<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

赤松健SS投稿掲示板


[広告]


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[32064] 【チラ裏より移転】おもかげ千雨 (魔法先生ネギま!)
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/24 23:09
初めまして。まるさんと申します。
『にじファン』さんでの執筆が出来なくなったので、今後はこちらでお世話になります。
初めての方も、そうでない方も、よろしくお願いします。
本作は赤松健先生作の大人気漫画『魔法先生ネギま!』と、こやま基夫先生の名作『おもかげ幻舞』のクロスオーバー作品です。
拙い文ですが、楽しんでいただければ幸いです。



[32064] 第一話「『長谷川千雨』と言う少女」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/15 23:21
夜眠る時、そして朝目覚める時、いつも自分に問う事がある。

『私は、一体誰なのだろう』。

長谷川千雨。それが私の名だ。でも、それが果たして『自分』とイコールで結ばれるのだろうか。
何故なら、ここにいる自分が、ひどく不安定な存在であるように思えてならないからだ。
だから、仮面を被る。
幾つも、幾つも、幾つも。
この仮面の中に、本当の『私』がいるのだろうか。
今は、何もわからない。
今は。



「長谷川さんは知ってるですか?今日、新しい担任の先生が来るそうですよ」

綾瀬夕映は、そう言って隣に座る長谷川千雨の顔を見た。
そこにあるのは、能面の如くの無表情な面<おもて>。今は野暮ったい眼鏡を掛けているが、それを外すと、同性の自分であってもハッとするような美貌があるのを、夕映は知っている。

「知らないな」

返す答えは固く、冷たい。そこには感情と言う物が一切込められていない。
初見の人物であればそこに拒絶の意思を感じてしまうかもしれないが、彼女は何も拒んではいない、と言う事も、常の観察により夕映は知っている。

「噂によれば、相当の天才で、大学を飛び級してこちらに赴いて来られるとか」

「そうか」

返ってきた言葉は、やはり無情。
駄目か、と夕映は内心でがっくりした。
最近の夕映のライフワークは、この無表情な級友に何らかの感情を出させようとする事である。しかし今の所、それに一度も成功した事はない。

(うーむ、もっと驚くようなネタでないと駄目ですか)

夕映は内心で唸る。こうなったら、『麻帆良のパパラッチ』の異名を取る、クラスメートの朝倉和美に助力を請うてみようか、と夕映が考えていると、教室のドアががらりと開いた。
そこに姿を現したのは、10歳になるかならないかという年齢の幼い少年だった。
それを訝しむ暇も無く、クラス切っての悪戯者である鳴滝姉妹の仕掛けた黒板消しトラップが発動した。
が、次の瞬間、夕映は目を疑った。落下した黒板消しが、少年の頭上ぎりぎりで停止したように見えたのだ。
だが、それもほんの刹那の事。すぐに黒板消しは少年の紅い髪を白く染め、それを皮切りに次々と別の罠が少年を襲った。
それらにきりきり舞いする少年を笑っていたクラスメートは、ようやく落ち着いた少年が発した一言で度肝を抜かれた。

「今日からこの学校でまほ……英語を教える事になりました、ネギ・スプリングフィールドです。3学期の間だけですけど、よろしくお願いします」

一瞬の静寂、そして巻き起こる狂乱とも言うべき喧騒を眺めながら、夕映はちらりと千雨を見た。
やはり、そこにあったのは、いつもの無表情であった。

(これでも駄目ですか……!)

綾瀬夕映の挑戦は続く。



千雨は、壇上でもみくちゃにされている少年を見ながら、幼いな、と内心で呟いた。
だが、それだけである。
あるがままを受け入れる千雨の心は動かない。
何も感じず、何も思わず。
今日も、その面は何も映さない。
千雨は周囲の喧騒を余所に、一人静かに英語の教科書を用意した。


【あとがき】
プロローグ的な部分が終わりました。
次回は色々すっ飛ばして、『桜通りの吸血鬼』編です。
魔法使いとの遭遇、そして千雨の力が明らかになります。
それでは、また次回。



[32064] 第二話「キフウエベの仮面」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/15 23:27
桜通りの吸血鬼。
麻帆良ではここ最近、その存在の噂が流れていた。
満月の夜になると、真っ黒なボロ布で身を包んだ血まみれの吸血鬼が現れる。
まだ小さな子供ならともかく、良識ある大人ならば鼻で笑う様な与太話である。
しかし、大人と子供の境目の様な、微妙な年頃にある中学生の中には、そんな噂に怯える純粋な者もいるのだ。



「こ……こわくない~♪こわくないです~こわくないかも~♪」

震えそうな声を押さえ、鼻歌を歌って恐怖を忘れようとしているのは、麻帆良女子中学3年A組、出席番号27番、宮崎のどかである。
傍から見れば微笑ましい様子に映るその姿も、本人からすれば真剣である。
元来からして大人しく、怖がりなのどかにとって、こうでもしなければ、夜の路を歩く事など出来ないのだ。

「こわっ……」

その時、不意に強い風が流れ、木々がざわめく。
その木の葉の揺れる音が、自分に今にも襲い掛からんとする魔物の様な声に感じたのどかは、恐怖に顔を曇らせ、辺りを見回した。
その時。

「宮崎」

「ひあああっ!?」

突如肩を叩かれ、名を呼ばれたのどかは、思わず悲鳴を上げてへたり込んだ。

「……大丈夫か?」

そんな少女に手を差し伸べた人物を見上げ、それが見知った人である事を知ったのどかがその名前を呼んだ。

「は、長谷川さん!」

果たしてそこにいたのは、のどかのクラスメートである長谷川千雨であった。
最近、自分の親友である綾瀬夕映が何かと話しかけている少女である。

「ど、どうしてここに……?」

今だへたり込んだままののどかは、驚き過ぎたためか、半ば茫然と尋ねた。

「いや、私も寮に帰る所だ。そうしたら道端に立ち止まって辺りを見回しているから、何か探し物でもしているのかと思ってな」

「そ、そうだったんですか……」

どうやら、千雨本人は驚かす気などさらさらなく、むしろ親切心のつもりで声を掛けた様である。
そう思った途端、のどかの心中に同じクラスメートを怖がってしまった罪悪感が湧いてきた。

「す、すいません!」

「……?謝られる謂れはないのだが」

「あ、いえ、その……」

あなたを怖がってごめんなさい、とも言えないので、のどかは言葉を濁らせた。
そんなのどかを相変わらずの無表情で見下ろしていた千雨の体が、不意にぴくりと揺れた。

「宮崎、動くな」

「へ?」

のどかにそう言い置いて、千雨は前方の電灯の上を見上げた。
その視線を思わず追ったのどかは、そこに噂の特徴そのままの黒いボロ布を被った小柄な人影が立っている事に気付いた。

「ひっ……」

息を詰まらせるのどか。

「桜通りの、吸血鬼」

千雨が相手の姿を見てぽつりと呟いた。
その呟きを聞いたのだろう、相手の口元が笑みの形に歪む。

「出席番号25番、長谷川千雨。同じく27番宮崎のどか、か。くくく、二人も獲物が掛かるとは、今夜は運がいい」

「何の用だ」

今にも気絶しそうな程怯えるのどかとは対照的に、千雨は相変わらず情動という物が感じられない、平坦な声で相手に尋ねた。

「吸血鬼の用事など決まっているだろう?……その血、吸わせて頂こうか!」

言うなり、その人影は跳躍し、真っ直ぐ千雨とのどかに襲い掛かって来た。

「きゃあああ、って、ええっ!?」

悲鳴を上げかけたのどかだが、次の瞬間、千雨に抱き抱えられ、その場から数メートルも後方へ逃れていた。
あの瞬間、千雨が自分を抱えて後ろに跳ね、相手から逃れたのだという事を、数秒経ってからのどかはようやく理解した。
一方、強襲した吸血鬼は、襲った相手が予想以上に動く事に軽い驚きを覚えていた。

(何か運動をやっているなどは聞いておらんのだが)

内心で首を傾げる吸血鬼は、次に発せられた千雨の一言で、今度こそ本当に驚いた。

「何故こんな事をする、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル」

「えっ?」

驚いた声を出したのは、千雨の腕の中に居るのどかだ。
そして吸血鬼――エヴァは、驚愕も一瞬、すぐに不敵な表情に戻ると、被っていた帽子を脱ぎ棄てた。

「ふん、まさかばれるとは思わなかったな。声から察したか?そう言えば、お前はあのクラスで私の隣だったな」

脱ぎ捨てた帽子の下から溢れ出た金色の長い髪を靡かせ、エヴァンジェリンは獰猛な笑みを見せる。

「え、エヴァンジェリンさんが何で私達を……!?」

のどかの言葉を鼻で笑ったエヴァンジェリンは、その小さな掌を千雨達に向けた。

「貴様らに言ってもしょうがない事だ。ちょろちょろと動かれても鬱陶しいからな。少し動かぬ様にさせて貰おうか」

言うなり、エヴァンジェリンの掌から何かが迸った。
それを視認するなり、千雨は横に飛んでそれを躱す。直後、今まで千雨達がいた場所に氷塊が突き刺さり、その場を氷漬けにした。

「な、何ですか、あれー!?」

この期に及んでも全く表情の変わらない千雨に代わり、のどかが半ばパニックになりながら喚いた。

「ふふふ、『魔法』だよ、宮崎のどか」

エヴァンジェリンが楽しげに笑う。

「ま、まほー?」

「そう、世の裏に蔓延る神秘の技さ。まぁ最も、お前達はすぐに忘れてしまうがな」

「記憶でも消すのか?」

呟く様な千雨の言葉に、エヴァが頷く。

「私の存在がまだ表沙汰になると色々と面倒なのでな。何、今夜の事だけだ。気にしないで血を吸われろ」

「ひーん」

のどかが半泣きになった。
するとその時、千雨が抱えていたのどかをそっと地面に下ろし、彼女の前を守るかのように立った。

「は、長谷川さん?」

「じっとしていろ、宮崎」

千雨が変わらぬ表情のまま言う。

「……何をするつもりか知らんが、いい度胸だ。まずは、貴様の血から味あわせて貰おうか、長谷川千雨!」

エヴァンジェリンの手から氷結の魔法が放たれる。それは瞬時に千雨の元に到達し、着弾、周囲を白く染め上げた。

「は、長谷川さん!」

のどかが叫んだ瞬間、周囲の大気が揺らぎ、白く霞みがかっていた空気が一瞬で掃われる。
そしてそこから現れた千雨を見て、エヴァンジェリンが呻いた。

「長谷川千雨、なんだ、それは……?」

千雨の顔が異形の物へと変化していた。否、それは、【仮面】だった。

『キフウエベの仮面』

仮面越しのくぐもった声で千雨は答える。

『ザイールはバソンゲ族の戦いの際、呪術師が使用した物だ』

「そ、それがどうした」

『呪術師が強力な力を持つ為に、数多くの生贄が用意された。生贄の数が多いほど、その力は更に強力になるという。……お前も贄となるか、マクダウェル』

「こけおどしを!」

叫ぶなり、再びエヴァンジェリンの手から魔法が飛ぶ。しかし、千雨はそれを避けるでもなく、真っ直ぐに突っ込んでくる。

「何!?」

それが千雨に当たろうかと言うその時、千雨が手を大きく薙ぎ払った。
その瞬間、空気が爆発した。
そして発生した衝撃によって、エヴァンジェリンの魔法は粉々に砕け散った。

「ちぃっ!」

状況はわからないが、相手が何かやった事は確かだと思ったエヴァンジェリンは、即座に次の魔法を放とうとした。
だがそれよりも早く、粉塵の中から飛び出してきた千雨がエヴァンジェリンに向けて掌を繰り出す。。

「『氷盾《レフレクシオー》』!!」

エヴァンジェリンは咄嗟に障壁の魔法を張った。そして千雨の掌が障壁に激突した。
業ッと、周囲に爆音が轟く。
障壁を粉々に砕かれただけでなく、その体にも爆破の衝撃を受けたエヴァンジェリンが肺の中の空気を吐き出しながら、大きく吹き飛んだ。

「がはぁっ!?」

地面に何度かバウンドしてようやく動きを止めたエヴァンジェリンは、よろよろと身を起こした。

「き、貴様ぁ……!」

憎しみの籠った瞳を、未だ平然と立つ千雨に向ける。

「長谷川千雨、もしや貴様、魔法使いだったのか!?」

『違う』

千雨はその言葉を否定する。

『魔法なんて、今日初めて見た』

千雨の言葉を受け、エヴァンジェリンは歯がみする。

(こいつは嘘を言っていない。先程の爆破からは魔力を一切感じられなかった。さりとて、爆弾などの兵器の類でもない)

全く未知の力を使う敵――。そう、ここに来て、エヴァンジェリンは漸く目の前に居る者が獲物ではなく、下手をすればこちらを滅ぼせるほどの力を持つ、敵であると言う事を認識した。



【あとがき】
今回はここまでです。
今回使用した仮面は、本編ではあまり凄さの伝わらなかった『キフウエベの仮面』。
念動で爆破を自在に起こせるなんて、結構凄い能力だと思ったので使いました。
それでは、また次回。
行間を開けた方が読みやすい、との意見を頂きましたので、地の文とセリフの間を開ける改訂をしました。



[32064] 第三話「少女と仮面」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/16 13:47
宵闇が満ちる桜通り。その場に、二人の怪人が相対していた。
吸血鬼の魔法使い――エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
奇妙な力を使う仮面の少女――長谷川千雨。
その二人の戦いの場面を後ろで見ながら、宮崎のどかは、今この瞬間が本当に現であるのか、わからくなりそうだった。



エヴァンジェリンと千雨。双方はそれぞれ手を出しかねていた。
相手が次の瞬間、何をしてくるかわからない。それは両者の間に共通した認識であり、それゆえに状況は膠着せざるを得なくなっていた。
只緊張感と圧力だけが徐々に増していく空間。それが飽和した時、二人は動く。
のどかは、戦闘に関しては全くの素人であるが、この場に満ちる何かが、強くなっている事だけは理解した。そしてそれが弾けた時どうなるのかも。
ジリ、とどちらかの足が摺れた。そして二人の怪人が再び激突せんとしたその時。

「ぼ、僕の生徒に何をするんですかーっ!」

そう言って突如現れたのは、10歳の子供先生、ネギ・スプリングフィールドであった。

「『魔法の射手《サギタ・マギカ》・戒めの風矢《アエール・カプトウーラエ》』!」

そして、ネギがその手から魔法を放つ。それが向かう先は、何と千雨であった。
だがこれは無理もない話である。状況の解らぬネギにとってしてみれば、今この場に居る3人の人物の内、二人は自分の生徒。そして残る一人は怪しい仮面を被った怪人である。
千雨は飛来する魔法の射手を見据え、無造作のその手を薙ぎ払った。
すると、先のエヴァンジェリン同様、生じた爆発によってネギの魔法は容赦なく蹴散らされた。

「ぼ、僕の呪文を掻き消した!?」

驚愕するネギだが、千雨はそれ以上動かない。
それを見たエヴァンジェリンが口元に嫌な笑みを浮かべると、ネギにこう言った。

「助かったよ、ネギ先生。急にこの仮面の不審者に襲われてね、どうしようかと思ってた所だ」

「そ、そうだったんですか!」

純粋なネギはあっさりとエヴァンジェリンの嘘に騙されると、千雨に向かって杖を構えた。

「僕の生徒を襲うなんて、許さないぞ!」

勇ましいネギを前に、千雨はどうしたものかと考え込んだ。まさか担任をこの場で打ち倒す訳にはいかないし、不用意に魔法を受けるつもりもない。ましてや、ネギの後ろのはこちらに意地の悪い笑みを浮かべるエヴァンジェリンが控えているのだ。
悩む千雨だが、救いの手は意外な所から差し伸べられた。

「ち、違います、ネギせんせー!私達を襲ったのはエヴァンジェリンさんで、この人は長谷川さんですー!」

「ええっ!?」

またしても驚くネギ。
のどかの言葉を聞いたエヴァンジェリンが眉を顰めた。

(そう言えばこいつもいたんだったな)

今の今まで、のどかの事をすっかり忘れていたらしい。
慌てて振り向いたネギの目に、舌打ちするエヴァンジェリンが映った。

「え、エヴァンジェリンさん……?」

「フン、あわよくば同士討ちさせようと思ったのだが、上手くいかん物だ」

「じゃ、じゃあ、やっぱりあなたが……!?」

後ずさるネギに、エヴァンジェリンは不敵な笑みを見せる。
その顔を見たネギは即座の呪文を唱え、今度はエヴァに魔法の射手を放つ。

「『氷盾《レフレクシオー》』……」

それに対し、エヴァンジェリンは小さな小瓶を投げ放ちながら、防御の呪文を唱える。
鋭い音が空気を震わせ、ネギの呪文は全て防がれていた。

「驚いたな。凄まじい魔力だ……」

だが完全に防ぐ事は出来なかったらしく、エヴァンジェリンは魔法の余波で避けた指から流れる血を舌で嘗め取り呟いた。

「10歳にしてこの力……。さすがは奴の息子だけの事はある」

その言葉にネギの目が見開かれる。『父』に関する事柄は、ネギにとって決して無視できない事である。

「な、何者なんですか、あなたは!?僕と同じ魔法使いなのに、何故こんな事を!?」

そう叫ぶネギに、エヴァンジェリンは口元に浮かぶ笑みを更に深くする。

「この世には、良い魔法使いと悪い魔法使いがいるんだよ、ネギ先生」

その時、エヴァンジェリンから見て正面、ネギや千雨達がいる方向から、神楽坂明日菜、近衛木乃香の両名が現れた。

「なんや、凄い音がしたえー?」

「あ、ネギ……って、うわっ、誰っ!?」

明日菜が仮面を被ったままの千雨を見て驚く。
だが、千雨にしても未だエヴァンジェリンがここにいる以上、仮面を外す事は出来ない。
そうしていると、不意にエヴァンジェリンがくるりと背中を向け、その場から逃走を図った。

「あっ、待って下さい!」

その後をネギが慌てて追いかけていく。

「ちょ、ちょっと、ネギ―!」

明日菜がその後ろ姿を呼び止めるが、ネギは止まらずエヴァンジェリンを追って行ってしまった。
それを見届けた千雨が、ようやく仮面を顔から外す。

「あ、千雨ちゃんやー」

「ち、千雨ちゃん!?何で仮面なんか被ってたの!?」

それを聞いた千雨は短くこう答えた。

「趣味だ」

その場に風が流れた。

「しゅ、趣味って、仮面を被るのが?」

「後、集めるのも、だ。それより、神楽坂、先生を追わなくていいのか?」

千雨が冷静にそう言うと、明日菜は我に返ってネギを追い始めた。

「そうだった!わ、私ネギを追うから!木乃香、悪いけど先に帰ってて!」

言うなり、明日菜は凄まじいスピードでその場から走り去った。
後に残されたのは、無表情な千雨と、茫然とする木乃香とのどかの三人だけであった。

「私も帰る。近衛、宮崎、お前達も気を付けて帰れ」

不意に千雨はそう言うと、その場からふらりと立ち去ろうとした。

「あ……」

背後でのどかが何か言いたげな声を出したが、千雨は振り返らず、そのまま歩き去った。



木乃香とのどかにああ言った千雨だが、向かった先は寮にある自室ではなかった。
この麻帆良は学園都市であり、そこには様々な場所がある。
たとえば、それは倉庫街も含まれる。
無個性な建物がずらりと並ぶ中、千雨がやって来たのは、他の物よりも幾分小さい、小屋程度の大きさの倉庫であった。
そこにあった扉の鍵をガチャリと開けた千雨は、中に入り電気を付ける。
中には家具の類がほとんど置かれていない。中央にソファ、そして小さなテーブル。壁際に辛うじて置かれてこれまた小さな棚には、簡易コンロと薬缶、そしてコーヒーや紅茶のパックが置かれていた。
だが、この部屋に入った者はそんな物など目に入らないだろう。
何故ならば、そこには壁一面に飾られた、形も大きさも、国すらも違う様々な仮面の群れがあったからだ。
千雨はその内の一角、不自然に開いた空白の部分に、手に持っていた『キフウエベの仮面』をかたりと掛けた。
そして簡易コンロに火をつけると、薬缶を火にかける。
お湯が沸騰するまでの間、千雨は中央のソファにごろりと横になった。
その時。

『千雨……。千雨……』

声が、聞こえた。否、その声は千雨にしか聞こえない。

『珍しく、心がざわついている』

『何があった、千雨』

何故ならば、その声は、壁に掛けられた仮面達から発せられているのだから。

「……魔法を、知っているか?」

千雨の声に、仮面達は応える。

『知っているとも』

『我等は、魔法と言う名の異能もまた、見て来ているのだから』

『国も違う。文化も違う。信ずる神も違う』

『それでも、人の営みは変わらない』

『魔法もそうだ』

『ある所には、在る』

「……そうか」

千雨はそう言うと、すっと目を閉じた。
その瞼の裏に、追憶が立ち上がる――。



『千雨ちゃん。お母さんねぇ、お父さんと一緒に、遠くへ行かなきゃいけないの』

『お母さん、私もお母さんやお父さんと一緒に行きたい』

『駄目よ。これから行く場所は、本当に遠くにあるの。千雨ちゃんは連れていけないわ』

『……うぇ……』

『!な、泣かないで、千雨ちゃん!お願いだから!!……だ、大丈夫、すぐに帰ってくるから。それまで、この学校で、麻帆良学園で待ってて。ここなら、お勉強しながら生活もできるから』

『……うん』

『帰ってきたら、また三人で暮らしましょう。約束よ』

『うん、わかった!』

『じゃあ、私は行くから。いい子で待ってるのよ』

『お手紙、書くから!』

『……さようなら、千雨ちゃん』




夜間に取り付けられた笛が、蒸気を受けて高らかに鳴る。
その甲高い音に、千雨は目を覚ました。どうやら、少し転寝をしてしまったらしい。

「約束よ、か……」

千雨は無表情にそう言うと、薬缶をの火を止めるために立ち上がった。



翌朝、登校した千雨は、何故か明日菜に引きずられて半泣きになっているネギを見た。
そして、その日からも千雨にとってはいつも通りであった。
宮崎のどかはこちらをちらちらと盗み見る様に見てくるし、ネギ・スプリングフィールドや神楽坂明日菜も同様である。
だが、それらの視線を受けても、千雨の表情は小揺るぎもしなったし、彼らを気に留める事もしなかった。
そして、さらに次の日。
千雨は、ネギ達に呼び出されていた。
呼び出された校舎裏に赴いた千雨は、そこにネギ、明日菜、のどかの姿を確認した。

「何の用でしょうか、ネギ先生」

千雨は、抑揚のない声で尋ねる。

「あ、あの、そのぅ……」

言い淀むネギの尻を、明日菜が叩いた。

「ほら、しっかりしなさい!」

「わひゃぁっ!?は、はい!」

頷いたネギは大きく一つ深呼吸すると、何かを言おうとした。

「そう言えば、何故ここに神楽坂と宮崎がいるのですか」

だが、その瞬間、先手を取る様に言った千雨の言葉に、ネギは慌てて口を閉ざした。

「あー……、私はこいつの保護者がわり。で、本屋ちゃんは……」

「私、長谷川さんに言わなきゃならない事があって……」

のどかが勇気を振り絞って言った。

「なんだ?」

そののどかを見つめる千雨。のどかは、千雨の目を見つめて、そのまま頭を下げた。

「あ、あの夜、助けて貰ってありがとうございました!」

真っ赤な顔でそう言ったのどかを、千雨は僅かに戸惑ったような雰囲気を滲ませた。

「別に、いい」

千雨は短くそう言ったが、のどかは嬉しそうに笑った。

「でも、ずっとお礼が言いたかったんです。あの時、本当に嬉しかったから……」

「そうか」

応える声はやはり平坦。しかし、のどかは満足気であった。

「それで、ネギ先生の用事は?」

「は、はい!!」

漸く話を振って貰ったネギが嬉しそうな顔をする。

「あ、あの、実は、僕のパートナーになって、一緒にエヴァンジェリンさんと戦って貰いたいんです!」

「パートナーとは何ですか」

意気込むネギに対して、返す千雨の声は冷たい。あまり千雨の事を知らないネギは、それだけで気後れした。

「おおっと、そこからは俺っちが説明させて貰おうか!」

その時、不意にネギ達の物ではない声が聞こえた。
千雨が声のした方を見やると、そこに白い毛並みのオコジョがいた。

「オコジョ」

千雨が見たままを口にすると、そのオコジョはニヒルな感じで笑い、どこからか取り出したたばこに火をつけた。

「おおよ。オコジョ妖精のアルベール・カモミールだ。今は、ネギの兄貴の使い魔をやってる。よろしくな、姐さん」

オコジョ――カモは、そう言って煙を吐いた。

「それで、パートナーとはなんだ」

千雨は喋るオコジョをものともせず、当たり前の様に尋ねた。

「ど、動じねぇ姐さんだな……。まぁいいさ。じゃあ説明するぜ、パートナーってのは――」

カモの説明曰く、パートナーとは、別名『魔法使いの従者《ミニステル・マギ》』と言い、呪文の詠唱中、無防備になる魔法使いを守る存在である事を説明された。

「まぁ最も、事は一生の問題だ。そこで、このパートナーを決める際にお試し期間ってのがあってな、限られた期間の間だけ契約する『仮契約《パクティオー》』ってのがあるのさ」

「それを私と結びたいと」

「まぁそう言う事さ」

カモはそう言うと言葉を締めくくった。それに対し千雨は。

「そうか。すみませんがネギ先生、お断りさせて頂きます」

「ええええーっ!?」

一瞬で断っていた。その迷いも何もない言葉に、ネギは驚きの声を上げる。

「ち、千雨ちゃん、どうして!?」

明日菜が驚きの余りニの句の告げないネギに変わって千雨に問い質す。

「理由がないからだ」

「え……?」

「先生を守る理由。マクダウェルと戦う理由。どちらも私にはない」

「そんな!」

明日菜達の目に非難めいたものが混じり始めるが、それでも千雨の態度は変わらない。

「で、でも、エヴァンジェリンさんは悪い人なんです!放っておいたら、また3-Aの誰かが襲われるかも……」

「ならば、他の人達――警察に言えばいい。見回りぐらいはしてくれるでしょう。それで先生の義務は果たせる筈です。後は……関係ありません」

その時、ネギの肩にいたカモが喚いた。

「かーっ、わからねぇ姐さんだな!いいかい、相手は魔法世界でも伝説と謳われた賞金首なんだ!警察何か当てになるかよ!」

「だからと言って、私がそれに付き合う理由は、やはりない」

「ち、千雨ちゃんはいいの!?エヴァちゃんみたいな悪人を放っておいて!!」

明日菜がそう言った瞬間、千雨はその乾いた瞳を明日菜にひたりと合わせた。
人形の様な目だ、と明日菜は思った。

「神楽坂、お前は勘違いをしている」

「な、何をよ……」

「私は、世の中の不正にも悪事にも差別にも、怒りを覚えた事はない。この世の中に住まう人間が何をしようと、私は一切興味はない。怒る事も、泣く事も、笑う事さえしない。私はそういう人間だ」

千雨はそう言うと、その場に立ち尽くすネギ達を残し、立ち去った。



【あとがき】
第三話終了です。
次回は麻帆良大停電。
ネギ達に協力を拒んだ千雨は、果たして巻き起こる騒動に対し、どう出るのでしょうか。
それでは、また次回。



[32064] 第四話「大停電の夜」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/16 13:49
何かを果たさねばならない際、自分の力ではどうしてもその目的に届かない時、人は何か道具を、或いは他者の力を借りてそれを為そうとする。
だが、その目的が分不相応なほど大きなものだった場合、人はそれに見合った代価を払わねばならない。
誰かを助けるために、我が身を犠牲にできるか否か。それを問われた時、すぐさま、是、と応えられる人間は、この世にどれくらいいるのだろうか。



麻帆良学園内の全体メンテのための大停電当日。
その日も千雨はいつも通りだった。
時折話しかけてくるクラスメートに最低限の受け答えを返し、授業を無難にこなした。
あの日以来、ネギ達は千雨に話しかけて来ない。愛想を尽かされたのかもしれないが、千雨にはどうでもいい事だった。ただ、宮崎のどかだけは、変わらず時折こちらを窺うような視線を向けて来る事があった。
そして一日の授業が終わり、千雨が帰ろうとしたその時、今回の事件における別口から声が掛かった。

「長谷川千雨」

名を呼ばれ振り向いた千雨は、視線の先に金色の髪を靡かせた小柄な人影を捉えた。

「マクダウェル」

エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。真祖の吸血鬼の姫が、そこにいた。
そのまま二人はしばし無言で見つめ合う。そんな二人を、帰宅していくクラスメートたちは怪訝な顔で見るが、当の二人はそれらを一顧だにしない。
やがて教室から千雨とエヴァ以外の人の気配が消えた頃、エヴァンジェリンが再び口を開いた。

「坊やの頼みを断ったらしいな?」

「ああ。私には、戦う理由がない」

エヴァンジェリンは千雨の答えを聞くと、僅かに目を細めた。

「何故そんな事を聞く、マクダウェル」

「何、私にとって未知の敵であるお前が坊やたちの側に付くと、少々厄介だと思ってな。最も、杞憂に過ぎなかったようだが」

エヴァンジェリンは肩をすくめながら言った。

「ならば、もういいな?私は行くぞ」

千雨がそう言ってエヴァンジェリンに背中を向けたその時、エヴァンジェリンが思い出したようにそれを告げた。

「ああそうだ。一つ言い忘れていた」

その言葉に千雨の足が止まる。

「私は今日の夜、行動を起こす」

「……」

「あの坊やの血を吸いつくし、夜の女王としての自分を取り戻すのだ」

「……それを私に言って、どうする」

エヴァンジェリンはニヤッと笑った。

「ふふっ、どうもせんさ。ただ、派手な事になりそうなんでな、あまり外をうろつくんじゃないぞ?」

「……今日の夜は外出禁止だ。それにわざわざ大停電の日に外に出るほど、私は酔狂な人間じゃない」

「仮面を被り歩く様な人間がよく言う……」

千雨の言葉をエヴァンジェリンは鼻で笑った。

それで話は終わったのか、エヴァンジェリンはそれっきり口をつぐんだ。そんなエヴァンジェリンを少し見つめた後、千雨は今度こそ、その場を後にした。
それを見送ってしばらく経った後、エヴァンジェリンはぽつりと呟いた。

「戦う理由がない、か。逆を言えば、理由さえあればいつでも戦うと言っている様な物だぞ、長谷川千雨……」




午後八時。
周囲の電気が、一斉に落ちていく気配がした。
そして、麻帆良に闇が訪れる。そこには、つい先程までと変わらぬ、人の営みがある筈だ。だが、人工の明かりが消えただけで、そこは人の一切住まわぬ廃墟と化したかのような光景に変わった。
そんな闇の中で、千雨は寮の自室で蝋燭に火もつけず、ただじっとしていた。
因みに、同室のザジ・レイニーデイはどこに行ったのか、不在である。
千雨の胸中には、あの後に聞いたエヴァンジェリンの言葉のせいで、何か形にはできない、蟠りの様な物が渦巻いていた。
このままでいいのか。
エヴァンジェリンを放っておいていいのか。
ネギと明日菜を、助けなくていいのか。
一度自ら拒絶した筈のそれらが、何故か千雨から離れない。
響いてくる声は仮面達の声に似ている様で、違う。まるで心の奥の奥の更に奥。千雨が自ら封じた、かつての『千雨』が叫んでいるようにも聞こえた。
だが、千雨はその声を無理矢理封殺した。

「……黙れ。私は何も、できない。しないんだ」

その時。突如千雨の部屋のドアがどんどんと乱暴に叩かれた。
弾かれた様にそちらに目を向けた千雨は、しばしそれを注視した後、何時まで経っても鳴りやまぬドアを開けるため立ち上がった。

「誰だ」

ドアを開けた千雨は、そこに息を切らせて立っている、宮崎のどかの姿を見つけた。

「宮崎」

「お願いです、長谷川さん!ネギ先生を助けて下さい!!」

のどかは千雨の姿を視認した瞬間、そう叫んでいた。

「……声が大きい。誰かに聞かれたくないから、中に入れ」

千雨はのどかの懇願には答えず、のどかを自室へ招き入れた。
いまだ興奮納まらぬのどかだが、有無を言わせぬ千雨の言葉に、取り敢えず言われるまま部屋の中に入った。

「それで、もう一度言ってくれるか。状況説明を含めて」

小さな机を挟んで対面に座ったのどかに、千雨は改めて尋ねた。
そして話し始めたのどかの言葉は、要約するとこうだった。
今後の事を話し合っていた自分達の前に、突如半吸血鬼化した佐々木まき絵が現れた。
まき絵はエヴァンジェリンの伝言を告げると、人間離れした動きで去って行った。
生徒を巻き込む事を良しとしない、という考えを持つに至ったネギが、明日菜とのどかを置いて指定された場所へ一人で向かった。
明日菜とカモと共にネギを追い掛けたが、足の遅い自分は二人を先に行かせた。
そして自分は千雨に助けを求めに来た。

「そこで何故私の所へ来たんだ」

そのくだりに入った時、千雨はのどかを問い質した。

「……千雨さんしか、頼りになりそうな人が思い浮かばなかったんです」

のどかは俯きがちにそう言った。

「この前も言ったが、他の大人に相談すれば――」

「信じて貰えません、きっと。魔法使い同士が戦っているから、止めてくれと言っても」

のどかの言葉はもっともだったため、千雨は口をつぐんだ。
この時ののどかは、この麻帆良が魔法使い達の住む場所だという事を知らない。故に、のどかの知る超常の力を振るう者達は、片手の指で数えられる程度である。
だからここに来たのだ。自分が知る、数少ない超常の担い手である、千雨の元に。

「……私の言葉は変わらない。私はあの二人の戦いに介入する理由がない」

「じゃあ、理由があれば、いいんですね?」

千雨の言葉を聞いたのどかは、俯いていた顔を上げた。

「なら、私がその理由になります」

「何?」

「もし長谷川さんが、ネギ先生達を助けてくれるなら、私、長谷川さんの言う事、何でも聞きます」

「……」

のどかの突拍子もない言葉に、千雨は表情すら変えなかったが、内心で僅かに驚いた。

「自分を安売りするのは、よくない」

千雨の言葉に、のどかは首を横に振った。

「……私、いいんちょさんみたいにお金持ちじゃないし、超さんや葉加瀬さんみたいに頭も良くない。ううん、それだけじゃない。3-Aの他の皆みたいに、胸を張ってできる事って、何もありません。そんな私が、それでも分不相応な願いを叶えようと思ったら、それこそ、『自分』ぐらいしか、差し出せる物がないから……」

のどかの言葉を聞いた千雨は、少しため息を吐いた。

「……お前が捧げようとしている『自分』とやらは、お前が思っている以上に誰かに必要とされている。お前の両親や友達、特に綾瀬や早乙女達。その人達は、お前に何かあったら、きっと悲しむだろう」

「……でも」

千雨の言葉に、のどかは黙り込んだ。それでも、気持ち自体は変わってない様子だった。

「わからないな。何故、そこまでする?」

のどかは、その問い掛けに、千雨の目を真っ直ぐに見た。
綺麗な目だ、と千雨は素直に思った。

「私、ネギ先生が好きなんです」

のどかははっきりそう言った。

「それは、先生としてではなく、男として、という意味か?」

「はい」

のどかはまたしてもはっきり頷いた。

「初めは只の憧れだったんだと思います。でも、自分の決めた目標に向かって、一生懸命なネギ先生を見ている内に、憧れよりももっと強い気持ちで、ネギ先生を見ている事に気付いたんです」

「……」

千雨は黙ってのどかの話に耳を傾ける。人としての情動に欠ける千雨にとって、恋と言う感情は完全に理解不能な物である。

「私は、臆病で、引っ込み思案で、同年代の男の子も苦手だったんです。そんな私が誰かに恋をする事なんて考えた事もなかった」

でも、のどかが何かとても大切な事を言おうとしている事だけは、判った。

「だから私、自分の気持ちに嘘をつきたくないんです。ネギ先生のために、何かしてあげたいんです」

「自分に、嘘を……」

千雨はその言葉に、先程から耳を閉ざしていた、『千雨』の声を思い出した。
その声は言うのだ。
神楽坂明日菜は、本当に見捨ててもいい様な人間なのか。
否。あのおせっかいなクラスメートは、直情径行で自分の考えを他人に押し付ける悪癖があるものの、困っている誰かのために、我が身を省みず手を差し伸べる事の出来る、優しい娘だ。
ネギ・スプリングフィールドは、本当にエヴァンジェリンの贄となって言い様な人間なのか。
否。あの小さな教師は、子どもゆえの幼さから来る失敗や、経験の無さから来る無知のために、他の誰かを傷つける事もしばしあるが、失敗を失敗として認めて努力し、与えられた役目を懸命にこなそうとする、健気な少年だ。
そんな二人を助ける理由は、本当にないのか。
千雨の答えは――。

「……宮崎。それじゃあ一つ、叶えて貰いたい事がある」

「は、はい」

突如発せられた千雨の一言に、のどかの体が強張る。
一体、どんな事を命ぜられるのだろうかと、緊張の面持ちで千雨の言葉を待っていたのどかは、次の瞬間命じられた千雨の『お願い』の内容に、思わず呆気に取られた

「最近、頓に暇を持て余す。だから、お前には図書館島に行って貰い、お前が面白いと思った本をいくつか私に持ってきて欲しい」

「へ?あ、あの、それだけですか?」

「ああ。それだけでいい。ただし」

千雨はそう言うと立ち上がった。

「特に面白い物を、頼む」

その言葉を聞いたのどかは、しばし呆けた後、我に返りとても嬉しそうな顔で頷いた。

「はい!読んで貰いたい本は、たくさんあるんです!絶対に面白いですからね、千雨さん!」

「楽しみにしている」

相変わらずの無表情のままそう言った千雨は、部屋の窓をがらりと開けた。そこには、只闇が広がるばかりだ。

「ち、千雨さん!?」

のどかは思わず立ち上がって千雨を呼び止めていた。
千雨は窓枠に足を掛け、そこから飛び降りようとしていたのだ。

「あ、あぶ、危ないですよー!?」

ワタワタと慌てるのどかに、千雨は一言。

「行ってくる」

そう言い置いて、飛び降りた。

「千雨さん!?」

すぐさま窓に駆け寄るも、そこには千雨の姿は既に影も形も無かった。

「……お願いします、神様。ネギ先生と明日菜さん、それに千雨さんを、助けて……」

今はまだ己の無力を嘆く事しかできない少女は、そう言って、静かに祈った。己の思い人と、二人の友人の無事を。



闇に包まれた麻帆良大橋に、魔法の光が咲く。
その下で、二人の魔法使いが鎬を削っていた。

「雷の暴風《ヨウイス・テンペスタース・フルグリエンス》!!!」

「闇の吹雪《ニウイス・テンペスタース・オブスクランス》!!!」

ネギとエヴァンジェリン、二人の呪文が激突する。
属性こそ違うが、同種の呪文を用いた押し合いは、全くの互角であった。

(す、凄い力……。だ、駄目だ、打ち負ける……!)

一見互角に見えるが、その実ネギは限界寸前であった。エヴァンジェリンの呪文の威力に、ネギの心に、一瞬諦めが浮かぶ。
だが、その弱い心を、すぐにネギは打ち消した。自分のために、危険を省みず来てくれた明日菜のためにも、もう逃げる訳にはいかなかったからだ。

「ええーいっ!」

気合いを入れたその瞬間、ネギは何故かくしゃみをした。

「ハックションッ!」

途端、ネギの中に眠る膨大な魔力が暴走を起こし、『雷の暴風』の威力が爆発的に増す。

「なっ!?」

驚愕するエヴァンジェリン。闇を蹴散らしていく雷光に、それらの流れを見ていた明日菜とカモが内心で(勝った!)と拳を握る。
だが、ネギの呪文がエヴァンジェリンを呑み込まんとしたその時、その進行がピタリと止まる。

「え――?」

思わず呆けるネギに対し、エヴァは獰猛に嗤った。

「ははは、少し肝を冷やしたが」

その体から魔力が立ち昇る。

「たかが10歳程度の小僧の」

ぎしり、と音を立てて空間が震える。

「制御すらできていない垂れ流しの魔力が乗った程度の呪文が」

先程のネギと違い、完璧なまでに制御された魔力が、闇色の吹雪に充填される。

「このエヴァンジェリンに」

魔法使いとしての格が違う――それを感じたネギの顔が真っ青になった。

「通じるとでも思ったかぁっ!!」

轟、と空気がうねる。暴力的なまでに膨れ上がった『闇の吹雪』が、一瞬で『雷の暴風』を撃ち砕いて行く。
そしてそれは、迫る呪文を茫然と見ている事しかできないネギを呑み込んで、その小さな体を吹き飛ばした。

「――ッ、ネギッ!!」

叫ぶ明日菜。その目の前で、ネギの体はやけに軽い音と共に橋の上に跳ね落ちた。

「ネギ!ネギ!どうしたの、大丈夫っ!?」

「あ、ああ、兄貴ぃっ!」

明日菜とカモが呼びかけるが、ネギは答えない。時折小さなうめき声が聞こえる所から、どうやら気絶しているだけの様だが、その意識は一向に回復しない。

「くっ!」

業を煮やした明日菜がネギの元に向かおうとしたその時、明日菜の進路上に立つ塞がる影が一つ。

「茶々丸さん!?」

そこにいたのは、科学と魔導、二つの技術と知識の融合によって生まれたガイノイドにしてエヴァンジェリンの従者、絡繰茶々丸だった。

「申し訳ありません、明日菜さん。マスターのご命令です。ここら先に行かせる訳には参りません」

「うぅっ、ど、退いてよーッ!!」

咆えた明日菜が茶々丸に拳を振るう。しかし、焦り動きの大きくなった明日菜の攻撃は茶々丸に取って至極躱し易いものだった。
茶々丸は体を小さく沈みこませて明日菜の拳をやり過ごすと、がら空きになった胴体に目掛けて鋼鉄の拳を繰り出す。

「がっ!?」

小さく呻いて体をくの字に曲げた明日菜に、茶々丸は追撃とばかりに蹴り足を一閃。それをもろに食らった明日菜は悲鳴もあげずに吹っ飛んだ。

「あ、姐さん!?むぎゃっ!」

飛ばされた明日菜の姿を思わず目で追ったカモは、直後茶々丸によって捕らえられていた。

「ぬぉぉ!?は、離しやがれー!」

白い体をくねらせて茶々丸の手の中で抗議を上げるカモだったが、茶々丸が少し強く揺さぶるとすぐに目を回してしまった。

「終わりました、マスター」

「御苦労、茶々丸」

ふわりと地面に降り立ったエヴァンジェリンが、従者に労いの言葉を掛ける。
だが。

「くっ……。ね、ネギぃ……」

意識を絶ったと思われていた明日菜が、顔を上げてこちらを睨んでいた。

「ふん、片手落ちだぞ、茶々丸」

「申し訳ありません、マスター」

鼻を鳴らしたエヴァンジェリンが茶々丸をじろりと睨め上げると、茶々丸は頭を下げた。
だが、ここは茶々丸の不手際を詰るより、明日菜の人間離れした耐久値に驚くべきだろう。そんな明日菜だが、意識はあっても体を動かす事は出来ない様で、エヴァ達に対し唸りを上げつつ睨む事しかできない。故に、エヴァンジェリンは明日菜の事をもはや脅威とはみなさず、一顧だにすらしない。
そしてエヴァンジェリンは取れ伏すネギに近寄り、その体を見下ろす。その唇から、堪え切れない様に高笑いが毀れた。

「ふふっ、ふふふっ、ふはははっ、あははははははははははははははははっ!!遂に、遂にこの時が来た!この忌々しい呪いを壊し、私が『闇の福音』の名を取り戻す、この時が!!」

エヴァンジェリンは嬉しくて堪らない様子で笑い続ける。その後ろでは、寡黙な従者が静かに控える。

「ああ、力を取り戻したら何をしてやろうか?目障りな学園の魔法使いどもを一掃してやろうか?それともいっその事、この麻帆良の地を灰燼に帰してやってもいいかもしれないなぁ!」

そこでエヴァンジェリンは突如ばっ、と後ろを振り返り、橋の上を見上げた。

「貴様はどう思う?」

エヴァンジェリンと同じ方向を思わず見た明日菜は、そこで己の目を疑った。
けんもほろろに断られ、冷たい言葉を投げかけられた。彼女はもう、絶対に自分達に協力してはくれないだろうと、そう思っていた。
だから、彼女がここに居る事に、明日菜は信じられない思いを抱いた。
エヴァンジェリンは、或いはこうなる事を望んでいたかのように、口元に楽しげな笑みを浮かべて、その名を呼んだ。

「長谷川、千雨!」

麻帆良大橋の欄干の上に、裾まで届く長いコートを纏い、相変わらずの無表情でエヴァンジェリン達を見下ろす、長谷川千雨が、そこにいた。



【あとがき】
この小説の千雨は、『おもかげ幻舞』の蒼に比べて、もう少しだけ人間らしい部分があります。
次回は二人の二度目の激突。それでは、また次回。



[32064] 第五話「モザイク仮面」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/17 22:07
人は誰でも仮面を被って生きている。
笑顔の仮面の下で泣き、怒りの仮面の下でほくそ笑み、涙の仮面の下で舌を出す。
だがそれは、知性と理性を持つ人間が、己で作り上げた社会という名の牢獄を生きていくために必要な行為である。
ならば人を外れて夜を生きる、『吸血鬼』という存在は、脆弱な人間と違い常に素顔で居られるのだろうか?
その答えは――。



「予感はしていたのだ、長谷川千雨。お前は、どこかで関わってくるとな」

エヴァンジェリンが千雨を見上げて笑う。その傍らに立つ機械仕掛けの従者は、そんな主を尻目に、新たな敵に対しての警戒を怠らない。
そして、倒れた姿勢のまま千雨を見上げていた明日菜は、未だ驚愕の面持ちのままだ。
三者三様の視線を受けた千雨は、欄干を蹴ると、ふわりと宙を舞い、危なげなく着地した。

「エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル」

降り立った千雨は、エヴァンジェリンに静かに見つめて、告げる。

「もしお前が今言った事を実行に移すなら、私はお前殺してでも、それを止めなければならない」

「ほう……」

千雨の言葉に、エヴァンジェリンが心底嬉しそうな顔をする。

「千雨ちゃん、どうして……?」

明日菜が千雨に問う。その瞳には、疑念が渦巻いている。

「それは私も聞きたいな、長谷川よ。何故、今になってこいつらに味方する?」

二人の問い掛けに、千雨はしばしの沈黙の後、

「……この場所は、麻帆良は、そこにいる人間も含めて、思っていた以上に私にとって大切な場所だったらしい」

その答えを聞いた瞬間、エヴァンジェリンの表情が変わる。先程までの楽しげな表情から一転、まるで大切な物を取り上げられたかの様な、無くした物を相手が持っている事への嫉妬の様な、そんな様々な物が入り混じった、複雑な不機嫌顔になった。
そんなエヴァを横目に見つつ、今度は千雨が明日菜に尋ねる。

「神楽坂、先生は無事か?」

「えっ!?あっ、うん!気絶してるだけみたい」

「お前は、動けるか?」

「な、なんとかね……」

千雨の言葉に応えて、明日菜がぎこちない動きであるが立ち上がる。
それを見て、エヴァンジェリンと茶々丸は密かに驚愕する。

(あいつ、もう動けるのか……)

(通常ならば、あり得ません。回復が早すぎます)

主従揃って、明日菜の常識外れの回復力に呆れ混じりに感心をしていると、千雨が明日菜に命じる。

「なら、先生とついでに、そこのオコジョを連れて逃げろ」

「えっ!?」

明日菜が戸惑っな様な声を上げる。

「ち、千雨ちゃん一人置いていける訳ないじゃない!」

「気絶した子供と小動物、そして死に体の女が一人いた所で、足手纏いにしかならない」

明日菜の抗議を、千雨はバッサリと切って捨てた。

「うぅっ……。で、でも」

それでも尚も言い募ろうとする明日菜に、千雨は更に告げる。

「ネギ先生が心配じゃないのか?」

こう言えば退くだろうと思った千雨だが、明日菜は。

「千雨ちゃんも心配に決まってるじゃない!!」

千雨の思っても見なかった事を言った。

「……私の事はいい。行け」

「ち、千雨ちゃん……」

「行け」

その情動の感じられない言葉から、明日菜は何処か有無を言わせぬ物を感じ、顔を曇らせながらぎこちない動きでネギ(あとカモ)を抱き抱えた。

「すぐに、すぐに助けに来るから!」

そう言って、明日菜はゆっくりとその場から遠ざかっていった。

「マスター。ネギ先生達を追わなくてもいいのですか?」

茶々丸が己の主に進言するが、エヴァンジェリンは不敵に笑っただけだった。

「構わん。長谷川の言っていた通り、碌に動けもしないあいつらなど直ぐに捕らえられる。それよりも、今はこの女から目を離す方が恐ろしい。何をしてくるかわからんからな」

「……」

千雨は無言。その佇まいからは、何も感じられない。
幽鬼の様だと、エヴァンジェリンは思った。

「茶々丸、全力で行け。神楽坂明日菜と戦った時の様な手加減は一切いらん」

「よろしいのですか?」

「ああ」

「……了解しました」

主の命を受け、機械仕掛けの従者は千雨と向かい合った。

「絡繰。お前もマクダウェルの側だったのか」

「はい。マスターの従者を務めさせて頂いています。戦場で見えるのは初めてですね、長谷川さん」

千雨が淡々と尋ねれば、茶々丸も静かに返す。

「一つ聞きたいのだが、お前はロボットなのか?」

千雨の問いに茶々丸は頷く。

「正確に言えば、ガイノイドです。超鈴音と葉加瀬智美の二人の手により造られました」

「あいつらも仲間か……」

その呟きが聞こえていたのだろう、エヴァンジェリンが口を挟んだ。

「フン、仲間などと言うほど高尚なものではないさ。互いの目的のために一時的につるんでいるだけだ。特に超鈴音、奴は奴で何か別の事を考えている様だしな」

「そうか」

千雨は短くそう答えただけであった。色々ときな臭い事を聞いたが、今はそれよりも、目の前にいる敵を制さなければならない。
千雨はコートの懐から取り出した仮面を一枚、被る。

「出たな」

エヴァが笑う。
千雨が取りだした仮面は、人の髑髏に似ていた。目にあたる部分にぎょろりとした眼球がへばりつき、所々に細かい模様の様な物が刻まれている。

『モザイク仮面』

くぐもった声で千雨は告げる。

『メキシコより出土した謎のドクロ。部分的にモザイクを加工している事からこう呼ばれる』

茶々丸は、目の前にいる少女の行動が理解できず、困惑した。だが、主の命がある以上、自分は只敵を打ち倒すだけだと思い、自身のモードを戦闘機動へと切り替える。
体内の機械が唸りを上げ、茶々丸の両腕からは鋭利なブレードが2本飛び出す。

「参ります、長谷川さん」

一言告げて、弾かれるように飛び出す。その動きは明日菜と戦っていた時とは雲泥の違いであった。
対して千雨は棒立ち。ただ、仮面の虚ろな目を茶々丸へ向けただけである。
両者の距離が手を伸ばせば届く、と言う所まで来た時、突如として茶々丸の足ががくり止まり、その場に跪いた。

「なっ!?どうした、茶々丸!」

エヴァンジェリンが驚いたように従者に問いかけるが、茶々丸は答えない。それどころか、その人間並みに滑らかだった動きが、壊れたブリキの玩具の様なぎこちない物へと変わり、間接の各部がぎちぎちと嫌な音を立てている。

「ミ、ミミミ未知ノ、ウィルス・プロロロログラムノッ、シシシ侵入ヲヲヲ確ニン゛ッ!攻勢防壁ィィィィィィ、トトトトッパ?キキキ緊急ジタァァァァ発生ッ!?自閉モードニハャイイイリ!??!マス。……マ。、アスタァァァァ。申シ訳ッ」

ノイズ混じりの言葉の羅列の後、茶々丸は体の機能を停止させ、その場にがしゃりと倒れた。
エヴァンジェリンはそれを茫然と見ていたが、次の瞬間我に返って、千雨を睨みつけた。
「長谷川ぁ……!貴様、貴様茶々丸に何をした!?」

その問いに対して、千雨は何も答えない。だが、もし言った所で信じないだろう。仮面を媒介にして生み出した、思念でできたコンピューター・ウィルスによって茶々丸の電子頭脳を攻撃したなどと言う事は。
そしてエヴァンジェリンも目の前にある結果を認めざるを得なかった。
己の従者は手も足も出ずに倒され、相手は無傷。惨憺たる事実に臍を噛むエヴァンジェリンは、己自身が戦う覚悟を決める。
その時、そんなエヴァンジェリンの足元に小さな影が降り立った。

「お前は……」

「ヨー、ゴ主人。何カ、面白ェー事ニナッテンジャネーカ」

妙に甲高い声でエヴァンジェリンを見上げて言ったのは、ニ頭身ほどの小さな人形であった。

「チャチャゼロ。お前には他の人形達と周辺の警戒を命じた筈だが?」

エヴァンジェリンが少し不機嫌そうにそう言うと、チャチャゼロと呼ばれた人形は、妙に人間臭い仕草で肩を竦めた。

「誰モ来ネェーカラ、暇デ暇デショウガネェンダヨ。アノ気配隠蔽ト人払イノ護符ハイイ仕事シテルゼ」

「そうか……」

チャチャゼロの言葉に、エヴァンジェリンは件の護符の出所を思い出す。
それは、大手のオカルトサイトの通信販売で普通に売られていたのだ。勿論、まほネット――魔法使い専用の通信網ではなく、只のインターネットのサイトである(因みに出品者はT・Aのイニシャルを持つ現役陰陽師らしい)。
エヴァンジェリンの目から見ても本物にしか見えなかったそれを試しに購入し、今回の件に関しての他の魔法使いの介入を防ぐために使っててみたのだが、効果の方は抜群だったらしい。

「世の中も変わった物だな……。神秘の秘匿などくそ喰らえな物ばかりだ」

エヴァンジェリンがしみじみそう言うと、

「ババァ臭ェナ、マスター」

「やかましいわっ!」

人形の容赦ない突っ込みに、エヴァンジェリンは眉を吊り上げて怒った。

「マァ、ソレハ置イトイテ。末ノ妹ガヤラレタンダ、姉ノ出番ジャネェノカヨ、マスター」

さりげなく主の怒りを逸らしたチャチャゼロの言葉に、エヴァンジェリンは考え込む。
相手の力は未知数。相対するならば、もう少し向こうの力の底を知っておきたい、とエヴァンジェリンは思った。

「……良いだろう、チャチャゼロ。ただし、手加減は無用だ」

その言葉を聞いたチャチャゼロは歓声を上げる。

「ケケケケケッ!イイノカヨ、ゴ主人!?俺ハ遠慮ナンカシネェゾ?」

「ニ言はない。行け」

主に最終確認を取ったチャチャゼロが腰の装着されていたナイフを引き抜いて嬉しそうに振り回した。

『お前もマグダウェルの従者か?』

動き回る不気味な人形を見ても、千雨は変わらず無表情である。

「オオヨ。『闇ノ福音』ノ一番ノ従者、チャチャゼロ様ダ。マスターノオ許シガ出タカラナ、遠慮ナクヤラセテ貰ウゼ」

チャチャゼロは闘争意欲と殺戮意欲を剥き出しにして笑う。

『戦う事が、暴力が好きそうだな』

千雨の言葉にチャチャゼロは更に笑う。

「アア、好キダネ!俺ハソノ為ニ作ラレタンダ!マスターノ敵ヲ壊シ、蹴散ラシ、殺ス為ニヨォッ!ダカラ、オ前モ死ネ、小娘!」

『暴力の構図からは、誰も逃れられない。戦うために作られた存在であっても、いずれ弱者になる時が、来る』

千雨の言葉は静かに紡がれる。

「ソレガ今ダトデモ言ウノカヨ?ケケケッ、上等ダ!俺ヲ弱者ニ引キ摺リ下ロシテェンナラ、力尽クデヤッテミロヨォォォッ!!」

奇声を上げながらナイフを振りかざし飛び掛かってくるチャチャゼロ。それに対し、千雨の取った行動は素早かった。
今だ『モザイク仮面』に覆われていた顔をひと撫で。その瞬間、千雨の『顔』が変わる。

「変面の技、と言う奴か」

中国に伝わる大道芸の一つを間近に見たエヴァンジェリンが、その眼にもとまらない動きに少し感心する。

「ナンノツモリカ知ラネェガヨォ、ソノフザケタ仮面ゴトブッタギッテヤルゼェェェッ!!」

チャチャゼロは千雨の所作に構わず、振り上げたナイフを渾身の力を持って振り下ろす。大ぶりのナイフが千雨を切り裂くと思われた刹那、そのナイフは虚しく空を切った。

「チッ!避ケテンジャネェ……ッテ、アレ?」

振り返ったチャチャゼロは、自分が知らない場所に立っている事に気付いた。
赤茶けた大地に、所々に見える僅かな緑。
上空からは強い太陽の光が容赦なくこちらを見下ろしている。

「ド、何処ダヨ、ココ?」

チャチャゼロが周囲を見渡すが、千雨はおろか己の主たるエヴァンジェリンの姿も見えない。
その時、チャチャゼロは前方に複数の人影を見つけた。

「アア、ナンダテメェラ?妙ナ格好シヤガッテ」

そこに立っていたのは、浅黒い肌に簡素な獣の皮でできた様な服を素肌に着ただけの男達だった。牙や爪でできた装飾品を着け、手には木製の盾や、先端が石でできた槍などを持ち、顔には仮面を付けている。

『戦いを挑む者か?』

男達の一人が問いかける。

「何言ッテヤガンダ?ソレヨリモ、ココガ何処カ教エヤガレ」

チャチャゼロがそう言うが、男達はそれを丸で聞いていない様に更に言葉を続ける。

『このアフリカの勇猛で知られるゲレ族に戦いを挑むとは』

『我々は勝つまで絶対に戦いを止めない』

男達はそう言うなりチャチャゼロに襲い掛かって来た。

「ウワッ!?」

石槍の鋭い穂先を躱したチャチャゼロは思わず悲鳴を上げるが、すぐに頭を切り替え、反撃に転じる。
この男達が何者かは知らないが、自分の敵である事だけは確かなのだから。

「ケケケケケッ!ドーユーツモリカハ知ラネェケド、コノ『闇ノ福音』一番ノ従者、チャチャゼロ様ニ喧嘩売ッタンダ。只デ済ムト思ウナヨォォォッ!!」



「おい、チャチャゼロ!しっかりしろチャチャゼロ!!」

エヴァンジェリンは、奇怪な笑い声を上げながら、あらぬ虚空に向かってナイフを振り回すチャチャゼロに必死に呼びかけるが、チャチャゼロの耳にその声は届いてないようだった。

(またしても……!)

エヴァンジェリンはギリギリと歯ぎしりをした。一連の攻防は、あっさりと自分の従者達を無力化した目の前の少女の力の異様さを浮き彫りにしただけだった。

「やってくれるじゃないか、長谷川」

エヴァンジェリンはひきつった顔でそう言う。千雨は黙って被っていた粘土出来た朴訥とした仮面を外し、それを懐に収める。
最新と最古の従者達は無力化され、相手の能力も解らない。状況としてはこちらが不利だと、エヴァンジェリンは思う。
だが。

(それがどうした?生きる事にしがみついて600年。相手の手札が解らない、自分一人で戦わねばならない、そんな事など常にあった筈だ。今更何を恐れる事がある!)

自分は『闇の福音』。夜の女王にして最強の悪の魔法使いなのだから。
エヴァンジェリンは己を鼓舞し、千雨に鋭い視線を向ける。それを受ける千雨の瞳は、相も変わらず無情。なんの情動も浮かんではいない。

「……正直どこかでお前をまだ侮っていたのだと思う。妙な力を使っても、所詮は15の小娘、こちらが本気を出せば手も無くひねれる相手だとな」

「そうか」

「その認識を全て捨てる。全力で、全開で――お前と戦おう」

エヴァンジェリンの体から魔力が立ち上る。周囲の空間が歪んで見えるほどのその魔力は、正に真祖の吸血鬼に相応しい物であった。
そのエヴァンジェリンを前に、千雨は静かに新たに取り出した仮面を顔に装着する。。

「行くぞ!長谷川千雨!!」

咆えたエヴァンジェリンが千雨に向かって、飛ぶ。
長い夜の最後の一幕が、今幕を開ける。


【あとがき】
今回の話に登場した仮面の能力ついて軽く説明。
『モザイク仮面』:仮面を媒介にあらゆる電子機器にハッキング、クラッキングを行う事が出来る仮面。
『ゲレ族の仮面』:暴力に酔う者に、その終わらない連鎖の虚しさを幻影と言う形で知らしめる仮面。取り込まれた者は勝つ事も負ける事も出来ず、永遠に戦い続ける。
次回はついに決着。それでは、また次回。



[32064] 第六話「君の大切な人達へ(前編)」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/17 22:41
轟々と風の鳴る。
闇に包まれた麻帆良の地に突発的に巻き起こった大風は、周囲の暗闇と相まって、それを聞く者に原初的な恐怖を呼び起こした。
故に、今宵は長く起きる者はあまりいないだろう。
しかし、人々は知らない。
この風を巻き起こしたのが自然の気紛れなどではなく、一人の仮面をつけた少女である事を。



「ぐ、ぐぅぅっ!」

巻き起こる風に翻弄され、エヴァンジェリンが苦悶の声を上げる。細められた視界の中心で、一人の少女が立っている。
極彩色に彩られた、一枚の仮面をつけた少女が。

『アメリカインディアンのクワキウトル族の風の精霊。それを象ったこの仮面は、「エアーマスク」と呼ばれた』

くぐもった千雨の声がエヴァンジェリンの耳に届く。

「風の仮面……だと?」

憎々しげに言うエヴァンジェリン。だが、その感情も無理はない。
先程から仕掛けた攻撃の全ては、この風によって逸らされ、流され、受け止められている。

「喰らえっ!」

エヴァンジェリンが吠える。

「氷槍弾雨《ヤクラーティオー・グランディニス》!!」

呪文と共に、エヴァンジェリンの手から何本もの氷の槍が放たれる。その全ては過たず千雨を刺し貫かんと空気を裂いて迫るが――。
轟っ!
氷の槍が千雨に到達する直前、千雨を中心にして巻き起こった風のうねりが、氷槍の群れを蹴散らす。
またか、とエヴァンジェリンは舌打ちする。先程からこの繰り返しである。遠距離からの呪文は全て風の壁に阻まれる。

「かぁぁぁぁっ!」

ならば、と雄叫びを上げてエヴァンジェリンが千雨に迫る。捕まえてしまえば、そこからはエヴァンジェリンの独壇場である。吸血鬼という存在ゆえに、エヴァンジェリンはその膂力も凄まじい。千雨ぐらいの少女ならば、素手で五体に解体できる程である。
しかし、千雨との距離が一定にまで達した時、甲高い音と共に空気が鳴る。
そして次の瞬間、エヴァンジェリンは全身を切り刻まれて悲鳴を上げた。

「ぐぅあぁぁっ!?」

かまいたち。
瞬間に発生する真空が、外部との圧力差によって裂傷を作り出す現象である。
それらに傷つけられ、苦悶に喘ぐエヴァンジェリンを更に追撃するように、千雨が大きく腕を振るう。途端、物理的な圧力を伴うまでに圧縮された風の砲弾が、エヴァンジェリンの体を容赦なく跳ね飛ばした。

「はぁ、はぁ、はぁ、……」

息を荒げるエヴァンジェリンに対し、千雨は仮面で表情こそわからぬものの、大した疲労は見られない。
離れれば鉄壁、近づけば蹂躙。
エヴァンジェリンは、まるで本当の風の精霊を相手にしているかのような気分になった。

(大威力の広域殲滅魔法ならば、あの風を打ち破ることもできるだろうが……)

それはある魔法体系においては奥義とも称される魔法であり、断じて個人に向けて放つようなものではない。

「……それに、手が無い訳でもないし、な」

呟くと同時に、エヴァンジェリンは魔法を発動させる。
『断罪の剣《エンシス・エクセクエンス》』。
無詠唱おいて、現在のエヴァンジェリンが発動させられる内では、最も強い魔法である。
右手に宿したそれを掲げ、エヴァは先程同様、千雨に向かって突貫する。同時に残った左手で別の魔法を放った。

「氷爆《ニウィス・カースス》!!」

大気を凍てつかせる氷の息吹が千雨に向かうが、それは風の防壁の前には通らない。しかし、そんな事はエヴァンジェリンにもわかりきっていた事だ。
エヴァンジェリンの目的。それは――。

「ははっ、見えるぞ!」

凍てついた白い大気を裂いて、かまいたちの軌跡が顕わになる。 
夜の闇と相まって、先程は視認ができなった攻撃が、エヴァンジェリンの目にははっきり映った。
己に向かい来るそれらを、エヴァンジェリンは断罪の剣によって全て切り裂いて行く。
そのままエヴァンジェリンは千雨に向かうが、その途中を風の壁が阻む。

「舐めるなぁ!」

しかし、エヴァンジェリンは気合一閃、大気の壁をも切り裂いて更に加速する。エヴァンジェリンを阻むものは、もうない。千雨との間合いは、最早一投足の範囲である。

(殺った!)

エヴァンジェリンは己の勝利を確信する。仮面を付け替える暇も与えない。最速、最高を持って後は切り裂くだけだ。
その時、エヴァンジェリンはひどい耳鳴りを感じた。
それを不快に思う暇もなく、次の瞬間、エヴァンジェリンの体が『沸騰』した。

「ぎあっ……!!」

己の口から迸った悲鳴すらも焼きついた。エヴァンジェリンは体に走る激痛と言うのも生温い程の痛みに、悶絶する。
気圧が低下し真空状態に近づくと起こる現象の一つに、物質の沸点が低くなるというものがある。これを人体に置き換えた場合、わずかな体温であっても血は沸騰し肉は焼けていく。
その瞬間、千雨は自分を中心とした狭い空間内に空気のドームを作り出し、そこの気圧を一気に下げたのである。
文字通り死ぬ程の痛みの中、エヴァンジェリンは半ば無意識の内に、無詠唱の氷の呪文を己の体に叩き込んでいた。体が凍りつき、体温がゼロ近くまで一気に下がる。
無論、唯の人間がこんな事をすれば大怪我、或いは死んでもおかしくはない。真祖の吸血鬼であり、高い自己治癒能力を持つエヴァンジェリンだからこそできる荒業であった。
体の熱さが引いたエヴァンジェリンはすぐさまその場から離脱する。

「げはぁっ……!」

内臓までもやられたのか、エヴァンジェリンは濁った色の血を吐いた。その体からは白煙が立ち上る。傷が凄まじい勢いで治癒される事に伴う熱によるものであった。

(ここまでとは……!)

痛みが引いて行くにつれ、思考がクリアになったエヴァンジェリンは己の愚を悟る。
長谷川千雨という存在が、ここまで厄介な相手だと知っていれば、余計な事に関わらず、すぐさまネギの血を吸えばよかったと。
その時、何の前触れもなく、立っていた千雨が膝をついた。
何事かと目を見張るエヴァンジェリンの前で、その体が瘧の様に震え、血でも吐いたのか仮面越しに赤い物が滴る。

「……はは。成程、あれほど強大な力を振るう事は、お前にとっても大きな負担になっていたか」

自分が戦っているのが、人間であるという事を、エヴァンジェリンは久しぶりに認識した。

「……問題は、ない」

蹲っていた千雨がふらつく体を押さえて立ち上がる。少なくとも、その声の調子だけは普段通り平坦なままだ。

「無理をするな、と言ってやりたいが、それはこちらも同じか……」

エヴァンジェリンは力無く笑う。

高速治癒とて無限にできる訳ではない。魔力や体力をどんどん消費していくのだ。
これがそこらの魔法使い程度の相手との戦いならば、高い魔力に吸血鬼としての強靭な体ゆえに、傷の治癒に負担など感じたりはしない。
しかし、千雨という未知の力を使う相手に負わされた手傷は、その一つ一つが致命傷になる程の威力を持っていた。
己の劣勢を感じるエヴァンジェリンは、ぎりっと歯噛みする。このままでは、逃げられてしまう。
あの男の息子に。
ネギ・スプリングフィールドに。
己の呪いを解くためのカギに。
心に募る焦燥は、咆哮となってエヴァンジェリンの口から迸る。

「邪魔を……、邪魔を、するなぁっ!」

エヴァンジェリンは立ち上がりながら、千雨を射るように睨み付ける。

「私は、ここから出るんだ!一刻でも、一分でも、一秒でも早く!!こんな、こんな場所から、こんな地獄から!!」

エヴァンジェリンは堰を切ったかのように叫び続ける。

「私は、ここが、この麻帆良という土地が――、大嫌いなんだ!!」

「……好きの反対は、無関心」

「何?」

千雨は仮面越しの瞳をエヴァンジェリンにひたりと向ける。

「マクダウェル。おまえはこの麻帆良で、何を見た?」

本質にずばりと切り込む率直な千雨の言葉に、エヴァンジェリンはしばし呆然となったが、やがて自嘲気味に歪んだ笑みを顔に張り付けて語り始めた。

「くかかかか……。いいだろう。殺し合いの最中の手慰め程度に聞かせてやるよ。私が叩き落とされた――地獄を」



15年前のあの日、下らん罠にかかった挙句、呪いによって力を封印されて強制的に学校に通わされる事になった私は、当然反発した。

そんな私に、呪いをかけたあの男は言ったのだ。

光に生きてみろ、と。

何を今更と思ったさ。

10の頃に吸血鬼へ変えられて以来、そんな物とはずっと無縁だった。

追われ、殺され、追い、殺し。

老若男女、貴賤を問わず、私に向かってくる者は、殺して、殺して、殺し尽してやった。

そんな風に生きている内に、いつの間にやら賞金首。私を狙う馬鹿共は益々増えていった。

『闇の福音《ダーク・エヴァンジェル》』。

『人形遣い《ドールマスター》』。

『不死の魔法使い《マガ・ノスフェラトゥ》』。

『悪しき音信』。

『禍音の使途』。

『童姿の闇の魔王』。

私の名前も、それに伴って増えていった。

信じられる者は誰もいない。己の手で生み出した人形だけが、孤独を癒す唯一の慰めだった。

そんな私に、光に生きてみろなどとほざくあいつを、それなのに信じたのは、……まぁ、言いたくない。

ともかく、私が卒業する三年後に呪いを解くと言ったあいつを見送った私は、嫌々ながら学校へ向かった。

卒業するまで誰とも関わらず、静かに過ごしてやろうと思っていた私を待っていたのは――あの男の言っていた通りの、光だった。

今でも覚えている。

隣に座っていたあの子は、初対面の私に屈託なく話しかけて来てくれた。

最初は無視してやろうと思っていたのに、言葉が通じていないからとでも思ったのだろう、終いには辞書まで使って、拙い英語で私に話しかけてくるのだ。

その様子がおかしくて、気がつけば返事を返していた。私が日本語が喋れると知った時の怒りっぷりには、参ったがな。

あの子は静かに過ごそうとする私を、何処にでも無理矢理に引っ張って行った。こちらがどんなに抵抗しても無駄だった。最後には私が折れて、あの子に付き合ってしまうんだ。でも、それらは不思議と嫌じゃなかった。

そうこうしている内に、あの子を通じて友達ができた。皆、あの子と同じような視線を、温かな視線を私に向けてくれた。

その時やっと気付く事が出来た。

ここでの私は『闇の福音』でも、『真祖の吸血鬼』でもない。

ただの女の子でいいのだと。

遥か時の彼方に置いてきた、小さな少女だった『エヴァンジェリン』でいてもいいのだと。

それからは毎日が輝いて見えた。

皆と一緒に授業を受けて、お昼には一緒にお弁当を食べて、放課後には一緒に遊びに行って。

何気ない毎日は私にとってかけがえのない記憶に、大切な宝物になっていった。

この子達と一緒にいられるなら、あの子と――「親友」と一緒にいられるなら、背負った全てを捨ててもいいと思った。

全ての禍つ名を捨てて、それまで培った魔道を捨てて、吸血鬼としての力を捨てて。

光の道を、共に歩んでいきたいと、強く思った。

そして、きっとそれらは叶うのだと信じていた。

あの日までは。

卒業式の日の事だ。出席しようとしていた私は、突如活性化した呪いに縛られ、意識を失った。

そして次に目を覚ました私を待っていたのは、600年間の生の中でも、感じた事が無い程の深い絶望だった。

私のそれまでの学歴が全て消え、何故か再び一年生に逆戻りしていた。

それだならまだいい。書類ミスだとでも指摘すればいいだけなのだから。

本当に私を絶望させたのは、あの子達から、私の大切な友人達から、私の記憶が消えていた事だった。

その時の私の気持ちがわかるか?

