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[10793] 天使を憐れむ歌 【ゼロ魔×エヴァ】【オリ設定の嵐】
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2014/03/14 23:48
第三十六話をお送りします.

映画「The End of Evangelion」終了後、たった一人生き残った碇シンジが召還されます。

ご注意:このゼロ魔SSはオリジナル設定及び、オリジナル解釈の嵐です。

2009/08/04 作者

チラ裏より、ゼロ魔板に、そーっと移動しました。
第三話、第五話、第七話修正及び付け足ししました。
2009/08/22 作者

第七話 誤字修正と付け足しのみ 2009/8/26

第八話 投稿 
第一話 長さの単位をメイル、サント表示に修正。
第二話 ちょっと捏造及び修正 2009/9/6

第九話 投稿 
第八話 修正  2009/9/19

第十話 投稿
読者の方より、「チラ裏」取って良し、のお許しが出ましたので、取りました。 2009/10/25

第十一話 投稿
俺、退院したら、がんばって十二話を書くんだ。2009/11/1

前書き訂正のみ
追記:フェイク様
表題に「オリ設定の嵐」いただきました。
ご容赦、ご寛容いただきたくよろしくお願いします。 2009/11/20 

第十二話 投稿 皆様、ご心配をおかけしました。 2009/11/28 
第十二話 ちょっち訂正 2009/11/29 
幕間話2 投稿 2009/12/6 
幕間話2 微修正のみ 2009/12/9 
第十三話 投稿 2009/12/28 
第十四話 投稿 2010/1/27 
第十五話 投稿 2010/3/24 
第十六話 投稿 2010/4/18 
GW用外伝 投稿 同13:50に削除←黒歴史化決定 2010/5/1 
第十七話 投稿 2010/5/4 
第十八話 投稿 2010/5/15
第十九話 投稿 2010/5/25
第二十話 投稿 2010/7/17
第二十一話 投稿 2010/8/12
第二十二話 投稿 2010/9/22
第二十三話 投稿 2010/11/6
第二十四話 投稿 2010/12/9
第二十五話 投稿 2010/12/21
第二十六話 投稿 2011/3/20
第二十七話 投稿 2011/5/15
第二十八話 投稿 2011/6/12
第二十九話 投稿 2011/11/19
第三十話  投稿 2012/6/26
第三十一話 投稿 2012/8/26
第三十二話 投稿 2013/3/10
第三十三話 投稿 2013/7/16
第三十四話 投稿 2013/10/16
第三十五話 投稿 2014/1/10
幕間話3  投稿 2014/2/1
第三十六話 投稿 2014/3/14



[10793] プロローグ 赤い海の畔で
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2009/08/15 09:27
プロローグ  赤い海の畔で

「気持ち悪い・・・・・」
そう言い残して、アスカはLCLの海に還っていった。

地上にただ一人残されたシンジは慟哭していた。

どちらかが、どちらかを殺す。

二人ともにそうしなければ、死ねない体になっていた。

ふたり共に生き残る選択肢は、アスカが拒否をした。

持ち前の、サデスティックな物言いで少年を追い詰め、自分を憎ませて行った。

とうとう、シンジはアスカの首に手をかけ、そこからアンチATフィールドを流し込んだのだ。

シンジは泣いた。

最後の一人となったことに。

自分の罪の深さに。

魂の消えるほどの悲しみで。

出来ることなら彼女の後を追いたかった。

だがそれは出来なかった。

神の依り代たる自分の中に。

LCLの海の中に消えたすべての生き物の命の実があり。

それが自分を海に入れることを拒んでいる。

自分自身の水に対するトラウマもあり、その恐怖も拭い切れていなかった。

それに、シンジには遺言があった。

「しっかり生きて、それから死になさい」

自分を復讐の駒とし、利用し、死ぬような目に合わされたこともあった。

それでもシンジは、

上司であり同居人であり、また姉であった葛城ミサトを憎むことが出来なかった。

ほのかな恋心も抱いていた。

自ら死ぬことは、この遺言にそむくこと。

シンジは死ぬまで生きなければならなかった。


死のうと思って死ねるかどうかは・・・わからなかったが。



最初の1年はひたすら海を見ていた。

いつか、海から還って来る人を出迎えるため。

だが、地上の壊滅状況はひどく、もし今大量の人間が帰ってきても生活することは出来ないであろう。

それどころか、食料が無い。

いや、まるで無いわけではない、しかし未だ食料を無機物より合成するすべは無く。

貯蔵してある食料などは、2年ほどで食い尽くしてしまうであろう。

まず草木が生え、人の食料になる他生物が溢れかえってこそ人は生きていけるのだ。

だが、1年待っても、草一本生えては来なかった。

シンジはこのまま、自分も餓死できればとは思った。

が、

シンジの体のどこか、もしくは細胞のひとつひとつにあるのかはわからないが、

S2機関がその肉体を維持していた。

そのくせ、腹は減り、のどは渇くのだ。

シンジはそれらを体に感じるたび、赤いLCLの海の水を飲んでいた。





2年目から、海の見える場所でチェロを奏で始めた。

いつか、還って来る。いつか、還って来る。
いつか、還って来る。いつか、還って来る。
いつか、還って来る。いつか、還って来る。
いつか、還って来る。いつか、還って来る。

この海の中できっとみんなが、耳を澄まして聞いてくれる、聞いてくれている。


そんな妄想だけが、彼の心の慰めだった。


恨みを、憎しみを、悲しみを、楽しさを、喜びを、好きだった人を、嫌いだった人を。

その思いのたけをすべてチェロに籠め音楽を奏でていた。


“波の音に負けているかも知れない”

そんな発想が、シンジのチェロの腕を上げ、ATフィールドの応用を思いつかせた。

しかし、

弦が切れ、チェロそのものが劣化し始めると、

新しい弦を新しいチェロを探しに世界中を飛び回る必要があった。

シンジは文字通り世界中を飛んでチェロを、その部品を探し回った。

いつしか、

世界中のチェロはほとんど使いつぶし、シンジはチェロを弾くことが困難になっていった。

いや、世界中の楽器どころか、文明の名残そのものが乾燥や湿気その他の要因でなくなり始めたのだ。



最後のチェロの弦が切れ・・・・音楽を奏でられ無くなると・・・・。

シンジの心もゆっくりと、ゆっくりと壊れて行った。















だから、シンジは眠ったのだ。



[10793] 第一話 召還
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/09 22:48
   
             ゼロの使い魔  新世紀エヴァンゲリオン クロスオーバー

                        天使を憐れむ歌






第一話 召還

「……この『世界』のどこかにいる、『強大な力』を持ち、『美しく』、そして『聡明』なる使い魔よ! 私は心より求め、訴えるわ。我が導きに応えなさい!」

ルイズは、召還の呪文を唱えた瞬間、目をつむった。
これが泣きの一回だ、なんとしても成功させなければならない。
いでよ召還の鏡、そして私に使い魔を!
爆発音なし、周りがざわめく、ルイズはゆっくり目を開ける……目の前には何もなし、がっくり。

「ルイズ~!上上、うーえー!」

と、同級生達が慌てたように声をかけ、上空を指差す。

「はぁっ、上になにが……」

見上げれば、そこには……白黒のまだら模様を表面に貼り付けたような巨大な玉が浮かんでいた。

「ええええええ~!!!!こっ、これは、バクベアーの中でも最大種バックベアード様……・かしら?……う~ん、名前と寝床どうしよう。」

ルイズが少々ずれたことで悩んでいると、 人垣の中から、頭頂部がやたらと寂しい中年男性が出てきた。

眼鏡をかけ、落ち着いた物腰で、黒いローブに身を包み、その手には大きな木の杖が握られている。 
教職で今は、この「春の召還の儀」の監督役であるミスタ・コルベールである。
ニコニコしながら近ずいて来た。

「おめでとう、ミス・ヴァリエール、さあコントラクト・サーヴァントだよ」
「ミスタ・コルベール、届きません」

その直径3メイルほどのゼブラ球体はしかし、10メイルほど上空に浮かんでいた。

「おおそうか、ミス・ヴァリエール呼んでみたまえ。サモン・サーヴァントで呼ばれたものはその時点である程度言う事を聞くはずだからね。」
「はい、ミスタ・コルベール。おーいお前を呼んだご主人様はあたしよー!ここまで降りてきなさーい!」

ゼブラ球体は、呼びかけに応えるように徐々に降りてきた。それはいいのだが、高度が下がるたびにその直径を小さくしていく。そして、ルイズのまん前に降りてきた時にはその直径を1メイルほどに縮小していた。

「うーん、バックベアードでもなさそうね。」

本来のバクベアー種の特徴である大きな目も、その周りすべてに生えている植毛も無い、ただの球体だ、その異様な文様を除けば。第一バクベアー種には大きくなったり小さくなったりといった特技は無い筈である。

「まぁ、いいわ、え~と口はどこ、口はどこ、きゃっ」

ルイズは驚いた、この球体の口相当の部位を探していたら、いきなり球体がはじけるように消え、代わりに少年が現れたのだ、それも生まれたままの姿で。

「ミミミミスタ・コルベール!ああああ、あたしの、あたしの??????が消えてしまいました!」

あわててそちらを振り向くと、先ほどのゼブラ球体は消え、代わりに裸で座り込んでいる少年?がいた。
顔はうつむいていて見えないが、黒い髪で身長は160サント程であろうか、なで肩でやや黄色い肌。

「ありゃ、ミス・ヴァリエール先ほどの白黒の玉はどうしたね?」
「それがいきなり消えて、代わりにこの子が……」
「へっ!」

コルベールは、我ながら間抜けな声を出ししてしまったな、と思い。すぐさま、

「うーん、仕方がない、ルイズその少年にコントラクト・サーヴァントを行いたまえ」
「えっ、……でも平民です。いやそれ以前に、人間です」
「決まりは知っているね。二年生に進級する際、君たちは『使い魔』を召喚する。君も承知しているだろう?」

 ぐ、とルイズは詰まる。それが成せねば退学。それ故に、この召喚の儀式には誰よりも重い気持ちで臨んでいた。

「それによって現れた『使い魔』で、今後の属性を固定し、それにより専門課程へと進むんだ。
一度呼び出した『使い魔』は変更することはできない。何故なら、春の使い魔召喚は神聖な儀式だからね。 好むと好まざるに関わらず、彼を使い魔にするしかない」

一息ついて、コルベールは続けた。

「これは伝統なんだ。ミス・ヴァリエール。彼はただの平民かも知れないが、呼び出された以上、君の『使い魔』にならなければならない。古今東西人を使い魔にした例はないが、春の使い魔召喚の儀式のルールはあらゆるルールに優先する 」

「でも!平民を使い魔にするなんて聞いたことがありません!」

その悲痛交じりの一言に、周りの同級達がどっと笑い出した。 ルイズは連中を睨みつけるが、それでも笑いは止まることはない。その様子に、コルベールもほかの生徒たちをたしなめる。

「君たち、笑うのをやめたまえ!神聖な儀式の最中ですぞ! さて、では、儀式を続けなさい」
「えー……この平民と?」

ルイズは、眉をしかめ、いかにもいやそうな顔をする。

「早くしたまえ!次の授業が始まってしまうじゃないか。君は召喚にどれだけ時間をかけたと思っているんだね?何回も何回も失敗して、やっと呼び出せたんだ。いいから早く契約したまえ」

憂いを含んだ声で、コルベールはルイズにそう諭した。

ルイズは、あきらめ、うつむいている少年に呼びかける。

「ちょっとあんた、どこの平民、……ちょっと、聞いてんの!?」

ところが、少年に何の返事も反応もない。いぶかしく思い、近づいて少年の頭髪をつかみ顔を持ち上げると、……寝ていた。

「起きろ―――!!!!」

少年は、うっすらと目を開け、ルイズを見た。

「……」

少年は目覚めたようだが、無表情にこちらを見ているだけで反応らしい反応をしない。

「おーい、目ぇさめたぁ!」

ルイズはもう笑われる事に関してはあきらめた。それよりも早く済ましてしまおうと思い定める。

「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール、五つの力を司るペンタゴン。この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」

契約の呪文をやや投げやりに唱え、まだ寝ぼけマナコの少年の額につえを置く。そして、キス。

「……終わりました」

ルイズはコルベールへ向き直る。

「サモン・サーヴァントは何回も失敗したが、コントラクト・サーヴァントはきちんとできたね」

嬉しそうにコルベールは肯いた。これでルイズは進級できる。

「相手がただの平民だから契約できたんだよ」
「そいつが高位の幻獣だったら、契約なんかできないって」

 何人かの生徒が笑いながら言った。

「バカにしないで!わたしだって、たまにはうまくいくわよ!」
「ほんとにたまによね。ゼロのルイズ」

 見事な巻き髪を持った女の子が、ルイズをあざ笑う。

「ミスタ・コルベール!洪水のモンモランシーが私を侮辱しました!」

「誰が洪水ですって!わたしは香水のモンモランシーよ!」
「あんた子供の頃、洪水みたいなおねしょしてたって話じゃない。洪水の方がお似合いよ!」
「よよよ、よくも言ってくれたわね!ゼロのくせに…!」
「こらこら、貴族はお互いを尊重しあうものだ」

いきなり諍い始めた二人を、コルベールが宥める。

その時―――――、

「ぐあああああああああああああああああああ……」

呼び出した少年にルーンが刻まれる、それは焼き火箸を押し付けられるような痛みなのだ。どうしようもない痛みに、苦しみのた打ち回る。

「あああああああああああああああ……」

裸で転げまわる自分の使い魔になる少年を見苦しく、またみっともなく思い。ルイズは苛立たしい声で言った。

「すぐ終わるわよ。 まってなさいよ。 『使い魔のルーン』が刻まれてるだけよ!」

しかし、通常数秒で終わるはずのその痛みは、中々治まる様子を見せない。

「いかん、このままでは精神に異常をきたす、水系統の諸君、こちらに来てくれたまえ」

コルベールは、今もなお苦しみ続ける少年に近づこうとした。そう、近づこうとしたのだ。
だが一定の距離から透明の壁の様な物に阻まれどうしても近づけない。そうこうしているうちに、いきなり壁は消え、見ると少年は気絶していた。

「はぁ~どうしましょ、これ」
「ミス・ヴァリエール、ちょっとその少年を見せてもらえるかな」

そう言ってコルベールは、その少年に刻まれたルーンをまじまじと見た。

「ふむう、珍しいルーンだな、ミス・ヴァリエールちょっと写しとるから、待っていてくれたまえ」

そう言って、先ほどの指示により、集まっていた7~8人ほどの学生たちの一人に声をかけた。

「ミスタ・コレッキリ、来てくれたまえ」

呼ばれたのは、集まった水メイジの中では優秀とされるラインメイジの少年。

「はい、どれどれ、えっ、……ミスタ・コルベール」

少年は何かに驚いて、声を上げた。

「何かね、コレッキリ君」
「すいません、今日はどうも調子が悪いようです。……コントラクト・サーヴァントのせいで疲れてるのかもしれません」
「ふむ、具体的には?」
「彼の、容態が読み取れません、私の『治癒』も『診断』も入っていかないんです」
「仕方が無い、誰かほかの者を……」
「では私が」

とは、先ほどルイズと口喧嘩をしていた少女が進み出た。

「うむ、たのむよ」

だが、こちらもお手上げのようだ、しばらく呪文を唱えた後、コルベールを見て首をふった。

「もうしわけありません、コルベール先生」
「なんと君もか!仕方が無い久しぶりに軍隊式でやるか」

そう言った後の彼の行動は、少年を仰向けに寝かせ、手首を軽く握ったり、胸に耳を押し付けたり、まぶたを手で無理やり開いたりと何のためにするのか学生たちには良くわからない行動だった。……ややあって、

「命に別状は無いな、おっと忘れるところだった、……まあこれも決まりだからね」

コルベールはルイズに目配せをして、ルイズがうなずくと「ディテクトマジック」と呼ばれる探知魔法をかけた。

「パターン・オレンジ、不明か、(まあ、問題あるまい) ミス・ヴァリエール待たせたね、きみの使い魔だ、ああ、また忘れるところだったルーンのメモメモ、……ふぅ、これでよしと」
「あの、目を覚ましません」
「心配はいらんよ、ミス・ヴァリエール、彼は眠っているだけだ、さてとみんな、教室に戻るぞ!」

少年は目を覚まさないため、ルイズと使い魔の少年の二人をコルベールは学院までレビテーションで運んだ。




[10793] 第二話 見知らぬ世界
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/09 22:56
夢は見たくなかった。
必ず悪夢になるから。

他人は怖かった。
僕を傷つけるから。

でも誰でもいいから他人に会いたかったんだ。
一人ぼっちの世界はあまりも寂しすぎるから。


第二話 見知らぬ世界


少年は、ゆっくりと目を開けた

「知らない天井だ」

少年は、どこか知らない部屋のベットで目覚めた。ややあって、今までの記憶がいっせいに襲ってきた。

(そうだ、ボクはどこかの草原で、アスカに……いや違う、にてもいない女の子だった。そしていきなりキスされたんだ。そしたら全身が熱くなって、全身を焼かれたように痛みが襲ってきて……)

「目ぇさめた?」

ふっと声のしたほうを見ると、先ほどのキスの相手だった。

「君は?」
「そっちから名乗りなさいよ!」
「ご、ごめん、ボクは碇シンジっていいます」

シンジが名乗るとルイズは、いやそうな顔をして言った。

「それ、本名?」

シンジが頷くと、ルイズは眉をひそめ、盛大にため息を吐いた。

(なんだ、なんだ、なんで名乗っただけで呆れられるんだ?)

不思議に思い問い質すと。

「本当に知らないの?イカリ・シンジは精霊の英雄、泣き虫の勇者。命と魂を削り人と世界を救った。……まあ御伽噺の主人公の名前よ。 あんたの両親はちょっとアレな人たちだったみたいね」
「うーん」

シンジは、ひさしぶりに両親のことを思い出すと一概に否定できなかった。
父親は、母に会うためにだけ、人類を滅ぼした。母はよく知らないが人類の墓標になるためエヴァに残った、そして宇宙に飛んでいった。……よくわからない。

「まあいいわ、ところで、起きたんならそろそろ、ベットから降りて」

シンジは、そういわれて初めて、部屋の主のベットを占領していることに気が付いて、あわてて上半身を起こしそこから出た。体には身に覚えの無い服を着ていた。

「この服は?」
「使用人の作業着をもらってきたの、素っ裸のほうがよかったかしら」
「は、裸、いや、ありがとう」

シンジは今の会話に微妙な違和感を覚えた。

「あの、えーと」
「そうそう、自己紹介がまだだったわね。あたしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。知っていると思うけど、かのヴァリエール公爵家の三女よ。 私を呼ぶ時にはご主人様、わかった!?」

またも、違和感を覚える。

「あのー、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールさん、」
「いきなり、フルネームで呼ぶな!それとご主人様!」

こう言う場合、逆らわないほうがいい事を遺伝子に刻み込まれているシンジは、

「はい、ご主人様、質問があるのですが」
「ん、特別に許すわ!言って見なさい」
「ここはどこなんですか?それに今はいつなんですか?あなたが、ボクのご主人様ってどういう事ですか?……そして……人は社会は復活したんですか?」

と、まくし立てた。

「い~い、シンジ、ここはハルケギニアにその名も高いトリスティン魔法学校。今はブリミル暦6214年4月3日。 あんたはあたしの召還に応じ召還の鏡をくぐった。あたしはあんたに契約の呪文を唱えた。 その結果あんたには『あたしの使い魔のルーン』が刻まれた。ご丁寧に右手、左手、の二箇所に、胸にもなんか書いてあるけど、それはあたしじゃないわよ」

シンジは両手の甲を見た。
忌まわしい記憶のもと、刻み込まれた聖痕よりも少し手首近くに、見たことも無い文字が書かれている。そして服をたくし上げて胸を見ると、そこには、見慣れたローマ文字で『リリン』と書かれていた。手の甲に刻まれた『使い魔のルーン』とやらは、火傷のように刻まれている。
胸の文字はどこかマジックか何かで書かれているように見える。

「人と社会が復活?ってどういう意味?」
「サードインパクトが起こって……」
「さーどいんぱくと? 聞いたことないわ!」
「そう……ですか」

考えてみれば、あの赤い世界でシンジは数百年ほど過ごし、あまりの辛さに意識を遮断し眠ってしまっていた。アレから、どのくらいたったのかわからないが、彼女の言い分を信じればこの世界、この国の歴史が始まって6千年以上経っていることになる。人類やほかの生物がいったいいつ、あの赤い海から帰ってきたのかは解らないが、下手をすれば、数万年を眠ってすごしていてもおかしくは無い。

「さーどいんぱくと、ってなに?」
「サードインパクトです、大災害です……」

シンジはそれっきり、口をつぐみ、その事についてはしゃべろうとはしなかった。

「んん、まあいいわ、こんどはあんたの事を教えてよ、どこの平民」
「日本って言って解りますか?そこの第三東京市出身です」
「ぜんぜん解らない、どこの田舎よ?」
「いえ、ボクの生まれた国です。あ~ご主人様、地図ってありますか?あったらちょっと見せて欲しいんですが」

ルイズは請われるままハルケギニアの地図を探し出す。

「すいません、こう言う地域限定の地図ではなく、世界地図をお願いします」
「えっ、なによそれ、これが世界のすべての地図よ」
「ええ、だってこの右側にも相当な広さの土地が広がっているはずじゃないですか!」
「はっはーん、解ったわシンジ、あなたロバ・アル・カリイエから来たのね」
「ロバ・アル・カリイエってなんでしょう?」
「この地図の右側、つまり東側はエルフの土地よ。そしてエルフがどれほどの国土を自分の物としているかわからないけど、ここから先は未知の世界、それらを総称してロバ・アル・カリイエって呼んでいるの」

そこでルイズは、あることを思いついた。

「ねえ、シンジあなた、世界全体の形というか、この地図の右側が書けるの?」

それは、見たところ、ヨーロッパの土地に見える。 ロマリアと書いてある土地はイタリアだろう。
すると、ガリアに相当するのがフランスとスペイン。 ゲルマニアはドイツ、ポーランドを含むその他のヨーロッパ全土ということになる。アルビオンと書かれた海の向こうの土地は少し形が変だがイギリスか。

「うろ覚えでよければ、たぶん全体を描けます。あ、紙と書くものを貸してもらえますか」

ルイズは、新しく珍しい知識を持つこの使い魔をだんだんと気に入ってきた。以前、授業でならった、『メイジの為にならない使い魔は、基本的に召還されない』というのをルイズは思い出した。

(けっきょく、魔法の使えない私に、其れなりにあった使い魔が召還されたということかしら、顔だってよく見ればかわいいし)

ルイズは机から羊皮紙とペンを取り出しながら、そんなことを考えていた。

「あのー、ルイ……ご主人様、」

どうも、知らない女性にご主人様というのは言いづらい。

「まあ、ルイズ様でもいいわ、なに」
「ありがとうございます、ここはトリスティン魔法学校だって言いましたよね」
「そうよ、そしてあたしはここの生徒」
「ま、魔法学校と言うことは、魔法を教えているんですか」
「当然よ! まさか魔法を知らないわけじゃないでしょう」

なにを、当たり前のことを言っているんだ、といわんばかりの口調だった。

「もしかして、もしかして。ルイズさんは魔法使いなんですか?」
「この国じゃ、メイジって言うのよ、あんたの国じゃなんて呼んでいるの」
「い、いやボクの国には魔法使いはいないんです」
「へっ、それじゃどうやって、国を支えているの」
「科学が発達していまして主にそっちの方で……」
「カガク、なにそれ」

シンジは、“いやいや、ここに科学が無いわけないな”と思い返し、機械化文明を説明した。

「はっふう、デンキ、モーター、エンジン、魔法を使えない人たちの、いいえ、使わなくてもいい世界ね!ちょっと憧れちゃった……それで、シンジはそのカガク使いなの」
(やっぱり、良く分かってないな)
「いいえ、ボクは……」

そこから、シンジは淡々と、自分は科学で作られた最強の兵器の使い手でそれがパイロットということ。「シト」と呼ばれる、スーパーモンスターが攻めてきたこと。それを自分を含めた3人で退けていたこと。最後に、どこからか飛来した同じ兵器にやられてしまい、国が(ほんとは世界中だが)全滅し自分だけが生き残ってしまった事。それからずっとひとりで生きてきたことなどを話した。
辛い記憶だが、久しぶりに人と話せる事の快感がそれを忘れさせた。

「まるっきり、御伽噺ね、あっ信用してないわけじゃないのよ!」

ルイズはあわてて付け加えた。

「いいえ、何の証拠もありませんし、信用してもらおうとは思いません。それにボクは……」

シンジは自分の身に起こった事。あの日、神の依り代にされた事で、人の身のまま、力の実、命の実を宿してしまい、人ならざる力を、決して望んだわけではない強大な力を得てしまった事は伏せた。それはとりもなおさず、この少女を怖がらせたくは無い、嫌われたくは無いと思う気持ちが自然と出てしまったゆえであった。

「ところで、ルイズ様、使い魔ってなんですか?」
「メイジが使役する動物や幻獣のことよ。あたしたちメイジは彼らの生活、食事なんかを保障する、その代わりに使い魔たちはメイジのパートナーと成り、メイジに付き従う」
「ふーん」
「“ふーん”って、あんたわかってんの、あんたがあたしの使い魔になるのよ」
「いや、よくわかってませんが、ルイズさんこそ僕なんかが使い魔でいいんですか?僕はどう見ても人間ですし……」
「しょーがないじゃない、“春の使い魔召喚の儀式のルールはあらゆるルールに優先する”のよ。
それで、あんたが来ちゃったんだから、あたしはあんたを使い魔にするしかなかったのよ」
「仕方ない、ですか……」

それきり、シンジは俯き黙り込む。

「まあ、あんたもあきらめなさい。あたしはもうあきらめたから。さっきの話じゃ国に帰るのも大変そうだし、帰ってもあんまり意味ないでしょう。あたしもあんたがいないと困るのよ、主に進級的な意味で。それにまあ、ご飯ぐらいは保障するわ」
「ご飯!!」

それを聞いたシンジは、とたんに顔を上げた。無理も無い、サードインパクト以降、しばらくは食べ物もあったが、すぐに無くなり、口にできるのはすべての生物が溶けた赤い水だけ、たまに濾過した水も飲むがそれだけである。

「あら、元気になったわね」
「いや、ご飯ですよね、今確かにリリンの生んだ文化の極み、ご飯って言いましたよね。使い魔やります。いやぜひ使い魔にしてください」
「なあに、そんなにお腹空いているの?晩御飯は終わっちゃったから、次は明日の朝よ」
「そうだ、ルイズ様、使い魔って何をすればいいんですか?僕はこう見えても家事全般料理洗濯なんでもできますよ」

「それは、メイドの役目だろう」と言いたかったのをグッとこらえ。

「そうね、まず代表的なもので、主人の目となり耳となる。感覚の共有っていうのがあるわ」
「感覚の共有?」
「要するに、あんたの見たもの聞いたもの、わたしも見たり聞いたりできるってこと。……けど、だめね。何も見えないもの。平民だからなのかしら?」
 
ルイズは既に幾度も試したのだろう。嘆息交じりにそう告げてきた。

「はあ」

シンジは気の無いそぶりを見せているが、内心ほっとしている。それはそうだろう、いくら体感時間で数百年ぶりに会えた人とは言え、自身にもプライバシーというものがあるのだ。

「で、次に使い魔は、主人の望むものを見つけてくるの。例えば秘薬とか」
「なんですそれ」
「特定の魔法を使うときに使用する触媒よ。硫黄とか、コケとか……」
「うーん」
「これも、無理っぽいわね」
「難しいかなぁ」

やはり使い魔としてはいまいち使えないようだ。

「そして、これが一番なんだけど……使い魔は、主人を守る存在でもあるのよ、 その能力で、主人を敵から守るのが一番の役目……そういやあんた、ぱいろっと? だったんでしょ!」

と、いいつつも先ほどの話の中に出てきた、シンジの操るスーパーゴーレムが無いことを思い出した。しかし、彼はニッコリ笑って。

「解りました、精一杯努めさせていただきます」
「冗談よ、あなた犬にも負けそうじゃない」
「え~大丈夫ですよ、こう見えてもけっこう強いんです」
「はいはい、それよりも書き終わったかしら、『世界地図』」
「あ、ハイどうぞ」

シンジの書いた世界地図は、大雑把ではあるがそれなりに正確なものだった。ただし、両アメリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸を除き。 しかもメルカトル図法で書かれているため、(大して正確ではないが、よく見る機会が多かったためこの書き方にした)極点に近づくにつれ面積が大きくなる。シンジは、だからこの地図は面積は正確ではないといったのだが。ルイズはそれならば、なぜわざと、不正確に描くのかとあまり納得はできなかった。

「えっ、この世界って丸いの!」

別段、ハルケギニアで世界の考察が禁止されている訳ではなく。それを観測できないほど技術が低いわけでもないのだが。その認識は一部の学者のものであり、まだまだ一般には浸透していないのだ。したがってルイズの常識では「玉の下にいる人間は落っこちるんでは?」ということになる。なかなか信用しないルイズに、シンジもけっこうな時間をかけ、重力や万有引力のことなどを説明していった。

実家では、厳しい母と父に疎まれ、できのいい姉達と比較され、学院においては、落ちこぼれ、果ては『ゼロ』と蔑まれて来たルイズだった。当然の様に、入学して1年間、彼女には友達と言うものは出来なかった。名門の貴族である、と言う事実はルイズにとって呪い以外の何物でも無かった。
であるがゆえ、かわいくて、優しく、知的で、物知りな少年との会話は、決して大げさではなく生まれて初めてと言って良い様な楽しい時間だった。

(彼を大事にしよう、私の始めての魔法の成功の証、ひょっとしたら最後かもしれない私の始めての友達)

その楽しい会話は、夜遅くまで続いた、

煌々と輝く二つの月に、
使い魔が、気づかないまま。













遅くまで話し込んでいて、ルイズは眠くなってしまった。

「シンジ着替えるから、ちょっと出てって」

そういってから、はたっと思いだしたのがシンジの寝る場所が無いことだった

シンジ自身は、「床で寝るからお構いなく」といったのだが、さすがにルイズもこの幸薄そうな少年を犬のように床に寝せるわけには行かない。もちろん使い魔としてはいろいろやってもらうつもりだったが。

「よ、よし一緒に寝るわよ、シンジ」
「はい」

と、返事をしたシンジだったが、まさかベットのこととは思いもよらなかった。

「ルイズ様、さすがにそれは……」

そこからしばらく押し問答を続けたが、伝家の宝刀「ご主人様の命令よ」が出された時点でシンジに勝ち目は無かった。
ふたりして、かちこちとしながら、ベットに入るとシンジは、いきなり真剣な目を向けてきた。

「ルイズ様、お願いがあります」
「ななな、なあに、き、き、キスとかはダメなんだからね」
「ち、ちがいまう」(誤字に非ず)
「……ルイズ様、ボクの手を握ってて欲しいんです」
「手を握るって……」
「……ボクは、ルイズ様に呼んでいただいて……今とても幸せです……ですがあまりにも幸せすぎて……これが夢で……また目を覚ましたら……一人ぼっちのあの世界で、あの赤い世界で……ボクは本当は……これがただの幸福な夢を見ているだけで……ひとりぼっちの僕は、赤い海をひとりで……いやだ……あの世界に戻るのは……もう……」

体はがたがた震えだし、明らかに尋常な様子ではない。終わりの声は嗚咽でよく聞こえなかった。ルイズはその様子を見て眉をひそめる。この少年は、いったいどれほどの地獄を見てきたのか。いったい何年、たったひとりで生きてきたのか。ルイズには想像もできなかった。

(ルーンには洗脳効果のほかにも精神を安定させる効果もあると聞いたことがある。目が覚めていて気持ちがはっきりしている時は、ルーンの効果がはっきり現れ、たとえば、蛙の使い魔が蛇の使い魔に出会っても、襲わないことが判っているかのようにあわてない、犬、ネコ、ねずみなど例外は無い、使い魔同士は主人がそれと、命令を下さなければ、お互い相争うことはしないのだ。
だが、今のように眠る寸前、意識が混沌とし始めると、ルーンの対精神作用効果も薄れ、忘れていた本能の様なものが目を覚ますのではないか、シンジの場合はそれがトラウマであり忘れていた辛い過去なのだろう。
よく考えれば、今までの彼の冷静な態度が異常だった、普通なら「使い魔」などという、下手をすれば平民の奴隷以下に扱われる可能性もあるのに、「メイジのパートナー」などというのは人にとってはおためごかしであり、使う側の欺瞞だ。
それはたとえば、犬や猫、いや、ドラゴンであろうとも厳しい自然の中で生き抜くことを考えれば、メイジの庇護の下、暮らすと言うのも有りかも知れないが、人であれば食事のみで、時には命すらかけねばなら無い「使い魔」と言う身分、もちろん私は彼にそんな扱いをするつもりは無いが。
それに、あたりまえだが彼にはこの世界での常識がほとんどなかった。それでも召還されて「幸福だ」なんて言えるなんて。あの召還時、彼に意識はなかった。
つまり、私の召還に自ら納得して来てくれたわけではなく、ほとんど事故のようなものだったのだろうに。
疑問はまだある、あの謎のゼブラ球体、あれはいったいなんだったのか、彼を幽閉する檻なのか、それとも、彼の「ぱいろっと」としての力の一部だったのだろうか?)

考えが、まとまらない。

ルイズはそこまで考え、シンジを引き寄せると、無言で抱きしめたのだ。ルイズの腕の中で、今もシンジは小さく震えている。

「シンジ泣かないで、もう一人ぼっちじゃないわ」

それが聞こえたのか、聞こえなかったのか、気が付くとシンジは寝息を立てていた。ルイズは、それを確認すると黙ってシンジの手を握る。それから、小さく杖を振り部屋のランプを消したのだ。





[10793] 第三話 2日目 その1 疑惑
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/09 22:51





第三話 2日目 その1

シンジが目覚め、最初に目にしたのがご主人様の鎖骨だった。 昨日のことが夢ではなかった事に、安堵を覚え、まだ夢の中にいるご主人様を起こさないようにそっと、ベットから降りる。
顔を洗おうと、部屋の中を見渡すが洗面所のような設備は無さそうだ。

(とすると、外にあるのかな)

しかし下手に部屋を出てルイズに心配をかけるわけにもいかない。 ベットの中で寝息を立てて、よく眠っているご主人様を起こすのも忍びない。 シンジは持ち前の優柔不断さで、結局ルイズの寝顔を観察していた。

(はぁ~、きれいな人だな) 

不意に、昨日寝る前に自分のしでかしたことを思い出し顔を真っ赤に染め上げた。

(こんな、女の子になにをやってんだボクは)
 
シンジは今またルーンの精神沈静化作用が効いているのか冷静に考え込み始めた。

(とにかくこのご主人様には迷惑をかけないようにしなくちゃ。それにしても魔法使いの女の子か、どんな魔法が使えるのかな?)

起きた時に、すでに顔を見せていた太陽がその高度を上げ始め、ドアの向こうに人の気配がし始めていた。

「ルイズ様、ルイズ様、朝ですよ!そろそろ起きたほうがいいですよ」
「ふにゃふにゃふにゃふにゃふにゃ、むふふん、むふふん、ぐー」
「いやいやいやいや、ご主人様、ご主人様、皆さんもう起き出していますよ!」
「はえ?そう。ってあんた誰ぇ!」

ルイズは寝ぼけた顔で怒鳴った。 シンジはちょっぴり傷ついた。

「ルイズ様の使い魔、碇シンジです」
「あ、ああ、そうだったわね、おはよう、ふぁ~あああ」

ルイズは起き上がると、あくびをした。

「ルイズ様、おはようございます。 とりあえずボクはなにをしたらいいでしょう?」
「そうね、服を取ってくれる」

昨日、寝る時に着替えた制服をルイズは椅子にかけて置いた筈なのだが、シンジが差し出したそれはちゃんと、ハンガーにかかり、ブラシもかかっている。 シンジの見事な、環境適応能力の現われであった。

「よ、よくやったわ、シンジ」
「とんでもありません、使い魔としては当然のこと」

シンジはノリノリであった。

「さあ、朝ごはんよ」
「はい」




ルイズと部屋を出ると、燃えるような赤い髪の背の高い女の子を筆頭に、3名の女の子とひとりの男子が待ち構えていた。ひとりは見事な巻き毛の女の子。もうひとり、ふたりの後ろに隠れるように短髪で眼鏡をかけた、蒼い髪の女の子が見える。

「なによ、キュルケ、モンモラシー、ギーシュまで朝っぱらから」

つい、とルイズの横に立ったのは、金髪の巻き髪にフリルのついたシャツを着た、見るからに気障っぽい男子だった。キュルケと呼ばれた女性は、ちょっと難しい顔をしていた。 しばらくルイズの顔を見てからおもむろに、こう切り出した。

「おはよう、ルイズ」

だが、相変わらず顔は難しいままだ。 ルイズはいきなり普通に挨拶されて面食らったが、それでもいやそうにではあるが挨拶を返した。

「おはよう、キュルケ」
「昨日、あの後教室に帰ってこなかったわね」
「あたしの使い魔が、気絶したまんまだったのよ、しょうがないじゃない」
「でも、今は目を覚ましたのよね」
「ええ、ご覧の通り、さあシンジ、ごあいさつなさい」

今まで、シンジはルイズの背中に隠くれるように立っていたが、一歩前に踏み出すと、片ひざを着き両手を胸で組んで挨拶をした。

「ルイズ様のご学友のみなさん、おはようございます。縁在ってルイズ様の使い魔になりました。
ロバ・アル・カリイエより来ました。シンジと申します。どうぞお見知りおきを」

ちなみにこれは昨晩ルイズと打ち合わせていた行動と台詞である。本当なら教室で行うはずだったのだが。

「シンジなに?」

どうやら名前を聞いているようだ、だが昨日聞いた限りではイカリ・シンジの名はまずいだろう。

「ただのシンジです」

キュルケは「そう」と言ったきりふいっと、ルイズに向き直った。

「ところでルイズ、お願いがあるのだけれど」
「なにかしら?キュルケ」
「昨日の出来事は覚えているわね」

そういわれても、昨日は召還の儀式があって、最後にシンジが気絶してコルベール先生に部屋まで運んでもらった後は、しばらくシンジの看病をしていただけである。

「その召還の儀式の際、あなたは最初に白黒まだらの玉を呼び出したわ」

そう確かに、ルイズもそれなりに心に引っかかっていたことではある。

「あれは、精霊の神話にある、イカリ・シンジとその仲間が倒した、十五体の破壊の天使、その一体に酷似している」

そういったのは、今まで黙っていた青い髪の女の子。

「タバサ、あなたまで」
「僕らは、君が何か危険な幻獣を呼び出したんじゃないかと心配しているのさ」
「神話ぁ、危険な幻獣ぅ、おまけに破壊の天使ですってぇ。それが現代に生きる文明人の言うことなの?そんなことあるわけ無いでしょ! 朝から何の話かと思えば!」
「そ、それ本当ですか?レリエルが現れたんですか?」

ルイズの台詞をさえぎってシンジが叫んだ。

「「「「れりえる?」」」」
「精霊の神話に出てきた破壊の天使には、単に番号がふってあるだけ、第三使徒、第四使徒というように、あなたが言った『れりえる』とはなに?」

シンジは黙ってしまった。

「だんまりか、まあいい。ルイズ、先ほどの頼みだが、いいかな」
「なによ、言うだけいって御覧なさい」

そうはいったが、4人がなにをするつもりか予想はついていた。「ディテクト・マジック」だ。
それも、土・水・火・風の4人が揃っていれば、レベルに関係なく大概の魔法は探知してしまうだろう。 ルイズとしては、気になっていた事項ではあり、そのうちに実家に頼みやってもらうつもりではあった。 ただ問題は…。

「君が呼び出した彼にディテクト・マジックを使わしてもらいたい」
「見ての通り、種族的にはただの人間よ、彼はね知識がすごいのよ、そこらの平民扱いは私が許さないからね!それと、精霊の神話の第十二使徒は確か、百メイルから二百メイルはあったと記憶しているけど、それに、あの話では本体は実は影で、上空に見えていた球体が影だったはずよ!あたしは当然、下に居たんだから影に飲み込まれて今頃ここにいないはずよ!
ううん、確か本体の影は六百メイルだったはず、あんなファンタジーを信用するなら今年の召還試験者はみんな全滅ね!」

シンジは眉を顰めながらその話を聞いていた。

(ドンだけ詳しいんだ、その水の精霊さんは、ネルフの極秘情報ダダ漏れじゃないか?!)

「わかっている、ミス・ヴァリエール、此の事の発案者は私。ほかの3人は私が無理を言って来てもらった、責任は私が取る」

そうこともなげに言ったのはタバサだ、だがこの発言に異を唱えた者がふたり。

「あら、タバサ私を仲間はずれなんて、ひどいんじゃない。あたしも好きで来ているんだから、責任者よね」
「ルイズ、まことにすまないと思うが、僕も彼女に同意見だ」

モンモランシーは黙っている。ルイズは朝から現れた4人を見つめた。

ルイズはこの読書好きの少女、タバサを嫌いではない、
好きと言えるほど付き合いは無いし、授業以外ではたまに図書館で会うぐらいの接点しかないが、座学において、自分と張り合えるのが彼女くらいである事、実力においても風と水のトライアングルの持ち主でいながら、それを鼻にかけるようなまねを一切しない所が気に入っている。

集まった中で唯一の男子、ギーシュ・ド・グラモンは実力においては土ドットながら、その対人戦闘力は高く授業の模擬戦においても、かなり上位に入り、小さな細工物なんかも得意で、女の子への気配りが抜群にうまく、家柄的にはグラモン元帥の息子で、おまけに、顔が良い。入学したての頃、ちょっと憧れていた時期もある。

キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは留学生だ。
火の魔法を得意とする優秀なトライアングルメイジだが、彼女の実家のツェルプストー家は、ルイズの実家であるヴァリエール家と国境を挟んだ隣にあり、トリステイン・ゲルマニア両国の戦争ではしばしば杖を交えた間柄である上、ヴァリエール家の恋人を先祖代々奪ってきたという因縁がある。ついでに、部屋もとなりである。
ルイズがもっとも苦手とする相手だ。

モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシは水系統の魔法を得意とする。
ルイズの知る限りにおいては、一番の成長株だ。 まだドットのはずだが、ラインにもっとも近いドットの一人といわれている。 彼女は学業はそこそこだが、実家の事情のせいか、香水や秘薬の生成のセンスが良く、同級生の中では優秀とされるひとりである。 やはりルイズとは仲が悪い。

よくもまあ、これだけルイズの苦手とする人物ばかり集めたものだと感心してしまう。

さて、タバサがこんなことをしたのにはそれなりの事情がある。 ルイズが先ほど言ったことなどタバサにとっても、自明である。 実はタバサの使い魔は『風韻竜』である。 シルフィードと名づけたそれは、自らの先住魔法で姿を変えることができる。人二人が乗れる大きさの竜が人間になれると言う。 系統魔法からすれば常識を無視したトンデモ魔法である。 
さすがに伝説だろうと思っていたが、だめもとで命令したらあっさり人間になってしまった。 それを、目の当たりにしたタバサはルイズの召還の時のことを思い出したのだ。

「おなかすいたのね!」だの「まずはご飯を食べさせるのね!きゅいきゅい」
などと騒ごうとした、使い魔をひとにらみで黙らせると、図書室に急ぎ、「精霊の神話」の本を探したのだ。

精霊の神話は、ここハルケギニアでは割とポピュラーな部類に入る御伽噺で、
イーヴァルディの勇者が平民に人気がある御伽噺の代表とするなら、こちらは貴族に人気がある御伽噺の代表といえるだろう。

イーヴァルディの勇者の敵がドラゴンであるなら、イカリ・シンジの敵は異形の天使たちである。
イーヴァルディの勇者がたった一人で勇気と知恵と剣で戦うなら、イカリ・シンジは精霊アダムの化身の巨人に乗って、その精神と魂を削りながら多くの仲間と共に戦う。
性格もかなり違う。 イーヴァルディの勇者は決して弱音をはかず、直情的に行動するが、イカリ・シンジは弱音吐きまくりで、最初に戦ったのも、父王やその側近に散々説得されてからだ。
よくポカをしては仲間に助けられることも多い。
そして、イーヴァルディの勇者は作られた話として語られるが、精霊の神話は文字どおり精霊が、それも、ラグドリアン湖の水精霊が本当に在ったこととして語る事を記録したものなのだ。(もっとも精霊の話を聞けるメイジは数少ないが)

常識で考えれば、メイジでもない平民がたった一人で強大なドラゴンを退治する話も眉唾ではあるが、精霊の神話のほうはそれに輪を3重にかけて眉唾ではある。まあファンタジーだと言ってしまえばそれまでであるが。共通点は、敵が恐ろしく強大なこと、そしてそれに勝ってしまうこと。

そして、精霊の神話は尻きれトンボになっていて、最後に飛来した9体の巨人をどうやって倒したのか、それとも倒されたのかが解っていない。
序盤から終盤ぎりぎりまで面白いため非常に歯がゆく、水精霊に聞いても。

「彼は勝った、だからわれわれはここにいる。お前たちも存在するのだ」と言うだけであり。
「こっちは!その!途中経過が!知りたいっちゅーねん!」とは、言えない為、(いや言ったメイジも存在したかもしれないが)長年研究の対象になっている。 ファンの間では、二次創作で決着をつけることも一時、流行ったこともあった。
閑話休題

問題は、水精霊は嘘をつかない事、かなり人間本位な物言いではあるが、少なくとも、嘘をついた、人間を騙したという話は聞いたことが無い。

逆に、人間が水精霊を騙した、あるいは騙そうとして見抜かれて、ひどい目にあった。 という話は、枚挙に暇が無いが。(水精霊は非常に頭が良く、話の矛盾点をすぐに見抜くというが、そもそも水の精霊と話をできるメイジは限られるため、こちらも眉唾である)

つまり精霊の神話が本当である可能性が高く、そうならばあの時出てきた第十二使徒と同じ姿の天使も実在し、このシンジはその化身である可能性が在るという事である。
なにせ、たった一体で全世界を滅ぼすことが可能であるといわれたスーパーモンスターである。
物語のほうも、確か一度主人公が食われている。(最もその後、主人公が中から噛み破り倒しているが)さすがに放置しておくには危険すぎた。

「よほど、緻密な先住魔法で無い限り、これで正体がわかる。それに彼がただの平民だとしても危険な魔法ではない」
「まちなさいよ、あたしの使い魔をそんな風に疑われて「やります」だまって・・・え」

口を挟んだのはシンジだった。

「どうぞ、その魔法をかけてください」
「あんたは黙ってなさい!これはプライドの問題よ。それにあんたが召還された時コルベール先生がすでにやっているわ、こういってはなんだけど、みんなよりよっぽどベテランの先生よ」

つまり、先ほどからルイズが気にしているのは、ひとえにプライドの問題である。

「ミス・ヴァリエール、彼はそのとき気絶して意識が無かった。意識の無い魔法生物や幻獣にディテクトマジックをかけても効果が薄いことが多い」
「ルイズ様。危険は無いのでしょう、それにいつまでもここで押し問答をしているわけにもいきません」

最終的に、ルイズが折れた、かなり怒っていていろいろ条件をつけたが。

ひとつ、まず、食事を済ます。
ふたつ、疑っているのがこの4人だけとは限らないのでクラスメイト全員の前でやる。
みっつ、もし、なにもなければ、タバサはルイズの言うことをひとつ無条件で聞かなければならい。

「ぱっと思いつくのはこんなもんね、どうする」
「ま、食事を先に済ませるのは私も賛成ね」
「その、使い魔君はどうするの」

とは、いままで発言の機会がなかった、モンモランシー。 しかし、言われて思い出した。
昨日からばたばたしていたせいで、彼の食事を頼んでいない。

「もっ、もちろん一緒に食べるのよ」

(頼むのを忘れたな)とギーシュは思い、少々助け舟を出した。

「彼を、アルヴィーズの食堂に入れるつもりかい」
「なによ、文句があるの」
「いやいや、彼もその服装で僕らと一緒では気後れしてしまい、食事を楽しめないんじゃないかと思ってね」

そう言われてシンジを見れば、確かに清潔ではあるが使用人の作業着を着たままだ。ルイズの意地だけで、彼を連れて行けば、恥をかかせてしまうだけに終わるだろう。そこで仕方なくルイズはシンジを食堂の裏の調理場につれて行き、マルトー料理長と話をつけ彼にまかないを出してもらうことにしたのだ。

「それでは料理長,お願いしますね。シンジお行儀よくね」

との言葉を残して、ルイズもさっさと食堂に向かった。




[10793] 第四話 2日目 その2 探知魔法
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/09 22:54




第四話 二日目その2 探知魔法

マルトーは困惑していた。 
さっきまでうまいうまいと涙を流して食事をしていた『使い魔』だと言う少年が急に不安気な顔つきをし始め、急にあたりをきょろきょろしだし、ついにはこんなことを言い始めたのだ。

「あれ、えーと、マルトーさん、ルイズ様はどちらに行かれましたか?」
「あの貴族様なら、まだ食事中だろ。それよりこっちのサラダも食べてみな、取れたてのハシバミ草がアクセントだ」
「いえ、ボクはルイズ様のおそばに居ないといけないんです。 申し訳ありません、ご馳走様でした」

そう言ってペコリと頭を下げると、シンジは調理場の裏口から出ていってしまった。

「なんだなんだ、いったい」

そうマルトー料理長はつぶやいた、調理場の見習いやベテランのコック、それにときどき入ってくるメイド達も含めてこの少年に興味津々であった。それは、彼が今学院を駆け巡っている『噂』の人物だからだった。 ルイズは、「私の『使い魔』に食事をお願いしたい」としか言っておらず、詳しい説明は無かった。 別に、そんな必要も無い物ではあるが。




いまだ不案内の学院内を不安そうに歩き、シンジはひたすらルイズを探していた。 わかっていれば、すぐ近くなのだが。 
すると、後ろからいきなり声をかけられた。

「どうしたの?」

振り向くと、大きな銀のトレイを持ち、メイドの格好をした素朴な感じの少女が、心配そうにシンジを見つめている。 カチューシャでまとめた黒髪とそばかすが可愛らしい。

「なんでもありま……ルイズ様を探しています」
「あなたもしかしたら、ミス・ヴァリエールの使い魔になったって言う……」

彼女はシンジの両手に描かれたルーンに気づいたらしい。

「ボクを、知っているんですか?」
「ええ、何でも召還の魔法で、古代の魔獣を呼んでしまって、いきなり人間に化けたとか。召還の魔法がうまくいかなくて、手品をつかって誘拐した子供を使い魔の代わりに仕立て上げたとか。ほかにもスキルニル(魔法人形)だとか……エトセトラ……エトセトラ」

シンジはそれらを聞いて頭を抱えた。

(いい噂がひとつもないじゃないか)

しかし、おかげで急に冷静になった。

(なんで、急に会いたくなったんだろう?)

それはさておき、目の前の女性である。

「あなたもメイジですか?」
「いえ、私は平民です。あなたと…うっうん。貴族の方々をお世話するために、ここでご奉公させていただいているんです」

彼女は「あなたと同じ平民です」という言葉を飲み込んだ。まだ、彼のことが良くわかっていないのに平民と断ずるのは危険と判断したためだ。

「そうですか、ボクはシンジといいます、これからよろしくお願いします」
「まあ、とってもいいお名前ですね、私はシエスタって言います。ところで」

そう言うとシエスタはシンジに顔を近づけ、そっと耳うちするように聞いた。

「さっきの噂はどれが本当なんです?」

シンジは、(本人に聞かないでよ)とは思ったが、先ほどキュルケたちに述べた口上を同じように披露した。



「……まあまあ、ロバ・アル・カリイエから、それはそれは遠いところからようこそシンジ様」
「『様』なんてやめてください、ボクは貴族じゃないし、ここの国民じゃないから平民ですらないんですよ」
「まあ、ごめんなさい、では、なんとお呼びすれば?」
「ただ、シンジでいいです、シエスタさん」
「私も、シエスタでいいですわ、シンジさん」
「ありがとう、シエスタさん……急には無理ですね、女性を呼び捨てにするなんて」

シンジは相変わらずヘタレだった。

「うふふふふふ、私もですわ」

と笑うシエスタにいたたまれなく成なったシンジは、食堂はどこか聞いてみた。
シエスタは笑って「こちらですよ」と、案内をしてくれた。

貴族の食事中に、食堂に入るのはまずいと忠告されたシンジは、入り口で待つことにした。
しばらく待っていると、早々と食事を終えた生徒たちがぞろぞろと出てきた。
すると、先ほどルイズの部屋の前に居た4人のうちのひとりが友人たちと共に出てきた

「なあ、ギーシュ!お前、今は誰と付き合っているんだよ!」
「誰が恋人なんだ?ギーシュ」

彼はすっと、唇の前に指を立てニヤっと笑った。

「付き合う?僕にそのような特定の女性は居ないのだ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」

(うわぁー、自分を薔薇に例えてる。ちょっとイタイ人だ)

シンジは、あまりお近づきになりたくないなと思い、そっとその場を離れようとした。 そのとき、ギーシュのポケットから何かが落ちた、ガラスでできた小瓶である。 いくらなんでも放っておく訳にもいかず、シンジはギーシュに言った。

「貴族様、落し物です」

しかし、ギーシュは振り向かない。 仕方なくシンジはギーシュの服の一部を軽く引っ張りながら、再び言った。

「あのー、貴族様」

そこまでされては、ギーシュも振り向かないわけにはいかない、煩わしげな表情でシンジを見つめるとその小瓶を押しやった。

「その小瓶は、ボクのじゃ無い!君はなにを言っているんだね?」

その小瓶の出所に気づいたギーシュの友人たちが、大声で騒ぎ始めた。

「おお、その香水はもしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」
「そうだ、その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分のためだけに調合している香水だぞ!」
「そいつが、ギーシュ、お前のポケットから落ちたって事は、つまりそう言うことですね、わかります」
「違う、いいかい!彼女の名誉のために言っておくが……」

ギーシュが何か言いかけた時、茶色のマントを着た少女が近づいてきた。
栗色の髪をした、可愛い少女だった。

「ギーシュ様……」

そして、ボロボロと泣き始めた。

「やはり、ミス・モンモランシーと……」
「ごっ誤解だよ、ケティ。僕の心にすんでいるのは君だけ……」

しかし、彼女の返事は、

「ふんっ」「ぶおっ」

腰の入った左フックだった。

「その香水があなたのポケットから出てきたのがその証拠ですわ、さよなら」

しかし、ギーシュはクリーンヒットした彼女の右拳のせいで、くるくる回りながら吹っ飛ばされている最中だったため、彼女の別れ言葉が聞こえていたかは定かではない。
その騒ぎを、遠巻きに見ていた見事な巻き毛の女の子が一人食堂に戻り、ワインの壜を片手に戻ってくると、すごい笑顔でギーシュに近寄ってきた。

先ほどの4人のうちの一人、モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシである。

「ギィーシューウ、やっぱりあの一年生に手を出していたのね!」

ギーシュは再起動がまだうまくいかず、地面に突っ伏したままである。

そんなことはお構いなしに、モンモラシーは、ワイン壜を両手で握り、腰を低く取りゴルフスイングの態勢中である。 ギリギリと限界までねじられたモンモラシーの体は、次の瞬間バネ仕掛けのように回転し、空気が音を立てた。

“ひゅっ”  
“すかっ”

「あ、あれっ」

モンモランシーは、当惑した。 愛の裏切り者に血の制裁をくわえるはずのガラス製棍棒がその手から消えていたのだ。

「うひゃー、ま、間に合った」

そういって、冷や汗を流していたのはシンジだった。手にはモンモランシーの「愛の制裁用ガラス製棍棒」が握られている。

「なにすんのよ!返してよ!」
「いやいやいやいや、さすがにガラス瓶はまずいです。 貴族様、いくらなんでも死にます」

シンジが腕に抱えているそれは、ずっしりと重く、壜の厚みもかなりある。さすがにコレで殴られた日には、よくて頭蓋骨陥没、悪ければ死ぬ。もっと悪ければスプラッタに死ぬ。
まわりの生徒たちは、あまりのことに時間が止まったままのようである。
最も早く再起動したシンジが居なければ、朝食そうそういやなものを見るところであった。

「あら、あんたは!?ふん、まあいいわ。殴らないから壜をよこして」

シンジはさすがに信じられず、壜を抱えたまま首を横に振る。

「ああ、もう頼まないわ」

彼女はそう言うと自らの杖を取り出し、なにやら呪文を唱え始めた。すると、どこからか樽二杯分ほどの水の塊が出現し、それを再稼働率40%ほどのギーシュに頭からぶっかけたのだ。

(これが、魔法!)

シンジは始めて魔法を見た。……肉体言語2連発の後ではあるが。

「ぶわっぷ」
「目が覚めたかしら、ギーシュ!大事なことなので2回言うわよ!あの!一年生に!手を出していたのね!」
「お願いだよ。『香水』のモンモランシー、その美しい薔薇のような顔を、怒りで歪ませないでくれおくれ。僕まで悲しくなってくるじゃ……」
「やかましい!」

返事は、ある人に言わせると、あらゆる格闘技最高の技のひとつ、
肩口から一直線に最短距離で目標までを一気に貫く、全関節同時加速の右ストレート。

「ばもっ」

シンジは人間が空を飛べることを、言葉ではなく心で理解した。

「うそつき!」

と怒鳴って去っていった。 その場を沈黙が支配した。




ギーシュを見ると、そろそろと立ち上がっている、どうやら再起動したようである。
ギーシュはハンカチを取り出すと、ゆっくりと顔を拭いた。 そして、首を振りながら芝居がかった口調で言った。

「あのレディたちは、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」

(うわ、丈夫な人だな。そうは見えなかったけど、ここの人たちはATフィールドを使えるのかもしれない)

ある意味、それはそれほど的外れな想像ではなかったのだが。

「だだだだ、大丈夫ですか?」

あわててシンジはふらつくギーシュに近寄り、手を貸そうとした。しかし、その手は撥ね退けられ、おまけにこんなことまで言われたのだ。

「君が軽率に、香水の壜なんかを拾い上げてくれたおかげで、ふたりのレディたちの名誉が傷つけられた。どう責任を取ってくれるつもりかね」
「えっ」

シンジが壜を拾い上げてから、実に3分チョイの間に怒涛の展開があったせいでシンジの頭脳はそれについていくのがやっとだった。
それが、こんなものすごい責任転嫁の台詞を言われても、理解が間に合わない。

「えっ、うっ、はっ<思考停止>…………<思考活動再開>いやいやいや、あのおふたりの名誉といいますかお心を傷つけられたのは、どう考えても二股をかけた、貴族様では?」

ギーシュの友人たちも、やっと思考停止の闇から抜け出し、話に参加し始めた。

「ギーシュ!いくらなんでもそれはちょっと無理がある、ああ君もう行きたまえ、彼は僕らがなだめておくから」

シンジはそう言ってくれたギーシュの友人らしき貴族に軽く会釈をし、その場を急いで離れた。

「ギーシュ、お前が悪いよ」

呆れたように、一人が言うと、ほかの友人たちも同意した。

「そうだ、それにあの使用人の子はお前の頭がワイン壜でかち割られるのを、止めてくれたんだぞ!」
「大体、二股とはどう言う了見だ、われわれモテナイ君に喧嘩を売っているのかね」
「いいかい君たち、僕は彼に壜を渡された時に知らないふりをしたじゃないか!
話をあわせるくらいの機転が在ってもいいじゃないか!おかげで!おかげで!ちっくしょー!」

あくまで彼の中では、悪いのはシンジであり、自分は事故にあったようなものと考えていた。
そんな思考が、手に取るように読めた回りの友人たちは、呆れと怒りと、なんとなく溜飲の下がる思いでギーシュを非難し続けた。

ちなみに、ルイズはシンジのことが心配で、ちょっと早めに食堂を出ており、調理場に戻ってきたシンジと無事、会合することができた。 ついでにルイズに会いに食堂まで行き、そこでどんな騒動があったかを説明した。

「えっ、そんなことがあったの、くぅ~見たかった!」

ルイズも割とゴシップ好きのようだ。

「いいえ、ルイズ様がそんなことに巻き込まれなくてほっとしています。それにしても魔法学校って格闘技なんかも教えているんでしょうか?」

名誉を傷つけられたふたりの女性の、左フックと右ストレートの感想である。





魔法学院の教室は、大学の講義室のようだった。それが石で出来ていると思えば間違いは無い。講義を行う魔法使いの先生が一番下の段に位置し、階段のように席が続いていた。

シンジとルイズが教室に入っていくと、先に教室に入っていた生徒たちが一斉に振り向いた。
反応は、さまざまである。
くすくす笑うもの、目を合わせないよう下を向くもの、なぜか怒ったように見つめるもの。
そんな中に、先ほどルイズの部屋の前にいたふたりもいた。キュルケとタバサである、周りを男子に取り囲まれ、二人とも女王様然としている。

そして周りを見渡せば、皆が皆、様々な使い魔を連れていた。
シンジは目を見張った。キュルケの使い魔はあの、椅子の下で眠り込んでいる赤く大きなトカゲだろう。肩にふくろうを乗せている生徒も居る。窓から巨大な蛇がこちらを覗いている。カラスも居た、ネコもいた。でも、特に目を引いたのはシンジの常識では架空とされる生き物たちだった。
背中から、蝶の羽を生やした小さな妖精、6本足のトカゲ、巨大な目玉がぷかぷか浮いている。
丸い眼鏡をかけた男子の後ろを歩く、青い色の雪だるまに手足を生やしたような生き物、良く見ると腹にポケットのような器官がある。
厚めの本を片手に歩く男子の周りを泳ぐように飛ぶ真っ白で体長50センチほどの魚、などなど。

「すごいな、みんな生きて動いてる」

シンジは素直に感想を漏らした、それにちょっと泣けてきた。なにせ、眠りに付くまで最後の記憶まで、小さな虫一匹居ないサードインパクト後の世界をただ生きていたシンジである。それが地球大紀行でも見れないような珍しい生き物がわらわら居るのだ。

(ルイズ様、召還してくださって本当にありがとうございます。)

シンジは心の中で、そっとお礼を言った。

さて、彼がきょろきょろしていると、タバサが近づいてきた。

「ミス・ヴァリエール、かまわない?」

ディテクトマジック(探知魔法)の使い魔に対する使用許可を求めた。

「そうね、ちょっと待ってて。シンジ!」
「はっはい、ルイズ様」

呼ばれてあわてて返事をした。シンジは近寄ってきた黒猫の使い魔をなでていたのである。

「こら!ジジ!ダメじゃないの!そばに居ろっていったでしょ、もう」

頭に大きな赤いリボンをつけた女の子がその黒猫をしかると、怒られた黒猫が声をあげた。

「だってキキ、この男の子なでてくれるんだよ」

(ええ、ネコがしゃべってる)

さすがにシンジもびっくりして振り向いた。普通の猫かと思っていたのだ。

(なるほど、これが使い魔か)

シンジはみょーに納得した。 黒猫の使い魔を抱き上げた女の子は、シンジを一瞥すると、
「フンッ」と鼻をならして離れていった。どうも嫌われたようだ。

「シンジ聞いてるの!」

ルイズはシンジが他の女の子に(本当は黒猫だが)気を取られていたのが気に入らないようだ。
いささか、声を荒げている。

「はいっ」
「あなたは、座っていればいい」

そう言って、教壇ちかくに椅子を置きシンジを座らせた。 そして四方を先ほどの4人が囲む。
お、なんだなんだと教室内に居た他の生徒たちも注目を始めた。
ディテクトマジック(探知魔法)に関しては、ある程度はルイズが、調理場から教室に来る際に簡単に説明してくれていた。

異常を示す、パターン・ブルー
正常、または許容値内を示す、パターン・レッド
不明、または解析不能を示すパターン・オレンジ
当たり前だが、「水」は「水」を「風」は「風」を探知しやすい、そして得手不得手の垣根は低い。
そして、それぞれのメイジたちは自分の系統に準じ、鋭敏な感覚があった。
すなわち、体の中の体液の流れを探知する「水」。
肉体を構成する物質を探知し、形状を正確に把握する「土」。
その人間のエネルギー量を量る「火」。
体から出る音を探知する「風」。

ただ、やっていることは単純で、ハルケギニアにおける、魔法の元とされる精神力を、素のまま対象物にあてるのだ。 術者は反射、反発力、浸透具合などを見て、あるいは感じて分析する。
上記のような差が出るのは、各系統の認識能力のためだろうか? 無理やり例えるならば、人間アクティブ・ソナーである。

「急いで、先生が来ちゃうわ」
「わかってる、ではモンモラシーから、お願い」
「わかったわ、“世にあまねく水よ、かの者の水の流れを計れ”……普通ね。血流、血圧共に問題なし」
「次は、火の私、“すべてを燃やし尽くす火よ、かの者の情熱を教えて”……うわっ凄い。なにこれ!」
「キュルケ、結果は?」
「パターン・レッド普通だけど、エネルギー総量がもの凄いの。計ったことはないけど成人したドラゴンクラスってとこかしら?ただの平民じゃ無いわね」

これには、シンジも慌てた。
正直、ATフィールドでも展開でもしなければ、なにが判るものではないだろうと高をくくっていたのだ。 いくらシンジといえども体内にあるS2機関を自由に止めたり動かしたり出来るわけではないのだ。いや、この言い方は正確ではない、激しく動かすか、またはゆっくり動かすかであり、止めることが出来ないだけである。

余談では在るが、召還の際、コルベールが此の事を探知できなかったのは、やはりシンジが長い間眠って居た為と、気絶をしていた事でS2機関が正常に働いていなかった為。そして、ごく弱いATフィールドを展開したままでいた為である。そして、コルベール自身が、何十人もの生徒の使い魔にディテクトマジックをかけており、へとへとに疲れていた事、もうひとつ、コルベールには、そんなことよりも彼の珍しいルーンのほうに目が行ってしまった為である。

「いい加減なことを言わないでよ、キュルケ」
「あら、本当よ。凄いわこの子、俄然興味が湧いてきたわ」
「ルイズ様、ルイズ様」
「なに、シンジ」
「昨日の話を覚えていますか?ボクは『パイロット』だったんです」

謎かけのような、その言葉。
だが人はわからないことがあると脳内補完をしてしまう。

「んん、そうね、みんな良く聞いて、シンジは、かのロバ・アル・カリイエにおいて3人しか居ない『ぱいろっと』だったのよ」
「なに、その『ぱいろっと』って」

ルイズはちょっと胸をそらし、誇らしげに言った。

「身長70メイルを超える、シンジの国のスーパーゴーレム、『エバンゲリョン※』を操る事が出来る兵士の事よ、彼はそのゴーレムを操るために相当な精神力を持っているのよ」
「70メイル、そんなのあたしの国でも、いいえ、たとえハルケギニアの土メイジをすべてかき集めても不可能よ!例え出来ても1歩だって歩けやしないわ!どこの空想魔法読本よ!」
「ミス・ヴァリエール。メイジ・オリンピックでも、世界最高クラスは未だに40メイルを超えない。
たしかゴーレムのハルケギニア・レコードが38メイル、ガリアのグレン候とラガン伯のチームで作り上げた。 しかも戦うことは前提ではなく二百メイルほど歩けばいいだけ。実際、このゴーレムは二百メイル歩った後、足元から崩れ落ち。グレン候とラガン伯は疲労のため一週間、目を覚まさなかった」

何かずれた言い争いが始まり、なかなかシンジの望む展開にならない。

「いやいや3人共、問題はそこじゃないだろう。
要はそのゴーレムを動かせるのが彼だけで、彼はそのために、異常なほどのエネルギーを与えられたか、生まれつきかわからんが持っているということだろう。……急がないともう先生が来てしまうぞ」

(ありがとうギーシュ様、さすが二股をかける男は頭の回転も速い)

とシンジが思ったかどうかは定かでは無いが、とりあえず先に進めそうである。

「というわけで、次は僕だ。“すべての命を育む土よ、かの者の組成を暴け”……」

ギーシュは、それきり黙ってしまい、何かを考え込んでいる。

「どうしたの、ギーシュ。結果を言って頂戴」
「いや、うん、そうだな。パターン・レッド、異常なし。……だよな」

最後のつぶやきは、誰にも聞える事は無かった。タバサを除いては。

「最後は私、“世に偏在する風よ、かの者より漏れ出る音を拾え”……パターン・レッド異常無し……」

どうも、半端な結果ではある。
かの少年はエネルギー総量がものすごい、これだけでもそれなりに異常ではあるが、それを除けば普通の少年である。
だからどうなんだ、といわれてもなんともいえない、タバサが異常無しを告げた時点で危険な幻獣の変化体であることは否定されている。(シルフィードは強力な風の魔法で変化するため、風系統の使い手であるタバサにはそれと判る。そして風魔法以外での変化の常識が、彼らには無い)

タバサは北花壇騎士としての経験から、彼から危険な臭いを感じ取っていた。それはもう、第六感としか言いようが無い。だが……とりあえず、タバサはルイズに謝罪することにした。
一つまみの不安をかかえたまま。




※エヴァファンのみなさま、ごめんなさい。



[10793] 第五話 2日目 その3 授業
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/09 22:57




第5話 2日目 その3 授業

朝のちょっとしたイベントが終わると、待ち構えていたように、扉が開いて先生が入ってきた。中年の女性で紫のローブを身に着けつばの広い帽子をかぶっている。ふくよかな頬が優しそうな雰囲気をかもし出している。シンジにとってのイメージ通り、これぞ魔法使いといった格好である。

「はいはい皆さん、もう授業は始まっていますよ。席についてください」

皆、慌てて席に着く、ルイズは一番後ろの席だ。シンジはちょっと迷って、席と席の間に腰を下ろした。ルイズの席の足元である、ルイズも特に何も言わなかった。だが先生らしい女性は、そんなシンジを目ざとく見つけ杖で指さし言った。

「そこのあなた、ちゃんと席について!制服はどうしました?」
「先生、そいつはゼロのルイズの使い魔だそうです」
「はあ、人に見えますが?」

教室中がどっと笑いに包まれた。

「ゼロのルイズ!召還できないからって、平民の子供を誘拐してくるなよ!」
「違うわ!ちゃんと召還したもん!あんただって見たでしょう!」
「嘘つくな!俺の考えでは、ゼロのルイズは召還する自信が無い。だが出来なければ恥を描く。だから、実家に頼んで一芝居うった。手順はこうだ、まずルイズはとにかく失敗して僕らの注意を地面に向けた、その隙に色をつけた水球をつくりその中に誘拐した子供を入れて……もがっもが」

いきなり、ルイズを侮辱していた生徒の口に赤土の粘土が貼り付けられた。
まだ笑っていた生徒の口にも同じように粘土が張り付いていた。

「おやめなさい!お友達を侮辱するなど貴族にあってはならないことです!」

ルイズは手を上げて、発言の許可を求めた。

「先生、ちょっとよろしいでしょうか」
「シュヴルーズです、ミセス・シュヴルーズとお呼びなさい。ミス・ヴァリエールどうしました?」
「実は昨日の召還の儀の後、私の使い魔が気絶してしまいまして、まだみんなに紹介をしていないのです。申し訳ありませんが、この時間をちょっとお借りして私の使い魔を紹介してよろしいでしょうか?」
「まあまあ、では本当に彼があなたの使い魔なんですか?」
「はい、ミセス・シュヴルーズ、ごらんの通り、ちょっと変わっていますが」

ルイズにうながされシンジは主人と共に教壇の前に出てきた。
そこで本日3度目となる自己紹介の口上を述べたのだ。

「ルイズ様のご学友のみなさん、おはようございます。縁在ってルイズ様の使い魔になりました。ロバ・アル・カリイエより来ました。シンジと申します。どうぞお見知りおきを」
「まあまあ、ロバ・アル・カリイエから!まるで『ヘルシング卿の娘』のようですわね」

それはアルビオンの小説、異界の吸血鬼の王アーカード伯爵を、使い魔召還の儀で呼び出してしまったアルビオンの伯爵の娘。若くして風を極めた、主人公インテグラル・ファルブルケ・ウィンゲーツ・ヘルシング嬢の冒険譚。

「シンジは吸血鬼ではありませんが、その知識はかの『アーカード伯』の戦闘力にも匹敵すると信じています。たとえば彼はこの大地が丸いことを教えてくれました」

この発言で、先ほどまで静かだった教室がまた笑いの渦に包まれた。
だが、ミセス・シュヴルーズだけは笑わず、厳しい顔になりルイズに詰め寄ったのだ。

「ミス・ヴァリエール!その知識をいったいどこで……ああ彼からでしたね。みなさん、笑うのをおやめなさい、それは本当のことです、まだいろいろとわかってないことも多いのですが、私たちの住んでいるこの大地は約2万リーグほどの球体であることが様々な観測の結果わかっています」

また、水を打ったように静まり返る教室。

「し、下の世界は、どうなってんだ」
「もしそれが本当なら、何もかも下に落ち、たぶん恐ろしい不毛の地と化しているだろう。せいぜい、少々のつる草が生えている程度の土地だろうな」
「いやいや、そこに住んでいるのはたぶん、こうもりだけだろう、いや鳥の楽園と化しているかも」

喧々諤々の論議が始まる。

「いっいや、あのですね……」

シンジがなにか説明しようとし、皆の注目が集まる。 が!

「シンジ!待ちなさい。ミセス・シュヴルーズ、お騒がせしました。貴重なお時間をありがとうございました。どうか、授業を再開してください」

シンジの説明に興味深々であった生徒たちは肩透かしを食らわされた。ミセス・シュヴルーズも含めて。
皆は、ちょっとむっとした顔でルイズをにらむ。

(ほっほっほっほ、あー気分がいいわぁ、本当いい使い魔だわ、後でご褒美を上げなくちゃね。ひょっとして万有引力の事を知っているのは、今ハルケギニアであたしだけ?!)

昨日の夜、シンジに散々説明して貰った事など、もう頭には無い。
いや、ミセス・シュヴルーズが肯定しなければ、大地が丸いことすら半信半疑であったのだ。
ルイズはシンジを後ろに従え、鼻高々で自分の席に戻っていった。




「コホン、えー、では授業を再開いたします」

ミセス・シュヴルーズは気を取り直し杖を振った。机の上にゴルフボール大の石ころが3つほど現れた。

「私の二つ名は『赤土』。赤土のシュヴルーズです。『土』系統の魔法をこれから1年間皆さんに講義します。 魔法の4大系統はご存知ですね?ミスタ・マリコルヌ」
「は、はい。ミセス・シュヴルーズ『火』『土』『水』『風』の四つです!」

シュヴルーズは頷いた。

「今は失われた系統である『虚無』を合わせて、全部で5つの系統があることは皆さんもご存知の通りです。 その5つの系統の中で『土』はもっとも重要なポジションを占めていると私は考えます。
それは、私が土系統だから、というわけではありませんよ。 私の単なる身びいきではありません」

シュヴルーズは再び、重々しくせきをした。

「土系統の魔法は、万物の組成を司る重要な魔法であるのです。この魔法が無ければ重要な金属を作り出すことも、加工することも出来ません。大きな石を切り出して建物を立てることも出来なければ、農作物の収穫も今より手間取ることでしょう。このように、土系統の魔法は皆さんの生活に密接に関係しているのです」

シンジは感心して授業に聞き入っていた。どうやらこの国、この世界においては魔法技術が、科学技術に相当するらしい。昨晩、ルイズから貴族は魔法使いだけといっていた理由がなんとなく理解できた。

「今から皆さんには、土系統の基本である、『錬金』 の魔法を覚えてもらいます。 一年生の時に出来るようになった人もいるでしょうが、基本は大事です。 もう一度おさらいすることに致します」

シュヴルーズは石ころに向かって、手に持った小降りの杖を振り上げた。

「イル・アース・デル」

そう呟くと石ころが光りだした。
光が収まり、ただの石ころだったそれはピカピカ光る金属に換わっていた。

「ききき、金ですか?ミセス・シュヴルーズ」

キュルケが身を乗り出して聞いた。

「違います、ただの真鍮です。金を文字通り『錬金』出来るのは「スクウェア」クラスのメイジだけです。私はただの……「トライアングル」ですから」

シンジは驚愕していた。なんだあれは、空中から水を出すとかなら、まだ理解の範疇だ。
だが、金属とは縁もゆかりもなさそうな石ころを金属に変えるなんて。

「ルイズ様!」
「なによ、授業中よ!」
「ごめんなさい、質問をしてもよろしいですか」
「んん、仕方がないわね特別にゆるしてあげるわ」

こんな風に言われれば、自分に聞きたいことがあると思ってしまうのは仕方が無いことだろう。
だが、シンジは手を挙げミセス・シュヴルーズに質問したのだ。

「せん……ミセス・シュヴルーズ、質問よろしいでしょうか?」
「え、まあ、あなたは先ほどの……ミスタ・シンジ、どうぞ質問を」

ルイズが止める間もなく、ミセス・シュヴルーズは質問の許可を出してしまっていた。

「まずは、その錬金された石に触らせてください」

やおら、シンジは立ち上がり、教壇まで歩いていった。そして、その錬金された石にさわり、ためつすがめつ眺め始めた。

(うーん、どう見ても真鍮だな)

別に、シンジは真鍮の何たるかを知っているわけではない。ただ重さとかさわり具合でその金属を確かめたかっただけである。だが、変な違和感がある。やがてシンジにはその正体がわかった。

「ミセス・シュヴルーズ、この真鍮は、いつまでこの真鍮のままですか?」

この質問にはルイズを含め、皆が頭に?マークを貼り付けた。だが笑うものは居ない、先ほどからこの少年の事を笑っては沈黙させられている。
そして、ミセス・シュヴルーズの顔は驚愕に歪んでいる、怒っているわけではないことはなんとなくわかる。

「あなたは、今なにが起こったか、理解したのですか?」
「はい、おそらくは」
「そうですか、あなたの国では相当に魔法研究が進んでいるんでしょうね」

意外とハルケギニアでは魔法の基礎研究は進んでいない。何しろ、杖を持ち、呪文を唱えれば現象が起きてしまう。 「あること」、それが前提になってしまうとなかなか基礎研究をしようという奇特な人間は現れない。 流体力学が発達するずっと前から水車は回っていた。
ミセス・シュヴルーズはその珍しい奇特な人間の一人であるようだ。

「ミス・ヴァリエール!あなたの噂は聞いています。とても座学が優秀だとか」

急に話を振られて、ルイズは「はいっ」としか答えられなかった。

「正直に言いますが、人間を召還するなど私も半信半疑でしたが、今は違います。アーカード伯の戦闘力に匹敵するほどの知識と言うのもあながち言い過ぎではありませんね。まさしくあなたにぴったりの使い魔です、大事にしてあげるのですよ」
「はっはい」

なにがなんだか良くわからない。 そんなに褒められるほどの質問だったのだろうか?

「ところで、ミス・ヴァリエール、お願いがあるのですが」
「はい、なんでしょう、ミセス・シュヴルーズ」
「彼の、ミスタ・シンジの知識の一端をみんなに披露することを許して欲しいのです」

ここ、ハルケギニアにおいては常識のことであるが、使い魔のすべては、呼び出したメイジの個人所有財産となる。 もちろん、その知識までも。
ルイズはかなり迷った、彼の知識の幅は広く、底は深い。彼の知識は、間違いなくこのヴァリエール家の力となる。 だが、知識と言うものは広まってしまえば当たり前になる。

(彼の知識を他家や他国に秘密にし、ヴァリエール家ひいてはこのトリスティン王国のために役立てる。)

「そして、他国を圧倒し始め、やがてヴァリエール家が権力を拡大し、やがてはすべての実権を握りはじめ、そのときに表舞台に颯爽と躍り出るのは、ほかの誰でもない、この、この、ルイズ様だぁぁぁぁ!」

「ル~イ~ズ~、声に出てるわよ~!」

ルイズを妄想の海から救い上げたのは、キュルケだった。
はっと、気が付くと教室中の注目を浴びている、シンジまでもこちらを凝視していた。

「誇大妄想しすぎ」

止めを刺したのは、タバサである。
ルイズは真っ赤になって現実復帰を果たした。 

   (もう、どうにでもな~れ)

「え~と、どうぞ、ミセス・シュヴルーズ好きにしてください」

ルイズはそう言って机に突っ伏した。




「え~、それでは、あなたのご主人の許可も出たことですので、まずはあなたの質問にお答えしましょう。この、真鍮の『フリ』をしている私の精神力は錬金のみなら、2日と持ちません」

その答えは、教室の生徒全員の驚愕の声に迎えられた。 ただ、シンジ一人が頷いていた。

(やっぱりか)

「ですが、先ほどの呪文は『固定化』もわずかにかかっていて、それで精神力の定着が起き、初めて真鍮の特徴を備えるのです。それでも『錬金+微量の固定化』のみであればもって2年でしょうか。後は、腕次第でしょうね」
「ミセス・シュヴルーズ、ですが私の家には500年前から在るという銅像があり、それは錬金で作られたものと聞いていますが?」
「ミス・ツェルプストー、あなたは『固定化』のことを忘れていますよ。『錬金』と『固定化』は全てではありませんが、ほぼセットです。『固定化』の腕にもよりますが、一回かければ大体20年、あなたの家にあるというその銅像は、たぶんあなたのお家の方が20年ぐらい毎に重ねがけをしているのでしょう」

「ミセス・シュヴルーズ、では『金』を錬金出来るのが「スクエア」のみというのはどういうことでしょうか?」
「ミスタ・ギムリ『錬金』には物質に対する知識をイメージに練りこむことが必要です。あなたは『金』をどのくらい知っていますか? あなたのお財布に入っている金貨は鋳造されたもので、すべてが『金』というわけではありませんよ。それに『金』はそれなりに特徴の多い金属で、それらすべてをイメージに盛り込むのはとても大変なことなのです。それらを知らずに『金』を錬金すると、黄銅になってしまいます。 もちろん、まだまだ問題点はこれだけではありませんが、大方はこんなところでしょうね。ほかにご質問は?」

ミセス・シュヴルーズは教室を見渡し、静かになったのを確認する。

「だからといって錬金したものがすべてだめ、というわけではありません。この学校なども既存の鉱石を切り出し、それらを錬金で加工して建てられています。 要は使いどころです。ああ、今日はずいぶんと進んだ内容をやってしまいましたね」

ミセス・シュヴルーズはそう言ってニコニコとしながら、シンジに向き直った。

「さて、ミスタ・シンジ質問の答えはこれでよかったでしょうか?」

シンジはそう言われ、大仰に片膝を付き手を前で組んだ。

「ありがとう御座います。ミセス・シュヴルーズ、大変勉強になりました。 そして、披露しなければならないボクの知識とは一体なんでしょう?」
「それはもちろん、先ほどの大地の話……と言いたい所なのですが、それは、ミス・ヴァリエールが秘密にしておきたいようなので、やめておきましょう。あなたは先ほど、私の錬金に驚いていましたが、あなたのお国では、錬金はないのですか?」

シンジはルイズのほうを見ると、手をひらひらさせながら、まだ机に突っ伏している。
まあいいんだろうと思い、答えることにした。

「はい、ミセス・シュヴルーズ錬金どころか、魔法そのものがありませんでした。」
「魔法が無い!」
「ええ、その代わりに科学技術が発達していまして、そちらの知識で錬金の魔法を考察させていただきました」

シンジは少々嘘をついた。
実際は、朝にかけられたディテクトマジックを自分なりに応用してみたのだ。手のひらから、微量のATフィールドをだして、錬金の小石にあてたのだ。すると、手のひらにサイダー水をこぼした程度ではあるが、ほんのわずかな反発があった。たったそれだけのことで、理解してしまった。
あの1年間、自らの運命を決めた一年間、様々な『使徒』と戦い、初号機越しにではあるが、彼らのATフィールドと最も多く接してきたシンジである。

その経験が教えてくれた。 彼らの『魔法』はすべてATフィールドの応用であると。
ATフィールドは拒絶の心が生み出す『心の壁』。彼らメイジたちは、自分自身の弱いATフィールド(シンジに比べればではあるが)をどうにかして使用しているのだ、それもとてつもなく器用に。
シンジはその鍵が『杖』と『呪文』に有るのではないかと考え始めていた。

「ありがとう、ミスタ・シンジ、いつかそのカガクの一端でも教えてくれるとありがたいですわ」
「はい、いつか機会がありましたらぜひ。 いろいろ教えて頂いて、ありがとうございました」

シンジはミセス・シュヴルーズにお礼を言って自分のせ……定位置に戻った。

「シンジ、なかなかやるわね」

とは、再稼動を果たしたルイズ。





「ミス・ヴァリエール!」
「はい!」
「あなたにやってもらいます!」
「は、はえ、ってなにをですか・・・?」
「話を聞いていなかったんですか?もちろん『錬金』です!」
「え?わたし?」
「そうです、ここにある小石をあなたの望む金属に変えてご覧なさい」

ルイズは立ち上がらない、困ったようにもじもじするだけだ。

「ルイズ様がんばってください」

事情を知らないシンジが励ます。

「ミス・ヴァリエール!どうしたのですか?」

ミセス・シュヴルーズが再び呼びかけると、キュルケが困った顔で言った。

「先生」
「なんです?」
「やめておいたほうがいいと思いますけど」
「どうしてですか?」
「危険です」

キュルケはきっぱりと言った。

「ルイズを教えるのは初めてですよね」
「ええ。でも、彼女が努力家ということは聞いています。さぁ、ミス・ヴァリエール。気にしないでやってご覧なさい。失敗を恐れては何も出来ませんよ」
「ルイズ、お願いやめて!」

キュルケが蒼白な顔で言った。 しかし、ルイズは立ち上がった。

「やります、シンジ来なさい!」
「はい、ルイズ様」

そして、緊張した顔で、つかつかと教壇の前へと歩いていった。となりに立ったミセス・シュヴルーズはにっこりとルイズに笑いかけた。

「さあ、ミス・ヴァリエール錬金したい金属を……」
「ミセス・シュヴルーズお願いがあります」

ミセス・シュヴルーズの教えを途中でさえぎり、ルイズは言った。

「ご存じないかと思いますが、私の魔法はすべて爆発します。ですからどうか皆の所まで下がって欲しいんです」
「ミス・ヴァリエールふざけるのは「ふざけてなんかいません!」」

緊張した顔で、小石を見つめるルイズ。

「今までの魔法はすべて失敗でした。でも、でもシンジを召還に成功して自信が出たんです。でも…いいえ、どうか、皆の所までお下がりください」
「「「「ミセス・シュヴルーズ早くこちらへ!」」」」

ミセス・シュヴルーズがその声のほうを見れば、キュルケが皆を促し、後ろに避難を始めている。

「風系統のみんな、前に来て、エアシールドを厚めに頼むわよ」

すでに、慣れているのか、4~5人の生徒が後ろに下がった他の生徒たちを守るように並び、杖を構えている。
タバサは中央に陣取り手にした長めの杖(スタッフ)を体の前に突き出している。ミセス・シュヴルーズはその様子を見て、あわてて、皆のほうに駆け寄った。

シンジはルイズのあまりの発言に、今日二回目の思考停止に陥っている。

「シ~ンジィ、メイジと使い魔は一心同体、運命共同体よ、しっかり見ていなさい」

ルイズは壊れた笑顔を、シンジに向けた。

「うっ、はっ、えっ、ちょっ、ちょっとまっ……」

ルイズは慌てまくるシンジの事などもはや目には入らない。目を瞑り、精神を集中し、短くルーンを唱えた。そして、杖を振り下ろす。小石が光り輝いて……。

「…ふぃーるど」




生徒たちは、今一体なにがあったのか良くわからなかった。1メイルほどのオレンジの球体がいきなり現れたかと思ったら、ガラスの割れるような音がして唐突に消えたのだ。目撃者は、風系統の4~5人ほどである。(ほかの生徒は身を低くし机の下に隠れていた)

結果的に爆発は無かったようである。だがルイズの錬金はどうやら失敗したようだ。小石は粉々になったが、錬金の兆候は見つけられなかったためである。不思議なことに、教壇の机には傷ひとつ無かった。

そして、ルイズ自身にもなにが起きたのかいまいち良くわからなかった。 だが、どうもシンジが何かしたらしいということだけは認識した。錬金を唱えた瞬間、シンジは手を突き出し呪文を唱えたのをルイズは見たのだ。 今、シンジは呆然としている。

とりあえず、ルイズは今日の夕飯後にでもシンジを詰問するつもりである。




どうも、作者です。

今回も俺設定のサービス、サービス状態でなんかほんとすんません。

これも、俺設定かもしれませんが、
ATフィールドは無色透明で基本的に不可視だと思っています。
根拠はアニメ版エヴァの「決戦、第三新東京市」のネルフのオペレーター、マヤの台詞「位相空間を(目視で確認できるほどのATフィールド)が確認されています」です。
つまり、よほど強いATフィールドでなければオレンジ色に輝かないのです。
それに、強い衝撃や攻撃にさらされた場所からオレンジ色で八角形の波紋が広がり、初めて、人が認識できるのではないかと思っています。
大概は攻撃された場所が八角形の波紋の中心ですしね。
渚カヲルにナイフが飛んでしまいシンジがあわてたシーンでもナイフの先が当たったのは八角形の波紋の中心でした。

例外は「破」の、すごいよゼルエル君、と漫画板エヴァぐらいではないでしょうか。
ちなみに、このSSのシンジ君のATフィールドは、ギーシュ君のワルキューレの体当たりぐらいではこの八角形の波紋は出ません。

東北の片田舎にて 2009/8/9



[10793] 幕間話1  授業参観
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/09 23:00



幕間話1  授業参観

「今のを見たかね、コルベット君」
「コルベールです。見ました。あれは風のエアシールド?でしょうか」
「たぶん違うな、ミス・ヴァリエールの爆発に、揺るぎもせんかった。エルフの『反射』とも違うようじゃ」
「オールド・オスマン、あなたのその膨大なる知識の中には、エルフの先住魔法までもが網羅されているのですか!」
「ある程度の年齢のメイジには、いやでも刻みこまれておるよ。別に自慢するほどの事でもないんじゃ」

とは、100才とも300才とも言われている、トリスティン魔法学院 学院長オールド・オスマンの言である。




ミスタ・コルベールはトリスティン魔法学院に奉職して20年、中堅の教師である。
彼は、先日の『春の使い魔召還の儀』の際に呼び出された少年とその両手に現れたルーンのことが気になっていた。ハルケギニアにおいては、珍しい黒目黒髪、そして珍しいルーン、ディテクトマジックのパターン・オレンジ……。

それで、昨日の夜から図書館にこもりっきりで、似たような事例が無いか調べていたのだ。
そして、その努力は一部報われた。彼は一冊の本の記述に目を留めた。その本の名は、『始祖ブリミルの使い魔たち』。教師のみが閲覧を許される『フェニキアのライブラリー』の中でも奥の奥にしまわれた書物である。
古書の一節と少年の両手に現れたルーンのスケッチを見比べる。

彼の目が大きく見開かれ、声にならないうめきを上げていた。

彼は、本を抱え込むと急いで学院長室に向かった。コルベールは学院長オスマン氏に事の次第を説明し、朝から2年生のいる教室を魔道具『遠見の鏡』で覗いていたのである。
それは、件の少年がディテクトマジックをかけられる場面からであった。
すわ、いじめかと思われたが、一応主人であるルイズは納得しているようではあった。
ディテクトマジックの結果もオール・レッド異常なしで、コルベールがいささか面目をつぶし。
授業中の場面では、彼の知識とその見識に驚いた。

「オールド・オスマン、錬金の本質についてはカリキュラム的には三年生でしたかな?」
「馬鹿を言っちゃいかんよ、アカデミーの初級職員ぐらいになって初めてわかるもんじゃ、それも、土系統ならライン以上、それ以外の系統ならトライアングル以上が精密なディテクトマジックを行使出来るようになってからじゃな」

ふむ、と学院長は白く長いあごひげを上下にしごく。

「それにしても、彼は『ガンダールヴ』と『ヴィンダールヴ』ではなかったのかね?今のやり取りだけで見れば、もう一人の使い魔『ミョズニトニルン』であったほうがしっくり来るが」
「はあ、その通りですな」

そして、ルイズの錬金の場面、冒頭のやり取りに戻る。

「エルフの先住魔法とは、その場の精霊と契約し始めて使えるもんじゃ。あんなふうにとっさに使えるもんではない。 とっさの対応についてはわしらの系統魔法のほうが上じゃろう」

さもなくば、先祖伝来のこの土地はとっくにエルフに蹂躙されておったじゃろうな。と続けた。

「オールド・オスマン!」
「なんじゃい、いきなり大声出して」
「さっそく、王室に報告して、指示を仰がないことには……」
「それには及ばん」

オスマンはその白いひげを揺らし、重々しく言った。

「なぜです?これは世紀の大発見ですよ!現代に蘇った『伝説の使い魔』!それも2つも」
「ミスタ・コルベール『ガンダールヴ』も『ヴィンダールヴ』もただの使い魔ではない」
「その通りです。始祖ブリミルの用いた。 その身を守る神の左手『ガンダールヴ』、その身を運ぶ神の右手『ヴィンダールヴ』」
「そうじゃ。始祖ブリミルは、呪文を唱える時間が長かった……。その強力な威力ゆえに。知っての通り、呪文詠唱中のメイジは無力じゃ、そんな無力な間、己の身を守るため用いた使い魔が『ガンダールヴ』じゃ。また同じように空に海にあるいは地中にすら始祖を運んだのが『ヴィンダールヴ』じゃ。どちらも同じく伝説にふさわしい力をもっとる」

コルベールは興奮したように先を続ける。

「その通りです。そして『ガンダールヴ』は一人で千人の軍隊を壊滅させ並のメイジでは歯が立たなかったとか」
「で、ミスタ・コルベール」
「はい」
「遠見の鏡、リバース、ああ、行き過ぎ行き過ぎ、チョイ戻って、はいそこ、拡大×2」

オスマンは遠見の鏡を操作し、先ほどのシンジの姿を映し出す。

「千人の軍隊を壊滅させるように見えるかの」

そう言われて、シンジを見れば、小柄な体、異邦人ではあるが優しげで気弱そうな顔つき。ちょいとおかしな敬語を使うが、まあ礼儀正しい。千人の軍隊を壊滅どころか、虫も殺せなさそうである。

「まぁ、人間顔じゃないがの」
「ううう、いや、しかしですね」

ミスタ・コルベールは食い下がる。

「それにの、かのミス・ヴァリエールが何回も何回も失敗して、ようやく呼び出したんじゃろ。あの使い魔君を」
「え、ええ、まあ」
「ミス・ヴァリエールに関してはわしも憂慮しちょった、なんでもかんでも爆発させ、未だにフライも使えんのじゃろ。そのくせ座学に関しては学院一。そして、努力家でもある」
「そ、その通りです!」
「だが残念じゃが、彼女はここトリスティン魔法学院においては無能者の烙印を押されておる。そんなメイジが、謎の少年を呼び出し、契約をすれば『伝説のルーン』を2つも刻んだ」
「……」
「授業中のミス・ヴァリエールの顔を見たかね、ずいぶんと仲良くやっとるじゃないか?ミスタ・コルベール彼女のあんな顔を入学以来見たことがあったかね」
「い、いえ残念ながら」
「それをお前さん、仲良くやってるおふたりさんを引っぺがして、片方をアカデミーのマッドメイジ共の生贄に差し出し。もう片方を使い魔なしの半端メイジにしたいと、こう言うんじゃな。 研究熱心なことじゃ」
「わわわ、私は何もそんなことは……」
「ほう、つまり『使い魔のお着替え』かね、事故でも寿命でも無いのに。 わしの目の黒いうちにそんなことをこの学院で許すとでも」

静かに、だが重々しい声でオールド・オスマンは言った。

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『使い魔のお着替え』とは、メイジのレベルが上がるたび、今居る使い魔を殺し、新たな使い魔を召還することである。

各地で行われる『春の使い魔召還の儀』においても、ドットよりはラインが、そしてそれよりもトライアングルがよりレベルの高い使い魔を召還している。

そして、やはり一番人気はドラゴンであり、最初にドラゴンを呼んだものは一生涯をそのドラゴンと共にすることが多いが、そうでない生き物の場合は、メイジのレベルが上がるたび『使い魔のお着替え』となることも少なくない。

もっとも、レベルの高い幻獣を呼んだ場合、その能力はすでに呼んだ時点で頭打ちであり成長することはまれであるが(幻獣の寿命は長く、メイジが生きている間にはなかなか成長しないのもその一因である)
犬やネコあるいはねずみなどの場合でも、ドットクラスの時に呼んだ生き物がメイジの成長と共に新たな能力を付加され、成長していくことは、まれではない。

したがって、どちらがいいかは一概に言えないが、少なくともこのハルケギニアにおいては道義的によくないこととされており、かかる名誉あるメイジの諸君にはお勧めしない。

ランカ・リー書院 サイトーン・シュバリエ・ド・ヒリガル著「間違えない使い魔選び」より抜粋

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「学院長!私は、私は!」
「わかっとる、わかっとる、言いたいことはな、じゃがおぬしはもう教育者なのじゃろう?
それともまさか、誰とも知れぬ平民の子なぞどうなっても良いと申すのか!?」
「い、いいえ、申し訳ありませんでした。私はまた……間違いを犯すところだったようです」
「わかればよろしい、きついことを言ってスマンの。
もうひとつ理由があるのじゃ。今、王宮のボンクラどもに『伝説の使い魔』とその主人を渡したら、またぞろ戦でも引き起こすじゃろうて、暇をもてあましとる連中はまったく戦が好きじゃからな」
「ははあ。学院長の深謀には恐れ入ります」
「この件は、私が預かる、他言は無用じゃ、よいなミスタ・コルベール」
「は、はい!かしこまりました!」

オールド・オスマンは杖を握ると窓際に向かった。遠い歴史の彼方に思いをはせる。

「伝説の使い魔『ガンダールヴ』と『ヴィンダールヴ』か、どんな姿をしておったんじゃろうのう?」
「海も空も地下まで始祖を運んだ『ヴィンダールヴ』はわかりませんが、『ガンダールヴ』はあらゆる武器を使いこなし、敵と対峙した、とありますから」
「ふむ」
「とりあえず、手と腕はあったんでしょうなぁ」

「ところで、ミスタ・コルベール『ガンダールヴ』の二つ名は『神の左手』ともうひとつあるんじゃが、覚えておるかね?」

ミスタ・コルベールは、はっとしたように顔を上げた。

「か、『神の盾』……」

オールド・オスマンはまた、重々しく頷いた。





[10793] 第六話 2日目 その4 決闘?
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/09 23:04


もうすぐお昼である。

今度は、時間もあり、ルイズは正式にマルトー料理長にシンジの食事を依頼する事にした。
さて、このマルトー料理長、四十すぎの太ったおっさんである。もちろん貴族ではなく、平民ではあるのだが、魔法学院の調理場を任されているとなれば、収入は身分の低い貴族などは及びも付かなく羽振りはいい。そんな羽振りのいい平民の例に漏れず学院の調理場を任されているくせに貴族と魔法嫌いで有名である。
無論、普段はそんな態度をとったりはしないが。

「あー、貴族様、ひとつお聞きしたいことが」
「なにかしら、マルトー料理長?」
「ぜんたい、あの子は何者なんです?食事のマナーは貴族様並で、料理にもずいぶんと詳しく、そのくせ、あっしらとまかないを食っているときにいきなりボロボロ泣き始めやすし」

さすがに、魔法学院の料理長を務めるとなると、どこか見る目が違うようである。
しかし、ルイズはこの台詞にもずいぶんと驚かされた。今日の授業の事と言い、シンジは中々使えそうだ。 

「へええ、そうなの」
「そうなのって、知らなかったんですかい」
「昨日、呼び出したばっかりなのよ、しょうがないじゃない!」
「へぇ、まあそうですがね」
「まあ、ロバ・アル・カリイエからやってきたとだけ言っておくわ!」

詳しく紹介しようにも、断片的な情報が多くルイズ自身、シンジをまだ良く知らない。

ルイズは調理場から戻る道すがら考える。
通常、空を飛ぶ使い魔や犬ネコ等は索敵系に分類され、モグラ、カエル、リス、ねずみ等の小さな使い魔は情報探索系、マンティコア、サラマンダーなどの体の大きな幻獣は戦闘系、あるいは戦闘補助系となる、また、ユニコーンやグリフォンなどは移動系である。

もちろん、使い魔は上記のような大雑把な使い方ばかりではなく、モグラを戦闘に参加させることもあるだろうし、グリフォンやユニコーンを索敵に出すこともあるだろう。
そこはメイジの裁量しだいではあるが。

人を乗せ、素晴らしいスピードで飛び回り、あるいは走り回り、また戦闘にも強いドラゴンはやはり人気の高い使い魔ではある。(その代わり、維持費が一番高いのもドラゴンではあるが)

振り返ってみてシンジはどうであろうか?

まず、人である。それなりに頭がいいことはわかっている。知識も今までルイズが目を向けてこなかった方面も含めてかなりある。
また、言葉をしゃべれるのはありがたい。使い魔にしゃべらせるのはルーンの効能のかなりの部分を持っていってしまうため、素でしゃべれるシンジはありがたい。
ルイズはここまで考えて、はたと気が付いた。

(そうだ、ルーン)

今の、今まで忘れていた。シンジにはルーンが刻まれたのだ。しかも2つも。つまり、何らかの特殊能力が備わった可能性が高いということである。

(まさか、知能に全部持っていかれたのでは?)

いやいやそれは無いな、と頭をふる。
とにかく、今まで人を使い魔にした例はなく、何が起こっても不思議ではない。
シンジを見た目で判断すれば、そう背が高いとはいえない華奢な体つきで戦闘系ではないことは一目でわかる。
するとやはり情報探索系の使い魔といえるだろうか?
そして、先ほどの授業中、自分の爆発を食い止めた何らかの力。
あれが、シンジのルーンによるものだとすれば、それはすなわち自分の系統がそれでわかるかもしれない。

(エアシールド?これは違うだろう、風魔法のエアシールドは、弾き返すというよりは逸らす系のガード魔法だ。水系統のウオーターシールドも同じ)

ルイズは、いくつか頭の中でエアシールドの応用法を考えたが、どれにも当てはまらずこの考えを放棄した。

(火系統のファイアーウオール?あんな球形にはならないし、私の爆発が防げるとは思えない。
土系統のアースウォールは唯一その強度により防げそうだが、魔法を使った形跡が残るし、だいたい教室に土なんか無い。
(なにか、空気その物に『固定化』の上級魔法である『硬質化』をかけたような、あるいは魔法力そのものを壁にしたような)

しかし、ルイズにはそんな魔法に心当たりは無い。彼女自身に魔法は使えなくとも、その知識量は3年生にも引けを取らないはずだと自負している。
比較的簡単とされるコモンスペルを除き、大体の系統魔法には媒体(エレメント)が必要である。
自分の魔法の利きが良い媒体を自分の系統といっているのだ。

(例外は火か、いやいやこれも大気であれ、紙であれ燃えるべきものを燃やしている。要はそこに、自分の精神力を……あっ!)

ルイズはあることに気が付いた。


第六話 2日目 その4 決闘?


ルイズは昼食を終え、大好きなデザートの時間である。 今日のスイーツ(笑)はピーチパイのようだ。クックベリーパイほどではないが、ルイズの好物のひとつだ。それを、紅茶と共に楽しんでいる。
ルイズがそれらをゆっくり堪能していると、ヴェストリの広場のほうから声がしてきた。

「諸君、決闘だ!」
「ギーシュ様、ギーシュ様、決闘じゃないです。試合です。試合」
「こまけぇこたぁいいんだよ。とにかく決闘だ!」

(んん、なんか今シンジの声が聞こえたような)

ルイズは急いで目の前のデザートをかたずけると、ヴェストリの広場のほうに向かった。
すでに、広場は大勢の生徒たちで溢れかえっていた。

「ギーシュが決闘するぞ!相手はルイズの使い魔だ!」

ギーシュは腕を振って、歓声に応えている。ルイズは人波に押され、なかなか中央に出られない。

事の発端は大した事ではない。
貴族たちのデザートを運び込んでいたシエスタが大方配り終わり食堂を出るときに、すでに食事を終え外に出ようとして忘れ物に気が付いて戻ろうとしたギーシュと軽くぶつかってしまったのだった。
ギーシュにしてみれば、メイドの女の子と出会い頭にぶつかるなんてのは人生のご褒美であって、別段怒るような事じゃない、“いいよ、いいよ”と手を振ろうとしたら。
当のシエスタはやたらと怯え、大仰に謝っている。

トリスティン魔法学院においては、たとえ相手が平民といえど、大した事でもないのに勝手に罰を下したり、ましてや体を傷つけたりなどの行為は禁止されている。
けっこうな罰則も用意されている。
もし、そんなことをした日にはいくら給金が良いとはいえ、学院から使用人が居なくなってしまう。
せいぜいが口頭による叱責ていどである。

しかしながら、この辺が良くわかっていない生徒は毎年少数ながら居て、使用人たちはけっこうな緊張を強いられてはいるが、それも高い給金の内では在る。
シエスタはその辺りの事を、メイドの先輩から大げさに聞かされていて、魔法により何かひどいことをされるのではと気が気ではない。

そこを、朝のようにルイズを待っていたシンジが見ていた。
シンジにしてみれば今朝のギーシュの身に起こったことを考えれば、朝せっかく知り合いになったシエスタが、貴族にひどい目に合わされそうである様にしか見えない。
気が付いたら、シンジはシエスタをかばい一緒に謝っていた。

ギーシュにして見ればたまったものではない。メイドの女の子とぶつかってから、まだ一言も発していないのだ。トリスティンはメイジが勝手気ままに平民をどうしてもいい様な無法国家ではないのだ。
少なくとも表向きは。
もちろん、田舎から出てきたばかりのシエスタはそんなことは知らない。だが、シンジが一緒になって謝ってきたのを見て。

(チャーンス)

とばかりに頭を回転させた。
ギーシュも先ほどの授業でシンジが言いかけたことを知りたかったし。教室で話題になった、ルイズの爆発魔法を阻止したらしい彼の力が気になっていた。
おまけに今朝の貸しも在る(とギーシュは思っている)その鬱憤を晴らすいい機会でもある。

「あー、使い魔君、彼女を許す代わりに先ほど授業中に言い掛けた事をいいたまえ」

的なことを持ち前の気障なオブラートに包んで言ったが、シンジもルイズから口止めされている。
そこでギーシュは、とあるゲームを持ちかけた。すなわち、ゲームに勝った方の言うことを聞くというものだ。うまくすれば、このゲーム中に彼の力の一端が垣間見られるかもしれない。
そうでなくとも、何かしら彼の知識が得られるはずである。
シンジもしぶしぶ承諾した。

ギーシュは多少頭がいいとは言え、杖も持っていない平民に、魔法を使う自分が負けるはずは無いと確信していた。ルールは簡単、お互いの杖を奪ったほうの勝ちである。シンジは杖を持っていないため、ギーシュの錬金で20サントほどのナイフを出してもらった。
ギーシュは魔法の使えない彼の為、自分は一定の場所から動かない事を約束した。
立会人は2人、今朝のギーシュの友人たちである。ふたりは10メイルほど離れ立会人の開始の合図を待っていた。




ルイズは焦っていた。
なんとしても、この決闘を止めなければならない。
ギーシュの始めた事らしいから、自らの財布の負担になるような怪我はさせないだろうとは思っている。
だが、常に事故は起こりうる。
ルイズはせっかく見つけた自分の魔法の謎の解明のための鍵を無くしたくなかった。
なんとしてもこの決闘に介入し止めるのだ。
幸い、シンジはルーンによる強制力が強く作用しているようでルイズの言うことは何でも聞いてくれる。
ルイズがやめろといえば、多少理不尽でもやめるだろう。
しかし、フライもレビテーションも使えないルイズでは、なかなか前に出ることは出来なかった。
周囲の歓声が大きくなった。

(まずい まずい、まずい)

ルイズの焦りが大きくなった。

「ちょっと、ちょっと通してよ、そこどいて」

やっと前に出る。
ルイズは相対している二人を見て、ほっと胸をなでおろした。

(よかった、まだ始まっていないようだ)

ルイズはそう思い中央の二人に駆け寄った。
シンジはルイズの姿を見るといつものように片ひざを付き、命令を待つ騎士の様だ。
ただ、両手を前に組んでいるのではなく、ナイフを持った左手を後ろに隠し、右手を胸に付けている。

立会人はちょっと離れて見ている。

「ちょっと!ギーシュ!決闘は禁止されているはずよ!」

しかし、ギーシュは反応しない、なぜかボーっとしている。

「ちょっと!聞いてんの!」
「あ、ああ、ルイズか……」
「ルイズかじゃないわよ、仮にもヴァリエール家の使い魔に、何酷いことしようとしているのよ、彼は戦闘系の使い魔じゃないことぐらいわかるでしょう」
「ルイズ、見ていなかったのか?決闘はすでに終わってるよ……ボクの負けだ」
「はえ……?」

シンジはルイズを見ると、後ろに隠していた手をゆっくり前に出した。その手にはギーシュの杖であるバラの造花がナイフと共に握られていた。

「ルイズ様、勝手なことをして申し訳ありませんでした」

さすがに、わけがわからない。

「えーと、シンジ……勝ったの?」
「はい」

その時、やっと立会人たるギーシュの友人たちが近づいてきた。彼らもまた、この結果にあ然として反応が遅れたのだ。シンジは黙ってバラの造花を立会人に見せた。
立会人たちはそれを見て、お互いに顔を見合わせうなずいた。

「この決闘、ルイズの使い魔の勝ちとする!」

この鬨の声に周りがまたどっと沸いた。
シンジの「決闘じゃないです」という声は大歓声にかき消された。





時間をちょっと巻き戻し、所変わって、ここは学院長室。
授業が無いのか、コルベールはまだここにいた。『錬金』の授業からルイズの呼び出した使い魔についての処遇を話し合っていたのだ。
ノックの音がした。

「誰じゃ?」

扉の向こうから聞こえてきたのは、オールド・オスマンの秘書であるミス・ロングビルだった。

「私です。オールド・オスマン」
「なんじゃ?」
「ヴェストリの広場で決闘をしている生徒がいるようです。大騒ぎになっています。止めにはいった教師がいるようですが、生徒たちに邪魔されて、止められないようです」
「まったく、暇をもてあました貴族ほど性質の悪い生き物もおらんな。で、誰が暴れておるんだね?」
「一人は二年生のギーシュ・ド・グラモン」
「あの、グラモンのとこのバカ息子か。オヤジも色の道では剛の者じゃったが、息子も輪をかけて女好きじゃ。大方女の子の取り合いじゃろう。相手は誰じゃ?」
「……それが、生徒ではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔の少年のようです」

オールド・オスマンとミスタ・コルベールは顔を見合わせた。

「教師たちは、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」

オールド・オスマンの目が、鷹のように鋭く光った。

「許可する。可及速やかに決闘を止めよ」
「わかりました」

ミス・ロングビルが去っていく足音が聞こえた。ミスタ・コルベールは唾を飲み込み、オールド・オスマンを促した。

「オールド・オスマン」
「うむ」

オールド・オスマンは杖を振り、魔道具『遠見の鏡』を再び起動した。
映し出された場面は、ギーシュとシンジが向かい合い立会人の合図を待っている所だった。




シンジは驚いていた。ナイフを握った瞬間から体が羽のように軽い。おまけに体内のS2機関がシンジの意思とは無関係にかなりの勢いで動いている。
おまけに、周りの風景がやけにゆっくりと動き、音が消え、景色の色も消えていった。

(え、っと、これはいったい)

シンジはこの戦いで勝つ気など無かった。下手に力を使えば、恐れられる、嫌われる。
やっと出会えた、シンジと絆を結んでくれたご主人様にも迷惑がかかる。
適当にやって負けて、重力の知識などいくらでもくれてやれ、と思っていた。
ルイズは怒るだろうが、そこは謝って許してもらおうと思っていた。

(この力なら、スピードがちょっと上がるだけだ。普通にルーンの力だろうから、そんなに怪しまれないだろう)

シンジはこの2つのルーンがレア中のレアであることなど知らなかった。上がる反応速度も並では無い事も知らなかった。

お互いの後ろに立つ、立会人の手がゆっくり、ゆっくりと上がる。そして、シンジ的に五秒ほどかけ、その手が下ろされた。
シンジは足元に小さくATフィールドを張り、その上を踏んで一気にギーシュの後ろにジャンプした。
だが、少々目測と力加減を誤り飛びすぎてしまう。ブレーキ用にまたATフィールドを張り、今度は過たず、ギーシュの後ろにそっと立つ。

ギーシュには、シンジが試合開始の合図と共にふっと消えたように見えた。次の瞬間、後ろから自分の右手にあるバラの造花を模した杖が、そっと引き抜かれた。立会人たちは巻き込まれないよう、後ろを向いて離れる所だった。しばらく、ギーシュは茫然と立っていた、やがて近づいてきたルイズの声に我に返ったのだ。
彼らを止めるはずの教師たちは、未だヴェストリの広場に到着もしていなかった。





「オールド・オスマン!」

ミスタ・コルベールは震えオールド・オスマンの名を呼んだ。

「うむ、あれぞまさしく恐るべき伝説の使い魔『ガンダールヴ』の力、じゃが……」

オールド・オスマンは一呼吸おいて続けた。

「ずいぶんとやさしい『神の盾』じゃの」
「み、見えませんでした」
「うーむ、さすが伝説じゃの、千人どころか万人でも彼を止められまいよ」
「オールド・オスマン……私は恐ろしい」
「恐れるな、恐れは彼の心に跳ね返され自らを襲うぞ。むしろ彼のギーシュを傷つけなかった優しさを見てやれ」
「……わかりました」
「とりあえず、決闘したふたりとミス・ヴァリエールを呼べ。ちらっと注意しとかんとの」
「はい」

ミスタ・コルベールは立ち上がり、ゆっくりと学院長室を出て行った。
体の震えが、止まらぬまま。





[10793] 第七話 2日目 その5 決意
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/09 23:14
ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、自分が魔法の才能の無い「ゼロ」であることを知っている。呼び出せる使い魔がメイジのレベルに応じることも知っている。
だが、彼はなんだ、土ドットとは言え、あのギーシュを圧倒し何もさせなかった。
無論、ルイズは決闘は見損ねている、だが結果を見ればなにが起こったかは明白だ。
不意にルイズは自らの召還の呪文を思い出した。

『この『世界』のどこかにいる、『強大な力』を持ち、『美しく』、そして『聡明』なる使い魔よ、 私は心より求め、訴えるわ。我が導きに応えなさい』

あの時は出来るだけ欲張った、願った事の1割でもかなえられるように。
だが、願いはかなった、ほぼ百%。
彼は『聡明』だ。
彼は『強大な力』を持っている。
彼は『美しい』これはちょっと考える余地がある。

(彼はなんなのだろう。あたしの様な、落ちこぼれメイジが従えていて良い存在なのだろうか?)

