/ 12.
四葉との遣り取りを終えた俺は、一人寂れた温泉街の喧騒を駆けていた。
時刻は十二時前。向かうのはイリヤ達が待っているであろう操車場。きっと、朝倉を中心にお昼の弁当を買うため駅構内を徘徊している筈だ。
帰りがけ、折角だから四葉に挨拶に言ったら想いの外、話し込んでしまった。
「それはいいけど。待っててくれてもいいだろうに」
朝早くに挨拶を済ませていたイリヤ達はロビーに伝言を残し、サッサと旅館を後にするという蛮行にでていた。
くそう、寝坊したのは俺の所為じゃないぞ。
昨晩、幹也さんと海を肴に温泉を満喫した後、復活したイリヤ達は再び宴会を開いていた。目的の魔具を手に入れた先生は妙にご機嫌だし、式さんの機嫌も悪くは無かった。
それが災いしたのか、ストッパーを失った俺たちの宴会は正しく固有結界。勢いのままに酒を飲まされた俺は、昨晩の記憶などとっくに磨耗していた。
おいアーチャー(抑止力)こんな時こそお前らの出番だろ。しっかり世界からの修正を受けさせろ、アレはどうしたって異界だぞ。
先生の所で無駄に広がった知識を走らせ、一人寝坊した言い訳を考える。なんとも情けないことだ。
自身の思考に決着をつけた俺は、吐き出す息のテンポを上げた。
「―――――――――――――これで、お別れか」
流れていく景色の中で、俺は一人ごちた。
イリヤと共に歩いて回った温泉街、四葉と歩いた海岸沿い。ゴロゴロと俺の脇を抜ける路面電車に情緒をふっと感じる。
微笑を無理やり繕う俺の顔。だというのに、耳鳴りの様に響く潮の音。
俺の中でうねるもやもやは、未だに決着がついていなかった。
彼女の幸せを願う、――――――そう、例え彼女の全てを否定してでも。
その想いは正しいだろ筈だろ?そう告げていた俺の根っこは、四葉との問答の末、揺らいでいた。
何が、―――――――間違っているのだろう。
何かが、――――――間違っているのだろうか?
幸せなど、願いなど叶わなかった“ディアドラ”の生涯。
彼女を救いたいと、だけど救う術など無いのだと、そう納得した。
だから、願うことしか選べ無いじゃないか。――――彼女の幸せを。
例えそれが彼女の一生を否定することになっても、幸せな日々を夢想する事は、願うことが間違いであるはず無い。
だけど、四葉の声、四葉の言葉、四葉の笑顔。それが、こんなにも俺の願いを否定する。
段々と沈み込み、落ち込んでいく思考と言う回廊。
電気信号を巡らせば巡らすほど、俺の歪さは浮き彫りにされる。
あの時、―――――――――問いかけられた言葉。
そして、―――――――――その答えに知らず恐怖していた俺。
いらだつ心象が、俺の中でギチギチと音をたてていた。
「――――――――ハッ、ハッ、ハッ」
気がつけば、目的の場所は目の前だ。
歩幅を緩める時には、人気の無い操車場に辿り着いていた。
俺は我武者羅に乱れる呼吸を落ち着け、沈んだ思考のまま、構内に歩み寄る。
木造のプラットホームから、鳴き声の様な発車の合図が響いている。
いけない、と駆け込んだ体は上手く動かせない。
―――――――――俺の歪な心は、未だ深い深い青のそこにいた。
偽者の体は、答えも見つけぬまま、“幸せ”から元の安穏へと帰る事を望んでいる。
人のいないガランドウの構内を抜けて、俺はイリヤ達の待つ車内にいた。
ガタンと、一際大きな揺れと共に、スクロールしていく物寂しい風景。
俺はグラつく体を受け止めて、イリヤ達を探す。
知らず、ぼんやりと彼女達の向かいの席に腰を落ち着けていた。
時間の感覚は無い、思考するのに余分な情報は全て切り落とされている。
俺は、彼女達の姦しい声の中、一人青い海を眺め続けていた。
――――――――本当、ムカつくぐらいに。
「綺麗な、――――――――――青だ」
Fate / happy material
第十話 されど信じる者として Ⅰ
Perfect blue / in to. 19.
