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「宝具? それが幽霊の原因なの?」
素っ頓狂なイリヤの声に俺と朝倉、そして四葉は思わず顔を見合わせた。
海岸沿いを抜けていくさざ波を、一つ二つ数える様に俺たち四人は歩幅をそろえる。
「―――――む。それでシロウ? その“大海”、一体どんな能力なのかしら?」
俺たちの態度にむっと顔を膨らませたイリヤは、俺の足を踏んづけた。
「いてぇ」と声を零すと、イリヤは上機嫌に俺の前で優雅に躍り出た。
「―――――つつ!?!? 詳しく言うとだな、“大海”は常時発動型と真名開放型の二つの神秘で構成されているんだ」
そんなイリヤに涙を堪えながら零す。
サンダルの上からの攻撃は中々に強力だ、じんわり痛みが広がっていく。
「常時開放型の能力は割りと単純だ。叫んで使用者の“危険”を知らせる。と言っても、未来予知や危険察知の類じゃない。言葉の通り、第三者に使用者の“危険”を知らせるものなんだ。彼女の幽霊が現れるとき決まって“叫び声”が聞こえるって言うのはこいつが原因だと思う」
「第三者に危険を知らせる………痴漢撃退用ブザーみたいなもんかい? ピーポー君や熊さんの形をした奴とか」
「まあ、そうなんだけどさ、……もう少し言い方とかあるだろ?」
宝具を痴漢撃退用ブザーと同格に扱った奴は恐らく朝倉が始めてだろう。
俺は思わず眼前を右手で覆い、空を仰いだ。
「良いじゃないか、役に立つことに変わりは無いんだ。それで衛宮っち? もう一つの能力についても解説してくれるんだろ?」
朝倉はけらけら普段の面持ちで俺の後ろに続く。
彼女の影では、やれやれと四葉、そしてさよちゃんが首を振っているに違いない。
「本当、貴方の性格がうらやましいわ、私も見習わないとね」
俺の狼狽を読み取ってくれたのか、イリヤが軽快に毒づく。
だが、イリヤの嫌味は朝倉には届かない。
「いやあ、それほどでも」なんて、頬を染める朝倉は間違いなく大物だと思う。
そんな、彼女達に苦笑を送った俺は、言葉を挟んだ。
「それで二つ目の能力だったな?」
俺たちは足音を数えるように、進んでいく。
目指すのは俺が最初に“彼女”を目撃した岬。“大海”が伝えた“彼女”の願いを叶えるために、その地を目指す。
「宝具“大海”は真名の開放と同時に“相手の表層意識に介入し幻を魅せる”んだ。それが今回の幽霊事件の根幹」
そして、二人の騎士を、悲劇に巻き込まれた騎士達を葬った残酷な青玉の盾。
「知っているかな? イランとフィアクラ、ケルト神話に登場する二人の騎士の最後を」
俺の問いにイリヤと朝倉、それに四葉は揃って首を傾けた。
三人の顔を流し見た俺は、咳払いを一つ残して、臨場感たっぷりに歌謡の声色でその物語を語ることにした。
戦いがたけなわの暁、フィアクラは父王より譲り受けた“大海”をもって防戦一方になった。フィアクラが今にも力尽きそうになったその時、“大海”が突如うめき声を発し、エリンの三大灘を振るわせた。アイルランド北岸のトアスの灘、北東岸のラリーの灘、南西岸のクリーナの灘の三つの海はその叫び声に呼応し、一人の男を戦場に招いた。
その男、勇者コーナル・カーナッフは“王の危機”と荒野を風の様に駆け抜け、イランとフィアクラの戦うエリンの草原へと駆けつけた
「―――――ここまではいいかな?」
俺の話しに三人のお嬢さん方は頷き、無言の瞳で話しの続きを促している。
コーナルがたどり着くと、二人の騎士が鮮血を撒き散らし血みどろの戦いを繰り広げている最中であった。コーナルは“大海”の影で防戦しているのがコノール王だと思い込み、親友であるはずの金髪のイランに猛然と切りかかった。
そして、コーナルはイランに致命傷を与えてしまった。
知らなかったこととはいえ、フィアクラは自分の手で若き親友のイランを傷つけたことを激しく悔やんだ。そして、その悲しみは憤りにかわり、コーナルはその場でフィアクラの首をはねた。
フィアクラは追悼の色彩を怒りで塗り固め、押し黙ったまま、その戦場をあとにした。
「―――――――コレが、“大海”まつわる逸話だ」
俺は、岬へと向かう足を休めて後ろに続く三人の顔色を窺った。
振り向くと同時に、生ぬるい潮風が俺の汗を冷やした。
