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[286] 機動戦艦ナデシコ-Irreplaceable days- 【再構成】
Name: 小瓜
Date: 2005/02/13 19:38

人の数だけ想いがあって


想いの数だけ物語がある


だから――――


始めよう、この物語を





機動戦艦ナデシコ

Irreplaceable days






――――2178年2月26日――――


「せ、先生っ! 妻はっ!? 子供はっ!?」


「お、落ち着いて下さい。大丈夫ですよ、ほら――――」


「はい、旦那さん。元気な男の子ですよ~」


「おお……おおぉっ! 頑張ったなぁ……良く生まれてきたなぁ……やっっったーーーーーっ!!」


「だ、旦那さんっ! 病院ではお静かにっ!!」




――――3260グラムで誕生――――




――――2182年4月15日――――




「おーいっ。準備できたかー?」


「はーい。もうちょっと待ってくださーい。ほら、ちゃんと歯磨いて。おトイレは済ませた? ハンカチとちり紙はちゃんとポケットに入れた?」


「うん。らいひょぶ」


「あーもうっ。歯磨きながら喋っちゃだめでしょっ。泡が服についちゃうからっ。ほら、足あげて」


「ふぁーい」


「おーいっ。そろそろ出ないと間に合わないぞー」


――――火星ユートピアトロニー ネルガルグループ出資・経営 私立ノゾミ幼稚園入園――――




「おぉテンカワさん。そういえば今日入園日でしたなぁ。いや、おめでとうございます」


「あ、ミスマルさん。これはどうもご丁寧に。ユリカちゃんおはよう」


「おじさま、おはようございますっ。あれ~? おじさま、男の子は~?」


「あぁ、もうすぐ来ると思うんだけど……。おーいっ。まだかーっ? ユリカちゃんはもう来てるぞー?」


「はーいっ! すぐいきまーすっ!」「まーすっ!」




――――ミスマル・ユリカと初の邂逅――――




――――そして、同年秋――――


「ユリカー! どこーっ!?」


「こっち、こっちだよーっ!」


――――自宅付近 新規コロニー開発・建設工事現場――――


「あぁっ! ユリカッ! あぶ、危ないから降りなきゃだめだよーっ!」


「だいじょうぶーっ! ほらほらー、いっぱいボタンとかあって面白いよーこれー」


――――多目的貨物対応 大型自走式クレーン――――


「わっ、動いた動いたーっ!」


「だ、だめだってばユリカー! そっち、そっち行くから何もしちゃだめだよーっ!」


――――多目的貨物対応 大型自走式クレーン 重量43.1t――――


「きっ、きゃあぁっ! たすけ、たすけて~、あきと~っ!!」


「待ってて~っ! 動いちゃだめ
                ―――――え?」




――――高速で振り回されたクレーンのフックにより、テンカワ・アキトの心臓は停止した――――




 次にアキトが自覚できたのは、自分が暗闇に囲まれているという状況。


『…………ここ、どこ?』


 次に自覚したのは、身体の感覚が無いという事実。


『――――っ! お、おとうさんっ! おかあさんっ!』


 身体が動かない、何も感じない。


『なっ、なんだよっ! なんだよこれぇっ!?』


 耳が聴こえない、何も見えない。


『どうなってるのっ! なんだよこれっ! おとーさーんっ!? おかーさーんっ!?』


 五感の消えた少年は――――


『あ、ああぁ……うわあああああああああっっ!!』


     ――――絶望の咆哮をあげた




 ――何秒――何分――何時間――何日――何ヶ月――


 どれだけの時間が経ったかすら知覚出来ない暗闇。
 生物として、五感が皆無であるという肉体の「死」と同等の状態に、彼の精神もまた「死」を迎えようとしていた。


『――――なにもない。なにも……なにも……』


 心でのみ言葉を紡ぎ、自分を励まし、何とか現状を打開すべく様々な思考をしたが、その稚拙さ故に自分が無力である事を思い知る。
 自身の幼さを呪い、現状を呪い、目の前の暗闇を呪い。それでも現状の打破を求め、思考を繰り返す。


 その繰り返しは確実に彼の心を磨耗させ、闇に削ぎ落とされた精神は結果、絶望の淵を彷徨う。
 そして彼の心はその絶望の淵からも転げ落ちようとする。


『もう………いい……や……』


 絶望という苦汁を恐らくは凡人の何倍も味わい、散々に痛めつけられた彼は、その幼稚な心を閉ざす

        ――――寸前。


『…………ひか…………り…………』




 目前に光が満ち溢れようとする光景が、闇の中で最後に知覚した事だった。




 人類が火星に入植し、生命を営み始めてから百余年。
 ナノマシンで満たされる大地は、人類の新たな歴史と、火星の知られざる歴史の紐を解いた。
 古代火星人の文明、その遺跡の発見。
 現在の地球人類の科学すら及ばぬ程の技術力を過去に所有していた生命の痕跡が、テラフォーミングされた大地で次々と発見されていった。
 未知のナノマシン技術、未知の推進機関技術、そして未知の生命。
 途方も無い謎を解明すべく、地球にある企業は先を争い火星へと支部を開設、研究機関をいくつも立ち上げた。




 その先端を行くのが、ネルガルグループ火星支部の立ち上げたオリンポス山にある研究所。
 技術力、経済力、権力全てをネルガルは火星技術の研究に費やし、結果として成功を収め、今尚収益を上げようと研究を続ける。
 そういった、事実上現代のトップ科学者・技術者達の中で、テンカワ・アキトの両親はそれぞれの分野でのトップとして存在していた。
 父は未だ実現化されていないワープ技術を違う形で実現する事の出来る新しいワープ技術、ボソンジャンプという理論の研究第一人者。
 母は次々に発見されていく未知の古代ナノマシン技術の研究・解明の第一人者。
 彼らの切り開いた道は確実に人類に恩恵を齎す物として、その類稀なる知識と技術にネルガルは湯水のように資金を投資していた。




 その夫妻は今、目の前に在る絶望と戦っていた。




 それを聞いたのは昼食時だった。
 隣家に住む火星駐留軍の幹部ミスマル・コウイチロウ氏の使いという軍人が突然訪れ、夫妻に報告した。


 テンカワ・アキト君が、工事現場の重機の暴走により危篤状態である、と――――。


 その後の行動は詳しくは記憶に無く。
 気が付いたら病院の廊下におり、「残念ですが」と報告してきた医師を父は殴りつけ、罵倒していた。
 母は、ガラスの向こうで機材に囲まれ横になっている息子を呆然と眺めながら、静かに涙を零していた。
 声をあげず、ただ静かに涙を零しながら、母はガラスに擦寄り。
 手に触れたガラスの冷たさと目前でぼろぼろの有様となっている息子を眺め、一人呟く。


「息子は、アキトは私が助けます。すぐにここから出してください」


 機材に囲まれ、無理矢理維持している生命活動を絶やさぬよう慎重に身柄を移送されたアキトが辿り着いたのは、オリンポス山にあるネルガル所有の研究所。
 アキトを中に運び込んだ夫妻は、突然現れた夫妻に戸惑い、彼らに運ばれているアキトの状態に驚愕を浮かべる。
 それに構わず夫妻は妻が主任研究員を勤めるラボへアキトと共に訪れ、場の動揺を無視して声を荒げた。


 「この子にナノマシンを、ラットで試験したやつがあったでしょう! それを持ってきなさい! 早くっ!」


 研究員の動きは迅速だった。
 研究所の所長が何事かと顔を出したのも構わず彼らはストレッチャーに寝ているアキトを慎重に抱き上げ、無理矢理生命維持を行っている機材を外し、すぐさま研究所にある機材を取り付け、人工的に造られた羊水にも似た液体で満たされたカプセルに沈ませ、機材でナノマシンを投与した。
 それからはアキトの生命維持を持続させる事に集中し、逐一記録を取り、ナノマシンの効果が現れるまで夫妻のみで無く、全員が緊張した空気を維持していた。


 それから三時間。




 ナノマシンの効果によりアキトの生命活動が復活を開始した時、その場に居た全員が、喝采の声をあげた。




 アキトの容態は当面の危機を逃れ、現代医学では絶望的な状況から復活を遂げたが、未だ目を覚ます事は無かった。
 だが投与したナノマシンはアキトの中で着実に数を増やし、次々とアキトを癒していく。
 時間をかけ、ゆっくりと傷は治り、見た目には何の問題も無くなるまで約半年。
 それと共に傷ついた神経、脊髄、脳髄も確実に治療されていった。


 投与されたナノマシンは、火星でネルガルが発掘、保有している遺跡から発見された未知のタイプ。
 それをラットに投与し、医療タイプであると分かったのは投与する前日の事だった。


 そして、そのナノマシンの画期的な、新たな効果が分かったのは皮肉にもアキトに投与し、アキトの状況を逐一調べていた結果だった。


 身体に投与されたそのナノマシンは、増殖を続けている間、延々と身体の細胞分裂を促進し、染色体内のテロメアを無限に再生させる。
 また、身体の内外を問わず傷口全てに素早く移動し、血小板や内皮細胞、様々な因子の何倍もの効果で通常よりも早く処置し、急速に癒していく。
 それは筋組織や神経なども同様で、破損した部位に張り付き、再生前と同等以上の働きを行うようになった。


 これだけを見れば医療用ナノマシンとしては最高のものなのだが、利点もあれば欠点もあり、このナノマシンも同様だった。


 ナノマシンが増殖を続け、染色体のテロメアが無限に増殖する期間。
 つまり、細胞が老化を停止した期間が三年間程度も持続されてしまうという予測が、アキトへ投与した結果と、実験で投与されたラットから導き出された。
 血流に乗り身体の隅々まで行き渡ったナノマシンは身体情報を脳髄や脊髄から引き出し、欠損状態を完全に再生させる。
 だがそれを終えた後もナノマシンは増殖を続け、無傷の筋組織や神経、脳細胞にまで取り付き始め、細胞を強固なものへと改竄し、全ての細胞の改竄を終えるまでそれを止めない。
 その期間が増殖スピードと改竄の期間を慎重に計算し、アキトの身体内をナノマシンが満たすまでが予測として約三年だった。


 次にこのナノマシンは、維持に必要とするエネルギーが過大なものとなってしまう。
 常人の何倍ものエネルギー、各種栄養素を必要とし、それと引き換えに身体を巡り欠損、破損部分を通常の何倍もの速度で治療する。
 このエネルギーは、ナノマシンが増殖する三年間は更にかかり、もはや通常の食物摂取では維持できない。
 維持出来なくなるとナノマシンは自身が改竄した細胞を喰らい、エネルギーを得ようとする。
 それは結果として投与された人物の死を意味する。
 その行動はまるで、寄生虫が宿主から栄養を吸収するかのようなものだった。


 最後に、そのナノマシンは増殖を続ける間、宿主の身体能力を一時的に奪い、必要最低限の行動を起させないようになる。
 心臓、脳、一部顔面や眼球の筋肉と神経は行使する事が出来るが、腕や足を動かす事は不可能だった。
 その行動は宿主のエネルギー消費を抑え、増殖するナノマシンにその分の栄養を与える為だろうと推測された。


 幸いにもそのナノマシンは無限に増殖し、栄養さえ与えればその宿主を食い破るなどという事態は無いと判りはしたが、この結果はテンカワ夫妻に暗い影を落とした。
 ナノマシンに身体を改竄、つまり改造されてしまう。しかも全身、細胞のありとあらゆる全てが。
 しかも三年間アキトは成長を強制的に抑制され、通常では摂取不可能な栄養を要求され、ナノマシンが維持出来なくなるとあっさりと死を迎えてしまうのだ。
 現在はカプセルの中で、必要な栄養素をナノマシン維持と生命活動の維持に必要な分だけ摂取させている。
 だがアキトが目を覚まし、そのカプセルから出てしまうと彼は数日で死を迎えてしまうのだ。


 テンカワ夫妻が投与したナノマシンが生んだのは、死を迎えるだけだったアキトを復活させるのと引き換えに改造人間とし、目を覚ましても三年間はカプセルの中から出る事は叶わず、互いに抱き合う事が出来ない生活を強制させるという結果だった。




「私は、自分の息子で人体実験を行い、改造人間にした最低の母親です――――」


 ナノマシンの生んだ弊害を知ると、アキトの母は顔を俯かせて夫に言い、静かに離婚を申し立てた。


「あの子は将来、他者との違いに悩み、苦しむ事になるでしょう。その未来を生み、あの子の将来を潰したのは私。だから……。
 あなたはそれを背負う事は無いんです。アキトの苦しみは、私が全て、全て引き受けますから――。どうか、私と離婚して下さい」


 涙を堪え、震えながら頭を下げる妻に夫が。


「俺達は家族だ。俺はアキトの父親、お前は母親。一緒に苦しむのは当然だ。だから、俺は、絶対、お前と別れない」


 そう言い差し出された離婚届をビリビリに引き裂いた出来事を過去にし、二人は並んで眠るアキトの前で静かに待っていた。


「アキトは、私を恨むでしょう……。それでも、私はあの子に生きていて欲しかった」

「あの子は、自分で言うのも何だが俺に似て優しい奴だ。きっと、お前を許してくれるはずだ」


 羊水に包まれ、仄かな明かりに照らされる息子を眺めつつ、夫妻は会話を交わし、目覚めの時を待つ。
 やがて、アキトの状態を管理していた研究者の一人が口を開いた。


「脳波のβ波が増加しました。そろそろ覚醒します」


 報告を聞いた夫妻に緊張が走る。
 心臓は早鐘を打ち、期待と不安で胸が押し潰されそうになる。
 夫妻は静かに目の前のカプセルを見つめ、互いに支えあっていた。


 やがて、夫妻の前で息子はゆっくり、ゆっくりとその瞳を開く――――。


『…………おとう、さん……っ! おかあ、さぁん…………』


 目を開き、自分達を確認した途端泣き出した息子と共に、夫妻は喜びの涙を流した。



[286] Re:機動戦艦ナデシコ-Irreplaceable days- 【再構成】
Name: 小瓜
Date: 2005/02/13 19:41
初めまして、小瓜と申します

再構成ものですが、初投稿させて頂きました。

これからよろしくお願いします。

※このSSはNoフレーム状態での閲覧推奨です(TOPのレイアウトがフレーム有りだと微妙なんで)



[286] 機動戦艦ナデシコ-Irreplaceable days- 第二話
Name: 小瓜
Date: 2005/02/17 20:12

人の数だけ想いがあって


想いの数だけ物語がある


だから――――


この物語は、続いていく




機動戦艦ナデシコ

-Irreplaceable days-






 見た事も無い機械の中に入れられ、見た事も無い場所に何時の間にか居て、見た事も無い人が毎日沢山居る。
 アキトが奇跡の復活を果たしてから一週間。
 彼が周囲を見渡して日々思うのはこの程度の事だった。