「だって、――――――」
窓から差し込む潮風に、黒髪を揺らして彼は微笑む。
幹也さんは優しく、それでいて揺ぎ無い強さで、俺の心象に侵入する。
この車内で始まった彼との問答。
俺の慟哭を受けてなお、彼はその穏やかな笑みを崩さなかった。
彼女を否定する俺。
彼女を肯定する幹也さん。
互いに望んでいるのは、見つめているのは彼女の幸せ。
だけど、―――――――――。
「だって、――――――彼女は、幸せだった筈だもの」
俺は舌が根元まで口が渇くのを感じた。
「何を、――――馬鹿な、―――――」
幹也さんは何を言っている?
幸せだった?―――――――誰が? どうして? なんで?
報われなかった彼女、望まれなくて、恋をして、失って。
何一つ手に入れず、唯死んだ彼女が、か?
「そんなわけ、無いでしょう――――――――――」
幹也さんの笑顔が、四葉のそれと重なる。
立ち上がりそうな体を、硬い座席に押し付けて、俺は答える。
無意識に奥歯を噛み締めていた俺は、そんな事に気がつくのに数秒もかかっていた。
半開きの車窓から、ウミネコの一際甲高い鳴き声が通る。
「優しいんだね、君は」
俺達は“大海”の、彼女達の願いを叶えた筈だ。
悲恋に塗れた生涯、叶わなかった幸せを、せめて永遠なんてぬか喜びの海に沈めることが、彼女達に与えられた唯一の物だった。
そんな生涯の、―――――――どこに幸せがあった?
「――――――少し、昔話をしてもいいかい?」
イリヤに肩を寄せて眠る式さんを、柔らかく見つめた幹也さんは唐突にそんな事を言った。回顧に浸る彼の横顔は、悔しいけど、カッコいいと思う。俺が目指すものとは違うけど、それでも彼の空気は“正義の味方”にだって負けてはいなかった。
何も言えない俺に、幹也さんは頷くこともしない。彼は、軋んだ車内で、深く腰掛けなおした。
「そうだね、どこから話せばいいのかな」
幹也さんが語ったのは、一人の少年、一人の友達の話だった。
大切な友人だった彼。
そんな彼から、特別なものを手に入れたのだと言う幹也さん。
夢を見ることが好きだった彼。
そんな彼と、一緒にいることが大切に思えた幹也さん。
はじめから狂っていたという彼。
そんな彼を、ずっと信じていた幹也さん。
そして、望んだものなどはじめから手に入らなかった彼。
そして、それを否定できなかった幹也さん。
夢を見続けることを選んだ、愚かな二人の話。
「確かにさ、彼、ううん、“僕達”はついてるほうじゃなかった」
先ほどまで確かに苛立っていた俺は、心に何かが浮き上がるのを感じた。
同時に、沈み込んでいく自身の歪さ。
「彼も、そして僕も、あの時望んでいたモノは手に入らなかった。それどころか、弱かった僕は、彼を止めることが出来なかった。誰よりも夢を見続けるのが好きだったのに、そのくせ、ごうじょっぱりだった彼は、自分の幸せを夢にするのが嫌だったんだ」
幹也さんは自嘲気味に口元を歪める。
「可笑しいだろ? 死んじゃったら、夢を見ることだって出来ないのにさ」
俺は、穏やかに振り返る幹也さんに、どんな言葉をかけられるのか必死に考えていた。だけど、そんなものが在るはずも無く、零れたのは当たり前の“なぜ?”だけだった。
「どうして、ですか?」
「――――――――え?」
不思議そうな彼に、俺は構わず続ける。
「どうして。どうしてそんな、――――――――馬鹿みたいに優しい顔で」
悲しい記憶を、消し去りたいだろうその記憶を、振り返ることが出来るのか。
「分からないよ。僕にも」
フザケタ解答に、再度腰が浮き上がる。
「ただ、――――それでも僕達は、笑っていた」
それを押さえつけたのは、芯から響く彼の声色。
彼の瞳に、俺はいない。
見つめているのは、果てしない、過去と言う深い海だけだ。
「確かに、叶えた願いなんて何も無い。彼の最後だって、本当にちっぽけな物だった。でもね、その、“幸せ”だと、幸福だと感じたその日々を、――――――」
潮風の臭いに除かせる左目は、
「――――――――僕は、間違いだなんて思いたくないんだ」
確かに、微笑んでいた。