ルイズはそこまで考え、ミスタ・コルベールに呼び止められた。


第7話 2日目 その5 決意


「さて、釈明を聞こうかの」

ここは、学院長室である。
ギーシュとルイズとシンジが昼休みの決闘の顛末を聞くために午後の授業の後、呼ばれたのだ。
オールド・オスマンはまず、ギーシュに向き直った。

「は、はい、学院長。その~あれは決闘では無くですね、その~何と言いますか、う~ん、彼との交流の一環といいますか、その~食後の運動に付き合ってもらったといいますか……」

ギーシュの戦術としては、シンジが適当に近づいたら『レビテーション』をかける心算であった。
大概の平民は、10メイルも持ち上げれば降参するからだ。
もし降参しなくても、彼の体を空中で回転させ、目を回したところでナイフを取り上げれば自分の勝ちである。
喧嘩ではなく、ゲームである以上、ルールによる勝ち負けの条件を満たせばそれで良いのである。
自分の戦闘用魔法「ゴーレム精製」なんて使う心算はなかった。
もし使っていても、あの速さでは呪文を唱えている間に近づかれて、結果はそう変わらないであろうが。

「さて、使い魔君、彼はそう言っているがそうなのかね?」
「シンジです。概ねその通りです。ルールがありまして、その中でやっていましたので」
「ほほう、どんなルールじゃね」
「はい、えーと「お互いの持つ杖を奪い合う」というルールです」

オールド・オスマンの眉毛がピクッと上がった。

「そうかね、それでそれを決めたのはどちらかね?」

シンジはこの学院長だと言う老人の空気が変わったのを感じた。もともと、人の顔色を読むのに長けていたシンジである。

(怒ってる。でもどうして?)
「は、はいその~」

シンジは泳がせた目を、ギーシュに向けた。 見ればギーシュはあわあわしていた。
いつものよく動く舌は、どうも調子が悪いようだ。

「ん、答えんでもええよ。良くわかったからの」

オールド・オスマンはまたギーシュに向き直り、空気を吸い込んだ。

「ギーシュ!!怒!!!グラモーーーン!!!!!!!」

腹に響く大音量である。

「は、はひぃー」
「貴様ぁー!脳がまぬけかぁー!『お互いの持つ杖を奪い合う』のどこが決闘じゃないのじゃー!」
「ももももも、申し訳ありませんでしたー」
「貴様には!罰として!土の塔のすべての窓の窓拭きを命じる!よいか!ピッカピカに磨くんじゃー!」
「かかか、かしこまりましたー!」

ミス・ロングビルもルイズもシンジも、唖然としていた。ここまで怒ったオールド・オスマンを見たことが無い、いつもは飄々としたセクハラ老人なのである。
もっとも、ミス・ロングビルは雇われてまだ2ヶ月。
シンジに至っては、昨日召還されたばかりで今が初対面であるが。
ミスタ・コルベールは知っているのか、シンジをちらちら盗み見しているが、オールド・オスマンの大激怒に動じた様子は無い。
オールド・オスマンはシンジに向き直ると、うって変わって穏やかな笑顔を向けた。

「それで、事の発端はなんなのかね?」

シンジは、ギーシュとシエスタがぶつかってしまい、シエスタがひどくおびえて謝っていたこと。
いたたまれず自分も一緒に謝ったら、授業中の秘密の開示を迫られたこと。
ルイズの命令でそれは出来ないといったら、「ゲーム」を持ちかけられたことなどを話した。
それを聞いたオスマン氏は厳しい目つきをギーシュにむけると静かな、だが重々しい声で。

「何か言いたいことはあるかの?なければ水の塔もじゃ、理由も欲しいかの?」
「い、いえ、かしこまりました」

今日はギーシュにとって厄日のようである。
シンジにはこの学院がやたらきれいな訳がなんとなくわかった。シンジは自分の罰も聞いたのだが、巻き込まれただけと判断されお咎めなしであった。





ギーシュがうなだれて退室すると、シンジもルイズもそれに続こうとしたが、オスマンに呼び止められた。
そして、部屋の隅にある応接施設に案内された。

「ちと、聞きたいことがあるのじゃが、ええかの」

オールド・オスマンはまたミス・ロングビルに目で退席を促していた。ロングビルは何も言わず、会釈一つで出て行った。シンジはルイズの顔をうかがい、頷いた。

「スマンの、使い魔君、おおっと、シンジ君じゃったの。まずは君に、ここの学院の生徒が迷惑をかけたことを謝ろう。この通りじゃ」

オスマン学院長は、その長大な体を曲げ頭を下げた。

「そんな、迷惑なんかかかっていません、むしろ皆さんに良くして頂いています」
「そうかね、そう言ってくれると、まずはひと安心じゃ。ところで、君は故郷に帰らんで良いのかね。……いや帰りたいとは思わんのかね?」

これにはシンジの代わりにルイズが答えた。

「学院長、シンジの故郷は……もう滅んでしまったんです。……もう何年も前のことだそうです」
「ほう、それは悪いことを聞いたの、スマンかった」
「とんでもありません。どうか頭を上げてください。……昔のことです」
「んむ、スマンな。……ところで君の両手にあるルーンの事じゃが、何かミス・ヴァリエールに聞いとるかな?」

シンジは両手の甲をオールド・オスマンに見せる。

「はい、何かとても珍しいルーンで、今コルベール先生が調べてくださっている最中とか?」

コルベールはシンジの座るソファーの後ろに立っている。オールド・オスマンはミスタ・コルベールに顔を向けた。

「ふむ、ミスタ・コルベール教えようと思うがかまわんかの?」

コルベールはちょっと難しい顔をし、軽く唾を飲み込んだ。

「い、いいでしょう。ミス・ヴァリエールを、そして彼を信じることにします」

なんだか大仰な言い方だな、と思いつつ続きを聞くことにした。

「君の左手に刻まれたものが『ガンダールヴ』、右手に刻まれたものが『ヴィンダールヴ』、かつて始祖ブリミルに仕えたとされる、4人の使い魔のルーンの内、そのふたつが刻まれておるのじゃ」

これにはルイズも目を見開いて驚いた。

「伝説の使い魔!?」

彼女にしてみれば降臨祭やら誕生日やらがいっぺんに来たような心持である。

「絶大なる戦闘力を誇り、あらゆる武器を操って主人の身を守ったとされる『ガンダールヴ』、
ありとあらゆる獣をあやつり、地海空と主人を運んだとされる『ヴィンダールヴ』
あらゆる知識を溜め込んで、主人に助言までしたといわれる『ミョズニトニルン』
そして、正体のわからん四人目の使い魔、これら四人が、始祖ブリミルが従えていた使い魔たちじゃ」

(んん、ちょっとまってよ)

「えーと、今の話では彼は『ミョズニトニルン』のような気がしますが?」
「わしもそう思う、いや思っておった。じゃがギーシュとの戦いを見たじゃろう。あの速さ、わしでもルーンひとつ唱えられん」

これにはルイズも渋い顔をした。
なにせ、人ごみを掻き分けている最中に決闘が終わってしまったのだ。

(くうー、見たかったぁー)

「い、いいえ、その人が多くて……」
「そうか、残念じゃったの。ところでこれは、わしがたった今作り上げたものじゃがもらってくれんかね」

そういわれて、出されたのは一対の皮手袋だった。指のところがきれいに取れている。そして色が肌色に近く、ぱっと見には着けてるようには見えないであろう。持ってみると薄くやわらかい。

「皮を!錬金したんですか?」
「いやいや、材料にはもちろん皮を使ったがの。皮そのものを錬金したわけではないんじゃ。魔法もそう万能ではないからの」

シンジはこの手袋を送られた意味はわかった。「隠しておかなければ、トラブルの元になる」そう言いたいのだろう。

「ありがとうございます、ありがたくいただきます」
(ふむ、察しも良いのう)
「うむ、わしの固定化もかかっているからの、まあ40年は大丈夫じゃ、大事に使ってくれよ」

シンジが重ねて礼を言おうとしたら、いきなり立ちあがったルイズに遮られた。

「40年、オールド・オスマンの系統はやはり土だったのですか」

さて、オールド・オスマンの系統は謎である。土のオーバースクエア(スクエアの超上級者あるいは熟練者)とも、オールドットスクエア(すべての系統を一つずつ持つもの、基本的にはいないとされる。例外は始祖ブリミルのみである)とも言われている。
なにせ、学院において、簡単なコモンスペル以外使っているところは誰も見たことが無い。
案外、唯のラインかトライアングルメイジかもしれない。もちろん、そうであったとしても、彼の偉大さをいささかも減じるものではないが。

「ふぉっふぉっふぉ、さてどうかの?」

シンジはルイズをたしなめるため肩に手をかけ座らせた。

「ルイズ様、ルイズ様、失礼ですよ」

だが、この発言にオールド・オスマンが目を光らせた。

「あ~いや、良いんじゃ、良いんじゃ、……ところで……の」

そういうと、オールド・オスマンは立てかけてあった自分の杖を持ち、立ち上がって窓際に移動した。

風景を眺めるためでないことは、シンジとルイズの座るソファーのほうを向いていることでわかる。
ミスタ・コルベールも自分の杖を取り出し、緊張気味である。シンジも変に緊張した空気に当惑した。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは大貴族の娘じゃ。そして、ヴァリエール公爵の跡継ぎでもある。したがって、いずれ彼女はふさわしい相手と結婚するじゃろう。そのときおぬしはどうする心算かな?」
「えーと、その時はルイズ様のだんな様が僕の主人ということになるのでは?」
「彼女の夫が!あるいは彼女自身が!おぬしを邪魔だと思ったら!?」
「その時は、うーん、ロバ・アル・カリイエに戻ってみようかと思います」

これは本当である、シンジはいずれ日本のあの場所に戻ってみる心算ではあった。そして、そう答えると目に見えてオールド・オスマンとミスタ・コルベールの緊張が解けていくのがわかった。

「な、な、オールド・オスマン!!何という事を言うのですかぁ!!!」

黙って聞いていたルイズが爆発した。

「使い魔を見捨てるメイジなどメイジの風上にも置けません!私がそんなことをするとでも思っているのですか!」
「スマン、スマン、じゃがの、いわゆる『使い魔のお着替え』をするものはずいぶんな数になるのじゃ。……別に、そのことについて罰則が有る訳でも無いしの」
「私は絶対、そんなことはしません! ましてやシンジは人間です!」
「わしもそう願っとるよ。……ところでな、ミス・ヴァリエール、コントラクト・サーヴァントによって使い魔におきる5つの効能を言ってみたまえ」

急に話の方向を曲げられたルイズは、それでも優等生らしく律儀に答えた。

「え、は、はい、呼び出したメイジに従うようになる「服従」。
感覚を共にする『共有』。
過去を思い出さなくなる『忘却』。
人の常識を身につける『刷り込み』(安定とも言う)。
そして特殊能力を得る『特化』の5つです」
「ふむ、授業はよく聞いておるようじゃの」

オールド・オスマンはソファーに座りなおしルイズに向き直った。

「今、君はわしとミスタ・コルベールに対して怒りを口にしたが、彼はむしろ君をたしなめた。また、彼は君が結婚すると聞いても落ち着いてその夫に従うといった。追い出されるぞ、と言えば出て行くといった。ちと安定しすぎとりゃせんかの?」
「安定していて……まずいんですか?」
「正直、少々異常じゃの。なにせ彼に付いた『ルーン』はふたつ、常識で考えれば効果も2倍じゃ。ありていに言えば、惚れ薬を原液で飲まされたようになってもおかしくは無い」
「えーと、つまり…ま…さ…か」
「『服従』と『共有』が、うまくいってないのではないかな?」

ルイズは混乱の極みにあった。まさに天国から地獄である。勢いよく、シンジに向き直る。

「あああ、あんた、素なの!素で!いままで従っていたの?!」
「えーと、ルイズ様、そう言われましても、僕には何の事やら……素だとまずいんでしょうか?」

もちろん、ルイズは大貴族の娘である。それだけで人が従ってもおかしくは無い。
だが同時にメイジの端くれとしての矜持もある。
そして、シンジは始めての魔法成功の証である。
苦労して手に入れた自分だけの宝である。そう思っていた。
だが……。

「……」

ルイズは黙ってシンジを見ている。見つめている

「ルイズ様、実は朝ごはんを食べている最中に急にルイズ様に会いたくなったんです。ですから、ぜんぜん効いてない訳でもないのでは?」

それは、ルイズが実家にてよく耳にした同情の台詞と同質のものに思えた。

(違う、私が欲しかったのは伝説などという大層なものではない。小さくてもいい、弱くてもいい、そんなに聡明でなくともいい、美しくなくともいい、誰にも文句のつけようのないメイジの証がほしかっただけだ)

ルイズには、シンジに『服従』が効いているのか、いないのかはわからない。だが確かに『共有』は効いていなかった。
彼の見るもの聞くもの、感じるもの、どれも彼女には伝わってこない。

(彼は最高だ、優しく強く聡明だ……彼が従者なら、あるいは友人なら良かった。だけど彼は使い魔だ。私にはたしかによく従ってくれる。でも、恩でも情でも、その他の物でもなく、私の魔法で従って欲しかった……)

それは、ある意味メイジ至上主義のひどい考え方だったが、それでも嘘偽りの無い気持ちでもあった。
ルイズは、失望の溜息をついた。

「オールド・オスマン、申し訳ありませんが、気分が悪いので退室させていただきます」

ルイズはそういうと素早く、学長室から出て行った。溢れる出る涙を誰にも見せたくなかった。

「ルイズ様、……すいません学院長失礼します」

「女の子を泣かせたら責任を取れ」 いつか誰かに言われた台詞。
シンジは素早く立ち上がり、オスマンとコルベールに頭をさげ、彼女を追いかけた。



ルイズは学院長室から逃げ出して走りながら、昨日の夜から今日までの事を思い出す。

(服従も、共有も、忘却も、刷り込みも……ううん、下手をすれば特化だって、あいつのそのまんまの力かもしれない。あたしがあいつに与えたのは、ご大層な名前のルーンだけ。
あいつは長い間一人ぼっちだったっていってた。
だから、差し伸べた手にすがりついただけなんだ。
久しぶりに会えた人間に、うれしかっただけなんだ。
あたしはそんなことも知らずに、あいつに「ご主人様と呼べ」なんて言ってたんだ。
いい気になって……命令してたんだ。
さみしさから、あたしにすがっていた子供に。
でも、でも、あいつは一言も不平を言わず従ってた。
授業中の魔法だって、あいつがいなきゃ、きっとまた爆発していた。
それでもあいつは文句も言わなかった。
なにが貴族だ。なにがメイジだ。あたしは、あたしは……)

負の感情が生み出す思考は、なかなか止まってはくれなかった。





シンジはルイズをちょっと前に決闘をした広場で見つけた。シンジは正直、なぜ悲しんでいるのかわからない、どう声をかければいいのかも。ルイズはシンジに後ろを向けたまま、立ち木に頭をつけて震えている。

「ルイズさ……」
「何も言わないで!」
「……」
「わかってるわ。あたしは貴族としてしか生きられない」

そう言いながら、右腕の袖で思い切り顔を拭く。

「ルイズよ!」
「えっ」
「『様』なんていらないわ!これはあたしの決意の印」

そう言ってやっとルイズはシンジに向き直った。

「あたしは、今よりもっと努力して、勉強して、レベルを上げて、いつかあんたを魔法で従えるメイジになるわ。あんたの心にあたしのコントラクト・サーヴァントを届かせて……。そしていつか、『伝説の使い魔』を、すべてあたしの物にする」

この台詞には、さすがにシンジも苦笑いを返すしかなかった。

(それって、洗脳を成功させるって事だよね。 本人を前にしてそんなこと言っていいのかな?)

「でも今は駄目、今のあたしは唯のゼロでしかない、『伝説の使い魔』にご主人様と呼ばれる資格が無いわ」

ルイズはちょっと俯くが、すぐに顔を上げシンジの目を正面から見据える。

「だから、だからあたしのことは「ルイズ」と呼んで頂戴、いつかシンジから見て立派なメイジになったと思ったら……」
「かしこまりました。 ルイズ様」
「ぶっ、『様』付けんなって言ってるでしょ!」
「えー、そんなこと言われたって急には無理ですよ」

(むう、このヘタレ使い魔が)

「いいから、命令よ!ほら言って御覧なさい」

いろいろと理不尽な台詞である。

「ルイズ……さん、ぐらいで妥協しませんか?」
「うーん、しょうがないわね、当分はそれで我慢してあげるわ」

シンジはほっとした。彼の精神年齢は未だ14歳程度である。精神年齢とは他人との付き合いにより向上する物だ。シンジにはそれが無かった。したがって、実年齢はともかくとしてルイズは年上のお姉さんである。
呼び捨てにするなどなかなか出来るものではなかった。





「オールド・オスマン」

ミスタ・コルベールは冷たい視線を学院長に向けた。

「コホン、あー、ちょこっとしくじったの」
「ちょこっとではありませんぞ、下手をすればこちらを警戒させるだけに終わったかもしれません。
おまけに本人の前で、コントラクト・サーヴァントの説明をさせるなど!寿命が10年は縮みましたぞ」
「うーん、まだいろいろ聞きたいことがあったんじゃがのう。ま、おおむね心配は要るまい」

ミスタ・コルベールにはそれがひどく暢気な物に聞こえた、だが。

「確かに、彼からは邪気のようなものは感じませんでしたな」
「無邪気がすべて良いとは言わんが、わしも同意見じゃ。ふたりとも良い子じゃの」

オールド・オスマンは杖を振り、『遠見の鏡』を消した。





さて、シンジの長い2日目はまだ終わらない。

ルイズは気持ちが落ち着くと不意に、お昼に思いついたことをシンジにお願いしようと思った。

「シンジ、あのね、お願いしたいことがあるの」
「……」
「ちょっと返事ぐらいしなさいよ」
「……」

シンジは背中を向けたまま、押し黙っている。どうやら空を見ているようだ。
太陽はすでに西の空に沈み、彼の見ている方向にあるのは中天に高く上がった月である。

「まあ、シンジったら、お月さまに見とれるなんてずいぶんとロマンチストだこと」
「……」

(あらあら、ホームシックかしら、まあお月様なんてどこ言っても変わらないものね。今日は特に“二つとも”きれいな満月ですもの、きっと故郷を思い出してるのね)

そんなことを考えながら、ルイズはそっとシンジの表情を盗み見る。

さて、聡明なるアルカディアの読者貴兄においては、すでにシンジがどういう状態か想像に難くないかと思われますが、今しばしのお付き合いのほど御願いいたします。

シンジはポカンと口を開け本当に月に見とれているようである。
ルイズはシンジのことを14歳ぐらいに見ていたが、今はもう少し幼く見える。

「ルルルルル、ルイズ様、いやルイズさん、あそそ、あそこに見える月を見て、あいつをどう思う……」

(あらやだ、あたしを口説くつもりかしら、ううんシンジのことだもの、きっとあたしを慰めようとしているのね。でも月光の下でなんて、すっごいロマンチックね……ちょっとベタだけど)

「すごく、大きくてきれいね」
「う、うう、うんきれいだよね……月って二つあったっけ?」
「まあ、ロバ・アル・カリイエではひとつしか無かったの?ハルケギニアでは有史以来ずっと2つの月が輝いていたわ」
「……」

ルイズはシンジが冗談を言おうとしているか、または落とし話をしようとしていると思った。
だがいつまでたってもオチがこない。

「……」

ただ、黙って月を見上げているだけだ。

(んんん?なんかミスったかしら?)
(月が二つ、ここは地球じゃないのか?いやいや、そんなわけが無い。ボクの話が伝わっていて、しかも住民がATフィールドを使う……)

シンジは必死にここが地球であることの根拠を探していた。
そうでなければ、何か足元から地面が崩れそうな不安な気持ちが持ち上がってくるのだ。
だが、月が二つという現実は変わることが無い。
ルイズの態度を見るにそれは当たり前の光景のようだ。
シンジが眠る前に見た夜空にはそんなものは無かった。
小さなほうの月はいつもの見慣れた月に見える、だが大きなほうの月はどこか表面がツルンとして、まるで人工物のようだ。
結局、わけがわからずシンジは双月を見ながら立ち尽くしている。
ルイズにはそんなシンジの心情は知らず、ただ月の美しさに見とれているだけ、
あるいは月を見て、昔を、故郷を思い出しているのだと思っていた。


ふたりの心は微妙にすれ違い、ただ二つの月が美しく輝いていた。



[10793] 第八話 3日目 その1 使い魔の1日
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/09 23:09

シンジが召喚されて、つまりは使い魔となって3日目の朝を迎えた。
朝は夜明けと共に目を覚まし、ルイズを起こさないようそっとベットから降りる。
そして下の水汲み場まで降りてバケツで水を汲み、ルイズを起こすのだ。ルイズもその辺は遠慮をしないが、従者またはメイドにさせるように顔を洗わせなかった。もともと大貴族の娘でもあるルイズは、もちろん使用人を使い慣れている。それなのに、ある意味平民以下のシンジにそれをさせなかった。
それは、彼は従者ではなく使い魔である(それも伝説の)事が頭にあるため。貧相なゼロの自分に付き従う強大な伝説の使い魔。傍から見て、鳳凰を従える雀、虎を従える猫、竜を従える蛇の様に思われている気がしてならないのだ。

ルイズには『メイジの実力を知りたければ、その使い魔を見よ』と言う格言がどうにも信じられなくなっていた。
それに、よく考えればハルケギニアにおいてメイジのビックネームの一人であるオールド・オスマン学院長の使い魔は小さなねずみである。無論どのような特殊能力をその身に秘めているかは解らないが。

ルイズにはもちろん統計学上の偏りも、その際に切り捨てられる端数の概念も知らない。大雑把に今までこうだったから正しいとされているのだ。たぶん探せばこういった例外はけっこうあるのだろう。それでも、ゼロが伝説を引き当ててしまった事はこれが初めてではないか?
ルイズは始祖ブリミルに感謝していいのか悪いのか決めかねていた。

夕べはシンジが月にしばらく見惚れていた後、シンジが「もどろう、ルイズさん」と言って、何とはなしに部屋に戻ったのだ。予定していた、魔法の「実験」も言い出せなかった。


第八話 3日目 その1 使い魔の1日


シンジはルイズと部屋を出る。
すると、狙い済ましたように並んでいるドアのひとつが開き、中から燃えるような赤い髪の女の子が出てきた。昨日、シンジにディテクト・マジックをかけた一人であるキュルケだ。
彼女はルイズを見ると、少々ばつが悪そうに笑った。

「あー、おはようルイズ」

ルイズも昨日のことを思い出し、二ヤッと笑って朝の返事を帰した。

「おはよう、キュルケ」

ついでにシンジにも挨拶が来た。

「おはよう、使い魔君、昨日はかっこよかったわよ」
「おはようございます。ツェルプストー様、シンジです」
「キュルケでいいわよ。シンジ君」
「かしこまりました、キュルケ様」

キュルケと名乗った女性の背後から、昨日も見た真っ赤な巨大トカゲが現れた。そして、シンジの方に近づいてきた。

「昨日は挨拶もなく失礼しました精霊様。どうぞお見知りおきを。我が名はフレイム、こちらでつけていただいた名前ですが、なかなか気に入っています」

昨日、喋る猫を見たばかりである、トカゲが喋るくらいではシンジも、もうそれほど驚きはしない。

「こちらこそよろしく、フレイムさん、シンジです。精霊って何のことです?」
「おお、これはご丁重なご返答痛み入ります精霊様、シンジとはこちらでの名前ですかな?」
「いや、本名ですけど?」

ピコピコと火のついた尻尾を振る。

「おお、真名をお教えいただけるとは、末代までの誉れ。 いつかふるさとに帰るようなことがあったら一族のものたちに自慢しなくては。いやいや召還も悪くはありませんね。して、こちらにはお遊びか何かで?」
「いや、眠っていたら召還されたんですけど」
「ほうほう、あなたのような高位の精霊を呼ぶとは、なかなかに力の有るメイジのようですね」
「いや、だから精霊って……」 「シンジッ!」

シンジが疑問をフレイムに投げようとしたところをルイズの声に遮られた。

「はい、ルイズさん」
「……今、誰と喋ってたの……?」

なぜか小声で問いただすルイズ。

「誰って、フレイムさんと朝の挨拶を」
「フレイムさん?誰よ?」
「あの、あちらの赤いオオトカゲ……」

気が付くと、キュルケが怪訝そうな顔でシンジを見ていた。

(今、この子確かにフレイムっていったわよね。まだルイズには言って無いはず。……どゆこと?)

キュルケにはコントラクト・サーヴァントによりフレイムとの感覚共有ラインが結ばれている。
だがそれはほとんど五感に限り、言語化された意識まで読めるわけではない。せいぜい感情を少し読み取れる程度である。
また、使い魔が喋れるようになる、といってもほとんどが単語の羅列であり、文字通りの意味で喋れるようになるには時間と種族的な特性が必要だ。

また、フレイムも「刷り込み」に因る人語の理解と知能の向上が起こっているが、これもまたルーンによる翻訳機能の力が大きく、また、理解できるのが主人たるキュルケのそれのみである。
したがって、使い魔との会話はほぼ一方通行になる。

今、シンジは喋っていた訳では無く、右手のルーン『ヴィンダールヴ』にてこの幻獣と感情のやり取りをしていた。(もちろん口も動いていたが)
それがルーンの翻訳機能を介し、まるで喋っているような錯覚を起こさせたのだ。

ちなみに、人語を操ることができる人間あるいは亜人以外の種族は、爬虫類系を韻竜そして哺乳類系が韻獣と呼ばれるが、両方共にすでに滅んでいるといわれている。
そしてもちろん、キュルケの使い魔「サラマンダー」は韻竜では無い。

「あー、シンジ君だったわね。フレイムの名前を何処で聞いたのかしら?」
「え、たった今彼から聞いたばかりですが……もがっもが」

ルイズがシンジの口を押さえる、だが少々遅かったようだ。キュルケがすごい顔で、こちらに注目しているのだ。

「ちょっとルイズ、少し秘密主義が過ぎるんじゃなくて!彼は一体何者なのよ?それすら秘密なの?」

そんなこと言われてもルイズにだって正体不明である。
「サモン・サーヴァント」で呼びたい者を呼び出せる訳じゃない。
「コントラクト・サーヴァント」で付けたいルーンが付けられる訳じゃない。

別にシンジが何も言わない訳じゃない、一生懸命説明してくれるのだが、(もちろん、隠すべきところは隠してはいるが)ルイズの理解力がどうにもこうにも足りないのだ。
そして、普段なら自慢しているはずの、彼についた二つの伝説のルーンのことも話すわけにはいかない。
ルイズも昨日、オールド・オスマンがシンジに皮手袋をくれた意味をそれなりに理解していた。

「昨日、言ったでしょ。ロバ・アル・カリイエから来た「ぱいろっと」だって」
「そんな、意味不明な説明で納得できる訳ないでしょ! 「ゴーレム使い」がなんであたしの使い魔とひょいひょい喋れるのよ」
「あたしにだって、わかんないわよ!」

「えーと、ルイズさん、キュルケ様、そろそろ朝ごはんに行ったほうが……」
「なんで、キュルケが『様』であたしが『さん』なのよ!!」

女性の記憶とは、かくも都合が良い。

「そ、それは昨日ルイズさんが……それに、キュルケ様はやはり貴族の方ですし」
「あーげふんげふん、こいつに『様』なんて付ける必要ないわ」

ルイズが激昂しているとまたキュルケが口を挟んできた。シンジの肩越しに。

「そーよぉ、最初に言ったでしょ。キュルケでいいって」
「ぎゃー!あたしの使い魔にさわんなぁー!」

ご想像頂きたい。シンジの身長はハルケギニアの単位で約160サント、対してキュルケの身長171サント、バストは約一メイル弱。そして、ルイズの身長153サント、バストに関しては……。
今シンジの背中には、ムニュッと例のものがあたっている。

「あの、キュルケさん、……当たってるんですが」
「当ててんのよ」

(ぬうぅぅ、その使い魔はあたしんだ、睫毛一本、爪の一かけだって何処のどいつにも渡すもんじゃない。ましてや、ゲルマニアのツェルプストーなんぞに。カエルのションベンよりも!下種な!その無駄な脂肪の塊をシンジに当てるんじゃない!)

げに恐ろしきは、女の独占欲と嫉妬心。ルイズはものすごい目でキュルケを睨み付けた。無論キュルケも負けてはいない。
シンジの頭の中でネルフの女性オペレーターの声が聞こえた気がした。

(位相空間を目視で確認できるほどのATフィールドが確認されています)

シンジの心は二人のATフィールドに挟まれ悲鳴を上げていた。

「に、逃げちゃだめだ……」





とにかく食事に行くことになり、シンジは食堂の入り口でルイズと別れた。
キュルケとは食堂に入ってもまだぎゃんぎゃん言い争いをしていたが。

「あのーすいません、食事をいただきに来ました」

シンジはそう言って調理場の裏口から顔を出すと。

「『我らの剣』が来たぞ」

そう叫んで、シンジを歓迎したのは料理長のマルトーである。

「我らの剣って……?」

シンジが頭に?をつけたまま、調理場にあるテーブルの端っこに座ると、シエスタがニコニコ顔で寄ってきて、温かいシチューの入った皿と白いパンを出してくれた。

「ありがとう、いただきます」
「今日のシチューは特別ですわ」

シエスタはうれしそうに微笑んだ。
シンジはシチューを口にすると目を見開いて驚いた。

「これは……マルトーさん、すごいよ、おいしい」

そう言って感激すると、包丁をもったマルトーがやってきた。

「ほお、さすが我らが剣、わかるのかい?そのシチューは、貴族連中に出してるのと同じモンさ」

してやったりな笑顔で、得意げに鼻を鳴らした。

「ふん!あいつらはなに確かに魔法は出来る。土から城や鍋を作ったり、とんでもない炎の玉を吐き出したり、果てはドラゴンを操ったり、たいしたもんだ!でも、こうやって絶妙の味に料理を仕立て上げるのだって、言うならひとつの魔法さ。そう思うだろ坊主、おおっと我らが剣よ」
「シンジです。まったくもってその通りです」
「うーん、お前は、まったくもっていいやつだ!」

マルトーはシンジの首根っこにブッとい腕を巻きつけた。

「なあ、『我らの剣』!俺はおまえの額に接吻するぞ!こら!いいな!」
「その呼び方とキスはやめてください」
「なんでだ?」
「僕はただの平民……じゃなかった使い魔ですから、こんな美味しいものを作れる皆さんにこんなに歓迎される訳がわかりません」

マルトーはシンジから体を離すと、大仰に両腕を広げてみせた。

「お前は、シエスタを、あの恐ろしいメイジの手から救い出し、あまつさえ決闘に勝っちまった。それなのに“皆さんにこんなに歓迎される訳がわかりません”だぁー?」

マルトーは調理場に向き直り、怒鳴った。

「お前たち!聞いたか!」

若いコックや見習いたちそれにベテランのコックたちが揃って返事を返した。

「「「聞いてますよ! 親方!」」」
「本当の達人とは、こう言うものだ。決して己の腕前や功績を誇ったり、吹聴したりしないもんだ。見習えよ、達人は誇らない!」

コックたちが嬉しげに唱和する。

「達人は誇らない!」

するとマルトー料理長はくるりと振り向き。

「やい、『我らの剣』。俺は・・・・・・」

そこまで言ってマルトー料理長は固まってしまった。シンジが泣いているのである、さめざめと涙を流している。

「どどど、どうしたんだ『我らの剣』、なんか気に入らないことでもあったか?」

しばらくして落ち着くとシンジは涙をぬぐいぽつりぽつり話し始めた。

「ごめんなさい、マルトーさん、僕、皆さんにこんなに歓迎されて嬉しかったんです。いままで、こんなこと一回も無かったもので……」

調理場のコックたちはこれを聞いて、なにやら気恥ずかしくなってしまった。

(いままで、一体どれほどひどい人生を送ってきたんだこいつは)

マルトーはそれなりに人生経験をつんでおり、人を見る眼もあると思っている。トリスティン魔法学院で働く仲間であるシエスタを助けてもらったことは、確かに感謝しているが、それとは別にシンジの人となりを少し見てやろうと思いやったことでもある。だが、いきなり泣き始めるとは思わなかった。

「シエスタ!」
「はい!」
「アルビオンの古いのをついでやれ。俺たちの勇者の涙が止まるようなやつをな!」

シエスタは満面の笑みになると、ぶどう酒の棚から言われたとおりのヴィンテージを取り出してシンジのグラスになみなみと注いだ。

「あ、ありがとうございます」

今、シンジは涙で鼻が詰まっている。





「どうしたのシンジ、顔が真っ赤よ」
「い、いや、あの調理場で皆さんに、ヒッツ、お酒を、ヒッツ、飲まされちゃって、ヒッツ、」
「まあ、シンジあんたお酒が弱かったの」
「い、いや、今まで、ヒッツ、飲んだことが無かったんです、ヒッツ、」

(ぷぷぷ、これは良い事を聞いたわ。さしもの「伝説の使い魔」にも弱点があったのね)

シンジにすれば自分は弱点だらけ、コンプレックスだらけ、トラウマだらけであると思っているが、ルイズにすれば彼は完全無欠である。
さて、朝食の後は掃除と洗濯である。掃除に関しては言わずもがな、洗濯に関しても電気も洗濯機も無い世界で何百年も生きてきたシンジには必須のスキルである。
細かい洗い物の手順はシエスタに聞き、物覚えの良い彼はそれらをさくさく片付けていった。

それらが終わると今度はルイズの授業のお供を勤める。
水からワインを作り出す授業や、目の前に現れる大きな火球や、秘薬を調合して特殊なポーションを作り出す講義や、空中に箱や棒やボールなどを浮かして、それらを窓の外に飛ばして使い魔に取りに行かせる授業など物珍しく夢中で見つめていた。

なんで?と思うところはルイズに許可を取り、講師に使い魔であることを明かしてから質問をした。
講師の方も、人間の使い魔が珍しいのか、学院長になにか言われているのかはわからないが、ほとんどが質問を許し、シンジの質問に答えていった。

そんなシンジを、キュルケの使い魔であるフレイムがじっと見つめている。
いや、フレイムだけではない、教室内にいる幻獣と呼ばれる種族の使い魔たちがずっとシンジに注目しているのである。

授業に夢中になっているシンジにはそんなことは気が付かない。
いや、気が付いているのだが、ほかの生徒たちと同じく人間の使い魔が珍しいだけだろうと思い、たまにフレイムに手を振る程度である。


☆☆☆


「おい、赤いの、何であの精霊様は、お前にばっかり手を振ってくれるんだよ」
「ふふん、朝ちょっとね、ボクのご主人様があの方を呼び出した人間のとなりの部屋でね、ま、今じゃ親友かな」
「なにー、あのえらく位の高そうな精霊様と親友だとー!」

人間には低いうなり声にしか聞こえない発音と、刻んだ呼吸音のハルケギニアの先住言語で幻獣同士が話し合っている。 無論それなりに小さな声?で。
彼らには、シンジのなにが見えているのか、しきりに彼を『精霊様』と呼んでいた。

「そうとも、なにせ朝会ったばかりなのに、真名を教えてくれたんだ。僕は今あの精霊様にフレイムさんと呼ばれている」

フレイムの発言?と共に教室内にいた使い魔たちが騒ぎ始め、彼らの主人たるメイジたちは彼らを静めるため、しかりつけていった。
授業中に使い魔たちが騒ぐのは、主人たるメイジの監督不行き届きになるため、あらかじめ騒がないよう命令してあったはずなのだが。


☆☆☆


昼食の後、ルイズとシンジは昨日ディテクトマジックをかけた4人と一緒に外のテラスで話をしていた。

「ルイズ、まずはあなたに謝罪を。迷惑をかけた」
「もういいわ、どの道、私もいつか実家に頼んでやってもらうつもりだったし、なにもないってわかったから、かえって良かったわ」
「あら、何も無かったわけじゃないでしょう。授業の時あんなに褒められるような質問をするわ、ルイズの爆発を一人で防ぐわ、ギーシュに決闘で勝っちゃうわ」
「うっ」、「「うっ」」、「「うっ」」

最初から順にシンジ、ルイズ+シンジ、ギーシュ+シンジである。

「ま~だ、あるんだけどね~」

キュルケはルイズとシンジを見ながらニヤッとした。シンジは思わず下を向き、溜息をついた。

(目立たないよう、ひっそりルイズさんの使い魔をやるつもりだったのに、失敗したな)

「ま、でも、あたしも一応謝っとくわ、悪かったわねルイズ」

あんなことを最初に言われては、ルイズも頷くしかない。

「キュルケ~、相変わらずいい性格ね」
「おほほほ、褒められたと思っておくわ」
「キュルケ、ほかにもなんかあったの」

とはモンモランシー。

「さーてね、言っていいかしら、ルイズ」

何かあったと言っているような言い方である。仕方なしに、ルイズも許可を出した。

「うー、ま、まあいいわよ」
「そ、じゃ言うわね。この使い魔君はあたしのフレイムとお喋りしてたのよ」

キュルケとルイズを除く4人は、言われたことが理解できずポカンとしている。

「えーと、それって、キュルケの使い魔のサラマンダーが韻竜だったって事?」

再起動したのはギーシュである。

「残念ながら違うわ、火竜山脈産のブランド物ではあるけどね」
「じゃあ、じゃあ、つまり、彼がその、……」

ギーシュには、うまい言葉が出てこない。なんと言ったらいいのか。

「えっと、あのぉ……」

シンジがおずおずと声をかけた。ルイズはもうある程度の情報流出はあきらめている。
みんなの注目がシンジに集まる。

「使い魔って喋れないんですか?以前使い魔は喋れるようになるってルイズさんに聞いたことがあるんですが。それに昨日、使い魔らしい黒猫が喋っているところを見たんですが……」

その疑問にはタバサが答えた。

「その説明はちょっと違う、正確には喋れる様になる、事もある。ということ。犬や猫のように、人の近くにいなかった種族は、喉を人間の言葉用に動かせるほど、人を理解していない。ただ、使い魔たちはいずれ人の言葉を理解できるほど知能が発達はするが。いずれにせよ昨日今日、召還したばかりの使い魔が喋るのは、ほぼありえない」

後をモンモランシーが引きついだ。

「それこそ、「平民」でも召還しない限りはね」
「シンジはただの平民じゃ……」
「わかっているよ、ルイズ。むしろただの平民じゃ無かったことにほっとしているんだ」
「あんた決闘で負けたもんね」
「うるさいなキュルケ、ま、そうだけどさ。……さてルイズ、僕も謝ろう。彼にはいろいろ迷惑をかけた」

ギーシュも何か思うところがあったのか、素直に頭を下げた。

「あ、あたしは謝んないわよ。……もともとタバサにお願いされただけなんだから」
「もういいって、言ってるでしょ」
「あっそ」
「そ ん な こ と よ り 、あたしのフレイムと話が出来るっていう方の説明が欲しいわね」

その台詞に、シンジはしばらく考えた。

「……考えてみれば、ルーンのおかげですよね。使い魔たちが人と話せるようになるなら、僕はもともと話せるわけですから、その分が使い魔たちと話せる力に変換されたのでは?」
「うーん、なるほどね。とするとこれは『特化』に含まれないのかしら?でも『刷り込み』とも思えないし、その辺どう思う、ルイズ、タバサ」

ここには、座学のトップ2が座っているのだ。聞かない手は無い。とモンモランシー。

「そうね、やはり『特化』だと思うわ、『刷り込み』にそんな効能は無いはずだし……」

ルイズは『ヴィンダールヴ』の能力をまだあまりよくわかっていない。

「私は『共有』の一種だと思う。幻獣たちはもともと先住言語を使い、種族の違う生き物同士が意思疎通を交わしていたという論文を見たことがある。それは鳴き声や身振り手振りによって……」

その後、しばらくシンジの使い魔と?喋れる能力についての論議が始まったが結論の出ないまま終了となった。





「ルイズ、約束を履行したい。何かある?」
「だから、もういいって、……そうね、シンジ何かお願いしたいことあるかしら?」

いきなり自分に話を振られたシンジは、しばらく考えた後。

「そうですね、うーん。……そうだ、文字を教えて頂けますか」
「へっ、シンジあなた字が……?」
「ええ、だから授業の肝心な所がよくわからなくて……お願いできますか?」

ルイズの頬が、ぴくん と動いた。

(どうして、私に言わないのよ。というか私に教えてくださいって言うのが筋なんじゃないの?)

「あなた、習う相手を間違えてるんじゃないの?」
「え、だってお願いしたいことって言うから……」
「そそそ、そりゃ言ったけど。そう、迷惑よシンジ!タバサの貴重な時間を奪っては……」
「私なら、かまわない。ルイズもそれでいい?」

(くぅー)

ルイズは歯噛みして悔しがった。いまさら駄目ともいえない。そして、そんなルイズの気持ちを正確に読み取った女性が一人いた。

「あーはっはっはっは、シンジ君あたしには?あたしには何か教わりたい事は無い?そうね、ゲルマニア女の情熱なんかどうかしら?」
「……そう言う冗談は、勘弁してください」
「あーら、本気よ」
「……よかったら魔法の基礎理論なんかを教えて頂けませんか、火系統でしたっけ?そのエキスパートと聞いています」
「ぐっ」

今度はキュルケがへこむ番だった、火のトライアングルとは言え、実技に限った話で座学はいまひとつである。そしてそれを知っているルイズが見逃すはずは無かった。

「ほーほっほっほっほ、どうしたのかしらキュルケ先生、ご指名よ」
「……いいわ、今晩、あたしの部屋に尋ねていらっしゃいな。ゲルマニア最高の燃える理論を教えてあげる」
「だー!駄目よシンジ、そんな台詞にほいほいついていったら、次の日十人以上の貴族に串刺しにされるわよ」
「どう言う意味でしょうか?」
「こいつにはね、恋人が十人以上いるのよ。夜に部屋なんか行って、もしそいつらと鉢合わせるようなことになったら……わかるでしょう」
「平気よ、あたしが守るもの、それにあなただってヴェストリの広場での彼の戦いぶりを見たでしょう?」

キュルケは、あごの下に手を置くとシンジに熱っぽい流し目を送った。
だがシンジは、その視線に動じることなく、ちょっと困ったような笑顔で言った。

「ごめんなさいキュルケさん、主が駄目と申しておりますので……」
「あーら、残念ね」

キュルケも後を引くことなく、シンジに軽くウインクを帰した。

「シンジ君といったな、ギーシュ・ド・グラモンだ。先日は失礼した」
「いえ、そんな」
「僕には、何か無いかね。ルイズやタバサほどではないが、土系統魔法に関してはチョッとした物だと思っている」
「……では、ナイフをふた振り『錬金』して頂けますか。ひとつはルイズ様を守るため、常に身につけておきたいんです。もう一振りは魔法の実験に使いたいので……よろしいでしょうか?」
「いいとも、お安い御用だ。どんなのがいい」

そういうと、ギーシュはシャツの胸ポケットに手を伸ばし自分の杖たるバラの造花を取り出した。
シンジも使いやすく、また持ち運びに便利そうな、いわゆるコンバットナイフと言われる物を説明し、ギーシュにお願いした。

「イル・アース・デル」

素早く、短く、ルーンを紡ぎ杖を一振り。 見る間に地面より、ふた振りのナイフが生えてきた。
刃渡りは20サントほど。刃色は赤銅色で綺麗な十円玉をご想像いただきたい。

「ありがとうございます」

シンジはそれをつかむと、立ち木のそばに行き、ギーシュに目線で許可を求めた、ギーシュもすぐに頷く。そして、枝に向かい一振り。 ザッと音がしたかと思うと、一本の枝がするっと落ちてきた。

「切れ味もいいですね、ありがとうございます。ギーシュ様」
「ギーシュでいいよ、ルイズもキュルケも『さん』だろうが、僕は男だからね。それに、こう見えても武門の家系でも有る。自分に勝ったやつに『様』なんて付けられるのはどうも面映い」
「わかったよ、ギーシュ」
「ん、リベンジマッチはせめてラインかトライアングルになってからにするよ」
「その、ラインとかトライアングルってなんですか?」
「「「はあ?」」」
「あー、そうそう、魔法の無い国から来たんだった。いいかいシンジ……」
「系統を足せる数の事よ、それでメイジのレベルが決まるの。ひとつがドット、二つでラインというように」

ギーシュの台詞を奪ったのはルイズだった。なんだかシンジの知らないことを教える競争のようなものが始まっていた。

「例えばね、「土」系統の魔法は、それ単体でも使えるけど、「火」系統の呪文を足せば、さらに強力な呪文になるの」

それをタバサが引き継いだ。

「「火」「土」のように、二系統を足せるのが「ライン」メイジ、ミセス・シュヴルーズの「火」「土」「土」、あるいはキュルケの「火」「火」「火」の様に、三つ足せるのが「トライアングル」メイジ」
「今、同じ系統がありましたが?」
「その系統がより、強力になる」
「なるほど、ありがとうございます。勉強になりました」
「いい、ではシンジ明後日から午後の授業の後、図書館で待ってる。学院長に図書館の閲覧許可を貰ってくるように」
「わかりました。“タバサ先生”」
「ん♪」
「くうっ」

ルイズがなぜか悔しげな嗚咽を漏らす。
タバサは表情の変化に乏しくわかりにくいが、なんだか楽しそうだ。

「そうだ、シンジ明日は虚無の曜日よ、町に連れてってあげるわ。少し買い物をしましょう。卑しくもヴァリエール家の使い魔が、その作業着一枚ってのもね。それにシンジも欲しい物があるでしょう」
「えー、いいんですか?」
「もちろんよ、町に行って必要なものをそろえましょう」
「あら、なら、あたしもついていくわ」
「何でよ!」
「だって、あたしだけシンジ君に何にもしてないもの、いいでしょうシンジ君」
「そうですね、みんなで行ったほうが楽しそうですね、ルイズさんみんなで行きましょうよ」
「うーうー……」

ルイズが何か言い返そうとしたところで、お昼休み終了の鐘が鳴った。




[10793] 第九話 3日目 その2 爆発
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/09 23:13


第九話 三日目 その2 爆発

午後の授業も終わり、ルイズは夕食の前にシンジをつれて学院を出た。
学院内ではどうしても人の目、人の耳そして、使い魔たちの目があるためシンジとひそかに魔法の練習と言うわけには行かないためだ。

「さて、ここらでいいかしら」

ルイズが足を止めたのは、先日「春の使い魔召還の儀式」を行った草原の近くの林の中である。
学院まではざっと数百メイル、周りに何も無いし、大きな立ち木が何本も生えている。そんな中でぽっかりと数十メイルほどの空き地があった。
多少の爆発音ではそうそう学院まで届きはしないだろうし、聞こえてもそんなに迷惑にならない程度だろう。ルイズは念のため、周りを見渡し誰もいないことを確かめた上でシンジに言った。

「シンジ、あなたの力を、昨日の授業中あたしの爆発を封じ込めた力を見せて頂戴」

シンジはそれを聞き、溜息をついた。

(そりゃ、ばれるよね。あれだけ使ってたら)

「どうしたの、早くして頂戴」

シンジもしばらく迷っていたが、ルイズにそう言われて、もう一度溜息を吐き、あきらめたように向き直りつつ言った。

「ルイズさん、僕にゆっくり近づいてみてください」

ルイズは言われたとおり、しかし十分な用心をしつつ、ゆっくりとシンジに近づき、見えない壁、もしくは壁状の何かに触れた。熱くも無く、冷たくも無く、触った感じではガラスのように硬い。
どうやら、触っているだけなら危険は無いと判断したのか、恐る恐るつつく爪先から、指先へ、今は手のひらで目の前にあるらしい”それ“に触っていた。

「僕らはATフィールドって呼んでいました。他人と自分を分ける、心の壁です」

ルイズには彼の言っていることは良くわからなかった。
しばらくは、呆然とシンジの出した壁に触っていただけだ。

(どれほどの力、どれほどの精神力があれば、こんなことが可能なのかしら?)

改めて見るそれは、ルイズには途方も無い物に思えた。

「えーてぃー領域、これがそうなの?なんなのこの力?どうやったら出せるの?」

「わかりません、手足を動かす時にどう動かすか考えないように、このATフィールドも特に技術が必要ではないのです。魔法と違い本能に近いものですから」

必要なのは、拒絶の心だけ。
攻撃を防ごうと思えば、それだけで物理防御の壁となる。
もっともシンジは様々な使い方を心得てはいるが。

「あなたの国の人たちは皆、この力が使えたの?」
「……いいえ」

その答え方に、何か触れてはならない物を感じた。
ルイズは考える。
おそらく、彼の国でこの力が使える人間はそう多くは無く、あまり歓迎もされていなかったのだろう。メイジもまた平民に恐れられる存在だ。ルイズの失敗魔法ですら、人を殺傷するに十分であるのだから。そうでなければ、隠す必要も、力を出す時にあんな悲しそうな顔をする必要も無い。

「そう」

シンジはATフィールドを消した。
ルイズは、しばらく黙っていたが、ぽつりぽつりと話し始めた。

「シンジ、あのね、わたし魔法が使えないの。小さい頃からダメだって言われてた。お父様もお母様も私には何も期待してない。クラスメイトにも馬鹿にされて。
みんなからゼロゼロって言われて……。わたし、ほんとに才能無いんだわ。得意な系統なんて存在しないんだわ。呪文唱えても、なんだかぎこちないの。自分でわかってるの。先生や、お母様や、お姉さまが言ってた。得意な系統の呪文を唱えると、体の中に何かが生まれて、それが体の中を循環する感じがするんだって。それはリズムになって、そのリズムが最高潮に達した時、魔法は完成するんだって。
そんなこと……、一度も無いもの」

ルイズの声が小さくなった。

「でも私、みんなができることを普通にできるようになりたい。じゃないと、自分が好きになれないような、そんな気がするの」

こんなことまで言う心算は無かった。だが一旦口から出てきた言葉はそれのみに意思があるように止まってはくれず、心情をすべて吐き出すまでは終われなかった。
シンジは困ってしまった、ルイズは自分の言葉に引かれるように落ち込んでしまっている。
なんと言って慰めればいいのか。
しばらく時間がたって、やっとのことでシンジは口を開いた。

「ルイズさんは、立派です。自分から、自分の立場から決して逃げようとしない。それに、優しいし、とってもキレイじゃないですか。僕はいつかきっとルイズさんは偉大な魔法使いになると思います」
「……ありがとうシンジ……」
「それで、頼みたいことってなんですか?この力が見たかっただけじゃありませんよね」
「う、うんあのね……」

杖を構え、呪文を唱えれば発動する、というのが一般的な平民の考え方であり、それは決して間違ってはいないが、何も説明していないに等しい。
ルイズの説明によると、呪文はそのほとんどを魔法を構築するための結界場の成型に使われ、そこに自分の精神力とイメージを、杖を通じて注ぎこみ、発動させるのだという。
火には火の、水には水の独自の結界が有り、それを作りだすのが血統や才能による魔法系統なのである。

もちろん、魔法が発動している間もこの結界場は継続して成型されたままだ。
メイジはこの結界を、ある程度操作できる。そのことにより、たとえばゴーレムを操作し、炎を操り、風を巻き起こすのだ。

一般的な魔法の失敗とは、ルーンの唱えそこない、障害物、敵のあるいは他人の魔法干渉、自然環境等により、結界場を成型しそこなうことである。
この失敗により、穴の開いた風船に空気を送りこむように、精神力はむなしく消費され、何も起こらないのが普通である。
また、呪文を唱え、そのまま精神力とイメージを長い時間注がなくともまたこの結界は消えてしまう。結界も精神力により形作られた物だからだ。

「……それでね、シンジのその力は魔法の結界のみの力じゃないかって思ったの。今触らせてもらったけど、人の手に触れられるほどの結界なんて聞いたことも無いわ。あれだけ強いと、それだけで一つの系統を名乗れそうなぐらい。
……それで、シンジにお願いしたいのは、あたしの魔法のための結界を作ってもらいたいの」

ルイズは自分には、結界場を成型することが先天的に出来ないのではないかと考えたのだ。
ただ、残念ながら爆発の理由までは思いつかなかったが。

「えっと、それってルイズさんの前に球体のATフィールドを張って……」
「違うわ!それじゃまた、たぶん爆発が起こっちゃうと思う」

ルイズが提案したのは、ロマリア聖堂騎士団の聖堂騎士が得意とする合体魔法。秘術と言われる、賛美歌詠唱。しかしそれは、血を吐くような訓練と統率の果てに使用が可能になる奇跡の業。
もちろん、戦闘用に特化した呪文を戦場で使用するために訓練するわけだが、そこまではルイズも要求しない。
フライでもレビテーションでも、ファイヤボールでもいい。とにかく、魔法を使えるようになりたい。いや、使ってみたいのだ。

「一緒に杖をつかんで、あたしの詠唱に合わせて呪文を唱えて、そして合図をしたら燃え盛る炎をイメージして」

火系統を選択したのはもっともイメージが簡単で合わせ易いから。

「呪文はウル・カーノ(発火)よ。いいかしら。まずは練習よ」
「はい、ルイズさん」

二人でルイズの杖をつかむ。

「「ウル・カーノ」」

呪文詠唱の終わりと同時に、杖に添えた手をルイズが握る。

(合図だ)

シンジは燃え盛る炎をイメージ。
杖のすぐ先に光り輝く球体が現れる。2~3サントほどのそれはみるみる30サントほどになった。

(ヤバイ)

そう思った時には、もうシンジはその球体をATフィールドで包み、上空に放り上げていた。

(できるだけ、できるだけ上空に)

ルイズも何も言わず、急上昇する光る球体を見つめている。あたりはもう夕暮れに近いため、いくら離れても見えなくなることは無い。
だが、厚い雲に覆われた上空までその玉が持ち上がり見えなくなる。
さすがにもういいかとシンジはATフィールドを解除した。次の瞬間、空にもうひとつの太陽が一瞬だけ現れ、光の玉を覆い隠したはずの雲は数百メイルに渡り、消し飛んでいた。十文字の閃光とともに。
十数秒ほど後、特大の雷鳴が辺りに響き渡った。

“ドォ――――――――――――――ン!!!!”






シンジとルイズは、驚き騒ぐ学院内になるべく小さくなって帰ってきた。
皆、上空を見つめ、あるものは始祖ブリミルに祈り、あるものは戦争だ!天変地異だ!と騒いでいた。 いずれにせよ、目立たないよう帰ってきた二人に注意を払うものは無く、無事学院内の寮に入り込めた。
そして、もう少しでルイズの部屋の扉の前、と言うところでキュルケに会ってしまった。彼女はこちらを確かめると、足早にこちらに近づいてきた。

「ルイズ!ルイズさっきのを聞いた!あれを!あれを見た!」

キュルケが珍しく慌てている。

「エエ、トッテモスゴイ音ダッタワネ、シンジ」
「マッタクデス、ルイズサン、ボク、ビックリシチャイマシタ」

二人とも眼が泳いでいて、台詞が棒読みである。

「ジャア、キュルケサン、ゴキゲンヨウ」
「ソウネ、シンジ勉強ノジカンヨ」

そう言って、部屋に逃げ込もうとする二人の頭を、キュルケがわし掴みにする。

「ま・ち・な、さい!」
「「ひぃー!」」




ここは、キュルケの部屋である。

「さあ、キリキリ白状なさい。一体なにをどうしたら、あんな馬鹿みたいな炎が起こせるの。……リアルで紅茶吹いたわよ」
「あ、あのーですね。ルイズさんと魔法の練習をしていただけ……」
「そ、そうそう、シンジと二人で近くの林でね……」
「ルイズの爆発は知ってるわ。それでもあんな感じじゃなかったはずよ。……一瞬だけだったけど、攻城クラスの火の魔法なんて御伽噺ぐらいにしか出て来やしないわ」

キュルケは一旦喋るのを止め、少し考えた。
火系統魔法は情熱と破壊と、……不器用と大雑把の代名詞である。
だが、収束率を高め温度を上げ、なおかつ炎を維持するのは、実は非常に困難な作業である。
それを可能にするのは、才能もあるが、たゆまぬ努力と訓練の結果である事をキュルケは知っている。そうして、彼女はトライアングル・メイジの称号を得たのだから。
そのキュルケにして、後先考えずに全力で炎の玉を作り出しても、たぶん2メイルはいかないであろう。
どちらかと言うと、温度と操作性、そして維持力が課題になる。
だが、あの時見た炎の玉は、はっきりとはわからないがたぶん2百メイルほどは在ったはずである。

「ルイズ……彼ね」

そう言って、シンジを杖でさす。

「な、なーにを言ってるのかしらキュルケったら?彼は魔法のつかえない国から来たのよ」

横を向いて、視線を天井近くの壁に這わせるルイズ。

(だから、わかりやすいってば)

キュルケはふと立ち上がり、窓を開けて言った。

「あら、ルイズのいた林から煙が上がっているわ」
「えっええー」

ルイズは慌てて窓に駆け寄り、自分のいた林のほうに目を向ける。シンジが止める間もなかった。

「あ~ら、ルイズ、あそこにいたの。ふーん、ちょうど火の玉が現れた空の真下ね」
「くうぅー」

今の台詞で嵌められたことを知った。シンジは頭を抱えている。

「な、何の証拠にもならないわよ」
「証拠って、な~に?あたしはただ火の玉が現れた空の真下の林に、どうやらルイズとその使い魔君がいたらしいって事を、教室のみんなと噂話しようと“思ってるだけ”、なんだけどねぇ~」
「ぐむぅー」

(チェック・メイト)、シンジはそんな言葉を思い出しながら天井を仰いだ。



「へぇ、「賛美歌詠唱」ねぇ、よく知ってるわねルイズ」
「本式とは違うだろうし、呪文だって極簡単なものだけどね、シンジには、あたしの魔法の結界場を作ってもらいたかったのよ」
「……」
「それで、シンジと一緒に杖を掴んで発火の呪文を唱えたの」
「発火、あれがただの発火ですって!火の秘薬をどれだけ使ったの?」
「火の秘薬って、火薬とかですか?」
「硝酸、燐、炭塵、硫黄、あたしが知ってるのはこのくらいだけど、それらを理想的に混ぜ合わせたものを、そうね、薪桶(バケツ)に1杯ばかり、それをライン以上の風メイジに空気を攪拌させて空中に浮かす、それを2リーグほど持ち上げて雲の中に、そして発火、手順はこんなものかしら?
2リーグもレビテーションをかけられるメイジは、知り合いには居ないけど。フライも同様にね」

フライはともかくレビテーションは、たとえベテランでも限界は自分の体から100メイルほどである。そして、この二つを同時に行使できるメイジはいない。
ちなみに持ち上げる重さに関しても自分の体重の三~六倍ほどが限界である。

「仮に出来たとしても、発火の呪文を唱えた瞬間爆死するわね」
「特別なことは何もしていないわ、火の秘薬もなし、正直、発声練習ぐらいのつもりだったもの……まさか、あんなことになるなんて思わなかったわ」

ルイズは憮然とした表情で言った。

「彼の潜在力を、成竜クラスって言ったけど上方修正ね、火韻竜クラスだわ、……ねーえ、シンジ君あなた、ほんとに人間なの?」
「……先日、皆さんに見て頂いた通りです。僕は人間ですよ」

(……精霊様、少々おふざけが過ぎますよ)
「いや、ふざけてなんか・・・フレイムさん?」
(どうぞ、フレイムとお呼びください、精霊様)

「まった、まった!シンジ君、フレイムもちょっと待ちなさい。……二人ともご主人様を差し置いて、なにを喋っているのよ?」
「きゅるる……」(すいません、ご主人様)

一鳴きして、首をすくめるフレイム。

「いや、ちょっと世間話を……」

キュルケはそれを聞いて、ハッとした。
いくら、あけっぴろげなキュルケでも秘密の一つや二つ持っている。
それがもし、フレイムの口からシンジに漏れ、それがルイズに伝わったら……。

「シンジ君、フレイムに言って、あたしの事は、一言も言わないようにって!」

キュルケは自分の想像に気が動転していて、普通に命令すれば、フレイムは『服従』することを忘れていた。だが一応、シンジはキュルケの言に従い、言われたことをフレイムに伝えた。

「きゅう、ぐるるる……」(わかりました、ご主人様)
「わかりました、って言ってます」
「ふう」

安堵の溜息をもらすキュルケ。
そして、その溜息を、いい加減この尋問もどきから逃げ出したいルイズが、聞き逃すはずが無かった。

「あらキュルケ、なにを安心しているのかしら」
「へっ」
「シンジはあたしに、忠誠度MAX、つまりあたしが命令すれば、シンジはいつでもあたしの為にフレイムから情報を引き出すことが出来るのよ」

「い、いや、あの……」

シンジの発言を眼力で止めるルイズ。
(喋んな!空気嫁!)とその眼は言っていた。

「……」





「……と言うわけで、キュルケ、あんたは今日の事を内緒にする、あたしはシンジにキュルケの事は聞き出さないよう、『ギアス』(絶対服従の魔法)をかける、って事でいいわね」
「ちょっと、ルイズ。そんな上級魔法使えるの? いやいや、それ禁呪だから」
「なにを言ってるのよ、こいつはあたしに、忠誠度MAXだって言ったでしょ。あたしが命令すれば、それはすなわち絶対なのよ」

(うーん、そーかなー、ほんとかなー?)といささか疑いの眼で見るキュルケ。

ゴシップはあまり好きではない、いやどちらかと言うと嫌いなシンジは、ルイズとキュルケの掛け合いを黙って聞いている。手持ち無沙汰にフレイムをなでながら。




「はふぅ、参ったわね」

ルイズとシンジは、やっと、キュルケから開放され、自室に戻ってきた。

「だけど、やったわねシンジ。とうとう魔法が成功したのよ。それもあーんな大きな炎を出すなんて、スクエアクラスのメイジにだって不可能よ。なにが、どうなったのかは良くわからないけど、確かにあたしの中の何かが引きずり出された感覚があったわ。あの炎は確かに私の魔法だった。でも、精神力が全然減った気がしないの、あんなの百発だって打てそうよ」

ルイズは手放しに喜んでいた。どうやら今頃になって喜びが沸いてきたようだ。

「おめでとうございます」
「ありがとうシンジ、お前のおかげよ、あしたの買い物も楽しみね、期待してて頂戴」
「はい、……それとルイズさん、ちょっと散歩に行きたいんですがかまいませんか?」
「ええ、よくってよ。でも、もうすぐ夕飯だからなるべく早く帰ってきなさい。あまり遠くには行ってはダメよ。学院の外に出るときは門番の衛兵に……」

何か、『お母さん』といった感じの台詞をとうとうとシンジに言い始める。

「……そういえば、何しに行くの」
「え、いやーちょっと剣を振ってこようかと思いまして」

少し前に、ギーシュに錬金で作ってもらった、ふた振りのナイフを見せる。
なるほど、と納得するルイズ。

「そう、何事も練習は大事よね。近くの森にはそう危険な獣は居ないはずだけど、気をつけてね」
「はい、ルイズさん」





シンジは、先ほどの林とは学院をはさんで逆側の森に来ている。
最初に行った林には、原因究明のための先生方や、野次馬の生徒たちが入り込んでいたせいだ。
シンジは森に入ると、ナイフを片手に持ち、ガンダールヴの力を発動させる。
肉体的なコンプレックスのあったシンジには、この力はうれしいものだった。しばし、森の中でターザンごっこに興じながら、目的にあった場所を探す。しばらくすると、目的に合いそうな広い場所に出た。

近くに川があり、周りは最近切ったであろう切り株だらけである。近くに人が居ないか、慎重に辺りを見渡しながら、中央に出る。実はシンジは、使徒の破壊光線を打つことが出来なかった。
今まで、打てるとも、打ちたいとも思わなかったし、打たなければならない理由も無かった。

だが、先ほどの、ルイズとの魔法実験でやり方がわかった。
あの時現れた光球の輝きに、使徒が破壊光線を打つ際に、目の奥で光った光と同じ物を感じたからだ。シンジは自分の考えが正しいかどうかの実証に来たのだ。

(あの時は、確か……)

シンジはATフィールドで、バレーボールほどの小さな球体を作り出す。その中にごく小さな空間を作り、そこにわずかに『アンチATフィールド』を流し込む。

変化はすぐに現れた、ATフィールド内部でアンチATフィールドが反発し、内部壁に反射をするたびにスピードが上がり、エネルギーが増すのだ。代償は、ATフィールドの内部の壁だろう。
内部のエネルギーが増すたびに、ATフィールドの内側の壁が薄くなっていくのを感じる。
パチパチ音がし始め透明だったATフィールドの球体は白く発光し始めた。
輝きがどんどん強くなる。
シンジは意図的に、球体の壁の一部を薄くした。

バンッと乾いた音がした。

五メイルほど先の川の近くの地面に、直径30サントほどの穴があく。深さはわからない。そこだけ地面が消失したように消えている。
穴の周りだけオレンジ色に輝き、ものすごい熱量だったことがわかった。

しばらく威力の検証をした後、シンジは穴の周りに川の水をかけ、発熱が下がったのを確認すると学院にもどった。




シンジがその場所を後にして、しばらくたった後、森のさらに奥の方から声がした。

「えらいものを見ちゃったのねー、さっそくお姉さまに報告するのねー」

その森を根城にしている青い風竜だった。





[10793] 第十話 虚無の休日 その1 王都トリスタニア
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/09 23:18


キュルケは、虚無の曜日にしては珍しく朝早くに目覚めた。
窓からさす光が時間を認識させた。

「おふぁ~よ~、フレイム」

大きく一度間延びをした後、起き上がり化粧を始める。
気になるのは昨日のこと、メイジの魔法の力はそのまま、国の軍事力としての側面を持つ。
魔道具、魔法兵器の研究が盛んで、それらを生産するガリア。
造船技術が高く、またドラゴン、マンティコアなどに代表される、戦闘用使役動物の繁殖・飼育が盛んなアルビオン。
民間技術が高く、精密な兵器、武器の生産が盛んなゲルマニア。

そして、技術も金も無く、国力をどんどん低下させているトリステイン。
だが、トリステインはメイジ個人の技量が高く、その時々において『英雄』を生み出している。
人口比率的にもメイジの割合が高い。

とはいうものの、トリステイン王国始まって以来と言われた、かの『烈風カリン』も、表舞台から去り、三十年になろうとしている。もし今生きていても五十過ぎだろう。
また、宗教国家ロマリアでさえいわゆる『英雄』を必要としないような軍隊運用、戦略、戦術を練り始めている。
今更、一人や二人の『英雄』では戦争に勝つことは難しいだろう。

今、戦争の主役はメイジの魔法では無い、巨大な空軍艦と精密な技術で作られた大砲である。
だが、昨日見たあの炎、ルイズは唯の「発火」と言っていたが、あれをもし艦隊の真ん中で起こされたら?
必ずしも直撃される必要は無い、近くに居ただけで吹き飛ばされるに違いない。

化粧を終え、自分の部屋のドアを開けるとタバサが立っていた。

「あら、珍しいわねタバサ、虚無の曜日だってのに」

タバサは虚無の曜日になると、大概は部屋に引きこもり、本を読んでいるのが常である。
こんな風に、一歩でも部屋の外に出るのは珍しいことなのだ。

「今日の買い物、一緒に行く」
「あらま。ふーん、どうしちゃったの?」

恋ではない、タバサとは長い付き合い、とも言い難いがそれでも、かの使い魔君に恋しているわけじゃないことぐらいは、なんとなくわかる。
キュルケの恋のエキスパートとしての女のカンである。

「昨日の大爆発、たぶんあの二人がなにか関係している」
「ぷっ」
「なに?」
「い、いいえなんでもないわ、ごめんなさい。さあ、いきましょ」


第十話 虚無の休日 その1 王都トリスタニア


ルイズの部屋の扉をノックした。しかし、返事が無い。
さては、約束を破って、二人で出かけたのでは、と勘繰った時に、タイミングよくバケツに水を汲んだシンジが現れた。

「あ、おはようございます、キュルケさん、タバサ先生」
「おはようシンジ君。ルイズは?」
「すいません、今、起きたばっかりなんですよ。少し待ってて頂けますか」

そう言って、部屋に入りルイズを起こす。

「ルイズさん、お友達が来てますよ。そろそろ起きてください」

(ふにゃふにゃ、おトモダチ?おトモダチってなに?そんなの居たっけ?)

二度寝をしたのか、服は着たまベッドに横になっていた。眼をこすりながら、起き上がる。
それからしばらくして二人は部屋から出てきた。

「おはよう、ルイズ」
「おはよう、って、お友達ってあんたのことだったの!」
「あ~ら、朝からご挨拶ねルイズ、別にあたしは言ってないわよ」(友達だなんて)

ルイズはそこまで言って、タバサが居る事に気が付いた。

「タ、バサ」
「……ルイズ。今日の買い物、一緒に行く。かまわない?」

(なんだかなぁ~)ルイズは溜息をついた。

今まで、シンジに、なんら主人らしいことを一つもしていない(と思っている)ルイズにしてみれば、今回のお出かけで、シンジに生活用品を取り揃えるのは、主人らしい所と度量を見せるチャンスである。
あまり余計な登場人物に、邪魔をされたくは無かった。
無かったのだが、キュルケはともかく、タバサと一緒に買い物をするところを想像するのはルイズにとって悪い気持ちはしなかった。
それに、タバサの使い魔は風竜である。風竜にのって空を飛ぶのは久しぶりである。
実家に居た頃はよく、母のマンティコアや父の火竜に乗せてもらい領地を行き来したのを思い出した。

結局ルイズは、二人がついてくるのを承諾した。





学院の外に出ると、タバサは口笛を吹いた。ピューっと、甲高い口笛の音が青空に吸い込まれる。
ばっさばっさと力強く青い翼をはためかせ、近くの森から風竜が飛び上がった。全長は6メイルほど、全身が美しい青い鱗で覆われている。これがタバサの使い魔、風竜の幼生である「シルフィード」であった。

シンジは思わず、布に巻いたふた振りのナイフを取り出し、三人の女性をかばうように前に出る。
ルイズとキュルケの二人は、そんなシンジの行動に思わずニヤついてしまう。

「あら、シンジ君あたし達を守ってくれてるの。お姉さんうれしいわ。でも大丈夫よ。アレは、タバサの使い魔『シルフィード』よ」
「あっ、そうなんですか? すいませんでした」
「そう、だから心配しないでいい」

それはいいのだが、シルフィードが降りてこない。飛び上がってすぐにこちらに来るかと思われたのに、いきなり急上昇し、かなりの上空で困ったように、ぐるぐる旋回している。

(ぎえええええー、なんであのおっかなそうな〇〇〇〇と、お姉さまがいっしょにいるのね。
……さてはおちび、この偉大なるシルフィーの言うことを、ちゃんと聞いていなかったのね。
……降りて、助けないといけないのね。
……あああ、お父様、お母様、竜の神様、どうかシルフィーに力と勇気を貸して欲しいのね。
……使い魔は主人を助けないといけないのね。大事なことは2回言うのね。
……颯爽と助け上げて、恩を売るいい機会なのね。
……でも、やっぱりおっかないのね・・・)

などなど考えながら、なかなか決心がつかず。シルフィードは降りてこない。
タバサは皆に、待っててくれるように言ってその場を離れる。百メイルも離れると、やっとシルフィードが降りて来た。シンジ達から見ると、なにやら喧嘩か言い争いをしているようにも見える。
だがそんなはずは無い、人語を操ることが出来る韻竜の一族はすでに滅んでいるのだから。
最後にタバサが、その長い杖で風竜の頭を一発殴り、争いは終わったようである。



「うわぁー、本当にドラゴンだ!すごいなー。タバサさん、触っても良いですか?」
「かまわない」

そう言って、タバサは黙り込む。

「ありがとうございます」

シンジがそう言うと、タバサはやはり黙ったまま、うなずいた。

(“かまわない“ってなんなのね、ひどいのね)

しかし、ご主人様が睨んでいるこの状況では、シルフィードには如何ともしがたい。
シルフィードにはわかる、目の前の少年は、人間の形をしているが人間だとは思えない。
だからと言って、精霊には見えない。 
彼は、もっと別の何かだ。幼い頃、両親から聞いた天使か悪魔のようだ。おまけに夕べは、たとえ火竜でも吐けないような超火炎をやすやすと手から吐き出した。

(悪魔なのねー、きっとおっそろしい悪魔にちがいないのねー!)

しかし、撫でられた頭に当たる手はひんやりして気持ちよく、彼の「よろしく、シルフィード」と言う挨拶にも、彼からの悪意は感じられなかった。おまけに、彼に撫でられていると、彼を疑り恐れていた心がどんどん無くなっていくのだ。
代わりに、何か温かい気持ちが心にいっぱいに広がっていった。

「キュッキュイー、キュイー!」
「ねっねっ、今、シルフィードはなんて言ったの」
「いや、今のはわかりませんでした……」




首のつけ根部分にタバサ、その後ろはルイズ、キュルケ、シンジの順で乗りこみ。
それぞれが、目の前の突き出た背びれにつかまった。
シルフィードは、自らの大きな羽を広げ、器用にはためかせるとフワッと浮かび上がり、学院に向かい加速を開始した。
そのまま寮塔に当たって上空に抜ける上昇気流を捕らえると、一瞬で二百メイルも空を駆け上った。
風竜ならではの、上昇スピードである。
フライの魔法ではこうはいかない。

「あっはっはっはっは、あなたのシルフィードは最高ね!」
「そうね、悪くないわね」
「どっち?」

タバサが短くキュルケに尋ねた。

「ん、わかんない……。ルイズ!何処に行くの!」
「タバサ、城下町までお願い」
「……わかった、シルフィード」

シルフィードは短く鳴いて了解の意を主人に伝えると青い鱗を輝かせ、力強く翼を降り始めた。





城下町の上空を、竜などで飛び回るのは、法により規制されている。
よく見ると、門のそばの駅に馬やマンティコアなどの乗用動物たちが預けられている。タバサは、シルフィードがこういう所でおとなしくしているのを好まないのを知っているため、彼女らを門のそばに下ろすと、空で待機するよう命令した。シルフィードはすぐに飛び立って行ってしまった。




トリステインの城下町を四人で歩いている。
シンジは、辺りを見渡した。白い石造りの街は、まるでテーマパークのようだ。
シンジが、今日まで生活していた魔法学院に比べると、質素ななりの人間が多かった。
だが、道端で声を張り上げて、果物や肉や、カゴなどを売る商人たちや、町を歩く大勢の雑多な人たちの姿が、彼にとってはうれしかった。
目覚めてから、今日まで学院内の人間以外には会っておらず、どこか白日夢を見ているかの様な不安な気持ちが存在した為である。
シンジは改めて、復活した人間社会に胸が熱くなり、涙が溢れてきた。

「ちょ、ちょっと、シンジ、なに泣いてんのよ」
「……ごめんなさい。ありがとうルイズさん、……なんでもないです」

シンジは服の袖で顔を拭くと、眼にゴミが入っただけです、と言い訳をした。

「ちょっと、狭いですね」
「狭いって、これでも大通りなんだけど」
「これで?」

道幅は5メイルも無い。
そこを、大勢の人が行き来するものだから、歩くのも一苦労である。

「ここはブルドンネ街。トリステインで一番大きな通りよ。この先にはトリステインの王宮があるわ」
「宮殿ですか、ちょっと見に行きたいですね」
「そうね、……帰りにちょっとだけ寄ってみましょうか」

ルイズがそう言うと、シンジは微笑んだ。





道端には露店が溢れている。日本の商店街くらいしか知らないシンジは、いちいちじっくりと眺めずには居られなかった。
ムシロの上に並べられた、奇妙な形のカエルが入ったビンを見つめていたら、ルイズに袖を引っ張られた。

「ほら、寄り道しない。スリが多いんだから!持たせた財布は大丈夫でしょうね?」

ルイズは、財布は従者が持つ物だ。と言ってシンジに持たせていたのである。
もっとも、それは財布と言うより、大きめの巾着袋であったが。中にはそれなりに金貨が詰まっており、ずっしりと重かった。

「はい、大丈夫です。それにこんな重いものスラれませんよ」
「魔法を使われたら、一発よ」

でも、メイジっぽい姿の人間は居なかった。
シンジは魔法学院で、メイジとそれ以外の人たちを見分ける術を覚えた。
メイジはとにかくマントを付けているのである。それに、歩き方がゆったりしている。
ルイズに言わせると貴族の歩き方だ、ということになる。

「メイジっぽい人は見当たりませんが?」
「だって、メイジは人口の1割いないのよ。あと、こんな不潔で危険なところ滅多に歩かないわ」
「メイジの方って貴族ですよね。スリなんかするんですか?」
「貴族は全員メイジだけど、メイジのすべてが貴族って訳じゃないわ。いろんな事情で勘当されたり家を捨てたりした貴族の次男三男坊なんかが、身をやつして傭兵になったり、犯罪者になったりしているのよ」
「……ふーん」

それからも、シンジは気になる看板があったり、露店があったりする度に立ち止まり。
そのたびにルイズはシンジの腕を掴んで引っ張るのであった。
四人はルイズを先頭に、さらに狭い路地に入っていく。悪臭が鼻をつき、ゴミや汚物が、道端に転がっている。

「きったないわね」
「まあね、あんまり、来たくないんだけどね」

四辻に出た。ルイズは立ち止まると、辺りをきょろきょろ見渡した。

「ピエモンの秘薬屋の近くだったから、この辺なんだけど・・・・・・」

それから、一枚の銅製の看板を見つけた。

「あ、あった」

見ると、剣の形をした看板が下がっていた。武器屋のようである。どうやらここが、シンジとルイズの最初の目的地のようだ。

「じゃあ、また後でね」

四人のうち、キュルケとタバサの二人は、秘薬屋の方に入っていった。

武器屋の中は昼に近いのに、薄暗くランプの明かりがともっていた。
壁や棚に、所狭しと剣や槍が乱雑に並べられ、店の奥には立派な甲冑が飾ってあった。
ルイズたちが羽扉を開け、店の中に入ると、その奥からパイプをくわえた五十がらみの親父が二人の客を胡散臭げに見つめた。

(魔法学院の坊ちゃん、嬢ちゃん達か、やれやれ、なにしに来たのやら)

「貴族の若奥様方、何ぞ御用ですかね。秘薬屋は向こうですぜ」
「客よ! シンジ!」
「はい、おじさん、これの鞘を見繕って欲しいんです。出来れば体に付けるためのベルトも」

財布を下ろし、布に包んだふた振りのナイフを取り出す。

「こりゃ、おったまげた。貴族が剣を! おったまげた」
「「どうして?」」

ルイズとシンジは揃って声を上げた。

「いえ、若奥様。坊主は聖具をふる、兵隊は剣をふるう、貴族は杖をふりかざし、陛下はバルコニーから手をお振りになる。そしてあたしら平民は、世をはかなんで身を震わせる、と相場は決まっておりますんで」

武器屋のおやじが言ったのは、平民たちのザレ歌の一節だ。

「使うのは私じゃないわ。こいつよ」
「おや、こちらの坊ちゃんはご従者で? ずいぶんお若いですな」
「どうでもいいじゃない。それより早く選んであげてよ」
「へいへい、そういや、昨今は宮廷の貴族の方々の間で下僕に剣を持たすのが流行っておりましてね。その際にお選びになるのが、このようなレイピアでさあ」

そう言って、武器屋の親父は1メイルほどの長さの細身の剣を持ち出してきた。
どうやら、鞘とつり革だけではあまり利益が出ないのか、剣も一緒に売りつける気のようだ。
なるほど、きらびやかな模様がついていて、貴族か、その従者に似合いそうな綺麗な剣だった。

「貴族の間で、従者に剣を持たすのが流行ってる?」

ルイズにそう尋ねられ、主人はもっともらしくうなずいた。
最近、このトリステインの城下町を「土くれのフーケ」と言うメイジの盗賊が荒らしまわっていること、その盗賊は貴族からのみお宝を盗みまくっていること。
そして、それを恐れた貴族が自分の下僕にまで剣を持たせていることなどを聞いた。

「シンジ、この剣欲しくない」
「いりません」

突然言われた為、シンジもつい考えずに、本音を出してしまった。ルイズはそれを聞いてムッとする。

「何でよ!」

しまった、怒らせてしまった。そう思い、あわてて言い訳を開始する。

「……ごめんなさい、ルイズさん、えーとですね……」

シンジは、それを皮切りに淡々と説明を始めた。
レイピアという武器は、基本は突くための武器なのでうっかり深く突いたら抜けなくなること。
それに、細すぎて、斬りつけたら折れる可能性が高いということ。
また、ほかの大剣長剣では重すぎて、せっかくのスピードという自分の利点を殺してしまうことなどを説明した。

「だから、僕の武器はナイフが一番いいんです。よかったら小さめの投げナイフなんかを何本か見せてもらえますか」
「「ほうっ」」

それを聞いていたルイズや、店主は感嘆の溜め息をついてしまう。

「中々わかってんじゃねーか! そんな貧相な体してっから、冷やかしかと思ったら! いやー おでれーたわ!」
 
 いきなり、乱雑に積み上げられた剣の中から、男の低い声がした。
 ルイズとシンジは声の方向を見たが、誰もいない。店主が頭を抱えている。

「その坊主のちっこい体じゃ、長剣なんかふるどころか、抜く事すらできねーぜ! その坊主のいう通り、ナイフ辺りにしておきな!」

 シンジは後じさった。声の主は剣だった。積み上げられた剣の一つから声が発せられていた。
 ルイズが駆け寄ってきて、サビが浮いたボロボロの長剣を手に取った。

「これってインテリジェンスソード?」
「そうでさ、若奥様。意志を持つ魔剣、インテリジェンスソードでさあ。ったく、いったいどこの酔狂な錬金術師が始めたんでしょうかねぇ? 剣を喋らせるなんて。とにかくこいつはやたらと口が悪いわ、客に喧嘩を売るわで閉口してまして。……やいデル公! おめえは黙ってやがれ! 」
「なんだと! このごうつくばりが! 耳をちょんぎってやらあ! 顔を出せ!」

まあまあ、とシンジが仲裁に乗り出した。

「こんにちは、君はデルコウって言うの? 」
「ちがわ!デルフリンガー様だ! おきやがれ!」
「名前だけは、一人前でさ」
「僕は、シンジって言うんだ。よろしくね」

剣は黙った。じっとシンジを観察するかのように黙りこくった。
それからしばらくして、剣は小さな声で喋り始めた。

「おい、てめー、俺を掴んでみな」

しばし、顔を見合わせるシンジとルイズ。
ややあって、ルイズはシンジに剣をわたした。

「おでれーた、見損なってた。いやはや、長生きはするもんだ。おまけに『使い手』で『奏者』かよついでに『読み手』もありゃあ面白かったのにな」

シンジはその発言の内容に驚いて、おもわず手を離してしまった。
かん高い金属音が石床に響く。

「いきなり、なにしやんでい! こら!」
「あ、ご、ごめん、つい」
「あー、ご従者の方、どうぞお気になさらずに、良い薬でさ」

(使い手? 奏者? ついでに読み手ですって?)

ルイズには閃くものがあった。

「……まあ、いいやさ。てめ、俺を買え」
「えええ、 ……ごめん。いらないよ」
「おいー!なんでだよ!」
「なんでって、さっき言ったとおりだけど……それにデルフリンガーも、言ったじゃないか。小っこい体じゃ振り回せないって……」
「いや、さっきはわかんなかったんだよ。お前さんのことが。いいから俺を買えって!」
「はっはっは、デル公、あきらめな。なにをそんなに気にいったのかしらね―が、いらねーってもんはしょうがねーだろ。……それでは若奥様、こちらの投げナイフの十本セットなんかはいかがです。
見た目にも美しく、硬質化の呪文もかかっておりまして、10メイル以上離れた的なら必ず刃のほうが相手に向くようなバランスになっておりやして……」

デルフリンガーは、まだわめいていたが、店の主人はそれを無視することに決めたようだった。

「おいくら?」
「へい、先ほどのベルトと鞘の込みで新金貨で30、エキュー金貨なら18で結構でさ」
「先ほどのインテリジェンス・ソードと込みで、新金貨100でどうかしら?」





武器屋から出てきた二人をキュルケとタバサが出迎えた。

「おまたせ」

ルイズは意気揚々と二人に手を振った。

「そんなに待ってないわ、まあまあシンジ君、そんなハリネズミみたいに武器だらけになっちゃって」

シンジを見れば、背中には引きずりそうな長剣、肩から二本のナイフを下げ、腰のベルトには短めのナイフが十本も刺さっている。

「不思議と、そんなに重くはないんですけどね。これじゃ、危ない人みたいですよ」

その台詞には、ルイズもキュルケも笑わずにはいられなかった。

「相棒、俺っちのことを紹介してくれよ」
「あら、どなたかお連れの方がいらっしゃるの」

キュルケはおもわず、辺りを見渡した。

「違う、おそらくあの剣。インテリジェンス・ソード」
「へっへっへ、お嬢ちゃん、良いカンしてるぜ、伝説の魔剣デルフリンガー様だ。よろしくな!」
「自分で言うと、値打ちが下がるわよ。さてそろそろお昼ね、ご飯食べてもう少し街でも見回りましょうか」

その後は、四人で街を回り、シンジに服や、毛布などの生活用品を買い揃えた。
キュルケは、シンジの服のコーディネトに関してルイズと対立し、二人で危うく杖を抜きかける場面もあったものの、おおむね楽しい休日ではあった。





学院に帰りついたのは、まだ夕方と言うには早いほどの時間だった。
さすがに、風竜は速い。
タバサとシルフィードとは、学院の門前で別れ、キュルケとは部屋の前で別れた。
シンジは部屋に大荷物を下ろすと、ルイズに今のうちに、学院長に図書館の閲覧許可を貰ってくるように言われ、部屋を出た。

「……さてと、デルフリンガー。聞きたいことがあるわ」
「おおよ、伝説の魔剣デルフリンガー様にわかることなら、何でも答えるぜ! なにせ嬢ちゃんは俺っちを買ってくれたご主人様だかんな」
「そう、いい心がけね。では聞くわ。デルフ、あなたシンジの事を『使い手』で『奏者』だっていったわよね、それは『ガンダールヴ』と『ヴィンダールヴ』のこと? 」
「なーんでぇ、俺の事じゃねえのかよ。 まあいいや、その通りだよ」
「では、『読み手』とは?」
「なんでぇ、『ガンダールヴ』と『ヴィンダールヴ』を知ってんなら、『ミュズニトニルン』だって知ってそうだがな」

これは、ルイズのブラフ、この伝説の魔剣が知ったかぶりしているか、もしくは客が来るたびに同じ様な事を言い、自分をアピールしていた可能性もあるからだ。

「では、その三つがなんなのか、デルフは知っているのよね?」
「あたりきよ!ブリミルに使えた伝説の使い魔だ。そして俺は、初代『ガンダールヴ』の左腕デルフリンガー様よ!」

ルイズは思わず噴出しそうになった。
「始祖の祈祷書」というものがある。
トリステイン王家に伝えられている、始祖ブリミルが記述したという古書である。
かなりの数の紛い物が存在し、それらを集めると図書館が一つ出来ると言われるほどである。
デルフもまた、その類の紛い物だろう。ルイズは、剣の伝説にはさほどくわしい訳ではないが、もし彼の言うことが本当なら、六千年前の始祖ブリミルの秘宝であり国宝ものだ。
だが、とてもじゃないが信じられない。

「なんでぇ、信用してねぇな」
「悪いわね、これでも常識人なのよ」
「ちぇ、いいけどよ」
「さて、本題。あんたは武器屋で、シンジにこう言ったわ。「おでれーた、見損なってた。いやはや、長生きはするもんだ。おまけに『使い手』で『奏者』かよ。ついでに『読み手』もありゃあ面白かったのにな」ってね」
「おう、確かにそう言ったぜ」
「確かに、シンジは『ガンダールヴ』で『ヴィンダールヴ』よ。でもあんたにとって、それは“おまけ”なんでしょう。いったいシンジの何におどろいたの?」





[10793] 第十一話 虚無の休日 その2  魔剣デルフリンガー
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/09 23:23


ルイズがデルフリンガーに質問をしていたその頃、
学院の約3千メイル上空にて。

「シルフィード、しゃべっていい」
「ふはっ、やれやれ、やっと解禁なのね。辛かったのね。朝も、お姉さまを助けようとしたシルフィーをいきなり殴るなんて、ひどいのね。お詫びにご飯、いっぱい食べさせるのね、おにくがいいのね、おにくおにく、るる。るーるる」

普通、竜はしゃべらない。
竜の知能は、幻獣の中では優秀な部類に入るが、人の言葉を操るほどではない。
それなのにシルフィードはのどを震わせ、可愛い響きの人語をぺらぺらとその口から発しているのだ。

「助けられた覚えは無い」
「ま、細かいことは置いておくといいのね。るーるる」

このように、人語を操るシルフィードは、実はただの風竜ではない。
風の古代竜、失われつつある伝説の風韻竜の一匹、ひっそりと人の眼の触れぬ山や、森の奥で暮らす伝説の生き物だった。
 韻竜は人語を解するほどに知能が高いだけに、成長に時間を要する。
鱗の年輪から推測して、おおよそ2百年は生きているだろうこの風韻竜は、人間の歳に直すとまだ十歳くらい。 だが、子供とはいえ油断は出来ない。
韻竜の眷属は、人間以上の知能を誇り、言語感覚に優れ『先住の魔法』を操り、大空を高速で飛翔してブレスを吐く、なんとも強力な幻獣なのだ。

タバサは、召還時にシルフィードの正体を見抜き、すぐに地上三千メイル以内ではしゃべらないことを約束させた。はるか昔に絶滅したはずの韻竜が現れたとなると、大騒ぎになるからだ。
タバサは、その様なことで注目を集めたくは無かった。

昨晩、いつものように自分の部屋で本を読んでいたら、シルフィードが窓の外から顔をのぞかせ、必死に自分を呼ぶアピールをしたのだ。
なにか、緊急の要件でもあるのかと窓を開け、そこからシルフィードの背中に飛び乗ると、すぐに上昇を始めたのだ。

地上三千メイルに達した瞬間、まるで高速詠唱か!と思われるほどの勢いでおしゃべ……報告が始まった。
シルフィードの報告は5W1Hがなっておらず。
結論を後回しにしたうえ、結局よくわからないというひどいものだったが、タバサは我慢して話を聞いていた。

シルフィードの話を要約すると、
同時期に召還された少年が自分の寝床近くにやってきて、いきなり、手から光を出して地面に穴を開けた。
そして、その力は断じて先住魔法ではないという。
エルフや韻竜たちの使う先住魔法は精霊の力を “お願いして貸してもらう” ものだという。
また、その場の自然の力を利用するので、効果は系統魔法に比べ遥かに大きい。

以上の特徴があるため、もしあれほどの力を使ったら、同じく先住魔法の使い手である風韻竜のシルフィードにはわかるらしい。先住魔法の基本は、精霊の声を聞き取ることにあるからだ。

では、系統魔法なのか? これも違うだろう。彼は、呪文も唱えず、杖も持っていなかった。
系統魔法の効果は基本的に杖の先に現れる。
杖(ワンド)の契約は、さほど物質を選ばないが、無手ではなにも起こらない。
持っていたナイフは先端を下に向けていたため、たぶん杖ではないだろう。
謎の力を使う少年を、怖がっている反面、どこか面白がっている響きがシルフィードの声に感じられた。
どうでもいいことだが、この好奇心の強さこそ、シルフィードが召還に応じた理由の一つだろう。

タバサはルイズが明日、買い物に行くことを思い出し、ついていくことを決めた。
そして、シルフィードに、近くでシンジを観察させ、どう思うか聞いてみたかったのだ。

「シルフィード、シンジをどう思った」
「なんだか、とっても気持ちいい男の子なのね。きっとあの子は”大いなる意思“の使わした天使に違いないのね」


第十一話 虚無の休日 その2 魔剣デルフリンガー


魔法学院の学院長室は、本塔の最上階にあって豪華なつくりをしており、広さも教室に引けを取らない。
オールド・オスマンは、重厚なつくりのテーブルに座り、山のような書類と向かい合っていた。

「うむ…」

と呟いて引き出しから水キセルを取り出しす。
しかし水キセルはふわりと宙に浮き、部屋の隅に置かれた秘書用の机へと移動してしまった。
狼狽えるオスマンが秘書の席を見ると、ミス・ロングビルが水パイプを見て渋い顔をしていた。

「仕事中のわずかな楽しみを取り上げて楽しいかね、ミス・ロングビル」
「オールド・オスマン。あなたの健康管理もわたくしの仕事なのですわ。ご自愛なさってください」

ミス・ロングビルはオスマンが個人で雇っている秘書である。

「つれないのう…」

オスマンはため息をつくと椅子から立ち上がり、窓から外を見始めた。

「なあ、ミス・ロングビル。どうにも考えがまとまらないんじゃ、パイプぐらいええじゃろう?」
「駄目です」
「まったく…ぶつぶつ」

ロングビルは手元の羊皮紙に羽ペンを走らせながら、皮肉たっぷりの口調で言った。

「セクハラばかりしているから罰でも当たったんでしょうね」
「真理とは、真実はどこにあるんじゃろうか? 考えたことはあるかね? ミス……」

セクハラを非難するロングビルの言葉に怖じ気づくことなく、話を誤魔化そうとするオスマンだったが、不意にその表情に深刻さが混じった。

「難しいことはわかりませんが、少なくとも、わたくしのスカートの中には無いと思いますわ」
「わ、わかった、わかったから離してやってくれ」

オスマンは顔を伏せると悲しそうな顔で呟く、そしてロングビルの机の下から、小さなネズミがふわふわと宙に浮き、オスマンの肩まで届けられた。

「おうおう、モートソグニル。捕らえられてしまったのか、大変じゃったのう。どれどれ約束通りナッツをやろうかの…おおっと、その前に報告じゃ。なに、白か、純白か、しかしミス・ロングビルは黒もええと思わんかモートソグニルや」

オスマンの肩に乗せられた小さなネズミは、オスマンの使い魔モートソグニルであった、ロングビルに捕まってしまったが、しっかりと下着の色を確認できたので、オスマンはとても嬉しかった。

「オールド・オスマン」
「なんじゃね?」
「今度やったら王室に報告します」
「カーッ! 王室が怖くて魔法学院学院長が務まるかーッ!」

オスマン氏は目を剥いて怒鳴った。とても年寄りとは思えない迫力だった。

「下着を覗かれたぐらいでカッカしなさんな!そんな風だから、婚期を逃すのじゃよ。はぁ~まったく若返るのうこの感触、柔らかさ」

とうとうオールド・オスマンはミス・ロングビルの背後にまわり、堂々とお尻をなで回し始めた。
ロングビルは無言で立ち上がると、床に膝を突いてロングビルの尻をなで回していたオスマンを蹴りはじめた。

「ご、ごめん。痛い。もうしない。ほんとに!マジッ ごめん!」

頭を抱えてうずくまるオールド・オスマンをなおも蹴るロングビル。
その連続攻撃がふいに止んだ。

(ん、攻撃がこねえな、あきらめたかな)

そう思ったのも束の間、ミス・ロングビルは両腕をオールド・オスマンの腰に回していた。
背中に例のものが当たっている。オールド・オスマンはちょっとうれしかった。

「ふんっ!」

次の瞬間、いきなり天井が近付き、そして部屋全体が回転を始めた。
回っているのが自分だと、気が付いたのは……。

「がはぁ!」

見事な、アルビオン式バックドロップが決まった瞬間だった。





シンジは学院長室のドアをノックした。

“ひゅんひゅん がたがたがた わっしわっし ばたばたばたばた”

何かが高速で動いたような音がした。

「入りたまえ」

トリステイン魔法学院長の重々しい声で出迎えられた。

「失礼します」
「おや、シンジ君だったね、何用かね?」
「は、はい、図書館の使用許可を頂きたいと思いまして・・・」

シンジは、部屋に入ったとたんに異様な雰囲気を感じ取っていた。
よく見ると、オールド・オスマンの服はまるで靴にふまれたように汚れている。
秘書のミス・ロングビルを見れば、平静を装っているが息が荒く、いつもなら綺麗に整えられている髪形が微妙に乱れていた。

「ふむう、ミス・ロングビル。すまんが席を外してくれないかね」
「はい」

ロングビルはすぐに返事をすると、席を立ち廊下へと出て行った。
それを見届けたオスマンは、杖に手をかけて何かぼそぼそと呟き、秘書の席に置かれた水パイプを宙に浮かせて手元へと運んだ。

「すまんの、秘書がうるさくてパイプも吸ってられんのじゃ、一服させて貰ってもかまわんかね」
「どうぞ、僕のことは気にしないでください」
「スマンのシンジ君」
「それにしても学院長、お休み中でも仕事ですか。大変ですね」
「はっはっは、退屈なよりは忙しいほうが、生きている実感がわくもんじゃ。それにな、わしが忙しいのは、わしを必要としてくれる人間がそれだけ大勢いる、ということじゃ。人間、生きていくのに、これに勝る励みはないわい」

オスマン氏は穏やかな笑みでそう言って、窓を開け一服し始めた。ほんのわずか幸福で平和な時間が過ぎていった。
ふと、思い付いた事があった。

「ふうー、そうそう、図書館の閲覧許可じゃったの。モートソグニルや、ミス・ロングビルを呼んできておくれ」

使い魔にそう命令すると、オールド・オスマンは水ギセルをしまい、シンジにお願いをした。

「シンジ君、閲覧許可の代わりに君に頼みがあるんじゃが、ええかね?」
「はい、僕にできることでしたら」
「そうか、スマンの」

程なくして、ミス・ロングビルがもどってきた。

「お呼びでしょうか?」
「うむ、ミス・ロングビル、彼のために図書館の閲覧許可書を作ってくれたまえ、早急にな」
「かしこまりました」
「それと、その前に、宝物庫の鍵をもってきてくれたまえ」





オスマン氏とシンジは、並んで階段を降り始めた。
魔法学院本塔は、中央が吹き抜けになっていて、そこに螺旋状に石階段が付けられている。

「時にシンジ君、ヴァリエール嬢にはよくしてもらっているかね」
「え、ええ、とっても」
「ふむう、それはなによりじゃった」 
(ええ傾向じゃな)

「それで、ボクに頼みたいことってなんでしょう」

オスマンは、宝物庫の扉に鍵を差込み、開きながらいった。

「君に、ここにある物を見てもらいたいんじゃ、もし、知っているものがあれば、それがなんなのか教えてもらいたい」
「なぜ、僕に?」
「んー、君の出身はロバ・アル・カリイエと聞いちょる。われわれとは違った文化、技術、芸術、思想そういったものが君の中にはあるのじゃろう。われわれには判らんことも君にはわかるかもしれん。そう思っただけじゃ」

宝物庫の内部はいくつかの部屋に区切られており、シンジが案内されたのは、「場違いな工芸品」の部屋である。

そこにあった品々は、シンジの感覚ではガラクタに相当するものであった。
壊れたノートパソコン、かけたCD、ぐちゃぐちゃになった目覚まし時計、薄汚れたオーディオなどなど、あとはほぼ武器、小火器のオンパレードである。そうはいっても、そこかしこが壊れ、折れ曲がり、役に立ちそうなものは無かった。

シンジは自分が眠っていた期間を、ほぼ一万年と見ていた。さほど根拠があるわけでもなかったが。
だが、ここにある品物は、十年、二十年以内のものに見える。そうでなければ、鉄は腐り、木は朽ち果て、プラスチックだろうと元の姿を保ち続けることは難しいであろう。

シンジは何か、騙されたような、壮大なドッキリカメラでも仕掛けられたような気分に襲われた。
今にも、黄色いヘルメットと、大成功の看板をもった人が現れるのでは、と後ろを振り返ったりもした。

「どうかしたかね?」
「い、いえ、何でもありません」
「ここにあるものは、ほぼすべて「聖地」のちかくで発見されたものじゃ。そちらの細長いものはすべて銃であることはわかっておる。まあ他に置く場所もないでな」

オスマンはそう言って、奥にある木箱を取り出した。

「これを見てもらいたいのじゃ、「破壊の杖」といってな、いままでに5本ほど見つかっておるが、これ一本を除いて、すべて失われてしまっておる」
「なぜです?」
「各国家に、一本ずつあったのじゃが、研究機関で調べている時に爆発したり、あるときなど忌まわしいものとして燃やしている最中に爆発したりしてな。残っているのはこれ一本なのじゃよ」
「えー、危ないじゃないですか!」
「まあ、な、捨てるに捨てられん、破壊も出来ん、それによそに運ぶのも危険すぎる。ちゅー訳でここに置きっぱなしでなぁ、 まあ見るだけなら危険は無いとわかっておるのでな」

そう言って、オスマンはその木箱のふたをそーっと開けた。
大量のおがくずに囲まれて入っていたのは鉄の筒である。

「スティンガーミサイル?」
「なんじゃと、それはなんじゃ! 知っているのか。シンジ君」






「確かに、シンジは『ガンダールヴ』で『ヴィンダールヴ』よ、でもあんたにとって、それは“おまけ”なんでしょう。 『伝説』に驚かずに、いったいシンジの何におどろいたの?」
「んー、なんと言ったら良いもんかね」
「なにもったいぶってんのよ!」
「いや、伝説だろうがなんだろうが、二つもルーンをやどして、正気を保っていられるのにも驚いちゃいるぜ! 特に『ガンダールヴ』は欠陥ルーンだしな」
「ちょっ」
「ん、なんだ、知らなかったのか?」
「……知らなかったわよ」
「んー、まっ、良いけどよ。……『ガンダールヴ』がどんなものかは理解しているかい」
「伝承にあることはだいたいね。ものすごく強くて、あらゆる武器を使って主人の身を守ったんでしょ」
「そうだ、女の子でも老人でもこのルーンを刻まれると超人になる。具体的には力が強くなって、スピードが上がる。あと武器を握ると、それが弓だろうが、槍だろうがたちまち理解してうまく操っちまう」
「すごいじゃないの、どこが欠陥なのよ」
「寿命さ、長くて2年、それであの世行き」
「えっ」
「ブリミルは、最初に好きな女に、こいつを刻んじまった。……後でわかって、ものすげえ後悔してたぜ。 だから、後で武器を持たないと発揮されないなんて機能をくっつけた。これでもせいぜい十年だったな。ほいで、そんなら家畜にそれをさせれば良いって考えて『ヴィンダールヴ』を考えた……」
「そんなことはどうでもいいのよ。 シンジが・・・シンジがあと十年しか生きられないっての!」
「落ち着けよ、ご主人、続きがあるんだよ」
「早く話しなさいよ!」
「最初に驚いたのがそれさ、『ガンダールヴ』はそいつの命を代償に発揮されるけど、相棒はそうじゃねえ。なんか、腹の辺りに丸い玉みてえなもんがあってよ、そいつがなんつーか」
「命の代わりになってる?」
「ああ、それも並じゃねえ。ドットが1とするならラインは4てな具合にレベルが上がるたんびに精神力が上がっていくのは知ってるだろ」
「常識よ、ある程度の揺らぎはあるけどね」
「おいらの見立てじゃ、相棒のそれはヘキサゴンぐらいは楽にありそうだな」
「ヘキサゴンって、ひーのふーの・・・・」
「指を使うなよ、ドットの1024倍だよ」
「嘘つくんじゃないわよ! なによそれ伝説の韻竜だってスクエアそこそこのはずよ」
「嘘なもんか、あーちなみに今のは表面上の出力だけな」
「なんで、そこまでわかるのよ」
「……インテリジェンスソードがなんで口をきけるのか、知ってるかい?」
「はぁ、そのぐらい知ってるわよ。戦場で敵を見つけて兵士に注意をするためでしょう」
「そうだ、後ろに眼が無いのは平民もメイジも変りゃしねえ。 油断してりゃスクエアだって平民の放った矢に当たって死んじまう」
「……」
「さて、ご主人。 見ての通り、おりゃー剣だ、眼も耳も鼻もねえ、どうやって敵を見つけると思う」
「……それは、今の話に関係があるの?」
「まあ、あるっちゃあるぜ」
「そうね、今じゃ失われた技術の一つ、インテリジェンスソードの精製に関しては謎が多いけど、その力に関しては、恒常的にごく薄いディテクトマジックをかけているって言うのが定説ね」
「そうだ、特に俺の持ち主は、なんでか1対多数の乱戦が多くてよ、おりゃー持ち主のために、やれ後ろだ、右から来たぞ、今度は左、木の陰のメイジがフレイムボール準備中だ。なーんて言ってたわけよ」
「……」
「まあ、そんなおいらに必要なスキルが、持ち主と敵の力量を測る事、だったわけだ。もし、ちょっとでも読み間違えたら、相棒はあの世行きだかんな。まあ、そんなわけで、おいらのディテクトマジックは、あんたらの言うスクエア並なのさ」
「……」
「ちょいと、手品をしようか、ご主人」
「えっ」
「おいらから見えないように、手を後ろに回して、指を適当におったてる。 おいらはそれを当てるってやつさ」
「いいわ」

ルイズはデルフリンガーを窓際に立てかけ、自分はベットの影で指を動かし始めた。驚くことにデルフリンガーはそれをすべて当てていった。従来のディテクトマジックでは、考えられない精密さである。

「範囲は、がんばれば2百メイルぐらいいくぜ」
「あーもう、わかったわよ。つまり自分の見立ては正確だッて、言いたいんでしょう」
「まーな、へへ」
「何よ、まだなんかあんの」
「ああ、相棒につかまれた時、何かみょーに懐かしいような感じがしてよ・・・」
「ええ、シンジを知ってるの」
「いや、シラネ。……まあなんだな、だから相棒の寿命に関しては心配しなくてもいいぜ、『ガンダールヴ』を付けられるために生まれたようなやつだ」
「……そう、そうね。でももうちょっとなんか無い」
「なんかってなんだよ?」
「シンジの情報よ。何でもいいわ、わかってることを全部言いなさい」
「そんなこと言われてもよ。 ちょっと握られた程度じゃこんなもんさ」



[10793] 第十二話 土くれのフーケ その1 事件
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/09 23:40


ミス・ロングビルは図書館の閲覧許可書を書き終わった。
責任者にオールド・オスマン、保証人にルイズ、使用者の欄にあの少年の名前を入れれば終了である。サインは本人の物でなければいけないが、使用者の欄ぐらいはこちらで埋めてあげてもかまわないであろう。重要なのは、責任者と保証人なのだから。
それに今、彼がいるのは宝物庫である。“今後のため”なるべく足を運んでおきたかった。



第十二話 土くれのフーケ その1 事件



「これが、どのような道具なのかを知っているのかね、君は」
「は、はい、ですが」
「どうしたね、……ああ、心配は要らんよ。これが武器のたぐいであることは予測がついておる。重要なのは、むしろこの「破壊の杖」の背景じゃな」
「背景?」
「ウム、ざっと見ただけでも精密な加工品であることはわかる。滑らかな表面、細かい精密な文様、そして驚くべきは材質じゃ、とても軽い金属で出来ておってな、やったことは無いが水に浮かべれば浮いてしまいそうじゃ」

要は、アルミ合金なのだろう。いままで、多くの人に触れられたであろう「破壊の杖」は見た目はきれいなままである。

「このような細密な加工品を作ってしまう文明とは、一体どのようなものじゃろうなあ……と、いまだ見ぬ世界を想像してしまうのじゃ」
「……」
「どうかね、シンジ君。もしもこの『破壊の杖』について知っていることがあるのなら、この老い先短い哀れな老人に、その秘密の一端を明かしてはくれまいか」

シンジは迷った。
数少ない友人の一人がこの手の物にとても詳しく、シンジも良く聞かされていたのだ。
この、個人携帯用地対空ミサイルは、いまや役立たずのガラクタのはずである。
何年前に発掘したのかはわからないが、確かこの武器にはバッテリーが必要である。
そしてバッテリーの持続時間はとても短いはずだった。もう充電する手段は無いだろう。

「触ってみてもいいですか?」
「おお、もちろんかまわんよ、だが慎重にな」

別に何かの意図があったわけではない、それでも変な期待感があった。そしてシンジは『破壊の杖』に指先でそっと触れる。薄い皮手袋の下で、それとわかるほど左手の甲のルーンが光り始めた。
使用法が、内部構造が、そして現在の状態がシンジの頭の中に流れ込んでくる。
驚くことに、このミサイルランチャーは生きていた。さすがに、バッテリーの電力は切れていたものの、発射機構そのものは無事である。内部のミサイルまでも。

「生きてる!」

シンジも「ガンダールヴ」の説明は聞いていたものの、まさか近代兵器(古代兵器と言うべきか)までその作用の範囲内とは思わなかったのだ。

「“生きてる”じゃと、これはインテリジェンス・ウエポンなのかね? そうは見えんが」
「い、いえ、そういう意味ではありません。いまだ十分に稼動可能と言う意味です」
「ほうほう、なるほどのう」
「すいません、学院長。これ以上のことは主と相談してからでよろしいでしょうか」
「なんと、教えてはくれんのか」
「申し訳ありません。僕が彼女に提供出来そうなのは、この知識しかありませんので」
「いやいや、そんなことは無いじゃろう、……ふむう、ずいぶんとまたミス・ヴァリエールに恩義を感じておるんじゃな」
「ええ、ですが学院長一つだけ、あれは僕の“国”の武器でした。それは間違いありません」
「何と、君の国とな!? ふむ、はるか東方の国の優れた技術を垣間見た気分じゃ。いずれ、わしにも君の知識を語ってもらいたいものじゃ」
「はい、いずれは……ところで学院長、なぜあれが武器だと思われたのですか? それに武器だとわかっているのに「杖」と名づけられたのはなぜです」
「いやいや、何もわしが武器だと言ったわけではないんじゃ。ただ、「聖地」にて発見されるこの手のものは9割がた武器なのでな。それに、「聖地」は始祖ブリミルゆかりの土地でなあ。かの土地で見つかるものにはとりあえず、「何とかの杖(ワンド)」と名づけておるのじゃ。 あとは、まあ見た目と直感でな」

なるほど、とシンジは感心した。
本来の使い道を知識として知っているシンジには、これはミサイルの発射装置であるとわかるが、そうでなくとも、それなりに考察が可能なものである。

「『聖地』ですか」
「興味があるかね、シンジ君」
「はい、学院長、機会があればぜひ行ってみたいです」
「はっはっは、そうじゃな。君ならいつかきっと行けるに違いない。……ととっと忘れておった。君は、ロバ・アル・カリイエの人間じゃったな。……いまは「聖地」には行けんのじゃ」
「ええ、なぜですか?」
「あー……つまりじゃな」
「学院長、閲覧許可書の作成が終わりました。彼の名前を教えて頂けますか」
「うわっと、なんじゃい、ミス・ロングビル脅かしおって」

いつの間に入ってきたのか、そこにいたのは彼の秘書だった。

「いつまでたっても帰ってこないんですもの、何をやっているのかと思いましたわ」
「うむ、この「破壊の杖」じゃがな、どうも彼の国のものであるらしい」

その発言に、ミス・ロングビルの眼が輝いた。

「まあ、本当ですか! すばらしいですわね」
「まったくのう、シンジ君、楽しみは取っておくとしよう。 期待しておるよ」
「はい、申し訳ありません」

学院長は、うむうむ、と頷いてミス・ロングビルに言った。

「ミス・ロングビル、彼の名前はシンジじゃ、ヴァリエール嬢の使い魔じゃから、シンジ・ヴァリエールじゃな」
「かしこまりました」
「えっと、よろしいんでしょうか?」
「何がかね」
「閲覧の許可書は、こちらの「破壊の杖」の情報と引き換えでは?」
「いやいや、これはついでに見てもらったにすぎんよ。どうも、誤解をさせてしまったようじゃな。……ミス・ロングビル許可書を貸したまえ」

そう言って、オールド・オスマンはそこに自分の名前をサインする。順番的には、保証人のサインが先のはずだがオスマン氏は詫びのつもりだった。

「さっ、これでよい。あとは君の主人のサインを貰って、それを明日にでも図書館の司書に見せれば終わりじゃ」
「ありがとうございます」

シンジは学院長とその秘書に礼を言い、本塔を後にした。
もどる道すがら考える。
あの宝物庫に合ったのは間違いなく、シンジが使徒戦争を戦っていた時より前の時代のものである。

(最低でも、7~8千年前の時代のものが、新品同様に存在する。か、いろいろと、謎が多いな……おまけになんなんだこの力)

シンジは自分の左手に刻まれたルーンを改めて見つめていた。





シンジは図書館の閲覧許可書を見せると、案の定ルイズに笑われた。

「あははははは、シンジ・ヴァリエールですって」
「そんなに笑わないでください。学院長がつけたんですから……、それよりルイズさんはそれでいいんですか?」

名門貴族の家名である、やすやすとつけていいものとも思えなかった。

「まあいいわ、あんたは私の使い魔だから私の所有物、これは「ヴァリエール家の使い魔シンジ」ぐらいの意味ね。だけど、名前ぐらい言えばよかったじゃない、神話の英雄と同じ名前ですって」

