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「何? 身体に強化の魔術を行使出来ないかだと?」
麻帆良の吸血鬼事件解決から日付も大して変わらぬ、ある夜。
今日も式さんとの鍛錬を終えた俺は先生の工房にやって来ていた。
伽藍の堂の三階に位置するこの部屋は、骨董品染みた裸電球が懸命に光を放つ八畳の空間である。
人形やその他魔術関係の道具を作成するこの工房の中には、所狭しとバラバラになった人間の腕や足が散らかっていた。
作り物と分かってはいるものの、存外にいい気はしない。
先生は平気なのか?
「私は気にしないよ。それよりも、何で今更強化の魔術なんだ?」
毎度の事ながら、なんで先生は俺の考えている事が分かるんだ?
俺が難しい顔をしたのも束の間、先生は充分な長さの残るタバコを灰皿に押し付け返答を求めた。何時もの如く湧き上がったどうでもいい懸念を捨て去り、俺は吃る様に口を開く。
「それはですね――――――――」
麻帆良での死徒狩り。記憶が余り鮮明では無いが、それでも苦渋の末に奴を討滅したことは疑いようが無い。それも、桜咲と二人がかりでだ。
あの事件で、俺は決定的に思い知らされた。人外との身体能力差、それが、俺の想像以上に巨大なハンディキャップであることを。
確かに身体は人並み以上に鍛えてはいるが、それはあくまで一般人でのレベルだ。オリンピック選手に届きはしないし、ましてや“人間以上”と自称する人外の連中と真っ向からの勝負だなんて出来るはずが無かったのだ。
思い返せば、聖杯戦争。あの戦いで英雄達と同じ土俵で戦ってきた俺は“人外”吸血鬼のことを軽んじていたのかもしれない。
それを俺は、麻帆良での初仕事から学んだ。
「ふむ、確かにね。君の杞憂も分かるが………」
先生はいかんともし難い表情で俺の身体を流し見ている。
足の先から余り上背の無い俺の赤い髪まで品定め。今夜は珍しく室内でも厚着をしている俺だが、どうしてか寒気が背中を伝った。
「君も知っての通り、自身の強化は難易度が高い。私は肉体が専門だからな“身体”がらみの魔術だし、教えられない事は無いんだが」
そして先生には珍しく、ハッキリしない台詞が帰ってきた。
伺い知るに、先生の瞳は自身を喪失しかけている。そうして俺は、よせば良いのにポロリと漏らしていた。
「 ? 何が問題なんです?」
「………ふむ、いい機会だ、一つ言ってやる」
何かを諦めた様に、先生は内ポケットより二本目のタバコを取り出し、火を付けた。
「君の魔術なのだがね、解析の魔術以外、殆ど進歩が見られないんだ」
咥えタバコのまま、頭(かぶり)を振る先生。
「強化にしろ類感にしろ、一応使える様にはなっている。が、所詮はその程度。詰まりだ、衛宮士郎。この封印指定の魔術師・蒼崎橙子を持ってしても、君に魔術を教えるのは魔法に至るのと同格の難題なのだよ」
先生の瞳に冗談の色は無い。
全て真実、全てが事実と怒りさえ含んで俺を貫く。
「………………それはつまり」
「よく聞け、ヘッポコ王。君の才能では体の強化など出来はしない」
また、それですか?
Fate/happy material
第一話 千里眼
/2.
「それで? 何だってオレ達はまだココに残らなきゃならないんだ?」
先生の死刑宣告より一時間後。
何故だか俺を含め伽藍の堂全メンバーがお茶菓子を囲って雑談を始めた。
並べられたソファーと硝子で作られたお洒落な卓袱を囲んで女性陣は腰を据えている。時刻は八時、金曜の夜という事を考えれば皆とっくに帰宅している時間だ。
式さんが殺意、もとい不満を込めて先生を睨みつけている。あの怒りよう、今夜は帰り掛けに幹也さんとデートの約束でもしていたのだろうか?
「ふむ、衛宮から先ほど話を聞いてね。中々に興味深いテーマだったのでこうしてお茶のネタにでもと思った次第だ」
先生は草加煎餅を砕いてから口に入れ、切り出す。
彼女は平時の如く薄い嘲笑を絶やさない。こっちはヒヤヒヤものですよ。
「まあ今日のデートは諦めてくれ、これも私達の弟子のためだ。なあ、式?」
ニヤニヤしながら強気な彼女に視線を投げる先生。
普通気付いていても言えないと思います。
「――――――――――っつ!? 何でお前が!?」
頬を赤らめ怒り出す式さんは、恥ずかしがりながらナイフを構えるという離れ業をやってのけた。やっぱり今日はデートですか、分かり易くも可愛いらしい。
羨ましいぞ幹也さん。
「まあまあ、式も怒らないでよ。それで橙子さん、士郎君がどうかしたんですか?」
幹也さんは後ろから式さんを普段の調子で宥めてはいるが、少し影がかかった顔色が気になった。幹也さんも表情を抑えているようだが、先生の理不尽な物言いに苛立っているのだろう。ちょっと、眉毛がひくついている。
「……俺から説明しますよ」
呆れ返り俺に視線を送るイリヤに頷き、俺は首をもたげた。
先生に任せていたら、いつまで経っても本題に入れなさそうだしな。
/3.
