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[37196] 【チラ裏から】ゼロと底辺を結ぶ銀弦【円環少女×ゼロの使い魔】
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/05/20 17:55
・円環少女とゼロ魔のクロスです。

・原作外のストーリーを織り込む予定があります。

・原作の人物や能力に対して独自解釈をする可能性があります。

・舞台は【ゼロの使い魔】です。【円環少女】の登場人物は基本的に主人公のみとします。一人か二人ぐらいは増えるかもしれませんが。

・ハーメルンにても投稿しております。

・以上に許諾できる方に読んでいただければ幸いです。


     読者がいるということは、ここは危険な場所なのだな! 私は逃げさせてもらおう!
    ____ ___________________________________
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        ○  ,. -─‐- ., o
       _/_(・) (・)  \___
    ,. -‐∠ヽ ヽ_‐---‐_ク    ,.-、 ̄ヽ はぐれケイツ
    ,⊃   rュ   ̄ ̄    _.二 -‐ '
    `ー───-----‐' ̄ ̄


4/24 一章が終わったのでこれを期にゼロ魔板に移動しました。

4/29 マスコット置いておきます。



[37196] 第一章 銀色の架け橋 一話 出会い
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/04/24 18:34
「……ここはどこだ?」

 男が目を開く。その男は数十年着古した冬物のコートを身に纏い、灰色の髪から覗く彼の頬は痩せこけ、目も窪んでいる。
 全てが燃え尽き、残りカスの灰色を体現したかのような男は見覚えのない部屋で覚醒した。
 
 豪華な一室。素人目に見てもその意匠が窺える見事な品々が調和をもって配置されている。
 
 その様な場所に見覚えのない男は記憶の糸を手繰った。確か自分は地獄の地下迷宮にいたはずである。
 魔法を消去する悪鬼が住まう≪地球≫と呼ばれる地獄。かつてチンケな罪で地球(地獄)送りにされ、果たすべき責務を放り出し、ただ必死に生きながらえてきた。
 世界に怒りをぶつけてみても、自分に変えられるものなど何もなかった。
 大きな力に翻弄され、そしてわけも分からぬうちに始まった大決戦。
 神話の御伽噺に出てくるような大魔法使いから命からがら逃げ出したかと思いきや、死肉をあさる吸血鬼たちから味方を守る代償として、自分は倒れた――はずであった。

「――目が覚めて第一に言うことがそれ? 貴方、他に言うことがあるんじゃないの」

 突然、背中に投げかけられた鈴の音のように涼やかなソプラノ。
 振り向くとそこには少女が立っていた。その髪は流れるようなピンクブロンド。そして鳶色の瞳に強い意志が宿っており、目鼻立ちからは気品を感じられる。
 しかし彼女は腕を組み、仁王立ちで構え、その表情は憮然としていて、不満気である。
 
「他にだと?」

 他に聞きたいことは山ほどある。が、彼女の望んでいるものが何なのか分からず、男は唸るのみであった。
 そんな男の様を見かねて少女はため息を付く。
 
「……あのね。あんた死にそうなほどの大怪我を負っていたの。水の使い手をたくさん集めて、高い秘薬も使ってやっと治ったんだから、まずは感謝するのが先でしょ」

 これだから平民は、とため息混じりに少女がこぼした。

「大怪我……」

 そうだった、と彼は思い出す。
 あの時、瞬時に体の臓器のいくつもを瞬時に破壊され、そして最後の力を振り絞って抵抗したものの、空しく倒れた。
 
「確かにそうだ。娘よ、お前が救ってくれたのか? 感謝する」

 体に蟠る倦怠感はある。言われてみれば体の節々が痛みを訴えている。まさに死に瀕していたのだと身を持って実感させられた。
 だが今の彼ならば、その程度の怪我を治す事は造作もない。
 
「あんたね。もっと愛想よく出来ないものなの? って、きゃッ!」

 溢れんばかりの不満をついに爆発させ、より一層険しくなりつつあった少女の表情は、突然発生した出来事によって驚愕へと変貌した。
 銀色の弦が、男の身体と少女の身体とを橋渡しのように繋いだのだ。
 
「ちょっと、これ何よ。何事なの!?」

 狼狽する少女を尻目に男と少女を結んだ銀弦は少女に何の危害も加えなかった。
 むしろ変化は男の方に訪れた。彼の身体が見る見るうちに治癒していくのだ。
 それどころか、彼の肌はツヤとハリに満ち溢れてさえいた。
 
「あ、あんたそれ何よ? なんなの。今何をしたのよ!?」

 まるで魔法のようだと、魔法が文明を支えているこのハルケギニアに身を置いている少女をして、その現象は彼女を驚嘆せしめるものであった。
 泡を吹いたようにまくし立て、男に矢継ぎ早に質問する。
 
「何を驚いているのだ小娘。お前も魔法世界に身を置くのであれば≪相似大系≫の治癒魔術の冴えは耳にしているのではないのか」

 ほんの少し前までは到底行使することが出来なかった大魔術をこともなく使って尚、平坦な声で男は応えた。
 
「そ、そんなの聞いたことないわよ! 第一あんた杖も使わずに……まさか先住魔法?」

「先住魔法とはなんだ? それ以前に相似大系を知らないだと? まぁ、いいだろう。よく聞け。今行ったのは≪原型の化身≫の応用による治癒魔術だ。健康体の人間と相似にすることによって術者を回復させる」

「は?」

 ルイズは男の発した途方もない言葉を理解するのにしばしの間を必要とした。
 嘘だ、そう断じることが出来ないのはその男の身体に起こった変化を見れば分かる。
 使い魔として召喚した彼に水魔法を施して欲しいと教師たちに頼んだときはひどい重傷であった。手遅れだと言う教師も少なくはなかった。
 ルイズは諦観の念を抱く彼らに私財を投げ打ち、水の秘薬を使ってもらうことで、ようやく治癒が可能であったほどの重傷がまるで嘘のように癒えていたのだから。
 
「≪原型の化身≫は人間は神の似姿であり、原型は同じでみな似ているという観測から、他人を強制的に術者自身に似せる化身。人体への直接干渉ができる非常に強力な魔法だ。治療もこの化身の応用。これを突き詰めれば、神の如――」

 あまりの驚愕に呆けている少女を目の当たりに気をよくしたのか男が訥々と語り続ける。
 しかし、思い至るところがあったのかふと、口を閉ざした。
 
「な、何よ?」

「いや、気にするな。それより……娘よ。聞くのが遅れたな。ここはいかなる魔法世界なのだ?」

 魔炎が上がらないことからまず目の前の少女は魔導士で間違いない。
 そして、窓の外から観測できる無数の銀弦を見るに明らかに地獄ではないのだから。
 
 
 ◆
 
「つまり……ここはハルケギニアにあるトリステイン魔法学院で、私は≪使い魔召還の儀式≫によってこの地に導かれ、お前に命を救われたというわけだな?」

 少女から説明を受けた男は、自らの左手に刻まれている刻印を苦々しく見つめながら話を纏めた。彼の視線は少女に対する抗議の色がありありと浮かんでいる。
 
「しょ、しょうがないでしょ! 人が召喚されるなんて例がないことだし。こんな言い方は卑怯かもしれないけど、あんたが私の使い魔として呼ばれなかったら大金を払って手当てする理由なんて私になかったんだから」

 痩せ窪んだ彼の視線を受け止めながら少女はふてぶてしく言い放つ。
 そんな少女の態度を前に、男の胸中には怒りが湧き上がるが、それでも男がその怒りを行動に移す事はなかった。
 
 当たり前だ。この世に無私の善意なんていうものが存在しないことを男はとっくの昔に理解していた。
 彼は弁えていたのだ。世界がどれほど無慈悲で残酷かということを。
 いつだって彼は利用されてきた。貧民街の裏路地でさえ、なけなしの正義感を振り絞ったときでさえ、挙句の果てには実の兄を殺すための駒として翻弄され続けたのが彼の人生である。
 そう考えれば少女の言い分を非難することなど出来なかった。まだ救いがあるだけましというものである。
 
「……使い魔と言ったな」

 男は言葉の意味を反芻する。本来は人間を呼ぶものではないと、先ほど少女は言った。
 彼の魔法大系においては馴染みはないが、魔法構造物を創造、構築し擬似生命を与えることで操る魔法体系は男の記憶にもある。
 おそらくは使役――主従契約を強いるもの。
 
 通常、魔法使いに直接作用する魔術はとてつもない高位魔術である。
 少女に召喚される少し前まで、まさに魔法使いを操ることに特化した魔法大系との戦いに巻き込まれ窮地に陥っていたのだから、その恐怖は身に刻まれている。
 
「それで、使い魔とは? 私は何をすればいいのだ」

 となれば目の前の少女はかなりの使い手。再演大系そのものではないにしろ、まともではあるまい。
 命を救われたことは事実なのだから特に反目する理由もないのだが、事を荒立てないことが得策だと男は考える。
 
「え? 使い魔になってくれるの?」

 対する少女はキョトンとした表情で男を見つめていた。
 
「拒否してもいいのか?」

「っ!? ダメ。絶対ダメ! あんたのせいでお小遣いがなくなったんだからね。断ったら治療費払ってもらうんだから。治療の対価としてあんたを雇う。これでいい?」

 その言葉が決め手だった。債務支払い能力のない彼の心に深く突き刺さる。
 そして雇用。その言葉は魅力に満ち溢れていた。
 何せその魔法の言葉はつい最近彼を『三十四歳無職職歴なし』から『ワイズマン警備調査会社の警備調査会社統合情報室シニアマネージャー』へと変えてくれたのだ。
 彼に因縁のある男が、幼い少女を守るために仕事をクビになり社会的に転落していく様を、福利厚生、賞与付きで見下すことができた優越感を彼はまだ忘れていない。
 
「……仕方がない。分かった」

「私はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ。あなたは?」

「私は、ケイツ。浅利ケイツだ」

 こうして契約は結ばれた。
 有無を言わせぬ事後承諾的に。
 
「それで私は何をすればいい?」

「えっと、そうね」

 ケイツの問いかけに対するルイズの答えを纏めれば彼女の護衛。この一言に尽きた。
 他にもいろいろ提示されたが、要領を得たのはこれだけである。
 
「あなたは魔法使い(メイジ)なんだからそれぐらい出来るでしょ?」

 最初の顔合わせのときとはうって変わってルイズはどことなく上機嫌であった。
 しかし一方でケイツの表情は優れない。
 
「護衛だと……娘よ。お前はまさか誰かに命を狙われているのではあるまいな?」

 心なしかケイツの表情に陰りが差している。
 
「そんなわけないじゃない。それにここは学院。危険なんて滅多にないわよ」

「そう、か。ならいいのだ」

 思わずケイツは安堵のため息を付く。
 
「だから、普段は雑用をお願い。掃除、洗濯、その他雑用。それがあんたの仕事」

「不満はあるが。まぁ、いいだろう」

 戦うことに比べればと、胸中で付け足し、ケイツは頷いた。
 
「ふぁ~あ。しゃべってたら眠くなっちゃったわ。あんたの手当てで大騒ぎだったしね」

 一度あくびをしたと思いきや、ルイズはおもむろに服を脱ぎだした。
 
「おい、待て。お前一体何をしている」

 当然と言うべきか、ケイツはそんなルイズの行動へと静止を投げかける。

「何って寝るから着替えてるのよ」

「――なるほど。納得だ」

 変な人。と疑問を浮かべながらルイズは引き続き下着に手をかける。
 ――余談だが、ケイツは割りと真剣に”魔法使いなら仕方がない”と考えていた。
 
 そして窓の外を見てみれば太陽はとっくに沈み月が爛々と輝いていた。

「ほう」

 過酷な人生によって、感情などとっくの昔に擦り切れてしまったケイツだが、その光景はどこか心の琴線に触れるものがあったようだ。
 夜空に輝く双つの月。
 そこに掛かる数多の銀色の架け橋。似たもの同士に魔力を見出す相似大系魔導士の観測によって二つの月を似たものと認識する夥しい数の銀弦が束となってそう錯覚させるのだ。
 
「双子、か」

 どちらが黄金でどちらが石クズなのか。
 咄嗟に浮かんできた益体のない想像に頭(かぶり)を振る。
 
「いかんな……ん?」

 その時、ケイツの頭に柔らかい感触が訪れた。
 不審に思って手を伸ばすと一枚の布切れがそこにあった。
 それはルイズが投げて寄こした下着である。心なしか彼女の体温が残っているようであった。
 
「明日起きたらそれ洗濯しておいてね。それじゃお休み」

 少女はベットに身を横たえると、あっという間に寝息を立て始めた。
 暗い部屋、幼い少女の下着を手にケイツは自らの主となった少女を見下ろす。
 窓から零れる月明かりに照らされて、その白い肌、ピンクの髪が幻想的に輝いているようだ。
 美しい少女が無垢な寝顔を浮かべ無防備に身を横たえている。
 ケイツはそんな少女を見下ろして一言。
 
「……私は絶対に”そっち側”にはいかんぞ」

 かつて、幾度となく銀弦が繋がった男を思い出す。彼もケイツ同様、世間の重圧に押しつぶされ擦り切れていった男であった。
 小学校の担任でありながら、小学六年生の嗜虐性癖のある少女に関わりを持ってしまったため社会的地位を失ったのだ。
 
「私は”そっち側”にはいかんからな……」
 
 ケイツは今一度決意を反芻し、眠気に身を任せ、身体を地面に横たえた。
 こうして、他のどの既知魔法世界とも異なる魔法世界でケイツの一日が終わった。



[37196] 第一章 銀色の架け橋 二話 トリステイン魔法学院 その一
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/04/29 18:33
 翌朝、ケイツはルイズに命じられた洗濯のため学院内を歩いていた。
 小鳥の囀りと共に目覚めた穏やかな朝、思わずして訪れた平和の到来にケイツの胸が軽くなる。
 寝起きざまに傍らに落ちていた下着を見て昨夜の言いつけを思い出し、そして現在は学園の中央広場。石造りで出来たアーチをくぐり抜けたところでふと気付く。
 
「どこで洗えばいいのだ……」

 握り締めた少女の下着に視線を落としても答えてくれる者は居なかった。
 麗らかな朝、突如として現れた難問にケイツは苦悩する。
 
「――どうかなさいましたか?」

 そんな時、背後から投げかけられた声に、ケイツは驚き振り向いた。
 肩口で綺麗に切りそろえられた黒髪のメイドがそこにいた。
 どこからどうみてもただの不審者でしかないケイツに対して、無警戒に尋ねてくる。
 
「ルイズという娘に洗濯を申し付けられたのだ」

 どん底で生き延びながらにして、擦り切れていった男は乾いた声で告げた。

「ああ、あなたがですか。噂になっていますよ。ミス・ヴァリエールが大怪我をした平民を召喚したって」

「それはいいのだが、お前は誰だ?」

「あ、申し遅れました私、シエスタといいます。よろしくお願いします」

「私は、ケイツ。浅利ケイツだ」

 礼法に則ったメイドの一礼に対して、ケイツは直立不動で答える。

「ケイツさんですね。それはそうと、お洗濯でしたら私たちの職務です。どうか手伝わせてください」

「それは助かる――」

 善意に満ちたにこやかな微笑みを浮かべるメイドの少女を見ていているとケイツの胸に突如、既知感が湧き上がってきた。
 それはとても重要なことだったため、ケイツは確認せずにはいられなかった。
 
「――だが、その前に一つ聞きたいことがあるのだ」

「はい、なんでしょう?」

 可愛らしく小首をかしげるシエスタにケイツは言い放った。
 
「お前はちゃんと女だろうな?」

 そしてその瞬間、時は止まった。
 ほどなくして、硬直の解けた少女が表情を強張らせ一歩二歩と後ずさる。

「ひ、ひどいです。それは一体どういう意味ですか?」

 うっすらと目元に涙を湛え、歯を噛み締めているようだ。

「ま、待て。悪気があって言った訳ではないのだ」

 そんな彼女の変化を目の当たりにし、ケイツは動転した。

「悪気がないって……余計にひどいです! ――っ!! 失礼します」

「待て、誤解だ。おい」

 一筋の涙が頬を伝ったのを皮切りにして、シエスタはケイツに背を向け駆け足で遠ざかっていった。
 善意で労働の手伝いを申し出てくれた無辜の少女の心を深く傷つけたケイツは罪悪感に苛まれ、広場の只中で少女の下着を片手に硬直した。
 
「……仕方がない。別の方法を探すか」

 自分に何か言い聞かせるようにしてケイツは再び歩き出した。
 罪悪感を薄める為にはそうせずにはいられなかったのだ。
 
 

 
 部屋に戻ると、出て行ったときと変わらない光景がそこにあった。
 すやすやと寝息を立てて眠る少女の方へとケイツは歩み寄り、言った。
 
「おい、起きろ。聞きたいことがあるのだ」

 どのような境遇に落ちようと、その身にそぐわぬ尊大さだけは忘れなかった男が自らの主となった少女に言葉を叩きつける。
 
「ん。んあ? な、何よ。アンタ誰?」

 安眠を妨げられる形となったルイズが眼を擦りながら、闖入者に胡乱気な視線を飛ばす。
 
「何を寝ぼけている。私だ」

「……ああ、ケイツ。そういえば昨日召喚したんだっけ。それよりもあんた、起こすならもっと優しく起こしなさいよ。そして主人に対して敬意を払いなさい」

 意識が覚醒するや否や、鳶色の瞳を怒りに染めルイズは抗議する。

「そんなことはどうでもいい。それよりも水洗い場がどこにあるのか聞いていないぞ」

 だがそんな主の抗議をにべもなく一蹴し、ケイツはただ自分の要求を突きつける。
 
「……何よ。そのぐらい周りの人に聞くなり融通を利かせなさいよ。思ったより使えないわね」

 全くの正論だった。ルイズの指摘を忸怩たる思いで受け止め、一度わなわなと震え、そしてケイツは目を見開き、言った。

「そんなことが言えるのも今のうちだ。娘よ、私の力を見せてやろう。まさか下着が一着ということはあるまい。新しい下着が必要だ。さあ、出せ。早く出すのだ」

 少女に対して下着を要求するという、規制なくしては絵に出来ない類の光景がそこにあった。
 
「な、なんでよ」

 元々、ケイツに下着を持ってこさせる算段であったルイズだが、そんな鬼気迫るケイツを前にたじろがずにはいられなかった。
 
「なぜだと? 洗い場が分からないのだから仕方がないだろう」

「なんか今のあんた怖いわ。意味が分からないし」

 怪訝そうな面持ちをするルイズに、得意げな笑みをケイツは浮かべる。

「分からないならば教えてやろう。お前のパンツを洗うために、新しいパンツが必要なのだ」

 この時点でルイズは理解することを諦めた。なぜなら彼女の常識では返す言葉が見つからなかったからである。
 とはいえ、着替えたかったので断る理由はなかった。
 
「そ、そこの引き出しに入ってるから。ついでに服も持ってきて」

 好奇心半分を胸に抱き、この変な使い魔の動向を見守ってみようとルイズは決意した。
 
「いいだろう」

 ケイツは頷きクローゼットの中から、ケイツの手汗の染みこんだ下着と『似ている』下着を取り出した。
 元々おしゃれには無頓着なルイズはシンプルにレースを誂えた白のシルクの下着がほとんどである。
 
「よいか、見ていろ。そもそも洗うなど、初めからこうしていればよかったのだ」

 ケイツがそう言うや、手に持つ下着と引き出しの中の下着との間に相似弦が結ばれる。
 相似大系は形が似ている物は『同一の物』と誤認する世界で発達した魔術だ。
 似通った形のもの同士を『相似の銀弦』と呼ばれる物で結ぶことで一方ともう一方を同じ状態にするというのが魔術の基本である。
 つまり、『クローゼットの引き出しの中に入っている下着』と『ケイツが握り締めている下着』とを相似弦で結ぶことによって、後者を前者と同じ状態にすることが可能なのだ。
 
 宣言の通り、銀弦で繋がれたルイズの二つの下着の片方に変化が起こる。
 ケイツの手にある下着はどうみても清潔なものに変わっていた。
 
「終わったぞ。それとこれが服だ」

 誇るでもなく淡々と下着を戻し、服を持ってくるケイツに対してルイズは呆れた。

「あんた昨日から思っていたけどめちゃくちゃなやつね。ん」

「何をしている?」

 ケイツが手渡そうとした服を受け取ろうとしないルイズに怪訝な眼差しを向ける。
 
「着せて」

「何だと?」

「だから着せて。貴族は下僕が居るときは自分で服を着ないの」

「……どうなっても知らんぞ」

「何よ。どうにかするっていうの?」

「そういう意味ではない。動くな。じっとしていろ」

 ケイツはたどたどしい手つきでルイズに手を伸ばす。服を着せようとするのだが、その過程で時折ケイツの無骨な手がルイズの瑞々しい肌に、女性として未だ未成熟な胸に、スラリと細く引き締まった太ももに触れる。
 
「きゃっ! ちょ、ちょっとどこ触っているの変態!」

 その度にいちいち悲鳴を上げて、ルイズはケイツを殴打した。

「む、止めろ。仕方ないではないか。慣れていないのだから仕方あるまい」

「きゃぁっ! また触った。あんたわざとやってんじゃないでしょうね。もういいわ。自分で着るから」

 憤慨したルイズはケイツを突き飛ばし自分で服を着始めた。
 ケイツの精一杯の努力の対価は、ルイズの信頼の急降下だった。
 
「ならば初めからそうすればいいだろう。全く無駄な手間をかけさせるな」

 そして今日もケイツの捨てゼリフが響き渡った。



 着替え終えたルイズとケイツが女子寮の廊下に出ると、時を同じくして廊下の向かい側にある扉が開かれた。
 中から出てくる人物を眼に納めるなり、ルイズの鳶色の瞳に嫌悪の色が混じる。
 
「あら、ルイズ。おはよう」

「……おはよう。キュルケ」

「あなたの使い魔ってそれ?」

 キュルケと呼ばれた少女がにやりと笑みを浮かべ、ケイツを指差した。その声色には嘲笑の色が浮かんでいる。
 彼女の容姿は赤髪で褐色肌の女生徒はブラウスの二番目のボタンまでを外し、そこに大きな谷間を象っていて奔放さの具現のようだった。
 
「そうよ」

「あはははは! 本当に人間なのね! すごいじゃない」

 ケイツは少女たちのやり取りを不快な面持ちで見ていた。
 彼が嘲笑を受ける事はもはや数え切れないが、何度目になろうと嫌悪感は隠し切れない。
 
「『サモン・サーヴァント』で平民を呼んじゃうなんてあなたらしいわ。さすが『ゼロ』のルイズ」

「所詮はツェルプストーね。ケイツはただの平民じゃないんだから」

 一方的に投げかけられていたキュルケの侮辱に対して、憐憫すら込めてルイズは答えた。
 
「……へぇ、言うじゃない。どこが普通じゃないっていうのよ」

 ルイズの挑発にキュルケは挑戦的な視線を込めてケイツを見る。
 この軽口を言われただけで不機嫌さを隠すことも出来ない、容姿は冴えない、痩せくたびれた長身の男がどれほどのものなのか見定めようとする視線だった。
 
 ケイツはその視線から逃れようとつい、目をそらしてしまう。その時だった――
 
「うわっ! な、なんなのだ」

 ケイツは思わず転倒した。
 目をそらした先にちょうどキュルケの部屋から何かが這い出てきて、真横を通り過ぎたため驚いたのだ。
 
「ぷっ! あっはっはっは! 普通じゃなくて臆病な使い魔ちゃんね。やっぱり使い魔にするならこういうのがいいわよね~。フレイム」

 ケイツの醜態を見たキュルケはもはや価値無しと、自らの使い魔の自慢を始めた。
 フレイムと呼ばれたそれはどうやらサラマンダーという生き物らしい。
 大型の爬虫類で地に張っていても人の腰ぐらいの背の高さ、その威容は虎ほどもあるだろうか。サラマンダーの来歴から希少性までキュルケはしゃべりにしゃべった。
 ルイズはそんな彼女の話をそっけなく聞き流す。
 
「それじゃ、お先に失礼」

 最後には勝ち誇った笑みを残し、キュルケは立ち去っていった。
 そんなキュルケを見送り、ルイズは言った。
 
「ケイツ。あんたもっとしっかりしなさいよ」

 起き上がり、威厳を取り繕うとしている男の情けなさに対して、ルイズは冷めた眼差しを突き刺した。
 
「いきなりだったのだ、仕方がなかろう」

 その言い分には一理あった。だがルイズはため息を付かずにはいられなかった。
 
「せっかくあの女にケイツがすごい……いや、おかしな? いや、変な魔法使い? である事を自慢してやろうと思ったのに……あれ、出来るのかしら?」

 これまでのケイツの行動を思い出すほどルイズの言葉から自信が消えていった。そして小さな音が鳴り響いた。
 
「っ! と、とにかく朝食に行くわよ。ついてらっしゃい」

 音の発生源を隠すように腹を押さえルイズは歩を進めた。
 
「おい、待て。ビスケットならたくさんあるぞ」

 ケイツは自分に失望の眼差しを浮かべた少女からの名誉を回復しようと試みたが、その言葉は彼女の耳に届かなかった。慌てて後を追いすがり食堂へと向かう。
 そんなルイズとケイツとの間に一本の銀色の糸が橋のように掛かった。
 こうしてケイツの一日は始まりを告げる。



[37196] 第一章 銀色の架け橋 三話 トリステイン魔法学院 その二
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/04/24 18:12
 アルヴィーズの食堂とよばれるそこは絢爛の極みであるといえるだろう。
 貴族は魔法をもってしてその精神となす、の教訓を体現すべく設えてあるそこは、巨木から削り取られたと考えられる長机が大食堂の端から端へと何列にも並んでおり、その全てに穢れない白のテーブルクロスがかけられ、そして等間隔に飾られている金細工のキャンドルでは炎がまるで意思を持っているかのように蝋燭から蝋燭へと無邪気に飛び跳ねていた。
 壁にはたくさんの人形が並んでいる。夜中にこっそりと踊りだすのではないかと思うくらい精巧だった。
 
 既に着席している生徒達は行儀よく席に着き、食事の開始を目立ちすぎないように友人たちとささやかに談笑していた。
 
 ルイズも他の生徒達と同じように自らの席へ着くべく歩みを進める。
 自分の席の前に着くとルイズはケイツに視線を投げかけた。
 
「なんだ?」

 ルイズは無言でケイツに行動を促すが、彼女の視線に疑問を抱くばかりで望んだ答えを返さないことにまたケイツに対する評価が下がる。
 
「あのね、主人が座る椅子、引いてよ」

「そのぐらい自分でやればよかろう」

 三十を過ぎたといっても、まともな教育も受けず人目から逃げ続けた男に従者の作法を期待するのは難しい。
 ルイズは肩を落としながらもケイツを見据えて言った。
 
「ご飯抜きにするわよ」

「ぐっ」

 喉を鳴らし、ケイツはしぶしぶと言った様子で椅子を引いた。いつだって衣食住をにぎっているものは強者だ。
 ルイズはたかがこれくらいのことでなんで手間をかけないといけないのかと不機嫌になる。
 
「おい、待て。私の席がないぞ。一体私はどこに座ればいいのだ」

 ルイズの左右には既に他の生徒が着席していた。奥を見渡しても椅子に座った生徒の列が見えるだけだった。
 当然ケイツの席らしいものは見受けられず、うろたえている。
 そんな、ケイツに対してルイズは床を指差した。
 
「なんだ?」

「あんたの席はそこ」

 ルイズの指が向いてる方向へケイツは視線を落とした。

「何を言っている。そこは床だ」

「使い魔は普通は外。あんたは特別な計らいで床。このアルヴィーズの食卓は通常は貴族以外立ち入る事は許されないんだから感謝なさい」

 ケイツはホームレスだった頃の自分を思い出した。落書きだらけのレンガに悪臭漂う汚水、散乱した生ゴミの空間とは異なり、今いる所が贅を尽くした食堂だという時点で反抗心は沸いてこなかった。
 
「いいか。私を粗末に扱うと必ず後で後悔することになるからな」

 それでも文句を言う事は忘れないのがケイツだ。どうみても打ち負かされた敗北者である彼の言動を耳にして周囲から忍び笑いが零れた。
 ケイツの前に用意されているのは小鉢の中に申し訳程度に肉の切れ端のようなものが浮かぶスープと見るからに硬そうな黒パンである。普段なら文句をつけようもないのだが、食卓に並ぶ宮廷料理もかくやと言える献立を眺めながらは彼の心に堪えた。
 
 ほどなくして、時間になったのか前列席に座る教師と思しき者が食事の開始を告げた。
 
「今朝もささやかな糧を与え賜うたことを神と陛下に感謝します」

 全校生徒の唱和にルイズの声も混じる。
 再び食卓を眺めたケイツはささやかの意味を改めて問いただしたい思いでいっぱいだった。
 
 真の意味でささやかな食事を腹に納めたケイツが手持ち無沙汰にしていると、ルイズがこっそり皿をケイツの前に差し出してきた。
 
「……なんだこれは?」

「鳥よ」

「……感謝する」

 どうみても鳥の皮だけであった。
 ケイツは感謝の言葉を述べるべきか迷ったが、なけなしの心遣いを感じたのかなんとか礼を口にした。
 腹の足しになるかどうかも分からないそれを詰め込み終えると、丁度生徒達が食堂を出て行く頃合になっていた。
 
「教室に向かうわよ」
 
 ルイズも食事を終えたようで、口元をナプキンで綺麗に拭いケイツを先導するように席を立つ。



 歴史を感じさせる古い石造りの廊下を各々の教室へと向かおうとする生徒達の流れに混ざり進んでいた時、ルイズはふと口を開く。

「ねぇ、ケイツ。あんたって凄い魔法使いなのよね?」

 ルイズから突如投げかけられた言葉に、どういうわけかケイツは返す言葉に迷った。
 
「……なぜそう思うのだ?」

「だって、あんなにすごい見たこともない魔法を使うじゃない」

 足を止め、ケイツの行使した魔法を思い出すルイズの表情は平坦であり、そこから感情を読み取ることはできなかった。

「あれぐらい大したことない。いくぞ」

 むしろそれは問いを投げかけられたケイツの方が顕著に顕れていた。
 腫れ物に触られ時のような拒絶感を纏い、道往く生徒達の流れへ身を投じる。

「な、何よ。ちょっと待ちなさいよ。あんた教室の場所分かるの? 待ちなさいってば」

 予期していなかったケイツの変化にルイズは戸惑いながらも追いすがる。
 
「全く、本当に変な奴よね、アンタって。私何か気に障ること言ったかしら? いいこと? 大体あんたは無愛想すぎるのよ。最低限の礼儀作法ぐらい身につけなさい」

 駆け足でケイツの横に並んだルイズは頬を膨らませ、コミュニケーションの何たるかをケイツに説き始める。

「馬鹿にしないで貰おう、私ほどにも成れば礼儀の何たるかぐらいは弁えている。ただ使う機会に恵まれないだけだ」

 だが、世の中の全てに不平を抱き、社会に対して斜に構えて生きてきたケイツはいまさら生き方を変えることなどできないのだ。
 
 
 ◆
 
 教室へたどりつくと、ルイズとケイツを歓迎したのは好奇と嘲笑の入り混じった眼差しであった。
 彼らは皆、使い魔召喚の儀式に参加している。ルイズが呼び出したのは瀕死の平民なのだとクラスメイト全員が知っていたのだ。
 
「こっちよ」

 ルイズがケイツに一言告げ、視線の海を割って奥に進んだ。
 ともすれば嫌悪を抱く悪意の入り混じった眼差しの中をものともせずに進む少女の姿は実に堂々としたものである。
 
 そんなルイズとは裏腹に、ケイツは顔を顰める。
 自らの優越感に浸透するために弱者の匂いを嗅ぎ付けて嬲り者にする者特有の匂いはどこの世界でも同じだった。
 
「あいつらは一体何なのだ」

「気にしなくていいわ」

 質問を無下に一蹴され、ケイツは眉根を顰めた。しかしルイズの作った握りこぶしが机の下で力を込めるあまりに震えてる様を見て取り、それ以上の追求ができなかった。俯いた顔も険しく歪んでいるように思えた。
 
「……ふん、一体何がなんだというのだ」

 誰に告げるでもなく、ケイツは独りごちる。新しい環境で人間関係を築くことに慣れていない男はそれ以外に方法を知らなかった。といっても他にやることもないので必然、周囲の状態を観察するように室内を見渡すことにしたようだ。
 未だ好奇の視線をこちらに向けているものが数人、眠たそうに目を擦っているもの、友人たちと他愛もない談笑に花を咲かせているものが大半である。
 先ほどルイズの部屋を出たときに出くわした赤毛の女などは周囲の男子生徒から女王のように祭り上げられており教室内でもっとも目立っていた。
 学生らしい振る舞いをしているのは羊皮紙を広げて、本を片手に羽ペンを動かしている者が僅かに見受けられる程度だった。
 ケイツの驚きはそれだけではなかった。教室にいたのは生徒だけではなかったのだ、たくさんの魔法生物がそこにいた。
 おそらく正しい意味での使い魔なのだろう、小型、中型のものが多く主の席の脇に寄り添うように佇んでいる。
 確かにここは魔法学院なのだと、ここに至って初めてケイツは思いしった。
 
 魔法学院。その名はケイツの心に少なからず波紋を呼び起こす。
 ケイツはとにかく争いに巻き込まれる男だった。そんな中で自分よりも優れた腕前の魔法使いに出会うたびに彼は呪いを振りまいた。自分も正当な教育を受けていたのならばお前などは敵ではないと、まだ見ぬ自分の才能を頼りに目の前の現実から目を背けていた。
 
 生まれながらにして親から捨てられたケイツには得ることが叶わなかった教育を受ける権利を当たり前のように享受し、それでいて退屈そうに振舞う彼らに苦々しい嫉妬を抱かずにはいられない。
 唯一の救いは自分の主となった少女が自分の横で勤勉に本を読んでいることであろうか。
 
 ――思考に沈んでいると程なくして、教室に恰幅のいい中年婦人が入ってくる。紫のローブに身を包みとんがり帽を被っていた。
 
「え~。ゴホン、みなさんお静かに、はいお静かに」

 教壇に立つなり、咳払いし、手馴れた様子で喧騒に満ちた教室を静かにさせる。
 
「みなさん。進級おめでとうございます。私は本年度より皆様の授業を受け持つことになった『赤土』のシュヴルーズでございます。今年一年どうぞよろしくお願いしますね」

 穏やかで落ち着いた笑みを浮かべながら教壇に立った女性は一礼した。そして周囲に視線を配りながら授業前の挨拶を続ける。
 
「このシュヴルーズ、皆さんの召喚した使い魔を見るのが毎年の楽しみなのですよ。今年の生徒達はどうやら優秀なようで嬉しいです。ん?」
 
 召喚された『使い魔』を眺める婦人教師の視線がケイツの方へと向く。
 
「ミス・ヴァリエール。ずいぶんと変わった使い魔を召喚したようですね」

 シュヴルーズにとっては純粋な興味から来る感想だったのだろうが、そこにクラスメイト達が火を放った。
 
「ルイズ! いくら使い魔を召喚できないからって家から平民を連れてくるなよ」

 その言葉を皮切りに、好機を得たと言わんばかりに騒ぎ立てる少年少女の喧騒で再び教室内は埋め尽くされた。
 耐えかねたルイズが机を両手で大きく叩きながら、発端となった少年を睨みつけて怒鳴った。
 
「ミス・シュヴルーズ。『かぜっぴき』のマリコルヌが私を侮辱しました!」

「なんだと? 『ゼロ』のルイズのくせに生意気なこと言うな」

「あんた、年中風邪を引いているみたいなガラガラ声なのよ」

「――こらこら! 二人とも止めなさい。そこまでです」

 際限なく発展していくと思われた口喧嘩に見かねたシュヴルーズが仲裁が入る。
 
「でも先生。こいつが言った『かぜっぴき』はただの中傷ですが、こいつが『ゼロ』なのは事実です」

 本人はうまい事を言ったつもりなようだった。教室内からはそれに追従するように笑い声が上がったからあながち的外れではないのかもしれない。
 
「それ以上言うなら、授業中は口に粘土を張りつけて受けてもらいますよ」

 脅しをかねてシュヴルーズが空中に土塊を生成してみせる。それ以上言葉を紡ぐものはいなくなった。
 
「本日は『錬金』の授業を始めます。一年生の時に皆さんも習ったでしょうがおさらいの意味も込めてもう一度学習しましょう」

 教師らしく厳かに呟き、シュヴルーズは懐から杖を取り出す。
 教壇の上、彼女の手元には小さな石ころがあった。シュヴルーズが一言二言呟くと教壇の上の石ころに変化が現れる。
 激しく発光したかと思うと次の瞬間に、石ころが金属質の光沢を放っていたのだ。
 
「それってゴールドですか?」

 キュルケが驚愕し、身を乗り出して目の前の現象を食い入るように見つめた。
 
「いいえ、ただの真鍮です。金を錬金できるのは『スクウェアメイジ』だけですから、私はただのトライアングルですからね」

 肩透かしをくらったようにキュルケは着席する。

「……公衆の面前でなんと下品なことを言う女だ」

 キュルケを睨みながら、ケイツは湧き上がった嫌悪感を抑え切れずに小声で漏らしてしまう。

「なによ。ケイツどうしたの? 確かにあの女は下品であることは否定しないけどそんな変なこと言ったかしら?」

 隣に座っていたルイズだけがケイツの呟きを拾った。
 数ある地獄語の中で≪協会≫と敵対する≪聖騎士団≫の活動圏内で話されている英語は、既知魔法世界の魔法使い達にとって最低の卑語を意味する言葉だった。
 もちろんハルケギニア語を普通に話しているつもりのルイズ達にそんなニュアンスは聞きとりようもないのだが、ケイツだけはこれに敏感に反応したのだ。
 
「やめろ。私の口からは言えん」

 白雪のように無垢な表情を向けてくる少女に対して≪Gold≫の球体が意味するところを説明するのは流石のケイツにも躊躇われた。

「ミス・ヴァリエール! 使い魔と親睦を深めるのもいいですが今は授業中です。私語は慎んでください」

 教壇からは生徒が思っているよりも彼らの行動は目立つ。彼らが隠れてうまくやっていると思うようなことも神のような目で厳しく見咎めるのだ。
 
「申し訳ありません。ミス・シュヴルーズ」

 生真面目なルイズは咎められた罪悪感で萎縮した。思わぬところから自分の嫌いな女に対する悪口が零れたおかげでつい構ってしまったのだ。
 
「では、ミス・ヴァリエールには前にでて『錬金』の実習を行ってもらいましょう」

 シュヴルーズの発言は教室に波紋を呼び起こした。
 
「やめてください。先生、危険です!」

 赤毛の女、キュルケがシュヴルーズを止めた。周囲の生徒達も口々に彼女に同調するのは何も彼女が教室の女王であるという理由だけでないことは明白だ。
 
「危険? 何が危険だというのです。大丈夫ですよ。ミス・ヴァリエールは勉強熱心な生徒だと聞いてます。さあ怖がらないで前にでてやってみなさい」

「はい」

 シュヴルーズに促されて、おずおずと教壇の方へと進み出るルイズを見送った生徒達はこの後引き起こされるであろう騒動を予期した。我先にと、こぞって机の下に身を隠す彼らを見てケイツは怪訝な面持ちで見守っている。
 
「大丈夫ですよ。怖がる事はありません。さあ、『錬金』したい金属の事を思い浮かべなさい」

「分かりました」

 ルイズは懐から杖を取り出した。そして先ほどシュヴルーズが実演してみせたのと同じようにルーンを紡ぎ、そして杖を振り下ろす。 その直後に訪れたのは耳を劈くような爆音であった。教壇を中心に周囲の物が急激なエネルギーの膨張に耐えかねて吹き飛んでいった。
 爆発によって与えられた急激な慣性を物質が全て吐き出した後に残ったものは見るも無残な爆心地のみであった。教壇は見る影もなく破壊され周囲に破片を撒き散らしている。爆音に驚いた使い魔たちが生存本能を刺激され教室の片隅で暴れていた。
 自分の使い魔が食われたと、涙を流す生徒もいた。数多くの生徒達が惨状をもたらしたルイズに対して痛烈な抗議を放つ。

 しかし当のルイズは爆心にいて平然としていた。
 ただしルイズの服はボロボロになった。ブラウスは所々破れ、あるいは煤が付着しており、きめ細かい白い肌が露出している。
 スカートも同様でありもはや布切れとなったそれは服としての役割を果たしておらず下着を覗かせていた。
 そんなルイズの様子をケイツは心配するでもなく見守りながら言う。
 
「なるほど、最初は戸惑ったが未知の魔法世界においても確かに『錬金』は『錬金』なのだな」

 ルイズがもたらした喧騒の中でケイツの呟きが静かに溶けていった。



[37196] 第一章 銀色の架け橋 四話 トリステイン魔法学院 その三
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/04/29 18:33
 その後、意識を取り戻したシュヴルーズは授業の終了を告げ、ルイズに対し罰として魔法を使わずに掃除するように命じた。
 命令の半分はルイズにとって意味のない内容であったのだが。
 
「ケイツ、手伝って」

「なぜ私が手伝わねばならんのだ……」

「主人のミスは使い魔がフォローするものよ」

 机に腰掛け両手に腰を当て、つんとすましてルイズは命令した。
 ケイツはそ苦い顔をして不平を言う。

「あのような規模の効果が想定されるなら然るべき場所で行うべきなのではないのか? そもそも後片付けを生徒一人に押し付けるなぞ、この学院はどうにかしているな」

 ――最も普通の教育というのがどういうものなのかは知らんがな、と言外に付け足す。
 そんなケイツの呟きを耳に、ルイズは箒を胸に抱え、顔を伏せた。
 
「それは……私が悪いのよ。石ころを金属に変える授業だったのに……」
 
 「……ふん」
 
 学院を悪く言われて憤慨するかと思いきやルイズの表情は悲しげであった。
 さしものケイツも悲しみに暮れている少女に鞭を打つようなまねは憚られた。
 
 ケイツがルイズに背を向け教室を見渡すと、ひしめき合うかのように室内に銀弦が飛び交った。
 何も教室が全壊したわけではないのだ。ケイツは画一的に作られた机や椅子、そして床のタイルに相似弦を結ぶ。
 多数の生徒達が対等に教育を受ける学院の教室は、驚くほどの相似物に満ち溢れている。
 ケイツの魔法がそれらを健在なものと『似せる』ことで見る間に教室を元のままの状態へと変貌させた。
 