シンジとしては、だから言いそびれたのだが。

「ちょっと、本名を明かすタイミングをはずしましたね……、あ、そうそう学院長にお願いをされたんですが……」

ルイズに、先ほどの宝物庫でのやり取りを説明し、知っていることを漏らしてもいいのかどうかを聞きたかった。

「うーん、まあいいわ。その代わり私も同席させてもらうわ」

ルイズも、いまさらシンジが何を知っていてもそうそう驚きはしなかった。

「ふふふ、ねーえシンジ、今度この世の始まりがどうだったのか教えてね。よかったら空が青い理由も」

これは冗談、あるいはシンジをちょっと困らせてやるぐらいのつもりで言ったため、次のセリフは予想だにしなかった。

「はい、それでは夕ご飯のあとにでもお話します。うまく説明できるかどうかわかりませんが」
「え、冗談でしょ」
「え、なにがですか?」

シンジの表情を見るに、嘘をついているようにも、ルイズをからかっているようにも見えない。

「あんたって、あんたって……」

もはや、ルイズも呆れるほかなかった。
シンジにしてみれば空が青い理由であるレイリー反射も、宇宙の始まりであるビッグバン理論も、中学生はおろか、小学生でも知っているような話であると思っているが。





辺りはもはや薄暗く、西の空は紅く色づいている。
あのあとも、シンジはルイズにいろいろ質問され、食事に向かうのが遅くなってしまった。結果、ルイズもシンジも食事を終えた頃は食堂に数人しかいなくなってしまっていた。シンジはいつも通り、ルイズを迎えに食堂の入り口で待っていた。
それを、怪しい人影が中庭の植え込みから覗いていたのだ。

「あら、やっと来たわね。よく見てて頂戴よ」

怪しい人影は呪文を詠唱し始めた。長い長い詠唱だった。詠唱が完成すると地面に向けて杖を振る。
音を立て、地面が盛り上がる。土系統の魔法「ゴーレム錬成」が、その本領を発揮したのだ。
突如現れた巨大なゴーレムが壁を殴り破壊し、穴の空いた宝物庫へフードを被った人影が侵入していく。

「盗賊だ!」

誰かが叫んでいた。シンジは素早く食堂に入ると、ルイズを見つけ、手を掴んだ。

「キャッ!?ど、どうしたの!?この振動は何? 何が起こっているの?」 
「盗賊です!とにかくここは危ないですから一緒に非難してください」

シンジは食堂内を見渡し、いまだ残っていた数人の生徒に大声で注意を促した。

「そっちは危ないです!正面玄関のほうから出てください!」

シンジとルイズが外に出ると、巨大なゴーレムは2体になっていた。新しいゴーレムの肩には、ミセス・シュヴルーズが乗っている。彼女は食堂から出てきた生徒たちを見つけると叫んだ。

「みなさん、早く!早くお逃げなさい!!」

彼女はどうやら、ここで盗賊の相手をするつもりのようだ。だが、少々及び腰である。
無理も無い、宝物庫の壁はスクエアメイジ数人がかりで「固定化」をかけ、あらゆる呪文に対抗できるよう設計されている。それを、数撃で破壊したこの盗賊のレベルはおそらく『オーバースクエア』であろう。と、ミセス・シュヴルーズは考えている。

(まともにぶつかってもまず勝てない、だが、時間を稼げればそれで良い)

そう、ここは魔法学院、生徒にも数人、先生方はほぼ全部がトライアングル以上である。
全力で、敵ゴーレムを押さえつけ応援を待てばいいのだ。

「盗賊!学院一の土魔法使い、この「赤土のシュヴルーズ」が当直であったことを地獄で後悔するがいい!!」

恥ずかしいぐらいのセリフと大声で自分を鼓舞し、感情を高め、精神力を底上げする。
系統魔法を使い、戦う時の常套手段である。挑発することで盗賊を逃がさない目的もある。
だが、敵ゴーレムは大きくのびをしたかと思うと後ろ向きに逃げ出した。いや、もともとこのゴーレムには後ろ前の区別など無かったが、ミセス・シュヴルーズに相対した側に顔の模様を作っていたため、勝手にこちらが前であると勘違いをしたのだ。

「お、おまちなさい」

慌てて盗賊のゴーレムを追いかけるがもう少しのところで捕まらない。
結局、黒ローブをまとったメイジを肩の乗せたまま、魔法学院の城壁を一跨ぎで乗り越えると、地響きを立てながら、草原を歩いていく。ミセス・シュヴルーズのゴーレムも追いかけるが、引き離されるばかりだ。
盗賊は確かにゴーレム操作に関しては彼女より上のようだった。

ままよ、彼女はゴーレムの維持と操作を一時止めて、新たな魔法を展開する。盗賊ゴーレムの足元に巨大な「アースハンド」を生成した。これで、ゴーレムの片足をつかむ。
しかし、盗賊のゴーレムはそんなものは無いかのように、あっさりと「アースハンド」を引きちぎり、先ほどのように草原を進んでいった。
これで、ミセス・シュヴルーズの残りの精神力ではもうあの大きさのゴーレムを作ることは出来ない。
ただ、行き先を見逃さないよう「フライ」で追いかけるのみである。

気が付くと盗賊のゴーレムの上空を、何匹もの飛翔系の生き物が飛んでいた。
おそらく、学院の生徒たちの使い魔であろうそれは、あるものは爪で、またあるものは口ばしでゴーレムの肩に乗るメイジを攻撃し始めた。しかし、そんなものは意に介さないように、ゴーレムの歩みは止まらなかった。

何かおかしい。

ミセス・シュヴルーズがそう感じ始めたとき、一匹の大きな鷲がメイジの黒いローブを剥ぎ取った。
そこに見たのは、人型の土人形だった。ここに至り、このゴーレムがおとりだったことを知った。
ローブを剥ぎ取られたゴーレムは、それが合図でもあったかのように崩れ落ち、大きな土の山になった。





……翌朝。
トリスティン魔法学院では、蜂の巣をつついたような騒ぎが続いていた。何せ、国の秘宝たる『破壊の杖』が盗まれたのだから。それも、巨大なゴーレムが壁を破壊するといった大胆な方法で。
宝物庫には、学院中の教師が集まり、壁にあいた大きな穴を見て、口をあんぐりとあけていた。
壁には、土くれのフーケの犯行声明が刻まれている。

『破壊の杖、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』

教師たちは、口々に好き勝手なことを喚いている。

「土くれのフーケ! 我々貴族の財宝を荒らしまくっていると言う盗賊か! 魔法学院にまで手を出しおって! 随分と嘗められたもんじゃないか!!」
「衛兵はいったい何をしていたんだね?」
「衛兵などあてにはならん! 所詮は平民ではないか! それより当直の先生は誰だったんだね!」
「ミセス・シュヴルーズは、盗賊にしてやられたショックと、おそらくは限界まで魔法を使われたのでしょう。 精神力が切れ、ただいま自室で眠っておられます」
「たかが盗賊一匹にしてやられるとは、情けないにもほどがある!」

教師の一人がそう言って、声を荒げた。どうやら、責任を当直だったミセス・シュヴルーズ一人に押し付けるつもりのようである。
そこにオールド・オスマンが現れ、集まっている教師たちを、ギラリと睨んだ。

「諸君、ここで何をしておるのかね?」
「それはもちろん、この盗難事件の責任が誰にあるのかを話し合っておりました」
「ほう、で、誰の責任かね?」
「それはもちろん、当直であるミセス・シュヴルーズですな。 立ち向かったとは言え、結果が伴わなければ意味はありません」
「……今、宝物庫の壁を調べてきたところじゃ。あまりにキレイに丸く穴が開いているので気になってな」

教師たちは、学院長がいきなり何を言い出すのかと、いぶかしく思った。

「ふん、穴のふちに沿って固定化が解けておる。土メイジのスクエアが十人がかりでも一晩では不可能な計算じゃ。 ましてやたった一人のスクエアではな!」

ハルケギニアにおけるメイジのランクは、下から「ドット」、「ライン」、「トライアングル」、「スクエア」となっている。もちろん、下に行くほど数が多く上に行くほど数が少ない。
メイジの多くは「ドット」か「ライン」であり、このレベルが過半数を占め、「トライアングル」となれば百人に二人、いるかどうかである。
ちなみに、才能のみで上がれるのは「ライン」までと言われ、そこに血のにじむほどの努力をしたものだけが「トライアングル」になると言われる。
まして「スクエア」クラスとなると、国単位でも両手の指に届くかどうかの数しか居ないと言われている。
土系統のスクエア十人となれば、下手をすれば、ハルケギニア中のすべてのスクエア・クラスを集めても揃わないかもしれない。

「……土くれのフーケが、土系統のスクエアクラスと仮定しよう。 そいつの持っている精神力のすべてで「壁」に錬金をかけ固定化に干渉する。 すると手のひらほどの面積の固定化を解除できる。それを延々と二十日ほど続けたのじゃ。 おそらくは夜にな」

多少なりとも察しの良い教師は、この時点でオスマン氏がなにを言いたいのかわかった。

「さて、この中でまともに当直をしたことのある教師は何人おられるのかな?」

オスマン氏は、教師たちを見渡した。
教師たちはお互い顔を見合わせると、恥ずかしそうに顔を伏せた。
もし、自分はまじめにやったなどと申告すれば、それは盗賊の跳梁に気が付かなかったと言うことである。

「どうやら、阿呆は一人もおらんようじゃな。怠け者ぞろいであってもな!……さて、これが現実じゃ。責任があるとすれば、わしを含めたここにいる全員であり、けして盗賊に一人立ち向かったミセス・シュヴルーズではない!
……まさかこの魔法学院が賊に襲われるなぞ、夢にも思っていなかった。なにせ、ここにいるのはほとんどがメイジじゃ。だれが好き好んで竜の巣に入るものかよとな。しかし、それは間違いじゃったようじゃな」

オールド・オスマンは、壁に大きくあいた穴を見つめた。

「これこの通り、賊は大胆かつ繊細な計画をもって、この学院に忍び込み、まんまと『破壊の杖』を奪っていきおった。責任を問うのなら、我ら全員というわけじゃ」
「……」
「で、犯行の現場を見ていたものは、ミセス・シュヴルーズ以外では誰かおるかね?」

オールド・オスマンが尋ねた。夕食の後ということで、結構な人数が目撃していそうではあるが、実際は学生のほとんどは日が落ちると部屋に引っ込んでしまう。したがって、目撃者は意外なほど少なかった。

「この三人と、……例の使い魔の少年です」

コルベールが進み出て、自分の後ろに控えていた三人ともう一人を指差した。ルイズにキュルケにタバサ、そして使い魔のシンジの四人である。 

「ふむう、君たちか……」

オールド・オスマンは興味深そうに、四人を見つめた。

「詳しく説明したまえ」

ルイズが進み出た。

「あの、最初から見ていたのはシンジだけなんです。シンジに説明させますがよろしいでしょうか」
「無論じゃ、貴族の平民のと、言っておる場合ではない」

シンジはおずおずと前に出た。

「あの、大きなゴーレムが現われて、ここの壁を殴って壊したんです。肩に乗ってた黒いローブをかぶった何者かがこの宝物庫に侵入したのを見ました。……そのあとは、食堂に入って主を探していたので詳しいことは……。そして、外に出ると大きなゴーレムは二体になっていました。僕が見たのは、片方が逃げ出して、もう片方がそれを追いかけるところまでです」
「そのあとは、私たちが説明しますわ学院長」

そう言って前に出たのは、キュルケとタバサだった。タバサは休日には珍しく、シルフィードと空中散歩をしていて騒ぎを聞きつけ、キュルケは遅い夕食を終えたあと、もどる途中でゴーレムに気づいたのだった。

「……というわけで、最後には崩れて土になっちゃいました」

それらを聞いていたオスマン氏は長く伸びたあごひげを撫でた。

「ふむ……後を追おうにも手がかりは無し、と言うわけか……」

それから、オスマン氏は気づいたようにコルベールに尋ねた。

「ときに、ミス・ロングビルはどうしたかね?」
「そういえば姿が見えませんな」
「この非常時に、何処に行ったのじゃ」

そんな風に噂をしていると、ミス・ロングビルが現われた。

「ミス・ロングビル!何処に行っていたのですか!大変ですぞ!事件ですぞ!」

興奮した調子でコルベールがまくし立てる。しかし、ミス・ロングビルは落ち着き払った態度で、オスマン氏に告げた。

「申し訳ありません。夕べからフーケを尾行しておりましたので」
「「「尾行?」」」

「そうですわ、夕べあの怪盗が現われた時に、わたくしも近くにおりましたの。あまりにもやり口が派手でしたので、こちらは囮に違いないと思いまして、ゴーレムが立ち去った後、茂みに隠れていた黒ずくめのローブをかぶった不審者を見つけまして。後は見つからないようにそっと後をつけておりました」
「……うむ、よくやってくれたミス・ロングビル」

コルベールが慌てた調子で促した。

「して、ご成果のほどは?」
「はい、今現在フーケが潜伏していると思わしき隠れ家まで後をつけ、それからすぐ帰ってきましたので、急げばまだ間に合うかと」
「そこは近いのかね?」
「はい、徒歩で5時間、馬で2時間弱といったところでしょうか」
「すぐに王室に報告しましょう!王室衛士隊に頼んで、兵隊を差し向けてもらわなくては!」

コルベールは叫ぶ。しかし、オールド・オスマンはそれを聞くと、首を横に振る。

「王室に報告するのは当然じゃが、衛士隊が来るのを待っていてはフーケに逃げられてしまうじゃろう。これは、わが魔法学院の問題じゃ。貴族の誇りにかけ、我らで解決する」

それを聞きミス・ロングビルは微笑んだ。まるで、この答えを待っていたかのようである。
オールド・オスマンは咳払いを一つすると、有志を募った。

「では、捜索隊を編成する。我と思わんものは杖を掲げよ」

教師たちは誰も杖を挙げない。困ったように顔を見合すだけだ。
ある意味、無理も無い結果である。
ここは学院であり、軍隊ではない。
彼らは教師であり、軍人ではない。
ハルケギニアにおいては、メイジは平民を守り戦うものと言う認識がある。
しかし、教師たちは、レベルこそ高く修行もこなしてはいるが、実戦に赴いた者は少ないであろう。実はメイジにも戦闘に特化したメイジもいれば、そうでないメイジも数多くいるのだ。
無論戦争になれば、いやもおうも無く行かなければならないが。
また盗賊とは言え、他人を傷つける、あるいは殺す覚悟は胆力が要るものである。それを考えると、昨夜フーケに立ち向かったミセス・シュヴルーズの勇気は称賛されるべきものである。

「おらんのか、おや?どうした!フーケを捕まえて、名を上げようと思う貴族はおらんのか!」

オールド・オスマンは、しょうがないとばかりにコルベールの顔をちらりとのぞいた。
その時だった。

「ミス・ヴァリエール!何をしているのですか!」

教師の一人が、驚いた声を上げた。皆が、こぞってルイズを見る。彼女は杖を顔の前に掲げていた。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。貴族がその要請に従い、杖を掲げる事の意味をわかっているのかね。冗談でした、では済まされないのじゃよ」

オールド・オスマンはいつに無く厳しい顔つきになっていた。

「私もラ・ヴァリエールの名を持つものとして、その意味は誰よりも理解しているつもりです。それに、どなたも杖を掲げないじゃありませんか!」

ルイズはキッと唇を強く結んで言い放った。
そして、ルイズがそのように杖を掲げているのを見て、しぶしぶキュルケも杖を顔の前に持っていった。今度はコルベールが驚いた声を上げた。

「ミス・ツェルプストー! やめてくれ、君は生徒じゃないか!」

キュルケはつまらなそうに言った。

「ふん。ヴァリエールにのみ名を成さしめさせるわけには参りませんわ」

キュルケが杖を掲げるのを見て、タバサも掲げた。

「タバサ、あんたはいいのよ。これはツェルプストー家とヴァリエール家の問題なんだから」

キュルケがそう言うと、タバサは短く答えた。

「心配」

ルイズとキュルケは感動した面持ちで、タバサを見つめ二人とも唇をかみ締めて、お礼を言った。

「「ありがとう、タバサ」」

そんな、三人の様子を見て、オールド・オスマンは笑った。

「そうか、では頼むとしようか」
「オールド・オスマン! 私は反対です!生徒たちをそんな危険にさらすわけには!」
「もう、杖は掲げられた。これを覆すことは彼女らに対する侮辱であり、その決意に唾を吐く行為である。……彼女たちは敵を見ている。その上、ミス・タバサは若くしてシュバリエの称号を持つ騎士だと聞いているが?」

タバサは返事もせず、表情も変えない。
教師たちは驚いたようにタバサを見つめた。

「本当なの?タバサ」

キュルケもルイズも驚いている。王室から与えられる爵位としては最下級の称号だが、タバサの歳でそれを与えられるというのが驚きである。
そして、他の爵位と違うのは、純粋に業績、功績に対して与えられる実力の称号なのだ。

教師たちがざわめいた。オールド・オスマンはそれからキュルケを見つめた。

「ミス・ツェルプストーは、ゲルマニアの優秀な軍人を多く排出した家系の出で、彼女自身も火のトライアングルであると聞いておる」

キュルケは得意げに、髪をかきあげた。
それから、ルイズが自分の番だとばかりに可愛らしく胸を張った。

「ミス・ヴァリエールは数々の優秀なメイジを排出したヴァリエール公爵家の息女で、学院一の学識を誇っており、将来有望なメイジと聞いておる。 おまけに、その使い魔は! 平民ながら……」
「まってください!」

いままで、俯いて黙っていたシンジが声を荒げた。

「皆さん、何を考えているんですか! 女生徒だけ三人で!それもスクエアとか言うほとんどモンスターみたいなメイジを捕まえろなんて、本気で言っているんですか!!」

シンジのセリフを聞いて、そこに集まっていた者達の間に白けた空気が流れた。

「黙んなさい!シンジ!」
「黙ってなんかいられない!何ですか!黙って聞いていれば、大人がこんなにいるのに……」

シンジが全部を言い切る前に、彼の頬が高い音を立てて鳴っていた。
ルイズにはたかれたのだ。シンジは、頬をはたかれたショックで黙ってしまった。
ルイズは口を引き結び、覚悟を決めて言った。

「今までちょっと甘い顔をしすぎたみたいね。使い魔の躾がなってなかったわ。いくら頭が良くても、どんなにすばやく動けても、あんたは平民よ、それが良くわかったわ。いままで、あんたにはいろいろ教えてもらったわ。今度はあんたに貴族ってもんを教えてあげる。
言葉ではなく行動でね!
そうそう、一つだけ、杖を掲げるのは貴族の誓いの印。なんであれ、杖に誓った約束は命がけで果たすのが貴族よ。もし約束をたがえれば、その貴族は名誉を失うことになる。どんなに爵位が高くても、どんなに魔法が使えても、名誉の無い貴族は貴族じゃない!そんなものはあたしが貴族と認めない!あんたは、私をそんな名誉の無い貴族にしたいって言うの!」

シンジは頬を押さえ、ルイズからの厳しい目線をはずすことなく答えた。

「わかりました。ルイズさん」

ルイズは、その表情からは、意外なくらいあっさり引き下がったシンジに違和感を抱いたが・・・。

「そう、わかったのならおとなしく……」
「ルイズさんの代わりに、僕が行きます。主を守るのも使い魔の仕事。ですよね」

ルイズは開いた口がふさがらなかった。

「同じく、キュルケさんもタバサさんも来ないでください。 ただお二人の使い魔をお貸しください。……これで、三人の「貴族の名誉」は守られますよね、学院長」
「うむ……あー、いやいや、うーむ、……こう言う場合ちょっと解釈が難しいの」
「何が問題なんです。 主を守るため使い魔がいると、ルイズさんに聞いています。ならば、死地に向かう主人の代わりに、使い魔が赴いてもおかしいところは無いでしょう。
……そして、使い魔の手柄は主人の手柄、そうですよね」

それを聞いていたオールド・オスマンは、ちょっと感動していた。たしか、以前確認した時には、彼にはサモン・サーヴァントが利いていないはずだった。
だが、そんなことには関係なく、彼はどんな貴族よりも貴族らしいではないか。王宮で権力争いにキュウキュウとしている貴族たちに、爪の垢でも煎じて飲ませたくなってしまった。

「認めよう。ミス・ヴァリエールの使い魔シンジよ、捜索隊に加わり学院の名誉を守れ」
「はい、主人の名にかけて」

ルイズは激昂し、杖を振り回しながら、わめき始めた。

「かかか、勝手なこといってんじゃないわよ!私もいく、絶対行くんだから!シンジ、命令よ!うぷぷぷぷ」

ルイズが命令を下す寸前、キュルケがその口を押さえた。

「ちょっと待っててね、今フレイムを呼び出すわ」
「ありがとうございます。キュルケさん」

タバサも口笛を吹き、シルフィードを呼び寄せる。

「いいの?」
「ええ、ただルイズさんをお願いします」

タバサは、小さくうなずき了承の意を伝えた。







詳しい方、シンジの名前の所突っ込んでください。



[10793] 幕間話2 フーケを憐れむ歌
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:2bbbedfc
Date: 2013/03/10 05:17


土くれのフーケはトライアングルメイジである。その系統は二つ名からもわかるように土。

メイジのメイン系統については、最初に目覚めた系統が当てられるのが普通で、通常目覚めても二系統までである。
もっとも、水系統のメイジでも小さな火なら出せるし、風系統のメイジでもちょっとした錬金なら使えるため、ごく弱いものなら、すべての系統が使えることになるが。

話がそれた。

土くれのフーケは、この『トリスティン魔法学院での略奪』を持って、盗賊家業を引退しようと思っていた。
故郷のアルビオンに内戦が起こり、仕送りをしている家族が危険にさらされたためだ。
それに、いつまでもこんな家業が続くわけが無いことも良くわかっていた。

(引越しをするなら、ゲルマニアしかない。あそこなら新教徒への風当たりもそんなに強くないし、新興国家の常で、人の出入りも多く、妹が見咎められることも少ないだろう。殺された父さん母さんのカタキは、どうやら『共和制』とやらが取ってくれそうだし。あの国にこだわる必要も、もう無いだろう。)

大金が必要だった。
だが、最近は主に自分のせいでどこも警戒が強くなっており、やすやすと盗みに入るわけには行かなくなっている。そのため、計画に1週間、実行に4ヶ月をかけた。
前話にて、オールド・オスマンが宝物庫の壁に穴を開けるのに二十日などと言ったが、もしフーケが聞いていたら憤慨したであろう。

壁に穴を開けるため日常生活でもギリギリ魔法を使わず精神力をためこみ、そのため、生活費を稼ぐのは主に肉体労働。パートにバイト、給仕にメイド、土木工事に皿洗い。
もしもあったら、刺身の上にタンポポを乗せる仕事だろうと厭わなかったにちがいない。
今までに、盗んだお宝はすべて換金し、ほとんど故郷への仕送りに当ててしまっている。
おまけに、街から学院まで実に馬で約三時間の距離である。
往復で約6時間、そしてフライで壁に飛んでいき、適当な足場を探す。錬金の魔法を使っているときは、もちろんフライもレビティーションも使えない為、張り付くだけでも必死である。
錬金の作業が約一時間、上記の移動時間とあわせて約七時間。
しかも、当直の先生方も不真面目な人間ばかりではないため、衛兵の詰め所をよく観察し、当直のメイジが居ない時のみ、作業を行う。もしいたら?……その時は憤慨しながらも黙って帰るしかない。帰りもまた三時間をかけて。

最初の二ヶ月は睡眠時間が三時間しかなかったおかげで、生活費を稼いでいる最中にミスを連発した。叱られ、怒鳴られ、馘首(クビ)になりかけ、ふらふらになりながらも給仕の仕事を休むわけにもいかなかった。
そのためある時、客の一人が尻を触わってきても気が付かなかった。いや、気が付いてもあまりにも疲れ、反応が出来なかったというべきか。そのときのフーケには怒るだけの気力も無かったのだ。

尻を触られても気にした様子を見せないフーケを、その客は痛く気に入り、自らの秘書に雇い入れた。客の名は、オールド(偉大なる)の二つ名を持ち、トリスティン王国がハルケギニアに誇るビックネーム・メイジの一人。かの名門トリスティン魔法学院学院長オールド・オスマン。

そして、勘の良いアルカディアの読者諸兄においては、もうお気づきであろう。
土くれのフーケの正体。
それはミス・ロングビルその人である。


幕間話2 フーケを憐れむ歌


晴れて、学院長秘書として学院内に入り込めたフーケだが、ある事実に愕然とすることになる。
宝物庫内の作りがいくつかの小部屋に分かれていて、その壁もまた恐ろしく強固な固定化に守られていたことである。
おまけに、自分が二ヶ月をかけてせっせと錬金の魔法をかけ続けた壁の部屋は、言ってみればガラクタ置き場だった。
一応、名称は「場違いな工芸品」の部屋となっており、学術的にはどうかわからないが素人目には箸にも棒にもかからないようなクズばかりである。故買屋に売ろうにも、こんなものでは値段なんかつきはしないだろう。

ほんの数日前に、なんだかよくわからないうちに学院秘書として雇われた幸運に、さして信じてもいなかった始祖ブリミルに数年ぶりに感謝の祈りをささげたことを後悔し、なおかつ同じ口で罵りの言葉を吐き出した。
一応、鍵はあるのだから、中から入ればと一時は考えたが、学院長室に置いてある鍵はその「場違いな工芸品」の部屋のみであり、あるときに聞いたらその他の部屋の鍵は王宮に保管され、何がしかのイベントが王宮で催される時のみ、王室付きの官僚が大勢の護衛を引きつれ鍵を持ってくるのだと言う。
だいたい、中から鍵を開けて入ったら、私が犯人です、と言っているようなものだ。
仮にそうでなくとも、疑いの目は必ずこちらにも向けられるだろう。却下せざるを得なかった。

それでもその部屋に、金目のものが全然ないかというとそうでもなく、ほぼ唯一と言って良いのが「破壊の杖」である。
ただこれは、使い方がわからず、下手に扱うと爆発してしまうと言う、曰くつきのシロモノである。
まあ、だからこそ国でもっとも頑丈な金庫であるトリスティン魔法学院の宝物庫に保管されているわけだが。
あきらめて、他の場所にと思っても、外から錬金をかけられる足場的な物があるのがその「場違いな工芸品」の部屋の外のみである。
ロープで体を支えてぶら下がっていたら、さすがに目立つだろうし、いざと言う時逃げられない。

ならば、一度はいって中の壁を壊したらどうかと思ったが、そうそう宝物庫の中に入る用事も無い。
外の壁を自分のゴーレムで壊せるだけの強度に落とすのにも、トライアングルのフーケでは計算上80日かかるのだ。
中の壁を、人が一人通るぐらいの穴を、今度はゴーレム抜きで開けるのに下手をすれば1年以上かかるかもしれない。
とてもじゃないが、ばれるだろうし、やってられなかった。


とにもかくにも、すでに街での仕事はすべて離職しており、雇い主も美人だがしょっちゅうヘマをして、店に損害ばかりかけるフーケを持て余していて、彼女の退職は渡りに船のスムーズさで行われた。
学院秘書の給金はそれなりに良いし、これで生活していくのも悪くないかと思っていた。
森の中に一軒家でも建て、子供たちや妹とそこで生活する。
暇な時には、畑仕事でもして、(無論ゴーレムで)子供たちに勉強を教え、妹は調理場で料理を作る、休みの日にはみんな揃ってピクニック、そんな夢想を抱いていた。





さて、学院内での生活が始まり、1週間で気が付いたのは自分の職場がセクハラ地獄だということだった。
スカートの中をのぞき、尻を触ってくるヒヒジジイ。 部屋をのぞきに来るクソガ……生徒たち。 
何を勘違いしたかやたらと求愛してくるハゲ。学院内に若い女の先生がいないのはこう言うわけかと思い知り。このままでは、XXX板一直線だと身につまされた。
作者にそんなものを書く技量は無い。

やはり、なんとか大金を稼ぎ、このSAN値(精神正常値)がひどく削られる職場を早々に立ち去りたい。
結局、一週間ほど休んだが、また宝物庫の壁と格闘する日々が始まった。
今度は合計六時間の往復が無くなったし、衛兵の詰め所の情報も楽に手に入るようになった分、効率が上がった。

……それでも、延々四ヶ月かかったわけだが。





そんなこんなで、二ヶ月ほどたち、つい先ごろ一年生たちの進級試験である「使い魔召還の儀」が行われた。
この国の公爵の娘が、人間を召還したと話題になったが、フーケは内心(そんな馬鹿な)と思っていた。
おそらくその娘は魔法に自信が無く、召還の魔法が失敗することを懸念し、実家に泣きついたのだろう。
公爵の娘ともなれば、かなりのことが可能だ。
誘拐した子供を、手品(か魔法)をつかって使い魔の代わりに仕立て上げたに違いない。
かなり高度な上、禁呪魔法になるが、催眠術で記憶を操作することも不可能ではないだろう。
自分にはわからないような、マジックアイテムを使ったのかもしれない。

(わざわざ、平民の子供を使わなくたっていいのに、この国の貴族どもはまったく)

その子に同情したが、さりとてなにが出来るわけでもない。せいぜい、関わりあうことがあったら優しくしてあげようと思うぐらいだった。




その関わりあうことが意外と早く訪れた。間接的にだが。
なにやら、中庭で決闘をするらしい。その相手が、例の少年だというのだ。もう一人は、しょっちゅう自分の部屋を覗きに来る、あのクソガキ。二年生でギーシュ・ド・グラモンとか言うらしい、名前なんかはじめて知った。

自分に出来ることはとにかく早く決闘を止めるよう、学院長に進言することだ。
下手をすれば、これもあの公爵の娘の陰謀かもしれない。
『召還には成功しました。しかし、使い魔は不慮の事故で死んでしまいました』といったところだ。
この国の貴族は、「貴族にあらずんば、人にあらず」と言った所が、ままあるためだ。
とにかくフーケは急いだ。

☆☆☆

「私です。オールド・オスマン」
「なんじゃ?」
「ヴェストリの広場で決闘をしている生徒がいるようです。大騒ぎになっています。止めにはいった教師がいるようですが、生徒たちに邪魔されて、止められないようです」

そんな教師はいやしない、フーケの狂言だ。

「まったく、暇をもてあました貴族ほど性質の悪い生き物もおらんな、で、誰が暴れておるんだね?」
「一人は二年生のギーシュ・ド・グラモン」
「あの、グラモンのとこのバカ息子か。オヤジも色の道では剛の者じゃったが、息子も輪をかけて女好きじゃ。 大方女の子の取り合いじゃろう。 相手は誰じゃ?」

(いらいらするなあ、そんなことはどうでもいいだろうに)

「……それが、生徒ではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔の少年のようです。教師たちは、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」

これも嘘、でも『眠りの鐘』の場所は知っている。

「許可する。可及速やかに決闘を止めよ」
「わかりました」

大急ぎで、眠りの鐘の入った戸棚の鍵を開け、眠りの鐘を持ち出し中庭に急いだ。
……が、決闘はすでに終わっていた。

(遅かったか) 

痛い思いが胸を走る。
だが、戻ろうとする生徒を捕まえ、話を聞くと勝ったのは使い魔の少年のほうだと言う。魔法を使わず戦ったのかと聞くと、まあ、ある意味使わなかったと言う。
どうも良くわからない。 
まさか平民が魔法を使えないからと、それに合わせ自分も魔法を使わなかったとでもいうのだろうか? この魔法偏重主義のトリステイン貴族が。

その後、決闘した二人と、少年の主人の娘が呼ばれ、クソガキのほうがみっちり絞られた。
ちょっと、学院長を見直した。
貴族と平民がけんかをすれば、どうしたって大概は平民が負けるし、もし勝ったリなんかしたらそれが理由で殺される。

うなだれるエロガキ。

(ざまあみやがれ。今度、覗きに来たら名前を連呼してやろう。悲鳴をあげながら。卒業までの二年間、針のムシロに座るがいい)


☆☆☆


計画実行の前日、少々天気が悪くどんよりとした雲が気持ちをいささか暗くする。
曇りの日は、いささかセンチな気分になるフーケである。

(気分悪いねぇ。こうぱーっと天気が良くならないもんかね)

などと考え、空を見上げていたら……。

“ドォ――――――――――――――ン!!!!”

いきなりの大爆発にキモをつぶされた。
なんだ、なんだ、戦争でも始まったのか、と慌てて外に出る。生徒たちや、教師たちもフーケと同様に動揺している。
学院郊外の森の上空にて爆発があったため、先生方が調査に出たが何も見つからなかった。
近くアカデミーの方から調査の人間が来るとのこと、タイミングの悪さにいやになる。



決行の日。
今日は、ゴーレム作ったりなんだりで精神力と体力を使う予定なので、昼過ぎまで寝ていた。
本当は夕方近くまで寝ていようと思っていたが、何処から入り込んだのか枕元に白いねずみが居て、フーケを起こした。学院長の使い魔「モートソグニル」だった。
無視して、もう少し寝ていたかったが、夕べは早く寝たため一度起きると目が冴えてしまった。
モートソグニルも手をすりすりしながら頭をぺこぺこ下げている。相変わらず器用なことだ。

「なんですの、学院長。今日は“虚無の日”ですわよ」

もちろん、この使い魔はしゃべれないが器用なジェスチャーにて、用件を伝えてくる。
どうも、先日の爆発騒ぎの報告書と調査隊の要請の書類つくりを手伝って欲しいらしい。
「破壊の杖」強奪のあともしばらく学院にて働くつもりのため、この要請を断るわけにも行かない。
それに、休日出勤は日給1.5倍の約束だ。 悪くない。

とか思っていたが、学院長の報告書のほうが中々進まず、来たのはいいが随分と待たされることになった。秘書の仕事は、学院長の書き上げた報告書の清書のため、学院長が報告書を上げないとこちらも仕事が終わらない。

「うむ」

とつぶやいた。
この後は大概水パイプだ。フーケはこのタバコの臭いが嫌いである。
魔法でもって取り上げた。

「仕事中のわずかな楽しみを取り上げて楽しいかね、ミス・ロングビル」
「オールド・オスマン。あなたの健康管理もわたくしの仕事なのですわ。ご自愛なさってください」

自分が居ないとこなら、ばんばん吸って寿命を縮めるのは勝手だが。それがダメなら、せめて、外で吸ってもらいたい。

「つれないのう…」

オスマンはため息をつくと椅子から立ち上がり、窓から外を見始めた。

「なあ、ミス・ロングビル。どうにも考えがまとまらないんじゃ、パイプぐらいええじゃろう?」
「駄目です」
「まったく…ぶつぶつ」

フーケは手元の羊皮紙に羽ペンを走らせながら、皮肉たっぷりの口調で言った。

「セクハラばかりしているから罰でも当たったんでしょうかね」
「真理とは、真実はどこにあるんじゃろうか? 考えたことはあるかね? ミス……」

まじめな顔をして、意味不明な哲学を語り始めた。この次は、……セクハラが来る。
もはやパターン化し始めた様式にフーケは眉をひそめた。下半身に注意を向けると、白いねずみを見つけた。

(あんまり使いたくないんだけどねぇ)

フーケはレビティーションを発動し、「モートソグニル」を捕らえる。

「難しいことはわかりませんが、少なくとも、わたくしのスカートの中には無いと思いますわ」
「わ、わかった、わかったから離してやってくれ」

オスマンは顔を伏せると悲しそうな顔で呟く、そしてロングビルの机の下から、小さなネズミがふわふわと宙に浮き、オスマンの肩まで届けられた。

「おうおう、モートソグニル。捕らえられてしまったのか、大変じゃったのう。どれどれ約束通りナッツをやろうかの…おおっと、その前に報告じゃ。なに、白か、純白か、しかしミス・ロングビルは黒もええと思わんかモートソグニルや」

(何を聞いていやがるんだ、このエロジジイが!)

「オールド・オスマン」
「なんじゃね?」
「今度やったら王室に報告します」
「カーッ! 王室が怖くて魔法学院学院長が務まるかーッ!」

なんという、逆ギレ。 何処の17歳だ。

「下着を覗かれたぐらいでカッカしなさんな!そんな風だから、婚期を逃すのじゃよ。……」

ブチンと頭の中で何かが切れた音を最後に、なにをどうしたか記憶に無い。

部屋にノックの音がして、正気に返った。なぜか、学院長が逆さになっていた。
とりあえず、2秒で自分の席にもどり、乱れていた髪形を手櫛で治す。少々荒い息はしょうがない。

入ってきたのは例の少年だった。話を聞いていたら、図書館を使いたいとの事。

(うーん、感心だねぇ、こんな目にあっている(使い魔をさせられていること)のに、めげずに勉強をしたいなんて)

「ふむう、ミス・ロングビル。すまんが席を外してくれないかね」

(なんでやねん)

とは思ったがまあしょうがない。 何か話があるのだろう。フーケも外の空気が吸いたかった頃だ。 
一つ返事で出て行った。

十分ほどの休憩の後、話が終わったのか。また呼び出された。もどってみると、部屋がタバコ臭い。してみると、このために部屋を追い出されたのかとちょっとムカついた。

(やれやれ、まったくヤニ中は)

呼び出されたのは、案の定あの少年の図書館の閲覧許可書作成のためだった。
その間、彼にあのガラクタ小屋を見せるらしい。老人の長話は気の毒だ、とっとと作ってしまおう。




「スティンガー……ミサイル」
「なんじゃと、それはなんじゃ! 知っているのか。シンジ君」

(なんだ、なんだ)

「これが、どのような道具なのかを知っているのかね、君は」
「は、はい、ですが……」

(なに、今なんと言った?!)

「どうしたね、……ああ、心配は要らんよ、これが武器のたぐいであることは予測がついておる。
重要なのは、むしろこの「破壊の杖」の背景じゃな」

(なにー、ぶぶぶ武器ですってー!)

いろいろ、フーケは驚かされた。
かの少年が、ロバ・アル・カリイエの出身であることも驚いたが、せっかく狙っていた獲物が、目当てのマジックアイテムではなく武器だというのだ。
軽く失望したがまだ目はある。要は、それが世間に漏れる前に売り払ってしまえばいいのだ。
いやいや、ゲルマニアあたりのメイジじゃない貴族なら、かえって高く買ってくれるかもしれない。
フーケは息をひそめ、二人の話の続きを物陰からそっと聞いていた。
どうやら、あの少年が「破壊の杖」の事に詳しいこと、このままではそれが暴露されてしまいそうなこと、などが会話から推測された。
今は、使い道がわからず、こんな所におきっぱなしになっているが、わかってしまえば、おそらくアカデミー(王立魔法研究所)行きであろう。
そう、フーケは考えた。

いわゆる、アカデミーの実態を知らなければ、そう思うのも仕方がないところではある。
実際は、このような実用的な技術には眼もくれないのがアカデミーなのだが。

「……『聖地』ですか」
「興味があるかね、シンジ君」
「はい、学院長、機会があればぜひ行ってみたいです」
「はっはっは、そうじゃな。 君ならいつかきっと行けるに違いない。……ととっと忘れておった。 君は、ロバ・アル・カリイエの人間じゃったな。いまは『聖地』には行けんのじゃ……」

話が「聖地」から、『エルフ』に飛びそうになっている。
実は今、「聖地」は自らを「砂漠の民」と称し、恐ろしい『先住魔法』を使う『エルフ』に占領されているのだ。ハルケギニアに住むものなら、子供でも知っている事実である。
フーケにはとある理由で、あんまりこの少年に『エルフ』の悪口を吹き込んで欲しくなかった。

「学院長、閲覧許可書の作成が終わりました。彼の名前を教えて頂けますか」
「うわっと、なんじゃい、ミス・ロングビル脅かしおって」
「いつまでたっても帰ってこないんですもの、何をやっているのかと思いましたわ」
「うむ、この「破壊の杖」じゃがな、どうも彼の国のものであるらしい」
「まあ、本当ですか! すばらしいですわね」

(さっき、聞いたけど)

「まったくのう、シンジ君、楽しみは取っておくとしよう。 期待しておるよ」
「はい、申し訳ありません」
「ミス・ロングビル、彼の名前はシンジじゃ、ヴァリエール嬢の使い魔じゃから、シンジ・ヴァリエールじゃな」

(シンジか、ガリア系の名前っぽいな。……そうそう、精霊の神話の主人公が、そんな名前だったわね。あっちは目の覚めるような美少年の設定だったけど)

「かしこまりました」
「えっと、よろしいんでしょうか?」
「何がかね」
「閲覧の許可書は、こちらの「破壊の杖」の情報と引き換えでは?」

(んな事言ったんか! この、セクハラじじい!)

「いやいや、これはついでに見てもらったにすぎんよ。 どうも、誤解をさせてしまったようじゃな。
ミス・ロングビル許可書を出したまえ」

胸元から自分のペンを取り出し、呪文を唱えるとフワッと浮かんで秘書の持つ許可証にサインを行った。
 
「……さっ、これでよい。あとは君の主人のサインを貰って、それを明日にでも図書館の司書に見せれば終わりじゃ」
「ありがとうございます」

(しかし、いい事を聞いたわ)

フーケは、今晩の計画を少し見直す事にした。






「盗賊! 学院一の土魔法使い、この赤土のシュヴルーズが当直であったことを地獄で後悔するがいい」

(あちゃ~、新任のミセス・シュヴルーズ。 こんなにまじめな人だったとは!)

フーケとしてもこんな所で、無茶なゴーレム戦を行って、精神力を無駄に消費するつもりは無い。
囮のゴーレムを、スタコラサッサと逃げさせる。十分注意が向こうに行ったのを確認し、用意してあった馬で逃げ出す。後は、隠れ家に一直線。
行って二時間、帰って二時間、徒歩なら十時間ほど、十引く四は六、六時間寝れる。
これで、消費した精神力と体力を回復し、起きたら地面の馬の足跡を消しながら学院にもどる。
フーケが学院にもどると、ミスタ・コルベールが近寄ってきて、わめき始めた。

「ミス・ロングビル! 何処に行っていたのですか! 大変ですぞ! 事件ですぞ!」

(落ち着いて、ここからよ)

「申し訳ありません。 夕べからフーケを尾行しておりましたので」

教師たちが驚きの声を上げる。フーケは予定していたセリフを予定通り話し始めた。

(さてこれで捜索隊が編成される。そこに何とかしてシンジを入れるのだ。理由は彼が一番あの「破壊の杖」を知っているとか何とか言って)

などと、考えていたが教師たちは、誰も杖を上げない。

(なんだいこりゃ、腰抜けにも程があるだろう。 ほれほれミスタ・コルベール、口説いてた女の前でいいカッコするチャンスだよ)

オスマン氏が、促すが結果は変わらない。
結局、杖を掲げたのはフーケにとって幸運なことに女生徒が三人だけ、おまけに最初に杖を掲げたのが例の少年の主人だった。さらに、幸運は続くようで、なんと、かの少年が他の二人の使い魔を連れて、実質一人で捜索に行くことになった。

(くうー、かっこいいじゃんおっとこのこー!さてこれで、彼に「破壊の杖」を使わせて、そのあと、あれをこうしてこうやってと)  

フーケは、まだ見ぬ未来の皮算用をすませ、心の中でにんまりと微笑んだのだった。





[10793] 第十三話 土くれのフーケ その2 悪魔
Name: エンキドゥ◆197de115 ID:92c06cc6
Date: 2013/03/10 05:19


シンジはフーケ討伐を買って出たことを、ディラックの海より深く後悔していた。
だが、それでもなおルイズたちが傷つき蹂躙されるのを考えるだけでたまらなかった。
それは、彼のトラウマの一つを激しく揺さぶる想像だった。
彼には、彼女らが盗賊に、あの恐ろしいゴーレムに勝てる要素が一つも見つけられなかったのだ。
もちろん、だからといって、

(はぁー、何であんなこといっちゃったんだろ……。昔っから雰囲気に弱いって言うか、ええカッコしいって言うか……。考えてみれば、最初にエヴァに乗ったのだって、これのせいなんだよな……)

多少の愚痴はしょうがない。

シンジは今、服の着替えと、先日買ってもらった武器を取りに、ルイズの部屋に戻ってきていた。
戦闘になる可能性が高いため、おろしたての服では動きづらいし、せっかく買ってもらった服を汚し、破くのもイヤだった。

「よう、相棒、コンビを組んでの初仕事だな。 まあ、俺がついてりゃ百人力よ!」

先日買った、しゃべる魔剣デルフリンガーだった。
シンジはデルフリンガーを一瞥して言った。

「悪いけど、連れて行かないよ」

「なっ!」

「理由は言わなくてもわかるよね」

解る、解るがしかし……、納得するわけにはいかない!
デルフは未来を幻視する、やっと出会えた使い手に役立たずと言われ、やがてまたどこかの武器屋に売られ。邪魔者扱いの日々。店の飾りも売れ残りも、もうごめんだった。
それに、ルイズに彼の正体を探ることを頼まれている。
シンジが着替え終えるのに二分もかかるまい、その間になんとしても口説き落とさなければならない。

「なあ~、相棒、俺を連れてけって。 俺は役に立つんだぜ」
「デルフ、危険なんだよ!」
「いやいや、危険だから俺を連れて行くんだろう!」

剣が安全なところにいてどうしろと言うのか。

「そんなこと言ったって、……デルフには何か特別な力があるの」
「おうとも、よく聞いてくれた。 おいらの索敵能力はそこらのインテリジェンス・ソードの比じゃねえぜ!」
「何それ?」

シンジが食いついた。

「なんでぇ、しらねえのかよ。インテリジェンス・ソードにはよ……」

とうとうと、インテリジェンス・ソードの効能を述べるデルフ。

「ふーん……、まあいいや、折れても恨まないでよね」
「おっ、と言うことは」
「うん」

シンジはデルフリンガーを背中に背負い、急いで中庭に向かった。


第十三話 土くれのフーケ その2 悪魔


中庭には、オールド・オスマンとミス・ロングビル、それにサラマンダーのフレイム、風竜のシルフィードが待っていた。
他の教師たち、それとルイズたち三人は授業に向かったのか、すでに姿はなかった。

「すいません、お待たせしました」

「馬車を用意しようかと思ったが、風竜がおるでな、竜籠を付けておいた。それとな……」

シンジはオスマン氏に小声であることをささやかれた。

「……」 
「わかりました。では行ってまいります」
「ミス・ロングビル!彼を導いてやってくれ」

すでに、竜籠に乗り込んでいたミス・ロングビルに声をかけた。

「もとより、そのつもりですわ。よろしくミスタ・シンジ。どうぞミス・ロングビルとお呼びになってください」
「よろしく、ミス・ロングビル、ミスタは結構です。どうぞ、シンジとお呼びください」

そう言って二人は頭を下げあった。
シンジは竜籠ではなく、その背中に乗り出発した。シルフィードは一鳴きすると、その青い翼をはためかせ、驚くことに垂直に地面を離れ始めた。
これと、空中停止(ホバリング)は竜騎兵として最高技量を持つものが、最高の風竜を手に入れて初めて可能といわれる技術の一つである。
風竜の翼は鳥のそれと違い、かなり固定されているため、このような細かい作業には向いていないためだ。
また、風竜の翼は滑空用と言われ、あまりはためくのにも向いていない。
第一竜の巨体を浮かすための翼としてはひどく小さいため、幻獣と呼ばれる生き物達は、先住魔法を生まれながらにして身にまとい、それにより揚力を得ているのであろうとも言われているが、それを乗り手が引き出すのは容易ではない。
世界最強の一角、空中竜騎兵隊で、また風竜の群生地で有名なアルビオン出身のフーケであるが、これを見るのは久しぶりである。
使い魔であるという少年シンジの技量に素直に感心させられた。
またそれを見ていたオールド・オスマンも、

(さすがは「ヴィンダールヴ」をその身に刻まれた者よ)

と感心しきりであった。

「我が魔法学院は、君の努力と貴族の心、それに伝説の力に期待する。……生きて帰ってくれよシンジ君」

オールド・オスマンはそうつぶやくと、急いで学院長室にもどった。





サラマンダーは、その体形と体の割りに短い足から、足の遅い生き物という印象を受けるが、実は本気を出せば馬より早く走ることの出来る運動能力を持っている。
ただ、跳ねるように走る為、人の乗用には向かないが。それでも、風竜のスピードにはもちろんかなわない。そのため、シルフィードにはかなり低空をゆっくり飛んでもらっている。
二匹の使い魔は、かん高い泣き声で意思の疎通を図っているようだった。

(どうしたい、青いの、随分と調子が良さそうじゃないか!)
(むふー、なんだかえらく力がわいてくるのねー!きっと、背中の天使様が力を分けてくれているのねー!その証拠に、いままで出来なかった事がらっくらくに出来るのねー!)
(天使様ぁー、そりゃあんたが背中に乗せてる精霊様のことかい?)
(当然なのね!って精霊じゃないのね。 この方は『大いなる意思』の御使い。つまり天使様なのねー!)
(はっはっは、そりゃちがうよ。僕にはわかるんだ。君が背中に乗せているのは、間違いなく精霊様だよ。ほら、その方のお腹の辺りから波動を感じないかい?僕らに力を貸してくれる精霊たちの波動をさ。その方はきっと沢山の精霊様が集まって、人間のフリをしている遠い場所から遊びに来た精霊様さ)
(違うのね!この方は精霊たちを使役しているだけで、お腹のそれは精霊を生み出してる天使様の力の元なのね!第一こんなにはっきり姿を現す精霊なんて聞いたことないのねー!)
(そりゃ、天使だって一緒だろう。 いやいや、だいたい天使なんて人間たちの作った伝説上の物で……)
 
二匹の使い魔、フレイムとシルフィードは互いに自説を曲げようとはしなかった。
シンジはそれを聞きながら、

(僕は一体、どんな風に見られているんだろう)

などと考えていた。





「ミスタ・シンジ! そろそろですわ! ここらで降りて、あとは歩きませんと見つかってしまいます!」

竜籠はシルフィードの首から下げられる格好になっているため、背中に乗るシンジとの会話は大声で行われる。

「ミス・ロングビル! 一度上空を通過します! その場所になったら教えてください!
シルフィード! フレイムにそこで待つよう言って!」

シルフィードはかん高いイルカに似た泣き声でフレイムに指示をだす。ミス・ロングビルの指示に従い、シンジはシルフィードに命令し方向を決める。
やがて、森の一部に、ぽっかりと空けた場所が見えた。
まるで、森の空き地といった風情である。 およそ、魔法学院の中庭ぐらいの広さだ。
真ん中に廃屋が見えた。元は木こり小屋だったのだろうか。
朽ち果てた炭焼き用らしき窯と、壁板が外れた物置が隣に並んでいる。

「ミス・ロングビル! あそこで間違いありませんか?!」
「ええ! 確かにあそこです!」
「一度、大回りでもどります! ミス・ロングビル、杖のご用意を!」
「はい! 大丈夫ですわ!」





一方その頃、学院のちょっと郊外。

「場所がわかった・・・」

タバサである。
どうやら、視覚の「共有」によりシルフィードを通して状況を見守っていたようだ。

「よーし、しゅっぱーつ!」

元気な声で出立を告げたのはキュルケである。

「ふっふっふっふ、待ってなさいよシンジィ。 ご主人様をないがしろにした報いをたっぷりと思い知らせてあげるんだから」

ルイズまでいた。
三人はそれぞれ馬に乗り、風竜の飛んでいった方向を見定めそちらに馬を走らせていたのだ。
それに、キュルケとタバサの二人は使い魔との感覚「共有」ができる。
そのため、かなり正確な場所を把握できた。
ミス・ロングビルは「馬で二時間」と言ったが、それは早足程度の速度で、ここからなら急がせれば30分弱ぐらいで着いてしまいそうだった。

「ルイズ、キュルケ、現場に着いたら……」
「わかってる、シュバリエのあなたの指示に従え、でしょ」
「そう……ルイズもいい?」
「いいわ」





時間を少しさかのぼる。
ここは、学院本塔内の螺旋階段の中腹、ルイズは少しうなだれ気味に歩いていた。
活躍の場を取られたことに、がっかりしていたルイズにキュルケが声をかけた。

「ルイズ、行くつもりでしょ」
「場所もわからないのに、どうやって行くのよ」
「あら、優等生のあんたが「共有」を忘れるとは思わなかったわ」

ルイズは、はっとした。しかし、自分にはシンジとの感覚共有は無い。

「キュルケ、あんたはどうすんの」

キュルケはニヤッと笑った。

「当然行くわ。あいつはメイジを、……ううん、この私を嘗めた。そして、ツェルプストーの名を持つものが、戦いに赴くのを使い魔のみに任せたなどと、どこの誰にも言わせない為にも」

ザワッと空気がゆれた。なんと言うプライド、そして魔法力。

「じゃあ、じゃあなんで」(何であたしを止めたのか?)

……いや、わかっている。
あの場で言い合いをしている間に、フーケに逃げられては元も子もないからだ。あの騒ぎの中で彼女は誰よりも冷静に判断している。そこに思い当たり、ルイズは自らを攻めた。
自分の視野の狭さが恥ずかしくなる。

(魔法が使えないなら、頭脳で勝負しなければいけないのに、遅れを取っている。それも、忌々しいことに ツェルプストーの名を持つものに。こんなことでは、あの強大なる使い魔“シンジ”を手足のごとく扱うなど夢のまた夢だ。心を強く持ち、冷静に判断を、さもなくば、私はただ泣き喚き、守られるだけのお姫様に墜ちる。……昔のように)

それだけはごめんだった。
ルイズは奥歯を強くかみ締め、再度の覚悟を発露する。

「私も行くわ!行って、あいつに貴族を見せる、そう約束したのよ!」

その答えにキュルケはまた、ニヤッと笑った。だが……。

「そうはいかない。シンジにあなたのことを頼むと言われた」
「「タバサ!」」

またも、失策である。三人で歩いていたと言うのに、失念していたのだ。
ルイズは説得を試みる。

「タバサ、どうかお願い。あたしは貴族に、立派な貴族になりたい。それは戦いを使い魔にのみ任せ、それで杖の誓いを守ったなどと平気な顔で言えるやつのことじゃない!」

キュルケが後をつないだ。

「……傷つけられたプライドは、十倍返し!そうでしょうタバサ」

タバサは二人を睨みつける。キュルケとルイズも負けてはいない。十秒ほどそうしていたが、溜息と共に、タバサは諦めた。

「わかった。 ただし……」

キュルケは一度言い出したら聞きはしまい。タバサ自身この陽気でがさつで騒々しくて、そして心の温かい友人を失いたくは無い。

「私もいく」





シンジはミス・ロングビルと森の茂みに身を隠し、廃屋を見つめていた。
シルフィードは空に、フレイムは、ちょっと離れた茂みに布陣している。

「ミス・ロングビル。 ここまでで結構です。 どうかお戻りください」

「それは聞けませんわ。あなたを置いて一人逃げ帰ったなどと言われては、ミス・ヴァリエールに絞め殺されてしまいます」

シンジは出発前に学院長に言われたことを思い出した。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「シンジ君、ミス・ロングビルのことじゃが、道案内が済んだら帰して欲しいのじゃ。昨晩から歩き詰めで、恐ろしく疲労しているはずじゃからな。無論、そうは言ってもメイジの常で簡単には帰ろうとはせんじゃろう。そこで、これと、こいつを連れて行ってもらいたい」

そう言って、シンジに手渡したのは学院の秘宝「眠りの鐘」そしてオスマン氏の使い魔「モートソグニル」だった。

「わかりました、僕もそのつもりでした」
「普通であれば、ほぼ一方通行である通信手段じゃが、君の「ヴィンダールヴ」なら双方向通信が可能なはずじゃ。これで、学院と連絡を取り続けられる」
「学院長、なんでもご存知なんですね」

シンジは我知らず、オスマン氏に非難の眼を向けていた。

「なんでも、と言うわけでもない。だが、君は今注目の的なのでな。ま、勘弁してもらいたい」

それは、覗きの行為への謝罪だったのだろう。なるほど、確かにシンジには使い魔たちと会話を交わす能力がある。しかし、逐一覗いていなければ、わからないはずだ。

「出来れば、もうやめて頂けるとうれしいんですが」
「ほ、君が無事学院に帰ってきたら考えておこう。そうそう「眠りの鐘」の使い方じゃが……」

オスマン氏は「眠りの鐘」の効果や使い方、有効範囲などを説明した。

「わかりました。では行ってまいります」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


「わかりました。 杖をしっかり握ってください」

そういわれて、フーケは一瞬自分の杖に注意を向ける。シンジは片手をベルトのナイフにやっており、「ガンダールヴ」発動中である。すばやく、ミス・ロングビルの背後に回ると、「眠りの鐘」を鳴らした。

“カラ~ン、カラ~ン”

たちまち崩れ落ちるミス・ロングビルを支え、シルフィードを呼び寄せる。

「ごめんなさい、ミス・ロングビル」

シンジは上着のポケットから、「モートソグニル」を出し、話しかける。

「学院長、彼女は義務を果たしました。 よろしいですね」
「ちゅう、ちゅうちゅちゅっちゅちゅちゅ。 ちゅうちゅちゅちゅ、ちゅうちゅちゅちゅちゅちゅちゅりゅをちゅちゅちゅちゅちゅ」(うむ、よくやってくれた。もちろん彼女はその義務を果たしたとも)

いかに使い魔とは言え、声の届く範囲のはるか外で、このように使い魔を使役出来るものはまれである。やはり、オールド・オスマンは並のメイジではない。シンジはミス・ロングビルをシルフィードの竜籠に入れた。

「では、引き続き、フーケ探索を続行します」

「ちゅう、ちゅうちゅちゅ、ちゅちゅちゅ、ちゅちゅちゅちゅちゅちゅ」(うむ、くれぐれも気を付けてくれたまえ)

モートソグニルはシンジの肩にとどまり、状況を見続けるつもりのようだ。

「シルフィード、彼女を連れて学院にもどってくれ。 君のご主人様によろしく」

シルフィードは短く低く鳴いて上昇を開始、学院に向けて飛び立っていく。それを見届けると、シンジは背中の剣を抜いた。

「ひゅう、やっとで出番か」
「デルフ、小声でお願い。 あの中を視れるかい?」
「おう、誰もいねぇよ。 もちっと近づいてみてくんねぇか」
「うん、信用するよデルフ」

デルフリンガーを抜いたときからガンダールヴは発動している。シンジは一足飛びに小屋へと近付いた。

「どうだい、デルフ」
「ん~、やっぱ誰もいねえな」
「よし」

シンジは普通にドアを開け、中に入る。すぐに怪しいチェストを見つけ、あっさりと「破壊の杖」を見つけ出した。

「学院長、ご覧になっていますか? 「破壊の杖」は取り戻しました」
「ちゅう(略)」(うむ、よくやってくれたシンジ君。では、それを持って学院にもどりたまえ)

「え、フーケはどうするんですか」

「ちゅ(略)」(なに、モートソグニルがおるでな、そいつをそこらに放してくれればわしとの「感覚共有」により正体がわかる。 正体のばれた盗賊など真昼の幽霊のごとしじゃ)

どうも良くわからないたとえではあるが、言いたいことはなんとなくわかった。

「はあ、それでは戻る事にします」
「ちゅ(略)」(うむ、そこをすぐに出たまえ。 その場所では魔法の良い的じゃ)

そう言われ、逃げる気になった時に、デルフリンガーが口を挟んできた。

「相棒、なんか近づいてるぜ。馬に乗った人間が三人だ」
「フーケか!」
「いや、それはまだわかんねーけどよ」
「学院長、申し訳ありません、一旦通信を切ります」

とは言え、モートソグニルとの「共有」にて通信を行っているため切るべきスイッチがあるわけではない。モートソグニルは、すばやくシンジの肩から降りて小屋の隅に隠れる。

「デルフ、そいつらはどっちから来てる?出来れば距離もお願い」
「ドアのほうだな、距離は200メイルほど、すぐに離れないと見つかるぜ」

シンジはドアと反対方向の壁板にむかい、デルフリンガーを振るった。

(小屋の持ち主さん、ごめんなさい)

数回の斬撃で、小屋にもう一つの入り口が出来る。シンジは「破壊の杖」を引っ担ぎ、すばやく森の中に隠れた。

「デルフ、フーケはどの辺にいるかわかる?」

「こう、離れちまうとおぼろげにしかわかんねえけど、俺らが来た森からこの空き地への入り口があったろう。あそこら辺で止まってるな。用心してんのかな?」
「わかった。大回りで後ろに回って奇襲をかける」





デルフリンガーが探知したのはルイズ、キュルケ、タバサの三人組である。三人は馬に乗り、眼深にフードをかぶっている。

「うーん、こう周りに何にもないと、奇襲もへったくれもないわね」

なにせ、フーケはスクエアと言うふれこみだ。
奇襲でもかけなければ、とても勝ち目などありはしない。
おまけに土メイジは地面を伝わる振動などにも敏感で、うっかり近づいて見つかりでもしたら眼も当てられない。
それに、先発したシンジたちの動向も気になる。

「キュルケ、あんたのフレイムは今どの辺にいるの」
「ちょっとまって、えーと……いたいた、あら向こうもこっちを見つけたみたい。ちょっと呼ぶわ」

キュルケはフレイムとの「感覚共有」にて場所を探り、呼び出した。

「タバサ、シルフィードは?」
「来る途中で見かけたので呼んでおいた。上空で待機させている」





シンジは欝蒼(うっそう)とした森の樹木の間を忍者のように飛び回り、探知した彼女らの後ろに回ることに成功する。
森の樹木にさえぎられ、シンジには彼女らはまだ良く見えない。

(三人組か、いっぺんに制圧しないと面倒だな)

「おい、相棒。 今気づいたんだが……」
「しっ」

デルフリンガーが何か言いかけるのを、鞘に押し込んで止める。



「二人とも、黙って聞いて。……後ろに何かいる」

小声で、注意を呼びかけたのはタバサだ。二人はその警告にビクッと身を震わせる。
彼女は風系統のトライアングルメイジである。風系統メイジは音に敏感である。
何者かが、かなりのスピードでこちらに向かっているのを感知していた。
タバサとしてはすぐに警告を発したかったが、なにぶん敵は早すぎた。
その敵が、後方の自分の魔法の有効範囲外でいきなり止まった。
タバサは自分の馬だけ後ろに向け、場所を入れ替え二人と相対する。
こうして、ルイズ、キュルケは森の空き地に向き、タバサは今来た森の入り口に馬頭を向けた。

「私が合図をしたら、空き地に散って。それと攻撃魔法の準備を」

ルイズとキュルケは声も無く、小さく頷くことで了承を示した。二人ともに杖を取り出し握る。

(殺気を完璧に殺した凄腕のやつ、おそらくはこれがフーケ)

タバサはこの二人のフーケ探索を了承したことを後悔していた。相手は完璧にこちらの上をいく、超一流の使い手だ。
北花壇騎士団七号として長年働いてきたカンが告げる。「逃げろ 」と。

後ろの気配に気を配りながら、周りを見渡す。ふと気が付くと乗っている馬がおかしい。まるで、凍ったように微動だにしないのだ。馬は臆病な動物で、見知らぬ場所では常に足踏みを欠かさないはずなのだ。

(これは、敵の攻撃?)

そう思った瞬間叫んでいた。

「二人とも馬を捨てて逃げて!」

タバサの得意技、ウインディ・アイシクルの詠唱は終わっている。それは、空中の水分を氷結させ、何十にも及ぶ氷の矢で相手を貫く攻撃魔法。
タバサは精神力を杖を介して魔法に注ぎ込んだ。
たちまちのうちにかなりの数の氷の矢が空中に形成され、わずかに空気を削る音と共に発射される。
全弾同時発射ではない。1本ずつをわずかな時間差で、敵の気配を追いながらの発射である。
かわしても、かわしてもすぐに次の矢が襲ってくる。
これにより、質量弾のホーミング能力の低さと、魔法発動終了後のわずかな詠唱時間をカバーする。
着弾先には敵はもういない。だが、その間にすでに次の氷の矢は補充済みだ。
タバサは威力ではなく手数と頭脳で勝負をかけるタイプである。出来れば、隙を尽きたいところだが現状では無理だ。
ちらりと後ろを振り返ると、二人はすでに空き地に逃げていた。

「よし」

タバサは二回目のウインディ・アイシクルを敵の気配のするほうに発射するとすぐさまフライの呪文を唱え乗馬を捨て、空中に浮かび空き地のほうへ逃げ出した。もう少しで、みんなの所へ、そう思いちらりと後ろの気配を探る。

“ぞくり”

背中にいやな感覚が走る。敵は真後ろ。樹木を足場代わりに、まるで飛び跳ねる銃弾だ。
風メイジの「フライ」で逃げる自分にやすやすと追いつき、しかも後ろを取られた。
タバサは慌てて、空中で体を回し敵に相対しようとするが、わずかに遅れる。

「「タバサ!」」

キュルケの援護のファイヤーボールが、タバサの後ろに迫る賊に襲いかかるが、それはあっさり弾かれる。
不可視の壁によって。
だが、おかげでほんの一寸、賊との隙間が開く。
その間隙をついてルイズの爆発が敵を襲う。ノーコンの剛速球投手だったルイズだが、前回のシンジとの魔法練習で何かを掴んだようだった。
吹っ飛ばされる敵。だが、すばやく空中で体勢を整えると森に逃げ込んだ。
何かおかしい、なぜ魔法を使わないのか。使われなくとも、圧倒されているが。

“ピュ―――――”

タバサはシルフィードを呼んだ。このままではジリ貧だ。自分のウインディ・アイシクルはすべてかわされ、キュルケのファイヤーボールは弾かれた。
わずかに効いたと言えるのはルイズの爆発魔法だけだ、一度引いて体勢を整える必要がある。

「退却」

キュルケとタバサは一目散に逃げ出した。 シルフィードはちょっと離れたところに着地していた。
そうだ、ルイズは!いた、敵の消えた森の入り口で仁王立ちしている。

「出て来なさいフーケ!」

(あの、馬〇!)

「逃げなさい、ルイズ!」

キュルケが叫ぶ。
だが、ルイズは唇をかみ締め、森に向け杖を構える。

「イヤよ! あいつを捕まえれば、誰ももう、私をゼロのルイズとは呼ばないでしょ!」

目が真剣だった。

(諦めはしない。こんなところで。この程度の危機が何だというのだ。この程度の脅威に怯え逃げ出すようでは届かぬ場所に、きっと“ゼロ”ではない自分はいるのだ!)

だからルイズは唇をかみ締め、最後の覚悟を決める。

しばらくして、森から何かが投げ込まれた。すわ、敵の攻撃かと緊張する。だがそれは見覚えのある長剣。 

「相棒ひでえ!」

その後、森から声がした。

「ルイズさん!僕です!」





「ルイズ~、もうかんべんしてあげなさいよ~」
「べ、別に怒ってないわよ」
「そんなこと言って、シンジ君凹んでいるわよ」
「ほら、タバサも機嫌直して!」
「別に……」

珍しくタバサも拗ねていた。
いろいろ、シンジにも言いたい事はあったのだが、すべてルイズにシャットアウトされてしまった。
特に、ルイズの「ご主人様に間違って襲いかかる様な使い魔は、ご飯抜き」の一言は朝からバタバタしていて、何も食べていないシンジにはことのほかこたえた。
これは「ガンダールヴ」の弱点の一つ、発動中は時間が間延びして感じるために音が聞こえづらくなってしまう。そのため彼女らの声が聞き取れなかったのだ。
おまけに三人とも、眼深にフードを被っていたため顔が見えなかった。

それに、シンジはこの3人に、「こないで下さい」と言って、了承を貰っていると思っていたため、まさか後をつけてくるとは思わなかったためだ。
結局シンジが、主人を含む3人だと認識したのはルイズに爆発魔法を食らった後だった。

「ひどいやルイズさん……」





ここは先ほどの森の茂みの中である。
いつまでたってもフーケは来ず、みんなで痺れを切らしていた。なぜか、ほけっとしたミス・ロングビルもいる。
シルフィードが帰る途中でタバサに呼ばれたため、帰りそこない竜籠の中で眠っているのを発見されたのだ。

「辺りを偵察してきます」と言った、ミス・ロングビルのセリフは、シンジを含む全員に反対された。相手はスクエアだ、できれば全員で隙をつき攻撃したい。それに、仮に偵察途中でフーケに見つかり人質にでも取られたらやっかいだ。

タバサが声を上げた。

「ルイズ、あなたに言いたいことがある。さっき、私が退却を指示した時、なぜ従わなかった。ここに同行する時に、私に従う約束だったはず」

タバサの目に冗談では済まされない光があった。ルイズは俯き、小さな声で、「ごめんなさい」と言ったきり黙ってしまった。
タバサもさほど追求はしなかった。あの時、賊に襲われたと思ったルイズの叫びを思い出したからだ。

『イヤよ! あいつを捕まえれば、誰ももう、私をゼロのルイズとは呼ばないでしょ!』

ゼロゼロと煽られ馬鹿にされるのが、そんなに悔しかったのか。これは危険だ、と感じた。
名声欲、名誉欲にかられ行動を取ることの危うさは、さして集団戦闘を経験していないタバサにもわかる。

「帰る」

タバサがそう言ったのでシンジはほっとした。今、小屋の中にはモートソグニルがいる。 もし後でフーケが現れても跡をつけることも可能だ。

「で、でもあの、……フーケはどうするんですの?」

そうミス・ロングビルは主張したが、モートソグニルのことを説明すると微妙な顔をして黙ってしまった。





「……というわけで、“何事もなく”「破壊の杖」を取り戻しました」

破壊の杖を無事取り戻した事を学院長へミス・ロングビルと“二人”で報告し、そのまま退室しようとすると、シンジがオスマンに呼び止められた。
 
「まあ、待ちたまえ。わしとしては学院の名誉を守った君に褒賞を与えたいのじゃが……」
「それは、ルイズさん達とミス・ロングビルにお願いします。ボクの分があるのならそれも含めて」
「彼女らには、無断で授業を抜け出したことを不問にする。という褒賞を与えよう」

シンジはそれを聞き、(あちゃー、ばれてたのか)という顔をした。

「ふっふっふ、君はまるで御伽噺に出てくるイーヴァルディの勇者のようじゃな」
「なんですかそれ?」
「ま、よくある英雄譚じゃ。わずかな恩や食事で命を賭け、巨大な敵に立ち向かい人を救う。そして何処ともなく去っていく」
「僕は、どこにも行きませんよ」
「おお、勿論じゃとも、少なくとも君の話を聞くまではどこにも消えないで貰いたいしのう」

オスマン氏はそう言って、また含み笑いをする。

「君はひょっとして、楽器を扱えるのではないかな?」

これにはシンジも驚いた。いままでそんなことは誰にも言っておらず、たとえ二十四時間覗かれていても、わかるはずの無い情報だからだ。

「学院長、まさか人の心が読めるんですか?」
「それこそ、まさか、じゃな。君の両手についた使い魔のしるし「ガンダールヴ」と「ヴィンダールヴ」、その伝説の使い魔にはそれぞれ二つ名があるのじゃ。すなわち、「神の盾、ガンダールヴ」、そして「神の笛、ヴィンダールヴ」おそらく「神の盾」は見せてもらったんじゃろうのう。君が何と呼んでいるのかは知らんが。……ま、それは置いといて、「ヴィンダールヴ」の二つ名「神の笛」からひょっとしてと思ってな」
「……」
「その顔からすると、どうやら当たりのようじゃな。君がどんな楽器を得意とするのかは分からんがもしよければ用意するが」





「シンジ、どうしたのそれ」
「学院長に貰いました。 お古だそうです」

シンジがご褒美にと貰ったのはチェロだった。
貴族の基礎教養には楽器の演奏も含まれる。もっとも大概は物にならないのがほとんどだが、オスマン氏も若い時に、このチェロをやっていたがどうも才能がなかったようで、例の「場違いな工芸品」の部屋に置きっぱなしにしていたようだ。

(やっぱ、ガラクタ置き場じゃん)

と、ミス・ロングビルは思ったが、彼女もフーケ捕縛に協力し、初めてフーケの尻尾を掴んだ最大の功労者として、臨時ボーナスを貰っていたため黙っていた。
余談では有るが、彼女が「破壊の杖」で稼ごうとした金額の最低ラインは臨時ボーナスと同額であった。







おまけ
フーケの夢

シンジはミス・ロングビルの後ろに回り「眠りの鐘」を鳴らした
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ミス・ロングビル=フーケの心の中で、戦いの鐘がなった。

「では、まず僕が偵察に行ってきます」
「どうぞ、お気をつけて」

さて、まずはお手並み拝見とばかりにシンジを送り出す。シンジは背中の剣を抜くと、いささかへっぴり腰で偵察に向かう。

(あらら、風竜扱いはうまいけど、こう言う荒事はあんまり経験が無いみたいね)

だだっ広い広場の真ん中に、ポツンと小屋があるのだ。抜き足差し足で行ってもあまり意味は無い。それに気づいたのか、いきなりダッシュで小屋に取り付いた。はたから見れば、かなり間抜けで笑える行動である。

シンジは開いている手に、投げナイフをつかむ。窓に近付き、おそるおそる中を覗いてみた。
小屋の中は、一部屋しかないようだった。部屋の真ん中にほこりの積もったテーブルと転がった椅子が見える。崩れた暖炉も見えた。
部屋の隅には薪が積み上げられている。どうやら炭焼き小屋のようだ。
そして、薪の横にはチェストがあった。木で出来た大きな箱である。どこにも人の隠れるような場所は見えない。シンジは扉を開け、中に入った。フーケはそれを確認し、巨大ゴーレム生成の詠唱を開始した。
長い詠唱が終わり、巨大ゴーレムがその地面より立ち上がり始める。

「きゃああああああああ!!」

頃合いを見計らって、悲鳴を上げた。
それが聞こえたのか、シンジは勢い良く小屋から飛び出した。肩にはしっかり「破壊の杖」を担いでいる。

「どうしました! ミス・ロングビル!」

そこでシンジは見た。森が立ち上がるのを。それは見る見るうちに高くなり人型をとった。

「フーケのゴーレム!」

シンジは、作戦が失敗したことを悟った。フーケがゴーレムを作り上げる前に見つけ、捕縛する。
それ以外に、フーケに勝つ手段はない。そう、思いつめていたのだった。
ミス・ロングビルがこちらに逃げてくる。

シンジはミス・ロングビルの手を掴み、走って逃げ出した。片手には「破壊の杖」、もう片手にはミス・ロングビル。
シンジは、森の中に逃げこもうとするが、それはいきなり出来た壁に阻まれた。
シンジは意を決して、

「ミス・ロングビル、ここは僕が食い止めます。 どうかあなた一人でも逃げてください」
「いけません、ミスタ・シンジ。……「破壊の杖」を使ってください」
「し、しかし、これは今はこの国の宝でしょう。僕が使うわけには」
「ならば、私が使います。 どうか使い方を教えてください」

シンジはしばらく考え込むが、やがて諦めたように、

「わかりました、僕が使います。 これは我が国の武器、最強の杖。そして僕はそれを使うことを許された一人です」

シンジは杖を掲げ、先端をゴーレムに向け、呪文を詠唱し始めた。

「アブトル・ダムラル・オムニス・ノムニス・ベル・エス・ホリマク」

杖の先端に光が集まる。まぶしくてとても眼を開けていられないほどだ。

「我と共に来たり、我と共に滅ぶべし!」

呪文の詠唱の終わりと共に、杖から七色の光の奔流がほとばしった。光はまっすぐ、フーケのゴーレムに当たる。すると、ゴーレムを形どっていた精神力が一瞬で霧散したのだ。
たちまち、土の山に還るゴーレム。
シンジはそれにとどまらず杖を振り回し、周囲を取り囲もうとしていたすべての壁にこの光を当て始めた。
すべての壁が崩れ去り、そこはまたもとの空き地へともどった。

「す、すさまじい、威力です、ですわね」

心なしか、ミス・ロングビルの声が上ずり、震えている。

「ボクの故郷では、「悪魔の杖」と呼ばれていました。正式名称は「スティンガーミサイル」です」
「ま、まさしく悪魔の杖。 それはミスタ・シンジにしか使えませんの」
「いいえ、先ほどの発動ワードを知っていれば、誰にでも使えます。 最後に破壊対象を頭の中に思い浮かべると小さな針から、大きな船まで自由自在に破壊することが出来ます」

フーケは心の中でニヤリと笑う。知りたいことは、すべてわかった。
あとは……

「あ、ミスタ・シンジあれは!」
「え」

フーケはシンジの注意をそらし、「眠りの鐘」を鳴らす。

「う、うう、なんだ。 急に眠気が・・・。 ミス・・・ロングビル・・・逃・・げ・・て・・・」

その言葉を最後にシンジは眠りこけてしまう。

「ご苦労様、そしてごめんね~」

フーケは、破壊の杖を手に取り、先ほどシンジが唱えていた「発動ワード」を唱え始めた。先ほどと同じように、光が杖の先端に集まる。

「おっと、我と共に来たり、我と共に滅ぶべし!」

自分に襲い掛かろうとした二匹の使い魔をその寸前で塵に返した。

「やれやれ、こいつらのことを忘れていたよ。 こりゃーばれたかもね。しかしこりゃ売るわけにもいかないね」

少々、残りの給料が惜しい気もしたが、まあいい。その代わり、とんでもないものが手に入ったのだ。あの、四ヶ月間の苦労が報われた瞬間だった。

その日から、「破壊の杖」と「ミス・ロングビル」それに「平民の使い魔」は学院から姿を消した。
そして、次の週からこのところ鳴りを潜めていたフーケが「破壊の杖」強奪より、また活発化し始めていた。
そして、どんな強固な壁も、いや、あるときは軍隊でさえもすべて「破壊の杖」で蹴散らしていく「土くれ」のフーケが、「悪魔」のフーケと呼ばれるようになるのにさほど時間はかからなかった。
そして、今夜もまたフーケの哄笑が街に響き渡る。

「ほーほっほっほっほ……」

Fin
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「あの、ミス・ロングビル大丈夫ですか」

ふと目を覚ますと、シンジが自分を心配そうに見下ろしていた。その後の話を聞き、フーケは絶望した。
生徒とは言え、トライアングルメイジが二人そして、強力な使い魔が2匹もいるのだ。
何とかチャンスを、と思い。「辺りを偵察してきます」と、言ったら、全員に却下された。
この場で事を起こそうにも火と風のトライアングルメイジがいるこの状況では、すぐに制圧されてしまうだろう。

(ああ~、あの四ヶ月はなんだったの~)(幕間話2 フーケを憐れむ歌、参照願います)

もしかして、と思い、夢の中で聴いた呪文を、シンジの抱える「破壊の杖」に触りながら密かに唱えたがうんともすんとも言わない。
そうこうしているうちに、小屋の見張りは学院長の使い魔に任せ帰る事になった。
だんだん離れていく、森の小屋を眺めながら、フーケは心の中で血の涙を流した。






[10793] 第十四話 平和なる日々 その1
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:92c06cc6
Date: 2013/03/10 05:21


トリスティン魔法学院の図書館は、食堂のある本塔の中にある。本棚は驚くほどに大きい。 
およそ三十メイルほどの高さの本棚が、壁際に並んでいる様は壮観だ。
それもそのはず、ここには始祖ブリミルがハルケギニアに新天地を築いて以来の歴史が詰め込まれているのだ。

「うわ~、すごいや!」

今は、午後の授業が終わるちょっと前である。シンジはここに始めて入り、感嘆の声を上げた。
シンジは入り口近くのカウンターの中にいる、眼鏡をかけた中年女性の司書に、学院長から貰った閲覧許可書を見せた。ここには、門外不出の秘伝書とか、魔法薬のレシピが書かれた書物などが置いてあるため、普通の平民を入れるわけにはいかない。

「シンジ・ヴァリエール、ミス・ヴァリエールの使い魔の少年」

いささか、じろじろ見ている感は否めないが、彼女としてもこの図書館は大事な職場であり、かつトリスティン王国の貴重な書物が数多く置いてある重要な施設でもある。
めったな人間を通す訳にも行かなかった。もちろん、学院の職員としてシンジの噂は聞いてはいるが。

「……」

長い沈黙のあと、いくつかの注意事項を述べ、さらに閲覧許可書を常に持ってくることを言い含め、彼を解放した。ちょっと観察していたが、本棚に向かう様子は見られない。入り口近くのテーブルに座り、そのまま入り口を見張っているかのようだ。
いったい、何をしに来たのやら、といった顔で司書はシンジを見ていた。
程無くして、シンジの待ち人が来た。 タバサである。
シンジは立ち上がり、タバサに頭を下げた。

「昨日はすいませんでした。 まさか皆さんだとは気づかず攻撃してしまって」
「いい、わたしも約束を破りルイズを連れて行ってしまった。どちらかというと謝らなければいけないのはこちらの方」 

とにもかくにも授業の始まりである。
タバサはいくつか幼児用であろう文字の大きな本を持ってきており、それらをテーブルに広げた。
アルファベットを崩したようなハルケギニアの文字が並んでいる。
普段の授業の時から思っていたことであるが、会話が出来るのに文字が読めない。おそらくは、自分が気絶している時に行われたというコントラクト・サーヴァントに秘密があるのだろう。知識を頭脳に「刷り込み」したのだ。考えてみれば、元は野生の動物たる使い魔たちに命令する手段は言葉である。
タバサは以前、「使い魔たちはいずれ人の言葉を理解できるほど知能が発達する」と言っていた。
シンジは自分を還り見て、そう言う事なのだろうと納得していた。

さて、授業が始まった。ハルケギニアの文字は、アルファベットに似ているが、少し違う。
タバサはまず、文字の読み方を一つずつ教えてくれた。

「アー、ベー、セー」

どこかで聞いたような言葉だったが、うまく思い出せない。もしかしたら、そう聞こえているだけなのかもしれない。次にタバサは文字の一つ一つを指差し、その意味を丁寧に教えてくれた。
不思議だったのは、単語になると、「序章」とか、「八月」とか「わたし」のように日本語に変換されて聞こえるのである。
おそらくタバサはハルケギニアの発音を行っているのだろう。しかし、それが耳に届く頃には日本語になっている。
さらに、不思議なことには、単語の意味を教わるたびに、今まで唯の文字列にしか見えなかった文章が、一瞬見ただけでその意味が理解できるようになっていった。まるで、頭の中に翻訳機があるようだった。それも学習機能付の。

そんなきっかけを掴むと、学習速度は異常といえる速さで進んだ。小一時間もすると、簡単な文章なら読めるようになっていた。
タバサが持ち込んだ教科書代わりの本を、シンジはすらすらと読み上げていく。そして、タバサが持ち込んだ3冊の簡単な本をすべて読んでしまうと、タバサは目に見えて怪訝そうな顔をした。

「……あなたは異常、その学習能力の速さは何?」
「い、いや、異常って言われても。……コントラクト・サーヴァントの説明を以前にルイズさんから頂きました。 これは「刷り込み」でしょう」
「……とにかく、この本で出来る内容はすべて終わってしまった。もう少し程度の高い本を持ってくる」

そう言って、タバサは呪文を唱え、軽く杖をふり浮かび上がる。自らを静かに持ち上げる「レビテーション」だった。これに、風の力を上乗せすると、高速移動の「フライ」となる。

「あああ!」

タバサはシンジの大声に驚いて振り返り、もどってきた。

「どうかした?」
「いや、だって、今、ふわ~っと浮かんでましたよね。 タバサさん、空、飛べるんだ」

シンジはあまりに驚いたのか、どもりながらしゃべった。
テーブルの位置と、勉強に夢中になっていたせいで気づかなかったが、図書館にはすでに何十人もの生徒が入り込み、空を飛んで本棚に取り付いている。そのうち何割かが、シンジの大声に驚いて振り返り、非難する目を向けていた。

「知らなかった?」

シンジは首を縦に何度も振り、知らなかったことをアピールした。

「昨日、あなたから逃げるときも「フライ」を使った」
「あ、あれ、ジャンプじゃなかったんだ……」

風と水のトライアングルたる自分の「フライ」をジャンプと言われ、タバサはちょっとムッとした。
無論シンジにはタバサを怒らせるつもりなど微塵もなかったが、ジャンプに彼女が得意だと言う風魔法を合わせ、長く飛んだのだろうと思っていた。

「あなたは、飛べるの?」

そう聞かれ、シンジはちょっと考えるそぶりをした後、タバサにそっと耳打ちをした。

「この国の人たちって、みんな空を飛べるんですか?」

それを聞いたタバサはまた怪訝そうな顔をした。

(なんだ、彼は?この国の言葉を、基礎とは言えわずか1時間ばかりで習得してしまったかと思えば、こんな常識としか思えないことを聞いてくる)

タバサは、シンジの顔をマジマジと見た後、こう言った。

「程度の差はあれ、私の知っている限りでは空を飛べない人間はいない」

タバサは嘘をついた。ここハルケギニアにおいて、翼人と呼ばれる亜人以外で空を飛ぶ人族はメイジとエルフのみだ。
シンジの反応が見たかったのだ。すると、目に見えてシンジがホッとするのがわかった。

「あ、あんまり、上手じゃありませんが……」

そう言って恥ずかしそうに頬を掻き始めた。どう観察してみても、嘘を言っているような感じは無い。
タバサは確信した。

(彼は、異国のメイジ。それもこちらの系統とは一線を画す、新たなる使い方で魔法を使用する。おまけに超一流のメイジ殺しだ。昨日、私とキュルケ、二人のトライアングル・メイジの魔法をすべて防ぎかわした。おそらく、あの時ルイズがいなければ私は……)
 
昨日の事を思い出し、背中に冷たいものが流れた。なぜ、それを隠したがるのかはわからない。案外ルイズに気を使っているのかもしれない。

「いつか、あなたの使う魔法を教えてもらいたい」

彼の使うガード魔法は強力だ、もし自分にも使えたなら、それは大きな武器になる。生き延びる為、そして、……復讐の為の。

「ええ! 僕はメイジじゃありませんよ」
「そう……、今日はここまでにする。……また明日図書館で」
「はい、ありがとうございました」


第十四話 平和なる日々 その1


「シンジ、弦が届いたわよ。 これで弾けるわよね」
「ありがとう、ルイズさん」

ルイズは昨日シンジにお願いされ、チェロの弦を注文していたのだ。
ルイズ自身もシンジのチェロを聴いてみたかった為、ルイズはその場で注文書を書きフクロウ便で出したのだ。(トリスティン魔法学院は朝、夕の二回郵便を出すことが出来る)
重いものだと難しいが、チェロの弦程度なら軽い小包扱いですぐに届く。
配達するのは、よく馴れた空を飛ぶ使い魔たちだ。

先日、オスマン氏にお古のチェロを貰ったが、いささか状態が悪く、弦などを張り替えなければいけなかった。オスマン氏によると、打楽器、弦楽器等には「固定化」をかけられないのだと言う。
音の響きが悪くなるらしい。
さらに言えば、錬金では弦一本作り出すことは出来ず、純粋に職人の技によって作り出されている。
著名な音楽家にも、数多くの平民出身の者たちがいる。
シンジはルイズからチェロの弦を受け取ると、器用な手つきでそれらを取り付けていく。
チェロのケースには何枚かの楽譜も入っていた。





夕食後のティータイム、ルイズは例の三人組、すなわちキュルケ、タバサ、モンモランシーと外のテラスにてデザートと紅茶を楽しんでいた。
なぜ、わざわざ外に出たかと言うと、シンジが食堂に入れないからである。
きれいな夕日を眺めながら、おいしいオレンジパイと温かい紅茶。そして傍らでは、自分の信頼する使い魔が何と音楽を奏でている。
そう、わざわざ外のテラスにてお茶をしているのはシンジのチェロを皆に聞かせ、自慢するためだったのだ。

「うーん、なんと言うか、シ・ア・ワ・セ 」
「専属の楽士にチェロを弾かせティータイムとは、なんと言う贅沢、このブルジョアが!」

話しかけてきたのは、モンモランシーだった。
彼女は名門と言われる門閥の出であるが、何年か前に実家が干拓事業に失敗し落ちぶれて久しいのだ。

「オホホホホホホッ、なにせホラッ、主人がいいから。使い魔もなんでも出来るのよ」
「前半の冗談はさておいて、彼ほんとに何でも出来るわね。ルイズあんたにしては随分と当りを引いたんじゃない」
「冗談ってなによ。 ま、シンジは確かに当りだったわ」
「でも、ロバ・アル・カリイエから来たにしては、随分と普通っぽい曲ね。もっとこう異国情緒あふれるような曲を想像していたわ」
「これは、頂いたチェロのケースに入っていた楽譜のものです。もしよろしければ他の曲をやりますが」
「そうね、シンジあなたの国の音楽も聴いてみたいわ」

シンジはちょっと考えるそぶりをして、

「では、僕らの偉大なる大先輩マーティ・マクフライに敬意を表しまして」

ルイズ達が、誰? と言う声をあげる前にそれは始まった。

「 Johnny B Goode 」

それは軽快なリズム。
もちろんシンジが持っているのはエレキギターではないが、音を這わせるだけならチェロでも可能である。
もちろん、可能である事と出来る事とは大きく隔たりがあるが、シンジは右手に楽弓とナイフを持ち、「ガンダールヴ」を発動させていたのだ。
すばやく小刻みに正確に楽弓を動かし、ロックを奏でる。ハルケギニアには無い音楽性がすぐにわかった。その、超絶なる技術も。
美しい音の調べというよりは、楽しい、そして激しい音の奔流だった。聞いているだけで、足と体が勝手にリズムを取る、いや無理やり取らされる。
ときどき、シンジは「ゴーゴー、ゴージャニ、ゴゴーゴー」と歌を入れる。

演奏は3分ほどで終了し、終わった後しばらくルイズたちは魂が消えたようにシンジを見つめていた。

(あれ、マーティ先輩と同じ失敗をしたかな?)

別に、シンジは派手なアクションは取っていないはずだが。

一呼吸置いて、周りから、拍手がふってきた。
いつの間に集まったのか、周り中生徒だらけだった。もちろん、ルイズたちも拍手をしている。

「あっはっはっはっは、すっごい楽しい曲ね。初めてよこんなの」

最初の賛辞はキュルケからだった。それから少し考えるそぶりをするとこういった。

「うーん、シンジ君。 あなたゲルマニアに来なさいよ。そして、大きな音楽堂か、劇場で今のをやるのよ。大入り間違い無しよ。プロデュースはあたしがやるわ」
「キュルケ、またあんたは勝手なことを!あたしの使い魔なんだから、やるんだったら、もちろんトリスティンでやるわよ」
「ルイズ、こう言っちゃなんだけど、彼の音楽は新しすぎるわ。保守的なトリスティンで受け容れられるとは思えない。あたしに任せてみなさいよ、三ヶ月でゲルマニアの大音楽堂を、観客で埋め尽くしてみせるわ。ほいで、……コッチのほうは折半でど~ぉ」

そう言ってキュルケはいい笑顔で右手の人差し指と親指で丸を作る。

「がめついわね、大金持ちの癖に。それにここにいるのはほとんどトリスティン人よ。この拍手を聞いて、なんで受けないって決め付けるのよ」
「受ける、受けないじゃなくて、受け容れられないって言っているのよ。 ねえシンジ君、どぉ。ハルケギニアの偉大なる音楽家の殿堂に名を連ねるチャンスよ。ついでに稼いだお金でゲルマニアで貴族になりなさいよ。それとも、我がゲルマニアに新しい音楽を呼び込んだものとして、名誉貴族なんてのもあるわ」
「きき、貴族?キュルケ、彼は平民だぞ!メイジじゃない彼が貴族になれるわけないじゃないか」

いつの間に来たのか、呆れた声で言ったのはギーシュだった。だが彼はそういった後、ちらりとシンジの反応をうかがう。

「トリスティンはそうよね。法律できっちり平民をしばっている。でも、ゲルマニアにおいては素晴らしい発見をした学者、技術者にも一代限りだけど貴族の資格があたえられる。もちろん芸術家にもね。有名なとこではシュペー卿がいるわ。錬金魔術士なんて言われているけど彼はメイジではないし、錬金じゃとても作れないような美しく、折れず、曲がらずの刃を大量に作り出している。
そして、彼には大量の弟子がいて、その中にはメイジだっているのよ。むしろ、彼のすごいとこは、メイジだなんだとこだわらずに自分の技術に魔法も取り入れていることね」
「だから、ゲルマニアは野蛮だっていうんだ」

ギーシュがはき捨てるように言った。

「あら『メイジにあらずば貴族にあらず』なんて言って、伝統やしきたりにこだわって、どんどん国力を弱めているお国の人には言われたくないセリフだわ。おかげで、トリスティンは一国じゃまるっきしアルビオンに対抗できなくって、ゲルマニアに同盟を持ちかけたって話じゃない。第一、この国で使われている鍋釜、包丁にいたるまで、ほとんどゲルマニア製よ。文化文明度において、我がゲルマニアは最も優れた国だと自負しているし、民間技術が高いのはこの制度のおかげだと思っているわ」
「キュルケ、お国自慢はその辺でやめておいて」

声を上げたのはルイズだった。自分の国をそんな風に貶められて面白かろうはずは無い。
ましてやここはプライドの高さにおいてハルケギニア一といわれるトリスティン王国、その魔法学院である。
だが、何を言うにもキュルケである。火のトライアングル・メイジの実力の前に誰もが沈黙させられる。

「ねえルイズ。あなた、ちゃんと彼のことを考えてる?彼はあなたの使い魔かもしれないけれど、人間なのよ。おまけに、こんな才能だらけの人間見たこと無いわ」
「どうぞご心配なく、ちゃーんと考えているわ」

正直、シンジはあまりにも受けが良すぎで、困惑していた。自分の音楽はあくまでクラシックにあると思っているからだ。だが無論、演奏を褒められて悪い気はしない。

(ちょっとした、お遊びのつもりだったんだけどな)

「評価してくださってありがとうございます。でも、ごめんなさいキュルケさん、今は出来そうに無いです。ルイズさんの使い魔もしなくちゃなりませんし」

シンジはペコリと頭を下げた。

「ああ~、もったいない~。いいのシンジ君、このままだとあなたの身分なんて、せいぜいルイズの執事見習いぐらいなものよ」
「なによ、いいじゃない。あんまり言いたくないけど、あたしはこの国の公爵の三女よ。その執事なんて、そこらの貴族でも望んでなれるものじゃないのよ」
「あたしが言いたいのは、……」

激高してきたキュルケとルイズの言い争いをシンジが「まあまあ」となだめ、止めた。

「心配して下さってありがとうございます。では、そんな優しいキュルケさんのために」

シンジが選んだ曲目は 『ルイジアナ・ママ』 だった。





実はルイズには、一つ悩みがあった。使い魔を召還して一月もたつと、メイジとしての力量を図るためのイベント「使い魔品評会」がある。
使い魔品評会とは、その名の通り春先に行われた召喚の儀式によって呼び出された己の使い魔を、学院の教師生徒の皆々様にお披露目する催しだ。
無論、学院の行事であるため、二年生が新たに召還した使い魔を、ただ眺めるだけの鑑賞会では無い。

格言に曰く、「メイジを計りたくば、その使い魔を見よ」

使い魔はメイジの鏡である。どのような使い魔を召還したか、というのはそのメイジの実力そのものでもある。強力な幻獣、野獣、魔獣の類を召還したとなれば、実力、将来性の証明でもある。
ではそれらに少々見劣りするような家畜の類(犬、猫等)を呼んでしまった者達はそれだけで挽回する機会が無いのか、と言えばそうでは無い。
使い魔ときちんと信頼関係を構築し、主従関係をしっかりさせ、そして意思の疎通をきちんと図れているかというのが、より重要である。

また格言に曰く、「ドットの猫より、ラインのねずみ」

事実、歴代の最優秀者の使い魔は幻獣ではないことが多い。
強大なる使い魔はそれだけ扱いも難しく、年若く経験も少ないメイジである生徒たちがいささか引いてしまうのだ。
あるいは逆に、強大なる使い魔を得て、嘗められてはいけないとばかりに厳くしすぎて、返って信頼関係を壊したりもしている場合もまた多い。(コントラクト・サーヴァントのおかげか、逃げられるというのは無いようである)

通常であれば、会話をこなし(意思の疎通の証明)、その命令に忠実に従う(信頼関係と主従関係の証明)シンジはそれだけで優勝候補であるはずなのだが、それは人であるが為、評価の対象からははずされるであろう。言ってみれば、鳥の使い魔が空を飛んで見せるようなものである。
だからといって、彼の「ガンダールヴ」も「ヴィンダールヴ」もそうそう披露できるものでもない。
しかし、ルイズは妄想する。
自分の杖をタクトにみなし、それに合わせ楽器を弾くシンジ。
使い魔が人なのも前代未聞であるが、楽器を弾く使い魔もまた……。

「いけるかもしんない」

彼女の頭の中で、きっちり皮算用ができあがった。






次の日の朝から、シンジの「第九」とやらで目が覚める。

「おはようございます。 ルイズさん」
「おはようシンジ。 今日もいい朝ね」

そう言って、ベットから起きだすと、シンジの用意した水で顔を洗う。

「あーそうそう、学院長がそろそろ例の破壊の杖について話を聞きたいと言ってきたんですが、ルイズさんの都合はどうでしょう」
「そうね、夕食の後なんかどうかしら」
「わかりました。 ではそのように学院長に伝えておきます」

そう言って、朝食に出ようとするシンジをデルフが呼び止めた。

「よう相棒、ようったらよう」
「どうしたのデルフ?」
「どうしたのじゃねえよ! 俺ッちも連れてけよ!」
「ええ! 朝食を食べるの?!」
「なわけあるか!退屈なんだよ!昨日は相棒の国の曲を弾いて随分楽しかったそうじゃねえか。 俺にも聞かせてくれよ。だいたいだな、ガンダールヴが剣を持ち歩かねぇーなんてのは……」
「わかった、わかったよデルフ。 もっていくから、ちゃんと持ち歩くから」

だんだんと高ぶってきたデルフの声にシンジはすぐに折れ、彼を背中に担いだ。
デルフリンガーの全長は柄も含めて150サントほどもあるのだ。純粋に邪魔なのである。
ただ、ルイズからもなるべく持ち歩くようには言われているが、学院内でこのような剣を担いでいるのは目立ってしょうがないので、積極的に忘れていくのだ。





その日の最後の授業は、「土魔法」だった。
シンジはこの、おそらく元素を操っているのであろう魔法の授業が好きであった。
さすがに、元素の原子量までは操作が及ばないらしいが、そこを魔法で補っている。
やろうと思えば、腕の良い土メイジならそれなりの量の銀なり銅なりを錬金できるが、そのままでは、お金に換えることは出来ない。コインのような細かい意匠を作ることはかなり難く、仮に出来たとしてもディテクトマジックがある。
平民の商人たちは無論魔法が使えないが、よほど田舎のもぐり商人でも無い限り、魔法を見破るためのマジックアイテムを常に常備していた。
したがって、仮に金の延べ棒を錬金出来たとしても、詐欺の見せ金以上の役には立たないわけである。
もっとも腕の良い土メイジは、水メイジに並んでお金に困るようなことはほぼ無い。
錬金による物作りが出来ることや、食べ物の腐敗や金属などの腐食を防ぐための「固定化」が出来るためである。
ちなみに、ゴーレムを錬成してのゴーレム使役は、個人もちの畑ぐらいならともかく、あまりお金儲けには向いていない。
安価な労働力ではあるが、複雑なことはさせられないうえ、術者が見張っていないと動かせないラジコンのようなものである。 ただ物を動かすだけならレビテーションがある。

シンジはこの、「固定化」を覚えたかった。シンジのATフィールドは意識を向けていないと消えてしまう。
以前、ミセス・シュヴルーズは、錬金した小石を「精神力だけなら、二日と持たない」と言っていたが、シンジにして見れば2日間、軽い重量挙げをしているようなものである。ところが、「固定化」を行えば二十年持つと言うのだ。
シンジもそこまでは期待しないが、せめて三日ぐらいは持たせてみたかった。

「……と言うわけで、古代においては土系統なら土だけを純粋に4つ、目覚めさせた者だけをスクエアと呼んでいました。ウォータースクエア、グランドスクエア、ウインドスクエア、ファイヤースクエアです。それ以外のスクエアメイジ、すなわち水と土、水と風のスクエアはヘルシャー(支配者)メイジ、火と土、火と風のスクエアはクラッシャー(破壊者)メイジと呼ばれていました」

土系統魔法の授業中だったが、ミセス・シュヴルーズはいささか話を脱線し始めた。
この手の歴史的な裏話は、彼女の授業の持ち味の一つである。

「ミセス・シュヴルーズ、風と土、火と水のスクエアはなんと呼ばれていたのですか?」

なぜか、この二つの系統を併せ持ったメイジは恐ろしく数が少ない。もしいても大概はラインどまりである。別に、相反する系統と言うわけでもないのだが。

「これは一つの定義ですが、スクエアスペルを唱えられる者を、スクエアメイジと呼びます。その二つに対応するスクエアスペルが存在しない以上、残念ながらスクエアメイジとは言わないでしょうね。あくまで私の想像ですが、遥かなる昔、始祖の時代にはあったのかもしれません。系統魔法を生み出したご始祖様は、4つの系統をすべて操っていたらしいですから。
失われた「虚無」はこの四系統あるいは三系統を足したスクエアスペルだったのではないか、とも思っています。もっとも、万物を構成する「小さな粒」をさらに構成する「小さな粒」を操るのが「虚無」である、との説もありますが。……少々脱線しましたね。 次に固定化と硬質化の違いについてですが……」

授業は進む。
残念ながらシンジには、専門用語が増えてきた授業についていくことが難しい。聞きたかった「固定化」だが理論のみで流されてしまい、実技はやらなかった。仕方が無いので、授業の終わるのを待ち、質問しようと思った。

「今日はここまでとします。なにかご質問は?」
「はい、ミセス・シュヴルーズ。 よろしいでしょうか」
「どうぞ、ミスタ・シンジ」
「固定化の「コツ」をお聞きしたいのですが」
「ふむ、なかなかいい質問です。先ほども言いましたが「固定化」の最大の特徴は発動された魔法が自分から切り離されても存在することです。つまり、術者の意識が途切れても、あるいは術者が死んでも魔法は消え去りはしないのです。これが得意なのが土系統の特徴でもありますね。
さて、固定化の呪文は皆さん覚えていますね。その際のイメージは……精神力を……と言うことです。わかりましたか」
「はい、ありがとうございました」

さすがに、ミセス・シュヴルーズはプロの教師である。 的確な教え方をしてくれた。
ただ、生徒たちは皆微妙に不思議そうな顔をしている。

(教えてもらっても使えないだろう?)

と言うのが、教室の他の生徒たちの共通した認識である。
それに、ミセス・シュヴルーズを筆頭に教師陣が皆、生徒ではなくメイジですらないシンジに、こういってはなんだが気を使って振舞っているようなのだ。
生徒たちは知らなかったが、これは先日のフーケ事件の影響である。
教師により思惑は違うが、細かいことはさておきシンジに対して、一目置いておく、ということである。

(さて、これを応用できるかな?)

無論、そんなことには関係なく、シンジの狙いはこの知識をATフィールドに使えるかどうかである。





メイジにとって、魔法発動時に杖を振る動作と言うのは、意外に馬鹿に出来ない作業である。
それは、自らの魔法の結界範囲を決め、また魔法を操る作業でもあるからだ。
無論、操る度合いなら精神力のほうが大きいが。
自分の精神力を過信して、これの動作を大きく取ると、魔法が薄くなったり発動しなかったり、といった失敗もしやすい。逆に小さすぎれば、威力の点で心もとない。
またフライや治癒魔法など自分にかける場合、敵にぶつける攻撃魔法、などなどいずれも効率が良くすばやい動作が求められる。

さて、先日のフーケ探索の際、ルイズは杖を振らず、まっすぐ先端を“敵”に向けたのだ。
これは、先日のシンジと行った練習、“賛美歌詠唱”より思いついたことである。
二人で杖を握ったため、杖が固定されていたことでわかったことだ。
小さなことではあるが、これの発見は彼女にとって、大きなアドバンテージをもたらした。
呪文詠唱の時間を無視すれば、これまで最も早い魔法とは、風系統の攻撃魔法だった。
ところが、自分の失敗魔法は発動とほぼ同時に目標に届いたようなのだ。
比較としては母のウィンド・ブレイク並ではなかったか?
しかも母の、詠唱の長い攻撃魔法の呪文ではなく、何を唱えても爆発する自分の失敗魔法なら、より短い詠唱の呪文を唱えれば誰よりも早く魔法をつむぎ、防御も難しいだろう。
これは自分の大きな武器になる。系統魔法に沿った使い方ではないため隠し技的な扱いになるが。
次なる課題は威力の制御と、

「優雅じゃない事よねぇ~。 なんなのよあたしは~」

フミッ、と猫のような声を出し、机に突っ伏した。
だが結局、人は自分にしか出来ない事、自分になら出来る事を見極めて、それでなんとかやってくしか無い。

「どうしました?」

シンジが独り言をぶつぶつつぶやく主人を心配し、声をかけたが……。

「な!なんでもないわ」

と、慌てて繕った。





[10793] 第十五話 平和なる日々 その2
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:92c06cc6
Date: 2013/03/10 05:23


夕食も終わり、いつものように入り口でルイズを待っていると、のっそりと学院長が現れた。
オールド・オスマンに会うと、たいがいの人が最初に抱く印象は背の高い人物である。といったところだろう。
シンジもまた、身長だけなら自分の父親並みだと思っていた。シンジの父、ゲンドウは190サント近い大男だったのだ。
しかしながら、その老メイジの顔には無数のしわが刻まれ、眼光鋭く、豊かに長く伸ばした髪もひげも真っ白だ。
いかにも歴戦の魔法使いと言う面持ちである。
片手にはスタッフと言われる長大な曲がり杖を持ち、マントではなく濃い緑色のローブを身にまとっている。正直、立っているだけでも絵になる人物である。

「よう、シンジ君。 探しておったのじゃよ」

件の『破壊の杖』の説明は、確かに今日の夕飯後に約束をしている。

「どうなさったんですか学院長。こちらから出向こうと思っていたのですが。それに、まだ夕食の時間ですよね」
「なぁに、わしは早食いじゃからな。ところでシンジ君。今日のことじゃが、君がこの「破壊の杖」について講義をしてくれると言うので、希望者を募ったところ、予想外に人数が多くてな、今更ダメとも言えんので場所を移したいのじゃが、良いかの」
「え、ええ、それは学院長の良いようにしてください。……ところでどこでやるんですか」
「なに、そこの「アルヴィーズの食堂」じゃ」
「ええと、僕は使い魔ですので、入るわけには行かないのですが」
「なんじゃい、ツマラン事を気にしておるのう。よろしい学院長たるわしが許可しよう。さ、これでよいかな」
「うーん、では皆さんの食事が終わるまで待っています」

不思議なことに、いまだに誰一人食堂から出てこないのだ。シンジはいつも、厨房の勝手口から出入りしているが、大概は早めに食事を終えた生徒たちを見かけるのに、今日に限って誰とも会っていなかった。

「食事なんぞ、みな終わっておる。講師の登場を待ちかねているのじゃ」

シンジは、このセリフで現状を把握するに至った。思わず天を仰ぐ。

「うわちゃー! な、何人ぐらいです」
「さて、生徒たちが270名ぐらいだったかのう。教師はわしを含め22名。それにたっての希望での、ミス・ロングビルも出席したいと言っておる」

それは学院内の使用人を除く、ほぼ全員と言うことである。

「勘弁してください。それにボクの説明なんて誰が本気にするんですか」
「なに、強制ではない希望する者のみじゃ。それになシンジ君。君はもう少し自分に対する評価を知ったほうが良いな」
「どう言う意味でしょう?」
「なぞの球体より現れ、伝説の使い魔のルーンを二つもその身に刻み。メイドの女性を助けるためドットとは言え、かの「青銅のギーシュ」をナイフ1丁であしらった。授業においては「錬金」の本質を見抜き。 さらに主人たるミス・ヴァリエールを助けるために、その爆発を不思議な力で押さえ込み。また、誰もが二の足を踏んだフーケ討伐に、たった一人で赴きこれをなした。
昨日は君のチェロの音が耳に残って夜眠れんと、何人かの生徒が「水」の生徒に睡眠薬を処方してもらっておったな。ちなみにわしもじゃ。
まだまだあるが、これだけでも唯の平民、いやさ、たとえメイジじゃろうともそう簡単に成せるものかよ。そして本人は、そのことをちぃーっとも鼻にかけとらん。まったく、わしの若い頃そっくりじゃ。
君、最近朝の洗濯場に異様にメイドが多いと思わんかね?みーんな君目当てじゃよ。 まったくうらやまけしからん」
「……ルーンに関しては、つけたのはルイズさんでボクのあずかり知らないことです。ギーシュさんは油断していただけでしょうし、フーケは捕まえられなかったし、チェロに関しては僕じゃなくチャック・ベリーって人が作曲した曲です。
メイドの皆さんは、最近いい天気が続いているから、そりゃ洗濯しておこうって思いますよ。他のことも、僕が偉いわけじゃありません。だいたい僕はルイズさんの使い魔で、体を張って彼女を守るのは当然でしょう」
「むっ」

(なるほどのぅ、ルーンをつけたのはミス・ヴァリエール嬢か。わしも耄碌しておったのう。彼の存在に目がくらんでおった。たしかに、呼び出したのも、ルーンを刻んだのも彼女じゃった。はてさて、彼女はいったい?)

