ・ユングフラウ)”に繋がっている。


 ――“伸縮自在の愛(バンジーガム)”。


 ガムとゴムの性質を併せ持つ、ヒソカの念能力。
 ヒソカの手元から離れたそれは、ライのリングとヂートゥを強烈に引き合わせる。


「うわっと!?」


 ライがあわててリングを手放す。
 超スピードで飛来するリングに、さすがのヂートゥも泡を食って避ける。
 だが、躱せない。“伸縮自在の愛(バンジーガム)”が足についている時点で、必中は約束されている。

 当たり前のように。
 ヂートゥの足に、“鉄の処女(アイゼルネ・ユングフラウ)”が嵌った。
 金のリンクは発せられたオーラに等しい衝撃を内部に与える。それはオーラによってのみ相殺可能。
 結果、嵌めた部位でのオーラ運用を阻害される。


「なにをした?」


 ヂートゥが殺気の乗った言葉をぶつけてくる。


「“伸縮自在の愛(バンジーガム)”はガムとゴム、両方の性質を持つ◆ ――接触発動系の念能力は、接触部位にオーラが通っていないと発動しない。当然の話だね◆」


 言いながらヒソカは一歩、前に出た。
 足が地面にへばりつく感覚は、ない。

 ヂートゥは逃れようとして、足を取られた。
 当然だ。彼の足には“伸縮自在の愛(バンジーガム)”が、引っ付いている。
 蹴りを食らったときにつけておいたのは、一つだけではなかった。
 こちらの存在を隠すために、ヒソカはわざわざ“陰”を解いて見せたのだ。

 ヂートゥはふたたび逃れようとして、足を取られ、転んだ。
 手元から手品のようにカードを取り出しながら、奇術師は酷薄に哂う。


「ライオンくんのほうが、素質あったね◆」








 王宮、広間。
 守護者は二人。ブラン、ミナミ。ともに同胞であり、プレイヤーキラー。
 かつてアズマたちの敵手であった存在。

 対するは四人と二体。

 アズマ。黒髪仏頂面の異邦人。
 ツンデレ。金髪ツインテールの制服少女。
 そしてロリ姫。ツンデレに取り憑く幽霊幼女。

 ゴン。二ツ星ハンター、ジン・フリークスの息子にして野生児。
 キルア。暗殺者一族、ゾルディック家の麒麟児。
 そしてメレオロン。人の情と記憶を持つ、キメラアント。


「面白ぇ」


 野性味にあふれた顔に不敵な笑みを浮かべ、ブランが歯をむき出しにする。


「マジで面白ぇぞ。こんな戦いができるなんてよ」

「ブラン。何者だ?」

「面白い――強敵(あいて)だよっ!」


 訝しげに尋ねるミナミに、ブランは猛り笑いながら気を吐く。
“練”。オーラが爆発的に膨れ上がった。

 ブランたちを知らない三人の顔色が変わった。
 無理もない。ふたりのオーラ量は、それぞれ融合体であったときのそれ。
 この時点のゴンやキルアなどより、はるかに上だ。むろん、アズマたちもさして変わらない。


 ――連携されたら、数で押してもどうにもならない。


 それを最も感じているのはアズマだ。
 なら、どうすればいいか。


 ――策で、相手を上回る。


 それしかない。
 思い定め、アズマはキルアにささやく。


「即興の連携、できるか?」


 これは、アズマが越えねばならぬ壁。
 ブランを超えるために必要な戦いなのだ。
 キルアはうなずき、ごく短いやり取りで、作戦を伝えた。
 ブランは、ただ待っていた。相手が策をたてるのなら、それごと踏みにじり、叩き潰す。それがブランのスタイルだと、アズマは理解していた。


「行くぞ」

「……待ちかねたぜ」


 そう言ってブランは笑い、とりだしたハサミを己に融合させる。
“九十九神(ザ・フライ)”。物体融合の念能力により、取り込まれたハサミはブランの左腕を巨大な鋏と化す。

 そして、各々が動いた。
 キルアはミナミに。
 アズマとツンデレはブランに。

 そしてゴンとメレオロンは――消えた。


「ミナミ、気をつけろ。狙って来やがるぞ!」


 ――“神の不在証明(パーフェクト プラン)”。


 存在を他の者に感知できなくする念能力。
 推察し、その危険性を認識したブランが叫ぶようにミナミに注意する。

 ミナミは無言。
 だがブランの言に従うように、足を使い始めた。
 アズマたちの攻撃が、あからさまに二人の足止めを狙っていたことも、そうさせた原因だろう。

 そして、たがいに深く踏み込めない、手探りのような攻防が続く。
 その間、わずか5秒。
 赤子のころから殺すこと戦うことを叩き込まれてきた天才児が、相手を罠にはめるのには十分な時間。


 ――ここだっ!


 まさに絶妙。
 挙動を隠し繰り出したヨーヨーはミナミの指向の虚を確実に衝き。
 だからこそ、彼からヨーヨーを避けた後にたいして思考が及ぶまでの時間を、大幅に削った。
 そして。


「いまだっ!!」


 ゴンの声と同時。
 不意に砂埃が広間の中を満たす。
 倒すべき敵の姿すら隠す、すさまじい砂埃。

 ロリ姫がドリルを造るために開けた穴。
 そこから見える壁材を微塵に砕き、ゴンが造り上げた人工の砂埃だ。

 移動地点に障害物があれば、空間転移できない。
 ミナミの念能力、“移送砲台(リープキャノン)”の、これが弱点だ。
 ゴンたちが姿を消して見せたのは、この作業を悟らせないためにこそ。