 何だか自分の身体が自分のものではない気がすると気付き、それを両親に訴えたのは復活の翌日。


『それはね……。アキトを治してくれたナノマシンが、アキトが完全に治るまで無理して遊んだりしないようにしてるのよ』


 母の説明に、ほんの少し前風邪を引いたまま幼稚園に行こうとした自分を思い出し、なるほどと納得した。


「じゃあそのナノマシンさんは、お母さんの代わりに僕のお具合を見張ってくれるんだ。すごいね~」


 自分がそう言った時、母が妙な顔をしていたのを覚えている。
 物分りが良すぎるとか思っているのだろうと、その時のアキトは考え、唐突に自分が体験した事を語り始めた。


「僕ね、怖い所に居たの。とっても真っ暗な所に居て、身体も何も全部動かなくって、お母さんとお父さんも居なくて、一人ぼっちなの。それで、そこから逃げようとしても逃げらんなくって。きっと僕、死んじゃったんだと思ったの。そう思ったらもっと怖くなって、ずっと泣いてて、でも疲れてもういいや、死んでもいいやって思って眠ろうとしたの。そしたら光がぱ~ってなって、ここに居たんだ。僕、きっと生き返ったんだよね?」


 その時の両親の顔は青を通り越して真っ白になっていた。
 アキトは自分が死を迎える、否、死んでいたのだと言っていて、確かにそれは事実。
 無理矢理ポンプで心臓を動かし、血を巡らせ、無理矢理酸素を送り込んでいたあの時は、確かに普通は『死んでいる』状態なのだろう。
 それを自分達が古代のナノマシンの力によって『生き返らせた』ようなものだ。
 それをアキトは、アキトの精神はきっちり全て体験し、しかも完全に理解しているように語ったのだ。
 両親としては顔が青くならないはずが無い。


『そうだよ。アキトは一回……死んじゃったんだ。でもお母さんがね、それは嫌だから、生き返らせたんだ。お母さんは凄いだろう?』


 青白いながらも、無理矢理笑みを浮かべて教えてくれた父に、アキトは目を見開いて思い切り喜びを表す。


「やっぱりそうなんだっ! お母さんすごいっ! お父さんもありがとうっ!」


 喜ぶアキトを見て、両親はその日、二回目の涙を流していた。




 それからは毎日両親が訪れ、他の何かを弄くりながら自分を見ている大人の人に囲まれている。
 初めは珍しい事なので毎日楽しかった。
 だがそれが一週間も続けば、まだ幼い子供であるアキトも飽きてしまうのが当たり前。
 とうとう我慢できなくなり、アキトは目の前の両親に訴えかけた。


「おとうさーん。ゲームしたい」

『アキト……。お前の身体はまだ治ってないんだからそこから出れないんだよ』

「でもゲームしたいっ! ゲーム~し~た~い~っ!」


 とうとう癇癪を起こし始めたアキトにまいったといった色合いの苦笑を浮かべる父だが、アキトの状態を管理していた若い研究員が慌てだす。


『テンカワさんっ! アキト君のナノマシンに変化が……これは、一部がIFSナノマシンに似た反応をしています!』

『っ! な、なんだって! IFSナノマシンなのて投与してないぞっ!』

『で、ですがこれは、信号がほぼ同じで……』


 突然の事態に父と他の研究員は慌てだす。
 そして彼らが見たデータ上の変化は、確実にアキトにも表れていた。


「おとうさ~ん。なんか右手がムズムズする……」

『脳波に変化が……っ! 補助脳が確立されていますっ!』

「おとうさ~ん……。何やってるの~?」

『っ! タトゥーが右手甲にっ! いや、これは……従来のものとは反応が違う。しかし……』

『このタイミングで現れたIFS反応……。このナノマシン、普通じゃない……』


 次々現れる不可解な現象。
 その渦中に居る対象者である少年は、状況が理解できないまま呆っと右往左往する研究者達を眺めていた。
 そして結局、その日は一日中研究者の喧騒を聞きながら静かに過ごす事しかアキトには出来なかった。




 その翌日、翌々日もアキトの周囲には喧騒が絶えず続き、アキトがゲームをしたいと癇癪を起してから一週間後。
 アキトの為に、一つの精密機械が製造され、渡された。


『アキト、指は動くかい?』

「うん、動くよ? これ、握ればいいの?」


 カプセルの中に突如投入されたケーブルのついた丸い機械の感触を掌に受けながら答える。
 自分の言葉に父が「そうだよ」と優しく頷くのを見て、アキトは指をゆっくりと動かし、優しく機械を握った。
 すると、唐突にアキトの頭に何かのイメージがゆっくりと流れ始め、次第にそれは形を取る。
 同時に、今までガラスだけだったはずの目前にウィンドウが表示される。
 そのウィンドウには、自分がよく遊んでいたゲームのタイトル画面が表示されていた。


「わっ! なにこれっ! 僕のゲームだっ!」

『この間やりたいって言ってただろ? 家から持ってきたんだよ。苦労したんだぞぉ?』


 そう言って微笑む父の姿をガラスの向こうに透けて見ながらアキトは喜ぶ。


「うんっ! ありがとう、お父さん! ……でもこれ、どうやって動かすの?」

『その機械を握りながら、どうやって動かしたいのかちょっとだけ考えればいいんだ。コントローラーで動かすよりも簡単だぞ』

「ふーん……わっ! ホントに動いたっ! お父さんすごいっ!」


 父の説明を受け、言葉通りにイメージするとゲームが始まり、キャラクターが思い通りに動く。
 確かにコントローラーで動かすよりも数倍簡単だった事に、アキトは単純に驚き、また喜んだ。


 そうしてアキトがゲームを楽しんでいるのを視界の隅に置き、父は他の研究者からの報告を受ける。


「テンカワさん。情報処理・整理能力の数値が従来の補助脳よりも高くなっています。ですが負荷は従来の約半分。フィードバックも従来の四倍はスムーズです」

「……皮肉、だな。私達が強固に反対した『技術の為に人間を造る』などという構想に、息子のデータが一役買うとは」

「しかし、このデータがあれば過激な人体実験が行われるなどという事は」

「判っている、判ってはいるんだ……。だが私は、この子の親として、息子をモルモットのように扱いたくは無い」

「ですが、実験の犠牲になる人は、アキト君のお陰で確実に減ります。現段階で既に実験は行われているはずですから」

「くそ! 上層部、会長一派のヤツらはどうかしている!」

「テ、テンカワさん! ……ここだからいいものを、月や地球で同じ事言ったら大変ですよ」


 この日からアキトは、自分の知らない間に『IFSシンクロ強化人間製造計画』のテストケースとして生きていく事となった。






 IFSを手に入れ、様々な情報伝達が可能となったアキト。
 暇があればゲームで遊び、それに飽きればTVを見、電子化したマンガを読んだり絵本を読んだりと、それなりに充実した日々を送っていた。
 だがそれでもやるのはいつも一人。
 その場には毎日父や母の他に、研究所の科学者がアキトの周囲を囲んでいるのだが、遊び相手になってくれる訳も無い。
 友達と遊びたい年頃なアキトは、一人遊びの毎日にすぐ飽きてしまっていた。
 だがカプセルの中から出られる訳も無く、両親の言葉に従い大人しく過ごす事一ヶ月。
 それも、限界に来ていた。


「ねぇ……お外出たい」

『アキト、ごめんね。まだ出られないのよ』

「ううん……わかった」


 ほんの少し、勇気を出して母に言ってみるもすぐに却下。
 やはりアキトは大人しく従うしか無かった。
 そんなアキトを不憫そうに眺め、チラリと時計を気にしてから母はアキトに告げる。


『ごめんね、アキト。お母さんとお父さん、これからちょっとお客さんが来るの。少し一人で遊んでてね』

「うん……わかった」


 母に謝られるのがアキトは好きでは無かった。
 そんな時、いつも悲しそうな顔をしている母を見たくなかったからだ。
 だからアキトは、母の言う事を素直に聞き、悲しい顔をさせないようにしていた。
 だがそれが更に母を悲しそうな顔にさせている事に、アキトが気付くはずが無い。
 最後に再び謝ってから部屋を出て行った母を見送り、アキトは独り言を呟く。


「お客さん……だれなのかな?」

『君のお父さんのお友達だよ』


 返事が返ってこないと思っていた所に研究員から思わぬ返事を貰い、アキトは少々驚いた。




「ごめんなさい。お待たせしてしまって」


 応接室に入るなり頭を下げた妻を一瞥してから、夫は声をかける。


「気にするな。こいつも気にしてないさ」

「おい、お前が答える事じゃないだろ?」


 夫の軽口に苦笑を浮かべながら妻は夫の隣に腰掛け、対面で座る男とを見る。
 男はネルガル、クリムゾンと肩を並べ現代の『三大企業』と呼ばれる明日香インダストリーの社長であり、夫の知己の友であるオニキリマル氏。
 その彼の娘には、カグヤ・オニキリマルという少女が居た。


「今日は、カグヤちゃんは?」

「あぁ。今秘書と一緒に所内をぶらついて貰っている。プロスも居るし大丈夫だろう」


 彼の言うプロスとは、ネルガル火星支部長で、プロスペクターと呼ばれる人物。
 元々中間管理職で、経理やその他雑務を担当していた彼だが、何の因果か火星まで飛ばされ支部長に就任させられてしまったのだと本人は語っていた。
 彼は三人共通の友人であり、つかみ所の無い部分はあるが、信用の置ける相手ではあった。
 まぁ彼に任せれば大丈夫だろうと妻は納得。
 その姿を見止めて、オニキリマルは口を開いた。


「さて、さっきテンカワにも話したんだが、一応君にも。……二人ともウチに、明日香インダストリーに移って来る気は無いか?」


 前口上も程ほどに、オニキリマルは本題を告げて二人の様子を盗み見る。
 夫は無言を通し、妻はしばらくしてから静かに口を開いた。


「今は、アキトの事があるし……。それに私は、この人に着いて行くつもりですから。この人が行くのなら、私も」

「アキト君の事は心配しなくていい。ウチにも同等の設備あるし、移動の際には手配もする。設備投資だけはウチもネルガルと同等ぐらいには金をかけているからな」


 最後のほうを茶化すように言い、オニキリマルは笑みを浮かべる。
 だが次には真剣な表情に戻り、二人に向けて再び口を開いた。


「前々から同様の打診はしてあったが、俺は本気だ。君達二人の能力がウチには必要だし、俺としても二人がウチに来てくれるのなら精神的にも楽になる。俺の妻も支えてはくれるが、やはり彼女だけではな。公私共に、支えてくれる奴が必要なんだよ」

「凄い口説き文句だな。いつもそうやって女を口説いてるのか?」

「まさか? 俺はアイツ一筋だぞ?」


 軽い言葉の中に夫と彼の気心が伺えるが、二人とも表情は真剣そのもの。
 次第にオニキリマルは声のトーンを落とし、まるで秘密を打ち明けるように囁いた。


「お前、上層部のやり方に反対していただろ? ボソンジャンプ理論の秘匿に、IFSシンクロ強化人間、人工的に天才を造る計画。お前と上とじゃ方針が真逆なの、判ってるだろ? それに、そんなお前に不信感を持っている奴がネルガルには多い。最もそれは地球や月の人間だろうが、こっちは大丈夫か?」

「あぁ。火星の人達は大丈夫だ」

「そうか。だがな、最近のネルガルにはきな臭い話が多すぎる。俺はお前達がいつかそういう事に巻き込まれるんじゃないかって心配なんだよ。今や世の中火星の技術で進歩しているようなもんだ。その中でも最先端を言っているお前達だ、何かの標的にされてもおかしくはない」

「それに、会長に嫌われているし、か」


 ネルガルの方針では、テンカワの探し出したボソンジャンプとその仮説段階の理論について、秘匿し自社の占有技術とすべきだという方針が多数を占めている。
 それは発見者である彼の方針、世界に公開するべき技術だという考えとは全く逆の意見である。
 そして先の遺伝子改造によるIFSシンクロ強化人間製造計画の強行。
 彼が学者として入社した時と今とでは、会社のやり方が明らかに変わってきていた。
 だが、今まで科学者として研究に身を費やし生活できたのはネルガルのお陰。
 それを忘れる事が出来る人間だったら、今のような心境には至って居なかっただろう。
 彼は今、ネルガルへの今までの恩義と親友の説得の間で揺れ動いていた。
 結局、彼が自分の意見を口に出来たのは半時程経ってから。


「少し、考えさせて欲しい。半月、それだけ待っててくれ」

「……そうか。まぁ今までよりは大分良い返事だな。君も、それでいいね?」

「えぇ。私は、彼の決断を受け止めるわ。それに、こういった時にこの人は必ず良い決断をするから」

「あぁ、そいつは俺も身をもって知っているからな。そういえば昔も――――」


 夫の言葉に期待が持てると感じたオニキリマルは気分が楽になり、プライベートの顔に戻った。
 それから三人は、昔話や今の状況、自分達の子供について、空気の軽くなった部屋で互いに笑みを浮かべつつ語り合った。




 両親が友人と語り合っている頃。
 アキトはいつも通りにゲームをし、TVを見、マンガを読んで暇を潰していた。
 最近同じゲームをするのにも飽き、そろそろ違うゲームもしたいなぁと思っている。
 ガラスの向こうで何やら作業している研究員を眺めながらそんな事を考えていると、外に繋がる通路の扉が開いた。


「あ、あれっ! カグヤちゃんだぁっ!」

『あっ、アキト様っ!』


 室内へ入ってきたのはカグヤ・オニキリマル。
 アキトより二つ年上の彼女はミスマル・ユリカと同じくノゾミ幼稚園に通う、もう一人のアキトの友人。
 父親は現在彼の両親と談笑しているオニキリマル氏で、アスカインダストリーの社長令嬢だった。


『アキト様っ! なぜこのようなものに閉じ込められているのですかっ!? 今カグヤがそこからお救い致しますっ!』


 アキトを見るなり室内に飛び込んできた彼女は、そのフリルのついた高級そうな洋服を腕まくりし一直線にアキトの元へと駆け寄る。
 どうやら本気らしいと周りの研究員が慌てて止めようとすると、カグヤは標的をその研究員達へと摩り替えた。


『あなたがたっ! アキト様になにをするおつもり……いえ、なにをしてらっしゃるのですかっ! アキト様への暴虐は、このカグヤが許し――』

『お、お嬢様。少々落ち着いてください! アキト様なら大丈夫ですよっ!』

「あははっ、カグヤちゃん難しい言葉使ってるー」


 幼稚園児に突然一喝され目を白黒している研究者の前に、カグヤと共に入ってきた秘書が彼女を羽交い絞めにし、バタバタ暴れるのを取り押さえる。
 その姿をアキトは本当に楽しそうに眺めながら、自分に近づいてきた一人の男性に挨拶をした。


