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「------――――――になんか、なってたまっかい!!!!!!」
「うわわ!?!?!?!?」
気力だけで断崖絶壁を登りきった俺はびしょ濡れの身体もそのままに、肩で息をしながらその場に寝転んだ。背骨を押し上げる岩肌の冷たさが、汗と潮まみれの身体に不快感をよりいっそう与えてくれる。
しかし、――――よく生きていたもんだ。
落下したのが浅瀬だったら確実に死んでいた。鞘を失った今でも俺の不死性は失われていないのか? くだらない事を考えながら、俺はボロボロの身体を四つん這いに起こして直角の絶壁を見下ろした。目下にうちつける荒波が俺の心臓をブルりと振るわせる。
「………ねえ士郎君、なんでフリークライムなんかしていたの?」
「 ? 幹也さん。――――――なんでここに?」
後ろから聞こえた不思議そうな声色。
問いだす質問は要領を得ていないが、まあいいか。
頭に引っかかっていた定番?ともいえる海草を投げ捨てて俺は立ち上がる。
「それはこっちの台詞だよ」と苦笑した幹也さんは再度「それで、崖のぼりは楽しかった?」なんて頓珍漢な疑問を真面目な顔で口にした。
「はは、命がけのスリルはコレっきりにしたいですね」
律儀にもその問いに返してしまう俺。
でっど・おあ・あらいぶの境を彷徨ったというのに大した物だと自画自賛。俺の精神は順調に図太くなってきている。先生に感謝しないとな、色々な意味で。
「それで士郎君は何をしていたの?」
薄く笑った幹也さん。
俺はあちこちに危険信号が走る体を力任せに起き上がらせて。
「先生の探し物」幹也さんに一言零す「それと、“彼女”を見つけましたよ」それだけで全てが伝わった。
優しく頷いた幹也さんは、「そう」と潮風を震わせる。
細く、しなやかな白骨。一欠けらもない彼女の遺骨を感情の見えない幹也さんに手渡す。
俺が落下した断崖と海原の狭間。そこには隠れるよう眠っていた誰かの死体/肢体。
掴めば全てが風化するほど置き去りにされていた彼女、俺が救いあげたのは一握のそれだけ。
遺骨と言う、はかない証だけだった。
「ありがとう、士郎君」
「なんで幹也さんがお礼を? 俺も同じですよ、きっとコレは自分の為にしたことだと思うから」
もう片方の手を開く。
そこには果てしない青潭に染まった少し大きめのブローチ、サファイアを囲む四つの黄金で象られた角と覆いを持った、美しい装飾品がそこにはある。
顔面の筋肉は笑顔を繕っているのか、それとも悲しみに引きつっていたのか、よく分からない。どちらにしろ、俺の中に取り残されているもやもやは、未だ解消されてはいないのだろう。
「お~い、衛宮っち。大丈夫だったかぁ~い」
遠くから声が聞こえた。
俺は後ろから響いた元気のいい声の主に振り返る。見れば、岬の階段を駆け登りながら、朝倉が手を振っている。
どうやらこいつは俺の曖昧な達成感など、あっと言う間に吹き飛ばしてしまったようだ。本当、お前がうらやましいよ。
「おう! ピンシャンしてるぞ!」
景気良く親指を立てた俺に朝倉もピースサイン。
どうやら俺が大海原へのフリーホールを満喫した後直ぐに、救助道具を探してくれた様だ。朝倉の後ろにはイリヤと四葉がロープを担ぎながら文句を言っている。
でっかいロープだなぁ。アレを女の子二人で担ぐのはチョッときついぞ。朝倉も手伝ってやれよ。
体を弾ませ彼女体に駆け寄ろうとした瞬間。
「ほう、それは結構。では右手の“大海”を見せてくれないかな、衛宮」
詰まらなそうな、それでいて容赦など微塵も無い声色。間違いない、こんな人が世界に二人といてたまるか。
いつの間に俺の真後ろにいたのか、先生が俺の右手から“大海”を奪い取った。
「ふむ、十センチ四方の楕円形。スカイブルーの緑柱石…違うな、高純度の蒼紅玉か。盾だと聞いていたがまさかこれほど見事な宝石(アクセサリ)だったとはな」
月の光を目明きかりに、先生は“大海”の鑑定をはじめた。「ほう」やら「なるほど」など、品目豊かな感嘆詞が先生の口から漏れる。
俺がやれやれと肩を窄めたその刹那。
気付けば、先生の周りにはイリヤ、朝倉を中心として宝石、“大海”を食い入るように鑑賞する女性の壁が。いつの間にやってきたのか式さんもその輪に加わっていた。
あれだけ見事な宝石だもの、女性ならその反応も頷ける。
そんな光景に目を細めていると、横から小突かれた。
「ねえ士郎君。今のうちに、彼女の“願い”叶えてあげよう、いいだろ?」