 だが。


「んなこったろーと思ったぜ!」


 ミナミに迫るキルアの横腹に、ブランが突きかかる。
 自分たちより隠しただからといって、ブランはアズマを、ましてやゴンやキルアを、決して過小評価しない。

 だからブランはこの不意打ちにアズマたちの攻撃すら振り切っていち早く動き。
 だからこそ、罠に落ちた。


「へっ!」


 キルアが笑う。
 その意味を知るより早く、ブランの拳がキルアの横腹に突き刺さる。
 瞬間、ブランの五体は痺れ硬直した。


「が、ぐっ!」


 感電。
 日々訓練と称して拷問のような電撃を浴びてきたキルアだからできる、オーラを電気に変える反則技。

 キルアとブランを比較して、キルアに勝るものが一つある。
 それは経験。それも自分より格上のものと戦い続けた、死の淵に手をかけながら得た戦いのキャリア。
 たとえ“硬”での打撃ですらダメージを与えられないほどオーラ量に差があろうとも、切所での引き出しの多さでキルアがブランに劣るはずがない。


 ――だが、それで、どうする。


 ブランの思考は分かりやすいほどに読める。
 たとえオーラを集中し手ガードしたとはいえ、ブランの拳を受けたのだ。キルアもノーダメージではありえない。

 たとえブランの動きを止めたとて、続く手がないでは意味のない詐術にすぎない。
 しかし、そんなブランを欺くように、動いたものが居る。


「おおおおっ!!」


 アズマだ。黒髪をふりみだし、仏頂面をゆがめて、アズマがミナミに肉薄する。
 繰り出す拳に初動は無い。
 アズマの念能力、“加速放題(レールガン)”による精密な肉体加速がそれを代替する。

 見切り不能の純正無拍子。
 オーラは拳に一点集中。
 反撃を受けることなど考慮のほかにした捨て身。


「素晴らしい」


 賛辞を送ったミナミが取った手は――相討ち。
 相手は捨て身で向かっているのだ。これをあえて受け、同時に避けようのない攻撃を繰り出せば、一撃で相手を沈められる。
 彼我のオーラ量の差が隔絶しているからこそできる、傲慢で理不尽な手段。

 それをためらいもなく選択したミナミに、アズマは焦りすら覚えない。
 たしかに、ミナミが防御個所にある程度のオーラを集めれば、アズマの“硬”にもノーダメージで済ませられるだろう。
 しかし、純正無拍子。見切り不能の攻撃に対して、一点読みの防御などできない。自然、相手が選ぶ手段はオーラによる全体防御、“堅”。


 ――だが、それでも足りない。


 アズマの拳はミナミに届き、もしかしたら骨の数本も折るかもしれないが、それまでだ。
 彼我のオーラ量の差はそれほどまでに開いている。


 ――なら、それを埋めてもらうまでだ!


 アズマの拳がミナミに到達する、まさに直前。
 炸裂音とともに、ミナミの上半身からオーラが消えて失せた。
 
 からくりの種は死んだはずの駒――メレオロン。
 彼がツンデレとともに“神の不在証明(パーフェクト プラン)”で消え、ミナミに肉薄していたのだ。

 本来ならこの接近、ミナミは見破っていたかもしれない。
 だが、フォローに入ったブランと、なにより砂埃のブラインドが、ミナミにツンデレが消えた異常を感知させなかった。

 ツンデレが放ったのも、“硬”。
 その打撃による衝撃が、一瞬だけ、ミナミを無防備にした。


 ――引導を渡してやるよ。俺!


 アズマの拳が、ミナミの心臓を貫いた。

 ミナミの身が爆ぜるように消える。
 残ったのは、小さな骨の一片。
 アズマはパチンコ玉を飛ばし、それを砕いた。
 ほんの一瞬、アズマは貌に感傷を残す。

 ミナミはアズマの分身だ。
 病んだ身のアズマを、せめてゲームに残してやりたいと願ったブラボーの思いそのものだ。
 けっして他の誰かに弄ばれていい存在ではないのだ。








 その、一瞬前。
 ブランは驚きの中に居た。
 姿を消したのはこのためか、と納得させた上での、心理の隙を突いた奇襲。
 死にゴマを動かすタイミング、息の合わせ方、どちらも完璧といっていい。さしものブランとて、読み切れなかった。いや、たとえ読めても、初手で感電した時点でブランにはどうしようもない。完全に詰んでいる。

 だが、ブランの驚きは早計だった。
 死んだと思っていたコマがもう一つあることを、ブランは失念している。
 ゴン。この小さな野生児が、いつの間にか痺れて動けないブランに迫っていた。


「最初は、グー!」


 オーラが、収束する。驚異的なパワー。
 ブランが拳を握ろうとし、指が閉じるまで一瞬のラグ。


「ジャン! ケン! グー!!」


 轟音。衝撃。
 かろうじて、ガードだけが間に合う。
 しびれ返るような衝撃を腕に受けながら、ブランが歯をむき出しにして笑う。

 戦闘に対する、喜悦。
 応じてゴンも笑い、しかし、つぎの攻撃を後に譲った。
 後ろからはミナミを倒した3人が、それぞれの全速を以ってブランに迫っていたのだ。

 ゴンは、わかっている。
 ブランとぶつかり、戦い、そして乗り越える。
 それをすべき因縁を持つ人間が、この場所に居ることを。
 だから、独りよがりな勝負を避けた。


「ブランっ!!」

「覚悟っ!」


 アズマ、ツンデレ、そして無言で迫るキルア。

 敵は三方。
 キルアの電撃。ツンデレのオーラ相殺攻撃。
 どちらを食らっても、ブランは詰む。そして二人同時に相手にするには、ツンデレとは別の意思を持ち動く、ツインテールのドリルが決定的に邪魔。

 それでも。


「へっ」


 ブランは笑い、右腕の大鋏を振りかぶり、アズマめがけて突っ込む。
 他の二人を完全に度外視した攻撃。だが、そこには捨て身の迫力がある。
 たとえブランが倒されても、それより先にアズマが死ぬ。それを感じたツンデレの動きに迷いが出た。

 これを見逃すブランではない。


「――そこだっ!!」


 大鋏を地面に打ち付け旋回し、キルアを蹴り飛ばした。
 部屋の端まで吹っ飛ばされたキルアは、壁に半ば埋まる格好になる。
 革靴とはいえ、底地はゴム素材で、もちろんこれは絶縁体だ。キルアの電撃は、側撃によりブランの足を多少しびれさせたにすぎない。