「こんにちわっ、プロスおじさん」

『えぇ。こんにちは、アキト君。今日の調子はどうですか?』

「んー、よくわかんない。プロスさんがカグヤちゃんを連れてきてくれたのー?」


 彼はこの研究所で知り合った、通称プロスペクター。
 アキトにとって彼は両親と一緒にたまに見舞いに来てくれる優しいおじさんという位置付け。
 にこやかに挨拶を交わす二人を羽交い絞めにされていたカグヤは不思議そうな顔で見ていた。


『あ、アキト様……? その機械の中に閉じ込められていたのでは?』

「えっ? 違うよ? 僕ね、なんかよくわかんないけど病気、なのかな? 『なのましん』さんがなんだか治してくれてるから、完全に治るまでは出られないんだってさ」


 あっさりと否定の言葉が返ってきたカグヤは自分の行動に対し顔を真っ赤に染め上げるが、続いてアキトから出てきた『病気』という言葉に今度は顔を青白く変化させた。


『そっ、そんなっ! お病気なんですの? 幼稚園ではあの娘そんな事言ってなかったのに。おいたわしい……』


 悲しそうに涙を流し始めたカグヤに、今度はアキトが焦りだす。
 「あぁ~、う~、えっと~」と何を言っていいのかわからずただ慌て、幼稚園という言葉で思い出した彼女の事を慌てて口にした。


「あっ! そうだっ! カグヤちゃん、ユリカは……?」

『……知りませんわ、あんな娘』


 すかさず出したユリカの名前に涙を流していたカグヤはそれをピタリと止め一転、不機嫌を隠そうともせずにアキトへと向き直った。


『アキト様、私聞きましたの。何でもアキト様はあの娘を助けようとしてお怪我をなさったとか』

「う、うん……。そ、そうだけど……?」


 「何で怒ってるんだろうカグヤちゃん」とか思いながら、アキトはカグヤの言葉に頷き続きを聞く。


『あの娘、幼稚園でそれを自慢気にみんなに話していたのですよ。『アキトは私の事を助けてくれる勇敢な王子様』とか言ってましたわ』

「そ、そうなんだ……」

『それで私、その日アキト様が幼稚園に来てらっしゃらないと聞いたもので、あの娘にアキト様の事を聞いたんです。そしたらアキト様、お怪我なさった言うじゃありませんか!』

「う、うん。そうだね」


 喋りながらも段々ヒートアップしてきたカグヤに、アキトは引き気味に頷く。
 それを素早く察知したのか、カグヤは少々熱くなった頭を冷ますように子供らしくない咳払いを一つし、落ち着いて続きを話した。


『それで、私あの娘とケンカしましたの』

「えぇっ! け、ケンカって、ダメだよケンカしちゃあ!」

『で、でもっ! あの娘ったら自分の所為でアキト様が怪我したと言うのに『王子様だから大丈夫』などと言ったんですっ! 私もう心配で……』


 カグヤとユリカのケンカは苛烈を極め、互いにひっかき傷や青痣をいくつも作るほどの激しさだった。
 その時ユリカが言ったのは、正確には『王子様は怪我なんかすぐ治るから大丈夫!』というもの。
 いくら幼稚園児だろうと普通は怪我がすぐ治る訳が無いという事ぐらい知っているのだが、アキトはユリカにとって『王子様』という普通じゃない存在として認識されていた為すぐ治るんだとユリカは勝手に思い込んでいる。
 それは、カグヤにとってアキトに怪我をさせた事と合わせてケンカするには十分な理由だった。


『アキト様……。あの娘と遊んだりしていたらまたお怪我をしてしまいますわ。あの娘とはもう遊ばないほうがよろしいですっ!』

「で、でも……。ユリカは、友達、だしさ……」

『友達だったら私がいるじゃないですかっ! それに、私だったら毎日でもアキト様のお見舞いに参りますっ! ユリカはお見舞いには来ていないのでしょう?』

「う……うん」

『やっぱり……。あの娘は毎日他のお友達と遊んでいますのよ。アキト様が家に居ないとこの間言ってましたから、一応誘うつもりはあったようですけど』

「で、でもそれは……。ユリカ、僕がここに居るなんて知らないでしょ?」

『でもっ! 私はアキト様がここに居ると知ってますっ! だからアキト様はお見舞いに来ないあの娘なんかより私と遊んでくださいっ!』

「わ、わかったよ、カグヤちゃん……」


 いくら喋り方が大人びていても所詮は子供。
 カグヤは無茶苦茶な、彼女にとってはキチンと筋の通った論理展開と勢いによってアキトの反論を許さず、アキトはほぼ押し切られる形でカグヤと遊ぶ事を約束させられた。
 その約束の意味がわかっているのは、恐らくカグヤだけである。


『はははっ、アキト君良かったですねぇ。いいお友達じゃないですか』

「う、うん。カグヤちゃんは一緒に遊んでてとっても楽しいんだよ」


 今までの口論、というか半分痴話げんかのようなものを静かに眺めていたプロスが笑顔でアキトに語りかけ、それにアキトが返事を返す。
 アキトの言葉を聞いたカグヤはほほを僅かに桜色に染めながら、自分より上に位置するカプセルに入っているアキトを見つめた。


『お二人の仲がいいのは大変良いのですが、残念ですがここに毎日は来れないんですよ』

『えぇっ! そ、そんな……』


 微笑ましそうに二人を眺めていたプロスが、一応の注意として毎日の訪問禁止をカグヤに教えると、カグヤは一転しガクンと落ち込みだす。
 だがそれに、プロスはちゃんとフォローを用意していた。


『そうですね、週に一日。今日のような休みの日にだけなら大丈夫ですよ。その時は一緒に来ている秘書さんに伝えてください』

『っ! ほっ、本当ですのっ!?』

『はい、本当ですよ。その時は私も一緒にアキト君のお見舞いをさせて貰いますので』


 プロスのフォローは鮮やかで、一気に気落ちしたカグヤを見事復活させた。
 喜びにより一気に騒がしくなったカグヤは、今度お見舞いに来る時のお土産のリクエストなどをアキトに聞いたり、アキトが居ない幼稚園での変わった出来事や、たまにユリカがどれだけ嫌な女かをアキトに諭し、彼を思い切り怯ませる。
 カグヤがユリカの事を話す際の彼女の悪意に満ちた言葉にプロスも、若い秘書も引き気味になるという一幕があったりしたが。
 カグヤが見舞いにきたこの日、アキトは暇を持て余す事は全く無い、久々の楽しい一日を過ごせた。








「……俺は、アスカに移ろうかと思う」


 友人であるオニキリマル社長からの打診を受け、熟考する事二週間。
 テンカワはアスカへの移籍を決断し、その胸の内を支部長であるプロスへと打ち明けた。
 当のプロスは、オニキリマル氏が来た時の用件等既に推測しており、最近のネルガルへの不審を溜めているテンカワの胸の内を聞き、『やはり』と一言呟いた。


「ですが、いいのですか……? あちらに移ってから報告したほうが、何らかの妨害が無いとも限らないのですよ?」

「そこまで腐っているのか? 今の上層部は」

「恥ずかしながら……。私も最近の会長の変わり様には耐え難いものがありますが、所詮管理職ですから」


 ほの暗い室内で、向き合って話す二人はその内容故、自然小声になる。
 妻は今息子の相手をしているのだろうとほんの少し思いを巡らせ、テンカワはプロスに続けた。


「とりあえず、俺の移転の旨を本社へ報告してくれ。それが仕事だろう?」

「ですが……。あなた方夫婦の関わっている研究は、現在ネルガルでも重要機密となっているものです。本当に、何らかの妨害があってもおかしくはないのですよ? 最悪――――」

「これは、最後の賭けなんだよ。ネルガルに残るか、アスカに移籍するかのな」


 彼の意思を感じさせる物言いに、プロスは一瞬目を見開き、溜息を吐く。


「ご自分を餌に、内部を変えようと? 余りにも危険すぎますよ、それは」

「だが、もう俺は耐えられん。とりあえず一ヶ月は身辺整理や手続きで猶予期間を貰うから、それまでにそちらでどうするか考えてくれと報告してくれ」

「……わかりました。それで、条件はやはり?」

「人間を造るなどというバカげた計画の破棄と、俺の理論を公開技術として扱う事、それだけだ」


 想像通りの返答に、プロスはまた一つ溜息を吐き、了承の意を告げる。
 それで話は終わりとばかりにテンカワは席を立ち、部屋を退室しようとして、背後のプロスに呼び止められた。


「本当に、お気をつけ下さい……。私は、大事な友人を失いたくは無い」

「ありがとう。お前は、ネルガルで知り合った人間の中で一番の友人だ」


 退室していくテンカワを背中を眺め、プロスは静かに衛星通信の準備を始めた。




 それから二週間、何事も無く彼らは過ごす。
 そしてこの日、アキトの居る研究室に夫妻、プロスと共に一人の大柄な男が現れた。


「……おじさん」

『久しぶりだね、アキト君』


 ミスマル・コウイチロウ少将、火星駐留軍司令。
 実質上アキトがカプセルの中へと入る原因となったユリカの実の父親であった。


『今までお見舞いに来れなくて済まなかったね。ユリカを助けてくれてありがとう』

「……僕、何もしてないから。別にいいよ」


 謝罪を混め、頭を下げたコウイチロウにアキトは気まずそうに首を横に振り、頭をあげさせる。
 事実、ユリカはアキトの言う通り彼が助けた訳では無い。
 回転する大型クレーンと、そのクレーンの上で泣き叫ぶユリカの声に気付いた付近の人間が付近の警備隊に報告し、その彼らが助けたのである。
 その彼らが実質のユリカの『王子様』であり、アキトにとっても命の恩人なのだが、ユリカもコウイチロウも、アキトがユリカを助けようと駆け寄ったのを知っており、それを踏まえて彼を『王子様』と呼び、助けた礼を述べたまでである。
 その心情を理解できないアキトはそれを否定してしまうが、コウイチロウは首を振り答えた。


『だが、君がユリカを助けようとしたのは本当だろう? だから私は君にお礼を言ったんだよ』

「……うん、わかった」


 一応の納得をしたアキトに、コウイチロウは苦笑を向ける。
 そして、話を本題へと移した。


『実はな、アキト君。今日で私とユリカは、地球へと引っ越すんだ』

「えっ? ……そ、そうなんだ」

『あぁ。今日はユリカは来れないが、あの子も君と離れるのを寂しがっているんだ』

「そっかぁ……」


 アキトの納得の言葉に、コウイチロウは胸を痛める。
 ユリカは今頃一足先に地球行きの船へと乗り込んでいる所だ。
 彼女はアキトがこのような境遇に置かれている事も、火星から引っ越す事も知らない。
 彼女にはアキトに関しては何も言わず、地球には『父の仕事の同行』と言う事しか伝えて居なかった。
 それが、彼なりのユリカへの愛であり、今日ここへ来たのも彼なりのせめてもの償いだった。


「ユリカに、元気でねって伝えといて下さい」

『……ありがとう、アキト君』


 アキトの子供らしい、暖かい言葉にコウイチロウは誠意を持って返事を返す。
 そのままちらりと時計を見て、コウイチロウはアキトに最後の言葉をかけた。


『地球に来る事があったら、いつでもウチに来なさい。ユリカと一緒に歓迎するよ』

「はい。おじさんもお元気で」

『あぁ。……ありがとう』


 最後に一言、静かに礼を述べ、コウイチロウは出口へと向かう。
 その背中を追うように父が部屋を出、共に出ようとした母は一旦アキトへと振り返った。


『アキト。お母さん達、おじさん達を見送りに行って来るわね』

「うんっ。あ、帰りにゲーム持ってきて。それと、ユリカに元気でねって、おじさんと一緒だけど言っといて」

『はいはい、わかったわ』


 苦笑を浮かべて、母は部屋に残る研究員に頭を下げてから部屋を出て行く。
 残されたアキトは一人、地球がどういう所なのかを想像していた。








 その一時間後、テンカワ夫妻は死亡した。 



[286] Re:機動戦艦ナデシコ-Irreplaceable days- 【再構成】
Name: 小瓜
Date: 2005/02/23 22:38

人の数だけ想いがあって


想いの数だけ物語がある


だから――――


悲劇だとしても、物語は続いていく




機動戦艦ナデシコ

-Irreplaceable days-






「――――彼は私が引き取ります」


 事件の報告を聞き慌てて駆けつけたプロスは、瓦礫の山と化した宇宙港に呆然とする事も無く、携帯端末でオニキリマルの個人回線に一時間後に外で待っているとだけ連絡を入れた。
 一時間後、指定した待ち合わせ場所に一人で駆けつけたオニキリマルを無言で促し、プロスは自宅マンションの一室でオニキリマルに事件を報告。変わり果てた姿になった二人が遺体安置所へ運ばれるのを見届けた事を告げたプロスは、その手に握る、アキトの母が首から下げていたネックレスをテーブルに置き、先程の言葉を告げた。
 毅然とした、一見冷徹とも取れるプロスの態度で放たれた一言だがオニキリマルは冷静に受け止め、思案しながら意見を述べる。


「しかし……君は一人身だ。アキトの世話が出来る奴が必要だろう? 俺の妻ならアキトの事も知っている、それにカグヤも居る」

「えぇ。普通なら貴方にお任せしたほうがいいとは思うのですが……。貴方も彼も、普通な環境ではありませんから」


 今までの表情とは一転し、苦々しい表情を浮かべたプロスにオニキリマルは眉を寄せる。
 彼の言う事を正確に理解したオニキリマルは、声を潜めた。


「……狙われた、のか? あいつらが。だとすると―――」

「現在も調査中ですが……遺体の状態が、状況を考えると少し不自然で。これから司法解剖に回されますが、引き取ったのはネルガルの息のかかった所。――――勘が当たっているとしたら、余り期待は出来ません」

「勘か……。しかし、そうなると」

「えぇ。もしそうだとすれば、貴方が引き取る事になると彼共々貴方も狙われる。それに奥様とカグヤさん、彼女も。貴方だけなら大丈夫かもしれませんが、彼女達にまで手が及ぶ可能性が十分あります。彼が自分達の懐に居れば、少なくともそういった事は無いでしょう。今の彼は上からすると貴重な『モルモット』なのですから」


