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「はあ」
シチューの底が焦げ付かない様に、俺はノンビリとお玉を回してため息。最近、溜息が板についてきて酷く情けない。
イリヤリクエストの海鮮クリームシチューの出来は最高だって言うのに、何なんだこのうかない気分は。
「なにさなにさ、その鬱陶しいため息は。止めなよ~幸運が逃げてくよ~」
「そうよシロウ。折角いい気分でお風呂上りの爽快感を満喫しているのに」
風呂上りのイリヤ、晩飯時になると必ず顔を出す朝倉を無視して、鍋を弱火に。後はゆっくり煮込むだけだ。玄関横の時計で時刻を確認しながらエプロンを外す。
「ねえねえ、それでさ、今日の晩御飯は何?」
時刻は七時前か。
入れ替わりに台所に向かう朝倉を尻目に、俺は居間に腰を下ろして先ほどまで読んでいた本を手にとる。
同時に、イリヤと朝倉が揃って見ていたニュース番組の喧騒が耳についた。無表情なニュースキャスターが西日本で多発する怪死事件の詳細、そして相次ぐ行方不明者の安否を気遣いながら番組を進めている。だが、俺が心に嫌な物を感じたのも一瞬、美人のキャスターは画面から消え、壮年の男性が和やかに進めるクイズ番組にブラウン管は顔を変えた。
どうやら、イリヤはテレビに夢中のようだし、読書の邪魔にはならないだろう。
しおりを外し、目的のページに視線を落とした。
俺が今、頭を痛める変化の魔術、それについて事細かに書かれているのがこの本。アルベルトゥス・マグヌス著、“鉱物書”。その写本、そのまた再版本だ。
本来、魔術書とはそれ自体が神秘を内包する限定、もしくは補助礼装の事をさす。優れた魔術師によって書き起こされた本は、俺が識る剣達と同じく、高みにある一つの神秘だ。故に、俺が手に取る再版もしくは写本など、一般の魔術師に多く出回っている神秘の劣化した本は、一般に“魔術教本”と区別するのが通例らしい。だが、面倒なので俺は魔術書と一からげに纏めて呼ぶことにしている。だって楽だし、その方が。こうやって人は自堕落の無限地獄に嵌るのだろうか?
「おおっ、今日はクリームシチュウだね? 良いじゃん、良いじゃん衛宮っち」
「ええ、今日は私のリクエストなの、楽しみね」
「かあ~見せ付けるねぇ、私のリクエストはたまにしか聞かないくせにさ」
「………………カズミ、今まで貴方がリクエストした物、初めから列挙してみなさい」
「大トロの握り、サメのひれ、カレー、真っ黒な粒粒、……あと、なんだっけ?」
「………………さあ、ガチョウの肝臓じゃない?」
変化の魔術は元を正せば錬金術にその源流が在る。唯の石ころを金に変える、本来在りえぬその反応を、神秘を用いて行使する。ソレが錬金術だ。
今でこそ、錬金術はアトラス院の専売特許となっているらしいが、時計塔にも、元来あるこの流れを汲んだ錬金術師も少なからず存在しているとか。
「カズミ、冷蔵庫に麦茶があるからとって貰えるかしら?」
「はいよ~、――――おおお、この黒い光沢を放つ物体はぁ」
「コーヒーゼリーよ、昨日シロウが作ったの。今晩のデザートね」
「すげ~、わんだふぉ~!!!」
13世紀。
マグヌス伯はアリストテレスの流れを汲む、超一流の錬金術師としてその名を刻んだ。
なぜ俺がこの人物の錬金術書を読んでいるのか。それには勿論理由がある。大体、変化の魔術について知りたいのならば、一般にある魔術書を読めば事足りる。
魔術回路から別の物体の回路、概念線への接続法。属性からの派生概念の抽出、注入、固定。果ては類感を用いた属性の置換などなど。これら一般の工程は、俺でも努力しだいでどうにかなるのだ。
「ねぇカズミ、七時から面白い番組やってないかしら?」
「ん、チョイ待ち。さよ、お隣さんちの新聞盗み見してきてよ」