 アズマの命に危機が迫れば、必ずツンデレは乱れる。
 それを見越して命を投げ出したのだ。並みの戦闘センスではない。


「たしかに、やるようになった。だが、この程度じゃまだやられてやれねぇな!」


 気を吐きながら、ブランは猛然とアズマに迫る。
 アズマは、跳び退り、距離を取って敵を待ち構える。

 たしかに、ブランは強い。
 だが、それでも。


「最弱の手駒が、お前を刺す」


 アズマがつぶやく。
 同時に、何の前触れもなくブランの体がつんのめった。
 その正体に、おそらくブランは驚愕と共に気づいただろう。
 アズマはあらかじめメレオロンにこう言っておいたのだ。


 ――ミナミを倒したら、姿を隠して部屋の真ん中あたりで寝っ転がっていてくれ。


“神の不在証明(パーフェクト プラン)”で存在を認識できなくなった、メレオロンにつまずき、ブランはつんのめったのだ。


「――これで、詰みだ」


 すでにツンデレは動いている。
 ロリ姫が渾身の念を込めて吠え、ドリルを繰り出す。

 素手では受けられない。大鋏で受けたブランに、ツンデレが拳を打ちこむ。
 除念され、元に戻った鋏が、振りぬいた腕の勢いで壁に突き刺さる。

 そして、アズマが。ありったけの意思を、思いを込めたアズマの拳が。轟音を立ててブランに突き刺さる。純粋な修練の結果で得た、戦闘の末持ちえた強さが、ブランを上回ったのだ。

 ブランの体が爆ぜ、骨の欠片が乾いた音をたて地面に落ちた。
 アズマは拳を突き出したまま、動かない。


 ――ひとりで勝った、なんて、冗談でも言えないな。


 アズマの体が揺らぐ。
 ブランを貫いた一撃で、アズマは掛け値なしにオーラを絞りつくしていた。


「みんなで勝った……それでいい。素晴らしいじゃないか」


 それだけ言って、アズマは仰向けに倒れた。
 心配げに駆け寄るツンデレをよそに、アズマは早寝息をたてている。
 寝顔は、どこか誇らしげだった。







[9513] Greed Island Cross-Counter 48
Name: 寛喜堂 秀介◆c56f400a ID:364f7003
Date: 2010/09/26 02:43

 天井に開いた穴を通る風がうなる。
 死者への慟哭にも似たそれは、玉座の間全体を物悲しく震わせる。
 月は中天。青ざめた光が、天井にぽっかりと開いた穴より、スポットライトのように落ちている。

 そこに立つは三つの影。
 巨躯の白虎と、金髪の少年と、黒髪の少女。


「……ブラボー」


 吹き下ろす風に髪をなびかせながら、少女が口を開いた。
 ユウ――闇に溶けるような黒づくめの少女の視線はただ一点、玉座に向いている。

 玉座に座るはエンド。世界征服を目論む傲岸不遜な覇王。
 脇に侍るはソルとフォックス。冷たい瞳しか持てぬ、かなしき亡者たち。


「敵はあいつか」


 少女は静かに問う。
 満身創痍のブラボーを、一顧だにしない。
 自分は寄る辺ではないと。自分の身は自分で処せと、突き放すその姿は、ブラボーにとっては強い叱咤。


「……ああ」


 と、ブラボーはうなずく。
 その答えに、何の躊躇もなく。


「なら、殺そうか」


 そう、ユウは言った。
 敵の素性も、事情も、目的も、どうすべきかすら問わず。
 敵か、と聞いただけで。ユウの決断は即座にそこまで飛躍した。

 ブラボーはその即断を危ぶんだ。


「ユウ……ヤツは」

「いいよ」


 説明の言葉を、少女は遮る。
 けっして視線を敵から離さず、静かに口元を潤びさせて。


「――あんたが“敵”だと、そう断定するんだ。
 なら、俺の仲間たちにとっても、奴らは敵だろう」


 少女はブラボーの前に立つ。
 背を見せる格好ゆえ、表情は見えない。
 だが、不敵に笑っていると、そう確信させる声で、彼女は言った。


「なら、俺の敵だ」

「……ま、詳しい事情はあとで聞くとして」


 少女に続いて、金髪の少年がブラボーの前に立つ。
 シュウ――ユウの親友にして戦友である少年は、彼女と肩を並べるようにして視線を玉座にむける。


「マジで倒すのかよ。あれ」


 口の端曲げながら、シュウが示した先は、エンド。
 黒のローブを身に纏う、漆黒の覇者。纏うオーラは他を超絶している。
 単純にオーラ量に限って言えば、おそらくはキメラアントの王を凌駕する化物だ。