昨日まで向けられたあの温かな視線は消え失せて、赤の他人を見るような眼で見られた時の気持ちが。

全ては呪いのせいだった。

三年間学校に通わされる事を強制されるこの呪いは、それを過ぎても解かれる事はなく、やり直しを強制させるに伴い、周囲の矛盾を取り繕おうと、記憶の改竄まで行っていたのだ。

それからは地獄だった。

待ち望んだあいつは来ない。

僅かながらに結んだ絆も、三年経てば消え失せる。

皆が前に進んでいく中で、私だけが永遠にこの場所で足踏みをし続けなければならない。

呪いを解かない限り、永遠に。

全てを呪った。

あいつも。

このふざけた呪いも。

光を無邪気に信じた、愚かな自分も。

結局、あいつがやった事は、光の影にできた更に深い闇の中に私を突き落としただけだった。

だから、私はあの男の息子を使って呪いを解くんだ。

そして出て行くんだ。ここから。麻帆良から。

大好きで、大嫌いなこの場所から。

こんなにも、こんなにも寂しい思いをするならば、初めから一人でいい。

もう光なんて望まない。闇の中で化物は化物らしく、孤独に生きていくんだ。

私は、私は――もう、独りぼっちは嫌なんだ!



己のため込んでいたすべてを吐露したエヴァンジェリンを前に、千雨の心は揺れ動いていた。
似すぎていたのだ、エヴァンジェリンと自分の境遇が。
孤独に身を委ねながら、それでも誰かとの繋がりを求める事も。
人ではない体を抱えて、それゆえに悩み苦しむその姿も。
光を見失い、絶望するその心も。
それら全ては、千雨がかつて味わい、そしてこれから起こり得るかも知れない出来事だった。
だが、千雨とエヴァンジェリンでは決定的に違う事がある。
千雨は外来の出来事に対して、心を凍らせる事で対処した。
でも、エヴァンジェリンにはそれができない。
優しすぎるのだ、この少女は。
悪を名乗り、非道を行っても、彼女の本質は善なのだろう。
その優しさゆえ、エヴァンジェリンは何も捨てられない。心の中にある輝きから逃げられない事は、エヴァンジェリン自身が一番よくわかっている筈なのに、それでも目を閉じ、耳を塞ぐ。
そんな事をすれば、一番辛いのはエヴァンジェリンなのに。
だから、千雨は言うのだ。
同じ思いを抱く者として。今この時に繋がりを得た級友として。

「私がお前を救おう、エヴァンジェリン」

それを聞いた瞬間、エヴァンジェリンはぽかんとした顔になり、次いで顔を伏せ低い声で笑い始めた。

「ふふ、ふはは、はははははは、あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!!!」

そして顔を上げたその時、エヴァンジェリンの表情を彩っていたのは、憤怒であった。

「殺 す!!」

凄まじい殺意を噴出しながら、エヴァンジェリンは咆えた。

「よくも、よくもそれほどの傲慢を口にしたな、長谷川千雨!救う?救うだと!?私の苦しみなど、私の絶望など知る由もない餓鬼が、よくも!!許さん、貴様だけは、絶対に許さんぞ長谷川!!その五体を寸刻みにばらして、生きながら地獄に送ってやるわ!!!」

言うなり、エヴァンジェリンは呪文の詠唱を始める。
唱えるは、秘奥。
広域殲滅呪文、『おわるせかい』。


【あとがき】
強い能力を使用し続けると自身も傷ついて行く、と言う千雨の設定は今作のオリジナルです。まだ体も出来上がってない、中学生ですしね。
エヴァンジェリンさん過去バナ&ブチ切れ回。
救うって言葉は、状況によっては、かなり傲慢な言葉になるように思えます。
それでは、また次回



[32064] 第七話「君の大切な人達へ(後編)」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/17 23:33
――大切な人達がいますか?



夜闇を凍てつかせる蒼の波動。
エヴァンジェリンの魔法である。
150フィート四方の空間をほぼ絶対零度にできる、広域殲滅魔法。
『おわるせかい』。

「契約に従い 我に従え 氷の女王」

朗々と紡がれる詠唱。
それを聞きながら、千雨は己の全身が総毛立つのを感じていた。曰く、『これはまずい』。
もし直撃でもしようものならば、死は免れないだろう。
だが、千雨に逃げる素振りはない。既に心を決めていたからだ。
目の前に居る、年経た、それでも幼い吸血鬼の姫を救おうと。

「来れ とこしえの やみ! えいえんのひょうが!」

千雨は己の力を行使する。その体を中心に、風が渦を巻く。それは周辺の大気を喰らって膨れ上がり、凄まじく巨大な竜巻へと変貌を遂げる。巻き上げられた土砂が逆巻き、その姿は恰も天に立つ黒い一本の塔の様になっていた。

「全ての 命ある者に 等しき死を」

エヴァンジェリンは怒り狂っていた。目の前の仮面の少女に。
軽々しく救うなどと口にした、その愚かな少女に。
誰も自分を救ってはくれなかった。
呪いを解くと約束した男は来なかった。
学園の魔法使いはこれ幸いと、自分をこの場所へと封じ込めた事を喜んでいた。
己の矜持が邪魔をして、泣き叫ぶ事もできなかった。
それでも、心の奥で、人間だった、只の生徒であった頃の『エヴァンジェリン』はずっと泣いていたのだ。
友達を返して。
あの日々を返して。
大切な、宝物みたいだった、あの記憶を返して、と。
誰にも届かなかったその叫びは、いつしか憎しみに変わってエヴァンジェリンの中で渦巻いていた。
千雨の言葉は、そんな凝り固まった憎悪を見事に刺激したのだった。
故にエヴァンジェリンは止まらない。
これから放つ魔法が、相手を完全に死に至らしめる魔法である事を知っていても、躊躇う心も既にない。

「其は 安らぎ也」

解き放たれた黒い感情の赴くまま、仮面の少女を殺すだけだ。



軋む体を押さえ、ゆっくりとだが麻帆良大橋から離れていた明日菜は、遠くに見えるその光景に息を呑んだ。
天に揺らめく蒼い凍気。
天を突く黒い竜巻。
その二つの現象が対峙する、凄まじい光景を。

「千雨ちゃん……」

友の名が口からこぼれる。
あそこで戦っている存在を知っていれば、今の目の前で起こっている事が誰の手によるものなのかは明白であった。
明日菜は知らず、唇を噛んでいた。
何もできない、何もできなかった。そんな自分の無力が、只恨めしかった。
ネギの目は、まだ覚めない。



千雨の部屋でネギや明日菜、そして千雨の帰りを待っていたのどかは、外で何かが起こっているのを察知した。
闇の奥は目を凝らしても何も見えない。
それでも、何か途方も無く巨大な力が蠢いている事だけはわかった。

「……!」

のどかは先程から祈り続けていた何者かに更に願う。
どうか、大切な人達が無事に帰ってきますように。



学園周辺で警備を行っていた魔法先生、及び魔法生徒達は、突如出現したその極大の魔力のうねりに目を剥いた。
余談だが、エヴァンジェリンが『おわるせかい』を発動させた直後、その魔力の負荷に耐えきれなくなった穏行と結界の符が、弾け飛んでいたのだ。
攻めていた外部の魔法使い達も、突然の事態に驚愕していた。
守る者も、攻める者も、揃って口を開けて放心するしかない。それほどの力の波動だった。
今この瞬間、魔法と言う異能を使う者達は全て、何もできず、ただその力の行方を見ている事しかできなった。



エヴァンジェリンの呪文の詠唱が終わる。
蒼い大気が周辺の全てを凍てつかせながら控える。
千雨が風の制御を終える。
暴虐の力を込めた黒い竜巻が、荒々しく吠える。
それはまるで、本来ならばぶつかり合う事など決してない、大自然の脅威同士がぶつかり合う様な光景だった。

「おわるせかい!!」

凍てつく大気が放たれる。
千雨もまた、黒い竜巻を解放する。
唸りを上げるそれは、喜びにも似た咆哮を上げて凍てつく波動に躍り掛かる。
瞬間、光なき爆発が巻き起こる。
世界が割れる様な轟音と共に、極大の力同士が激突した。
凍てつく波動の欠片が木々を氷漬けにする。
黒い竜巻の残滓が大地を蹂躙する。
その中心で、小さな少女達が、互いに異能で鎬を削る。

「ぐぅぅぅぅっ!!」

「…………!!」

一進一退。退いては喰らい、押しては喰らいつかれる。
しかし、終わりなく続くかと思われた均衡が、突如崩れる。
ぴしり。
小さな音がした。その発生源は――千雨の仮面。
限界以上に力を振り絞る千雨の力に、仮面が耐えきれなくなったのである。
そうしている内にも、仮面の罅は広がっていく。それに伴い、竜巻の威力も低下し、蒼い大気のうねりがそれを浸食していく。
そしてその瞬間は訪れる。
硝子の割れるような澄んだ音を立てて仮面が砕け散る。
それと同時に雲散霧消する黒い竜巻の後を、凍てつく死の息吹が蹂躙し、千雨の姿を呑みこんだ。



「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

荒く息を吐くエヴァンジェリン。
その胸中に満ちるのは、虚しさだった。
怒りのままに魔法を振るい、感情の赴くまま咆えたてて、それが一体何になるのだろうか。
今のぶつかり合いのおかげで、隠蔽していた今夜の出来事も全て詳らかになった。すぐにでもネギ達は保護され、自分には厳重な封印が再び施されるだろう。いや、下手すれば何処かに幽閉される可能性すらもあった。

「結局、何も得られなかったか……」

エヴァンジェリンは凍りつき、砕けた眼下の麻帆良大橋をみる。その瓦礫の何処かに、粉々になった千雨がいるのだろう。
それを思うと、エヴァンジェリンの胸中の虚しさがさらに増した。
自分を救うと言った千雨の言葉に怒りを感じたのは事実だ。でも、それでも、心のどこかで、ほんの片隅で、この見知らぬ異能を行使する少女ならば、と思っていた自分もいたのだ。

「嘘つき……」

ぽつりと、エヴァンジェリンの口からそんな言葉が滑り落ちた。結局、あの少女も、あの男と、サウザンドマスターと同じく、口先だけだったのだ。
その時、エヴァンジェリンの頭上で、月が翳った。
何気なしにそれを見上げたエヴァンジェリンの瞳が、大きく見開かれる。
月を頂きに宙を舞う影。
その面には黒い仮面。
確かその名を――。
『キフウエベの仮面』。

「長谷川……千雨……」

茫然とその名を呟くエヴァンジェリンの元へ一直線に落下した千雨は、その掌を少女のに翳す。
エヴァンジェリンは、それらの動きに――何故か、一切の抵抗をしなかった。
そして炸裂した爆発が、真祖の姫の腹腔を抉り飛ばした。



「……そうか、そうだな。死も、ある意味では救いだ……」

凍りついた大地に横たわるエヴァンジェリンが呟く。
腹に大きく開いた穴は、ゆるゆると塞がりつつあるが、もう間に合わない。
もうすぐ、学園の電力が復旧し、自分は吸血鬼としての力を封印される。そうなれば、腹に大穴の開いた自分はすぐにでも死んでしまうだろう。
だが、エヴァンジェリンはそれでもいいと思った。
生きる事に意味を見いだせたあの日々はもう帰らない。ならば、生にしがみ付く事に何の未練があろうか。

「……止めを刺すがいい。長谷川千雨」

エヴァンジェリンはそう言って、傍らに佇む千雨を見上げた。
その姿はエヴァンジェリンに負けず劣らず凄惨だ。
着ていた服はズタズタになり、左腕はへし折れでもしたのがぶら下がったまま。外した仮面の下の面《おもて》は、傷だらけ。その全身も一部凍りついたままの所まであり、加えて能力の行使が過ぎたのか、血を吐いた跡まである。
それでも、その無表情だけは変わらない。
千雨はエヴァンジェリンの言葉に、辛うじて動く右腕を動かし、ズタズタになったコートから、一枚の仮面を取り出す。

(棒きれ一本あれば、事足りるというのに)

こんな時まで仮面を使おうとする千雨に呆れながら、エヴァンジェリンの意識は闇に落ちて行った。



(これが走馬灯と言う奴だろうか)

エヴァンジェリンは眼前に展開される光景を見て思った。
遥か昔の、頑是ない子供の頃の記憶でもない。
吸血鬼として殺し殺されしていた頃の記憶でもない。
最強の悪の魔法使いとして世界にあった頃の記憶でもない。
エヴァンジェリンにとって一番輝いていた頃の記憶。
麻帆良学園女子中等部の一クラスに在籍した、初めての記憶だった。

記憶の中でエヴァンジェリンは笑っている。「あの子」と一緒で、心から嬉しかったから。

記憶の中でエヴァンジェリンが泣いている。体育祭で負けてしまった時の物だ。それを、「あの子」がずっと慰めてくれた。

記憶の中でエヴァンジェリンが怒っている。ほんの些細な悪戯による物だ。これも、「あの子」の仕業だったな。

記憶の中でエヴァンジェリンが楽しんでいる。ああ、これは麻帆良祭の時の物だ。「あの子」を含めた皆で懸命に頑張った。先生に隠れながらの作業は、何だかとてもわくわくした。

人として、只の女の子として、光の中で生きていたあの頃の、何と輝いていた事だろう。
流れる記憶の一つ一つを愛しんでいたエヴァンジェリンは、気が付くとかつて住んでいた寮の自室に立っていた。
日付を見れば、それはあの忌まわしい卒業式の日付だった。

「最後に視るのがこの場面とは、な」

エヴァンジェリンは眉を顰めた。そして何かを思いついた様に、不意に部屋の扉に手を伸ばした。
ばちり、と紫電が走り、エヴァンジェリンの手を少し焼く。

「やはりな……」

エヴァンジェリンが落胆した声で言う。こんな記憶の中でさえも、あの呪いに縛られねばならないのかと。
その時、唐突にエヴァンジェリンの目の前に一枚の『仮面』が現れた。
目を見張るエヴァンジェリンの前で、その仮面はどこかで聞いた様な声で言う。

『バロンの仮面』

その仮面は、ぎょろりとした目に鋭い牙、紅い顔と如何にも恐ろしい容貌にも関わらず、何故か見る者を安心させる。

『森の「バナス・パティ」(良気)の顕現であり、バリ・ヒンドゥーの善の側面を象徴している仮面。そして、あらゆる災害を防ぎ、呪いを解く力を持っていると言われている』

声がそう告げるなり、『バロンの仮面』が口を開けて声なき声で咆えた。それと同時に、エヴァンジェリンは己を取り巻いていた【何か】が悲鳴を上げて消えさった事を感じた。
呆気にとられるエヴァの前で、仮面がからりと床に落ちる。それを拾い上げたエヴァンジェリンは、仮面をじっと見つめたが、仮面はもう何も言わない。
それでも尚仮面を見ていたエヴァンジェリンの耳に、遠くから誰かが走ってくるような音が聞こえた。
その音に顔を上げたエヴァンジェリンの目の前で、自室の扉が勢いよく開いた。
呪いによって、決して開かなかった扉が、呆気なく。

「やっぱりここにいた!」

そう言って飛び込んできたのは、自分の「親友」である「あの子」だった。
驚きに固まるエヴァンジェリンの様子を気にも留めず、「親友」はエヴァンジェリンの手を取って引っ張った。

「ちょ、ちょっと!?」

「こんな所でボーっとしてる場合じゃないよ、エヴァ!もう皆集合してるよ!」

「親友」はそう言ってエヴァンジェリンの手を取ったまま走りだした。
為すがままに引っ張られていくエヴァンジェリンは、状況の推移について行けず、その脳内は混乱の極みであった。
そうこうしている内にエヴァンジェリンが連れて来られたのは、体育館だった。

「ここは……」

入口の立て看板には、『卒業式』の文字。
夢見たそれが目の前にある。思わず立ち尽くすエヴァの背中を、「親友」がぐいぐいと押す。

「ほら、早く入った入った!」

「あ、あんまり押さないで!」

慌てるエヴァンジェリンは、促されるまま、とりあえず自分の席に着く。

「遅ーい、エヴァちゃん」

「迷子にでもなってたの、エヴァ?」

「でも間に合ってよかったねー」

「連れて来た私を褒めなさい!」

口々に声を掛けて来る友人達。彼女達に応えながら、エヴァンジェリンは何とか冷静になろうとした。

(落ち着け、エヴァンジェリン!これは夢だ、死に際に立って、都合のい夢を見ているだけなんだ!)

そう思うエヴァンジェリンだが、周りから感じる感覚は、あまりにリアルだ。
そんな風にしている内に、卒業証書の授与の時間になった。
クラスの一人が最終的に代表して受け取るそれは、エヴァンジェリン達のクラスでは委員長がその役を務める事になっていた。
出席番号順に名前が呼ばれていく中、何故かエヴァンジェリンの名前が呼ばれなかった。
その事に首を傾げていたエヴァは、最後に読み上げられた名前に仰天した。

『卒業証書授与。3-A代表、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル』

「はぁっ!?」

思わず立ち上がって、そんな素っ頓狂な声を出していた。

「あ、やっぱり聞かされてなかったんだ」

「誰よ、直前まで内緒にしておこうって言ったの」

「あ、私」

「……言ってあげたの?」

「忘れてた☆」

てへぺろと言わんばかりに頭を掻く己が「親友」に、エヴァンジェリンの体から力が抜ける。

(そう言えば、こんなくだらない悪戯が大好きだったなー)

その被害も、主に自分だった。

「ほら、エヴァ!早く行かなきゃ!」

「……後で覚えててよ」

誤魔化す様に笑う「親友」の顔をじと目で睨んだエヴァンジェリンは、仕方なしに壇上に上がる。
壇上では、後頭部の異様に長い、人外めいた外見の学園長、近衛近右衛門が待っていた。

「爺……」

エヴァンジェリンが思わずそう呟くと、近右衛門は「ひょっ!?」と妙な声を出した後に苦笑した。

「卒業の日くらい、学園長先生と呼ばんか、エヴァンジェリン」

そう言った後、近右衛門は咳払いを一つし、卒業証書を読み上げ始めた。

「卒業証書。エヴァンジェリン・A・K・マグダウェル殿。右は本校において中学校の過程を卒業した事を証す。1990年3月30日、麻帆良学園学園長、近衛近右衛門。……卒業おめでとう、エヴァンジェリン」

エヴァンジェリンは差し出された卒業証書を、半ば茫然と受け取った。その様子を、近右衛門が微笑ましげに見つめている。
エヴァンジェリンの卒業式は、そのようにして終わった。



卒業式が終わった後、エヴァンジェリンは桜通りの入口で、茫然と立っていた。

「卒業……しちゃった……」

口からそんな言葉が毀れ出る。

「そうだねぇ、卒業しちゃったねぇ」

「わっ!?」

不意に、後ろからぎゅっとと抱きしめられた。確かめるまでも無く、それが自分の「親友」だとわかった。

「……さっきはよくもやったね?」

半眼でそう言うエヴァンジェリンに、「親友」はごめんごめんと謝った。その顔を見ていると、怒っているのが馬鹿馬鹿しくなった。

「もう……。それで、どうしたの?」

「んー?いや、何かエヴァが寂しそうだったからさ」

エヴァンジェリンの問い掛けに、「親友」はそう答えた。

「寂しい、のかな……」

エヴァンジェリンが俯き加減にそう言う。

「寂しいんじゃないの?色々あったからねぇ」

「……うん。そうだね。色々、あった」

エヴァンジェリンは自分の過ごした三年間を思い出した。
「親友」との出会い。
たくさんの友人達との交流。
中間・期末に向けての勉強会。
人間としての力だけで頑張った、体育祭。
皆で力を合わせた麻帆良祭。
全てが、初めての経験ばかりだった。

「楽しかったな……」

そう呟いたエヴァンジェリンの顔を覗き込んで、「親友」である「あの子」はにこーっと笑った。

「何過去形にしてるのよ、エヴァ。これからも、きっと楽しい事が待ってるよ!」

「これから……?」

首を傾げたエヴァンジェリンに、「親友」は頷いて言った。

「高校に行ってもよろしくね、エヴァ!」

「あ……!」

エヴァンジェリンが目を見開いた。
中学を卒業したのだ。次は、高校に行くのは決まっている。
まだ、一緒にいられるのだ。「親友」と。「友達」と。

「高校、高校に、行ける……」

「もう、どうしたの。さっきから妙だねこの子は」

「親友」はそう言いながら、エヴァンジェリンの頭をぐりぐりと撫でた。

「はうー。や、やめてー」

グワングワンと頭を揺さぶられる感覚に、エヴァンジェリンが目を回して言う。
そんなエヴァンジェリンの姿に笑っていた「親友」は、不意に頭から手をどけて、桜通りの向こうを指した。

「これからみんなで打ち上げがてら遊びに行くんだ。エヴァも来るでしょ?」

彼女が指差した方向を見れば、こちらに向かって手を振るたくさんの友達の姿があった。

「行く!」

エヴァンジェリンの答えに否はない。

「よし!じゃ、行こっエヴァ!」

「親友」が差し出した手を、エヴァンジェリンは満面の笑みで取って――。



「ぐえっ!?」

ベッドから落ちたエヴァンジェリンは、その衝撃によって、無様な悲鳴と共に目を覚ました。

「あ、あれ!?」

周囲をきょろきょろと見回すエヴァンジェリンは、カレンダーの日付に目を止めて、ようやく先程までが夢であった事を知った。

「と、途中から完全に現実だと思ってたぞ……」

がっくりと肩を落としながら、エヴァンジェリンは呟いた。

「でも、いい夢だったな……」

エヴァンジェリンは、先程までの夢を鮮明に思い出しながら、じんわりとした笑みを浮かべた。
そんなエヴァンジェリンの手に、何か固い物の感触がした。
思わずそれを手に取ったエヴァンジェリンは驚愕した。

「これは……!」

エヴァンジェリンが手にしたのは、仮面。
夢に現れた、『バロンの仮面』と言う名の仮面だった。

「って、夢じゃない!走馬灯だった筈だろーが!」

「仮面」と言うファクターによって、エヴァンジェリンは自分が昨夜、長谷川千雨に敗れ、死にかけた事を思い出した。

「なのに、何で私は自分の部屋で寝ているんだ!?」

起きぬけからテンションが限界を突破したエヴァンジェリンは、混乱の余り叫んでいた。
その時、エヴァンジェリンの部屋に繋がる階段を、何者かが昇ってくる気配がした。
注視しているエヴァンジェリンの目に映ったのは、二頭身の影。己の最も古い従者である、チャチャゼロであった。

「オオ、何カウルセート思ッタラ。目ェ覚マシタノカヨ、ゴ主人」

「なんだ、チャチャゼロか」

「ナンダハネェダロ、ナンダハ。誰ガココマデゴ主人ヲ運ンダト思ッテンダ」

その言葉に、エヴァンジェリンが目を剥く。

「お前がここまで私を運んでくれたのか?」

「オオヨ。正確ニ言エバ、妹ダケド」

「茶々丸も無事か」

従者の言葉にエヴァンジェリンは安堵のため息を吐いた。今更ながら、『おわるせかい』を放った際、従者達の事を完全に忘れていた事を思い出したのだ。

「アノ後、妹モ俺モスグニ元ニ戻ッタンダケドヨ、何カゴ主人ガトンデモネー魔法ヲ使オウトシテルノヲ見テ、慌テテ逃ゲタンダ」

従者の言に、エヴァンジェリンが言葉を詰まらせる。

「す、すまん……」

「イイサ。マ、トニカク静カニナッタノヲ見計ラッテ、アノ場所ニ戻ッテミタラ、ゴ主人ガ倒レテタンダ」

「そこにいたのは私だけか?長谷川はいなかったのか?」

「長谷川?アア、アノ仮面女カ。イヤ、イナカッタゼ?ゴ主人ノ魔法デ粉々ニナッタンジャネーノカヨ?」

エヴァンジェリンは首を振って、チャチャゼロの言葉を否定する。

「いや、私はあの時、確かに長谷川に負けたんだ。腹に大穴を開けられた時の感覚が、まだ残っている」

エヴァンジェリンは腹をさすりながらそう言った。

「全力全開ノゴ主人ニ勝ツナンテ、トンデモネーナ、アノ女」

「確かに、な……」

だからこそ、エヴァンジェリンは不思議で堪らなかった。
何故、長谷川千雨は、自分を見逃したのか?
そして、あの夢と、この仮面の関係は?
悩むエヴァンジェリンに、チャチャゼロは声を掛ける。

「オ悩ミノトコロ悪ィーケドヨ、妹ガ朝飯作ッテ待ッテルゼ?イイ加減顔ヲ出シテ安心サセテヤレヨ」

何気に姉妹に対して優しい所があるチャチャゼロであった。

「あ、ああ。判った、すぐに行く」

「ジャア、俺ハ妹ニゴ主人ガ起キタ事ヲ伝エテクルゼ」

チャチャゼロはそう言ってエヴァンジェリンに背を向けた。その背中を見つめていたエヴァンジェリンは、何か物凄い違和感を感じた。
そいて次の瞬間、その違和感の正体に行き当たったエヴァンジェリンは、チャチャゼロを呼び止めていた。

「お、おい、チャチャゼロ!」

「ア?何ダヨ、ゴ主人?」

「お前なんで動いてるんだ!?」

違和感の正体は、歩いているチャチャゼロであった。
チャチャゼロは、茶々丸と違って、完全に主であるエヴァンジェリンの魔力に依存して動く人形である。故に、呪いと学園結界によって完全に魔力を封印されている今のエヴァンジェリンの状態では、チャチャゼロは身動き一つ取れない筈である。
にも拘らず、チャチャゼロはエヴァンジェリンの前で普通に歩いていた。

「何デッテ、ソリャ……」

チャチャゼロはしばし自分の体を見下ろした後、ハタと何かに気付いて声を上げた。

「アレッ!?何デ俺動ケテンノ!?」

「そんなもん私が一番知りたいわぁっ!!」

今の今まで動ける事に疑問を持っていなかった従者の間抜けな発言に、エヴァンジェリンは思わず声を荒げていた。

「!そうだ、茶々丸!茶々丸に聞けば……!」

「アッ、オイ、ゴ主人!?」

ベッドからはね起きて、階段を駆け降りた主の後を、チャチャゼロは慌てて着いて行った。

「茶々丸、茶々丸はどこだ!?」

己を呼ぶエヴァンジェリンの声に気付いた茶々丸が、台所から姿を現した。

「ああ、マスター。よかった、目を覚まされたのですね」

「そんな事はどうでもいい!茶々丸、学園結界は今どうなっている?もしや、まだ電力復旧が為されていないのか!?」

意気込んでそう尋ねてくる主の言葉に、茶々丸はすぐに答えた。

「学園結界、及び麻帆良の電力は正常に稼働しておりますが……」

「何だと……!?」

その言葉にエヴァンジェリンは愕然とする。ならば、何故チャチャゼロは動けるのだろうか。

「オーイゴ主人、待ッテクレヨ」

その時、チャチャゼロが短い脚を動かして二階から降りて来た。
それを見ていた茶々丸が、何かに気付いた様にポンと手を打った。

「そう言えば、姉さんが動いているのは何故でしょうか?」

「イヤ、遅ェヨ」

自分もつい先程気付いたばかりだというのに、チャチャゼロは容赦なく突っ込みを入れた。
そんな従者達のじゃれ合いを余所に、エヴァンジェリンは考え込んでいた。

(何故だ?チャチャゼロと言い、先程の夢と言い、訳の判らん事ばかりだ。そもそも、あの夜の結末からしておかしいんだ、既に)

難しい顔をするエヴァンジェリンに、茶々丸が躊躇いがちに進言する。

「あの、マスター。姉さんが動いているという事は、単純にマスターの魔力が回復されているからであって、それが学園結界の停止でない以上、マスターの体を縛っていた呪いが消えたと考えるべきでは?」

「!な、成程……。いや、しかし……」

「ジレッテーナ。ナラ、魔法ガ使エルカ確メテミレバイイダロ?」

「む……」

いまだにうじうじと悩む主に、チャチャゼロがもっともな意見を言った。
吸血鬼の苦手な朝の時間。その時間に魔法の行使が可能となれば、最早疑う余地はないだろう。
その言葉に促されて、エヴァンジェリンは静かに魔法を唱える。

「氷爆(極少)!!」

極少に威力で放たれたエヴァンジェリンの魔法は、室内の物を巻き上げた挙げ句、部屋の温度をかなり下げた。

「寒い!」

「イヤ、外デヤレヨ。アホジャネェカ、ゴ主人?」

「ああ、お部屋がこんなに散らかって……」

齎された惨劇(?)に、マグダウェル家の面々はてんやわんやした。
それらが落ち着いた後、エヴァンジェリンはも一つの理由を経てやっと自身の体が既に呪いから解き放たれている事を悟った。
その理由とは、時間である。
時刻は既に授業が当に始まっている事を示している。だが、エヴァンジェリンの体には何の異常もない。
魔法が使えて、登校を強要される兆候もない。

「しかし、何故……?」

呪いが解けた事は喜ばしいが、その原因がわからねば安心はできない。いつまた、唐突に呪いが発動するやもしれないのだから。

「所デゴ主人。ソリャ何ダ?」

チャチャゼロがエヴァンジェリンの持っている物を指して聞いて来た。

「む、これは……」

その言葉に、自分が無意識に何かを持っていた事に気付いたエヴァンジェリンが、それを検めて眉を顰めた。
自分の夢の中に現れた仮面。そして何故か枕元にもあった仮面。

「『バロンの仮面』、だったか」

エヴァンジェリンはそれを見つめながら、この仮面が言っていた言葉を思い出した。

『あらゆる災害を防ぎ、呪いを解く力を持っていると言われている』。

「まさか、この仮面が、いや、長谷川が……?」

昨夜、千雨は自分に何と言っただろうか。
そう、あの仮面の娘は、自分を救うと言ったのだ。

「まさか、あんな小娘にサウザンドマスターの呪いを解く程の力が……?」

その時、悩むエヴァンジェリンの耳に、けたたましく鳴る電話の音が響いた。

「出る必要はないぞ、茶々丸。どうせ爺辺りが昨日の事で電話でもして来たのだろう。放っておけ」

「はい」

茶々丸は電話に向かおうとした足を止めて、主の言葉に従った。
電話の音はまだ止まない。
初めは無視しようとしていたエヴァンジェリンだが、一向に鳴り止まない電話に、とうとう我慢が出来なくなったのか、自分の足で電話に向かい乱暴に受話器を取った。

「やかましいぞ、爺!私は今忙しいんだ、電話なら後で」


『あの、マクダウェルさんのお家でしょうか?』


心臓が、跳ね上がった。
言葉が、喉に詰まった。
電話の主が誰か、エヴァンジェリンにはすぐにわかった。だが、それは同時にあり得ない筈の相手だった。
なぜなら彼女は、自分の事を忘れて――。

『あのー、もしもし?エヴァンジェリンさんは御在宅でしょうか?』

硬直していたエヴァンジェリンは、電話の声に我に帰ると、慌てて返事を返した。

「ひゃ、ひゃい!わわ、私、私がエヴァンジェリンですがっ!?」

噛みまくったその返事に、電話の向こうの相手は楽しそうに笑った。

『おおー、やっぱりエヴァかー。何か全然声が変わってないねー』

「そ、そっちも、ね!」

『んー、そうかなー?自分では何か昔に比べておばさんっぽい声になってる気がするんだけどなぁ。あ、今更だけど、私が誰かわかる?』

「わ、わかるよ!絶対に、忘れないもの!」

それは「あの子」の、自分の「親友」の声だった。片時も忘れた事のない、大好きだった声。

「あ、あの、今日は、どうして?」

エヴァンジェリンの問いに、電話の向こうの「親友」は笑いながら言う。

『いや、今朝ね、何か急にエヴァの夢を見たんだよ。不思議なんだけどさぁ、それまで全然思い出さなかったのに。あ、これも何か失礼だよねぇ。でもどうして思い出さなかったんだろ?あんなに仲良かったのに』

「親友」は、確かにエヴァンジェリンの事を覚えているようだった。

(呪いが、解けたから?)

エヴァンジェリンは茫然とそう思った。呪いの精霊によって改竄されていた記憶が、それが消滅した事によって解き放たれたのならば、「あの子」が自分を覚えている理由にはなる。

『それで懐かしくなっちゃってねー。それにしても、高校に上がってからなんで疎遠になっちゃったんだろうね?何処のクラスにいるとかの噂も聞かなかったし』

むーん、と向こうで「あの子」が考え込む姿が浮かぶ。
呪いの精霊の消滅に伴う記憶の復活は、それによって齎されるエヴァンジェリンの不在を疎遠になったからという理由で本人に無理矢理納得させているようだった。

『ま、いいか!エヴァも私の事覚えてくれてたし、またここから仲良くなればいいんだから!』

「仲、良く……」

『そう!あ、もしかして、いや、だったとか?』

「!そんな事、ない!ないから!!」

エヴァンジェリンは慌ててそう言った。
また、始められる。あの輝かしい日々を。15年もの月日が経っていても、「親友」は記憶を蘇らせた途端、自分に声を掛けてくれるほど、思ってくれていたのだから。

「あ、あれ?」

その時、エヴァンジェリンは自分の頬に流れる液体に気付いた。温かなそれは、拭っても拭ってもこぼれ出てくる。
涙だった。
それを自覚した途端、エヴァンジェリンは声をしゃくって泣き始めた。

「う、ふぅぅ、ううう、うえぇぇん……」

『ちょ!?ど、どうしたの、エヴァ!?』

向こうで「親友」が慌てた声を出す。

「ご、ごめんね……。何か、懐かしくて、貴女が私を覚えててくれた事が、嬉しくて……」

『もー、相変わらず泣き虫だねぇ、この子は』

「うん……。そうだ、ね。変わらず、私は泣き虫だ……」

『まぁ、そこがエヴァの可愛い所なんだけど。あ、もう可愛いって感じじゃなくなってるかな?きっと、すっごい美人になってるだろうねぇ、エヴァは』

「そうだよ。私、凄い美人になってるんだから」

『ほほう、それはちょっと見てみたいなぁ。あ、良かったら今度会おうよ!久しぶりに。いやいや、二人だけで会うのはもったいないな。3-Aの皆も集めるだけ集めて、いっその事同窓会にしようか?』

「いいね。会いたいなぁ、皆に。大人になった、皆に!」

『よーし、話は決まった!早速皆に声を掛けよう!あ、そう言えば、この間道でばったりね……』

「うん、うん……」

電話の向こうで、「親友」が楽しそうに喋っている。
もう取り戻せないと思っていたあの頃が、そこにあった。
電話の声に耳を傾けながら、エヴァンジェリンは泣いていた。ただ、その口元には、優しい笑みがずっと浮かべられている。
未だに手にしたままの『バロンの仮面』が笑う様にからりと鳴った。
やっと光を取り戻した、一人の少女を祝福するかのように。



エヴァンジェリンの家から少し離れた所に、千雨は立っていた。
その全身はとりあえず治療がされているが、自分でやったためか、随分とおざなりだ。

「『バロン』は、悪の象徴である『ランダ』と永劫に対立を続ける、光の象徴でもある」

千雨は、エヴァンジェリンの家を静かに見つめながら、言う。

「闇の中にありながら、それでも自分の中にある光を見失わなかった。エヴァンジェリン、その仮面が、お前に相応しい「面《かお》」だ」

そう告げると、千雨はボロボロのコート翻してその場から立ち去る。
いつか、自分にもあの吸血鬼の姫の様な光が見つかるのだろうかと、そう思いながら。


【あとがき】
「桜通りの吸血鬼」編は、取り敢えず本筋が終了です。
次は、今回の話しにおけるエピローグ的なものになる予定です。
それでは、また次回。



[32064] 第八話「今日から『明日』を始めよう」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/18 22:25
あの日、あの時、あの場所で。
渡せなかった物がある。
ある種の未練の様に持っているこれを、今更君に渡した所で、鼻で笑われるだけだろうか。
それとも――。



その日。
麻帆良学園のある会議室は、昨日起こった一つの事柄によって紛糾していた。
『闇の福音』、復活――。

「信じられん。まさかサウザンドマスターの封印が破られるとは」

「恐るべきは『闇の福音』と言う事だな。まさか魔力が完全に封じられた状況で……」

「外部からの協力があったのでは?」

「現在に至るまで『闇の福音』が外の誰かと会っている様子はありません」

「英雄の息子が関わっているという話も聞くが?」

「その真偽については不明ですが……」

「まさか、ありえんよ。偉大な父が封じた吸血鬼を、息子である彼が何故解き放つ必要がある。馬鹿馬鹿しい」

「大停電の際に一時的に結界が無効化する隙を狙ったのだろうが、余程前から計画せねば実行に移せんぞ、これは」

「失態だな。事前に察知する事はできなかったのかね?」

「今は誰の責任かを論じている場合ではないでしょう!復活した『闇の福音』にどう対処すべきか話し合うべきです!」

「そんな物論じる必要もない!打ち倒し再び封印、いや、今度こそ完全に消滅させるべきだ!」

「それができるとでも?かの真祖はあの英雄ですら封印する事がやっとだった相手なのですよ?」

「それは……。学園の魔法使いを総動員すれば」

「我々全員でサウザンドマスターに勝てると思いますか?あの吸血鬼を相手にするという事は、それに等しいのですよ?」

「ではどうすればいいのかね!?」

「その方法を話し合おうとしているのでしょう!」

喧々囂々と、毒にも薬にもならない会議は踊る。
それを聞きながら、近右衛門は深いため息を吐いた。
エヴァンジェリンの名誉を考えて、真実をほとんど公表しなかった自分も悪いのだが、彼ら魔法先生の話している事は無茶苦茶である。
故に、これ以上話し合いを続けても無駄と感じた近右衛門はパン、と一つ柏手を打って、皆の注目を集めた。

「皆の言う通り、この件は慎重に慎重を重ねねばならぬ案件じゃ。ここは、儂に任せて貰えんかの?」

その言葉を聞いた魔法先生達は驚きに目を剥く。

「学園長自ら!?」

「いや、確かに学園長は、あの吸血鬼を除けばこの麻帆良で最も強い魔法使い。今回の事をお任せするには一番かも……」

「ですが危険です!もし万が一何かあったら……!」

肯定と否定をないまぜにした声が飛び交う中、近右衛門それらを手で制した。

「まぁ落ちつけ、皆の集。これでもエヴァンジェリンとはそれなりに長い付き合いじゃ。いきなり如何こうされる事もあるまいて」

「しかし!」

「とにかく!この件は儂が受け持つ。良いな?」

近右衛門はギラリとその場にいる全員を睨みつける。年に似合わぬその眼力に、魔法先生達は押し黙った。

(さて、これで余計なちょっかいを掛ける者もおるまいて。まずは、あの子と接触せねば、な)

近右衛門は脳裏に、能面の如き面持ちの、一人の少女を思い浮かべていた。



千雨は、人気のない中庭のベンチで本を読んでいた。
今日の朝、怪我をおして登校した際に、のどかによって渡されたものだ。
その直前に、怪我をした千雨の姿を見たのどかは失神しかけていたが。
因みに、ネギや明日菜とは話をしていない。向こうは何か話そうとしていたようだが、その前に授業時間となり、結局有耶無耶になってしまったのだ。

(今頃、探しているかもしれないな)

頭の片隅でちらりとそう思う千雨だが、こちらから顔を見せに行くつもりはない。根掘り葉掘り聞かれるのは、避けたい所だったのである。
そんな訳で、無心に本を読み進めていた千雨は、ふと人の気配を感じて頭を上げた。

「隣、良いかの?」

そこには、長い後頭部を持つ人外めいた外見の学園長、近衛近右衛門が立っていた。

「構いませんが」

千雨は突如現れた学園長に驚きもせず、そう言った。

「では、失礼して」

近右衛門はそう言って、千雨の隣に座った。
しばし、無言の時間が続き、千雨が本をめくる音だけが響いた。

「昨夜は御苦労じゃったが、傷は大丈夫かの?」

唐突に近右衛門が言う。千雨の怪我を指しての事らしい。
その言葉を聞いた千雨の目が僅かに細まる。

「昨夜の事、どこまでご存知で?」

「エヴァンジェリンを倒し、その呪いを解いたのが君だという事ぐらいじゃの。……安心せい。エヴァンジェリンの復活はともかく、君の事を知る者は儂以外にはおらんよ。儂にも生徒のプライバシーを守るぐらいの良識はある」

「そうですか」

答える千雨の声は平坦。千雨にしてみれば、別にばれてもどうでもいいのである。

「さて、話は戻るが、その傷の具合はどうじゃ?痛むかの?」

「多少は」

痛みを全く感じさせない声色ながら、千雨はそう答えた。

「そうかそうか。では、ちょっとこちらを向きなさい」

千雨がその言葉に従うと、近右衛門はこちらに手を翳し、小さく呪文を唱えた。

「『治癒《クーラ》』」

すると、翳した掌から何か温かい物が広がり、千雨の体を包んだ。同時に、全身の痛みが引いていく。
数秒後、千雨が自分の体を確かめると、昨夜受けた傷は全て治っていた。

「便利ですね」

「何、大した事ではないよ」

全治にして一月二月はかかろうかと言う怪我を数秒で癒した老魔法使いは、そう言って鬚を扱いた。

「この程度では、礼にもならんからのぅ」

「礼?」

千雨は、学園長に恩を売った覚えはないので、首を傾げた。
そんな千雨に、近右衛門は真正面から向き合い、深々と頭を下げた。

「ありがとう。あ奴を、エヴァンジェリンを救ってくれて」

その言葉を聞いた千雨は、しばらくの無言の後、

「貴方は、エヴァンジェリンを虐げていたのでは?」

「そう思われても仕方ないがのぅ……」

近右衛門はため息を吐いた。

「エヴァンジェリンと初めて会うた時は、心臓が飛び出るかと思ったわい。ナギ――ネギくんの父親なのじゃが、こ奴に腕の立つ魔法使いを紹介して貰おうとしたんじゃ」

そこまで言った時、近右衛門は懐からお茶の缶を取り出して、「飲むかね?」と差し出してきた。千雨は、それを素直に受け取る。

「君は知らんだろうが、この麻帆良は世界樹を中心に、この国でも霊的に重要な場所での。それ以外にも図書館島には、今では見る事の出来ない希少な魔導書などが幾つも眠っておる。故に、それらの力や知識を狙って侵入を試みる不心得者共が後を絶たん」

近右衛門は喉を潤す為にお茶を一口飲む。

「じゃから、腕の立つ魔法使いはいくらでも欲しいのじゃよ。あの馬鹿は本当に馬鹿なのじゃが、一応は英雄と呼ばれる程の男。その眼鏡に適う者なら申し分無しと思っとったんじゃが」

近右衛門はその時の事を思い出しでもしたのか、頭痛がするかのような仕草を見せた。

「よりにもよってあ奴が連れて来たのは、魔法世界でも伝説と呼ばれる程の大魔法使いにして真祖の吸血鬼、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルじゃった」

千雨はどんよりとした空気を醸し出した近右衛門を特に気にした様子も無く、黙って話を聞いている。

「実力という点では申し分が無さ過ぎなのじゃが、幾らなんでもまずいじゃろ、と言うと、ナギはエヴァンジェリンを学校に通わせろと言ってきおった」

近右衛門が手にしたお茶の缶がめきりと嫌な音を立てた。

「警備員として連れて来たのではないのかと聞くと、「なんだっけ、それ?」とぬかしよる。思わず立場を忘れてぶん殴りそうになったわ。そして改めて、この男がどうしようもない程の馬鹿である事を実感したのじゃよ……」

近右衛門は遠い目をして言う。

「まぁ、そんなこんなで、エヴァンジェリンを学校に通わせる事になったのじゃが、初めはハラハラしっぱなしじゃった。いつあ奴が生徒達を傷つけるか判ったもんじゃないから、とな」

そこで近右衛門は大きくため息を吐いた。話し過ぎて、少し疲れたらしい。
少し休息した後、近右衛門は再び語り始めた。

「……じゃが、それも杞憂じゃった。魔力を封印され、人としての生活を余儀なくされたあ奴じゃが、思いの外早く、学校生活になじんで行きおった。善き友人にも恵まれ、毎日が楽しそうでの。そこだけ見れば、あの少女が『闇の福音』であると誰も信じられんかったじゃろう」

楽しそうに当時の思い出を語っていた近右衛門だが、不意に言葉を詰まらせた。

「……しかし、それもあ奴が最初の卒業式を迎えるまでの話じゃった。発動した呪いのバグのせいで、あ奴は延々と中学生活をループし続けなければならぬ身となった。友との絆も失って、な」

「バグ、ですか?」

千雨はその言葉を問い直す。

「あの呪いは、中学生活の三年間を永遠に登校させるものだったのでは?」

千雨の言葉を、近右衛門は首を横に振って否定した。

「それは違う。『登校地獄』は無理矢理相手を学校に通わせるという、登校拒否児童のために作られた変な呪いなのじゃが、一つの学業期間を延々と続けさせるような物ではない。考えても見るのじゃ。学業と言うのは何も中学生の期間だけを指す物ではない。高校に、大学。院生になろう物ならば、もっと学校に通う事も出来るじゃろ?それに、学業を終えれば、呪いは自然に解ける筈なのじゃよ」

通わせる意味がないからの、と近右衛門は言う。
その言葉に、千雨は小さく頷いた。確かに、登校期間を中学だけの間と区切るのは変な話である。

「何故そのような事になったのかはわからん。使い所も全くない魔法じゃった上に、アンチョコなんぞ見ながら唱えたから、どこかで間違っておったのかもしれん」

近右衛門は、握りしめ過ぎて変形したお茶の缶(スチール製)を手で弄びながら続ける。

「その時のエヴァンジェリンの顔は、今でも忘れられん。言葉では言い尽くせぬ程、悲想に満ちた顔をしておった。儂は、すぐに呪いを解いてやろうとしたのじゃが、英雄の馬鹿魔力によって括られた呪いは、儂如きでは歯が立たんかった。……学園最強等と言われても、所詮はその程度でしかなかったのじゃ、儂は。生徒一人、救う事も出来んかった」

近右衛門は力なく肩を落とした。当時の事は、今になって振り返っても後悔ばかりが押し寄せてくる。

「次に儂は、他の魔法使い、とりわけ解呪に長けた者達に声を掛けた。エヴァンジェリンを解放してやって欲しいとな。そうしたら、そ奴らは揃ってこう言いおった」

『何故、英雄が封じた悪の魔法使いを解放しなければならないのか』。

「……阿呆共め。ナギはそんなつもりでエヴァンジェリンを麻帆良に置いたのではないわ。馬鹿じゃが、同時にお節介焼きのあ奴の事、付いて回るエヴァンジェリンに情でも湧いたのじゃろう。何とか、悪の道から足を洗わせてやりたかったんじゃろうて。尤も、結果は最悪じゃったが」

近右衛門は天を仰いだ。

「何も出来ぬまま、時は再び繰り返し、その度にあ奴からは笑顔が消えて行った。あの頃浮かべていた楽しげな笑みは、もう二度と見られんようになったのじゃ。それでも何とかしようとしたが、重ねる日々は数多の問題を儂等に提起し続ける。それに四苦八苦している内に、エヴァンジェリンの事は、後回しになってしもうた」

だからこそ、気付かなかったのだろう。
エヴァンジェリンが、己の不文律である「女子供は襲わない」と言う事を破ってまで、呪いを解こうとしていた事に。

「……結果だけ見れば、エヴァンジェリンにとって最良のものとなった。かつての絆を取り戻し、再び光を見出す事が出来たのじゃから。じゃが、それで儂らの罪が消えた訳ではない。あ奴に、10年以上もの間無為な時間を過ごさせ、苦しませてしまった罪はの」

近右衛門はぽつりと呟く。

「儂の人生は、後悔ばかりじゃ……」

その言葉に何が込められているのか、知る事が出来るのは近右衛門だけである。しかし、千雨は目の前の老いた魔法使いが、酷く悔いている事だけは判った。

「……おお!礼を言いに来たのに、すっかり愚痴ってしまったの。すまぬな」

「いえ」

詫びる近右衛門に、千雨はやんわりと言った。

「迷惑ついでに、一つ頼まれごとをして欲しいんじゃが、良いかの?」

「内容によりますが」

千雨の言葉に、近右衛門は笑いながら懐から一本の黒い筒を取り出した。

「何、大した事ではない。これを、エヴァンジェリンに渡してやって欲しいのじゃよ」

「これは?」

「10数年前の、忘れ物じゃよ」

「直接手渡せばよいのでは?」

近右衛門はその言葉に弱弱しく頭を振った。

「今の儂では、エヴァンジェリンに合わす顔がない。まぁ、こんな物を今更渡されても、あ奴は鼻で笑うだけかもしれんがの……」

近右衛門はそう言うと、重い腰を上げて立ち上がった。

「それでは、よろしく頼むぞい」

そう言って去ろうとした背中に、千雨の声が飛ぶ。

「魔力を取り戻したエヴァンジェリンが、ここに害をなすとは考えないのですか?」

その言葉を近右衛門は、

「儂はそうは思わんよ」

即座に否定した。

「エヴァンジェリンは、友との思い出が残るこの地や、無関係な一般人に手を出す様な無体はせんよ。もし仮にそういう事態になった場合、この老いぼれの首でも差し出して、勘弁して貰うわい」

エヴァンジェリンが暴れ出した場合、全ての責任は自分が取ると、近右衛門はそう言った。

「……信じて、いるのですね」

「何、あ奴は捻くれておるが、その性根は基本的にいい奴じゃからの」

それは、お主も知っておるじゃろ?と、近右衛門は片目を瞑っておどける様に言った。



「何?ナギが生きているだと?」

学園内にあるオープンカフェで偶然出会ったネギ達とエヴァンジェリン主従は、成り行きで同じテーブルについていた。
そこで飛び出したネギの言葉に、エヴァンジェリンは驚きの声を上げた。

「は、はい。僕、6年前に会って、その時にこの杖を貰ったんです」

ネギはそう言って、己の杖を掲げた。

「そうか……。生きて、いるのか……」

エヴァンジェリンのその様子に、明日菜は首を傾げる。

「何か反応が薄いわねぇ。エヴァちゃんって、ネギのお父さんの事、好きだったんじゃないの?」

「ぶふぅっ!?」

いきなりの発言に、エヴァンジェリンは口に含んでいたコーヒーを吹き出した。少し噎せた後、エヴァンジェリンは鋭い視線をネギに向ける。

「き・さ・ま~!やはりあの時私の夢を~!」

ごうっ、とその体から魔力が溢れだす。それに当てられたネギが顔面蒼白で謝った。

「い、いえ、あの……、す、す、すいませーん!!」

「ちょ、ちょっと待った!」

その時、ネギの肩にいたカモが慌てて声を出す。

「え、エヴァンジェリンさんよ、あんた、呪いと学園結界のせいで魔力が封印されてたんじゃねーのかい!?」

それを指摘されたエヴァンジェリンは、さもありなん、と言った様子で答えた。

「ああ、その事か。結界はともかく、サウザンドマスターが掛けた呪いなら、もう解けている。だから、こうして多少は魔力を扱う事が出来るようになったのだ」

「「「ええええええぇっ!!」」」

ネギと明日菜とカモが揃って叫んだ。

「い、一体どうやって!?僕、血を吸われてないですよね!?」

「知らん。知りたくば、あいつに聞け。答えてくれるかどうかは保証せんが」

「そ、それって、千雨ちゃんの事?」

明日菜が恐る恐る尋ねた。

「あっ、そうだ!昨日の夜、千雨さんが僕達を助けてくれたって明日菜さんから聞きましたけど、あれからどうなったんですか!?」

ネギの言葉に、エヴァンジェリンは嫌そうな顔をした。

「……結論から言うと、私は千雨に負けた。それから呪いを解いて貰った。それだけだ」

「いや、何でそうなったのか、さっぱりわかんねーんだが」

「うるさいぞ、小動物。私だってわからんのだ」

エヴァンジェリンはむっつりとした不機嫌顔になった。

「っていうか、あの無表情な姐さん、エヴァンジェリンに勝ったのかよ!?」

「す、凄い……!」

自分が手も足も出なかったエヴァンジェリンに勝利した千雨に、ネギは素直に驚いた。

「ホント、凄いわよね……」

だが、明日菜だけは、何故かしょんぼりとしながらそう言った。
その様子を見ていたエヴァが、明日菜に口を開く。

「神楽坂明日菜。自分の無力を嘆くなら、次はそうならない様に努力すればいい。後、千雨の力を羨ましがるのは、やめておけ」

「ど、どうして?」

明日菜は自分の心の内をずばりと指摘され、驚きながらエヴァ尋ねる。

「あいつの力は、魔法のそれとは全く違う異質なものだ。奴がどういう生い立ちかは知らんが、魔法も知らなかった所を察するに、恐らく一般人の家庭だろう。そんな人間が、あんな力を持つに至って喜ぶと思うか?」

「あ……」

「あいつが己の感情や表情を全く表に出そうとしないのも、恐らくその辺りが関係してくるんだろう。だから、あまり奴の力の事で聞いてやるなよ?きっとそれは、辛い記憶なのだろうから」

「……うん、わかった」

明日菜が神妙な顔で頷いたその時、エヴァがおや、と言う風に片眉を上げた。

「ふむ。噂をすれば影、か」

「え?」

その言葉の意味を問うとしたネギ達の背後に、一人の人物が現れる。

「ここにいたか、エヴァンジェリン。それに、ネギ先生や神楽坂もいるのか」

「千雨ちゃん!?」

「千雨さん!?」

振り返ったネギと明日菜の目に、相変わらずの無貌で立つ、千雨の姿が映った。

「あ、あの、千雨ちゃん!」

明日菜が少し上ずった声を出した。

「えと、その、き、昨日は助けてくれてありがとう!」

「別に礼はいい。私は私なりの理由で、エヴァンジェリンと戦ったからな」

「で、でも、私すぐに助けに戻るとか言ったのに、結局何もできなかったし……」

肩を落とす明日菜に、千雨は淡々と告げる。

「昨日のあの状況で戻って来られても、私が困っていただけだ。それに、お前が昨日あそこにいた理由は、ネギ先生を助ける為だったのだろう?なら、その目的は達成されたのだから、それでいい筈だ」

「でも……」
それでもまだ、もごもごと口の中で何か言葉を転がす明日菜に、千雨は小さく嘆息した。

「……それでも尚気になるというなら、コーヒーの一杯でも奢ってくれればそれでいい」

「え、でも、そんなのでいいの?」

「ああ」

明日菜は、まだ納得いかない様子だったが、取り敢えずは千雨のためにコーヒーを注文しに行った。

「お優しい事で」

エヴァンジェリンがにやりと笑った。

「借りを作るためにやった訳じゃないから、な」

千雨が静かに答えた。

すると、今度はネギが千雨に話しかけて来た。

「ち、千雨さん」

「何でしょうか」

「ぼ、僕、昨日エヴァンジェリンさんに負けてから意識が無くて、千雨さんが来てくれた事も知らなくて、ええと、その、あの」

「……お礼を言うつもりなら、神楽坂にも言いましたが結構ですよ」

「あぅ……」

先手を取られたネギは小さく呻いて黙り込んだ。しかし、すぐに絞り出すようにぽつりと、

「僕は、駄目な先生です……」

そう呟いた。

「度々授業を放棄する点については、正にその通りかと思いますが」

一切の慰めのない千雨の言葉に、ネギは益々縮こまった。その瞳には、うっすら涙が滲んでいる。

「ぅぅぅ、ごめんなさい……」

「……ですが、反省をきちんと次の成果に繋げようとするのは、美徳だと思います」

「え……」

顔を上げたネギの顔を真っ正面から見据えて、千雨は言う。

「先生は子供です。今現在の社会的立場がどうあっても、それは変わりません。だから、もう少し他の人に頼ってもいいのではないかと思います」

「で、でも、迷惑になるんじゃ……」

「自分の力が及ばないにも拘らず、一人でやって失敗される方が後々迷惑でしょう。これは大人でもやっている事です。だから、先生も気にしないで誰かを頼って下さい。そうしている内に、自分の力だけでできる事を増やしていけば、自分を駄目だなんて卑下する事も少なくなると思います。幸い、ここには先生が好きな人達が多いから、喜んで助けてくれるでしょう」

理路整然と言う千雨の言葉に、ネギは何度も頷いた。

「……あ、ありがとうございます!」

頭を下げるネギだが、千雨は最後にもう一つだけ釘を刺す。

「後、もう少し思慮深くなる事です」

「ま、ごもっともだな。少なくとも、公衆の面前で女の服を脱がしたり、平気で魔法を使ったりしないぐらいは考えて欲しい物だな。せ・ん・せ・い?」

エヴァンジェリンの追撃も加わったこの言葉に、ネギは再び轟沈する。

「ただいまーって、どうしたの、ネギ?何か、凄い暗いけど」

千雨のコーヒーを持って来た明日菜が、暗く沈んだネギの様子に首を傾げた。

「放っておけ、自己批判の真っ最中だ。そう言えば千雨よ、何か私に用があったのではないか?」

「そうだった」

千雨が、肩から提げていた小さなカバンから、近右衛門から預かった黒い筒を取り出した。

「学園長から預かって来た。お前に渡して欲しいと」

「爺が?何だ?」

エヴァンジェリンの眉間に皺が寄る。
エヴァンジェリンにとって近右衛門は堅物ばかりの学園の魔法使い達の親玉であると同時に、ここ麻帆良において最も古い付き合いのある人物でもあり、その胸中は中々複雑である。
エヴァンジェリンはその筒を手に取ると、矯めつ眇めつ眺めた。すると、筒の一方が蓋になっている事に気付いた。エヴァンジェリンがそれを引っ張ると、ポン、と小気味よい音と共に蓋が取れた。
中を覗き込んだエヴァンジェリンは、そこに一枚の紙が入っているのを見つけた。

「あの爺、昨日の今日で何を寄こしおったんだ?まぁ、どうせ碌な物では――」

紙を取り出しぶつくさ言いながらそれを広げたエヴァンジェリンは、その内容を見て目を丸くした。
しばらく茫然としていたエヴァンジェリンにしびれを切らしたのか、ネギがエヴァンジェリンに恐る恐る声を掛けた。

「あ、あのー、エヴァンジェリンさん?」

「くっ、くははっ」

途端、エヴァは顔を伏せ忍び笑いを始めた。何事かと思うネギ達の前で、エヴァはついに堪え切れなくなった様に大笑いを始めた。

「あっはははははは!あははははははっ!」

それは何とも愉快そうで、快活な笑い声であった。

「小僧め!」

エヴァンジェリンは、見た目だけならば自分の何十倍とある学園長を指してそう呼んだ。

「ふふん、私に気を使おう等と、百年は早い」

エヴァンジェリンは目じりに浮かんだ涙を拭いながらそう言った。
首を傾げるネギ達だったが、只一人、千雨だけは何となく理解した。
エヴァンジェリンの中に在った、学園長に対する蟠りの様な物が、少し解れた事を。
エヴァンジェリンはその紙を丁寧に筒状に丸めると、筒の中に戻し、再び蓋をし、背後に控えていた茶々丸に渡した。

「持っていてくれ、茶々丸。大事な物だ」

「はい、マスター」

茶々丸はそれを丁寧に受け取る。

「エヴァンジェリン、これからお前はどうするつもりだ?」

千雨が唐突にエヴァンジェリンに尋ねた。

「どうする、とは?」

「お前を縛る呪いはもう無い。どこにでも行ける。なんだってできる。ここから出て行く事も。――ここをどうにかする事も」

千雨の言葉に顔を青ざめさせたのは、ネギ達である。
エヴァンジェリンの本来の実力の一端は、昨夜垣間見たばかりである。そんな彼女が本気で暴れたら、誰にも止められないのでは、とネギ達が思っていると、

「生憎だが、ここから出て行く気も、ここをどうにかする気も無い」

エヴァンジェリンはあっさりそう答えた。

「意外だな。麻帆良に手を出さない事はともかく、出て行かない事を選択するとは」

昨夜のエヴァンジェリンの慟哭混じりの言葉を聞いていた千雨が言う。

「少し状況に変化があってな。中学を卒業し、高校を卒業し、大学を出て。その間にやりたい事を見つけて、それを目指さねばならんのだ。立ち止まっていたり、余計な事にかかずらっている暇などない」

エヴァンジェリンは己の為すべき事をはっきり口にした。

「そうでなければ、同じ道を辿って未来に行ったあの子達に追いつく事など、到底できんからな」

その決意は、その場にいる者にとっては意味がわからない物であったが、それがとても大事な物である事は、語るエヴァンジェリンの様子から伝わって来た。

「あ、あの、それじゃあ、もう父さんの事はいいんですか?」

ネギがエヴァンジェリンの言葉を受けて尋ねる。

「ナギ、か。そうだな、少しだけ余裕ができたら、探してみるのもいいかもしれん。探し出して、呪いを解かなかった事を一発ぶん殴って、それからあの子たちに出会わせてくれた事に礼を言って、それから――」


――10数年越しの恋にケリをつけるのも、それはそれで悪くない。


エヴァンジェリンはそう言って、誰もが思わず見惚れる程の、美しい微笑みを浮かべた。



「茶々丸!置いて行くぞ!」

「すみません、マスター」

茶々丸は以前と違い、生き生きと学校に通うようになった主を追って、玄関に向かう。と、その直前で、茶々丸はリビングを振り返って、そこに残って紅茶を啜っていた己が姉に声を掛ける。

「それでは姉さん、行って参ります。お留守番をよろしくお願いしますね」

「アイヨ、行ッテラッシャイ」

チャチャゼロは小さな手をひらひらと振って妹を送り出した。

「サテ、マスタート妹ガ帰ッテ来ルマデニ、掃除ヲ済マセチマワネェトナ」

紅茶を呑み終えたチャチャゼロは、普段手にしている大ぶりのナイフをはたきに換え、家の中をちょこちょこと歩き始めた。
そんなマグダウェル邸の二階。エヴァンジェリンの私室には、ここ数日で物が少し増えた。
一つは、壁に掛けられた、ぎょろりとした目に鋭い牙と言う恐ろしい容貌ながら、どこか優しい物を感じる赤い仮面。
一つは、同じく壁に掛けられた立派な額縁。中には、少し古い感じのする一枚の書状――卒業証書が収められている。日付は何故か、今から12年前の1990年になっている。
そして最後の一つ。それはエヴァンジェリンの枕元にあるサイドチェストの上。そこに新たに置かれたフォトスタンドである。
その中には、妙齢の女性達が数十人映った、一枚の写真が入っている。
皆が皆、楽しそうな笑みを浮かべる中でも、特に中央に映る二人。
長い金色の髪に青い瞳を持った、エヴァンジェリンの面影を強く残す女性と、その女性の腕に抱きついて、カメラに向かってピースサインを送る一人の女性は、一際嬉しそうで、楽しそうな笑みを浮かべている。
それは、見る者の誰もが、思わず微笑んでしまう様な、そんな温かな光景を切り取った写真だった。


【あとがき】
【桜通りの吸血鬼】編、完!でございます。
良く見る二次創作のネギま内では、学園長がひたすらアンチされているので、敢えて優しくて、ちょっと粋な学園長を目指して書いてみました。
因みに、エヴァンジェリンは件の旧3-Aの同窓会には、幻術を使って大人の姿で行きました。まぁ、子供の姿のままで、何も知らない親友たちに会いに行く訳にも行きませんし。
でも、いつか自分の体の事を打ち明けて、受け入れられているエヴァンジェリンがいたりするのを、密かに妄想したりします。
次回からは新章、【京都修学旅行】編。
いつもの方々に加えて、『おもかげ幻舞』からはあの人がついに参戦します。勿論、敵役ですが。
それでは、また次回。
そろそろ話のストックが無くなってまいりました。次回からは、申し訳ないのですが、ストックが尽きるまで一日一話のペースになります。



[32064] 第九話「関西呪術協会」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/19 20:52
二人の人間がいれば、それぞれの意見の相違からある程度の争いが起きるのは必然である。
それが組織ともなれば、争いの規模、複雑さは個人の比ではなく、凄まじい物となるだろう。
尤も、巻き込まれる側としては、たまった物ではないが。



「えーと、皆さん!来週から僕達3-Aは、京都・奈良へ修学旅行に行くそうで……!」

壇上にて、ネギ・スプリングフィールドが差し迫る修学旅行について話している。その顔はニコニコとして、大変上機嫌な様子である。

「もー準備は済みましたかー!?」

ネギの呼び掛けに対し、ノリのいい3-Aの生徒達は、

「「「はーい♡」」」」

と、小学生の様に答えた。
麻帆良中学の修学旅行は4泊5日と割と長い目のスケジュールを取っている。中学生活最後の思い出作りの一つとしては、絶好の機会であろう。

「京都」

俄かに騒がしくなる教室内で、千雨はぽつりと行き先を呟く。

「京都ですね。長谷川さんは、京都に行った事はあるですか?」

隣の席に座っていた夕映が、その呟きを聞きつけたのか話しかけて来た。

「いや、ないな」

千雨はいつもの如く簡潔に答える。

「私もありません。神社・仏閣・仏像マニアを自認する私としては、一度は行ってみたいと思っていたので、正に願ったり叶ったりです。……まぁ、私よりもずっと嬉しそうな方がそこにいらっしゃるですが」

夕映は視線を千雨を飛び越えた先に向けた。

「ふむ」

一つ頷いた千雨は、視線を夕映と同じ方向に向ける。
するとそこには、輝くばかりの笑顔を浮かべている吸血鬼の姫がいた。

「ふふふ~♪京都、京都~♪」

「ああ、マスターがあんなに嬉しそうに。録画モードを開始します」

鼻歌まで歌っているエヴァンジェリンを見ながら、茶々丸は己の電子頭脳にその姿を記録する。

「嬉しそうだな、エヴァンジェリン」

「ふはははは!当たり前だ!」

エヴァンジェリンは千雨に力強く言った。

「あの糞忌々しい呪いのせいで、私は修学旅行だけは行った事が無いんだ!だが今年は違う!人生初、長い人生初の修学旅行だぞ!これを楽しみにせんで何を楽しみにするというんだ!」

「良かったですね、マスター」

拳を握りしめ力説するエヴァンジェリンを相変わらず撮影しながら、茶々丸は流れてもいない涙を拭う仕草をする。

「……そうか」

予想以上にテンションが上がっているエヴァンジェリンに、千雨はそう返すしかなかった。
そんな千雨を見ていた夕映は内心で思う。

(ふふふ、わかる、わかるですよ、長谷川さん。日々『長谷川さんマスター』を目指す私にはわかるです。長谷川さん、エヴァンジェリンさんのテンションに置いていかれているように見える貴女ですが……)

夕映はくわっと目を見開いた。

(その実、ちょっとだけ修学旅行を楽しみにしてるですね!)