「新聞、そこにあるじゃない?」
「気分の問題だって。何ていうのかね、情報屋のプライドがそうさせるのさ?」
「…………へんね、今日はそんなに暑くないはずだけど。っていうか犯罪よ?」
だが、ここで問題になるのが俺の属性。余りにもマイナーすぎる俺の属性は、通常の魔術教本では扱いきれていないのだ。
「剣」いわゆる世界の理をなす五大属性にあぶれてしまった俺は、世界と言うプログラムへのアクセスが非常に困難だ。
この問題を解決するために、先生が俺に薦めたのがこの本だった。
何故なら、題名にもあるように、この本は“金属”変化、そして嬉しい事に、特異な魔術回路、属性からの世界、概念干渉に要点を置いたものでもある。正に「剣」である俺の為に書かれたと言っても過言では無い。
「お、帰って来たね。ふむふむ、イリヤちゃん、プリーズ、リモートコントロール!」
「何よこの番組、いいわ、やっぱりニュースにしましょう」
「そんなあ!? コレから、カレー神父とマーボーシスターが熱い抱擁を交わす最高に訳の分からないシーンなのに!!!! どうして、この味が君には分からぬ!? 神父さんが怒るぞ、イリヤスフィール嬢!!!! チャンネルをプリーズ!!」
「嫌。だってつまらなかったもの」
「ぐは!? 大人の余裕で子供理論!? 歩み寄る余地もねえ!?」
つまり、なにが言いたいかと言うと。
「――――――だああああ! うるせえええええ!!!!!!」
まったく集中できないと言う事だ。
「晩飯をやらん! これ以上俺の邪魔をするなら、シチューはやらねえ!!」
魔術書を放り投げ、完全に逆切れ。
晩飯時に魔術の勉強など甘いことを考えた俺がいけないのは分かっているのだが、言わずにはいられなかった。冬木の土蔵がどれほど俺にとって重要だったか、しみじみと感じる。
「なによそれ!? 横暴よ、職権濫用よ!!!」
「そうだそうだあ!晩御飯をだしにするなんてずるいぞ~、我々は断固反対する!」
「大体、騒いだのはカズミじゃない! 罰を受けるなら彼女だけよ」
「そうだそう、――――ちょいまて。なにさ、その鮮やか過ぎるカウンター」
たかがシチュー、されどシチュー。侮りがたし、我が家の白い奴まーくつう。
があーと血相を変えるお嬢様方に俺は、一瞬たじろぐも、引き下がらない。
「食券乱用もしていなけりゃ、シチューを出汁にも使ってないぞ! 晩飯が出来上がる少しの間位、俺に静かな読書の時間をくれても良いだろう!」
自分でも訳の分からぬ事をのたまい、二人に切り返す。
当然、意味は無い。
「ふ~んだ。いくら魔術書を読んだって無駄よ~。トウコだって言ってたじゃない」
鼻を尖らし、俺を見下ろすイリヤ。それに賛同するのは朝倉だ。くそう、確かにソレも事実だが、大事な一言が抜けているぞ。悔しさのままに、俺は言葉を叩きつけた。
「そんなの分からないだろ!? 知識はあるに越したことはないんだし!」
「む。――――――何よ、今日は随分と突っ掛かるじゃない、シロウ」
「いいぞお、やれやれえ!!!」
ああいえばこうゆう。実に低レベルな遣り取りの応酬は、どれだけ続いたのか分からない。
段々と加速していく攻勢、そしてボリューム。もはや収拾のつかないと思われた俺とお姫様二人の遣り取りは。
「うっさいよガキども!! 近所のお姉さんの事を考えやがれ!」
玄関は弾ける様に空気を入れ替える。
半纏を着込んだお姉さんの最もな一言で、あっけ無く幕を引かれた。
Fate / happy material
第十二話 スパイラル Ⅱ
先生の所でランプを爆砕すること八十八回。稀にみるナイトメアから早一週間。玄関隣の小窓から差し込む夜風は、初秋の匂いを運んでいる。