「ふうん、もしシロウの話しが本当ならば、“大海”の能力、大したものね。英雄すら騙しきる虚実の盾、か」
「確かに、その点だけを評価するならな。だけどこの盾、防具の癖に防御能力は皆無なんだ。あくまでも“幻を魅せる”って言う機能に特化した限定礼装だからさ」
感心するイリヤに、俺は言葉を繋いだ。
頷いた彼女は自らの思考を纏めて、今回の幽霊事件の核心を口にした。
「その能力から推測するに、今回の幽霊、それを発現させているのが“大海”って事は間違いないわね。カズミの話してくれた怪談とシロウの解析能力で読み取った“大海”の記録、酷似した二つの話が概念的に絡み合って“共振”現象を起こしたって所かな」
「そう言う事だな」
「でもそうすると、肝心の“大海”は一体どこにあるのかしら。シロウの物言いだと、もう場所は分かっているみたいだけど?」
「ああ、さっき“大海”を解析したときに所在もあらかた掴んでる」
正確には俺が調べた分けでは無い。
“大海”が教えてくれたのだ。
「でもさあ、そうすると幽霊の特徴が見る人によって異なっていた事に説明がつかないよ? 幻を見せるってのはいいけどさ、こっちの問題は一体全体どうなんだい」
話しを終えようとしたイリヤの横から、思い出したように朝倉が疑問をパス。それを受け取るイリヤは、朝倉の発言に喉を詰まらせた。どうやら、華麗な回答は期待できそうに無い。
俺は今一度、うん、と眉を寄せたイリヤの視線を受けて朝倉の問いに答えることにした。
「言ったろ? “大海”は“表層意識に介入”して幻を魅せる。何が言いたいかって言うとだな、担い手が望んだ“幻”を何でもかんでも魅せられるわけじゃないんだ。大海の使用者と使用された者、その二人が共通して“知っている人物”しか幻影を投射できない。幻が“人型”に限定されるだけでなく、相手がもしくは俺が知らない人物を投影することも出来ないんだ」
「……ん~。どんな相手であれ、問答無用で“幻影”を魅せる。その大きすぎる効果を付加するために、最終効果を厳しく制限する必要があるってこと、か。聞けば聞くほど、ぱっとしない宝具ね」
朝倉に向けた言葉だったのだが、それに返したのはイリヤだ。
「まあな、ランクだってそう高くはない。純粋な“性能”で言えば“大海”以上の概念武装なんて山ほどあるはずだ」
概念武装。その最高位に位置する絶対の幻想、宝具。
だが、“宝具”を“尊い幻想”たらしめるのは何も“性能”だけでは無い。
ただ、選定をもたらすべき王剣が勝利を纏う黄金に昇華された様に。
尊ぶべき誰かの“願い”。その“想い”を生涯かけて担い続けた誇りある器、それが“宝具”だ。
「確かに“大海”は優れた“概念武装”じゃない。だけどなイリヤ、こいつはやっぱり“尊い幻想”だよ」
“大海”に込められた英雄達の記憶、ディアドラの想い。それは間違いなく尊ぶべき過去の奇跡。英雄達の想いを背負う“担い手”だ。
「そ、シロウって案外ロマンチストね。殊更に、似合ってないけど」
俺の正直な想いを冷笑で還される、だけど。
「でも、―――――貴方のそう言うところ、嫌いじゃないわ」
イリヤは俺の心象を優しい目で読み取ってくれた。
俺は彼女の笑顔に頷くこともせず、脱線した話を取り繕うことにした。
「すまん、話しがそれたな。とにかく今話した二つ目の能力が今回の幽霊事件を起こしている理由さ」
「詰まりどういうこったい? その理屈でいったら矛盾が出てきちまうよ。互いに“知っている人物”しか魅せられないなら、はじめから幽霊なんて出てくるわけないだろ? だけど実際幽霊は私達の目の前に現れたし、おまけに姿形はまるで違うって話しじゃないか、まるで説明できてないよ、いい加減もったいぶんなぁ~!!」
がーっと、炸裂した朝倉の鬱憤。
朝倉の言葉に四葉もこちらに向き直る。先ほどとは相まって、イリヤはもはや詰まらなそうに悠々と海を眺める。どうやら優秀な我が妹君は事件の真相を掴んだようだ。
考えを纏めきったらしいイリヤは、俺も含めた素人三人に真相の講釈を始めた。
「いいことカズミ。今回の幽霊事件はある意味、固有結界のような物だったのよ。さっき私が話したけど、“大海”の中の残された“記録”がこの町のコミュニティにおける共通認識、簡単に言うと“怪談”ね、これと絡み合うことで共振現象を引き起こす。勝手に神秘というプログラムを実行するための“スイッチ”が入っちゃった状態よ。恐らくこの魔具が並みの神秘であったのならば、波風は立たなかった。だけど生憎、それは並みの神秘ではなかったの。宝具、それも“幻影の投射”なんておあつらえ向きの機能を有した最高位の幻想だった」