そんな夕映の内心の呟きに呼応した様に、エヴァンジェリンから千雨に問い掛けが飛ぶ。

「ふふん、千雨よ。そう言うお前はどうなのだ?実は結構楽しみにしてるのではないか?」

その言葉に対し、千雨は一言。

「多少は」

と答えた。
その瞬間、隣の夕映が「yesですッ!」と快哉を上げたが、千雨には何の事か判らなかった。



あっという間に一週間は流れ、修学旅行当日となった。
千雨は、5日分の着替えと簡単な小物、その他を詰めていたカバンを肩に担ぐと、寮の自室を出て集合場所へ向かった。
同室であるザジ・レイニーデイの姿は既にない。もう駅に向かったか、他の理由でいないのかは定かではなかった。
一人で駅に向かって歩いていた千雨だが、その背中に突如声が掛けられる。

「おはよう、千雨ちゃん!」

「おはようさん、千雨ちゃん」

振り返った千雨の目に、同様に駅に向かう途中の神楽坂明日菜と近衛木乃香の姿があった。

「おはよう。神楽坂、近衛」

千雨は礼儀としての挨拶を返す。

「駅に行くんでしょ?どうせなら一緒に行こうよ!」

明日菜がそう誘った。千雨は特に断る理由も無かったので、その言葉に頷く。

「明日菜と千雨ちゃん、いつの間にか仲良うなっとるな~」

木乃香がその二人の様子を見てのんびりとした口調で言った。

「ん~、まぁ仲良くと言うか、お世話になったと言うか」

明日菜が曖昧な事を口にする。

「よぉわからんけど、せやったら私とも仲良うしてな、千雨ちゃん」

木乃香が千雨に笑いかけた。

「構わないが」

千雨はあっさり頷いた。
それを見た明日菜が、「あれ、こんな簡単に仲良くなれるの!?」と驚愕していた。
そんな風に三人連れ立って集合場所に向かうと、そこには既にほとんどのクラスメートが揃っていた。

「皆早いな~」

「まだ結構時間あるのに、何時から来てんのかしら?」

明日菜が呆れたように言った。

「明日菜、おはよ!」

「おっはよー木乃香ー!」

明日菜と木乃香と二人の姿に気付いたクラスメート達が声を掛けて来た。
そして千雨は。

「ふはははは!遅かったな、千雨!」

ふんぞり返るエヴァンジェリンに捕まっていた。

「お前は早いな、エヴァンジェリン」

千雨がそう言うと、傍らにいた茶々丸が、

「マスターは3時間前からここにおられます」

と答えた。自身もそれに付き合って待っていただろうに、そこは口にはしない。

「ケケケ、誰モ来ナイモンダカラ、出発ノ日ヲ間違エタンジャネーカッテ、半泣キダッタンダゼ?」

その時、茶々丸が持っていたエヴァンジェリンの鞄から、ひょこりとチャチャゼロが顔を出してそう言った。

「ち、チャチャゼロ!言わない約束だっただろうが!誰のおかげで京都に行けると思ってるんだ!?」

エヴァンジェリンが顔を赤くして怒鳴るが、チャチャゼロは意にも返さない。

「ソリャ、ソコニイル眼鏡ノオカゲダロウヨ」

それどころかあっさりそう言ってエヴァンジェリンを黙らせた。

「チャチャゼロ、だったか。お前も旅行に来るのか?」

「ぐぬぬ……」と唸り声を上げるエヴァンジェリンを余所に、千雨は頭だけ出したままのチャチャゼロに言った。

「マァナ。マスターモ妹モイネェノニ、一人デアソコニイテモ暇ナダケダカラヨ」

カタカタと口を動かすチャチャゼロ。傍から見れば奇怪極まる光景だが、千雨は全く気にしない。

「と、とにかく、連れて行ってやるんだから、あまりはしゃいで迷惑を掛けるんじゃないぞ!」

結局上手く言い返せなかったのか、エヴァンジェリンが取り繕う様に言った。

「イノ一番ニ来ル程ハシャイデルマスターニダケハ言ワレタクネェヨ」

だが、再び返されたその言葉に、エヴァンジェリンは今度こそ撃沈した。



新幹線と言う物は、思っていたよりも静かに動く。
それが、千雨にとって初めて乗った新幹線の感想であった。
ネギが注意事項の最中、車内販売のカートに轢かれるなどのハプニングはあったものの、修学旅行は無事にスタートした。
席に座っていたクラスメート達は、既に思い思いの場所に移動し、それぞれの楽しみに興じている。
そんな中、千雨は一人、席に座って本を読んでいた。
それは、のどかから貸してもらった物である。あの日以来、のどかは定期的に千雨に本を貸してくるようになった。それは千雨の読み進むペースよりも早く、千雨の部屋には積読となった本達が文字通り積み上げられている状態である。尤も、のどかの勧めてくる本はどれも中々に面白い物であるため、千雨は今の所それらを断る気はない。
その時、本を読み進めていた千雨は、隣に誰か座った気配を感じて顔を上げた。

「失礼するえ~」

はんなりとそう言って座っていたのは、木乃香であった。

「どうした」

千雨がそう問うと、木乃香はニコニコしながら、

「ん~?駅に向かう途中でああ言うたから、千雨ちゃんと仲良うしに来たんやえ」

そう答えた。

「私と話していても、つまらないと思うが」

「それは実際にお喋りせなわからんやろ?あ、千雨ちゃん、本が好きなん?」

木乃香が千雨の本を指した。

「宮崎に借りている。中々、面白いと思う」

「千雨ちゃん、のどかとも仲ええの?知らんかったわ~」

「少し前から、本を借りるぐらいだ」

千雨はそう言うが、木乃香は首を横に振る。

「のどかは少し人見知りする子ぉやから、よっぽど仲良うなかったらそう何度も本を貸したりせぇへんえ。なんや、ウチの知らん間に友達の輪が広がっとるんやなぁ。ウチも乗り遅れんようにせんと」

妙な決意を固める木乃香は、不意に千雨をじっと見つめた。対する千雨も、無言で木乃香を見つめる。
そうする事しばし、木乃香はすっと手を千雨の顔に向けて伸ばして――。

「えい」

その頬を摘んで軽く上に引っ張った。

「……にゃにをしゅる、ほのえ(何をする、近衛)」

頬を引っ張られたままの千雨は、空気の抜けた声で木乃香に尋ねた。

「いやな、千雨ちゃん全然笑わへんから、笑顔にして見よか思て」

木乃香はにこやかにそう言った。
因みに、それを遠目で見ていた夕映が「は、反則!木乃香さん、それは反則ですよ!」と喚いて周囲から不思議そうな顔をされていたが、千雨には聞こえなかった。

「でもあかんな。やっぱり自分から笑わんと、笑顔にならへんもんな」

木乃香はそう言いながら、千雨の頬から手を離した。

「……笑わないよ、私は。これから先も、ずっと」

千雨はそんな木乃香にそう、呟いていた。
木乃香は、その言葉を受けて腕を組みながらう~ん、と可愛らしく唸った。そして、不意に何かを思いついた様にポンッと手を打った。

「せや!千雨ちゃん、それは『笑顔ゲージ』が足らんからや!」

「『笑顔ゲージ』?」

聞いた事も無い言葉に、千雨は首を傾げた。

「人はな、楽しい事があると、その楽しいが溜って、それがマックスになると笑顔になるんやえ。ウチなんかはそれがあっちゅ-間に溜るからいつも笑てるけど、千雨ちゃんはそれが溜りにくいから、笑わへんのやえ」

新説である。そんな事をニコニコしながらのたまう木乃香に、千雨は何と言っていいのか判らず、取り敢えずいつものように、

「そうか」

と、返していた。

「よっしゃ、じゃあ千雨ちゃん、ウチと一緒に『笑顔ゲージ』を溜めに行くえ!」

木乃香はそう言うと、千雨の手を引いて、席から立たせた。千雨は、為すがままに手を引かれていく。
そうして引っ張って連れて行かれた先には、何かのカードゲームに興じている早乙女ハルナ達の姿があった。

「特別ゲストの登場やで~」

木乃香がそう言って注目を集めると、ハルナ達は歓声を上げて千雨を迎えた。

「おっ、長谷川じゃん!」

「珍しーね、長谷川さんがこういうとこに来るのって」

「千雨ちゃんもやるー?」

口々にクラスメート達は千雨を歓迎する。

「長谷川さんもやってみますか?」

夕映がそう言って千雨を誘う。
それに対し、断ろうとする千雨よりも早く、

「やる~!」

と手を上げたのは木乃香である。

「……ルールが解らないんだが」

抵抗は無駄と悟った千雨は、それを理由に断ろうとしたが、

「じゃあ、私が教えるですよ」

今度は夕映に先手を取られた。
あれよあれよと言う間に巻き込まれた千雨は、気付けばゲームの場に座らされていた。

「……」

千雨は少しだけため息を吐いた。
そんな千雨に、ハルナがにやりと口元を歪めながら尋ねる。

「ふふふ……。所でお客さん、あんた、弾は持っているのかい?」

「弾?」

首を傾げる千雨に、ハルナは大げさに肩を竦めながら、

「ここは仁義なき賭博場さ。弾――即ちお菓子を賭けなきゃ勝負の場にも立てやしないのさ」

ハルナの言葉に、千雨は嗜好品の類を買い忘れていた事を思い出した。
これぞ最後のチャンス、と口を開きかけた千雨の背後から、夕映の声が飛ぶ。

「ハルナ。長谷川さんの分は私が出すですよ!」

「何ぃ?」

ハルナが不敵な顔をする夕映を睨む。

「夕映、随分と千雨ちゃんに入れ込むね……。はっ、まさかあんた千雨ちゃんの事……!」

ハルナの某Gの触角の様な前髪がピキーンと動いたが、夕映は一言、

「阿呆ですか」

と、切って捨てた。

「わかってませんね、ハルナ。漫画やアニメだと、長谷川さんの様なお方はこういう場面において、大活躍すると相場が決まってるですよ!」

夕映の言葉に、一同がざわっ、と背筋を粟立たせる。

「た、確かに……!」

「千雨ちゃんには、そんなオーラがある気がする……!」

その場にいた明石裕奈や佐々木まき絵がごくりと唾を呑みこむ。

「くっ……!確かに、そう言うのは最早お約束と言ってもいいかもしれない……!」

ハルナが悔しそうな顔をする。

「ふっふっふ。もう後悔しても遅いです。数分後には、この投資が数倍になって返ってくるです。後は長谷川さんと山分けしても、お釣りが来るくらいに元は取れるですよ!」

夕映がまだ始まってもいない勝負の勝利宣言を高らかに謳う。
そして、またしても置いてけぼりな千雨を余所に、勝負は始まった。
数分後。

「すまん、綾瀬。負けてしまった」

惨敗を喫した千雨は、夕映に謝っていた。

「長谷川弱ぇー!」

「まー、初めてだし、しょうがないよね」

同じくゲームに参加していた鳴滝風香と椎名桜子からそれぞれそんなコメントが寄せられた。
そして夕映は。

「…………orz」

両手両膝を通路につけて項垂れていた。

「やっぱ現実は漫画やアニメみたいにはいかないかー」

「そりゃそうだよねー」

裕奈とまき絵が感じ入った様に何度も頷いた。

「すまん、綾瀬」

千雨がもう一度謝る。だが、よく考えれば半ば無理やり参加させられた千雨に非はない筈なのだが、憔悴しきった夕映の哀れな様子がその事を忘れさせていた。

「くっ……!まだまだ、まだまだ『長谷川さんマスター』への道は遠いです……!」

夕映は項垂れながら、そんな訳の判らない事を口にしていた。
そんな夕映に追い打ちをかける様に、ハルナがにやーっと笑った。

「残念だったねー夕映ー?さ、さっさと払うもん払って貰いましょうか?」

「ぐぬぬ……」

その小憎らしい様子に、夕映が唸った。
そんな二人を何となしに見ていた千雨に、それまでその場を傍観していた木乃香がニコニコしながら、

「どや、千雨ちゃん?『笑顔ゲージ』、溜った?」

と尋ねて来た。

「……どうだろうな」

千雨はそう答えた。その胸中には、何かが少しだけ動いた様な気がしていた。

「んー、まだ足らへんかー」

木乃香は残念やわー、と言いながら笑った。
そんな会話をしている内に、悔しさを呑みこんだ夕映が鞄から取り出したチョコレートの箱を、ハルナに放り投げていた。

「……今回の事は授業料としておくです」

「やーい、負け惜しみー。さ、それじゃ遠慮なく頂こうかなー?」

ハルナが笑いながらチョコレートの箱を開ける。そして、その目が点になった。

「……カエル?」

そこには、チョコレートの代わりに、何故か一匹のカエルが鎮座していた。
一瞬作り物かと思ったハルナだが、そのカエルがぴょ~んと跳ねた瞬間、悲鳴を上げた。

「キャ、キャ~!?」

それを見た裕奈も同様に悲鳴を上げる。

「カ、カエル~!?」

飛び跳ねたカエルは、裕奈の頭に乗っかり、勝ち誇った様にげこげこと鳴いた。

「ど、どうしたの!?」

「カエル!?」

騒ぎを聞きつけた他の面々も騒ぎ始める。そして、それを皮切りに、あちこちで大量のカエルが湧いて出て来た。
あっという間に、周囲は狂騒と狂乱の坩堝と化す。指導教員の源しずなや、カエルが大の苦手な長瀬楓等は、早々に気絶している。
そんな中、席に取り残されたままの千雨は、己の顔目掛けて飛んできたカエルを空中で摘まみ上げると、それをじっと見つめた。

「カエル」

見たままを口にする千雨。そんな千雨を、カエルは意外につぶらな瞳で見上げながらけろけろと鳴く。
その時、千雨の手から白い指先がカエルを掻っ攫っていく。
それを目で追った千雨は、そこに茶々丸を伴ったエヴァンジェリンが立っている事に気付いた。
エヴァンジェリンはカエルを掌に乗せると、それに唇を近づけてふぅっ、と息を吹きかけた。
すると、そこにいたカエルは霞のように消え、後には小さな紙片が残される。

「式神……、陰陽道。と、言う事はやはり関西呪術協会か」

エヴァンジェリンは面白くなさそうにふんと、鼻を鳴らした。

「関西呪術協会?」

「ん?ああ、お前は魔法使い側の事情を全く知らないんだったな」

エヴァンジェリンは千雨の隣の腰掛けると、語り始めた。

「関西呪術協会とは、陰陽道、神道、密教等の、この国古来からの魔法使い達が中心となった組織だ。で、こいつらは西日本を中心に活動しているんだが、東日本を中心に活動している関東魔法協会とは大層仲が悪い」

エヴァンジェリンは残されていたお菓子を一つ摘むと勝手に食べた。

「因みに、関東魔法協会は西洋の魔法を使う者達を中心とした組織で、その理事はあの爺が務めている」

学園長の事か、と千雨は思う。
と、そこで疑問を抱いた千雨がエヴァンジェリンに質問する。

「何故、その二つの組織は仲が悪いんだ?同じ魔法使いじゃないのか?」

「まぁ、魔法使いでない者から見れば、同じ神秘を扱う者同士に見えるだろうが、当人達は激しく否定するだろうよ」

エヴァンジェリンはそこで、背後に控えた茶々丸に飲み物を所望する。それに応え、茶々丸は水筒から温かい紅茶をカップに注ぎ、エヴァンジェリンに手渡す。

「長谷川さんもどうぞ」

茶々丸は千雨にも紅茶を手渡して来た。千雨はそれを受け取り、小さく礼を言う。

「さて続けるぞ。……この二つの組織の仲が悪い理由だが、それは明治時代まで遡る。鎖国が解かれ、文明開化と共に華やかな西洋文化がこの国流出した頃、西洋の魔法使い達もこの国を訪れたのさ。奴らは神秘の解明をお題目に、この国の魔法使い達が秘中の秘として来た魔法や、神域として来た場所を徹底的に暴き始めた。勿論、この国の魔法使い達、ええい、ややこしいな。仮に呪術師達と呼ぼう。彼らは猛反発した。そして小さな争いの火はすぐに大きな大火となって燃え上がり、この国は魔法使いと呪術師が血を血で洗う戦場となった」

それは、表では決して語られない、この国のもう一つの歴史だった。

「抗争が長引くにつれ、事態を重く見たのは、当時の魔法使い、呪術師のトップ達だ。開国が成った以上、魔法使いがこの国を去るのは最早不可能。そこで、彼等はこの国の東西に分かれ、それぞれの活動領域をそこに定め、相互不可侵の条約を結ぶ事によって、ようやく争いに終止符を打ったのだ」

エヴァンジェリンは紅茶を一口啜り、喉を潤す。

「だが、こんな狭い島国でそれぞれが絶対に関わり合いにならない事など無理だ。そう言う訳で、今に至るまで小競り合いは延々と続いているのが現状だ」

「……まるで、見て来た様に言う」

千雨がそう言うと、エヴァンジェリンは小さく笑って、

「私はその時、その場にいたからな」

と言った。

「閉ざされていた極東の島国に興味を持ったのは、私も同様と言う訳だ。尤も、私は他所の領分に勝手に手を出す様な無粋極まる様な真似はしなかったが。……だと言うのに、当時は魔法使いだと言うだけで、私も呪術師達に襲われて不愉快だったな」

エヴァンジェリンはその時の事を思い出して顔をしかめた。

「関西呪術協会と言う物は理解した。しかし、それが何故私達の修学旅行にちょっかいを掛けてくるんだ?」

千雨が問うと、それに対しエヴァンジェリンは首を捻った。

「ふむ、私もそこが解らん。確かにこのクラスは私やお前を始め尋常でない者達が揃っているが、それだけではこちらに手を出してくる理由にはならん」

その時、むぅ、と唸るエヴァンジェリンの横を何かが飛び抜けて行った。

「燕」

千雨が己が目にした物を口に出す。それは、確かに燕だった。その嘴には、何か封筒の様な物が咥えられていた気がする。

「コラーッ、親書を返してくださーいっ」

燕を見送った千雨達の横を、今度はネギが駆け抜けて行った。

「親書?」

首を傾げた千雨を余所に、エヴァンジェリンは頭を抱えた。

「そう言う事か……。あの糞爺、修学旅行に託けて、坊やに何を頼んでるんだ……!」

「何かわかったのか?」

エヴァンジェリンは不機嫌顔を崩さぬまま、ぶっきらぼうな口調で答えた。

「大体はな。あの爺、どうやら坊やに西の長宛ての親書を渡す様に頼んだらしい」

「……それは何が悪いんだ?学園長は関西の者達と和解しようとしている、と言う事だろう?」

そ言う千雨を、エヴァンジェリンは出来の悪い生徒を見る様な目で睨んだ。

「そう簡単に事が運ぶか。先祖伝来の憎しみや、近年における小競り合いによって、大切な者達が傷ついた恨みを持つ者達にとってすれば、和解など真っ平御免と言う所だろう」

「そう言う意見は関東では出ないのか?」

「詳しい事は知らんが、爺がああいう物を出した以上、組織内での意見調整は済んだのだろう。独断でするには問題が大きすぎる」

「しかし、関西に親書を出したとして、それが受け入れられるのか?」

千雨の言葉に、エヴァンジェリンはにやりと笑った。

「それこそ爺の切り札だ。実はな、関西呪術協会の今の長は、あの爺の義理の息子なのだ」

「……そうなのか?」

「ああ。爺は元々関西の呪術師の名家の出と聞くが、自分達とは全く体系の異なる西洋の魔法に惹かれて出奔したらしい。おかげで、関西ではあの爺を裏切り者呼ばわりして蛇蝎の如く嫌っている連中もいるそうだ。そんな爺だが、家族だけは巻き込みたくなかったようでな、実家に保護を頼んで、関西に置いて来ているのだよ。その娘と、今の西の長が結婚したと言う訳だ」

その言葉を受けて、千雨は少し考え込んだ後、再び口を開いた。

「つまり、学園長は身内の縁を使って、多少強引にでも和解を為すつもりだと言う事か?」

「多少などと言う物ではない。かなり強引だ。しかし、聞く所によれば、関西の方でも和解を求める穏健派が増えているらしいし、勝算はあるのだろう。爺にしても、これ以上長引かせて、またぞろ何か問題が起こってせっかくの意見調整が台無しになるのを防ぎたいんだろう」

「そうか。しかし、もう一つ判らないのは、何故それをネギ先生に頼んだかと言う事だ」

最後に残った疑問を口にした千雨に、エヴァンジェリンは至極あっさりと言った。

「坊やの箔付けのためだろう」

「箔付け?」

「うむ。あの坊やは英雄の息子として魔法使いの間でも中々の注目の的だ。そんな中には、あの坊やを行方知れずの英雄の後釜に据えようとしている連中もいるのさ。爺は恐らくそんな奴らに頼まれでもしたのだろう。東西の魔法使い達の仲立ちをした立役者となれば、あの坊やの名声も鰻昇りと言う訳だ」

「ふむ」

エヴァンジェリンの言葉に、千雨は一応の納得を見る。これ以上尋ねても、魔法使いでない自分には関係のない話であるので、その話題はここで切る事にした。
その時、千雨の脳裏にある事が過った。千雨は、それをエヴァンジェリンに聞いてみる。

「エヴァンジェリン。関西呪術協会の長は、学園長の義理の息子だと言ったな」

「ん?ああ、そうだ」

「……近衛は、学園長の孫だな?と、言う事は、西の長は――」

エヴァンジェリンはほう、と言う風に息を吐くと、然り、とばかりに笑った。

「良く気付いたな。その通り、近衛木乃香は、関西呪術協会の長の娘にして、関東魔法協会の理事の孫。つまり、魔法使い達の間においては、あの娘はやんごとなきお姫様なのさ」

「やはり、そうか」

「付け加えるなら、あの娘はその高貴な血を余す事無く受け継ぎ、その魔力は私やナギ――英雄に勝るとも劣らん程だ」

その言葉を聞いて、千雨の頃に僅かなさざ波が立つ。
強すぎる力は、不幸しか呼ばない。
千雨は、その事を良く知っていた。

「……そんな力を持つ近衛が、今のきな臭い状況の京都に舞い戻ったりして、大丈夫なのか?」

「さて、どうだろうな。連中にして見ても、近衛木乃香は大事なお姫様だ。無体な真似はせんと言いたいが……。正直、関西がどれ程の派閥に分かれているのか、見当もつかん。中には、近衛木乃香の力と立場を担ぎ上げて、関西呪術協会を乗っ取ろうと思っている奴もいるかもな」

言う事を聞かせる方法等幾らでもある、とエヴァンジェリンは言う。
千雨はその事を少し想像する。もし、そんな事になれば、あのいつも笑顔が絶えない娘は、自分の様な仮面を被ったような冷たい存在に変わってしまうかもしれない。

「……少なくとも、『笑顔ゲージ』は溜らないだろうな……」

「は?『笑顔ゲージ』?」

思わず呟いた言葉を聞きつけたエヴァンジェリンが首を傾げるが、千雨は何でもないとそれを誤魔化した。
無事にスタートしたと思った修学旅行は、蓋を開けてみれば、その前途に暗雲が立ち込めている。
それを思った千雨は、本人も知らない内に、本日何度目かになるため息を小さく吐いた。



【あとがき】
【京都修学旅行】編、導入部が終了です。
なんか、予想以上に長くなってしまった。
次回は視点を変えてのお話。
千雨の出番はありません。代わりに、あの人やあの人やあの人やあの人、そしてあの人が出ます(笑)。
それでは、また次回。



[32064] 第十話「彼らの胎動」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/20 21:18
傀儡師:人形を使って諸国を回った漂泊芸人。特に江戸時代、首に人形の箱を掛け、その上で人形を操った門付け芸人をいう。傀儡回し。人形つかい。



大手チェーン店のファミリーレストラン。
特に特筆すべき事のないこの場所に、三人の人物が集合していた。
一人は『陰陽師』、天ヶ崎千草。
丸い眼鏡の下の少し吊り目がちな目つきと、艶やかな長い黒髪が特徴の美女である。
ベージュのビジネススーツを纏い、苛立った様子で腕を組んでいる。
一人は『神鳴流剣士』、月詠。
こちらも丸い眼鏡をかけているが、その下の目つきは千草とは対照的に垂れ気味で、何とも柔和な印象を受ける。
着ている服は何故か白いゴスロリ衣装。見た目の印象通りのふわふわした様子で、目の前に置かれたケーキを突いている。
そして最後の一人は『魔法使い』、フェイト・アーウェルンクス。
雪のように白い髪と、人形めいた美しさを持った、10歳程度の外見の少年である。
こちらも苛立つ千草とは対照的に、落ち着いた様子で湯気の立つコーヒーを呑んでいる。

「……遅い!」

苛々と人差指で己の腕を叩いていた千草は、遂にその言葉を漏らした。

「あいつ、一体どこをほっつき歩いとるんや!」

憎々しげに吐かれた言葉を聞きつけたフェイトが、目線だけを千草に寄こしながら、

「小太郎君なら、もう少しかかるんじゃないのかい?ここからは距離もあるし、彼は転移の符を持っていないのだろう?」

フェイトは今はここにはいない、彼らのもう一人のメンバーである犬上小太郎の動向を述べた。
しかし、千草は苛立ちを押さえぬまま、首を横に振った。

「……小太郎の事やない。ウチが個人的に雇った、もう一人の助っ人や」

それを聞いたフェイトがピクリと眉を上げる。

「初耳だね」

「中々に人気者でな。この間ようやく依頼を取り付けて、今日ここで紹介がてら合流する予定やったのに……!」

千草はぎりりと歯を噛みしめる。
依頼主を待たせて遅刻してくるとは、こちらを舐めている証拠である。その思いはより一層千草を苛立たせていた。

「強いんですか~、その人~?」

その時、それまで黙ってケーキ頬張っていた月詠が尋ねて来た。その瞳には、興味と、それに勝る剣呑さが宿っている。

「……嘘かほんまか知らんが、依頼の達成率は100%。この世界でも有数の凄腕や。だからこそ依頼を取り付けるんに苦労したんやけど」

「ほわ~、凄いお人なんやんなぁ。……楽しみやわ~」

最後の言葉に、粘つく様な狂気を宿して、月詠は哂った。

(ちっ……、こいつも大概やばい奴や。それに、上の寄こしたもう一人の助っ人は糞ったれな魔法使いで、しかもガキときとる)

千草は自嘲気味に笑う。
今回千草達に与えられた仕事は、西と東の和平の妨害である。
それ自体は、千草は諸手を挙げて賛成する。千草は、過去に起こったある事件によって、東の者達を憎み抜いているのである。
それこそ、機会があるならば、皆殺しにしてやりたい程。
だが、その仕事には厄介な注釈がついていた。

『なるべく、穏便に事を進めるべし』。

その訳を聞けば、送られて来る親書は、半ば対外的な目を意識しての代物であり、本題である和平自体は、すでにそれぞれの組織のトップ同士で話が付いているとの事。
ならばその親書の破棄、もしくは奪取の意味は、と問えば、それは自分達反対派の示威行動の様な意味合いであるらしい。
和平を進めるのは勝手だが、自分達がいる限り好きにはさせない、という意味である。
それを聞いた瞬間、千草は頭が沸騰しそうな程の怒りを覚えた。
好きにはさせない?和平が成ってから喚きたてる事で何ができる。
話が付いている?下位の者達の意見を全て無視して、何の話が付いたのだ。
なるべく穏便に?そんな温い事をする意味があるのか。
本当に東を憎み、和平を拒むならば、今の西の長を殺して己が長になればいい。
或いは東の要人の一人か二人を殺して、新たな火種を作ってやればいい。
それをしないのは、反対派を名乗る連中は、結局和平が成る事で、自分達の立場が危うくなるのを恐れているだけだからだ。
自分達が表に立ち、傷つく事を恐れているからだ。
その瞬間、千草の腹は決まった。
この温い仕事を利用し、自分だけはどんな手段を使ってでも、和平を阻止し、あわよくば関西呪術協会を乗っ取り、東を滅ぼすと。
だというのに、与えられた人員は、温い仕事に見合うはぐれ者ばかりであったのだ。

(ほんま、完全に捨て駒やな、ウチら。神鳴流の理から外れた剣士に、素性の知れん子供の魔法使い、傭兵まがいの半妖に、一山いくらの陰陽師。寄せ集めの屑ばっかりや)

上の者達が、千草達が成功しようが失敗しようが、どうでもいいと思っている証左である。
だが、と千草はギラリと目を輝かせる。

(この状況を逆に利用したる。こっちが何考えようが、上に気取られんのは限りなく遅い。その間に、ウチはウチの目的を果たす)

今回呼んだ助っ人は、そのための人材である。上の干渉を受けない、独自の戦力。何かイレギュラーが起こっても、切り抜けられるような強い『力』だ。
それなのに、初っ端からその助っ人に舐められている。決して好きにできると思うな、と言われているように感じ、千草は歯がみした。
その時、千草達の前に注文した覚えのないチョコレートパフェが運ばれて来た。

「?何や、これ?ウチらはこんなん頼んでないで?」

目で、月詠とフェイトに確認するが、二人とも答えは否。

「あんた、テーブル間違えてるんとちゃうか?」

千草は運んできたウェイトレスに言うが、少し顔を伏せ気味のウェイトレスは首を横に振った。

「いいえ、これはサービスですよ。……『僕』からの』

その言葉が、途中から男の物に変わる。
瞠目する千草の目の前で、ウェイトレスが顔を上げる。その顔が、突如耳までがばりと裂け、そして喉の奥から複数の銃口を束ねた、宛らガトリングガンの様な物が覗いた。
次の瞬間、動いたのはフェイトだった。
動きの硬直した千草を乗り越え、繰り出された拳はウェイトレスだった者を容赦なく殴り飛ばした。

「し、新入り……」

茫然と呟く千草を余所に、フェイトの視線は己が殴った存在に注がれたままだ。
それが、フェイト達の前でキリキリと音を立てて起き上がる。

『酷い、酷いなぁ……。こぉんな可愛い子を殴るなんて、なんて酷い子だ』

「生憎、僕には人形を愛でる趣味は無くてね」

フェイトは静かに答えた。

『自分が人形の様な顔をしているからかい?そのせいか、君の外見はとても僕好みだ。中身をくりぬいて、そのまま本物の人形にしてしまいたいぐらいに♡』

男の声が哂いを滲ませて言う。それに対し、フェイトは無反応だ。
その時、騒ぎに気付いた周囲がざわつき始める。千草は舌打ちすると、懐から取り出した一枚の符を宙に投げる。
途端、符は青く燃え上がりながら、強い光を発する。それを目にした周囲の人間が、次々に昏倒していった。

『はは、中々の腕前じゃないか。今回の依頼人は無能の類ではないらしいね』

男の声が称賛し、操る人形が器用に手を叩いた。

「戯言はええねん。それより、さっきのは何の真似や!?」

千草がそのふざけた様子に激怒した。

『嫌だねぇ。ほんの冗談だよ、冗談。その証拠に、ほら』

再びがばりと開いた口の奥にある砲口から、ポンと、音を立てて小さな作り物の花が飛び出る。

『少し、場を和ませようとしただけだよ』

その言葉に、千草は今にも怒鳴りつけたい気持ちをなんとか抑えた。

「……下らん冗談はお呼びやないねん。それより、人形越しに話しするんはやめ。けったくそ悪い」

「ふむ、依頼人がそう言うなら、そうしようか」

千草の言葉が終わると同時に、その真後ろの席に突っ伏していた人物が不意に立ち上がる。どうやら、周囲の客に擬態していたようだ。
ひょろりと細長い体に纏うは、紺の作務衣の上下。足元は草履を履き、額には白い手ぬぐいを巻いている。その手ぬぐいの下にあるパーツは、鼻に掛けた小さな眼鏡を含め、何とも人の良さそうな印象を与える。
ただ、その眼だけが違う。狂気と殺意が濃く混ざり合い、どろりとした泥の様な、反吐が出る目をしていた。
その目が与える印象と、顔のパーツが与える印象のちぐはぐさが、男を見る者に、酷く不安な気持ちを抱かせる。
男は千草達の前に立つと、芝居がかった様子で一礼する。その背後では、人形が全く同じ仕草を取っている。

「初めまして。僕の名は、呪三郎。少し人殺しが得意なだけの、しがない傀儡師でございます」

そう言って、男――呪三郎は、にたり、といやらしい笑みを浮かべた。

「はわ~。助っ人って、呪三郎はんの事やったんか~」

月詠が呪三郎の姿を見て目を丸くする。

「月詠はん、呪三郎の事知っとったんか?」

千草が尋ねると、月詠は嬉しそうに頷いた。

「へぇ。前に一遍、同じ側で仕事させてもうた事があるんですわ~。ほんま、惚れ惚れする様な手際の良さでしたわ~。……思わず、死合ぉてまいたくなるくらいに」

月詠がその時の事を思い出したのか、恍惚とした表情になった。見た目が清純そうな月詠がそのような表情をすると、それはとても淫靡な物を感じさせた。

「ああ、僕も覚えてるよ、月詠ちゃん。何度も何度も後ろからいい感じの殺気を放ってくれて、こんな可愛い子が僕を意識してくれているんだと思うと、嬉しくてねぇ。――ついつい、殺してやりたくなったよ」

呪三郎もまた、それ受けて哂う。
その瞬間、月詠は取り出したニ刀の鯉口を切り、呪三郎の傍らにいた人形の掌から、仕込み刃がじゃきりと飛び出る。
場の雰囲気は、一瞬にして粘ついた物へと変わる。月詠と呪三郎が放つ狂気と殺意が渦巻き、正に一触即発と言うその刹那。


「やめろや」


空気が凍りついた。その声に込められた冷たい何かは、闘争に興じようとした二人の魔人の頭を冷静にさせるには十分なものだった。
月詠と呪三郎は、その声がした方に目をやる。
そこに、酷く冷めた顔をした千草がいた。

「お前等がどこで殺し合おうと知ったこっちゃない。ただ今回の仕事は、ウチにとって人生掛けた一八の大博打や。ウチの言う事に従わんと勝手するんやったら、もうええ。どこへなりとも、去ね」

何処までも冷たく、千草は告げる。もし仮に、ここで月詠や呪三郎が去ったとしても、千草は決して止まらない。すぐに別の手段と、別の人員を雇い、事を進めるだろう。
制御できない力等、千草には必要ない。必要なのは、確実に事をなす為の力。ただそれだけである。
そんな千草の言を受けた月詠と呪三郎は、内心で感嘆する。

(いやはや、見縊ってましたわ~)

(へぇ、中々如何して。楽しい仕事になりそうじゃないか)

月詠と呪三郎が千草への評価を改めたその時、店の自動ドアが音を立てて開いた。
客か、と千草は舌打ちしたが、すぐに安堵する。
そこには、フェイトと同じぐらいの年頃の、黒い学ランを着た少年がいた。少し幼いが、中々に精悍な顔立ちをしている。そして何よりも目を引くのが、そのぼさぼさの黒髪の天辺に生えた、獣の様な耳である。
『半妖』、犬上小太郎。その場にいなかった、千草達の最後の面子である。
小太郎は、入ってすぐ、店の人間全員が倒れている事に驚き、辺りをきょろきょろと見回している。

「小太郎、丁度ええ時に来たな。これを店の入り口に貼っとき」

千草はそう言って、小太郎に一枚の符を投げ渡す。人払いの効果がある符であった。

「それは別にええけど……。何やねん、この状態」

小太郎はそう尋ねるが、千草は黙って顎をしゃくり、ただ急かしただけで答える気はなそうである。
小太郎は小さなため息をつくと、言われた通りに符を貼り、改めて千草達の元へとやって来た。

「あー。めんどかった。ん?知らん顔がおるけど」

小太郎が呪三郎を見た。

「今回の仕事でウチが雇った助っ人や。名は、呪三郎。お前も聞いた事くらいはあるやろ?」

千草は呪三郎が余計な事を言う前にさっさと紹介した。

「呪三郎って、あの『傀儡師』呪三郎かいな!うへぇ、生粋の殺し屋やないか。姉ちゃん、こんな危ないの雇ってどうするんや?」

「……本人がいる前で随分な物の言い様だね」

小太郎の遠慮がない言葉に、呪三郎の胡散臭い笑顔が少し引き攣った。
その様子に僅かながら溜飲を下げながら、千草は言う。

「必要やから雇ったんや。お前が気にする事やない」

その冷たい言い方に、知らず小太郎の犬耳がしゅん、と垂れ下がる。
この面々の中において、千草と小太郎は一番付き合いが長い。
小太郎はその生まれ故か、物心付いた頃には、既に親の顔を知らずに育った。その後、すぐに自分が育った保護施設を脱走する。その理由は単純明快。施設内に当たり前に蔓延する、露骨な差別を嫌ったのである。
半妖というのは、人にも妖にも受け入れられない、半端な存在である。そして、事情を知る者達は、そんな半妖達を自分たちよりも下と見る者が多い。
とにもかくにも脱走を果たした小太郎は、その身体能力を生かして傭兵紛いの仕事を始めた。しかし、そこはやはり幼い子供。ある仕事であっさり捨て駒として扱われ、すぐに窮地に陥ってしまった。
そこを助けてくれたのが、千草であった。
以来、千草は何故か小太郎の面倒をちょくちょくと見てくれるようになった。
千草は、小太郎を見下さない。その辺の子供を扱うのと同じ扱いで小太郎と接する。
千草にしてみれば当たり前の事だったのだが、小太郎にとって、それはとても新鮮な事だった。
故に、小太郎は千草に懐いた。千草も、自分を慕ってくれる小太郎を突き放す様な事をしなかった。
それは、それぞれが失って、或いは持っていなかった『家族』の真似事だったのかもしれない。
代償行為でしかないと言われても、家族を知らぬ小太郎にとっては、十分だった。
しかし、ここ最近の千草の様はおかしい。
今回の仕事を引き受けてから、千草はほとんど笑わなくなった。冷笑や嘲笑を浮かべても、心から楽しそうにしている様子はない。
何かに取りつかれた様に、様々な文献を読みあさったり、仕事の根回しに没頭している。
そしてここに来て悪名高い殺し屋まで雇う始末。
小太郎は、自分の『姉』が、何か取り返しのつかない道へ進んでいる様な、そんな嫌な予感がしてならなかった。

「……たろう。小太郎。どうしたんや?」

小太郎は千草の呼び掛けに没頭していた思考から我に返る。

「あ、ああ。何でもないで。それより、これ。ターゲットの追加情報や」

小太郎はそう言って、手にしていた封筒を千草に手渡す。

「ご苦労さん。…………ふーん、ネギ・スプリングフィールド、か」

人数分がコピーされた資料を読み進めながら、千草は今回の親書を届ける特使の名を呟いた。

「あの『サウザンドマスター』の息子だね」

フェイトがそれを聞きつけ、補足する。

「何でこないなガキに特使なんぞ任せるんかねぇ?」

「恐らくだが、彼の肩書に箔をつけるためだろうね。魔法世界の重鎮達の中には、彼を英雄の後釜に据えようとしている者達もいるそうだから」

「はっ、この国の長きにわたる東西の因縁も、向こうの連中からすれば子供のためのステップアップ教材か。相変わらず、魔法使いっちゅーのは、腐った性根の連中ばっかりやな」

その『魔法使い』であるフェイトが横にいるにもかかわらず、千草は罵るのを遠慮しない。
そしてフェイト自身も、自分を尋常な魔法使いだとは思っていないので、何も言わなかった。
小太郎は、その『英雄の息子』とやらの写真を見る。甘ったれた顔をしている、と言うのが小太郎の最初の印象だった。
英雄の息子。きっと自分みたいな半端者と違い、多くの人に愛され、育ってきたのだろう。

「……気に入らん」

知らず、小太郎は呟いていた。

「ほぅ。じゃあ、その坊やの直接の相手は小太郎、お前がするか?」

それを聞きつけた千草が提案する。それに対し、小太郎は黙って頷いた。

「ほな、ウチはこちらのお人にしようかな~」

月詠はそう言って指でなぞったのは、『桜崎刹那』と言う名の少女の写真だった。
長い髪を片側で縛った、凛とした顔の美少女である。

「神鳴流剣士、か。麻帆良での木乃香お嬢様の護衛やな。ウチらの本当の目的のためには、真っ先に立ち塞がる邪魔もんや」

千草は冷たい瞳で刹那の顔を睨みつける。

「綺麗なお顔でんな~」

月詠はうっとりと言う。

「それに意志も強そうや~。……切り刻んであげたら、どんなエエ声で泣いてくらはるやろか~」

「……」

舌舐めずりせんばかりの月詠に、千草は余計な事を言うのを避けた。

(まぁええ。黙っとっても相手してくれるんやったらむしろ好都合や。その隙に、お嬢様を攫える)

千草達の真の目的。それは、関西呪術協会の現長である近衛詠春の娘である、近衛木乃香の誘拐である。
その血筋と、体に宿る莫大な魔力があれば、あらゆる物を押さえつけてでも関西呪術協会を乗っ取る事が可能な程の鬼札。

(そして、あれをウチが手に入れるためにも、どうしても必要なお方や)

千草は知らず、木乃香の写真を愛おしげに撫でていた。

(木乃香お嬢様さえ手に入れば、冗談抜きで何とでもなる。このお方には、それくらいの力があるんや)

千草は思う。もし自分にそんな力があれば、あんな事にはならなかったのに、と。
耐えがたい過去を思い出し、改めて東への憎悪を滾らせていた千草の耳に、フェイトの言葉が飛び込んできた。

「――どうやら、とても厄介な事になってるらしいね」

フェイトは、何枚目かにある資料の一点を見つめている。

「何や、新入り。そないに真剣に見つめて」

首を傾げる千草に、フェイトはその資料のページを見せる。それを読み進めた千草は、顔を強張らせて呻いた。

「『闇の福音《ダーク・エヴァンジェル》』、やと……!?」

そこには、今回の麻帆良の修学旅行において、あの真祖の吸血鬼が参加する事、そして最も警戒すべしと言う事が書かれていた。

「な、何で急に……?こいつ、サウザンドマスターに封印されてたんと違うんか!?」

千草は頭を抱えた。これは、あまりにも予想外すぎる。
『闇の福音』の名は、国内外を問わず、魔法に関わる者ならばその全てに知られている。主に、悪名として。

「何でや……?まさか、事前に察知されたんか?」

「どうだろうね、可能性としては低そうだけど。案外、只の真祖の気まぐれかもしれない。僕達は、そのサウザンドマスターが掛けた封印なる物がどういった魔法なのかも知らないんだ。実は割と自由度が高くても不思議じゃない」

「せやかて、何で今回に限って修学旅行なんぞに参加しとるんや!?」

「だから言っただろう?只の気まぐれかも、と」

フェイトが冷静に視線を返すと、千草は黙り込んだ。

「『闇の福音』、と言う事は、相手はあの『人形遣い《ドールマスター》』、か……」

その時、黙って資料を捲っていた呪三郎が呟く。その口調は、何故かとても楽しげだ。

「ああ、そうや。何や呪三郎、おまはんがあの吸血鬼の相手をしてくれるんか?」

半ば自棄になってそう言った千草に、呪三郎は大きく頷いた。

「ふふふ。ああ、願ったり叶ったりじゃないか!ふはは、受けた時は正直微妙な仕事だと思ってたけど、これはいい!あははははは――!」

そう言って、呪三郎は笑い始めた。因みに、千草と小太郎は完全に引いている(フェイトは我関せず、月詠は今だトリップ中)。

「な、何やの、あんた。『闇の福音』に恨みでもあるんか?」

笑い続ける呪三郎に、千草は恐る恐る尋ねる。

「いや、何も」

呪三郎は笑いを収めると、あっさり首を横に振った。

「ただね、『人形遣い《ドールマスター》』の名は、僕達『傀儡師』にとって、憧れだよ?何せ、操る人形千体を連れ、一夜にして一つの国を滅ぼしたって話も聞くじゃないか。挑み甲斐がある。もし、僕が彼女を殺す事に成功すれば、名実共に、僕は最高の人形使いだ……!」

どうやら、呪三郎は『闇の福音』のもう一つの二つ名、『人形遣い《ドールマスター》』の称号を欲しているようだ。案外それは、魔法使い達が『偉大な魔法使い《マギステル・マギ》』に憧れるのにも似ているかもしれない。

「……そう言う事やったら、『闇の福音』はあんたに任せる。ただし、相手が手を出してきた場合だけや。新入りの言う通り、只の気まぐれかも知れんのや。態々藪を突いて鬼を出す必要はないで」

「ふふふ、わかったよ」

呪三郎は滴る様な笑みを見せた。

「なら僕は臨機応変に動こう。メインを千草さんのサポートを置いて、ね」

フェイトの言葉に、千草は頷いた。この少年魔法使いがどれ程の腕前かは知らないが、上が態々助っ人として送ってきた相手である。加えて、先ほど見せた立ち回りの件もある。弱いという事は決してないだろう。
こうして、それぞれの役割が決まった。
千草、フェイトは木乃香の誘拐。
月詠は護衛の排除。
小太郎は親書の奪取、もしくは破棄。
そして呪三郎は遊撃要員、及び『闇の福音』が出て来た時の相手。

「正直、ウチらにはあんまり時間がない。総本山の手練は、上が上手い事スケジュールを調整して出払う様にしてくれるらしいけど、いつまでもつか判らん。加えて、その上もウチらはだまくらかすから、一層や」

千草がその場にいる面々の顔を見回す。少し緊張気味の小太郎はともかく、他の三人にはそれを聞いても焦る様子はない。
月詠と呪三郎に至っては、逆に何かイレギュラーが起こった方が面白いと思っている節すらある。

「せやさかい、動き出したら、止まらん。目的を為すその時まで、突っ走る。邪魔するもんがおったら構わへん。相手が英雄の息子だろうが、護衛だろうが、真祖の吸血鬼だろうが、容赦なく、呵責なく、遠慮なく。――ぶち殺せ」

その言葉に、外法の剣士と殺戮の傀儡師が昏く哂う。白の魔法使いは表情を変えず、半妖の少年は悲しそうな顔をした。
そんな者達を見つめ、復讐の陰陽師は何処までも冷たく、そして何かが滾った声で宣言した。


「ほな、始めよか」


短く、簡素な言葉。だがそれが、関東魔法協会でもなく、関西呪術協会でもない、三番目の組織の胎動の瞬間だった。



【あとがき】
そんな訳で、天ヶ崎千草サイドのお話でした。
千草さんは切れれば切れるほど、冷静になるタイプ。
そして呪三郎がついに登場。彼とエヴァンジェリンを戦わせる、と言う事は少し前から考えていました。
次回は京都到着、そして千草一派との初戦闘です。
それでは、また次回。



[32064] 第十一話「京都開演」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/21 23:15
合縁、奇縁、腐れ縁。
世に繋がりを示す言葉は数多ある。
生まれも、場所も、生きて来た時間すらも違う中で、出会う事が出来た奇跡。
偶然と言う名の運命に導かれ手に入れた『絆』は、もしかすると何よりも尊いのかもしれない。
だから人は求めるのだろう。
例えその手が届かなくても。
例えその手を伸ばせなくても。



かしゃり。
修学旅行の専属カメラマンの手がシャッターを切る。清水寺を背景に、3-Aの思い出がフィルムに焼きつけられた。
無邪気に笑う少女達の中に、仮面の如く無表情な顔が一つ混じっている筈だ。
その仮面の面《おもて》の持ち主、長谷川千雨は、清水の舞台から見える京の町を見つめていた。
空は快晴。風も心地よく、遥か彼方まで見通せるような気さえする。

「ええ眺めやなー」

その時、そう言いながら千雨の横に、木乃香が並んで来た。

「近衛は京都出身と聞く。こんな眺めも、見飽きてるんじゃないか?」

千雨がそう聞いてみるが、木乃香は苦笑しながら頭を振った。

「そんな事あらへんえ。実はな、ウチ、京都に居った頃、ほとんど家から出た事がなかったんよ」

「そうなのか」

「そうなんよ」

木乃香は、そのやり取りを可笑しそうに笑いながら続ける。

「ウチの実家は京都の山奥にあってな。エライ広いお屋敷やったんやけど、ウチと同年代の子供は一人もおらんくて、ウチは一人ぼっちで遊んでたんやえ」

「……寂しくは、なかったのか?」

「そう感じる事も出来んほど小さかったからなぁ。でもな、ずっと友達がおらんかった訳やないんよ」

木乃香は、嬉しそうに笑う。

「ある日を境に、ウチと一緒に遊んでくれた子がおってな。ウチはほんまに嬉しくてなぁ。毎日が楽しゅうて仕方なかったわ」

その友達を思い、木乃香は微笑む。それは木乃香にとって、本当に大切な記憶なのだろうという事は、その表情を見ればわかった。

「その友達は、今も京都に?」

「ううん。その子はな、実は今うちらと同じクラスに居るんやえ。千雨ちゃんも知ってる子ぉや」

木乃香は背後を振り返ると、視線を周囲に走らせ、やがてある一点でそれを止める。千雨も、その視線を追って見ると、そこに木乃香の視線を受けてそそくさと姿を隠す人物が映った。

「桜咲?」

千雨がその人物の名を呟くと、木乃香は頷いた。

「そうや。桜咲刹那。せっちゃんや。ウチの、大切な幼馴染」

しかしそう言いながら、木乃香の口調は寂しげだった。

「だが、近衛と桜咲が話をしている所等、見た事がないが」

「うん……。せっちゃんな、中学になってから同じ学校、同じクラスになれたのに、話しかけても素っ気ないし、ああやって目ぇも合わせてくれへんのや」

木乃香は、ふにゃりと眉を曲げて顔を俯かせながら、ポツリと呟いた。

「ウチは、昔みたいに仲よぉしたいんやけどなぁ。何や、知らん間ぁに怒らしてしもたんかなぁ」

その姿があまりに儚げだったからだろうか、千雨は気が付くと口を開いていた。

「近衛がそう思うなら、桜咲に対してもっと踏み込んでみたらどうだろうか」

「ふぇ?」

木乃香が顔を上げて千雨を見る。

「幼馴染の距離の近さゆえか、近衛は桜咲に逆に遠慮している節がある」

千雨の言葉に、木乃香は少し考える。
言われてみれば、子供の頃の余りに近かった距離が急に遠くになった事で、自分は刹那にどう接していいのか判らなくなってしまっていたのだ。

「そう、かもしれん」

「桜咲が何故近衛と距離を置こうとするのか、それは私にもわからない。だが、向こうが訳のわからないまま一歩引くなら、こちらはそれよりも深く踏み込んで、聞いてみればいい。その結果、こちらに非があるなら謝ればいいし、向こうに原因があるなら、喧嘩なりなんなりしてみればいい」

木乃香は、喧嘩はちょっとイヤやなぁ、と苦笑いした。

「でも、千雨ちゃんの言う通りやな。……うん、ウチ、頑張ってみる。せっちゃんと、前みたいに仲よぉ笑ってたいからなぁ」

木乃香は、元気を取り戻して朗らかに笑った。

「でもあれやなぁ。明日菜やのどかが、千雨ちゃんと仲よぉしとる理由がわかった気ぃがするえ」

「どういうことだ?」

首を傾げる千雨に、木乃香はにっこりと笑って言った。

「だって、千雨ちゃん、凄い優しいもん」

その言葉に、千雨の中で、また何かが動いた様な気がした。
だが、その正体は結局わからず、千雨はいつも通りの言葉を返す。

「……そうか」

「うん!」

無表情な千雨に、笑顔の木乃香。
そんな二人は並んで、少しの間、京都の町並みを見つめていた。



千雨の目の前に驚くべき光景が広がっていた。
3-Aクラス委員長である雪広あやかを始めとする十数名が、真っ赤な顔で倒れ伏していたのである。
事の起こりは数十分前。
清水の舞台にて、神社仏閣マニアとしての知識を披露していた綾瀬夕映が、恋占いの地主神社、そして学業・健康・縁結びに効果があると言われている音羽の滝について語ったのである。
その後の3-Aの行動は、当然ながらそちらへと向かった。途中、地主神社の恋占いの意思に挑戦した雪広あやかと佐々木まき絵が、カエル入りの落とし穴に嵌るというハプニング(因みに、その間に同じく挑戦した宮崎のどかは成功している)があったものの、以降は音羽の滝へ到着した。
そして当然ながら縁結びの滝に群がるクラスメイトを何とはなしに見つめていた千雨の前で、滝の水を飲んだ者達が、倒れたのである。
千雨は、その光景を見てすぐに行動を起こした。もし毒の類ならば、すぐにでも応急処置をしなければ、命に関わる。
そう思って抱き起こしたのどかから漂う香りに、千雨は少し首を傾げる。

「酒臭い」

そう呟いた千雨の言葉通り、のどかの他、倒れている人間からは酒の匂いがぷんぷんした。
そしてその匂いの一番の出所は、流れ落ちる滝からだった。

「京都の滝からは酒が湧くのか」

「そんな訳があるか、バカめ」

思わず呟いたその言葉に、痛烈な突っ込みが突き刺さった。

「エヴァンジェリン」

振り返った千雨の視線の先、真祖の姫が呆れた様な顔をしていた。
しかし、エヴァンジェリンは、すぐにその表情を変えると、面白そうな物を見つけた様に辺りを見回した。そして、倒れている者達をすいすいすり抜けて滝の目に立つと、その水を柄杓で一掬いし、呑む。

「ふむ」

エヴァンジェリンはぺろりと唇を舐めると、一つ頷く。

「中々いい物だな。悪くない」

そして、背後に控えていた従者に命じる。

「茶々丸。何本か容器にストックしておけ」

「はい、マスター」

承った茶々丸は、容器を何本か購入し、滝の水をそれらに溜め始めた。

「つまりどういう事だ、エヴァンジェリン」

その一連のやり取りを見ていた千雨が、戻って来たエヴァンジェリンに尋ねる。

「ああ、つまり――」

エヴァンジェリンが口を開こうとしたその瞬間、

「なっ……、滝の上にお酒が!!一体誰が……!?」

と、ネギの素っ頓狂な声が聞こえて来た。

「なるほどな」

口を半開きにしたままのエヴァンジェリンを前に、千雨が事情に得心する。

「……まぁ、そう言う事だ」

セリフを取られたエヴァンジェリンがむっつりとした顔でそう言った。

「関西呪術協会の妨害工作か?」

「ん、まぁ、たぶんな」

それを聞いた途端、エヴァンジェリンは表情こそ変わらないものの、千雨の雰囲気が物凄く微妙な物に変化したように感じた。

「私は思っていた物と少し、いや随分、いやかなり違う気がするんだが」

「確かに、狡いというかみみっちいというか……。これが本気でやっているのか、何かの布石なのかはまだ判断できんが」

エヴァンジェリンもまた、うんざりしたようにため息をついた。

「まぁ、尤も、修学旅行を中止にさせようとするならば、効果的ではあるな」

酔いつぶれた級友達を見回して、エヴァンジェリンは言う。確かに、常識的に考えてこれはマズイ。
視界の端で、他の先生相手に必死で誤魔化そうとしているネギや明日菜の姿が見える。

「さっさとバスに詰め込んでしまうか」

「その方が賢明だな」

頷き合い、千雨とエヴァンジェリンは倒れた者達を運ぶべく動き出した。



ホテル嵐山。
修学旅行初日において、3-Aを始めとする麻帆良女子中学生達が宿泊する旅館である。
普段ならば大騒ぎになるであろうその日の夜は、騒がしいメンバー達が軒並みダウンしている事で、割と静かであった。
その一室。千雨が所属する3班の部屋にて、雪広あやかがダウンしていた。

「うぅ~ん……、ネギしぇんしぇ~……」

妙に幸せそうな寝言を漏らすあやかを、同班の那波千鶴があらあらと微笑ましげに介抱している。
一方千雨は、相変わらず本を読んで時間を潰していたが、ふとそれを閉じて立ち上がる。

「どうしたの?」

「冷たい物でも買ってこよう。後ろに回して貰ったが、そろそろ入浴時間だ。このままでは雪広は風呂に入る事も出来ないだろう」

千雨がそう言うと、千鶴は微笑んで頷いた。

「あら、ありがとう。ついでに、夏美ちゃんと朝倉さんを見かけたら、声を掛けておいてくれる?」

遊びに行っているのか、今は不在の残りの班員についての頼みに、

「わかった」

千雨は千鶴にそう返して、部屋を出た。
そのまま、自販機がある所まで足を進めていると、風呂場の方がやけに騒がしい。
まだ元気な奴らもいるのか、とだけ思った千雨が冷たいお茶を購入していると、視界に凄まじい勢いで飛び出してきた桜咲刹那の姿が映った。一瞬見えたその顔は、何故か真っ赤だった。
その様子を見送った千雨は、ついで、飛び出してきた近衛木乃香と目があった。

「あっ、千雨ちゃん!せっちゃん見ぃへんかった!?」

「桜咲なら凄い勢いで向こうに走り去って行ったが」

それを聞いた途端、木乃香が目に見えてしょんぼりした。

「そうかー……」

うなだれたまま、とぼとぼと歩きだした木乃香をまたしても見送った千雨の前に、今度はネギと明日菜が飛び出してきた。
二人はきょろきょろとあたりを見回して、木乃香の後ろ姿を発見すると、それを追って駆けだした。
それら一連を最後まで見届けた千雨は、一つ頷いて呟いた。

「風呂が空いたな」



「ドロー2」

「すみません、マスター。ドロー2です」

「ケケ、ドロー4ダ。色ハ赤デ」

「なっ!?き、貴様、チャチャゼロォォォォッ!!」

累計八枚を握らされることになったエヴァンジェリンが悲鳴を上げる。
現在千雨は、何故か6班の部屋でUNOをやっていた。
と言うのも、寝ようとしていた所を、目の前で歯を軋らせているエヴァンジェリンにメールで呼び出されたためだ。
曰く「面子が三人しかおらんのではつまらん」との事。
因みに、部屋の中には班長の刹那の姿は無く、もう一人の班員であるザジは布団に入って微動だにせず眠っている。傍から見ると、人形が寝ているのかと勘違いしそうである。
呼び出された時は、またぞろ何かあったのかと思った千雨であったが、現状はこれである。一瞬帰ろうかと思った千雨だが、あれよあれよと言う間に連れ込まれ、気が付けばUNOのカードを握らされていたのである。
新幹線の時と言い、今と言い、自分はもしかして押しが弱いのだろうか、と千雨は本日何度目かになる小さななため息をついた。

「ああ、UNOだ」

ついでに、あがりに近い事を宣言する。
それから数分後、大量にカード抱えたまま取り残されたエヴァンジェリンが悔しげな声を上げた。

「ぬぅああああああっ!!」

ばっと、その場にカードを放り投げ、その勢いのまま布団に倒れ込む。それを見た茶々丸が、飛び散ったカードをいそいそと回収する。チャチャゼロはそんな主を見てケケケと笑っている。

「そろそろ寝るか?」

千雨が時計を見ながらそう提案すると、エヴァンジェリンは猛然と起き上り首を横に振った。

「馬鹿か!折角の修学旅行に夜ふかしせんでどーする!?それに、私は勝つまで止めんぞ!!」

「ソレジャア永遠ニ終ワラネェジャネェカ」

「うるさいぞ、チャチャゼロ!」

己の勝負弱さを当てこすったチャチャゼロの言葉に、エヴァンジェリンは歯をむいて怒った。
そんな主従のやり取りをぼんやりと見つめていた千雨は、ふと口にする。

「……そう言えば、あれから何もなかったな」

「ん?ああ、関西呪術協会の妨害の事か」

チャチャゼロと口喧嘩(一方的に言い負かされていたが)していたエヴァンジェリンが、その言葉に頷く。

「ああ。移動がない旅館ならば、容易に襲撃が可能かと思って、密かに身構えていたんだが」

「ふむ、だからこそ攻めにくいという逆の考え方もある。連中にしても、必要以上の揉め事は避けるだろう。……まぁそうこう言っている内に、案外何か起きてるのかも知れんがな」

ははは、と冗談めかしてそう言ったエヴァンジェリンは、近くにあったペットボトルからお茶を一口飲んだ。
その時、黙ってカードおよび部屋の片づけをしていた茶々丸が、不意に告げる。

「マスター。防犯のためにホテルのコンピューターにハッキングして、視覚を共有させていた監視カメラからの映像なのですが」

「さらりと犯罪行為を暴露するな。で、何だ?」

「どうやら近衛さんが何者かに攫われたみたいです」

「ぶぅぅぅぅっ!?」

エヴァンジェリンは口内に残っていたお茶を全て噴き出していた。因みに、その先には座っているチャチャゼロがいた。

「ギャァァァッ!?汚タネェェェェェッ!!」

「ごほっ、ごほっ!き、貴様、チャチャゼロ!主の吐いた茶ぐらい何も言わずに受け止めろ!!」

「無茶言ウンジャネェヨ!ゲッ、カ、関節ニ入ッテキヤガッタァッ!」

「……続きを聞かせてくれ、絡繰」

大騒ぎのエヴァンジェリンとチャチャゼロを尻目に、千雨は聞き捨てならないその言葉を促す。

「はい。近衛さんは今から数分前、着ぐるみの様な物を来た人物によってホテルから攫われました。……あ」

「どうした?」

「ネギ先生達がホテルを飛び出して行きました。犯人を追うようです」

「そうか」

それを聞くと、千雨は静かに立ち上がり、部屋を後にしようとする。

「行くのか?」

エヴァンジェリンがその背中に問いかける。

「ああ」

応じる声は、短く、明瞭。

「理由がなければ、戦わないのではなかったか?」

かつての自分に言った千雨の言葉を取り上げて、エヴァンジェリンが揶揄する。

「少し親しい知り合いを助けに行く。理由なら、それで十分だ」

しかし千雨は動じず、そう返して今度こそ部屋を後にした。
エヴァンジェリンはそんな千雨を見送った後、にやりと唇を吊り上げた。

「そう言う時は『知り合い』でなく、『友達』と言うべきだぞ、千雨よ……」

そんなかっこいい雰囲気を放っていたエヴァンジェリンだが、

「何ヒタッテルンダヨ、ゴ主人!早ク関節外シテクレヨ!中ニ茶ガ溜マッテ気持チ悪ィンダヨ!」

「マスター、お召し物を脱いで下さい。きちんと拭かなければ、染みになってしまいます」

「……やかましいわ貴様等ぁ!!」

結局、最後まで締まらなかった。



【あとがき】
当初の予定では、戦闘シーンも入れる予定でしたが、予想よりも長くなりそうなので、次回に回します。
それでは、また次回。
更新する話数が減ったのは、新話を書いている事と、話のストックが無くなってきている事に起因します。申し訳ありません。



[32064] 第十二話「夜を征く精霊」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/23 00:26
夜を征く。
夜を征く。
身に付けた仮初の『顔』が、救うべき者と立ち向かうべき敵の在り処を教えてくれる。
それに従い、彼女は夜の京を走り始める。



京都駅構内にて、4人の人影が対峙していた。
艶やかな黒髪に、吊り目がちの目つきが特徴の美女を見上げて睨みつけているのは、ネギ、明日菜、刹那の三人(ついでにカモ)である。
その三人を見下ろす美女――天ヶ崎千草は、己の得意とする符術の中でも、かなり高位の物である『三枚符術・京都大文字焼』が、敵の少年魔法使いに瞬時にかき消されてしまった事に、少し驚愕していた。

(ガキやと思っとたが、流石は英雄の息子っちゅー事か)

そう内心で呟く千草の足元には、気絶したまま、ここまで連れて来られた木乃香の姿があった。

「逃がしませんよ!!木乃香さんは僕の生徒で……大事な友達です!」

ネギが千草に言い放つ。その真っ直ぐな瞳は、生徒を取り戻す使命と、友達を奪われた怒りで燃えている。それは、その他のニ名――明日菜と刹那にも言える事だった。

「契約執行、180秒間!!ネギの従者、『神楽坂明日菜!!」

ネギが仮契約カードを通じて、明日菜に魔力供給を行う。
途端、明日菜の体にむずがゆい様な気持のいい様な、何とも言えない感覚と共にネギの魔力が流れ、その体を覆う。

「桜咲さん、行くよ!」

「え……、あ、はい!」

光に包まれた明日菜が、刹那を振り返って言う。それを受けた刹那は、ネギの放った魔法の威力や、変貌した明日菜に多少の戸惑いを感じつつ、頷いた。

「もうっ、さっきの火、下手したら火傷しちゃうじゃない!冗談じゃ済まないわよ!」

無論、千草にしても冗談でこんな事をしている訳ではない。
少しずれた怒りを放ちつつ、明日菜は千草に向かって走り出す。

「そこの馬鹿猿女ー!木乃香を返しなさーい!!」

叫ぶ明日菜に追走し、刹那も千草の元へ、正確に言えば彼女に囚われた木乃香の元へと向かう。
そんな彼女達を冷静に見据え、千草は向こうの戦力を改めて分析する。

(あの小娘がガキの従者か。威勢はええけど、見たとこ素人やな。神鳴流は元より想定の範囲内。問題はガキとその従者やけど、ガキに注意しとけば、この程度まだ何とかなるわ)

そう弾きだした千草は、懐から一枚の符を取り出す。
一方ネギは、契約した事によって従者に与えられる専用アイテム《アーティファクト》を明日菜へと送る。

「明日菜さん!パートナーだけが使える専用アイテムを出します!!明日菜さんのは『ハマノツルギ》』!武器だと思います!受け取ってください!」

「武器!?そんなのあるの!?よ、よーし!頂戴、ネギ!」

明日菜の言葉を受けて、ネギがアーティファクトを発現させる。

「能力発動《エクセルケアース・ポテンティアム》、神楽坂明日菜!『ハマノツルギ』!!」

その言葉と共に、明日菜の両手に光り輝く何かが収束していく。

「き、来たよ!何か凄そう!……って」

最初は驚いていた明日菜だが、それが完全に姿を現すに伴い、目が点になった。
それは、折り畳んだ紙によく似ていた。
それは、ある意味では武器であった。
それは、相手がボケれば更なる効果を発するであろうと思われた。
即ち――。

「た、只のハリセンじゃないのよー!」

明日菜が抗議の声を上げる。それはどう見てもボケと突っ込みの必須アイテム、『ハリセン』であった。

「あ、あれ?おかしいなー……」

てっきりカードに描かれていた大剣が出現する物と思っていたネギは、首を傾げる。



夜を征く。
夜を征く。
地を駆け、宙を舞い、時には人込みを縫って。
それでも誰も彼女に気付かない。
風か何かの悪戯か、と次の瞬間にはそれを忘れる。



「神楽坂さん!」

刹那が接敵する事に注意を促す。それでも尚、手にしたハリセンに戸惑う明日菜に、カモからヤケクソ気味の声が飛ぶ。

「ええーい!行っちまえ、姐さん!!」

「もー!しょうがないわねー!」

それを受けた明日菜もまた自棄になった様にハリセンを振り上げて、飛ぶ。
刹那の太刀が、明日菜のハリセンが、それぞれ千草に当たろうかとしたその瞬間、千草は手にしていた一枚の符をぴっと指先だけで宙に放つ。
その瞬間、符を中心に膨れ上がった何かが、明日菜達の前に出現する。
それと同時に、今まで千草の背後に脱ぎ捨てられていた猿の着ぐるみが、がばりと身を起こす。
がきんっ、と甲高い音と、スパンっ、と言う小気味いい音で明日菜達の武器を受け止め迎え撃ったのは、その猿の着ぐるみと、新たに出現したクマの着ぐるみの様なものだった。
二頭身と言ってもよいほどの極端な体形のそれらは、千草の使役する護鬼、『猿鬼』と『熊鬼』であった。

「な、何こいつら!?っていうか、着ぐるみが動いてる!?」

いきなり出現した着ぐるみに、明日菜が困惑した声を上げる。

「先程説明した護鬼です!見た目に騙されないで下さい、神楽坂さん!」

その正体を看破した刹那が、明日菜に注意を呼び掛ける。

「ホホホ、間抜けなのは見てくれだけ。そいつらは中々に強力ですえ。ま、せいぜい遊んでもらう事やな」

千草はそんな二人を前に余裕の笑みを浮かべつつ、足下に寝かされていた木乃香を肩に担ぐ。それを見た明日菜の目が吊り上がった。

「木乃香っ!こ、このぉー!」

言うなり、明日菜は受け止められたままのハリセンを力任せに一閃する。すると、驚くべき事に、明日菜のハリセンを体で受けていた『猿鬼』が、霞のように消え去ってしまった。
それを目にした千草と刹那の目がそれぞれ見開かれる。

(ウチの猿鬼が送り還された!?こいつ、何をしよった!?)

千草が内心で驚愕する。

「す、凄い。神楽坂さん……」

刹那が茫然と呟く。相手の使役する護鬼は、決して弱い物ではなかった。それを瞬殺して見せた明日菜に、刹那は驚きの目を向ける。

「な、何かよくわかんないけど、行けそうよ!その熊みたいのは私に任せて、桜咲さんは木乃香を!」

明日菜がそう言うと、刹那はこくりと頷き、礼を言いつつ、千草に向かい走る。

「木乃香お嬢様を返せーッ!!」

千草まで数メートル、と言う距離まで詰め寄った刹那が、太刀を振り被り叫ぶ。
その時、千草の背後から猛然と何者かが刹那に向かって飛び、その姿を迎撃した。

「くっ」

がきぃんっ、と甲高い音を立てて、刹那と向こうの武器が克ち合い、それぞれが反発し合う様に弾かれる。
空中で身を捻り、何とか足から着地した刹那と違い、向こうは「ひゃあああ~」と間抜けな悲鳴を上げつつ、ゴロゴロと地面を転がる。

「……何やっとるんや、アンタ」

それを見た千草が、呆れたように呟く。

「あいたたー、勢い付き過ぎてもうたー」

起き上り、体に付いたほこりを払う相手に、刹那は胸中にて焦っていた。

(い、今の太刀筋は神鳴流……!?不味い、向こうにも神鳴流の護衛が付いていたのか!)

顔を青ざめさせる刹那に、もう一人の神鳴流剣士――月詠が挨拶する。

「どうも~神鳴流です~。お初に~」

何とも力の抜けるような喋り方をするゴスロリ服の少女に、刹那は戸惑いの瞳を向ける。

「え、お、お前が神鳴流……?」

「はい~。月詠言います~。見たとこ先輩の様ですけど、あんじょうよろしゅう~」

「こ、こんなのが神鳴流とは、時代も変わったな……」

妙に年寄りくさい事を言いながら、刹那が油断なく月詠を見据える。
その視線を受けて、月詠がぶるりと体を震わせる。

「ああ~、実物は、写真なんかで見るよりもずっと素敵ですわ~」

月詠はうっとりと呟く。その声に秘められた何かに、刹那の背中が粟立つ。

「な、何を言っている?」

「いやいや、気にせんと~。ささ、殺り合いましょ、せーんぱい♡」

言うなり、月詠は刹那に向かい走り、手にしたニ本の小太刀を振るう。
風切り音と、鋼のぶつかる甲高い音が辺りに響き渡る。刹那は、数合月詠と打ち合った事で、彼女の腕前と、その手にした二刀の厄介さに舌を巻く。

(い、意外にできる!不味いぞ、これは……!)

思わぬ難敵に、刹那は歯がみした。



夜を征く。
夜を征く。
何故か人気のない駅に辿り着く。
電車は既にない。それならば、二本の足を用いるまで。
猛然と、跳ねるように線路を駆ける。
行く先は闇。しかしその果てに、彼女の求める人がいる。



苦戦する刹那を見て、千草がほくそ笑む。

「伝統かなんか知らんけど、神鳴流の剣士は化け物用の馬鹿デカイ野太刀を後生大事に使こてるからな。いきなり小回りの利く二刀を相手にするのはきついやろ?」

千草の言葉通り、刹那は長い野太刀を使用する際に生じる袂の隙を容赦なく責め立てられ、思う様に自身の剣を使えなくされていた。

「ざーんがーんけーん」

間延びした声とは裏腹に繰り出された神鳴流の奥義が一つ、『斬岩剣』が炸裂する。刹那はそれを危うい所で回避する。

「桜咲さん!?って、もー何なのよこれー!」

刹那の危機に反応する明日菜だが、自身もまた『熊鬼』以外に、子ザルの群れにまとわりつかれて悲鳴を上げている。
その様子を見て、千草は悠然とその場を去ろうとする。

「足止めはこれでよし。所詮は素人と、半人前の剣士やなぁ」

だが次の瞬間、千草の背後から、ネギの唱える呪文が響いた。

「『魔法の射手・戒めの風矢』!!」

ネギの手から放たれた11本の風の矢が、無防備な姿を晒す千草に向かって襲い掛かった。
だが完全に不意を突いたにも拘らず、千草は迫り来る魔法の射手を前に、冷笑を浮かべただけだった。

「そんながっつかんでも、坊やの事は忘れてへんよ。……疾ッ!」

千草は手品の如く瞬時に指先に挟んだ呪符を、魔法の射手に放つ。
すると千草の手から離れた瞬間、呪符は爆発するかのような業火を放ち、ネギの魔法を掻き消してしまった。

「ぼ、僕の魔法が……!?」

苦も無く相殺されたその結果に、ネギが愕然とする。

「五行相克、火克金。風は金気を孕んどるから、火気の呪術によって打ち消せるんや。力押し一辺倒で、繊細さの欠片も無い西洋魔法の使い手には、わからんかも知らんけどな」

容赦なくネギ、引いては魔法使い達を貶しながら、千草は哂う。

「陰陽道の大きな利点の一つに、術の発動する際の速さがある。坊や程度の魔法使いやったら、後出しでも十分間に合いますわ」

そう嘯く千草の目には、絶対の自信。今の攻防によって、術の掛けあいならば、自分がネギに負ける事はないと確信したが故であった。



夜を征く。
夜を征く。
高速で流れて行く背景。その先に、やがて大きな駅が見えた。
何かと何かが、ぶつかり合う気配がする。
彼女は無言のまま、己の足に更なる力を込める。



「クマーッ!」

間抜けな雄叫びを上げて繰り出された『熊鬼』の爪が、がしりと明日菜を捉える。そのまま力任せに宙づりにされ、明日菜は苦悶の声を上げる。
一方、刹那は月詠との鍔迫り合いの真っ最中。余計な隙を見せれば、すぐさま五体を切り刻まれる事は必至である。
そしてネギは、千草によって完全に抑えられていた。魔力の量ならば、比較するのもおこがましいほどの差が両者にはあったが、いかんせん、幼いネギはその力を十全に使いこなす事はまだ出来ず、結果、経験で勝る千草にひたすら翻弄され続けていた。
状況は、完全にネギ達の不利に傾きつつあった。

「こ、木乃香をどうするつもりよ……!?」

未だ爪に囚われたままの明日菜が、苦しげな声でそう尋ねた。
それに対し、千草は気絶したままの木乃香の顔に指を這わせて、嫣然と微笑んだ。

「心配せんでもええ。ウチは木乃香お嬢様を傷つける気ぃは全くない。このお方は、ウチの夢を叶えて下さる、大事な大事なお方やからなぁ」

「ゆ、夢?」

「そうや。その夢のために、お嬢様にはちょいと手伝って頂くだけや。……まぁ尤も、我儘言われるのも面倒やさかい、薬やら何やらで、お人形さんみたいにはなって貰うけどな」

そう言って千草が哂った瞬間、その言葉の意味する所を知ったネギ達の怒りが爆発した。

「「ふ……!」」

「お?おぉ~?」

刹那と鍔迫り合いをしていた月詠が思わず声を上げる。刹那の体に、凄まじいまでの力が込められ、月詠の刃を押し始めていた。

「ク、クマ~!?」

そして、明日菜を捕らえていた『熊鬼』も驚いていた。己の爪で捕らえていた明日菜が、途轍もない膂力を以って、その拘束を開き始めていたからである。

「「ふざけるなぁぁぁっ!!」」

その瞬間、月詠は一気に弾き飛ばされ、『熊鬼』はハリセンの一撃を受け送還された。

「『風花武装解除《フランス・エクサルマテイオー》』!!」

走り込んだネギが、武装解除の魔法を千草に放つ。
千草は咄嗟に符により結界を張り、これを防ごうとしたが――。

「何っ!?」

その手にした符が纏めて弾き飛ばされる。ネギの魔法に込められた膨大な魔力が、千草の結界を強引に突き破った結果である。
先程自分が言った、『力押し一辺倒』の魔法により己の術を破られた千草が、驚愕に顔を強張らせる。
そして、符を失った事により、防御手段も攻撃手段も失った千草に、刹那と明日菜の獲物が伸びる。

(これで!)