デザートのコーヒーゼリー、少しせっかちだが、バイヤーのお姉さんからお裾分けの柿をつまみ終え、今は腹ごなしのティータイム。イリヤは最近、和風びいきの傾向が強く、玄米の香りを右手にずっと口直し。朝倉はねっころがって、テレビの虫。二人とも既にお風呂を済ませているため、辺りはお茶とシャンプーの香りで一杯だ。
男の俺にしてみれば、少し落ち着かない。
そんな羨まし過ぎるカタルシスを払拭するため、俺は無駄だと言われても、やっぱり魔術書を片手に変化の工程について学んでいた。
「衛宮っち、コーヒーお代わり」
ぴくりと、俺の眉毛が釣り上がるのを感じた、―――――がしかし、我慢だ我慢。俺はアダルト、アイツはチャイルド。行動原理学から言えば、喧嘩は発生しないのだ。堪えろー、俺ー。
俺はゆっくり立ち上がって、コーヒーを入れる。勿論、最高に濃ゆいのを。流石にブラック党のこいつでも相当効いたらしい、一瞬息を詰まらせる。や、我ながらささやかな自制心でした。
「う゛んん」っと咳払いをした朝倉はコーヒーをちゃぶ台に乗せると、ゴロゴロ転がりだした。こんなんでも、麻帆学の成績優良者なのだから、世の中神秘に満ちているものだ。
「あ~しかし暇だね。最近なんか面白いことあった?」
暇なら帰れ、俺は魔術の勉強に集中したい。出掛かる言葉を飲み込む。
もはや晩飯をたかられる事になんら疑問を抱かぬ、自身の愉快な脳みそを蹴飛ばして、魔術書を食い入る様に見つめた。
なになに。変化の起点、その志向性?
「おーい、気いてるかあ?」
類感によって置換した自身の属性を、魔力と共に概念の“根底/0”に流し込む事で魔術的な反応で起る変化の矛盾を最小限に留め、魔術行使による状態変化、そして志向性を限りなく自然な流れへと――――――よく分からん。
「無視すんなよ~、衛宮っちの赤裸々体験をブロードキャストすっぞ~」
「――――――――――おいこら、物騒な事言うな」
思わず突っ込んでしまった自分に、「仕方ねぇなあ」と毒づいて、読書を諦める。
後ろめたいことなんて、………ないよな、多分、きっと。
「おお、やっと反応したね。ほれほれ、気い張ってたって頭になんか入んないよ、らりっくす、りらっくす、らりりらっくす?」
「はいはい、分かった。分かったからその変な言葉使いをやめてくれ」
未だ、ラリラリ言っている朝倉に、疎ましげな苦笑をくれてやる。
標準以上の美少女のこんな醜態をまじかで拝める俺は、果たして幸運なのだろうか? それとも不幸なのかしら?
差し込む秋風は少し肌寒い。どうやら、後者のようだ。
「ふう。……なんにしても、少し休憩。気い張ってるのも、事実だしな」
丁度、脳みそが臨界に来ていたところだし、小休止だ。
肩を回して足を投げだすと、大きく息を吐き出した。朝倉の言うとおり、気をやりすぎていたのも本当だった。
「そうそう、シロウは休むのがヘタなんだから、しっかり息を抜きなさい」
「あ、――――――――悪いな、イリヤ」
狙いすました様に、イリヤが盆にのせられたコーヒーを手渡す。ちなみに、淹れてくれたのは朝倉だ。例えインスタントでも、香り立つ湯気、そしてこいつらの気遣いも相まって、凄く上手そうに見える。――――――――だが、お約束どおり凄く苦い。朝倉、さっきの報復にしてはタイミングが最高すぎるぞ。
「しかし、衛宮っちは読書の秋かい? 似合わないねぇ」
「う~ん、そんな高尚なもんじゃない、いうなれば、プライドの問題だ」
こいつの報復にリアクションするのも癪なので、さらりと返す。案の定こいつは不満そうに指を鳴らした。
しかし敵も然る者だ、気にした様子も無く、返す。
「プライドね。私にゃよく分からないけど、何にかの魔術でも勉強してるのかい?」
「ああ、変化の魔術についてちょっとね、―――見てみるか?」
俺は興味深げに朝倉が視線を送っていた“鉱物書”を手渡す。
