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[34778] 【習作・チラ裏から】とある未元の神の左手【ゼロ魔×禁書】
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2013/12/17 00:13
はじめましての方もお久しぶりの方もどうぞよろしくお願いします。

チラシの裏から引っ越してきました「とある未元の神の左手」です。
まんま過ぎるタイトル通り、学園都市第二位のイケメルヘンをハルケギニアに引っ張り込んだSSとなっております。
概ね、原作と言うプランに沿っていますが今後どんなイレギュラーがあるものか筆者もまだまだ把握し切れていません。
温かく見守っていただければ幸いです。

誤字、脱字、ルビ、描写あれこれおかしなところがあればどんどん教えてください。
感想もちろんとってもお待ちしています。

・多分な独自解釈、設定でこのSSは出来ています。原作と乖離、矛盾するかもしれません。
・どちらも主に原作小説を参考に書いています。ゼロ魔アニメは未見な上、二期以降が近所でレンタルしてないので悔しい気持ちでいっぱいです。
・垣根帝督、及び『未元物質』の設定は原作十五巻の描写をベースに、捏造したりこじつけています。
『未元物質』に関しては今後、かなりのオリジナル設定で進めていく予定です。


・キャラの様子がおかしかったりします。一部仕様の人もいますので、御容赦ください。
・誤字脱字を発見したらコメントにて教えていただけると嬉しいです。
・描写、内容についてのご意見もお待ちしています。

どうぞよろしくお願いします。



[34778] 01
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2014/07/05 23:41





「誰だ、お前」
 目の前に立つ男の声に、呆然としていた少女は見開いた目を瞬かせた。
 少女は背中まで伸びるピンクがかったブロンドの髪、白い肌にぱっちりとした鳶色の瞳をしていた。
 幼い造りながらに整った顔立ちはどこか品の漂うものだ。しかし、普段なら気位の高さを滲ませるだろうその表情は、咄嗟の事にそのなりをひそめていた。
 ぽかんとした顔には疑問の色しか乗っていない。
 ちらっと視線を中空に向けた後、少女は確かめるようにぐるりと辺りを見回した。

 遠くに見えるのは石造りの塔、辺り一面風にそよぐ草原。
 雲の流れる青空、良く晴れたいい天気だ。
 周りには囲うように並んだ同年代の級友達。
 そして。

 目の前には見知らぬ男が一人。

 確か、最初見た時は地面に座り込んでいた。
 不思議そうに辺りを見回して、それから億劫そうに立ち上がると上着の端を軽く払った。
 落ち着き払った態度でほとんど乱れなど無い服を整えてから、男はようやく彼女を見据えた。
 短い疑問の言葉には、はっきりとした不満がこもっていた。
 それを隠そうともしない態度に少女の眉が顰められた。

 マントもない、杖もない。
 どこからどう見ても平民がこんな所に居ようもないと少女の頭は判断する。

 そう。今、この場は大事な儀式の最中なのだ、使用人などが居るはずもない。

(なに、これ。わたしはさっきまで呪文を唱えて……やっとゲートが開いたと思ったのよね? それで、わたしの使い魔はどこ? こんなヤツ、知らないし――)
 男は睨むような目を向けたまま、まだ何か話し続けていた。
 少女はそれに取り合う様子もなく、顎に手を添えて難しい表情を浮かべている。
 あまりに薄いその反応に、男は何故か愉快そうに唇の端を吊り上げて見せた。
 まだ若い、少女とそう開きの無いだろう年頃の男の浮かべた暴虐的な笑みは、一見整ったその風貌に実によく馴染んでいた。
「おいおい聞いてんのか? 妙な真似しやがって、さっきの光と『空間移動テレポート』はお前の仕業でいいんだよな。何のつもりでこの俺に仕掛けてきてんだ、って聞いてんだろ」
 少女は、今度こそはっきりと耳に入った挑発的な質問には答えなかった。
 黙って自分より優に頭一つ分は高いだろう男の上から下まで、改めて視線を巡らせると大きな溜め息をついた。
 呆れたような細い肩からはすっかり力が抜けてしまっている。
 そんな少女の後方から囃すような声が響いた。
「ルイズ、『サモン・サーヴァント』で平民を呼び出してどうするんだ?」
 彼女の周りを囲むようにぐるりと人垣が出来ている。
 その内一人がそう口にすると、そこに居た少年少女の一群は揃って声を上げて笑った。
 それにつられるようにルイズと呼ばれた少女は振り返った。

「ミスタ・コルベール!」
 白いシャツ、黒いマントを揃って着込んだ少年達の間から、呼びかけに応じて一人の男が歩み出る。
 壮年の、頭頂のやや、、寂しい男は黒いローブを纏っていた。
 手には長い木の杖を持っている。
「やり直させて下さい。もう一度! もう一度だけ召喚させて下さい」
 ローブの男の方に駆け寄ったルイズの目は真剣だった。必死と言っても過言ではない。
 しかし、そんな熱意と悲壮のこもった訴えにもコルベールは首を振った。
「ミス・ヴァリエール、残念だがそれは出来ない」
「どうしてですか」
 何故、と肩を落とすルイズに、コルベールはさも残念だと言いたげに目を向ける。
 しかし続く言葉は有無を言わせぬほどきっぱりしたものだった。
「これは決まりだ。進級に際した召喚の儀式で君達は『使い魔』となるものを召喚する。この神聖な儀式において一度呼び出した『使い魔』は変える事は出来ないのだよ。好むと好まざるとに関わらず、だ」
 ルイズの眉がキッと吊り上った。
「それはわかってます。でも、平民を使い魔にするなんて聞いた事ありません!」
 諦めきれず食い下がるルイズは威嚇する子猫のように唸ると、言い終えた後で悔しげに歯噛みした。
 その口から出た『平民』の発言に呼応するように再び嘲笑が沸く。
 笑い声に彼女は鋭い視線を送ったが、そんな小さな事でさざめくような声の波は止みはしなかった。
「これは伝統なんだミス・ヴァリエール。例外は認められない。例えただの平民であったとしても、君には彼を使い魔にしてもらわなければならない。さあ、早く儀式を続けなさい」
「そんな」
「ミス・ヴァリエール。君は召喚にどれだけ時間を掛けたと思っているんだね? 次の授業も迫っているんだ。早く契約を済ませたまえ」
 急かすようなコルベールの発言に、早くしろと周囲から野次が飛ぶ。
 それにルイズはますます不機嫌そうに表情を曇らせる。

「おい」
 そんなやりとりを断ち切ったのは、それまで傍観していた男だった。
 男は胡散臭そうな視線をルイズとコルベールに向けた後、ルイズの前に寄った。
「俺を無視して勝手に話を進めるなんざ、いい度胸だな。おまけに意味のわからねえ事を並べやがって、お前らふざけてんのかよ」
「なっ、なによ! そっちこそいきなり口を挟むなんて……」
 男は怒りも露に睨みつけてくるが、ルイズも負けじと睨み返した。
 貴族の会話に断りもなく割り込む、しかも今は儀式の最中だ。
 まさか、使い魔が何か言ってくるとは思わなかったルイズは面食らった。
 そもそも、口答えするような。人間のような思考をもった生き物が現れるだなんて考えもしなかったのだ。
 水を差されたルイズだけでなく、コルベールも困惑しているようだった。
 男はルイズの文句にも怯んだ様子はまるで無かった。
 ペースを崩さずに呆れたような、馬鹿にしたような口調で続けた。
「へえ? そっちの都合にイチイチ合わせてやるって本気で思ってんのか? だとしたら、テメェら随分とお人よしだ。揃いも揃って、随分愉快なアタマをしてるらしいな」
 ざっと視線を人垣に向けて見下したように言い放つ。
「おい平民! さっきから貴族に向かって生意気な口を利くとは。命知らずも大概に――」
 それまで愉快そうに見物していたうちの一人が、不意に口を開いた。
 丁度、男の背後にあたる方向に立っていた少年だ。
 ルイズに暴言が向けられているのはいいが、同じ枠に括られて気に食わなかったのか。
 それとも余りに無礼な態度に堪えかねたのか、少年は憤慨した様子で息巻いた。
 しかし、彼の言葉は最後まで続かない。

 ベゴン! と音を立ててその足元近くの地面が突然凹んだ。
 丁度ヒトの頭くらいは収まりそうな半球状の崩壊に、石ころや根ごと捥ぎ取られた草が砂の中に飲み込まれていく。
 それを少年は呆然と目で追っていた。
「今、なんか言ったか?」
「……いや」
 男は振り返りもせずそう口にした。
 目にした意味の解らない現象と、向けられているとはっきり分かる程の敵意に汗を滲ませ、搾り出すような声をなんとか出すと少年は首を振った。
 周りの、恐らく成り行きが見えなかった者達は少年の奇行に何事かと囁き合っていたが、彼も混乱しているのだろう。
 それを気遣う余裕はなさそうだった。
 男の正面に位置するルイズも何が何やら首を傾げている。
「おい、君……今、何を」
 こちらは、立っていた場所からきちんと見えていたのだろう。
 コルベールは目を見張り、杖を掲げていた。
 何やらブツブツと呟き出したのを無視して、男はルイズに向き直った。
「俺も外道のクソ野郎だが、好き好んでギャラリーにまで手は出さねえよ。いいか? お前にもう一度だけ聞いてやる」
 ふう、と仕方なさそうに男は息を吐いた。
「何のつもりでこの俺に仕掛けてきてんだ?」
「わたしは……あんたを召喚したのよ。認めたくないけど。来ちゃったからには、あんたと契約しなきゃいけないの」
「まるで決まりきった事みてえに言うんだな。契約なんてのは、互いに同意して交わすもんだろ。それを一方的に交わして事後承諾でなんとかしようって腹か? 随分な真似するんだな。ま、受ける気なんざねーけど」
 煽るような男の態度と言葉に、ルイズは再び言い返そうとした。
 しかし、その前にコルベールが動いた。
 男とルイズの間に割って入ると、返す言葉を留めるかのようにルイズの前に杖を持った腕を翳した。
「『コントラクト・サーヴァント』はそう言った契約とは異なる。神聖な儀式に則った魔法だ。さてミス・ヴァリエール、もう時間がない。この場は一旦区切るとしよう」
 男に向けて一言口にしてから、コルベールは肩越しにルイズを仰ぎ見る。
 その言葉に、行動に。
 ルイズは戸惑うしかなかった。
 先程まであれ程急かしていた契約を急に中断すると言われては、それまで気が進まなかったとは言え面食らう。
「ですが、先生」
「人間を使い魔とした事も、契約を望まない使い魔との契約執行も前例がない。私は監督者としてこの事を学院長に報告する義務がある」
 授業中の生徒の質問に答える教師。それ以上に整然とした態度で言い切ったコルベールは実に真剣な目をしていた。
 ルイズは、不満そうに眉を顰めたものの教師の言葉に逆らわなかった。
 そうまで言われてこれ以上、わがままを重ねるのが良くない事くらいは弁えている。


「で、ここはトリステイン魔法学院、貴族のガキが通う『魔法使い』の学校。使い魔召喚の儀式でお前が俺を召喚して使い魔って呼び名の下僕にしなきゃいけねえ。でなきゃ留年。今のところそう言う話だって?」
「そうよ! わたしだって、あんたみたいな平民なんかよりドラゴンとかマンティコアとか――」
「貴族だか魔法だか呼び方は何だか知らねえが、要は学園都市外部の能力開発機関なんだろ? この俺を勝手に連れてきておいて、随分無茶言うじゃねえか。死んでも嫌だって言ったらどうする? 不敬罪で斬首もんか?」
「……使い魔候補にいきなりそんな事しないわよ」
「へえ。ここのお貴族サマってのは随分とお優しくていらっしゃるらしいな」

 互いに罵り合うような会話の応酬はどこか子ども染みていた。
 少なくとも男の方にはからかっているような余裕が見える。
 変わらないその態度に、ルイズは頬を膨らませてそよぐ草の海を睨みつけた。
 召喚された男とルイズは草原から学院本塔を目指して歩いていた。
 コルベールは他の生徒に教室に戻るよう言いつけた後、一足先に学院長に知らせてくると言って『フライ』の呪文を唱えて飛んで行ってしまった。
 待つように、と言われていたが二人は既に塔までの道のりを進んでいる。ただその場で待つのは居心地が悪かったからだ。
 長々と無言でいるのも苦しかったので、ルイズはその間に男にこれまでの経緯を話していた。
 使い魔召喚の儀式で事情が通じなかったあたり、この平民はよっぽどの田舎で育ったのだろうとルイズは考えていた。
 仕方なく、馬鹿でもわかるようにお情けで説明してやっている。
 男の方は貴族のルイズに随分な態度を示しながら、何だかよくわからない事をぶつぶつ言っていた。
 ガクエントシとか何とか、ルイズには聞き覚えの無い単語があちこちに混じる。
 自分の少し後ろを大人しく歩いている男を振り返って、ルイズは小さく首を傾げた。
 今までの態度からして、さっさとどこかへ行ってしまうんじゃ、と心配していたが今のところその必要はないらしい。

「契約したくないって言う割にちゃんとついて来るのね」
「幾ら何でも、ここがどの辺だかわからねえ事には帰れねえからな。ついでにお前らのトップに文句の一つも言ってやるよ。ったく、校舎まで結構距離あるんだな。お前は他のヤツみたいに能力使って飛んでいかねえのかよ」
 不本意だ、と言外に洩らす男の言葉に納得しながらも、ルイズは最後の一言に口篭った。
「……いいでしょ。平民のあんたに合わせて歩いてあげるわ」
 仕方なく、こちらも合わせてやっているんだと示した。
 心の広いご主人様アピール、そんな目的も少なからずある。
 だが、ルイズは本当の理由を召喚したての平民相手に口にする気にはならなかった。
「いや、俺もその気になりゃあ……って端から人を利用する気でいる余所の能力者にホイホイ見せんのもマズいか? あー、めんどくせーな」
 勝手にそう口にして、何故か残念そうに息を吐いた男の足音が近付いてくる。
 ポケットに両手を突っ込んだ男の早足はルイズを追い抜いただけでは止まらなかった。
 背だけでなく足の長さも差がある二人の距離がどんどん開いていく。
 それをぽかんと見ていたルイズは慌てて後を追った。
 これではどっちが主人か分かったものではない。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! メイジの前を勝手に歩く使い魔も平民も居ないわよ!!」
「俺にそんな常識は通用しねえ。嫌なら勝手に抜けよ。チビのお前に出来るならな」
「なんですって! わたしよりちょっと背が高い位でバカにしないでよね」
「うるせえチビ。そっちに付き合ってたら日が暮れちまうだろ」
 依然、まるで子どものような罵り合いを続けながら二人は草を踏み荒らすように進んだ。
 ルイズに至っては貴族の子女にあるまじき乱暴な足取りで。
「何よ! わたしには立派な名前があるの! せめて名前で呼びなさい!」
 小走りになって、息すら乱しながらルイズは怒鳴った。
 
 貴族は焦らない。走るなど以ての外。常に堂々と振舞うものだ。
 貴族は声を荒げない。それも淑女が大声を出すなど有り得ぬ行いだ。
 短気な彼女には難しい事だが。
 小さな頃にはよくそう言ったことを家庭教師に釘を刺されたものだった。

 そんな事も忘れてルイズは精一杯主張した。
 しかし、男の反応は彼女とは対照的に冷めたものだった。

「いや、お前の名前とか知らねーし」
 あっさりと流すようにそう言われて、ルイズの高いプライドにますます火が点いた。
 召喚した使い魔が、平民が。主人で貴族たるルイズにまるで興味を示していない事が腹立たしかった。
 それどころかまともに相手にもされていない。
 前を歩く背中に、馬鹿にされているどころか無視されているような気がしていた。
だからこそ、ルイズは歯を食い縛ると大きく息を吸った。
「何なのよあんた! もう、よく聞きなさいよ? わたしはルイズ! ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール! 旧く由緒正しい公爵家の三女よ。本当ならあんたみたいな平民、口も聞けないんだから!」
 うるさいと思われようとそれは耳に、意識に残る。
 ルイズは鼓膜に刻み付けてやるとばかりにしっかりと一言一言名前を叫んだ。
 精一杯の自己主張だ。
「貴族らしく随分めんどくせえ長ったらしいお名前だ。おまけに五爵の第一位か、そりゃまあ御大層だなオイ」
 男は小馬鹿にした口調だが、いかにも感心したかのように頷いた。
 しかし、その程度の反応だった。
 今までの非礼を詫びて平伏するとか、許しを乞い恭しく契約を結ぶとか。
 およそルイズが脳裏に描いた都合のいい想像とは程遠かった。
 平民だろうと貴族だろうと、このトリステインと言う国に公爵家の名が響かない、威光の届かない者はそうはいない。
 ルイズはますます呆れた。
 そして、ふと浮かんだある思いつきに一瞬顔を曇らせる。
(ここまで貴族にふざけた態度でいれるって、こいつよっぽどの馬鹿なのかしら。それとも……まさか、有りえないわね)
 そう、きっとただの馬鹿なのだろう。
 そう思い直してルイズは急いで男の後を追いかける。
「そうだ、あんた、名前は? 一々『使い魔』じゃ呼ぶ時不便だから聞いてあげてもいいわよ」
 あくまでも尊大に。しかし期待を込めてルイズは尋ねた。
 よくわからない、生意気で癪に障る相手だが自分の召喚に一応は応えた使い魔なのだ。
 知りたいことは山ほどあった、その第一歩をルイズは踏み出した。
 ふと、追いかける背中の速度が少し落ちた。
 ルイズは慌てて男の隣まで並んで様子を窺う。
 比べるまでもなく背の低いルイズではやっぱり見上げる形になってしまう。

 改めてみると、背はあるが細い男だった。
 明るい茶色の髪は肩に触れない位置ではねている。
 ワインのような色の上下にだらしなく着崩されたシャツ。
 平民だから仕方ないのかもしれないが、ルイズがほとんど見かけた事のないような地味な服装だった。
 少し緊張しながら見つめていると横顔がルイズの方を向いた。
 ルイズを見るその顔は、なんだか不思議なものを眺めるように眉を寄せている。
 そして。
 目が合って初めて、それまで相手の顔すらきちんと見ていなかった事にルイズは気付いた。

「……こっちも名前で呼んで欲しいもんだな。ああ、帝督・垣根とでも言った方がいいのか? 呼ぶ時は気軽に帝督様でも構わねえよ、ルイズ」
 相変わらず馬鹿にしたように軽口を叩く、その表情は思っていた以上にルイズと同年代の少年のもののように見えた。
「ちょっと、あんたこそ様を付けなさいよ!」
 そんな相手と、ある意味で気兼ねないとも言えそうなやり取りが出来ている実感に少しほっとしながら。
 ルイズは先程と同じように声を上げた。
 しかし、それはルイズの中では少し違うものになっていた。
 言い返しながらも、同じような時の同級生に対する不快感や苛立ちとはちょっと気分が違うような。
 そんな気がしていた。
「うるせー。キンキン怒鳴るなよ」
「なによ。生意気に指図しないでよね!」
 返って来る声は変わらず不機嫌そうだ。
 だけど、多分。
 本気で嫌がっている訳じゃない。
(そうよ。平民だけど、こいつは私の使い魔になるんだから。ちょっとは仲良くしてあげないとね)
 少しズレた前向きさで、ルイズは頷くと地面を蹴って前に進む。

 コルベールが戻ってくるまでの間、二人はそんな『言い合いコミュニケーション』を続けていた。



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[34778] 02
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2013/09/07 00:40




 草原を進む二人の前方に、空から一人の男が降り立った。
 日差しを跳ね返す眩しい頭の下の顔は、この短い時間で随分と疲労の色が増している。
「学院長の許可もいただけました。参りましょう」
 ルイズと垣根を交互に見やり、コルベールは二人を先導して歩き出した。
 垣根達が勝手に進んでいた事もあって、学院とはそこまで離れてはいない距離だったが一応、教師としてきちんと引率をするつもりらしい。
「さて、そちらの……」
「垣根だ」
「ミスタ・カキネ、ここが我がトリステイン魔法学院です」
 高く、堅牢な壁に囲まれた計五つの塔。
 ようやく着いた巨大な石の門の前でコルベールは気遣わしげに振り返っていた。
 そこから学院中央に聳える本塔最上階、学院長室に着くまでの間は草原での騒がしさが嘘のように静かなものだった。
 そんな空気の原因であり押し黙るコルベールに、ルイズは恐る恐ると言った様子で声を掛ける。
「コルベール先生、あの…学院長先生は何か?」
「……いえ、ミス・ヴァリエール。今回のような事態に驚かれてはいましたが、貴方が気に病むような事はありませんよ」
 背後を窺ったコルベールの表情は優しげな言葉とは裏腹に硬く、冷たい視線が走る。
 学院長室の扉の前で重々しく息を吐くと、壮年の教師は緊張した面持ちでゆっくりとノックした。

 長く白い口髭と髪を蓄えた老人は、腕を組んで椅子に掛けていた。
 齢百とも三百とも言われる老爺はそれに相応しい――ほんの少し前まで、退屈と暇を持て余し秘書にセクハラを仕掛けて返り討ちにあっていたのが嘘のような――威厳と風格を携えていた。
当の秘書はそんな上司にもめげずに真面目に業務に励んでいるらしい。
オールド・オスマンに突然の退室を命ぜられても嫌な顔一つ見せなかった。
「うむ」
 コルベール、ルイズ、そして垣根と順に目をやると学院長オールド・オスマンは重々しく頷いた。
「何、そう硬くならずともよろしい」
 ちらりとコルベールに目を向けながらオスマンは一転砕けた調子でそう言った。
 他でもない自身の問題に加えて、滅多に足を踏み入れない学院長室に緊張しているのだろうルイズ。
 先程から何やら身構えているコルベール。
 そんな二人を余所に、部外者然とした垣根帝督には気負った所など欠片もなかったが。
「さて、既に聞いてはいるが。ミス・ヴァリエール、そちらの青年を君が召喚したと。それは確かかね」
「は、はいっ」
「そして、使い魔としての契約に不満があると言うのも間違いはないかな」
「ああ。不満もクソも、大アリだ」
 上擦った声のルイズを無視して、次に答えたのは垣根だった。
「手短にいくぜ? こっちの要求は一つだ。すぐに俺を学園都市に戻せば、多目にみてやるよ。だが、テメェらの勝手な話にいつまでもつき合わせる気だってんなら、覚悟はしとけよ?」
「まあまあ。急くでない。若者にはちと難しいかもしれんが、待つのも時には肝要でな」
 どこか気のない表情はそのままに。
 言葉だけを噛み付くような物に荒げる垣根に、オスマンは呑気な笑い声を上げると髭をゆるりと擦った。
「使い魔だなんだと、そっちの言い分はこのチビから聞かされてる。それじゃあ足りねえって?」
「うーむ。それなら話は早い、と言いたい所じゃが。おぬしの希望を叶えるには幾つか困った事がある。一つにガクエントシ、と言う地名は聞き覚えがない。おぬし、どこから来たんじゃ?」
 オスマンはコルベールに指示しテーブルの上に地図を広げさせると、地名を指しながら読み上げた。
 そのどれもに、垣根は黙って首を振る。
 そして、地図の欄外。
 空いたテーブルの上をぐるりと囲うように指で示すと、オスマンはさも困ったと言いたげな顔で頷いてみせた。
「ここから先、東方となるとちと厄介じゃ。砂漠を越えたあちら側とやりとりするのは非常に困難でな。出来なくもないが、やはり今はただの平民である君の為にしてあげられる事、と言うのは限られてくる。召喚の魔法では使い魔を送り返す、などと言う事も出来んし、そのような別の魔法も知られてはいない。君を元居た所に返してもやりたいがすぐに、と言うのはな」
「四の五の文句言わずにさっさと要求を呑めって事だろ。余計なもんはいらねえ、もっとシンプルに物を言え」
 苛立ちが増し、垣根は首をコキリと鳴らした。
 そんな垣根とは対照的にオスマンは態度を崩さなかった。
 長年の知識と経験。
 老獪さがそうさせるのか、既にボケてきているのかは定かではない。
 まるで食えない様子の老爺は、垣根に申し訳無さそうな目を向けると首を振った。
「そうは言ってもな。私だってただの学院の長に過ぎんのじゃよ。異国とあれこれするのはもーっと偉い人の仕事ときまっとる。話が出来ん訳じゃないが――」
「冗談じゃねえ、ふざけんのも大概にしろよボケ爺が。忠告はもうしてやったよな?」
 堂々巡りのオスマンの話を遮って、垣根は吐き捨てるように口にした。

 使い魔になれ。
 それしか向こうは言ってこない。
 自分の主張を通したい、と言うのは垣根も勿論だが悲しい事にお偉く凝り固まった頭では他の選択肢はそう浮かばないらしい。
 一々一々貴族だなんだと身分をひけらかしてくるのも飽き飽きだった。
 華族制度なんてとっくに廃れた現代日本生まれ、能力至上の学園都市育ちの身にすれば、尊い生まれだか何だかそれがどうした、と鼻で笑うようなものだ。

 いい加減耐えかねた垣根は首を横に振ると悪意に満ちた目でオスマンを睨む。
「どんな手使ってくるかと思ったら、くだらねえ芝居かよ。ムカついた。ナメてやがんじゃねえぞ? 大方、どれでもいいから学園都市製の能力者を手に入れてあれこれ楽しむつもりだったんだろうが、テメエらも運が悪かったな」
 垣根の口にした学園都市の能力者が持つ力はそれぞれに違うものだが、その発現の条件は一様と言っていい。
 開発によって歪めた脳回路。その認識で現実を観測した結果、常人とは異なる法則でミクロの世界を歪めてマクロの現実に引き起こされる事象。
 それが彼らの能力の根幹だ。
 量子論に基づくあくまで科学的なアプローチからなる超常の現象。
 それを最も使いこなす、垣根のような超能力者レベル5の持つ『自分だけの現実パーソナルリアリティ』はそれだけに強固だ。
 ある意味、頑固だと言い換えてもいい。
 そして垣根帝督の『常識』は突然舞い込んだ異常事態をやすやすとは受け入れなかった。

 聞いた事の無い地名が並ぶ地図。
 垣根の知る地球上にはよく似た地形はあってもそんな呼び名は無い。
 今や数多にばら撒かれた宇宙からの目で世界の隅々まで暴かれ、晒される時代だ。
 仮に、『魔法』などと言う呼び名の未知の能力がその存在を巧みに隠していたとしても。
 国や地域を隠匿は出来るはずも無い。
 おまけに出てくる話はどれもこれもが荒唐無稽。
 進みに進んだ技術で世界には信じ難い事もやってのける学園都市であっても、こうも現実離れしたものは出て来ないと言った内容。
 納得出来るような判断材料は無いに等しい。
 そもそも垣根は他人など最初から疑って掛かっていた。
 その事実を除いても、明らかにあちら側にばかり都合のいい話を並べ立てられて、首を縦に振るような善意も愚かさも。
 生憎と垣根は持ち合わせていなかった。
 ならば、今まで聞かされたふざけた話の方こそが作り物フィクション

 その方が余程納得できた。
 あくまで、垣根はそんな自分の認識の上で話を理解し対処する。
 必要なら暴力も辞さない彼が選んだ方法は実にシンプルで原始的だった。
 歯向かうものは、叩いて潰す。
 学園都市においてはその程度の高慢を許される立場が、力が垣根にはあったからだ。
「よりによってこの俺を、『未元物質ダークマター』を選んじまったのが運の尽きだ」
 そう言って、垣根は哀れむような目を一瞬だけオスマンに向けた。
 直後。
 ザ!! と一瞬で垣根帝督の背中に翼が現れた。
 何の言葉も、動作も無しに。
 広げられた、でも伸びた、でもなく。
 それは虚空から突如として現れたように他の三人の目に映っただろう。
 それぞれが驚きに息を呑んだが、声を発する間はなかった。
 その間にも見せ付けるようにギリギリと翼は伸びていく。
 弓の弦のようにしなやかに、引き絞られる先はオスマンをしっかりと捉えていた。
 なぜそれが起きているか、はわからなくとも三人には垣根のしようとしている事がわかった筈だ。
 そこに込められた意思は刃のように鋭くなった羽が表していた。
 それが放たれようとした刹那。

 轟!! と空気が震えた。
 垣根の、翼の動きがぴたりと止まる。
 静かになった部屋の中では、熱された空気がじりじりと音を立てている。
 その原因。 
火の気などない室内にも関わらずコルベールの差し出した杖先からは炎が吐き出されていた。
 おまけに凄まじい熱を纏う炎は寸分違わぬ精度で、殺気を孕んだ白い翼だけを捕らえている。
「ブツブツブツブツ、さっきからうるせーとは思ってたが。何だ、発火能力パイロキネシスか。こっちは教師も開発されてんのか?」
 軽い調子で呟いた垣根の言葉には答えず、コルベールは口を開いた。
「私とて、望んで教え子の使い魔を傷つけるつもりは無いのだ。どうか、大人しくして欲しい」
 それだけ告げるとコルベールは瞬きもせず真っ直ぐに垣根を睨んでいた。
 普段の、温厚な教師としての男が放つ気配は消え失せていた。
 代わりに纏うのは、自ら振るう炎のような凶暴さとあくまで冷徹なもの。
 淡々とした言葉は突然の闘争の空気にも動じていない、どこか場慣れした様子だった。
 武器を喉元に突きつけ降伏を命じる、訓練された人間の所作。
 だが垣根はそんなコルベール本人には視線すら向けなかった。
 目の前にかざした白い翼に、まるで蛇のように絡みつく炎の塊を少しだけ眩しそうに目を細めて見ていた。
 轟々と燃え盛る炎を間近に、その目に恐怖の色はまるで無い。
 煙たげに垣根が息を吐いた次の瞬間、炎の蛇はぐにゃりと揺らぐとその身をみるみる小さくしていった。
「何だと……!!」
 コルベールが目を剥いた。
 驚愕、脅え。
 一転してそんな響きに染まる声は、垣根にとって耳慣れたものだった。
 珍しくもないそんな事よりも、興味は目の前の現象に向いていた。
「しかし、妙だな。不燃、断熱作用を持った『未元物質』でも熱がきっちり遮きれてねえ。周囲からの酸素の供給も断ってやったってのに、何でまだ燃え続けてやがる?」
 勢いは目に見えて失ったがまだ翼に纏わり、くすぶり続ける炎を眺めると垣根は首を傾げた。
 そして広げた翼を軽く振るうと、切れ切れの炎を払う。
 ボギュ、と唸るような奇妙な音を残し、まるで見えない手に握り潰されたような形で今度こそ炎は掻き消えた。
「さーて。そんな事より気ぃ取り直すか。何、ちょっと痛い目みりゃあ、下らねえ与太吐く気もなくなるだろ? 安心しろよ。すぐに殺してなんてやらねえから」
 仕切りなおすよう、薄く笑顔を浮かべて。
 垣根帝督は片側三枚の翼をまとめて放った。

 しかし、それは老人には届かず重厚なテーブルを貫くに留まった。
 綺麗な切断面を残して、振るわれた翼は元のように背に戻る。
「あ?」
 垣根は、彼にとっては極めて珍しく戸惑いの色を浮かべていた。
 それは何も狙いが逸れた事に対してではない。
 背中のすぐ後ろで『何か』が起きた。
 目にした訳ではないが、風と衝撃を感じたのは間違いない。
 そして、ただそれだけの事で攻撃に使った三枚のうち二枚の翼が半ばから捥ぎ取らたかのように無くなっていた。
 その時の衝撃で刃のような翼は老人から逸れてしまったに過ぎない。
「な」
「なにをしてんのよ! このバカ!!」
 未だ杖を構えたままのコルベールの隣でわなわなと震えながら、ルイズはそう言い放った。
 彼女は再度杖を握り締め、短く叫んだ。
 またしても直撃などはせず今度はテーブルの手前、オスマンと垣根の間にある何も無い空間に爆発が起きる。
 先程、吹き飛ばされた二枚の翼の名残。
 それにしてはやけに少ない、二掴み程の羽根が煽られて部屋の中をひらひらと舞った。
 幻想的にも思える光景の中、至近距離での爆風の煽りを受けて、垣根は小さくよろめいた、、、、、
 そして、驚愕に見開いた目をルイズに向けるとあっさりと標的から背を向けた。

「よお、お嬢サマ。何のつもりだ? やっぱ喧嘩売ってんのか?」
「そんな事する気はないわ」
 振り向いた垣根を前に、ルイズは真っ直ぐその目を見つめていた。
「あんたが何者でもどっから来たのかも何だって構わない。でも、怒った火竜じゃないんだから話くらいちゃんと聞いてもいいんじゃない?」
「なんだ、お説教かよ」
 真剣なルイズの様子に垣根は苦笑いを浮かべた。

 そんなものをされた記憶はほとんどなかった。
 誰かに説いて教えられる、なんて経験は垣根にはない。
 似たようなものを掛けられるとしてもそのほとんどが警告だった。
 それも、垣根の為にではない。
 危険もある能力によって周囲のものに、人に、被害が出ないように。
 垣根以外が迷惑を被らない為にされたものだ。
 垣根はその下らない内容は忘れ去ったが、幼い時、そんな風に感じた事はよく覚えていた。

 目の前の少女は小さな背を伸ばして胸を張っている。
「そうよ。わたしはあんたのご主人様になるんだから。あんたバクベアや風竜とは違って、ちゃんと話は出来るでしょ? よっぽどわかりあえるはずじゃない」
 垣根が少し捻れば肩を外すどころか手足を簡単にへし折る事も出来そうなちっぽけな少女は、出会ったときから一貫して高飛車な強い口調でそう口にすると、溜め息でも吐くように息を吐いた。
 虚勢だ。
 恐らくはただの少女が突然、わけのわからない暴力を目の当たりにしたのだ。
 震える足を見なくとも、ルイズ自身を抱きしめるように添えられた腕がなくとも。
 そんなものははっきりとわかった。
 垣根はあまりの滑稽さに口の端を歪める。
 猛獣の前に立ち塞がる小動物など、嘲笑以外の何ものでもない。
 最も、それは見た目だけの状況だ。
 垣根帝督は、『未元物質』に影響を与えた『何か』への警戒を怠るつもりはなかった。
「ヒトをケダモノ扱いとか随分だな。おまけに感情的にブチかましてきた奴本人には言われたくもねえセリフだ」
「それは! だって、なんとかしなきゃあんた学院長先生を……」
 ルイズの語尾が途端に弱弱しくフェードアウトした。それを垣根は軽い調子で繋ぐ。
「言ったろ、殺しはしねえって。俺くらいになるとな、ジジイのトリミングだって軽いもんだぜ」
 別に、垣根はオスマンをわざわざ殺そうとは考えていなかった。
 後始末が面倒だ、今後の交渉へのメリットも無い。
 何より一般人を殺す趣味は無いからだ。
 先程の教師の炎、あの程度は気にもならなかった。
 単なる牽制に本気でやり返すつもりもない。
 それよりは、圧倒し抵抗の意思を限りなく削ぐ方が有効だろうと思っていた。
 言葉で、態度で、能力で示すのは垣根にとってほんの脅し程度だが、力を向ける以上容赦はしない。
「でも傷つける気だったでしょ! そんな事したらただじゃすまないんだから!」
 そんな垣根の行動をこの少女はどう受け取ったのか。
 杖を握った手を、肩を震わせながらルイズは一度唇を引き結んだ。
 感情の高まりと昇った血で頬が紅潮している。
 一瞬、躊躇うような目をしたあと、ルイズは深く息を吸った。
「あんたはまだ使い魔じゃないけど、失敗して、失敗して。失敗してやっと呼び出せたのよ? そんなあんたがどうにかなったら嫌じゃないの! わたし、まだあんたの名前しか知らないのよ? そんなのってないじゃない」
 思いのたけを爆発させるようにルイズは叫んだ。
 それを聞いた垣根の表情が変わる。
 言葉だけなら、自分勝手なルイズ本位のものにしか聞こえない。
 だが、今にも泣きそうな目をしている少女は目の前のおもちゃを取られまいと駄々をこねているだけ。
 そんな風には思えなかった。
 垣根は嘲るようなものから一変、信じられないものを前にしたような目つきでルイズを見ると、肩の力をふっと抜いた。
「ったくこんなチビに説教喰らうとかとんだ興ざめだ。で、お前さっき、俺に何した?」
「だから、あんたを傷つけるつもりは――」
「そうじゃねえ。何をしたか、、、、、って聞いてんだよ。どんな魔法、、を使ったんだ?」
 垣根は挑むようにそう尋ねた。
 口元は笑っているが、その目には愉快さは欠片もない。
 よく研いだ刃物のような鋭さを帯びている。
 しかしルイズは、垣根の予想を裏切ってばつが悪そうに目を背けた。
「なにって……そんなの魔法でも何でもないわよ」
「はぁ?」
 気を削がれ、呆れたような声を洩らす垣根にルイズは再び感情的に叫んだ。
「わたしには、魔法が使えないのよ! あんたも聞いてたでしょ? みんなに『ゼロ』って呼ばれるくらい、まともに成功した事ないんだから!」
「待て。成功してねえ、、、、、、って事は狙ってやった訳じゃないって事か? それで失敗、、だって?」
「そうよ! ちゃんとした結果が出なきゃ『失敗』に決まってるじゃない。何よ、あんたまで馬鹿にするの?」
 垣根は傷付いた翼を体の前に向けて曲げるとそれをじっと見つめ、少しの間真剣な面持ちで何事か考え込んでいた。
 答えが出たのか、再びルイズに目を向ける。
 垣根も、正面から真っ直ぐに小柄な少女を視界に収めた。
「いや、そうじゃねえ。それと気が変わった」
 不思議そうに、不安そうに見つめてくるその目を見返して。
 実に愉快なオモチャを見つけた、そんな笑みを浮かべて。
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。お前と契約してやるよ。もう少し、ここに居る用が出来たからな」
 垣根はいたって傲慢に、そう宣言した。


「いやー無事話がまとまってよかったわい」
 成り行きを見守っていたオスマンが軽い調子でそう言った。
 さっきまで、死の危険を眼前に晒されていたとは思えない変わり身の早さだった。
「大したタマだなこの狸ジジイ」
 ついさっきまで殺る気まんまんだった垣根も、それが嘘のように呑気な声を上げている。
 室内の雰囲気は、剣呑なものから一変していた。
「そう言えば、あんた羽大丈夫? それに、まさか亜人だとは思わなかったから平民呼ばわりしちゃって」
 まだ脅えの抜けないらしいルイズはおずおずとそう言ったが、垣根はふと目を丸くしてから自分の背中を振り返る。
 何か納得したように頷くと同時に、白い翼は現れた時のように掻き消えた。
「別に、これは俺の体の一部って訳じゃねえからな。それとそいつも勘違いだ。俺はれっきとした人間様だぜ」
「……はぁ」
 緊張の糸が切れてしまったらしく椅子に掛けるルイズは、ほんの少し落胆したようだった。
 惜しむような目で何も無くなった背中を見ている。
「何だよ、平民じゃそんなに不満か? お前の言うドラゴンとかがどの程度やるかは知らねえが、この俺をブチ殺せるモノはそうそうねえよ」
 当然のようにそう口にする垣根にルイズは怪訝そうな目を向けた。

 何も知らない者には冗談としか取られないだろうが、事実、垣根に対して最新鋭の銃器はおろか三位以下の超能力者でさえ正攻法では『未元物質』に阻まれ碌に歯も立たないだろう。
 物理法則すら捻じ曲げる『未元物質』に真っ向から挑んで敵うのはそれこそ、『第一位』位のものだ。
 後は、垣根自身もやりあった事がないからわからないが『最高の原石』と呼ばれる第七位辺りも既存の法則の通じない能力らしい、と言う性質上、可能性はあるかもしれない。
 そんな数少ない『例外』が、目の前の少女のようにここにはまだ転がっているかもしれない。
 そう考えると、垣根の中の好奇心が強く刺激された。

 誰だって、能力者なら一度は考えるだろう事だ。
 自分の能力で何が出来るのか。
 持つ力を全力で振るうとどうなるのか。
 その限界は。
 『魔法』なんて言う未知相手にそれが試せると思えば、ここに留まる価値は充分にあるような気がしていた。
 その条件が、使い魔だと言うのは今一つだが。
 暗部に堕ちた事を思えば安いものかもしれない。
 
 そんな風に何故かひどく楽観的に考え、垣根は契約を了承した。


 ルイズは少し緊張した様子で杖を垣根に向けると呪文を唱えた。
 膝を付いてそれを受ける垣根の姿と合わせれば、確かに神聖な儀式めいて見えなくも無いのだろう。
 その後に続いた口づけは、ほんの少し垣根を驚かせたが。
「……っは、何だこれ」
「契約のルーンが刻まれてるのよ。大丈夫、すぐ終わるわ」
 ルイズは事も無げに返した。
 注射を嫌がる子どもに向けられたような気安さだった。

 だが、垣根は眉根を寄せて俯いた。
 最初に感じたのは熱だ。
 痛みを伴う熱と言えば熱湯や熱せられた金属に触れたような火傷が思い浮かぶが、そんな生易しいものではない。
 まるで血管に煮えた鉄を流しこまれているような熱が襲う。 全身に巡る神経が焼き切れるような痛みは凄まじかった。
 プライドの高い垣根が苦痛に堪えかねて思わず歯を食い縛り、顔を歪める程度には。
 そしてそれは、左手の甲に集まるようにじわじわと体から引いていく。
 そこに、うっすらと光る奇妙な模様を刻み終えた頃には嘘のように収まっていた。
「なんか変わった気はしねーけどな。テメェらこんなもんで首輪を着けた気になるのか?」
 ふうん、と物珍しそうな目を手の甲に向けると、垣根は怖々と寄ってくるコルベールに目をやった。
 紙とペンを示すコルベールの態度をにやにやと眺めながら、黙ってルーンを写し取らせてやる。
 それが終わると来た時のようにあっさりとした態度で垣根は出て行った。
 ルイズは慌てて一礼すると何やら怒鳴りながら後を追った。



*  *  *






 扉が閉まると、残された教師二人は揃って息を吐き出した。
「いやー本当に無事に済んでよかったのう、コルベール君や」
 ほっとした様子でオスマンは言ったが、コルベールの様子は余り変わらなかった。
 杖を握った腕を見つめると、ゆっくりと首を振る。
「ミス・ヴァリエールには『サモン・サーヴァント』の効果があったから手出しせんじゃろうと思ったが。いや、我々には予想以上に容赦がなかった」
 オスマンは髭を撫で撫でそう洩らした。

 長いトリステイン学院の歴史上、生徒の使い魔には多くの生き物が召喚されてきた。
 しかし獰猛極まりない猛獣や幻獣が召喚されても、生徒が傷付いたと言う話はなかった。
 そう言ったものの多くはゲートを通る際に、眠らされたり意識のない、無害化した状態で召喚される。
 また、そう言った措置がなくとも何故か召喚したメイジ本人を襲う事はなかった。
 『コントラクト・サーヴァント』が済むまでの間は、例えマンティコアであっても小さな子猫のように大人しくしているものだった。
 主人への忠誠や親愛を与える効果もある契約が済むまでは、『サモン・サーヴァント』が使い魔たる生き物を安全に、無害たらしめているのだろう、と言うのが教師達の見解だった。
 結局は、「偉大な始祖が我々に遺してくれた素晴らしい、そう言う魔法だから大丈夫」なんて言う身も蓋もないものが根拠だったりするのだが。

 だから、オスマンは学院長室に現れたコルベールが伝えた『使い魔の青年の危険性』についても重要視していなかった。
 一度は身を危険に晒したものの、彼自ら契約を受け入れてくれると言う円満な解決に済んで心底ほっとした様子だった。
 オスマンは杖を振ると棚から愛用の水ギセルを取り出し、いそいそと吹かし始める。
 一服するとようやく一心地付いたのか目を細めた。
「いや、流石の私も腕の一本はもう駄目かと思ったが。生徒が無事でよかったよかった」
 どこまでが本気か、飄々とした老人の態度から読みとる事は難しそうだった。

「召喚の際に君が見たと言っておった通り、『系統魔法』は使っとらんかったな。あれは先住魔法か、それとも別の我々も知らん魔法なのか……わからんかね」
 さて、とオスマンはコルベールを見たが残念そうに首を振るばかりだった。
 垣根が生徒相手に何らかの攻撃を仕掛けた際、コルベールは『探知魔法』を使っていち早く垣根を調べていた。
 まさかメイジを召喚したのでは、などと言う懸念もなかったわけではないが、事態はより複雑だとその時コルベールは思い知ったのだ。
 『探知魔法』であっても検出できない魔法、と言うものが存在する。
 『先住魔法』と呼ばれるそれは、韻竜や翼人、エルフの様な人語を解する生き物が使う特殊なものであり、時としてメイジの操る系統魔法より優れていると言われる事さえあるものだ。
 そんなものを持つかもしれない者が、契約に応じず、その矛先を他者に向ける素振りさえみせた。
 コルベールにとって黙ってはいられない状況だった。
 次第によっては、魔法を使うことを辞さない程に。

 依然、浮かない表情のコルベールにオスマンは首を傾げた。
「何じゃ、杖を向けた事を後悔しとるのか? それなら――」
「いいえ。オールド・オスマン」
 オスマンの問いかけをコルベールは強く、きっぱりと否定した。
 二、三度首を振ると自らの疑念を振り払うようにもう一度いいえ、と呟いた。
「彼の使った未知の魔法も、私の魔法を容易く消し去った事も理解しがたい。しかし何より、彼の目にはやはり微塵の躊躇いもなかった。その事が何より恐ろしいと、私は思うのです」
 生徒達と同じ歳頃に見えたあの使い魔を思ってか、コルベールは脅えよりも、何処か悲しそうにそう口にした。


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[34778] 03
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2013/09/16 00:43




「それほんと?」
「俺が嘘吐くメリットがどこにあんだよ」
 ルイズは、疑わしげな目を垣根に向けていた。
 それに対するなんとも投げやりな返事は、別に期待もしていない、と言いたげな物だった。
 自室に戻ったルイズはテーブルを挟んで垣根と話をしていた。
 異国どころか、異世界から来たかもしれないなんてふざけた事を口にした使い魔を眺めながらパンを齧る。
 契約までのごたごたと、その後の垣根とのオハナシのお陰で夕食の席にすっかり出そびれてしまったのだ。
 学院長室での一騒動の直後。
 部屋に戻ったものの。この使い魔とどう接したものかとルイズは最初戸惑ったのだが、垣根の方は何事も無かったようにけろりとしていた。
 色々と考えて、気にしていたこっちがなんだか馬鹿みたいで。
 すっかり調子を狂わされたルイズは小さく息を吐いた。
(言う事は相変わらず生意気だし。怖いんだかなんだかもうわかんないわ……)
 よくわからない魔法のようなものを使い、よくわからない事を言う。
 こっちの言う事は聞かないどころか、偉い人にも平気で喧嘩を吹っかける。
 何だかとんでもない相手を召喚してしまった。
(でも、一々気にして、ビクビクしたって疲れるだけよね。怒らせて怖いのは、母さまで間に合ってるし……)
 一瞬、厳しい母親の顔を思い出してルイズはぶんぶんと頭を振った。
 それに比べたら、何だか目の前の使い魔が可愛く見える。
 ルイズが話し掛ければ小馬鹿にした、と言うか見下した態度ではあるけれど返事はしてくれるし。少なくともルイズ自身は命の危険を感じるような目には合わされていない。
 カガクとか言う――魔法でもないのに魔法のような事が出来るらしい――ものの話も聞かせてくれた。
 使い魔との親睦は順調に深まってる、と言えなくもない。
(それに……あいつにだって家族もいたんだろうし、ここではわたしが面倒見てあげなきゃ)
 家族の顔を思い出してふと、最近実家に手紙も書いていないな、なんて思ったルイズはそんな事に気付いた。
 ちょっと変な羽が生えたけど幻獣でも動物でもなくて、垣根はやっぱり人間で。
なら、家族も勿論居ただろうし、何も言えず突然こっちに来てしまったんだから寂しいとか、もっと言えば帰りたいとか思っているのかもしれない。
 そんな風に思ったらルイズは何だか少し、申し訳なくなって溜め息を吐いた。
 誤魔化すように口にしたお茶はすっかり冷めきっていた。

 帰りたい、とも帰せとも言わない垣根は、その代わりにルイズにあれこれと質問をした。
 召喚の事、魔法の事、使い魔の事、この学院の事……帰還の方法についても、もちろん聞かれた。
 そんな魔法は知らない事と、『サモン・サーヴァント』は一回きり、ルーンを刻んだ使い魔が生きている間は唱える事も出来ないらしい、と答えたら一応納得したのか頷いた後で、
『あんなもん潜った俺も俺だし、一度通じてんだ、まるっきり片道なんて事もないだろ。方法はジジイ共にも洗わせるしな。でもまぁ、万一帰れねえ、なんて結果に終わったら……責任は取ってもらうぜ』
 そんな風に。
 何故か最後の一言をにっこり笑って言われた。
 目がちっとも笑っていない笑顔が怖かった。
 それは、その後の垣根の身の振り方とかそんな意味じゃないのかも、と嫌な想像をしたがルイズは深く考えない事にした。

 そして、垣根も元居た世界についてルイズが尋ねれば色々と話してくれた。
 魔法が無い代わりにカガクが進んでいて、垣根の居た街は特にすごい技術があったらしいとか。
 何でもキカイがやってくれて楽だとか。
 垣根のあの羽は魔法じゃなく超能力と言って、それを使えるようになる為の学校があるとか。
 どんな所なの、と聞いたら何でかはぐらかされてしまったけど。
 ルイズの質問に垣根は――嫌な、と言うか面倒臭そうな顔はしていたが――答えてくれた。
 そんな垣根の話は面白かったが。ルイズにはやっぱり不思議な話でしかない。
 今まで見たことも聞いたこともないものを想像するのも一苦労だったから、その先はもっと大変だ。
 信じる信じない、の前によくわからない、が正直なところだった。

 その垣根はと言えば今は本を眺めている。
 魔法の事を聞かれて説明している最中、ルイズが言われるままに本を渡したら垣根は何ともおかしな顔をしていた。
 そこで唐突に。ここの文字を教えろ、と言われて最初はルイズも面食らったが文字の書き方から丁寧に教えてあげる事になった。
 しかし、ものの一時間も経たない内に垣根はすっかり読み書きを習得してしまったらしい。
 座学、魔法の知識なら同年の頭一つ抜けて優秀なルイズの教え方が良かったのか。垣根の頭がそれはズバ抜けて良かったのか。
 多分、と言うか後者だろう。
 使い魔が優秀なのは誇らしい反面、焼いてやる世話がないのも何だかつまらない。
 ルイズとしては少々複雑だった。
 その出来のいい使い魔は今はルーン文字の解説書を片手に系統魔法の基礎について書かれた本を読んでいた。
 当然のように寄越せ、と言うので紙とペンも渡してある。
 それで垣根は何やらしきりに何か書いているようだった。
「それは何の模様なの?」
 立ち上がったルイズは垣根の背後に回ると、手元を覗き込んだ。
 ざっとみると模様は二種類あるように見える。
 複雑な細かいものと線の少ないもののようだ。
 視線はそちらに向けたまま、垣根は億劫そうに返事をした。
「俺の国で使ってる文字だ。そうは言っても、余所の国から入ってきたもんが元だけどな」
「ふーん。でも喋れるあんたが読み書き出来ないとは思わなかったわ。発音はきれいだし、変な訛りもないじゃない」
 そうか、とそれを聞いた垣根は急に本を閉じた。
 ルイズの一言に思うところがあったらしい。
 ペンを滑らせていた手がぴたりと止まる。
「そうだよな……おかしいとは思ってた。明らかに日本人離れした面の連中が揃って日本語を話してるように思える、、、、、、、、、、、、、、なんてな」
 椅子を後ろに押すと垣根はルイズを振り返った。
 呆れたような目をして、しかしどこか納得したような表情で顔を上げる。
「外人がおかしな位日本語がペラペラで、親切にもこっちに合わせて会話出来るレベルだなんて馬鹿げた話がそうそうある訳ねえ。それよりは、何らかの手が加わってるって方が有り得る話だ。それこそ魔法とかな」
 じっとルイズを見つめる、と言うより表情の変化を観察するようにして、垣根は薄く笑うと続けた。
「あー、薄々妙だとは思っちゃいたが、こりゃあマジみたいだな。」
 意味ありげなその様子にまるで心当たりがなくて、ルイズは首を傾げた。
 対する垣根は笑っている。
 楽しそうに、ではなくどこか自嘲気味に口の端が歪んでいた。
「お前には、俺がお前らの言葉を話してるように、、、、、、、、、、、、、、、、聞こえてんだろ?」
「え、違うの?」
「さっきから、俺は日本語で返してすらいねえ。でもお前は何も言わねえ、って事はちゃんと意味は通じてると思っていいらしいな。文字の意味も俺にはこっちのもんが読めて、お前にはこれがわからねえ、とくれば……いじられてんのは俺の頭の方か」
 紙面をペンの尻で叩きながら、垣根はがりがりと頭を掻いた。
「最初から言葉は通じた、って事は召喚のゲートっつったか。あれの効果だろうな。日本語、英語、ドイツ語……そんなのを口にしてるつもりで、無意識にこっちの言葉を喋らされてんのか? 複数の対象に、それぞれ互いの言語が勝手に翻訳される魔法のフィルターなんておかしなもんがあるとも思えねえし」
 ルイズに話している、と言うよりは考えをまとめる為に思い付きを並べているようだった。
 それが自分に向けられていたとして、ルイズには垣根の言う事――と言うより、何を伝えたいのか――がよくわからない。
「意味、言語概念の伝達……いや、言語じゃなくこっちの考えを伝えてるって線もあるな。頭の中を読む読心能力サイコメトリーや思考を伝える念話能力テレパスみてえなもんか。それにしたって『召喚』の段階で、使い魔との翻訳までこなしてくれるんじゃ、魔法ってのは万能すぎるな。有り難くて泣けてくるぜ」
 言葉とは裏腹に。不愉快極まりない、と言った様子で溜め息を吐くと垣根は背もたれに体を預けた。
 そんな様子がやっぱりルイズにはよくわからない。
 一体、何をそんなに不服そうにしているのか。
 文句ばかり聞かされていい気はあんまりしなかった。
「言葉を翻訳するなんて、そんな効果があるなんて聞いた事無いけど、便利でよかったじゃない」
「そりゃ、聞かないだろうな。この辺りの生き物以外が召喚なんてされねーんだろ? おまけにその内どれくらいが人間様の言葉を話すんだよ。ったく、面倒でならねえな」
「なんでよ」
 ルイズがそう聞くと、まるで聞き分けのない子どもに向けるみたいな目をされた。
 垣根もまた、ルイズがどう思っているのかがわからないらしい。
 そんなの、当たり前かもしれないけど。
「多分、俺にはこの内容も正しくは理解しきれねえだろうな。目に入る端から内容が最適化されるんじゃ、ニュアンスなんて無いようなもんだ。仮に中身が精緻なグラデーションでも、俺にはベタ塗り一色の分かりやっすい御本に早変わりか」
 わかったような、わからないような喩えをしてから垣根はまた息を吐いた。
「更に言えば、単語、概念、常識、当たり前だと思って使ってるその中に置き換え出来ねえ、当てはまらねえものがあったらどうなる? 勝手に再翻訳されてる程度で済めば笑い話だが、気付かねえ内にズレまくってるとか、コントでもねえのにシャレにならないっつってんだよ」
「うーん。言いたいことがちゃんと伝わらないと困るって事よね? そんなに変わるものなの?」
 何とか垣根の話を追いかけながら、ルイズはふとある事を思いついた。
 理解出来る出来ないは別として、こうして目の前で喋っている垣根の言葉は、どれくらい正しくルイズの耳に届いているんだろうか。
 もし、何かが違っていてもそれを確認することは出来ない。
 少しだけ、ルイズの胸に不安が過った。
「まあな。具体的には、名ゼリフの痺れる言い回しが、クソつまんねー小学生の作文になるって言えば分かりやすいか?」
「全然」
「だよな。実際は慣用表現がアッサリするとかそんな程度だろうけど。俺には勝手に編集されてる中身しか入って来ねえんだ。お前の話を聞いてもやり方以外は感覚頼みっぽい『魔法』の事が細かく理解なんて出来そうにねえって話だ。今更言ってもどうこう出来るもんじゃなさそうだけどな」
 トントンとそれまで読んでいた本の表紙を指で叩きながら残念そうに垣根は首を振る。
「何よ。そんなに大きく違わないなら、あれこれ考える必要ある?」
「別にねーけど。まあ、余りに差があり過ぎるようじゃ、却って翻訳機能は邪魔だろうからそんな事ねえ、って思いたいけどな。今のところ問題もないようだし、そこまで気にしすぎる程じゃねえかもな」
 眉を寄せ、納得はしきらない様子だったが、垣根の中ではそんな風にまとまったらしい。
 それを聞いてルイズは何となくだが少しほっとした。
 こうやって話をしたりして相手の事を知っていくのに、互いに伝えたい筈のそれが全然違うものになっていたら、と考えるのはちょっと怖い想像だった。
「そもそもあんたが魔法の事なんて知ってどうするのよ。魔法は貴族にしか使えないのよ」
 それはルイズが垣根に魔法の話を始めた時に、とっくに話した事だ。
 メイジの魔法の大元は理論では無い。
 呪文でもない。
 血で使う。
 メイジはその身に流れる始祖の崇高な血でもって奇跡のような業を振るい、空をも飛ぶ。
「まあ、まるで期待しなかった訳じゃねえけど。『魔法』を使うのに必要なのが固有の遺伝情報だろうが、特定の因子だろうが、ファンタジーな理由だろうがそんなのは関係ねえ。俺が欲しいのはそれだけじゃねえんだよ」
 じゃあ何が、とルイズが尋ねようとした瞬間。
 突然、妙な音が室内に響いた。
 それに垣根は服のポケットを漁ると小さな箱のようなものを取り出した。
「アラーム切り忘れてた。あー、やっぱ時間はズレてんな。こっちも今が夕方、って事はねえだろうし」
 箱を覗き込んでそんな事を呟きながら、垣根はちらりと窓の方に目をやった。
 そこに輝く赤白二つの月はもう随分地平から高い所に昇っている。

 垣根の居た国、いや、世界には月が一つしかないらしい。
 日が暮れて、窓の外をみていやに驚いた垣根に、不思議に思って尋ねるとそんな事を言っていた。
 おまけに、
『数だけじゃねえ、デカさと色は反則だろ。否応無しに「常識リアルにさよなら、異世界ファンタジーにいらっしゃい」って具合にキツイ一発食らうようなもんだ』
 なんて、何だか諦めたように口にしていた。

「なにそれ。音を奏でるマジックアイテムなの?」
 ルイズは目を輝かせて垣根の手の中を覗き込んだ。
 見たことも無い、手の平にすっぽり収まるような小さいものだ。
 薄い箱のようだけど、角が滑らかに丸みを帯びている。
「だから魔法じゃねえ。仕組みは電気だ。携帯電話って、現代人の必須アイテム。音出す以外にも動画見たり色々出来るし――」
 垣根の指が小さな箱の表面に浮いた突起を撫でるように動かすと、四角く切り取られたような部分の色が流れる絵のように変わり、今度は長い音楽が流れる。
 ふと、垣根は箱に細い紐で括りつけられた、親指の先程の小さなものを摘み上げた。
 それの表面には光を反射するような黒い膜が貼られているらしい。
「こいつ付けて、光を当てりゃ長い事動いてるぞ。ちょっとはこれで信じる気になったかよ」
「すごーい! それで魔法じゃないなんてカガクって信じらんないわ」
 ルイズとしては褒めたつもりでそう言った。
 しかし、デンキ仕掛けの魔法の箱を眺める垣根は、苦笑いを浮かべていた。
「俺からしてみりゃ、魔法なんて非科学的なものの方が遥かに信じられねえって」
 その表情は、言葉ほど不機嫌そうじゃない。
 ようにルイズには思えた。
(なんだ。意外とわかるじゃない)
 そんな風に思うと、ルイズは先程つまらない事を考えてしまったのがちょっとおかしくなった。

「ルイズ」
「ななななによ」
 突然、目の前の垣根から名前を呼ばれたルイズは盛大にうろたえた。
 垣根は『ケータイデンワー』だかなんだかをポケットに仕舞い込むと、不意に立ち上がる。
「ちょっと俺に魔法使ってみろよ」
「はぁ?! 何言ってんのよ。わたしの魔法は爆発するって言ったでしょ! まさかあんた痛いのが好きとかそう言う趣味じゃ」
「安心しろ。その辺は常識的だ」
 突然変な事を言い出して、何故か得意げに胸を張る垣根に不信感が募る。
「いいから。逆に怪我させられたら褒めてやるよ」
「……やっぱり変な趣味じゃないでしょうね」
 じっとりとした疑わしい目を向けて、ルイズは杖を取り出した。
 だけど、そう言われたからと言って、魔法を人に向けるのに抵抗はある。
 垣根は何か防御するとか、そんな姿勢は見せなかった。
 ただ、黙ってルイズの前に立っているだけだ。
 無防備な垣根に無言で促されて渋々杖先を近くに向ける。
 短くルイズが呪文を呟くと垣根から60サントは離れた所で小さな爆発が起きた。
「遠慮しないでちゃんと狙えよ」
「う、うるさい、これでも狙ってるの!」
「コントロールもダメなのかよ」
 呆れたように返すと、垣根は顎をしゃくってルイズに二発目を促した。
 今度は反対側で爆発が起きる。
 まだ30サントは距離が開いていた。
「……今、どんな魔法使った?」
 軽く腕を組むと垣根は少し思案した後でそんな質問をした。
「どんなって…『ファイアーボール』よ。杖の先から火の球を出す呪文」
「に、しちゃあいきなり空中で爆発か。何か物に直接掛ける魔法とかねえのかよ」
「あ、『レビテーション』ならイメージしやすいかも! 物を浮かせる呪文よ」
「それだ。ちょっとやってみろ」
 お互い、なかなかよさそうな思いつきに顔を見合わせて頷きあう。
 ちょっとだけやる気が出て、ルイズは呪文を唱えた。
 一瞬の間を開けて。
 垣根の上半身が爆煙に包まれた。


(やばっ……)
 その瞬間、ルイズは青ざめた。
 さっきまで精々直径30サント程だった爆発は倍以上の規模で垣根を飲み込んでいた。
 しかも、レビテーションを使ったのが効いたのか、狙いもバッチリだ。
 昼間、学院長に向けられたあの笑顔がルイズの脳裏を過ぎる。
 鋭く伸びた羽が分厚いテーブルをバターよろしく切り分けたのを鮮やかに思い出す。
 そして、この使い魔はきっと気が長い方じゃない、と言う事をこれまた短気な御主人様は早々に理解していた。
(でもでも! こいつがやれって言ったんだから平気よね?)
 ビビりながらも目を離せないルイズの前で、煙が晴れていく。
 そこには何ともひどい格好の垣根がいた。
 髪の毛は爆風に煽られてぐしゃぐしゃだし、上着や顔は煤で汚れていた。
(あ、これダメかも。って言うかわたしもいつもこんなにひどくなってるの?)
 数瞬前のイケメンが嘘のような惨状に、ルイズが身構える。
 因みに、爆発後に鏡を見ないルイズは知らない事だが普段のルイズもいい勝負だったりする。
 髪が長い分ルイズの方がより大変なくらいだ。
 しかしルイズが想像したような『反撃』はいつまで経っても来なかった。
 垣根は黙ったまま。まず両腕、次に上着を改めて、視界に被さる髪を無造作に掻き上げた。
 そして所々黒く汚れた顔のまま、突然喉を鳴らして笑い出した。



*  *  *






「ククッ、ルイズ……いいぜ。お前、最っ高だ」
 込み上げる笑いを押さえながら垣根はそう呟いた。
 ルイズの成功させた、、、、、『魔法』によって、垣根の周囲にあった微細な『未元物質』はまとめて一掃されていた。
 大した量ではないが、普段外部からの不意の攻撃に備えるには充分な程度。
 それも単純に破壊されたとか、吹き飛ばされたと言う事では無いのはよくわかっている。
 垣根が普段そう使っているように『未元物質』は例え目に見えないような微粒子状であっても垣根の意志に従い、衝撃や熱のようなエネルギーを阻む事を可能にする存在だ。
 そして。
 そもそも垣根が振るう『未元物質』は垣根の制御下にあるものだ。
 その状態は常に手中に収めているように確かだった。
 それが爆発を受けた途端、まるで支配権を奪われたかのように『未元物質』は垣根の手の平からすり抜けていった。
 どうなったのか、何の影響を受けたのかもわからない。
 反応から何が起きたかを逆算するどころではなく、垣根には掴めなくなった『未元物質』の観測すら出来ていなかった。
 派手に破れてこそいないが所々僅かに毛羽立ったように傷み、汚れた上着を払うと。うっすらと煤のようなものが指に残る。
 衣服だけではない、爆発の影響を受けた『未元物質』の一部、そのなれの果てだと言う事は理解出来た。
 しかし、自分の能力以上に『未元物質』そのものにこうまで干渉出来る現象を垣根は知らない。

 超能力者として絶対の自信を持っていた能力に傷を付けられた。
 その筈だと言うのに怒りより先に驚きが、奇妙な愉快さが垣根を襲った。
 そして現状がようやく確かな実感と共に腑に落ちる。
 『未元物質』などと言う、異能の中でも充分な非常識を手にしている垣根だが。それも能力開発の科学的な裏打ちがあってのものだ。
 元からファンタジーな魔法などと突然言われてもピンと来ない。
 しかし、ある意味納得はしていた。
 垣根の翼に、『未元物質』に干渉したルイズの最初の爆発。
 あれが何かの能力だと言うなら有り得ないと断ずる所だが、まるで常識外の『魔法』だと言われれば、仕方ない気にもなっていた。

 そしてそれが再び証明されたこの瞬間、垣根帝督にとって『魔法』と言う非常識は容認せざるをえない『現実』として受け入れられた。

「ちょっと……どうしたのよ」
 ルイズは垣根の反応に戸惑っているようだった。
 爆発の直撃により怒りの矛先が向けられる予想でもしていたか、それとも使い魔の突然の奇行にただ引いているのか。
 そんな事はどうでも良かった。
 ただ、おかしなくらい気分が良くて、垣根は猫にしてやるようにルイズの頭をぽんぽんと叩いた。
「良く出来ました、だ。予想以上だな。ご褒美はなんだ。なんなら昼間のお返しにキスでもしてやろうか?」
「にゃにゃにゃ、にゃに言ってんのよ!」
 ようやく収まった笑いの波に、上機嫌でそうふざけて口にするとルイズは泡を食ったように妙な声を上げた。

 垣根には一つの確信があった。
(コレは俺の理想を叶える鍵だ。学園都市も未知の技術。俺がモノに出来るかは別としたってメリットはある筈だ。上手くすりゃあ、直接交渉権どころかアイツの首も頂けるかもな)
 ルイズの魔法。
 失敗どころか奇跡のようなそれを知る事が、垣根にとって新たな道を切り開く光明になるかもしれない。

 爆発を最初に受けたあの瞬間に覚えたそんな予感は恐らく間違いではない。
 その思いに、垣根は実に満足げに笑みを深めていた。


「何なのよもう。なんかすっかり疲れちゃったわ」
 それからまた、しばらくして。
 再び本を取ると続きを読み出した垣根の横、ベッドに座ったルイズはそんな事を呟いていた。
 『魔法は精神力を消費する』なんてあるくらいだ、召喚、爆発数度、とくれば多少は仕方ないのかもしれない。
 なんて垣根が考える横で、ルイズはいきなり服を脱ぎ出した。
 恥じらう、とかそんな素振りは微塵もない。
 当然、と言うかまるで垣根は居ないもののような態度だ。
「お嬢様、って生き物はもっと慎み深いのかと思ってたんだが」
 違うのか、と垣根は少し残念な気持ちになって本に目を向けたまま呟いた。
 その単語で垣根がイメージするのも、あの有名校のお嬢様だったりもするのだが。
「女子校のが、男の目がねえし色々オープンだったりすんのかな……」
 それ以上想像するのは、色々と女子への幻想が殺されそうで。
 垣根は考えるのを止めた。
「なによ。寝るから着替えるのよ?」
 身近なお嬢様はなにがわるいの、と言わんばかりの脱ぎっぷりだ。
「そりゃ分かるけど。よそ向くとか、ねえの?」
「あんた使い魔じゃない」
 ぼんやりした目を向けて、ルイズは不思議そうに首を傾げた。
 メイジにとって使い魔とはどれくらい安全なものなのか。
 異世界の常識に垣根の頭が痛む。
 ルイズはもそもそとネグリジェを被ると、脱いだ服を垣根に向けて放ってよこした。
「これ~洗濯しといてぇ……」
 すっかり眠そうな声でそんな事を言ってくる。
 既に半分は寝てるんじゃないか、と思うような気の抜け具合だ。
「確かに俺も使い魔だけどな。使い魔は主人のお守もするのか?」
 下着の混じった服を投げられても、垣根は怒る気力もなかった。
 床に落ちた洗濯物にちょっとした哀れみすら覚える。
「使い魔はね~主人のためにはたらくのよぉ……ふぁあ」
 欠伸をして目を擦り出すルイズに、垣根はある事に気付いて眉を寄せた。
「なあ」
「なによ」
「俺ってどこで寝りゃいいんだ」
 そんな事は完全に意識から抜けていたんだろう。
 ルイズはぽかんとして、部屋を見回していた。
 十五畳程の室内には衣装箪笥に机、本棚、テーブル、暖炉、そして大きなベッドが一つ。
 広さはあっても他に寝具になりそうな物はなかった。
「え、あの。普通の使い魔は床か寝床で……大きいのは外に確か小屋があって……」
「俺は、どこで寝るんだって聞いてんだよ」
 睨みつける垣根から、ちらりと目を逸らしたルイズはぎこちなく首を振った。
 垣根にすればぎりぎりの及第点だ。
 一度下に向いた視線のままに『使い魔は床よ』とでも言ったら流石にただでは済ませないところだった。
「もういい。俺はこっちな」
「ちょっと! 何勝手に上がってるのよ!!」
 待っていてもいい返事は期待出来ないだろう。
 業を煮やして、脱いだ上着を座っていた椅子にかけると垣根はルイズのベッドに乗りあがった。
 リネンは清潔で、ベッドもしっかりしたいいものらしい、とお嬢様の住環境に少し安心して。
 垣根はルイズを無視してベッドの奥、向かって右側に寝転がる。
「ダブルぐらいの余裕あるだろ。蹴落とされないだけ有り難いと思え。それともお前、ソファーもねえこの部屋で他にどこで寝ろって?」
 垣根の常識では床は寝る場所ではない。
 ここや外国のように室内を土足で過ごしている所はもちろん。
 そうでなくとも、天下の超能力者レベル5床に毛布、のような惨めな状況は絶対に許せなかった。
 生意気でやかましい貴族のお嬢様と寝る羽目になっても、ベッドの方が遥かにマシだった。
「そんなことじゃなくて! あんたは使い魔だけど、でも平民で男のあんたが一緒のベッドでなんかゆ、許されないんだからね!?」
 ルイズはさっきまで堂々と着替えていたのが嘘のようなうろたえっぷりだ。
 ついでに眠気もすっかり飛んだらしい。
 使い魔=家畜、みたいな式が成り立つなら垣根にもその気持ちがわからないでもないが、さっきの今では説得力の欠片もない。
「いや。お前みたいなガキに手とか出さねえから。そんな趣味も確率も0.1%もねえから」
 あり得ない、と頬を引きつらせて垣根が首を振ると、ルイズは真っ赤に顔を染めた。
 頭をぶんぶんと振って、シーツをまとめて掴み去るとその中に潜り込む。
 すっかり蓑虫のようになってしまったルイズはもごもごと文句を言っているようだった。
「おい」
「何よ!」
「灯り。点けたまま寝るのか」
 あーもう! と叫ぶとルイズはぱちんと指を鳴らした。
 それに合わせて、ランプの傘の下に灯っていた魔法の灯りがすっと落ちる。
「おー、確かに電気いらねえな」
 感心したように呟く垣根の隣では、丸くなったルイズが抱え込んだ枕に呪詛の言葉を吹き込んでいた。
 垣根帝督の異世界での一日目はこうして幕を下ろした。
 新たな生活がせめて退屈しのぎにはなれば、と思いながら垣根は静かに目を閉じた。




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[34778] 04
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2013/09/16 00:45



 カーテンから差し込んでいる光が眩しかった。
 よく知っているそれより目を刺す明るさに、寝ていた垣根は首を傾げる。
「昨日……閉めずに寝たんだっけか?」
 ぼんやりと目を開けてそう呟いてから垣根は頭を起こした。そして映った室内の様子の違いに一瞬目を見開く。
 見覚えの無い家具、おまけに天蓋付きのベッドなんてメルヘン趣味はない。
 まだ働きの鈍い頭を巡らせると、昨日の『非常識』な出来事が次々と思い起こされる。
「あー、そうだ。そうだな。そうでした。煩いガキの使い魔になったんだったな」
 重い瞼を二、三度上下させた垣根は目の前の有様に眉を顰めた。
 苦々しい表情で上半身を起こそうとして、更なる違和感に気付く。
「おい」
 その元凶に一声掛けても当然ながら無反応だった。
 広いベッドに横たわる当のご主人様、ルイズはぐっすり眠っていた。
 垣根のすぐ横で、垣根の服の端を掴んだまま。
「……朝からめんどくせえ」
 起き抜けの不機嫌さも露わに垣根は煩わしげに髪を掻いた。

 確かに昨夜は同じベッドを使った。
 それはいい。
 隣で寝ているのも当然だ、仕方ない。
 だが。目覚めてみればあちらから腕の間に割り込むようにして寄って来ていると言うのは明らかな越境行為だ。
 垣根のパーソナルスペースをこれでもかと侵害している。

 わかりやすく言えば『目を覚ましたら美少女がひっついて腕枕で寝てる』と言うシチュエーションを前にして、垣根のテンションは朝から急激に降下中だった。
 そんな事とは知らず、まだ夢の中のルイズはおよそお嬢様らしからぬ笑い声をもらすと、垣根のベストに顔を寄せた。寝ぼけているのか口はだらしなく半開きで実に呑気な笑みが浮かんでいる。
 それにますます顔を顰めると垣根は舌打ちした。
 起き上がり、枕にされていた腕を乱暴にどけるとルイズはころんと仰向けに転がる。
 しかし、しつこい手のひらはまだ服を握りしめていた。
「このクソボケ。離せ、っての」
 垣根が肩を掴んで引き剥がそうとした所で、不意にルイズが目を開けた。ぼんやりとした目で垣根を見上げると首を傾げて、
「なななななにしてんの! わた、わたしのベッドであんた、ああ朝からなにしようとして――」
 たちまち顔を真っ赤にすると慌てふためいた様子で叫んだ。
 頭に響くような甲高い声を至近距離、大音量で出されて垣根はたまらず顔を逸らした。
「何寝ぼけてんだ。いいから離せよ」
「へ?」
 ほら、と垣根が掴んで持ち上げてみせたルイズの腕はしっかりとベストを引っ張っている。
 それを見たルイズはぱっと手を離すと、首を振って後ずさった。
「何よ、あんたがわたしのベッドで寝たりするからいけないんじゃない! おまけにすべすべのふわふわだし! 何よそれ!!」
「ったく、汚したりしてねえだろうな」
 ルイズはまだ赤い顔で何やら騒いでいたが、垣根はそんな事は気にしていなかった。
 立ち上がるとシャツを伸ばし、持ち上げ、あちこち眺めまわした。
 着替えの当てはまだ無いのだ、当面はこの服で過ごさなくてはいけないだろう。そちらの無事を確かめる方が大事だ。
 見ればシャツもベストも目立って汚れた様子はなかった。
 昨夜、椅子の背に掛けておいたジャケットも水洗いで済む素材だったから、いずれ汚れても洗濯すればいい事だ。
 それも垣根が『未元物質ダークマター』で身を守っている都合上、衣服も汚れにくいしそう傷みもしない。例外であるルイズが、昨日のように手酷く吹き飛ばすような真似をしなければ、の話だがそこまでの心配も垣根はしていない。
 どちらかと言うと、やっぱり服は気持ちよく着たい。そんな単純な、気分の方の問題だった。

「そう言えば、この部屋って水道ねえのか?」
 改めて室内を見回していた垣根はそう尋ねた。
 それに対してルイズは部屋の隅に置かれたバケツと甕を指差す。
「何だよ」
「汲んできて」
 当然、と言わんばかりにルイズはそう答えるとまだ眠たそうに目を擦った。
「誰が」
「あんた。使い魔なんだからそれくらいしなさいよ」
 朝が弱いのか、だるそうにそんな事を言ってのけるゴシュジンサマに、ツカイマは心底見下したような冷たい目を向ける。
「昨日も言ったけどな。俺は使い魔になる事は一応認めたが、お前のお守まで引き受けたつもりはねえよ。それとも使い魔の仕事には身の回りの世話まで入ってんのか」
 不愉快そうに返す垣根の視線は鋭い。
 よく知る者なら肝を冷やすようなものだが、呑気に欠伸をするルイズは垣根の方に目も向けていなかった。
「使い魔って言うのは主人の為になる事をするの~ほら、服」
「寝言は寝てから言え、って言いたい所だが。お前まだ起きてすらいねえだろ」
 調子を崩されて、短く溜め息を吐くと垣根は昨日のまま放って置かれていたルイズの制服を放り投げる。
 しかし、ルイズはそれを受け取る素振りすら見せなかった。
「あんたは知らないだろうけどね。貴族は下僕が居る時には自分で服なんて着ないのよ」
 まだネグリジェ姿のルイズは尊大に胸を張った。
 無い胸を、と言う言葉の代わりに垣根は聞き捨てならない一言に噛み付いた。
「今のは俺に対してか? 随分愉快な呼び方だなコラ」
 口調こそ呑気だが、その声は真逆の態度を示していた。
「……テイトク」
「ああ?」
「服、着せなさい」
 呼びなおしたルイズの顔は今のですっかり目覚めたらしいが、ちょっと強張っていた。
主人としてか貴族としてか、使い魔相手に謙るのはプライドが許さないのだろうが、下手に垣根を怒らせる事もしたくないらしい。
 脅えた猫かなにかのように垣根の次の一言を、行動を窺うような目を向けている。
「お人形遊びする趣味はねえ。そんな事より俺の着替えも用意しろ」
「何でよ」
 ルイズの問いかけに、垣根はにやりと笑った。
 疑問で返すのではなく、断ずるべきだった。何故か自信に満ちた表情は、口を開く理由を与えた事を後悔するような、見る者をそんな気分にさせる笑顔だ。
「お、じゃあ公爵家ご息女にあらせられるルイズ様は使い魔の身なりも整えてやらない主人だって思われてもいい訳だな? 生憎今はこれしか着るもんがねえんだ。俺が何日も着たきりでもお前は構わねえって事だよな」
 先程までの機嫌の悪さから一転、今にも手を打ちそうな垣根の発した言葉に、ルイズは口元をへの字に曲げる。
「……しょうがないわね。まだ時間もあるし、言っておくわ。取りあえず、使用人の着替えでもいいでしょ」
 ルイズは流石に思う所があったのか、少しだけ考えると首を縦に振った。
「ついでに水も汲ませて、お前の着替えも済ましてもらえよ」
 垣根帝督の常識に自分以外の誰かにあえて何かをしてやる、と言う項目はない。
 超能力者、そして暗部のリーダーと言うポジションに居た経験は。他人は上手く使うもの、と言う認識を育んでいた。


 呼びつけられた使用人が運んで来たのは、使用人のものだろう数種類の衣服だった。
 あれこれ着込んでも面倒なので、垣根はその中から適当にシャツとズボンだけ選び取って身に着ける。
 ルイズはと言うと、ベッドの隣で黒髪のメイドに服を着せ替えられていた。
 垣根に言う事を聞かせられなかった事が不満なのか、逆に自分が要求を飲む羽目になって面白くないのか少しむくれた顔をしている。
「あんたね、ちゃんとした格好しなさいよ」
「してんだろ。俺の国じゃこれが普通なんだよ」
 垣根は適当にそう言ったが。ルイズが顔を顰めた通り、シャツのボタンはきちんと留められていないし裾もだらしなく出ていた。
「それに白のシャツにチャコールグレーのズボンだけって……地味すぎない? なんか男子の制服みたいだし」
 そしてそうルイズが指摘したとおり、今の垣根の服装は『日本の一般的な男子高校生の夏服』にも見えそうな印象だった。
 勿論、現代日本ではまず見ないような前時代的なデザインや造りがあちこちに施されていたが。
「俺にはマントなんてねえし形が全然違うだろ。使用人の作業用って言ってもまともな服がまるでねえのが悪い。それともさっきのヤツの『白タイツに短いニッカボッカ』みたいな格好俺にしろって?」
「にっか、何? いや、まるっきり使用人に間違われそうな格好も嫌だけど……あんたはわたしの使い魔なんだし」
 自分で言っておいて心底嫌そうな顔をする垣根だった。ルイズは何だか釈然としないらしい。
 そんな事を話しながら支度も終えて部屋を出ると、廊下に並んだドアの一つがタイミングよく開いた。
 そこから現れた影に、ルイズは露骨に顔を顰める。
 女子にしては高い身長、肉感的なシルエット、そして派手な赤い髪が印象的な少女だった。


「おはよう。ルイズ」
「おはよう。キュルケ」
 片や愉快そうに。
 片や不愉快そうに。
 対照的な容姿の二人は、それぞれ正反対の態度で挨拶を交わす。
「あなたの使い魔ってそれ? ほんとに人間なのね。すごいじゃない!」
 可笑しそうに笑いながらキュルケは垣根を眺めた。
 顔を寄せて、値踏むように遠慮の無い視線を浴びせてくる。
「ふーん。なかなかいい男じゃない。ねえ、あなた情熱はご存知?」
「は? 何寝惚けてんだテメェ」
 誘うような視線に垣根が感じたのは、お世辞にも好意なんてプラスのものではなく苛立ちだった。
 馴れ馴れしい言動に浮ついた態度、どこか他人を小馬鹿にしたような振る舞いが癪に障る。
 それは垣根にとって砕けた態度、などと言う親しみのあるものには取れなかった。
 睨む垣根にもキュルケはあらつれないのね、何て呟くとルイズを振り返った。
「『サモン・サーヴァント』で平民喚んじゃうなんて、あなたらしいわ。さすがは『ゼロ』のルイズ」
「うるさいわね」
「あら、あたしも昨日、使い魔を召喚したのよ。誰かさんと違って、勿論一発で成功よ」
「あっそ」
「どうせ使い魔にするなら、こう言うのがいいわよねぇ~。フレイムー」
 勝ち誇ったような声に合わせて現れたのは巨大な赤い爬虫類だった。
「これって、サラマンダー?」
 虎程はありそうな大きなそれは、名前の割にはトカゲに似ていた。
 その口元から覗く炎に似た赤い髪をかき上げながら、キュルケは使い魔に目をやると嬉しそうに目を細める。
「そうよー。火トカゲよー。見て? この尻尾。ここまで鮮やかで大きい炎の尻尾は、間違いなく火竜山脈のサラマンダーよ? ブランドものよー……あら?」
「ふぅん。そりゃあよかったわね」
 ルイズの方を見ながら、わざとらしく自慢していたキュルケは不思議そうに首を傾げた。
 期待を裏切られた――普段なら悔しがったり、怒鳴り返してくるルイズが大人しいと言うかちっとも堪えていない――そんな顔をしていた。
「何、どうしたの? ルイズ、あなたいつもらしくないじゃない」
「別にー? ちょっと仕度に時間かかっちゃったから急いでるのよね。テイトク、行くわよ」
「何だ大人しいなコイツ」
 道端の犬を触るようにサラマンダーの鼻先をつついていた垣根は、二人のやり取りにまるで興味を示していなかった。
「まあね。私が命令しない限り襲ったりしないから大丈夫よ」
「ふーん。命じりゃ人も襲うのか」
 燃え盛る炎の尾をじろじろと見る垣根はキュルケにはもう目もくれなかった。
「じゃあ、わたしはお先に失礼するわ」
「え、ええ。またねルイズ」
 ルイズは何故か得意げに胸を張って歩き出した。
 渋々、と言った様子で垣根が続き。
 すっかり当ての外れたキュルケはぽかんとした表情を浮かべておかしな雰囲気の主従を見送った。