(終わりよ!)

二人がそれぞれの武器を振り下ろす。
だが、次の瞬間、

「がっ!?」

「きゃっ!?」

横合いから強襲してきた何者かによって、二人の体が弾き飛ばされた。

「明日菜さん、刹那さん!?」

ネギが吹き飛ばされた二人を見て声を上げる。

「痛たたた……、何が……ひっ!?」

体に走る痛みに顔を顰めていた明日菜は、己の体の上に乗っているそれに気付き、小さな悲鳴を上げる。
きりきりきり、と何かが引き絞られるような音を立ってながら、明日菜の顔を覗き込んでいたのは、少年を模した人形であった。
人に在らざるほど整えられた顔には、うっすらと笑みが浮かんでいる。身に纏う物は何もなく、球体関節が剥き出しになった、白い体を晒している。
その人形は明日菜の顔をじっと見つめていたかと思うと、突如その口を耳元までがばりと開けた。そこから覗くのは冷たい虚無を湛えた砲口。

「う、うわぁぁぁっ!?」

明日菜は咄嗟に、渾身の力を込めて人形を殴りつけた。女子中学生どころか、並みの格闘家以上の力を持って殴りつけられた人形は、砲弾の如き勢いで吹き飛んだ。

「あ、明日菜さん!大丈夫ですか!?」

駆け寄って来たネギが明日菜に声を駆けるが、明日菜は顔を青ざめさせたまま答えない。
そして刹那は――。

「くっ!?」

がきぃんっ、と刃同士がぶつかる音が響き渡る。
刹那と切り結んでいるのは、明日菜を襲った物と同型の人形。ただし、こちらは少女を模している。
人形は掌から出した刃を以って、刹那に切り掛かっている。刹那は、その動きの速さに翻弄され、防戦一方であった。
その時、こちらの人形もまたがばりと口を開ける。そこから飛び出した砲口に怖気を感じた刹那が、大きくその射線から体をずらす。
その瞬間、砲口から打ち出された細い何かが空気を切り裂き、背後の壁を粉々に砕いた。振り向いた刹那の目に、罅割れた壁と、そこに突き立つ、何本もの鉄針が見えた。
もしあんな物を生身の体に食らえば、ひとたまりもないだろう。

「『神鳴流奥義、斬岩剣』!!」

刹那は気を込めた一撃を振るい、人形の体に切り掛かる。だが、岩をも立つ筈のその一撃を受けた人形は、大きく吹き飛ばされはしたが、目立った傷はほとんどついていない様だった。

(堅い……!一体何でできてるんだ、あれは!?)

ジン、としびれた己の手に、刹那は顔を顰めた。

「桜咲さん!」

「刹那さん!」

ネギと明日菜が刹那に合流する。
再び距離を開け、両陣営は対峙する。

「惜しかったなぁ、坊や達」

実際に危機一髪だったからか、千草は浮かんでいた冷や汗を拭いつつ言った。

「眼鏡~、眼鏡~」

その足元では、月詠が吹き飛ばされた際にどこかへ行ったしまった己の眼鏡を探して、這いずりまわっていた。

「桜咲さん、あの人形、何?あれも護鬼って奴なの?」

まだ少し顔が青い明日菜が刹那に尋ねる。だが、刹那はその問いに頭を振った。

「いえ、あれからは魔力的な物は感じません。私にも何が何だか……」

その時、千草達の背後から、足音が響いた。その何者かは、向こう側にいる以上確実に敵である。
顔を強張らせるネギ達の前に暗闇から現れたのは、作務衣を着た人の良さそうな顔立ちの青年であった。

「な、何かひょろい……」

明日菜が拍子抜けしたように呟くが、刹那はその男が現れた瞬間、体中の毛が総毛立った。
その男から感じる、凄まじいまでの鬼気。そして漂う、血の匂い。

(いけない……、何者かは知らないが、あの男は危険すぎる!)

刹那は先程以上の危機感を以って、現れた男を睨みつけた。

「中々ええタイミングやったで。まさか、出待ちしてたんやないやろな?」

千草が男に声を掛ける。その言葉を聞いた男は、さも心外だという様に、大きく肩を竦めた。

「手の内を出来る限り曝したくないから、ぎりぎりまで出て来るなって言ったのは天ヶ崎さんでしょうが」

そう言って唇を尖らせた男は、その顔ににたりと笑みを浮かべると、ネギ達に向き合って優雅に頭を下げた。

「初めまして、君達。僕の名は呪三郎だ。この子達は男の子が『厨子王』。女の子が『安寿』。短い付き合いになるだろうが、よろしく」

その名を聞いた刹那が、ぎょっとしたように目を見開いた。

「呪三郎!?まさか『傀儡師』呪三郎か!?」

「おや、君みたいな綺麗な子が僕の名を知っててくれるなんて、光栄だね」

「黙れ、この殺人鬼が!」

刹那が嫌悪感と恐怖に顔を歪ませながら、吐き捨てる様に言う。

「刹那さん、あの人と知り合いなんですか!?」

「違います、ネギ先生。顔を合わせるのは初めてですが、名前ぐらいは聞いています。奴は、裏の世界でも名の知られた、殺し屋です……!」

「「こ、殺し屋!?」」

ネギと明日菜が思わず声を揃えた。

「人形を用いたその殺人方法から、付いたあだ名が『傀儡師』。その相手の中には、名のある神鳴流の剣士や、高位の魔法使いの名も多くあるそうです……!」

「そ、それって、無茶苦茶やばいんじゃないの……?」

「……っ!」

明日菜のか細い言葉に、刹那は答えなかった。その脳内には、先の焦燥感を上回る絶望が広がり始めていた。

(このままでは、お嬢様が……!このちゃんが……!)

「全く、最近の子供はみんな酷いね。僕は確かに殺し屋だけど、人の命を奪うのはそんなに好きじゃないんだよ?」

刹那の言葉を受けた呪三郎が、ため息を突きながらそう言った。

「「えっ」」

その瞬間、意外そうに声を上げたのは、千草と月詠であった。

「いや、そのジョークはブラック過ぎて頂けんで、呪三郎」

「あんまり面白くないですな~」

「君たちも大概に酷いな……。別にジョークの類じゃないよ。命って一つしかないんだ。大切にしなきゃね」

殺し屋の語る命の有難みは、途轍もなくシュールであった。

「ただね、僕にはそんな倫理観よりも大事な物があってね。僕が殺し屋なんてしてるのは、それの為でもあるんだよ」

「はぁん?一体何やねんな、それは」

「この子達だよ」

呪三郎は両脇に控えた『安寿』と『厨子王』の髪を撫でた。

「いいだろう?繊細な肢体、美しい顔立ち。これだけでも素晴らしいんだけど、この子達はもっと綺麗になる瞬間があってね」

「いきなり人形自慢されるのもどうかと思うけど、まぁええ。で、その瞬間ってのは何やねん?」

千草がうんざりした様な顔をする。それを気にした様子も無く、呪三郎は嬉しげに哂った。

「人の血を浴びた時だよ」

「「「!?」」」

二人の会話を聞いていたネギ達が、その言葉にはっきりと顔を青ざめさせた。
千草もまた、顔をぐっと引き締める(月詠だけは変わらぬ様子だった)。

「この子達の白い肌には、血の赤がとても映えるんだよ。その瞬間は本当に美しくてねぇ……。何度見ても飽きない。僕は、それが見たくて見たくて。だから、人を殺すんだよ。この子達が最も美しくなる瞬間のために、ね」

呪三郎は滴る様な笑みを浮かべてネギ達を見た。その舐める様な視線と、青年の体から発せられる『悪意』に、荒事に慣れていないネギと明日菜はその場で嘔吐しそうになった。
一人、裏の世界を見知っている刹那にしても、手の震えが止められない。
呪三郎の在り方は、それほどまでに異端で異常であった。

「……お前が何の理由で人殺そうが、ウチにはどうでもええ。仕事さえきっちりこなしてくれるならな。……あ、言い忘れてたけど、こいつら殺したらあかんで」

初手から殺しに掛かっとったけど、と千草が呪三郎に釘を刺す。途端、呪三郎の顔が不満そうな物になった。

「何でだい?邪魔者だろう?」

「あのな、人一人の死体処分するんにどんだけ手間と時間がいると思っとるんや?ウチらにはそんな時間ないわ」

殺さないのは、単に手間の問題。そう主張する千草もまた、ネギ達にすれば異常である。

「じゃあどうするのさ」

「半殺しにして薬と洗脳で、外部の刺激に受け答えだけする機械にでもなって貰おか」

さらりと恐ろしい事を千草は口にする。
目の前にいる者達が語る己達の処遇に、腹の底が冷える様な思いをしていたネギ達の耳に、それまで黙っていたカモが耳打ちする。

「兄貴、姐さん方、ここは逃げようぜ!」

「か、カモ君!?」

「あ、あんた何言ってんのよ!木乃香を置いて逃げられる訳ないじゃないの!」

「そうです!何としてでも、お嬢様をお救いせねば!」

「だがよ、今の俺っち達で、あいつらに敵うと思うのかよ!?」

「そ、それは……」

押し黙るネギ達に、カモは言い聞かせる様に続ける。

「それよりも、敵の情報を持ち帰って、学園長なりなんなりに知らせて何とかしてもらった方がいい。ここで俺っち達がどうにかされちまえば、それこそ木乃香の姐さんを救う事なんてできやしねぇぜ!」

「くっ……!」

刹那は唇を血が滲むほどに噛み締めた。確かに、カモの言うとおりにした方が、木乃香を救いだせる可能性は高い。加えて、自分はともかく、他の二人の安全性も確保できる。

「……私が派手に暴れて注意を惹きつけます。その隙に、二人はここから離脱して下さい」

故に、刹那はそう二人に告げていた。

「なっ……!そんな事、出来る訳ないでしょ!!」

「そ、そうですよ!生徒を置いていくなんて、僕には……!」

「これしか方法は無いんです!……二人とも、お嬢様を、このちゃんをよろしくお願いします」

「桜咲さん……!刹那さんっ!」

明日菜が悲痛な顔をする。その胸中に渦巻くのは、少し前に味わったばかりの無力感。
もう二度と、自分は友達を見捨てないために、強くなろうとしたのではないのか。明日菜の心に火が灯る。青ざめていた顔は血色を取り戻し、恐怖に揺れていた瞳は、再び元の勝気さを取り戻していく。

「いやよ!私は、もう友達を置いて逃げたりなんかしない!」

「そんなっ!」

「あ、姐さん!?」

刹那とカモが目をむいて驚く。

「僕も、逃げません!生徒として、友達として、木乃香さんを取り戻したい!明日菜さんと刹那さんも置いて行けません!」

「あ、兄貴まで!?」

そしてネギも、己の従者の覚悟に応えた。

「カモ君。連絡役はカモ君に任せるよ。少しでも早く、この事をみんなに知らせて欲しいんだ」

「あ、兄貴~……」

そっと地面に下ろされたカモが、涙を流しながらネギを見上げる。

「……相談は纏まったんか?」

気が付けば、千草をはじめ、眼鏡を取り戻した月詠、にやにやと嫌な笑みを顔の張りつけた呪三郎が、じっと三人を見つめていた。

「だぁれも逃がさへんよ。お前らも、そこの白いのも。皆ここで、ウチらの言う事を聞く、人形になって貰いますわ」



夜を征く。
夜を征く。
行き着く先にそこはあった。
己と同じ守る者。
救うべき者。
そして抗うべき敵。
ならば己も戦おう。
唸り咆え立て、獣の様に。
そして彼女は、雄叫びを上げ躍りかかった。



キョオォォオオォォォォオオォォォッ!!!!

「「「「「「ッ!?!?」」」」」」

その雄叫びが駅構内に響き渡った時、その場にいた者全員が体を固くした。
そして次の瞬間、轟音を立て、千草の前にそいつは降り立つ。

シャアァァアァアアアァァァァアアァッ……。

「っ!」

目の前にそいる、喉を鳴らしたそいつを認識した千草の目が見開かれる。
それは仮面をつけた、恐らくは人間。
せり出した目とせり出した口を持つ、人に在らざる異形の仮面をつけて、そいつは千草を覗き込んでいた。
千草は、まるで大型の猛獣に至近距離から睨みつけられているかのような気持ちになった。
そいつはやがて、鉤上になった五指を千草に向けて振り被る。それが振り下ろされんとした刹那、己の護鬼である『猿鬼』を再召喚して盾とした千草の反応は、正に奇跡的であった。
しかし。

「んなっ!?」

空気を貫き繰り出されたそいつの一撃は、『猿鬼』を何の遅滞も無く粉々にし、千草の腹に突き刺さった。

「がはっ!」

凄まじい勢いで、千草の体が吹き飛ぶ。それに伴い、宙に投げ出された木乃香の体を、そいつはがしりと受け止めると、二度、三度後方に跳ね、ネギ達のすぐ傍に降り立った。
全ては、ほんの数秒の出来事。
ネギ達はおろか、月詠や呪三郎すら反応できない速さで、それらは行われていた。

『攻撃的かつ、破壊的な森の精霊、【キフェベ・ムルメ】の仮面は、ザイールはソンゲ族の伝説に登場する、神秘の生物とされた』

そいつは、ゆっくりと仮面に手を掛け、外した。
そこから現れたのは、それ自体が仮面の如く整った、無表情かつ美しい素顔。

「「千雨さん|(ちゃん)!!」」

その人物――長谷川千雨を認識したネギと明日菜が、喜びの声を上げる。

「え……、長谷川……さん?」

そして刹那は、突如現れた怪人物が、己のクラスメートである事を知り、茫然となった。

「無事か、先生、神楽坂、桜咲」

千雨が相変わらずの平坦な声で尋ねる。

「は、はい!何とか!」

「わ、私も!そ、それより、木乃香は!?」

「っ!このちゃんっ!」

我に返った刹那が慌てて木乃香の元へ駆け寄る。

「どうやら気絶しているだけの様だ」

千雨が刹那に告げる。それを己の手でも確かめて、刹那はようやく安堵のため息を吐いた。

「よかった……」

その時。

「月詠ぃぃぃっ!!」

絞り出すような千草の声が響き渡る。それを受けた外法の剣士が、二刀を閃かせ、気を習得した者のみが為し得る高速移動術『瞬動』で、千雨達に迫る。
千雨は、それに対し、懐から別の仮面を取り出し、迎え撃つ。
そして、交差。
己達の立ち位置を変え、それぞれが背中合わせになった月詠と千雨だが、軍配は、千雨に上がる。
きぃんっ、と澄んだ音を立て、月詠のニ刀が根元から断ち切られていた。
そして千雨の手の甲には、一枚の仮面。
茫洋とした顔の造作に、一際目立つ長い鶏冠の様な突起。上から見ると、オタマジャクシにも似ているかもしれない。
千雨は、その鶏冠(あるいはオタマジャクシの尾)を刃の様に立て、告げる。

「マ・ジの仮面」

木か何かでできている、少なくとも鉱物の類ではない筈のそれが、鋼の刃を斬った。
その事実に、剣士である刹那と月詠は絶句していた。

「ギニアの大部族、イボ族の一部に伝わるこの仮面……。マ・ジとは、彼らの言葉で『ナイフ』を意味していた」

何の情動も浮かばぬ千雨の瞳が、その場を見据える。
その様子を見ていた呪三郎が、唇を三日月の様につり上げる。

「へぇ……。こいつは面白いねぇ……」

がしゃりと二体の人形が体を撓め、千雨に飛び掛からんと身を低くする。それを受け、千雨も呪三郎に体を向け、静かに佇む。
魔人と怪人が激突せんとしたその瞬間、千草の声が静かに響いた。

「……退くで」

「……良い所なんだが、な。何でだい?」

呪三郎が千草に視線を向ける。そこには、隠しきれない苛立ちがあった。

「敵の戦力がここにきて未知数になった。少なくとも、ウチや月詠はんを手玉に取れる様な奴がおる以上、無茶は出来ん。やり合うなら、確実に勝てる算段が付いてからや」

千草は、呪三郎の目を負けじと見返しながら言う。

「言うた筈やで。今回の仕事は、ウチにとって人生掛けた一八の大博打やってな。今は、『闇の福音』以外にも、資料にのってなかった厄介な奴がおると判っただけで、収穫としときますわ」

そのまま、二人の視線はしばし絡み合う。そして折れたのは、呪三郎の方だった。

「……ま、いいか。また殺り合う機会はあるだろうし」

呪三郎の言葉とと同時に、人形達が静かに引き下がる。

「月詠はんも、退きますえ」

「は~い」

月詠はそう返事を返し、千草達の元へ駆け寄る。
そうやって三人揃った所で、千草は懐から転移の符を取り出し発動させた。
淡い輝きが三人を包む中で、それぞれが千雨達に言葉を残す。

「今夜は坊やたちの勝ちにしといたる。ま、次はこうはいかんけどな」

千草が不敵な笑みを見せる。

「また死合ましょうね~、刹那先輩も、そちらのお姉さんも~」

伸びやかな声で物騒な事を言いながら、月詠が手をふりふりと振る。

「そこの仮面の君。君はとても興味深い。今度は是非僕と語り合って欲しいね」

にたりと笑いながら、呪三郎が言う。
そうして、三人の姿は闇に消えた。
後に残ったのは、戦いに緊張が未だ解けぬネギ達と、静かに辺りを警戒する千雨。そして気絶し続ける木乃香の姿であった。
京都を舞台にした大騒動の序幕は、こうして終わった。



【あとがき】
バトル回を後ろに回したにも拘らず、かなり長くなってしまった……orz。
そんな訳で第一次遭遇戦は終了です。
呪三郎を危ない人にし過ぎたかも知れない……。まぁ、原作でも倫理観をどこかに捨てて来たような人でしたから、良いか(笑)。
それでは、また次回。



[32064] 第十三話「恋せよ、女の子」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/23 21:07
「――それでは麻帆良中の皆さん、いただきます!」

「「「いただきまーす!」」」

ネギの号令の元、大広間に集った麻帆良中の生徒達が唱和する。
時間は、昨日の木乃香の誘拐未遂事件の翌朝である。
3班の卓に着いていた千雨も、当然朝食中である。

(おいしい)

千雨は修学旅行に出される物としては、かなり上級の朝食に、密かに舌鼓を打っていた。

「う―……昨日の清水寺の滝から記憶がありませんわー……」

雪広あやかが、未だふらふらとする頭を押さえて言う。

「折角の旅行初日の夜だったのに、悔しーっ!」

その言葉を聞きつけた、隣の卓の明石裕奈も言う。その対面では、佐々木まき絵が寝ぼけ眼を擦りながら、朝食を突いている。
一晩経って大分酒気も抜けたのか、皆朝から随分とテンションが高い。
そんな彼らを尻目に、千雨は淡々と食事を進めている。その後ろで、何故か顔を真っ赤にした刹那が、木乃香によって追い掛け回されていた。

「何、あれ?」

「あんな桜咲さんの顔、初めて見るねー?」

「昨日の夜、何かあったのかなぁ?」


「くぅ~、今晩こそ寝ないよーっ!」
いつもと違う一面を見せるクラスメートの姿に、他の者達は興味津々であった。

「おかわり」

彼女達の横で、千雨はもう一杯ご飯を要求していた。



朝食後、ネギ争奪戦に敗れた雪広あやかが打ちひしがれていた。

「ああ、ネギせんせぇ~……。およよ~」

千雨は、およよ、と泣く人間を初めて見たので、あやかをしばし興味深げに観察していた。
因みに、他の班員は、そんなあやかを苦笑しつつ宥めている。

「委員長、奈良での班別行動とはいえ、目的地は大体同じだ。向かう先次第では、ネギ先生のいる5班とブッキングする事もあるんじゃないのか?」

千雨がそうあやかに提案すると、涙を流していたあやかの目がかっと見開かれた。

「長谷川さん、ナイスな提案ですわ!」

瞬時に復活を果たしたあやかが、立ち上がりながら叫んだ。

「目指すは『偶然の再会』!私の愛の力にかかれば、そんな演出もお茶の子さいさいですわ!待っていて下さいまし、ネギ先生!貴方のあやかが今行きますわ~!」

「……いいのかな?班別の行動って、寧ろそう言うブッキングをしないために決められたルートがあるんじゃないの?」

村上夏美がこそっと千雨に耳打ちするが、千雨は意にも介さない。

「村上、あの委員長を止められるならば、頑張ってみてくれ」

「いや、半ば嗾けた千雨ちゃんが言う事じゃないよね?」

平然とのたまった千雨に、朝倉和美の突っ込みが入った。

「まぁ、でも、多少の寄り道程度なら他の先生も大目に見てくれるよね。折角の修学旅行なんだし、面白そうな方がいいじゃん?」

だが、突っ込みを入れた当人も、すぐに千雨の言葉に乗っかる事を明言する。

「那波。お前はどう思う?」

千雨が残った班員である千鶴に尋ねた。

「んー……。私も、どちらかと言えば楽しい方がいいかな?」

「……ちづ姉がそう言うなら、私も」

少し渋っていた夏美も。結局は賛同の意を表した。

「なら、今日の行動は、一応のルートを辿りつつ、委員長の勘「愛ですわ!」……愛に従って動く、と言う事でいいか?」

最終的な決を何故か千雨が取ったが、他の者達からは反対の声は出なかった。



「本当に見つけるとは思わなかったよ……」

和美が疲れた様な声で言った。

「流石はいいんちょ、って言っていいのかな、これ?」

その隣の夏美もまた、疲れを滲ませた声色で言う。
因みに千鶴はいつもの如く「あらあら」と聖母の様な笑みを見せている。
そんな彼ら3班の班員達の視線の先で、明日菜とあやかが、盛大に罵り合っている。

「何であんたがここにいんのよ!」

「あ~ら、何を吠えているのかしら、このお猿さんは。偶然ですわ、偶然。いえ、もうこれは運命と言ってもいいのかもしれませんわ!神は私とネギ先生の間を祝福してくれているのですわ!」

「何言ってんのよ、あんた。ばっかじゃないの!?これだからショタコンは!」

「オジコンに言われたくありませんわ!」

「何よ!」

「何ですの!」

明日菜とあやかは、そのまま取っ組み合いに移行した。
あの後、行動を開始した3班は、あやかの「こちらからネギ先生の愛らしい気配がしますわ!」との言葉に従い、大仏殿のある奈良公園へと来ていた。
すると、誰もが半信半疑だったあやかの愛の力が、何と本当にネギのいる5班を探し当ててしまったのである。
そこには、先客として何故か6班も合流しており、ネギ達はあっという間に大所帯になった。
6班がここにいる理由は、班長である刹那が木乃香を護衛するためであった。当初、自分一人だけで抜けるつもりだったのだが、出かけようとした矢先にエヴァンジェリンに見つかり、なし崩しで一緒に着いて来てしまったのである。
そしてそのエヴァンジェリンと言えば――。

「おおっ、見ろ茶々丸!鹿だ、鹿がいるぞ!ははは、何だ、物欲しげな顔をしおって。これか?この鹿せんべえが欲しいのか?1枚か?2枚か?ほほう、3枚か!このいやしんぼめ!む?何だ?気付けば鹿がやけに集まって……、はっ!?こ、これはまさか包囲網!?くっ、この私とした事がぬかったわ!だが畜生風情が舐めるなよ?私には頼りになる従者がって、あれ!?茶々丸!?茶々丸がいないぞ!?おいっ、どこだ茶々丸!?あっ!?こら、貴様ら鹿せんべえを狙うな!うわ!?背後からは卑怯だぞ!あ、こら、やめ、やめ、やめろって、あーーーーー!?」

「録画モードを実行中です」

大量の鹿に包囲されてうろたえるエヴァを、木の陰から撮影する茶々丸の姿がそこにあった。

「この修学旅行で、エヴァちゃんの見方がずいぶん変わったよ」

「私も」

和美と夏美が、それぞれ頷き合った。



「くっ、いいんちょを甘く見てたよ。まさか私達の班を見つけ出すなんて……!」

「私達と言うより、ネギ先生ですが」

未だに明日菜と喧嘩しているあやかを見て、5班の班員であるハルナと夕映が歯がみしていた。

「あうぅぅ……」

そしてのどかはちょっと涙目になっている。
「ユエ~、ハルナ~、私やっぱり……」

「おバカ!」

「へふぅっ!?」

気弱な事を言おうとしたのどかを、本日二回目となるハルナの偽ビンタ(相手の頬の近くで手を叩き、音だけを出す物)が炸裂した。

「折角告白する気になってたのに、簡単にあきらめちゃだめでしょ!」

「そうです」

腰に手を当てて説教するハルナの横で、怪しげなジュースを呑んでいる夕映が追従する。

「のどかが頑張って勇気を出したのです。ならば、この好機を逃す手はありません」

「私達もばっちりサポートするよ!まーかせて!」

「ユエ……、ハルナ……!」

女の友情に、のどかは感動していた。

「しかし、こうも人が多くなると、やっぱりやりにくいかな?」

「心配はいりません、ハルナ。班ごとに決められたルートがあるのですから、いいんちょは私達の班にずっと張りついていられる訳にも行きません。まぁ、これが他のクラスメートならば平気でその辺りを無視して行きそうですが、規律に厳しいいいんちょならば、大丈夫でしょう」

「でも、ネギ先生の事になると、いいんちょは色んな倫理観を踏み倒していくからなー……」

「……そのことを失念していました……」

だが、直後のこの会話で、のどかはまた不安になった。



「鹿」

ベンチに座る千雨の目の前に、一頭の鹿がいた。つぶらな瞳で、千雨をじっと見つめている。
千雨は、手に持っていた鹿せんべえの袋から一枚取り出し、鹿に差し出した。
差し出されたそれを、鹿はまりまりと食べた。
食べ終わったのを見計らい、千雨がもう一枚すっと差し出す。
鹿は、それをまたまりまりと食べた。
その光景が何度も繰り返されていく。
すっ。
まりまり。
すっ。
まりまり。
すっ。
まりまり。

「……声かけらんねぇ」

延々と鹿に餌を与えて行く千雨を目撃したハルナが、その一種異様な光景に、ごくりと唾を呑みこんだ。

「わかっていませんね、ハルナ。千雨さんはあのような静かな佇まいですが、その実、結構楽しんでいるのですよ!」

「いや、何でわかるの!?」

「『長谷川さんマスター』を目指して日々修練を怠らない私にとってみれば、この程度造作も無いです!」

「ゆ、ユエはどこに行こうとしてるの~!?」

何故か千雨の事になると変な言動になる夕映に、のどかは目を白黒させた。

「っていうか、あの空間、何かすげぇ」

ハルナが、千雨の周辺を指して言う。
鹿せんべえをまりまりと食べさせ続ける千雨から少し離れた先で、6班のザジ・レイニーデイが、鹿を順番に並べさせて、輪くぐりをさせていた。他にも、玉乗りをしている鹿の姿もあった。
そして、その簡易サーカスのすぐ横では、いまだに鹿に囲まれて悲鳴を上げているエヴァンジェリンと、それを一心不乱に撮影している茶々丸がいる。
それらの混沌とした光景に、そこだけポッカリと空間が出来上がっていた。

「あそこは異次元だね、正に」

うんうんと頷くハルナ。
その言葉を否定できない夕映とのどかは、苦笑するしかなかった。



「千雨ちゃん、私達そろそろ移動するけど、どうする?」

鹿と戯れて(?)いた千雨に、和美が声を掛けて来た。

「もう少し、鹿に餌をやっていく」

「ん、わかった。じゃあ、私達は大仏殿にいるから、後で追い掛けて来てね」

和美の言葉に、千雨はこくりと頷いた。

「じゃ、また後でね。ほら、いいんちょ!いつまでも明日菜と喧嘩してないで、そろそろルートに戻るよ!」

「ええっ!?ぜ、全然ネギ先生とお話しできませんでしたわ!くぅ~、これも明日菜さんのせいですわよ!」

「何であたしのせいなのよ!良いからさっさとあっちに行きなさい!」

野良犬を追い払うような仕草で、明日菜はあやかに手を振った。

「きーっ!このお猿さんめ~!って、あっ、ちょっと千鶴さん!?え、襟を掴まないで下さいまし!?」

「あらあら、うふふ」

明日菜に再び襲い掛かろうとしたあやかを、千鶴が襟を引っ掴んでで引き摺って行った。
急に静かになったその場で、千雨はしばし鹿にせんべえを与え続けていたが、やがてそれが尽きると、鹿の頭をひと撫でして立ちあがる。

(大仏殿、だったな)

先に進んだ班員達を追うべく、歩き出した千雨だが――。

(迷った)

千雨は、広い公園内で迷子になっていた。携帯で居場所を聞こうかと一瞬思った千雨だが、よく考えると、班員のメンバーのメルアドも電話番号も知らなった。
仕方がないので適当に歩いていると、一件の茶屋が目に付いた。

(あそこで聞こう)

千雨はその茶に向かって歩き出した。やがて辿り着くと、そこには既に先客の姿が3つ。
のどか、明日菜、そして刹那であった。

「!?」

刹那は、突如現れた千雨の姿を見るなり、その場から逃げようとしたが、その手を明日菜に掴まれて失敗する。

「あ、明日菜さん!?」

「逃げてどーすんのよ?千雨ちゃんと会って謝りたいって言ってたでしょ!」

「し、しかし心の準備が……!」

何故か急にもめ出した明日菜達を見ながら、千雨は昨夜の出来事を思い出していた。



千雨の目の前に、野太刀の切っ先があった。
その持ち主は、桜咲刹那。千雨のクラスメートにして、『京都神鳴流』と言う、裏の剣術の使い手であり、今千雨の足元に倒れている近衛木乃香の護衛である。

「お嬢様から離れて下さい!」

刹那は、鋭くそう言った。
一方、ネギ達は突然の刹那の行動に慌て出す。

「せ、刹那さん、何を!?」

「そ、そうよ、千雨ちゃんは私達を助けに……!」

「……お二人は、長谷川さんの事を以前からご存じだったのですか?」

刹那が、視線を千雨から外さぬまま言う。この場合は、千雨の存在の事ではなく、その能力の事を指しているのだろう。

「は、はい。少し前に助けて頂いて……」

「け、剣士の姐さん、その辺で止めてくれよ。こちらの姐さんは、あのエヴァンジェリンに勝ったほどのお方なんだ。下手な事は……」

しかし刹那は、カモのセリフを最後まで聞く事無く、その途中にあった、聞き捨てならない言葉に目を見開いた。

「え、エヴァンジェリンさんに勝ったって……、あの『エヴァンジェリン』さんに!?真祖の吸血鬼の!?」

「あ、ああ……」

その勢いに気押されながらも、カモは頷いた。刹那は視線だけでネギ達にも問うてみたが、二人とも首を縦に動かして肯定する。
刹那は信じられない思いで、改めて目の前にいる少女を見る。その幽鬼の様な姿からは、『闇の福音』を倒した強者という印象はまるで受けない。

(だが)

だが、と刹那は思う。突如修学旅行に参加したエヴァンジェリン。その身に纏う魔力は、以前から感じていた物とはまるで違う。まるで、何かの枷を外された様な――。
そこまで思い至った刹那は、心に浮かんだ推測を、思わず口にしていた。

「まさか、エヴァンジェリンさんの呪いは――」

「私が解いた」

千雨は至極あっさりと言った。

(危険だ……)

刹那の思考が狭まっていく。己達を窮地に追い込んだ敵を一蹴し、尚且つ真祖の吸血鬼を倒し、英雄が掛けた呪いを解く、そんな人物を目の前にして。

(この人は、危険だ……!)

もし目の前にいる少女が、己の敬愛するお嬢様を害する存在だったらと、刹那の心は危機感と焦燥で一杯になった。

(今、この場で……!)

野太刀を握る手に、異様な力がこもる。千雨は、相変わらず幽鬼の様な気配の薄さで立っている。

(今ならば、この手で……!)

黒く染まった思考の果てに、刹那が野太刀の切っ先を千雨に突き通そうとした、その瞬間。

「ん……、あれ……、せっちゃん……?」

木乃香が、目を覚ました。

「お、お嬢様……?」

その声に我に返った刹那は、数秒前までの自分に吐き気がしそうになった。
刹那は今、己達の恩人で、クラスメートの少女を、本気で殺そうとしていたのだ。

「わ、私は……」

自分の醜さに気付いた刹那が、体をぶるぶると震わせる。

「桜咲」

刹那の耳に、千雨の言葉が届いた。
目の前の少女は、当然気付いているだろう。今、刹那が自分を殺そうとしていた事に。それでも、掛けられる言葉には何の感情も籠っていない。
顔を上げた刹那は、千雨の言葉を待った。
何を言われるのだろうか、と身構える刹那に千雨は、

「そんなに近衛が心配なら、もっと近くにいてやれ。近衛も、きっと喜ぶ」

「……え?」

あまりにも想定外の言葉を放った。

「先生、神楽坂。明日は班別行動の日だ。早く帰って、寝た方がいい」

「えっ!?あ、うん!」

「わ、わかりました!」

不意に話し掛けられたネギと明日菜が慌てて頷く。

「じゃあな」

千雨はそう告げると、静かにその場から立ち去った。
刹那は、再び木乃香に話しかけられるまで、その背中を茫然と見送っていた。



「あ、あの……」

昨夜の回想に耽っていた千雨は、刹那から話し掛けられた事で我に返った。

「どうした、桜咲」

「いえ、その……き、昨日は、申し訳ありませんでした!助けて頂いたのにも変わらず、あんな……」

「別に、いい」

頭を下げる刹那に、千雨の態度はいつも通りであった。

「ほら、言ったでしょ?千雨ちゃんはそーゆー事気にしないって」

刹那の後ろで明日菜が言う。
本当は気にしないというよりも気にも留めないというのが正しいのだが、千雨は特に何も言わなかった。

「それよりも、珍しい組み合わせだな」

千雨は、その場にる三人を順繰りに見やって言う。三人の共通点と言えば、「魔法を知っている」とい事ぐらいなのだが。

「また、魔法絡みで何かあったのか?」

「は、長谷川さん!?一般人がいる前で何を……!」

刹那がのどかの存在に慌てるが、千雨が何か言うよりも先に、のどかが口を開いた。

「あの、私、『魔法』の事、知ってるんですけど~……」

「え!?」

刹那の動きが固まる。

「エヴァンジェリンと戦った時に、な」

千雨が追加の情報を渡す。

「そ、そうだったんですか……」

記憶の操作も行っていない事に、若干の不安を感じる刹那だったが、のどかはそう言う事を口差がなく喋る正確でない事も知っていたので、取り敢えず納得した。

「それで、何かあったのか?宮崎は泣いている様だったが」

「あー……実はねー……」

明日菜が頭を掻きながら、千雨に事情を説明した。

「告白」

事のあらましを聞いた千雨が呟く。

「もう言ったのか?」

「ま、まだですー……」

のどかが肩を落としながら言う。緊張とドジの連発で告白する事も出来ない上、恥ずかしい姿をネギに見せてしまい、逃げて来てしまったらしい。

「諦めるのか?」

千雨が静かにに尋ねる。のどかは、しばしの沈思の後、首を横に振った。

「きっと、今言わなきゃ、今日みたいな勇気は出せそうにないですから」

のどかははっきりそう言った。

「そうか。頑張れ」

返す千雨の言葉は短い。でも、それが本当に激励なのだと知るのどかは笑顔で頷いた。

「はい、頑張ります!……明日菜さん、ありがとうございます。それに、桜咲さんもちょっと怖い人だと思ってましたけど、そんな事無いんですね♡」

「え、あ……」

「それに、千雨さんは、やっぱりとってもいい人だと思います。……何だかすっきりしました。私、行ってきます!」

そう言われた刹那が思わず目を白黒させるが、のどかはそれを気付かず、立ち上がるとネギを探す為に走り出した。

「本屋ちゃん、勇気あるわねー」

「ああ」

明日菜の言葉に、千雨は同意した。

(勇気、か……)

そして刹那は、自分よりも遥かにか弱い筈の少女が見せようとしている物の意味を、心の中で思っていた。
それは、今の自分に一番必要な物だという事は、刹那自身が最も承知していたからだ。

「所で神楽坂、桜咲」

黙ってのどかの背中を見送っていた千雨が、二人に尋ねる。

「ん?何?」

「何でしょうか?」

首を傾げる明日菜と刹那に、千雨は言う。

「大仏殿はどっちだ?」



奈良での一日を終えた千雨は、帰りの際にのどかの姿を見かけた。
その顔は真っ赤だったが、同時にとても嬉しそうだった。

(言えたか)

千雨は、クラスメートの勇気に、密かに敬意を表した。
と、その時、その横をネギをおんぶしたた明日菜が通り過ぎた。

「ね、ネギ先生!?あ、明日菜さん、何があったんですの!?」

目ざとくネギを発見したあやかが、明日菜に詰め寄る。

「な、何だっていいでしょ!それより、そこをどきなさいよ!」

「いい訳がありますか!」

二人はネギがいるために取っ組み合いこそしないが、舌鋒鋭く口論に入った。

(どうやら、キャパを越えたか)

ネギの様子を見た千雨が、その不甲斐なさに密かにため息を吐いた。



【あとがき】
そんな訳で、奈良でのお話でした。
色々とオリジナルな設定を盛り込みましたが、如何だったでしょうか?
多少の違和感は、どうか勘弁して下さい。
せっちゃんちょっと暴走回。本当ににギリギリの戦闘直後で気が高ぶっていた、と言うのもあるんです。本当はいい子なんですよ!
次回はラブラブキッス大作戦な回。
相変わらず押しの弱い千雨は、無理やり引っ張りだされます。
それでは、また次回。



[32064] 第十四話「傲慢の代償(前編)」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/24 23:58
傲慢とは、己の目的のため、あるいは己の能力を過信し、他者を顧みず虐げる様を言う。
当人してみれば、それらの行為は正当性を主張してしかるべきなのだろうが、他の人間からすれば、迷惑な事この上ない。
そして、そんな傲慢に対する罰は、時として思いもよらぬ形でその人物から何かを奪っていく。
友人。
恋人。
金。
時間。
そして――命。



(私はここで、何をしているのだろう)

枕を両手に持った千雨が、そんな哲学的な事を考えていると、隣で慎重に歩みを進める雪広あやかから𠮟咤の声が飛んだ。

「長谷川さん、ぼんやりしてないで周りに注意してくださいな。ネギ先生の唇は、私が死守します!」

そう言って気炎を上げるあやかを見やり、千雨は小さくため息をついた。
事の起こりは、数時間前に遡る。



修学旅行2日目の夜。
昨晩とは打って変わって、元気いっぱいの3-Aの面々は、昨日の憂さを晴らすかのように騒ぎに騒いだ。
その旅館をひっくり返すような騒動に、『鬼』のあだ名を持つ広域生活指導員、新田教諭の怒りが炸裂し、

「これより朝まで自分の班部屋からの退出禁止!!見つけたらロビーで正座だ、わかったな!!」

と、このような厳しい一言を頂くに至った。
新田教諭は、昔気質な怖い(だがそれ以上に公平な)先生であり、やるといった以上は必ずやる御方である。もしこれ以上ふざけでもしたら、確実に朝までロビーで冷たい床と過ごさねばならなくなるだろう。
それを悟った3-Aは、途端にテンションを急降下させ、がっくりとうなだれた。
だが、ここで一人の女生徒からある提案が出された。
ちゃっかり新田教諭の説教から逃れていたのは、『麻帆良のパパラッチ』こと朝倉和美である。
彼女は、意気消沈する3-Aにゲームを持ちかける。
その名も。

『くちびる争奪!!修学旅行でネギ先生とラブラブキッス大作戦♡』。

コメントに困る名前のゲームであるが、ゲームの目的や、優勝者に贈られる豪華賞品などにつられ、大半の者が諸手を挙げて賛成した。
何より、クラスのストッパーである雪広あやかが、一番にやる気を見せた事により、最早その勢いは留まる事を知らなくなってしまったのである。
そしてその勢いは部屋で静かに本を読んでいた千雨に波及し、結果、何故か千雨は気付けばこの訳のわからないゲームに参加させられていたのである。
因みに同班の那波千鶴、村上夏美は、華麗にこの厄介事をスルーしていた。

(やはり私は押しが弱い)

千雨は、ここ何度かあった同じ様な場面を思い返し、そう内心で独りごちた。
やる気ゼロの千雨とは対照的に、あやかのテンションは鰻登りである。その口からは、時折「ダメですわ、ネギ先生……」や、「そんな、こんな所で……」などの妄言が垂れ流しになっている所を見ると、シュミレーションもばっちりな様である。
その時、千雨は前方の曲がり角から人の気配を二つ感じた。どうやら、自分達と同じゲームの参加者らしい。

「いいんちょ、敵だ」

短く告げる千雨の言葉に、あやかは妄想の世界から帰還を果たす。

「ほ、本当ですの?」

誰の姿も見当たらない事を確認したあやかが、千雨に尋ねる。

「ああ、そこの曲がり角から来ている。どうする?」

「もちろん、迎え撃ちますわ」

あやかは不敵に笑って、前方の曲がり角の壁際に体を寄せる。
やがて、何者かが小声で話し合うのが聞こえてきた。どうやら、4班の佐々木まき絵と明石裕奈のペアらしい。
それを確認したあやかは、先手必勝、とばかりに体を低くして飛び出した。

「げ!?」

「わっ、いいんちょ!?」

いきなり襲いかかってきたあやかに二人は反応できず、思い切り投げつけられた枕をその顔面で受け止める羽目になった。

「もへっ!?」

「わぷっ!?」

珍妙な悲鳴を上げる裕奈とまき絵。

「長谷川さん、トドメですわ!」

あやかからの援護要請を受けた千雨は、悶絶する二人の首筋に、鋭く枕を打ち込んだ。

「みぎゃっ!?」

「もげっ!?」

これまた珍奇な断末魔と共に、二人はその場にずぅん……、と昏倒した。

「お見事な手際ですわ、長谷川さん」

「ん」

あやからの称賛に、千雨は小さく頷いて答えた。

「さぁ、この調子でネギ先生の元まで参りますわよ!」

雄々しくそう言うあやかだが、その直後、後頭部に鋭く投擲された枕がヒットする。

「もろっ!?」

思わずその場に蹲るあやかを余所に、千雨が枕が飛んできた方向を見ると、そこには2班所属の古菲と長瀬楓が立っていた。

「エモノ発見アル!」

「ふむ、どうやら4班はすでに倒されているようでござるな」

いつ聞いても突っ込み所が満載の語尾を持つ二人は、3-Aの中でも極まった武闘派である。

「ま、まずいですわ……!体力おバカのお二人をいっぺんに相手をするのは、私といえど至難の技……!」

最初の衝撃から回復したあやかが、苦々しげな顔をする。

(ふむ)

千雨は、冷静に前方の二人を見る。
古菲は中国武術研究会、略して中武研の部長であり、その腕前はそん所そこらの格闘家を大きく凌駕している。
一方の長瀬楓は、所属している部活こそさんぽ部と言うのどかなものであるが、その正体(と言ってもばればれだが)は、忍者であるといわれている。普段の物腰からみれば、こちらもまた並外れた猛者である事が窺える。
そんな二人と、額に冷や汗を掻いているあやかを見て、千雨は思う。

(このアホらしいゲームを早く終わらせるには、誰かにさっさとネギ先生とキスしてもらう必要がある)

そしてそれを誰にするかと言えば――。

(まぁ、同じ班のよしみか)

千雨は、そういう訳であやかの援護に本格的な力を入れる事にする。

「いいんちょ、先に行け。この二人は私が押さえる」

「!長谷川さん……!よろしいんですの?」

「……早く終わらせて寝たいから、な。とっとと行って、キスでも何でもして来い」

その言葉に、あやかの顔がだらしなく緩んだ。

「な、何でも……?う、うへへ……」

「……見捨てていいか?」

その場で妄想を爆発させるあやかに、千雨の言葉が突き刺さる。
我に返ったあやかは、「頼みましたわよ!」の言葉を残し、颯爽とその場から走り去った。その足取りは、今にも小躍りしそうだ。

「まぁ、人の性癖はそれぞれだからな」

ガチなショタコンであるあやかに、千雨は一応の理解を示した。

「さて」

そして、律義に待ってくれていた2班の二人と向かい合う。

「そういう訳で、ここから先は通せない。迂回するか――」

「長谷川殿を退けるか、でござるな?」

「そういう事だ」

無論、ここ以外のルートを使っても、ネギのいる部屋まで行く事はできる。だが、それには一度ロビーを経由しなければならないので、新田教諭に発見されるリスクが断然高まるのである。故に、古も楓も、ここから撤退する気はない。

「拳士に背中を見せるとゆー選択はないアル!」

「ならば、どうする?」

「決まってるアルね!」

言うや否や、古は高く跳躍し、手にした枕で千雨に打ち掛かる。千雨はその一撃を或いは避け、或いは捌き、次々とかわしていく。

「ほう」

その動きを見ていた楓が、感心したのか息をもらす。
千雨の動きは、武術のそれとは程遠い。武術の動きを舞踏のそれに例えるなら、千雨は機械の如き動きである。
その場に拳があるから避ける。その場に蹴りが走ったから捌く。判を押したかのように正確なそれは、武術の流れるような動きに慣れた古に取ってやり難い事この上なかった。

(む~、今一リズムに乗り切れないネ。なんか、すごくやり難いアル!)

眉を顰めつつ攻勢を続ける古。相も変わらず無表情のままかわす千雨。楓に関しては、千雨を見極めるつもりらしく、動く気配はない。時間稼ぎ、という点については、千雨の目論見は見事成功した事になる。
延々と続く演武。モニター越しにこの場を観戦している者達も、思わず食い入るようにそれを見つめる。
このまま状況が膠着するかと思われたその時。

「――楽しそうではないか。私も一つ、混ぜて貰おうか」

「え?」

その声が聞こえた瞬間、古の体が宙を舞った。

「わわわっ!?」

慌てて空中で身を捻り、何とか足から着地する古だが、その胸中には慄然とした物が湧き上がっていた。
使う武こそ違えど、今自分に振るわれたのが、武芸の至尊に至った者のみが振える達人の技である事がよくわかったからである。

(いったい誰アル!?)

その正体を見た古の目が丸くなる。
そこにいたのは、金色の髪を靡かせた小柄な人影。
――6班所属、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
その瞬間、和美の実況がモニターを見る者達の耳に響き渡る。

「おおーっと!ここで2班と3班に割って入ったのは、6班所属のエヴァンジェリン選手だーっ!!何やら奇妙な技を使って、古菲選手を投げ飛ばしたようですっ!」

「エヴァンジェリン、それにレイニーデイ。お前らも参加していたか」

千雨が、突如現れたエヴァンジェリンと、その後ろに影のようにくっ付いているザジを見て言う。

「ふっ。修学旅行の夜に羽目を外して、みんなでバカをやる。私は、こういう状況に憧れていたんだ……!」

「……思い出……」

エヴァンジェリンとザジの外国人コンビが、それぞれにコメントを述べる。二人とも、皆と一緒に騒ぎたかっただけのようである。

「合気、でござるか?凄まじい腕前でござるな」

その時、エヴァンジェリンの技を目の当たりにして、硬直していた楓が感嘆の声を上げる。

「余芸に過ぎん。本職には敵わんさ」

「……とてもそうは思えないアル」

ようやく衝撃から回復した古が、静かに言う。立ち上がった彼女の目には、うずうずした物が隠しようもないほど溢れていた。
バトルジャンキー、といってもいい程強者との戦いを望む古にとって、千雨やエヴァンジェリンと言う、あまりに近くにいた実力者の存在に、闘争本能に完全に火が付いてしまったのである。
それを見やったエヴァンジェリンは、ふん、と鼻を鳴らすと、

「やる気になっている所申し訳ないが、もうすぐ騒ぎを聞きつけた新田がここに来るぞ」

「む」

「それは、まずいでござるな……。古、ここは一先ず逃げるでござるよ」

それを聞いた途端、古の顔が盛大に不満げになった。

「そ、そんな~!折角面白くなってきた所アルに~!」

「朝まで正座は勘弁でござるよ」

にんにん、と言いながら、楓は未だぶーぶーと文句を言っている古を引っ張って、その場から撤退する。

「長谷川もエヴァにゃんも、この決着は何時か着けるアルよ~!」

ドップラー効果を伴い、古と楓はその場を去った。

「私たちも場所を変えるぞ。来い、千雨、ザジ・レイニーデイ」

エヴァンジェリンの言葉に、千雨とザジの無表情組が揃って頷き、その場には未だ気絶し続ける4班の二人以外には誰もいなくなった。



「明石……、明石……」

「う~ん……、お父さ~ん……。学校だからって~、名字で呼ばなくてもいいよ~……」

「明石………………。起きんかぁっ!明石ぃ!!」

「ひぃやぁああっ!?」

大好きな父の夢を見ていた明石裕奈は、突如響き渡った怒声に慌てて眼を開けた。するとそこには、鬼の学園広域生活指導員、新田教諭が額に青筋を浮かべて裕奈の顔を覗き込んでいた。

「げっ!?に、新田!?……先生」

「随分と凄まじい寝相だな、明石。こんな所まで転がってくるとは」

寝起きに見るには心臓に悪すぎる人物の登場に、裕奈は冷汗は止まらない。

「そ、そうなんですよねー?む、昔から、私ってば寝相が悪くって……」

たはは……、と誤魔化すように笑う裕奈だが、当然それが通じるわけもない。

「そうかそうか、寝相ならしょうがない……。と、言うとでも思ったか?」

「ですよねー……」

と、そこで新田教諭は、いつの間にやら起きだしたのか、こっそりと忍び足でその場から逃げようとしている佐々木まき絵の肩をがしりと掴んだ。

「で、お前はどこに行こうとしている、佐々木?」

「え、あ、その……。てへっ☆」

ペロッと舌を可愛く出すまき絵だが、当たり前の如く新田教諭には効かなかった。

「二人ともロビーで正座!!」

「「びえ~ん!!」」

新田教諭の怒声と共に、4班ペア二人の悲鳴と、トトカルチョで4班の班&個人に賭けていた者達の悲鳴が、夜のホテル嵐山に響き渡った。



【あとがき】
『Arcadia』さんに移動して、初めての話です。
原作での千雨の代わりに、まき絵ちゃんが犠牲になりました、南無。
新田先生みたいな人は、嫌いではありません。こういう先生に出会えたら、その人の人生は多分間違ったりはしないでしょう。
次回は『傲慢の代償(後編)』。割ときつい罰が下ります。
それでは、また次回。
※更新ペースが少し落ちると思いますが、よろしくお願いします。



[32064] 第十五話「傲慢の代償(後編)」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/03/26 22:40
――『煙吐く鏡』は、いつもそこで見ている。



「ふむ、ここまで来ればいいだろう」

エヴァンジェリンはそう言って動かしていた足を止めた。
その後ろには息一つ乱さぬ、無表情な千雨がいる。
ちょうど監視カメラの死角に当たるこの場所は、モニターされる心配もない。

「こういったゲームにお前が参加するとは思わなかった」

千雨がそう言うと、エヴァンジェリンは鼻を鳴らした。

「ふん。それはこちらのセリフだ。お前の普段を知っている人間からすれば、あり得んぞ?」

「……言わないでくれ」

千雨は、エヴァンジェリンの言葉に少し疲れたように返した。

「まぁ、たまには何も考えず、馬鹿をやるのもいい物だ。後になって振り返れば、これもきっといい思い出になる」

「思い出、か。レイニーデイも言っていたな」

「そうだな。先に続く自分を作るためには、どうしても必要なものだ。それが良しにしろ、悪しにしろ、な」

その言葉に、千雨は少し黙り込んだ後、呟いた。

「先に進めなくなる思い出だって、ある」

「…………」

今度はエヴァンジェリンが黙り込んだ。
千雨を見ていると、無表情の内にも、ほんの少し揺らぎのような物を感じる。それが千雨の感情の欠片なのかは、わからない。でも、そんな揺らぎが、不意に一切消え失せる時がある。
『過去』。
それに触れた時、千雨の顔は、再び強固な仮面で覆われる。

(何があったのだろうな、お前に)

エヴァンジェリンは思う。
エヴァンジェリンにとって、千雨は恩人であり、『友』だった。向こうがどう思っているかは知らないが、エヴァンジェリンにとって、それは最早揺るぎない事実であった。
千雨のおかげで、エヴァンジェリンはまた光射す方へ向って、歩みを進める事が出来るようになった。
エヴァンジェリンは、千雨によって救われたのだ。
だからこそエヴァンジェリンは、今度は自分が千雨を救ってやりたいと思っている。その顔を覆う仮面を外し、心を閉ざす氷を溶かして、暖かい場所へ千雨を連れて行ってやりたかった。
だが、今現在の状態では、それは叶わぬ事だろう。

(仮面越しでは、見えない物もあるのだぞ、千雨)

エヴァンジェリンがそんな風に物思いに耽っていると、千雨が声をかけてきた。

「なぁ、エヴァンジェリン」

「ん?おお、何だ?」

「さっき話しに出したレイニーデイだが、何処に行った?」

「何?」

辺りを見回したエヴァンジェリンは、つい先程までそこにいたはずのパートナー、ザジ・レイニーデイの姿がない事に初めて気づいた。

「……何をしに来たんだ、あいつは」

頭痛がするようにこめかみを押さえながら、エヴァンジェリンはため息混じりに言った。

「お前があいつを誘ったのか?」

「いや。私は初め、茶々丸と一緒に参加するつもりだったんだが、あいつが私の袖を引いて来た物だから、ノリで」

「そうか」

千雨とザジは同室の間柄だが、そこに会話はほとんどない。ザジは部屋を空ける事が多く、居たとしてもお互い極端な程の無口・無表情同士。何か能動的な出来事が発生する事は、まずない。
居るのか居ないのか分からない、不思議な同居人。それが、千雨にとってのザジ・レイニーデイだった。

(……あの道化の化粧の下には、何があるのだろうか)

千雨はふと、そんな事を思った。

「どうした、千雨?」

「いや」

千雨は、とりあえずザジを思う事を中断する事にした。

「これからどうするつもりだ、エヴァンジェリン。ネギ先生にキスしに行くのか?」

それを聞いた途端、エヴァンジェリンの顔が大きく顰められた。

「何が悲しゅうて10歳のガキに乙女の唇を許してやらなきゃならんのだ。そういうお前はどうなんだ?」

「私はいいんちょのような特殊な性癖ではない」

さらりとあやかをこき下ろした千雨であった。

「ふーん……。まぁいい。私も適当に場を引っ掻き回したら部屋に戻るつもりだったからな。ただ、このまま参加を続けるなら、少し注意した方がいい」

「どういう事だ?」

不意に口調を低くしたエヴァンジェリンに、千雨が問う。

「ゲームが始まってから、この旅館全体に変な魔力の流れがある。何者かが、何か仕掛けているのかもしれん」

「関西呪術協会か?」

「わからん。今の私は色々と封じられているのでな。その辺の感覚が曖昧なのだよ」

千雨は、そう言ったエヴァンジェリンの言葉に首を傾げる。

「お前に掛けられていた呪いはもうないはずだが」

「ああ、呪いじゃないよ。私の魔力や妖気を抑えるための封印具の事さ」

エヴァンジェリンはそう言って、千雨に手をかざした。その小さな手には、いくつかの指輪がはめられていた。

「これらは全て封印具だ。もっとも、ここに至るまで、いくつかはもう、私の力に耐え切れなくなって壊れてしまったがな」

後、と言いながら、エヴァンジェリンは袖を捲って腕を千雨に見せる。そこには、3本の黒い線が周を描いて走っていた。

「これは制約の黒い糸。自分や、相手の魔法を封じる事ができる魔法だ。ここに来るにあたり、爺が掛けたものだ。この線一本に付き、一日分の効力を持つ」

一日過ぎたから、もう一本は消えている、とエヴァンジェリンは言う。

「本来ならば、修学旅行の日程に合わせて5日分のはずだったのだが、爺でも4日が限界だった」

どうやら、エヴァンジェリンの魔力が強すぎて、それ以上の封印を掛けられなかったらしい。

「何故、そんな縛りを?」

「この京都には、遥か昔から伝わる怪物や呪い、それを抑えるための繊細な術式などが幾重にも張り巡らされている。麻帆良程ではないが、ここも街全体が結界に覆われているのだよ。私のような大妖がそんな場所を無防備に訪れて色々と刺激しないように、こういう措置が取られたのさ」

千雨の問いに、少しのため息交じりにエヴァンジェリンが言う。

「私としても余計な揉め事などで、折角の修学旅行が台無しになるのは避けたかったからな。甘んじて受けたのだ。まぁ、最後の5日目は帰るだけだし、私が自力で何とかするさ」

そう言って、エヴァンジェリンは肩をすくめた。

「おっと、話がそれたな。この旅館に巡る魔力だが、攻撃的な物は感じないが……」

「やはり気になるか」

「それが正体不明ともならば、なおさらな。だが、こんな事で態々封印を外す気にもならん。まぁ、注意しようという程度だ」

「そうか」

と、その時、視界の端に動く影。
千雨とエヴァンジェリンがそちらを向くと、廊下を走りぬけていくネギの姿があった。

「先生か」

「やれやれ、今度は何をしでかしたか」

二人はそう言いながら、ゲームの性質上、とりあえずネギを確保しようと動き出した。後はあやかにでも押しつければ、このゲームも終了である。
ネギの通った廊下に出ると、そこには何故かまだその場でうろうろしているネギの姿があった。

「?」

何をしているのかと首を傾げた千雨だが、その時、千雨を見つけたネギが走り寄ってきた。

「あの、千雨さん」

近づいたネギは千雨に呼び掛けた。

「何でしょうか、先生」

静かに応じた千雨に、ネギはこう言い放った。

「あの……、チューしてもいいですか?」

「ぶっ!?」

千雨の後ろでそのやり取りを聞いていたエヴァンジェリンが、驚愕のあまり噴き出した。そして千雨は。

「そうですか。すみません、お断りします」

至極あっさりと断っていた。

「そう言わないでください」

「いえ、遠慮します」

「お願いします」

「結構です」

延々と二人のやり取りは続く。それに焦れたエヴァンジェリンがネギに怒声を上げる。

「アホか、貴様は!生徒相手にいきなり何をほざいてるんだ!」

そこで、ネギの視線はエヴァンジェリンに移った

「じゃあ、エヴァンジェリンさんでも……」

「じゃあって、何だ!じゃあって!!」

あまりと言えばあまりの一言に、エヴァンジェリンの鉄拳がネギに突き刺さった。
そのままふっ飛ばされながら、ネギは一言。

「やぎでした」

直後、そのネギらしき物体はその場で爆発した。
その爆風に紛れて、紙でできた人型らしきものがひらひらと舞い踊る。

「何だ、これ」

千雨の呟きは、尤もであった。



ロビーは混乱の極致にあった。
そこには、ネギの姿が3つ。

「ええ~!?ネギ先生がいっぱい~!?」

逃げたネギを追ってきた鳴滝姉妹が、その光景に驚愕する。

「気を付けてください!恐らく朝倉さんが用意した偽物です!」

同じくロビーに来ていた夕映が注意するが、その横でロビーの光景を見ていた雪広あやかはまるで聞こえていない様子で、目を輝かせている。

「よーし、とにかくどれでもいいからチューするアル!」

即決即断の古菲は、楓を伴い、手近に居たネギを捕まえ、その頬に口付けた。が、その瞬間。

「えーと、では任務完了と言う事で。ミギでした♡」

ネギ、もといミギは爆発した。後には、紙型と黒く煤けた2班のペアの姿が残る。

「あっ、こら、なんだこの煙は!?」

その時、3階に行っていた新田教諭が騒ぎに気付き戻って来て、ロビーの惨状に怒りの声を上げる。

「「チュー♡!」」

「ぬごっ!?」

だが、そんな新田教諭に何故か膝を食らわせながら、ネギ達は逃げた。

「う~ん……」

小さく唸って気絶した新田教諭に、夕映達が枕を後頭部に敷いてやる。

「あわ、あわわ、に、新田先生がー……」

「こうなったらもう後には引けませんね」

冷や汗をかきながら夕映は言う。
そうこうしている内に、再び爆発音が響く。

「どうやら偽物にキスをすると、爆発するようですね。……どういう仕組みかやっぱりわからないですが」

それを見ていると、あやかが最後のネギを優しく捕えた。

「ああ……!いいんちょさんが最後のネギ先生をー……」

「大丈夫ですよ、のどか。あれは恐らく――」

悲しい声を上げるのどかを夕映は宥める。そうして事態を見守っていた瞬間、かなりディープな口づけを受けた最後のネギが爆発した。

「なっ……。そんなバカな……」

悪役の最期のようなセリフを吐きつつ、あやかが黒焦げになって倒れた。

「あ、あれー?本物のネギ先生はー?」

「あの真面目なネギ先生が、こんなアホなイベントに参加するとは思えません。だから、本物は別の場所にいるはずです!」

そう言って周囲を見回す夕映。そうしながら、夕映はつい少し前の事を思い出して、顔を赤らめた。

(それにしても、私とした事があのように押し切られてしまうとは……。のどかにああ言っておきながら、何とアホな、いえ愚かな……!)

「どうしたの、ゆえ?」

「い、いえ。何でもないですよ!?」

のどかに声を掛けられた夕映は、慌てて湧き上がる雑念を振り払った。
と、そこで、外から戻ってくるネギの姿が目に入った。

「あっ」

「いたー!」

そして、何も知らないネギがのんびりと戻ってきた。

「ただいまー。あれ、何か騒がしいような?」

そう言いつつ辺りを見回すネギを見ても、のどかの足は動かない。昼間の告白の件が、後を引いているのだ。

(もし断られたらどうしよう)

そんな不安な気持ちで、のどかの胸は詰まる。
後少しの勇気を出せない親友を見て、夕映は文字通りその背中を押した。

「ホラ、のどか」

背中を押されたのどかが一歩前に出る。その動きに気付いたネギが、のどかの方を見て瞬間的に顔を赤らめる。

「あ……、宮崎さん……」

そしてのどかもまた、顔を真っ赤にする。

「ネ、ネギ先生……」

「あの、お昼の事なんですけど……」

いきなり核心を突いて来たネギに、のどかは大慌てになった。

「い、いえ!あの事はいいんですー!聞いてもらえただけで……!」

だが、目の目で慌てるのどかを置いて、ネギは続ける。

「すいません、宮崎さん……。僕、まだ誰かを好きになるとか、よくわからなくて……。い、いえ、み、宮崎さんの事は勿論好きです。で、でも、僕クラスの皆も、好きで、その、そーゆー好きで、それに、あの、生徒と教師ですし……」

喋っている内にこんがらかって来たのだろうか、ネギの言う事はだんだんと支離滅裂になっていく。

「だから、僕、まだ宮崎さんにちゃんと返事できないんですけど……」

その言葉に、のどかは少しだけ寂しそうな顔になった。だが、次に続くネギの言葉に、顔を明るくする。

「あ、あの、と、友達から……お友達から、はじめませんか?」

「――はいっ♡」

にっこりと笑うのどかの横で、夕映は「まぁ、まだ10歳ですしね」と、ため息をついていた。

「全然聞こえないよー」

「っていうか、私達に全く気付いてないし」

ロビーに正座していた4班のまき絵と裕奈が、ネギ達に気付かれぬまま静かな聴衆と化していた。

「そ、それじゃあ、戻りましょうか?」

「は、はいー」

すっかり和やかな雰囲気になった二人を見て、夕映は少し考えた後、不意にのどかの足を払った。

「あっ」

当然躓くのどかを抱きとめようとしたネギは、不意だったためか目測を誤って、別の場所でのどかを受け止めてしまった。
すなわち、唇と唇とで、である。
チュッ、っと小さな音を立てて合わさった唇をすぐに離して、二人は真っ赤になった。

「あっ、す、すすすす、すいませっ……」

「い、いえ、ぼ、僕の方こそ……」

互いが謝りあう中で、それをモニターしていた3-Aの面々が、ゲームの勝者が決まった事に歓声を上げる

「本屋ちゃんの勝ちだー!」

「優勝宮崎のどかー!」

「だ、誰か賭けた奴いるの!?」

「えへへへー♡」

「さ、桜子!?またあんたかー!?」

そのように大騒ぎなっているのも知らず、ネギとのどかはまだ謝りあっている。

(よかったですね、のどか)

夕映は、何故か感じるほんの少しの寂しさと共に、親友を祝福した。
その時、夕映の視界にいつの間にそこにいたのか、ロビーの端に立っている千雨とエヴァンジェリンの姿が映った。
エヴァンジェリンは何があったのか苦々しげな顔をして。
そして千雨は、いつも通りの無表情。
だが、『長谷川さんマスター』を目指す夕映の目には、今の千雨は。
――酷く怒っているように見えた。



ロビーに出た千雨とエヴァンジェリンは、丁度ネギとのどかがキスする場面を目撃した。

「いいフォローだ。綾瀬」

上手く親友の恋を一歩進めた夕映を、千雨は称賛する。
だが、その微笑ましいはずの光景に、エヴァンジェリンは眉根を寄せている。

「あれは……!ちっ、そうか、あの小動物が……!」

「どうした、エヴァンジェリン」

思い切り舌打ちするエヴァンジェリンを見やり、千雨が尋ねる。

「この旅館を覆っていた魔力の流れ……。その正体が判った」

「何?」

「仮契約《パクティオー》だ。この旅館のどこかに、そのための陣があるはずだ。くそっ、封印されているとはいえ、なぜもっと早く気付かなかった!」

「仮契約。確かそれは、魔法使いの従者を作るためのものだったな。当人の知らぬ間に、そんな事をしてもいいのか?」

「いいわけあるか!魔法使いの従者になるという事は、それだけ裏の危険に近づくという事なのだぞ!何の覚悟もない者を勝手に従者にするなど、していい筈がない!」

「――ネギ先生は、この事を知っているのか?」

「知らんだろうな、あの様子では。坊やの使い魔のオコジョが勝手にやった事だろう。それに、このゲームの主催者である朝倉和美も無関係と言う事はあるまい」

「そうか」

そこまで聞いた時、千雨は不意に踵を返した。

「あっ、おい、千雨!?」

慌ててエヴァンジェリンがその後を追うが、曲がり角を曲がった所で、千雨の姿はさっぱりと消えていた。



「大掛かりだった割には、情けねぇ成果だが仕方ねぇぜ!」

「よっしゃ、ずらかるよ、カモっち!」

モニタールーム代わりだった洗面所から、風呂敷包みを背負った朝倉和美と、ネギの使い魔であるオコジョ妖精、カモが飛び出してきた。
事がばれる前に、迅速のこの場から去らねばならないからだ。

(すまねぇな、兄貴!でもこれも、兄貴のためなんだ!)

ネギが生徒を大切にしている事は、使い魔であるカモも承知している。故にその生徒を勝手に従者にした事を心の中で詫びながら、それでも自己の行動をネギのためとカモは割り切った。
だが、その傲慢な考えに、罰が下る。


「アルベール・カモミール」


その声がカモと和美の耳に飛び込んできたのは、いざ逃げようとしたその瞬間であった。
慌てて振り向いたその先に、長谷川千雨が立っていた。

「ち、千雨ちゃん……?」

「は、長谷川の姐さん……!」

和美は突如現れた千雨に驚き、カモはいきなりの危険人物の登場に冷や汗をかいた。

「何故、クラスの者達を巻き込んだ」

千雨が静かに問う。その視線の先には、カモが固定されている。

「な、何を言って……」

「仮契約」

「!?」

「魔法使いの従者を作るための儀式。お前の主導で行われる。そうだな?」

「あ、ああ」

「……神楽坂は、その立場に覚悟を持って飛び込んだ。だから、その選択を私はどうこうは言わない。ならば、宮崎は?あるいは、それ以外の生徒は?」

「あ、兄貴のためなんだよ!」

静かな言葉の中に秘められた何かに気圧されたのか、カモが言い訳をし始める。

「き、京都に来てから厄介事ばかりだ。こ、このままじゃあ、兄貴が大怪我しちまうかもしれねぇ!だ、だから」

「だから、何も知らぬ者をネギ先生の盾にしようと?」

「そ、それは……」

千雨はそこで、小さくため息をついた。

「……お前はネギ先生の使い魔だ。先生の事を一番に考えるのは仕方がないのかもしれない。だが、それとこれとは話が別だ。自分のために生徒が傷ついたその時、ネギ先生もどれほど心が傷つくか、考えた事はあるのか?」

「う……」

カモは最早言い訳もできないほど追いつめられていた。和美もまた、千雨から発せられる得体のしれない圧力に黙り込んでいる。

「己の目的のために他者を危険に巻き込み、、あまつさえその正当性を仕えるべき主に転嫁しようとしたその傲慢の代価は、支払わなければならない」

千雨はそう言うと、懐から1枚の仮面を取り出した。

「な、何あれ……?」

「ひっ……」

初めて見る千雨の「仮面」に、和美は怪訝な顔をし、その力を知るカモは真っ青になって小さく悲鳴を上げた。

『テスカトリポカの仮面』

石造りの仮面を装着した千雨が告げる。

『アステカ文明の神、テスカトリポカの仮面は、別名【生贄の仮面】と呼ばれる』

「ま、待ってくれよ、姐さん」

『その年に選ばれた者はこの仮面を被り、1年を通して神の化身と崇められる。どんな贅沢もわがままも、その一年は許される』

仮面越しの視線に縫い付けられて、カモも和美も金縛りにあったかのように動けなかった。

『そして一年間神の化身を演じたその者は、最後には収穫を祈願する祭壇に奉られ、その心臓をテスカトリポカ自身に捧げられる』

千雨の目が、妖しく光った。



気がつくと、カモは石でできた祭壇のような場所に寝かされていた。特に拘束されている訳でもないのに、その両手両足は何故か動かない。

「な、なんだよ、ここ!?」

周囲を見回すカモは、自分の周りに大勢の人間がいる事に気付いた。どの人間も、日本人にはありえない肌の色をし、簡素な服や獣の牙や爪、鳥の羽根などで来た装飾品を身につけている。

「た、助けてくれ!」

カモはそう呼びかけるが、周囲の人間は誰もそれに応えず、歓声を上げてカモを見つめている。
やがて、一人の仮面をつけた男がカモの横たわる祭壇に歩み寄って来た。その手には、黒く光る黒曜石で出来たナイフが握られている。

「お、おい、何だよ。俺っちに何するつもりだよ!」

カモは喚くが、男は一切取り合わない。やがて、男は黒曜石のナイフを静かに振り上げた。
これから何が起こるのか、そして自分が何をされるのか朧気に察したカモは絶叫を上げる。

「や、やめてくれぇっ!!お願いだよぉっ!!」

だが、無情にも、ナイフは勢い良く振り下ろされる。
カモの心臓目がけて。

うわぁぁぁあぁぁあぁぁぁああああぁぁぁぁああぁっ!!!!