先ほどの感情の読めない幹也さんは既にいない、いつもと同じ代わり映えしない“当たり前の笑顔”で、彼は俺に言う。そういえば、まだもう一仕事残っていた。
「ええ、そうですね。場所は分かります?」
「うん。でも、案内してくれると嬉しいな」
「分かりました」と幹也さんの笑顔に当てられ、俺も穏やかに返す。
俺と幹也さんは、イリヤたちに気付かれないように空に近い岬を後にした。
悟られぬよう振り返りみた彼女達。
だけど、何故かシキさんだけが、幹也さんの遠のく背中に気付いているように感じられた。
Fate / happy material
第九話 パーフェクトブルー 了
いちいの木々達が夜天光を覆い隠している。
先ほどの岬と相まって、沃土の強い臭いが獣道じみた狭く細長い坂道に充満している。
そこを抜け出すと、例の廃墟が遠目に見えてきた。
自然と視界に入った邸を囲うアドベのかき。そこからポッカリと顔を覗かせる崩れた車寄せ。明らかな近道であるため、そこから邸内に入ろうと提案したのだが、幹也さんに却下された。
俺は幹也さんの右手、それから少し引くようにぼんやりと正面を見据えた。やってきたのは、先ほどの廃墟、その大げさに構えられた鉛色の格子門を見上げる。
俺と幹也さん、二人は一言もしゃべることはぜず、墓場と呼ぶに相応しい廃れた終着駅を注視する。
思っていた以上に体が軽く、二人を取り巻く沈黙が嫌ではなかった。
俺の来訪を毛嫌いしていた筈の木々達が、今は穏やかに凪いでいる。
幹也さんは無言で扉を開き、踏み込んだ。
自然と後に続いて行く俺の体。男にしては細すぎる幹也さんの華奢な背中は、俺には知りえない優しさが香っている。
切嗣やアーチャーに比べれば、なんて脆く、儚い背中。
だけど、その背中が何にも勝る強さなのだと、同時に分かっていた。
“正義の味方(おれ)”では決して届かないその強さ。少しばかりの嬉しい嫉妬を覚えて、幹也さんの隣に並んだ。
彼は喜びと悲しみの入り混じった貌を無理やり笑顔に繕い、足元の半壊した石碑の前、かた膝をついた。
やはり沈黙、お互いにあるのは追悼を送る静寂だけ。
瞳をゆっくりと閉じた幹也さんは、一体何を思っているのか。そんなの、俺は知らない。
だけど、幹也さんが初めて見せる曖昧な微笑が“シキ”さんに向けられているのは、なんとなく分かる。普段とは異なる笑顔、全てに等しく与えられるその笑みは、この瞬間だけ、唯一人の為にあるように感じられた。
「―――――投影、開始」
静寂を壊さぬように、嘆く。
現れるのは唯のスコップ。現れたそれを使い、無作法にもその墓を暴く。
固い筈の黒土は、表面の砂利を掘り起こした途端、アイスクリームの如く簡単に砂山を作っていく。
幹也さんが沈黙を破った時には、目の前には大穴。中途半端に除かせる棺桶が存在を主張している。
「――――いい夢を」
幹也さんは小さく口を明けた棺に彼女の遺骨を投げ入れる。
再びの沈黙。
届かぬ筈の潮風が、俺たちの髪を撫でていた。
そして、その沈黙を破るように、「そう言えば、――――――」欠けた瞳に触れた幹也さんは。
「―――――――君も、夢を見るのが好きだったね」
何かを振り切るように、そう微笑を零した。
その微笑みは、俺の心をざわつかせる。
何故だ?
そんな事を考える前に、俺は自身の感情に蓋をする。
一歩ひいた幹也さんの前、暴いた墓場を再びもとの枯れ果てた置き土産へと還す。
コレで、お前の願いは叶えたよ。
“ディアドラ”と同じ、共に眠り、告げられる終末。
死後に訪れる永遠の幸せ、せめて、それだけは叶えることが出来た。
俺は、見ることの叶わぬ名前を見下ろす。
辺りに転がる石碑の欠片たち、名前を知ることも叶わないけど。
きっとここには、“彼女”の愛した唯人が眠っている。
もう過ぎ去ってしまったいつかの日々。そこに生きた彼女を、俺には救う術が無い。
俺に出来るのは、センチメンタル(ぬか喜び)の再会だけだ。
永遠の逢瀬。
死後にしか叶えることが出来い“ディアドラ/彼女”の恋、僅かな“願い”。
だからせめて、俺だけは彼女達の幸せを願い続けたい。
例えそれが、彼女達の生涯を否定することになっても、俺はこの願いが間違いだなんて、思いたくない。
「帰ろうか、士郎君」
幹也さんの嘆きに、俺は力強く頷く。
彼も、俺と同じ“優しい願い”を胸に秘めている筈だと信じるように。
「はい。にしても、今日は疲れましたよ。晩御飯が楽しみです」
元気すぎる俺の声に、少しだけ幹也さんが怯んだ。
「そうだね。でも、晩御ご飯の頃合いはとっくに過ぎてる、早く戻らないと」
幹也さんと揃って自分の時計を確認する。
見れば、―――――九時!?
あの岬からここまで、こんなに時間が経っていたのか?