「この想いは、もしかしたら自分勝手で、都合の良い言い訳なのかも知れない。死んでしまった彼は、もしかしたら、幸せな僕を恨んでいるのかもしれない」
説得力の無い彼の言葉に、俺の心は真っ白になっていた。
「それでも、僕は彼が幸せだったと信じている。君がいた、その幸せを受け止める。僕達に出来るのは、置き去りにしてきた全ての“想い”を背負い、担うことだけだと思うから」
心象に焼きついていた紅い、朱い、赤い世界。
オレの世界が、“虚無”の無限に融けていく。
「憎しみや、未練。―――悲しみ、―――――――そして、幸せさえも、ね」
衛宮士郎は救われない、いや、救われてはならない。
幸せになる事など、あってはならない。
赤い大地で。
何百の人間が死んだ大地で。
全てを見捨て、救われた俺は、これ以上何を望めばいいのか。
切嗣の理想を受け継いだ。
尊く、美しすぎる願いの果てで微笑んだ、“正義の味方(りそう)”。
それ以上、何を求めればいいのか。
俺は幹也さんに顔を上げる。力を取り戻した瞳で、漆黒に隠れる彼の瞳を探した。
「――――――――そうだろ? 士郎君」
答えるように、揺れる黒髪、除かせる傷跡。
俺は、彼から目を逸らさない。
揺れる車内は、静謐に沈んでいた。
イリヤや朝倉、式さんの静かな息遣いが、今はこんなにも遠い。
何が、―――――“正義の味方”だ。
何が、―――――“全てを救う”だ。
はじめから、何も背負えていなかった。
俺は怖がって逃げていただけだ。
綺麗な理想を、醜い言い訳に使っていただけだ。
幸せを拒否する代償に、俺は、失った全ての命から目を背けていただけじゃないか。
“ディアドラ”、やり直しの中にある彼女の幸せ。
それを信じることで、俺は逃げ出す自分を肯定していただけだから。
「はい、―――――――けじめを、つけなくちゃ」
俺の返答に、幹也さんは頷く。
優しい、それでいて、本当に嬉しい笑顔。
“未来(りそう)”を目指すその前に、“過去(しあわせ)”を受け止める。
オレの世界は既に無い。
だが、心に残る僅かの紅蓮、赤錆にも視える世界の鉱滓は未だ抵抗を続けている。
だけど、幹也さんの前では、どうやらそれも、無意味な行為だ。
「そうだね、僕達の“傷跡”は決して癒えない、誰かの“幸せ”だもの」
無色に還る俺の心象は、もう一度。
「―――――――――いつか、きっと見つけます。俺だけの、幸せを」
果ての無い、アイツとみた黄金の世界に塗り替えられた。
「士郎君の、幸せ?」
「ああはい、なにか変なこと言いましたか?」
心のもやもやが綺麗サッパリ吹き飛んだ俺は、胸いっぱいに潮風のを吸い込む。
車内の空気がにごっているのに気付き、車窓を豪快に持ち上げた。新鮮な空気で肺が満たされるのを感じ、幹也さん向き直る。
見れば、ん? っと、幹也さんが不思議そうな変な顔をしている。構わず、座椅子に腰掛けなおし、「うーん」と大きく伸びをする。反面、「うーん」と幹也さんは難しく眉を顰めて呻っている。
「変なことって、…………僕達は“彼女”の話をしていたんだろ? どうして、士郎君の幸せ、なんて単語が飛び出すのさ?」
「――――あ」
「あ、って何? 僕達はそのことで喧嘩していたんじゃないの?」
俺の態度に、一段と首を傾げる幹也さん。
俺と幹也さんが喧嘩していたかどうかは兎も角、すっかり思考が別の方に飛んで行ってしまっていた。
「まったく、うわの空は駄目だよ。それで、士郎君の意見は変わったかな? 訂正してくれるよね? 彼女の人生が間違いだなんて、不幸しか無いだなんて」
よく分からないが、幹也さんはこの事だけは訂正して欲しいようだ。
俺も異存など無いので、俺と幹也さん、二人の間に満ちるちぐはぐな空気を混ぜ返さないよう、コクリコクリ頷く。
「そう、良かったよ。士郎君が分かってくれて」
幹也さんの顔はそう言って嬉しそうにはなやぐ。破顔する彼は、先ほどと比べて、よほど幼く窓ガラスに映っている筈だ。
俺は、彼に気付かれないよう唇を歪める。
「ありがとうございます。大切なことを、―――――教えてくれて」
そして零した、正直な想い。