 平然と吐ける自分に嫌気が差す。
 自分の発言に自己嫌悪に陥りながら、プロスはオニキリマルの思案顔を眺め、今後相談するべき事を冷静に整理する。


「――――わかった、君の言う通りにしよう。だが彼の今後に必要な事があったら、迷わず相談してくれ」

「ありがとうございます。それで、今度は貴方達の事なんですが……」

「……火星から離れろ、と?」


 理解が早くて助かる。
 現在のような異常事態ではスピードと情報の正確さが大事だ。
 プロスはオニキリマルの言葉にコクリと頷くと続けた。


「貴方達が彼の近くに居る間は、あちらも安心出来ないでしょう。それに、貴方にしか頼めない事もあります」

「……っ。向こうを調べるのか。アスカを使って」

「もちろん、こちらでも調査はします。ですが調査する人間も――。いくら支社の人間が本社に対して友好的で無くとも、向こうの指示には従わなくてはいけませんから。それに、あちらが本体ですから、より多くの情報が期待出来ると私は思います」

「そうか。――――宇宙港再開のメドは?」

「恐らく、一ヶ月。幸い滑走路や船に被害は無いようですから。こんな状況ですから、瓦礫を退かし、最低限ロビーが機能できれば飛ばすでしょう」


 プロスの予測を聞くと、オニキリマルは肩の力を抜き胸ポケットから煙草のボックスを取り出す。
 中から一本取り出し、フィルターを口に含むと向かいからプロスがライターを持ち手を伸ばした。
 彼の行動に甘え煙草に火をつけると、手に持つボックスを差し出す。
 プロスが中から一本取り出すのを確認してから胸ポケットへと仕舞う。
 一時、二人で揺らめく煙草の煙を静かに眺め、オニキリマルが口を開いた。


「アイツ……俺より先に結婚しやがってよ。学生時代も勉強では俺より上だった。社会に出るのも御曹司だった俺なんかより先でよ、男になりやがったのもアイツが先だったんだ。でも最近になって、子供ができたのは俺が先でよ、やっと抜かせたと思ったんだ」

「ですが今回は……。彼が先だったようですね」

「あぁ、全く……。追い抜いた俺の優越感はどうしてくれるんだよ、全く」


 それ以降何も語る事無く、涙を流さず泣くオニキリマルにプロスはかける言葉が思い付かない。だが泣いているのは彼も同様で、頭の中ではテンカワ夫妻との友人としての交友が思い出されていた。
 右も左も分からない火星へ着て、すぐに出迎えてくれた夫妻にどれだけ救われただろうか。
 支部長などという今まで経験した事も無いポストに就かされ不安に思っている時に、夫妻に励まされ、助けて貰った事がどれだけあっただろうか。
 妻も子も居ないプロスにとって、テンカワ一家は理想の家族であり、将来の目標。未だ言葉も喋れない頃のアキトをプロスは知っており、接触する事の多い最近では、自分の息子のように思っている所もある。
 微笑ましい親子の触れ合いを見て、どれだけ彼の心が癒されただろうか。
 そんな機会がもう二度と訪れないと思うと、両親を奪われたアキトの事を思うと、悔しくて仕方が無かった。
 巡らせていた思いを一点に収束、今後の事に思いを馳せ始めるプロスに、静かに泣いていたオニキリマルは強い決意を表した。


「あいつらの忘れ形見、しっかり守ってやってくれ。俺も出来る限りの事はするから、頼む」

「頼まれなくとも、彼に出来うる限りの事はするつもりです」


 言葉少なくお互いの確固たる意思を確認した二人。
 それからまた暫く、部屋は紫煙が揺れるだけの静寂へと戻っていった。




 カプセルの中での生活がどれだけ続いているか。アキトはそんな事を偶に考える。
 数日前までは普通に食事をし、幼稚園に通い、外で走り回っていたのに。
 でも病気じゃしょうがないかと、達観したような物分りの良さで今の生活に『諦め』を含んだ納得をアキトはしていた。
 一度、事実上の『死』を経験しているアキトは、その時の恐怖を未だ覚えている。
 何も無い暗闇に一人取り残され、いくら泣き叫ぼうが喚こうが誰も助けに来ない。絶望に絶望を重ねてもその闇が埋まる事などありはしなかった。
 今でも偶に夢に見る、記憶の中に焼き付けられた闇の世界。その恐怖は彼の心を良くも悪くも成長させる燃料となっていた。
 だがそれでも、どれだけ成長していても子供は所詮子供。
 その姿を、プロスは目の前でまざまざと見せられる事になった。


『貴方のご両親は、先程事故で亡くなりました』

「――――ふぇ?」


 カプセルの中へ入っている自分に対し、明らかに沈痛な顔で語りかけた言葉を、アキトは理解が出来なかった。
 耳にはスピーカー越しではあるが、その言葉は確りと届いた。
 だが、頭がついていかない。
 自分の両親がどうかしたのか、いまいちアキトには理解できなかった。


『ミスマル一家の地球への引越しを見送りに行った宇宙港で、テロリストの暴動に巻き込まれ』

「は? ――――えっ? な、なに? ど、どうしたのおじちゃん?」


 両親がこの部屋を出て、ミスマル一家の見送りに行ったのは知っている。
 帰りに新しいゲームを持ってきてくれるように頼みもした。
 今も早く帰ってこないかなぁと考えていた所でプロスが来て、よくわからない事を話し始めた。
 そして、その内容はあまり良くない事だという事はアキトにも理解できる。
 だが、肝心な所がよくわからなかった。


「えっ、お見送りに行ったよ? 母さん達。それで、テロリストって、なに?」

『……そうですね、すいません。もっと判りやすく言いますか』

「うっ、うん。お願いします」


 一瞬和らいだプロスの表情に不安を感じる。
 何か良くない事があった、それも大変な、自分の両親が関わる、難しくてよく判らない事だがきっと悪い事だ。
 アキトが今感じている悪寒は、無意識に身体を震えさせている。


『――――今日、お母さん達がミスマルさんを見送りに行きました』

「うん、ユリカの引越しで、地球に行くって」

『そこで、事故があったんです』

「――――じ、こ?」

『えぇ……』


 頭が真っ白になり、サーっと全身から血の気が引いていく。
 アキトの変化はモニタリングしていたセンサーが感知していたが、場の作り出す雰囲気に報告が憚れる研究員。
 彼らの心境も、第一報を聞いた時は目の前の少年と似たようなものだった。


『その事故で、お父様とお母様は亡くなりました』


 亡くなった、という言葉はアキトも理解できた。
 マンガでも、ゲームでも使用される。死んでしまったという事だ。
 では、誰が死んだと言ったのか。
 プロスの言葉は的確に誰かを告げていたが、その的確さ故に、アキトは自分の中で出た回答を拒んだ。


「――――う、そ。あ、はは……。だって、嘘、でしょ? お母さん、ゲーム持ってくるって」

『……残念ですが』

「だって、ゲーム持ってくるって、言ったもん。ユリカの見送りしたら、ゲームもってくるって」

『……アキト君』

「ね、お母さんゲーム忘れちゃったの? だからそんな事言うのおじさん? 嘘ってついちゃいけないんだって」

『アキト君』

「べ、別にぼく怒らないよっ! ゲーム忘れても怒ったりしないから! だからそんな嘘」

『アキト君っ!!』


 プロスの放った怒声にビくリと身体を震わせ動きを止める。
 彼の沈痛そうな表情に、やっとアキトはそれが真実だと理解するに至った。
 身体は次第に小刻みに震え、歯をガチガチと鳴らしながら涙を浮かべ見つめるアキトに、プロスは陰を深め、視線を逸らし最後通告をする。


『君のご両親は亡くなりました。もう、ここには来れません』

「……う、そ。うそ、だ。やだ、嘘だ、嘘だ! 嘘でしょ! 嘘だよ! ねぇおとうさん! おかあさんっ!」

『私は、他に仕事がありますから……』

「嘘だ! おとうさん! おかあさぁん! 嘘だ、嘘だよ! うそ、やだ、やだぁ、やだぁーーーーっ!!」


 文字通り、その場を逃げるように退室したプロスの背中に、アキトの叫びは激痛を伴い叩きつけられた。








 その後のアキトの生活は、散々たるものだった。
 眠りから覚めれば父と母を呼び、答えが無い事に涙を流し泣き叫び、泣き疲れて再び眠る。
 身体的には勝手に生命維持に必要な分だけ栄養が与えられるカプセルの中に居るので問題は無いのだが、心、精神に関してはそうもいかない。
 研究員からの意見で何度か精神のケアの為専門家に頼んだ事もあったのだが、相手と直接触れ合えない、人の温もりを与えてやる事が出来ないという状況ではケアのしようもなく、全て徒労に終わっていた。
 そんな折、事件の調査をしていた機関に提出していた証拠品がいくらかプロスへと返還されてきた。
 中にはプロスがオニキリマルに見せた、アキトの母がしていた大きな石のついたネックレスもあった。
 返還された証拠品の中から見つけたプロスは、密閉されたビニールの中からそれを取り出し、実に二週間振りに、アキトの居る室内へ訪れた。


「……アキト君」


 正面に聳える巨大なカプセルを見て、もっと早く訪れておくべきだったと苦虫を噛み潰す。
 目の前のアキトは傍目でも判るほど疲弊しており、精神衰弱の状態に陥っているのが素人目にも判るほどだった。
 瞳は虚ろに宙を見上げ、何をするでも無く、唯そこに存在しているだけの人形のよう。
 間接的に自分が招いた事態に、自分の発言によって変化せざるを得なかったアキトに対しての責任、脅え、恐れがあり、事実上彼から目を背け逃げていた自分に対し、憤りが湧き上がる。
 だが自分を責める事は後でいくらでも出来る。プロスは自分の失態を取り返そうと決意を新たに息を吐く。


「――アキト君。久しぶりですね」


 向こうからの返事は無い。
 視線を向ける事もせず、相変わらず宙を見ているだけだった。
 半ば独り言のような状態ではあるが、プロスは続けなければならなかった。


「アキト君……。先程、君のご両親の遺品が返ってきました」


 遺品の事を聞き、アキトが軽い反応を起した。
 一瞬ピクリと肩を震わせ、宙を見ていた混濁した色を浮かべる瞳が、プロスに向けられる。
 それを逐一観察していたプロスは、反応が無いよりは良い事だと思いながら、胸ポケットから先程のネックレスを取り出した。


『……それ、おかあさんの』


 やっと言葉を話したアキトの声は、酷くしゃがれていて、どれだけ泣き叫んでいたかを物語っている。
 その事実を突きつけられ苦しそうに眉を寄せたプロスだが、すぐさま笑顔でそれを誤魔化し、傍らの研究員にネックレスを差し出した。


「これを、アキト君につけてあげられませんか?」

「アームで彼の首にかける事は出来ます。貸してください」


 ネックレスを差し出された研究員は引っ手繰るようにそのネックレスを受け取り、慌てて機械を操作しカプセルの上蓋を開けた。
 次に天井に届きそうな程の長さのカプセル内作業専用のアームを動かし、ネックレスをつかませる。
 上蓋が開かれた所からアームが降り、静かにアキトの元へと形見のネックレスが届けられる。
 首にネックレスをかけたアームがあがるのを見送ってから、アキトは静かに、ゆっくりと首を動かして、そこからぶら下がる大きな石を見つめていた。


『……おかあさんの、ネックレス』

「そうですよ。あなたのお母さんがいつも下げていた、大きな石のついたネックレスです」

『おかあさん、おかあさんの。おかあ、さん……』


 首から下がるネックレスをひたすら見つめ、母を呼ぶアキトを誰もが静かに見つめる。
 やがて、彼が静かに、今までに無く静かに涙を流し始めたのを見て、眺めていた研究員も不意に涙ぐみ、プロスは一人静かに部屋を出ていく。


『……おかあ、さん……。おとう、さん……。おかぁさぁ、ん。お、とぉさぁん』


 母の温もりを感じているかのように、アキトはひたすら首から下がる石を眺め続けた。




 その日、アキトは過去の情景を夢として見た。
 短い両親との生活で思い出せるものは少なくはあるが、それでも幸せだった事だけは理解できる。
 優しい父が居て、優しい母が居て、自分が居る。当たり前の日常でも、確かにアキトはその時幸せだった。
 だが、不意にその幸せが壊された。友人一家を見送りに行った先で、突然の事故により両親はあの暗く寂しい、闇があるだけの恐ろしい場所へと放り込まれてしまったのだ。
 
 『テロリスト』
 
 プロスが両親について語る中、この言葉だけは覚えていた。
 きっとこの言葉の意味するものが、自分の両親を死に追い遣ったものなのだと、アキトは無意識に理解している。
 きっと、何をしても、自分はソレを許せない。
 だから、自分がやっつける。誰でもない自分が、両親を死に追い遣ったソレを、完璧に、どんな事をしても。


 度重なる磨耗と圧迫で捻れ、歪められたアキトの精神は、人間として、自然と酷く正しい答えを導き出していた。




 翌日、自分の元を訪れたプロスに、アキトは開口一番に告げた。


「僕に、勉強を教えて下さい」


 それは、アキトが考えた末の答え。自分の両親を死に追い遣った者を知る為に、必要な知識を得る。
 酷く単純明快なその『お願い』は、プロスを警戒させた。
 一見立ち直ったかのように見えるアキトの姿。
 その瞳は、今までとは真逆、危険なまでに爛々とした輝きを放っていた。黒く光る瞳の奥に見える、濁ったような、くすんだ色を湛える欠片がある。
 それは恐らく、アキトの心の色を反映させた部分。未だ立ち直りきれていないアキトの意図が、プロスには手に取るように理解できた。
 そして、自分がそれを止める事が出来ないという事も。


『……わかりました。IFS端末からネットワークにコネクト出来るようにしましょう。それと、教育用ソフトも導入します』

「ありがとうございます」


 落ち着いたという訳では無い、不気味な冷たさを感じさせる簡潔な返事に、プロスは深く溜息をついた。
 だが彼も、アキトの気持ちは理解出来ているつもりだ。
 自分にも同じ事を考えている部分はあるし、それが無かったならオニキリマルにあのような頼み事はしなかった。
 ただ、幼いアキトがそれを決意するまでに至ったという現実に、プロスは悲しみを覚えずにはいられなかった。






 ――――アキトの『仕返し』の為の毎日が、この日から始まった。






 栄養分を勝手に摂取してくれるカプセルは、今のアキトには丁度良かった。
 ゲームもマンガも見るのを一切辞め、ひたすらに勉強に打ち込む日々。
 幼児用の教育ソフトはアキトに基礎言語を教え、簡単な数学を教え、創作能力を植え付ける。
 その内容を一通り消化し、理解し、行使する事が出来るのを確認したら、次のステップへと進む。
 一年間かけて行う一つのソフトを、僅か四ヶ月程度で消化し、理解していく。
 まるで取り憑かれたように勉強に打ち込んでいく様は、新たに地球から派遣されてきたネルガルの研究員も不気味に思う程だった。