「ああ言うのが普通の使い魔か」
「鳥とか動物の方がもっと普通ね。メイジを見るには使い魔を見ろ、って言うくらい主人の実力を示すのよ。悔しいけど、サラマンダーみたいな幻獣はそういないわ」
 螺旋階段の前で垣根はもう一度後ろを振り返った。
「あんなメルヘンなバケモンが他にも居るって事かよ。そりゃスゲェが……俺ほどじゃねえな」
「……幻獣と張り合うのもどうなのよ。まあ、あのツェルプストーに靡かなかったのはエライわ。御主人様の魅力がちゃんとわかってるのね」
 幻想的な見た目だけなら、充分に張り合えそうな使い魔を連れた主人はズレた事を口にして何故か得意げに頷いた。
「そう言えば、『ゼロ』って何だ。お前の魔法を示したコードか何かか?」
「ただのあだ名みたいなものよ。大体は得意な魔法の系統によるわね。さっきのあの女は『微熱』、そのまんま『火』系統のメイジよ」
 何となく、面白くなさそうに答えるルイズだが、垣根はふと眉を寄せた。
「ゼロ、ゼロか……お前、今の所系統魔法とやらの分類に当てはまらねえっつったよな」
 ルイズが魔法をまともに使えない、と言う話は昨日聞かされていた。
 魔法を使う時は失敗しても何も起きないのが普通らしいのだが、ルイズの場合はその逆。
 どんな魔法を使ってもあの爆発以外起きないと言うのだ。
 科学の最先端、学園都市の生んだ能力の中でも指折りの『未元物質』を吹き飛ばす破格の性能だが、ここでは本来起こすべき結果から外れすぎている為に失敗扱いされているらしい。
 魔法についてはわからない事だらけだが、そんな『最弱』に自分の能力がどうこうされるとは、垣根には到底思えなかった。
 魔法、その中でも一際不可解な未知の能力に好奇心が刺激される。
(あっちだったら、そう言うタイプはむしろ評価が上がるもんだけどな)
 ある女子校などは、イレギュラーで珍しい能力者を開発研究する事に賭けているような所だと聞いている。
 そんな環境だったら、ルイズはモテモテだっただろう。
 主に研究者や開発官、場合によってはちょっと表に出せないような機関からだが。
「何よ。失敗ばっか魔法の成功率ゼロのわたしにはお似合いだって言いたいの?」
「いや。逆だ。零ってのは数えるべきものが一つもねえってだけじゃねえ。基点って意味もある。足せる系統もゼロ、スタートってのは言い得て妙だろ。……後、何か引っ掛かるんだよな」
 垣根は馬鹿にするのではなく感心したように返してから呟くと、どこか居心地悪そうに首を鳴らした。
 わからない、と言った顔で後ろを仰ぐルイズを余所に、垣根は思索に耽るように薄く瞼を伏せた。


*  *  *




 学院の生徒が一同に介した食堂はいつもながら騒がしかった。
 それを何だか物珍しそうに眺める垣根に、周囲とそう浮いたところはなかった。
 服を着替えた事もあるだろうが、後はタイとマントがあれば生徒に、貴族の中に混じっていても意外に馴染むのではないか、なんて思ってしまう程度には。
 貴族のもつ気品とは違うが、垣根には平民では有り得ない堂々とした自信と風格が感じられる。
 ルイズはそんな風に使い魔の外見を評した。

 豪華に飾りつけられた食堂には百人は優に座れる長いテーブルが並ぶ。
 二年生に無事進級したルイズも真ん中のテーブルに着くことになる。
 その内一つの席の前でルイズは腕を組んで立ち止まった。
 首を傾げて、垣根に椅子を引くよう促す。
 レディに対する礼儀はあるのか、垣根は意外とあっさりルイズの前の椅子を引いた。
「女ってみんなこう言うのさせたがるものなのか? いや、お前は貴族だったな」
 不思議そうに洩らす垣根は隣の椅子に手を伸ばしかけてふと止めた。
 続いて見渡した長いテーブルは当然ながらどこも生徒でぎっしり埋まっている。
「この席って最初から決まってんの?」
 見知らぬ誰かの席が埋まる事でも考えているのか、食堂の作法が分からないのか、垣根は再び近くの席を見比べていた。
「あー……そうね。使い魔の席はないから、あんたは――」
「飯の場所が違うとかそう言うの、最初から言えよ。腹減ってるし、別にここでも構わねえっつってんならその辺で食うけど」
 手近な皿を勝手に取って適当に料理を載せると、垣根はどかりと床の上に座った。
 ルイズはそれを目を丸くして見ていた。
 その聞き分けの良さに、ではなくためらいなく腰を下ろした事にだ。
「床で、いいの?」
「別に。場合によりゃあ外で食ったりする事もあるだろ。それに比べりゃ掃除もされてるしマシじゃねえのか」
 なんて、当たり前のように言うと垣根は眉を上げてルイズを見返した。
 席に着いた時になってこの食堂に貴族以外の席が無い事を思い出したルイズの頭には、当然のように椅子に掛けようとする垣根との言い合いが浮かんでいた。

 昨日だって床でとは言っていないが、ベッド以外で寝ないと言っていたのもある。
 だから、てっきり文句の一つも上がると思っていたのだが。
 プライドが高いのかと思えば、妙な所でこだわりがないのか。
 予想が外れてルイズは何だか呆気に取られてしまった。
 勝手に貴族の料理を、と怒るタイミングはおかげで無くしてしまったが。

 始祖と女王への祈りを終えてからルイズは垣根の様子を窺った。
 手を合わせて何やら呟くと、垣根も大人しく食べ始める。食事のマナーも、意外にもきちんとしているらしい。
 切り分けた肉を口に運んで飲み込むと、ふと垣根は皿を見つめた。
「これって、どうしてんだ」
「お肉がどうかしたの? ああ、余りの美味しさにびっくりしたのね」
 まるで自分の事のように、ルイズは機嫌よく頷いた。
 平民とは言え、トリステインでも優秀な料理人が腕を振るった料理だ。王都の店にも劣らない美味は、そうそう口に出来るようなものではない。
 しかし、垣根は首を振ると食器を手にした腕を止める。
「そうじゃねえ。料理する前、更にその前の素材の話だ」
「そんなの、収穫したのを運んで来るんじゃないの? わたしだってそれくらい知ってるわよ」
 ルイズも実際目にした訳ではないが、貴族の通うこの学院ではきちんとした出入りの業者が定期的に来ている筈だった。
「へえ、やっぱ畑とかあんのか。表に」
「ここにだって畑くらいあるわよ。あんたの所は違うの?」
 まるでそうじゃない事がある、と言いたげな態度にルイズは首を傾げた。
「『外』は未だにそうやってる所も多いだろうが、俺の居た街はビルの中で肉も野菜も生産から加工まで全部やってたな。水、栄養管理もオートメーション。空気も滅菌処理済み、衛生管理もしっかりしてた筈だ」
「よくわかんないわ」
 鶏の付け合せの温野菜を齧りながら、生の葉物野菜をフォークで皿の端に寄せて、垣根は少し眉を寄せた。
「多分、こっちだと大半が手作業だろ? 作るのも食うのもある意味スゲーよ。感覚の違いだな。食わせてもらって文句は言わねえけど……あー、けど水が合わねえとかは有り得んのか?」
 しみじみとよくわからない話をした後で、何故か垣根はテーブルに置かれた水とワインを不審そうに見比べていた。
 ルイズは垣根の世界の話にまた少し興味を持った。
 結局何を言いたかったのかはよくわからなかったが、食事事情は少しばかり違うらしい。


「ん。何かそこ皿が置いてあるな」
 少しして。
 突然の垣根の言葉にルイズは飲んでいた水を吹き出しかけた。
 垣根は座ったすぐ横、床の上に置かれた皿を見つけたらしい。
 慌ててルイズの引っ張り出した記憶が確かなら、多分、テーブルに並んだ食事よりは乏しいものがそこには乗っている筈だ。
 ルイズは使用人が普段何を食べているか、なんて知らないしそもそも厨房にも『使い魔用』に簡単な食事を用意してくれとしか言っていない。
(すっかり忘れてたわ。って言うかなんでそこに? ああ、使い魔が人間なんて誰も思わないわよね)
 ルイズはそんな風に、一人で勝手に疑問を解消していたが、問題はちっとも片付いていない。
 さて、使い魔用の食事、もといエサを見つけたこの『使い魔』はどうするでしょう。
 そんな疑問が新たに浮かび、嫌な予感がルイズの背中を這い上がる。
「……ここお前の席だよな」
 ルイズと皿を交互に眺めて、垣根は念を押すように尋ねた。

 その顔がまっすぐ見れない。
 召喚してから今まで、何度も向けられた鋭い視線は――あの恐ろしいお母さまには負けるが――ルイズにしてみれば充分に怖いものだった。
 主人として、屈してはいけないと思うけれど、怖いものは怖い。

「いや、あのね?」
 そう言ったもののとっさに返す言葉が見つからず、みるみる青くなるルイズを余所に、垣根は唐突に笑い出した。
「何、お前どんだけ使い魔持つのをハシャいでたんだよ。飯にまで連れて来ようってヤツは見る限りいないみたいだけどな」
 垣根は近くのテーブルを見回してそんな事を言う。
 流石に、食堂内に使い魔とは言え動物を連れてくるような生徒はいなかった。
「え、怒らないの?」
「ああ? ペットみたいなのが来ると思ってたんだろ? これがマジで俺用だって話だったら、お前今普通に続きが食えてると思うか?」
「そ、そんな訳ないじゃない」
 勘違いをしたまま愉快そうに答える垣根に引きつった顔で即座に笑い返すと、ルイズは慌てて食事を再開した。
 垣根には、みすぼらしい一皿が自分用かも知れないなんて発想がそもそも有り得なかったんだろう。
 あながち外れてもいないが、ちょっと微笑ましい話みたいにされてしまった。
 一難が浮かぶ前に去って。
 ルイズは今、自分の幸運を心底始祖に感謝していた。
 心の中でもう一度祈りの文句を唱える程に。


 食事も何とか無事に終えて、授業に備える為にルイズは垣根を連れて教室に来ていた。
 ルイズが少し重い気持ちで扉を開くと、半円状に並んだ席のあちこちから一斉に視線が向けられる。
 階段状に続く席の間をルイズは背筋を伸ばして昇った。
 ちらりと後ろを見ると、垣根は周囲などお構い無しと言った様子で生徒達の連れている使い魔を面白そうに眺めていた。
 小さく聞こえる囁き声や笑い声を無視して席に着くと、ルイズはようやく一心地ついた。
 その隣、通路の段差に腰を降ろした垣根は何故かにやにやしている。
 主人の気も知らないで、と怒鳴りつけたいのを堪えてルイズは小さく息を吐く。

 機嫌がいいのは構わない。
 悪くて怖い目を向けられるよりはずっといい。
 でも妙な様子で近くに居られるのも何だか落ち着かなかった。

 何やら浮き足立っている垣根に、ルイズは胡乱な目を向けた。
「……どうしたのよ」
「結構ごちゃごちゃ居るもんだな。動物園ってこんな感じなのか? まぁ、行った事ねーけど」
 何それ、と聞くと沢山の動物を集めて檻に詰めて見世物にしているところだ、と教えてくれた。
 どうやら、余り見たことのない生き物達にはしゃいでいるらしい。
(かわいい所あるじゃない。……それだけよね?)
 何となく、その笑顔には裏があるような気がしてしまうのを押し込めながらルイズは垣根の横顔を眺めた。
「いや、マジでおかしな生き物が普通にいるってのは変な感じだな。で、お前の欲しかったドラゴンとかマンティコアはいねーの?」
「ああ。今年は確か、他のクラスだった生徒に風竜を使い魔にした子が居たって聞いたような……でもここには居ないでしょ。そんな大きな生き物は教室の中に入れないもの」
 今のルイズにすれば、風竜や幻獣を召喚出来なかった事が悔しい、と言うより普通、、の使い魔が何となく羨ましかった。
 召喚してから早々、垣根の振る舞いに振り回されてばかりのルイズからすれば。掴みどころがなくて勝手な事ばかりする人間よりも、主人の言う事を聞くドラゴンの方がまだ扱いやすいんじゃないか、何て気にさえなる。
「それもそうか」
 きょろきょろと辺りを見回していた垣根は、朝見たキュルケのサラマンダーが椅子の下に寝ているのを見つけたらしい。
 寝息と共に洩れる火の粉をじっと見ていた。
(ドラゴンがここに居たらどうする気だったのよ)
 何となく気になっても、いやに機嫌の良さそうな垣根に聞く気にはとてもならなかった。
 藪を突いて蛇どころか火竜が出た、なんて事になったら洒落にならない。
 垣根が尋ねる使い魔の種類を教えてやったりしているうちに、扉が開いて一人の女性が入ってきた。

 二年生に進級して、初めて教わる事になったミセス・シュヴルーズは優しそうな中年の女性だった。
 紫のローブを纏った教師は教室を見回すと、満足そうな笑みを見せる。
「皆さん。春の使い魔召喚は大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に様々な使い魔達を見るのがとても楽しみなのですよ」
 その顔が端から順に、自分の座る辺りまで向いた時ルイズは顔を曇らせた。
「おやおや。変わった使い魔を召喚したものですね。ミス・ヴァリエール」
 彼女がとぼけた調子でそんな事を言うと、教室中がどっと沸いた。
「ゼロのルイズ! 召喚できないからって、その辺歩いてた平民を連れてくるなよ!」
 そんな罵倒の声にルイズは力なく首を振った。
 この反応はわかりきっていたが、いつもいつも繰り返されるからかいも罵倒も、嫌な事には変わりない。
 まあ、正確には垣根はただの平民、、、、、ではないからそこまで腹も立たない。
 ルイズの使い魔は確かにマントも杖もないし幻獣でもないが、その代わりに超能力とか言う魔法みたいなものが使えるなんて何だか変な、実はすごいらしい人間なのだ。
 それを聞いていたし、実際目の当たりにしていたから朝のキュルケの自慢話もそんなに堪えなかった。
 ただ、言う事はちっとも聞いてくれないし、召喚して間もないのにトラブルの連続。はらはらし通しで心労が嵩む。
「違うわ。きちんと召喚したもの」
「嘘つくな! 『サモン・サーヴァント』ができなかったんだろう?」
 やる気のないルイズに、太ったクラスメイトのマリコルヌがそう煽ると教室中が笑いに包まれた。
 ルイズは横目に当の使い魔を窺ったが、興味が無さそうにぼんやり前を見ていた。
 その様子では、学院長室のような惨事はひとまず起きずに済みそうだった。
「何だ、反論も出来ないのか? さすがゼロのルイズだな。使い魔の召喚もまともに――」
 突然、マリコルヌのおしゃべりが止まった。
 ついでに教室のくすくす笑いもぴたりと止む。
 シュヴルーズが杖を振った途端現れた赤土の粘土に、マリコルヌを始めとした生徒達の口は物理的に塞がれていた。
「お友達を侮辱してはいけません。あなたたちはその格好で授業を受けなさい。ミス・ヴァリエール、顔をお上げなさい。気に病む必要はありませんよ」
「……はい。ありがとうございます」
 親切な教師には下を向いていた事で要らぬ勘違いをさせたらしいが、ルイズはいつもの悪口もそんな事も、もう気にしていなかった。
 ミセス・シュヴルーズが杖を振った瞬間、垣根が心底楽しそうに笑ったのをしっかりと見てしまったからだ。
(学院長先生のときもそうだけど。なんで、こいつこんな怖い顔で笑うのよ)
 黙っていれば端正な顔に浮かぶ、研いだ刃物のような凶相。なんてものは割り増しどころか倍以上の恐ろしさだ。
 黙っていても怖すぎる家族と同じものを感じるのは、そんな理由もあるのかもしれない。
 あの人は、怒っていますなんて素振りも表情も一切表に出さなくても容赦なくオシオキをしてくるからルイズは尚怖いのだけど。
(あ~! 思い出したら鳥肌立っちゃったじゃない!)
 ぶる、と震える肩を抱いてルイズは頭を振った。
「では、授業を始めますよ」
 朗らかな教師の言葉に姿勢を正した垣根の横で、ルイズはこめかみを押さえた。
 なんだかとても御しきれそうに無い使い魔に対して、湧き上がる不安感は拭いようもなく膨れていくばかりだった。




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[34778] 05
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2013/10/03 01:37




 垣根は膝の上で頬杖を突きながら、にこやかに授業を進める教師の話を聞いていた。
 系統魔法の四つの系統と『虚無』。
 それら五つの系統がこの世界の魔法の基本中の基本。
 その内の一つ、『土』系統についての講義を聞きながら同時に考えるのは昨日、ルイズに聞いた魔法についての話だった。


「四つの系統魔法、な。まんまゲームか何かみてーだな」
 何それ、と首を傾げるルイズは無視。
 関係のない言葉や物事まで一々触れていては時間が幾らあっても足りない。
 ルイズによると魔法には『風』、『火』、『水』、『土』とそれぞれ異なった属性があり、それらはメイジの技量によって複数を合わせて使う事も出来るらしい。
 あちら、現代日本でもオハナシで聞くような四元素思想はあるようだが、いかんせんそれも前時代的過ぎる。
 科学と言うよりファンタジー。
 それを大真面目に技術を語る思想の根幹に据えていると言うのなら、それこそ中世の錬金術のレベルだと感じた。
 聞けば、実際にそんな魔法もあるらしかった。
 『錬金』。
 たとえば泥を金属に、水を油に。魔法を用いれば物質の組成に関わらず変質させる事が可能らしい。
 水を葡萄酒に換えられるかは別としても。その名のままに金すら造る事が出来るなんて奇跡めいた話は、能力者の垣根ですらすごいなんて次元は通り越していっそ馬鹿馬鹿しいと感じるものだった。

 学園都市と『外』も格差はあるが、それ以上に技術の発達や思想に開きがあるらしいこの国では、原子と言う概念も端から無いのだろうと垣根は推察した。
 それならメイジ、と言う生き物は存在すら知らない原子核を感覚で弄くり、結果原子変換を無意識に起こす事も容易だと言うのだろうか。
 物質の変化と聞いて垣根の頭に浮かぶのはそんな所だが、それも簡単な話ではない。
 化学的に行おうとすれば変換の際に必要とされる、そして後に残る過剰なエネルギーなどは一切無視して。
 核融合や核分裂で生じるリスクすら一片も無しに。大掛かりな設備が無くては不可能な事だと夢にも思わず、気軽に杖を振るのか。
 恐ろしいのは彼等の無知ではない。
 そんな事を可能にする無茶苦茶な『魔法』と言う未知の技術の方だ。
「いや、お前らも大概だな」
 呆れて息を吐くと垣根帝督は笑った。
 傍から見ればそれは実に愉快そうに映っただろう。目の奥にぎらついた光を覗かせている以外は。
「この俺の、常識が通用しねえなんてよ」
 そう口元を歪めれば、ルイズは何とも不思議そうな顔をしていたのを垣根は思い返していた。


 教師の話の合間、垣根は席に掛けるルイズを見上げると話しかける。
「なあ、『虚無』ってなんだ」
 昨日、垣根が聞いた中でも特に興味を引かれたのは学園都市の能力でも似たものの少なそうな『土』系統だったが、『虚無』なんてものの話はほとんどなかったように思う。
「始祖が使ったとされる系統。どんな魔法だったかなんて誰も知らないわ。始祖ブリミル自身についてもあんまりわかってないわね」
 そっけないルイズの答えに垣根は首を傾げる。

 始祖ブリミル。
 遥か昔に実在した、この国で讃えられ信仰の対象にまで祀り上げられている偉大なメイジであるらしいその人物の名前は昨日もルイズの話に挙がっていた。
 それに対して垣根は漠然と宗教上の偉人、聖人のようなイメージを持っていた。
 だから、その手の話題に詳しくも無い垣根でも何となく聞いたことはあるような。ごくごくメジャーな存在を重ねて考えていたのだが、どうも少し違うらしい。
「信仰の対象になるような偉人の起こした奇跡がどんなもんか、残ってねえのか? そう言うのって弟子や宗教団体なんかが手を加えた尤もらしい逸話が山ほどあるもんなんじゃねえの。それじゃあ、影も形もねえお前等の神様の尊さはどこの誰が証明してくれるんだ?」
 曰く、病める者の傷を癒した。
 曰く、死して後に息を吹き返した。
 そんな風に馬鹿馬鹿しい程の『奇跡』の話もほとんどないのだろうか。

 宗教に限らず、権威付けも兼ねて誇張され大袈裟に脚色されたエピソードなんてありふれたもので、特に過去の偉大な人物、なんて存在には尾鰭の幾つもついているものだと垣根は思っていた。
 元々が信仰どころか宗教にも縁遠く、イベント行事の元ネタくらいにしか思っていない上、現代日本の若者感覚以上にそんな夢や希望、救いファンタジーには興味がない。
 そんな能力者の言葉に魔法使いは盛大に眉を顰めた。
「あんた何言ってんの? 不敬にも程があるわよ。始祖の御業をわたし達が今も受け継いでいるわ。それ以上の理由がある?」
「まぁ、お前は違うみたいだけどな」
 そう、何気なく返した垣根はまた何かが引っ掛かったような気がした。
 それに気を向けようとした時、『土』魔法の素晴らしさを長々と語っていた教師が一段と声を張り上げた。
「今から皆さんには『土』系統魔法の基本である『錬金』の魔法を覚えてもらいます。一年生の時にできるようになった人もいるでしょうが、基本は大事です。もう一度、おさらいする事に致します」
 そう言って、シュヴルーズは杖を机の上に乗った石に向かって振り上げ、短くルーンを唱えた。
 石が輝く金属に変わると、身を乗り出したキュルケがゴールドかと気色ばんだ。
 それに、自分はトライアングルだから金の『錬金』は出来ない、とシュヴルーズが謙遜する。
 そんな一連のやり取りを眺めていた垣根はわずかに眉を顰めた。
「……あれ本当に一番低いレベルから使える魔法なのかよ」
「レベルが上がると作れるものの種類も変わるのよ」
 そう付け加えるルイズのどこか得意そうな様子に、垣根は何だか興が醒めてしまった。
「それもちょっと呪文唱えりゃオーケーのお手軽さ、ナメてやがるな。既存の物質の法則をそんな簡単に捻じ曲げられてたまるかよ」
 能力によって似たような事を可能とする垣根だが、それをあっさりと目の前でやられるのはそれなりに衝撃だった。
「ミス・ヴァリエール、聞いていますか?」
「は、はいっ? なんですかミセス・シュヴルーズ!」
 垣根はそんな事を話していて気付かなかったが、ミセス・シュヴルーズがルイズを呼んでいたらしい。
 慌てて背筋を伸ばすルイズに、教師はにっこり笑って繰り返した。
「ミス・ヴァリエール、前に出てやってごらんなさい」
 その瞬間、教室中は一斉に凍りついたが、垣根は一人ほくそ笑んでいた。


 さて。
 生徒が机の下に、教室の端に、それぞれ避難したのをいい事に、垣根は前の方に移動して石と対峙するルイズを眺めていた。
 むっすりした顔をしているルイズに応援の言葉など掛けない。代わりににやにやと笑みを送る。
 眉をつり上げたルイズは何か言おうとして、ぐっと堪えて止めた。
 意を決したように目を瞑ったルイズはルーンを唱え始めると杖を翳した。
(よし)
 笑みを深め、垣根は周囲の『未元物質ダークマター』の反応を探る。
 石の周りに滞空させていた微粒子状の『未元物質』の手応えが、急に消失する。
 そこを中心に、波が広がるように次々と。
 一瞬にも満たない僅かな時間で、垣根の広げた『未元物質』の探査網はごっそりと抜け落ちたようになくなっていた。

 ほどなくしてルイズの魔法が発動し、爆発が起きる。
 教室が悲鳴に包まれる。
 爆風の煽りを食らい、正面にいたルイズは床に尻餅をついた。
 その後ろではよろめいたシュヴルーズが黒板に背中を預けている。
 机は黒く汚れ、上に合った筈の石は跡形も無くなっていた。
 しかし、被害もその程度だった。
 あくまで目に見える範囲では。

 例えば、クジラやコウモリのような生き物は自ら発した音波の干渉を観測する事で自身の周囲の環境を視覚に頼る事無く精密に把握する事が出来る。
 それと同様の事は何も生まれ持った特殊な器官や専用の機械に頼らずとも、垣根のような能力者にも可能だった。
 熱量、電磁波など自身の能力で観測し得る特定のエネルギーを使って工夫すればエコロケーションの再現くらいは強能力者レベル3以上なら容易いだろう。
 それこそ、『周囲のベクトルを緻密に感知する事の出来る能力者』などはソナーの真似事くらい朝飯前にやってのける筈だった。
 垣根は今回、丁度磁石の周りに砂鉄を振りまいて磁力線を可視化するように。対象物の周囲を微細な『未元物質』で幾層にも覆う事で、その中で起きる現象を観察しようと思っていた。
 それも最初から、ルイズの『爆発』が目当てだ。『錬金』が成功するなんて欠片も期待していない。
 そんな風に垣根の思惑通りに進んだ魔法の実践だが、結果はこれまた予想の枠を出ないものだった。
(結構な量を仕込んだつもりだったが、大分やられたな。石を対象にした呪文に巻き込まれてこれだ。しかも干渉されたのは反応を確かめる間もなく持っていかれてる。やっぱりこの爆発を観測するのには骨が折れそうだな。消し飛ばされた、ってのとは違うと思うんだが……どうにも掴めねえ)
 より思索を深めようにも、精密な作業に思いのほか神経を使ったのか思考が僅かに鈍っている。
 そんな事を考えながら垣根は阿鼻叫喚の室内を無視して教室の前へと足を進めた。


*  *  *




「先生、大丈夫ですか」
 爆発の被害に巻き起こる粉塵と混乱。
 文句を口々に叫ぶ生徒達の大騒ぎの合間。
 背後で聞こえた柔らかい声音に、ルイズの背筋は何故かぞわりと粟立った。
 立ち上がって恐る恐る振り返ると、それはそれは柔和な笑みを浮かべた垣根がミセス・シュヴルーズに手を貸している所が目に入る。
「は?」
 ずるりとルイズの肩から力が抜けた。
 ルイズにしてみれば、それは教室の被害よりも余程凄まじい惨状だった。
 思わず瞬きを繰り返して二度三度と見直しても変わりがない。
 どこの貴族の子息か、と言うほどに好青年然とした垣根の振る舞いは知り合って昨日今日程度しか知らないルイズから見てもおかしかった。
 あちこち汚れているだろう、自分の格好に気を使う余裕は今のルイズにはなかった。
(え、えええええ。あいつ人に頭下げられるのね)
 どこか他人を見下したような態度を取り、生意気で常に偉そう。
 そんな使い魔の新たな一面に、ルイズは妙なところで感心した、と言うか驚いてしまった。
 申し訳無さそうな表情、なんてものを一端に浮かべながら垣根はミセス・シュヴルーズに再び頭を下げると、ふと指を揃えてルイズを示した。
(なに、話してんのかしら……)
 距離はそう遠く無いのに向けられる生徒達の雑言に邪魔されて、よく聞こえない。
 中身がこの『失敗』絡みなのは間違いない。
 そもそもこの状況の原因なのだから、ルイズだってきちんと謝らなくてはいけない。
 そう。ルイズはまたしても無様に『失敗』したのだ。
 自覚すると途端に膨れ上がる嫌な気持ちに背を向けて。
 何とも複雑な気分でルイズはそちらに足を向けた。
 その時。

 教室の扉が開いて現れたのは、何故か大慌てのコルベールだった。
「教室で騒ぎがあったと聞いたのですが……」
 ぜいぜいと息を吐くコルベールのローブは乱れていたが、汗の浮いた額には髪は一筋も貼り付いてなどいない。
 それだけ何とか口にすると、コルベールは垣根に肩を借りているシュヴルーズを見て、続いて教室の中に目を向ける。
 ルイズの爆発だけでなく驚いた使い魔達の起こした二次災害で室内は荒れていた。
 乱れた机、割れたガラス、あちこちに煤のような汚れが散っている。
 そんな中黒板の前から向きを変え、惨状に顔を顰めるコルベールの前まで進み出るとルイズは重々しく息を吐いた。
「申し訳ありません。ミスタ・コルベール、わたしが『錬金』の呪文を失敗したんです」
 下げた頭で床を見つめたままルイズは唇を噛んだ。
 ルイズが『失敗』する事は入学してすぐ広まり、それ以来教師も実演の際にルイズを指名する事がほとんど無くなった。
 『サモン・サーヴァント』を成功させ、少しは自信がついたつもりでいたがやっぱり肝心の『系統魔法』は成功しなかった。
 進級して間もなく、またしても『失敗』。
 認めるのが、悔しくない筈がなかった。
「ミス・ヴァリエール、それは……」
「いや。ルイズ様はミセス・シュヴルーズの指示に従ったまでです。幸い大事にも至りませんでしたから、温情を頂けないでしょうか。ミスタ・コルベール?」
 口篭るコルベールの言葉が遮られた。
 ルイズがはっとして顔を上げると、垣根が隣に並んでいる。
 慇懃無礼に馬鹿丁寧な弁明をした垣根の、貼り付けたようなにこやかな笑顔が歪んだ。
 コルベールに向けられた目はすっかりいつものものに戻っている。
「……それは私の裁量ではないよ。ミスタ・カキネ」
 渋い顔をしてコルベールは首を振った。


 授業は中止。
 生徒達もいなくなり、残された教室で一人、ルイズは黙々と片づけをしていた。
 コルベールは大事が無いことを確かめると、学院長に伝える事があるといって早々に立ち去ってしまったし、垣根はミセス・シュヴルーズを念の為医務室に連れて行くといってルイズを置いていった。
 騒ぎを聞きつけ様子を見に来た別の教師の話では後から使用人が片付けに来るらしいが、罰則がわりにそれまでは掃除をしておけと言いつけられた。
 どうあれ、この状況を作り上げたのはルイズだ。
 気は進まないがこんな事をしておいて逆らう理由もなかった。
 それでも、掃除なんて進んでした事がないからどこからどう手をつけたものかまるでわからない。
 ルイズは取りあえず前から順に机の上を拭いていた。
「おー、見事に片付いてねえな」
 雑然とした教室の入り口でいやに明るい声が響く。
 小馬鹿にしたようないつもの調子で、垣根は戻ってくるなりそんな事を口にする。
「遅かったわね。医務室から迷子になったのかと思ったわ」
 悪態で返すルイズに垣根は肩を竦めてみせる。
「使い魔ってやつらしく主人の不始末に付き合ってやったんだろ。しっかし、あの教師も使えねえな。あいつ、面倒事こっちに吹っかけんなって言う言葉の裏も読み取れねーのか。少しは気を回しやがれっつっての」
 何もしていないくせに不満そうに洩らす垣根は、さっきルイズが懸命に拭いた机の上を指でなぞって確かめるとその上に座った。
 どうやら、と言うかルイズの予想通りだが。ルイズの様子をみても手伝うなんて気はないらしい。
「あんたがわざわざそんな事するとは思わなかったけどね」
「俺は一般人には親切なんだよ。しかし、『トライアングル』クラスって言うから期待したけど、大体本にあるようなもんばっかで目新しい話は聞けなかったな。教える側の人間としちゃあ別にいいのかも知れねーけど」
 介抱は立て前だったのか。この使い魔、医務室でミセス・シュヴルーズに『土』系統の話を聞いてきたらしい。
 やけに遅かったのもその所為か、と納得はしたがルイズはむくれた。
 そんな事なら掃除を手伝ってくれてもいいんじゃない、と口にするかわりに一層乱暴に机を拭いた。
「……ミセス・シュヴルーズに失礼な真似しなかったでしょうね」
「ちゃんとその辺はわきまえてる。一応物教わろうって腹だしな」
 今の態度ではとてもそんな風に思えなかったが、さっきのおかしな様子の垣根ならそんな事はないんだろうか、なんてルイズは考える。
(いつもあれくらいならいいのに。いや、よくない? うーん、あんな似合わない態度でいられたらちょっと気がもたないかも)
 普段の垣根を知ってしまった後では、あまりのギャップの激しさで違和感のほうが大きかった。
(ちゃんとして、黙ってれば結構かっこいいのに……って何考えてるのわたしは!)
 ルイズは、うっかり変な方向へシフトしかけた思考を追い払うように慌てて頭を振る。
「そう言やあ、お前も進級したって事は今日から新学期みたいなもんか?」
 ルイズの挙動など気にした様子もなく、垣根はふとそんな事を聞いてきた。
「そうね、そうなるかしら。どうしたの急に」
「いや。たまたまだろうが、昨日――俺がこっちに来た日は学生共には長期休みの最後の日だったからな。ちょっと思いついただけだ。それも、俺には関係ねえんだけど。学校とかいかねえし」
「学校休んでたの? あんたって勝手なのは前からなのね。そう言うの、楽しい?」
「前から思ってたけど。お前って変に真面目で頭固くて友達いねえだろ」
「それならあんたは、自分勝手で怒りっぽいから友達なんていないでしょ」
「わざわざ自己紹介どうも」
「なんですって!」
 もう何度目かわからない言い合いをしながら、ルイズは少し気分が軽くなっている事に気づいた。
 垣根はルイズの『失敗』を馬鹿にしないばかりか、さっきは庇ってくれたようだったし。
 今だって、手伝いはしないが待っていてくれるようだった。一応は。
 そう考えると、沈んでいた気持ちもちょっとは楽になる。

「そう言えば、昨日はあんな事言ってた割に先生の『錬金』を見てもそんなに驚かなかったわね」
「いや、逆に何か冷めた。まんまファンタジーな世界でこっちの考えがそのまま通じると思ってた辺り、俺もまだ常識に捕らわれてんのかもな」
「こっちの考えって?」
 目を丸くするルイズを見返すと。垣根は立ち上がって黒板の前に進んだ。
 石墨を取ると、慣れた様子で円と線を幾つも書き始める。
「科学で何とか言おうとするなら『錬金』って魔法は単純な化学変化じゃなく物質の大元、原子をいじっていやがる、と俺は踏んでる。例えばあの教師が石から作って見せた真鍮ってのは、銅と亜鉛の合金だ。それをこっちのやり方で作ろうと思っても違う金属を溶かすか化合させてやるのが普通だ。それも原子……ものの素になる小さい粒の更に外側で電子の配置が少し変わってるだけで中の核も何も変わってる訳じゃねえ。後はそうだな。石みてえに素からまるで違う物に作り変えるって言うと……粒子線を使った原子核反応、なんてお前に言ってもわからねえだろうしな」
 それはもう最初の部分からさっぱりだった。
 ルイズが深く頷くと、垣根はどこから話せばいいんだ、と呟くと少し考えた。
 咳払いを一つ。それからまるで授業を始める教師のようにルイズに向き直る。
「まず、物ってのは目には見えねえような小さい粒の集まりで出来てる」
 丸、丸、丸。
 黒板にぐりぐりと丸を描きながら、垣根は水を引き合いにだした。
 例えば雨の一粒とグラスの中の水、湖の水はそれぞれまとまった大きさが違うが同じもので出来ている。
 そんな風なまとまりが、目には見えない小さなレベルで延々と繰り返されているんだと言う。
「そのまとまりをバラしていくと、原子って言う特定の性質を持った粒が出てくる。その種類も沢山あってそれぞれの粒の組み合わせで木でも石でも金属でも、人間の体でも出来てる訳だ」
 分かるか、と視線で問われてルイズは曖昧に頷いた。
 何となくだが、世界は小さい粒で出来ている、と言う考えが垣根の世界にはあるらしい事はわかった気がしていた。
 円を幾つか、周りに記号と矢印、それにいくつもの数字。
 ルイズの見たこともない呪文のような物を次々書き加えながら、垣根は話し続ける。
「その原子に高いエネルギーをぶつけてやって核の内側の結びつきを強制的に別の物に並び替える。そうして原子の粒の種類から変えてやる。それが、科学の『錬金』ってとこか」
 垣根は「水銀」と書かれた円の左に小さな丸と「高エネルギー陽子ビーム」と矢印を引いてから、右隣に似たような、少し違う円の集まりを書く。
 「金」と書かれたその側にはちょこんと弾かれたような小さな丸と矢印で内側に向かう丸が幾つか加えられていた。
「仕組みだけなら単純だが、これを実際やろうとするとデカイ装置と莫大な金が掛かる。こうしてこっちのやり方で物を言うなら水銀から金を作るのだってかなりの手間だが、そっちの魔法でいくとわざわざ合金にするのも充分面倒じゃねえのか。それで何でレベルによる難度の違いがでるのか……『錬金』で不純物がどうしても混じるって話もあるなら問題は作るものの純度の方か? あとは核力の安定性によるか――」
「ちょ、ちょっと」
 まだまだ続きそうな勢いの、難解すぎる話にルイズは首を振った。
 慌てて声を掛けて遮ると、まだ何かガリガリと書いていた垣根は手を止めて振り返る。
「話の意味がぜんっぜんわからないんだけど。そのカガクって言うのは魔法の事も説明出来るの?」
「いや? 俺の知ってるこんな理屈並べた所でそれがお前らの魔法にそっくりそのまま通じるなんてあてはねえ。使えねえ尺度に変に拘ってても仕方ないだろうな。理屈はさておいて、ある程度そう言うもんだって飲んじまった方が楽なものもある。『未元物質』もそんな所だしな」
 カツン! と音を立てて石墨を置くと垣根は仕方無さそうに息を吐いた。
「そんなもんが分からなくても、使えてりゃ問題ねえだろ」
(『錬金』とか魔法とか考えてみたけど結局、こいつにも何だかよくわかんないって事かしら)
 なんて指摘したら怒られそうだったから、ルイズはその思いつきは口にしなかった。


*  *  *




「しかし、『錬金』ってのは初歩から使える魔法なんだよな」
 自分で汚した黒板は一応拭きながら、垣根は背後のルイズにそう確認した。
 垣根は、ルイズにさっきの話が理解出来たとは思っていない。
 言葉の意味からわかっていない人間に雑な説明をした所で伝わるはずもない。
 ルイズにとっての科学がそう言うものであるように、垣根にとっての魔法もそんな所だと思っている。
 しかし、この世界の魔法については他にも気になって考えていた事が幾つかあった。
「『ドット』、レベル1って言ってもやれる事に幅もあるだろ、工夫次第でかなり使えると思うんだけどな。お前ら魔法を何だと捉えてんだ?」
 垣根のような能力者や、研究者達のように進歩の為に研鑽を重ね改良を進める事が当然だと思っているタイプの目でみると、保守的過ぎるこの世界の魔法は不思議でならなかった。
 決まりきった枠の中で、誰も彼もが疑いもせずただあるものだけを使っている。
 垣根も魔法については少し本を読み、話を聞いた程度だがそんな印象を持っていた。
「何って、始祖から承った尊いものよ。だから、始祖の使ったとされる魔法に近いものの研究もされてるらしいし、あんまりおかしな使い方考えるとそれだけで異端よ」
「あー……そりゃ聞いた俺が悪いな。目標が遥か過去でおまけにそれを超える気はねえんなら、俺のはてんで的外れな意見だ」
 信じられない、と言った様子のルイズの返事に垣根は少し納得した。
 どうやらここは、垣根の知る現代の世界や学園都市とは全く違うものを見ているらしい。
 文明の進歩の違いは魔法だけではなくその成り立ち、その発展を支える文化、歴史や地理的要因、そんな多くの要素も関係しているだろうが、今の所はそこまで掘り下げようと言う気分にはならなかった。
 そこまでの必要性もないだろう。
 ただ、今までとは対照的過ぎる環境で、ますます垣根の常識が通じそうにないと言うのは確かだった。

「あんたの所の超能力、って言うのは使える人とそうじゃない人がいるのよね」
「ああ。普通のヤツらは本来そんな物とは縁がねえ。そう言う風に体弄りまわして使えるようにするんだよ」
「何でそんな事わざわざするの?」
 純粋にわからない、と言った目をするルイズは首を傾げている。
「理由か。確か、あったな。研究者どもの題目みてえなもんだと……っふふ」
 それ、を思い出して垣根はこみ上げる笑いに肩を震わせた。
「え、なによ」
「ふっ…ははは、いや、これがかなり笑えるんだよ」
 いきなり笑い出した垣根に、ルイズは不審そうな目を向けている。
「一言で言うなら、神様にする」
「へ?」
「能力者を作る目的だ。あらゆる法則、原理、そんな物を解き明かさねえと気が済まないって連中も居る。そう言う奴らが考えた夢一杯の最終目標がそれだ」
 子ども達の体を、精神を弄りまわし、一般的な感覚で言えばある種おぞましい事をしてまで手に入れたいもの。
「確か……『神ならぬ身にて天上の意志に辿り着くもの S Y S T E M』とか言うんだったか。世界の真理を知る為には神様と同じステージに立てば同じようなものが見えるだろうって、一周回って頭悪そうな考えだ。だから人間を常人の枠から追い出すような真似してんだろ。どこまで本気かは知らねえが、学園都市じゃ少なくともそう言う事になってる」
 その為には、垣根のような能力者も単なる通過点に過ぎない。
 学園都市の根幹である構想が出来て少なくとも五十年は経つと言う。
 そこに至るまでの道の途中で、数多くの人間を使って膨大な実験がされて来たことは想像に難くなかった。
 ルイズのほうは、話のあまりの規模についていけないのかすっかり呆れた顔をしている。
 当の能力者の垣根でも、本気も本気、大真面目にカミサマだとかそんな事を言われたら相手の頭を疑うだろう。
 あくまで目標であって、人知を超えたような能力を扱えると言っても能力者も人間だ。
 やすやすとヒトの枠を踏み越える事が出来るとまでは垣根も思っていない。
「何よそれ。ずいぶんな事考えるのね、そのカガクシャって人達は」
敬虔かどうかは知らないが、神の子寄りな思想に浸かっているだろうルイズにすれば何とも冒涜的な話だろう。
「ああ。宗教家とは仲良く出来ねーだろうな。科学で照らして言葉尽くしてみたところで、それでも語れねえなんてものはどうする気なんだか。濁して逃げるか、無理に言い切っちまうか。どっちにしろロマンはねえよな」
 ゼロとイチでは到底解き表しきれないような。
 その言い尽くせないもの、に言葉の上では近い力を垣根も手にしている。
 科学、一見合理的な論理の対極と言うと。例えば友情とか愛とか、口に出すのもぞっとするような。夢に溢れた曖昧で生温い単語が思いついた。
 科学に言わせると、それは遺伝子を残すための本能に基づいた、生存競争を有利に勝ち残る手段の一つであって、脳が起こしたある種の錯覚だなんて見方も出来るかもしれない。
 実際に科学の力でそれを自在に調節出来る、なんて人間が垣根の身近にも居たが、そんなものがまるでないと言われるのも何だか悲しくなるような気がする。
 到底理解の出来ない事だが、垣根はそこまで捨て切ってはいなかった。


*  *  *




 ルイズは、窓際の列の机を拭きながらよくわからない垣根の話を聞いていた。
 わからないが、話してくれるのを聞くのは嫌ではなかった。
 爆心地から離れた所は、そうひどく汚れてもいなかったが言われた通り簡単な片付けは続けている。
「昨日言ってたレベルファイブ、だっけ。その能力者ってどんな事が出来るの?」
「まぁ、それぞれだな。能力者は何かを操るのがほとんどだが、俺以外の超能力者なら力の向き、電気、電子、人間の頭の中とかその辺を弄るのが得意分野だ。俺の『未元物質ダークマター』は簡単に言うなら特定の物質の操作がメインだ。前に見せたみたいに羽を出して、あれで飛んだりだとかも出来る」
「ふうん。それってすごいの?」
 そんな風に聞くと、黒板を拭き終えたらしい垣根はルイズの方へ近寄ってきた。
 誰かの使い魔が暴れたお陰で、ところどころガラスの無くなった窓に凭れると外を眺め始める。
「さっきの目標ってのに照らすなら……残念ながら、俺は不適格だ。成長の方向性が違うってとっくの昔に言われたからな」
 昼前の高い日差しに、眩しそうに目を細めると垣根は吐き捨てるようにそんな事を言う。
「まあ、『絶対能力者』、神様のステージには届かなくても今でも充分ふざけた事になってるし。関係ねえな。訳わからねえ翼は出るし、俺は天使様かっての。でも、百八十万人の内からたった六人しか出来なかった人工の超能力者、その上から二番目に優秀って言われてんだ。俺も大した事あるんだぜ?」
 打って変わって、いつになく得意げな顔はまるでコレクションの棚に並べた中からお気に入りの一品を自慢するようだった。
 しかし、無邪気にすら思える垣根の言葉がルイズには引っ掛かった。

 さっき垣根が言った神様に近い人間を作る計画。
 その話から考えると、まるで。
 垣根はもうちょっとで神様の側まで手が届いたかも知れない、そんな風に聞こえた。

「え、ちょっとわかんないんだけど。レベルファイブ、ってそんなにすごいの?」
「だから、能力者のトップだっつってんだろ。スクウェアクラス並みに、あるいはそれ以上に極めて有能でレアな人材だって言えば分かるか? そんなのが使い魔なんて真似してんだから、ちょっとは敬えよ」
 そんな訳で俺には学ぶ必要もねえから、学校は行かなくてもいーんだよ、と付け加えて垣根は得意げに腕を組んだ。
 流石に、垣根がそんな突拍子もない相手だとは思わなかったから、ルイズは単純に返事に困った。
「えええ……何よそれ」
 さっきまで聞いていたありえない話のありえないものの一歩手前。
 そんな風には思えない垣根の態度に呆気に取られると同時に、ルイズはそれを聞いて何だかむかむかしていた。

 垣根はすっかり慣れてしまっているのか、気にしていないらしいけど。
 それは、大金持ちが両手に溢れる金銀財宝を雑に扱っているようなものじゃないか。
 その喩えだとルイズも余り人の事は言えないのだが、すごい事を鼻にも掛けないすごい人と言うのは、持たない人間の劣等感を刺激する。
 『ゼロ』と呼ばれるルイズからすれば、使い魔がなんだか飛び切りすごい存在らしい、と言うのは素直に喜べるものではなかった。

 その垣根は、顔を顰めたルイズを見てどこか取り成すように笑った。
「まぁ、レアリティじゃお前も負けてねえよ。その『未元物質』をどうにか出来るのなんざ、俺の考える限りお前と――」
 ふっとそこで言葉が途切れる。
「わたしと、なに?」
「いや、何でもねえ」
 急に、垣根の表情が変わった。
 どこか遠くを見るような顔をして、不愉快そうに目を伏せる。
「どうせなら面拝んで、一発殴ってみてからこっちに来りゃあ良かった相手を思い出しただけだ」
「なにそれ」
「けどまぁ、一番有り得ねえのは魔法云々よりお前だけどな」
「へ?」
 急に自分に話を振られて、ルイズは面食らう。
「お前の爆発。何やっても結果が変わらねえってある意味才能だぜ? 俺みたいな能力者にも開発しても結果が現れねえ、って奴は居た。そう言う奴らは残念な失敗例かも知れねえが」
 垣根はルイズを見下ろした。
 契約の前に見せたような、面白そうなものを窺うような目をしている。
「逆にだ。理屈はわからねえのにそうなっちまう、って奴も居る。そう言う方が却って貴重なんだよ。タイプが違うんだ、周りに合わせて同じ事やっても仕方ねえだろ」
「……わたしに、諦めろって言うの?」
「違う。向き不向きってレベルじゃねえ、端から分野が違うのに関係のない努力なんて要らねえ事しても仕方ねえだろ。世の中、努力じゃどうしようもねえ壁なんて幾らでもあるんだよ」
 何が言いたいのか、ルイズにはさっぱりわからなかった。
 励ましている、慰めているなんて態度じゃない。
 垣根はいつものように、どこか舐めた様子で話している。
 お偉い能力者サマの上から目線の話は、『ゼロ』のルイズには難しすぎた。
こみ上げてくるイライラに、表情が曇っていくのが自分でもわかった。
「時間の無駄だな」
 その。
 垣根の一言に、ルイズは拳を握った。
 噛み締めた奥歯が鳴った。
 力のこもった目頭が熱くなる。

 今までの努力を、苦労を。
 ルイズのしてきた一切を切り捨てるような一言が腹立たしかった。
 他人事のように関心のない言葉が悔しかった。

「なによ」
 握りしめたのが細い自分の指なんかじゃなく杖なら、きっと今までで一番の爆発が起こせる。
 そんな気分にルイズの肩は震えた。
「なによ! あんたにはわかんないわよ! 頑張って頑張って、それでもどうしようもなくって、悔しい思いなんかした事ないんでしょ?」
 そう叫んだルイズの声に重なるように。
 ガシャン! と垣根を中心にして一斉に甲高い音が響く。
 突然の事に思わず目を見張れば、無事だった窓ガラスも粉々に砕け、窓の外へと落ちていった。
 おまけにずれた机がところどころ教室の下の方へと落ちている。

 一瞬だけ震えた空気は、もうシンと静まり返っていた。
 音も煙も立てず、突然それは起きた。爆発、と言っていいのかはわからないが、他にふさわしい言葉がみつからない。
 ただ、ルイズのそれとはまるで違う。
 衝撃だけが室内を一掃したようだった。
 恐らくは、それを引き起こした張本人は、何故かルイズにも負けないような不機嫌な顔をしていた。
「知らねえよそんなもん。それ決めてるのはお前自身か? どっかの馬鹿の勝手な評価になんざ、黙って従ってられるかよ」
「なに、それ。えっと……人の言う事は気にするなって事?」
 予想外の返事だった。
 そこだけ言葉を都合よく汲み取れば、そんな風に思ってもいいんだろうか。
 呆然とするルイズの前で垣根は苛立たしげに舌打つと、さっきまではきちんとガラスのはまっていた窓をどこかばつが悪そうに振り返った。
 そんな垣根の様子にちょっとした違和感を覚える。
 何となく、それはルイズにも覚えのある事だ。
 腹立ち紛れに爆発を起こして、後で我に返ると急に恥ずかしくなるような。
(なんで、こいつが怒ってるの?)
 さっきまでの怒りは驚きと、浮かんだ疑問に塗り潰されてしまった。
「あー、もうヤメだ。後は片づけが来るんだろ、メシ行くぞ」
 すっかり見通しのよくなってしまった教室を後目に、そう言って垣根はルイズを促すと、先に出て行ってしまった。
 何だか混乱してしまったルイズは、まだぐるぐるとする頭でその背中を見送っていた。
理解どころかなんだか上手く飲み込めない言葉の数々を反芻しながら。
 自分が見当違いの八つ当たりをしていた可能性に気づいて真っ赤になるのはその少し後だが。
 幸い、遅れてきた使用人におかしな独り言を呟いているところを見られるだけで済んだ。




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[34778] 06
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2013/10/03 01:45



 本塔の最上階。
 学院長室の中では、重厚なセコイア製のテーブルに肘を着いたオールドオスマンが難しい表情を浮かべて掛けていた。
「ううむ」
 長い白い髪と髭を揺らし、そんな風に時折唸る学院長は、遠い過去の思い出に浸っている訳ではなかった。
 だからと言って、学院の運営や生徒の教育、はたまた各国の情勢。そんな多くの問題に頭を悩ませているのでもない。

 老人は皺だらけの指で、苦心しながら鼻毛を抜いていた。
 暇だった。

 若くて有能、おまけに美人の秘書にいつものようにスキンシップをしようにも、忙しい彼女は丁度出かけている。
 つい先程慌てた様子で入ってきたコルベールは、すぐにまた出て行ってしまって今は部屋に一人だ。
 ぼんやりと、その事についてオスマンは考えを向ける。
「あいた!」
 うっかり引き抜いた一本が思った以上に痛かったのか、宙を仰いだ目に涙が滲んだ。


「オールドオスマン!」
 慌ただしいノックの後に飛び込んできたのは中年の教師だった。
「何じゃね。えーと……コル、コル」
「コルベールです! そんな事より大変な事がわかったんです。あの、ミス・ヴァリエールの使い魔について」
 息巻くコルベールに、いつものボケの調子を崩されたオスマンはゆっくりと首を振った。
 差し出された本の表紙を目を細めて改める。
「『始祖ブリミルの使い魔たち』、フェニアのライブラリーにしまわれとった古い資料をわざわざ引っ張り出してくるとは。また君は随分彼を気にしているようじゃの」
 本塔内部にある図書館、ハルキゲニアが始祖によって開かれて以来の歴史が収められているとすら言われるその中の一画。
 教師のみ閲覧を許された貴重な文献を収めた書庫の名を上げて、オスマンは呆れたようにコルベールを見た。
「それは……人を使い魔にするのはかつてない事です。考えられるものだけでも問題も多いでしょう。加えて彼の性質は見る限りでも――温厚な聖人君子とは言い難いものだ」
 コルベールは彼にしては珍しく、苦い顔をしてそんな風に言葉を濁した。
「いや。気にするほどの事もないじゃろう。私もちょくちょく様子をみとったが……昨日の夜も、それこそなーんにも無かったからのう。なーんにも」
 つまらん、と洩らすと途端にコルベールの目が厳しくなった。

 はっとして、オスマンは目の前の教師の人柄を思い出していた。
 ジャン・コルベール。『火』系統の『トライアングル』クラスメイジ。奉職して二十年になろうかと言う、学院でもベテランの真面目な教師だ。
 いい歳をして浮いた話とも無縁の堅物で、奇妙な研究に血道を上げている事も学内では有名な話だった。
 そんな男にオスマン得意のこの手の冗談が通じないのは、まさに火を見るより明らかだ。
 責めるような視線から顔を背けると、オスマンは余計な追求をされる前に口を開いた。
「いや、いやいや? なんじゃあの。君は心配し過ぎる所があるらしいな? そんな事だから頭が……オホン! いやいやいや! ほら、彼は大丈夫じゃろ、今だって大人しく授業を受けて――ん?」
「……どうしました」
「あー、何やらあったようじゃなあ」
 オスマンが壁に掛かった『遠見の鏡』で丁度彼らがいるだろう『土』の塔の教室を見てみると、騒がしい室内の様子が映し出された。
 教室の中は何やら物が散乱し、あちこちが荒れていた。
 使い魔が暴れ、生徒は取り乱している。
 その惨状を目にするや、顔色を変えたコルベールは慌てて駆け出していた。
 声を掛ける間もなく、オスマンはそれを見ているしかなかった。


「なんと言うか。いやはや、若いの」
 長く生きた彼からすると、コルベールのような男でもまだまだ青いと思うくらいだ。
 勢い、情熱、活力。
 人生において、足を前に進めるそれは、なくなりこそしないがそんな熱も年とともに段々と鈍ってしまう。
 子どもに囲まれたこの環境では余計に気付かされるものだった。
 オスマンがぼんやりとそんな事を考えていると、控えめに扉が叩かれた。
「おー、コルベール君。待っておったよ」
 二度目の来訪に、オスマンはふざけてウインクなどしてみたが堅物教師から特にリアクションは返ってこなかった。
「遅くなって申し訳ありません」
 どうだった、と問い掛けると、コルベールは安心したような顔で首を振った。
「恥ずかしながら、私の早合点だったようです。しかし、ミス・ヴァリエールの事はまだ気がかりですね」
「おや、今度は彼女の心配かね。使い魔の方の話をしとった気がするんじゃが」
 机の上の『始祖ブリミルの使い魔たち』を手に取ると、コルベールは紙面を捲り始める。
「ええ、あの少年に刻まれたルーン。気になって調べてみたんですが――」
 あるページに差し掛かると手を止め、オスマンの前に広げた本を置いた。
 それを覗き込んだオスマンは目に留まった記述に顔を上げ、コルベールを見つめる。
 頷く彼の顔は真剣そのものだった。
「『ガンダールヴ』、始祖ブリミルの使い魔の一つに刻まれていたとされるルーンと一致しました」
 隣に並べられた、ルーンのスケッチと見比べてもそれは確かだった。
 ギョーフ、ウル、ニイド、ダエグ、オシラ、ラグ、フェオ。
 一字も違わず刻まれたルーン。
 その事が示す可能性にオスマンは眉をひそめた。
 刻まれたルーンによって、使い魔がそれまでなかった能力を得る事は珍しい事ではない。
 通常の寿命より長く生きる事や早い成長も、種族によっては言葉を解し話す事も有り得る。
 ならば。
 伝説とされた使い魔のルーンは、あの少年に何を齎すと言うのだろうか。
「確かそれは、戦闘に特化した使い魔だった。そうじゃな?」
「ええ。姿形は伝えられていませんが、呪文詠唱の間、無防備になる身を守る為に始祖はその使い魔の力を用いたとされています」
「そう、『ガンダールヴ』は並みのメイジでは歯も立たぬ強さを誇り、千人を相手取り戦ったともされる。時に、コルベール君」
 オスマンは視線を上げると、おもむろにテーブルの天板を叩いた。
 魔法によって修理されもう目立った傷はないが、間違いなく昨日使い魔の少年、垣根が背から生やした翼で両断したものだった。
「彼が君の魔法を退け、これを壊したのはルーンが刻まれる前じゃったかな」
「はい。『コントラクト・サーヴァント』は確かにその後、私とあなたの前で行われましたね」
 その時の学院長室の出来事を思い返しながら二人は頷きあう。
 あの少年が起こした奇妙な現象は、『ガンダールヴ』とは無関係なのだろうか。
 そんな疑問と、新たな不安が胸中に起こる。
「彼は何者なんじゃろうか」
「私も、それが気になっているんです」
 数秒の沈黙の後。
 はあーっと大きく息を吐くとオスマンは髭を撫で始める。
「ルーンが同じだからと言って、決め付けるには早計かもしれん。しかし、もしそうだとしたら」
「どう思われますか」
「今は何とも言えんが……面倒な事になりそうじゃなあ」
 それまでの退屈を吹き飛ばす出来事を前に、オスマンの顔は浮かなかった。
 その時、扉が大きくノックされた。
「オールド・オスマン」
 耳慣れた秘書の声に、オスマンはふっとそれまでの緊張を解いたようだった。
「なんじゃ、ミス・ロングビル。あー、昼食なら、ちょっと間に合わなかっただけじゃ。私もまだそこまで耄碌しておらんよ」
「それでしたら、後で食堂の者に申し付けておきますわ。でも、伺ったのはその事ではありません」
 扉を開けたミス・ロングビルは眼鏡の奥の理知的な目に僅かな疲倦を浮かべているように見える。
「広場で生徒達が騒いでいます。止めようにも、騒ぎが大きく上手くいかないようです」
「どこの貴族も皆同じか。暇を持て余すとどうにもなあ。で、誰が暴れておるんじゃね」
 挙がった名前は当代の当主が元帥を勤めるグラモン家の三男坊。
 戦でも色事でも有名だった親の血は争えないのか、と呆れたオスマンだったが、続くミス・ロングビルの言葉にその態度は一変する。
「それと、ミス・ヴァリエールの召喚した平民の少年です。何でも、これから決闘を始めるとか。教師達は事態の収拾に『眠りの鐘』の使用許可を求めておりますが、いかがなさいますか」
 ロングビルの問い掛けに二人は顔を見合わせた。
 険しい顔をするコルベールに、オスマンは首を振った。
 いやに落ち着いた、そう見える態度だった。
 普段の飄々とした姿が嘘のように。オスマンは毅然とした口調で続けた。
「いや。逆にいい機会かもしれん。少し様子をみるとしよう。ミス・ロングビル、『眠りの鐘』の使用は許可しよう。但しこちらの合図を待ってもらいたい。無論、次第の責の一切は私が負う。仮に何が起きても、じゃ」
 オスマンがそう言って目配せすると、ミス・ロングビルの足元に小さな影が駆け寄る。
 白いネズミはちょろちょろと彼女の足の周りを回ると、ちゅうと一鳴きして前足を振った。
「合図はモートソグニルに任せる。ああ。おかしな事はさせんから邪険にせんでやってくれ」
「わかりました。くれぐれも、、、、、お願いします」
 ネズミをしっかりと捕まえた上で即座に出て行った秘書を見送ると、二人の教師はそれぞれ興味と不安に満ちた面持ちで鏡を覗き込んだ。


*  *  *




 余計な事を考えるのが嫌になるくらい天気がいい。
 高い日差しを浴びながら、垣根は青々とした芝生に目をやった。
(寝転んで昼寝とかしたら、気持ちいいもんなのか?)
 今まで余り縁の無かった長閑な光景に、垣根の頭にも似合わないそんな発想が浮かぶ。
 実に呑気な事を考えながら足を進める垣根は、ヴェストリの広場に差し掛かった。
 視線を前に向ければ、遠目にも興奮を抑えきれないと言った様子の観衆が目に入る。
 垣根が薄暗い中庭に足を踏み入れると熱のこもったざわめきが波のように広がった。
 集まった生徒達の好奇の視線を一身に受けて、垣根は少し不服そうに眉を寄せた。
「注目されんのは別に慣れてるけどよ、ギャラリーが揃ってナメきっていやがるのはな。ムカつくぜ」
 そんな事の発端は、ついさっき。
 昼食時の食堂で起きた。


「また床って訳にもいかないでしょ。まあ、取りあえずお昼は別のところで食べなさい」
 教室の片づけもそこそこに、食堂にやってきたルイズは朝同様に床に座ろうとした垣根を制した。
 きょろきょろと辺りを見回すと、近くで給仕をしていた使用人に声を掛ける。
「ああ、そこのあなた。黒髪のあなたよ」
「へ? 私ですか? あっあのミス、何の御用でしょうか」
 銀のトレイを抱えたメイドはルイズの声に気付くと早足で寄ってきた。
 派手な髪色の多い学院内でも珍しい、黒い髪のメイドだった。
 それで目立つせいだろうか、垣根はその顔にどこと無く見覚えがあった。
「ええと、あなた名前はなんて言ったかしら」
「あの、シエスタと申します」
「そう。シエスタ。あなたは今朝部屋に来たから知ってるでしょうけど。こいつは私の使い魔のテイトク・カキネよ」
「え、ええ。存じてます。ミス・ヴァリエール」
 見覚えがあるのもその筈。
 そう言われれば、朝ルイズが着替えを手伝わせていたメイドだったような気がした。
 正直、使用人や下っ端の顔などいちいち見ていないから垣根にも断言出来ないが、本人達がそう言うのだからそうなんだろう。
「見ての通り人間で、その上平民だから食堂で席に着かせるのもどうかと思って。テイトクにどこかで食事をさせて欲しいんだけど頼めるかしら」
「はっ、はい! かしこまりました」
 どことなく、びくびくしているメイドにルイズはツンと澄ましてそう命じた。
 こう言う所は確かに貴族のお嬢様らしい、と垣根は少し感心した。
「ありがとうシエスタ。何か用意させるのも面倒でしょう。このテーブルから適当に持っていって構わないから」
 すっかりお嬢様な顔のルイズの言葉に繰り返し頭を下げてからメイドは恭しく料理を取り分け始めた。
 そんな様子を垣根がぼんやり眺めているとルイズがふと視線を向ける。
「いい? 食事終わったら真っ直ぐここに戻って来る事。ちゃんと待ってなさいよ? くれぐれも、勝手な事しないでよね」
「あー、わかったわかった」
 適当に返すと、垣根は準備を終えたメイドの後をついて行く事にした。


 食事は、厨房の隅でとる事が出来た。
 どこから持ってきたのか、使い込まれた厨房には似合わない小奇麗な小さなテーブルが並べられた。その上にはきちんとしたセッテングがされている。
 勧められたワインを断ると、垣根は小さく息を吐いた。
「観察されながら、ってのは落ち着かないんだけどよ」
 さっきからじっと見つめてくるメイドにそう洩らす。
すると黒髪を揺らしてカチューシャを着けた頭が勢いよく下がった。
「あっ、すみません! 失礼しました」
「別に出てけとまでは言ってねえけど。後、酒より熱い茶の方がいいな。砂糖抜きの」
 恐縮して後ずさるのがあんまり哀れで、垣根はそう付け足した。
 垣根が食べ始めてから少しして。メイドはポットを持って戻ってきた。
 カップに茶を注ぎながらそっと垣根の顔を窺ってくる。
「あの、ミスタ・カキネは本当にその……平民なんですか?」
「杖無し、マント無し、魔法も無し。生まれが違うからどう言ったもんか知らないが。そう言う意味ならここじゃ俺も平民だな」
 何でだ、と聞き返すとメイドはおずおずと答えた。
「いえ、朝もそうでしたけどミス・ヴァリエールとも何だか対等に話してらしたし、ミスタはとっても堂々としてらっしゃるから。『ミス・ヴァリエールが平民を使い魔にした』って話は本当なのかって気になったんです」
「生まれで相手に引け目感じる事なんてなかったからな。相手に媚びへつらうなんてした事もねえし」
「勇気がありますわね」
 感心したように洩らすメイドはもちろん知らないだろうが、生まれも身分も能力も、他人に対して引け目も負い目も感じた事は垣根にはほとんど無かった。
「あいつの話って使用人の間でも有名なのか?」
 魚の形をしたパイ包みにナイフを入れながら、ふと垣根は尋ねた。
 まあ、貴族だらけの学校でもあの身分、その上魔法の事があっては名が知れていない方がおかしな事態かもしれないが。
「それは、その……お気を悪くしないで下さいね? ですけど、ミス・ヴァリエールは噂なんかよりずっと素敵な方ですね」
「……そうか?」
 うっかり落しかけたナイフを持ち直して、垣根は半分呆れ、残りは真剣に聞き返す。
「ええ。とっても偉い方なのに私なんかを気に掛けて下さったし、ミスタの事も大事にしていらっしゃるじゃないですか」
 にっこりと笑って言うメイドの顔は屈託の無い、実に明るいものだった。
 それからさっさと目を逸らすと、垣根は食事を再開する。

 知らない人間からはそんな風に見えるのか。
 それともこちらの平民事情がそこまでのものなのか。
 垣根にはその点の判断がつかなかったが、能力者に置き換えて考えてみればなんとなく納得出来た。
「無能力者にも隔てなく接する超能力者レベル5、なんてのが居るなら、まあ低いヤツらからはそう思われんのかね」
 ある意味では、そんな事で差別はしない垣根も似たようなタイプと言えるかもしれない。限りなく悪い意味で、と余計なものがつきそうな自分の事は棚に上げて垣根はしみじみと呟いた。


 食事を終えた垣根は先程の言いつけを守ってルイズの所へ向かっていた。
 後でうるさく言われる事を考えれば、従っておいた方が厄介が減る、くらいの理由だ。
「あ? 何だ」
 コツン、と靴に何かぶつかった。
 下を見ると、床の上にガラス瓶が転がっていた。
 中には鮮やかな紫の液体が入っている。
「香水か何かか?」
 蓋を軽く外して手で仰いでみれば、華やかとでも形容できそうな強い香りが立ち上った。
「ふうん。まぁ、悪く無さそうな趣味だな」
 見知らぬ持ち主をそう評してから、垣根は瓶の中身を手首の上に一滴垂らしてみた。
 軽く擦って少し馴染ませてやるとふわっと香りが広がる。
 女物と言うほど甘さも強くなく、上品そうな印象だ。
「おっと、あいつ拾ってくんだったな」
 道草を食っていてつい忘れるところだった。
 朝、ルイズの座っていた辺りに足を向けたが、既に食事を終えてしまったのかその姿はない。
 垣根が小柄なルイズを探して二年生のテーブルの間を歩いている時だった。
「おい、君」
 突然の背後からの呼びかけに振り返ると、何やら険しい顔をした男子生徒が垣根を見ていた。
 巻き毛の金髪に派手なシャツが特徴的だったが見覚えはない。
 マントの色からしてルイズと同学年のようだから、すれ違うくらいの面識はあったかも知れない。
 だが、垣根の頭も興味の対象外まで一々記憶している程暇ではなかった。
 無視してやり過ごそうとした垣根の背中に苛立った声が繰り返される。
「君、ちょっといいかな」
「ああ? 何だよ」
 その少年は立ち上がると、垣根の目の前までやってくる。
 じろじろと眺め回してからもう一歩寄った所で急に顔を顰めた。
「その香水だがね。まさか君――」
「香水? ああ、これか」
 垣根はポケットから先程拾った小瓶を出すと翳して見せた。
「……そうだ。どう言うつもりでそれを着けてるんだね。こっちに渡して貰おうか」
 睨みつけてくる生徒にも、何やら因縁をつけられている内容にも覚えがなく。
 垣根は眉をひそめた。
 その時、垣根が出した瓶を目にした近くの生徒が驚いたように声を上げた。
「おお? その香水はもしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」
「そうだ! その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分のためだけに調合している香水だぞ!」
「ん? なんだどうした、そいつ使用人か?」
 そんなやりとりを聞いて、垣根の頭の中でパチンとピースが噛み合った。

 恐らくは女だろう、その香水の元の持ち主と関わりがあるらしいこの男。
 軽く着けた程度の垣根からそれを嗅ぎ取った辺り、余程よく知っているのだろう。
 特別なもの、と言う所から察すれば色々と想像も出来る。
 多分この男に、と言うか気に入った相手にその女が贈った物なんだろう。

「なんだ。心配すんなよ色男、こいつはちょっと拾っただけでテメェの女に手なんか出してねえから」
 落としたプレゼントを探しているだけとは思えない相手の不機嫌さも合わせて、垣根はそんな風にかまを掛けてみた。
 垣根がにやっと笑いながら瓶を振って見せると、金髪の取り巻きらしい数人が揃って顔を見合わせる。
「ギーシュ、お前決まった相手はいないなんて言って、モンモランシーとつきあってるのか!」
「なんだよ、さっさと言えよな」
「違う。いいかい? 彼女の名誉のために言っておくが……」
 何だ、どうやら予想は概ね当たりらしい。
 しかしだからどうと言う事もない。
 見知らぬ他人の浮いた話如き、垣根はさしたる興味も抱かなかった。
「何が違うんだよ。そいつのお気に入りと同じ匂いが俺からしたくらいでカッカしてんなよ」
「うわ? わっ、とと」
 背を向けて歩き出しながら、垣根が肩越しに瓶を放り投げるとギーシュは慌てた声を上げる。
 割れる音がしなかったから宙を舞った瓶は無事受け止められたらしい。

 問題は解決した。
 そう判断して早々に立ち去ろうとした垣根の背後で、不意に鋭い音とざわめきが上がった。
「さようなら!」
 涙混じりの少女の声を残して、場が一瞬静かになる。
 そして少し遅れて、水音と鈍い殴打の音が響いた。
「うそつき!」
 今度は別人の、呆れ果てたような怒鳴り声が響く。
 
 耳をそばだて無くとも聞こえるそんな小うるさいやり取りにも、我関せずと食堂内を見回していた垣根に再び憮然とした声が向けられる。
 既にテーブルの間を進んでいた垣根が律儀にも振り返ってやると、ワインに塗れたギーシュが何故かわざわざもう一度椅子に座り、気障ったらしく足を組んでいるのが見えた。
「君のおかげで、二人のレディの名誉が傷付いたじゃないか。どうしてくれるんだね?」
「傷付いたのはテメエのだけだろ。それも自業自得じゃねえか」
 どうやら意地でも自分の非を認めたくないらしい貴族様に、垣根は呆れた声で返す。
 しかし、ギーシュはなおも食い下がった。
「君が軽率にも瓶を拾い、勝手に中身を使ったからこんな事になったんだろう。僕が渡せと言った時に黙って従っていれば良かったんだ」
「元はテメエの勘違いだろうが。小さい事言ってんなよ二股ヤロー。挙げ句一貫して保身しか頭にねえとか情けなさ過ぎだろ」
 面倒なことになった、と垣根がうざったそうに返すとギーシュは真っ赤な顔をしていた。
 図星を突かれて余程頭に来たのか。
 それとも被った酒が回っているのか、どうでも良かった。
「女の方もそこそこ頭に来てるって事は、少なくともお前は掛けられてなかったんだろ? 不安の種が減って良かったんじゃねえの」
 モテる男を気取っていたのか。そんなギーシュの程度の低さにうんざりしながら、垣根は形だけは慰めるような言葉をかける。
 しかしそんな気遣いもお気に召さなかったらしい。
「どうやら君は、とことん貴族に対する礼を知らないようだね。ん? なんだ。見た顔だと思ったら、ルイズの使い魔か」
 じろりと垣根を眺めまわして、ギーシュは鼻を鳴らした。
「まあ、あの『ゼロ』のルイズの使い魔の……それも平民に貴族の機微を理解しろなんて、無理が過ぎるね。期待した僕がいけなかった」
「何だよ。人が親切に落とし物を返してやったってのに喧嘩売ってんのか。俺にふっかけたところでテメェの憂さは晴れねえと思うけどな」
 そんな風にギーシュに馬鹿にした態度をとられても、垣根は何も感じなかった。立っている位置が違いすぎて、一々腹を立てる気分にもならない。
 逆に。その虚勢に、愚かさに見ているこっちが哀れな気分になる。
 そんな相手を前にして垣根はどこか懐かしいような既視感を覚えていた。
 丁度、学園都市でも似たような経験をしている。

 馬鹿がほんのちょっとの気晴らしと小遣い稼ぎの為に突っかかってくる、なんて事は路地裏に足を踏み入れれば日常茶飯事だった。
 レベルの低い能力者や無能力者にはたまったものではないだろうが、垣根にすればちょっと服の埃を掃うようなものに過ぎない。

 学園都市表の顔。高名な常盤台の『超電磁砲レールガン』。
 個性的過ぎる容姿に悪名高い最強の超能力者『一方通行アクセラレータ』。
 そんな二名と違い、同じ超能力者でありながら、暗部に身を置いていた『未元物質ダークマター』は顔も名前もその能力もほとんど割れていなかった。
 その所為か、垣根は身の程も知らない残念な少年達によく絡まれた。
 仕事帰りに同業のドレスの少女と偶々連れ立ってなんかいると、その倍率はぐんと上がっていたような気がする。
 そんな運の悪い、可哀想な格下連中には現実の厳しさをちょっと身に染みてもらってから、さっさとお家に帰ってもらっていたが。
 目の前の、彼らとはちょっとタイプの違う残念な少年に垣根は少し同情していた。

 これだけの衆人環視の中で二股はバレる、挙句修羅場。
 今だってひどい格好で醜態は晒す。
 おまけにそうとは知らず、垣根帝督に喧嘩を売ろうとしている。
 どう考えても、今日一番不幸なのはこの男だろう。

「いや、これ以上惨めな思いしたくなけりゃ止めといた方が身のためだぜ」
普段ならまずあり得ない、精一杯の親切心で垣根は忠告した。
 しかし呆れたようにそんな事を言う垣根の態度は、誰がどう見ても舐め切ったものだった。
 そこには貴族だとか平民だとか、身分の差も関係ない。
 単純に相手を自分より下に見ている、それを隠そうともせずに垣根はただ鬱陶しそうな目をギーシュに向けていた。
 ギーシュはそれに目を光らせた。
 相当頭にきているんだろう、眉が、肩がひくついているのが傍目にもわかる。
「いいだろう。君は少しばかり勘違いをしているようだ。直々に身の程を教えてやろう。丁度いい腹ごなしだ」
「さっき止せって言ったよな? 三度まで待ってやるほど、俺は優しくねえぞ」
 ギーシュは立ち上がると、一度息を吐いた。
 少しは気分が落ち着いたのか、さっきまでの気障な態度を戻すとさっと片手を上げる。
「威勢がいいのは口だけかな? しかし平民の血で貴族の食卓を汚すわけにもいかないだろう。ヴェストリの広場で待っている」
 終始ロクに話も聞かず――まあそれはどっちもどっちだが――芝居がかった風にそう言うと、ギーシュはマントを翻して食堂から出て行った。
「あの、ミスタ? 今の話は……」
 振り返ると、眉を寄せてそう尋ねてくるのはさっきのメイド、シエスタだった。
 丁度近くで給仕をしていたのか、やり取りを耳にしていたらしい。
「聞いてたろ。これからあの貴族様と決闘だとよ」
「貴族と決闘なんて……殺されちゃう……」
 他人事のように軽く言い放つ垣根とは対照的に、真っ青な顔をしたシエスタは逃げるようにその場から去ってしまった。
「なんだよ、ヴェストリの広場ってのがどこか聞こうと思ってたってのに。使えねえな」
 後に残された垣根は、見張りのつもりなのか一人残ったギーシュの取り巻きの不愉快なにやにや笑いを一瞥すると頬を掻いた。
(さーて。どうすっかね。先にルイズを見付とかねーと後が煩そうだ。だがまぁ、つけ上がった馬鹿を放っとく事もねえしなあ)
 ルイズか、ギーシュか。
 どっちの馬鹿の相手をするのが先か、なんて垣根が暫く頭を悩ませていた時だった。
「何してんのよ! このバカ!」
「お」
 これが話に聞いた使い魔と主人の念話能力テレパスだろうか、と冗談半分に下らない事を考えながら。
 垣根は駆け寄ってきたルイズに一応の挨拶代わりに軽く手のひらを上げた。
「シエスタに聞いたわよ! 何勝手に決闘なんか約束してんのよ!」
 あのメイドは、偶然にも席を外していた御主人様に使い魔の一大事を伝えていたらしい。
 大方、戻ってきたルイズとたまたま行き会ったとかそんな所だろうが。
 もしあえてしたのなら、何とも殊勝な事だと感心と呆れを交えてそんな事を思うと。
 垣根は半目でルイズを見下ろした。
「いや、あいつが売ってきたんだって」
 言い訳をする気は無いが、一応の弁明を含めて事実を報告する。
「なら何で買ったりするのよ」
 意味わかんない、とばかりに顔を顰めるルイズに、垣根は肩を竦める。
「俺だって好きで格下なぶる趣味はねえし、情けくらいは掛けてやる。でも、刃向かってくる馬鹿を見逃してやる程優しく出来ちゃいねえんだよ」
 善悪どちらかなどと言うまでもなく、垣根は悪人の側だ。
「……どうしても?」
 一転して、ルイズは心配そうな顔をした。
 しかしそれが垣根自身に向けられているのでは無い事はすぐにわかる。
 昨日の一件で、教師の一人を退け学院長に歯向かおうとした垣根の実力はルイズだって理解している筈だ。
 短い付き合いだが、主人同様。気の長くない使い魔の性質もある程度わかっているだろう。
「別に殺しはしねえよ。後が面倒だからな。ちょっと身の程を教えてやるだけだ」
「あのね、貴族相手に怪我させたって大問題になるわよ。大体あんたは何ですぐ殺すの殺さないのって物騒な事言うの」
 眉を寄せて、ルイズは食い下がった。
 聞いたところでわかる筈もないだろうに何を、と垣根は苛立ちを募らせる。
「だからしねえ、って言ってんだろ? わからねえかな。俺はそんな事軽く出来るが、そこをそうはしねえってあえて教えてやってんだろーが」
「そんなのわかんないわよ。出来る出来ないの話じゃなく、命なんて軽く扱っていいものじゃないんだから」
「……そう言うマトモな意見久しぶりに聞いたわ」
 真剣なルイズを前に、ふっと垣根の肩から力が抜ける。

 目から鱗が落ちた、と言うのはこんな気分を言うんだろうか。
 いきものはだいじにしましょう。
 まるで子どもにそう聞かせるような。
 そんな馬鹿馬鹿しいくらい単純で真っ直ぐな言葉が恥かしげもなく口に出来る辺り、コイツは純粋培養のお嬢様らしい。
 やっぱり、根本から違う育ち方をした生き物だ。

 垣根は改めてそう実感した。
「あんたでもちょっとはわかったかしら? わかったら――」
「あーわかったわかった。一つ、雑魚共の骨の髄まで刻んでやるか。絶対的な壁、力の差ってヤツをよ」
「ああもう! 使い魔のくせに勝手な事ばっかりするんだから! ほんっっっとに信じらんない!」
 そんなルイズの叫びを無視して。垣根は近くに残っていた馬鹿の取り巻きAに声を掛ける。
 一先ず広場まで案内させながら、後をついてくるルイズに一瞬だけ目をやった。




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[34778] 07
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2012/12/01 00:42



 『風』と『火』、二つの塔の間にあるヴェストリの広場。
 学院の西側、日当たりの悪いそこは食後に一休みしようなんて思うような快適な場所ではなかった。
 しかし、今や中庭は押し寄せた学院の生徒達で埋まっていた。
 ごった返す生徒達の間に混ざって広場を見守るルイズは、眉をひそめ不満も露に垣根の心配をしていた。
 勿論、ギーシュに負けるとか大怪我をするとか、そんな事は考えてもいない。
 頭を悩ませているのは、その逆だった。
(ほんとにもう……オークや火竜じゃないんだから。頼むから暴れて周りに迷惑かけないでよ)
 むくれて腕を組みながら、ルイズは広場の中央に進む垣根を睨んだ。
 攻撃的な態度を隠しもしない垣根を見ていると、ルイズは人慣れない凶暴な幻獣を前にしたような気分になる。
 勝手はする。
 制止は聞かない。
 おまけに手どころか何だか物騒な翼が出る、となるともうどう対処したものかわからなくなってしまう。
 しかし、垣根も人間だ。
 本人がしないと言ったからにはギーシュにそこまでひどい事もしないだろう。
 まだ掴めない使い魔の、良心を信じるくらいしか今のルイズには出来なかった。

「とりあえず、逃げずに来た事は誉めてやろうじゃないか」
「その台詞、テメェにそっくり返してやるよ」
 生徒達の歓声に応え、腕を振っていたギーシュは相変わらずの気取った調子で歌うように口にする。
 対する垣根は、どこか気の無い様子だ。
 身構えず、逸らず。
 広場の熱気も、目の前のギーシュさえ関係がないような。
 そんな温度の低い目をして立っていた。
「さてと、では始めるか」
 薔薇の造花を弄んでいたギーシュは、余裕たっぷりにそう言うと地面に向かって優雅に杖を一振りする。
 舞い落ちる花びら、そして囁くような詠唱の後に現れたのは甲冑を着込んだ女戦士の像。
 薄く指す日に金属製の肌を照り返す乙女は恭しく礼をしてみせた。
 満足そうにそれを眺めたギーシュは、垣根に見下すような目を向ける。
「僕はメイジだ。だから魔法で戦うが……よもや文句はあるまいね」
「いいや。しかしそれも魔法か。面白え」
 まるで称賛するように軽く口笛を吹くと、垣根はギーシュの魔法を窺うように目を細めた。
「言い忘れたな。僕の二つ名は『青銅』。青銅のギーシュだ。従って、青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手するよ」
 芝居の幕開けのように、気障ったらしく名乗りを上げるとギーシュは広場を振り返った。
 愉快そうな声援が応える。
 ちらほらと平民を哀れむような声も混じっていたが、それも嘲笑に過ぎない。
「ああ、後これは僕のほんの心遣いだ」
 ギーシュは微笑んでまた杖を振ってみせた。
 花びらが一枚地面に落ちると、たちまち一本の剣に変わる。
 ザクリ、と音を立ててそれは垣根のすぐ横に突き立った。
 ギーシュが投げて寄越した剣はどうやらお情けのつもりらしい。
「わかるかな? 剣、つまり『武器』だ。平民どもが、せめてメイジに一矢報いる為に磨いた牙だ。魔法を前に、臆せずそれを突き立てる気があるのなら、その剣を取りたまえ」
「わざわざどーも。しかしなあ、切れんのかそれ。青銅だろ? 叩いて使うレベルじゃねえの。平民如きにゃこれで充分なのか、それともその面ボコボコにして欲しいのか」
 垣根はあまり興味がなさそうに地面に刺さった剣を眺めてから、ギーシュに向かって口元を歪めた。
「ちょっとテイトク、あんまりふざけないでよね」
 見かねてルイズは声を上げた。
「黙って見てろ御主人様。くだらねえショーもどうせすぐ終わりだ」
 顔を顰めたギーシュに対し、ルイズを軽く仰いだ垣根は火に油を注ぐような事を言い放つ。
 それに眉を寄せるルイズの目に、ふと見慣れた派手な頭がこちらを向いたのが映った。
 この群衆でも目立つ赤い髪、キュルケは近くの人垣を払うとルイズの隣に並んできた。
「あらルイズ。彼、止めなくていいの?」
「もう止めたわよ。でもあのバカったら聞かなかったの。後は無事を祈るしかないわね」
 文句も言った、ルイズも出来るならきちんと説得もしたかったが、元より大人しく言う事を聞く垣根でもない。
 一応、立場は平民である垣根に生徒の、貴族の決闘が禁止されている、なんて事は止める理由にもならなかった。
「何だかんだ言って心配してあげてるんじゃない」
 微笑ましそうにキュルケはくすりと笑ったが、ルイズは首を振った。
「祈るのはあいつじゃなくてギーシュの無事よ」
 訝しげに使い魔を眺めてため息まで吐くルイズに、キュルケは不思議そうに首を傾げた。

「後、何だ。こう言うのってこっちも名乗るもんなのか?」
「まあ、決闘の際は互いに名乗るものだが……」
 それは貴族同士の決闘におけるマナーだ。
 しかし、平民の名前を聞いた所で大した意味はない。
「まぁ、いいや。俺は『未元物質ダークマター』帝督・垣根だ。わざわざ覚える必要はないぜ? イヤでも忘れられなくなるだろうからな」
「くっ……そんな口が利けるのも今の内だ」
 ギーシュがさっと杖を向けると、ゴーレムは素早い動きで進んだ。
 重厚そうに見えて、人間並みの速度で動く。
 無手だが、固く握られた重い拳が振るわれればその破壊力は人のそれとは比にならないだろう。
 それを防ぐ手段も無ければただの人間など、今のように一対一であっても相手にならない筈だ。
 しかし、目の前に迫るゴーレムにも垣根は顔色を変えなかった。
 ポケットに手を入れたまま、防御の構えすら取らずに立っている。
 その無防備な腹にゴーレムの拳が叩き込まれた。
 グギリ、と低い音が洩れる。
 どっと観衆が沸いた。
 しかし。
「瞬時に構築、操作ときて魔法ってのもなかなかだと思ったが……実際威力はこんなもんか」
 拍子抜けだと言わんばかりに、垣根はそう洩らした。
 その顔は恐怖にも苦痛にも歪んでなどいない。
 期待を裏切られたギャラリーからはざわめきが上がり、ギーシュは片眉を顰めた。
 ルイズは、つい閉じてしまった目を開けて垣根を見ると。
 一瞬首を竦めてから頭を振った。
 我侭で傲慢で自分勝手な彼女の使い魔は、ほんの少しだが愉快そうに笑っていた。
「まぁ、それでも強能力者程度にはやれそうだな」
 ギーシュが振った杖に合わせるように下がるゴーレムの腕は、遠目には分かりづらいかもしれないが手首の辺りから曲がってしまっていた。
「……頼むわよーテイトク。こんな私じゃいざって時あんたを守ってあげられないんだからね」
 ルイズは呟くと手の中の杖を確かめるように握った。
 実家が公爵家だろうが何だろうが。
 まだ学生の、それも『ゼロ』の彼女に出来る事は少ない。
 今までだってそうだった。
(こんな事気にするくらいなら、もっと強く止めればよかったの? すごい能力者だって言うあいつに、私が?)
 しかし立て続けに思い知る自分の無力さに、ルイズは黙って唇を噛んだ。
 俯いた顔に掛かる髪が邪魔そうに揺れたが、それを掃う素振りは無かった。


*  *  *




 後ろ、横、斜め、前に半歩進み体を開く。
 まるでダンスのステップでも踏むように、軽い調子で垣根は動いていた。
 BGMはギャラリーの罵声と目の前のゴーレムが立てる耳障りな金属音。
 そして時折近くを過ぎる拳の風切り音だ。
(実際めんどくせえよなあ。あんまり目立っても何だろ? けど、能力使った所で平民じゃねえだの魔法だの。仕舞いには幻獣だとか、そんなの馬鹿な連中には勝手に言わしときゃあいい気もするが……)
 そう考えていた垣根の頭によぎったのは、学園都市の事だ。

 垣根自身は数少ない超能力者レベル5として酷使もされてきたが、レアケースとしてある意味大切にも扱われていた。
 事実、垣根自身を使い潰すような実験には積極的に参加はさせられていなかった。
 まあ、得られるメリットによっては更に人道無比な実験も行われただろう。
 その点は、垣根も特に気にしない。
(あそこまでじゃなくとも、珍しがってあれこれしてこようって連中が居ないとも限らねえ。こっちは雰囲気からして、宗教絡みの異端審問とかのがありそうか? まぁ、碌なフォローが期待出来ねえのにこんなギャラリーの前で派手な動きはしないほうがいいかもな)
 そんな事を考えながら、垣根は涼しい顔をしてゴーレムの攻撃を避け続ける。

 一般人程度のスピードで、ただ殴りかかってくるだけの人形など大した相手ではなかった。
 最初は興味があった『土』魔法も、あのドットメイジは今のところこのゴーレム以外は使ってこないらしい。
 足止め、不意打ち、幾らでもやりようはあると昨日今日魔法の知識を齧った垣根でさえ思うのにそれをしないのは、それほどまでに見下されているのか。
 レベルの低いお坊ちゃんには難しい話なのか。
 そしてそのゴーレムも、動力が電気か魔法かの違いのようなもので、学園都市でもよくあるロボットや駆動鎧のような装備とそう変わらない。
 しばらく見てしまえばすっかり飽きていた。
 そんな魔法の観察よりも、垣根は能力を派手に見せず、効果的にあの貴族を下して終わるかに思考を割いた。

 問題らしい問題と言えば。
 垣根にはいわゆる喧嘩の経験がほとんどない事くらいだ。
 いつだって、ほんの少し能力を使えばそれで全て終わってしまう。
 一方的な蹂躙、破壊と言う意味ならプロの域かもしれないが、単純な殴り合いなら垣根はてんで素人同然だった。

「よっ、と」
 ガィン!! と金属の打ち合うようなやけに鈍い音が響く。
 垣根は軽い調子で片足を上げると、ゴーレムの腹に靴底で蹴りを入れた。型も何もない、ただ脚を振り上げ、下ろしただけだ。
 バランスを崩した所でもう一発。それだけでゴーレムは呆気なく後ろに飛び、地面に転がった。
 すぐさま垣根は背を向ける。
 足を向ける先はギーシュが投げてよこした剣だ。
 それを抜き上げ、無造作に放るとゴーレムは標本箱に留められた虫のように地面に縫い止められた。
 その腹には虫ピンの代わりに剣が、鍔近くまで深々と刺さっている。
 ゴーレムは起きあがろうと手足を動かしたが体を起こす事は出来なかった。
 なまじ人の形をしているだけに薄ら寒い、滑稽な光景だった。
 再びそこに垣根は近付くと、仰向けに横たわるゴーレムの肩を踏み締めた。
「さーて、次はどう来るんだ? 魔法使いさんよ」
 グシャア! とまるで粘土細工のように、垣根の足の下で青銅のゴーレムが歪む。
「……思っていたよりはやるじゃないか。なら、これはどうだい?」
 軽く引きつった頬で笑うと、ギーシュは杖を振るい花びらを再び撒いた。
 続いて現れたのは五体のゴーレム。
 武器を手にした戦乙女が並んだ様はなかなかの壮観だった。
「いいぞー生意気な平民をしめてやれ」
「ギーシュ、遊んでないでやっちまえ!」
 娯楽の少ない学院生活で憂さ晴らしを期待する観衆は色めき立っていた。
 その一方、新たな刺客を向けられた当の本人の態度はまるで違った。
「なあ」
 きょとんと、一瞬目を丸くして。
 垣根はギーシュを眺める。
「馬鹿の一つ覚え、って知ってるか?」
 知らねーかな、と呆れたように呟くと垣根は左手で頭を掻いた。
「お勉強出来てよかったな。あー、つまんねえ、これじゃまるで俺が悪者だ」
 まるで興醒めしたように呟くと、コキコキと首を鳴らす。
「ついでにこの辺で一つ、絶望ってのも経験しとくか?」


*  *  *




 ギーシュは、ただただ目を見開いていた。
 思いもしなかった。
 信じられなかった。
 だが、目の前の状況は確かに曲げようのない事実だ。

 一体でも。
 五体でも。
 まとめて、引きつけて、囲んで。
 どうゴーレムを動かしても、どれだけ時間が経っても。
 ゴーレム達によってたかって殴りかかられたと言うのに、あの平民は倒れなかった。
 いや、見事な身のこなしと平然としたあの態度では――信じがたい事だが、ろくな傷すらついていないかもしれない。
 ただの平民が、貴族の魔法を前にして。
 そんな事があるのか。

 ギーシュの頭は余りにおかしな、非常識なその事態にどうすればいいのかわからなくなっていた。
 ゴーレムが次々と壊されてから後、不満そうに上がり煽る周囲の声はもう耳に入らなかった。
 そうしてぼんやりと立ち尽くすギーシュに、身の程を教えてやるはずだった相手は。
 ルイズの使い魔の少年はつまらなそうな顔をすると小さく肩を竦めた。
 無造作に、手にしていた曲がり、折れ傷んだ剣を投げ捨てる。
「なんだ。創造は出来ても想像は出来ねえみたいだな。別に、テメェをああしても良かったんだぜ?」
 そう言って平民の使い魔が親指で背後を指し、示したのは最初に壊されたゴーレムだった。
 腹を深々と刺され、上半身を踏み潰された女性形のワルキューレだったもの、、、、、、、、、、、が転がっている。
 平民の、垣根の言葉にギーシュは目を剥いた。
「そ、んな……僕は貴族だぞ」
「貴族は痛い目みねえのか? 殺されねえのか? テメェのクソみたいな認識が、常識が通じると思ってんのか? それともそっちのが好みかよ」
 続いて示されたのは文字通り叩き斬られた残りの五体だった。
 鈍器のような剣で無理矢理潰され、割り砕かれ歪んだ醜い断面を晒している。
「そもそも仕掛けて来たのはテメェだろ。人が親切に言ってやったってのによ。あ、やる気はあってもやられる覚悟はねえとか今更つまんねえ事言わねえよな?」
 ムカつくからよ、と呟いて。
 軽く、だらしないシャツの裾をはたくと垣根は空になった手をズボンのポケットに入れた。
 一歩、二歩。
 彼はゆっくりとギーシュに向けて歩いてくる。
「で、どうすんだ。テメェは俺の敵か? まだ刃向かってくる気があるなら、来いよ。人形でもテメェでも構わないぜ」
 知人に声を掛けるような、そんな気安い程に軽薄な声だった。
 しかしその目にこもる残忍な色を垣間見たギーシュの肩が震えた。
 目の前の平民はやる、と言っているのだ。
 出来る、ではない。
 その差は大きい。

 やろう、と決めて動くなら本来それには魔法さえいらないのだ。
 自分の腕でも足でも、その辺りに転がる棒切れでも地面の石でも着ているシャツでも構わない。
 炎の玉を、風の槌を、氷の刃を、岩の弾を必要としなくとも人は傷付けられる。

 人は、殺せる。

 人一人容易く傷付ける手段を両手に溢れる程持つ筈のメイジが、それを持たない筈の丸腰の平民に怯えていた。
 それは、彼が持たないものを平民が持っていたからだ。
 明確な殺意、傷付ける為の意志。
 それを込めて振るわれる力などギーシュは知らなかった。
 まして、自分に向けられるなんて考えた事さえない。
 まるで未経験の感覚。
 つう、と冷たいものがギーシュの背筋を伝った。
 全身に広がるその悪寒に、杖を握り締めた手が頼りなく震えていた。
 後、一体。
 即座にゴーレムを『錬金』し盾にするくらいの事は出来る。

 だが。
 その後は?
 最後のゴーレムを潰されたら?
 その後は、次はどうなる?