「終わったぞ」

 何度目になろうか、ケイツの魔法を目の当たりにしてルイズが呆然とする。
 最初は一枚のタイルが、机が、椅子がそれぞれ銀弦で結ばれまるで何事もなかったかのように修復された。
 その後は一瞬だった。まるで古いカーペットの上から新しいかーぺットを張り替えるように復元されていく教室を見つめて言葉が紡げない。
 
 ルイズは手に持っていた箒に目を落とした。あっという間にお役御免となったそれを用具入れへと戻す。
 
「ねぇ、あんた、何も言わないの……?」

 ポツリと、ルイズは俯きながら呟いた。

「何がだ?」

 脈絡もなく紡がれた言葉に対してケイツはが浮かべたのは純粋な疑問だった。

「私の魔法のことについてよ」

 系統魔法でも先住魔法でもない自分が全く知らない未知の魔法。
 ケイツが難なく魔法を行使するたびにルイズは自分の至らなさを突きつけられているようにさえ感じる。
 
 ケイツは唐突な彼女の問いかけに対し、なんとも微妙な表情をしていた。
 長い人生を経てさえ、少女を慰める経験などなかったからだ。
 
「……歳の割りに見事な爆発だと思うが?」
 
 なので思った通りのことを口にした。
 
 「――っ!? 何よ、あんた。馬鹿にしてるっていうの!?」
 
 半ば反射的に、すさまじい剣幕でルイズが振り向いた。思いもよらぬルイズの感情の表出を目の当たりにしてケイツはビクリと身を強張らせた。
 
 「な、なぜ怒る?」
 
 眦(まなじり)に力を込めてルイズはケイツに追い討ちをかける。
 
「な、なぜですって? そんなの決まってるじゃな……い」

 だが、ケイツを睨みつけながら、ルイズは違和感に気付いた。
 彼の言葉には嘲笑や揶揄の類のものはなかったことに。
 勢いに身を任せてみたものの、ルイズは言葉に詰まってしまった。なんとも歯切れの悪い微妙な沈黙が辺りを包んだ。
 
「ふん、それで、何が決まってるのだ?」
 
 少女の剣幕に怯んでしまったケイツが今更ながらに黒いコートの襟元をわざとらしく正し、威厳を回復するかのようにルイズを問い詰める。

「えっと……それは……」

 気恥ずかしそうにルイズが身をよじった。

「変な娘だ」

 ルイズとケイツの認識の齟齬は、ケイツがルイズを無能な魔法使いだと認識していないことにあった。
 ケイツにとって、ルイズがどういう目的でどんな魔法を使おうとしたかなど知らないが、自然秩序を術者が捻じ曲げ神秘を発現させた時点で魔法だ。
 そのようなケイツの解釈など露知らず、言葉を捜して途方に暮れていたルイズが顔を上げ、ふんっとそっぽを向きながら開き直った。
 
「いいわよね! ケイツは凄い魔法が使えて。私なんて……使い魔召喚が出来たから何か変わるかと思ったのに、未だに魔法の使えないゼロのルイズなのよ!」

 自嘲混じりに胸の内をぶちまけた。言った後でもしかしたら馬鹿にされるかもとルイズは考えたが、そうなったらお仕置きをすると心に決めた。
 
「魔法が使えないだと? 使えているではないか」

 しかしケイツの反応はルイズの見当とは違ったものであった。

「え?」
 
「お前はお前の力で自然秩序を捻じ曲げ爆発を引き起こしたではないか。それが魔法で無くて一体なんなのだ」

 協会圏内の既知魔法世界の魔法使い達は、自らの魔法秩序と異なる魔法秩序によって構成される別大系の魔法を本当の意味で理解することはできない。
 魔法使いの観測によって自然秩序をねじ伏せるところから魔法は始まる。
 ケイツであれば彼が引き連れている相似世界の秩序を自らの観測により自然秩序に上書きすることによって変化を引き起こすのだ。
 である以上、相似大系を超えたほかの枠組みを相似大系の理で理解することは余りに困難である。
 故にケイツはルイズの系統魔法がどうかと評価するのではなく、ルイズの起こした爆発がどうかという形でしか評価できない。

「そんなこと言ったって、私は好きで爆発を起こしたいわけじゃないのよ!」

「ならば爆発以外の魔法も使えばよかろう」

「~~~っ! もう! それが出来たら苦労しないってば! あんたには分からないのよ。上手に魔法が使えなくて苦しむ気持ちなんて、魔法を使いこなせるあんたには分からないわよ!」

 引き絞るように放たれた嘆きは劣等感の具現であった。
 ルイズは名家のメイジの家系で育ち様々な高等魔法を眼にしてきて尚、ケイツが扱う魔法は素晴らしいものと言えた。
 積もり積もった鬱憤が、嘆きが、思わず口を付いて出てしまう。
 
「私が上手に魔法を使えるだと……?」

 いっそ軽蔑されるかもと思われたルイズの癇癪がケイツの核心に触れる。
 学ぶ環境も師も与えられない中でがむしゃらに磨き上げたケイツの魔法はいかに努力を重ねようとせいぜい二流止まりのものだった。
 だが、ある日突然与えられた才能はそんなケイツであろうとも頂点に立ちうるほどのものだ。
 しかし、与えられた魔法に全てを委ねるということは、それまでの自分の人生が無価値だという事を認めるようでケイツは嫌だった。
 
「……いいか、これだけは言っておくぞ。私はお前より遥かに魔法に苦悩した経験がある。力を得てなお苦悩し続けているのだ」
 
 ケイツは普段の枯れ、くたびれた印象である表情を引き締めて言った。
 
「それじゃ、この苦しみがずっと続くって言うの? あんたも私みたいに苦しんでたの?」

 ルイズは、突如鋭さを宿したケイツの真剣さに思わず耳を傾けてしまう。人として全く尊敬できない男だが、彼が見せる魔法の力はまさしく本物だったので、ケイツの言葉に説得力を感じてしまい、先行く未来が不安になる。

「知らん。お前の嘆きはお前だけのものだ。お前の苦しみもお前だけのものだ」

 だが大きすぎる不運に振り回されて世を恨む以外に他のすべは見出せず、落ちぶれるたびに心が磨耗していった男はその心境を苦しみの一語で共有されることを拒む。
 
「……お前なぞ、まだマシな方だ。下を見ろ。お前よりひどい境遇のやつなぞいくらでもいる」

「な、何よ。下を見て満足するなんて出来ないわ。だって私は貴族なんだから」

「今いる場所に留まり続けたければ、もがくしかあるまい。誰もが、皆そうなのだ」

「そんなこといってもどうすればいいのか分からないわ」

「ならば、魔法を磨けばよかろう。結局、魔法使いで居続ける限り、魔法使いの価値は魔法だけだ」

「……あんたの所もそうなのね」

 ケイツの言葉はルイズの心に深く浸透した。如何な大貴族の令嬢と言えど"魔法が使えない"だけで彼女は冷笑と侮蔑から逃れる事はできなかったのだから。

 不意に、ルイズとケイツの間に架け橋が出来た。
 二人の生まれながらにして培ってきた劣等感が『似ている』と相似弦が認識したのだ。
 
「な、何をする気?」

 ケイツとルイズの間に繋がった相似弦を見て、何らかの魔法の前兆かとルイズは怯えた。
 
「うろたえるな。相似弦自体は、相似大系魔導士の観測に過ぎない。意識の有無に関わらず、似ているもの同士を結ぶのだ。相似弦はそれ単体では、相似大系魔導士が行う魔法秩序の認識の影だ。それを魔力として行使することで彼らは魔法を発現させる」
 
「なんですってッ!? ……そんなの、在り得ないわ」

 ケイツの説明は真剣な雰囲気をぶち壊した。ケイツに似ているのだと、魔法秩序直々のお墨付きを得て、ルイズは途方も無く嫌そうな顔をした。せっかくの美少女が台無しになりそうなレベルだった。
 
「娘よ。なんだその顔は」

「だって、ケイツに似てるって何かダメ人間の烙印を押されたよう、……あっ! 悪気はないのよ? あんたってレディを慰める事も満足に出来ないし、なんか周囲に怯えるようにきょどってるし、人としての器は小さそうだけど、すごい魔法使えるから、差し引きでギリギリゼロに届かない程度に収まると思うの」

 ルイズのケイツに対する評価は赤字であった。
 少女の慰めという名の偽りなき本音にはケイツの擦り切れたはずの心でさえ悲鳴を上げそうになった。
 
「なぜこうも私と相似弦が繋がるやつは失礼なやつばかりなのだ」

「そりゃ、あんたに"似てるから"でしょ。あ、私は別よ」

 いくら別だと言ってみても、その態度はまさしく"同じで"あった。
 ケイツは憤然とし、相似弦を断ち切る。
 相似弦は相似大系魔導士にとって単なる資源だ。術者の能力如何で結んだり解いたりすることも出来る。
 ケイツとルイズの間に結ばれた強固な"相似"でさえ、今のケイツが干渉することは難しくなかった。
 
「ふん、本当に不愉快な娘だ。だが、元気になったではないか」

「あ」
 
 そう言われてルイズは口元に手を当てる。いつの間にか笑みが浮かんでいた。
 
「ねぇ、ケイツ」

「なんだ」

「ありがとう」

「……」

 ルイズが微笑を乗せて告げた感謝の言葉はどこか聖句のような神聖さを備え、ケイツの胸へ飛び込んだ。
 だが、聖なる物は時としてダメージを与えることがある。ケイツは硬直した。

「何よ。何とか言いなさいよ」

「か、勘違いしないでもらおう。べ、別にお前のためを思ってした訳ではない……失礼する」

「あ、ちょっとどこ行くのよ。待ちなさい」

 そう言い捨て、ケイツは足早に逃げ去っていった。



[37196] 第一章 銀色の架け橋 五話 決闘 その一
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/04/29 18:32
 天を見上げれば吸い込まれそうなほど青空が広がっていた。
 今の時刻は昼下がり、学院の広場には休み時間を利用して少年少女が思いのままに過ごしている。
 ボールを魔法で操作して篭に入れあう競技をする者たち、テラスでカップを傾けながら談笑に華を咲かせる者たち等の姿などなんとも微笑ましかった。
 けれど、そんな広場の一角ではベンチに腰掛け灰色の男が燃え尽きたと言わんばかりに項垂れており広場の美観を損なっていた。
 
 それはまさしく浅利ケイツであった。
 ケイツは先ほどのルイズとのやり取りを思い出す。
 少女が自らの劣等感に羞恥しながらケイツに向けたのはまさしく羨望と嫉妬である。多くの場合、敗者から勝者へと向けられるものだ。
 ケイツが今まで相手に向け続けていた視線を、今度はケイツがその身に受けることになった。
 それはケイツが欲して止まぬものであったはずだ。
 だが、どういうわけかケイツは喜ぶことが出来ないでいた。
 ベンチに腰掛けていたその身を前に屈め、重苦しい呼気を吐き出す。この背中に圧し掛かる重圧感は一体なんなのか。
 ケイツは自分を苛むものが一体何という感情なのか分からなかった。
 
「――あ、あの」

 不意に、どこかで聞いた声がケイツに耳に届いた。
 痩せ窪んだ目を声のする方向へと向けると、今朝一悶着あったメイドの少女――シエスタがおずおずといった様子でケイツの傍らに佇んでいる。
 
「どうしたのだ」

「えっと、大したことじゃないんです。ただ理由が知りたくて」

「理由だと?」

 脈絡も無い言葉にケイツは首をかしげた。
 
「はい、朝は思わずショックで立ち去ってしまいましたが、常識で考えれば初対面の女の子に男なのかなんて聞くわけないですよね? だから何か理由があるんじゃないかって」

 乙女心を傷つけられてなおシエスタは健気であった。
 ケイツは湧き上がる罪悪感に後押しされ。口を開いた。

「すまなかった。大したことではないのだが、私には私を尊敬するメイドの少年がいたのだ」

 ケイツはリュカの事を回想する。かつて一度相似世界に帰還した時にとある事件で捨て駒にされた彼を助けたことがあった。
 それ以来、リュカはケイツの事を崇敬していると言うので傍においていたのだ。
 焼けた金髪に潤みのある瞳、艶やかな唇、中性的な声、身はすらっと細く白い肌は瑞々しかった。
 ケイツは地獄で最期の時自らの身を呈して、この超ミニスカメイド少年を助けて倒れたのだった。
 自分はもはや助からないと確信して、自分を敬っている者まで無慈悲に殺されることにケイツは怒った。
 
 無事に逃げおおせただろうかと、不意に感傷がわきあがって来る。
 ケイツが遠い目をしていると、草が踏みしめられる音を耳にして回想を打ち切った。
 シエスタが後ずさっていた。
 
「つまり女の子そっくりの男の子を連れていたから私が男なのか気になったのですね。事情は分かりました。でも安心しました。ほら私はちゃんと女の子ですから」

 そういってシエスタは胸を張った。お仕着せの上からでも分かる豊満な女性の象徴がそこにあった。
 
「ああ、分かってもらえると助かる」

 シエスタはケイツの言葉に身の安全を確信し、ほっと安堵の息をこぼす。
 そうなるとどこか親近感のある笑みを浮かべ気さくに話しかけてくるのだ。
 
「いえいえ、お貴族様に仕えるには何かと苦労が多いと思います。お互いがんばりましょうね」

「ああ」

 朗らかな少女の笑顔に、優しくされることに慣れていない男はなんとか引き攣った笑顔で笑った。

「そういえば、お昼ご飯まだですか? 賄(まかない)があるのでよかったらどうでしょう。ケイツさんのこと、じゃなくて。ケイツさんとそのメイドの少年との馴れ初めなんかを聞かせてもらえたらなって……。メイド仲間にそういうことに詳しい子がいるんですよ」

「……少女よ。どうしてそんな目で私を見るのだ」

 シエスタに引かれる様にケイツは厨房へと向かった。
 余談だがシエスタは『バタフライ伯爵夫人の優雅な一日』などという耽美本を読むのがささやかな趣味である。
 しかし少し前に、メイド仲間から借りた『筋肉男爵の歪み無き闘争』という物語を読んで以来、彼女の価値観は薔薇色に染まった。
 
 


「うまい」

 ケイツはシチューをすすった。残り物で拵えられたことは明白だが職人の工夫がケイツにさえ窺えた。
 厨房の片隅では、金髪のメイド――ローラと、シエスタを筆頭に何人かが頬に手を当て身もだえしていた。
 既に根掘り葉掘り聞きだしたケイツとリュカの馴れ初めを妄想という名の筆で塗りたくり黄色い声を上げていた。
 
 年若い娘たちに囲まれているというのに、灰色を通り越して真っ白になりそうだったとケイツは嘆息した。
 骨の髄まで染み渡るシチューが神の恵みにすら思えた。
 
「はっはっは、気に入ってくれたようで何よりだ」

 豪放な哄笑がケイツの耳に飛び込んできた。料理長のマルトーと名乗った屈強な男だった。
 がっしりと引き締まった体躯に、精悍な顔つきの中年がケイツの賛辞に心から感情を表現したのだ。
 
「実際、生まれて以来これほどのものを口にしたのは初めてかもしれん……」

「いいってことよ! おめぇさんも急に呼び出されていろいろ大変だろう。そんな痩せちまって、ぶっ倒れねぇようにしっかり食いな。貴族に仕えるのはそりゃもう大変だからよ!」

 マルトーはしきりに笑ってケイツの背中をバンバンを叩く。
 シチューを口に含んでいたケイツは思わずむせてしまった。
 
「……馳走になった」

 なんとかシチューを平らげたケイツがマルトーに嘘偽り無い礼を述べた。
 誰かに感謝の念を抱くと言うのはケイツの記憶の中にもそれほどないかもしれない。
 
 返礼に何かしようと思い立ったケイツはふと気付いた。先ほどから片隅で囁いているメイドたちの視線がおかしい。
 マルトーとケイツの方をチラチラと見て、セメとかウケなど口にしているのをケイツは耳聡く聞き取った。
 言葉の意味はよく分からないが、不穏な気配を感じてしまったケイツは居心地がよくなかった。
 
「……何かあったらいずれ礼はしよう。これで私は失礼する」

「おう、また来な!」

 厨房を去っていくケイツにマルトーは朗らかに見送った。
 メイドたちの視線がケイツの背中を焦がすような気がしたが錯覚であって欲しいとケイツは願う。
 
 

 
 厨房を出ると食堂に着いた。豪華絢爛を極めたアルヴィーズの食堂も今朝のように厳粛としているならともかく、思い思いに生徒たちがたむろしている今では、町の酒場とどれほどの違いがあるのか分からなかった。
 腹も膨れて思考も順調に回りだしたケイツは、主となった口うるさい少女のことを思い出す。
 置き去りにしてしまい、また小言でも言われるかと思うと少しげんなりしたが、遅いか早いかの違いなら早いほうがいいとケイツはルイズを探すことに決めた。
 
 昼時、他にすることもないようだったルイズもおそらく食堂にいるのではと考えいたり、ケイツはアルヴィーズの食堂の喧騒を視線で掻き分けルイズを探し始めた。
 その一角で、ケイツの目が止まった。
 小さな小瓶が大仰な身振りで歓談している男子生徒のポケットから、はずみで落ちたのを目撃したのだ。
 放っておこうとも考えたが小瓶は小さく曲線を描き、ケイツの足元へと転がってくる。

 ケイツは小瓶を拾い上げ、持ち主と思しき男子生徒の下へと歩みを進める。
 
「――おい、これはお前のではないのか」

 ケイツが少年へと声をかけた。
 振り向いた少年が着古したコート着たケイツに目を留めるや、その瞳は嫌悪で濁った。
 
「お前だと? 今、お前と、そういったかね?」

 仰々しく足を組み胸元にフリルのついたシャツで着飾った金髪の男が芝居じみた様子で足を組み変えた。
 どうやらケイツの態度に立腹したようだ。
 
「お前の懐からこれが落ちたぞ。拾ってやったのだ感謝しろ」

 そんな男子生徒の怒りなどケイツは構わず、香水をテーブルの上に置く。
 同席していた少年達がそれを見るやおもちゃを与えられた子供のように色めき立った。
 
「おい、ギーシュ! これはモンモランシーが特別に調合している香水じゃないか」

「ああ、こんな綺麗な紫色をしているのは他にないぜ。それがお前のポケットから出てきたという事はつまり、お前は今モンモランシーと付き合っている。そうだな?」

 少年達が囃し立てる。どうやら色恋沙汰の話をしている最中であったらしい。決定的な証拠をケイツが投げ込んでしまった。
 池に餌を投げ込んだときの魚のように、同席している少年たちの関心が小瓶に向く。
 
「待ちたまえ、違う。いいかい? 彼女の名誉の為に言っておくが……」

 少年たちが大声で騒ぎ立てるものだからギーシュと呼ばれた少年が目に見えてうろたえ出した。
 その様はまるで飛び火しないように鎮火に勤しんでいるようにも見えたが何もかもが手遅れだった。

「ギーシュ様……」

 小さく震える鈴の音に似た声が、少年たちの喧騒の中でさえはっきりと聞こえた。
 後ろのテーブルに座っていた茶色のマントを羽織り、栗色の髪をした少女がギーシュの方へと歩み寄った。
 着ているマントの色が異なっていることから下級生だろうか。
 少年たちが静まり返ったのは、この少女の目に涙が浮かんでいたからだ。
 依然として食堂全体は騒がしいのに、この周囲だけ異世界に切り取られたかのようだった。
 
「やはり、ミス・モンモランシーと……」

 涙声で少女は糾弾した。
 
「彼らは誤解しているんだ。ケティ。いいかい、僕の心の中に住んでいるのは、君だけ……」

 ギーシュが最後まで言い訳を紡ぐ事はできなかった。ケティと呼ばれた少女が思い切り平手打ちを頬に叩き込んだからだ。

「その香水があなたのポケットから出てきたのが、何よりの証拠ですわ! さようなら!」

 憤然とした怒りに涙を滲ませながらケティは食堂の人波を割って出て行った。もはや食堂の喧騒は止み、全ての人々が騒動の渦中を見守っていた。
 ギーシュは既に生徒達の注目の的である。別の女生徒がそんなギーシュの元へと歩み寄ったことで新たな波乱の幕開けを皆が感じた。
 巻き髪の鮮やかな金髪の女の子がギーシュの前にいかめしい顔つきでやってきた。
 彼女が何か言う前に、ギーシュは狼狽しながら先制した。
 
「モ、モンモランシー。誤解だ。彼女とはただ一緒に、ラ・ロシェールの森へ遠乗りをしただけで……」

 ギーシュは首を振りながら訴えた。冷静な態度を装っていたがどう見てもへたれていた。
 そんなギーシュとケイツとの間に銀弦が繋がった。
 ケイツはすぐにそれを断ち切った。どうしてかこの時だけは流石のケイツも不快に感じたからだ。
 
「やっぱり、あの一年生に手を出していたのね」

 ギーシュの弁明なんてお構いなしにモンモランシーは糾弾する。
 
「お願いだよ。『香水』のモンモランシー。咲き誇る薔薇のような顔を、そのような怒りで歪ませないでおくれよ。僕まで悲しくなるじゃないか!」

 モンモランシーはテーブルの上に置いてあったワインの瓶を掴み、ギーシュの頭の上で逆さにした。
 そして、濡れそぼるギーシュにケティとは逆の頬を一閃する。
 
「嘘つき!」

 一際甲高い声が響き渡り、彼女は去っていった。
 後に残されたギーシュに注目が集まった。
 誤魔化すように乾いた笑いを浮かべながら、ハンカチを取り出しゆっくり顔を拭った。
 そして芝居がかった所作で言う。
 
「あのレディ達は薔薇の存在の意味を理解していないようだ」
 
 打ちのめされても不遜な態度だけは崩さないギーシュとケイツの間に、またも相似弦が伸びてくるが、ケイツは繋がる前にそれを断ち切った。
 ケイツは汚れたような気がしてその場に居たくなかった。無言で足早に立ち去ろうとしたところをギーシュが呼び止める。
 
「待ちたまえ!」

「……なんだ?」

「君の軽率な行動のおかげで二人のレディの名誉に傷がついたではないか。どうしてくれるんだね」

 誰に聞こうと悪いのはギーシュだった。
 
「私には関係のないことだ。二股をしているお前が悪いのだろう」

 ケイツのくせに正論だった。だが正論なので周囲も同調した。
 
「その通りだ! ギーシュ。お前が悪い!」

 生徒たちの煽りにギーシュの頬に赤みが差す。

「それになんだ、君のそのさっきから無礼な態度、平民が貴族にそんな口を聞いていいと思っているのかね?」
 
「何を言っている。お前こそ私が誰だか分かって言っているのか」

 だが、着たきりの冬物のコートを羽織ったみすぼらしい男が放つ尊大な台詞と、その疲れ果て負け続けた容貌はケイツの言葉に何の説得力も与えない。
 
「君は……ああ、ゼロのルイズが召喚した平民だったか。まさか彼女の家柄が自分の力になると勘違いしているんじゃないかね? そもそも使い魔もちゃんと躾けることも出来ないとは、さすがゼロのルイズだ」

 ギーシュはケイツの不遜を公爵家の看板を当てにしたものだと推察した。
 ギーシュからすれば礼儀知らずで常識知らずのケイツは笑いものの道化以外の何物でもなかった。
 
「もういい。行きたまえ」

 出来る限りの侮蔑を表情に乗せ、ギーシュは言った。
 
「ああ、そうさせてもらおう」

 少年の物言いにケイツは不愉快なものを感じたが、話が終わったのだ。そこに留まる理由はない。ケイツは踵を返す。
 
「な、何ぃ! 待ちたまえ!」

 だというにも関わらずギーシュは再びケイツを呼び止める。
 
「……どうした、一体なんなのだ」

 ケイツはもはや面倒くささを隠そうともせず言う。

「君は、恥ずかしくないのか? ここまで言われて引き下がるとはそれでも男かね?」

 ギーシュはケイツが挑発に乗ってくるものだと予想していた。
 平民だから仕方ないにせよ。唯々諾々と逃げ去るなど想定外だった。

「なぜ恥ずかしいのだ?」

 相似大系魔法世界の頂点に立てるかもしれないほどの才能を持ったこの男は、既知魔法世界の命運を決する≪地獄≫での大決戦で襲い来る刺客達に頭を下げ、敵の再演干渉を開放することを餌に逃げ延びてきた。
 今更、逃走することなどケイツには何の躊躇いもなかった。
 
 だが、ギーシュはそれが面白くなかった。せめて屈辱を顕わに膝を折り泣き喚いた所に、改めて貴族の寛大さを総身に染みこませ、感涙するとなれば許す気もあった。
 でもこうも醜態を晒すことに頓着がない男を見ていると微妙な心持ちになりそうだ。
 
 ふと、名案が浮かんだかのようにギーシュは笑う。

「君は礼儀というものを身につけるべきだ。もしよければ僕が貴族の礼儀というものを教えてやろう。ヴェストリの広場で待っている」
 
「よかろう」

 そのぐらいのことならとケイツは応じたのだが、その瞬間、なぜか食堂は歓声に沸いた。
 生徒たちはギーシュの宣言の意味を理解していた、愉悦に胸を弾ませ、皆はこぞって広場へと向かう。
 ケイツはよく分からず呆然としていたが、そんなケイツのもとにつかつかと歩み寄ってくる人物がいた。
 
「あんた見てたわよ! 何勝手に決闘の約束なんかしているのよ」

 憤然と問い詰めてくるルイズの言葉に我が耳を疑ったケイツが尋ね返す。
 
「待て、私が一体いつ決闘の約束をしたのだ」

 ルイズは思わず頭を抱えた。確かに決闘の二文字はどこにも出ていなかったが、状況が決闘から逃れることを許さなかった。
 
「謝っちゃいなさいよ」

 ルイズとしてはギーシュに同意できないが、客観的にみてケイツに至らぬところがあったのは確かだ。
 ルイズとてケイツを騒動に巻き込むのは不本意なのだ。先ほど受けた不器用な男なりの心遣いも彼女は忘れていない。
 
「そうさせてもらおう」

 途端にルイズは膝を突きそうになった。
 あっさりと謝罪を決意するケイツの言動に肩の力が抜け落ちたからだ。
 
「……あんたって、なんで凄い魔法使いなのにそんな臆病なのよ」

「うるさい。私は臆病などではない二度とそのような呼び方をするな」

 まるで漫才でもしているかのようであった。だが本人は至って真剣だ。
 
「――おっと、待てよ。そうは行かないぜ」

 ルイズとケイツの算段を打ち砕こうと横合いから呼び止める声があった。
 傍に控えていた男が二人。おそらく逃げないようにケイツを見張っていた男。先ほどギーシュの席に同席していた少年だった。
 
「何よ、あんた関係ないでしょ。すっこんでて」

 そんな彼にルイズが怒鳴る。
 
「そうはいかない。なんせここまで事を大事にしたんだ、ごめんなさいで済んだら面白くないだろ」

 既に決闘の宣言をしてしまったことで生徒達は興奮の渦中に身を投じている。ここで肩透かしされては非難の矛先が変わってしまう恐れさえあった。ソレを嫌った彼らはケイツが逃げることをよしとしないのだ。
 
 だが、ケイツがギーシュに虐げられることを望んでいる二人の少年に対して、ルイズはどこまでも強気だ。
 
「いいこと? ケイツは凄い魔法使いなんだから。彼が本気出したらギーシュなんてぼっこぼこよ。分かる? あんたらのために言ってんの。退きなさい」

 ケイツの魔法の冴えを知っているルイズはどこまでも強気だった。これは贔屓などではなくギーシュとケイツ双方の実力のほどを知ってるが故の正当な分析の結果なのだ。
 
「こいつが魔法使いだって? 平民なんじゃなかったのかよ。はっはっはははは、『ゼロ』のルイズ、妄想も大概にしろよ。こんな臆病者が凄い魔法使いなわけないだろ」

 強さとは力であり、力とは勇気である。少なくとも臆病なものが強いわけないというのが彼らの理屈だ。
 ケイツとルイズが何を言おうと彼らを笑わせる以外のことは出来なかった。
 沸点の低いルイズに限界がきた。

「いいわ。そこまでいうならあんたたちにケイツの力を見せてやろうじゃない。ケイツ! ギーシュなんか叩きのしちゃいなさい。行くわよ!」

「おい、待て。話が違うぞ。止めろ。引っ張るんじゃない!」

 自分の胸元までしかない背丈の少女にケイツは引きずられて広場に向かうことになった。
 未だ知らぬ魔法世界にて、異種魔法戦が始まろうとしていた。



[37196] 第一章 銀色の架け橋 六話 決闘 その二
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/04/24 18:15
「諸君ッ! 決闘だッ!」

 ヴェストリの広場にギーシュの宣言が響き渡った。
 魔法学院の敷地内、『風』と『火』の塔の間にある中庭であり西側に位置する広場なので日中は日が差さない。
 決闘にはうってつけの場所であった。
 
 騒ぎを聞きつけて集まった生徒たちはギーシュの決闘宣言に大いに沸きあがった。
 誰もがケイツが勝利することなど期待していない。公開処刑を期待する血に飢えた興奮が周囲を支配している。そんな空気の中、ギーシュは観衆が送る声援にひとしきり陶酔すると、ようやくケイツの方へと向き直る。
 
「とりあえず、あれほど逃げ腰だったわりによく来たと褒めておこうじゃないか」

「来たかったわけではない」

 ギーシュの得意げな挑発を受けてもケイツはやる気を見せなかった。願わくば、とっとと謝って帰りたいとさえ考えていた。
 
「さて、決闘には名乗りが必要だ。僕の名前は『青銅』のギーシュ。得意な魔法は錬金だ」

 相変わらず芝居がかったようにギーシュは名乗りを上げた。薔薇の造花を得意げに構えている。
 ケイツはハルケギニアに来て、かねてより疑問に思っていたことを思わず口にしてしまった。
 
「――待て、貴様。ずっと疑問だったのだが、"錬金を使うならなぜ脱がない?"」

 一瞬、すべてをかき消すほどの喧騒に包まれていたヴェストリの広場が静まり返ったような気がした。
 すぐにざわざわと活気が戻ってくる。だがそこには明らかに困惑の色が浮かんでいた。
 
「なっ!? 君は何を言っている。ま、まさかいくら僕が至高の美少年だからと言ってよもやそういう趣味があるのではあるまいね!?」

 ギーシュが明らかに、自信過剰気味に動揺した。
 
「何を言うか。私は単に錬金を使う魔法使いとしてあるべき姿を提案しただけだ。貴様の裸など誰が見たいものか」
 
 自分が知っている錬金大系の有名な台詞として"服など女子供の着るものだ"というものがある。
 ≪錬金大系≫は観測した対象とほかの部分を分ける≪境界≫に魔力を見出す。
 故に魔法使いの身体の表面を服で覆うなど、魔法行使の邪魔でしかないのだ。
 つまり≪錬金大系≫では服を着るなど戦士としてあるまじき行為、男も女も錬金大系魔導士ならば皆、裸というのが常識だ。
 ハルケギニアの魔法使いたちを目にしているとケイツは全く理の異なる世界に身を置いているのだという事を強く確信させられることになった。
 
 ケイツの問題発言で台無しになりそうな決闘の雰囲気をなんとかしようと、ギーシュはあらん限りの声を振り絞って吠えた。
 
「何を分けのわからない事を言っている! もういい、出でよっ! ワルキューレ!」
 
 ギーシュが一言二言詠唱すると、彼が手にしている薔薇の造花から一枚の花弁が宙を舞い、人の丈ほどの青銅人形が姿を現した。
 鎧に身を包み武器は持っていないが、ギーシュ・ド・グラモンが得意とするクリエイト・ゴーレムの魔法である。
 
 ケイツは初めて対峙する未知の魔法大系に対して、まったくの警戒なく佇んでいる。
 
「ふふ、このワルキューレを前に戦意を無いか。謝れば許してやっても――」

 自分の魔法に酔いしれているギーシュを他所にケイツはコートの内側から一本の剣を取り出した。
 そしてその抜き身の剣を地面に突き立てる。
 途端に地面に当然のように散在する土や石ころが爆発的に銀色の弦を伸ばした。まるでヴェストリの広場そのものが銀色に開花したかのようだった。
 それまでただの石ころであった地面が突如、意志を得たかのように動き出す。コロコロとひとりでに転がり、詰みあがって盛り上がっていった。
 結果、そこに出来上がったのは夥しい剣の山だ。ケイツが最初に地面に突き刺した抜き身の剣と一糸違わぬ姿の剣が立ち並んでいた。
 それは≪概念魔術≫と呼ばれるものである。
 魔法においても、現象は『原因』があって『結果』という当たり前の順序に従う。
 だが高等な魔術は先に『結果』を押し付けてしまい、逆算で『原因』となる現象を生成させることが可能だ。
 ケイツは自分が持つ剣と『相似である』ことを、地面に対して押し付けたのだ。
 その結果がケイツが持つ抜き身の剣と『似ている』夥しい数の剣だ。
 
 ケイツは全てが相似弦で繋がっている剣の中から最初の剣を引き抜いた。するとそれに沿うように他の剣もケイツが抜いた剣と『同じように』一人でに持ち上がりその身を空中で静止させていた。
 ケイツが剣をギーシュの方へと向ける。
 同様に百ほどもある剣の数々が『同じように』ギーシュへとその剣先を向けたのだ。
 
「な、なんだね。それは、き、君はメイジだったのか」

 突然の出来事にギーシュは動揺する以外の何事もできなかった。
 慌てふためいたギーシュに対して、ケイツが淡々と乾いた視線を向ける。

「これで分かっただろう。私と貴様では天と地ほどの開きがある。別に貴様をなぶろうとは思わない。早く降参しろ」

 今ならこの尊大な物言いもこの男には似つかわしいのではないかとさえ思えるようだった。
 数多の剣の軍勢をギーシュに突きつけているその様は歴戦の将軍のようだ。その矛先が全てギーシュへと向いている。
 もやは杖を交えるまでも無く、ケイツの勝利だとすべての観衆が確信したときそれは起こった。
 
「――っ何!?」
 
 ケイツが操るすべての剣が、橙色の炎に包まれて焼け落ちたのだ。
 橙色の炎に包まれた夥しいほどの剣が重力に引かれて落下する様は、まるで焼け落ちた浮遊城の崩落にも似てひどく幻想的であった。
 相似弦を新たに紡ぐことさえ出来なかった。ケイツにとってその炎は最も馴染みのある侮蔑と嫌悪と怒りの対象となるものだ。

「馬鹿なッ!! 魔炎だと? どうして今になって!?」

 ケイツの疑問は悲鳴のように放たれた。
 地獄では≪悪鬼≫の観測によって魔法は焼き払われる。≪悪鬼≫の五感に触れたありとあらゆる魔法は橙色の炎を上げる魔炎に焼かれ燃え尽きるのだ。
 奇跡の技である魔法を焼く≪悪鬼≫達こそがケイツたち魔法使いが恐怖し、嫌悪し続けてきたものだ。
 だが、この場の現象はそれでは説明がつかなかった。悪鬼の五感に触れた魔法はその場で焼け落ちる。つまり悪鬼がこの決闘を見ているのならばそもそもケイツは魔法を使えないのだ。
 
「……≪沈黙≫(サイレンス)かっ!?」

 ケイツはその名前はあらん限りの嫌悪と共に吐き捨てた。
 "意図的に魔法消去を切る事が出来る"近づかれた頃には魔法で抗うことが出来ないという≪沈黙する悪鬼≫は魔法使いにとっては最大級の恐怖だった。
 そして、自分に因縁のある男の代名詞を前にして冷静になることなど出来ない。
 
「……一体なんなんだね」

 当惑するギーシュを他所にケイツは群る観衆へと代わる代わる視線を飛ばしている。
 
「おのれ、どこだ。なぜ私の邪魔をする。サイレンスよ!」

 だが、探せども探せども、≪武原 仁≫の姿は見当たらなかった。当然いるはずもなかった。
 
「き、君は一体何なんだ。ええい、行けワルキューレ!」

 ギーシュは怯え、当惑していた。
 ちょっとした憂さ晴らしのつもりであったのに、なぶり者にする予定であった目の前の男はあろう事か魔法を行使して見せた。
 それも自分より遥かに高度なものを、杖もなしに。そしてその直後に起こった橙色の炎の嵐。
 何もかもがギーシュの思慮の外にあった。だが名のある軍閥の子息としての嗅覚がとっさに身体を動かし、青銅のゴーレムをケイツにけしかける。
 
 しかし、思慮の外という意味ではケイツも同様だ。
 忘れもしない。≪地獄≫にいた魔導士ならば誰もが憎悪して止まぬ魔炎が"今ここ"で自分の魔法を焼く意味が分からなかった。
 敵を見据えて一対一で行う決闘で、あろう事か二人が二人とも別のものを恐れていた。
 けれど時間は平等に流れる。
 呆然としたケイツに対して既にワルキューレは走っていた。
 
「――っ!?」

 我に返ったケイツは咄嗟に身をひねることで迫り来るワルキューレの豪腕をかわした。
 
 一体どういうことだ。なぜ、こちらだけ魔法消去を受けてお前らは平然と魔法を使えるのかと、ケイツは心中で悲鳴を上げる。
 呆れるぐらい冗談みたいな光景であった。魔法使いと決闘しているのに、こっちが一方的に魔法が使えない。
 ケイツの心を弱気が支配する。
 
「ふっ、ふふふ、どうした。さっきまでの威勢はどこに行ったのかね?」

 目に見えてうろたえ出したケイツを見て、ギーシュは次第に平静を取り戻してきた。
 戦いの興奮が恐怖心をかき消し、そして優位に事を進めた自信が集中力を高める。
 
 ケイツは総身が震えた。地獄よりこの地に招かれて以来、多少なりと穏やかな心持ちになれた気がしていた。
 だが自らの魔法を橙色に燃やし尽くす地獄の残り火に追いすがられたようで苦い思いが胸いっぱいに広がる。
 どこにいるかも分からない悪鬼に怯えながら迫り来るワルキューレの拳を必死に回避することしか出来なかった。
 
「どうしたのかね? さっきの魔法はもう使わないのかね? 最初は油断したがもう君の魔法は通用しないよ」

 戦況を有利に進めているギーシュが得意げに嘯いた。
 だが、恥じも外聞もなく逃げ回るのケイツを相手に青銅の拳は空を切るだけであった。
 戦況を見ればお互いまだ無傷だ。
 それでも攻め続けているという事実がギーシュに自信を与える。
 
「……分からん。わけが分からんぞッ!!」

 ケイツは恐怖する。ギーシュが操る青銅の拳に、ではない。
 どこからとも知れずに照射されている魔法消去の脅威が不気味でたまらなかったのだ。
 今のケイツはただの人だ。
 秩序が最も安定する世界を目指した偉大なる旅人、≪放浪者≫とて原住民が放ったただの槍に刺し殺された。
 いかに不老不死を誇る高位魔法使いと言えど、魔法消去下においては神話の主などではないのだ。
 
 幸か不幸か、ケイツは長い地獄での逃亡生活のおかげで体術の嗜みがあった。
 襲い来る青銅人形の直線的で単純な豪腕を回避するだけならば造作もない。
 しかし、魔法消去に晒されているという不安、そしてなによりも相手がその影響を全く受けていないという事実がケイツを焦燥に駆り立て、平静を保つことができないでいた。
 
「どうしてだ、なぜ貴様は魔法を使っていられる!?」

「何を言っているのかね。そんなの僕が貴族だからに決まっているじゃないか!」

 口元を愉悦に歪ませて語るギーシュは話にならなかった。
 だが明らかに今の状況はギーシュが意図して作り出したものではないと、ケイツは理解する。
 元凶を探るべくせわしなく動かしているケイツの目が桃色の髪をした少女の姿を捉えた。
 胸元で両手を握りこみ不安そうな顔でケイツを見つめていた。
 だが、ケイツはそんな彼女に目を留めておくわけにはいかない。
 こうしている今でさえ銅の豪腕は風切り音を震わせ、ケイツへと迫っているのだ。

「くっ!」

 大きくバックステップすることでケイツは窮地を脱した。だが相変わらず魔法は使えない。
 大きく後退し、間合いが開けたことでその隙に一呼吸付く余裕ができた。
 肩で息をするケイツを見据えるギーシュが薔薇の造花をキザに構えて宣言する。
 
「なかなか、しぶといね。だが遊びは終わりだ。全力でお相手させていただこうじゃないか」

 ギーシュの杖から薔薇の花びらが六枚舞散った。そこから顕現する六体のワルキューレ。
 最初の一体と合わせて七体のワルキューレがケイツの目の前に展開された。
 
「君は妙にすばしっこい。だから数で包囲させてもらうよ」

 既にギーシュは勝った気でいた。相手に死を告げるが如く薔薇の造花を掲げ振り下ろそうとした。
 
「――待ちなさい!」

 しかし、ギーシュの命令がワルキューレへと下されることはなかった。
 声を張り上げ、決闘中の二人の方へと歩み寄ってきたものがいたからだ。
 
「……なんだい? ルイズ、まだ勝負は付いていない。邪魔をしないでくれたまえ。退いていてくれないか」

「邪魔ですって……?」
 
 ルイズは目尻に力を込めてギーシュを睨む。
 
「こんな決闘は卑怯よ! ケイツが凄い魔法を使ってあんたが負けそうになった途端に妨害が入ったことは明白でしょ! あんたの腕じゃあんな炎だせるわけないものね。正々堂々と戦いなさいよ!」

 決闘に立ち会っている観衆のうち、少数派の意見をルイズが代弁した。
 あの長身の枯れ木みたいな男が魔法を使ったのは驚きだったが、その大魔法を前にギーシュには勝ち目が無いだろうと、勝負の行方を見据えたものが何人かいた。
 それだけに、その後の展開には不信感を抱かずにはいられないのだ。
 
 ギーシュに視線が集まる。だが、決闘の熱で興奮した呼吸を整えながら、平然として言った。
 
「馬鹿な事は言わないでくれたまえ。グラモン家の名にかけてそのような不正はするはずない!」

 家名をかけて宣言する重みを、貴族社会に属する衆人達は知っていた。
 だが、それでも桃色の髪の少女は納得がいかない。
 
「あんたね、そんなこと言ったって実際にケイツの魔法は邪魔されてるじゃない! ケイツが何かしようとするたびに橙色の炎が邪魔するのを見てないとは言わせないわよ!」

「ああ、見ていないとは言わない。だが事実として僕は関与していない。そもそもだね、僕は彼が魔法を使うなんて事は知りもしなかったのだよ? 事前に何かを仕込んでおくなんて出来るわけがないじゃないか」