 彼らはアキトの両親が死亡した為、ネルガル会長が直々に人選した、彼らにとって扱いやすい研究者だった。
 以前から火星での研究成果、テンカワ夫妻の発見・発表する技術に妬みにも近い感情を持ち、火星の人間を余り快く思っていない生粋の地球の人間だった。
 彼らは火星支部赴任初日にテンカワ夫妻の研究を引き継ぎ、加えて現在限りなくIFS強化体質人間に近い能力を持つアキトを『モルモット』として研究する事が会長直々に支部長、つまりプロスへと通達されていた。


 火星の技術に期待し、研究成果で現在より更に利潤を上げようと躍起になっている現在の会社の意向が、プロスは嫌いだった。
 だがいくら嫌いでも自分はそこに勤め、給料を貰いそれで生活している人間。
 全て会社に従うという訳では無いが、ある程度は従順にしていなければ自分にも、そしてアキトにとっても悪い事になりかねない。
 プロスは最低限の人権、つまりアキトに対する非人道的なナノマシン実験や薬物投与、療養中だという事を踏まえての過度の実験行為は行わないよう会長と研究員を説得、自身がアキトの保護者であり後見人である事を主張し、何とかアキトに関する事での権限を所有する事に成功した。
 それが全て終わってから、プロスは彼らをアキトと引き合わせた。


 薄暗い研究室の中央に聳える巨大なカプセルを前に、研究員がアキトを観察していた。
 研究対象であるアキトは、一人静かに黙々とIFSで画面を操作し、教育用ソフトで勉強を進めていた。
 その無機質なまでの表情に、研究員は物言わぬマネキンを見ているような気分になっていく。
 だが目の前の『物体』が今後自分達への会社からの評価、査定に繋がる事を理解すると、気を取り直し声をかけた。


「被験TYPE-Α、No-01。テンカワ・アキト」

『……なんですか?』


 ずっと見つめていた画面から視線を自分達へと向けたアキトに、研究員は一瞬不機嫌そうに顔を顰める。
 彼らは別に自身の加虐心をアキトにぶつけ、愚かしく満足しようと思っていた訳では無い。
 だがあからさまに所詮『研究対象』でしかない少年から向けられる、まるで道端に転がっている『物体』を見るかのような無機質な視線に、不快感が湧き上がってきたのだ。


「今日からこの研究室を任された者だ。会う機会は少ないだろうが、忘れるな」

『……はぁ。わかりました』


 話はここまで。
 アキトは軽く流して返事を返すと再びモニターへ視線を向け、教育ソフトを途中から再生させた。
 彼の答えに一瞬唖然とし、怒りすら湧いてくる研究員だったが、傍らに立つプロスからの厳しい視線に一つ舌打ちし、研究室を出て行く。
 一人その場に残ったプロスは、機械的な受け答えをするようになってしまったアキトの変化に、自身の力不足と悲しさを感じずにはいられなかった。




 研究員が変わった所でアキトの生活に何ら変化が起きる訳でも無く。
 それからも彼は勉強漬けの毎日を送っていた。
 睡眠時間を普通の幼児の半分以下にしてまで、アキトは勉強に打ち込んだ。
 元々ナノマシンの所為で三年間、成長が止まってしまった彼の身体は、成長ホルモンを睡眠時等に分泌させる事などはあるが、それが脂肪の燃焼以外に使われる事は無かった。
 傷の修復はするが髪の毛を伸ばす事は無く、爪も伸びず、骨格も成長せず、筋肉は衰える事も無く、時を刻むのを辞めたアキトの外見は、怪我をして運び込まれた当時のままだった。
 その事実にナノマシン研究を担当する者はある意味人の欲望の終着駅でもある『不老不死』の実現を見るが、研究が今までに実を結んだ事は無く、どれだけ調査してもナノマシンに関しては現時点で判っている事以外は全て不明のままだった。
 だがそんな事はナノマシン初の被験者であるアキトにとってはどうでもいい事。
 何か変化が無いかと時たま問われても『わかりません』とだけ答え、勉強に熱中していった。




 ――――そして、三年の日々が足早に過ぎていく。








 彼の現在の保護者であり、後見人であるプロスはこの日は待ち望んでいた。
 やっと、やっと友人の息子が狭苦しいカプセルから開放され、ナノマシンに付けられた枷から解き放たれる日が来たのだ。
 今日からアキトの身体は時を再び刻み始め、三年という時間は過ぎ去ってしまったが、普通の人間らしい生活を営む事が出来る。
 唯一の心残りは、その光景を友と共に見る事が出来ない事だが、明日にでも彼と二人で友の所には報告に行くつもりである。
 プロスは報告を受けてから、無意識に急く自分を軽く諌めてから研究室へと入っていった。


「どうも申し訳ありません、遅れまして。報告、ありがとうございます」

「いえ……」


 扉をくぐって来たプロスに、現在研究室で主任を務める地球からの研究者は不愉快さを隠そうともせず返事を返す。
 彼らにとって今日という日は忌むべき日、自分達の研究対象が自分達の下から離れてしまう日でもあった。
 今まで彼らは勉強しているアキトをただモニターしていただけだが、それでもきちんと成果は上がっていた。
 IFSを毎日使用するアキトの補助脳の活動状態を観測し、負荷がどれほどのものなのか、普通のIFSナノマシンで構築される補助脳との違いはあるのかをきっちり調べ上げ、予測を挙げられるようになった。
 日々交換しているカプセル内の羊水から彼の髪の毛を一本採取する事に成功すると、遺伝子情報をすぐさま調べ、データバンクに登録してある以前のデータと照合し、どれだけの違いがあるかも調べた。
 アキトの勉強している内容を観察し、それが相当年齢より遥かに上である事を知ると、すぐさまレポートにして提出していた。
 そしてそのデータは確りと地球へと渡り、確かに反映されて現在遺伝子操作によるIFS強化体質の人工的な天才児が生まれようとしていた。
 そんな、ある意味偉大な成果を挙げた研究対象が、手の内から消えてしまうのを、彼だけでは無いが少数の研究者は惜しんでいた。
 だが、彼をここに今後も閉じ込めておく事は人道的にも反した事であるのを判っている。
 それが判っているだけに、余計彼らは手放すのが惜しくなっていた。


「――――ナノマシン信号弱体、もうすぐ安定値に入ると思われます」


 アキトの体内に棲むナノマシンの状態をモニターしていた研究員が声をあげる。
 それに従い、辺りでコンソールに手を置いていた研究者も過剰なまでにアキトの動向を映すモニターを見つめ直した。
 現在の変化は予測としては理解していたが、実際は今までには無い貴重な変化であり、人類初といってもいいものである。
 そのデータは貴重の研究資料として今後重宝されていくのは確実だ。
 この機を逃す訳には行かない研究者がこぞって動向を見つめる。
 そしてアキトの変化は、時間が経てば経つほど顕著なものとなっていった。


「新陳代謝が活発化、体温がゆっくりと上昇していきます」

「筋組織レベル、徐々に上昇傾向になっています」

「ナノマシン信号更に弱体――――下降停止、恐らく安定値へと入りました!」


 最後の報告に、一瞬場が騒然となった。
 それと同時にカプセルからけたたましいブーピー音が鳴り、温い蒸気が排出される。
 一転して研究室は静まり返り、徐々にカプセルから羊水が排出される音だけが響き渡った。
 ゆっくりと身体が下降し、カプセルの底に足がついたのを確認して、アキトは静かに目の開き久々に足の筋肉を行使した。
 三年間使っていなかったはずの筋肉は全く衰えておらず、自然と自立している自分の異常性を理解し僅かに苦笑を浮かべる。
 やがて全ての羊水が抜けきったのを確認して、アキトは腕を動かした。


「――――大丈夫」


 腕が上がるのを確認すると、次に肩を回し、腰を捻り、両手両足一本一本を動かして異常が無いか確認。
 全て正常に動く事を理解して、アキトは開いたカプセルの下蓋から、下界へと歩き始めた。
 羊水に濡れた体から滴り落ちる水の音を聞きながら、ゆっくりと外へと歩む。
 やがて、完全にカプセルから出て研究室の床の冷たさを素足で確認すると、傍らの研究員からタオルケットを受け取った。


「……おかえりなさい、アキト君」


 タオルケットで全身を拭いていると、傍らから歩み寄ったプロスが声をかける。
 ガラス越しやモニター越しからでは無く、初めて肉眼で彼の顔を確認したアキトは、三年前にプロスから受け取った母親の形見、首から下がる大きな石のネックレスを静かに握り締めた。


「――――ただいま、プロスさん」




 タオルケット越しに触れ合った人の温かさに父を思い出し、アキトは一粒だけ涙を零した。








 案内された場所は、小高い丘の上にある墓地の一角だった。
 遥か前方には火星の山々を見る事ができる絶景の場所。
 眼下にはユートピアコロニーを見る事が出来るこの場所に、アキトはプロスと一緒に訪れていた。
 目の前には、両親の名を刻んだ墓石。
 そこに両手で抱えていた花束を供えると、アキトは祈るように手を合わせた。


「ただいま、父さん、母さん。三年間も来れなくて御免なさい」


 目を瞑り祈るアキトの傍らで、プロスはようやく行われたアキトの墓参りに笑顔を向け佇んでいた。
 それから十分間、ただ静かに深く祈り続けたアキトは、顔をあげると笑顔のプロスへ歩み寄る。


「もう、いいんですか?」

「また、来ますから」


 子供らしくない、少し陰のある笑顔を浮かべるアキトにプロスはそれでも笑顔を向け、軽く頷く。


「また来る時は私に言って下さい。いつでもお付き合いします」

「ありがとうございます」


 軽く頭を下げた小さなアキトに再び頷くと、プロスは彼を車の中へと促し、自身も運転席へと乗り込んだ。




 未だ完全に整備されていない道路を走る車の中で、静かにしていたアキトが不意に口を開く。


「プロスさん。僕に――――僕の今の身体に、未だ研究対象としての価値はありますか?」


 助手席に座るアキトの言葉に、苦渋の色を浮かべながらプロスは答える。


「正直に言いますと、ネルガルはまだ貴方を欲しています。ですが――――」

「じゃあ、使って下さい。人体実験は嫌ですけど」


 あっさりとしたアキトの答えに、プロスは更に苦汁の色を深める。
 三年前、彼の両親が死んだ時から判っていた事だ。
 アキトはきっと、何らかの手段を行使する事を希望するだろう、と。
 だが判っていたとしても、プロスとしてはその行動をアキトにはさせたくは無かった。
 やるのなら、自分で――――。
 だが彼の望みを、彼が今生きる為の原動力となっているであるそれを、プロスは止める事は出来ない。


「それで、自分をモルモットにしてまで、何を求めるんですか――?」


 答えは判りきっているのだが、問わずにはいられない。
 プロスは一縷の望みを思い描いてみるのだが、傍らの少年からは、予測通りの答えが返ってくる。




「僕に――僕の両親を殺した人達をやっつける、『復讐』ができる力を、僕に下さい」








 ――――手に入るはずの安息の日々を犠牲に、『復讐』が始まろうとしていた。



[286] 機動戦艦ナデシコ-Irreplaceable days- 【再構成】 第四話
Name: 小瓜
Date: 2005/03/06 23:01

人の数だけ想いがあって


想いの数だけ物語がある


だから――――


悲劇だとしても、物語は続いていく




機動戦艦ナデシコ

-Irreplaceable days-






 初めにした事は、筋力・体力をつける事。
 肉体的には幼児期を抜けていないアキトにとって当然の事。
 身体の成長に合わせ、とにかく体力をつける。
 幼い肉体を酷使すれば、将来の身体能力に悪影響が出る。
 だから無理なトレーニングはしない、過度の運動はしない。栄養は十分に補給する。休む時にはしっかり休む。
 様々な制約の中、アキトはひたすらトレーニングを行った。


 次にした事は、痛みを知る事。
 身体がある程度成長した所で、筋力トレーニングと共に格闘技術を覚える。
 素手で戦う事は教えず、銃やナイフ、その場にある物を利用する事を教わる。
 身体の動かし方を覚え、身に受ける痛みを覚え、身体が動く限界を覚える。
 格闘家になるつもりはない、戦える人間になるだけ。
 制約に縛られたまま、アキトは身体を鍛えた。


 銃の撃ち方を教わった。
 人の疑い方を教わった。
 人の欺き方を教わった。
 七年という歳月を長いと思うか短いと感じるかは人それぞれだが、アキトにとってその歳月は、決して短いとは思えなかった。




 ネルガル火星支部にある支部長執務室。
 実質、中小企業ならば社長室に当たるその部屋に、プロスは一人の男を呼び出した。
 ネルガルが自社の要人を護衛する為に設立した秘密警備部、対外的に呼ばれる名はシークレット・サービス。
 現在では本来の要人警護の枠を越え、産業スパイなどの諜報活動や敵会社の要人暗殺、自社の利権の邪魔になる研究所の襲撃にすら用いられるようになった部署の、火星支部における隊長と呼ぶべきポジションに据えられた男が、プロスの前に立っていた。


「……本日『独立義勇軍』が建造中のパラダイス・コロニーの一角で集会を行うと、情報が入ったようですが」

「午後11時に集会を行い、夜明けを待ち在火星大使館の内ニッポン大使館と火星に支部を置くネルガル、及びアスカ・インダストリーの研究所と支部を直接襲撃し、人質を取り地球、及び火星政府に火星独立の交渉を行うという話です。その数、凡そ三十名。既にアスカ・インダストリーのほうにはそちらから連絡をして頂けたという話ですが……?」

「はい。午後十時にパラダイス・コロニー手前二キロにあるフラワーガーデン跡地地下で十五名を待機させるという話です。作戦指揮はこちらで、貴方に一任するという事で決まりました」

「こちらから二十名の人間を派遣するという話ですが」

「それも伝えてあります。後は、こちらの自由です」

「わかりました。……それで、話は?」


 今までの話は全て前振り。
 伊達に十年近く支部長として、部隊の隊長として付き合っていた訳では無いのだ。
 それも判らないような付き合い方をするには、十年近い歳月と、お互いが抱えたネルガルの闇は重すぎた。
 彼の言葉に、プロスは一瞬瞳に憂いを浮かべ問い掛ける。


「今夜、彼を使うと言う事ですが……」

「決定事項です。自分が最良だと思うチーム分けを行った結果、アキトを組み込みました。奴の射撃の腕は中々のもの。加えて身体の小ささがそのまま的の小ささに比例するので今回の作戦にはうってつけです」


 事実、冷たさを持って吐き出されたその発言は、現在のアキトが今回の作戦でどれだけ有用であるかを示すだけ。
 今夜の作戦は建造中のコロニーで行われるという事で、市街戦。
 未だ未完成なビルや地下通路、下水溝が剥き出しの状態である為、そこに逃げ込まれる可能性もある。
 加えて相手はレジスタンス・解放軍を名乗る義憤に猛る者達。
 火星独立・開放を名乗るそういった人間達は、爆弾テロや自爆テロ、ハイジャックなどを『火星の為に』という名目さえあれば躊躇いも無く行える人間達である。
 殲滅戦となるのは自明の理だった。