「あの、どうかしましたか?」

シンジは急に黙り込んでしまった学院長を心配そうに見ていた。

「ほほ、いやなにミス・ヴァリエールはまた、随分と主人思いの使い魔を召還したと思ってのぅ。
良きことじゃ。 善哉、善哉」
「……」
「おっと、こうしてはおれん。ささ、生徒たちが待っておる。さあロバ・アル・カリイエ(東方)の彼方より召還されし小さき賢者よ、わがトリスティン魔法学院の生徒たちに、その深遠なる知識の一端をさずけたまえ」

オールド・オスマンは急に芝居がかった言い方で、シンジをアルヴィーズの食堂に連れ込んだ。



第十五話 平和なる日々 その2



「まーったく、あったまきちゃうわ、あのボケ老人!何も学院生全員の前で、やんなくてもいいじゃない!人の使い魔をなんだと思っているのかしら」

ルイズとシンジは、また魔法の練習のため、いつもより少し遠くの森にいた。

「そういえば、希望者を募ったって言ってましたけど、今日はずっと一緒にいましたよね。いつそんなことを?」
「今日の夕食前のお祈りの後よ。いきなり立ち上がって。こう言ったの。『今日の夕食後、わが学院の秘宝「破壊の杖」について特別講義を執り行う。強制ではないが希望するものはその場に残りしばし待て』ってね。そりゃみんな残るわよ」

ルイズは随分と怒っているようだ、自分の独占状態にしておきたかったシンジの知識を、わずかとは言え全学院生徒と教師たちに知られたのだから。

「ルイズさん、ボクの知識なんてそうそう役に立つようなものじゃありませんよ。一足飛びに結論だけでは応用も利きませんし、発展もしません。科学って言うのは、みんながあるていど知っていないと中々役には立たないものなんです」
「えっ、そうなの」
「はい、それに科学って実は自然現象にもっとも矛盾の少ない仮説をつけているだけなんです。科学は、そうそう断言はしないんです」
「ずいぶんと謙虚なのね」

まるで、私の使い魔のようだと言って、ルイズは笑った。

「ぼくが知っていることなんて、結局、昔の頭が良かった人が考えた結論を知っているだけですから。 それも断片的に。だから、今まで言ったことの証明も簡単には出来ません。それには大抵、長い長い観察とか実験を必要とするんです」
「へー、例えば?」
「そうですね、うーん。……この間、僕らがいるこの世界が地球って言う惑星で、それは銀河系の中にあって、そしてその銀河系も宇宙に浮かんでいる、唯の小さな銀河の一つだって言いましたよね。 
そしてその宇宙の大きさも宇宙が誕生したのが何年前なのかも、実はある程度わかっているんです」
「へえ、どうやって?」

そこで、シンジは立ち止まりルイズと共に空を見上げた。

「夜空に浮かぶ星座は、一定不変に見えますが実は少しづつ動いているんです。もちろん、少しづつと言っても僕らから見ればであって、現実にはものすごい速さです。そして、銀河同士はお互いに離れていく方向に動いています。それも、遠くの銀河ほど速いスピードで」

ルイズは、時折うんうんとうなずく。

「これだけ言うと、僕らがいる銀河系が宇宙の中心みたいに聞こえるけどそうじゃないんです。要は、ゴムひもを引っ張るようにあるいはゴム風船を膨らますようにこの宇宙は膨張し続けているんです。 だから……」
「伸びる前は縮んでいた。そうでしょう!」

得意げにルイズが答える。

「その通りです。だからいくつかの銀河を長い間観察して、その移動した距離を測ります。そして、何年前だったらその銀河同士は同じ位置にあったのかを計算するんです。そうして、宇宙の年齢は計られました」
「いくつなの」
「だいたい、百三十七億歳だそうです。そしてそれ以前はどういう状態だったのか良くわかっていません」

シンジがそこまで話すと、背中の剣がカタカタ鳴って飛び出てきた。

「相棒は、スゲエ物知りだね。久しぶりに退屈がまぎれて面白かったよ。よかったら、もっと話してくんな」

そうして、夜空に光る星はみな太陽(恒星)であるとか、他の銀河は遠すぎて、見ようと思ったら大きな望遠鏡が必要だとかの話を続けた。


一方その頃、学院長は白い口ひげを鼻血で赤く染めていた。

「むぷう、ら、らんといふひひき(知識)」

学院長の最近の日課であるシンジウォッチングである。鼻を押さえているため少々発音がおかしい。
そしてもう一人。

「きえー、お姉さま。あたしの背中で鼻血をたらすのはやめて欲しいのね。きれいな体を汚さないで欲しいのねー!」
「うりゅはい、らまって飛んで、気づかれる」

タバサとその使い魔たる風竜、シルフィードであった。風メイジは、聴覚に優れる。学院長と同じく、シンジの話の内容に興奮し、おもわず鼻血が出てしまったようだ。
デルフは上空の一人と一匹に気づいていたが、主人と相棒がよい雰囲気だったし、危険な相手ではないと判断したため放置していた。

「へっへへへへへ」

デルフが急に笑い出した。

「どうしたのさ、デルフ?」
「いやー、平和だと思ってよ。天気はよくて風は気持ち良い、ご主人と相棒は仲がいい、おいらは相棒の背中で退屈を嘆くっと、こういうのも悪かぁねえ。ほんとによ、悪かぁねえなって思ってな」

「……季節は春、時は朝、歩く道には朝露満ちて。雲の中には雀たち、枝を這うのはカタツムリ。 神様は何時も空から下界を見下ろす。なべて世は事も無し、かい」

ルイズがきょとんとした顔で、シンジを見ていた。デルフが自分とシンジが仲がいいと言ったところで、照れ隠しに怒ろうとした時、シンジが急に詩を朗読し始めたのだ。

「相棒は詩人だね。 こうなんつーかハートに来るね」
「『春の朝』って言う詩なんだ。どんなことがあろうと世の中は変わらず回っていくって意味だと思うけど、今のデルフの心境はこんなとこじゃない」
「おお、そうか!詩をささげてくれたのか!6千年伝説やってたが、詩を貰ったのは初めてだ!かー、うれしいじゃねえか!ありがとよ、相棒!」
「ほほほ、何を言っているのよ、ぼろ剣の分際で。今のはご主人様たる、このあたしに捧げられた物よ。身の程を知りなさい!!」
「え、え、い、いや、だって相棒は俺の心境を語ってくれたんだぜ。ご主人様とは言えこいつはゆずれねえ」
「おほほほほ、溶かされたいのかしら?それとも折られたい?」
「ひでえ!相棒、なんとか言ってくれ」

話を振られても、困ったような笑顔を返すしかない。
ルイズの平和なる日々は続く。使い魔たるシンジを召還してから、本当に何もかもがうまく回っている感じだ。

近いうちに行われる使い魔品評会にはトリスティン王女、アンリエッタ姫様がお忙しい仕事の合間をぬって行幸されることが決定された。主役たる2年生はもちろんのこと、1年生、3年生のみんなも杖を磨き、使い魔の躾、訓練に余念が無い。学院の生徒たちはみな、美しい王女様を一目みたい、また、お目に止まりたいとがんばっている。それはルイズも一緒である。

品評会用の訓練の基本は、名前を呼んで応えさせる事、主人を見分けること、簡単な命令に従わせること。特技の披露はその後だ。
だが、言葉を理解するシンジには先の三つは今さらであり、特にやることも無い。
むしろ、シンジの演奏にあわせ杖を振らなければならないルイズのほうが訓練しなければならないのだが、どうも指揮者を甘く見ているようである。





教室の扉が開き、ミスタ・ギトーが現れた。生徒たちは一斉に席に着き、神妙にしている。
長い黒髪に、漆黒のマントをまとったその姿は、いささか不気味であり、冷たい印象をまとっている。本人も解ってやっている所があり、ありていに言えば若いことで生徒に嘗められないための演出である。
二つ名は「疾風」。併せて「疾風のギトー」と自らを称している。

「では授業を始める」

教室中が、空気が圧縮されたような重い雰囲気に包まれた。
その様子を満足げに眺め、ミスタ・ギトーは言葉を続けた。

「戦いにおいて、もっとも有利な系統は何か……」
「虚無じゃないんですか?」

ミスタ・ギトーの言葉に割り込んだのはキュルケである。

「虚無は伝説の系統ではあるが、歴史の狭間に消え、今もってその威力、効果のほどがわかっていない。その担い手もまた現実に存在しない以上、比較の対象にはならないだろう」
「で、あるのなら、それはもちろん「火」に決まっていますわ」

キュルケは不適な笑みを浮かべて言い放った。

(彼女は確か、学生としては数少ないトライアングルだったな)

「ふむ、それはなぜなのか。 ぜひともご教授願いたい」
「あら、すべてを燃やしつくせるのは、火と情熱。 そうじゃございませんこと?」
「残念ながら、そうではない」

ミスタ・ギトーは、自然な、しかしすばやい動作で腰に差した杖を引き抜くと、言い放った。

「火はむしろ、対魔法戦においては弱い系統に属する。このクラスの火系統の諸君、全員立ちたまえ」

三十人の生徒のうち、九人ほどが立ち上がる。

「ミス・ツェルプストー、君はトライアングルだったな。 よろしい、君が魔法のとりまとめを行い。全員でこの私に『火』の魔法をぶつけてきたまえ」
「「「ええー」」」

キュルケら火系統の生徒たちはぎょっとした。 いきなりこの先生は何を言うのだろう。

「どうしたね、『火』の諸君。君たちは戦闘が得意なのだろう?」

挑発するような、その言葉。

「火傷じゃ、すみませんわよ」
「ああ、有名なツェルプストー家の赤毛の由縁を見せてもらおう」

キュルケは眼を細めて、この挑発に乗った。そして、いつもの小ばかにしたような笑みが消える。
立ち上がった生徒全員で、Vの字型に陣形を取る。扇の要はもちろんトライアングルのキュルケだ。

「みんな、呪文はフレイムボール、中心核は私の杖先1メイル、2人ずつ時間差で注ぎ込んで。いいわね!」

全員、頷く。みな自分の系統には自信を持っているのだ。特に「火」系統の生徒にはそれが顕著である。それを『弱い』と断じた、この男を許すわけにはいかない。
幸いこの教室は石で出来ている。飛び火しても火事になることは無いだろう。最悪、窓から飛び出せばいい。天気がいいので窓はすべて開いている。

ちらりと、ミスタ・ギトーを見れば、あくびをしていた。おそらくはポーズだろうがむかつくのは止められない。

胸の谷間から自身の杖を引き抜き、キュルケの炎のような赤毛が、風も無いのに揺らめき次の一瞬でブアッと膨らんだ。
杖を構えた、呪文はすでに詠唱中である。
杖の先、1メイルほどに小さな火の玉が現れる。残りの八人はその火の玉めがけ自分の精神力と共に火の魔法を発現させる。
火の魔法は比較的合流させやすい。たちまちのうちに人など一瞬で飲み込みそうな大きさになる。
他の生徒たちは、すでに教室の端に非難済みだ。
キュルケは手首を回転させた後、右手を胸元にひきつけ炎の玉を押し出すしぐさをした。

「1・2の3!」

すでに、フレイムボールではない、トライアングル一人、ライン三人、ドット五人の全力全開。威力はハーフスクエアクラス、魔法による火炎放射だ。うなりを上げて押し寄せる炎の大蛇。 しかしギトーは避けるしぐさも見せずに、ある呪文をつぶやいた。ギトーの杖先3メイルほどだろうか、そこに見えない壁があった。目に見えない空気の壁、しかしながら例えスクエアクラスのエアシールドだろうと九人の炎である。
加えて九人が合同で魔法を張っているため、かき消しても、かき消しても津波のように炎が襲ってくる。
しかしながらミスタ・ギトーは涼しい顔でこの炎の大蛇を受け止めている。
30秒ほど過ぎた頃だろうか。キュルケはふいに炎の放射をやめた、ある一線からどうしても炎が前に進まないのだ。炎が止まっているわけでも、風で押し返されているわけでもない。
そう、例えるなら目に見えない穴が開いており、そこに炎がすべて吸い込まれていく感じである。
そして、不承不承と言った態で両手を挙げたのだ。だが、魔法が止んでも、ミスタ・ギトーは油断なく目の前の火メイジたちを睨んだままだ。

「終わり、と思ってよいかね『火系統』の諸君」

指揮官たるキュルケが手を上げてしまった以上、他の全員も降参せざるを得ない。
それに、トライアングルのキュルケはともかく、他のドット、ラインの生徒たちはキュルケの魔法圧とでも言うべきものに引っ張られ、30秒ほどの短時間にもかかわらず精神力を根こそぎ持っていかれてしまった。何人かは立っているのがやっとの態である。キュルケ自身もそれがわかったのでやめたのであるが。

「ご苦労だった諸君、では着席したまえ」

何事も無かった様にそう言い放ったミスタ・ギトーに、キュルケは再度噛み付いた。

「何をしたんですの、先生」
「落ち着きたまえ、ミス・ツェルプストー。皆が着席したら説明するよ」

壁際に張り付いていたほかの生徒たちも、席に戻り少しばかりざわついていた教室も1分ほどで静かになる。

「さて、先ほど火の系統が弱いと言ったのは訂正しよう、素晴らしい威力だった。詠唱の早さも、温度も申し分ない。魔法の選択も悪くなかった。風とは一瞬で過ぎ去るもの、したがってあのような連続攻撃には対処しにくいのが風の弱点でもある。
しかしながら火の攻撃魔法の恐ろしさは、その温度にのみあるのではなく、術者による魔法の操作力にあると私は考えている。もっともこれは水の攻撃魔法にもいえることだが」

そこで、ミスタ・ギトーは重々しく咳をした。 

「諸君、断っておくが魔法系統には貴賎は無い。ただ、状況その他において有利不利があるだけだ。地面の上の土メイジ、雨中や水辺での水メイジ、いずれも厄介で恐ろしい存在だ。
だが、どの魔法系統もそれぞれに恐ろしさがあり、弱点がある。
中でも火系統は恐ろしさが感覚でわかるため、最強というよりは最恐の系統だろう。だが無論、人は怖いもの恐ろしいものをそのままにはしておかず、研究され調べつくされる。
私は今、火に関する知識を応用しただけだ。もちろん、君たちはこんな今さらな講義を聞きたい訳ではないだろう。私は今、魔法を3つ、同時発動させた」
「……不可能ですわ」
「なに、そうでもない。 まずはこれだ」

そう言って、ミスタ・ギトーは一歩横に移動した。だが、そこから動かずにいた。 

「「「「おおおおおおお」」」」

生徒たちにどよめきが走る。ミスタ・ギトーが二人に増えたのだ。

「これが「風のユビキタス」、スクエアの秘術の一つだ。ただの『分身』ではなく意思と力を持ち魔法も使える。その存在距離は精神力に比例する。これが一つ目で、この魔法はこれで終わり。二つ目は偏在にエアシールドをかけさせ、三つ目は……」

そこで言葉をとぎり、ちょっと考えた後、

「……君らへの宿題としよう。なに一年生の基礎の復習だ。風のドット魔法だよ。何人かはわかっただろうが、けして真似はするなよ。火魔法の恐ろしいところは直接火に触れる事ばかりではないのだから」

静かになった生徒たちに満足しながら、なおもニコリともしないミスタ・ギトー。

「何か質問は?」

一斉に手を上げる生徒たち、それを順に杖で指していく。大方は案の定「風のユビキタス」、通称『偏在』への質問だった。

「魔法原理はどうなっています?」
「なに少々複雑なエアハンマーだ、「風」を4つ使っているが基本はそう変わらんよ。ちなみに、いわゆる土ゴーレムとは似て非なる物だ」
「先生は何体ぐらい同時に出せます?」
「出すだけなら、七体ほど、それなりに動かそうと思ったら三体。そして、実戦となると二体が限界だな。 無論、訓練により操作数は増やすことができるが」
「他人の顔になったり、動物になったり出来ますか?」
「結界を自分に押し付けることで型を取っているため、自分以外にはなれんよ。この時、精神力も付与するからなおさら無理だな。その代わり、今自分が身に着けているものはそのままコピーが出来る。服とか、持ち物とかだな。おおっと、財布の中身は変わらんぞ、支払おうにもコインから手を離したらそのコインは消えてしまう。要は見た目だけということだ。
ちなみに、座っている椅子ぐらいならこの偏在にてコピーできるがそれ以上になるとたぶん無理だ。 既存の魔法力学を越えることになる」

生徒の一人が調子に乗って、こんな質問をした。

「もし、先生がサボって『偏在』に授業をさせたらわかりますか?」
「君は今、どちらがしゃべっているのかわかるかね?」

一瞬静かになった後、教室がざわつく。当然喋っている方、すなわちとどまっている方のギトー教諭が本体だと思っていたのだ。
皆、目を凝らして二人のミスタ・ギトーを見る。違いがわからない、だが、魔法で作り出した分身がしゃべるとは思いもよらなかった。

「今……、話されている方が本体ではないのですか?」

生徒が疑問を口にすると、今まで黙っていた方のミスタ・ギトーはついっと杖を下から上に向け振った。
ぼふん、と音を立て喋っていたほうのミスタ・ギトーが掻き消える。

「この偏在だが、やってみるとわかるが恐ろしく効率が悪い代物だ。一体を作り出すのにも、結構な精神力を消費する。戦闘ともなると内部にある精神力をどんどん消費するため5分がいいところだ。一時的に魔法の蛇口を増やしているだけだからな。何であれ、真に無敵の魔法系統など存在しないということだ。一つあるとすれば、それはどんなことにも対応する知恵と知識がそれに相当する。諸君、実践的だの応用だの言っていないで、基礎をきちんと身に着けたまえ。応用はその先に存在するものだ」

ミスタ・ギトーはそう言って話を締めくくった。





授業が終わり、皆、教室から出て行く。もちろんルイズとその使い魔も。

「すごいですね。 偏在って言ってましたっけ。 それに火を防いだあの魔法、なんだったんでしょう」
「あら、珍しいわね。 あんたが知らないなんて言うなんて」

ニヒヒと笑顔を作る、魔法知識ぐらいはこの使い魔の上を行かねば面子が立たない。

「うーん、空気から酸素を除いたのか、真空の壁を作ったかどちらかだとは思うんですが、魔法ってそこまで出来るんですか?」

ルイズはそこまで聞いて、なんだ、魔法の名前がわからなかっただけかと思い返した。

「あれは「サイレント」よ、自分や任意の場所に薄い真空の層を作って音を遮断する魔法。 
先生がお作りになったのは、真空の層を厚くして前面に大きく展開させたのよ。輻射熱をそれで防いで、直射熱はご自身が展開したエアシールドで防いだわけよ」
「えー! 真空の層で自分を覆うって危なくないですか」
「本当なら指先一つで壊れるようなものだし、完璧に覆っているわけではないからそこまで心配はいらないわ」
「うーん、本当に器用ですね」
「あの先生はスクエアよ、誰もがあのレベルで使えるわけじゃないわ」
「それで、話は変わりますが、来週の品評会でやる曲は決まりましたか?」
「名前は忘れたけど、あんたがよく弾いてるアレがいいわ、落ち着いていてキレイな旋律の……、時間も大体3分ぐらいでぴったりだし」

バッハ無伴奏チェロ組曲第1番のプレリュード(前奏曲)部分である。

「あれですか、うーん」
「なになに?なんか不満?」
「アレは、まだちょっと練習中で・・・」

どこを、どうつついても完璧にしか聞こえない演奏である。シンジ自身よく演奏していることから、自信のある曲なのかと思っていた。もっともルイズにはわからない、シンジのあるいは音楽家のこだわりなのかとも思ったが、

「命令よシンジ。自信が無いのなら当日までに完璧に仕上げなさい。ううん、姫様もお見えになるのだから、ハルケギニア史上最高の演奏をしなさい。 いいわね!」

シンジは、(無茶を言うなあ) と溜息をついた。






[10793] 第十六話 平和なる日々 その3
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:92c06cc6
Date: 2013/03/10 05:24


「ひうっ」

ルイズは悪夢で跳ね起きた。内容はよく覚えていない。
夢の中では海岸にいて、海は赤く血を流したようだった。
そして、そして、水平線の向こうには……。
何かとんでもなく恐ろしいものがあったように思えたのだが……、起きると同時に忘れてしまった。
目覚めると、体中に嫌な汗をかいていた。
同じベットにはシンジが眠っている、ほとんど寝息も聞こえないぐらい静かに。
寝相は良いのか悪いのか、まるで胎児のように背中を丸め、手足を縮込ませて。
ルイズは指を鳴らす。すると部屋中のランプが一斉に灯った。
真昼のように、はさすがにならないが、それでもこのぐらい明るければ行動に支障はない。

汗で汚れたネグリジェを脱いで、洗濯かごに入れる。もし今シンジが起きたら……、とは思わない。実家にいた頃は平気で使用人たちに着替えを任せていたのだ。
まして、伝説の使い魔とは言え、見た目が子供子供しているシンジに見られてもどうと言うことは無い。
むしろ、起こして、着替えを出させ、体の汗をぬぐわせようかと思った時だった。
部屋の隅に立てかけてあるシンジの剣、デルフリンガーの金具がカタカタ鳴っている。
小さく二回、間を開けて三回、寝ぼけている訳ではない。
正直ルイズにはインテリジェンス・ソードが眠るのかどうかは知らない。が、それは置いといて、合図だ。目が覚めたのは偶然だが、いいタイミングだったようだ。
ルイズは、シンジのほうをちらりと見ると、ガウンをまとい杖を取り出し、そしてデルフを担いでそっと部屋から出た。



「誰もついてきていないでしょうね」
「ああ、みんな眠ってらぁ。いつものネズミもいやしねえ」

ここは学生寮の玄関口である、さすがにこのような時間には誰もいない。たとえ早起き自慢のメイドでも。

「偏在は?あるいは風メイジの異常聴力」
「よせやい、あんな魔法の塊りなんぞが近くにいたら、おいらがわからねえわけがねえ。それに今日は風も強いしな。こういった密談にはぴったりの夜さ」
「なら安心ね。では報告なさい」
「ああ、三週間ばっちり張り付いていたけど、爪は三日に一度、髪もこないだメイドにそろえてもらっていたな、歯は毎日磨いているようだし」
「本当でしょうね。だけど、しょっちゅう置いていかれて行くくせに“ばっちり”は無いでしょ」
「ちっ、うっせーな。反省してまーす」
「折るわよ、それと時事ネタやめなさい。すぐに風化するんだからね」
「ごはんだけでも……、わかった、悪かった。頼むから杖しまってくれ。……なにを、そんなに疑うんだ。相棒はいいやつだぜ」
「召還した時は裸んぼだったけど、何年も幽閉だか追放だかをされていたにしては、汚れていなかったしね。それにまあいろいろあったのよ、あんたを買う前にね」
「実は高貴な身分で、幽閉されてはいても、その辺の世話を焼かれていたとかじゃねーの?」
「もちろんその可能性はあったわ、よくある話しだし。だからデルフに密偵を頼んだのよ」
「自分を、人間だと思い込んでる、あるいはそう思うように作られたスキルニル(魔法人形)とか?」
「あいつは、コントラクト・サーヴァントに反応し、その手にルーンを刻まれた。ルーンは体に現れるけど、その本質は魂に根ざすものよ。ある程度の知能も必要とされる。したがってその可能性も否定されるわ。吸血鬼の可能性も無し、あいつらは固形物は食べられないはずだし。って言うか、あんたそんなこと聞かなくてもわかってるでしょうが!」

インテリジェンス・ソードのデルフリンガーは恒常的にディテクトマジックを行い、周囲の認識をする。その精度、範囲は並みのメイジとは比べ物にならないほどだ。
インテリジェンス・ソードに詳しくないルイズには、それがデルフのみの権能なのか、インテリジェンス・ソードの平均レベルの能力なのかはわからない。

「へっへっへ、まあな。 で、どうする」
「別に、どうもしないわ。わたしの『内なる天使』も、まあまあいい仕事をしたってことね。……何年もサボっていたわりには」
「『内なるアガシオン、外なるファミリア』じゃなくて内も外もって訳か。おりゃー、ご主人の勘違いだと思うがね」
「シー、異端ぎりぎりの考えなんだから。でもまだまだ疑いの段階でしかないわ。そうね、シンジも言ってたじゃない『科学とはもっとも矛盾の少ない仮説だ』って。だからあたしも、シンジを見習ってカガク的に長い長い観察をするのよ」
「観察すんのは俺だけどな。じゃ、これからも、やることは変んねーんだな。やれやれ」


第十六話 平和なる日々 その3


魔法学院に続く街道を、四頭立ての豪奢な馬車が静々と進んでくる。
よく見ると馬車を引いている馬もただの馬ではない、頭に一本の長い角を生やした馬、ユニコーンである。無垢なる乙女しかその背に乗せないと言われるユニコーンは王女の馬車を引くのにふさわしいとされている。
馬車の窓にはきれいなレースのカーテンが下ろされ、中の様子が見えないようになっている。
そして、王女の馬車の後ろには先王亡き後、トリスティン王国の政治を一手に握るマザリーニ枢機卿の馬車が続いていた。

そして、その豪華な馬車の四方を固めるのは王室直属の近衛隊、魔法衛士隊の面々である。
名門貴族の子弟のみで構成された魔法衛士隊は、国中の貴族の憧れであった。
曲がりなりにも貴族の男として生まれ、魔法衛士隊の漆黒のマントに一度も憧れないものはいない。
また、魔法衛士隊の騎士たちが白馬にまたがり、自らをさらっていくことを夢見る少女は珍しくは無かった。

「お見えになられた!!」

その日、魔法学院は朝から王女の来訪にそなえ、正門から本塔の入り口までの間を埋め尽くすように、学院の全ての生徒達が整然と並んでいた。
魔法学院の正門をくぐって、王女の一行が現れると、整列した生徒たちは一斉に杖を掲げる。
正門をくぐった先に、本塔の玄関があり、学院長オールド・オスマンはそこで王女の一行をお迎えするのだ。

馬車が止まると、召使たちが駆け寄り、馬車の扉まで赤く豪奢な絨毯を敷き詰める。
そして、呼び出しの衛士が、緊張した声で王女の登場を告げた。

扉が開き女官に続いて、王女アンリエッタが登場する。学院長オールド・オスマンがまずは歓迎の辞を述べる。
王女はにっこりとバラのような微笑を浮かべ、感謝の言葉を返す。
用意された貴賓席に座ったアンリエッタは、同じく貴賓席に座るマザリーニ枢機卿とほんの一瞬、目線を交わした。
同席している学院長のオスマンに対して、労いの言葉をかけ、ゆっくりと舞台に視線を向ける。
学院内に作られた半円形の劇場。三年生のメイジ全員による創作物だ。無論、最終的な監修は先生方と専門の業者がやるが。

「ただいまより、トリスティン魔法学院生徒による、本年度の召還された使い魔、お披露目の会を執り行います」

春の太陽が穏やかな日差しを降り注ぐ中、頭を輝かせたコルベールによって品評会の開会が宣言された。二年に進級した生徒達が、一歩前に出る。

第一の演目は、呼び出し。
メイジが使い魔を自分の元に呼び寄せる基本中の基本。披露の順番は、メイジのランクと系統、それに学院の成績を元に決定される。

さて、ルイズの暫定的な系統は「水」、人を呼び出したことにより、彼女の系統についての議論は白熱しかつ紛糾した。なにせ、今まで人を使い魔にした例は無く、学院の先生方がそれぞれの根拠を持ってルイズを自分の担当の系統であると主張したためだ。


☆☆☆


「……ミス・ヴァリエールはすべての魔法を爆発させる。爆発は、火と土の合成魔法だろう。 そして「人間」は系統中では「土」に分類される。今まで彼女の系統がわからなかったが、これではっきりしましたね。なに、授業を進めるうちに、彼女の系統もすぐに目覚めるでしょう」

「彼女の爆発を、自分に都合よく火と土の合成魔法に分類してしまうのはいかがなものか。あれは、未成熟なウインド・ブレイクが発現したものでしょう。系統の固まっていない時期にはよくあることです。それと「人間」が「土」に分類されるなど聞いたことがありませんが、それはどの文献から?
……お答えできないようですな。それよりも、かの使い魔君のあの動きを見ましたか?あのスピード、背中に翼こそ生えてはいないもののまさしく「風」の体現者ですよ」

「その結論は少々我田引水であると言わざるを得ませんわね。ミス・ヴァリエールの爆発は、そのまま見れば、まさしく火の系統ですわ。そして、魔法系統はそのまま素直に見ることが大切なのです。それに、かの使い魔君の音楽をあなたはお聞きになりまして?
なんとも「火」の激しさを髣髴させるにふさわしい表現力でしたわ。わたくしには、彼女の系統は火であるとの結論以外はとても容認できかねますわね」

「皆さん、何をおっしゃっていられるのか、いまいち良くわかりませんな。現象面だけ取り上げて、その原因たる魔法を見ないとは。彼の音楽も、すばやい身のこなしも、すべては精密なる肉体操作の故でしょう。かの使い魔君、シンジ君でしたかな。彼にどれほどの才能があったとしても、あの年であれほどの精緻な指使いは不可能と断じます。まるで百年もの練習の末の技巧では有りませんか。唯一それを可能にするもの、それが水魔法です。
彼女はどうやら、水の系統に才能が有ったようですな。おお、そういえば彼女のお父上であらせられる公爵様はたしか水のスクエアでしたな。いやはや、血は争えませんな」

土、風、火、水担当の主任教師はそれぞれの持論を披露し、学園長の反応を待つ。ルイズは、トリスティン王国最大の貴族の娘、その恩師となればどれほどの恩恵を受けられるか、想像に難くない。

「うーむむむ、結論が出んな」

学院長たるオールド・オスマンも頭を抱えたくなる。それぞれの教師たちの論には一長一短あって、これと断ずることが難しい。

「そうそう、かの使い魔君に付けられたルーンは何でしたかな?」

水系統担当の主任教師が聞いた。

「エクス、ホルス、ニード、スベアー、アチェ、シルホス、ウエイチ。珍しい古いタイプのいわゆる万能ルーンですな。系統を決定するにはいささか物足りないかと」

そう答えたのはミスタ・コルベールだ。 ルーンスペルをばらばらに言って「伝説のルーン」を隠す。ここに集まった教師たちは皆、優秀ではあるが始祖ブリミル時代に使われたルーンの読みなど専門外もいいところであろう。皆が皆、オールド・オスマンと意見を同じくするとは限らず、この秘密が漏れればどのような騒ぎ、あるいは問題になるか想像もつかないからだ。
いずればれるかもしれないが、それまでは学院の生徒たるルイズとその使い魔の少年を守るつもりであった。

「やれやれ、……本人に決めさせるか……」

オスマンがそう言って、会議に集まった教師たちの驚愕を集める。聞く人が聞けばとんでもない台詞である。
生まれ持った系統を、自分の意思で、あるいは後天的な要素で変えることなど出来はしない。魔法学院の生徒たちは召還した使い魔で、今後の属性を固定し、それにより専門課程へと進む。今までのような一般教養のあるいは基礎の授業は、今後も系統に関わらず続けていくが、専門課程は系統別に授業を受けることになる。

「そんな、後でそれが違うとわかったらどうするんですの」
「ミス・ヴァリエールが望めば留年させる。問題なかろう、彼女はまだ16歳じゃ。公爵夫妻にはわしから説明しよう」


☆☆☆


使い魔品評会は順調に進んでいる。
アンリエッタ王女は、今回幼馴染のルイズがどんな使い魔を呼び出したのかを気になっていたのだが、なぜか第一の演目にも第二の演目にも出てこなかった。病気か何かかしら、と気もそぞろである。隣に座るオールド・オスマンに、演目の合間にそのことを質す。

「ミス・ヴァリエールには、第四の演目の最後を飾ってもらいますのじゃ。そのときに、今までの演目を欠席させた理由もわかりますでな。おお、無論彼女は元気ですぞ」

ニン、と笑った顔で答えられる。

「は、はあ」





夕暮れ近くになり、太陽も傾いてきた。それぞれの系統別に、いよいよオオトリの登場である。

火系統のキュルケのサラマンダーによる、火炎放射。見事な炎を噴き上げて、舞台上の金属製ゴーレム(キュルケの三年生のボーイフレンド作製)を見る見るうちに溶かしていく。 そして拍手を浴びながら空中に炎で螺旋を描き、また喝采を浴びる。

風系統のタバサの風竜による、空中演舞。まずは見事な垂直離陸、そして低空での空中停止(ホバリング)を五秒ほど披露。その後は優雅に空を舞い、観客の感嘆を独占した。

土系統のギーシュのジャイアントモールによる、地中移動。ギーシュの杖にあわせ、何匹も居るのではないかと思わせるような高速移動を見せる。最後に、モコモコと地面を数メイルも持ち上げ土の塔を作り、そのてっぺんから顔を覗かせた。また、やんやと拍手喝采である。

そして、水系統のオオトリは、……ルイズではない。スキュアという水棲の幻獣を召還した、ルイズとは別クラスの生徒だった。もちろん、その水芸も素晴らしいものでオオトリを勤めるにふさわしいものであったが。アンリエッタがちらりとオールド・オスマンを睨む。

火、風、土、水の四系統のオオトリの紹介がすんでしまい、これで終わりかと思われたが、

「続きまして本日、最後のお披露目となります。ラ・ヴァリエール公爵がご息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢によります、使い魔の紹介です」

紹介に合わせ、ルイズが舞台の端から一人で登場する。緊張しているのか、どこかぎこちない足取りである。それでも何とか、舞台の中央に立ち、優雅に礼をする。アンリエッタは、風系統の使い魔かしらと頭をひねる。一人で舞台に立ち、遠くから自分の使い魔を呼び寄せるのは良くある演出だ。

「シンジ、来なさい」

ルイズがよく通る声でそう言うと、舞台の端のほうで控えていた少年の従者が舞台に上がる。
あら、どんな演出かしらと期待をしていると、件の少年が声を出す。

「ご来場の皆様、ボクがミス・ヴァリエールの使い魔、シンジです。どうぞ、よろしく」

笑顔で挨拶。そして、ペコリと頭を下げた。

「な、なんだってー!」

女王アンリエッタをはじめとする、全ての来客が驚いた。それは、護衛についている魔法衛士隊も同じである。彼等にしてみれば、見飽きた田舎芝居のようなものであったはずが、ほんの数秒とは言え、護衛対象たる高貴な人々から目を離し、舞台に釘付けとなってしまった。

「うおっほん」

衛士隊の隊長が大きな咳をすると、隊員達はわれに返り、慌てて心を任務に戻す。

(ふぃー、やれやれ。こんなの途中でやられた日には、後の連中がやりずらくてしょうがないからの。全部後回しにして正解だわい)

オールド・オスマンは一人胸をなでおろしていた。生徒たちは全員してやったりの笑顔である。
第一の演目はこれで終わり、第二の演目で、客席にまぎれたルイズを見つけ、(通常は5人ほどが舞台に上がり、主人を見わける)
第三の演目で、ルイズにお茶を入れた。(通常は主人の指示したものを持ってこさせる程度)
人であれば、出来て当たり前のことをしているだけである。

さて、第四の演目である。が、その前に、

「ル、ルイズ・フランソワーズ!!お待ちなさい!!」

物言いがついた。 誰あろう王女アンリエッタから。

「は、はいっ」

慌てて、膝をおり控えるルイズ。
この品評会においては珍しいことではないが、ルイズは舞台に登った瞬間にあがってしまっていたのだ。それでも必死で演目をこなしていたのに、憧れの姫様に待ったをかけられ、思わずキョドってしまう。周りはみんなアンリエッタを止めようとするが、止めきれず舞台の上まで上がってしまう。そして、シンジを、マジマジと見つめる。

「人にしか見えませんが……?」
「……人です。 姫さま」
「えっと、変身能力の有る幻獣とか?」
「……人です。 姫さま」

ルイズは頬を染めながら、同じセリフを繰り返した。アンリエッタに、その言葉がしみこむまで5秒ほどを要した。そして、ため息と共に首をふる。

「そうよね。 はぁ、……ルイズ、ルイズ・フランソワーズ。あなたって昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」
「召還の魔法は相手を選べませんもの。好き嫌いは言えませんわ」

召還時に、コルベールに儀式のやり直しをお願いしたことは、ルイズの脳内からはきれいに消去されている。
シンジはアンリエッタに向かい片ひざを着き両手を胸で組んで挨拶をした。

「はじめまして王女様。縁在ってルイズ様の使い魔になりました。ロバ・アル・カリイエよりまいりました。 シンジと申します。 どうぞお見知りおきを」
「まあまあ、ロバ・アル・カリイエから。 それはそれは遠いところからはるばるようこそ、使い魔さん」
「姫、どうかそのあたりで……、その者も困っておりますゆえ」

そう声をかけたのはマザリーニ枢機卿だった。

「え、あ。キャー!わたくしったら、なんて事を!ごめんなさいルイズ、せっかくのあなたの晴れ舞台なのに。とんだ粗相をしてしまったわ」
「姫さま、どうかお気になさらずに。おかげで緊張が解けたようです」

ルイズはそう言って、嫌だわ、はしたないわ、と言いながらマザリーニ枢機卿と共に舞台を降りていくアンリエッタを見送った。

「もう学院長ったら、お人の悪い。それならそうと仰って頂ければよいのに。おかげでとんだ恥を掻いてしまいましたわ」

少々理不尽な怒りであるが、その様なことを気にするオスマンではない。

「ほっほっほ、アンリエッタ様、どうかご機嫌をお直しくだされ。ミス・ヴァリエール嬢ご自慢の『神の笛』を聞き逃しますぞ」
「はあ?」

アンリエッタは首をかしげた。それはそうであろう、かの使い魔が用意しているのは笛ではなく弦楽器のチェロである。





それは、とてもとても美しい音楽だった。

現在、白の国アルビオン王国において内戦が起こっている。
どうやら王党派の負けが決まりそうになっているこの時期、ここトリスティン王国でもいずれ敵になるであろう貴族派への対抗策として、ゲルマニアとの同盟締結をせねばならず。
そのため、皇帝の元へと嫁がなくてはならないアンリエッタは、毎日が憂鬱だった。

また、アルビオンのウェールズ皇太子に昔出した恋文。
おそらくは、戦争で燃えてしまうであろう、あるいは紛失してしまうかもしれない。
それでもなお、もし万が一あの手紙が貴族派の手に渡ったら……。
そう考えると、あまりの恐ろしさに夜も眠れない日々をすごしているアンリエッタであった。

でも、この音楽はそのすべてを忘れさせる。悲しい曲では無いのに、涙が込み上げる。

今まで聞いたことの無い曲。
けれども、その曲は奏者の技術、精神、人生を曝け出す。……その孤独な魂までも。



3分程度の演奏が終わり、楽弓を収めたシンジの顔が軽く上気しているのを見ると、アンリエッタはいてもたってもいられなくなり、立ち上がって拍手をした。
拍手は草原を揺らす風のように、あっという間に伝染し、300人ほどの全学院生徒と先生達、そして来客達、全てが立ち上がり、その魂に多大な拍手を注いだ。

☆☆☆

後日の事となるが、この時に不思議な現象が起こっていたことが判明する。
室内ではなく、野外においての演奏であるにも関わらず、最前列で聞いていた者も最後尾で聞いていた者も同じく、「まるで目の前で、曲を奏でられているような感覚におそわれた」というものだ。

風魔法には、『拡声』と言う魔法が存在する。
これは大本の音を大きくするため、やはり音源より遠ざかるほどにその音は小さくなる。
同じ現象を引き起こすためには『伝声』と呼ばれる、かなり繊細な難しい魔法と、そのとき聞いていた人数とほぼ同数の風メイジが必要になる。
だが、『伝声』を使い音を伝達すると、どうしても音が反響し、いわゆる音割れが起こってしまうため、これを音楽に使うものはいない。
大別すれば、『拡声』はその場にいる大勢に声を聞かせるための魔法、
『伝声』は少し離れた個人(あるいは使い魔)に内緒話をするための魔法と言った所だろうか。
このためこの現象は、このあとしばらくトリスティン魔法学院の七不思議のひとつとして、生徒たちの間で噂されていくことになる。

☆☆☆

選考はもめた。

最優秀者をギーシュ・ド・グラモンのジャイアントモールとするか、ガリアの留学生タバサの風竜とするかで。

重要な選考基準に、どのように国家(あるいは戦争)の役に立つか、というのがある。そして、そこに芸術点などというものは無い。ルイズが以前予想した通り、シンジは第一から第三までの演目は最高得点だったが、無視をされた。
無論生徒たちは、そんな選考基準があることなどは知らない。だが、こんなことは貴族の家に生まれたならば、家庭で教わるべき常識である。と、言うことになっている。

アンリエッタは、ルイズとその使い魔に何か特別賞でもと持ちかけたが、なぜか学院長のオスマン氏が、それをやんわりと断った。

それはさておき、今年の使い魔品評会、最優秀者は使い魔の新しい運用方法の可能性を見せたギーシュ・ド・グラモン。次席には、召還したばかりの風竜をやすやすと操り、その技量で審査員の度肝を抜いたガリアの留学生タバサ。三席にはスキュアを操って見せた、水系統の生徒が座り、ほぼ下馬評どうりの順当な結果に終わった。





「残念でしたね」
「なんだったのよ、あのスタンディングオベーションは!!」

ルイズは、自分の部屋で怒り狂う。シンジにとっては拍手と賞賛のみで十分満足だったが、主人はそうは行かないようだ。
ルイズは一人ベットの上でじたばたしていると、ドアにノックの音がした。

「誰でしょう?」

シンジはルイズと顔を見合わせる。ノックは規則正しく叩かれた。

“コン、コン、コココン”

ルイズの顔がはっとした。急いでドアを開く。
そこに立っていたのは、真っ黒な頭巾をすっぽりとかぶった、一人の少女だった。



作者です
作中で出したルーン読みはアングロサクソンルーン文字(Wik調べ)の読みを原作一巻51ページの挿絵に在るガンダールブのルーンに無理やり当てはめたものです。
ちなみにXはエクスとは読みませんし、左から二番目のルーンは見当たらなかったので無視しております。



[10793] 第十七話 王女の依頼
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:92c06cc6
Date: 2013/03/10 05:37


夜中にノックの音がした。ノックは規則正しく叩かれた。 
始めに長く二回、それから短く三回。ルイズの顔がはっとした。急いでドアを開く、そこに立っていたのは、真っ黒な頭巾をすっぽりとかぶった、少女だった。

辺りをうかがうように首を回すと、そそくさと部屋に入ってきて、後ろ手に扉を閉める。
シンジは脇に釣ってあるナイフを引き抜き、すぐさま謎の少女とルイズの間に入り込み盾となる。

「ルイズさん!下がって!!」

だがそんな、シンジを押しのけルイズは前に出る。

「……あなたは!?」

少女はその誰何の声には答えず、口元に指を立てる。頭巾と同じ漆黒のマントの隙間から、魔法の杖を取り出すと、軽く……。
振るう前に、ひゅっと風を切る様な音と共に杖を奪われていた。

「申し訳ありませんが、主の部屋での魔法の使用はお控えください。どちら様でしょう?」

頭巾の少女は、驚き口を開いたまま固まった。
件の使い魔はルイズのやや斜め後ろに立ち、とてもその位置から手が届くわけが無い。
しばらくして諦めたように、頭巾を外す。
シンジはうっと息を呑む、先ほどの舞台の上で見たこの国の王女様だった。

「姫殿下!ど、どうかご無礼をお許しください!」

ルイズはシンジの頭を抑え、あわてて二人で膝をつく。シンジは何がなにやらわからない。
頭がついていかない。そんな二人を尻目にアンリエッタは涼しげな、心地よい声で言った。

「久しぶりねルイズ・フランソワーズ。それとすばやい使い魔さん、杖を返していただけるかしら?」



第十七話 王女の依頼



アンリエッタは、跪くルイズを見て、感極まった表情を浮かべてルイズを抱きしめた。

「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」
「姫殿下、いけません。こんな下賎な場所へ、お越しになられるなんて……」

抱きつかれながら、ルイズは緊張した声で言った。

「ああ!ルイズ!ルイズ・フランソワーズ!そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい!あなたとわたくしはおともだち!おともだちじゃないの!」
「もったいないお言葉でございます。姫殿下」

態度を和らげるよう促すアンリエッタにしかし、ルイズは堅い口調のまま返す。
そんな二人の様子を、シンジはぼけっと眺めていた。

「やめて!ここには枢機卿も、母上も、あの友達面してよってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族たちもいないのですよ! ああ、もう、わたくしには心を許せるおともだちはいないのかしら。昔なじみの懐かしいルイズ・フランソワーズ!あなたにまで、そんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」
「姫殿下……」

どこか逼迫した様子の王女に、ルイズは顔を上げた。
 
「幼い頃、いっしょになって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの!泥だらけになって!」

 はにかんだ顔で、ルイズが応えた。

「……ええ、お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ボルトさまに叱られました」

「そうよ!そうよルイズ!ふわふわのクリーム菓子を取り合って、つかみ合いになったこともあるわ!ああ、よくケンカになると、いつもわたくしが負かされたわね。あなたに髪の毛をつかまれて、よく泣いたものよ」
「いえ、姫様が勝利をお収めになったことも、一度ならずございました」

懐かしそうに言うルイズ。 どうやら二人は、すっかり思い出話に花を咲かせたらしい。

「失礼、姫さま……シンジ、何か静かな曲をやってくれる」

簡易な「サイレント」のつもりでシンジに命令する。

「まあ、そういえば、あなたの使い魔さんは音楽家だったわね。そうそうちょっと失礼。
よいかしらルイズ……、と使い魔さん」

杖を取り出し、目線で魔法使用の許可を求める。無論シンジに否はない。アンリエッタは立ち上がると、シンジから取り戻した魔法の杖をふり、同時に短くルーンをつぶやく。 

「……ディテクトマジック(探知魔法)?」
「どこに耳が、目が光っているかわかりませんからね」

部屋のどこにも魔法による監視や、のぞき穴が無いことを確かめる。

「ルイズさんて、実はスゴイ人?」
「ぜんぜん。 姫さまご幼少のみぎり、恐れ多くも遊び相手を務めさせていただいただけよ」

そして、アンリエッタに向き直る。

「でも、感激です。姫様が、そんな昔のことを覚えてくださってるなんて……。わたしのことなど、とっくの昔にお忘れになったのかと思いました」

王女は深いため息をつくと、ベッドに腰掛けた。

「忘れるわけないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。なんにも悩みなんかなくって」

深い、憂いを含んだ声であった。

「姫さま?」

ルイズは心配になってアンリエッタの顔を覗き込む。

「あなたが羨ましいわ。自由って素敵ね、ルイズ・フランソワーズ」
「なにをおっしゃいますの。あなたはお姫様じゃない」
「王国に生まれた姫なんて、籠に飼われた鳥も同然。飼い主の機嫌ひとつで、あっちに行ったり、こっちに行ったり……」

窓の外の月を眺めながら、寂しそうに言うアンリエッタ。

「結婚するのよ。わたくし」
「……おめでとうございます」

 その声に悲しいものを感じたルイズは、沈んだ声で返した。重い空気が辺りを包む。さらに加重をかけるかのように、アンリエッタの深いため息が、部屋に響いた。めでたい話をしたばかりだというのに。アンリエッタを案じたのか、ルイズが訪ねた。

「姫さま、どうなさったんですか?」
「いえ、なんでもないわ。ごめんなさいね、いやだわ、自分が恥ずかしいわ。あなたに話せるようなことじゃないのに、わたくしってば」
「おっしゃってください。あんなに明るかった姫さまが、そんな風にため息をつくってことは、なにかとんでもないお悩みがおありなのでしょう?」
「……いえ、話せません。悩みがあると言ったことは忘れてちょうだい。ルイズ」
「いけません!昔はなんでも話し合ったじゃございませんか!わたしをお友達と呼んでくださったのは姫さまです。そのお友達に、悩みを話せないのですか?」

ルイズがそう言うと、アンリエッタは嬉しそうに微笑んだ。

「わたくしをお友達と呼んでくれるのね、ルイズ・フランソワーズ。とても嬉しいわ」

アンリエッタは決心したように頷くと、語り始めた。

「今から話すことは、誰にも話してはいけません」

それから、シンジのほうをちらっと見た。

「姫様、ルイズさん。僕は席を外したほうがよろしいでしょうか?」

構えていたチェロを離し、魔剣を掴んで訊ねるシンジに、アンリエッタは首を振った。

「いいえ、メイジと使い魔は一心同体。席を外す理由がありません」
 
そして、物悲しい調子で、アンリエッタは語り出した。

「わたくしは、ゲルマニアの皇帝に嫁ぐことになったのですが……」
「ゲルマニアですって!」

ルイズは驚いた声をあげた。ルイズはゲルマニアが大嫌いである。

「あんな野蛮な成り上がりどもの国に!」
「そうよ。でも、しかたがないの。同盟を結ぶためなのですから」

アンリエッタは、ハルケギニアの政治情勢を、ルイズに説明した。
アルビオンの貴族たちが反乱を起こし、今にも王室が倒れそうなこと。反乱軍が勝利を収めたら、次にトリステインに進行してくるであろうこと。それに対抗するために、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶことになったこと。同盟のために、アンリエッタ王女がゲルマニア皇帝に嫁ぐことになったこと。

「……そうだったんですか」

ルイズが沈んだ声で言った。アンリエッタが結婚を望んでいないのは、口調から明らかであった。

「いいのよ。ルイズ、好きな相手と結婚するなんて、物心ついたときから諦めてますわ」
「姫さま……」
「礼儀知らずのアルビオンの貴族たちは、トリステインとゲルマニアの同盟を望んでいません。二本の矢も、束ねずに一本ずつなら楽に折れますからね」
「……したがって、わたくしの婚姻をさまたげるための材料を、血眼になって探しています」
「もし、そのようなものが見つかったら……いえ、まさか?」

その材料が存在するというのだろうか?ルイズは顔を蒼白にしてアンリエッタの言葉を待つ。返事は、アンリエッタの悲しそうな頷きと共に始まった。

「おお。始祖ブリミルよ……、この不幸な姫をお救いください!」

王女は顔を両手で覆うと、床に崩れ落ちた。随分と芝居がかった仕草だ。

「言って!姫さま!いったい、姫さまのご婚姻をさまたげる材料ってなんなのですか?」

ルイズも興奮した様子でまくしたてる。両手で顔を覆ったまま、アンリエッタは苦しそうに呟いた。

「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです」
「手紙?」
「そうです。それがアルビオンの貴族たちの手に渡ったら……、彼らはすぐにゲルマニアの皇室にそれを届けるでしょう」
「どんな内容の手紙なんですか?」
「……それは言えません。でも、それを読んだら、ゲルマニアの皇室は、このわたくしを許さないでしょう。ああ、婚姻はつぶれ、トリステインとの同盟は反故。となると、トリステインは一国にてあの強力なアルビオンに立ち向かわねばならないでしょうね」

ルイズは息せき切って、アンリエッタの手を取った。

「いったい、その手紙はどこにあるのですか?我がトリステイン王国に危機をもたらす、その手紙とやらは!」

 アンリエッタは、首を振った。

「それが、手元にはないのです。実は、アルビオンにあるのです」
「アルビオンですって!では!すでに敵の手中に?」
「いいえ、その手紙を持っているのは、アルビオンの反乱勢ではありません。反乱勢と骨肉の争いを繰り広げている、王家のウェールズ皇太子が……」
「プリンス・オブ・ウェールズ?あの、凛々しき王子さまが?」

アンリエッタはのぞけると、ベッドに体を横たえた。

「ああ!破滅です!ウェールズ皇太子は、遅かれ早かれ、反乱勢に囚われてしまうわ!
そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう!そうなったら破滅です!破滅なのです!同盟ならずして、トリステインは一国でアルビオンと対峙せねばならなくなります!」

ルイズは息を呑んだ。

「では、姫さま、わたしに頼みたいことというのは……」
「無理よ!無理よルイズ!わたくしったら、なんてことでしょう!混乱しているんだわ!考えてみれば、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険なこと、頼めるわけがありませんわ!」
「何をおっしゃいます!たとえ地獄の釜の中だろうが、竜のアギトの中だろうが、姫さまの御為とあらば、何処なりともむかいますわ!
姫さまとトリステインの危機を、このラ・ヴァリエール公爵家の名にかけてルイズ・フランソワーズ、見過ごすわけにはまいりません!」

ルイズは再度膝をついて、恭しく頭を下げた。

「このわたくしめに、その一件、是非ともお任せくださいますよう」
「このわたくしの力になってくれるというの?ルイズ・フランソワーズ!懐かしいお友達!」
「もちろんですわ、姫さま!」

ルイズがアンリエッタの手を握って、熱した口調でそう言うと、アンリエッタはぼろぼろと泣き始めた。

「姫さま!このルイズ、いつまでも姫さまのおともだちであり、まったき理解者でございます!永久に誓った忠誠を、忘れることなどありましょうか!」
「ああ、忠誠。 これがまことの忠誠です!感激しました。わたくし、あなたの友情と忠誠を一生忘れません!ルイズ・フランソワーズ!」

シンジはそんな二人を見て、半ば呆れ気味に呟いた。

「なんか、お芝居でも見てるみたいだな」

シンジのチェロをBGMに、アンリエッタとルイズの気持ちも高まってきたのだろうか。遠い世界へ旅立っている二人には、聞こえなかったようだ。そのかわり、傍らのデルフリンガーが応えてくれた。

「自分の言葉に酔ってんだろうさ。それより相棒、いいのかい?お前さんのご主人様は、自分から戦争中のアルビオンに行くと言ってるぜ」
「あっ」
「となりゃ当然、使い魔のお前さんも、その相棒の俺も行くことになる。俺としちゃあ、やーっと使ってもらう絶好の機会だからいいけどよ」

ルイズは、王女さまのためならどこへだって行くとは言っていたけれど……。
どうにも勢いで言っているような気がする。これはさすがに、放ってはおけない。

「姫様!」
「何でしょう、使い魔さん」
「ルイズさんは学生です。明日も明後日も授業があります。……だから、だから代わりにぼくが……へぶぅ!」

いいのが一発、シンジの腹に決まった。

「それは、王家の秘術アミアン・パンチ!!ルイズ、あなたいつの間に自分の物に!」

アンリエッタが、ギリっと奥歯をかみ締める。
それは、遠い昔ルイズがアミアンの包囲戦といわれる一戦でアンリエッタよりもらった一発。
その、完璧なコピーだった。だが、体重差ゆえか気絶とまでは行かなかったようである。

「だめよシンジ。今度ばかりはだめ」
「構いません、ルイズ。主人の身を案じるのは、使い魔として当然のこと。けれど……」
 
しばし黙考して、アンリエッタはルイズに言った。

「ごめんなさいルイズ。やっぱり、あなたには頼めない」
「そんな、姫さま!」

ルイズは悲鳴にも似た声をあげた。アンリエッタは、まるで夢から醒めたような面持ちで、ルイズを見つめた。

「あなたの言葉には、わたくし本当に感動したわ。だけど……いいえ、だからこそ、あなたには頼めない」
「それでは手紙は……、この国の未来は、どうなさるのですか!?」

 ルイズの問いに、アンリエッタは苦い顔になった。他に頼める者は居ないのだろう。
おそらくルイズが依頼を受けたのも、王女さまに直に会えた懐かしさと、覚えてもらっていた嬉しさ。 
シンジは腹をさすりながら、これまでのルイズを思い出して、改めてそう思った。
ちょっと無鉄砲で、負けず嫌いなところがあるけれど。ルイズはやさしい、そして強い女の子だ。でもちょっと寂しい学校生活を送ってきた女の子でもある。
それが要因になったのは、間違いない。だけど、きっとルイズは、それがなくても依頼は受けたんだろう。彼女は何より、名誉に飢えている。
昔の知り合いの赤毛の女の子のように。

「だけど手紙を取りに行かないと、この国が危なくなるんですよね?だけど、ルイズさんを行かせたくないってのは、僕も同じ気持ちです。僕も、ルイズさんに死にに行くような真似はして欲しくないし、もちろん死んで欲しくなんかない」

ルイズはシンジをキッと睨みつける。

「使い魔だけを危地に向かわせるなんて、そもそも主人のすることじゃない。それにもともと、わたしが受けた依頼なのよ」
「なに言ってるんです。こんなときのための使い魔でしょう」
「あんた一人でウェールズ王子のところまで辿り着けたって、信用してもらえるかしら?」
「それは、……ルイズさんでも一緒でしょう。ただの学生に過ぎないんですから」
「あんたね……」

ルイズは胸を張って自信満々に言った。

「わたしはトリステイン貴族。それも、由緒ある公爵家の三女。あんたには無い信用と、もちろんラ・ヴァリエール家の知名度もある」

ぐ、とシンジは思わずつまった。 しかし、簡単に頷くわけにもいかない。しかしそれはルイズも同じ。
どちらも一歩も譲る様子はなく、アンリエッタなど、睨み合う二人に挟まれて、困惑してしまっていた。すると、ルイズの部屋の扉が勢い良く開かれる。

「君たちいい加減にしないか!姫殿下の前でみっともない!」

ルイズとシンジに造花の薔薇を突きつけて、いきなり入ってきたのは、なんとギーシュであった。






「……って、ギーシュ、なんでここに?ここ、女子寮よ?」
「あ、ああ。いやなに、薔薇のように見目麗しい姫さまのあとをつけてみればこんな所へ来てしまうじゃないか。それでドアの鍵穴からまるで盗賊のように様子を伺っていれば……まったく、君たちは」

 ギーシュが嘆息交じりに呟く中、ルイズは歯噛みした。

「姫さま、どうされます?話を聞かれてしまっていたようですが……」
「え、ええ」

アンリエッタはやはり困惑気味に相槌を打った。まだルイズとシンジの話にも、決着はついていないというのに。

「姫殿下!その困難極まりない任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう!」
「え?あなたが?」
「ギーシュ、だめよ!」

しかしギーシュは薔薇をルイズとシンジに突きつけながら答えた。

「僕は自分が未熟なドットメイジなのは承知しているが、少なくとも、姫殿下の御前で口論しだすようなメイジと、その使い魔よりは役に立つつもりさ」

そんな科白に、ルイズは思わず頬を染め、臍をかむ。

「グラモン?あの、グラモン元帥の?」

 アンリエッタが、きょとんとした顔になってギーシュを見つめた。

「息子でございます。姫殿下」

恭しく一礼するギーシュ。まぁ、と笑うアンリエッタ。しかし、これは願ってもない話だ。
まだ学生の身ではあるが元帥の子息ともなれば、ルイズやその使い魔よりは、まだ頼れる人材に思える。彼の、王女たる自分を前にして、堂々とした態度もどこか頼もしい。
おまけに今年の使い魔品評会最優秀者でもある。
気疲れし、判断力が鈍くなったアンリエッタの瞳には、大層好ましく映った。

「わたくしの力に、なってくれますの?」
「姫さま!?」

 ルイズが悲鳴にも似た声を再度挙げる。

「任務の一員にくわえて頂けるならば、望外の幸せにございます」

熱っぽい口調のギーシュ。 しかし、

「ちょっと待ってギーシュ。まさかとは思うけど……一緒に?」
「なんだい、君なんて一人で行くなんて言ってるくせに。いくら以前、決闘で負けたとはいえ、使い魔の君に心配されるほど落ちぶれちゃいない。当然、ぼくの使い魔は連れて行くさ。心配ならいらないよ?」
「なに言ってんのよ。シンジに手も足も出なかったって言うじゃないの。そのくせアルビオンに乗り込もうだなんて、頭沸いてんじゃないの?」

 さらにルイズが一撃を加える。ギーシュは顔をしかめたが、すぐに余裕の表情をつくった。

「その言葉、そっくりお返しするよ。聞けば連日図書館でさまざまな資料を漁ったり、森のほうで猛練習を重ねているようだけど、肝心の魔法の方は相変わらずさっぱりだそうじゃないか。魔法ひとつ満足に成功させられないのに、未だ内乱収まらぬアルビオンに行こうとは。いくら使い魔君の腕が立つと言ったって、無謀だとぼくは思うね。
それに、いまだ彼の教育もできてないと見える。よもや、姫殿下の前であんな見苦しい口論を始めるとは」

 やれやれと首を振った後、次いでシンジを見やった。

「君も君だ。姫殿下も仰られていただろう?メイジと使い魔は一心同体なんだ。危地に赴くのであれば、尚更さ。 シンジ、僕は君を、勝手にロバ・アル・カリイエのどこかの国の貴族かと思っていたんだ。今はどうあれね。だが、名誉無き貴族は貴族にあらず。それをいまいち理解していないように見受けられる。さしものルイズとて、貴族たる者の覚悟くらいは出来ているだろう。なら君も、せめて主人を、その名誉を守りきるくらいの気概を持ってはどうかね?」

そうギーシュに言われ、二人は憮然とした顔を向けた。シンジにいたっては内心自分をあざ笑っていた。

(貴族だって?僕は奴隷ですらなかった。父の道具にして、人類補完計画の神に捧げれし生贄の羊。それが僕だ。生贄の羊は命を奪われる、僕は死を奪われ放置された。永遠の孤独と言う名の地獄に……)

「って、あれ。 じゃあ何で……?」

急にわいた疑問。
サードインパクトは生き物すべてのATフィールドを奪い、自分に集約して起こったものだ。
自分の体は、ゼルエル戦の後、エヴァに取り込まれ、その後サルベージしたもの。リリスクローン、エヴァ素体の細胞をシンジの魂に集約して作った。人の形をした使途、それともエヴァの肉体に人の魂を乗せたものと言うべきか。
そして、サードインパクトのあの日、アダムの遺伝子までもその体に練りこまれ、S2機関を体内に発生させた永遠の時の囚人。そして、肉体はその魂の形に帰する。
だが、シンジにATフィールドが集約している以上、生命の自然発生はありえないのではないか? LCLは確かに生命のスープだが、そのままではいつまでたっても微生物一匹生まれはしない。
だがシンジの思考はここまでで、アンリエッタの声に邪魔をされた。

「頼もしい使い魔さん、勇敢なるミスタ・グラモン」
「「はい?」」
「わたくしの大事なお友達を、これからもよろしくお願いしますね」

そして、すっと左手を差し出した。ルイズは驚いた声を出す。

「いけません姫様!そんな、使い魔やただの学生にお手をゆるすなど!」
「良いのです。彼等はわたくしのために働いてくれるのです。忠義には報いるところが無くてはなりません」

ギーシュは手馴れたしぐさで、アンリエッタの手を取ると、自らの片膝を付き、臣下の礼をとってその手の甲に口付けした。そして、アンリエッタはシンジにもそれを促す。
だが、シンジはそれを拒否した。

「僕は結構です。 ご褒美はどうぞルイズさんとギーシュさんにお願いします」
「まあ、わたくしに忠誠を誓っては頂けないのですか」

そういわれ、シンジは少々眉をひそめるが、必死に言葉を選ぶ。

「僕はルイズさんの使い魔です。ですから、主が忠誠を尽くす方には、僕も忠誠を尽くします
また、忠誠の報酬は主のみより受け取ります」

ゆっくりと、どもりながらも静かにそう告げた。そのセリフを聞き、アンリエッタとギーシュはルイズに視線を向ける。

「なっ!ううん、いいわ。そういうやつだものね。シンジ、あなたは忠誠の報酬に何を欲しいの」

いささか頬を染め、そう返した。だが、シンジは無表情に、

「もう、ルイズさんには貰っています。 あとは一生かけてそれを返していくだけです」

そう言った。





「それでは姫さま。 この三名で任務を執り行いますが……急務と考えてよろしいですね?」
「え、ええ。アルビオンの貴族たちは、王党派を国の隅にまで追い詰めていると聞き及びます。敗北も時間の問題でしょう」

ルイズは真顔になると、アンリエッタに頷いた。

「早速明日の朝にも、ここを出発いたします」

アンリエッタはしばし三人の顔を見渡し、やがて頷いた。

「ありがとう」

 ルイズとギーシュの顔が、明るくなった。

「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及んでいます」
「了解しました。以前、姉たちとアルビオンを旅したことがございますゆえ、地理には明るいかと存じます」
「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族たちは、あなたがたの目的を知ったら、ありとあらゆる手を使って妨害しようとするでしょう」

 ギーシュがごくり、と唾を飲んだ。
アンリエッタは机に座ると、ルイズの羽ペンと羊皮紙を使って、さらさらと手紙をしたためはじめた。
 
「デルフ、姫様は何を?」

シンジは小声でデルフにささやくように聞く。

「皇太子から、手紙を返還してもらうための依頼状だろ。姫さん直筆のものなら、信用はなにより高いしな」
「なるほど……じゃあ、あれがあれば」
「あれだけあっても、あんた一人じゃ結局信用されないでしょうね。然るべき人物が届けてこそ、意味があるのよ」

いつの間にそばに来たのか。ルイズが真後ろに立っていた。即座に釘を刺され、シンジは肩を落とした。

「いい加減、覚悟決めなさいよね」

 そうこうしてるうちに書き終えたアンリエッタは、自分の書いた手紙をじっと見つめ……、そのうちに、悲しげに首を振った。

「姫さま、どうなさいました?」
「な、なんでもありません」

 アンリエッタは顔を赤らめると、決心したように頷き、末尾に一行付け加えた。それから、小さい声で呟く。

「……始祖ブリミルよ。この自分勝手な姫をお許しください。でも、国を憂いても、わたくしはやはり、この一文を書かざるをえないのです。自分の気持ちに、嘘をつくことはできないのです」

 密書だというのに、まるで恋文でもしたためたようなアンリエッタの表情だった。ルイズはそんなアンリエッタをじっと見つめるばかり。
 アンリエッタは手紙を巻くと、杖を振って、巻いた手紙に封蝋をし、花押を押した。その後に、ルイズに手渡した。

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」

 それからアンリエッタは、右手の薬指から指輪を引き抜くと、それもルイズに手渡した。

「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って旅の資金にあててください」

 ルイズは深々と頭を下げた。 シンジとギーシュも、それに続いた。

「この任務には、トリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、あなたがたを守りますように」







作者です。
今回、ほとんど原作の丸写しになりました。
どうぞ、ご容赦を。



[10793] 第十八話 アルビオンヘ その1
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:92c06cc6
Date: 2013/03/10 05:39


朝もやの中、シンジとルイズとギーシュは馬に乗り、学院より出発した。
シンジは、以前に買ってもらった投げナイフやら、ギーシュに作ってもらったコンバットナイフやらを服の中に隠し、それらを上着で隠す。そしてしゃべる魔剣デルフリンガーを背負う。
財布には、平民であれば一家四人が1年ほどは暮らせる金額を入れてある。それを、三人ともベルトにつけた皮の入れ物に入れる。ルイズなどは、財布を自分で持ち歩くことに難色を示したが、リスクの分担をシンジに説明され、ギーシュがそれに賛同を示したため、仕方なく了承した。
もう少しで、学院が見えなくなるぐらい離れたところで、シンジはあることを思い出した。

(そういえばギーシュの使い魔はどうしたのかな。連れて行くといっていたのに。)

「ギーシュ、ヴェルダンデはどこ?」
「僕の可愛い、そして今年度最優秀使い魔を見たいのかね、シンジ」

シンジはブンブンと首を縦に振り、肯定する。ギーシュはやれやれ困ったものだ、と言うしぐさで首を振るが、その口元はにやけ締りがない。

「ふっ、仕方がない。見せて上げよう。いでよ!マイ ファミリア・オブ・グローリー。ヴェルダンデ!」

ギーシュは、杖を地面を地面に向けると、もこもこと地面が盛り上がり、茶色の大きな生き物が顔を出す。言わずとしれた、ギーシュの使い魔、ジャイアントモール(巨大モグラ)のヴェルダンデだった。大きさは小さな熊ほどもある。完全に地面から上がると、ブルブルっと体をゆすり土を落とす。
モグラであるがゆえ、むにゅむにゅにしてぷにぷに!おまけにふかふかのもふもふ。
愛らしい、くりくりとしたその瞳はまるで黒真珠をはめ込んだようだ。
ギーシュはさっと馬から下りて膝をつくと、ヴェルダンデを抱きしめた。

「ヴェルダンデ! 僕の可愛いヴェルダンデ!ああああああ!もふ!もふ!もふもふもふもふもふもふ!」

抱きしめ、ついで全身を撫で回し始めた。
あまりにもあんまりな、その光景にルイズは眉をしかめる。

「ギーシュ! ギーシュ!」

シンジがギーシュの名を呼ぶ。

(さすが、我が使い魔、少し自重するよう言って頂戴)

ルイズが願いをこめてそう思う。

「なんだね!僕とヴェルダンデとの仲を邪魔しないでくれたまえ!」
「ぼ、僕もいいかな?」
「ああああああ、僕のヴェルダンデの魅力に気づくとは、やはり君は只者じゃないな。しかし、まあいいだろう。バラは多くの人を楽しませるために咲くのだから。じゃあ、改めて」

「「もふ!もふ!もふもふもふもふもふもふ!もふ!もふ!もふもふもふもふもふもふ!。 
もふ!もふ!もふもふもふもふもふもふ!もふ!もふ!もふもふもふもふもふもふ!。
 ああああああああ」」


爆発が、学院から少し離れた西の森に響き渡る。


第十八話 アルビオンへ その1


「ほう、平民に化けて潜入する作戦か。でも少しボロボロすぎやしないかね」

言い訳はもちろん、ルイズの目線によって封じられている。

「えー、いやその、ワルドさんこそ、あんまりこれから潜入任務につくような格好じゃ在りませんよね」

目の前にいるのは、女王陛下直属、魔法衛士隊の一角グリフォン隊、その隊長であるワルド子爵である。途中で、と言うか。 西の森での爆発音のおかげで合流できたのだが、羽かざりの付いた帽子に両肩にグリフォンの刺繍入りの黒マントと魔法衛士隊そのままの格好である。

「なにせ、護衛任務の最中に突然言われたものでね。 ま、ラ・ロシェールに着いたら古着でも買うことにしよう。 隊員服とマントは騎士の詰め所にでも置いて貰うさ」

「ワルド様……」

ルイズが、震える声で言う。

「久しぶりだな!ルイズ!僕のルイズ!」

ワルドは人懐っこい笑みを浮かべると、ルイズに駆け寄り、抱え上げた。

「お久しぶりでございます」

ルイズは頬を染めて、ワルドに抱きかかえられている。

「相変わらず軽いな君は!まるで羽のようじゃないか!」
「恥ずかしいですわ、ワルド様、見られております。どうかお下ろしになって」

ワルドは笑いながら、ルイズを下ろす。

「任務の大方は聞いているが、改めて彼等を僕に紹介してくれたまえ」
「あの……クラスメイトの「青銅」のギーシュ、ギーシュ・ド・グラモンです」

ルイズがおずおずと、まずはギーシュを紹介する。

「はじめまして、魔法衛士グリフォン隊、その隊長であるワルド子爵ですね。父よりお噂はかねがね……」

さっと、腰をかがめ挨拶を交わす。普段は、おちゃらけた所もあるギーシュだが、こう言う場面では中々どうして押し出しも立派である。 
軍人の家系と言っていたが、家庭の環境のおかげか、自分の遥か高みにある魔法衛士隊の隊長を前に、物怖じもしない。

「父より? ああグラモン閣下か。良き噂であることを願うよ。それより、君の使い魔の扱いは中々見事だった。そのアイデアだけでなくね。今年の最優秀者なのも頷ける。 この任務においても期待させてもらうよ」
「お恥ずかしいものをお見せしました。わたくしも学院卒業後は軍に行くことになると思いますので、この任務でより高みに上りたいと存じます」
「そして、彼が……」
「うん、君の使い魔たるシンジ君だね。昨日の品評会では驚かされたよ」

ワルドは気さくな感じでシンジに近寄った。

「僕の婚約者が、お世話になっている」
「え?」

目つきは鋭く、鷹のように光り、逞しい体つきで、形のいい口ひげが男らしさを強調している。
背も高く、近づかれるとまるっきり大人と子供である。

(婚約者!このかっこいい大人の貴族の人が!)

シンジは一瞬驚くが、にっこりと笑い、

「はじめまして、ルイズさんの使い魔シンジです。どうかよろしくお願いします。それと、お世話になっているのは僕のほうです」

深々と頭を下げた。その様子を見て、ルイズはホッと一安心する。
使い魔の性質上、あるいは特性として、主人を好きになってしまう。それがゆえ、その恋人あるいは配偶者に嫉妬してしまうことがままあるため、変に反発してしまうのではないかと心配していたのだ。だが、この様子なら旅の道中うまくやっていけそうだ。

「ルイズさんの婚約者でしたら、僕の主人も同然です。何か御用がありましたら、何なりとお命じください。それと、貴方のことはなんとお呼びすれば?」
「ええ!!?」

そんなシンジのセリフを聞いてルイズが仰天する。 それどころか、逆にワルドに嫉妬してしまう。そんなルイズの様子を見たワルドが首を傾げるが、取りあえずシンジに返答した。

「うむ、その時はよろしく頼もう。 君はなかなか博識と聞いているから、その知識が役にたつことも有るだろうからね。 ああ、僕の事はワルドでかまわんよ」
「はい! ワルドさん。ワルドさんの魔法系統とレベルを聞いてもよろしいですか」
「ほう、興味があるかね?僕は最速の系統「風」、風が四つのスクエアだ。二つ名は「閃光」を頂だいしているよ」
「ウインド・スクエア、ほぼ、最強じゃありませんか?!」
「はっはっは、また古風な言いかたを。だが、そうだな……僕の理想としては「水」が一つ欲しかったな。知っているかもしれないが、他系統が入ると戦術の幅が広がるし、水が入った系統合成メイジは魔法の制御力が繊細かつ精密になるからね。だからこそ、古代では魔法を支配する者(ヘルシャア)と呼ばれたのさ。
それと、シンジ君、そのレベルだけを聞いて強さの過多を決めるのは危険だぜ。こんな諺を聞いたことはないかな、『危険な魔法などはない、危険な人間がいるだけだ』とね。
僕ら魔法衛士隊は、精神力が切れても、杖が折られても、針一本、石ころ一つ持てば危険な人間になるよう訓練されているのさ。道中、敵のメイジに襲われて、その杖を奪っても油断してくれるなよ」
「はい、ご忠告いたみいります」

(いい人だなぁ。そっかぁ、ルイズさんはこの人と結婚するのか。そして幸せになるんだなぁ)

そう思ったら、少しうれしくなった。過去シンジの周りにいた女性で幸福といえる女性は一人も居なかった。エヴァに消えた母。父に利用され捨てられた、赤城博士。上司にして、セカンドインパクトで人生を狂わされ、使徒への復讐に人生を費やした葛城ミサト。エヴァパイロットにしてセカンドチルドレン、戦いの最後には心を壊した同僚の惣流・アスカ・ラングレー。同じく、エヴァに取り込まれた母をサルページしようとして、結果エヴァより生み出されたファーストチルドレン綾波レイ。その正体は……。
誰も彼も、幸せとはほど遠かった。少なくともシンジにはそう思えた。そしてそんな不幸せな女性を見ているのが辛かった。

だからこそシンジは、この美しき世界を見せてくれたルイズには、幸せになってもらいたかったのだ。





「……学院長、この二名をわたくしの名の下に徴役いたします」
「理由は、話しては頂けないのですかな……」
「……国家の……為であるとだけ」
「それで、彼等の親御さんたちが納得すると、本気でお思いで?」
「他に道はないのです。 どうかお分かりになって」
「……」

オスマンは頭を抱えたくなる。夜も明けない朝方にたたき起こされ、学院の生徒二名を徴集するとだけ伝えられ、どこに行かされ、何をさせられるのか何一つ教えては貰えず、それで納得しろという。
アンリエッタの様子をうかがう限りでは、おそらくは重大時であろう事は想像がつく。

国の方針に従い、王の命令を実行するのは貴族の務めだが、彼等は未だ学生である。
フーケの時は、ルイズの意気を汲んで思わず討伐隊の参加を承諾してしまったが、もし、あのままルイズが討伐隊としてフーケを捕まえに行き、何かあった場合を想定すると、さしものオスマンも背筋に冷たいものが流れる。

それに、タバサ、キュルケとも外国の有力貴族の子息である。こちらも、彼女らにつく傷一つでオスマンのクビ一つでは済まなかったであろう。命に貴賎は無いなんて言うのは、この国では建前ですらない。せめて、あの使い魔の少年が気を利かせ、こちらに相談の一つもしに来てくれれば、後は何とでも仕様があるのだが。

さっきからモートソグニルを呼び出しているが、反応が無い。此処の所こき使っているせいか、目下爆睡中であるらしい。秘書のミス・ロングビルは、先日より休暇を取っている。もしいても、こんな早朝に、起こす訳には行かないが。

「どうか姫様、お考え直し下さらんか」
「もう、杖は振られたのです。 われわれに出来ることは、もう祈ることだけです」

(いやいや、その前に出来ることはいくらでもあるでしょうが!)

そうは思っても、口には出せない。だが、こうなってはさしものオスマンも祈るしかない。祈る相手は神ではなく、

「頼むぞ、伝説の使い魔の少年よ・・・」





魔法学院を出発して以来、ギーシュもシンジも、そしてワルドもその乗馬を疾駆させっ放しである。シンジは馬に乗り込むと、『ヴィンダールブ』が発動し、馬はその底力の底の底までひねり出す。
ギーシュは軍用式乗馬術を駆使し、自分と馬に微弱な「レビテーション」を掛け馬の負担をギリギリまで減らしていた。これは、浮かすまでは行かないが、おおよそ馬の体重を半分ほどにする。ワルドとルイズの乗馬する若いグリフォンは、元々タフな幻獣であり疲れを見せずに走り続ける。

最初の3時間ほどは、三匹とも余裕で並んでいたのだが、最初にへばったのはシンジの馬である。次いでギーシュの馬もへばり始めた。グリフォンとの元々の地力の違いが出てきたのである。
途中の駅で一度、馬を変える。ギーシュは精神力を小出しに「レビテーション」を掛け続けていたが、そろそろ限界のようだ。

「ちょっと、ペース速くない?」

抱かれるような格好で、ワルドの前に跨ったルイズが言った。雑談を交わすうちに、ルイズのしゃべり方は会って早々の丁重な言い方から、今の口調に変わっていた。ワルドがそうしてくれと頼んだのであるが。

「シンジはともかくギーシュがへばって来てるわ」

ワルドは後ろを向いた。確かに二人のペースは落ち、ギーシュは倒れるような格好で馬にしがみついている。シンジとしては、あまりに急ぐワルドに、あっちのほうの妄想を抱く。

(そっか、久しぶりに、会えたんだもんな。二人っきりになりたいよね)

「へばったら……」
「ワルドさ~ん!」

ワルドが返事を言い掛けたところで、シンジが後ろから大声で呼びかけた。

「なんだね~!!、シンジく~ん!!」
「僕ら、へばっちゃったので先に行ってくださ~い!!」
「なんとか、追いつけないかぁ~!!」
「馬はともかく、人がもう駄目で~す!!ラ・ロシェールの港町で合流しましょぉ~!!ルイズさんをよろしく~!!」

ギーシュが精神力体力の双方でへばってしまったのは本当である。

「わかったぁ~!!ゆっくり来たまえ~!!」

ルイズは使い魔を置いていくなんてと抗議をしたが、急ぎの任務であることは確かであるためそう強くは言えない。ところがワルドは急にペースを落とす。正確にはワルドの乗るグリフォンがであるが。

「どうした、バルバリシア。何をしてる、急げ!もうへばったのか?」

ワルドはグリフォンを叱咤するが、とうとう馬の早足程度のスピードになってしまう。

「バルバリシア、戻ったら、再訓練だ。覚悟しておけよ」

だが、当のグリフォンは、どこ吹く風で「クヶエ~」と鳴くだけだった。すぐにシンジとギーシュの馬が、追いついてきた。

「どうしました、ワルドさん。先に行って下さいって行ったのに」
「んっん~うん、どうやらこいつもへばってしまったらしいな。少し急ぎすぎたか」
「ちょっと、ペース落としましょうか。 考えてみれば僕ら朝ごはんも食べてませんし。僕の国の諺ですが、腹が減っては戦が出来ないっていいますし」
「う~ん、ラ・ロシェールの港町までは、止まらずに行きたかったんだが、仕方ないか。次の宿場駅で食事を取ろう」





四人は食事を終え、ギーシュとシンジはついでに馬を変える。へばっていたギーシュも気合で食事を腹に収めるが、素人目にもすぐに出立できそうにない。1時間ほどの休憩となった。

「少し話でもしないか?」

食事を取った、宿屋のテラスに座り、シンジに手招きをする。

「はあ」
「君から見て、僕はどうだい、ルイズの婚約者として合格かな?」
「僕は、ルイズさんの使い魔で、パートナーの名目は在っても、実質召使いのようなものです。いきなりそんなこと言われても、お答えしようがありません。どうお答えしても、不敬のような気がします」
「いや、そうだな。悪かった。では、別な話をしよう。僕とルイズが結婚したら、君はどうするね?」
「それでしたら、すでに想定済みです。僕は出て行きます。正直、ルイズさんは優しくて、周りのみんなもよくしてくれて、居心地はいいんですけど、でもやっぱり、結婚前の女性と、僕のような得体の知れない人間が一緒に住んでいるって、すごく不自然な感じがしますから」
「出て行って、どこか当てはあるのかね」
「いいえ。頂いたチェロを片手に辻弾きでもやろうかな?」
「だったらどうだい僕の下で働かないか。無論軍人としてだが。おおもちろん、その為には君にはいろいろ学んでもらう必要があるがね。ルイズと離れることもなくなる。 彼女は随分と君を気に入っているようだし、手放すとは思えないからね」
「いろいろ考えてくださって有難うございます。 でもそうですね、少し考えさせてください。でも、僕には軍人は勤まらないと思いますよ。こんな、華奢な体だし」
「なーに、軍の仕事といってもガチンコの殴りっこばっかりじゃない。人間の使い魔なんて、考えてみれば使い道は山ほどあるさ」

つまりは、スパイか。小動物系のほうが向いていそうだが、使い魔の歴史も長く、それなりの対処が取られてしまっている。人間ならば心理的な盲点となり意外と役に立つこともあるかもしれない。まあ、残念ながら彼が期待しているであろう、「感覚共有」がシンジ、ルイズ間では使えないのだが。それとも、自分にこういった話を聞かせることで、ルイズが聞いていると思い自分のいい男っぷりをアピールしているのかもしれない。

(まあ、話半分に聞いておいたほうがよさそうだな)

シンジはそう、結論付けた。





「もう、半日以上、走りっぱなしだ。どうなっているんだ。魔法衛士隊の連中は化け物か!?」

シンジはギーシュと相談し、一頭の馬に二人乗りをしていた。シンジは馬に、ギーシュは「レビテーション」に集中し、お互いの負担を減らしたのだ。このアイデアは当たり、ワルドとルイズの乗るグリフォンにわずかに遅れる程度で済んだ。ワルドも、ある程度はなれるとグリフォンの足を遅らせ追いつくのを待つ(様に見えた)

「軍人さんだからね。体力も技量のうちだと思うけど。ギーシュも、僕と朝ジョキングでもする?ぼくの国の偉大な錬金術師は、“精神を鍛えたければ、まず肉体を鍛えよ”って言ってるよ」

(漫画のセリフだけどね)

「そうだな、考えとくよ」

馬を何度も変え、飛ばしてきたので、シンジたちは、なんとかその日の真夜中にラ・ロシェールの入り口に着いた。

シンジは怪訝そうに辺りを見渡す。港町だというのに、ここはどう見ても山道である。どこにも港ぽい施設や海が見えない。潮の香りがしてこない。月夜に浮かぶ、険しい岩山を縫うようにして進むと、渓谷に挟まれるようにして街が見えた。

港町ラ・ロシェールは、魔法学院から早馬で2日、アルビオンへの玄関口である。港町でありながら、狭い峡谷の間の山道に設けられた小さな町である。人口はおよそ300ほどだが、アルビオンへと行き来する人々で、常に10倍以上の人間が街を闊歩している。

この街は、ある意味土メイジの芸術作品であるといえる。この街に建て並ぶ、一軒一軒が同じ岩から匠の技で削りだされた物であることが、近づくとわかるのだ。

もう少しで、街に入れると思ったときだった。背中のデルフリンガーが、勝手に鞘から飛び出してきた。

「150メイル先!右!崖の上!弓4人! 左!崖の下!剣4人! 相棒!俺を抜け!」
「ギーシュ!そこから動かないで!」

シンジは馬を捨て、走り出した。 先行するワルドたちの下へ。フシュッと音がしたかと思うと、シンジはすでにグリフォンの横に並んで走っている。

「な、なんだ!」

ギーシュがわめく。シンジが乗り捨てた馬は、戦の訓練を受けてはいないが、いななく事も無くスピードを落とし、その場から逃げようとする。
ワルドの騎乗するグリフォンも何か異常な事態を感じ取ったのか、自らブレーキをかける。

「ワルドさん、敵です。 右の崖の上と、左の崖の下に4人ずつ」
「なっ!」
「ルイズさんを頼みます」

言うが早いか、シンジは右の崖の下にいた「賊」たちのもとへ走り、剣を吊り下げるベルトを断ち切っていた。
松明の準備をしていた4人を、デルフリンガーの背で殴りつけ次々と無力化していった。崖の下の四人をすべて気絶ないしは手足を折ると、急いでワルドたちの下へ。
何本かの矢が飛んできている。比較的明るい月夜だったのが災いし、狙いも正確だ。
だが、ワルドは腰の軍杖剣は抜かず、予備であろう普通の杖を脇のホルスターより抜いてエアシールドの魔法を使い、やすやすと矢の軌道を捻じ曲げていた。

「夜盗か、山賊のたぐいか?」

ワルドの呟きに、ルイズがはっとした声で言った。

「もしかしたら、アルビオンの貴族のしわざかも……」
「貴族なら、……いや、そうかもしれん。油断するなよ」

その時、大きな羽音が聞こえた、それもどこかで聞いたことのある羽音である。
崖の上から男たちの悲鳴が聞こえた。いきなり、自分たちの頭上に現れたものに、恐れおののいている声だ。
崖の上の、おそらくは襲撃者であろう男たちは夜空に向けて矢を放ち始めた。しかし、その矢は風の魔法でそらされる。次いで小型の竜巻が舞い起こり、崖の上の男たちを吹き飛ばす。
襲撃者の態勢が崩れたところで、

「タバサ、ありがとう。ダーリンの姿が見えたわ、報酬はいつもどおり水の秘薬でお願いね」
「ん」

そう言って、風竜の背中の少女は、空中に身を躍らせる。















「タバサ、ありがとう。ダーリンの姿が見えたわ、報酬はいつもどおり水の秘薬でお願いね」
「ん」
「キュルケ、知らせてくれてありがとう。追い討ちを掛ける。レビテーションをお願い」

そう言って、風竜の背中の少女は、「コンディセイション」(大気中から水を取り出す魔法)を唱え、空中に身を躍らせる。怒りが、彼女の精神力を底上げし、一時的にレベルを一つ押し上げる。




(火に出会えば、火を滅し。)

「ウォーター!」

(風に出会えば、風をそらし。)

「フォール!」

(土に出会えば、土を削る。)

「ダウーン!!」

(水ってば最強ね!!)




大量の水と共に降りてきたモンモランシーであった。崖の上の襲撃者たちは、手も足も出ず相当量の水の奔流に押し流され、崖下へと転落する。男たちは、硬い地面に体を打ち付けられ、うめきを上げた。
そして、月を背中に見慣れた幻獣が姿を見せる。

「シルフィード!」





襲撃者がすべて無力化されると、やっとギーシュの乗った馬が追いついてきた。デルフリンガーが敵を発見し、すべてが片付くのにゆっくりと10を数えるほどの時間しか、掛かっていない。

「ギーーシュ!!」
「ひっ、モモモモモ、モンモランシィー!ななな、なんでここに?」
「あなた、先日あたしだけって言ったわよね。もう、浮気はしないって二人でお月様にそう誓ったわよね」

ギーシュは、ガクガクと首を振る、肯定の意味なのかモンモランシーが恐ろしいのかは全身を震わせているため良くわからない。

「それが、次の日に違う女と二人っきりで旅行とは、またコケにしてくれたもんね」
「シシシ、シンジも一緒だよ」
「使い魔じゃない!! 数のうちには入らないわ」
「ともかく、誤解だよモンモランシー」
「まあ誤解、あれも誤解、これも誤解。ギーシュのお得意のセリフよね。今度はどう誤解なのか、ちょっと体に効いて見ましょうか」

ギーシュは説得を不可能と見て、逃走を開始した。
それを見てモンモランシーは鼻を鳴らし、軽く呪文を唱えた。彼女の足元に水が集まってくる。ちょっとした酒樽程度の量であろうそれの上に優雅に降り立ち、水操作を開始する。
「ウォーター・スライダー」は俗に、水メイジのフライと呼ばれる呪文で「レビテーション」と水操作を掛け合わせたものだ。短距離なら馬の全力並みのスピードを出す。
必死で走るギーシュの横に、まるで何事も無かった様に並ぶモンモランシー。

「おお、これはこれは、おなつかしいギーシュ様じゃありませんか。 そんなに必死になってどこへ行こうというのですか?」
「ひ、ひぃぃ」

モンモランシーを振り払うようにジグザグに走るギーシュ、そんなギーシュに難なくついていくモンモランシー。そして、非常にいい笑顔で、ギーシュの襟首を掴む。

「つ~か~ま~え~た~」

深夜のラ・ロシェールに男の悲鳴が響き渡った。







作者です。
水メイジのオリジナル魔法「ウォーター・スライダー」
スケートのように水の上を滑るのではなく、水そのものを動かします。水の量は、道路の舗装具合で調節。「フライ」と違い空を飛ぶわけではありませんが、精神力の消費が小さく、短距離移動ならダッシュ力で「フライ」を凌駕します




[10793] 第十九話 アルビオンへ その2
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:92c06cc6
Date: 2013/03/10 05:41


本日の、「金の酒樽亭」は満員御礼だ。
内戦状態のアルビオンから、命からがら逃げ出した傭兵たちで店は溢れている。彼等は皆、王党派についていた。雇い主の敗北が決定的になった会戦のおり逃げ出したのだ。
それは、彼等にとって別段恥じるようなことではない。彼等にとって恥ずべきは、負けた方に付いてしまった事である。
命を金で遣り取りし、生き残れば残りの半金を貰う。うまくいけば、貴族とはいかなくとも 国の兵士として取り立てられ年金をもらえる身分になれるかもしれない。
いってみればギャンブルである。だが今回は負けだ。報酬は前金のみ。本来はこういった逃亡を防ぐため半金とは名ばかりの4分の1ほどであり、それでも尚一人なら1年ほどは暮らしていける金額だった。

「アルビオンの王様はもう終わりだね!」
「いやはや、『共和制』ってヤツの始まりなのか!」
「では、『共和制』にかんぱい!」

彼等は、基本的に明るい。暗いやつは負けなのである。辛い時、悲しい時こそニヤリと笑い、くだらないことを言う。いい悪いではなく、それが長い傭兵暮らしで身につけた心を守る知恵なのだろう。
彼等は、先日帰ってきたが、ある事情で自分のアジトに戻らず、ここに2日ほど逗留していた。
羽扉が勢いよく開かれ、白い仮面にマントの男が現れた。

「おい、団長。団長はいるか!」
「へ、へい。ここに」
「貴様のよこしたあいつらは、とんだ役立たずだ。ガキ4,5人に体よくあしらわれたぞ!」

白い仮面の男と対応したその男は、目を見開いた。

「そんな馬鹿な! あいつらはこの傭兵団でも腕利きの……」
「だが失敗した。前金を返して貴様の傭兵団の名を地の底に沈めるか。それとも、……」
「……2番目のヤツでお願いしやす」

負けた側についたことで、男の傭兵団の株は下がった。だがそれは、運が悪かったですむ。
無論、儲けは少なかった。だからこそこの胡散臭い白仮面の話に乗ったのだが、貴族とは言えガキ4~5人に傭兵団員が負けたなどと言いふらされては、もはや男の傭兵団を雇うものなど居まい。その傭兵団はそれなりに名の通った傭兵団だった。名が売れればそれなりに値段は高くなる。
目の前の男を死人に口無しとばかりに殺しても無駄だ。「金の酒樽亭」にいる客は、全員が自分の所の傭兵団というわけではない。
無論、それを狙って、それ以外の傭兵に聞こえるようにでかい声で言ったのだろうが。
それに、白仮面の男。こいつはどうやら『偏在』らしかった。依頼を受けたときに、違和感を覚え、念のためと思い自分のインテリジェンス・ナイフ「ザレク」で確認をしたのだ。
だが、金は本物だったし、どうでもいいかとも思っていたのだ。行きがけの駄賃、楽な小遣い稼ぎだとも。

「いいだろう、だが後金は半分だ!」
「そ、そんな……」
「雇うときに言ったはずだ、甘っちょろい王様と一緒にするなと」

その傭兵団の長であるらしい男は俯き、きつめの目元が一層険しさを増し、悔しげに歯をギリッと鳴らした。

「……へぇ、わかりやした。ですが一つだけうかがっても?」
「なんだ!」
「その、あいつらは……」
「言わんと、わからんのか!?襲撃に失敗した傭兵がどうなったかなど」

別にどうにもなっていないのだが、正直に話す理由も無い。いや、かえってこの事で悔しがり少しはやる気を見せるかもしれない。
白い仮面の男は、これで話はすべて済んだとばかりにきびすを返し、来た時と同じように羽扉を勢いよく開いて去っていった。
団長と呼ばれた男は、未だ揺れ動く扉を憎しげに睨みつけ、酔っ払った部下に怒声で号令を掛ける。


第十九話 アルビオンへ その2


「ハーイ、シンジくーん!」
「あれ、キュルケさん、どうしたんですか?」
「助けに来てあげたんじゃないの。昨日の遣り取りばっちり聞こえちゃったしね」

シンジが“あちゃ~”っと声を上げ、顔を手で覆う。
誰も、あの時「サイレント」を掛けていなかったとは言え、多少の大声で隣の部屋に音が漏れるほど寮の壁は薄くない。結局は、昨晩のアンリエッタ姫の秘密の訪問は秘密でもなんでもなくダダ漏れだったということだろう。考えてみればギーシュに覗かれている時点でその可能性を疑うべきだった。

「あたしは朝方、あんたらの武運を祈って窓から見送ったけど、モンモランシーがね……」

教室にギーシュが来ていない事に疑問を持ち、ついでにルイズもいない為、学院中を探し回ったというのだ。見かねて、キュルケが実は……と喋ってしまったらしい。その後は、授業が終わるのを待ち、タバサに頼んで風竜を出してもらった、と言う事だった。
さすがに、竜の中でも、いや全幻獣の中でさえ最速を誇る風竜である。本来なら、馬で2日の行程をたったの4時間で走破したのだ。シンジら4人は休み休みとは言え、必死になって12時間以上かかったというのに。

「そいで、あんたはあっさり喋ったと」
「別に隠す必要も感じなかったし、まさかモンモランシーが追っかけるなんて思わなかったもの」

しれっとした顔でいうキュルケ。
実際は、ギーシュとモンモランシーの修羅場を暇つぶしに見学したかっただけだが。ついでに言えば、モンモランシーに追いかける手段が無いため、知恵を貸したのがキュルケだったりもするが。

「とにかく、感謝しなさいよね。あんたたちを襲った連中を捕まえたんだから」

キュルケは倒れた男たちを指差し、そう言った。怪我をして、おまけに手足を拘束されている襲撃者たちは口々に罵声をルイズたちに浴びせかけている。

「なによ、あんたらなんかいなくたって、あたしたちだけで撃退できたわ」

ルイズは腕を組み、キュルケをにらみつけた。ちなみに、ギーシュはモンモランシーに、土下座を超えて五体投地中である。……違った、ただぶっ倒れているだけのようだ。
キュルケは、ルイズに向かってフフンッと鼻を鳴らし、グリフォンに乗ったワルドににじり寄り始めた。

「おひげが素敵よあなた、情熱はご存知?」
「僕の婚約者のクラスメートかな?助けてくれてありがとう。だが、これ以上近づかないでくれたまえ。ルイズが誤解するといけないのでね」

さわやかな笑顔と共に、そう言った。キュルケはつまらなそうだ。慇懃な態度で自分を拒否している。
今まで、どんな男だろうと、自分に言い寄られたら、どこかに動揺の色を見せるものだが、ワルドの態度にはそういった様子が見られなかったのだ。代わりに、婚約者と言われたルイズが赤くなっている。

「なあに? あなたの婚約者だったの?」

ルイズは困ったようにもじもじし始めた。

「ワルドさ~ん!とりあえず、全員縛りましたが、どうしましょう」

シンジがワルドに指示を仰ぐ。

「そうだな、軽く尋問しておくか。もしアルビオンの貴族派の息のかかったやつらなら情報を引き出せるかもしれん」





「どいつもこいつも“自分はただの物取りだ”と言ってます」

キュルケの火あぶりから始まり、タバサの氷攻め、なぜか参加したモンモランシーの水攻めにも、ふてぶてしくただの山賊だという主張を繰り返すばかりでらちが明かない。

「仕方ない、このまま捨てていこう。町に入ったら騎士の詰め所に連絡をする」

そう言うとワルドはひらりとグリフォンに跨り、颯爽とルイズを抱きかかえた。

「今日はラ・ロシェールに一泊して、朝一番の便でアルビオンにわたろう」

ワルドは一行にそう告げた。キュルケはシンジと一緒の馬に乗り、タバサ、モンモランシー、そして意識の無いギーシュは風竜に乗り、あるいは乗っけられラ・ロシェールの港町へと向かうのだった。





「アルビオンに渡る船はあさってにならないと、出ないそうだ」

ワルドは困ったようにそう告げた。ここはラ・ロシェールでも一番上等の宿「女神の杵」である。
ワルドが部屋を取る間、一行は一階の酒場でくつろいでいた。ルイズ、シンジに大した疲労感は無く、後から駆けつけた三人も特に疲れてはいない。ギーシュはすでに爆睡中である。

「急ぎの任務なのに……」

ルイズは口を尖らせている。

「さて、じゃあ今日はもう休もう。部屋は取ったよ」

鍵束をちゃらっと鳴らし、机の上に置いた。

「ルイズのご友人諸君、三人は相部屋だ。ギーシュ君とシンジ君も相部屋。そして、僕とルイズが相部屋だ」

まあ、順当だろう、婚約者同士だというし。 ルイズも特に何も言わなかった。

「ワルド、わたし貴方に相談したいことがあるの」
「ちょうどよかった。僕も君に大事な話があるのさ」

そう言って、二人は2階の部屋に消えて行った。他の一行もワルドの取ってくれた部屋に行こうと立ち上がった時だった。

「あら、あんたら」

呼び止められ、声のしたほうを振り返る。

「「「ミス・ロングビル」」」





ワルドの大事な話とは、この任務が終わったら、ルイズの学院卒業を待たずに結婚しよう、と言う事だった。ルイズにとっては、青天の霹靂。というほどのことも無い、(貴族の結婚は10代の後半が普通)驚いたのは確かだが。
未だ、自分に自信が持てないルイズにはワルドの可能性をつぶしてしまうような気がしてはっきりとした返事は出来なかった。結局、返事に関してはいずれということで先送りにしてもらった。

「それで、僕に相談てなんだい?」
「う、うんあのね、シンジのことなの……」

それを皮切りに、召還時に「召還の鏡」といわれる特殊なゲートではなく異様な玉が現れたこと。シンジについた二つの伝説のルーン。ルーンによる強制力や、効能がいまいちっぽいこと。(服従や感覚共有が効かない)
森で起こした巨大な火の玉が、自分とシンジのせいだったことなどを、内緒にしてもらうことを前提に包み隠さずワルドに告げていった。
ワルドも、あまりのあんまりなこの告白には、開いた口がふさがらないようだった。

「ふーむ、だが彼は君に従い、君を守っているのだろう。いくらルーンで、使い魔の知能が上がるとは言え、人のそれまで引きあがる物はまれだ。おまけに、強力な使い魔といっていい能力もちで、結構尽くしじゃないか。何を心配しているのかわからないがね?」

そこで、ルイズはワルドに向かい、小さな爆弾を投げつける。

「シンジのフルネームがね、イカリ・シンジって言うのよ」

ワルドは思わず飲んでいたワインでむせてしまう。

「ルイズ、そりゃあ……」
「ええ、ええ、あたしだって何千年も前に死んだであろう英雄様が現代に甦って、使い魔やってるなんて言わないわ。まーだ、あたしが実は虚無の系統でしたって言ったほうが現実味があるわよ。でも、彼が話す身の上や、容姿はまさしくイカリ・シンジのそれよ。これを、どう解釈したらいいかしら?」

ワルドは憮然と、ワインを 自分とルイズのグラスに注ぎなおす。

「君のことだ、何かしら答えを出しているのだろう?」

だが、ルイズはその問いにはすぐには答えず、

「ねえ、ワルド。貴方は神を信じてる?」

ワルドは深く椅子に座りなおし、口をへの字に曲げた。

「正直、あんまり……」
「そう、では魔法が神の奇跡であるという教会側の言い分をアタマっから信じているわけではないのね」

ワルドはドアに向かって杖をふるい、「ロック」と「アンロック」の魔法を交互にかける。部屋の鍵は、その呪文とふるわれた杖に従いガチャガチャ音を立て、開いたり閉まったりした。

「神様がいちいち僕の、僕らメイジの命令にしたがって部屋の鍵を掛けてくれるとは思えないからね。もし、そうなら、始祖ブリミルはとんでもない働き者だよ」
「でも、完璧にメイジの精神力、念動力だけでは説明がつかないことも確かだわ。鍵の形も、鍵内部の構造もそれぞれ違うのに、使う呪文や杖の振り方は一緒だなんてありえないもの」
「……」
「使い魔に刻まれるルーンも、メイジが知っていようが知っていまいが、ちゃんと刻まれる。他にもいろいろ魔法には謎が多いわ」
「むう……つまり、君の言いたいのは「内なるアガシオン」仮説のことか?」

☆☆☆

アガシオンとは、霊的な使い魔の総称である。肉体を持った使い魔、ファミリアとは対をなす。
出現した時は、何かしらの小動物の姿や、魔物の姿になるとされている。ここハルケギニアにおいて尚、伝説上のものである。代表的なアガシオンはランプの魔神や指輪の精など。

☆☆☆

「さすがは国一番のメイジ様。
風のメイジにとっては「空気を固めるもの」
火のメイジにとっては「温度を上げるのもの」
水のメイジにとっては「水を集めるもの」
土のメイジにとっては「ゴーレムを形作るもの」
そして、使い魔にとっては「ルーンを刻みその身に潜むもの」ってとこね」
「やめてくれ、僕なんかやっとこないだスクエアに上がったばかりのペーペーさ、上を向いたら、化け物ぞろいだぜこの国は」
「でも、若くて独身で、おまけに魔法衛士隊の隊長で、ワルド。あなたモテるでしょう。今更、こんな昔のちっぽけな婚約者なんて相手にしなくても」
「君は特別さルイズ。僕にはわかるんだ」
「昔計ってもらった精神量と精神圧のこと?」

二つ合わせて精神力。それは即ち、魔法力となりメイジのイメージを杖の先へと具現化させる心の力。

「ああ、それもある。君は確か当時でさえ、君の母君の1.5倍はあったね」

そんなワルドの言葉を聞いてルイズは両手を挙げる。

「だ~めよ、ワルド。操作力がゼロで、系統魔法の発現が未だに無いんですもの。いくら馬が大きくとも、言うことを聞かないのでは、何の役にも立たなくてよ」
「すまない、話がそれたね。それでかの英雄君の正体は?」
「その前に、約束して欲しいの」
「約束?」
「絶対に笑わないって」





「「「ミス・ロングビル」」」

宿の酒場で出会ったのは、なんと学院長の秘書ミス・ロングビルだった。

「あら、シンジ君じゃないかい?どうしたんだい?こんなところであうなんて、随分と珍しいじゃない」

普段、学院で使っているような丁寧な言葉使いではなく、どこかはすっぱな喋り方である。
あるいは、こちらがミス・ロングビルの地なのかもしれない。

「え、いや、ちょっとアルビオンに行かなくちゃならなくなりまして」
「この町にいるって事は、そう言う事なんだろうと予測はつくよ!知ってるのかい。アルビオンは今内乱中で危ないんだよ!」
「ミ、ミス・ロングビル?」

そこで、シンジ以外の視線に気づき、軽く咳払いをするミス・ロングビル。

「うっうん、失礼しました。少々地が出てしまったようで。ですが、ご存知なのですか?アルビオンは今、内乱の真っ最中で、とてもじゃありませんが皆さん方、学生だけで上陸できるような状態ではありませんのよ」

スルリ、といった感じで、学院秘書の口調に戻る。その様は、思わず拍手をしたいほど見事な早変わりだった。キュルケ、タバサ、モンモランシーは思わず目を見開いて注目してしまう。

「うーん、おやめになってくださいな。わたくしは貴族の名をなくした者なのですから。そりゃ、言葉使いくらいは多少は崩れますわ」

酒の効能も手伝ってか、照れたそのしぐさが大人の女性の魅力と相まってひどく可愛らしい。
モンモランシーなどは、ギーシュが寝ていてよかったと思うほどである。キュルケが貴族の名を無くしたといった所に引っかかった。

「差し支えなければ、ご事情をお聞かせ願いたいわ」

ミス・ロングビルはちょっと迷惑そうな微笑をうかべ、

「父は、アルビオンの貴族でしたの。それ以上はご勘弁くださいな」
「あら、ごめんなさい。お詫びにご一緒にワインをいかが?」

彼ら彼女らは、シンジの及びもつかない幼いころから、お酒を嗜んでいる。無論酔っ払うのは一緒だ。
さて、ミス・ロングビルは、貴族はちょっと……な人ではあるが、お酒は好きで、ただ酒となると大好物である。

「僕は、ギーシュを部屋に運んできます」

いや~んな空気をかいだシンジはそこから逃げ出そうとするが。

「あらん、シンジ君、おネ~様がたのお酒が飲めないなんていわないわよねぇ」

酒はともかく酔っ払いは苦手なシンジである。(まあ、両方苦手なのだが)
モンモランシーが立ち上がり、つかつかとギーシュに近づく。マントの内ポケットから、小ぶりのビンを取り出すと、中の魔法の秘薬をギーシュにふりかけ、呪文を唱える。

「イル・ウォータル・デル」(ヒーリングの呪文)

たちまちの内に、ギーシュの身についた傷がふさがっていく。顔の打撲跡が消えていく。モンモランシーは、ついでとばかりにもう一つ呪文をつむいだ。

「はっ、僕はいったい」

ギーシュの目が覚めた。どうやら覚醒の呪文らしい。シンジに逃げ場はなかった。





翌朝、シンジが目を覚ますと、ベッドの中だった。
キュルケはタバサと、ギーシュはモンモランシーと、そしてシンジはミス・ロングビルと一緒のベットだった。昨晩のことは大して覚えていない。トラブルになる前に急いでベットから出る。
うん、服はしっかり着ているようだ。ちらりとギーシュの寝るベット見る。

「ごめん、ギーシュ。君の尊い犠牲は忘れない」

外は十分に明るいが、それでも太陽は昇りきってはいない。そそくさと、本来の自分の部屋に戻る。軽く顔を洗い、ちょっと寝なおし、と思ったところで扉がノックされた。

「おはよう。使い魔君」
「おはようございます。 ワルドさん」

ワルドはにっこりと笑い、

「君は伝説の使い魔「ガンダールヴ」なんだって?」
「え?」
「夕べの、盗賊どもを退治した手際、真に見事だった。これから、僕の日課の朝錬なんだが、ちょっと付き合わないか」
「わかりました。ところで、僕のルーンに関してはルイズさんから?」

ワルドは少し首をすくめて言った。

「まあね、夕べは君の話ばかりでちょっと妬けたよ」
「申し訳ありません」
「はっはっは冗談だよ。 僕は歴史と兵(つわもの)に興味があってね。伝説の使い魔がどれほどのものなのか知りたいんだ。ちょっと手合わせ願いたい」

(うわちゃー)

シンジは心で悲鳴を上げる。実は学院でも、似たようなことが結構あり、そのすべてを「ガンダールヴ」発動でひたすら逃げていたのだ。

「ぼ、僕の「ガンダールヴ」はごく、おざなりなもので、多分ご期待に応えられる様なものではありません。どうかご勘弁願えませんか」
「駄目よシンジ。お受けなさい」

ワルドの影から出て来たの、はピンクの髪のご主人様だった。








[10793] 第二十話 アルビオンへ その3
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:92c06cc6
Date: 2013/03/10 05:43


ワルドとシンジは、かつて貴族たちが集まり、王の閲兵を受けたという練兵場で10メイルほど離れて向かい合っていた。練兵場は今ではただの物置になっている。
樽やら、空き箱やらが積まれ、あるいは放置され、かつての栄華を懐かしむように、石で出来た旗立台が苔むして佇んでいる。ルイズがいるのはその旗立て台のそばだ。

「古き良き時代、王が王らしく、貴族が貴族らしかった時代……、名誉と誇りを賭けて、時には可愛い女の子なんかを取り合ったりして、僕たち貴族は魔法を唱えあった。ちょうど今のようにね」

ワルドが場をほぐそうと思ったのか、軽口を叩く。ルイズなどはワルドの“時には可愛い女の子なんかを取り合ったりして”のセリフの後は、微妙にいい笑顔である。 
シンジは、ため息と共に、ナイフを一丁その手に握る。

「ゴラァ!!相棒!強敵だぞ!ここは普通俺だろ!場面的に考えて」
「デルフ。ただの手合わせなんだから君は使わない。ワルドさんもこの任務で僕がどれだけ使えるか知りたいだけだろうし」

ナイフを握り、ガンダールヴは発動するが、いつもより効きが遅く効能が弱い。シンジが理解していたのは、武器を手にするとガンダールヴが発動するということだけ。
心のふるえ、それが今現在のシンジには不足している。だが、それでも尚、シンジのそれは並のメイジを凌駕するに足るスピードを持ちえていた。

「行きます」
「来い!全力で!!」

ワルドは腰の杖剣を引き抜き、腰を落として構える。シンジはワルドとの十メイルほどの距離を一足飛びに詰め、ナイフを翻らせる。ワルドは杖剣でシンジのナイフを受け止める。 

“バチン” 火花が散った。

ワルドは“ひょう”と口笛を吹くと、そのまま後ろに下がり風切り音と共に驚くほどの速さで突いてきた。シンジは下がって避けずに、ギリギリで見切って前に出る。こちらの武器はナイフ一丁だ、距離を取られては勝負にならない。
速さにおいてはガンダールヴを発動させたシンジが上。まるで野獣のように敏捷な動きで、スキをつく、回り込む、死角から飛び込む。しかし、さすがは魔法衛士隊長、そのいずれにも反応し、そのナイフを身に届かせることは無い。
何合か打ち合った後、ひょいっと後ろに下がり声を掛けてくる。

「どうも面白くないな。ほんとに本気かね?まあ、完全なシロウトじゃないようだが」
「えっ、ええ」

シンジはちょっと慌てた、適当なところで負けるつもりだったのだ。ワルドに勝つ必要は全くない。
ワルドとルイズが結婚するのには肯定的なシンジである。訓練とは言え、ルイズも婚約者が負けていい気持ちはしないであろう。ワルドの強さをルイズに見せ付けさせて好感度UPを手助けしてやるべきだ。そう思ったのだが。

「ちょっと、仕切りなおしと行こうか。 ユビキタス・デル・ウインデ……」

ワルドは呪文を唱え、自身は一歩下がりもう一人の自分を置き去りにする、「偏在」である。
表情豊かでどこか大人の男を感じさせるワルドに比べれば、ムスッと唇を引き結び、無感情にシンジをねめつける「偏在」ワルド。

「これが風メイジの奥の手「偏在」だ。これなら君も本気を出せるんじゃないかな?」
「おおー!「偏在」ですね!」
「感情面を手抜きして作ったが、それでも、まあ7~8割ぐらいの力はあるし、こいつは基本「風」だからね。素早さにおいては僕より上かも?」
「ええー、ご冗談を!さっきまで魔法を使われずにいい勝負だったのに。この上、素早さを上げられては勝負になんかなりませんよ!」
「ん? 魔法は使ってたよ。「偏在」で出来るだけ死角を無くしてたし、「ブレイド」で杖剣の耐久力をあげていたんだ」



第二十話 アルビオンへ その3



ワルドは「偏在」を出した際にいくつか注意事項を挙げていた。すなわち、ブレイドの特性についてである。

「いいかな、シンジ君」

すらりと杖剣を引き抜き、すばやく呪文を唱える。すると、みるみるうちに杖剣の周りを青く淡い光が包んでいく。

「これがブレイド、意識を向けた側を刃とする。 そして」

ワルドの魔法力が固まり杖剣の周りを取り囲む、朝日の中でもそれとわかるほど青白く光をともない、風を含ませた。ワルドは口の中で小さく呪文をつぶやいた。
おそらく操作的な使い方なのだろう。杖先が細かく振動している。 回転する空気の渦が、鋭利な切っ先となる。

「その発展形、エア・ニードル!」

ワルドはそのまま、切っ先を5メイルほど先にある空樽に向け突き出す。パンッと乾いた音と共に樽に小さな穴が開いた。





さすがに、ナイフ一丁では辛いため、デルフリンガーを抜く。訓練だからといささかぬるい気持ちであったのを引き締めなおした。

「シンジくーん! そいつに勝てたら、メイジキラーの称号を与えるよー!」
「シンジー! 負けるんじゃないわよー!」

ワルドはルイズと共に、ニコニコしながらシンジの戦いぶりを観戦中である。

「なんですか、その“たった今考えました”みたいな称号は!」

そういいながらも、「偏在」ワルドは機械のような正確さと素早い動きでシンジに迫り、刃を絡めてくる。ワルドのそれは、魔法衛士隊での実戦で鍛えられた外連(けれん)の無い王道的なものだ。
シンジは、とにかく動き、「偏在」ワルドに、的を絞らせないようにした。つかず離れず、つばぜり合いではとにかく流す。油断していると、すぐに距離をとられ、詠唱を唱えられ剣で弾き飛ばされてしまう。
数発の「エアハンマー」がシンジをかすっていた。 気が付くと結構、夢中になっていた。心が震え始まる。左手の手袋の下では、「ガンダールヴ」のルーンがより強い光を放ち始める。
シンジのスピードが上がる。
「偏在」ワルドは六つの目でそれを追いかけた。偏在につく四つの目と、戦いを俯瞰する本体の二つの目で。だが、それが追いつかなくなる。 動きを予測しても、もうそこにはいない。
ただ、風を切る音が「偏在」ワルドを取り巻いていた。





やっとのことで、「偏在」ワルドの背中を取り、デルフで峰打ちをして、勝負がついた。その瞬間、偏在が消える。どうやらワルドが、外に出した魔法力を自分に戻したらしい。
ワルドとルイズが拍手をしながら近づいてきた。

「よくやったシンジ君。 君はトライアングル・メイジキラーだ。どこへ行ってもそう名乗りたまえ、きっと馬鹿にされるから」

シンジは、最後のセリフでガクっとなるが、

「あ……れ、トライアングルって?」
「今のは、「偏在二つ重ね」普通の偏在を混ざりこまないよう二つ重ねたものだ。これにより、より強力な隙のない「偏在」を作り出すことが出来る」
「強力なって、手抜きして作ったって言いませんでした?」
「ああ、感情面をね、それ以外は念入りに作らせて貰ったよ」

またまた、がっくりするシンジ。だが、ルイズは満足げだ。

「でも、すごかったわ。 最後のほうなんて何がどう動いているのかわからなかったもの。さすが、あたしの使い魔ね」
「さて、太陽も昇りきったことだし、皆を起こして朝食としようか。 君は軽くシャワーも浴びたいだろう」

そう言われ、シンジは自分が相当に汗をかいていることに気が付いた。

「あ、れ、汗だ。 汗をかいている」
「へへへ、相棒。 人間は汗をかくもんさ」

妙にうれしそうな声で、デルフがそう答えた。





シンジがシャワーを浴び、宿の食堂に行くと、皆はすでに食事中である。
その中で、ギーシュはモンモランシーと……。

「……だから、僕は今、秘密任務中なんだ。 帰るわけにはいかないよ」
 
シンジとしては、あんまり大声で秘密任務と言わないでほしい。幸い、この食堂には他に客はいないので、聞いているのは関係者と給仕ぐらいなものだが。

「それは、もうわかったわよ。 あたしが言いたいのは、一言ぐらい断っていけっての!」

それを聞き、ギーシュが思ったのは“どうして女の子ってのは、こう……”というよくある思考である。

(秘密任務なんだから、喋る訳にはいかないいじゃないか)

無論、声に出したのは心とは別のセリフだ。

「ごめんよ、モンモランシー。 でも君に心配をさせるわけにはいかないのさ、男としてね」
「でも、……」
「うん、今度のことで、僕は君の愛を受け取った。 そう思ってよいのかな?」
「ああ、ギーシュ!ギーシュ! 愛よ、愛だわ」
「ああ、愛だね。 ほら愛が溢れているよ」

愛の大バーゲンセール中だ。他のみんなは、スルー能力検定中である。





食事のあとは、わずかだが自由時間を貰い街を歩くことにした。今、ルイズのそばにはワルドが居る。魔法衛士隊の隊長で、風のスクエアメイジ、おまけにルイズの婚約者とあって自分がそばにいるよりも遥かに安全だろう。
正直一人になるのは久しぶりである。
任務中ではあるが、今まで詰まっていた息を大きく吐き出したいような気分になった。

「いよう、相棒。 さっきの戦い方は中々よかったぜ。 意外とシロウトじゃねえんだな」

深呼吸の途中を邪魔されたような気分になった。

(そうそう、デルフがいたんだっけ)

「う、うん。 戦闘訓練は一応受けていたんだ。 結局たいした役には立たなかったけど」
「へへ、何言ってんだよ。 役に立てるのはこれからだろ?」
「え? あ、そうそう、うん確かに」
「それとよ、相棒。 おめえさん、あの娘っこが結婚したら出てくって言ってたけど、本気かよ?」
「うん、まあ」
「悲しむぜ、きっとよ。いく当てなんざねえんだろ?別にいいじゃねえか使い魔で。卒業したら正式に雇うって言ってたぜ」
「駄目さ、デルフ。 この任務の間はとにかく付き合うけど、ぼくのせいで彼女に悪評を立てるわけにはいかないんだ」
「はん?」
「平民の子供を拉致したとか、魔法で動く人形だ、とか、旅芸人の子供を雇ったとか言われているらしいんだ。 僕のせいでね。でも、僕がいなくなれば、ルイズさんも何の気兼ねも無く、新しい使い魔を呼べるよ」
「なんでえ、相棒、知らねえのかよ・・・」
「え、何を?」
「一度使い魔を呼んだら、その使い魔が死ぬまで次の使い魔は呼べねえのさ。そういうシステムになってる」
「システム? 決まりごとや法律とかじゃなくて?」
「ああ、お前さんの両手についたルーン。何で二つもついたのかは、オイラにもわかんねえけど。そいつが、相棒を見つけ、呼び出し……」
「なんか、ルーン自体に意思があるような言い方だよね」