柔らかな白い髪房を潮風に揺らしてイリヤは詰まらなそうに言う。
「シロウの話しではもともと“大海”は意識化に進入すると言う段階を踏んで幻を投射する。いいえ、正確に言えば“大海”が幻に象られるのでしょうけどこの際どうでもいいわ。とにかく、この特性も手伝ってコミュニティの共通意識下における“美女の幽霊(かのじょ)”を投射したのよ。ただ、人間の感性なんてまちまち、カズミが話してくれたように“彼女”の定義なんて曖昧なものだった。その理屈で言えば幽霊が投影されるはずが無い、だけどね、今回の事件、“大海”は共振現象によってその神秘を行使していたに過ぎない。いわば使い手が誰一人いない状態であり、怪談と言う共通意識を持つ全ての人間が使い手である状態。ここまで言えば何故幽霊が投射されるのか分かるんじゃないかしら? 詰まりね」
(―――――――自分で幻を創って自分で幻を視ている、ってことですね。共振現象を通じてある種、意識の無限ループが形成されている。私達は“大海”の使用者であると同時に対象者になる、と言うわけですか?)
突然四葉が口を開いたかと思えば的を射すぎた適確な回答が飛び出してきた。
(なんです?)と驚いた四葉を俺とイリヤはぎょっと見つめる。朝倉が別段驚いた様子を見せないのは、きっと四葉がそこそこ神秘についての知識を持っていることを知っていたからであろう。
俺は、そんな四葉に偽り無く答える。
「ビ、ビンゴ。簡単に言えばさ、今この町は“大海”の特性を孕んだ“固有結界”を形成しているんだ」
“幽霊の幻を魅せる”固有の結界。いつか先生が話してくれた幽霊ビルと同じ、ただそれを引き起こしたのが人間であるのか宝具であるのか、違いはそれだけだ。
「そう言う事よ、良く出来ました」
「なあんだ、種が分かれば簡単じゃあないの」
四葉と俺へ賞賛を投げたイリヤは、朝倉の発言に顔をしかめた。
「あのねカズミ、種なんて何も分かっていないわ。私が話したのは今回の幽霊事件の“理屈”だけ。“原因”の解明をしたわけじゃないのよ、分かってる?」
その発言意に今度は朝倉が首を傾げる。
「で、シロウ。今回の原因については貴方何か分かる? 道理は通ったわ、だけど“原因”は依然として闇の中」
「まあな。イリヤの言いたいことも分かるさ。それについては俺にも分からない。偶然にしろ必然にしろ、何らかの意味があってこの土地に“大海”は招かれた。それは間違いないんだ」
原因、か。皆目検討もつかないな。
俺はうやむやな思考を飲み込んで星を仰いだ。すると、潮風が段々と濃度を増していくのを感じた。頂を囲い、とぐろを巻くように建てられた車道沿いの階段。岬の頂上へと続くこの往来には、車どころか人の気配さえしない。
海に顔を除かせる岬の展望から、潮風に絡みつき掠れるような鳴き声が聞こえる。きっと、俺たちの喧騒に“大海”が耳を尖らせているのだろう。
俺は潮の香りが誘うままに、螺旋の小道を横切る。そして、眼下に覗かせる細い海岸を掠めるように、彼女達に振り返った。
「辿り着けば、何かが分かるさ。少なくとも、俺には“原因”なんて関係ない。ただ、俺は自分の中のもやもやを断ち切りたいだけなんだ」
俺は“大海”の胎の中にいた。
俺が感じた不安定で曖昧な焦燥、恐らく“大海”によって形成された“世界”に少なからずの違和感を覚えていたからであろう。特化された俺の構造把握能力は、無意識下でさえその異質な世界を感じ取っていたんだ。
―――――嘘だね。それだけじゃない。
俺が“大海”を目指すのは他に理由がある。
果ての無い大海に取り残された“ディアドラ”のちっぽけな願い。
ただ、好きな奴と一緒にいたかった。それだけを求めた当たり前の“幸せ”。
それすら叶う事無く悲恋にまみれ、美しく語り継がれる。それが彼女だ。
そんなの駄目だ。
アイツと共に在ることを否定した、そんな俺に何も言う資格は無いのかも知れない。だけど、だからこそ、“ディアドラ”の生涯に我慢できない。
――――――つまり俺は、やり直しを求めているのだろうか?