 見たくもないのに、意思に反してギーシュの視線は目の前の少年から更に後ろに吸い寄せられる。
 グシャグシャにされた人型の残骸の山。
 脳裏で、自分の姿がそれに重なる。
 理解は出来ないが、この場に圧倒的に君臨する少年はギーシュの元へと近付いてくる。
 三歩、四歩、五歩。
 もう、二人の距離はあれから半分も開いていない。
 恐らくは、その歩幅が自分の寿命なのだとギーシュは知った。
 距離がゼロに達した時、命が尽きるかもしれない。

 そして目の前の少年は、ギーシュと変わらない年頃の彼は、きっとそれを躊躇わない。
 次第に近付いて来る。
 冷め切った目を見てそれを実感した瞬間、声にもならない嗚咽がギーシュの喉をついた。
 花びらのほとんどを失った造花の杖がその手からぽろりと落ちる。
 そんな事など思いもしないだろう、呑気に見ていただけの生徒達の間から残念そうな、呆れたような声が次々と聞こえた。
 しかし、垣根の足は止まらない。
「あ、ま……まて」
「んー? 聞こえねえな」
 薄く笑う彼の顔は、楽しんでいるようだった。
 そう言って更に一歩踏み出した垣根の目の前が突如爆発した。
 広場に、一瞬の静寂が広がった。
「何だまたかよ。水差してんじゃねえ」
 唇を尖らせて、まるで諌められた子どものように不満そうな顔をして。
 垣根は群衆のうち一点を睨んだ。
「もう止めなさい」
 杖を翳したルイズがその先には立っていた。
 毅然とした主人の声で、小さな少女は離れて立つ自分の使い魔と確かに対峙していた。
「へえ、今度はお友だちの肩もつってのか。なかなかご立派な心掛けだなルイズ」
「そうじゃないわよ。杖を落としたら決闘はおしまい。あんたこれ以上続けてみっともない真似する気なの? 使い魔の恥は主人の恥なんだから」
「そんなルールあんのか。早く言えよ」
 場外から終了を宣告され、すっかり興味を無くしたらしい垣根はギーシュに最早目もくれずあっさりとその場を離れた。
「ちょっと、テイトク? どこ行くのよ」
「ん? あの木陰とか具合よさそうだろ、ちょっと昼寝してくる。何か気遣ってやったら、却ってこっちが疲れちまったんだよ」
 呑気にそんな事を言って主人から遠ざかっていく使い魔とそれを追う主人の姿。
 ギーシュはただぼんやりとそれを目で追っていた。
 ガクン! と足の力が抜けて無様に膝を着いたが、構っているような余裕はギーシュにはなかった。
 思い出したかのように耳に響く、鼓動の大きさに何故かほっとしていた。
 緊張の糸が切れて、やっと息を吐けたような気がしていた。


*  *  *




 コルベールは、眉を寄せたまま口を開いた。
 静かな、感情を押し殺したような声だった。
「オールド・オスマン。彼は」
「勝ったが、それだけだったのう。ワシらの心配も無用に済んだ。あの様子では、ミスタ・グラモンは遊ばれていたようじゃな」
 遠く、学院長室で成り行きを窺っていた二人もまた、ほっと息を吐いた。
「さて、あれは『ガンダールヴ』の能力なのか、はたまた彼の未知の力なのか。興味は尽きないのう」
「では」
 気遣わしげにコルベールはオスマンの結論を待っていた。
 コルベールは先程、王宮の指示を仰ぐ事も進言していた。
 万が一つ、『始祖の使い魔』の再来などと言う事態が起きれば王家や教皇府に黙っている訳にもいかないだろう。
 しかし、オスマンは重々しく首を振ると白い髭を揺らした。
「確証がある訳でも無し、ワシの一存でまだ仔細は伏せておく事とする。特に『アカデミー』には漏らすまい。次第によっては彼女達の為にならない事の方が多くなりそうじゃ」
 そんな学院長の英断に、しかしコルベールの顔は晴れない。
「危険かも知れない存在に極めて珍しく貴重なルーンが刻まれた。この事態はどう対処するんです」
「ワシの一存じゃからの、いざとなればワシがなんとかするしかないじゃろうなあ」
 いやじゃなー、なんてとぼけた様子で口にする老人に、コルベールは返す言葉がなかった。
 単に、ふざけている様子ではなかった。
 宙を仰いだ目はどこか遠くを眺めていたが、真剣みを帯びている。
 説得力、と言うより重厚な岩のような存在感が、言葉に偽りがない事を示しているようだった。
 昨日に続き、この枯れ老いたようにみえるメイジは、一筋縄ではいかない上にやはり底がしれないとコルベールは感じていた。
「あ、そうじゃった」
 ふと呟くと、オスマンはテーブルの脇に積まれた書簡の山をごそりと漁る。
 億劫そうに取り出した一通の手紙を一瞥すると深く、うんざりとした息を吐いた。
 上等そうな封筒に紋入りの封蝋、どこかの貴族から、生徒の家からの手紙のようだった。
「彼女の実家から娘の進級の是非について一報をと請われておったんじゃった……そんなのわざわざ学院長に聞かずに娘に一言尋ねれば済むと思わんかね?」
 まったく、近頃の親の過保護さはと呟くとオスマンは首を振る。
「じゃが、あの子にしてあの親御さんは黙っておったら『フライ』でここまで乗り込んできかねないからのう。取り敢えずは『進級には何も問題ない』としておけば……どうじゃろうコルベール君」
「間違ってはいないでしょうが、それ以外の点に問題がありすぎる気がしますよ。オールド・オスマン」
「正直に『お宅の娘さんがそりゃもう飛び切りステキ、、、、、、、な青年と契約しましたよ』なーんて書いたら」
「……どうなるんです」
 尋ね返すコルベールにちょん、とオスマンは翳した片手で自分の首の側面を小突いた。
「最悪、ワシと学院がヤバいかも」
 ふざけた言葉とは裏腹に、オスマンの目はどこか真剣だった。
 不意に、それまでの硬い表情を崩したコルベールは本を抱え直すと一礼した。
「学院長の一存にお任せしますよ」
「あ、ちょっとコルベール君! 君も少し休んだ方がいいじゃろ。良かったら休暇ついでに手紙を届けてくれんかね? おーい」
 静かにドアの閉まる音を残して、オスマンはまた部屋に一人きりになってしまった。
 彼の唯一の友人は、まだ秘書の手に拘束されている。
 独り寂しい老人はがっくりと肩を落とした。




=======

今回ろくに出番の無かった『未元物質』と『ガンダールヴ』、そして無駄に怖い思いをさせられたギーシュに合掌。
ついでにオスマン氏にも。上げるとその分下げたくなるので。
垣根はどうしてやろうかな。

あと禁書新刊が来年一月だそうですね!
今から楽しみで楽しみでちょっと不安もありますが、垣根の復活フラグから登場フラグに昇華した可能性が嬉しくて仕方ないです。

ので、更新頑張ってます。
せっせと書いて出来次第、年内は精一杯進めていきますので、どうぞはしゃぎっぷりを生温かい目で見てやってください。
筆者は垣根がまたひどいことにならないことを全力で祈っています。



[34778] 08
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2012/12/15 00:18




 垣根帝督が召喚され、トリステイン学院で過ごすようになって早いもので数日が過ぎた。
 あくまで使い魔、平民として暮らす垣根の生活に取り立てて派手さは無かったが、それまでとはまるで変わった事が一つある。

 穏やかなのだ。
 煩わしい実験もない、面倒な暗部の仕事もない。
 間抜けにのんびりと過ぎていく時間はある意味新鮮で、居心地の悪さは抜け切らなかったが垣根はそこまで悪い気もしていなかった。

 そこに違和感は、ない。

 朝は勝手に寝ているルイズのベッドから勝手に起きて着替え、支度をする。
 二揃え調達した使用人のシャツとズボンを身に着ける。
 欲を言えばもう少しましな服が欲しいところだが、垣根がそう話を向けるとルイズは意外にも気前の良い返事をした。
 身の回りの必要なものはきちんと買ってあげる、と言うあたり使い魔と言うより ペットか何かのような扱いだとも思ったが、世話になるのは間違いないので特に気にしてはいなかった。
 そんな御主人様、ルイズの世話はすっかり顔馴染みになったメイドのシエスタが甲斐甲斐しいほどに焼いていた。
「ミス、起きてください。朝ですよ」
 くしゃくしゃのシーツにくるまったルイズを揺り起こしながら、シエスタは優しく声を掛けていた。
 この数日でルイズに対する彼女の萎縮と恐怖心はすっかりマシになったらしい。
「う~ん……あともうちょっと」
 むにゃむにゃと寝返りを打つルイズからしっかりとシーツを剥ぎ取ると、ベッドの上に座らせ濡れたタオルを差し出す。
 寝起きの悪いルイズは、まるで手のかかる子どものようだったが、テキパキと支度をさせるシエスタは随分と慣れた様子だった。

 食事は相変わらず厨房の端で食べていた。
 ある時ルイズが、
「あんたの席もあっちで用意出来たらよかったんだけど……先生に話はしたんだけど、あの後すぐに決闘の事もあったからか許してもらえなかったわ」
 なんてちょっと気まずそうに口にしていたが、垣根は別にそんな事は構わないと最初は思っていた。
 昔の経験と当時受けた扱いから考えれば、人間らしいまともな食事がきちんと三食取れるなら御の字、くらいのものだったが。
 かと言って問題が一切ない訳でもない。

「おお来たか! 『我らの剣』」
 厨房に足を踏み入れるなり、そんな歓声が出迎えた。
 豪快な笑い声を上げる中年の親父に垣根は露骨に顔を顰めた。
 料理長を務める男はマルトー。
 恰幅のいいこの男は平民出身だが、貴族の子息の通うこの学院で確かな地位とそれに見合う高給を貰っている。
 他の使用人が洩らしているのをたまたま耳にしたが、下級貴族など及ばないほどの羽振りようだと言う。
 それでいて、裕福な平民の多くがそうであるように貴族は嫌いだと言って憚らない。
 そんなご都合主義な人間、と言うのが垣根が彼から受けた印象だった。
 垣根本人はまるで興味がなかったから知りもしないが、彼は何故か垣根の事をいたく気に入っているらしい。
 ギーシュ・ド・グラモンとの決闘を剣で制したように見える垣根を『我らの剣』と呼び、あれこれと世話を焼き話を聞きたがった。
「シエスタ! 『我らの剣』にアルビオンの古いのを注いでやれ!」
「酒はいいって言ってんだろ」
「はっはっは! お前は本当に謙虚な奴だな。いいぞ、ますます気に入った!!」
 垣根の事などお構いなしな振る舞いに、つい眉が寄る。
 バシン! とマルトーはごつい手の平で垣根の肩を叩いた。
 近寄ってきたマルトーは今にも、そのまま肩に腕でも回してきそうだった。
 軽く、その太い腕を払ってから垣根は小さく舌打つ。

 これ、、さえなければ食事の時間は悪くないものだった。
 料理の味はよかったし、一度文句を言ってからは食事の最中にうるさく話しかけるような邪魔も入らなかったからのんびり食べることが出来た。
 まあ、入った店で多少店員の態度が気にくわない事くらい、今までだってあった事だ。
 それに一応は善意らしいものを向けられているのに、一々当たるような真似もするつもりはない。

「で、俺はいつになったらメシが食えるんだ? いい加減腹減ってんだけど」
「おお、悪かったな。遠慮せずにどんどん食え! それとこいつは賄いだがうまいぞ。貴族連中は知らん俺のとっておきだ!」
 テーブルに一皿追加し、そんな風に勝手に盛り上がるマルトーを無視して、垣根は椅子に掛ける。
 料理の盛られた皿に静かに手を合わせた。
「ご馳走さん」
 黙って料理を平らげると、垣根はいつものように一言だけ告げて席を立つ。
 学園都市を離れたからと言っても、どうにもああ言うタイプの、表側の人間に擦り寄られるのは苦手だった。
 それも、自身の行いや立場を棚に上げて周囲に都合よく文句を垂れるような、学園都市にも大勢居たそんな低能力者や無能力者を思い出すような相手だ。
 どう贔屓目にみても特別好感なんて持てそうにはなかった。
 そんな連中に、あくまで自分達と同列に見た上で勝手に尊敬などされても垣根には鬱陶しいだけだった。


 垣根には学校などほとんど通った記憶はないが、ここではルイズに付き添って授業に顔を出す事もあった。
 まあ、魔法の理論や実践のような内容なら興味を持って見るが、こちらの歴史や始祖がどうの、貴族たるものなんたら、と言った欠伸の出そうな授業は話半分に流していた。

 ルイズの隣、空いている席に掛けると垣根は頬杖をついて黒板を眺めた。
 周りに並んだ生徒達も、分厚い本を片手にそれを長々と読み上げる教師の顔にも愉快さは欠片もない。
 授業の内容は丁度、トリステインの歴史についてだった。

 主な文化の形式は中世ヨーロッパに近いだろうが、その発達度合いはそれより先を行っている。
 トリステインと言う国はまずそんな印象だった。
 垣根も特別詳しくはないが、ある程度整った公衆衛生や身の回りの生活品などを見る限り近世の終わり、十八世紀以降相当だと言ってもそう遠くないかもしれない。
 それも地球に照らし合わせれば、と言う話であって。実際には全く未知の文化、風俗、まるで違う常識がここにはあった。
 そんな足りない知識を補う為に、垣根はオスマンに話をして図書館の使用許可を取り付けている。
 暇を見ては足を運んで、帰る手段に関わりそうなものや魔法についての本も探しているが。
 今のところこれと言って目覚ましい成果は上がっていない。
 内容の濃さで言えば一般生徒に開かれた程度の図書館だけでなく、教師用の書架の閲覧もしたいところだが流石にそこまでは難しいだろう。
 その辺りはオスマン任せになってしまう。

 帰還の方法、少なくともその辺りに目処が立つまで。それまではここでの生活に順応していかなければいけない。
 だが、垣根はその辺りにどうも期待が出来ずにいた。
 
 今行われている授業にしてもそうだ。
 自国を背負う貴族の子息の手前、余りその辺りを詳らかにする訳にもいかないと言う事もあるのかもしれないが。
 それにしてもこの国は。
「つまらねえ」
 伝統、格式。
 プライドに凝り固まった小国、と言う点では地球でも似たような地域は幾つも思い浮かんだが。
 ずるずると長いだけの歴史で大した革新も変化もなく、あとは穏やかな退廃を待つだけだと言うならばどうなるか。
 ちょっと想像しても、よくあるお決まりのパターンと言ったところか。
 停滞した国の栄華はそう長くない。
 長年保ってきた近隣の国々との均衡だっていつまでも続くものではない筈だ。
 例えば国土で、生産性で、技術で、武力で。
 ざっと話を聞いた限りでも、このトリステインと言う国にこれと言った対外的な強みがあるとも思えなかった。
 充分な情報も無い、あくまで垣根の印象論に過ぎないものだが。
 そんな国は、いざ事が起こればあっさりと潰されてしまうんじゃないだろうか、なんて考えさえ浮かぶ。

(余所の世界の余所の国がどうなろうと何だろうと、俺には関係ねえけど)
 垣根が今まで居たところも面積は小さく人は極めて少なかったが、補って余りある技術の躍進と質、他にないそれらを武器に他国も母国も突き放していた街だ。
 そんな所と比べ、外から眺めているから思うことかもしれないが。
 現在、身を置いている環境でのこの先、と言うのが垣根にはどうにも期待出来なかった。

 大した思い入れもない、いっそ嫌いだと言った方が近いようなあの街。
 そこに対してホームシックのようなものを覚える、などと言う柄でもない。
 ただあえて言うならほんの少し。
 離れた事で気付く事もあった。
 かつての不自由ながら恵まれた、厚遇で退屈な環境にも利点はあったはずだ。
 そう思えば、逃がした魚は思ったより大きかった、そんな気分になっているのかもしれない。

 けど、と垣根は少し眉をひそめて姿勢を変えた。
 長時間、つまらない話を聞き流しながら同じ体勢でいるのはいい加減疲れていた。
(折角面白そうな事になってるってのに、すぐにでも帰ろうなんて気分じゃねえ。だが、本当に帰れねえ、、、、となると話は別だ。まぁ、今まで調べた進行具合から言って、準備にあれだけ掛かってる『プラン』がちょっと目を離した隙に成就するとはとても思えねえが……俺の知らねえ所で勝手に話が進んでるってのはどうにも面白くねえな)
 コキン、と傾けた首を鳴らして垣根は椅子に凭れる。

 向こうに残してきた心残り、と言うか気に掛かるのはそれくらいだった。
 垣根の指標、目的、野望。
 そんな指針をすっかり奪われた、と言っても過言ではない今の状況だが垣根はそれを憂わなかった。
 そして、希望がかなわないからと言って現状に腹を立て、当たり、みっともなく 騒ぐような真似も発想も垣根にはない。
 そんな無駄な事にかまける必要はない事くらい、とっくに知っていた。
 嘆いたところで何も変わらない。
 都合のいい現実なんてものは存在しない。
 それよりは、今出来る事に目を向けるほうがよほど有益だ。
 自らの手で事を動かすためには必要な事だった。

 だらしなく肩の力を抜くと、隣のルイズは見咎めたように顔を顰めたがすぐに視線を前に戻した。
 頭の固いご主人様を余所に、続いて帰る手段に垣根の思考は移った。
(肝心の帰還方法になりそうなものは今のところまだ当たってねえ。あのジジイどもが真面目にやってるかはさておいても、この国だけじゃ話にならねえだろ。更に言うならそれは何もトリステインの『魔法』に限った事じゃねえ。とは言っても東方、サハラの事はさっぱりわからねえ。手段も『系統魔法』以外にも『先住魔法』後はそう、訳のわからねえ『虚無』もあるか。それでも駄目なら後は……無いならいっそ作るしかねえか?)
 さっぱりまとまらない考えにうんざりしながら垣根は眉を寄せた。
 そんな、取り留めのない思考をだらだらと繰り返すうちに。
 垣根の瞼は段々と重くなっていった。


*  *  *



「よお。確か…………っつったよな。もう一度……コラ」
 ちらり。
 何やら不穏な呟きが聞こえてルイズが隣に目をやると、垣根は椅子の背もたれに体をあずけて寝入っていた。
 今日の授業は、トリステインの長い長い歴史の内その一端についてだったが、魔法の授業と違って彼の興味を引くものではなかったらしい。
 最初はぼんやり話を聞いていた垣根も、すっかり飽きて寝てしまったようだった。
 一応、使い魔である垣根が何をしていようと教師も生徒も誰も咎めないし、そんなに気にしない。
 普段の様子を見慣れたルイズから見れば、びっくりするくらい穏やかな顔をして垣根は眠っている。
(まったく……別に、うらやましくなんかないんだから)
「痛っ! 申し訳ありません!」
 前の方の席で舟を漕いでいた生徒の一人が、魔法で軽く注意をされたらしい。
少年は額を押さえて勢いよく立ち上がると、口をへの字に曲げた教師に向かって頭を下げる。
 くすくすと笑い声が広がるが、ちょっと見渡せば彼のような生徒は教室のそこかしこに居た。
 そんな様子に眉をひそめると、ルイズは小さく欠伸をかみ殺した。

「いたいた…………いやあ、ここで…だったぜえ?」
 切れ切れに、垣根の口から愉快そうな寝言が洩れる。

「ああ……それしか…ねえな。……ならなくっちゃな」
 つまらなそうに、仕方なさそうに呟いた垣根の右手が僅かに動く。

 教師が黒板に走らせる石墨のリズムが、読み上げられる歴史書の一文が。
 単調に繰り返されるそれらが段々と机に向かう集中力を奪っていく。
 授業も半ばを過ぎた。
 そんな時だった。

「――ータか」
「ん?」
 垣根がどこか嬉しそうに何かを呟いた気がして、ルイズは再び顔を向けた。
 だが、垣根は椅子に凭れかかるような姿勢のまま眠っている。
(あ、笑った。なんか、まるで……)
 楽しそうに。
 早く明日が来ないか、遊びの時間を待ちわびる子どものような。
 垣根は、どこかそんな風に見える表情を浮かべていた。
(そろそろ起こした方がいいのかしら) 
 暫く寝顔を眺めていたルイズだったが、授業も終わりが近いことを思い出して我に返る。
 そーっと指を伸ばすと、緩く笑んだ垣根の頬を突いてみた。
 ルイズの期待を裏切って、垣根は身じろぎもしない。
 ちょっと思い切って今度は鼻をつついてみる。
 しかし反応はなかった。
 仕方なく、ルイズは垣根の耳元に顔を近づけると小声で呼びかける。
「(ちょっと、もうすぐ授業終わるわよー。起きなさい)」
 ひそひそと、落とした声に垣根はうるさそうに小さく唸った。
「(テイトクー? 起きないと承知しないわよ? 前みたいに爆発させちゃうわよー)」
 ふと。
 繰り返されるルイズの声に垣根が眉根を寄せた。
 と、思うとその顔がみるみる険しくなっていく。
 寝返りのように時々首を振って、垣根は不愉快そうに小さく呻いた。
「ヤメ……畜生、クソ……」
 寝言がさっきまでとは一転、悪態に変わった。
 それでも起きる気配はちっともない。
「えい」
 見かねたルイズは垣根の凭れている椅子を蹴った。
 流石に、ツッコミや目覚まし代わりに魔法を使うのは気が進まなかった。
 ガタン! とバランスを崩した垣根は派手に転がる。
「が……ば、ァ! な、何が、一体」
「おはよう。やっと目が覚めたかしら?」
 突然床に落ち、慌てた様子の垣根を見下ろして、ルイズは腕を組んだ。
「あー、お前か……なんか、酷え夢見た……」
 寝惚け眼の垣根は体を起こすと、早速溜め息を吐いた。
 ぼんやりとした表情のまま、ぐしゃぐしゃと顔や頭を掻く。
 どうやら魘されたせいで心地よい目覚め、とはいかなかったらしい。
 さっきまでとまるで様子の違う垣根に、ルイズは目を丸くした。
「え? なんかあんた最初の方はすごい楽しそうだったけど。一体どんな夢見てたのよ」
「いや……そっちは全然覚えてねえ。頭に残ってんのは、訳わからねえ事まくし立てる厚底履いた修道女に追い回されて、杖か何かをあらぬ所にブチ込まれそうになるって最高に意味不明な夢だ」
 そこまで口にすると垣根は強く頭を振った。
 どうやら思い出すのも嫌な夢だったらしい。
「いや、ありゃ危なかった。お前が起こしてくれなきゃ本気でヤバかった」
 首を傾げるルイズの横に座りなおした垣根はそう言うと、げっそりとした顔をして何故か自分の胸ではなく、腹を撫で下ろしていた。


*  *  *




 夕食を終え、垣根が少し遅れて部屋に戻ると、何やら渋い顔をしたルイズがベッドの上に転がっていた。
 組んだ腕に顎を乗せ、ぱたぱたと足を振りながらベッドの上に広げた紙面を眺めている。
 濃いグレーのプリーツスカートがそれに合わせて揺れていた。
「オイ、行儀悪いぞ」
 最近は定位置になりつつある、テーブルの前の椅子を引くと垣根は見咎めてルイズに注意した。
「いいでしょーわたしの部屋でわたしがなにしたってー」
 どこかやる気なく返すルイズは視線だけで垣根を見上げる。
 拗ねた小動物のような目に、呆れた垣根の肩から力が抜ける。
「で、何見てんだ」
 さっきまでの視線の先に目を落すと、ルイズは唇を尖らせて散らばった紙を睨んだ。
「実家から手紙が着たのよ……確かに最近それどころじゃなくて全然書いてなかったけど。まさかこんな事になるなんて……その前に返事も書かなきゃだし」
 広げた手紙を前に頭を抱えるとルイズはあー、うーなどと唸ってシーツの上に伏せた。
 ぱたん、と動きの止まった足が落ちる。
「ふーん、手紙ってえと差出人は母親か? それともお前の姉さんとか? 確か三番目って言ってたか」
 手紙なんてアナログなものは垣根にも珍しかった。
 何気なく、ひょいと覗くとルイズは大慌てで手紙をかき集めてその上に覆いかぶさる。
「なななに見てんのよ!」
「何だよ。そんな恥かしい事書いてあんのか」
 真っ赤になるルイズに垣根は首を傾げる。
 親しい誰かとの密なやりとり、なんて経験はそうないからルイズが慌てるような内容もイメージが湧かなかった。
「で、それでなんだけど。今度の『虚無』の曜日、王都に連れてってあげるって言ったじゃない?」
 ああ、と垣根は頷いた。

 前に垣根が生活環境に不満を洩らしたら、休みに出かけて色々と揃えてあげる、と言われた事があった。
 貴族の買い物なんてものは業者の方を呼びつけて、あれこれ取り寄せるものかと思っていたのだが、閉鎖的な寮生活をしているとたまには外に出たいらしい。
 後、学院でそう言った買い物をする時は支払いは実家を経由するようにルイズは言われているらしかった。
 金が出してもらえるならむしろいいだろうと垣根は思ったが、問題は別にあったらしい。
 たまの買い物にベッドや男物の服があるとか、一体なんて言えばいいのよ、ともっともな事をガタガタ震えながら口にしていたのをよく覚えている。

「それで、ちょっと……寄らなきゃいけないところが出来たから」
 ルイズの言葉は先程から随分と歯切れが悪い。
「王都トリスタニアから西にある魔法研究所『アカデミー』。そこには私の姉さまが居るのよ。会って、話をしてきなさいって」
「へえ。魔法の研究所か、面白ェ」
 期待に笑みを浮かべる垣根とは対照的に、ルイズは顔を顰めて溜め息を吐いた。
 喜色を隠さない垣根の顔を不満そうに睨んでは、やれやれと首を振った。
「ほんとに……やんなっちゃうわ。『使い魔の召喚と進級は無事に済ませたようでなにより。しかし、その使い魔について二三聞きたい事がある。ついては、エレオノールに面会して仔細を報告しなさい』だなんて、そんなのどっから聞きつけたのかしら!」
「ふーん。あれだな? 貴族様のお家ってのも色々と面倒なんだな」
 億劫そうに机に向かうルイズの後ろで、垣根は呑気に返した。
 ペンとインク壷、紙を用意し始めていたルイズは、暫く黙って何やら書いていたらしいが。その内頭を掻くと耐えかねたように声を上げた。
「もう、ちょっとどっか行ってて! 集中できないわ!!」
 怒鳴るルイズに耳を押さえると、垣根は渋々部屋を後にした。
 すっかり暗くなった廊下に出ると、低い位置から鮮やかな光源が近付いてくるのが目に入る。
 ゆらゆらと炎の尾を揺らす火トカゲ、キュルケのサラマンダーは垣根を見上げると小さな声できゅるきゅると鳴いた。
「何だテメェ」
 じろりと睨みつけると、サラマンダーは一瞬たじろいだように首を竦めた。
 しかし、再びのそのそと垣根に近寄るとおもむろにシャツの袖を咥える。
 二、三度頭を振って、まるで散歩中の犬がリードを引くように垣根の腕を引っ張りだした。
「あ? 着いて来いって? って何返事してんだ俺も」
 トカゲ相手に何を、とも垣根は思ったが、ただの動物ではなく使い魔なのだから言葉が通じる程度の知能はあるのかもしれない。
 巨体に似合わない仕草でフレイムは垣根を促すように前を歩いた。
 ぱっと口を離すと廊下に並んだドアのうち、開いた一つに入っていく。
「何だってんだ」
 溜め息を吐きながら、かと言って他にする事もないので垣根は一先ずサラマンダーの後を追った。


*  *  *




 灯りを落とした暗い部屋の中では、一人の少女がベッドに腰を降ろしていた。
 待ち遠しい顔で開いた扉を見つめていた少女の顔が、不意にぱっと明るくなる。
 彼女の忠実な、可愛い使い魔が帰ってきたのだ。
 成果を伝えるように小さく鳴くと、部屋の隅にある寝床に丸くなるフレイムに向けて、キュルケは拳を握るとウインクを送った。
 ぼんやりと、戸口に白いシャツが見える。
 高鳴る胸を押さえながら、キュルケはゆったりと笑みを作った。
「扉をしめて?」
 しかし、その言葉に来客は応じない。
 自分の勝手と言わんばかりに開けたままのドアからこちらを窺っていた。
「ようこそ。こちらにいらっしゃい」
 そこで一歩。二歩。
 靴音を立てて男が近寄ってくる。
 ようやく部屋に足を踏み入れたのは他でもない、ルイズの使い魔。平民の少年。
 垣根はキュルケがこの数日、使い魔を使ってまで目をつけていた相手だった。
「こんな暗がりに人呼びつけて、何の用だ」
「あら。そんなの決まってるじゃない」
 パチン、とキュルケは指を鳴らした。
 それに合わせて部屋の中に並んだ蝋燭が順に火を灯す。扉からベッドまで、一本の道を描く炎がキュルケを照らした。
 これはキュルケもお気に入りの演出だった。
 暗闇に揺れるロマンティックな灯り、その中に幻燈のように浮かび上がる魅惑的な肢体。
 キュルケの魅力を存分に引き出している筈だ。
 今まで、彼女のアプローチにのって、これで落ちなかった相手はいなかった程だった。
 自らの美貌と情熱を生かす最高の舞台装置は整えてある。
 主役が舞台の上に揃えば、始まるのは情熱的に胸を焦がす戯曲の一幕だとキュルケは信じきっていた。

 そんなキュルケの気持ちをまるでわかっていないらしい彼は、端正な顔に不満そうな色を浮かべて室内を見回した。
 垣根を見上げて、キュルケは大きく溜め息を吐くと悩ましげに首を振った。
 座るよう促しても、垣根はまるで取り合わなかった。
 こちらの誘いを悉く跳ね除ける態度が、却って彼女の心に火を点ける。
「ねえ、あなた情熱はご存知?」
「別に。知りたいとも思わねえ」
 すげない返事にもキュルケはめげない。
 生まれつきの狩人、を自称するキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーにとってその身を焦がす恋と炎は宿命。
 そして狙った獲物はとことん追い詰めてものにするのが彼女の常だった。
 鋭く、熱を帯びた視線を垣根に向ける。
「そんな事悲しい事おっしゃらないで。私が教えてさしあげるわ」
 ベッドの端に掛けたキュルケは、足を組むとにっこりと笑う。
 何人もの男を虜にしてきたはずの笑顔だが、垣根はそれをみても顔色一つ変えなかった。

 今まで、こんな態度を男に取られた事は、キュルケにはなかった。
 どんな相手でもちょっとしなを作り言い寄れば揺らいだし、たちまちキュルケに夢中になった。
 美貌を讃え、まるで女王に従うように彼女の元へ来ては、愛の言葉を口にする。
 それは、このルイズの使い魔の少年も変わらないだろうと思っていたのに。
 垣根のキュルケを見る目は最初に会った時からちっとも変わっていなかった。
 冷たい、つまらなそうな目。
 興味なんかないと言葉以上に告げる視線は、彼女の良く知る友達のものよりもずっとずっと冷たい色をしていた。

「テメェ、頭の方は大丈夫か?」
 それどころかはっきりと馬鹿にした、見下した態度で垣根は尋ねた。
 丁度広場でギーシュに向けられたような目が、今キュルケにも向いている。
 そのまま、乱雑な口調で吐き捨てるように垣根は続けた。
「そんなゴッコ遊びなんざ、わざわざする気も暇もねえ。単に、ストレス解消するんならもっといい手があるしよ」
 乱暴で不躾な言葉も、キュルケは浴びせられた事が無かった。
 ベッドに近付いた垣根はキュルケを突き飛ばすと、鋭い目で睨んだ。
「痛っ」
 ぎり、とむき出しの左肩に垣根の指が食い込む。
 突然の事に目を白黒させながら、キュルケは先程より近い垣根の顔を覗き込んだ。

 もう、つまらない顔はしていなかった。
 それどころか怒りの滲む視線はキュルケの肌を焼くようだった。
 ぞくっ! とキュルケはその瞬間背筋に電流が走ったのを感じた。
 視界に映る垣根の顔がうっすらと滲む。
 上がる体温に耐えかねて、短く熱い息がキュルケの唇から洩れた。

 それを見て、垣根は目を丸くすると急に眉を寄せた。
「は? 普通引くとこだろ。何だテメェ、本当に頭沸いてんのか」
 呆れたようにそう言うと、垣根は唐突にキュルケのベッドから離れた。
 肩を竦めて何だか不思議そうに首を振る。
 どうやら何か、あてが外れたらしかった。
「なんだ、あの『乱暴なのは絶対ダメ』ってのは嘘じゃねえの。あいつ適当言いやがったな?……あ? オイ、残念だったな。もう時間切れらしいぞ」
 キュルケを無視した独り言からの、垣根の他人事のような言葉にキュルケは体を起こした。
 まだ何も、何も始まってすらいないのに彼は帰ってしまうらしい。
 シャツの襟を整える垣根を見て、何がなんだか訳のわからないキュルケもそれだけは理解できた。
「まぁ、俺をキープ……いや、スペアにしようとした肝の太さだけは評価してやってもいい。けどな、もうくだらねえ事ほざくんじゃねえぞ」
 コキン、と鬱陶しそうに首を鳴らすと、垣根は一瞬だけ窓の方を眺めてから何事も無かったように部屋を出て行った。


「やだ、彼ってばすっごい情熱的じゃない」
 ぼんやり呟いたキュルケは恋する乙女の眼差しを開け放たれたドアに送り続ける。
 さっき、垣根に荒々しく掴まれた肩をキュルケは抱いた。
 うっすら残る痕に指を這わすと、溜め息を吐く。
 その後ろでは、彼女の熱く甘い恋の空気を台無しにする無粋なノックが窓の方から繰り返されていた。
 うんざりしながらキュルケは振り返ると、長い髪を気だるげにかきあげた。
 窓の外では、知った顔の少年が恨めしげに部屋の中を覗いている。
「キュルケ! 待ち合わせの時間に君が来ないから来てみれば……今出ていったのは誰だ!?」
「ああ、ペリッソン……またいつか。御機嫌よう」
「おい、キュルケ! どう言う――」
 もう、キュルケは外に居る彼の事は見ていなかった。
 取り出した杖を無造作に振ると、ルーンを唱え蝋燭の炎を集めて太い炎の矢を放つ。
 加減したから大怪我はしていない筈だが、それでも窓ごと無粋なフクロウは夜空に飛んでいった。
 やれやれ、と肩を竦めたキュルケの耳に今度は窓枠を叩く音と悲鳴染みた声が届いた。
「キュルケ! 今のは何だ! 今夜は僕と」
「キュルケ! こいつら誰なんだ!」
「さっき部屋の中にも誰か居ただろ!」
「恋人はいないっていったじゃないか!」
 続けて四人、部屋の外では宙に浮いた男子生徒が互いにもみ合い押し合っていた。
 すっかり気の抜けたキュルケはさっと背を向けると、部屋の隅に声を掛ける。
「もう、嫌になっちゃうわ。フレイムー」
 主の命令に、丸くなっていたサラマンダーはのっそり顔を上げると窓だった穴に火を吹いた。
 もみ合っていた少年達は悲鳴を上げると、泡を食って逃げていく。
 やっと静かになった部屋の中で、キュルケは忍び笑いを洩らすとベッドに飛び込んだ。
 きゃあきゃあとシーツの上ではしゃぎだした主人を見上げて。
 サラマンダーは頭を傾げてけふっと煙を吐いた。




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夢は未来を占うらしいので。
垣根が輝かしかった頃の、そんな未来の夢です。
オチにシスターじゃなく風紀委員さん持ってこようかとも思ったけど、いいネタが浮かびませんでした。
悪夢もルイズのお陰でなんとか大丈夫、って言うかそもそもルイズのせいです垣根さん。

当初アニメオリジナルは見ていないので一切やらない気でいたんですが。
ちょっと振られた品評会ネタもおもしろいかなーと思って、あれこれ書いてみたんですが…
垣根を上手く引っ張り出せない上、今後のアニメネタが追いきれそうにないので結局断念しました。
前話での実家干渉フラグはうっかり立てたもののスルー、は勿体無いので回収します。
フーケ戦の布石になれば、と。

エロい事しませんでした。
ペリッソン以下、スティックス、マニカン、エイジャックス、ギムリの出番は消えちゃいました。
ので、ここで名前だけでも。



新刊のあらすじと表紙画像みました。
垣根があっさり『ヒト』の枠越えちゃいそうですね。
うっかり『ヒト』の枠はたやすく越えられない、なんて言わせちゃいましたが。
まあ、あそこまで修復しないといけない目には、まだ合わせる予定がないので当SSの垣根は平気そうですが。
結構ショッキングでした。白い垣根もかっこいいけど。

なーんか最近段落とセンタータグがうまい事いかなくてしんどいです。
修正の手間が。



[34778] 09
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2013/10/03 02:00




「あんたのところは馬があんまりいないんだっけ」
 どう、とルイズが尋ねると垣根は少しだけ目を細めて跨った馬の鬣から首筋を触った。
「見るのも初めてだ。実際乗ると思ってたよりデカいし。あと目を見ると意外と頭よさそうだなコイツら」
「そうよ。賢いし優しいし、従順だし。誰かさんとは大違いよね」
「違いないな。大人しいし物静か。まぁ、どっかの誰かみたいに癇癪起こして噛み付かれちゃ困るけどよ」
 王都に向かう道すがら、二人は呑気にそんな話をしていた。
 先日の約束通り。ルイズは垣根を連れて虚無の曜日、週に一度の休日に学院から出掛けていた。
 大体三時間は掛かる行程も、もう半分程過ぎていた。
 乗馬の経験はないと言っていた垣根もルイズのアドバイスを受け、一時間も馬の背に揺られていればコツを掴んだらしい。
 なんだかんだとやっぱり優秀な辺り、ルイズは内心で舌を巻いた。
(こいつ、苦手な事とか弱点ってないのかしら)
 そんな風にルイズがちょっと申し訳なくなって横をみると、雪のような毛並みの白馬を乗りこなす垣根が目に入る。
 学院の厩舎から馬を二頭用立てる時、連れて来られた青毛の馬と見比べながら何やら悩んでいたがルイズがそれに構わず青毛の馬を選んだ事で垣根は自動的に白毛の馬に乗ることになった。
 ぶつぶつと王子様、メルヘン、どっちが中二……などとよくわからない事を言っていたが、今の様子を見る限り乗馬も悪くなさそうだった。
 まだぎこちない手綱さばきもなかなか様になっている。
「今日はどうすんだっけ」
 垣根にそう振られルイズは顎に手を当てる。
 この前は、はかどらない手紙の返事を書くのにイラついて垣根を部屋から追い出した。
 それから先、気の進まない話題を避けて今日の事はほとんどしていなかったのを思い出した。
 あの厳しい、ルイズが大の苦手としている姉の前で。垣根がいつもの調子で振る舞って機嫌を損ねたら……と思うとルイズは眉を寄せる。
「まずは、姉さまのいる魔法研究所ね。エレオノール姉さまはね。わたしより十一歳上、一番上の姉さま。権威ある魔法研究所に勤める『土』系統の主席研究員の一人よ」
「ちょっと待て。その前にお前幾つ?」
「今年十六になるけど」
 ルイズは今更何を、と思って首を傾げた。
 しかし、それを聞いた垣根はなぜか目を丸くしていた。
 ルイズの同級生のほとんどもそれくらいの年頃だ。別におかしな事ではない。
 貴族の子供の多くは実家で家庭教師の元で充分に学んでいる。
 入学、留学、編入、それはそれぞれの家長が決める事で、その為かトリステイン学院の生徒達には入学した年が同じでも年の差があるのは珍しくないことだった。
「こっちの一年って確か三百八十五日だよな……地球とのズレまで考えたら」
 垣根は急にはっとした表情を浮かべると、信じられないと言いたげな目をルイズに向けてくる。
「地球換算で大体十七って事か? 嘘だろ」
「なんでよ。そんなにおかしい?」
 そんなに驚くなんて、それまで垣根はルイズの事を一体何歳だと思っていたのか。
 気になったが、ルイズはあえて聞かなかった。
 何だかがっかりする気がしていたからだ。

 確かに、背の余り高くないルイズは周囲と比べて幼く見られがちだった。
 そう、身長の問題だ。
 断じてそうだ。

 そう思い、そっと視線を下に向けたルイズは手綱を取る腕の間に一瞬だけ目をやると。
 はっとして顔を上げた。
 しかし、その時にはもう遅かった。
 すぐ横に馬をつけ並走していた垣根は、一連のルイズの挙動を見た上で、何とも言えない生温かい目をしていた。
「……ああ、今から頑張れとか無理は言わねえ。潔く諦めろ」
 その唇が、ふっと笑みの形に歪む。
「なにをよ!! やめてよ、じろじろ見ないでよ!」
「普通ならこう言う時は『いいじゃねえか、減るもんじゃねえし』とか言うらしいが、もしも減るもんだったら……こんな哀れな事はねえよな」
 挙句、何だか真面目ぶった顔でそんな事まで言う。
 こいつには繊細な女心がまるでわかってないらしい、とルイズは歯噛みした。
「わた、わたしだってちいねえさまみたいになるんだから! い、いいつかなるんだから」
「いつか、な。何とも夢や希望に溢れた言葉だな。目標や可能性ってやつを頭から否定するつもりはねえけど」
 垣根はルイズから目を逸らし、しみじみと遠くを眺めた。今度は何か別の事を考え出したらしい。
 相変わらず自分勝手な垣根のペースはルイズには依然つかめなかった。
 突然放って置かれたようで、ルイズは呆気に取られてしまった。
 一瞬遅れてかあっと頬が熱くなる。
 恥ずかしくて悔しくて。
 ルイズは一際強く馬に鞭を入れると、とにかく王都への道を急いだ。

「なあ」
 先を走っていたルイズの馬に追いつくと、垣根は声を掛けてきた。
「なによ」
「これから、お偉い研究員の姉さんにあって使い魔の報告ってのをするんだよな」
 まだ何かからかってくる気か、と頬を膨らませたルイズに垣根は至って真面目なようすで確認した。
「お前も知ってる通り、俺はただの平民じゃねえ。あんまり大っぴらにする気もねえが。そこで質問だ。その姉さんってのは、どこの馬の骨とも知れねえ妹の使い魔を怪しいって理由であっさりバラせる女か? それとも身内の為に多少の事には目が瞑れる女か? それによっちゃあ多少、、俺に関わる話をしても構わねえと思ってんだけどな」
 垣根が『系統魔法』でも『先住魔法』でもない『超能力』と言う不思議な力の事を周囲に伏せたがっていたのはルイズも知っていた。
 ギーシュとの決闘の後。ちょっとやりすぎた事に対するお説教と一緒に、学院長達の前で見せたような力を使わなかった事を尋ねたら、
「あんな雑魚相手に一々能力使うかよ。デメリットの方がデカくなる」
 と面倒そうに話してくれたからだ。
 それは話を聞いたルイズも納得していた。
 もしも学院外などに話が大きく広がり、敬虔な信徒や教会の耳にでも入れば。平民であり奇妙な力を使う垣根は異端だと言われてもおかしくなかった。
 そうなれば、もし垣根が何かトラブルに巻き込まれたら。その時は何をきっかけに何を理由に垣根の身柄を押さえる、なんて話に発展するかもしれない。
 大袈裟かもしれないが、そんな可能性は捨てられない。
 もしそうなっても反論出来ないだけに、悪い方に頭を働かせると余計な心配ばかりがつのってしまう。
 だから、今回長姉であるエレオノールにも平民を召喚したとだけ伝えようかと思っていただけにその申し出は予想外だった。
 おまけに垣根はバラす、ときた。
 きっと内緒にしない、と言う意味じゃない。
 明らかに使い魔、の部分に掛かっていた。
 ルイズはつい。
 大きな台の上に寝かされた垣根を、眼鏡を光らせる白衣の姉が物々しい様子で見下ろしているなんて背筋の冷えるところを想像してしまった。
 流石に、
魔法研究所アカデミー内では始祖の訓えにさえ背かなければ、外では非常識と取られかねない多少の無茶も通ってしまう。実験的な非人道部隊やおぞましい実験、生きたまま観察対象をバラバラにする事も……」
 なんてまことしやかに囁かれる話はあくまで噂だけだと思いたかった。
「なっ……何言ってんのあんた」
「大事な事だ。俺としては後者なら有り難い。実験はいいが解剖は流石に御免だからな。で、その上その姉さんが優秀な土メイジ、、、、、、、なら」
「なら、なんなのよ」
 言葉を切ると、垣根はにやっと笑みを浮かべた。
 意地のよくない、楽しそうな顔。
 そんな表情で垣根は主人のルイズに提案する。
「その姉さんの前で大人しい使い魔を演じてやってもいい」
「あんた……なに企んでるの?」
「いいぜ。お前もちょっとわかってきたらしいな。何、大した事じゃねえ。ちょっとした情報収集だ」
 そう言って前を見る垣根の横顔にルイズはこっそり溜め息を洩らした。
 何だかほめられたような気もするが、ちっとも嬉しくなかった。


*  *  *




 トリスタニアの西端、賑やかな市街から離れた郊外に位置する高い塔。
 森に囲まれたそこは名を『魔法研究所アカデミー』と言った。
 その名の示す通り、魔法の研究をする機関だがここで行われる多くの研究は神学の域を出ないものだった。
 トリステインでも異端に対する目は厳しく、始祖の御心を理解する為の研究は許されてもそれを離れるような。
 まして下賎な事に御業を用いるなんて事は禁じられている。
 たとえ国の生え抜きである優秀な研究員であっても、ひとたびおかしなものを研究している事が明らかになればすぐに研究停止や学位の剥奪のような目にあってしまう。
 勿論、表立った研究目標なんてものは業務としてのものであり、個人的な趣味の枠でなら少々危ないものをこっそりと手がけている者もいた。
 禁じられていても、いや禁じられているからこそ手を伸ばしてみたくなると言う事もある。
 どのような人格者であれ究めようとする者は、知の誘惑には抗い難い事が多い。

 聳える塔の内、四階に研究室を構えるのはエレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブランド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。
 公爵家令嬢でありながら権威あるこの研究所で主席研究員を勤める女性だ。
 彼女を、第三者が称するなら――長い金の髪と涼やかな容貌、眼鏡越しの理知的な眼差しを指して――掛け値なしの美人と言ってもいいだろう。
 ただ、今の様子は実に近寄りがたいものだった。
 椅子に掛け彼女は不機嫌そうにその美貌を顰めている。
 目を瞑り、眉間に皺を寄せ。こめかみに人差し指をあてぐりぐりとこね回していた。
 その視線は手にした紙面に向けられている。
「なんでわたしが、こんな時にあの子の世話を焼かなきゃいけないのかしら」
 なにも、エレオノールも末の妹を嫌っているわけではない。
 しかしエレオノールの前でのルイズはいつもおどおどとはっきりしなくて、見ていてやきもきするのだった。
 そんな妹は昔からエレオノールの心配の種でもあった。
 魔法は出来ない、いつまでも頼りない、手のかかるちびのルイズ。
 それを心配する父母からの手紙はエレオノールの元にも度々届いていた。
 最初こそ、彼女自身の動向を尋ね、体を気遣っていた文面も中盤にさしかかるとやれルイズがどうした、これまた魔法を失敗したらしいと末の妹の話題がつらつらと続くなんて事はよくあるものだった。
 だが、それも今回はただ事ではない様子だった。
『心配していた使い魔召喚の儀式は成功し、進級も無事出来たらしいが当の本人からは喜びの一報すらない。姉のお前からも少し話を聞いて様子をみてやってはくれないか』
 ざっとまとめると、そんな内容が長々としたためられていた。
 上の姉二人がとうに成人し、落ち着いてきた両親の関心事は幼い、歳の離れた末娘に向けられているらしい。
 それはもちろんわかっているが、エレオノールはふと詰まりそうになる息をゆっくりと吐いた。
 この所気苦労が嵩んでいる。抱えた立場と仕事、家の事情、最近顔を合わせていないすぐ下の妹も気がかりだ。
 そこに末の妹の心配と長子としての立場。その働きへの両親からの期待、と重石ををつぎつぎ重ねられてはストレスも感じる。
 更に、最近の個人的な事件もエレオノールの精神に負荷を掛けていた。
 もう一度こめかみを解したところでコツコツと扉が叩かれた。
 眼鏡の位置を直して、彼女は返事を返した。
「お、お久しぶりです。エレオノール姉様」
 扉を開けるなりさっと身を竦める小さな少女は、エレオノールとよく似た顔を強張らせながらそう言って頭を下げた。

 彼女の妹、ルイズが連れてきたのは若い男だった。
 ルイズと同年代くらいの少年。質素な身なりはとても学院の同級生などには見えなかった。
 となると、これが問題の。
「わたしの使い魔の……テイトク・カキネです」
 おずおずとしたルイズの紹介に続いて少年はきちんとした礼をしてみせる。
 なる程、平民にしてはそれなりの振る舞いが仕込んであるらしい。
 評価、と言うより値踏みするような気分のエレオノールだった。

 第一印象は悪くない。
 身長は百八十サント程か。
 しかし、細い体は労働や武術などとは無縁そうに見える。護衛もまともに出来るのか、と言うところだった。
 見た目は、社交の場に連れ歩いても問題ない。
 それどころか整った部類の顔立ちをしている。

 少年はそんなエレオノールの目を見つめ返すとにっこりと笑った。
「ルイズお嬢様の使い魔をさせていただいています。どうぞよろしくお願いいたします」
 言葉遣いと態度、これは少し減点。
 笑顔は一見好意的に見えるが上辺ばかり繕っているのが丸わかりだった。
 それなりに、社交の場にも顔を出した事のあるエレオノールにはそれくらいの事がわかった。
 エレオノールの家柄を目当てに話しかけてくる男たちと同じように見える。
(それに、なんかこの態度……あの女、ミス・ヴァランタンをちょっと思い出すわね)
 慇懃無礼な振る舞いで苦手な議会長秘書の顔がふと過って、エレオノールは眉を寄せた。

 学院での様子、勉強はきちんと励んでいるか、手紙にはきちんと返事を出す事、最近のトリステインの出来事など。
 久しぶりに顔を合わせた姉妹はしばらく他愛もない世間話に華を咲かせた。
 そんな中ふと、ルイズが隣に控える垣根を振り返った。
「テイトク、そう言えばあなた姉さまにお目にかけたいものがあるんですって?」
「そう、エレオノール様は『土』系統の名手と伺っていたので。少し見ていただきたいものがあるんですよ」
 そう言って少年は手に持っていた荷物の中を漁ると、エレオノールの前の机の上に置いた。
 それは親指の先程の小さな石のようだった。
 なんの変哲もない、真っ白な小石。
 もったいぶって出されたそんな物にエレオノールは拍子抜けした。
 思わず見返した使い魔の少年は、何か期待しているような浮ついたような。
 よくわからない表情をしてエレオノールを見返している。
「俺の故郷で採れるんですが。あまり見つからない、、、、、、、、、上にほとんど知られていない珍しいものでして。よかったら調べてみていただけますか」
 ふうん、とエレオノールは特に気乗りせず杖を取り出した。
 小さな白い石に『探知魔法』を掛ける。
 しかし、含まれる金属や結晶構造のような情報はわからない。
 硬さ、表面の滑らかさ、ぼんやりとした表層的なものしか伝わってこなかった。
 続いて『錬金』を唱えたエレオノールはその反応にも眉を寄せた。
「『硬化』、いえ『固定化』でも掛けられたような手応え……?」
 実際の感触などではない、あくまで魔法を使う上でのイメージだが。その奇妙な感覚にエレオノールは首を傾げる。
 とりあえず砕いてみて小片を標本にしようと思った白い石は、変わらずに転がっていた。
 一方、それを見たルイズの使い魔はどこか愉しげな目をしていた。
「何故か系統魔法の影響を受けづらい、加工が難しい鉱物なんですよ」
 その応えに困惑すると同時に、エレオノールは強い興味を持った。
 『探知魔法』でも詳細はわからず、そのうえ『錬金』しづらい鉱物なんてものはトリステインでは見た事も聞いた事もない。
 エレオノールは目を細めた。
 妙な標本を見つめていると――魔法が効きづらいと言うのは一体どんな原理なのか、どのような地域、鉱床で採れるのか、性質、鉱物学的分類はどこに当てはまるだろうか――気になることが次々と浮かんだ。
「あの、姉さま?」
 じっと観察していると、見かねたらしいルイズがおずおずと声を掛けてきた。
 それにはっと我に返ると、エレオノールは取り繕うように咳払いをする。
 今日、エレオノールが見るべきは妹のようすとその使い魔であって、珍しい鉱物などではない。
 つい、好奇心に負けそうになった気持ちを切り替えると、一転して厳しい目を観察対象である二人に向けた。
「そ、そう。変わった石ね? 一見しただけじゃ何とも言えないけど、『錬金』での加工が難しいのは間違いなさそうだわ。変わっていると言えば、人間を使い魔にだなんて聞いたこともないわ。ルイズ、あなたは本当に……変わってるわね」
 そう言葉を向けるとルイズは途端に顔を曇らせた。
 まあ、無理もないだろう。
 進級は出来たらしいがルイズが『系統』に目覚めたと言う話はエレオノールの耳にまだ届いていない。
 魔法の方が相変わらずらしいと言う事は言われずともわかった。
「それはあなたもね。珍しい顔立ちよね? 生まれはどこかしら」
「東の端の小国です。こちらでは東方ロバ・アル・カリイエと呼んでいるみたいだけど」
「東方ねえ……砂漠から先はわたし達も知らない事の方が多いようだけど。父さま達に何と言ったものかしら」
 エレオノールにすれば珍しい試料を持ってはいたが、彼自体は特筆するところもないようなただの平民だ。
 猫でも鳥でも幻獣でもない。
 正真正銘ただの人間だ。
「なんと言っても平民だもの。儀式だから仕方ないとは言え、あなたも災難よね。みんなは普通の使い魔なんでしょう?」
 ルイズを見つめてエレオノールは息を吐いた。
 確かに昔から余り出来が良くないとはいえ、妹が不憫だった。

 その時。
 ボッ! と小さな破裂音が机の上で響いた。
 驚いて妹に目をやれば。
 ルイズの手にした杖は、震える肩に合わせて先端がぶれていた。
 エレオノールも見慣れたルイズの爆発は、側にあった小石を跡形もなく吹き飛ばしていた。
 周囲には焦げ跡や飛び散った破片のような痕跡はみられない。
「テイトクは、わ、わたしの使い魔よ。幾ら姉さまでも……勝手な事い、言わないで」
「ルイズ。あなたいつの間にそんな口を利くようになったの?」
 爆発の威力よりも妹の態度にエレオノールは顔を顰めた。
「テイトク……ちょっと出てなさい」
 ルイズにそう言われ、使い魔はエレオノールに頭を下げると黙って部屋を出ていった。
 残されたのは、眉をひそめ互いに睨みあう歳の離れた姉妹だけになった。
「ルイズ、あなたね」
 組んだ腕の上で苛々と指を叩く。
 いざお説教、と思っていたエレオノールがそう口を開く前に、目の前のルイズは大きく首を振った。
 かつてないその意思表示に、エレオノールは目を丸くした。
「何よ。何か文句あるの」
 その不意打ちに免じて、と言うわけではないけれど。
 余程言いたい事があるなら話くらいさせてやろうと思ったのだ。
「た、確かに、確かにあいつは使い魔だけど幻獣でも何でもないし、わたし達みたいに貴族でもないわ」
 何を言うかと思えば。
 ごく当たり前の事をルイズは口にした。
「けど。あいつは、わたしが召喚して……使い魔にした人間なの!」
「そんなの見ればわかるわ」
「わかってないわ!」
 ルイズはぎゅっと拳を握って感情的に叫んだ。
 先程、白い小石を吹き飛ばした爆発を思い出してエレオノールは僅かに身構える。
 しかし、ルイズはまだ小さかった昔のように感情に任せて爆発を起こすような事はしなかった。
 その代わりに。
 震える喉で、彼女の小さな末の妹は必死に声を絞り出していた。
「エレオノール姉さまにも、わ、わかんないかしら。あいつは確かに使い魔だけど、わたし達と同じ人間なのよ」
 空いた片手の指を所在無く動かしながら、ルイズは続けた。
 視線はたよりなくあちこちに泳いでいる。
 エレオノールを前にひどく萎縮しながら、それでもルイズは口を止めなかった。
「さっき言ってた通り、あいつの故郷はここじゃないの。すごく遠くて、帰れるかもわかんない。それでも、あいつ勝手に連れてきたわたしの使い魔なんてやってるの。生意気で、うるさくて。ほんとは勝手な事ばかりするの。でも、でもあいつはわたしの……」
 そこでぐっと一度言葉を飲むとルイズはゆっくりと頭を振った。
 息を吐き、呼吸を整えるとエレオノールに向き直る。
 その表情は。
 彼女のよく知る生意気で、いざとなるとおどおどするちびのルイズではなかった。
「わたしだって、最初は思ったわ。なんでみんなと違うんだろうって。でもわたしは、主人として。あいつを使い魔にした責任をちゃんと取らなきゃいけないのよ。ここにいる以上、わたしが面倒みなきゃいけないの。他の、普通の使い魔と同じように、あいつもわたしに応えてくれたんだから。だから、だから姉さまでも勝手に言わないで。あいつの価値を決めないで頂戴」
 真摯な目を向けるルイズに、エレオノールはふっと息を洩らした。
「全く……ルイズ。あなたそんな顔してるとまるで母さまそっくりね」
 へ、と目を丸くするルイズに自然と笑顔が浮かぶ。
 小さい小さい、いつまでも子どもだと思っていた妹の成長を垣間見て。誇らしいような微笑ましいような。
 ほんの少し寂しいような気分の中で、エレオノールは肩を竦めた。
「いいわ。使い魔の監督はあなたがなさい。ちゃんと父さま達には報告してあげる。『ルイズは使い魔を持って立派なメイジの気構えを少しは知ったみたいです』ってところかしら。うーん……我ながら随分甘いわね」
 思えば、実家を離れて以来度々顔は合わせていたものの、最後に姉らしく振る舞ったのはいつだったろうか。
 たまにはいい姉としての顔を見せてあげてもいいかもしれない。
 気恥ずかしい自分の言葉を、エレオノールはそんな風に誤魔化した。
「ね、ね゛えさまぁ……」
 張り詰め、堪えていたものがなくなったのか。
 思いがけない言葉に驚いたのか。
 ルイズはふにゃっと顔を歪めるとたちまち情けない声を上げた。
「あのあなたが。ちびルイズがわたしにあれだけ言い返すだなんて……そうね。父さまが知ったらさぞ驚くでしょうね」
 ふふ、と笑みを浮かべたエレオノールは廊下へ続く扉を見て、きっとその目を吊り上げた。
「た・だ・し。絶対有り得ないけど。万一、万一よ? あの使い魔と何かあったら……あなたわかってるわね?」
「な、ななななに言ってるのよ! そんな事――」
「あら? 生意気なのはこの口かしら? 使い魔とは言えあんな若くて、綺麗な顔の、若い男を、若い男を捕まえて、この……このおちびの癖に! ちびルイズの癖に!!」
 大人しく妹に従っていた平民の顔を思い出してつい、悔しさがこみ上げてくる。
 ついでに浮かんだ、憎らしい元・婚約者の顔にエレオノールはぎりぎりと歯軋りした。
(『もう限界』ってなによ! なにがよ! もう、あんな、あんな……男なんてッ!!)
 きっきまでの温かな気分が嘘のように、一瞬でエレオノールの心は荒んでしまった。
 更に。
 ふにふにと柔らかい。十代の娘の肌の感触に、エレオノールの指にますます力が籠もる。
 つねりあげた頬をぐい、と捻るとルイズは小さく悲鳴を上げた。
「いひゃい! ねえひゃま、ひぇいひょくはしょんなんじゃないんれす! ないれすから!」
「ないの?」
 ぶんぶんと頭を振って頷くルイズの顔は必死だ。
 目にはすっかり涙がたまっている。
「さっきも聞いたけど、あなた自分の部屋においてるのよね? 召喚からもう一週間近く経つわよね。何にも? 全然ないの?」
 ダメ押しのように、エレオノールはルイズの頬を引っ張る。
 よく伸びる。
 この弾力、ハリ。
 思わず、心の中とは言え崇拝する始祖に向かって言葉を荒げそうになったエレオノールは慌てて手を離した。
「ないの。ないです。ありません。そんなことはこれっっっっぽっちもなかったんだからぁ」
 ようやく開放されたルイズは、すっかり泣きそうな声で言い切った。
 それにエレオノールもやっと納得した。
 鬱々としかけた気分はすっかり晴れていた。
「……まあ、今後そんな可能性が絶対に無いとも限らないし。そうね、夜に日が昇るよりはある得る話ね。でも……かわいい妹の身が大丈夫そうでわたしも安心したわ」
「う、うそつきぃ……」
 にっこりと満面の笑みで笑いかける姉の顔を、恨めしそうに見上げた妹は赤くなった頬をさすりながらそう洩らした。


*  *  *




 垣根は隣のルイズを眺めた。
 機嫌は悪くなさそうだが何となく、ばつの悪そうな顔をしている。
 興味もないからあえて聞くような真似はしなかったが。
 研究所では何やら姉とひと悶着あったようだから仕方ないのかもしれない。
 だが垣根にしてみれば、さっきのルイズの行動は上出来だった。
 『系統魔法』がどの程度『未元物質ダークマター』に干渉してくるか、を知るために魔法を試させたものの。
 恐らく、興味を持てば当然渋るだろう研究者の手からどうやって怪しまれずに『未元物質』を回収するか、は問題だった。
 垣根も一応手は考えていたが、あからさまに拒否しても不信感を与えるだろうし得策ではない。
 そう考えればあの場では、あれが垣根にとっては一番いい始末の付き方だった。
 ルイズの性格と失敗する魔法を良く知る身内なら――実際そうなのだろうが――ただつまらない癇癪を起こして近くにあったものを吹き飛ばしたようにしかみえないだろう。
 好意的な顔の下に隠した垣根の真意など悟られる事もない。
(しっかし、そう考えるとこいつの魔法ってのは本当にイレギュラーなんだろうな)
 垣根が特に懸念していた『土』系統の『錬金』は、『未元物質』にほとんど影響を及ぼさなかった。
 だがそこで改めて、ルイズの引き起こす現象の異質さが浮き彫りになる。
 そんな事を考えながら。垣根はトリスタニアの大通り、ブルドンネ街を歩いていた。
 学園都市の要所とは似つかない、道幅の狭い欧風の町並み。
 白い石造りの建物の隙間を縫うような道はおよそ5メートル。
 学園都市の一部の地区の中には西洋風の造りの場所もあったが、それでもあくまで風、だ。ここまで狭い道幅はなかったように思う。
 一見路地裏のように狭々とした、しかし表通りにふさわしい人ごみの中を垣根は進んだ。
「ちょっと、待ちなさいよ」
「お前本当に遅いな」
「あんたが、早いん、でしょ。ふう。それより財布ちゃんと持ってる?」
 息を整えるルイズに足を止めると、垣根は手荷物を軽く振った。
 鞄と言うより風呂敷包みだ。
 その中にはルイズに預けられた金貨の詰まった袋も入っている。
「持ってるよ。なんだこの重さ、流通してる貨幣一切が硬貨とか嵩張るもんでよくやっていけるな」
 それにしても、『錬金』なんて便利な魔法もある世の中で、造幣や貨幣の管理は苦労するだろう。
 学園都市のような数世代先の技術を振るう街でも、偽装防止だけでなく偽装技術も進んでいただけにその辺りは神経を使っていた筈だ。
「しっかり持っててよ。この辺り、スリだって出るんだからね」
「『空間移動テレポート』ならわからねえけど、こっちで物を動かす魔法ってのは精々『念動力サイコキネシス』程度だろ? 問題ねえと思うけど」
 ルイズの語る、貴族から身を落とす哀れな連中の身の上を特に感慨もなく聞きながら、垣根はきょろきょろと左右に広がる店先を眺めた。
 道の上に露天の並ぶ風景は、垣根にも珍しかった。
 思えば、祭りやらイベントに顔を出した事もほとんどなかった。

「あ、ここよ」
 嬉しそうにそう言ってルイズが扉を叩いたのは「仕立て屋」と看板の下がる店だった。
「いらっしゃいませ若奥様、何をお見立てしましょうか。流行のドレスは如何でしょう? バティスト、モスリン、バレージ、オーガンジー。軽い生地をボリュームたっぷり、レースで飾れば若奥様の魅力を何倍にも引き立てますよ! 当店のレースは全て職人の手作業でして――」
 扉を潜るルイズをみるなり、にこにこと愛想のいい男が素早く入り口まで現れた。
 タイ、マント、貴族の子女を示す魔法学院の制服に素早く目を留め、店主と思しき男は、はきはきと鮮やかなセールストークを披露する。
 店内には他にも数組の客がひしめいていた。
 どうやら、わりに流行っている店らしい。
「そうね、それも素敵だけど。今日は私の買い物じゃないの。こいつの普段着と……あとは舞踏会に相応しいようなものを幾つか見せてもらおうかしら」
 何気ない会話の中に混じった異物。
 確かに聞こえたおかしな単語に垣根は首を傾げる。
「は? なんだそれ。舞踏会?」
 尋ね返すとルイズは急に、得意げに胸を張った。
「社交の場は貴族にとって欠かせないわ。それで学院でも何度か舞踏会があるの。何かあった時わかんないと困るでしょうから、あんたにもわたしの御付として見学くらいならさせてあげる」
「いつ」
「えっと、明日」
 短いやりとりのあと、垣根は肩を竦めた。

 そんな話は聞いていない。
 勿論、聞いたところで即突っぱねただろうが。それでも同伴させる気があるなら一言くらいあるべきじゃないか。

 ルイズの中で勝手に自己完結していた事にそこまで考えて、使い魔がメイジにとってどんな存在かを垣根は思い出す。
 なんだかんだ言って、ルイズも垣根が言う事を聞く、聞かせるものだと認識していたらしい。
「いや、俺出ねえし」
「出なくても持っておきなさい! 礼を尽くさなきゃいけない場はそれだけじゃないんだから。そう言う時は、ある程度ちゃんとした格好させてないとだめでしょ」
「お前がな。俺はちっとも困らねえけど」
 いいからいいから、と息巻くルイズの勢いに呆れながら。
 結局、垣根は渋々従う事になった。

 最早、こっちの話などお構い無しだ。
 特に買い物でこうなった女は手が付けられない。

 そんな数少ない経験則で、垣根は一旦は付き合う事を決めた。
(少し話に合わせてやって、気分を満足させたらさっさと切り上げる。女の買い物は際限ないからな)

 目の前に運ばれてきたのはカタログ、と言うよりはまとめられたデザイン画のようだった。
 当然ながら写真が一切ないから余計にそう見える。
 そこにはおとぎ話の中にあるような煌びやかな衣装の絵がずらっと並んでいた。
 豪奢な装飾、贅を尽くしたような意匠の数々。
 ルイズが目を輝かせる横で垣根は思い切り顔を顰めた。
「もっと地味でマシな……平民用はねえのかよ」
「当店は貴族のお客様向けの品揃えが厚いものでして。しかし若旦那様であればこちらのお召し物もきっとお似合いかと……」
 ささ、と店主が差し出す見本にも垣根は首を振る。
「いいか。半ズボンにサイハイソックスは穿かねえ。絶対穿かねえ。死んでも穿かねえ」
「もっと目立つのがいいわ」
「いやはや、そちらは少し前の流行でして。でしたらこちらの……」
「……貴族ってのは本気で、こう言うのがいいと思ってんのか? なんで膝の形がハッキリするようなピチピチか、裾が靴におさまらねーような丈のズボンが出てくるんだよ。目立つのは間違いねえだろうけどな」
「そうでしたそうでした。こちらも少し旬が過ぎていますかな。でしたら……」
 悉く悪い反応に冷汗を浮かべながら店主がカタログを引っ張り出し、捲る度に垣根の顔は曇っていく。
 そんな事をしばらく繰り返して。燕尾服が出てきた時にはほっとしていた。
 垣根の知っているものとは少し形が違うがまだ見れたデザインだった。
 しかし、あっちでのちょっと変わった喫茶店か、屋敷に仕える使用人と言った間違ったイメージが浮かんでしまうと、どうにもコスプレ染みた格好のような気がしてそれを着る気にもなかなかなれない。
 うんざりしながら垣根は手にしていた包みを解いた。
 中には、垣根が学園都市から着てきた服が一式入っている。
 気に入った服がなかったら慣れたものに似せて作らせてしまおう、と思ってわざわざ持ってきたのは正解だったらしい。
 垣根はきちんと畳んだジャケットを広げると、疲れきった顔の店主に渡す。
「もう、これから起こして何着か仕立てろ。生地は……」
 店内に控える職人達にあれこれと棚を漁らせながら。
 そうやって最低限の注文をつけると、垣根は大きく息を吐いた。
 付き合わされる、気の進まない買い物は何故こんなにも疲れるのか。
 垣根は結局こちらで言うお洒落な服には首を縦に振らず、袖も一切通さなかった。
「余計なもん付けるな。リボンもフリルもゴテゴテしたレースも無駄に高い襟も、分厚い頸巻きも過剰な紐飾りもいらねえ」
「あら、それなら早く出来そうじゃない? 明日までにはお願い出来るかしら」
「え、ええ承知致しました若旦那様。何分予約が立て込んでおりますが、職人一同誠心誠意努めまして、一着を明日の午後には……それで宜しゅう御座いますか、若奥様」
「宜しくてよ」
 にっこり笑うルイズに、店主は深く頭を下げていた。
 普段用のものはシンプルな既製品を数点見繕う。
 注文を付けた品と合わせて学院まで届けさせる事になったから、帰りは荷物が少なくて済んだ。
 買い物を済ませ二人は再び通りに出た。
 角を曲がり、店が見えなくなると。ルイズはふと頬を膨らませて垣根を見上げる。
「なによ、折角色々あったのに。ああ言うのも似合いそうだったじゃない。折角買ってあげるんだからもっとちゃんとしたのをね?」
「だから嫌なんだよ。まだまともなのにしたってあんな、どっかのアイドルか歌劇団の舞台衣装みたいなド派手なカッコしてだ。それが決まってみろよ。笑えるだろ」
「ダメなの? あんなの普通よ。常識よ? 平民はまず着れないでしょうけど」
「……こっちじゃ普通、か。そうなんだよな」
 ルイズからすれば何が悪いのかわからないらしい。
 価値観の違い、と言っても伝えようがない。
 食い下がるルイズの言葉に垣根は首を傾げた。
 しかし。
 すぐさま慌てて頭を振った。
 浮かんだイメージを即座に追い払って、垣根は自らに言い聞かせる。
「俺にその常識は、通用しねえ……!」
 一瞬、ほんの一瞬。

 現代日本でなら、舞台や仮装でもなければ着る者の頭が幸せそうに見えるだろう服も。
 何の問題もないような気がしてしまった。

 今まで。
 垣根帝督はわざわざ相手の常識に合わせてやる必要がなかった。
 それなのに、ほんの少しでもそんな気にさせてしまう。
 丁度、大して使い道のなさそうな土産物がその場ではつい魅力的に映ってしまうような。
 そんな異国の、いや異世界の恐ろしさを垣根は初めて味わっていた。
「それに、あんなにチップ弾まなくてもよかったんじゃない? ちょっとでいいのよ」
「いや、予約無しで持ち込んで挙句即日仕上げ、って幾らなんでもあんまりじゃねえか?」
 別に店側に甘い顔をするつもりはないが、垣根もそれなりの常識は持ち合わせている。
 勝手ばかり言う客と世間知らずのお嬢様の無茶振りに、小さくなって頭を下げるしかないしがない服屋が、なんとも哀れになったのだった。



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[34778] 10
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2014/07/05 23:43




 ブルドンネ街から少し進んだ先、武器屋を目当てにルイズは歩いていた。
 途中、何度か辺りを見回していると、
「なんだ、知らねえのかよ」
 と垣根に呆れられてしまった。
 お世辞にも華やかとは呼べないこの辺りは石畳の上も汚らしく不衛生で、ルイズも余程の事がないと足を踏み入れない。
 路地裏を進む度にそれはひどくなっていく。
 今も、足元には汚水の水溜り、道端にはごみが散らばっている。
 だがそんな様子を目にしても、垣根は意外にも嫌な顔一つせずに歩いていた。

 そうしてようやくたどり着いた武器屋の中で、垣根は不思議そうに首を傾げていた。
「それにしても、俺に剣持たせようって? ナイトでも気取らせる気かよ」
 苦笑いを浮かべる垣根だが、ルイズも考えなしにそんな事を言い出したりはしなかった。
「あんた、決闘で剣を使ってギーシュに勝ったでしょ。ただの平民じゃなく凄腕の剣士って事ならおかしくないし変な噂も立たないんじゃない? 武器があればいざって時に役に立つでしょ。あ、シエスタにも聞いたけど、なんか変なあだ名がついてるんですって?」
「あー……その話はすんな」
 ルイズはシエスタから垣根は使用人たちからの評判が厚いと聞いていたのだが、本人にすると少し違うらしい。
 ふっと顔を逸らすと、大した興味もなさそうにぼうっと近くの棚を眺め出した。
 薄暗い、ランプの明かりも頼りない店内には所狭しと武具が並んでいる。
 槍や剣はまとめて乱雑に置かれ、甲冑や胸当て、盾が壁際に飾られていた。
「貴族の旦那。うちはまっとうな商売してまさあ、お上に目をつけられるようなことはこれっぽっちもありませんや」
 そう言いながら。
 店の奥から、五十代くらいの男がぬっと姿を見せた。
 パイプをくわえ、胡散臭そうな目を二人に向ける。
 先程の仕立て屋とは違い、ルイズ達にいい顔はしなかった。
 むっとしながらルイズは腕を組んだ。
 つんと顎をそらすと余裕たっぷりに返す。
「あら。客よ」
 それに店主は少しだけ表情を変えた。
 しかし、さっきまでの態度に少しばかり愛想が乗ったくらいだ。
「こりゃ失礼しました。いや、昨今は貴族の方も供に剣を持たせるのが流行っていましたなあ」
「ああ……なんだっけ、おかしな盗賊が出るとか?」
 そういえば、研究室でエレオノールがそんな話をしていた気もする。
「そうでさ。『土くれ』とか言うメイジの盗賊が貴族のお屋敷からお宝を散々に頂戴してるって専らの噂でさあ。それじゃあ堪らねえってんで貴族の方は下僕にまで剣を持たせる、って始末でして」
 少し、愉快そうに店主はそう話したが。
 ルイズは盗賊にはちっとも関心がなかった。
 しかし剣の事もさっぱりわからない。
 仕方なく、扱いやすいおすすめのものを尋ねると店主はすぐに一振りの剣を持って来た。
 主人の言葉によるとレイピア、と言うらしい。
 長さは一メイルほど、細い刀身に短い柄とハンドガードが着いていた。
 なるほど、扱いやすそうな剣だった。
「それ、実戦には向かねーんじゃねえの? どう見ても突くだけだし、打ち合ったらすぐ折れるだろ」
 ひょい、と二人のやりとりを覗いた垣根は、両手をポケットに入れたままそんな風に感想を洩らした。
 持つ本人にそう言われては仕方ない。
 それに、ギーシュとの決闘で振るっていたのはもっと重そうで無骨な剣だった事も思い出す。
(使いやすいの、って言ったからって稽古用みたいなの持ってきたって事? 剣士でもないからって馬鹿にしてるのかしら)
 ルイズは、むくれると店主をきっと睨んだ。
「もっと大きくて太いのがいいわ」
 短く、簡潔に要求する。
 もっと立派な、見栄えのするような剣が良かった。
 本人に気があろうとなかろうと、どうせ持たせるなら格好がついた方がいいに決まっている。
「ですが、若奥様。剣にもそう……男女のように相性ってもんがありまして。見たところ、御付の方にはこれくらいの方が……」
「いいの! こいつ、見た目よりすごいんだから。もっと大きくて太いのがいいっていったのよ!」
 へい、はあ、と渋い顔をして店主は店の奥に引っ込んだ。
 腰に手を当て、息巻いたルイズはふと違和感を覚えて背後の垣根を振り返った。
 見れば、垣根は近くの棚にもたれて腹を抱えて笑っていた。
 片手で棚を叩きながら、必死に笑い声を抑えようとしているらしいが無駄なようだ。
 目尻に涙まで溜めて、ひいひい声を洩らす垣根をルイズはじっとりとした目で睨みつける。
「なによ。なにがおかしいのよ」
「いや、いい。何でもねー」
 苦しそうに、笑い声の合間に首を振る垣根の姿にルイズは首を傾げるばかりだった。

 さて。
 それからは服を選んだ時以上に難しい買い物だった。
 何が困るかと言うと、服は必要だからと真剣に考えるが。
 剣はいらないからと言って垣根がまともに取り合わないのだ。
 店主が運んでくる剣に、垣根は悉くケチをつける。
 見事な装飾の大剣にも首を振った。
 高名な錬金魔術師の手による――打たれたのがゲルマニアだと言うのはひっかかったが――と言うその剣は、一.五メイルはある大きなもので宝石に飾られた豪華なものであった。
 店一番の業物、と店主が自慢するだけあって、剣の事がわからないルイズでも少しくらいすごそうだと思うものだった。
 貴族の従者が持てばかなりの風格もありそうだったが。
 それも垣根は、
「悪趣味だ」
 の一言で一蹴した。