「――っち!カモっち!どうしたのよ!」

和美の言葉に我に返ったカモは、慌て辺りを見回す。そこは、元いたホテルの旅館の廊下だった。
カモは、先程体験した出来事を思い出す。幻、と言うには、あまりにもリアルすぎた。周囲の熱気、振り上げられたナイフの輝き。そのすべてが、本物としか思えなかった。

「カモ」

「ひっ!?」

不意に掛けられたその声に、カモは跳び上がって驚いた。見れば、先程の仮面を手にした千雨がそこに立っていた。

「ネギ先生に免じて、今回は見逃す。但し、宮崎が望むならば、仮契約は解除しろ」

「は、はい……」

「そして、もう二度とこういう事はするな。さもなくば、この仮面が、お前の『顔』になる」

千雨はそう言って、手にした『テスカトリポカの仮面』を掲げた。
その時、カモは確かに見た。
石で出来た筈のその仮面が、こちらを見て、にたりといやらしく目元を歪ませたのを。
そしてそれを認識した瞬間、カモは泡を吹いて気絶した。



「な、何がどうなってんの……?」

和美は混乱の極みにあった。
手の中には、泡を吹いて気絶するカモがいるが、それすらも和美にはどうしたらいいのか判らない。

「朝倉」

「は、はいぃっ!」

今度は自分に向けて放たれた千雨の声に、和美は冷汗をかいた。目の前にいる茫洋としたクラスメートは、どうやら只者ではないらしい。

「ジャーナリスト志望のお前が、魔法を知り、深く関わろうとするのは当然なのだろう。だが、こちら側は、危険な事ばかりだ」

「……う、うん」

「好奇心は猫を殺す。身を守る術も何もないならば、これ以上関わるのはやめた方がいい。尤も、最後に決めるのは自分の意志だが、な」

「ち、千雨ちゃんも、魔法使いって奴なの?」

恐る恐る和美が千雨に尋ねる。そんな和美に、千雨は小さく頭を振った。

「いや、私も魔法を知って、少ししか経っていない。ただ―」

「ただ?」

「――私は、『化け物』だからな」

そう言って、千雨は静かにその場を立ち去った。
後に残された和美は、冷たく濡れた背中に身震いしながら、大きく息を吐いた。

「こ、怖かったー……」

そう言いながら、和美は先程の千雨の言葉を思い出す。

(最後に決めるのは、自分の意志、か……)

思えば、自分は魔法という物をまだ何も知らないに等しい。きっとそこには、千雨の言う通り、常識では考えられない危険があるのだろう。
だが。

「ここで退いちゃ、ジャーナリストの名が廃るよね……!」

それでも和美は関わる事を今選んだ。無難に生きるつもりでは、ジャーナリストは務まらないと、和美は考えていたからである。

(そのためにも、明日はネギ先生やカモっちに、もっと詳しい話をちゃん聞かないとね)

情報は、時として己の運命をも左右する。それを疎かにしていた和美は、密かに反省する。

「まぁ、取り敢えず今日の所は、それなりに儲かったって事で、良しとしますか」

「ほほう。なるほど、お前が主犯か、朝倉。」

「へ?」

怒りを押し殺したその声に振り向いた和美は、がチリと固まった。
そこには、文字通り『鬼』のような顔をした新田教諭が立っていた。

「に、新田先生……?」

「あーさーくーらー……!」

「ぴ、ぴぎぃぃぃっ!」

その形相に和美が悲鳴を上げた瞬間、新田教諭の凄まじい怒声が館内に響き渡った。
和美への天罰は、こんな感じで下されたのであった。



「なんで私がこんな目に……」

あの後、復活した新田教諭に運悪く捕まったエヴァンジェリンは、その他のクラスメートに交じって正座させられていた。

「ううっ、千雨め!まんまと逃げおって、覚えておれよ!」

「うるさいぞ、マクダウェル!」

「ひぃっ!」

半泣きになりながら、エヴァンジェリンの苦行は続く。

「ああ、マスター。なんて御労しい」

「アハハハハハハハ!超情ケネェー!超ウケルー!」

画面に映るエヴァンジェリンに、茶々丸はおろおろとし、チャチャゼロは腹を抱えて爆笑していた。
ちなみに、その後ろでは、いつの間に戻って来たのか、ザジ・レイニーデイが布団に潜り込んでぐぅぐぅと寝ていた。
この夜、参加者の中で正座を逃れたのは、ザジと千雨だけであった。



【あとがき】
後編終了です。
傲慢の代償を支払ったのはカモさんでした。
次回からは自由行動。色んな人達が色んな所で何やら致します。
それでは、また次回。



[32064] 第十六話「自由行動日」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/04/16 22:37
衣装一つで、人の気持ちは随分と変わる。明るい色の服を着れば、気持ちも明るくなり、暗い配色の服を着れば、それだけで気分が沈みがちになるものだ。
ならば、普段と全く違う服を着れば、全く違う自分になれるのだろうか。



修学旅行3日目。
千雨は、エヴァンジェリンと並んで、昨夜のゲームの賞品であるカードを手にしたのどかが、クラスの皆に囲まれているのを眺めていた。

「宮崎のどかは、契約を解除しなかったんだな」

「ああ」

エヴァンジェリンの言葉に、千雨は小さく頷いた。



今日の早朝、のどかを訪ねた千雨は、昨夜のゲームが朝倉和美と使い魔のカモによる、パクテイオーカードを大量に得るための仕掛けであった事を話し、のどかの手にしたカードが仮契約の証である事を告げた。

「どうする?」

千雨の短い問い掛けに、のどかは小さく微笑んで、

「私、ネギ先生の従者になります」

と、応えた。

「私、この間、ネギ先生達や千雨さんがエヴァンジェリンさんと戦ってた時、祈る事しかできませんでした。もし仮にあの時、あの場に行ったとしても、何の役にも立てなかっただろうって事はわかってます。それでも、皆が頑張ってる時に後ろで見ている事が、とても歯がゆかったんです」

のどかは顔を上げ、あの夜のように真っ直ぐな瞳で千雨を見た。

「私は、皆と一緒に並んで歩いてたいです。後ろで眺めてるだけじゃ、きっと笑い合う事も出来ないから」

そう言ったのどかの言葉には、【覚悟】が満ち溢れていたように、千雨は感じた。



「……宮崎の覚悟は本物だと、私は思う。だから、本人が決めた事に口は出さない」

千雨は、のどかの凛とした顔を思い出しながら、そう言った。

「恋する乙女は絶対無敵、か。まぁ、あいつが本気でそれを望んだなら、私も何も言わんさ」

三々五々と人が散っていく中で、嬉そうにネギ達の元へ向かうのどかの後ろ姿を、ほんの少しまぶしそうな目で見るエヴァンジェリンであった。

「ネギ先生は、今日こそ親書を届けに行くのだろうな」

「今日を逃すと、もう余裕はない。幸い、今日は完全自由行動だ。少しばかり勝手な動きをしても問題はないだろう。……ん?」

その時、千雨は何事か話し合っていたネギ達の中、明日菜が何もない虚空から、眩い光とともに大きなハリセンを取り出すのを目撃した。

(手品、か)

意外な人物に意外な才がある物だと感心していた千雨の目に、先程まで横にいたエヴァンジェリンが、猛ダッシュで明日菜目掛けて駆けていく姿が映った。

「このっ……アホがーっ!!」

「あぶろばぁっ!?」

そして、その勢いを維持したまま、エヴァンジェリンは明日菜に強烈な飛び蹴りを食らわせた。

「ああっ、明日菜さん!?」

「ななななっ!?」

驚く一同を背景に、明日菜は珍妙な悲鳴と共に吹き飛び、床を幾分か削ってようやく止まった。
一方のエヴァンジェリンは、華麗に着地を決めると、まだ怒りが収まらぬ様子で「こはぁ……」と呼気を漏らしている。

「んなっ、何すんのよー!」

頬を抑えた明日菜が妙に乙女チックな座り方のまま、涙目で抗議の声を上げる。

「何をする、はこっちのセリフだ、馬鹿め!何でお前らは人の目がある中で魔法なりなんなりをすぐに使うんだ!」

そんな明日菜に、エヴァンジェリンは更なる怒りを持って怒鳴りつける。そして、その怒りの視線は、次に刹那をとらえる。

「刹那!お前が付いていながら何でこういう事をさせる!?」

「も、申し訳ありません!せ、西洋魔法はどうにも疎く、止めるタイミングが……」

「ええい、言い訳はいい!そして、坊や!」

「は、はいぃぃ!?」

平身低頭、といった有様の刹那を置いて、次にエヴァンジェリンが睨みつけたのは、ネギであった。

「貴様、昨日またも迂闊に魔法を使った挙句、それをそこの朝倉に見られたそうだなぁ……?」

「ひゃ、ひゃい……」

エヴァンジェリンが発するプレッシャーに気圧されたネギが、冷や汗をだらだら流しながら、呂律の回らぬ舌で何とか返事をする。

「このっ……!馬鹿者がぁぁぁぁっ!!」

「うひぃぃぃぃ!?」

一拍溜めた後、エヴァンジェリンの怒号が炸裂する。

「魔法ばれなど、今どきどんな3流の魔法使いでもせんわ!お前に魔法の才がある事は認めてやるが、その隠ぺい能力の低さをどうにかせん限り、【偉大なる魔法使い《マギステル・マギ》】になるなんて、夢のまた夢だっ!」

「がーんっ!」

ネギはエヴァンジェリンの容赦ない言葉の一撃にノックアウトされ、その場に崩れ落ちた。

「朝倉ぁぁぁっ!」

「うぇ!?私!?」

エヴァンジェリンの次なる標的は和美であった。

「貴様がこの中で一番性質が悪い!正直な所、今直ぐにでも記憶消去の魔法を掛けてやりたいくらいだ!貴様の企画したアホな企画のせいで、私が昨夜どんな苦労をしたと思ってるんだー!」

昨晩の正座地獄を思い出したエヴァンジェリンが、少々ピントのずれた怒りを爆発させる。

「あ、あはは……。そ、それはちょっと遠慮したいなーって……。ってゆーか、エバちゃんも魔法使いだったの?」

和美の言葉に、刹那が目を逸らしながら答えた。

「……それどころか、全ての魔法使いの中でも、五指に入る程のお方です」

「……何でそんな人が、私らに交じって中学生なんかやってんの?」

「ふん、それは私が学校に通うお年頃だからだ」

刹那と和美の内緒話を聞きつけたエヴァンジェリンが、その有り様を誇るように言った。
だが、それを知らない和美は、「そ、そうなんだー……」、と苦笑いするしかない。

「後、オコジョ……!」

「げぇっ!?」

体を小さくして、必死に存在感を消そうとしていたカモは、エヴァンジェリンの呼び掛けにに悲鳴を上げた。
だが、エヴァンジェリンは、カモをしばらく睨みつけると、ふっとその唇を緩めた。

「貴様にも何か言ってやろうと思ったが、貴様は昨日、千雨にきついお灸をすえられたそうだから、私からは何も言わん」

「か、カモ君、何されたの……?」

恐る恐る尋ねるネギであったが、当のカモはあの夜体験した死の恐怖がぶり返し、頭を抱えてガタガタと震えるばかりである。それを見たネギ達は、

(千雨ちゃん(さん)だけは怒らせないようにしよう……)

と、心に誓った。
その時、その様に騒いでいるネギ達の元に、千雨がゆっくりとやって来た。

「どうした、エヴァンジェリン。そんなに神楽坂の手品が気に入らなかったのか?」

「手品ではないわっ!」

エヴァンジェリンはくわっ、と歯をむいて怒鳴った。

「こいつが今出したのは、アーティファクトと言ってな、【魔法使いの従者】に与えられる専用アイテムだ。これもある種の魔法。決してそこいらでポンポンと出していい代物ではないというのに……!」

エヴァンジェリンは怒りがぶり返してきたのか、再び明日菜をぎろりと睨んだ。明日菜はそんなエヴァンジェリンの視線に顔をひきつらせると、じりじりと後退して身を守った。

「……はぁ。まだこの世界に足を突っ込んで間もないお前達や、魔法が当たり前にある環境で育った坊やにはあまり実感がわかないかもしれんが、魔法を初めとした異能の力と言うのは、常にそれを持たざる者達から排斥される。過去に起こった魔女狩りなどがいい例だ。強い力と言うのは、ただそこにあるだけで、憧れと嫉妬、そして畏怖を呼び込むのだ」

エヴァンジェリンの言葉に、千雨は自身の力を改めて思う。
そう、この力があったから――。

「……エヴァンジェリンの言う通りだと思う」

気づけば、千雨はそう口に出していた。

「望む望まぬに関わらず、持ってしまった力のせいで、大切な人達に憎まれるのは、辛い」

千雨のその言葉に、ネギ達は。

「千雨さんがそう言うなら……」

「ごめんね千雨ちゃん。もうあたし、気軽にこんな事しないよ」

「すみませんでした、長谷川さん」

「ごめん、ちうちゃん」

「申し訳ありやせんでした、姐さん!」

「ご、ごめんなさい、千雨さん」

「お前ら、何で私の時とこうも態度が違うんだっ!!」

急にしおらしくなった一同に、エヴァンジェリンの怒りが飛ぶ。

その後、怒れるエヴァンジェリンを宥めるのに、ネギ達が大層苦労したのは言うまでもない。



ひとしきり暴れて落ち着いたエヴァンジェリンは、気持ちを切り替える様に咳払いをすると、刹那に尋ねた。

「それで刹那よ。今日、私達はどう行動するのだ?」

「え?」

「え?、ではない。私達の班の班長はお前だろう。今日の行動予定ぐらい決めているんだろう?」

エヴァンジェリンの問い掛けに、刹那の目は盛大に泳ぎ、額には冷汗がにじむ。
ハッキリ言って、全くのノープランだった。刹那の頭の中は、木乃香の事でいっぱいだったからである。

「え、エヴァンジェリンさん?そ、その事なんですが、今日は私、ネギ先生達と一緒に行動しようと思ってたので……」

「ほぅ……。故に何も考えていなかったと?」

エヴァンジェリンの目がすぅ、と細くなる。それだけで、刹那は顔を青くした。
だが、そんな刹那に、エヴァンジェリンは小さくため息を吐くと、少し唇を緩めて微笑んだ。

「ふっ……。まぁ、そんな事だろうと思ったよ。ならば、こちらはこちらで勝手に動くが、かまわんな?」

「あっ、はい。それは、勿論!」

エヴァンジェリンからのお許しをもらった刹那は、目に見えて明るい顔をした。

「ふむ。時に千雨よ。今日のお前らの行動予定は?」

「私達は京の町を散策しながら、シネマ村に向かうつもりだったが」

千雨はそう言いながら、同じ班である和美に視線を送る。それを受けた和美も、千雨の言葉を肯定して、頷いた。

「シネマ村か……。いいな」

にやりと笑ったエヴァンジェリンに、千雨は首を傾げ、和美は嫌な予感に冷や汗を一筋流した。



「まぁ、今日は6班と一緒に行動したいと?ええ、構いませんわよ」

千雨の頼みは雪広あやかのあっさりとした承諾によって受理され、自由行動はエヴァンジェリン達6班と一緒に動く事が決まった。

「世話になる、委員長」

「よろしくおねがいします、委員長さん」

「…………よろしく」

ザジが最後に頭を下げる。因みに、刹那は当然離脱済みである。

「それにしても、最近長谷川さんとエヴァンジェリンさん、よく一緒にいるけど、いつの間に仲良くなったの?」

バスでの移動中、村上夏美がそう訊ねてきた。それを受けたエヴァンジェリンは、甲斐甲斐しく茶々丸に世話をされながら答える。

「ふっ、こいつとは月夜を背景に殴り合った仲なのだ」

「あー、だから友情がって、何か古いよ!?しかもそれって夕日をバックにじゃないの!?」

エヴァンジェリンの言葉を冗談と捉えた夏美の突っ込みが飛んだ。実際は殴り合うどころか殺し合った仲なのだが、当然千雨は何も言わない。

「そろそろシネマ村に着くわね」

窓の景色を眺めていた那波千鶴が言う。つられて窓を見れば、確かにシネマ村の看板が見えた。

「ふふふ、楽しみだな。茶々丸、カメラの準備はできているか?」

「こちらに」

にやにやとしているエヴァンジェリンは、従者の答えに満足げに頷いた。

「……時代劇が好きなのか?」

浮足立っているエヴァンジェリンの様子に、千雨が聞いてみた。

「時代劇に限らず、私は日本の文化が好きなのだ」

「だから、マスターは茶道部にも所属しておられます」

「天ぷらも、寿司も、すき焼きも好きだし、富士山なんかも心そそられる。何時か登ってみたいな」

「な、なんというテンプレ的外国人……!」

横でそれを聞いていた和美がごくりと唾を飲み込んだ。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル、ベタであるが、並ではない。



「着替え?」

シネマ村についた一行が真っ先に向かったのが、時代劇の衣装を貸してくれる貸衣装の店であった。

「そう!折角ここまで来たんだし、がっちり決めとこうよ!」

首を傾げる千雨の背を、和美がぐいぐいと押す。そのまま店に入ると、6班と3班のメンバーが、それぞれ思い思いに衣装を選んでいる。

「こんな機会でもないとコスプレなんかできないし、普段と違う自分になってみるのもいいんじゃない?」

「普段と違う自分」

和美の言葉に、千雨は己の普段を思った。仮面を纏い、その度に違う存在に変わる自分。そうか、自分は――。

「私は、コスプレイヤーだったのか」

「い、いきなり何言ってんの?」

時折、常人とは斜め方向に突き進む千雨の発言に、和美は顔を引き攣らせた。
そんな風にしている間にも、皆の衣装は決まっていく。
花魁、貴婦人、村娘、侍、殿様など、まさに様々である。因みに、千雨は巫女の衣装を纏った。

「後はエヴァンジェリンさんと茶々丸さんだけですわね」

未だ閉まったままの更衣室と、そのそばに控える茶々丸を見て、花魁と化したあやかが言う。

「私はマスターの衣装に合わせて着替えたいと思います」

従者の鏡のような事を言い、茶々丸は一礼する。

「それにしてもずいぶん時間がかかるわね」

「エヴァンジェリンさん、結構早くに衣装を決めた筈なのにね」

貴婦人の千鶴が言えば、村娘の夏美も追従する。
と、その時。

「ふははは、待たせたな!」

高笑いと共に、更衣室からエヴァンジェリンの声が響いた。

「茶々丸、カーテンを開けよ!」

「はい、マスター」

主の言葉に従い、さっとカーテンを引いた茶々丸。そしてそこに現れたエヴァンジェリンを見た一同は、思わず「おォ~」とどよめいた。

「ぬふふ、どうだ、格好いいだろう?」

そう得意げに言うエヴァンジェリンは、なんと鎧武者の姿であった。兜から具足まできっちり揃った、隙のない出で立ちである。

「素敵です、マスター」

茶々丸はふんぞり返るエヴァンジェリンを褒め称えながら、連続でカメラのシャッターを切る。

「凄い格好だー!」

「あらあら、まぁまぁ」

「中々お似合いですわよ」

「よくそんな、しかもサイズが合うやつがあったねー」

「……イカす」

それぞれの感想に、エヴァンジェリンはますます得意げになる。

「ふふふふふ、そうだろう、そうだろう!ただ、これには一つ欠点があってな」

「「「欠点?」」」

首を傾げる一同に対しエヴァンジェリンは、

「重すぎてピクリとも体が動かん!ふははは、一体どうすればいいのだろうな!?」

どうやら、得意げになっていた訳ではなく、半ばやけくそ気味に笑っていただけのようであった。

「すみません、あいつを別の衣装に着替えさせてやってください」

そろそろ半泣きになりそうなエヴァンジェリンを救出すべく、千雨は手近な所にいた店員を呼んだ。



紆余曲折はあったものの、無事に着替えが終わった一同は、シネマ村を練り歩いていた。

「次はどこに行く?……ぷっ」

「そ、そろそろお昼ご飯でもいいと思うけど。……くふっ」

「あらあら、ふふふ」

「もう、皆さん、そんなに笑ってはエヴァンジェリンさんに失礼ですわよ!大丈夫ですわよ、エヴァンジェリンさん、よくお似合いですわ!」

「この場合、褒め言葉ではないぞ、委員長……」

ひたすら屈辱に耐えて、むっつりと押し黙っていたエヴァンジェリンは、絞り出すような声で言った。その周囲には、先程からガラガラという音で、煩い。

「爆笑」

殿様スタイルのザジがポツリと言うと、堪え切れなくなった、夏美と和美が同時に噴き出した。

「ぷふーっ!ご、ごめんねエバちゃん!で、でも、ふふ、よ、よく似合ってるよ!」

「そ、そうだね!ふはっ、な、何か可愛いし。あはは!」

「ええい、笑わば笑え!変に気を使われる方が余計腹立つわ!」

「マスター、立ち上がると危ないです」

茶々丸が冷静に主を宥める。
鎧武者を脱出した今のエヴァンジェリンの格好は、髪の一部がぴょこんと突き出るようにした髪止めを付け、絣の着物を纏っている。そして何より、その小さな体は、箱車に収まっており、それを押す茶々丸は黒い袴を纏い、腰には太刀を佩いている。

「子連れ○……」

その出で立ちを見た千雨が呟く。
その言葉通り、エヴァンジェリン主従は、揃って子連れ○のコスプレをしていた。体格の都合上、当然ながらエヴァンジェリンが大○郎。茶々丸が拝○刀である。

「くそぅ、あの鎧がもう少し軽かったら、こんな屈辱的な目にあわんでも済んだのに……」

「まぁ、プラ製でも、あれだけきっちり揃えれば、相当重かっただろうしねー」

ようやく笑いが収まった和美が、エヴァンジェリンを慰める。
その時、何を思ったのか、不意に茶々丸が叫んだ。

「エヴァ五郎ー!!」

「茶ーん!!って、何やらせとるんじゃ貴様はぁ!!」

思わず乗ってしまったエヴァンジェリンは、何故かとても満足げな己の従者を睨みつけた。
そして、そのやり取りのせいで、和美達(千雨以外)は再び爆笑の渦に捕われていた。



「お、あれは……」

落ち着いた一同は、今の状況にも慣れたエヴァンジェリンと共に、再びシネマの村を歩いていた。江戸の街並みを忠実に再現した街並みは、ただ歩いているだけでも物珍しく、エヴァンジェリンの機嫌もすぐに治ったのである。
そんな風にしていると、不意に和美が何かを見つけて立ち止まった。

「どうしましたの、朝倉さん?」

「いや、あそこに夕映っちとパルがいる」

「あ、ほんとだ」

和美が指さす方を見れば、何かを監視するかのようにこそこそと隠れている綾瀬夕映と早乙女ハルナの姿があった。

「何してるのかなー?」

「面白そうだし、ちょっと行ってみようよ」

和美の言葉に従い、一同がぞろぞろと二人に近づく。そして、何かに夢中になっている二人の背後から、ひょいと曲がり角の先を覗き見る。
するとそこには、着物姿の近衛木乃香と、男装の剣士に扮した桜崎刹那の姿があった。二人は随分と仲良さげに、シネマ村を楽しんでいる様子である。

「ただの仲の良い二人にしか見えませんが……」

「いや、これは間違いないよ」

そんな二人を見て、そう評している夕映とハルナに、不意を打つように和美が声を掛けた。

「ふっふっふ。確かにアヤしいね~、あの二人♡」

「わぁっ、朝倉にいいんちょ達!?」

当然驚いた二人は、びくりと体を震わせる。

「あんた達もシネマ村に来てたんだ。てか、何ガッチリ変装なんかしてんのよ」

「ここ来たらやんないとー。あんたもやんなよ」

そんな風に軽く言葉を交わす和美とハルナの横で、夕映が千雨に話しかけていた。

「は、長谷川さん!?こんな所で会えるなんて……!因みに、今少しお腹が空いてますね?」

「ああ。団子が食べたい」

「団子ですか……!くっ、そこまでは読めませんでした……!!」

「……いつも思ってたんだが、綾瀬夕映のあれは何なんだ?」

「ガイノイドであるこの身では、理解しかねます」

夕映の謎の行動は、人類の最先端を行くガイノイドでもわからない。
その様にじゃれていると、刹那たちの方で動きがあった。不意に走り込んできた馬車から下りた貴婦人――月詠が、衆人環視の元、堂々と刹那に挑戦状を叩きつけたのである。無論、木乃香の身柄を賭けて、である。
その折に放たれた殺気に、エヴァンジェリンは不快そうに眉根を寄せた。

「典型的な戦闘狂だな。あのような者を野放しにしておくとは、関西呪術協会は何をやっているんだ」

「如何いたしますか、マスター」

主の様子に、従者である茶々丸が訊ねる。ここでエヴァンジェリンが月詠を倒せと言えば、茶々丸は躊躇なくそれを実行に移そうとするだろう。
だが、エヴァンジェリンは静かに首を横に振った。

「他人の決闘に横槍を入れるほど野暮ではない。それに、このくらいの窮地を乗り越えられなければ、刹那はこれから先護衛としてやっていけんだろう」

エヴァンジェリンはそう言って、目を細めた。視界の先にはクラスメートに囲まれて、困った顔をしている刹那がいる。

「スパルタだな」

その輪に加わらず、エヴァンジェリンの近くにいた千雨が言う。

「本人の希望に沿っているだけだ。刹那とて、いつまでも誰かにおんぶに抱っこにいるつもりではあるまい。……む」

その時、エヴァンジェリンは、遠くから漂う匂いと音に気付いた。ねっとりと、纏わりつくような濃厚な血の匂い。それと、かちゃかちゃと何かがこすれるような音。どちらも、エヴァンジェリンにとって身近な物だ。それが、こちらに向かって近づいてくる。

「あの神鳴流の剣士の仲間か?それにしてもこの音は……」

遠くを見やっていたエヴァンジェリンは、にやりと笑うと立ち上がった。

「どうやら、何やら面白そうな者がこちらに近づいてきているようだ。少しばかり出かけてくる」

だが、千雨はエヴァンジェリンに応えない。その視線は全く別の方向に向けられていた。その視線を追ったエヴァンジェリンは、そこにきっちりとした学生服を着た、白い髪に白い顔をした、美少年が立っている事に気付いた。
その少年は、何を言うでもなく、ただじっと千雨を見つめている。そして不意にその視線を外すと、人ごみの中に紛れて消えた。

「どうやらそちらにも挑戦状が届いたようだな?」

「らしいな」

エヴァンジェリンの言葉に、千雨は小さく頷いた。

「どうするつもりだ?」

「放っておいてもいい事はない。排除する」

至極あっさりとそう言って、千雨は少年の後を追った。

「いつの間にやら、随分と行動的になったな」

初めて自分と相対して時とは、些か違った行動を取るようになった千雨に、エヴァンジェリンは感慨深げに言った。その変化は、決して悪い物ではないと思ったからだ。

「では、私も行くとしよう。茶々丸、あいつらのフォローを頼んだぞ」

「かしこまりました、マスター」

主の言葉に、機械仕掛けの従者が一礼を持って答える。

「良し、来い、チャチャゼロ!」

「アイサー、ゴ主人!」

ピン、と頭の髪止めを外したエヴァンジェリンは、持っていたバッグに入っていたチャチャゼロに呼び掛ける。それにすぐに応えたチャチャゼロはバッグから飛び出すと、エヴァンジェリンの肩に摑まる。
そしてそのまま、真祖の吸血姫と、その最古の従者は、京の空へと舞い上がった。
千雨、刹那、エヴァンジェリン――。三人のそれぞれの戦いが、シネマ村を舞台に幕を開けようとしていた。



【あとがき】
長らく更新を途絶えさせてしまい申し訳ありません。リアルの忙しさから、しばらく筆が進まなくなっておりました。
さて、次回からは決闘三連発。千雨達がそれぞれの敵と相対します。
それでは、また次回。



[32064] 第十七話「シネマ村大決戦その①~刹那VS月詠~」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/04/24 22:38
己の未熟は、伸びしろの証でもある。
最高ではなく最良を求めれば、人の進歩はきっと、留まる事はない。



指定された時間、指定された場所。
そこへ向かいながら、刹那は何故かついてきているクラスメート達に、内心頭を抱えていた。

(どうしてこうなった)

刹那は深いため息を突く。ここにいる皆は、何故か自分とお嬢様の仲を誤解しているのである。

(そもそも私はノーマルだ。いや、お嬢様がお美しく成長された事は確かだが。偶に見せる可愛らしい仕草にドキドキするのも事実だが)

誰かに聞かれれば誤解では済まない事を考えながら、刹那は歩く。その時、刹那の耳元で小さな声がした。

『刹那さん、刹那さん!』

「え?」

驚いた刹那がそちらを見ると、そこに小さな二等身サイズのネギと、その頭にしがみつく同サイズのカモがいた。

『大丈夫ですか、刹那さん!』

「ネギ先生!!どうやってここに!?」

『ちびせつなが急に消えてしまったので、その紙型と気を辿って……』

「ああ、何かあったのは確実と思ってな。で、一体何があったんだ、姐さん!」

「それは……」

刹那が口を開いた瞬間、その背後から嬉しそうな含み笑いが聞こえてきた。

「ふふふふふ♡ぎょーさん連れてきてくれはっておおきにー」

刹那が慌てて振り向くと、そこにはにこにこと(表面上は)柔らかい笑顔を見せる外法剣士、月詠の姿があった。

「……!」

『あ、あの人、あの夜の……!』

「さ、猿女の仲間!」

その姿を見たネギとカモが驚く。同時に、刹那の身に何が起こったのかを理解する。

「楽しくなりそうですなー♡ほな、始めましょうかー」

笑顔のまま、二刀を抜いた月詠の威圧感が増す。それを感じた刹那の肌が粟立つ。

「木乃香様も刹那センパイも、うちの物にして見せますえー♡」

名指しされた木乃香が、びくりと体を震わせて、刹那の背中にしがみつく。

「せ、せっちゃん、あの人、何か怖い……」

そう言って震える木乃香を振り返り、刹那は安心させるように微笑んだ。

「安心して下さい、木乃香お嬢様」

その頬笑みを見た木乃香は、思わず胸が高鳴った。

「何があっても、私がお嬢様をお守りいたします」

「せ、せっちゃん……」

刹那の力強くも優しい言葉に、木乃香は頬を緩めた。
その時、突如周囲からパラパラと拍手がしたかと思うと、それはすぐに歓声を帯びた万雷の物になった。

「えっ、なっ?」

慌てて周囲を見回した刹那は、いつの間にか、自分達の周囲に人だかりができていた事に気付いた。どうやら、シネマ村特有のイベントと思った客達が集まっていたようである。
そして、そんな観客達に交じって拍手をしていたクラスメート達が、感じ入った様に頷いた。

「桜咲さん、格好いいわねー」

「うんうん!うちの部に来てくんないかなー。男優役で」

「ええ!」

那波千鶴と村上夏美が、刹那を見て眼を輝かせた。因みに、夏美は演劇部に所属である。
そして、雪広あやかに至っては、感動のあまり泣いている。あやかは、刹那の手をがしりと掴むと、

「桜咲さん、お二人の愛!!感動いたしましたわ!力をお貸します!!」

「だから違うんですってば、いいんちょー!!」

刹那はどんどんと広がっていく誤解に、半泣きになった。そうこうしている内に、あやかはいつもの高笑いを上げつつ、月詠を挑発し始めた。

「ホホホホ、そちらの加勢はないのかしら?私達、桜咲さんのクラスメートがお相手いたしますわ!」

「ちょ、いいんちょさ……!」

慌てて刹那は前に出ると、月詠から皆を庇う位置に立つ。

「ツクヨミ、と言ったか、この人達は……!」

「心得ていますえ、センパイ♡」

みなまで言わせず、月詠は頷いた。そして、懐から紙の束を取り出す。

「この人達には、ウチの可愛いペットの相手をしてもらいますー」

そう言って、月詠は紙の束を空中に放り投げた。

「出でよ、百鬼夜行ー!」

その言葉と共に、紙の束――幾枚もの呪符からどろんと煙が上がり、無数の妖怪達が姿を現した。と、言っても、その大きさは大きい物でも人と変わららぬぐらいで、後の物は掌に乗りそうな者や、腕に抱えられる程度の、小さな可愛い外見の物ばかりであった。

「なっ……!」

「何、この可愛いのー!」

クラスメート達が、現れた妖怪達に驚く。周囲の観客達もCGだ何だと騒いでおり、誰もそこにいるのが『本物』だとは思っていない。
そうしていると、現れた妖怪達は月詠の命に従い、クラスメート達に襲いかかった。
何故か、スカートを捲りあげたり、胸元にしがみついたりと、セクハラめいた攻撃ばかりであったが。

「な、何このスケベ妖怪~!?」

悲鳴を上げるクラスメート達。にわかに騒がしくなったその場から木乃香を逃がすべく、刹那は未だに己の肩に摑まっていたネギを見やる。

「ネギ先生、木乃香お嬢様を連れて安全な所へ逃げて下さい!」

『え、でも……』

ネギは今の己状態を言おうとしたが、当然刹那そんなことは承知している。

「見かけだけでもネギ先生を等身大にします!」

そう言うなり印を組み、短く呪を唱えると、ネギの体はボンと煙に包まれ、忍者の格好をした元の等身になっていた。

「わー、僕、忍者の役ですかー!」

シネマ村に合わせたのか、忍者の衣装に変わっている己の服を見て、ネギが歓声を上げる。

「ネギ先生、お嬢様をお願いします!空は飛べないので、注意して下さい!」

「わかりました!木乃香さん、こっちへ!」

刹那の指示を受けたネギが、木乃香の手を引く。

「ひゃあ!ネ、ネギ君いつの間に!?びっくりしたー」

木乃香は、不意に現れたネギを見て驚いている。
その時、状況の推移を見ていた月詠は、頃合いや良しと思ったのか、刹那に向かって猛然と走って来た。刹那も、そちらに体を向けて、迎え撃つ態勢を取る。

「あっ、せっちゃん!」

呼ばう声はネギによって遠ざかり、ついに、刹那と月詠が激突する。

「にとーれんげきざんてつせーん!」

妙に間延びした声とは裏腹に、恐ろしいまでの威力が込められた二刀の連撃が刹那に襲い掛かる。刹那は、それを腰に差していた野太刀『夕凪』と、模造刀を使って受け止める。
だが、いくら気を込めたとはいえ、所詮は脆い作り物の刀は、一合打ち合っただけで粉々に砕け散り、刹那は夕凪一本で二刀を押さえ込まんとする。

「最近の神鳴流は妖怪を飼っているのか?」

未だ辺りに跋扈する小妖怪達を指して、刹那が険しい顔で月詠を睨む。

「ご心配なく。あのコ達に害はありませんえー」

激しい鍔迫り合いのさなかでも、月詠の柔らかな笑みに変化はない。ただ、その瞳は強者との戦いによる喜びで溢れていた。

「うちはただ、センパイとこうして戦っていたいだけですえ!」

「戦闘狂め!付き合わんぞ!」

「まぁまぁ、そう言わんとー♡」

激しい金属音と共に両者が一度距離を取る。そんな中で、刹那の内心は苦い物で満ちていた。

(やはり、強い!それに、あの二刀の間合いまで入り込まれれば、防戦一方になってしまう!)

刹那は、月詠の振るう二刀の間合いと、己の獲物の相性の悪さに苦しんでいた。
そもそも、なぜ刹那および他の神鳴流の剣士達が、長い野太刀を使っているのかと言えば、それは京都神鳴流が対妖用剣術である事に他ならない。
人間よりも遥かに強固な皮膚、強靭な生命力を持つ妖怪を倒す為に、少しでも威力のある武器を選択していった結果が、野太刀である。その長さから来る一撃の強力さは、確かに妖怪達には有効だが、これが技術のある人相手では勝手は随分と変わる。
野太刀を武器とする神鳴流は、その懐に大きな隙がある。かつて「サムライマスター」と称された近衛詠春などの達人ともなれば、それを補う術などいくらでもあるのだろうが、未だ十四歳、実質的な修業を始めてから、十年にも満たない半人前の刹那では、そこを何とかする事は難しい。
そして月詠は、その弱点を克服するのではなく、すっぱりと武器を変える事によって、その問題を解決してしまっている。月詠が外流と陰口を叩かれる理由がここにある。
対妖ではなく、対人を主とした月詠の神鳴流は、正に殺人剣のそれである。尤も、月詠自身はその批判自体も己の剣に対する評価と受け取っている節があるが。
そんな月詠に対抗するために、あの夜以降、刹那はずっと考えていた事がある。そして、それを実行に移す。

「えっ!?」

月詠は突如の刹那の行動に驚きの声を上げる。
刹那は戦闘中にも拘らず、夕凪を鞘に収めると、瞬動を駆使して月詠の剣の間合い、それよりも更に深い場所まで踏み込んで来たのである。

「はっ!」

拳による短い打ち込み。それは驚きによって懐の甘くなった月詠の腹部にもろに入った。

「がはっ!?」

驚きながら後退しようとする月詠だが、刹那はその距離を追って更に間合いを詰めていく。

「しゃぁっ!」

鋭い呼気と共に繰り出されたのは、側頭部を狙った蹴り。当たれば昏倒は免れない。

「くぅっ!」

月詠は自身もまた瞬動を使うと、刹那の無手の間合いから後方へ逃げ出す。その時、月詠は自身が間合いを離し過ぎた事に気付いた。そしてその間合いは、野太刀を振うには丁度いい距離である。
刹那は瞬時に腰の夕凪を抜刀すると、気を込めた一撃を月詠に放つ。

「神鳴流奥義、斬岩剣!!」

轟、と空気を切り裂いた一撃が月詠に襲い掛かる。

「うわっ!?」

咄嗟に月詠は気を十全に張った二刀でそれを受け止めるが、野太刀という武器の威力を余すところなく使用した刹那の一撃は、あまりにも重かった。
びきり、と嫌な音共に、二刀の刃が砕け散る。それでも尚止まらぬ一撃は、月詠の胸元を切り裂いた。
だが、刹那はそこで舌打ちする。

「浅い、か!」

二刀の防御によるものか、威力の弱まった一撃は、月詠に致命傷を与えるほどではなく、ごく軽い程度のものになってしまっていたのである。
胸元を抑えた月詠が、間合いをさらに離す。ここまで来れば、もう野太刀の間合いでもない。

「……いやいや、驚きましたえー。まさか、あえて組討でこちらに向かってくるとは」

予備の刀を取り出しながら、月詠は感服したように言う。

「己の間合いで勝負できない辛さは、お前との戦いで十分に学んだからな」

対する刹那は、強敵に一矢報いた事に対する油断を見せないまま、剣を構える。
組討とは、戦国時代において、手元にあらゆる武器がない場合において使用された、無手での格闘術の事である。時には、敵の大将の首を取る事もあったほどのそれは、近代においては柔術や空手などの無手の格闘術の源流とされている。この組討は、古い流派の剣術などには、未だ技の一つとして残っており、当然長い歴史を誇る京都神鳴流にもその技はある。
刹那もそれらは軽い修練程度であるが収めており、使う事ができる。月詠と戦うに当たって刹那が考えたのが、如何にして己の間合いを確保するかであった。そこで思い付いたのが、繋ぎとして使用する組討である。
月詠の間合いをよりも更に深い間合いにおいて繰り出される技ならば、月詠の意表をつけるのではと考え、これを実行に移したのだ。そしてその考えは、見事に当たる。
『剣を振うにあたり、剣を捨てる』。
後の無刀流に至る考えだが、これを実行に移せる剣士は少ない。剣士である事の誇り、そしてそれまで修錬してきた努力が、それを容易にはさせないのだ。
故に、今回における刹那の戦術は、月詠に通じたのである。剣士であるゆえ、剣を捨てる事はないという半ば共通となった考えの隙を突いたともいえる。

(ああ!)

月詠は自身の胸元から流れる血の暖かさと、それを為した目の前の少女を思い身震いする。

「センパイ……。刹那、センパァイ……」

月詠がとろんとした声で刹那を呼ぶ。その顔は淫靡に塗れ、先程までの清純そうな印象からガラリと印象を替えている。誰かが、その顔を見てごくりと唾を飲み込んだ。それほど、今の月詠の顔は『色』に満ちていた。
刹那は、月詠の突如の変貌に若干引きつつも、剣に込めた気を緩めない。

「はぁぁぁ……。やっぱり、うちの目に狂いはなかった……。きっと、刹那センパイやったら、うちを十分に満足させてくれると、思っとりました……」

まるで探し求めた恋人を前にしたかのような、熱い眼差しを刹那に贈る月詠。それを受けた刹那は、違う意味で背筋に怖気が走る。

(何で、最近の私はこの手の事に巻きこまれるんだ!?)

背後に散りそうになっている百合の花を蹴散らしつつ、刹那はぶんぶんと首を振った。

「さぁ、楽しみましょー、刹那センパァイ!」

「私は、ノーマルだぁぁぁぁっ!!」

刹那は心からの叫びを漏らしつつ、再び月詠と激突する。
因みに、それらのやり取りを見ていたクラスメート達は、

「あの眼鏡の方、近衛さん狙いかと思ってたのに、桜咲さんの方だったのねぇ」

あらあらと千鶴が微笑む。

「ど、どろどろ!どろどろの三角関係だよ!」

何故か興奮した夏美が目を輝かせている。

「…………」

あやかは、巨大な招き猫のような妖怪に潰されたままだ。

「美少女三人の百合百合な三角関係……。これは、イケる!!」

次のイベント向けの薄い本の内容が決まったハルナは、密かにガッツポーズを取っている。

「あ、あはは……、桜咲さん、がんばれー」

どうコメントしていいのかに困った和美は、適当な声援を飛ばしている。

「アホですか」

夕映は呆れたようにその場を眺めながら、『おたべサイダー』と言う京都限定の変なジュースを飲んでいる。

「…………はい」

そしてザジは、いつの間にか手懐けた妖怪達に芸をさせて、周囲の観客の目を楽しませていた。
いろんな意味で緊迫した剣士二人を余所に、周囲はいたってのんびりした物であった。



【あとがき】
シネマ村三大決戦の一弾目は、せっちゃん対月詠さんです。
刹那の対月詠戦術は当然オリジナルです。千雨やエヴァンジェリンなどの身近な所にいる強者の存在は、刹那をいい意味で成長させようとしています。そして百合百合な月詠(笑)。
次回は「シネマ村大決戦その②~エヴァンジェリンVS呪三郎~」です。
江戸の街並みを舞台に、二人の人形遣いが激突します。
それでは、また次回。



[32064] 第十八話「シネマ村大決戦その②~エヴァンジェリンVS呪三郎~」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/05/01 22:12
――私の全ては貴女のために。



ガシャリガシャリと音を立て、高速で屋根の上を疾走する影が三つ。
ひょろりと長い背丈の男を中心に、よく似た、否、同じ顔をした者が、二体。
『傀儡師』呪三郎と、彼の操る双子の人形、『安寿』と『厨子王』である。

「やれやれ、月詠ちゃんが護衛の子を引きつけてる間にお嬢様を掻っ攫えだなんて、衆人環視の真っただ中でやるには、強引すぎると思うけどねぇ」

呪三郎がそうぼやく。無論、彼の両脇を固める人形は、応える声を持たない。

「つまらないなぁ。どうせなら、フェイト君に代ってほしかったよ」

今頃、敵の中でも最大の不確定要素であるあの仮面の少女を誘き出しているであろう白の魔法使いの事を思い、呪三郎はますます唇を尖らせる。

「ま、いいか。肝心要のお嬢様を攫えば、後は楽しい関東魔法協会との戦争だ。君達も、さぞかし美しく彩られるんだろうねぇ」

ちらりと人形達に視線を送り、呪三郎は己の愛し児達が血に塗れながら踊る姿を思い、にやにやと厭らしい笑みを浮かべた。

「さてさて、それじゃあお嬢様はどこかな……っ!?」

周囲を見回そうとした呪三郎は、突如発生した何かに言葉を詰まらせた。
殺気でもない、敵意でもない。いうなれば、【存在感】。ただそこにあるだけで、決して無視できない気配。それがこちらに向かってくるのを、呪三郎は感じたのだ。

(護衛の剣士は月詠ちゃんが、仮面の娘はフェイト君が引きつけている。あの子供の先生とその従者もここにいる筈がない。何だ?誰だ?)

足を止め、その場で考えを巡らせる呪三郎。そうしている内に、彼女は呪三郎の前に降り立つ。
とん、と人間一人が高高度から降り立ったにしては、あまりに軽い音と共に姿を現した少女に、呪三郎は目を見張る。
風にたなびく金の髪。深い蒼の瞳。何者にも汚された事のないような、新雪を思わせる白い肌。着ている服こそみすぼらしい絣の着物だが、それでも彼女の美しさが損なわれる事は決してない。
肩に小柄な人形を留らせたまま、視線を上げたその少女は、呪三郎の姿を認めるなり、その小さな唇を不敵に釣り上げた。

「……軋む関節の音。擦れる糸の音。馴染み深く、聞きなれた音と思い来て見れば、案の定だったか」

「……君は……、君が……!?」

呪三郎の目が、ある種の確信めいた予感に輝く。そんな視線を受けながら、少女は悠然と名乗った。

「はじめまして、だな。私の名はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。通りすがりの――吸血鬼だ」

「【人形遣い《ドールマスター》】……!!」

呪三郎の口から、歓喜を伴ってその名が毀れる。

「ふふん、やはりその名で呼ぶか、ご同類。それにしても……」

エヴァンジェリンは呪三郎の傍らに立つ『安寿』と『厨子王』をじろじろと眺めた。

「ふむ、美しいな。少々血腥いが、良い人形だ」

呪三郎の二体の人形の持つ、妖しいまでの魅力。それを認めたエヴァンジェリンは、素直にそれらを称賛した。

「造形の匠としても知られる貴女に褒められるとは、光栄の極みだね」

エヴァンジェリンの言葉に、呪三郎は嬉しくなってしまった。たとえどのような相手であれ、己の芸術を理解してくれる存在は喜ばしい。

「ああ、こちらの自己紹介がまだだったね。僕は【傀儡師】呪三郎。この子達は僕の自慢の双子の兄弟、『安寿』と『厨子王』だ」

「呪三郎……。人形を使う酔狂な殺し屋と、どこかで聞いた事があるな。まぁ、私が言えた義理ではないが」

そう言って肩を竦めたエヴァンジェリンは、すぅ、と目を細めて呪三郎を見る。

「さて……、興味本位で訊ねたついでに聞くのだが、やはり狙いは近衛木乃香、でいいのか?」

エヴァンジェリンの問い掛けに、呪三郎は意外そうに眼を瞬かせた。

「……お仲間からは何も聞いてないのかい?」

「関西と関東のいざこざに興味などない。今回の一件、私はほとんど関わりは持っておらん」

その言葉を聞いた呪三郎は、しばし思案する。

(どうやらあの時フェイト君が言った通り、今回の修学旅行入りは本当に只の気紛れっぽいな。しかし……)

エヴァンジェリンと麻帆良の事情を知らない呪三郎はそう解釈した。そして、それならばそれで、困った。と、同時に思う。相手の行動が気紛れの産物ならば、これから先どう動くか読めなくなる。これも厄介だが、呪三郎が思うのは自分方の理由である。

(千載一遇のチャンスなんだがねぇ。もしここを逃せば、もう【人形遣い】と殺し合う機会なんてないかもしれない)

呪三郎にとって、今回の仕事のモチベーションの大半を占めるこの要因は、決して無視できるものではない。何とかそちらの方向へエヴァンジェリンを動かせないかと、呪三郎は口を開いた。

「まぁ、確かに僕が受けた依頼は、近衛木乃香の誘拐における遊撃要員として動く事さ。最初はつまらない依頼だと思ったけど、これがなかなかどうして、楽しいイベントが盛り沢山の様でね」

呪三郎はそう言って舐めるような視線をエヴァンジェリンに送る。その視線に露骨な嫌悪感を出しつつ、エヴァンジェリンは腕を組む。

「ふむ、やはりそうか……。先にも言ったが、関西と関東のいざこざに関わる気はない。が、その対象が近衛木乃香とあれば話は別だ」

エヴァンジェリンはぎろりと呪三郎を睨みつける。その瞳に宿る剣呑さに、呪三郎は内心で快哉を上げる。どうやら、自分の望むとおりの展開になりそうだ、と。

「近衛木乃香自身には特に思い入れはないのだが、あいつに関しては、何故か我が友が心を砕いているようなのでな」

エヴァンジェリンは、千雨本人が聞いたら静かに否定しそうなセリフを放ちつつ、にやりと笑う。

「悪いが、邪魔をさせてもらうぞ。【傀儡師】呪三郎」

そんなエヴァンジェリンの言葉に、呪三郎は滴る様な笑みを浮かべて嗤う。

「くくくっ……、くはははは……。くかかかかかかかかかかっ!!だいっかんっげいっさ!!【人形遣い】エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル!!!」

呪三郎は狂笑を上げながら、腕を大きく広げる。そこから走った極細の見えざる糸が、二体の人形に息吹を吹き込む。そんな主の意を受けて、『安寿』と『厨子王』が掌からじゃきりと刃を出し、エヴァンジェリンに向き直る。

「ふふ、折角の同類の戦いだ。余芸に走るのも無粋だな……。チャチャゼロ」

「オ?出番カヨ、ゴ主人?」

エヴァンジェリンの呼び掛けに応え、今まで黙って肩の上にいたチャチャゼロが小首を傾げながら主を見やる。

「相手ハ人形カヨ。血モ出ネェシ痛ガリモシネェカラ、斬ッテモツマンナサソウダケドナ」

「何、これからが面白いところだ。喜べ、チャチャゼロ。久しぶりに、使ってやる」

その言葉を聞いた瞬間、チャチャゼロの顔が目に見えるほどぱぁっと輝いた。

「オホッ!?マジカヨ、ゴ主人!俺ヲ直接使ウナンテ、何百年ブリダヨ!?」

「純粋に人形繰りとして使うのは、大体二百年ぶりぐらいか。さて、腕が錆びついてなければいいが」

「下手ニ動カシテ、俺ノ手足ヲブッタ切ラナイデクレヨ?」

「ぬかせ。……やるぞ、チャチャゼロ。全て預けろ」

「オウヨ!」

エヴァンジェリンの肩から飛び降りたチャチャゼロは、降り立った瞬間、かくりと力を失ったかの様に、その場に崩れ落ちた。
直後、エヴァンジェリンが五指を大きく広げる。すると、力を失っていたチャチャゼロの体が立ちあがり、腰から引き抜いたナイフをその小さな両手に構えた。
その様子を見ていた呪三郎が歓喜に震える。純粋な人形繰りのみで、エヴァンジェリンは自分の相手をしようとしているのである。自分がエヴァンジェリンを超えるにあたり、これほど素晴らしい状況は他にない。

「くかかかかか!後進の技の冴えをお見せするよ!【人形遣い《ドールマスター》】!」

「ならばこちらは、先達の技の極みを見せてやろう、【傀儡師】!」

その舌戦を皮切りに、エヴァンジェリンの駆る『チャチャゼロ』と、呪三郎の操る『安寿』、『厨子王』が、江戸の街並みを背景に激突した。



時折響く金属音。それを不審に思う人はいれど、辺りを見回しても何もない。やがて、気のせいかと思い、再びひと時の過去旅行を楽しみ始める。
その陰で、二人の人形使いが使役する三体の人形が、刃を交わし、火花を散らす。

甲高い金属音と共に、『チャチャゼロ』と『厨子王』の刃が打ち合わされる。ぎりぎりと鍔迫り合いをする二体の背後から、『安寿』が躍りかかる。その口ががばりと裂け、そこから覗いた砲口から鉄針の群れが発射される。それが『チャチャゼロ』の体を砕く直前、『チャチャゼロ』は打ち合う刃を中心に体を一気に引き起こした。小さな体が真上を向き、結果、目標を見失った針の群れは『厨子王』の体に突き刺さる。
それに戸惑うような様子で一瞬動きが止まった『安寿』に、今度はチャチャゼロが襲い掛かる。
連続で繰り出されるナイフを掌に仕込んだ刃で受け止めていく『安寿』だが、『チャチャゼロ』の猛攻はその防御の上をいく。一瞬の隙を突いたナイフの一閃が、『安寿』の体を袈裟がけに切り裂く。
刹那の繰り出した神鳴流の技を持ってしてもかすり傷程度しか負わせる事が出来なかった『安寿』の装甲に、幾つもの傷が入る。
それを見た呪三郎の顔が驚愕に強張る。

(人形に剣技を使わせる、だと……!?)

『チャチャゼロ』のナイフは、ただ闇雲に振られている訳ではない。その一閃一閃に、人が振うそれと同様の、技が使われているのである。加えるならば、そこに気や身体強化系の魔力の流れはない。ただ納めた技のみで、『チャチャゼロ』は戦う。それが、どれほど難しい事なのか、同じ人形使いとして呪三郎は痛いほど理解した。

(まさかこれほど差があるとは……!)

呪三郎は、傷ついていく愛し児達の姿に歯噛みする。両者の差は、それぞれの人形を見れば明らかであった。
傷だらけの『安寿』と『厨子王』とは対照的に、『チャチャゼロ』にはかすり傷一つもない。もうひとつ言えば、両者の差は、それぞれが操る人形からしてすでにハンデが付いていた。
ギミック満載の『安寿』、『厨子王』と違い、『チャチャゼロ』はそれだけ見るならば、木製の簡素な人形である。それでも尚、双方の損壊具合が明らかなのは、偏に操者の腕によるものであった。

「……驚いたよ。まさか、これほど技量の差が明らかなんて」

冷や汗を流しながら、引き攣った様な笑みを浮かべる呪三郎。

「いや、誇ってもいいぞ?どれ程の物かは知らんが、長くても数十年程度の研鑽で、私に食らいついてくるのだから」

それとは対照的に、エヴァンジェリンは涼しい顔である。
エヴァンジェリンの技の研鑽は、それこそ数百年にも及ぶ。人形繰りがある種の芸能の一種であるならば、無論修練が長い方に結果が傾くのは必然である。
だが、とエヴァンジェリンは思う。

(段々と、動きが良くなっている)

戦う最中、呪三郎の駆る人形の動きは、徐々にと鋭く、滑らかになっていた。呪三郎が意識しているかは分からないが、明らかにこちらの技術を見て覚えている。常人ならば何年も掛けないと到達できない領域を、呪三郎はエヴァンジェリンと言う達人と接する事により、凄まじい早さで駆けあがって来ているのである。

(どこにでも、『天才』と呼ばれる者はいるのだな)

エヴァンジェリンは、内心で呪三郎の才に舌を巻く。それは、達人の域に到達するまでに、百年単位の時間をかけなければならなかった、凡夫である自分には縁のない物である。

「……人形達は傷だらけだが、どうする?」

「ならば尚の事さ。この子達の借りを返さぬまま、退く訳にはいかないよ」

冷や汗を拭い、呪三郎はにたりと笑う。そして呪三郎の手により、再び二体の殺戮人形が襲い掛かる。それを受け、エヴァンジェリンもまた、『チャチャゼロ』を繰る。
その様に繰り広げられる戦いを、間近で見つめる者がいた。
エヴァンジェリン操る『チャチャゼロ』の中にある、チャチャゼロ自身であった。

(ヤッパ俺ノ体ヲ操ルノハ、ゴ主人ガ一番上手ェナ)

文字通り目の前で振るわれる己の主の技を見て、チャチャゼロは物思いに耽る。
それは、自分がただの人形から『チャチャゼロ』に至るまでの事であった。



エヴァンジェリンが人形繰りの技を得たのは、彼女が吸血鬼と化してから、およそ百年後の後の事である。
この頃に魔導の技をほぼ極めたエヴァンジェリンが求めたのは、己を守護してくれる従者の存在であった。エヴァンジェリンをつけ狙う教会の騎士や賞金稼ぎの攻勢は、日々苛烈さを増し、魔法使いとして大成したエヴァンジェリンを持ってしても危うい物であったのだ。
だが、真祖の吸血鬼の従者になりたいと望む者などいなかった。よしんばいたとしても、それはエヴァンジェリンに取り入ろうとする者や、吸血鬼化による不老不死と言う幻想に取りつかれた、碌でもない者達ばかりであった。
そのように報われぬ日々を送っていたある時、エヴァンジェリンはロンドンの片隅で一人の老いた人形使いに出会った。
その技を目の当たりにした時、エヴァンジェリンはこれだ、と思った。人より早く動き、人より強靭な力を振い、尚且つ老いず、終生を共にしてくれるかもしれない人形達。それこそ、自分の従者に相応しいと、エヴァンジェリンはそう思った(実際は、一向に見つからぬ従者候補を探すのに疲れていたという事もあった)。
エヴァンジェリンはすぐにその人形使いに弟子入りを志願し、これを受け入れられると猛然と修練に励んだ。だが、エヴァンジェリンの人形使いの才は並みであり、相当の月日を掛けねば達人と呼ばれる域に行く事は出来ぬだろうと師に言われた。
しばし落ち込んだエヴァンジェリンだが、時間だけならば人よりも遥かにあると、開き直って修練に精を出していた。
そんなある日、エヴァンジェリンが吸血鬼である事が師にばれてしまった。どうなる事かと思ったエヴァンジェリンだが、師である人形使いはその事を寧ろ喜んだ。

『連綿と受け継がれてきた人形繰りの技だが、俺の代で絶えるかと思った。後を任すにゃ、お前はちぃと頼りなかったしな』

そう言ってからからと笑う師に、エヴァンジェリンが落ち込んだのは言うまでもない。だが、次いで師は言った。

『だけどよ、実は吸血鬼だったお前がこの技を習得してくれりゃ、俺達の技も、歴史も、魂も絶える事はねぇ。ありがてぇこった』

吸血鬼となって初めて人に感謝されたエヴァンジェリンだが、なんだか釈然とせずに首を捻ったものである。
以降、その人形使いは持てる技術の全てをエヴァンジェリンに叩き込み始めた。
人形繰りは勿論のこと、人形の作り方や鋼糸を使った戦闘技法など、それらの技術は多岐に渡った。その修練は過酷を極めたが、エヴァンジェリンは不思議とそれらが嫌ではなかった。長く忘れていた人との触れ合いが、そこにあったからなのかもしれない。
やがて、師である人形使いが土に返っても、エヴァンジェリンは一人で修練を続け、半世紀の後、ついにこれを完全にマスターする事に成功したのである。
エヴァンジェリンの二つ名に【人形遣い《ドールマスター》】の名が加わったのは、丁度この頃である。
チャチャゼロは、そんな時代にエヴァンジェリンに造り出された人形の内の一体であった。
無論、当時は名等なく、エヴァンジェリンの盾となって戦う意思無き人形の一つにすぎなかった。
同時期に造りだされた同胞達は次々と戦いの最中打ち壊され、新しい人形達も、当初の簡素な物ではなく、応用が利くようになったエヴァンジェリンの手によって、高性能な物ばかりとなっていった。
それでも、何故かチャチャゼロは壊れず、せいぜい腕や足がもげる程度の損壊で、いつも戦場から帰って来た。その不思議な偶然に首を傾げつつも、今や自分と最も古い付き合いとなった名もなき人形に、エヴァンジェリンはいつしか愛情を注ぐようになっていた。
そんなある日、いつも以上に激しい教会騎士達の攻勢に、賞金稼ぎ達の強襲が加わり、エヴァンジェリンはそれまでで最大の危機に陥った。人形達はあらかた壊され、残るのは数体の人形のみ。そして、遂に人形達の防衛網が破られ、一人の騎士がエヴァンジェリンに迫った。
最早これまで、と覚悟をしたエヴァンジェリンの前で、そんな時まで傍らにいた名も無き人形は目覚めた。
突如勝手に動き出し、迫っていた騎士を切り殺したその人形は、唖然とするエヴァンジェリンにたどたどしく訊ねた。

「ツ、次ハ、ダダ、誰ヲ、殺シ、マス、カ?ゴ、ゴ主人、サマ?」

真祖の吸血鬼の膨大な魔力と妖気。そして浴びた血と怨嗟の声が、冷たい人形の体に命を吹き込んだのである。
九十九神。東洋では、そう呼ばれる現象であった。それでも、その過程が通常よりも遥かに短かったのは、エヴァンジェリンの魔力や、浴びた血と恨みが尋常の物ではなかったが故であろう。
自立した意思を持った人形の手を借り、その窮地を何とか脱したエヴァンジェリンは、ことのほか、かの存在を喜んだ。
己と終生を共にできる、初めての存在。こうして、名もなき人形は、『チャチャゼロ』の名と共に、エヴァンジェリンの最古の従者となったのである。
自立行動が可能になったといっても、チャチャゼロはエヴァンジェリンに操られる事を何時も望んだ。チャチャゼロにとって、己の戦闘技巧の全ては、操っていたエヴァンジェリンから吸収した物ばかりである。つまり、チャチャゼロにとって、エヴァンジェリンは生みの親であり、主であり、そして戦いの師でもあるのだ。
その師の戦いを己の体を通して目の当たりにする事は、チャチャゼロ自身にとっても大きな経験になる。
何よりエヴァンジェリンに操られる時、チャチャゼロは得も言われぬ充足感に満たされる。或いはそれは、母に抱かれているような気分なのかもしれない。

(今ジャ末ノ妹ミタイナ奴バッカリダカラ、アンマ動カシテモラエネーケド)

目の前で自身の体に刃が迫ろうとも、チャチャゼロは焦る事など決してない。己以上に己を上手く動かせる主が、この体を操っているのだから。



幾合、刃を交わしただろうか。呪三郎の人形の損壊は激しく、『安寿』に至っては腕が一本もげている。
それでも、呪三郎は引く事はしない。自身でも感じているのだ。その一合一合で、己の人形繰りの腕が高まっているのを。
何処までいけるのか、何処まで極める事が出来るのか。
呪三郎は、いつしか血に酔う事も、【人形遣い】の称号の事も忘れ、ただただ人形を操る喜びを思い出し始めていた。
その時、突如シネマ村全体にあり得ないほどの魔力の波が広がり、二人の戦いは中断せざるを得なくなった。

「!?なんだ!?」

その発生原因を求め周囲を見回すエヴァンジェリンの前で、呪三郎に呪符を介した念話が届く。

《退くで、呪三郎!》

はたしてそれは、己の雇い主である天ヶ崎千草であった。

《……かなり面白くなっていた所なんだがねぇ。さっきの魔力が原因かい?》

《そうや。あれがお嬢様の秘めた力や……!素晴らしい、予想以上や……!!》

興奮のためか、千草の声は上ずっている。

《確保しなくていいのかい?》

《人が集まりすぎ取る。それに、お嬢様が力に目覚めた以上、下手に抵抗されたら余計な面倒を被りそうや。連中はどうやら本山に引っ込む気ぃらしいから、そこに賭けるで》

《ふぅん……。ま、いいよ、了解》

そう内心で呟き、念話を閉じた呪三郎は、未だあちこちを見回すエヴァンジェリンの隙をつき、懐にあった転移の符を発動させる。その魔力の発動に気付いたエヴァンジェリンが慌てて呪三郎の方を見ると、呪三郎と二体の人形は、すでに淡い光の中に溶けかけていた。

「今日は実に有意義な時間だったよ、【人形遣い《ドールマスター》】。次はこんな無様は曝さないよ?」

そう嗤って、呪三郎はその場から姿を消した。

「……逃がしたか」

エヴァンジェリンの顔に苦い物が浮かぶ。次に会う時は、呪三郎の言葉通り、今日のようにはいかないだろう。それほどまでに、呪三郎の上達速度は異常だった。

「正に人形を繰る為に生まれてきたような奴だったな」

「羨マシイノカ、ゴ主人?」

いつの間にか再び自立していたチャチャゼロが、体の調子を確かめる様に動きながら訊ねた。

「まさか。奴は奴。私は私だ。修練に修練を重ねたあの日々は中々に辛かったが、それでもそれを通して今の私がある。……それより、先の魔力が気にかかる。大体の見当はつくが、一度行ってみるぞ、チャチャゼロ」

「アイサー、ゴ主人」

チャチャゼロはぴょこんとジャンプすると、再びエヴァンジェリンの肩に摑まる。
そして屋根から屋根に飛び移り現場に向かう最中、エヴァンジェリンは訊ねた。

「……体の具合はどうだ?」

「オオ、大丈夫ダゼ。チィト関節ガ軋ンデル気ガスルケド」

「そうか。宿に帰ったら、一度ばらしてメンテしてやろう」

「イツモスマナイネェ」

「それは言わない約束よ……って、お前と私の場合、セリフの立場が逆だろうが!」

確かに、生みの親であるエヴァンジェリンが娘役のセリフでは、逆であった。

「ナンデェ、ジャア、「ママン」トデモ呼ンデヤロウカ?」

「はっ、お前のような口汚い娘はいらん」

「俺モゴ主人ミテェナツルペッタンノ鰻腹ノ母親ハイラネェナ」

「くきぃぃぃぃっ!! ゆ、言うてはならん事をぉぉぉぉっ!!」

「ウオッ!? ユ、揺ラスナヨ、ゴ主人!?」

そんな風にじゃれているのか喧嘩しているのかわからない様子で、エヴァンジェリン主従はシネマ村を駆けて行った。



【あとがき】
エヴァンジェリン完勝です。経験の差がもろに勝敗を左右しました。ただ、次に戦う事があれば、こうは簡単にいきません。天才、呪三郎のリベンジにご期待下さい(笑)。
そしてシネマ村三番目の決闘を飾るのは、長谷川千雨VSフェイト・アーウェルンクス。
その実力は魔法世界を含めても最強クラスの魔法使いと、未だ実力の底を見せない仮面使いが激突します。
それでは、また次回。



[32064] 第十九話「シネマ村大決戦その③~千雨VSフェイト~」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/05/06 00:35
人形として望まれた少年。
凍りついた心を仮面で隠した少女。
互いに湛えた、無情の視線は交差する。
それぞれが見えない、その心の在りかを知る術は、今はない。



白面の少年に誘われ、その後ろをついて行く千雨。進んで行く内に、不思議な事にあれほどいた人ゴミが徐々に減り、気がつけば、そこには少年と千雨以外の人影は、誰もいなくなっていた。
シネマ村には有り触れた、長屋の並ぶ通りの一つ。本来ならば、ここにも観光客がいる筈なのだが、今は住人役の役者の姿すらもない。

「東洋の魔法は、人の心理を操作するという点では、西洋の魔法使いよりも優れていると僕は思っている」

ピタリと足を止めた少年は、振り返るなりそう言った。その指先には、一枚の紙切れが挟まっている。

「人払いの符、と言うらしいね。結界で強制的に相手を押し出すのではなく、人の心理内に『ここに近寄りたくない』、『居たくない』と言う忌避感を発生させる効果がある」

ひらひらとその呪符を揺らしながら、少年は続ける。

「この符がこの区画の四方に張ってある。その中心であるこの場所には、何が起ころうとも誰も入ってこない」

「……やり合うには、うってつけと言う事か」

千雨がそう言うと、少年は軽く肩をすくめた。

「随分と物騒な事を言うね。誰にも邪魔される事なく、秘密の会話をすると言う発想はないのかい?」

「生憎、出会う魔法使いの大半が、すぐに魔法をぶっ放す物騒な奴らばかりだったんでな」

千雨は、金髪ロリ吸血鬼や、赤髪ショタ教師の姿を脳裏に思い浮かべた。

「出会いの不幸、と言う奴だね。……まぁもっとも、話し合うつもりなんかなかったけど」

少年の体から、ゆらりと殺気が立ち上る。

「僕の名はフェイト・アーウェルンクス。敵陣営において、『闇の福音』に次ぐイレギュラーである君の力を確かめに来た」

千雨は、すっ、と懐に手を伸ばした。

「長谷川千雨。関東と関西のいざこざに関わるつもりは、ないんだけどな」

「ふむ。だが君は、コノエコノカが誘拐されるのを、黙って見ているつもりもないのだろう?」

「知り合いだからな」

「ならば、君は僕達の『敵』だよ」

言うなり、少年――フェイトの姿が掻き消える。直後、その姿は千雨の懐にあった。フェイトの拳が、千雨の細い体に突き刺さる。
かと思われた瞬間、フェイトの拳は虚しく空を切った。瞠目するフェイトだが、その瞬間、千雨の姿がフェイトの真横に出現する。鉤状に曲げられた掌がフェイト目掛けて振り下ろされる。その一閃を危うい所で交わしたフェイトは、千雨から目を放さぬまま、距離を取ろうと後ろに向けて瞬動を発動させる。
そのフェイトの視界で、千雨の体が伸び上がった。否、それはあまりの速さゆえ、残像が尾を引き、体が伸びたように見えているのである。
避けられぬ一撃を予感したフェイトは、咄嗟に両腕を交差して防御固める。はたして振り下ろされる一撃が、轟音と共にフェイトの体を弾き飛ばした。吹っ飛んだフェイトは、長屋の一部を砕いてその中に埋没する。

「……?」

だが、その攻撃を加えた千雨は、手に伝わった感触に眉を顰める。そんな千雨の目の前で、瓦礫を体から振り落としながら、フェイトが立ち上がる。

「……成程、それが君の力か。長谷川千雨」

感情を写さぬフェイトの視線が、今の千雨の姿を捕える。
千雨の顔には、獣を模した一枚の仮面が嵌っていた。

『ジャガーの仮面』

くぐもった声で、千雨が告げる。

『アステカの太陽神の一人、テスカトリポカを奉じた戦士団が身に付けた仮面。彼等は、奉じた神の化身であるジャガーの装飾品を纏う事により、ジャガーの力を得る事が出来ると信じていた』

「ジャガーの力、か」

その力を目の当たりにしたフェイトは、目の前の少女の言葉がはったりではない事を身をもって知った。フェイトは、自身の動きが常人のそれを遥かに超えた物である事を知っている。それを、こうもあっさりと上を行かれた以上、認めるしかない。
一方の千雨も、フェイト・アーウェルンクスを名乗るこの少年が、尋常な存在でない事を知った。
今千雨が振った一撃は、通常ならば吹き飛ぶどころか、少年の体を袈裟掛けに両断していてもおかしくはない威力を込めていた。だが、千雨の攻撃はフェイトの周囲に展開されていた、幾重にも連なった不可視の壁のような物に遮られたのである。

(魔力障壁……)

千雨は、エヴァンジェリンと戦った時にもぶつかった、高位の魔法使いが張る魔法の障壁の存在を思い出した。だが、フェイトの張っているそれは、エヴァンジェリンの物よりも硬く、分厚い。

(厄介、だな)

まともな手段では、フェイトに傷一つつける事は出来ないだろうと思った千雨は、少しため息をついた。

「どうやら、無手での攻防では勝ち目がないらしい。だからここからは、魔法使いらしく戦わせてもらおう」

そう宣言すると同時に、フェイトは詠唱を開始する。

「『ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト』……」

始動キーたる文言が紡がれ、フェイトの体から魔力が溢れ出す。

「『石の槍《ドリュ・ペトラス》』」

詠唱の終わりと同時に、フェイトの足元から鋭い先端を持った石柱が千雨目掛けて伸びた。千雨は、『ジャガーの仮面』によって強化された身体能力を持って、それが突き刺さる直前、地を蹴って石柱の群れを回避する。すると、空中に身を投げ出した千雨に向かって、フェイトは伸ばした指を突きつける。

「『ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト。小さき王、八つ足の蜥蜴、邪眼の主よ。その光、我が手に宿し、災いなる眼差しで射よ。【石化の邪眼《カコン・オンマ・ペトローセオース》】』」

次の瞬間、フェイトの指先から光線が走る。それを身を捻る事で何とか躱した千雨だが、巫女服の一部を光線が掠める。すると、光線が当たった所から、服がどんどんと灰色になっていく。物体の躍動感そのままに固まっていくそれは、「石化」という現象である。
千雨は、石と化していく服の一部を千切り取り、それ以上の浸食を防いだ。切り離された服の一部は、完全に石化した後砕け散る。

「随分と恐ろしい魔法を使う」

危なげなく着地した千雨は、言葉とは裏腹に、恐怖など微塵も見せぬ様子で呟く。

「まぁ、真っ当な魔法使いではない自覚はあるよ。それに心配しなくても、ずっと石になったまま、と言う訳じゃない。僕達が目的を終えるまで、大人しくしていてもらうだけさ」

その呟きを聞きつけたフェイトの言葉を、千雨は静かに拒絶する。

「ご免被る」

「ならば、少々痛い目にあってもらう」

再び開始される詠唱。そして突き出す無数の石の槍が、再度千雨に襲い掛かった。その瞬間、千雨は懐に手を伸ばす。
先程同様、宙に逃れて石の穂先を交わす千雨だが、次に起こった結果は、先程とは異なっていた。

「!」

それを目にしたフェイトの目が驚きでわずかに見開かれた。
千雨は宙に飛び出すと同時に、その場、すなわち空中に留まっていたのである。その顔には、先の物とは別の仮面が嵌められている。

『鷲の仮面』

空に浮かんだままの千雨が言う。

『アステカの太陽神の一人、ウィツィロポチトリを奉じた戦士団が身に付けた仮面。彼の者達もまた、自身が奉じた神の化身を纏う事で、その力が得られると信じていた』

千雨の体は重力の頸木を離れ、宙を翔ける。その体は徐々に高度を上げ、遂にはフェイトから見て豆粒ほどの大きさになった。千雨の行動を訝しげに思っていたフェイトだが、次の瞬間、その体を翻した。
直後、高々度から一気に飛来した千雨が、フェイトの体を掠めるように飛んだ。危うく千雨の突撃を躱したフェイトだが、遅れて走った衝撃波に体を吹き飛ばされた。
魔法や、その他の物理攻撃ではないため、フェイトの強固な障壁でも防げないそれは、容赦なくフェイトの体を傷つけた。

「ぐぅっ!」

思わず、小さな呻き声を上げるフェイト。地を転がる少年に向け、大鳥と化した千雨が再び突撃する。

「『ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト。おお、地の底に眠る死者の宮殿よ。我等の下に姿を現せ。【冥府の石柱《ホ・モノリートス・キオーン・トゥ・ハイドゥ》】』」

紡がれたフェイトの魔法が、虚空から巨大な石柱を幾本も出現させる。

「行け」

フェイトの声と共に、大石柱が千雨目掛けて飛ぶ。これ程の質量の物とぶつかれば、どんな存在であれ、ただでは済まない。

くおぉぉぉぉおぉおぉぉおおぉおおおおぉ!