一度は否定したその願いを、俺は今求めているのだろうか?
理想を貫き通したアイツ。にもかかわらずアイツはそれを否定した。俺にはそれが許せなかった。だから、だからこそ“聖杯(やり直し)”を粉々になるまで否定した。
だけど、―――――――“ディアドラ”はどうだ。
大海を通じて手に入れた悲しすぎる彼女の逢瀬、そして終わり。
望んだものは手に入らず、何一つ報われ無い。はじめから間違っていた彼女。そんな彼女に一欠けらの“幸せ(やり直し)”を願うことは間違いなのか?
アイツを失った今だから分かる。
“ディアドラ”の望んだ世界がどれほど当たり前で、どれほど価値があるのか。共に過ごせたかもしれない、遠すぎる“日常”。
―――――――――それを捨て去る痛みを、俺は知ってしまったから。
彼女の全てを否定してでも、俺は彼女の幸せを望みたい。
だから、俺は“大海”を求めている。
捨て去ったものを取り戻したい、“大海(お前)”もそう思ったんだろ?
自分の理想、そしてアイツの理想のために俺は“幸せ”を切り捨てた。
“ディアドラ”が何よりも望んだ幸せを切り捨てた俺/切捨てられたアイツ。
だから、分かるんだ。
大海が俺に伝えた思い、―――――――“贖罪”。
俺がアイツの救いを望まなかった様に/“大海”がディアドラの救いを阻んだ様に。
一度は切り捨ててしまった“幸せ”への贖罪。
ああ、その願いは間違いじゃない。
だからお前の変わりに、俺が、正義の味方が叶えて見せるよ。
「-------――――――――」
見渡す先は、視界一杯に開けた大海原。
辺りは、空に穿たれた半月を孤独に陥れるため、ただ静寂を保っていた。潮風に靡かれ、軽く身体をゆすられた俺は、後ろに控えたイリヤ達を置き去りにするように一歩踏み出した。
同時に、眼下に広がった黒海、その深淵から浮かび上がる“叫び声”。掠れた嗚咽にも聞こえるその嬌声が、痛いほど俺には理解できた。
水平線の狭間。
幾重もの青い衣を重ねるようにエーテルが弧を描き沈んでいく。機織の様相で象どられた美しすぎる肢体は、地面に届く黒髪を揺らして瞳を開いた。
「-----------――――――――」
イリヤ、朝倉、そして四葉が揃って感歎を嚥下する。
自身にとって、最も“美しい女性”が彼女達の目の前に象られているんだ、その反応も頷ける。
特化された解析眼を有する俺は、“大海”が真に象どりたい“本当”を見抜くことが出来る。だからこそ、大海は俺を選んだんだ。
“シキ”さんに余りにも似すぎた彼女は、果たして誰なのだろう?
“彼女”それとも“ディアドラ”?
そんなこと、どうでもいい。
―――――――変えられない過去。捨て去ってしまった幸せ。
その贖罪の為に、俺は大海を手に入れる。
頭をふるって曖昧な決意をこり固める。
一歩、俺はゴツゴツした岩肌を踏みしめる。
二歩、潮風が激し俺の身体をうちつける。
三歩、そして、―――――――――。
幻に象られた“大海”。――――その黒髪に手をかけた瞬間。
「―――――――――え?」
空を切る俺の右手、いや、―――確かに右手には十センチほどの何かを掴んだ感触がある。
間違いない、コレが“大海”だ。
突然の事とは言え、宝具を握り締めた余韻に浸っていた俺は、自分自身のたち位置に気付いていなかった。
「シロウ!!!」
「衛宮っち!?!?!?!」
(衛宮さん??????)
幻を振り切り、血相を変えて騒ぎ出すお嬢様方。
その理由を把握する間も無く。潮風に大きく身体を揺すられた俺は、――――――――――。
「なぁ~ん~でぇ~さ~あああああああああああああああああぁぁぁ――――----」
ドップラー効果を引きつれ、鮮やかに岬の絶壁より落下した。
Fate / happy material
第八話 パーフェクトブルー Ⅶ
俺こと衛宮士郎、“大海”――――――――げぇっと。
くしくも、彼女達と同じく“デッドエンド”。