 さて。
 そんなこんなでルイズは困ってしまった。
 折角垣根の事を考えて、武器の一つも持たせてあげようと思っていたのに当人がまるで気がない。
(わざわざこんなとこまで来てるって言うのに。ほんと、わかんないわ)
 今更やめる、と言うのも何だか気まずかった。
 しかし、もう目ぼしいものもないだろう。
 ルイズは助けが欲しくてカウンター越しに店主を見つめるが、呆れたように肩を竦められてしまった。
「おい坊主、なかなか言うじゃねえか。だが、口だけだな」
 突然の罵声に、ルイズだけでなく垣根も不審そうに辺りを見回した。
 そう広くない店内にいるのはルイズと垣根。
 聞こえた声は低い男のものだが、声の主は店主ではなかった。
「やい、デル公! お客様にそんな口利くんじゃねえ!」
 そう言った店主は棚に近付くと積まれた商品の中から抜き身の剣を掴み上げる。
 長さは先程の『おすすめ』とあまり変わらないが、刀身はずっと細く厚みもさほどない。
 抜く為には背中に背負わないといけない点は変わらないだろうが、あちらより扱いやすそうだった。
 ただ、刃の表面には錆びが浮いていて、見栄えどころかまともに斬れるかも怪しい。
「こんな、剣も振ったことねえような兄ちゃんが『お客様』だあ? ふざけんじゃねえよ! 耳をちょんぎってやらあ、顔を出せ!」
 それだけではなく、喋った、、、
 鍔の辺りの金具をまるで口のようにがちゃがちゃと鳴らしながら、剣は人の言葉を発していた。
「それ、インテリジェンスソードなの?」
「そうでさあ。意思を持つ魔剣、インテリジェンスソードなんて一体どこの魔術師がつくろうなんて考えたんでしょうなあ。デルフリンガー、なんて生意気に名乗ってますが兎に角こいつは口は悪い、お客にケンカは売るで困ってまして……デル公よ、これ以上失礼がありゃあ今度こそお前を溶かしてもらうからな!」
 それまで様子をみていた垣根は、何やら言い争いをし出した剣と店主の間に割って入ると。
 店主の手から、口汚く罵っていた剣を取り上げた。
「ふーん。魔法のアイテムか。面白えな」
 にやりと笑ってそう言った垣根は握った剣を翳して眺めると、ふと次の瞬間には顔を顰めた。
「おい、テメェ……何だ、、?」
「そりゃこっちのセリフだよ。おでれーた、てめ、『使い手』か」
 互いに、何かに気付いたようにトーンを落として話し出す。
 突然の事に顔を見合わせる店主とルイズを振り返ると、垣根は手にした荷物から財布を出した。
「これにするわ」
「ええー! やめなさいよそんなボロボロの剣なんか! 喋らなくて、もっときれいなのにしたら」
 ルイズは顔を顰めて抗議したが、垣根は愉快な剣がお気に召したのかすっかり買う気まんまんだった。
「だからいいんだよ。端から剣なんざいらねえし。まぁ、確かに剣としては使えねえだろうな。で? ここは武器屋でマジックアイテム屋じゃねえんだよな」
 財布の中を改めながら、垣根は店主にそう尋ねた。
 続いて、さっき見て回った棚を仰ぐ。
「その辺の安そうな剣ざっと見てもどれも値札は五百エキュー前後か? なら、店主自ら処分したがってた役に立たない鉄屑の相場ってのはどれくらいだよ」
「……新金貨で八十、それ以下にはまけられませんぜ」
「よし、貰った。ついでに鞘と……こいつは持つには面倒そうだな」
「こう言った剣はベルトで背負った方がいいでしょうなあ」
「だろうな? 頼むぜ」
 ぽかんとするルイズの前で、垣根は金貨をカウンターの上に放る。
 金貨を慎重に数え出す店主の横にさらに銀貨を転がすと、剣を置く。
 空いた手を握っては、何やら訝しげに首を傾げる垣根の背をルイズはつついた。
「ほんとにあれでいいの?」
「ん? あれ、、がいいんだよ。ちらっと何かで見たがインテリジェンスアイテムってのはなかなかお目にかかれねえらしいじゃねえか。溶かされる前に買っておかねえと」
 そんなものかしら、とルイズは思ったが。
 嬉しそうな垣根の顔をみていると満更悪い気もしなかった。

 ようやく買い物を終え店を出ると、満足げな垣根とは対照的にげんなりしたようすで背中のデルフリンガーが口を開いた。
「俺はそんなに安いのかよぅ」
 自業自得で捨てられかけた魔剣は、どうやら自分の値段が不満らしい。
「そもそも振り回す気なんかねーんだけどな」
「じゃあお前さん、何で俺を買ったのさ」
「……観賞用、とか?」
 納得したように頷きながらそう答える垣根に、剣は大声で嘆いた。
「そんなのってないぜ。剣の本分は闘いなんだよ! 飾りじゃないの!」
「そう言うのは、錆を少しは落としてから言うんだな」
 愉快そうに、小馬鹿にした調子で垣根は剣に応じている。
(さっきからなんなのよ、こいつら)
 仲の良さそうな一人と一振りの会話に混じる事も出来ず、眉を寄せながらルイズは息を吐いた。
 何となく、それまで座っていた席が不意になくなったように居心地が悪かった。
 そして。
 そう感じるのは、そんな気分だけではない。
「あんた達……すっごい見られてるから声、小さくして」
 人の多い通りまで出ると。
 貴族の少女に平民の従者、おまけに喋る剣と言う組み合わせはひどく周囲の目をひいた。
 それでも大声で、平然と。
 背中の剣と世間話を続ける垣根にルイズは肩を落とした。
 これ以上言った所で聞かないのはよくわかっている。
「ほんっと、常識が通じないわ」
 諦めたルイズはそう洩らすしかなかった。


*  *  *





 武器屋の扉が開いて二つの人影が出てきた。
 何やら呆れた様子のルイズと、みすぼらしい剣を背中に背負った垣根だった。傍から見れば使い魔と主人には思われていないだろう二人は楽しげに、仲良く買い物をしているように見える。
 そんな二人を見送ると、キュルケはぎりぎりと歯噛みして悔しがった。
 友人の様子を横目にタバサはちらりと空を見上げた。
 口笛を吹くと、上空を旋回していた使い魔、風竜のシルフィードがぐるりと一回転する。
 そのままゆっくりと飛び始めたのを確認して、タバサは本を取り出した。
 息巻いて武器屋に入っていったキュルケを待つ間、読みかけていた途中のページから再び目を通すつもりだった。
 折角の休日。
 虚無の曜日はいつもなら部屋で本を読んで過ごすのだが、彼女は珍しく王都に来ていた。
 街中でマイペースに佇む少女は、自分を部屋から引っ張り出した騒がしい友人とのやりとりを思い出していた。


「恋なのよ! 恋!」
 突然タバサの部屋に入ってきたキュルケはそうまくしたてた。
 ノックを無視し、『サイレント』の魔法を掛けて、断固読書の邪魔をされまいとしたタバサの事情もわかっていると言った上で。
 出掛けるわよ! と宣言し本まで取り上げる友人にタバサは首を傾げた。
 彼女の恋と外出と、そして自分。
 この三つが繋がるとはとても思えなかったからだ。
 そんな風に、理由もないのに話を向けられても気は進まなかった。
「そうね。あなたには、ちゃんと説明しなきゃいけないんだったわね。あたし前に言ったわよね? 恋したって」
「誰に」
 タバサは短く返す。
 惚れっぽい上モテるキュルケの周りにはいつも恋の話が絶えなかったから、とっさにそんな事を言われてもわからなかった。
「彼よ。あのヴァリエールの使い魔の。テイトク・カキネよ。前からかっこいいとは思ってたんだけど、ギーシュに勝ったでしょ? もうあれから彼に夢中なの! 素敵だし、強いし、貴族相手にあの一歩も引かない態度! 痺れちゃったわ。情熱よ! 情熱!」
 情熱を繰り返すキュルケの話を聞いてタバサは頷いた。
 先日、ギーシュ・ド・グラモンと決闘をした少年の事はタバサもよく覚えていた。
 ドットクラスとは言え、メイジのゴーレム相手に大立ち回りを披露してあっさりと勝利を収めてしまった。
 ただの平民ではありえない、まるで優秀な『メイジ殺し』のような身のこなしが気になっていた。
「それでね! あたしこの前、彼を部屋に呼んだのよ。そしたら彼ったら……彼ったら、すっっっごい情熱的だったのよ!」
 一人できゃあきゃあ騒ぎ出したキュルケに、タバサの興味はまた本に戻る。
 キュルケが胸に抱きしめている本を早く返して欲しいが、それどころではないらしい。
「それで」
「ああ、それでね? ルイズの部屋に行ったら、もう二人ともどこかへ出掛けてたのよ。だからあたしはそれを追って、二人がどこにいくか突き止めなくちゃいけないの!」
 色々間の部分が抜けてるなあ、とタバサは思ったが事情は大体飲み込めた。
 それでも肝心な部分が納得出来ない。
 キュルケは、燃え上がるように感情で動くところがあるがタバサはその逆。
 氷のように冷静に、理屈で考えてから動く。
 だからこそ友人が何故、自分にこんな話をしているか。
 タバサはその部分が知りたかった。
 出かけるだけなら一人でも済むだろうし。恋の一大事に、タバサが邪魔にこそなっても役立つとは思わなかった。
「出かけたのよ! 馬に乗って! あなたの使い魔じゃないと追いつかないのよ! だから助けて!」
 やっと納得出来る結論が聞けて、タバサは頷く。
 それに、泣きついてきたキュルケは嬉しそうに笑ったのだ。


 そんな事を考えているうちに、不機嫌な顔をしたキュルケが店から出てきた。
 おまけに手ぶら。
 負けん気の強いキュルケの性格上、
「ならあたしはヴァリエールなんかよりもっといい物をプレゼントするわ!」
 くらいの事はしそうだったから、てっきり立派な剣でも買ってくるのかと思ったのだが。
 予想が外れて瞬きを返すタバサに、キュルケはむすっとした顔で唇を尖らせる。
「見たところルイズの買った剣は古ぼけてたから、何でか店主に聞いたの。そしたら、『へえ、御連れの方は剣にはてんで興味がないようでして。武器はいらないが、これは面白いってんでインテリジェンスソードを一振り買っていかれたんでさあ』って言うのよ。剣ならまだいいけど、インテリジェンスアイテムなんてそうそう売ってないじゃない」
 インテリジェンスアイテム。
 魔法によって知恵を吹き込まれ言葉も話す道具の事だ。
 タバサもその存在は知っていたが、売っているところなど見た事もない。
 頷くと、キュルケは肩を落とした。
「あーあ。これじゃあダメね。なら、彼が欲しいものを贈るのがいいんでしょうけど……そんなのわかんないわ」
 その一言に、タバサの頭にふと思い当たる事があった。
 素晴らしいひらめきに眼鏡の奥の目をきらりと輝かせると。
 タバサは珍しく、自分から友人に意見を言った。
「本」
「それはあなたの欲しいものでしょ?そうじゃなくて――」
 キュルケの言葉を遮ると、タバサはふるふると首を振って発言の根拠を主張した。
「よく、図書室で読んでる」
「え、何それ」
 目を丸くするキュルケに、タバサは小さな声で説明を始めた。
 彼女が愛用するトリステイン学院の図書館には、最近珍しい来訪者が現れるのだ。

 タバサが彼を最初にみたのは決闘騒ぎの次の日だった。
 丁度午後の最初の授業が終わった頃、彼は図書館の扉を叩いた。
 眼鏡をかけた司書と何やら話をした後、マントももたない平民の少年はいとも簡単に生徒達の、貴族の子息の使う施設の中に足を踏み入れた。
 貴重な魔法薬のレシピ、秘伝書と言われるような資料も多く収めるこの図書館は、普通の平民が立ち入っていい場所ではない。
 ずらりと並ぶ高い本棚を前に、彼は天井まで届きそうなその頂きを見上げてから館内を見渡した。
 広い図書館にはタバサと少年しかいない。
 ちょっと残念そうな顔をした後。
 閲覧室の長いテーブルの端、タバサからかなり離れたところに座ると少年は持っていた分厚い羊皮紙の束を捲る。
 古ぼけたそれは、恐らく蔵書の目録だった。
 いつだったかタバサも司書に頼んで見せてもらったことがあるから知っている。
 少年がそれをぱらぱらと捲り出したところで、滅多にない事につい手を止めていたタバサも読書に戻ることにした。
「おい」
 暫くして。
 ふとそんな風に声を掛けられる。
 しかし、タバサは無視して本を読み耽っていた。
「おい」
 苛立った声の後、タバサの手からいきなり読んでいた本が奪われた。
 タバサは眼鏡の奥の目を揺らす事もなく、無作法な少年を見上げる。
「返して」
「人の事無視してそれか。テメェらいい度胸していやがるな。で、かれこれ一時間は経つけど。テメェいつまで居るんだ? 後の授業はいいのか」
 短く要求を述べるタバサに、少年は目を細めて尋ねる。
 タバサはその顔に見覚えがあった。
 確か、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールに召喚された使い魔の少年だ。
 授業で、この前の騒ぎで。顔は何度か見たから知っていた。
 多くの貴族ならそんな平民に馴れ馴れしく話しかけられれば腹を立てるだろう。
 しかし、彼にぞんざいな口調で話しかけられても、タバサはどうとも思わない。
 何の事かわからないまま、タバサは首を振ると少年に向けて手を差し出した。
 そんな事より大事なのは奪われた本の方だった。
「返して」
「テメェ……まだ出ていかねえし、質問に応える気もないらしいな。なら仕方ねえ、せめてこっちの要求を聞いてもらうか」
 そこで、机に置かれていたペンで小さな紙片に何やら書き出すと少年はそれをタバサに差し出した。
「本を返して欲しけりゃ、これを持って来い」
 そこにびっしりと並んだ文字はどれも本の題名だった。
 眺めただけでも、『系統魔法』と使い魔の召喚についての本が多いように思えた。
「人質交換」
「ああ。残念な事にテメェらみてえな真似、、、、、、、、、、今こんな所で、、、、、、出来ねえ俺じゃあ、この中から読みたい本も取ってこれねえからな」
 聳える本棚を指差して残念そうに肩を竦める少年にタバサは黙って頷いた。
 それから何度か。
 図書館で垣根と鉢合わせたタバサは本を運んでは棚に戻す、と言う作業をさせられていた。
 もしタバサが垣根のようであったら。
 読みたい本が読めないのは辛いだろうと、自分の用事のついでに付き合ってあげていた。

「ちょっと何それ! そんなの聞いてないわよタバサ!」
 タバサがそこまで話すと、キュルケは大声でまくし立てた。
 一応黙って話を聞いていたが、いい加減我慢の限界だったらしい。
「あなたが男の子とそんな、しかも相手は彼だなんて!? いくら相手があなたでも、あたし手は抜かないからね!!」
「そんなのじゃない」
 こんなところにも恋のライバルが、と熱くなるキュルケにタバサは首を振る。
 平民とは思えない振る舞い、決闘での身のこなし。
 あの少年に気になるところは沢山あったが、日頃キュルケの言うようなものを感じる事はタバサにはちっともなかった。
「で? 彼は、テイトクはどんな本が好みだと思うの?」
「図書館にまだ入っていない魔法の本。きっと魔法に興味がある」
「ふーん。意外と読書家なのかしら? でも、優雅に本を読む姿もきっとステキね」
 タバサの推論にキュルケは首を傾げたが、疑っているような素振りはなかった。
 垣根との事についての誤解もあっさり納得したらしい。
「あたしは本の事はよくわからないし……またあなたに助けてもらってもいいかしら」
 頷くタバサに、キュルケは大袈裟に礼を言うと抱き付いてくる。
 ぎゅっと顔の近くに押し当てられる柔らかい感触の中で、タバサはそれ以上に温かいものを感じていた。
 誰かに必要とされる、誰かの力になる。
 些細な事でも自分の存在が何かの役に立つと言うのは、嬉しい事なのだ。
 そう。
 学院で過ごすようになったタバサが新しく知ったのはただページを捲るだけではわからない、そんな経験だった。

 数件の本屋を回った後では、すっかり日も傾いていた。
 タバサは目を閉じるとじっと意識を集中し始めた。離れた使い魔と視界を共有する為だ。
 それによると、シルフィードに見張らせていた二人はあの後すぐに買い物を終えて学院へ向かったらしい。
 今は王都から離れた所で、馬を走らせている様子が遠まきに見えたからそんなところだろう。
 シルフィードの翼なら今からでも充分追いつくだろうが、それなら学院に戻ってからでも差がないような気がしてしまう。
 そう考えたタバサは、黙って使い魔を呼び戻した。

 学院への帰り道、冷たい風の中をシルフィードは飛んでいく。
「ふふふー、よろこんでくれるかしら」
 束ねられた本の包み、それと流行の店で探したアクセサリーが数点。
 ボーイフレンドに贈られる事は多くても、自分で何か選ぶ事は少ないと言っていた贈り物。
 それを前にウキウキとしたキュルケの声に、タバサもほんの少し頬を緩める。
 その手には真新しい表紙の、友人から贈られた一冊が抱えられていた。




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ごちゃごちゃしてしまった休日おでかけ編。

垣根はイケメンだから燕尾服も似合うと思うんですがね。
ノリと押しが足りなかった。
そしてようやくでてきたデルフリンガー。
自律意思のある機械なんて学園都市でも珍しそうなので、ポイント高いです。



[34778] 11
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2013/10/03 02:08




 二つの月が輝き出した夕暮れ。
 本塔の高い壁面をまるで床のように足の下に置いて。
 その人物は中空に立っていた。
 ポケットから取り出した杖を小さく振り、靴の踵を覆うよう足場を『錬金』。
 そうして『レビテーション』の効果が切れるまでに体を支えると、続いて辺りの壁にくまなく『探知魔法』を掛けた。
 ぼんやりとした魔法の燐光が収まると、黒いローブを纏った人影は力なく肩を落とした。
「『固定化』がこれでもかってほどに掛けてある。やっぱり魔法に対する守りは磐石、私の『錬金』も付け入る隙はなさそうだねえ」
 フードの下に覗く口元を悔しげに歪めると、思案するように顎に手を添えた。
 降り始めた夜の帳に乗じて暗躍するこの人物の名は『フーケ』。
 今やトリステイン中にその名を知られた怪盗だった。
 貴族の溜め込んだ財宝のうち、秘蔵の一品を。特にマジックアイテムを頂戴するのが何よりの楽しみだった。
 『土くれ』の二つ名にふさわしく、盗みに入る先では壁や扉を『錬金』によって粘土や砂に変えて忍び込む。
 そんな『土』系統のエキスパートであるフーケの前では、大抵の貴族が防犯用に施した『固定化』の魔法など物の役にも立たなかった。
 そして、フーケは時に大胆な手も使った。
 攻城級の巨大なゴーレムをも操り、目当てのお宝のためなら警邏に集まった魔法衛士隊すら蹴散らし白昼堂々盗みを働く。
 そんな派手な立ち回りを演じた事もあるのだ。
 
 そんな百戦錬磨の怪盗フーケでも、このトリステイン魔法学院の守りの固さには手を焼くほどだった。
 目当ての宝物庫の錠も、扉も、その魔法が効かないのは予めの調査でわかっていたが。
 しかも、『固定化』以外にもしっかりと、物の強度を飛躍的に高める『硬化』の魔法が掛けられている。
 更には外壁の厚さも悩みの種だった。
 魔法の効果を抜きにしても、ちょっとやそっとではとても壊れそうに無い。
 そんな二重三重の防衛態勢にフーケは歯噛みした。

 フーケが普段用いる対策としてはゴーレムを造り壁を破壊、『錬金』で進入する壁の穴を広げると言った単純なものだった。
 力で、魔法で。どちらをもってしてもこの堅牢さ、破るにはかなりの精神力を消費するとみて間違いなかった。
 長く時間を割いて準備する余裕もあるとは言えない。
 とても一晩で済む作業ではないが、いざ始めてしまえば一度きりしかチャンスはないだろう。
 平和ボケしている嫌いがある学院とは言え、壁に大穴を空けるような騒ぎを気付かずに放っておくとは思えなかった。

 フーケが真剣にそんな事を考えていると、ふと近くで人の気配がした。
 素早く壁を蹴ると地面に降り立つ。
 『レビテーション』で勢いを殺したフーケは音も無く、中庭の植え込みの影に身を隠した。

 ほどなくしてやって来たのは。薄暗がりでも目立つピンクブロンドの少女と、冴えない服装の少年だった。
 少女の方はルイズ・ド・ラ・ヴァリエール。学院でも名の知れた公爵家令嬢。
 となると隣の少年は同じく有名な使い魔の平民だろう。
 魔法の使えない『ゼロ』のルイズが進級に際して平民を使い魔にした、と言う話はすでに学院中に知れ渡っていた。
 密かに学院に潜伏していたフーケの耳にも勿論入っている。
 さて、そんな二人がこんな人気の無い場所に何の用だと言うのか。
 うかつにその場から動けなくなった事もあって、フーケは暫しそんな主従を観察していた。

「なんで、わざわざこんな所に来なきゃいけないのよ」
「そんな事言って、お前人に見られる方がいいのか? 昼日中に目立っていいんなら俺も構わねーけど」
「そりゃあ……わたしだって、ちょっとくらい恥ずかしいわよ」
「だろ。こっちが気遣ってやってんのに文句言うなって」
 何やら訳ありな様子で二人はひそひそと話し始める。
(あれ、え。まさか逢引?)
 と、フーケがわずかな期待をしたのもつかの間。
 恥じらうような素振りの後、ルイズがポケットから取り出したのは年季の入った杖だった。
 そうして使い魔の前で杖を振り、一回、二回と爆発を起こす。
 なんだ、こっそり魔法の練習をしに来たらしい。
 何やら納得行かない様子で首を傾げる少年の隣で、軽く息を切らしたルイズは不満そうに腕を組んだ。
「わたしには何度もやらせて結局イマイチとか。たまには、あんたのすごいとこも見てみたいんだけど」
「あのメルヘンな羽が拝みたいって、お前どう言う趣味してんだ」
「なんかほら、ほかにも出来るようなこと前にも言ってたじゃない?」
 嫌そうに顔を顰める少年にそうじゃなくて、とルイズは首を振っていた。
「他に、なあ。見せるような能力の使い方、した事ねーからな。……いや、ちょっと待てよ。派手さならいいのがあるな」
 にやりと不意に笑みを浮かべると少年は楽しそうに主人を見下ろした。
 二人が何をするのか、少年がなんの話をしているのか。
 フーケにはさっぱり予想が出来なかった。
「俺の専売じゃねえ、って言うか元ネタは別の奴なんだが。前にちらっとそんなのがあるって聞いた時に面白いとは思ってたんだよな。分かりやすく言うと『破壊光線』だ」
「はかいこうせん?」
「ああ。撃つまでタメがいるんだけどな。能力名『原子崩しメルトダウナー』、粒機波形高速砲がより正しい分類だな」
 何やら得意げな説明を始めた少年は、足元の木切れを拾うとそれを軽く振りながら話を続ける。
「光、陽子、電子と同じく特定の素粒子にも波と粒子の二重性格がある。『原子崩し』って能力が、そのどちらの状態にも属さない曖昧な状態の電子を物質の表面上に留める事で本来質量の無い電子の膨大なエネルギーを壁変わりにしてる、とすりゃあ……干渉した紫外線の回折が操作出来るくらいだ。ちょっと工夫すりゃあ、『未元物質ダークマター』を構成する素粒子でも似たような事くらい……」
 ブツブツと何事か呟きながら地面に木切れで謎の呪文を書いていた使い魔の少年は、暫くの間そんな事を続けていた。
 十分、あるいはもっと経ったろうか。
 随分と試行錯誤を繰り返してそれは完成したらしい。
(マジックアイテムを作るときなんかには、ルーンをものに刻むって言うけど……似たようなものかね)
 『土』系統のメイジとして興味を持ってフーケはそれを覗こうとしたが、残念と言うか当然と言うべきか。
 物陰からこの暗がりで。地面に書いた物はよく見えなかった。
 ようやく立ち上がり軽く肩を解すと、少年は主人のルイズを振り返った。
「よし、これで理論上はいけるはずだ。ちょっと一発撃ってみるけど……念の為後ろに居ろ」
「なんでよ」
「軽く理論式立ててみたが、この手の能力は範囲絞って照準あわせるのが面倒そうだ。実際やってみてから修正していかないとどうにもな。俺の周囲は勿論外してあるが、お前の方はその最初の一発で巻き込まねーって自信がない」
 ほんの少しだが、主人を気遣う素振りを見せる。
 そんな使い魔に何故か当の主人はにやにやと愉快そうに笑っていた。
「へえ~自信ないだなんて。あんたでもそんな事あるのね」
「骨も残さず塵になりてえ、って自殺志願なら止めねーけど。俺は帰り道がなくなると困るんだよな」
 笑ったまま、脅すようにそう返す少年にルイズはふと表情を変えた。
 少し青くなった顔で身を縮めると少年の背後に回る。
「わ、わかったわよ! こ、これでいいの?」
 そう言って、ルイズは慌てて目の前の背中に腕を回すとしっかりと貼り付いた。
「いや、しがみつけとまでは言ってねーんだけどな」
「い、いいから。ほら、見せてくれるんじゃないの」
 へいへい、と気の無い返事をした少年は地面の魔方陣を一瞥すると、口の中で何事か呟いてから顔を上げる。
 その途端。
 ズバァ!! と少年の前から光線が放たれた。
 日光、燭台、魔法の灯り。いずれとも違う何だか不健康そうな青白い光の筋が一条、歪に爆ぜる雷のようにジグザグに伸びる。
 が、それが向かったのは正面ではなかった。
 軌道は大きく逸れて何度か曲がると、終いに学院本塔の壁を撃ち抜いた。
「あ」
「え」
「ッ?!」
 それを見ていたそれぞれが、間の抜けた声を洩らした。
 しまった、と気の抜けた呟き。
 引きつった顔に浮かぶ焦り。
 そして、窺っていたフーケは、思わず驚きと歓喜の叫びを上げそうになってすんでの所でそれを堪えた。
 『固定化』がしっかりとかけられ、スクウェアクラスでも『錬金』は愚か生半可な魔法での攻撃は通用しないだろうと思われていた堅牢な守りが。
 謎の光線の一撃で破られてしまったのだ。
 掠める形で直撃はせず、距離も離れていたためか壁の一部がごっそりと抉れるようにして失われていたが、被害も一見してそれだけのようだった。
 ぽっかりと口を開けた罅割れからはパラパラと破片が落ちている。
「どうなってんだ? 幾らなんでも照準ズレすぎだろ。防御不能の面攻撃ってのは何とも殲滅向きだが、慣れない内は気楽に撃っていいもんじゃねえな。本家本元がどんなもんかは知らねえが、人に向けたら本気で骨まで蒸発するんじゃねーの?」
 おかしいな、と気楽に頭を掻きながら。
 たった今圧倒的な破壊をやってのけた少年は、遊んでいたボールが木の上にでも引っ掛かったような調子でそんな事を言った。
 顔を引きつらせていたルイズは控えめに、掴んでいたシャツの袖を引く。
「ちょっと、テイトク」
「ん? 心配しなくてもホイホイ使わねえよこんな面倒な演算式。慣れない事するもんじゃねえな、なんか頭痛えし。ついでに消し飛ばすのもあんまり趣味じゃねえ」
「そうじゃなくて。あれ、大丈夫なの?」
 ルイズが示したのは、大穴の空いた塔の壁だ。
 大した音も煙も出なかったからまだ騒ぎにもなっていないが、それでも無視出来ない被害が出ているのは遠目にもわかる事だった。
 それに気付いた少年の方も表情を曇らせる。
「なぁ、あの辺ってさ」
「学院長室、よりは下よね。確か宝物庫があったと思うけど」
「とりあえずジジイは死んでねえよな?」
「そうね、近くに巡回の先生とかがいなければ?」
 垣根は自信無さそうに答えるルイズの顔を肩越しに仰ぐと、その目を真剣に覗き返した。
 そうか、と呟くと。
 くるりと踵を返そうとして、貼りついたままのルイズをずるずると引きずった。
 シャツにしがみついたルイズは足に体重を掛けて必死にその場に踏みとどまろうとしているらしい。
「ちょっ…と。どこ行くのよッ」
「急用を思い出した」
「なによ、責任とってとまでは言わないわ。でも逃げないの! そんな気なかったんだから、謝れば学院長先生も――」
「あのジジイに貸し作って堪るかよ。馬鹿、ひっぱんな。危ねーって――」
 言い争いながら押し合い、へし合う二人の力は拮抗していた。
 遠慮なく後ろに引かれるシャツの心配をしてか、垣根も抵抗するルイズを強くは振り払えないようだった。
 その内に。
 ドシャア、と足をもつれさせた二人が芝生の上に転がった。
 すると、実にタイミングよく。
 寮塔の方からそちらに向かっていた人影がそれを目にするなりすごい勢いで走りだした。
 真っ赤な髪を振り乱した少女は二人の元に駆けつけると、大声でわめき散らした。
 手にした派手な包みが、これでもかと腕の中で締められていた。
 それに追いついた小柄な少女はじっとその様子を眺めている。
「ヴァ~リ~エ~ル!! あんた何してるのかしら? こんなところで殿方に襲い掛かるなんて、所詮お堅いトリステイン貴族だと見くびってたあたしが間違ってたみたいね? プレゼントなんて甘い事してる場合じゃなかったかしら」
「ななななにいってんのよこれはこいつが勝手に……」
「テメェら……人を挟んで喧嘩始めようなんざ、いい度胸だ。ナメてやがるな?」
「腹背の敵」
 傍目には楽しそうにじゃれ合う子ども達はたちまち大騒ぎを始める。
 そんな様子を眺めていたフーケは、はっと我に返った。
「いけないいけない。馬鹿な子達のお遊びを見物してる場合じゃないんだよ」
 頭を振って気を取り直す。
(あの使い魔が実はメイジだったって言うのも驚きだけど……なんなんだいあの魔法は。あんなのと正面からは当たりたくないね)
 ぞっと、国を騒がす大怪盗の背にも悪寒が走る。
 しかし。
 望外の成果に笑みを浮かべて、フーケは先程の壁の損傷を見上げた。
 あそこまでの破損を修理した上で、強力な『固定化』を掛けなおすのには人手が要る。
 すっかり元のように直すにはまだまだ時間が掛かるだろう。
 なら、わざわざ人目のあるこの瞬間を狙わずとも。たとえば日が完全に暮れるまで待っても犯行を行うには充分なはずだった。
 そう思い直して、フーケはその身を物陰に潜め中庭を後にした。


*  *  *




 翌朝。
 学院はまるで蜂の巣をつついたような大騒ぎだった。
 深夜訪れた怪盗によって、本塔は破壊され厳重に保管されていた秘宝『破壊の杖』が盗まれたのだ。
 おまけに、その怪盗にはまんまと逃げおおせられてしまった。
 そんな、王宮にでもしれたら事になる失態に、状況をまとめるべく集められた教師達が慌てふためくのも無理は無かった。
 口々に自分ではない誰かの、何かの不手際への追及が始まった。
 終いには、昨夜の当直であったミセス・シュヴルーズが槍玉に上がる。
 盗賊を取り逃がすとは、と充分な勤めが出来なかったとは言え責任の一切を押し付けられそうになっている教師は、その温厚そうな顔に涙を浮かべていた。
 そんな喧騒を、少し離れたところから見ていたルイズはぐっと唇を噛み締めた。
 事の発端は昨夜。


 突然の轟音と騒ぎに気付いたルイズが部屋を飛び出すと、本塔に殴りかかる巨大なゴーレムの姿があった。
 いても立っても居られず、ゴーレムの方へと駆け出すと。
 そんなルイズに後ろから声を掛けてくる者が居た。
「何してんのよあんた。死にたいの?」
 ベビードールにガウンを羽織った寝巻きのまま追いかけてきたキュルケが心底呆れた顔でそう尋ねる。
「黙って見てられないじゃない!」
「まあ、ヴァリエールにばっかいい格好はさせられないけど」
 挑発的に笑みを浮かべると、キュルケは得意の『ファイアーボール』を塔に取りすがるゴーレムに飛ばした。
 しかし、巨大なゴーレムにはそれも小さな火に過ぎない。
 破裂音を残して弾けた炎は土の塊には大したダメージを与えられないようだった。
「なによ、もう」
 二人が、余りの力の差に目を見張るうちに。
 ズシン! と大きな地響きを立てるとゴーレムは再び動き出した。
 それを睨んだルイズが更に近寄ろうとした時。
「お前、馬鹿だろ」
 その肩を掴んだのは垣根だった。
 その間にも、壁をまたいだゴーレムは一歩一歩学院から離れていく。
「なに、すんのよ! 逃げられちゃうわ」
「どうするんだ? お前なら捕まえられるのか? お得意の爆発であれを吹き飛ばせるって?」
「そんなのッ」
 言い争う二人の体がぐぐっと持ち上がる。
 驚くルイズの目に映ったのは、青い風竜だった。
 その背中にはキュルケと、竜の主人らしい少女の姿がある。
 ルイズと、少し遅れて浮かび上がる垣根を拾い上げ。
 黙って頷く少女は風竜を飛ばし草原を進むゴーレムを追ってくれた。


 そんな事があって。
 現場とフーケを見た生徒の一人、としてルイズは今この場に立っていた。
 同じようにして居合わせたキュルケと、同級生の少女――タバサとか言ったか――の姿もある。
 しかし、ルイズは気付いていた。
 自分達の目にした状況を説明しに教師達と現場に戻った時、見てしまったのだ。
 見るも無残に破壊された塔の壁。
 それは、夕方垣根が不用意にも壊した辺りに違いなかった。
 大きく割り砕かれた壁、その巨大な破片を見れば巨大なゴーレムでも壊すのが容易い事ではないくらいルイズにもわかる。

 きっと。
 盗みに入った怪盗は罅の入った場所をみて、
「丁度良い」
 と思ったのだろう。
 そしてほくそ笑んで盗みに入り、悔しがるルイズ達を後目に学院を後にしたのだ。

 そう思ってしまえば、ルイズの心は湧き上がる自責の念に駆られた。
 固く握った拳はすっかり白くなっていた。
 俯くルイズのその耳元に、すぐ後ろに立っていた垣根がそっと顔を寄せる。
「余計な事言うんじゃねえぞ。言ったところでお前、どうする気なんだ。そのお宝を弁償でも出来るのか?」
 子どもを言い含めるような口調で、馬鹿にしたような優しい声で。
 垣根は、ルイズに自分の無力さを叩き付けた。
「出来ないわよ。でも――」
「ガキが割った窓から空き巣が入ったって、罪に問われんのはそのガキか? 違うだろ。責任取るのは警備の奴だろうし悪いのは盗みに入った本人だ。お前はその場に飛び出していった上に一応足止めはして、おまけに情報提供までしてんだ。面目はその辺で充分立つだろ。もう子どもの出る幕じゃねえ。せいぜい大人の皆さんに働いて解決してもらえばいいんだよ。それとも、お前はそんな下らねえ事で俺を売るのかよ」
 冷めた目で、呆れたように言い捨てると垣根は首を振った。
 そこまで言われてはルイズも反論できなかった。

 塔の壁を壊したのが自分達だと言っても、きっと信じてはもらえないだろう。
 教師たちの口ぶりでは学院の設備には強固な魔法が掛けられていたらしい。
 そんなものをどうやって、ならばやって見せろ、などと言われてはそれこそ大問題だ。
 まして、垣根にそれで累が及べばますますルイズに立つ瀬はない。

「お前がそれを言って、何になるんだよ。お前一人がスッキリしたいってだけじゃねえの」

 垣根の言うとおり。全ては盗賊の所為かもしれない。
 ルイズ達が何もしなくても、盗みに入られたかもしれない。
 取り逃がしたのはルイズ達の所為ではないのだし。
 でも。
 ルイズは、黙っていられなかった。
 力の有る無しは関係ない。
 責任の在り処も関係ない。
 ただ、ルイズ自身の矜持の、心の問題だった。

 思い悩んだルイズが顔を上げると、遅れて現れたオスマンが憤る教師達の間に入り話をまとめているところだった。
 オスマンは、今回の事件に関連して幾つか教師だけでなく全校生徒にも向け通達がある、と前置きした。
「先ず、昨夜の事件でショックを受けとる生徒も多いじゃろう。またぞろ何があるかもわからん。今日の授業は休講とする。後は、明日に控えた『フリッグの舞踏会』じゃが、それもまた延期とする。楽しみにしておった生徒達にも、用意を進めてくれた厨房の面々や皆には申し訳ないが……事がこの次第では、これもまた仕方あるまい。皆も、構わんかね」
 異論を唱えるものは誰一人いなかった。
 オスマンは頷くと咳払いを一つ。
 続いて重々しく首を振った。
「さて、これが現実じゃ。この中の誰もが――もちろん私を含めてじゃが――まさかこの魔法学院が賊に襲われるなど、夢にも思っとらんかった。何せ、ここに居るのはほとんどがメイジじゃからな。誰が好き好んで虎の巣に入るかっちゅう訳じゃ。しかし、それは間違いじゃった」
 オスマンは、現場の壁に空いた穴を示しながら、教師達の顔を順に追った。
「このとおり、賊は大胆にも忍び込み、『破壊の杖』を奪っていきおった。つまり、我々は油断していたのじゃ。責任があるとするなら、我ら全員にあると言わねばなるまい」
 その言葉に、教師達は真剣な面持ちで黙り込んだ。
 学院長の言葉を待つ教師達の背をぼんやり見ていたルイズの気持ちは、彼らより一層沈んでいた。
「で。犯行の現場を見、果敢にも賊を相手取ろうとした生徒達が居ると聞いたが。詳しく話を聞かせてもらえるかね」
 教師達の後に控えたルイズ達三人を、オスマンはいたって穏やかな目で見つめた。
 唇を噛み、ルイズは深く息を吸った。
 前に出ようとした時、そっと肩を引かれた。
「ちょっと、あなたひどい顔よ」
 何故か優しく笑うと、キュルケはルイズより先に一歩進んで教師達の前で仔細を説明し出した。

 学院の塔を襲うゴーレム。
 黒いローブのメイジ。
 宝物庫から何かを盗み出し、すぐさま逃げていった事。
 空から風竜でそれを追ったが草原を進むうちにゴーレムは崩れて土の山になった事。
 キュルケは昨晩見たままをそっくりそのままオスマンに語った。

 再び、暗い気持ちに襲われるルイズは黙って足元を睨んでいた。

 このままでは心のもやはいつまでも晴れない。
 『ゼロ』のルイズにだって、譲れないものがあるのだ。
 でも、今のままではそれは叶わない。この恥を雪ぐ事も出来ない。

 そんな失意のうちには後に続く、教師達のやりとりさえどこか遠く聞こえた。
 しかし。
「おや、おらんのか? フーケを捕まえて、名を上げようと言う貴族はおらんのか? 我と思うものは杖を――」
 その言葉がルイズの頭に閃光のように響いた。
 ルイズは、俯いていた顔を上げるとさっと杖を掲げた。
 驚いたミセス・シュヴルーズがルイズの名を呼んだが、ルイズは鋭い目で震える杖先を睨むばかりだった。
「何をしているのです! あなたは生徒ではありませんか。ここは我々教師に任せて……」
「誰も、掲げないじゃないですか」
 吐き出したい気持ちをぐっと堪えて、ルイズはそれだけをきっぱりと言い切った。
 その後に、キュルケとタバサが続いた。
 生徒ばかりが志願する状況にミセス・シュヴルーズは異を唱えたがオスマンに宥められ、もっともらしく説得されると心配そうな顔のまま渋々従った。

 ゲルマニアでも有名な軍門の家系に生まれ、トライアングルメイジであるキュルケ。
 若くしてシュヴァリエの称号を持つというタバサ。
 それに比べて、と依然気落ちしたルイズの顔をみると、生徒三人を順に紹介していたオスマンは浮かない様子に気付いたのかふっと笑みを浮かべた。
「ミス・ヴァリエールはあの公爵家の息女にして将来有望なメイジと聞いておる。その上、彼女の使い魔はあのグラモン家のギーシュ・ド・グラモンを決闘の末に下した優秀な若者だと専らの噂じゃが?」
 ふと、わずかに期待してルイズが隣を見ると。
 やる気なく話を聞いていた垣根は億劫そうに首を振っただけだった。
 そうしてオスマンは威厳たっぷりに教師陣も納得させた。
 いつにない風格の学院長の言葉に後押しされ、捜索隊となった三人は揃って礼をする。
「ミス・ロングビル、済まないが彼女らを助けてやってくれ」
「元より、そのつもりですわ」
 かくして場は納まり。
 教師達はひと段落したと言った様子で次々とその場を後にする。
 馬車の用意が出来るまで、と支度を整えにルイズ達も一度戻ろうとした時だった。
「ああ、ミスタ・カキネ。ちと私から話があるんじゃが。少しいいかの」
「え」
「用件はどの、、話なんだろうなあ。学院長先生よ」
 オスマンの突然の申し出に驚いた様子もなく。
 垣根は振り返ると、追い払うような仕草でルイズに先に行くよう示した。
 残されたルイズは手を伸ばしかけて。
 力なく腕を下ろした。




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[34778] 12
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2014/07/05 23:45



 馬車、と言うよりは荷車に揺られながらルイズはぼんやりと森の風景を眺めていた。
 木々の緑は目にも心にも優しいらしいとなにかで聞いたが、ルイズ自身はちっともその恩恵にあやかれずにいる。
 片道で徒歩なら半日、馬でも四時間掛かる行程だ。精神力と体力は温存しろ、と言う学院長の言葉はもっともだった。
 座りなれない固い荷台に、普段のルイズなら文句の一つも出ただろうが。
 今はそんな余力がなかった。
「ねえダーリン。その本どうかしら? あ・た・し・が買ってきたのよ~」
「何だそりゃ、随分愉快な呼び名だな。うざってえ事この上ねえ。ったくテメェ、この前俺が言った事頭に残ってんのか? 後読み辛えからまとわりつくな鬱陶しい」
 その原因にルイズは顔を顰める。
 視界の端にちらつく緑の反対色、赤色が目に障って仕方なかった。
 そのおかげでルイズの頭からは、学院を出るまでのもやもやも、それまでの真剣な気持ちも今はどこかに吹き飛んでいた。

 そう、吹き飛ばす。
 吹き飛ばしてしまえたらどんなにいいだろう。

 悶々とするルイズの思考は何とも物騒な方向に転がろうとしていた。
(あああああああのツェルプストー! なにを人の使い魔にベタベタベタベタひっついてんのかしら? おまけにあんな、あんないやらしい胸をむむむむねまで押し付けて何考えてんのかしらあああ)
 ポケットの中にしっかり収めた杖を握りたくて握りたくてルイズの手がわなわなと震える。
 ちょっとどころかかなり危ない人の様相だ。
 しかし、誰もそんなルイズの奇行に突っ込んではくれない。
 キュルケは言わずもがな。
 垣根は、昨日中庭でキュルケに渡されたプレゼントだとか言う本を持ってきて時間潰しに読んでいた。
 タバサはタバサで、出発からほとんど言葉も発せずにじっと本の頁を捲っているし。
 同行しているミス・ロングビルは御者台で手綱を握っている。
 先程、暇をしていたキュルケにあれこれ話を聞きだされそうになっていたが、彼女は嫌な顔ひとつせずに詮索を受け流していた。
 それによると彼女はどうやら貴族の家名を失い、その口ぶりから幼い兄弟たちを抱えているらしかった。
 何やら訳のありそうな様子だったが、誰でも触れられたくない事くらいあるだろうとルイズはそれからそっとしておいている。
 そんな風にして、たった一人のルイズは葛藤に耐えながら悲しい百面相に興じているところだった。
(今は我慢よルイズ、その怒りをあのフーケにぶつけるのよ! あのゴーレムを何とかするなら精神力を無駄にしちゃいけないんだから!!)
 内心で、溢れそうになる怒りを必死に抑えながらルイズはぎりぎりと歯噛みしてキュルケを睨んだ。
 時々ちらちらと視線を向けるキュルケは、ルイズと目が合う度に得意そうな表情でその胸を垣根の腕に押し付けていた。
 草一本、猫の仔一匹とてツェルプストーにくれてやるのは我慢ならない、と代々に渡る因縁を聞かされて育ったルイズのツェルプストー嫌いは苛烈だった。
 それも、今キュルケが狙っているのはヴァリエール公爵領の禄を食む人間、ルイズのたった一人の使い魔だ。
 絶対に、ヴァリエールの名に懸けて。
 取られるわけにはいかなかった。
 そんなルイズにとって唯一の救いは、垣根が全くもってキュルケ相手にでれでれしていない事だった。
 脂下がるどころか、垣根は本に視線を固定したまま虫でも払うようにキュルケをどかそうとしていた。
 先日、垣根を部屋に誘ったとキュルケは自慢していたが実の所何もなかったらしい。
 いい気はしないが、目の前の状況と合わせてルイズはその辺りの心配はほとんどしていなかった。
(ふふふ。テイトクはあんたなんか眼中にないんですってー。残念だったわね)
 日頃の自分への扱いは棚に上げて、ルイズは見向きもされていないらしいキュルケに勝ち誇ったような笑みを返した。
「あらぁ。じゃあこの本はあげられないわね~。もうちょっとでイイところみたいだけど、残念だわ」
 しかしキュルケもさるもの、邪険にされながらもちっとも堪えていないらしい。
 本をエサに使い魔にちょっかいを出す無頼漢、とくればもう御主人様がなんとかするしかない。
 けれど。
 ルイズは眉を寄せるとすっかりしょげかえった顔で俯いた。
(どうしようかしら……さっきキュルケを怒鳴りつけてたら逆にテイトクに『ギャンギャン煩い』って怒られちゃったし)
 怒りっぽい、すぐに口が出てつい怒鳴ってしまうルイズにとって垣根の邪魔をせず目の前の障害を排除するのはなかなか難しい事だった。
 迂闊に動けないルイズが先程から必死で沈黙を守っているのもその所為だったりする。

「ルイズ」
「な、なあに」
 黙っていても現れるあまりの落ち着きの無さに呆れたのか、依然本を眺めたまま垣根が声を掛けてきた。
「お前が無駄に爆発起こすのは勝手だが、本は消し飛ばすなよ」
「……あんたまで本の虫なの?」
 ルイズは、ちゃっかり垣根と並んで黙々と読書に耽るタバサを眺めた。
 互いに好き勝手しているだけなのだが、同じ事をしているだけになんだか傍目には仲良さそうに見えるのがルイズはちょっと頭に来た。
「そう言やあ、これ、、テメェの入れ知恵だろ? よくやったな、チビ」
「タバサ」
 手にした本を軽く叩いてそう言う垣根の、あんまりな呼び方をタバサは訂正する。
 しかし、他人の指図をそう簡単に受ける垣根ではなかった。
「チビメガネ」
「タバサ」
「あ~んダーリン、私の事はハニーでもよくってよ?」
「うるせえツェルプストー。おい、ルイズ。これやるからそっちで勝手に暇潰してろ」
 垣根はようやくルイズの方をみると腕にしがみつくキュルケを指差した。
 邪魔者をまとめる、とびきりの名案だと言いたそうな顔をしている。
「わたしもいらないわよ……で、それなんの本なの? 面白いの?」
 一人騒がしいキュルケの押し付け合いをしながら、ルイズは垣根の近くに寄ると本を覗いた。
「これか。『始祖に倣う一味違った魔法の使い方』一応検閲済みみたいだが、内容は異端スレスレかもな。始祖が使ってた系統魔法のあり方を『もしかしたらこんなのもあったかもしれない』程度に模索するっていいながら、内容は『俺の考えたかっこいい呪文集』みたいなもんだ。あちこちの始祖を讃えた文で誤魔化しちゃいるが怪しいだろうな。図書館にはこう言う新版も怪しいもんもまだ入ってねえ。でかしたぞチビ」
 ぱらぱらと頁をめくりながら垣根は隣に一瞬だけ目をやる。
 そんな他人への珍しい態度にルイズはふと首を傾げる。
「そう言えばあんた達、知り合いなの?」
 タバサと授業以外で顔を合わせるのは、ルイズも昨日が初めてだったが。
 垣根は何だか知っているような口ぶりだった。
「ああ。こいつには図書館でよく会うからな、本を持ってこさせてる。あそこ棚がデカすぎだろ」
 垣根の言う通り、学院の図書館は特に上に広大だ。
 生徒達は余りの本棚の高さにわざわざ『フライ』を使わなくてはいけなかったし。
 ひどく疲れていて集中力の乏しい時には事故の恐れもあるから図書館の使用を控えるように、なんて注意がされた事も有る。
 それを考えれば流石に魔法の苦手なルイズには手助け出来ない事だが。
「……それだけ?」
「それだけ」
 いま一つ納得出来ないルイズの疑問に答えたのはタバサの方だった。
 タバサが読み終えた本を置くと、それを目ざとく見つけた垣根がさっきまで読んでいた本を差し出す。
「丁度いい、こっちも終わった所だ。それ『土』系統の資料だろ? 寄越せ」
「ん」
「「ええー」」
 何だか輪の中に加われない二人が不満そうに洩らす中、お構いなしな二人は遠慮なく自分の世界に没頭していた。

「あんたが熱心に魔法の勉強をしてるのか、さっぱりだわ。何で?」
「悪いか」
「気になる」
 ルイズの疑問に垣根を挟んでタバサも頷いた。
「そんなの……魔法、何ておかしなもんあっちにはねえからな。今のうちに色々見ておかねえと勿体無いだろ。出先でうまいもん食っとくか、程度だよ」
「そんな理由?」
 呆れたルイズはふと、垣根の一言にひっかかりを覚えた。
 今のうち、と言われてしまうと垣根は早々にあっち、、、に帰ってしまうんじゃ、とつい考えてしまいそうになる。
 気落ちしそうになるルイズは背後からの、更に沈痛な嘆きに手を止めた。
「ねえ……あたしも混ぜてよ」
 馬車が学院を出発しておおよそ三時間が経った。
 ついにルイズも本の回し読みの中に入ってしまい、残ったキュルケは一人暇を持て余しているようだった。
 少し離れたところから膝を抱えて不満そうに洩らすキュルケに、ルイズは渋々声を掛ける。
「一冊余ってるけど、あんたも読む?」
 用意がいいのか、タバサはフーケのゴーレム以外の、他にも使ってきそうな『土』魔法の対策に役立ちそうな本を何冊か持ってきていたらしい。
 今更付け焼刃なお勉強などしてもたかが知れているが、しないよりましだとルイズは思っていた。
 しかしキュルケはルイズの申し出に肩を竦めた。
 振られる首にあわせて長い髪が揺れる。
「いいわよ、眠くなっちゃいそうだわ。そう言えば、あなたどっちかって言うと頭でっかちな方だったわね。忘れてたけど」
「そうなのか」
「ええ、ヴァリエールは座学の試験は優秀よ」
 垣根に話しかけられて嬉しいのか、何故かキュルケは得意げにルイズの長所を口にする。
 何とも珍しい光景だった。
 ルイズはそれが何となくむずがゆくて視線を本に落とした。
「ふーん。魔法の方もやばいと思うけどな」
「え?」
「こいつの爆発。あの威力、ドットってレベルじゃねえだろ」
「あら、そんな事考えもしなかったわ。ダーリンったら他の人とは違うところに目が行くのね。素敵だわ」
 うっとりと呟くキュルケだが、垣根の態度は相変わらずだ。
「相棒……俺も寂しいんだけど」
 そんな呑気な会話の中にもう一つ、声が加わった。
 荷台の端に転がされた剣は控えめに金具を鳴らしてそう呟く。
「あら、これがルイズがあげたって言うインテリジェンスソード? ほんとに喋るのね」
 キュルケは膝をついたまま、剣の方へとにじり寄った。
 興味があるのかじっと覗き込んでいる。
「……ツェルプストー、あんたスカート短くない?」
「あらそう? 誰かさんと違ってボリュームがあるからちょっと丈が取られちゃうのかしらね。別に上げてないわ」
「寒くないの」
 脱線しだす女子三人を無視して、剣とその持ち主は勝手に話し続けていた。
「デルフリンガー、お前なあ。話し掛けるまで黙ってろって言わなかったっけ。ツェルプストー、こいつ騒いだら炙れ」
「相棒ひでえ! 騒がしくしねえって。ちぇー何だよ、最初はあんなにお喋りしてくれたのによぅ」
「お前うるさいんだよ。話もお前が覚えてるって事は大体聞いちまったし、飽きた。大体人を勝手に相棒とか呼んでんじゃねえ」
 辛辣な垣根の言葉に剣が大袈裟に嘆く。
 近くでそれを聞いていたキュルケはうるさそうに片方の耳を押さえた。
 今更マジックアイテムごときで驚く事もないから誰も疑問は挟まないが、無機物と口げんかとはなかなかおかしな状況だった。
「だってよお……俺ちゃんと話したよなあ? なんでお前さんが俺の相棒かって事をさあ。それなのに飽きたとか、ひどくない?」
「調子に乗って人の睡眠まで邪魔するようなやつに言われたくねえ。ぐだぐだ言ってやがると炉にくべるぞ」
「ならなんでわざわざ持ってきたの?」
 ルイズの疑問に垣根はふと口篭る。
 少しして、どことなく歯切れの悪い返事が返ってきた。
「んー、場合によってのテスト用だな。まぁなくても大した事ねーんだけど」
「何だよ。何だかって偉いじいさんにも言われたんだろ? いざとなっ――」
「炙るくらいじゃ効かねえってんなら日焼けで死にたいか? デルフリンガー。お前、出る前に俺のした話聞いてたよなあ」
 話している最中に鞘に無理矢理押し込まれて、デルフリンガーは物理的に黙らされた。
 すでに黙っただけでなくあちこちがミシミシと嫌な音を立てているが、垣根が手を緩める様子はない。
「そう言えば、あんた学院長先生となに話してたのよ」
「別に? 大した事じゃねえ」
 偉いじいさん、と聞いて出発前の事をルイズは思い出したが、あの時二人に一体なにがあったのかはわからずじまいだった。
 垣根は軽く答えると首を振る。
 特に隠している風でもないから本当に大した内容じゃないのかもしれない。
 親切になんでも教えてくれる相手じゃないのはわかっているが、ルイズとしてはやはり少し残念だった。
(道中気をつけろとか、頑張りなさいとかそんなとこ?……わざわざ学院長先生がこいつにそんな事言うかしら)
 そんな事が思いつくくらいで、ルイズは首をひねった。

 フーケの根城と言う森は鬱蒼と木々が生い茂り昼だというのに暗かった。
 ひんやりとした空気に思わずルイズは身を縮めた。
 心なしか固い表情のロングビルが促して全員が馬車から降りると辺りを警戒しながら森に分け入る。
 草に足を取られながら細い小道を進むと、開けた場所に出た。
 丁度学院の中庭くらいの広さのそこには、確かに打ち捨てられた小屋があった。
 朽ち果てた窯と壁の壊れた物置がすぐ側に並んでいる。
「元は樵小屋だったのでしょうね。わたくしの聞いた話が正しければ、フーケはあの中に居るはずです」
 小屋からは見えないよう、茂みに隠れたまま五人はロングビルの指差す先をみつめた。
 続いて馬車に揺られながら話し合った作戦を確認する。
 慣れた様子でタバサが土の露出した地面に木の枝で図を書き始めた。
 囮役が小屋を偵察し、フーケがいれば外へおびき出す。
 そうして出てきたところを相手に魔法を使わせる前に叩く、と言う実に簡単なものだった。
 ゴーレムの製作には大量の原材料が必要になるから、土製のゴーレムを使うフーケは間違いなく屋外に出てくるだろう。
 そこは問題なかった。
「囮役は……任せていいわよね」
 ルイズは垣根を仰いだ。
 万一、小屋の中のフーケが追っ手への対抗策を講じていないとも限らない。
 とっさの奇襲にも対応でき、回避も充分となると風メイジであるタバサも期待されたが、フーケを仕留める時の事を思えば貴重な戦力をそちらに割く訳にもいかないと結論付けられたのだ。
 当の垣根は危険の伴う囮などと言われても全く気にしていなかったが。
「捕まえちまって構わねーんだよな」
 気楽にそう言うと垣根は堂々と廃屋に近寄っていく。
 慎重に隠れるとか、そっと様子を窺うような真似はしない。
 挙句、あっさりとドアを開けると中に入っていた。
「彼は大丈夫なんでしょうか」
「ありがとうございますミス・ロングビル。でも多分、あいつなら平気です」
 心配そうにロングビルは垣根の主人であるルイズに声を掛けてくれたが、ルイズは垣根の心配はちっともしていない事に気付いた。
 傍若無人だがどこか頼もしい垣根なら、きっと何とかしてくれる。
 そんな勝手な期待をいつの間にかルイズは垣根に寄せていた。
「ほら、『破壊の杖』ってのはこれじゃねえの」
 しばらくして。
 何やら物音が繰り返された後で、木箱を脇に抱えて垣根は小屋から出てきた。
 どうやらフーケは中にはいなかったらしい。
「すごいわダーリン!」
 そうキュルケが黄色い声をあげ、ルイズがほっと胸を撫で下ろした時。
「え、あれは……」
 色を無くしたロングビルの声に皆が振り向けば、木々よりはるか高く聳える土の壁がこちらを向いていた。
「ゴーレム? なんで」
 疑問を感じる間もなく、辺りを揺るがす地響きに全員の動きが止まる。
 巨大なゴーレムは一歩ずつ大きく足を振り上げ地面を激しく打ちながら近付いてくる。
 この場の三人の魔法があのゴーレムに通用しないのは既に把握していた。
 その為、ゴーレムが現れたら速やかに引く事は決定事項。
 都合のよい事に『破壊の杖』は奪還済みだ。
 けれど。
 ルイズは迫るゴーレムを見上げ、柳眉をつり上げる。

「退却」
 タバサが鋭く口笛を鳴らすと、青い巨躯が広場上空へと舞い降りる。
 予め控えさせていた風竜が主人の命に参じる。
 その体も、ゴーレムと並べばまるで小鳥のようだった。
 タバサ、ロングビル、キュルケの三人は作戦通りに、近くまで降りてくる竜目掛けて走っていた。
「ルイズ!」
 はっとした顔で振り返ったキュルケが叫んだ。
 一人残ったルイズはゴーレムに杖を振りかざす。
 短い詠唱に続いて巨大なゴーレムの表面が弾けるが、それだけだった。
「何してるの?! 逃げなさいよ!」
「いやよ!」
 キュルケは風竜の上から声を張り上げる。
 滞空の苦手な風竜の翼では、その場に留まるにはなるべく小さく旋回するしかないようだった。
 木々に邪魔されながらもルイズを拾い上げるタイミングを窺っているらしいタバサは、隣のキュルケと同じく真剣な顔をしている。
「なによ。強情張って、今度こそ死にたいの? 捕まえて名をあげようってあんたの気持ちもわからなくはないけど――」
「ちがうわ」
 キュルケの言葉にルイズは首を振った。
 『ゼロ』と呼ばれ続けたルイズでも、あのフーケを捕らえればもう馬鹿にされない。
 誰もがルイズを認めてくれる、かもしれない。
 そんな欲もない訳ではない。
 しかし、この場でルイズの足を押しとどめるのは、それ以上のなにか、、、だった。
「わたしにだって、プライドがあるのよ! 何もしないで、今ここで引いちゃいけないの!!」
 叫ぶとルイズは深く息を吸った。
 ぼんやりとした眼窩をこちらに向けるゴーレムを睨みつける。
 震える膝を拳で叩いた。
 ゴーレムは低空を旋回する風竜ではなく、こちらに狙いを定めたらしい。
「わたしは貴族よ。魔法が使える者を、貴族と呼ぶんじゃないわ」
 杖をしっかりと握る。
 震える指を押さえつけた。
「敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」
 見上げてもまだ足りない。
 そんなゴーレムは巨大な体だがゆっくりとした、人間と変わらないような速度で近付いてくる。 
 振り上げられるゴーレムの足目掛けてルイズは詠唱を繰り返す。
 断続的な破裂音と土煙があがる。
 それを押し退けて。
 ルイズの視界にゴーレムの足が迫り、広がった。
 みるみる近付く土の塊が何故かゆっくりとした動きに見える。
 近付いてくる恐怖に耐えかねてルイズは目を瞑った。
 ドズン! と凄まじい轟音が辺りに響く。
 しかし、いくら待っても衝撃も。
 予想していたような痛みすらなかった。
「へえ。言うじゃねえか。大した啖呵だぜ、御主人様よ」
 反抗的で生意気な、使い魔の声がすぐ後ろから聞こえた。
 ルイズは堅く閉じていた瞼を薄く開く。
 少しだけ、褒められたようなその響きに。
 ほっと息を吐いたルイズの体から力が抜けた。
 座り込んだルイズの目の前に広がっていたのはそれまでの土塊の色ではなく、眩いような白一色だった。



<p align=center>*  *  *</p>




 目の前に突如現れた壁面。
 それに助けられたのはルイズにも理解出来たらしい。
 ルイズは一歩前に出ると、腕を伸ばして滑らかな白い壁に触れた。
「なに、これ……変な手触り。土でも石でも、金属とかじゃないの?」
「そんなつまらねえもんと比べんなよ」
 不満そうな顔をして立つ垣根の背後から、白い壁は所々重なり合うようにして半球を描き、伸びていた。
 その光景に、何か気付いたのかぽかんとしたルイズは目を丸くする。
「え、これあの羽? あんたの翼?」
「他に何に見えるんだ」
 垣根はルイズに向けた苦笑に合わせるように周囲の壁を動かした。
 ザン! と一瞬はためいたのは確かに鳥のものに似た形をした長大な三対の翼だった。
 片手に木箱を持った垣根はルイズの背後から隣、そしてその前へと足を進める。
 その間にも、背から伸びる真っ白な半球は。
 丁度グラスに注がれる水がその輪郭を変えないように、綻び一つ見せずにその形状を維持していた。
 すれ違い様に、空いた右手でルイズの頭を押さえるとぐしゃりとかき混ぜる。
「ほら、邪魔だ。持っとけ」
「わっ、思ったより軽いのね」
 垣根は『破壊の杖』の箱をルイズに押し付けると前方を覆う『未元物質ダークマター』のドームを眺める。
 薄っすらと光を反射する白い壁面はゴーレムの足の一撃を受けても罅一つ入っていない。
「俺一人なら余程の事がなけりゃこいつは必要ねえ。だが、どっかのバカなご主人様が無茶するからな」
 柄にも無いことをした、と垣根は改めて感じるむずがゆさを振り払うように乱雑に、今度は自分の髪を掻いた。
 垣根は『未元物質』を自分に降りかかる火の粉を払う為に使った事はあっても、何かを庇うように奮った事は今までほとんどなかった。
 だが、今回は少しばかり事情が違う。
 垣根が普段自分一人の防御に裂いている周囲に撒かれた細かい『未元物質』の設定が、その範囲、対象を変えてもどの程度通じるのか定かではなかったし。
 それではルイズがゴーレムの足を狙った爆発にいつかの授業の時のように巻き込まれ、即興で作りあげる盾では吹き飛ばされるかもしれない。
 しかし、だからと言ってわざわざ翼を展開したのは。
 そもそもの動機からして。ただそれだけだ、とはっきり言い切れないのが垣根の居心地の悪さを増していた。
(あのジジイの思惑通りになってる気がする、ってのは何つーか。癪だな)
 出発前のオスマンとのやり取りをほんの少し思い出して垣根は眉を寄せる。

 垣根が今こうしているのは、ルイズを勝手に殺させない為だ。
 こんなつまらない事で、思いがけず手にした好機をドブに捨てたくはない。
 そしてほとんど何も得ていないこちらの知識と、あちらへの帰る手段。
 どちらのとっかかりでもあるルイズには、みすみす面倒事に巻き込まれては困る。
 まして、勝手に死なれてはもっと困る。
 今現在の垣根の立場は、悲しいかなルイズあってのものだ。
 そうでなければ。この国ではただの平民でしかない垣根はそう扱われ、オスマン達が垣根に協力する必要もなくなる。
 環境が現状以下に落ちるのも、帰還の可能性にすら触れられなくなりかねない状況も垣根は御免だった。

「だからって……こっち来てからちょーっとペース崩されすぎじゃねえか?」
 らしくねえ、とぼやくと垣根は改めて前を向く。
 繭のように、垣根とルイズを覆っていた翼の前面がずれていった。
 そこからこちらを向いているゴーレムを見上げて、垣根は小さく口笛を吹いた。
「まじまじ見るのは初めてだが、面白えな。サイズはざっと三十メートル。いやメイルか? 『念動力テレキネシス』系や、特定の物質の操作に長けたタイプの大能力レベル4を複数揃えても馬鹿みてえな体積、おまけに質量を備えたもんを形状を維持したまま支えて丁寧に動かすなんて真似は無理だろうな。流石は魔法ってとこか」
 呑気にそんな感想を口にする垣根の目の前で、ゴーレムはその拳を握って右腕を振り上げた。
 恐らく狙いは白い盾の間に覗く二人。
 そして不用心に開いたその隙間だろう。
 それを見逃さない程度には、フーケの頭も悪くないらしい。
 しかし、それをみても垣根の態度は変わらない。
「おいおい、ちょっとは頭使えよ」
 歪む口の端からはひどく残念そうな呟きが漏れた。
「全体の重みが乗った一撃が効かなかったんだ、そんなもんが通じると思ってんのか」
「ちょっと?! テイトク? あんたなにする気なの?」
「ルイズ」
 後ろで騒ぎ出すルイズの慌てる声に、垣根は肩越しに振り返った。
 してやったり、と言いたげな得意げな笑みを向ける。
「今度こそお前の出番はおしまいだ。そこで黙ってみてりゃいいんだよ」
 バサァ、と巨大に伸びた翼の左側が更に動く。
 少しずつずれ重なりながら広げられた三枚の翼は。
 まるで垣根の余裕の態度を示すように。
 大きく伸びたその全体を示すと緩やかに一度羽ばたいた。
 壁のその大半を失い、目に見えて耐久力の落ちた翼の守り。
 そこにゴーレムの拳は容赦なく叩きこまれる。
 更にインパクトの瞬間、それは即座に金属に『錬金』された。
 ズガィン! と鈍い衝撃の後に鋭い反響音を残して、辺りはたちまち舞い上がる砂煙に包まれていく。

 厚い幕に覆われたのが一瞬ならば、それが晴れたのもまた一瞬の事だった。
 目に映らない鋭い一閃が砂の幕を一筋、裂いた。
 突如吹き荒れる風が森の木々を揺らし、その奥へと辺りの砂を押し流す。
 晴れていく砂煙の中から巨体を浮かび上がらせたゴーレムの肩に細い亀裂が走ったかと思うと。
 直後、白い軌跡がそこを過ぎ、遅れて腹に響くような轟音が響いた。
 ドズン! と翼に突き立てられた拳ごと、ゴーレムの右腕が落ちた。
 壊れた玩具のように、ゴーレムの動きが止まっている。
 垣根の伸ばした左三枚の翼は僅かに傾き、斜め前方を向いていた。
 そう。
 二十メートル近く伸び、巨大な剣と化した白い翼がゴーレムを肩口からすっぱりと切り裂いたのだ。
 巻き起こった烈風は先んじて砂塵を払ったに過ぎない。
「魔法も捨てたもんじゃねえ。面白えよ。だが、これも使う人間の頭の程度、発想の度合いが知れるな」
 そう言い放つ垣根の目の前で、事態は動く。
 ずるずるとゴーレムの肩近くの土が崩れ、地に落ちた腕に降りかかる。
 周囲の地面を巻き込んでぐにゃりと伸び、ゴーレムの足元近くと腕の間を繋ぎ合わせるように動いていた。
「金属や石と違ってその素材じゃ再生も簡単か。まあそれも出来れば、の話だろ」
 にやりと垣根は笑みを深めた。
 突如、持ち上げられていた腕の一部が崩れ始め、地に落ちる。
 腕の切断面にはまるで血痕のようにどろりとしたものが、『未元物質』がこびり付いていた。
「既存の物理法則の通じない『未元物質』に触れたものは塗り替えられた独自の法則に従って動きだす。異物ってのはそう言うもんだ。たった一つ混じっただけで、世界をガラリと変えちまうんだよ」
 よろりと立ち上がったルイズは、前に進んだ。
 垣根のすぐ横に来ると、呆気に取られた表情で壁の間から目の前に広がる異常な光景、、、、、を眺めていた。
 ルイズだけではない。
 恐らくは、同じような顔をしているだろうフーケにも向けて、親切に教えてやりながら垣根は薄く笑う。
「テメェらの魔法はどうだ? ルーン? 呪文の詠唱? それがどんなものであれ既存のルールに則るもんには違いないだろ」
 だが、と垣根は呟いて、
「俺の『未元物質ダークマター』に、その常識は通用しねえ」
 轟!! と言う風の唸りが再び羽ばたく翼によって巻き起こされる。
「俺の生み出す『未元物質』はこの世界には存在しない物質だ。細かい説明してやってもどうせわからねえだろうから省くが。『未元物質』は『系統魔法』の魔力の影響を受けづらいみたいだぜ。塗り替えまで出来ねえのは残念だが。妨害程度なら問題ねえ、御覧の通りだ。どうだデカブツのご主人様よ。テメェの木偶人形はちゃんと言う事聞いてるか? 操り人形の糸を端から切っていけばどうなるか、なんざ今更説明するまでもねえよなあ」
 傷口から体内に入り込む毒物に組織が侵されていくように。
 切り離された生体の細胞活動の維持が失血によって妨げられるように。
 『未元物質』と言う異物に侵され始めたらしい土はフーケの手の上から少しずつ零れ落ちていくようだった。
 更に。
 ゴーレムの右肩の切断面からも、水が染みていくようにじわじわと。
 付着した『未元物質』を中心に僅かずつだが崩壊が広がっていく。
 と、ゴーレムの上半身が大きく崩れた。
「傷んだら切り捨てるか。スリムにしたいって言うなら手伝うぜ」
 垣根が次に振るうのは右の翼。
 見せ付けるようにゆっくりと、白い翼はゴーレムの左足を横なぎに刎ねた。
 自重を支えきれずゴーレムは右に傾きくず折れる。
「久しぶりに羽を伸ばせる、ってのも悪くねえな」
 文字通りの下らない呟きに、垣根は機嫌よく笑った。

 今までにない位気分は高揚しているが、何故か頭は冴えずぼんやりとしている。
 丁度酔いが回り出したような、そんな感覚だった。
 それと同時に、先程からの頭にまとわり付くような鈍く重い不快感が増している。
 だが。
 頭の片隅に浮かんだそんな考え。
 その僅かな不信感を垣根は無視した。
 今はそんな事より、この浮ついた気分に任せて土人形をどう潰してやるかが優先事項だ。

 それは。
 普段より明らかに冷静さに欠いた考え。
 それにも気付かずに。
 いや、気付いていても。
 垣根は愉快なオモチャを相手に思うまま能力を振るえるチャンスと興奮に、かつてないほど囚われていた。
 潰れては再生するゴーレムに羽を叩きつけながら、ふと気付いた違和感に垣根は眉を顰めた。

「は、ぁ?」
 そう、違和感。
 それに気付いた垣根の思考は瞬時に真っ白く染まり、止まった。
 今の今まで気付かなかった事が信じられない。
 いや、有り得ない程の異変を感じ取った垣根は余りの事に戦慄した。
「おいおい……なんだ、ふざけてんなよ」
 背筋に今まで感じたことの無い冷たいものが伝う。
 それに反して引きつった頬が、口元が吊り上がる。
 その顔に引き裂くような笑みを浮かべて。
 腹を抱えた垣根は乾いた笑い声を辺りに響かせていた。
 徐々に収まる声、震える肩。
 がくんと俯いていた顔を上げた垣根の顔から、一瞬。
 一切の感情が消える。
「相棒! おい、相棒!!」
 我に返ったように突如背中の剣が叫んだ。
 しかし、垣根の耳には既にそんな雑音は届いていない。
 目の前のゴーレムも、背後のルイズも、最早目には入らない。
 その瞬間、垣根の頭からは周囲の状況も、事態も、その一切が抜け落ちていた。
 落ち着かない、耳に響く自分の脈動がガンガンとけたたましいものに変わっている。
 そんな垣根の脳裏を占めるのはたった一つ、この理不尽に対する疑問だけだった。

 何が
 何故
 どうして
 わからない

 頭の中でぶつん、と何かが切れる音がしたようだった。
「畜生、クソがぁあ!! どこ行きやがった、、、、、、、、!?」
 まるで見捨てられた子どものように垣根は叫んだ。
 苛立ちのままに、ゴーレムに肥大化した翼をまとめて叩きつける。
 ドバン!! と巻き起こる烈風。
 かき消される、誰のものともしれない悲鳴。
 煽られた木々の枝が鳴き、辺りは嵐に襲われたような惨状を示した。

 混乱し、めまぐるしく錯綜する思考の中で。
 それでも垣根は次第に状況を把握し始めていた。
 叫び、翼を振るう一方で。
 感情的な熱に支配された頭の片隅が。そこだけが少しずつ冷めていく。
 逸る自分すらどこか客観的に捉える。
 観察するような思考は冷静に、数少ない情報と推論のピースをよく見えるように並べ始めていた。
 目の前に広がる、見慣れた白い翼。
 圧倒的な力を内包する筈のその手応えが、垣根にはいやに軽い気がした。

 演算式に問題などない。
 能力は発現する。
 一見して、今までと変わりないように見える。
 しかし、何か足りない。
 決定的な何かが、今の『未元物質ダークマター』には欠けていた。
 手に馴染んだ筈の武器が変質している。
 例えるなら、刀の柄と鞘を除き、刀身だけがいつの間にか紛い物になっていたようなそんなイメージ。
 以前と比べれば今、垣根の背にある翼は中身の無いただの張りぼてのようにすら感じられる。
 それが何で、何故欠けているのか。
 垣根にはまるでわからなかった。

 ただ。
 失ったと言う事実だけは、はっきりとわかっていた。
「ふざっけんなよ……クソがぁああああああああああッ!!」
 獣のように垣根が吠える。
 癇癪を起こした子どもの手のように、乱雑に滅茶苦茶に。
 三対の翼が振るわれた。
 その翼の一薙ぎで森の木々が打ち倒れていく。
 三十メートル近いゴーレムはぐじゃぐじゃと刺し斬られ打たれ。
 既に見るも無惨に潰れていた。
 そんな、土の塊に。
 染み一つ無い白い翼は何度も何度も、剣のように杭のように槌のように。
 振り下ろされ続けていた。

「はぁ」
 情けなく息を吐いた垣根は呆然と立ち尽くしていた。
 背中の翼は羽根の一枚一枚を舞い散らすようにばら撒かれた後、あっという間に消失していた。
 蹂躙の無残な爪あとを残す地面は割れ、窪み、周囲には折れ重なった木々が痛々しい傷口を晒している。
 廃屋は既に廃材の山と化して見る影もない。
 恐らく、あのゴーレムが暴れてもこうはならないだろう、と言う惨状を前にして。
 垣根の気分も少しはマシになっていた。
 怒りと混乱の波を越えて、垣根に残ったのは嫌に凪いだ思考だった。
 久しぶりに声を荒げたおかげで喉が痛い。
 先程までの大暴れとの落差、激しい虚脱感にかられて両肩から力が抜ける。
 突然暴れ出し、急に静かになった垣根を見ていたルイズは怖々とした様子でゴーレムの残骸と翼を消した垣根とをしばらく見比べた後、
「え。終わったの? ゴーレムに勝ったの? これ」
 ぽかんとした顔で抱えた箱を見下ろしていた。
(もうガキじゃねえんだ。ムカついたからって自分を見失うなんざ、俺の柄かよ)
 沸き立つ感情に駆られ、論理も整合性もなくただがむしゃらに能力を振り回した。
 そんな先刻までの自分の姿を思い返し、垣根は悔しげに歯噛みした。
(……いや。今、考える事じゃねえ。みっともねえ真似したって事態がマシになんかならねえのは、わかってんだろ)
 再び頭をもたげそうになる疑問を振り払うように頭を振る。
 増したようなその重みが軽くなどならない事はわかっている。
 それでも、垣根はそうせずにはいられなかった。
 ふと。
「なにこれ? これが『破壊の杖』なの?」
 背後で箱の中身の無事を確かめていたらしいルイズがおかしな声を上げる。
 振り向いた垣根の目には確かに奇妙なものが映った。
 わずかに詰まったような円筒形、畳まれたグリップや照門がなければ成るほど、苦しいが杖に見えなくもない。
 プラスチック製のその杖はルイズの腕でも持ち上げられる重量のようだった。
「あ、ちょっと」
 ルイズから『破壊の杖』を取り上げると、垣根はぼんやりと目を向ける。
 『破壊の杖』を確かめるように両手の中で回し、続いて左手に視線を移す。
 甲の部分に刻まれた光を放つルーン文字、、、、、、、、、を睨んだ垣根は首を振った。
「66ミリ使い捨て対物ロケットランチャー『M72 LAW』か。こんなものがあるってのも充分妙だけど。あいつらが言ってたのはこれ、、か……」
 力ない溜め息を残した垣根はルイズの手に再び『破壊の杖』を押し付けるとゆっくりと歩き出した。
 残されたルイズは慌てた様子で追いかけてくる。
「ちょっと! フーケはどうするのよ?」
「あー、そうだな……とっくに逃げたんじゃねえの。あれを囮にでもしたんだろ」
 ゴーレムだった土の塊を、振り返りもせず垣根は首を振る。
 その表情からは、先程までの愉しげなものがすっかり抜け落ちていた。
 いつも以上にやる気のない冷めた目で、垣根はルイズを見やる。
「ソイツがありゃあ、ガキの使いもおしまいだろ。後、俺の不始末、、、、、もこれでチャラな。何だ、後は何が不満だ?」
「え」
 ルイズがはっとした顔をする。
 しかし、ぼんやりとした垣根はそれに構う事はしない。
「でも、もしまたフーケが来たら……」
 仕事は終わった、と告げる垣根にルイズはふっと顔を曇らせる。
「来ないだろ」
「なんでよ」
「そいつにしてみりゃ、万全だと思ってた得意の魔法にあそこまでされてんだ。テメェなんかすぐ挽肉になるのは目に見えてる。そこまで馬鹿って事ないだろ。別にあいつの正体が誰で目的がなんだろうが、俺にはこれっぽちも関係ないからな。一々そんな事に構ってなんざやれねえ。テメェらで勝手にしてくれ」
 疲れきった顔で、だらだらと言葉を返す垣根はもうフーケの事など眼中になかった。
 不安そうに目を伏せるルイズにも気を向けることはない。

 しかし、そうは言ったものの。
 もしハルケギニアのメイジが揃いも揃って馬鹿しかいなかったら。

 面倒すぎるだろ、とすっかりやる気のなくなった垣根はそんな事を考えて頭を掻いた。
 わざわざ歯向かってくる馬鹿をご丁寧に相手取った上に潰してやるほど、垣根はお人よしではない。
「あー、そうだった」
 崩れた元ゴーレム、土の小山の側にバサバサと風竜が降りてくる。
 離れた所で唖然と、ただ様子を見るしかなかった残りの三人の存在を。
 そこで垣根はようやく思い出した。

 今の今まで、本当に忘れていたのだ。
 それどころではなかった。
 そんな下らないものにちっとも気を回していなかったのだ仕方ない。
 そんなうっかり、でそれまで隠していた鷹の爪ならぬ翼を晒した垣根は誤魔化すように。
 竜から降りる三人に無理矢理笑顔を繕ってみせた。
「見てりゃわかると思うけどな、俺は自分の敵には容赦をしない。あんな風に、、、、、俺の敵に回りたくなけりゃいい子にしてろ。ここで見た事は、うっかり口を滑らさない方がいいぜ。余計な話が広がると、ウザってえからな」
 何を、などと今更言うまでもない。
 丁度彼女達はギーシュとの決闘を、そしてたった今目の前で起きた惨状を見ていた筈だ。
 それを忘れている筈がない。
 垣根の言葉を聞いた三人は口を開かなかった。
 だが。しっかりと真剣な目で繰り返し頷いた。
 (コソコソした隠蔽になんざ、今まで気を配って来なかったが……やっぱ面倒くせえな)
 今までは、そんな事は垣根自ら手を下すまでもなく『スクール』の下部組織が片付けていたし、情報の統制や記録の改竄は当然のように上層部が絡んでいただけに街ぐるみのレベルで勝手に行われていた。

 対個人のレベルで、それも簡単な脅し一つで。
 人の口に戸を立てる、なんて事は無理だ。
 一時的に抑圧は出来ても長持ちはしないだろう。

 信頼なんて危ういものの上に成り立つ関係性を垣根は期待していない。
 かと言って、そんな理由でルイズの知り合いの、身分のきちんとした他国の貴族をどうにかする訳にもいかないだろう。
 悪党にも種類がある。
 その中でも垣根は、そんな小さな事の為に一般人にわざわざ手を下すようなタイプではなかった。
 一応は念も押した、その上でどうするかは相手次第だ。
 その先は垣根の知った事ではない。
 そして。
 垣根には今はそんな風に余計な事を考えているだけの余裕がなかった。
 ルイズが何か言いたそうに見上げてくるのがわかるが、相手などしていられない。
 そうして外した視線を、再び左腕に向ける。
 持ち上げた手の甲にはただルーン文字が刻まれている、、、、、、だ。
 空になった手の平を強く握ると垣根は暫くそれを眺めていた。



*  *  *





 きゅるるるる、くるるるるぅ。
 か細い声を不満そうに洩らしながら、風竜は翼を広げて空を駆けていた。
「大丈夫。今は落ち着いてる。暴れる様子もない」
 何やら哀れっぽい声で鳴く風竜にタバサはしきりに声を掛け応えている。
 ゴーレムとの一戦の後、馬が脅えて帰りは馬車が使えなかった為、ルイズ達はタバサの使い魔に乗せてもらっている。
 近くの駅になんとか引っ張って預けた馬は、休ませた後学院に送り返してもらう手筈になっていた。
 危うく徒歩になるどころか、馬の足より遥かに早い竜の翼で帰りの時間が短くなるのはありがたかった。
「何? どうしたの」
 気になったのか、前に乗り出すようにしてキュルケが尋ねる。
 ほんの少し顔を顰めているのは、風に流される赤い髪が邪魔なのか。それとも使い魔を案じるタバサを気づかっているのか。
 そんなキュルケに、タバサは相変わらず淡々とした口調で応えた。
「私の使い魔もさっきの戦闘で気が立ってる」
「あら。その子風竜って言ってもまだ子どもなんでしょ? 大丈夫なの?」
 こくんと頷くとタバサは使い魔の背を宥めるように軽く叩いた。

 そんなやり取りを見て、ルイズはちらりと後ろに目をやった。
 垣根は風竜の背鰭に凭れてじっと黙っている。
 閉じた瞼から、何を考えているのかはさっぱり読めない。
 あんなゴーレムを倒した後だと言うのに、垣根は何故か機嫌が悪そうだった。
 それまで、ゴーレムを前にしていた時も様子が変だった。
(あんな風に怒鳴ったの、見たことないし)
 何とか落ち着いたらしい垣根になんとか聞くと、
「ストレス溜まってたんだよ」
 と言われたが、それにしたってただ事ではないくらい、付き合いが短いルイズでもわかる。
 垣根はいつも余裕ぶった態度でいたし、感情的な態度をみせる事も少なかった。
 それは、召喚して以来垣根を側で見ていたルイズは良く知っていた。
 だが。
 ゴーレム相手の一暴れから一転、今の垣根はその時以上に近寄りがたい雰囲気を放っていた。
 興奮した様子でしきりに話しかけるデルフリンガーは、来た時のようにしっかりと鞘に入れ、おまけに口を留め黙らせてしまっていた。
 何やら、同伴していたミス・ロングビルも何か言いたげな様子だったが、垣根を警戒しているのか遠巻きにしていた。
 ルイズが声を掛けてもどこか上の空、と言った感じだ。
(何よ……ちゃんと言いたかったのに。言いそびれちゃったじゃない)
 垣根の事も気になるが、ルイズの頭を悩ませるのはそれだけではなかった。
 あれだけの働きを見せた使い魔に、ルイズはよくやった、と褒めてあげてもいない。
 ありがとうとお礼も言えていない。

 あの時、ルイズを庇ってくれた垣根はあんな風に言ってくれたが。
 あれはルイズのただの意地だ。キュルケの言うように考えなしの馬鹿な行動だ。
 その愚かしさは、ルイズにだってわかっていた。
 だけど。
 あの場でただ逃げる事はどうしてもしたくなかった。
 軍人として貴族として立派な両親には及ぶべくもない。優秀な姉にも、優しい姉にも届かない。
 だからこそ、せめてそうありたいと思う気持ちだけは曲げたくなかった。
 頑固だと馬鹿だと言われようと。
 魔法も使えず、貴族らしくある事も出来ないルイズがただ一つ譲れないものだった。
 そんな無力な自分が悔しかった。
 許せなかった。
 だからこそ。
 ルイズは垣根のしてくれた事が嬉しかったのだ。
 そんな自分を見捨てずに、助けてくれた事が嬉しかった。
 あんなゴーレムだって垣根にしてみれば、大した事はなかったのかもしれない。
 それでも。
 勝手な思い込みだろうとなんだろうと、とにかくルイズは嬉しいとそう感じたのだ。