 だが。


「ああ。倒さねばならんのだ」


 ブラボーは強くうなずく。
 その、”舌”に乗せた思いを酌み取って。


「そうか、なら」

「道を開けてやるよ」


 少年少女は前に歩を進めた。

 障害は二人の従者。
 金髪の美青年、救国の英雄“氷炎”ソル。
 王となることを目指した、キメラアント“最古の三人”が一体、フォックス。


「キツネは、私にやらしてくれ」


 白い曲の主が、音もなくブラボーの横をすり抜けた。
 白虎のキメラアント、パイフル。
 同胞の記憶を持つ、“最古の三人”の一体。


「じゃあ、ソルを殺すのは俺だ」


 当然のように、ユウが言った。
 ユウは知らない。
 誰よりも同胞を愛したソルの想いを。
 道化のように翻弄され、死んだソルの悲劇を。

 だが、それを説明する暇は、すでに許されない。
 ブラボーは一度眼を閉じ、想いを、ユウに託した。


「哀れな死者だ。安らかに眠らせてやってくれ――頼む」

「……なるほど。ボスはそういう能力か」


 シュウがぼそりとつぶやいた。
 ブラボーの言葉と、玉座の間の状況を見ただけで、あらかた察したのだ。


「ユウ」

「なんだ」

「ソルは強い。だがお前の業を使えば勝てる」


 短いやり取り。
 ブラボーの言葉に、ユウの口元が、照れ隠しのように歪む。


「お節介」


 そう言って、暗殺者少女はブラボーを一瞥し、相棒である金髪少年、シュウの背後にまわる。


「――お前はあいつに届く力を残しとけ」


 言い残して、少女は姿を消した。
 刹那ののち、ユウの姿はすでにソルの背後。
 寸毫のためらいもなく送り込むナイフはソルの反応速度を凌駕する。

 能力を発動する間もない。ソルは心臓を貫かれた。
 胸から突き出てきた鋼の刀身に魅入られるように微笑んで――ソルは二度目の死を迎えた。


 ――“硬気(ハードロック)”。


 オーラに物理干渉の特性を持たせる念能力。
 無敵に思えるこの能力も、発動しなければ意味がない。

 だからブラボーは暗に示したのだ。
“ユウ”生来の業――暗殺術であれば、ソルを倒せると。

 だが、骸に還ったソルを見つめて、ブラボーは思う。


 ――ひょっとすると、ソルは、わざと能力を発動しなかったのかもしれない。


“百鬼夜行”は復活させた人間に意思が残るタイプの念能力だ。
 そうすることで、術者が同時多人数精密操作という、メモリ不足必至な状況になるのを防いでいるのだろう。つまり、エンドの意思を阻害しない限り、おそらく行動は本人の自由意思。

 自分が許せる最大限の抵抗を、ソルは行ったのかもしれない。
 抵抗すらせずに死ぬことで、ブラボーたちの力を温存するために。

 答えはだれにも分からない。








 玉座の間の左翼では、二体の異形が対峙する。
 一方は白虎。もう一方は凶狸狐。ともにキメラアント“最古の三人”。

 無言のまま、二体はゆっくりと歩み寄る。
 広間右側に映された映像の光が、互いの姿を片側だけ照らす。
 そして二体は足を止めた。


「……よう」


 凶狸狐のキメラアント、フォックスが口を開く。


「キツネ」

「オレを憐れみの目で見んじゃねえよ虎公」


 旧の名で呼ぶ白き大虎に対し、凶狸狐のキメラアントは吐き捨てるように言った。


「このザマを納得しちゃあいないがな、テメエのその目は胸糞悪ぃんだよ!」


 パイフルは、静かに息を吐く。


「ずっとそうだったな。私とお前は」

「そうだぜ虎公。結局オレたちは、殺すか殺されるか、そこまで行くしかねぇんだよ!」


 フォックスのオーラが爆発的に膨れ上がる。
 お世辞にもスムーズとはいえない荒削りなオーラは、しかし凶悪なまでに――強い。


「キツネ……哀れだな」


 ひとつ、こぼして。
 パイフルの体から悲しみのオーラが、あふれだした。


 ――暗然悄魂功。


 悲しみをオーラに乗せる、パイフルの念能力。
 噴き出るオーラは水のように静かでありながら、フォックスのそれより、強い。

 それを打ち消す虎の子、空間に対する除念を、フォックスは使えない。
 使えばエンドの“百鬼夜行(デッドマンウォーキング)”も解除される。そうすれば、フォックス自身が、ただの骸に戻ってしまうのだ。

 それでも。
 凶狸狐のキメラアントは怒るように吼え、パイフルに爪牙を浴びせんと迫る。

 迎えるパイフルの拳に、うねりのごとくオーラが集まっていく。
 右掌に潜む爪が顔を出した。鋭く長い剛爪は、すでに四振りの剣。

 パイフルは静かに掌を舞わす。


「――暗然悄魂、痛哭七夜」


 悄然たる剣が、颯颯(さっさっ)と静かに左右し。

 二体の化物の体が交錯する。
 パイフルの、白毛に覆われた頬から血がしぶく。
 同時にフォックスの体は――八つに断たれて飛び散った。

 二つに断たれた首だけの格好で、面白くもなさそうに哂い。
 凶狸狐のキメラアントは、元の骸に還り消えた。


「――せめて、私の手で逝け」


 まっすぐ、振り返らず。
 パイフルは静かに前を見続けた。








 一人一体の従者があっけなく骸へ還り。
 だがそれでも、玉座の覇王は何事もなかったかのように、視線を虚空に置き続けている。
 風の唸りと、プロジェクターが映すテレビ放送の声も、目の前の闘劇すら無と断じるように、エンドからは感情の揺らぎなど感じられない。

 段上に有る玉座を見上げるように、階下右手に黒髪の暗殺者少女、ユウ。
 広間中央にキャプテンブラボーと、ツンツン頭の金髪少年、シュウ。
 そして広間の右翼やや玉座よりの位置に白虎のキメラアント、パイフル。

 四人が四人とも、エンドを見据えて離さない。
 それに対していかなる反応も示さず、黒衣の覇王はやおら顔をあげ、言った。


「決めた」


 ぞっとするような声だった。
 聞いただれもが思わず身震いした、つぎの瞬間。

 エンドの姿が玉座から消えた。
 四人の中に、その姿を見失った者はいなかった。
 否。たとえ常人だとしても、エンドの動きを見逃す者はいなかっただろう。

 存在が大きすぎて、目を離すことができない。
 存在感が強すぎて、気配以前にどこに居るかわかってしまう。

 だから皆が見た。
 白き大虎、パイフルの前に立った、彼の胸元ほどもない黒衣の覇王を。


「お前は邪魔だ」


 おぞましい声音。
 エンドが動きを確かめるようにゆっくりと、パイフルを殴りつけた。
 いや、ゆっくりと見えたのも、錯覚。
 見逃せないが故に、過剰な意識の集中が、エンドの動きを遅く見せたのだ。

 そして、鈍い異音。
 黒いオーラの残滓を引いて、白虎の姿が、今度は間違いなく――消えた。
 衝撃音は一拍遅れ、同時に爆発音。
 玉座の間、右翼の壁。その四分の一ほどにもなる大穴が、ぽかりと口を開けた。
 パイフルの姿はない。吹き飛ばされたのだ。

 一同の背筋に、冷たいものが走った。
 キメラアントの王以上のオーラ量。それを証明するような、破格の威力だ。


「映せ」


 エンドがつぶやくように命じる。


 ――誰に?


