「っていうわけで、ラピスとルリ君をトレードすることになったよ」
この報告をするのはちょっとした命賭けだった。
イネスもエリナもラピスを娘のように可愛がっている。アキトにとっても娘のようなものだ。ネルガルの裏の支配者2人とその想い人の計3人を一気に敵に回したことになる。
「っていうわけで、じゃないでしょう?何を考えてるのよあんた。馬鹿じゃないの?」
普段の20%増しの厳しい言葉を浴びせるエリナ。レッドゾーンぎりぎりである。
彼女は確かに怖い。しかしそれ以上に怖いのが彼だった。
「どういうことだアカツキ?返答次第では・・・・・・」
アキトがずいっと一歩手前に出る。
これは怖い・・・・・・、ミスマル提督といい勝負だよ・・・・・・
予想していた通り、会談結果の評価は芳しいものではなかった。
プロスもゴートも月臣も別の仕事で外しているので、今度も護衛はなしである。シークレットサービスが階下に待機しているが、それでは事が起きてもとても間に合わない。
必死で言い訳した。
「いやいやいや、ほら、前も言ってたじゃない?ラピスは社会を学ぶ必要があるってさぁ。別に会えなくなるって訳じゃないし、ずっと宇宙軍に預けっぱなしってわけでもない。マシンチャイルドだってルリ君やマキビ君って先輩がいるから受け入れられやすいだろうし、いい機会だと思ったんだよ」
アカツキはこれでアカツキなりにラピスのことを考えている。前はもっとドライな男だったのだが、何だかんだ言って周りのイネスもエリナも情の強い女だ。感化されるところもあったのである。ラピスのことを思えばこそ、もう少し世間というものを教える必要があると考えたのだ。
これにはアキトたちも同意せざるを得ないが・・・・
「それでも事前に相談するくらいはあってもいいんじゃなかったの?」
イネスとしてもこの事態は歓迎せざるものだ。ラピスと距離が離れればリンクも途切れる。感覚補正がなくなれば、アキトも自分の体の異常を察知できなくなる。それは主治医として見過ごせない。
「だって時間もなかったし。トップ会談の最中だよ?確認したいからちょっと待ってくれ、なんて言えないよ」
交渉は勢いだ。その場の雰囲気とノリだ。少なくともアカツキの持論では。部下と協議するから待ってくれなんて、いちいち言っていられない。自分の決定は会社の決定だ、と自負を持って交渉に当たらなければ、相手も信用してくれない。前会長の息子というだけで後ろ盾を持たないまま会長に就任し、四面楚歌の中で、アカツキはそうやって実績を上げてきたのだ。
だが抗弁するアカツキは3人に睨まれ、萎縮してしまう。
怒るのはわかるけど、僕だってあの怖い提督相手に頑張ったのに・・・・・。
トップは常に孤独だ。アカツキはそれを改めて実感した。
「わかったよ、それじゃラピスが嫌だって言ったら断るよ、それでいいだろ?」
何とかそれだけを喉の奥から搾り出し、アカツキはアキトの後ろに控えるラピスに目をやった。
この少女は、今の話が自分の処遇を決める相談だということを分かっているのだろうか?
提督との会談の時に、自分のトレードが決まっても何も妨害してこなかった。
認識能力には問題はないという話だから、これはつまりトレードに賛成ということではないだろうか?無関心なだけか?それとも、他に理由が?
「どうだいラピス?君に宇宙軍に行ってもらおうと思うんだけど・・・・・・。さっきも言ったけど、ずっとってわけじゃない。最初は士官学校での士官教育を受けるけど、卒業後の任官は少佐が約束されてるし、補佐はつくけど艦長職だから、君に命令できる人も少ない。そんなに悪い条件じゃないと思うけど」
どうかイエスと言ってくれ・・・・・・!