「それは……」

 ルイズは言葉に詰まった。確かにギーシュの言うとおりだった。
 ギーシュは今、平民を甚振るため決闘の体裁を整えたと言った。事実そうだとルイズは思う。
 だから彼がケイツが魔法を使うことを前提でそれを妨害するような備えが出来るわけがない。
 押し黙ったルイズを見下すようにギーシュは笑う。
 
「ふん、僕には分かるさ。実際のところ、その男が身の丈に合わない大きな魔法を使おうとして暴走し、精神力が尽きたのだろう。魔法を使うならペース配分を考えるのも実力のうちだよルイズ。彼は自らの自惚れによって追い詰められているんだ」

 淡々と自論を展開するギーシュの言葉に観衆たちは妙な説得力を感じた。
 人は自分が信じたいものを信じる傾向にある。仮にこの男がメイジだとしても、こんな貧相な男が高位のメイジであるはずが無いと考えるのが最も符合するのだ。高位のメイジは華やかでなければならなかった。

 ルイズは唇を噛みしめ、ケイツの方へと顔を向ける。

「で、どうなのよ?」

 小声で囁くようにルイズはケイツに尋ねた。
 
「……悪鬼(デーモン)だ」

「悪鬼(デーモン)……ですって?」

 ルイズは絞られたように紡がれるケイツ呟きに目を丸くした。
 悪鬼と言われて、御伽噺に出てくるような角の生えた頭に尖った牙、強烈な暴力性を予感させる筋骨隆々の大きな身体の悪魔を想像する。
 だが、そんなものはこの決闘場にいない。
 
「……沈黙する悪鬼(サイレンス)がこの場に潜んでいる。やつらは観測しただけで魔法を破壊する。≪沈黙≫は"意図的に魔法消去をしないことを選択できる"魔法使いにとって死神のようなものだ」

 ルイズは息を呑んだ。ケイツの説明に、先ほど思い浮かべた悪魔のイメージの恐ろしさを五割増しさせる。
 
「だから、そんな魔物みたいなのここにはいないじゃない」

「何を想像しているかは知らんが、悪鬼の姿は我々と変わらん。人の姿をしている」

 ケイツはルイズに説明してる今でさえ、≪沈黙する悪鬼≫の居場所を突き止めようと周囲に気を配っている。≪沈黙する悪鬼≫の意図が全く不明であった。
 
「それで、どうするんだい? 変なことになったが、別に僕は弱いものいじめをしたいわけではない。膝をついて謝り、許しを請えば水に流そうじゃないか。貴族にたてついてごめんなさいってね」

 口元に薔薇の造花を構えて、ギーシュがあくまでもキザに笑う。
 今では観衆たちもギーシュを後押しするかのように沸き上がった。
 
 ケイツは正直謝ってこの場を逃れたかった。ギーシュ自体に対する恐怖はそれほどない。
 ただ全く姿を表さない≪沈黙する悪鬼≫が無明の闇の底からケイツの首に魔の手を伸ばして来そうで、恐ろしくて堪らなかった。
 
 無意識のうちにケイツの膝が折れ始める。
 ……謝罪してこの場を離れよう。恥なら散々重ねた、今更なぜ躊躇おうか、とケイツの弱気が加速する。
 だが、ケイツの膝が地に着く事はなかった。
 小さな柔手がケイツのコートを掴んでいたからだ。
 その手の主の表情は、うつむいていて読めない。だが彼女はケイツにだけ聞こえるように小さくはっきりと言った。

「お願い。……勝って」

 その瞬間にケイツの灰色の砂漠に、一滴の涙が潤ったような気がした。
 
 長身のケイツは小さな少女を見下ろす。
 ケイツのコートを掴むその手が震えている理由は分からない。
 顔を伏せ前髪に隠れているため、彼女の表情は分からなかった。

「……分かった」

 けれどケイツは前へと進んだ。行くべきだと胸の内から湧き上がる何かが告げていた。
 そして、広場の片隅に落ちている一本の剣を拾った。
 魔法で作った剣は魔炎で焼かれたが、参照元に使ったオリジナルの一本は消えなかったのだ。
 そして剣を掴んだ瞬間に、ケイツ全身に力がみなぎるのを感じた。体が軽い。どこまでも駆けていけそうな気さえした。
 
「まずは褒めておこうか。てっきり逃げると考えていたのだが、まさかここに至って戦意を残しているとは、君への評価あらためよう」

 そんなケイツの変化など知りもせずギーシュは朗々と宣言する。
 ケイツはそんなギーシュを見ていて湧き上がる感情を抑え切れなかった。
 
「……ふん、結構だ。いい加減に侮られるのも辟易としてきた。私の力どれほどのものなのか、ここで誇示しておくのも悪くない」

 何もかもに疲れ果てたような男の目に闘志が灯った。ケイツは思い出す。
 昔の自分は戦ってきたはずだ。敗北し、地べたを這いつくばりながらも戦っていた。
 私利私欲のために、円環の少女に戦いを挑んだときの闘志がケイツの身を支配する。
 
「いいだろう。では参る!」

 ギーシュが活力を得たケイツを前に杖を振るった。今度こそギーシュの命を受け七体の戦乙女が走る。
 金属音を響かせて波のように押し寄せてくるワルキューレたちは人を圧倒する迫力があった。
 
 だが、ケイツはそれをゆっくりと見つめ、見切り、そして切った。
 同じような事を七回繰り返すだけだった。
 決着はすぐについた。
 今、ケイツは剣先をギーシュに向けて突きつけている。
 
「続けるか? 『青銅』とやら」

 ギーシュは目の前で起きた事実を呆然としながら、自らに突きつけられている刃の意味を悟る。
 
「ま、参った……」

 ギーシュの口からその言葉が搾り出され、地面へとへたり込んだのを合図に広場は歓声に包まれた。
 ケイツはぼんやりと剣を見つめた、この力は一体何なのか分からなかった。魔法によるものなのだろうかと考えていると左手の文字が淡く発光していることに気がついた。
 
「やったじゃない。ケイツ! あんた剣も使えたの!?」

 ルイズがケイツの方へと駆け寄ってきた。その顔は安堵と歓喜に満ちている。
 
「嗜みがある程度だ」
 
 ケイツが胸をなでおろして答える。
 ケイツの安堵とルイズのそれとが『似ている』と認識される。
 相似弦が伸びかけ、しかしすぐにまた橙色の炎が上がった。
 
「くそッ!」
 
 ケイツは冷や水をかけられた心地に襲われる。弛緩しかけた身体が直に緊張が戻る。
 そして未だ≪沈黙する悪鬼≫に睨まれているという事実を思い出しこの場から離れたくなった。
 
「それよりもここを離れる。いくぞッ!」

「あ、ちょっと! 待ちなさいってば」

 剣をコートにしまい。未だ収まらぬ熱狂に包まれた観衆の海を割って、ケイツは足早に立ち去っていった。
 
 


 ルイズの部屋に着く。
 逃げるように走ってきたためケイツもルイズも息は荒かった。
 決闘の熱が溜まった肺から熱い息を吐き出しながら、ケイツは手ごろなものに相似弦を観測する。
 
 銀の架け橋は普段どおりに架かった。
 ケイツが訪れた世界が地獄に変わってしまったわけではないのだと分かり、今度こそ心から安堵した。
 ≪沈黙する悪鬼≫の監視下から逃れたことで思わず腰が抜け地面に座り込んだケイツを見て、ルイズが情けなさそうに言う。
 
「あんたってかっこいいのかかっこ悪いのか分かんないわ」

「迷う程度にはカッコいいと思ったのだな」

 ケイツは思わずそんなことを口にした。それはおそらく本来ならありえぬ変化だった。

「ば、ばか! か、勘違いしないでよね。私は別にあんたのことなんてなんとも思ってないんだから」

「勘違いなどしていない。私とて、そのようなことは気にしてない」

「な、なんですって! 気にしなさいよ。ばかぁ!」

「……どっちなのだ。面倒な娘だな。お前は」

 頬を膨らませそっぽを向くルイズ。その頬は朱に染まっていた。
 ケイツは思う。微笑ましいというのはこういうことなのだろうか。
 全てを恨むことでケイツは生きながらえてきた。
 恨んでさえいればよかった。怒りさえあればよかった。自分以外のすべてのせいにすれば生きてこられた。
 だがそうやって身体は生きてこられたが、心は磨り減った。
 世界は色あせ、すべてが灰色に染まった。灰色の怒りだけを抱いて全てから目を背けた。
 
 だが今、微笑ましいと感じることが出来たのはケイツの心にルイズが潤いを与えたおかげかもしれなかった。



[37196] 第二章 ≪沈黙する悪鬼≫ 一話 忍び寄る影
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/04/24 19:22
 決闘から数日が経過した朝。朝食も既に終わり教室へと移動する生徒たちで廊下は溢れかえっていた。今日もトリステイン魔法学院は平和だ。
 雑踏賑わう廊下に一人の男が、不機嫌そうに柱に背を預けている少女の方へと歩み寄る。
 
「……またせたな」

 その灰色の髪の男、浅利ケイツが申し訳なさそうにしているのは遅れたからという理由でないことは桃色の髪が映える少女の顔を見れば明らかであった。

「もう、あんたって本当にデリカシーがないし、サイテーッ! 変態ッ!」

 その少女、ルイズは憤慨を隠そうともしなかった。
 そのあどけない瞳にあらん限りの軽蔑の色を乗せてケイツを冷ややかに睨みつける。
 
「何を怒っている。ただトイレについて来てくれと頼んだだけではないか」

「そ、れ、が、大問題なのよ! どこの世界にそんなことを、うら若いレディに頼むやつがいるってのよ!」

 ルイズの怒りは留まるところを知らなかった。

「……しかしだな娘よ。事情は理解してくれたのだろう? 納得はしてくれていると思ったのだが?」

 事情を理解してくれたのだからこれぐらいの手間は許容範囲ではないのかと、ケイツは抗議する。
 ルイズはふんと鼻を鳴らして応える。

「でも、その事情を考慮したってあんたビクビクしすぎだわ。大体ね、身長百八十サント以上ある大人のあんたが、か弱いレディの背中に隠れるのってかなり無理があると思うの。物理的にも、絵的にも!」

 全くの正論に対してケイツは打ちひしがれた。
 事の重大さ、危機感に認識の差がありすぎるのだと、ケイツは孤独感を感じずにはいられない。

「ぐむ……だが、元はといえばお前が私の人形を取り上げるのが悪いのだぞ」

 責任転嫁を繰り返すケイツに対して遂にルイズがぷるぷると全身を振るわせた。握り締めた力の行き所を求めて暴れているようである。
 
「そもそもそれが問題よッ! あんたね! 女の子の半裸の人形握り締めて一体何をするつもりだったのよ! 取り上げるにきまってんでしょ~~が!」

 ルイズの声が盛大に爆発した。廊下を通り過ぎていく貴族の紳士淑女が騒然とするも騒動の渦中を見るやすぐに納得の表情で歩き去って行った。
 ケイツは既に変態として全校生徒に知れ渡っている。今更この程度の奇行では動じないのだ。
 
 そう、事の発端は決闘の日の夜のことだった。
 
 
 

 
「私と手を組まないか。ヴァリエール家の娘よ」

 騒動も落ち着き、自室で錬金学の学術書を読んでいたルイズは、唐突に背後から尊大に響くケイツの声を耳にして本を閉じ、身体ごと彼の方へと向き直りながら言った。
 
「はいはい、今度は一体どうしたと言うの」

 ルイズの目は穏やかで慈愛に満ちていた。ともすればヴァリエール家の次女に匹敵しそうな穏やかな瞳でケイツを見つめる。
 しかしそれは可哀想なものを見る目であった。
 
「うむ、≪沈黙する悪鬼≫(サイレンス)についてはもう説明したと思うが」

 決闘の後、ルイズはケイツから詳しい話を聞いた。
 突然起こったケイツに対する妨害、そしてその原因、悪鬼の特徴やケイツが暮らしていた地獄についての簡単な説明などである。
 
「――異世界だっけ。それもよりによって≪地獄≫ね……そんな三文小説みたいなこと言われても正直分からないわ」

 気のない返事をするルイズにケイツは動揺する。

「馬鹿なッ!! あれほど説明したではないか……。なぜ分かってくれないのだ」

 聞き流すようなルイズに失望を隠せないケイツは机を叩くが如き剣幕で食って掛かった。
 あまりにもケイツがやかましいのでルイズは仕方ないといった風体で答える。

「ん。そうね、百歩譲って≪地獄≫というところがあったとして、じゃあなんであんたそんなところにいたの?」

「――っ! そ、それはだな」

 ケイツは言葉に詰まった。実は率いていたスリ集団の下っ端がとち狂って王族を刺し、そのとばっちりで裁かれ、地獄送りになったなど自分を尊敬している目の前の少女に言えるはずも無かった。
 
「……私は魔法使いの敵から魔法世界の秩序と発展のため、戦っていたのだ」

 嘘ではなかった。神判によって地獄送りになった魔導士は刻印魔導士となり≪教会≫の敵となる魔導士を討伐する責務が科される。百人討伐すれば無罪放免という仕組みになっているが、過去にそれをなしえたものはほとんどいなかった。事実上の島流し、そして死刑だ。
 だが、ケイツはそんな重責に当然耐えられるわけもなく四年目で逃げ出た。
 その後はずっと十一年の間人目を忍びながらの逃亡生活を続けていたのだ。
 幸か不幸か、≪悪鬼≫でひしめく地獄においては、例え≪協会≫といえど、逃亡者を探知する魔術すら破壊されしまい、ケイツにすらも十一年間逃げ続けることを許してしまったのだ。
 
「ふーん。でもね」

 だが、ケイツが戦っていたと説明されてもルイズは納得がいかなかった。
 なんせギーシュが相手であったときでさえ、あの逃げ腰なのだ。
 勇ましいケイツというのがイマイチ彼女の脳裏に浮かんでこない。

「その気の抜けた返事はなんだ。娘よ、まさか信じていないのではあるまいな?」

 訝るようにケイツがルイズに尋ねる。
 そんなケイツの視線を受けながらルイズは柔らかな笑みを浮かべて言った。
 
「当たり前じゃない。あんたがそんな勇敢なことするわけないもの」

「……」

 一刀両断であった。
 そして遂にケイツが崩れ落ちた。

「分かった。分かったわ。だって私もあの橙色の炎を見たんだしね。信じるわ。信じるからその必死な顔を止めなさい」

 そこには中年が少女に慰められている貴重な光景があった。
 ここまで恥も外聞もないと流石のルイズにもどうしていいか分からなくなったからだ。
 
「ぐっ、まぁ、分かってもらえればいいのだ」

「で、手を組まないかってのはどういうことよ」

「……実はだな」

 ケイツは周囲を伺うように忙しなく視線をさ迷わせる。
 ここはルイズの私室だ。二人以外の何者もそこにはいない。
 安堵したのかケイツはゴクリと喉を鳴らし、そして言った。
 
「――私を守って欲しいのだ」

「へ?」

 ルイズは我が耳を疑った。想像の域を超えていた。恥も外聞も無いどころの話ではなかったのだ。
 石膏のように固まっているルイズの表情などおかまいなしにケイツはまくしたてる。
 
「お前たちは何故か悪鬼の魔法消去を受けないらしい。ギーシュとかいう小僧が平然と魔法を使っていたのが何よりの証拠だ」

「ああ、うん。なるほど、そういうことね」

 ここに来てようやく得心がいったとルイズは軽く頷いた。
 
「でも、守るって言われてもね。ここは魔法学院よ? 狼藉を働く輩なんてそう簡単に入れないし、そもそもその≪悪鬼≫っていうのだって、ケイツたちの魔法を打ち消すけど、私達からみればただの平民なんでしょ? それにその悪鬼があんたに害を加えるって証拠あるの?」

「む、それは……だが、広場では」

「確かにそうだけど、それでも貴方に敵意があって、≪沈黙≫だっけ? ソイツが敵意を持って魔法消去したのならあの場所で襲い掛かってくるんじゃないの?」

「ぬ……」

 ルイズの弁にケイツは詰まる。
 ケイツにとって確かに正体不明の≪沈黙する悪鬼≫は脅威だった。
 その目的が分からないことこそが不安を一層駆り立てるのだが、敵意があるかどうかは今のところ定かではない。単なる自意識過剰かもしれなかった。
 そしてルイズの言うとおり魔法消去が通用しないメイジにとって、非メイジはただの平民であり、ルイズ達メイジには何ら脅威にはならない。
 二人の間の危機意識に決定的な齟齬があった。
 
「はぁ。なんか、言葉にするとひどく情けない話ね。メイジが平民に怯えて守ってくれなんて……なんかここまで来るとあんたのソレが愛嬌にすら思えてきたわ」

 少女の無垢な呟きがケイツの全身に突き刺さった。
 すっかり項垂れ膝を付くケイツ。
 ルイズはそれを見ながら息を付き、指を立てて言った。
 
「分かったわ。しょうがないものね」

 ルイズの承諾にケイツは勢いよく顔を上げる。見上げるルイズには後光が差しているかのように見えた。

「本当だな? 絶対だぞ」

「本当ならあんたが私を守るんだけどね……でも、その代わり逆の状況になったらあんたは私をちゃんと助けるのよ?」

「……ああ、私に着いて来ればきっとうまく逃げられるだろう。私は神話の原典となった≪雷神≫を筆頭に数多の高位魔導士から逃げおおせた経験があるのだからなッ!」

 ケイツが得意げに自らの逃走武勇伝を語る。

「逃げることが前提なのね……」

 ルイズはもうすっかり疲れきってしまった。
 窓の外はもうすっかり暗くなっている。

「それじゃ、とりあえず細かい話は明日にしましょう? 今日はもう夜遅いし寝ないと、ほら着替えとって」

「任せてもらおう」

 頷いて、ルイズの着替えを手渡す。数日ですっかり板についた仕事をケイツは淡々とこなした。
 着替えを受け取りルイズは自分でそれを着る。
 貴族だから下僕に服を着せるのが当然だと、ルイズは最初考えていたが、ケイツがあまりにもアレだったので自分で着ることを決意したのだ。

「――そうだ、娘よ。一応『保険』はこちらで用意させてもらうぞ」

「へ?」

 ケイツが背後から投げかけた言葉に着替え中のルイズは振り向いた。
 ルイズが見たものは自分の身体とケイツの手元を結ぶ銀色の弦線であった。
 ケイツの手元には人型にこねられた焼き菓子のようなものがある。
 次の瞬間、ケイツが手元の人型にこねられた焼き菓子とルイズを『相似』にした。
 ケイツの手元にはルイズの姿をそのまま縮小した人形が出来上がる。ただしルイズは着替え中だった。

 そして、ケイツの行動はそこで終わらない。その直後ケイツの手のひらの上に黒い板状のものが浮かび上がったのだ。
 それはこの三次元空間においてさえ、奥行きがあるかどうかすら定かでなかった。
 それが丁度ケイツに操られるように浮遊していた。
 
 そこにケイツはルイズ人形(半裸)を投入すると、あろうことかルイズ人形(半裸)が二体に増えた。
 その作業を二度三度……と繰り返す。いまや両手で抱えるほどのルイズ人形がケイツの腕の中にあった。
 これこそ『複製障壁』という相似大系の最先端超高等魔法である。
 ≪三十六宮≫の中で序列『黒宮六位』を与えられた相似大系魔法世界においても、未だ二人しか使えない大奇蹟が今どんなことに使われているか、他の相似大系魔導士が知ったら卒倒しそうな光景がそこにあった。
 
「よし、これで当分は安全だろう」
 
 ケイツはルイズ人形(半裸)の群れに囲まれて、安堵の吐息を漏らした。
 そして御神体を扱うように繊細な手つきで握り締めている。
 痩せ枯れた指先が下着の部分に引っかかっているを見て、ルイズは相似弦が魔法効果を及ぼしていないにも関わらず怖気が走るような心地だった。
 そしてそれは怒りという炎で容易く燃え上がる。
 
「あ~ん~た~ねぇ!! 自分が何してるのかわかってんの!!?」

「なに?」

 ルイズの怒声に振り向いたケイツが見たものは、白いパンツとしなるように迫り来る脚であった。
 
「ぐはぁッ!!」

 回避する暇もなくケイツが地面に倒れこんだ。
 
「はぁはぁはぁ……。~~~~っ! 没収よ! 没収!! 一体なんのつもりなのよ~ッ!」

 そういう経緯でケイツが目を覚ました頃には『保険』として用意した数多の人形はルイズによって処分されていた。
 ケイツは泣きそうな顔でルイズに抗議したが聞き入れてもらえなかった。
 


「――全くもうッ! あんたって本当に非常識というか突然分けのわからないことするから困るわ!」

 先日の光景を振り返りながら廊下を歩く。
 
「何度も説明しただろう、娘よ。相似大系魔導士は似たものの間に関連を結び奇蹟の技とする。人形と魔法使いの位置を交換する転移魔法だって扱えるのだ。だからアレは魔道具。それ以上の意味はないのだと何度説明すれば分かるのだ!」

 しかしルイズはケイツの必死な抗議に全く耳をかさない。

「その話は何度も聞いたわよ。本当にあんたってデタラメよね。でもあれはダメ、服を着てるときに作りなさい。いや……服を着てるときでも嫌な気がするわ。でもその魔法すごい便利そうだし、どうしようかしら」

 ケイツが説明する魔法は、彼に自分の人形を大切に持たれてしまうという事実を差し引いても魅力的なものだった。
 ハルケギニアの魔法では人を飛ばすものはあれど、一瞬で移動するものはない。
 見知らぬ奇蹟の行使と性的嫌悪とがルイズの心の天秤で揺れ動いていた。
 
「それにしても……あんたにお仕置きしても無駄なのね」

「相似大系の粋を集めた≪原型の化身≫に掛かれば造作も無いことだ」

 不敵に笑うケイツがどうしようもなく苛立たしかった。
 だが、ルイズは思い知った。切れのある蹴りで昏倒したケイツが目を覚ますや否や自分の健康状態をルイズと『相似』にすることで瞬時に回復させたのだ。
 そこでルイズは足を止め、はたと思い至った。
 
「ねぇ、ケイツ。治癒魔法って何にでも効果があるの?」

「確証はし兼ねるが、人間が相手ならば健康な人間と『相似』にすることで、腕が取れていようが直すことが可能だ」

「そう……ならそのうち頼むかも知れないわね」

「なんだ、知り合いにけが人でもいるのか?」

「そんなとこよ」

 教室へと足を進める二人が行きかう生徒たちの雑踏に紛れる。
 そんな二人の後姿を見つめ続ける眼差しがあったことを二人は知らない。



[37196] 第二章 ≪沈黙する悪鬼≫ 二話 忍び寄る影 その二
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/04/29 18:31
 ケイツがルイズに庇護下に置かれてからも、彼らの日常には大した変化はなかった。
 相変わらず≪沈黙する悪鬼≫は決闘のときにケイツの魔法を散らしたきり姿を見せない。
 さしあたって変わった事を上げるなら、ケイツが厨房で食事を取るようにルイズが手配してくれたことだ。
 コック達はケイツが剣術でギーシュを倒したのを気をよくし豪勢な料理を振舞ってくれた。
 ケイツの中でルイズと彼らに対する評価が大幅に上がる。そして今もケイツは厨房に足を踏み入れようとしていた。

「『我らの剣』が来たぞ! 」

 シェフや給仕たちがケイツの姿を見て取るや、歓待の喝采に包まれた。まるで英雄の凱旋のようだ。
 ケイツが何かを言うまでも無く給仕たちが香ばしい薫りがただようスープや、ふんだんに調味料を使った肉料理などをテーブルの上に並べていく。
 
「あ、ああ……」

 既に、何度か訪れているが、この歓迎っぷりにケイツは未だ馴染めない。
 善良無垢な好意というものがささくれた心に触れて、ひどくくすぐったかった。

「今日のシチューは特別ですわ」

 丁度配膳を終えたばかりのシエスタがケイツに向かってにっこりと微笑んだ。
 ケイツは照れるというのとはまた違う何かで、彼らの好意から思わず目を背けたくなる。

「……」

 ケイツは既に一般常識程度にはハルケギニアの話をルイズから聞いている。
 彼らは『平民』であり、この神の愛に恵まれた魔法世界ハルケギニアにおいてさえ魔法が使えない。≪悪鬼≫とは別の意味で神の愛に見放されし者たちだ。
 そんな彼らを見ているとケイツは地獄で逃げ回っていた頃を思い出す。
 刻印魔導士の責務を投げ出した後、ケイツの敵は≪協会≫からの追っ手だけではなかった。
 悪鬼を見下していたケイツはいつもひとりで、悪意に返される悪意におびえていた。逃亡先のアメリカでまともな読み書きもできずスラム街での浮浪者生活が長いケイツを好んで雇おうとするものなどいなかった。
 収入が皆無に近いので、ゴミをあさる以外に生きる術はない。そしてそのような弱者は恰好の獲物であった。
 暇潰しにケイツは殴られ、蹴られた。なまじ剣の腕があっただけにその分徹底的に痛めつけられた。自分が全く理解できない理由で激怒した男に拳銃で撃たれたこともあった。ケイツの身を守る魔法は≪悪鬼≫の観測下では全て燃えつき、何の助けにもなってくれない。
 人目につかないところでひっそりと魔法を使うことだけを考えて生きるようになるにはそれほどの時間を要しなかった。
 魔法に触れることだけが惨めな自分を特別な存在に変えてくれる瞬間であった。
 だが、そんなささやかな時間でさえ、人目を避ける場所にいることによって、必然的に人目を避けて行われる犯罪に巻き込まれることになり、台無しにされた。
 ケイツがいる場所よりも深く暗い路地裏に女性が連れて行かれるのを黙認し、見張りのために一ドル紙幣を握らされたこともあった。耳を劈くような悲鳴が響き渡るのをケイツは必死に耳をふさいで耐えた。そうしないと生きていけなかったからだ。
 翌朝になって虚ろな目で恨みがましく横たわっている裸の女の死体が冷たくなっていた。
 口封じに殺されかけた。似たようなことが何度も繰り返された。
 燃えカスのようにくすんだ正義感がついに耐え切れなくなって、警察に通報したら、案内したその場で殺されそうになった。
 もはや何も信じきれなくなったケイツは心のよりどころである魔法に縋った、魔法で必死に抵抗しようとした。
 だが、迫り来る拳を止めることさえもできなかった。見下されて、吐きかけられる唾すら受け止めてくれなかった。
 奇蹟は何からも守ってくれない。神よ、神よ、神よ、神よッ! 神よッッ!!――――
 どれだけ縋っても救いはなかった。そこは神なき地獄。奇蹟はすべて燃え尽きる。
 
 こうしてケイツの心は燃え尽きたカスとなっていった。
 だが、そうまでなってなお、ケイツは十一年間の逃亡生活の中で ”すべての危機から逃げ去り、ただの一度たりとも人間を殺したことがなかった”のだ。
 人を殺さなかったのは自分が臆病だったからだけなのであろうか。違う気がした。
 神の如き才能を手にして以降も、その力使って今まで自分を見下していた奴らを踏みつけ、復讐する気力はわきあがってこなかったのだ。そうすることは実に容易いはずなのに……。
 
 今、繰り広げられている光景に目を向ける。ケイツが貴族を倒した事を厨房のみんなが我が事のように喜んでいた。人に褒められたり喜ばれたりしたことなぞ、三十余年の記憶を洗ってもほとんどない。
 どこか現実感のない喧騒に包まれてケイツの胸が少し熱くなった。
 たった一人で耐え続けていたことが、この状況を運んでくれた気がして報われたような気持ちでいっぱいになり視界が滲んできた。
 
「すこし、しょっぱいな」
 
 シチューを口にするケイツの呟きは誰にも聞こえなかった。
 誤魔化すようにスプーンを動かしていると背中に衝撃が走った。傍にいたマルトーが伏し目がちなケイツを笑い飛ばす。
 
「おいおい、な~にしょぼくれた顔してんだ。え? おい、料理の味はどうだ? 腕によりをかけて作ったんだぜ」

 それは嘘偽りの無い好意だった。ケイツは姿勢を正し厳かにシチューを口に運び、言った。

「うまい、まるで魔法のようだ」

 途端、マルトーは弾けるように破顔する。

「そうだろう! そうだろうよ。確かに貴族たちは魔法が出来る。実際土から鍋や城を作ったり、とんでもない火の玉を吐き出したり大したもんだ! でもよ、こうやって料理を絶妙な味加減に仕立て上げるのだって一種の魔法さ。そう思うだろう?」

 自慢げに哄笑するマルトーに対してケイツが憐憫の眼差しを向ける事はなかった。
 所詮、神に見捨てられた奇蹟無き民達の精一杯の虚勢だと嗤い捨てるには彼らの心遣いは温かすぎるのだ。
 
「……そうかもしれんな」

「おお!? 話が分かるな。ますます気に入ったぜ。おいシエスタ!」

「はい!」

 威勢のいいマルトーの呼びかけに、シエスタも負けず劣らずの快活さで応じる。
 
「我らの勇者にアルビオンの古いのを注いでやれ」

「かしこまりました」

 恭しくシエスタは応じ、ぶどう酒の棚からヴィンテージを取り出してケイツのグラスに並々と注いだ。
 
「おい、『我らの剣』よ。あんた魔法使いなのにどうしてそんなに剣も上手なんだ? どこで習った? どこで習ったらそんなに上手になれるのか教えてくれよ」

 もう何度も厨房に訪れているのにマルトーはいつもこの調子で尋ねてくるのだった。
 
「……私に師はいない。魔法が使えない中で身を守る為に、それの他に縋るものがなかったのだ」

 いつもは曖昧に誤魔化すケイツだったが、上物のワインを傾けて、ほろ酔いになった為か、つい口から零れてしまった。
 
「お? 魔法が使えなくなったことなんてあるのかい? 魔法使いもいろいろ大変なんだな」

「ああ……。私は地獄に落とされて、そこには魔法を消去する≪悪鬼≫どもが跋扈していた。やつらに抗うために身に着けざるを得なかったのだ。それは褒められるようなことでもない」

 ケイツの語りには積年の苦難がありありと浮かんでいた。酔いも手伝って遠い目で語るケイツの言葉に厨房のみんなは彼に大人の風格を感じてしまった。
 
「かぁ~~、なんてやつだ! あんたもいろいろ大変だったんだなぁ。茨の人生を歩み生きてきたってのに、それをちっとも驕らねぇ。よし、もっと飲め! そして、おい、お前ら! 真の大人ってのはケイツさんみたいな人を言うんだ。見習えよ!」

「はい! 真の大人は驕らない!」

 若いコック達が復唱する。
 マルトーはすっかり感極まっていた。目端には涙を浮かべ彼の苦難に共感を抱いていた。

 その時、厨房の片隅から声が上がった。

「あいたっ!」

「ん? なんだ、どうした!?」

 マルトーが怪訝そうに顔を向けると、金髪をツインテールで纏めたメイド、ローラが指を抑えていた。

「申し訳ありません。指を切ってしまいました」

 彼女の指先から鮮血がつたり落ちていく。「大丈夫です」と表情をほころばせるが、痛みに顔を歪ませていた。
 ケイツがすっと立ち上がり、ローラの方へと歩き出す。

「あ、あの? どうしました? ケイツさん」

「見せてみろ」

 ケイツは一言で制し、ローラの指先を見た。
 簡単な応急手当でどうにかなりそうな傷だったがケイツはローラの指と傍で心配そうにしているシエスタの指とを相似弦で繋ぐ。
 
「わっ! すごい」

 驚嘆の声が意味するのは瞬間的な完治であった。
 通常ハルケギニアでは平民がやすやすと魔法治療を受けられるものではない。

「あ、あの……。お代の方は」

 指先がすっかり癒えたローラが、おずおずと言う。

「気にするな。大したことではない」
 
 渋ることなく治療魔法を平然と行使したケイツに厨房は大いに沸きあがる。

「なんてお方だ。まるで聖者のようだ」

 ケイツさん。ケイツ様、ケイツ様と次々に唱和されていく。
 持て囃されてケイツの頬が真っ赤になっていったのは単なる酔いのせいだけではなかった。
 瞬く間にお祭り騒ぎのように厨房全体に活気が満ち溢れた中でケイツは己が両手を見つめる。
 
 かつて、≪神に近き者≫はケイツに言った。

”力なきことがそなたの目を覆う闇ならば――ならば、くれてやる」

 その宣言の元に、今まで見ていた世界が嘘のように変貌した。世界のどこを見渡しても『似ている』ものだらけだった。
 何かは何かに似ているし、そのまた別の何かも別の何かに似ている。先を辿れば『似ていないものなど無い世界』あった。
 万物が銀線で結ばれ、そして形成された白銀の海で、震えながらケイツは≪神に近き者≫に尋ねた。

”私とお前は今、魔法の素質で並んだと言いたいのか。ここから何をつかむかは私次第だと言いたいのか?”

 ひどく強張った声で話していた自分をケイツは未だ覚えている。
 そして、何かの冗談のように呆気なく手にした超常的な才能にケイツは振り回される事を恐れ、今の今まで使い道が分からないでいた。
 けれど、この力をどう使っていけばいいのか微かながらに分かったような気分になる。
 
「……ひょっとすると私は、魔法医に向いているのかも知れんな」

 思考の海に沈みながらケイツはそう呟いた。

「――ケイツさん?」

「ん?」

 ケイツが顔を上げると、シエスタがはにかみながらケイツの隣に立っていた。

「私、心配だったんですよ。ケイツさんがあんなことになって……。私もあの場所にいたんです。ケイツさんが普通の平民だと思ってたんですけど凄い魔法をつかって、でもすぐに追い込まれて……。けど、無事でよかったです」

 シエスタは身をすくませるように話した。
 そんな彼女になんと答えればいいのか分からなかった。
 ここ数日、ケイツは人の好意を受けすぎた。
 まるで、タバコを覚えたばかりのような奇妙な感覚に慣れるのはまだまだ時間がかかるような気がするのだ。
 
「心配には及ばん。これでも私は逃げ延びることにかけては自信がある」

 すくりと立ち上がり、厨房を見渡した。
 
「心からの気配り、感謝する。この事は忘れないでおこう」

「おう、アンタも困ったらまた来いよ!」

 一礼し立ち去るケイツにマルトーがその背中に言葉を投げかけた。
 ケイツが広場に出ると風が吹き込んできた。ほろ酔いにも似た高揚の中、爽快感で満たされてケイツは歩き出す。魔法使いではなくとも≪悪鬼≫でもない彼らのことを反芻しながらケイツはルイズの元へ行くため歩く。
 
 その背に向けられる視線の正体に彼は気付かなかった。



[37196] 第二章 ≪沈黙する悪鬼≫ 三話 お茶会
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/04/26 22:17
 魔法学院のとある渡り廊下。
 昼間だというのにしんと静まり返っているそこにカツカツと足音が響き渡る。
 足跡の主は急いでいるようだった。廊下を走る事は失礼ということを理解しているのであろう、それでも刻まれる足音のペースは速い。
 男であった。彼が重厚な扉の前で歩みを止める。その奥に控えている人物はよほど大物なのだろうか、男は自分の身なりを一端整えると深呼吸して扉をノックしようとした。
 
「はいりなさい」

 含蓄ある穏やかな声が男のノックを遮る。まるで扉の向こうから彼が来ることを見通していたかのようであった。
 
「失礼します」

 男は息を呑み扉を開いた。
 重厚なつくりのセコイアのテーブルに肘をつき退屈そうに水キセルを吹かす老人が待ち構えている。
 彼の傍らには、腰まで届く豊かな緑髪の女性が立っており、淵の入っためがねがよく似合っていて知性を感じさせられる。
 そんな女性が資料整理に勤しんでいるところを、入室した男は一瞬チラリと目を奪われてしまった。
 
「コホン、それでコルベール君。どうだったかね?」

 老人の呼びとめでコルベールは我に返った。悪戯を咎められた子どものように申し訳なく頭を掻く。子どもと違う点をあげれば、彼の毛髪がすっかり後退しきっていたことであろうか。
 コルベールが居住まいを正し真剣な表情を作った。
 
「はい、フェニアのライブラリーでそれらしい記述を見つけました。ですが……」

 そして、もう一度女性の方へと視線を向ける。ただしその意味は先ほどのものとは異なるらしい。
 それに気付いたように老人は言った。
 
「ミス・ロングビル」

「はい、なにやら重要な話のようで。私は退出していますね」

 名を呼ばれただけで彼女は意図を汲み取った。学院長秘書を務めているロングビルは穏やかに微笑み、一礼して退出していく。

「さて、それでは話を聞こうかの」

 そして老人、トリステイン魔法学院学院長を務めるオールド・オスマンは厳粛に言ったのであった。魔法学院の教員コルベールは一度頷き、そして書類に目を落として語り始めた。
 
「はい、やはり彼に間違いありません。彼は伝説の使い魔、『ガンダールブ』です」

 図書館の中でも秘蔵の書物を集めた教師のみが立ち入りを許された区画『フェニアのライブラリー』でまとめた資料をオスマン学院長に手渡す。
 
「ふむ」

「そのルーンの絵をご覧ください。彼女、ミス・ヴァリエールが契約したときにルーンの写しを取っておいたのですがそれと見事一致しております」

「……確かに、間違いないのぉ」

 事の始まりは先日の決闘騒ぎだった。
 学院内で起こった問題が教師の耳に入らぬわけがない、騒ぎを聞きつけた学院長秘書ミス・ロングビルが騒動を治める為に秘法である『眠りの鐘』の使用を求めた。
 しかし騒動の渦中にあるのが異例の使い魔であったため『眠りの鐘』の使用を認めず経過を見守ることにしたのだった。
 『遠見の鏡』と呼ばれる遠隔地の出来事を映し出す魔道具を使いオスマン達はあの決闘を見守っていた。
 まずはいきなり驚かされることになる。平民であろうと推測されていたその男はいきなり魔法を使ったのだ。
 驚きはそれだけに留まらなかった。すぐさまその魔法が何らかの手段を用いて妨害されたのだ。決闘を装ったリンチかと勘繰ったオスマンたちは目を凝らして犯人を捜すも、観衆の中に杖を使っていたものはいない。
 あとはご存知の通り、最終的にケイツがギーシュを打ち倒し騒動は終わった。
 
 コルベールたちが最も注目したのは、勝負を決定付けた突発的な身体能力の上昇である。
 広場を俯瞰するように眺めていた彼らはケイツの左手が光り輝くのを目聡く見ていた。
 古くから伝わる伝承にそれと類似した事例があったのを思い出し、オスマンはコルベールに調査を要求した、というのがここまでの話だ。
 
「ガンダールブになった男は魔法も使っておった。これはまずいんじゃないかのぉ」

 オスマンの心配はまさにそこであった。ハルケギニアにおいて、魔法を使えるものは貴族階級であることが通常である。彼もその類ではとオスマンが危惧しているのだ。

「はぁ……まったく、人間が召喚されるというだけでも異例のないことなんじゃ。何でもっと確認せんかったのかのぉ?」

 じっとりと、咎めるような視線をコルベールに向ける。
 
「それは、何分状況が立て込んでおりまして……彼は召喚されたとき瀕死の重体でした。あれほどの傷を治す治療薬は普通手がでませんし、その……」

 しどろもどろに説明するコルベールの話をまとめれば、彼の処遇を巡ってもめにもめた末、召喚者であるルイズ・ド・ラ・ヴァリエールが私財を投げ打って彼を治療した。むろん慈善活動をしたわけではないのだからそのまま契約を、という運びになったと説明する。
 
「はぁ、生徒に責任を押し付けてどうするんじゃ、嘆かわしい……」

「返す言葉もございません」

「……して、その男は今どうしておるのじゃ?」

「はい、どうやらミス・ヴァリエールに従っているようです。外から見ていて目立った問題などは起こっておりません」

「ふむ、そうか」

 報告を聞いたオスマンは肩の力を抜いた。
 学院の最上階にあるこの学院長室から俯瞰できる眺めも、いつもと違って煤けて見える気がした。嫌世の憂いに浸っていたくなる心を、水キセルを胸いっぱいに吸い込んで正す。
 
「……まぁ、どちらにせよ。一度その御仁とは話し合ってみるしかあるまいて」

「そうですな」

「では、下がってよし」

「はッ」

 一礼し退出するコルベールをオスマンは頭を抑えて見守った。

「はぁ、私の穏やかな老後が無事に来ればいいんじゃがのぉ……」

 室内には魂の抜けた老人の叫びが空しく響き渡るのみであった。
 
 


 そして昼下がり学院の広場にあるカフェテラスの一角。
 最近何するにもケイツは出来る限りルイズと一緒にいることにしていた。
 中年のおっさんが日がな付きまとってくるのを、使い魔が従順になったと喜べばいいのか、むさ苦しく感じればいいのかルイズはとても悩ましかった。
 
「はぁ、何が悲しくて優雅なティータイムをあんたなんかと過ごさなければいけないのかしら」

「そう、邪険にするな。私にはお前が必要なのだ」

「あんたね。その言い方誤解を招くから止めなさいよ」

 包み隠さず、本人の前で不満を言うルイズの声はその内容とは裏腹に快活であった。
 大好物のクックベリーパイに舌鼓を打ちながら、その表情は弾んでいる。しかし暗雲はすぐにやってくることになるのだ。
 
「――あらあら? そこのお二人さん。仲睦まじくて結構なことですが、相席してもよろしいですか」

 横からルイズとケイツに声が掛けられる。
 ともすればそれが慇懃無礼だと感じてしまうのは、その声色がずいぶんと甘ったるいものであったからだ。
 クックベリーパイに夢中になっていたルイズが、声の主を視界に入れてフォークを動かす手を止め、不機嫌に顔を歪ませる。
 