化鳥の如く長く鳴いた千雨は、迫る石柱を避ける事なく、僅かに空いた隙間を縫って飛び、フェイトに襲い掛かる。
だが、石柱をすり抜けた先に待っていたのは、鋭い先端をこちらに向ける、石の槍の群れであった。

「君ならば、向かってくると思ったよ」

千雨の行動を予測したフェイトが、一歩煎じて魔法を発動させたのである。そして、少年の指先には、先程と同じ、石化の魔光が灯っている。石の穂先を避ける千雨を、今度こそ石化させるためだ。
だが、千雨の行動はフェイトの予測を超える。千雨は、石の槍を避けるどころか、更に速度を上げて、石の槍目掛けて飛んだ。
何かが砕ける音が連続して響く中、千雨の衣装はズタズタになり、珠のように美しい肌は無数の傷で覆われていく。それでもなお、強引に石の槍を突き抜けた千雨は、驚きに固まるフェイトの障壁をも砕き、その細い肩を握り潰さんばかりに掴んだ。
そしてフェイトを掴んだまま、長屋の一部に己ごと突っ込む。

「ぐはっ!」

肺の空気をぶち撒けながら、息を詰まらせるフェイト。接近を許した事は失態だが、同時に、先程まで手の届かぬ位置にいた敵が目の前にいるのは好機でもある。
フェイトは素早く呪文を唱えようと顔を上げるが、その顔が強張る。
息が届くほどの至近距離にいる千雨の仮面が、いつの間にか別の物に代っていた。
ぎょろりと剥かれた目と、だらりと垂れ下がった舌を持つ、頭に無数の蛇を冠の如く頂いた異形の仮面に。

『お前が石になった事はあるか、フェイト・アーウェルンクス?』

くぐもった問い掛けと同時に、仮面の双眸から、かっ、と光が迸った。咄嗟にその光を手で遮ったフェイトだが、次の瞬間、心の底から驚愕した。

「っ何!?」

光を浴びた手が、指先から石に代わっていく。あたかも自身が使う石化魔法のように。

「くっ!」

フェイトは、渾身の力を振り絞り千雨を跳ね飛ばすと、そのまま大きく距離を取る。しかし、その間にも石化は進み、既に二の腕の近くまでが石になっていた。

『スリランカのナーガ・ラクシャの仮面は、頭上に蛇を抱くゆえ、西洋においては“メデューサの仮面”とも呼ばれた』

異形の仮面を被ったまま、千雨は静かにフェイトを見つめる。
じわじわと石になっていく腕に対し、フェイトは先の千雨を同じ行動を取った。石になった部分を切除し、それ以上の石化の進行を抑える方法。
即ち、フェイトは、己の右腕を残った左手の手刀を持って、切り落としたのである。
だが、切り落とした腕からは、一滴たりとも血は流れなかった。

「……人間ではないのか」

「人間だと言った覚えもないね。だが、それはこちらのセリフでもあるよ、長谷川千雨」

腕を切り落とした痛痒等塵程も見せずに、フェイトは千雨を見つめ返す。

「魔法も使わず、魔法以上の奇跡を起こす存在……。君は一体、何者だい?」

千雨は、フェイトの問い掛けに対し、しばしの沈黙の後、

「――『化け物』さ、私は」

そう、答えた。
仮面で覆われたその表情は判らないが、少なくとも声の調子には、相も変わらず何の情動も感じられない。だがフェイトは、その言葉に何故か自重気味の何かを感じた。
その時。

「「!!」」

千雨とフェイトは、ほぼ同時に感じた膨大な力のうねりに、思わずその方向へ目を向けていた。

「魔力の流れ、か?」

少し前の夜、エヴァンジェリンから感じた暴虐の如き力によく似た、それでも穏やかなその力の正体に、千雨は呟きを漏らす。

「成程、これがコノエコノカの力、か。千草さんが躍起になるのもよくわかる」

感心したように頷いたフェイトの脳裏に、当の天ヶ崎千草からの念話が届いた。

《新入り、聞こえとるか!?》

《ああ、聞こえているよ。これがコノエコノカの力かい?》

《そうや、うちの夢を、うちの宿願を果たす為になくてはならない力や……!》

上ずった声を上げる千草に、冷静なフェイトの思念が飛ぶ。

《確保は?》

《今は無理やな。連中は本山に行くつもりや。お城に入って油断しとる所を狙わせてもらう》

《そう言う事なら、僕に任せて貰いたい》

《ほぉ、大層な自信やないか。なら、あんたに任せる。所で、例の仮面使いはどうなった?》

《残念ながら健在。予想以上だね、彼女は》

フェイトの言葉に、千草は舌打ちする。

《何事も上手くいかんもんや。呪三郎の方では、『闇の福音』が出張って来たみたいやし》

《へぇ……。それで、彼は?死んだのかい?》

《世界のへーわのためにはその方がいいんやろうけど、生憎ピンピンしとる。打倒『闇の福音』に燃えとるわ》

少し呆れたような千草の声に、フェイトは無感動に頷く。

《ともあれ、厄介な人達が向こうには二人いる。これ以上の介入がない内に、事を進めよう》

《お前はんに言われんでもわかっとります。……じゃあ本山の件、よろしゅう頼むで》

その声を最後に、千草の念話は切れた。フェイトは、すぐ近くにあった水を湛えた桶を足でひっくり返す。

「どうやら雇い主は退く様だ。僕もここは退かせてもらおう」

フェイトは水に濡れた地面を踏みしめる。すると、その体がゆっくりと埋没していく。水を触媒に使った転移魔法である。

「今日の所は君の勝ちだ。その力の見極めはまたいずれ。その時までさようなら、長谷川千雨」

そう言って、フェイトはとぷん、と小さな水音と共に姿を消した。
その場でしばし周辺を警戒していた千雨だが、本当にフェイトが消えた事を確かめてから、静かに緊張を解き、顔から仮面を外した。

「……っ」

可憐な唇の端から、つ、と一筋の血が流れた。三つの仮面を連続して使った負荷は、確実に千雨を蝕んでいた。もし仮にあのまま戦いを続けていたら、千雨は負けていたかもしれない。

「フェイト・アーウェルンクス」

その名が唇から毀れる。下手をすれば、エヴァンジェリンに匹敵するかもしれない、得体の知れぬ魔法使い。
その存在と、そしてボロボロになった貸衣装の弁償の事を考えて、千雨は最近やたらと増えたため息をまた吐いた。



【あとがき】
シネマ村第三戦、千雨VSフェイトは、千雨にかろうじて軍配が上がりました。
さて、遂に物語は終盤。次からもバトル、バトル、バトルです。
それでは、また次回。



[32064] 第二十話「そして最後の幕が開く」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/05/12 22:06
護る心。
求める心。
憎む心。
そして、今は何も映さない、虚ろな心。
それぞれの心が交差して、京都最後の夜が始まる。



千雨がその場に辿り着いた時、人ごみは随分と散り、辺りは再び元の喧騒を取り戻し始めていた。

「まぁ、どうなさったんですか、長谷川さん!?」

その声に振り向いた千雨は、こちらを見て目を丸くしている雪広あやかの姿を見つけた。

「いいんちょ」

「服もボロボロ、体だって傷だらけ!ま、まさか誰かに変な事をされたのでは……!?」

青い顔をするあやかに、千雨は静かに首を振って否定する。

「ドジって高い所から落ちただけだ」

真実を口にする訳にもいかないので、取り敢えず千雨がそう言うと、あやかはほっと胸を撫で下ろした。

「そうでしたの……。でも、それはそれで大変でしたわね。さ、傷の治療を致しますから、こちらにいらして下さいな」

あやかはそう言って千雨の手を引くと、近くにあった茶屋の椅子に座らせる。そして、手荷物の中から簡易的な救急箱を取り出した。

「随分と、しっかりした物を持っている」

「ほほほ、委員長としての嗜みですわ。……まぁ、尤も、これを使わないで済むのが、一番いいのですけど」

あやかは傷薬や消毒液やらを使い、手早く千雨の治療を開始した。

「長谷川さんて、本当に肌がお綺麗ですわね……。何か使ってらっしゃいますの?」

「普通に石鹸で洗う程度だが」

己の身嗜みについて、特にこれといって特別な事をしていない千雨は、正直にそう答えた。

「せ、石鹸程度でそれ!? う、羨ましすぎるよ、長谷川さん……!」

千雨の言葉に、いつの間にやらそこにいた村上夏美ががくりと肩を落としていた。その背後では、那波千鶴がそんな夏美を慰めるように頭をよしよしと撫でていた。

「さ、これでもう大丈夫です。傷が多いのでびっくりしましたが、皆擦り傷程度ですから、すぐに治りますわ」

「すまない、いいんちょ」

千雨が礼を言うと、あやかは「気になさらないでくださいな」、と手を振った。

「さて、残る問題は、このボロボロになった服なんだが……。弁償、いくらぐらいかかるか」

自信の格好を見降ろして、千雨が首を捻る。

「それほどお高い品には見えませんが……」

「着替えがてら、聞いてみる?もし高くつくようなら、私達も少し協力するわ」

千鶴がそう言ったが、千雨はさすがにそれは、と首を振った。

「そこまで甘えられない」

「大丈夫よ。ここ、私やあやかの実家も少し関わっている部分があるから。お金は出さなくても、口を出す程度はできるもの」

「ぱ、ぱないね!ちづ姉ぇもいいんちょも!」

迸るブルジョワジーなオーラに、庶民な夏美が眩しそうに目を細める。

「……なら、きちんとした損失分はまた後で払うと口をきいてくれればいい。今は、あまり持ち合わせがない」

少し財布の中身が心許無かった千雨は、そう言って頭を下げた。

「判ったわ。それじゃあ、行きましょう、あやか」

「ええ」

「あ、私も行くー」

千鶴の声を皮切りに、三人は貸衣装の店へと向かった。千雨もその後を追おうとしたその時。

「千雨!」

自身の名を呼ぶ声に目を向ければ、そこに真祖の吸血姫が立っていた。

「エヴァンジェリンか」

「酷い格好だな……。だが、五体満足な様子を見ると、何とかなった様だな」

「ああ。だが……」

言葉を詰まらせた千雨に、エヴァンジェリンは首を傾げる。

「……何かあったのか」

「敵側の【魔法使い】。フェイト・アーウェルンクスと名乗った子供は、下手をすれば、全開時のお前に匹敵する使い手だった」

「何だと?」

エヴァンジェリンが目を見張る。真祖である己の力は、現実世界、魔法世界を含めて正にトップクラスである。そんな自分に匹敵する【魔法使い】など限られている。
だが、エヴァンジェリンは今千雨が告げた『フェイト・アーウェルンクス』なる人物の名を聞いた事がない。
偽名である可能性もあるが、そうだとしてもそれ程高位の魔法使いがいるならば、噂にならない筈がない。

(実際に私と、そしてその魔法使いの双方と戦った千雨が言うならば、間違いないだろうが……)

エヴァンジェリンは眉根を寄せる。関東と関西のいざこざと考えていた今回の一件。もしかすると、全く別の思惑が絡んでいる可能性が出てきたのだ。

(今回の旅行が終わったら、爺にでも話しておくか)

エヴァンジェリンが物思いにふけている間、千雨は周囲を見回していた。

「エヴァンジェリン。近衛や桜咲。それに他のメンバーの姿が見えないんだが」

先の3班の中にも朝倉和美の姿はなかったし、加えて偶然合流した他の班の面子も居なくなっていた。その事を訝しむ千雨に、エヴァンジェリンは肩を竦めて言った。

「刹那は近衛木乃香を連れて関西呪術協会の総本山、つまり近衛木乃香の実家に向かった。坊や達と合流し、そのまま本山に籠城して守りを固めるつもりなのだろう。他の連中は……まぁ、刹那のうっかりのせいで、着いて行った」

素人である朝倉和美にまんまとしてやられていた刹那を思い、エヴァンジェリンはため息をついた。

「大丈夫なのか?」

木乃香がいる以上、本山が戦場になるのは目に見えていた。その場に、何も知らない者達がいるのはまずいのではないか、と千雨は言う。

「ふむ、少し心配にはなるが、まぁ大丈夫だろう。あちらには侵入者用の結界もあるし、優秀な術師も多く詰めている。何より、現関西呪術協会の長は、嘗ての魔法世界での大戦における英雄の一人、『サムライマスター』近衛詠春だ。向こうに私クラスの手練が居ても、これだけの戦力と防衛力があれば、問題なかろう」

だが、エヴァンジェリンは知らなかった。今現在、本山に本来詰めている筈の一流の術師達が、和平反対派の策略により各地へ散っている事を。
そして、関西呪術教会の最大戦力である筈の長、『サムライマスター』近衛詠春が、慣れぬ長の仕事をこなす事による鍛錬不足、そしてよる年並みにおける衰えによって、往年の力を失っている事を。
もしその事を知っていれば、エヴァンジェリンは朝倉和美をはじめとした、戦う力を持たない者達が本山に行く事を決して許さなかっただろう。

「そうか」

事実を知らぬ故、事態を楽観視してしまったエヴァンジェリンの言葉だが、そちらの方面における知識が皆無な千雨にとってはそれ以外に信じる物はない。

「まぁ、後は修学旅行が終わるまで待てばいい。その頃には連中も捕えられているだろう」

そう告げるエヴァンジェリンの言葉に、千雨は静かに頷いたのだった。



関西呪術協会の総本山に程近い安ホテル。居場所を悟られぬために、アジトを転々としていた千草達が、最後に選らんだのはそこであった。
その一室で、犬神小太郎がぶすりとふくれっ面を曝してベッドの上に身を投げていた。
思い出すのは、自分と同い年くらいの西洋の魔法使い、ネギ・スプリングフィールドである。

「ちっ、ネギめ……」

容易い相手だと思っていた。実際ぶつかってみても、確かに年齢に比していくつかの強力な魔法を操った様だが、接近戦に持ち込めば、何の抵抗も出来ぬ有様であった。連れていたハリセンを使う従者の方が、まだそちらの方面では上手だった程だ(それでも素人であったことは否めなったが)。だが、それがひと時の仕切り直しを経た後、一変する。
己の体に魔力を流し込み、強化するやり方。強引なその術式によって不意を突かれた小太郎は、切り札である『獣化』まで使う羽目になった。それでもなお仕留め切れなかったのは、ネギが連れていたもう一人の従者の少女が操る『相手の心を覗くアーティファクト』によって、自分の行動が全て先読みされてしまったからだ。

「……姉ちゃんに怒られるかな」

それを思うと、小太郎の心は沈む。頭の上の犬耳も、ぺたりと伏してしまう程に。
そのとき、がちゃりと部屋の扉が開き、当の天ヶ崎千草が、月詠とフェイトを連れて帰って来た。

「ね、姉ちゃん!」

がばっと起き上った小太郎は、思わずその場に正座した。

「なんやの、急に改まって」

正座で自分を出迎えた小太郎を見て、千草が眉根を寄せる。

「え、いや、その、お、俺、失敗してもうたから……」

しゅんとなる小太郎に、千草は応用に手を振って見せた。

「ああ、別にええよ。親書の件は、反対派のお偉いさん方に頼まれた仕事やから、失敗してもせんでも、うちらの行動に影響はない。……それよりあんた、その頬っぺた、どうしたん?」

ぷっくりと腫れた小太郎の頬を指して、千草が訊ねる。

「え?あ、これは、まぁ、ネギにしてやられたというか……」

「葱?……ああ、『サウザンドマスター』の息子の坊やか。ふーん、流石は英雄の息子っちゅー事か」

「つ、次に戦ったら負けへんもん!」

いきり立つ小太郎を見て小さく笑った千草は、懐から治癒の符を一枚取り出した。

「ま、期待しとくわ。それより、こっちおいで。腫れたまんまやったら痛いやろ?」

千草の言葉に、小太郎は顔を赤くしてぶんぶんと首を振った。

「え、ええよ!こんなん、ほっといても治るし」

「あーかーん。そうやって自分の力を過信して、何回痛い目にあったと思ってんの、あんた。治せる時に治さな」

そう言って強引に小太郎の手を取った千草は、小太郎の頬にぺたりと符を張り、ついでに他に怪我をしている所がないか、あちこちに触れていった。

「も、もうええて!」

くすぐったさと気恥かしさから、小太郎は慌てて千草から離れた。

「何やの、一丁前に恥ずかしがってからに……」

小太郎の素直でない行動に、千草が口を尖らせる。

「……そ、それより、姉ちゃん達はどうやったんや?」

気を取り直すようにそう聞いた小太郎の言葉に、千草は大きなため息をついた。

「お嬢様連れてない時点で判るやろ?あかんかった」

「ん~、ウチは結局、センパイとの決着がつけられへんかったから、一概に失敗とは言えませんな~」

のんびりとそう言うのは月詠である。その月詠に次いで、千草も今ここに居ない人物について言う。

「呪三郎も『闇の福音』に負けたらしいしな」

「?そう言えば、その呪三郎の姿が見えへんけど、どうしたんや?」

首を傾げる小太郎に応えたのはフェイトである。

「彼なら隣の部屋にいる。どうやら、人形の改造をしているらしいね」

「ふ~ん……。そう言うお前はどうやってん?」

小太郎がフェイトにそう訊ねてみると、フェイトは静かに首を振った。

「僕の方も失敗だった。彼女――長谷川千雨は、こちらの予想以上に手強い。ぶつかった感想を言わせてもらえば、彼女は『闇の福音』にも退けは取らない」

失敗続きな上、敵側の戦力が予想以上だった事に、小太郎は頭を抱えた。

「だ、大丈夫なんか、ホンマ……?」

「大丈夫や」

そう答えたのは、本来ならば小太郎以上に焦って然るべきの千草であった。

「飛ばした監視用の式からの映像じゃ、その二人は今、お嬢様から離れて行動しとるようや。そのお嬢様の一行も、本山に入った事で油断しとる」

千草は、見ていた小太郎が思わずぞっとするような凄惨な笑みを浮かべた。

「本山の守りも手薄。厄介な助っ人は不在。結界の方も新入りが何とかできるようや。結界さえなければ、むしろあそこは相手にとっての袋小路。まだまだ、十分挽回できるわ」

「……姉ちゃん」

小太郎は、その笑みの危うさに、心がキュッと締め上げられるように感じた。この仕事が始まる前から感じていた焦燥感。大切な『姉』が、己の手の届かない場所に行ってしまうかもしれないと言う漠然とした恐怖が、再び小太郎を襲っていた。
だが、小太郎には千草を止める事など出来なかった。もしそんな事を口にして嫌われたら、見捨てられたらと思うと、それだけで小太郎の舌は痺れたかのように動かなくなってしまうのだ。
そんな小太郎の様子に気付きもせず、千草は窓から見える関西呪術協会の本山を、口元に不敵な笑みを湛えたまま、燃えるような瞳で睨みつけていた。



千草達のいる部屋の隣。そこに、呪三郎はいた。
エヴァンジェリンに敗れた呪三郎は、己の愛しい人形達を、より強く、そしてより美しくなるよう、改造を施していたのだ。

「さて、これでいい」

呪三郎は、かたりと器具を置くと、目の前にある、生まれ変わった姉弟達を見る。

「……ふふふ、生まれ変わった君たちならば、【人形遣い】でさえ、葬る事も容易い筈だよ」

呪三郎は恍惚とした顔で、その人形に語りかけた。

「ああ、なんて美しいんだ、君達」

呪三郎の目の前にあるそれは、いずれ来る戦いに備えて、静かにそこに佇んでいた。



夜。
千雨は、相も変わらずエヴァンジェリンに呼び出され、彼女の暇つぶしの相手をさせられていた。
二人は、将棋盤を挟んで静かに対局中である。その横では、茶々丸とチャチャゼロの姉妹が、茶々丸が撮影し、今日まで撮り溜めてきた『エヴァンジェリン名場面・珍場面集』を密かにパソコンで鑑賞しつつ、爆笑したり(主にチャチャゼロ)、感動したり(主に茶々丸)と、賑やかにしていた。
因みに、ザジはまたしてもどこかでふらふらしているようで、部屋の中にはいない。

「さっきからあ奴らは、何を見ているんだ?騒々しい」

エヴァンジェリンは、従者達が何を見ているのかも知らず、首を傾げた。

「さぁな」

千雨は大体の予想がついたが、それを敢えて口にする事もなかった。

「王手」

「あ」

千雨はエヴァンジェリンの隙を突き、中々の妙手を繰り出した。

「むむむ……」

長考に入ったエヴァンジェリンを一先ず置いて、千雨は窓から映る京都の夜景を眺めた。
その胸中に何が浮かぶのか。その徹底した無表情からは、決して読み取る事は出来なかった。
その時。

「エヴァンジェリン、いるか?すまないが、入るぞ」

その言葉が聞こえると同時に、4班所属の龍宮真名が、妙に急いだ様子で入って来た。

「む?どうした、龍宮」

エヴァンジェリンが、何故かホッとしたような顔で真名を出迎える。

「大事な話だ。こちらに来てもらえるか?」

「?」

首を傾げながら、エヴァンジェリンは真名と共に廊下に消えた。

「ナンダ、一体?」

「わかりません」

その場に倒れて只の人形のふりをしていたチャチャゼロが顔だけ上げて言うと、横にいた茶々丸も静かに首を捻る。
そんな様子を黙って見つめていた千雨の前で、再び扉が開き、険しい顔をしたエヴァンジェリンが入って来た。後には真名と、2班の長瀬楓、そして古菲が着いて来ている。

「千雨」

エヴァンジェリンが千雨を呼ぶ。

「お、おい、エヴァンジェリン」

真名が、何を言うのかと慌ててエヴァンジェリンを止めようとするが、エヴァンジェリンは静かにそれを手で制した。

「龍宮。千雨にも関わりがある話だ。……千雨、落ち着いて聞け」

そして、エヴァンジェリンは静かに告げた。

「関西呪術協会の本山が襲われ、近衛木乃香が、攫われたようだ」

その言葉が、京都を舞台にした、最後の大騒動の幕開けだった。



【あとがき】
エヴァンジェリンの読みが甘かった訳ではなく、単に情報が足りなかっただけなんです。
次回は、関西呪術協会の総本山を舞台に、ラストバトルの開始です。
それでは、また次回。



[32064] 第二十一話「明けない夜を切り裂いて」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/05/21 23:32
深々と、深々と、夜は更けていく。
何時か明けるさ。
そのうち朝が来るだろう。
皆が口を揃える。
――そんな保障なんて、実は何処にもないのに。



がたんがたんと音を立てて、電車が線路を走っていく。

「ん~♡ 深夜に宿を抜け出すのは、修学旅行の醍醐味アルね~♪」

「これこれ、遊びではないでござるよ」

「……緊張感のない奴らだ」

古菲と長瀬楓の会話を聞いていたエヴァンジェリンが、ため息をつきながらぼやいた。その傍らには、チャチャゼロの入ったバッグを持った茶々丸が静かに控えている。

「まぁ、そう言うな、エヴァンジェリン」

二人の様子に苦笑しつつ、龍宮真名が言う。

「ふん……。ああ、そうだ。今さらだが千雨、昼間の戦闘でそれなりに怪我をしていたようだが、大丈夫なのか?」

真名から視線を逸らしたエヴァンジェリンは、その場にいた最後の一人である千雨を見やる。

「ああ」

応える声は短く、その表情は相も変わらず無表情である。そんな千雨は今、全身をすっぽりと覆うほどの大きさの長いコートを纏っている。
それは、エヴァンジェリンと戦ったあの夜、身に着けていたものである。
そんな千雨を、真名はじっと見つめた。その胸中には、出発の際に聞かされた、エヴァンジェリンの言葉が渦巻いていた。

(長谷川千雨、か。変わった奴だとは思っていたが……。それにしても、【闇の福音】に勝つほどの実力者だとはどう見ても思えん)

真名は、未だ信じられない思いを抱いていた。
真名は、14歳という若年だが、幼い頃から傭兵稼業にどっぷり浸かり、裏の人間としての経歴は長い。故に、裏の頂に最も近い者達の一人である【闇の福音】の恐ろしさはよく知っている。だからこそ、目の前に居る幽鬼のような少女が、全力全開のエヴァンジェリンに勝利した、という事実が信じられないのだ。たとえそれが、当の【闇の福音】自身から聞かされた物だとしても。
その時、その視線に気付いたのか、千雨が無感動な瞳をゆらりと真名に向けた。

「何だ、龍宮」

「え?あ、いや、ず、随分大きいコートだと思ってな」

推し量る様な無粋な目を向けていた事を隠すように、真名は咄嗟に当たり障りのない事を言った。

「たくさん納められるから、使っているだけだ」

千雨はそう言って、コートの裏側をそっと真名に見せた。それを目にした真名は、思わず息を呑んだ。
顔、顔、顔、顔。
笑顔もあれば、怒っている顔も、泣いている顔もある。
一つ目の物があれば、逆に無数の目が付いている物もある。
そこにあったのは、形も、材質も、表情も様々な、無数の仮面の群れであった。



明日菜と刹那は、互いに背中を預け合いながら、肩で息を吐いている。二人の周囲には、何十もの異形の影。天ヶ崎千草が、木乃香の力を利用して召還した、鬼の群れであった。明日菜と刹那の奮闘により、その数は、当初に比べれば半数にも減っていたが、同時に少女二人もすでに疲労困憊と言った有様であった。

「大丈夫ですか、明日菜さん!」

「うん、もう敵ももう半分以下だよ!」

刹那の気遣う言葉に、明日菜は力強く頷く。

「あまり無理はしないでください!」

「大丈夫、いけるよ!後はネギが木乃香を取り返して戻ってくれば……」

今ここに、ネギ・スプリングフィールドの姿はない。少年は、この場を少女達に任せ、一足先に木乃香救出のために動いていた。現状、動ける人員が三名しかいない己達にとって、そのように二手に分かれるのが精一杯であった。
その時、漂う水煙の中から、ぬっと、一つの影が現れる。その影は、刹那との会話に気を取られていた明日菜に、一気に襲い掛かった。

「ぎゃっ!?」

色気の欠片もない悲鳴を上げて、明日菜は何とかのその一撃を受け止める。だが、次いで繰り出される連撃に、防戦一方になってしまう。

「う、烏族!?」

襲撃者の異形を認めた刹那が警戒に目を鋭くする。
烏族は、俗に言う烏天狗の一族である。その背に翼を背負い自在に宙を掛ける彼等は、通常の妖に比べて腕力が弱い代わりに武芸に長けると言われている。
慌てて明日菜を助けに行こうとした刹那だが、それよりも早く、狐の面を被った女の妖が襲い掛かる。

「くっ!」

繰り出される一撃を受ける刹那だが、それだけで、相手が只の雑魚ではないと知る。
一方、明日菜と切り結ぶ烏族は、思った以上に粘る明日菜に感心したように笑う。

「中々やるなぁ、嬢ちゃん!しかし、某は今までの奴らとはちと出来が違うぞ!?」

言うなり、振っていた大刀を急に上に跳ね上げると、柄頭で明日菜のハリセンをかち上げる。そして無防備になった明日菜に向け、先に勝る連撃を放つ。

「あ、ああ、うああっ!」

悲鳴を上げる明日菜は、そのまま川床に叩きつけられた。

「あ、明日菜さん!!」

狐面と戦いながらも明日菜の様子を見ていた刹那は、仲間の危機にその名を呼ばう。

「だ、大丈夫。ネギの魔力が守ってくれてるから、全部、かすり傷……。でも、この人(?)強い……!」

気丈にもそう言って立ち上がる明日菜を見やり、烏族は肩に大刀を担いでごきり、と首を鳴らす。

「平安の昔と違って、「気」やら「魔力」やらを扱うようになった人間はしぶといな。だが、それもいつまでもつかな……?」

ふふふ、と不敵に笑う烏天狗に、明日菜は何故かこの期に及んで(ホントにカラス人間なんだもんなー)と、変に呑気な事を思った。

(まずい、明日菜さんは防御以外は普通の人間なんだ!)

ふらつく明日菜を認めた刹那は、すぐさま明日菜を助けようと動く。

「明日菜さん、すぐに助けに……」

だが、その背後にひと際大きな影が現れ、手にしていた武器を刹那目掛けて振り下ろす。その気配に気づいた刹那は、それを受け止めるのだが、

(お、重い!)

予想を遥かに超えた一撃の重さに、刹那は咄嗟に刀を斜めにして、その一撃を逸らした。

ずん、と重い音を響かせて地面にめり込んだ鉄棒を握るのは、この鬼の群れを統率すると思われる、大柄の鬼であった。

「神鳴流の穣ちゃんの相手はワシらや」

肩に先程の狐面を乗せて、大鬼は笑う。

(こいつらも、別格か……!)

相対する大鬼の強さを感じた刹那は、歯がみした。



「――而れども千早振る靈の萬世に鎮まりたまふ事なく 御心 いちはやびたまふなれば 根の國・底の國より 上り出でたませと進る幤帛は」

儀式の文言が、千草の口から唱えられる。それに伴い、神楽舞台の上に寝かされている木乃香の体から、凄まじい魔力が引き摺り出されていく。その様を見ながら、千草の心は、悲願達成に向けて高鳴って行く。

(もう少し、もう少しで……!)

唱える文言にも熱がこもり、千草の口元が吊り上がる。

「皇御孫の處女にして 赤玉の御赤らびます 藤原朝臣 近衛木乃香の威かしやくはえの萌え騰がる 生く魂・神魂なり!!」

木霊する文言に応え、木乃香の体から魔力が天へと吹き上がる。それに呼応するかのように、千草の視線の先、湖の中央に位置する大岩からも、莫大な魔力が光の柱のように立ち上った。



「あれは!」

立ち上る光の柱は、激戦を繰り広げる刹那達の居る場所からも目にする事が出来た。刹那は、遠くに見える光の柱から感じられる魔力の強さにぞっと背筋を震わせる。

(まさか、間に合わなかったのか!?)

脳裏に、笑顔を浮かべる幼馴染の顔がよぎる。その笑顔が、消えていくように感じられた刹那は、焦燥感に胸が焼き尽くされそうだった。

「ほっほー、こいつは見物やなぁ」

大鬼がその光景を眺め、楽しそうにつぶやいた。

「どうやら依頼人の千草はんの計画が上手くいってるようですなー。あの可愛い魔法使い君は間に合わへんかったんやろかー」

その時、突如として響いたのんびりとした声に、刹那はぎくりと肩を強張らせる。

「まぁ、うちには関係ありまへんけどなぁ。ね、刹那セーンパイ♡」

「つ、月詠……」

ここに来て、と刹那は更なる強敵の増援に慄いた。瞳を潤ませた月詠は、嬉しそうに刹那を見つめている。
一方、烏族との戦闘を継続していた明日菜もまた、危機に陥っていた。よく凌いでいたとはいえ、所詮は素人剣法。隙を突かれ、烏族にハリセンを握っていた側の腕を掴まれて、宙にぶら下げられてしまったのだ。

「この、離しなさいよ!」

ぶら下げられた明日菜は、目の前にいる烏族の体を蹴りつけるが、その体には全く効いて様子はなかった。

「ハリセンが使えなければ、只の小娘か」

暴れる明日菜をそのままにして、烏族は横目で刹那を見る。

「さて、どうする神鳴流剣士。……そろそろ、手詰まりか?」

(マズイ……、最悪だ!)

その言葉通り、最早己達に打つ手はほとんどない。刹那は顔を青ざめさせた。

(くっ、仕方がない……。もはや、あの力を使うしか……!)

追いつめられた刹那は、己の中で禁忌として居た『力』を使う事を決意する。それを使ってしまえば、自分はもう、今の居場所に居る事が出来なくなる。だが、それでもこの状況を打破し、木乃香を救うためには、それしか手段は残されていなかった。
ざわり、と刹那の体が震える。そして、それが解放されようとした瞬間。

「ぐおっ!?」

パスッ、と言う空気の抜けるような音と共に、明日菜を捕まえていた烏族の額が、何かによって射抜かれた。後頭部に抜けた瞬間弾けたそれは、一撃で烏族を戦闘不能に陥らせた。

「あ、新手かぁぁ!?」

その身が霞のように消える中、烏族は無念そうに呻いた。そんな烏族の手から解放された明日菜は、いきなりの状況の変化に戸惑い顔であった。

「な、何?」

きょろきょろとあたりを見回す明日菜に応えるように、次々と弾丸が撃ち込まれる。大鬼達は、それを手にした武器で何とか弾く。

「こ、これは術を施された弾丸!何奴!?」

吠えた大鬼が周囲を睥睨する中、狙撃手がゆっくりと姿を現す。

「らしくもなく、苦戦してるようじゃないか」

「あ……」

「え、ええ?ええええ~っ!?」

現れた人物の姿に、刹那は目を丸くし、明日菜は驚きのあまり大声を上げる。

「この助っ人の仕事料は、つけにしておいてあげるよ、刹那」

そう言って微笑んだのは、3-Aのクラスメートの一人、龍宮真名であった。手には、銃身の長いスナイパーライフルを手にしている。

「うひゃー、あのでかいの本物アルかー?強そアルねー♡」

その横に居た古菲が、驚きながらどこか嬉しそうに笑う。

「た、龍宮!」

「く、クーちゃんに、龍宮さん!? な、何で!?」

「ふ……」

真名はそれには答えず、不敵に笑っただけである。そんな真名と古菲の周囲を、天から舞い降りた先程の烏族の同族達が取り囲んだ。

「調子に乗るなよ?」

「この至近距離ならば、銃も役に立つまい!」

口々に吠える烏族達に対し、真名は不敵な笑みを崩さない。その足が足元にあったギターケースを跳ね上げようとしたその時。

「あ、あれ?」

「な、何だ、体が……!?」

突如として烏族達の体がぎしり、と動きを止める。儘ならぬ己達の体に困惑する烏族達は、それから逃れようともがいた。

「く、糞!一体なん」

その悪態が口を出る間際、烏族達の体が一瞬で細切れになった。

「んな!?」

それを目の当たりにした他の妖達が驚く。

「随分怖い事をするな?巻き込まれたらどうする?」

真名が、自分の後ろを振り返って言う。

「そのようなヘマなぞするか。弾が節約できたのだから、良しとしろ」

涼やかな声でそう言った現れた人物に、明日菜だけでなく刹那まで顎が外れそうなほど驚いた。

「エ、エヴァちゃん!?」

「エヴァンジェリンさん!?」

明日菜達の視線の先に、金色の髪を靡かせた真祖の吸血姫、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルがいた。

「ふん、無様を曝しているな、貴様ら。それにしても、流石は鬼と言うことか。存外に、固い」

そう言って笑ったエヴァンジェリンの指先からは、月明かりの僅かに煌めく細い糸が伸びていた。【人形遣い】としての技芸の一つである、操糸術である。通常は敵を拘束する程度でしかない技だが、エヴァンジェリンほどの達人ともなれば、敵を切り裂く事すらも可能となる。

「お、親分!あの娘っ子、人間じゃありやせんぜ!?」

「みたいやな。余所の国の鬼か!」

エヴァンジェリンを見た大鬼が、威嚇するようにその小さな姿を睨みつけた。エヴァンジェリンは、常人ならば卒倒しそうな恐ろしい形相で睨まれても、涼しい顔で笑う。

「いかにも私は吸血鬼。他人の土地ではしゃぐ無礼は認めるが、これも我が友の為。まぁ許せ」

尊大にそう言ったエヴァンジェリンに、大鬼以下、妖達が吠えたける。

「抜かせ、余所モンが!お前ら、やってまえ!」

大鬼の号令の元、妖達がエヴァンジェリンに襲い掛かる。その爪牙がエヴァンジェリンに届く刹那、先頭に居た妖達が吹き飛んだ。その体は、ある者は殴打され、ある者は袈裟掛けに斬り裂かれている。

「マスターに手出しはさせません」

「ケケケケケッ!ゴ主人ノ相手シタキャ、俺達姉妹ヲ超エテカラニスルンダナ!」

エヴァンジェリンの前に立ち並ぶのは、茶々丸とチャチャゼロの従者姉妹であった。

「おおー、茶々丸もその人形も、強いアルねー!」

古菲が目を輝かせる。

「古。お前は人間大の、なるべく弱そうな奴を相手していろ」

真名は、周囲に群がる鬼達を、両手に持った拳銃で撃ちながら古菲に言う。

「むむっ!馬鹿にしてるアルね、真名!中国四千年の技をなめたらアカンアルよ!」

ぷんぷんと怒りながら、古菲は頬を膨らませる。その背後から、数体の鬼が接近する。

(この小さいのやったらいけそうや!)

鬼達が手にしていた武器を古菲に振り下ろそうとした瞬間、不意に振り向いた古菲がそれを拳で逸らす。そして体の開いた鬼に向け、鋭い踏み込みと同時に中段突きを放つ。

「哈っ!!」
どすん、と重い音と共に、拳打を浴びた鬼が、後方の妖達を巻き込んで吹っ飛んだ。中国拳法、刑意拳の一手、『馬蹄崩拳』である。

「さぁ、もっと強い奴はいないアルか?」

「調子に乗っていると、怪我をするぞ?」

構えを取り笑う古菲に、真名が一応の注意をする。

「く、古菲も何気に強いし……」

明日菜は、最早驚きすぎて半ば茫然としている。そんな明日菜に追い打ちをかけるように、最後の助っ人が静かに降り立つ。
密集する鬼の群れの中に静かに舞い降りたのは、長いコートをはためかせ、顔に鶏冠のような突起が付いた仮面を被った少女である。

「な、なん」

いきなりの闖入者に疑問の声を上げようとした瞬間、その鬼は真っ二つに斬り裂かれた。少女の両掌からは、青白い光の剣のような物が伸びている。瞠目する間もなく、他の鬼も次々と斬られていく。

「す、凄い!」

「わー♡」

その剣を見た刹那と月詠が目を見張る。それは、未だ己達では成し得ないほど、鋭く、早く、優美な剣の閃きであった。
仮面の少女――千雨は、【マ・ジの仮面】から響く声に身を委ねながら、目の前に居る鬼達を斬っていく。

【斬る、斬る、斬る!悪を斬る!邪悪を斬る!我は、そのために生まれた!!】

仮面の声は、千雨にしか聞こえない。その声を聞きながら、千雨は思う。

(何故、何故戦うのか?)

【その理由は、お前が一番知っている筈だ、千雨!己より逃げるな。お前がここに居る理由、ここで戦う理由。全ては、己の心が知っている!】

(私に心なんてない。私がここに居るのは、知り合いを助ける、それだけの為だ)

【友の為、結んだ友誼の為に戦う事は、己の心ではないのか、千雨よ!!】

(違う、そうじゃない。そうじゃ、ないんだ)

一体何に向けての事なのか、千雨は仮面の言葉を只否定し続けた。それでも、体だけは動き続ける。

【己を否定するか、千雨。今はそれでもよい。だが、心せよ!あの日あの時我らが告げたように、人は己の顔を隠して生き続ける事など出来ないのだ!!】

(……)

【やがて来るその日まで、我らがお前を導こう!我らは仮面!今は只、悪しきを斬る!!】

乱舞する剣舞が終わり、千雨の周囲には、送還された鬼達の遺した呪符の欠片が紙吹雪のように舞う。そんな千雨を見て、驚きに目を見開いたのは、真名と古菲である。

「は、長谷川、チョー強いアルね!」

「あ、ああ……」

わくわくした様に言う古菲とは対照的に、真名は動揺を隠せない。あの凄まじいまでの動きを持って鬼達を圧倒した千雨と、普段目にしている幽鬼の様な千雨とが、どうしても噛み合わなかったのだ。

(だが、目の前で起こった事を信じるしかない。そして、あいつが【闇の福音】を倒したという事も)

現実主義者である真名は、とりあえず今そこにある事実を受け止める事で、ようやく落ち着きを取り戻した。

「千雨ちゃんも来てくれたんだ……!」

「ええ、これなら……!」

助っ人の存在をようやく認識した明日菜と刹那の顔から、絶望の影が消えていく。

「な、何や……。何やねん、己等はぁぁぁぁっ!!」

その大鬼の叫びは、その場にいた全ての妖達の気持ちを代弁していた。



【あとがき】
助っ人到着。そして鬼達にとっては「これ何て無理ゲー?」と言う状態に(笑)。
それでは、また次回。



[32064] 第二十二話「【リョウメンスクナ】」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/06/05 00:22
『六十五年、飛騨国に一人有り。宿儺と曰ふ。其れ為人、体を一にして両の面有り。面各相背けり。頂合ひて項無し。各手足有り。其れ膝有りて膕踵無し。力多にして軽く捷し。左右に剣を佩きて、四の手に並に弓矢を用ふ。是を以て、皇命に随はず。人民を掠略みて楽とす。是に、和珥臣の祖難波根子武振熊を遣して誅さしむ』



数十体の鬼達がひしめく戦場。ついさっきまで、明日菜と刹那にとって絶望しかなかったその場は、助けに来てくれた仲間達によってその状況を一変させていた。
龍宮真名。
物静かな佇まいの美しい少女。だがその実は、銃火器を操り、数多の戦場を駆け抜けた本物の傭兵。
古菲。
中武研部長。バカイエロー。その年に似合わぬ拳椀を持つ少女。
茶々丸&チャチャゼロ姉妹。
人に非ずの姉妹。【闇の福音】の従者達。最先端の科学と最古の樞と言う、正反対な二体。
エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。
【闇の福音】を始めとした、幾つもの二つ名を持つ最強の吸血姫。金色の髪を靡かせ、青い瞳を慧慧と光らせて、戦場を見下ろしている。
そして――。

「神楽坂、桜咲。無事か?」

仮面を右手に付け替えた千雨が、静かな口調で問いかけた。明日菜達は慌ててこくこくと頷きながら声を返す。

「う、うん!平気よ!」

「は、はい!」

「そうか。所で、ネギ先生の姿が見えないが、どうした?」

周囲をぐるりと見回した千雨は、そこに赤い髪の小柄な影を見つける事が出来ず、首を傾げる。

「ネギには、先に木乃香を助けに行ってもらったの」

「そうか。だが……」

千雨の瞳が、遠くに立ち上がる光の柱を映す。もしネギが首尾よく木乃香の救出に成功しているならば、あの光の説明がつかない。

「あれは、何だ?」

千雨が首を傾げる。そして、魔法的な疑問に関しては他の追随を許さないエヴァンジェリンまでもが首を傾げる。

「わからん。この国に何がどういった状態で眠っているのか、私は把握しておらんからな」

そんな二人の疑問に答えたのは、敵側の外法剣士、月詠であった。

「あれは大昔に封印された、巨躯の大鬼、【リョウメンスクナ】ですえ~」

「【リョウメンスクナ】?」

その名に再び首を傾げる千雨とは対称的に、何かを思い出して手を打ったのはエヴァンジェリンである。

「聞いた事があるな。仁徳天皇の時代に飛騨に現れた、手足が合計八本、頭が二つの異形の鬼神。だが、その記述は類稀なる武勇を現した物とも言われ、一部では神として崇められているとか」

「詳しいな」

「ふふん、私は古文も嫌いではない」

大の日本通であるエヴァンジェリンは、こう言った民話や神話の類も網羅している。

「だが、その飛騨に眠っている筈の鬼神が、何故ここに居るのだ?」

その尤もな疑問に答えたのも、やはり月詠である。

「千草はんの言う事には、あれは大昔の術者が飛騨の鬼神、【両面宿儺】を模して造り、その神性の一部を写す事に成功した強力な式神の一種らしいですえ~」

修験道の開祖とも言われる役小角が残した『前鬼』、『後鬼』。そして陰陽道の天才、安倍晴明が一条戻橋に隠した『十二神将』など、強力な力を持つ術者の式神は、術者の死後もその力を維持したまま、存在し続けたと言われている。【リョウメンスクナ】もまた、そんな式神達の一体である、と言うのが、千草が長年の研究から辿り着いた考察である。

「18年前に、今の長とサウザンドマスターが倒して封印した言う話を聞いてから、ますます確信したらしいですけどな~」

「……成程な。あれが本来の神であるならば、いくらナギと詠春であっても、そんな事は不可能だからな」

得心したのか、何度も頷くエヴァンジェリン。

「そうなのか?」

やはりよく判らない千雨は、ますます首を傾げる。因みに、その後ろでは同じ様に明日菜が首を傾げていた。

「本物の神が、例えナギクラスの英雄や、私クラスの大魔法使いであっても、人間や妖魔如きに負ける筈がないだろう。ってゆーか、相対した瞬間に消し炭になるわ」

人と神の間に横たわるのは、それほど深い次元の違いなのである。そんな神々であっても、人の信仰とその移ろいによって、零落していくのは、何とも皮肉な話である。

「その鬼神もどきを制御するために、近衛木乃香を攫ったのか」

「その通りですえ~。やんごとなきお嬢様の血脈、そして神の力を宿した式神。それらがあれば、千草はんが関西呪術協会を乗っ取る事も不可能ではありませんえ~」

月詠の言葉に、刹那の顔が怒りで歪む。噛みしめた歯がぎりりと音を立てる。

「そんな、そんなことの為に、お嬢様を……!」

「そんな事、なんて言うたらあきませんえ、センパイ。千草はんにも、どうしても退けん事情があるみたいやしな~」

「そちらの事情なぞどうでもいい。とりあえず、あの光が何なのかは判った。恐らく、近衛木乃香の魔力を使って、【リョウメンスクナ】とやらを強制的に揺り動かしているのだろう。あの光は、【リョウメンスクナ】が溜めこんでいた魔力が吹き上がっているだけだ」

「ならば、まだ完全に手遅れ、と言う訳でもないのか。長瀬を先行させた甲斐があったな」

その言葉に、刹那と明日菜が驚く。まさか、まだ助っ人がいるとは思ってもみなかったのである。

「長瀬もここに来ているのですか!?」

「ああ。念のため、一人先行させた。更に先行している筈のネギ先生が、未だ何のリアクションもない所を見ると、途中で何かあったのかもしれない。だが、助けるにしろ何にしろ、長瀬ならば大丈夫だろう」

「まぁ、忍者だしね……」

「忍者ですからね……」

すっかり正体がばればれの隠密(笑)、長瀬楓であった。

「とは言え、ここで手を拱いているつもりもない。さっさとこいつらを片づけて、私達も儀式の場に向かうぞ」

ギラリと瞳を輝かせたエヴァンジェリンが、周囲の鬼達を睥睨する。それだけで、格の低い妖達は身震いする。

「さぁて、そう簡単にはいかないと思うけどなぁ」

不意に、闇の奥から男の声が聞こえてきた。その場にいた者達が思わず注視する中、パシャリ、パシャリと水を歩く音を響かせて現れたのは、【傀儡師】呪三郎であった。

「呪三郎……!」

エヴァンジェリンの顔が険しい物に変わる。昼間の戦闘においては、自身の経験を持って圧倒したが、目の前に居る男の天才は、決して油断できる物ではない。ましてや、何の策も準備も無く、不用意に姿を現す筈もない。

「昼間はどーも、【人形遣い】。少し早い再会だけど、丁度こちらの準備も整っている。リベンジと行かせてもらうよ?」

呪三郎はエヴァンジェリンを見つめて、にたりと笑う。その際に放出された殺気と鬼気に、どちらかと言えば一般人よりの古菲が、ぞくりと背筋を粟立たせる。

「な、何アルか、あいつ……!気持ち悪くて、怖いアル……!」

「気をつけろ、古。あいつはこの場に居る鬼達のような甘い奴じゃない。正真正銘、真正の【殺し屋】で、【殺人鬼】だ……!」

真名からの酷評に、呪三郎は顔を顰める。

「本人を前にして、誰も彼も言いすぎだよ。それに、そんなに硝煙と血の匂いを染み着かせている君のような人間に、言われる筋合いもないと思うけど?」

「お前に言われなくても、判ってるさ。そしてそんな人間だから、躊躇なく引き金を引く事が出来る!」

言うなり、腰にあったホルスターからの神速の抜銃。一ミリともぶれない銃口の先に呪三郎を捕えた真名は、引き金を引こうとして。

「……っ!!」

突如として感じた危険信号に、咄嗟に地を蹴って後方に飛ぶ。直後、真上から降って来た影が、先程まで真名がいた空間に轟音と共に降り立つ。その際に振るわれた何かが、真名の手にしていた拳銃を真っ二つに切り裂いていた。手首に激しい衝撃を感じ顔を苦痛に歪めた真名だが、それすらも許さぬように、影が再び襲い掛かる。十分に体を構えられない真名を、影が蹂躙するかと思われた瞬間。

「させません!」

「ケケケケケケケーッ!!」

茶々丸とチャチャゼロの姉妹が、影の進行を弾き飛ばす。影はそれ以上の追撃をせず、そのまま後方に下がると、呪三郎のすぐ近くに控えた。

「惜しい惜しい。この子の彩りには、最高の獲物になるかと思ったんだけどなぁ」

動きを止めた事で、ようやく影の全貌が明らかになる。

「どうだい【人形遣い】。美しく生まれ変わった、僕の愛し児達の姿は!」

誇るように叫ぶ呪三郎の近くに控えるのは、異形の人形である。一つの胴体から生えた二つの頭。それぞれが、かつて『安寿』と『厨子王』と呼ばれていた者達の頭である。そして肩口からは四本の腕。通常の物に加え、掲げられているのは、手首から先が鋭く、そして巨大な刃となった腕である。
二面四手。奇しくも、封印された【リョウメンスクナ】と似通った姿となったそれは、呪三郎が対エヴァンジェリンに向けて組み上げた、新たな人形であった。

「この子達と共に、今度こそ貴女を越えて行こう、【人形遣い】!!」

挑みかかる呪三郎の声に応え、二面四手がじゃきりと刃を構える。それを見て、エヴァンジェリンの顔が、ますます難しい物になる。何故ならば、呪三郎の人形繰りが、明らかに昼間戦った時に比べて上手くなっているのである。エヴァンジェリンとの戦いの最中吸収した技術の数々を、もう自分の物にしている証左でもある。

(ちっ、まだ繰りの腕は私が上だと思うが、人形の性能がその差を埋めるかもしれん)

エヴァンジェリンが見るに、呪三郎の新たな人形は、彼が誇るだけの事はある、素晴らしい出来栄えの物である。人形としての性能だけならば最初期のチャチャゼロでは、対抗しきれないかも知らない。ましてや、繰り人形として作られていない茶々丸は論外である。
呪三郎の登場によって、傾いていた天秤が再び揺れ始める。そのように場が混沌とし始めていた、その時。

「「「「「っ!!!??」」」」

その場にいた者達に、凄まじいまでの魔力の波動が届いた。その源に目を向けた者達の瞳に、天を突く、巨大な光の巨人の姿が映った。

「【リョウメン、スクナ】」

千雨がその名を呼んだ。
彼方に見えるは身の丈60m以上の巨体。天に翳した四手と、前後に向いた二つの鬼面。青白く輝く体は、その全てが魔力に覆われ、そこに在るだけで凄まじいまでの威圧感を発している。
神を宿した大鬼、【リョウメンスクナ】。18年の眠りから覚めた異形が、そこに居た。

「間に、合わなかった……?」

茫然と刹那が呟く。

「そんな……!」

明日菜も同様の表情を浮かべる。そんな二人を横目に、千雨は相も変わらぬ無表情のまま、遠くに見える鬼神を見る。そして、二人に向けて口を開く。

「桜咲、神楽坂。やる事はまだ変わってはいない」

「で、でも……」

「こちらの目的は近衛の救出だ。あの鬼神とやらが復活しようがしまいが、それは変わらない筈だ」

淡々と告げる千雨。だが、刹那の顔は俯いたままだ。

「……私は、ここで鬼共を食い止めます。お嬢様の救出は、長谷川さんや、明日菜さんにお任せします」

「刹那さん!?」

明日菜が目を丸くして驚いた。そして千雨は、視線を静かに刹那に注ぐ。

「私は、結局お嬢様を守る事が出来なかった。むざむざと敵に奪われ、今もこうして利用されているお嬢様を、遠くから阿呆のように見る事しかできていない。……それに、私よりも強い長谷川さんや、私よりもお嬢様と親しい明日菜さんが助けにった方が、お嬢様も」

「お前は、どうしたいんだ?」

千雨は、刹那の言葉を遮って、唐突にそう問うた。問われた刹那は、きょとんとした様な顔になる。自分の考えは、今述べた通りだったからだ。

「で、ですから私はここで……」

「神鳴流の『剣士』、そして近衛の『護衛』としてのお前はそうなのだろう。なら、近衛の『幼馴染』としてのお前はどうなんだ」

「え……」

言葉を詰まらせる刹那に向けて、千雨は更に言葉を紡ぐ。

「『剣士』としてのお前も、『護衛』としてのお前も、始まりはそこからだった筈だ。だからその『幼馴染』としてのお前に聞くんだ。お前は一体、どうしたいのか」

「わ、私は……」

千雨の言葉に、刹那の心が揺れた。刹那が刹那としてある原点は、ずばりそれであったからだ。だから、刹那は考える。本当の自分、一番幼く、それ故に、一番素直な自分は、どうしたいのか。気がつけば、刹那の口から、言葉が滑り落ちていた。

「たすけ、たい」

一度口にした言葉は取り返せない。刹那は、一瞬いつものように自制しようとしたが、極限の状態であるが故に溢れてきた思いを押しとどめる事は、出来なかった。

「助け、たい、助けたい!今度こそ!お嬢様を、私の、うちの大切な、『友達』を!」

「……皆、ここを任せても、大丈夫か?」

「千雨?」

「私も、桜咲と神楽坂について行く」

「む……」

静かな千雨の言葉に、エヴァンジェリンの眉根が寄せられる。

「向こうには、あの鬼神に加えて、あいつが、フェイト・アーウェルンクスがいる」

それは、未だ姿を現さない、千草一派の最大戦力であろう、謎の魔法使いの少年。その実力は、おそらくエヴァンジェリンクラス。ネギや明日菜、そして刹那では、対抗できない。現に、ネギ達が本山の屋敷内で木乃香を攫われる原因となったのも、彼の少年の力であった。対抗するのは、千雨やエヴァンジェリンでなければ、まず無理であろう。
だが――。

「……どうしても、お前が行かねばならないか、千雨」

「ああ」

千雨の短い答えに、エヴァンジェリンは益々美しい柳眉を寄せ、難しい顔になった。正直な所、エヴァンジェリンがここに居るのは、木乃香の為と言う訳ではなく、千雨が無茶をしないよう、そのフォローに回るためである。この中で唯一、エヴァンジェリンは千雨の能力が万能無敵な物でない事を知っている。強力すぎる仮面の力は、未成熟な千雨の体を蝕み、傷つける。だからこそ、エヴァンジェリンは、今からの千雨の行動を止めたかった。謎の魔法使いに鬼神。どちらも、一筋縄でいく相手ではない。千雨は必ず無茶と無理をするだろう。

(だが、私がここを離れる訳にもいかん)

そんなエヴァンジェリンのしたい行動を、呪三郎が制限する。月詠や鬼達ならば、この場に居る者達に任せても大丈夫かもしれないが、目の前に居る【傀儡師】だけは、そうはいかない。下手をすれば、この場に居る者たち全てが皆殺しの憂き目にあう可能性もあるのだ。エヴァンジェリンは、呪三郎と言う男を、決して過小評価するつもりはなかった。
どうすれば、と思い悩むエヴァンジェリンだが、その時、そんな主の姿を見かねたのか、最古の従者が肩を竦めて言った。

「オイ、ゴ主人。ゴ主人モ一緒ニ行ケ」

「! チャチャゼロ……」

チャチャゼロは、困惑する表情の主を見上げて言う。

「先ニ行ッテルラシイ小僧モ含メテ、素人ト半人前ノ剣士ノオ守ヲ、ソコノ眼鏡一人ニ任セル訳ニモ行カネェダロウ」

「だが!」

「オイオイゴ主人。我ガ偉大ナル主、真祖ノ吸血鬼ニシテ大魔法使イ、【闇ノ福音】、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル様ヨォ」

チャチャゼロは、小さな親指を立て、己を指して胸を張った。

「俺ハ誰ダ?【闇ノ福音】最古ニシテ第一ノ従者、チャチャゼロ様ダゼ?チンケナ妖怪ドモヤ、多少腕ガ立ツクライノゴスロリ剣士、ソシテヒョロイモヤシミテェナ人形使イニ負ケルワケネェダロ」

絶句した主に、従者は更に告げた。

「モーチョイ、自分ノ従僕ヲ信ジロヨ、ゴ主人」

従者の人形の言葉に、エヴァンジェリンの口元に、ジワリと笑みが浮かんだ。

「……そう、だな。確かに、私の従僕が、あんな者達に負ける筈もないな……」

エヴァンジェリンは、久々となる第一の従者の『覚悟』を受け取った。

「ならば命じる。我が第一にして最古の従者、【殺戮人形《キリングドール》】チャチャゼロよ。この場の全てを任す。そして、もう一つ」

エヴァンジェリンは、限りない慈愛を込めて、チャチャゼロに二つ目のオーダーを告げた。

「決して、壊れるな」

「承リマシタ、我ガ主。ドウゾ、ゴ存分ノオ働キヲ」

エヴァンジェリンの前に跪き、恭しくチャチャゼロは頭を垂れた。

「ああ。……茶々丸、お前も、姉を助けてやれ」

「はい、マスター。ご武運を」

こちらも一礼を持って応えた茶々丸である。

「……いいのか?」

千雨の確認に、エヴァンジェリンは軽く頷いた。

「大丈夫だ。私の従者達は、強い」

「……わかった。桜咲、神楽坂、私が包囲網に穴をあける。その隙に儀式の場に向かうぞ」

「判りました!」

「おっけー!」

明日菜と刹那がそれぞれ頷くと同時に、千雨はコートから新たな仮面を取り出し、装着する。額に生えた二本の角と、厳つい顔の造作。鬼のそれとよく似た仮面である。

『嵐を呼び、雷を生む、インドネシアの雷神仮面』

襲い掛かって来た鬼の喉笛を掴む千雨。その掌から、夜闇を斬り裂く雷光が迸る。驚く刹那達を尻目に、千雨は更に仮面の力を行使する。

『雷雲、招来』

ごごっ、と天が鳴く。瞬時に湧き上がった黒雲が、瞬間、周囲に凄まじい稲妻の雨を降らせる。大地を焼き焦がした雷光によって、十体以上の鬼達が絶叫を上げて消滅した。

『行くぞ』

「うむ。刹那、神楽坂明日菜、遅れるなよ!」

「承知!」

「ま、待ってー!」

内心、強い仮面の力を使った千雨を心配しつつ、エヴァンジェリンは飛び出した千雨と並走した。そのすぐ後を、刹那と明日菜が追走する。だがその時。

「行かせると思うかい!?」

呪三郎駆る二面四手の人形と。

「そうは問屋が卸しまへんえ~!」

刹那を逃がすまいとする月詠が追撃を掛ける。しかし、それら二人の行動を、チャチャゼロ・茶々丸姉妹と、真名が阻止する。

「コッカラハ立チ入リ禁止デスッテナ!キャハハハハッ!」

「マスターの命により、ここは通しません!」

人形の繰り出す刃を、姉妹がナイフとブレードで押しとどめれば、無言で放たれた銃弾が、二刀の連撃を弾き飛ばす。

「わ、わ」

慌てず、飛来した銃弾を弾く月詠だが、その隙に刹那達の離脱を許してしまった。

「むむー。また邪魔しはってー。それに、神鳴流に飛び道具は効きまへんえー」

むくれる月詠に銃口を向けながら、真名は油断なく構える。

「知ってるさ。よぉく、な」

学園の見回りの際、組まされる事の多い刹那と真名はそれだけ相手の事をよく知っている。故に、真名にしてみれば、銃撃で神鳴流を倒せない事など、百も承知である。だがそれでも。

「だからこそ、越えてみたいと思わないか?『銃は剣よりも強し』、と言うくらいなのだから」

歴戦の傭兵中学生は、嫣然と笑った。

一方、こちらもエヴァンジェリンを逃がした呪三郎は、不快気に顔を歪めた。

「やってくれるね。人の手に括られずに動く、無粋な人形の分際で」

「ホザキナ、根暗野郎」

大振りのナイフを担いで、チャチャゼロは呪三郎を見据える。その後ろでは、油断なく茶々丸が構える

「……まぁいいさ。大事な君達の首を送りつけてやれば、【人形遣い】も今度こそ僕との再戦に応じるだろうさ」

滴るような笑みと鬼気を放ち、呪三郎は嗤う。

「目ェ開ケタマンマ、寝言垂レ流スンジャネェヨ、モヤシガ。大事ナ人形ト一緒ニ寸刻ミデバラシテヤルカラ、覚悟シヤガレ」

それをそよ風と受け止めて、チャチャゼロは毒づく。
遠くに聳える【リョウメンスクナ】が放つ魔光が辺りを照らす中、それぞれの戦いが始まろうとしていた。




【あとがき】
流石僕らのチャチャゼロさん!そこに痺れるあこがr。
更新が遅れて申し訳ありません。今回は思った以上の難産でした。次の更新は、もう少し早くできるように頑張ります。
それでは、また次回。



[32064] 第二十三話「『魂』の在り処」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/06/14 22:30
目覚めてから少し経ったある満月の頃、その光景を見た。
主は静かに本を読み、その傍らでは、小さな一番上の姉が、お気に入りのナイフの手入れをしていた。二人の間に会話はなく、只、同じ場所を共有しているだけの光景。
だけどその光景を、生まれたばかりの自分は、何故か酷く羨ましく感じた。



「絶景かな、絶景かな、ってね」

遠くに見える【リョウメンスクナ】を眺めながら、『傀儡師』はのんびりとした口調でそう言った。

「文字通りの神の似姿。美しいと思わないかい?」

その瞳には、素直な羨望と称賛の色。呪三郎は、本気で【リョウメンスクナ】を美しいと思っていた。

「二面四手。ふふふ、丁度この子も同じだ。名前も付けていなかった事だし、あの鬼神にあやかって、『宿儺《スクナ》』とでも名付けようかな」

傍らに控えた異形の人形を撫でて、呪三郎は嗤う。

「テメェノポンコツ人形ノ名前ナンゾドウデモイインダヨ」

全身から鬼気を発する呪三郎と相対したチャチャゼロが、吐き捨てるように言う。そして、自分の後方にて身構える妹に顔をグリンと向けた。

「妹。オメェハ後方支援ダ。下手ナ手ェ出スンジャネェゾ?」

「姉さん」

返す茶々丸の声には、僅かな不満の色があった。

「私も、戦えます」

「並ノ奴相手ナラ俺モ止メネェサ。ダガ、アレハ別格ダ。今ハマダ、オ前ジャ相手ハ務マラネェ」

チャチャゼロは、茶々丸の言葉をばっさり切り捨てた。それを受けた茶々丸は、不満を抱きつつも、姉の言葉に従った。己の主、エヴァンジェリンや、開発者である葉加瀬聡美や超鈴音を除けば、この小さな姉が、茶々丸にとって命令系統の優先順位の最上位となるからだ。

「おや、二体で向って来るんじゃないのかい?」

眼前に相対するのが、小さな体躯の人形だけである事に、呪三郎は首を傾げる。

「アイツハマダマダ子供ナンダヨ。オ前ミテェナ教育上好マシクナサソウナ奴ト関ワラセル気ハネェ」

「……君は本当に口が悪いね。【人形遣い】はどう言う躾をしてるんだか」

渋面を作る呪三郎に、チャチャゼロは嗤う。

「生憎、戦ッテバカリノ野放図ナ生キ方ヲシテキタモンデナ、ゴ主人ミテェナオ上品サハ欠片モナインダヨ」

そう嘯きつつ、チャチャゼロは、身の丈程もありそうな鉈を肩に担いで、何でもないような声で告げる。

「ジャア、殺ルカ」

言うなり、チャチャゼロの体は疾風と化す。瞬時に呪三郎操る『宿儺』の懐に入り込んだチャチャゼロは、弧を描く様に鉈の斬撃を振う。だが、それを易々と受ける『宿儺』ではない。『宿儺』は掲げた左の刃で鉈の一撃を受け止める。甲高い金属音が響く中、『宿儺』がもう片方の刃を振う。奇襲を防がれたチャチャゼロは、鍔迫り合いに拘泥する事無く、すぐに身を翻すと、刃の範囲内から逃れる。すると、今度は『宿儺』がチャチャゼロを攻め立てる。二本の刃、そして鋭い爪先を持つ両腕が、4つの連撃となってチャチャゼロを襲う。その苛烈な攻めを、チャチャゼロは或いは避け、或いは躱し。そして連撃の隙間を縫って、鉈の一閃を繰り出す。
唐突に始まった死線の舞踏。そのあまりの激しさに、後方に待機していた茶々丸は息を呑んだ。仮に、今の自分があの場に飛び込んで、一体何秒無傷で居る事が出来るだろうか。チャチャゼロの戦技、そして呪三郎の人形繰りは、今の茶々丸には到底届かないほどの高い次元にあった。それを理解しながらも、茶々丸は己の電子頭脳に走る、言い難い衝動の様なものを感じていた。
一方、チャチャゼロは呪三郎の駆る人形の性能、そしてその繰りの腕の予想以上の高さに舌を巻いていた。

(ゴ主人ガ警戒スルダケノ事ハアル、カ)

空を裂く二刀の鋭さ、繰り出される貫手の速さ、そして全体の動き。それら全ては、並の剣士、魔法使いならば、十秒もあれば解体出来るほどの凄まじさを誇っている。だが、チャチャゼロは更にその上をいく。

「ぬおっ!?」

それまで防戦がちだったチャチャゼロの動きが突如変わった事に、呪三郎は困惑の声を上げる。数十合に渡る競り合いの中で、『宿儺』の動きを大体把握したチャチャゼロが、己の体のギアを上げたのだ。そもそも、チャチャゼロの戦技、武功は、凄まじい領域に達している。エヴァンジェリンの剣として、或いは盾として、数百年を戦の野の中で過ごしたチャチャゼロは、戦闘技術だけを切り取ってみると、主であり、戦技の師であるエヴァンジェリン、そして魔法世界に並ぶ英雄達のそれすらも既に凌駕している。それでも尚、チャチャゼロが絶対的強者とならないのは、エヴァンジェリンによって作られた木性の簡素な体を手放す気がないからだ。
だが、その体に拘った故に、チャチャゼロは己の体をどう動かせば、最適な戦闘行動が可能かを知りつくしている。
吹き荒れる暴風の如く、一振りの大鉈は踊る。チャチャゼロは、小さな体ごと叩きつけるように、または、ほんの小さな手首の返しによる繊細な技巧を凝らし、『宿儺』の体を削り取っていく。埒が明かぬと、と感じた呪三郎は、『宿儺』の体を強引にチャチャゼロへ向かわせ、4本の腕を抱き締めるように振う。チャチャゼロは、それを大鉈と、腰に差してあった大振りのナイフで受け止める。

「それで躱したつもりかい!?」

呪三郎が嘲笑った直後、『宿儺』の二つの頭が口をがばりと開ける。そこから覗く砲口を見たチャチャゼロは、ナイフを手放すと、鉈と刃が競り合う場所を起点に、逆上がりのように体を回し、『宿儺』の頭上に舞い上がる。直後、吐き出された針の雨が、取り残されていた大鉈とナイフを粉々に砕き散らした。

「! テメェ、ソレハモウ生産サレテナイレア物ナンダゾ!」

バラバラになった二つの得物を見て、チャチャゼロが憤慨する。

「そんなに大事なら、もっと厳重に保管しておくべきじゃないのかい?」

「俺ハコレクションハ使ッテ大事ニスルタイプナンダヨ!」

チャチャゼロの言葉を聞いて、呪三郎はからからと笑った。

「ははは、その言葉だけは同感だよ!」

己の作った物や、収集した人形は一度は何かしらに使う呪三郎である。

「姉さん!」

その時、茶々丸の声と共に、二本のナイフがチャチャゼロの傍に突き立った。武器を無くしたチャチャゼロへの精一杯の援護である。

「オ、助カルゼ、妹!」

チャチャゼロは、二本のナイフを引き抜くと、『宿儺』に向けて構える。それを受け突進する『宿儺』だが、突如その体の向きを変える。向かう先には――茶々丸の姿。

「テメェ!」

「敵は二人――、なら、弱い方を狙うのは、定石ではないのかい?」

そう言って嗤う呪三郎を、一瞬斬り殺してやろうかと思ったチャチャゼロだが、それよりも、『宿儺』が茶々丸に辿り着く方が早い。小さく舌打ちしたチャチャゼロは、体を翻して『宿儺』の背中を追った。
そして、『宿儺』の向う先に居る茶々丸と言えば、それに対し逃げるそぶりを見せなかった。それは、己の電子頭脳に蟠る、何らかの衝動、いや人で言うならば『意地』の様な物だった。
『自分だって、戦える』。
先程チャチャゼロに言ったセリフだ。襲い来る相手は、尋常な物でない事は知っているが、自分とて、現行の科学を遥かに凌駕するオーバーテクノロジーを持って作られた存在である。スペック上では、負けてはいない。そう自身を鼓舞した茶々丸は、『宿儺』に向けて拳を突きだす。同時に、轟音と共に発射される拳。ロケットパンチ、と言うか、有線式なのでワイヤードフィストとでも言おうか、空気を貫いて飛んだ拳が、『宿儺』を迎え撃つ。だが、初めて見る筈のその武装を、『宿儺』は首を傾けただけで回避した。

「面白い武器だとは思うけど、残念ながら隙だらけだ!」

呪三郎の言葉と共に、『宿儺』の腕が一閃。鋼鉄製のワイヤーがあっさりと断ち切られ、繋がりを無くした腕が彼方へと消えていく。

「くっ」

顔を歪める茶々丸が、次の武装を選択するよりも早く、『宿儺』がその攻撃の射程範囲に、茶々丸を捕える。

「――あ」

大きく広げられた4つの腕が、茶々丸の目には顎を開けた獣の牙のように見えた。何かを行動を起こそうとする茶々丸だが、その度に思考回路がフリーズする。それは、茶々丸の人工知能に初めて生まれた感覚、すなわち、【恐怖】であった。そのようにして体の固まった茶々丸を、『宿儺』が容赦なく切り刻むと思われた、その刹那。

「――コノチャチャゼロヲ無視スルタァ、イイ度胸ダ」

チャチャゼロが、雷光の速さで茶々丸と『宿儺』の間に割り込んだ。先の一瞬まで後方で己の人形の背中を追っていた筈のチャチャゼロがそこに居る事に、呪三郎は思わず唖然とする。割り込みを掛けたチャチャゼロは、手にしていたナイフを逆袈裟に斬りあげ、『宿儺』の体を吹き飛ばした。だが、只でやられる『宿儺』ではない。吹き飛ばされながらも、大きく開いた片方の顎から、鉄針の雨がチャチャゼロ達に向かって吐き出される。躱そうとしたチャチャゼロだが、背後に居る茶々丸を思い出しその場に留まると、手にしたナイフをぐるりと回し、鉄針の群れを叩き落とした。その代償は二つの結果を残した。まず一つ、チャチャゼロの手にしていたナイフが、使い物にならぬ程ボロボロになった。

「コレモイイ品ダッタンダケドナァ」

またしても駄目になったコレクションを見て、チャチャゼロがため息をつく。

「ね、姉さん……」

茫然と目の前に居る姉を呼ばう茶々丸を振り向き、チャチャゼロは少しホッとしたような様子を見せる。

「オウ、妹。モチット下ガレ。危ネェゾ?」

「そんな事よりも、姉さん!体が……!」

茶々丸の視線の先にあるチャチャゼロの体に、幾本もの鉄針が突き立っていた。中には、貫通している物もある。

「捌キ切レナカッタカ。マァ、イイ」

チャチャゼロは己の体に突き立った針を、無造作に引っこ抜いて行く。小さな体は、それだけで穴だらけの無惨な物となるが、本人は至って平然とした様子で、

「コウイウ時、安物ノ体ハ楽デイイナ」

と笑った。だが、そんなチャチャゼロの様子に一瞬の安堵を浮かべた茶々丸は、顔を俯け、唇を引き結ぶ。

「……ごめんなさい、ごめんなさい、姉さん」

「ド、ドウシタヨ?」

絞り出された言葉の悲痛さに、チャチャゼロは驚く。

「私が、私が弱いから、姉さんが傷ついてしまいました……」

「別ニ、オ前ノセイッテワケジャ……」

「でも!」

なんとか宥めようとするチャチャゼロの言葉を遮り、茶々丸は言い募る。

「でも、もしここに居たのが、私じゃなくて、他の姉さん達だったら、こんな事にはならなかった筈、いえ、寧ろ、姉さんと並んで、あの男に立ち向かう事だって……」

茶々丸は、ぎゅうと拳を握りしめた。弱い自分が、悔しくて、守られる事しかできない事が、辛くて。

「……私は、他の姉さんたちみたいに強くない。最新の科学で作られた筈なのに、マスターのお役に立つ事も出来なくて……」

「イヤ、ゴ主人ノ衣食住ヲ面倒見テンノオ前ジャネェカ」

「そんな事、他の姉さん達だって……」

チャチャゼロは、酷く落ち込んだ様子を見せる茶々丸に、ため息をついた。と言っても、他の姉達と自分を比べる、と言うのは、何も茶々丸に限った悩みではない。チャチャゼロが見てきた他の妹達も、同じように通って来た悩みだ。それらに対し、チャチャゼロは自身が彼女たちを鍛え上げる事で、その悩みを解消してきた(無論、他の妹達は別のアプローチをしていたようだが)。そんなチャチャゼロであったが、今回に限り、言葉を持って、この末の妹に伝えた。

「……イイジャネェカ、弱クテモ」

「え?」

姉の言葉に、茶々丸はきょとんとした表情になった。そんな妹に、不器用な姉は言葉を紡いでいく。

「今ノゴ主人ハヨ、ヤット自分ノ未来ッテ奴ニ目ヲ向ケラレルヨウニナッタヨナ?」

「は、はい」

「俺ガゴ主人ノ従者二ナッタ頃ハヨ、毎日ノヨウニ誰カト殺シ合ッテタモンダ。ゴ主人ハ今ヲ生キル事ニ精一杯デヨ、トテモ未来ナンテ見テル場合ジャナカッタンダ」

「……」

「俺ヤ、他ノ妹達ガ強エッテノハヨ、ソンナ闇ノ時代ノ名残ミテェナモンダ。決シテ、誇レルヨウナモンジャネェ」

それは、チャチャゼロにとっても思い出したくない記憶である。あの頃、何度己の主を死なせかけたか。何度弱い自分に歯噛みをしたのか、わからない程の辛酸を舐めていた。そんな中を、必死で己の技量を磨いて、何とか主を護れるようになったのである。

「ゴ主人ガ麻帆良学園ニ通ウヨウニナッテ、友達モタクサン出来テ、俺ハ本当ニ安心シタンダ。コレデモウ、ゴ主人ガ傷ツク事ハナインダッテ」

でも、とチャチャゼロは言う。そんな主が、ある日を境に、魂が抜けたような状態になった。呪いのせいで、全ての絆を失った主をどう慰めればよいのか、戦う事しかできないチャチャゼロには判らなかった。

「ソンナ時間ヲ何度モ繰リ返シテタ時、オ前ガ出来タンダ」

己達とは、違う技術によって生み出された新しい妹。その無垢な存在は、少しずつであるが、主の心を癒していったように、チャチャゼロは思う。そして、それから少しの後、主は、己の道を再び光へと導いた、あの少女に出会ったのである。

「アノ眼鏡ノオカゲデ、ゴ主人ハマタ前ヲ向ケルヨウニナッタンダ。コレカラ先ノゴ主人ニ、戦イナンテイラナインダ。ダカラ、ソンナゴ主人ニ付キ従ウオ前モ、戦ウ事ナンテナインダ」

「姉さん……」

「オ前モ、ソシテ光ノ道ヲ歩キ始メタゴ主人モ、マダマダコレカラサ。明ルイ場所ヲオッカナビックリ歩クゴ主人ノ横デ、一緒ニ笑ッテ、一緒ニ泣イテ、ユックリ成長スレバイイ」

チャチャゼロは、これから先を主と共に歩むのは、茶々丸がふさわしいと思っていた。自分のような存在は前に出ず、偶に主や幼い妹をからかうぐらいが丁度いいとも。或いは、【闇の福音】を始めとした数々の悪名の影響が、こうして立ちふさがる時の護り手としてあるぐらいで丁度いいと、そう思っていた。

「ダカラ戦ウ事ハ、ソレシカ出来ナイ俺ニ任セテ、ソコデノンビリ観戦シテレバイイサ。オ前ノ――“茶々丸”ノオ姉チャンガ、凄ェ強エ所ヲナ」

「――はいっ!」

心の内に秘めていた姉の心情聞いて、そしてそんな姉から初めて名前を呼ばれた事に気付いた茶々丸が、嬉しそうに返事をする。基本数百体以上の妹がいるチャチャゼロにとって、大抵の妹は名前が覚えきれないために、『妹』で通す。名前を呼ぶという事は、チャチャゼロにとって、その存在が特別な物になった事を意味しているのだ。
チャチャゼロは、己の持参していたカバンの中から、持てるだけの刃物を取り出すと、全て体に背負い込んだ。そして、呪三郎と再び相対した。そんなチャチャゼロを見ながら、呪三郎は妙に軽い拍手を彼女に送る。

「いやぁ、美しい姉妹愛。と言ってあげたい所だけど、僕から見れば、醜悪だよ、君達はね」

「ア?」

チャチャゼロの声に剣呑な物が宿る。それを気にした風も無く、呪三郎は続ける。

「人形は、ただそこに在るだけで、或いは人に繰られてこそ華。にも拘らず、自分の意思で動き回る君達は、不出来な人間の模型な様な物だ。無粋な上に、見るに堪えない。だから、人形に『魂』なんて必要ないのさ」

「……ソウカイ。ゴ高説、痛ミイル。ケドナ」

瞬間、チャチャゼロの姿は『宿儺』の目の前に到達していた。

「俺ハソウハ思ワネェ」

「何!?」

顔を歪ませる暇もなく、チャチャゼロの振るう刃を『宿儺』で受け止めた呪三郎だが、その瞳が再び見開かれる。鋼がぶつかる音がしたと思った次の瞬間、チャチャゼロの姿が再度かき消え、今度は跳ねあがった刃の一閃が『宿儺』の腕を弾く。それと同時に叩き込まれた蹴撃が、『宿儺』の体を吹き飛ばした。

(何だ!?速すぎる上に、この力は!?)