だが、デルフはその質問には答えず、黙り込んでしまった。

「どうしたのさ、デルフ?」
「世界の……なんだっけかな?よく思い出せねえ」
「世界?」
「うーん、いやなんでもねえ。ただの妄想だ。……いやまあ、使い魔はメイジと一緒にいるのがいいんだよ。だからな、出て行くなんて言うなよ。第一、あれだ。 あの娘っこに一生掛けて恩を返すとか言ってたじゃねえか。まだ、二ヶ月もたってねえぜ」
「邪魔者は、とっとといなくなってあげるのも恩返しのうちだよ」
「誰が、邪魔者なんていいやがったんだよ!相棒にそんなこと言うやつは、おいらが耳をちょん切ってやらあ!」
「そりゃ、面と向かって言う人はいないだろうけどさ。みんな、犬とか猫とかカエルとか竜とかトカゲとかネズミとかの、要はペットでしょ、使い魔って。そんな中で、人間が出てきたらみんな引くよ。 ルイズさんも相当に無理をしてる感じだしね」
「そりゃー違うぜ相棒。使い魔ってのはパートナーだ、相棒だ。おいらと相棒の関係みたいなもんだ」

うーん、それじゃやっぱり邪魔じゃないのかな?なんてシンジが思ったのは内緒だが。

「おっと、前方15メイル、男の五人組、どうやら相棒に用事があるようだぜ」
「えっ」

言われた方角を見れば、屈強そうな男たちがシンジを見ていた。





「ジャン、今朝はありがとう。 それでどうだったかしら?」

朝食を終え、皆はそれぞれに街を探索中である。ギーシュはモンモランシーと、キュルケはタバサと出かけて行った。そして、ルイズはワルドと部屋に篭もり話をしていた。

「うーん、彼が君の妄想の産物とはとても思えないけどね。ただの、偶然じゃないのかな、名前とか、出自に関しては。ハルケギニアだって6千年の歴史の中では、戦争で消えていった国だって両手に余るほどあるさ。僕との模擬戦でも、君の言っていた。え、えーてぃふぃーるど、だったかな?出してはくれなかったようだしね」
「妄想じゃないわ。 アガシオンが、ううん、なんであれ、あたしの魔法力が、あたしの記憶を元に、あたしに都合の良い使い魔を錬成したんじゃないか、って言ったのよ。メイジの作り出すゴーレムや、「偏在」のように。これなら、シンジがロバ・アル・カリイエのニッポンなんていう遠い国から来たのに、言葉が通じる理屈が通るわ。それに、シンジが「イカリ・シンジ」である理由も。 「精霊の神話」はあたしも好きで結構読み込んだもの。 
でも、そうね、どうせ来てくれるなら第二天使の魂たる「レイ」がよかったかしら、最強っぽいし」

冗談めかしてルイズが言う。

「いいじゃないかシンジ君で、これが「アスカ」だの「カヲル」だの、ましてや「破壊の天使」だのが来た日には、君に魂の安らぎは永遠に得られないぜ」

ワルドも負けず、冗談を返す。ルイズは最後のモンスターに、おもわず噴出した。ちなみに「アスカ」も「レイ」もシンジの同僚だった女性の名前である。

「あっはっはっはっは、そうよね。……ねえジャン、それでシンジはどう?」

先ほどとは別の問いかけ。ワルドは深く椅子に座りなおし、まじめな口調で言う。

「……確かに速い、さすがはガンダールヴ、伝説の使い魔といわれるだけはある。正直、下手なメイジでは彼の前に立つことすら出来まい。……この僕ですら、偏在との戦いを遠巻きに俯瞰して彼の動きを追いかけざるをえなかったほどだ。だが、なんというか、ありきたりだが怖さがない。 
僕と戦っているときも、僕の偏在と戦っている時も、なんというか……、うまく説明できないが、人を傷つけることを恐れているような印象を受けたね。もう一つのルーン『心優しき神の笛』の影響かもしれないが」

シンジにはなぜかルーンが二つついている。即ち、神の左手、神の盾と称される「ガンダールヴ」
もう一つが神の右手、神の笛と称される「ヴィンダールヴ」
そして、二つもルーンがついたことも、ルイズの「シンジは自分の妄想が作り上げた使い魔なのではないか?」という考えを補強していた。すなわち、「あたしの考えた、最強の使い魔」という妄想の実現である。

「それって、護衛の役には立たないって言うこと?」
「違うよ、……いやまあ、敵を殺せなんていう命令は彼を傷つけるかも知れないが、それでも使い魔なんだから君が言えばおそらくは従うだろうね」
「そんな命令しないわ!」

ワルドは、そうはいかないだろう、と思う。

「わかっているよ。 ぼくの可愛いルイズ。さて、国の魔法衛士隊の隊長様を使い魔の見極めにこき使ってくれたんだ。君のお礼に期待しているよ」
「ええ、ええジャン。 期待していて頂戴」





シンジが、ラ・ロシェールの街を観光していると、ギーシュと出会った。傍らのモンモランシーがガッチリとその腕を絡めている。どうやら、仲直りは成功したようだ。

「やあ、シンジ。 ご主人様はどうしたね」
「あっちのほうで、ワルドさんと一緒に服を選んでいたよ。ギーシュも魔法学院生徒丸出しのカッコウだからそろそろ着替えたほうがいいんじゃない」
「えっ」
「いや、その格好じゃトリスティンの人間が潜入してるってモロバレだから……」
「あ、あーそうか。 忘れていたよ。 じゃ、モンモランシーぼくのために服を選んでくれるかい?」
「ええ、もちろんよギーシュ。 任しておいて」

そう言って、二人は近くの服屋に入っていった。それを見送ると、シンジの背中の剣がわずかに飛び出す。

「へへ、うまいじゃねえか」
「デルフ、それよりも……」
「ああ、右斜め10メイル先、男4人組」

シンジは指示された男たちに近寄り、すれ違いざま財布をわざと「ちゃら」、と鳴らす。そうしておいてから、人気の無い裏道に入り、邪魔の入らない練兵場のような広場に誘導する。

「デルフ、すごいね。君の言った通りにしただけで全部ひっかかって来る」

実は、少し前にシンジが街を一人で観光していると、五人のガタイのいい男たちに囲まれ、先ほどのような広場に連れ込まれたのだ。
無論、速攻でナイフを引き抜き、ガンダールヴを発動させ、あっさりと鎮圧したのだが、デルフに言わせると、ただの強盗にしては装備がよすぎるらしい。プロの傭兵なみだというのだ。
おまけに、傭兵3~4人にメイジ一人の贅沢な小隊単位である。シンジの詰問ぐらいでは、何一つ口を割らなかったが、さらに持ち物を調べると、強盗を働くにしては随分と金を持っていた。
これまた、デルフに言わせると結構な金額らしい。
金持ちが強盗をしないとは限らないが、先日襲われそうになったことといいい、今の任務と考え合わせると、この秘密のはずの任務は駄々漏れであるとの結論を下すしかなかった。

「まあな、あいつらの習性はおいらが一番よく知ってるってことよ。それによ、くく……」

デルフリンガーが、堪えきれないようにしのび笑いをする。

「何笑ってんのさ」
「いや~、多分おいらでも、強盗を働くなら、相棒に目をつけるだろうな、と思ってよ」
「ひどいな」

なるほど、シンジは華奢で背も小さく、そして、身なりは比較的よいのだ。服装だけなら、どこかの裕福な平民の子どもに見える。それに男というには少々物足りない、弱弱しい顔つきだ。
それが、護衛もつけずに一人で街を歩き回っている。
襲うほうにしてみれば、財布に手足が生えているような印象を受けるかもしれない。おまけに身の丈にあわない長大な剣を背負っている。
これまた、襲う側にすれば、イコールでメイジではない証拠のようなものだろう。仮にそれを抜かれても、全然怖くはない、むしろまともに抜けるのかを心配してしまう。

デルフの指示に従い、指定された人間の前で上記のような事を繰り返すと、ほぼ100%後をつけてくる。そして、広場に出たとたん中央で待ち構えたシンジに誰何され、へへんと鼻で笑い襲いかかっては、シンジに返り討ちにあうのだ。いきなり銃を向けてくる襲撃者もいたが、未だ命中精度が高いとは言えず、しかも単発のフリントロック式では、ガンダールヴを発動させたシンジには当るべくもなかった。1セット四~五人で一回の所要時間は二分ほどである。

「まさかと思うけど、あのお姫様。この任務の事、そこら中で言い触らしてるんじゃないのかな?」

そう、愚痴を言いたくなるほどラ・ロシェールの街は敵だらけだった。
だが、いい事もあった。襲撃者を倒すついでに使えそうな装備と金を頂くのだ。使い勝手の良さそうな片刃の小刀を一振りと、フリントロック式の銃を3丁手に入れた。小刀は腰に、フリントロック銃は上着の内ポケットに忍ばせた。百人以上倒して、たったこれだけだったが、それ以上はさすがに持ちきれなかった。

「な~、おれっち新しい商売思いついたわ」

シンジは僕も、と言い笑った。





その夜、シンジは一人、部屋のベランダで月を眺めていた。街でのことをワルドに報告しようと思ったが、ルイズと楽しそうにしている為やめておいた。食事が済んでからでも十分だと思っていたのだ。
シンジは、街を歩いている最中に屋台などで売っているお菓子や、焼き鳥?のような味のする串焼きを楽しんでいた。
ギーシュ達は、一階の酒場で騒ぎまくっている。後から駆けつけた三人の同級生、キュルケ、タバサ、モンモランシーは今日一日は宿に泊まり、明日アルビオンに渡るルイズたちを見送って、その後学院に帰るらしい。

「ハーイ、シンジ君。 何一人で黄昏ちゃってんの?下でみんなと騒がないの?」

キュルケがシンジを呼びにやってきた。

「やあ、キュルケさん。別にたそがれてるわけじゃないですよ。月を見ていたんです。あんまりキレイだから」

今日は、二つの月が重なり、一つだけになった月が青白く輝く「スヴェル」の月夜だ。シンジにしてみれば、やっと故郷の夜空を取り戻したようなセンチメンタルな気分になっていた。

「こおら、少年! な~にをジジ臭い、男が月を愛でるのは女を口説く時に取っておきなさい!
それとも、あれかな。 故郷が懐かしくなってきちゃったかな?」

そう言われ、首をひねる。ここが地球である限りにおいて、シンジにホームシックはない。
また、シンジの知っているみんなが生きていたあの時代に還りたいか、と言われても答えはノーであろう。
シンジにとって、幼年時代は親に捨てられ、学校でいじめられ、親戚の家で疎まれた記憶しかなく。また、使徒戦争時の一年間はそれまでを上回るいやな思い出しかないのだ。
そう考えると、シンジは自分のことを「ゼロ」だなと思う。
珍しい動物という訳でもなく、人とはいえたいした知識も持っているわけでもない。
思い出にすら何一つ良いものを持たない「ゼロ」
自分は今、靴下一枚ですらルイズの好意によって与えられているのだ。自分が「ゼロ」の使い魔だと思うと、せっかく目覚めさせてくれたルイズには申し訳なくなる。

(なるべく早く、出て行ってあげないと)

他人の優しさにつけこむことは出来ない。曲がりなりにも一月ちょっと、一緒に暮らしたルイズは少しは寂しがってくれるかもしれないが。結婚し、すぐに自分のことなど忘れるだろうと思っている。

「どうしたのよ、いきなり黙っちゃって。 もしかして本当にそうだったの?」

キュルケが、ちょっと心配そうに顔を覗き込むが、シンジはそれに答えることは無かった。
巨大なゴーレムが、シンジの眺めていた月を覆い隠したからだ。









[10793] 第二十一話 アルビオンへ その4
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:92c06cc6
Date: 2013/03/10 05:44


「なんで、どいつもこいつも帰ってきやがらねえ!」

アジトがわりの安宿で、傭兵団長が叫ぶ。本格的な襲撃は今夜の予定であるが、それまで敵を見張るため、何人かを偵察に出しているのだ。しかし、それまでに敵の戦力を減らせるのであれば、それに越したことは無い。目的の人物たちが宿から出て来たとの情報を得て、団員たちに命令を下す。指定された人物を見張り、機会があればさらうなり襲うなりしろと。
一応念の為、一人を見張るに当たり4~5人で行動するように言ってある。必ず、メイジを一人入れた小隊単位の行動だ。
歴戦の傭兵たちは、メイジとの闘いになれたプロだ。それでも念の為、上記のような構成で偵察を行っていた。
だが、偵察に行ったやつらは誰一人として帰ってはこなかった。相手はメイジとは言えただの学生のはずではなかったのか?たとえ、返り討ちにあったとしても一人ぐらいは帰ってきて報告しなければならない。不審に思い、偵察に出したやつらを偵察すべく偵察隊を出す。
だが、ミイラ取りがミイラ、の諺のようにそいつらも誰一人帰ってこない。
団長の懸念は、団員が三分の一に減らされるまで続いた。



第二十一話 アルビオンへ その4 



シンジの眺めていた月は巨大なゴーレムに隠され見えなくなった。シンジの記憶において、このような巨大なゴーレムを作り操ることの出来るメイジは二人、一人は学院の教師たるミセス・シュヴルーズ。そして、もう一人は、

「まさか、フーケ!」

もちろん、本物のフーケは一階でみんなと酒盛りの最中である。ふと見上げれば、巨大なゴーレムの肩の上にメイジらしき人影が見えた。
シンジが慌てて、キュルケの手を取り、部屋の奥に逃げると巨大なゴーレムのコブシが唸りベランダの手すりを粉々に破壊する。





白仮面の男は、頭を抱えていた。メインで雇った傭兵団が八十名ほど、他にも大小取り混ぜて二百人ほど声を掛けたはずなのだが、ここに集まったのが五十人ほどしかいない。

「前金詐欺か?」

逃げたら殺すとは言ってあるが、実際逃げられると追いかけている余裕なんかあるわけがない。
前渡し金としてはそれなりに渡しているので、本当に逃げられたとしたら大損である。
いや、金は二の次だ。問題はここであいつらに逃げられることである。一応、歴戦の傭兵に加え、それなりに訓練をつんだ傭兵メイジが残ってはいるが。





シンジとキュルケは大急ぎで一階に降りる。下りた先の一階も、すでに戦場と化していた。
いきなり、玄関から飛び込んできた傭兵の一団が、酒場で飲んでいたワルドたちを襲ったのだ。
タバサ、モンモランシーが射程の長い魔法で応戦し、ギーシュの魔法で花壇の土から岩壁を作り防御しているが、多勢に無勢、防戦一方だ。一番戦力になりそうなワルドは、この任務において一番の重要人物たるルイズのそばから離れるわけにはいかない様だ。

傭兵たちは、メイジとの戦いに慣れていて、緒戦でメイジたちの魔法の射程を見極めると、その射程の外から矢を射掛けてきた。ギーシュの作り出した岩壁も、ボーガンのような武器で石を打ち出されどうにも分が悪い。持って2分ほどだろう。扉は一応鉄製らしいが、あの巨大なゴーレムの前では紙同然だろう。なんでとっととゴーレムで攻撃してこないのかは謎だが。
彼等以外の貴族の客たちはカウンターの陰に隠れ震えている。

「参ったね、どーにも」

ワルドの言葉にルイズが頷く。

「やっぱり、この前の連中はただの物取りじゃなかったわけね」

シンジとキュルケは、ギーシュの作り出した岩壁が有効なうちに、皆と合流した。そこで初めて、シンジは昼間やたら襲われたことを告白したのだ。
ワルドは、それを聞き、アチャーと顔をしかめた。 無論他の皆もであるが。

「「「シンジ! 今度からそういう大事なことは、早く!言ってちょうだい!」」」






「あんまり、こういったことは君ら学生には言いたくないが……」

と前置きをしてワルドは言った。

「このような任務では半数が……、もっと言っちまえばルイズ一人が目的地にたどり着ければいいんだ」

このようなときでも優雅に本を開いていたタバサが本を閉じワルドのほうを向いた。自分とキュルケと、ちょっと悩んだあとギーシュを指差し「オトリ」と呟いた。

「そんなの駄目です!」

シンジの必死な言い方にタバサは一瞬キョトンとするが、淡々と告げる。

「誰かがやらなければいけないこと」
「それなら、僕が残ります。 男の仕事です!」
「口論している暇はないぜ。 すまないが僕が決める。シンジ、ギーシュ頼めるか?」

そう結論を出してきたのはワルドだった。

「そんな!」

ルイズは驚いた声を上げるが、

「ルイズ、わかっているね。 何を優先すべきか」

ワルドにそういわれると、口にしようとした不平を飲み込まざるをえない。
だいたい、タバサもキュルケもモンモランシーもこの任務とは関係が無いのだ。それに、タバサとキュルケは外国人である。いちいち、お言葉に甘えてというのでは都合がよすぎるだろう。

「はい、ワルドさん。 どうかルイズさんと他のみなさんをお願いします」

シンジはそういうと深く頭を下げた。 ギーシュもまた杖を掲げ。

「ご、ご命令確かに承りました。 隊長殿」
「よし、みんな、聞いての通りだ。 裏口にまわるぞ」

そう指示をだすと、手早く手順を説明する。

「今からここで彼等が敵をひきつける。せいぜい派手に暴れて目立ってもらう。その隙に僕らは裏口から出て桟橋に向かう。 以上だ」

ルイズは、シンジに目を向け言った。

「シンジ!死ぬんじゃないわよ。 必ず生き残ってアルビオンに来なさい。いいわね! 命令よ!」
「ええ、もちろんです。 必ず」

シンジは、そうだ!といって昼間、傭兵からうばった金袋をタバサに差し出す。重さから考えて、結構な金額だ。

「みんなの船賃の足しにしてください」
「……そんなお金を貰う言われはない」
「でも、皆さん着のみ着のままこっちに来ちゃって船賃もないのでしょう。 どうか受け取ってください」
「……わかった」

その遣り取りをみて、ワルドがなぜか微妙な顔をする。

「ギーシュ!死んじゃだめよ、絶対!絶対よ!」
「わかっているとも、モンモランシー。 今度会ったときには先日いいそこなったことを言うよ。だから行ってくれモンモランシー、ルイズと共に……ワルド卿どうか彼女を、彼女らをお願いします」

ワルドはその言葉に、目線と小さくうなずくことで答えた。
キュルケはシンジを捕まえ、キスしようとしたがスルリと逃げられる。

「あら、イケズねぇ~」
「ごめんなさい、皆さんのキスはとても痛いものだと聞いていますので」
「バカねぇ、コントラクト・サーヴァントじゃないわよ。 まあいいわ、今度会ったら大人のキスを教えてあげる」

シンジはどこかで聞いたせりふだな、と思うがいつ、誰に聞いたのかは思い出せない。
まあ、よくあるセリフなのだろう。 頭を一つ振って気持ちを切り替えた。





酒場から厨房に出て、ルイズたちが通用口にたどり着くと、タバサが呼んでいたのであろう。 彼女の使い魔、風竜のシルフィードが待っていた。

「乗って、桟橋まで飛ぶ」
「こりゃ、ありがたい。 助かるよ」

ワルドがそう言った時、酒場のほうから派手な爆発音が聞こえてきた。ギーシュの作った壁が破られ、戦いが始まったのであろう。ルイズは後ろ髪を惹かれる思いを噛み潰し、みんなと共に風竜に乗り込んだのだった。





ギーシュは、女性陣が厨房の奥に消えたのを確認し、薔薇の造花に模した自分の杖(ワンド)を握り締めた。

「ギーシュ・ド・グラモン。 お国のために死んで参ります。父上!母上!見ていて下さい!ギーシュは今から薔薇と散り、男となってまいります!」

もうじき、壁は破られそうだ、軍人の家系で家でもそれなりに戦闘訓練をしていたとは言え、いかにも状況が悪すぎる。いくら、地面の上の土メイジが厄介だとはいえ、屋内に篭城させられたのでは、その力を十全に発揮するわけにも行かない。ギーシュは悲壮な決意で覚悟を決めた。

「ギーシュ! お願いがあるんだ。武器を作ってほしい」

驚いたデルフがすぐさま抗議の声を上げる。

「どういう意味だ!オイラじゃ不満ってか」
「そういう意味じゃないよ」
「すまない、シンジ、こっちも手いっぱいだ。 あんまり精神力の余裕がない」

ギーシュは、厨房のフライパンや鍋などをかき集め、それを錬成してようやく二体ほどのゴーレムを作っていた。

「あ、じゃあ、あたしが」

シンジとギーシュが声に振り返るとそこには、逃げ遅れたミス・ロングビルがカウンターの裏から顔を出していた。





「いったいどんな武器をご所望なの、背中の長剣じゃ駄目なのかい」

シンジはちょっと言いずらそうにしていたが、意を決して言った。

「……うーん、メイスって言うんでしたっけ。 ああいう感じのをお願いします」
「はあ」
「なんでえ、なんでえ、つまり相棒はあれかよ。人殺しをしたくないってか。随分とまた、お優しいこったなあ。 襲われてるって言うのによ」

自分をふるってもらえないのがよほど不満なのか、不機嫌な声を隠しもしない。

「デルフ、うるさい。そうだけど、そうじゃないんだ。君を材料にしようとはいわないから黙っててよ」
「でも、材料がないと、いくら土メイジと言ってもどうしようも無いわよ」

魔法も万能ではなく、質量保存の法則からは逃れられない。ギーシュの操るゴーレム「ワルキューレ」も中まで金属のかたまりというわけではなく、ハチの巣構造になっている。芯までギュウギュウのかたまりでゴーレムを作ってしまうと、重過ぎてギーシュの技量では滑らかに動かすことが出来なくなってしまうのだ。

「ご店主さん、床に穴を開けてもかまいませんか?」

緒戦で矢を受け、倒れている男にそう聞いた。貴族だらけの客の中で、一人だけウエイターの格好をしている。本当に店主かどうかはわからなかったが、この宿の関係者なのは間違いないだろう。

「ああ、助かるんなら何でもしてくれ。だが、この店は床から壁から「固定化」が……」

その男がいえたのは、そこまでだ。シンジは、すばやく背中の剣を引き抜くと、石作りであろう床にやすやすと剣を突き立てると、熱したナイフで、バターを切り取るように床に穴を開けた。
ミス・ロングビルも「やるもんだねえ」と感心しきりである。見た目はボロボロだが、切れ味と頑丈さはピカイチのようだった。床の下には黒々とした土が見える。

「ああ、ちっきしょう。 シンジ、てめえ、このやろう。 当分口きいてやんねえからな!」

何が気に入らないのか、「固定化」のかかった床を切り裂くなど、よほどの名刀の証だろうに。いつもはしつこいくらいに「相棒」と呼びかけるシンジに向かい、怒りを口にした。
シンジは今デルフの刃にそって、ATフィールドを展開し床を切り取った。即ち、デルフは床を切っておらず、結局使われていないのだ。「ガンダールヴ」に、いらない子扱いをされては、怒らざるをえなかった。





対人戦闘において、むやみやたらと巨大なゴーレムを作るものは魔法レベルのみが高い戦いの素人である。巨大なゴーレムは、それだけで莫大な精神力を食うし、大きさに比例して動きも緩慢になる、的も大きくなる、魔法を行使するメイジの死角も増える。巨大になれば力が大きくなりそうな気がするが、実はそんなことは無く、よほど関節などを工夫して作るか、材質を錬金にて強化しなければ、二十メイルほどのゴーレムがほんの一メイルほどの岩すら持ち上げることが出来ない。無論、振り下ろしの一撃や、踏み潰しなどは強力だろうが、そんなとろい一撃を待っているほど人生に絶望した傭兵もまれだろう。そして、この傭兵団の団長は素人ではない。

わざわざ、ラ・ロシェールの町外れまで行って土のゴーレムを調達してきたのは、膨大な量の土が欲しかったからである。





始まってしまえば、メイジとの戦いはスピード勝負だ、焼かれる前に、吹き飛ばされる前に、押し流される前に、ゴーレムを作られる前に、宙に浮かされる前に、あるいは見つかる前に、こちらに注意を向けられる前に、そしてメイジの詠唱が終わる前に、戦いの趨勢を決しなければやられるのは間違いなくこちらである。相手が子供だなんだは関係ない。そう、敵が恐るべきメイジである場合には。

ギーシュの作った岩壁は破られ、全身を甲冑で包んだ傭兵隊がなだれ込んで……これない。
まるで、木琴でも叩いたような澄んだ音と共に、入り口ではじかれてしまう。一気に突入しようとした一団はおおよそ20人ほど、一番乗りをしようとした傭兵は、そのまま後続の仲間に押しつぶされてしまう。ついでに、突貫しようとしたギーシュのゴーレム「ワルキューレ」も入り口で弾き飛ばされ、はじかれた先のギーシュとぶつかってしまう。

「あたー、なんだなんだ一体」
「ギーシュ、ごめん。 大丈夫」

ほんの一瞬だったが、入り口に八角形の光の波紋が浮かびすぐに消えていった。

突撃がはじかれた傭兵たちは、つぶされた仲間を引きずりすぐさま下がった。続いて、後衛の弓兵が、恐るべき正確さと威力で次々と矢を射掛けてくる。どのような材質の矢じりなのか、固定化がかかっているという壁にやすやすと刺さってくる。だが、それも壁には刺さるが、何もないはずの入り口からは一矢たりとも入ってこないのだ。

「なんだいこれ?」

ミス・ロングビルが指を刺す先には、頑丈な扉があった空間、先ほどまではギーシュが慌てて作った岩壁があった入り口である。だが、すでに両方ともバラバラに壊され床に散らばっている。
ギーシュには修復の暇も精神力もない。何もないはずの空間に、なぜか見えない障壁があった。
ポーンポーンと、緊張感のない音と共に矢がはじかれている。ミス・ロングビルは恐る恐る指を伸ばす。

ミス・ロングビル、またの名を貴族専門の怪盗「土くれのフーケ」そして、運命が彼女の人生を引き裂く前の名前はマチルダ・オブ・サウスゴータ。今から行こうとしているアルビオン王国でも、有数の貴族の名前を持っていたのだ。彼女がマチルダであった時間、彼女は確かに最高の教育を受けていた。それこそ、礼儀作法から魔法にいたるまで、その彼女にしてからこんな魔法は見たことも聞いたこともない。

「ミス・ロングビル! 急いでください!」

大声を出され、ビクッとする。 振り返り、頼まれごとを思い出した。

「ああ、ああ、そう、そうだね」

シンジにいわれるままに、奇妙な形の棍棒を作り出す。大方は床下の黒土を錬金したが、つなぎが欲しい為、シンジの投げナイフの固定化を解除して混ぜ込んだ。握りは細く、徐々に太くしていき、1メイルちょいほどの長さ。 表面に突起などはついておらず太い椅子の足のようだ。(ぶっちゃけ金属バットである)
ちょっとだけ先端を膨らませ、メイスを完成させた。そして、ついでにトライアングルクラスの「固定化」を満遍なくかけたのだ。なるほど、彼ならこのくらいの長さのほうが使いやすいだろう。
シンジはそれを受け取ると二三回振ってみて感触を確かめた。





今は、散発的に矢が飛んでくるぐらいで攻撃そのものは止んでいる。傭兵たちも、入り口を守っているのがどのような魔法か解らない為、突撃もしてこない。もちろん、逃がさないよう、遠巻きに取り巻いてはいるが。
先ほど、巨大なゴーレムの肩に乗っていたこの襲撃者の集団の長らしき男が、自分のゴーレムを分解し土の山とした。そこから、1メイルほどゴーレムを何十体も作り、入り口の周りに配置させる。そうしてから、そのゴーレムはすぐに分解され、土に戻る。
今、入り口近くの石畳の道路は半径百メイルほどに渡り、土が敷き詰められていた。

「デルフ、彼等が今何をやってるかわかる?」
「……」
「そんなに怒んないでよ。 あいつらの装備を見たろ、デルフじゃすぐに折れちゃうよ」

この「ガンダールヴ」に使われることを自分で望んだとは言え、今の状況はいかにも情けない。思い出してみれば、ルイズがデルフを買ったのは、シンジの秘密を探るスパイとしてであり、剣の役目にはさほど重きを置いてはいない。

「バカヤロウ! あんなヘナチョコ鎧に負けてたまるかよ! 自慢じゃねえがオイラはハンマーを叩きつけられても刃こぼれ一つしなかった実績があるんだよ!」

刃などボロボロのデルフが言っても、全然説得力がない。

「はいはい、それより敵を探ってよ」

「ちっくしょう、信用してねえな。……ありゃあ「ガーデン(庭)」だな、めんどくせぇラインスペルを出してきやがったな」
「ライン・スペル? じゃあ敵はライン・メイジ?」
「それは、ちょっと違う。 実戦においてトライアングル・メイジがトライアングル・スペルをバンバン唱えていたら、すぐに精神力が尽きてしまう。ああいう傭兵メイジは、効率よく魔法を使うことに長けているから、普通は自分のレベルより下の魔法をうまく使うもんなんだ。しかし、「ガーデン」とはね」

シンジと一緒に入り口から外を観察しながら、ギーシュが説明を加える。もともと、田んぼや畑などを荒らす害獣対策に使われる広域魔法である。術者が掛けた魔法が切れるまで、半自動で反応し、獣や畑泥棒などの侵入者を追っ払うのに使われる。いきなり案山子が生える物、足を引っかける罠を出す物、小さな手で敵を掴まえようとする物など、魔法の効果は様々だが、いずれの効果も広く薄く弱い、敵の足を止めてそこに矢の雨を降らせる戦術なのだろう。

「よし、ちょっと威力偵察だ、シンジ入り口を開けてくれ」

ギーシュがそう言って、錬成したゴーレム二体を突っ込ませる。普通の人間並みに素早い動きで、敵に突っ込むが、10メイルも進まないうちに地面から飛び出した細く尖った岩で、足を取られ転ばされる。そうして、起き上がる前に傭兵たちは各々が手に持ったハンマーや斧などで手足をもいでいくのだ。

「あちゃー、なんでかしらないけど、こっちの戦力と戦術は読まれてるっぽいな」
「ねえデルフ、魔法が発動する前に、素早く走っていって杖を折っちゃうって言うのはどうかな?」
「やめとけ、そんな甘い魔法じゃねえよ。地面をふんだらすぐに発動するんだ。素早く走れねえよう、適当にデコボコだしな」
「じゃあ、なんで敵の兵隊はその土の上を歩いても平気なの?」
「今、杖を持ち上げて地面に接触させないようにしているからさ。 だけどあれを下ろせばすぐに精神力は地面に伝わり、魔法は発動する。 遠距離魔法で攻撃するか、フライで奇襲するかだな」

ギーシュには遠距離攻撃の手段はなく、彼のフライではたどり着く前に矢か敵の銃で撃ち落されるだろう。

「やるしかないか……」

シンジは昼間、傭兵から奪ったフリントロック銃を取り出す。敵のメイジまでの距離は約120メイル、この銃では残念ながら射程ぎりぎりだろう。銃は3丁、一丁につき1発づつの弾、修正は不可能だ。弾の形状、火薬の量、風向きでこの旧式の銃の弾道はいくらでも反れるだろう。
ライフリングすら、正確かどうか怪しいものだ。

「どうか、手足に当りますように」

シンジは床に寝て、銃を構える。月明かりで敵はよく見える。そして握った武器に合わせ「ガンダールヴ」が発動する。
シンジたちは、反撃を始めた。





「とにかく、足止めをといわれたんで、こうしましたが、長くは持ちませんぜ。時間がたちゃあ衛兵も出てくる。町の人間もこの騒ぎに集まってくる」
「とりあえずは、これでよい。敵を倒さずとも分断できればな」
「旦那はそれでよくとも、あっしらは仲間をやられていますんでね」
「ふん、では好きにしろ。俺は敵の本隊を追いかける。一言いっておくが、ガキとは言え油断するなよ。戦闘力だけならスクエアメイジ並だとでも思っておけ。そら、残りの金だ」

白仮面の男は金袋を団長に放り投げる。それを受けるために、片手を伸ばしキャッチ、そのためわずかに体が横にずれる。

「へへ、まいどあ……」

ぱしん、と乾いた音と共に杖をもっていた手の甲に衝撃が走った。空中で受け取るはずの金袋がその手からこぼれ地面に投げ出される。

「あん」
「団長! 敵が!」
「な……」

傭兵たちの着ている鎧は、対魔法戦用に耐衝撃、耐熱に優れる。銃といえども、この距離では打ち抜くことは出来ない。それでも手甲などは、比較的薄く出来ているため、その衝撃を殺しきれず杖と金袋を取り落としてしまった。

「……んだと」

かがんで、自分の杖(スタッフ)を拾い、改めて宿のほうを見据える。 5秒ほどの動作だ。
月明かりのせいで、こちらは明るく宿の入り口は暗いが、こう広いと敵がどう出てこようと丸見えであり、何の問題もない。足元でパカーンと金属音がして右足に激痛が走った。

「んがー!」

銃弾が恐ろしい偶然で手の甲に当たり、杖を取り落としたのを確認すると、シンジは作ってもらったメイスを片手に走った。シンジは突っ込むと、足をねらった。 
片手で金属バットを振り回し、一番ねらいやすかったためでもあるが、シンジのイメージ的に、命に別状がなさそうな部位でもある。

団長の悲鳴を皮切りに、次々と悲鳴と金属音が上がっていった。弓兵はこう乱戦だと役には立たない、槍や剣はかわされる。何人かのメイジ兵は空中に逃れるが、空に浮かんでいては攻撃手段がない。別のメイジと一緒に、一人がレビテーションで何人かを一緒に浮かせればよかったが、いきなりの混乱でその余裕がなかった。おまけに、空中から俯瞰しても敵は影しか見えない。
見えない、おまけに素早い敵を相手に、歴戦の傭兵たちが手も足も出ずにやられていった。

シンジが、白い仮面の男に迫る。

「ふふん」

白い仮面の男は、団長がやられたときから、呪文の詠唱を始めていた。次々とやられる傭兵たちを無視して逃げてもよかったのだが、気が変わったのかそうはしなかった。
呪文の詠唱はすでに終わり、その効果として男の周りをリング状の風が幾重にも取り巻いている。
奇妙なことに、その男を取り巻いている風は、一段毎に反転をしていた。風と風は擦れあい、「発電」を行っている。風メイジの高位スペル「ライトニング」、その前準備だった。
「放電」はもう間に合わないだろうが、敵が迫ってきているこの状態ではその必要はないだろう。

「やべえ、とまれー!」
「え」

デルフの大声に驚いて、白仮面の男の足を殴りつけた瞬間に、メイスの手を離したが、バチン!と空気がふるえ、稲妻がシンジの体をしたたかに通電し、彼を弾き飛ばした。高速移動中でバランスを崩したシンジは地面の上を、際限なく転がっていく。

「ぐうあああああああああ!」

シンジはうめいた。 左腕が焼け付くように痛い。 見ると、電撃のあとが服を焦がしている。
左腕が焼きごてを当てたように、大やけどをしていた。痛みと驚きで、シンジは気絶してしまった。
味方ははるか後方。動ける敵はわずかだが、フライやレビテーションで難を逃れたメイジが何人かいる。
動きの止まった謎の敵に、矢が、槍が、刃が、そして魔法が殺到した。







[10793] 第二十二話 アルビオンへ その5
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:92c06cc6
Date: 2013/03/10 05:45


ワルドたちが船上に現れると、作業中だったらしい船員たちが出迎えた。
ワルドとルイズは、今は貴族の象徴たるマントを羽織らず旅行中の裕福な商人とその恋人のような格好をしている。
軍杖剣は腰に刺しておけば普通の細剣(レイピア)と見分けがつかず、小さな手持ちの杖(ワンド)は上着の中だ。
風竜に乗り現れたのは、そうとうびっくりしたようだが、ワルドが割符のようなものを見せると、船員たちはすぐに船長を呼びに行った。
ワルドは、ルイズを手元に引き寄せ、それ以外の女性3人に言った。

「ここまでのご協力感謝するよ。だが君らはもう戻りたまえ。あとは大人の仕事だ」
「あら、あたしたちもアルビオンに行くつもりですわよ」
 
キュルケが、“こんな、面白そうなことを見逃してたまるものか”といった風情でワルドを睨む。

「わかっているだろうが、ことは国家機密に属するものだ。おまけに、君らもたった今巻き込まれたばかりだろう。危険が大きすぎる」

しかしワルドは、“ガキの駄々に付き合っていられるか”とばかりにそっけない。

「そうよ、キュルケ。遊びじゃないのよ!」

背が低く、顔だちが幼いルイズが言うと、子供が大人の真似をして背伸びしているようにしか聞こえない。
タバサが口を開く。

「……たしかに、あたしたちが行く意味はあまりない。おまけに内政干渉になる恐れもある。これ以上は邪魔になるだけ。わたしたちはここで別れたほうが良い」
「あたしは行くわよ。誰が何と言おうと!」

女性4人でわいわい騒いでいると、この船の船長らしい初老の男がやってきた。

「これはこれは、こんな時間にどうなされました?」
「船長。予定が早まったが、風石は十分か?」
「昼間言われました通り、準備は整っております。しかしこのような夜中に?」
「街中で襲われた、今も敵が迫ってきている。仲間が食い止めてくれているが、正直いつまでもつかはわからない」

ワルドの“いつまでもつかはわからない”の所でルイズがビクリと反応する。

「すまないルイズ、無神経なことを言ってしまった」
「い、いいえ、あたしこそ覚悟が足らなかったわ。すべてを納得してこの任務を引き受けたはずなのに」
「心配するな。彼は「国一番のメイジ様」が作った「偏在」を倒した男だぞ。めったなことじゃ死にはしないさ」

昨晩のルイズのセリフを取って、心配するなと励ました。それから、キュルケ、タバサ、モンモランシーに向かい言い放った。

「諸君、聞いての通りだ。これ以降は同行させるわけにはいかない。風竜に乗り、学院にもどりたまえ。いなやは無しだ。これ以上グダグダ言うようなら実力でたたき出す」

口調としてはむしろ静かな言い様であったが、有無を言わせぬ迫力があった。結果として、上記の三人はしぶしぶながら船から下ろされる事となった。

「出航だ!もやいを放て!帆を打て!」


第二十二話 アルビオンヘ その5


高速移動中でバランスを崩されたシンジは、地面の上を際限なく転がっていく。動きの止まった謎の敵に、間髪を入れず矢が、槍が、刃が、そして魔法が殺到した。

「相棒ーぅ!!」

背中の魔剣の絶叫が響き渡る。風メイジの一人が放ったウインドブレイクが土砂を巻き上げ、傭兵たちから視界を奪う。

「バカヤロウ!慌てんじゃねえよ!おめえら一旦離れろ」

足をへし折られ、さっきまで悶絶していた団長も復活したようだ。月明かりの元とは言え、このような土砂の煙のせいで同士討ちもつまらない。

「じゃあな、後は好きにしたまえ」

そういうと、白仮面の男はフライで飛び上がり夜空に消えてしまう。

「あ、ちょっ。ちぇ、愛想のねえ野郎だ。まあいい」

傭兵団長は、意識のある風メイジに舞い上がった土砂の煙を吹き飛ばすよう命じる。呪文は『ウインド』だ、風をふかす基本魔法を広場に向かい吹きつける。見る見るうちに、煙は晴れたが、あのすばしっこい小僧の姿はどこにも無かった。

やがて、どこからともなく剣戟の音が聞こえてくる。傭兵の一人が上空を指差す。

「上だ!!」

そこには、月明かりの元、シルエットのみを交差させて戦うシンジと白仮面の姿があった。





タン、タン、タン、タタタタタタ。
階段を、二段三段飛ばしで駆け上がってくるようなその音に、白仮面の男は慌てて振り返る。ありえないことに敵の少年は空中を走って追いついてきた。
一瞬、フライか?とも思ったが少年のそれは重力のくびきを断ち切ったメイジのそれではなく、まさに見えない階段の上を昇っているようだ。

「ぬう」

シンジと空中で相対する白仮面はその戦術にうめきを漏らす。しかし、すぐに声を出したのを恥じるかのように黙り込む。シンジはぶつぶつと何事かをつぶやいているが、声が小さくおまけに戦闘中とあって、聞き取ることは高位の風メイジであろうこの男にしても難しい。
白仮面の男は、悠然と空中に立つこの少年に向かい、何度も攻撃を仕掛けているのだが、まさしく空中で走るがごとく移動され、こちらの攻撃はことごとくかわされる。

魔法で攻撃しようにも、フライを使っているため精神力をそちらに使うことが出来ない。
何度かの自由落下の最中に「ブレイド」を唱えることに成功し、それで自らを魔法の矢と変え特攻を繰り返すばかりだ。

『フライ』は『レビテーション』と『風操作』を合わせた魔法のため「浮かぶ」「進む」「曲がる」は得意だが、急停止やあまり鋭角に曲がることなどは不得意である。あまり急激に慣性を殺すと、魔法体である自分でも身を保つことが難しい。
かといって、ゆっくり飛んで近づくわけにも行かない。空中ですら、彼の『ガンダールヴ』は健在だ。
謎の力で空中に足場を作り、そこをすばやく移動している。だが、上下の移動がイマイチで、三次元の移動及び戦闘に慣れたメイジを捕らえきれずにいるようだ。
だが、ものの数十秒でコツを掴んだようで剣を片手に、逃げる白仮面を追い詰め始める。白仮面の男も覚悟を決めたのか、逃げ回るのをやめ対峙するように少年を見据える。

数瞬の睨み合いの後、先に仕掛けたのは白仮面の男のほうだった。自らの魔法体をすべて『ウインドブレイク』と変え突撃をしたのだ。

響き渡る轟音。

地上で戦いを見ていたものすべてに、その余波としての爆風が降り注いだ。

白い仮面の男が自爆し、その爆発の中心にいたシンジは剣を前方にまっすぐに構え空中に立っていた。その姿には特に外傷は見えず、白仮面の自爆は回避したか、もしくはどうにかして防いだようだった。

「相棒、大丈夫かい」

だが、シンジからの返事はなく、足元に展開していたATフィールドも彼を支えられないほどに弱くなっていった。その当然の帰結として、墜ちたら怪我ではすまないであろう上空から落下し始めた。戦っている最中でさえそれは怪しかったが、シンジにはすでに意識はなかった。

「おい!相棒!目をさませ!おいってば!」

デルフが呼びかけるが、シンジは目を覚まさず、またデルフにもこういった際に使い手を守ることが出来るような能力は持っていない。





「空中を走ってる!」

風メイジのレベルは「フライ」のスピード及び小回りの半径でも計ることができる。それは、素人目にもトライアングル以上のものだった。
数合の打ち合いの後、謎の仮面のメイジは空中のシンジに対し特攻を仕掛けたのだ。それを空船より追い出され、学園に帰る途中のタバサ達が目撃をしたのだ。
空中戦と呼ぶにふさわしいそれは、学生レベルで手を出すことの叶わないものであったため、風竜の背中に乗る三人はただ遠巻きに見ていることしか出来なかった。

そして、謎のメイジの特攻。爆発。 
ゆっくりと墜ちていくシンジ。

終わりか!と思われた瞬間に彼めがけ飛んできた幻獣がいた。ワルドの騎獣であるグリフォンである。それは器用に空中でシンジを背中で受け止めると、ゆっくり地面へと降りていった。





何割かの傭兵たちはまだ戦えたが、いきなり空から降ってきた風竜とそれに乗った三人の女メイジには抵抗するすべを持たなかった。傭兵団の七~八割がたの傭兵たちが足を折られて戦闘不能だったのだ。
つまり、シンジ一人で傭兵団をすべてつぶしたようなものである。
キュルケが、杖の先にトライアングルレベルの炎を灯すだけで状況のわかった傭兵たちは皆降参した。

「なによ、つまんないわね!男ならちょっとは抵抗しなさいよ!」

たまった鬱憤をぶつける相手が何もしないうちに降参してしまい憤懣やる形無しである。とりあえず、杖やら武器やらを捨てさせた。

「キュルケ!悪いけど、そいつら見張ってて。あたしは使い魔君のほうを見に行くわ」

モンモラシーがそう言って、シンジに駆け寄る。タバサはシルフィードに乗り、上空から傭兵たちを見張っている。

「え!ああんもう、つまんないわねぇ。あたしもそっちがよかったのに」

そうは言っても、純粋な火メイジであるキュルケが行っても仕方がない。モンモランシーは、暗い中すばやく「診断」をつむぎシンジの容態を診た。

「とりあえず、怪我はないわね」
「あ~らモンモランシー。随分と腕を上げたじゃない」

キュルケは傭兵たちの見張りを少しの間タバサにまかせ、シンジの様子を見に来た

「は、なに言ってるの」
「だって、それ」

キュルケは杖先に松明代わりの炎を灯し宙に浮かせている。その炎は、グリフォンの背にうつ伏せで横たわるシンジの姿を明々と照らし出した。

「うっそ、なにこれ」

シンジの服は、どこもかしこもボロボロだ右の袖などは焼け焦げている。
キュルケたちは見ていないが、高速で移動中に謎の風メイジの「ライトニング・クラウド」に突っこんでしまい、派手に転ばされたのだ。
敵の土メイジの運んできた土の上とはいえ、シンジの着る服の結構厚い生地が擦り切れ、あちこち素肌が見えている。見るからに無傷はありえない。モンモランシーは魔法により「診て」いたために彼のその惨状に気が付かなかったのだ。

(気をつけて、町の入り口方向から百人ぐらいの人数が近づいてくる)

タバサが『伝声』により、キュルケとモンモランシーに警告を発した。二人は慌てて、シルフィードに飛び移る。シンジを乗せたグリフォンも空中に逃れた。

「あら、あれは」

やってきたのは十数頭の馬に乗り、駆けつけた詰め所の騎士達。
その先頭は、なんとギーシュだ。 彼は三体の青銅製ゴーレムを従え、馬の後ろには、彼の使い魔「ヴェルダンデ」を乗せている。
ギーシュの右後方の馬には、ミス・ロングビル、彼女は呆れたことに二十数体もの土製ゴーレムを引き連れ駆けつけている。

「シンジー!無事かー!ギーシュ・ド・グラモンただいま参上!」





それは、偶然だった。
錬金の材料たる土を手に入れるため、床に開けた穴より、なんとギーシュの使い魔たるジャイアントモールの「ヴェルダンデ」が現れたのだ。
ギーシュはミス・ロングビルや店内に残っていた客のメイジ達と協力しヴェルダンデの開けた穴を「錬金」で広げ皆で脱出したのだ。
だが敵にはトライアングル以上の土メイジがいることは確実なため、おとなしく逃がしてはくれそうも無い。
そのため、シンジが囮となりその注意を地下に向けさせないようにした。その間に脱出した皆で助けを呼ぶ、大雑把ではあるがこれが急遽立てられた作戦だった。
ギーシュは、そう皆に説明する。





ルイズは甲板で、離れていく地上を見つめていた。彼女は襲撃の際にも何も出来なかったことが歯がゆく、また情けなかった。
ワルドは大きく張った船の帆に風をあて、操船を手伝っていた。どうやら、風石は結構ギリギリでおまけに積荷の「硫黄」がかなりの重量になるらしかった。
ルイズは、この船が貸し切りか、もしくは偽装された軍船と思っていたため、ワルドが風石代わりに働かされるとは思っていなかったのだ。
ワルドは地上を眺めては、ため息をつくルイズを見て声を掛けた。

「ルイズ、大丈夫かい」
「ええ、ジャンごめんなさい。わたしは大丈夫」
「そうか、だが無理はするな。船室で休んでいたらどうだい」
「ジャン、あなたこそ戦ったり、操船のための魔法を使ったりで疲れているのではなくて」
「おいおい、ルイズ。僕は軍人だぜ。「風」(ウインド)ごときでへばっていたら君の使い魔君に顔向けできんよ」
「……」
「あ~、すまない。そういう意味じゃないんだ」
「ううん、いいの。わたしが「ゼロ」のせいであいつに苦労させてるのは本当だもの」
「シンジ君か。彼は本当に何者なんだろうね」

ワルドは小ぶりの杖を帆に向けて、風を送り続けている。さすがにスクエアクラスのそれは力強く、積荷を満載した空船を強力に押し上げていく。
ワルドは、腰の軍杖剣と、子供のころから握り締め呪文を唱えていた杖を使い分けていた。
メイジ(貴族)は通常一本の杖としか契約をしない。契約を施し手になじんだものでなければ魔法は発動しないからだ。
だが、魔法衛士となり支給された軍杖剣とも契約を行い、二本ともに使いこなしていた。

「……伝説の使い魔で、神話の英雄で……」
「ルイズ。「精霊の神話」は作り話だよ」
「……」
「あれは、「エッダ」(北欧神話)の焼き直しだ。登場人物は皆、神様たちのオマージュだよ」
「……五人のゴーレム使いは、「ロキ」(北欧神話におけるトリックスター、そのエピソードにより善神であり悪神であり、男であり女であり、知恵者であり間抜けであり、勇敢であり臆病である)の性質と性格をそなえ、「エッダ」に比べ矛盾が少なくなっている。三つの階層世界の九つの国のあちこちから敵を想像し、主人公に敵対させた。……だったかしら?」
「なんだい、君も読んでいたのか。そう、そしてロキの生んだ怪物をロキと対決させたのさ。水の精霊は入植したわれわれと接触し、その知識を得て自分流に書き換えたんだろう」
「水の精霊は単体で生存が可能な生物で、人と接触するまでは「言葉」を持たなかったと推測される。したがって「物語」をつむぐことも出来ないはず」
「そうだね、「先住言語」を持っていたとする学者もいるが、それ自体が未確認だからねえ」
「そうね、水の精霊が嘘をつかないのも、結局はわたしたちと生態系が違いすぎて、その必要がないからでしょうしね。でも知恵はすべて、他の生物を騙すために発達したと何かの本で読んだことがあるわ。それが生きるために必要だったからと、だとすると水の精霊と人間はどれほど辛い目にあってきたのかしら」
「「エッダ」においては世界中が神々の戦争に巻き込まれ、人間は二人の男女のみが世界樹の大きな実の中(ホッドミミルの森)に隠れ生き延びたとあるし、自分勝手な神様たちと同じ世界で暮らすのは十分辛かっただろうね」

「リーヴとリーヴスラシル(北欧神話におけるアダムとイヴのような存在)ね」
「そういえば、使い魔の名前に「エッダ」からの借用が多いのに、この二人はあまり聞かないね。
やはり人間だからかな」
「強そうな神様や、モンスターが山ほどいるのだからわざわざ人間の名前をつけようとは思わなかったのでしょう。 ギーシュのジャイアントモールなんて時の女神たる「ヴェルダンデ」だもの」
「そういえば、ルイズ。本当はどんな使い魔がよかったんだい?やはりドラゴン系かな」
「本当のことを言えば、馬がよかった」
「ペガサスとかユニコーンとか?」

ちなみにペガサスは風を、ユニコーンは水を象徴とする幻獣である。

「ううん、そんな贅沢は言わない。まだ人を乗せられないようなただの子馬でよかった。だって、それなら一緒に成長できるから。あたしが学院を卒業するころには、きっと立派な……」

ルイズはそこまで言って、急に黙り込む。

「……ありがとう、ジャン。また、気を使わせてしまったのかしら」
「どういたしましてルイズ。男の義務の内だよ。どうだい、多少は気晴らしになったかな」
「ええ、ありがとうジャン。やはり少し休ませてもらうわ」
「ああ、そうしたまえ。到着は明日の昼ごろのはずだ」

ワルドに促され、船室に向かう途中、ルイズはポツリとつぶやく。

「ううん、わたしの使い魔。それだけで十分よ」




[10793] 第二十三話 亡国の王子
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:130becec
Date: 2013/03/11 20:58


「アルビオンが見えたぞー!」

鐘楼(マストにある見張り台)の上に立った見張りの船員が大声を上げた。

船員たちの声と眩しい光で、ルイズは目を覚ました。青空が広がっている、舳先から下を覗き込むと、白い雲が広がっていた。アルビオン行きの空を飛ぶ船は雲の上を進んでいるのだ。

雲の切れ間から、黒々と大陸が覗いていた。大陸は視界の続く限り途切れることは無い。地表には山がそびえ、川が流れている。巨大としか言いようの無いその光景。これこそが、ハルケギニア最大の謎、空中に浮かぶ大陸アルビオンである。

そして、大陸の大河からあふれ出る水が滝となり、やがては白い霧となり浮遊大陸アルビオンの下半分を隠している。「白の国」と呼ばれるゆえんである。ルイズはその景色を見ていた。

「はあ、いつ見てもすごいわね」

絶景に対し、ひねりの無い感想を漏らす。

「あーあ、シンジに見せたかったのに」

ついでに、ため息と共に愚痴を漏らす。

「右舷上方、雲中より接近する船!警戒せよ!」

見張りの船員が再度大声を上げた。
見れば確かに船が一隻近づいてくる。この船よりも一回りも大きい。舷側に開いた穴からは大砲が突き出ている。
ルイズは眉をひそめた。

「いやだわ、反乱勢……、貴族派の軍船かしら」

黒くタールが塗られた船体は、まさに戦う船を思わせた。こちらの船「マリーガーランド号」に二十数個も並んだ砲門を向けている。そしてよく見れば、帰属を掲を明らかにするための旗を挙げておらず、こちらの呼びかけにも応じようとしない。
そのことに、遅まきながら気が付いた船長らは慌てて船員たちに指示を飛ばす。

「逃げろー!取り舵いっぱい!」

だが、時すでに遅く、黒船は併走し始めている。そして、脅しであろう一発をマリーガーランド号の針路めがけて発射した。発射された砲弾は舳先を掠めて雲の彼方に消えていく。そのあと、停船命令の旗流信号がかの船より出された。 
はたして、その船は空賊船であった。
一応こちらにも武装はあるのだが、移動式の大砲が三門ばかり甲板に置いてあるに過ぎない。船長はワルドを助けを求めるように見つめると、当のワルドは口をへの字に曲げ、肩をすくめ言った。

「すまんが、精神力はこの船を浮かべるために打ち止めだ。仕方が無い降参したまえ」

それを聞き、船長は体中から力が抜けたようになり「これで破産だ」とつぶやいた。

「命あっての物種だよ。裏帆を打て、停船だ」


第二十三話 亡国の王子


「バルバリシア。大丈夫?重くない?」
「ホホホッ、こう見えても軍属ですのよ。あなた様お一人くらい乗っていても乗っていなくてもおんなじですわ」

シンジはワルドの騎乗幻獣であるグリフォンに乗り、ルイズたちを追いかけていた。乗せているのはシンジ一人である。地面が雲に隠れ見えないほどの上空を飛んでいるが、まるで大きな虎ほどの体躯のグリフォンの背中は広く、また鞍の助けもあり、さほど不安は無い。
なぜ、このような上空を飛ぶのかシンジにはわからなかったが、バルバリシアに任せることにしている。

「きゅーい、オネー様、オネー様。 ちょっとは交代してほしいのね」

隣を飛ぶ風韻竜のシルフィードから抗議の声が上がる。なぜか遠慮がちに。ちなみに、交代して欲しいとは、シンジのことだ。彼を乗せていると、なぜか力が沸いてくる。グリフォンは本来、風竜に併走できるほど飛行速度は出ないものだ。

「しっしっ、近づくんじゃないよ。気流が乱れるじゃないか。こちとら、あんたに姉さん扱いされるいわれは無いんだからね。大体、あたしゃ生まれて五十年も経っていないんだ。そっちはウロコの年輪から察するに二百歳以上だろうに。ますます姉だなんていわれたくないねぇ」
「ひーん、ひーん」
「ああ、ああ、でかい図体で泣くんじゃないよ。このイナカ娘!」
「ひどいのね、こう見えてもこのシルフィーは泣く子も黙る古代の……」
「お黙り!お前が韻竜に生まれたのはお前の手柄じゃないだろう!そんな生まれとか種族とか、本人の努力に関わりの無いようなことで威張ろうとするから田舎者って言われるんだよ!」
「ひーん。冷たいのね。やっぱ、都会の人?はみんな冷たいのね」

二人の(二匹の)会話は当然ながら先住言語で行われている。そのため、会話がわかる人間はシンジ一人だ。 はたから見ていると二匹の幻獣が仲良く飛んで時々鳴きあっている様にしか見えない。ギーシュなどは「幻獣同士仲がいいなあ」などとのんきな感想を漏らしていた。

「へっへっへ、姉さん気風(きっぷ)がいいねえ。おまけにオイラの相棒を気に入ってくれたようで何よりだ」

二匹の会話に割り込んだのは、なんとデルフだ。

「おやおや、インテリジェンス・ソードとはまた珍しいものを」
「デルフリンガーってんだ。よろしくな」
「デルフって芸風が広いねえ。いったい何語でしゃべってるのさ」

シンジが呆れたようにそうこぼす。

「相棒にゃ負けるよ。でもそうだな、リクツはわかんねえけど人の言葉が理解できる程度の生き物だったら、オイラの“声”が届くらしいんだ。だから何語かってのは考えたこたあねえよ」
「へえ、便利だね。インテリジェンス・ソードってみんなそうなの?」
「いやあ、あんまり他のお仲間には会ったことが無くてね。その辺はよくわかんねえ」
「ふーん」

そう言いながら、シンジは目をこする。先ほどからどうも視界が曇る。

「んん?」
「どうした?」
「いや、なんか目がおかしくて」
「疲れてんのさ」
「そうかな?」
「ああ、夕べから働きっぱなしじゃねえか。疲れねえ方がおかしいって」

デルフがとぼけた声でそういうが、何か違う感じだ。





ルイズは、シンジと離れたことを後悔した。
一緒に居さえすれば、少なくとも目の前程度の軍船など『発火』一つで炭にしてやれたものを。そう考えて、夕べワルドに言われたことを思い出す。

(敵を殺せなんていう命令は彼を傷つけるかも知れないが、それでも使い魔なんだから君が言えばおそらくは従うだろうね)

頭を軽く振り、その思考を追い出す。こんな緊急避難的なものまで躊躇していたら命がいくらあっても足らない。ここは甘い世界ではない、危険な幻獣や犯罪メイジが跳梁跋扈するハルケギニアなのだ。まして今向かっている先は、内戦中のアルビオンだ。
この任務に志願した時から、この程度の危機は覚悟していたはずではなかったか。

(覚悟を決めなさいルイズ。あんたにはトリステイン王国の未来がかかっているのよ。どんなに無力で情けなかろうと、今あんたが頼れるのはあんただけなんだからね)

ルイズはそう自分に言い聞かせると、急いで杖を背中に隠した。それから、ワルドに駆け寄る。

「ジャン、あなたの杖(ワンド)を私に。それから私は今からあなたの、うーん、メイドじゃ無理があるかしら?」

これで、ピンと来たワルドはすぐさま自分の杖(ワンド)をルイズに渡しこう言った。

「いいだろう、僕はちょいと有名人だからばれるかもしれないが、君は学生だからな。それから、服の後ろはすぐばれる。袖に入れおき“シャーリー”」

アルビオン行きの為、ちょっと厚着をしたのが功を奏したようだ。ルイズは袖のボタンを急いで外し、こう答えた。

「かしこまりました、だんな様」




乗り込んできた空賊たちに、案の定ワルドは腰の軍杖剣を取られた。ワルドの影に隠れるように小さくなっているルイズに向かい、下卑た野次を掛ける男もいたが、

「やめたまえ、大事な人質だろう。下手に手を出して価値が下がったら君らの頭にどやされるぞ」

と毅然として、その声を撥ね退けた。
そんな、小さな騒ぎを聞きつけたのか、一人の空賊が近づいてきた。元は白かったであろう、汗とグリース油に汚れ真っ黒になったシャツの胸元をはだけ、そこから赤銅色に日焼けした逞しい胸が除いている。ぼさぼさの長い黒髪は、赤い布で乱暴にまとめられ、無精ひげが顔中に生えている。そして、左の目には黒い布地にドクロの刺繍の眼帯と、絵に書いたような空賊であった。

「おめえら貴族かぁ?」

ド派手な自己主張の強い空賊が誰何する。

「いいや。残念ながら、メイジだが平民だ」

ワルドは肩をすくめ、そう答えた。トリステイン王国において、貴族はメイジのみだが逆は真たりえない。メイジの人口割合がハルケギニア四王国中最も多いトリステイン王国であるが、貴族の数は全メイジ中のさらに一割いないのだ。そんな平民メイジは、傭兵に身をやつす者もいるが、多くは職人、商業、あるいは農業を営む者のほうが主流である。(兼業傭兵もいる)
彼等は、多くの平民と違い魔法が使えるため下手な貴族よりも裕福な場合もある。

「おめえら、今時アルビオンに何しに行くんだ?」
「旅行……って言うのは信用してくれないだろうね。商売だよ」
「商売?この船の硫黄はおめえさんの商品か?」
「いいや、残念なことにね。これはあの哀れな船長のものさ」
「じゃあいったい、何を売るってんだ。今頃来たって王さま連中は三日後には消えて、内乱は終了だぜ」

ワルドの後ろに、しがみつくようにしているルイズの心臓が跳ねる。

「そいつはまだわからんさ。それに勝つ方に今更つくよりも、負けの決まった方と商売する方が美味しい場合もあるしね。だいたい、商売の相手が貴族とはかぎらんだろう」

アルビオンは空の孤島のため、大きな商会がいくつかある。アルビオンでは中々取れない食料などを輸入するためだ、それらは呆れたことに内乱中でも機能していた。
ハルケギニアの四王国と呼ばれる国には様々な特色があるが、中でもアルビオン王国は言ってみれば貿易立国といえるだろう。

「だから、そいつはなんだってんだ!」

いきなりの怒号に、ルイズは身を硬くする。

「情報は商品の一つだよ。君のような下っ端には話すわけにはいかないさ。君らのお頭にだったら話してもいいがね」
「ふん、いい度胸じゃねえか。なんなら杖無しで遊覧飛行をさせてやってもいいんだぞ」

空賊はワルドを睨みながら、脅しをかけた。だが、ワルドはひるまずに言い返す。

「死体じゃ身代金は取れんし、下手にそんなことをすれば商会を敵に回すかも知れんぞ」
「けっ、こちとら天下御免の空賊様だぜ!そんなものを恐れるとでも思ってんのか!」
「さてね、でも商人が殺されたと知れれば、皆恐れてここいら辺に近づく商船は一隻もなくなるかも知れんな」

その歳若い空賊は、もう一度「けっ」と吐き出すとルイズとワルドを指差した。

「てめえら!こいつらも運んどけ!身代金がたんまりもらえるだろうぜ」





二人は、船倉に閉じ込められた。
周りには、酒樽やら穀物のつまった袋やら、火薬樽が雑然と置かれている。「マリーガーランド」号の乗組員たちは、自分たちのものだった船の曳航を手伝わされているらしい。
幸い、ワルドが目立ったおかげか、ルイズの両袖に隠してある、二人の杖は気づかれなかったようだ。ルイズは船倉でワルドと二人っきりになると、急いで隠し持っていた杖をワルドに渡した。ワルドもまた、それを右袖の中に隠す。

(ルイズ、聞こえるかい。返事をしちゃいけない。こちらを見ても駄目だ。イラついている様に、不安を隠せないように指でそこらのものを叩いて、イエスは一回、ノーは二回だ。いいね)

ワルドは早速魔法を使い、ルイズと会話を開始する。言わずと知れた「伝声」だ、用心に越したことはない。ルイズは腰掛けた酒樽を指で“トン”と一回、イエスの意味だ。

(ではルイズ、君の考えを知りたい。床に穴を開けて、ぼくのフライで逃げ出す)

“トン、トン”と二回ノーの意味だ。

今のワルドの精神力では、例えうまく逃げ出せても陸地までの距離もわからず、おそらくは途中で魔法が切れ海に落ちるだろう。当然却下だ。
ワルドも本気ではなかったようで、ニヤリと笑う。それに、空賊たちの中に何人か杖(スタッフ)をもっているものがいた。おそらくはメイジだろう、逃げ出してもすぐに見つかる可能性が高い。

(では、ここの船長どのに何とかして近づき、人質にとる)

“トン”と一回。

こういった場合の常套手段である、それをルイズも考えていた。だが、

(ルイズ、頭に入れといてほしい。あいつらはおそらく軍人崩れだ。ぼくがあの派手な格好の空賊と話している時にそこいら中から視線を感じた。おそらく、あの空賊に襲いかかろうとしたら次の瞬間ぼくは蜂の巣になっていたろうね)

ルイズはブルッと震える。さすがにそれは予想外だった。もし、それが本当なら、いやもちろん本当なのだろう。疑う理由などはない。そうだとしたら、ルイズの考えは一手も二手もたりないかもしれない。

(いや、あたしのような経験のたりない小娘の考えなど彼等にしてみればただの妄想のようなものかもしれない。……いや、たとえそうだろうと)

そのとき扉が開いた。おそらくは空賊の一人であろう太った男が入ってくる。

「おい、おめえら。お頭がお呼びだ。出な」





シンジの乗ったグリフォンはいきなり、方向を変えた。乗り手の右手にある『ヴィンダールヴ』のルーンが激しく光る。
速く、高く、それは風韻竜のシルフィードでもついていくのがやっとのスピードだ。

「おーい、おーい!シンジー、どこに行くんだー!」

そんな、ギーシュの呼びかけにも応えることは無い。ただただ、上空の一点を目指しているような飛び方だ。

「すごい、グリフォンにこんな機動が可能だなんて」

なぜか一緒にくっついて来ているキュルケも感嘆の弁を漏らす。
やがて、急上昇を続けた二匹の幻獣は雲海を飛び出る。

真上には太陽、そして青空が広がっていた。

「「「「わーおぅ!」」」」

今、シルフィードに乗っている四人が感動の声をあげる。即ちギーシュ、タバサ、モンモランシー、キュルケである。
だが、二匹の幻獣は上昇をやめない。やがて、雲海の上を漂うように並走する二隻の空船を見つける。長いこと急上昇を続けたため、その船は手のひらよりさらに小さく見えた。

そして、グリフォンはいきなりの急降下を始める。並走する船の黒い方に向かって。




ワルドとルイズは、この空賊船の船長室に来ている。
豪華で贅沢な装飾を施したディナーテーブル。その一番の上座には先ほどの若く派手な格好の空賊がニヤニヤしながらテーブルの上に足をほうり投げて座っていた。見れば、先端に大きな精霊石のついた杖をいじっている。生半可な貴族やメイジでは持つことができないような立派なものだ。
どうやら、ワルドの指摘した通り、この男も廻りの男たちもメイジのようだった。

「おい、お前ら、お頭の前だ。挨拶しな」

驚いたことに、目の前の男がこの空賊の頭目であるらしかった。一瞬目を丸くするも、落ち着いた物腰で挨拶を交わす。

「トリスティンの商人、ジャン・シメオン・シャルダン。後ろで震えているのは私付きの女中シャーリー。よろしくお頭殿」
「ふん、お前らはあれか“花火”見学か」

彼の言う花火とは、いわゆる戦火のことではない。
王家の血によってのみ可能になる、王家の切り札。秘呪文『ヘキサゴン・スペル』
めったに撃たれることの無いこの魔法が、アルビオン王家の危機に際し、近々放たれるのではないかと、その筋では噂になっている。

メイジが二人以上で力を合わせ使う合体魔法は数々あるが、基本的に足し算である。
だが、王家の血に連なるものが力を合わせるヘキサゴン・スペルは違う。精神を共鳴させ、人の操る限界を模索したようなその威力。個人の技術である『魔法』では、唯一空軍艦に対抗しうる攻撃力を持つ。
過去に使われた例では、城も吹き飛ばす風魔法、大軍を押し流す水魔法、大地を埋め尽くす巨大なゴーレムの群れ、などが確認されている。

もちろん量において、それ以上の数のメイジを配置することはたやすいが、それほどの人数が他人の精神波と同調し、指向性と魔法発現のタイミングをぴったり揃えるとなるともはや不可能であり、虚無魔法の威力が確認できない今、間違いなく最大最強の攻撃魔法である。

だが、強力な魔法を使った際にはそれなりの反動が術者を襲う。急激に消費される精神力と巨大な魔法の制御に脳が耐え切れないのだ。
現在は、魔法研究が進み、そうそう命を落とすこともなくなったがそれでもやすやすと使用できる魔法ではない。

現在のアルビオン王家、ウェールズ王とその嫡子ウェールズ王子はそれぞれが風の系統を持ち、使用するなら純粋な風のヘキサゴン・スペルとなる。
各国の魔法研究機関がその威力を確かめるため、密かに入国しているのだ。つまりはこの空賊は二人を間諜(スパイ)ではないかと言っているのだった。

「いいや、残念ながらね」
「おめえらは、もしかしてアルビオンの貴族派かい?もしそうだったら失礼したな。俺たちは貴族派の皆さんのおかげで商売させてもらってるんだ。王党派に味方しようとする酔狂な連中がいてな。そいつらを捕まえる密命を帯びてるのさ」

それを聞き、ルイズはぶるっと怒りで震える。

「ほう、つまりはこの船は貴族派の軍船と言うわけか」
「いやいや、俺たちは雇われているわけじゃねえ。あくまで対等な関係で協力し合っているのさ。まあ、お前らには関係のねえことだがな。で、どうなんだ?」

それまで顔を伏せていたルイズが顔を上げ、その空賊を睨みつける。
ここで、自分の身分をぶちまけられればどんなに気分がいいだろう。
ふざけるなと、私たちは王党派への大使だと、このふざけた格好の空賊どもに言ってやりたかった。
しかし、出来なかった。大使としての任務を忘れていないからじゃない。自分の死を恐れたからでもない。今ここに自分が立っていられるのは、シンジとギーシュが身を張って、盾となり囮となって私たちを逃がしてくれたからだ。それを、自分の意地だけで、彼等のがんばりを無駄にするわけにはいかなかった
きゅっと唇を噛み締める。

「いや、お頭殿……」 

ワルドが何かを言いかけたときだった。
頭目の座る椅子の右脇に備え付けられた何本かの伝声管が、がんがんと音を立てる。どうやら、艦橋やら見張り台あたりと繋がっているそれを、先端の人間が叩いているらしかった。
頭目は、叩いた数で場所がわかるらしく、ワルドたちからは目を離さずに伝声管のふたを開ける。

「ちっ、ちょっと待ってくんな。……どうした」

頭目はいささか面倒そうに声をあげた。

「て、敵襲!でかいグリフォンが!」

その声は十分に大きく、その部屋の全員に聞こえた。その後起こったことは、甲板から離れたこの部屋でも十分に想像ができた。何かが激しくぶつかったような大きな音と共に、船もまた大きく揺れたからだ。

「ジャン!今よ!」

ルイズの指示でワルドは「フライ」を唱える。対象はルイズだ。
ふわりと浮かんだルイズはすばやくでかい机を飛び越え、天井すれすれを飛んで空賊の後ろに着地。

「おい、なんの……」

その男は椅子を回し、文句を言おうとしたが、

「ウル・カーノ!」

一息でつむがれる呪文。爆発する椅子の足。倒れる椅子とその椅子の主。
 
「動かないで!私は一息で魔法をつむぐことが出来る。威力は見ての通り。ジャンこちらへ」
「よくやった“シャーリー”杖はあまり近づけるな、1メイルほど離して」

ワルドも急いで倒れこんだ男の背後に回る。男がいじくりまわしていた水晶付の杖を取り上げることも忘れない。

「貴様ら!……」

男が何か言おうとした時、また伝声管が鳴る。

「出ろ」

ワルドが男に命令する。空賊頭はすごい目でワルドを睨みつけるが、諦めて伝声管のふたを開けた。

「どうしたぁ!」

不機嫌を隠し切れない声をあげる、どうやらマストの見張り台からのようだった。

「応援を請う!敵は一人とグリフォン一匹!グリフォンは甲板でぶっ倒れていますが、騎乗兵がすばやく捕らえ切れません。ああ、今、船内に入り込みました。緊急警報発令します」

すでに頭目が虜囚となっていることも知らず、何本もの伝声管ががんがん鳴っている。 船長の指示を仰ぎたいのだ。そして、伝声管からの報告を聞き、ルイズとワルドは顔を見合わせる。

☆☆☆

「シンジのヤツ、どうしちゃったんだい?あんなどこの軍船かわからない船に乗り込むなんて」
「……あの空船には帰属旗がついていない。たとえ戦争中だろうとなんだろうと、その船の帰属を明らかにするのは国際法で決められた義務なはず。それをつけていないとするならば答えは一つ」
「ちょっと、それって、空賊船ってこと?」
「ななな、何をやってくれちゃったのよ。あの使い魔君は~」
「空賊船に併走する船のマストの色や船全体の大きさは、私たちが乗り込むはずだった「マリーガーランド」号に良く似ている。ということは……」
「ルイズ達が捕まっちゃったってこと」
「私たちメイジは、使い魔の五感を「共有」で感じることができる。使い魔もまた……」
「主人の危機を感じ取ったってわけか」

急激な上昇でへとへとになったシルフィードが抗議の泣き声を上げた。

☆☆☆

軍船であるとはいえ、船内の通路は狭い。袋小路に飛び込んでしまったすばやいだけのネズミを捕らえることなど、構成員がほとんどメイジのこの船ならば容易い筈である。 
本来ならば。
だが、通路を狭く感じているのは皮肉なことに当の船員だけのようであり、侵入者は壁も天井も床のごとく使い移動し、視認することすら難しい。そして、自らの船を傷つける戦闘魔法も簡単に撃つ訳にはいかず、敵の侵入を止められない。
シンジはとうとう、船長室の前まで来ていた。
賊の抵抗も激しくなってくる。扉の前には屈強そうな男たち、後ろからも大勢の船員たちが迫ってきていた。
シンジは無表情のまま、デルフを数回壁に向かい振るう。パカリと壁が切り落とされ、新たな扉が作られた。シンジは急いでそこに飛び込む。
そして、久しぶりにご主人様との会合を果たした。

「シンジ!」

だが、件の使い魔は無表情、無感動の面持ちでその声を聞いていた。

「よくやったわ、さすがは、我が使い魔。さあこちらに来なさい」
「おおっと、どうやら。お仲間のようだな。お頭を放してもらおうか」

シンジの後ろには、屈強な男たちが手に手に武器と杖を彼の背中に向けている。どれほど素早いとは言え、この距離この室内では彼にはどうあがいても避ける術など無いであろう。

「形勢逆転、とまでは行かないが。まあ五分に戻したってところか。どうするねお嬢ちゃん」

若い頭目がニヤリと笑いそう言い放った。ワルドは慌てて、ルイズに話しかける。

「すまないルイズ。可哀想だが任務を優先してくれ」

だがルイズは、そんな二人を“ふふん”と笑う。

「シンジ。どうしたの、私はもう命令を下したわ。早くこちらに来なさい」
「ルイズ……?」

ワルドは眉をひそめる。任務を優先しろとは言ったが、このように冷酷に命令を下すとは思わなかったからだ。無論ルイズにはそんなつもりは毛頭無い。シンジはその命令に従い前に進む。

「おっと、そうは……アチッ!」

男たちの手が伸び、その少年を捕まえようとするが、その寸前で何かに指がはじかれる。
それが合図であったかのようにその体はヒュッと掻き消えた。次の瞬間に現れたのはルイズの右隣である。

「わっ、相変わらずでたらめね。でも良くやったわ」

シンジはそんなルイズの声を無視しデルフを構え賊たちを見据えていたが、いきなりはっとしたように振り返った。

「うわ、ルイズさん、どうしてこんなところに!あれここは?」





「なにもんだお前ら」

その空賊の問いは無視しても良かったが、先ほどから腹に据えかねていたのかルイズが答えた。

「あんたらみたいな薄汚い反乱軍ごときに名乗るのはもったいないけど、教えてあげるわ。私たちはアルビオン王政府へのトリステイン王国よりの使い、つまり大使よ!」

それを聞き、空賊の頭は“ひゅー”っと口笛を鳴らす。

「ほう、名は?」
「そこまで教える義理は無いわ」
「なら、何しにいくんだ?あいつらは明日にでも消えっちまうよ」
「うるさいわね。どうでもいいでしょ」

そのときに、またひどい衝撃音と共に船がゆれる。

「きゃ」
「お頭!」

あっと言う間の出来事だった。ルイズとワルドが空賊頭を人質にした時と同様に、目の前の空賊たちもチャンスをねらっていたのだろう。『レビテーション』で空賊頭を奪い返されてしまう。

これで、ルイズたちは手詰まりになってしまった。ワルドにはすでに戦えるほどの精神力は無し、シンジもふらふらの様だ。それでも、シンジはルイズの盾となるべく前へと出る。
空賊達の杖はすべて、シンジに向けられていた。

「待て!」

賊の頭目は声を荒げ、部下の暴発を制御する。

「王党派といったな?」
「言ったわ!」
「貴族派につく気は無いかね?お嬢ちゃんもそこの小僧も、ひげの兄ちゃんもいい腕だ。きっと、礼金も弾んでくれるぜ」

裏切る気は無いか!その男はそう言っていた。もちろん言外に、さもなくば……と言っているのだ。
ルイズは震える、怖い、怖いのだ。それでも目の前の男を睨みつけることをやめはしない。

「死んでもイヤよ!」

ルイズは決断し、そう言い放った。心の中の大事なものを見据え、それを壊そうとするものと戦っているのだ。

「もう一度言う。貴族派につく気は無いか?」
「つかない。彼女は薄汚い裏切りはしない!」

ルイズの代わりに答えたのはシンジだった。

「祖国と友達を決して裏切らない!」
「貴様はなんだ?」

頭がじろりとシンジを睨んだ。人を射すくめるのに慣れた眼光だった。それでもシンジはルイズと視線を共に空賊頭を睨みつける。

「僕は……僕は彼女のただの友達だ」
「友達だぁ?」
「そうだ!」

頭目は笑った、大声で笑った。

「トリステイン貴族は、気ばかり強くってどうしようもないなぁ。まあ、どこぞの国の恥知らずどもより何百倍もマシだがね」

そう言って、またひとしきり大笑いをした。

「失礼した。貴族に名乗らせるなら、こちらから名乗らなくてはな」
「頭!」

空賊の一人が驚いたように叫ぶ。そして頭目はその叫びに負けないくらいの大声を出した

「アッテンション!!」 (気をつけ!)

今までこちらに杖を向けていた空賊たちは、一斉に直立した。
頭目は縮れた黒髪をはいだ。なんとそれはカツラだった。派手なドクロ模様の眼帯と、付け髭をびりっとはいだ。すると、現れたのは凛々しい金髪の若者であった。

「私はアルビオン王立空軍大将、本国艦隊司令長官……。本国艦隊といっても、すでに本艦『イーグル』号しか存在しない無力な艦隊だがね。まあ、その肩書きよりこう言った方が通りが良いだろう。アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」

ルイズは口をあんぐりと開けた。ワルドは興味深そうにいきなり名乗った皇太子を見つめている。シンジは油断無く皇太子殿下を見張りいまだ剣を下ろそうとはしなかった。

「アルビオン王国へようこそ大使殿。さて、御用の向きをうかがおうか」
「あなたが、本物の王子様というのでしたら、何か証しとなるものはありますか?」

シンジには、いや、ルイズでさえ目の前の人物が本物の皇太子かどうかわからない。
それを聞きウェールズは笑う。

「用心深いな君は、中々見所がある。まあ、さっきまでの顔を見れば仕方が無い。だが、僕はウェールズだよ。正真正銘の皇太子さ。では証拠をお見せしよう」

ウェールズはルイズの指に光る水のルビーを見つめていた。自分の薬指に光る指輪を外すと、ルイズに投げてよこしたのだ。ルイズはそれを空中で捕まえる。

「君の指に嵌っているのはアンリエッタの「水のルビー」だ。そうだね?」
「は、はい」

ルイズは素直にうなずく。

「今、君に投げたそれを近づけてみたまえ」

言われた通りに二つを近づけると、宝石は共鳴しあい虹色の光を辺りに振りまいた。

「水と風は虹を作る。王家の間にかかる虹を」

皇太子が無造作に投げてよこした指輪は、アルビオン王国のハルケギニア大陸でもそれと知られた秘宝の一つ、風のルビーだった。





先ほどのルイズにとっての二度目の船の揺れは、シルフィードの墜落によるものだった。無茶な高機動と高高度上昇は、シルフィードとバルバリシアにとってかなりの負担になったらしく、バルバリシアは船に着地したとたんに気絶してしまい、シルフィードも風竜とはいえ人間を四人と二百リーブル(約百キロ)近いギーシュの使い魔を乗せてのそれは力尽きるのに十分だったようだ。
勝手に付いて来た事に関しては、ギーシュのフォローで事なきを得た。無論あとでワルド子爵にこってり絞られたようだが。
いきなり、軍船に特攻をかましたシンジには皆呆れていたが、あとで事情を聞きそれなりに納得していた。
使い魔の行動としてはありえない範疇の出来事でもなかったからである。





ルイズ達はアルビオン王室所属の軍艦『イーグル』号へ正式に招かれた。

変装を解いたウェールズは、ワルドが奪っていた精霊石付の魔法の杖(王錫、キングティン)を腰に下げる。
ルイズがごく自然な動作で跪くと、それに習ってシンジもデルフリンガーを床に置いて、ルイズの斜め後ろで跪いた。ワルドはルイズの傍らで、手を胸に当て、直立している。

「大変、失礼を致しました…」

空賊の変装をしていたとしても、ルイズが杖を突きつけた事実は覆らない。心底申し訳ない気持ちでウェールズに謝罪した。

「ははは!なに、大使殿は害をなそうとした空賊に杖を突きつけたのだ、むしろ賞賛されるべきだろう。……そして、恥じ入るべきは我々だ。真に失礼をいたした。しかしながら外国に我々の味方の貴族がいるなどとは、夢にも思わなかった。君たちを試すようなことをしてまことにすまない」

そう、イタズラっぽく笑いながらルイズの謝罪を受けた。そこで急にまじめな顔をして言った。

「金持ちの反乱軍には続々と補給物資が送り込まれている。敵の補給路を絶つのは戦の基本…だが、堂々と王軍の軍艦旗を掲げ補給路を断つべく船を動かしても、圧倒的な大群に囲まれてしまうだろう。空賊を装うのも、いたしかたない。そう思ってくれぬか……」

視線を落とし、恥ずかしげにそう漏らす。
戦争中とはいえ、そこにはルールがある。帰属を明らかにせずに空賊行為を行うのは重大なルール違反である。何よりも誇りを持ってなる貴族、そして貴族の長たる王族がして良いものではない。
もし仮に、彼等王党派がこの内戦に勝利したとしても、この事実はアルビオン王政府にとっての大きな傷となることだろう。つまり、彼等にはもう勝ちの目が無く、本人もそれがよくわかっていての行動だった。
ワルドは口を開いた。

「アンリエッタ姫殿下より、密書を言付かって参りました。私はトリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵にございます」

改めてルイズたちを紹介するため、優雅に掌を見せてルイズ達へと視線を促す。

「こちらが、姫殿下より大使の大任を仰せつかった、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢。そしてその使い魔の少年にございます。殿下」
「なんともはや!今日は驚くことばかりの日だ!トリステインの若き英雄、ワルド子爵にヴァルハラ以外で会える日がこようとは。ラ・ヴァリエール嬢とは、あの公爵のご令嬢か。お目にかかれて真に光栄だ。そしてまた、この少年は先ほど彼女の友人といっていたが、使い魔とはどういう意味だね?」
「それについては後ほど、まずは密書をご覧下さい」

ワルドに促され、ルイズは恭しくウェールズに近づき、手にしたアンリエッタの手紙を手渡した。
ウェールズは、愛おしそうにその手紙を見つめると、花押に接吻した。それから、慎重に封を開き、中の便箋を読み始めた。
真剣な顔で手紙を読んでいたが、そのうちに顔を上げた。

「姫は結婚するのか?あの、愛らしいアンリエッタが。 私の可愛い……、従妹は」

ワルドは無言で頭を下げる、肯定の意だ。再び手紙に視線を落とすと、最後の一行まで読み切り、少し悲しげに微笑んだ。読み切った手紙を封に仕舞うと、ウェールズはルイズ達を見て告げる。

「了解した。姫は件の手紙を返して欲しいとこの私に告げている。姫から貰った手紙は私の宝でもあるが、姫の望みは私の望みだ。すぐにそのようにしよう」

その言葉を聞いてルイズは安堵のため息を漏らした。そして自分が大役を果たしたという喜びを得、表情を輝かせた。

「しかしながら、今手元にはない。空賊船に姫の手紙を連れてくるわけにはいかないのでね」

ウェールズは笑って言った。

「多少、面倒ではあるが、諸君にはニューカッスルまでご足労願おう」





[10793] 第二十四話 阿呆船
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:130becec
Date: 2013/03/11 20:58

ルイズ達を乗せた軍艦「イーグル」号は、浮遊大陸アルビオンのジグザグした海岸線(大陸側面部)を雲に隠れるように航行していた。到着まで、三時間ばかりかかるというので、その間余裕ができたシンジはギーシュと共に船内の見学をすることにした。

ちなみにルイズを除く女性陣は、ワルド子爵の説教タイムの真っ最中である。
シンジとギーシュが、ニコニコ顔のワルド子爵に部屋を追い出された瞬間から始まったそれは、二人が首をすくめるのに十分な迫力を持っていた。軍人で風メイジのワルド子爵の怒声は、与えられた部屋に張り巡らされた「サイレント」すら飛び越してガミガミという擬音すら漏れ聞こえそうだ。二人は急いで、その部屋の前から逃げ出し、今に至るわけである。

ギーシュはともかくとしてシンジには、空に浮かぶ船など初めて見るシロモノで、まるでファンタジーの世界に迷い込んだような錯覚を起こさせた。なにしろ空に浮かぶための機能がまるで見えないのだ。プロペラも無ければ翼も無い、気球のような施設もなさそうだ。
ワルド子爵を追いかけていたであろう、グリフォンのバルバリシアがやたら高いところを飛んでいた理由がシンジにはやっとわかった。

軍艦「イーグル」号は全長が四十メイル強、全幅は十五メイルほど、二本の大きなマストを備えている、砲門は両舷合わせて四十四門といういでたちの大型空中戦艦である。
シンジの知っている帆船と違うところは、船で言うところの喫水線の辺りから二枚の大きな羽のように見える帆装が付いている所ぐらいだろう。無論この帆装も羽ばたいているわけではない。推測ではあるが船を安定航行させるためのものだろう。

「こーんな大きな船を浮かせるなんて魔法ってすごいですね。何人がかりなんです?」
「んん、今なんと言ったかねシンジ?」
「いや、ですから……」

シンジの疑問を聞きギーシュは噴出した。

「あっはっはっはっは、違うよシンジ。この船は精霊石で浮いているんだ。それも風の精霊力を蓄えた、いわゆる風石によってね」

シンジはその説明に目を丸くした。

「ふう、せき?!」
「おいおい、しっかりしてくれよ。風石はそりゃ質のいい大きいものを取ろうと思ったらそれなりの鉱山に行かなきゃならないだろうけど、基本的にはどこでも取れるモンだぜ。質の悪い風石は、きれいなガラスのビンなんかに入れられて、よく露天で売ってるよ。軽く振ると、フワッと浮かぶ子供のおもちゃさ。僕も小さいころは良くお祭りなんかで買ってもらって、浮かばなくなるまであきもせず見ていたものだよ。 
風石は浮かぶときにはキラキラ光ってきれいだったからね、よくわざと夜中に離したものさ。 もっとも、そのたびに父上や母様から叱られたけどね」

ギーシュは幼いころを思いだしたのか、目を細め笑顔をみせた。

「ロバ・アル・カリイエでは違うのかな?」

ん、と顔をこちらに向けてきた。

「いや、その。ロバ・アル・カリイエではその風石?は取れなかったんです」

シンジの常識ではロバ・アル・カリイエ(東の地)どころか、世界中どこを探してもそんな鉱石など見たことも聞いたことも無い、無いはずである。

「おおーそうなのか。そいつは失礼したな。詫びにもう少しレクチャーしよう」

ギーシュはそう言って、自分の愛用の造花に模した杖(ワンド)を取り出した。

「これはぼくの杖だが、これにも精霊石が練りこんである。父上が昔、手柄を立てた時に質のいい「土石」の原石を王より下されてね。そのかけらと風石と混ぜ合わせ作ったものなんだ。 
見た目より遥かに丈夫で、精霊石の力が僕の魔法をサポートしてくれるのさ。
ちなみに精霊石は例外なく使えばへる。だからたまに「錬金」で減った分を補充するんだ」
「へぇ~」

シンジは目を丸くして興味深げに聞いてくれる、まことに良い生徒、あるいは聴衆であった。
そんな様子に気を良くしたのか、ギーシュの口は止まらずいろんなことを教えてくれた。

「土魔法における「錬金」は一般授業だと、「変質」と「変形」ぐらいだろう、だけど土系統の専門授業では他にも「抽出」とか「溶着」、それに「溶着」に似ているようでちょっと違う「接着」なんてのもやるのさ」

他にも「融合」「分解」等の細分化された作用があること、その集大成が「ゴーレム錬成」であることなどなど。シンジは目をキラキラさせながら、ギーシュの話に聞き入っていた。

「すごいね、本当に万能なんだな、土魔法って」

そんな素直な反応を返され、ますます鼻高々なギーシュである。

「残念ながら、神の奇跡の魔法ではあるが万能ではないよ。精神力と知識、それに練習に支えられた技術にすぎないのさ。よし、ちょいと風石室を見せてもらいにいこう」

ギーシュはイタズラっぽく笑うと、そう提案してきた。


第二十四話 阿呆船


甲板の床に付けられた「風石室」への扉、その前に立っていた歩哨らしい汚れた水兵服の男にギーシュが見学をさせてくれるよう頼み込んだ。
ギーシュたちの身分と、ルイズの船長室での立ち回り、十本以上の杖を向けられての啖呵はもうすでに「イーグル」号の船員達には知れ渡っている。
つらく孤独な戦いを強いられてきた彼等にとって、外国にも味方がいると思わせてくれた、この小さな客人たちは好意を寄せるに十分以上だった。
船の心臓部たる「風石室」だが、快く承諾してくれた。
その船員は床の扉を軽く叩き、下の部屋と連絡を取る。扉が開き、さらに汚れた水兵服を着た男が現れた。 二言三言言葉を交わし、その男は指で丸をつくる。
扉の前の歩哨をしている男は、軽く片手を挙げ片目を閉じてみせた。
扉の中から現れた男、チーフエンジャー(風石機関長、エンジニア)はその重要な役職にも関わらず、意外なほど若い人物だった。

扉は二重(ふたえ)になっており、小さな扉を一旦閉めると、その小さな扉がついた大きな扉を開く、大きな扉の方は四角く、端々二メイル弱ほどの大きさだった。
扉が開くと案の定、階段があった。

風石室は意外なくらい明るく広かった、甲板から約二メイルほど降りると天井には大きな丸いタライがいくつも生えておりその天板の部分が光っている。
よく見ればその明り取りに見えるタライは太い足があり周りの縁がなければテーブルのようだ。それが斜めに傾いで天井から生えていた。
シンジはあたりを見渡すが、他には大きな木箱が二つばかり立て掛けてあるだけでガランとしていて、まさしく何も無い部屋であった。
いや、よく見れば床に手回しの滑車つき巻き上げ機とそれに繋がる何本かの鎖がある。

「え、えーと……」

ギーシュがニヤニヤしながら、戸惑うシンジをおかしそうに見ていた。

「驚いたな、本当に知らないんだな」
「大使殿、良ければ少し説明をしましょうか?」

見かねたのか、チーフエンジャーが提案してきた。一も二も無く賛成し、お願いすることにした。

「まずは、風石ですが、目の前のこちらになります」

男が指をさし示した先に有ったのは例の天井から生えた斜めに傾いだタライ、その中のドーナツ状のガラスの円盤だった。
ガラス製のドーナツの円盤の直径は1.5メイルほど、そして厚みは15サントほどで青白く淡い光を放っている。
へえ、とも言えずにシンジはその大きなガラスの円盤に見入っていた。

「このテーブルに見えるものが、浮力盤になります」

船の大きな柱に直結しているらしいそれは根元のところが蝶番(ちょうつがい)になっており、さらにはテーブルの前後左右が鎖に繋がれていた。
片側の鎖がピンと張っていて、手回しの滑車つき巻き上げ機に繋がっている。
どうやら、この鎖でタライの傾きを調整しているらしい。

「風石は、こちらの固定化のかかった箱から取り出し、さらに特殊な固定化の魔法のかかった皮袋から取り出すことで浮力を取り戻し、船を浮かばせます」

立て掛けてあった木箱を開けると巨大なバームクーヘンでも入っていそうな皮袋が八つ出てきた。
その皮袋は普通に重そうで、浮かんで困るようなことは無さそうである。
どうやら、このドーナツ状の風石を八等分して入れてあるようで、扇状の風石はそれぞれが大きさにあった重さなら、シンジでは両手でも持ち上げることは難しいだろう。

「この浮力盤は、船首甲板と後甲板、左右の両舷側に2つずつ、それに船の中央部にも一つの計五つがあって、船の竜骨とそこから延びる重要な梁につながり船を浮かせるのです」
「へぇ~……竜骨ってなんです?」

ギーシュがガクっとなった。

「き、君は知識があるんだか無いんだか良くわからんな」

そう言われ、頬を染める。

「いや、あの、だって」
「ハハハ、まあまあ大使殿。 知らないことを知らないと言えるのも大事ですぞ。竜骨とは、船の骨組みの中で最も長く重要なものです。生き物で言うなら背骨ですな、特にこの「イーグル」号の竜骨材は当時の有名なスクエアメイジが「固定化」と「剛体化」を掛けていますので、折れず燃えずで、木材の特徴でも有るしなる事も可能と、二律背反を成し遂げています。
したがって、何よりも頑丈に出来ていて竜骨の寿命が即ち船の寿命となります。あとは、海に浮かぶ船のそれよりも重く出来ていまして、いわゆるバラスト(船を安定させる重し)の一つでもありますね」

またまた、目を丸くして話に聞き入るシンジ。

「いろいろお教えいただいてありがとうございます。あと浮力盤が斜めに傾いでいるのはなぜでしょう?」

風石が船を浮かせているなら、浮力盤を平行にした方が効率がよさそうに思えた。

「……地面に対して働く「力場」を小さくして、船のバランスを取っているのさ。上昇したい時には地面に対して浮力盤を平行に、下降したい時には斜めに傾けることで「力場」を小さくするんだ」
「ほほう、良くご存知ですな。 大使殿はもしや土系統ですかな」
「ええ、そして軍人の家系でもあります」

ギーシュがそう答えると同時に、この部屋の伝声管がガンガンと鳴る。そして、指示が飛んできた。

「何してる!船首が上がってるぞ!微速下降!」

慌てたように、チーフエンジャーも叫び返す。あれぇっ?と頭を傾げながら。

「微速下降! アイ・サー!」

それを合図に今まで説明をしてくれた船員が近くの大きなレバーを傾ける。
すると浮力盤がチキチキと音を立て、さらに斜めに傾いていった。





大陸から突き出たような岬が見える。その先端には大きな砦があった。
ウェールズ皇太子は後甲板に立ち、ルイズにあれがニューカッスルの城だと説明していた。
ルイズの知識では、ニューカッスルの城は高くそびえ立ち、白く美しい形状をしていると認識していた。
今、実際に見せられたニューカッスル城は、高い塀より上の部分はすでに破壊され見るも無残な姿を晒している。
「イーグル」号はまっすぐにニューカッスルに向かわず、大陸の下側に潜り込む様な進路を取った。

「なぜ、下に潜るのですか?」

ウェールズは、城の遥か上空を指差した。
ルイズは、その指先の遠く離れた岬の上空から、巨大な船が降下してくるのが見えた。

「叛徒どもの、艦だ」

苦々しくそう告げる。
あまりにも離れているため、大きさは良くわからないが相当に大きな船であることはわかる。
ウェールズの説明によると、船名は元本国艦隊旗艦「ロイヤル・ソブリン」、今は「レキシントン」と名を変え、「王権(ロイヤル・ソブリン)」の敵へと様変わりしている。 巨大な三本マスト、全長百二十メイルという巨艦であった。





シンジとギーシュが、風石室から出てきた。船舵室からの指示がどんどん入ってきて、船員も説明どころではなくなり、ギーシュ達も邪魔をしてはまずいと、お礼を言って出てきたのだった。

船尾に向かおうとして、ギーシュがシンジを押し留める。

「どうしたの?」
「シー!」

ギーシュは口に指をあてた。
本当の大使であるルイズと、皇太子が並んで立っていた。 なにか邪魔をしてはまずいような雰囲気であるため、彼としては空気を読んだ行動だった。

「……アレを沈めるのが、私の最後の… …」
「……そんな、姫様は… …」
「……いや、そんなことは書いて無かった… …」

シンジとギーシュは、物陰に隠れてそっと聞き耳を立てるが航行中の船の上ということもありよく聞こえない。

「シンジ、何を言っているのか聞こえないか?」

ギーシュは声をひそめて聞いた。無論、シンジに使い魔としての「共有」に期待したのだが、

「いや、風が強くて全然聞こえません。 でも」
「でも?」
「ちょっと、インチキしましょう」

シンジはそう言って、背中の魔剣を抜き出した。





「……フンフン、ホーホー、なーるほどね」
「デルフ。一人で納得してないで、早く教えてよ」
「まあ、単純にいっちまえば、あの王子さん。この「イーグル」号で敵のでっかい船に特攻かますつもりだぜ」
「「なっ」」
「そんなはずは無い!王家には切り札がある!」
「その切り札、ヘキサゴン・スペルに対抗出来る様、作ったのがアレなのさ」

その声は、シンジ達の後から聞こえた。
いつの間に近づいたのか、二人にはまったくわからなかった。

「王国最後の軍艦「イーグル」号の乗り心地はいかがかな。大使の護衛殿」

そこに立っていたのは、誰あろうウェールズ皇太子だった。





「……まったく、盗み聞きなんて、貴族として恥を知りなさい。シンジ。あなたもよ、まったく主人に恥をかかせて」

「「ゴメンなさい」」

二人は揃って甲板で土下座中である。

「はっはっは、まあそれくらいでゆるそうよミス・ヴァリエール。二人は君の護衛も兼ねているんだし」
「で、すが」
「ん」
「本当なのですか。あの、……叛徒どもの船がヘキサゴン・スペルですら効かないというのは」

ギーシュは当初、いいにくそうだったが、意を決して聞いた。
何せ元々はアルビオン王家が、その権威と国威の象徴として建造された船なのだ。ある程度のためらいは仕様の無いことだった。

「ああ、本当だ。ただの火では中々燃えず、土も水も届かない、そしてアルビオン王家の象徴でもある風ですらあの船には効かない」
「そんな」
「他の系統に比べれば、攻撃範囲、距離共に広いと言える風だが、残念ながら威力が弱い。
そして、きやつらの船の大砲の射程距離はより遠いのだ。
もし、奇襲などでこちらのヘキサゴン・スペルが当ったとしても、あの船は数十メイルほど後退するだけだろう」

シンジらは雲の切れ目から覗く巨大な空中戦艦を見た。無数の大砲が舷側から突き出て、艦上には竜騎兵の乗るドラゴンが舞っている。

「備砲は、両舷共に三層甲板の百八門、竜騎兵が上空を見張り、船体は固定化のかかった三重装甲だ。いったいどうしたらいいものかね」

ウェールズはまるで人事のように、口元に微笑をたたえながらそういった。

「ま、真上からのあるいは真下からの砲撃」

シンジが意見を述べる。

「ん、砲口は下を向かない、却下だ。真下からは固定化プラス剛性化の掛かった三重装甲と丸い船体が完璧に砲弾を防ぎ逸らす、位置取りも難しい。却下だな」
「真上から、油をまいて火をつける」
「仮に火薬をそれに加えても、帆布とロープが燃えるだけだろう、マストと甲板にも固定化が掛かっているからね。 あまり意味は無いな。したがって、却下」
「乗り込んで、内部から制圧」
「残念ながら、残った味方全員よりも、あの船の乗組員と戦闘メイジの数の方が多い。そして乗り込むにはまず近づかなければならないが、百を超える砲門と竜騎兵がそれをはばむだろう。砲門は下には向けられないが、上には向くんだ。成功の可能性は残念ながら低い、これも却下だ」
「うーん」
「いろいろ考えてくれてありがとう、使い魔君。 だが我々もその辺は考慮済みなのさ」
「では、どうしても」
「ああ、「イーグル」号の船首にとがった衝角(ラム)を取り付けてある。
そして、船ごと真上から突っ込む。 首尾よく「レキシントン」の甲板に突き刺さったら、船に満載した火薬でそれを打ち出し、竜骨をへし折る。それが叶わぬまでも船体の爆発であの「レキシントン」の火薬をすべて誘爆させる。成功の可能性はこれまた低いが、他にあの船を沈める手段がない。
はてさて、我らが出来ることは、王室の誇りと名誉を汚辱に塗れさせたあの船を、死出の旅路の道連れにすることだけさ」
「なにも、そんな特攻を人を乗せてやる意味がわかりません。 ゴーレムか「偏在」で代用するわけには行かないのですか」

シンジは苦しそうに、そう吐き出した。
ウェールズはその言葉にちょっとの間目を瞑り、それからゆっくり目を開いてシンジの目を覗き込んだ。 うして少し悲しそうに笑った。

「それは出来ない」
「な、ぜ、です、か?」
「叛徒ども。 『レコン・キスタ』と言うそうだが、どうやら水の外法を使っているらしい。ふん、きやつらは、なに「虚無」の再来だのなんだのと騒いでいるが、過去何度か事件があったよ。死体を自らの下僕と変える外法の一つだ」
「なんと?!それは本当ですかな?」

いつの間に来たのか、ワルドがそこに立っていた。

「やあ、子爵殿。 さすがに見事な「隠行」ですな。お姫様たちの説教は済みましたかな」
「ええ、ええ、先ほど開放してやりました。そんなことより……」
「まあね、かの敵の首魁たる総司令官「オリバー・クロムウェル」、アレは虚無どころか生きた人間であることすら疑わしい。そして、きやつが「虚無」として使っているもの。死体を動かし、生きた人間を木偶人形と変える「死霊魔術」だ」

自らの分身を操る魔法は、どの系統でも高級であるとされる。
「土」のゴーレム。
「風」の偏在。
「火」の炎獣。
そして「水」の……。

ワルドは目を血走らせて、まるで怒ったようにウェールズ皇太子の話に聞き入っている。
ありえない話ではない。
それどころかこの「死霊魔術」の使い手は、かつて水の王国と呼ばれるトリステイン王国で猛威をふるい、一村を壊滅させたこともある「禁呪」中の「禁呪」である。

「それで、……あの」

シンジがおずおずと、話に入ってきた。 いやむしろ割り込まれたのはこちらなのだが。

「ん、ああ、すまない。つまり死んだあとの私や父王の死体を利用されては、さすがにヴァルハラにてご先祖に申し訳が立たないんで、ね。……いや、もうすでに顔向けは出来んか」

ウェールズは、はははっと笑った。

「ま、そういう訳で、父王は城で、私はこの「イーグル」号で敵に突っ込んで、木っ端微塵に吹っ飛ぶ予定だ。
……しかし、勇敢なる大使殿。ワルド子爵。護衛殿。マストの影の大使の友人諸君。よくぞこの間際になってアルビオン王国に来てくれた」

マストの影にいたらしい気配がゆれる。ウェールズは風メイジとして優秀なようだ。

「内憂を払えなかった無能な王室が滅びるのは良い。それは我らの責任だからな。だが、最後にこの情報を君らに渡すことが出来た。愛しい人の国を守る一因となることが出来た。……偉大なる始祖のお導きに感謝を」

シンジは眉をひそめ、ウェールズの言葉を聞いている。人の死ぬ話にはどうしても慣れる事の出来ないシンジだった。それに「イーグル」号は大きな船だ、おそらく多くの船員がこの特攻に付き合うのだろう。すでに、何人かの船員たちと知り合いになっていたシンジには、たまらないことであった。
ルイズが顔を上げ、強い意志を持ってウェールズと視線を合わせた。

「皇太子様、お願いがあります」






[10793] 第二十五話 神槍
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:130becec
Date: 2013/03/10 05:53


「イーグル』号は雲中を慎重に、だが大急ぎで航海していた。
大陸の下を通り、しばらく航行すると、頭上に黒々と大きな穴が開いている部分に出た。
マストに灯した魔法の明かりのなか、直径にして三百メイルほどの穴が開いている様は壮観だ。

穴に沿って上昇すると、頭上に明かりが見えた。そこは天然の鐘入洞を利用したニューカッスル城の地下にある秘密の港である。青白い発光性のコケに覆われ、視界に困る事は無さそうである。

穴の終点では、背の高い年老いた老メイジが、まるで盛り上がるように近づいてくる「イーグル」号を見ている。

「むむ、これはまた……」

何か、激しい戦闘にでも巻き込まれたのだろうか?「イーグル」号の船首に取り付けたはずの鉄製の衝角(ラム)が途中からすっぱり切り取られ、半分ほどになっている。
固定化と硬質化をイヤと言うほど掛けた、城の錬金メイジの自信作である。だが、製作者の自信ほど丈夫ではなかったようだ。この衝角(ラム)は後付けでつけたものなので、直すのはさして手間ではないが。優秀な土メイジや火メイジも、未だ何人か城内に残っている。

「イーグル」号が岸壁に寄せられ入港をすますのを待たず、ウェールズは一組の少年と少女を“抱え“、フライを使い船から飛び降りてきた。

「んん?」

とにかく、労をねぎらおうと近づいてきた老メイジの横を、フライですり抜けるように奥に急ぐウェールズ。すれ違いざま、大声でその老人に声を掛ける。

「すまん、バリー。後だ!後から来るのは皆、俺の客だからそそうの無い様になー!」

なー!なー!なー!なー!とウェールズの声が鍾乳洞に反響する。
彼らの労をねぎらおうとした、老メイジと兵隊たちを置いてきぼりにしてウェールズはひたすら洞窟の階段を「フライ」で上っていった。

「待ってくれ、ウェールズ殿!」

ワルドも復活したグリフォンにまたがり、ウェールズを追いかける。急いでいるウェールズは、それに答えることは無い。

「……」
「ぎゃー! あたしを置いていくなー!」

続いて、青髪の美少女と、少し遅れて赤毛の美女が飛び出してくる。もちろん「フライ」で。

「まってー! あたしもー!」 

そして、これまた金髪巻き毛の美少女。
すべて、老バリーの頭上を跳び越していったのである。

「いったい、何事か!?」

最後に、ギーシュが飛んで来た。彼はドットの土メイジであるため彼等よりわずかに「フライ」のスピードが遅い。バリーは、この金髪の少年メイジを「エアーバインド」(拘束する風魔法)で捕まえた。

「ぎゃー!離してくださいー!見そこなうー!」
「いいや離すわけにはいかん!何を急いでいる?君らはいったい何者か?いったいなにをしようとしておる?すべてを話すまではこの魔法は解かんぞ!」
「ならば、一緒に来てください!道々説明いたします」


第二十五話 神槍


「殿下……、まことに恐れ多いことながら、お願いしたい議がございます」

「イーグル」号の甲板でルイズは、ウェールズに跪き等々と言葉を選び紡いでいく。今彼女の頭脳はフル回転中だ。 たとえそうは見えなくとも。

「何なりと、申してみよ」
「では、恐れながら、申し上げます。 我々は苦難の末ここまでたどり着き皇太子と合間見えることが出来ました。その我々の苦労に褒美を頂きたいのです」
「……ルイズさん、それはちょっと……」

虫が良すぎるんじゃないかと嗜めようとするシンジを、ワルドが手で制した。

「控えておれ」

小声でそう告げる。
だが、ウェールズは気分を害した様子も無く、微笑していた。

「よかろう。何なりと言うがよい。わが身と王権以外の物であれば何なりとくれてやろう」

モンモランシーとキュルケが眉をひそめる。
ルイズの強欲なセリフにではない、ウェールズの「わが身と王権以外のものであれば……」の部分にである。
綸言汗の如し、王が一旦発した言葉は取り消したり訂正することができない。許されない。
このことを利用し、戦争中に王家などの重要人物等を亡命させるため、「褒美を」と発言し、それが許されれば「では、御身を」と言ってその身をさらうのが通例である。
だが、「わが身と王権以外のものであれば……」のセリフを入れられてしまえばそれが叶わなくなってしまう。あくまで、亡命を拒否するつもりの様だ。だが、ルイズはにっこり笑う。

「御身と王権以外のものであれば、何でもよろしいのですね?」
「綸言汗の如しだよ。 大使殿」
「では、船を一艘たまわりとう御座います」

これには、ウェールズが眉をひそめる。
現在、アルビオン王家が所有する船は「イーグル」号、ただ一隻だ。まさか、これを取り上げれば特攻をやめさせられるとでも思っているのだろうか。
上記のセリフには実は制限がある。それはその発言者の両手で抱えられるものと言う制限だ。

「まさか君は……」

ウェールズの言を待たずにルイズは言葉を続ける。

「「イーグル」号では御座いません」

ふ、と息を吐く、だがそれではもう脱出用の小さなボートぐらいしかない。そのようなものを貰ってどうしようと言うのか。

「私めが頂きたいのは、ここハルケギニア大陸において最大最強の誉れも高い、アルビオン王家がその威信を懸けて三年掛りで作り上げた……」
「ちょ、ちょっとルイズ……」

キュルケが慌てて、ルイズを止めようとする。 

「ええい、アルビオン王の名代である皇太子殿下の御前であるぞ。 控えておれ!」

ワルドがそれを、怒声で押し留める。

「今は、反乱した貴族派どもに奪われているアルビオン艦隊旗艦「ロイヤル・ソブリン」、その竜骨を賜りたくお願い申し上げます」

その奇妙な申し出と、雰囲気に呑まれたのか、ウェールズは思わず言葉を漏らす。

「……それは、かまわんが? しかし……」

ルイズはそれを聞き漏らさず、すぐさま言った。

「ありがとう御座います。それでは只今より「ロイヤル・ソブリン」はわたくしめの物、即ち、アレをどうしようと私の勝手。ですが余人に壊させるわけにはまいりません。したがってこちらの、衝角(ラム)は無用の長物と成り果てました。シンジ!来なさい!」

そう、まくし立てるとシンジを呼ぶ。
シンジは盛大に眉間にしわを寄せる。何をさせるつもりなのかこれで想像がついたからだ。

「まずは、この無用の長物と成り果てた、船の重しを取り外しとう存じます。我が魔法にて」

軍艦「イーグル」号に取り付けた衝角(ラム)は、言わば巨大な矢じりである。先端から十文字に広がり、船首に付いた根元の部分は二メイルを越すであろう。また、船首から先端までは三メイルほどの長さである。おまけに芯まで鉄製で、固定化、硬化が掛かりまくっている。悪魔ですら壊せないと城の土メイジが言っていたシロモノだ。
一体どうするつもりなのか想像もつかない。
ルイズとシンジの二人は船首に立ち、杖を構える。

「ルイズさん、近すぎますよ」

確かに以前学院の近くの森で爆発させたあの力なら、この船ごとだろうといけるが、いかにも近すぎる。 ここであの力を使えばこの周域がすべて巻き込まれる。そして、もう一つの使い方はルイズには見せていないはずだ。

「ほほほほほ、シンジ。主人に隠し事は感心しないわね。あんたのあの光の力ならこのぐらいなんでもないでしょう」

うっ、と驚きの声を漏らす。

「ルイズさん!?なんで知って……」
「内緒よ。いい女には秘密が付き物ですもの」





「それで彼女が……あ、見えてきましたね」

ギーシュは、この老メイジ、バリーに船での出来事を話していたが、肝心なところで到着してしまった。
話の流れから察するに、トリステイン王国の大使が「イーグル」号の衝角(ラム)をあのように半分に切り落としたのだろう。だが、どうやって?