(なら、やっぱり言った方がいいわよね)
 ぐっと拳を握ると、ルイズは早くなる鼓動を何とか抑えようとした。
 何故か、あのゴーレムの前に立った時と同じくらい。
 ルイズは緊張していた。
「ちょっと……テイトク?」
 怖々と、黙ったままの垣根に近付くと、ルイズはそっと様子を窺った。
 返事もなにも反応がない。
 ただ静かに胸が上下している。
 どうやら、じっと目を閉じているうちに垣根は寝てしまったらしい。
 折角の決意を折られて。
 ほんの少しだけほっとして。
 ずるっとルイズの肩から力が抜けた。
 あの不機嫌さで拒絶でもされたら、ちょっと立ち直れなかったかもしれない。
 むにり。
 そんなルイズの後頭部に柔らかいものが押し付けられる。
「ねえ! ダーリンったらすごいじゃない! 聞いてないわ。本当に平民なの? あれ何て魔法なのよ」
 ゴーレムを前にした垣根の剣幕も恋の炎とやらにはちっとも堪えなかったのか、それともすっかり調子が戻ったのか。
 はしゃぐキュルケに更に気を抜かれ、ルイズは小さく肩を竦めた。
 首筋までが柔らかい感触で埋まる。

 垣根もああは言っていたが、下手に詮索や余計な事をされるくらいなら。
 全てとはいかないが、いっそある程度の事を話してしまった方が楽かもしれない。
 慎重そうで口の固いだろうタバサは問題ないだろうし、キュルケに至っては好奇心に駆られているだけだろう。
 燃え上がり、燃え尽きるのも早いツェルプストーは、手に入ってしまえば興味を失うのも早い。
 長年ツェルプストーとやりあってきたヴァリエールのその一人であるルイズはそれもよくしっていた。
「さあね。あいつ『<ruby><rb>東方</rb><rt>ロバ・アル・カリイエ</rt></ruby>』からきたらしいから、東方の魔法ってところじゃないの。あっちには『系統魔法』とはちょっと違うものがあるんですって」
「ふぅん。何、あなた知ってて黙ってたの? ずっと?」
 もっともらしいがまるで信憑性もない言い訳だ。
 だが、違うところに反応したらしいキュルケは不満そうに呟くと、伸ばした指でルイズの頬をつついてきた。
 鮮やかに塗られた爪を目で追いながら、ルイズは顔を伏せる。
「だって……なにかあったら困るでしょ。あいつがここじゃ平民なのは間違いないもの。あんな事が出来るなんて知れたら、どうなるかわからないじゃない」
「そうかしら。あなたって心配性ね? これだから頭の固いトリステイン人は嫌だわ。それにしてもステキだったわよね。あの翼。圧倒的で、大きくって、すごくって……なんて言ったかしら、あれみたいだったわ。そう、天使」
 あの惨劇と言ってもおかしくない、圧倒的な闘いを一緒に見ていたとはとても思えない。
 そんなひどく能天気なキュルケの言葉に、思わずルイズは吹き出しそうになった。
 天使。
 神の使い。
 少し前に聞いた話を思えば何だか笑えないが、その単語はあまりにも垣根には似合っていなかった。
「天使って『始祖の降臨』とかに描いてある? そうかしら。わたし最初翼人かと思ったんだけど」
「嫌だわ、彼の羽はもっと神々しくて神秘的で情熱的じゃない。そう情熱よ!」
「ちょっとツェルプストーうるさいわよ! 騒いだらあいつ起きちゃうじゃない。こうやって昼寝してるところ邪魔すると怒るんだから」
 情熱、情熱と騒ぎ出すとキュルケはルイズの隣に回る。
 柔らかい枕も離れていってしまった。
「あら。寝顔はカワイイのね」
「勝手に触んないで!」
 またしても垣根にちょっかいを出そうとするキュルケを止めるべく、ルイズは慌ててつかみかかった。
 怒る、と言ってもいつもの垣根なら精々睨んで悪態を吐く程度だ。
 それでも、ルイズには充分怖いものだが。もしあんな風に怒鳴られたら、と思うと。

 冗談ではない。
 きっと、あの恐ろしい母様にも並ぶ。

 そう考えたルイズは全力で、なるべく静かにキュルケを止めようと必死になった。
 しかし。
 目の前の垣根の顔が、閉じた瞼が不快そうに顰められる。
「……うるせえ」
 がくん! と垣根の呟きの直後、風竜の背が激しく揺れた。
 振り返ったタバサは冷たい目で原因の二人を睨む。
「どっちもうるさい。彼を起こさないで」
 赤縁の眼鏡のレンズが鋭く光っていた。
 『雪風』の二つ名にふさわしいその剣幕に黙って頷くと、つかみ合ったままの二人は肩を寄せ合う。
「(なによあれ)」
「(さあ、あの子の使い魔はまだ子どもらしいって言ったでしょ? ダーリンの魔法の激しさにびっくりしちゃんたんじゃないの。乗せてもらってるのに怖がらせちゃ確かに可哀想よね)」
「(幾ら子どもでも竜が驚くって……まあ、あれじゃ仕方ないわよね)」
 二人は前方のタバサと後方の垣根を気づかい、揃って声を潜める。
 ひそひそと、因縁のツェルプストーと額をつきあわせてそんな風に話をしながら。
 改めて、ルイズは垣根の常識外っぷりを実感していた。


 螺旋階段を上がるルイズは寄せた眉根を指先で伸ばしていた。
 あれから、何となく元気のなかった垣根は学院に戻ってからというもの部屋に籠もっていた。
 ルイズ達が報告に向かった学院長のところにもついて来なかったし。
 届いたばかりの自分のベッドに転がると、組んだ両腕を枕にぼんやり天井を睨んでいた。
 ルイズが話しかけても生返事ばかりで終いにはうるさいとしか言わなくなった。
 夕食に誘っても取り合わず、じっと何か考え込んでいるようで。
 何かの殻に籠もってしまったようだった。

 その理由が全くわからなくてルイズは困っていた。
 あんな様子の垣根に、今回の一件のお礼を――なんてとてもではないが切り出せない。
(ううん、しっかりしなきゃ。わたしが沈んでどうすんのよ)
 部屋の扉を前にして、ルイズは軽く咳払いした。
「テイトクー、ご飯くらい食べたらどうなの? シエスタ達も心配して――え?」
 努めて明るく、そんな事を言いながら扉を開けたルイズは目を丸くした。
 いつのまにか部屋の中には誰もいない。
 垣根の数少ない荷物は真新しい小さなベッドの上に放られていた。
 慌てて部屋の中を見回したが、書き置きや何かが残されているようすもない。
 ひく、とルイズの眉が吊りあがる。
「なに、なんなの……あいつ人の気もしらないでなーにしてんの?」
 ふと。
 どこからか聞こえる小さな声にルイズは気付いた。
 聞き耳を立てて部屋の中を歩き回り、ほどなくして床の上にしゃがんだ。
 そして腕を伸ばすと、垣根のベッドの下を探る。
「あんた……こんなとこでなにやってんの?」
 しっかりと鍔の留め金を下ろされたせいでもごもごと呻くだけの哀れなインテリジェンスソードに、ルイズは溜め息を吐いた。
 ぱちん、とそれを外してやるとデルフリンガーは情けない声でルイズを呼ぶ。
「ああああ貴族の娘っ子おお……」
「全く。それよりテイトクは? 勝手にどこいったのよ」
「相棒は、相棒は……俺を置いて出ていっちまったよ。もう、帰って来ないかもしんねえ……」
 さめざめと泣き声を上げるデルフリンガーに、ルイズは目を剥いて怒鳴った。
「ちょっと! どう言う事なの? なにがあったって言うのよ!」
 デルフリンガーは『破壊の杖』の一件を終えてから今まで、ある意味垣根と一緒に居た筈だった。
 だから何か心当たりでもあれば、とルイズは思ったのだが。
 それ以上の爆弾が飛び出してルイズはいてもたってもいられなくなる。
 無意味に、両手で柄のあたりをなんとか持ち上げていたデルフリンガーをがちゃがちゃと揺らした。
 1.5メイルのロングソードはルイズの腕には重過ぎるが、そんな事を気にしている余裕はない。
「俺だって知らねえよ。わかんねえよ。けどなあ、娘っ子」
「なによ」
「うーん……別に、相棒に口止めもされてねえし、お前さんは相棒の主だし、そもそも相棒は俺がそんな事知ってるなんて思いもしないだろうから言うけどな? 相棒には言うなよ? 絶対言うなよ? 俺まだ溶かされたり潰されたくないんだよ」
 喋るときの振動以外の理由からか。
 少しだけ落ち着いたデルフリンガーは口のようにも見える金具をカタカタと震わせながらそう前置きした。
「いいわよ、黙ってる。わたしもあんたの気持ちはなんとなくわかるしね」
 ここにはいない垣根に対して、僅かな感覚の共有をした一人と一振りはそう頷きあった。
 じっと、口元を曲げたまま睥睨するルイズの前で。
 デルフリンガーはぽつぽつと、言葉を探すようにして話し始めた。
「相棒はなあ、どうかしちまってた。俺は魔法仕掛けのインテリジェンスソードだ。相棒の事は、側にひっついてりゃわかるのよ。で、ゴーレムの腕をぶった切ってからの相棒は、なんてーかギリギリだった」
「ギリギリ? なにがよ」
「ああ。心がぐしゃぐしゃに震えてた。あんな危ねえ『使い手』にはとんとお目に掛かったことがねえってくらい。それが、部屋を出る前。行くなって叫ぶ俺を黙らせた相棒は……」
 ふっと言葉を切るデルフリンガーの深刻な様子に、ルイズもつい唾を飲み込んだ。
「テイトクは、どうしたの」
「おかしなくらい静かだった。落ち着いたってのとは少し違う。何か別のもんで蓋でもしたみたいな。とにかく、それだけの事があって相棒は出てっちまった。俺を……俺を置いてぇええええ! 相棒がいなけりゃ、俺はどうすりゃいい? やっと出会えた『使い手』にもし見捨てられたら俺はぁああああ」
 また突然悲嘆モードに移行するデルフリンガーのヒステリックな悲鳴に、ルイズは耳を庇うと負けじと声を張り上げる。
「なによ、全然わかんないじゃない! あいつがどうしたって言うのよ」
「俺だってわかんないよ! 俺にわかるのは、『使い手』の調子と心の震えの強さくらいだ。頭の中までわかるような機能はついてないの! それも相棒本人がなんだかわかんないくらい混乱してたら、俺にはもうさっぱりわかんないの!!」
「なんなのよ……ならおかしな事言わないでよ。どうしたらいいかわかんない、ってだけじゃない」
 再び、わんわんと泣き出すデルフリンガーを垣根のベッドの下に放ると、ルイズは床に膝をついてシーツに顔を埋めた。
「なに、それ……あのバカ。わたしに、なにも……」
 文句を言っても、聞く相手がいなくてはどうしようもない。
 久しぶりに一人になった部屋は、なんだかルイズには広すぎるようだった。





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前回途中で切ったのに、それを反故にするくらい長くなった対ゴーレム戦です。
どうか、長いスクロールにお付き合いください。

ほのぼのってかくだらない日常パート、メイン展開の裏話って言うのも好きでちょっと追加した移動のやりとり。
そんな序盤と、中盤からはやっともってこれた『未元物質』の見せ場。
やっぱり垣根にはメルヘンな翼がなきゃね!!
折角だから華をもたせてあげたかった。
でも戦闘シーンとかなんですかそれ、状態です。精進したい

※追記
取り急ぎなんとかしてみました。
今後微調整はしても、この話はこれ以上大きく変わらないと思います。

このSSでの『未元物質』をどういうものにするか、を改めて考えて考えて考えていたら、夢枕に『例の金色のあの人』が出てきて助けてくれました。
多分ちょっと遅れたお年玉ですわ。
おかげで捏造しまくっていた裏設定にちょい足しでなんとかおとせそうです。
結局、『未元物質』がちょっと劣化したくらいで大きな変更はないですが。
垣根の前途は予定よりちょっとだけ多難になりました。

『未元物質』の設定補完と、伴う戦闘シーンの変更と加筆をさせてもらいました。
肝心なところに抜けがあったまま書いて、上げてしまうとか申し訳ないです。
勝手に立てたプランにふりまわされて焦るとろくな事にならないですね。
今までの描写はそういじらなくてもなんとかなりそうなので今は触りません。


すっかり、変更前以上に空気になってしまったフーケさんは次にちょっと触れたいです。

わかりづらい、前のほうが良かったなどご意見ございましたら遠慮なくお願いします。
お待ちしています。



[34778] 13
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2014/07/05 23:46




 ミス・ロングビルは疲労の浮かぶ顔で机に向かっていた。
 往復六時間を超える行軍、連日の魔法の使用。
 度重なる精神的にも肉体的にも激しい負担は、まだ若いと自負する肌をすっかりやつれさせていた。
 ロングビルとして報告書をまとめながら。その裏で彼女、怪盗フーケは今回の仕事を振り返っていた。

 幸運に恵まれ、まんまと目当ての『破壊の杖』を盗む事が出来た。そこまではよかった。
 囮のゴーレムでしつこい追っ手もまく事が出来たし、捜索隊も編成されたがその三人相手なら充分対処出来ると踏んでいた。
 ロングビルが心配していたのは、二人のトライアングルメイジの存在ではなかった。
 彼女たちの魔法がゴーレムにとってさしたる脅威ではない事は知れていたからだ。
 何より注意を払っていたのは、得体の知れない、あの使い魔の少年だった。
 偵察に向かわせる小屋の中に罠もきちんと張っておいたのだが、あの少年は傷一つ負わずに『破壊の杖』を持って出てきた。
(まあ、あのおかしな光を使われなかっただけ、マシかね)
 先日、たまたま目にしたあの少年の魔法の威力を思い出して、ロングビルは身を竦ませる。
 強固な魔法の防壁を打ち抜いた上で尚トライアングルクラスの、それ以上の魔法も馬鹿馬鹿しくなるような破壊力。
 それでも自在には扱えないような事を言っていたが、それならば的は大きい方が楽な筈だった。
 何故ゴーレムに使わなかったかは謎だが、問題はそれだけではない。
 あの、奇妙な翼。
 あんな魔法は聞いた事がなかった。
 帰りの竜の上で、主人のルイズはあの使い魔が東方ロバ・アル・カリイエのメイジだと言うような事を言っていたがそれでもロングビルは信じられなかった。
 あんなもの、人間にどうにか出来るものなのだろうか。
 ロングビルにはさっぱりだった。
 結局手に入らなかった『破壊の杖』も気に掛かってはいた。
 惜しかったが、考えようによっては却ってよかったかもしれない。
 オスマン曰く、
「古い知人の持ち物で、特別な『マジックアイテム』などでもない」
 と言う話だから盗んだところで売るのも処分にも困っただろう。
 これだけの苦労をして成果がないのは悔しい限りだが、下手を打ってお縄にならなかっただけ、あんな目にあって命があっただけましだ。
 そんな風にロングビルは落しどころを決めた。
(ここの連中は外に今回の事は漏らしてないようだから、まだこの辺りでも何とか仕事は出来そうだね)
 ぱちぱちと頭の中で算盤を弾く。
 今回のような失敗を経てもロングビルはまだフーケとして働かざるを得ない理由が合った。
 馬車の上でルイズ達相手にうっかり口を滑らせてしまったが、ロングビルは貴族の名を捨てた人間だ。
 その上、そんな因縁有る故郷に家族を残してきている。
 この所、彼女の故郷の動向はきな臭かった。
 蜂起している内戦が激化すれば、ロングビルの仕送りでやっと暮らしている家族達の生活もどうなる事か。
(金がッ、要る)
 ロングビルは、眼鏡の奥の目を悔しげに細めた。

 何かにつけても世の中金だった。
 名声でもない。
 顕示欲でもない。
 私欲でもない。
 そんなつまらないもの目当てで危険を冒してまで盗みは働かなかった。
 勿論、ふんぞり返る貴族どもの鼻を開かしてやれれば溜飲は下りる。そんな理由だってまったくない訳でもないのだが。
 ただ、ロングビルがいつも考えていたのは家族の事だった。
 みな、血が繋がっているわけでもない。義理、とつけられるような間柄でもない。
 しかし。
 身を寄せ合い暮らす彼女らは、確かにひとつの家族だった。姉のように母のようにロングビルは接し、過ごしてきた。
 かわいい妹の笑顔がみたかった。
 もちろん、当の本人達はロングビルが悪事に手を染めているとは夢にも思わないだろう。
 特に妹はそんな事を知れば悲しみ、怒るような優しい子だ。

 だが、ロングビルはかけがえのない家族の信頼を裏切ってでもしなくてはいけない事があった。
 そしてそれにはやっぱり、金が必要なのだ。
 このトリステインで思いがけずまともな職にはありつけた。
 貴族の通う魔法学院の秘書ともなれば給金はそれなりだ。
 しかし、そこにきてまたしても聞こえてくる故郷での悪い知らせは収まるどころか日に日に増していくようだった。
 そんな危険な、自分の目の届かない所に家族を放ってはおけない。
 いつまでもこんな事が続けられる筈もない。
 もし盗人家業から足を洗い、安全な所に居を移すにしても。それにはやはり、一時にまとまった金が欲しかった。
(今回が最後、と思ってたが。仕方ない。もう少し粘るしかないかね)
 近頃はすっかりフーケの名も売れて、警戒は強まっている。
 やりづらいのはどこもかわらないだろう。
 さて、どうするか、とロングビルが思い直したその時。
 のんびりと椅子に掛けていたオスマンが顔を上げた。

 『破壊の杖』が無事に戻ってきた事でこの一件を終えて、オスマンはすっかり肩の荷が下りたような顔をしていた。
 事件の張本人を前にして、実に呑気な態度で話を向けてきた。
「予定より遅れたが『フリッグの舞踏会』は二日後、マンの日に執り行う事になった。無事『破壊の杖』も戻ったし、君らにも大事なくて何よりじゃった」
 世話を掛けたな、としみじみ洩らすオスマンにロングビルは曖昧に頷いた。
「誰か、パーティをたのしむ決まった相手などおらんのかね? まあ、君なら引く手数多、と言ったところじゃろうが――」
 老人の繰言はロングビルの耳を右から左に抜けていく。
 舞踏会より何より、今は何事もなく帰ってこれた事の安心感の方が大きかった。
 精神的にも肉体的にもヘトヘトだった。
 今にでも部屋に帰って寝たいくらいだ。
 くだらないおしゃべりに付き合っているような気力はあまりない。
 そんなロングビルを見かねたのか、オスマンはねぎらうように声を掛ける。
「疲れておるようじゃな。もうすぐ夕食の時間だろうし、続きは明日にしたらどうかね」
「いいえ。もう少しですから。ご心配、痛み入りますわ」
 作り笑顔を返すロングビルに相変わらずにこにこと、優しげに老人は頷いている。
 笑みの形のまま、その口が動いた。
「いや。私は本当にほっとしておるんじゃよ。君が、彼の手に掛からなくて何よりだった」
 オスマンは、態度も言葉も変えなかった。
 ただ、その空気だけが一変した。
 ゾワリ、とロングビルは突如背筋を走る悪寒に総毛だった。
 腕はびっしりと鳥肌が浮いているが、手の平はじっとりと汗ばんでいた。
「オールド、オスマン? なに、を」
「君が無事でよかったと、言ってるんじゃよ。ミス・サウスゴータ、、 、、、、、、
 ガタン! とロングビルは椅子から転げ落ちた。
 それはロングビルが遠い昔に捨てた、捨てざるを得なかった名前だ。
 そして。
 その名を知るものは、もうこの世にはいないはずだった。

 予想外の一撃を食らったようだった。
 頭がまともに働かない。
 なんだ、この老人は。
 どこまで知っている。

 呆然と、ただロングビルは目を見張る。頬を伝う汗を拭う事も出来なかった。
 ちゅう、とその耳元で小さな声がした。
 慌てて顔を向けると、肩の上には小さな白ネズミが乗っている。
 いつの間に、と驚く間もなく。ネズミは主の元へと駆けて行った。
「おお、ご苦労ご苦労。お前も疲れただろうモートソグニルや。ほれ、ご褒美にナッツをやろう」
 ひとつ、ふたつ、みっつ、と節をつけて呟くと、オスマンは使い魔を乗せた手の平の上にナッツを並べた。
「年を取ると耳も目も遠くなるものじゃが、見識はかえって広くなるもののようでな。縁があれば色々と聞く話も増える、と言うものじゃ」
 呆けた振りをしていたのか、人品に平民も貴族もないなどと言っていたこの老人は、雇った秘書の裏はきっちりと探っていたらしい。
 無論、それだけではないだろう。
 どこまでかはわからないが、フーケとして動いていた事も把握していた、そんな口ぶりだ。
「何、最初は私の目を盗んで一体何をしとるんじゃろうと思ったのだが……まさかスカウトした美人秘書の正体が巷を賑わす怪盗だとは、私も思わんかったよ」
 ロングビルは、気楽にそんな事を言うオスマンを睨みつけた。
 人のスカートの中を使い魔に覗かせるような老人が。
 気まぐれに『遠見の鏡』で学院内を見て回るこの男が。
 この部屋で寝入ったようにみえたからと言って、すっかり油断していた自分の甘さにも腹が立った。
「わたしを、突き出すんだろう。杖を取り上げて縛るなり、さっさとすりゃあいいじゃないさ」
 自棄になってロングビルは語気を荒げる。
 余裕綽々に髭を撫でていたオスマンは、その言葉にふと太い眉の下の目を丸くした。
「いや、言ったじゃろ? 仕事は明日にしたらどうかね、、、、、、、、、、、、、と。私としても有能な秘書を手放すのは惜しくてなあ」
「はあ?」
 思わず、張り詰めていた緊張感が途切れる。
 まるで何を考えているのか読めなかった。
 まさかこの爺、本当に呆けているんじゃなかろうか。
 そんな風に呆気にとられるロングビルを余所に、オスマンは窓の方へと目をやった。
「加えて、今は何かと物騒な話も多い。生徒達の安全を考えても、優秀なメイジには離れて欲しくないのじゃよ」
 どこを、とは言わなかった。
 この老人が何を考え何を企み。
 一体どこまで遠くを見ているのかは高々二十数年ぽっちしか生きていないロングビルにはわからなかった。
 オスマンは深い溜め息を吐いた。
 その姿だけ見れば、積み重なった長年の苦悩に満ち明日を憂う老人のようにも見える。
「過去を顧みるのは年を食ってからで充分じゃよ。若者は前を向くものじゃ。例え、かつて何をしていようとも、、、、、、、、、、、、
 ふむ、と目を閉じてオスマンは何事かに思いを馳せるようにして言葉を一度切った。
「それを挽回するチャンスは幾らでも転がっているものだと、私は思うのだが。どうかね?」
 ロングビルは鼻白んだ。

 ただの綺麗事だ。
 所詮そんな事はかなわない。
 落ちた人間はもう元のような場所には戻れない。
 足掻いてなんとかその場に留まろうとするか、首まで深みに嵌るかの違いだけだ。

 しかし、オスマンは真剣だった。
 目の前のロングビルに、まるで小さな失敗をした子どもの更正を本気で信じているかのような目をしていた。
「君のしてきた事をなかった事など勿論出来ない。だが、ここで秘書を続けてくれると言うなら今までのように過ごしてくれるとありがたいんじゃが。私も若い娘さんの暗い顔は見たくないのでな」
「……それで、何がお望みですか」
 顔を逸らしてロングビルはそう問うた。
 オスマンは衛士隊にフーケの身柄を引き渡すどころか今回の件を不問とし、正体も隠匿するつもりらしい。
 その上で一体、この老人はどんな条件を引き換えにしてくるのか。
 それでどのようにして『土くれ』のフーケに首輪を嵌めるつもりなのか。
 ロングビルは身構えた。
「そうじゃな。私の要求は……仕事中の煙草は午前、昼、午後、夜にそれぞれ三回。後、たまにはセクシーな下着を穿いてくれると嬉しいんじゃが……どう?」
 両手の人差し指を顔の前でつつき合わせながら、オスマンは上目遣いでそんな事を口にする。
 一瞬、目を丸くしたロングビルは眼鏡の位置を直すと呆れたように息を吐いた。
「……体に障りますからお煙草は控えてくださいますか。わたくし実はその臭いが得意ではないので。それと何度も言うようだけど……そんな事にまで口出ししないでくれるかい!」
「ミス・ロングビル。冷静でクールな美人秘書もいいが、そっちもアリじゃ」
 肩を怒らすロングビルに、オスマンは下手なウインクを飛ばす。
 さっきまでの空気はどこへやら。
 すっかりペースに呑まれ、毒気まで抜かれてしまったロングビルは諦めて諸手を挙げた。
 そもそも、本気になったところで断る事など出来ないだろう。
 それなりの場数を踏み、真っ当ではない経験もたっぷり積んでいるフーケであっても。海千山千の老爺の手から逃れる術はなさそうだった。
「月に最低一度は帰省させていただいても?」
「休みくらい好きに使って構わんよ」
 やれやれと頭を振るとロングビルは倒れた椅子を起こした。
 今後の彼女の仕事はある意味でやりやすく、そしてまた今までのどの仕事よりも厄介なものになりそうだった。



*  *  *






 学院本塔と火の塔の間に立つ研究室。
 戦荒事より学問や歴史を好み、日夜研究に勤しむコルベールは職員寮塔の自室から外へその中核を移していた。
 実験にはつきものの騒音や異臭は近隣の教師達の理解を得られなかったのだ。
 通り掛かる誰の目にも――近頃はそんな人影も滅多にないが、一見みすぼらしい掘っ立て小屋にしか見えないだろう。
 しかしここには、コルベールが先祖伝来の財産や屋敷を手放してまで揃えた道具や秘薬の数々が溢れていた。
 その、自慢の研究室の扉を開こうとして。
 コルベールはふと小屋の外、外壁の近くに目をやった。
 そこには背を向けて、地面に座り込んだ少年が苛立った様子で何やらぶつぶつと呟いていた。
 コルベールは、気が進まないまでも流石に見かねて声を掛ける。
「ミスタ・カキネ、そんな所で何をしてるんだね」
「ああ、あんたか。邪魔してるぜ」
 それは、ミス・ヴァリエールの使い魔に違いなかった。
 先だって、フーケに奪われた『破壊の杖』を取り戻すと言う功績を主人ともども上げたらしい。
 コルベールはオスマンからそう聞いていたが、彼は何故か浮かない様子で振り返りもせず答えた。
「ちょっと独りで考えたい事があってな」
 彼の周囲は石や小枝でかいたらしいおかしないたずら書きでびっしりと埋まっていた。
 そう洩らす垣根に一応仔細を聞くと。
 その辺りにいた使用人に人気の無い、人の寄らない所を聞いたらここが挙がったのだと言う。
 奇妙な屋外実験場に寄ろう何て考える人間は、貴族じゃなくてもいない筈だ、と彼は愉快そうに答えた。
 わからなくもない話だが、そう言われるとここを使っている本人としてはいい気持ちはしない。
 自分の研究が周囲には受け入れがたく、またこの環境も快く思われてはいないとわかってはいても残念なものだった。
「そうか。ならそこは好きに使いたまえ」
 興味もやる気もなくそう返してコルベールが中へ入ると、何故か垣根は勝手に後ろについてきた。
 入り口に片手をつくと、凭れるようにして中を覗いてくる。
「聞いた話だが。アンタ、変わった実験に精出してるらしいじゃねえか。なら薬品や素材があるだろ、ちょっと借りるぞ。後、書くもんも寄越せ」
 突然の上から目線の言葉と要求に、コルベールは顔を顰めた。
 何より、コルベールは実に個人的な理由だが――彼にそれなりの信頼感どころか、余り良い感情も持っていない。
 垣根の方はコルベールの不満げな様子にも構わずに話し続けている。
「もちろんタダでとは言わねえ。アンタの御執心はそれか。ちょっと位なら口出してやってもいいぜ」
 研究室の中に並ぶ様々な道具、装置。
 その中でもコルベールが長年掛けてやっと形にした、魔法を直接の動力とせず熱や蒸気を使って動く機械。
 それを指差してから垣根は研究室に足を踏み入れた。
 コルベールが止めるより先に、勝手に近寄ると無遠慮に機械へ顔を寄せる。
「おい、君」
 何かおかしな事をされるのでは、と思うとコルベールは気が気ではない。
 手塩に掛けた発明品だ。
 四十二になって未だ独身のコルベールにとってはさながら我が子のようなもの。
 そんなものを前にして、垣根はふと面白そうに口端を吊り上げる。
 にやにやと笑いながら、コルベールを仰ぎ見た。
「ふーん。これ、アンタ一人でやってんのか?」
「悪いかね」
「いや。問題があるわけじゃないが。アンタ一人で産業革命でも起こす気なのか?」
 とても褒められた気はしなかったが、少なくとも彼は馬鹿にしてはいないらしい。

 コルベールの『愉快なヘビくん』を内燃式レシプロエンジン、と垣根はそう呼んだ。
 聞けば、彼の居た国にはそうして蒸気や熱、それだけでなく。
 それを更に扱いやすいデンキと言うエネルギーに換える事で仕事、、をさせる機械を作る技術があるのだと言う。
 俄かには信じられない事だったが、勝手に近くの椅子に座る垣根の話を聞くうちに、コルベールはすっかり夢中になっていた。
 馬を使わずに走る馬車、竜のように早く空を飛ぶ大型のフネ、大陸を横断する長い車。
 そんなものが彼の故郷には溢れていると言うのだ。
 更には、遠く離れた相手と顔を見ながら会話する手段まであると言う。
「それは、本当に魔法を使わずにしているのかね」
 コルベールは、喉の奥が乾くのを感じていた。
 まるで夢物語のような。想像もした事のないような技術の存在を示されて好奇心が強く刺激された。
 垣根は実につまらなそうに頷いた。
「あっちの連中はそもそも魔法使いの血なんざ引いてねえからな」
「なるほど。しかし、君に『愉快なヘビくん』の事がわかるのかね?」
「魔法がねえ代わりにそんな技術を磨いてた国から来てんだ。俺も専門って訳じゃねえが、単純なエネルギーの運用法や構造上の問題なんかは、素人どころか科学知識のないあんたよりはわかるつもりだぜ」
 まだ訝しげな視線を向けるコルベールに、垣根は得意げな顔をして『愉快なヘビくん』をどうやって動かすかを説明してみせた。
 気化した燃料を円筒の中で爆発させ、ピストンを動かす力を利用して連動した機械を働かせる。
 『ヘビくん』の根幹であるその構造にたどり着くまでには長い長い年月が掛かっている。
 だが、たった今その表面を見ただけだというのに、彼にはその仕組みがわかっているらしい。
「まだ、誰にもこの事は話していないと言うのに。君は一体……」
「ただの平民だっての。ほら、アンタの方はどうするんだよ」
 初見の印象とはまた違う種類の驚きに目を見張るコルベールは、感嘆の呟きを洩らしながら席を立った。
 そして次々と告げられる垣根の希望を叶えるべくあちこちの棚を漁り始める。



*  *  *






 垣根がしたのは実に単純な解説と改善のヒントだったが、コルベールはいたく感激したらしい。
 小屋の一角に資材一式と薬品棚のリスト、おまけに毛布まで貸してくれた。
 残念ながら、物に埋まった研究室では丁度良さそうな机に空きが無かったので。垣根は空の木箱を代わりに調達した。
 伏せたそれを中心に、一先ず環境を整えると垣根は後ろに立つコルベールを振り返った。
 コルベールは、垣根が今まで見たことがないくらいにこにことした、実に柔和な笑みを浮かべていた。
 目にしたコルベールはそのほとんどで異様な闖入者として垣根を警戒していたが。もしかしたら、授業や平時はこちらの方が素なのかもしれない。
「どうぞゆっくりしていってくれたまえ。ミスタ」
(コイツ、最初のイメージと違いすぎんだけど。いや、これは俺の監視も兼ねてんのか?)
 中年のオヤジから心底親切そうな笑顔を向けられて、垣根は不快そうに眉を寄せた。
 今まで散々向けられていたものから一転。
 好奇と尊敬の混ざった熱過ぎる目に、垣根は実際に一歩引いた。
「本当にいいのかね? いや、まさか君が私の研究を手伝ってくれるなんてまだ信じられないのでね」
「借りは作るより貸すのが性に合ってんだよ。それに手伝う気は一切ねえ。ちょっとしたアドバイスだけだ。次を期待するんじゃねえ」
 そわそわしていたコルベールはどこか残念そうな視線を寄越したが、垣根は黙殺した。
 これで味を占められて何かと頼られる羽目になるのも面倒だった。
 好奇心、知識欲と言うのは満たされる事が無い。その旨みを知ったその気のある人間はある意味金以上にそれに貪欲になる。
 垣根にとって、研究者と言う人種にままある厄介極まりないそんな性質は未だに気に食わなかった。

「んー、武器武器っと」
 コルベールを退けた垣根は一人、そんな事を呟いてぼんやりと左手を眺めていた。
 続いて視線を室内の手近なところに向けるが、これと言ってお誂え向きのものが見当たらない。
(あいつ、持って来るべきだったか? いや、ああうるさくちゃ集中出来ねえな)
 部屋に置いてきたお喋りな剣の事を思い出したが、垣根はすぐに考えを改めた。
 垣根が面白がってあれこれ聞きだしていたら、あの剣は調子に乗ったのか。
 話すにつれ輪をかけてやかましくなっていた。
 そんな余計な雑音は思考の妨げにしかならないと思ったのだ。
 仕方なく、垣根は少しの間紙にペンを走らせ考えをまとめた。
 式の概略を整えたところで手を止め、脳裏に思い描く現象のシミュレートを行う。
 無駄を省き、細部を整え、理想の形に沿うように数値を、方式を、条件を揃えていく。
 そんな作業を何度か繰り返して、満足のいくものになったところで垣根は息を吐いた。
 軽く伸びをしてからおもむろに右腕を体の前に伸ばす。
 上向けた右手の平、その上を睨みつけるように目を細めるとそこに意識を集中する。
 じわり、と滲むように仄白い物が虚空に浮かんだ。
 じわじわと少しずつ広がるそれは、次第に輪郭を確かにしていった。この世の物とは思えない質感と光沢を備えた刃が鋭利で滑らかな曲線を描く。
 刃渡りはおよそ十八センチ程、柄までが一体になった真っ白なナイフが手の上に現れた。

 垣根は『錬金』の魔法を見て、あれくらいの芸当なら出来るだろうと思っていたが、『未元物質ダークマター』の構成に明確で細かい形状を指定した演算を組むのはやってみると案外簡単だった。
 しかし。材質や強度などは抜きにして、単純に切るだけなら店に並んだものの方が刃物としての性能はいいかもしれない。
 垣根が使うならわざわざそんな形にするまでもなく、翼を振るえば事足りる。
 だが。垣根はあえて右手に完成した『未元物質』製のナイフを握った。
 瞬間、目の前に開いて翳していた左手甲のルーンが光を放つ。
 そして。
 思考にモノクロの砂嵐を掛けるような鈍い頭痛が突然襲い、先程からの頭の重みがぐんと増した。
「ウザってえ……」
 それが。
 実際にきちんと確認した、与えられた使い魔のルーンの効果について垣根の抱いた率直な感想だった。
(そう言えばデルフリンガーの奴、アイツに余計な事言ってねえだろうな)

 朝、出発前にオスマンに呼びつけられた垣根は左手に刻まれたルーンの話も聞かされていた。
 コルベールやオスマンが調べたところによると、なんでも始祖の使い魔と同じ大層な謂れのあるものだと言う。
 オスマンの大仰な物言いも、垣根にしてみれば、
「一応本場の人間がそうって言うなら、そうなんだろう」、程度のものだ。大した重みも興味もなかった。
 そしてそんな事を聞いてすぐ、垣根はある仮説を立てていた。
 即ち。
 ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールは『虚無』である。
 始祖と同じ使い魔を持ち、四つの系統に沿わない魔法を使う。
 一般的な魔法の一切が悉く成功はせず、『コモン』すら使えない、と言った点は何とも言い難いが、そう考えれば垣根が今までにも何となく覚えていたひっかかりも納得出来た。
 何より、メイジは実力に見合った使い魔を召喚すると言うなら。垣根帝督を従えようと言うルイズはそれくらいものでなくては困る。
 それを話しても首を傾げるオスマンに、仕方なく垣根は部屋に戻り証人代わりのインテリジェンスソードを持って来た。
「相棒は間違いなく『ガンダールヴ』だ。俺が言うんだ間違いねえ。その『ガンダールヴ』の主人は『虚無』だけだ。きまってんだろ」
 などとおかしな理屈を述べていたが、始祖縁の伝説の一品と自称するおかしな剣の言葉はこの国のメイジにはいたく利いたらしい。
 そうかそうか、と髭を撫でながら頷いたオスマンはやおら両手で大きくバツを作って見せた。
「『ガンダールヴ』だけでなく『虚無』の再来、となれば王宮や国と言ったレベルの問題では済まないじゃろうて。これはまだ私達だけの秘密とせねばなるまい。面倒に巻き込まれるのは目に見えとる。戦争とか戦争とか、戦争とかに駆り出されると困るじゃろ?」
 ついでにルイズにも内緒だ、とオスマンは実に下手なウインクをしてみせた。
 能力者であり一般的な現代人の感覚で物を考える垣根からすれば、自分の力の程がわからない事には伸ばす事も出来ないのでは、と思うところだが。
 一応は学院の長であるオスマンの考えは違うところにあったらしい。
「まだ確証も持てん。不確かな事を伝えて、徒に彼女を傷付けるような事があってもいかんからな」
 そんなもっともらしい事を言っていたが。
 早い話が。小娘の手に余るような事態が広まるのはやっぱり面倒、と言った様子だった。

(まぁ、ジジイらしく守りに走った考えだったな。『ゼロ』だなんてくだらねえ勘違いのまま思い悩んで自滅するか、知った上で振り回されるか。うまい事乗りこなせるか、どれもアイツ次第だ。俺には関係ねえ事だがな)
 学園都市で過ごしてきた垣根からすれば、思いついたどのタイプもよくある話だった。
 そして。夢や希望に溢れていた子ども達も、努力はそう簡単に実らないと言う現実や困難な壁の前には簡単にくじけてしまう。
(考えが逸れたな。デルフリンガーにはおかしな真似したら鋳潰すって言ってあるからまぁ大丈夫だろ)
 主人ではなく使い魔の方に思考を戻し、垣根は僅かに眉をひそめる。

 この身に宿ったらしい伝説のルーン。
 あらゆる武器を自在に使いこなすと言う『ガンダールヴ』。
 始祖の身を守るためだけに利用された『神の盾』。
 戦略級兵器と肩を並べる超能力者レベル5がちっぽけな少女一人の為にそんなものにされた、と言うのは何か悪い冗談のようだった。

 垣根は。かつては時に生死すら危うい、学園都市の暗がりに身を置いていたがそれでも武器など手にしなかった。
 同業のドレスの少女は、自らの攻撃手段を持たないが為に小火器を持ち歩いていたが。
 銃はおろか鈍器、ナイフのような刃物の類でさえ垣根には不要だった。
 能力一つで足りると言うのに、それに遥かに劣る物を敢えて持ち歩く事に何の意味も見出せなかったからだ。
 それを自在に操れますなどと言われても、ちっとも嬉しくなどならない。
 更に、オプション各種も垣根には却って腹立たしい位だった。
 こうして実感した中では、例えば武器を手にすると頭に勝手に情報が流れ込んで来る。
 そして、体の方もそれに最適な形で動けるようになっているらしい。

 次の動作が浮かぶ、と言うより解っている。
 既に先が見えているような感覚があった。
 武器を用いた戦闘に最適化された情報のダウンロード。
 この世界では有り得ない物にすら適応するそれが、一体どこからされているか、と言う疑問には答えが出なさそうだったので早々に無視したが。
 これまでの経験から垣根はルーンの作用をそう推察した。
(ドヤ顔で講釈垂れて手取り足取りガイドまでしてくれるなんざ、随分親切な魔法だな)
 今までに体感した、召喚された際のゲートの効果だろう言語理解や会話の補正、そして今回の刻まれたルーンそのものの効果。
 どちらも本人の意思とは関係なく行われていると言うのもそうだが。そのお仕着せのような内容がどうにも気に入らなかった。
 そんな風に外部から、内部から干渉し使用者をサポートする術を種類は違うが垣根は知っている。

 例えば『学習装置テスタメント』による知識の植え付け。例えば駆動鎧パワードスーツに代表される、『人間の機能』を拡張し補強するもの。
 そんな学園都市の技術がそうだ。
 駆動鎧などは本来持ちえた能力を超えた結果を出すためであれば。
必要なら時に認識すら知らぬ内に置き換え、乗り手の意識すら捻じ曲げて機械の力で修正し最適化する事も出来る。
 機械が人間の意思を超えて働く。
 それはそう悪い事でもないのだろう。
 ある意味夢のような、不可能を可能にする科学の進歩の姿だ。

 しかし。
 それも銃器も持たざる者の為の技術だ。
 そうした物に頼らなければならない、力のないものの為の手段。
 学園都市の中でわかりやすい力は、暴力は。
 能力において他ならない。
 その点で無力な大人やスキルアウトは武装に頼らざるを得なくなると言うだけの話。

 傲慢な程に、自らの得た能力とそれを行使するだけの実力に自信を持っている垣根帝督にとって、超能力者レベル5たる自分とそれ以下を振り分けていたのはそう言った力の意識だ。
ある種、この世界の貴族メイジと共通する驕り。
 そして力を持つが故の誇りだ。
 しかしそれが。
 ここに来て掛けられた魔法を前に、まるで同列だと言外に言われているような。
 そんな錯覚を覚えた。

 所詮、その程度。
 足りないものを補い、何かにすがらなくてはいけない弱者とまるで変わらない。
 『絶対』には程遠い存在なのだと。

 そんな風に卑屈なものを何故か感じてしまった。
 かつて学園都市で得た、自らの立ち位置についての嫌な感覚。
 垣根はそれによく似た部分を僅かながら刺激されたような気がしていた。
 必要もないのに勝手に差し出され、掴まれた異世界の手。
 それが垣根に齎したのはそんな、自尊心を逆撫でるような結果だった。
(いや。俺は、目の前の道の上に転がった石が邪魔だと思っただけで……まぁそれよりも問題は、こっちか)
 妙な感慨に耽りながら、垣根は空いた左手でこめかみを押さえた。
 こちらに来てから、垣根はそれまでなかった頭痛や体の不調を感じるようになっていた。
 原因も大体想像は付いていたが、もし本当に垣根の読み通りならこれ以上の面倒はない。

 立ち上がると垣根は右手のナイフを放り投げる。
 それと同時に、制御を放棄し消滅するよう仕向けた『未元物質』が枠組みを失い霧散するより早く。
 ルーンの光は掻き消え、先程起こった、、、、、、頭痛はぴたりと治まった。
 そして、続く一呼吸の間に垣根の背には三対の白い翼が現れる。
「チッ、やっぱりか」
 苛立ちも露に、垣根は表情を歪めた。
 再び、より強く光る左手のルーンを見とめると。頭蓋に響くような痛みを堪え、垣根は即座に能力を抑えて翼も消す。
 また失われるルーンの光、そして引き換えのようにやって来る体の痛み。
 それが気のせいや勘違いでない事はもう一度確かめるまでもなかった。

 以前は、能力を使うときに不調など感じなかった筈だ。
 そもそも。学園都市の能力は脳内でミクロの世界に干渉し、マクロの現実を捻じ曲げる法則を理論的な計算で制御しているものだ。
 そして、高位の能力者になればなるほど、その能力の規模が大きく緻密なものになればそれは更に難しくなる。
 圧倒的な破壊を可能にする能力者ならばその照準、規模をきちんと掌握していなくてはならない。
 なにより、その性質によっては自分自身をその能力に巻き込まない為にもそれは必要な技術だった。
 それを垣根が怠った事はなかった。だから間違いはない。

 複雑極まりない演算を瞬時に行う、それも開発によって処理能力の上がった脳には予め組みあがったプログラムをただ流すだけのような容易さで行える。
 慣れてしまえば片手間にも、まるで手足を振るう感覚で行使出来るほどに。
 しかし、それを行うのは機械ではなくあくまで人の身に過ぎない。

 だから演算を行う能力者のコンディションは引き起こされる結果にも影響を与えてしまう。
 稀に居る例外を除いて、心身共に平常で落ち着いている方が良い結果が出る。
 だが、それも簡単な事ではない。
 例えるなら。
 落ち着いた静かな環境で机に向かっても、椅子の足がほんの少しガタついているような。
 たったそれだけの不調でも、人間は意外なほど平静と集中力を欠きストレスを感じるものだ。
 それを、微細で精密なコントロールを必要とする演算を行う状況に当てはめればどうなるか。
 ただでさえ記述が、手順が増えればそれだけ高くなる演算式内のバグの発生を合わせればどうなるか。
 まだ子どもである能力者達が抱える暴走、暴発のリスクは決して小さくない。
 だから、能力を使う際に過度なストレス、不調に晒されている状態は文字通りの自殺行為になりかねない。
 実際、そんな暴走を避けるために能力者の多くは自然と自らの集中を欠く不快感を除く傾向にある。
 能力者でない一般人でさえ、着けなれない腕時計やアクセサリーの感覚だけで体調不良を覚える者が居るように。
 例えば体に近い、身に着けるものの感触に気を配ったりする。
 あくまでそれも個人の差によるのだが。

 そんな例もあると言うのに、能力を使うときに限って具合が悪くなる、なんて今の事態は垣根にとって冗談では済まなかった。
 確証があるわけではないが、不可解な体調不良の原因はこのルーンと関わりがあるのだろうと踏んでいた。
 このルーンが刻まれた時ほどではないが良く似た、神経を苛むような痛みと頭痛が時折襲う。
 そしてそのタイミングはルーンが発光した時と一致していた。

 それに最初に気付いたのはギーシュとの決闘の時だ。
 剣を握っていた間はまるで頭に靄が掛かったようにどこかはっきりしなかった。
 そして剣が折れてそれも終わり、全身に巡っていた熱さが引いた時はその代わりのように鈍い痛みがあちこちに現れた。
 それはフーケのゴーレムを潰した時も変わらなかった。
 翼を振るって拳を止めた時。
 四肢を切り落とした時。
 打ち潰した時。
 ついさっき試した時のような頭痛と倦怠感、痛みがあった。

 更に決定的だったのは、『破壊の杖』を手にした時だ。
 兵器の知識が思い出される、のではなく唐突に浮かぶように感じた。
 そして、それまでの状態全てに上乗せされるように感覚が変わった。

 感覚はより研ぎ澄まされ。
 気分は高まり。
 反面、論理的な思考は鈍った。
 ざらついたノイズのように頭の中を不快感が覆った。
 体の熱に薄まった筈の痛みがいや増して襲い掛かり、また和らぐ。
 プラスも、マイナスも。
 その一切は区別なく、単純に増幅されたように垣根の全身に満ちていた。

 垣根の演算はそんな事で狂いはしなかったが、暴発や暴走を避けるならいつもより慎重に、ほんの少しだが時間を掛けて行う必要があった。
 あらゆる武器を使いこなす、と言う『ガンダールヴ』のルーンの魔法の発動要因は、刻まれた使い魔の意識に因るのだろう。
 恐らくはそれが当人にとっての武器だと思いさえすれば。
 たとえそれが殺傷能力のないただのコインであっても手にすれば文字は煌き、使い魔に力を貸すだろうと考えられる。
 そして、垣根帝督にとっての最たる『武器』。それは自らの『未元物質ダークマター』に他ならない。
 式を頭の中で立て、解くまではいい。
 しかし能力の発現までいたると、途端に不調がやってくる。

 中でも体の、筋肉などの痛みの原因の方は、垣根にはそれらしい推論が浮かんでいた。
 人間の可動性能を無視した大幅な運動能力の向上。
 それを駆動鎧ほどの派手な装備に頼らず叶えるものが学園都市には確かあった筈だ。
(なんて言ったかな。警備員アンチスキルから落とされた装備が一時に流れたって話を聞いた事がある。駆動鎧の運動性能部分だけを抜き取ったような代物だった筈だが……言う程便利なものじゃねえだろ)
 垣根は、僅かな記憶を思い起こすように曲げた指の背で額を小突いた。

 過剰にすら見える駆動鎧の装備は多重に施された身体的プロテクトによって、搭乗者の肉体を保護する面が大きい。
 高出力を可能にすると言っても、あくまで着ているのは生身の人間。
 準備運動もなしに無理に体を動かせば肉離れを起こす危険があることくらい、小学生でも知っている。
 その全身に掛かる負荷を軽減させ、損傷を防ぐ為の安全装置。
 それを欠いた装備は丁度セーフティのない銃のようなものだろう。それもまた、暴発の危険性がある。
 足りない性能の向上の為には、自壊をも顧みない。
 そう言った者も中にはいるだろう。
 だが、それも今までの垣根には縁のないものだ。
(確か、『発条包帯ハードテーピング』だったっけか。超音波伸縮式の特殊テーピング。運動性能は確かに良くなるだろうが、筋肉への負担は馬鹿にならない筈だ。外付けなしでそれを軽減させよう、ってんならそれこそプロアス並みの合理的で繊細な肉体調整が要るだろうな)
 それに良く似た効果が、戦闘に特化した能力を対象に与える『ガンダールヴ』の特性に含まれているとすれば。
 飛躍的な運動能力の上昇と伴う疲労や痛みがあるのも頷ける事だった。
 例え魔法であっても、見返り無しに使用者の体に無茶はさせられないのだろう。
(『ガンダールヴ』は「主人の呪文詠唱の時間稼ぎの為だけに使役された使い魔」って言ってたか。なら尚の事、戦闘中はまだしも、その後の事まで面倒見てくれるとは限らねえ)
 ガリガリと紙の上に無駄にペンで円を書きながら、垣根は頭を掻いた。
 つまり、あのルーンの魔法は武器を手にした戦闘中は勝手に垣根を『ガンダールヴ』モードに移行させ、その間の負担の軽減、邪魔になる感覚、痛みなどは極力排除し戦う事だけに、、、、、、集中させてくれるのだろう。
 だが、武器を収め魔法の効果が失われても、実際に垣根の体に掛かっていた負担の方は消えはしない。
 そこが垣根は気になっていた。
 ルーンの発動、効果の消失に伴う痛みや頭痛自体は演算の邪魔にはなっても、能力の妨げにはならない。
 しかし、単に肉体の損傷程度で済んでいる保証も他の弊害が無いとも言えないのだ。
(おまけに、この所疲れがちっとも抜けねえ。大した事をしてる訳じゃねえってのに)
 そんな、若者らしからぬ発想と息が洩れる。
 ついさっきも思い返した体の不調は、この数日の間もずるずると尾を引いていた。
(メイジ共の使う魔法ってのは精神力――っつっても何だかはわからねえが――を消費して使うんだよな。切れれば魔法は発動しねえ、寝れば回復するもんだって話だっけか。なら、このルーンも何かすり減らして動いてんのか?)
 RPG世界の魔法を例として考えるなら、一般にはMP消費だろうがどうもHPの方に影響が出ていやしないか。
 実感に照らせばそんな事が垣根の頭に浮かぶが、いまひとつピンとこなかった。
 気になってルーンについての文献も幾つかあたったが、そもそも人間に刻まれた事がないから「使い魔のルーンの効果体験感想」なんてものが出てくる訳もない。
 オスマンやデルフリンガーと話した時も、勿論垣根がそんな心配をしているとは悟られないようにして、それとなくかまを掛けたが「使い魔のルーンの与える悪影響」については聞き及んでいない。
 彼らは『ガンダールヴ』がいかに珍しく、強力で、卓越し貴重な使い魔の証であるか、と言う賛辞しか語らなかった。
 デルフリンガーに至っては、『ガンダールヴ』の話を向けると、二言目には「だから握れ。だから斬れ。『使い手』らしく俺を使ってくださいおねがいだから」と言うような必死の訴えを繰り返していた。
 つまり、垣根にすれば有益な情報はほとんど得られていない。
 わからない事だらけだった。

 こんな状況で不用意に能力も、それに合わせて勝手に働くルーンの作用も使い続ける訳にはいかないだろう。
 不幸にも、ここには垣根自身や能力に何か起きてもその変化を知る手段はない。
 そこから万一の暴走や負傷があってもそれを治療する機材も施設も医者もいない。
 現状、何かあった時後ろ盾として使えそうなのは公爵家と言うブランドと血統書のついたルイズくらいのものだ。
 それだってろくな期待は出来そうにないが。
「っつーかよ。このルーン、デメリットの方がデカいんじゃねえの? おまけに外せねえとくりゃあ魔法ってか、まるで呪いだな」
 思わず声に出してそう洩らすと垣根は皮肉めいた笑みを浮かべた。
 背後で物騒な物音と、男の歓声が聞こえた気がするが。
 無駄な騒音はすぐに意識の外に追いやった。
 小さな窓からはかすかな月光が差している。
 天頂に掛かる二つの月は静かに輝き。
 夜はひっそりと更けていった。




=======

垣根帝督のおうちで出来なかった簡単ガンダールヴ検証の回。
気付いたらコルベール先生からの好感度がえらく上がっていてびっくりしました。
研究者モードの先生は簡単に落せそうですね。

うざったい解説はもうちょっと続きますが、次回は『未元物質』をちょろっと。
プラス箸休めも入れたいところです。
早くもルイズ分が足りなくなってきましたので。
ガンダールヴに関する垣根の解釈は、大体こんなところです。




[34778] 14
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2014/07/05 23:47




 午後の日差しが穏やかに差す部屋の中。
 肩を強張らせたメイドはおずおずと口を開いた。
「ミス・ヴァリエール。あの、よろしいんですか」
「なにがよ」
「いえ、その……用事も済んだのに私、まだ出て行かなくていいのでしょうかと。あの、思いまして」
「いいのよ。ちょっと話し相手も欲しかったの。あいつは泣いてるばっかりだし」
「はい。申し訳ありません」

 いちいち謝んなくていいわ、とルイズに言われてシエスタは顔を上げる。
 テーブルの上を片付けてしまったシエスタは、そうは言われても落ち着かなかった。
 そうとは知られない程度に視線をあちこちに巡らせた。
 すぐ側のルイズはまだ不満そうな様子で椅子に浅く掛けている。

 いつものように朝、着替えを手伝いに来たら必要ないと部屋の中に入れてもらえず。
 朝食の席にも姿が見えなかったルイズの事を、差し出がましいと思いながらもシエスタは心配していた。
 とうとう昼時の食堂にも姿を見せなかったから、シエスタは慌ててバスケットに料理を詰めて部屋まで運んだ。
 それでやっと中にいれてもらえたが当のルイズはベッドに転がったままぼんやりとしていた。
 それを何とか引っ張り起こし、食事だけはとってもらえた。
 話を聞きだすと病気ではないらしいが、日頃真面目な態度で過ごしていたルイズが授業を休んでまで部屋に籠もっているのは明らかにおかしかった。
 ふと、部屋に入ってはじめて室内に足りないものがある事にシエスタは気付いた。
 いつもシエスタがここに来るときには決まっていた筈の、もう一人の住人がいない。
 昨日、食堂には来ていた筈だから彼は当然普段通りにしているのだろうとシエスタは思っていたのだが、どうも違うらしい。
「ミスタ・カキネはどうされたんでしょうね?」
 その言葉にばっとルイズが顔を上げる。
 無言のルイズは責めるでもなく、ただじっとシエスタを見つめていた。
 異質な剣幕に固まるシエスタを後目に、うっすらと赤い目をしたルイズは再びベッドに戻っていた。
「あいつね。今、ミスタ・コルベールのところにいるんですって。先生ったら聞いても無いのに昨日の夜廊下ですれ違ったらわざわざ知らせてくれたわ。ここに帰ってこないでなにしてるのかしら。いやになっちゃうわほんといやになっちゃうわ」
 シーツにくるまりながら、ぼんやりと同じ言葉を繰り返すルイズはすっかり参ってしまっているらしい。
 プライドの高い彼女は心配しているとは一言も口にしないが言葉にしなくてもそれくらいはわかる。
「はあ。それは、なんでまた」
「わたしが聞きたいわよ。なんか、あの先生いやに機嫌がいいらしいわ。授業中に鼻歌歌って、変な発明を前に浮き足だってたって話よ」
「まさか……いえ、あの。何でもありませんわミス・ヴァリエール」
 じろりと不意にルイズに睨まれてシエスタは泡を食った。
 身の回りのお世話をさせていただくようになってから、この貴族令嬢の事をそれなりに知っていると自負するシエスタはルイズの事は嫌いではなかった。
 日課の仕事の合間に見聞きする使い魔の少年とのやりとりや、ルイズの様子を見ればそれなりの印象も抱く。
 ちょっと素直じゃないだけで、本当は優しいらしいと言う事もわかっているつもりだった。
 しかし、それでも怖い時は怖い。
 シエスタの中に染みこんだ平民根性が、体に流れる平民の血が。
 ルイズの持つ高貴な貴族の雰囲気に圧倒される。
 貴族様がお怒りだ、とぴりぴりした感覚がシエスタの中にある平民センサーに伝えられる。
 今、使い魔の彼の話はタブーだ。竜の逆鱗にハイタッチするようなものだ。
 何とか話題と、ルイズの機嫌を余所にむけようと、シエスタはかつて無いほどに必死で頭を働かせた。
 自然に低く低く下がっていく頭が、床に転がったものを視界に収めて。
 救いの光を見たシエスタは勢いよく顔を上げた。
「ミス・ヴァリエール。読書、お好きなんですか?」

 緊張と、わずかな高揚に乾いた唇を舐めてから文頭に目を走らせる。
「――そして、騎士は跪くと目の前に差し出された足を恭しく掲げてから――」
 そっと、視線を上げるとシエスタはルイズの様子を窺った。
 シエスタは手にした、最近買ったばかりの本をルイズに読み聞かせていた。
 貴族のルイズは庶民の娯楽本などには縁が無いのか、渡した時は最初こそ面白そうに頁を捲っていたが。
 気に入らなかったのかすぐに閉じるとぱっと本を放り投げてしまった。
 しかしまあ、その態度が気に入らなかったという割にはあんまりだったので。
 シエスタはあれこれ宥めすかして、結局読んで聞かせる事にした。
 ルイズの気分転換、と言う名目だが、その時は正直シエスタ自身もちょっと楽しくなっていたりした。
 さて。
 相変わらずシーツにくるまったルイズは覗かせた顔を両手で覆ってシエスタの話を聞いている。
 放っておかれた小さな両耳はすっかり真っ赤になっていた。
 手の平の下で、その顔がどうなっているかは想像するまでもない。
 隠すところが違うんじゃないかとも思ったが、それを指摘するのはあまりに失礼な気がしてシエスタは口にはしなかった。
(まだ全然、そんな恥ずかしがるようなところじゃないんですけどね)
 物語のさわりどころか冒頭。
 主人公の伯爵夫人の下にやってきた若い騎士が夫人に言葉を尽くして愛を伝える、と言った部分だったが。
 どうやらその手の話題に慣れないらしいルイズにはそれでもかなり刺激的だったらしい。

 シエスタも、元々はどちらかと言うと大人しく引っ込み思案な方だ。
 ノリと勢いに任せてしまうと、慣れないだけにその止めどころと言うのがわからなくなりがちだった。
(このページ読んだらいい加減止めにしましょう。って、なにしてるんでしょうね私。恥ずかしい。おかしな奴だって思われてますよね絶対)
 熱が冷めて我に返ってしまうといつものシエスタに戻ってしまう。
 一人勝手に突っ走って、これまた勝手に気落ちして。
 後悔の溜め息と共にシエスタは本を閉じた。
 そんな時だった。

「あら、どうしたの?」
 ベッドに丸くなるルイズ、近くの椅子に掛ける使用人、と言う状況。
 それにきょとんとした目を向けるのは隣室のキュルケ・フォン・ツェルプストー。
「きゅ、な、なに勝手に入ってきてんのよ」
 ルイズの顔からは、さっきまでとは反対に血の気がひいているようだった。
 まるで冷や水を浴びたような反応だったが、キュルケはどこかほっとしたような笑みを浮かべていた。
「ちょっと元気になったんじゃない? ってやだ、また読書なの?」
「ちょっとあの、ミス・ツェルプストー」
「何これ。『バタフライ伯爵夫人の優雅な一日』?」
 つかつかと寄って来てシエスタの手から本を奪うと、背表紙を読み上げてキュルケは首を傾げた。
 隣についてきたタバサを見たが、彼女も首を振る。
 二人に不思議そうな顔を向けられる前で、ルイズはわかりやすくうろたえだした。
「あああああのこれはシシシシエスタが貸してくれてそのあの」
「そうです。わたしが、あのミス・ヴァリエールは本がお好きなようでしたのでわたしがあの、これ庶民の間で流行ってまして」
 つられて、つい焦ってそこまで言ってから、シエスタは立ち上がると素早く姿勢を正した。
 ルイズに水を向けられたからと言って、学院の生徒はやすやすとメイドが話しかけていい相手ではない。
 すっかり体に染み付いた振る舞いは、すぐに使用人と言う空気同然の存在にシエスタを戻してくれた。
 そんな二人の言葉などどこ吹く風、と頁を捲っていたキュルケは暫くしてから。
 ははあ、と納得した様子で頷いた。
 ばつが悪そうに目を伏せるルイズをにやにやと眺めている。
「ふーん。そうなの。あら、だめよ」
 本、と聞いて手を伸ばしたタバサから届かない位置へ本を持ち上げると、ついでに眼鏡まで取り上げてキュルケは首を振った。
「あなたにはいくらなんでも早いわ」
「ケチ」

 テーブルの前、空いた椅子に勝手に座るとキュルケは肩に掛かる真っ赤な髪を背中に流した。
 ベッドの上から不満そうな視線をくれる部屋の主にも構わない、勝手な振る舞いだった。
「昨日からだから、もう二日? あなた一体何してるのよ」
「いいでしょ。あんたにはかんけいないでしょ」
「調子狂うわねー。あら? ダーリンは今いないのかしら? ……あたしとタバサはさっき中庭で会ったけど」
「えっ」
 目を剥くルイズにタバサが黙って頷いた。
 思わずと言った様子で起き上がったルイズに、目を細めたキュルケは頬杖をつくと続ける。
「なんか、白い盾みたいなのに幾つか魔法ぶつけてみろ、とかって言われたけど。何でもあのミスタ・コルベールの所にいるらしいじゃない。彼ったら変な実験にでもつき合わされてるんじゃなくて? ヴァリエール、あなた主人の癖にそんな事も知らないの?」
 最初は何の気もないと話を向けた癖に、その態度もルイズにかまをかけるためだったらしい。
 むっとした表情を浮かべるルイズは、挑発的な目をするキュルケに怒鳴るような事をしなかった。
 どこか、既に気の抜けたように肩を竦めると、扉に近い空のベッドに目をやった。
「知ってるわよ。わたしは、知っててあいつの好きにさせてやってるのよ。何よ、だからってあの研究室に押し掛けるような真似しないでしょうね。ツェルプストー」
「いやだわ。そんな事しないわよ。あの人は『火』系統なのに情熱の欠片もないし、おかしな事ばかり言うじゃない。あたし、ああ言うの嫌いなの」
 キュルケは途端に顔を顰めると指を曲げて爪を眺め始めた。
 授業がどうの、今日の食堂のメニューだとか。後はキュルケがほぼ一方的に話す事をルイズは特に口も挟まず聞いていた。
 かと言って、文句も言わない。出て行けとも言わない。
 どうやら、シエスタの仕事は本当にすっかり終わってしまったらしい。
 頃合を見て、シエスタは礼だけすると黙ってルイズの部屋を後にする。
 ルイズ以外とはただでさえ滅多に間近にしない貴族同士のやりとりは何と言うか居場所がなくて、息が詰まった。


 仕事に戻ったシエスタが厨房へ入るといつものテーブルにはルイズの使い魔が掛けていた。
 コック長のお気に入りである彼には、食堂の使用が決められている生徒達とは違いその時間外でも食事が振る舞われている。
 普段なら割とルイズ達生徒の食事時間に合わせてここに来ている垣根もまた、遅い昼食をとっているようだった。
 そうして、垣根はいつものように出された食事に手を合わせて一言呟くと、あとは黙って平らげる。
 最後に一言だけ礼を言ってから席を立つ。
 その様子は、いつもと余り変わらないようにシエスタには見えた。
 が、何かが気になった。
 これが初めてではない気がするが、一体なんだろう。
 そんな風にふと首を傾げるシエスタの隣に来ると、腕組みしたマルトーは去って行く垣根を見ながら満足そうに頷いていた。
「シエスタ、ああ言うのがいい男の粋ってもんだ」
「そうなんですか?」
 シエスタの頭にひっかかっていた何かは、マルトーに声を掛けられたおかげでどこかに行ってしまった。
 マルトーは、とことん彼の事が気に入っているらしい。
 しかし。

 平民とは言え、どこか近寄り難い雰囲気の垣根の事がシエスタは何となく苦手だった。
 嫌いと言うほどではないし、話してみても嫌な人間ではないと思う。
 だが、彼からは。
 貴族である生徒達以上に、シエスタなどは近付く事を許されていない。
 そんな気がしていた。

 ルイズの事が心配だったし、垣根本人の様子ももちろん気がかりだった。
 けれど今出て行ったばかりの垣根は、とてもではないが話を聞けるような様子ではなかった。
(ミス・ヴァリエール以上に疲れて、ピリピリしてるみたいでしたけど……)
 流石のマルトーも、今日ばかりは余計な事をしなかったらしい。
 


*  *  *






 コルベールの研究室に戻った垣根は、箱の上に新たに出来た紙束をまとめると片手でペンを回しながら改めて目を通し始める。
 『未元物質ダークマター』に起きた異変。
 それについて考察し、原因を追究するためにはまず正しく状況を押さえなくてはいけなかった。
 演算の理論値と引き起こされる現象に差異はないか、能力の使用に関する一切のデータと照らし合わせる事が必要だ。
 学園都市においても散々繰り返されすっかり頭に染み付いているそれを、垣根はもう一度丁寧に洗いなおしていた。

 一般的な能力者たちは、基本的な化学の知識をまず頭に入れる事が多いだろう。
 能力開発の元となる量子化学がニュートンの法則などとは密接な地続きではないと言っても、ミクロからマクロの世界へと引き起こされる現象のほとんどは既存の枠の中に当てはまるものだ。
 能力に即した物理現象の知識は、多くの能力者にとって能力を伸ばす上で欠かせないものだった。
 だが、垣根帝督に求められたのはむしろその逆。
 『未元物質』に影響された後の世界の把握だった。
 既存の法則に上書きされた新たなルールを知る事が、能力の制御において必要な情報であり、一角の能力者として最低限守るべき水準だった。
 だから。
 例えば、太陽の周囲を地球が回っているかどうかや、現代の世界を動かす権力者達の顔や名前なんて下らないものは垣根帝督の辞書には取り立てて載せる必要がなかった。
 関係のないもの、変質し消え去るものにあえて気を向ける意味も感じなかった。
 垣根帝督に求められたのは既知ではなく未知。
 そしてそれを扱う力だった。

 長年の実験の積み重ねで『未元物質』の引き起こす事象に精通している垣根でも、実際は『未元物質』については知っている事の方が少ない。
 既存の世界には存在しないもの。
 後にも先にも、垣根帝督以外には観測も発見すらも叶わないだろう新物質。
 今ある世界を、変質させる事の出来る異分子。
 わかっているのはそれ位だ。
 しかしそれも『未元物質』が何であるか、と言う根源的な問いにはまるで答えていない。

 現代科学では言葉を尽くせない存在を、科学の街でただ一人手中に収めた少年はそれを意に介さなかった。
 今の今までそれを考える理由はなかった。
 知る必要はなかった。
 垣根に求められたのはそれが何か、を紐解く為の知識ではないからだ。
 優先されたのはそれをいかに有効に有益に、そして確実に扱う為の手段。
 そして、必要な力は既に手の中にあった。

 そして今。
 垣根帝督は、今まで意識すらしなかった壁の前にただ立ち尽くしていた。

 書き、記し、手を止め確認する。
 考える。
 能力の使用。
 見る。
 考える。
 手を動かす。
 考える。
 見る。

 反復作業のその大半が思考に費やされる。
 そんな作業を延々と繰り返すうちに辺りはすっかり暗くなっていた。
 垣根がルイズの部屋を出てもうすぐ丸二日が経つだろう。
 最初の数時間は身を置く所を捜し、『ガンダールヴ』のルーンについての検証を行った。
 そして後の時間はすべて『未元物質』の現状を把握するのに費やした。
 机の周りには、細かく注釈の足された手書きのレポートが散乱し小さな山をあちこちに築いている。
 大量の羊皮紙などは言うまでもなく、インク瓶も既に新しいものを失敬していた。
 垣根は自らが『未元物質』を発現して以来、何年も掛けて立証し、理論化してきたその一切を現段階で可能な限り確かめていた。
 最初は『未元物質』の発現と指定した条件の確認。
 試薬となる物質との反応。
 途中でちょっとしたチャンスがあったので、気分転換も兼ねて『系統魔法』に対する防御性能も試してみた。
 そちらの方はまずまずと言ったところだが、今の垣根の目的にはその結果は影響しない。
 そして、今までの結果を再び試算。
 出来るだけ漏れのないよう、隙間を潰し徹底したチェックを重ねた。
 学園都市第二位の莫大な演算能力と情報処理のスキルを持つ垣根でも、既に確立された手順をほとんどなぞるだけの作業にそれだけの時間を要した。
 思考を続けて疲労の浮かぶ、血色の悪い顔で垣根は紙面を見つめていた。
 自動発動する『ガンダールヴ』などという悪条件下の能力の使用も相まって。その負担は、ある意味苦労知らずとも言える垣根が今まで体験した事のないものだった。

 凝り固まった筋肉と思考を解すように、軽く肩を動かす。
(今の所わかってんのは……演算に必要な式に不備はねえ筈だって事。能力の発現、使用にも不都合は感じないが、干渉した物の性質を変化させる作用がまるでねえ事。そしてそんな『未元物質ダークマター』は前とてんで別物だって事だ)
 導き出される現実。
 悔しさより、虚しさで垣根は口元を歪める。

 それは、垣根が最初に能力の異変に気付いた時に得た感覚からほとんど変わっていない。
 その時点から今まではそれを裏付ける為に考え、動いたようなものだった。
 立ち止まって足元を確認しただけ、これと言って目覚しい前進はなかった。

 垣根は以前と同じように、必要な条件を設定し式に挿入し、能力を発現し『未元物質』を引き出す。
 このプロセスも、用いる式も何もまるで以前と遜色ないものだった。
 しかし、そうして出来上がる『未元物質』は垣根の定めたものから外れた、どこか違うものになってしまう。
 今までそんな事は一度もなかったのに、だ。
 そんな状況で能力に暴発も、何のエラーも見られないのがかえって奇妙なくらいだった。
 何かが、ずれている。
 何かが、足りない。

 まるで、未完成で虫食い穴だらけのジグソーパズルを前に、抜け落ちたピースの形と行方を推理している気分だった。
 それがいつ、何故、どうして零れ落ちたのか。垣根の頭脳をもってしてもわからない。
 異変の生じる前と比較しようにも、『未元物質』そのものを理解していない垣根では最初から、判断材料は足りなかった。
(いや、変わったのは本当に『未元物質』だけか?)
 その思いつきに、はっとして垣根は顔を上げる。
 考えられる可能性としては、能力の変化ではなく垣根自身の変化に原因があるかもしれない。
 垣根の精神に、思考パターンに、『自分だけの現実パーソナルリアリティ』に何らかの差異が生じれば、由来している能力に影響が出る事も充分考えられる。
 しかし、充分な設備どころか機材もない現状ではそれを確認する術は無い。
 思いつきもただの可能性に過ぎない。
(仮説仮説仮説、もしもの話はいらねえ。今、使えるのは何だ。何が必要だ。俺には、何が残ってる?)
 空の手の平を確かめるように、垣根は指を曲げる。
 開発を受けて以来、こんな風に胸をざわめかせた事はほとんどなかった。
 手を尽くしてもまるで先が見えない。
 その余りの手ごたえのなさに。焦りそうになる心を垣根は何とか押し留める。
(だが、腑には落ちた。今の『未元物質』も押さえてるって感覚はちゃんとある。今までとはちょっと勝手が違うだけだ。能力の性能としちゃ多く見積もっても精々六割って所でも、な)
 内心でそう言い聞かせて。
 自嘲気味に垣根は目を細めた。
 他の物質への干渉をしなくなった『未元物質』は以前のように、それを生かした多様な性質は現せなかった。
 強みであった選択性、機能面での長所を失い、能力としての価値、その幅は以前と比べて大いに狭まっていると言っていい。
(ちょっと丈夫で今までにねえ新素材を操るだけの能力、ってところか。超能力者レベル5も形無しだな。これじゃあ、俺は……何の為に――)
 濁ったようなその目に一段と暗いものが注した。

 かつての垣根帝督は唯一と言っていい稀有な能力を持っていた。
 学園都市の能力者が開発によって手にする能力は、厳密に言えば皆全て違うものだ。
 発電能力エレクトロマスターのようにその体系に大別されたものは、使える演算式、法則、成長傾向に共通性があるからこその分類だ。
 だが、そのどれにも当てはまらない、その筈がない未知の能力。
 科学でさえその本質を知る事は適わないだろう物質、それを生み出し、操る事を可能にした垣根帝督は、『未元物質』は特別なものだった筈だ。
 それ以下の、下らない雑多な能力者の群れ。
 況してやあんなもの、、、、、とはまるで違った筈だった。

 ふと、嫌な事が垣根の頭を過る。
 垣根は目を閉じると、俯いた額を乗せていた左手を強く握った。
(違う! 違うだろ。下らねえ事考えてる状況かよ。切り替えろ。俺に要るのはそんなもんじゃねえだろうが!)
 柄にもなく、気弱になっているらしい自分を叱咤する。
 この数日で慣れたつもりでいたが。
 今まで自身を支えてきた柱の一つを損なった事は、垣根帝督にとって予想以上に堪えているようだった。

 答えにならない思索を繰り返し、疲弊した頭は意思に反して段々と働かなくなっていく。
 そうして次第に切れ切れになる思考の片隅で。
 垣根は現状の理不尽さに、信じるどころか、居もしないだろう架空の存在を苛立ち紛れに罵倒した。



■ * □







 前後左右上下の区別も曖昧な黒一色。
 そんな闇の中で垣根は目を開いた。
 遠くに、ぼんやりと光るものが見える。
 巨大な光の河。
 そんな何かがゆったりと流れていくのを、垣根はしばらく眺めていた。
 その単語に想起される、宇宙空間に浮かぶガスの残り火とは違っていた。まるで、暗闇で生きる生物が進化の末に獲得した光明のような。
 どこか有機的な生々しい光の群れだった。
 もう少し、それに近付いてみようと一歩踏み出したその時。
 不意に背後から声が響いた。
「ご機嫌いかがかな。垣根帝督」
「何だテメェ」
 振り向いた垣根が目を向けた先には、燐光を纏った金があった。
 うっすらと光を放つような金の髪、それだけでなく白い装束に包まれた長身も何故か輝くように見える。
 フラットな顔立ちはまるで異質なものの上に人間的な感情の全てを詰め込んだような、どこか女性的なものだった。
 ヒトの形をしたそれが口を利く事が、垣根に何故か奇妙な感覚を与える。
「ご挨拶だな。私は、そうだなちょっとしたhboie在abだ。む、いけないな。ヘッダがここでも足りない。我々が人とgzr話hfifyzzrにおいて、先ずsrglml形pzgzgrdlglifと言うのでさえネックだと言うのに。自由に話くらいしたいものだ」
 それは、よく出来た人形のように大きく表情を変えずに口を開いた。
「あれだ。ルーンの精みたいなものだ。当代のガンダールヴよ。そんな事にしておこう。今のqrpzm時pffにおいて私のpvm顕tvmはイレギュラーだからな。
slm本gzrではないと言え、どんなsr害tzrが起きるか予測出来ない。君には充分な価値と興味があるが……今は名乗るのは控えておこう」
「御高説痛み入る、って言うべきところだろうが。何言ってんだかさっぱりわからねえんだけど」
「魔法によるvhfイrwlの伝達によっても理解出来ないか。面倒だな。かつての経験も活かせてはいないとは。それほどにqr元tvmの違いは深刻と言う事か。
なるべく君達に合わせた表現にしているはずだが、ノイズもかなり混じっているらしい。
ああ、君は拡……いや、接続も不十分なようだな。再試行は適わなかったか。なら不便だが仕方ない。君には後で検索したまえ、とも言えないからな。不十分なところはそのままにさせてもらおう」
 声の調子を確かめながら。金髪は誠に遺憾です、とでも言い出しそうな様子で首を振った。
 洒落や冗談、と言う様子ではない。
 そもそも、音の聞こえ方からしておかしいのだ。
 金髪の声がブレる瞬間だけ音源の方向性からズレているような。
 なんとも奇妙な音の広がりが起きていた。
「まあいい。ええと――今日はガンバル君にこのワタクシ応援をしに参りました。さあこの精霊様になんでもいってみなさい――こんな所か?」
「おい、どっからカンペなんて出した」
 明らかな棒読みで、隠しもせずメモを片手に金髪の変人はそんな事をのたまう。
「気になるかな? 残念ながら、これは衣服と言うより私のnzhhblf部yfmだが……君には深遠を覗く覚悟があるかね」
「いい。そこは興味ねえから捲んな。持ち上げるな」
 それどころか。いやに含みのある悪趣味な笑顔、にも見えそうな表情で、両脚をすっぽり覆う長い服(のようなもの)の端を捲ろうとする。
 何故だろう。
 その見た目に、雰囲気に余りにそぐわない、馬鹿馬鹿しい物言いを聞く度に。
 垣根はこの見ず知らずの筈の奇妙な存在にひどくがっかりさせられていた。
「ん、んん。さて、君の悩みと言えば」
 今更、咳払いなどした所で印象が変わる訳もない。
 それどころかわざとらしすぎて胡散臭さが増している。
 そんな金髪を睨むと、垣根はどうせ夢だと率直に今の疑問をぶつけた。
「テメェ、『未元物質』の事もわかるのか? なら、今起きてるおかしな状況について教えてもらいたいもんだ」
「そっちか。何だ、もう少し愉快な話題を期待していたのに。例えばそう、女の子や浮いた話だ。君は思ったよりユーモアに欠けているようだな」
 金髪は不満そうに唇を尖らせて見せた。表情は相変わらず大して変わっていない。
 考えれば、夢に本気になっているのもかなり奇妙な状況だ。
 しかし夢は夢。普段の思考や理屈は意味を成さないものだ。
「面白おかしいのはあの翼で充分だろ。いいから知ってる事があるってんならさっさと吐け」
「ふむ。能力者である君を前に、私の主観を述べていいなら少し話させてもらおうか」
 そう前置きして金髪は口を開いた。
 これが夢で、今が切迫した状況でなければ。
 垣根がわざわざおかしな他人に自らの能力について話を聞こうなどとは思わなかっただろう。
 垣根帝督以外の存在が、『未元物質』について垣根の知らない知識があると言うのも本来ありえない事だった。
「『未元物質』、君の能力そのものは実にユニークだよ。科学と言う一側面ではとても語りつくせない。折角だ、そのもう一端によって話を進めて構わないかな」
「ご丁寧にお伺い立てたところでテメェが人の話を利くようなタマにはとても見えねえんだけど」
「ありがとう、と一応言っておこうか。『未元物質』とはnzqfgf的hlpfnvmdl備vgz能力だ。他の能力と一線を隔すその特異性、そしてrnzwz無grmznznz力zlsfiffと言う点で私は君に注目している。
また、その能力は名前からして愉快だ。付けたのは君自身か研究者か。どちらにしても実に皮肉めいている。『宇宙空間を満たし、人間が見知る物質とは反応しない』とされる架空物質、暗黒物質ダークマターの名で
かつて微粒子間を埋める微細な存在とされた物質エーテル』であり『宇宙を満たし「永遠なる光の一点」の性質を示すものエーテル』を基にして発生する『人の知りえない新たな物質』を表そうと言うのだからね」
 語り出した金髪の言葉は、ところどころ音とも言葉ともとれない物として垣根の耳に届いた。
 なんとなくでも話の雰囲気がわかればましな状況だ。
 『未元物質』について引き合いに出された三つ、いや二つの存在。
 その内特に後半のものなどは一応日本語だと言うのに垣根にはさっぱり思い浮かばないものだった。
 何となく、言葉を変えて同一のものを語っているらしい、と言う事とあの『未元物質』に多少なりとも接点を持つ存在が垣根の知らないところにはあるらしい事くらいが何とかわかる程度だ。
「そしてあの『第一候補メインプラン』と共にほぼ開発のみでgvcr6ivglに手を掛けkzilpvgl幕evvifを覗く事が出来、将来的にはまた違ったアプローチからkvgvif頂lfpzmに至る可能性。
いずれも極めて貴重なものだ。にとっても、また私にとっても非常に興味深い」
ぴく、と垣根の眉が吊りあがるが、金髪は気にもしない様子で話し続ける。
「現段階では、どちらもまだ未熟なものだが……上の如く、下も然りとはよく言ったものだ。君達はそれぞれの特性を降ろした上で下位のものとしてよく置換出来ている。
力、形質、創造、破壊。その能力はそれぞれに当てはめられた機能を見事に反映出来ていると言っていいだろう。
同qrpff軸lfにおいて他にも多くの稀有な能力者達をこうも上手く揃える事が適ったのは彼、にとっても幸運な筈だが、少々焦っているな。実が熟れる前にその旨味を欲しているようなものだ。それがヒトの美点であり欠点だが……」
 先程から意味ありげに金髪が呼ぶ相手。
 荒唐無稽で当たり前、理屈などあてにならない夢の中だからかもしれないが。
 なぜか垣根にはそれがはっきりとイメージ出来た。
 何より、金髪の口から出たもう一つの忌々しい呼称が明言するまでもなくそれを物語っている。
 それを口にするのは、その人物と計画の関係者のはずだった。
 顔を顰める垣根に、金髪はふとその忙しい口を止めると軽く頷いた。
「何だ。『第一候補メインプラン』を引き合いに出したのがお気に召さなかったか? 誤解のないように言っておけば、私は君を『第一候補』より下に見ている訳ではない。は『第二候補スペアプラン』などと言っているが……
そのsvuriz性hrgfに則って言うならば、本来なら切り離し、比較するようなものではないんだ。
さながら組み合う二頭一対の蛇、隣り合う頂点同士、そしてあくまで機能の単位に等しい。今回はたまたまあちらの条件が都合よく整い、また揃うのが早かった。
彼、の『プラン』に都合よく照らしてみればそんなところだ。後は君の素養がqr側srに偏ってしまったのも惜しいな。一方通行アクセラレータ……そうだな彼と呼ぼう。彼の方が生来の性質ではある点においては将来的な可能性の幅が広い。それも君達の違いに繋がっているだろう。
その上で見れば、『未元物質』と『一方通行』と言う能力の性質上、そしてそれぞれの象徴と役割からすると――どうしても一見あちらを立てるような形になってしまう。それは優劣に因るものではないのだが、そんな事を今聞いても納得は出来ないだろうな」
 滔々と、意味ありげに語られるその中身にじっと耳を傾けながら。
 垣根は金髪を睨んだ。
 怪しい、はとうに通り越している。
 信じられない相手だが、しかしその言葉には奇妙な説得力があった。
 虫食いだらけでなくとも理解に苦しむ話だが、有益な情報はなるべく引き出しておきたかった。
「テメェ、あのクソ野郎の何なんだ? それにアイツの事も、能力も知ってやがるのか?」
「クソ野郎とはの事かな。大した事もない古い既知の間柄だよ。『第一位』に関してなら君よりは知っているとだけしておこうか。一応、面識もある。情報は、まあ少し毛色の違う話になるがね」
 勿体を付けた言い方に苛立ちながら、垣根はかといって文句も言えずに組んだ両手に力を込める。
 仮に、この金髪が気を変えてやっぱりやめた、などと話を切り上げられても困るからだ。
「『一方通行』の能力は君も知る通り『反射』、『ベクトル』の向きを制御する能力者だが、それはその一側面に過ぎない。『第一位』の本質は理解。思考し、観測した情報を基に力を制御し適応した形に整えるのが大きな役割と言える。もう少し詳しい話も出来るのだが、今の段階で君の頭を無意味に汚染するような事があっては申し訳ないからな」
 少し残念そうな口ぶりで、しかし言いたくて仕方ないと言った様子で金髪は肩を竦める。
「さて。そんな君達がそれぞれに持つ超能力とは炎に似ている。君達超能力者とは、新時代の火を齎す存在だ。ああ、もちろん単なる比喩だが君の話をする上ではお誂え向きな単語と言っていいだろう。
火とはかつて猿とヒトを分けたもの。愚かなヒトの蒙を啓いた光だ。古代における火、nzif門pfglの火の元素、それら天上の火をヒトの地まで降ろす者……君はその翼の意味すら考えた事がないようだから無理もないだろうが
……ある視点、、、、からはそのような愉快な見方も出来る。そしてそれに照らすなら、彼、には君達の行動は予見――いや既定事項かもな。君達がいずれ学園都市に反旗を翻すのは、正しく予定調和、、、、に過ぎないのだから」
 ただでさえ意味の通じない話が次々と飛び出す。
 それに理解が及ぶかと言う以前でさえ端々に混じる単語――特に第一位の事など――はかなりの興味を引いたが、垣根は現状の問題を思い出して先ずはそちらを優先する。
「何だそれ。そんな事より、こっちに来てから妙だ。どうしたら戻る」
 眉間に力を込めながら垣根はそう詰め寄るが、話を遮られた金髪は一転してつまらなそうに口を開いた。
「そんなものは学園都市に帰る事が出来れば解決する。瑣末な事だ。その能力の端から端まで君に教えている時間は今はないし、面白くもないからしないが……それで、妙とはどんな具合だ」
「何つーか……足りねえ、、、、。中身がスカスカになった感じだ」
 その垣根の曖昧な返事は、何故か金髪のお気に召したらしい。
 一転、愉快そうに――やはりそう変化しないが――みえる表情を見せると、まるで新しい玩具を見つけた子どものように垣根をじっと見つめてくる。
「そこまで解れば大したものだ。いや、流石は『ガンダールヴ』と言った所かな。まあそれが無くとも、意識せずとも呼吸が行われるように、君は始めからその本質を手にしていたんだったな。理解が後を追う形になってしまったのも無理はない」
「帰るったってまだその当てもねえんだけど」
「それはいつか君の主人に聞けば済む。だが今はまだ、と言うべきか」
 ふむ、とわざとらしく呟いて、金髪は顎に手を添える。
 美術品としては一級品、正しく神自ら鑿を振るったような――と形容出来そうな見た目だというのに、何故か雰囲気は妙にしまらなかった。
「じゃあ、私から君に一つ贈り物だ。君の疑問を解決するだけじゃない、お役立ちなヒントをあげるとしよう」
 金髪のいやに好意的な申し出に、垣根は疑いの目を向けた。
 元より垣根は、他人は信用しない方だ。そもそも人かどうかも怪しい存在にそれを言うのもどうか、といった気はするが。
 そんな垣根の心情を見透かすように口元を歪めると更に続けた。
「私は君に期待しているんだよ、垣根帝督。何、簡単な事だ。やり過ぎると死ぬんだけど」
「は?」
「最悪死ぬかも。まあ、破格の贈り物ギフトだから相応のリスクも仕方ない。『未元物質ダークマター』をより確かな物にするには、君には元より足りないものが多すぎる。それは君の素養上、ある意味仕方ない事だった。しかし、今の状況は図らずもそれを覆す絶好の機会となっている。
最小限のリスクで最大の利益を得られる事請け合い、とお勧めしておこう。君に無粋な蛇の唆しはそもそも意味がない。毒を孕むその蜜の味は自ら口にしてもらわなくては面白くないからな」
 ふっふっふーなどと棒読みで付け足しながら愉しげに金髪は腕を組んだ。
 無意味な一挙手一投足が一々垣根の勘に障る。
「意味のわからねえ勿体つけてんじゃねえよ」
「少しのお喋りくらい構わないだろう? 私は滅多な事ではhbfgf現hfifplglf出来ないんだ。さて、方法は簡単だ。ちょっとnrtvmyf質mlslmhrgfdl識ifplgl」
「……おい」
「ええー。もうか、言語wvmgzgfslm訳prmlfslf壊hlpfwlが予想以上に早いな。このr界pffpzmへのrgrqr接alpfにはやはりplm難があったか」
「おい」
「……rcv夢hlwlでの干渉も限界のようだな。私のhlm在も保たないか。それじゃあご機嫌よう、bf垣根pzr帝mz督。いgfまpzた。ああ、それと。垣根帝督、君は夢をたかが夢だと思っているらしいがそんな事はない。rcv夢hlwlとは無意識下と言う内面に肉体と精神と、望む像を映す鏡だ」
「おい! サラッとフェードアウトしてんじゃねえぞクソボケ!! 肝心な所はまるでグダグダじゃねえか!!」
ボロボロと、髪の端から崩れるように薄くなっていく金色は、その途端に不自然に奥行きを失ったように見えた。
しかし、その異変の最中も薄く、愉しそうな笑みを浮かべ。口を動かし続けていた。
「pzgfgv生nvrml木dl原azrmrblir愚pzmrnl犯hrhlmldl追dziv堕grgzprnrgzgrtz再yrhlmltfdllpzhfmlpzhlivglnl経gvrgzwzprsvgl至gzif道dlhfhfnfplgltzwvprifpzpr待hrgvrif」



■ * □






「ふざ、けんな……クソボケ、ってああ?」
 ぼんやりと呟くと、垣根は重い頭を上げた。
 箱の上に突っ伏したままどうやら眠っていたらしい。
 手にしたままのペンは寝惚けて動かしたものか――大量の奇妙な文字とも絵とも言えない図柄を近くに散らばった白い紙の一面に書き殴っていた。
「夢、だ? まぁ、そうだろうな。しっかし、明晰夢なんていつ振りだよ」
 たかが転寝てみた短い夢だと言うのに何だか酷く疲れてしまった。
 だが、同時にあれこれわからない事に頭を悩ませていたのがひどく馬鹿馬鹿しいような。
 不思議とそんな気にはなっていた。
「こちとら端から常識外なんだ。少々のイレギュラー如きで狼狽えてる暇はねえな」
 当てもない。
 根拠もない。
 確証もない。
 しかし、垣根の中で何故か迷いは吹っ切れていた。

 壁がどうした。
 ブチ壊せばいい。
 壊れないなら飛び越えればいい。
 手段も可能性も関係ない。
 そんな物は選ばない、関係ない。
 常識を捩じ伏せてでも、進むしかない。

「そっちの都合なんか構うもんか。俺は好きにやらせてもらうぜ」
 誰にともなくそう口にすると。
 垣根はゆったりと笑った。
 どこか晴れやかなその目には、強い光が戻っていた。




=======


とある未元の神の左手(完)

ってくらいなんか今までにないくらいきれいに最後のとこがまとまった気がします。
けどルイズ分が足りない! もっとルイズを!

