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「士郎君たち、帰って来ないね」
僕は真後ろのベンチに腰を下ろす式に声をかけた。
「ああ」とそっけなく返した彼女は、その直後に欠伸。式の中くらいの髪の毛が僕の首筋をくすぐった。
「飲み物を買いに行っただけなのにな」
式の顔は見えないが、詰まらなそうに唇を尖らせているに違いない。
僕達は忙しなく往来しては、即座に流れて行く電車を見送ってばかり。ゆとりを知らないプラットホームの中心で、無為な時間を過ごしていた。
先ほどまでのどこかローカルな情緒は、下車した電車ごと車内に忘れてきてしまった様だ。都心に近づき、生ぬるい雰囲気がコンクリで固められた操車場に満ちていた。
「なあ、幹也」
不意に、彼女は声を零す。
何かを伝えた彼女の小さな唇は、タイミングよく飛び込んだ登りの特急電車にかき消された。聞き返そうと体を捻ると、こちらもタイミングよく、喫煙所から帰ってきた所長に妨げられた。
「まだ衛宮達は帰って来ていないのか? 何をしているんだ、まったく」
間を外された僕は、自分の体でベンチの上にひ弱な“すたちゅー”を作る。
僕は、ため息を零して再び式と背中合わせに腰を下ろす。
「どうした黒桐、不景気な顔をして」
例の“ほうぐ”とやらを手に入れてから、所長は本当にご機嫌だ。
「別に」と返す僕に、気味悪く「そうか」と余裕で答えた彼女。理不尽な彼女に余りある大人の態度は、最近見ていない。
折角だから、眼鏡モードになってくれても良いと思うのだけれど、そう上手くはいかないようだ。
「ねえ所長。今回の幽霊事件は、どうして起こったんでしょうか?」
僕は所長の問いかけに答えるのが癪だったので話題を変える事にした。
聞きそびれた疑問は、所長の顔を不思議そうにゆがめた。
「発端はね、時計塔から“大海”が盗み出された事に原因があったんだ」
「盗み出された?」
「ああ、馬鹿な事をしたものだよ。協会所属の三流魔術師が、どこをどう間違えたのか厳重に保管されていた筈の宝具なんてしろものを盗み出してしまった。犯人自体は直ぐに鮮花が拿捕したらしいのだが、肝心の宝具が見つからない。犯人の自供によって、大海がここ日本に郵送されたのが判明した。大方、協会の手が届きにくい日本へ宝具ともども姿を眩ます心算だったのだろう」
所長は僕の隣に腰を下ろし、徐に“大海”と呼ばれた大きなブローチを僕に手渡した。
「大海の所在を掴んだ協会は、すぐさま日本に使いを送り大海の回収を急いだ、だけどね、見つからなかったんだ」
「どうしてです?」
「君も知っての通り、大海自身が姿を眩ませてしまったからさ。衛宮の話しを聞く限り“大海”は自身が幻に象どられる。輸送中、訪れた例の町で紛失した。共振現象によってある種固有結界を形成した“大海”はものの見事に霧散していたのさ」
僕は右手に輝く青いサファイアのブローチを眺める。はじめてみる宝石の大きさに僕は思わず唾を飲み込んだ。
魔盾大海。
所長はそう言っていたけど、見ようによってはそう見えなくも無い。ミニチュアサイズの盾と言えば伝わるだろうか?
「協会は焦るさ、何せ現存する宝具。貴重な神秘を紛失したともなれば、右へ左への大騒ぎだった事だろう」
僕は大海から視線を所長に戻す。
見れば、クツクツと真っ白な歯を覗かせていた。
「そこで妙手を打ったのが鮮花さ。何せ時計塔がそれなりに揺れた事件だ。もしもアイツが“大海”を回収できれば、協会上層部に大きな“借り”を作ることが出来る。自分の価値を上の奴らにアピール出来る良い機会だからね。私のところに電話を寄越したのさ。ま、そもそも、アイツ一人で宝具の回収まで完遂するのがベストだったんだがね」
「詰まり、オレ達に面倒事を押し付けて、手柄を一人締めって事じゃないか。鮮花の奴、俺たちを便利屋か何かと勘違いしてるんじゃないのか?」
所長の言わんとする事をいち早く掴んだ式が、突然後ろから毒づく。苦笑は送る所長は、式の意地悪い言葉を否定することはしなかった。
「まあそれは兎も角、私も“大海”に興味があった。可愛い弟子のためでもあるが、久々の旅行も楽しめて一石三鳥だぞ? 何か問題があったのかね?」
僕は大きなため息をついて零す。
「それじゃ、偶然に偶然が折り重なって、今回の事件は起こったんですね」
何かどっと疲れが出てきた。
もっと宿命的な出会い? みたいな雰囲気を感じていたのだけれど、僕の思い違いだったらしい。
「そうかな? 偶然などね、世界に散りばめられた必然の一つだよ。君たちの出会いも、運命なんてロマンチックな必然なのかも知れないな」
「所長、――――――――――――――」
嬉しい言葉に、自分の顔が笑顔になる。
曖昧な表情は、その言葉ではっきり喜びを感じられた、なのに。
「しかしまあ、その逆もまた然り。そう言いたいんだろ、橙子?」
「所長、……………………………………」
「おい式、勝手に人の台詞を取るな」