アカツキの懇願するような目線を見返し、しかしラピスはやはりその目の意味に気づくことはない。人の心の機微に鈍感なのだ。彼女の関心は、アキトと、アキトのための自分の能力に注がれている。
だからこの返答も、ある意味では予想通りのものだった。
「わたしはアキトが一緒ならどこでも行く」
「それは・・・・・・」
ああ、そういえば付き添いをつけちゃいけないって条件はなかったし、でも給料は向こう持ちになるから余計な人がくっついていったらまずいかな。給料はこっちで支給することにして向こうの負担にならないようにしておけば、まずは仕官学校の校務員、卒業後は護衛としてラピスに着いて行って貰うのもありかな。
うん。
「じゃ、いっそのことそうしちゃおうか?」
「あんた、さっき自分で言った事もう忘れちゃったの?ラピスの社会勉強のために宇宙軍に出すんでしょ?保護者同伴じゃ意味がないじゃない!」
「いや、そうなんだけどさ、本人が嫌だって言うんじゃ・・・・、それに君だってラピスを出すのに反対してたじゃない。テンカワ君が一緒なら安心だろ?」
「そりゃそうだけど・・・・・・」
ラピスのことは可愛いが、それはそれとして堂々とアキトと一緒にいることを公言するラピスに嫉妬めいたものを感じないわけでもない。大人気ないと思うが、どうにもイライラする。そのせいかどうか、エリナの言動には一貫性が欠けている。
「アキト君が行くのなら、主治医の私も同行するわよ。他の医者には任せられないわ」
「それはOKだね」
エリナの抗議は軽く無視されてしまい、イネスはあっさり同行の約束を取り付けた。
とんとん拍子で話は進んでいく。
「俺は、一緒に行くのは反対だ」
と、ここで自らの問題であるにもかかわらず何の意見も聞かれなかったアキトが反対を表明した。
「え?そりゃまたなんで?」
テンカワ君は軍隊嫌いだから一番説得に手間取ると思ったのに、ラピスを出すのには賛成して、一緒に行くのは反対?意外だな。
「ラピスの教育のまたとない機会だ。俺がついて行くのはよくない。それにルリちゃんの電子掌握で片がつくとも限らん。機動兵器を動かせる人間が必要だろう?」
再びアカツキは考え込んだ。ラピスだけを宇宙軍に送り出し、アキトはネルガルで待機するのがもっとも効率的だ。ラピスはそれを嫌だと言うが、アキトの説得なら聞き入れるかもしれない。
「それに、俺が表に顔を出すのはこの状況では相手を挑発するだけだ」
「そんなのはいくらでも偽装できるから大丈夫だけど・・・・・、じゃあ、君からラピスを説得してくれるかい。僕らじゃ無理だよ」
エリナやイネスは元からラピスを説得しようという気はない。2人とも強気で頭脳明晰な女なのだが、どうにもラピスに関しては母性が優先するというか・・・・・、強く出られないし、手元から離したくないのだろう。そこで、今回は父性のアキトが厳しく躾ける役目を負うことになった。
「ラピス、俺はここに残る。お前は宇宙軍に行け」
テンカワ君、ラピスは犬や猫じゃないんだから行けとだけ言うんじゃなくてちゃんと理由をだね・・・・
海千山千の猛者たちとの腹の探り合い、交渉を重ねてきたアカツキにしてみれば、それは説得と呼べるものではなかった。
とはいえ、ラピスはアキトに逆らわないからこれで解決だ。釈然としないものを感じて、アカツキはそれでいいのかと自問した。
しかし、
「嫌。アキトと一緒にいる」
アカツキ、エリナ、イネスはラピスのはっきりとした拒絶を聞き、驚いた。他でもないアキトの言葉に対して真っ向から異議を唱えたのだ。人形のような自我の薄い子供だと思っていたのに、知らないうちに成長していたようだ。
ラピスの成長は喜ばしいことではあるが、しかし選りにもよって今この時に成長の証を見せなくてもいいのに、とも思う。
「お前を保護してから、2年以上経つ。もう何もわからない人形じゃないだろう?今、お前は俺の言葉に反対してみせた。もうお前は独り立ちできる」
ラピスは目を見開き、アキトの決別の言葉に異議を唱えた。
「でもアキトには私が必要」
「リンクか?問題ない。ルリちゃんに頼むさ。あの子も大人になったようだ。俺とリンクしても引きづられることはないだろう。だが、ラピス。お前は俺の影響を受けすぎている。これ以上はお前のためにならない」
「そんなことない。リンクできるのは私だけ」
それは根拠のない願望だ。火星でAIを介して一瞬だけつながったあのルリという女。洗練された淀みの無い思考を思い出した。あの女なら造作もなくリンクしてみせるかも・・・・・
「悪影響もない」
それでも言葉を重ねた。ここで捨てられるのはあんまりだ。アキトのためだけに、アキトの手となり足となり、目となり耳となり生きてきた。それ以外の生き方などできない。
しかし、この思考こそが悪影響ではないだろうか。ラピスはそこに考えが至らない。
「ラピス・・・・・・・。説得は無駄か」
これは説得などではない。一方的な命令だ。だからラピスも依怙地になって拒否するのだ。やり方を変えなければ、ラピスをうなずかせることは難しい。アカツキはもどかしく思った。
「無駄」
諦めてくれた。悟られないように、ラピスはそっと安堵の息をついた。
「ラピス。お前こそ、俺を説得するのは無駄だ。これは決定事項だ。お前は宇宙軍に行け」
再び繰り返される断固とした意思の表明。
リンクから流れてくる迷いのない意思に、逆にラピスの意見が通る余地がないと感じ取る。