「げ、キュルケじゃない。何よ、私は今忙しいのよ。あっちに行ってなさい」

「いいじゃないの。私、ルイズに謝ろうと思ってたのよ」

「謝る? あんたが?」

 怪訝そうな顔をするルイズをよそに、キュルケはちゃっかりとテーブルに座った。
 傍にいた青い髪の少女に手招きして、同席を促す。
 
「ちょっと、なんで断りもなく座ってるのよ? その子だれ?」

「いいじゃないの。この子はタバサ、私の友達よ」

 紹介された少女がコクリと頷く。挨拶のつもりらしかった。

「はぁ、それで? あんた何を謝ってくれるのかしら?」

 ルイズに促されたキュルケは満面の笑みを浮かべてしゃべりだす。

「そうそう、この前は彼のことつまらない使い魔なんて言っちゃってごめんなさいね。まさかメイジだっただなんて知らなかったわ」

「興味がある」

 キュルケに続けて青い髪の少女が一言付け加えた。
 どうやら、使い魔召喚の翌日の朝、廊下でのやりとりを言っているようだ。
 でもルイズにはその魂胆は丸分かりだ。キュルケのツェルプストー家とラ・ヴァリエール家は因縁がある。今回もそれ絡みの話だとルイズは悟るのであった。
 
「あのね、あんたとうとう同級生から相手にされなくなったからっておっさんにまで手を出すつもりなの?」

「いやね、ルイズじゃあるまいし。でも、彼が素敵だって思うのは本当よ。ねぇ貴方、お名前教えてくださる?」

 キュルケは余裕の表情でルイズをいなし、ケイツへと話しかける。

「浅利ケイツだ」

「ミスタ・アサリいいお名前ですわね。『微熱』はご存知かしら?」

 キュルケはしなをつくり、ケイツの方へともたれかかるように身を寄せ、服の束縛から逃れるかのように張り詰めたその大きな胸をケイツの方へと近づけていく。
 三十余年の人生を経て、まともに女性経験のないケイツは冷や汗が止まらなかった。
 
「ちょっと、あんたッ! こんな昼間から発情しないで。こっち来なさい」

「え? あ、ちょっと。ああん。ちょっとルイズだめぇ~ッ! そんなところひっぱらないで。分かった、分かったから止めて」

 とうとう見かねたルイズが切れた。
 キュルケを鷲づかみにし、嬌声を上げずにはいられない光景が繰り広げられる。突然の出来事に動揺したキュルケがルイズに引っ張られてしまった。
 だが、そんな周囲の騒動にも動じずに、青髪の小さな少女がケイツへと眼差しを注いでいる。

「な、なんだ?」

「あの魔法は一体なに?」

 簡潔に彼女は呟く。

「あの魔法とは?」

「決闘。あなたが最初に使っていたやつ」

「ああ、お前たちは≪相似大系≫を知らぬのだったな。話せば長くなるが――」

 そして、ルイズに説明したように同じ事をタバサにも説明する。
 その様子を見て、暴れていたキュルケもおとなしく耳を傾けていた。

「へぇ、先住魔法とも違う魔法なのね。興味があるわ」

「見たい」

 元々人から関心を得られることなど少なかったケイツは自らに注がれる好奇の眼差しにのぼせ上がる。

「いいだろう。では我が魔法をとくと見よ」

 だが、そう言ったっきり、勿体つけたケイツが硬直した。
 あどけない少女達に期待の眼差しを向けられて何か凄い事をしようと考えたはいいが、何をすればいいかアイディアが浮かんでこなかったからだ。
 ケイツは間違いなく最高峰の才能を手に入れた。しかしそれは膨大すぎる選択肢を与えられたことと同義だ。
 その中から最適なものを選び出すという経験は、ケイツにはまだない。
 少女達のじれったそうに細くなっていくにつれて、ケイツの背中に冷や汗が流れ落ちる。

「よ、よし。これをみろ」

 ようやく決意したケイツがポケットからビスケットを取り出した。
 それを紅茶に浸し、水分を帯びてふやけたものを手でこねて人形の形にしていく。
 
「あんた、ちょっとはしたないわよ」

「まぁまぁ、いいじゃないのルイズ。余興なんだから」

 作法のなってないケイツに対して冷たく呟いたルイズをキュルケがなだめる。彼女も同感だったのだが好奇心が勝った。
 そしてケイツが拵えたそれは人形と言えば聞こえがいいが、中心の部分から四本棒状に伸びていて、その上に丸いものが乗っている程度の粗末な人形が出来上がる。まるで赤子の工作のようだ。
 
 それをケイツは自らに相似弦を結んだ。

「これでどうだ」

 自慢げに身振り手振りを動かす。それに合わせて人形も歪に動いた。
 『似ているもの同士は同じもの』だと世界に誤認させる≪相似大系魔術≫が最も得意とする操作術を披露したのだ。
 けれど少女達の評判は芳しくなかった。

「おほほほ……えっと、中々前衛的でいいんじゃないかしら」

 キュルケでさえ苦笑いを浮かべている。
 
「あんた本当にセンスないわね」

「地味」

「うぐ……」

 キュルケほど大人ではなかった少女達の嘘偽りない感想がケイツを抉った。
 そしてケイツが視線を落としたとき、一本の弦が銀色の橋を架けた。
 ルイズとタバサの胸部に、輝く架け橋が掛かっていたのが問題だった。
 
「あ、あんたねぇ……。確かその魔法って私の記憶違いじゃなければ『似ている』ものを『観測』することで弦を繋ぐんだったわよねぇ……」

 ルイズがぷるぷると震え出した。彼女の言葉が意味するところを察しタバサが無言で杖を構える。

「まて、誤解だ。そういうつもりではないのだ」

「このばかぁ~~!!」

 狼狽するケイツだが既に手遅れだった。
 いつものお約束をその身に刻むこととなったのだ。
 
「……ミスタ・アサリってそっちのほうが好みなのかしら」

 キュルケが自分の胸に視線を落とし呟く声は誰にも聞こえなかった。



 
「まったく、ケイツってば本当に信じられない!」

「変態」

 騒ぎはすっかり収まり、少女達三人はケイツをダシにして、気だるいティータイムを過ごしている。嵐は過ぎ去りすっかり凪へと変わった。

「コラ、ダメじゃないタバサ。口に『クリーム』が付いてるわよ」

「不覚」

「私が拭ってあげるわ」

「ん」

 キュルケがポケットからハンカチを取り出してタバサの頬を拭った。
 その光景はまるで姉妹のような微笑ましい。
 
「あんたたち仲いいわねー」

 ルイズの心に僅かな羨望が湧き上がる。キュルケは不倶戴天の敵同士だが、矛先が向かないとそれはそれで一種の寂寞感を覚えてしまう。
 だが、いきなり口数の減ったルイズを、キュルケは見逃さなかった。
 
「ねぇ、ルイズ。あなたの『クックベリーパイ』おいしそうね。私に少し頂戴よ」

 にやけた彼女の微笑みは愉悦が混じっている。
 ルイズは途端に弾かれたように闘志を覚醒させた。

「絶っ対っにダメッ! あんたこれが私の大好物だって知ってていってんでしょ! ツェルプストーに上げるものなんて銅貨一枚たりともないんだからッ!」

「えぇ~、いいじゃないの。じゃあ代わりに私の『ケーキ』を一口食べていいから。今なら二つの『ストロベリー』もつけちゃうわよ」

「ふんだ、そんな取引なんかに応じるものですか。私の『クックベリーパイ』は誰にも渡さないんだからね。大好きな人に頼まれてもあげないのに、キュルケなんかには絶対ダメ」

「やっぱりヴァリエール家の人間はケチねぇ。『ミスタ』・アサリもそう思いますわよね?」

 同意を求めるようにキュルケがケイツに振った。
 キュルケの目に飛び込んで来たのは、すっかりと硬直し頬を赤らめているケイツであった。

「……あの、『ミスタ』・アザリ、さっきから何かすごい変な顔していますわよ? どうしたんですの?」

 キュルケがケイツの方に怪訝そうな眼差しを向ける。
 それもそのはずであった。ケイツには時折彼女達の話す言葉に英語が混じって聞こえてくるのだ。
 ルイズに一度確認したが、分からないと言われた。
 魔法世界の者達にとって、英語は最低の卑語を意味する。それが格式高いお嬢様方の口からぽろぽろと零れてくるのだからたまったものではない。
 彼女達は当たり前の日常会話をしているのに、ケイツにはなんだかそれがひどく淫靡なものに思えて唖然とせざるを得ない状況であった。

「……いや、なんでもない。なんでもないのだ」

「ふ~ん。ならいいのですけれど……ルイズ、何か知らないの?」

「さあ、なんかケイツったら女の子の食べ物でも興奮できるみたい。この前だって『クックベリーパイ』の話したら何か変な顔してたし」

 ルイズが投下した問題発言が盛大に爆発した。
 
「……まぁ、それは『微熱』と名高い流石の私でも思い浮かばなかったわ」

 上級者ですわね、とキュルケの瞳が熱っぽく潤んだ。
 『微熱』を自称し、自他共に認める恋愛のエキスパートといえど、知る由も無かった新たな可能性をケイツが示唆したことで、創造意欲を駆り立てられるのであった。
 
「変態」

 一方タバサは冷ややかな視線を向け、ケイツから守るようにハシバミ草のサラダを庇った。
 大好物を陵辱されてはたまらないとその目が訴えていた。
 
「止めろ。私はもっと硬派なのだ。私を”そっち”に引きずり込むのは止せ」

 ケイツの呟きは虚空へと吸い込まれた。誰に言っているのかは分からないが悲痛な嘆きがそこには込められている。
 けれど、地獄で暮らしていた頃とは比べ物にならないほど、ケイツの生活は順調で平和であった。



[37196] 第二章 ≪沈黙する悪鬼≫ 四話 忍び寄る影 その三
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/04/29 19:41
 今日も魔法学院は平和である。教師は授業の準備に勤しみ、生徒達は勉学に励んでいた。
 そしていつもは暇を持て余している学院長には来客があった。

「……それでは、これで。学院のご理解とご協力感謝します」

 告げたのはジュール・ド・モット伯爵、王宮に勤めている勅使であった。
 貴族然とした礼服に身を包み、勅書をオスマン学院長へと手渡す。
 
「王宮の勅命に理解も協力もないでな」

 オスマンの呟きにモット伯爵は軽く口元を緩めるとオスマンから背を向けた。

「では」

 モット伯が学院長室を出ようとしたとき、丁度学院長秘書であるミス・ロングビルと鉢合わせした。自然とモット伯の表情に笑顔が浮かぶ。

「今度食事でもどうです? ミス・ロングビル」

 挨拶のように語り掛けるモット伯の視線は彼女の顔を見ていなかった。胸元へと嘗め回すように注がれている好色な視線をロングビルは察知し、自然とマントの襟元を正す。

「それは光栄ですわ。モット伯」

 辛うじて笑みを浮かべることができたのは彼女の職業意識のおかげであった。
 
「うむ、楽しみにしていよう」

 満足げに彼が立ち去ったのを確認し、ロングビルは舌打ちする。
 
「王宮は今度はどのような難題を吹っかけてきたんですの?」

 勅書を手に、げんなりしているオスマンにロングビルは同情を込めて言った。

「いやなに、くれぐれも泥棒に気をつけろと勧告に来ただけじゃ」

 魔法学院には国宝級の魔道具を管理する宝物庫がある。勅書には”国宝、決シテ奪ワレル事ナラズ、注意サレタシ”と訳せば実にシンプルな内容だ。それを耳にしたロングビルは興味深そうに瞳を躍らせる。
 
「泥棒?」

「ああ、近頃フーケとかいう魔法で貴族の宝を盗み出す賊が世間を騒がせておるらしいのでな」

「フーケ……『土くれ』のフーケですか?」

「うむ、この学院には破壊の杖があるからの、盗み出されたらワシの首が飛んでしまうわい」

 怖い怖い、と呟くオスマン学院長の表情は言葉の割りに悲壮感はない。

「まぁ、フーケがどのようなメイジか知らんがここの宝物庫はスクウェアメイジが幾重にも魔法をかけたのじゃ。取り越し苦労じゃよ」

 ハルケギニアにおいて『スクウェア』は実質メイジの最高位を表す称号である。その権威にオスマンは絶対の信頼を寄せていた。
 だが、ロングビルはそんなオスマンを見て困ったような表情を浮かべる。

「『破壊の杖』ですか。ずいぶんと物騒な名前ですわね。ですが、何事にも絶対などということはありませんわよ。学院長もどうか気をつけてくださいな」

「なんじゃ、ミス・ロングビル心配してくれるのかね? ホッホッホ、大丈夫じゃよ、フーケが現れたらわしが守ってあげるからの」

 すっかりと有頂天になった学院長に構わずにロングビルは懐から取り出したスケジュールを記載した手帳に視線を落とす。

「それは頼もしいですわ。オスマン学院長。予定ですがこの後は『例の方』とのご面会があります、大丈夫でしょうか?」

「うむうむ、大丈夫じゃ。今日は他に予定もないしの――」

 聞き流すように相槌を打つオスマンの手元に蠢くものがあった。小さなねずみがオスマンの肩口までよじ登り何かを囁くように耳打ちする。
 
「――ホッホ、白とな? 純白とな? わしは黒が似合うと思うんじゃがのぉ」

 突如、にやけて笑い出すオスマン学院長の呟きに対して、途端にロングビルの表情が朱に染まり、慌ててローブの裾を押さえた。そして怒りで引き攣る口元を押さえながら言った。
 
「オスマン学院長? 今度やったら王室に報告しますからね」

 性的嫌がらせを受けた女性からの最後通告に対して、オスマンは目を見開き吠えた。

「カァ――――ッ!! 細かいことは言いなさんな。減るものでもあるまいし、そんなんだから婚期を逃すんじゃッ!!」

 男として最低の開き直りを見せたオスマンの運命は既に決まっていた。ロングビルが怒りで自らの立場と職責を忘れるには十分な一言を言ってしまったからだ。

「アァ――――ッ!!」




 学院長室がそんな騒ぎに包まれる少し前。そこへ向かうに二人の人影があった。
 
「ケイツ、相手は偉大な魔法使いでこの学院の学院長を務めているオールド・オスマンよ? くれぐれも失礼のないようにね」

「う、うむ」

 「襟が曲がっている」とか「コートに皺がよってるじゃない」などと世話を焼くルイズにケイツは気後れしながら答える。
 丁度そのときだった、言葉にならない怒声と悲鳴に似たものが、半開きである学院長室から響き渡る。

「何事!?」

 緊急事態でも起こったのかと、ルイズが駆け、ケイツがそれに続いた。半開きであった扉を押しのけて学院長に入るやその光景が二人の目に飛び込んでくる。

 老人が若い女性に踏みにじられていた。女性の怒りは怒髪天といわんばかりであり、老人はただただ許しを懇願している。だが、どうみても老人が浮かべている表情は苦痛ではなく喜悦であった。

「あの、学院長、これは……? 一体……?」

 その光景を目にするルイズの表情からは偉大な学院長に対する尊敬は消えうせていた。ただ、ケイツだけが真剣に学院長を見ている。彼には思い当たる節があった。
 そしてようやくルイズ達が部屋に入ってきたことに気付いたロングビルが我に返った。

「あら、いやだ。おほほ、私としたことが。ようこそミス・ヴァリエールお待ちしておりました。学院長があなたにお話があるそうです」

 何も無かったかのように笑顔で取り繕う彼女は洗練された秘書の鏡である。
 ただ、オスマン学院長だけが未だに狼狽していた。横で何事も無かったかのように済ましている秘書のように取り繕うには生徒の視線が冷たすぎるのだ。

「あー、ごほん。君がケイツ殿かね? 私はオールド・オスマン、この学院の学院長を勤めている。それで、えっと今の光景は、その、つまりだね」

 我が身を恥じるように偉大なる魔法使いの声はしぼんでいった。空気は既に白けている。
 しかしケイツはそんな中で老人を真顔で見つめて言った。
 
「心配には及ばぬ、ご老人。誰もが楽して魔法を使っているわけではないのだということを、私は知っている。辛苦や苦痛に身を委ねねば至れぬ境地もあろう。研鑽の道とは険しきもの。どうか私に気にせず続けていただきたい」

 女性に踏みにじられている偉大な魔法使いを目にして、ケイツの脳裏に≪聖痕大系≫が浮かぶ。
 触覚と痛覚を索引とする魔法であり、主に痛みの感触を媒介に発動する。発動方法が過酷な魔法だが、その出力は索引型最大級という魔法大系を知っているケイツはオスマンに理解を示す。ならばあの女性は老魔法使いが魔法を使う補助を務めていたに違いないのだとケイツは推察した。茨の道を進む修験者の姿を見る思いで、彼は応援の眼差しをオスマンに送った。そんなケイツからの思わぬ援護に唖然としていたオスマンだが、弾かれたようにしゃべりだした。
 
「え? ああ、うむ。そうじゃ、その通りじゃッ! なるほど、ケイツ殿も並みならぬ道を歩んだメイジということか。その思慮の深さ、この趣味を理解できるとはさすがじゃ」

「私はただ前例を知っているに過ぎない。私たちに構わず続けてくれ」

 ケイツはロングビルに続きを促すよう視線を飛ばす。開いた口がふさがらないロングビルであったがこのままでは話が進まないと判断した少女が変な流れを両断した。
 
「構うわよ! いえ、構います。あんたいきなり何を言ってるの。……学院長、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールお呼びにより参上しました。本日はどのようなご用向きでしょう?」

 冷ややかに学院長を見つめながらルイズは言った。ついでにケイツのわき腹を抓っていた。オスマンとケイツとの間に銀線が繋がる。

「ああ、こほん。そうじゃの、本日はミス・ヴァリエールが召喚した貴殿のことで少し話をと思っての」

「話ですか? ケイツが何か……」

「そう身構えんでもええよ、ミス・ヴァリエール。ケイツ殿、じゃったかの?」

「浅利ケイツだ」

「では、ケイツ殿、貴殿をこのような状況を招いてしまって申し訳ない、魔法学院学院長として謝罪しよう。だが使い魔召喚の儀式は主人に相応しい使い魔を召喚するという性質のもの。君を狙って召喚したわけではないということを、まずはご理解いただきたい」

 厳粛に頭を下げるオスマンは真剣だ。先ほど戯れていた人物と本当に同じなのか疑いたくなるぐらいであった。そんな彼に気圧されてケイツも粛然とした態度でそれに答えた。
 
「老魔導士よ、その謝罪は受け取れん。経緯はどうであれ、この娘は瀕死の私を治療してくれた。この召喚の意図がどうであろうと、召喚されていなければ私は死んでいた可能性が高い」

 ケイツはあの戦場を思い出す。あそこまでの重傷を負った自分を回復させることが可能な魔導士がいるとは思えなかった。そして相似大系の治癒魔法は、健康な人間とけが人が『相似』であるという観測の元に治癒を行う魔法だ。つまり感覚器官に重度の障害を負ったケイツでは『相似』であることを認識することが困難になるため、近くに健康な人間がいようとケイツが自力で回復することは不可能だったのだ。

「……お主も大変な目にあったようじゃのぉ。しかし重傷を負っていたと聞くが、もしやお主は騎士のような身分だったのではないかの?」

 オスマンは考える。彼が善人であると仮定して重傷を負うような状況、真っ先に思い至るのが人を守ることを職責としている『騎士』であった。オスマンの言葉を聞いてルイズが顔を顰めた。「騎士? ケイツが?」と呟いている。トリステインの魔法衛士隊の服を来て雄雄しくグリフォンに跨るケイツを想像して気持ち悪くなったようだ。

「いや、私は騎士などではない。ワイズマン警備調査会社の警備調査会社統合情報室シニアマネージャーを務めていた」

 職位を淀みなく紡ぐことが出来たのはケイツの度重なる練習の証だ。

「それは具体的にどのような仕事なのか聞いても差し支えないかね?」

 オスマンが尋ねた耳慣れぬ職業名の内容はルイズにも興味があった。ケイツを召喚してからケイツの過去を余り聞いていなかったなと、つい自分を恥じ入る。当然ケイツにも過去があるのだ。それを奪ってしまったことに少なからず罪悪感を抱く。
 だが、ケイツの口は中々動かない。どう話していいものか考えるように口をもごもごと動かし何か言いかけては言葉に詰まっている。

「そう、だな。重要な、重要な機密情報を取引先の相手に伝えることが主な仕事だった。私の運んだ情報が世の中の明暗を分けたことさえある、責任ある重大な仕事だ」

 ケイツは背中に冷や汗をかきながら答えた。嘘は言っていないのだが、突如抜擢されたそのお飾りの職位は空っぽであり具体的に何をする職であるかという説明に答えられるほどの知識はない。
 シニアマネージャーは日本で言えば部長クラスだ。部長直々に使いパシリをするその意味を以前問われたことがあった。それを言葉にすると悲しくなってしまうので、できるだけ迂遠にケイツは語る。

「なるほどの。伝令……いや勅使のようなものかの」

 だがそれを聞いてオスマンは頭を悩ませた。勅使といえば先ほど訪れたモット伯がそれに当たる。重要な情報を扱う以上、彼の身分は決して低いとは言えない。国際問題にならなければ良いがのぉ、とあごひげをさすりながら思案した。
 
「して、ケイツ殿はどちらの出身なのじゃ? 我々の知らぬ魔法を使ったと聞いておる。『先住魔法』とも異なるようじゃし……もしや砂漠の遥か向こう、ロバ・アル・カリイエから来たんじゃろうか?」

 ケイツはオスマンの言葉になんと答えていいのか迷った。なので簡潔に告げる。
 
「ご老人よ。≪協会≫という組織をご存知か?」

「≪協会≫かね? う~む……寡聞にして聞いたことがないのぉ」

 ≪協会≫に加盟している魔法世界は千にも及ぶという。その中でも『三十六宮』に加盟する魔法世界は先進魔法世界であり首脳世界でる。≪相似大系≫は『三十六宮』の一角、悪鬼の世界で例えるのならば地球上の国家で国連加盟国の名前を知らぬようなものだ。
 ならばこそやはりここは未知の魔法世界であるだろうとケイツは結論付けた。
 
「私のいた場所がこちらで何と呼ばれているかは分からない。それほどまでに遠く隔てたところから来たと思っていただいて結構だ」

「う~む、それは困ったのう。使い魔召喚の儀式は使い魔を呼び出す呪文じゃ、使い魔を送り返してやることは出来んのじゃよ」

 もし、所在が分かる範囲にあるところならば、ある程度の金銭負担も辞さぬオスマンだっただけに彼の言葉は少々堪えた。同時に国交がないほど遠いところから来たのであれば彼を召喚した責任を問われる事はないと考えて一瞬安堵しかけた自分が嫌だった。
 
「……歳は取るものではないのぉ」

「……?」

 疑問を浮かべるケイツにオスマンは「気にせんでくれ、こっちの話じゃよ」とだけ答える。
 ふと、ケイツはコートの袖が引っ張られているのを感じた。目を向けるとルイズの悲壮な視線とぶつかった。

「ねぇ、ケイツ。私、知らなくて……あんたになんて言ったらいいか」

「娘よ、先にも言ったが気にするな。お前の召喚が私を窮地から離脱させ、お前の献身が私の命を救った事は事実だ。私は使い魔とやらを続けようと思う」

 その言葉にルイズは俯かせていた顔を上げた。直視するケイツの顔はいつもと違って頼もしそうに見えた。

「ケイツ……いいの? だってあんた、昔いた場所でもあんたの暮らしがあったんでしょ? それなのに……」

 だが、悲しげな少女を慰めるなどケイツには出来なかった。だからその分余計にぶっきらぼうに、半ば顔をそらして答えた。

「お、男の価値は仕事で決まる。み、自らの力に応じた場所で働く事を仕事というのだ」

 一度は自らの虚勢のために口にしたその言葉は、前よりも胸を張って口にすることが出来た。
 ケイツはハルケギニアに来てからの生活を振り返る。使い魔としての労働、自発的に行った平民たちの手伝い、その労働の対価は笑顔であった。彼らの笑顔は力を振るうに値する何かを感じさせるだけのものがあった。ただその胸に灯った感情の意味をケイツはまだ知らない。
 
「話はまとまったかの。さて、ケイツ殿、こんなことしか言えんで申し訳ないのじゃが何かあったら言ってくれ。出来る限り力になろう」

 改めて契約を交わす二人を見て、オスマンは快く笑う。

「覚えておこう」

「ほっほほ、では話は以上じゃ退室してくれてかまわんよ」

「では、これにて。オールドオスマン」

 ルイズが学院長に対して一礼する。ルイズを見て、ケイツも軽く頭を下げた。



[37196] 第二章 ≪沈黙する悪鬼≫ 五話 忍び寄る影 その四
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/04/30 22:17
 学院長室を出た二人の足音が石畳の廊下にコツコツと響き渡る。
 
「安心したわ。何事かと思って行ってみれば何のお咎めもなしで」

 ルイズの表情は晴れやかだ。先ほどケイツが言ってくれた言葉が未だ胸に残っている。安堵よりも達成感が上回り、ただケイツが自分の使い魔であるということを再確認した程度のことでルイズの足は軽やかに廊下を叩く。その隣を歩くケイツの歩幅の長さから窺えるデリカシーの欠如も、今日だけは許してあげることに決めたのだった。
 
「咎めなど、あるはずもない。危険から逃げ続けてさえいれば不当な怒りを向けられはしないのだ」

 ケイツが紡ぎ出す含蓄深いその声は、間違いなく彼の経験談なのだろう。ルイズは心底かわいそうな表情を作ってケイツを見た。ここまで来るといっそ母性本能をくすぐられそうだった。

「……あんたやっぱり今日も”全開”で安心したわ」

 せっかく持ち上げたと思ったら、自分でどん底まで落ちていく天然の自爆っぷりに重いため息がルイズの胸から零れる。
 今まで溜まっていた陰鬱な悩みも吐き出したからであろうか、ふとルイズは足を止め、空を見上げた。
 
「綺麗ね」
 
 山の端に夕日が沈み、双月が顔を覗かせている茜空が、まだら雲を鈍く照らし、幾条もの朱を大空に引いていた。
 ここのところ変な使い魔に振り回されていたおかげでのんびり景色を楽しむ心境になれなかったこともあり、何度も見慣れているはずのその光景が、思わず胸を打つ。そしてせっかくの光景を自分の使い魔と共有しようとルイズが振り向いたのとケイツが声をかけてきたのはほぼ同時であった。

「ね――」
 
「――おい、何をしている。早くお前の部屋に行くぞ。いつどこで≪沈黙≫が襲い来るとも限らんのだ。早く」

「……」

 見えない恐怖に追われた臆病者は当然ながら美しい自然に思いを馳せる考えなど持ち得ていなかった。むしろ今のケイツにとって夕暮れは深闇の来訪を告げるもの以外の何物でもない。漆黒の闇夜が、姿の見えぬ≪沈黙≫を暗示しているようで、人工の灯火の元へと急かすのであった。
 そんなケイツを見て、夕焼け空に惹かれ、宙に漂うような心持ちに浸っていたルイズは一瞬で現実に引き戻された。
 
「なんかあんたって時々無性に苛めたくなるわ」
 
 ケイツに構っているとよくない何かに目覚めそうだ。
 そんなことを感じてしまう自分の変化が少し怖いとルイズは思った。
 
「何を言っている? 行くぞ、退路は既に確保してある。こっちに続け」

 この平和な魔法学院が一体どうしたらそのように過酷な戦場に見えるのだろうか。女子寮の中キョロキョロと視線を張り巡らせながら進むケイツに、通り過ぎる女生徒たちは怯える。怯えて恐怖に引き攣る女生徒の声にケイツもまた怯える。『似ている』と認識された銀色の魔力弦が女子寮中に蜘蛛の巣のように張り巡らされた。
 そんな混沌の最中で、些細なことにいちいちビクついているケイツの背中に声をかけるという行為がルイズにはとても魅力的なもののように思えてくる。
 
「――きゃぁケイツあそこに影が」

 だから不意打ちで、平坦かつ一本調子の声で悪戯っぽくルイズは言った。

「ヒィッ! 何だ……驚かすな、ただの半裸女子ではないか」

「あんた、愉快ね」

 くだらないことでいちいち驚愕するケイツを見て、ルイズは胸の内がなんだか気持ちよくなってくる。じわじわと広がる炎に侵食される気がして、それは貞淑なトリステイン貴族としてあるまじきことだと、ルイズはかぶりを振ってその炎を鎮火しようと試みた。
 どういうわけかその燻りは依然と熱を帯びていた。
 なんとなくその心境を誰かに打ち明けたくて、ちょうど自分の部屋から顔を覗かせていた半裸の女生徒にルイズは肩に手を置いて言った。

「私、あんたの言ってた『微熱』の片鱗を理解したかもしれないわ」

 ありえない事を聞いたと言わんばかりに目を丸くするその女生徒にたいして、ルイズは勝ち誇った笑みを浮かべて自室へと足を踏み入る。
 鍵をかけたドアの外から、詳しく、詳しく、という声とともにドンドンと扉を叩く音がしばらく続いたが、最後に彼女はとうとう杖を持ち出してアンロックの魔法をかけてきたので、丁重にお帰りいただいたのは言うまでも無い。
 



 夕方の黄昏時も終わり、夕食の刻限になる。春を迎えたばかりの茜空は既に眠りにつき、今ではすっかり二つの月が星達と共に、夜空に輝いている。
 ルイズを食堂へと送り届けたケイツは今、厨房へと足早に向かっているところであった。
 
「ケイツさん?」

 ケイツを呼び止める声が背後からかかり、一瞬だけケイツは身をすくませたが、それが耳覚えのある声だと気付きすぐさま平静を取り戻した。
 
「……メイドの少女か。丁度今から厨房へと向かうところだった。一緒に行こう」

「はい」

 密やかに胸をなでおろすケイツに、シエスタは微笑で答えた。
 暗い広場に茂った芝を二人が踏みしめているとき、シエスタは言った。
 
「――あの、ケイツさん」

「何だ?」

 自分の足音しか聞こえなくなり、背に掛かる声に振り向く。シエスタは神妙な顔で立ち止まっていた。
 
「その、ありがとうございます」

 掛け値なしの感謝を込めて、シエスタはお辞儀する。

「いきなりなんだ?」

 当然当惑するケイツにシエスタは恥ずかしそうに頬をかいた。

「貴族に立ち向かったり、仕事仲間のみんなに優しくしてくれるし、魔法が使えても驕らないし、そんなケイツさんにたくさん勇気を頂きました」

「……」

 ケイツは絶句した。ケイツは自分の情けなさをある程度自覚している。魔法に関しても同様だ。そんな自分が感謝を向けられる理由を探そうとしたが、今シエスタが列挙したような局面をとうとう思い描けなかった。
 
「お前が何を言っているのか、分からん。あまり私を褒めないでくれ。私は、まだ、そんなに大した人間ではない」

 自分で言っていて悲しくなってくるが、それでもそうすることが誠意だとケイツは考える。

「ですが、友達のローラちゃんの怪我を治してくれました。ケイツさんには大したことじゃないかもしれないですが……彼女すごい助かってました。ローラちゃんは私の先輩で、私が魔法学院に勤めることになったとき、よく世話をしてもらって、いろいろ助けてもらったんです」

「だが、それは――」

 それこそ当然の事をしたまでだと、ケイツは考える。しかし、シエスタの微笑はそれを遮る。

「トリステイン魔法学院は、選ばれた貴族の方々が入ってくるのと同様に、それにお仕えする平民達の選考も厳しいんです。読み書きや礼法、骨董品の扱いから何から何まで勉強して、身元のしっかりした者の推薦が無いと入れなかったりしますし……。それでも栄えある魔法学院に勤めることに憧れる人は多くて――」

 そういってシエスタは儚げにはにかみ、一息つく。
 
「――ですから、代わりたいって人はたくさんいるんです。誠心誠意お仕えしていても理不尽なことでクビになることだってあります。だからローラちゃんだって、指の怪我が原因で仕事のミスをしたりでもしたらどうなるか……。ケイツさんは些細な施しをしたつもりでも、私達から見れば感謝して当然のことなんですよ?」

 シエスタの表情はケイツへの謝意で満ちていた。無垢な瞳に射抜かれ言いようの無い不安がケイツの胸を焦がしていく。
 ケイツは分からなかった。このメイドは一体『誰』に感謝しているのか。
 それ以上考えたくはなかった。だからケイツは乾燥しきった枯葉のような薄い唇を吊り上げぎこちなく笑う。

「そう、か。ならばその感謝を受け取っておこう。それと、もし私に出来ることがあれば、また言え。そのぐらいのことなら構わんぞ」

 湧き上がる不安を打ち消したくて、つい善行を重ねるようなことを言ってしまう。まるでそうすることで不安を覆い隠すように。
 夜でよかったと思った。慣れぬ事をしたケイツの頬は赤い。いい年してそんなところを見られたくはなかった。
 
「行くぞ」

 そして、ケイツは歩き出す。シエスタはそんなケイツの背中に頭を下げ続けた。
 嬉しいと思う気持ちと寂しいと思う気持ちが、同時にシエスタの胸の中で渦を巻いている。
 ケイツは、”もし私に出来ることがあれば、また言え”と言った。でもその機会は来ないようにシエスタは感じた。
 いつまでも頭を下げ続けるシエスタが着いて来ていない事に気付いたのか、ぶっきらぼうにケイツは呼びかける。
 シエスタは悲しげに笑い、後を追った。闇夜の中、芝の上につたり落ちた一滴の涙は誰にも見られなかった。

 そしてケイツが厨房に入るとみんなの歓声が沸き上がる。きっとケイツは未だに馴染めぬ、と戸惑ったように顔を引き攣らせてるに違いないとシエスタは笑う。
 
「……うん、私も頑張らなくちゃ」
 
 シエスタは厨房の戸口から聞こえてくる喧騒を前に一呼吸し、表情を引き締めてシエスタは笑顔に満ちた厨房の喧騒へと身を投じた。

「さて、ケイツさん。今日はいい牛肉が手に入ったんですよ。マルトーさんが腕によりをかけて料理してくれたんです」

 こんなお祭りみたいな日が続けばいいのにと、シエスタはその思いを胸に秘める。目の前の光景を目に焼き付けるようにいつまでも見つめていた。
 



 同時刻アルヴィーズの食堂にて。

「ねぇ、ルイズ、詳しく話しなさいよ。『微熱』の片鱗を理解しただなんてずいぶんな事を言うじゃないの。まさかミスタ・アサリと何かあったんじゃないでしょうね」

 ルイズとキュルケが食後のお茶を楽しんでいた。もちろん話題は、夕方のルイズの問題発言の真意である。夕方は門前払いされたがキュルケはもう好奇心が抑えきれなかった。

「そんなんじゃないわ。ただケイツを見ると、こう胸の内側からもやもやとしたものがわきあがって来るの」

「へぇ、もしかして、好きになっちゃったとか?」

 自分の得意分野にルイズの方から乗ってきたとキュルケの艶やかな口元が緩い曲線を描く。お堅いルイズに到来した春の予感を『微熱』のキュルケは感じ取ったのだ。
 これはキュルケにとっても大きな問題であった。何せ、ヴァリエールのもの(男)はツェルプストーのもの(男)を家訓としている彼女にとって、ようやくライバルが舞台にあがって来てくれたかもしれないのだから。

「馬鹿言わないで、そんなんじゃないの」

 ルイズはつんとすまして否定した。それがますますキュルケの愉悦を刺激する。「好きなの?」と問われて「はいそうです」などと答える人はいないのだ。
 むしろ大抵の場合、そんなベタな応答が、その裏に隠されている真意を際立たせるのだから。

「ねぇ、彼のどんなとこが気になるの? ほら、この『微熱』のキュルケに言ってみなさいな」

 ルイズは、両手を頬にあて顔を半分隠している。隠しきれてない頬は赤く上気している。もうこれは確定だわ、とキュルケはどうやって探り出そうかを考えているときに、ルイズはおずおずと神に告白するように口を動かした。

「……なんていうのかしら、みっともないケイツや情けないケイツを見てると胸の内側からじわりじわりと熱くてくすぐったくなるような何かが、顔の方まで上がってきて、蕩けるような心地になるの」

「うんうん、それで?」

 キュルケの声が期待に弾む。
 
「それを見ていると無償に杖とか鞭を持ちたくなるんだけど……」

「……ル、ルイズ?」

 キュルケが戸惑った。なんだか雲行きが怪しくなってきた。
 
「私って、猫に似てるって言われたことあるわ。きっとケイツがネズミみたいに思えるのがいけないのかもしれないわね。ねぇキュルケこの想いは一体なんなのかしら」

 呆気に取られていたキュルケが、そこで真顔になった。コホン、と咳払い一つし、言った。

「それはただの病気よ」

「え?」

「その道は上級者しか許されない茨の道よ。悪い事は言わないから引き返しなさい」

「……で、でも」

「いいこと? 確かにヴァリエールは敵だけど、今回だけは塩を送るわ。これは『微熱』としての忠告だからね。すぐ引き返すの。分かった?」

「う、うん……」

 ルイズはキュルケの剣幕に思わず頷いた。だが、性癖を自らの意志で矯正できるのならば世に性犯罪者なぞ生まれないのだ。
 ルイズの胸に芽生えたつぼみはきっといつか必ず開花するに違いなかった。



[37196] 第二章 ≪沈黙する悪鬼≫ 六話 メイドの危機 その一
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/05/03 21:01
 それは、朝目覚め、厨房に言ったときに突然知らされた。
 
「やめただと?」

 ケイツの声が厨房に響く。驚愕を隠し切れずにその唇がわなないていた。
 
「ああ、急遽モット伯って貴族に仕えることになってな。今朝早く迎えの馬車で行っちまったんだ」

 マルトーは料理の仕込をしながらも、やるせなさを声にのせてケイツに伝える。まな板を叩く包丁の音が乱れているようにさえ感じた。
 
「だが、昨日あの娘は、そんな素振りは見せなかった」

 次、何かあったら力になると言ったが、転勤してはそれも叶わない。
 吐き出した言葉の分だけ気恥ずかしさが残り、ケイツは顔を手のひらで覆う。

「結局、平民は貴族の言いなりになるしかないってことなのさ」

 諦観の念を隠しもせずにマルトーは呟いた。いつもにぎやかだったこの厨房が、ケイツには別物のように感じて妙に居心地が悪かった。
 
「どうして急に……」

 誰に当てて言ったわけでもないケイツのつぶやきは風に乗って消えた。もうあの無垢な少女に会えないとなると寂しものだと哀愁を漂わせる。ケイツは柄にも無く、あのメイドが新しい職場で無事にやっていけるように神に祈ってみた。地獄と違ってこの世界ならば神もいるだろうと、彼女の新しい門出が明るい気さえしてきた。
 だが、ケイツが我に返るとマルトーは作業を止めて、真剣な表情でケイツに向き直っていた。

「なぁ、ケイツさん。あんたシエスタを助ける事は出来ねぇかな?」

 マルトーは切実に、腹の底から声を絞り出す。
 
「まて? なぜ助けるなどという言葉が出てくる?」

 ケイツは認識の齟齬に狼狽する。貴族に仕えることになったならば栄転というやつではないのかと単純に考えていたが、マルトー悲痛な表情を見ておかしい事に気付いた。
 不穏なマルトーの言葉の響きに、薄汚れた路地裏の匂いに這い寄られるような不安がこみ上げてくる。

「ああ……そりゃ、なんだ、大抵こういう時は、貴族が若い娘を名指しって時は……つまり、その、なんだ、ほら……」

 マルトーは言葉を濁す。まるでその可能性を認めたくないと言わんばかりに。
 口に出してしまうとそれが現実になってそうで怖かった。
 だが、ケイツは子どもではない、マルトーが言わんとしている事を理解する。まさしく、それは長きに渡る逃亡生活で何度も何度も目を背けてきたものだったからだ。
 
「助ける……?」

 ケイツは呟く、もしあのメイドが本当にそのような窮地に追いやられているのであるならば……と、我が手を見る。あの時は自分は無力な虫けらだった。だが今ならば力がある。どうしようもない苦境に落ちた人々に救いの手を差し伸べるための力がケイツにはあった。
 けれど、それと同時に湧き上がってきたものは別方向の感情だった。
 
「……だが、メイドの少女は、無理に連れて行かれたのか?」

 それを聞いたマルトーは目を丸くする。歯が軋むほど噛み締めてから言った。
 
「いや、手続きはちゃんと済ませているだろうよ。法的には問題ない公正な引き抜きだ。だからこそ、俺らにはどうしようもねぇんだよ……」

 言葉尻は次第にすぼんでいった。それがマルトーの擦り切れた慟哭のように感じられた。己が無力さを痛感したとき虚空へと怒りの矛先を向ける。ケイツとて何度も経験したものと同じ色を帯びていた。
 
「……私は、ヴァリエールの娘にはこれでも恩を感じている。私が事を荒立てれば奴の家にも累が及ぶであろう」

 自分でもびっくりするくらいの正論が口を突いて出ることにケイツは驚いた。

「ケイツさん……?」

「メイドの少女を取り戻すという事は敵を倒せば解決するような問題ではない。取り戻してどうなる? 敵は貴族ではない。国の法律が牙をむくのだ。悪しきを排除するため、正しきが襲い掛かってくるのだ。力を振るって解決する問題か? 一つの秩序を敵に回すのだ。国は私を悪しき賊だと判断するだろう。犯罪者になるだろう。身の回りのものにも責任が及ぶだろう。どこに取り戻す? どうやって収める? 私の両手には魔法しかないのだ」

 全く瑕疵のない正論が止め処も無く溢れてくるにつれて、吐き気で窒息しそうだった。
 魔法しかないなどと、どの口が言うのか。己が魔法を一つで世界と対峙するのが魔導士だろうに。
 偉大なる兄の姿を忘れたのか。その兄が何と言った。”汝我に似たり”だ。その言葉を聞いたとき今までのゴミのような人生全てが報われた気がしたはずではないか。形は同じでも価値の全く違う黄金とゴミクズ。黄金がゴミクズに自分と同価値であると言ってくれたあの言葉、それを聞いた時、兄から受け継いだ力に恥じぬ魔導士になろうと決めたではないか。猛き意志をもって己が存在を示そうと決めたではないか。あの決意はどこに行ったのだ。あれほど崇高な決意さえも時間と共に薄れるのか。窮地に直面すれば剥げ落ちるメッキでしかないのか。金粉で塗装しようとゴミクズはゴミクズのままなのか。
 思考がぐるぐると渦巻き、ケイツは頭を抱える。

 傍目に見ているマルトーはケイツが心底苦悩しているように見えた。シエスタのことを真剣に考えながらもそれを阻む障害の大きさを知っている。そんな男の苦しみを前に思わず情けない声が出てしまう。