「先生たちはとっくに旅館に戻っちゃっていますよね。やっぱり」
「だろうね。僕達のご飯、残っているといいんだけど」
苦笑を交換して、お互い普段道理の顔かどうかを確認する。
どうやら、俺ももう大丈夫みたいだ。
「四葉の料理は美味しいですし。今日は旅行最後の夜です、きっと夜中まで騒いでますよ」
「宴会か、それもいいね。だけどなぁ、汗もかいたし、僕は気兼ねなく温泉につかりたいよ」
夜まで騒ぐのと料理が残っているかは別問題として、温泉を楽しむのは賛成だ。
軽く汗を拭った幹也さんの顔は、本当に疲弊しきっていた。
どうやら先生にこき使われたらしい、雰囲気で分かるのだ。
何と言うか、生気を吸われてしまった様な顔つきから、先生のいびり方が鮮明に想像できてしまった。渡されるだけ課題をくれたと思ったら、片付くまで放置プレイ。アレはかなり効いた。
「ま、何にしても、美味しいご飯とお酒。僕は楽しみでしょうがないよ」
俺達はこれからのドンちゃん騒ぎを想像して、二人にやつく。
先生や式さん、無愛想でとっつき難いけど、アレはアレで、騒ぐときは以外とノリの良い人たちなのだ。
グチグチ言いながら、ほろ酔いの先生。
不機嫌な顔つきで器用に笑顔を零す式さん。
一人で騒ぎ馬鹿みたいに盛り上がる朝倉、それを嬉しそうに嗜めるイリヤ。
そんな光景を閉じた瞳で俯瞰して、俺はいっそう口元を柔らかく吊り上げる。
「楽しみです」
一言だけ零した俺に、幹也さんは嬉しそうに言葉を付け足した。
「そうだね、楽しまないと。置き去りにしてきたもののためにも、ね」
諭すように刻まれた、俺への言葉。大げさすぎるその言葉に、俺は息を呑んだ。
そんな俺に、微笑を送る幹也さんはゆっくりと踏み出し追い討ちをかける。
「さ、行こう。みんなが待ってるよ」
初めて出会った時の様に、俺は幹也さんを追いかける。
――――――――目指すべき背中が、もう一つ。
彼女の墓に見向きもしないで歩み続ける幹也さん。
俺は、彼の代わりに振り返る。
夜に消え入る視界の先。
未熟に萌える早咲きのイチイが、彼女の最後を彩っていた。
「…………………ってなんだこれ」
旅館の自室に戻ると、見るも無残なお嬢様方が夢の跡。
乱立した空のとっくりは、いつか先生に視せられた剣の丘だ。
「…………………凄いね、コレは」
兵共が夢の跡。
しっちゃかめっちゃかに喰いだおされたお膳や、転がる茶碗。
幹也さんは乾いた笑いで、荒野の中心で大の字を描く美女達を眺める。
コレだけの美女達の醜態、出来れば見たくなかった。
だが、そんな思考の先では、彼女達のこんな無防備な姿が見られるのも俺達だけなのだと、軽い優越感に浸ってしまう。うむ、男とは実に単純な生き物なり。
俺は、中腰で空のトックリを持ち上げ揺する。
しかし、一体どんな経緯でこんな状態に?
俺は天上を仰いで、思考を巡らす。
―――――――だめだ、想像できない。
「まあ何にしても、今晩はご飯抜きかな?」
「みたいですね。はあ、どうしましょう」
二人顔を見合わせたら、思わず笑みが零れた。
「ねえ、士郎君。コレから温泉はどうかな?」
幹也さんは宴会唯一人の生き残り、半分だけ清酒の残された徳利を拾い上げ、告げた。
「いいですね。それ」
手早く二人分の浴衣を用意しながら、幹也さんに零す。
どうやら、考えることは同じらしい。
「片付けは………後でいいかな? もしかしたら皆起きるかもしれないしね」
幹也さんは、そう言いながらも、彼女達に一人一人薄手の毛布をかけている。
そう言う俺も、勝手に動く体がテキパキと後片付けに徹していた。
気付いたときには、部屋が綺麗に片付いている不思議。
「さ、行きましょうか幹也さん。月見と潮風をつまみに一杯。風流ですよね」
「こらこら、士郎君は未成年だろ? 駄目だよ、お酒なんか飲んじゃ」
ちっとも説得力の無い幹也さんの台詞。
お得意の一般論も、今日に限っては切れがない。
「分かってますよ、俺は下戸ですし。今のところそんな苦い飲み物、興味は無いです」
だけど、切嗣と月見をした時の様に、その雰囲気が嫌いでは無かった。
「幹也さんだって、相手がいなけりゃ詰まらないでしょ? 舐める位は出来ます」
一本とられたとばかりに、笑う幹也さん。
「確かに、一人で飲むお酒ほど、不味い物は無いからね。変な話だけど、お言葉に甘えさせて貰おうかな?」
お姫様の寝床に、優しい嘆きを残して俺達は暗闇に溶け込む海を除くため、その場を後にした。
目を閉じれば、優しい叫びと綺麗な彼女達の寝顔が目蓋の裏側に浮かんだ。
そして、神秘の底で過ごした小旅行は、甘い麹と潮風の残り香と共に静かに終えられた。