「折角色々助言してやったんだからちゃんと出せ」とまた夢枕に立たれたのでおまけの番外編も。
エイワスさんこんな所の垣根帝督でも気にしてくれてるんですかね。
シリアスな雰囲気を纏われると、それはそれで色々とブチ壊されそうで怖いので。
夢だから!とそんな、とんだ仕様になっています。
あんまりにもセリフが長いので、ところどころ改行させてもらいました。
あとエイワス大先生に『未元物質』についてあれこれ言ってもらってますが。
もちろん勝手な当SS独自設定です。
15巻の描写とか以降のちょっとした情報を参考に、『未元物質』は『一方通行』のスペアと言うか対、一部対照的なものをもとにした能力とした上でアレコレ設定しています。偶像の理論バンザイ。
大部分sfhvqrにしておいてなに言ってんだって気も我ながらちょっとしますが。
無くても作品の展開には問題ないとこなのでどうか雰囲気で流してください。




[34778] 15
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2013/09/01 23:11



 暗い室内は静かだった。
 そんな中ゴトン! と唐突に、音を立てて四角いシルエットが揺れる。
 続いてばさばさと紙の舞う音が辺りに響いた。
 それにつられるようにして薄暗い部屋の中で人影が身じろぐ。
 くしゃくしゃになった毛布を剥ぎ取るようにして頭を覗かせた垣根は、顔に掛かる髪を鬱陶しそうにはらいのけた。
「ん……今、何時だ」
 蹴り倒した木箱の横で寝返りを打つと。
 垣根はズボンのポケットを探って携帯電話を取り出した。
 重い瞼を擦りながら液晶に視線を落すと、時刻はおよそ夕方近く。
 はっとして体を起こした垣根は腰に走る鈍痛に顔を顰めた。
「そっか。ここは」
 つい何気ない、いつもの習慣に流されていた垣根は辺りを見回してそう洩らした。
 雑多な物に囲まれた室内の一角。
 それは垣根がよく知った部屋でも、数ある隠れ家の内のどれとも違っていた。
 トリステイン魔法学院の中に立つ小屋の中で垣根は目を覚ました。
「こっからじゃ、時間はわからねえな……ってて、床に直寝とかするもんじゃねーな」
 したくもなかった惨めな経験に舌打ちながら体を起こすと、垣根はがしがしと髪に手櫛を入れた。
 かろうじて昼間だと言う事はわかるが、小さな窓から見える範囲には太陽も視認出来ない。
 そもそもここに時計などあっただろうか、と垣根は首を傾げる。
 必要そうな試料の棚の並びは目にして覚えていたが、時間などまるで気にしていなかったからそんな事もわからなかった。

 今の垣根は気分に任せて動いている。予定は垣根の気が済むまでいっぱいで。そこに合わせる相手も都合も、まして時間など関係がない。
 一応、それらしい生活のリズムだけは整える為にルイズにはきちんとした置き時計を用意させていた。
 始業終業食事の時間、それら節目を知らせる鐘の音は学院の生徒の為のものであって垣根個人の目安にはあまりならなかったからだ。
 生活用品諸々、お喋りな剣を調達した帰りに覗いた店にも懐中時計くらいあったのだが。無駄に豪奢なデザインの割りに粗末な造り、おまけに笑えるような値段の物しか並んでおらず垣根がわざわざルイズに買わせようとまで思えるものがなかった。
「魔法も便利だが、規格を揃えた量産には弱いみてえだしな。物作るのは一握りの職人っつーと値は上がるのは当たり前か」
 確立された信用に支えられたブランドや希少なもの、そんな良いものへの価値は根本では変わらないがその対象がこちらでは随分と違う。機械による自動化、大量生産品に囲まれた暮らしとの差を垣根はそんな所でも思い知らされていた。
 『錬金』に限らず。あくまで人の手によるものだからこその曖昧さ、なんてものがあるのか。メイジ個人の感覚の差は魔法の完成にも反映されるらしい。
 その辺りの感想を思い返しながら垣根は床に散らばった紙を拾い集めていた。
 丁度手にした一枚には、キュルケ達に手伝わせた対・系統魔法に関する『未元物質』の性能確認についてが書きなぐってある。
「あっちはもういいとして。こいつも考えとかねえとなあ」
 服をはらい、近くの棚の角に掛けておいた上着を着て、机代わりにしていた空箱にこの数日で出来上がった紙束の山を集めて詰め込む。
 それだけで仕度は済んだ。
 集中して現状を確認し、考え、整理するのに充分な時間も取れた。
 垣根は一先ずの目的を果たす事が出来た。
「取りあえずゆっくり休ませて……はくれねえな。あいつらにそんな気遣いが出来るとは思えねえ」
 部屋に置いてきたままの荷物のうち、特に扱いの面倒な二つを思い浮かべた垣根は残念そうに首を振った。


「ああ。おはようミスタ」
 突然掛けられた声にそちらを振り向く事もせず。垣根は視線だけを向ける。
 ごちゃごちゃとした室内を突っ切る途中の垣根を見とめたここの主は、あちこちに広げた図面を前に朗らかな挨拶を寄越した。
 その顔は、声に反して疲労の色が強かった。傍目にも休んでません、寝てません、と言った様子のコルベールはよく眠れたかね、などと形式ばった事を口にする。
 一昼夜以上一つ屋根の下で、同じように机に齧りついていただろう事は互いに今更確かめるまでもない。
「まぁな。アンタは随分景気のよさそうな顔してんな」
「見直すところもアイデアもまだまだ尽きそうにない。時間が足りないくらいだよ。君のおかげだ」
 嫌味のつもりが、げっそりした顔で礼を言われては垣根としても返す言葉に困る。
 曖昧に頷くと、垣根の抱えた箱を眺めてコルベールはふっと息を吐いた。
「そうか、戻るのかね。彼女のところに」
「まぁ、まともに寝るところくらい確保しときたいんだよ」
「それは良かった。ミス・ヴァリエールも安心するだろう。君の事を気に掛けていたようだったからな」
 人のいい、教師の顔でコルベールは頷く。
「折角だ。お茶の一杯もどうかな。今更帰る頃になって客人をもてなすと言うのもおかしな話だが」
 カタン、と椅子を少し引いたコルベールは近くに立てかけてあった杖に手を掛けた。
 続いて呟きながらそれを振ると、近くの実験台の上に並んでいた機材がかちゃかちゃと動き出す。
 空の小鍋に水が張られ、近くの炉に火が灯る。その上に浮かんだ鍋がふよふよと移動していった。
「『集水』、『発火』、『念動』……ドットとコモンスペルか。いちいち使う度に切り替えなきゃならねえっつうんならいっそ全部まとめて一度にやってくれるマジックアイテムでも作れば早いんじゃねえの? 却って魔法でやるほうが手間な気がすんだけど」
「それは……また面白そうだ。複数の機能を一つにまとめたマジックアイテムか。専門のメイジの意見も聞きたいところだ……ううむ、茶葉はどこにやったのだったかな」
 薬品棚の側を探しながらコルベールは嬉しそうに呟く。
 現代の日本人なら当たり前に抱きそうな考えも、異国の魔法使いには珍しいものがまだまだありそうだった。
 適当に荷物を置くと、垣根は物で溢れたテーブルの前に椅子を引っ張り出す。
 まだ早い時間を潰す事に加え、あれこれ勝手を許してくれたお人よしにもう少しくらい付き合ってもいい。そんな気分だった。
「味の保証された俺専用ドリンクサーバーの用意があるってんなら、こっちの融資をしてやるよ」
 こめかみを指で叩きながら垣根は冗談めかして言った。
 知識も自身も能力も。安売りをする気はないが、使えると言う宣伝をしておいて損はない。
 技術、情報、能力の占有。それら限られた価値あるものへの優遇の篤さ。
 その信頼性を超能力者である垣根はよく知っている。
 それも、勝手のまるで違うこの環境では多少の足がかりでもないよりはマシ――そんな程度のものだったが。

 湯を沸かす以上にたっぷりと時間を使って見つけ出した茶を注ぎながらコルベールはひどく上機嫌だった。
 柄の違うカップをそれぞれ机の上に空いたわずかなスペースに置くとそっと書きかけの図面を移した。
「君の持つ知識は実に素晴らしい。君の倍以上生きていても、いやきっとこの先も私にはその一端すら知り得なかったろう」
 コルベールは実に素直に、教え子ほどの相手に称賛を口にする。
「別に。物を知ってるってのは偉い事でもなんでもねえだろ。こっちの話になるが、分子結合や化合なんて考えがなくても冶金技術は生まれてるし、化学反応や燃焼のメカニズムなんて知らねえどころか猿と変わらねえような昔から人間は火を使ったなんて言われてんだ。大事なのはそこじゃねえ」
 それを受けた垣根の方は、馬鹿馬鹿しいとばかりに首を振った。
「足りねえもんは経験で。それもなけりゃテメェで考えてどうにかする。実験と観察、推論を繰り返して人間は学ぶ事が出来るってのは特別なもんじゃねえ。誰しも持ってんだろ」
 コルベールはすっかり垣根の与えた知識に心を奪われたらしいが、垣根が洩らしたのは現代日本なら義務教育に毛の生えた程度の事でしかない。
 根本的な知識、いや認識のない相手に未知のものを伝えるのは難しく、他人から齧った程度のものは人間そう頭に残らないものだ。
 だが、地道な観察と実践を積み上げ科学の道を切り開いた地球の過去の研究者達と同様に。
 叩き上げの独学であんなものエンジンを作り上げてしまった男相手には、それでも充分過ぎたようだった。
「知恵の有る無しも、中にどれだけ詰め込んでるかどうかってのも大した問題じゃねえ。頭ってのはただの機能だ。それを上手い事扱えるヤツの方がその質としちゃよっぽど上等だろ。勿論両方備えてりゃ言う事なしだろうが」
「そうか……そうだな。我々の魔法にも同じような事が言えるだろう。力はあってもそれを活用しよう、などと考える者はメイジの内には少ないがね。生徒達もそうだが魔法のクラスが上がる程にわかりやすい成果にばかり目が向けられがちだ」
 しみじみと、残念そうに洩らしたコルベールは乱雑な室内に目を向けた。
 彼の『研究』と言うのは何でも「魔法を平和的に利用する事」のようだった。
 そしてコルベールが目を付けたのは魔法そのものではなく、炎の持つ熱とエネルギーを活用する事。おそらくは、その着想からして異端だ。
 その特異な発想と行動力はそれなりに評価するが。
 やはり垣根にすればその程度。他人にただ親切に手を貸してやるなんて考えは起こりそうになかった。
「いや。そう言った意味では君も実力者だろうが、国が違うとそう言った考えもずいぶんと違ってくるものかね」
「一応どっちも人間だろうから大本はそう違わねえだろ。まぁ、俺もそこは特別じゃねえし万能でもねえ。わからねえ事や足りねえもんくらいあるんだけどな」
 垣根の話に耳を傾けていたコルベールは改めて感服したように目を細めたが、垣根は反対に苦笑いを浮かべる。
 どうにもおかしなところで過大評価をされているような気がしていた。

「そうだ、ミスタ」
 中身をほとんど減らさないままカップを眺めていた垣根に、コルベールはまだ話したりない事があるらしい。
「何だ。アドバイスならもうしてやったろ」
 睨む垣根に何やら咳払いを一つ。
 コルベールはほんの少し垣根の顔を窺うと遠慮がちに口を開く。
 今までの、研究や持論を一方的に持ち出してきた時よりは随分と遠慮がちな様子だった。
「君は、ミス・ヴァリエールの事をどう思っているのだね」
「は? なに、そんなツラしておっさんも意外とゴシップ好きだったりすんのか」
 唐突な話題転換に垣根が胡乱な目を向けると。コルベールは心外だ、とでも言いたげに大袈裟に首を振った。
「いや。おかしな意味ではない。知性のある生き物を召喚した例は多いが人間が、それも異国のものがメイジの使い魔になった事はない。君と言う人間が主人である彼女をどのように思っているのか、と言うのは教師としても気になるところなのだよ」
 そのある意味単純な問い掛けに。
 垣根はふと眉を寄せた。
「どうって言われてもよ」
 そんな事は今まで考えもしなかった。
 けれど。ルイズがまだ無事に、五体満足で垣根の前にいるのだから。とりあえずムカつくような対象ではないのだろう。
 他人を近くに置いたと言う点で。かつて暗部などでは垣根にとって気に入らない対象は比喩でなく物理的に、切って挿げ替える事も出来たのだから。
 あの、やかましくて扱いづらい面倒なゴシュジンサマの事を思い浮かべながら。 垣根は漠然とした質問の答えを探していた。

 二百三十万人に及ぶ学園都市の頂点、その一角を担う垣根帝督は超能力者レベル5だ。
 多くの人の上に立ち、その中心に立つ事は出来ても混じる事は無い。
 圧倒的な力を手にし、それを振るう強者に足りないもの。
 そんなものは、馬鹿馬鹿しいくらいありふれたお話だった。

 学園都市には家族はいない。
 友人と呼べるような相手もいない。
 一般的には当たり前だとしても。垣根には親近感を覚える、精神的に近い距離を許す対象がそもそも存在しない。
 それくらい垣根にも、同業の少女の能力などを使わなくても分かる事だ。
 それだけに、何かと比べてみようにも比較対象が、基準となる物差しが垣根には思いつかなかった。
 過去の人間関係と言ったらそれまで所属していた研究機関の人間、研究者、暗部の人間――そんなものは比べる以前の問題だ。
 垣根帝督が相手として同じ目線で語るような評価をそもそもしていない。

 しかし、ここに来て出会ったあの少女――ルイズはその点で不思議だった。
 暗部組織『スクール』のリーダーが、序列第二位の超能力者が、垣根帝督が。
 まるで対等のように扱って接してしまう。
 思い返せば、一目見た時からそうだった。
 まるでそうするのが自然なように警戒心は緩み、敵意は向ける前に薄れてしまった。
 害意が感じられないからか、とも思ったが垣根自身に向けて攻撃――何らかの魔法を使われてもそれは変わらなかった。
 垣根は学園都市にいる時にも能力で、銃器で攻撃されるなんて事は仕事や立場柄よくあった。
 勿論自らの能力の恩恵でダメージはほとんど負わない。
 それでも相手が歯向かってきた事実、苛立ち程度の理由で気が向けば相手を潰す位の事は簡単に出来る。
 そんな苛立ちや不快感が全くもってなかった訳ではない。
 だが、垣根はルイズに手を下そうとは思いもしなかった。
 そして。
 今ではすっかりルイズの言葉を、行動を。
 存在を許してしまっている――らしい。少なくとも、垣根はルイズ自身に不満をぶつけてはいないのだから。
 そう振り返ってみれば。
 垣根の中で今まで埋まらなかった自分により近い、他者の位置。
 このごくごく短い時間の中でどうやらルイズはそのスペースに収まってしまったようだとさえ、思えた。
(ちょっと前ならありえねえって言いたいところだろうが……ああ、なら仕方ねえな)
 巡らす思考の中でふっと頭に過ったイメージ。
 それに眉間にそれまでこもっていた力を抜いて。
 垣根は心底下らない思いつきに口元を歪めた。
「そうだな……アイツは足元でキャンキャン吠え立てる小型犬、ってとこだな」
 それを聞いてぽかんとした表情でコルベールが見返してくる。
 仮にも貴族の、公爵家の令嬢を犬扱いとは流石に思いもしなかったのかもしれない。
 一方の垣根は自分で口にしておいてなんだが、おかしさが増していた。
「いや。予想以上にしっくりくる。構え構えってうるさい犬いるだろ? アイツはああ言うのだ。猫はもっと他人に干渉しないイメージだし」
 こみ上げる笑いを抑えながら垣根はそう続けたが。コルベールは相変わらず信じ難い、と言いたげな顔をしていた。

 自分でも思いがけず得た感覚をどうにか掴もうとあれこれ考えた挙句。垣根の頭にひとまず浮かんだのが『ペットみたいなもの』と言う馬鹿げた発想だった。
 垣根は自分の立ち位置は表側ではなく裏、それもより暗く澱んだ場所だと自負している。
 無差別に敵意を振りまく気はないが他人を傷つける事に躊躇いはない。
 しかし、垣根は足元に寄ってきた野良猫を訳もなく踏み潰すような人間ではなかった。
 こうして振り返ってみてもそれまでの、自分以外の存在に向ける感情としてはそれが一番近いような気がしていた。
 気が向けば餌を恵んでやろうかと言う気になるような、そんな程度の距離。
 あくまで格下の、弱者に向ける意識だ。
 なにより。垣根は人間の醜い部分を多く見てきている。だからこそ場合によっては単純で裏表のなさそうな動物の方が、対人間よりは余程親しみや好感が持てるかもしれない。
 そう思ってしまえば、ルイズに対しての感覚に疑問も不愉快さも感じなかった。
 そんな動物よりは少し上、だからペット程度。
 あの、おかしな存在にもそんな風に思っているんだろう。
 垣根は覚えた事のないその感覚をそんな風に捉える事にした。

「彼女の事を、仮にも主人であっても……君はそうなのか」
「ああ。一応契約なんてしてやったけどな。それだけだ。俺は見返りもなしに進んで他人に従うような趣味はねえよ」
 垣根の言葉に呆気にとられたような、しかしどこか納得したようにコルベールは首を振る。
 垣根が散々とってきた今までのコルベール自身への、後は学院長への態度などを考えればわかるだろうに。
 それとも、コルベールも主人であるルイズには期待していたとでも言うのだろうか。
 ルイズは垣根を『使い魔』と言うが、彼女より下に居るつもりなど勿論なかった。
 垣根は超能力者である自分のポジションは勿論自分自身にもそれなりのプライドを持っている。
 実際、ルイズがあの奇妙な現象を起こせなかったら契約するどころか一蹴していただろう。
 ルイズのあの失敗、、に興味があるからこそ、こんな評価が出来たと言っていいかもしれない。

 右も左も訳のわからない異世界です。
 魔法です。
 頭の痛くなるようなトンデモ、非常識。そんな状況に放り込まれた時たまたま近くに居たおかしな存在。
 唯一かもしれない、害意を向けず意思疎通を図れる相手。
 それに一種の親しみを覚えてしまう。
 そんな事があるのかもしれない。

 とりあえずペットらしきポジション。
 なんて当のご主人様が知ったら、またうるさく怒鳴りつけてきそうなそんな考えを一旦おいて。垣根はふとコルベールに顔を向ける。
「お、そうだ。食うかこれ」
 荷物の上に載せていた小さな籠を差し出すと、コルベールは首を傾げつつも受け取った。
「何だね?」
「サンドイッチ。昨日厨房の奴に夜食のつもりで作らせたんだが、余った。スライスしたパンに薄切りの鶏なんかが挟んである。ナイフもフォークもいらねえし、忙しい時は片手が空くだろ」
 一晩置いたからと言ってそう痛んでもいないだろう。
 残り物も籠も改めて食堂に返しに行くには面倒だったので、垣根はそれを押し付ける事にした。
 被せたナプキンをつまみ上げ中を覗いたコルベールは残りものと垣根とを交互に見て、いたく感動したように頷いた。
「食事の手間を省いて研究に打ち込もうとは、私も思いつかなかった。いや、これは便利だ。君もなかなかの」
「おっと、テメェと一緒にするな」
 何だか不名誉な勘違いをされそうで垣根はすっぱりと否定する。
 常人とは違うと自認していても。流石の垣根も変人にお仲間認定などされたくはなかった。
「あっちじゃ普通なんだよ、こう言う手軽なの。別に優雅に飯食えない事もねえんだけどな」
 そう口にした途端、垣根は何だか似たようなファストフードの味が懐かしくなった気がした。
 ああ言ったものはちょっと盛りすぎだと言うくらい強気な値段でも、格別旨い訳ではない。
 垣根もいつだったかバカ高いホットドッグを食べた事があるが、特別感動するような違いはなかったように思う。
 グルメを気取るつもりもないし、ここの食事もまあマズくはないが、日本とは味付けもなにもまるで違う。
 良し悪しではなく舌が慣れた味、と言うのは意外と恋しくなるものらしい。
「……今度マルトーにでもなんか作らせっかな。アイツ、多少無理言っても聞くだろ」
 向けられる好意の有効活用も悪くないかもしれない。
「おお、コック長のマルトーとは私も馴染みでね。意外と君も顔が広いのだな」
 サンドイッチを眺めていたコルベールは嬉しそうにそう言うと。
 改めて不思議そうな目を垣根に向ける。
「本当に。君は何者なんだね」
「別に。俺はただの平民だ。普通の、、、平民じゃねえけど。そう言うアンタは……いや、なんでもねえ」
「何だね」
「そっちこそ、まだあれこれ聞き出したくて仕方ねえって面してるように見えんのは俺の気のせいか?」
 言いかけた言葉を飲み込んで、垣根はにやりと笑う。
 結果、自分に都合よく垣根が動いたから今は態度は緩んでいても、コルベールの目は以前とそう変わっていない筈だった。
 窺い、警戒し、観察する視線に少し好奇の色が乗った程度。そのほとんどは垣根もよく知っている、散々向けられていたものだ。
 それを指摘するとコルベールは苦笑を返した。
「いや、いい。思いがけず研究に助言が貰えただけでなく少し君の見方が変わったのでな、私も今のところは満足だよ。矢鱈に詮索するような、そんな失礼な真似はするまい」
 コルベールが貴族で教師でその上おかしな研究者でも。
 相手が使い魔で怪しさ満点な平民相手でも一応、人間性を尊重するような頭はあったらしい。
「なんだそりゃ。じゃあ人生のセンパイってやつに一個だけ聞いとくわ。悩みとかあるとそう言うのは早くクるもんなのか?」
「何がだね」
「アンタの……頭の話だ」
 垣根としては最初の一言で何らかのリアクションを期待したが伝わらなかったらしい。流石に直接的な表現はマズいだろうと避けた。
「? 何の事だね?」
 しかし、オブラートに包みすぎてしまったのか。コルベールは寂しい頭を傾けるだけだった。
「いや、アンタどうみたって四十そこそこだろ? それでその進行、いや後退具合はちょっとおかしいんじゃねえの。やっぱこう、日頃ストレスとかあるとだな――」
「何の事だね?」
 繰り返される機械音声のように画一的な返事に垣根は息を吐く。
「……何でもねえ。忘れろ」
 心底不思議そうに首を傾げるコルベールの不気味さに垣根はとうとう諦めた。
 何となく、これは触れてはいけないものだと頭に入れて。垣根はその場を後にした。


 垣根が寮塔の螺旋階段を上がっていると、タイミング悪く降りてきた誰かとぶつかった――らしい。
 と言うのも。胸の前で荷物を掲げた垣根の視界にはその誰かさんは運悪く映っていなかった。
「……なによ、気をつけなさ」
 垣根は舌打つと石段の脇にずれる。その横を通りすぎようとしていた女生徒はちらっと向けた視線を上げて二度見した。
「テイトク?! あんた……ッ」
 キン、と頭に響くような声で名前を呼ばれて垣根は顔を顰めた。
 生返事をして部屋へ向かう垣根の後を、なぜか律儀についてくるルイズはぶちぶちと小さな声で独り言を続けていた。
 珍しくうるさく騒ぎ立てないのは不思議だったが、垣根にすればありがたい事だったので放置している。
 ようやくルイズの部屋のドアをあけ、ベッドの横に箱を置くと。垣根はコキンと首を鳴らす。
 クローゼット、置時計と順に目をやってからほんの少し考える。
「取りあえず風呂より飯だな」
 丁度、ルイズも朝食を取りに食堂に行く所のようだったし便乗する事にした。

 食堂の前に着くなり、ルイズは厨房へ向かおうとしていた垣根の腕を引いた。
「何だよ」
「いいから。あんたこっちで食事しなさい」
 どうやら、やっと目の前に戻ってきた使い魔の様子を監視しておきたいらしい。
 席に着く垣根に満足げに頷くと、ルイズも少しは落ち着いたのか普通に話し出した。
「ちっとも帰ってこないで何してたんだか……ご飯は一応食べてたみたいね。シエスタから聞いたわ」
「あっそ」
 垣根も流石に飲まず食わず、と言う訳にはいかないから何度か厨房に顔は出した。
 そんな話をする辺り、どうやらルイズはメイドと随分仲良くなったらしい。
 使用人と言う立場を考えると、単に知り合いの使い魔の動向を報告しておいただけかもしれないが。
 まだ何やら不機嫌そうなルイズを後目に垣根は黙々と腹を満たす事に集中する。
「あ! ミス・ヴァリエール。カキネさん戻られたんですね」
 皿を二度ほど換えた辺りで。デザートを配っていたシエスタがルイズと垣根に気付いて寄ってきた。
「召し上がりますか?」
「おう」
 ルイズの前にケーキを置くとシエスタは垣根にも笑顔を向けた。
「やっぱ疲れた時は甘いもんだよな」
 そんな風に洩らして垣根が久々の糖分を補給していると。
 ふと、ルイズが自分の前の皿を垣根の方に押しやった。
「あーもうお腹いっぱい。テイトク、これ片付けといて」
「は?」
「後、今日は授業に集中したいから来なくていいわ。あんたは部屋の片付けでもしといて頂戴。自分のベッドくらいはきれいにしておいてね。後でチェックするから、ちゃんとね」
 呆れかえる垣根は無視して一方的にそう言うと、ここに来るまでの態度が嘘のようにさっさとルイズは食堂から出て行った。
「なんだあれ。気持ち悪」
「ミス・ヴァリエールったら」
 豹変ぶりに眉を寄せる垣根とは対象的に、シエスタはおかしそうに口元を押さえていた。
「お部屋は昨日ピカピカにお掃除したばかりです。カキネさんに部屋でゆっくりしていただきたいならそう、素直に仰ればいいのに」
「面倒なヤツだ。マジで」
 欠伸混じりの息を吐くと垣根は遠ざかるルイズの背中を見送った。


「あー……変に頭がぼーっとすんな」
 食事も終えて朝から使用人用の蒸し風呂を借りてきた垣根は、がらんとした部屋の中で息を吐いた。
 サウナで汗を流しても今一つ疲れが抜けた気がしなかった。
 特別好きだとか思い入れがある訳ではないが、こう言う時は熱い風呂が恋しくなる。
 垣根も一応とは言え使い魔で平民なので余り贅沢も言えた立場ではない。
 さっぱり出来ただけマシか、などと呟くと垣根はだらしなくテーブルに凭れた。
「相棒、久しぶりだね」
 ふと、そんな声が聞こえて垣根は辺りを見回した。
 暖炉脇の壁には見覚えのある長い剣が立て掛けられている。
「なんだお前、居たのか」
「俺は部屋から出ちゃいないよ。相棒が連れてってくれないもんだから」
 何だか静か、と言うか。いつになくテンションの低いデルフリンガーに垣根は首を傾げる。
「何、お前拗ねてんの? え。剣の癖に?」
「剣だって拗ねるんだぜ。久しぶりに使い手に渡ったと思ったらこのガンダールヴ、握るどころか碌に触ってもくれねえんだもの」
「錆だらけのお前に何が斬れんだよ。そもそも俺に武器なんかいらねえっつーの」
 またその話か、と垣根は二言目には、
「俺を握って戦場に立とうよ!」みたいな事を言ってくる伝説の剣にぶっきらぼうに返す。
 よく喋る愉快なオブジェ扱いを散々されているからか、デルフリンガーは武器としての自分のポジションを貫きたいらしい。
「武器と言えばよ。あー、何だっけなあ。相棒の使うさあ、すっごいの」
「俺の使う、って『未元物質ダークマター)』か?」
「それそれ。何だっけなあ。ちょっと違うけど似たようなのを……あの感じ、どーっかで覚えがあるんだよなあ」
 それまでの期待を裏切って、デルフリンガーはほんの少し垣根の興味をひいた。
「何でお前そんな事がわかるんだよ」
 訝しむ垣根の前で得意そうに、デルフリンガーはかちゃかちゃと続けた。
「だって俺伝説だもの。相棒にくっついてりゃ武器のあれこれくらいちょっとはわかるのよ」
「そんな事言ったかお前」
「あれ。言ってなかったっけ」
 呆けたこの剣にそんな事は今更過ぎて、垣根はそれ以上追求しなかった。
 喋る以上の特殊仕様があると言うのは確かに前にも言っていたが。垣根もその時はますます剣である必要性がないように思った程度だった。
「まあ何にせよ相棒が娘っ子のとこに帰ってきて良かったよ。俺はもう心配で心配で……貴族の娘っ子もかなり気にしてたね」
「別に。用があるからちょっと出てくって言っただろ。それをお前ら一々大袈裟なんだよ」
「相棒そんな事言った?」
「言ったろ。俺の記憶力舐めるな」
「でもちょっとにしちゃ長いだろ? 何日もいないとは思わないって」
「お前のよく言う六千年に比べりゃ一瞬だろ」
 そう返されては流石にそれ以上の文句は言えなくなったらしい。
 少し黙ったデルフリンガーはまるで溜息でも吐くように小さく金具を鳴らした。
「でもよぉ。俺はさっぱりわからねえけど、その調子じゃあこの前の事は何とかなったみたいだね。俺ぁそれだけでほっとしたよ」
「……人の心配より自分の心配したらどうだ? あんまうるせえとなあ」
「よ、余計な事は言わないぜ? 何で『使い手』ってみんな意地悪言うんだよお」
 嘆くデルフリンガーに垣根はふと笑みを洩らした。
 この剣の指摘どおり、ではないが。確かにどこか吹っ切れているのは間違いないらしい。
 この部屋を出た時と比べれば、気兼ねなく軽口を叩ける程度には悪くない気分だった。


「それでよー、相棒聞いてる?」
「おー」
「相棒が話だけは聞いてくれるもんだから。帰ってきたら話せる事はねえかなって俺も頑張って思い出してたんだけどな」
「……お前の『伝説』とやらの講釈、いい加減飽きたんだけど」
「いいから聞いてくれって。最初に俺を使った『使い手』はな、そりゃもうすごくって。でも『行使手』だったばっかりに問題もあったもんだから、ブリミルのやつがそりゃあ手を焼いてだな。ルーンが何とか上手い事馴染まねえもんかと……ねえ相棒ってば」
「んー、だから俺にはどっちもいらねえんだって」
 テーブルの上で組んだ腕を枕にしたまま、垣根はデルフリンガーの話を聞き流していた。
 デルフリンガーが記憶の底から折角掘り起こしてきた六千年前の昔話にも大した興味はなかった。
 頑張ったよ! とでも言いたげなデルフリンガーには可哀そうな話だが、今は眠気が勝っている。
 連日のハードな頭脳労働はそれなりに堪えていた。
「相棒寝てるだろ? なあ、後でもっかい聞きたいって言われても俺困るよ?」
「お前のもの覚えには期待しねえし。俺こまんねーから」
「後で怒るなよ。俺聞いたかんね。それで、ブリミルはそいつの為に『先住』と『系統』を上手い事合わせてやれるようにだなあ……えっと、何かが別のような事を言ってたんだよ。確か使ってるなんかがこう、違うからってのをブリミルも誰だかに教えてもらったって」
「やっぱ肝心の所抜けてんだよお前。もういいか?」
 重い頭を起こすと垣根はデルフリンガーに背を向ける。
 ベッドに潜る垣根に、お喋りを遮られた剣は遠慮がちに返事を寄越した。
「お、おう。夕方には起こすから」
「……なんで」
「お前さん、今日何の日か忘れてない? 舞踏会だよ。娘っ子をほったらかすと、留守にした分合わせて倍怒られるよ? 俺ぁおっかないのは御免だって」
「面倒な事思い出させるんじゃねえ」
 お節介さに呆れ、垣根は悪態で返す。
 元からそんな場に出る気などなかった。そもそも使い魔の席も平民の席もないだろう。
 だが、すっぽかせばルイズは黙っていないだろう。体面がどうの見栄えがどうのと熱弁をふるった上わざわざ服まで用意させ垣根をせっついていたのだから。
 そんな余計な事はとりあえず置いて目を閉じると、疲れた頭はたちまち眠りにおちていった。





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1/3。残りは近日



[34778] 16
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2013/09/07 01:00



 フレイヤの月マンの曜日。
 学院本塔の二階に位置するホールには眩い夜宴の明かりが灯っている。
 辺りを双月が照らす夜気の中、ルイズはバルコニーの片隅でぼんやりとその様子を眺めていた。
 めいめいに着飾った生徒達は楽しそうにダンスに歓談に興じている。
 先日の騒動により二日遅れで開催されたこのフリッグの舞踏会は生徒や教師の枠を超え親睦をより一層深める事を掲げたものだった。
 いつからか「この舞踏会で踊った男女は結ばれる」なんて伝説もあるらしく、盛り上がりもまたひとしおだった。
 だが、今のルイズは華やかなその輪の中に加わる気分にはなれなかった。
 ホールに足を踏み入れて以来、クラスメイトはもちろん顔も知らない生徒達からも話しかけられたしダンスの誘いも受けた。
 その中に、ルイズの探していた顔はなかった。
 その所為かルイズの気分はいまひとつ、浮かなかった。
 給仕をしていたシエスタが通りがかりにすすめてくれたグラスも受け取る気にはなれなかったし。
「ちょっと。ダーリンは?」などと垣根の不在を不満そうにしていたキュルケも、既に男子の群れに囲まれていたし。
 タバサも、よほど食べるのが好きなのか料理のテーブルから離れていないようだった。
 そんな訳で。
 賑やかな宴の席で、ぽつんと外れたルイズは一人壁の花を決め込んでいた。
 楽しみだったはずの舞踏会は何だか味気なくて。
 溜め息を吐くとルイズは視線を落とした。
 足元は新品の靴。この日の為に仕立てた真っ白なドレスはもちろん髪型だっていつもよりずっとお洒落に飾っていた。
 普段しない化粧もしている。

 先日のフーケの件もあって、学院内でのルイズ達の注目は以前にも増していた。
 それでも。
 こんな風に特別な装いをするのは、ただ舞踏会に出席するだけではなかった。
 少なくとも、ルイズの中では今までのパーティとはほんの少し違う。そんな気がしていたというのに。

「なによ。こんなんじゃちっとも――」
 そんな風に零す、いつもとは違うルイズに近寄ってくる人影があった。
「失礼、お嬢さん」
 口を尖らせたルイズの頭の上の方から優しげな声が降ってきた。
「頭の悪そうなピンクの髪の子がどこへ行ったか、知らないかな。確か『ゼロ』って呼ばれているんだけど」
「しらないわ。あっちにいってくださる」
 柔和な声で実に失礼な事を言う男を相手にする気はもっとない。
 うんざりしたルイズは相手の顔をみるどころか床を眺め続けていた。
「そうか。ならもう少し自分で捜してみる。じゃあ」
「ちょ、ちょっと待って?」
 はっとしてルイズは顔を上げる。
 背を向けようとしていた少年は振り返ると途端に意地の悪い笑みを向けた。
 貴族相手にあんな事を口にするのも、そんな笑い方をするのも。
 そんな相手をルイズは一人しか知らない。
「あ、あんた来たの? てっきりまた部屋にこもってるのかと思ったわ」
 悪態を吐きながらも、ルイズは内心ほっとしていた。
 結局、朝食から先ルイズは部屋に戻れなかった。
 垣根を前にしてなんと言っていいかわからなかったし、それ以前に文句しか言えないのは自分でも何となくわかっていた。
 ふらっと出て行ってふらっと帰ってきた垣根に聞きたい事は山ほどあったが。
 今のルイズには、いつもの癇癪を押しとどめる理由があった。


「やっぱり家に帰りたかったのかしら。それとももっと構ってあげるべきだったのかしら。あいつ一人で好き勝手してると思ってたけど。それか食事に嫌いなものがあるとか。ううん、買ってあげた新しい服とか気に入らなかったんじゃ――」
「娘っ子、そろそろ現実に帰ってこいよう。相棒は子供でも犬っころでもないからね」
「やっぱりわたし? わたしみたいなのが主人になって、嫌だったのかしら。あいつだけは、わたしの事」
「おーい娘っ子よう」
「……なに」
「お前さんに一つ言っとく事がある」
 授業を休んで、部屋にこもっていたルイズにある時デルフリンガーは声を掛けた。
 垣根がいなくなったことに腹を立て、怒鳴り、散々むしゃくしゃした後盛大に落ち込んだルイズに。同じくらい打ちひしがれていたデルフリンガーは。
 普段よりずっと真剣そうな口調で。なんだかまじめぶってルイズに忠告した。
「俺ぁ相棒がいなくなったのはお前さんのせいじゃないと思うね。そこは気にしなくていい」
「なによ。じゃあなんでなのよ。あんたまたなんか怒らせるようなことでも言ったの」
「俺でもないって。それに、相棒は口は悪いがいつだって本気でなんざ怒っちゃいないよ」
「なんでそんなことわかるのよ」
「だって俺伝説の剣よ? 相棒の心の震えがわかるってのは前にも言わなかったっけ」
 そう言えば、何だかそんな事を言っていた気もする。
 ルイズは、伝説だとかそんな話は垣根の気を引きたくて言っているのだと思っていたが。
「……じゃあ、伝説のあんたはあいつが出ていった理由もわかってるの?」
「それはわからんよ。頭の中まで遠慮なくわかるようには出来てないの」
「なによそれ」
「相棒にも、わかってんのかね。そんなのわかんなくても、どうにか出来てりゃそれでいいんだけど」
 デルフリンガーは何やら知った風に呟くと。
 垣根に今回の事を、特に理由をしつこく聞くなと言ってきた。
「お前さんが頭にきたのはわかるよ。怒るなとは言わない。でも説明しろったって相棒はな、きっと上手くねえから。もし帰ってきてもだ。多分あれこれ聞かない方がいい。お前さんもその辺上手くはないだろ?」
 もし、真面目に話をしてもきっと垣根はロクに取り合わない。そんな気はルイズもしていた。
 おまけにルイズも話し上手で聞き上手、とはお世辞にも言えない。
 そんな二人がこじらせずに話をするなんて難しいだろう。相手が垣根なら尚更だった。
 デルフリンガーの言う事は、珍しくまともでもっともな意見だったが。
 だからと言ってルイズもいい気分はもちろんしない。
「いくらインテリジェンスアイテムでもね、わたしに指図しないで」
「だから忠告だって。お前さん、いくら大人しくしてるからって竜を怒らせずに逆鱗を探せるかい」
「そもそも竜になんか触らないわよ」
「そうだろうけど。相棒は竜よりおっかないと思うよ。うっかりそんな事になったら……怖いぜ?」
 そんなやりとりが。珍しく、他人の言葉がルイズには引っ掛かっていた。
 ただ垣根の機嫌を損ねるのが怖い、なんて事も少しくらいあったかもしれないけど。


「あいつがあんまり煩いからな。部屋になんか居れねえよ」
「そう。あの剣はどうしたの?」
「置いてきたに決まってんだろ。この格好にあれはドレスコード以前の問題であり得ねえ」
 そう苦笑いを浮かべてから垣根は何やら頷いた。
「ふーん。そう言うカッコしてるとちょっとはらしくなるもんだな、貴族様。後は口閉じてりゃ、悪くないぜ?」
「ななななによ! レディにもうちょっと気の利いたこと言えないのかしら?」
「そう言うのがらしくねえっつってんだけどな。まぁお前らしい方が不気味じゃねえか」
 周囲を見回してから垣根はルイズの横に並んだ。
「ここ、いいか」
「なんでよ」
「さっきから、知らねえ女に寄ってこられて迷惑してんだ。パーティとか、面倒なもんはあんまわかんねーし」
 そうぼやくと垣根は手摺に凭れてホールの中を観察し始めた。
 改めて、ルイズは垣根の姿を眺める。
 黒の上下に同色異素材のベスト、藍色のシャツ。襟元で輝くエメラルドを填め込んだピンに合わせたのか、胸元のグリーンのチーフが鮮やかなアクセントだ。
 髪もセットしているのかいつもとは違う。
 周りの貴族達の華々しさに比べれば控えめな装いだけど、垣根にはよく似合っていた。
 元々の良さに加えて、これなら確かにキュルケ以外の女生徒だって放っておかないだろう。
 そんな垣根をこうして連れているのはルイズとしてもちょっと誇らしかった。
「そっち着たのね。あの白いのも似合ってたし、折角の舞踏会なんだからもっと華やかなのにすれば良かったのに」
「……お前、それ本気で言ってんの? 並んだら絵面最悪じゃねえ?」
「なんでよ」
「いや、いい。俺の考え過ぎだ」
 こう言う所は軍服だよな、何て意味のわからない事を呟いて垣根は首を振る。
「……でも、いいわよ。後は…にっこりしてたら悪くないんじゃない?」
「そいつはどうも」
 垣根はいつものように髪を掻こうとしたのか手を上げて、ふと止めた。
「飲み物くらい取って来るか。お前は?」
「え」
「こう言う時は女を立てるもんなんだろ? どうするんだよ、お嬢さん」
「じゃあ。お任せするわ」
 近くのテーブルに向かう垣根の背中を見ながら、ルイズはふと頬を緩めた。
(あいつ、普段あんなだけどレディの扱いはちょっとわかってるのよね)
 貴族のように洗練されたエスコート、とまではいかないが、それなりに気は利く。
 たとえば他の生徒にまであの調子だと問題だが今の所そんな様子はないし。
 生まれた時から生粋のお嬢様として育ってきたルイズにはそう言った扱いは当然の事だったが、それでも嬉しかった。
 何より。
 垣根と以前のように話せているのがルイズは嬉しかった。

「お前あっち混ざんなくていいのか」
「さっき散々誘われたわ」
「ふーん」
「あんたはいいの? ほら、あそこにも……あんたに声掛けてほしいみたいだけど」
「俺御付だろ? オマケの見学だし、もうメシ食ったし。興味もねえ」
 舞踏会を見物してきた垣根は、グラスに入ったワインをゆっくり回しながらそんな風に呟いた。
 まだ帰る、とは言わないが勝手で気まぐれな垣根の事だからいつ居なくなってもおかしくない。
 ダンスに興じる生徒達を見ていた垣根がちらっとルイズに目をやる。
「お前も貴族だもんな、ああ言うの一応仕込まれてんだ?」
「ダンスは得意よ」
 お母様よりは、と言う言葉をルイズは途中で飲み込んだ。
 厳格で隙のないルイズ達の母親だが、何故かダンスとなるとたまにステップを間違えてしまうようだった。
「なによ。試してみる?」
 疑わしそうな垣根の視線に、ルイズは腕組みをして応えた。
 それをみるなり垣根は渋い顔で声を潜める。
「(え。しなきゃダメか?)」
「(そうね。わたしを立ててくれるんでしょ?)」
 社交の場でレディをダンスに誘うのも紳士の務めの一つ。
 少し気分のよくなっていたルイズはわざとそんな風に返した。
「口滑らせるもんじゃねえな。わかった。今日だけ、今だけお前の言う通りにしてやる」
 悔しそうに眉を寄せたが意外にもあっさり折れると、垣根は観念したように息を吐いてみせた。
「あー、お嬢さん。踊って頂けますか」
「宜しくてよ」

 ホールの中央、踊る男女の輪の中でルイズは目を丸くした。
 蝋燭の並んだシャンデリアの明かりが眩しい。
 そんな中で、ルイズは踊っていた。
 この会場に来たからにはまるっきり期待しなかった事もない。
 それでも垣根とこんな風に踊れるとは思っていなかった。
「へぇ。あんたダンスも出来るのね」
 ルイズがこんな風に感心するのも、もう何度目になるかわからない。
 しかし、垣根は得意そうな顔はしなかった。
「いや、女と踊るのなんざ生まれて初めてだ」
「ほんとに?」
「踊ってるヤツらを見たが。要は相手の足を踏まねえよう気をつけて、リードして動けばいいんだろ。それもかなりカッコつけて。そいつを真似してそれっぽいステップ踏むだけなら、俺にも出来る。相手の動きを先読んでカウンター入れるよりは、型が決まってるだけラクだろ」
 何だかムードの欠片もない例え話をしながら、垣根は優雅な足運びでルイズの手を引く。
 リードもタイミングもばっちり。
 つい見とれて見上げた顔がいつもより近くて、ルイズは慌てて目を逸らした。
 そんなルイズの耳元に垣根はそっと顔を寄せる。
「っと。ここで膝伸ばす、こっちでターン……合ってる?」
「合ってるわよ。ほんっとにもー、あんたって」
 弾む息と、こみ上げる楽しさに顔を歪めたルイズはふと。
 済んでいない大事なことを一つ、思い出した。
(そうだわ。こいつが戻ってきたら、ちゃんとしなきゃって。もう、この曲も終わっちゃうし)
 悶々としながらダンスを続けるルイズの耳には、いつしか賑やかなおしゃべりも音楽も聞こえなくなっていた。
 暫く、されるまま垣根に合わせて踊っていたルイズは思い切って口を開いた。
「あの」
「何だよ」
 なんとか心を決めたものの、それでも改めて口にするのは恥ずかしかった。
 視線を外し、下を向くとルイズは深く息を吸った。
「ありがとう。あの時、助けてくれて。ゴーレムまでやっつけちゃうし、あんたって――」
 ルイズにすれば上出来だった。
 どことなく勢いに任せてだが素直にお礼も言えた。
 しかし、顔を上げたルイズの言葉は最後まで続かなかった。
「テイトク?」
 確かに。
 あの、ゴーレムを倒した時のことを思い出したのだろう垣根はその時。
 はっきりと表情を曇らせた。
 眉を寄せるルイズの様子に気づいたのか垣根は小さく息を吐く。
「我ながら、ガキでもねえのにダセェ所晒しちまったな。忘れろ」
「……あんたもう大丈夫なの?」
 フーケの一件を終えて帰ってきた時。ルイズから見ても確かに様子が変だった。
 あの時ひどく沈んだ様子の垣根の、いやに暗く見えた目を思い出して。
 我慢していてもやっぱり聞かずにはいれなかった。
 ルイズは垣根を見上げた。
「何が」
 垣根は不思議そうにルイズを見つめ返した。
 心配はした、そりゃあもうすごくしたがルイズはそれを素直に口には出来なかった。
 まるで気にしていない、さっきまでそんな様子を見せていた垣根に蒸し返すような真似もなんだか気が引けた。
「……黙ってどっか行って、なにしてるのよ」
 結局、不満が口を吐いた。
「だから、一応デルフリンガーにはちょっと出掛けるって言ったんだけどな。何聞いてたんだあいつ」
「なにがちょっとなのよ! あいつったら、あんたがもう帰って来ねえかもしんない、なーんて言ったのよ」
 あくまで主人として、使い魔の振る舞いを咎める。そんな言葉にも垣根は堪えた様子もなにもない。
「ああ。あいつ、ウザい女みたいにビービー言ってたな。剣の癖に」
 小馬鹿にしたようにそんな事を言う垣根にルイズはむっとした。

 けど。
 そのデルフリンガーに忠告されたばかりだ。
 どんな理由かなんて知らないが、ともかく垣根が何事もなく戻ってきたのを喜ぶところであって。
 ルイズだって折角の、楽しいはずのパーティを台無しにはしたくない。
 何とか、ここは我慢しなくてはいけない。

「ま、まあ大目に見てあげない事もないわ。これからは……黙って、あんな事しないでよね」
 精一杯の忍耐と、ほんの少しの期待を込めて。
 ルイズは垣根を見上げた。
 しかし。
 そんな希望はあっさりと裏切られる。
「使い魔の分際で主人の許可なく勝手したのは悪かったかもな。だが、俺は使い魔っつってもお飾りみたいなもんだし。別にお前に心配される筋合いも、許してもらう必要もねえだろ」
 意味がわからない、と言いたげに垣根は心底不思議そうに目を丸くした。

 歓声、ざわめき、笑い声。
 そしてホールを満たす楽士達の演奏を、少女の叫びがかき消した。
「バカ! この大バカ!! 信じらんないわ!」
 ドレスの裾を翻して、まるで時間に追われるお姫様のように。
 ルイズは走って賑やかなダンスの輪の中を飛び出した。
「何だありゃ……意味わかんねー」
 そんな風に呟いた垣根は首を傾げただけで。
 ルイズを追いかけてはくれなかった。
「なによ。何からなにまで謝れなんて言わないわ。でも、あんなのってないじゃない」
 唇をかみしめながらルイズはかぶりを振って走った。
 その度に、目尻に溜まった涙が零れそうになった。


「あれ、娘っ子。早いやね。相棒はどうした? めかし込んで出てったろ?」
「あ、あいつなんてしらないわよ」
 ドレスを脱いで着替えを済ませたルイズは部屋に戻るなりそのままベッドに倒れこんだ。
 楽しかった筈の、ルイズの魔法の時間は終わってしまったのだ。
 不機嫌さを隠しもしないルイズにデルフリンガーが声を掛ける。
「なんだい、やっと相棒戻ってきたと思ったら。またぞろ喧嘩でもしたのかい。お前さんたちしょうがないね」
「あいつが悪いの。あいつ、あんたもわたしもどうでもいいのよ。人の気なんか関係ないんだわ。どんな風に心配したかなんて思いもしないのよ」
「そりゃ相棒も悪いや」
「多分、あいつ喧嘩したなんてまるで思ってないわ。ど、どうせ……わた、わたしの事なんてなーんとも思ってないんでしょ。そうよ、そうに決まってるわ。心配したわよ! 悪い? 確かにわたしの勝手だけど、違うのよ!」
「おーおー、こりゃ一大事だ」
 シーツに潜り込むとルイズは涙声で叫んだ。
 この数日心配して、やっとほっとして。
 それでもちょっとくらい嬉しかった筈だったのに。
 最後の最後でブチ壊しだった。無神経だとか、そんなチャチなレベルじゃなかった。
 垣根の態度も性格もなんとなくはわかっている。
 あの垣根がわかるようにきちんと事情を話して謝ってくれるとまでは、ルイズも考えなかった。
 ただ、あの時。本気じゃなくたって構わない。それでも頷いてくれたらきっと。
 少しくらい信じて、許せるような気がしていたのに。
 現実はルイズの思うほどそう上手くはいかなかった。


*  *  *




 一人の主人が使い魔の事で頭を悩ませているちょうどその頃。
 トリステインの夜空を一組の主従が駆けていた。
 およそ三千メイルの高さを二つの月に照らされて、竜はまっすぐに飛んでいた。
 顔に似合わぬ可愛らしい声で、風を叩く翼の音にも負けないくらいの愚痴をこぼしながら。
「まったく。あの意地悪な従姉姫ときたらこんな時にお姉さまを呼びつけなくったっていいのね! 今日はやっと舞踏会の日だったのに。きっとわざわざ合わせてきたのね。でなきゃこんな夜になってから指令をよこさなくてもいいはずなのよ。ほんっとーにいじわるなのね!」
 一見ただの風竜だが、いくら賢いと言っても竜は口を利かない。
 すでに滅んだとされている伝説の幻獣、韻竜のシルフィードは青い鱗をきらめかせながらむくれる。
 当の主人は、そんな竜の首元に腰掛けてぼんやりしていた。
 いつもと変わらず無表情。風にたなびくドレスの裾など気にも留めない。
 そんな主人のかわりとばかりに使い魔はお喋りを続けていた。
「で? お姉さま今度こそ誰かと踊ったのね?」
 どこか訝しむようなシルフィードの声に、タバサは黙って首を振る。
 舞踏会の最中だろうとも、任務とあらばタバサはトリステイン学院を、国を飛び出し祖国ガリアのヴェルサルテイル宮殿へと馳せ参じる。そんな暮らしをしていた。
 タバサのそんな境遇をよく知るシルフィードはそれには文句はつけなかった。
 人目のないこの時にあれこれと話す方が余程大事なのか、そのお喋りが止むことはない。
「きゅい! またご馳走の方だったのね。すてきなごはんうらやまけしからんのね。でもお姉さまもたまにはお友達とか男の子と仲良くするのよ。気になる人くらいいないの?」
「そう? 強いて言うなら、使い魔の――」
「きゅい、きゅいきゅい! 待つのね」
 少し考えてから口を開いたタバサの言葉をシルフィードは大慌てで遮った。
 最後まで聞くまでもなく、人間で使い魔なんてものはあの学院にさえ一人しかいないのだから。
「きゅいきゅい! シルフィはあの人好きじゃありません。あんなおっかないのは反対するのね。お姉さま、ああ言う男の人がいいの?」
 首を大きく振ってから、シルフィードはちょっと心配になって背中の方を覗き見た。
 タバサが口にしかけた桃色髪の少女の使い魔。あの人間の男の子は何度か見ていたから シルフィードも知っていたし、使い魔仲間の間でもちょっとした有名人だった。
 決闘して負けた主人の事で土竜と話をしたりもした。
 学院の生徒達と比べても見た目も強さも充分だろうあの少年だが。
 それだけで大事なお姉さまのお友達候補に出来ない、気になる所があった。
「違う。彼は強い。それが気になるだけ」
 きっぱりと否定したタバサは続いてシルフィードに尋ね返す。
「彼のあの力は『先住魔法』?」
 そうタバサが水を向けたのはつい先日の盗賊退治の一件での事だった。
 あれがなければシルフィードだって、物静かで大人しすぎるタバサが他人に興味を持った事を素直に喜べたかもしれない。
 しかしあの時目の当たりにした、少年の不思議な力がシルフィードにそれを許さなかった。
 背筋の鱗がぞわっと逆立ちそうな感覚を思い出して、シルフィードは翼で一際強く風を打つ。

 あの時少年の背中に現れた羽は翼人のような亜人のものとはまるで違った。
 大きく伸びて巨大なゴーレムを打った翼には、シルフィード達が親しんでいる力の気配が感じられなかった。
 タバサ達メイジの扱う『系統魔法』ともどこか違う。
 その異質さが、シルフィードの野生の勘に警鐘を鳴らせたのだ。

 シルフィードがちらっと後ろを伺えば、返事を待つ主人の顔はいつになく真面目そうだった。
 あまり構ってくれないタバサが自分の話に真剣に取りあってくれているのはシルフィードとしても嬉しい事だった。
 何より、いつものように本が手の中にない。
 それに少し気分を直してからシルフィードは口を開いた。
「違うのね。お姉さま達がそう呼ぶ『精霊の力』とは全然違うの。火でも水でも世界のどこにでもある『精霊の力』をシルフィ達はちょっぴり借りてるけど……あの羽根はそんなのじゃないのね。『精霊の力』でも人間の魔法でもない、世界にそんなものがあるなんて古い古い風韻竜の昔話にも出てこないのね」
 物知りで賢いタバサがシルフィードに話を聞くなんて、何だか普段と逆になったようで。
 シルフィードは得意げに鼻を鳴らした。
「そんな風韻竜の見解によればー、きっとあれはお姉さま達の魔法なんかよりもっと『大いなる意思』に逆らうようなものなのね。そんな人とのお付き合いはシルフィ簡単には認められません」
「だからお付き合いはしない。でも、彼はどう言う人間だと思う」
 お付き合い、はきっぱり否定してタバサは更に意見を求めた。
 それにシルフィードは数少ない、あの少年と接した時の事を思い返す。
「まあ……ドロボウ追っかけるのに最初に乗せてあげた時はシルフィの事とっても褒めてくれたのね。シルフィはおっきくて立派できれいな竜だって。すごいって言ってたのね。ふふん、古代の眷属の偉大さがわかってるのね。なかなか見る目あるのね」
「なら何故嫌うような事を言ったの」
「シルフィも悪い人って決める訳じゃないけど。でもおっかない羽が出るからやっぱ嫌なのね。それに、怒ると飛び切り怖いタイプに違いないのよ。やっぱりよくありません」
 お姉さま、などと呼びながらも遠慮なくシルフィードは言い切った。
 友達も、話し相手も少ないタバサは何かあれば、いや何もなくたってすぐ本へ向かってしまうからこんな時くらいズバッと言ってもいい。
 そんな顔をしていた。
「もうちょっと他に、お姉さまにふさわしい人はいないかしら。そうだ! ギーシュ様だってハンサムなのね。女の子にも親切みたいだし。ギーシュ様は?」
「ばか」
「うーん、そうなのね。ちょっと頭がゆるくてらっしゃるわ。でもお姉さまが頭カチカチだからもしかしたら丁度いいかもしれないのね?」
「私が?」
「そうです。おまけに顔もなんだかコチコチなのね。たまにはにこっとしてみるのよ。そんなんじゃ素敵な殿方にあってから困る事になるのね」
「……必要ない」
 短い返事を返すタバサの顔は俯いてしまって見えない。
 それでもシルフィードはいつものように明るく楽しく喋りながら、ガリアへ向けて風を切った。





=======


2/3です
きゅいきゅいがデスノー、かナノヨナーになりそうになる



[34778] とある盤外の折衝対話
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:c6ea02e3
Date: 2014/01/10 14:18


――

―――

行間
「とある盤外の折衝対話ダイアローグ

―――

――



……




 照明の無い室内。限られた光源は無数のモニタ、ボタン、計器の示すランプ。それらによって瞬く電子の明かりはさながら星空のように辺りを照らしていた。
 演算型・衝撃拡散性複合素材カリキュレイト=フォートレスのビルの中。
 広大な室内の四方の壁を埋め周囲を照らす機械類、その中心部に位置する巨大なビーカーに浮かぶのは学園都市を手中に収める統括理事会理事長。アレイスター=クロウリーその人だった。
 男にも女にも、大人にも子どもにも、聖人にも囚人にも見える緑の手術着の『人間』は、相反する性質を同時に垣間見せるその容貌をほんの少し。ほんの少しだけ物憂げに歪めていた。
 アレイスターが掌握している、学園都市の情報網の目を突いて。この『窓のないビル』に直通で割り込んできた一本の通話回線――発信元はどこかの携帯電話――がその原因だった。

『さて。今夜はいい夜だ。もう少しお喋りに付き合ってもらおうじゃないか』
 電話口の通話相手はゆったりとした口調で続けた。
 アレイスターの返事など待つつもりもないようだった。
『もう疾うに地平に沈み見えなくなっているが、月に並んだ宵の明星は見事だったろうな。今の君のお気に入りはそれよりも、より太陽に近い水星のようだが……やはり今の私としてはあちらの方がより親しみを覚える』
「創造と観察。芸術と、それに相対する科学か」

 西洋占星術における金星は金牛宮と天秤宮の支配星であり吉星。財産、愛、芸術を示し、女神の名を冠す事からその惑星記号は女性を示すシンボルとしても用いられる。
 また、生命の木において金星は『ネツァク勝利』に対応する。
 第七の天球『ネツァク永遠』とは能動の『慈悲の柱』の最下部に位置し、物質界もしくは『アストラル界』と呼ばれる人が外界へと力を行使する階層の最下の三つ組の一端にあたる。
 愛と美の女神ヴィーナスに象徴されるその働きは努力とは無縁の容易さ、また本能と感覚に基づく生命活動の輪、永続性に喩えられる。
 九つの天使の位階においては『力天使ヴァーチュ』が、魔術的イメージは『美しい裸の女性』がこれにあたる。
 生命の木の上では『ネツァク』は『隠れた知性』と創造性でもって抽象的な力に活力を与え、影響を及ぼす為に必要な働きを担っている。

 西洋占星術における水星は双児宮と処女宮の支配星であり吉星。流動性、通信、交通を示しその惑星記号はカドゥシャス――ヘルメスの杖――で表される天体である。
 カバラ思想の根幹、生命の木において水星は『ホド反射』に対応する。
 第八の天球セフィラホド栄光』は受動の『峻厳の柱』の最下部に位置し最下の三つ組の一端である。
 トート、ヘルメス、マーキュリー。これら神々と深く関わる天体の性質と等しく『ホド』は情報の伝達、知識の獲得と分配の役割を担う。
 九つの天使の位階では『権天使プリンシパリティ』が、魔術的イメージには『両性具有アンドロギュノス』がこれにあたる。
 生命の木の上では『ホド』は『絶対的知性』と意識的な過程で力に具体的な形を与え、それを振るうに充分な理解と現象の操作に必要な認識の鍵を担っている。

 エイワスによって皮肉げに示されたその天体の関係性は。
 生命の木での象徴に合わせ、丁度魔術と科学と言い換えても差し支えなかった。また両者の織りなす形質はその本質を異にはしない。
 そしてそれは、太陽ティファレトに対する水星ホド金星ネツァクの関係性。第一位と第二位の位置づけにも当てはめる事が出来た。
『そうだな。そして、それだけではないよアレイスター。つい先程面白い話を耳に入れてね。それに関わる君の大事な「プラン」の筆頭について話しておきたい事もある。こちら、、、の「第一候補メインプラン」とは会う事も出来たが、「第二候補スペアプラン」はその前に「回収」されてしまったからね。彼にまつわる情報は余りないのだ』
 先程その『第一候補』を自らの翼で平らげたばかりとは思えない様子で金髪の異形、エイワスは告げた。
「『未元物質』の事か」
『ああ。彼、垣根帝督にはそれなりに興味がある』
 その能力強度でみれば、確かに貴重な超能力者レベル5だが、アレイスターの優先順位は随分と違っている。
 『プラン』の本懐を遂げるべく組み込んだ、それぞれに敷いたレールの内。
 アレイスターの望む形で理想的な手順でその上を走るものは限られている。
 特に上位においた第三位、第二位、第一位であってもそれは変わらなかった。
 彼らの有用さは他の能力者と比べるまでもないが超能力者間のそれぞれの差と役割の前には絶対的な隔たりが存在している。
「あれは確かに良い器だ。人の身に余る力、それを振るうに足る可能性を秘めている。必要な素養は持ち得ているが……しかし逆に言えばそれまでだ。仮にそこまで伸びたとしても更なる高みへ届く事はないだろう。精々がその頂までだ。それでは存在を映すに過ぎない受け皿。頂を識る事は出来ても至る事は到底叶わない。あれには足りないピースが多すぎる。そんなものをあなたが気に掛ける理由が私にはわからないのだよ」
 アレイスターの内に浮かぶ明確な疑問。
 あの位階に達している存在が心を砕く程の価値があるのか。
 それほどの何かがあの『未元物質』にはあるのだろうか。
『「第一候補」になる理由は何があるんでしょうか? 二位じゃダメなんでしょうか』
 突然、間抜けな口調で言ってから電話口でエイワスは笑った。
 その異様さにアレイスターは彼にしては珍しく面食らう。
 久方ぶりに対話をかなえたかの聖守護天使――或いはシークレットチーフとは、こんな軽口を叩くものだったろうか。
 予想に反するイレギュラーに。
 アレイスターは自らの思考プランを狂わされるのを感じていた。
 彼相手にそんな事が出来る相手は世界にそう存在しない。
 言葉を失うアレイスターに、エイワスはとりなすように続けた。
『冗談はさておき、垣根帝督の何が一体君は気に入らないのだね。かつての君ならあの物質の価値はもっと高くつけたんじゃないかと思うが。今の君は科学により過ぎている嫌いがないか』
「エイワス、私はあなたがそうも垣根帝督に注目する理由を教えてもらいたいのだよ」
 アレイスターでさえ未だ及ばない『道を知る者』であるこの存在が一体何を見出そうとしているのか。
純粋な、興味があった。
『そうだな。垣根帝督の示す素養の一つ、その能力は名前からして愉快だ。付けたのは誰だ、彼自身か研究者か。どちらにしても実に皮肉めいている。
「宇宙空間を満たし、人間が見知る物質とは反応しない」とされる暗黒物質ダークマターの名で「かつて微粒子間を埋める微細な存在とされた物質」であり「宇宙を満たし『永遠なる光の一点』の性質を示すもの」を基に発生する「人智を超える新たな物質」を表そうと言うのだから。
人に許された器の領域のほとんどの機能を使って、あの「未元物質」は地上へと降ろされているのだろう。それを扱う垣根帝督もまた、それに必要な多くの性質を備えて生まれている。あの「第一候補」と同じようにだ』
 魔術師であったアレイスターにすれば取るに足らない既知をエイワスはわざわざ口にした。
 それを再認識させる事が重要だと。
 そこに価値があるとでも言いたげに。
『後はほら、名は体を現すと言うだろう。「周囲を取り巻きその範囲を限るもの」の「物事の本来の性質」を「中心となり率い」「取りまとめる者」と言うと、垣根帝督のあの大仰な名前すら実に似合いだとは思わないか』
「それは流石に言い過ぎじゃないか」
『そうかな。「神浄の討魔」も大概じゃないか? 別に私も本気で言っているわけじゃないぞ』
 思わず失笑が洩れる。
 しかしエイワスの真意、本気など測りようもない。
 数少ない、アレイスターが御する事の出来ない存在がこの対話相手なのだから。
「だが、やはり彼らは比べると不完全な『未元物質』では不足しているものが多すぎる。『一方通行』なら供給さえされればその後の調整と最適化は自身で補う事が出来るが――」
『実際触れてみて、あれは実に優れた能力だと私も思う。知識を、情報を集積するだけではない。適合し、増幅させ、コンジャクションにおけるあの象徴の、天体の質さながらにそれを振るう。まだその本質には及ばないが彼は現段階にふさわしい働きを充分こなしている。
だが不足を指摘するなら、彼らにはそれぞれ足りていないものがあるだろう。能力を扱うソフトの面の問題がまずそれだ』
 一体何がそこまでさせるのか。
 両者を比較し、エイワスは改めて『未元物質』の有益さを示したいのだろうか。
 回収した『第二候補』に現段階でそこまで意識も力も割いていないアレイスターにすれば実に不可解だった。
『「第一候補」の持つ力は畏怖の象徴であり力を備えた智。しかし、未熟なそれは滅びを齎すだけの破壊であり能力の持つ価値を現せなかった。身勝手なだけの力は他者を傷つけ、抑圧と破壊を繰り返す事だけに使われた。
そうして周囲から隔絶され、有益な実験動物として繰り返された実験は彼から情熱を奪い目標すら見失わせる。自己防衛機能としても無感情に固まらざるを得ない思考ではとても自ら現状など動かせないからな。こちらの方は、後から多少修正させる事が出来るようだが……まだそれも充分ではない』
 惜しんでいるのか、愉しんでいるのか。
 どちらとも取れない声音でエイワスは続ける。
『「第二候補」の可能性は発展と恵みを齎す創造だ。しかし、こちらも同様に真価は発揮出来ないでいた。能力者としては素晴らしい成長を遂げても、定められた線は決して越える事が出来ないのも彼が背負った業の一つだ。それは彼を増長させ、自らを悪の道に貶める。留まる水はいつしか濁り、安定した環境は淀んでいかざるを得ないものだ。
そんな彼はいつしか望みを叶える手段すら奪われた。そして超能力者として育まれた彼を抑圧し押し止めるものは存在しなかっただけに、出来上がったのは時にその剥き出しの感情に支配されかねない。バランスを大きく欠いた危ういものだ――と、まあ恐らくはこんなところだろう? 
私とて仔細を完璧になど把握してはいないからね。他方に寄ったただの推察に過ぎないが、そう遠くはない筈だ。ここまでは定石どおりだろうからね』
 無言でアレイスターはエイワスの話に応じる。
 その通り、現状は描いた『プラン』の範囲内だ。
 イレギュラーな現象も有利に活用する事で計画の修復ははかれている。
 超能力者の成長も、招いたあの右手の働きも、周囲の勢力との緩衝も。
 一切はアレイスターの手の内にある。
『元よりバランスを欠いた彼らの事だ。いずれ陥る状況などそれと知っている者には自明の理と言った所だろう』
 そういって示されたのは第一位第二位それぞれの、一つ上の階層において。著しく均衡を欠いた時生じるだろう不具合。
 柱の移送を同じくする彼らにも充分あてはまるその理は、今の状態もなぞらえたように重なっている。
 事態は、予め描かれた図面の上を規定に沿って進んでいる。
 この存在にとってそんな事はわざわざ検めるまでもない筈だ。
 しかし、エイワスは語る事を止めなかった。
 一体何に、そうまでさせる意味と価値を見出しているというのか。
 アレイスターには到底理解が及ばない。
 さながら鬼札。
 アレイスターの手にすら余る、その存在の声が言葉が。
 示すもの一切がゆくゆくは障害となり得る可能性に。
 アレイスターでさえ、感じる事の久しい危機感と焦燥が意識の端に上るようだった。
「何が可笑しい」
 唐突に忍び笑う声が響いた。
 それにアレイスターの声が揺らぐ。
 喜怒哀楽のどれともとれる、普段の様子よりは明らかに苛立ちが滲んでいる。
 まるで今、その存在を思い出したかのように。
 エイワスは少し遅れて叱責の声に応じた。
『いや、そうか君にはわからないのだったな。済まない、こっちの話だよ。少々愉快な事になっているようでね』
 まだ震える喉で。
 厳密にはそこから発声しているのかも怪しいが。
 その口でどこか懐かしむようにエイワスは語る。
『ある少女の話だ。縁と言うのは奇妙なものだな。彼女がこちらの界に影響を与える確率は極めて低かった。占める要素の多くが結びつかず、条件が揃う事も無い。しかし、その一切をはねのけて幾百幾千の可能性の中から彼女は今回彼を選んだ。それこそ気の遠くなる確率の内からだ。確かに、あの時において新たな楔は打たれたのだ。かつて蒔いた種がこのような形で芽吹くとは、私ですら思いもよらなかった』
 それを聞いたアレイスターの思考にノイズが混じる。
 発信元の座標を視界の端で改める。
 恐らくは同じ空の下、学園都市にいるのだろうにその口ぶりはまるで。
 異国との時差を気にするような調子は、異なる次元にいるようなものだった。
 その違和感を、アレイスターの思考を後押しするように言葉は続く。
『そうだ。世界が、時間が一つの線であるとはまだヒトは証明出来ていないだろう。そこかしこ、その途中に穿たれる「釘」についてはこの街でさえまだ研究中だった筈だ。そのどれを選び進むのかは時に理解も、そして予想すら超える』
「待てエイワス。あなたは一体何を、誰と話しているんだ」
『最近の携帯電話と言うものは便利だな。同時に複数の相手とも会話が出来るんだろう? それと同じく私が意思を交わす相手は何も、今こうしている君だけではないのだよ。私を何だと思っているんだアレイスター。
ヒトのように肉の器には本来縛られない属性を持つ私のような存在が何時いかなる時も、人の呼びかけに応じる事を可能としているのはとうに承知のはずだろう』
 アレイスターに語りかけながら、どこかの何者かと情報を共有していたと明かすと。
 エイワスは自慢げにその一端を示した。
 丁度、かつての接触と同じように。
『君にも少し話しておこうか。そうだな、あちらではそれも必要なくなる……かもしれないぞ』
 そうエイワスの音声が届くと同時。
 アレイスターの眼前に浮かぶモニタ内の映像が切り替わった。
 そのうち一つに、冷蔵庫のような大きな機材に併設された装置が映し出される。
 そこには先日回収された試料が収められている筈だった。
『もちろんこの「垣根帝督」も面白い成長を見せた。第一位との接触、あれだけの情報で未開だったその役割を識るのだからな。あちら、、、はその点少々歪だが将来的には君の「プラン」進行と照らし合わせればあの段階では充分過ぎる程の成長を遂げるだろう。軸を揃えるなら君の『第一候補』はまだ制御領域の拡大クリアランスすら未取得の筈だ。上手く運べば「スペア」では無く「セカンド」としても務まるかもしれないな。今ここの君に教えてはやれないのが残念だが……何、すぐアレイスター=クロウリー、、、、、、 、、、、、の知るところとなるさ』
 至って軽い口調で。
 問題はないとそう口にするエイワスだが、アレイスターにすればただ事ではすまない。

 垣根帝督と言う要素の辿る道は予め決まっていた。
 時期に多少のズレこそ生じるかもしれないが、直接交渉権を餌に第一位とぶつければ無事でいられない事など分かりきっていた。
 実力、能力、条件の差ではない。
 『未元物質』と『一方通行』の差は結果としてそうなるよう組み上がっている筈だった。
 それを覆す。
 そんな想定はアレイスターとてしていなかった。

『あの垣根帝督も、また彼だけではない。彼らが、いや誰もが蝶の羽ばたきで全体論を揺るがす可能性を持っているか。存外、人間とは興味深い。実に面白い。君が軌道修正に腐心する間、私は精々愉快に見物させてもらうとするよ。あの可能性も興味深いからな。彼らが事を知る前に潰えてしまわれては楽しみが減ってしまう』
「いやに饒舌だなエイワス。再び、かつて得た知識について享受賜るとは思ってもみなかった」
 エイワスの示唆した可能性が、実際どれほどの影響を与えるか。
 その確実性はない。
 現段階で垣根帝督は機材で延命しなければならないような肉塊にまで追い込まれた。
 その事実は変わらない。
 それでもアレイスターは、一片の不快感を確かに覚えていた。
『不満そうだな。アレイスター。君の思うよう事が運ばないのがそんなに気に食わないかね。大きな流れは変わっていない、そうだろう? 
巻き込み、捻れ、歪に組み合いながらも降りてくる大局はまだ君の手にある。偶発性の生むイレギュラー、その意外性と愉快さとを楽しまねば。そこから沸き起こる計画外の教えこそ価値ある成長のチャンスだと言ったろう。
芸術に計算し尽くされた美が備わり、精緻な美の比率の存在は科学で解けたとしても。感動を数値化する事は無粋だ。美はそれらを超えた所にある。
観察する科学と生み出す芸術。両者の不断の絆もまた君のよく知る所だろうに。やはりかつての教えなど風化してしまったか』
 アレイスターに望む知識と実現への術を授けた存在は、まるで無知な子どもにするように噛んで含めるように語る。
『しかし君の見せてくれるものは面白い。は良き教え子であり良き導者だったが、その望みは安定と繁栄だったからな。その点、君の欲するものはより私好みと言って良い。こうして再び言葉を交わせる事を嬉しく思っているよ。だが、わざわざこうしてここにいるのだから限られた時間は有意義に過ごしたいと思っている。私が欲するものがあるとしたらそれは退屈な眠りでも、馬鹿げた崇拝でもないからな』
 かつて教えを乞うた身でもある。
 アレイスターはその言葉を黙って聞いていた。
『人為的なケテルへの接続、人工的な『流出』の再現が適えた人為的な原石の発現、と言って外れていないだろうかね。能力者の開発、一先ずの君の目論見は至って順調らしいな。おかげで私もこうしてここに現出出来ている。「無限の光」の中で生じる「最初の顕現」が「原初の未顕現」へと存在と言う結晶を結ぶ観念に関しては、その指標が例え甘くても塩辛くても、現象にその在り様に大きな違いはないからな』
 あの第一位にも同様に、自らのその存在について示したらしいが矢張り言葉が足りず伝える事が出来なかったのだろう。
 その本質を知るには人間は困難な道を征かねばならないのだから。
『だが、君の「プラン」の前ではかの「知識」でさえもさして重みはないのか? あの鍵を得れば界の、次元の書き換えも可能だろうが、それすら過程とするなら君の目指す先はまだ期待を裏切ってくれそうでなによりだ』
 アレイスターのプランにまつわる要素を、何とかヒトの言葉で。
 言語としての枠の中で乱れ、散逸しない程度に置き換えながらエイワスは続ける。
『未顕現の光の器、「智恵」と引き換え隠された「知識」。失われた園の鍵、ヒトの人の子たる所以。かの珠玉を君はどこに示したのだったか。東洋贔屓は相変わらずかな。
「第三脳室」、間脳、生命の最小単位になど細分化して、後に残る哀れな総和と座標系の傀儡は――行く末など聞くまでもないか』
「言われるまでもなく有用な資源だからな。きちんと有効利用はしているはずだ」
 人間の、生物のうちヒトのみが至る事の出来るだろう可能性。
 それを知るためには、人間の定義さえ新たに線を引く必要があった。
 意志と五体を備え、その構造によってミクロからマクロへと力を反映する事の出来る存在。
 開発可能な能力者、そもそもの人間の条件を明らかにする事が必要だった。
 学園都市の能力使用に演算は不可欠だが、考えるだけなら残りのパーツは不要とさえ言えるのだから。
 その研究はあちこちで行われた。
 実際に脳を切り分けどこに何が宿るのかを調べていた者も居た。
 その結果生じる不要なものの処理さえ、アレイスターは承知している。
 それに改めて目を向ける事を効率的だと思えないだけだ。
『魔術の側で大きな影響力を持つ十字教。彼らの掲げる「聖人」でさえあの「神の子」を目指した末に見出した模造品に過ぎない。
確か君らの口にする「神」とは、その姿を現さないのだったな。無事にまみえる事が適うのはごく限られた存在だけだ。だが、「神の子」は違う。ヒトの間ではそうだったかな』
 その問いかけに。
 アレイスターはかつて得た知識を思い起こす。
 容易く人の間に現れ大いなる力、その御業を振るう者として優れた器。
 長く、数多く伝わる話の内に僅かでも真実があるのなら。
 あれもまた、恐らくは人間だった。
 磔、打たれ刺され、そして一度は命を落とした。
 神に愛されたヒト。
 かつて一人の魔術師として確かに名乗ったものであれば、それに興味を抱くのは当然だった。
『それが魔術では為し得ないと悟っても実行できるものがどれほど居るか。君らしい、冒涜的な意志の現れだよ』
 
 魔術は。
 そもそもが力を持たないものが、力を持った者に近付く為に拓いた道だ。
 その最たる例、手本の一つが『神の子』だった。
 だが、そこが魔術を選んだヒトの、一つの到達点だとしたら。
 単なる模倣では『神の子』の得た力の先へとさらに進む事が適わないのも、仕方のない事だった。
 生まれ持った素養の違うものでは、いつまでもそれより先へは進めない。
 
 僅かな感慨に耽るアレイスターに掛けられたのはまるで出来のいい小さな子どもを褒めるような言葉だった。
 策を弄しを思索を巡らせ、長い時間を費やして計画を進めるアレイスターでさえ未だ辿り着かない場所。
エイワスが持つ絶対的な優位、その立ち位置は変わらない。
『……カブトムシ?』
 ふと。
 そう呟いたエイワスは電話口だという事も、アレイスターも構わずに笑いだした。
 どうやら先程言っていた、どこかの何者かは。
 人工的な界の創造によって形を維持し一時的な現出を可能にしている存在さえもまるで、意志と感情を備えた人間のように笑わせる程のニュースを知らせたらしい。
『ははは、はっはっは! 何だ、やはり面白い。実に興味深い。なるほどいいカードを切ったじゃないか! そして手順は極めて正道、先達の慣習も踏襲出来ている。地上に一度足を降ろした者は、その衣を捨てなければその先、、、へは進めない。彼はどうあっても与えられた役割にそって上手にこなしてみせるようだな』
 少しの間堪えきれないらしい声を洩らし続けるとエイワスは満足げに喉の奥で笑った。
そして再び口を開く。
『さて、君の『プラン』に沿って順当に行っても垣根帝督が「スペア」などと言う器に収まっているかは時間の問題だろう。上手く使う為にはもう片方との釣り合いも必要だな。何事も中庸、均衡、それらバランスがなくてはならない。
いずれにしても君は、あくまでまだである彼らに随分と無茶をさせたいらしい。まあ彼らにはそれだけの手間を掛ける必要も価値もある。まずは速やかに、場と器を整え新たな意識を最適化させない事には次の段階には進めない。集められた光が焦点を通るのはそれからだ。
しかし、君の示唆したやり方があちらとそう変わらないのならば。kzil帳pvglを過ぎて浴びる光は未熟なpvnlmlml意識には強すぎる。異化と同化を正しく作用させ、まずは彼ら自身をnznlif事が最初の段階か。でなければあっさりとhlmlnrdl裂pfplglmr』
 エイワスの言葉が急にブレ、乱れる。
意味不明な音が割り込むような現象が通話中の音声情報をジグザグに引き裂いた。
だが、ヘッダ、無意識下の先天的構造領域の不足から生じる対人間への言語伝達不全とはどうやら様子が違っていた。
『おっと失敬。少し混線しているらしい。あちらの影響が抜け切れていないな。何、事態としてはただのテムラーAThBShの筈だ。君ならよくわかるだろうがね』
「言われずとも承知しているが。音声になると些か鬱陶しいものだな」
『かと言って気にする程でもないだろう。だがこちらとすれば厄介だよ。ただでさえこちらはヘッダが足りない。わざわざソースを開示し情報を与えるなんて事も容易には出来ないのだから。その上更に手間が増えては対話の価値も充分に楽しめない』
 それが残念だと言わんばかりに、エイワスは溜め息まで吐いてみせた。
矢張りアレイスターにはその意識が理解出来ない。
重視する要素も優先すべき事柄も何も。
エイワスの視線の先にはアレイスターの考えも及ばない、知りえないものが映っているに違いなかった。
その、、垣根帝督もゆくゆくは力動の作用点としての働きは充分に果たすようになるだろう。予てからの役割にも沿う傾向の筈だが……簡単に変容作用の原点たる「神の刻印」を見失うような事があればまだまだかもしれないな。その辺りは今後に期待するほかないだろう。彼に限らず「自己」探求の旅とは。手段は簡略化されお手軽にゲートウェイすら叶う時代とは言っても、古今人間とは全く人らしい道を選ぶものだ』
しみじみと口にするその響きは案外人間への興味が溢れているのかもしれない。
だが。
上から見下ろすものにすれば、力ない小さなものが挙って這い回る姿などほんの暇つぶし。
下らない一興に過ぎないのだろう。
『それは彼らも、また君でさえ変わらないのだろう。かつて君が意思の変化の為に求めた技術、、はどちらもトートの域にあるものだ。それはまるで血を分けた兄弟のように近しく、その性質ゆえにどちらも同じ力を求めている。例えば。水車を回すには水が必要だな。そしてその新たな水を得る為の水脈を示した地図はいずれ両者どちらの手にも渡るようになるだろう。おっと、これはにはまだ早すぎたかもしれないね』
 愉快そうに付け加えられた言葉に。
アレイスターは苛立ちなど最早感じていなかった。
『未元物質』のかねてからの、そして未だ発展途上のその性質と与えられた役割などアレイスターは重々承知している。
それでも第二の位置を充てるのは拡張性と利便性で劣るからだ。
幅と威力は確かに膨大だが、却ってあの特性は扱いづらい。
「その『未元物質』だが。そのまま扱うには単純に効率が悪い。プランの短縮を図り最適化を可能とする『第一候補』の方がコストがいい。他の作業と絡め、平行して使う事も出来るからな。それが私の理由だ」
『何も第一位を評価していないわけじゃない。ただ、第二位も放っておくには勿体無い気がしないか。確かにあれは持て余しそうだが』
「あなたの言うようにゆくゆくは上手く使われてくれるのなら有り難いよ。質問には答えた筈だ。お喋りとはこの辺りでいいのか」
『ああ、そうだな。では一つ提案しようか。君の「プラン」にのっとるなら「風斬氷華」「打ち止め」「一方通行」を用いて「三位一体」とするやり方もあったろうが……「一方通行」「未元物質」そして私でその三つ組を為す、と言うのもアリじゃないか?
上手く釣り合いがとれる事が大前提だが。事態の発展を上手く八つ組オクターヴに乗せようとするならばどの階層、次元においても中央の軸がきちんと取れていればそう問題ないだろう。その点、私の応用性ときたら状況にあわせて対応可能だからな。それなりに融通も利くのではと思うのだが』
 エイワスの発言の突拍子のなさ、その余りの内容にアレイスターは言葉を失った。
 まさか自身の『プラン』にここまで干渉するような事態をエイワス自身が考えていたとは想像していなかった。
『おや、とんだ失言だったか』
「あなたの与える言葉がそう言うものだと言うのは承知している。優位な上で物を言うのはさぞや愉快だろうなエイワス」
『少々気分がいいからな、愉快なのは違いない。そんな事でらしくもなく浮かれていたとは、私ですら思いもよらなかった。彼ともまた話してみたいものだが……そう幸運も続かないだろう』
 ほぼ一方的に話し続けるエイワスの気はどこかそぞろだとアレイスターも気付いてはいた。
しかし、最早今ここ現状にはそれほどの興味を傾けていないらしい。