「だけどよぉ……。なんとかなんねぇのか」

「私はもう、若くはない。単純に敵を憎み、義憤一つを胸に、立ち向かうなど、どうして出来るだろうか」

 背が伸びれば見える景色も広くなる。社会や組織に利用され続けた大人は単純な動機で動く事はできない。むしろ様々なしがらみに束縛され余計に動けなくなる。
 
「……」

 ケイツを咎めるものはいなかった。正論というやつが腹立たしくて仕方が無かった。これまでは厨房の皆はケイツを英雄に仕立て上げていた。
 物語の中の英雄は敵を倒せば終わりだが、現実の英雄には暮らしが続いていく。そしてほとんどの場合、現実は複雑で敵を倒しても終わらない事のほうが多い事を思い出した。
 現実は勇者が魔王を倒せば終わりというほど簡単なものではない。落とし所がつかなければいつまでも争いは続いていくのだ。
 厨房を沈黙が支配する。ぐつぐつと鍋の中で煮込まれるスープの音だけが耳を打った。
 
「……少し、考えさせてくれ」

 ケイツは呟き、立ち上がった。理屈では助ける方法がないと結論が出ているのに、臆病者に見られたくなくて虚飾を糊塗する。
 助けたいのは山々だけど相手が悪いから仕方が無いと、納得させるような振る舞いをした自分をひどく嫌悪した。
 立ち去るケイツを責める者はいなかった。無力な悲壮感だけが蔓延していた。
 



 朝食を食べ終えて、自室で授業の準備をしているルイズにケイツは尋ねた。
 
「――モット伯ですって?」

 頭の中をくすぐるような声でルイズは言った。

「ああ」

「モット伯なら知っているわよ。王宮の勅使で時々、魔法学院に来るわね」

「どんな人物か心当たりはあるか?」

「そうね、直接には面識はないけど、私は偉ぶっていてあまり好きじゃないわね」

「悪い噂など、何かないのか?」

「噂ねぇ……。好色で女癖は悪いって聞いたことがあるわね」

「やはりか」

 ルイズの言葉に正鵠を得たと頷くケイツ。
 
「何? その反応。あんた何か隠してるでしょう」
 
 訝るルイズにケイツはただ顔を背ける。そんなケイツの反応にルイズの怪訝な瞳はじりじりとケイツを焦がす。
 ついに堪えきれなくなってケイツは口を開いた。

「私が何を隠していると言うのだ?」
 
「だって、あんたの口からモット伯の名前が出ること自体おかしいじゃない。どこで誰に何を吹き込まれてきたのか言いなさい」

 ルイズの眼差しに屈服したケイツは膝を抱えて地面に座りながらぷい、と90度時計回りに顔を背けた。つまり逃げる事を選択した。
 しかしそこにルイズが回り込む。また90度動く。ルイズに回り込まれた。顔を背ける。しかし、ボスからは逃げられない。ぐるぐると回る。
 
「不毛だわ……」

「うむ……」

 やる前から分かっていた事を、二人は再確認した。意固地になっているケイツにルイズがため息をこぼす。

「まぁ、いいわ。それがどんな理由だろうとも、どうせケイツは臆病だもの。モット伯に立ち向かうなんて真似はしないわよね?」

「……」

 二重の意味で的を射ているルイズの発言に頷くのは躊躇われた。
 けれど、ルイズの言葉に侮蔑の色はない。どちらかと言えばそれは気遣いだ。
 そんなルイズが健気に思えて、ケイツは安心させるため口を開く。
 
「当然だ。私は敵に頭を下げることで、戦場で生きてきたのだぞ」

「つくづく、自慢げに言うことじゃないわね。それ」

 くすりとルイズは微笑んで、今度こそルイズは安堵の吐息を吐き出す。
 
「さて、今日も一日頑張るわよ」

 そして一日が始まった。ケイツはその日ずっと、胸に抱いた蟠りを解消できずに思案し続けることになる。悩み続けていたらいつの間にか空が赤くなっていた。
 



 日も暮れ、寮内からは暖かな光が漏れている。
 ケイツが佇むのは学院の入り口付近にある広場だ。科学技術の発展した地獄と違い、そこは外灯などない。
 門の前に続く薄闇が、口をあけて犠牲者を呼び込もうとしているような気がする。
 ケイツは自分がそこに立っている理由は明白なのに、足が踏み出せなかった。そんなケイツの背後からカサカサと草を踏み分けて歩み寄る人影がある。シエスタと仲のよかった金髪のメイド、ローラであった。手元に袋を携えて歩み寄ってくる。
 
「あの、ケイツさん、これみんなで集めたんです。こんなんで足りるかどうか分かりませんが……よろしくお願いします」

 ローラが手渡したその皮袋はずっしりと重かった。ジャラジャラと景気のいい音を響かせ、中には銀貨や金貨がぎっしりと詰まっていた。ハルケギニアでの具体的な貨幣価値はケイツには分からなかったが、その皮袋の中から溢れ出る輝きは平民にとって並みならぬものであるということだけは理解できた。
 
「これでメイドの少女を助けろというのか?」

 かすれた声がケイツの喉から沸きあがる。
 
「はい……。足りなければ私、なんでもします」

 ケイツは、メイドの少女――シエスタがみんなから心より愛されているのだと感じた。
 自分が絶対正義の英雄で、相手が純粋悪の魔王であったならどれだけよかったかとケイツは考える。
 だが、ルイズの話を聞く限りモットは良くも悪くも普通の貴族。彼の悪癖とて、貴族の嗜みの範疇からでるものなのだろうか?
 シエスタを助けて、モット伯を倒し、どこでどうやって落とし所をつけるのか、ケイツには分からなかった。
 俯くケイツの傍を風が駆けていく。しばらくしてケイツは顔を上げた。
 
「お前はローラと言ったか。何でもすると、言ったな?」

「はい……。それでシエスタちゃんが助かるなら、私……」

 ローラは身をすくませた。両腕を胸の正面で抱えて震えているのに、踏みとどまっていたのは彼女の決意の強さの証だ。

 そんなローラを見つめてケイツは言う。

「何でもいい。理由をくれ」

「え?」

 唐突なケイツの言葉にローラは首をかしげた。

「理由だ。いかにジュール・ド・モットとやらが極悪非道かを語ってくれればいい。全てを投げ打ってでもあの少女――シエスタを助けねばならないほどの理由を……私にくれ」

 静かな叫びだった。遠い遠い地の底から叫びだしたようなそれは、ケイツが絞り出した精一杯の勇気だ。
 しかし、そう言われてローラは口ごもる。魔法学院の一使用人が宮廷貴族の悪評などそう耳にできるものではない。せいぜい女癖が悪いとかその程度であった。そしてそれはケイツが今求めているものではないと、彼の切羽詰った表情からローラは理解する。
 どういう言葉をケイツに与えればいいのか分からなくて、ローラはがむしゃらにしゃべった。

「あ、あのッ! シエスタちゃんは明るくて頑張り屋さんで、変な方向に思い込みが激しくて、それでよくドジしちゃって……でもそんなシエスタちゃんのおかげでみんな笑えて……最初は中々仕事が上達しなくて、それでも一生懸命がんばってて、そんなシエスタちゃんが微笑ましくて、それでいつのまにか私より仕事が出来るようになってて、でも私が困ったときにはいつも助けてくれて、まだ男の子と付き合ったことなくて、甘いものが大好きで、それで、それで……」

「もういい」

 そういってケイツはローラの言葉を遮り、手渡された金貨袋を彼女へとつき返した。

「ケイツさん? で、でも……これ。私、本当に何でもします。何でも出来ます! だから、だからどうか、シエスタちゃんを……」

 ケイツの行為を拒絶の証と取ったローラはひどく狼狽する。一本だけ残っていた救いの糸が切れた気がして絶望に支配されそうになった。
 だが、ケイツは門の方へと向き直り、ローラに背を向けたまま言った。

「……あの少女を助けたとき、こんなものを持ってたら何と説明すればいいのだ」

 支離滅裂に紡がれたローラの言葉はケイツの心を動かした。混じり気のない純粋な絆というものをそこから感じ取り、ケイツは羨ましく思ったのだ。

「あっ……」

 ローラの瞳から滂沱のような涙が流れ落ちる。拭い去るたびに溢れてくるので、彼女の顔も手もひどく濡れていた。

「モット伯とやらの所在地は分かるか?」

「は、はいっ! えっと――」

 ローラの説明を聞き終えたケイツは空中に視線を彷徨わせしばらく佇み。そして虚空を見据えて目を見開いた。

「そこか、”掌握したぞ”」

「えっ?」

 空に向かってケイツが吠えた次の瞬間、ケイツが崩れたのをローラは見た。正確にはケイツだと思ったそれは人の形をした土塊であった。
 
 相似大系には『似たもの』同士の位置を交換するという転移魔法が存在する。
 今、ケイツが行ったのは、ギーシュとの戦いのときに使った『概念魔術』と転移魔法の組み合わせだ。
 ”着点であるモット伯邸付近の地面に対して、自分自身と『相似』であることを押し付け、そこに土人形を作り出し、自分の位置と交換した。”目的を果たし終えて形を維持する必要の無くなった人形が崩れ落ちる。
 
「ケ、ケイツさん? ……よく分からないけど、後武運を」

 ケイツの手際が良すぎて、ローラの目にはケイツが土になって崩れるようにしか見えなかった。何が起きたかすらローラには理解できない。だが、ケイツが最後に残した力強い声はきっといい結果を運んできてくれるような気がして、いつまでもケイツが居た場所を見つめ続けていた。



[37196] 第二章 ≪沈黙する悪鬼≫ 七話 メイドの危機 その二
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/05/06 00:36
 ケイツは目の前に悠然と佇む大邸宅を見上げていた。
 屋敷内部を散見的に灯す松明や魔法の光一つ一つの下に、生きた人間がいるのかと考えて、その光全てがこちらを睨む眼光のように思えた。
 まるで大邸宅そのものが一つの生き物としてケイツに立ちはだかっているようでその大きさに足がすくみそうになる。
 
「このどこかにメイドの少女がいるのだな」

 だが、そんな巨大な敵を相手にしてさえ、ケイツの言葉には強い意志に満ちていた。
 背負うものがあれば人はこうも戦意を高ぶらせることができるのかと、生まれ変わった心地にケイツは浸っている。

「ふふふ、こんな気分は初めてだな。守る為に戦う、か。私には過ぎたものだな……だが、悪くない」

 ケイツは握り締めた両手に力が入るのが分かった。学院の使用人達の絆がケイツの背中を後押してくれるようで思わず痩せ落ちた表情に笑みが沸き上がる。
 
 同時に脳裏をかすめたのは、自分と何度も相似弦が繋がった男のことだ。奴が小さな女の子を守るために落ちぶれていく様を、かつてのケイツは嘲笑った。
 だが、ケイツは今、考える。守りたいものさえ守れるなら、どんな場所に落ちようときっと幸せなことだと。ならば奴は落ちぶれてなどいないのではないかと。
 そこまで考えて無意識に送ってしまった賞賛にケイツは舌打ちする。奴とはそう簡単に分かり合えるわけがなかった。
 そしてくだらない対抗意識をケイツは燃やす。やつが大切なものを守る為に落ちぶれざるを得なかったというのなら、私は何も失わずにすべてを助けてみようと。
 困難に直面するたびに逃げる事を選んできたケイツは何かを失わずには何も手に入れることができないという当たり前の認識さえ希薄だ。
 だからこそケイツは相手に危害を与えることなく無傷でシエスタを助けることという達成可能性を度外視した目的を抱いてしまう。

「ふふ、やれる。今の私ならばきっと出来る。出来るぞ」

 しかし今のケイツはそんな破綻の予感などに目もくれず、興奮に包まれた身体をますます滾らせる。そして自分がすべき事は何か、頭の中で整理する。
 まず、出来る限りの武力行使は控えること。これは周囲への責任追及を回避するためには必要不可欠だった。狭い行動範囲しか持たぬ自分のことなど、学院を調査すれば筒抜けになってしまうであろう。ここに来る前に見たヴァリエールの娘の顔を思い出すと、それは絶対に避けたかった。
 重要なのは対話で解決すること。こちらが手を出してしまえば争いの火蓋が切って落とされる。剣もダメ、魔法攻撃もダメと、選択肢が狭まっていくことにケイツの不安が顔を覗かせる。
 なら残された手段はは魔法防御を駆使して話し合いに持ち込むしかない。でもそれで十分な気がした。相手がどれだけ殺気立とうと相似大系が誇る防御魔術はそう易々と突破できるものではないからだ。そうして自らの優位性を示し、寛大な態度で交渉に臨めば、相手が萎縮して案外上手くいくのではないかと、楽天的な思考が頭に満ちる。
 そしてケイツは。”誰も怪我をさせずにすむ方法があるという事実”に安堵した。
 思考を整理して、戦いの指針を定め、気概を胸にケイツは吠える。

「相似の王者としての力、今使わなくていつ使うのだ。私は行くぞッ!」
 
「――おい、そこの怪しい奴ッ!」

 だが、それに水を差すように脇から声が振りかけられる。
 門番の衛兵たちがそこにいた。怪訝そうな顔をして、武器を手にケイツを取り囲んでいる。
 ケイツは彼らの声につられてキョロキョロと周囲を眺めてみた。
 怪しい奴など見当たらなかった。
 
「お前だ、そこのお前。他に誰がいる! なんで自分が関係ないという顔をしているんだ」

 門番は大声を上げながらケイツへと歩み寄ってくる。着古した黒のコートに、長身の枯れ木のように擦り切れた男が闇夜の中、幽鬼の様に木の幹に身を預けて薄ら笑いをしている姿が他者の目にどう映るかなぞ、言うまでもないことだった。
 
「馬鹿な、私が怪しいだと? 冗談はよせ」

 ケイツは取り囲まれてしまった。いくら叫んでみても包囲を突破することは叶わなかった。
 ケイツは動揺する。魔法を使うかと思い、それを否定する。話し合いだ。自分は話し合いで解決を図るのだと先ほど決めたではないか。誠意を込めて話せばきっと人は心を通じさせることが出来る。
 
「ま、まて。私はここの伯爵に用があって来たのだ。怪しい奴などではない!!」
 
「怪しい奴はみんなそういうんだ。さあ、無駄な抵抗はするな。話を聞かせてもらうぞ。こっちへ来い」
 
「よし、そうしてくれ。話を聞いてくれ。そうすれば私が不審者でないということがすぐに分かるであろう」

「分かった分かった。それじゃ詰め所まで来てもらえるかな」

 衛兵に囲まれて、地獄での経験がよみがえる。地獄において、魔法使いたちの『常識』が特徴的過ぎるため、文化的ギャップのせいで警察のやっかいになる者は多い。ケイツの脳裏に日本にいた頃、道を歩いていただけで職務質問をされたことは辛い記憶の一つだった。今の状況はそれに酷似していた。
 
「何? まさかお前たちは警察かッ!? 警察だけは勘弁してくれ。警察だけは!」

 ケイツの声は空しく響き渡り、聞き入れられなかった。気概に満ち溢れていたケイツの声は既に情けなくなっている。
 未だ邸宅の門を跨いですらいないというのに。




 豪華な部屋、シャンデリアが灯す薄明かりに照らされたそこに、シエスタはメイド姿でいた。
 学院で着用していたものとは異なり、派手な赤を基調にして侍従服には似つかわしくない装飾が誂えてあるそれは職務上の利便性よりも鑑賞性を重視してあった。
 露出の多いメイド服の隙間から、艶やかな肌はしっとりと潤い、水気を帯びた黒髪が石鹸の芳香をなびかせ、灯火に照らされて蠱惑的に輝いている。
 女性的な魅力を割り増しさせながら、シエスタがいるのは寝室だ。豪奢なアンティークが所狭しと配備され、カーペットの毛は足が沈むほど長い、なによりベットはふわりと弾力をもち、そして一人で眠るにはあまりに大きすぎるそれが侍従用の宿直室ではないことを物語っていた。
 
「みんな……」

 シエスタは身を強張らせ、震えていた。モット伯の邸宅に来てからシエスタの待遇は文句の付け所がないにも関わらずにだ。
 おいしい食事に、精緻な飾りつけが特別に施されたメイド服、そして魔法の香水をふんだんに使った広い浴場。
 今までの暮らしからは考えられないほどの贅沢を体験してさえ、シエスタの表情は沈んでいく。
 彼女はその厚遇の意味を理解していたからだ。
 
「学院に、戻りたいよ……ケイツさん……」

 沈痛な面持ちで紡がれたシエスタの呟きは、しんと静まり返っている部屋にこだますることなく消えた。その声が相手に届くはずはないのに、その名前を呼んでしまう。
 先日、ぶっきらぼうに何かあったら自分を頼れといった彼の言葉が未だに燻っている。自分よりも一回り以上大人なはずなのに、周りに打ち解けるのが苦手で思わず世話を焼いてしまうしょうがない人。とはいえ、頼りないと思う半面で貴族に立ち向かって見せたりするなど、とても不思議な人だった。今彼は一体何をしているだろうか?
 私がいなくても学院のみんなとうまくやっていてくれたらうれしいなと、ケイツの事を考えクスリと笑う。
 
 そこまで考えた直後。ガチャリと、ドアノブが回る音がシエスタの身をすくませた。
 ジュール・ド・モットが部屋に入ってきた証だった。そしてモット伯はシエスタの姿を目に留めると、気遣うように優しいな笑みを浮かべ、シエスタへと歩み寄る。

「シエスタ。待ったかね?」
 
「いえ、そんな……」

 モット伯が歩み寄れば寄るほど、エスタの表情は強張っていく。

「どうだ? 仕事には慣れたか」

「は、はい。大体は」

「そうかそうか、まぁ、余り無理はせぬようにな」

 モット伯爵は緊張をほぐすように気さくな笑みを浮かべて、新たに使用人となった彼女をねぎらう。
 その点だけを見れば慈愛に満ちた領主として非の打ち所がなかった。
 けれど、華奢な少女の肩に手を置いて耳元で囁くその声は好色に濡れている。

「私はお前をただの雑用の為に雇ったのではないのだからな。んん? シエスタ」

 モット伯はシエスタの髪を一房手に取り、その香りを堪能するように顔を近づけた。

「あぁ、あの――」

 シエスタの心に羞恥と恐怖が満ちる。
 お戯れを、と言いかけて、突如コンコンと響いたノックがそれを遮った。
 
「なんだ?」

 楽しみを邪魔される形となったモット伯の声は剣呑だ。
 兵士が恐縮し、要件を手短に伝える。

「失礼します。ケイツと名乗るものが面会を求めておりますが」

「ケイツだと? 知らん名だな」

 思いもよらずに浮かび上がった名前にシエスタが息を呑む。
 ありえないと思う一方で、兵士に促されて入ってきた彼の姿を視界に収めて思わず涙ぐみそうになった。
 燃え滓のような男、白とも黒とも付かない曖昧な灰色の髪に灰色の瞳、痩せこけ目は窪み、頬が浮いている。
 それなのに目つきだけは鋭く輝いており、強い意志を放っていた。
 見まごう事も無い浅利ケイツがそこにいた。
 
 ケイツと対峙しモット伯は不機嫌に顔を顰め、尊大に言い放つ。
 
「お前が面会を求める者か? こんな夜分遅くに礼儀を弁えんやつだ。して、何の用だ? 手短に済ませてもらおう」

 ケイツは余裕を繕い、簡潔に言う。

「では、手短に頼む。そのメイドの少女を学院に戻して欲しい」

 モット伯は呆れを顕わに失笑した。ケイツの頼みは聞く理由も価値も義務もなかった。
 
「何かと思えば、下らぬ事を、帰れ。わざわざ平民などと面会に応じてやっただけでもありがたいと思え」

 取りつく島もなく一蹴する素振りを見せるモット伯に対してケイツは素早く動いた。地を蹴り、その勢いを殺すことなく屈みこみ、地に足をつけながら、頭を項垂れ、手をついた。
 地獄で培った技術、土下座だ。

「どうか頼むッ! そのメイドの少女を学院に戻してほしい」

 臓腑から絞り出すようにケイツは叫ぶ。
 自分は地に這いつくばっているはずなのに、確かに今自分は攻めている。
 モット伯が目をしばたかせた後、考え込むように言った。

「……お前はシエスタとどのような関係なのだ? 歳の差から言って恋人などとは言うまいに」

 ケイツの土下座に移るまでの所作があまりにも洗練されており、みっともなかったことがモット伯の胸に何かを響かせた。
 遥かに低い位置に頭があるのはケイツの方なのに主導権を握ったのは彼だった。

「……その少女には恩があるのだ。彼女には幸せになって欲しいと思っている」

 ケイツの言葉を聞いてモット伯は心底愉快に口元を緩めた。挑戦的なその物言いに興味が沸いた。

「ほう? お前はなかなか面白い事を言うではないか、私に仕える事が幸せ以外の何だと言うのだ? 私に仕えれば平民には一生かかっても手に入らぬような暮らしが手に入るのだぞ」

「哀れな。物質的な豊かさのみが全てではないのだ。花は花として咲いているからこそ美しいのだ。手折られて花瓶に移されてはその輝きは死ぬ」

「ふん、言うではないか。では貴様がシエスタを幸せにするとでも言うのか?」

「それこそ、まさかだ。私はその少女の笑みに希望を見た。その少女のことを思う多くの仲間達の願いが私の心を動かした。人の絆を美しいと感じたのだ。シエスタがいるべき場所はここではない。帰るべき場所があるのだ」

 シエスタはケイツの言葉に耳を打たれた。それだけのことでここまでやってくるケイツとその背後から伝わってくるみんなの思いが、孤独に暮れそうになった彼女の心には暖かすぎた。

「貴様、私を侮辱するか! その放言の報い受ける事となるぞ」

 だがモット伯は怒りに顔を歪ませる。自分が悪のように言われて心底不愉快であると言わんばかりに。モット伯が杖に手を伸ばそうとしたときケイツの前へと躍り出る影があった。

「伯爵! この者の無礼をお許しください」

 シエスタが両手を広げケイツの前に立ちはだかる。

「ならぬ! かような平民の無礼を捨て置いてはジュール度モットの名が廃る。そこをどかぬか。シエスタ!」

「出来ませんッ!」

「何?」

 モット伯はシエスタのまさかの抵抗に瞠目した。

「どうかお願いします。私はどのような罰もお受けします」

 ケイツの前で膝を折りこうべを垂れるシエスタは精一杯の勇気を奮う。ケイツがここに来てくれた事実だけで嬉しかった。学院のみんなが心配していると聞けて涙が出そうだ。
 だが、シエスタはケイツよりも現実を弁えていた。貴族を怒らせてしまってはもう遅い。なんとか自分の身一つで穏便に済むようにと心から訴えかけるのが自分にできる唯一のことだとシエスタは感じたのだ。

「止めろ!」

 だが、ケイツがそんなシエスタを呼び止めた。

「ケイツさん?」

「止めろ。自分を犠牲にするな。私は誓ったのだ。みんなはお前が戻る事を望んでいた。私はお前たちに希望を見たのだ。人の絆、人の優しさというものに初めて触れたのだ。私に初めて戦う力を与えたその輝きを自ら消すような真似は、寄せ。私が道化になるではないかッ!」

「ケイツさん……」

 ケイツの目に力強い戦意が灯る。シエスタはそれを見て押し黙った。
 
「何だその目は、私には向かうと言うのか?」

 モットは口角を吊り上げた。ケイツと視線が交錯する。
 
「やはり、話し合いは通じぬか」

 ゆらりと、それまで地に伏せていた身をケイツは起こしていく。

「何を言うか、貴様のやっている事は話し合いですらない。覚えておくのだな。交渉は対等な条件で行うものだ。何も持たぬ貴様など話し合いのテーブルにすら着くことは出来んのだ」
 
「この地方では、魔法を使えぬものを平民というのだったな……」

 不敵に笑うモット伯に、ケイツも不敵な笑みを返した。

「だからなんだというのだ」

「”私の魔法を見ていただこう”と言っている。一つの文明を象徴する、意志と叡智の結晶を、文明を革命的に進めたその奇蹟の具現をなッ!」

 すくりと立ち上がったケイツの姿は実に堂々としたものであった。磨耗し擦り切れたはずの男が一つの大きな意志に立ち向かうべく、構える。

「魔法だと? 貴様、メイジだったのか!?」

 モットはケイツの宣言に身を固くした。先ほどまでとは枯葉の如き男はまるで別人になったように闘志に満ち溢れ、気遅れせぬようにと一挙手一投足を見守らんとする。モットとて水の『トライアングル』と呼ばれるメイジであった。
 そして側近の兵士たちの動きは素早かった。突如雰囲気が豹変した男を取り押さえるのではなく、モット伯を守るように動いた。
 まさにそれは訓練された兵士たちが無意識に警鐘を鳴らし、はじき出した最適解だ。
 
 そんな彼らを一度睥睨し、ケイツはにやりと口元を吊り上げた。そしてシエスタの手を掴む。「では、さらばだッ!」という叫び声と共に窓へと駆け寄るや否や、シエスタを抱えるように空中へと身を投げた。
 相似大系魔法には『転送障壁』という物流に大革命を与えた魔法がある。始点と着点の空間を『相似』にすることによって物体を転移させることが出来る、より汎用性に優れた転移魔法だ。
 かつてケイツの兄が編み出したその魔法を使って、人を助けることが今は誇らしかった。今まさに偉大な兄と一体になっているのだという陶酔感に支配されながら今は亡き兄の象徴とも言うべきその魔法を展開しようとする。
 しかしケイツは真っ逆さまに落下していった。
 
「え? え? ええ~~~っ?」
 
「何だと!? なぜ、なぜだッ!! なぜ魔法がッ!? どうしてッ!?」
 
 自分で起こした行動のはずなのに、驚愕するケイツと手を引かれて落下するシエスタの当惑が橙色の炎と同時に尾を引いて、落ちていった。

 モット伯達はしばしの間、目の前で起こった出来事に呆然とし、そして大爆笑した。どのような道化の芝居よりも目の前で繰り広げられたばかりの現象が面白かったからだ。



[37196] 第二章 ≪沈黙する悪鬼≫ 八話 メイドの危機 その三
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/05/08 21:39
「どこ行ったのよ……」

 魔法学院の女子寮で少女は怒りに震えていた。
 桃髪が映える美少女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールである。
 彼女は今、自分の使い魔を探している。就寝時間も近づいているというのに姿がないのだ。

「ここには……いるわけないか」

 女子寮の談話室に入り、落胆する。
 そこは就学時間外に暇を持て余した女生徒たちが集う花園だ。夜も更け、日頃賑わっている談話室も今ではすっかり疎らである。
 そもそも、乙女の花園ほどケイツに似つかわしくない場所はない。
 
「そういえば、まさか……」

 心当たりのある場所を一通り探し終えたルイズは一つの可能性に気付く。
 根拠は乏しいが、今朝ケイツと交わした会話に嫌な予感を感じ取った。
 
「あら? ルイズじゃない。こんな時間に何してるの?」

「キュルケ」

 ルイズが顔を上げるとそこにはお馴染み不倶戴天の敵であるキュルケ・フォン・ツェルプストーの姿があった。傍には小さな青髪の少女タバサも一緒だ。

「なによぉ、怖い顔はいつものことだけど、深刻そうじゃない」

「あんたに話すのは癪だけど、実は――」

ルイズは彼女たちに説明する。内心忸怩たる思いでいっぱいだったが、予想通りであれば一人じゃどうしようもなかったからだ。

「あら、流石ミスタ・アサリね」

「竜がある」

 それを聞いた二人は笑った。退屈な日常に紛れた香辛料の薫りを嗅ぎ取ったからだ。



「ケイツさん! ケイツさん。しっかりしてください!」

「――――ぐっ!?」

 心配そうに呼びかける声と胸を揺する温もりでケイツは覚醒した。
 意識が飛んでいたのは刹那のことだった。墜落し咄嗟にメイドの少女を庇った所までは覚えている。
 その代償が熱に浮かされたように身体を苛む鈍い痛みだ。

「何が起こった……」

 窓へと駆け出し、空中で『転送障壁』を作り出したはずだった。
 始点と着点との空間を『相似』にすることによって移動する高等技術。
 その魔法は橙色に燃え尽きた。そう、燃え尽きた。覚醒した意識が空中に散り行く橙色の炎を見た。
 つまり、自分は魔法消去を受けたのだと気付いた。
 
「≪悪鬼≫か!? どこからどうやって!?」

 体を起こしたケイツの自問は、自答することになった。
 目の前で心配そうにこちらを見ているシエスタを中心に、橙色の炎が舞っていた。
 ケイツの編み上げた大魔法が根幹から崩れ落ち、シエスタを中心に魔炎が吹き上げている。彼女が消去した魔法の名残だった。
 その中心にいるシエスタはまるで炎の魔人のように見えた。見まごう事も無い、地獄の悪夢の再来がそこにあった。
 その炎がシエスタを害することはない。それ自体は熱も破壊ももたらさない、ただ魔法のみを焼き尽くす神無き地獄の恐怖の象徴。
 
「……お前か、メイドの少女よ」

「えっ?」

 ケイツの身体を気遣うシエスタが突然尋ねられた言葉の意味が分からず首をかしげる。
 シエスタを庇うようにして墜落したのに、ケイツはまるでシエスタから逃げるかのように身体を引きずり出す。

「ケ、ケイツさん? 怪我をしてるんですから動かないで――」

「止めろっ!」

 シエスタが心配そうに差し伸べた手をケイツは反射的に払った。
 
「――あっ」

 その響きはシエスタだけのものではなかった。
 ”振り払われた手を押さえて悲しげに当惑するシエスタに対する後悔”という形でケイツの口からも、続いて零れた。
 瞬き数回ほどの沈黙の後ケイツは立ち上がる。
 
「……済まない。立てるか?」

「はい……でも、あの」

「謝罪する。動転していたのだ。お前に罪はない」
 
 手を振り払ってしまったケイツが自ら差し出した手は、謝罪の証だった。しかし、おずおずとそれに手を伸ばすシエスタに元気はない。
 説明したかったが、弁明の余地を許さぬ状況であった。周囲を見渡せばそこはモット邸宅の中庭。こうしている間にも包囲網は形成されていくであろう。
 刻一刻と過ぎていく時間がケイツを焦らす。最後にして最大の頼み綱である魔法が使えないことに心が押しつぶされそうになる。
 
「少女よ、今すぐ魔法消去を止めるのだ。お前が純粋な≪悪鬼≫でないことは知っている」

「え、魔法消去ですか? そんな事を言われても何がなんだか……。どういうことなんですか?」

 目をぱちくりと瞬かせるばかりの少女にケイツの悪い予感は的中した。

「まさか自覚が無いのか。お前が私の魔法を焼いているのだ。この舞い上がる橙色の炎が見えないのか」

「ケイツさん。一体何を……橙色の炎って?」

 ケイツの狼狽は明らかだった。悪鬼は魔法が見えない為、魔法の崩壊の形を知覚することはできない。悪鬼には立ち上る橙色の炎は見えない、そんな事は地獄で長年生活しているケイツには分かっているはずだった。

「どうする、どうすればいい?」

 ケイツの動揺はここに来て頂点に達した。どんな事態になっても魔法さえあればどうにかなると油断していたツケが押し寄せてきた。
 その絶対の頼みの綱を、思わぬ形で断ち切られることになり、底知れぬ恐怖と弱気が総身を支配する。
 
「ケイツさん……」

 状況についていけないシエスタはただ心配そうにケイツを覗き込むことしかできない。

「……迂闊だった。メイドの娘よ。お前が≪沈黙する悪鬼≫だったのだな」

「≪沈黙する悪鬼≫……?」

「我ら魔導士最大の敵だ。観測した魔法を破壊するお前のおかげで、お前を連れて逃げようと思った算段が狂ってしまった」

「そ、そんな……私、知らなくて……」

 直面している最大限の危険要素を、ケイツは思わず言ってしまった。そして、その内に込められた敵という言葉の無神経さに嫌気がする。
 このメイドの少女は敵ではないというのに。

「消去さえ解除できれば直にでも逃げられるのだ。出来ないか? 私はお前の前で魔法を使ったことがある。お前には意図的に魔法消去を”しないこと”が出来るはずだ」

「そんなこと言われても」

 今初めて自分に眠る力に気付かされたシエスタに、それを制御する術などない。
 必死の剣幕のケイツの表情だけが切実に訴えかけていた。

「どうする? どうすればいい……逃げる。早く逃げなければ!」

 焦りと動揺に囚われてケイツはひどく取り乱していた。取り繕っていた勇気がぽろぽろと剥がれかけていくのを実感する。

「あ、あのっ! 私、モット伯に頼んでみます。許してくださいって、私はどうなってもいいからってケイツさんだけでもって。そうしましょう……? よく分からないけど、私のせいでケイツさんは魔法を使えなくなっているんですよね? このままじゃ……」

 本能的に、それ以上シエスタにしゃべらせたくなくて、ケイツは言葉をかぶせる。

「――そんなのはここでお前を見捨てて逃げるのと同じだ! お前の五感の届かぬ範囲にでれば私一人なら魔法で逃げることが出来る。だが、お前が身を犠牲にするよりも情けなさが残るだけの意味のない行為だ。もう道化になるのはうんざりなのだッ!」

 そのおかげで、最後の一歩でケイツは踏みとどまることが出来た。窮地に陥ってさえ健気な少女の献身が眩しくて、ケイツは我に返った。少女にここまで言わせてしまったその身をケイツは恥じた。錯乱している場合などではない、シエスタの提案に乗ってしまいたいと思う反面で、ハルケギニアに着てから胸に芽生え始めた勇気がそれを否定する。

「でも、せっかく助けに来てくれたのにケイツさんは何も悪くないのに」

 シエスタの同情がケイツには心地よかった。そのまま浸っていたくなるほど、ケイツの心に染み渡っていく。

「……全くだ。本当にその通りだ。私が何をしたというのだ……この歳になると人生やり直しが効かんからな。こうなってはヴァリエール家の娘にも迷惑をかけてしまうだろう。なんだ、ただ状況をかき回しただけではないか。まさに道化だ」

 自嘲が止め処もなくケイツの口から零れ落ちた。いつだってケイツの運命というやつは過酷だ。
 ケイツの手には大いなる力があるというのに、力を手に入れてから空回りするばかりだった。
 ただ、今回は少し違った。確かに失敗しつつあるし、かみ合わない。だが運命の歯車は確かに回っている。ケイツの意志が、行動が着実に前へと動かしている、ただかみ合ってないだけでそれは確かな進歩だった。
 心配そうにおろおろするシエスタと目が合って、ケイツは作り笑いを浮かべてみた。
 
「心配するな。気が狂ったわけではない。理解したのだ。私は今まで生きてきた。だがそれは身体が動いているだけだったのだ。今回のことで私は初めて生きている心地がした。この胸に灯った感情を、おそらく忘れるべきではないのだ」

 ここはせっかく手に入れた安寧の地かも知れないのだ。
 すべてを投げ打ってでも生を繋いできた男が、初めて命に変えても守りたいものを見つけたのだ。
 
「だから、お前は悔いなくていい。私が選んだことだ。この浅利ケイツが選択したことだ。やり通せなくてなんだ? ずっと忘れていた。燻っていた。兄の、兄さんの最期を看取ったときの決意と同じものが今この胸に宿っている。兄が私を『似ている』と言ってくれた時、私が私以上になった気がしたのだ。だからこそ、兄の言葉に報いる為にも私は本当に私以上にならねばならぬ。この決意は忘れてはならんのだ」

 その呟きはシエスタに向けたものではなかった。まるで神に宣誓するかのように空へと昇っていく。そして厳かな表情でシエスタへと向き直った。
 
「メイドの少女よ……≪沈黙する悪鬼≫であるお前を連れて逃げるのはこの上ない重みだ。だが、今の私はその重みを背負わねばならん」

「ケイツさん……」

 半ば自暴自棄になっているかと思えるケイツの目は死んでいなかった。黒と白の中間にこんなにもはっきりとした色があろうとは誰が思うであろうかと思うほどに眩しかった。

「はい、私ケイツさんを信じてみます」
 
「――そんな大声を出してどうした? 命乞いの練習でもしていたかな?」

 二人の間に広がった感動を打ち払うように、舌なめずりをしながらジュール・ド・モットが衛兵を引き連れてやってきた。
 ケイツはそんな危機の前に痛む体を悠然とそちらへ向け、明確な意思をもって対峙する。
 
「勘違いするな。この娘を連れて帰る覚悟を固めたまで」

「ふはははっははは、どうやって連れて帰るというのだ。まさか私を倒すとでも言うのではあるまいな? これは傑作だ。平民が、ずいぶん笑わしてくれる」

「私はお前に害を加えるわけにはいかぬ。お前にメイドを連れて帰る事を認めさせると言っているのだ」

「それこそ、傑作だ。どうやって私がそれを承認すると言うんだ」

「手荒になるが、我が力を見ていただこう」

 ケイツは決闘のときの事を思い出し、コートの内側にしまってある剣を抜いた。
 
「ふん、抜いたな」

 モット伯は愉悦に唇を歪ませた。貴族の邸宅で平民が剣を抜いた場合、その生殺与奪を握られることと同義だった。
 
「かかれ、愚かな平民にその身の程を知らしめてやれ」

 モット伯の声に呼応するかのように、兵士たちがケイツへと殺到する。

「少女よ、下がっていろ」

「は、はいっ!」

 一言シエスタに伝え、敵に向き直る。

「行くぞ。簡単に私を倒せると思わないことだ」

 剣を手にしたケイツの左手が光った。どこまで意識が澄み渡り、羽になったように身体が軽い。迫り来る兵士たちがまるでスローモーションのように見える。彼らが振りかぶった武器を目で確認してから交わし、剣戟を響き渡らせた。ケイツの持つ剣が相手の武器を強かに打ちつけ弾き飛ばす。
 元々、剣の腕前が確かなケイツが、ガンダールブのルーンの効果に後押しされて、繰り広げる剣舞はなんとも流麗なものであった。
 刻一刻とケイツの優勢が明確になってくる。
 
「ええい、お前たち何をしているか! 任せては置けぬ!」

 モット伯が劣勢に焦れ、魔法の詠唱に入った。ルーンを紡ぐとホールに添えてあった花瓶の水が踊るように舞い上がりケイツへと襲い掛かる。
 
「はぁッ!」

 しかし、裂帛一閃、抜き身の剣を振り払い迫り狂う水の槍を打ち払った。周囲には武器を弾き飛ばされた兵士がケイツから距離を開け、モット伯が悔しげに唇を噛み締めている。誰も負傷していない。兵士たちの武器は軒並み地面に転がり、モット伯の魔法の水が床を濡らしている。

「ここまでだ。私の力分かったはずだ。これ以上は無意味だ、引け。こちらに危害を加えるつもりは、ない」

 ここで引いて欲しかった。内心穏やかでないケイツが尊大さを取り繕い、周囲を睥睨する。
 
「何を寝ぼけた事を、貴族の邸宅に踏み入りその暴挙、捨て置いては名折れというもの。皆の者、臆するな! そやつは甘い。かかれぇッ!」

 貴族は体裁を気にする。モット伯も例外ではない。半ば狂乱に近い叫びを上げ部下の兵士たちに命令した。
 武器を弾かれてなお、兵士たちは素手でケイツへと殺到する。
 好ましくない状況だった。ガンダールブのスピードを活かし、的確になおも迫り来る敵を、相手を剣の柄で、拳で打ち据えていく。
 ここに来て尚、非情になりきれないケイツの攻撃は手ぬるい。打ち据えても敵は決死の気迫で起き上がってくる。
 戦闘は圧倒的に優位に進めているのに、ケイツの額に汗がしたり落ちる。
 それがケイツの失態に繋がった。

「其処までだッ!」

 響き渡ったのはモット伯の声だ。そちらに視線を投げればシエスタを盾にするように抱えていた。ケイツが衛兵たちに手こずっている間にシエスタの傍まで移動していたのだ。
 
「ケイツさん……」

「おのれ、人質とは卑怯な」

「人聞きの悪い事を言うでない。自分のものを取り戻したまでだ」

 ケイツがモット伯へと駆け寄ろうとする。

「おっと、動くなよ。私もシエスタは惜しいが、そう怖い顔をされてはどうなってしまうか分からんぞ。なぁ、シエスタ」

 そう言ってモット伯はシエスタの胸部に腕を回し、頬を舐める。
 シエスタは怖気に身を震わせ、瞳は羞恥と恐怖、悔恨の色が混ざり合っていた。
 
「ああぁ、ケイツさん足を引っ張ってしまってごめんなさい……」

「止めろ。少女を放せ、この変態めッ! 貴様それでも魔導士かッ!」

「フフフ、何とでも言え。戦いは最後に勝ったものが正しいのだ。貴様は動くでないぞ。さぁ者ども、奴を捕らえよ!」

 敵兵がじりじりと包囲網を詰めて来る。ロビーの広間を後退し、ケイツは遂に逃げ場を失った。

「くっ……」

 ここまでか、とケイツの脳裏に諦めがよぎる。依然と魔法消去に晒されていて、そして武器による抵抗は許されない。
 疑いようも無く絶体絶命のピンチであった。
 諦めて逃げよう。ガンダールブのルーンでシエスタの知覚範囲外まで走れば、後は転移魔法で自分だけは助かるのだ。一度弱気になると一気に悪魔が囁き始める。
 ヴァリエール家に迷惑がかかってもいいとさえ思った。重要なのは自分の命だ。そして偉大なる魔法の才能を持つ自分が死ぬのは相似世界にとっても大きな損失だ。
 自分の人生はまだ始まってもいない。ようやく手に入れた力を手放すぐらいなら逃げたほうがいい。そもそも迂闊に敵に捕まるメイドが悪いのだ。
 生きてさえいれば、いくらでもやり直しが効く――。
 
「出来るわけなかろうッ!」

 ケイツは吠えた。心を侵食する闇を打ち払うように。この戦いを始めたのはケイツ自身の意志だ。かつてケイツは考えたことがあった。偉大なる兄との再会、そして圧倒的な才能を貰ったことによる感謝。
 物心つく以前には既に生き別れとなっており、兄がケイツと過ごした時間など皆無だった。
 思い出らしい思い出が無いにも拘らず、成功という成功を成し遂げた兄は、失敗に次ぐ失敗に苦しみ喘いだ弟を、兄弟と言うだけの理由で無条件に認めてくれた。
 嬉しかった、全くの理解者がいないまま這いずり回った地獄から救い上げてくれたような気がして、兄に着いて行きたかった。その向こうに待っている優しい世界を渇望していた。
 だが、ケイツのプライドはそれを受け入れられなかった。
 ”おまえがいては私は生きていけないのだ! お前に力を貰ったことには感謝もしよう。それでも、お前がいてお前の後について回れば私はちっぽけな影だ。私はもう私ですらなくなるのだ”と竦みそうになる足を必死で堪えて、太陽の如き王者である兄へと宣言したのだから。
 