 ユウの疑問に答えるように、玉座の間の隅に気配が生じた。
 見れば、カメラを構えた数人の男女の姿が、当たり前のようにそこにあった。


 ――いつの間に。


「おそらくミナミの“移送砲台(リープキャノン)”だ」


 ブラボーの説明は正しい。
“移送砲台(リープキャノン)”は渡した紙が破れるまでの間、人を転移させる、人間を元の場所へ帰すことに主眼を置いた転送系念能力だ。
 たとえ本人の意思が働かずとも、被術者が任意のタイミングで帰還できる特性を持っているのだ。

 カメラが回される。
 壁に大写しにされていた映像に、ブラボーとユウ、シュウの姿が映りこんだ。


「――これは?」

「絶望を与えてやろう、ブラボー。お前と、すべてのものに」


 肉声とスピーカー。おぞましき声が二重に響いた。

 エンドの目論見は明白だ。
 ユウとシュウ。ブラボーの仲間二人を血祭りにあげ、ブラボーに理不尽な選択を敷いて、そしてこの国最後の希望がエンドに屈服する様を、国民すべてに見せるつもりなのだ。

“悪の華(ビカロマニア)”。向けられた負の感情をオーラに換えるこの力で、さらなる絶対者への高みに至るために。







 だが、ここで考えてほしい。

 エンドと同質の能力を持つものが、この場に居ることを。








「――力が……」


 シュウ。
 金髪の少年。
 天空闘技場フロアマスター。
 グリードアイランドのファーストクリアメンバー。
 NGLに突入し、キメラアントと戦い、王との戦いを経験した、同胞屈指のつわもの。

 その念能力。


 ――英雄補正(ネームバリュー)。


 多くのものに知られ、憧れられ、尊崇され、また嫌われる。
 他人の強い感情に磨かれることが、見えないプラスアルファになる。
 そんな、シュウの思想そのものとも言える、能力。


「……他人の思いを、自分の思いを、力に換える念能力」


 自分の身に起こる変化を理解したシュウが、拳にオーラを集めながらつぶやく。
 オーラは高密度に収束し、さらにシュウの想いを乗せて膨らんだそれは澄んだ音を響かせる。


 ――“正義の拳(ジャスティスフィスト)”


 想いを力に換える。
 シュウの念能力は、まさにエンドの念能力の、裏映し。


「――お前と戦うためにあるような念能力だ」


 選択を誤った。
 そう断ずるのは酷だろう。
 エンドはシュウの念能力を想定しておらず、それ以上に眼中になかった。

 それは正しい。
 つい先ほどまでは、万全の態勢のシュウら三人がどのような手を使っても無傷なほどに、エンドは無敵だった。

 だが。
 事実実際エンドが行った選択により、針の穴を通すようなか細い勝機が、彼らに生じた。

 そしてそれを見逃す三人ではない。
 即座に集結した三人は、目配せだけでその手段を理解しあった。


「勝負だ。エンド」


 ブラボーが言う。


「――全霊を以って、お前を倒す!!」

「いいだろう。貴様らの全力を蚊のように叩きつぶし、世界征服へのきざはしとしてやろう!」


 オーラが、爆発的に膨れ上がる。
 ただそれだけで、この玉座の間が、狭い狭い猛獣の檻のように錯覚する。

 しかし、ユウは見た。
 この絶望的な敵に対して、不敵に笑う戦友の姿を。


「嬉しそうだな、シュウ」

「ああ。世界征服をたくらむ巨悪と戦う……燃えるだろ?」


 ユウの問いにそう答え、シュウが“正義の拳(ジャスティスフィスト)”をエンドに向ける。


「―― 一直線だ。オレの拳を、ヤツにぶつける」


 シュウは王道を好む。
 それはけっしてべたな展開が好きだからではない。
 王道こそ最も難の少ない道。合理の極致と心得ているからだと、ユウは理解していた。

 だが、今のシュウはそんな理屈を超えたところに心を置いている。
 親友の心の高ぶりを肌で感じて、ユウも引きずられるように高揚してくる。

 自分の背中には世界があり、自分の目の前には強大な悪がある。
 その事実が、強い重圧以上に――ユウの心を燃え上がらせる。


「来い!」


 エンドの声を合図として、それぞれが駆けた。
 先頭にシュウ。続いてユウ。そしてブラボー。
 最高列を行くブラボーのオーラは拳に一点集中。


「ゆくぞ!」


 エンドの元に達する、道半ばで、ブラボーが拳を構える。
 その意図を図るには、それぞれの挙動はあまりにも迷いなく、速い。

 ユウが跳んだ。
 前後に走る二人。シュウの背を抱いて、ブラボーの拳に足を乗せて。
 オーラは胸と足裏に分散集中。


「ゆくぞっユウ!」

「おおっ!!」


 ブラボーが吼える。ユウが応える。


「一・撃・必・殺――ブラボー正拳っ!!」


 必殺の拳が、ユウとシュウ、ふたりの体を神速の域に加速させる。
 衝撃は胸に集め吸収。引きちぎれそうな腕に力を込めながら、ユウは相棒とともに敵に向かい一直線に飛ぶ。

 全霊を込めた神速の一撃。
 だが、一直線の攻撃ゆえ、読みやすい。
 しかしエンドは避けない。正面から迎撃の構え。力を力で制する。まさに覇者の業。


 ――そうだろうよ。てめえのオーラだったら、シュウの攻撃も正面からねじ伏せられるだろうよ。


 飛びながらユウは不敵に笑う。
 正面からぶつかっては勝ち目がない。そんなことは、先刻承知。


 ――だが、正面からじゃなかったら?