呪三郎は、チャチャゼロの速度と剛力に驚愕する。
先の攻防において、茶々丸に迫る『宿儺』に追いつく事が出来たチャチャゼロの切り札の一つ、『瞬動』及び『虚空瞬動』による連続機動、そして魔力を纏う事による『限定強化』である。本来、人形であるチャチャゼロに『気』を発生させる事は不可能である。だが、チャチャゼロは、それを主から供給される魔力を代替物として使用する事により、これらの技を可能とする。そして、数百年に及ぶ研鑽は、本来直線機動しかできないそれを、ごく短時間で切り替えながら使う事により、恐ろしく滑らかに動く事を可能とした。そして全身強化は、言わずと知れた魔力供給による産物であるが、チャチャゼロはそれらの出力を制御する事が出来る。先の蹴撃は、脚力を極端に強化する事で起こした物である。
チャチャゼロは吹き飛ばした『宿儺』を追って疾駆しながら叫ぶ。

「コノ意志ガ合ッタカラ、アノ方ヲ護ル事ガ出来タ!」

――ここまで来れば、もう大丈夫だろう。お前のおかげで助かった。ありがとう!

チャチャゼロは担いでいた刃物の内、小振りの物を投げつける。腕力の強化によって放たれたナイフは、『宿儺』の胴体を容赦なく穿つ。

「コノ思イガ合ッタカラ、アノ方ヲ笑顔ニ出来タ!」

――決めた!お前の名前は、『チャチャゼロ』だ!どうだ、いい名前だろう?

『宿儺』に追いついたチャチャゼロは、手にしていた身の丈ほどもある剣を、体ごと振り回すように叩きつける。咄嗟に交差した刃の腕で受け止める『宿儺』だが、そのあまりの威力に、体全体が軋み、足元の大地が砕けた。

「コノ心ガ合ッタカラ、アノ方ヲ孤独カラ救エタンダ!ダカラ!」

――これからは、お互いが滅ぶその時まで、私達はずっと一緒だ!よろしく頼むぞ、チャチャゼロ!

「俺ハ自分ノ『魂』ガ生マレタアノ時カラ、一瞬ダッテソレヲ後悔シタ事ナンテネェンダヨッ!!」

叩きつけた剣を手放すと、素早く地に降り立ったチャチャゼロは、腰にあった二本のナイフを、交差するように振った。空を走った刃は、掲げられた事で伸び切った『宿儺』の腕の関節の繋ぎ目を、過たず斬り飛ばした。

「馬鹿な!」

慌てて呪三郎は『宿儺』を己の傍らに招き寄せる。傷つき、二本の刃を失ったその姿は、酷く不格好となりあらゆる面で呪三郎の美意識を不快な方向に逆撫でた。
そしてチャチャゼロは、斬り落とした『宿儺』の腕を踏みつけながら、そんな呪三郎に向けてナイフの切っ先を突きつけて笑う。

「ドウダイ?醜イ人形モ、ヤルトキャヤルダロ?」

そんな風に余裕ぶるチャチャゼロであるが、かなり全身がマズイ事になっていた。チャチャゼロが、切り札をあまり使用しないのは、『連続機動』、そして『限定強化』による反動を、脆い体が受け止めきれないからである。関節が軋み、傷ついたか所からは、罅割れまで起こっている。

(コリャ、後デゴ主人カラ大目玉ダナ)

そう思うチャチャゼロであるが、この場を退く気は全くない。何故ならば、チャチャゼロの後ろには、これからの主の未来を託した、大事な妹がいるのだから。

「サァ、続ケヨウゼ!」

不調を押して、チャチャゼロが『宿儺』に立ち向かう。そんな小さな姉の、あまりに大きな背中を見ながら、茶々丸は思う。
いつの日か、きっとそう遠くない未来で、戦う事しかできないなんて言った姉の手を引いて、自分と主がそんな彼女を導いてあげたい、と。



その場に佇んでいた自分に気付いた姉が、手招きした。何事かと思えば、自分と、そして主の為に紅茶を入れて欲しいらしい。与えられた技能に従い紅茶を入れると、本に夢中の主は生返事である。そこで悪戯を思いついたのか、姉が砂糖と塩の入った壺を入れ替えた。はらはらして見ていると、やがて本から目を離さぬままの主が、砂糖(から入れ替えられた塩)を二匙掬い、紅茶に溶かして一口飲んで。
噴き出した。
折角の本は紅茶まみれになるし、主は予想外の味に咳込み、それを見た姉はお腹を抱えて笑っている。それから大騒ぎしながら追いかけっこが始まり、なし崩しに自分も姉を追いかける羽目になった。結局、姉を捕まえる事が出来ず、その夜は悔しがる主を宥めるのが大変だったが、眺める事しかできなかったあの光景に一緒に居られた事が、とても嬉しかった事を、今でも自分は覚えている。



【あとがき】
これが某海賊漫画ならば、チャチャゼロの背後に確実に『ドンッ!!』の文字が浮かんでいる筈(笑)。
実はとても家族思いのチャチャゼロと、思春期(?)真っただ中の茶々丸の話。呪三郎?誰だっけ?(おい
次回は、場面変わって儀式の場。二度目の激突になる、白面の魔法使いと、大いなる力を手に入れた陰陽師が立ち塞がります。
それでは、また次回。



[32064] 第二十四話「サカマタの仮面」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/06/21 00:50
――現在の時刻、午後23時45分。



闇に沈む森の中を、僅かな月明かりを頼りに、4人の少女達が進む。先行するは、長谷川千雨と、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。その後を、少し遅れて桜咲刹那と神楽坂明日菜が続いている。一同は、時折襲ってくる鬼達を倒しながら、儀式の場へと足を早める。その時。

「カモ!?」

「カモさん!?」

いきなり、明日菜と刹那が、ここにはいないネギの使い魔の名を呼んだ。千雨は周囲に目を走らせるが、白い毛並のオコジョの姿は見えない。

「仮契約カードの念話機能だ。あのオコジョが、二人に念話を飛ばしているんだろう」

訝しげな(されど無表情)様子の千雨を見てとったのか、エヴァンジェリンが言う。そうこうしていると、今度は不意に、二人の姿がその場から消える。

「今度は召喚機能だな。坊やが、あいつらを呼んだんだろう」

「……それは、ネギ先生は今、あの二人をすぐさま呼ばねばならない状況にある、と言う事ではないのか?」

千雨がそう言うと、エヴァンジェリンが一筋の冷汗を垂らした。

「……少し、まずいかもしれん」

絞り出すようにそう言ったエヴァンジェリンを置いて、千雨はコートの内側から一枚の仮面を取り出す。

「すまない、エヴァンジェリン。後から、来てくれ」

「え?あ、ちょ!? 千雨!?」

慌てて千雨の方へ眼を向けたエヴァンジェリンだが、そのわずかな間に、今度は千雨の姿が掻き消えていた。

「あー!もうっ!相変わらず、なんてマイペースな奴だ!」

むきーっ、と喚きながら頭を掻き毟ったエヴァンジェリンだが、すぐさま体を翻し、儀式の場へ一人で向う。

「……仮面をあまり使うなよ、千雨!」

先んじた友の安否を気遣いつつ、真祖の吸血姫は、暗い森を疾走する。



時は少し遡る。ネギ・スプリングフィールドの前には、巨躯の大鬼。その肩には、陰陽師と救うべく生徒の姿がった。

「こ、ここ、こんなの相手にどうしろっつんだよ!?って、兄貴!?」

恐怖に目を見開いていたカモは、膨れ上がった主の魔力に驚愕する。

「完全に出ちゃう前にやっつけるしかないよ!」

ネギが見据える【リョウメンスクナ】は、確かに復活の直後ゆえか、霊体が完全に安定しておらず、所々で幻のように姿が霞んでいる。

「【雷の暴風《ヨウイス・テンぺスタース・フルグリエンス》!!!】」

酷使しきった体から更に絞り出した魔力を持って、ネギは今自分が使える最大級の魔法を【リョウメンスクナ】に放った。迫る雷を孕んだ竜巻を前に、大鬼の肩に立つ千草は、にたりと唇で弧を描く。

「阿呆が」

【雷の暴風】に全く動じる様子のない千草は、何も、しなかった。そして、ネギの渾身の魔法が【リョウメンスクナ】に炸裂するかと思われた瞬間、魔法が弾かれたように消滅する。

「そ、そんな……」

効く、効かない以前に届きすらしなかった己の魔法を見て、ネギが愕然とした表情になる。【リョウメンスクナ】の纏う圧倒的な魔力が障壁のような役割を果たし、魔法を弾いたのである。

「ははは、坊や程度の木っ端魔法使いの魔法が、【リョウメンスクナ】に通じる筈が無いやろ?身の程をわきまえや」

大鬼の肩からネギを見下し、嘲る千草。言われた方のネギは、己の力量不足を悔しさと共に噛みしめるしかなかった。その時、背後から何かが砕ける、甲高い音がした。振り向いたネギは、そこに、決死の思いで足止めした、白の魔法使いが解放されている姿を目にした。

「善戦したけど、残念だったね、ネギ君」

静かに見つめるフェイトを前に、ネギは蹲り、荒い息を吐く事しかできない。魔力、体力共に、既に限界を超えていた。

(マズイマズイマズイマズイマズイ!これはマズイ!何か打つ手は――)

絶望的な状況において、カモは頭をフル回転させて打開策を見出そうとする。そして、天啓のように一つの道を見出す。

(そうだ、仮契約カードのまだ使ってない機能!)

それを思いついたカモは、素早く明日菜達に念話を送ると、ネギにもカードの機能を伝える。そうこうしている内にも、フェイトはゆっくりと歩を進めてくる。

「殺しはしない。けれど、自ら向かってきた以上、それ相応のリスクは覚悟している筈だね」

フェイトはネギに向けてすっ、と手を翳す。

「体力も魔力も限界、か。よく頑張ったよ、ネギ君」

その瞬間、カモがネギに合図を送る。

(今だ、やれ、兄貴!)

その言葉に従い、ネギは素早く仮契約カードを取り出すと、二人の従者を呼び寄せる。

「召喚!ネギの従者、神楽坂明日菜!! 桜咲刹那!!」

その言葉と共に、眩い魔法陣が二つ、ネギの前に展開され、そこから明日菜と刹那が現れる。

「明日菜さん、刹那さん、僕……。すいません、木乃香さんを……」

「わかってる、大丈夫よ、ネギ!」

威勢良く返事をした明日菜は振り向いた拍子に背後に聳える【リョウメンスクナ】の威容を見て悲鳴を上げる。

「って、ぎゃあああっ!? な、何あれ!?」

「お、落ち着け、姐さん!」

いきなり取り乱した明日菜を、慌ててカモが宥める。そんな風に騒がしいネギ達を見るフェイトの瞳に、焦りも同様も一切ない。この二人が揃った所で、自分を阻む障害足り得ぬ、と言う事を判っているからだ。

「……それで、どうするの?」

問うたフェイトは、静かに起動キーと共に呪文を唱え始める。

「『ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト』……」

それを見たネギ達の目に焦りが浮かぶ。この白面の魔法使いの使う魔法が、「石化」と言う厄介な特性を持っている事を、後で千雨から聞いていたからだ。

「まずいぜ、奴の詠唱を止めねぇと!」

「駄目です、間に合いません!」

「『時を奪う、毒の――』」

不意に、フェイトの詠唱が止まる。一瞬遅れて、ネギ達もそれに気付く。フェイトの前方にある空間が、撓むように揺らいでいる。やがてそこから、滲み出るように仮面を被った少女が現れる。

『ファントム・マスク』

何の装飾もない、額から鼻までの部分を覆うだけの白い仮面を被った千雨は言う。

『19世紀のパリにあったオペラ座の地下に巣食う怪人が、生来の醜さを隠す為に身につけていた仮面。彼は神出鬼没、どのような場所であれ現れたという』

現れた千雨を見て、フェイトに強い警戒心が生まれる。

「瞬間移動《テレポート》、か。やはり君が立ち塞がるんだね、長谷川千雨」

『その通りだ。フェイト・アーウェルンクス』

シネマ村で見えてから数時間後、白面と無貌は、再び相対した。



現在の時刻、午後23時50分。



「ち、千雨ちゃん!? い、いつの間に……?」

突如現れた千雨に驚く明日菜。ネギや刹那達も同様の表情である。

「桜咲」

「は、はい!?」

呼び掛けられた刹那が少し声を上ずらせた。

「近衛はどうした」

「! お嬢様!」

千雨の登場で、色々な物が飛んでいた刹那だが、すぐに己の幼馴染を思い出し、【リョウメンスクナ】に目を向ける。はたして木乃香は、大鬼の肩口、千草と共に居た。意識がないのか、ぐったりとして身動きする様子もない。

「あんな高い所に……。ネギ、あんた空飛べたわよね?」

「す、すみません……。もう魔力が……」

明日菜の問い掛けに、ネギは首を横に振る。飛べるならば飛んで行きたいが、もうほとんど魔力がない。その言葉を聞いた刹那は、静かに告げる。

「……私が、行きます。私ならば、あそこまで行く事が出来ます」

「え……。ど、どうやって?」

刹那はしばし沈黙した後、重い口を開いた。

「……ネギ先生、明日菜さん、長谷川さん。私には、お嬢様にも秘密にしていた事があるんです」

そう言った刹那の姿は、何処か寂しげである。

「この姿を見られたなら、もう、今までの場所にいる事は出来なくなります」

言いながら、刹那は己の体に眠る『力』を開放する。

「でも、今なら、今だから、この力を、使います!」

力強い言葉と共に、刹那の背中から、服を突き破って一対の純白の羽根が生えた。それを垣間見たネギと明日菜は、目を丸くする(千雨は、いつも通りの無表情)。

「これが……、私の秘密です。奴らと――あの鬼達と同じ、『化け物』です」

その言葉を聞いた千雨の目が、少しだけ細くなる。

「妖の血を引く、神鳴流の鬼子……。それが、私なんです。でも、誤解しないで下さい。お嬢様を護りたいと思う気持ちに偽りはありません」

でも、と刹那は言う。この醜い姿を見られたくなかったと。

「怖かったんです……。お嬢様に、このちゃんに嫌われるのが。私は、宮崎さんの様な勇気も持てない、情けない女です……!」

何かを堪えるように、絞り出した声で告げる刹那。そんな刹那に、明日菜は。

「ふーん……」

「わひゃっ!?」

不意に刹那に近づくと、刹那の背中の羽根に触れ、その感触を確かめる。羽根にもきちんと神経の通っている刹那は、いきなりの明日菜の行動に小さく声を上げる。そんな刹那に構わず、明日菜は羽根に顔を埋めたり匂いを嗅いだりとやりたい放題している。そして一通り堪能して満足したのか、一歩体を離すと、手を振り上げて、平手を思い切り刹那の背中に叩きつける。

「きゃうっ!?」

いきなりの暴挙と背中の痛みに、今度こそ刹那が悲鳴を上げた。

「なーに言ってんのよ刹那さん。そんなの背中から生えてくるなんて、カッコイイじゃない」

「へ……」

ひりひりと痛む背中に涙目になりながら、刹那は明日菜を見る。

「刹那さんは、木乃香の幼馴染で、中学に入ってからも二年間も木乃香を見守って来たんでしょ?その間、木乃香の何を見て来たのよ」

明日菜は刹那に笑いかける。

「大丈夫!木乃香がこのくらいの事で、誰かを嫌いになったりする訳ないじゃない!」

「あ、明日菜さん……」

その時、それまで黙って明日菜と刹那のやり取りを聞いていた千雨が口を開いた。

「桜咲」

「は、はい」

「本当の『化け物』は、もっとおぞましく、残酷な存在だ。……私のように」

「え……」

「私の目には、お前の翼が美しい物にしか映らない」

「は、長谷川さん」

千雨の言葉に、刹那は少し頬を赤くする。千雨は、フェイトを改めて向かい合いながら言う。

「ここは任せて、お前は近衛の元へ行け。……先生、神楽坂。フォローをお願いします」

「! わかったわ!刹那さん、千雨ちゃんの言う通り、木乃香を助けに行ったげて!」

初めて千雨から頼られた明日菜が、パッと顔を明るくする。

「僕も出来る限り、頑張ります!刹那さん、木乃香さんをお願いします!」

ネギもまた、疲れた体に鞭を打ち、千雨に並ぶ。

「……はいっ!」

三人の言葉を受けた刹那が、顔を笑顔にして頷く。そして翼を広げると、【リョウメンスクナ】に向けて飛び立つ。飛び去る刹那をちらりと見やるフェイトだが、結局何もしなかった。

「……半魔《ハーフブルート》だったのか、彼女は」

妖怪と人間、魔族と人間の間には、極稀に子供が生まれる。えてしてそんな子供は、両方から爪弾きにされ、悲惨な人生を送る事になる。刹那や小太郎等は、まだましな方である。

「何か邪魔をするのかと思ったが」

千雨の言葉に、フェイトは静かに首を振る。

「君を前に余計な事をしている余裕はないよ。それに……」

その時、フェイトは時初めてうっすらと嗤った。

「君達は、天ヶ崎千草と言う人間を、甘く見過ぎている」



舞い上がった刹那は、ぐんぐんと【リョウメンスクナ】、その肩に立つ千草と木乃香の元へ迫る。

「天ヶ崎、千草!」

仇敵の名を呼ばう刹那。そんな刹那を前に、千草は少し驚いたように目を見開いた。

「何や、神鳴流の半人前。あんた、半妖やったんか。しかも烏族の中では禁忌の白。……とち狂って神鳴流なんぞに身を寄せる筈やな」

「黙れ!忌まわしい翼であっても、今はお嬢様を助ける事が出来るならば、本望だ!」

「助けられる、ねぇ……。世の中、そんな上手くいかへんで?」

刹那を嘲り、千草は嗤う。

「お嬢様のお力で維持しとるとはいえ、この【リョウメンスクナ】は、今うちと霊的に繋がっとる状態や。そこから逆流するように、少しだけやけど、お嬢様の力がうちにも流れこんどる」

「……何が言いたい」

「微々たるもんやとはいえ、今のうちには十分すぎる力……。それをきちんと使いこなせば、こういう事も出来るんやで?」

言うなり、千草は懐から取り出した二枚の符を宙に投げる。符は空中で膨れ上がると、形をなして千草の目に降り立つ。

「な……!?」

それを見た刹那は驚き、千草は得意げに笑う。

「これがお嬢様の力で強化したうちの式神、『猿鬼・改』と『熊鬼・改』や」

刹那の目の前に、千草の式神がいた。しかし、その姿は、いつか見た物とはかけ離れた姿をしている。
『猿鬼・改』。ぬいぐるみの様なかつての姿は欠片もない。大きな体、そして金色の毛並と青い瞳を持つそれは、腕が異様に長い狒々の様である。
『熊鬼・改』。こちらも以前の姿とはかけ離れている。赤い毛皮の巨体に、それよりも更に色の濃い、血の様な瞳。加えて、先端に鋭い爪が生えた腕が4本も生えている。

「以前の物は「姿に比べ」、やったけど、今のこいつら「姿以上に」恐ろしいですえ?」

嗤う千草に、一瞬ひるむ刹那だが、己の心を奮い立たせて、式神達に向かって飛翔する。

「神鳴流――斬岩剣!」

気を込めた一刀が『熊鬼・改』に向けて振われる。しかし、その一撃を『熊鬼・改』は悠々と受け止めてみせる。

「何……!?」

微塵の傷も与えられなかった刹那が絶句する。そんな刹那に向けて、『熊鬼・改』は左の二本の腕を薙ぎ払う。

「くっ」

それを危うい所で躱す刹那だが、それを追って『猿鬼・改』が飛び上がる。

ごああぁぁぁああああぁぁああぁぁっ!

大猿の雄叫びと共に、その太い腕が振われる。轟音を立てて通り過ぎる拳を躱す刹那だが、この二体を躱して木乃香に近づく事が凄まじく困難である事を知る。

「さて、どないする、神鳴流のひよこ剣士?」

焦りを浮かべる刹那を、千草は冷たい瞳で見据えた。

(強い……!あの妖怪達の頭、大鬼に匹敵するくらいに!)

立ちふさがる障害の高さに、刹那は唇を噛む。だが、ここで怯む事は出来ない。すぐそこに、大切な友がいるのだから。

「はあああああっ!!」

刹那は全身の気を高ぶらせると同時に、妖気を纏い身体を通常以上に強化する。この瞬間において、刹那は実力以上の力を発揮する。翼を振わせ、刹那は、真正面から巨熊に挑む。その握り住めた刀身に、紫電の輝きが灯る。

「神鳴流決戦奥義!真・雷光剣!!」

振る下ろされた一閃に雷光の光が煌めく。それを受け止めた巨熊は、撒き散らされた雷撃をその身に受け、絶叫を上げる。そして振り切られた白刃が、異形の式神を両断する。会心の一撃に、内心で快哉を上げた刹那だが、次の瞬間、拳を己に向けて振り被る大猿の姿を視界の端に映す。訝しむ間もなく、その腕が突如として伸びた。反して、片側の腕は縮んでいる。河童と言う妖怪は、左右の腕が繋がっており、伸び縮みさせる事が出来ると言う。どうやら、この式神もまた、同じ体の構造をしているらしい。大猿の一撃を何とか躱そうとした刹那だが、躱し切れず、翼の一部に強い衝撃を受けた。

「ぐあっ!」

苦悶の声を上げる刹那の体が、重力に引かれる。慌てて体浮かべようとする刹那だが、翼を動かした瞬間激痛が走る。それに邪魔をされて、上手く体を飛ばせる事が出来ない。

「ご苦労さん」

にたりと笑う千草が、その姿を見送る。だが、刹那の視線はその隣にいる木乃香に注がれる。

(お嬢様、お嬢様、お嬢様……このちゃん、このちゃん、このちゃん!)

必死の思いを浮かべる刹那だが、無情にも、広げた翼は地に落ちて行くだけである。

「このちゃあああああああんっ!!」

ついに叫んだ刹那の体が、不意に、浮く。下方から、上昇気流の様な揚力が生まれていた。驚いた刹那が下に目を向けると、そこには――。



「刹那さんが!」

フェイトの猛攻を、千雨を中心に迎え撃っていた明日菜は、落ちて行く刹那を見て声を上げる。そちらに目を向けた千雨は、体を翻す。

「先生、神楽坂、少し頼む」

「わ、千雨ちゃん!?」

そんな千雨の背中を追撃すべく、フェイトが走る。その前に、明日菜とネギが立ち塞がる。

「行かせないわよ!」

「邪魔だよ」

振り下ろされたハリセンを躱して、フェイトが明日菜に向けた拳を振う。だが、それはその間に割り込んだネギによって止められる。なけなしの魔力を身体強化に回し、フェイトの不意を突く様に動いたのである。死に体であったネギの動きに、フェイト顔に僅かな驚愕が浮かぶ。

「あ、明日菜さん、大丈夫、ですか!?」

「こっちは平気よ、ネギ……!さぁ、悪戯の過ぎるガキには、お仕置きよ!!」

腕を掴まれて動けないフェイトに向けて、明日菜がハリセンを一閃する。同時に、フェイトの纏う魔力障壁が粉々に砕け散る。

(障壁が……!)

その瞬間、ネギは残った魔力を全て拳に込め、フェイトを顔面を殴りつけた。顔を跳ね上げたフェイトは、その時、初めてネギ・スプリングフィールドと言う少年を本当の意味で認識した。
一方、刹那に向けて走る千雨は、一枚の仮面を取り出す。一見すると、飛行機のようにも見える、顔半分を覆い、後ろに長い仮面である。

『サカマタの仮面』

それを被った瞬間、急列な揚力が発生し、刹那の体を下から持ち上げた。驚いた刹那が、こちらに目を向けたのが判った。

『南米クァキトゥル族の仮面。サカマタとは、即ち海獣シャチ。日本の城にも使われるように、シャチは海洋生物と言うよりも、重力に逆らい、波間から飛翔するその姿のように、天空の象徴として使われた』

こちらを見て目を丸くしている刹那に、千雨は小さく頷いた。


「行け、桜咲」


唇の動きで判ったのだろう、刹那は大きく頷くと、揚力を翼に乗せ、再び天空を走る。先に勝る速度でこちらに飛ぶ刹那に、千草の顔が強張る。

「この、ひよこが……!」

傍らの『猿鬼・改』に命じ迎撃させようとした千草だが、その瞬間閃いた連撃に、細切れになった式神ごと吹き飛ばされた。

「神鳴流奥義、百烈桜華斬!!」

鎧袖一触のように大猿を切り捨てた刹那は、そのまま木乃香の姿を抱きかかえる。

「お嬢様、お嬢様!ご無事ですか!?」

口に貼られていた呪符を剥がし、刹那は木乃香に呼び掛ける。やがて、うっすらと木乃香の目が開かれる。

「ん……。ああ……」

寝ぼけた様な眼が、刹那の姿を捉えた。

「ああ、せっちゃん。へへへ……、やっぱり、また助けに来てくれたー……」

その時、木乃香は、刹那の背中から生えた翼に気付いた。

「せっちゃん、その羽根……」

「え?あ、これは……」

慌てる刹那だが、木乃香は目を輝かせて、その翼に見入る。

「なんや、キレーやなぁ……。まるで、天使みたいや」

月を背後に、二人の少女が天を舞う。幻想的なその光景は、一枚の絵画のように美しかった。



現在の時刻、午後23時58分。



殴りつけられたフェイトは、ぎろりとネギを見やる。

「……体に直接拳を入れられたのは、初めてだよ。ネギ・スプリングフィールド!」

「くっ!」

更に攻撃を加えようとしたネギだが、それよりも早く、フェイトの攻撃が、明日菜諸共ネギを吹き飛ばす。

「きゃあっ!」

「ぐあっ!」

叩きつけられるネギ達を置き、フェイトは再び千雨に向かって走る。

「君達も厄介だが、僕の中では、彼女の方が優先度が高い物でね」

「ま、待て!」

その背中を止めようとするネギだが、僅かも体が動かない。そうしている内にも、遂にフェイトは千雨を己の攻撃範囲内に捉えた。

「フェイト・アーウェルンクス」

「君を最早人間とは見做さない、長谷川千雨。その力は、あまりにも危険だ」

その瞬間、フェイトの足元から石の槍がまっすぐ伸び、千雨に向けて突き進む。仮面を変えている余裕は、既にない。死、その一字が、千雨の脳裏に一瞬浮かぶ。
その時。

「千雨!」

猛然と走り込んで来た何者かが、千雨と石の槍の間に割って入る。

「エヴァ――」

千雨の前に盾となって立ったのは、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだった。槍の鋭い穂先が、エヴァンジェリンの体に突き刺さる――。



現在の時刻、午前0時00分。
エヴァンジェリンの手首から、はらりと最後の黒い紐が、解ける。その瞬間、エヴァンジェリンの身につけていた全ての封印具が弾け飛ぶ。それと同時に、石の槍が容赦なくエヴァンジェリンを貫いた。



【あとがき】
このちゃん奪還回。次回は、【リョウメンスクナ】とガチンコです。
それでは、また次回。



[32064] 第二十五話「鬼達の宴」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/07/05 21:07
その小さな背中から、石の穂先が飛び出している。不意に目の前に現れた彼女の体が貫かれ、飛び散る血が僅かに頬を濡らした。
その時、心に渦巻いた何かを、千雨は未だ知る事は出来なかった。



フェイトの放った石の槍が、千雨の盾となったエヴァンジェリンの体を貫く。ごぼりと血を吐いたエヴァンジェリンを見て、フェイトは僅かに驚きに目を見開かせた。

「【闇の福音】……!?」

その時、血を吐いたエヴァンジェリンが、血まみれの口元をにやりと歪める。それと同時に、その小さな体が突如として解けた。少女の体は無数の蝙蝠となって、闇の中へと飛び去る。

「これは――!」

周囲を警戒するフェイトだが、その肩ががしりと何者かに掴まれる。驚きを持って振り向いたフェイトは、そこに、己の影から体を覗かせる、真祖の吸血鬼の姿を見た。

「――千雨や坊やが世話になった様だな、若造」

(影を使った、転移……!)

完全に姿を現したエヴァンジェリンが、固く握りしめた拳を振り被る。フェイトは、咄嗟に両腕を交差して防御の構えを取った。そして真っ直ぐに打ち出された拳は、空気の壁を破る破裂音を響かせながら、フェイトに突き刺さる。

「ぐ――っ!」

その瞬間、フェイトの体が水面を切りながら吹き飛んだ。何度か水の上をはねたフェイトの体は、対岸にある岩にぶち当たってようやくその動きを止める。

「……!まさか、ここに来て【闇の福音】の力が戻るなんて……」

顔を歪めながら立ち上がろうとしたフェイトは、何かに気付いて顔を上げた。その視線の先に、広げた五指に魔力を充填させたエヴァンジェリンの姿があった。

「高位の魔法使いと言うのは、裏にどんな切り札を隠し持っているか判らない。故に」

エヴァンジェリンは冷たい瞳でフェイトを睨みつける。

「私はお前に容赦はしない」

エヴァンジェリンの腕が薙ぎ払われる。その剛腕の一撃は、フェイトの体を背後の岩ごと袈裟掛けに両断した。

「む?」

だが、その手応えにエヴァンジェリンは眉を顰める。それは、肉を裂く感触とはまるで違っていたからだ。

「……やれやれ。今回はここまでのようだね」

そう言って片方しかない肩を器用に竦めたのは、たった今体を真っ二つにされた白面の少年であった。その両断面からは、血はおろか内臓すらも見えない。只、水のような液体が滴り落ちているだけであった。

「本体と寸分変わらぬ動きの出来る分身を作るのは、結構大変なんだが、ここまで破壊されれば、もう構成を維持する事も出来ない」

「……命に保険を掛けて戦場に来るなど、随分と舐めた真似をする奴だ」

エヴァンジェリンが憎々しげな顔をする。

「そうでもないさ。それなりのフィードバックはあるからね。当初の目的だった『天ヶ崎千草の勧誘』は、話を切り出す事すら出来なかったが、まぁいい」

「ほう、お前の様な魔法使いが態々出張った理由が、あの陰陽師の為だったとはな」

「そうだよ。世を憎み、恨み、世界を変えたいと願う彼女は、『僕達』の同志に相応しい。この極東の地にしかない魔法体系、【陰陽道】の使い手としても、彼女は一流だったからね」

(『僕達』、か)

その言葉で、エヴァンジェリンはフェイトの存在の裏に何らかの組織の存在を確認した。これ程の高位の魔法使いを抱える組織ともなれば、それほど数は多くない筈である。

(『黄金の夜明け』、或いは新しい所で『フリーメイソン』辺りか。それとも……)

つらつらとフェイトの背後の存在に思いを馳せていたエヴァンジェリンだが、次のフェイトの言葉でそれらの考察は一気に吹き飛んだ。

「幾つか重要な事柄の確認も出来たから、プラマイはゼロとしておこう。英雄の息子の現在の状態、貴女の復活、それに――」

フェイトは、湖の中央にある神楽舞台の方をちらりと見やる。

「『彼女』の存在について、ね」

「貴様……!」

エヴァンジェリンがその顔に鬼相を浮かべる。今フェイトが口にしたのが、誰であるのかはすぐに判った。

「あいつに妙な手を出してみろ。貴様の背後に何があろうと関係ない。全て纏めて、滅ぼしてやる……!」

「……ふふ、かの【不死の魔法使い】、【闇の福音】、【禍韻の使徒】と呼ばれた貴女が、随分とご執心の様だ。ますます興味深いね」

「…………」

最早語る言葉すらも無い、といった様子で、エヴァンジェリンはこの小賢しげな少年を物理的に黙らそうとした。そんなエヴァンジェリンの姿を見て、フェイトは最後に置き土産代りの言葉を贈る。

「どうやら、これ以上の会話は不可能らしいね。……最後に君達の奮闘を讃えて、面白い事を教えておこう。【リョウメンスクナ】は只の神性を写した強力な式神と言うだけじゃない。この京都と言う都市、土地において、もっと重要な役割を果たしている」

「……何?」

「その本質を見極めねば、下手をすればこの都市は滅びてしまってもおかしくはないよ?」

それを告げると同時に、フェイトの体は急速に崩れていく。

「またいずれ会おう、【闇の福音】。『彼女』にも、よろしく」

別れの言葉を残し、フェイト・アーウェルンクスと名乗った白面の少年魔法使いは、完全にこの場から姿を消した。



フェイトを下したエヴァンジェリンが神楽舞台へ戻ると、千雨が駆け寄って来た。

「エヴァンジェリン」

「千雨!無事か?」

「それは私のセリフだと思うが」

千雨は嬉しそうな顔をするエヴァンジェリンを見つめた。

「何故、あんな危険な真似を」

「む……。し、仕方ないだろう。あんな場面を見れば」

それに、とエヴァンジェリンは言う。

「何も、無策で突っ込んだ訳ではない。いくら各種封印具で力を封じられているとはいえ、吸血鬼として最低限の再生能力ぐらいは保持してある。せいぜい一週間寝込むぐらいで、死にはしなかっただろうさ」

五体バラバラにでもされれば、流石に死ぬがな、とエヴァンジェリンは洒落にならない事を言って笑った。

「……でも、今は何故か無事だな?」

「ああ。これを見よ、千雨」

エヴァンジェリンはシミ一つない真っ白な肌の二の腕を見せる。そこには、千雨がつい先日目にした、魔法と魔力を封印する『制約の黒い糸』がなかった。

「ものすごいタイミングで、私に掛けられていた制約が全て解けたのだよ。だから、復活した魔力に物を言わせて、全ての封印を解いたんだ」

エヴァンジェリンはそう言って、ほとんど筋肉など付いてない様な腕で、力瘤を作ろうとした。

「おかげで、真祖としての力を全て取り戻し、あの小賢しいガキをぶっ飛ばす事が出来たんだ。結果オーライと言うやつだな」

からからと笑うエヴァンジェリンに、千雨はそれでもなお平坦な声で言う。

「……でも、封印が解けなかったら、お前は大怪我をしていた。折角の修学旅行も台無しになっていた。それに、お前は昔の友達の後を追って、前に進むと決めたんだろう?だったら、私なんかの為にこんな無茶をする必要なんて――」

「何を言ってるんだ、千雨」

千雨の言葉に、エヴァンジェリンはむっとした様な顔を作る。

「お前だって、私の友達だろうが!」

その言葉に、千雨はしばし棒立ちになった様に黙り込んだ。

「……と、もだち?」

「そうだとも。今の友も、昔の友も、比べられる物ではない。両方大事な存在なんだ。だから、助けたのさ」

エヴァンジェリンは胸を張った。何も恥じ入る事はないとばかりに。

「お前がどう思っているかは知らんが、私にとって、お前が友であることは変わりない事実だ」

その言葉に、千雨は再び黙り込んだ。いつも通りの無表情。だが、エヴァンジェリンの目には、今の千雨は戸惑っているように見えた。

(全く、無理もないとはいえ、鈍感な奴だ)

やはり友人認定されていなかったのかと、少し落ち込むエヴァンジェリンである。そして、当の千雨は、しばしの沈黙の末。

「……すまない」

と、口にしていた。それを聞いたエヴァンジェリンは、びっ、と指を千雨の顔に突きつけた。

「千雨。前から言いたかったのだがな。こういった場面では、謝るのはおかしい」

真祖の吸血姫は、少し眉を寄せて言う。

「私は、お前に謝られる様な事は、何一つしていないのだからな」

そんなエヴァンジェリンの言葉に、千雨は逡巡の後、ゆっくりと口を開く。

「……『ありがとう』、エヴァンジェリン」

「うむ!」

その言葉に大満足したのか、エヴァンジェリンは満面の笑みで頷いた。

「さて、それじゃあ後は――」

「アレの始末、か」

振り向いた二人の視線の先に、天を突く異様の、鬼神の姿があった。



「千雨さん、エヴァンジェリンさん!」

【リョウメンスクナ】を前に立つ千雨とエヴァンジェリンの元に、明日菜を伴ったネギが近づいてきた。

「ふん、坊やか。まぁ、奮闘した様だな」

にやりと唇を歪めて笑うエヴァンジェリンは、幼い魔法使いの健闘を讃えた。

「ど、どうしますか?木乃香さんは無事に助ける事が出来ましたけど……」

「ほう、最大の目的だけは果たしたか。中々やるじゃないか」

「は、はぁ……」

魔法使いとして呆れるほどのキャリアの差がある相手からの評価に、ネギは少し戸惑った様子である。

「……でも、結局、千雨さんや、他の皆さんの助けがなければ、どうにもならなかった。僕、先生なのに……、み、皆さんを危険な目にあわせて……」

「ね、ネギ。そ、それは……」

ジワリ、と目に涙を浮かべるネギを明日菜が取り成そうとした。

「……先生達が動かなければ、誰も近衛を助けようとしなかった。近衛の危機に気付く事も出来なかった」

そんなネギに、千雨が静かに言う。

「もし今夜、先生達が頑張らなかったら、もっと早くあの鬼神は復活していたでしょうし、そうなったらどれほどの被害が出たか判りません」

千雨は手を伸ばして、少しだけネギの頭を撫でた。

「誇りに思って下さい。先生も、神楽坂も、桜咲も。あなた達三人の頑張りが、今の場を生み出したんです」

それを聞いたエヴァンジェリンも、少し肩をすくめて言う。

「ま、そういうわけだ。危険云々についてだが、今戦っている者達は、勿論それなりに覚悟してここに来ている。巻き込まれた連中については、自業自得とまでは言わんが、少し注意が足りなかったんだ」

(私も含めて、な)

まさか本山の護りが突破されるとは思っていなかったエヴァンジェリンも、注意を促さなかったのだから、一概にネギのせいとは言えない。

「千雨さん、エヴァンジェリンさん……」

頭を撫でられたネギは、顔を真っ赤にした。普段褒められた事のない相手からの思いもよらない一言は、少年の心大きく響いた。

(強く、なりたい)

ネギは、ぎゅっと杖を握りしめた。目の前にいる人達に並べるぐらい、大切な人達を護れるぐらいに、強く。
父の背をずっと追いかけていた少年が初めて思う、自分だけの強さを望んだ瞬間でもあった。

「……それで、ネギ先生のセリフではないが、どうする、エヴァンジェリン?近衛がいないのなら、あれは勝手に消えてくるれる物なのか?」

「そんな訳がなかろう」

その言葉と同時に、それまで沈黙を保っていた【リョウメンスクナ】が、低い唸り声をあげた。そして、ぎろりと眼下にある千雨達を睨みつけると、周囲一帯に轟く様な雄叫びをあげた。

雄々ォォおぉぉおおぉぉおおォォォォおおぉぉおぉおぉおおぉぉぉおおぉおおお!!!!

びりびりと体を貫く咆哮に、ネギと明日菜は思わず棒立ちになった。

「何か、怒っているようだが」

「ふん、無理やり叩き起こされた挙句、意に沿わぬ雌伏を強いられていたんだ。頭にも来るだろう」

それでも尚、千雨とエヴァンジェリンの態度は変わらない。無表情に、不敵に、鬼神を見上げている。

「そう言う訳だ、坊や。今から、あの鬼神を何とかして来る」

「何とかって……、だ、大丈夫なの!?」

焦った様な声で、目の前の鬼神とエヴァンジェリンを見比べる明日菜。ハッキリ言って、どうにかなるとは言い難い対比である。

「ふん、私を誰だと思っている、神楽坂明日菜。最強の吸血鬼にして悪の大魔法使い、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルだぞ?あの程度の木偶の坊、敵ではないわ。……ま、足止め役がいないのは、ちとしんどいが」

(それに、少し気になる事もある)

エヴァンジェリンの見立てでは、この鬼神は確かに手強い相手であるが、エヴァンジェリンが倒せない相手ではない。だが、あの白面の魔法使いが言っていた言葉が、エヴァンジェリンには気にかかっていた。

(この鬼神には、まだ秘密があると言うのか?)

吠え猛る鬼神を見上げ、エヴァンジェリンは思考する。が、ふと横を見た瞬間、千雨が懐に手を伸ばしているのを見て慌てて止める。

「あ、こら、千雨!お前はもう戦うな!」

「……足止め役がいるのだろう?」

ピタリと手を止め、千雨はひたりとエヴァンジェリンに目をやる。

「昨日から続いて、どれだけ仮面の力を使ったと思ってるんだ、お前は!このままだと……」

「大丈夫だ」

千雨の体を心配するエヴァンジェリンに、当の本人は静かに返す。

「自分の限界ぐらいは判っている。無茶はしない」

「ど、どれだけ信用のない言葉なんだ、それは」

自分の体の状態など、あっさり無視して無茶をする千雨を知っているエヴァンジェリンは、じと目で千雨を睨んだ。

「……本当だ、エヴァンジェリン。さっさと終わらせて、帰ろう。明日は――いや、もう今日か。折角の修学旅行の、最終日なのだから」

「……ずるい言い方をする」

プイと、顔を背けたエヴァンジェリンだが、すぐに千雨と向き合って言う。

「少しでも負担に感じれば、すぐに仮面を使うのを止めるんだぞ!いいな!」

エヴァンジェリンはそう言うと、ふわりと宙へと舞い上がった。

それを見送った千雨は、後ろのネギ達に告げる。

「先生達は少し下がっていて下さい。片付けてきます」

「あ、あっさり言うんだもんなー、この人も……」

冷や汗をかきながら明日菜が力なく笑う。

「……千雨ちゃん、最後まで頼りっぱなしだから、こんな事しか言えないけど、頑張ってね!!」

「すみません、千雨さん、お願いします!」

「ああ」

軽く頷いてみせると、ネギ達は後方へ避難した。その気配を背中で感じながら、千雨は小さく咳込んだ。開いた掌には、吐いたばかりの血が少しへばりついている。

「……まだ、大丈夫だ」

言い聞かせて、その掌をぎゅうと握りしめ、千雨は懐の仮面に手を伸ばす。



【リョウメンスクナ】は怒り狂っていた。安寧を無理やり破られた挙句、強い力で無理やり言う事聞かされそうになっていたのだ。乏しい自我しかない式神の身であっても、流石にこれは許容出来ないほどの怒りを生んだ。加えて、小さき者達が、何やら小賢しくも自分と相対しようとしている。これもまた、鬼神にとっては気にいらない。
そんな怒りを込め、【リョウメンスクナ】はまず、目の前にいる長い服を纏った人間に向けて、岩の如く巨大な拳を振り下ろした。

「危ない!」

後ろで見ていたネギたとは、不意に振り下ろされた【リョウメンスクナ】の拳が向かう先にいる少女――長谷川千雨に声を向ける。だが、千雨はその場から動かない。目を見張るネギ達の前で、鬼神の拳が千雨に叩きつけられた。

「ち、千雨ちゃん!?」

慌てふためくネギ達は、次の瞬間あんぐりと口を開けて驚愕した。千雨が、鬼神の拳を真っ向から受け止めていた。否、それどころかじりじりと拳は撥ね除けられようとしていた。

『がぁぁああぁぁっ!!!』

咆哮一轟、鬼神の拳は撥ね除けられる。そして顕になった千雨の顔には一枚の仮面が嵌っていた。

『九州の伝承神話《修正鬼会》の四天鬼が一鬼、【荒鬼】!』

巌のような顔立ちに、ぎょろりとした目。獰猛さを現すように剥き出しになった牙。それは、黒い『鬼』の仮面であった。但し、鬼の象徴である角は何故か無い。

『嘗て武勇を誇るは両面宿儺!それを受け継ぐ形代が、邪気に堕ちるは無様なり。ならば!』

【荒鬼】の仮面は吠え猛る。

『滅してくれよう!神が『鬼』へと堕ちる、その前に!!』

千雨は先程払い除けた腕に飛び乗ると、それを伝って真っ直ぐ鬼神の顔を目指す。凄まじい早さで鬼神の眼前に辿り着いた千雨は、握りしめた拳を【リョウメンスクナ】に叩きつけた。
轟音が、響く。【リョウメンスクナ】の顔が跳ね上がり、その巨体がぐらりと傾いだ。

「嘘……」

目の前で起こった光景に、明日菜は茫然と呟いた。比べるもおこがましい程の体躯の違いを物ともしない剛力を、自分と変わらぬほどの少女が繰り出したのである。思わずそう漏らしていても、無理はなかった。
思わぬ痛みに声を上げた【リョウメンスクナ】は、ぐるりと首を回すと、もう片方の顔を千雨に向ける。がばりと開けられたそこから、凝縮された魔力の光が漏れる。その瞬間、千雨が顔を一撫でし、仮面を変える。そして吐き出される魔光の奔流が、千雨の体を消し飛ばそうとしたその刹那、千雨の体がゆらりと消えた。それと同時に、波打つような揺らぎを見せた空間に、鬼神の魔光が飲み込まれた。
驚愕した様な形相を見せる【リョウメンスクナ】。その背中に、突如として光線が突き刺さる。それは、先程自分が放った筈の魔光であった。

『《修正鬼会》四天鬼が一人、【災祓い鬼】!』

赤い『鬼』の仮面をつけた千雨が、そこにいた。

『己に降り注ぐ災厄を全て祓い、同時に敵へと祓い返す!』

それを見ていたエヴァンジェリンが驚愕する。

(空間を歪めて、相手の攻撃をそのまま返した、のか……?)

空間湾曲。先の大剛力を発する仮面と言い、この仮面もまた、強い力を持つ仮面に相違ない。少なくともあの夜、自分と戦ったあの風の仮面に匹敵するだろう。

(無茶をするなって、あれほど言ったのに!)

はらはらしながらも、エヴァンジェリンは一撃を持って【リョウメンスクナ】を滅ぼす為に、魔力を練り上げていく。
焼かれた背中の痛みに悶絶する【リョウメンスクナ】を見下ろした千雨は、更に仮面を付け替える。顔を歪めた、どこかひょうきんにも見える白い『鬼』の仮面。

『《修正鬼会》四天鬼が一人、【鈴鬼】!』

その仮面をつけた瞬間、何処からりん、と甲高い鈴の音が響いた。連続して鳴り響くそれは、やがて人の可聴領域を超えて行く。そして音の波がある一点まで辿り着いたその瞬間、【リョウメンスクナ】の体の半分が砂の如く崩れた。

「まさか、高周波!?」

ネギが目を見開いた。あらゆる物体には固有振動数と言う、その物体が自然に振動する際の振動数がある。この固有振動数に合わせた振動が外から加わった時、揺れが大きくなる。この現象を『共振』、『共鳴』と言う。地震などにおいて、特定の建物だけが大きく崩れているのも、この現象が作用した為と言われている。千雨が今行った攻撃も、同様、【リョウメンスクナ】の固有振動数に外からの高周波により、同様の振動数を与え、鬼神の体の分子結合を解いたのである。

体を半分以上失った【リョウメンスクナ】が絶叫を上げる。そして地上に舞い戻った千雨は、その途端、その場に蹲り激しく咳込んだ。

「ち、千雨さん!?」

「どうしたの、千雨ちゃん!?」

慌てて駆け寄ったネギ達が見たのは、仮面の下から大量に毀れた血であった。絶句するネギ達を眼前で、千雨は体を震わせ、更に血を吐いている。明らかに、内臓のどこかに異常が発生していた。

「坊や!!千雨に『治癒』を掛け続けろ!!!」

立ちつくしていたネギは、頭上から響いたエヴァンジェリンの声に我に返ると、少ない魔力を総動員させて、拙い治癒を千雨に掛け始めた。
一方、エヴァンジェリンは今すぐにでも千雨の元へ駆け寄りたい心境であったが、それをすれば千雨の頑張りが無駄になるとぐっと堪えていた。

(後で説教だからな、千雨!)

やはり無茶をした千雨をしっかり叱ってやろうと決意したエヴァンジェリンは、湧き起こる怒りを眼下の鬼神に向けるべく、練り上げた魔力を呪文によって魔法へと昇華していく。

「『リク・ラクラ・ラック・ライラック!契約に従い、我に従え氷の女王!』

【リョウメンスクナ】の足元が凍りついて行く。突如掛けられた魔法に必死に抗おうとする鬼神だが、傷付いた体ではそれすらも儘ならない。

「『来たれ、とこしえのやみ!えいえんのひょうが!全ての命ある者に等しき死を!其は安らぎ也!!』」

蒼い大気が夜空に揺らめく。翳した手の先にあるそれを解き放つべく、エヴァンジェリンはもがく鬼神を見据えて笑った。

「嘗て封印されていた身としては、同情せん事も無いが、今の世は、お前のような存在が生きるにはふさわしくないのだよ」

(或いは、私も、な)

自嘲気味にそう思ったエヴァンジェリンは、魔法を放った。

「再び眠れ、古の大鬼神よ!『おわるせかい』!!!」

全てを凍てつかせる蒼い大気が【リョウメンスクナ】に殺到する。その巨体は見る見る内に凍りつき、そして、エヴァンジェリンが指をぱちりと鳴らしたその瞬間、粉々に砕け散った。

「す、すごっ!!」

一撃を持って終わらせたエヴァンジェリンの魔法に、明日菜は目を丸くして驚いた。そしてネギは、ある種の感動を持ってその光景を見つめていた。千雨と違い、エヴァンジェリンはカテゴリー的に言えば、己と同じ「魔法使い」である。魔法とは、極めればばあれだけの事が出来るようになるのだと言う、生きた偉業が、目の前にあった(その間も治療の手を休めせない所は、少年らしいと言えた)。
ガラガラと崩れる【リョウメンスクナ】を背景に舞い降りたエヴァンジェリンは、すぐさま千雨に駆け寄った。

「千雨!大丈夫か、千雨!」

「……エヴァンジェリン、か」

仮面を外した千雨は、心配そうな顔をするエヴァンジェリンに目を向けた。その顔は真っ青で、今にも倒れてしまいそうな様子である。

「この、馬鹿もの!あれだけ無茶をするなと言ったのに……!」

エヴァンジェリンの目にはうっすらと涙すら浮かんでいた。

「すまない、エヴァンジェリン。そして、流石だな」

崩れ去っていく大鬼神を見て、千雨は言う。

「……それはこっちのセリフだが、もう、あんな無茶は許さんからな!しばらくの間、仮面禁止!!」

「……ああ」

うがーっ、と怒るエヴァンジェリンを見つめて、千雨は小さく頷いた。その時、なんとはなしに崩れる鬼神を見つめていた明日菜が、それに気付いた。それを目にした瞬間、体が震えた。言いようのない悪寒と息苦しさが、明日菜を襲った。

「……な、何、あれ……」

震える声で言う明日菜の様子に気付いた一同が、改めて崩れて行く鬼神へと目を向けた。そして、気付いた。
そこに、崩れ去る巨躯の後で、もう一体の【リョウメンスクナ】が立っていた。恰も【リョウメンスクナ】の影を切り取ったかのような、黒い体躯を誇り、鬼灯の様な赤い目を慧慧と光らせている。だが、奇妙な事に巨体が発する様な威圧感はない。まるで、幻を前にした様な感じである。代わりに、それを見つめているだけで、不快感や息苦しさ、その他諸々の負の感覚が襲い掛かってくる。
そして、エヴァンジェリンはそれが何なのか知っていた。嘗て吸血鬼として古にあった時代、大きな戦場後によく見られた物だ。だが、これだけ大きな物はエヴァンジェリンも初めて見る。

「……間違いない。あれは――」


――呪詛だ。




【あとがき】
さようなら、【リョウメンスクナ】。
次回はオリ設定でお送りします。
後、タイムリーな話題ですが、『にじファン』さんが終了してしまいますね。あそこにはこの『おもかげ千雨』を含めて3本の二次創作を書いていたんですが、うち一つはこちらへすでに移転済みなんですけど、もう一本もお世話になろうかと思っています。
因みに「リリカルなのは」物。クロスオーバーと言うの名のオリジナルキャラクターが登場するお話ですが、初めて書いた二次創作でもあります。もしそちら方面で作者「まるさん」を見かけたら、目を通して何か感想なり批評なりをくれるとありがたいです(まだ移転してませんが)。
それでは、また次回。



[32064] 第二十六話「『よかった』」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/07/16 20:06
千年京を謳われたかつての都、京都。だが、華やかなその姿の裏側には、夥しい血と怨嗟の声に満ちている。上を見れば、政に破れた者達の無念が、下を見ればそんな上の思惑に振り回され、何もわからぬまま死に行く者達の悲鳴で溢れている。華とは裏の屍山血河。その恨みは、未だ耐える事無く、京都の地にて蠢いている。
耳を澄まし、目を凝らし、京の闇に身を浸してみると良い。きっとそこに感じられるはずだ。
――千年経ってもそこに在る、亡者達の呪詛の声が。



「呪詛?」

エヴァンジェリンが茫然と呟いた言葉を、千雨が聞き返した。傍らのネギ、明日菜も訝しげな顔である。そんな三人に、エヴァンジェリンは【黒いリョウメンスクナ】から目を離さぬまま、若干青ざめた顔で言う。

「呪詛は、文字通り呪いの塊だ。無念を残して死んだ死者の恨みつらみに、魔が取り憑けばそれになる。そこに在るだけで負の感情を呼び起こし、触れた者には災いを齎す。心霊スポットに行った者達が、その後、不幸な目に合った、と言う話はよく聞くだろう?あれは、そんな場所に漂う呪詛に触れたが故の事だ」

だが、とエヴァンジェリンは続ける。

「通常の呪詛は、目に見えても、せいぜいが黒い霞程度の物だ。起こす障りも悪くしても運気が最低レベルまで下がるくらいだ。あれほどはっきりと濃く、しかも形を持った物など、私は見た事も無い」

エヴァンジェリンは、冷や汗を流しながら言った。

「あ、あれってそんなにやばいの?」

明日菜が恐る恐る尋ねる。

「……仮に触れでもしたら、その瞬間、障るどころか、亡者の無念と恨みに精神を侵され、狂死するだろうな」

その言葉に、ようやくあれが尋常の物でない事を悟ったネギ達が青ざめる。

「何とかする事は出来るか?」

そんな中、唯一表情の変わらぬ千雨は、淡々と尋ねる。

「私には無理だ。高位の巫女や神官の浄化――、それも、百人規模で行わねば、あれを鎮める事など出来んぞ……!」

エヴァンジェリンは言いながら頭を抱えた。

「くそっ!訳が判らん。何故【リョウメンスクナ】からあんな物がでてくる?一部とはいえ、神性を受け継いだ式神にあれ程の呪詛が取り憑くなど――」

その瞬間、エヴァンジェリンの脳裏に、フェイトの声が蘇った。

「……!そうか、そういうことか!だからあの時、あの小僧はあんな事を……!」

「ひ、一人で納得してないで、説明してくれるとありがたいんだけど……」

明日菜がそう言って、事情の説明を求めた。エヴァンジェリンは、ちらりと明日菜を見やると口を開く。

「……半分以上は推測だ。この京都という都はな、かつてはこの国の首都としてあった頃、華やかなその裏側では、おぞましい程の死と恨みで溢れていたと聞く」

語るエヴァンジェリンを前に、皆は無言である。

「政治を取る場には魑魅魍魎。如何にすれば己の立場をよくするかしか考えぬ、欲をかいた人間達、下には、そんな者達に振り回され、無意味に死に行く者の群れで溢れていた」

それは、ある意味地獄である。単に飢えて死ぬよりも、戦で死ぬよりも下手をすれば残酷。華やかであるゆえに、その影はより濃く、深くなっていく。

「下に下にと弱者は踏み潰され、遂には血の染みになって京の地に消えていく。そんな場に、呪詛が湧かぬ筈があるまい?」

エヴァンジェリンにしても、又聞きである。幾人かの知己であるこの国の術師から聞いただけ。それでも、その凄惨さは身が震えるほどであった。

「私は当時の事は知らぬが、酷い物だったらしい。湧き上がる呪詛により、不幸な者はより不幸になり、相対的に恨みと呪詛は増えていく。そのまま放っておけば、京の都は、自身が生み出した呪いに押し潰されていただろう」

だが、当時の術師達は、それすらも利用した。

「この国の術と言うのは、魔法よりもおぞましい部分がある。当時の術師達が行ったのは、それほど惨い物だった。悪を自認する私だが、外道はせん。文字通り道に外れたそれは、死者の無念と恨みを、そのまま呪力に変換する大呪術だった」

死んでもなお、利用する。魔法使いに忌み嫌われる、死霊術師を始めとする外法を使う者達ならいざ知らず、これを行ったのは、当時の政に深く関わっていた、真っ当な術師だった。

「それほど追いつめられていたと言えば聞こえはいいが、それほどの呪詛を生んだのは自身の行い、自業自得だ。……少し話が逸れたか。とにかく、行われた大呪術により、大量の呪詛は地に返り、霊脈の一部としてこの国の力となった。だが、ここで予想外の事が起こった」

エヴァンジェリンは、地面をじっと見つめた。その先にあるかもしれない、死者の無念を見るかのように。

「湧いては起こる呪詛により、この国の土地が侵され始めたのだ」

外に恐ろしきは人の恨み。木は朽ち、土は死に、風は爛れ、水は腐った。それほどまでに恨みは深く、呪いは収まらなかったのだ。

「この事態に術師達は、神仏の力を借りる事を思いついた」

困った時の神頼み、と言うが、当時の術師達は只祈りを捧げるだけではなかった。長い年月、人々の信仰に合った神仏の象徴は、それだけで強力な浄化装置であった。術師達は、その神仏を霊脈と呪いのろ過装置に変えたのだ。

「大地を侵すほどの恨みつらみを、神仏の浄化作用によって納め、残った呪力のみを国に流す。上手く行ったのだろうな、現にこの国は蘇った」

それでも、人間の持つ浅ましさは変わらない。己が同胞の無念すらも利用するやり方は、エヴァンジェリンであっても反吐が出る。そしてエヴァンジェリンは、現在の事柄を語る。

「恐らく、【リョウメンスクナ】も、そんな風な呪力のろ過装置の一つだったのだろう。一部とは言えそこに在る神。崇め奉り、呪いを納めるにはうってつけだった」

だが――。

「それを私達は壊してしまったのか」

千雨が静かに呟く。

「【リョウメンスクナ】自体は滅びない。只、器に与えた影響のせいで、呪いが噴出してしまったのだ」

エヴァンジェリンは聳え立つ呪詛を見上げる。見ているだけで怖気が走る。それほどの存在。強い、弱いはこの際関係ない。強者も弱者も、等しくこの呪いは障るだろう。千年の呪いは、それほどにおぞましい物であった。

「あ!で、でも、あれなんだか散り始めてますよ!?」

ネギが指さす方を見れば、【黒いリョウメンスクナ】が、端から煙るように消え始めていた。

「じ、じゃあ、あれ放っておいても消えるんじゃない?」

「そんな訳があるか、馬鹿め!」

明日菜の言葉を、エヴァンジェリンは一蹴する。そして、ぎりっ、と歯がみした。

「マズいぞ……!呪いが拡散を始めた。あのままにしておけば、京の町は滅びるぞ!」

「ええっ!ど、どうして!?」

驚くネギ達の方を見ぬまま、エヴァンジェリンは前方を睨み続ける。

「先も言っただろう。あれは、放っておいて消える物ではないし、人に障るのだ。このまま拡散し続け、京都にあれが降り注げば――」

「ふ、降り注げば?」

「原因不明の自殺、病気、事故、通り魔殺人。それらが巻き起こり、人心は荒廃、それに惹かれた妖共もやってくる。京都は、文字通りの魔都と化す。いや、もっと最悪なのは、それを皮切りに日本中が同じ目に合わんとも限らん事だ」

恨みは恨みを呼び、呪いは呪いで膨れ上がる。京都で起こるであろう騒乱が、日本中に飛び火する可能性は、決してないとは言えない。

「た、大変じゃない!ネギ、行くわよ!」

「え!?い、行くって、明日菜さん、どうするつもりなんですか!?」

「決まってるじゃない!あれを止めるのよ!」

「どうやってだ?」

意気込む明日菜を、エヴァンジェリンの冷たい声が貫いた。

「ど、どうって……」

「あれには物理的な干渉は出来ん。第一、触れたら死ぬと言っただろう」

「じゃあ、どうするのよ!!」

「それを今考えているんだ!いいから大人しくしてろ、この馬鹿が!」

エヴァンジェリンと明日菜が角を突き合わせる最中、千雨はじっと前を見つめていた。視線は呪詛を通り抜け、都市の方へ向いている。ここからでもわずかだが、都市の明かりが見えている。その一つ一つに、誰かが生きてる証があった。
笑っている者もいる。
泣いている者もいる。
怒っている者もいる。
家族と、友人と、恋人と。それぞれが、何も知らず、平和に暮らしている。
千雨は不意に、それらがとても羨ましく、同時に、酷く愛おしく思った。
だから――。

「神楽坂」

「へ、あ、な、何?」

いきなり話しかけられた明日菜は、少し混乱しながら答えた。

「お前の真っ直ぐな性格は、欠点であると同時に、美点だ。下手にこじんまりと収まる必要なんかない。お前らしく、走り続けろ」

「あ、うん、ありがとう……?」

何故かいきなり褒められた明日菜は、首を傾げながら言う。

「ネギ先生。先生が将来、教師を続けるのか、魔法使いとしての仕事をするのかは判りません。只、どちらにおいても、一歩立ち止まり、考えてみる事です。先生は優秀な分、少し過信が過ぎるきらいがありますから」

「え?あ、す、すいません……」

今度はネギに対する駄目出しである。ここに来て、エヴァンジェリンはいよい訝しげな顔をし始める。

「近衛と桜咲に、仲直りができてよかったな、と伝えておいてくれ」

「……自分で言えばいいだろう、千雨」

エヴァンジェリンが何かを予感しつつ言う。だが、その言葉を無視して、千雨は最後にエヴァンジェリンに語りかけた。

「……ありがとう、エヴァンジェリン。こんな私を、真剣に心配してくれて。……お前と会えて、よかった。そして――」

千雨の手が懐に伸びる。全てを察したエヴァンジェリンの目が、大きく見開かれた。

「――「約束」を破って、すまない」

顔に貼りつく、一枚の仮面。それを見た瞬間、エヴァンジェリンは叫んだ。

「――千雨を止めろぉっ!!」

「ぅえ!?」

「な、何が!?」

未だ混乱するネギ達を置き去りにして、千雨が呪詛に向かって走る。

「ま、待て、千雨!」

その後を全力で追いかけたエヴァンジェリンの手が千雨に触れようとしたその時、今まで動きの無かった【黒いリョウメンスクナ】が雲のように広がり、中に千雨を取りこんでしまった。そして、そんな呪詛の塊に触れたエヴァンジェリンは――。

【シネシネシネシネシネシネシネシネニクイニクイニクイニクイニクイニクイコロスコロスコロスコロスコロスコロスタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテタスケテイタイタイタイタイタイイタイタイイタイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサ】

「ぎっ」

弾かれたように手を引いたエヴァンジェリンは、呪詛から距離を取ると同時に、その場に蹲って激しく嘔吐した。

「エヴァちゃん!?」

「え、エヴァンジェリンさん!?」

慌てて二人が駆け寄ってくるが、当のエヴァンジェリンは胃の中が空になっても吐き続けている。

(こ、これが、千年級の呪詛……!私ですら、この様とは……)

600年の齢を数えるエヴァンジェリンの精神力は、人間のそれを遥かに超えるほど頑健である。そのエヴァンジェリンであっても、心を侵され、塗りつぶされ、壊されかけたのである。

「ね、ねェ、エヴァちゃん。千雨ちゃん、どうしたのよ!?」

明日菜の言葉に、ようやく吐き気の収まったエヴァンジェリンが、険しい顔のままそれを告げた。

「千雨は――命をかけて、これを鎮める気だ……!」



蟠るは、闇。そこには光の類は一切ない。只恨みと憎悪に満ちていた。

(娘ガ死ンダ。侍ノ玩具ニナッテ死ンダ。マダ、7ツダッタノニ)

(妻ガ殺サレタ。政敵カラノ警告。只、ソレダケノ為ニ)

(妹ガ売ラレタ。頼ッタ叔父ニ騙サレ、慰ミ者ニサレタ挙句売ラレタ)

個人の意識など、当に擂り潰されているにもかかわらず、恨みの元だけは忘れない。それだけに思いをとらわれ、恨む心が更に恨みを呼ぶ。
遠くに、光を感じる。温かく、それ故に忌々しい光。人の心の光。
思い知らせてやろう。その幸せが、何の上に成り立っている物か。その幸せの為に、何が犠牲になったのか。何故ならば、もう、恨む事しか覚えていないのだから――。

(本当に?)