 ケイツはみっともなく這いずり回った自分でさえ認めたのだ。浮浪者同然の生活とて、彼を培ってきたものに他ならない。何もつかめていない自分さえ目を背けずに肯定した。
 ケイツは他の何事よりも鋼のように硬く浅利ケイツ自身でありたかったのだ。
 
 もはや兄はいない。太陽の如き兄に照らされて、浮かび上がる影に甘んじることもできない。
 自分が輝かねばいけないのだ。
 ならば、助けると決めた相手は助けなければいけない。
 今まさに浅利ケイツとして何かを掴もうとしているのだ、逃げることなどありはしない。ケイツはモット伯に囚われているシエスタを見つめた。
 
「……メイドの少女。シエスタよ。お前が≪沈黙する悪鬼≫でも構わん。お前が魔法を消去しようと構わん。私は目に焼き付けているからな。魔法消去下に置かれながらも≪悪鬼≫を圧倒した魔法使いを知っている。奴は生きることに挑戦した。私も『同じく』そう在ろう」

 ケイツは周囲を睥睨する。もはや不安に怯えて周囲をキョロキョロしていた彼はそこにはなく、実に泰然自若と佇み、全身から意志が溢れていた。

「我が魔法を見るがいい」

 宣言共に、ケイツの行動は素早かった。魔法の初動をシエスタに視認されないように操作元である手をコートの袖に引っ込めた。

「ケイツさん? きゃっ、何ですかこれ!?」

 シエスタには、ケイツの手がコートの中で揺らめいた気がしただけだった。
 無数の銀弦が飛び交い、シエスタがそれを認識し、魔炎を上げて燃え尽きるころにはすべてが完了していた。

 シエスタの視界が霧に覆われ、ケイツがシエスタの背後に立っていた。敵は全て閉じ込められていた。
 
「しばし、そのままにしていろ」

 背後からケイツはシエスタの目を覆う。
 
「え、あれ? ケイツさんどうして?」

 突然起こった不可解な出来事にシエスタは当惑するが、背後からかけられる声がモット伯のものではなく、馴染みのあるものに変わっていることに気付いて、思わず安堵に満ちる。

「なっ!? 馬鹿な何が起こった」

 当惑に平静を失うその声はモット伯のものだ。気付いたら自分は移動させられていたのだからそれも仕方ない。
 それのみならずモット伯の眼前には見渡す限りの剣の山があった。まるで墓標のように突き刺さるそれはケイツ達とモット達を隔てるように乱立し、行く手を阻んでいた。

「何だ? 一体貴様は何をした! まさか本当にメイジだったとでも言うのかっ!」

 高位の相似魔導士は『事象の曖昧化』に長けている。『似ている』とは観測者の主観だ。
 程度の低い相似魔導士ならば、丸いボタンを動かすために、全く同じのものを使わなければ銀色の魔力弦を認識することが出来ないが、高位の魔導士になれば、大小の別なく、そして楕円と円ですら銀弦を結ぶことが出来る。さらに突き抜けた相似魔導士であれば原子レベルですら『相似』を見出すことができるのだ。
 ケイツは袖に引っ込めたその手に付着した汗と、モット伯が魔法で床にぶちまけた『水分子』との間に無数の相似弦を結び、それを引き上げた。
 もちろん、魔法消去は働いた。結果として今だ魔法の崩壊の残滓を残して空中にたゆたう橙色の炎がその名残である。にも拘らず、現実として魔法は発動している。ケイツはモット伯と自分の位置を入れ替えて、さらに身の丈を超える剣山の牢獄を出現させたのもそうだ。
 
 ケイツが『魔法の初動』を隠し、コートの内側で操作したことが功を奏した。
 魔法消去は魔法に対して完全無欠のものではない。自らが抱える『遡行抵抗』せいで魔法を消し去ることは出来ない場合がある。
 魔法消去には正しい自然秩序が混じっていると、それが”正常な秩序”という重石のため”はがし残し”が起こってしまう。
 ”その世界の自然秩序で存在できるもの”に魔法で力を加えた場合、魔法は消えてもそれは慣性に従って動く。
 相似魔導士が操作術で物体に運動エネルギーを加えた場合、魔法消去が操作を断ち切っても、その自然物は自然秩序に従って動き続けるのだ。
 つまり、運動エネルギーを加えられて急上昇した水分子の動き自体はあくまで自然現象で説明が付く為、その起こってしまった運動を止める事は出来ず、シエスタの視界を濃霧が覆った。
 視認という最大の魔法消去の強みを奪ったケイツの行動は早かった。
 すぐさま爆発的なまでの銀弦を開花させ、”自分の剣”と”シエスタの知覚が及ばないほど遠くの地面”に対して『概念魔術』で相似である事を押し付け複数の剣を生成、すぐさま自分の持つ剣を高く掲げ、『同じように』生成された剣の群れが浮く。
 上昇した剣の群れは『転送障壁』に飛び込み、屋敷内に転送。そして剣の群れに命令を下すように自らが持つ剣を振り下ろした。
 目の前に突き刺さる無数の長剣の檻がその答えだった。
 爆発的な身体能力を与えるガンダールブのルーンと、相似大系の超高位技術の合わさった結果が思わぬ奇蹟を呼び込んだ。

「ええい、やむを得ぬ。奴を射よ! 衛兵、何をしておるか。早く! 早くするのだ!」

 モット伯は未知なる奇蹟の技に恐怖し、目を覆うように狂乱する。
 近づくことができないのであればと、弓兵たちに指示を出した。
 だが、苦し紛れに放ったその命令は、あろうことか最善手だった。

 ≪協会≫圏内の魔法使いたちの有名な話に、始まりの≪放浪者≫達ですら原住民の悪鬼が放ったただの槍に突き殺された、というものがある。ケイツは地面に突き立てた剣に手を伸ばした動作の分が致命的だった。

「チッ!」

 迫り来る矢の群れを咄嗟に弾き落としたが、ガンダールブのルーンで引き伸ばされた反射神経によってケイツの頭めがけて飛来する最後の一矢を、回避しきることが出来ないと分かってしまった。
 走馬灯がケイツの脳裏を巡る。我ながら下らぬ人生ばかりだったと、ようやく手に入れたこの地で見つけた新たな灯火が消えるのが悔しくて悔しくて仕方が無かった。

 ――諦められるわけがないッ! 引き伸ばされた時間の中ケイツは心の中で吠える。
 ようやく人生が始まったばかりだというのに諦めてたまるものか。だが、矢は刻一刻と迫る。
 最後まで目を閉じることなくその矢を見据えていたケイツの前で、爆発が起こった。
 
「――はぁ……はぁ。間に合ったみたいね」

 濛々と立ち込める粉塵の先にケイツは桃色の少女の姿を捉えた。
 その向こうでドラゴンに乗った赤と青の少女もいた。
 期せずして現れた援軍にケイツは心底安堵した。
 
 


「この度の不始末は全て、このルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの責任でございます」

 騒動が過ぎ去り、モット伯の応接室にケイツ達は集まっていた。
 目の前ではケイツの主である少女が片膝を付き、モット伯へとこうべを垂れる。
 
「ふん、魔法学院の門弟も質が落ちたものだ。オールド・オスマンに厳罰を要請せねばならん」

「待て、悪いのは私だ。その娘は」

 ”いいから黙ってなさい!” と刺すような眼光で少女に射抜かれて、ケイツは口を塞ぐ。
 情けなさでいっぱいだった。終わってみれば自分は場を引っ掻き回しただけで穴があったら入ってしまいたかった。

「急を要したもので、許可無くお屋敷に侵入した無礼をお詫びします。そして使い魔の不始末は主人の不始末。どのような罰もお受けします」
 
「王宮の官吏に剣を向けた事は重罪に値する。家に累が及ぶことも覚悟するのだな」

 落ち着きを取り戻したモット伯は尊大だった。

「はい、謹んで」

「ふん」

 未だこうべをたれ続けるルイズに鼻息一つでモット伯は話を打ち切る。
 このままうやむやになりそうでケイツは嫌だった。だからケイツは行動にでた。
 
「伯爵よ。どうかお願いする。メイドの少女を解放してやってはくれまいか。伯爵にとっては代えの効く何人もいるメイドたちのうちの一人なのだろう。だが、私にとってはそうではないのだ。出来ることなら何でもする。どうか考えていただきたい」

 突如膝を付いて割って入ったケイツにルイズは激怒する。
 
「あんたねっ! 頼むから空気を読んでよ。私がどれだけ苦労して――」

「――お願い申し上げる伯爵ッ!」

 ルイズの怒声すらかき消すほどの声でケイツは懇願した。
 沈黙が流れる。モット伯がケイツを見下ろし、そして言った。
 
「何でもすると申したな」

「ああ。頼みを聞いてくれるのか?」

「ふむ、実は私は本の収集癖があってな。実は欲して止まぬ本があるのだ。ある魔法使いが魔法の実験中に偶然召喚した本でな、それをゲルマニアのある家が家宝にしてるらしい」

「それを持ってくればシエスタを開放してくれるのだな?」

 モット伯がケイツの決意に頷き答える。
 しかし、それを遮るように甘い声が横から響いた。

「あらぁ、ちょっといいかしら?」

「ん? お前は?」

「申し遅れました。私、ゲルマニアのフォン・ツェルプストーと申します」

 傍で聞いていたキュルケが貴族の礼法に則り一礼する。
 その名を聞いたモット伯は目を見開き、思わず席を立った。
 
「ツェルプストーだと! つまりお前が――」

「はい、おそらく伯爵が申してらっしゃるのは我が家の家宝。≪召喚されし書物≫かと」

「おおおお、何という偶然。――して」

「ええ」

 モット伯が促し、キュルケが意味ありげに頷き、何故かルイズの方を見た。
 
「……なによ」

「ヴァリエール、分かってるわよね? 私としてはあんな本あげてもいいんだけど……」

「いいんだけど、なによ」

「つまり、ミスタ・ケイ」

「ダメ」

 空気が凍った。
 キュルケがアテが外れたような表情を浮かべ、モット伯の表情も残念な感じになった。
 
「あ……あの? ルイズ? 交換条件を持ちかける私も確かにどうかと思うけど、この流れでそれはないんじゃないのかしら?」

「ダメったらだめ、ツェルプストーに上げるものなんて何一つ無いって、何回言わせれば気が済むのかしら」

「でも、いいの? あれがないと貴方、困るんじゃないの?」

「別に、私、は困らないわ。大体あんたには前から――」

「何ですってッ! そこまで――」

 もはや完全に二人の世界に突入しだした。ここが他家の邸宅であることなど既に二人の脳裏から弾き飛ばされている。
 モット宅は今、ヴァリエール家とツェルプストー家の戦場となった。
 
 温度差がすさまじかった。騒動の渦中であったはずのケイツとモット伯さえ取り残されてしまっている。
 モット伯は目の前のご令嬢たちの変貌振りに度肝を抜かれ呆然としていた。
 咳を一つし、ケイツはモット伯に尋ねかける。

「伯爵よ。その本とやらはどのようなものなのだ」

「ああ……うむ、なんでも男の欲情を駆り立てるものらしい」

「なるほど、では伯爵の欲情を駆り立てるものであれば、他のもので代用は効くまいか?」

「ああ、何かアテがあるのかね?」

 ケイツはポケットに手を突っ込み、それを取り出した。
 
「これでいかがか」

「ッ!? こ、これは……ッ!! なんと素晴らしい」

 モット伯爵の目が輝いた。
 ケイツが手渡したのは無意味によく出来た美少女の人形だった。鎧を着て、地獄のアイドル歌手の決めポーズのようなイカレた姿勢で男の心に訴えかけるようなナニカを持って、媚びるように微笑んでいた。肌は人形のものとは思えないぐらい艶やかで白く、装具は全て純白だった。露出がひどく、ほとんど鎧として機能しないのでは、と懸念されるそれは精緻に飾り付けられ、その人形の美貌を引き立てている。
 
「すばらしい。何と美しい。そしてなんともありがたい鎧だ。鎧でありながらこのようなスケスケにするとは、このアンバランスなギャップがなんとも堪らん」

 人形を握り締め恍惚とした表情を浮かべるモット伯にケイツはニヒルに口角を吊り上げて説明する。

「魔法使いに鎧の実用性を問う意味などあるものか。それは儀礼用なのだ!」

「なんということだ! 実にけしからんぞ! こんな破廉恥な鎧を着てどんな儀礼をするというのだ。……ケイツ殿、どうやら私は貴殿を誤解していたらしい」

 モット伯は一人、妄想の海の中へ沈んでいく。

「? ああ、理解してくれたのならば幸いだ。それでメイドの少女は」

「ああ、いいとも。この人形に比べれば惜しくはない。連れて行きたまえ」

「ご理解いただけて感謝する」

「ああ、待ちたまえ。ケイツ殿、この足の部分が何とかならんかね?」

「相似大系に掛かれば人形の修復など容易い」

 そういってケイツは不自然に折れ曲がった人形の足を直した。
 そうすることによって完全な輝きを取り戻した人形に、モット伯はすっかり虜になった。
 
 別室で待機しているシエスタの下へとケイツは向かう。
 背後で繰り広げられる阿鼻叫喚の地獄の騒ぎは耳にすら入ってこなかった。
 
「ケイツさん……」

「お前は解放される。学園に戻るぞ」

 ケイツの言葉にシエスタは表情を変えずただ涙をこぼした。
 感情は遅れてやってきた。止め処も無い涙を拭い「はい」と答える。

「ケイツさん、ありがとうございました」

「いや、礼を言うのは私のほうだ」

 こうしてケイツの平和な魔法学院の日常は元に戻った。
 かけたパズルのピースを取り戻し、ケイツの胸に灯った光は『誇り』というものだとその日初めて理解した。

「……そういえば、ケイツさん。さっき一度だけ、私の事を名前で呼んでくれましたね? 嬉しかったです」

「……覚えていない」



[37196] 第三章 交錯する魔法 一話 勝ち得た平和、ケイツくんの魔法講座
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/05/25 18:24
 モット伯爵邸での騒動も過ぎ去り、平和な学院生活がケイツの元に返ってきた。
 とはいえ、もちろんあの後、悶着がなかったわけではない。
 勝手な行動を取ったケイツにルイズは激昂し、罰としてケイツは食事を抜かれた。
 本来ならば、ケイツは空腹に苛まれやつれているはずだった。
 にも関わらずケイツの心境は晴れ渡る空のように明るく、学院の廊下を歩くケイツはまるで別人のように快活だ。
 今のケイツに、擦り切れくたびれ果てたかつてのケイツと共通点を見出すほうが難しかった。
 ひとりの力で一人の少女を救ったという事実がケイツに自信を与え、背筋に心金が入ったように整然としている。
 どれだけすごい力を持っていようと成功の見通しがなければ足が竦んでしまう、それが今までのケイツだった。見えぬ何かに怯えキョドキョドしていたケイツはもういない。
 泰然自若という風に胸をはり厨房へとケイツは向かう。
 ルイズから与えられる食事は抜きだが、勝手に振舞われる分には問題ないと結論付けた結果だ。

「失礼する――」

「――まぁ、ケイツ様が着ましたわ」

「おお、ケイツさん今日はいい鹿肉が手に入ったんだ。期待しててくれよなッ!」

「我らの剣。待ってました!」

 ケイツが厨房に着くなり、瞬く間に歓迎の熱気に包まれた。
 以前までならばその歓迎っぷりに鼻白むものを感じていたケイツだが、今はその賛辞を身相応に受け入れていた。
 
「食事を頼む」
 
 軽く会釈し、既に指定席となっているテーブルに着く。
 程なくして、給仕のために見知った人影がケイツの方へと歩いて来た。
 思わず頬が緩みそうになったので、ケイツは口元に力を入れた。
 無意味にえくぼが自己主張しているケイツの顔を見る人が見れば、頬を引き攣らせそうなものだったが、シエスタはそれに言及しなかった。
 
「どうぞ、ケイツさん」

「ああ、助かる。……シエスタ」

 紅茶を差し出すメイドに対して、恥じらい混じりに礼を言うケイツの頬は赤い。
 シエスタに視線を合わせると微笑み返してきた。
 今この厨房にこのメイドが笑顔で居ることが、ケイツの成し遂げた成果の証明であり、まじまじと見るのも照れくさかった。
 とはいってもその成果を噛み締めるように、ケイツはティーカップを傾け、シエスタが入れてくれた紅茶の味を堪能する。
 
「茶に詳しくはないが、うまい」

 無骨だが心からの感想をケイツは吐露した。
 そんなケイツの言葉にシエスタははにかみ、そして一礼する。
 
「ありがとうございます。それ東方から伝わってきたものなんですよ」

 東方と言われてケイツは思い至る。まだ公館で刻印魔導士として働いていた頃やハルケギニアに来る直前に地獄でケイツが活動していたのも日本と呼ばれる極東の地だった。
 刻印魔導士だった時、そこの選任係官である東郷の武家屋敷で飲んだものと酷似しているような気がした。
 当時は≪悪鬼≫の飲み物に相応しい苦々しい最悪の飲み物程度にしか考えていなかったが、今になってみればこの苦味が胸の内に平静を運んでくれるようで気が安らぐ心地がしてきた。
 余裕が出来てきた頭で、あの頃から誇り高く百人討伐に望んでいればまた違った地獄での生活があったのかもしれないとケイツ考えて、すぐさまその詮無き考えを打ち切る。
 無理だったと分かったからだ。あの魔導士に恥辱しか与えぬ世界で恐怖に心を捻じ曲げられぬことなど不可能なのだ。
 ケイツが困難に立ち向かえたのは、ここがハルケギニアだからこそだ。
 心に温もりを与えてくれる気立てのいい仲間達がいるからこそだ。
 ≪沈黙する悪鬼≫だと判明したシエスタに嫌悪を感じないで居られるのだって、この環境だからだ。
 それは生と死が表裏一体である地獄の暮らしでは到底期待しえないものだった。
 
「ケイツ様。どうぞ食事をお持ちしました」

 鼻腔をくすぐる香ばしい香りと共に、目の前に料理が並べられてケイツは思考を打ち切った。
 給仕に当たったのはシエスタの友達の金髪のメイド、ローラだ。

「ああ、もう! ローラちゃん。私がケイツさんの料理を運ぼうと思ってたのに」

 ローラはなぜか悔しがるシエスタに対して勝ち誇った笑みを浮かべた。

「シエスタちゃんはケイツ様にお茶を淹れてあげたじゃない。だったら私が料理を運ばないとメイドとして不公平よ」

「ローラちゃんは他の仕事があるじゃない。わざわざ先輩に手を煩わせるほど私は頼りなくないですよ」

「そんなのは関係ないわ、私はケイツ様のメイドとしての自負があるもの、本来のメイドの仕事と両立だってしてみせるわ」

 シエスタが目を瞬かせる、今思いもよらぬことを聞いた気がしたからだ。
 そしてシエスタの驚愕は遅れてやってきた。

「――ええッ! ローラちゃんいつの間にケイツさんのメイドになったの? そんなの私聞いてませんよ。それにさりげなくケイツ”様”って言いましたよね?」

 ローラは狼狽するシエスタを前にますます有頂天になっていく。

「ふふ、シエスタちゃんを助けてくれたらなんでもするって言っちゃったんだもの。だから私はケイツ様のメイドとしてお仕えする心構えなんだからね」

 頬に両手を当て小さく恥らうローラを見てシエスタの目が三白眼につり上がった。

「なんですって! そんな、一体どういうことか説明してください」

 矛先がケイツの方に向きかけてげんなりとしそうになったそのときだった。

「――おいおいおい、お前らいい加減にしろ! とっとと持ち場に戻れってんだ!」

 収拾が付かなくなりそうだったその場をマルトーは一喝で治めた。
 二人のメイドは背中に火がついたように駆け出していく。そんな様子を見送ってマルトーは「困ったものだ」と首を振ってみせ、そしてケイツに向き直る。
 
「おう、ケイツさん。モテる男は辛いねぇ! それでよ、今日の料理は良い牛肉を使ったんだ。どうだ? 口に合うといいんだがよ」

「ああ、うまい。料理長の料理にはいつも感心する」

 他者に対する賞賛など、生来よりまともに口にした事の無いケイツの語彙は貧弱だ。
 それでもマルトーはそんなケイツの言葉にニカリと笑う。
 少しみっともないと思えるほど、止まらずに料理を口へと運ぶケイツの動作を見ればその言葉は本心なのだということが一目瞭然だったからだ。
 
「はっはっは、そう言ってくれると嬉しいぜ。いや、そうやって食ってくれると、と言った方が正しいか」

 マルトーはひとしきりニヤニヤと笑って続ける。ケイツが黙々と料理を口に運ぶのを見ながら続けた。
 
「いや、ケイツさんには本当に感謝してるんだぜ。シエスタのことだって、ローラの傷の治療だって、その他何だってだ。あんたがいると賑やかになるのさ。だからいつだって歓迎するからよ。そのなんだ」

 話ていて照れくさくなったのか、マルトーは鼻頭をポリポリと掻いて「食い終わったらそこに置いておいてくれ、俺は仕事に戻るからよ」と身体を翻して厨房の奥へと消えていった。
 忙しい時間帯だったのだろう。わざわざ無駄を承知の上で時間を割いてくれたマルトーの心遣いにケイツの胸は熱くなった。
 
「これからだ。私の人生はこれから始まる」

 ケイツは決意を確かめるように言葉にした。ハルケギニアでの生活はまさしくケイツにとって人生最高のものだと実感できる。
 暖かい食事に、暖かい心遣い、そしてやりがいのある仕事……であるかはまだ分からないが少なくとも不満はなかった。
 食事を終えて、午睡にまどろむような時間がゆっくりと過ぎていく。これが幸せというものなのだろうか、とケイツは考えてしまった。
 
 




 代わり映えがしない時間が続き、そして某日。
 午後の授業が終わり、ルイズは同伴させているケイツへと顔を向けた。

「ね、ねぇ、ケイツ。わ、私に魔法を教えてくれない?」

 ルイズは下唇を噛み締めてケイツを睨み上げる。そもそもケイツに教えを請うこと自体が苦渋の決断だったのであろう。
 ありありと羞恥が全身からにじみ出ており、ルイズはその小さい体を震わせている。
 そんなルイズの佇まいに気圧されながらも、途端にケイツは顔を顰めた。それが答えだった。
 
「何よ、そんな変な顔して、ね、ね。どうなの?」

 それだけではケイツの意図はルイズには伝わらない。依然と期待を込めてルイズは尋ねる。

「無理だ」

 だが期待に縋るような眼差しをケイツは一刀両断する。もちろんルイズの柳眉はつりあがった。

「なんでよ! あんた私のアレを見ても馬鹿にしなかったじゃないの。何か理由があるんでしょ。ほら言って見なさいよ」

 既にルイズが起こす爆発は失敗の産物だということがケイツの知るところとなっていた。
 違った視点を持つケイツに教われば、何か新しい発見があるかもしれないとルイズは考えていたのだ。

「お前らの使う魔法と私の使う魔法は根本的に違うからだ。お前たちの魔法理論と私達の理論は相容れない」

「それじゃ分からないわよ。もっと具体的に言って」

 当然ルイズは納得しない。
 仕方が無いので、ケイツは言葉を捜すように中空に視線を泳がせて、訥々と語り始めた。

「だから、つまりだな。私が扱う≪相似大系≫は似ているものは同じであると世界が錯覚する自然秩序の下で発展した魔法だということは既に説明しただろう。
 お前たちは自分の魔法大系しか知らんだろうから無理はないのだが、魔法世界は無数に存在し、その魔法世界ごとに魔法秩序は全て異なり、魔導士は自分の属している魔法秩序しか観測することは出来ない。
 だから私にはお前たちの魔法秩序を認識することが出来んのだ。だから教えることも不可能だ」

 それは実感の篭ったケイツの嘆きでもあった。
 生まれてすぐに≪相似世界≫から追放されたケイツはその難しさを身にしみて理解している。
 
「どういうこと?」

「つまり私ならば≪相似大系≫の魔法秩序をその身に宿している。引き連れていると言ってもいいかもしれん。ここまではいいな?
 その結果、私の観測によって『銀色の魔力弦の発現』という形で自然秩序が勝手に歪み、魔法秩序が現れる。だからそこに≪相似大系≫魔導士である私がその歪んだ秩序に変化を与えることで魔法を成すわけだ」
 
 例えばこのようにな、とケイツはルイズの机にあった魔法の教本を手にし、本棚に入っている『似た形の本』と銀弦を結び、それを引く。
 結ばれた銀弦につられて本棚の本がケイツの動作と『同じ』だけ動き、引き抜かれた。ルイズには既に何度も見た普通の操作術だった。

「それで?」

「逆に言えば私は相似弦の観測を基点とする魔法しか使えないのだ。≪協会≫圏内の魔法世界は他にも≪円環大系≫、≪神音体系≫、≪錬金大系≫、≪完全体系≫、≪混沌大系≫などと多岐に渡るものがある。しかし、≪相似大系≫では≪円環大系≫の魔力を見出すことが出来ず、逆もまた然りだ。それぞれの魔法大系は完全に独立している」

「つまり、ケイツは私達の魔法を認識することができないから教えられないってこと?」
 
「そうだ。私はこの世界の魔法秩序に対していわば盲目なのだ。目の見えぬものに景色の鮮明さを伝えろというのは無理だろう」

 その説明でルイズはがっくりと肩を落とした。確かにその通りだ。
 ケイツの使う魔法は杖を必要としない口語で発言させる≪先住魔法≫とも更に違う。杖も言葉も必要ないものだ。
 それはハルケギニアの魔法とは完全に一線を画すものであったからだ。

 ルイズの落胆に何かを感じたのか、申し訳なさそうにケイツは何とかルイズの成長の糧になろうと思慮をめぐらした。

「――しかし、私の推測ではこの世界の魔法は≪索引型魔術≫に属するものだと思われる」

 降ってわいた助言にルイズは顔を上げ、長身の男を視野に入れた。
 
「≪索引型魔術≫?」

「ああ、おそらく≪魔法語≫を基点に索引を引くものなのであろう。だが、私の相似大系は≪魔力型魔術≫に属する魔術だ。なお更説明するには相性が悪い」

「また分からない言葉が出てきたわね。≪魔力型魔術≫とか≪索引型魔術≫って何よ」

 ルイズが次々に湧き出てくる固有名詞に辟易としながらケイツに尋ねる。

「まずは≪索引型魔術≫魔術から説明しよう。
 あるものとあるものが同じである根拠、『真実有』たる形相(エートス)が観測できる世界で発達する魔術だ。
 お前らの使う魔法、例えば『ファイヤーボール』などは、魔法語(ルーン)という形で『火』の形相を索引として引くことによって発動させるのだと推測する。術者が変わっても同じ呪文を唱えれば、一様に、効果が得られるのであろう?」
 
 ケイツは言葉を区切って、ルイズを見る。
 ルイズが途端に不機嫌になった。
 
「何よ? 言いたいことがあるのなら『ファイヤーボール』を試しにあんたにやってみてあげましょうか?」

「……続けるぞ。次は私達≪相似大系≫の類型でもある≪魔力型魔術≫だ。
 これは自然秩序の乱れを≪魔力≫として感知し、それをとっかかりに自然を操作する。
 説明するまでもないと思うが、私が『似たもの』に魔力弦を見出し、それを操ることなどまさに≪魔力型魔術≫の在り様を体現としていると言ってもいいだろう。例に出す価値があるかどうかは分からないが≪円環大系≫などは周期運動に魔力を見出す。回転を加速させたり、他にも振動を操ったりする。中でも原子核のまわりで電子軌道を占有する電子などは奴らにとって絶好の魔力(資源)だ。そうやって膨大な電子を収束し加速させ、いとも簡単に稲妻を編み上げる」
 
「なるほどね。後半はあまり分からなかったけど、枠組みが自由だからある程度好き放題出来るって事かしら? 便利でいいわね」

「いや、あながちそうとも言い切れん。≪魔力型≫は魔導士が集めることが出来る≪魔力≫が魔法使いの腕によって大きく左右されるのだ。先ほど『ファイヤーボール』の例を挙げたが、魔法で火を起こす、ということを考えてみて欲しい。
 ≪索引型魔術≫の場合は『火』という索引を引けるかどうかが全てだ。もちろん魔法の腕の良し悪しは索引の精度に直結するが、それでも索引さえ引ければ『火』は起こせるであろう。
 これに対して≪魔力型魔術≫は難しい。≪魔力≫という資源だけ与えられてそれで何をするかが完全に術者に委ねられてしまうのだ。≪相似大系≫ならば『似ている操作元』の中から火を起こす現象を自発的に選択しなければならない。そして≪円環大系≫であれば、電熱で容易く着火させることが出来よう。これに代表されるように、≪魔力型≫はできることと出来ないことがはっきり分かれてしまう融通のなさが欠点でもある」
 
 ルイズは可愛らしく小首をかしげケイツの言葉を吟味するように唸りながら思考に耽る。
 
「うーん。ケイツの説明通りだとするなら、私は≪索引≫が上手く引けないから魔法が失敗するのかしらね」

 ケイツは理解が早いルイズに感心するように一度二度と頷き答える。

「≪索引≫を観測できる形を≪魔法媒介≫と言うのだが、お前たちの≪魔法媒介≫は魔法語(ルーン)なのだろうな。
 だが、お前の索引は他の生徒たちと寸分違わぬというのに一人だけ違う結果に帰結するのは妙だ」

 ケイツはルイズの授業に付き添っており、少なからず身についたハルケギニアの魔法について見解を披露する。
 
「何? 何か分かったの?」

「いや、仮にお前たちの魔法の類型を≪索引型魔術≫とするならば、索引行為とそれによって導かれる真実有(エートス)はそれぞれ一対一対応のはずだ」

「つまり、ファイヤーボールを唱えたら火の玉という真実有以外に繋がることはないってことね?」

「ああ、だが、お前の場合は爆発という結果に変換される。≪索引型魔術≫であるならば『爆発』の索引を引かない限り爆発が起こり得る事はない。まぁ、お前たちの魔法が≪索引型魔術≫であるという前提での話なので、違っていたら無意味な議論なのだが――」

 仮説は仮説でしかないと、尻すぼみになるケイツの言葉をルイズが引き継いだ。

「いや、あながちケイツの言うことが間違いだとも思えないわね。確かにルーンを唱えて魔法を発現させる私達の魔法は≪索引型魔術≫と呼んで差し支えないように思えるの」

「だが、そうだとしてもだ。手掛かりはないのだぞ。ん、いや……お前が特殊な事例で≪索引≫が誘導されてしまっていると考えると、どうだろうか?」

「それじゃあ、なんとかして索引を修正する方法があれば私でも魔法が使えるようになるのかしら?」

「あるいは、お前だけの索引を探し出すか、であろうな」

「――それよ!」

 ルイズが天啓を受けたかのように立ち上がった。急に快活になったルイズにケイツは腹のそこから嫌な予感が湧き上がって来た。
 
「……それで、どうやって≪索引≫を探すのだ?」

 ケイツは当然の疑問を浮かべた。あくまでケイツが提示したのは彼の知っている魔法の類型だけだ。ここから先はケイツには関与しようがなかった。
 にも関わらずルイズの表情は明るい。自信に満ちてさえいた。
 ケイツはとてもとても嫌な予感がした。

「決まってるじゃない――」

 ルイズはさも当然といわんばかりに勝ち誇った笑みを浮かべて言った。
 
「――虱潰しよ」

 満面の笑みでルイズが告げたのはもっとも非効率な手段だった。



[37196] 第三章 交錯する魔法 二話 魔法使いの正装
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/05/25 19:10
「娘よ。そろそろ休憩してはどうだ?」

 ヴェストリの広場には既に何度目になるかも分からない爆音が響き渡る。
 時刻は昼。本来ならば享受できるであろうはずの麗らかな午後の昼下がりを妨げるものが居た。

「今、丁度いいところだからダメよ」

「もうかなりの時間練習していると思うが?」

「今のでちょうど二小節の基本の二十四個のルーンの掛け合わせが終わったところね」

 つまり通算五百七十六回目の失敗だった。
 
「だけどさらに基本ルーンに加えて、古代ルーンもあるし、ああ、そうね。正位置と逆位置の両方を吟味しないといけないわね。それに特殊魔法文字、古代東方魔法文字なんかも地味にあるからものすごい数になるんだけどね。あはははは」

 ルイズが笑顔でばんざーいした。口にしている内容は絶望的なのにずいぶんとテンションが高くなっている。
 練習のしすぎで狂ったのかもしれないと、ケイツは心配しそうになった。

「よく続くな。そこまで頑張ったのだから諦めてもいいのではないのか?」
  
「駄目よ。ほんの僅かだけど試行錯誤の中で、指先に掛かる糸程度の手ごたえがあったんだもの。始めて掴んだこの感触を忘れないように身体に刷り込まないとね。それと何よりも……」

 ルイズが言葉を区切ってケイツを見た。

「私が諦めようとする度に、あんたと相似弦が繋がるのよ。絶対諦めてたまるもんですか!」

 ギリッとケイツを睨んでルイズは奮起した。ダメ人間の烙印を魔法秩序直々に押されることは耐えがたい屈辱だ。
 そういう意味でケイツはすばらしい反面教師なのだ。
 
「本当に礼儀を弁えない娘だな。それで、手ごたえとやらはどんな感じだったのだ?」

「そうね――」

 自らが手にした感覚をなんとか言語化しようとルイズが可愛らしく小首をかしげる。

「んー、何か『アルジズ』のルーンに鍵がありそうなのよね。いや、『アルジズ』の古代読みである『エオルー』の方がしっくり来るかしら……。感覚的には似たり寄ったりなんだけど、このルーンが鍵だと思うのよ」

 何百という試行を繰り返したルイズが掴んだヒントはそれだけだ。にも関わらずルイズは光を見据えていた。
 つぎ込んだ時間に対して得られた成果はあまりにも僅少だというのに、活力に満ち溢れているルイズの気持ちはケイツにも痛いほど分かる。生まれてからすぐに相似世界から追放された彼自身も最初の魔法を使うときは暗闇の中を手探りで歩むような道のりだったのだ。最初の手ごたえを掴んだときは柄にも無くうれしかったのだ。
 だからこそ何か力になってやりたかった。ケイツが魔法の教本に目を通してルイズに告げる。
 
「そのルーンの意味は『友情』だそうだ。お前にはそれが足りてないのではないか?」

 しかしケイツの最大の心遣いのせいでルイズは「かはっ」と息を漏らして膝からくだけて、地に伏してしまった。
 油の切れた機械のように軋む体を起こして、死者のような生気のない表情でケイツを睨みつける。

「あんた、いきなり何てこと言うのよ……。あんたに言われるとなぜかすごい効くわ……」

「すまん」

「謝らないでよ。余計にイラつくから。しばらく黙ってなさい。続きをやるから」

 すっかり気を悪くしたルイズがぷいっとそっぽを向き、そうしてまた広場に爆音が響き渡る。
 爆発、爆発、爆発、爆発、爆発、爆発。
 最早数えるのも億劫になるほど同じ事を繰り返したあと、ケイツは言った。

「私で参考にならぬのなら昔、上司……いや、知り合いがやっていた方法があるのだが」

「なによ、言って見なさい」

 依然と新たな糸口もつかめぬルイズがその言葉に飛びつく。ケイツ以外の人の体験談というのも少しだけ魅力的であった。

「ああ、確か――」

 近づいてくるルイズにケイツはぼそぼそと小声でその内容を伝える。
 途端にルイズが拒絶反応を起こしたかのように真っ赤になった。

「なっ、なによ。貴族の私にそんな恥ずかしい事をさせる気? あんた私になにさせるつもりなのよ」

「無理にとは言わん。私自身半信半疑だし、効果は期待できないだろう」

「うう~」

 それでもルイズは藁にでも縋る思いだったので、ケイツの言うことに従うことにした。
 歩くたびに羞恥心で顔から火が出そうだった。広場の中央に立ち、息を吸い込んで叫んだ。
 
「ゆ、ゆ、ゆ……友情ぱわ~! み、みんな私に友情パワーを分けてえぇぇぇぇ……ってこんなこと出来ないわよっ! 今の無し! ノーカンだから!」

 ルイズの叫びは尻切れになっていって、最後には羞恥の余りに自分でツッコミをした。
 当然広場は無人ではない。ルイズが繰り広げる爆音を先ほどまでうっとおしそうにしながらもたくさんの生徒達が居た。
 現在ルイズに注がれているのは可哀想なものを見るような視線だった。
 数え切れないほどの憐憫に射抜かれて、ルイズは自らに吹き荒れる羞恥の嵐をケイツに叩きつけることにした。
 
「ケ、ケイツ! ご、ご、ご主人様を誑かすなんてどうしようもない犬ね。今日こそはお仕置きしたげるわ! そこに直りなさい!」

「やったのはお前だろう。私は悪くない。悪くないぞ」

「問答無用よ! 痛いことしてあげるわ。この駄犬。本当に駄目な犬ね。待ちなさい!」

 羞恥と憤怒を塗りたくったような表情でルイズはケイツに詰め寄った。
 だがケイツはそのルイズを悠然と待ち受ける。最早過去の逃げ足の速いだけのケイツではない。
 今のケイツは敵意を前に足を踏ん張れるのだ。ニヤリと口角をゆがめて挑戦的に足を止めていた。

「ふふふ、ヴァリエールの娘よ。私は変わったのだ。不当な暴力には屈さぬ。さあ、掛かってくるがいい!」

 覇気すら纏い、ケイツが泰然自若と構えた。その場に相似弦が展開される。
 
「言われなくてもそのつもりよッ!」

 全体重を綺麗に乗せたルイズの右ストレートがケイツに迫る。

「――ッ! なんですって!」

 瞠目の声はルイズの口から。そして、ルイズの小さな拳はケイツの数センチ手前で静止していた。

「見るがいい、これぞ≪相似大系≫が誇る鉄壁の防御魔術『減衰防壁』だ」

「な、何よこれ!? この! このッ!!」

 ムキになってケイツを叩こうとするルイズの攻撃は全てケイツの目の前で止まる。
 見えない壁によって、完全に勢いを殺されていた。

「無駄だ。減衰防壁は『自身の周囲の空間』を『何の力も働いていない空間』と相似的に固定する概念防御。≪相似大系≫が誇る究極の護りだ。生半可な手段ではこの魔法を突破することは出来ん。諦めておとなしく魔法の練習に戻るのだ」

「ふーん」

 ケイツが熱弁をふるっている間に、ルイズは諦めたのか少し冷めた表情でケイツの周りをつんつんと人差し指でつついていた。
 ルイズの変貌にケイツは戸惑った。完全に自分が優位なのに、野犬に追われて木に登ってしまった時の事を思い出す。
 そして、ルイズは笑う。

「あんたやっぱり所詮ケイツだわ」

 そう告げたルイズは身を翻した。歩く先は相似弦が伸びている『何の力も働いていない空間』だ。
 ケイツがルイズの意図を察しその背を冷や汗が伝う。
 
「待っ――」
 
「ちぇすとッ!」

 可愛らしい声に気合を乗せたルイズの正拳突きが『何の力も働いていない空間』に突き刺さった。
 
「ぐはぁッ!」

 ケイツは体を折って地面に崩れる。
 『何の力も働いていない空間』と『自分の周囲の空間』を相似にするこの防御魔術は、裏を返せば『何の力も働いていない空間』の方を攻められれば『自分の周囲の空間』に逆流して自爆してしまう危険性のある防御魔術だ。加えて相似弦は他人にも見えてしまうため手の内が分かってしまえば破ることは難しくない。
 高位の相似魔導士はこの『減衰防壁』を多数重ねそれぞれの基準とする空間を変えることで『多層障壁』と化し、より堅固な防御を形成する。
 もちろん今のケイツなら出来ないことはないが、自らの慢心とルイズの判断力に敗れた。
 
「み、見事だ……」

 なんとか声を絞り出し、ケイツは倒れ伏した。

「――あんたら何やってんのよ。目立ってるわよ」

「キミ達はもっと周りに配慮したほうがいいんじゃないかね?」

 見かねると言わんばかりに、呆れた声が横から投げかけられた。
 ルイズをからかう事を生き甲斐にしている褐色の美女キュルケと、いつぞやケイツに決闘を挑んだギーシュだった。

「何よ、あんたたち妙な組み合わせね。タバサはどうしたのよ」

「タバサは今居ないわ。あの子たまに一人でいなくなるから。あとこいつはモンモランシーとの復縁のアドバイスをしつこく聞きに来ただけよ。そんなことよりミスタ・アサリ、ひどい主人を持つと大変ですわね。私が癒して差し上げましょうか?」

 しなを作ってケイツに語りかけるキュルケをみてルイズが目を吊り上げた。

「あんた、『治癒』なんて使えないでしょ。年中ぼーぼーと発情している『火』系統なんだから!」

 斜に構えていつものように突っかかってくるルイズに対してキュルケもいつも通りに愉悦に潤んだ瞳を向ける。

「なによぉ、せっかく『友情ぱわー』を分けて上げようと思ってきたのにその言い方はないんじゃないの?」

 キュルケはにやりと口角を吊り上げ「ねぇ?」とギーシュに同意を求めるようにキュルケは両手を天に掲げて「友情パワー」とおどけた。
 ギーシュもそんなキュルケと同じように悪乗りして、「友情パワー」と言いながら両手を掲げた。
 
「なっ、ななな、な……あ、あんたたち、まさか聞いてたの!?」

 ルイズは急に全身をわなわなと震えさせ狼狽し始めた。
 キュルケは心底呆れたように肩をすくめて言った。

「あったり前じゃない。あんだけ爆発させて注目集めた後にあんなこと言い出して、広場にいればそりゃ聞こえるわよ。ねぇ友情パワー」

「ああ、全くその通りだとも、友情パワー。これカッコいいね」

「……ギーシュ、あなたそんな残念なセンスしてるからモンモランシーにフられるのよ? まあ、それは置いて、せっかくだからそんな健気なルイズに私も友情パワーを分けに来てあげたんじゃないの。魔法の練習がんばってるみたいだし、私トライアングルだし」