ぺらぺらとページを繰る朝倉の隣から、イリヤが専用の茶碗を片手に、シルクのパジャマ姿で顔を覗かせた。和洋ごちゃ混ぜのいでたちの筈が、イリヤがすると全く不自然では無かった。
「シロウも勤勉よね。トウコも言っていたじゃない、必要ないって」
イリヤは胡坐をかく俺の向かいで腰を落とす、彼女の顔がぐっと近づいた。
「今の貴方に必要なのは鍛錬や知識の溜め込みじゃない、“きっかけ”よ。新しい魔術を覚えるためのね」
俺の憂鬱の原因を、さらりとおっしゃってくれます。
俺は頭をがりがりと掻き毟り、大きく息をつく。同時に思い起こされる先生の言葉。
でも実は、あんまり覚えて無いんだよな、あの時のこと。
一瞬天上を仰ぐ俺の仕草から何を思ったのか、イリヤの円らな瞳が段々と半眼に落ち込んでいく。
「まさか、シロウ。あの時の説明、よく分かってないんじゃ………」
「そ、そんな事は無いぞ? ほら、あの時は俺も先生もヘロヘロだったしさ、ちょっと覚えが悪いかなあ、なんて?」
ああ、イリヤの視線が痛い。仕方が無いだろ、なんせ八十八個のランプを粉々にした後だ、体は勿論、頭だってまともに働くわけが無い。
「――――――それで貴方はどこから分かって無いのかしら」
「いや、別に分かって無いってわけじゃ、――――――――」
イリヤの半眼はいつの間にか小さな唇と一緒に綺麗な笑顔に変わっている。
俺の心は既にギブアップを決めていた。当然だ、俺はフェミニスト。決して女性は怖いなあ、なんて思った訳ではない、あくまで女性に譲歩しただけだ。
「どこからかしら?」
「はじめからご教授お願いできますでしょうか、レディ」
「宜しい」
姿勢を正して正座。
イリヤはどこから持ってきたのか縁無しの眼鏡を小さな鼻にのせ、きりりと振舞う。
「パジャマルックに先生眼鏡―――――ぬう、コレは。どうです解説の衛宮さん?」
「そうですね、とにかく黙れ?」
「は~い」
いつの間にやら俺の隣で同じように正座する朝倉を一喝。
面白けりゃ、こいつは本当に何でも良いらしい。俺が貸していた魔術書はいつの間にやら備えつけの本棚の中に。
手ぬぐいでポニーに纏められた朝倉の髪が、俺の右肩に触れる。彼女は背筋を伸ばして俺に視線を送った。
「ね、イリヤちゃんはさ、一体何を始めるのさ?」
「多分、先週先生の所で習った魔術講座のおさらい。技術やら行使の工程云々じゃなくて、もっと根本的な魔術原理についての話だったのは覚えているんだけどさ」
「テーマを覚えていても内容忘れてるんじゃ意味無いじゃん」
「………それを言うなよ」
肩を落とす俺。ま、最もだけどな。そこらへんは、成績優良者のお前にゃ分からん。だってな、それは脳味噌の奇跡であり、ミトコンドリアの叛乱であり、要するに俺が馬鹿だからだ。
朝倉はパジャマ代わりに来ている無地のTシャツをボリュームのある胸で上下させる。ケラケラ笑いながらの謝辞では、全然骨身に沁みてこない。
「ほら、イリヤも真面目に話してくれるみたいだし、あんまりフザケタ態度はいかんだろ」
朝倉をイリヤの方に向き直させる。
俺達の遣り取りに何の突っ込みも入らないところをみると、イリヤ、相当気合を入れて教えてくれるみたいだ。
「そうね、それじゃ基本中の基本、魔術の定義からお話ししてあげましょうかしら? 先週の鍛錬でも、トウコの話はここから始まっていたしね」
うんと頷いたイリヤは指を鳴らす。同時に手狭な室内は暗転、狭いアパートに神秘気的な雰囲気が充満する。視れば、イリヤの横にはさよちゃんがせっせと、小道具やらなにやらを調達している。どうやら、さよちゃんは今回イリヤの助手を務めるようだ。解析を走らせると、イリヤとさよちゃんにラインらしきモノが繋がっている感覚、イリヤの魔力供給によって、さよちゃんを可視化状態に切り替えたのだろう。