 迎え撃つエンドの視界から、いきなりユウたちの姿が消えた。


「――“背後の悪魔(ハイドインハイド)”」


 相手の死角に転移する、ユウの念能力。
 敵の死角でないと発動しないという制約は、もう一つの念能力、“甘い誘惑(スイートドロップ)”で外す。

 背が見えた。
 黒いローブに包まれた、漆黒の覇王の背。
 ブラボーからもらった加速はそのままに、エンドに向かって一直線。神速の拳が唸りをあげる。


「ジャスティス――フィストぉおおっ!!」


 シュウが吼えた。
 巌のように厚いオーラの壁を“”硬で一点集中した“正義の拳(ジャスティスフィスト)”が貫いていく。


「舐めるなぁっ!」


 エンドが吼えた。
 オーラが層倍に膨れ上がる。
 シュウの拳の勢いがわずかに鈍る。


「おおおおおっ!!」

「おおおおおっ!!」


 せめぎ合い、咆哮する覇王と英雄。
 だが、死に体から相手の全力攻撃を凌ぐには。エンドの力はわずかに足りない。

 押す。
 押す。圧す。
 均衡はわずかにシュウに傾き、そこから一気に勝敗の天秤が降りきれる。


「うおおおおっ! 貫けぇっ“正義の拳(ジャスティスフィスト)”ぉっ!!」


 渾身の力を込めたシュウの拳が、エンドの体を――ぶち抜いた。

 勢いは止まらない。
 二人は絡まるようにしてエンドにぶつかり。こんがらがって広間の端まで転がっていく。

 息をしながら、ユウはゆっくりと立ち上がる。
 シュウは立ち上がれない。掛け値なしに全力を絞りつくし、仰向けになって荒い息を吐いている。
 エンドが立つことはない。腹に大穴があいている。まだ息はあるものの、致命傷であることは明らかだ。

 そこへ、ブラボーが体を引きずるように歩み寄ってくる。
 満身創痍の上、こちらもオーラを絞りつくしている。


「リマ一国にも達しない。ふん。所詮この程度の器か」


 口から血を吐きながら、何事でもないという風に、エンドがつぶやいた。
 薄気味悪いほど突き放した、本当に他人事のような言葉。

 あらためて、ユウは悪寒を禁じ得ない。人とは思えないおぞましさだ。

 部屋の隅で、がしゃんと破壊音がした。
 見ればテレビクルーの使っていたカメラが、一部壊れて地面に転がっている。
 持ち主の姿はない。“百鬼夜行(デッドマンウォーキング)”が解除されたのだ。

 砂嵐の音を背に、ブラボーがエンドを見下ろす。


「お前は人を、突き放し過ぎたよ」


 そう言って、ブラボーは続ける。


「――王を知っている。そいつは人を食い、同族を食い、忠実な配下まで喰らって、たった独りになって、ついに討たれた。
 お前はそれに似ている。他人を使役しても、信じて託しはしなかった。命ごと預けはしなかった。想いを貫くには、お前はあまりにも――異端過ぎた」


 ブラボーの哀しそうな瞳を見て、ユウは目をそらした。
 彼に同情する自分を、ユウはまだ許容しきれない。
 そんな風に、必死に自分の感情を否定することこそ、ユウが心ではブラボーを許しているあかしなのだが。

 エンドの息は、すでに耳に捉えられないほど微細になっており、それもすぐに絶えた。


「さらばだ。エンド。最後の同胞」


 この瞬間。リマ王国を襲った災厄は、ようやくにして決着した。
 エンドの死。国中から上がる歓声が、闇夜の中、天を震わせる。
 時ならず起こった歓声を遠くに聞いて、王宮に残った仲間たちは、みんなそろって笑い、そして親指をたてた。








 軍司令部、会議室。
 ブラボーの歓声舞い散るなかで、深々とソファに腰をかけた幕僚長モラレスが、“ソルの部隊”を率いていた青年、ああああに声をかける。


「よう。もう一度聞いていいかい? 奴らは、何者だい?」

「……正義の、ヒーローですよ」


 腰を砕けさせ、へたり込んだまま、この楽天家はからりと笑い、答えた。







[9513] Greed Island Cross-Counter 49(完)
Name: 寛喜堂 秀介◆c56f400a ID:364f7003
Date: 2010/09/28 22:31

 そのあとのこと。
 休む間もなく駆り出された国軍により、首都の治安は速やかに回復した。
 リマ国王は国営テレビに無事な姿を見せ、未曽有の災禍のもとに散った者たちに対する弔意と、国務長官をポドロフ将軍の後継とした事を公式に伝える。

 指導者の死に乗じようとする地方の不穏な動きはこれでぴたりと収まった。
 すでに盤石の重みを見せ始めている新たな指導者は、「たるんどる」などと部下を叱りつけながら、痛んだ国と軍、双方の再建にいそしんでいる。








“ソルの部隊”、ことに隊長代行のああああは賞され、何がしかの名誉号をもらった。
 クーデターを図った軍部若手とのつながりを、察しているものは察していたようだが、直接につながりがあった者はすでに死んでいる。証拠もない。
 なにより、自ら血を流して戦ったその姿を、国民全員が見ているのだ。功績は無視しようがない。それに、彼らはハンター協会の中枢ともつながりがある。生かしている方が利にもなるという計算もあったのだろう。

 ただ、首輪をつける意味もあり、ああああは士官待遇で軍に所属することとなった。といっても性格が急に落ち着くわけでもなく、軍のお偉方から眉を顰められながら、日々をお気楽に過ごしているらしい。


「危険すぎるほど有能なやつだが、あれが目くらましになっているらしい」


 苦笑を洩らしたのは、幕僚長のモラレスである。
 彼を今のうちにどうこう、という心算は、モラレスにはない。むしろこの老骨に取って代れるほど有能な人材の出現は――他の者は知らず、モラレス自身は大歓迎だ。
 それはすなわち、リマ王国がより強かに成ることを意味するのだから。
 この国を誰よりも愛しているのは、ひょっとしてこの老人なのかもしれない。

“ソルの軍隊”。ダークに集められた“Greed Island Online”組の者たちも、いきなり地獄へほうり込まれ、心に熱湯を浴びせられて活が入ったのだろうか。何人かはああああと同じく軍に入り、また何人かは明確な意思を以って国を出た。
 懲りずに怠惰な生活に戻る者もいれば、修業のまねごとを始めた者もいる。いろいろだ。