幹也さんに向けたその言葉は、あまりに小さい。きっと、彼の耳には届いていない。
だけど、それで良かった。俺たちはきっと、それで。
「 ? 何か言ったかい、士郎君」
「いえいえ、怒らせてすみません。と、申し上げたしだいです」
とぼける俺に、一瞬キョトンとした幹也さんは、こちらこそゴメンと、普段道理の仕草で頬を掻く。俺はようやく取り戻した苦笑で、幹也さんから振り向き、車窓に囲われた一坪の水平線を眺めた。
きっと、彼は夢にも思わないのだろう。
その当たり前の一言が、誰かを救う、はじまりの欠片だなんて。
誰もが持つ“当たり前”。
その幸せを、その全てを受け入れ、微笑むことが出来る強さ。
俺達は、そんな強さを、優しさと呼ぶのではないだろうか。
柄にも無く詩的な思考を、気持ち良さそうに光を走らせる海の所為にして、俺はふっと目を細めた。
俺は、まだまだ歩き始めたばかり。
求めるべき“幸せ”のピースを、探し始めたばかりだ。
「ああ、なるほど。―――――――――だから」
四葉の言葉は、こんなにも、俺の心に残るのか。
(おはようございます、衛宮さん。昨晩は眠れましたか?)
四葉は予想道理、厨房で今晩の下ごしらえを始めていた。
この歳で、これほど白衣が似合う女性もそうはいないだろう。
包丁のリズミカルな音と、湯で立つ熱気。旅行客が少数とはいえ、その作業はどこの調理場でも変わらないらしい。
(今朝は朝食にいらっしゃいませんでしたが、お寝坊さんですね。いけませんよ、無理は体にたたります、頑張っちゃうのも分かりますけどね)
意味深に四葉はニヤリと笑う。
へえ、こいつでもこんな冗談言うんだな。無縁の奴かと思っていたのに。
どちらにしろ、四葉に似合わないその顔を軽く小突いて、山菜を刻む彼女の横に並んだ。
「お生憎だな、誰を選んでも無事に朝を迎えられそうも無いよ。この意味が分かるかな?」
四葉もアッサリと返されるとは思っていなかったらしく、俺と同じように目を丸くする。
朝倉辺りの入れ知恵だろうか? 後でとっちめてやる。
「こんな事をいいに来たわけじゃないんだが、いいかな? 今日で旅行は終わりなんだ、世話になったし、挨拶にと思って。袖振り合うのも多少の縁、って言うだろ?」
使いどころが違う気がするが、まあ良い。
四葉は、嬉しそうに笑って手を休めた。
(それはそれは、ありがとうございます。でも、そうすると、朝ごはんを食べてもらえなかったのは残念ですね。昨晩は満足にお食事を取られなかった様ですし)
そういって、四葉は本当に残念そうに笑ってくれた。
「気にするなよ。お前の料理、美味いのが分かったしな。それに来月の週末あたりにさ、麻帆良に遊びに行こうと思っていたし、顔を出す。お前の料理、あそこじゃ有名なんだろ?」
(有名…かどうかは分かりませんが。そうですね、次にご馳走するのを楽しみにしています。イリヤちゃんの話ですと、衛宮さんもお料理なさるとか、機会があれば、ぜひご一緒に何か作りたいですね)
社交辞令のその言葉も、四葉が言うと何か違う。
料理だけでは無く、彼女の人柄も隠し味の一つなのだろう。
「期待してろよ。男の料理を見せてやる」
さよならを言う雰囲気でもないので、俺はそのまま踵を返す事にした。時間も時間だし、先生たちが待っていてくれるかも怪しい。
焦りを感じた俺は軽く、「それじゃ」と足早に振り返る。
(あ、そうでした衛宮さん。――――クイズの答え)
「あん?」何のことだ、っと振り向く俺。
四葉の景気の良い声が、足を止めさせた。パタパタと白衣の腹で手を拭きながら近づく彼女は、おふくろさんと言う言葉が良く似合う。
(クイズですよ、クイズ。忘れたんですか? ほら、幽霊屋敷に行く海岸沿いの道で)
ああ、と俺は大きく頷いた。
そういや、そんな事を聞いたっけ。すっかり忘れていた。
四葉は、俺の顔色に何を思ったのか、少しふくっれ面で俺に詰め寄る。
(忘れていましたね? 私、こういうの気になる性質で、一晩中考え込んじゃったじゃないですか)
どうしてくれるんです?と、彼女は言うが、……怒っているのだろうか?