「いや、君はルイズが面白そうなことしだしたのを見てからかいに行こうって言ってんじゃないか。あと僕のセンスを悪く言うのは止めたまえ」

「余計なことは言わないの。黙ってなさい」

 食後のデザートを楽しむようにキュルケはルイズをからかう。
 ルイズの限界もそろそろ近そうだった。

「き、記憶を失いなさい今すぐに、ほら、早く!」

 ルイズがキュルケに飛び掛った。

「きゃっ、ちょっとルイズ何するの、ちょ、待って、友情パワーは上げてもいいけどさすがに愛情パワーは困るわぁ、女の子だし」

 あくまでも余裕の風体を崩さないルイズが遂にぷちんと切れた。

「あんた前から私にちょっかいかけて。私がからかわれるたびに私の胸にはいっぱいの『恥ずかしい』が詰まっていくのよ。それが堪えきれずに爆発したらどうするつもりだったの?」

「胸に詰まるって、ルイズの胸はぺっちゃんこだからそんなに詰まってないでしょ。ああ、爆発しちゃった後なのね。分かるわぁ」

 キュルケはとことん強気で、ルイズの変化に気付かなかった。
 自らのコンプレックスの象徴である胸のことを揶揄されて、ルイズは今度こそブチッと切れた。

「あ、ああ……もう駄目だわ。私が羞恥と怒りに身を任せてあんたにひどい事しちゃうかもしれないって、考えもしなかったのね? 今日という今日は思い知らせてやるわ」

 ぷるぷると怒りに震えすぎてちょっと目がヤバい事になっているルイズに、キュルケは挑戦的な笑みで応える。

「ヴァリエールにしてはずいぶん言うわね。やれるものならやってみなさい」

 だがキュルケの自信に満ちた表情は一瞬のうちに驚愕で塗りつぶされた。
 一足でキュルケの懐に飛び込み、ルイズの手がキュルケの胸を鷲づかみにしていたからだ。
 
「あんたにもその大きな胸と同じぐらいの『恥ずかしい』をいっぱい詰め込んであげるわ。いやらしく胸の第二ボタンまで外しておいて、あんた本当はみんなに見せびらかしたくてしょうがないんでしょ? あんたが毎晩毎晩、男の前で晒してる姿を今ここで晒してあげるわ。盛り相手がもっと増えるように協力したげるわ!」

「な、何言ってるの、私はまだ処――、あ、ちょ、こらルイズ、そこ、やめっ」

「あら、キュルケ。ずいぶん可愛らしい声で鳴くじゃない。ほらここがいいの? ん? ん? ほら、なんとか言ってみ?」

「ちょっ、だめよ、ルイズ、女同士でこんな、ああっ」

「あんたの『恥ずかしい』が『気持ち良い』に変わるまで責めてあげるわ。ほら、ほらッ! まだ始まったばかりなのよ!」

 キュルケに馬乗りになっているルイズの瞳は嗜虐に蕩けていた。
 体格ではキュルケのほうが勝っているのに暴れるキュルケに振り落とされないルイズの運動神経は素晴らしかった。

「……すごい光景だ」

 ギーシュは目の前に繰り広げられている光景から目が離せなかった。心なしか少し前屈みになっている。
 二人の美女が恥辱と興奮でドロドロになって息も絶え絶えにくんずほぐれずしているんだから思春期の少年には刺激が強すぎるのだ。

「おい、お前たちそろそろ止めろ」

 呆れ果てたケイツが留まることを知らない目の前の惨状を何とかしようとしたその時だ。
 空に小さく太陽を遮るように、影がかかった。その影が次第に大きくなる、何かが落ちてくるのだ。
 鳥、ではなく人だ。人が空を飛んでいた。いや、落ちてくる。
 
 重力に引かれ広場の真っ只中に落下してきた人物は女性――そして全裸だった。
 その女性は周囲を一瞥し、周囲が静まっていることを確認しておもむろに告げる。
 
「――急な訪問をまずは詫びよう。この学院に勤めるマチルダという女性に会いに来た。お前たち知らないか?」

 白金の髪を肩口でセミロングに切りそろえたその女性の眼光はエメラルドのような深い緑に輝き、まさしく戦士と形容するに相応しかった。
 そして白昼堂々と惜しげもなく晒しているその肢体は女性的な美しさを損なわず、むしろそれを最大限に引き出すかのように鍛えられてしなやかであり、まるで人体美の見本だ。
 突然の出来事にルイズもキュルケも、そしてもちろんギーシュ、そしてその他広場に集っていた生徒たちもが言葉を紡ぐことが出来なかった。
 そんな中全裸の女性は、先ほどまで喧嘩でもつれ合って服が乱れ、ほぼ半裸に近いルイズとキュルケを見て、頷いた。

「うむ、どうやらこの国にも礼儀正しい魔導士がいるようだな。素晴らしいことだ」

 腕を組み変えて、空から降ってきたこの女性は感心したように二度三度と頷き続けた。もちろん全裸で。
 最早ルイズ達のみならず広場にいた生徒は男女問わず突如現れたこの女性に釘付けだった。
 彼たち、彼女たちの常識では全裸で人が空から降ってくることはない。我が目が信じられず、夢かと疑うものすらあらわれる始末だった。
 
「≪錬金大系≫か」

 この場で唯一免疫のあるケイツの呟きだけが凍った時を動かす。
 ケイツの声につられて女性がケイツを一瞥した。

「お前は……確か≪英雄の弟≫か、このようなところで会うとは奇遇だな」

「貴様は私を知っているのか。まぁ、そんなことはいい。ここは公共の施設だ、そのような訪問の仕方は無礼ではないか」

 ケイツがその場に居たみんなの意見を代弁したかに思えた。
 
「何を言う。私は作法通り全裸で来た。どこに不備があるというのだ」

 しかし異なる価値観を持つもの同士は致命的なまでに話がかみ合わない。
 
「そうではない。ちゃんと入り口があるのだ。正装をした上で、用向きを伝えてから尋ねるのが筋というものだろう」

 女性はケイツの言葉にハッと気付いたかのように目を見開く。

「私としたことが……そうであったな。では用向きを伝えてからまた来るとしよう」

「ま、待ってください。ミス、そのままではなにかとよろしくない。良ければこれを……」

 踵を返そうとする全裸の女性に対して、横から投げかけた声の主は女性に優しいギーシュ・ド・グラモンだ。
 彼は空気は読めないが気配りの出来る男。全裸の女性に彼の羽織っていたマントをそっとかける。
 マントは貴族の象徴。それを他人に渡すというのはハルケギニアの常識で考えればとんでもないことだ。
 それを見ず知らずの女性にそっとかけてやる。ギーシュは美談のつもりだった。
 だがギーシュの親切の対価として支払われたのは一撃の拳だ。
 
「ぐはぁッ!」

 吹き飛んだギーシュを睨みつけ全裸の女性が一喝する。
 
「馬鹿者ッ! 私を侮辱するつもりか! 服など女子供の着るものだ!」

 ギーシュの鼻血が曲線を描きながら、彼は地面に倒れ伏した。
 彼が最後に見たものは仁王立ちする美女の下腹あたりにある黄金の草原だ。興奮が頂点に達して追加の鼻血を吹いた。
 すっかりと混沌の坩堝と化した場にルイズが立ち上がる。

「ちょっと、あなたいきなり来てなによ! あとギーシュどこ見てるのよ。見てる角度がいやらしすぎよ。モンモランシーに言うわよ」

 真剣な剣幕でルイズは全裸の女性に対峙する。キュルケともつれ合って半裸になったルイズに対して彼女もまた真剣な眼差しで見据えた。
 他人には分からぬ何かがそこにあった。

「私はセラ・バラードという。今日はマチルダに会いに来た。この世界と私の世界では風習が違うため、私が町を歩いていると衛士に捕まるのだ。身元引き受け人であるマチルダを探すため、足を運ばせてもらった。
 それと、角度など構わず存分に見よ。このセラ・バラード、どこを人目に晒しても恥じぬよう、心身を鍛え上げている」
 
 思わず納得してしまいそうな空気だった。真昼の広場で燦然と照らしつける太陽の照り返しで、珠のような汗が浮かぶその体は瑞々しく引き締まっている。絶世の美女が裸で突っ立っているのにその堂々とした佇まいのせいか、淫靡さは感じられず、本来人とはそうあるべきなのではと思わせるほど説得力に満ちていた。

「あんた言ってることがおかしいわ。身元引き受け人を探す以前に普通に出歩いているじゃないの」

「うむ、考えてみればここは魔法世界。神の奇蹟に愛された世界では私を拘束できるものなどありはしない。さりとて、郷に入りては郷に従えという言葉がある。ちゃんと手続きどおりに身元引受人を連れて行かねばいかん。役所の仕事というのはどこでも融通が利かぬものなのだ。子供には分かるまい」

「なら、まず服をちゃんと着なさいよ! この世界では魔法使いはマントを羽織るものよ!」

 どう考えてもルイズの方が正論である。
 突きつけられた言葉にセラと名乗った女性は躊躇しつつもそこに合理性を見出した。

「……くっ、確かに一理ある、そしてここは公共の場。背に腹は変えられぬか」

 苦悶さえ感じさせるほどに羞恥に満ちた表情でセラと名乗った女性がマントを羽織った。先ほどギーシュがそっと手渡したマントだ。
 立派な裸マントの変態がそこにいた。美女だったのがせめてもの救いだ。

「大体ね、あんたみたいなのがいると男子が変なこと考えちゃうのよ。学院の風紀が乱れるの。その辺もちゃんと考えて」

 ルイズの追求にセラがエメラルドのような瞳を大きく見開いて言った。
 
「たわけっ! 服など着るから皆は邪念を抱くのだ。人は服を着ては生まれぬ。それがありのままの真実だというのに、覆い隠そうとするからそこに影が出来る、いやしい思いが湧き上がるのだッ! 服で隠さなければ生きていけない己の姿を恥じよ」

 遂に、平和な学院の広場は全裸の演説会場に変わってしまった。
 セラとルイズがいまだに対峙している。その真横で自分の肢体に絶大な自信を持ったキュルケが彼女の全裸哲学に屈して、始めて膝を折った。

「ま、負けたわ……」



 



 ところ変わって学院長室。
 ほぼお飾りに近い学院長オールド・オスマンが今日も暇を持て余していた。
 いつものように秘書にセクハラをして、その折檻を受ける。まったく懲りてない、いつも通りの一日だった。
 しかし、そんな平穏を破るかのように学院長室のドアがノックも無しに開いた。

「何事じゃ!」

 驚いたオスマンが大声を張り上げる。突如学院長室に入り込んできたのは教師コルベールであった。
 
「はぁはぁ、学院長、一大事でございます」

 息を整える間も惜しいと言わんばかりにコルベールは堰を切ったように言葉を紡ぐ。
 
「何が一大事なもんじゃ。世の中、一大事なことなどない。蓋を開ければ全て瑣末なことじゃ」

 興味なさげなオスマンは空返事をする。
 もちろん秘書のロングビルも自分とは関係のないだろう話に黙々と事務に励んでいた。

「いえ、一大事でございます。学院に侵入者ですぞ!」

「何じゃ? このメイジの巣窟である魔法学院に侵入者じゃと? 一体どこの誰じゃ」

「それが、若い女性です。全裸の女性が、マチルダはどこだと叫びながら学院内を闊歩しています!」

「何!? 全裸の女性じゃと? 美女か……?」

「はい! プラチナブロンドのセミロングです」

 鼻息を荒くするオスマンにコルベールは力強く答えた。

「それはいかんのぉ! そしてマチルダというその女性も……。よし! 今すぐその女性を連れてく――」

 興奮が頂点に達したオスマンの言葉をパリンと乾いた音が遮った。
 オスマンが音の下方向へと首を回す。
 
「ちょっ! ちょちょ……ミス・ロングビルそれ、大事なマジックアイテムなんじゃが……」

 遠見の鏡が倒れて割れていた。
 ……秘書であるロングビルの顔がぴくぴくと引き攣っている。

「オールド・オスマン? 私ちょっとその女性を連れてきますわ。少々お待ちください。では失礼」

 有無を言わせぬ凶相を浮かべたロングビルに気圧されて、オスマンは二の句が告げなかった。
 オスマンとコルベールは鬼気迫るロングビルに何も言えず、学院長室の廊下に反響する足音をただただ聞いていた。



[37196] 第三章 交錯する魔法 三話 アルビオンの魔導士
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/06/03 14:07
 学院長室を沈黙が支配している。
 その場に人がいないのではない。目の前にいる”非日常”を前に、誰もがどのように対応していいのか分からなかったからだ。
 永遠に続くかと思えるほどの厳粛な沈黙に耐えかねたのか、その場にいた”非日常”がマントをはためかせながら、口を開いた。
 
「とりあえず、おとな同士の話なら、まあまずは全員脱げ」

 その場に立ち会っていた”大人”な面々は誰もが理解を放棄しそうになった。
 その裸マントの”非日常”――名をセラ・バラードという――は何を隠そうケイツと同様に≪協会≫圏内の魔導士だ。
 彼らは魔法を行使するために、独自の文化を形成しており、そのせいで異文化との軋轢が日常茶飯事だ。
 セラの属する≪錬金大系≫魔法世界では観測した対象とほかの部分を分ける≪境界≫に魔力を見出す。もっとも身近な魔法操作は体表であるため、体を覆うものは魔法行使の妨げ以外の何物でもない。
 つまり、分別のある大人ならば、男であっても女であっても服を着るという行為は恥なのだ。
 未だかつて、目にかかった事のない非常事態を前に学院の首脳は言葉に詰まっていた。
 しかし、ここはトリステイン魔法学院。闖入者ばかりに主導権を取られてばかりであるこの状況がまずいのは言うまでも無かった。

「それで、セラ殿。本日学院に足を運んだのはどのような要件じゃったかの?」

 オスマン学院長はため息を付き、スケベ心を表面に出さぬように心がけて厳かに尋ねた。

「うむ、実はマチ――、……ロングビルに用があったのだ」

 すぐさまギロリとロングビルに睨まれて、セラは取り繕う。
 今更なのだが冷や汗を流しながらロングビルがそれを補足した。

「ええっと、以前酒場で働いていたことがありまして、学院長はご存知かと思いますが、マチルダというのはその時の偽名ですわ。彼女はその時の知り合いですの」

 オホホホと乾いた笑みを浮かべながらも瞳で刺す。「オスマン学院長そうですわよね?」と視線で同意を求めているように感じた。
 何しろオスマンは実際にロングビルが酒場の給仕をしているところをスカウトした経緯がある。
 確かに筋は通っているとオスマンはロングビルの話に一定の理解を示した。

「ふむ、そういう事情じゃったか。おほん、それで? セラ殿はミス・ロングビルを訪ねてこられたようだが、その変わった服装と何か関連性があるのかね? 大変素晴らしく思えるのじゃが」

「老魔導士殿に我が文化をご理解頂けて僥倖。そして関連性は大いにある。友人に会いに往くのだ。正装で向かわねば恥というもの」

 迷い無き瞳でセラは断言した。

「あー……つまりその、正装とはいわゆる、その?」

 ほぼ半裸マントのセラに視線を注ぎつつ、口ごもるオスマンの心境に対して、何を勘違いしたのかセラが不機嫌そうに言い放った。

「勘違いしないで頂きたい、正装とはつまり全裸だ。つまりこの場合このマントのせいで半正装と言わざるを得ない。ああ、これは失敬いますぐ脱」

「話を戻してください。学院長」

 ロングビルが脱線した会話を頭を抑えながら正した。
 服は人間は寒さから身を護る為の発明だ。服を着るという文化はすぐに装飾という概念を見出した。
 どのように着飾っているかということが、その人物の地位や評価を決定付けるまでに発展したのが今日の人間社会だ。
 そこに全裸という異物が混じりこむだけでどれほどの混乱を生むか、マチルダは改めて痛感した。
 
 ああ本当に、どうしてこんなことになったのかと、ロングビルことマチルダはセラとの出会いを回想する。



 それは一年ほど前のこと。トリステイン王国の隣にアルビオン王国という名の国が存在している。そのアルビオン王国サウスゴータ地方のとある森林の中、村とさえ呼ぶには不足するほどの集落があった。
 その日その場所で、マチルダは一人の少女と共にいた。
 艶やかな金髪は自ら輝いていると錯覚するほどに眩く、触れれば折れてしまいそうに錯覚させる華奢なその身体を、若草色の民族衣装に身を包んでおり、その様は庇護欲をかきたててしまうほど繊細だ。
 にも拘らずその華奢な体に不釣合いに大きな女性の象徴が、はちきれんばかりに服を押し上げていて、驚異的なバランスの調和はまさに革命的であった。
 その上、その少女は耳は長く、つんと尖っていた。
 
 この耳の長い種族をハルケギニアの人々はエルフと呼ぶ。
 その種は総じて、神が造り出したかのような美貌を持ち、人と決定的に異なる耳を有していた。

 エルフは扱う魔法の強大性ゆえに、ハルケギニアの人々の恐怖の対象となり、共存することは難しい。宗教上の理由で何度も対立し、排斥の対象ですらあった。
 だからこそ、人目を忍んで過ごすそのエルフの少女が人里離れた森の中で、マチルダに話しかけた。
 
「マ、マチルダ姉さん。いくよ……?」

「大丈夫だよ。テファ、こんなのはメイジなら誰でも出来る。簡単な通過儀礼みたいなもんさ」

 頼りなさげに杖をその手に抱える少女はひどくおどおどしている。
 マチルダは不安を打ち払うように微笑んだ。その気遣いには姉妹のような暖かさがあり、テファと呼ばれたエルフの少女の緊張が和らいでいく。

「うん、じゃあ、いくね?」

「ああ、ちゃんと見ててやるから。テファならきっと凄い使い魔を召喚できるさ」

 深呼吸するテファを微笑ましく見守りながら、マチルダは内心深刻だった。
 このウエストウッド村は孤児の集まりだ。
 働きにでることの出来る人間はほとんどいない。そしてテファも訳アリであるため働きに出る事は出来ない。
 だからこそマチルダは決心していた。自分が外に働きに出る以外孤児たちを養う方法がないと。
 しかし、この近辺は治安は悪化の一途を辿るばかりなのだ。
 サウスゴータを収めていた領主が最近とある事情で処刑され、新たにやってきた代官はいかに税収を毟り取るかばかりに執心している。
 人心はすっかり荒れ果てていた。
 いかんともしがたい現状に板ばさみになりながら、マチルダはせめて自分の代わりにこの村を護ってくれるものを望んだ。
 メイジは使い魔を召喚することが出来る。だからこそ、テファを護ってくれる使い魔が居てくれれば自分も心置きなく出稼ぎにいけると期待を込めてテファの儀式を見守っていた。
 
「――五つの力を司るペンタゴン、我が前に使い魔を召喚せよ」
 
 耳に優しい声で紡がれる囁きが終わり、テファが杖を振り下ろした。
 そして直後に周囲を光が支配する。
 光の奔流が消え去った後、その場に居たテファとマチルダは驚きのあまりに目を見開くことになった。
 現れたのは満身創痍の女性。そしてその肌を覆うものは一切なかった。全裸だ。
 体のいたるところに刻まれた傷を晒しながらぐったりと動かなかった。

「た、大変! ひどい怪我、直に手当てをしないと。姉さん!」

「あ、ああ、小屋の中に運び込むから、テファは治療の準備をしな!」

「うん!」

 マチルダは痛ましいその光景にひるまずにてきぱきとテファに指示を出す。
 見るに痛ましい、陵辱の憂き目にでもあったかのような惨状を前に、同じく女として憤りを覚えずにはいられなかった。
 よく見ればとても美しい女性であった。白金色のセミロングの髪を重力に引かれるままに垂らし、全身血に塗れているものの肌はきめ細かく白雪のようだ。そして修練の日々を思わせるほどに総身が引き締まっており、名のある女騎士かもしれないと考えた。
 大胸筋によって持ち上げられた双丘が定期的に上下しているのをマチルダは目にする。
 息はあるようだ。そっとマチルダは杖を振り呪文を唱えると、全裸の女性の体がゆっくりと持ち上がり、マチルダが小屋の中へと運び込んでいく。

「テファ! 準備できてるかい?」

「うん、大丈夫。お願い、助かって……」

 真剣な面持ちでベットに横たわる女性に対峙するテファの手には指輪があった。
 親から受け継いだ水の魔法力が篭った指輪、重体からでも回復させられるだけの水魔法の力をテファは祈りを込めて、そっと解放した。
 これが『無双剣』セラ・バラードとの出会いだった。





 その日地獄にて、神が降臨したことによって魔法消去は弱まり、これまで日陰に甘んじていた魔導士たちがここぞとばかりに跋扈し始めた。
 セラ・バラードは地獄を守る為に命をかけるほど、世界に対して義理があるわけではなかった。
 けれど、彼女は地獄で生活していた。白日の下にその全裸を晒して空を舞うと、彼女の眼下に広がる住宅街、そして小学校のグランドに緊急避難していた子供たちがセラに手を振っていた。
 生活の中で住民たちと生身で触れ合ってきたからこそ、魔導士たちの所業に怒った。混乱に乗じた火事場泥棒紛いの彼らの所業は恥だ。
 だから彼女は単騎で幾多の魔導士を迎え撃った。数千発もの魔弾がセラへと迫る。
 大空を魔法で自由に翔けるセラは急加速して振り切り、時には旋回して迎え撃つ。だが魔弾だけでは埒が明かぬと環境操作魔術が放たれ、セラの呼吸が止められた。
 このような魔術単体では高位の魔導士にとって致命的ではない。
 だがセラが立ち止まった隙を付いて再び数千もの魔弾が投げかけられたのが決定的だった。
 セラはこれまでかと諦めかけた。しかし彼女は守られた。死んだはずの、最早二度と会うこともないであろうはずの弟に。
 再演魔導士が見せた≪運命の化身≫という奇蹟の名前をもちろんセラは知らなかった。
 懐かしい品のよさと逞しさを備えた顔立ちに豊かなカイゼルヒゲをたくわえた好漢がそこにいた。バベル事件で早々に殉職したセラの義弟≪大気泳者≫スピッツ・モードだ。
 彼女の胸に再び闘志が宿る。万軍を得た勢いで、若かりし頃のように共に空を翔けた。それが夢だということをセラは弁えながらも、滾る心に身を任せ獅子奮迅の働きをしてみせた。
 敵を撤退させ、そして夢は終わる。
 地獄の命運を決するこの戦争はセラの与り知らぬところで趨勢が決したからだ。
 かくして地獄は再び神無き世界となり、魔法消去が戻った。
 真っ先に魔法消去に晒されるのは見晴らしの良い空の他にない。つまり魔法で空を飛行しているセラが真っ先にその餌食となった。
 橙色の炎に飛行魔術を破壊され、そして戦い抜いたその傷だらけの身体を地面に向かって引かれていく。静穏な心境でその時を迎えるはずだった。
 
 だがそんな彼女の運命をウエストウッド村の少女が変えた――


「――治療して頂き感謝の極み。私の名はセラ・バラード。≪無双剣≫の名で知られる≪錬金大系≫魔導士だ」

 テファの治療が功を奏しセラは意識を回復した。怪我の後遺症を感じさせない屹然とした態度で彼女が名乗る。

「もう、おきても大丈夫なの?」

「ああ、おかげ様でな」

「本当によかったよ。あんた傷だらけの全裸で出てきた時はダメかと思ったんだ。元気そうで安心したね」

 依然と心配するテファを見ながらマチルダが笑う。

「ああ、これでも柔な鍛え方はしていないつもりだからな……む? これは」

 今のところセラの表情に悲痛なものはない。彼女が自分の様子を確かめるように自分の身体を見回し、そしてテファが掛けてくれた服を脱いだ。
 ――脱いだ?

「ちょ、あんた。何してるんだい?」

 思わずマチルダが尋ねてしまう。セラはキリッといかめしく眉を吊り上げ、整然と答えた。

「命の恩人に対面して、あのような恰好でいては無作法というもの。礼法に則り脱いだまで」

「……」

 マチルダもテファも目の前で今繰り広げられた常識外れの光景に絶句する。
 これがウエストウッド村に突如現れた全裸美人との邂逅であった。




「――まったく、あんたってば出会った頃から何も変わってないね。非常識にもほどがあるよ」

 そして二人は今、ロングビルの個室にいる。騒ぎを起こしたことに対する注意を受け開放されて今に至った。
 むしろ段々とセラを眺めるオスマンの顔がいやらしくなっていったのでロングビルが無理やり中断させたと言ったほうが正しいのだが。

「人は異文化を理解しようとしないとき度々非常識という言葉で逃げるのだ。それよりマチルダ、これにサインをしてくれ」

 セラが自らの胸の谷間に手を突っ込んで一枚の紙を取り出した。
 もちろん全裸であるセラにそれを隠して置けるスペースはない。
 
「……あんた今それどこから取り出したんだい?」

「≪錬金大系≫はものの間の境界に≪魔力≫を見出す魔法大系だ。肌に貼り付けた紙の形を変えて持ち運ぶことなど造作もない」

「はぁ、つくづくあんたはびっくり魔法人間だねぇ。まぁそれよりも、あんたちゃんとテファの傍についていておくれよ? 私が仕事をする上であの子の安否が本当に心配なんだから」
 
「マチルダはよい姉だな。私もティファニアを見ていると弟の事を思い出す。陰謀で政治犯として裁かれ、地獄送りにされたにも関わらず、潔白を晴らそうと≪刻印魔導士≫として責務に立ち向かったが、殉職した。私はなんとかしてやれなかったのを今だ悔いている。本当にいい奴だった」

 テファが弟に似ていると言われてマチルダは憤慨しそうになった。セラの弟と言う事はつまり、そういう事だからだ。
 だが、彼女の話す内容を聞き納得した。テファもくだらない政治の理由で肩身の狭い思いをしている。セラには詳しい事を話していなかったが、それでも共に生活するうちに何か察するところがあったのだろう、そんなテファにセラは確かに弟の面影を見たのかもしれなかった。
 そんなセラだからこそマチルダは表情を引き締めてセラに告げる。

「……虫のいい話かもしれないけどさ、あんたがテファを大切な弟と重ねて見てくれるならしっかりと守ってやって欲しいんだ。あの子を取り巻く状況は、あまりよくないもんさ。根の深い問題が絡んでいて、どうすることも出来ないんだよ。それに孤児の皆だって守らなくちゃいけない。働き手は足りないし、子供達は働きに出るには若すぎる。テファだってあんただって複雑な事情で奉公に出る事は出来ない、だから私がしっかり稼ぐからさ、私の目の届かないところでちゃんとあの子が無事でいられるようにして欲しいんだよ」

 急に場がしんみりとした。ロングビル、いやマチルダとして過ごした苦悩の日々がそうさせていたのだ。
 対してセラは固い乳房をつんと張り、堂々とマチルダを見つめて力強く答える。

「もちろんだ。私はティファニアに恩義がある。恩を仇で返すのは戦士として恥だ。それにあの平和な光景を壊したくないという思いは私も同じ」

 その力強さにマチルダは希望をみた。実際にこれまでセラの魔法をマチルダは何度か目にしたことがあったからだ。彼女の頼もしさには確かな裏づけがあった。

「そうかい、ありがとう。それとこれ、サインしたよ……。というかあんた抜け出して来たんなら身元引受人の署名なんて役所に届けなくてもいいんじゃないかい? というか意味があるのかい? すっぽかしちゃえばいいのさ」

 これ以上しんみりした話になるのを嫌って、マチルダは大げさに肩をすくめる。
 セラはどこまでも融通が利かないような顔で答えるのだ。

「意味はある。私は悪い事をしたわけではない。ならば法と行政に乗っ取り、堂々と手続きに従えばいいのだ」

 マチルダから書類を引き取り、取り繕うことなく整然と言い放つ。自分の行動に全く疑問を抱く事の無いまっすぐとした調子で。 マチルダにはセラが眩しく思えた。決して、彼女の肌に浮いた珠のような汗が光に反射していたからではなかった。

「――それに、マチルダ。さっきは私にティファニアを守れと言ったが、離れていてもお前もまた、彼女を守っている。ティファニアはそれを十分理解しているぞ。仕事が落ち着いたら顔を見せに言ってやるといい」

「ああ、そうするさ」

 用を済ませ、背を向けて立ち去ろうとするセラに対してマチルダは笑った。
 まさしくそれは姉としての表情だった。
 マチルダに見送られていたセラの足がぴたりと止まる。
 
「――それにだ、ティファニアも成長している。この間私が台所に入るときにはエプロンを付けるという作法を教えたのだ。彼女もまた変化している」

 セラが暖かく微笑んだ。
 頼もしい彼女のおかげで心置きなくマチルダからロングビルに戻れそうだと感じた矢先、何気なく聞き流しそうになった言葉にマチルダの背に戦慄が走った。

「……おい、ちょっと待ちな。テファは台所に入るときにはエプロンをつける、そんな当たり前のことなんて昔から、知っているはずだよ。一体どういう作法を教えて、ん? ちょっと……何が成長している? 何の話なのか詳しく言ってごらん」

 突然額に青筋を浮かべてマチルダは静かに微笑む。

「それは、自分の目で確かめることだ。ではな!」

「あっ、ちょっとコラ、セラ待ちな! 私のテファに何をした! ああっ、もう、なんて速さなんだい」

 鮮やかにセラは空を飛翔して行った。
 ロングビルの不安だけがその場に取り残されて。

「まったくもう、安心はしたが別の心配が出来ちまったよ。こりゃ早いところ片付けるしかないね」

 セラを見送ってようやくマチルダからロングビルに戻る。
 ロングビルの顔にはかすかな罪悪感が浮かんでいた。

「本当に、早く終わらせて、安心させてやりたいもんさ」

 だがその呟きは誰にも聞こえず、静かに溶けていった。



[37196] 第三章 交錯する魔法 四話 御伽噺の怪物
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/06/05 18:50
 ――――御伽噺には怪物がひそんでいる。
 地獄と呼ばれる地球において、御伽噺はしばしば子供たちに常識や教訓、社会通念を教え込む為に存在してきた。
 御伽噺には多くの場合、忌避すべき行動を取ったものに対して、その報いを与える怪物が出てくる。小さい子供達はそれを恐怖し、教訓として記憶に刻む事になる。怪物は、時に人に利益をもたらしたり、無慈悲な悪であったりもする。その得体の知れない恐ろしさに長い間とらわれ続けてきた。
 だが、人は成長する。怖いお化けも怪物も現実にはいないのだという事を、やがて理解するであろう。すべては空想上の産物。科学の発達した現代において、非論理的な空想を信じる事など馬鹿らしいとすら考えるようになってきた。
 そしてこれからも、人々は教訓などすっかり忘れて、当たり前で代わり映えのしない退屈な日常へと埋没していくのだろう。
 だが、人はそこで思考を停止するべきではなかったのだ。
 
 ――果たして本当に、怪物はいないと証明することは出来るだろうか?
 死体は黙して語らず。
 怪物に遭遇した人間は皆、口を閉ざしてしまうだけなのかもしれないのだから。
 あるいは、怪物とは異形の姿ではなく、我々と同じ姿をしているのかもしれない。
 目に見えぬ深淵の底からいつもこちらの方を窺っていることに誰も気付かない。



 ケイツがハルケギニアに召喚される一年と少し前。その日ガリア王国の首都リュティスは大いに賑わっていた。
 新ガリア王の戴冠式。
 リュティスの街道には国民が立ち並び、歓声を上げて新しい王を迎える。
 大衆はそのお祭り騒ぎに興奮し、熱狂の渦中へと喜んで身を投じていた。
 だが、すべてを熱狂が飲み込む中で、彼らにはリュティスの街道を包む歓声と同じぐらいの悲鳴が人知れず響き渡ったことなど知る由も無い。
 
 ガリアの王宮ヴェルサルテイル宮殿のグラントロワで一人の男が椅子に深く腰掛けて、椅子が滓かな軋み音を上げる。目を凝らすまでもなく精緻な宝石細工が施され、高価な革張りで拵えられたその椅子はまさに王座であった。
 新ガリア国王ジョゼフ一世、それが彼の名だ。齢四十はとうに迎えているはずなのに、二十代といっても通用しそうなほど若々しい。刈り揃えられた髪は青く、筋骨逞しい均整の取れた体つき、メイジというよりは剣闘士を髣髴させるような男がその椅子のすわり心地を堪能していた。
 祝福すべき儀式も一段落し、官吏達を締め出して一人になった王はひどく冷めていた。それは決して儀式を円満に終わらせた事によって気疲れしているわけではなかった。
 その表情に浮かぶのは失意であり、落胆であり、そして虚無だ。
 つい先ほどまで王宮のバルコニーにて新たなガリアの繁栄について熱弁を振るい、屈強で丹精な美丈夫に相応しい笑顔で大衆に手を振っていた男と同一人物かと問われると首を傾げたくなるほどだった。
 
「……ふふ、くくく、ふはははは、ハハッハッハッハッハッ!」

 何の前兆も無しに、ジョゼフの笑い声が響き渡った。
 最初はくつくつと、次第に爆ぜるような哄笑へと変貌する。
 
「今日はなんという日だ! ガリア始まって以来の天才と謳われた弟、シャルルを蹴落とし王座についてみれば、よりにもよって余が虚無だと? 運命とはなんとも皮肉なものではないか。全く魔法が使えず、無能と蔑まれながらも、弟に負けぬように努力しているうちは何の糸口もつかめなかったと言うのに、全てが終わってみれば伝説の系統と来たものだ。滑稽だ。まさしく虚無だ。ふふふ、これが笑わずにはいられようか!」

 聞く人がいれば恐怖を抱かずには居られないほどジョゼフ王の笑みは狂的で、危うさを秘めていた。
 数刻前の戴冠の義での出来事をジョゼフは回想する。
 王の即位にあたって、始祖ブリミルより伝わりし秘法が使われるのがその慣わし。
 つまらない儀式手順に乗っ取り、ガリア王家に伝わる土のルビーの指輪を装着し、香炉とは名ばかりの、何の香りもしないそれを無感情で台座に置いたときだった。
 何とも言えぬ香りがあたりを包んだようにジョゼフだけが感じた。
 ジョゼフがそれを訝る間もなく、事は起こる。頭の中に滂沱の如く流れ込んでくる情報。
 どうやらそれはジョゼフ王が虚無の系統の継承者であるという事実を告げるものだった。
 不可解というより他になかった。香炉から漂う嗅覚情報であるはずなのに、頭に浮かんだのは聞いたこともない声が響くように感じるのだから。
 その声は『虚無』をジョゼフの脳裏に叩きつけた。
 そんな異変をジョゼフはおくびにも出さず、滞りなく戴冠式を済ませたのだから大したものだ。

「ふん、伝説の系統に、伝説の使い魔か……面白い」

 ニヤリと口元を吊り上げてジョゼフが手元に視線を落とす。その手には始祖の香炉と土のルビーを手持ち無沙汰に弄びながら、おもむろに懐から杖を取り出した。

「そういえば、使い魔の召喚なぞ試した事もなかったな。はははッ、そうだった、そうだった! 余は無能だから許可してもらえなかったのであったな。なにせ使い魔は主に相応しいものが召喚されるというのだからな」
 
 メイジの格は使い魔を見れば分かるという。無能と蔑まれていたジョゼフは王族としての風評被害を周囲が嫌い、召喚を行わせなかった。
 ふと心に湧きあがったその試みにジョゼフは少し心を弾ませる。
 ジョゼフは知識として叩き込んであった使い魔召喚の呪文をジョゼフは記憶から呼び起こし、それを唱えることにした。
 
 皮肉なもので、魔法はすんなりと成功。今まで失敗続きであり、尊い王族の血を引いているにも関わらず魔法が成功しない『無能』の名を欲しいままにしてきた彼の始めての魔法の成果。
 怪しい光を帯びながら人が通れる程度のサイズの銀色の長方形が空中に展開される。奥行きがあるかどうかすら定かでないそれが次の瞬間に濃密な魔力を帯びた。
 
「さあ、何が出る? 余の使い魔だ。ドラゴンやグリフォンなぞはもちろん期待していないぞ」
 
 もちろんそんなものが呼べるとは露ほども思っていない何せ自分は無能王なのだから。
 自嘲に歪んだ笑みを浮かべながら、まだ見ぬ使い魔を待つ。
 召喚の門が口を開いたまま、刻一刻と時間ばかりが過ぎていった。どれほど待ったであろうか、長くも感じるし短くも感じた。
 だが、その瞬間は訪れる。
 何かがゲートを通過してくるのをジョゼフは認識した。まずは二本足が、そして服、白い麻のスーツ、胴が見えた、この頃にはそれが人だと理解した、顔が見える、おそらく初老の男、白くなった金髪で堀の深い顔、痩せ型、無表情な紫色の瞳が一つ、片方には眼帯が、そして遂には服と同様に白い紳士帽を被った男の全貌を捉えた。
 
 ゆっくりとゲートが閉じ、部屋にはジョゼフとその男だけが取り残される。
 召喚された男に動揺は見られない。どこか困ったような表情を作ってみせ、ゆっくりと落ち着き払って周囲を見渡し、そしてジョゼフに尋ねてきた。
 
「――おやおや、どこの誰だか知りませんが、いきなりやってくれますネ。せっかく公共事業の渡りをつけたと思った矢先にこれデスカ。思うんですが、ぼくはつくづく他人に商売の邪魔をされる星の巡りのようデスネ」

 紫色の瞳をした男は咄嗟に状況を判断しながら、軽薄に笑っていた。
 ここが何処かの宮殿で、目の前に立っているのがその国の王で、その国がおそらく大国だと言う事を理解した上で、その男がその瞳に灯したのは殺意。虫けらをひねり潰すような無感情な殺気であった。
 二の句を次ぐ間もなく、殺意が飛ぶ。
 ストロボ写真のコマ送りのように、認識が次に切り替わるその刹那。
 トランプ――スペードのキングがジョゼフ王の額に突き刺さり、そして召喚された白スーツの男の首が刎ねられた。
 
「おや?」

 だが、それはあくまで在り得たかもしれない可能性。
 召喚された男が投擲したカードは石造りの壁に突き刺さっており、そしてその男の白い麻のスーツの襟元――頚動脈の位置――には刃物が通ったようにほつれていただけであった。

「貴様、面白いな」

 王が喜悦を灯す。この時点で両者の攻防は終わっていた。お互いがお互いに、命を刈り取る一撃を放ち終え、双方とも生存。両者ともにほぼ無傷で生きながらえたのは、互いが持ちえる手段を使って死を回避したからに他ならない。
 
「貴方、なかなか面白い魔法を使いますネ」

「道化師よ、お前こそ愉快だぞ、一体どんな手品なのだ?」

 ジョゼフ王の問いに芝居じみた挙動で大げさに肩をすくめ、そしてゆっくりと語り部のように男がその口を動かす。

「マジシャンに種明かしを要求するなんていけませんネ。ですが貴方の使った魔法の分析ならできますヨ? それは聖痕大系の≪まどろみの化身≫に酷似してイル。自らの体感時間を引き延ばしソレを世界に押し付けていますヨネ。周囲まで巻き込んで加速する≪まどろみの化身≫とは少し毛色が違いマスガ、ええ、面白イ。それにここ、魔法世界ですネ? 聖痕大系世界ではないですし、さっきまでぼくは地獄に居たんですケド、一体――」

 彼は道化師のようでいて、教鞭をとる教師のようでもあった。
 白い道化師は状況を分析しながら、すぐさま違和感の正体を悟り、次の瞬間に腹を抱えて笑い出した。

「く、くくく、ははははは、これはこれは、馬鹿げていますヨ? どうしてこんな世界が、ありえナイ! なんと馬鹿げてイル! ぼくはエルナン・コルテスですカ? ははははは、本当に傑作ダ」

 笑い狂っている白スーツの男を警戒しながらジョゼフもまた狂った笑みを貼り付けていた。
 使い魔召喚の儀式は成功にしろ失敗にしろ退屈とは無縁の出会いを用意してくれたようだ。

「貴様は私が呼び出した。さあ、どうする、続けるか? 余もまだ覚えたての魔法を使ってみたくもある」

 油断無く武器を構えるジョゼフに対し、白いスーツの男はジョゼフの言葉を吟味し、そして軽薄な笑みを貼り付けたまま帽子を脱いで胸に当て、慇懃に一礼した。

「申し遅れましタ、ぼくはハウゼン・O・ジモリー。王様にいい商談がありマス。ビジネスの話に興味はありまセンカ?」

「ほう?」

 それがガリア王ジョゼフと白いスーツの魔人との出会いだった。

 

 
 結論から言って、二人は意気投合したらしい。
 白いスーツを着た怪物はジョゼフの想像を遥かに超えており、そして彼が語った商談はジョゼフを魅了した。
 召喚の日から一週間。
 ガリアの繁栄の象徴とも言うべきヴェルサルテイル宮殿にて、王は自らの執務室とは名ばかりの遊戯室に入ってきた人物を目に留め、厳粛に繕っていた表情をほころばせた。
 
「お呼びデスカ?」
 
「おお、待ちかねたぞ! ジモリー卿」

「その呼び方、痒くなりマスヨ。国王陛下」

「ふっ、そっちこそ慇懃無礼な態度はよせ。余の方こそ痒くて堪らんぞ、ジモリー卿」

「ひどいデスネ。ぼくは感動しているのですヨ? 陛下のおかげで私は素晴らしいビジネスチャンスにありつけたのですカラ」

 出会ってそれほどの間もないのに、まるで旧知の友人に接するように二人は言葉を交わす。

「よいよい、気にするな気にするな。ジモリー卿ならば余などいなくとも、どうにでも出来るだろう」

 ジョゼフは目の前にいる男がどれほどの怪物なのかを既に理解していた。
 にも拘らず平然と話しかけるのは王の器なのか、気が狂っているかのどちらかだ。

「いえいえ、陛下がいないと困りマス。私の目的は支配や破壊ではなく共存ですからネ」

「それは困る。余の方が困るぞ。余の目的は破壊なのだからな」

 歩み寄る態度をジモリーが見せると途端にジョゼフ王が大事なものを取り上げられた子供のような情けなさそうな顔になった。
 果たしてどれほど真剣にそう思っているのか腹の内は不明だ。
 ジモリーは聞き分けのない子供を前にしたように肩をすくめて大げさに嘆いてみせる。