「ですが……。彼は今日が初めてです。いきなりこういった、凄惨な状況が予想される場所に送り込むのは……」


 プロスが心配するのはアキトの命は元より、心。
 彼を一人前の人間に育てると約束した現在地球に居る友人と、亡くなってしまった友人夫婦に、自分は顔向けできないと思っている。
 アキトが望んだ、だからその手段を、力を与えはしたが、それが間違っているという事を彼は十分理解していた。
 現在のアキトは、両親を殺した犯人・テロリストへの復讐の為に日々を生きていると言ってもいい。
 それに縋り、それだけを日々の糧として現在を生きているアキトに、力を与えられた自分はそれでも、力を与えてはいけなかったのだと理解している。
 だがアキトが唯一縋りついている、生きる為の糧となっている唯一のモノを取り上げるような事が、プロスにはできなかったのだ。


 力を与えられたアキトは、今夜復讐という『人殺し』の現実と直面する。
 自分の復讐する対象がテロリストなどという言葉ではなく、自分と同じ人間である事に突き当たる。
 それを理解した上で彼が人殺しという罪を犯すのか、引き金を引けずに自分が殺されるのかは分からない。
 だがどちらにしても、彼が日の当たる場所で生きていく可能性は今後無くなってしまうだろうとプロスは思っている。


 人を殺したという重圧、罪悪感に囚われ心を病んでしまうかもしれない。
 彼の両親を殺した本当の復讐対象を見つけられていれば、彼が罪を犯す事は無く、自分が罪を被り、彼の復讐を過去の物として終わらせる事が出来たかもしれないが、未だ発見する事が出来ず、結果として現在アキトは罪を犯そうとしている。
 プロスは止めたいが、止めればアキトは自分の存在意義を見失い、死を望むだろう事は明白。
 結局プロスは、アキトの事を心配する事しか出来ずに、そんな自分に呪詛の言葉を吐き出す事しか出来なかった。


「引き金を引けなければ死ぬ。引けば人を殺す事になる。どちらを選ぶもアキト次第です。しかし、あいつの覚悟が並では無い事は貴方も理解していると思います」


 再度となる冷酷な言葉は、そのままプロスを貫く。
 目の前の、隊長と呼ばれる男にアキトを預けたのはプロス。
 今まで訓練の際厳しい指導をし、実戦に出せるまでに成長させたのは間違いなくこの男だった。
 男の言葉は暗にアキトが罪を犯す事を予言し、その手段を与えたのが自分であり、プロスである事を告げていた。
 プロスは彼の言葉を厳重に受け止め、静かに首を振る。


「――――彼の事、お願いします」

「自分も死ぬかもしれませんが、可能な限りは。尤も、あいつには私の全てを叩き込んであります。それに、死ぬには些か若すぎる」


 隊長はそれだけ言うとプロスに背を向け、扉へと歩き出す。
 彼の背中がドアの向こうへ消えたのを確認してから、プロスはアスカの頂点に鎮座する友人への通信を開いた。




 テラ・フォーミングによって火星には大気が満たされたが、その全ては大気に分散するナノマシンによって管理されている。
 大地もそれは同様で、大量のナノマシンが火星の地中深くまで潜り込んでいる。
 宇宙に浮かぶコロニーとは違うこの調節方法により、火星は地球に比べて一年の気温差が低くなっている。
 それは昼間は高い気温で一定となり、夜は低い気温で一定だった。
 とりわけ夜ともなれば、少し厚手のジャケットを上から羽織る程度にまで気温は下がる。
 これは昼間太陽が出ている内に大地がその熱を吸収する事が出来ない為。
 荒れ果てていた大地にナノマシンが浸透したからと言って、すぐにその土が良質の物になる訳では無い。
 地球に比べて熱吸収の悪い火星の大地は、ナノマシンの浸透した今でも砂漠の砂にも近いほど水分量の少ない土だった。


 夜ともなれば水分を大気に吸収され表面の土は砂になってしまうその土の上を、数台の大型車が列を作り走る。
 行く手の先には、未だ建造中のパラダイス・コロニーがあった。


「――――以上、部隊は七班に分かれ行動となる。何か質問は」


 座っている座席の先で、自分の所属する部隊の隊長が通信機越しに現在集まっている男達へ声をかける。
 自分を含め、通信機からも同乗している車内からも何の言葉も出ないのを確認し、アキトは口を開いた。


「隊長――――」

「何だ、アキト。初めての実戦で小便でも漏らしそうか?」


 三十過ぎのニヒルな笑み。
 アキトにこの手の冗談は通じないどころか簡単に無視されてしまう事を知っている癖に、男は思わず言ってしまう。
 それだけ自分がアキトに入れ込んでいるという事なのかもしれないが、今はそれを考えている時では無い。
 先程口を開いたアキトは、やはりどこか呆れた顔をしながら、両手に不釣合いな自動小銃を持ち問い掛ける。


「……俺は隊長の班という事ですが、その意図は?」

「お前だけが初の実戦だから、それだけだ。他のは全員経験がある。何かやらかしても俺の班だったら俺が何とか出来る。そう判断したまでだ」

「了解しました」


 暗にアキトが何か失敗する事を前提にしたと言っているこの班分けに、彼は何も文句を言わず従う。
 アキトは自分でも自分の事をある意味一番の不確定要素であるという事を理解しており、隊長の判断は当然の事であると納得したまでの事。
 別段馬鹿にされた等と考えはしなかった。
 ただ、自分の目的を果たせればいい、アキトにはそれだけしか無かった。


 この場でアキトの存在は一際目を引き、異彩を放っている。
 見た目は未だ小学生、少年と言うにも未だ若い彼が防刃スーツに身を包み防弾ジャケットを羽織り、手には滑り止めのグローブを嵌めスーツの各ポケットに入った弾薬やナイフを確認する姿は、場違いなようで酷く場に馴染んでいた。
 自身の持つ全てを叩き込んだという隊長の言葉も誇張では無く、準備に余念が無いその姿は一兵士としては十分なもの。
 だた一つ、彼に欠けている物は、様々な意味での経験だけだった。


「後五分でポイントに到着する。各自装備の確認を怠るな。車から降りたらすぐ振り分けられた地点に移動、合図あるまで待機」

『了解』


 最終確認に返事を返し、集められた男達は各々の準備に取り掛かる。
 分隊は四人編成、残りの人員は車両管理を行い、パラダイス・コロニー進入後物陰に車を隠し別命あるまで待機。
 作戦終了時、もしくは市街戦で何かがあれば車両を回し退避行動の手助けをする。
 段取りはコロニー自体の設計図を用いり行われ、開発途中の区画まで入念に調べ上げられている。
 この一連の作業はアキトの手により行われていた。


 現行で地球に存在する完全に管理された成功例以外のIFS強化体質者、Type-Αという記録上『存在するが、存在しない』テストタイプ。
 成功の礎の中で尤も多くの有用データを提供したモルモット、テンカワ・アキト。
 地球で誕生したIFS強化体質者と比べれば劣る性能ではあるが、通常の人間と比べれば圧倒的に勝る性能。
 間違い無くIFS強化体質者誕生に多大な貢献をして見せた彼の性能は、完成形が誕生してしまえば不要となってしまう程度のものだった。


 だがそれでもその性能が通常の人間に劣っている訳では無い。
 科学者からすれば不要となったモルモット、だが今利用できるIFS強化体質者はアキト唯一人。
 成長・教育中である他のIFS強化体質者が使えない今、アキトは実用面でネルガルに多大な貢献をしている。
 ネットワークを駆使し情報を洗い出し、セキュリティを突破して情報を掠め取る。
 それなりに技術も知識も必要なこの作業は、アキトにしかこなせない作業だった。
 今回の『独立義勇軍集結』の情報も、パラダイス・コロニーの完成図や見取り図、現在の完成区画や建造中の区画の詳細な地図もアキトが全て揃えたもの。
 他のIFS強化体質者が未だ成長中である現在、アキトはネルガルが抱える情報戦最強の武器であり、同時に最悪の爆弾でもあった。




 分隊の集合地点に到達し、アキトは他の三人に目を走らせる。
 一番最後に到着したアキトを待っていたのは、三人の無機質な視線だった。
 自然な動作で手を肩からかけた自動小銃に当て、静かに頷く。
 それを見て、他の二人も静かに頷くと、頭につけていたゴーグルを目元に下げ、先頭に立つ男へ視線を送った。


 初の実戦、初の戦闘、初の経験。
 嫌が応にも鼓動が高まり、緊張と恐怖がアキトの身体を襲う。
 走った所為だけではない喉の乾きを覚え、全身が寒さとは違う震えで支配される。
 自分は死ぬかもしれないというネガティブな想像が頭を駆け巡るが、一瞬でそれを振り払う。

 自分が今までしてきた事は何なのか。
 自分が今まで生きてきた理由は。
 自分が今からしようとしている事は何か。
 自分が何をされたのか。

 緊張は一瞬で解け、恐怖心も膨れ上がった黒い炎に掻き消される。
 これから敵と遭遇、殲滅、全滅させる。
 今一度自分のすべき事を確認したアキトは、暗い光を纏った瞳のまま、先頭に立つ隊長の横顔を睨みつけた。
 耳につけたマイクを確認するように手を動かし、隊長はマイクに囁きかける。


「――――作戦開始」


 各ポイントから踊り出た兵士達が、一斉に建造中の地下道入り口へと駆け出した。




 入り口に立っていた見張りを他の人間が殺したのを見て、アキトは一瞬で現実感を喪失した。
 そんな時でも身体は勝手に動き、自分より足が速い隊員に付いて行く自分に無意識な苦笑を零す。
 生々しく目の前で血を撒き散らしながら肉とタンパク質の塊に成り果てる人間を見て、これが自分と同じモノなのかと思う。
 目前を駆ける隊員達はやはり手馴れたもので、なるべく音を立てないように人を殺し、その後も何の動揺も無く駆けていく。
 人間と遭遇すれば殺す。
 まるで機械仕掛けの人形のような無機質さを感じさせる彼らに、自分も同じようなものかと思った。


 部隊はやがて最大の山場、独立義勇軍の集結ポイントを目前に足を止め物陰に身を潜める。
 未だ建造中の地下道には作業に使用する重機や資材が多く置いてあり、幸いにも身を隠す場所には困らなかった。
 一旦動きを止めた隊員達は、それぞれレシーバーで連絡を取り合う。


「こちらアルファーワン。チャーリー、フォックス、そちらはどうだ」

『こちらチャーリーワン。侵入の際見張りとおぼしき者二名を排除、その後遭遇した一名を射殺しました。その後予定通りフォックス分隊と合流。現在は作戦ポイント手前で指示待ちです』

「了解。エリー、ジョージ、そちらは?」

『こちらエリーワン。侵入途中に障害は無し。こちらも合図待ちです』

「了解。ブラボー、デルタ」

『こちらブラボーワン。障害と接触、怪我人一名発生。作戦に支障が無いようなので止血のみ行いました。障害は三名、既に排除済みです。現在こちらも合図待ち』

「了解。怪我したグズのケツに火をつけて煽ってやれ」

『了解』


 通路の先からは大きな、罵声にも似た叫び声が響いてくるが、そんな中でも男達は冷静に会話を重ねる。
 目前でニヒルな笑みを浮かべた隊長に、人を殺しておいてよく笑えるとアキトは関心していた。
 人間を障害と呼び、殺人を排除を呼ぶ目の前の男達を異常だと思いながら、段々と違和感を感じなくなってきた自分に違和感を覚える。
 昨日までは唯訓練を行っていただけ、だがこれからは実際にそれを使用する機会が与えられていく。
 それを理解しながら、それが求めていた事なのだと思いながら、それを当たり前の事だと考えるようになるのは嫌だった。
 目の前で会話を続ける隊長は、不意にアキトへと視線を向ける。


「アルファーフォー。これからが本番だ」

「――――はい」

「今までは指示通りの行動だったが、ここからは各自の判断が大きく左右する。そこでお前がどう動こうが勝手だが、部隊にだけは迷惑をかけるな」

「了解」

「お前が引き金を引けば人が死ぬ。引き金を引かなければお前が死ぬ。それを身体で今日、理解しろ」

「了解」


 記号で呼ばれ、アキトは返事を返す。
 現在自分は記号の一つでしかない、分隊を構成するただの一でしかない。
 それを理解すると、後は簡単。
 分隊に追従し、作戦通り事が運ぶよう動くだけ。
 今一度それを確認して返事を返すと、隊長が再び通信を開いた。


「二十秒後にこちらで口火を切る。後は各自の判断で動け。死ぬのは勝手だが、その時は一人で死ね」

『了解』


 何とも辛辣な言い方だが、死なせない為に炊きつけようという意図が透けて見えるその言葉に思わず苦笑する。
 隊長が手信号で合図を送ると、アキトと隊長を含めた四人は移動を開始した。
 頭の中で数を数えつつ音を出さないよう注意し通路を走る。
 通路の先の声は次第に大きくなり、会話の内容も全て把握できるぐらいの距離まで接近した時は残り五秒。
 四秒、三秒と短くなるカウントの中、隊長が腰からスタングレネードを取り出すのをゴーグル越しに確認しながら、アキトは引き金に指をかける。
 隊長がそれを集団の中心に投げつけ、床に落ちた衝撃で網膜を焼く閃光を発し鼓膜を破る衝撃音を出した時、カウントがゼロを数えた。




 状況は一方的、情報を事前に得ていたネルガル側と、何も知らない独立義勇軍側の差を大きく見せつける結果となった。
 視界を潰され、三半規管の麻痺した身体で襲い掛かる敵と対峙しようとした義勇軍の兵士も、その圧倒的不利な状況に成す術無く全身に弾痕を刻み崩れ落ちる。
 先陣を切る形で引き金を引いた分隊の中でアキトは、自分の砲火に倒れていく人間を見ていた。
 指一本で引いた引き金によって銃身から小さな鉛弾が射出される。たった一回の動作で人間が複数、血を撒き散らし倒れていく。
 弾痕を刻んでいくその姿は、まるでリズム感とセンスの無い人間が踊るダンスのようだった。




 アキトは初め発砲せずに隊長に追従していただけで、人を殺す事に躊躇いや戸惑いが無かった訳では無い。
 いくら心の中で覚悟を決めていようとも、いざ現実に人を殺すという段階に至った際、アキトにはやはり躊躇があった。
 だが集団の奥に居た人間から血涙を流しながら銃口を向けられた時、例えようも無い恐怖心が心を捉え、身体を捕えた。
 彼の向ける憎悪を含む鋭い視線に恐れを感じ、自らに向く銃口から出る鉛弾の生む自分の死という結果に、どうしようも無く身を強張らせた。