「私は使えるものは何であれ使わせてもらう。それがあなた自身であっても手を借りるような真似をしようとは思わない」
感情を滲ませて気色ばむ。
実にらしくない態度を示す『人間』アレイスターに『怪物』エイワスは事も無げに告げる。
『アレイスター。そう警戒せずともいい。私は見合うだけの価値のある事しか実行しようとは思わない。今のどの状態も面白いものだからな。いずれにしてもわざわざ盤外から手を出すと言う事にまでは興味も価値も感じない。ちょっと言ってみただけだ』
 名残を惜しむどころか挑発的にすら思える科白を口にすると。
 エイワスは掛けてきた時と同様、一方的に通話を切った。
『さて。それではアレイスター。また価値と興味が湧いたその時に』




■ * □




「残念だったな。あれはテメェにはやらねえよ」

「そうです! そのおまじない、ひいおじいさんのと一緒です」

「まさか虚無は、ゼロってのは……いや、ありえねえな。幾ら何でもそりゃあ出来過ぎだ」

「単なる者、小さきものよ。我はそれを伝える言葉を知らぬ。未だ理を知らぬ単なる者よ」

「ネズミ捕りなあ。ちまちま小物狩るってのは面倒臭えだろ」

「あら……あなたもこの子と同じなのね?」

「そう。『神の右手ヴィンダールヴ』」

「まったく世話の焼ける使い手だよ」

「よりによってあいつ、、、だと? ナメてやがるな……っつったく冗談じゃねえぞ」

「何故だ。何故、蛮人が、それもシャイターン悪魔の手の者が……いや、そのような事は赦されない。『大いなる意思』への冒涜だ」

「垣根帝督はテメェの思うような――いいヤツでも、ましてやヒーローなんかじゃないぜ?」

足りねえ、、、、っつってんだよ! クソがぁあああ!!」

「テイトク……あんた」


「言ったよな」

「俺の『未元物質ダークマター』にその常識は通用しねえ」



(span style="color: #FFf7D4")

『あの魔神は世界を終わらせ…いや、閉じる事を叶えたぞ。ふふ、君の反応と言ったらなかなか愉快だった。仮に想定済みだと言っても、そんな経験はなかなか出来まい。機会があれば、君も一度味わうといい』
「信じられない、と言う言葉はあなたには無意味だな。……まだ、あの右手がこちらにはある」
『「幻想殺し」、実に便利な力だな。能力者は未来を書き換え、魔術師は過去を読み解く。だがあれは、ヒトが手を加えた過去も未来も打ち消す』
「今ある形が世界の姿。それを保ち繋げるのがあの右手だ」
『正負も正邪もなく、数瞬前の過去を帳消す。ゼロ、基準点である彼には未だ選択の余地はないが』
「あの右手があればいかに未来の可能性を捻じ曲げようと、過去の伝承を汚そうとも構わない。全ては零に返るのだから」
『都合のいい修正機能だ。UNDOに留まらず、その役割をどこまで全う出来るかは彼次第か』



『君はある意味で邪法と呼ぶかもしれないが……人が可能とする単純で深遠なあの方法なら、君の欲する鍵を得るだけでなく現段階のブロックと先の行程の幾つかは解けてしまうんじゃないか?』
「はっきりと言いたくはないが。真逆『貧者の瞑想』の事ではないだろうな」
『そうだと言ったら何だと言うんだい。足りない物を獲得し、道を行くのが困難だと言うなら単純に手を増やせばいいじゃないか。何の為に人は不完全であり、完全な似姿だと言うのか。一石二鳥の案だと思うのだが。確かに問題も多い、実に多い』
「そう言う問題ではない」
『何だ、君も覚えがない訳じゃないだろうに。だが、実行して確実に成果が出ると仮定してもだ。その組み合わせは多岐に渡る。第一位などは単純に倍近い候補が考えられるだろう。それと、聞いた話だが固定化されないとそれ故に論争、、を生むらしいな。後、最近は規制もあるらしいじゃないか。それを踏まえれば現時点の学園都市では実行は難しいかもしれないがあそこxxxならあるいは……』
「……確かに、あなたの意見も最もだ。先入観や偏見を取り払い考えれば、帳尻を合わせる手段としては有効かもしれない。しかし、それをすれば今まで積まれたものが、集めたピースの全てが台無しになる。あなたはそうは思わないのか。かつてのやり方はもう改めたのだよ」
『アレイスター、繰り返すが私は見合うだけの価値のある事しか実行しようとは思わない。今のどの状態も面白いものだからな。いずれにしてもわざわざ盤外から手を出すと言う事にまでは興味も価値も感じない。ちょっと言ってみただけだ』
「あなたの事だ。有り得ないとはいえないだろう」
『ちょっかいを出すくらいなら自ら参加するよ。何、そう言った意味でも私は状況に応じて対応可能だ。折角変形機能もあることだし』
「たのむからやめてください」


「翼の数は七十二! ざっとテメェの十二倍だ!」
『反転「堕天形態ディジェネレイトフォーム」』
「……は?」


「こんにちは、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールさん。あなたの使い魔垣根帝督です」
「いやぁぁぁああああああ!! わたしのテイトクは?!」


「それはあれだよ。彼女は鈴科百合子ちゃんだ」
「んなのみてるかっつーの。気持ち悪い」


「かきねていとくよまたゆかいなオブジェになってしまうとはなさけない。またやり直しか? 君は彼ら以上に厄介で手が掛かるようだが、そろそろ見ていて飽きてきたぞ。イベントを追加するのではなくあちらの筋書きに手を加えるべきだろうか。いっそルートごと変える事を検討すべきかもな」


「バナナは嗜好品だからおやつの範疇って話があるみたいだけど……っつってかそっちってバナナあったっけ?」

「医者の仕事は患者の為に処置することだね? どうするかの決定権は僕にはないよ」



「こんなもんで終わると思ったら大間違いだっつってんだろ。ばーか」
(/span)

■ * □




「さてさて。暫くは退屈せずに済みそうだな。あちこちで大きく事態は動いている。舞台も役者も疾うに揃った。先ずは――ロシアか。あちらはまた暫く続報を待つ事になりそうだしな」
 溢れるような長い金髪を揺らし、エイワスは手の中の携帯電話を転がした。
 建設中のビルの端に立つ怪物は夜空を見上げる。
 視線の先にあるのは輝く月か、幾光年と離れた遥かな星か。
 それとも全く別の何かなのか。
 その表情からそれを窺い知る事は、恐らく誰にも適わない事だった。
「時代、思想、宗教、そんなものが幾度移ろうとも、根底に敷かれたルールはそうやすやすと変わらない」
 一度止めた足を再び前へと進みながら。
 まるで謳うようにエイワスは呟いた。
五芒星ペンタゴンが示すものは変わらない」
 眇められた目は変わらず中空に向けられている。
世界マクロコスモスに相対する人間ミクロコスモスの力の象徴に他ならない。そうだろう」
 誰にともなく発せられた言葉が夜風に紛れる。
 問うように。
 挑むように。
 嘆くように。
 心底、愉快そうに。
「さて。前座は終わり、いよいよ幕開けだ。楽しい楽しいショータイムの始まりだよ」
 価値と興味。
 単純な行動原理を掲げる怪物は両手を広げそう嘯く。
 その様は祝福を――或いは真逆の何かを――ヒトに与えんとする天使のようだった。



=======

二人とも解説してくれないから本文を少し足してみたがわかりやすさには繋がらなかった。
本編の本番で解説予定、今回ほぼ単語だけですが。
捏造設定のネタバレ部分を追加。今後も修正予定。
アインへ至る為のケテル生命の木の頂点が魔術師同様、アレイスターの描く人間能力者の最高到達点である。
と言うのが下敷きにある妄想でそっから都合よく枝を広げています。
15巻の黒翼と白翼の対比っつってか、最初のとっかかりはまんま翼と柱の色でした。
生命の木については筆者の理解がまるで足りていないので、表現もなにも噛み砕けていませんがご勘弁を。

禁書原作とは異なる今作独自設定です。大惨事必須既に痛々しく大火傷の感。
新刊いつ読めるか

チェックの甘さが嫌になるけど字数制限ないからスマフォえらい。とてもえらい



[34778] 17
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:1c779f28
Date: 2014/07/05 23:48




 港町ラ・ロシェール。
 トリステインから早馬でも二日ほどかかる、アルビオンへの玄関口とも呼ばれる小さな峡谷の町。
 その薄暗い通りを進み、更に路地を奥へと行った先。一角にたつ寂れた酒場は酔客の声で沸いていた。
 店内にひしめきあう男の顔はどれもまっとうな者とは言い難く、粗暴で荒々しい風体のものばかり。
 それもその筈、アルビオンでのいくつかの内戦を経た戦帰りの傭兵が揃って戦場の垢を落とすべく憂さを晴らしているところだった。

 そんな喧噪の中、隅の席に掛けていた客が深く息を吐いた。
 目深に被ったフードの下で苦々しく顔をしかめたのは『土くれ』のフーケ。
 久しぶりに『家族』に会いにアルビオンへと赴いていた彼女は、ほんの数日の帰郷を終えてトリステインへと戻る途中だった。
 急な行程だった為に航路は遠回り、少々高くつくフネを使ってしまった。
 一晩の宿をこちらで済ますつもりだったがそれにしてもお世辞にもよいとは言えない店だった。フーケも何も、路銀を少しでも安く済ませようとしている――だけではない。
 故郷の動乱をよく思わない彼女は、たとえトリステインにいる時も不穏な話題にはことのほか耳をそばだてていた。
 だが、現状をよく知るには現場の生の声を聞くのが一番に決まっている。
 先程から笑い飛ばされている話によれば、王党派の戦況は芳しくなくますます追い詰められているようだった。
 戦火の手がそこまで伸びるとも思えないがアルビオンのとある集落に身を寄せる家族の心配はフーケにとって未だ頭を占める問題だ。
(子どもたちを放ってはおけないが……せめてあの子だけでも安心して過ごせるようにしてやりたいね)
 フーケの頭にふっと今の仕事先の、そして上役の事が浮かんだ。
 彼女の、そして義妹についてまわる面倒な柵は多いが。あの男なら哀れな境遇の娘一人匿うくらいの伝手と力はあるかもしれない。
(いや! あの子を人目に――あのジジイの前に晒すような危険を冒してたまるもんかい!)
 魔法学院学院長オールド・オスマン。その姿を脳裏に描いたフーケはテーブルを叩くと大きく首を振った。
 もしも。義妹の抱える様々な問題を詳らかにしたとしても、あの老人は動じずにそうかそうかと頷くだけのような気がする。
 現に、フーケとして多くの悪事に手を染めたマチルダにそうしているように。
 煩雑な事情その一切に口を噤み庇護下に置きそうでもある。
 だがそれも、それはそれで困るのだ。
(あんのクソジジイ、テファにおかしな素振りをみせてごらん。男に生まれた事、後悔させてやるよ)
 今まで受けた散々な仕打ちを思い出したのか。フーケは自分の浮かべた想像に対してなんとも酷薄な笑みを浮かべた。
(まあ、学院なんて貴族、メイジの巣窟は無しとしてもだ。今後の事も少しは考えとかないといけないね)
 子どもたちにすれば慣れ親しんだ土地は離れがたいだろうが、この先、荒れていくばかりだろうアルビオンと比べてもトリステインやゲルマニアの方が余程住みよい筈だった。
(金さえあればゲルマニア、って手も前ならあったけど。今のあたしの身の上じゃやっぱりトリステイン一択になっちまうのかね)
 状況は変わり、パトロンが居るトリステインの方が色々と融通も利くかもしれない。
 義妹の事を思えば後ろ盾や備えは充分に用意しておきたいところだ。用心に越した事はない。
 そんな風に頭を悩ませるフーケにふと声が掛けられた。
「こちら、空いてるかね」
 すぐ隣の椅子を引いたのは何とも店に不似合いな、奇妙な風体の男だった。
 白い仮面で顔を隠し、黒いマントの下には杖が覗く。恐らくはメイジだろう。
 それも見るからに訳あり、と言った具合だが店内の傭兵どもとはまるで違う雰囲気をまとっていた。
 有無を言わさぬ男の言葉にフーケはひとまず頷く。
 と、連れらしい女が遅れてやってきた。
 真っ黒なケープのフードを深く被った女は、一度会釈を寄越したきりテーブルの近くに立つと、黙ってじっと二人を眺めるばかりだった。
「貴族様かい? こんな場末の店に、何の用だい」
「フーケと呼ぶべきかな。それとも慣れ親しんだ名の方がいいかね。マチルダ・オブ・サウスゴータ」
 その名で呼ばれるのは久しぶり、しかしついこの前にもあった事だ。フーケは訝しげな眼で男をみつめた。
「何なんだい、最近は落ちぶれた元貴族をこき使うのが流行ってんのかしら」
「理解が早くて助かる。マチルダよ、再びアルビオンに仕える気はないかね?」
 何をふざけた事を、と突拍子のない提案に息巻くフーケ。
 だが、男はゆっくり頭を振って見せる。
「勘違いするな。王家に仕えろなどとは言わんさ。アルビオン王家はじきに倒れるのだ、もし貴様がそれを望んだところでかなうまいよ」
「下らない戦のお陰かい? 空に浮かぶあの国の中じゃずいぶん派手にやらかしてるみたいじゃないの」
「ただの戦ではない、革命だ。古く無能な王家は、有能な貴族によって打ち倒される。アルビオンには新たな風が吹くのだよ」
 まるで酔った者のような言葉だが、男の声には確信めいた響きがあった。
 夢と描いた絵空事を、掲げた理想を現実に出来るのだと信じている。そして今、それは実現へと近づいているようだった。
「だとしたってわたしは関係ない事さ。とっくに貴族の名は捨ててんだ」
「我々の前にそれは無意味だ。家名も、国境さえ問わずただ一つ崇高な目的の為にある。ハルケギニアの為に集い、この世界の舵を取る。アルビオンはその足がかりさ。そんな我らの一員として、お前を迎えようと言うのだよ。マチルダ」
 とっくに捨てた名前に、フーケも未練などない。しかし、その響きはかつて父の負った役目と、今の自分のやるべき事を心の内に思い起こさせる。
「お前は選ぶ事が出来る。我々の同士となり、『レコン・キスタ』に自らの意志で仕えるか……」
 不意に言葉を切ると、仮面の男はちらりと後ろを盗み見た。
 その後をため息とともにフーケが引き取った。
「ここで死ぬか、ってとこだろう? でもねえ色男さん。わたしもそんな安い女じゃないのさ」
 袖の中からするりと杖を取り出すとフーケは挑発的に笑い返す。
「わたしの『錬金』とあんたの魔法。どっちが早いか勝負するかい?」
 『土』系統の初歩である『錬金』は詠唱が短く、ただ対象を土に換えるだけなら小難しい指定もいらない。フーケの得意とする呪文だ。
 目の前の男の杖が崩れるのが先か、フーケの首が落ちるのが先か。
 そんな緊張感が両者の間に走る。
 だが、男の後ろに立つ女は加勢の素振りも見せない。ひょっとしてメイジでさえないただの侍女なのか。
 フーケがそんな風に状況を見ていると男は大仰に肩を竦めた。
 後ろの女に小さく、わかっている、と囁いた。
「マチルダ・オブ・サウスゴータ。その命、今ここで俺が摘むつもりはない。だが、良い返事を期待しているぞ」
 明日また来る、と残して男は立ち去った。
 却って、その潔さが不気味だった。

「あちらさんは最初からこっちを取り込む気で来てんだ。当然外も、張られてんだろうねえ」
 今から逃げるのも厄介そうだ、と店の階段を上りながら呟く。
 フーケが疲れ切った顔で部屋にはいるなり、耳元から小さな鈴のような音が響く。
 小さなテーブルに置かれた水差しを手に取ると、中身をグラスに注ぎながらフーケは首を振った。
「はいはい。こんな時間になんだい。急ぎの用でないんなら後にしてもらえると嬉しいんだけど」
 指輪を嵌めた指を口元に寄せるとフーケはけざらない調子で応えた。
 こいつときたら、またどこぞで覗きでもしていたんじゃないか、と思うくらいのタイミングの良さだった。
『これはこれは。お邪魔じゃったかな』
 イヤリングの金具の擦れる音に混じって、先端に下がった薄緑の石からトリステインに、学院に居る筈のオールド・オスマンの声が発せられている。
 二組一対のアクセサリーに『伝声』の魔法が掛けられたこのマジックアイテムは、オスマン氏がどこからか手に入れたと言うもので。オスマンの駒として働くことになったフーケにはもってこいの一品だった。先に使う相手の精神力で動く事もあって、フーケの側から使うことは滅多になかったが。
 表向きは秘書と言う立場上、教師たちよりは自由に動ける彼女には玉石入り混じった雑多な情報の収集が通常の職務に足されている――と言えばそれなりだが、実際はところ構わない老人の無駄話に小遣い付きで付き合わされているのがほとんどで。
 迷惑なおもちゃがこんな風に役立つこともあるのか、とフーケは少しだけ感心した。
「まったく、おかしな奴から引き抜きの話があったよ。モテる女は困っちゃうわ」
 先ほどの話をオスマンに黙っている事もない、とフーケは男から聞かされた話を簡単に明かした。
 王家に恨みが無いわけじゃないが、彼らを亡き者にしよう、と目論む者たちに与する事よりも。今の状況を考えれば、そんな奴らに弱みでも握られない事の方が優先すべきに思えた。
 だから、何とかうまく立ち回らなければ、と考えていたのだが。
 オスマンの返答はフーケの予想を超えていた。
『おっほう! 随分いい話がきたようじゃな。いやぁ、流石は王都でならしたフーケと言ったとこじゃろうか。まだ断ってはおらんのだろ? 何、君は非常に優秀じゃから二足の草鞋なーんて楽々こなせる筈じゃ』
 手を打つほどの喜びようであっさりと。当然のようにレコン・キスタに入り込めと言ってきた。
 それも、あくまで彼女が付いているのはオスマンの側だと言いたげな口ぶりだ。
「あんたは! そんな簡単に言ってくれるけどね! あんなヤツらが、もしあの子の事を嗅ぎ付けでもしたら――」
 ダン! とフーケの拳がテーブルを打つ。
 今更、この老人に逆らえそうに無い事を。フーケはとうに実感してしまっている。いざとなれば、自分など投げ打つ覚悟だってそれこそ名を捨てたあの時に出来ているが。
 守るべきものの事となれば話は別だ。不満が、焦りが口を吐く。
 それを遮ったオスマンの声はなんとも静かだった。
『その心配は、まだ大丈夫じゃ。抜き差しならぬ状況ならまだしも、平時であれば常と変わらぬ暮らしを――彼女らを不要な心配など要らぬ平穏においてやるのが君の望みじゃろう? マチルダ姉さんや』
 見透かしたような物言いに。まるきり子どもを宥めるような調子にフーケの怒りも勢いを失う。
「……っ、わたしだって、あの子たちを不安になんてさせたかないさ」
『なら異論ないじゃろう? もしあちらで動きがあっても――中に居れば嫌でも耳に入る。それはさておき、こちらもちょっとした事件があってな』
「はあ。どうせあんたの前じゃ、わたしの首は縦にしか振れないんだろうさ。もういい、さっさと話を済ませてくれるかしらね」
『いい知らせと、悪い知らせどっちから聞きたいかね』
「……いい方で」
 やり場を失った憤りにげんなりとしたフーケは、今はない筈の眼鏡を指で直しながら返した。
『ゲルマニアへの訪問の折、アンリエッタ姫殿下がトリステイン魔法学院に行幸なさる事になってな。まあ王宮の考えなんてのは、ついでに気分転換させようって事なんじゃろうけど』
 いいニュースだと言っていながらあまり嬉しくなさそうにオスマンは告げた。
「それでは、悪い方のお話とはなんですの?」
『何分急な話じゃったし、歓迎の準備がこれまた大変そうでな。優秀な秘書がおらんのでますます面倒。ああ、こんな時ミス・ロングビルが二人おればこんなに楽な事はないんじゃが』
 オスマンの軽口に、覗きかけた秘書の顔がすっと引いてしまった。
「わたしゃ『土』メイジだからね。どっかの陰気なスクウェアみたいに自分そっくりの分身なんか作れやしないよ」
 なんなら今から帰ったっていいんだけど、と水を向けるもオスマンはきっぱりと断った。
「流石に、私のところには『一緒に革命起こしませんか』なーんてお誘いはこないんでのう。お前さんにしか出来ないんじゃから、そっちを頼む。学院は、実家の都合で長期休暇って事にしとくでのう」
「ああもう! やればいいんだろうやれば。スパイでもなんでもやってやろうじゃないの!」
『カッカするでないミス・ロングビル。余り怒ると小皺が』
「まだそんなもん出ちゃいないよ!」
 怒鳴って『伝声』での通信を切ると、フーケはくしゃくしゃと頭を掻いた。
 しばらくは学院に戻らなくて済むと思うと――あの学院長の相手をしなくて済むと思えば――ほんの少し気が楽だった。
「あいつ。本当にこっちの事をどこまで掴んで……それで? 一体どこ向いて、どこに付いてるんだろうねえ」
 オスマンは度々、大局を見据えたような事を口にするが。結局はトリステイン側の人間なのだと思っていた。
 だが。マチルダ・オブ・サウスゴータの事を知っていた事を思えば彼は他国ともなんらかの繋がりがあるかもしれない。アルビオン、ゲルマニア、ロマリア。或いはもっと別のどこかだろうか。
「テファ、姉さん頑張るから。大丈夫さ」
 血こそ繋がっていないが、妹のような子どものような存在。

 その柔らかなものを、その未来を守るためなら。きっと自分はなんだってできるのだ。

 心の内にかかる重みを確かめるようにフーケは呟いた。



*  *  *




 眠るルイズは夢を見ていた。
 その最中、ああこれは夢だ、と気付く事のあるそんな夢。
 わかっていてもそれはいい夢だとは限らない。
 今夜の夢も、そのようだった。

 幼いルイズは走っていた。
 生まれ育った屋敷の中を、中庭を、人目を避けて逃げ回る。
 後ろから追いかけてくるのは母親と召使。皆、魔法の出来ないルイズの事を嘆き、なじり、叱る為に探し回っている。

 どんなに叱られたって、魔法は出来るようにならない。どんなに望んでも、杖を振っても魔法は成功しない。
 今のルイズならわかる。それが何故かは、今だってわからない。

 夢の中のルイズは中庭にある池に向かっていた。
 唯一ルイズの心を宥めてくれる『秘密の場所』へ。
 元は舟遊びに使われていたこの場所も、時が経てばもう誰も気に留めなくなっていた。
 池のほとりに浮かぶ小船も、何か嫌なことがあればルイズが身を潜めるお決まりの隠れ場所になってしまっている。
 そんな風に毛布にくるまり、丸くなる幼いルイズと小船に近付く人影があった。
 立派なマントにつばの広い帽子。顔はよく見えないが、ルイズにはそれが誰かすぐにわかった。
「ルイズ」
 名前を呼ぶのは優しい声。ルイズを嫌な気持ちの底から連れ出してくれる、幼い日の憧れの人。
 それは、ルイズがまだ幼い頃にラ・ヴァリエールのすぐ近くの領地を継いだ、子爵に違いなかった。
 確かゆくゆくはルイズと結婚を、と父は彼との間にそんな約束を交わしていた。
「ほら、つかまって。晩餐会が始まってしまうよ」
 泣き顔をみられまいと俯く幼いルイズに手が差し延べられる。
 たとえ両親に叱られようとも彼はルイズを庇い、励ましてくれた。落ち込むルイズの指を温めてくれたのは頼もしく、そして優しい手だった。
 その手をとろうとルイズが立ち上がったその時。
「あ」
 突然の風が羽帽子を奪う。その下から現れたのは優しい子爵様などではなかった。
 そして、夢だからだろうか。ルイズも唐突に今の姿に成長していた。
 立派なマントを翻した少年は思わず引っ込めかけていたルイズの腕を強引に取る。
 きしりと小船が揺れ、静かな池に波がさざめく。
「来いよ」
 自信に溢れたどこかぶっきらぼうな声。
 ルイズが、掴まれた腕から視線を上へと上げると勝ち誇ったような笑みを浮かべる垣根の顔があった。
「俺のルイズ」
 そう言うと、垣根はもう片方の腕をルイズの腰に回すと抱き寄せた。
 あまりの事にぽかんと口を開けていたルイズは慌てて怒鳴り返す。
「だだだ誰があんたのなのよ!」
「お前は俺のもんだ。違うって?」
「ちょっと、離してよ! やめて!」
 振りほどこうとしてもルイズの細腕では垣根の力にかなう筈がなかった。
「うるせえ、ちょっと静かにしてろ」
 暴れるルイズの腕を離して。空いた手の平で膝の裏を支えると、垣根は軽々とルイズを抱き上げる。
 持ち上げられてぐっと近付く垣根の顔にルイズは思わず息を呑んだ。
 なんだかんだ言って垣根はかっこいい。
 すらりと背が高く、整った顔立ちに貴族の装いが見事に似合っている。
 まるで英雄譚の若い騎士のような今の姿はルイズの鼓動を早めるには充分だった。
「なんなの! もう、なんであんたなのよ……」
 真っ赤な顔で文句を言い続けるルイズだが、垣根は勝手なものでそんな様子など大して気にならないらしい。
 夢の癖に変なところで普段どおりなのが何だか余計にルイズの気に障った。
「困ったレディだ。何だよ、黙らせて欲しいのか?」
「え」
 そうか、と呟くと垣根は急に。にっこりと悪戯っぽく笑う。
「エロい事してえの?」


「ちょ、やだ、だめっ……そんな、こんなとこで……ふぇ?」
 ぱちん、と目を開けたルイズは暫く身悶えした後でぼんやりと瞬きをした。
 薄暗い、さっきまでとは違う様子が目に入る。
 そこはルイズの家でも懐かしい秘密の場所でもなかった。
「娘っ子、どうしたね」
 静かな室内にそんな声がやけに響いて聞こえた。
 びくッ! とルイズの肩が跳ねた。
 慌てて振り向くとルイズは口元に立てた指を添える。
 背後の壁に立てかけられたデルフリンガーをそんな仕草で黙らせると。足音を忍ばせてベッドを抜け出す。
 ルイズはそーっと垣根のベッドに近付いて中を覗いた。
 みれば、背中を向けた垣根は眠っているようだ。ルイズはほっと胸を撫で下ろした。
「そ、そうよ。ちょっと変な夢みたくらいで……気になんかならないんだから。だって使い魔よ? こいつは使い魔」
 そう。垣根はルイズの使い魔だ。わざわざ確認するまでもなく。
 見た目も頭もよくってなんでも出来そうなそりゃあオーバースペックな使い魔。
 ただ、肝心の中身に問題がありすぎてルイズにすればマイナス要因の方が大きいのだけれど。
 それもこの数日でちょっとくらいは上方修正されている気が、しないでもない。
 原因でもある事件の幾つかを思い出してルイズは小さくため息を吐いた。
 使い魔は優秀な方がメイジとしては鼻が高いし、ルイズだってそんな使い魔を望んで召喚したのだが。
 ルイズは何となくだが。垣根がこのまま順調に『頼れるかっこいい使い魔』になってしまっては困る気がしていた。
 そんな内心の複雑さを現すように自然と眉が寄る。
「なんなのよ。もう」
 ルイズはベッドの端に一旦座る。
 そうして腹ばいに身を乗り出すと手を伸ばした。手探りで垣根の頬を引っ張る。
 とても普段は出来ない真似だった。これは授業中など、それも垣根がよく寝ているのがわかっているから出来る、ルイズのちょっとしたストレス発散法だった。
 万一起きてしまったら、何て考えるのも恐ろしいがこんないたずらはリスクが高いからこそ面白い。
「ちょ、ま……う、粗挽きハンバーグが……れーぞーこにぃ」
 何やら意味不明な寝言と苦悶の表情を浮かべて垣根はぐしゃあ、とシーツを握った。
 どうやらおかしな夢をみているらしい。
 度々、垣根はこうして寝言を口にしたがルイズには何だかわからない事の方が多かった。
「娘っ子、眠れないのかい」
 様子を窺っていたのかデルフリンガーがそっと声を掛けてきた。静かにして、と伝えたのはちゃんと覚えていたらしい。
「ちょっと目が覚めちゃったの」
「ははあ。さてはお前さん何だかんだ言って相棒がいるのが嬉しいんだろ。んで、ちょっかい出してんだ。やあ、素直じゃないねえ」
「はっ? ちょ、なに言ってんの?」
 振り返るルイズに、何故か得意げにデルフリンガーは続けた。
「だって、相棒が出てった最初の晩、お前さん泣いてばっかでほとんど寝なかったろ」
「なんであんたが知ってんのよ!」
「俺あん時ベッドの下に転がってたもの。次の昼だろ、お前さんが俺を踏んづけたからって壁に起こしてくれたの」
「そ、そうだったかしら? でもそれ言うならあんただって泣いてたでしょ」
「おお。おかげであちこち錆びだらけよ」
 溜め息混じりにそう洩らすインテリジェンスソードにルイズは首を傾げる。
「あんたそれ、元からじゃないの?」
「いいね娘っ子! 相棒そう言うのあんま乗ってくれないんだよ。たまーに無視すんの。寂しくなっちまう」
 デルフリンガーは調子付いて楽しそうに返したが、ベッドの上で垣根が身じろぐと音も立てずにお喋りを止めた。
 一瞬で張り詰める部屋の空気。瞬きもせずじっと様子を窺うルイズの前を、天使が数人通り過ぎていくようだった。
 ふっ、と息の洩れる音がした。
「バーカ。クワガタなんか大した事ねえ、あっちのが百倍カッコいいっつってんの」
 どうやら垣根は得意そうに笑ったらしい、夢の中で。
「ねえ、わたしもさっき何か言ってた?」
「寝言かい? んー、起きてる時と変わんないと思ったけど」
 視線は垣根に向けたまま尋ねるルイズにデルフリンガーは呑気な声で答える。
 思案するように金具がゆっくりと鳴った。
「……どんな?」
「お前さんは大体いつも同じよ。『バカ』『だめ』『バカ』『やめてよね』後たまに相棒の名前呼ぶかね。寝ててもしょっちゅう怒ってんね」
 剣に眠る必要はないからだろう。
 いつも、と言ったからにはデルフリンガーは寝ている間の二人の様子もよく知っているらしかった。
「確かに、わたしはいつもそんな事ばっか言ってる気はするけど」
 軽く顎に手をやるとルイズは寝ている間の事を思い返してみた。

 そう言えば、この前夢に大嫌いなカエルが出てきた事があった。
 夢の中でだって大きな声で叫んでしまったが、そんな失態を寝ぼけて晒していないとは言い切れない。
 うっかりおかしな事を口走ってしまう事だってあるかも知れない。
 ちょうど、さっきのように。
 ルイズだってみた夢をいつも覚えている訳じゃない。

 言いようのない不安がルイズを襲った。
「ま、まあこいつも夜はよく寝てるし。大丈夫よね」
「うん。まあなあ」
 楽観してそう頷くルイズと、歯切れ悪く同意するデルフリンガー。
 両者の気はすっかり抜けていた。
 だからこそ、次の瞬間への対処が遅れた。
「……るせぇ」
 鬱陶しそうにそう呟いて。垣根は目を瞑ったまま寝返りを打つ。
 ごろん、と投げ出された腕がすぐそばで覗き込んでいたルイズの肩を叩いた。
「いたっ! ちょっと、重いわよ」
 つい反射的に叱りつけてしまった。
 ルイズは、はっとして顔を強張らせる。だが幸運にもそれに対する垣根の反応はなかった。
 垣根はルイズの上に腕をのせたまま、シーツに顔を埋めるようにして寝入っている。
「し、しかたないのよ。わたしだって、いたくてここに居るんじゃないもの! ここここいつがはなしてくれないから――」
 誰に向けたのかわからない言い訳を、声を抑えながらも早口でまくしたてるルイズのすぐ隣で。垣根はまた何事か呟いた。
 垣根の一挙手一投足にびくびくしながら。閉じた瞼を祈るようにじっと見つめながら。
 ルイズは体を縮めると慌てて口を噤み、細く息を吐いた。

 今、目を覚まされたらとても困る。
 ルイズにやましいところはないが垣根はきっと良くは思わないだろう。
 デルフリンガーはルイズの味方をしてくれるかもしれないが、勝手に人のベッドにいるこの状況をなんて説明したらいいのか。
 とても上手く出来そうにない。
 ルイズがこの窮地をどうにかするのに残された道は一つくらい。

 垣根が目を覚ます前にチャンスを見つけてこっそり自分のベッドに戻るしかない。

「しっ、静かにしましょう。テイトクが起きちゃう」
「あーあー。折角のおしゃべりはおしまいかよぉ」
 デルフリンガーは心底呆れたような、残念そうな声を洩らしたが観念したらしい。それきり黙ってくれた。

 逃げ出すタイミングを見逃さないようにしなくてはいけない。
 大人しく、眠る垣根はそれは静かなものだった。普段とは別人のように穏やかな顔をしている。
 けど間近の寝顔をじっと見続けるのも何だか落ち着かなくて。ルイズは別の事を考え始めた。
 うっかりさっき見た夢の事など考えてしまっては余計に困りそうだったから余計に。
(テイトク、あれもう着ないのかしら。ふわふわのすべすべで、いいにおいだったのに)
 垣根がこの学院にやって来た時に着ていた服は、こちらで着替えを調達して以来クローゼットにしまわれたままだった。
 「お高いふつーのブランドものだ」と垣根が言っていた、細い毛糸で丁寧に編まれたセーターの肌触りを一度触って以来気に入っていたから、ルイズとしてはちょっぴり残念だったけど。
(うー。もう一回、あっちに向いてくれないかしら)
 そんな事を願っても、なかなか幸運は転がってこない。
 自分の上に乗った腕をどけてしまえば問題の大半は片付くが、それで垣根を起こしてしまってはいけない。それはあまりに危険な賭けだった。
 ベッドの上でルイズが身を縮めてからどれくらい経ったのか。
 何の気なしに垣根の呼吸を数えていたルイズはふとある事に気が付いた。

 規則的に繰り返される寝息が切り替わる瞬間、微妙にこちらにかかる重みが変わるような気がする。
 ただの気のせいかもしれないが、無策に朝を待つよりは狙ってみる価値はありそうだった。
(っていうか、もう限界よ)
 おかしな緊張感でルイズの頭は疲れきっていた。
 ベッドはルイズのものに劣らずふかふかでおまけに温かくて寝心地がいい。すやすや目の前で寝ている垣根が羨ましい。
(このままねるのと、こいつけっとばしてベッドにもどるのどっちがらくかしら)
 おかしな二択が頭に浮かぶくらいにはルイズは参っていた。思わず自棄を起こしそうだ。
 その後の事を思えば、どちらを選んでも悪い方にしか転がらないのはわかりきっている。
 使い魔との生活を始めて、ルイズに身に付いた習慣があるのなら。それは垣根をなるべく怒らせないようにする事だった。
 不機嫌な垣根はルイズにとって、恐ろしいお母様と並ぶようなものだったから仕方ない。
 逃避しようとする思考を必死で押し留めながら、ルイズはゆっくりと呼吸を合わせた。
 垣根が息を吸うタイミングから様子を窺う。
 一呼吸終えたところで、ルイズは先に息を止めた。
 垣根の胸が動く。膨らんで、ゆっくりと吐く。
 ふ、と唇が緩んだ。

 垣根が息を吐ききった瞬間に、ルイズはさっと手を伸ばし肩の上の腕を持ち上げると素早く体を引いた。
 シーツを波立たせ、海老か何かのような身のこなしで見事にベッドの上を後退したルイズは。
 勢い余ってベッドから落ちると床の上に膝を打ち付けた。
 必死に悲鳴を堪えると、そっと顔を上げベッドの上を窺う。
 眼前の標的は……変わらず沈黙を守っている。

 勝った。まんまとやりおおせた。
 ルイズは賭けに勝ったのだ。華麗な、ミッションコンプリートの瞬間だった。

「っしゃあ!」
 思わず歓声を上げ、ルイズは自分のベッドに飛び込む。
 そこはすっかり冷え切っていたが奇妙な達成感と満足感でルイズの頭はいっぱいだった。
 笑みを洩らしながらシーツの上を転がる、なんて狂態を演じ始めても。
 その頭の上には枕も、本も、時計も、ランプはおろか。なんだかおかしな白い物体も飛んでこなかった。
 だが。
 その幸運と引き換えたように、鳴り響く朝一番の鐘がルイズの頭を揺らした。



「うううう……ひどい目にあったわ」
 教室に入り、席に着くなりルイズは机の上に伸びた。
 あれから寝直す事は当然ながら出来なかった。
(それもこれも……こいつが悪いのよ! 勝手に人の夢にでてきて、おまけにあんな)
 自分の隣の席を睨みながらルイズが頭の中で何とも自分勝手な悪態を吐いていると、その当人と目があった。
「なあ」
「な、なによ! 別にわたし何も言ってないんだからね!」
 唐突にうろたえるルイズを垣根は怪訝そうに眺めた。
「お前、変なもんでも食った? いや、おかしなのはいつもか」
「おか、おかしくなんか……ないわよ」
 失礼極まりない言葉もいつもと変わらない。
 もちろんルイズだっていつもと同じ筈なのだが、どうにも調子が違っていた。
 なんでかわからないながらも、垣根と目を合わせないようにルイズは顔をそむけた。
「今日は朝の哨戒が遅れてんなあって思ってたんだが。お前も結構図太いよな」
 眉を上げて小馬鹿にしたように洩らすと、垣根は周囲に視線を走らせた。
 男子が二人、女子は三人。
 左右、前の席から身を乗り出してわざとらしく挨拶し、話しかけてくるクラスメイトをルイズ達は主従揃って華麗にスルーしていた。
「はいはいはいはい! あなた達、どきなさい! フーケの話なら後であたしがしたげるから。ほら、さっさといきなさいよ」
 赤い髪をなびかせて、教室の扉を開けたキュルケはまっすぐにルイズの席の前までやってきた。
 騒々しく声を上げると、ルイズの近くの机に群がる生徒数人を追い立てる。
 散り散りに席を移るのを見届けると、自分はルイズの前の椅子に座った。
「ハァイダーリン。あら、ヴァリエール。あなた朝から元気ないわね」
「あんたは朝からうるさいわね」
 覗き込んでくるキュルケにむくれて返すと、ルイズは組んだ腕を枕に机に伏せる。
 舞踏会以来、フーケから『破壊の杖』を取り返した一件の話は学院内に広まった。その事でルイズと垣根の名前は今まで以上に有名になってしまったらしい。
 公爵家の三女、『ゼロ』のルイズ。その使い魔で平民、貴族を決闘で下したテイトク・カキネ。
 噂好きな生徒の中にはルイズからあれこれ話を聞こうと集まってくる者がいた。
 二人ともただ名が売れただけでなく、見た目も良かった。学園生活に退屈しがちな生徒達の耳目を集めるのも無理ない事で。
 中には、いかにも下心ありと言った様子で近寄ってくるような連中もいた。
 特に、女生徒に対してはライバルの出現を良く思わない『微熱』のキュルケが火消しに奔走する、と言うおかしな構図が出来上がっていた。

 その後の、『風』系統の魔法の授業もルイズはぼんやりと過ごした。
 ミスタ・ギトー。若くしてスクウェアクラスのメイジでもある教師がキュルケをやりこめ、何だかとっても得意げに自分の魔法を披露しようとした時も、まったく授業に集中していなかった。
 自分の使い魔の横顔を睨みながら、考え事の真っ最中だった。
(なによ。テイトクってばまたウトウトしてんじゃないの? わたしのが眠いし……ホントに昨日は大変だったんだからね。あいつにバレたらどんな目に合うかわかんないし……そっか。もし怒られたりしたら困るもの、だからあいつの顔が見れないだけよ!)
 気分の落ち着かない理由は睡眠不足。後ろめたい気持ちのせいで何だかおかしな態度をとってしまうのだ、と自己分析に一生懸命だった。

 急ききったミスタ・コルベールが授業の中断と、大事なお知らせとやらを持って教室に駆け込んでくるその時までは。



<p align=center>*  *  *</p>



 夜。
 垣根はルイズの机を占領して、山のような覚書の束をまとめている最中だった。
 元々、一般の学生とは違い、これと言ったやる事の少ない生活を送っていたがハルケギニアに来て以来、垣根の暇を潰すものは一層限られていた。
 以前取り組み始めた自主製作の『未元物質』の考察はまだ終わりが見えないので、気が向けばメモの山を崩すくらいの事はしていた。
「そう言やあ、ドラゴン、グリフォン、ユニコーンってくりゃ。まさかペガサスとかもいたりすんのか。あれ、ユニコーンとペガサスって仲間だっけ?」
 垣根は独りそう呟くがファンタジー世界にはあまり詳しくない。メルヘンな能力とは縁深くても興味がなければそんなものだ。
 昼間、授業中に突然知らされたトリステイン王女の来訪は学院中の緊張と歓声の渦の中迎えられたが、異世界から来た超能力者にとってみれば、珍しい見世物くらいのものだった。
 パンダか幻獣と同格に扱われた王女様も、今頃は貴賓室とかでのんびりしている頃だろう。物々しい護衛に囲まれて。

 垣根の近くで。朝から落ち着きのなかったルイズは一際浮き足立ったように、真新しい本を棚から取り出した。
 机を垣根に明け渡している為、テーブルの前に掛けるとページを捲りはじめる。
「そんなのあったか」
 ふと目に入った見覚えのない表紙に垣根がそう尋ねるとルイズはばっと顔を上げる。
「あ、ああ。これね」
 そして聞いてもいないのに得意そうに説明を始めた。
「エレオノール姉さまが『勉強なさい』って送ってくれたのよ。出たばっかの学術書ですって。特別に、あんたにみせてあげてもいいわ」
 ありがたいお言葉と共に、分厚い本が幾つもまとめて机の上に置かれる。
「いや。俺はいいや」
「へ? あんたこう言うの好きなんじゃなかった?」
「魔法のお勉強な、大して意味がなくなった」
 断られて余所へ向くのかと思いきや。
 ルイズは怒りもせず首を傾げた。
「そもそもあんた、なんでそんな事してたの?」
「なんでんな事聞くんだか……じゃあ話すから勝手に聞いてろ。まず前提として超能力の話になるんだがいいよな。能力者の使う能力ってのは、外部から妨害出来んだよ」
 垣根もこちらの魔法の知識を漁る理由を別に隠していた訳ではない。だが説明したところで理解が得れるとは思わない。
 それでも手を止め、椅子をずらすとルイズの方へと体を向けた。
 気分転換も兼ねてルイズのお喋りに付き合う事にする。

 この数日で、ルイズはすっかり普段通り振る舞っているように見えた。
 少なくとも、少し前までメイドやキュルケ達が訴えていたようなおかしな真似も、垣根が数日留守にして以来の妙な態度もすっかりなりをひそめているようだった。
 朝からのおかしな態度は、まだ普段のおかしさ、、、、、、、、の範囲内だ。
 だが小うるさいデルフリンガーには、
「たまには相手をしてやらないと。魔法とおんなじに、あの娘っ子は爆発するよ」なんて釘を刺された。
 つまらない事で多少の機嫌が取れ扱いやすくなるなら、垣根としても楽だった。
 少なくとも、騒音に悩むような生活を送りたいとは思っていない。

 ルイズの理解も、興味の有無も関係なく垣根は口を開いた。
 聞かれたから答える。ただそれだけのつもりだ。
「手段は何でもいい、要は演算の邪魔をしてやるだけだ。そいつの思考を阻む、組み上がる計算式がズレるよう細工してやる、現実に干渉する為のAIM拡散力場を乱してやる。後は現象を引き起こす場そのものの環境を、条件を変えてやる。とかな」
 そこまで口にした垣根はふと。
 思考の隅になにか引っかかるものを感じていた。
 どの部分だ、と気を向ける前に、ルイズの声が意識をこちらに引き戻す。
「えーあいなんとかってなに」
「ああ。能力者が無自覚に垂れ流すある種の力場、って言うのか。そいつの微弱な力の種類は能力者によって違うが、観測者が『現実を捻じ曲げる』為に必要な呼び水みてえなもんらしい」
「ふーん。わたし達の精神力みたいなものかしら」
「お前らのは内部のもんじゃねえの? まぁ、外に出ちまってるってだけで役割は大して変わらねえのかな。俺もその辺は専門じゃねえから何とも言えないけど」
 ルイズの勝手な思い付きに垣根は推論で返す。
「まぁ、話はズレたが。俺は系統魔法に対しても同じように工夫次第で妨害工作出来るんじゃねえかって思った訳で」
「ちょっと! そんな事出来るの?! どうやってよ!!」
「だから今話してんだろ。そこで俺が散々気にしてたのは魔法の法則性だ。前も言ったと思うけど、俺にはそれを正しく理解は出来ねえ。それでも系統魔法ってヤツの引き起こす現象を俺なりにでも掴めれば逆手に取れると踏んだんだが――」
 説明を途中で遮ってせっつくルイズにも、調子を変えずに話していた垣根だが。
 そこで言葉を切った。
 不意に、どこか悔しそうな目を見せる。苦心してコツコツ進めていたゲームの、より楽な攻略法を後から知ってしまったような。
 それまでの手間を惜しむように垣根は首を振った。
「どうも、そうまでする意味はないらしい」
「なんで」
 続いて、ルイズの問いにその表情は一変した。
 既に解いてしまったパズルの簡単さを論うように口元が歪んだ。
「元から『未元物質』の性能ってのはいいんだ。格段にな。衝撃、圧力、温度変化……大体の能力者が攻撃手段として使ってくるような物理現象や銃器の攻撃ってのは打ち負けねえどころか釣りが来るように出来る。そもそも造るのも壊すのも俺の意志。対策とるのはこっちの暴走防止と能力使用の邪魔をされねえかどうかだけで済む。悪用どころか俺以外に『未元物質』を好き勝手になんざされる心配がそもそもねえからな」
 自慢気にそこまで語ると垣根は椅子の上で足を組んだ。

 垣根は自ら獲得し育て上げた自身の能力に、その希少性と特異性に確固たる自信と誇りを持っていた。
 だからこそ。それを邪魔される、まして奪われるなどと言う状況は考えただけでも我慢ならない。
 そんな忌避すべき事態への想定と対策はきちんと講じていた。

 例えば。
 演算を阻害する音響装置。
 能力の暴発や能力者の自爆を誘発させるような設備。
 能力者と能力との関係を歪め暴走させる劇薬。
 そんな、表立っては流布しない対能力者用の装備や物資の情報も学園都市の暗がりに身を置けばあっさりと手に入った。
 優秀な能力者を生産するのと同時に、大事な実験動物を管理し首輪をつけるのもあの街の重要な仕事の筈だと、睨んだ通りだった。
(ったく。そんな、チマチマした気遣いしたって、学園都市って限られたスペースから放りだされりゃ状況はまるで変わっちまう。別に、それに気付かねえ程狭く物を見てたつもりはねえんだけどな)
 身に付いた常識なんてものが何に起因するか。

 経験、行動の最頻値。長く観測され続けた標準的なデータに基づいて発生する、一つの社会、決められた枠組みの内で通用する事が前提とされる――疑うべくもない共通認識。
 だが。
 それらの素地からしてまるで違う、こちらに来て得た新たな発見は垣根の常識を覆した。
 当たり前とそれまで目を向けていなかった部分を再認識させるに至った。

 それに自嘲的な笑みを浮かべた垣根は、先程の違和感の一端を捉えたような気がしていた。
「そうか。俺の使ってる演算の基盤は学園都市で、もっと言えば地球上で能力を使うのが前提だ。それ以外の状況を想定しろなんて馬鹿な話もねえだろうけど……案外、学園都市に戻れば本当に何とかなっちまったりすんの?」
 いつかの何かの語った、非現実で不確かな夢語り。
 垣根はバカ正直にそれを信じるつもりはなかったが、不思議と妙な信憑性があるような気がしていた。
 その真偽のほどは別としても。
 こちらに来ても、魔法と言う未知に対する『未元物質』の性質、能力の応用、発展性に気を向けてばかりいたから今の今までそこに至らなかったのか。

 たとえば。周囲からの圧力が変化すれば物質の状態変化に必要な温度は変化する。
 通常、一気圧の状態で水を沸騰させようと思えば水を百度まで温めてやれば済むが。もしも意図せず、なんらかの要因でその周囲の気圧がちょうど圧力鍋にでも掛けたように倍近くになっていれば。
 その変化に気付けなかった観測者は、百度を越えてもあぶく一つ立てない水と温度計を眺めて。想定外の事態に首を傾げる事になるかもしれない。
 条件次第で結果の異なる事象なんてものは山のようにある。
 その前提を改めもせずに通常の、初期条件のままの演算で。思い込みで能力を使えばどうなるか。

「そりゃあ、あちこちズレちまうかもな」
 垣根は。
 初めて『系統魔法』に触れた時の驚きが、その違和感の原因が蓋を開けたら実につまらないものだった。それに気付いた瞬間と同じく、いやそれ以上に馬鹿馬鹿しい気分になっていた。
 だが。
 それだけではない。
 『未元物質』に欠けた何か、、についてはまだそれでは不十分な気がしていた。
 垣根が捕まえたと思ったのは僅か尾の先。その全容をまだ得てはいないようだった。
「テイトク? どうしたの」
「いや……口に出してあれこれ考えてみるもんだな。ただの無駄話のつもりだったんだけど」
 思いがけない収獲に感心しながら。
 首を傾げるルイズの視線に、垣根は脱線していた話を戻す。
「『系統魔法』にはそんな常識が通じるどうか知らねえが、テメェのされたくない事は先手打ってこっちがしてやろうと思ってたんだよ。まぁ、そいつも余計な心配だったらしいけど」
「もうちょっとわかるように言ってよ」
 拗ねたように口を尖らせてルイズは不満を露にした。
 仕方なく、置かれた本を手に取ると垣根はぱらぱらとページを捲る。
「トライアングルクラスの魔法の程度ってのは何度かみたし、いくつかなら俺なりのデータもある。後は推測になるが、魔法っつうのがそうそう大能力者レベル4超能力者レベル5の規模を越えてくるとも思えねえ」
 そう前置きしてから、垣根は言葉を続ける。
「『風』ならまとめた圧をぶつけてくるか電撃だろ。そんなもん効かねえよ」
 ――巻き起こる風を自在に操るだけに留まらず、系統のその真髄はより深いところにあると言われる。
 バン、と机の上に『風』系統の資料が再び置かれる。
「『土』は『錬金』が厄介だと思ってたが。実際掛けられた所で壊れも、変化もしなかった。少なくとも、『トライアングル』クラス程度の魔法や他人の精神力じゃ俺の『未元物質』には干渉出来ねえらしい」
 ――『錬金』にはじまり、多くの加工、生産に携わる事の多い土系統の多彩さは生活にも密接に関わっている。
 その上に『土』。
「『火』はありゃどっかおかしいと思ったんだが、もっと単純な事だった。俺が想定してたのは『燃焼』って化学的な現象であって、魔法使いのそれとは根本が違うってだけだ。まぁ、『土』と同じで簡単には影響されねえみたいだから心配ないだろ」
 ――圧倒的な破壊をかなえるその呪文は戦場において最もその本領を発揮すると言われる。
 更に『火』。
「ってえと一先ず厄介そうなのは『水』くらいか。単純な攻撃手段は大した事ねえけど、こっちの肉体そのものとか精神に影響してくるってのは……あっちもそうだが相手のやり方によって対処が変わってくるだろうからな。まぁ、脅威にはならねえだろうけど要対応っつう感じだ」
 ――水分や氷の操作に留まらず、人の内部にある『水』の流れに関わることで精神や肉体にも働きかける事が出来るとされる。
 最後は『水』。
 積まれたその一番上にばさっと本を放ると垣根は肩を竦める。
 そこまで聞いていたルイズは呆れたように首を振った。
 まあ、他人の力が及ばないなんて能力の。それも自慢話みたいな事をされていい気分はしないだろう。
 引き合いに出された魔法を崇高なものとする貴族なら尚更の筈だ。
「つまり、わざわざちっちぇ事なんざするまでもなく俺の『未元物質』は最強っつう訳。わかったかよ」
「トライアングルメイジをその程度とか。あんたって能力まで相手を馬鹿にしてるのね。それで? ガクエントシじゃ大丈夫だったの?」
 挑むような視線は失敗か、似合わない敗北の話でも期待しているらしいが。
 残念ながらルイズの望みには沿えそうもなかった。
「ああ、やられる前に本人を潰せば大体なんとかなる」
 今のところ、単純な能力での小競り合いだけでみるなら学園都市での垣根の戦歴は綺麗に白星だらけだった。
 下らない『暗部』のお使いの成果は個人の技能や能力の優劣とは関係がないのが惜しまれるが。
「でも、やる前にやっちゃうなんて事が出来るならあんたの言う面倒な事ってわざわざする意味あるの?」
「お前にはその辺わからねえのか。お嬢様には難しいか? 華麗にワンパンKOってのも悪くねえが。相手の余裕面にカウンター決めてやるってのが面白えんだろ」
「あんたねえ」
 ぽかんと開いた口は言葉をつぐのも諦めたのか、ため息を吐いている。
「どうやったってそう言う能力者は他の能力者のAIM拡散力場に一度干渉するからな。その段階でわかればおかしな真似はそうそう許さねえよ」
 洗脳能力マリオネッテ読心能力サイコメトリー念話能力テレパスのように他人の精神に干渉するような能力は直接接触、もしくは能力者自身や他人のAIM拡散力場を媒介とする事が多い、と言うのが垣根の経験則だ。
 それを前提とした能力者同士のぶつかりあいならば。
 そのAIM拡散力場同士の相性によっては無意識下でも、相手の能力の妨害くらいはしてしまうなんてケースがあるかもしれない。
「でもそれって体の外にあるんでしょ? そんなのわかるの?」
「皮膚感覚とか実際の五感ってのとは少し違うけどな。普段意識してねえってだけでそこに集中出来りゃあ他の連中にも異変を察知するくらい不可能じゃねえ筈だ。おまけに俺のAIM拡散力場は完成前の『未元物質』みたいなもんだ。他人にどうこうされればそいつを知るくらいは楽勝なんだよ」
 垣根の見方でそう考えれば。
 矢張りルイズのあの魔法はどこかおかしいのだ。
 AIM拡散力場はもちろん『未元物質』そのものにも、一体どうやって干渉されたか。その是非すら知る以前の問題で感知出来ていない。
 これまで垣根のサーチを掻い潜るように発生した爆発は、観測する暇も痕跡も掴ませずに消失しているようだった。現象そのものが、まるで何もなかったようにだ。
 それでもしてやられた、なんて不快感がそうなかったのは。
 意味がわからなさすぎて笑えるなんて感覚に近かったのかもしれない。
 笑いとは、想定を裏切る驚きが大きな要素を占めるというからあながち遠くもないだろう。
 今現在の能力が垣根の理解を越え、手を離れ変質してしまっている。と言う事を抜きにしても。
 『未元物質』の反応から法則性や情報を逆算し、観測可能かと言う点では。学園都市の能力や系統魔法は可愛いものだった。
 『虚無』と仮定したなにかに比べたらずっと。
 だが、垣根自らみつけた新たな、それも一際手の掛かりそうな設問を前に。それを如何にして解いてやるかと言うのは腹が立つどころか、垣根にすれば愉快そうな事だった。
 与えられる、つまらないものを諾々とこなすだけだった今までよりは、ずっと。
「まぁ、実際の反応みて対『系統魔法』仕様に出来ねえかはこうして考えてっけど。やっぱり魔法なんてもんの情報も足りてねえから今ひとつしっくりこねえ。こっちでの『未元物質』の使い方、っつうのも確かめてみねえことにはな」
「……なんか、楽しそうね」
「楽しいかどうかはまだな。けどまぁ、暇してるよりはやる事があった方がいい」
 書きかけの紙束を小突いて垣根は口端を持ち上げる。
 そうして、愉快なおもちゃに視線を戻した。
「そんな訳で。後興味あるのは『先住魔法』と」
「なによ」
「お前くらいだよ」
 それを聞いて、さあっとルイズの顔色が変わった。
 そりゃもう唐突に。真っ白い肌が朱に染まった。
「何だ。怒ってんの?」
 いまひとつ、垣根にはルイズのツボがわからない。
 かと言って、大半が不機嫌さに振られているだろうそれをあまり知りたくもないが。
 大方先程までの無駄話の中で、貴族の御主人様を魔法なんて物と同列に扱ったのが悪かったのだろうと当たりをつける。
 さて。
 どれがくるか、と垣根はルイズの次の動きを待った。
 仮に、何かお叱りがあるとして。
 いつかと同じ爆発ならそう問題は無いがやかましい怒号なら耳を塞ぐ必要がある。

 何やらモゴモゴと呟きだしたルイズが口を開くより先に。
 唐突に扉が叩かれた。

 長く二回、続けて短いノックが三度。
 それを聞いたルイズは、はっとした顔になるとドアの前に駆け寄っていった。



=======

 垣根はゲームとかさせてもラスダン前にきっちり装備とか回復は固めていそうなイメージ。
 垣根側の『未元物質』のおはなしもちょろっと。
 自分の能力そのものとかAIM拡散力場とか、もちろんねつ造ですが。
 原作の第一位もそうだけど能力に目を向けて細かいところを把握しようとか応用しようとかしなかった感がするのは強者ゆえでしょうか。そんなニーズがそもそもなかったからわざわざ考えるまでもなかったのか。
 その点、レベル1からスタートして努力型だったらしい第三位の幅の広さと言ったら。あちこちの研究所に駆り出されるくらいですから超能力者の中でも段違いですかね。扱いやすいとも言うのか。
 食蜂さんといいJC二人の能力の便利っぷりはみててテンションあがります。
 コミックスの超電磁砲は能力の描かれ方が厚くて好きです。
 体晶って何で出来てて何を引き起こしてるのか。
 拒絶と暴走の原理から、能力開発そのものへの妄想も捗りそうで気になります。
 いつか禁書の方で詳しくやってくれますかね。
 アニレーも1から見た方がいいのかな。

 相変わらずムラ気のある更新ですが、お付き合いいただければ嬉しいです。



[34778] 18
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:f059bc6a
Date: 2014/07/05 23:50




 ルイズが扉を開けると、真っ黒な頭巾を被った少女が部屋の前に立っていた。
 少女は部屋に入るなり懐から取り出した杖を振り呪文を唱える。
 『探知魔法』の魔法の燐光が収まると少女は漸く頭巾を外した。
 首を振り、艶のある髪を揺らすとルイズヘ向けてにっこりとほほ笑みかける。
「どこに耳が、目が光っているかわかりませんからね」
 訪ねてきたのは、昼間式典に出席していたトリステイン王国王女。アンリエッタその人だった。
 独特のノックは二人の符牒だったのか、ルイズはどこかほっとしたような顔をみせる。
「姫殿下! ああ! もしやと思いましたけれど!」
「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ。わたくしのお友達」
 慌てた様子で膝を付いたルイズに抱き付くとアンリエッタは早口でまくしたてる。
 今まで歌を禁じられていたカナリアが囀るような、やっとつかえがとれたと言わんばかりの勢いだった。
「ああ! ルイズ! なんて懐かしいんでしょう。堅苦しい行儀なんてやめて頂戴。あなたとわたくしはお友達。お・と・も・だ・ちじゃないの!」
「もったいないお言葉ですわ。姫殿下」
 ルイズが、戸惑ったような緊張した声で返すとアンリエッタは大層傷ついたような顔をした。
「ああ、もうわたくしには心を許せるお友達はいないのかしら? 昔馴染みの、懐かしいルイズ・フランソワーズ。あなたにまでそんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」
「姫殿下……そんな」
 立ち上がったルイズの手を取ってアンリエッタは幼い頃の思い出話を始めた。
 それに、段々とルイズの顔から強張りが消えていく。
 顔を見合わせて笑うと恐らくは数年ぶりの再会が嘘のように。二人は打ち解けた様子に変わっていた。
 ルイズに促されて、アンリエッタは椅子に掛けた。
 そこで。机の前に座っていた垣根と目があって、初めてその存在に気付いたらしい。
「あら。あら、ルイズったら。ごめんなさい、もしかしてお邪魔だったかしら」
「ん。ああ……いや、別に」
 うっかり、首を縦に振りそうになった垣根は何とも歯切れ悪く答えた。
 邪魔ではないが、何かうざったそうだなんて本音を王族相手に洩らしたら。どんな目に合うかわかったものではない。
「邪魔だなんてとんでもない。姫さまどうしてそんな事を?」
「だって、そこの彼はあなたの恋人なのでしょう? いやだわ。わたくしったら、つい懐かしさにかまけてとんだ粗相をいたしてしまったみたいね」
 照れたように笑いながら、アンリエッタは嬉々とした顔で垣根とルイズを見比べた。
 国や人種や身分が違っても、女子と言う生き物の恋バナ好きはどうやら万国共通らしい。
「こっ、恋人だなんて! 姫様、こいつはただの使い魔です!」
「使い魔……人にしかみえないけれど」
「一応、人間ですわ姫さま」
 大声で否定したルイズは首を傾げる王女に改めて垣根を指し示した。
「……コホン。え、えーと姫さま。これがわたしの使い魔のテイトク・カキネです」
「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下におかれましては、ご機嫌麗しく。御尊顔拝謁賜り恐悦至極、身に余る光栄に御座います」
 小突かれて立ち上がると垣根は形ばかりの礼をする。
 それでも一応、深々と頭を下げて見せた。
 自分で口にしておきながら、愉快すぎる口上に思わず吹き出しそうになった事を隠すべく余計に顔を伏せる。
「この使い魔めがお邪魔でしたらなんなりと御命じを姫殿下」
「い、いえ。いいのです。メイジと使い魔は一心同体なのですから。使い魔さんもどうか楽になさって」
「じゃ。お言葉に甘えて」
 言質はとった、とばかりに垣根は再び椅子に座る。
 そんな様子を横目で見ていたルイズは、ふとアンリエッタに問いかけた。
「姫さまこそ。こっそりお見えになるなんて、どうかなさったんですか。ご用命であればこちらから」
 ルイズの言葉を遮ってアンリエッタが首を振る。
 立場も身分も上の、今は学院に招かれた賓客である彼女がわざわざ忍んで姿を見せたのには、それなりに理由があるらしい。
「やっぱり、ここへ来てよかったわ。ルイズ・フランソワーズ。わたくし、姫だなんて言っても王国の籠の鳥だと思っていたのよ。飼い主の機嫌ひとつで籠の中をあちこちに……でも、たまには良い事もあるのね。あなたとこうして、また昔みたいにお話できたもの」
 そう口にしてアンリエッタは笑ったが。先ほどの楽しげなものとは違い、随分と憂いを含んだ表情だった。
「そう言えば、姫さまはなぜゲルマニアへ? わざわざあんな所にどうしていかれたんですか」
 ゲルマニアが嫌いだ、と公言するルイズは王女の前であっても不満げな態度を隠しもしない。
「わたくし、結婚する事になったのよ。その内に国中に知れる事になるんでしょうが」
 それを聞いてルイズの顔が一段と険しくなった。
 昼間、式典で生徒たちにも強調して語られたトリステインと他国、特にゲルマニアとの近年の親交の篤さ。
 そして、王女のこの沈んだ様子。
 それらを頭の中で繋げたのだろうルイズは眉をつりあげて王女に問うた。
「まさか……姫さま? あんな国へだなんて仰いませんよね!」
「ええ。ゲルマニアの皇帝の元へね。婚姻だなんて名ばかりの、同盟の材料よ」
 あっさりと、どこか自棄のように言い放って。アンリエッタはルイズに頷く。
「いいのよ。好きな相手と結婚するなんて、幼いころから諦めているの」
「それでも、それでもあんまりですわ。姫さまになんて仕打ちでしょう!」
 まるで自分の事のように腹を立てた様子のルイズにアンリエッタは寂しげに目を細めた。
「そう言ってくれるのはあなただけよルイズ。誰にも、こんな事言えないもの。仕方のない事とわかっていても……ああ。わたくし、自分が恥ずかしいわ」
「なにかお悩みがおありなのでしょう? 姫さま、どうかわたしにおっしゃってください」
 浮かない様子に何を思ったのか。
 ルイズはいつになく真剣な様子でアンリエッタに向き合っていた。
 それをぼんやり見物していた垣根は。遠慮がちに顔を向けたアンリエッタ、続いてつられて振り返ったルイズと目があった。
 親密な女の子同士の内緒話。そこに混ざろうなんてたとえ冗談でも言えない、そんな雰囲気だった。
「気にしねえから勝手にやってろ」
「ちょっと!」
 ぷらぷらと片手を振ると垣根は椅子に掛けたまま答える。
 目上の、それも王族を前にしてこちらも同じように座っている、なんてどれほどの不敬にあたるのか想像もつかないが。王女自らよそよそしく接するなと言ったのだし。
 垣根が気をつかってわざわざ席を外してやる理由はない。
 それに加えて。だからこっちにも関わるな、と暗に告げるとルイズの叱責が飛ぶ。
「いいのです。気になさらないで」
 なんとも物悲しい様子で、王女は首を振って話しはじめた。

 それから繰り広げられたのは三文芝居、と言うよりまるで下手な学芸会のようなやり取りだった。学芸会なんて出たことも見た覚えも垣根にはなかったが。
 わざとらしい、馬鹿馬鹿しい会話は夢見がちな少女達が互いにそれぞれ酔っているのが丸わかりで。どこか現実味に乏しいものだった。
 ふわふわした中身は鬱陶しい言葉の応酬に。こちらに面倒事を持ちかけられやしないか、と話半分に耳を傾けていた垣根の頭さえ段々と重さを増してきそうだった。
 垣根は少しだけ、先ほどの自分の判断の誤りを感じていた。
 さっさと部屋を出て行った方が精神的疲労は少なく済んだかもしれない。


 アルビオンの反乱は抑まるどころかますます激化し、ついには王室の存亡も危ぶまれる事態にまで陥っている。
 そうなれば、アルビオンを落とした貴族派が次に狙うのはトリステイン。だがこちらも先んじてゲルマニアと組む事で、それに対抗しようとしている。
 それを読んでアルビオンの貴族派も同盟の妨げとなる活動はしてくるだろう。
 そこで、王女はある不安材料の事を気にかけていた。
 それが明るみにでればただでは済まない、もしもその為に同盟の話が立ち消えれば。寄る辺のないトリステインは単騎にてアルビオンと対峙せねばならなくなる。
 その存在が貴族派につかまれる前に、そのとある一品を手に入れてほしい。
 それをルイズに頼みたいと思っていた。
 しかし、恐らくその在り処は戦火の最中、アルビオンにある。そんな無茶はさせられないだろう。


 まとめると王女の話はそんな所だった。
「結婚前の悩みっつうと……昔むかし、うっかりラブレターでも書いちまったとか。ガキの頃の話でも、まぁ叩きたい奴らには十分な火種くらいにはなるか。実際そんなもんがあろうがなかろうが、そう言う連中には関係ないだろうし」
 何気無くつけたテレビにでも感想を洩らすように。思い付きをぼそっと呟いた垣根だったが。
 それを耳にしたアンリエッタは。
 目を丸くしたかと思えばたちまち顔を赤らめ俯いてしまった。
 垣根の一言は図星をついた、どころかきれいにクリティカルヒットを決めてしまったらしい。
「あんたねえ! 気にしないんじゃなかったの?」
「あれだけ派手にやられたら嫌でも耳に入っちまうっつうの」
 悪びれた風もなく言い訳する垣根をじろっとみてから。
 ルイズはアンリエッタの手を握った。
「それで、その手紙を探し出して持ち帰ってくればいいのですね」
「ですがルイズ、恐らくあれはウェールズ王子が……アルビオンにあるのです。そんな事、やっぱり」
 戦地にいってくれないか、なんて話を聞かされても。ルイズは何故か自信たっぷりに頷いていた。
 ベッドの横から、つかつかと垣根の近くまで寄ってくると。椅子の隣に並んで大きく胸を張った。
「ご心配には及びませんわ! わたくしと、この使い魔はあの『土くれのフーケ』から『破壊の――もが」
「カット。こっからはオフレコって事になってんだ」
「なによ! ちょっと離しなさい」
 余計な事を口にしかけたルイズは垣根に顔を掴まれてしまい腕をばたつかせた。
 おかげでなんともしまらない結果になっている。

 どうやら、『破壊の杖』を取り返した一件はルイズに要らぬ自信を与えたらしい。
 それを運び出したのも、ゴーレムと遊んだのも全て垣根なのだが。御主人様からすれば、
「使い魔の手柄は自分の手柄」くらいに思っているに違いない。
 その辺りを余り大きく話されては垣根としても困る。
 垣根の能力や、使い魔のルーン。おまけにフーケやら何やら、と面倒だがまるきり無視も出来ないような話が。ルイズにはあずかり知らぬようなものがあるのだ。

 例えそれが彼女自身に関わる事であっても。
「ふふ。学院長殿からお聞きしましたわ。内緒のお話だと仰っていたけれど、ルイズ。あなた随分な活躍をしたそうね」
 王女は我が事のように嬉しそうに笑った。
 どうやら学院長が既に一枚噛んでいたらしい。
 あのジジイ、と顔をしかめる垣根とは対照的に、ルイズは顔を綻ばせると王女に向けて膝をついた。
「そうですわ! 秘密の任務であれば、尚のことわたくし達にお任せくださいませ。トリステインのため、姫さまのため。このルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールが一命にかえましても必ずや、やり遂げてみせます」
 恭しく頭を下げ、熱く語ったルイズは。
 続いて垣根を仰ぐと一度唇を結んでから切り出した。
「テイトク」
 眉を寄せると息を吐く。
 先ほどよりよほど緊張した面持ちで、ルイズは垣根を見上げた。
「姫さまのためにもあんたの力が必要なの。だから一緒に、アルビオンに……きてくれるわよね?」
 ルイズの真剣な目に見つめられて。垣根はかえって冷めていた。

 予想通りの発言だった。
 大見得を切ったところで。実質、今のルイズに垣根の力を借りずに出来る事なんてほとんどないのだから。

 それに対する垣根の答えに、考える時間など必要ない。
「嫌だ」
「なんでよ!」
 面くらったように立ち上がったルイズはすっかり普段のような調子に戻っていた。

 垣根は自分を軽く扱うつもりはない。
 例え相手がルイズだろうと、誰であっても変わらない。
 そして、今回持ちかけられた話にはてんで興味がわかなかった。
 垣根に実害があるならともかく、現状この国が戦火に覆われたとしても痛くも痒くもない。
 アルビオンに潰されようがそれがこの国の乗った流れだろうと思うくらいだ。
 ルイズの血統には関心がないから領地や家名がどうなろうと構わない。もしそれで垣根の立場が悪くなるようなら切り捨てたっていい。
 いかに『虚無』が貴重で、未知の可能性があったとしても。金の卵を産むあてのない、大飯食らいのガチョウを骨身を削ってまで養う義務はないだろう。

「勝手にしろっつったよな。この国の問題だろうがなんだろうが、俺には関係ねえ」
「だから、こうして……頭下げてるんでしょうがー!!」
「それのどこが下がってんだよ」
 結局。いつも通り怒鳴ってからルイズはがっくりとうなだれた。
 恨めしそうに睨んでくるが垣根は黙ったまま首を振る。

 やる事それ自体は簡単だろうが、中身は国家問題を左右しかねない厄介事。子どもの使いにしては、それが招く結果が問題だ。
 垣根には今までもそんな経験はざらにあった。
 煩雑な事後処理に追われるのは垣根の仕事ではなかったし、舞い込む話も後ろ暗いものばかりだったから矢面に立たされる事もなかった。
 しかし。
 後ろ盾もなにもない、こちらには隠し事だらけのこの状況で。
 もしこの先。おめでたいお姫様の覚えばかりよくなるようでは、困る。
 実権がどうあれ、相手はほぼ国家最高権力者。そして貴族はそれに従うものだ。
 垣根としては都合のいい前例が出来てしまうのは避けたかった。
 それがなくてもこの様子ではルイズはお友達、、、の一声で突っ走ってしまうに違いない。
 おまけに、垣根帝督が。超能力者がわざわざ動いてやるような理由もない。
 まさかルイズも本当に自分だけでそんな無茶な事が出来るとは考えていないだろう。

 流石に諦めるだろうと垣根は高を括っていた。
「ルイズの使い魔さん」
 おろおろと二人のやりとりを見ていたアンリエッタは垣根に声を掛けてきた。
「わたくしからも、この度のお願いをあなたにも頼みたいのです」
 王族直々のお願い。それはこの国の中では莫大な名誉や価値があるものだろう。
 しかし。
 垣根帝督にその常識は通用しない。
「いけませんわ姫さま! そんな、使い魔にお手を許すなんて!」
「は?」
 芝居がかった仕草のまま、すらりと手を伸べるアンリエッタに垣根は首を傾げた。

 その行為の意味はわかる。わかるが、垣根にはそんな事をするつもりも興味も毛頭ない。
 なんでそんな事をしなくてはいけないのか、が疑問だった。

「いけません姫殿下! 平民如きにそのようなッ!!」
 どうやら理解出来なかったのは垣根だけではなかったらしい。
 ノックもなしにルイズの部屋の扉を開けたギーシュが急ききって叫んだ。
「ちょっとギーシュ? あんたなんでこんなとこに」
「ああ、姫殿下。卑しくも後をつけこのような振る舞いをして……罰なら幾らでも受けましょう、しかしぼくは姫殿下のお役に立ちたいのです」
 すさっ! とドアの前で跪くとギーシュは熱っぽい調子でそうまくし立てる。
「その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう」
 どうやら。王女の姿を見つけてこっそりついてきたギーシュは、話を聞いて黙っていられなくなったらしい。
 女子にいいところ見せたい! と言う女好きの思いつきの行動としては。
 実にらしい馬鹿なものだった。
「『探知魔法』は外にも掛けるべきだったな。いや、お仲間が増えて良かったなって言ってやった方がいいのか?」
 そんな風に馬鹿にする垣根を睨みかえしたのはルイズだけだった。
 後のお仲間馬鹿共、はぽけっと互いの様子を窺っている。
「いかがしましょうか姫さま」
 不安そうな顔をしていたアンリエッタだったが、ルイズから闖入者の正体を聞くとほっとしたように微笑んだ。
 ギーシュが軍門の生まれ、それも元帥が父親だと言うのが効いたのかもしれない。
「あなたもわたくしの力になってくれるのですね。どうか、この……不幸な姫をお助けください」
「さあ、これで後は君だけだな」
 秘密を知られた少年A転じて、名の通った伯爵家子息・姫殿下の味方に昇格され。
 なんとも浮かれた様子でギーシュが笑顔を浮かべる。
 幼馴染のおともだちと馬鹿その一のパーティに、使い魔を加える話は終わっていなかったらしい。
「何でそうなる? 勝手にやってくれっつってんだろ。俺はしらねえ」
「あーいぼーう」
 見かねた、いや恐らく目はないだろうから聞きかねたとでも言えばいいのか。
 そんな仕方なさそうな調子で壁に立てかけられた剣が口を挟んだ。
「何だよお前まで」
「いいのかよぅ。アルビオンってのは戦争やってんだぞ。そんなところに娘っ子とその貴族の小僧っ子を放りこんだらどうなるか」
 おまけにギーシュもつけて。
 デルフリンガーは簡単な筈の問いを、もったいぶるように尋ねた。
「まぁ、戦闘にでも巻き込まれたら死ぬだろうな」
「娘っ子が死んだら、お前さん困るだろ? あの爺さんだってあれこれ言ってたじゃねえかよぉ。お前さん使い魔なんだし、娘っ子についていくべきだって」
「で、お前の本音は?」
 もっともらしい事を口にするデルフリンガーだが。
 二言目にはもう、決まっている。
 先の見えたお約束のその先を。あえて垣根は促した。
「おう! 戦争なんて闘いの場に丸腰って訳にもいかないだろ? 今度こそは俺を握ってだなあ」
「あのなデルフ。プレゼンはもうちょっと上手くやれよ。バナナ叩き売れなんて無茶は言わねえから」
 期待を裏切らないデルフリンガーに垣根は脱力した。
 その点では、今回ギーシュは上手くやった方だ。
 垣根と王女では相手の条件も難度も桁違い、それも無機物と比べるのもどうかとは思うが一応成果はあげているのだから。
「別にこいつじゃなくてもいいんじゃねーの? それこそ大事な任務だってんなら、力もねえガキにやらせねえでそれなりに使える人間にしとけよ。一応王女なんだろアンタ。アンタの言う『だいじなおともだち』っつうのをわざわざ危険な目に遭わせてえってんなら反対はしねえけど」
 ルイズの頑固さは垣根も何となくわかっていた。これ、と決めたらそう簡単には折れないだろう。
 だが、『ゼロ』と『ドット』を何があるかわからない国外に放り出すのも馬鹿のする事だ。
 流れは、確実に垣根の不利な方向に向かおうとしている。
 その話の大元が何とかならないか。
 そんな一縷の望みを込めて垣根はアンリエッタに水を向けた。
「信頼もおけて、わたくしが動かせる人間など……ただの王女に過ぎないわたくしの味方など、無いに等しいのです」
「そんな! わたくしが居ますわ! このルイズ・フランソワーズが」
 作戦失敗。
 残念ながらうっかりお芝居の幕を開ける手助けをしてしまった。
 垣根はそんな自らの失態と目の前の光景を視界に被せた手で覆い隠そうとするが事態が変わる筈もない。まったくの無駄だった。
 更に、垣根に向けられたのは助け舟ではなく追い打ち。
「なぁ。もう早く折れちまった方がいいと思うよ? どうせ娘っ子についてかなきゃいけなくなんだろ」
「い、いいわよ! たとえわたし一人だってアルビオンに行くわ!! いってやるわ!」
 いつまでも渋る垣根に業を煮やしたか。
 友情やら責任感やら、そんなものをないまぜにして。場の空気にでも酔ったのか、何だかすっかり出来上がってしまったらしいルイズは肩をいからせて叫んだ。
 興奮のあまり、顔はすっかり真っ赤になっている。
「あーあ。相棒、これで見捨てちゃ娘っ子が泣くよ。こりゃあ泣いちまうよ。相棒ってばいっぱしの男の癖に女の頼みの一つきいてやれないんだ。俺はがっかりだよ、お前さんがそんな臆病者だったなんて」
 呆れたようなデルフリンガーの言葉に。
 垣根は鋭く舌打ちを返す。
「ああ? 誰が何だって」
「相棒に決まってんじゃねえか。貴族の娘っ子も、小僧っ子も大した事が出来なくたってなけなしの勇気一つで動こうって言うのによお。普段俺はすごいだなんだ言ってたって、相棒はその程度の腰抜け野郎ってこったろう」
 ビキ、と垣根の頬が強張る。
 聞き捨てならない一言に歯を剥いて垣根は再び問いかけた。
「デルフリンガー。お前もういっぺん言ってみやがれ。誰が――一体何だって?」
 笑った口元のまま垣根の声が一段低くなった。
 それを聞いたルイズは、はっとした様子でベッドの方へと後ずさる。
 すると。
 ビキバキと、部屋の中の調度が突然軋んで鳴り出した。
 ガラスの水差しが今にも砕けそうな不穏な音を立てている。
 それに怯んだように剣のお喋りが途切れると。わずかな間、金具の音だけが響いていた。
「い、いいぜ! 何度だって言ってやらあ。俺の相棒テイトク・カキネは簡単なお使い一つ出来ねえへたれ腰抜けチキンウジ虫野郎、美学の足りねえ三下メルヘン――ごばぁ!!」
 ガタガタ震えていたデルフリンガーの、必死の叫びは最後まで続かなかった。
 突然、壁から弾き飛ばされたかと思うと床の上で口を噤んでしまった。
 それに対し垣根は椅子の上で深く息を吐くと、辺りを睨むように顔を上げる。
「ナメんじゃねえぞ、上っ等だ。王族のいざこざだ反乱だ戦争だ? そんなの関係ねえ。見てろ。そのお願い、、、ってのがどんだけ楽なもんか、テメェらにこの俺の、超能力者レベル5の立ち振る舞いっつうのを教え込んでやるよ!!」
 そこまで息巻いてから。
 突然垣根はがっくりとうなだれた。


 まんまと、デルフリンガーの挑発に乗せられてしまった。おまけに何だか余計な事まで口にしてしまった気がする。

 些細な事でカッとなるのも、そのせいで無用な振る舞いをしてしまう事も彼にすればそう珍しくない。
 またやってしまった、と失態にへこむ垣根だが。今回能力や翼の展開による惨事を招く事はなかったので、周囲は無事だった。
 張り詰めていたおかしな空気が消え、厄介ごとが一つ解消されたせいか。そんな垣根の事情など何も知らない残りの面々は気の抜けた顔をみせている。
「ありがとうございます使い魔さん。ああ、わたくしのお友達をどうかよろしくお願いしますね」
「む、むすめっこ……むすめっこぉぉ。俺はやったろう、やったよなあ」
「あんたすごいわ。でもね」
 おかしな重圧も消え。呻いていたデルフリンガーを床から起こしたルイズは。
 その身を呈して、垣根を釣り上げる大役をこなした剣に声を荒げた。
「怒らせることないでしょ、ちょっとは考えなさいよね! こ、怖かったじゃないの!!」

 結局ルイズ達は王女の密命のもとアルビオンに向け発つ事になった。
 早い方がいい、と出発は明日の朝。
 件の王子に宛てた密書と、お守りがわりに王女の指輪を受け取ったルイズは真剣そのもの、と言った顔をしていたが。王女に何事か耳打ちされるとたちまち泡を食ったようになってしまった。
「挙句タダ働きとか……あれもまぁ気に食わなかったが、まだギャラがそれなりに出ただけあっちのお使いのが少しはマシかもな」
 友情の再確認とやらをしている二人の少女の横で、暗部組織に所属していた超能力者は肩を落とした。



*  *  *





 早朝のトリステイン学院は実に静かだった。
 まだ薄暗い中、馬具を整え準備するルイズ達の横で。
 垣根は一人不満そうに立っていた。
 両手はポケットの中に入ったままで、手伝う気なんてこれっぽっちもみられない。
「今からでも馬車か竜籠って手配出来ねえのか」
「あのね。お忍びの任務なのよ? それに急がなきゃいけないの」
 そして口を開けば文句ばかりだ。
 ルイズはむっとしたが、手にしていた荷物を睨んでなんとか堪える。