俺は彼女の感情を表情から読み取るのを諦めた。この辺が朴念仁と呼ばれる由縁だろう。
「悪い」とおざなりながらも返しては見たが、変な顔をされた。どうやら、別に怒っているわけでは無い様だ。
(それはそれとして。重要なのは答えですよね?)
「まあそうだな。四葉は分かったのか?」
(いいえ。だから聞いておこうと思って。今度衛宮さんに逢えるのは来月みたいですし、喉に骨が突っ掛かったままは、嫌じゃないですか)
どうやら、彼女は本当に俺の問いかけをクイズだと思っているらしい。どうしたものかと頭をかきながら俺は彼女に言う。
「いや、あれはな、クイズでも何でもないんだ。俺が聞きたかったのは四葉にとって“幸せ”って何なのかって事でさ。実に哲学的な問題であったのだよ」
言葉尻の冗談を滑ったのか、四葉は不思議そうな顔をしている。
「クイズにしろ何にしろ、即答できるものじゃないだろ? 悪いな、また蒸し返しちまった」
恐らく狼狽するであろう四葉に向けた苦笑は、意味が無かった。
唇に触れさせた指で彼女はぴんと注目を促す。さも、その問いに答えることが当たり前であるように。
「多くの人に、私の料理を食べて貰う事。それが私の“幸せ”です」
言い切った彼女は、俺に出来ない笑顔を向けた。
「―――――――――――――は?」
解答の早さもさる事ながら、その内容も、実にちっぽけなモノだった。
それだけ? それで、お前は幸せになれるのか? どうやら、狼狽しているのは俺らしい。あたふたと忙しなく変化する顔色から、彼女に俺の考えを読まれた。
(失礼な事を考えていますね、衛宮さん。でも、私は大真面目です)
「あ、悪い。でもさ、本当にそれだけか?」
彼女はそれに(はい)と一言。
それに添えられた笑顔は、否定しようが無いほど本物だった。
(衛宮さん。私、料理をしていると思うんです)
混乱を隠し切れない俺に、四葉は暖かい声をかける。
(私の料理で、人が笑ったり。私の料理に“美味しい”って喜んでくれる人と出会えたり。それだけで、私の心は幸せを感じます。もしかしたら、私の料理を食べた人も、“幸せ”感じているかも知れません)
愛おしそうに、四葉は調理場を眺める。
その瞳は、確かに幸せが満ちている。
(私の答えに何を求めていたかは分かりませんけど、衛宮さんが思うほど、明確な形なんてありません。きっと人の数だけ幸せがあって、幸せの数だけ、人生があるのだと思います。だって、私たちは小さな出来事の中でさえ、幸せを感じられるんですから)
四葉は、絶えない笑みで俺を射抜く。
(どちらにしても、十八かそこらしか生きていない、小娘の戯言ですけどね)
「そうだな。結局、幸せから逃げるなんて無理な話だ」
俺は自嘲気味に笑う。
目を開けば、視界を染めていた青はそこには無かった。
微かに揺れる体が、視界を狭めていく。
少し日焼けた肌から感じる、潮の香だけが俺に感じられたぬくもり。
どうやら、もう直ぐそれすら消えてしまうようだ。
幹也さんとの話しを切り上げて、どれくらい経つのか?
隣に座る幹也さんもいつの間にか、体を揺らし眠りに落ちている。
「眠いぞ。―――――なんでさ?」
幸せでない人生なんて、初めから無かった。
四葉の言葉。
幹也さんの言葉。
――――――――――今は、それが良く分かる。
俺は、段々と間隔を広げる息遣いに安らぎを覚えながら。
「“ディアドラ”。お前も、こんな幸せを感じていたのかな?」
流れる車窓の縁。
俺は、皆と同じ夢を見ることを、確かに望んだ。