「はい、それではカズミ君。魔術とは何かしら?」
「人為的に神秘や奇跡を再現する事の総称です。イリヤスフィール先生」
イリヤ、朝倉共々ノリノリだ。
しかし、ま、たまにはこんなのも良いだろう。
「正解ね、よく出来ました、カズミ。花まるをあげる」
「凄いですねぇ~和美ちゃん」
さよちゃんは、ポルターガイスト現象やら血文字を使って我が家の白壁に朝倉の解答を記していく。確かに魔術の勉強っぽいけどさ、消えるのかソレ? こんなオンボロアパートでも、敷金ってのは馬鹿に出来ないんだぞ。
「それでは、シロウ君。その神秘は、具体的にどのように起っているのでしょうか?」
ぬ、以前の俺なら、答えられないであろう難題を振られた。だがしかし、先生に鍛えられた俺の脳みそは伊達ではない。
朝倉は面白解答を期待しているようだが、甘いぜ。
「魔術とは魔力を持ってあらかじめ世界に定められたルールを起動、自然干渉を起こす術式。つまり、世界というシステムに呪文と言うコマンドを送り、神秘(プログラム)を実行する工程をさしていると思います」
「正解。シロウ君にも花まるをあげるわ」
「衛宮さんも凄いですね~」
頬を伝う生暖かい感触、俺のほっぺに真っ赤な鮮血の花まるが描かれる。
朝倉と俺のほっぺには揃って血文字の花まる、当事者だから言えるが、俺達は愉快な顔にマテリアライズされていることだろう。
「それじゃ本題に入るわね。確かにシロウの言う通り、魔術とは世界の基盤にコマンドを入力する事で顕現する。ただ注意して欲しいのは、この“世界の基盤”言い換えるならシステムは共有資源であると同時に、各門派の魔術師によって独占されているものなの」
イリヤは腰に手を回し、三つ網を軽くゆらす。
「門派が独占? 何だよそれ、どういう事だ?」
「例えば、“火をおこす”って言う術式が世界の基盤にあるとしましょう。この神秘は様々な魔術的アプローチで同じ現象を顕現させる事が出来るの。例えば、そうね“燃えろ”と言うコマンドでその魔術を発現させる者がいれば、“焦げろ”と言うコマンドで神秘をなす者もいる。異なったアプローチで異なった回路を使用、そして同種の現象を施行する、この神秘を代々発展させ続け、自己の魔術となす、コレが私たち魔術師の“魔術(プログラム)を創る”工程」
俺は朝倉と揃って顔を見合わせる。どうやら、俺たちの魔術知識にそれほど開きは無いらしい。揃って首をかしげた後、俺はおずおずとイリヤに質問を返した。
「う~ん、よく分からん無いけど、世界にある魔術式を“発掘”するってことか? ようは、火を起こすって神秘はその世界(システム)にある回路(プログラム)を発掘し、保持しているからこそ、魔術式を起動できる。そして尚且つ、その工程には魔術師ごとに違いがあると」
イリヤは、少し驚いたように「あら」っと、背中をやや後ろにひいた。
俺が話しの要点をキチンと抑えたことに、少なからずの驚きを覚えたからだろう。
「そうね、魔術師は先祖が膨大な年月をかけて発掘した“世界の回路”を魔術と呼び、一つの魔術体系にする。遠坂にしてみれば、宝石魔術と…もう一つ、アインツベルンにしてみれば聖杯の創造。これらの魔術式を世代を超えて発展、そして発掘を繰り返し、魔術師は家系を大きくさせていくの」
さよちゃんがアパートの白壁に走らす血文字は、イリヤの説明に追いついていない。気にする様子も無いイリヤの早口に待ったをかける為、俺は右手を軽く上げた。
「ああなるほど、正当な魔術師の家系に生まれた奴は、体系的にある“既に発掘された”魔術を刻印、そして血統として受け継いでいく。だから、そいつらは生まれながらに魔術を“知っている”」