声が、聞こえた。

(本当にそれだけだろうか?)

暗闇の中に、仮面が浮かぶ。蒼い仮面。鬼の仮面。

(『修正鬼会』、最後の一鬼、【鎮め鬼】)

仮面が告げる。

(思い出せ、思い出せ。憎しみの源を。何故憎むのかを)

何故?憎い物は憎いのだ。そこに理由なんて――。

(思い出せ)

その言葉と同時に、亡者達の中に、不意に思い出が込み上げてきた。

(お父ちゃん!)

幼い娘が笑っている。貧しくても、幸せだった。その成長を見る事だけが楽しみだった。

(あなた)

妻が微笑んでいる。この国の為に身を削る中を、自分の傍らに立ち、支えてくれた妻が。

(兄さん)

妹がそこにいる。二人だけの兄妹だった。両親が無くなっても、強く生きて行こうと互いに誓ったのだ。

(――失われた者は帰らない。でも、思い出だけはそこに在る)

仮面の声が、闇に染み渡る。

(いつからそうなったのだろう?いつから忘れてしまったのだろう?大切な人達を、大切な思いを。もう一度だけ、思い出してほしい。愛しい者達の記憶を。あなた達が恨むのは、かつての自分達だと言う事を)

遠くに明かりが見える。人の心の光。自分達の中に合った筈の光。

(思い出してほしい。あなた達の憎しみは全て――)

――それだけ、この地を、この地に生きる人達を、愛していたからだと言う事を。

愛していたから、失われたそれが愛おしいから。だから憎むのだ。だから恨むのだ。帰らぬそれが大切だったから。だから嘆き、悲しむのだ。

(オォォオオォォオオォォォォオオオオォォ……!!!)

千年の呪いが啼く。失われたそれが悲しくて。帰らぬ人が愛おしくて。それは、久方ぶりに取り戻した、人の心だった。
憎しみも恨みも、もはや忘れる事は出来ない。でも、今は。今だけは。
刹那に抱いた、この愛おしい記憶を揺りかごに、眠ってしまってもいいと、亡者達は思った。
少しずつ、少しずつ、黒い闇が晴れて行く――。



「消えて、行く……」

エヴァンジェリンが茫然と呟いた。呪詛がゆっくりと消えて行く。拡散しているのではない。大地に返っているのだ。

「ど、どうなったんですか?」

ネギもまた、呆けたようにその光景を見つめている。

「……助かった、と言う事だ」

「うそ……」

明日菜が目を丸くする。無理もない話である。つい先程まで、誰もどうする事も出来なかったのだから。

「それよりも千雨は――」

呪詛に覆われ、姿が見えなくなっていた千雨を探すエヴァンジェリンは、そこで言葉を切った。何故ならばそこに、倒れ伏す千雨の姿を見つけたからだ。

「――!」

エヴァンジェリンは息を呑んでその場に走った。遅れて数秒後、倒れ伏す千雨に気付いたネギ達も、その場に駆け付ける。

「千雨、しっかりしろ、千雨!」

千雨を抱き起したエヴァンジェリンは、顔を追っていた仮面をむしり取る。そして、絶句した。

「ひ……」

顕になった千雨の顔を見た明日菜が、のどの奥で小さく悲鳴を上げる。千雨は、顔中の穴と言う穴から血を流し、その顔色は、青を通り越して白くすらなっている。ぐったりとした体はピクリとも動かず、一見すると生きているようには思えなかった。

「生きてるの、ねぇ?ねぇってば!」

「煩い!!」

心配したが故か、喚く明日菜を黙らせたエヴァンジェリンは耳をすませた。すると、吸血鬼の優れた聴覚は、ほんの少しだけ、鼓動を続ける千雨の心音を捉えた。

「まだ生きてる……!でも!」

それは本当にか細く、何かの拍子に途切れてしまいそうなほどであった。

「坊や、治癒を掛けろ!早く!」

「は、はい!」

慌てて千雨に治癒を掛けようとするネギだが、その手に光った治癒の光は、すぐに途絶えてしまう。

「ど、どうしたんだ?」

「くっ……。す、すいません、ま、魔力が……」

ネギもすでに限界以上に魔法を行使していた。すでに体の中の魔力は空であった。

「そんな……」

エヴァンジェリンが目を見開く。自身は治癒魔法を使えない。明日菜は勿論、ネギですらももはや当てにできない。つまり。

「千雨が、千雨が……!」

長谷川千雨の死を、意味していた。

「何とか、何とか出来ないか!?このままでは――!」

その時、ばさりと言う羽音共に、木乃香を抱えた刹那が頭上から舞い降りてきた。

「皆さん、ご無事ですか!?」

「明日菜、ネギくーん!」

駆けよって来た刹那達に、エヴァンジェリンが縋りついた。

「刹那!お前、治癒の術が使えるか!?使えるならすぐに千雨に……!」

「!千雨さんがどうしたと……。うっ!」

エヴァンジェリンの様子に戸惑いを覚えた刹那は、千雨の状態を見て息を呑んだ。

「そんな……」

木乃香もまた、絶句している。

「刹那!」

急かすエヴァンジェリンに我に返った刹那だが、すぐに首を振った。

「……申し訳ありません、エヴァンジェリンさん。私の手持ちの治癒符は全て……」

「な……」

最後の望みも断たれたエヴァンジェリンの体が弛緩する。

(死ぬ?馬鹿な。誰が?千雨が、私の友が?馬鹿な!!)

ぐるぐると思考が巡る。必死に何かの策を探そうとするエヴァンジェリンだが、何も浮かんでは来ない。その時、木乃香がネギの前に立った。

「……あんな、ネギくん。ウチ、ネギくんにチューしてもええ?」

「は?」

ネギの目が点になった。あまりにもいきなりすぎる言葉である。だが、その言葉が、エヴァンジェリンに天啓を齎した。

「そうか、仮契約!」

エヴァンジェリンの言葉に、木乃香が頷いた。

「ウチ、せっちゃんから色々聞いたんや。千雨ちゃんがこんな大怪我しとるんのも、全部ウチの為やって」

木乃香が悲しげに俯いた。

「ホンマに、ごめんなさい。そして、ありがとう。ウチにはこんな事しかでけへんけど……」

「仮契約は対象の潜在能力を引き出す。シネマ村で見せたあの治癒能力があれば、千雨を救う事が出来る!」

エヴァンジェリンの言葉に、ネギは即座に頷いた。

「わかりました!カモ君!」

「よっしゃぁ!」

カモは瞬時に仮契約の為の陣を書くと、その中央にネギと木乃香が立った。

「行くで、ネギくん……」

「は、はい」

少し緊張しながら、二人が口付けを交わす。瞬間、光が溢れた。



酷く暗い場所に、千雨はいた。平衡感覚すらもままならず、自分が立っているのか座っているのかすらも判らない。音一つ聞こえず、千雨は、このまま闇に溶けてしまうのかもしれない、と思った。

(まぁ、それもいい、か)

千雨の心は、この期に及んでも静かだった。死の恐怖も、絶対の孤独も感じない。只少し、気になる事だけはあった。碌な別れも告げず、置いて来てしまった友。不器用だが優しい知人達と、まだまだ未熟ながら、懸命な子供先生。

(そうだな、もう少し、あいつらと一緒にいても、よかったかも、な)

千雨がそう思った、その時。

『大丈夫だよ』

小さな声がした。まだ幼い、女の子の声。

『みんな待ってるよ』

(待ってる?私なんかを待つ人なんて、居ない)

『そんな事無いよ。――ほら!』

声が何かを示したように感じた千雨はそちらに目を向ける。そこには、淡く輝く光があった。そしてそれは、どんどんとこちらに近づいて来ている。それはやがて、千雨を飲み込んで――。



「ん……」

小さく声を出して、千雨はゆっくりと目を開けた。するとそこには、こちらを覗きこむ皆の姿があった。見な、一様に涙を浮かべているが、特にエヴァンジェリンは号泣と言ってもいい様子である。

「ち、千雨……」

呆けたようなエヴァンジェリンの言葉に、千雨は小さく頷いた。

「ああ。……ただいま」

歓声が、弾けた。

「千雨、千雨!この馬鹿もの!わ、私と違って、お前達はすぐに死んじゃうんだからな!」

「やったぁぁぁぁっ!!」

「良かったよぅ、ほんとに良かったよぅ!」

「ご無事で何よりです、千雨さん!」

次々と声を掛けて行く者達を見回していた千雨の視線が、木乃香を捉えた。木乃香は、一歩下がった所で千雨の無事を喜んでいる。

「近衛」

「わっ!?ひゃ、ひゃい!」

急に話しかけられた木乃香が、驚いて飛び上がった。

「……怪我はないか?何か奴らに、妙な事をされたとか」

「け、怪我云々は千雨ちゃんが言うセリフやないと思うけど……。うん、平気やで。皆が一生懸命頑張ってくれたから、この通りピンピンや」

木乃香は可愛らしくガッツポーズを取った。そして花もほころぶ様な笑顔を浮かべて。千雨に微笑みかけた。

「千雨ちゃん、ホンマにありがとうなぁ」

その笑顔を見た千雨は、小さく肩の力抜いて。

「そうか――」





「よかった」





その瞬間、全員がぴたりと動きを止めた。目をまん丸に見開いて、泣く事も騒ぐ事も忘れて、千雨の顔を見つめる。

「……?どうした?」

当の千雨は訳も判らず首を捻っている。そんな千雨を置いて、全員が顔を合わせる。

「い、今……?」

「あ、ああ、確かに、今」

「う、うん。見間違え、じゃないよね?」

「は、はい。ちょっと信じられませんが」

茫然とそう言い合う者達に、ますます首を傾げる千雨を、只一人木乃香がぎゅっと抱きしめた。

「千雨ちゃん!」

「どうした、近衛」

「あんな、あんな、今な!」

「少し、落ち着け」

そう諌める千雨だが、木乃香は興奮を隠しきれない様子で。

「今な、千雨ちゃん、『笑った』んやで!」

その言葉に、千雨が少し驚いた。

「『笑った』?私が?」

「そうやで。気づいてなかったんかー?むっちゃ、綺麗な笑顔やった!なぁせっちゃん!」

木乃香に声を掛けられた刹那もまたこくこくと頷いた。

「は、はい、確かに、今、笑っておいででした!」

その他の者達も一斉にこくこくと頷いた。

「私が……」

千雨に、その自覚は一切無かった。

「きっとな、【笑顔ゲージ】がいっぱいになったんやで」

木乃香がにこにこしながら言う。

「【笑顔ゲージ】、か」

そう言えばそんな話もしたな、と千雨は思った。

「なぁなぁ、もう一回笑って、千雨ちゃん!」

「そう言われても、な」

自覚のない千雨には、どうにも笑い方など判らなかった。

「くすぐったら、笑うかな?こしょこしょ~!」

「やめろ、くすぐったい」

「せ、セリフと顔が全く一致してませんが」

木乃香を遠ざけた千雨の顔は、相変わらず無表情のままである。

「と、とにかく、これで、ようやく終わったな!」

驚きすぎて涙も引っ込んだエヴァンジェリンが、まとめるようにそうったその時。がさりと背後の茂みをかき分け、彼女が姿を現した。

「まだや!まだ、何も終わってない!」

そう言って吠えたのは、水中に没した筈の陰陽師、天ヶ崎千草だった。




【あとがき】
『にじファン』さんからの移転作業が忙しいせいで、更新が遅れて申し訳ありません。そろそろ、『京都修学旅行編』も終了です。次の更新はもう少し早めにできるよう頑張ります。
それでは、また次回。



[32064] 幕間「それぞれの戦場、それぞれの結末」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/08/17 21:14
それぞれの戦場、それぞれの戦い。遺恨と因縁、そして絆を生みつつ、彼らの舞台は、一時の幕を下ろして行く。



時は少し遡る。
遠くに見える【黒いリョウメンスクナ】が消えて行くのを見て、呪三郎は無念そうな声を上げた。

「ありゃりゃ、今度こそおしまいかなぁ?二転三転して、中々興味深かったんだけど」

「残念ダッタナ。ザマァ見ロ」

呪三郎と相対していたチャチャゼロが、ケケケとせせら笑いながら言う。

「……本当に性格悪いね、君」

呪三郎がため息を吐いた。そんな風に当たり前の如く会話している一人と一体だが、それぞれの有様は酷い物だった。
チャチャゼロは体に空いた穴から生じた亀裂が顔にまで及び、頬の一部が割れている。それに加え、腕が一本捥げてもいた。
対して呪三郎は、自身が操る人形、『宿儺』が半壊している。四本あった腕はうち三本が失われており、二つあった頭は片方が切り取られ、残ったもう一つの頭も半分が砕けている。胴体もまた夥しい数の裂傷が刻まれ、チャチャゼロの攻撃の苛烈さが窺えた。その攻勢は呪三郎自身にも刻まれており、彼の頬に走った大きな傷が、どれ程の危うい状況だったのかを示している。

「デ、ドウスンダヨ?」

「さて、このままお互い壊れ尽くすまで殺し合ってもいいんだけどねぇ」

呪三郎はにたりと嗤った。

「なんて、ね。退くよ。ここで死んだら、色々ともったいないから、さ」

「……ソウカイ」

尚も呪三郎を警戒し続けるチャチャゼロの前で、当の傀儡師は足元を蹴って後方へ大きく退いた。

「ふふふ。今回の仕事は、紆余曲折あったけど、僕の中では当たりだったよ。伝説の【人形遣い】に、その第一従者とやり合う事が出来たんだからね」

「生キ人形ハ嫌イナンジャナカッタノカヨ?」

そう問うたチャチャゼロに、呪三郎は肩を竦めた。

「物による、と言う事が、君との戦いで判ったからね」

「褒メ言葉ト受ケ取ッテオクゼ」

言葉とは裏腹に、チャチャゼロは物凄く嫌そうに言った。

「捻くれた言い方をしなくても、僕は本心から褒めているのさ。君と言う存在をね」

そう言って、呪三郎は人形を伴って背を向ける。

「また会おう、『チャチャゼロ』。【人形遣い】にも、よろしく言っておいてくれ」

肩越しに粘つくような笑みを覗かせて、今度こそ【傀儡師】は去って行った。

「……行ッタカ」

彼の者の気配が完全に消え失せたのを感じたチャチャゼロが、ようやくナイフを下し、肩の力を抜く。

「アー、疲レタ。コンナニ動イタノナンテ、ソレコソ百年ブリグライダゼ」

片方だけ残った肩をぐりぐりと回しながら、チャチャゼロがぼやいた。

「ニ、シテモ……」

背後からこちらに駆け寄ってくる妹の足音を聞きながら、チャチャゼロはげんなりとした様子で呟く。

「俺モ御主人モ、厄介ナ奴ニ気ニ入ラレチマッタナァ……」

その視線が向く方向、夜の森の奥には、もう【傀儡師】の姿は、影も形も無かった。



一方、真名と古菲、そして月詠と鬼達の対峙する戦場にも、終幕が訪れていた。

「どうやら勝負あったみたいやな。あんたらの勝ちや、どうする、ねーちゃん?」

片腕を無くした大鬼が、消えていく【黒いリョウメンスクナ】を見やりながら訊ねた。彼の率いる鬼の軍勢は、すでに両の指で数えられるほどにまで減っており、一人の鬼が、その有様に呆れる様な感心するような様子でため息を吐いている。

「こっちも助っ人なんでね。そちらが退くなら戦う理由がない」

大鬼の言葉に、真名があっさりとそう言った。その横では、古菲が「暴れ足りないアル」、と不満顔を曝しているが、真名は気にも留めていない。そんな真名は、そのまま視線を月詠へとシフトさせて、

「お前はどうなんだ、神鳴流剣士?」

「ん~、そうですなぁ……」

問われた月詠は、少し考えたが、すぐに結論が出た様子で、退却を選択した。

「もろたお金の分は働きましたし、東西の戦争が起こらんかったのは残念ですけど、退きますえ~」

「そうか……」

にこにこと笑う月詠に、真名はふと、疑問に思っていた事を聞いてみた。

「月詠、といったな」

「はい~?」

「傭兵は金の為にしか動かない。だが、お前は違うだろう?お前は、何のために戦う?」

その問いに対して、月詠は華の様な微笑みを浮かべて言う。

「決まっとりますえ。ウチが目指すんは、只一つ」

月詠は、すっと指先を空へ向け、一言、

「最強、ですわ」

臆面もなく言い放った月詠に、真名は思わず黙り込んだ。

「冗談の類やあらしまへんえ。男も女も関係なし。この手に剣を握り、武を修めたその日から、うちはそれだけを目指して生きとります」

その言葉は、普段の月詠からは考えられないほど真っ直ぐな物であった。

「多分、と言うか、確実にウチは壊れた人間なんでしょうなぁ。快楽も、友情も、愛情も、剣を、戦いを通してしか感じられませんのや」

たとえ、どれほどの剣才を持とうとも、それを磨かねば意味がない。月詠は、類稀なき才能を持ったが故に、それを磨き、高みを目指す以外の生き方が出来なくなってしまっていた。

「殺しを楽しむのも、戦う相手を愛する事も、全てはこの業が故。でも、ウチはこの生き方を後悔しておりませんのや」

月詠は真名に視線を向けた。

「だって、今日みたいな素晴らしい出会いがありますさかい。ねぇ、龍宮真名はん?」

「……随分と、嫌な気に入られ方をしたものだな」

月詠の言葉に、真名はうんざりしたように呟いた。その様子を見て、月詠はころころと笑う。

「『神鳴流に飛び道具は効かない』……。誰が言い始めた妄言かは知りまへんが、それが誤りだったと、今日は判りましたから」

月詠は、真名との戦いを思い出す。飛び交う銃弾、閃く剣閃。銃使いと戦うのは初めてでない月詠だが、真名ほどの使い手には、出会った事はなかった。一瞬一瞬のやり取りが、即、死に繋がる。月詠にとって、それらの瞬間は、甘美で、心躍る、最高の時間だった。

「また、殺り合いたいもんですなぁ」

「それなりの報酬が無ければ、私はごめんだ」

嬉しそうな月詠に、真名は肩をすくめながら言う。それは残念、と言った月詠は、軽く地を蹴ると、後ろへ下がった。

「それではウチはこれで~。刹那センパイにも、よろしゅうお伝えくださいな、真名はん♡」

そう告げると、月詠はその場から瞬動を持って離脱、あっと言う間に姿を消した。

「……大昔ならいざ知らず、今の世にも、ああいうのはまだおるんやなぁ」

その姿を見送った大鬼がポツリとつぶやいた。

「嬢ちゃん達、覚えとけ。あんな輩を、『修羅』と言うんや」

「『修羅』、か」

戦いの中でしか生きられない、戦う為でしか生きられない。それは異常で異端で、そして何処か哀れな生き方なのかもしれない。

「……そろそろ、わしらも消えるか」

そう言った大鬼以下妖怪達の姿が、端から霞の様に消えて行く。

「ほななー、嬢ちゃん達」

鬼の一人が手を振った。その隣で、狐面の女妖怪も同様の仕草をしている。

「中々楽しめたぞ、大陸の拳法使い!さっきの坊っちゃん嬢ちゃんにもよろしゅうなー」

烏天狗がそう言って笑った。

「珍しいもんも見れたし、久しぶりに愉快やったわ。今度会った時は、酒でも飲もう」

最後に、大鬼が親指をぐっと立ててそう言うと、鬼達は元いた異界へと帰って行った。

「私達はまだ未成年何だがな」

大鬼の言葉に苦笑した真名は、傍らにいる古菲の元気がない様子に気付いた。

「どうした、古」

「ん?んむぅ……」

何とも煮え切らない返事をした古菲は、ポツリとつぶやいた。

「あいつ……、月詠って言うやつの事、アル」

「?月詠がどうしたんだ?」

「真名は……、あいつの事をどう思ったネ」

「狂人だな」

真名は即答した。月詠の生き方は、真名にとって微塵も理解できないものである。己の分を弁えない生き方は、決して長く続かない。常に最良の『自分』を見極めつつ、その『自分』に見合う仕事を心掛けなければ、傭兵などと言う仕事で飯を食っていく事は出来ない。だが、そんな傭兵の価値観を抜きにしても、月詠は十二分に狂っている。大鬼をして『修羅』と言わしめるだけの事はあるのだ。

「そう、アルよ。でも……」

押し黙った古菲は、やがてゆっくり口を開いた。

「ワタシには、あの女の考えが、少し理解出来てしまたアル……」

剣と拳。握る武こそ違えど、古菲もまた、武芸に生きる徒である。月詠の『最強』へと至る為の道を、その為の考えを、理解してしまった。出来てしまった。

「真名……。『強い』って、何アルかな……」

古菲が今まで歩んできた強くなる為の道は、小石を積み上げ、階段を作っていく事によく似ている。一日一日、拳を振い、技を鍛え、上へ、上へと登って行くのだ。だが、月詠は違う。小石の代わりに屍を積み上げ、常人のそれを遥かに凌ぐ速さで上へ向かって駆けあがっていく。それは決して、人としての生き方ではない。それは古菲にも判る。それでも、心のどこかで、武に全てを捧げつくせる覚悟のある月詠に共感し、また羨ましく思う自分もいるのだ。人としての倫理と、武人としての魂。二つの意志に挟まれた結果、古菲は柄にもなく悩んでいた。

「……古。お前はやはり、バカイエローだな」

「ぬわっ!?」

いきなりの痛罵に、古菲は面食らった。ショック状態の古菲を置いて、真名は続ける。

「傭兵の私に、武人の強い弱いが何なのか、判る筈もない。だがな、古菲。お前と恐らく同じ道を歩んだであろう先人の武芸者達は、皆弱かったか?例えば、お前に拳を教えた師匠とか」

「むむっ!師匠はそりゃーむっちゃ強いアルよ!」

「その師匠は月詠よりも弱いと思うか?」

「そんな訳ねーアルよ!」

「なら、お前も大丈夫だろう」

「……あれ?」

言いくるめられた様な感じの古菲は、首を傾げた。

「今までお前が歩んできた道が間違いではない、と言う事さ。月詠のやり方は、確かに強くなれるだろうが、それだけだ。ましてや、自分の命を顧みないやり方で、本当に最強とやらになれるのかは、疑問だしな」

常在戦場、と言えば聞こえはいいのかもしれないが、自分の命を綱にして崖を登る様な月詠の生き方は間違っている、と真名は言う。

「だから、お前は他の者の事なんて気にしないで、いつもの様に馬鹿で居ればいい。そちらの方が気楽だぞ?」

「……真名のセリフがものすごく突き刺さってくるアルが、まぁいいアル!確かに、私らしくなかたネ!」

古菲がぐっと拳を握りしめた。

「武の道において、努力は才能に勝るね!月詠がどれほどの死線を潜ろうとも、私自身の努力がそれを埋められるように頑張ればいいだけの事アル!」

それは凄まじく困難な道なのかもしれない。だが、その果て築かれるのは、誰にも打ち崩せない、無敵の要塞である。
古菲、15歳。拳を握って、早十数年。今再び、思いを新たにする。真名は、そんな友の様子を見て、少しだけ、頬を緩めた。



戦場、と言うよりも決闘に近いのが、長瀬楓と、犬神小太郎の戦いである。ネギの足止め役として立ちふさがった小太郎だが、後から現れた楓によって、自らの役割を完全に阻止されてしまった。
狗族と人の間に生まれた半妖である小太郎の身体能力は、常人どころか、並の猛者のそれすらも凌ぐ。だが、甲賀の中忍――只でさえ厳しい修練を積んだ下忍を、弱冠15歳で超えた長瀬楓は、その更に上を行く。結果、小太郎はいい様に楓に翻弄されてしまったのだ。それでも尚抵抗を続けていた小太郎だが、【リョウメンスクナ】、そして【黒いリョウメンスクナ】が現れ、それが消えた瞬間、いても立ってもいられず、楓を置いて猛然とその場に向かって走り始めた。

「!待つでござる!」

それを捨て置く訳にもいかない楓が、慌ててその前に立ち塞がる。

「邪魔ぁ……するなぁっ!!」

ぎりっと牙をかみ合わせた小太郎の体が、不意に一回り以上大きくなる。

「むっ?」

その変化に思わず細い眼を見開いた楓の前で、小太郎の体が変貌する。獣と人の間の様な異形こそ、小太郎の切り札、『獣化』である。

「な、なんですか、あれは……!?」

木の影からこっそり覗いていた故が、その変化に呆然とする。先の戦いにおいても、頑なに顕す事の無かった『獣化』を曝した小太郎は、大きく口を開くと凄まじい咆哮を楓に浴びせかける。

「くっ!?」

びりびりと鼓膜を震わせる轟音に顔を歪めた楓は、次の瞬間、自分の間合いの深くまで踏み込んで来た小太郎の姿を見る。

(速い!)

瞠目する間もなく、小太郎は固く握った拳を楓に向けて突き出した。回避不能と判断した楓が、気を込めて防御した瞬間、炸裂した拳が楓を吹き飛ばした。

「か、楓さん!?」

人間が水平に飛んだ姿を生まれて初めて見た夕映が、思わず声を上げる。だが、小太郎はそんな夕映にも、己が殴り飛ばした楓にも目もくれず、今度こそその場から走り去る。少年の脳裏には、今、一つの事しか浮かんでいない。

(姉ちゃん……!無事でおってや……!)

自分の大切な『姉』の身を必死で案じる小太郎は、夜の森を駆け抜けて行く。
一方、後に残された夕映は、楓の飛んで行った場所に走り寄る。

「か、楓さん、大丈夫ですか!?」

「んー、ま、何とか無事でござるよ、夕映殿」

「にょわ!?」

不意に隣に出現した楓に、夕映が珍妙な悲鳴を上げる。はっはっは、と軽く笑う楓だが、小太郎の拳を受け止めた腕は、気で強化していたにも拘らずどす黒い痣ができ上がっている上、軽く動かすだけで鋭い痛みが走る。

(折れてはおらぬようだが……)

それでも、手痛い反撃を食らった事には変わりない。未熟、と己を戒める楓は、小太郎が向かった先に目をやる。

(随分と必死な様子だったでござる。あそこに、誰か大切な者でもいるのでござろうか?)

首を傾げる楓は、くいくいと袖を引く夕映に気付いた。

「楓さん、あの子を追わなくてもよいのですか?」

「無論、追うでござる。だが、先の巨大な影が去った所を見るに、事態はどうやら収束へと向かっている様子。そうそう、焦る事も無いでござる」

(あそこには、刹那や、それにエヴァンジェリン殿もおるようでござる。そして何より――)

楓は、脳裏に一人の無表情な少女を思い浮かべる。

(長谷川殿、か)

エヴァンジェリンの言葉を信じるならば、最強クラスの手練もまた、あそこにはいる。

(独特の空気を持つお人とは思っていたでござるが……)

やはり自分は、まだまだだと思っている楓は、それでも尚不安そうな顔をしている夕映ににぱっと笑いかけた。

「まぁ、のんびり行くでござる」

そのようにのたまう楓に、深い事情を知らぬ夕映は、全く不安が拭いきれないままであった。




【あとがき】
更新が遅くなり、申し訳ありません。にじファン消滅の煽りを受け、向こうに置いていた二次創作作品をこちらに移動するにあたり、手直し等をしている内に、こちらの小説の手がどうしても止まっていました(ひと段落はつきましたが)。
とりあえず、本編に入る前に、それぞれの場所では何があったかと言う事を書かせていただきました。次の更新は、なるべく早くできるよう頑張ります。
それでは、また次回。



[32064] 第二十七話「涙」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:e9819c8b
Date: 2012/08/26 14:27
帰りたい場所がある。
戻りたい時間がある。
「ただいま」と言えば、「おかえり」と言う優しい声が聞こえて。
世界一大好きな、あの人達の笑顔が迎えてくれる。
そんな場所。そんな時間。
だけど。
もう帰れない。
もう戻れない。
だから――。
「うち」は、絶対に許さない。



肩で荒く息をし、目を血走らせてこちらを睨みつける天ヶ崎千草は、手負いの獣を思わせた。その尋常でない様子に多少気圧されつつも、刹那は野太刀の切っ先を千草に向けて突きつける。

「もう終わりだ、天ヶ崎千草!頼みの【リョウメンスクナ】は既に地に返った。お前の仲間達も直に捕えられるだろう。観念しろ!」

その捕えられるだろうとされる『仲間達』のほとんどが逃げおおせている事を知らない刹那が、凛とした声で告げる。だが、それを受けた千草は、刹那の言葉を鼻で笑った。

「『もう終わり』?『観念しろ』?まだ、何も始めてすらおらんのに、何を終えて、何を観念するんか、言うてみぃ!」

この期に及んでも尚、そのような気炎を上げる千草に、ネギが問う。

「何で、何でこんな事をするんですか!?」

そんなネギの言葉を聞いた千草は、ぎしりと歯をかみ合わせた。

「何で、やと……?」

「そうです!大勢の人達を傷つけて、貴女は一体、何を望むんですか!?」

その瞬間、千草の口から怒号が放たれた。

「お前がっ、お前がうちに、それを聞くのか!? 『魔法使い』ぃっ!!!!」

その凄まじい怒りに、ネギの体がびくりと震えた。そんな千草の様子を見たエヴァンジェリンが、ポツリとつぶやいた。

「復讐、か」

「え……」

エヴァンジェリンの言葉を聞いたネギが、声を漏らした。そして、当の千草は未だ収まらぬ怒りに体を震えさせたまま、沈黙した。

「こいつの眼に、覚えがある」

それは、数百年前に、エヴァンジェリンが浮かべていた物と同じ瞳の色だった。昏く染まりながら、その瞳の奥で燠火の如き復讐心が灯っている、そんな眼。かつて、人としての幸せを奪い去り、『化け物』の宿業を背負わせた者へと浮かべていた物と、全く同じ眼。

「……いつもと、何も変わらん朝やった……」

千草の口から、言葉が漏れる。

「朝起きて、父様と母様に「おはよう」って言うて、母様の作ってくれた朝ごはんを食べた後、父様と、学校が終わったら術の稽古をする約束をしたんや……」

千草の目に、懐かしい物がよぎった。大好きだった、両親。怒ると怖かったけど、それでも誰よりも優しかった母。少し厳しかったけど、誰よりも頼りになった、尊敬すべき父。二人といられるだけで、千草は本当に幸せだった。

「友達の誘いを断りきれんでなぁ、つい、帰るんが遅くなってしまったんや。きっと怒られる思て、恐る恐る家に入ったけど、丁度誰もおらんくて、ほっとしたんや」

静まり返った、家。玄関に、父と母の靴はなく、二人で買い物がてら、デートでもしてるのだろうと、特に心配はしなかった。夫婦仲が良い事も、千草にとっては自慢の一つだった。だが――。

「太陽が赤こうなって、その夕日が沈んで、お月さんが顔を出しても、父様と母様は、帰ってこんかった」

その時の千草は、ただただ心細くて、寂しくて、警察に連絡するという選択肢すら抜け落ちたまま、ずっと泣いていた。そして、真夜中になった頃。

「急に家に誰かが入って来たんや。一瞬びっくりしたけど、父様と母様かと思って、喜んだんや。でも、違うかった」

その人は、父の知り合いの陰陽師だった。千草も、何度か顔を合わせた事がある。その男は千草の顔を見るなり、こう言ったのだ。

『千草ちゃん、落ち着いて聞くんや。君のお父さんと、お母さんが――!』

「頭ん中真っ白になったわ。この人は何を言ってんのかと思った。そんな冗談はいいから、早う父様と母様に合わせてって、そう言ったらな、その人、泣き出したんや」

目の前で、父と変わらぬ年齢の大人の男が、ぼろぼろと涙を流して泣いている。それを見た千草は、茫然とした思考の中で、先程の言葉が嘘でない事を悟った。
――父と母が、死んだ事を。

「病院に連れて行ってもうたけどな、二人に会わせて貰えんかった。今まで時間がかかったのも、それが理由やった。遺体の状態がな、酷過ぎたんやって。だから、子供にはとても見せられんて」

今に至るまで、千草は父と母がどのようにして死んだのか知らない。父の知り合いの男も、病院の医師や看護婦達も、決して口にしてくれなかったし、見せてもらえなかった。歯形や、手術痕などから、身元の照会が何とか出来たらしい。それほど酷いのだと言う事は、推察できた。

「お葬式でな、最後の納棺の時も、見せてもらえんかった。……うちは、うちは!父様と母様に、最後のお別れを言う事すらも出来へんかったんやっ!!」

堪え切れなくなった千草の声が荒げた。その時から今に至るまでの怒りが再び込み上げ、千草の体を震わせる。

「その葬式の時に偶然聞いたんや。父様と母様が死んだ理由を!協定を破って侵入してきた『魔法使い』を諌めようとして、無惨に殺されたいう事をなぁっ!!」

千草は、まるでネギ達がその仇だと言わんばかりの苛烈な視線で、ネギ達を睨みつけた。その視線曝されたネギ達が慄く。その瞳に燃えた、怒りの業火に気圧されて。そんなネギ達を尻目に、千草は嗤った。

「こっからが一番傑作や。父様と母様の知り合いやった陰陽師達は、すぐにその『魔法使い』を捕えるよう、上の人間に懇願したんや。だけど、その犯人っちゅうのが、どこぞの偉い『魔法使い』の息子とかで、ここで揉めると、余計な軋轢が生じかねんかったんや」

眼が全く笑っていない状態で、千草は当時の人間達を嘲笑う。

「当時主流になりつつあった和平派の連中は、それを恐れて、長の耳にその事が届く前に、父様と母様の事件を握り潰しおったんや……!!」

「なっ……!?」

「そんな……」

その場にいた者が息を呑んだ。中でも、木乃香の事を最大の理由としつつも、和平の為に動いていた刹那のショックは大きかった。

「内々に事故として処理されたこの一件は、下のもんがどれ程訴えかけても、梨の礫やった……」

千草は思う。あの時感じた絶望を。悲しみを。怒りを。それは、今も業火となって千草の中で燃え盛っている。そしてその怒りの炎の矛先は、あの時の犯人だけでなく、『魔法使い』、そして父と母を見捨てた『関西呪術協会』にまで及んでいる。

「『関西呪術協会』の支配なんて、ホンマどうでもよかった。ただ、それだけの力があれば、『魔法使い』達に戦いを挑む事も出来たから、それを目指したんや」

それが、千草の本心。千草が本当に求めているのは、名誉でも権力でも、ましてや絶対的な『力』でもない。

「……全て滅べ!『関東魔法協会』も!『関西呪術協会』も!『魔法使い』も『呪術師』も!皆、全て等しく滅んでしまえ!!いや、うちが滅ぼしたる……!この怒りで、この憎しみで、全てをっ!!!!」

自分の大切な者を奪ってった全ての理不尽を、千草は憎む。だからこその、破滅願望。自身を含めた、全ての消滅を、千草は望んでいた。その凄まじい怒りと、そして憎しみに、刹那達は一言も声を発する事が出来なかった。
そんな中で、ネギは己の杖をぎゅう、と握りしめていた。復讐は何も生まない、などと言う陳腐なセリフを、ネギは口にはできない。ネギは知っているからだ。この世の理不尽を。唐突に奪われる平穏を。ネギの心の原風景に根付く、あの雪の夜の記憶が、千草の心を否が応にも理解させる。

(僕と、同じ――)

復讐の篝火は、ネギの心にも宿っている。
一方、その復讐の炎を燃やし尽くし、事を為した過去のあるエヴァンジェリンもまた、千草の事を否定できずにいた。復讐は、枷である。自身の進むべきを、いつまでもそこへ繋ぎ止めてしまう。嘗てのエヴァンジェリンもまた、復讐を果たすまで、一歩も前に進めなかった。そればかりを考え、そればかりを思い、ただただ手段を求めた。結局の所、エヴァンジェリンは復讐を果たしたが、そこに行くまで、途方もない程、大事な何かを磨り潰してしまっていた。そんなエヴァンジェリンだからこそ、わかる。今の千草の心の内が。本人は絶対に否定するであろうそれが、手に取るように。

(死にたがっているのだ、こいつは)

エヴァンジェリンはそう思う。もし、千草が真に復讐の継続をせんと、木乃香の力を狙うのならば、こうして姿を見せはしない。油断させて、気付かれぬよう、今度こそ確実な手段を持って誘拐を実行するだろう。それをしないのは、頼りとしていた【リョウメンスクナ】の消滅か。或いは、九分九厘手中に収めていた木乃香を取り戻されたが故か。何にせよ、千草の心は折れかかっているのだ。『関西呪術協会』を、そして『関東魔法協会』を同時に敵に回した自分が、これ以上復讐を果たす事が出来ないのだと言う事を、冷静な部分で気づいてしまっている。

(どうする?)

もし仮に、千草がこのまま捕えられたとしても、そう遠くない内に、絶望にかられた千草は、自ら命を絶つだろう。そのようなみじめな最後を曝させるくらいならば、いっそ、ここで命を絶ってやった方がよいのではないかと、エヴァンジェリンは考える。復讐を道半ばにして諦めざるを得ない苦しみから開放し、せめて戦いの中で散ったという誇りを一つ持たせてやった方が、多少の慰めになるのではないかと。
そのように葛藤を続けるエヴァンジェリンや、千草に気圧されるネギ達の耳に、不意にその言葉が届いた。

――羨ましいな。

「……何やと?」

千草の視線が、その言葉を発した人物に向けられる。それを受け、へたり込んだ状態から、ふらりと立ち上がったのは、千雨であった。千雨は、おぼつかない足のまま、皆の輪から離れ、千草の前に立つ。

「今、おもろい事言うたな……?うちの境遇の、一体どこが羨ましいんやて……?」

震える声を抑えながら、千草は怒りに燃える視線で、千雨を射殺さんばかりに睨みつけた。そんな苛烈な視線を受けても、千雨の表情は相も変わらず動かない。

「……お前が全てを憎むのも、恨むのも、失った者達が、お前をそれだけ愛してくれていたからだ。私は、それが羨ましい」

「な、何を言って」



「――わたしにはなにもなかった」



その瞬間、千草も、エヴァンジェリンも含めた、その場にいた全員が、心の底からぞっとした。目の前にいる少女が発した、圧倒的な虚無に。まるで、底の見えない大穴の淵に立たされたかのような恐怖。これがつい先程、感情の片鱗を見せた少女と同一人物とは、とても思えなかった。

(これ程、これ程までに厚いのか、千雨……!?お前の心を覆う、氷は――!)

戦慄が、エヴァンジェリンを貫く。先に垣間見せた笑顔。それを見たエヴァンジェリンは心から安堵していたのだ。きっと大丈夫だと。友の被った無貌の仮面は、きっと外れるだろうと。だが、今の千雨を見て、そんな気持ちは消し飛んだ。怒りも憎しみも、悲しみすらも遠い、虚無。その気配は、怒りと憎しみに支配されていた千草でさえも、鎮めさせた。

「あんた……、一体……」

千草が思わず棒立ちになったその時、その背後からがさりと樹をかき分ける音が聞こえた。

「姉ちゃん!」

そこから飛び出してきたのは、半妖の少年、犬神小太郎であった。

「姉ちゃん、大丈夫か!?」

「こ、小太郎……」

茫然としていた千草は、小太郎の登場でようやく我に返った。そんな姉の様子に僅かに安堵した小太郎は、素早く周囲の状況に目を配り、そして、覚悟を決める。小太郎は、千草に近寄ると、その手を掴む。

「逃げよう、姉ちゃん。向こうも疲弊しとる。逃げる事だけに専念するんやったら、まだ間に合う」

「に、げる?」

その言葉を反復した千草は、再び頭に血を昇らせると、小太郎の手を乱暴に振り払った。

「逃げるやと!?これ程の好機を前に、おめおめと引き下がれ言うんか!」

木乃香を攫う為に、入念な下準備を掛けてきた千草である。今の状況が、どれほど貴重な物であるか、自分が一番よく知っている。

「で、でも」

その剣幕にうろたえる小太郎に、千草は辛辣に言い放つ。

「逃げたいんやったら、お前一人で逃げや!うちは諦めん!もう一度、もう一度あの娘さえ手に入れば――!」

千草の視線に怯えた木乃香が、刹那の背中に思わず隠れる。その刹那もまた、先の話に動揺しつつも、木乃香を護る為に立ち塞がる。その様子を見た小太郎が、もう一度千草の手を握りしめる。

「もう、もうあかんよ、姉ちゃん。逃げるしかない。このまま捕まったら、姉ちゃん何されるか判らんのやで!?」

「父様と母様の復讐が果たせるんやったらそれでええ!うちの命なんて、惜しゅうないわ!!」

「――俺は!!!」

その時、突如小太郎が大声を出した。その声の大きさに、千草が思わず口を噤む。

「俺は、自分の父親も母親も知らんし、姉ちゃんの父ちゃんと母ちゃんも知らん!俺の、俺の『家族』は、姉ちゃんだけや!!」

「こ、こた――」

小太郎は、千草の手を握りしめたまま、ぽろぽろと大粒の涙を流して、泣き始めた。

「だから、嫌や……。姉ちゃんが、死ぬんも、居なくなるんも、嫌やよぅ……!」

少年が流した涙を見て、千草の体が固まる。
初めは、只の気紛れだった。子供に手を上げている大人と言う図が気に入らなくて、半ば衝動的に助けた。放っておくわけにもいかず、あれこれと世話をしている内に、懐かれてしまった。鬱陶しいと思う所もあったが――。

『姉ちゃん、姉ちゃん!』

慕われるのは、悪い気分ではなかった。初めからいなかった者、途中から失った者という違いはあれど、互いに親のいない者同士、共感し、無くした物を補い合うように一緒にいる内に、小太郎にとって、千草が『姉』になったのと同様、千草にとっても、小太郎は『弟』になった。だからこそ、今回の件において、千草は小太郎を遠ざけようとした。『弟』といれば、揺らいでしまうから。薄れてしまうから。己の中にある、『復讐心』が。

(せやのに……)

本当ならば、関わらせるつもりも無かったのだが、何処で聞きつけてきたのか、ちゃっかりメンバーの一員となっていた。無理に追い出しでもすれば、予想外の場所で介入してくる可能性もあったが故に、千草は仕方なく、目の届く範囲にいる事を許可したのだ。そんな小太郎を前に、心のどこかで誰かが言う。

『お前には関係ない』

『お前なんて家族じゃない』

そう言ってやれと。だけど、言えなかった。

「あ……う……」

舌はまるで痺れたように動かず、千草の口からは小さな呻き声が出ただけであった。そして、思い出してしまった。自分にも、まだ捨てられない物があった事を。もう、先のような捨て鉢を言う事も出来ない。目の前の泣いている少年に、【絆】を感じている以上は。そのように千草が揺らいでいる所に、更なる追い打ちをかけるが如く、あまりにも意外な人物が姿を現す。

「――私からも、お願いできませんか?」

その現れた人物を見た一同、特に刹那と木乃香の眼が見開かれる。

「お、長!?」

「お父様!?」

その場に現れたのは、白面の魔法使いによって石にされた筈の、『関西呪術協会』の長、近衛詠春であった。

「な、なんで……」

驚愕したのは千草も同様である。現状、石化を解除しうる人間などいない筈なのだから。

「【リョウメンスクナ】の復活を感じた者達が、すぐにこちらに来てくれたのです」

そう言った詠春の後ろには、数人の術者らしき者達の姿が合った。彼らの千草を見る目は、敵に対するそれではない。憐れみ、共感、それらが綯交ぜになった、複雑な物である。千草の独白は、彼らの耳にも届いていた。そんな彼らにも、覚えがあるのだ。家族が、友人が、或いは本人が、西と東、『呪術師』と『魔法使い』の軋轢に傷ついた事を。だからこそ、彼等は単純に千草を敵と見る事は出来なかった。

「天ヶ崎千草殿」

千草に呼び掛けた詠春は、その場に膝と手をつけ、頭を地に擦りつけた。

「な、何を――!」

いきなりの長の土下座に、千草が困惑の声を上げる。

「……今回の件、全ては私の不徳の致す所です」

詠春の胸には、苦い物が込み上げていた。自身に魔法使いの友人が多いが故に、西と東の軋轢をどうにかしたいと、常々思っていた。自身が長になり、ようやくその問題を何とか出来ると思っていた。言葉を尽くし、長い時を掛け、和平に賛同する者達を増やしてきた。多少強引に和平を進めようとしたのも、現状ならば大きな問題も起こらないだろうと。初めは混乱もあるだろうが、互いの良い部分を見れば、きっと融和も上手くいくと。そう、思ったからだ。だが、蓋を開けてみれば――。

(これほどまでに、恨みと憎しみの根が深いなんて……)

『魔法使い』と『呪術師』は、決して対等などではなかった。東洋の島国の半分程度、存在するにすぎない『呪術師』達と違い、『魔法使い』は世界中に組織立って点在し、更には一つの世界すらも治めている。組織力も、数も、あまりにも違いすぎた。故に、彼等は簡単に踏みにじられる。外から、内から。どれだけ泣き叫んでも、どれだけ血を流しても。弱い者の立場を考えていなかった和平が反発されたのは、自明の理である。詠春は、それを知らなかった。同じ和平派の重鎮たちからは耳触りのよい言葉しか聞こえず、それ以外の言葉は、当の和平派が握り潰していたのだから。

(私は、何と愚かだったのか……!)

がり、と爪が土を噛む。そんな詠春を、千草は凝視している。理想しか口に出来ず、現実を見ていない、愚かな男だと思っていた。魔法使いと通じる、唾棄すべき男だと思っていた。なのに――。

「何、で、何で、何で、何で今更そんな事言うんや!?皆が、うちが、泣いてる時に!苦しんでる時に!どれだけ声を上げても聞いてくれへんかったくせに!!」

千草は叫んだ。そう、今更である。もう自分は、取り返しのつかない場所まで来たのだ。そこに至るまで、多くの物を犠牲にしてきたのだ。

「……その怒りは、当然の事です。私を、いくら詰ってくれてもいい、責めてくれてもいい。この首を、差し上げてもいい」

「長!?何を!」

詠春の言葉に、周囲の術師達が驚く。だが、詠春は本気であった。

「だから、お願いします。全ての恨みを、憎しみを私に押しつけて頂いても構いませんから、もう、苦しむのはやめて下さい」

「な――!」

詠春が慮ったのは、和平の事でも娘の事でもなく、千草の事であった。先代、そして今代である自分のせいで苦しんできた彼女に、何とかして報いたいと、詠春は考えたのだ。そんな詠春の言葉に、千草の心は更に揺らぐ。捨てられなかった『弟』との絆。未だ消えぬ復讐の炎。頭を垂れる長の姿。もっと早く聞きたかった言葉。様々な、様々な感情が混じり合い、千草の心を締め付ける。込み上げる何かに、体はぶるぶると震え、拳は強く握りしめられる。そして――。

「う」

一粒の涙が、千草の瞳から毀れた。

「うう、ううう」

あ、と心の中で呟いても、もう遅かった。堪え切れぬ感情の渦は、千草の涙をせき止められない。

「うーっ!うぅーっ!」

千草はその場で地団太を踏む。まるで、子供のように。

「うぅーっ!う、うう!うあぁぁん……」

思えば、千草は父と母を失ったあの夜以降、泣いた事が無かった。二人の遺体を見る事が出来なかったが故に、現実感が湧いて来なかった事も、その一因であろう。葬式の場においても、泣けなかった。悲しみがその心を覆う前に、滑り込んできた憎しみが、千草に泣く事を禁じた。

「ぁあああん、あああ、ううあぁあ……」

泣いてしまえば、何かが終わってしまう気がしていた。何かを忘れてしまう気がしていた。だから、泣けなかった。

「あ、あ、ああ、う、う、ふ、ふぅぅぅ……、ぅう~っ……!」

ぼろぼろと毀れる涙は、拭っても拭っても尽きない。悔しくて、悲しくて、苦しくて、愛おしくて。全ての感情が混じり合ったまま、千草は迷子の子供が親を呼ぶかのように、只泣いた。やがて千草は、その場に蹲り、顔を覆って更に泣き続ける。小太郎は、泣き始めた『姉』に驚きながらも、その背中の寄り添うと、そっと撫でた。千草は、その手を拒まなかった。

「夜が、明ける――」

誰かが、そう呟いた。その言葉通り、東の空から顔を覗かせた日の光が、夜の闇を掻き消して行く。長い夜を超え、迎えた黎明の空の下、漸く泣く事が出来た一人の女の涙と共に、修学旅行を巻き込んだ京都の事件は、終わりを告げた。




【あとがき】
次回は、『京都修学旅行編』のエピローグになります。京都編において原作を読んでいて一番不思議に思ったのが、千草の両親の死因でした。魔法使いと反目し合っていた筈の(おそらく)陰陽師である千草の両親が、なんで「魔法世界」で起こった戦争が原因で亡くなったんでしょうか。……まぁ、先におそらくと付けた通り、本当は千草の両親は陰陽師ではない可能性もあるんですけど。
それでは、また次回。



[32064] 第二十八話「春になったら」
Name: まるさん◆ddca7e80 ID:10a8dfe0
Date: 2014/08/10 15:56
――いつも、そばに。



天ヶ崎千草が意識を取り戻した時、その体はとても奇妙な場所にあった。前後左右に壁、足場はなく、延々と続く広大な闇の様な空間。その下から、或いは上から、立ち上るように、降り注ぐように、金色のきらきらとした粒子が揺らめいている。

「ここは……何処やろうか?」

声に出した呟きは、反響せずに闇の中に消える。それは即ち、今いる場所が閉じられた空間ではない事を示していた。

「うちは、一体……」

ここに至るまでの記憶は、ない。あの時、長の謝罪と小太郎の涙に己の思いを弾けさせ、子供の様に泣き喚いた所からその先は、全く覚えていなかった。

「側近の誰かに殺されでもしたんかな」

自分は、関西呪術協会を乗っ取り、東西の術者間に戦争を起こそうとした大罪人である。義憤に駆られた何者かが、あの場で己を手討ちにしたとて、不思議ではない。

「もしそうやったら、ここはあの世っちゅー事か……」

千草はぐるりと周囲を見回した。金色が揺らめく空間は、幻想的で、美しい。

「あの世がこんなにきれいな所やったら、もっと早う来たらよかったなぁ」

千草がそう呟いた瞬間だった。

(――阿呆な事言うんやないよ)

少し呆れた様な、優しい、優しい声がその耳に届いた。

「っ!?」

千草の体が、震えた。
知っている。自分は、この声の主を知っている。
忘れた事なぞ、一度もなかった。自分にとって、一番愛おしく、大切な記憶の中で、いつもその声は聞こえていたのだから。
いつの間にか、そこには二つの人影があった。
一人は男。巌の如く厳しい顔立ちをしながらも、千草を見る目は果てしなく優しい。
一人は女。千草同様、つややかな長い黒髪と、千草よりも柔和な目元をした、優しげな女性である。事実、こちらもまた、千草を見る目には深い愛情の色があった。

「……父さま、母さま……?」

茫然と、眼を大きく見開いて、千草は二人を呼んだ。そこにいたのは、千草が幼い頃殺された筈の両親の姿であった。

(大きゅうなったなぁ、千草)

(それに、とっても綺麗になったわ)

父と母が微笑んだ。それを見た瞬間、千草はこれが幻であろうとなかろうとどうでもよくなった。

「父さまぁっ!母さまぁっ!」

目じりから涙をこぼしつつ、千草は二人を抱きついていた。

「会いたかった……っ!ずっと、ずっと会いたかったよぅ……!」

(大きゅうなっても、甘えん坊な所は変わってへんなぁ)

抱きしめられつつ、千草の母は己もまた腕を千草の背に回し、あやす様にポンポンと叩いた。

(男親としては、いつまでも娘には甘えていてほしいんやけどなぁ)

千草の父も、頬を緩めながら千草の頭を優しく撫でた。

二人の温もりを感じながら、千草はわんわんと声を上げて、泣き続けた。



しばらくして、漸く泣きやんだ千草は、涙にぬれた顔を二人に向け、訊ねる。

「父さま、母さまがここにおる言う事は、やっぱりここは……」

あの世か、と続けようとした千草に、千草の母は首を横に振った。

(ここは、意識と無意識の狭間。幽世に最も近い場所。私とこの人は、ある方の力を借りて、ここにおるんよ)

「ある、方……?」

(その人については、千草が直接聞けばええ。それよりも千草、俺達がここに来たのは、どうしてもお前に伝えたい事があったからや)

父の言葉に、千草の体がびくりと震える。千草が今まで歩んできた人生は、決して人に褒められた物ではない。復讐の大義の元に、様々な非道に手を染めてきたのだ。
裁きを待つ罪人の様に俯く千草に、父は言う。

(すまん。本当に、すまん。俺と母さんの為に、お前の人生を歪めてしもうた)

その言葉を聞いた千草は顔を跳ね上げた。

「……なんで、父さまが謝るんや!?悪いのは、父さまと母さまを殺した魔法使いやないか!なのに!」

(……その事も、俺が不甲斐なかったからや。あまつさえ、こいつも巻き添えに……)

(あなた、その事は、もう……)

己の伴侶にそっと手を重ねられた千草の父は、沈痛そうな面持ちを少しだけ緩め、小さく妻に頷き返した。

(……俺と、そして母さんを殺した魔法使いに何も思わん訳やない。でもな、それよりも何よりも、大切な一人娘が、その事を切っ掛けに自分の幸せを見失ってしもうた事の方が、よっぽど辛い)

「でも、でもっ……!」

父の言葉が判らない訳ではない。それでも荒れ狂う憎しみを、怒りを、忘れる事など出来そうにはない。それは、裏返せば父と母に向けていた愛情の深さ故の事だから。

(千草ちゃん、私とこの人が、千草ちゃんにして貰って一番嬉しい事って、判る?)

そんな千草に、母が不意に訊ねる。それを他人から聞かれれば、今までの千草ならば二人の無念を晴らす事だと答えただろう。
だがそれを聞いて来たのは、当の母である。千草は咄嗟に言葉が出てこなかった。

(それはね、千草ちゃんが“幸せ”になる事なんよ)

「うちの、幸せ……」

(私にだって勿論無念に思う気持ちはある。千草ちゃんが大きくなるのをずっとそばで見守っていたかった。教えて上げたい事もたくさんあった。……後、この人ともっとデートに出かけたかったって言うのもあるかな?)

悪戯めいた表情で夫を見上げた妻に対し、千草の父は赤面しながら変な咳払いをした。
その変わらぬ仲の良さそうな様子に、千草の表情がほぐれた。

(けどな、無念よりも心配の方が大きいんよ。ずっと張りつめて、自分を蔑にしてまで復讐を遂げようとしていた千草ちゃんが)

(お前が歩んできた道を無駄やったなんて口が裂けても言わん。それでも親いう生き物は、子の幸せを何よりも願うんや)

父と母の言葉には、千草を想う気持ちに溢れていた。己の中に未だ燃える復讐の炎は立ち消え、二人の言葉から受け取った暖かな灯が胸に宿る。

(千草ちゃんは、まだこれからや。きちんと罪を償って、それからまた始めたらええんよ。もし辛い事があったら、一人で抱え込まんと身近におる誰かに頼ったらええ)

身近にいる誰か、という言葉に、千草は小太郎の事を思った。それが伝わったのか、母は微笑みを浮かべた。

(あの子は、ええ子やねぇ。もし息子がおったら、きっとあんな元気な子になったやろなぁ)

(鍛えがいもありそうやしな)

千草の父が、同意して笑った。
その時、二人の体がゆらりと揺らいだ。何事かと目を見張る千草に、父と母は少し寂しげな笑みを見せた。

(ああ……。もう、時間なんやなぁ)

「じ、時間って……。父さま、母さま!」

二人がこの場から消えようとしているのを察した千草は、思わず手を伸ばした。自分も一緒に、という言葉が、喉の奥から込み上げようとした。そんな千草の体を、母はゆっくり抱きしめた。

(千草ちゃんは、まだあかんよ。次に会う時は、もっと先や。千草ちゃんが綺麗なお嫁さんになって、素敵な奥さんになって、優しいお母さんになって、それから可愛いおばあちゃんになってから、ゆっくりおいで)

(千草が歩いてきた道を、俺と母さんに聞かせてくれるのを、楽しみにしてるわ)

二人の姿が、千草の目の前で少しずつ黄金に解けていく。

「父さま、母さま!」

呼ばう娘に、二人は優しく笑った。

(どれだけ離れていても、思いはいつも傍におるよ。ずっと、ずっと大好き)

(幸せにな、千草……)

瞬間、眩いほどの黄金の輝きが広がる。その中で叫んだ千草の言葉も呑み込んで――。



「――っ!父さま!母さま!」

声を上げ、体を跳ね上げた千草は、己の目に飛び込んできたのが先程の空間ではなく、畳敷きの和室である事に気付いた。どうやら、己はつい先程まで眠っていたらしい。

「……ここ、は?」

茫然と呟いた言葉は、独り言にはならなかった。

「ここは関西呪術協会の総本山の屋敷だ」

「お前はっ……!」

千草の声に応えたのは、長いコートを纏った無貌の少女、長谷川千雨だった。

「あの後気を失ったお前は、ここに運び込まれた。因みに、その部屋には結界が張ってある。術の類は使えない」

確かに千雨の姿を認めた瞬間、咄嗟に術を使おうとした千草だが、そこに何の魔力も乗らぬ事に気付いていた。

「……そう見たいやな。で、お前さんはうちの見張り言う事か?」

憎々しげに言う千草に千雨は頭を振った。

「私はお前に聞きたい事があるだけだ」

「聞きたい、事?」

「――夢の中で誰かに会えたか?」

「な――っ!?」

何故それを、と口にしようとした瞬間、千草は妙な物を発見する。己の眠っていた布団の上に落ちている物。どうやら起き上った拍子に顔から離れたらしいその仮面を。

「テオティワカンの死人仮面」

極彩色の仮面を指し、千雨は言う。

「嘗ての神々の都、テオティワカン。彼の国において、死は終わりではなく、再生へと続く過程の一つだった。そしてその仮面は死者と生者を同一にし、共に過ごす為の物。現世と幽世を繋ぐ仮面だ」

「現世と幽世を、繋ぐ……」

千草は、つい先程まで見ていた物が夢ではない事を知った。

「父さま、母さま……!」

仮面をぎゅう、と抱きしめた千草の目から涙が毀れた。あの暖かな言葉は、まだ耳に残っている。

「……その仮面を通じ、お前が誰に会い、何を聞いたかは、お前だけが知っていればいい。その誰かの想いを受けて前を向いて生きる事を選ぶならば、【いつか】に繋がるその仮面は、お前に相応しい『顔』になるだろう」

千雨はそれを告げると踵を返した。去りゆく様子を感じていた千草は、その途中で、知った声が「うおっ!?」と驚愕をあげるのを聞いた。直後、その何者――小太郎が猛然と千草の部屋へと駆けこんで聞きた。

「ね、姉ちゃん!い、今あの眼鏡女とすれ違うたけど、何もされてへんか!?」

息せき切って聞いてくる小太郎に、千草は浮かべた涙を拭いながら頭を振った。

「何にもされてへんよ、小太郎。ただ――」

「た、ただ?」

「少しだけ、『心』を救ってもろうただけや」



千雨と千草が邂逅している頃、ネギを始めとした者達は、ネギの父、ナギ=スプリングフィールドが京都に滞在していた頃の家を訪れていた。
はしゃぐネギ達を遠目に、エヴァンジェリンと関西呪術協会の長、近衛詠春は離れた所で言葉を交わしていた。

「ふん、油断すぎるわ、馬鹿め」

「面目次第もありません」

辛辣な言葉を投げるエヴァンジェリンに、詠春は一言も言い返せなかった。

「貴方達がいなければを思うと、正直ゾッとします。もしかしたら今頃、京の町は戦禍にあったかもしれないのですから」

「私達は勿論、千雨には特に礼を行っておけよ?あいつがいなければ、本当に危うかったんだからな」

「長谷川千雨さん、ですか……」

詠春は、彼の無貌の少女を思った。娘のクラスメートの少女。エヴァンジェリンを始めとした魔法使い達以上の異能を使う少女。

「彼女は一体、何者なんでしょうか」

「我が友であり、恩人だ」

エヴァンジェリンにとって、千雨が何者かなどと言う事は、大した事ではなかった。彼の少女が自分にとってかけがえのない友人である、と言う事以外に何の問題もない。

「……千雨の事はさておき、詠春、お前に聞きたい事があるのだが?」

「……天ヶ崎千草さんの事、ですか」

「ああ。いかな理由はあれど、あの女が犯した罪は決して軽くはない。関西呪術協会の長として、お前がどうするつもりなのを聞きたくて、な」

「……死罪、或いは永久封印を、という言葉もあります。ですが――」

詠春は言葉を切ると懐から一通の書状を取り出す。

「それは?」

「嘆願書、その内の一つです。天ヶ崎さんの事件が知れ渡ると共に、毎日の様にこれらが届けられます」

そこに書かれているのは、千草に対する処遇を軽くしてほしい。命を助けて欲しい。そう言った事ばかりである。彼女を知る者も知らぬ者も、これらを届けてくる。中には自ら訪れ、額を擦りつける者まで居る。

「奴らにしてみれば、天ヶ崎千草のした事は他人事ではないのだろうさ。きっとそれは誰もが心に抱えていた物。そして、関西呪術協会、いやこの国の魔法使い達の未だ癒えぬ傷痕だ」

エヴァンジェリンはひたり、と詠春を見つめた。

「あの夜明け前の光景を忘れるなよ、詠春。あの時あの場所で、あの女が流した涙はあの女の物だけではないぞ」

「……判っています」

詠春はその光景を思い出す。静かに開けてくる夜の中で、蹲り、子供の様に泣いていたその女の姿を思い出す。あれこそは、詠春の、いや関西呪術協会の放置し続けてきた罪、その影で流されていた多くの者達の涙そのものだった。

「――忘れません。決して」

握りしめていた拳から血が滲む。その声には、深い深い決意の色があった。



本来極東の一地方で起こった小さな反乱など、魔法世界においては誰の気にも止まる物ではなかった。だがこの件に端を発し、後に本国であるメガロセンブリア、その元老院を訪れた嘗ての英雄「サムライマスター」近衛詠春は、今回の事件における魔法使いと呪術師達との軋轢、その原因となった魔法使いへの優遇や選民的な意識等に対する批判が切々と訴えた。そこに時折交じる怒気は、彼の英雄が今回の件をなあなあな物にする気が全くない事を思わせ、刀一本で戦艦を叩き斬っていたその姿を覚えている者は、心胆から震えあがった。
これを受けて即座に動いたのが、元老議員の一人であり、詠春の弟子でもあったオスティア総督、クルト=ゲーデルであった。英雄による詮議、と言う大義名分を得た彼の執拗な追跡調査により、この一件を始めとした様々な不正に関わった者が次々と処罰されていった。本国への強制帰還、地方への左遷などまだ軽い方であり、中には死罪に値するほど真っ黒な者まで居り、調査したクルトの方がその有様に頭を抱えるほどであった(尤もこれを機に政敵を追い落とさんとしていたクルトの手が緩まる事はなかったが)。
そんな雲霞のごとく湧いてくる罪人達の中に、嘗て秘術を求め極東の一地方に無断で侵入し、それを諌めようとした現地の魔法使い達を殺傷したある魔法使いの男と、それらを始めとした様々な悪行を握り潰し、本人もまた自身の立場を利用して不正や犯罪行為を行っていた、父親である大物議員が、死罪のリストに名を連ねていた事は余談の域である。



千雨は今、発車直前の新幹線の中にいた。短いはずなのに異様なほど長く感じた修学旅行も、終わりである。行きと同じく席に座って本を読んでいた千雨の隣にすとんと腰をお下ろした者がいた。

「千雨ちゃん、ここ、ええ?」

「ああ」

そこにいたのは木乃香だった。千雨の隣に座った木乃香は妙にそわそわとした様子で千雨を窺う。千雨は小さく溜息を吐くと、本を閉じ木乃香に向き合った。

「……何か用か、近衛」

「あ、いや、その……」

それでも尚ももじもじとしていた木乃香だが、やがて意を決したように頭を下げた。

「千雨ちゃん、ごめんな。今回の事、ウチの家のごたごたに千雨ちゃんを巻き込んで、あんな大怪我まで……」

「勝手に首を突っ込んだのは私の方だ。あの時も言ったが、お前が無事でよかった。それだけだ」

無表情に言う千雨に、木乃香は安心したように肩の力を抜き、微笑んだ。

「色々たくさん、考えなあかん事があるけど、今回はええ事もいっぱいあったわ」

「……そう言えば桜咲と仲直り出来たんだったな」

長きの関係性ゆえか、刹那の方にまだぎこちなさはあるが、それでも以前とは全く違う様子の二人の姿は、3-Aでも話題だ。ついにくっついただの刹那の方から告っただの百合百合しい怪情報が流れているが、発信源は確実に早乙女ハルナだろうと千雨は思っている。

「それだけやないで。千雨ちゃんと友達になれた事も、ウチにとっては嬉しい事や!」

「友達、か」

ここ最近で、そう言ってくれる奇特な人間がずいぶん増えたと千雨は思う。少し前までならば考えられなかった。

(私は何か変わったか?)

そう内心に問うても、帰ってくる言葉はない。自身としては、何も変わらず、と言う感じなのだが。

「……なあ、千雨ちゃん。京都、たくさん大変な事があったけど、嫌いになった?」

そう、おずおずと聞いてくる木乃香。何と言っても自身の故郷に友達が嫌な思いを抱いていて欲しくないのだろう。

「いや――」

千雨はここ数日の事を思い返した。痛い目も見たし、死に掛けた事もあったが。

「悪くは、無かった」

皆で回った観光や、宿での出来事。それらはきっと、掛け替えのない物なのだろう。それこそマイナス分を補い、そんな感想が出るくらいには。

「……えへへー」

千雨の言葉に、木乃香にこーっと笑うと千雨をぎゅうと抱きしめた。

「ありがとうな、千雨ちゃん!」

「……いいさ」

いつものように無表情で返した千雨は、何故かこちらを羨ましそうに見てくる刹那や夕映の視線を感じながら、本が読みづらいな、と思った。
悲喜交々。様々な感情、感傷を乗せ、新幹線はゆっくりと動き出していた。



千草は部屋の窓か見える景色を眺めていた。協会敷地内に多く植えられている桜は、ここからでも見る事が出来る。少し散り始めているが、それでもその景色は美しい。思えば、桜を眺める様な、四季の移り変わりを楽しむような心もずっと忘れてしまっていた。
幸せになれ、と両親は言った。だが復讐に身を捧げ、それ以外は切り捨てるような生き方しかしてこなかった千草は、何をすればいいのか判らなかった。誰かにである事も、何か知る事もしてこなかったのだから

(向こうで会うた時、二人が笑ってくれるようなは話をたくさんしたいからなぁ)

――だから、取り敢えずまずは。



「…………」

無言の千草の横では、小太郎がそわそわとしている。何か話しかけたいのだが、何を話たらいいのか判らない、と言った様子である。そんな小太郎に不意に千草の声が掛かった。

「なぁ、小太郎」

「!? な、なんや、姉ちゃん?」

驚きながら孵す小太郎に、千草は窓の景色から目を離さぬまま言う。

「……この先、うちが無事で、多少なりとも外を出歩けるようになったら、一緒に花見でもいこか?」

「へ?」

その言葉に、小太郎はぽかんと間の抜けた顔をした。今までの千草からは、考えられないような提案である。

「弁当くらいなら、うちでも作れるし……って、なんやのその顔は。うちと花見に行くのは嫌なんか?」

むっとした顔の千草に、小太郎は脳がシェイクされそうな勢いで首をぶんぶんと大きく横に振った。

「そ、そんな事無い!」行く、絶対行く!熱が出ようが足が折れようが行くからな!」

「そ、そうか?」

余りの勢いに提案した千草が少し引くぐらいである。そんな千草の様子にも気付かず、小太郎は慌てて立ち上がった。

「そ、そうや!こうしちゃおれん!今のウチに、京都で一番ええ花見の場所を押さえな――ぎゃんっ!?」

立ち上がった勢いのまま飛び出して行こうとした小太郎だが、さっきまで自分が座っていた座布団をふんづけたせいで思い切りその場でずるりと滑りこけてしまった。その様子を呆気に取られた顔で見ていた千草だが、顔を押さえてのたうち回る小太郎に、思わず噴き出していた。

「まだずっと先の話や言うんに……」

慌てん坊の上にそそっかしい小太郎を見つめながら、千草はふわりと微笑んだ。

「ほんまに、アホやなぁ」



だから、取り敢えずまずは、この優しくも色々と目が離せない『弟』と一緒に、桜を見に行く事から、始めよう。


感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.095537900924683