「でも嫌」
もうどうしていいかわからない。経験の浅いラピスには、理を尽くして相手を説得するということが難しい。リンクの必要性を否定されてしまい、これ以上は何を言えばアキトは許してくれるのだろうか?考えてもわからない。
捨てられたくないのだ。リンクでアキトに訴えた。
もちろん、アキトはラピスを捨てる気はない。リンクの影響を受けているのは何もラピスだけではない。だからアキトのラピスに対する感情は特別なものがある。
それをアキトは伝えようとしていた。
「ラピス、今までは戦いに必要だったからお前と一緒に行動していた。戦いは終わった。俺たちも、そろそろ次の段階に進んでもいい頃だろう」
ラピスはそれを別離と解釈した。リンクの必要性がない。つまりラピスは必要ない。それはラピスの望みではない。
「嫌。今までと同じでいい」
「利害関係にだけ支えられた人間関係は希薄だ。感情の交流がなければ。ラピス、今のお前は人形じゃないが、それに類するものだ。感情は常に俺からお前に一方通行で、交流はほとんどない。お前が独り立ちし、成長したら、お前も自分を語れるようになる。そうすれば、俺たちはもっと・・・・・・・」
親密になれる。
口に出そうとして思いとどまった。子供相手には少し不穏当な表現だろうか。緊密・・・・、これも何か違う・・・・・。理解しあえる・・・・少し硬いか。
何が適切か・・・、そうだな、少し子供っぽいところが、かえってふさわしい。
「俺たちは、もっと、仲良くなれる」
優しくラピスの手をとり、その指を握ってささやいた。静まり返った部屋で、低いバリトンの声がこだました。
仲良く、なれる。
自らを語る機会を極端に減らしてしまった青年には、精一杯の言葉だ。
イネスとエリナは思わず目頭を押さえた。
自暴自棄に陥っていたアキトが、ラピスとの閉じた関係に限定しているとはいえ、将来への展望を語ったのだ。
やはり、未来は子供が作るものなのか。
2人はそっと目元をぬぐった。
ところで一方アカツキは。
テンカワ君才能あるなぁ。
アキトがラピスを口説いているシーンだと認識していた。女を口説くのも商談も同じノリ。どうしてもそっちへ思考がいってしまう大関スケコマシである。
ついでに言うと、アキト君がラピスをとるならドクターとエリナ君はフリーだなぁ、チャンスあるかなぁなどと、2人から男としては相手にされていないにも関わらずそんなことを考えていた。いいシーンなのは分かっていても、基本的にドライで心を動かされることが少ない男だ。
ドライだけど恋愛には積極的。そこがイイという女性も多い・・・・・・、例外はどこでもいて、少なくともイネスとエリナ2人の受けは悪いので、アカツキが2人を落とすことはできないだろう。それでも諦めないところが大関スケコマシの真骨頂だ。
アキトの意にほだされ、イネスもラピスを出すのに同意して説得にかかる。
「ラピス、あなたも先を考えるべきね。推定だけどもう12歳なんだし、成長が遅いとはいえ、もうそろそろ第二次性徴期がはじまるわ。いつまでもお兄ちゃんにベッタリくっついてるんじゃ世間的に問題だし、独身者には目に毒よ。自立を考えるには、ちょうどいい時期ね」
独身者。具体的にはイネスとかエリナとか、あとゴートとか月臣とか。アカツキは意に介さないだろうが。プロスはよくわからない。ウリバタケは既婚者だが言わずもがな。
「テンカワ君だって、まだ人倫を犯したくはないだろ?その点、ルリ君にバトンタッチすれば、22歳と17歳で一緒にいるのを見ても許容範囲内だし。実際にもやっちゃっても許容範囲内だし。ウグっ」
くぐもった悲鳴をあげ、アカツキは顔を歪ませた。エリナのヒールがアカツキの革靴にめり込んでいた。これは単なる痣程度じゃ済まないかも・・・・・・。アカツキは鉄板補強の革靴を開発させようと決意した。そんなくだらない物に需要はないので、おそらく却下されるだろう。ネルガルは営利企業なのだ。たまに営利と関係ないことにも手を出すが。
「ラピス。ミスマル提督は優しい人だ。お前にもきっとよくしてくれる。だから、行ってこい。政情が落ち着くまでは会いにいけないが、統合軍が片付いたら、時間をとって一緒にどこかにでかけよう。宇宙で2人きりにならなくても、買い物に行くのだって十分楽しいさ」
ちゃんと惑星上で気軽に出かけられるまでには、きっと何ヶ月かはかかるだろう。それまでには、ラピスもショッピングを楽しめるだけの精神性を身につけるはずだ。
成長したラピスの姿が、脳裏に浮かんだ。少し前に見たルリに似ていた。
冷えた心を、暖かい何かが照らす。
あんな子になるのだろうか?いや、それはアキトの想像に過ぎない。白鳥ユキナのように元気な子になるかもしれない。
どちらにしろ、先には希望がある。ここを乗り越えれば。
「わかった。だけどルリがリンクできなかったら、行かない」
心を尽くしたアキトの言葉が届いたのか。ラピスは強情を張るのをやめた。
そう、その先に未来がある。
「できるさ。ルリちゃんはラピスよりも経験を積んだ子だ。前に地球であった時にも思ったが、ずいぶんと立派になっていた。そのことについては心配していない」
アキトとラピス、初めての仲たがいはこれで手打ちになった。
壁に掛けられている絵の裏からエリナがアカツキ秘蔵の50年物のボトルを取り出し、イネスがグラスを用意した。
何でそこにあるのを知ってるんだろう・・・・・・・・・・・・?