「ハァ、困ったお方ダ。本当に困ってしまいますヨ。陛下の破滅願望だけは、どんなマジックを使っても手の施しようがないデスネ」

「いやいや、そんなことはないぞ。余はジモリー卿の話を聞いて心が躍ったのだ。まるで御伽噺のようではないか! 世界は無数に存在していて、その全てに特有の魔法秩序があり、そして神をも恐れぬほど強大な魔法使いたちがいるなど、わが国にもたくさんの物語作家がいるが、そんな壮大な物語は未だかつて聞いたことがない。事実は小説より奇なりというが、まさしくその通りだな!」

「おや、陛下はぼくの話を信じるのですカ?」

「信じるとも、何よりジモリー卿という生きた証拠がいるのだからな。ああ、早く見てみたいものだ」

 夢という熱にうかされた子供のようにジョゼフは弁を振るう。
 そんなジョゼフを見ながらやはりジモリーはどこか困ったような表情を作って見せるが、それは相変わらず薄っぺらい作り物ようで内心を探りようもなかった。

「ですが、それは私にとって困りマス」

「何故だ! ジモリー卿も元いた世界に帰りたいのではないのか」

「陛下、貴方分かってて言っているでショウ?」

 ジモリーの紫色の独眼が相手を推し量るような冷たさを帯びていく。
 だがその瞳に晒されてなお、ジョゼフ王はまるで謎掛けのゲームをするような好奇心に胸を弾ませた。
 
「ふむ、無能な余には分からんな。分からんとも、だが、待て! まだ失望するなよ。少し考えさせろ」

 ネタ晴らしを拒むかのような態度で頭をひねりながら必死に考える素振りをするジョゼフもまた作り物じみているものだから、まるで何かの演劇を演じているのではないかと錯覚させるほど現実離れしていた。
 
「余が察するに、最初の出会いに答えがありそうだな。ジモリー卿はあの僅かな時間で何かの価値を見出したのだ。あれは多分、余の魔法とか、余の王位だとかそういうものに向けられた関心ではないな。そもそもだぞ? ジモリー卿は初め怒っていたな。ああ、そうだとも、なにせいきなり余を殺そうとしたぐらいだからな! つまりその怒りを打ち消すほどの何かを見出したのだ。残念だがそれは何かまでは分からんな、ジモリー卿の経歴が不明瞭すぎるのだ。元いた場所でどのような活動をしていたのか分かれば答えが出るかも知れぬ」

 ジモリーは両手を肩の高さまで挙げて「降参デス」とおどける。
 
「ぶっちゃげてしまいマスガ、ぼくが説明したたくさんの魔法世界を束ねる≪協会≫という組織があるのデス。もし前準備なしに交流を開いてしまえば、ぼくの取り分はなくなってしまいますヨ。ビジネスマンとしてそれは避けたい事態デス。強欲な王様に収穫を巻き上げられる哀れな農民になりたくはありまセン。だからぼくとしては強欲な王様に対抗できるぐらい力をつけてからじゃないと既知魔法世界とは交流を持ちたくないのデス」

 ジモリーの言葉には嘘はなかった。しかし本当のことも言っていないとジョゼフは感じた。
 その上でジョゼフは楽しげに唇を吊り上げて死の舞台劇へと上がる。
 
「ならばジモリー卿にとって、直にでも新しい世界を見てみたい余は邪魔な存在だということだ。殺してしまえばよいのではないか?」

 ジモリーの肩の力が抜かして初めて生の感情を見せた。

「いいわけねーデスヨ。陛下を殺したらガリアと戦争になるじゃないデスカ。そしたらその後はぼくはハルケギニア中を敵に回す事になりマスヨ? 手間がかかりすぎますし、ぼくの方針に反しマス」

 一人対一国の戦いを戦争と評し、ひとつの文明そのものを敵に回す事すら想定にいれるジモリーはまさに怪物だった。
 その上、彼はもちろん負けることなど考えていないのだろう。
 そんな得体の知れない相手を前にジョゼフもまた楽しげに笑っていた。
 
「そうかそうか! ならば余はジモリー卿といい関係になれそうだな! だが、ちょっと待て。余を殺すことが難しいならガリアを懐柔するのはどうだ? 国王とて絶対のものではないぞ? 王位継承者は他にもいる。そいつらを上手く抱きこんで余を排除すればジモリー卿は好き放題することが出来るではないか!」

「操りやすい傀儡を拵えるのは悪い手段じゃないデスガ、それでは楽しみがありマセン。陛下は死にたがりなのを除けば優秀ですカラ、きっと楽しいビジネスパートナーになれると思うのデスヨ」

「ははは、余もずいぶんと評価されたものだな。無能王も存外捨てたものではないらしい。よし! そうと決まればジモリー卿には適当な官職を見繕っておこう。何か必要なものはあるか? 足りないものがあれば言うといい」

「そうですネ、幾ばくかの元手と、あとは人材が欲しいデス」

「うむ、ならばちょうどいいのがいる。手配しておくとしよう。ではジモリー卿、互いの理想を追求するため共に頑張ろうではないか!」

「ええ是非とも陛下、よろしくお願いしマス」

 そうして二人が握手が交わす。二人とも胸の内と表出する感情が支離滅裂だった。まさに狂気の沙汰といえるものだ。
 死の茶番劇を演じながらジョゼフは笑う。プレゼントされたおもちゃ箱がパンドラの箱であったことが嬉しくてたまらなかった。すっかりと空虚になってしまった感情を埋める特大の災厄を彼は望む。
 そしてジモリーもまた笑う。既存秩序を根底から覆しかねない新発見に。
 この魔法世界は魔法世界にも拘らず”安定した秩序”を持っていることに。
 
 

 
 王との謁見を終え、ジモリーは今、とある邸宅を歩いていた。
 華美というほどではないが整然としていて、その全てが一級品だと分かるそこは持ち主の貴族の気高さと気品が窺えるようだ。
 白亜の邸宅の廊下にコツコツとジモリーの足音が響き、それに混じるようなすすり泣きが邸宅の一室から聞こえてきた。
 ジモリーがその部屋へと足を踏み入れる。
 ”かあさま、かあさま”と寝台に身を横たえている女性の手を傍でひしっと握り締めて嗚咽を漏らす小さい少女がそこにいた。
 腰まであろうほどの艶やかな長い青髪が地面につき、うっすらと汚れていた。一心不乱で意識のない母親に寄り添う少女の光景は心ある者ならばもらい泣きしてしまいそうなほど悲痛だ。
 そんな彼女たちの前に御伽噺の怪物が立ち、軽薄な口元が深い闇を湛えた三日月を象った。

「初めましテ。ぼくはどう名乗るべきでしょうか。名前はハウゼン・O・ジモリー。王室御用達商人そして北花壇騎士団長補佐を務めておりマス。以後お見知りおきくだサイ。シャルロット・エレーヌ・オルレアン姫」
 
 開幕を告げるピエロのような手馴れた一礼に、シャルロットと呼ばれた少女がすっかり泣きはらし真っ赤になった目元を擦り、殺意すら込めてジモリーを睨み付けた。
 彼の名乗りには人の辛苦を愉しむような響きが込められていたからだ。事実シャルロットと呼ばれた少女を激昂させる以外の言葉は一切言っていなかった。
 
「いい表情デス。私の仕事は君を一級の狩人にすることデスヨ。私は着の身着のままで呼び出されて何の伝手もないカラ、人材は自分の手で育成しなきゃいけないのが辛いネ」

 小娘の眼光などどこ吹く風と言わんばかりにジモリーは淡々と話を進める。

「……一体何のようですか?」

 押し殺したように声を上げるシャルロットは気丈に振舞い、ジモリーを睨み付けたまま、母をかばうようにして立ち上がった。
 そんな少女の在り様に名演を見たかのような喝采を浴びせながら、あくまでジモリーは軽薄に言い放った。
  
「話が早いのは助かりますネ。子供は感情的で喚き散らしてばかりダカラ、手がかかるのが普通ですが君はその点素晴らしいデス。グッドガール、君には北花壇騎士として王家の仕事をこなしてもらいマス。出来なきゃお母さん死んじゃうから、しっかり仕事してくだサイ」

 シャルロットの握りこんだ拳がわなわなと震えた。この男は毒だ。彼の言葉は全て真実だと分かってしまうからそれが一層不快で、これ以上聞いていたくなかった。必死で感情を押さえ込みながら、手渡された命令書をひったくって部屋を出ようとする。

 シャルロットは絶望していた。父の名前はシャルル、知的で全国民から愛され、魔法の才能にも恵まれ、そしてとても優しかったその男は少し前に王位継承争いで暗殺された。
 そして母も続くように毒を盛られ、生きながらえてはいるものの正気を失っている。
 シャルロットは聡明であった。幼心で次は自分の番が来たことを悟ってしまう。
 北花壇騎士への任命は体のいい処分の口実なのだと、絶望に胸を支配され、その現実を受け止めるには小さすぎるその身が耐え切れなくて潰れてしまいそうだ。諦めて死んでしまいたいとさえ思ってしまった。
 
「――ああ、言い忘れていまシタ、ガール」

 だが、ジモリーにはそんな少女の心境なぞ、手に取るように分かってしまう。
 部屋の敷居を跨ごうとした少女の足がジモリーの呼び止めによってぴたりと止まった。
 ジモリーは軽薄な笑みを悪戯っぽくゆがめて悪魔のように囁く。
 
「王様には内緒ですが、ぼくなら君のお母さんを助けてあげる事ができるヨ?」

「ほんとう!?」

 弾かれたように、少女の首が振り向いた。
 そんな少女の反応を楽しむように、ジモリーは白い紳士帽を脱ぎ、帽子の中に手を入れる。
 帽子の中から引き抜いたその手に握られていたのは、どう考えても帽子の中には納まりきらないほど大きい人形だった。
 
「見ての通り、手品師(マジシャン)ですからネ」

 少女は瞠目する。明らかに手品の領域を超えていた。ジモリーは次から次へといろんなものを取り出す。
 状況が状況、相手が相手でなければ楽しめたかもしれなかった。
 いかにも自分は万能で、何でも出す事ができるのだということをジモリーはありありと見せ付ける。
 
「お願い! お母様を治して!!」

 シャルロットは滓かな希望に縋りつくようにジモリーに駆け寄った。
 どう考えても敵である男に対して慈悲を期待してしまうほど今のシャルロットは正常な判断が出来ない。
 だが、ジモリーはそんな少女の悲痛な願いを前にしても依然と薄っぺらい笑みを浮かべたまま、その手を少女の頭に乗せて囁いた。

「覚えておきなサイ。取引とはモノに相応する対価が支払われないと成立しないのデス。自分の利用価値を示すことデスネ。貴族は富める者デショウ? 物乞いするまで落ちぶれたらだめダヨ」

 降ってわいた希望から急直下で絶望へと突き落とされ、唇がわななくシャルロットを突き放すように押した。
 衝撃を堪えきれずに倒れ伏す少女に対して、ジモリーは注げる。

「シャルロット・エレーヌ・オルレアン。その少女は今ここで死にマス。王族じゃなくなった君の北花壇騎士としての新しい名前考えてネ」

 悔しかった。怒りに震えていた。ただ幸せに暮らしていただけなのに父を奪われ母を壊され、そして自分の命運までまるで物のように扱われている。
 シャルロットであった少女が母へと視線を落とした。今はすやすやと眠っているが、毒を盛られて以来、錯乱してしまった母。
 娘であるはずの自分のことを母は認識していない。
 すやすやと眠りについている母は愛おしげに人形を抱いていた。母は心を狂わせる毒でその人形のことをシャルロットだと思い込んでいる。
 ならば――
 
「タバサ」

 大事にしていた人形の名前。私はタバサになろうと、少女が決意する。母を救うために、そして復讐を誓って。
 
「よろしい。君はこれで北花壇騎士七号タバサになりマシタ。ぼくだって結構リスクを犯して投資してるんだカラ、簡単に死なないでくださいネ。初仕事だから簡単そうなのを選んでおきましたヨ? キメラドラゴンの退治デス」

 そういってジモリーが命令書を放った。
 いとも簡単に言ってのけた内容とその難易度の齟齬にタバサとなった少女は絶望し倒れこみそうになる。
 けれどタバサとなった今その足を止めるわけには行かなかった。
 最早話す事はないと、今度こそ部屋の外へと足を向けて出て行く。
 すやすやと眠る、婦人などまるで存在していないかのように、取り残されたジモリーはそこに佇んでいる。まっさらな額に手を当て、オールバックに整えてある髪を撫でつけ、手品に使った白の紳士帽を被りなおした。
 
「そうデス。ぼくは自分の存在理由を疑いたくなるほど、この世界は魅力的デス。安定した魔法秩序は≪地獄≫しか無いカラ、切り分けられたパイを得る為にみんな必死になっていたというのに、こんなおいしい世界の存在が知られたら大変なことになりマスヨ? 魔法使いが魔法使いのまま研究に打ち込める世界ナンテ、≪悪鬼≫には魔法消去なんてものがあったカラ、核爆弾とか面倒な手順が必要だったのに、ああ、そうデス。協会と対等の交渉に持ち込めるほどの下地が必要なのデス。ああ、なんという途方もない話デショウ。本当に大変ダ。これから忙しくなりますネ」

 ジモリーはひとしきり呟いた後、忽然と姿を消した。
 そこにいたという痕跡すら全く残さずに。



[37196] 第三章 交錯する魔法 五話 トリステイン城下町
Name: ゆにお◆b8733745 ID:ffa2f42c
Date: 2013/06/20 21:58
 全裸の女が学園に降り立ったその日から数日後の虚無の曜日。
 その部屋は周囲の喧騒とは隔絶され、静謐とした空気が流れていた。
 そこはトリステイン魔法学院の中ではごく一般的な女子寮の一室。
 唯一違うのは年頃の少女の部屋と言うにはあまりに殺風景で無味だった。
 香水や化粧品の香りの変わりに漂うのは少しカビっぽい本の匂い。
 それもそのはず、図書室や資料室と見紛うほど、その部屋には本の山が積み上げられていたのだから。

 本を捲る音以外にその部屋に響くものはない。
 まるで時を刻む針のように定期的に、そして静かに響き渡る。
 『雪風』のタバサの名で知られる彼女はこの時間が好きだった。
 メガネの奥で青く輝くその瞳を煌めかせて、彼女は本の世界へと没入している。
 彼女は物語が愛した。
 その手には小さい頃母がよく読んで聞かせてくれた英雄譚、イーヴァルディの勇者があった。
 その内容を諳んじることができるほどに読み込んだ今でさえ、決して色あせぬ魅力が存在している。内容はなんということはない。ハルケギニアの物語群の中では少し異質で、魔法も使えない人間が剣ひとつで巨悪に立ち向かうという物語。
 その物語を構成する要素は簡単に三つ。勇者、怪物、姫だ。
 怪物からお姫様を助け出す勇者の冒険譚。長らくハルケギニアの民に愛されたその冒険譚はいろいろなシリーズが出版されている。
 ときに怪物は強大なドラゴンであったり、悪魔であったり、悪徳領主だったりと枚挙に暇がない。
 けれどそのどれもが最後にはハッピーエンドで終わる。
 きっと自分は現実とは異なった優しい結末が好きなのだとタバサは考える。
 開いたページで、物語は佳境に入り、勇者が姫を救出して幸せになった様子がそこに描かれていた。
 そしてタバサはそっと背表紙を閉じ、本の世界から現実へと帰ってくる。その時、表情には少しの寂寞感が尾を引いていた。
 自分は助けを待つ姫でいるわけにはいられない。自分が動かなければ何も変えられないことを痛感している。
 伯父王に対する殺意は未だ色あせる事はない。だが、それを実行するには一つの困難を乗り越えねばならないのだ。
 もうあれからどれほどの月日が流れただろうか。あの白いスーツで着飾った深淵の怪物をいったいどうすれば倒す事ができるのかと考えて、身体が震えてしまう。
 それは生物が本能的に有する恐怖という感情。
 ジモリーと名乗った彼は掛け値なしの怪物だ。最初の出会い以来、度々顔を合わせてきたが、彼を知れば知るほど、倒す方法が見出せなくなっていく。
 最強と評されるエルフの伝承すら霞むほど恐ろしい存在。
 そんな時不意に、コンコンとドアがノックされ、タバサは一瞬だけ身を竦ませた。

「タバサ! いるんでしょ。開けてちょうだい!」

 切羽詰ったような甘いその声は快活に響く。
 それを聞いてタバサは胸をそっと撫で下ろした。数少ない友人キュルケの声であった。
 恋に奔放で少し自分勝手な彼女。
 他人のことなど我関せずを貫く彼女の性格は自分とはずいぶん方向性が違うのだが、昨年に起こったちょっとした事件がきっかけで友人になった。
 また面倒ごとでも持ち込んできたのかとタバサはその人形のような表情に少しだけ苦笑を滲ませる。
 入室の許可を待たず、自分の部屋のドアノブが一人でにガチャリと音を立てて回った。きっと彼女が『アンロック』の魔法を使ったに違いない。
 
 
「タバサ! 今から出かけるわよ! 早く仕度をしてちょうだい!

 キュルケが部屋に飛び込んでくるなりそう言った。
 本を読み終えてひと区切りついたけど、今日は本の海に沈むと決めていたのだ。
 無表情に見えるタバサはかすかな渋面で答える。
 
「虚無の曜日」

「わかってる。あなたにとって虚無の曜日がどんな日だか、あたしは痛いほどよく知っているわよ。でも、今はね、そんなこと言ってられないの。恋なのよ! 恋!」

 それでもタバサは首を振る。

「そうね。あなたは説明しないと動かないのよね。ああもう! あたしね、恋したの! でね? その人があのにっくいヴァリエールと出かけたの! あたしはそれを追って、二人がどこにいくか突き止めなくちゃいけないの! 分かった?」

 予め用意していたかのようなキュルケの怒涛の説明に、タバサは首を振った。自分が付いていく必要性をキュルケの説明から見出せなかったからだ。
 
「出かけたのよ! 馬に乗って! あなたの使い魔じゃないと追いつかないの。助けて! というか、、なんか最近のヴァリエールには一人で会うのはちょっとって言うか、身の危険を感じるのよ。ヴァリエールに怯えるのは複雑だけど、とにかくそんな感じ」
 
 そういってキュルケはタバサに泣きついた。
 タバサはようやく頷いた。
 
「ありがとう! じゃ、追いかけてくれるのね!」
 
 小さく首を振り同意を示す。タバサも対象には少し興味があった。
 ケイツという、よく分からない魔法を使うハシバミ草に興奮する変な人というのがタバサの中での彼の人物像だ。
 けれどタバサは系統魔法でも先住魔法でもないよく分からない魔法を使う敵を一人知っている。
 彼を観察すれば何か分かるかも知れなかったからだ。
 
 窓を開け、タバサは口笛を吹いた。
 ピューッという甲高い音が青空に吸い込まれていき、それから窓枠に手をかけ、飛び降りる。
 地面に落下するより早くタバサの身体を受け止めるものがいた。
 大きな翼を羽ばたかせ、タバサの使い魔であるウィンドドラゴンが力強く飛翔する。
 キュルケもタバサ同様にドラゴンの背に飛び乗ると目を輝かせて言った。

「いつみても貴方のシルフィードは惚れ惚れするわね」

 キュルケの言葉に気をよくしたドラゴンがきゅいっと一鳴きする。

「どっち?」

 タバサの簡潔な問いにキュルケはあっ、と返事に困る。
 
「ごめん、わかんない。慌ててたから」

 タバサはそれでも文句を言わず、シルフィードに命じた。

「馬二頭、食べちゃダメ」

 主人の命令にシルフィードは短く一鳴きすると上昇気流を器用に捉えて大空へと舞い上がった。
 高空へとのぼりその視力で馬を見つけるつもりなのだ。
 草原を走る馬を見つける事など、この風竜にとってはたやすいことであった。
 タバサは再び、本の世界へ没入する。涼やかに風を切りながら読書を楽しめるシルフィードの背中は、使い魔を召喚してから増えた新しい楽しみの一つだった。
 



 トリステイン城下町をルイズとケイツは歩いていた。馬を駅舎に預け門をくぐる。
 今日、ルイズはちょっとした計画を練っていた。
 最近、自分の使い魔が平民達にちやほやされて崇められて調子に乗っていると思った。ここは一発、主の懐の深さを見せるため、何か適当に下賜して感激させ、あらためてご主人様の偉大さを理解させよう。
 隣を向けば、苦痛に顔を顰めるケイツがいる。

「あんたほんとダメね。そんなに私に罵られたいのかしら。その歳になっても馬に乗れないなんて一体どんな生活をしてきたのよ」

 ルイズは思わずため息を漏らす。

「魔導士には転移魔法が存在する上に、地獄では交通網が発達している。意志を持つ乗り物など非効率極まりない。悪鬼どもでさえ、より便利な乗り物を有しているというのに、この魔法世界は情けない事だな」

 自分の不得手を覆い隠すようにケイツは尊大に吐き捨てた。
 乗り物に習熟を要するのは世界を隔てたとしても同じ事、ケイツは地獄での移動に一時期はバイクを使っていた。
 同じ要領で馬にも乗れると考えていたケイツに思わぬ盲点が待ち受けていた。
 バイクは乗り主をナメたりはしないという点で、馬と大いに異なる。
 本能的に序列を悟った馬はケイツを散々振り回した。どうやら格下に跨られるという事に不満を抱いたらしい。
 四苦八苦しながらも、なんとか街にたどり着いた時、ケイツは疲労でボロボロだった。
 ルイズは苦笑を浮かべてケイツを叱咤する。
 
「どうみても情けないのはあんたの方だからね。きゃっ、ちょっとあんた相似弦繋がないで!」

 腰痛と疲労を癒すために、健康なルイズに銀弦を伸ばす。
 肉体的被害は皆無なのに、心を汚されたような気分になったルイズが思わず仰け反った。

「無駄だ、相似弦は相似魔導士にしか切れぬ。そもそも娘には害がないのだから別に良いではないか」

「害がないって……あんたね。あんたに似てる認定されることは立派な実害だと思うの」

 ひどい言われようには慣れっこだ。苦虫を噛み潰したような複雑な表情を浮かべてケイツは治癒を終える。
 それはそれとして、新しい町並みというのはいつでも新鮮なものだ。
 ケイツもいろんな世界や町を旅した(逃げ回った)がその文化や風土を落ち着いて眺めるというのは久しぶりかもしれない。
 無秩序に発展していった東京の町並みと比較する。規模は比べるまでもなくあちらの方が圧倒的に大きいが、少なくともトリステインの町並みは洗練されていて統一感があり、特有の魅力があった。一つの文化というものがしっかり根付いていた。
 文化的教養はないにも関わらず、ついついケイツの目が町並みを追ってしまう。

「こら、キョロキョロしないの。スリが多いんだから! あんた、上着の中の財布は大丈夫でしょうね?」

 ルイズは従者であるケイツにそっくりそのまま財布を持たせている。
 もちろんその中にはぎっしりと金貨が詰まっていた。

「心配無用だ。この私がスられるわけがなかろう。その手の相手に対する知識は十分ある」

 何を隠そうケイツこそがスリ集団の親玉だったのだから、この時ばかりは説得力に溢れていた。
 ≪相似大系≫は似たもの同士に魔力を見出す魔法大系。
 つまり、画一的な形を取る通貨や、その財布などを操作元にして奪い取る術を心得ているのだから、その奪い方を知るという事は守り方についても精通することになる。

「そう、まあいいけどね。取られなければ」

 もう関心がなくなったと言わんばかりにルイズは歩き出す。
 ケイツも遅れぬように人ごみを掻き分けてルイズに追いすがった。
 休日の王都というだけあって、なるほど確かに人は多い。
 だが――
 
「狭いな」

「え?」

 人が多いという理由もあるが、何よりも人口密度に対して道幅が狭いとケイツは感じた。
 ルイズがケイツの言葉に驚いたように振り向く。
 
「道が狭いと言ったのだ」

「狭いってこれでも大通りなんだけど」

 ケイツは改めて街道を見渡す。幅は五メートルもなく、そこを大勢の人々が行き来するしている。
 ケイツの活動拠点はアメリカと日本だ。共に近代化の過程で大きな成長を遂げた国。
 町並みも文化性を重んじたつくりよりというより、効率と効果を優先したものになっている。
 そんな国々と比してやはりトリステインの町並みは華はあれど、利便性に欠けていると感じてしまう。
 熱の冷めた表情を浮かべているケイツにムッとしたのだろうか、ルイズが加えて説明をする。

「ここはブルドンネ街。トリステインで一番大きな通りよ。何よ、何か文句でもあるわけ?」

「いや、そんな事はない」

「なら黙ってついてきなさい」

 そう言ってルイズが歩みを進める。
 
「待て」
 
 大通りから外れわき道に入ろうとしたルイズをケイツが呼び止めた。

「何よ?」

「どこに行こうとしている」

「どこって……目的地よ」

 ルイズは困惑する。
 ケイツはばつの悪そうに頭をかきながら言った。

「世間知らずの貴族の娘では仕方がないが、そう易々と裏通りに踏み込まないほうがいいぞ。そういうところには決まってガラの悪い奴らがたむろっているのだからな」

 ルイズが向かおうとしていた先は細い裏路地だった。
 曲がりに差し掛かった途端、すえた匂いが鼻につく。
 汚水や汚物がそのまま野ざらしになっており、不潔な獣匂も混じっているように感じる。
 過去の記憶を刺激されて、ケイツが不快気に顔を歪ませた。
 
「そんなこと分かってるわよ。だからあまり来たくなかったの。ピエモンの秘薬屋の近くだからこの辺なんだけど」

 今更何言ってんのと言わんばかりに呆れた表情を見せるルイズ。
 どうやら世間知らずの貴族のご令嬢とはずいぶんお転婆だったらしい。
 嫌悪感を垣間見せながらも歩みを止めない。
 要らぬ杞憂だったようでケイツもルイズの後へと続く。
 それから、一枚の銅の看板を見つけ、ルイズが嬉しそうに呟いた。
 
「あ、あった」

 声につられて視線を上げると剣の形をした看板がケイツの目にも飛び込んでくる。
 武器屋らしい。
 ルイズは石段を登り、羽扉を開けて、店の中へと足を進めた。
 
 店の中は昼間だというのに薄暗く、ホコリ臭い。
 店の奥で、パイプを咥えている五十がらみのおやじが胡散臭げにこちらに視線を向けている。
 仄かに灯るランプに照らされてあちらこちらに乱雑に積み上げられている剣や槍。
 申し訳程度に飾られてある少数の貴重品と思しき武具がその店の質を物語っていた。
 店主と思しきパイプ親父がルイズの紐タイ留めに描かれた五芒星に気付く。
 途端にパイプを放し、取り繕ったようにへりくだりながら声をかけてきた。

「貴族様、貴族様。うちはまっとうな商売をしてまさあ。お上に目をつけられるようなことなんか、これっぽっちもありませんや」

「客よ」とルイズは気のない返事で答える。
 
 店主は大げさに驚いたような素振りをして「こりゃおったまげた。貴族様が剣を! おったまげた」などと言ってみせる。
 怪訝そうにルイズ眉根を寄せた。

「どうして?」

「いえ、若奥様。坊主は聖具をふる、兵隊は剣を振る、貴族は杖を振る、そして陛下はバルコニーからお手をおふりになる、と相場は決まっておりますんで」

「使うのは私じゃないわ。従者よ」

「忘れておりました。貴族の従者も剣を振るうようで」

 露骨に愛想笑いを浮かべながらもみ手をする店主がケイツをじろじろと眺めた。

「剣をお使いになるのはこの方で?」

 ケイツはケイツで勝手に剣を物色していた。
 正直なところケイツは既に剣を持っているのでさしあたって必要としているわけではなかった。
 だが、仮にもケイツは剣士だし、未知の魔法世界にどんな剣があるのか気を惹かれないと言えば嘘になる。
 童心に返ったようなケイツをみながらルイズが店主に言い放つ。

「わたしは剣のことなんかわからないから、適当に選んでちょうだい」

 店主はいそいそと奥の倉庫へと消えていった。
 彼は聞こえないように小声で呟いた。

「……こりゃ鴨が葱をしょってやってきたわい。せいぜい高く売りつけることにしよう」

 しばらくして一メイルほどの長さの細剣を持ってやってきた。
 いわゆるレイピアと呼ばれるそれは突くことに特化した武器である。
 片手で扱うもので、短めの柄にハンドガードがついていた。

「そういや、昨今は宮廷の貴族の方々の間で下僕に剣を持たすのが流行っておりましてね。その際好まれるのがこういう剣でさ」

 確かに、細身の刃は洗練されており淡い光を湛えている。
 柄には精緻な細工が刻まれていて貴族好みしそうだとルイズは納得した。
 けれど、同時に疑問がわきあがる。

「下僕に剣を持たせるのが流行っている?」

「へえ、なんでも、最近このトリステインの城下町を、盗賊が荒らしておりまして……」

「盗賊?」

「そうでさ。なんでも『土くれ』のフーケという、メイジの盗賊が、貴族のお宝を散々盗みまくってるって噂で。貴族の方々は恐れて、下僕にまで剣を持たせる始末で。へえ」

 ふーんとルイズは盗賊には興味が無かったので話半分に聞きながら細身の剣を見つめた。
 確かに綺麗な剣だけど細い、というのがルイズの感想だ。
 ケイツはもっと大きな剣を持っている。

「もっと大きくて太いのがいいわ」

 店主はケイツを見た。長身ではあるが、身体は細い。
 長い逃亡生活で慢性的な栄養不足のケイツは頼りなさげに映った。

「お言葉ですが剣と人には相性ってもんがございますんで」

「もっと大きくて太いのがいいって言ったのよ」

 反論を打ち消すようにルイズは言葉を重ねた。
 もはや店主は何も言わずあらためて奥の倉庫へと消えた。
 その際に小さく「素人め」と呟いたのは誰の耳にも入らなかった。
 
 今度は立派な剣を油布で拭きながら、現れる。

「これなんかいかがですか?」

 見事な剣だった。ルイズの身長ほどあろうかという大剣。柄は両手で扱えるように長く、立派な拵えだ。
 華美に宝飾され、キラキラと眩しい。ルイズはそれが貴族に相応しい名剣だと思った。

「気に入ったわ。おいくら?」

 ルイズの問いに店主は答えず、もったいぶったように説明を付け加える。

「なんせ、こいつを鍛えたのはゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿で。魔法がかかってるから鉄だって一刀両断でさ。ごらんなさい、ここにその名が刻まれているでしょう? おやすかあ、ありませんぜ?」

 お高いぞと店主の態度が語っていた。ルイズは負けじと胸を張る。

「私は貴族よ」

「では、エキュー金貨で二千。新金貨なら三千でさ」と淡々と言い放つ店主の言葉にルイズは顔を顰める。

「立派な家と森付きの庭が買えるじゃないの」

 あまりのぼったくり価格にルイズが呆れた。
 だが、店主も下がらない。さもルイズが世間知らずだといわんばかりに露骨に肩をすくめる。

「名剣は城に匹敵しやすぜ。屋敷で済んだら安いものでさ」

「新金貨で、百しかもってきてないわ」

 商人の駆け引きなんて、貴族のルイズにはわからない。
 あっさりと財布の中身をばらしてしまい、店主は話にならないといわんばかりに手をひらひらと振った。
 
「まともな大剣なら、どんなに安くてもも相場は二百でさ」

 自らの無知っぷりが露呈してしまい、ルイズの顔が羞恥の赤に染まった。

「何だ、娘は文無しなのか」

 そんなところにケイツの嘲笑じみた囁きが届いたものだからルイズはより一層激昂する。
 
「何よ、馬鹿なこと言わないで! ちょっと手持ちが足りないだけよ。家に行けばそのくらいいっぱいあるんだからね!」

「言わせて貰うが、そのような剣は私には必要がないぞ。相似魔導士には物の大小など瑣末な問題なのだ」

 『相似』であることが魔法資源であるのだから、極論すれば尖ってさえいれば剣として使える。
 むしろ小さいものを操作元に使ったほうが捜査対象により大きな力の比重をかけることが出来るので好都合である。
 もちろんルイズにはそのようなことはわからない。
 ケイツが解説しようとしたその時、第三者の声が埃っぽい武器屋に響き渡った。
 
「――そこのマヌケっぽい兄ちゃんには棒っきれがお似合いだ!」

「なんだと?」

 ケイツが侮辱されてその声の主を探す。しかし人影はない。声がした方向には乱雑に剣が積み重なっているだけであった。

「わかったらさっさと家に帰りな! おめえもだよ! 貴族の娘っこ!」

「失礼ね!」

 矛先が自分にも向いてルイズもまた怒り狂った。
 再び聞こえてきた声に目を凝らす。しかし相変わらずその方角には乱雑に剣が積み込まれているだけで誰もいなかった。
 
「こっちだよ、間抜け!」

 今度こそ声の主を理解した。剣の柄の部分がカタカタと口のように動きしゃべっているのだ。
 
「なるほど、剣が話していたのか」

「やっと気付いたか! この節穴!」

「やい、デル公! てめぇ、お客様に失礼なこと言うじゃねぇ!」

 店主が頭を抱えながら飛び火を恐れるように叫んだ。
 どうやらこの剣一癖も二癖もあるような頑固な剣らしい。
 
「お客様? 剣に振り回されそうなガリガリのおっさんがお客様? ふざけんじゃねえよ! 耳をちょん切ってやらぁ! 顔をだせ」
「それってインテリジェンスソード?」

 当惑したようにルイズは尋ねる。
 
「そうでさ、意思を持つ魔剣、インテリジェンスソードでさ。いったい、どこの魔術師が始めたんでしょうかねえ、剣をしゃべらせるなんて……。とにかく、こいつはやたらと口は悪いわ、客にケンカを売るわで閉口してまして……。やいデル公! これ以上失礼があったら、貴族に頼んでてめえを溶かしちまうからな!」

「おもしれ! やってみろ! どうせこの世にゃもう、飽き飽きしてたところさ! 溶かしてくれるんなら、上等だ!」

 売り言葉に買い言葉で熱くなっていく店主と剣を尻目に、ケイツは大して驚いた様子もなく言葉を話す剣の方向へと歩みを進める。
 数多の魔法大系の中には魔法構造物を形成し、まるでそれが生きているかのように振舞うものはたくさんある。
 であれば、この魔法世界にも、そのようなものがあっても驚くに値しなかった。
 骨ばった擦り切れが目立つその手でしゃべる剣をつまみあげる。
 
「なんだ、テメ! きたねぇ手でさわんじゃねぇ! って、オメー……」

 口の悪い剣のわめきが急に止まった。
 急に黙った剣を胡散臭げにケイツは眺める。
 
「おでれーた。見損なってた。てめ、『使い手』か」

「『使い手』だと?」
 
「ふん、自分の実力も知らんのか。まあいい。てめ、俺を買え」

 ケイツは当惑する。正直言っていらないのだが、人(モノ?)に必要されることに飢えているので悪い気はしない。
 窺うようにルイズの方を向く。

「え~~~~。そんなのにするの? もっと綺麗でしゃべらないのにしなさいよ」

「しかしだな……」

「なんだよ! 俺を買って損はねぇぞ! 買ってくれ! 買ってくれえ!」

 最早駄々っ子へと変貌しつつある剣にルイズは呆れ果てた。

「あれ、いくらすんの?」

「あれなら、百で結構でさ」

「安いじゃない」

「こちらにしてみりゃ、厄介払いみたいなものでさ」

 店主は手をひらひらと振りながら、せいせいすると言いたげである。
 
 ルイズはケイツに財布を出すように命令する。
 財布を受け取ったルイズはカウンターに中身をぶちまけて、金貨がじゃらじゃらとこぼれた。
 店主は丁寧に金貨をつまみ上げ枚数を数えると、頷いた。

「どうしてもうるさいと思ったら、こうやって鞘に入れればおとなしいくなりまさあ」

「俺はデルフリンガー様だ! 覚えておきやがれ!」

 カタカタとけたたましくしゃべる自称デルフリンガーと剣の鞘をケイツに押し付ける。
 「毎度」という店主の声を背中で聞きながら、ルイズとケイツは店を後にした。
 買い物を終えたルイズ達の足並みは軽やかで、トリスタニアの雑踏の中へ溶けていった。
 
 そんな二人を見つめるふたつの影があった。キュルケとタバサである。
 キュルケは路地の影から二人を見つめると、唇を悔しげに噛み締めた。
 
「ゼロのルイズったら……、剣なんか買って気を飛行としちゃって……。あたしが狙ってるってわかったら、早速プレゼント攻撃? なんなのよ~~~ッ!」

 キュルケは地団駄を踏んだ。タバサは一仕事終えたといわんばかりに自分だけの世界へと没入している。

「こうしちゃいられないわ! 私達もいくわよ」

 ルイズが過ぎ去ったのを確認するとキュルケはタバサを引きずるようにして歩き出した。
 行き先はルイズ達が買い物をした武器屋だった。
 
「おや! 今日はどうかしてる! また貴族だ!」

 武器屋の店主が目を丸くして驚く。

「ねぇご主人――」

 キュルケはマイペースでそんな店主の前へと詰め寄り、艶やかな仕草で自慢の赤い髪をかきあげた。
 色気が服を着て歩いているようなキュルケを前に、店主は頬を赤らめる。むんむんと熱波になって押し寄せてくるかのようだ。

「――今の貴族が、何を買って行ったのかご存知?」

「へ、へぇ。剣でさ」

「なるほど、やっぱり剣ね……。どんな剣を買っていったの?」

「へぇ、ボロボロの大剣を一振り」

「ボロボロ? どうして?」

「あいにく、持ち合わせが足りなかったようで。へぇ」

 キュルケはそれを聞いた途端に手を顎の下にかまえ、おっほっほとお嬢様笑いをする。
 勝った! 勝利を確信した。

「貧乏ね! ヴァリエール! 公爵家の名が泣くわよ!」

「えっと、若奥様も、剣をお買い求めで?」

 商売のチャンスだとばかりに店主は身を乗り出した。
 今度の貴族はどうやら、さっきのやせっぽっちと比べて、胸も財布の中身も豊かなようだ。

「ええ、みつくろってくださいな」

 主人は手もみしながら奥へと消えた。持ってきたのは先ほどルイズに見せたのと同じ大剣。
 シュペー卿の銘を打った立派な大剣だった。
 
「あら、綺麗な剣じゃない」

「若奥様、さすがお目が高くていらっしゃる。この剣は、先ほどの貴族様が所望したものですが、お値段の加減がつりあいませんで。へえ」

「ほんと?」

 キュルケが店主の言葉に色めき立つ。それもそのはず、ヴァリエールの娘が買えなかったものを手に入れるというのは、ライバルであるツェルプストー家のものとして勝利の証に他ならないのだから。

「さようで。何せこいつを鍛えたのは、かの高名なゲルマニアの錬金魔術師シュペー卿で。魔法がかかっているから鉄だって一刀両断でさ。御覧なさい。ここにその名が刻まれているでしょう?」

 ルイズ達の時と同様に、すっかり定番となったセールストークを店主はなぞる。
 キュルケは満足そうに頷いた。

「おいくら?」

「へぇ、エキュー金貨で三千。新金貨で四千五百」

「ちょっとお高くございません?」

 キュルケの眉がつりあがる。

「へぇ、名剣は釣り合う黄金を要求するものでさ」

 キュルケは考え込み、そして店主を値踏みするように見る。
 そして、おもむろに身体をカウンターの上にのせ、ゆっくりと店主のほうに近づけていった。

「ご主人……ちょっとお値段が張りすぎじゃございませんこと?」

 キュルケがそっと店主の顎の下を手でなぞる。美女の柔手の感触に浮かされて店主は息が詰まりそうになった。
 押し寄せるような色気が店主を苛む。

「へぇ、ですが名剣は……」

 なんとか理性を保ち、口上を繰り返そうとしたところにキュルケが左の足をそっとカウンターの上で持ち上げた。
 スカートの中からチラリとのぞく太もも部分に目が釘付けになった。

「お値段、張りすぎじゃ、ございませんこと?」

 キュルケはここぞとばかりに攻め立てた。相手の理性が揺らぐその隙を逃すようではツェルプストーの女として名折れというものだ。

「さ、さようで?? では新金貨四千……」

 キュルケがさらに膝を持ち上げその角度を狭めていく。見えそうで見えない絶対領域を造り出した。

「いえ! 三千で結構でさ!」

「はぁ、それにしても暑いわね……」

 熱に潤んだ流し目で店主の瞳を捉えながら、キュルケは胸元のボタンに手をかける。

「シャツ、脱いでしまおうかしら……。よろしくて? 店主」

「おお、お値段を間違えておりました! 二千で! へえ!」

 キュルケの手が一個目のボタンを外し、第二ボタンへとかかる。
 第二ボタンに一度視線を落として、そして店主の顔をみた。

「千八百で! へえ!」

 第二ボタンを外すと、はちきれんばかりの胸が服越しにたゆんと揺れる。
 第三ボタンに手をかけて、再び店主の顔を見た。

「千六百で! へえ!」

 どうやらキュルケのボタン一つの値段は二百らしい。ボタンを外す手を一度止めた。
 店主がお預けをくらった犬のような情けない顔になると、キュルケはくすりと小さく微笑んで、今度はゆっくりと丁寧にスカートの裾を摘む。
 絶対領域すら徐々に侵して行くその最中、固唾を飲んで成り行きを見守る店主がゴクリと喉を鳴らしたその時。
 キュルケはスカートを持ち上げていた手をピタリと止める。

「もう一声」

「あ、ああ……」

 店主の理性が色香で決壊しそうになっていた。
 もはや瞳はスカートの裾から背ける事が出来ず、生唾が口の中にたまっていく。

「千で! 千で結構でさあ!」

 キュルケはニヤリと微笑んだ。この辺が手の内どころか?
 そう考えたところで、ふと先日の広場での出来事が脳裏をかすめる。
 あの時感じた敗北感、ここで引いてはツェルプストーの名折れではないか。
 自分には更なる一歩を踏み出す意志こそが必要なのかもしれない。
 すっかり男を魅了した女王様気分になっていたのも手伝って、キュルケは更なる一歩を踏み出してしまった。
 
 この後の事はあえて語るまい。
 キュルケは結局、ルイズがデルフリンガーを買った価格と同じ値段でシュペー卿の剣とやらを手に入れた。
 後に入ってきた客が武器屋の店主が血溜まりの中で倒れ伏しているのを目撃したことで、事件へと発展しそうになったが、どうやら事件性はないということで片が付いた。
 なぜならば、その店主の顔はとても幸せそうに鼻血にまみれていたのだから。


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