 だからここへ来て、アキトは両親を、彼らの笑顔を思い出す。
 その瞬間恐れは憎悪に変わり、震えた身体は訓練よりも機敏に動いた。
 その場から身体を横に倒しながら真横に跳躍し、小銃の引き金を引く。
 途端バラバラと銃口から弾が発射、自分に憎しみをぶつけて来た人間は身体を揺らしながら他の人間も巻き込み倒れ込む。
 その後もアキトは引き金を引き絞り、目前で自分に憎悪を向けてくる人間に向かって、鉛弾を吐き出し続けた。


 その彼を他の部隊の人間が援護し、次第に動く人間は減少。
 とうとう最後には独立義勇軍と名のつくモノに所属していた人間は、一人も居なくなった。




 面倒な後処理、事件の現場となった区画一帯を吹き飛ばす程の爆薬を設置してからその場を退避した一行は、作戦終了の号令と共に結果を知らされる。


「作戦は成功。犠牲者は軽症者四名、重症七名、死亡者三名。ブラボーワン、何か言い訳があるか?」

「自分の……見通しの……甘さ……配置ミス……」

「結構。お前も死んだらブラボーは全滅だ、良かったな」


 どう軽く見積もっても死は免れないだろう傷を全身に負ったブラボーワンが、擦れた声で返事を返す。
 最初のフラッシュグレネードで三半規管と視界をやられたとは言え、小銃を下げた人間が予想以上に多かったのが今回の結果を生んだ原因だったのだろう。
 手元にある引き金を引けば、目を瞑っていても弾は発射される。
 引き金を引いたままそれを闇雲に振り回せば、誰かには当たるだろう。
 その誰かが目の前のブラボーワンであり、他の負傷者であり、アキトでもあった。
 気付けば左肩と左ふくらはぎ、右わき腹に合計三発の鉛弾を喰らっていたアキトは、ブラボーワンと同じく包帯で止血され、栄養剤と増血剤の点滴を受けながら意識を保ち隊長を見つめていた。
 幸い弾を全て貫通していたようで、傷口の縫合さえすれば除去手術等手間のかかる手術を行う必要がなさそうだった。
 だがブラボーワンは腹部に大きな傷を負い、傷ついた内臓が飛び出す寸前。
 病院につくまで間に合うとは思えず、また病院についてもどうにかなるとは思えなかった。
 意識をギリギリの所で保つブラボーワンが、擦れた声を血と共に吐き出す。


「隊長……ら……に……」

「分かった。何か言い残す事はあるか? 遣り残した事は多そうだがな」


 死に直面した隊員に憎らしげな厭味を放った隊長だが、その顔は無機質なもので、ホルスターから静かに拳銃を取り出すとコッキングする。
 自分に向けられた銃口の奥にある隊長の顔に、ブラボーワンは苦しそうに苦笑を浮かべてからゆっくり首を傾ける。


「ア……アキ……ト」


 苦しげに、呻くようにアキトの名を吐き出すブラボーワンに、アキトは視線を向ける。
 彼とアキトは訓練時以外の接点も無く、別に思い入れるがあるような間柄でも無く、今回の作戦で偶然一緒になっただけの関係である。
 だがアキトには思う所が無くとも、ブラボーワンには何か思う所があったのかもしれない。
 こうなってしまった現状では何も分かりはしないが、アキトは静かに彼の声に耳を傾ける。


「アキ……ツライ……これ……現実……けれ……生きて……死ぬ……な……」


 分断された言葉は、一つ一つが重みを持ち、意味を正確に伝える。
 アキトも、それ以外の見守る隊員も静かに彼の言葉を受け止めた。


「了……解」


 声を出すのも億劫な状態だが、返事を返すアキト。
 彼の言葉を聞いたブラボーワンは苦しげに笑みを浮かべてから、隊長へ視線を向けた。


「部屋……棚に……ウィ、スキー……飲ん……さい……」

「あぁ。今夜にでも飲んでやる」


 もう既に言葉を理解できない程意識が朦朧としているはずのブワボーワンは、それでも苦笑を浮かべる。
 そのままゆっくり頷くと、静かに瞳を閉じた。
 彼の眉間に銃口を向け、隊長である男は静かに構える。
 横で銃口の先を見つめるアキトの視線を感じながら、静かに引き金を引く。




 シークレット・サービスを乗せた車の集団は、ネオンの灯るユートピア・コロニーへと到着した。




 その日見た夢は、過去の夢だった。
 父がいて、母がいて、自分がいる。
 父はリビングでコーヒーを飲みながら雑誌を読み、時折ゲームで遊んでいる自分にアドバイスを送る。
 母は洗濯物を畳み、シャツにアイロンをかけながらゲームで遊ぶ自分に困った顔でゲームを終えるように言いながら、アドバイスする父を注意する。
 母の注意に苦笑いを返した父も、自分にゲームを終えるよう進言。
 渋々ゲームのスイッチを切ろうとすると、玄関からチャイムの音が響いてくる。
 相手は隣のユリカか、父の友人の娘であるカグヤか。
 どちらにしても遊ぶ事には違いないので、アキトはそそくさと電源を切り、玄関へと駆け出した。
 母が背後から気をつけるのよと声をかける。
 父が遠くで暗くなる前に帰ってこいよと告げる。
 自分はわかったー、と返事を返し、玄関のドアを大きく開ける――――。


 現実に戻ると、幸せな過去を思い出させる。
 今のアキトにとって、その夢は極上の悪夢だった。








 初の実戦後怪我の療養で入院したアキトだが、やはりナノマシンのお陰が通常の何倍も早く傷は回復した。
 栄養さえあれば際限無く傷を修復するナノマシン。
 三年間成長を止められた事で自分の体内に潜むこの寄生虫を恨んだ事もあるが、現在では感謝もしている。
 今までの人には出来ない能力を得る事が出来た、怪我の治りが単純に人よりも早い。
 数あるデメリットがネックではあったが、それでもアキトにとってこのナノマシンは有用である事には間違いなかった。
 だがそんなナノマシンも心・精神にまで作用する事は無い。




 実戦を経験したアキトは部隊内でも能力を評価され、様々な作戦へと投入される事となった。
 時には単純にIFSを利用してビルの封鎖を行い、時にはその外見を生かし孤児を装い外敵である勢力の内部に潜り込み、情報を盗み出す。
 作戦を遂行する為に人を欺き、裏切り、時には殺す事も少なくは無い。
 人を騙した回数は二桁に至り、殺した人数はそれを超え両手足の指を合わせても数え切れなくなっていた。
 そんな仕事をした後には決まってあの悪夢を見て、幸せだった過去が無理矢理思い出され、現実とのギャップ、平然と嘘をつく自分、人の血を浴びた傷だらけの体、人を殺した罪悪感が一気に押し寄せる。


 仕方が無いしょうがないで済ませる事が出来ず、自分が選んだ道の結果である事を痛い程理解し、復讐の為に人を殺す事を容認しながら、他人の命を摘み取る事が悪であり許されない事である事を知り、自分が生きている事でさえ跳梁跋扈するのと同じだと卑下する。
 自分が抱える罪悪感を一時でも払拭しようと勉強に没頭し、モルモットと化しIFS強化体質としてでは無く未知のナノマシン被験者としてのデータを提供し、再び部隊に召集されるまで訓練を重ね、その成果を部隊の仕事、人殺しの為に奮う。
 その繰り返しにより歪んでいた精神は更に歪みを深め、修復不能な傷を多く作りながら、ゆっくりと歪んだまま成長していく。


 初めて人を殺してから二年。アキトは一度も両親の墓前に姿を現す事が出来なかった。




 アキトが人殺しとなってから、プロスは仕事以外ではアキトと一切の接触を絶っていた。
 罪を背負ったアキトを見るのが辛い。
 そういった理由も確かにあったが、そればかりでは無い。
 地球に行き情報を長い間探っていたオニキリマル氏及びアスカ社が一つの突破口を見つけた時期が、丁度アキトの初実戦の時期と重なってしまったという理由があった。
 それから時間がかかりはしたが突破口はこじ開けられ、不透明な所は多々あれど、今までに無い情報がプロスの手に入った。
 だがそれを手にした時既にアキトは手を血で濡らし、二年という年月が経っていた。


 自分の元にメールと共に送られたデータを眺めていると、プロスは身体が揺れるほどの眩暈を覚える。
 アキトが訓練を重ね、人殺しと貸したこの九年間が、自分達が積み重ねた年月が、まるで悪い夢ではないかと思えてならない。
 つい先日自分達が長年積み重ねてきた末に到達した答えが、より正確な精度を持って送られてきたのだ。
 何の事は無い。
 自分達が探していた答えを、問題を作り上げた本人がまるで答え合わせのように自分達に教えただけの事だ。
 だがその答えを簡単に受け止めるには、労力も時間も費やしすぎていた。


 何と滑稽で愚かしい事か。
 怒りを通り越して笑いたくなってくる。
 自分の苦労は、オニキリマルの苦労は、何よりもアキトの苦労と犠牲、闇に身を賭した人生は何なのかと問い掛けてやりたい。
 頭を混乱と怒りと悲しみに支配され、執務室の備品を全て壊して暴れ、強化ガラスに椅子を投げ飛ばし叩き割った所で、プロスは荒れた息を整えもせず内線の受話器を取る。
 受話器の向こうで電話を取った男に対し、プロスは荒れた息で悲鳴のように喚いた。


「アキト君をすぐに部屋に連れて来てくださいっ! 早くっ!」


 叫んだ後は乱暴に受話器を叩きつけ、内線を切る。
 机の上には煌々と無線式PCのディスプレイが灯かりを灯していた。
 その画面を確認し、次の瞬間には傍らに置いてある花瓶を手に持ちディスプレイに叩きつける。




 問題の解答と緊急重役会議への召集、現ネルガル会長が意識不明状態にある事を告げるメールの文章がプツリと消えた。



[286] 機動戦艦ナデシコ-Irreplaceable days- 【再構成】 第五話
Name: 小瓜
Date: 2005/06/13 02:38

人の数だけ想いがあって


想いの数だけ物語がある


だから――――


悲劇だとしても、物語は続いていく




機動戦艦ナデシコ

-Irreplaceable days-






 対象の懐へ潜り込む潜入捜査と同時に行うデータの抜き取り等、潜入工作作業中に、アキトの持つレシーバーに連絡が入る。
 今回アキトが潜り込んでいるのはテロリストのアジトなどでは無く、表向きは孤児院として活動している施設。
 実態は、企業とテロリスト団体の橋渡しを行っている仲介屋だった。




 火星政府、地球政府への示威行動と共に行われる、火星開発を推進している各大手企業支社や関連施設への襲撃。
 幸いその襲撃の被害をアスカやネルガルが被った事は無かったが、大手企業第五位に挙げられる、主に火星では食品関連に強いハイライ

ト・コーポレーションの研究所、及び支社が被害に遭った。
 その時の被害は人的被害で14人、死者である。
 水分が少なく、痩せている火星の大地でも瑞々しい農作物が供給できるよう研究していたその施設の主任研究員、その他8名ばかりが殺さ

れた。
 後は支社と施設の警備員である。
 被害総額は破壊された機材・施設を含め凡そで二千万ドル。
 研究が成功を迎えていれば、その額は更に跳ね上がっていただろう。


 この一件以来、ハイライト・コーポレーションは火星で展開していた食品事業を一部撤退。
 支社の職員や研究員の安全を考えれば、それも詮無き事ではあった。
 だが、その後釜にあっさりと納まった企業がある。
 年々、火星進出案を強固に進めていたクリムゾン・グループであった。


 このあっさりとした交代劇に政府は安堵の声を出しはすれど、疑う事はしない。
 だがネルガルやアスカの場合、ライバル企業の火星進出に警戒を抱くのは当たり前であり、クリムゾンの余りの手早さに疑いを持つなと

いう方が無茶というもの。
 それまで何の疑念も抱いていなかったライバル企業と火星テロリストとの関係にこの時初めて疑念を抱いた両社は、火星支部を中心とし

てこの両者の繋がりを調査した。
 そして、その細い糸は確かに発見された。


 最近の火星テロリストは不思議な程活発に活動を行っていた。
 その原因の一つが、火星進出に一歩も二歩も他企業から遅れを取っていたクリムゾン・グループからの資金供給だという事が発覚。
 ここ二年間だけでも、凡そ二千万ドルという投資を行っていたクリムゾンは、金にモノを言わせ火星テロリストを手駒とし、その活動を

援助する代わりに各企業への襲撃を行わせ、火星から撤退させようとした。


 クリムゾンの目論見はある程度成功を収め、撤退した企業の後釜に自社の支店を展開させる事に成功。
 他企業に比べて明らかに少ないクリムゾンの支店は襲撃の標的にならなくとも短期間であれば何ら不思議では無く、両政府としても新た

な資金源として期待出来る企業を疑うような事をして、取り逃がしたくは無かったのだ。
 テロリストとしても、クリムゾンという大手企業がスポンサーをしてくれれば活動資金の心配は無くなり、企業への襲撃を行えば時には

身代金という特別収入を得る事も出来たし、相手が政府に対し影響力のある大手企業ならば人質交換の要求に政府への要求も行う事を出来

る。
 互いの利害が一致した両者は、孤児院を経営するテロリスト側の火星資産家を仲介屋とし、その影を利用して密に取引を行っていた。


 だが金が流れればデータが動く。
 微々たるその動きも、今世界で一番データの流れを機敏に察知できるアキトには、その不審さを察知されてしまったのだった。




 動きを察知し、クリムゾンの目論見をほぼ正確に読んだネルガルは、その仲介屋にアキトを送り込んだ。
 表向き孤児院を経営している資産家の前に見窄らしい格好をしたアキトが現れ、孤児を演じる。
 外見は未だ少年期を抜けていないアキトはこういった潜入工作にも適任で、他の誰よりも安全に潜り込む事が出来た。
 そしてタイミングを見計らい、この日アキトはロックされたデータの洗い出しや通信ログを抜き出していた。


 ロックされたデータに載っていたのはクリムゾンやテロリストの事だけでは無かった。
 孤児院で受け入れた孤児に支払われる遺族年金や賠償金、保険金を秘匿しているのがありありと判る裏帳簿が、その中には入っていた。
 孤児院での子供達の生活ぶりは質素の一言に尽きる。
 が、彼らは本来ならばそのような生活とは無縁の金額を所有しているはずだったようだ。
 子供を食い物にするあくどいやり口に、アキトは言いようの無い憤りを覚える。
 自らも孤児と呼ばれる、同じ立場の人間だから分かる事。
 もし、アキトの傍にネルガルが無く、プロスという後見人が居なかったら自分も彼らと同じ境遇だったのだろう。
 そう考えるとどうにもやるせなかった。