 そんな光景を目に納める前に、ブラボーたちはノヴの“4次元マンション(ハイド&シーク)”を通り、リマ王国を出た。

 負傷者はすでに神医ヘンジャクの元に送られている。
 エンドの一撃を受け、王宮外に吹き飛ばされていた白虎のキメラアント、パイフルも、モラウに発見され、同様にヘンジャクのもとへ送られた。
 危険な状態だったが、エルフの少女マツリに寄生する触手の回復粘液と、神医ヘンジャクの神業的医術により、パイフルはなんとか命を永らえた。

 ほか重傷が四人。レットとミコ、ライ、ブラボー。
 ほかにもカミト、海馬瀬人、シュウは、オーラを絞りつくしたため、そのまま病室のベッドへ直行となった。
 レオリオが面倒をみることになったため、彼は大忙しである。
 それでもなんだかんだ言って楽しげなのは、やはり医者が天職だからだろうか。
 入院している子供たちにも結構好かれているようだ。妙齢の女性には微妙に距離を置かれているようだが。

 ゴンとキルアは、NGLに入り、国境へと向かった。
 カイトは自ら望んでNGL内で静養している。キメラアントと共に生活し、その生態に触れたいと言うのが理由らしい。そんな彼のもとへ行くことを望んだカイトの仲間たちを迎えるためだ。ナックルとシュート、メレオロンも同行した。

 ヒソカはそれを見届けてから、病院を立ち去った。


「どこへ?」


 去り際、尋ねるユウに、ヒソカは楽しげに答えた。


「くっくっく◆ もう一方の青い果実の育ち具合を確かめに◆」


 クラピカのことだろうと察しがついた。
 ひところに比べれば三段階ほど人の域を超えたゴンだが、ヒソカはまだこの少年を摘みごろだとは思っていないらしい。
 そして、口にしてはいないが、ユウのことも、おそらく。


「そう言えば、団長(クロロ)がキミにも興味を持っていたよ◆」


 去り際にヒソカが落としていった爆弾に、ユウは暗澹たる気分にされた。








 みなの傷が癒えたころ、一人の少女が病院を訪れた。
 巫女装束にナース服を掛け合わせたような、キテレツな衣装を着こみ、黒髪を五色の綾紐でぐるぐる巻きに束ねた、傾いた格好の和風美少女。


「ミコナちゃーん!!」


 その姿を見るや、彼女に飛びついたのはシスターメイ。
 シスターとメイドの融合体のような格好をした、銀髪の美女である。
 抱きつこうとして虚空を抱くはめになったのはご愛嬌。彼女は常時発動型の念能力、“ガラス越しの世界(スタンドアローン)”により、他人に触れることができないのだ。


「知り合いか?」


 ちょうど一緒に廊下で話していた黒髪仏頂面の少年、アズマが尋ねる。


『親友です!』

「……まあ、だと思ったよ。どっこいどっこいの残念っぷりだし」


 声をそろえて主張する二人に、アズマは深いため息をついた。
 だが、彼は直後にこの異邦人の重要性を知り、あわててブラボーのもとへ駆けこむことになる。
 彼女――ミコナは、あの黒衣の覇王エンドと同じく、あとから来た同胞。そしてゲームマスターなのだ。


「む。そのセンスは“ミナコ”か」

「やーブラボー。しばらくぶり」

「一撃でわかるとか……」


 さらに脱力感を強めたアズマを尻目に、ゲームマスターたちは久闊を叙する。
 そこから自然と、互いの情報を交換し合った。こちらの世界に関しては、ブラボーのほうが詳しい。おもにブラボーとミコナが話し合う形になった。


「それで、こっちの世界に帰還したって人から事情を聴いて、それでとりあえず様子を見に来たの」

「よく俺たちの居場所がわかったな」

「時間かかったよー。調べるの。こっちに来たのが四月の末だから……ふた月近くかかった」

「ふた月前……するとこちらに来たのはユウたちと同時期か」

「あ、それでか」

「なにがだ?」

「レイザーに3人目とか言われた。再ログインしたヤツが他にもいるんだなって思ってたけど」

「同士たちだ。しかしそうすると、同時に五人がログインしたのか。重なったものだな」

「あ、それ、仕様だと思う」

「仕様?」

「えとね、Greed Island Online とグリードアイランドがリンクした結果、世界と世界がつながったってのが私的な考察なんだけど、それはいいかな」

「ああ。それに関しては、我々もそうではないかと考えている」

「でも、Greed Island Onlineβって、一日三時間で日付は固定されてるよね?
 だからGreed Island Online とリンクした実際のグリードアイランドからログアウトした時間ってのは、本来有るはずの無い未来の日付になるでしょ?
 この時間軸のズレを調整しようとする作用なんだろうね。最終ログアウトの日付――つまりゲームが“ここまで進んでる”と認識した時間に、飛ばされるようになってるみたい」

「……どういうことだ?」


 噛み砕ききれなかったのだろう。ブラボーが首をかしげる。
 ミコナのほうも、どう説明したものか、首をひねりながら、ぽつぽつと話す。


「ログアウトするときにはプレイヤーがログインした時間から誤差三時間以内で戻る。ログイン時には、最後にログアウトしたプレイヤーのログアウト日時に飛ばされる――ってかんじかな? まあ、理屈はあくまで推測。ともかく現状こんな感じになってる」


 ミコナが単純に事実だけを述べる。
 それで、ブラボーもようやく腑に落ちたようにうなずいた。


「……すると同士・カミトが帰還した後に、誰かが帰還したことになるが」

「ま、ここへ来てから何年も経つんだから。クリアしたヒトが居てもおかしくないよ」


 ふとつぶやいたブラボーに、シスターメイが口を挟んだ。
 その通りだろう。ブラボーとて、すべての同胞の動向をつかんでいるわけではない。そのなかに、あきらめず、努力し、その末、元の世界へ還った者がいた。それだけの話。