 この場でみっともない真似はしたくなかった。

 少し離れたところで、馬ではなく騎乗するグリフォンの鞍を見ている貴族がいた。
 長身に羽根帽子の似合う男、彼はもちろん学生ではない。
 トリステイン王国魔法衛士隊の中でも一際栄えあるグリフォン隊、その隊長を務めるジャン=ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵。
 姫殿下の覚えもよいらしく、秀でた軍人でもある彼を加えて一行は任務にあたる事となった。とはルイズも昨夜王女から聞いていた。
 そんなワルドの華々しい肩書きに何か加えるとしたら、ルイズにとっては特別なものが一つあった。
 婚約者――と、言っても昔親同士が決めた口約束みたいなものだけれど。
 それでも、ルイズだって年頃の女の子だ。
 そんな相手の前で恥ずかしい姿は見せたくない。
 ギーシュの使い魔にじゃれつかれたところを助けてもらったりと、既に情けないところは見られてしまっているが。

 そんな時に助けるどころか無視を決め込んでいた、ルイズの使い魔の方はグリフォンを眺めていた。
 それまで機嫌良く翼を寛げていたグリフォンは垣根が睨むように目を細めると低く唸りはじめた。
「この人数、おまけに馬に合わせたとして……その幻獣の足でもどれだけ掛かるんだか。任務だってのを知られたくねえんなら見た目だけはあちこち出入りしても怪しまれねえような何かの業者か、なんなら旅芸人とかにでも化けりゃいい」
「なんでそこで僕をみるんだね!」
 何故か一同の視線を集めたギーシュは心外だとばかりに声を上げる。
 その隣で使い魔のジャイアントモールが困ったように鼻をひくつかせていた。
 派手なギーシュを旅芸人に仕立てあげたらとっても目立つだろう。似合うかもしれないけど。
「後、国境越えるのに面倒な手続きとか手形、書類はいらねえのか? ま、お前ら婚約者だってんなら、旅行とか適当にそれっぽい理由で偽装くらい出来んだろうしな」
「よくそんな嘘がペラペラ思いつくわね。なによ、まだ不満があるの」
 あるね、と垣根は頷いた。
 昨日からこうだった。いつにもまして悪い目つきがそっくりそのまま垣根の機嫌の悪さを示している。

 アンリエッタ姫直々の任務について行くのがよっぽど不服らしいが、ごねて部屋に残るなんて事にならなかったのはルイズにすれば嬉しいかぎりだった。
 いざと言う時――特に戦いになれば頼りになるだろうし、なんと言ってもルイズの使い魔なのだから。いつ何時でも主人と共にいてもらいたいのだけれど。
 そんな気持ちは垣根には伝わらないのだろう。
 そう思う度にルイズは無性に寂しくなる。

「長距離の移動手段が乗馬オンリーとかナメてんのかよ。幾ら俺が能力頼みの馬鹿じゃないって言っても、何日も延々馬に揺られるようなのは御免だ。まったく。手配もお粗末、戦力はまともなメイジほぼ一人におまけばっか多くてよく一国を賭けた任務とか言えるよな」
「そんな風に言う事ないじゃない。姫さまはわたし達を信頼して下すってるのよ!」
 ルイズの反論にも下らないと言いたげに垣根は肩を竦める。
 だが、ルイズに喧嘩を売っていると言うより、何だか今回の話にケチをつけたがっているみたいだった。
「……何がそんなに嫌なのよ」
 すっかり気落ちしてルイズは俯いた。
 いくら垣根が普段から、あまり気乗りした態度は見せないと言っても。
 無理強いをするのはルイズだって気分が良くないし、不機嫌なしかめ面を眺めていたいとは思わない。
 だからこそ率直に聞けば垣根は曖昧に首を傾げる。
「別に。ま、どうせならこの俺を使おうってのに釣り合うもんは欲しいな。気分だけでもよ」
「なら、いいのがあるじゃないか」
 口を挟んだギーシュはあっけらかんと言った。
 垣根とはなんとも対照的だ。
「この任務をやり遂せれば、僕ら救国の英雄だよ! おっと、あまり大きな声では言えないがね」
「……人助けなんてもっと趣味じゃねえ」
 姫殿下に褒めていただけるかもな! と早くもはしゃぐギーシュを後目に。垣根はうんざりしたように息を吐いた。



 風になびく髪を押さえてルイズは後ろを振り返った。
 ルイズを乗せたグリフォンより数十メイル――うち一頭は百メイル以上遅れて、二頭の馬がついてきている。
 垣根達は既に二度、途中の駅で馬を替えていたが。
 トリステイン学院を出発して以来走り通しのこの幻獣は未だ疲れた様子を見せていない。
 その背に跨るワルドもまた余裕たっぷりと言った様子だ。
 後ろの二人を一度仰ぎ見ると、ルイズを振り向き笑ってみせる。
「彼らが心配かな。さては……どちらか君の恋人なんだろう?」
 愉快そうにそんな冗談まで口にして、ルイズをからかった。
「ち、ちち違うわ! ギーシュはただのクラスメイトだし、テイトクは使い魔なんだから」
「だが彼はただの使い魔じゃない。平民で、つまり人間だ。そうだね?」
「そうだけど……やっぱりおかしいわよね人間なんて」
 ワルドに嘘は言っていない。
 ルイズは本当の所も話していないが。
 隠し事と言うのは気が進まないが、仕方ない。使い魔を、その秘密を守るのも主人の役目だ。
 ルイズはそんな後ろめたさに目を伏せる。
「そんな風変わりなメイジも君だけだ。そうだろう」
 ルイズの態度をどうとったのか。ワルドはゆっくりと、和らげた口調で続けた。
「特に高い知性や力を持った生き物を使い魔に持つ者は多くない。そして、皆優れたメイジだ。君もいつかは……素晴らしいメイジになる。誰がどう言おうと、僕はそう思っているよ」
「ワルド」
 ルイズは顔を上げた。
 羽根帽子の下から覗く目は、いつかの夢や昔懐かしい思い出の中と同じに見えた。

 ルイズの使い魔をみた周りの反応は、皆そう変わらなかった。
 クラスメイトも、教師も、エレオノールも、姫殿下も。
 奇異と呆れと、同情めいた失笑。『ゼロ』のルイズにはお馴染みのものばかり。
 だが。ワルドのそれは他と少し違うような気がした。

 幼い日にかけられた言葉を思い出して、ルイズは微笑み返す。
「あなたは変わらないのね。昔も、失敗ばかりするわたしにそう言ってくれたわ。わたしも……あいつに見合うようなそんなメイジになれるかしら」
「おや。彼はそんなに優秀かい?」
「まあ、ね。頭もいいし、器用になんでもやっちゃうの」
 種族を除いて能力だけでみればそりゃあもう。
 腹が立つくらいできた、、、使い魔だろう。
 知性も力も兼ね備えた優秀な、『ゼロ』のルイズには勿体無いほどの。
「剣の腕も立つそうじゃないか」
「なんで知ってるの?」
「いや、小耳に…と言うか学院長殿に少しね。君たちの話を聞いたのさ」
 どうやら学院長は姫殿下だけではなくワルドにもルイズ達の話をしたらしい。
 そんな風にルイズは納得した。
「そうね。あいつはきっといい使い魔だわ」
「随分気に入ってるみたいだな」
「そんなことないわ! やな所いっぱいあるんだから。言うこときかないし、自分勝手で、乱暴だし。口が悪くって」
 矢継ぎ早に垣根の文句を言い始めたルイズを、ワルドは片手を軽く振って制した。
 そしておどけたように笑う。
「わかったよルイズ。君たちは仲がいいようだな。少し妬ける」
「もう。そんなこと」
 何だか恥ずかしくて、ルイズは頬を膨らめて誤魔化した。
「君はああ言ってくれるが。僕もずいぶん変わってしまった。衛士隊に入り、がむしゃらにやってるうちに隊長さ」
「前にお父様にお話を聞いてびっくりしたのよ。子爵様はすごく出世なさったのね、すっかり偉い人になっちゃったんだわ、って」
 彼の父の死後、ワルドが家督を継いで以来。ルイズはワルドと顔を合わせていなかった。
 だから、父に母にそんな話をされても何だか遠いところの話を聞いているようで実感もなかった。
 婚約なんて古い話も、とうに反故になったとルイズは思っていたのだ。

 だから。
 歓迎の式典でワルドを見かけた時は驚いたし、姫さまに今回の話をされた時は混乱した。
 十年越しの思い出と憧れに再会して、頭と心がそれについてこなかった。
 本当はこんな風に、砕けた口を利いていいものかとさえ思うくらいだった。昔は年上の貴族様、と思っていたから丁寧な言葉遣いを心掛けていた。
 そうしてくれ、と言ってくれたワルドは以前と同じようにルイズと接してくれている。
 目線を合わせるように、気づかい優しく声を掛け笑顔を向けてくれる。
 小船の中の、小さな女の子にするように。

「やめてくれ。ルイズ。僕のルイズ。小さなミ・レディ。なんだか急に年を取った気分になるよ」
「あら。おひげも素敵よ隊長殿」
「それはよかった。威厳がなくては、と思ってね。結構気を使ってるんだぜ」
 冗談めかしてそう言うと、ワルドはゆっくりと息を吐いた。
「何てカッコつけてみても、苦労したさ。父が死んで以来僕は必死だった。早く立派な貴族になりたかったからね」
 胸元にグリフォンが刺しぬかれた魔法衛士隊の黒いマントがよく似合う、精悍な貴族の姿がそこにあった。
 それが眩しく思えて、ルイズは溜め息を吐く。
「あなたは立派よ。立派に、夢を叶えたのね」
「いや。まだだ」
 前を見据えたワルドの目が、不意に鋭くなった。
 そんな表情をみるのは初めてで、まるでルイズの知らない誰かのようだった。
「ワルド?」
「……そう、まだだ。僕は家を出る時決めたのさ。立派な貴族になる、そして――必ず君を迎えにいくとね」
 ふと心細くなって呼びかけたルイズに、ワルドは笑いかける。
 そして信じられないような事を口にした。
「や、やだわ。冗談でしょう? あなたみたいな人が、わたしなんてちっぽけな婚約者の事」
 狼狽えるルイズに、ワルドは首を振る。
 真剣な眼差しでルイズの問いかけを否定した。
「ずっと覚えていたさ。君の事を忘れずにいた」
 今、確かに隣にいる相手に。
 婚約者にそう言われ。

 ルイズは、何故か素直に喜べなかった。

「今まで軍務にかまけてばかりだったが、おかげでこうして君と旅が出来る。それとも、君は嫌かい」
「嫌なわけ、ないじゃない」
「よかった。内心焦ってたんだ。君に嫌われてやしないかって」

 足りない時間は、これからゆっくり埋めていけばいい。
 そう、ワルドは言ってくれたが。
 ルイズにはよくわからなかった。
 婚約者、そして結婚。
 幼い時と違いルイズにはその意味がよくわかる。だが、まだ実感出来ないでいる。
 憧れの、好きな人とずっと一緒にいれる事。昔はそう思っていたし、そうなると言われて嬉しかった。

 果たして今はどうなんだろう。
 ワルドの事が好きなのか、それもはっきりしない。
 彼と、ずっと一緒に居たいと。それが幸せだと思えるのだろうか。

 ルイズがもう一度、後ろを振り向こうとした時。手綱を握った手でワルドが肩を抱いた。
 温もりを感じるほど側にいてもわからない事は。
 離れていては尚の事、わかる筈がなかった。
 ルイズは目を閉じる。

 もし、仮に。
 このまま彼と結婚するとして。かつての懐かしい気持ちに戻れるのか、と不安に心は波立つばかりで。
 何故かあの小船が恋しいような気がしていた。



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[34778] 19
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:f059bc6a
Date: 2014/07/05 23:50





 ラ・ロシェールのとある酒場の一室。
 フーケは響いたノックの音に短く答える。
 滞在しているこの部屋に尋ねてくる者なんて、あらためるまでもなかった。
 扉を開けたのは白い仮面に黒マント、先日フーケを勧誘しにきた『レコン・キスタ』のメイジだ。
 彼等の申し出と要求をのみ、フーケは『レコン・キスタ』へ与する事となった。
 そして彼女の関わる初仕事の舞台がここ、ラ・ロシェールとかの白の国、アルビオンであった。
「こっちも言われた通り人手をかっちゃいるけど。そっちの首尾はどうなんだい」
「ああ。既に奴らは発った。こちらも一先ずの手は打ってある。お前に動いてもらうのはまだこれからだ」
 仮面の男に続き、部屋に入ってきたのは先日見かけた女だった。室内だがフードは深く被ったまま。
 女は男の肩を叩くとフーケを示した。
「ああ。紹介がまだだったな。マチルダ、こちらは……『ミス・シェフィールド』だ」
 男に呼ばれ、女――シェフィールドは優雅に礼をした。

 その頭から足先まで――フードつきのケープに膝丈のフープスカート。レースで縁取られたハイソックスと編み上げのブーツに至る――彼女の一切が黒で統一されていた。
 パフスリーブの下から伸びるぴったりした長い袖の先はレースの手袋へと続いている。それもまた、黒一色だ。
 唇に引かれた紅まで黒い。

 素材の異なる黒をリボンとチュールレースの白でまとめたスタイルは、昨今の流行と比べてずいぶんとクラシカル。
 かつ豪奢な装いだった。上質の良いものを惜しげもなく使っているのが傍目にもわかるほどに。
 女官かなにか、と言うよりまるで貴族の令嬢のような出で立ちのシェフィールドを見て。
 フーケは幼い時分によく遊んでいた娘人形を思い出した。
 きらきらと華やかなドレスはもっと色鮮やかだったが、何となく。
 真っ黒な――人形娘はぎょろりとフーケを見ると何やら口の中で呟くと。
 手にした鞄から書簡を取り出し、何事かしたため始めた。
 フードからちらりと覗く顔はよく見れば学院の生徒たちとそう変わらない年頃に見えた。

「随分とまあ……愛想のない子だね」
「彼女は『レコン・キスタ』のさる方に仕える女官だ。我々とは口も利かぬよ」
「それで。新入りの素行でもみてんのかい」
「まあそんなところだ。悪名高い怪盗『フーケ』、お前の働きには期待しているのだ。俺も、彼女も、皆がな」
 そう言うと仮面の男はテーブルへと地図を広げ、今後の計画とそれぞれの動きについて話しはじめた。

「さて、ここまでは良いな。何、お前ほどの腕があれば容易いだろう」
「いや。ちょいとね、最近はそうでもないのさ」
 長い髪を耳に掛けながら、フーケはため息を吐く。
 最後にした仕事、、は上手くいかなかった。それどころか、下手をすれば自身の命さえ危うかったかもしれない。

 考えてみれば、あの一件でフーケの状況はこんな風に変わってしまったのだ。
 もしも。
 貴族相手の盗賊家業をいくつかこなし、まとまった金を手に早々に足を洗っていたら。
 今頃、静かなあの村で、子供たちと和やかにテーブルを囲んでいたかもしれない。
 こんな、得体のしれない連中相手ではなく。

 そう思えば目の前の状況が少し嫌にもなる。
 フーケは眉を寄せ男を見返した。
「美しいな」
「はあっ?」
 物騒な話の合間、突然の男の言葉にフーケは自分の耳を疑った。
 しかし、仮面の男は淡々とした様子でフーケへと顔を向ける。
「それだ。そう言ったアクセサリーは、近頃の流行りか」
 そう言って仮面の男は自分の耳の辺りを指した。
 続いて、あの人形娘へとその指先が向く。
 つられるようにフーケもそちらを見る。
 俯きがちにペンを動かしながら、邪魔そうに髪をはらうシェフィールドの耳にもイヤリングがあった。
 フーケのそれは細い枠に雨垂れのように石が下がっているが。
 彼女のものはボタンのように耳たぶにぴったりと収まっている。意匠もずいぶんと異なり、宝石の周りには植物を思わせる細かい細工が施されていた。
 だが、共通する点もあるようだ。フーケは密かに視線を巡らせる。

 嵌められた石はよく似た淡い緑。そして、対のような指輪が……あった。
 手袋の上から、シェフィールドは耳にしたイヤリングとそっくりなデザインの指輪を確かに嵌めていた。
「さ、さあ。ちょいと貰ったもんだからね」
 曖昧に笑い返しながら。
 シェフィールドの手元を確かめたフーケは仮面の男には悟られないように呼吸を整える。

 オスマンが、どこかから手に入れたと言っていたこの小さな魔法具には『伝声』の魔法が込められている。
 『伝声』は名前の通り、離れたところへ声を届ける風系統の魔法だがそれも限りはある。距離に、精神力に左右される。
 だが、『風石』を加工していると言うこの魔法具はその効果を飛躍的に高めているのだと聞いていた。
 時間も、距離も障害にせずいつ何時も相手からのメッセージを受け取る事が出来る。
 それは、とても便利なものだ。
 伝令、情報はどんな場でも役に立つ。特に諜報活動にはおあつらえ向きだ。

 さるお方、などと呼ばれるお偉いさんに仕える者が持つにはふさわしいだろう。四六時中、耳目で得たものを即座に伝え主の指示を仰ぐ事が出来るのだから。

 だが。
 新入りの、一介の小悪党がこんなものを持っていると知れたら。
 別に持つだけならおかしくもない、だが間者や何やらと疑いの目を向けられたらどうすればいいだろう。
(そうなって、こいつらは……どう出る?)
 フーケは知っていて、たまたま気付いた。
 しかし、あの少女がそうかはわからない。

「まあ、わたしならすぐにでも言うかね。厄介の芽は早めに摘むもんだ」
 単に気付いていないだけか、そもそもフーケの考えすぎ。
 魔法道具によく似た別物、なんてこともあるだろう。知らないものからみれば、ただの装飾品だ。
 起きてもいない事に気をもんでいる場合ではない。
 今はやるべき事に集中し、連中に取りいる時だ。
 そんな風に、気をとりなおしたフーケの呟きに仮面の男が何事かと振り返る。
「流行りもいいけど女に物を贈る時には、よく考えなよ。色男さん」
「ああ、心配は無用だ。捧げるのは望むもの……飛び切り最上のものを、と決めている」
 胸元を探るように手を当てながら、仮面の男は深く頷いた。

 この男にもそんなあてがあったとは。
 誤魔化しへの予想外の返事にフーケは思わず小さく吹き出した。



*  *  *





 出発する時には昇ったばかりだった太陽はもうずいぶん高い所にさしかかっていた。
「もう半日近く走りっぱなしだ……どうなってるんだぁあ」
 ギーシュが嘆いても前で馬を走らせる垣根から返事やこれと言った反応はない。
 何度かそれとなく声を掛けてもあまり乗ってこなかった。
 彼は馬上ですっかりだらけているようだった。
 平民の暮らしでは乗馬自体慣れていないかもしれない。無理もない。
 ギーシュだってここまで長時間馬に乗り続けるのは経験がなかった。

 馬の揺れにあわせてこちらも姿勢を保ち維持して馬を走らせる。それ自体は経験をつめば難しくない。
 速歩駈歩を交互に行い、時折腰を浮かせ反撞を抜いてやる。そうする事で人も馬も負担を減らす事が出来る。

 だが、それも長々と繰り返していれば疲れも出てくる。
 二十リーグも走れば駅に着く。そこで活きのいいものと替えるから、馬の方はまだ余裕があった。
 しかし走り詰めのギーシュの方は馬を気遣う余裕はなく今やほとんど目の前の首に倒れかかるようにして乗っていた。
 姿勢を立て直そうにもあちこち痛い。
 二人より更に前を行き、先を急ぐ子爵はと言うと。
 軍人は鍛え方もそもそも体も違うのか。ほとんど休みなくグリフォンを走らせていても疲れた顔を見せる様子がなかった。
 ギーシュがたまに前をみると楽しそうにルイズとおしゃべりしているのが目に入る程だ。

 この強行軍も、女の子と一緒に遠乗りしていると思えば疲れないものだろうか。
 そもそも二人は婚約者らしいから、そりゃあ楽しいだろうなあ、なんてギーシュはぼんやり考える。

「――あれ、飛ばねえのかな」
「グリフォンかい? さあ、竜のように長い距離を飛べたかな」
 垣根は前を行く子爵の姿を眺めてそんな事を呟いていた。
 何気ない会話の糸口に、疲労困憊のギーシュもなんとか声をはりあげて応じた。
「ガタイの割に翼が頼りねえかなあ。竜も図体デカいしダラっと飛んでるみたいだけど、アイツは飛ぶより走った方がいいってのか? じゃあ何の為にあんな翼があんだよ」
 いや、人の事言えねえけど、とよくわからない事を口にしている。おかしな独り言を言う程度には、どうやら彼も疲れているらしい。
 それでも、おしゃべりはいい気分転換になるかもしれない。
 そう考えてギーシュは垣根の近くまで馬を寄せた。
「君は幻獣が好きなのかい。いや、僕のヴェルダンデはね、空は飛べないが実にいい使い魔だよ! 僕がどこにいても音でわかるし、鼻がよく利くんだ。宝石が好きでね、土メイジの僕には最高のパートナーさ」

 誰彼構わず自慢したくなるくらい、ギーシュは使い魔であるジャイアントモールのヴェルダンデをとてもとても気に入っていた。
 毛並みは柔らかく美しいし、目は宝石のように愛らしい。
 何よりギーシュを慕ってくれている。
 モンモランシーと喧嘩した時だって、彼は寄り添ってずっとギーシュの話をきいていてくれた。
 今回だって、任務につく事になったギーシュを案じてついてきてくれている。

 そうして自分の力になってくれる使い魔を愛するのはメイジとして当然の事で、大切な事だとギーシュは思っている。
 だが、ルイズの使い魔はそんなパートナーに対して随分な物言いで返してきた。
「なら宝石でも掘ってもらえば儲かるな」
「可愛いヴェルダンデにそんな真似はさせられない! ああ、させられないとも」
「声ひっくり返ってんぞ」
 鋭いツッコミにもへこたれない。
 グラモン家の男子たるもの、いかなる時も誇りを忘れてはならない。金がなくとも、腹が減っても。まあ、女性が絡むと事情は変わってくるが。

「つーかいつまで走るんだよ」
「確か、聞いた話ではラ・ロシェールまでは早馬でも二日かかるらしい」
 どれくらい来たのか実際の距離はギーシュは今ひとつわかっていない。残りの行程を考えたくもないが、単に時間だけでみれば四分の一が良いところだろうか。
 そんなギーシュの答えに垣根は頭を掻いた。
 うんざりしたような仕草に、ギーシュも互いの状況を憂いた。
 だが。
 既にへとへとなギーシュとは違い、垣根の背筋はまだまっすぐ伸びていた。
 その口から洩れるのも、疲れきり荒れた呼吸ではない。
 退屈な状況に嫌気のさしたような――なんとも呑気な欠伸だった。
「馬に張り付いてなきゃいけねえ、ってのは抜きにしてもだ。さっきから景色も変わんねえし。ケツの下が高級車のいい感じのシートだとしたって、この長時間座りっぱなしっつうのはウザってえよ」
 人通りもまばらな街道の左右を仰ぎ、垣根は何故か余裕の態度だ。
 ギーシュがふと目を向けると。
 そう愚痴る垣根の鞍は。
 ギーシュの馬のそれとは違い白かった。
 艶のある真っ白な鞍はどこか無骨な造りに見えた。鐙革の形も何だか少し違うように思えてギーシュは首を傾げる。
 二人が途中借りた馬はどれも、どこも同じような装備だった、ような気がするし違ったかもしれない。
「実は君、どこかの貴族の家の生まれだなんて事はあるかい」
 頭に浮かんだ疑問を違うもので塗り替えて。
 ギーシュは尋ねる。
「なんでだよ」
「そう言う物言いも含めて君はやはりどこか平民らしくないからね。そう言われても余り驚かない気がする。何よりこの僕を負かした男だ、ただ者じゃないのはわかるけどね!」
「テメェらのその根拠のねえ自信はどっから来てんだよ中二まっさかりか」
 呆れたようにギーシュを振り返り、垣根は傾げた首を鳴らした。

「君は、なんだその。意外とおしゃべりだな」
 学院での垣根は愛想の悪い印象だった。
 ルイズと、たまにキュルケと話しているところを目にするくらいだったし、そもそもギーシュとでは印象が悪いどころではないのだが。
 話しかけて、まだこうして返事がかえってくるのが驚きだった。

「くっ……う、はぁ。暇なんだよ。マジで」
 手綱を放し、大きく伸びをすると垣根は隠しもせず欠伸をした。
 そのまま器用に脚を組む。馬に乗っているのではなく、まるで長椅子で寛ぐような格好だった。
 どうやら疲れよりも退屈が堪えているらしい。へとへとなギーシュからすれば羨ましい限りだ。
「じゃあ俺ともお喋りしてくれよ相棒」
 垣根の背中でそれまで大人しくしていた剣がやっと声を出した。
 昨夜は散々な事を言っていたから気を遣っていたのかもしれない。
「愉快で素敵な煽り文句ならもう充分だ。よくもまああんなもんが思いつくもんだよな。三下メルヘン野郎ってなんだよ結構ムカついたぞ」
「ごめん相棒。あんときは俺も焦っててさ。ビビっときたからつい言っちまったんだよ。お願い許して鋳潰さないで」
 ガチャガチャと騒がしく、デルフリンガーは繰り返し謝った。
 それに対し垣根は観念したように頷き返す。
 案外、やかましい謝罪のやり方にうんざりしたのかもしれないけど。
「んー、この際お前でもいいけど。伝説と戦闘はパスな」
「俺からそれを取ったら何が残るんだい」
「そんなの自分で考えろ……ってかお前普段どこで物考えてんの?」
 黙って両者のやりとりを聞いていたギーシュはおや、と思った。

 垣根には前から。随分な、貴族相手に馴れ馴れしい口を利くものだと思っていたが。
 この剣相手にはいっそう砕けた様子で話しているようだった。

「多分、柄」
「ふーん。バラしたらなんか出てくんのかな。演算用プログラムでも組んだ集積回路か何か積んであんの。魔法だとルーンとかその辺が代用してんのか……こっちには何かねえのか、ってか相変わらず錆が邪魔だな」
 肩から掛けていたベルトを外すと、鞘を掴んだ垣根はまじまじとインテリジェンスソードを眺めはじめた。
 握った鞘を軽く振って、刀身を二十サントほど引き出すと柄には触れずに刃をじっとみつめている。
 その視線に不穏なものでも感じたのか、デルフリンガーは急に早口になった。
「相棒ちょっと待とう。お前さん暇だからってなんか物騒な事考えてない? 俺も長い事喋る剣やってるけどね、流石に壊された経験はないからどうなるかわかんないよ。パズルじゃねえから」
「やっぱ壊れたらそれっきりか。仮に元通りに修復しても……お前の意思っつーのもなんだけど、その辺は」
「なくなっちまうかもねえ。わかんないけど」
 それを聞いた垣根はしみじみと頷いた。
「良かったな。お前その性格で六千年だっけ。長い間、無事に済んでさ」
「ひどい! あれ、それともこれ喜んでいいの?」
「恐らく同情されてるんじゃないか。それは」
 横槍を入れたギーシュに、デルフリンガーは何故か得意げな笑い声で返した。
「ふっふっふ。わかってねえなあ貴族の小僧っ子。お前さん、愛情の裏返しって何だか知ってるかい」
 インテリジェンスアイテムのどうのこうの、は然程関心が無かったが。
 愛、と言われるとギーシュにもがぜん興味が湧く。
「愛情の反対ってのは無関心だ。頭にくるだのなんだのはね、まだ気持ちがあるから湧いてくるもんだ。そんな気もねえんじゃね、こりゃもうお終いよ」
「なかなか言うね。ふむ、確かに怒られているくらいはまだいいが、無視されるようになるといよいよまずいのだろうね」
 ギーシュは何となく、自分の身に照らして考えてみて納得してしまった。
 長年過ごしていると自称するものの言葉は含蓄があるような気がする。
「あとね。貴族の娘っ子もそうだけど、相棒もね素直じゃねえからさ。外に出すと気持ちがちょいとひねくれっちまうのよ」
「調子こくな」
「いたたた! だからこれも照れ隠しなんだよ」
 ガキン! と勢いよく鞘に押し込められたデルフリンガーはなんだか嬉しそうにまとめた。
 そんなやり取りをしている垣根達に、ギーシュは目を丸くした。
「なんだ。君も意外と面白いヤツじゃないか。前あった時とは別人みたいだよ」
「まぁ、テメェみたいにわかりやすく頭の中身垂れ流してねえからな」
 剣を背に戻すと、続いてギーシュに目を向けて。
 垣根は不思議そうに眉を上げた。
「テメェもなぁ。刺すか刺されるか、っつうのをいっぺんやりあった奴と呑気にダベってんだから大したタマだよ」
 呆れたような垣根の言葉にはいつかのような険はない。と、思いたかった。
 以前、学院の中庭で対峙した時の事を思い出すと未だにギーシュは肝が冷える。
「君相手に僕じゃ敵いっこないからね。構えても仕方ないだろう」
「じゃあ、精々俺の気に障らねえよう気をつけんだな。テメェはただの同行者だ。これから先、何かあっても余計な期待はすんなよ」

 そこからは。
 疲れはするが、道中の気分は随分ましだった。
 途中、食事や休憩を挟んだおかげでギーシュも元気になっていた。
 休まず行くつもりだったと言うワルドの言葉に。
 そのペースに付き合っていたルイズの調子が心配になって尋ねたら何故か驚かれてしまった。

 もちろん、ルイズはただのクラスメイトだ。
 顔は可愛いと思うが、クラスメイトだ。
 特別な相手でなくとも女の子と居るときは、相手が退屈したり喉が渇いたり疲れてないか。それなりに気にするものだとギーシュは思っていたのだが。
 どうやら違うらしい。
 ルイズもルイズで。
 学院での様子とは別人、何でかはわからないがまるで借りてきた猫のように大人しかったからその辺はワルドもわかりづらかったのかもしれない。
 ルイズは垣根の事を気にしてはいるようだったが、特に話しかけたりはしていなかった。
 そんな風にして駅での一息を挟みながら再び一行はラ・ロシェールに向けて出発した。
 やっぱりと言うか当然と言うか、ルイズはワルドのグリフォンに乗っていた。

「あっ、キスした」
 グリフォンの方を向き、大袈裟にギーシュは呟いてみた。
 垣根をからかってみようと吐いた嘘だが、ギーシュの期待に反して垣根の反応は薄い。
「ふーん」
「君は二人が気にならないのかい」
「何が。フィアンセなんてのはそれくらいすんじゃねえの? あれ、こっちじゃキスって挨拶がわりじゃないのか」
 口にしつつ首をひねる垣根の言葉に。ギーシュは思わず身を乗り出した。
「どどどどこだい! そんなうらやましい所があるのかい?!」
「えらく食いつくな。勝手に盛り上がってる所悪いが、他人に声掛ける度にそんな事するような地域はそうそうねえと思うぞ。多分」
 下手すりゃ犯罪だろ、と付け足して垣根は肩をほぐすように軽く腕を回した。
「ま、アイツがどこで誰と何しようと。俺には関係ねえ」
「主人と恋人は別かもしれないが。じゃあ、君はそう言った――」
「だから。他人の事どうこう言ってる暇があったら、自分の世話焼いてろよ。確か前の女、二人いたろ。あれは?」
「くっ、君のその余裕……厄介以上に憎らしいね」
 ぎぎぎ、と歯噛みしてギーシュは垣根を睨んだ。

 正直なところ。
 ギーシュは垣根が気になっていた。
 決闘で負けたのもある。むしろ、そのおかげでとんでもなくおっかない奴だと思っている。
 だが、それ以上に。

 垣根は学院の女子にそこそこ人気があった。
 かつての自分に比べたらまあ、とギーシュは思うところだが。
 決闘騒ぎはもちろん、ルイズの使い魔やフーケあれこれで目立ったのもある。
 平民だが。顔は良くて強いとなるとそれだけで女子の注目を集める。
 そして、あのキュルケが狙っていると言うのも有名だった。
 あの、、ツェルプストーが果敢に挑み、未だ落とせていない男、となるとそりゃもう女子ならずとも男も気にするものだ。
 男子の間では、裏じゃああの生意気な使い魔は主人からゲルマニア女まで……なんて噂もまことしやかに囁かれたくらいだ。

 そんな男をライバル視、いや気にするなと言うのはギーシュには難しかった。
 本当のところはどうなのか、とか興味も湧く。
「テメェもその面なら女には困らないだろ。違うの?」
「き、君だって故郷ではさぞモテたんだろうね!」
 返事の代わりに一拍空いた間に、垣根の方を見たギーシュは慌てて目をそらした。
 訝しむように目を細めて垣根はこちらを見ていた。鋭い視線につい身が竦みそうになる。
「いつだかルイズが言ってたのさ。君は何でも東方の異国生まれらしいじゃないか。おっかない顔しないでくれ」
「……まぁ、モテたって言えば、ある意味モテたな」
 そう言って、納得したのか垣根はなんだか懐かしむように遠くを眺める。
「もしや国に恋人でも居たとか…悪いことを聞いたかい」
「別に。決まった相手は――何だ、テメェと一緒にすんなよ? でもある意味、貴族様共と似た所はあんのか。なら少しはわかるかもしれねえが、そう言うの作るとな。面倒なんだよ」
「……女子がよりどりみどりで困るだなんて言わないだろうね」
 うんざりした様子で語る垣根の背中を見ていたギーシュの眉間に、力がこもった。
「そうじゃねえよ。テメェらは、家がどうとか跡継ぎとか色々あるんじゃねえのか? 俺の場合、個人でそう言うのが付いて回るんだよ。金、利権、そこにおまけで枷なんてついてみやがれ。おちおち遊んでもいられねえ」
 意外にも、気乗りしない返事が返ってきた。
 楽しげな様子のない垣根の言葉に。
 ひそかに華々しい自慢話を期待していたギーシュも虚を突かれた。
「そんなことを気にしてたら大変そうだな」
「そう言うの狙いで寄ってくる連中もいたしな」
 わからない、とギーシュが首を傾げると垣根はほんの少し考えてから続けた。
「派閥、家柄狙いの貴族からいらねえ見合い話がわんさか来る、って言うと伝わるか? 実際もうちょいキツいんだけど。DNAマップ狙いのブローカー、交渉人なんて昔はガチでヤバいストーカーみてえだったしな。真贋以前に手に入れても活用出来んのかってとこから怪しいんだけど。俺の場合他で似たようなサンプル確保出来ねえだろうから当然値も上がるんだろ、必死になるのも無理ねえんだろうが」
 半分も理解出来ない言葉が続くが考えたってわからないのでギーシュは流した。
 相手の話にとりあえずうなづいておいても問題ないだろう。
 無闇に質問などして彼の話の腰を折るのも、何だかおっかない気がしていた。
「それで? 君はしつこい誘い話をどうしたんだね」
「俺は自分の面倒くらい自分でみれる。始末はこっちでつけたに決まってんだろ。余計な保護も管理も必要ねえ。まぁ、どっかのお嬢様連中は厳重管理下でヘアスタイル一つ変えるのにも苦労するんだと。どっちがいいのかはわかんねえけど」
「何というか僕らなんかよりよっぽど自立してるんだなあ君は」
「別に。普通だろ」
 彼の語る普通、がすでに一般的な。
 ギーシュ達の思うそれとは違っていることはわかった気がしていた。
 感心したのか、それとも余計になんだかつかめなくなったのか。
 ギーシュがルイズの使い魔の印象を深めていると。
 ふと、それまで前を眺めていた垣根が振り返った。
「そうだ。テメェ確か土メイジだったな。わざわざ凝ったゴーレム作るくらいだから、『錬金』なんかは得意だろ」
「まあ自信はあるけど……何故そんな事を聞くのさ」
「テメェに活躍の場を与えてやってもいいって話。どうだ」
 折角の任務。願ってもない、今後恵まれるかもわからない晴れ舞台だ。
 ギーシュだって手柄の一つもあげたい。
 しかし、この少年の提案を聞いても大丈夫だろうか、とつい嫌な方にギーシュの頭は働いてしまう。
 きっと、ギーシュが思っている以上に彼は賢く、力もある。
 だが。
 その垣根の笑顔が、何か企んでいると言わんばかりに裏のありそうなものに見えていた。
「どうせ、何か条件があるんだろうね」
 尋ね返した声は少し掠れていた。
 疲労とおかしな緊張で喉の奥がヒリついているようだった。
「ドット相手にそんな難しい要求はしねえ、俺の言うようやればいい。まぁ、余計な真似はすんなよ。で、テメェ他には何が出来んの」
 垣根はにやりと笑みを深める。
 ギーシュ達の両肩にかかるのは国の為の任務の筈だと言うのに。
 その顔はなんだか悪事の片棒を担がせようとしているように見えた。

「小僧っ子ずりぃなあ。相棒相棒、俺はなんかないの」
 他に聞く者もいないがひそひそと、意味もなく声を落としながら話し合う二人の話の合間。
 つまらなそうにデルフリンガーは愚痴をこぼした。
「お前は別に……ああ、あったな」
「何?!」
「暫く黙ってろ」
 持ち主になんとも邪険に扱われ、嘆く剣はひと騒動ありゃいいのに……なんて物騒な一言を残して静かになった。


*  *  *





 街道から少し外れた草原で垣根達は地面を見下ろし、頭を悩ませていた。
 足元、土の上に転がるのは十数名の男達だった。

 ラ・ロシェールまでの道中で行き交う、旅人、商人、そんなものに混じっていたこの一団に襲われたのはつい先ほどの事。
 それも、前からやってきたおかしな――荷の代わりに武器を手にした男ばかり乗せた――馬車達にデルフリンガーがいち早く気付いたおかげで対処が間に合った。
 彼等の獲物はナイフ、剣、棍棒とどれも冴えない。
 街道沿いに巣食う野盗一派といったところだった。
 こちらにはメイジが二人、そのうち一人がスクウェアともなれば迎撃するのは容易い事だった。
 垣根がした事と言えば、一応ルイズの様子を伺い、魔法でやられた男たちを逃がさないよう少し動いたくらいだ。
 一度も抜かれる事無く、背中で剣が泣いていた。

「よくまあ、荷台にいたのがあんな連中だなんてわかったね君は。ただの剣じゃなかったのか」
 驚きを通り越し、ため息交じりにギーシュは首を振った。
 ここに居たほとんどが、デルフリンガーの事を「お喋りな剣」だと思っていたから余計だ。
 最初、警告した時も垣根以外はまともに取り合おうとしなかったくらいだった。
「俺は知性のある武器だぜ。持ち主に何かありゃあ、対処できるようにできてんのさ。襲われる前に敵がいねえか調べるくらい楽勝よ」
 褒められて少しは気分を持ち直したのか。
 襲撃の最中放っておかれて沈んでいたデルフリンガーは嬉しそうに返事をする。
「デルフリンガー、と言ったか。どれくらいの事がわかるんだ」
 ワルドは腕組みをすると値踏みするように垣根の背を睨んだ。
「平民とメイジ、人形と人間の違いは何となしにわかるけどよお。それ以外となると難しいねえ。例えば、外からじゃ区別がつかないのもいるぜ。ある程度の精神力の流れがあって、それを自分で扱える連中とかなあ」
「それでは、例えば水魔法で操られた者が居て何か起こしたとして。区別はつくのか」
「細かい事まではねえ。操られてやったのかどうか、ってんならわかんねえだろうなあ。心ん中がとんでもなくおかしくなってんなら、俺を握ってもらえば何かわかるかもしんないけど。そうでなくても魔法を掛けたメイジの腕がよけりゃ違和感なんて薄くなっちまうもんだ」
「その仕組みは『探知魔法』か。しかしわれわれのものとは精度が違うな」
 みすぼらしい朽ちかけの剣、と言う外観を裏切る予想外の性能に感心したのか。
 自嘲めいた呟きでワルドは笑って見せる。
「おう。一切合切あたりのもんを判別出来るようになってる。おっと、四六時中そんな事やってるわけじゃないぜ? ま。人間と違って俺みたいな物は疲れないし考える事も少ない。だから入ってくるあれこれ感じたもんを判断するのが面倒だなって思うくらいだけど、おんなじ事を人にやらせたらしんどくて頭が痛くなるだろうね」
「どれくらいわかるの? たとえば、ここに居る誰かがはぐれちゃったりしたら探せる?」
「一番遠くて一番ぼんやりするのが四百メイルくれえかな。確か、敵の矢が届く範囲は用意してりゃわかるんだった。『使い手』に怪我でもされちゃ困るんで。でも的がこいつだ、ってはっきりしてりゃそれでも十分よ。たとえば相棒や娘っ子はよく知ってるし目立つかんね、そう見失わねえさ」
「僕はどうだい」
「小僧っこは……うーん。ピンとこねえなあ。どっかで迷子になんないように気ぃつけな」
 笑ってそう返されたギーシュはなんとも情けない顔でしょげ返る。
「六千年間過ごしてりゃ、色んな事は経験すっからよぉ。別に大したもんじゃねえよ」
「その話は初耳だけどな」
 不満げに洩らした垣根に、慌てた様子でデルフリンガーはまくしたてた。
「今思い出した! だからこうやって話してんのさ。ね、相棒!」
 いつもの調子で騒ぐのを横目に、ルイズはふっと笑みを浮かべる。
「あんたがこいつにあれこれ話してるの。てっきり大袈裟な作り話かと思ってたわ。ほんとの話だったのね」
「おうよ。俺様はデルフリンガー、『ガンダールヴ』の相棒もつとめた由緒正しいインテリジェンスソードよ」
 珍しく注目を集め、役立ったことに機嫌を良くしたのか。
 デルフリンガーは浮かれきった様子でそう答える。
 依然、鋭い視線のままワルドはおかしな剣とその持ち主を眺めていた。

 さて。
 捕らえたものの、こいつらをどうするか。
 男ばかり面つきあわせてそんな話をする事になった。
「貴族に喧嘩売る馬鹿ってのがゴロゴロ居るんなら気にしねえけど。そうじゃねえだろ?」
 単に、物盗りなら放っておいてもいいかもしれないが、それだけではない。
 幻獣に乗った、あからさまに貴族然とした男が居て。
 十や二十数がいても。平民が敵うと思いかかってくるかどうか、は難しいところだった。
 一先ず仔細を聞き出す、と言う事でワルド達はまとまった。
 そう言う事ならプロに任せるべきだ、とギーシュの意見で真っ先にワルドにその役が振られたが。
 これもまた経験だ、君たち少しやってみたまえ。
 と、辞退されてしまった。

「俺、尋問とかした事ねえんだよなあ。必要なかったし」
 拘束され、転がされるように座らされた男達を見回すと。
 億劫そうに垣根は首を鳴らした。
「相棒も意外と平和主義かい。じゃあどうやってこう言う連中からあれこれ聞き出すのさ」
 デルフリンガーの疑問に垣根は得意気に腕を組む。
「人間、一人くらい隠し事が出来ねえ相手や何でも話せるオトモダチってのがいるもんだ。そこを突けば後は勝手に口を割る。中には大事な奴にこそ本当の所は明かさないって言うタイプもいるらしいが。逆に何の関わりも興味もねえ他人にはつい零しちまう、なんて事もある。まぁ、実際何をどうするかってのはちょっとした企業秘密だけど……そう言う役がいなくなんのも案外不便なもんだな」
 緊張感のかけた垣根の態度に、ワルドは苛ついた様子で声を掛ける。
「それで。君はそいつらが話したくなるのをのんびり待っているつもりか?」
「いや。面倒だし、手っ取り早く痛い目みてもらうか。ベタな所だとさ、やっぱ最初は指か? 爪に針、剥いだら指折って、順に落とすとかそんな感じか。まぁ、適当にやるけどこんだけいるなら何人かしくじっても大丈夫だよな」
 気軽に発せられた言葉に情けない声を上げて何人かの男がもがいた。
 後ろ手にされ、更に親指同士をきつく縛られている為。既に鬱血し指先が気味の悪い色に変わっている者もいる。
 それを手づから行ったのは、他でもない垣根だ。
 ギーシュは嫌そうに彼らから視線を外している。
「お前、ポリグラフみてえな機能はねえの。嘘を見破るとかさ」
「握られた相手の心の震えがわかるって言っても、そんな繊細な真似はできねえなあ。それに今からおっかねえ目にあうって連中相手じゃあ『恐い』ってのでみんな一緒くたになってそうだしよお」
 俺を持たすんじゃ、腕を解かなきゃだめじゃねえの? と、デルフリンガーが尤もな指摘をした。
「やっぱり俺がやるしかねえのか。まぁ、さっさと吐いてくれると俺も助かるぜ。一人ひとり楽にしてやるような親切さは期待するなよ」
 いたって明るい調子で。
 垣根は男達にそう告げた。
 しかし。
 その表情がふと変わる。
 うんざりと、面倒そうに息を吐いてから。垣根は後ろを振り返った。

 ずんずんと、髪を振り乱したルイズが奇妙な一団に近づいて来ていた。
「何しに来やがったんですかね。御主人様」
「あんた達こそどうするの? そいつらはもう捕まえたんでしょ」
 馬を留めた所にいたルイズは、待ちきれなくなったのか三人を追って来たらしい。
 任務の真っ最中だ。余計な油を売っているなと、急かしに来たようでもある。
 水を差された垣根はルイズを睨むと。
 背中から剣を下ろした。
「こっちもいろいろあんだよ。丁度いい、お前デルフと一緒にあっちで残りが居ねえか見張ってこい」
「なによそれ! って言うか主人に命令しないでよね」
「よーし残党狩りだな! 娘っ子、行こうぜ!! 俺を連れてってくれるかい」
 垣根に言われ、ワルドにも離れているよう言われて。
 ルイズは、浮かれた様子のデルフリンガーを渋々抱えていった。
 ルイズの姿が充分男達から離れるとワルドは垣根に尋ねた。
 真剣な面持ちだった。
「まだこいつらの仲間がいるのか?」
「いいや。それはデルフの奴が一番わかってる筈だ。それに、たまには気も利くぜ」
 先ほど披露した索敵、探知能力はもちろん。
 持ち主である垣根の思惑も、ある程度汲める頭はあるようだった。
「では何故ルイズを一人で行かせた?」
 ワルドは不満そうだった。
 任務の事を考えれば、関わりがあるかもしれないこの連中は放っておけない。
 しかし、婚約者を危険な目に合わせるのではと思うならそちらも放っておけないだろう。
 苛立つのも無理ない事だ。
「こっから先はガキには刺激的、っつう予定だからな。騒がれると邪魔だし。何かあればあの剣が知らせるが、心配ならあんたがついてりゃいい」
「なら僕も失礼して……」
 これからはじまる愉快そうな催しに、早くもげんなりしていたギーシュはそそくさと離れようとしていた。
「ミスタ・グラモン。あなたには残っていただかないと、丸腰の俺一人じゃ心許ないじゃないですかー」
「うっ、嘘だ! 僕に何をさせる気だい」
 これっぽっちも隠す気のない棒読みで、垣根は笑顔を浮かべて近寄ってくる。
 たまに使い魔が怖いとルイズが以前こぼしていた事が、この頃わかりそうな気がしているギーシュだった。
「よしよし。物分かりのいい馬鹿は嫌いじゃないぜ? まずはこれから言う通りに『錬金』してくれりゃあいい。後は教えたように、だ」
 そう言って、ウインク一つしても様になる少年は。
 地面に転がった男たちと、何とも楽しそうに話し始めた。

「あ、アルビオンに向かう奴を狙ってた。それだけだ」
「次」
 横這いにされ、手を踏みにじられた男が叫んだ。
「あんたらが金持ってそうだから襲っただけだよ本当だ!」
「はいはいつぎー」
 ゴキン! と嫌な音を立てて両肩の骨を痛めつけられた者は。顎を砕く程の勢いで歯を食いしばり呻いている。
「嘘吐いてねえよなあ? 本当の事を言えば、テメェの命は見逃してやってもいいぜ」
「嘘はいわねえ……ここを通る貴族を狙うのが仕事だったんだよ!! 俺は言われてやっただけだ」
 必死の形相で叫んだ男は腹を蹴られ咳き込む。呻く事すらままならない。

 最初の三人はだんまり。仲間が散々な目に合わされたのを目の当たりにして、やっと口を開き始めたと思ったが、そこから四人続けても成果はさっぱりだった。
 そんな様子に首を振ると、垣根は男達の前で見せつけるようにポケットから片手を抜いた。
 ジャラジャラと、開いた掌からは金属で出来た楔のようなものが落ちる。
 針のように細いものから小さな子どもの指と変わらない程の太さのものまで大小さまざまだ。
「時間かけたいんならお好きにどうぞ。お互いの為を考えんなら、空気読めよ?」
 飽き飽きしたように言い捨ててから。
 垣根はにっこりと笑顔を作った。
 地面に転がったまま首を縦に振っている男の前に近づくと、その前にしゃがみ込む。
「じゃあ次、テメェだ。他の奴が言ってねえ事があったら吐け。その分長生き出来るかもな」
 そう吹きこまれ、男は震えながら口を開いた。
「頼んできた奴の顔はしらねえ。仮面の男だ。グリフォンと馬二頭、それを襲えとしか聞いてねえ。首尾よく金が奪えりゃいいって話だった。あんたらを殺せとも、俺達は言われてねえ」
 だから殺さないでくれ、と言いたげに顔をぐしゃぐしゃにしながら男は頷き続けている。
 その顔を、目を細めて垣根は覗く。
「俺達は、か……他にもいるんだ?」
「そうらしいってのは聞いた! あとはしらねえ、もうしらねえよ! 助けてくれ、いいだろ。俺は助けてくれよ!! こんなしけた仕事で死ぬのはごめんだ!」
 無様な姿に。
 やれやれと息を吐いた垣根が手を二回叩くと、地面から生えた『アースハンド』が男の顎を捉えた。
 強烈な一撃を食らい男は俯せの姿勢から仰向けに、勢い良く後ろに倒れる。白目をむいて崩れ落ちたらそれきり。
 起き上がるなんて様子はないようだった。

「これだけやって代わり映えもねえ、他に立候補してくる様な奴もいないんじゃこんな所が精々か? まぁ、まだ後が控えてんならこの先退屈せずには済みそうだけど」
 それからまた二人ほどの男と交渉しても。
 これと言って特筆するような事は聞き出せず垣根は街道を振り返った。
 馬を待たせた辺りでは、デルフリンガーを横に置いたルイズが座り込んでいる。
 どちらにしろ潮時だろうと見切りをつけて、垣根は上着を整えた。

 野盗連中をそのまま置いて、ワルドと垣根はきた道を戻っていた。
 途中、ワルドが男達を窺うように振り返った。
「いいのかい使い魔くん、連中をそのままにして」
「あれでやり返してくる気があるんなら大したもんだ。それに俺が面倒見てやらなくたって依頼した奴ってのがちゃんと片づける、、、、だろ。しくじった奴を慰めてやる依頼主ってのもいねえだろうし」
 俺ならそうする、と大して興味もなさそうに答える。
 その垣根の言葉通りかは定かではないが。
 ボロボロになった彼等が逃げる様子はまだなかった。
「それとも、これ以上無駄な時間割いていいのか? 俺たち急いでるんだよな」
 とは言うものの、捕らえた男達を縛り上げて尋問し終えるまでに費やしたのは大した時間ではない。
 少し馬を休めるには丁度よかったくらいだ。
「ああ。その通りだ。だが結局、ろくな情報がなかったな」
「まぁ、期待通りだったけど。こう言うのは少しくらい予想を裏切って欲しいもんなんだな」
 残念そうに垣根は肩を竦める。
 首を傾げ、ワルドは垣根の言い分を促した、
「知らねえ事まで吐かせるのは無理だろ。あの連中、雇われたにしても貴族狙いにしちゃ軽装すぎだ。脅すにしろ仕留めるにしろ、銃くらいねえとメイジ相手に使えねえ。それを準備させてねえっつう事は。話を持ってきた奴ってのは最初から、あいつらが上手くやるなんざ思ってなかったんだろうな。そんな捨て駒にあれこれ話しておく方が珍しい」
 後は、あいつらも雇い主もどっちも考えの足りねえ馬鹿だったのかもな、と垣根は笑う。
 その答えに、何とも興味ぶかそうにワルドは腕を組んだ。
 視線が鋭いものになっていた。
「ふむ。使い魔くんはどう見ているんだい。本当に、あいつらの仲間がこの先も襲ってくると思うかな。あんな連中が貴族派だとも思えんが」
「さあな。だがあんたらは周りに気を配って損はねえ筈だ。相手がどいつでも、そのつもりがあるなら気付かれる前に襲うだろ。それなら遠距離から狙撃ってのが一番だ。手も汚れねえしな。銃、弓、魔法。ここの飛び道具がどれくらいかは知らねえけど」
「悪くない読みだが、それが君の流儀かい。腕のいい剣士だと聞いていたが暗殺者の才能もあるのかな」
 出来のいい子どもをほめるように。感心した様子でワルドに尋ねられて垣根は首を振った。
「そんなのも出来なくはねえけど、向いてるかは別問題だな。ほら、俺って目立つし」

 振り返ると、一足先に戻っていたギーシュが何やらルイズに怒鳴りつけられている。
 ワルドと垣根は、何事もなかったような顔をしてそちらへ足を進めた。

=======


名前は女子だけど僕って言ってるからヴェルダンデはオスなんでしょうか。それとも僕っ娘とかなんですか

垣根にはムシャクシャしてやらせた。正直反省してない

今後の戦闘含め垣根の動かし方でだいぶ悩んでたんですが、方向性はひとまず定まりました。
がんばれギーシュ、あとワルドさんも。
シェフィさんもコンニチハ。
今度は右手のタイミングをはかりかねていたり






[34778] 20
Name: しろこんぶ◆2c49ed57 ID:f059bc6a
Date: 2014/08/02 01:04





 大急ぎで馬を飛ばしてきた一行はその日のうちにラ・ロシェールへとたどり着くことが出来た。
 月明かりの中、峡谷の合間の山道を進む。
 ほっとしたのかギーシュが安堵の声を上げた。
 その時だった。
 ルイズ達の眼前に突然赤々と燃える松明が投げ落とされた。
 脅えた様子で馬が嘶く。
「上だ!」
 デルフリンガーの声に、皆が薄明かりに浮かび上がる崖を見上げれば。
 岩陰からのぞく人影が更に松明を投げ落とすところが見えた。
 いきなりの出来事に足を止めたルイズ達は炎に照らされ、身を竦ませる。
 その足元に矢が刺さった。
 どこからか鋭い笛の音か響く。
「くそ、奇襲か!」
 ワルドが叫ぶ。
 続いて、杖を振ると襲撃者の第二射が巻き起こるつむじ風にからめ捕られた。
 そしてワルドは、ルイズを抱え降ろし素早くその場から離れる。
「ルイズ、こっちだ。ここに隠れていろ。君たちも散れ、そのままではいい的だぞ」
 その言葉にギーシュは大慌てで荷物を抱え馬を捨て、明かりを避けるように道の端へと走った。
「連中、やっぱり来やがったらしいな」
 何故か、嬉しそうに口元を歪めて。
 垣根はルイズ達が身をひそめた岩の傍へとやってきた。
「テイトク? どうしたの」
「あっちと違ってこっちには飛び道具、、、、がねえからな」
 垣根はワルドを見てにやりと笑う。
 その視線を受けて。
 ワルドは肩を竦めると帽子のつばを軽く弾いた。
「まったく仕方ないね。ここは、僕の婚約者を任せるよ使い魔くん」
 勇ましく、マントを翻しワルドは杖を掲げる。
 再び主を背に乗せたグリフォンが鋭い鳴き声と共に夜空に羽ばたいた。
「ひいっ? こっちにもいるぞ!」
 ギーシュの悲鳴に振り返れば、崖の上だけではなくさっき通った道の向こうからも男たちがこちらに向かっているのが見えた。
 離れた所からも蹄の音が聞こえる。
「あいつらの仲間? いつの間にきたのよ」
「デルフ」
「いや、俺はみてねえよ。上に居るのはわかったけどよお。連中、たった今寄ってきたんだよ」
 道を挟む崖、背後と三方向からの敵襲。
 低い声で垣根に呼ばれ、デルフリンガーは焦りながらも言葉を続ける。
「またぞろ奴さんらは馬車でも使ったのかね。うーん、昼間の奴らとそんなに変わらない感じだ。武器も似たようなもんだし。けどあの貴族のにいちゃんは上の奴らにかかりっきりだろ? 小僧っ子一人でもつかねえ」
 即座になされた状況報告に垣根は頭を掻いた。
「ったく、仕方ねえなあ。いいかデルフ、ちゃんと探っとけよ」
「おうよ!」

 いくらギーシュが頼りないぼんぼんだと言っても。一応はメイジ。
 敵を前に呑気に震えているだけではない。既に三体のゴーレムが迎え撃っていた。
 だが、一人、二人と男たちは複数人でギーシュの作り上げたゴーレムに組みかかる。
 単独ならまだしも、乱戦になだれ込まれては上手く操作も出来ないだろう。
 じりじりと後退するギーシュへと、剣を持った男が迫った。
「おおッ?!」
 しかし。
 おかしな声を上げて男は突然地面の中にめり込んだ。
 そのすぐ横に顔を出したのは、大きな土竜。ここまでじっとついて来ていたギーシュの使い魔ヴェルダンデだった。
「ああッ! ヴェルダンデ! 僕を助けにきてくれたのかい?」
 感動のあまり涙を浮かべるギーシュに、ひげを震わせ頷くと主思いの使い魔は再び地面へと潜っていった。
 続いて、ギーシュに近づいてくる男二人の前の土が柔らかく掘り返された。
 地面に足を取られると。
 彼らはあっという間に胸まで土の中に引きずり込まれてしまう。
 それでも向かってくる男たちはまだ減る様子がない。
「グラモン、使い魔が頑張ってんぞ。テメェの見せ場はどうした」
「あ、ああ。わかってるさ。僕の見せ場だな。やるぞできるぞ……父上母上、ギーシュは男を見せます」
 片手を口に添え、垣根から気のない声が飛ぶ。
 意を決したように。
 ギーシュは杖を握りなおすと『錬金』を唱えた。
 すると。
 少し遅れて襲撃者の足元から、白いものが現れた。
 それは鋭い槍のようにあっと言う間に伸びる。
 ギーシュの前で膝から下を貫かれた男が倒れた。
 崖の上でも矢をつがえていた男が数人、呻いて崩れ落ちる音がした。
「おうおう小僧っ子。なんだ、お前さんやれば出来るじゃねえか」
「は、ははは! 可憐な薔薇には棘があるもの。貫かれたくなければ速やかに降伏したまえ、っととと!?」
 得意満面で杖をかざしたギーシュめがけて、男達は一斉に射かけてきた。
 慌てて作り上げた戦乙女ワルキューレを盾にするとギーシュはその後ろで身を縮める。
 慌てふためくギーシュに笑い声を上げると。
 デルフリンガーは続いて垣根に声を掛けた。
 どこか窘めるような調子だった。
「ちょいと調子に乗ってんよ。いいのかい勝手に言わせて」
「別に。陽動ってのはあれくらいでいいんじゃねえの。それで……どうだ?」
 垣根の問いにデルフリンガーはううん、と唸る。
「やっぱ上のはズレてるよ。相手も動くし、調整はしてもらわねえと。そうさなあ…当たり所が悪かったのが二人は死んだね」
「目視出来る範囲なら問題ねえし、それ以外もカバーするってのは可能だが、今やるには手間だな。まぁ、とりあえずこんなもんだってわかっただけで良しとするか」
「あんたたち、ちょっと」
 声を潜めた呑気でなんだか不審な会話を、ルイズが遮った。
 不満げに、と言うよりは心配そうに腕を組んで辺りの様子を窺った。
「二人に任せっぱなしで大丈夫なの」
「じき片付くんじゃねえの」
 垣根は退屈そうに、道の両側にそびえる崖を仰いだ。
 崖の上にいた男達はワルドに圧倒されているようだった。
 流石、衛士隊の隊長を務めるだけの事はある、見事な腕の冴え。
 振るわれる『風』の魔法は攻防一体の礫となって彼らに攻撃の隙を与えていない。
「あんたはいかなくていいの? ああ言うの好きでしょ」
「俺はどこの戦闘狂だっつうの。俺だってやり方やTPOくらい弁える……ってかお前も反応薄いな」
 呆れたような垣根にルイズは首を傾げる。
 こんな状況だから、さっさと敵をやっつけに行ってしまうと思っていたのに。
 垣根はルイズの前から一歩も動かなかった。
「折角、この俺が使い魔っぽい事してやってんだから。少しは喜べよ」
「ふえ?」
 ルイズは目を丸くした。

 その発想はなかった。
 確かに、今のこの感じは「従者に守られるお嬢様」っぽいかもしれない。
 ルイズ達より手前、峡谷の入り口により近いところに居るギーシュの側で襲撃者は都合よく足止めされてくれている。
 今も、時折地面から生える棘や槍のようなものに腕や足を撃たれ、その行く手を阻まれているようだった。
 だけど、もしもこちらにやって来たら。
 垣根は戦ってくれるのかもしれない。ルイズの為にも。
 と、言うか垣根自身にそんな自覚があるとはルイズは考えていなかった。
 だって、相手はあの垣根だ。
 自分勝手で文句ばかりで偉そうで。いつも人を馬鹿にしているような、俺様の使い魔だ。

 驚いたルイズは答えに詰まってしまう。
 口と態度に出るのは裏腹に。照れ隠しにもならない悪態だった。
「あっ、あんたね! こんなの普通よ! いつもがおかしいんだからね」
「残念。俺にその常識は通用しねえ」
 そんな風に二人が話す間にも、ぶつぶつと小さな声でデルフリンガーは呟き続けていた。
 長々と何かの数を読み上げているように聞こえたが、ルイズにはさっぱりわからない。
「ねえ。デルフリンガーはさっきからどうしたの」
「気にすんな。ちょっと相手を探らせてるだけだ。おい! サボってんなよ」
 垣根が一喝すると、ギーシュは大慌てでこちらに腕を振った。
「ぼっ僕はね! ゴーレムの、操作もっ、してるんだぞ! まだ手伝わなきゃいけないのかっ!」
 半ばヤケのように叫ぶ。
 まだ、目の前には敵がいるのだ。あまり余裕はないだろう。
 そして薔薇の造花が振られるとまた、『錬金』で白いスパイクが生み出される。
「適当にやれって言ったけど。結局素材は何にしたんだあいつ」
 こめかみを軽く撫でると、そんな言葉を洩らして垣根は首を傾げた。

「奴ら、しぶといな」
 崖の上をあらかた片づけてきたらしいワルドとグリフォンがルイズ達の側へ降りてきた。
 それでも地上の連中にまだ引く様子はない。
 しきりに何かを窺うような、待つような素振りをしながらじりじりとこちらへ詰めよってきている。
「ハァ、もう……ここまでだよっ」
 続いて。
 げっそりした顔でギーシュが逃げてくる。
 手にした造花の花弁はすっかりなくなっていた。
 こちらは既に魔法が打ち止めらしい。
「手詰まりか? どうする、使い魔くん」
 ワルドが真剣な面持ちで息を呑んだ。
 張りつめた一同の緊張の糸を破ったのは。
「皆々さま安心しな。こいつぁ、増援みたいだぜえ」
 デルフリンガーの呟きと。聞こえてきたグリフォンのものより重い、羽音だった。
 続いて大きな炎が闇を裂く。
 一塊になっていた男たちが悲鳴をあげて散り散りに逃げる。
 その足を、吹き付ける烈風が払う。
 飛び交う新たな魔法の前に次々と襲撃者達は倒れ伏していった。
 また、どこからか笛が鳴る。続けて三度。
 それが何かの合図だったのか、後列にいた無事な男たちは何事か怒鳴りながら踵を返していった。
「これって」
 目を丸くするルイズ達の前に、見慣れた幻獣の姿が現れる。
 青い風竜。タバサの使い魔、シルフィードだ。
「ハァイダーリン、あとヴァリエールも。お待たせ」
 竜の背を降りると真っ赤な髪をかきあげてキュルケはウインクした。
「ツェルプストー? あんた何しにきたのっ!」
 垣根の後ろからルイズは怒鳴り返した。
「あらぁ。助けにきてあげたのにそんな言い方ないんじゃないの」
「ふ、ふん。そんな必要なかったわっ」
 ルイズは腰に手を当てると自慢げに胸をはった。
 垣根に庇われるように立つルイズに眉を寄せると、キュルケは不満そうに腕を組む。
「あら? あなた、見た事あるわ。この前の式典にいたトリステインの軍人さんね?」
 だが、すぐさまワルドに目を向けるとキュルケは妖しく微笑んでみせる。
「素敵なおひげね。どうしてこんなところにいらっしゃるのかしら」
「仕事中でね。ああ、済まないが君の相手をしている暇はないんだ」
「なによ。イジワルね」
「恋人は間に合っているのさ」
 苦笑いを返すワルドの言葉にキュルケは一同をぐるっと見回した。
 ルイズに顔を寄せるように屈みこむと、大袈裟に両手で口元を覆う。
「ヴァリエール。何よ、あんたこんな立派なカレがいたの?」
「婚約者だよ」
 顔を赤らめて俯くルイズに手を差し伸べると、ワルドはにっこり笑ってその肩を抱いた。

 一体なぜこんな所にいるのか。ルイズがキュルケの話を聞いていると。
 残っていた襲撃者どもの話を聞きまわっていたギーシュが戻ってきた。
 とは言っても、五体無事なものの多くはすでに逃げてしまっていた後だ。
 時間はかからなかったが、拾った松明に照らされた顔はげっそり疲れ切っているようだった。
「やっぱ昼間の奴らの仲間だとよお。他はさっぱりわかんねえや」
 ぼやくデルフリンガーを背負った垣根がなにやらおかしそうに笑っていた。
 おや、と思ったルイズがギーシュの袖を引くと。
 ギーシュはどよんとした目で垣根の方を見て頷いた。
「ああ、彼か。『そうやってると地面に植わった野菜みたいだな。水をやろうか』って笑いながらやつらを脅したのさ。あれはなぁ、苦しいんだぞ」
 何かを思い出したように、ギーシュは自分の腕を抱いていた。

「で、彼のお仕事にあなたが付き合ってるの? それも変よねえ。ギーシュもいるし」
 ルイズと垣根が出かけるんなら、ついていかない理由はない。理由なんてそれだけ! と言い切ったキュルケだったが。
 流石に、学院を離れこんな時間まで何かしていたことがひっかかっているらしい。
 寝ていたところをそのまま連れてこられたらしいタバサも首を傾げていた。
「悪いが、多くは語れないんだ」
 あくまでにこやかに返すワルド。それにつづいてルイズはキュルケにかみついた。
「そうよ。これはお忍びの任務なんだから!」
「あらごめんなさい? そんなの言ってくれないとわからないじゃないの」
「だからっ、言えるわけないじゃない!!」
 きゃんきゃんと言いあう二人の間に、ワルドが割って入る。
「そんな訳でね。君たちに感謝はしているが……」
「隊長さんよお、あんな目にあった後だ戦力は多いに越した事ぁねえんじゃねえの。この嬢ちゃん方は、その辺の貴族様より使えるぜ」
 デルフリンガーの横やりに。ワルドは思案するように一度口を閉じた。
「今、ここで追い返すわけにもいかない、か。一先ず街に入るぞ。詳しい話はそれからだ」

 さて。
 とりあえず、目の前までやってきたラ・ロシェールまで行ってしまおう、と一行が列を正した時だった。
 舞い上がるグリフォンと竜の下で一人、ギーシュがぽかんと呆けていた。
 馬が一頭いなくなっていた。
 あの騒ぎで逃げたのか、襲ってきた連中に盗まれたのかは定かではない。
「丁度いい。そっち乗せろ」
 ギーシュに馬を譲り、風竜を指さした垣根だが。
 パジャマ姿のタバサは首を振って答えた。
「何だ。嫌だって?」
 垣根に睨まれ、タバサはキュルケを仰ぎ見た。
 それに目を輝かせたキュルケは勢いよく何度も首を縦に振る。
 日頃の、垣根への態度を見れば。そりゃそうだろう、と言いたくもなる熱烈大歓迎っぷりだ。
「仕方ない。大人しく」
 友達のそんな顔を見て。
 渋々、と言った様子で垣根に向けて杖を振るタバサに。
 風竜が情けない声で鳴いていた。

「きゃーっ! ダーリンいらっしゃい!!」
 『レビテーション』で竜の背まで運ばれてきた垣根に、キュルケが勢いよく抱きつく。
 が、その前にぞんざいに肩を払われてしまった。
「うるせえ。っこっちは一日散々な目にあってんだ」
 うんざりした様子の垣根だが、キュルケはもつれかけた足でターンするとそのすぐそばに腰を下ろした。
「じゃあほら、ここにいい枕があるわよ。ダーリンならどれでも好きなのをどうぞ?」
「却下。黙れ」
「やだぁダーリンったら照れてるのね? かわいーっ!」
「ねえ相棒、小僧っ子と娘っ子がなんか言ってっけど」
「知るか。うるせえ」
 途端に騒がしくなる竜の上だが。
 垣根は風竜の背びれに凭れて無視を決め込んでしまった。
 主のタバサは何事もなかったように本のページを捲っている。
 着替えはしてこなくとも、本の一冊は持って来ていたあたりに関心の程がうかがえる。
「ねえねえ、ダーリンは今まで一体何してたのかしら? あなたならよく知ってるわよね」
「相棒はなあ、昼間もあんな連中相手にしてたんだよ。でも俺ぁ他に用があってね。その辺は下の、小僧っ子のが詳しいなあ」
「あら。またあなたお荷物だったの」
 背から降ろされたデルフリンガーは、寄ってきたキュルケに抱えられながらお喋りを始めた。
 相変わらず剣としてまともに振るわれていない事を指摘され嘆く。
 どちらも、ついさっき静かにしろと言われたことは気にしていないようだった。

 たどりついた、『女神の杵』亭の一階にある酒場で一行は一息つく事にした。
 ラ・ロシェールでも一番上等な宿だと言うこの店は内装も貴族向けの豪華なものだった。
 深夜に突然やってきたおかしな一団だが、店主はいやな顔一つしなかった。
 テーブルに掛けた皆の前に飲み物が並んだところでワルドは席をたった。
 フネの運航状況を確かめてくると言う。
 それに続こうとしたルイズ、立ち上がったギーシュを座らせると。
 ワルドは、岩から削りだしたテーブルの上にエキュー金貨を並べた。
「君たちはここで休んでいたまえ。何か食べるといい、疲れているだろう」
「子爵殿、おひとりで大丈夫ですか」
「ああ。あいつらの事は街の衛兵に知らせてきたしね。さて、フネがなるべく早く使えると有難いんだが」
 声を掛けるギーシュに笑い返すと。
 そう言ってワルドは一人『桟橋』へと交渉をしに行った。
 暫くし、皆の軽い食事が終わった頃。
 戻ってきたワルドは残念そうに首を振った。
「アルビオン行きのフネは明後日にならないと出ないそうだ。戦の影響もあってか、こちらから渡るフネの本数は以前より減っているらしい」
「じゃあ補給も減ってるんだろうな。文字通り、これから向かうアルビオンってのは空の孤島って事か」
「そんな……早くウェールズ様にお会いしないといけないのに」
 垣根の呟きにルイズが俯いた。
「悩んでも仕方ない。皆も、今日はもう休むとしよう。部屋を取ってある」
 そう言ってワルドは鍵をそれぞれの前へと配る。
 ギーシュと垣根の間に一つ。
 タバサとキュルケの前に一つ。
「待って、わたし……ワルドと?」
「そうだ。もし何かあっても安心だろう? ……それに、大事な話があるんだ」
 大事な話。
 ワルドの改まった言葉に。
 ルイズは、キュルケ達を振り返った。
「さあ、その鍵をこっちに渡しなさいギーシュ。ダーリンと一緒に寝るのはあたしよ!」
「きっ君は、お友達を僕なんかと同室で寝かそうって言うのかい!」
「それ。自分で言ってて悲しくならねえか」
「そんな訳ないでしょ! ダメよタバサとなんて。そうね、あんたは外でいいんじゃないかしらふわふわの使い魔ちゃんがいるでしょ!」
「流石にひどい」
 疲れ切った彼らは深夜の一騒ぎに興じていた。
 その中に混じった垣根は、何も気にしていないようだった。
 そうね、と呟くと。
 ルイズは。
 姫殿下から預かった手紙をポケットの上からそっと撫で。
 ワルドに頷き返した。


<p align=center>*  *  *</p>


「……相棒。誰か来るぜ」
「ああ。起きてる」
 ひそり、とベッドサイドに立てかけられた剣に小声で呼ばれ、垣根は顔を向ける。
「チッ……ムカつくぐらい眩しい朝だな」
 カーテンの間から洩れる日の光を睨むと垣根はベッドの中で体を伸ばした。
 何者かがこの部屋に近付いている。
 それをわざわざ知らされる前に、垣根の目は覚めていた。
 それでも迷惑極まりないタイミングで睡眠を邪魔されて気分がいい筈も無い。
「デルフ、何時だ」
「日の出から一時間も経ってねえよ」
「朝っぱらからご苦労なこった。下手に時間があるのってのも考えもんか」
 垣根が囁くような声でそうぼやくと同時に扉が叩かれた。
 無言で寝返りを打つと、より大きなノックが繰り返される。
「おい使い魔くん、僕の事は無視か。随分嫌われたものだね」
「相棒、風メイジってのは耳がいいんだよ」
「ばーか。先に言えよ」
 それから。
 同室で寝ていたギーシュが目を覚まし、騒ぎ出すまでの間。
 ワルドはドアをノックし続けていた。

 どちらにしても騒がしくなってしまい。
 二度寝のチャンスを奪われた垣根はワルドに連れられて宿の中庭にやって来ていた。
 昔、砦として使われていたというこの宿には、古い練兵場がそのまま残されていた。
「これから向かうのはアルビオンだ、戦の渦中に踏み込む事になるかもしれない。こちらの戦力の把握はしておきたいんだよ。実力が知れないのは君だけだ、どうだい僕と一つ、やりあってみないか」
 古びた旗立台を眺めながら、ワルドは振り返る。
「貴族様が平民相手に魔法の無駄撃ちとかしていいのか」
「どうせ出発は明日だからね。損得で言うのなら却って使わない方が無駄になるだろう?」
 ワルドがそう言った通り。
 メイジが魔法を使うのに不可欠な精神力は休息すれば回復するものだと言う。
 二三日と魔法を使わない状況が続いても、そのメイジが一日に使える呪文の量は変わらないらしい。
 仮に、精神力の器なんてものを想定するなら――減った分が一度縁まで満たされた後は溢れていくのか、それとも空になるか休むまでもう増える事が無いのかはわからないが――その中に収まる分しかメイジ個人には扱えないのだろう。
 そんな魔法に対し垣根の見方を挙げるなら。
 どんな仕組みでそうなっているのかは知らないが、管理もしやすくリスクの少ない便利なものと言ったところだ。もしも失敗したとしても、単に不発で終わると言うのだから。

 その点、学園都市で開発された能力は個人個人その水準は異なっている。未だ不透明な部分が多過ぎる為に能力者自身も自らの力の全容は把握し切れていない、なんて事もざらにある。
 一日にこれだけ、と言う規定枠はないだろうがコンディションのみならず累積していくだろう疲労は発現に必要な演算能力に影響を与えるだろう。
 有事の際にも安定して運用するにはそれなりの経験に加え自己管理が必要とはされる。
 共に、自然法則に逆らうような奇怪な現象を起こす事が出来るとは言っても。魔法と超能力には随分と違いがあるようだった。

 そんなメイジが、知ってか知らずか能力者相手に腕試しがしたいと言うのだ。
 それもスクウェアクラス、個人の資質で頂点まで登りつめたメイジが。
 かたや能力者の最高峰、超能力者レベル5である垣根には、残念ながらやる気は全く見られなかった。
「それに僕は君をただの平民だとは思っていない。君はルイズの使い魔で伝説の『ガンダールヴ』だ。そうだろう? 話は聞いているよ」
 ワルドは確認するように垣根に目をやったが、彼が気にしているだろう左手はいつものようにズボンのポケットに収められている。
「だったら何だよ」
「どんなものか気になってね。男と言うのは厄介だよ。強いか弱いか、相手と自分ではどちらが上か。ついそんな事が気になるとどうにも囚われてしまう」
「まぁ、わからなくもねえけどな。だが、『魔法衛士隊のスクウェアメイジ』と『おまけ付きの平民』ならわざわざ試して比べるまでもねえだろ……休みってんならのんびりさせてくれ」
 垣根が大きく欠伸をすると。
 ワルドは真剣な顔で睨みつけてきた。
「はっきり言おうか使い魔くん。君にルーンがあるからと言って僕のルイズを任せてはおけないんだ」
「別に好きでそんな真似してる訳じゃねえんだがな」
 煽るワルドの言葉にも垣根は肩を竦める。
 眉を上げて睨み返す、その口元は馬鹿にするように笑っていた。
「なによ! あんた言われっぱなしで悔しくないの?」
「あ?」
 そう怒鳴りながら中庭から練兵場に入ってきたルイズに、垣根は眉を寄せた。
「何しにきてんのお前」
「ワルドに呼ばれたのよ」
 朝に弱いルイズはまだ眠いのだろう。むっすりした顔をしていた。
「彼女に立会い人を頼んだのさ。主人の前では、君もやる気を出してくれるかと思ったんだが」
「そりゃ残念。あてが外れたな」
「あんただって……強いんだから。堂々としてなさいよ」
「なんかお前、前と言ってる事違い過ぎねえ?」
 確か、ギーシュとのイザコザの時ルイズは垣根を止めた筈だった。
 文句を言ったのか止めたのか怪しいが、一応は。
 しかしルイズは煮え切らない様子で頭を振った。
 垣根の方は、何故か見ようとしていなかったが。
「とっとにかく! おかしな決闘は反対したけど。手合わせならワルドだって心得てるわ。彼は誰かさんと違って紳士的なんだから」
「君にそう言われるのは嬉しいが、手を抜くのは彼に失礼だろう? 相手の力量を正しく見定めるのならこちらも全力でいかなくては」
「そりゃそうだ。『使い手』が丸腰で勝負するのもおかしな話だしよお。いやあ、スクウェアクラスのメイジとなるとやっぱりいい事言うね」
 戦闘の予感=出番の可能性を嗅ぎつけたデルフも寝返ってしまい、練兵場の中に垣根の味方は一人も居なくなった。
 引くに引けない状況に。
 溜め息を吐く垣根を慰めるものもいない。

 かつて貴族が誇りをかけ杖を掲げたその場所で。
 両者は離れて向かい合う。
 ワルドは踏み込むと、素早く距離を詰める。
 先手必勝、と言わんばかりに切りかかり、よける垣根の様子を伺うように引く。
「どうした。君の力はそんなものか? 違うだろう。君はまだ、一度も武器を抜いていないようだからな!」
「なあなあ相棒ってば。どーもやっこさんは相手にするまで諦めないみたいだぜ」
「そんな嬉しそうに言うんじゃねえよ」
 うんざりした様子で垣根は背中の剣に手をかけると、ゆっくりと引き抜いた。
 だらんと下げた腕を再び上げ、素人然としたぎこちない構えで剣を持つ。
 対するワルドは剣のように杖を振るとすぐ隙のない構えに戻る。
「こっちはなあ、おかしな魔法がかかっても武器なんて持った事もねえんだ。戦闘慣れした奴に敵うと……思うかよっ」
 迫るワルドの杖先を何とかいなして垣根は吐き捨てる。
 対するワルドは細い杖でデルフリンガーを受けきると余裕ぶって笑みを浮かべた。
「そうだな。簡単にその差を覆されても困る。さて、君は人を斬った事はあるかい」
「今のところねえなぁ。お陰で俺も退屈でさあ。ちょいとさーあんたからも言ってやってくんない」
「この馬鹿。余計な口を……利くんじゃねえっての」
 戦闘中に愚痴りはじめた剣に眉を寄せ、垣根は繰り出される突きをかわす。
 だが。
 それは、ワルドの口にした『伝説の使い魔』なんてものには見えなかった。
 どこかぎこちなく、動きにまるで冴えがない。反撃も遅い。
 一拍、足を留めてから考え。
 さらにまるで見当違いの方へと動いているようだった。
 それでもまだ。すんでの所ではあるが、一撃も入れられていない。
 そんな垣根を称賛するように、ワルドは帽子のつばに手を掛ける。
 まっすぐ垣根を見据えて、笑う。
「まるで素人の体捌きだな。しかし速さと判断力は大したものだ。だが、忘れていないかな? これは……メイジの決闘だぞ」
 笑んだ口元でワルドは詠唱を完成させる。
 それと同時にデルフリンガーが叫んだ。
「きたぁっ、相棒! 魔法だぜ!!」

 轟! と風が唸る。

 垣根も咄嗟に腕で頭を庇ったが、何の役にも立たない。
 たちまち十メイルも吹き飛ばされてしまう。
 壁際に積まれたガラクタの山が崩れて派手な音が響いた。
 埃に塗れて起き上がった垣根の周囲を、続いて鋭い風が吹き抜ける。
 ワルドの放った『エア・カッター』を受けたシャツとズボンは派手に裂かれていたが、落ちかけた袖から覗く肌には目立った怪我は見られない。
 ただ、たった一筋頬に走る傷をなぞると。
 垣根は息を吐いて肩から力を抜いた。
「テイトク?! 大丈夫なの?」
 駆け寄ろうとしたルイズを、片手で制しワルドは首を振る。
 壁に背を預けた垣根に近寄り鋭い杖先を向けた。
「……はぁ。これで気は済んだか? 子爵殿」
 垣根は両手を広げて肩を竦めてみせた。
 デルフリンガーはすぐ近くに転がっていた。
 何ともあっさりした敗北宣言にワルドも杖を納める。
 そして。
 呆れ果てたような目で膝をつく『ガンダールヴ』を見下ろした。
「ああ。実に残念だ使い魔くん。しかし、わかったろう。君ではルイズを守れない」
「わかったぜ、色々とな。いや、試してみるもんだ」
 垣根はそう言って頭を振ると立ち上がる。

 言葉も態度も普段通りだが。
 中身はその場の誰がどう聞いても、強がりの負け惜しみとしか思えない。
 そんな発言だった。
「あれ、相棒? お前さん……どうしたね」
 訝しむような剣の問いかけも、鞘に納められて途切れてしまう。
 口を噤んだ垣根は、汚れたズボンを払った。
 そうして真っ直ぐに入り口まで歩いていく。
 ルイズには視線すら向けなかった。
「待って……待ってよ!」
 ルイズの制止も聞かず、垣根は練兵場から出て行ってしまった。
 その背中を見つめたまま。
 ルイズは肩を落とした。
 そこに添えられたのはワルドの手だった。
「放っておいてやれ。君の慰めが今は一番堪えるだろう」
「ワルド……聞いてもいいかしら」
 勝者の余裕を滲ませて、一人満足げに頷いていたワルドに。
 俯いたままルイズは口を開く。
 沈んでいた声が真剣味を帯びていた。
「『ガンダールヴ』って、なに?」


「痛てて、こんなのいつ振りだっての。つうかこれじゃ新しい服がいるな」
 打った肩をさすってぼやきながら。
 見た目はあちこちボロボロにされた垣根は部屋へと向かっていた。
 だが、ワルドにやられたばかりだと言うのに、その声に落胆の色は微塵も感じられない。
「あいつはどうだったね。隊長さんは。いやあ、相棒も結構演技派だねえ」
「まぁ、それなりに出来るんじゃねえの。白兵戦もやれるメイジっつっても、あんな魔法じゃまるっきり能力無しでも何とかなる程度だったな」
 ワルドも決闘とは言え模擬戦で殺傷力の高い呪文は選ばなかったようだが、垣根はそれをどこか残念そうに口にした。
「でもよお。相棒ならもっと上手くやれたろ? なんでわざわざ手抜いたりしたのよ」
「やっぱ剣とか武器っつうのは俺の趣味じゃねえ。そんなのに付き合って、本気なんざ出してやるかよ。それに上手くやりすぎてあれ以上目をつけられんのも面倒だろ。下のレベルに合わせてやんのは結構大変なんだぜ」
 それどころか期待外れだと言いたげな口振りもその筈。
 ワルドはあの場で垣根を試すつもりのようだったが。
 実際にはその逆。
 スクウェアクラスのメイジの方が『ガンダールヴ』の試金石にされていたのだ。
 気のない垣根の言葉にデルフリンガーは派手に金具を打ち鳴らした。
 拍手か何かのつもりらしい。
「かーっ、相棒ってば『風』のスクウェア相手に言うねえ! そんなのあいつが聞いたら次はもっと上の魔法が飛んできちまうよ」
「上等だっつうの。俺にやる気出させたいんなら、それくらいしてもらわねえとな。しかし『ガンダールヴ』もなぁ。こっちへの補助は無視するのが面倒なくらい良く出来てやがる。上手くやりゃあ使えんだろうけど。そこまで魅力的でもねえし、やっぱあちこち――ッ」
 ふと。
 そこで垣根の足が止まる。
 突然咳き込んだ垣根は廊下脇の地面に唾を吐いた。
 顔を顰めた視線の先の土は、滲んだ血で汚れていた。
「で、さっきのついでだけど……相棒なんか内緒にしてんだろ。俺にもだんまりって事ぁ…ないよね?」
 空気はあんまり読まないが、気配は読めるインテリジェンスソード。
 デルフリンガーはほんの少し様子を窺っていたが、背中から声をかける。
「考えてやってもいいけど。お前も口が軽そうだしな」
 唇を拭った指を睨み。
 垣根は中庭から棟の客室へ繋がる扉を押した。
 頼むぜ相棒、といつもより声を落としたデルフリンガーの哀願に続いて扉が閉まると。
 後はすっかり、静かな早朝の気配に包まれていた。




==


がんばれワルド、負けるなワルド。
大丈夫だフラグはまだ立ってやしないぞ

マイペのセリフなくなってずいぶんたっちゃったなあ


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