 アキトは裏帳簿の全て記載されたデータ共々抜き取り、潜入していた孤児院の院長室を後にした。
 その途中、再び通信が届いたのに気付き、アキトは用意された質素な四人部屋へと戻る道すがら、小声で答えた。


「こちらアキト。作業は完了しました」


 丁度答えたのと同時に、アキトの真横にある扉が開く。
 瞬間聞かれたかと警戒したアキトは腰に常備してある小型のブラスターに手を伸ばし、抜き出そうとする。
 だが扉の向こうから出てきたのは、目を擦りながら寝ぼけ眼で歩く幼い少年だった。
 警戒したアキトではあったが、どう見ても聞いている訳も無く、例え聞いていたとしても意味を理解できるとは思えない少年にほっと胸

を撫で下ろし、背後に回した腕を降ろした。
 寝ぼけ眼の少年は、目の前にアキトの存在を朧げながら確認すると、とことこと歩みよりアキトの服の袖をぎゅっと握る。


「……おしっこ」

『プロス氏からすぐ支社に来いと連絡があった。15分以内にそこから出ろ、いいな?』


 なんてタイミングの悪い。
 アキトは袖を握る少年を見つめながら耳元で喋る隊長に心の中で呟くと、一つ溜息をついて少年の手を握った。


「わかった。僕が一緒にいってあげるよ」

『阿呆、出頭命令はお前だけだ』

「うん……」


 話がかみ合わないのは当たり前。
 ちょっとだけ頭が痛くなったアキトは、再び口を開く。


「すいません、30分待ってください」

「……だめ……漏れちゃう」

『何だ……何か問題が発生したのか?』


 右と話を合わせれば左が絡んでくる。
 現状を突破したいアキトは、目の前で股間を押える少年を勢い良く抱きかかえると、一気に廊下を駆け出した。


「わかりました、すぐ行きます」

『了解』

「お兄ちゃん、漏れちゃう……」






 それからきっかり15分。
 濡れた洋服を処分してから、アキトは孤児院を抜け出した。






「テンカワ・アキト、到着しました」

 ドアホン越しに敬礼と共に内部へと呼びかける。
 すると扉は内部からの返事も無く静かにロックを解除した。
 内部からの返事が無い事で暫く思考を巡回させたが、アキトは開錠されたドアへと歩み寄った。


「失礼します」


 敬礼と共に一歩踏み出し、室内へと声をかける。
 中では数人の清掃員が床にクリーナーをかけ、清掃を行っていた。
 そして、普段ならば来客用であるソファーに、プロスペクターが静かに腰を降ろしていた。
 室内には、幾らかの破壊の痕跡が見られる。


「……何か、あったんですか?」

「部屋の事は気にしないで下さい。それより、こちらに座って」


 一際目立つウィンドウの大穴を眺めながら訝しげに呟いたアキトに、プロスは幾分疲弊した声で答える。
 普段の彼からは思い付かない素っ気無い言い回しに、アキトは幾分かの不審を覚えるが、言われた通り指定されたプロスの正面へと座っ

た。
 辺りでは未だ清掃員が作業する中、二人は互いに向き合う。


「時間がありませんので。今から三時間後に貴方は私と共に地球へと向かいます。相応の準備をしておいて下さい」


 前置き通りの発言にアキトは覚えた不審を膨らませる。
 だが先程からのプロスの、『らしく』無い言い回し、言動に大きな何かがあった事だけは理解出来ていた。
 そんな思考が顔に出ていたのだろう。
 プロスはアキトの瞳を見つめながら、静かに口を開く。


「理由を知りたいですか?」

「……いえ、我々シーックレット・サービスは役員の護衛をするのが当然」

「建前はどうでもいいです。そして、今回の出向はシークレット・サービスの仕事によるものではありません」


 アキトの建前を斬り捨て、プロスは今回の件に関するアキトの予想を否定。
 『仕事では無い』と言われたアキトは、では何故自分が呼ばれたのか、不審を更に膨らませつつも次の予測を始めた。
 そんなアキトの胸中を知らず、プロスは再び口を開く。


「君が長年探していた、ご両親の仇が自ら名乗り出てきたんですよ」






 降って涌いた、恐らく最初で最後の機会。
 初めアキトの胸中を占めていたものは、戸惑い。
 幼い頃に奪われた両親の、仇。
 今まで自身では何の手がかりも掴めずに、シークレット・サービスの仕事に携わっていればいつか機会が訪れるだろうとは思っていた。
 だがここまで唐突に姿を現してくるなどとは予想していなかった。
 そんなアキトの胸中を他所に、プロスは簡潔に今後のスケジュールを述べ、アキトは言われるまま地球行きの準備を行う事しか出来なか

った。
 そして今、アキトとプロスは着々と地球へと近づいている。






「怖いですか?」


 地球へ近づくにつれ戸惑いは消え去り、今度は不安が首を擡げる。
 日々膨らんでいくそれを抑える胸中を備に察知したプロスが、ガンオイル片手に銃のメンテナンスを行うアキトに問い掛ける。
 声に反応し一瞬腕を止めるも、すぐにメンテを再開しながら、アキトが吐き出した。


「怖い……。そう、かもしれません。漠然とした何かに、押し潰されてしまいそうで」


 ゆっくりと話しながら分解した銃を組み上げる。
 何かに集中していないと言葉通り潰れてしまいそうなアキトに、プロスはそれ以上声をかける事は出来なかった。
 黙々と分解と組立を繰り返し、一つ一つ用意してきた装備に手をかける。
 その様子を見守るプロスの前で、最後の一丁が組み上がった。
 静かにグリップに手を這わせ、握り心地を確かめる。
 一つ、握る手に力を込めアキトは呟く。


「でも、それだけじゃない。そう……それだけでは、ない」


 言葉と共に吐き出される思いと、顕になる感情。
 ゆっくり、ゆっくりと刃を研ぎ澄ます鋭利な精神。
 瞳の奥に映る黒い炎に、プロスはやはり何も言えず。




 沈黙が支配する室内に、大気圏突入の報が響き渡った。




 港に着き入国手続きを済ませると、プロスに先導されロビーへと出る。
 手続きの際「ようこそ地球へ」などと笑顔を向けてくる審査員の言葉に馬鹿馬鹿しさを覚える。
 楽しむ為に来た訳では無い。
 こんな事が無ければ来る機会などあったはずも無い。
 自分が来た理由――――復讐さえ果たせれば、こんな所など。
 ある種地球に対し敵対心、敵気心に似た思考を浮かべながら、先導するプロスの後を追う。
 船旅中に必要な着替え等の荷物は港に預けてあり、持っているのは装備の入った鞄一つ。
 荷物チェックをパスした二人は、ロビーを抜け正面出口から港外に出て行った。


 空が火星よりも高い。
 気温が火星よりも暑い。
 空気が火星よりも汚い。


 初めて味わった地球の大気。
 さりとて、アキトに何か感慨を抱かせる事も無い。
 生まれ育った火星との違いを肌で感じ取りはするが、心には染込まない。
 彼の中には唯一つ。


「覚悟は、いいですね」

「――はい」


 先導するプロスに答え、無意識に拳を握る。




 問いの言葉をやり過ごし、用意された車へと乗り込む。




 覚悟とは何か。何の為の覚悟か。
 知りえるはずのない答えを問うたプロスの表情は、曇っていた。




 車に乗って小一時間。
 アキトは容易く目的地へと誘われた。
 地球に住む者なら誰もが知っている大病院。
 現代医療の最先端をひたすら突き進む、日本初の企業出資によって創設された総合病院。
 その玄関口に、アキトはプロスと二人、立っていた。


「……プロスさん?」


 隣に立つ、幼少時から知る少年の困惑を色濃く浮かべた表情を見ても、プロスはその仮面を崩さない。


「とにかく、ついてきて下さい」


 一言だけ告げ、まるでアキトの困惑を無視して中へと入っていく。
 今のアキトには、プロスの後を追う事しか出来ないのを理解した上での行動だった。
 少々乱暴な行動ではあるが、それも致し方の無い事。
 アキトと同じように、今のプロスには精神的な余裕など欠片程も無かった。




 病院の受付で二、三言葉を告げたプロスは、アキトを伴い沈黙を保ち病院の奥へ向かった。
 そこへ待ち構えていたのは、明らかに格闘訓練を施された大柄な男二人が囲むエレベータ。
 その男二人が自分達に近づくのに気付き一歩前へ出ようとしたアキトだが、プロスに手で制され沈黙を保つ。
 やがて、二人はプロスの前に立つと自身の胸元からネルガルの社員証を提示した。


「お待ちしておりました。こちらへ」

「ご苦労様です」


 プロスは会釈程度に頭を下げ、二人に誘われるままエレベータ内へと歩いていく。
 その背後に、困惑の度合いを深めながらアキトも続きエレベータへと入った。
 これまでの行動で、二人の正体が自分と同業である事は理解したアキトだが、何故自分がこのような所に居るのかが理解出来ない。
 両親の仇を討つ為地球まで来て、居場所を知るプロスをひたすら追い、今は病院のエレベータで同業者に囲まれている。
 この病院に居る事が仇と関係があるのか、それすらも判らないまま、アキトはプロスを追うしか無かった。
 アキトとプロス、ネルガルのSSを乗せたエレベータはやがて上に向かい、静かにその箱を動かす。


「……状態はどうなのですか?」

「我々の口からは、そういった発言は許されておりません」

「そうですか……」


 アキトからすれば理解出来ない会話。
 しかしこの場の大人三人は理解し、簡潔な言葉のみで情報を交換していた。
 後に訪れたのは、重苦しいまでの沈黙。
 その中でアキトは更に困惑を深め、プロスに対し不信感すら湧き上がらせてきていた。

 自分の目的とプロスの目的。
 火星出立時にプロスは細かい事は何も言わず仇の事のみを告げ、自分に同行するように告げてきた。
 もし仇の事が自分を釣る餌で、プロスの目的が自分を同行させる事のみであったなら。
 考え始めるとまるでそれが真実であるかのように思えてくる。
 だが下手な思い込みというものが、様々な場面で状況を悪い方へ流していく事も、アキトは理解している。
 結局彼は考える事を止め、不信感を募らせながらもプロスに付いていく事を選んだ。




 四人を乗せたエレベータが止まったのは、病院の最上階。
 開いた扉の先には、やはり明らかにアキトの同業者と思われる大柄な男達が廊下を見回っていた。
 彼らは開いたエレベータの内部へ視線を数瞬向けると、まるで興味が失せたかのように廊下へと視線を戻す。
 いつ、いかなる事態が起こってもおかしくない。
 そんな緊張感を漂わせた男達が、この階の張り詰めた空気を生み出していた。


「こちらです」


 先に下りた男の一人がプロスを先導する形で前を歩き、もう一人の男がアキトの背後を歩く。
 護衛されつつも監視される立ち位置。
 だがアキトは、理由は判らないが男達の雰囲気から何かを感じ取り、文句を言うことなくプロスの後を追う。
 やがて辿り着いたのは、病院という場所には不釣合いの大仰な扉。
 重厚なその木製の扉の両側を守るように、やはりネルガルのSSであろう男二人が静かに立っていた。
 先導した男が見張り番だろう男へ話しかける。


「中へ二人を通せるか」

「ナガレ氏からの許可は出ております。……荷物は全てこちらで預からせて頂きますが」


 見張りの男はそう答えながら、アキトの持つ大きな鞄を見る。
 手荷物の無いプロスは黙って両手を挙げ、男二人の前へと歩み寄った。
 彼の行動に渋い顔を浮かべたアキトだが、どうしようも無い状況に諦めを浮かべ鞄を背後の男に手渡し、プロスと同じく両手を挙げる。
 鞄を受け取った男はその意外な程の重量に一瞬驚きを浮かべ、それを見張りの男に手渡すとアキトのボディチェックを始めた。
 まず胸元を確認した所で、すぐに硬い感触を覚え、やはり驚きを浮かべる。
 アキトは男の表情を見てから上着を脱ぎ、その両脇に下がっているホルスターから銃を抜き取り、二挺一緒に手渡す。
 その後も腰から一挺、足から二挺の銃を渡され、最後につけていたベルトのバックルから取り出された『返し』のある両刃のナイフを受

け取ると、男達は渋い顔を浮かべながらボディチェックの終わったプロスと一緒に室内へと通す。


「……何かあったら、すぐに連絡を。チャンネルの設定を再確認しろ」

「了解」


 背後から聞こえる明らかに自分を不審者として意識した発言に、アキトは渋い顔をするしかなかった。




 室内は入り口の扉が表していた通りの様相をしていた。
 豪華な家具、広々とした空間、高価な美術品が所狭しと並べられている。
 そんな中で一箇所だけ、異彩を放つ場所があった。
 病院であれば当然の事なのだが、この空間では一際目立つソレ。
 部屋とマッチした豪華なベットに眠る、様々なチューブ、電極、機械に繋がれた人間。
 心電図が鳴らす弱弱しい機械音と強制的に酸素を送り込まれ、排出される音だけが響く空間に、ソレが存在していた。


「……空港での言葉、覚えていますか?」


 唐突に、何の脈絡も無く告げたプロスに、室内の異様な空気に気圧されていたアキトが困惑顔で沈黙を返す。
 だがプロスは、自身の問い掛けを忘れたように足を動かし、ベットに眠る人間へと近づいた。
 無意識に、自然とプロスの後を追うアキトは、その視線の先の人間が老い先短い老人である事に気付く。
 そして、彼が男であり、もはやただ『生かされている』だけの物体であるという事にも。


「この方は、変わり果てては居ますがネルガルの会長です」


 プロスの答えは、アキトの予想通りのものだった。
 こんな大病院で明らかなVIP待遇を受け、ネルガルのSSが数多く張り付いて守護するような人物など限られている。
 判りきっていた答えだが、アキトの中で一つの疑問が浮上する。
 現在の状況やプロスの発言によって老人がネルガル会長である事は間違いないだろうが、その会長は確か、未だ60代手前のはずである。
 つい最近も新聞や雑誌、ネットワークの中で顔を見る事があったが、目の前の人物のような老人では無かったはずだ。
 だがプロスは、彼のそんな疑問に答えを提示する事無く話を進める。
 アキトにとって、より重大な方向へ。


「そしてこの方は、君にとって最も憎むべき人間です」

「…………は」


 躯が、震えた。
 プロスの言葉で全ての合点がいった。
 火星出立前の言葉、空港到着時の『覚悟』、何故自分がここに連れてこられたのか。
 アキトの想定していなかった、アキトにとっての最悪の答え。
 自分の能力を売り、自分に復讐の力を与え、自分を生かしてきたネルガル。
 その頂点に君臨する男。
 その人物こそが。




「――貴方から両親を奪い、私から友人を奪った事件。テロリストなどでは無く、この老人こそが、事件を企てた張本人です」




 プロスの断言に、アキトの心臓は、大きく鼓動した。


 


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