やりきれない思いを抱えつつも、アカツキは人数分-1のグラスに酒を注ぎ、最後のグラスにはカクテル用に用意しておいたグレープフルーツジュースを注いだ。
乾杯の合図はない。各々に煽る。
この賭けは、ルリがリンクを承諾することを前提にしている。断られるということを想定していない。その分、確率的にはラピスに有利だ。アカツキはそのことに気づいていた。まあ、軍務とあればルリは断らないだろう。ただ、心から同意していないかもしれない。リンクできても中途半端になってしまう可能性がある。不完全なリンクが何をもたらすのか、アカツキには想像もできなかった。
設定資料
ネタバレ部分を削除しました。
機体設定。
機体名 ディバイナー・イロクォイス 漆黒の神像
イネスにより、ナデシコC、ユーチャリスの追加電子装備と平行開発が進められていた、ブラックサレナ後継機体。
ブラックサレナの弱点である質量の大きさを解消するためにスマートな体型をしている。
機体内の内蔵スペースが小さくなってしまったため、従来の相転移炉を搭載することができず、完成が遅れていた。
後々に構造強化機能が追加される予定。
破壊の象徴。
機体名 ディバイナー・カイユーダス 純白の神像
古代火星人の技術が使用されている。
無垢の象徴。
機体名 ディバイナー・アーノンディガス 紅の神像
古代火星人の技術が使用されている。
欲望の象徴。
共通設定。
機体のエネルギーは高濃縮同位体。
インダクションモードにより同位体から瞬時に大電力を搾り出せる。このため、エネルギーチャージの時間を省略できる。
動力はオプティカルドライブモーター。高濃縮同位体は体内を血液のようにめぐっており、その対流で副次的に発生するチェレンコフ光を、光ファイバーなどでモーターに導いて使用する。モーター内のステーターは光で磁極が切り替わる物資で作られているので、光を動力源にすることが可能になる。
ここの説明はガンドライバー6巻の巻末を極端に簡単にしたものです。
ガンドライバー公式設定によれば、神像は全7体です。
また呼称も複数個設定されており、「ディバイナー オブ スカーレット」=紅の神像=アーノンディガスです。「ディバイナー オブ」「の神像」を省略して、以降、順番に、オーニックス=漆黒=イロクォイス、オーパライン=純白=カイユーダス、バーデュア=翠緑=機体名不明、アズライン=紺碧=機体名不明、アンベル=琥珀=機体名不明、ファーシュ=紫苑=機体名不明、となります。
それぞれが宗教的な概念の象徴になっており、紅の神像は欲望の象徴となっております。その他の色が何を象徴しているかは不明ですので、このSS内では私が設定を追加しました。
カイユーダスは天叢之雲之神像または草薙之神像の名が与えられています。
カイユーダスは、8巻の巻頭設定資料ではカイユーグスとなっており、作中ではカイユーダスと呼ばれていました。私が持っているのは初版のものなので、次の版からどちらかに統一されていると思いますが、ここではカイユーダスとします。
このSSはゆくゆくは漫画版とのクロスになります。
ただ、漫画版ナデシコは呪術が現実の力として作用する世界で、ボソンジャンプも存在せず、アカツキもエリナも登場しません。イネスは敵のスパイ、ルリはクローンが2人おり、オリジナルのルリは卑弥呼につぐ実力者でありながら幽閉されていました。
このSSはTV・劇場版設定準拠なので、特に呪術関連の設定は切ることになります。ボソンジャンプ関連技術を神の奇跡として見世物にしてカリスマを保っている、とかそういう設定になります。