自身で口にして、俺はイリヤがこれから話そうとしている事にあたりを付け始めていた。したり顔の俺に、イリヤが確認の意味も込めて頷く。
「そうね、一般に魔術師と呼ばれる家系は、大抵の回路を発掘して保有している。複雑高度な魔術(プログラム)は刻印として後世に残す必要があるけど、基本となる魔術式は“血統”として受け継がれているの」
もはやイリヤの解説について行けなくなった、板書?担当のさよちゃんに苦笑をプレゼント。俺は詰まらなそうに体を転がす朝倉の隣で、自身の結論を、正座を解いてイリヤに伝えた。
「俺みたいなぽっと出の魔術師に才能が無いっていうのは、その“世界にある回路”を体系的に保有していないから。――――――魔術を新しく“発掘”する必要がある、そりゃ、大変なはずだ」
今でこそ、鍛錬をこなしながら強化、解析、投影と言った魔術を行使している俺だが、大前提として、“魔術の発掘”と言う工程が存在していた。
“覚える”事と“学び伸ばす”と言う過程は似ているようで全然違う。
かつて俺は、切嗣の元で強化や解析の魔術回路を発掘していた。だからこそ、曲がりなりにもその魔術を行使することが出来たんだ。
――――――――だが、変化の魔術はどうだ。
コレは俺がまだ“覚えていない”そして俺の回路が“知らない”魔術だった。
強化、解析、投影。俺の“世界”に付属していた魔術。俺が“知っていた”魔術では無い“変化の魔術”。
つまり、今俺がこなす工程、ソレは衛宮士郎が初めて“魔術を学んでいる”ことに他ならいんだ。
「“変化”の魔術は、―――――俺の世界に無かったんだな」
俺は思わず嘆いた。
その有耶無耶な言葉に、イリヤはゆっくりとした挙動で眼鏡を外すと。
「そう。貴方に必要なのは知識や技量じゃない。貴方の回路と貴方の世界にある“変化”と言う術式。ソレを見つける“きっかけ”が今の貴方に一番必要なものなのよ。分かった? お兄ちゃん」
先ほどまでの作り物じゃない笑顔で、俺を向かえてくれた。
イリヤのその笑顔、いや、イリヤだけじゃない。ヒトが作る笑顔とは違う、誰かが零す微笑が、俺には本当に価値あるものに思えた。
今までの俺は、誰かの笑顔と幸せ。ソレを本当に理解していたのだろうか?
「――――――――ふん。何、恥ずかしい事を考えているんだか」
「どうしたの、シロウ?」
俺に向けた嘲笑はイリヤの言葉に打ち消された。
彼女は、三つ網を解いてお茶で喉を潤した。
「いや、何でもないさ。朝倉とさよちゃんが詰まらなそうだし、今日はコレぐらいにしておこう」
「そ。貴方がそう言うなら、ソレもいいわ」
イリヤは再度指を鳴らす。
明かりを取り戻した室内は、いつもの喧騒を心待ちにしていたようだ。ちかちかと照らす電灯は、どこか嬉しそうに日常への回帰を祝ってくれている。
俺はソレを合図に、退屈が臨界を超え、後数分もすれば決壊しそうな朝倉に声をかけた。
「おい、朝倉。トランプ……そうだな、ばば抜きでもするか? 退屈を紛らわすには最適だと思うんだが?」
最初に口に出すのがこんなもので申し訳ないが、たまにはこんなのも良いだろう。
面子も四人、丁度いいしな。
俺は立ち上がり、箪笥の中からごそごそと、しばしば紛失するホビーの王様を探す。
「お。あったあった、懐かしいな、こういうの」
「おお、衛宮っち。ナイスだよ」
「いいわね。タイガに鍛えられた私の実力、見せてあげるわ」
「あの~、私どうやってすれば」
振り向けば狭い居間の中心、ちゃぶ台の上にリロードされたお茶菓子や急須。
みんなやる気は満々だ。
明日の仕事に遅れないように、早めに切り上げられれば、嬉しいんだが……難しそうだな。
最後の望みと時計を振り返る、―――――幸い九時。
彼女たちを満足させるには充分な時間があるようだ。
窓越しに見える三日月は、秋の夜長を象徴するかのように高く高く輝いていた。