「……だが、考えものだな。“離脱”で脱出した者は、こちらの記憶を持ったまま帰還している。いつまたエンドのような者が現れるとも知れない」

「新たにログインできないよう、しておくべきだな」


 唐突に、低い声が会話に割って入った。
 海馬瀬人だ。鋭角的な白いロングコートを着込み、扉の向こうで腕を組んでいる。
 脇にはアズマ。彼が気を利かして連れてきたのだ。


「社長」

「――そうしておいて、こちらの世界と繋がらぬよう、設定を少々変更させて、製品版を上げさせる。むろん残った者どもが帰れるよう、β版のサーバは責任を持って管理しよう」


 そう言う海馬瀬人の口元は、不敵な笑みをたたえている。


「こちらについては、ブラボー、貴様に任せる」

「ええ。還りたい者は還し、ここで暮らすことを決めた者には、できる限りの助力を。それが俺の――使命ですから」


 言ってブラボーは笑う。
 迷いない言葉。あのときの誓いから、その心は変わっていない。
 海馬とブラボーは互いに視線を交わし、そして口元を緩める。


「ならば、還る手段の確保が先決。」

「手伝いましょう。同士たちの中にも還るべき者がいます。俺はそれに協力したい」


 声を細めてキャーキャー言う腐れた女どもを尻目に、海馬とブラボーは握手を交わす。
 そこに、もう一本、手が伸びてきて二人の手の上に置かれた。アズマである。


「俺も、手伝いますよ。今度はこの目で仲間を見送りたい――ていうか、全員おなじ思いですよ」


 そう言って、アズマが笑い、三人はうなずき合う。
 二度目のグリードアイランド攻略に、不安はない。
 ゲームソフトはすでに手に入れている。攻略法も完璧。そしてなによりも。

 ブラボー、カミト、ミコ。
 ユウ、シュウ、レット。
 アズマ、ツンデレ、シスターメイ。
 ライ、海馬瀬人、それにミコナ。

 このメンツで攻略できないゲームなど、有る筈がない。
 

「――なにを隠そう、オレたちはグリードアイランドの達人だっ!」


 ブラボーの笑みに、曇りはなかった。








「――では、キャプテン・ブラボー氏を一ツ星(シングル)ハンターに?」


 ハンター協会、会長室。
 NGLの事後処理を終え、あとをモラウらに託して戻ってきたネテロは、秘書に対して鷹揚にうなずいた。


「おう。それだけのことはしてくれたしの。一人の手柄ではないが、まあ、代表としてじゃな」


 そんな会長の様子に、秘書のマーメンが眉を顰める。


「……よいのですか? 彼らを放置しておいて」


 異世界から来たという彼らに対し、マーメンは懐疑的である。
 それに対し、ネテロはいたずらっぽく笑い、机に足を放り出す。


「ヨルビアン大陸の、東部特別開発地区。あそこの開拓街を見たかの?」

「ええ」

「あれが答えじゃよ」


 と、ネテロは笑う。
 人と、異邦人と、キメラアント。みなが笑いあって暮らす、そんな光景が、あの街にはある。彼らはすでに、この世界の素晴らしい住人なのだ。


「それに、放りだすなんてもったいない」

「なにがです?」

「この世界の外にも、また別の世界があるというんじゃ。齢百を超えて、久しぶりに心が踊るのォ」

「まさか、行かれるつもりですか? その手段も見つかっていないのに?」

「来れたんじゃから行けない理屈はないじゃろう。それに」


 言いながら、ネテロの視線は彼方を見据えている。


「――まだ見ぬ未知の世界がある。ハンターならば、行かねば嘘じゃろう?」


 その前に仕事と後継者問題を片づけて下さいと突っ込まれながら、のらりとかわしてネテロは笑った。








 ロカリオ共和国、ドーリ市中央の、総合病院の屋上。
 ここに青空を眺めながら並んで座る少年少女の姿があった。
 黒髪の暗殺者少女、ユウと、ツンツンの金髪少年、シュウである。


「でも、困ったなー」

「なにがだ?」


 つぶやいたユウに、シュウが問いかけた。


「グリードアイランド。レイザーに、今度不正に来るのなら、覚悟しておけって言われた。ガチバトルになりそうな予感」

「ああ。ありそうだな」

「ヒソカいわくクロロ――幻影旅団の団長も俺に興味があるらしいし」

「モテモテだな」

「やめてくれ」


 屋上から見える中庭では、レオリオとレットが子供につきあって遊んでいる。
 片隅にある白いベンチではヘンジャクとカミトが面白くもなさそうに、何やら話している。
 中庭でツンデレと談笑していたミコが、屋上のユウたちを見つけて手を振った。
 それに応えて手を振りながら、ユウはほほ笑んだ。


「ここから見れば、同胞異邦の区別なんてつかないな」

「ま、そうだろ。水と油じゃないんだ。いつかは混ざって――わかんなくなるさ。セツナたちみたいに。あるいは、マツリとパイフルみたいに」


 あのエルフの少女は、白虎のキメラアントとともに、NGLに残ることを決めた。
 体に取りついた触手も、望めば剥がせた。人前に出られる姿になってカピトリーノに戻れたはずだ、だが、マツリはその道を選ばなかった。

 それは、キメラアントの身で、人の中で生きることを選んだジョーと、正逆にして同質の選択。
 彼らが人とキメラアントのよき橋渡しになってほしいと、ユウは思う。
 それは二人を決意させた思いと、おなじ根から発した願い。


「それでいいと、俺は思う。変に元の人間とか、考えなくていい。俺はユウで、修一だ。お前がシュウで、友であるようにな」


 はっ、と、シュウが息をのむ。
 それから少年は、少女のように、すこし恨めしげに眉根を寄せた。


「気づいてたの?」

「けっこう最近にな。料理の味つけとかいろいろで、まあ、なんとなく」


 ユウの言葉に、シュウは驚いたように目を見開き。


「……あは」


 とろけるような、笑みを浮かべた。








 ―― Greed Island Cross 完




 


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