ウェールズたちが大急ぎでたどり着いたのは、ニューカッスル城を取り囲む高い城壁。
分厚く、大雑把なつくりで、しかしそれゆえ長い間砲撃に晒されているのに、未だに破られてはいない。無論そこかしこがボロボロで時間の問題ではあったが。

城壁はただの土壁ではなく、長く延びた壁状の城である。外から見るとただの一枚の壁だが、近づいてよく見ればそれがわかる。あちこちに銃眼と呼ばれる小さな小窓があいており、近づいた敵を排除するための魔法攻撃や砲撃、銃撃を行えるようになっている。
ウェールズが、脇に抱えたルイズとシンジを下ろしたのはそんな城壁の中の一室。
その部屋は、縦に長い作りになっているためいくつもの小窓があいている。

小窓から外を眺めれば、数百メイル先とはいえ、そこには砲撃中の「レキシントン」がその巨大な姿を晒していた。「レキシントン」は現在、右舷側の砲撃をすべて終え、左舷側の砲門を城に向けるべく空中で回頭中である。巨大な「レキシントン」は全周囲すき無く砲門があり、たとえ船尾であろうが近づく敵は新型大砲の餌食である。 まさしく無敵の空中要塞であった。





「ルイズさ~ん。 本当に、やるんですか~」

シンジとしては、彼女に他国の内戦などに関わって欲しくは無い。彼等に同情すれども、それは間違いなく他国の事情なのだ。敵にだって事情があって戦争しているぐらいの理屈はシンジにだってわかる。

「帰りの船が出るのが明日よ。それまで私たちはこの城に留まらなければならない。その間に、アレの砲撃があったら夜もおちおち寝ていられないわ。そして、使い魔は主人の安眠を守る義務がある!」

理論は完璧だわ!とばかりに、びしっと指を突きつける。

「とっとと手紙だけ貰って、ワルドさんのバルバリシアで、さっさと帰りましょうよ。他のみんなだって、シルフィードがいますよ」

シンジは反論を試みる。

「いや、誰かさんが酷使してくれたおかげで、こいつもグロッキーだ。今晩ぐらいはゆっくり休ませてやりたいものだ」

ちらりとシンジがワルドを睨むと、高速で顔を逸らすワルド。ため息をついてタバサを見ればこちらはしれっとした顔で、

「……シルフィードもしばらくは飛べそうに無い。誰かさんのおかげ。……かわいそうなシルフィード、今晩ぐらいは……」

幻獣の持ち主二人が、そろってそう主張してきた。

(嘘つけよ。 滑空するだけじゃないか。)

 シンジは唇をアヒルにしてそう思った。無論思っただけである。どの道、抵抗はあまり意味が無い、彼女はやると言ったらそれをほとんど曲げたことは無いのだ。
シンジの生来の流されやすさ故なのか、それともコントラクト・サーヴァントの「服従」が心に影響しているのかは、もはや本人ですらわからないことだった。

シンジがぶつくさ言いながらも、ルイズとともに杖を握る。

「……ルイズさん、わかってるとは思いますが」
「ええ、船底を削って、バラストを落とし、船を航行不能にさせる。それ以上のことはしない」

老メイジ、バリーはこの会話を子供の悪ふざけか何かのように思っていた。
こちらに来る途中で、ギーシュに「レキシントン」を落とすと言われても何の妄想かと意気躍ったくらいだ。
彼はアルビオン王家に仕えて六十年、メイジとしてもベテランだ、魔法に何が出来て何が出来ないのかを良く理解しているつもりだ。距離にして三百メイルほど、ここから魔法を打って届くだけでもスクエア認定だろう。何がしかの効果があるようにはとても思えなかった。

「殿下、これはなんの戯言にございますかな」
「良いから黙って見ておれ。 魔法の復権をな」 (バリー、ディテクトマジック(探知魔法)の用意だ。そっとな)

ウェールズは声を分け、一つを「伝声」にて伝える。
なんだかよくわからないが、皇太子の命令だ、バリーはそっと呪文をつぶやき始めた。

「おい、じいさん!つまんねーことすんなよ、丸わかりだぜ!」

デルフが、怒声を張り上げる。 シンジはキョトンとした顔をして、背中の魔剣を見た。

「どうしたの?デルフ」
「へへ、なんでもねえよ」

そうはいっても、この部屋にじいさんと呼べる人間は一人だけだ。
シンジは、ちらりと老メイジを見た。ウェールズは心の中で舌打ちし、バリーに怒りの声をあげた。

「バリー!彼等はこのぼくの客だと言っただろう。失礼は許さんぞ!もう良い下がっておれ!」  (屋上で待っていろ、すぐに行く)

ウェールズは、ルイズに申し訳ないと謝った。

「いいえ、どうかお気になさらないで下さい。それよりもこちらが重要ですわ」

戦艦「レキシントン」はもうすぐ回頭を終える、砲門から次々に砲口が出てきた。

「シンジ!」
「く、やるしかないか」

敵の一発目が発射される少し前に、二人は呪文を紡ぐ。杖のすぐ先に光り輝く球体が現れる。
最初2~3サントほどのそれはみるみる三十サントほどになった。もう夕暮れ近くのため辺りは暗く目立つことこの上ないだろう、外したら多分次はここがねらわれる。

バンッと乾いた音がした。一瞬で到達する光のライン。
それは、虚しく敵船の下を通り過ぎる。

「ぐっ 次を」

そう言おうとしたが、光の線はまだ途切れていない。二人を見れば苦しそうに、杖を掴んでいる腕が震えていた。 
そのまま、ゆっくり杖を上に差し上げ始める。


☆☆☆

「ルイズさん、なんで持ち上げようとするの!?船底だけって言ったでしょ!」
「なに言ってるの!先っちょが入ったらそのまま奥までズップリ差し込むのが男ってもんでしょ」
「何を言ってるんですか!?約束が違いますよ!」
「使い魔は、黙って主人の言うことに従ってればいいのよ」
「人が乗っているんです」
「違うわ、敵が乗っているのよ」

ルイズは杖を持ち上げようとする。あの船を真っ二つにしたいのだ。シンジは慌てて、力の放出を急いだ。この力はとにかく光の玉の中のエネルギーを使いきらなければ止めようが無い。 ルイズは魔法が仕えない分、他の同年代の女性たちより力が強い。それでもまだシンジの方が勝っているが。
おまけに敵が遠すぎるため、杖の先端のわずかな揺れでも、到達地点では大きな揺れになってしまう。シンジは必死で杖を制御していた。


☆☆☆


軍艦「レキシントン」の回頭が終わり、次々に砲門が開かれていく。すでに、王党派には反撃の手段も余力も無いことがわかっていてのゆっくりとした。そして、予想される「ヘキサゴン・スペル」のギリギリの射程範囲内での行動。
すべて、撃てるものなら撃ってみろと言う挑発である。

ニューカッスル城の分厚い城壁。これを破るため、最初に一発打ち込み、後は次々に最初の玉が当った場所めがけ砲弾を集中するのだ。毎日、何度も演習のように砲弾を打ち込むことで砲兵の錬度を上げ、長射程の新型の大砲の癖などを兵たちに覚えこませる目的もある。

その日、いつもと違ったのは最初の一発を城壁の中央に打ち込んだ後だった。

船から見て、城壁の左端の砲撃室から光が延びてくる。その光は船の真下を通り過ぎる。
城壁からの光の線は徐々に持ち上がり、すぐに船底に触れた。 

“ジュ――――“

何かが、焼けるような音がする。 だがわずかな音だ。 気づいた者は誰もいない。
そして船の三層甲板の床下あたりで唐突に消えたのだ。

あの光がこの船に何をしていったのかは、すぐにわかった。

“ばきん” 

船底の切れ目より船が割れる。ミシミシ、ギシギシと、固定化を掛けられた船体が木材本来のしなりを見せ始める。船尾と船首が同時に持ち上がり、甲板をたわませる。見えない巨人の手が船をゆっくりとへし折っていく。
見えない巨人の正体は、音も無く焼き切られた竜骨、そして船体そのものの重量だった。

大きな魚の口のように開いた船底からは、大量のバラスト石が地面に投げ出されていく。
大砲の発達のため、採用された空船のデザインは、元々空を飛ぶ乗り物としてはアンバランスな形状のものである。
たやすくバランスが崩れ、太く高い三本マストがその代わりに重石となって船をひっくり返していった。
甲板の大砲や砲弾その他、船に固定をしていないものすべてが地面に投げだされる。船がひっくり返ったことで、一瞬バランスがとれ船はまたまっすぐになる。バラスト石の半分ほどが、船底より零れ落ちたことで全体の重量が軽くなる。 
おまけに、浮力盤そのものが、風石をただ置いてあるだけの形状であるため、船がひっくり返れば当然風石は零れ落ちる、今は天井となった床へ。
船はゆっくりと言える速度で持ち上がりながら、今度は船体がさっきとは逆に曲がり始める。 そして、完全に真っ二つになる前にバランスが取れたのか、ややへの字の形に固まり、そのまま船は持ち上がっていく、果ての無い上空に。

あまりのことに我を失っていた上空を舞っていた竜騎士の何体かが、ハッとしてひっくり返った船底の穴から中に入り込み救助を開始した。それを見ていたほかの竜騎士たちも、慌てて空船の乗組員たちの救助に駆けつける。





「おお、なんという。 なんという」

城壁の屋上で、バリーは言葉を失っていた。
アルビオン艦隊に対抗するため、ガリアでは両用艦隊が配備された、さらにその艦隊に対抗するため作られたのが、あの「ロイヤル・ソブリン」だ。
ガリアほど金のないアルビオンでは、数で対抗するわけにもいかず、もてる技術をすべて注ぎ込んだのがあの巨大戦艦「ロイヤル・ソブリン」だ。
それでも、並みの大型軍艦の十倍ほどの予算と人員が、あの船一隻につぎ込まれた。

既存の魔法と戦術すべてに対抗するため。

だが、今はそんなことはどうでもいい。早く、早く王に、このことを知らせるのだ。きびすを返し、フライの呪文を唱えようとする。そこに、ウェールズ皇太子が急いで階段を駆け上がってきた。

「待たせたな、パリー。見ていたか?」

いささか上気した顔と、おもちゃを友達に自慢している時の子供のような声でウェールズは言う。

「見ましたとも!なんですかあの魔法は!?そして彼等は?」

微妙に声が震える。

「トリステイン王国の大使殿たちだ。詳しくは後でな。それよりあの魔法、レベルをいくつと見た?系統はどうだ?」

「レベルなぞ!いや、そうですな。…細かく計算しないことには断言できませんが、距離と威力を鑑みまして…いや、新しい単位でも作らないことにはとても。たとえばヘプタゴン(七角)とか……。系統に関しましてはもはや謎ですな。一見すると火のようですがあそこまで集中させるとメイジが持ちますまい。風のライトニング・クラウドでも、あのように遠くの敵相手では威力が減退してしまいます。またあのように正確に放てる魔法ではありません」

「はは、では子供の妄想か?それとも神話の怪物クラスだな。だが良い、これからハッタリをかますにはそのぐらいの妄想じみた威力の方がな」

バリーはハッタリと聞いて、一瞬目を見開くがニヤッと笑う。それは、したたかで諦めの悪い戦士の、そして政治家の笑いだった。

「政治と戦と恋愛に関しては……」
「使えるものは何でも使う。ただし、ばれないように。どうだよく覚えているだろう」
「仰せの通りで。物覚えの良い生徒ですな殿下は」
「その通りだ。では、勝ちに行くぞパリー」
「無論、お供させていただきます」

すでに、右手の杖は「拡声」の魔法を紡いでいた。





地上部隊の五万の兵たちはそれを唖然としてみていた。いずれ、あの城壁は破られる、そのときを狙い一斉に攻撃を掛けるのだ。
城の中には、金銀財宝、高貴なる女たち、そして何よりも手柄が待っている。アルビオンでは、ここが最後の戦場だ。俺が誰よりも早くニューカッスル城に乗り込み、それらをみんな独り占めするのだ。
そんな考えの傭兵たち、反乱した元国軍の兵たちで溢れていた。
だが、世界最強を謳う軍艦「レキシントン」号は、たった一筋の光、それがどんな魔法かはわからないがそれだけで撃沈されてしまった。

今、彼等の頭上からは軍艦「レキシントン」の大量の破片、バラスト石、大砲、そして魔法を使う暇も無く落ちてきたメイジ、そして元から魔法が使えない平民の水兵たちが悲鳴と共に降ってきていた。

そんな、阿鼻叫喚と混乱の中、いつの間に現れたのか城壁の屋上には水晶のついた王杖を掲げたウェールズが立っていた。
そばに控えた老メイジの「拡声」が、ウェールズの怒号のような宣言を眼下の兵たちに送りつける。

「聞け!始祖ブリミルの血に仇成す逆賊ども!今のは我がアルビオン王家”のみ”に伝わる大魔法、「ブリューナク」!今までは同じ国の民よ、元は我が臣下たちよと使わなかったが、度重なる挑発に堪忍袋の緒が切れた!貴様ら、ことごとく藁のように死ぬが良い! 
だが、もしこれにて我が王家への忠誠を思い出したなら、最後の慈悲をくれてやろう! 
このウェールズ・テューダーに降伏せよ!さもなくば一族郎党死をくれてやる。さあ、選択せよ!!」





「投げると稲妻となって敵を死に至らしめる灼熱の槍、そして勝利をもたらす神槍ブリューナクですか。ありがちですが、まあまあのネーミングですな」

ワルドは、すべてが終わった城壁の一室で一人座っていた。敵の戦艦「レキシントン」は完全に沈黙した。あの有様では、たとえ回収に成功しても、二度と使い物にはならないだろう。

(やはり、彼女がそうなのか?俺の予想は外れていなかったのか?伝説のガンダールヴを使い魔に持ち、強大な魔法をやすやすと操る。”虚無の使い手)

だが、確か伝説では虚無は詠唱時間が長かったはずだ。
しかし、ルイズが唱えたのはただの「発火」、おまけに使い魔たるシンジは二つのルーン持ちで、いろいろと伝説とは違う。シンジと模擬試合をした時にも、倒そうと思えば結構手段もあった。今の力を見てさえ、ただ殺すだけならさほど難しくは無い。
そう思える。

(俺は、嘗めてるのか?伝説を、強大なるガンダールヴを?)

軍人としての心構えがワルドを戒める。慎重に彼の力を測ったはすだ。と。
自分が倒せるとしたら、伝説の使い魔とはいえ、その強さはスクエアに届かないことになる。
出来ればもう少し様子を見たいが、時間はもう残り少ない。
やらせるべきではなかったか?今ではその思いが強い。後頭部をがりがりと掻き毟る。

「俺も、態度を決めなきゃならんか」

城壁の上で、演説をしているウェールズの声を聞きながら、ワルドは決断を迫られていた。



そして……
魔法を打ち終えた後、シンジは気を失った。







どうも、作者です。
作中でウェールズ皇太子が使った名称の「ブリューナク」は北欧神話からではなくケルト神話からのチョイスです。まあ、せっかくイギリスっぽい世界が舞台ですので。
ちなみに「エクスカリバー」は出ません。




[10793] 第二十六話 決戦前夜
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:130becec
Date: 2013/03/10 05:56


「聞け!始祖ブリミルの血に仇成す逆賊ども!今のは我がアルビオン王家”のみ”に伝わる大魔法『ブリューナク』!今までは同じ国の民よ、元は我が臣下たちよと使わなかったが、度重なる挑発に堪忍袋の緒が切れた!貴様ら、ことごとく藁のように死ぬが良い! 
だが、もしこれにて我が王家への忠誠を思い出したなら、最後の慈悲をくれてやろう!このウェールズ・テューダーに降伏せよ!さもなくば一族郎党死をくれてやる。さあ、選択せよ!!」



あたりはもう日暮れ前、城の中はいずこの部屋も廊下もランプが明々と輝いている。それは、この部屋の中も例外ではない。
その部屋には、二本の杖(スタッフ)が交差してかけられており、壁にはアルビオン空中大陸の地図が広げられている。 その地図の右端の一点には小さな旗が掲げられていた。そこの一点こそは、王党派最後の砦「ニューカッスル」城だ。他にもその地図には、部隊名が書かれた小さな旗が何十と突き立てられ、それ以外にも膨大な細々とした書き込みがなされていた。

その隣にあるのは縦長の、ぱっと見には姿見の鏡にしか見えない魔道具。言わずと知れた「遠見の鏡」である。それが5つほど並べられ、ここに在らざる遠き戦場を映し出していた。
そして、部屋の中央には大きな丸いテーブル。テーブルの周りにはいずれも、一目見ただけで高級軍人、あるいは大貴族とわかる格好をした者たちが集まり、驚愕の表情のまま固まっていた。

「ぐううう、なんだ、なんだアレは『ブリューナク』など見たことも聞いたこともないわ!」
「王家の秘技だと、あんなとんでもないものを隠し持っていたと言うのか!」
「い、いかに『王家のトライアングル』とはいえ、あれほどの魔法を使い、立っていられるわけも無い、攻めるなら今です」
「阿呆か貴様。たった今、城壁に立って演説したのが誰なのか見えなかったのか?どう見てもウェールズ王子だったぞ。見たところ汗一つ掻いておらぬわ!」

それは、同じ威力の魔法をあと何回放つことが出来るのかわからないということ。しかし、いかに王族の血が特別とはいえ、鏡越しに見た。否、見せつけられた魔法の威力、飛距離共に彼等には信じられないものであった。おまけに、その威力を確かめたのが、彼等の虎の子たる『レキシントン』である。
驚愕と失望が彼等を包み込んでいた。

「我々が失った金と時間、人、船、最新の大砲、兵たちの気勢、信頼、信用、そして畏怖。いずれも馬鹿にならん」
「と、とりあえず総司令官をお呼びせよ。対抗策を考えなくてはならぬ。あるいは、閣下の「虚無」であれば、かの「ヘキサゴン・スペル」もなんとかしてくれるかも知れぬ」
   



「……はい、閣下、敵は未知の魔法、もしくは魔法兵器を使い、『レキシントン』の船底を削り取り自壊させました。……映像の通りに」

彼等「レコン・キスタ」の上層部はそう言って、その男を見た。
年のころは三十台半ば、頭にはすっぽりと丸帽子をかぶり、濃い緑色のローブとマントをつけている。一見すると聖職者のようなその格好。しかしながら、物腰は軽く、軍人のようである。 高い鷲鼻に理知的な色を蓄えた碧眼、帽子のすそからはきれいにカールした金髪が覗いていた。 
その彼、レコン・キスタ総司令官オリバー・クロムウェルはいささか無感動の面持ちで「遠見の鏡」の再生画像を見ていた。そしてゆっくりと情報を精査していく。
やがて、にっこりと笑う。

「なぜ、真っ二つでは無いのでしょう?」
「……?」
「なに、私は皆も知っての通り、軍事にはほとんど無知だ。ただ虚無の威光を持って総司令官などと言う大層な地位に座っているだけの男だ。だが解る事もある。心理的に言って、王と皇太子があの魔法を撃ったのなら、憎い敵の象徴である『レキシントン』を真っ二つにしたいのではないかとね」
「それは……」
「今数えていたところ、ゆっくりと指を折っていき7本目であの魔法は止んだようです。おそらくはあれが限界なのでしょう。もう他に王党派も王族も残ってないしね。ここらで彼等を楽にしてあげようじゃありませんか」

オリバー・クロムウェルはそう言って自分の手元に視線を落とす。そこには大ぶりの宝石をあしらった指輪がはめ込まれていた。彼は、なにか考え事をする時にはその指輪をいじり眺めるのが常である。

「九人のナイト・オブ・ラウンズの内、何人かは捕らえてありますね。その中の一人に「コックマー」(知恵の座)に座るかの老人がいたはずです。彼なら何か知っているのでは?」
「知っていたとしても、おとなしく喋るでしょうか?」
「その心配には及びません、みな『虚無』の前にはお友達ですよ。そう、……」

そう言って、彼は右手の薬指にはめた指輪を前に突き出した。透明な宝石の奥の方に、かすかな光が灯る。するとその部屋にいた十数人の『レコン・キスタ』の重鎮たちの目から理性の光が消える。

「……皆さんのようにね」


第二十六話 決戦前夜


気絶したシンジを城の一室に休ませると、ルイズとワルドは、そのままウェールズに付き従い、城内へと向かった。他の皆、ギーシュはシンジのそばに付いていることを志願し、モンモランシーも自動的にそばに付いていることになった。
タバサは「イーグル」号に置き去りにした自分とギーシュの使い魔を引き取りに、お付の兵士と共に地下の秘密の港へ。一緒にキュルケもついていくかと思われたが、彼女は城内の見学を望んだ。普段なら絶対に許可をされないであろう他国の砦城の内部に興味があるらしい。
彼女もまた兵士を一人伴い、見学に出かけた。

「じゃーねー、ギーシュ、モンモランシー。彼が起きたら教えてよ。聞きたいことが山ほどあるから」

扉から出る寸前にそう言って、返事を待たずに出て行った。

「モンモランシー。君も少し休んだ方がいい。彼は僕が見ているから」

ギーシュはそう言って、モンモランシーにも別室で休むことを促した。





ワルドとルイズはウェールズに連れられてニューカッスル城の天守の一角にあるその部屋に入った。 そこは、まるで何十人もが会食を出来るような部屋であった。
中央には大きな丸いテーブル。そしてそのテーブルを囲むように十一脚の椅子があった。
ルイズはこれが有名な円卓の部屋かと、心を躍らせる。
アルビオン王国の重要な十人の騎士、円卓に座ることを許された十人の騎士を円卓の騎士(ナイト・オブ・ラウンド・テーブル)と呼ぶ。
もっとも、すでにウェールズ以外に椅子の主はおらず、そこはがらんとしたただ丸い大きなテーブルが置いてあるだけの部屋である。
無論、貴族にとってはアルビオンの皇太子がいると言う、まさにそのことが、唯の大きなテーブルをして意味を持たせていると言えた。

「とりあえず、座りたまえ」
「はい、失礼をいたします」

ワルドはすばやく、ルイズの前に回ると、ウェールズの座る「ケテル」(王冠の座)の向かい側「マルクト」(王国の座)にある椅子を引き、ルイズを促す。特に意図したものは無い、単に「ケテル」(王冠)の真向かい側は「マルクト」(王国)になるというだけの話だ。

「ワルド子爵、君も……」
「いえ、殿下。 わたくしはあくまで護衛ですので……」
「卓越した風メイジたる君には、少々居心地が悪いかな?しかし、まあガマンしてくれたまえ」

そう言われワルドは盛大に眉をひそめる。彼の鍛えられた五感が彼に教える。自分と同等かそれ以上のメイジが、自分を見ていることを。

(いる、円卓の騎士は全滅などしていない。すべてが裏切ったわけでも……)

ワルドは自分の背中に嫌な汗を感じた。

「さて、大使殿。まずはありがとうと言っておこう。我が父たるアルビオン王に成り代わり礼を言わせて貰う。あの忌々しい「レキシントン」を文字通りへし折ってくれたのだからな。しかもたった一人の犠牲も出さずに」
「い、いえ、そんな」
「それで、アレは一体何かね?トリステイン王国には、我々の知らない魔法があるのだろうか?それとも貴国のアカデミー(王立魔法研究所)が何かとんでもない技術的ブレイクスルーを果たしたのかな?」
「……」

黙っていたワルドが口を開く。

「皇太子殿下、畏れ多い事ながら申し上げます。先ほどのことは我がトリステイン王国の秘儀にて最高機密に属することにございます。申し訳ないのですがご返答は出来かねます」

ルイズはその意外な口上に、あっけにとられワルドを見ていた。その視線にかまわずワルドは口上を続ける。

「ですが、今回のことで我がトリステイン王国は、友好国アルビオンに対し一定の義理を果たした。そうお考え下さい!」

一気にそうまくし立てる。ウェールズもいささか気押されたようだ。

「そ、そうだな。よくわかった。……では彼に関してはどうかな?」

彼とは、シンジのことだ。シンジに関しては少し前に船上で後で話すことを約束している。

「彼についてですが……」
「子爵殿、少し黙りたまえ。私は大使殿の話を聞きたいのだ。聞けば彼は彼女の使い魔とのこと、君が喋るのは話が違うであろう」
「は…、これは失礼いたしました、しかしながら彼女はこのような場に慣れておりません。多少の手助けは我が職務のうちであると信じております」

トリステイン王国魔法衛士隊の一角、グリフォン隊。その隊長となれば、唯の乱暴者に勤まる様なものではない。アルビオン王国の総司令官たる皇太子を前に一歩も引けを取るものではなかった。
しかしルイズは違う。唯でさえ正真正銘の王族を前にして緊張気味であったのだ。話を振られさらに緊張が高まってしまった。だが、確かに国を代表する使者として選ばれたのは自分なのだ。このまま頭越しに話を進められて面白かろうはずが無い。

「ジャン、ありがとう。でもどうか私に話をさせて」
「大丈夫かい?」
「ええ、今だ未熟な大使だけど、どうか信用して欲しいわ」




「ふーむ、伝説の使い魔とはね……そうすると君は、必然的に「虚無」の才能を持つことになるが」
「それは私も考えましたが、伝説を信用するのなら系統魔法をもすべて使えなくてはなりません。ところが現実には私は…「ゼロ」…です。やはりご始祖さまにおかれては「オール・ドット・スクエア」(すべての系統を持つもの)のオーバークラスだったのでしょう。考えてみれば固体、液体、気体、炎、それ以外に思いつくエレメント(元素)など此の世にはありませんもの」
「すべての系統をバランスよく持ちえれば、どれほどの奇跡が可能だったろうね。……待ちたまえ、君が「ゼロ」とはどういうことか?!」
「お聞きになられた通り、……魔法の才能が……「ゼロ」……と言うことです……殿下」

少し言いずらそうにルイズはそう告げた。

「では、あの……勝手に命名して悪かったが「ブリューナク」はどういうことかね?!」
「殿下……」
「……ああ、聞かない約束だったね、すまない」
「…いえ…、私には一応王家の血が少しは入っています。それが自分の場合には悪く出てしまったのでしょう。殿下やアンリエッタ姫様のように魔法の発現力を持ち上げるのではなく、一点集中的な才能の偏りが起こってしまったのだと考えています」

王家に連なる血をもつものは、異常なほどの魔法の才能を見せることがある。ルイズの幼馴染でもあるアンリエッタ王女も、さほど厳しい訓練をせずとも、すでに「トライアングル」だ。
また、ガリア王国の現王ジョゼフ・ド・ガリアの王弟、故シャルル・ド・オルアレン公爵などは十二歳にてすでに、グラン・トロワ・ド・スクエア(三つの系統を持つメイジ。非常に希)であったと言われている。

「つまりはそれが……」
「はい、魔法精神量とサモン・サーヴァント、それにコントラクト・サーヴァントです」

それを聞き、ウェールズは、しばし天井を見上げ、目を瞑る。今は昔、遠き伝説の始祖ブリミルの時代に心を彷徨わせているようだった。

「我らが始祖の従えた四体のしもべたち。その中でも最強を謳う神の盾「ガンダールヴ」に、百の幻獣を従えし神の笛「ヴィンダールヴ」……か。
我が、遠きいとこ殿、久しぶりに楽しい時間をありがとう。彼が目覚めたらぜひ教えてもらいたい。伝説と口を聞くなどめったに無い経験だろう」





さて、と言いウェールズ皇太子はテーブルの下より宝石のちりばめられた小箱を取り出した。首にかけられたネックレスを外すと、そこには小さな鍵がついている。その鍵を小箱の鍵穴に刺しこみ、箱を開けた。その中には一通の手紙が入っていた。 それが王女アンリエッタの言っていた手紙なのだろう。
その手紙を取り出し、愛しそうに口付けると、開いてゆっくりと読み始めた。何度もそうやって読まれたらしい手紙は、既にボロボロになっていた。ウェールズは、再びその手紙を丁寧に折り畳み、封筒に戻すと、また小箱にしまいこみそのままルイズに手渡した。

「これが姫からいただいた手紙だ。この通り、確かに返却したぞ」
「ありがとうございます」

ルイズは深々と頭を下げると、その小箱をうやうやしく受け取った。そして、その小箱から手紙のみを取り出しジッと見詰めていたが、その手紙のみを自分のポーチにしまうと、また小箱を恭しくウェールズに返却した。

「どうやら、姫のご依頼の手紙は宝物庫放り込まれ、探すのに三日はかかりそうですわね」
「おいおい、ルイズ……」

慌てた様子でワルドはルイズを止めようとする。

「大使殿、さすがにそれは許可しない!」
「なぜですか!」
「君とシンジ君のおかげで、こちらの溜飲は下がった。だが敵の数も戦力もさほど落ちたわけではないのだ。正直、君のあの力を見て何がしか利用しようと思ったのは子爵殿の案じている通りだが、利用できるような類のものではないことがわかった。コツでどうにかなるようなものでもなかろう」
「殿下それは……」
「余が話しておる」

そう言われては、黙るしかない。

「明日、「マリーガーランド」号が非戦闘員を乗せ、ここを出港する。われらは「イーグル」号で派手に暴れて敵の目をひきつけるゆえ道中の心配は要らん。うまくすれば2~3日は敵の攻撃もないだろう。もし万が一の時は君の護衛が君を守る。 
……ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵、君に友人としてお願いしよう。大使殿を守りトリステインに帰りたまえ」
「はっ、我が命に代えましても!」
「ジャン!」
「ルイズ、君の使命は何か、忘れたわけではあるまいね」

ルイズはうつむき唇を噛み締める。

「夜には我らの最後のパーティを開く。君達は、我らが王国が迎える最後の賓客だ。是非とも出席してほしい」


☆☆☆

ワルドは、それでは、と言って会議室を退去した。扉の外には、すでに部屋に案内するためのメイドが控えている。ルイズはシンジの様子を見てくると言い、扉の前でワルドと別れた。

「それでは、ご案内いたします」

そのメイドは恭しく一礼し、ワルドの前を歩く。用意された部屋の前まで来るとまた一礼し、扉を開きながらささやくようにこう言った。

「リパブリク・アルビオン・グランツェ」(アルビオン共和国よ栄光あれ)

ワルドは「うっ」と唸り、メイドを見る。

「おまえか」

ワルドはメイドを伴い、急いで部屋に入る。そして、急いで扉を閉め「ロック」の呪文を唱える、急いでもう一つの魔法も。

「おまえか?じゃ無いだろう。なぜこんなところにいる“スクウェア”の小僧」
「その格好で人を“小僧“呼ばわりするなよ、”地下水“。それにスクウェアじゃないスクエアと呼べ!そのイントネーション嫌いなんだ」
「バカヤロウ!「サイレント」をかけろ、いやかけても言うな!」
「もうとっくにかけているよ、……しかし、会うたびに姿が違うな。どんな魔法だ?」
「誰が言うか!だいたい“スクウェア”は王室御用達の正式なイントネーションだ!」
「わかってるよ、それくらい」

姿は妙齢の女性のソレであるが。 しかしワルドには彼女の正体がわかるらしい。
メイドは、その言葉使いとは裏腹ににっこりしながら、優雅に紅茶の用意をしている。
ワルドも手近な椅子に座り、ゆったりとくつろいでいるように見えた。

「たしか、俺がお前に伝えた使命は……」
「機会を待って、アンリエッタ王女を誘拐。もしそれが困難なようなら殺すこと」
「こんなところにいて、どうやってそれをするつもりだ!」
「宮仕えの悲しささ。突発の命令があったんだ。まさか“あなたを誘拐するのに不都合ですから、その命令は聞けません“とは言えんよ。……ああ、ありがとう」
「ケッ」

メイド姿の“地下水”と呼ばれたその女は、ワルドの座るテーブルの上のカップに紅茶を注いでいる。もちろん笑顔で。

「ところで、お前さんがここにいることは、上には伝えてあるのか?」
「無茶言うなよ。と言いたいとこだが、まあ一応な」
「『偏在』か、便利だな。……当面のお前さんの役目だが……」
「おいおい、夕べからどれだけ魔法を使っていると思ってるんだ。今、すっからかんだぜ。『フライ』ひとつ満足に唱えられんよ」
「チッ、役にたたねーな。これでも飲んどけ」

そう言って地下水は、エプロンの前ポケットからビンを取り出し、ワルドの飲む紅茶になにやら怪しげな秘薬をまぜこんだ。

「なんだい、せっかくのロイヤル・アルビオン・ティーに変なものまぜるなよ」
「バーロー、取って置きの秘薬だぞ。精神力高揚剤だ、魔法のつかえんメイジなぞ屁のツッパリにもならん」

そう言われワルドは眉をしかめる。カップの中の紅茶の色も香りも変化した様子は無い。
カップは手に持っているが、しばらく眺めていることにしたようだ。

「なんだよ。さっさと呑め」
「得体のしれんものを、はいそうですかと飲めるもんか」

地下水は、またケッと吐き出して、先ほどの透明な水薬の入ったビンを口にあて、そのまま上を向いた。ビンはコポリッと小さな音を立てその中に丸い気泡を送り込んだ。メイドの喉は、ゴクリと動く。
一応、ワルドはそれを見て納得したようだ。カップを傾け始めた。
しばらく経つと、紅茶の中の秘薬が効能を発揮し始め、ワルドは自分の中に急速に精神力がたまり始めたのを感じた。

「ふん、まあまあって所か」
「それは、味のことか、それとも秘薬の効能の話か?」

ワルドはそれに答えることは無かった。

「……一応こちらの状況を伝えておく」

ワルドが国を離れ、この国に来たのはアンリエッタ王女の使いである大使の護衛であること。
中身はわからないが、おそらくは王女よりウェールズ皇太子へのラブレターであること。などを伝えた。

「しょぼい情報だな。トリステインとゲルマニアの同盟にちいっと嫌がらせが出来る程度のもんだ」
「だが、そう考えないものが一人いる。誰あろうアンリエッタ王女だ。こちらは手紙を手に入れ、それとなく王女に伝えてやれば、あの姫様のことだ。誰にも相談できず、こちらの思うように踊ってくれるだろう」
「マジか?あの姫様そこまで世間知らずなのか!」

ワルドはそのセリフに、さすがにイヤそうな顔をしたが、それだけで特に反論はしなかった。
ついでに、先ほど「レキシントン」が「皇太子の魔法」で沈んだことを伝えると、こちらはびっくりしたようだ。

「マジか?」
「なんだよ、城内にいて知らなかったのか?」
「こっちは表向きメイドだからな、そうそう窓の外ばかり見てられん。むしろ城内の方を探るのが俺の役目だ。しかし、そうなると王ではなく、皇太子を殺らなくてはならんな。
……あの恐っそろしい『王家のトライアングル』を……」

王家に繋がるものに、系統やレベルを聞くことは大変に不敬な行為である。そのため生まれたのが「王家のトライアングル」と言う言葉だ。
公式には、王家のものは十歳を超えたものはすべて「トライアングル」と称されるのだ。
たとえ、その者が実際はドットだろうとあるいはスクエアだろうと。あるいはそれ以上だろうと。

「恐ろしいと言えば、円卓の騎士で城内に残っているのは誰だ?」
「王の親衛隊たる9人の円卓の騎士は、すべて裏切るか殺されるか捕らえたれたはずだが?」
「いや、そんなはずは無い。少なくとも俺クラスのヤツがいたぞ」

ワルドはトリステイン王国の魔法衛士隊の隊長である。自分と真正面から戦ってまともに立っていられる奴などどの国に行っても五人はいないはずだとの自負もある。

「ふーん、じゃ一人だけだな」
「誰だ!」
「決まってんじゃねえか。ウェールズ王子だよ」
「皇太子が!?」
「何を驚くことがある。円卓の騎士は家柄を取っ払った実力主義だ。王族が入っていても可笑しくは無いだろう」
「今、目の前で会ってきたばかりだ。それに円卓の騎士が実力主義なのは遠い昔の話じゃなかったか?そんな感じじゃ……『偏在』か。くっ、俺が気づかんとは!」
「まあ、世の中広いって事さ。だがその様子じゃ、あんたじゃ無理かな。……うお、コエエ!」

瞬間、ワルドの全身から凄まじい殺気が放射される。その相貌は地下水の挑発に赤く染まり、見るものの内臓を縮こませるに十分であった。

「いいだろう。その挑発に乗ってやる。ヤツは俺がやる」
「お、落ち着け、別に挑発したわけじゃ無いって。俺らみたいな暗殺者はとにかく機会を待つんだ。誰もがいつかは油断する。そのスキをねらう」
「どうせ上層部の結論は総力戦だろう。それもそんなに時間は無いぞ。それよりも良い考えがある」




「そこまでして、自分の手でやりたいもんかね」
「暗殺者じゃなかったのか?」
「勘弁してくれ、こちとら快楽殺人者とかじゃねーんだよ」


☆☆☆


☆☆☆

シンジは夢を見ていた。見ていたように思う。
夢とわかる夢、白昼夢。 
何か大きな水たまりに漂うように浮いて、体は動かないわけではないが、動かそうと思う気力が無かった。
彼の周りには、十何人もの気配。 シンジの目は開かれている。 いや、横たわる自分を上からの目線で見ているのが自分だ。これも夢ではよくあること、行動する自分を傍で見ている自分。 それならば気配の正体もわかるはずだが自分のみが鮮明で、それ以外がぼやけた世界。

水面より、細く長い藻のようなものが、シンジの指に絡まる。
それがうっとうしく、軽く指で弾き飛ばす。軽く動かしたはずの指がちぎれ、そのまま遠くに飛んでいく。ほんの足元ほどで、指の着水音がする。
まるで昔見たゾンビのコメディ映画のようだ。腐っている体で人を襲うから、人を殴れば手がつぶれ、人を蹴れば足が折れ、噛み付こうにも下顎が無い。人を襲えるのは死に立ての新鮮なゾンビだけ。そいつらだって行動がやたらゆっくりだから、どんなに大勢で主人公を追い詰めてもゾンビとゾンビの間をひょいひょいと逃げられる。道具を使うような脳みそも残っちゃいない。

くすくすと笑った。

手を持ち上げようとすると、肩からボキンとはずれ、水面の底に沈んでいく。足もそう、注意して首を動かし胸を見れば大きな大きなひび割れ、ふうっと息を吐いて頭を戻すと首が折れた。
別に恐怖は無かった。このまま粉々になれとも思った。

(だって、人を殺したんだもの。僕も同じように死ななきゃ……)

もうまともに思考することすら億劫だ。体から外れた頭はどんどん水底に沈んでいく。
体から首が取れたときの衝撃で首はクルリと回り、水面に残った体を見た。
手足はちぎれ胴体だけが残っていた。それも見る間に四分五裂にばらばらになっていく。そして沈むにつれ、そのさまも見えなくなる。闇がシンジを包む。

(さようなら、ルイズさん。どうかお幸せに……)

残った思考力でぼんやりとそう思った。やがてそれも消える。
存在の輪郭が保てなくなる。眠りに落ちるように意識が途切れ、混沌、闇、死。











音、声、呼びかけ、光、白い光、丸い光、白い月、赤い月、余計な月、引力、重力。電磁気力、核力、弱い力、S2(スーパーソレノイド)力、精神力、魔法。昔の友達。今の知り合い。知っている人。知らない人。
他人のような父、自分を憎んでいた父、顔も思い出せない母。赤城博士、加持さん、ミサトさん、僕を利用した大勢の大人たち。
戦い、異形の天使たち、敵、僕らの敵。……カヲル君。人工の使徒、母のクローン、綾波レイ。 セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレー。フォースチルドレン、スズハラ・トウジ。僕が殺した、大勢の人たち。守りたかった、大勢の人たち。僕を知らない、大勢の人たち。

そして赤い海。

粉々になったカケラの一つ一つが思考し、試行し、集中し、結集し、集結し、結実し、回復する。 ツギハギとひび割れだらけの、今や粉々になったはずの自分の命?魂?心?そんなものが。 再生し、再構成し、交差し、逆行し、復活し、蘇生する。

(やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!やめて!……)

小麦粉に水を混ぜたように、粉々になったはずの心が固まり、また一つに戻っていく。目には見えない無数の手によって。

(彼が死ねば、もう代わりはいないわ……)
(彼には使命がある……)
(世界は再生した。彼の願いどうりに……)
(それは、やつらの計画……)
(生きてさえいれば、どこだって……)
(ひとつでいましょう。孤独はとってもイタイから……)
(彼はどうも自分以外のものに興味を持ちすぎる……)
(仕方あるまい、ヒトとはそういうものだ……)
(ヒト?……)
(この力は都合がいい、彼の壊れた心を補完してくれる……)
(人の新しい力だな。痛みも、辛さも忘れられる……)
(だが、一定の制御は必要だ……)
(わかっている、だから”三つ“に分け、真性の力を出せないようにしているのだ……)
(また少し、抑えを緩めなければならない……)
(それは危険ではないか?……)
(このままのほうが、はるかに危険だ……)
(絶望は、彼を簡単に死に至らしめるからな……)



(彼は……私たちの依り代……)



複数の声が割り込む。男か女かわからない。若いのかどうかも。言葉だったのかさえ。

(いやだ!いやあだ!いいやああだああ!いいいやあああだあああ!いいいいやあああああああだああああああああ!)

生まれ出る苦痛。拒絶される悲しみ。侵食される恐怖。

絶叫。

白く光る鎖が、彼の手足に食い込んで、その体を二重に三重に四重に五重に六重に七重に、無数に巻いていく。


そして、目もくらむような輝き。


☆☆☆


「お、起きたかシンジ」 
「ギーシュ!ここは?ルイズさんは?“敵”はどうなりました?」
「少し、落ち着け」

ギーシュは、そう言って読んでいた本でシンジの頭を軽く叩く。

「大丈夫か。少しうなされていたんで起こしたんだ」
「う、うん。大丈夫、少し夢見が悪かったみたい」
「へえ、どんな?」

そう言われ、シンジは少し頭をひねる。

「試験勉強をしてるルイズさんに、紅茶を入れてたんですけど。手がすべってちょっとこぼしちゃって、それですごくルイズさんの機嫌が悪くなって。なぜか、犬の首輪をかけさせられて……」
「それで、校内をルイズと共にねり歩くわけだな。なぜか全裸で」
「う、うん」
「まあ、良くある夢だな。夢占い的には欲求不満と、ひねりの無い答えしか出てこないよ。……ぷぷ」
「笑わないでよ」

力なく、抗議の声をあげる。

「悪い悪い。 しかしまあ少し安心した。君みたいにやたらお行儀がいいと、本当に人間か?とか、ルーンの洗脳力スゲエとか思っちゃって、使い魔を見るのが少し辛くなる」
「……え」
「ああ、つまり僕はヴェルダンデを親友だと思っているが、ヴェルダンデの方は単にルーンの洗脳力で僕に従っているだけじゃないかと不安になるのさ。無論、ルーンの効能があるのだから、それがゼロとはいわないよ。それでも魂の奥底で僕と使い魔は繋がっている。そう信じたいのさ。ルーンは唯、魂と魂をつなぐためのパス(経絡)だとね」
「パス?」
「そう、見えない心の糸さ。君とルイズのようにね」
「僕、と、ルイズさんの様に?」

シンジはオウム返しのようにギーシュの言葉を繰り返した。

「君ぐらいの歳で、ルイズみたいな女の子に普通に従ってるのは軽く違和感があってね」
「違和感ですか」
「そう、僕や他のみんなを振り返っても、なんなら平民でもいいが、いきなり呼び出されてキスされて『よーし、今日からあんたは使い魔だ!黙って俺について来い!』なんつって素直に従うやつなんかいないよ」
「そう……ですか」
「ま、ちょっと位は反発するものだ。……いやいやふたりが納得しているのに僕は余計なことを言っているな。悪い、忘れてくれ……ところで話は変わるが、アレはどうやるんだ?」
「……さっきの砲撃魔法のこと?」
「いや、君のもう一つの魔法。君は奇妙な壁を作りだせるだろう。イメージ的なもので良いから教えてくれないか」
「僕自身、良くわかっていないけど説明は出来ます。それでよければ」

ギーシュはそれでかまわないと、先を促した。
シンジは目の前に、小さなATフィールドを展開する。目には見えないため手の平を押し付けて場所を示した。

「これは、現象的には空間を折りたたんでいるんです。折りたたむことによってその空間の密度が異様に上がるから壁のように感じるだけで実際はものすごく粘度のたかい液体のような空間が出来るんです。そして空間をずらすことで位相の空間を挟み込む領域を作り出すんです」

ギーシュは恐る恐ると言った態で、その空間にあるATフィールドを指先でつついた。

「普通の空間が水蒸気とすると、これは水か氷のようなものか?とすると折りたたまれた空間があった場所はどうなる?真空になるか、その領域の外側が折りたたまれた際に引っ張られるんじゃないか?」
「それは、折りたたんだ空間がものすごく薄くて、問題にならないレベルだからって聞いてます」
「へえ、どのくらい?」
「たしか、数ミクロン……。あ、こちらの言い方だと一サントの数千分の一ですね」
「たったの!」
「ええ、そう聞いています」
「ふーん、……。一サントの数千分の一の折りたたまれた空間か。僕にも出来るかな?」
「できます。というか、すでにやっていますよ。たぶんだけど」
「え、……それは、魔法という事かい」
「魔法も含めて……これはすべての生物が持っている根源的な力、自分と他人を分ける心の壁。そして、肉体を形作る魂の手段……」

シンジはそこまで言って黙り込んだ。急に恥ずかしくなったのだ。半分寝ぼけた頭でえらそうに説明している自分を。

「ごめん、忘れて!」

そう言って、毛布を頭からかぶる。ギーシュには、何を恥ずかしがっているのかはよくわからない。まあ、目覚めたばかりだから混乱しているのだろう。

「空間を曲げる力……か」

ギーシュはブレイド用に持ってきている、二十サントほどの杖をいじりながら考えに沈んだ。
やがて復活したのか、おずおずと毛布を降ろし顔を出したシンジが聞いてきた。

「ねえギーシュ」
「ん」
「ギーシュの魔法はどうやってるの?」
「んんー。まあ簡単に言えば、だ」
「うんうん」
「円錐の理(ことわり)、螺旋の導き、心の形を結界とし。然る後に心力を注いで魔法となす。
まあ、一年生の基礎だけどね。円錐の理ってのは精神力を杖に集める際に行う基本的な……」

ギーシュの話は面白く、また、わかりやすい。彼が女性にもてるのは、顔のためだけではなく、こういった女性を飽きさせない話術も要因の一つだろう。サービス精神も上々である。
程なくして、扉の外から声が聞こえてきた。

(タバサったら、何やってんの?こんなところで)
(しー)

キュルケの声だ。どうやらタバサもいるらしい。扉を開けて二人が入ってきた。タバサの顔が心なしか上気しているように見える。

「はーい、シンジ君起きたー!早速だけど、おねーさんと、「ウル・カーノ」(発火の呪文)しない?!」
「だめ、彼は私と「イル・ウインデ」(風を吹かす呪文)をする予定」
「いやいや、ここは間をとって私と「イル・ウォータル」(水を操る呪文)と行きましょう」

いつの間に入ってきたのかモンモランシーも居た。

「何言ってんのよ、あんたらは!」

入り口にはルイズが仁王立ちしている。もちろん手は腰だ

「あら、ルイズいたの」
「いたの?じゃ無いわよ。あたしの使い魔を勝手に使わないで頂戴」
「ケチねぇ。だって考えてみて頂戴。ルイズでさえあの威力よ。トライアングル・クラスのあたしとコラボレーションしたら、大陸に穴が開きそうな炎が出せると思わない?」
「五万の敵を吹き飛ばす風を」
「雲をつくようなゴーレムを」

「……無理ですよ」

それまで黙っていたベッドの中のシンジが口を挟んだ。

「無理?やってみなけりゃわかんないじゃ無い。なんでそう思うのよ」
「わかります。言葉では説明しきれないけど、皆さんとルイズさんは違う、違う気がします。なんていうか、根本的なところが。……だからおそらく、キュルケさんとやってもなにも起きないか、せいぜいが倍ほどになるだけでしょう」

そう言って、シンジは口元を押さえ、目線を皆から外す。だが、それを聞いたルイズは満足気だ。

「その通りよ。使い魔と心が通じ合って始めてあの威力になるんだから!あんたらじゃ無理無理」

シンジはそっと、(そう言う意味じゃ無いんだけどな)と思った。
それを聞いたキュルケはつまらなそうに唇を尖らせる。

「倍になるなら、すごいけど」

(でも、何にも起きないって事はないわよねえ)





ドアにノックの音がした。
ウェールズは、「アンロック」の呪文を唱え、ついでに「念力」で扉を開く。
その先には、ワルド子爵が立っていた。

「どうしたね?子爵殿」
「恐れながら、殿下にお願いしたい議がございます」
「何なりと伺おう」

ワルドはウェールズに、自分の願いを語って聞かせた。 
ウェールズはニッコリと笑った。

「それは何ともめでたい話ではないか。喜んでその役目を引き受けよう」





パーティは、城のホールで行われた。
簡易の玉座が置かれ、玉座にはアルビオンの王、年老いたジェームズ一世が腰掛け、集まった貴族や臣下を目を細めて見守っている。
明日で自分達は滅びるというのに、随分と華やかなパーティであった。王党派の貴族達は、まるで園遊会のように着飾り、テーブルの上には、この日のためにとって置かれたのであろう様々なごちそうが並んでいる。

ウェールズが現れると、貴婦人たちの間から歓声がとんだ。若く凛々しい王子様は、どこでも人気者の様だ。
彼は玉座に一人座る父王に何事かをささやくと、アルビオン王ジェームズ一世は豪奢な椅子から立ち上がり、「うぉっほん」と皆の注意を促した。
すると、ホール内の貴族、貴婦人、様々な雑用をこなしていたメイドたち、下男たちが一斉に王のほうを向いて姿勢を正した。

「忠勇なる我が臣下たちよ。いよいよ明日、この「ニューカッスル」の城へと総攻撃が加えられるとの情報が入った。しかしながら……」

老いたる王の演説が続く、逃げたいものは逃げよ。ご婦人方の参戦は認めない。希望者でも十二歳以下のものはこれを許可しない。メイド下男には退職金と暇を与えるゆえ、明日の朝「マリーガーランド」号に乗り城を離れよ。等のこまごまとした指示を練りこむ。
皆、王の最後の直言を真摯な面持ちで聞いていた。

「……明日、わしと皇太子が「イーグル」号の船上より「ヘキサゴン・スペル」を雲霞のごとき敵どもに放ち、それが最後の戦いの始まりとなるであろう。……諸君らに命じる。全軍、この王に続くが良い!」

それが合図であったかのように、皆が一斉にかかとを打ちならし、杖を胸に掲げる。

「「「ご命令確かに!」」」

ジェームス一世は、その一糸乱れぬ様を見て、にかっと人懐こい笑みを浮かべた。

「さて、堅い話はここまでじゃ。今日はよき日である!重なりし月は始祖よりの祝福。おまけに「レキシントン」やら言う、敵の戦艦が一艘二つに割れたらしいではないか」

ホールのあちこちから屈託の無い笑い声がもれ出た。

「空を知らぬ無粋者には過ぎた船でしたからな!おおかた王子の魔法に慌てて取り回しでもとちったのでしょう」
「殿下、次に放つときには、それがしを是非そばに置いてくだされ。ヴァルハラにて仲間に自慢しますでな」

辺りは喧騒に包まれる。そしてこんな時にやってきたトリステインからの客が珍しく、また美しい女性が多いこともあって、王党派の貴族たちはかわるがわるルイズたちの元へとやってきた。
彼等は悲嘆にくれたようなことは一切言わず。また先ほどの「レキシントン」轟沈に関わっているであろう事はうすうす感じていたが、それらをおくびにも出すことは無かった。
唯、4人の女性に明るく料理を勧め、酒を自慢し、冗談を吹聴した。
一番人気は、やはりキュルケだった。次から次へとダンスを申し込まれ、それをすべて受けていた。
モンモランシー、ギーシュの二人もそうである。二人は、しょうがないね、目配せをして、貴婦人たちや若い貴族たちに囲まれた。
タバサは、体の大きな貴族相手に大食いくらべをしているようだ。どんな魔法を使っているのか?彼女の小さな体に大量の食事が吸い込まれていく。相手取った貴族たちは、次々に、ギブアップを宣言していく。



シンジは、壁に寄り掛かりながら、「アルビオン万歳!」と騒ぐ人々を眺めていた。

ルイズを見ると、ルイズはどうやらこの場の雰囲気に耐え切れなかったようで、外に出て行ってしまった。今はルイズを追い掛ける気になれなかったところに、ちょうどワルドの姿を見付けたシンジは、ワルドに目と手で促した。ワルドはそれに頷くとルイズの後を追い掛けていった。

一人でチビチビと薄いエールを飲んでいるシンジに、座の真ん中で歓談していたはずのウェールズが近寄ってきた。

「よう、ラ・ヴァリエール嬢の使い魔君。しかし、人を使い魔に呼ぶとは珍しい。彼女は変わっているな」

陽気にウェールズが声をかけてくる。

「シンジです。トリステインでも珍しいそうですよ。そして、変わっているのは僕で、ルイズさんは関係ないと思います」

シンジも微笑み返した。そして、ウェールズに問い掛けた。

「失礼ですが、死ぬのが、怖くないんですか?」
「案じてくれているのか、私達を!君は優しいのだな。それは怖いさ。死ぬのが怖くない人間なんているわけがない。王族も、貴族も、平民も、それは同じだろう」
「それでは、なぜ?」
「守るべきものがあるからだ。守るべきものの大きさが、死の恐怖を忘れさせてくれるのだ」
「愛する人を残してもですか?」
「愛する人を、守るためさ」
「おこがましいようですが、僕も少しは王子様のお気持ちが分かります。でも、出来ればほんの少し、残された者のことを考えてみて下さい」

我ながら、空々しいセリフだな。そう思いながらも言葉は途切れない。

「残念ながら、それは出来ないんだ」
「どうして!?」
「簡単だ、勇気を示すのは王家に生まれた者の義務だからさ。内憂を払えなかった王家に、最後に課せられた義務。逃げるな。戦え。勇気を示せ。それをせねば、きやつらにハルケギニアの各王家、そしてロマニアにおわす始祖の魂までもが舐められる」
「トリステインのお姫様は……」

シンジが何か言おうとするのを、ウェールズは手で制した。

「愛するがゆえに、知らぬ振りをせねばならぬ時がある。愛するがゆえに、身を引かねばならぬ時がある。私がトリステインへ亡命したならば、貴族派が攻め入る格好の口実を与えるだけだ!」

ウェールズはにやりと笑い、ウインクをしてきた。シンジは黙ってウェールズを見つめる。
彼は彼なりに考え抜いた結果、王家の人間としての自分を選んだのだろう。ならばシンジには止める権利も、止めるべき理由も無い。

「…分かりました。王子様、どうぞ御武運を、出来れば無理はしないで下さい」
「ありがとう。それと、今言ったことは、アンリエッタには黙っていてくれたまえ。不要な心労は、美貌を害するからな。そう、できればこう伝えてくれたまえ。ウェールズは、勇敢に戦い、勇敢に死んでいった、と。それで十分だ」

シンジは黙って、ウェールズの言葉を聞いていた。

「さて、君にはもう少し頼みがある。良いかね」
「え、ええ。僕に出来ることでしたら」

それを聞くと、ウェールズはにやっと笑い、シンジの手を取って再び座の中心に入っていった。

「さて、諸君。我らが始祖はこの哀れな子孫を憐れみ、ヴァルハラへの導き手を一人よこしてくれた。彼だ!」

皇太子の口上を聞いていた貴族たちは、いぶかしい顔を向ける。歓談の中央に連れてきた少年は、どう見ても弱弱しく、当たり前だが男だ。ヴァルハラへの導き手は、女神ブリュンヒルデに代表される美しき乙女戦士のワルキューレ姉妹たち。つまりは女性であることがほとんどである。だが、ウェールズはそんないぶかしい顔を気にせず口上を続ける。

「使い魔君、左手を貸してもらえるかな」
「あ、はい」

(何?)(皇太子はなんといったのだ?)(使い魔?)(この少年が?)

周りのざわめきが広がっていく。
ウェールズは左手の皮手袋をはずし、そこに目当てのものを見つけにんまりと笑った。そして、手の甲を皆にわかるよう高く掲げたのだ。

「え、あの、ちょっと?!」

少年の掲げた左手の甲には、その中央にまるで槍が貫通したような大きな古傷。その次に目を引くのが焼きゴテを押し付けたような文字状のひきつれたやけど跡、使い魔のルーンである。

「わが揺籃の師にして、ホグワーツ魔法学院学院長パリーよ、このルーンを読んでくれ」

どれどれと言って、その老メイジは少年の手の甲に顔を近づける。

「ふむう、古代ルーンとは珍しい。…ガンド(魔法)…アーレヴ(妖精)。ガンダールヴと読めますな。…ガンダールヴ…えーと、どっかで聞いたような。……っ始祖級の!……いやいや級どころではない。御始祖の4の使い魔」

驚く老メイジ。それを聞いていた周りの貴族達からは、驚くもの、失笑を漏らすものと反応は様々である。
だが、大方の貴族は、皇太子が最後に何かしらのイベントを仕掛けたのだろうと推測し、ニヤニヤしながらも何も言わなかった。しかし、そうは行かないものが、この場には複数名いた。

「その通り、我らが御始祖の使い魔の一人。今に至るまで最強の称号を外したことのない使い魔『ガンダールヴ』だ。と、言うわけで諸君。始祖の加護は我らにあり、皆、杖を出したまえ。 最強の使い魔からの祝福をその杖に宿らせるのだ」

そう言われ、シンジは戸惑う、いきなり祝福をと言われてもどうした良いのかわからない。

「あの、えっと」
「……心配するな。ちょいと杖先をさわってやればいい」

そう小声で、ウェールズが助け舟を出した。しかし 。

「ギーシュ。ちょっとこっちに来て」
「シンジ!お前『ガンダールヴ』だったのか!」

それを聞いて、(アチャーしまった!)と顔を覆う。みれば驚いた顔でキュルケ、タバサ、モンモランシーもこっちを見ていた。

「う、うん。それよりもちょっといいかな。ギーシュの『ブレイド』用の杖を触らせて欲しいんだ」
「お、おう。いいぞ」

『ブレイド』用の杖は、刀剣のように持ちやすい柄、少し長めの丈夫な杖身、そして発動のための先端で出来ている。もちろん固定化のかかった鉄芯入りだ。それを触りながら、小声でギーシュと何事か相談をしていた。

「あー、そろそろいいかな。シンジ君」

ちょっと痺れを切らした顔でウェールズがこちらを見ていた。

「は、はい、すぐに、…よし…お願いギーシュ。『ブレイド』の呪文を」

シンジに促され、ギーシュは『ブレイド』の魔法を唱えた。杖先に展開される『ブレイド』は、土メイジの証である黄色く光る精神力の高圧結界だ。

「へえ、これは……」
「どう……かな?」
「うん、なるほど。これはいい」

何がどういいのか?それを聞く前にシンジはウェールズに引っ張られ、貴族の歓談の輪に戻っていた。
三十数人ほどが、ウェールズに促され、ニヤニヤと笑いながら杖をシンジの前に差し出す。
先端を触るように言われたシンジだったが、彼は杖身のほうを両手で挟み、撫でるように触れていく。杖を撫でられた貴族たちは、皆一様に「アルビオン万歳!」と叫び、部屋を出て行った。

並んでいた人のほとんどが「ガンダールヴの祝福」を受け、部屋を出て行ったころだろうか。
最初のころに祝福を受け出て行った若い貴族の一人が血相を変えて戻ってくる。

「殿下!」
「どうした、敵か!」
「いや、そうではありませんが……。彼は、かの少年は、まさか……本物の……?」
「無論、本物に決まっておる。どうした、何があったか明瞭に答えよ」
「は、はっ。申し訳ありません。こちらをご覧下さい」

その貴族は、火メイジだったようだ。バルコニーに出ると腰に下げた軍杖剣を空に向け、「発火」の呪文を唱えた。その当然の帰結として杖先一メイルほど先に、目もくらむような“うすい黄色”の炎が現れた。
まずまず“白炎”と言ってよいレベルの炎である。
火は温度によりその色を変える。一般的なドットの火メイジが出せるのが赤い炎、レベルが上がるにつれ、その収束率が上がり温度は高く、そして炎の色は赤からオレンジへそして白へと変わっていく。白炎を出すのは火メイジのステイタスの一つだ。

「見事な白炎だな。君はライン・メイジだったと記憶しているが、いつトライアングルに昇格したのかね?」

ドットやラインのメイジでは出せない“白炎”だった。

「わたしは未だラインであります。昇格などはしておりません。これは杖のおかげであると思われます。つまり精神力の抜けがほとんど無く、そのまま魔法力に換算できるのです」
「君が伝説級の杖を自慢しているのでなければ……」
「我が軍杖は、王より下賜された名誉ある…こう言ってはなんですが、ごく普通の軍杖剣であります。言ってしまえば彼の『祝福』が、この杖にこのような効果をもたらしたのではないかと思っております」

想定の斜め上の効果に、さしものウェールズも焦眉を上げる。

「バランスはどうか?発動時間、取り回し(魔法操作)に異常は?」
「バランスは変わりなく、発動時間は心持ち早くなったような気がします。取り回しはいささかピーキーで恐ろしいぐらいですな。まさに「ガンダールヴ」の杖」

窓辺にて、杖を振り回し、それに合わせきゅんきゅんと炎が動く。トリッキーな動きを難なくこなしていた。
すでに、周りには人だかり。その光景を目の当たりにして驚愕の表情だ。

「使い心地に、問題はありませんか?」

くだんの少年が聞いてくる。 

「君は……いや、あなた様はまことの……」
「僕は、ただの使い魔です。……それでどうでしょう?」

そう言われ、少年の質問に答えていなかったことに気が付き、慌てて返事を返す。

「最高です。まさかこのような杖で戦えるとは思っても見ませんでした。……こうしてはおれません」

問題が無いわけではないだろう、いきなりハーフ・トライアングルクラスの魔法が使えるようになったのだ。本来ならそれなりに細かく調整しなければならないはずだ。
それでもなお、この杖はありがたかった。 
今は戦争中で、それほど精緻で複雑な魔法を使う必要は無い。単純で威力の大きい魔法のほうがありがたいのだ。その男は身を翻し急いで持ち場に戻ろうとし、扉のところで振り向いた。

「ガンダールヴよ、どうか我が友人たちにもその『祝福』を授けたまえ!」

現在、このパーティには、城の人員の三分の二ほどしか出席していない。見張りをすべて使い魔たちに任せるわけにも行かないからだ。彼はその友人たちを呼ぶべく戻ったのであろう。
それまで、遠巻きに“皇太子の仕掛けたイベント”を見ていた貴族たちが一斉にシンジに群がってきた。

「ガンダールヴよ、どうか私の杖にも『祝福』を」
「私の杖にも」
「私にも、お願いしたい」

もみくちゃにされるシンジ。

「おちつけ、おまいら。彼は一人だ。並べ並べ」

ウェールズが慌てて、群がった貴族たちの整理を始める。
しばらくして、戻ってきた人員は百名ほど、合計で三百人もの杖に『祝福』をかけ続けた。





へとへとになったシンジは、部屋に戻ることにした。
部屋への帰り道、ワルドがシンジを待ち構えていた。

「君に言っておかねばならぬことがある」
「何でしょう?」
「明日、僕とルイズはここで結婚式を挙げる」
「えっ!?ええっと、おめでとうございます…。だけど、何でまたこんな時に?」
「是非とも僕たちの婚姻の媒酌を、あの勇敢なウェールズ皇太子にお願いしたくなってね。 皇太子も快く引き受けてくれた。決戦の前に、僕達は式を挙げる。君も出席してくれるね?」

シンジは少し考えると、首を横に振った。

「…それは、遠慮しておきます」
「ならば、明日の朝、すぐに出発したまえ。私とルイズはグリフォンで帰る」
「いえ、残ります。僕は彼女の使い魔ですから。二人の結婚は祝福します。だけど、式には出られないだけです」

何か理由があることだけは察したワルドは「分かった」と短く言うと、去っていった。

真っ暗な廊下を歩いていると、窓から差し込む月の光が、涙ぐむ少女を映し出していた。
ルイズは、シンジの姿に気付くと、目頭をゴシゴシと拭った。しかし、ルイズの顔は再び崩れてしまう。シンジが慌てて近付くと、力が抜けたように、シンジの体にもたれかかる。シンジは何も言わず、ルイズの体を両手で支えた。
泣きながらルイズは言う。

「嫌だわ…、あの人達…、どうして、どうして死を選ぶの?訳分かんない。姫様が逃げてって言ってるのに…、恋人が逃げてって言ってるのに、どうしてウェールズ様は死を選ぶの?」
「大事なものを守るためって言ってた」
「何によそれ。愛する人より、大事なものがこの世にあるっていうの?」
「ちがうよ、愛する人が大事なものなんだ」
「だったら……。わたし、説得する。もう一度説得してみるわ」
「それは駄目!」

シンジは強い口調でルイズを引き留めた。

「どうしてよ?」
「王子様が簡単に死ぬって決めたと思うの?王子様だって死ぬのは怖いんだよ。誰が好き好んで、愛する人と離れ離れになりたいもんか。だけど、あの人はそれを選んだ。ルイズさんが説得すればするほど、王子様を苦しめるだけだよ。それを見過ごすわけにはいかない。それに、手紙を姫様に届けなくちゃいけないでしょう。ルイズさんは大使なんだから」

涙がルイズの頬を伝う。ルイズは、呟くように言った。

「…早く帰りたい。トリステインに帰りたいわ。こんな国嫌い。嫌な人と、お馬鹿さんでいっぱい。 誰も彼も、自分のことしか考えてない。あの王子様もそうよ。残される人のことなんて、どうでもいいんだわ」
「…生き残った方が辛いってこともあるんだよ」
「なによ、わかったようなことを……」

そこでルイズは口をつぐむ、彼もすでに滅んだ国の最後の生き残りであることを思い出したのだ。

「ワルドさんから聞きました。明日結婚式を挙げるって。花嫁が式の前にそんな哀しそうな顔をしてちゃだめだよ」

シンジはそう言いながら、ルイズの頭を優しく撫でた。

「まだ結婚なんかできないわよ。立派なメイジにはなれてないし。それに…」
「そんなこと無い!ルイズさんは立派だよ。誰よりも立派だったよ!メイジだなんだとか、魔法がどうのこうのなんてのより、人として、貴族として。僕だったら、内戦の国になんて、怖くて怖くて行きたいなんて絶対思わない。でもルイズさんは困ってる姫様のためそんな気持ちを押し殺してここまで来たんだ。すごいよ!誰よりも立派だよ!きっといつか教科書にのるよ」
「……バカ」

ルイズにはわかっている、誰のおかげでここまで来れたのか。ラ・ロシェールの入り口での襲撃にいち早く気が付き、撃退したのが誰か?ラ・ロシェールの宿屋で、敵に取り囲まれ、囮となり自分とその仲間を逃がしたのが誰か?空賊船での襲撃で、反撃の糸口を作ったのは誰か?
みんな、使い魔たるシンジと友人たちの活躍や、ワルドの的確な指示のおかげではないか。
周りばかりが立派で、自分は相変わらず「ゼロ」のままだ。

「なんで……」
「えっ」
「なんで、あんたみたいな使い魔が来たんだろう」(ゼロの私に)

それは、誰に聞かれるはずも無い小声の独白だった。
少なくともルイズはそのつもりだった。
シンジは何も言い返すことはなかった。その代わり別のことを言った。

「ルイズさん、安心して」
「えっ」
「ワルドさんと結婚したら、ちゃんと出て行くから。いままでありがとうね」
「な、何を言って……」
「いままで、いっぱい迷惑をかけたよね。ゴメンね」

彼女は責任感が強い、学校を卒業するか自分が立ち行くようになるまで結婚を断り続ける可能性がある。自分なんかを召喚してしまったため、ずいぶんと恥も掻いたことだろう。
もう十分だ。彼女の負担となるのは、ここらで終わりにしよう。 
そう考えた。

「あんたは、私の使い魔なのよ!勝手なことを……」
「明日まではちゃんと、君の使い魔だよ。いや、帰るまでが任務だから、その後かな。それまでは、ガマンしてくれる?」

言葉が出ない、頭が働かない。いや、働いている。唯ひたすらグルグルと。
引き止める言葉だけが喉の奥に引っかかり、出てこようとはしない。無理に引き出せば胸が破れ痛みに呻き、転げまわるだろう。唯の人間同士というだけではない。使い魔とその主人なのだ。 

まだ、時間はある。そんな余裕が返って彼女を行動させなかった。

「じゃあ、おやすみルイズさん。別々の部屋で眠るのは久しぶりだね」

昨日と変わらぬ明日が来る、そんな保障などどこにも無いと言うのに。






[10793] 第二十七話 化身
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:130becec
Date: 2013/03/10 06:00


そして夜が明ける。

シンジは少し早起きをして城壁の上を歩き回っていた。何人かの見張りの兵士たちが、同じように城壁を見回っている。いささか眠そうにあくびをしながら歩き回る彼に会うと、皆杖を立て、挨拶を交わした。

「おはようございます。ミスターガンダールヴ。夕べはよくお休みになれましたか?」
「おはようございます。シンジです。皆さんこそ夜からですよね。ご苦労さまです」

シンジは丁寧に頭を下げて、返事を返す。
ふと、上空を見れば珍しく早起きしたのか、シルフィードが気持ちよさげに空を舞っていた。顔を出したばかりの朝日に、その青い身体が照らされキラキラと輝いている。それはまるで一枚の絵画のように美しい光景だった。
昨日の宴会で大量の食事を振舞われたのは何も人間ばかりではない。 彼等使い魔たちも残っていた食材を大量に出され満足した様だ。
ところで、朝早いのは人間たちばかりではない、見張りのためか大量の使い魔たち、それに城内に残る軍用の幻獣たちが、中庭に集まっていた。

「壮観ですね。 みんなビシッと決まっていてかっこいいな」
「はは、彼等も、何か主人たちの覚悟のようなものを感じているのでしょう、おお普段寝ぼすけの「フェネアン」までがこの時間に起きているとは」

そう言って、その見回りの兵士は哨戒に戻っていった。
見れば、四足のものはキレイに方向をそろえ、この高い城壁を見上げている。 また羽のあるものは城のあちこちを止まり木に、大きな鷹からふくろうのような夜行性のものまでがまるでシンジを見つめるように同じ方向に向いていた。

そーっと、うしろを振り替えれば、当然そこは城壁の上だ、何もあるはずが無い。だが、太陽が顔を出し、朝焼けがきれいである。
今日は曇りに近い天気だが、まあまあ晴れといっていい。日の出に起きて太陽を拝むのが、この城の使い魔たちの習慣なのかと思い、彼等の視線を邪魔しないようにと移動する。だが移動しても彼等の視線はシンジから外れること無く、彼の移動方向へと付いてくる。

「……えーと?」
「はは、人気だな相棒」

背中の魔剣が突っ込みを入れてきた。

「やあデルフ、おはよう。僕が人気な訳じゃなくて、このルーンのせいじゃ無いの?」

そう言って、右手を上げる。

「ちげーよ、ヴィンダールヴのルーンは、これと決めた幻獣の心を思うがままに操り支配する。精神と心理をつかさどるルーンだ。正直、相棒のそれは、…弱いね」

弱いと言われても、さほど気にしたふうでも無く、右手をひらひらさせる。

「まあ、二つもくっついてますから。それぞれが弱くなるのはしょうがないんじゃないの?」
「んなこたねーよ、……んでも、ガンダールヴとしても歴代最弱だな」
「歴代って、そんなにいっぱいガンダールヴって居たの?なんか6千年ぶりとか聞いたけど」
「ん、んー。 まあ実は結構な、……そして、なんでか知んねーけど、ガンダールヴは必ずおいらを見つけて相棒にするんだ」
「へー、へー、へー」

シンジは右手を胸の前で上下に動かす仕草をしながら感心?した。

「それやめれ。ついでに言っとくとガンダールヴはたいがい単純馬鹿がなる」
「まあ、否定しないよ」
「そう言って冷静に返してる時点で、ガンダールヴとしちゃ失格だな」
「なんで?」
「単純も馬鹿も才能の内だ、ガンダールヴは心の震えで、感情のふり幅で強さが決まるからな。  剣を振ってる最中に他のこと考えてるやつ、よそ事を思い浮かべるやつ、変に冷静なやつじゃ駄目なのさ」
「ふーん」
「ヴィンダールヴは逆だな。こっちはあんまり会ったことがねえけど、まあ飄々として何考えてるか、わかんねーやつばっかだったな。どうやって心を震わせていたのやら」
「デルフって物知りだね。みんなに教えてあげればいいのに」
「よっせやい、照れるじゃねえか。まあ相棒もガンダールヴとしちゃ弱いってだけで使い魔としてなら最高だろ」
「駄目だよ、デルフ。ルイズさんが夕べ、なんて言ったか聞いてたよね……」
「んー、まあいいさ。オイラももう引き止めんのはやめとくよ、剣はいずれ収まるべき鞘に収まるらしいからな。…それに…」

(相棒が弱いと、おいらも安心なのさ)



第二十七話 化身



ルイズはまんじりともせずに目覚めた。
昨日、シンジに出て行くと言われたこと、ウェールズ皇太子やこの城の人たちの運命、最後の戦いそういったものが頭をぐるぐると回り、彼女を中々眠らせなかったのだ。

「起きてるかいルイズ」

ノックの音と共に、ワルドの声が聞こえてくる。ぼんやりとした頭で返事をして扉を開く。

「あ、ジャン……」

ワルドは、すばやく腰を折り、片膝をついてルイズの右手を取る。そして手の甲に接吻をする。

「さあ、今から結婚式だよ。 君によく似合う白いドレスとブーケ、そしてティアラ(金冠)を頭に載せるんだ。冠には君の髪によく似合う白い花をあしらおう。借り物だけど純白のマントを身につけて、君は今日、僕の花嫁になるんだ」
「……ええ」

ワルドの早口な言葉に生返事を返す。
戸惑いと寝不足と昨日一日に起こったすべてのこと、死に赴く王子たち、……それらすべてがルイズを激しく落ち込ませ、彼女を寝不足にしていた。
ワルドの空けた扉からは数名のメイドたちがわらわらと出てきてルイズを取り囲み、プロの手並みでしゅるしゅるとドレスに着替えさせていく。彼女らは皆、結婚話を聞いて、これが最後のご奉公と「マリーガーランド」号にいまだ乗り込まず、花嫁の準備に残った者達だ。

「貴族様、ウェールズ様と共に礼拝堂でお待ちくださいな。花嫁はシャンと着飾って必ず花婿殿の前まで送り届けますゆえ」

メイドの一人がそれらを物珍しそうに見学をしていたワルドを追い出した。



始祖ブリミルの像が置かれた礼拝堂で、ウェールズ皇太子は新郎と新婦の登場を待っていた。 この礼拝堂はアルビオンでも古くから使われている由緒正しい礼拝堂である。戦争中できらびやかな装飾こそ無いものの、王族の儀式に相応しい荘厳さがある。 
今は戦の準備中の為、彼の服装も皇太子の礼装とはいえ簡素なものだった。明るい紫のマント、七色の羽飾りの付いた帽子。それ以外は戦装束と言っていい格好である。
そして、チャーチ(信徒用の長椅子)に座るのは誰もいない。他のものはすべて、逃げ出すか戦の準備で忙しいのだ。 他には誰も……。

(ちょっと、押さないでよ)  
(しー、ばれるじゃない)
(……)
(君ら、少しは慎みという物をだね)

ウェールズはため息を一つつくと、杖を取り出し魔法を紡いだ。

『出てきたまえ、お嬢さん方』

口調は静かに、音量は高く、ピンポイントで奥の席に音を飛ばした。
 
「ひゃっ」 「……ッ」 「きゃっ」 「うおっ」

出てきたのは案の定、ルイズにくっついてきた彼女の同級生三人と護衛のギーシュだ。本来であればキュルケやタバサ、ギーシュ達は「マリーガーランド」号に乗り込み、いざと言う時のためシルフィードをその上空に飛ばす手はずになっている。無論ワルドとルイズも結婚式が終わればグリフォンで順次逃げ出すことになっている。

「……はずじゃなかったかな?」
「ああ、いやーその」
「同級生の結婚式ですもの。 友人代表ですわ」
「将来の参考にしようかと……」
「……」

ウェールズはため息をもう一つ吐き、諦めた。

「ただし、……」
「わかっています。コレが終わりましたら、すぐさまシルフィードに乗り込みこちらを離れます」

扉が開きワルドが現れた。
最前列に座る座る四人組を見つけ、いささか渋い顔をした。

「花嫁はどうしたかね?」
「申し訳ない、まだ着付けの最中です。 とんだご迷惑を……」
「いやなに、かまわんさ。夕べからずいぶんと世話になりっぱなしだからな。時間は、まだある」

ワルドはこれを、昨日のルイズとシンジの魔法のことだと思った。

「ところで、殿下」
「ん?」
「本日の殿下は、本物でしょうな?」

ウェールズは苦笑いをしながら、この疑問に答えた。

「はは、初見の者にはそう簡単に見破られたことの無い偏在『ダブル』なのだがね。よく見破ったな。 さすが魔法衛士長殿というわけだ。惜しいな、君のように優秀な騎士が私の親衛隊にあと十人もいれば、今日のような日を迎えずにすんだというのに」

心底残念そうにウェールズは愚痴をこぼした。ワルドは黙って頭を下げる。

「……では、王家の秘儀のひとつでありましたか。これは眼福でしたな」
「まあね、だが知っての通りあまり作りこむのは実戦向きじゃ無いがね。ああ、もちろん、今の私は正真正銘、本物のウェールズだ」

風メイジの奥の手、偏在だがこちらもいくつかの種類がある。
操り手がすべてを操作する操り人形のようなもの、ワルドの作った二つ重ね、ほぼ分身といってよい精密なもの。真正面からの戦いの時に偏在を使用する時は、軽く量を作るのが戦術の一つでもある。
もっとも、そうして作った偏在は横から見れば薄っぺらくみえる為『扁平』などと呼ばれている。
だが、軽く作られている分すばやさは上がり、精神力の消耗が少ないのだ。しばし、ウェールズと歓談をしていたが、やがて控えめなノックの音がする。

「お待たせいたしました。花嫁をお連れいたしました」

言葉少なに、若いメイドが花嫁衣裳のルイズをつれてきた。
ルイズはあごを上げ、ワルドを見つめる。

「……ジャン」
「やあ、来たね。 ぼくの花嫁。派手な披露宴は国へ帰ってからだが、かまわないかな」

ワルドはルイズの手をとりエスコートする。
始祖ブリミル像の前に立ったウェールズの前で、二人は並び立ち一礼をする。ワルドは城で借りた、純白のタキシードと白いマント、ルイズのそれはやはり王家より借り受けた純白のドレスと、新婦しか身につけることを許されぬ純白の乙女のマントである。頭には新婦用のティアラと、魔法の力でいつまでもみずみずしさを失うことのない花があしらわれていた。

「では、式を始める」

ウェールズの声が響く。

「まずは潔斎せし我が魔法にて、二人共に邪なる魔法の無いことを確認する」

ウェールズの「ディテクトマジック」が二人を洗うように清めるように、また守るように包んでいく。
そのような魔法に二人ともかかっていないことを確認し、深くうなずく。そして、祈祷書を右手に祈祷の言葉を朗読を始める。

「この麗しき日に、始祖の調べの光臨を願いつつ。
ウェールズ・テューダー。祝福の詔を詠み上げ奉る。
汝らは清浄なり。
清浄なるが故に、心体健やかなり。
心体健やかなるが故に、天地の精霊と同根なり。
天地の精霊と同根なるが故に、万物の霊と同体なり。
万物の霊と同体なるが故に、祈願成り就わずということなし」

王子の声が耳に届く。 しかしルイズにとっては夢の中での声のように、心もとない響であった。
かなり省略された祈祷が終わり、誓約の儀が始まる。

「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、愛し、そして妻とすることを誓いますか」

ワルドは重々しくうなずいて、杖を握った左手を胸の前に置いた。

「誓います」

ウェールズはにっこり笑ってうなずき、今度はルイズに向き直る。

「新婦、ラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール… …」

朗々と、誓いの儀が読み上げられる。
そして、今が結婚式の最中だということに、ルイズはやっと気づいた。相手は、昔からの憧れの人。 二人の父が交わした結婚の約束。幼い時ぼんやりと考え、また夢みていた未来。 
それが今、現実のものになろうとしている。





そのころ、シンジはニューカッスル城の外壁の壁上で外を眺めている。
城は、大陸から突き出た崖の上に立っており、敵が来るなら方向は決まっているのだ。敵の空軍艦は眼のよい使い魔と、それを共有しているメイジが警戒している。実際、三リーグほど向こうの森の中には五万の敵がいるはずなのだ。 敵もそれを隠そうともしない。当たり前だ、城の兵力はわずかに三百。本来であればとても抗すべき兵力差ではない。

ちらりと振り返り礼拝堂のある方角を見る。今頃は、結婚式の真っ最中だろう。

(一目ぐらい、見ておけばよかったかな)

いやいや、と頭を振りそんな思考を追い出す。 

(僕って、結構縁起が悪いもんね。おまけに昨日は、『あんたみたいなのが使い魔だなんてサイテーだわ』とか言われちゃったし)

「……がんばってきたつもりなんだけどな」

などと、マイナス方向の妄想をしながら、外壁から敵を見張りつつ歩いていた。と、そこに城の方から『フライ』で飛んできたものがいた。 白い結婚衣装のワルドだ。

「あれ?ワルドさん、結婚式はどうしました」

目の前に現れたワルドは、大仰に手を広げ肩をすくめた。

「僕らのお姫様が、君の祝福が欲しいと、駄々をこねていてね。結婚式は中断中だ。君がここで何をしているかを理解しないわけではないが、すまないがちょっとご足労願えんかね」
「ええ!えっと……」

シンジが何かを言いよどんでいると、ワルド(の偏在)はすらりと杖を引き抜いた。

「トリステイン王室!女王陛下直属!魔法衛士グリフォン隊!隊長のジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵である!」

杖を胸に、口上を述べる。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔、シンジよ。 勅命である。 主人とその夫に逆らうつもりか?!」

それは、いつぞや聞いた、学園長の大声にも匹敵するもので、それにプラス有無を言わさない迫力があった。
そして、ワルドはそこまで言うと、にやっと笑いシンジに顔を近づけて小声で言う。

「『勅命承りました』だ、シンジ君」
「ちょ、勅命、承りました!」
あっけに取られていたシンジだったが、はっと我に返り、反射的に言ってしまった。
ワルドはそれを聞き、またニヤッと笑う。

「さて、お姫様の前に出る前に、ちょっと着替えるとしようか」

見れば、シンジの服は、城に来た時に当て布と針糸を借りてかなり修繕したものの、あちこちがボロボロである。
焼け焦げた袖などは、どうしようもないため、切り取って片側だけを半袖にしている。
ワルドは、シンジを伴いニューカッスル城の端の部屋に飛んでいく。





「殿下。ワルド様。わがままを申しましてまことに申し訳ありません」
「何、かまわぬさ。いまだに敵が動いたとの報告は無い。よほど昨日の魔法が堪えたと見える」
「そうそう、使い魔が主の下を勝手に離れようなど許せるものではないからな」

礼拝堂でシンジとワルドの『偏在』の到着を待つルイズ。
ルイズは気持ちを落ち着かせ、心を集中する。すると視界が一瞬曇った。一週間ほど前から経験している感覚の「共有」だ。 
まだ誰にも言っていないが、少しずつ自分が普通の魔法使いに近づいていくのを感じる。それでもまだ、感情が高ぶった時、よほど集中している時にしかこの能力は使えないが。ルイズは感覚を選択し、シンクロ率を高める。今、ルイズの脳裏には、シンジの視界が映し出されている。
城壁でのシンジとワルドの偏在との会話も聞いていた。服なんかどうでもいいのにと思ったが、その気遣いは素直にうれしかった。

今、ワルドとシンジがどこかの客間に入った。この礼拝堂からは、ずいぶんとはなれた場所だ。

(シンジ君、こちらの黒の上着とズボンには着替えたまえ。剣は預かっておくよ)
(気をつけろよ、相棒。この城はそこらじゅう”固定化“だらけで、オイラでも薄ボンヤリとしかわかんねえんだ)
(大丈夫だよ。外にはワルドさんもいるし、僕もナイフを手放さないようにするから)
(じゃあ、外で待ってるから。早めにな)

そう言って、ワルドは扉から出て行く。
シンジは、ひとり客間で下着姿になる。すると奥の方に人の気配がした。シンジはいぶかしく思い、用心深くナイフを構えながら客間のドレッサーを開く。そこには逃げ遅れたのであろうか、一人のメイドが、短剣を持ちブルブルと震えながら隠れていたのだ。

「あれ、メイドさん、どうしてこんなところに?みんなもう逃げ出していますよ」
「あ、あの、わたし」

気が動転しているのか、どうもお話にならない。仕方無しにシンジはワルドを呼びに、彼女から目を離さず後ずさりながら扉に近づいていった。扉にくっつくようにして、ノックをした。

「ワルドさん、ちょっと入ってきてもらえますか」
「うん?」
「どうも逃げ遅れたらしい、メイドさんが一人います。なんか腰が抜けてるみたいです」

ワルドが扉をあけ入ってきた。

「どれ、逃げ遅れたって?」

ワルドがシンジのうしろに立つ。
シンジの胸部に氷を押し付けたような冷気が走り。 次に感じたのは灼熱の痛み。

「え?」

見下ろせば、シンジの薄い胸板から青い光をともなった杖の先端が顔を覗かせていた。風の速さで「ブレイド」は彼の胸を貫き、また引き抜かれていた。
叫び声は出なかった。 




「ぎゃああああああぁぁぁぁぁ… …」

傍目には、シンジを待ち、ただボーっとしているだけの様に見えたルイズが叫び声を上げる。ワルドはいきなり悲鳴を上げたルイズに驚愕し、その後、心配そうにルイズに近づいた。

「どうした、ルイズ!」
「ジャ、ジャン、……あな、あな、シン、シン、ジ、を… …」

それを聞き、ワルドは眉根をよせる。
ルイズは歯の根が合わない、ガチガチと怯え、近づいてくるワルドを見据える。何が起こったのかわからない。いや、わかってる。だが思考が理解を拒む。

「い、いやっ!」

ワルドの手がルイズに触れた瞬間、すべての情報がルイズの脳に飛び込んでくる。拒否していた恐ろしい回答が、その聡明さで導引き出されてしまう。
彼は……。

いきなりの展開に、ウェールズは首をかしげた。

「子爵殿、新婦のご様子が優れぬようだが大丈夫かね?」
「い、いや、緊張しているのでしょう。ご心配には及びません」

……ワルドは、裏切り者だ。なぜシンジを刺したのか?決まってる邪魔をさせないためだ。
何の邪魔を? 
ウェールズは二人に近づいてくる。アルビオン王党派最高司令官で、この国の最強と言われた風メイジが、無防備に……。そして心配そうに二人の顔を見る。 

ウェールズと目が合った瞬間、ワルドの顔から表情がすべて消える。彼の二つ名「閃光」のようにすばやく杖を引き抜き高速詠唱。
圧縮された精神力が、杖を通して螺旋状に回転、先端と杖身にその魔法効果を現した。すなわち「ブレイド」。 青白く光る風メイジの高圧結界がウェールズの体に延びていきその体を……。





「何をしていた。 “地下水”、『スリーピング・クラウド』で眠らせる手はずだっただろう。 おかげでしなくていい殺しをする羽目になったぞ」
「『偏在』のあんたにはわからんかもしれんが、ちゃんとかけたよ。こいつがちっと鈍いだけだ」
「ふん、まあいい。用意していた『スキルニル』も不要になったようだしな」

地下水と呼ばれた女性の手には、二十サントほどの人形が握られていた。それはガーゴイル(魔法人形)と呼ばれているマジックアイテムの中でも、特別なもの。血を吸った人物に変化し、その能力もコピーすることが出来る古代のマジックアイテムだ。当然ながら、禁制の品である。

「え、だって、こいつ『ガンダールヴ』なんだろう?もったいねーじゃねえか」
「お前も、物を知らんな『ガンダールヴ』とはルーンのことだ。そしてルーンは心臓が数秒停止しただけで消えるんだよ。そいつはもうただのガキに戻ってるはずだ。『スキルニル』に血を吸わせてもただのガキに変化するだけだ」
「ちえ、そうなのかい。 コレクションが増えると思ったのにな」

ワルドの偏在は、それには答えず、すでに部屋から出ようとしている。昨晩聞いた『共有』が効かないというのはどうやらルイズの嘘だったようだ。計算違いもはなはだしい。
ワルドとしては、むしろ逆の方を心配していたのだが。即ちルイズの危機に使い魔のルーンが反応することである。廊下に出ると、転がされている魔剣がわめいていた。

「ここここここ、この卑怯者!俺の相棒をよりにもよって後ろから刺しやがったな……」

ワルドの偏在はそんな文句には一瞥もくれることなく、本体の待つ礼拝堂に急いだ。

「まちやがれ!すっかすかの空気野郎が!」

いくら、わめこうが伝説の魔剣だろうが、剣は剣である。 手足の無い悲しさ、担い手がいなければ身動きできないのだ。 それでも偏在がその場から消えるまで散々にわめき散らしていた。

「ちっくしょー、相棒ぉー」
「およ、お仲間かい?」

そう声をかけてきたのは、件の“地下水”と呼ばれていたメイドだった。

「お仲間だとぉ。……インテリジェンス・ナイフか!」
「へへ、そういうこと。あんたこいつの“使い手”かい?」
「逆だ、相棒が俺の使い手なんだよ。そんなことより、頼む。俺を相棒のそばに連れてってくれ」

“地下水”はちょっと悩んだ後、その願いを了承した。

「いいぜ、その代わり、一メイルは離させてもらうし、俺は、いやこの体ではあんたの柄は絶対にぎらないぜ」

地下水はどうやら自分の柄を握った人物を操ることが出来るらしい。そんな自分の能力に合わせた用心深さだった。

「ああ、かまわねえ。せめて見取ってやりたいだけなんだよ」
「ずいぶんとまた、ご執心だな。こいつとは長かったのかい」
「二ヶ月ちょっとだ。 そんなことはどうでもいい。こいつは本当に俺の使い手だったんだ」
「ふーん、『本当の使い手』とはね。まるで伝説のデルフリンガーみてえな言い分だな」
「……」

ふた振りの魔剣は、内戦の前はおそらく客間とし使われていたであろうその部屋に入った。
シンジは扉のすぐそばに倒れていた。 着替えの途中だったのだろう、上下共に下着姿だった。左の肋骨の下辺りに、下着の破れたあとがあった。 おそらくはそこを刺されたのだろう。流れ出した血は、とめどなくその高価であろう絨毯を染め上げていた。

「ああああ、相棒ぅ。せっかくもうちょっとで……」
「結果は、そうかわんねーと思うけどな」

嘆くデルフにちゃちゃを入れた地下水だったが、次の言葉に疑問符を浮かべた。

「……人間になれたのになぁ」
「おい、そりゃ、どういう……」

……意味だと聞く前に、真っ赤な火柱が、その部屋を上下に貫いていた。




ウェールズはワルドの顔を見た。次の瞬間彼の顔からすべての表情がすーっと消えるのを目撃する。 
瞬間、彼は理解した。

(ああ、これはあれだ。例のやつだ)

内戦が始まり、捕えられていた親友ともいえる友人が自力で逃げ出したと聞いて、喜び勇んで合いに行き自分が顔を見せた時も、将の一人が会議中にいきなり自分に近づいてきた時も、果ては自分の乳母がいきなり自分を訪ねて来た時も、こんな顔をしていた。

即ち、知り合いがいきなり暗殺者に変わった時だ。

ワルドの高速詠唱が終わり、杖に青白い光がかぶさる。対して、ウェールズはやっと、杖に手をかけただけだ。

(ああ、これは一手足りないな)

それでもその手は反射的に杖をつかみ、予想される『ブレイド』の軌道に杖を持ち上げ防ごうとした。

爆発と振動が礼拝堂を襲った。








「……こちら、第三斥候部隊。上空待機中の空軍艦すべてに告げる。降下を中止せよ」
「……こちら、レコン・キスタ空軍司令長官サー・ジョンストンである。なにがあった」

ここは、ニュー・カッスル城手前三リーグに位置する森の中である。
十名ほどの部隊が、いくつかの魔法装置を手に斥候を行っていた。個人のディテクトマジックでは不可能なほどの遠距離の観測をマジックアイテムを使い可能にしているのだ。そして、森と、どうやらはるか上空で待機しているらしい空軍艦との通信はメイジ同士の使い魔を交換することで行われている。

「現在、魔法測定機器の調子が悪く、観測が不十分な為、目視情報のみを告げます。
まず、目標のニューカッスル城、第四尖塔地点より火柱。奇妙な火柱で空中に十字を描いています。
……火柱は二秒ほどで収束、火柱の消えた後に、赤く十字の形をした塔が立っています。塔の高さは、目視で三百メイルほど、中央から延びる腕の長さも高さと同じくらいです。王党派の何らかの魔法兵器の可能性あり。見極めが終わるまで降下を中断、あるいは延期を進言いたします」




[10793] 第二十八話 対決
Name: エンキドゥ◆197de115 ID:130becec
Date: 2013/03/10 05:26

「ブレイド」は、コモン・マジックではなく系統魔法だ。狭く細く硬く杖の周りや先端に魔法結界を作り出し、最後に心力を注ぎこまないだけだ。メイジの接近戦用魔法としてはポピュラーであり、「ドット」以上であれば、「ブレイド」を維持したまま様々な魔法効果をその杖先に現すことも可能である。
無論、魔法結界を内側に作ることで効率は悪くなるが。


ワルドの杖(ワンド)に発現する「ブレイド」とそこに展開される高速の風が、ウェールズの胸部に延びる。対して、ウェールズは先端に大きな魔宝珠と呼ばれる魔法を補佐する石を付けた杖を、やっと胸元に掲げただけだ。
呪文の詠唱から始まる魔法展開までのスピードは熟練したメイジでも1秒はかかる。
この先端の宝玉はそれ自体には、たいした硬度があるわけではなく、スクエアクラスの「ブレイド」の前にはたやすく砕け散るであろう。もちろんうまく当たったとしてだ。
ウェールズの思考が加速する。

(青い先端) (ブレイド) (敵) (裏切り) (急げ) (魔法を) (どんな?) (防げ) (早い) (間に合わない) (王国) (父) (戦い) (急げ)  (私を) (痛い) (えぐって) (回避) (早い) (無理) (拒絶) (死 ……)

“ぱきん“ 

ガラスが割れたような音と共にウェールズは吹っ飛ばされ、彼のうしろにあった始祖像にぶち当たる。
あまりの展開に、呆然としたのはそこにいる全員だ。 

「「「なっ」」」

ワルドも含めて。

一拍遅れて、ルイズの悲鳴が響き渡った。


第二十八話 対決


「ブレイド」は貫く、あるいは切り裂く魔法であって、このような近距離で突かれた場合、防ぐ手段はほぼ無いといっていい。
ウェールズの着ている服も、固定化のかかった皮製ではあるが、突かれる「ブレイド」を防ぐほどの強度は無い。一秒前のワルドの想像した未来は、何も出来ずに自分の杖先に貫かれるウェールズだった。
一瞬、あせって、魔法詠唱を間違えたのかと思ったが、ワルドのメイジとしての感覚はその手に『ブレイド』の発現を知覚させた。
ウェールズを吹っ飛ばしたといっても、あの程度の衝撃では怪我一つしていないであろう。
事実、彼はすぐに起き上がり怒りでワルドを見据えていた。

「貴様!レコン・キスタ!」

そのような、怒りの声には一切応えることは無く、ワルドは杖(ワンド)を腰の杖剣に持ち替えた。

(クソッ、なんだ今のは!)

手の感覚が彼に教えてきたのは、硬いガラスのような何か。 
常識で考えれば、それはウェールズの魔法だ。「王家のトライアングル」には、まだ隠された何かがあるのだろうか?

(落ち着け)

相手がどんな凄まじい魔法を使おうが、とてつもない精神力を誇ろうが、詠唱の暇も与えなければ良いだけの話だ。また威力の大きな魔法は詠唱の後の展開も時間がかかる。
油断させ、接近しての不意打ち、単純だが効果の高い手段だ。
一撃でしとめられなかったのは痛いが、ウェールズの体勢を崩すのには成功した。
であれば、二撃目、三撃目を叩き込むだけだ。ウェールズが何をしたかなど、死体にしてからゆっくり考察すればいいだけの話だ。

瞬間、ひどい揺れがその部屋を襲う。遠くでの破砕音と共に。だが、軍と魔法衛士隊で鍛えられたワルドの体勢を崩すほどのものではない。
地下水が城の火薬庫に火をつける手はずになっている。少し時間は早いがおそらくはそれだろう。続いて扉が勢い良く開かれ、入ってきたのはワルドの偏在だった。偏在は、ワルドのうしろで杖を構え、ブルブル震えていたルイズを杖ごと弾き飛ばした。

「あうっ!」

魔法ではなく、体当たりで飛ばされ床に転がされるルイズ。落とした杖は偏在に拾われてしまった。ルイズ本人もワルドの偏在に後ろから抱きすくめられ身動きが取れない。

「すまないルイズ!だが、少し大人しくしていてくれ」
「隊長!いや、ワルド!あなたは!」

いきなり、うしろに弾き飛ばされたウェールズとそれに続く爆発であっけに取られていたギーシュだったが、事ここに至りやっと状況を把握する。
杖を構え、腰に下げた皮袋を開き、二サントほどの鉄球をざらりと取り出した。それを体の回りに浮かせる。屋内における土メイジの武器の一つだ。
ルイズを拘束していた偏在が三人に分裂し、内二人がギーシュ達に向かった。
他の皆もそれぞれに水を、火を、氷柱を纏わせワルドの偏在に対抗しようとしていた。

彼等に対し、偏在は「ウインド」を吹き付けただけだ。だがそれはスクエアクラスの「ウインド」だ。
まるで津波のような、猛烈な風が彼等を襲いギーシュはおろか他の女性三人も吹き飛ばした。固定されていない長椅子と共に。
元々が対ガンダールヴ戦用にと、作りこんだ「三つがさね」だ。彼等程度では対抗するのは難しいだろう。

「すまないが、遠慮をしない様に命令してある。こちらの用事が済むまでがんばって逃げ回りたまえ」

後ろも向かずに、ワルド本体がそう告げてきた。実は嘘だ。学生達の相手をしている偏在には殺さぬよう指令を出してある。彼等はみな外国の有力な貴族の子息だ。どうにかして生かして捕えたい。
だが、ギーシュにすれば冗談ではない、スクエアクラスが作り上げた「偏在」から逃げるなどそう簡単に出来るものか。
おまけに逃げ出そうにも、扉には「ロック」の魔法。外に向かう壁の天井に近いところに設えてある派手なステンドグラスには堅固な「固定化」の魔法がかけられ下手な魔法ではビクともしないだろう。壁や床は言わずもがな。
何より、キュルケ、タバサ、モンモランシーはたまたまくっついて来ただけだが、ギーシュはルイズの護衛として名乗りを上げここにいるのだ。王女殿下の使命も果たせず大使も守れずでは仮に生き延びてもハルケギニア大陸のどこにも彼の身の置き場は無いであろう。

(シンジは何をやってるんだ!!)

いまだ、彼の現状を知らず。心の中でそう呻いた。



さて、ワルドはワルドでそう楽ではない。先ほどから杖剣に纏わせた「エアニードル」を何発か打ち込むも、ウェールズに転がるように避けられ「ブレイド」の呪文を唱えられてしまう。
魔法力の発現がその杖先に現れる。その杖自体も何らかの魔法がかかっているのであろうか、柄が延びて両手で掴みやすく変化していた。
ワルドの「ブレイド」をエペ(細剣)とするなら、ウェールズのそれは……うまいたとえが見つからない、見たままなら青白い光で形作られた長さ二メイルほどの丸太だ。太さはその持ち手の二の腕ほどもある。おまけに「ブレイド」には杖以上の重さが存在しない為、それを片手で小枝のように振り回すことも可能なのだ。ちなみに「ブレイド」は魔法の発現のみならば人を傷つけることは無い。そこにまとわせる高速の風や水、そして炎や土が刃となり敵を撃つのだ。
跳ねるように、後ろに下がり体勢を整えるウェールズ。大きく息をつき、今や敵となったワルドを睨みつける。

「さて、子爵殿。よくもやってくれたな。それでは空賊流をお見せしよう」

指先で器用に杖を振り回し、触れるものみな切り刻むウェールズの「ブレイド」さばきは、剣の腕の巧拙を問題にしない。強大な精神力を背景にした、まさしく強引な空賊のそれであった。

「くっ」

対して、ワルドのそれは、人間は正中線のどこかに穴を開けられたら死ぬ、というごく当たり前の理屈で、極力無駄を廃した突きを主体にしたものだ。「ブレイド」そのものの特性を生かし、彼も一メイルほどの杖剣の先端よりさらに五十サントほども青白い光を引き伸ばす。あまりに長くしてもエアニードルの射出がぶれる為、その長さが最良であると信じていた。
体重差も、リーチの違いも問題にならぬ、風を極めたメイジ同士の、そして観客がいれば、喝采間違い無しの戯画の決闘だった。

ワルド本体はウェールズと対峙し、その偏在はギーシュ達を睨む。
状況はけしてワルドに有利ではない。

「ルイズ、聞いてくれ。僕は確かに「レコン・キスタ」の一員だが、君を騙したわけじゃ無い」

白い花嫁衣裳に身を包んだまま、あまりの展開に呆然としていたルイズだった。

「い、今更……」
「君には素晴らしい才能があるんだ。僕にはそれがわかる」
「わ、私は、そんな才能あるメイジじゃ無いわ……」

ウェールズが振り回す強大な「ブレイド」を寸前で見切りながら、ワルドの言葉は止まらない。

「馬鹿だな、君が呼び出した彼を思い出したまえ。偶然や奇跡で呼び出したわけじゃ無い。君の使い魔になるべき人間を君は呼び出したんだ。サモン・サーヴァントによってね」
「それが、どうしたって言うの!」
「まだ気が付かないか?!君の才能が使い魔とその召喚に集約されるなら、君はあと三人の使い魔となるべき人間を呼び出す可能性があるってことだ!っと」

ウェールズが、両手で軽々と振り回す「ブレイド」は数瞬前にワルドのいた空間を凪いでいき、そこにあった長椅子を粉砕する。派手な動きでスキがあるように見えるが、それはほぼ誘いだ。やすやすとつけこめる物ではない。ワルドも必殺の突きを何度も放っているが、ウェールズもそれを必死に回避、あるいは「ブレイド」で受け止めている。

「最強の使い魔が三人、それが君の力だ!空を自由に飛びたいか?『ヴィンダールヴ』が君の為、最速の風竜を操るだろう。『ガンダールヴ』が君の前に立ちふさがるすべての敵を粉砕し、君の前に道をあけるだろう。『ミュズニトニルン』は君にふりかかるすべての難問を解決するだろう。
僕に手を貸せルイズ!僕は君に女王の座を!ハルケギニア最大の王国を!!」
「い、いらない。そんなものは欲しくない。私にはシンジが、シンジだけで!どうか、どうか正気に戻ってワルド様!」

ルイズの必死の懇願にも耳を貸さず。ワルドは言葉を続ける。

「そして、最後の使い魔は僕だ。最後の『記すことさえはばかれる使い魔』こそは、エンキドゥ学派によればメイジであるとしている。
原初の力を持った最強のメイジ、愛によって選ばれるとされる最後の使い魔に僕を選べ、そして、二人で世界を手に入れるんだ!」
「黙れ、この誇大妄想狂が!!」

双方共に、「ブレイド」の光に風を纏わせ、ウェールズは凶悪な「エアカッター」を飛ばし、礼拝堂の精緻な芸術品をざくざくに切り裂いていく。
ワルドは精密な射撃で「エアニードル」を打ち出し、ウェールズのスキを狙う。共に遠慮も配慮も無い、戦闘に特化した風メイジ同士の戦いだった。

戦いは小康状態だ、ワルドとウェールズはまた、始祖ブリミル像のある説教台近くでにらみ合い、ギリギリと杖上の「ブレイド」同士で火花を散らしていた。

「ここまでやるとは思いませんでしたぞ。まさに空賊ですな。殿下!」
「まさに空賊なのだよ。子爵殿!」

数瞬のつばぜり合いの後、二人は、はっとして何も無いはずの壁を睨む。
それは、風メイジというだけでは説明のつかない、実戦を潜り抜けてきた戦闘者としての勘だった。ぞわぞわと背中を這い回るようないやな予感と共に二人はその壁から離れる方向に跳んだ。

二人が離れたその後、壁からは奇妙な乳白色の何かがその壁からにじんでくる。
無理やり例えるならそれは何重にも編んだ巨大な紐の一部だった。それはまるで巨大なローラーのように回転しながら壁から出てきたのだ。

「ああ、あ」

説教台の隅で偏在に拘束されていたルイズが、逃げる暇もなく、その白く巨大なローラーの一部に巻き込まれる。

「ル、ルイーズ!!」

ワルドの叫びも虚しく、ルイズはまるで水に沈むように白いローラーの向こうに消えた。
しかし彼女を心配している暇は、礼拝堂の誰にも無かった。
唯一の扉は説教台の近くで、すでにこの奇妙な白い巨大なローラーの向こうだ。奥へ奥へと逃れるほかは無い。『フライ』で上空に逃れようにも天井との隙間はわずかだ。それなりに大きな礼拝堂だったが天井はそれほど高いわけではない。ワルドとウェールズの戦いに巻き込まれ飛散した長椅子は次々と白いローラーに巻き込まれその向こうに消えていく。

ワルドは偏在を自分の前に立たせ、重ねていた偏在を解除、三体に分裂させ、さらに魔法式を変換『ウインドブレイク』でその白いものを吹っ飛ばそうと試みたが壁にぶち当たる瞬間その魔法体は分解してしまい、固めたはずの空気は空中に虚しく霧散した。
ウェールズも、その巨大な『ブレイド』の先に、これまた巨大な『トルネード』を生み出すがこちらも迫ってくる白いローラーになんの変化も与えない。
そして巨大な炎も、無数の氷柱も、鋭利な水の刃も、その表面を波立たせることさえ出来なかった。
そこにいたワルド、ウェールズ、キュルケ、タバサ、ギーシュ、モンモランシーはすでに部屋の一番奥、ステンドグラスの下の壁に体をぴったり押し付けている。ステンドグラスの方を割ろうにもこちらも薄い鉄板のようなものだ。この中で唯一の土メイジ、ギーシュに余裕と時間と精神力があっても手のひらサイズの穴を開けるのが精一杯だろう。
そして、すでにそんなものは無い。

「ワルドォ!なんだぁ!アレはぁ!」
「知るかァ!!貴様らの魔法兵器じゃ無いのかぁ?!」
「あんな、面白びっくり兵器があったらとっくの昔につかっとるわぁ!!」
「この城の地下に眠っていた伝説のナントカとかじゃないのかー?!」
「伝説のナントカってなんだー?!この城は建ってから二百年も立っとらんわー!!」

「ひぃー!誰か、ナントカしてぇー!まだ死にたくなーい!!」
「ち、父上―!」
「まだ、結婚もしてないのにー!」
「いやー!お母様―!」


☆☆☆


“にゅるり”

実際に音がしたわけでは無い、それは肌の感覚だ。濃厚なクリーム状の何かに体が包まれたと思ったら、今度は体中にくもの巣がまとわりついたような不快感。だがそれもほんの数秒のこと。
別になんということも無く、白い物体はルイズの体を通り過ぎていった。
自分を拘束していた偏在はまだいたが、後ろが見えるほど透けていて、もはや拘束するほどの力は残っていないようだ。事実ルイズがうるさげに体をゆすっただけで、ほぼ魔法結界しか残っていなかったであろう偏在は空中に分解していった。
杖が落ちていた。先ほど偏在に取られたルイズの杖だ。それを拾いぎゅっと握った。特にキズも無く“契約”にも異常は無い。
ルイズにはそれが感覚でわかるのだ。もちろんメイジの誰であろうと。
周りを見渡せば、出てきた壁に穴が開いているわけでもなく、通り過ぎた跡の礼拝堂の長椅子が粉々につぶされているわけでもない。

「なんなのよ、アレは」

移動する白い円柱はすでに礼拝堂の一番奥、見事なステンドグラスのあるところまで差し掛かっており。この部屋にいた六人の様々な悲鳴が上がっていた。

気が付くと、ルイズの肩に手が置かれていた。振り向けば、そこにはどこかの部屋でワルドの偏在に刺され倒れていたはずのシンジがいた。ワルドの偏在が「ロック」したはずの扉は開かれ、その向こうにはメイドの姿が見えた。

「シン!……ジ?」

一瞬喜び、抱きつこうとしたルイズだったが、奇妙な違和感がある。顔のパーツ、背丈、髪の色、目の色、すべてルイズの記憶のままだ。服装はワルドが用意していた上下共に黒のスーツだった。背中には魔剣デルフリンガーを背負っている。いつものように鞘の鯉口をわずかに切っており、金具を元気にかちゃかちゃ動かしていた。なぜか何もしゃべらなかったが……。
シンジは、ニコニコしながらルイズを真正面から見ている。

「やあ、ご主人様。ちょっと失礼」

そう言って、右手でルイズの顎をクイッと持ち上げたのだ。


☆☆☆


「おーい、生きてる、かあ?」
「ひょっと、かららがひびれてるけろ、いきれるわ」(ちょっと、体が痺れてるけど、生きてるわ)
「ちょっと、耳がおかしい」
「なんらったのよぅ、あれはぁ」

巨大な、白いローラーは入ってきた時と同じく、唐突に出て行った。
礼拝堂を見渡せば、特に変わったことは無い。いや、細かく見ればいくつか変化はあったのだが、なにせスクエア・クラスの風メイジ二人が大暴れした後だ、どこがどう違うのか彼等にはわからなかった。
一つには、ウェールズの巨大な『エアカッター』にも、多少傷つきはしたものの、大きくは壊れなかった部屋の柱ごとに置かれた聖人達の立像がすべて消えていたこと。
もう一つは、

「危ない!避けろ!!」

その声は、なんとワルドのものだった。

「え」

強固な『固定化』が掛かってるはずのステンドグラスが粉々になって降り注いできた。何の魔法も唱える暇は無い。這って逃げ出した。降り注ぐガラス片、間一髪のところでみんなに怪我は無かった。

「おいっ!」

今度はウェールズだ。その手の杖は相変わらず巨大な『ブレイド』を纏っている。

「こっちにこい!決着をつけてやる!」

ワルドは片眉を上げる。

「御免をこうむるとしよう。今日はなんだか体調が良くなくてね」

そういって、隠し持った煙玉をウェールズと自分の間に投げた。
爆発音。
たちまちのうちに広がる煙。そして天井近くから声がしてきた。

「どのみちここには我が『レコン・キスタ』の大軍が押し寄せる。すぐに」

どの様に耳を澄ませてもそんな兆候一つ聞こえてはこない。だがおそらくは上空にて空軍艦が待機をしているのであろう。

「ウェールズ殿下、五万の兵と二十の空軍艦を相手に、もしも生き残るようなことがありましたら、“空賊流”とやらを私が粉砕いたしましょう。せいぜい踏ん張って人に言えないような不思議な理由で生き残ってください」

笑声、そして遠ざかる気配。

「く、くそぉ」

ギーシュは、石床を叩いて悔しがった。



「アレは……」

ここは「レコン・キスタ」の居城、対王党派「ニュー・カッスル城」への最前線基地である。
これが王党派との最後の戦いとあって、「レコン・キスタ」の幹部たちは皆「遠見の鏡」を食い入るように見ていた。
城に潜入した工作員との連絡もつかず、城に起こった爆発と、その後に出てきた巨大な十字架の正体もわからず、前線部隊と虎の子の「アルビオン空中艦隊」にどのような指示を出して良いのかわからない。

(まさかね、アレがこんなところに生えているわけがない)

そう考えたのは、レコン・キスタの総司令官オリヴァー・クロムウェルに、常に影のように付き従う女だった。
「遠見の鏡」は「ニュー・カッスル城」を遠景で映し出しているが、なぜか映りが悪くちらちらと映像が途切れがちだ。鏡に映る映像は、爆発の余波だろうか、城から噴出した煙というかリング状の雲を映し出していた。それは幾重にも螺旋を描き、いかにも自然の雲とは思えぬ形状だった。

「やはり、ライトニング・クラウド(雷雲)か!」
「史上最大レベルでしょうな、蓄えられた魔法力は考えるだに恐ろしい」
「精妙、精緻の極みでもある「王家の魔法」を威力のみに突出させるとあそこまでになるのか」
「中央の塔は、避雷針か?よく練りこまれた攻撃魔法だ」
「だが、正体がわかっていれば、対処もしやすい」
「我々の準備が無駄にならず、よかったというべきか」

ライトニングは杖の先から稲妻を飛ばす攻撃魔法である。高位の風呪文だがどこに飛んでいくかわからないので使いづらく撃った自分に飛んでくる場合もあるため、通常はライトニング・クラウド(雷雲)を使い攻撃する。だが、「遠見の鏡」に映るほど大きな「雷雲」では中にいるものも無事では済むまい。

「しかし、さすがアルビオン王家の切り札、もし残っていたら、あの塔を我々「レコン・キスタ」の勝利のモニュメントとして残しておきたいですな」
「それは、あまりに現場の苦労を知らぬセリフですぞ。勝って後、兜の緒を締めるようではないと。先日の二の舞は御免です」
「さよう、我々は、未だ勝ってはいない」

総司令官オリヴァー・クロムウェルは右手を上げ、そう宣言した後、命令を下した。

「その現場より、あらたな報告はなく、また出来るような状況ではないのであろう。敵の「ヘキサゴン・スペル」があのように発現してしまった以上、内部工作は失敗したと見るべきだ。……将軍」

将軍と呼ばれた男は、肩に乗る大きな鷹に聞かせるように命令を下した。

「はっ、……空軍司令長官に告げる。王党派はこちらの降伏勧告を無視し、「ヘキサゴン・スペル」の準備に取り掛かった。もはやぜひもなし、状況を開始したまえ」



[10793] 第二十九話 領域
Name: エンキドゥ◆197de115 ID:130becec
Date: 2013/03/10 05:28


「く、くそ。何がどうなってやがる!」

ワルドは一人毒づいた。
割れたステンドグラスの穴から「フライ」で逃げようとしたのだが、発現したのは「レビテーション」のみ。仕方なく壁をけり、後ろに回り開いた扉から逃げ出したのだ。
精神力が枯渇したわけでもないのに、展開した魔法結界は“風”を掴まなかったのだ。

(魔法が消えただと?!)