僕の態度の何が面白いのか、式と所長は同じような忍び笑いを木霊させる。
すべり込んできた列車にお礼を言わないとね、あのまま理不尽な攻防の渦中にいたら、どうにかなってしまう。
「さて、――――――――どうやら衛宮たちも帰って来たな」
所長は華やかな笑顔と共に行軍する、二人の声に振り向いた。
さっきまで、どこか落ち着きの無かった士郎君はイリヤちゃんと和美ちゃんの遣り取りに困ったような顔をしていた。
だけど、素直じゃないね。君も、僕も。
「―――――――先に行く、後から来るといい」
所長は僕の顔を見送り、衛宮君たちに「遅い」と軽く叱責の言葉を投げて、電車に乗り込む。それに続いたのは女の子二人だけ。
士郎君は、遅れた原因であろうお菓子とジュースの山を抱えてよれよれと後に続いて行く。
「―――――――――――ねえ式」
士郎君が電車に乗り込むのを確認して、僕は口を開いた。
電車が離れるまでまだまだ時間はある。僕は式に振り返る代わりに、右手に残った“大海(かのじょ)”の感触を確かめた。
■ Interval / for all believer ■
「さっきはさ、何を言おうとしたの?」
式の前髪はピクリと揺れる。
彼女を瞳に捕らえなくとも、僕は彼女の仕草など空気の変化で想像できる。
「あのさ、お前。――――――なんで、あんなに怒ってたの?」
式の声が少し小さい、僕にはその理由が分からなかった。
正面に見える列車の群れは、どうしたってジオラマの様にしか見えなくて、僕はリアリティにかける雰囲気を怖く感じた。
「――――――――――何のこと?」
「さっきの 電車。………衛宮とさ」
「ええ!? 式、君、起きてたのかいっ!?」
僕の声がホームの中に響いている。
「まあな」とそっけなく頷いた彼女は僕に構わず言葉を投げた。
「それでさ、お前はどうして怒ってたんだ? お前があんな顔するの、初めてだろ」
僕はその問いに式の嫉妬を感じていた。
式の知らない僕の顔を、士郎君に見せた事。そのことに、式が苛立ちを覚えているように感じられて、僕は凄く嬉しい。
「そうだね、はじめてだよ。自分でも意外だった。しかも、その苛立ちをぶつけた相手が士郎君だなんてね。本当、驚いた」
だけど、もしも僕が怒りを覚える誰かがいるとしたら、それは士郎君以外ありえない。それも、僕は同時に感じていた。
「だけど、もう大丈夫。よく分からないけどね、“今”の士郎君には不思議と今まで感じていた曖昧なモノが無いんだよ」
僕は、首を落として瞳を閉じる「なぜかな」そう説いた言葉は「さあね」式に思考の余地も無く返された。
「でも、なんとなくでいいなら分かるな。衛宮が変わった理由」
「―――――――――え?」
「鈍いな、相変わらず」
式はギシリとベンチに深く腰掛けなおした。だけど、少しばかり式の背中が遠い気がする。
「お前は黒桐幹也だろ? 誰かが変わるには充分すぎる理由だよ、それ。オレが保証する」
よく分からない。
でも、その声色からは式の笑顔しか感じられないので、別にいいかと納得してしまう。
「それでさ、お前が怒ってた理由、いい加減話せよな」
話しは戻って今度は式の声が一変した。
「だってさ、士郎君は“彼女”の生涯を間違いなんてゆうんだよ? 彼女の生涯を否定するって事は、“識”を否定するって事だろ。そんなの、絶対に僕は許さないよ」
でも、僕は式に動じず返す。だって当然だ、こんなの、口に出す必要も無い。
「ああそうか、幹也もまだ、―――――忘れて無いんだな」
嬉しそうな空気が、閉鎖的な駅内に満たされる。
「――――――――当たり前だろ? そんなの」
僕は、自分の言葉になんら特別な物は感じない。
けれど、それでも式が笑顔でいてくれるのなら、それで構わなかった。
「当たり前ね。――――相変わらずずるいよ、お前は」
式の気配が背後から消えたかと思えば、彼女のぬくもりは僕の直ぐ隣にあった。
「どうしたの? 突然」
式のぎこちない笑顔、それでも、昔よりもずっと綺麗な顔だ。
「別に。お前の背中、アイツとオレ、二人も背負ったら重いだろ? だからさ、俺はお前の“隣”でいい。お前の左側でさ」
少し朱に染まった式は、誰の目から見ても無理をしている様に見えるだろう。
僕もやっぱり男なのだ。そんな彼女を、抱きしめたいと思っても、なんら罪に問われないと思う。
「ねえ幹也」
「ねえ式」
僕たちの声に重なるように、所長たちの乗り込んだ電車から、甲高い電子音。
どうやら、考えていたことは一緒だったらしい。
どんな甘い言葉より、どんな強い抱擁よりも、僕はこの瞬間が好きだ。
どんなちっぽけな事でも構わない、同じ願いを持つ瞬間にこそ、幸せは溢れていた。
「そうだね、もう少し」
ロマンチックなんて何も無い、この場所で、―――――――君と。
走り出す、送り火のような車両を眺めて僕らは幸せを噛み締めた。
僕の背中にある、確かな温かさは、けして夏の暑さの所為ではない。
そうだろ?――――――――識。