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「――――――――よお、いい夜だ。アンタもそう思わないか?」
鮮血に染まる船上。言葉とは裏腹に、狂犬じみた顔を喜悦に歪ませ、男は追悼の言葉を贈る。
黒光りする屈強そうな肌と、それに良く似合う身の丈。彼は無地のシャツと黒のレザーパンツに付着する、凝固した血液を軽くはたいた。
「――――ち。つまらねぇ、返事くらいしやがれ」
彼は月の光しか差し込まぬ海原に、肉塊を蹴り落す。
充分な大きさの輸送船だ、海面に叩き付けられた人型は、その衝撃で、申し訳程度に残されていた四肢がバラバラ弾けた。
咲いた血の色と誘われる飛沫。
唯でさえ男によって体を限界まで抉られたのだ、もはやその死体が人間であったなどと、考えられるモノではない。
赤い海に魚が群がり、ヒトだったモノを咀嚼し始める。
「ほら、次はどいつだよ?」
朱い眼光を走らせ、腰を低く。彼は酷薄な暴力の気配を滲ませながら、笑みを絶やさない。輸送船の船灯を背後に受けて、男は身の丈以上の大槍を構える。
それに怯むのは、男を囲む魔術師数名。先ほどまで二十といた彼らは、既に片手で数えるほどしか残っていなかった。
「おいおい、ビビルなよ。命の値打ちなんざ、んな大層なものじゃないだろう。そんなのお互い承知の上だと思うんだが。俺の勘違いだったか?」
潮風しか耳に残らぬ無音の船上に、歯軋りの音。男の挑発に、疾駆するのは二人の魔術師。
強化の魔術によって鍛え上げられた筋肉を持って、大槍の男に突貫をかける。
「は、いいね。来いよ!」
対する男は、何の魔術行使も無く長柄一振りでその身を守りぬく様だ。
先手は魔術師。
一人が右より牽制の打ち込み。それに遅れるもう一人は、男の左後ろよりその眉間目掛けて鋭角の上段蹴りを放つ。
タイミングをはかられ、繰り出された二撃。コレを捌き、有利を担える妙手は男の中にない、故に、――――跳躍。
四肢を充分に生かした直角の飛翔。大げさすぎる挙動を持って、初激を躱す。
男の体は、ゆうに六メートルの距離を稼ぎ出し、船舶の中央に位置取った。
それに迫る二人の魔術師は、三歩でその距離を走破。
半瞬の間に、男の左右より追撃する。対して、潮風を凪ぐ鉛色の大槍。男は三メートルを越える其れを軽々と横一文字に繰り出し、魔術師たちを退けた。
だがそれだけ、男の斬激を待っていたとばかりに二人の魔術師は後方に跳躍。
彼らは囮だ。
大槍を振り切った視界の先に、残る魔術師が殺気を魔力に還元し、数え切れぬ神秘の矢を形成する。
放たれれば男は死ぬ。呪が成れば、彼はあの必殺の雨を捌ききれない、避けきれない。
不思議と、いや、当然の様に、彼に死の恐怖は無い。
男の脳裏にあるのは戦いの中にある高揚のみ。
彼は思考する。
いくらその身が吸血鬼、死徒と呼ばれる人外であっても、この世の理に疎まれたモノではない。
英霊ほどの力量も備えていなければ、何人をも凌駕する不死性を備えたわけでもないのだ。
人間以上の身体能力。
この身が備えた能力はそれ一つ、戦いのみを求めた成れの果て。
永遠に戦い、永遠に戦いを渇望する哀れな肉。
故に殺され、――――――――故に殺す。
男の欲望が高潮にいたる直前、彼の体から鉛色の閃光は放たれた。
其れは、投擲などと呼べる代物ではない。
考えられるであろうか、彼は殺し合いの最中、その身唯一つの武器を投げ捨てた。
そう、―――――――――投げ捨てたのだ。
構えなど無く、狙いも皆無ならば、其れはもはや技巧などではない。
しかし、自身の感覚が命ずるままに魔術師に放たれた大槍は、されど魔術師の心臓を串刺した。
彼の思考は実に単純。
神秘の鏃を放たれれば殺される、ならば放たれる前に、殺せばいい。