そんなはずは無い、現に「フライ」を唱えた時も「風」は自分を運びはしなかったものの、浮かび上がらせてはいる。
また、「ブレイド」の光も杖先に展開中だ。但しこの高圧魔法結界も光っているだけで、その周囲に高速の風を巻き込んではいない。「地下水」に貰った薬のせいかとも思ったが、それならばこのように魔法結界だけが展開することもありえない。
ワルドは経験も実力もある当代一流の「スクエア・メイジ」だ、知識に関してもトリステインにおける魔法学を修めた知識人でもある。その彼にしてこのような現象は始めて見る物だ。それは彼の経験のみではなく、趣味である歴史書にさえ現れたことが無いものである。
興味深い。だが今は後だ。先ずはルイズを探し出し、この城を脱出するのだ。
ワルドは、上着の内ポケットに入れておいた残りの魔法薬のビンをぐいっと傾けた。また少し精神力が湧いてくるのを感じる。

(麻薬の一歩手前だな。これきりにしときたいところだ)

そして杖を手に「デティクト・マジック」を全方向へ展開した。

(くそ、耳さえまともなら、こんな精神力を食う手段に頼らなくともすんだのに)

城の中は薄暗く、明り取りの窓から差し込む光も頼りないものだ。今まで朝日が差し込む大きなステンドグラスのある礼拝堂にいたせいで、目が慣れるまでしばし時間がかかる。
また、風メイジにとって、ある意味視力より重要な感覚である聴力が先ほどから回復しない。普通程度に落ちただけではあるが、重大な欠落であった。

「ジャン!」

怒りの声がすぐ近くから聞こえた。

「何!」

“どん” “ばん” “がりん”

振り向いたワルドの頬に、衝撃と灼熱の痛みが襲った。



第二十九話 領域


「やあ、ご主人様。ちょっと失礼」

そう言って、シンジはルイズの顎をくいっと持ち上げたのだ。そうして、爽やかな笑顔のままその顔を近づけてきた。そんな能天気な笑顔を見て、いいかげん心のテンパリ具合も限界に近いルイズの精神のどこかで、何かが切れる音がした。

「なにを!」

“どん”
床板も割れよ!と踏み込まれる震脚は、彼女の軽い体重を倍化する。

「生意気!」

“ぎゅるん”
振り上げられた腕は、不自然なまでにひねり上げられ、それは通常の倍の回転を生む。

「やって!」

縮めんと欲するならば先ずは伸ばせ。伸ばさんと欲するならば先ずは縮めよ!
肩、肘、手首と限界まですぼめられた様はむしろ滑稽に見えるほどだ。

「んだー!」

“ぶおん”
しかし、一旦運動を開始したソレは、撃ち出された砲弾のように、やや楕円の軌道を描きながら定められた目標地に高速で向かう。

「ゴルァ!」

“ばん”
インパクトの瞬間爪を立て、手首を思い切り捻る。
“がりん”
これにより「レビテーション」での逃げを許さない。

「へぶぁー!」

シンジ(の顔をした何者か)はその場で空中回転をしながら壁に向かいぶっ飛ばされた。
ルイズは驚いた。母から習った『コークスクリュー・ビンタ』の威力にではない。シンジのその軽さにだ。
まるで人形のようだ。





ワルドは痛みに疼く頬を押さえ、ルイズを睨みつける。いくら系統魔法が使えないとはいえワルドは職業軍人として訓練を受けてきた者だ、このくらいで怯むものではない。
おまけに、ルイズの後ろには「地下水」と、多分地下水が諦め切れなかったのだろう、シンジの姿に変化した「スキルニル」がいたのだ。片頬を上げにやっと笑う。

(裏切りの対価としては、まあ安いもんだな。そして君とその手紙があれば手柄としては上々)

「あー悪かったよルイズ。言い訳は後でゆっくりさせてもらうさ。そんなことよりももう時間が無い、一緒に逃げ出すぞ。ああ言っとくがウェールズ皇太子をはじめ君の仲間は全員無事だ」

そう言って、ワルドは「地下水」と目を合わせルイズに向かいアゴをひねる。だが地下水は動かない。
ルイズは無駄の無い、そして迷いの無い動作で杖をすらりと引き抜いた。それを見たワルドは抗議の声を“地下水”にあげた。

「おい、地下水!何をやってる!杖ぐらい取り上げとけ!」

ルイズの杖の先端は、まっすぐにワルドに向かう。
ワルドも反射的に杖(ワンド)を左手で引き抜き「エア・シールド」の呪文を紡いだ。

「ウル・カーノ!」

爆発!

ワルドの魔法結界は盾のように彼の前面に広がった。しかし風を固めることは無く、ルイズの爆発はワルドの杖と共にその左手を破壊した。
肉がそげ骨が露出し血が当たりに飛び散る。あまりの痛みにワルドの息が詰まる。

「―-ッ、地下水、何をしている!ルイズを押さえつけろ!」

後ろで控えていたメイドがついっと前に出る。

「あなたの言っている“地下水”とはコレの事かしら?」

右手でつまむ様に、一振りの短剣を取り出した。ワルドの眉が顰められ目つきが鋭くなった。
卓越した水メイジとばかり思っていた“地下水”がインテリジェンス・ナイフだったのだ。
しかも気絶しているのか何の反応も無い。ではこのメイドは操られていたのか?疼く左手を押さえるフリをして袖からナイフを取り出し、間を置かず投擲。
しかし、投げられたナイフはメイドに届く寸前で小さな光の波紋を作りむなしく床に落ちる。
だが、わずかな隙が出来た。その間に残った右手で軍杖剣をつかむ。抜く必要は無い、「レビテーション」を唱え、後ろに大きくジャンプし得体の知れない相手から距離をとる。
「フライ」ほどの高速移動は望めないが、壁をけり天井を床とするメイジの立体移動だ。
ルイズがあっと言う間も無く逃げ出した。
ルイズも慌てて杖を向けるが、狙いが定まる前にワルドは廊下の角に消える。

「追いかけるかい」
「それどころじゃ無いわ。トリステインの大使がよりにもよって皇太子に暗殺者を近づけたのよ」

ルイズは大慌てで扉から礼拝堂に飛び込んだ。

「みんなー!無事―!」

そこに見たのは同級生とウェールズ皇子の無事な姿、ルイズはとりあえずほっと胸をなでおろす。

「ギーシュ!」
「ルイズ!無事だったか」

ギーシュはルイズの後ろに控えるシンジの姿を見て、ほっと一安心する。

(間に合ったかシンジ)

ルイズは花嫁衣裳のまま、これだけはと手放さなかったアンリエッタの手紙を自分のポーチから取り出した。

「ギーシュ、お願い!これを姫様に」
「なぜ僕が?大使は君だろう」

ルイズはそれに答えることは無く、手紙をギーシュに押し付けた。そしてウェールズに向かい膝をついた。

「皇太子殿下。此度のことはすべて大使たる私の不手際。なにとぞこのわたしめの命一つでご勘弁願えますようお願い申し上げます」

ギーシュはアッと声をあげた。
ウェールズは困ったように頬を掻き、口をへの字に曲げる。

「あー、君を断罪しようにも、後ろに立つ君の使い魔君が黙ってはいまい。こちらもそうそう暇も余裕も無くてね。……ワルドはどうしたね?見た感じすれ違ったはずだが」
「申し訳ありません、左手を吹き飛ばしてやりましたが逃げられました。そして彼には一切手出しをさせないよう約束をいたします」

それを聞き、一瞬きょとんとするが、すぐに堪えられぬように笑い出した。

「もうよい。さっきも言ったとおり謝罪も賠償も不要だ。裏切りも暗殺もよくあることで、ことここにいたっては君の罪を問うなどは害悪にしかならない。……私はもう行かねばならぬ最後の戦いへと」

ウェールズはルイズの肩を叩いた。

「君は正直で真っ直ぐな女の子だな。だが一つ忠告しておくと、そのように真っ直ぐなだけでは大使も宮廷務めも勤まらぬよ。しっかりしたまえ」

ルイズは下唇をかんで俯いている。ギーシュは大きく安堵の息を吐き出した。
ウェールズは爽やかな笑顔を作り、ドアに向かった。出る寸前に後ろを向いて言い放つ。

「諸君らもとっとと逃げたまえ。王国最後の客の安全を保障できなくて、まことに申し訳ないが……」

ドアが勢いよく開かれた。飛び込んできたのは城の歳若い兵士の一人だった。

「皇太子殿下!皇太子殿下はいずこ!」

キュルケ達全員が目を見開いてその兵士の左後方を指差した。

「あっ?」

兵士は恐る恐る、指された指先を追いかける。

「あたー!」
「ででで、殿下まことにご無礼を……」

ドアと壁にはさまれ、頭を酷くぶつけた皇太子がそこにいた。

「あはっ、あははははははははは!ドジねえ」

キュルケが声をあげて笑った。ギーシュとモンモランシーは、歯を食いしばり笑いを堪えている。
一人タバサが眉をひそめウェールズに近づき、耳元でささやいた。

「殿下、もしや耳の調子が……」
「う、うむ。なに少しカスが溜まっておるだけだ。これこの通りなんの問題も無い」

そう言って、元気に跳ね起きる。若い兵士は慌ててウェールズの手を取った。

「も、申し訳ありませんウェールズ殿下。ですが、大変なのです。どうか地下港まで来てください」

その慌てた物言いに、ウェールズは眉をひそめる。

「何事か、もしや先ほどの爆発音が何か関係しているのか?」
「分かりません、敵の攻撃なのか、何か他の要因があるのか。ともかく来てください。私ではうまく説明出来そうにありません」

そう言ってウェールズを引っ張っていった。

「さて、ご主人様。良ければそろそろこちらに付き合ってもらいたいのだが?」

それまで黙っていたシンジが口を開く。

「まてまてシンジ、脱出を考えなくちゃいけない。ここにいてくれ。タバサ、シルフィードを呼んでくれ。僕もヴェルダンデを呼ぶから」

「感覚共有」の応用で「呼び出し」を行う。だがギーシュの感覚は繋がらず、慌ててタバサを見るがこちらも杖を持ち集中しているが頭を振り「繋がらない」とぽつりと言った。

「ミス・ルイズ早くしてくれ。間に合わなくなる!」

みんなはギョっとしてシンジを見る。いつもどこか自信なさげにルイズの後ろを歩き、それでも使い魔のルーンの効能なのか彼女の命令には忠実だった彼がこのような物言いをするなんて。

「どうしちゃったの彼?」

だがルイズはキュルケの疑問には答えず。

「ギーシュ、大使の役目をあなたに譲渡する。モンモランシー。譲渡の承認とその証人になって」

ルイズが杖を取り出し、ギーシュとモンモランシーにもそれを促した。

「なにを言ってるんだルイズ。殿下はお許しくださったじゃ無いか。せめて訳を言ってくれ」
「ごめんなさい。そんな暇は無いの。早く杖を、そして脱出して姫様にその手紙を渡して」

痺れを切らしたルイズは、ギーシュの胸ポケットに刺さっている薔薇の造花に自分の杖の持ち手側を触れさせた。略式で一方的はあるが役目の委譲式はこれで済んだわけである。だが、そんな儀礼で納得出来ようはずも無い。

「待てつってんだ!」

声を荒げルイズに責め寄ろうとするギーシュ。だがすでにルイズは背中を向けシンジと共に歩み去ろうとしていた。その肩に手をかけようとした時、一緒にいたメイドがルイズとの間に割り込んだ。

「どけ!」

かまわずにそのメイドを払おうとするが、見えない壁がギーシュを阻んだ。

「シンジのシールド魔法!……何者だ?!」

ギーシュの疑問にメイドが答えようとする。

「彼のア、アガー……なんだっけ?」

彼女の物忘れにはシンジが答えた。

「アガシオン(霊的な使い魔)、意味を考えると訂正を要求したいところだよ」
「「「アガシオン?」」」

☆☆☆

今日のアルビオンはおおむね晴れといって良い天気であるが、雲が全然無いわけではない。いくつかのはぐれ雲が結集し、不自然にニューカッスル城の上空に集まってきている。あまりにもあからさまなその現象は、城の兵士たちになにか違う罠を警戒させるほどのものだ。だが、敵の空軍船は慎重にこちらの大砲の射程外、そのはるか外を回るようにニューカッスル城の上空を取り囲んでいる。

「敵は行動を開始しました。雲より現れた空軍艦二十、すべてイーグル型で竜母艦なし。現在はニューカッスル城をとり囲み、等間隔で周りを回遊しています。距離はおおよそ二リーグほど。
……第四尖塔より出現した赤い十字の塔は頭頂部より樹の根のようなものを生やし、また十字の中央部では奇妙なふくらみを確認しています。十字の塔から出現したと思われる白い螺旋状の雲も城壁のほぼ真上で回転中です」

幾人かの兵が使い魔の目を、あるいは遠見の鏡を通して城の周囲を警戒している。
敵はほぼ空軍艦のみ二十隻、敵の傭兵、兵士たち五万は城の手前二リーグほどから近づいてすらこない。

☆☆☆

「やはり、もう少し近づかなければ餌に食いついてこないか」
「ここがギリギリですよ。上層部のほうで考えた水メイジ風メイジ合同による水流シールドでも、どこまで持つかはわかりません。おまけに昨日は見えなかった奇妙な塔も立ってるし。アレは彼等の魔法発動のための魔導体(杖)でしょうか?」

ここは、「ニューカッスル」城を取り囲む空軍艦、そのとある一隻の甲板上である。
話をしているのは初老の豊かにヒゲを蓄えた船長と若い甲板長のようだ。

「わからんな。まあ、空軍司令長官殿がどのような判断を下すかだが。いっそのこと……」
「短気はいけませんよ。先日のあの魔法を見たでしょう。確かにすごい魔法でしたけどスキも大きい。準備に時間もかかるだろうし、単発で”おこり“もわかりましたからね。結局は個人の魔法ってことですよ。そして、そんなものでは訓練された軍隊には敵わない。個人の武勇や技量なんてものはあんまり意味を成さない時代ですよ」
「わが「レキシントン」は潰されたが?」

艦長は、このいかにも“わかっています”風な物言いに軽い反発を覚え、これまた軽い反論をした。

「アレは油断しすぎです。『ヘキサゴン・スペル』は『ドット』か、せいぜいが『ライン』の攻撃魔法を拡大、強力にして打ち出す類のものだと思ってましたからね。まさか『ライトニング』なんて高位の魔法を強力にして打ち出すなぞ想像しませんでした」

甲板長は肩をすくめそう言った。

「まあ、アレはちょっと予想外だったな。だがおかげでこの馬鹿みたいな内戦も終わりに出来そうだ」
「あちらの『ブリューナク』に対抗できる。というか、メイジだ魔法だが関係の無い一撃ですからね。ああ、二撃でしたか?」
「だがもしそれを防がれたら?」

それを聞き、甲板長はクスっと笑った。これは反論の為の反論で意味を成さないものだとわかっているのだ。

「王と王党派は、悪魔に魂を売った咎で異端審問にかけられるでしょうね」

これを聞いた艦長は、あごひげを少し持ち上げて笑った。結局、船長もこの男もこれから行われる作戦が、防ぎようのない一撃であるとの認識は変わらないのだ。
これが終われば、王党派そのものはともかくとして、その拠点としての城をすべて失うことになる。

「確かに。『ブリューナク(太陽神の槍)』に対抗できそうなのは、かの『トール・ハンマー(雷神の槌)』ぐらいですね。穴を開けられようが、なんなら真っぷたつにされようが関係のない大槌ですよ」
「しょせんメイジなど……」
「『二本足の豚に過ぎない』……歴史上最後の韻竜。ガリアの“暴君”ウェフダーが残した言葉でしたか?」
「ほう、よく知っているな」
「その暴君も、訓練された人間と大砲をつんだ空軍艦。いや軍隊には敵わなかった。ほぼ最初期のものであるにもかかわらず。
歴史上における最強の生き物は、結局のところ、よく訓練された軍隊。つまりは人間ですよ」
「その最強の生き物も頭しだいだがな」
「こういっちゃなんですが、私はかのサー・ジョンストン空軍指令を信頼しておりますよ」
「ほほう、それはまた。かの人はあまりいい噂は聞こえてこんがね」
「小心で計算高くて小狡いって噂ですね。ですが兵士にとっちゃ多大な犠牲の上に栄光をもぎ取る名将よりも、損得勘定が得意で危険なときには逃げ出してくれる臆病で平凡な凡将のほうがありがたいですからね」

甲板上で操舵輪をつかみ甲板長と会話中の船長を見つけ通信兵が走って近づいてきた。
ふたりの上司の前に立ち、直立、敬礼の後、報告を始めた。

「報告します。状況開始の指令あり。敵、いまだ動きなし。ゴーレム船を盾に徐々に近づけよとの事です」

それを聞き、ふたりは顔を見合わせ口をへの字に曲げた。だがすぐに居を正し同じく敬礼を返す。

「了解した。状況を開始する」

そういうと船長は、船内のメイジ兵に命令を下した。


☆☆☆

ニューカッスル城を睨む傭兵たちの潜む森の中、待機が続き彼等もいささかダレが来ている。
そんな中、とある傭兵団の一角で、

「だんちょー、まあーだ待機っすか」
「うっせーよバイド!今えらいさんが、あのでっけえ壁を壊してくれっからそれまでまってろ」
「バイドじゃなくって、あーもうなんでもいいっすけどね。しっかし、すげーなあ。船がほんとに飛んでら、さっすがファンタジー」
「ふぁんたじー?おめの言うことはときどきわっかんねーな。まっ、やるコトやってくれたらこっちは文句ねえけどよ」
「へへっ、サーセン!」
「それが、おめえの国言葉で感謝と謝罪の言葉ってのは前に聞いたが、なんかむかつくんだよな。出来ればやめろや」
「うぃっす、サー……すいません」
「まあいいけどよ。しかし昨日今日に限ってついてくるなんてどんな風の吹き回しだ。馬鹿っ強ぇーくせに戦場が怖いとかいってぜんぜん来なかったくせによ」
「やー、なんちゅうか。呼ばれた気がしたもんで」
「呼ばれたぁー、誰によ?」
「やー、わかんないっす。んでもおかげですごいもんがみれたっすよ。あれが“王様の魔法”ってやつなんすね」
「あーんなトンデモは俺も始めてだけどよ。まあいいけど、怪我とかしてくれんなよ。おめは他の馬鹿共と違ってうちの大事な金勘定係だがんな」
「……だんちょ―も四則計算ぐらい覚えましょうよ。九九を覚えればスグッすよ」
「んんー、まあやめとくわ。金数えんのは楽しいけどよ、数字見てると頭痛くなるんだわ。他のヤツも似たよーなもんだ。ほんとなら突撃隊長にしてーんだけどな」
「やー、人殺しとか出来そうに無いですし。ま、今までどおり会計役あたりが俺の似合いっすね」
「ちゃー、もったいねえ。ほんと、もったいねえなぁ」
「へへっ、すいません。それよっか、なんか始まったみたいっすよ。二重隊列でちょっとずつ近づいてます」

それを聞き、その傭兵団の長らしき男はやれやれと降ろしていていた腰をガチャリと上げた。それに呼応するように森の一角がざわめき他の傭兵たちも一斉に立ち上がる。さらにはその動きに合わせるように他の傭兵団の男達も、次々にその鎧を鳴らし立ち上がる。森全体がざわめき小さな地震を起こした。
無駄口は誰もきかない、手に手に自慢の武器武器武器。あるものは担ぎ、またあるものは握りを確かめるように、太く恐ろしげな傷だらけの腕でその柄を握ったり開いたりしていた。
また、数は少ないものの傭兵メイジもいた。彼等もまたその手に小杖(ワンド)大杖(スタッフ)を握り締める。
集まった傭兵、実に五万人。冗談のようなその人数がニューカッスル城を睨んでいる。

今までその傭兵団の長と話していた少年らしい顔立ちの黒髪の男は、ニューカッスル城の方角に顔を向け、誰にも言うでもなくつぶやいた。

「イッツ ショウタイム。ってか」

☆☆☆


くるくると城の周りを回遊していた空軍艦は、その半数ほどが回遊の輪を離れ内側を回り始めた。
今まで一重だった艦隊隊列を二重にしたのだ。明らかに先日の「ブリューナク」を警戒したものだった。
その内側を回る空軍艦はすべて無人艦で構成されている。
無人の空軍艦はそのわき腹より、すべての砲台を晒し城に向けた。空軍船に装備された大砲としてはいまだ射程外の距離だが、そのすべてを操るのは土メイジの作り出したゴーレムである。
人と違い、細かい操作は難しく、また遠くはなれた別の船から操っている為、決められた動作を手探り感覚と「偏在」の目で行っている。
ちなみに空軍艦に標準装備されている大砲の射程は、対地で一リーグほど、対空軍艦で三~四百メイルほどである。

「二番と十五番砲身がずれてるぞ。大雑把に城の方に向いてればいいんだ、せめて砲門から砲頭をだせ」
「サー、右ですか左ですか?」
「二番も十五番も約二十サント左だ」
「サー、こんどはどうです?」
「よし!固定位置。隊長、一番から二十二番まで足並み揃いました」
「ご苦労、発射準備に移行」
「発射準備に移行します。火メイジの火炎獣実体化、すべて定位置です」
「了解、無人空軍艦攻撃準備よし何事もなければ、五百メイル位置で発射予定。そのまま待機せよ」

即席ではあるが急遽仕立てられた無人の空軍艦は内部に数十体の土ゴーレム、二体の「偏在」(ライン・メイジ作成の簡易版)そして火メイジの偏在ともいえる『火炎獣』を乗せ航行中だ。
焼き討ち船とし、ぶつけた方が早いという意見も出たが、王の「ブリューナク」の威力がはっきりとわかっていないこと、操作する為の有人船を守る盾とする事の二つの理由で却下となった。

二重隊列で「ニューカッスル城」を取り囲み、包囲の輪が縮まっていく。
それが起きたのは、内側を回る無人艦が城まで一リーグを切った辺りだった。
城の外壁を取りまき、渦を巻くように回転する白い雲、その一部が千切れるように別れ一本の紐となって城の上空に集まってきた。


「何事でしょう?」
「わからん。『ライトニング』では無いのかもな。作戦を変え『トルネード』か特大の『エアハンマー』にでも変更してきたか?」
「空軍艦に『風魔法』など、無意味ですよ。よほどでなければね」
「そのよっぽどな威力かも知れんぞ。まあなんであれ、最初の一撃を受けるのが我々の役目だ。君も対衝撃にそなえよ」

のんびりした会話のようだが、心の中は緊張している。船員たちや船内のメイジ兵にはすでに命令を下したあとだ。
甲板長はすでに船の大きな柱につないだ紐を自分に結び付けている。
船長は舵輪(船の操舵装置・ヘルム)を掴みながら同じく腕に巻きつけてある紐に結びつけた杖(ワンド)を握った。
各空軍艦に乗る水メイジ達は、それぞれ命令を受けて『コンセディション』(空中の水を集める魔法)を紡ぎ空中の水を集めていく。上空の雲は効率を上げる為風メイジが引っ張ってきたものだ。
『ウォーターシールド』を厚めにかけることで『ライトニング』を散らす。さらに風メイジの協力で川のように「ウォーターシールド」を船の周りに高速でめぐらせる。それにより熱、電気(らいき)を遮断するのが上層部の考えた「水流シールド」であった。
一応、計算上では風スクエアの『ライトニング』だろうと、『カッタートルネード』であろうと遮断する」はずである。

城の中央に集まったその白い紐状の雲はパキパキとガラスか薄い氷の割れるような音を立て、自らを形作っていく。
それは縦横十メイルほどのブルークリスタル。巨大なる塊。そして美しき正八面体だった。







「魔法力発現感知!」「一番から十一番まで随時発射、打ち終わったらゴーレム船の陰に隠れろ」

通信兵の報告と同時に、すぐさま命令を下す。
二十隻の砲門から、直径にして十五サントほどの砲弾が雨あられと打ち込まれた。
雷鳴が響き渡り、硝煙が辺りに立ちこめ船の視界をわずかに奪う。だが船の周りを川のように回る大量の水とそれを補佐する風メイジの魔法がそれらを一瞬で切り払う。

「駄目です。魔法力増大、『ヘキサゴン・スペル』実体化!」
「打て!撃て!打て!全弾打ちつくせ!全船上昇離脱急げ!」

次の瞬間、青白く真っ直ぐな光が空軍艦の円周起動上に現れた。真っ直ぐに伸びた真昼の雷(ライトニング)。
一瞬で到達する光の刃は、一隻のゴーレム船に穴を開けそのまま横に蹂躙していった。上下に別れる空軍船、それははまるで空船が紙で出来ているかのような光景だ。光の刃は横なぎにはらわれ、すべての空軍船(ゴーレム船)を蹂躙していく。
だが『ブリューナク』が一本線である以上、その外側を回る船には当てづらい。何隻かの操作船は逃げそこね、その光を受けたが、熱した鉄を水に投げ込んだような音はしたものの、何とか被害らしい被害は受けなかった。

「よし、想定内だ!ゴーレム船に残りの砲弾を発射させつつ前進させよ!操作船はゴーレム船の陰に隠れつつ後退。トール・ハンマー作戦決行!」






雲に隠れた「ニューカッスル」城の遥か上空では、十数隻の「竜母艦」と呼ばれる大きな艦が“それ”を運んできていた。
それは木製ではあるが、巨大なずんぐりとした戦場槌(ウォーハンマー)。
その先端には大きな、いや全体としてみれば冗談のように小さな鏃(やじり)を取り付けてある。
よく見ればそれは鏃(やじり)ではなく、女性の上半身をかたどった彫刻像であることがわかる。
それは、船の航海の安全を祈ってつけられる船首像(フィギュア・ヘッド)。
この空を飛ぶ超巨大な戦場槌(ウォーハンマー)は先日半分にへし折られた「レキシントン」号、その前半分を持ってきたものだ。
その内部には、通常の倍のバラスト石と火薬樽、そして固定をしていない無造作に天井に置かれた風石がある。半分に切り取られた断面は突貫で板を貼り付けてあったがそれも下半分だけで上部はむき出しのままだった。

その巨大な戦場槌を竜母艦に繋がれた何十本ものロープが空中に浮かべていた。それを先端より紐解いていく。一本解くたび、斜めに傾いていく「レキシントン」号。そのたび内部の固定されていない風石の台座は、ずれてずれて船尾へと向かい、開いた船尾より外に投げ出されていく。

急げ、急げ、傾き角は限界だ。早く早く解かなければ、まろび転がり船の外に追い出される風石とは逆に、落ちていく「レキシントン」に引っ張られ、共にに「ニューカッスル」城の瓦礫のひとつになる羽目になる。

そして最後の一本が断ち切られ、「レキシントン」は「ニューカッスル」城に向かう遥か天空よりの一本のナイフと成り果てた。





「くそ」

奇妙に体が重い、ワルドは無人の「ニューカッスル」城を外へと向かいさまよっていた。
左手の傷口には魔法薬をぶっかけてある。メイジの使う魔法薬には大抵「水精霊の涙」が使われている為、物にもよるが大概はキズ薬としての効能がある。そしてそこに引きちぎったマントをまきつけてあるのだ。
出口が見えたところで口笛を吹き『バルバリシア』を呼んだ。望んだことは何一つかなえられず、残された選択肢は脱出する事だけだ。逃げ出すことを優先したためキズを放置した。そのためいささか血を流しすぎたようだ。
ふらつく体を気合で立て直す。

「遅いな」

扉から顔を出し、ふっと上空を見上げる。
そこに降ってくる「絶望」を見つけてしまった。
おそらく内部には火薬が満載しているだろう。ここに墜ちてくるまで5~6秒といったところだろうか?
我知らず、胸に下がるロケットペンダントを握り閉めた。

「ごめんよ……母さん」









そして「夜」が訪れる。





[10793] 第三十話 演劇の神 その1
Name: エンキドゥ◆197de115 ID:130becec
Date: 2013/03/10 06:02



赤い紅いアカイ、どこまでも赤い世界。
上も下もわからない。境界線はあいまいで、酷く狭いようにも果ても無く広いようにも感じる。
そこに彼は浮かんでいる。沈み込んでいる。たゆたっている。流されている。
開けた口から漏れたわずかな気泡が上へ上へと浮かんでいく。苦しくはない、むしろ気持ちがいい。ワルドに開けられた胸の穴も、わずかな痒み意外はもう何も感じない。
気が付くと首と頭の下に豊かな肉感がある。浮かんでいるのに膝枕をされているのだ。
その膝枕の主は、豊かな赤毛と碧い瞳を持つ美しい少女。

「やっと、アタシのものになったわね」
「……」

見つめあう感情のこもらない瞳と愛おしそうな瞳。

「先ずは、アタシのことが好きだって言いなさい」
「……アタシのことが好きだ」

鷹揚の無い、感情のこもらない、そんな声。

「あー違う違う。んーと、史上最強超絶無敵に素敵でお美しいアスカさま、僕はあなたの下僕です。どうか僕をあなたのおそばに一生居させてください。あなたの為なら何でもします。そう海に眠る真珠を、夜空に輝く星を、地底に潜むダイヤをもってあなたを飾りましょう……」

だが、少女はそんな反応の薄いシンジにかまうことなく、妄想のような言葉をとつとつと告げていく。
シンジが操り人形のように、オウムの様にそれを繰り返す。
そして少女の長い長い途切れることの無い、

哄笑。


第三十話 演劇の神 その1


“カツンッ”
魔剣が留め金を鳴らす。シンジがいつでも喋れるようにと買ったばかりのころに、鞘に切り込みを入れたのだ。
今は彼が自分の意思でそうしているのか、それとも担いでいる者の振動に、自然と揺れ動き偶然かみ合わさっているものか?
気にするものは誰もいない。



「シンジのアガシオン?」

声をあげたのはギーシュだった。
ここハルケギニアにおいて、アガシオンとは物語に登場する「指輪の精」「ランプの魔神」等の人の言いなりになる便利な精霊のみをさすのではない。
彼等の魔法そのもの、あるいは未だ説明のつかない魔法現象の仮説としても登場する。
人がそれを行うのではない。もって生まれた、神に貸し与えられた魔法の素質「アガシオン」が「呪文-ルーン」に応え精神力と引き替えにそれを行うのだ。
というものである。

「うーん、ぼくらはそういったオカルトめいたものでもないんだけどね。いってみれば魂に転写された情報体ってところか。この人形にはそれを収める為の器(うつわ)がついていて、これ幸いともぐりこんだんだけどね」
「あなた方はどこまでついてくるつもり」

そう声をかけたのは、メイドのほうだった。
今は全員が礼拝堂を出て、走り急ぐルイズを先頭に廊下を進んでいた。

「どこまでって、そりゃあ……」
「そこのメイド!なんで止めとかないのよー!」

荒げた声でルイズがわめく。

「よく考えたら、あなたの言うことを聞く必要は無い」

いまひとつ鷹揚の無い無感情な声で、メイドが答えた。

「それに私はメイドという名前ではないわ」
「へえ、なんてお名前?」

そう聞いてきたのはキュルケだ。

「レイ」

短くそう応えた。その返事にキュルケは「プッ」と笑いを漏らす。

「なに?」
「あー。だって、ねえ」
「シンジのアガシオンがレイじゃ、出来過ぎって物よ」
「そっちのお人形さんは、アスカあたりかしら?」
「名前など、……いや、そうだな僕はセフィロトのケテル(王冠の座)ってとこでどうだい?」

それは森羅万象と人間のかかわり、あるいは系統魔法を直感的に表した象徴図、また魂と精神の設計図。そして自然万物を発生させるもの。つまりは生命の樹(セフィロト)。そしてケテルとは生命の樹の最上に位置するセフィラー(天使あるいは魂の座)である。
またキュルケは「ぷぷ」っと笑った。

「ずいぶんとまた酔っ払ったお名前ねぇ」
「おかしいかな?今迄で一番、自分の本質に近い名前を言ったつもりだったけど」
「それじゃあ、そっちのレイさんはマルクト(王国)?それともイエソド(基礎)?ひょっとしてダァト(知識)かしら?」
「……」
「そのどれでもないよ。彼女をあらわすならクリフォト(再生、あるいは悪魔の樹)のセフィラー、リリスってとこだ」

☆☆☆

「ひーんひーん、お姉さまー。体が、体が重いのねー、苦しー立ち上がれないー!なんで、なんで!精霊どこいったのねー!」
「ミス・シルフィード。がんばりたまえ、君はおそらく僕らとご主人達の脱出の要(カナメ)となるはずだ」

ここは、城壁と城の間にある使い魔たちの放牧場だ。
泣き喚いているのはタバサの使い魔のシルフィードである。彼女は腹ばいになったまま苦しそうにわめいていた。
そんな彼を励ましているのは、ギーシュの使い魔「ヴェルダンデ」だ。
みしみし、ぎしぎしと彼女の肉が、そして体重そのものが、その体形にそぐわないほどに細い骨を、彼女自身を押し潰そうとしていた。

「ああ、もう。あんたの父ちゃんや母ちゃんは何にも教えてくれなかったのかい。そら、深呼吸おし!ハイ!吸ってー吸ってー吐いてー、吸ってー吸ってー吐いてー、吸ってー吸ってー吐いてー……」

そう言ったのはワルドの騎獣、グリフォンのバルバリシアだった。彼女もまたシルフィードを叱咤している。

「ヒッヒッフー、ヒッヒッフー、ヒッヒッフー、……」
「よーしよしよし、ハイ次に吐いた息が体の回りに留まるようにイメージしてー!」
「お、おおおお、なんか気持ち楽になってきたような……」
「そうか、竜の『ブレス』はそのまま精霊魔法だからな、体内に蓄積された精霊を変換せずに、そのまま吐き出してるのか!さすがは軍属、物知りだな」
「おっおおっおおお!さっすがお姉さま、何でも知ってるのね。シルフィー完全ふっかー……」

勢い込んで立ち上がろうとしたシルフィードだが、またへにゃへにゃと座り込んでしまう。

「馬鹿だね、自重おし。あんたのそのでかい図体じゃ身にまとわせるのがせいぜいか、せめてもう半分ぐらいの大きさならねえ。はてさてどうしたものか」
「シ、シルフィー大きくないのね、一族じゃ一番のチビだったのね。……お姉さまもモグラもなんで平気なの?」

その質問には、さあ?と頭をひねった。

「こっちも、いつまでもあんたにかまっちゃいられないのさ。なんかさっきからうちの隊長殿(ワルド)が呼んでるみたいなんでね」
「シルフィーもさっきから、ご主人様の声がとぎれとぎれに聞こえてきて、行かなきゃいけないみたいなのね」
「君らの感覚はさすがに鋭敏だねえ。僕には全然だ」

ヴェルダンデが感心して、そう漏らした。

「だが君らに負けぬこの鼻が、主人の危機とその居場所を嗅ぎ取っている。急げシルフィード」
「さすがのあたしでも、そのでかい図体を縮めろとは言えないよ。悪いけどここまでだね。あんたの主人が生きてたら……どうしようもないか」

バルバリシアもヴェルダンデも人語を操ることは出来ない。

「半分……縮める……、うっうっう、死にたくないのね。まだ食べたいものが一杯一杯あるのね。精霊少ないけど人生賭けるのね。……風よ!……」

☆☆☆

「ここね」

それは、シンジがワルドに刺された部屋の扉の前だった。

「そう、覚悟はいいかい」
「ヒッヒッフー、ヒッヒッフー。よし、覚悟完了!あけてちょうだい」

ケテルと名乗る、シンジの姿をした「スキルニル」はその扉を開いた。扉の向こうは、半透明のピンクの壁。

「な、んだい、こりゃあ」

ギーシュは癖になっているのか、その壁に造花の杖を向けた。無意識にディテクトマジックを唱える。
バチバチと壁と杖の間で火花が飛び散った。感覚を読むどころではない。

「うひゃあ、さ、最大級の反応って!?」
「この壁は、彼の魔法で出来ている。ということ?」

ギーシュ達は、ルイズの態度からシンジ関係だろうと予測していたが、これでは中に入ることすら出来ない。
ついっとルイズが前に出る。

「ケテル、リリス。さあ、あたしをあいつの、我が使い魔の元へ」

ケテルは小さくうなずき、壁に手をあてた。

「ん」

奇妙な感覚に眉根をよせる。
どうしたの?とレイ。

「いや、……すまない、一緒に頼む。この体のせいかも知れないが、どうも抵抗が大きい」

レイと名乗ったそのメイドも一緒に、その半透明の壁に手を当てるが、その壁にも“二人の体”にも何の変化も表れない。


☆☆☆


「あーはっはっは……あー面白かった。さーて次はっと、そうねー目を開きなさい」

少女はシンジにそう命令する、だがシンジの目は先ほどから薄目にだが目は開きっぱなしだ。何を命令したのか?

「ニューカッスル」城に突き立った赤い十字の塔、その中央にある数十の膨らみに薄い亀裂が走る。亀裂はみるみる広がりやがて上下に避け始めた。
その、亀裂の中身は……瞳だった。常識外の巨大な目が十字の塔に数十と開いていく。
そして、それまで赤く薄暗いだけだった少女のいるその場所が、みるみるうちに明るくなってくる。果ても無いほど赤一色だったその場所に太陽の光が差し込んできた。

そこに展開されるのは、青空、遠くの山々、すぐ近くには欝蒼と茂る森、そして空を飛ぶ木造船の群れ、そして視界をぐるりと取り囲む螺旋状の白い雲。
少女はそれらを見渡しニヤリと笑う。

「パスは繋がっているようだけどコイツから追い出され、あいつらには思考力は無しっと、さて」

少女はシンジの胸に手を当て、その手をゆっくりと、まるで水の中に手を浸すように埋没させていく。

「んーと、これかな?こっちかな?」

少女の手が、シンジの体の中を泳ぐたび、シンジの体はビクンビクンとはねる。

「ふふふんのふんっと、何が出るかな、何が出るかな、ぽーんっと」

まるで歌うようにふざけるように少女の手はシンジの体内を蹂躙する。そして少女の手は、そのみぞおち付近で止まる。

「あっはっはっはっは、最悪のハズレね。あいつらにとって。うっふふふふふ、念のため、もう二~三本ひっぱっときますか」

ニヤニヤ笑いながら、何やらシンジの体内でその手を握る。少女の額にはなにやら奇妙な文字列が輝いていた。

「イッツ、ショータイム」

彼女はいったい何をしているのか?見れば白の上空を渦を巻くように回転する白い雲、その一部が千切れるように別れ一本の紐となって城の上空に集まってきた。
それらは毛糸の玉のように丸まりパキパキとガラスか薄い氷の割れるような音を立て、自らを形作っていく。それは縦横十メイルほどのブルークリスタル。巨大なる塊。そして美しき正八面体だった。

「あっはっはっは、ちっこーい。力も姿も千分の1ってとこかしら?でも、まあ、あいつら相手のお遊びには十分ね。さあ、かかってらっしゃい」

まるで、少女の声が聞こえたかのように空中戦艦は行動を開始した。
二重隊列になり、みずからを水流で覆い、打ち出される数百の砲弾。
もしそれが現実の光景であれば、大砲の発射音が響きわたるはずだが、この空間には何一つ聞こえてこず、ただ空船の舷側がチカチカと光りわずかな煙が上がるのみである。

“ばちばちばちばちばち……”

飛んできた砲弾は、ほぼ城壁の真上にて、まるでガラス板に無数に小石を落としたような音と共にはじかれる。目には見えない障壁によって。

「敵側のターン終了っと、さてさてお次は、ずっとずっとアタシのターンと行きましょうか」

次の瞬間、青白く真っ直ぐな光が空軍艦の円周起動上に現れた。真っ直ぐに伸びた真昼の雷光(ライトニング)。だがこの光は彼等が考えているような放電の魔法ではないのだ。
微細な粒子を光の速さほどにも加速した荷電粒子砲の一撃である。木造船やそれらを取り巻く水流程度では止めようが無い代物だ。
事実、最初に当てた無人の空船は紙のように切り裂かれ真っ二つになる。
だが、そこに隠れる指令船に当たる頃には減退、拡散し、彼等の言う「水流シールド」に受け止められてしまった。

「あんりゃあ、意外としょぼいわね。ま、いいけど。第二撃発射用意!」

すでに生き残りの空船は逃げにかかっているようだ。だが遅い!そして盾となり今はこちらにつっこんでくる焼き討ち船となったゴーレム船の「水流シールド」など、この少女からすればシャボン玉同然である。
だが、あまりもあっさり後退する艦隊に違和感を覚える。

「ひょっ!」

少女は空を見上げた、分厚い雲のその先を。

「あは、考えたわね、考えたわね、考えたわね、考えたわね……、でも無駄」

再び、少女の額の文字列が輝く。
紡がれる次なる糸は、空中に現れし夜の傘。それは上から見ても下から見ても。
先触れに現れるのは、上下に二つの小さな黒点。その間にはまるで水墨をこぼしたように暗く深く極限までに薄い闇が広がっていく。

そして、小さな夜が「ニューカッスル」城の頭上に訪れる。

☆☆☆

「船長は確か空軍には珍しい魔法学院出のインテリですよね。なんですかアレ?」
「やかましいわ!入ったけど出てねえよ。素行が悪くて追い出されたんだ。でもよ……」

ニューカッスル城の頭上より、夜が広がっていく、それはわずかな時間で城をすっぽりと覆ってしまった。

(なんか、引っかかるもんがあるな、そうだ学生当時に読んだファンタジーにあんな怪物がいたな……よく見りゃあのサイコロも……。)

「でも……なんです?」
「いやーな予感だけビンビンにしやがる」

そこに、かねての計画通り「レキシントン」が振ってきた。
落下する「レキシントン」のスピードは、その巨大さもあいまって酷くゆっくりに見えた。だが実際には飛来する弓矢の速度だ。
つっこませたゴーレム船も奇跡のようなタイミングでほぼ同時に城壁に到達する。どう考えても詰みだ。

“どぷん”

全空軍艦の甲板員。そして操舵輪を握る船長はそんな音を聞いた。水音?いやもっと粘度の高いなにか、そうまるでシチューにスプーンを落としたような音だ。
「レキシントン」は一瞬だけ止まって見え、ふっと消えてしまった。ボロボロだったが、半分以上生き残っていたゴーレム船も同時に。
城を覆っていた闇の衣は瞬時に消えさり。そこにはまた先ほどと変わりない風景が広がっている。すなわち半壊した「ニューカッスル」城、そこに突き刺さる赤い十字の塔、そして……。

「な……ん」

絶句。ただ絶句。
そこには、青く巨大なクリスタルがその外縁部を輝かせていた。
我に返ったのは甲板長が一瞬だけ早かった。

「船長!」
「反転!全速後退!!水流シールド解除!風メイジ共、全員甲板にて回頭と後退に協力しろ!他のメイジは全員、船のケツにシールド!水でも土でも火でもいい!全力展開!」

悲鳴のような絶叫で命令を下す。だが空軍艦とはいえ、それほどすばやく動けるわけでもない。
そして船長の権限ギリギリの後退命令。撤退命令はまだ出ていない。だが多少なりとも勘の良い船長は皆似たような行動を取っていた。
そこに、二撃目の青白い光『ブリューナク』

「早……」

だがその発射角度は、城を取り巻く空軍艦のはるか上に伸びていった。いや、上どころではない。その光線は城のほぼ真上に発射されたのだ。

「くっそ……なんでばれやがった」

船長は、その軌道を見て歯噛みして悔しがる。

「船長?やつらは何を?」
「アレが狙ったのは多分……」

雲の上に伸びる光は、まるで鞭のように揺れ動き雲を切り裂いていった。
そして、雲の中で発光、爆発音、降り注がれる瓦礫、破片、それらは予備として用意されていたのであろう二撃目のトールハンマー、つまりは「レキシントン」の後ろ半分だった。確認は出来ないが放出前だったため、運搬用の竜母艦もただでは済むまい。

「通信兵!何か指示はないか!」

呼ばれた通信兵は、手を複雑に動かしいまだなんの指示もないことを示した。
城の上空に浮遊し鎮座する、青いクリスタルは再度その外縁部に光を伴い始める。

☆☆☆

「入れないって、どういうこと」

ルイズの叫びにレイが応える。

「抵抗が大きい、壁の親和性が低くなり硬く締め付けられている」
「わからない。何が起こっているのか。このままだと……」

「俺を使え」

それまで忘れられていたデルフが声をかけた。

「デルフ?」
「俺を使え、ガンダールヴもどき。インチキヴィンダールヴはここに残って嬢ちゃんらを守ってな」
「ふん、信用できるのかい?」
「するしかねえだろ!おたがいによ」

シンジの姿をしたスキルニル、ケテルは鼻を鳴らし背中の剣を抜く。

「ああ、おめえじゃねえな。そっちのメイドの方か?レイとか言ったな、リリスだったか?まあどうでもいい俺を掴みな」

ケテルはちょっと肩をすくませ、黙ってデルフリンガーをレイに渡した。

「それで、どうなるの?」
「こうさ!」

叫ぶなり、その刀身が輝き始めた。みるみるうちにデルフの錆は消え、刃紋が整いギザギザだった刃の部分は、今まさに磨がれたように鋭く変化した。
皆はあっけに取られデルフを見つめている。

「それで?」
「ちぇ、ちったあ驚きな。おうご主人様、こいつと一緒に俺を掴んでくれ。中に入るのは俺とコイツとご主人様だけだ」

訝しい顔をしながら、ルイズはデルフの柄を、そのレイと名乗る女と握った。

「ご主人。俺は重いぜしっかり持ってな」

いくらデルフが重いとはいえ、女性二人が握っているのだ。おまけにレイがその重量のほとんどを支えている為、ルイズはその重さを感じることは無い。だが黙ってその握りを強くする。

「これでいい?」
「おっし、んじゃあいくか」

デルフはなんの指示も出さない。だがレイとルイズのふたりはあらかじめ決められた動作をこなすように、その刀身をピンクの半透明の壁に押し当てた。

「ん」「あ、あれ」

デルフを掴む二人は驚く。今、一瞬だが体を「操作」されたのだ。

「すまねえな」
「いい非常事態だから許す。いそいで」
「今ので、俺の中の精神力はすっからかん。さて!」

デルフの刀身の先、壁に押し当てられた箇所がまるで光の粒子のように飛び散り始める。音も無く周囲に撒き散らされた光の粒子は、今度はデルフの刀身に再び吸い込まれていくのだ。

「ふん、いいたかねえが極上だな」
「そうか、そういうことか!」


☆☆☆


三撃目の「ブリューナク」が発射された。今までと違い、その光の鞭は子供が棒を振り回すように、すばやく回転される。
だが、船本体を傷つけることは無く、それはやや上方を通り過ぎた。

「うお!」
「なんだなんだ。警告のつもりか?」
「ただ警告のためにだけヘキサゴン・スペルを使うなど、余裕のつもりかクソッ!」
「もうここまでです。司令殿、どうか撤退命令を!どうやらあの魔砲撃は我々に“逃げろ”と言っているようです」
「わからんぞ、後ろを向いたところを撃つつもりかもしれん」
「何の為にそんなことをする必要があるのですか、向こうはこちらが前を向いていようと腹を見せていようとお構い無しに撃沈できるのですぞ」
「黙れ!この敗北主義者が!今のは警告ではなく、たんに精神力と気力が切れる寸前で狙いがずれただけだ。あんなでかい魔法がそう何発も続けて撃てるものではない」

ここは、レコンキスタの空中艦隊、その旗艦「キャネーリ」号の後甲板上、空軍司令サー・ジョンストンはその光景を見ていた。この手の戦闘においては、たとえ勝っても一割の被害を出せばその勝利を誇れぬといわれている。ましてや敵側にほぼ一方的に蹂躙され、相手には何の被害も与えずでは自分の無能を証明するようなものではないか。戻ったときの上司の詰問を想像し彼は顔色を変えている。

「希望的な予測で指揮を執られては、兵どもがたまりませぬ。ここはお引き下さい。クロムウェル閣下もこの様子を「遠見の鏡」にて見ているはずです。撤退は恥ではございませぬ」

頭ではわかっていても、自尊心がそれを拒んできた。だが……。

「……やむをえぬ撤退だ!伝令!撤退命令を伝えよ。全船崖下に退避。急速下降せよと。……それと傭兵どもに突撃命令を伝えよ。よい目くらましになってくれるはずだ」

伝令は、急いで敬礼し走っていった。

「失礼ですが司令殿。突撃命令は少し前に命じておきました。あやつらでも今の光景を見てしまった後では怖気づくでしょうからな。何、一旦動いてしまえば五万の軍隊です。止まりたくとも止まれるものでは有りませぬ。またあの魔法形式では我らのような空船を攻撃するのには向いていますが、果たして五万の人間をことごとく殺しつくせるものですかな?」

そして彼は、越権行為の謝罪を行い処罰を求めた。

「そうか、貴様はよく出来た副官なのだな……。このことはクロムウェル閣下に報告しておく」

サー・ジョンストン空軍司令長官はそれだけ告げた後、後ろを向き肩を震わせていた。

☆☆☆

「おう、サイード。おめはちっとどいてな。これから突貫(突撃)すっからよ」
「だんちょー、俺の名前覚える気ないっすね」
「へっ、これが終わったら覚えてやんよ」
「だんちょー!やばいっすやばいっす。そんなつまんないフラグ立てちゃだめっすよ!」
「ああん、旗(フラッグ)がどうしったってぇー?!」
「だーかーらー!」
「ああ、後で聞く。あーとーで!」

団長と呼ばれる男は、右手をうるさそうにふって少年を追い払う。
後方で、低く、太く、でかい音で角笛が鳴る。突撃への準備の合図だ。本当の突撃の合図はこの後になる。

「あ、ちょ、やべえ」

少年は慌てて傭兵団の突撃の邪魔にならぬよう身をよけようと急ぐ。そして、ひょいっと後ろを見た。
そこには見渡す限りの肉の壁がそそり立つ。いずれもかの少年よりも頭ひとつはでかい、力自慢、技自慢の傭兵たちだ。先ほどまで少年と話をしていたヒゲ面の大男は、くだんの少年が視界から消えたことで安心したのか。突撃の準備を始める。
両手を大きく広げ、できるだけ大きな声でほえるのだ。
彼の武器は二メイルほどの柄を持つ戦場斧(変形杖)、それを急いで上に差し上げる。叫ぶ、足を踏み鳴らす、武器を振り回す、手のひらで体のあちこちを叩く。すなわちハカダンス(ウォークライ)自らの力を誇示し、相手を威嚇し、心を戦場用に殺戮用に染め上げる。
ハカダンスは、大きな傭兵団の長が見本をしめし、団員がそれにあわせて舞い踊る。戦闘前だというのにまるで祭りの前のような光景だ。事実これは宗教的な意味合いがある。彼等傭兵たちの神、戦女神ブリュンヒルデに見初められ、美しき乙女戦士のワルキューレにヴァルハラへと迎え入れてもらい死後「エインヘリヤル」(始祖ブリミルのヴァルハラにおける軍隊、またはその兵士のこと。英雄と呼ばれる者のみが選ばれ、ヴァルハラにおいて様々な特権をもらえる)となる為の儀式なのだ。

「うぉー、スゲエな。五万人のウォークライか!」

その様子を見て、逃げていろと指示をされたはずの少年はその原始舞踊の光景に見入ってしまう。ハカダンスはほんの三十秒ほど、最後に団長が“ウォー”と吼えて突撃となるのだ。

そして、当然のごとく少年は逃げ遅れる。


☆☆☆


「む、映像が切れたぞ。現地はどうなっておる」

ここは「レコン・キスタ」の総司令部である。彼等上層部は揃って、ここに在らざる遠き戦場を映し出していた「遠見の鏡」を見ていたが。それが5つともほぼ同時に見えなくなってしまっていた。現在はただの鏡である。

「やれやれ、安物を使うからこうなるのだ。アーティファクト・メイジ(マジックアイテム職人)を呼べ」
「まてまて、母から習ったことがある。右斜め45度をひねるように叩くと調子がよくなるのだ」
「こらこら、爆発のショックで場が乱れているだけだろう。待っていればもうじき回復するはずだ」

オリバー・クロムウェル総司令官は右手を挙げ、皆を制した。

「落ち着きたまえ諸君。……ミス・シェフィールド。……うん、ミス・シェフィールド居ないのかね」
「かの秘書君でしたら、なにやらあわてて出て行ったようですが」
「そういえば、彼女は何者ですかな」
「閣下はどちらでお雇いに?よろしければ優秀な女官を何人か手配させますが」

「そ、そうか、なに所用を言いつけようと思っただけだ。問題ない」

そう笑顔で応えた総司令官の右手は固く握り締められ、背中にはうっすらと汗がにじんでいた。


☆☆☆


「どうした、何があった」

ウェールズは伝令の兵士を伴い走る。このあと父王と共に「ヘキサゴン・スペル」を撃たねばならぬのだ。「フライ」程度のわずかな精神力も今は惜しい。彼の王錫に輝く「ブレイド」の光も今は最小限の大きさに戻している。小さく灯した「ブレイド」の光は、現状において絶やすことはできぬ。いざという時はこれで身を守るしかないのだから。油断、それこそがもっとも恐るべき敵であることを今更ながらに思い知った。

「王が……あなたをお呼びせよと、急いでお呼びせよと」
「父が?ふむう」




地下港への階段、それを大急ぎで下りている時にそれは起こった。

「くわっ」「おおう!」

いきなり空気が変わった。今までと今を比べれば、窒息寸前の魚がいきなり水に戻されたような感覚だ。みずからの腕で自分を抱きしめる。ぞわぞわと留まっていた血が一斉に流れ、麻痺していた触覚がその身に戻り始めたような感覚を覚えた。

「なんだ今……」

それは過ぎ去った過去ではない、今なお続く経験なのだ。
そして、

「「うわっ!」」

ウェールズも兵士も慌てて耳を押さえる。今までの五倍十倍の音がその耳に飛び込んでくる。
それは、ほんのわずかの違いだったのだろう、常人であれば気がつかないような。だが彼等メイジには酷い感覚の差として表れた。特にウェールズは、首筋に溜っていたチリチリとした焦燥感が消え、とてつもない安心感、万能感がその身を満たしていた。
彼は慎重に、自分を抱きしめる自分の腕を外した。

「んーーー……ふーーー」

軽く鼻で深呼吸、今恐ろしく気分がいい。たった今生まれ変わったような爽やかな気分だった。
ふと、上を見れば“よどみ”が登っていくのが“観える”。見えているわけではない、そう感じるのだ。そしてウェールズ自身の調子のよさはその“よどみ”の中にあった。
“よどみ”の向こう側、即ち今までウェールズがいた空間、ニューカッスルの地上部分。それはわずかな速さで上へ上へと登っていく。

「待っておれ」

ウェールズはそう指示すると“よどみ”の境界線へと近づいていった。慎重に、慎重に、指で探り手をつっこませ、王笏を伸ばした。そして、『ディテクトマジック』(探知魔法)をかける。
何も、何も引っかからない。その空間からは何一つ帰ってこない。ただただ空虚であるだけだ。目に見えている階段、壁すら“無い”ことになってしまっている。かろうじてところどころに備え付けられているランプの火がその熱を伝えてくる程度だ。

彼ははっとして、肉体的にどこかおかしなことは無いかと確認するも、特に変わった兆候は無い。

「殿下、……時間がありませぬ」
「う、うむ」

首をひねりつつも、ウェールズは兵に従い、また階段を下りていった。先導する兵を見ながらも”そういえば“と思いついたことがあった。

「君。命令とはいえ、あの空間に突っ込んでくれたのか。すまない、礼をいう」
「い、いいえ。来た時にはあのような境界はありませんでした。私も驚いております」
「……そうか」

なるほど、あの奇妙な空間の境界線は上へ上へと登っていった。移動しているのか、またはその領域を縮めているのだろう。ウェールズの脳裏には、なぜかあの使い魔であるという少年の顔がちらついた。




地下の秘密港では、これまた奇妙な光景が広がっていた。天井に張り付くように横たわる「イーグル」号。なぜか縛られ、拘束された数人の者たち、その中には見知らぬ顔もあり見知った顔も何人か存在していた。見知った顔の中には彼の宿老であり、国にとっても重要な“円卓の騎士”たるパリーまでいたのだ。彼は他の円卓の騎士とは違い、知恵をもってなる番外の「コックマー」(知恵の座、ここにおいては官僚の長のこと)の一人である。
そして、……数十人の人垣。

「殿下……こちらへ。王がお呼びです」

人垣が割れていく、そこには横たえられた現王ジェームズ一世の姿があった。その姿は弱弱しく戦装束の胸元には赤くシミが出来ていた。

「父上!」

慌ててウェールズは、王に駆け寄る。そしてその手を取った。父王の回りでは数人の水メイジが彼を治療しようと、また命をつなぎとめようと必死に呪文を唱えている。
そして、その声に気づき王は薄目を開いた。

「ウェー……ルズ。我が息子よ」
「父上、どうか、どうか喋らないで下さい」

治療中であろう水メイジを見る。急ぐようにとも力を出せとも言わない。その様子を見れば全力を尽くしていることはわかる。下手に声をかけ集中力を乱すわけにもいかない。
ただ短く“頼む”とだけ告げた。

「誰だ!誰が父上をこんな目に!」

周りの者たちの目線は、拘束された者たちに向けられた。彼等はうなだれウェールズの厳しい視線から逃れようとしている。その様子にかっとなり、王笏に展開する「ブレイド」を再び元の大きさに戻した。風がとてつもない勢いで「ブレイド」の光にまとわりつき回転を始める。

「なぜだ、なぜこんなことを」
「どうか殿下。そのものたちの詮議は後ほど、今は王のお言葉を……」

兵士たちが慌てて、激昂するウェールズ皇太子をなだめ抑える。彼は怒りつつも再びブレイドを収めた。

「父上」
「お前に、お前に王権を渡す。継承の儀を……」
「父上、そんなものは……」

……戦争が終わってから、と告げたいが、この様子ではもはやいかぬであろう。
ウェールズは目をつむり、わかりましたと告げた。そして立ち上がり王笏を掲げる。

「皆のもの杖を掲げよ。私を王と認めるものは、その柄を捧げよ。異議あるものは魔法を唱えよ」

そこにいる全員が膝をつきウェールズに、杖の柄を捧げる。皆、王の状態が解っているのか、まるで訓練されたような一致した動きだ。本来で有ればこの後、一人一人が名乗りを挙げ支持を表明するのだが、そんな暇も余裕も無い。それにここに居る全員は皆ウェールズの友人といっていい間柄の者ばかりである。……それはあそこに拘束されているもの達も同じであるのだが。

「王よ、皆の承認を得ました。どうぞ継承のお言葉を……」
「我が、息子、ウェー……ルズを次の、王とする」

それがアルビオン王としてのジェームズ一世最後の言葉となった。
ウェールズが大急ぎで誓いの祝詞を捧げる。

「我は、不動の献供において、始祖の言葉を受け継ぐものなり。国と民と貴族の長としてわが身はあれど、その身は空なり……父上、父上!」

ここに、アルビオンの新王ウェールズ一世が誕生した。









[10793] 第三十一話 演劇の神 その2
Name: エンキドゥ◆197de115 ID:130becec
Date: 2014/02/01 21:22

夕暮れ近くの公園、シンジはそこの砂場で山を作っていた。目の前に居るのはもう名前も覚えていない近所の女の子。
「がんばって完成させましょう」
「りっぱなお城を」
「うん!」
これは幼いころの記憶、なぜ今頃思い出したのかわからない。ちぐはぐでモザイクな記憶のカケラ。
公園の入り口には、女の子の母親が立ち、手招きをしている。ちょっと困った顔で。

「あ、ママだ。じゃあね」

女の子はスコップを放り出し、母親のところまで一目散に駆け出していった。誰もいなくなってしまった公園。今まで一緒に作っていた砂山。さっきまで大人気だったブランコ。その他の遊具たちが沈む夕日に照らされ、その芯までも真っ赤に染めていくようだった。
幼いシンジの顔は今にも泣き出しそうだ。高く大きく作り上げた砂の山。しばらく見つめていたが、すぐに蹴り崩してしまう。

「この、この、こんなもの」

小さな砂場に、幼いシンジの嗚咽が響く。


第三十一話 演劇の神 その2


「あちっ!……なによ今の?」

「ブリューナク」その第三撃を放とうとした瞬間、少女の体に火を押し付けられたような痛みが走る。おかげで標的を外してしまった。“何事ぉ”といいながら軽く手を振る。
目の前に、いくつかの映像が現れた。それらはクルクルと回りながらここではないどこかの風景を映し出している。その中のひとつにそれはあった。
すなわち、ルイズがこの“中央の樹”に入り込んだ映像だった。彼女は剣を片手に”ひとりで“こちらに向かってくる。

「あーらま、ふふふん。まずは第一の関門突破ってとこね。だけどもう遅いっての」
「か、かはっ」

少女の長く伸ばした足の上にはシンジが横たわり、眉間にしわを寄せ苦しそうに喘いでいる。

「あら、苦しい?ねえ、苦しいの。意識も無いくせに痛みだけはいっちょう前に感じるのね。でもそれはあんたが望んだことよ。せいぜい受け止めるのね。ほら、よく言うじゃない。痛いのは生きてるしょーこってね」


☆☆☆


「消えちゃった。ルイズだけ」

ここは、ピンクの壁の前。デルフが一言「頼むわ」といった瞬間ルイズがその剣と共に消えたのだ。レイと名乗るメイドはそのままだ。
ギーシュが「おい、どういうことだ」とレイに詰め寄るが彼女の反応は薄く、ギギギとこちらに首を傾けるとそのまま縮んでいってしまう。

「うわ!」

慌てて、ギーシュはその掴みかかった手を離した。やがて、メイド服だけを残しその女性は消えてしまった。いや、よく見ればその服の中にふくらみがあった。モンモランシーがメイド服を持ち上げると、ナイフが一丁と人形が一体音を立て床に落ちた。

「痛え!」
「うお、ナイフが喋った。……インテリジェンス・ナイフか?」

そのナイフが喋ったのはそれきりで、また押し黙ってしまった。

「あら、デルフのお仲間さん。珍しいわね」

そう言って、キュルケが持ち上げようとするのをタバサがさえぎった。

「まって、うかつに触るのは危険」
「ちっ」

ナイフが舌打ちをする。

「へ~え、ナイフが喋るとは珍しいねえ。どんな構造なんだい?」

そう声をかけてきたのは先ほどデルフに「いんちきヴィンダールヴ」と呼ばれていたケテルだった。

「昔読んだ文献では土精石のカケラを加工して、思考珠と指示玉を作り……って、これはガーゴイルの作り方だったか?とにかくコレ系のマジックアイテムは職人の技に頼るとこが多くてね。まあ僕ていどじゃ説明もできないよ」
「君はたしか、ゴーレムを作ってたじゃないか」
「あれは傀儡(くぐつ)さ。どんなに自然に動いてるように見えても、結局は僕が動かしてるのさ。スキルニルなんかとは比べ物にならないほど単純なモンさ。……っておい!」

そこまで説明して、目の前のシンジがシンジじゃ無いことに今更ながら気がついた。

「そういう君は何なんだ!いんちきヴィンダールヴってどういうことだ。シンジはいったい何者なんだ!?」

そう言われ、ケテルはしばし沈思黙考、のち。

「さあ?」

と首を傾げた。

「さあ?っておい」

ケテルは右手を上げ、ギーシュに示した。

「まあ、インチキってのは、これが自前の複製品だってことかな?あの剣はなかなか見る目もあるようだね」

ギーシュには読めなかったが、そこには古代ルーンでヴィンド(風の)アーレヴ(妖精)すなわちヴィンダールヴと書かれていた。

「彼女が彼の“胸”につけたルーンを参考にコピーして、それを僕の依り代としたのさ。望んだわけじゃないけどね」

そういいながら彼はナイフを拾う。先ほどタバサが注意していたことを聞いていなかったのだろうか?

「俺に触れるな!」

ナイフがわめいた。

「え、なぜ?」
「おめえはなんか気持ち悪いんだよ。それにそのスキルニルは元々俺のもんだ。出てけ!」
「もうちょっと借りとくよ。すぐに返すからさ」

そう言ってケテルは、騒ぐナイフを腰のベルトに差し込んだ。そのやり取りを聞き、タバサが聞いてきた。

「なんとも無いの?」
「ん、いや奇妙な力の波動を感じるよ。どうやら直接触れなくともそれなりに力を行使できるみたいだね。なかなか楽しい支配力の綱引きをしているよ」
「平気なの?」
「ぼくのプロテクトは、多分誰にも……あ」

ケテルが失敗したなという顔で、壁を見つめた。

「おい、……シンジの“アガシオン”とやら、……」

言い辛そうにギーシュが呼ぶ。

「自己紹介はしたつもりだけど?出来ればそちらで呼んで欲しいね」

口元だけの笑いを納め、少しムッとした表情でギーシュを睨む。そのきつい視線に耐えられないようにギーシュは目線を外した。

「ん、すまない。ではケテル。君はシンジとは「合一」を果たした。……なにかこうファンタジーな意味での精霊なのか?」

少し恥ずかしげにギーシュは問う。無理も無い、人間的なあるいは人格を持った精霊、天使、あるいは神や悪魔など、ハルケギニアでは子供向けの童話か、あるいは土着の神話ぐらいにしか登場しない。例外はひとつだけだ。
そして、「合一」とは何か?


☆☆☆


「ぶわっぷぷ!ばみよごれ!もず(水)ぎゃばばばば!」
(落ち着いて、それはLCL溶液。肺に入れれば息も出来るわ)
「ぼ、ぼんなごどいっだっで……」
「ご主人、またちょっと“操作”するぞ。覚悟はいいな」
「ちょ、ちょっとまっ……」

ルイズは、まるでなんでもないことのように、水中で深く息を吐き自分の回りに有るそのピンクの溶液を肺に吸い込んだ。本来であれば、溺れる恐怖が勝り、言われたからといってそう簡単には出来ないことだ。
そして、いくばくかの苦しみはあったものの肺の空気がすべて吐き出されLCL溶液が肺に満たされると、奇妙に落ち着きを取りもどした。
落ち着いて回りを見れば、うっすらとピンク色の水の中にいるのがわかった。回りを取り囲む壁は半透明で外からの光がにじむように差し込んでいる。

「うえええ、きもぢわるい」
「ガマンしな、トリステイン貴族のどっ根性みせたれ!」
「そういえば、あの女は?」

(ここにいるわ)

「どこにいるかはわからねえが、どうやら近くには居るようだな。よし、相棒は上かい?」
(そう、……あなたは「枝」なの?)
「……枝ってのがなんなのか、わからねえ」
(なぜ、「彼」を殺そうとしたの)

その声は良く響き、当然ルイズの耳にも入った。

「ええ!」
「あちっ、それをここで言うかね。デリカシーってもんがねえぞ」

(彼女がイカリクンにキスをすれば、私は消えてしまうもの)

そんなやり取りを聞き、ルイズが黙っていられるわけもない。

「どういうことよ」
「……ここで起こされちゃあ、ハルケギニアが滅んじまう。ブリミルの苦労も水の泡だ。ここ以外なら手なんか出すつもりは無かった。いずれ時間の問題だからな」

ルイズの両手に握られたデルフはそう淡々と答えた。

「あんた!知ってたのね!あいつがなんなのか全部!……起こすってなによ!?殺そうとしたって、どうゆうことよ!」
「……すまねえ、答えられねえ。……教えたくねえわけじゃねえ」

そう言ってデルフは、また口を閉ざす。

「ふざけんじゃない!勝手な!勝手なことを!」
「……すまねえ。詫びにいくつか真実を教えよう。俺が答えられることを」
「な、によ」
「ご主人にガンダールヴは必要かい?」
「状況を見れば、今こそ必要ね」
「そうじゃねえ。シンジを呼び出すまでのルイズの生活に必要だったか、さ」
「……」

考えるまでも無い。必要など無い。過剰な戦闘力など学園生活では無用のものだ。今までの生活でもこれからの生活でも自分にあのような戦闘力が必要になることなど想像もできない。お国のためにはなるかもしれないが、自分が必要なわけじゃ無い。女性は戦争にすら行かない。

「ヴィンダールヴはどうだ。移動系の極みだぜ」
「……」

一緒だ、必要など無いに等しい。たしかに便利ではあるだろう。だが自分は代用の風竜でも馬でも必要ならば呼び出すことも借り出すことも可能な立場だ。ミョズニトニルンだろうが同じだ。ワルドが言っていた己の力とするには、あまりにも過剰で巨大で馬鹿馬鹿しく不要な力だ。

「おまえさんが真に欲していた使い魔を教えるよ……」


☆☆☆


とてつもない地響きが大地を揺らす。五万人の傭兵の群れが突撃を開始したのだ。
あるものは走り、あるものは魔法で空を飛び、またあるものは騎乗する幻獣、魔獣、野獣にまたがり城を目指していた。武器を振り回し大声で咆哮するもの、自らの杖に魔法をこめるもの、淡々と走るもの、その様相は様々である。その先頭を走るのは、とある傭兵団の団長と……。

「だだだだだだんちょー!」
「あり?ファイトなにやってんだ?どいてろって言ったろ」
「逃ーげーおーくーれ、ましたー!」
「ばーか!いっぺん死んどけ!」
「しどい!」
「へっ」

少年が話している傭兵団の団長は、スレイプニルと呼ばれる馬そっくりな六本足の幻獣にまたがり戦列の先頭を走っている。空を飛ぶ幻獣たちほどではないが並の馬よりも早くタフで戦場を怖がることもない重宝な騎乗獣である。力も強くその六本足の馬には何本もの投擲用の槍が備え付けられている。

「おらよ!」

団長と呼ばれたその男は、スレイプニルのわき腹に備え付けられた槍を何本かその少年に投げてよこした。

「うわッちょ!うわっちょ!」

少年は投げられた槍を、数回お手玉をするも何とか受け止めた。彼の手にはすでにナイフが握られていた為、掴みづらかったのだ。

「それで何とかしな。前にも言ったが死ぬなよ」

名剣、名槍は小さな城に匹敵する値段だ。彼が投げてよこしたのは数打ち、錬金打ちと呼ばれるものだ。

「うひぃー!が、がんばるっす!」

それにしても、このなにやら名前をよく間違えられる少年は何者なのか?ハルケギニアの陸生の生物では、最速に近い速さを誇るスレイプニルの全速にやすやすと追いつき並んで走っている。その姿を見ればフード付の丈の短いローブを着て、青く目の荒い作業ズボンをはいている。これで杖を持たせれば町のメイジ作業員のようだ。

「あれ、だんちょー。なんか味方の船が……」
「んん」

空を見れば、次々とやられていく雇い主の空軍艦。敵の魔砲撃に手も足も出ないようだ。

「だだだ、だいじょぶっすかねえ?」
「しんぺえすんな。あいつらチョーシこいて、いろいろ見せすぎた。今にみてろって」

そう言われ、城の方を見れば、そこには真っ黒なドームが出現していた。

「あり、……」
「うぉーすげえや、俺らのボス側の魔法っすか?かっけー!」
「い、いや……」

そこに降ってくる「レキシントン」そして突撃をする無人の空軍艦。

「お―――、……お?」

城にぶち当たる瞬間すべて消えてしまう。
城を覆う夜の帳(とばり)は消えうせ、そこには数秒前と変わらぬ……。


☆☆☆


ルイズは百数十メイルを声だけの「レイ」と共に上昇した。泳ぐ必要も無く足元の力場が彼女とデルフを持ち上げたのだ。不思議と水の抵抗も上昇する浮遊感も感じない。自分が動いてるというよりは回りの風景が勝手に動く感覚だった。それは「フライ」とも「レビテーション」とも違う。
回りの薄いピンクの壁を通してうっすらと外が見える。地面がどんどん遠ざかる。
ふっと上を見れば、そこに光があった。

「あそこね」





「いらっしゃーい。一名さまごあんなーい」

ふざけた声とセリフで少女はルイズを出迎えた。長く伸ばしたその膝を枕に、下着姿のシンジが横たわる。奇妙にインモラルな雰囲気にルイズは思わず激昂した。

「なんなのよあんた。その破廉恥な格好は!」
「生まれたばっかなもんで、服を着る暇がなかったの。あっそうそう、はじめましてよね。あたしアスカ」

頭が痛くなってくる。シンジ、レイにアスカと来ればまるっきり神話の登場人物ではないか?いちいち相手をしていられない。

「私の使い魔を引き取りに来たわ。せっかく出会えて光栄だけど、そいつをわたしてくれる」
「やだ!」

少女は小さな幼女のようにイヤイヤをした。

「やだじゃないでしょ!そいつを引き取ってここを脱出して、私たちはトリステインに帰るのよ」
「途中過程が抜けてるわ。どうやって?」
「うるさいわね!あんたには関係ないでしょ」
「大ありよ!コイツが何者なのかは知らないけど、アタシに力を与えてくれる。ここは見晴らしもいいし、住むには中々快適なのよ。それも多分コイツのおかげ。あんたになんか返したら全部パーじゃん」
「こんな何にもないところで、どーやって暮らしていくつもりよ!」

ルイズのそんな大声を聞き、少女は一瞬キョトンとした表情を浮かべたあとニヤリと笑いこういった。

「あたし達は樹になるの。大きな大きな世界一大きな」
「……どういう意味?」

そう言われ、またキョトンとした顔になる。

「さあ?アタシ今何か変なこと言ったわね。どういう意味?」

駄目だこいつ、話になんない。だが、近づこうにも奇妙な壁がルイズを阻む。

「あなたは誰?」

レイの声がどこからともなく響き彼女を誰何する。力が収束しそこに人の形を作る。ごく薄いピンクの水の中で、目の覚めるような蒼の人型が生まれ出る。

「あーら、ご挨拶ね。私を忘れちゃったわけ」
「いいえ、知らないの。どこかでお会いしたかしら?」
「レイ……?」

ルイズは驚き、不審に顔を歪ませる。

「その名前は彼の記憶にあったもの。彼の好きだったおんなのひとのなまえ。今は私のなまえ」
「ハンッ!アタシと一緒じゃない。あんたもこいつの中のパス(経路)に残ったわずかな記憶の残照に過ぎない。感情も知識も、この姿もこいつの心の一部を使った借り物に過ぎないって事ね」
「そう。彼の記憶の中では、あなたに似たおんなのひとはすでに死んでいるわ。だからあなたはアスカではない」
「あんたもよね!」

見詰め合うレイと名乗る少女と、アスカと名乗る少女。

「じゃあ、じゃあ、あんたらは……」
「そう。姿かたちは違うけど、こいつから生まれた」「でも、心の器は多分あなたから貰った」 「「イカリ・シンジの分身に過ぎない」」

「けっ、生まれたての赤ん坊どもが!おう、嬢ちゃんこの壁をどかせ。そいつを元に戻す」

「いやーよ!せっかく生まれたのに。私は生まれ出たい」
「そいつは次の機会にしてくんな。ここじゃなけりゃ邪魔しねえからよ」
「デルフ、あんた……」
「おおっと、怒んなよルイズ。俺は道具で、俺は俺を振るう者のとおりに動くだけだ。そしていまだに俺はブリミルに握られてんのさ」

ひそかに混ざる自嘲の色。何に対してのものだろうか?


☆☆☆


「クソッ、蓬莱樹の苗だと!よりにもよって、あんなのものを隠し持っていたとは!ここで成長したら世界が滅びるぞ」

レコン・キスタ総司令官オリヴァー・クロムウェル。その秘書であるミス・シェフィールドは差渡し十メイルほどの風竜に乗り戦場に急ぐ。よく見ればそれは風竜ではなく風竜を模倣したガーゴイルだ。周りを同じような大きさの風竜ガーゴイル十体ほどで固め飛んでいる。作り出したメイジが常に操り続けなければならないゴーレムとは違い、ガーゴイルはある程度の行動をあらかじめ入力された擬似意志で動くことが出来る。
しかし、動かす為に必要な精神力は同程度の大きさのゴーレムとさほど差は無い。いや物によってはただのゴーレムよりも、遥かに精神力を消費するのだ。それを十体も操っている彼女はいったい何者であろうか?

「急げ!すべてが消え去る前に!」

彼女の額についたルーンが激しく光る。


☆☆☆


「まあ、ちょっと黙っててよ。うるさいあいつらを片付けたら相手してあげるからさあ」

ここは、言わば城における物見の塔のような役目を担っているらしい。ルイズにも回りの風景が見渡せる。大陸の向こうから攻め込んでくる冗談のような大軍も、ここから見ると蟻の群れのようだ。
そして、ルイズは見てはいないが、先ほどまで空を舞っていた空軍艦の群れは、すでに退避を終えたようで一隻も居なくなっていた。

「ちょーっと脅かしてあげましょうかねっと」

ルイズは、はっとしてアスカと名乗る少女の額を見る。そこにはシンジと同じようなルーンが輝いていた。

「ミョズ、ニト、ニルン」

ルイズには古代ルーンが読める。元々まじめな勉強家であったのだが、シンジを召喚しその手に刻まれたのが「ガンダールヴ」と「ヴィンダールヴ」であったため、独学ではあるがその文献を数多く紐解いたのだ。
シンジの体に刻まれなかった始祖の使い魔のルーンが、その少女には刻まれていた。

「ん、なんか言った?」
「あ、んた。ミョズ、ニトニルン、な、の?」
「やーよ。そんな変な名前。アタシはアスカ。……でもそうね、今は」

少女はそっぽを向いて、またシンジの胸に手を当てる。そして奇妙な八面体の青いクリスタルの操作を始める。

「デウス・エクス・マキナって感じぃー!」

それは、演劇における絶対的な力を持つ存在。だが評判の悪い、オチをつける為にのみ存在する舞台の神。


☆☆☆


「うひぃー、だんちょー!」
「やややや、やべえかな、こいつは」

はっ、として、団長は空を舞う空軍艦を見る。しかし、頼みの綱の空軍艦はそのすべてがまるで落下するように崖下に降下を開始していた。空軍艦は浮き上がるのは大変だが、下降にはさほどの手間は要らない。

「ばっきゃろー!俺らを逃げる為のおとりにしやがったなー!」

戦場における傭兵など、高価な空船、新型大砲、訓練された国軍兵士などに比べれば非常に、非情に安価なものだ。それがたとえ五万の命だろうと。
すでに突撃は開始されている。下手に止まれば友軍に踏み潰されるだけだ。また、彼の傭兵団は規模の大きなものであるが、全体からすれば百分の一にも満たない。突撃を進めるしかなかった。


☆☆☆


「さって、とー。やりましょか」
「な、にを?」
「デウス・エクス・マキナが舞台でやることなんて決まってるでしょ」

移動の加速感も機動の振動も無く外の光景が切り替わる。外の風景を映す壁は単純な窓というわけではないのだろう。

「あれは……」

そこに映し出される正八面体のブルークリスタル。ルイズの記憶にあるそれは、人に仇なす神の使い魔「第五使徒」

(神話では、確かこいつの能力は……)

“キ―――――――――――――――――――――!!!”

ヒスを起こした女の悲鳴のような音と共に、照射される荷電粒子の渦は、突撃する傭兵団のど真ん中に落ち、地面を爆発させる。人が馬が幻獣たちが、地面の蒸発と共に吹き上がり跳ね飛ばされていく。
それは、まるっきり子供が蟻の行列を見つけた時に行われる遊び。ジョウロで水をかけ、足で踏みにじり進路を妨害する。
デウス・エクス・マキナが舞台に立つとき行われること。それは、一方的な力の押し付け、蹂躙という名の遊戯。


☆☆☆


天空よりのイカズチが、傭兵団を切り裂いていく。神の怒りにも似た一撃は、戦の熱狂に浮かされた彼等の胆を冷やし、忘れていたはずの恐怖を思い出させる。
奇跡的に誰もいない場所に降り注いだ青い光線は、断続的に地面を爆発させた。
死の照射は途切れることはなく、五万の傭兵団をジグザグに切り裂いていき、連続的な爆発と共に彼等を蹂躙していく。

「魔法士ども!シールドを張れ!」「うろたえるな!戦列を整え大砲と銃を揃えろ!」「あほう!上空の敵に意味があるか!」「駄目だ!広がれ!固まってると狙われるぞ!」「ヘキサゴンだ!王の魔法だ!」「御始祖様、哀れなる我らを救いたまえ!」

混乱が広がっていく。
敵の高さ距離共に魔法でも銃でも届かぬ天空の彼方だ。最後尾には砲亀兵隊(巨大な陸亀の背中に臼砲を取り付けて移動砲台としたもの)もいるが射程距離内に運び込む前に、全滅させられるであろう。五万の傭兵団は、その進撃を完全に停止させられていた。
いくつかの部隊では魔法を揃えて斉唱し即興の合体魔法を作り出そうとしていた。またある部隊では届かぬとわかっていながら銃を弓をそろえ正射していた。

「うっひー!なんなんすかぁ!なんなんすかぁ、アレぇ!」

そう声を上げたくだんの少年は、この軍団の最前列だ。

「バカヤロウ!とっとと逃げろ!こりゃもう戦(いくさ)じゃねえ!!」

次の瞬間!再発射された青い光線が少年と団長を分断した。爆発し、めくり上がる地面と共に。舞い上がる土砂と煙、湧き上がる悲鳴とうめき。爆発音は連続的にそこかしこで起こっている。
もはや軍隊は四分五裂され、元々いい加減だった命令系統はさらに破壊された。

「げぼっ、げほっ、がはっ!」

煙と共に土そのものが口に入り、少年はむせた。慌てて周りを見渡す。周囲は土煙と悲鳴の渦だ。

「……団長。だんちょう?」

返事は無い。やがて一陣の風と共に彼の視界を奪っていた土煙が払われる。そこに少年が見たものは、仰向けに横たわる彼の上司の姿だった。

「ああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

彼の中で、何かがはじけた。


☆☆☆


「やめろ!それ以上はそいつの器(うつわ)がもたねえ!」
「デルフ……?」
「うるさいっての!ああ、外しちゃったじゃ無い」

ルイズもデルフの言葉に不穏なものを感じ、抗議の声をあげた。

「……」

だが届かない、彼女が回りにめぐらすATフィールドの性質を変えたのだ。
ルイズは思い余って杖を取り出す。

「やめろ!ここではアイツも死ぬぞ」

その言葉に眉をひそめ、悔しさに下唇を噛み締める。
彼女が見ている映像は、百五十メイル上空からのものだ。ジワジワと広がり続けた黒蟻の進撃は止まり、その生殺与奪の権は完全にアスカと名乗る少女が握っている。

彼女が外したと言ったのは、突出する一人の兵士。上空から見るその兵士は、誰よりもはるかに早い速度でこちらに近付いて来ていた。足の速い幻獣に乗ってるわけでもなく、魔法で空を飛んでるわけでもない。とはいえ二本足の人間が物理的に出せる速度は限られている。対して少女の攻撃は、撃ち出される数十の砲弾を叩き落すことも可能だ。

「うふふふふふ。かっくいいー。でも、これでおしまい」

狙いをその兵士一人の絞った攻撃は、しかし当らない、当らない、当らない。そんな馬鹿なことはない。狙い、定め、撃つ、荷電粒子のスピードは、ほぼ光の速度と同等だ。だが、撃った瞬間その姿がぶれ、ほんのわずか別の場所に移動している。

「こ、の、やろう。このこのこのこの!くぬくぬくぬくぬくぬ!」
「やめろ!やめろ!やめろー!俺の、俺の大事な使い手を!」
「うるさいっての!コイツはこのくらいじゃ壊れやしないわよ」
「そいつじゃ……」

何かを言いかけ、デルフは思いとどまった。

「んにゃろー!……もういいわ。手足の一本ぐらいでゆるしてあげようと思ったけど」

彼女の額のルーンは、さらに明るく輝いた。

「死んじまいな!骨も残さず燃え尽きて!」

そして、「第五使徒」はあり得べからざる変形を開始する。グパリ、グパリと奇妙な音と共に、そのクリスタルの体を開いていく。蒼く固いつぼみが可憐に壮大に花開くように。その中央の赤い芯球をあらわにして。


☆☆☆


少年は走る。左手に大振りのナイフ。右手には一本の槍を携えて。別に何か考えがあるわけではない。いやそもそも何かを考えられる状態ではないのだ。恐怖と怒りと自身を突き上げる訳のわからない衝動。それらに動かされているに過ぎない。ある意味恐慌状態といえる。しかし矛盾するようだが、心に冷静な部分が残っている。奇妙なその部分が、敵を敵と定め、自分を動かしていた。

あの八面体は自分を見ている。それがなんとなくだがわかる。殺気が向けられる。これもわかる。何をしようとしているか、どこに攻撃が来るか、どうすればいいか。すべて事前にわかる。おまけに、それに合わせるかのように自分の体が動く。軽く軽く、ひたすら軽く。素早いとは感じない、周りが遅いのだ。それが理解なのか、反射なのか、それとも別の……?だがそれは余計なこと。心から取り除かれる。

届かない、こちらの攻撃はまだ届かない。距離ではない、敵と自分の間にある奇妙な“歪み”が問題なのだ。敵が攻撃する時、ほんのわずかな間、ほんのわずかな隙間だけ“歪み”が消える。それはわかるが反撃できるほどの隙ではない。だが、何か大きな攻撃を仕掛けるように、敵が目の前の正八面体が奇妙な変形を始めたのだ。
少年の心に数瞬先の映像が紡がれる。今までとは比べ物にならないような大きく広い火線が放たれようとしている。薔薇の花弁のように広がったクリスタルのひとつひとつが青白く輝き、その力を中央に集めていく。

「すぅぅぅうぅぅぅううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」

空中に紡がれるもうひとつの太陽が、赤からオレンジ、また白く発光しはじめる。やがてその色は青へと移行する。

「きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃいいぃ」

爆発寸前の超新星は死の熱視線を一人の少年へと向け、そして発……。

「ありじゃー!ばかぼけかすあほ間抜けー!!!」

“ドカン!”

まるで戯曲のような、子供の冗談のような爆発音。
花開いたクリスタルの薔薇の中央に向けて投擲された槍。空気の割れる音が何回か響き、音速をはるかに超えた銀の針は、その赤い玉を突き抜けた。それは控えめに言っても近代物理とハルケギニア魔法力学に喧嘩を売る一投。

“プチュン”

音がした。まるで水の詰まった風船が割れるように。それはこの八面体の中央に存在していた赤く小さな玉が割れた音。

“ギャ――――――――――――――――――――――!!”

かん高い音があたりに響き渡る。
その音が何なのかはわからない。まるで女の悲鳴のようにも聞こえる。あるいはただ魔法の崩壊に伴う音だったのかもしれない。先ほどまで、美しいとさえいえる幾何学的な形状を持っていたクリスタルの魔導体(魔法の媒体となるもの)は無軌道にその形を変え、今はまるで針鼠のようにそのガラスのとげを八方に伸ばしている。だが、それも数秒のこと。すぐにガラスが割れたような音と共に全身が一瞬で砕け散った。




[10793] 第三十二話 無実は苛む
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:24fff452
Date: 2013/07/17 00:09

「うっぎゃ――――!!!」

少女がその顔を手で覆い、悲鳴を上げた。

「な、な、なに!何が起こったの!」
「考えるのは後だ!壁が消えたぞ!」

使い魔を取り戻したければ、彼に再度の「コントラクト・サーヴァント」をせよ。けして「サモン・サーヴァント」をしてはならない
それが、ケテルとリリスに言われたこと。なぜわざわざ「サモン・サーヴァント」をするなと念を押したのかはわからない。「召喚の鏡」はただ使い魔となる生き物を運ぶだけのゲートのはずなのだが。それに、こんなに近くにいることが分かっている相手に使う呪文でもないだろう
ともかくも壁は消え、シンジとルイズを隔てるものはなくなった。だが、すばやく動こうにも水中のこと、歩くのにも抵抗がある。だが泳ぐようにルイズはシンジに飛びつく。アスカはそれどころではなく苦しみにのた打ち回っている。それにかまわず仰向けのシンジに馬乗りになる。

大急ぎで、呪文を紡ぐ。

「わが名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」

途中で、デルフに言われたことが、彼女の胸を苦しめる。

「五つの力をつかさどるペンタゴン」

(どうか、始祖ブリミルよ。この者に苦しみでも悲しみでもなく)

「この者に祝福を与え」

(未来と安寧を与えたまえ)

「わが使い魔となせ!」

そして杖の先端を額の上に、唇を使い魔の唇の上に。


第三十二話 無実は苛む


水中に浮かぶ赤い月。
遠くに浮かぶ無数の光点。
何条もの光源のわからぬ四方からの光の束。
水面そのものの色が、赤から紫に、そして虹のごとく、ゆっくりと変化していく。
なにかざわざわとルイズの耳に聞こえてくる。女性の荒い息や笑い声、言葉にならない悦楽の声。
そして……。

「チッ、先生のところにいるからって、いい気になりやがって!」
「もう、うっとおしい子ね」
「じゃまなのよ」
「何も自分一人で出来ないくせに」
「テストが一番だからって、何も話せないじゃないか」
「バカバカしくって、話さないだけよ」
「ケッ、お高くとまりやがって、何様だよっ!」
「一緒にしないで!」
「あんた見てると、イライラすんのよっ!」

「本当のことは、みんなを傷つけるから」
「それは、とてもとてもつらいから」
「曖昧なものは、僕を追い詰めるだけなのに!」
「その場しのぎね」

「このままじゃ、怖いんだ。いつまた僕がいらなくなるのかも知れないんだ!ザワザワするんだ!落ち着かないんだ!声を聞かせてよ!僕の相手をしてよ!僕にかまってよ!」

「あんた、誰でもいいんでしょ。ミサトもファーストも怖いから、お父さんもお母さんも怖いから、私に逃げてるだけじゃないの」
「それが一番ラクでキズつかないもの」
「ホントに他人を好きになったこと、ないのよ」
「自分しか、ここにいないのよ」
「その自分も好きだって、感じたことないのよ」
「哀れね」

「助けてよ!ねぇ、誰かお願いだから僕を助けてよ!!僕を一人にしないで!僕を見捨てないで!僕を殺……」

なんだ、いったい何が聞こえてきているのか?シンジを罵倒する無数の声、必死になって哀願するシンジの声。

「シンジ、お前がこれに乗るのだ」

うって変わって、中年男性の声。反響しているのか酷く大きく、そして冷たく響いてくる。

「父さん?……なんで僕なの!いままでほったらかしにしてきて、こんなことのために僕を呼んだの」
「そうだ、お前がやらなければ人類すべてが死滅することになる」
「いやだ!なんと言われたって、いやなものはいやだ!」

父?!この酷薄そうな声はシンジの父親の声なのか?およそ肉親に向けていいような、情のある声ではない。

「そうか、……わかった。お前など必要ない。帰れ」
「帰れ!必要ない!お前など必要ない!……」

“ばしゃん”

水中なのに、どこかで水音がする。とたんに周囲は静まり返り、薄桃色の霧の中で静寂が訪れる。

(ルイズ!)

デルフの声だ。どこにいるかはわからない。だが向こうはこちらを認識しているようだ。

「デルフなの?今どこにいるの?何も見えない。シンジはどこ?」

(アイツを呼びな。声が特異点となり世界に輪郭を与え、接点よりその精神を同期させ、二人の姿を固定する。そしたら、その手のものを渡してやんな。あいつも探してるだろうからな)

奇妙に反響する声、まるで頭の中でデルフが喋っているようだ。手を見れば奇妙な文字列がクルクルと回りまるで網で作られた球体のようだ。その内側の青い光を覆い隠して。

「ここはどうなっているの?外のみんなは、あれからどのくらい経ったの?」
(ここはシンジのパス(経絡)の中だ。わかりづれえだろうが、ご主人は今情報になってる。俺もな。ご主人のせいで引っ張られちまったようだな)
「ブリミル様の伝説にある、遠隔念話(テレパシー)のようなもの?」
(んー違うだろうな。一応くっついてるしよ。外は一秒も過ぎてねえ。『始祖のルーン』が必死にコイツを押さえ込んでる……一応“あいつ等”もだな。目的は同じようだ)

デルフが何を言っているのか、いまいち良くわからない。多分時間が止まっているわけではなく酷くゆっくりになっているのだろう。以前シンジが言っていた、ガンダールヴの発動中の現象と同じことが、彼にコントラクト・サーヴァントを行った瞬間より起きているのだろう。

(シンジ、シンジ。目の前にその姿を現して頂戴。)

ルイズは念じる。すると薄桃色の霧は晴れ、目の前には、どこか遠い異国の情景。夕暮れ時。四角と三角の巨大な建物、直線的な町並み。それは子供が始めて描く幼稚で単純な絵の中にのみ存在するような町に見える。その中の小さな公園。そして砂場で一人泣いている子供。

「シン……ジ。なの?」

泣いていた子供は振り返りルイズを見る。

「……」

あどけない幼児の顔立ちに、確かにシンジの面影がある。

「ヒッ!」

一声、息のつまった悲鳴。ルイズは直感的にシンジの恐怖を感じ取る。ギュっと胸がつまる思い。
シンジは逃げ出した。

「あっ、コラッ!」

逃げる、逃げる、逃げる。追いかける、追いかける、追いかける。
姿は子供なのにすばやい。ルイズはあっというまにシンジを見失った。
違う場所に出る。町のコンセプトは変わらない。四角と三角、直線的で単純な、しかしその規模が桁違いに大きな町だ。ふと空を見上げれば、何の冗談か天井がある。まるで、物語にある世界樹の中の町ホッドミミルのようだ。
人影を見つけた。急いで追いかけると階段があった。長い長い地獄まで続くのではと思えるような長い階段だ。道は一本、駆け下りる。

“ガコン”

何かがはずれたような音。それと共に階段が勝手に動き始めた。その手摺りと一緒に。なんという仕掛けだろう。まるで自分が小さくなって、町の時計台の中にでも入り込んだようだ。
ルイズは自動的に動く階段を待たず駆け下りる。
奇妙な町並み、人っ子一人、馬車一台、猫の子一匹見当たらない。
ルイズがそう思ったとたん、四角く巨大な町並みから人が湧いて出てきた。とてつもない喧騒と共に。ルイズは思わず耳を押さえる。そのまま湧いて出た人々を見れば、歩くものすべてに顔が無かった。それらはすべて人形だ。恐怖は無かった。デルフにここはシンジのパス(経絡)の中、要は心の風景を見せられているのだろうと理解していたからだ。

「デルフ!」

(あいよ)

「残り時間は?」

いつまでも、ここにはいられない。敵も迫ってきているだろう。外においてきたギーシュ達も心配だ。時間の流れが違うとはいえ、止まっているわけではないのだ。

「この中で、二分ちょい」


☆☆☆


「あーいたいたぁ!おねーさまぁ!」

その奇矯な声で思わず四人と一体は振り返った。

「「「「ひいっ!!!」」」」

そこに現れたのは、素っ裸の幼女。脇に抱えたモグラのヌイグルミが可愛らしい。
脇を走る子供のグリフォンが近づくにつれ、巨大になっていく。もちろん目の錯覚だ。隣を走る幼女が巨大なのだ。体長三メイルオーバーの巨大な幼女、脇に抱えたヌイグルミに見えたのは、なんとギーシュの使い魔たる『ヴェルダンデ』だったのだ。

「あー来た来た。こっち!こっち!」

ケテルが手を振り、声をかける。その様子にキュルケが問いかける。

「あ、あれもあんたのお仲間なの?」
「え?彼女は……」 “ごん”「痛た!」

シンジの姿をしたスキルニル「ケテル」の後頭部が鈍い音を立てる。タバサの持つ長い杖(スタッフ)が“偶然”あたってしまったのだ。

「失礼」
「……気をつけてくれよ。……全員そろったみたいだし、僕も用事がある。君らにはとりあえずここから離れてもらいたいな」
「何を言って……」

ギーシュが抗議の言葉を言い終える前に、ケテルの右手にあるルーンが光りだす。


☆☆☆


(ほい、三十秒経過。あと一分と半)

このシンジの心象風景であろう町の中は広大だ。果てが見えているとはいえ王宮どころかトリステイン一の町、王都トリスタニアにも匹敵するだろう。こんな中でシンジを見つけるなど一週間あっても足りないかもしれない。
だが……。

(へへ、ヒント欲しいかい?)
「いらない!」

ルイズはどこかの適当な建物の壁に手を付け叫ぶ。

「シンジ!」

その瞬間、世界は崩壊した。ぐるぐると天井が螺旋状にゆがむ。町が人が光となりルイズの掌に集約されていく。まぶしい光は徐々にその輝きをおさめ赤い発光体に変わり、それは人の姿に戻っていく。

(正解!)
「あんたの余裕の態度が、すなわちヒントよ」
(さすがご主人様だ。心が作る内なる世界は敵を倒すにゃ最適だろうが……)
「かくれんぼには、不向きよね」


☆☆☆

「だんちょー!大丈夫っすか?」
「お、おう!いったい何がどうなった?」
「いやぁー、俺もよくわかんないっす。とりあえず敵の砲台はぶっ潰してやりましたけどね」
「なにぃー!」

その男が「ニューカッスル」城の上空を見れば、なるほど先ほどまで猛威を振るっていた風石の塊のような「魔導体」は消え去り、赤く巨大な十字の塔のみになっていた。それも心なしか縮んで見える。

「んで、何してんだおめえ!」
「なにって、……団長の介抱してんすけど……」
「ばっばっば……バカヤロゥ!!!とっとと一番乗りして来い。ほいでおタカラ、おタカラ、おタカラだ!!」

少年は、大男の団長の罵声でのけぞった。

「んでもぉ……」
「いいから、いけって。ちゅうか行ってくれ。おめえが一番乗りなら、うちの団の格が上がんだよ」

そう言われ、腰を浮かせた。

「ああ、ちょとまて。旗もってけ。んで目立つとこにぶっさしとけ。一番乗りー!ってな」

その男の乗馬であるスレイブニルが近寄ってきた。どうやらこいつも無事だったようだ。
鞍脇の物入れに丸めていた旗をその飾り棒とともに渡す。というか押し付けた。

「俺ら、傭兵っしょ。んなことして大丈夫っすか?」
「文句言われたら、はずしゃあいい。ほれいけ、すぐ行け、とっとと行け。他の奴らが気が付かねえうちにな」


☆☆☆


「ルイズさ」「黙れ!目をつぶれ!歯を食いしばれ!」

シンジは言われた通りギュッと目をつぶり、顎を引いて唇をかみしめる。

(いや、何をするつもりだよ)
「プロミス・サーヴァントを行うわ」
(時間が……)
「うっさい!」

使い魔を呼び、おのれに従属させる儀式の手順は本来であれば三段階。
まず、サモン・サーヴァントで召喚の鏡を作り出し、使い魔を呼ぶ。次にプロミス・サーヴァントにて従属させるための条件を提示する。お互いに納得がいった場合にのみコントラクト・サーヴァントが行われるのだ。言葉を理解する幻獣が召喚されなくなりすたれてしまったが。

「私は誓う。この哀れな心の迷い子を、孤独な魂の使い魔を、私の力で必ず幸せにしてみせる!」

シンジはゆっくりと目を開ける。だがどこか怯えた様に怒ったようにルイズの視線からその眼を外す。

「だけど、……だけど僕は、わからないけど、きっとモンスターだ。最低の怪物だ。いつかルイズさんに迷惑が……」
「そうね、怪物よ。でもそれがどうしたの?使い魔はモンスター。当たり前の話……そばにいなさいシンジ。もう一つ誓うわ、決して裏切らないことを」

シンジは、はっとしてルイズを見る。決意に満ちたその薄い茶色の瞳を。
そして、何も言わずただうなずいた。

「では、受け取りなさい。これが契約の証、メイジとのライン、私の心のパス」

ルイズは手を伸ばし、シンジもおずおずとその手を差し出す。
ルイズはその手を翻しシンジの手をつかみ引き寄せる。あっという間もなくその頭をかきいだく。力の限り。

「恐れないで、モンスターなんでしょう」
(御始祖よ、もう“銘付”などと贅沢は言いません。最低源の水とマウラー(人間のルーン)のみで結構です。どうか、どうか……)

一瞬の決断、その手を緩めシンジの目を自分の視線で射る。目を合わせたままその顔を近づけていく。

そして、輝く光の渦。


☆☆☆


「よう、遅かったな」
「してやられたってとこかい?」
「もう一人のやつも中にいたやつも単純で、なかなか笑えたぜ。んでも、おめえさんは駄目だ。なんかやばい感じがビンビンだ。だが、ちっと邪魔しないでくれればそれで済む」
「……」
「早く戻んな。消えっちまうぜ」
「へえ、いいのかい」
「もう俺に何ができる?やることは全部やったしな。あとはなるようになるだろうさ」


☆☆☆


「ニューカッスル」城の地下港、屈強な男たちと縛られた五人の囚人たち。それらを照らす松明の赤い炎。ここはむき出しの風石の屑石が多く松明がなくとも歩く程度なら困ることはないが。

「何か言うべきことはあるか?」

新王ウェールズのブレイドが、囚人の肩や腕、胸、頬、頭に触れる。そのたびブレイドの先端が赤い霧を飛ばした。
だが、どうも様子がおかしい。ブレイドで肉を削られるのはとてつもない苦痛だ。大の大人でも泣きわめく、そうでなくとも呻き声ぐらいは上げるはずだ。いくらなんでも身じろぎもしないというのはおかしすぎる。

「おい」

ウェールズが、軽く顎を捻る。手慣れた部下たちは慎重に囚人たちの様子を見た。

「死んでます」
「ちっ、死霊魔術か。なんでわからなかった?」
「それはじゃな、こういうことじゃないのか」

皆はぎょっとして、声の主を見た。

「父上……?」

倒れていたジェームズ一世が何食わぬ顔で、囚人たちの検分に加わっていたからだ。
その手は、彼の旧友でありアルビオン王国の重鎮でもあった今は囚人の一人パリーの首にかかった。
その首から“聖具”と呼ばれる十字架をさげたネックレスが出てきた。ネックレスとは言っても首にかかる部分は鎖ではなく厚めの金属で出来た棒状のものをひん曲げた形状のものだ。それが首にそって曲げられ目立たないようになっている。
ある程度以上の貴族なら、これがなんなのかを知っている。高度な『フェイス・チェンジ』の魔法が付加された魔導具だった。
それを外されると、パリーではない知らない男の顔が現れた。そしてその者もすでに事切れている。

「入城管理官の長が偽物では、侵入し放題というわけじゃな」
「そんなことより父上!なんで生きているんですか!」
「……知らん。確かにこいつのブレイドで胸を突かれた筈なんじゃが」

知らないふりをしているが、嘘だ。水メイジの「診断」をごまかせるはずはない。
ウェールズは疑いの目で、父を見ている。
“おほん”と空咳を一つ。

「あー何か奇妙な空気が襲ってきてな……うまく説明できんな。パリー……はおらんかったな」
「実は父上……」

ウェールズはこちらに来る途中であったことを皆に説明した。奇妙な空気の境界線のこと、ワルドの裏切りと、襲われた際にもブレイドに突かれたが無事だったことなど。

「ふーやれやれ、神の救いの手は随分と大雑把じゃな。わずかな間とはいえ魔法をお消しになったと」
「い、いや自分の時は壁が……」
「壁?エア・シールドか?」
「わかりません。呪文は詠唱途中でしたし、魔法を消した奇妙な空気はその時にはまだ……」
「まあ、今はそんなことを言っている場合ではない。「イーグル」号はどうじゃ」

鎖で固定されているとはいえ、その鎖の長さいっぱいに天井に張り付くように斜めに張り付いている「イーグル」号は、徐々にだがその高度を下げてきた。
これは甲板員の手柄ではなく、先ほど空気が変わってから空船内の「風石」の暴走が止まったためだった。

皆、「イーグル」号に駆け寄り、点検を開始する。

「右舷砲、異常なし!」「左舷砲、全台固定台よりはずれ、大砲そのものは損傷わずか!戻しに十分!」「横帆異常なし!」「縦帆損傷軽微!」「右舷側帆マスト半壊!しかし修理に十五分もあれば!」「航行舵輪及び航行装置に異常なし!全フラップ起動正常!」

次々と装備の点検状況を報告する。

「……風石、四分の一に減少!予備は……消滅!」

悲鳴のような絶叫で、その報告が入った。

「ちっ、調達班!」

何人かの土の系統を持つメイジが壁に走る。ここはもともと風石の採掘抗の跡でもある。クズのような風石でもかき集め抽出と融合の「錬金」をかければアルビオン大陸の下をぐるりと回り、敵に奇襲をかける程度の風石は手に入るだろう。そう思っていた。

「こちらの壁、風石含有ゼロ」「こちらも!」「こちらもです!」
「な、にぃ!!」

あわてて、地下港の巨大な縦穴を上から見下ろす。常に青白い光をぼんやりと発する縦穴の壁の光がすべて消えている。発光ゴケは風石をその身に取り込み発光する。それがすべて消えてしまっていた。

「なにが起こった、何が起きたのだ!」


☆☆☆


ルイズは扉の外に押し出された。シンジはいない。外で待っているはずのギーシュたちまで。
恐ろしいまでの静寂。戦争中とはとても思えない。

「ルイズさん。行こう。逃げよう」

いつの間にそこにいたのか、シンジが立っていた。服装は先ほどケテルが来ていたものだ。ルイズが何か言おうとするのを少し悲しげな眼で止める。口元は薄い笑みを浮かべている。そして彼女の手を取って走り出す。

「あ、まってデルフが……」
「あります。背中に」

見れば、シンジの背中に魔剣デルフリンガーが結わえられていた。なぜ気が付かなかったのか?

「みんなは……」
「脱出しました。シルフィードとバルバリシアに乗って城の裏手から。あとは僕とルイズさんだけです」

なぜそれがわかるのか?問いを発することも答えを聞くこともない。

「あんた、ケテルじゃないでしょうね?」
「誰ですかそれ?」
「あんたの……」(アガシオンじゃないの?)

なんて馬鹿な質問、妄想の産物、聞くことはできない。

「デルフ、デルフったら」
「今、疲れて眠っています。どうか起こさないであげてください」

二人は走る。どこに向かって?先頭はシンジだ。いくらか走っていきなり止まる。城の一階のなんということもない廊下の途中で。シンジは近くの壁を押し始めた。ここは地下港への秘密の入り口だ。二人とも来た時に見たから知っている。

「うーん、開いたよ。ルイズさん行こう」
「まって、地下港に今から行っても無駄よ。もう船はないわ」
「大丈夫、……大丈夫です」

どこか遠くを見るような眼をしてそういった。


☆☆☆


「こちらのレビテーションは足しにならないか。これなら系統に関係はない」
「ですが、集中力が持ちません。どんなに風がよくとも三時間は見なければ、人員、船体の重量を考えますと、交代でいってもとても」
「それに、現場について戦えなければ意味はありません。敵地についたときに疲労困憊で精神力枯渇では」
「せっかくの“ガンダールヴの杖”が意味なしか」
「こちらも昨日に比べ、力が落ちているような。ざっとですが三日ほどでもとに戻るようですな」
「伝説の魔杖も明日までか、ほおっておいても三日、使えば使っただけ減りが早くなる」
「くそ、チャンスだ。チャンスなんだ。それが風石がないだけでつぶされるのか」

「レキシントン」がつぶされた今、敵の目がすべてこちらに向いている今が最大の反攻のチャンスである。「レコン・キスタ」の主城はわかっている。

“どごんっ!”

いきなりの爆発音で、肝をつぶされる。見ればたった一つの入り口の扉が破壊され穴が開いていた。
色めき立つ兵士たち。

「アッ」
「よかった、まだ出発してなかった」
「あああ、ごめんなさい誰もいないと思って……」

開いた穴から顔をのぞかせたのは、トリステインの大使殿と件の使い魔の少年だった。

「大使殿、まだ逃げていなかったのですか?ミスター・ガンダールヴも」
「はい、すいません。逃げ遅れちゃいまして、……みなさん逃げ出すところですよね。彼女を乗せていただけませんか」

それを聞きウェールズが眉をひそめる。

「ミスター・ガンダールヴ。すまないが王家に逃げるという選択肢は……」“どがっ”

言い切る前にウェールズの頭をドついたのはチャールズ一世だった。

「そう、情けなくもみじめにも、みんな揃って逃げ出すところですじゃ」
「父上ぇー!」

いきなりドつかれて椅子から転げ落ちたウェールズだったがすぐさま立ち上がり怒声を発した。

「なんじゃい。でかい声を出しおって」
「王に逃げはなし、最後まで戦い王の王たる所以を見せる。そう申されたのは父王ではありませんか!」
「状況が変わった、今は耐え未来を見よ。なーんてありがちなことは言わん。それに今の王はお前じゃ。したがってこれは反乱である」

そう、言い切った。

「え、え、え、あの……」
「大使殿、あぶないです。どうぞこちらへ」

兵士の一人が、ルイズとシンジを誘導した。皆が皆、王家の親子から距離を取る。

「砂時計もってこい、十分計のやつ」

どこかでそんな声がした。

「くそ親父、今日こそ引導を渡してやるぜ!ついでに王位をたたき返す」
「ほ、馬鹿息子よ。なんか勘違いしとりゃせんか、王なったからと言っていきなり強くなるわけではないぞ。ついでにそのセリフは矛盾しとる」

二人はにらみ合い、双方が杖を取り出した。チャールズ一世は先祖伝来の銘杖(ケーン)グラムを両手持ちで横に構える。長杖(スタッフ)に珍しく真っ直ぐな六角棒の形状を持つ。その全身にはびっしりとルーンが刻まれている。
対するウェールズは、こちらも先祖伝来の王笏(セプター)フロッティを手にした。こちらは前述のとおり魔法を補佐強化するための魔宝珠がちりばめられている。
そして、両方にシンジの「祝福」を施してある。
ザッと両者が距離をとった、素早い呪文詠唱でその先端に巨大なブレイドを発現させる。
それを合図に砂時計がひっくり返された。

「三分!」「四分!」「二分!」「おーい!こっちから見えねえよ!場所変えてくれ!俺も三分!」「おめえは黙って、修理してろ!五分!」「四分!」「最近の陛下の成長っぷりを知らねえな!五分!」

「あの、あの」
「ん、どうされた?」
「敵が迫ってるのに、こんなことしてる場合じゃないとか、王様が反乱とか、細かいところは置いときまして。なんでみなさん時間を言い合っているんですか?こういう場合王様か皇太子様の名前で声援を送るのでは?」
「ああ、まずは皇太子殿下におきましては、先ほど王位を継承なされた。したがってウェールズ殿下は陛下となったわけです。現王は古の習いにより「国父」とならせられた。おお無論、権力はすべて王に属します。したがって国父殿のやりようは誠に不遜極まりなく不敬のいったり来たりで嘆かわしい。王の怒りも有頂天!怒髪天を突くとはまさにこの事。王みずからこれを誅し、もって鼎の軽重を正す所存ですな」
「はあ、はあ」
「時間については、じきわかります。どうぞ大使殿におかれましては、ゆったりとおくつろぎを」

その兵士はかしこまってそう答えた。

― 三分と四分の一経過 ―

「強く、なったな。ウェールズ」
「ち、父上」
「まさか、わしに傷をつけられるほどになるとはな。いやなかなか」
「父上ぇー!その足をどけろ―!」

突っ伏したウェールズの頭に乗せたその足をぐりぐりと動かす。

「痛い、痛い、痛い、痛い」

ものすごい戦いだったことだけをここに記しておく。結果はウェールズの負け。

「へたれー!」「かすー!」「せめて五分は持たせろよ!」「根性なし―!」

どうやら賭けに負けたらしい兵士たちから、罵声が飛ぶ。

「ちゅうわけで諸君、君らの王の命はわしの一存で決まる。これの命が惜しいものはわしの言うことを聞くように」
「へーい」「はーい」「うーい」「さーいえっさー」

残念ながら、王を人質にとられては言うことを聞くしかない。皆、無念を押し殺し務めて明るくふるまっている。返事も棒読みだった。


☆☆☆


「おお、大使殿、見苦しいところをお見せした。どうか勘弁してほしい」

国父となったチャールズ一世が、気絶したウェールズ王を船倉に閉じこめるよう命令をしたあとルイズに話しかけてきた。

「い、いえ」
「そうそう、勘違いしないでほしいのじゃが、アルビオン王に逃げはありませんぞ、逃げたのはこのわしです。そうご記憶願いたい」

ルイズは小さく「あっ」と小さく声を上げる。

「国父様のご深謀、誠に驚嘆を禁じえません。御尊敬申し上げる」
「なーに、ジジイには他に能がありませんでな」

この時、ルイズの斜め後ろで顔を伏せていたシンジが国父に向かい平伏していった。

「すいません国父様、ルイズさんの乗船を、お願いできますか」
「無論じゃ」

なぜか、チャールズ一世は眉を寄せ不機嫌そうにぶっきらぼうに返事を返した。

「あんたもでしょ。ゴホン!国父様。あのわが使い魔の乗船もお願いを……」
「駄目じゃ!」

その意外な答えにルイズは目を丸くする。

「薄汚い平民をわが栄えある「イーグル」号に乗せるなど先祖に対する裏切りじゃ。王侯たる我に普通に話しかけることすら万死に値するというのに。船に乗せろじゃと、同じ空気を吸っているだけでも身震いしそうじゃ。御免こうむる」
「こ、国父様。そ、そのような……」

ルイズは震える。あまりに意外なその身分差別発言に言葉が出てこない。

「いいんだルイズさん、国父様ありがとうございます」
「口をきくなというのがわからんか、薄汚い異民族のガキめ。とっとと消えんと我が魔法が貴様を吹き飛ばすぞ!先日はなにがしかの役に立つというからわが前に立ち謁見を許したというに!勘違いして増長したか!」

だが、どのように罵倒されても、シンジの表情に変わりはなく薄い笑みを張り付けたままだった。

「いいんです。何も国父様がそのように憎まれることはありません」
「……わが好意を受けられんと?先日の礼のつもりなのじゃがね」

うって変わり口調は穏やかに、怒りに満ちたその顔は悲しげなそれにかわった。

「……すいません一つだけ、僕は下手でしたか?」
「……その歳にしては、うまいほうだといっておこう。だが正確な式と精密なイメージができていないからちぐはぐになる。魔法に大事なのはパワーではなく流れを感じ支配することじゃ。大河に浮かぶ小舟の一片の櫂(かい)であることを自覚することじゃ。振り回しても振り回されても船は進まん」

シンジは黙って平伏する。ルイズには、二人が何の謎かけをしているのかわからない。

「古き伝説の使い魔よ、やはり「ガンダールヴ」はつくべき者につくのじゃな。では後は好きにしなさい」

そういって、離れていった。

「どういうこと……」
「わかりません」

シンジは口元を手で隠しそういった。

「デルフ!起きなさい!デルフ!」
「……」

デルフは何の反応もしない。ただの器物のように使い魔の背中にあるだけだ。
シンジは顔をそむけ、もう何もしゃべらない。おかしい、だが、何がおかしいのかわからない。
乗船の合図があった。シンジは黙ってルイズの手を掴み、船へと引っ張っていく。彼の背中がまるで他人のようだ。デルフの鞘はこんな色だったろうか、長さはこんなに短かったろうか。

船のタラップに足をかける。

「あんたも早く!」
「僕は平民で使い魔ですから、一番後に」

乗り込むものは数多く、ぐずればそれだけ後ろが詰まる。ルイズは走って乗り込み船べりに場所を取った。シンジを見張るためだ。なぜか一瞬たりとも目を離すわけにはいかないような気がするのだ。シンジもルイズを見ている。

そして、人がすべて乗り込むと飛べない使い魔たちが乗り込む。さすがに狭い。翼ある使い魔は空を飛び船についていく予定だ。シンジはまだ乗り込まない。

「大使殿」

国父チャールズ一世が後ろから声をかけてきた。ルイズはさすがに振り返らざるをえない。

「おい、あの少年が消えたぞ!」「なに!見間違いではないのか!」

ルイズはその声に、あわてて視線を戻した。いない、シンジがいない。はっとして再度振り返る。チャールズ一世は困ったような、哀れむような顔をしていた。

「すまんな大使殿、彼はどうやら“偏在”のようじゃったのでな」

その声は、どこか遠くから聞こえてくるようだった。


☆☆☆











☆☆☆



シンジは目覚めた。天井を見れば布製で、どうやらどこぞの天幕のようだった。未だ、覚醒は不十分で夢の世界に片足を突っ込んでいる状態である。手足は、動く、体の異常は特になさそうだった。

「お。おーい!目覚めたみてえだぞ!」

男のガラガラ声が、足元で聞こえた。外の誰かに叫んでいるようだ。体を起こし、その声の主を見た。大柄な体、灰色の髪もじゃもじゃのヒゲ、身に着けた簡易な鎧、腰には太く長い剣が下げられている。どうも傭兵らしい。

どたどたと足音が近づいてくる。布製の入り口が開いた。現れたのは16~7の少年だった。
黒い髪、黒い瞳、濃紺と白の薄汚れた短めのフード付きローブを羽織っている。パッと見、町の作業メイジに見える。

「あ、あの……」
「待て待て、ちょっと待て」

彼は、シンジが何かを言いかけるのを、手で制すると。近くの椅子を引き寄せ座った。
そのあと、空ぜきを二三回。胸をはり、手を握り締め何かを覚悟しているように見えた。
どうやら、なにかの覚悟が決まったようで、彼は言った。

ああ、ああ、どうかアルカディアの聡明なる読者諸兄よ。呆れないでほしい。怒らないでほしい。彼は確かにこう言ったのだから。

「オッス、おらゴクウ!よろしくな!ところでおめえ、強そうだな。いっちょオラと戦ってみねえか?」





[10793] 第三十三話 純正 その1 ガンダールヴ
Name: エンキドゥ◆197de115 ID:24fff452
Date: 2013/07/16 23:58
彼、平賀才人のこの世界においての最初の記憶。
鬱蒼とした森の中、とんでもないナイスバディのコスプレ美少女が、泣きそうな顔で木の棒を、自分に突き付けているところからだった。




「オッス、おらゴクウ!よろしくな!ところでおめえ、強そうだな。いっちょオラと戦ってみねえか?」

奇妙な挨拶をうけ、シンジは五秒ほど固まってしまう。だが彼はそんな奇妙な言葉とは裏腹に、シンジをじっと観察するような眼で見ていた。
さて、シンジの知っているゴクウとは西遊記に出てくる猿の妖怪の孫悟空である。

(ゴクウさんか、本物のロバ・アル・カリイエ(東方)人かな?)