ただ忠実に、単純な引き算を実行しただけだ。
「――――――――――――――ひゅ」
空気の漏れる、口笛の音色。男は魔術師に突きさっさった自身の獲物に向けてその身を加速する。
今、先ほどの魔術師たちが彼に対して何らかの攻勢に出たのであれば、男に其れを退ける術は無い。されど、魔術師の思考を凍結させた異常行為、理解不能の行動、一つしか無い自身の必殺を投げ捨てる怪奇は、彼らの肉体を弛緩させるのに充分だった。
決して速くなど無い疾走。
朽ちず蠢く吸血鬼の中において、男以上の速さを有するモノなど数多いる事だろう。
だが、それでも充分だ。
人間に捉えきれぬ速さであれば、人間に恐怖と言う衝動を叩きつけるのであれば、其れは正しく獣の走駆だ。
「――――――――――っらあああ!」
男は慟哭を吐き出し、背負い込むように槍を引き抜く。心臓から肩口、ばっさりと引き裂かれた魔術師の亡骸は、同時に、海原へと投げだされる。
「あと二人。――――――おい、お前ら。――――簡単に死ぬなよ!」
軽口の間に、二人の魔術師へと再度肉薄。
先をくれてやるのは一度のみ。そう言わんばかりに、男の斬激を主体とした長柄の乱舞が打ち乱れる。
男の武器、グレイブと呼ばれるその槍は大きな穂先が特徴的な“薙ぎ”を主体とする武装だ。かつて青い槍兵が見せた“突き”を主体とする芸術的な槍術と相克するかのごとく、“点”の平突きを囮に使い、長いリーチを生かした“線”の横薙ぎで腹を抉る実践的な槍撃。
其れを証明するように、離脱すら満足に行えなえぬ魔術師を、袈裟に叩っきる。
「――――次で」
それが彼の戦い方。槍における正攻法にして常道。
常軌を逸脱した感情的な行動と、それに反発する理詰めの槍術。
其れが男の武器。
青い槍兵と同じく、戦いのみを求めその身を吸血鬼へとなした狂喜の狂気。
象を成す槍の軌跡は異なれど、求めるものは故に同じ。
「――――――――――――ラァストオォ!!!」
男は嬌声ともとれる叫びをもって、天上に槍を構える。
そしてその刹那、引き絞った両足から月を頂く直上、そして直下。
最後の一振り、断頭台を思わせる慈悲深い一線に、魔術師は痛みを感じる事は無かった。
頂点より二分割された死体は次の瞬間には倒れ付す。
「ご苦労さん、弱すぎだ。―――――来世からやり直せ」
それを不満げに見送ると、彼は鮮血に満たされた船上に、ゆるりと腰を落ち着けた。
「結局、今回もお前の出番は無しだな、―――本当、つまらねえぜ」
言葉通りの顔で、男は夏の空を見上げる。
担ぎ直された、男の魔槍。
鉛色の暗い銀光を纏う彼の槍はただ誇り高く、合い見えるべき兵を待つ。
「起きなさい、目的の物は回収しました。直ぐにここを離れますよ」
鮮血占める船舶の中央、耳までの短髪を靡かせて、一人の女性が先ほどの男を揺する。
紫苑色の繊細な髪はしかし、鳴弦の如く撓り、儚い美しさに力強い艶やかさを湛えていた。
アレから既に半刻、男が眠りに沈むには充分な時間があったようだ。
「――――――おせえよ。あのヘンタイ爺の宝具を回収するだけで、いつまでかかってやがる」
寝ぼけ顔を整えて、男は立ち上がり女に毒づく。
だが女も去るもの、別段気にした様子も無く、しれっとした平静を装う。いや、この冷淡な態度こそ、彼女の平時なのだろう。
「それは失礼。他にも多数興味深い魔具が時計塔に郵送されるようなのでね。少しばかりくすねてきました、流石は麻帆良の郵送船です、一刀大怒までとは言いませんが、かなり上位のアーティファクトを発見しまして、選別に時間が」
女は手に持ったランタンを男の目の前に掲げる、どうやら格納専用の魔具のようだ、満足げに其れをチラつかせると、男は仕方無いとばかりに頷いた。
「まあいい、おかげで今回は俺一人で暴れられたからよ」
「みたいですね、随分と派手に立ち回ったようで。貴方の発狂振りが眼に浮かびます、理解しがたいですね、まったく」
整い過ぎた顔立ちに、美貌を隠すかのような薄い眼鏡、黒のTシャツに深いブルーのジーパンを着こなす長躯の女性は、思い出したように一言加える。
「ああそれと、貴方が散らかした物はこの子が片付けてしまいましたが、宜しかったですか? といっても、既にこの子のお腹の中なので、返せと言われても困りますが」
太平洋上の南風は些かべた付くようだ、女は鬱陶しそうに髪を掻き揚げた。
そんな仕草に、男ならばいきり立たない筈も無いその仕草を前にして、男は彼女から目を背けるように睥睨した。
視界には、先ほどまで散乱していた人肉は一つも映らない。男の目に映るのは滴る血の匂いと月を抱く赤い池だけだった。
「お前のペットは良い趣味しているよ。あんな不味そうな男共の死肉なんぞ喰って、腹壊壊さねえのか? すげーよな、合成獣(キメラ)って奴わよ」
男は言うと、女の肩に乗る人工的な白さを纏ったリンクスに視線をずらす。
「………雑食の貴方がよく言えますね。血の匂いを嗅げば見境無しに殺し合い、欲を満たす貴方より、この子の方がよほど利口だと思うのですが?」
女は男の視線が気に入らないのか、庇うようにリンクスを腕に抱きかかえる。
「はん、違いないね」
男は心の底から納得させられたらしい。薄笑いで唇を吊り上げ、硬そうな青髪をぐしゃりと掻き毟る。
その仕草に呆れるものを感じたのか、女はキメラと呼ばれたリンクスの顎を撫で付けながら、灰色の瞳を男に向けた。
どうやら、彼女は吸血鬼ではないようだ。
「それでは次の目的地に向かいますか? いつまでもこんな所にいるのは、精神衛生上良くありません。私とこの子は、貴方と違って至極真っ当なものですので」
「よく言う。――――――しかし、極東…ねえ。気がのらねえな」
男は心底嫌そうに大きく息をつく。
そして零した、次なる目的地、日本。
「スコットランドの山奥から、ドイツの雪原、そして太平洋海上の船舶を貸しきりにして、目指すのは極東の地。ちょっとした旅行だと思えば宜しいのでは?」
女は淡々とした表情で、夜の海を見渡しながら男に言う。
そんな女の態度に、この男も慣れているのか、別段彼女の嫌味を気にした様子も無い。
「で、冬木のマキリとか言ったな? 俺たちが手ぇ貸せばいいのはよ」
「あら? 珍しいですね。貴方がトラフィムの命令を覚えているなんて」
「抜かせよ。今回は別だ。そうだろ?」
「確かに、私も今回は好奇心の方が、トラフィムの命令よりも勝っているようですから」
一際強く吹いた潮風に体を預けて、二人の人型は喜悦に表情を歪めた。
彼らの目的、彼女たちが頂く祖の一角、トラフィムが唯一望む願望、聖杯。
男は聖杯が呼び込む血みどろの戦場にその身を遍かせるべく、死徒の王に遣え。
女は自身の魔術の探求を主とし、吸血種の中にあって絶大な権力を持つ死徒の王に遣える。
望む願いは異なれど、彼らは等しく聖杯を欲する。
故に、彼らはその身を寄り添わせ、尊き躯の王に仕える駒と成った。
故に、彼らは駒であって駒ではない、彼らと言う騎士である。
「しかっしまあ、お互い忠誠心なんてなんてものには無縁のようだな、今回の件に限らずよ。アリア位のもんだろ? トラフィムを心の底から心酔しているのはよ」
「そうですね。彼は、ほとほと人望が無いようだ、――――さて、そろそろ行きますか?」
薄く光の差し込む水平線、それに気付いた女はこの途方も無く無為な会話を終わらせた。
顔を見合わせた二人は、ここにはいないアリアと呼ばれた金髪灼眼の少年に嘲る様な笑いを送り、船灯を横切り黒い大海を望む。
しかし、彼らは気付いているのだろうか?