シンジも相手をよく見れば、ジャバジャバの黒髪、低い鼻、丸い顔、黒く垂れた瞳、薄黄色い肌。なるほど懐かしい東洋系の顔立ちだった。

「……え、えっと、ゴクウさん、よろしく。……僕はそんなに強く」「まてまてまて、ちょっと待てぇ!」

また彼は、シンジの言葉を遮り、こめかみを押さえ、何か苦悶しているようだった。

(さすがに、ドラゴンボールは古かったか。これならどうだ!)
「海賊王に、俺は!なる!」

これまた奇妙なイントネーションと共にそういった。……空気が固まり、部屋の気温は三度ほど下がった気がした。

「あの、あの、頑張ってください……ゴクウさん」

その返事を聞き、少年はガックリと肩を落とした。


第三十三話 純正 その1 ガンダールヴ


サイトは一人「ニューカッスル」城に乗り込んだ。まるで猿(マシラ)のように身軽に城壁を駆け上り、門扉の上に旗を立てた。本来ならここで鬨の声を上げねばならない。そうすることで、城が落ちたことを皆に知らせ、安心させるのだ。もちろんどこの誰が一番乗りかを知らせ傭兵としての名を上げる手段でもある。
だが彼はそうはしなかった

「よっと、旗を立ててりゃ充分だろ。なんか恥ずぃしな」

こんな理由であった。まあ、ある程度は外の兵士や傭兵たちが気が付くまでそれなりに旗を振ってはいたが。

城壁の上には何十体ものゴーレムが倒れていた。手足は崩れすぐにも土にかえりそうな風情だ。敵が来たら落とす予定だったのだろう、無数の投石ともに。
敵はいないだろうと思っていた。なぜそんなことがわかるのかはわからない。
城壁の上から、「ニューカッスル」城と、そこに突き刺さるように立つ奇妙な十字の塔を仰ぎ見る。

「まじかで見ると、でっけえぇなあ!東京タワーみてえ、よくこんな馬鹿なモンが立ってられるなあ」

「ニューカッスル」城に突き刺さる巨大な十字の塔は、いかにもバランスが悪そうだ。少しの風でもすぐに倒れそうである。しばらく見ていると、その色を赤から薄桃色に変化させ、時と共に薄くなっていくようだ。
しばし見惚れていたが、仕事中なのを思い出し、すぐにその城壁から降りた。

「ニューカッスル」城の中庭から城門を見る。でかい。見上げる。超でかい。
彼としては、門そのものを開けたかったが、その巨大な扉を支える鎖は太く、閉開のための機械は、これまた巨大な青銅製らしい巨人像の中にあるようで、どこをどうしたらいいのかわからなかったのだ。





「罠もなけりゃ、人もいないっと。さっきのおっさんは起こしたら一人でどっかに行っちまったしな。……あー、おっさんに扉の開け方を聞けばよかった」

失敗した失敗した、とつぶやきながら、奥へ奥へと進んでいく。次々と城内部の部屋の扉を開けていく。どこもかしこも空っぽだった。

“かつん”

頭の中に響くような音、自分を呼んでいるような気がする。

「あっちか」

本能的な、直観的なものに引き寄せられる。

(罠かな?いや罠はない。みんな死んでる)

常人にはわかるわけがない、そんな直観が頭でひらめくのだ。いくつか落とし穴があったがなぜか寸前でそれがわかる。ひょいひょいと回避してからそこらのこぶし大の石をぶん投げて穴をさらけ出しておく。あとから来るもののために。

「うう、めんどくせえ。おまけに気持ちわる!」

城の内部に入り込み、いくつかの扉を開きちょっと覗いては次の部屋に歩を進める。長い廊下をただ一人進んでいく。そして、とうとうその扉の前に立った。

「お邪魔しまーす」

そーっと扉を押しながら言った。気配がした。何の?それはわからない。危険はない。それも何となくだがわかる。だがいずれにせよ戦争中の敵の城でやるようなことではない。

その部屋は水晶に覆われていた。よく見れば水晶の外側に普通に壁やら家具やらが置いてある。少年には何のためにこんな部屋があるのかはわからない。ただ金持ちの道楽の一種だろうと思うだけだ。

「我の眠りを覚ますものは誰ぞ?」
「うお!!」

奥のほうから、そんな声が聞こえてきた。あわててドアの前から飛びのき身を隠す。

「あーびっくりした。あーびっくりした」

壁際に隠れそーっと様子をうかがう。だが物音ひとつ、気配ひとつ感じない。危険すら。

「えーと、どちらさん?」
「わが名を問われれば、伝説の魔剣デルフリンガー。かの「ガンダールヴ」の左手ぞ」

それを聞き、両手で小さくガッツポーズ。

(やりっ、インテリジェンス・ソードだ。欲しかったんだよ。団長は触らせてもくれなかったしぃ)
「そういうお主は、何者か?」
(きたきた。持ち主を選ぶタイプか。)
「あーあー、我こそはガンダールぶ。お前の新しい主人である」

気負いこんでそう言った。彼には魔剣の言う「ガンダールヴ」が何なのかはわからない。ただ歌に歌われるほどの有名な英雄か何かだと思っているだけだ。この魔剣を手に入れるため話を合わせただけだった。

「……んぶっ!」

笑われた。

「あー!て、て、てめ、笑いやがったな!」
「わりーわりー、あんまりノリがよかったんで、つい」
「きしょー!性格悪そうだなぁ。まあいいや、お宝、お宝っと」

その部屋に入り込み、目を見開いた。

「うおー、やった!人生の勝ち組確定!」
“ちゃーん、ちゃーん、ちゃちゃちゃーん”

彼の頭の中でファンファーレが鳴り響いた。
それは、その部屋にあった、常識外に大きな赤い宝玉を指して言ったものだった。

「運のよき者よ、これはアルビオン王家に代々伝わる世界一の秘宝、「千年竜の瞳」と呼ばれる魔宝珠。これを持つ者は永遠の繁栄を約束されるという代物だ」
「持ち主滅んじまったじゃねえか?」
「重くて持ってられなかった。……というオチだ」
「落語か!?それに、なんでいちいち口調を変える?」
「気分気分、なんなら女の声と口調にしようか」
「んにゃろ……そのまんまでいいよ。痛インテリジェンス・ソードなんていろいろといやだ」
「痛……なんだとぉ?」
「へへ、なんでもねーよっと」

そういいながら、背中の大きな背嚢(リュック)をおろし、間口を広げる。欲張って一番大きな背嚢を借りてきたのだ。件のインテリジェンス・ソードにはなぜか吊り下げるためのベルトまで着いており、こちらはひょいっと背中につるした。そして問題のでっかい宝石を背嚢に入れる。

「意外と軽いな、六十キロぐらいあると思ったけど三十キロぐらいか?」
「なんだぁ“キロ”ってのは?」

背中の魔剣が声を上げる。

「あー、俺の住んでたところの重さの単位。一キロってのはこっちでいうと、だいたい二リーブル……ぐらい?」
「ほー、どっから来た?」

その質問には、ちょっと眉根を寄せる。

「……まあ、言ってもわかんねえよ。超遠いからさ」
「ふーん。……ところでよ」
「ん」
「袋はしっかり担いだな?」
「おう!」
「よし、んじゃあ。俺を抜いて、走れ!」
「へっ!?」

ピシッだの、パシッだの、ガラスの部屋の中にいる身としては、盛大に不吉な音がそこかしこから聞こえてきた。

「のぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」

慌てて、その部屋から、その城から逃げ出した。
背中の魔剣は抜く暇もなく持ってきたナイフを右手に掴んで。




根元が崩れ落ちると、あとは早かった。彼が侵入し見上げていたころは、まだうっすらとピンクがかっていた十字の塔は、彼が脱出を図っている時にはもう青みがかった透明になり。その不自然で巨大な形状を支えていたのであろう「力」が消失したようだった。
とてつもない轟音と共に真下に崩れていく、今は半透明となった十字の塔。
巨大である分その質量はすさまじく、「ニューカッスル」城はそこかしこが押しつぶされていく。

ところで、彼はどうしただろうか?仮にも「六十リーブル」もある宝石を背負い、それほど素早く逃げ出せるとは思えない。欲に負け、宝石を手放せず。崩壊する塔の瓦礫に押しつぶされただろうか。それとも命あっての物種と背嚢を捨て、身ひとつと剣一本だけを携えて早々に逃げ出しただろうか?

「うひー、死ぬかと思った。城壁が広いわ丈夫だわでギリ助かった」
「ご苦労さん、なかなかやるね」
「お、おう!任せとけってんだ!」

……生きていた。しかも背負った背嚢もそのままだ。どうやら彼は身体能力のほうも並ではないらしい。


☆☆☆


「あ~あ、潰れちまいやがんの。取り出せたお宝は剣一本と、その背嚢ひとつ分のお宝だけか」
「団長。そんなこと言わね~でよ。無事でよかった、ぐらいは言っても良いんじゃないっすか?」
「おめえが殺したぐらいで死ぬか。ばーか!」
「しどい!繊細な十代のガラスの心が傷つきました。シャザイとバイショウを要求します」
「時事ネタ禁止だって何回言やぁわかんだ。おめえはよ!」
「はひ~ん、だってだって」
「ああ、おめえと話してっと頭が痛くなってくんな。……それよかよ、なんか城のえらいさんがおめえに話を聞きたいってよ。うまくすりゃ背中のそいつを高く買ってくれるかもな」
「おお、ビジネスチャーンス。こんな飯のまずい国で傭兵すんのは、もういやだお」
「この!」

団長といわれる男が、拳を振り上げると、少年はひょいっと逃げ出した。ついでに振り向きつつ。

「はは、団長。高く売れたらいいっすねえ。戦争も終わりのようだし、みんな無事で国へ帰れそうじゃないっすか?」

振り下ろした拳をよけられつつも、そういわれると思わずにやっとしてしまう。

「おお、“戦は勝ちにてやみにけり、具足をしまって家路旅”ってな」

それを聞き、少年は男っぽい笑顔を見せる。

「団長は詩人だな。かっこいいや」

そういって走り出した。

「ああ、おい下の句を……ちえ、みんな無事なのは、半分ぐらいはおめえのおかげだよ」

走り去っていく少年の背中に、そう小声で投げかけた。


☆☆☆


だだっ広い荒れ地のど真ん中にその女は立っていた。黒いフードを目深にかぶり顔はよくわからない。それでも開いたフードの隙間からわずかに黒い瞳と黒い髪が見えた。どこの風習なのか、顔には黒く、化粧?刺青?わからないが目の下に薄く線が描かれている。そんな奇妙なところを除けばかなりの美人に見えた。ただし、きつめのお姉さんといった印象である。

むくけつき傭兵たちの中に一人、悠然とたたずむ女性メイジ。しかし、侮るもの、からかおうとする者はいない。彼女の周りを十体ほどの竜のガーゴイルが取り囲み、守っているからだ。彼らは生き物のように体をゆすり、また首をせわしげにゴリゴリと動かし辺りに注意を払っている。近づいてくるその少年にも三体ほどが注意を向け、警戒している。

「君が、「ニューカッスル」城の一番乗りで唯一の侵入を果たした者か?」
「ああ、……えっと。はい」

心ここに在らずといった返事を返す。「ニューカッスル」城でもそうだったがでかいものを見すぎて少し呆け気味なのだ。またこの女性を取り囲む竜たちも恐ろしくでかい。思わず見上げてしまう。
(すげえ、かっけええ!一体くんねえかな。どこで売ってんだろ?)

「その際、インテリジェンス・ソードを持ち出したと聞いてな。私の部下の可能性があり、こうして訪ねてきたわけだ」

それを聞き、ちょっとがっかりした。団長の言うとおり背中のお宝を買い取りに来てくれたのかと思ったのだ。

「できれば内部の状況も聞きたい」

貴族のお偉いさんで、しかも女性の身でここまで来るぐらいだから、よっぽど傲慢な対応をされると思っていたが、口調は丁寧で、変に見下すこともしない。へえっと思いながら説明を始めた。

「……そんで、そこにあったのがコイツなんすよ」
「我こそは、魔剣デルフリンガー。六千年の時をへて存在し続ける、生きた伝説ぞ」
「ぷっ」

笑われた。

「おうおうおうおう。ねーちゃん、なに笑ってやんでぇ」
「馬鹿、やめろ!失礼だろ!」
「くっくっくっくっく、……少年、それに魔剣よ。レーヴァティンでもテュルフィングでも構わぬが、デルフリンガーだけは駄目だ」
「えっえっえっ、どういう意味です?」
「簡単に言えば有名すぎるのだ。各王家に数本ずつ、それにちょっと気の利いた貴族や趣味人の金持ちの平民ですら一本ぐらいは持っている代物だ。いくつか真贋もわからずこれぞ本物と言いはっている貴族もいる。それに見たところ鞘も柄も立派だが、ちょっと立派すぎる。それに、こしらえが千年ほど前に流行った型だ。……作りがいろいろとちぐはぐだな。おそらくはここ五百年ほどに作られたものだろう。どれ」

そう言って、その女性はデルフを貸すように手を差し出した。彼も特に勘ぐるところはなく、背中の剣を差し出した。

「よっ、と……抜けんな」
「え、ちょっといいすか」

再度、その女性から剣を受け取り、柄と鞘を引っ張った。

“ジャリ、ジャリ”

砂を噛んでるような音とともに、少しずつ刃筋が見えてくる。五サントほど抜き出した時点で失望した。錆の浮いたぼろぼろの刀身が見えてきたからだ。

「あ~あ、本物かもしんないけど、こりゃ駄目だ」
「まあ研ぎにでも出すんだな。……残念ながら目的のモノとは違うようだ。邪魔をしたな少年」

そういって立ち去ろうと踵を返した。

「あ、あーちょっと待ってください!」
「どうした?まだ何か」
「いや、俺お城の中ですんごいお宝を見つけまして、買い取ってもらえないかなって」

“ドクン”
彼女の目が細められ、思わず唾をのみこみそうになる。

「ほう、だが見ての通り、金なぞ持っていないぞ」

なるべく気のないふりと返事を返した。

「いいっす、いいっす。見るだけ見て欲しいんすよ」

そういって、背中の背嚢を下した。中の宝玉に傷がつかないよう注意しながら。
入り口の口を縛っている紐を外す。そして一気にその口をさげた。

「じゃーん。千年竜の……」

彼の目が点になる。
彼女の目も点になる。
少年は慌てて、引き下げた袋の入り口を再度持ち上げた。
フードの女は、汚いものでも見るように眉根を寄せる。

「……傭兵どもには、その手の趣味のやつらが多いと聞いていたが……」
「アッー!げほげほげほ」

今何か奇妙な発言があったが、それは音速で空の彼方に消える。

「いやいやいやいやいやいや、これはなんかの間違いで」
「これを売るって事がどういうことかわかっているのか?……いや、これをどうこうする様な変態だとでも思ったのか。ごらぁ!」

彼の背嚢から出てきたモノ、……それは、全裸の少年。

「サマネヤ、テスファー、ワーヒド。このガキに少し女性に対する礼儀と、セクハラの対価というものを教えてやれ」

その女性は、自らを守らせていたガーゴイルの竜たちに号令を下した。
のっそりと動き出す金属製の竜たち。ガパリと開いたその火口のような口の中に、炎が氷柱が水球が生成されていた。

「あ、ちょ、ちょ、や、やば」

彼は急いで背嚢を背負い直すと、逃げ出した。


☆☆☆


「いや、なんちゅうか。女を怒らせる天才だな。おめえは」
「どぼちょーん。……もう居なくなりました?」

彼は、敵の魔法兵器の開けた穴に飛び込み難を逃れたようだった。未だにその穴から出てこようとはしない。

「ああ、それどころじゃねえみてぇでよ。竜どもを引き連れて瓦礫だらけの城にいっちまったよ。しっかし……すげえなあ。ガーゴイル竜を十体同時操作か。貴族派にゃあ、あんなのがごろごろしてんのかね?……んで、何がどうしてどうなった?」
「いや、……そういや、なんなんだ、こいつは?」

自分の背嚢の中の少年を見れば、黒髪と自分よりは幼いそして懐かしい東洋系の顔立ち。

(ひょっとしてこいつも?……)


☆☆☆


さて冒頭のシーンに戻ろう。

「……あの、あの、頑張ってください……ゴクウさん」

そういうと、彼はなぜか肩を落としひどく落胆したようだった。

「あの、どうかしましたか?」
「あーわりーわりー、同郷の人間かと思ってさ。俺は尻尾付き宇宙人でもゴム人間でもなんでもねえただの人間で、今言ったのは同郷の人間かどうかを確かめる符丁みたいなもんさ」
「あ、ああ。そうだったんですか?」(しっぽ?ゴム人間?)
「……んでさぁ」
「はい」
「なんなの君、なんで俺のリュックになんか入ってたの?ちゅうか俺のお宝どうしたの?」
「え?え?え?」

そんなことを言われても、今のシンジには答えられないことばかりである。

「へっへっへっへっへっ、新相棒よう。俺が説明しようか」

懐かしい声が、彼の背中から聞こえてきた。

「デルフ!」
「あん?この剣か」

首を縦にぶんぶんと振る。

「たくよ、自分の剣なら少しは……」

そういって、鞘と柄を思いっきり引っ張った。

“スパン!” “バゴン!”

空気が切り落とされたような音とともに鞘がはずれ、輝く刀身が現れた。その際、勢いがあまり鞘が地面にすっ飛んだ。

「ぬわぁあぁぁ!!あーびっくりしたぁ!」

形は変わらない、反りのない片刃の長刀のままだ。だがその刀身は神々しいまでの光を放っている。辺りに光源とおぼしきものはなく、その光が反射ではなく、まさにデルフそのものからの光であるとわかる。

「デ、ルフ?」
「おうよ、どうだい、これが俺の真の姿ってやつよ。どうだ、びっくりして惚れ直したか!」

しばらくシンジは声も出ないようで、その美しい刀身に見惚れているようだった。
そして、

「駄目だ!」

シンジは叫んだ。

「そんなんじゃあ、そんなんじゃあ、ルイズさんが判んなくなっちゃうよ。……戻ってよデルフ、元の錆さびの姿にさあ。ちゃんと僕が磨くから。さあ早く!早くぅぅうぅぅぅ!」
「……」
「わかったよデルフ。すねてるんだね。今後はいつも持ち歩くし、チェロを演奏するときはいっつも一番いい場所で聞かせるよ。……だからぁ!早くぅ!元のぉ姿にぃぃ!!」

奇妙な要求を狂ったように繰り返した。

「ちょ、ちょっとまてや、おい」
「あ、ああ。ゴクウさん。騒いじゃってごめんなさい。それにデルフをありがとう」
「ん~」

その少年は、困ったように頬を掻いた。

「まずは、サイトだ」
「えっ」
「俺の名前だよ、な、ま、え。フルネームは平賀才人。ゴクウってのは俺の国のまん……物語の主人公の名前だ」
「あ、そうだったんですか。すいません。僕はシ……イカリです」
「そっか、よろしくなシイカリ」(変な名前だな)
「……イカリです。僕のほうこそ、よろしくサイトさん」
「そいでなあ、……この剣なんだけど」
「え?ええ」
「今は俺んだ」






その言葉を理解するまで、十秒ほどかかった。そして理解をすると首筋にチリチリとした痛みが走る。手が震え、唇がうまく動かない。

「……違います。デルフは!」

激昂しそうになったシンジの言葉に答えたのは当のデルフだった。

「違わねぇ。俺はこいつのモンだ」
「デルフ!何言って……脅されてるの?それとも何かの対価のために……」
「違う。おりゃあ「ガンダールヴ」の左手だ。それは今も昔も変わることはねえし、交換条件もへったくれもねえ」

シンジは慌てて、自分の左手の甲を見る。有る。まるで木の枝のようなルーン文字がそこに焼き付いている。ついでに右手にも「ヴィンダールヴ」のそれがついている。
左手を上げデルフに示した。

「「ガンダールヴ」は僕だ!ちゃんとついてる」
「……」
「おいこら、ちょっと待て!」

サイトと名乗るその少年は、シンジの左手を見て声を上げた。

「え」
「その火傷跡……」

シンジはきょとんとしてサイトを見た。彼は何か考えに沈んんでいるようだった。
シンジは、思わず左手を隠す。今更ではあるが「ガンダールヴ」は秘密のことだ。

サイトは口をへの字に引き結び、不機嫌そうにしている。

「なーんだかな」
「どうしたい」
「愚痴っただけさ。なんでもねえ。さてっとイカリ、今更隠すなよ。両手と、おまけに額にまでついてるこれは」「ひたい?」

“ちゃき”
サイトは、光度を落としたデルフを横にして、鏡のようにシンジに見せる。そこには新たなるルーン文字が躍っていた。生え際近くのためそう目立たなかったが。

「なんだこれ……?」
「ミョズニトニルン。神の頭脳、知恵のかたまり神の本。あらゆる知識を溜め込みて、導きし我に助言を呈す」
「え?」

デルフが、奇妙な歌を歌った。

「ついでだ、“神の左手ガンダールヴ。勇猛果敢な神の盾。左に握った大剣と、右に掴んだ長槍で、導きし我を守りきる。
神の右手がヴィンダールヴ。心優しき神の笛。あらゆる獣を操りて、導きし我を運ぶは地海空。
……そして最後にもう一人。記すことさえはばかれる……”」
「四人の僕を従えて、我はこの地にやってきた……ってか」

最後を引き取ったのはサイトだった。

「ま、桃太郎さんみたいな歌だろ、童謡だな。その四匹だか四人だかが犬、猿、キジに相当するわけだ。桃太郎さんは始祖ブリミルってやつだな」
「やつって言うな。英雄で、苦労人で??族のために……」
「あーわりぃわりぃ。この世界の神様みたいな人だもんな。気をつけるよ」
「軽いな、でも許す。なんせおめえはおれっちの“相棒”だかんな」

最後のセリフに、シンジが吠えた。

「違うっていってんだろぉぉお!デルフの相棒は僕だ!なんでそんなこと言うんだよ!」
「なあなあ、ちっと説明してくれよ。デルフでもイカリでもいいからよ。二人して何を言い合ってんだよ」

シンジは開いた口を、いったん閉じた。まじまじとサイトを見つめる。考えてみればここがどこなのかあれからどのくらい経っているのかわからない。彼の立場も正体も。

「僕は……」

彼はとつとつと説明を始めた。自分の立場のみをあいまいにして。

「ふーん、アルビオン貴族の下働きね。そいで逃げ遅れて、どうなったかわからんけど目が覚めたらここだったと」
「ちぃっと捕捉させてもらうと、でっけえ塔が立ったろう。あれに巻き込まれて命を落とすところだったんだが、ぎりぎりで「石化」の魔法をかけて難を逃れたんだ」

シンジはその説明に目を丸くしていたが何も言うことはなかった。

「って、ちょっとまて、じゃあ「千年竜の瞳」ってのは……」
「わりい。ま、そういうこった」

「ドチクショー!」





「断っておくけどよ。こいつニセモンらしいぜ」

サイトはデルフを握っていた。

「え」
「考えてみりゃあ、六千年も前の剣なんて存在するわけねえしな。コピーだか何だかなんだろ」
「関係ないです。デルフはデルフで僕の友達なんだ」
「ダチだってんなら、好きにさせてやったらどうだ。こいつは俺のところに来たいっていってるしよ」
「……デルフ。僕じゃなくてサイトさんを選んだのは、……僕が弱いから?」
「……俺は剣、こいつは使い手。俺は魚、こいつは水。俺は鳥、こいつは大空。強い弱いの問題じゃねえ。……だがよ、確かにそれもあるのさ」

シンジは伏せていた目を顔を持ち上げた。

「サイトさん、僕と……勝負してください」





[10793] 第三十四話 純正 その2 竜と鼠のゲーム
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:24fff452
Date: 2013/10/16 23:16
彼、平賀才人のこの世界においての最初の記憶は、鬱蒼とした森の中、とんでもないナイスバディのコスプレ美少女(おまけにガイジン)が、泣きそうな顔で木の棒を自分に突き付けているところからだった。

「え、え?」

辺りには獣臭と、それに入り混じった生臭い鉄のにおい、血の香り。
自分の腰ほどにも深く生い茂った草の中、いくつか不自然に穴がある。おそらくはこの生臭い獣臭と関わりのあるものたちが沈んでいるのだろう。確認する気にはとてもなれなかったが。
でたらめに生えている木々には赤い液体が……。

ふと気が付くと、己の手には、薪割に使えそうな巨大なナイフ(マチェット)が握られている。
そして、これが悪夢であるのなら、そうであるのが当然のように、刃筋にはべっとりと血が付いていた。

「うわわわわ!」

慌ててサイトは手にしていたソレを、足元に投げ出す。

「うっう」

崩れ落ちるコスプレ超絶美少女。サイトは慌てて駆け寄った。

「どうしましたオジョウサン。なにかボクにできることは?」(あ、ヤベッ!思いっきり日本語じゃん)
「だ、大丈夫。ちょっと疲れただけ。肩を貸してくれる“サイト”」
「えっ?」
「えっ?」
「えっ?いや、なんで俺の名前を?それに日本語うまいね」


第三十四話 純正 その2 竜と鼠のゲーム


天幕の外は、まっさらな平原が広がっていた。もっともすぐ真後ろは森だが。
シンジは、夕暮れに近い平原に立ち「ニューカッスル」城を見つめる。今までいた城だが外から眺めるのは始めてである。高く平坦な外壁が見える。あらためて「ぼろぼろだな」と思った。

森の出口付近に、様々な傭兵団のテントが並んでいた。早いものは天幕を解体し馬や馬車にその材料をのせ帰り仕度の真っ最中である。

「おーい、ファイトー!」
「いっぱーつ!ってサイトっすよ。いい加減覚えてくださいよ団長」
「わかりゃいいんだ。わかりゃ。サイトってなあ言いづらいしよ」
「……んで、どうしました?」
「おめえの決めた配分に、文句言うやつがいてよ。まあ、いつものやつを頼むわ」
「いー、また俺っすか。たまには団長お願いしますよ」
「こちとら撤収の準備や何やらで忙しいんだよ。これもまあ会計役の職務ってやつだな」
「ぜってー嘘だ!……まあこっちが終わったら、そっちに行きますよ」
「んん、どうした?」

サイトは親指を立て、ひょいひょいと後ろを指した。傭兵団長はサイトの後ろに立つ小柄な少年を見つける。その恰好は薄汚れた下着姿だ。サイトが天幕を出る際にシンジに投げたものだった。長めの猿股と大きすぎるシャツを腰ひもで止めた簡易なものだ。だがその大きさが幸いしガボガボだがゆったりした部屋着にも見える。いささか汚れているのは仕方がないが。

「ああ、おめえのお稚児さん?」
「ぎゃー!やめてぇ!断っときますが、そっちの趣味は全然ないっすからね!」
「俺もねえから、……あれはお偉いさんに多いらしいぞ。出世したら気をつけな」
「一生出世しません!」
「がっはっはっはっは!……で?」

またサイトは渋い顔をする。

「んー、ちっと。殴りっこ」
「喧嘩か。なんか賭けてんのか?」

サイトは、背中の剣を少し引き出して戻した。
”チッ、チンッ“
鍔が澄んだ音を立てる。

「はーん。ま、あんまし無茶すんなや。相手は?」
「えっ、だからこいつっすよ」

その男は目をむいた。

「おいガキ!こいつは見た目、馬鹿でスケベな野郎に見えるかもしれんがな。……いや、馬鹿でスケベなのは間違いねえが、ただの馬鹿でスケベなわけじゃねえぞ!馬鹿でスケベだがな!」
「だぁんちょぉぉぉ……シドイッすぅぅぅ」

サイトは、情けない目で団長に非難の目を向けた。

「なんだよ。スケベで馬鹿。今コイツにオメエのことを説明してんだよ。わかったか馬鹿のスケベ!」

だが、そんなサイトの情けない声には一顧だにせず、馬鹿でスケベを連呼される。

「……ちゅうわけでな、馬鹿でスケベな割には結構強ええからよ。わりいこたぁ言わねえからやめとけって」
「はあ、はあ、はあ……」
「よし、こいつはあきらめたようだぞ。サイト、オメエも大人の態度でだな……」
「え、いえ、あの……」
「あんだよ、怪我しねえうちにとっとと……」

「……デテクダサイ」

その少年はうつむきかげんに視線を落とし、何かぼそぼそと言っていたが、小さな声で聞こえず、男は聞き返した。

「ん、んん?」

耳に手を当て、腰を落とす。

「関係ない人は、すっこんでてください!って言ったんです!」
「ぬわぁー!」

いきなり大声を出されのけぞった。

「んだぁ、このガキャ!!」

生意気なガキにはお仕置きだ!
武骨で巨大な拳骨を振り上げる。

「ごめんなさい。ナイフを一本だけお借りします」

するりと、振り下ろされた拳骨をよけ、胸元に吊り下げた二十サントほどのナイフを掏り取る。

「うお!」(なんだこの野郎。まるでサイトみてえじゃねえか)

シンジはすでに背中を向け、サイトの待つ平原に向かう。だが、そんなシンジを団長と呼ばれる男が呼び止めた。

「コラ!ちょっと待てコラ!」
「ごめんなさい。すぐ返しますから」
「ちげーよ!馬鹿!おい、みんな集まれ!」

(しまった。やりすぎたか?あんまりゴタゴタしたくないのに)

シンジは青ざめる。彼と、その部下全員に袋叩きにされるのではないかと思ったのだ。

「だんちょ~、なんすか?俺の相手っすよ!」
「うっせえ馬鹿!黙って待ってろスケベ」


☆☆☆


「おめ、ブレイカー持ってたよな?ちっと貸せ」

呼ばれた男たちの内、比較的背の小さいものが腰の剣を差し出す。刃先が五十サントほどの剣だが両刃ではなく、刃の裏はギザギザした棘のようになっている剣を出す。

「なんすか団長?」
「サイトの野郎に、一発くれてやれそうなやつが現れてよ。ちょうどあいつと喧嘩するってんで道具そろえてやってんだよ」
「「「まじっすか!」」」

何人かの男たちが声をそろえて驚いた。

「おう、マジマジ」

団長がそういえば、男たちに疑う理由なぞない。

「ちょっと待った団長。俺のフォルシオン使ってくださいよ」
「いや、カタールのほうが使いやすい」
「フランベルジュのうねうねが、うねうねがぁ!」
「長くて細いエスタック」
「シャムシールの、この曲がってるとこがスキ!」

俺も俺も、と剣がメイスが槍が手斧が集まってくる。シンジはそんな様子をただ茫然と見ていた。
そしてもう一人、その様子を横で見ていた赤毛の男がいた。筋骨隆々、簡易な鎧をつけ、まるで物語の中の戦士そのものだ。そして団長に引けを取らぬ大男だった。

「そんなものは必要ねえ。俺にゃーこれ一本で十分にすぎる」

その男は、背中に下げた長大な杖剣を親指でクイクイと示し、もう用はないとばかりにサイトの待つ平原に向かった。

「なんだアイツ?」 「新人君だな」 「団長、勝てそうなやつってあいつのことか?」
「うんにゃ。そこのガキだ!」
「ど、どうも」

そこ居たのは、ここの連中なら誰でも片手で持ち上げられそうなやせっぽちの少年だった。
さすがに皆、いぶかしい顔を団長に向けた。

「んじゃあいつは?」
「分け前にケチつけやがって、いつも通り“文句は勘定係に言え”って言ってやっただけだ」


☆☆☆


「おい!」
「どうも」

サイトは男に頭を下げる。

「団長から、取り分を増やしたかったら、オメエとナシつけろって言われてよ」
「げー、いつの間にそういうことになってんすか?俺はただ金勘定の神さま“カシオミニ”の御神託に従ってるだけっすよ」

そう言ってポケットから小さな四角い奇妙なものを取りだした。

「そーらーでんちの優れもの、“エーネガイマシテハ”と唱えて打てば、この世はスルリとかたずきもうす」
「よくわかんねえ。そいつをちっと貸してみな」
「パターンに従えば、ぶっ壊されて終わりなんでやめときますよ」
「じゃ、しゃあねえな。……ぶっ壊されんのはオメエの方でいいか」

その赤毛の男は、背中の長く大きな軍用杖剣を抜きだした。柄は五十サント、鍔から先端までは百二十サントほどで、縦にすればシンジの身長を超える。
杖は長ければ、精神力の焦点を自分より遠ざけることで威力ある魔法を紡ぐことが出来る。その為、力のあるメイジなどは好んで長物(スタッフ)を使いたがる。
(その代り、焦点が遠ざかると集中させるのが難しくなり、取り回し(魔法操作)も大雑把になる)
男は呪文を唱え、そのまま恐ろしいほどのスピードで剣を振り回し始める。杖剣の周りが赤く染まり、帯状の軌跡が使い手の体を隠すように広がっていく。そのわずかな時間に新たな呪文を詠唱。男のそばに人型の炎が三体立ち上がる。火メイジの遍在、イフリート(人型の炎獣)だった。
空中を浮遊するように移動するイフリート。サイトを逃がさぬよう布陣する。
イフリートは、それ自体が炎の塊。またそれぞれがファイヤーボールを何発も空中に浮かべていた。

「早めにまいったしとけ、怪我しねえですむからよ」


☆☆☆」


「だーんちょう。まだっすか?」
「ありっ、サイト。さっきの野郎はどうした?」
「へいへい、ちゃーんとお話ししましたよ。傭兵式に」

シンジは、がちゃがちゃと音を立て振り返ってみれば、先ほどの赤毛の男が倒れ伏しているのが見える。

(あれ?よく見てなかった。)

「はえーよ、馬鹿野郎!」「どうだ、使い物になりそうか?」「ちー、少し期待したんだがな」
「ガワだけか」「まーギリトラ(ぎりぎりトライアングルメイジの意味)ってとこか」
「おめぇよか強えぇじゃん」「うっせ。勝負したろか?」

荒くれの男どもが、サイトに次々と声をかけてくる。どうやら単純に嫌われているというわけでもなさそうだった。

「え、えー、いや、強かったっすよ。反応もいいし、魔法も多彩だし。ちぃっと色付けて上げてもいいんじゃないっすか?」
「サイトさん……?」
「おっ……ぶっはっはっはっはっは!なんだそれ―!」

声をかけられ、振り返ったサイトはシンジを見て噴き出した。
がぶがぶの兜、ぶかぶかの鎧、どう見ても手にあっていない小手。そして体中に付けられた剣、ナイフ、手斧、その他、武器武器武器武器……。傭兵たちが面白がって、シンジが拒否する間もなく、次々と勝手に身にまとわせたものだった。
笑われて、シンジは赤くなる。

「もう!!」

これほどの重量では、かえって邪魔である。結局シンジは小さな胸当てと、団長の持ち物であるナイフのみを借りることにした。

「おお!そいつはよ。親父の形見で“純鉄製”なんだ。なるだけ無事に返してくれや」

彼の言う純鉄製とは、製造過程に「錬金」が入っていないという意味である。
ちなみに材料からの「総錬金製」の武器は物にもよるが、彼ら傭兵には評判が悪く、投擲用や弓矢などの使いきりの武器、あるいはある程度の魔法を付加された物以外は、忌避の傾向にある。それでも値段の関係上「錬金」された武器、防具は大勢の者に広く使われているが。

「それは……すみません。他のを」

特に銘などは入っていないが、「材質」から「錬金」の入っていない武器となるとちょっとした値打ちものだろう。シンジは慌てて返そうとした。

「まあ、いいって事よ。……ぜってぇ勝てよ」

だがその男は変に機嫌がよく、押し付けるように掌をシンジに向けた。
シンジはもう一度ペコリと頭を下げると、サイトと共に平原に向かう。

☆☆☆

先ほどの男は、ほかの傭兵たちが二人がかりで担いで退場させた。
みんなで、そいつの顔を覗く。

「あー、またやりやがった」 「まあ、こいつもこれでうちの一員だな」 「これ、洗ってもなかなか落ちねえんだよ」 「あいつの国のルーンだそうだが?」 「サイトに言わせると、友情、努力、勝利のマークだそうだ」 
「それはいいが、みょーにむかつくのはなんでだ?」

☆☆☆

二人は、十メイルほどの距離を取り相対する。
シンジが考えているのは、デルフを奪い、そのまま逃げること。
どうやらよい人らしい傭兵団員達やサイトさんには悪いが、ここにとどまるわけにはいかず。さりとてデルフを置いていくわけにもいかない。おしゃべりのデルフがシンジやルイズたちのことを漏らせば、よく考えずとも国際問題になるだろう。

そして、奇妙な独占欲。

「ガンダールヴ」を発動させ、サイトからデルフを奪い、そのまま高速で逃げ出すのだ。
トリステインには、最悪「歩って」帰れば良い。そんな風に思っていた。

(あっ、海があったのを忘れてた。どうしようかな?)

「おい、初めていいか?!」

サイトが呼びかけてきて、はっと我に返る。シンジにとっては逃げるまでは決定済みの未来。
ナイフをその手に握り、「ガンダールヴ」の発動を感じるまで返事を待った。サイトを見る。いささか待ちくたびれた顔をしている。手の中のナイフをさらに強く握りしめた。
(隙をついて、速攻で……)

「……はい」

目の前に拳(こぶし)。

「ひっ!」

返事をした途端、巨大な拳がシンジの目の前に出現した。反射的に右手を顔の前にだしガード。だが予想した衝撃はこない。
“キュキュキュキュ!”
代わりに撫でられているような、擦られているような感触。慌ててそのままバックする。

「うおっ!」

サイトの驚いた顔。
シンジは何をされたのかと、手の平を見れば奇妙なルーン、シンジには読めないが……「肉」の文字にも見える。
サイトはにやりと笑い言い放つ。

「俺の「筋肉バスター」を防いだのは、お前が初めてだ!」

何を言われているのか、全然わからない。そして、もう一つ不思議なことに彼の声がまともに聞こえる。
「ガンダールヴ」発動中は、周りの時間が遅く感じる為、人の発声もそれに準じる。ひどくゆっくりになり、結果何を言われてもわからなくなってしまうのだ。シンジは慌てて左手のルーンを確認。ある。発光もしている。手を動かせば、ねっとりと絡みつく空気の感触も「ガンダールヴ」の発動を教える。サイトを見れば彼が移動しただろう軌跡にゆっくりと砂塵が巻き上がるのが見える。遠くの砂塵ほど高く高く舞い上がる。
シンジは目を細め、ナイフを握り直した。その手の平に、じんわりと、汗を感じながら。

サイトを見る。まっすぐにこちらに向かってくる。見失うほどではないが、早い。首筋にチリチリとしたいやな感触、寸前で消えるサイト。拒絶。後ろからの衝撃!

“パ―――ン”

「ウグゥッ」

いやな予感と共に、体全体にATフィールドを最大に張る。だが衝撃が完全には殺せない。
おかしい、恐ろしい。ガードしなければ首が落とされていたほどの衝撃だったのだろう。
もう認めよう。彼は……。

「……僕より、早いんだ」

「うわわわわっわっわわぁ!なんだぁ今のはぁ!?」

サイトはサイトで、寸前で威力を落としシンジを気絶させようと思ったのだが、その手前で手刀がはじかれたのを感じた。見れば手の平ほどの八角形の光の波紋。それはやがて消える。前のめりにぶっ倒れようとする寸前シンジは体を丸めゴロゴロと転がった。距離を取りまた立ち上がる。

「恐怖が心を震わせ、その波動を外に発現し空間を歪ませる。言ってみれば恐怖の壁ってとこか」
「バリヤー付きかよ。きったねえなあ。エンガチョ切ぃった!」

指をクロスさせ、顔の前で振りながらそういった。

「なんじゃそりゃ?」
「我が国伝統のバリヤー崩しの呪文である」
「効き目のほどは?」
「神のみぞ知るってとこだな。……俺の国の神様も遠いからあんまり効き目ねえかもっ、てぇデル公!おまい声が聞こえんのか?」
「そういうこと、伊達に“伝説”じゃねえのさ」
「おっしゃ!信じるぜ!」
「頼みがあるんだが」
「なんだよ」
「あいつを殺すな」
「たりめーだ!……やっと出会えた仲間かもしれんやつを殺すかよ!」


☆☆☆


速さで負けるなら、技と経験とATフィールドで対抗する。
シンジは、ATフィールドをランダムに張り巡らせサイトの周りを飛び回り始める。三次元の起動と予測不可能な三角とび、四角とびで彼の死角に入りデルフに手を伸ばす。避けられる。
カウンターでサイトの手刀が沈み込んだシンジの頭上を通り過ぎる。すぐに離れる方向に飛びずさる。ヒット アンド アウエィで隙を探る。

やり辛い、探らなくとも彼はむしろ隙だらけだ。それなのにシンジのほぼ全方向からの攻撃を、よける、避ける、かわす。それも素人目にもひどく無駄な動きで。
ある意味ワルドとは対極の位置にある人だった。彼は洗練された動きと、経験による未来予測でシンジに対抗したが、彼は、ほぼ野生の勘とこちらの動きを見てからの反射速度のみで対応している。しかし、それで十分なほど、早い。
上下左右の動きで攪乱し、目くらましを交え飛び回るが、通用したと思えるのは最初の数回だけ。どれほど動いても彼の視線が自分に追いついてくる。
サイトは今、ほとんど動いていないのだ。


☆☆☆


“キューン!キーン!ギーン!バシバシ!ドカ!バギ!ドカン、ドカン!”

人が戦ってるとは思えない音が響く。それをなしているのが見た目痩せっぽちの少年二人とは思えない。自然と周りの傭兵たちの耳目が集まることになる。

「なんなんなんだアイツら!」 「なんでも東方の技術で、“念”というそうだ」 「心で“小宇宙“(コスモ)を燃やすんだよな」 「俺、”忍法“って聞いたぞ」 
「あいつたまに”神様、“幽波紋“(スタンド)が欲しかったっす。”とか言ってるよな」 「オイ、“一子相伝の暗殺拳の使い手”じゃねえのかよ」 「白昼堂々の正面突破が大好きなんで、伝承者になれなかったんだってよ」 「そりゃもっともだ」 
「えっ!“悪魔の実”を食ったってのは?」 「おお、新ネタだな」 「いや古いから」 
「んん?昔悪い奴らに肉体改造を受けたって聞いてるが」 「そのネタは封印したらしい」 「ドラゴンライダーだっているのにな」 

「あの新人君どうした?」 「まーだ寝てる」 


☆☆☆


速さは向こうが上、力も多分向こうが上だろう。シンジにはサイトの運動能力が信じられない。正直自分には「ガンダールヴ」のルーンの効能を十全に使いこなしているとは思えなかったが、それでも彼の強さ速さは異常だった。
ルーンの効能、仮にプログラムと呼ぼうか、それに対して自分の肉体が反応も対応もしきれていないのだ。
ライオンの脳、タカの目、虫の反射神経。ただし身体はあくまで人のそれ。
対してサイトは、運動能力をそのままに人間大にした猫のようだ。本来であれば一歩走るごとに、足など粉砕してもおかしくないスピードで走り回り。振り回す腕はその先端がもうシンジの目にも止まらないほどだ。こちらも一振りで手が腕がちぎれ飛んでも不思議ではない。彼の肉体の限界点がシンジにはまるで分らなかった。
怖い、恐ろしい。しかしだからと言って……・。

「負けられない、負けるわけにはいかないよデルフ」

シンジは一旦距離を取り、地面に四つん這いになる。サイトはそれを見て立ち止まり、ナイフを腰のホルダーにしまった。

「お、降参か?土下座まですんなよ。そこまで要求しねえよ」
「ちがーう。セカンド・フェイズ(第二段階)移行。へへ、才能あると思ってたけど、やっぱすげえわ」
「あん?」

サイトの目の前で、シンジはふわりと自分の身長の倍ほども浮かび上がる。四つん這いの姿勢はそのままに。いや、もう四つん這いというよりは、乗馬でいうところのギャロップ姿勢だった。
あっけにとられ、思わずサイトは団長に叫ぶ。

「こ、これ。なんて魔法っすか!?」
「バーカ!そりゃレビテーションだっての。高さもハンパで意味がねえ」
(これがレビテーション?うっそでぇー)

彼の目に映るのは、シンジを包み膨れ上がる半透明のオレンジ色の巨人。だが、ほかの者たちには見えないらしい。

「えーと?」

シンジを内包する半透明の巨人は立ち上がった。でかい。先ほど追い掛け回された竜のガーゴイルよりも頭二つ三つほど。サイトはナイフを握り直した。


☆☆☆


動いた。と思った時には、目の前。地面に小さく丸い穴が次々とあく。吹き上がる土砂。それでもサイトは反応し対応し、避け続けていた。
攻撃されたのは、自分がいた場所ではない。避けえる予測の方角でもない。どうやらわざと外したようだった。だが無論それで攻撃が終わったわけではなく、避けた場所には別の手。

「ぬぉお!」

必死に避ける、避ける、かわす。捕まればどうなることか、巨人のモグラ叩きは止むことを知らぬようだった。

「ギャハハハハハハ!!いいねえ、楽しいねえ。大ピーンチってとこだ。どうする相棒」
「ばばばば、バァーロー!!楽しかねえ!」
(バリヤー付きで、動けるってなぁ反則だぜ)
「そうかい、じゃどうする?俺を投げ捨てて逃げるか?」
「検討に値する意見をどうもありがとう」
「え、おい。マジか」
「冗談にしとくから、黙ってろ!」

「サイトさん!」

空中からサイトに呼びかける。

「おう!」
「デルフを返してください!」
「まーだ、喧嘩の途中だ!そういうことは勝ってから言いやがれ!」

二人ともに、目を細め、歯を食いしばる。
ノーモーションで繰り出される巨人の腕。サイトはギリギリで避け返す刀でその腕にナイフを突き立てる。
ガラスをひっかいた様な音が響く。突き立てたナイフの刃先が折れる。
残りの部分で、足元を狙う。弾き返される。

サイトはナイフを捨て、マチェットを抜く。彼の心が震え始める。

半透明の巨人の足の太い円柱に火花が散る。起こしているのはサイトのマチェット。大木を切り落とすのこぎりの様に刃を押し当て、そのまま高速で回ったのだ。結果は当てた刃の部分がきれいに削れただけ。すぐに金属がぶち当たった音が巨人の全身から聞こえた。
マチェットの柄でぶん殴っているのだ。巨人の全身に綺麗な八角の波紋がそこかしこから浮かび上がり消えていく。

「堅ぇ!」
「おうよ、世界中から大砲を持ってきても、キズひとつ付きやしねえよ。へへへ、どうするね」
「うっせぇっての!」
「まあ、そういうな相棒。俺を抜きな。固いは脆いってことを教えてやるよ」
「殺すな、はどうした?」
「死にゃあしねえよ」

サイトは数瞬の迷いの後、マチェットをしまい、デルフに手をかける。その一瞬に巨人の平手がサイトを襲う。

「うごぉ!」

姿は巨人だが、動きは元のシンジの動きのまま。等倍に大きくした人のまがい物はしかし人の動きをも等倍のまま再現していた。
人の知性と虫の反射神経をそのままに、攻撃の通じない巨人がサイトを捕まえる。
手加減はできない。する暇がない。する余裕がない。はるか上方からの目線でなおサイトの動きは目で追うのがやっとだ。
今、一瞬だが動きの鈍ったサイトを必死に捕まえる。

「終わりです。サイトさん。さあデルフを」

巨大で透明な手がサイトの胴を掴む。しかし自由な左手がデルフを抜いて……。

襲いかかる激痛。

「うぎゃああああああああああああああ!」

シンジはサイトを持つ手を放し、巨人の姿のまま転げまわる。はた目には空中で体を回転させてるようにしか見えないシュールな光景だった。

「あちちちちち、なんだなんだぁ?」

宙に放り投げられ、そのまま地面に投げ出されたサイトはそんなシンジの苦しむ様子を見ていた。左手にはデルフリンガー。

「わりいなぁシンジ。勘弁しろよ」
「お前か!何したんだ?」
「したのは、おめえさんだろ」
「ちょっと払っただけだ、それもバリヤーだぜ。手足にすら届いてねえ」
「んんー、おめえさんは手が傷つけられたら手が痛え、足が怪我したら足が痛えって思ってるだろうが、違う。痛みってのは神経を通じた脳への刺激だ。そして脳は心の、魂の手段なのさ」
「し、知ってらあ。馬鹿にすんなよ」
「ほう、知ってたか、すげえな。……あれは心の壁なんだ。本来心を守るためにある壁を無理やり外に引っ張り出して障壁にしてるから頑丈で堅い。だがその裏には脆く弱く一番守るべき心を置いてある。だからちょっとの傷でああなる」
「ちっ」

サイトは舌打ちをした。

「どのくらい痛いんだ?」
「そりゃーおめえ……しらねえ」
「おい!」
「いや知らねえよ。骨折程度なのか、全身を火にあぶられたほどなのかは。それが、それだけがあいつのもんだ」


☆☆☆


痛い痛い痛い痛い。どこが?ワカラナイ。ニャニをされ?ワキャララララララ……。
怖い痛い怖い怖い痛い。敵わない。なにをしても敵わない。
僕の願いはいつもいつも叶わない。敵はいつも強い。強い。強い。怖い。悔しい。悲しい。恐ろしい。

ここには、敵の攻撃を受けた時、ハーモニクスを調整し痛みを緩和するスタッフも、シンクロ率を抑え衝撃を逃がすプラグスーツも、何よりも自分を守り手足となる汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオンは存在しない。
彼の身に起こったことは、すべて自分で受け取り、解決するしかないのだ。

もう、デルフなんてどうでもいい。逃げろ逃げろ逃げろ、……。地の果てまで逃げて、そして?
逃げられない。僕よりも早い。恐ろしい。恐ろしい。恐ろしい。恐ろしい。

なにが?
(死ぬのが)
なんで?いつ死んでもいいって思ってたじゃない。
(痛いのが)
それも死ぬまでのこと。
(デルフを置いていけない)
死ねばもう関係ないよ。
(君は誰?)
僕は僕、君は僕、僕は君、君は君。どうでもいいよ。何がしたい?
(逃げ……あの人に勝って、デルフを取り戻したい)
まずは彼に勝とうか。
(勝てない)
……でも努力はしてみようか。
(……)
逃げられないよ。
(逃げられない)
逃げちゃだめだよ。
(……)
逃がしてくれないよ。
「……………………そう、……逃げちゃ……駄目……だ」


☆☆☆


「うはっは、超絶痛そうだ」
「どこが痛いのかすら分かってねえだろうな」
「うっせっての」(立てよ立てよ立てよ立てよ立てよ立てよ)
「立てそうにねえな」
「なんでお前は、そんなに冷てえんだよ。前の相棒だろうが!」
(アイツに恐怖を刻むためさ)
「いやいや、俺は常に今の主人に忠誠を誓うものだ。戦場法に従い俺はお前さんのモノになった。したがってお前さんが勝てるよう力を尽くすのが俺の意義ってものだ。それに楽に勝てたろ?」
「うっせ。バーカバーカバーカ。……おっ!立つじゃん」
「んな?」(すげえなぁシンジ。尊敬するぜ。ホントによ)
「……しゃあねえな、もう2,3回突っついてやりゃアイツもあきらめるだろ」


☆☆☆


それは一瞬だったのかもしれない。目から焼け火箸をねじ込まれたような灼熱の時はすぎ、今はもうどこがどう痛かったのかすら思い出せない。だが恐怖の轍(わだち)は確実にシンジの心に刻まれる。
立ち上がり、サイトを探す。目の前がぼやけよく見えない。それはあまりの痛みに流した涙だと思い知る。腕で顔をグイッと擦る。きょろきょろと辺りを見渡す。
いた!先ほどの原っぱから動いていない。なぜすぐに追い打ちを掛けなかったのか?

「イカリィ!」

大声で呼びかけてくる。その手にはデルフ。フラッシュバックされる痛みの記憶。

(そうだ、あれはデルフが……)

恐ろしさに委縮し、ガチガチと歯の根が打ち鳴らされる。ぎりぎりと顎に力を込めて、それを止める。
サイトが片手で大上段にデルフを振りかぶる。今のシンジにとっては、口を開ければ悲鳴が漏れ出そうな恐怖の光景。だが、それはそのまま背中に背負った鞘に吸い込まれる。

「おいおい、何やってんだよ!」

デルフが抗議の声を上げる。
サイトはデルフを鞘に納め。さらに体に括り付けた紐をほどきデルフを体から離した。
そして、デルフを鞘ごとぶん投げた。自分の雇い主の元へと。

「だんちょぉー!預かっててぇー!」
「うひぃー、馬鹿馬鹿馬鹿。どうするつもりだぁー!ありゃ俺じゃなきゃ破れねえんだよ!」
「馬鹿はてめぇーだぁ!あれじゃおめえの力で勝ったみてぇじゃねーか!すっこんでろ馬鹿剣!!」
(やっべぇー。普通の馬鹿でよかったのに、ありゃ特大の馬鹿だ!)

シンジは唖然としてその光景を見ていた。恐怖に打ち鳴らされた歯は今度は悔しさに噛み締められる。
一瞬、放り投げられたデルフの方に向かおうかと思った心を強引に捻じ曲げ、サイトの方を向く。

「サイトさん」
「おう!」
「遠慮しませんよ」
「したらてめえの負けだ!かかってこい!」

サイトの手には、折れたナイフ。そして……、

高速で襲いかかる透明の巨人。サイトを捕まえ……。
衝撃が、背中に、響いた。

“ずうぅぅぅぅぅぅん!”

「がっはぁあ!」

サイトを捕まえる寸前に、その姿が掻き消えたのだけを覚えている。気が付いたら空が目の前に、そして背中からは衝撃が響く。

数瞬後、投げ飛ばされたことを知る。その一瞬後、首に違和感。サイトが頭を抱え再びシンジを持ち上げたのだ。

「かーるーいーぞー!」

ATフィールドの展開中は、重力その他の影響をカットすることが出来る。いやしてしまうというべきか。そのためこの方法で自分を全身ガードすると、非常に軽くなってしまうのだ。
かといって、足元を踏んばらねば高速の移動も、素早い攻撃もできない。
そのため、足元を非常に細くし地面に突き刺しながら移動している。だが、あまりに深く突き刺しても、これまた移動に支障が出る為、あまり深くは突き刺せない。

「リアル大雪山おろーし!伝説の山嵐!伝統の一本背負い!空中二段投げ!」

もしここに柔道家が居たら、思い切り指導が入ったであろう適当な技名を叫びながら、サイトは半透明の巨人を振りまわし続ける。いくらATフィールドが強固な壁といっても内部で発生する遠心力まで消せるわけではない。ときどき思い出したように地面に叩きつけられる。加速をつけてのそれは強力なG(加重力)となりシンジの全身を襲った。

「デル……」

何度目かの投げ落としの後、シンジは気を失った。







[10793] 第三十五話 許されざる者 その1
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:3ed04592
Date: 2014/01/10 22:30
サイトは、大きく息を吐いた。とっさのアイデアだったがうまくいったようだ。
消えていくバリアーと、それに伴って落下するシンジ。ひょいっと真下に移動し受け止める。

「三か月目でやっと一人目ゲットか。さーてこいつは魔法使いか、はたまた僧侶か」
「おい!」

サイトの雇い主である、傭兵団の団長が声をかけてきた。手には魔剣デルフリンガー。

「あっすんません団長」
「なんだかんだで、まーた勝っちまいやんがんの。可愛くねえ奴」

手にしてたデルフを、サイトに投げつけた。シンジのおかげで両手のふさがっていたサイトは、それを曲芸のように頭で受け止め、数回のヘディングでバランスを取った。

「にっひひひひひひ……」
「しっかしよう、おめえといい、こいつといい、ロバ・アル・カリイエはバケモンの巣か?」
「バケモンって、……こんな美少年を捕まえて、なんちゅうこと言うんですか!?」
「あん?どこに美少年がいるんだよ?」

わざとらしく首を振る。遠まきに見ていた団員達が集まってきた。

「なんか用っすか?」 「いつ俺の過去を?」 「十年ぐらい前なら俺のことなんすけど。今は残念ながら美青年になっちまったす」 
「バカタレ!お前ら、美中年の俺を差し置いて何言ってやがる」

団長がそういうと、周りから男臭い笑いが巻き起こる。

「おい!」
「あん?」

その呼びかけは、サイトの頭の上から聞こえた。彼が頭の上でバランスを取り、乗せているデルフからだった。

「俺抜きで、あっさり勝っちめえやがって。立場ねえぜ」
「へへ……まっ、苦労してっからね」
「だがよ、さすが“純正”だ。改めてよろしくなサイト」
「んん~、なんだその“純正”ってのは?俺の左手に書かれてるこいつのことか?」

彼の左手の甲には、シンジと同じルーン文字が躍っていた。
すなわち「ガンダールヴ」のルーンである。


第三十五話 許されざる者 その1


「飛翔!」

出陣する際にはあえてこの言葉が使われる。
空軍艦をつなぎとめるすべてのもやいが解かれ、「イーグル」号は落下を始める。

ルイズは、その声が聞こえると、船縁の手すりにしがみつく。
空軍艦「イーグル」号は、その風石の少なさを補うため、しばらくの間自由落下を行い、スピードを稼ぐのだ。これは出口での待ち伏せ対策でもある。

ガクンッと足元が消えるような感覚がおそう。巨大な穴ぐらからの落下は、自分が落ちていくというよりは、周りの物すべてが空に向かい飛んでいく感覚だ、自分のみを置き去りにして。
空軍艦「イーグル」号は、その艦首を徐々に下向きに傾いでいく。落下速度も等加速となり穴を抜けたところで風石機関を徐々に働かせていく。自分の体に重量が戻ってくる。
まるで、雪山から滑り落ちるような美しいスロープラインを描きながら、船は徐々に平行になっていく。

海からの標高3千メイルの上空とはいえ、滑空するだけの空船は楽なものだ。下降は上昇に比べればわずかな量の風石ですむ。

「水平航行ヨーソロー!」

現在、船の上に仕付けられているマストの帆布は、すべて畳まれている。
その代りに平帆と呼ばれる、空船独特の船腹にある翼のような帆装が、その角度を絶妙に変え、雲を縦横にジグザグに切り裂いていく。
そして雲の下へ。

ルイズはまるで、手を放すのが惜しいとでもいうような雲の軌跡を振り返る。その先には大きな浅黒い雲の塊。今はもう雲に隠れ見えなくなってしまったアルビオン大陸があるのだ。
疲労は極。だが歯を食いしばりながらその雲の先にあるものを、置いてきた者を幻視する。

しばらくの航行、やがて海の白波が見えるほどに下降をすませ、あとはひたすら陸地を目指す。

「後方より風竜!そしてグリフォン一頭!」

見張り台よりの報告が全乗組員に通達される。船員たちは色めき立ち、戦闘準備に移行する。ルイズはそれを、ぼうっとして見ていた。やがてはっとして声を上げる。

「お待ちください!かの者たちは……」

「ルーイーズー!生きてるかー!」

大声を張り上げ、近づいてきたのは案の定ギーシュ達だった。

かなりの高速航行をしている空軍船「イーグル」号とスピードを合わせ、風竜シルフィードと空軍艦「イーグル」号はきれいに並ぶ。
風竜の羽を伝いギーシュが乗り込んできた。

「まずは、無事で何よりだ!」

ギーシュはルイズを見つけると、すぐに手を取り無事を確かめつつそういった。そうしてすぐに次の言葉を紡いだ。荒々しい口調で。

「そしてー!君の使い魔はどこだ!あの野郎は!」

ルイズは驚き目を見開いてギーシュを見る。その口調からは怒りが感じられる。

「……」
「どうしたルイズ?この船に乗ってるんだろう?」

何も、答えることが出来ない。唇を噛み締め、嗚咽が漏れないようするのが精いっぱいだ。
その様子を見て、ギーシュも悟る。

「……そうか。すまなかった」

続いて、キュルケが乗り込んでくる。彼女もどこか、怒りがほの見える風情でルイズに近づく。
それをギーシュが押しとどめた。

「なによ!」
「この船にシンジはいない。そういうことだ」

キュルケは目を一瞬だけ見開き、唇を引き結ぶ。目元は険しく鼻筋にしわを寄せる。

「あのガキ!逃げやがったわね!このあたしに魔法をかけるなど忌々しいったらありゃしない」
「落ち着け。ありゃケテルとかいう……」

そこでギーシュは、きょとんとして見ているルイズに気付いた。

「あ、あールイズ。君が使い魔に付けたルーンだが……」

彼としては、話題を変えようと気を利かせたつもりだったのだが。ルイズは一瞬目を見開くと、

「“マルバス”よ!」
「はっ?」
「シンジに付いた使い魔のルーンはマルバス!」

どこか必死になって、そう言い募る。
「マルバス」とは、使い魔に付くルーンのひとつだが、「銘」を持つルーンとしては最低レベルのものだ。
細かく言えば、ソロモン系男爵級(バロンス)「狡猾なる獅子」の異名を持つ大悪魔。系統はすべてに対応(やや水に多い)し、象徴とするものは「秘密」、使い魔の特性は「勘力、病気や毒への抵抗力の向上」である。
だが、ギーシュはそれが嘘なのを知っている。わからないのは、なぜルイズがそんな嘘をつくのか?である。

「マルバスはよいルーン。小さなオールマイティ。人によっては子爵級(ヴィスコント)の価値があるとも言われる」

そう、調子を合わせてきたのはタバサだった。ギーシュはこれを奇貨としキュルケに話を振った。

「あーキュルケ。君のフレイムはヤーコブ系かい?ゲルマニアには多いと聞くが?」
「まさか、まさかまさか、あんな格式のみ高いヤーコブ系など。あたしがフレイムに付けたのはもちろんソロモン系“マルコシアス”よ」

ルーンは偶然の産物だが、みずから“付けた”と言い放つキュルケの言葉が、彼女に自分の魔法への自信のほどをうかがわせた。
そして、ギーシュは演技半分、本気半分で驚いた。

「ソロモンの侯爵級(マークイズ)「炎の狼」が付いたのか!君ってやつは芯まで「火メイジ」だな」
「まあね。でもタバサもすごいわよ」

「キュルケ!」

タバサが珍しく、声を上げる。

「なによ、いいじゃない。さすがのあたしも「王侯級」(キングス、クイーンズ)など目にする機会があるとは思わなかったわ」
「へ、王侯……」

タバサは、ため息をひとつ。

「シルフィードに付いたルーンは……“アスモダイ”」

それは、最上級の快楽をもたらす復讐と風の女王。

「うっうう、「風の女王」って、しかも風竜に。ガリアにあるかどうかは知らないが、トリステインなら確実に「トリスタニア・フローレス」の一柱だぜ!?」
「ガリアにも似たような制度はある。そしていずこにおいても、スペックのみ高い使い魔を「国の宝」として遇することはない。私もシルフィードも未だに何もしていない」

(おそらくはガリアにおいても最年少であろうシュバリエ殿が言ってくれるな。)
ギーシュは自らを自嘲気味に振り返り、そう思う。そして、それを聞きルイズが言う。

「すごいわね二人とも、あたしは使い魔もルーンもしょぼくて恥ずかしいわ」
「ハァッ?!何言ってんのよあんたは!」

キュルケがすごい勢いでルイズに迫るが、ギーシュが押しとどめる。

「待て、待てって。……ルイズ、シンジについたルーンはマルバスなんだな?」

ギーシュは、皆にも聞こえるようはっきりとした声で、ルイズに確認する。

「えっ、ええそう。ぎりぎりだけど、一応「銘付」だったわ」
「……ふーん」

強力であり、かつ特殊な能力を付加する「使い魔のルーン」は「銘」を持つ。
有名な物は悪魔あるいは天使、精霊の名をつけられた。
過去、ガリアの高名な「学者王」ソロモンの名付けた「ソロモンの封印悪魔72柱」、それは最高の王侯級から最低の騎士級(ナイト)まで8段階。
また、同じくアルビオンの「放浪王」マーリンの名付けた「ヤーコブの守護天使72柱」、こちらも最高の熾天使(セラフ)から小天使(アンゲロス)まで9段階ある。

ちなみに、始祖の至高の四柱と呼ばれる「ガンダールヴ」「ヴィンダ―ルヴ」「ミョズニトニルン」は正体不明の一柱を除き、古式であるノルン系に分類される。古代の使い魔のルーン、それは古(いにしえ)の神の名をもつ。
ノルン系はもし出たらそれだけで「公爵級」(デューク)あるいは「知天使級」(ケルブ)以上の扱いとなる。
たとえばノルン系、ドヴェルグル族(級ではない)「ガンダールヴ」など。
現在において、確認されたノルン系は百を超えるが、そのほとんどが一回限りの出現である。

「なあにギーシュ。あたしがゼロだから「銘付」なぞ在り得ないって顔ね」
「いや、いやっ、そんなことはない」

そうでは無い、そうでは無いのだ。考えてみればウェールズ皇太子があの決戦前のパーティにおいてシンジのルーンを皆にばらしたことを彼女は知らないのだ。そしてルイズが彼のルーンを知らないことなどありえない。また皇太子殿下とワルドの決闘の際、ワルドがルイズに叫んでいたセリフを誰も聞いていないと思い込んでる。
とするのであれば彼女の嘘の理由はさほど考えずともわかった。少なくともギーシュには。
ちらりと、三人の女性を見る。タバサとモンモランシーはギーシュの視線に気づきアイコンタクトを返してくる。キュルケはいまいち判っていないようだ。仕方なしにもう少し話を続ける。

「あー、話は変わるが、君とシンジは“主従”のままかい?それともやはり“労使”または“師弟”まで進んだのだろうか」

ギーシュが今聞いたのは、使い魔と主人の関係のレベルである。
すなわち、
使い魔をメイジが一方的に支配し、命令を下すだけの存在である「主従」
使い魔に仕事をしてもらう代わりに、メイジも何かを捧げる「労使」(主従より面倒なだけに見えるが、より高レベルでの仕事を継続して行うようになる。また命令に対する理解度も深い)
使い魔が主人たるメイジをを尊敬し、畏敬の念を持って奉仕する「師弟」
基本的にはここまでが、いわゆる「教科書に載る」レベルである。

互いに尊敬しあい、お互いのため無償で奉仕しあう「友愛」となるとかなり希少となり、個人がそこまで達したと言い募るのは自由だが、まず本気にはされないレベルだ。(メイジ側が使い魔を“尊敬”するのが難しいため)
ましてや「合一」なぞ、各国の高名な魔法学者が口をそろえ「理想論」「机上の空論」と切り捨てている。
無論メイジは、使い魔とはすべからく「友愛」を目指す。

「そう、そうね。あまりフェアではないけど、あいつは言葉を持っていたし、もともと従順だったから「労使」と「師弟」の間ぐらいかしら」
「……ケテルを覚えてるか?」
「……」
「あれは、あれを、どう定義したらいい。小説によくある多重人格の片割れか?それともシンジの「合一」したアガシオンか?」

「合一」、それはメイジと使い魔が一体となり自他の壁がなくなること。融合された心を持つ伝説上のあるいは理論上の関係。始祖ブリミルですらここまでは到達していないといわれている。
ルイズは視線をギーシュより離し、海の果て……水平線に移した。

「わからないわ。そしてそれを知る手段は永遠に失われたわ。……あいつは死んだもの」
「……」

ギーシュには、船縁から海を眺めるルイズが、今どんな顔をしているかわからなかった。

空軍艦「イーグル」号は、先行した「マリーガーランド」号に追いつき、海上千メイルほどを陸地に向かい並走し始めた。


☆☆☆


王都トリスタニアは、上空から眺めると扇形をしているのがわかる。そしてその扇のかなめにあるのがトリステイン王宮である。王宮の周りは城下町ブルドンネ。ざっとではあるが王宮に近い側に商店街やホテル、そして各種官邸役所などがあり。その外側に平民や貴族、衛士隊などの住宅街が雑然と存在するのだ。
今、町は城下街と言わず、商店街と言わず、王都全体にピリピリとした空気が漂っている。
それは戦争が近いという噂が、ここ二~三日の間、町のお喋り雀たちの話のタネだったからだ。
そのことは当然、王都王宮を守る衛士達の態度にも表れる。この町の上空には衛士隊の操る幻獣が交代で空と四方を厳重に見張っていた。
そんな時だった。王都に近づく一匹の風竜がよたよたと飛んできたのは。

マンティコア隊の衛士達が、一斉に近づきその風竜を取り囲む。風竜の上には五人の人影。
その内三人は少女、一人は少年、もう一人は怪しい眼帯をした、まるで物語の海賊でございといった風体の男で、ただ一人大人のようだった。
魔法衛士隊の隊員達は、ここが現在飛行禁止であることを大声で告げたが、風竜はまるで落下をするように下降を始める。

「ヒー!」 「頑張れ!頑張れ!頑張れ!やればできる。やればできる」 「ギャー!落ちる―!」 「……」 「もうおなかすいていっぽもとべないのね……」 「誰だ、今の声は!」

どっすん、と落ちた先は偶然にも王宮の中庭。倒れ伏した風竜の背中からよたよたと乗員たちが下りてくる。疲労困憊なのは風竜だけではないようで、五人は一斉に座り込んでしまった。
だが、マンティコア隊の隊員たちは油断せず、着陸した彼らを取り囲み、一斉に腰の軍丈剣を引き抜き彼らに向ける。

「杖を捨てよ!何者か!」

いかめしい顔をした髭面の隊長が、大声で怪しい侵入者たちに命令した。

「お、お待ちを。怪しいものではございません。どうか姫様に、姫殿下にお取次ぎを」

皆がへたっている中、一人立ち上がり。そういったのは桃色ががったブロンドの髪の美少女だった。

「私はラ・ヴァリエール家が三女、ルイズ・フランソワーズでございます」

髭の隊長は、そのセリフに目を見張り、少し近づいて少女を見つめる。ラ・ヴァリエール公爵夫妻なら知っている。その多すぎる逸話と共に。

「フム、その目元。母君に似ておられるな。だがだからと言って無作法に自由に王宮に入ってよいわけではないぞ。そなたの言を信じる、信じないは置いておいて、まずは杖を捨てたまえ。要件はその後に訊こう」

杖を捨てよ、と言われ、わずかに戸惑う。

「さもなくば、これも役目ゆえ。貴公等を捕縛せねばならぬ」

ルイズは、やむをえず杖を地面に捨てた。それを見ていたほかの四人も。
隊員たちはそれを見て、向けていた杖を“構え”の姿勢に直す。

その時、手から放したはずの五本の杖の内、四本がふわりと浮かび上がる。
先端は外側に、すなわち衛士達に向けられていた。

「何の真似か!」

驚いたのは、衛士達ばかりではない。侵入者たち五人もその光景に驚き、目を見張っていた。

「やむをえぬ。捕縛!」

隊長の声に合わせ、衛士達が拘束の呪文を紡ぎ、魔法が飛ぶ。
水が、風が、土が、火が、ルイズたちに殺到する。
そして、そのすべてが寸前ではじかれた。固い壁に阻まれるごとく。

「抵抗するか!」
「お、お待ちを!これは……」

説明できない。なにが起こったのかギーシュにもタバサにもほかの誰にも。
ただ、ルイズがぼうっとしたまま、浮かぶ自分の杖をにぎりしめ、自分の胸元に引き寄せる。

「もういい、もういいのよシンジ……」

そのまま、膝を付き倒れ伏した。それが合図であったかのようにほかの三本の杖も地面に落ちる。
ザッ、と衛士達が歩を進めた。

「アッ!テンション!!!」

大声が中庭に響き渡った。ビリビリと大気が震えあがる。ただ一人、薄汚い恰好をした胡散臭い眼帯をした髭面の男が出した声だった。
ビクリ、とそこにいたすべての人間が止まり、すべての耳目がその男に集まった。

「大声を出してすまない隊長殿、抵抗はしない。どうか彼女を休ませてやってほしい」

そう言って、その男は手を後ろに組み、背中を見せた。続いてギーシュも。

「私は、ギーシュ。グラモン家の三男です。どうぞお調べください」

彼は杖を拾い、先端を自分に向け柄を隊長に差し出している。これは降参を示す軍人の習いだ。

「グラモン家……元帥閣下のご子息ですと?ほかの者たちは?」

女性三人は、膝を付き神妙にしている。

「彼女……たちは、我が友人たち。なにも知らず。僕に協力してくれただけです。僕は……僕の身分を言えばトリステイン魔法学院の学生です。いまだ何者でもありません」
「ふむ、君もお父上によく似ているな」
「父をご存じなので」
「知り合いではないが、知らぬものはいないよ、少なくともトリステイン貴族である限りにおいてはな。さて、ではおとなしくしてくれよ」

そういうと、髭の隊長は拘束の魔法を唱えようとした。そのとき、宮殿の入り口から、鮮やかな紫のマントとローブを羽織った人物がひょっこりと顔を出した。大声で気づき近づいてきたのだ。中庭の真ん中で魔法衛士隊に囲まれたルイズたちの姿を見て、慌てて駆け寄ってくる。

「ルイズ!」

それは、誰あろうトリステイン王国の王女アンリエッタ・ド・トリステインだった。

「ルイズ、ルイズ。ああこのように……」

アンリエッタは、自らの杖を取り出すと、呪文を紡ぐ。魔法の波動が、不可視の精神波がルイズを包み癒していく。その顔に生気が戻り、頬が赤く染まっていく。呼吸は正常なそれに、だがまだ目は覚めていない。そうとうに疲労がたまっているようだった。

「隊長さん。この者たちは皆、我が友人たち。私の命令で使命を果たしてきた者たちです。どうか彼らを解き放ってください」

隊長はそれを聞き、何も言わず目配せで部下たちに合図を送った。


☆☆☆


ルイズは兵士たちに抱えられ、宮殿の奥へと運ばれた。その様子を見てギーシュは、ほっと胸を撫でる。
拘束を解かれ、ギーシュは前に出る。ひざまづき上着のポケットから件の手紙を取り出した。
アンリエッタはそれを見て、わずかに眉を寄せる。大使はルイズのはずで彼はその護衛だ。ならば手紙も彼女が持っているべきである。
ギーシュはそんな姫の様子を見て言葉を探す。

「姫、このことに関しましては、後で説明をさせていただきます。そしてもう一つ……」

ギーシュは、後ろを振り返り、眼帯で髭面の男を見る。その背も、胸板もギーシュとはくらべものにならないほど大きい男だった。手を前に組み見下ろすようにこちらを見ている。
そんな様子を見て、ギーシュは口をへの字に曲げ、ため息をひとつ。

「隊長殿、その者をこちらへ」

五人の侵入者の中では、一番異彩を放つ男が前に出る。杖は預けてあり、無手のままだ。ザッと腰をおろし、手の平をよく見えるように上に向け、危険のないこと敵意のないことを態度で示し、頭を下げる。

「トリステインの姫君におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます」

身分の低い者なのか、ざっぱな口調と態度、しかし堂々としたものだ。

「私は、アルビオン王の使いとして、姫の御前にまかりこしました」

アンリエッタは息をのむ。アルビオン王の使いとはつまり……。

「まずは、風前のともし火であった我がアルビオン王家に手を差し伸べられたこと、まことに感謝に堪えません。我が王になり代わり謝辞を述べさせていただきます」

手を差し伸べた?いいえ。彼女がルイズに依頼したのはあくまで手紙の返還だ。亡命を促す手紙を書いたが、望みはないだろうと思っていた。
アンリエッタはわずかに眉を寄せる。援軍ひとつ出しわけでもないのにと。

「あの……、それはいったい?」

男は、王女の態度に奇妙な差異を感じる。

「その話は、またいずれ。……もう一つ。我が王よりの預かり物があります。此度の救援の返礼として、これをトリステイン王家にと言付かってまいりました」

そう言うと、男は自分のささくれ立った指から、豪奢な指輪を外し、アンリエッタ王女に差し出した。

「まあ、これ……はっ?」
「はっ、アルビオン王家に伝わる、「風のルビー」で……」

バシリッ、と差し出した手をはたかれたような感覚。
男が口上を言い終わる前に、その指輪はアンリエッタによってもぎ取られるように奪われていた。

「えっ?あれ?」

男はきょとんと、自分の手を見る。
アンリエッタは、もうその男には用がないとばかりに背を向けた。そして、

「あ、あの姫?」
「誰が立ち上がって良いと言いました!」

怒声。
たまらず、ギーシュはとりなそうとする。

「姫。その方は……」
「お黙りなさい。さもなくばグラモン様は知っていて、わたくしを騙そうとしたことになりますよ」

ギーシュは慌てて、自分の口を押え、そのまま衛士たちの後ろに隠れた。
(なんか知らんがバレテーラ)

「隊長殿。皆に杖をお返し下さい。そこの者にも!」

衛士たちが拾い集めていた杖をそれぞれに手渡す。今は一人、ひざまずいている眼帯ヒゲ男にも。

「さて、そこのあなた。お名前と、階級身分をお教え頂けるかしら」

うっすらと浮かべた微笑が恐ろしい。目が全然笑っていないからだ。

「は、はっ。わたくしは、……えーとアルビオン王国「イーグル」号船長の、……」
「偽りの身分ぐらい、さっと言えるようにしておきなさい!」

そういって、アンリエッタは自分の王笏(セプター)フランチェスカを取り出した。

「隊長さん。我が友人たちを守りなさい。しずく一滴かかってはなりませんよ」
「はっ、えっ、はっ!総員、各々シールドを張れ!そのまま二十いや三十メイル後退!巻き込まれるぞ!」

髭の魔法衛士隊長は、焦って衛士達に呼びかける。
瞬時の高速詠唱。中庭のあちこちから水柱が吹き上がる。それはやがて術者の横に集まり巨大な、蛟(みずち)の姿を取り始める。これはアンリエッタの魔法だ。
巨大な水の蛇が、うねるように男に襲いかかる。

「うひぃー!ちょ、ちょっと待って!」
「待ちません!」

男はたまらず魔法を唱える。エアシールドを前面に張りガード。バシャリと蛇の頭が砕け散る。だが、はじけ二股に分かれた蛟はそのまま二つ頭の蛇となり、男の背後より襲いかかる。

「アチョー!」(っとまってぇ!)

迎撃の魔法が、再びその頭を砕くが、それはいたずらに蛇の頭を増やすだけだ。たまらず「フライ」の魔法で空に逃げる。

「それは悪手」

いつの間にそこにいたのか?地面より伸びていた、うねる水の手が男の足を捕まえた。そのまま引きずり下ろされ、地面に叩きつけられる。

「いってー!あひぃー!ちょー!やめー!」

優しげな花の意匠を持つ王笏をぎりぎりと握り締めるアンリエッタ。しかしその姿は、彼女の周りを高速回転をする三十二本の「ウォーターウィップ」に隠れはっきりとは見えない。ドレスの広い裾をさらに広げるように展開される、王の魔法「トルネード・ウィップ」
高さは三十メイルほどに及んだろうか。それは怒れる水神のごとく。
その先端はまた蛟の意匠をまねる。そして先端が、地面に落ちた男に向かう。男はそれを全身を囲むように展開する「エアシールド」で防御した。
しかし、それを締め付けるように水の蛇は、その周りを取り囲んだ。逃げ場はない、空にすら。

風メイジがその魔法を、威力を十全に発揮するには条件がある。広い場所であること、障害物が少ないこと、敵との距離がそれなりに開いていること。それはひとえに風魔法には加速のための空間が必要だからである。魔法のレベルが上がるに従い、これらが徐々に狭まることになる。

水は侵入しようとし風はそれを拒む。だが水の質量には勝てず、すぐにエアシールドは崩壊した。
殺到する水の壁が男を包む。たちまちのうちに高さ3メイル直径は2メイルほどの水柱が出来上がった。

「ガボッ……」

アンリエッタはそのまま王笏を両手で握りしめ「操作」を開始した。彼女の両手はまるで雑巾を絞るがごとく王笏を握り締める。

「スクイーズ!」
「ガボガバボゴ……」

その効果は水であるため、そして閉じ込められた男がいたためすぐにわかった。
外側の変化はわずか。だが内部は荒れ狂う水流が男を翻弄していた。

「ひ、姫ぇ!どうかそのあたりで御止め下さい。さすがに死んでしまいます」

アンリエッタは、そう進言してきたギーシュをちらりと見ると、自分の王笏を空気を断ち切るように振り下ろした。
たちまちのうちに、水は重力の使命を思い出し、立ち上がるのをやめ地面に落ちる。
驚くほどの大量の水だったが、まるでゼリーのごとく地面に吸い込まれていく。しぶきはほとんどない。これはアンリエッタの魔法操作力もすごいが、王宮の庭に仕掛けられた無数の穴のためでもある。

「ガハッ!ゲボッ!ブフウ!」

閉じ込められていた男が地面に突っ伏している。口に喉に胃に入り込んだ大量の水を吐き出しているのだ。だがよく見ると先ほどとは様子が違う。黒かった髪の毛は金色に、薄汚れていた頬は白く、もじゃもじゃの髭と眼帯はどこかに消えていた。大量の水と共に。

「あらあら、まあまあ。どこぞの不審者かと思いましたら、ウェールズ様でありませんか」

わざとらしい言い様だった。ウェールズは慌てて自分の顔を触るが、自分の変装用小道具が、すべて洗い流されているのを確認しただけである。

「がっは!……なんでわかった?ディテクトマジックはかけられていないが」

ディテクトマジックは、基本的には魔法による虚偽、偽装、粉飾を見抜くものだ。ウェールズの変装は魔法によるものではなく、髪のそれも水に溶いた特殊な墨を使ったものだ。魔法を用いなければごまかせる。そう思っていた。

「殿方というのは本当に……度し難いですわね。髪を染めれば、髭をつければ、声を変えればそれが変装だと、誰にも自分がわからなくなると本気で思ってらっしゃるの?女としましてはそちらの方が不思議ですわ」

アンリエッタがウェールズの変装を見破ったのは、彼の差し出す手を見たからだ。そこから肉体、姿勢、雰囲気などから瞬時に見抜いた。またこの男に対するギーシュたちの態度もおかしかった。
総合してそれは「女のカン」というやつである。ちなみに今、アンリエッタが使ったのは、その上位存在にあたる「恋する女のカン」である。それは時に、いや、しばしば魔法に勝る。

「ウェールズ様わざわざのお出向き、感激ですわ。いろいろ仰りたいこともございますでしょう。謁見室を用意いたしますので。それまではみなさん旅の垢をお落としになってください」




作者です。
作中に出てきた「マルバス」はガンダムでいうとゲルググ相当になります。





[10793] 幕間話3 されど使い魔は竜と踊る
Name: エンキドゥ◆197de115 ID:3ed04592
Date: 2014/02/01 21:25

その女、シェフィールドが廃墟となったニューカッスル城に入り込んだとき、すでに先客がいた。竜使いのようだった。体の大きな軍人たち傭兵たちを見慣れている彼女には、長身だがいささか華奢に見えた。皮の鎧とマントで身を包み上空には注意を払っていない。
だが、彼が率いているらしい三頭の竜はどれも立派で、特に大きな一頭が上空を舞う十頭のガーゴイル竜とその背に乗る女に気付いたようだった。キューキューと鳴き声を上げる。

「どうしたアズーロ。まだアマリロが戻ってきていない。僕の集中を乱すな」
(主よ、警告はしたぞ。後で文句を言うな)
「わかっているよ。僕の妹が来たんだ。いや姉かな?お前たちで対処できないか」
(難しいな、我で三頭、ロホとカルメシーで二頭ずつ、正直分が悪いな。モグラどもは戦力に出来まい)

やれやれと立ち上がった。はたして空の竜達は、五頭が彼女と共に地面に降り立つ。そして上空の五頭はそのまま上空より、こちらをねめつけている。
近づいてきた、ガシャガシャと金属音をまき散らしながら。

「あなた、どちらの部隊の方、それとも傭兵かしら?ここはしばらく閉鎖します。すぐに竜を連れて出ていきなさい」

振り返り、声の主を見る。シェフィールドもその兵隊を見る。目の色が左右で違う、いわゆる月目というやつだ。顔全体はわからない。兜は深く、口元を面貌で覆っているからだ。かろうじて若いのがわかる程度だ。
この点、シェフィールドとは逆である。彼女も顔を隠しているがフードを目深にかぶり鼻すじから上が見えない。

「……命令を受けております。この城には何かあると」
「それは私がやります。……いいえ、命令を受けたのはいつかしら?そして誰から?」
「そういうあなたは、どちらの部隊の方でしょう。見れば女性のようですが?」
「……クロムウェル総司令官直属のものです。よいから答えなさい」
「そう、言われましても」
(主、モグラどもが戻ってきた。どうやら手ぶらのようだ)

心の中で舌打ちをする。

「……かしこまりました。命令違反の言い訳には、あなた様のお名前を使っても?」
「……まあ、いいでしょう。私はミューズ。咎められたらそう言いなさい」
「第二風竜部隊、三番隊長のジュリアと申します。命令は昨晩ホーキンス様より」
「わかった、覚えておくわ」

彼は、黙って頭を下げる。


幕間話3 されど使い魔は竜と踊る


「ピューーイ!」

竜使いを守るように女をにらみつける三原色の竜達。彼らを指笛で呼ぶ。そのあと少し小声で指示を出す。

「合図をしたら、全力ブレスをあの女に吐け。イチ、ニーの」

“ヴォォォォォォ!”

ニーの半分ほどでアズーロというもっとも大きな竜が火炎弾を吐き出す。
唸りを上げる炎の塊は、しかし件の女性に届く前に向こうの放った火炎とぶつかり相殺される。
巻き上がる粉塵は城壁の上まで到達し、熱風の余波が二人を襲う

(ぼさっとするな!ジュリオ!)
「アマリロもどれ。ロホ、僕を乗せろ。アズーロはそのまま攻撃を、カルメシーは補佐に回れ」

蒼く巨大な竜は、ズーン!と大地を踏みしめ返事の代わりとした。

「芝居は終わりかい。ヴィンダールヴ!」
「劇の最中に礼儀知らずの乱入者がおりましたのでね。お代を頂戴いたしましょうか」
「ほざくな、このダイコンが!」
「聖なる大地、天の下、舞台は一流役者は名優。なれど観客の質が悪い!」
「ならば客の罵声と御ひねりを、その身で受けとりなさい!」

彼女の額のルーンが輝き、上空を舞う竜達が散開、口元にはそれぞれに攻撃魔法が展開される。
ジュリオという青年兵士は赤い竜にまたがる。ほかの二頭の竜を壁として騎乗竜が大地を駆け宙に浮く。

「ロホ、逃げろ。アマリロは後で回収する」
(心得た。アズーロとカルメシーは……)
「すでに、指示は出した。あんなガラクタに負ける二頭ではない」
(我は?)
「めんどくさい奴め、スピードと小回りで引っ掻き回し二頭の飛翔を補佐!」

ロホと呼ばれた竜は、大きく裂けた口元のさらに口端を微妙に持ち上げ、まるで人のような表情で笑いを顔に出した。
散開したガーゴイル竜の中央を突き抜け上方を取る。火炎弾では追いつけない。風を固めたブレスを三頭のガーゴイル竜が吐き出すが、ロホと呼ばれた赤い竜は、それをまるで後ろに目があるかのようにヒラリヒラリとかわしていく。

「はっはっは、お前の翼は魔王の杖とも変えっこなしだ!」
(うむ、ついでにきやつらは少し反応が遅いようだ。だが多勢に無勢長くは持たんぞ)
「なーに、少々観客は少ないがドラゴンダンスを披露してやれ。最強の使い魔ヴィンダールヴとその竜に対抗するには、時期尚早だったと教えてやろう」


「ロマリアの売僧どもが! 
まさかこの時この場所にいたとはぬかったわ。もう少し早く気付いていれば高空からの一斉正射で、かたをつけたものを」

敵二頭の竜の火炎を、二体のガーゴイル・ドラゴンを犠牲とし防ぎつつ、その女シェフィールドも後退し手近の竜に飛び乗る。十分に距離を取り迎撃態勢を取った。

「だけどこちらも最新鋭、最高戦力のガーゴイル・ドラゴン。すべて持ってきたのは正解だったわね。ただの三頭で完璧な統率をした十体に勝てるとは思わないで!」


☆☆☆


「くそ!あの女!あの女め!」
(落ち着け。こちらは目的を果たし、向こうは追いかけられん。向こうのカラクリ竜も半分は落とした。残りも無事にはすまん)
「だが、ロホを、ロマリアの赤い翼を、……君の弟を」
(あまり悲しむな。戦いの中で死んだのだ、やつも本望だったろうよ。ただやつの獰猛さと勇猛さを覚えていてやれ)
「ああ、ああ、そうだな。……そこで止まってくれ。アマリロを回収する」

二頭の竜達は、その巨体の割に器用な翼操作で制動をかけ、空中にとどまる。そのまま壁に張り付いた。
アルビオン大岸壁の一部に穴が開く。そこから大熊ほどの生き物が出てきた。それはジャイアント・モールの成獣だった。

(やあ、ジュリオ。それに竜達。ありゃ赤いのはどうしたね?君らが三匹そろっていると、とてもきれいで好きなんだが)
(ロホは、一足先にミーミルの泉に向かった。ユグドラシルの元ではきやつが先達よ)
(おう、彼の魂に安らぎあれ。……では、彼の命の代わりにはならんだろうが、すごいものを見つけたよ。この真下にでかい穴があるからそこから入ってきてくれ)
(わしの背には乗らんのか?)
(勘弁してくれカルメシー。モグラにとって、空は眺めるもので、自在に飛ぶものじゃないってことを来るときに思い知らされたよ)


☆☆☆


「秘密の地下港か」

特に感慨もなく、そうつぶやいた。
穴を見つけ上昇するときに思ったが、アルビオンの地下抗にしては暗すぎる。青白い発光性のコケや、何よりも屑風石の燐光がほとんどなく、上昇につれ暗くなっていくのだ。
ジュリオは仕方なしに、竜達に火炎のブレスを吐くことを指示した。

「ここを根城にしていた王党派は、よほど腕がよかったらしいな。よくこれでぶつかりもしなかったものだ」

終点に着き、アズーロから降りる。ポケットから、ガラスでできた棒状のものを取り出し、軽く振るとまばゆい光が灯る。「発光」の魔法を封じ込めた魔道具だった。すぐに光は全体にわたり、広く天井の高い地下港を、薄暗く照らし出した。

「アマリロ、凄い物とはなんだ」
(壁側に光を当ててくれ)

ジュリオは言われるがまま、発光する魔道具を適当に壁に向けた。
そこには、天井から伸びて壁という壁すべてに張り巡らされた木の根。それもただの木の根ではない、透明なガラス状の木の根だった。それがびっしりと壁面のすべてに派生していた。

「ふー、確かにすごいな。ブリミル様が「大隆起」に抵抗された跡か。これほど見事に保存されてるのは初めて見たな……、いや待てこれは?」
(匂いは確かに精霊石なんだがね。燐光を発しておらず。何の力も封じ込められてはいない。こう言っちゃなんだが、出来立てほやほやに見える)

精霊石はガラス状の半透明な鉱石で、最大の特徴は色は違えどその内部に燐光を宿していることである。
また、様々な効能があり、最も有名なのは「浮かぶ」ことができる風の精霊石、「風石」である。
通常において、その力を引き出そうとすれば、石は気化現象により摩耗していく。したがってこのような内部に燐光がないものは精霊石ではない、ないはずなのだ。

「アズーロ、戻るぞ。体調は大丈夫か」
(さすがに疲れている。だが緊急なのだろう?)
「そうだ、連続ですまないが「同期」させてもらう。カルメシーはアマリロを乗せて後から来てくれ」


☆☆☆


「わがルーンの主よ、ただいま戻りました」
「どうしたね?アルビオンの担い手を探しにいった筈だが、まさかもう見つけたのかね」
「いいえ、ですが別のものを見つけまして、判断に困りました。……指示を仰ぎたく戻ってまいりました」

そこは、雑然とした執務室。だがむしろ国の図書館の倉庫か、よく言って学院教授の部屋のようである。壁面にはびっしりと本棚が並び、とほうもない数の蔵書が並んでいる。宗教書神学書が中央を占め、残りのほとんどを歴史書が占領していたが、それだけではなく戯曲、小説……滑稽本のたぐいまであった。
部屋の主の大振りな机の上には、最近、ロマリアの宗教出版庁が発行した「真訳・始祖の祈祷書」が乗っている。御始祖ブリミルの偉業が記された聖なる書物だ。その部屋の主は、二十代ほどの髪の長い長身の男性である。

「ほう」

その青年の焦りようを見て、なぜかその男は微笑みを浮かべていた。

「なんですか?」
「いやなに、あなたがそのように慌て、焦るような声を出すのは、私の使い魔になった時以来ですから非常に懐かしくて、……つい、ね」
「あなたが教皇などになった時も、僕は相当焦っていたと思いますが」
「おや、そうだったんですか。当時忙しかったとはいえ、それを見逃したのは、このヴィットーリオ一生の不覚でしたね」

そう言って、またコロコロと笑った。
彼の名は、ヴィットーリオ・セレヴァレ。それはこの世における最高権力者、神の代弁者、ハルケギニアに住むすべての人々の敬意を集めるもの。そして神と人を繋ぐ道具。
すなわち「教皇聖エイジス三十二世」の俗世での名である。

「どうも、あなたと話していると調子が狂う」
「それはいけませんね。使い魔が主人と一緒のときに調子を狂われては、大事を成せないではありませんか」

ジュリオは両手を差し上げ、降参を示した。

「報告は……これが報告と言っていいのかはわかりませんが、あなたのご慧眼通りアルビオンに「ミョズニトニルン」がいました。おかげでロホを失いましたが」

ヴィットーリオは微笑むのをやめ、しばし目線を落とす。

「……彼は、立派な竜でした。美しく力強くあなたをよく補佐してくれた。彼のため、しばし祈りをささげることにしましょう」
「……もう一件は、こちらです」

そう言ってジュリオが取り出したのは一本のガラス製の柱だった。それをうやうやしくヴィットーリオに捧げる。

「……水晶ですか?」
「これは、我が友人「土の賢者」アマリロに言わせると精霊石だそうです」
「ほう彼が……」

教皇聖下は、その精霊石を受け取り、押し黙ってしまう。ジュリオと呼ばれる青年も何も言わない。
しばしの沈思黙考、のち。

「誰かが……、“生命”を使ったようです」

静寂

使い魔が、わずかに
息を飲む音以外は。






[10793] 第三十六話 許されざる者 その2
Name: エンキドゥ◆37e0189d ID:3ed04592
Date: 2014/03/14 23:45

「ミスタ・グラモン。いろいろと驚かされてばかりだな。君らの杖(ワンド)が捨てたあと浮かび上がり君らを守ったのは、始祖のセブン・ワンズの一つ「リビング・ワンズ」だ」
「御始祖の……そうですか」
「驚かんのかね?」
「驚いておりますよ。ですがいろいろありすぎて、どれから驚いていいのやら見当もつきません」


第三十六話 許されざる者 その2


「おはようルイズ。気分はいかがかしら」
「姫……様?」

ルイズが目覚めたのは、豪奢な寝室のこれまた豪奢な天蓋付きベットの上。覗き込むアンリエッタの宝石のような瞳。すぐにルイズはベットから出ようとし、上半身を起こす。
そこにアンリエッタは抱きついてきた。

「御免なさい。ルイズ、話はすべて聞きました。ワルド子爵の裏切りも、あなたの大事な使い魔さんのことも、全部私の責任です」
「いいえ!姫様。いいえ、それは違います。わたくしの出しゃばりが、今回のことをすべて引き起こしました。貴族であること貴族として生きるということは、こういうことです。誰が姫様を非難できるでしょうか?」
「ルイズ。ああ、ルイズ・フランソワーズ。やはり、あなたはわたくしの一番のお友達ですわ」

そう言われ、しばしルイズの呼吸が止まる。そして抱きつかれたアンリエッタの腕をゆっくり外していく。

「ルイズ?」
「いいえ、姫様。わたくしもまた姫様を裏切りました。姫様の一番を頂戴することが叶わなくなりました」
「……」
「ギー……グラモン卿は何処でしょう。彼がすべてを知っています」
「それも……聞きました。……グラモン卿もあなたのことを心配していましたよ。何か思いつめている様子だと」
「では……、私は任務中であったにも関わらず、私事にて大使の身分を放棄しました。どうぞお沙汰をお待ちいたします」
「ミス・ヴァリエール。そのように真っ直ぐなだけでは、誰も救われんよ。もう少し融通を聞かせたまえ」

不意に、横からの声。はっとしてそちらを見れば、素顔を晒し、着飾ったアルビオンの貴公子ウェールズ閣下がそこにいた。

「な……ぜ?」
「ああ、このろくでもない顔をさらしていることか。なぜか一発でばれた。女性のカン侮るべからずだな。勉強になったよ」


☆☆☆


「……さて、わかっているだろうが、彼女の結婚相手は変わらない。僕のろくでもない運命もまた……」

ウェールズは無表情に、そういった。
場所は移され、ここは豪奢な謁見の間。ルイズが目を覚ました時にはすでに一日が過ぎていた。ギーシュたちはすでに魔法学院に戻っている。

「そんな……」
「いいの、ルイズ。わかっていたことなの。あなたが貴族なら、わたくしは王族なのです。これはただのわがまま……、ただ死んでほしくなかっただけ。そしてそれは叶えられました。あなたの手によって」

(来た早々に、殺されかけたけどな……)

「私は、何一つ……」
「いいえ、これはあなたの手柄。おおやけにできなくて申し訳ないのだけれど」

ルイズは唇を噛み締め、俯き目をつむる。その表情を誰にも見せまいとしているようだ。

「そしてね。そして、……ごめんなさいルイズ。私をひどい女だと蔑むでしょうけど、使い魔さんのことはあきらめて欲しいの」

ガンッ、と殴られたような衝撃。誰にも見えないテーブルの下できつく手を握る。
しばしの沈黙。ややあって重い口を開く。

「……かしこまりました。姫様。……平気です。大して気に入っていませんでしたから。手間ばかりかかって役立たずで、私に恥ばかりをかかせた。たかが平民の使い魔。最後に国のため、姫……私のために役に立ててアレも本望でしょう。どうかお気になさらずに姫様。おかげで次の使い魔を呼ぶ条件と権利が出来ましたわ。私本当にアレが気に入っていませんでした。ですから助かりました」

大丈夫だろうか?ちゃんと笑顔になれているだろうか。怪しいそぶりや口調に引っ掛かりはないだろうか。

ウェールズは顔をそらし、アンリエッタは心配そうにルイズを見ている。

「大丈夫です姫様、ですから私はかえって姫様にお礼を言わなくてはなりません。みずから手を汚すことになりませんでしたから。その内“使い魔の着替え”をするつもりでしたから」
「もういい、わかった。もうやめたまえ!」

聞くに堪えぬよう、ウェールズがその言葉をとめる。

「は、はい、……申し訳ありません。ついしゃべりすぎてしまいました。どうぞ私は大丈夫です」

見れば、アンリエッタは下唇を噛み締め目を閉じている。どうしたのだろうか?お加減でも悪いのだろうか。とても、とても心配だ。

「ちょ……っと、ごめんなさいねルイズ」

そういって、アンリエッタは席を外し、人を呼ぶ。豪奢なドアが開き、女官が顔を出した。その女官に何事かを囁きアンリエッタは戻ってくる。

「ルイズ。あなたにお礼がしたいわ」
「恐れ多いことでございます。なにとぞ捨て置きますよう。さもなくば、どうぞそれはグラモン卿に」
「かの者には、別な形で礼をしましょう。もっとも彼もあなたの様に微妙な顔をしていましたけどね」
「でしたら……」
「論功行賞は、国の基です。……どうか受けてルイズ。この程度のことで許されるとは思っていませんが、せめてもの償いをさせてちょうだい」


☆☆☆


場所は移り、ここは王宮の図書室。
ルイズとアンリエッタは、ここでお茶を飲んでいる。
少々ルイズは焦れてきている。こんなことをしている場合ではないのにと。

「あ、あの姫様……」
「まあまあ、落ち着いて。こうしていればすぐに。……ね」

はたして、一人の背の高い老人が近づいてきた。身に着けたローブの色は白く、礼部(神事、祭祀、文教を取りまとめる役職)の役を持っていることを示していた。

「これはこれは、よう参られました。ようやく真面目に講義を聞く気になられたか」
「ベン・ニーア卿。お友達がいるのが見えないのかしら?」
「なに、大した問題ではありませぬ。生徒は多い方がやりがいが出るというもの。さてでは上級の第二項目から」

アンリエッタは、勝手にしゃべりだそうとした老神官、もしくは老学者を手を上げて止めた。

「あなたの神学論は素敵ですが、今回は別の用事があるのです。もう噂はお聞きになりまして?トリステイン魔法学院で不思議な少年が召喚されたこと」
「聞き及んでおります。オスマン老が必死になって、隠そうとしておりますことも含めまして」


☆☆☆


「……なるほど、わたくしが考えますに、それはロン(龍、または東方竜のこと)の幼生ではありますまいか。瞳も髪も黒いとのことですのでヘイ・ロン(黒龍)ということになりますな。竜の変化体はどこかしら元の特徴が残るものですから」

(シンジが東方竜の化身?それは考えなかったわ)

「東方竜ですか?」
「さよう、ハルケギニアの竜は、よく羽の生えたトカゲと言われますが、東方の龍は手足の生えた蛇のごとき形状で、羽もないくせに空を飛びます。まこと非常識な!」

どこか怒りを含んだ声でそういった。

「はあ?」
「確かハルケギニアの竜もその巨体に対して、羽はひどく小さくて、あれで飛ぶのは非常識だと……」
「だが、羽はあります。羽があり空を飛ぶ。なんと自然な美しい生き物であることか」
「手足が4本あるのに、羽まで生えているのは」
「肩甲骨が伸びておるのです。なんという知恵、なんという工夫、なんという究極の生物」
「ナチュラルに火を吐く生き物って」
「“火炎袋”が備わっているのです。素晴らしき「袋内臓」設定。おまけに頭もいい」
「はいストップ。あなたが彼を東方竜というのなら、彼のかわりとしてふさわしいのはやはり……」
「姫様!」

ルイズは勢いよく立ち上がる。かわりなどいない。シンジはシンジしかいない。

「ルイズ、どうか落ち着いて。あなたはいずれ日を選び、新たな使い魔を召喚をしなければなりません。それまで、つなぎとしての仮使い魔が必要になります」

反論できない。ここで騒ぎを起こし姫様の不興を買うのはどうしても損だ。頭を冷やし再び優雅に腰を下ろした。

「……それならば、ユニコーンをお願いいたします。この国の象徴であり、家族や友人たちにも顔が立ちます」

そして、ユニコーンはそれほど珍しい幻獣ではなく、姫様にとっても負担ではないだろう。そう考えた。
また、馬系の幻獣を使い魔に持つことは自分にとっても憧れだったのだ。そのことを姫もよく知っている。昔よく話し合った話題の一つだったから。

「……お聞きになりまして、ベン・ニーア卿」
「……なぜ、ここで私に話をお振りになられるのか?」
「これから厩舎にまいります。彼女の願いはユニコーン。ご理解されました?」

その老貴族は、なぜか口を手で押さえ、額からは油汗が流れ出る。

「ど、どうだろうか?姫のご友人。飛び切り賢い飛竜(火竜、風竜の総称)の成竜がおるのじゃが」
「いいえ、それでは過分に頂戴をすることになってしまいます。あまり過分なそれは王家の公平さを疑われることになり、お国を考えた場合よろしくありません。
……また私は、それほど出来の良いメイジではありませんので、つり合いが取れず。周りよりの失笑を買うことでしょう」
「むう、で、では……」

「ベン・ニーア卿、すでに選択はなされました。では準備の方をお願いしますね」
「……ユニコーンはちょっと、その……」
「お願いしますね」
「いや、あの」

食い下がるベン・ニーア卿に、アンリエッタは冷たい一瞥を投げた。
手を伸ばしかけた彼はその体勢のまま、固まり止まる。
ルイズは、その光景をいささか首をかしげながら見ていた。


☆☆☆


王宮の裏手には、王立の厩舎がある。様々な幻獣がそこにいて主人が死んだ使い魔などを引き取り世話をしている。
もっとも、王宮の王立厩舎に入れるのは、当然ながら一定のレベルを超えたものだけだ。
その中でも有名なものは「トリスタニア・フローレス」と呼ばれ、「音に聞こえた、七王獣、五聖竜、三妖魔」などと歌われている。
もっともこれは語呂がよいため七五三になっているだけであり、実際のところどれほどの数の幻獣が、どのように優遇された環境にいるかは、王家の、また国家の軍事機密の一つである。

さて、ユニコーンは一時期百頭を超える規模で居たのだが、昔反乱を起こした貴族の部隊の騎乗獣だったこともあり、今はさほど人気はなく。おまけに繁殖力の弱い幻獣であるためその数を年々減らしている。それでも現在、王立厩舎においてはもっとも個体数の多い幻獣であろう。

「姫様、先ほどのベン……ニーア卿はどうされました?」
 
ハルケギニア大陸四王国の貴族の有名どころをほぼ頭に入れているルイズだったが、彼の名も顔も見覚えはない。そこで王宮勤めの学者なのだろうとあたりをつけていた。
おまけに、名前からしてトリステイン人ではなさそうなのに姫の教育係も務めているようなら、結構な知識持ちであろう。それならばルイズにはひとつ聞いてみたいことがあったのだ。

「彼は今、先回りして、あなたのためのユニコーンを選んでいるところでしょう。どうかしまして?」
「い、いえ、何でもありません」

厩舎のある裏庭へと続く扉を開けると、飼育係たちが並んで出迎えていた。


☆☆☆


ユニコーンは非常に気難しい幻獣で、気に入った人間しかそばに寄せることはない。またその優雅で美しい容貌とは裏腹に、恐れ知らずで凶暴である。その額に生えた一本角で自分よりもはるかに巨大な敵にも立ち向かうのだ。……とは町で売っている幻獣辞典の記述である。

さて、飼育係の案内もそこそこに、ルイズとアンリエッタは並んでユニコーンの小屋に入る。二人の姿を見たからなのか、それともルイズが一緒にいるせいか、今日の彼らはどうも落ち着きがなく、苛立たしげに足を踏み鳴らし、鼻息が荒い。
ルイズは実家に自分の馬を持っているがゆえ、彼らの異常な状態がわかる。

「ひ、姫様」
「大丈夫」

アンリエッタはそういうと、自分の王笏杖を取り出し、勢いよくその先端を地面に打ち付けた。
“ぱしゃん”
乾いた地面の上であるにも関わらず、水音が響いた。

「静かになさい!私の顔を見忘れたのですか」

途端に静まり返る馬ならぬユニコーン小屋。騒がしいのは収まったのだが、ふっふっ!と鼻息は荒いままだ。
そしてその小屋のほぼ全ユニコーンが揃って奥を見る。ルイズもアンリエッタもつられて奥を見れば、そこにはやはり一頭のユニコーンがいた。しかし……

二人並んで、眉根を寄せる。

ユニコーンは馬に似ているだけで細かいパーツは違うところも多い。二つに割れたひずめや、名前の由来となる捻りあげられた真っ直ぐな鋭い円錐である額に生えた一角など。なにより体色は白一色がその大きな特徴の一つでもある。
だが、目の前のユニコーンは、その鬣(タテガミ)までが黒一色、真っ直ぐなはずの一角も根元は一本だが、稲妻のごとくにねじ曲がり、いくつもの枝に分かれていた。それもシカの角の様に曲線で構成されてはおらず。まるで定規で引いたかのごとく、突き出た剣のごとくに真っ直ぐに直角に形作られていた。

「黒い……ユニコーン?」
「……名はバンシィ。我がトリステイン王国が誇るトリスタニア・フローレス、七王獣が四位。世界でただ一頭、ブラック・ユニコーン!」

どこか怒りを口に含み、そういった。

「七王獣……、実在したのですか?しかし、バンシィ(泣き女の妖精)とはまた」
「……なぜこのような名をつけたのかは、今は亡き大叔父様に聞かねばわかりませんが。どうでしょうルイズ。気に入ってもらえたかしら?」
「……、このような、これは過分な褒美となってしまいます」
「いいえルイズ。私は気に入ったかどうかだけを聞いています。これはあなたのお眼鏡にはかなわない騎獣かしら?」
「おお、姫様そのようなわけがありましょうか。これはまさしく国の宝ではありませんか」
「つまり、……気に入ってくれたのね」

再度の問いかけに、わずかに戸惑うも「……はい」と答えた。

アンリエッタは、ほっと胸をなでおろす。

「では、これから王家の秘術をもってあなたとの間にリンクを張ります。……申し訳ないのだけれど、しばらく小屋から出ていて貰えるかしら?」

王家の秘術とあって、門外不出の魔法なのだろう。ルイズは王女を一人にすることに難色を示したが、「ここは王家の厩舎、ここで私を襲うのは完全装備の魔法衛士隊数百人に守られた私を襲うことと同義です。ここの幻獣たちはみな私個人の使い魔のようなものですから」
そう言われ、納得して出て行った。これは王家の者がめったに「使い魔召喚の儀」を行わない理由でもある。


☆☆☆


「ベン・ニーア卿!なんですか、その恰好は!ユニコーンと言ったら“輝く銀白”でしょうが!」

ルイズが出て行ったあと、アンリエッタはすぐさま「サイレント」を張り巡らせた。そして、いきなり怒り始めたのだった。だが、叱られるべき先ほどの老人の姿は見えない。

「えー、……まあ、そうなんですが」

うなだれるように、声を出したのは、なんと目の前の黒いユニコーンだった。

「遅れてきた小児病ですか!ルイズへの説明の最中、恥ずかしくて顔から火が出そうでしたわ!」
「あー、ちょっと言い訳させていただくとですね。ユニコーンの銀白は、そう簡単にまねができないんですよ。彼らはこれで偽物を見破り、そもそも擬態しづらいようになっているんです。それでも無理に変化するとくすんだ灰色になってしまいます。そんならいっそのこと真っ黒になった方がいいかなーって」
「じゃあ、その角はなんですか!“僕の考えた、かっこいい角”とかはやめてくださいね!」
「いや、ですから、ユニコーンはニセモノが大っ嫌いなんですよ。へたにそっくりになると、みんな私に角向けて突っ込んできますよ。チョー怖いっすわ。これがギリっす。これでもやたらイラついてるじゃないっすか。勘弁してください」
「情けない。これが我がトリステイン王国が誇る“トリスタニア・フローレス”五聖竜が一位とは。ユニコーンを怖がる“エンシェント・ドラゴン”ってどうなのよ?!」
「“エンシェント・ドラゴン”は称号です、最低千年は生きないと貰えません。僕は親父と違ってせいぜい五百歳っすから」
「お黙んなさい、このニート竜が!毎日毎日何にもしないでごろごろと、ベン・ニーア(死を告げる妖精、トリステイン読みではバンシィとなる)の名が泣きますよ」
「ニート(NEET)っていうのはそもそもアルビオン王国で作られた用語でして、“Not in Education Employment or Training”の頭文字を取ってニート(NEET)と……」


☆☆☆


アンリエッタに言われた通り、ルイズは小屋の外で待つ。
どれほどの時間が過ぎたのであろうか?随分と長い時間の様にも思えた。
ルイズは焦れて、そっと小屋の中を覗こうかと思った時だった。足元から“ずずん”と振動が襲った。
ルイズは慌てて扉を開いた。

「姫様、ご無事ですか?!」

そう声を上げながら、奥を覗く。見えたのは、アンリエッタが真っ黒なユニコーンを引き連れ、こちらに歩いてくるところだった。
ユニコーンは、なぜか全身を濡らしていた。


☆☆☆


「姫様、忘れておりましたが、これ、お返しします」

ルイズはアンリエッタより預かった水のルビーを、自分の指から抜き取ろうと引っ張った。だがまるで指と一体化したごとく抜くことが出来ない。絞まっている感じはしない、抜けないだけだ。ルイズは仕方なく、姫に「軟化」(錬金の一種)の魔法をお願いした。
しかし、アンリエッタは首を振る。

「それもあなたがお持ちなさい。せめてものお礼です」
「このような高価な、いいえ国の象徴のような品をいただくわけには……」
「功を論じ、賞を行う。忠誠には報いよ。……堅いことは言いっこなしよ。取っておきなさいルイズ。今、王家にはこちらがあります」

そう言って左手中指にはまる「風のルビー」を見せてきた。ルイズにも見覚えのあるそれはウェールズがはめていたものだった。



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