気ままに歪めたその微笑みは、その実、自らに向けられていたことに。
その軽快な微笑の中には、王を寵愛する、確かな信頼が秘められていたことに。
「さあ、少し痛いけど我慢して」
女は、真性の白を纏う山猫の前に跪き、眼鏡を外す。
視界に納められたリンクスは金縛りに合ったように動きを止めた。
“視る”と言うシングルアクションの魔術行使によって、山猫の内に科せられたリミッターが破壊されたのだ。
醜悪な叫び声が潮の匂いを裂いたのも一時。
人工的な白色の毛並みをそのままに、その躯は膨張したかの如く変態。四肢の爪はより鋭さを増し鉤状に黒ぐろく染まり、しゃくれた爪牙は猛鳥の類を連想させる。背骨の間から肉を破りと生え出す金属的な鬣は白金の質感を伴っていた。
「ヒュ~♪ いつ視ても、大したもんじゃねえか。アンタの魔術、いや錬金術だったか?」
男は、全長六メートル近くまで変態し、鷲の翼を携えた真っ白い獣に徐に近づき、その朱い瞳で、くすぶる猛禽の黒い眼に賞賛を送った。
「その子を形成する段階は錬金術ですが、変態のプロセス、それと命令系統は魔術の範疇ですよ。以前にもお話しした筈ですが、もう忘れたんですか?」
女は律儀にもコレで五度目になる説明を繰り返す。
彼女とて男が自分の話しを聞いていない事など、とっくに気付いているので、早々と獣の背に乗り無表情に嗜める。
「そんな下らぬことより、優先することがあるでしょう。早くここを離れますよ、クー。直ぐにも日が昇る、吸血鬼の貴方には些か酷でしょうからね」
「ああ、そうだな、――――ってメリッサ! その名前で呼ぶんじゃねえ!! 何回言えば分かりやがる!?」
クーと呼ばれた男は、猛禽の背中にまたがり、憤怒の表情で頬を引きつらせる。
メリッサと呼ばれた女は、彼の態度に、やはり眉一つ動かさず告げた。
「貴方とて、私の話を聞かないでしょう? お相子だ。それに私はこの名が気に入っている、覚えやすく、呼びやすい良い綽名だ。――――何より、クロムウェルなどという、大仰な名前よりも、よほど可愛いではないですか?」
「てっめ! いうに事欠いてそれか!?」
薄く黒色を失い始めた夜の世界。
翼の生えた猛禽は、吸血鬼と魔術師をその背に潮風を切る。
去り際、一輪の薔薇を、メリッサは天上より血染めの船へと捨て置く。
揺られ、朱色の大地に活けられた一輪は、毒々しく血色の雫を吸い上げた。
聖杯は廻る。
かつて衛宮士郎が彷徨った、真紅の世界同様。
その日、願いの渦は一輪の朱色によって、再び幕は引き上げられた。
とは言っても。
Fate / happy material
正義の味方と聖杯の運命は。
まだまだ、交わることは無いのだけれども………。