「――――――ふうん、なるほどね。確かに面白そうな話じゃないか」
俺が話しを終え、最初に口を開いたのは式さんだ。
彼女はソファーに深く沈みこむと、やや思案顔で俺の顔を窺っている。先ほどの剣呑な不陰気は既に無く、俺の問題に頷いてくれた。
ずっと一口、専用の黒い茶碗で口を潤した彼女はソファーに浅く腰掛け直し、口を開く。
「様は、その“強化”って奴を使わずに人外連中と渡り合うにはって事だろ?」
俺は妙に嬉しそうな式さんの声に頷いた。
先生曰く、俺に身体強化の魔術は使えない。なら逆に、それを使わずに人外の連中と渡り合うにはどうしたら? というのが、今夜皆に残って貰った理由だ。
そうですよね先生?
「その通りだ。中々に面白いテーマだろ?」
先生は俺の視線を受けて、付け足すように肯定の言葉を示した。
「お兄ちゃんは色々と大変なのね」
こちらはイリヤ、式さんお勧めの薄皮饅頭を頬張りつつ口を開いた。
人事の様に俺の身体を頭からつま先まで眺めたイリヤ。俺はそんな彼女の態度に、頭に降ってわいた疑問を投げる。
「なあ。イリヤは身体強化の魔術、使えるのか?」
自身の防衛は魔術師にとって不可欠な要素でもある。なら、イリヤもそれなりに自衛のための手練手管を持っているはずだ、以前の氷、水を使った攻撃呪然りである。強化は割と基礎の魔術みたいだし、イリヤが必修していても可笑しくはない。
「当然じゃない。身体強化は確かに高難易度の魔術だけど、ある程度までの能力なら割と簡単に強化できるわ。様は錬度の差よ、強化は初歩にして極めるのが困難な魔術。私じゃ精々成人男性位の力までしか強化出来ないけど、専門の使い手ならそれこそ人外連中と同格の力を得られるでしょうね」
何でもないわよこれ位と、流し目でフフンと胸を張る妹。
なるほど、イリヤの小さな身体で“青・倚天”を振り回せるのはそう言う事ですか。
「…………才能の差が恨めしい」
八つ当たりの様に目の前の煎餅に噛り付き俺は零した。
毎度の事ながら式さんの持ってきたお菓子は美味すぎるぞ。
「そう卑屈にならないで士郎君。いつか良い事もあるよ」
俺にお饅頭を薦めながら幹也さんが俺の肩に手の平を落とす。
有難うございます、饅頭の甘さが身に沁みるなぁ。
「おいおい……衛宮、論旨がずれているぞ」
呆れながらお茶を啜り先生が軌道修正を試みた。
くつろぐ式さんに身体を向けた先生は抑揚のない声で問いだす。
「それで、どうだ式。殺し合いはお前の十八番だろう? なにか意見はあるかね」
先生の言葉に俺の後ろの幹也さんは顔をしかめていることだろう。
「彼女の特技が殺し合いって……」今にもそんなため息が聞こえてきそうである。
そんな幹也さん心の葛藤に気付いた様子も無く、式さんは続けた。
「どうもこうも無い、技術を磨くしか無いだろ。少なくとも俺が殺しあった人外連中は能力の劣勢なんかどうにでもなったぞ? 吸血鬼にしろ魔術師にしろ、人間の性能で勝てない相手じゃない」
煎餅を食べる手を休め、俺は式さんの言葉を受け止める。
その通りだ。身体能力の有無が勝ち負けを左右する訳じゃない。
タカミチさんや桜咲は、その能力差を覆せる技量と経験、そして戦闘者としての卓越した才覚であの吸血鬼と渡り合っていた。
「だがね式、それを今の衛宮に求めるのは酷だろう? 君も知っての通り、こいつは才能と言う言葉から最も遠い男だ、技術云々では如何しようも無い壁が在る」
先生、間違ってもそれはフォローではないです。
打ちひしがれた俺を、笑いを堪えて盗み見した先生は、ため息を一つ吐いて明確な事実を式さんに叩きつけた。
「身体能力の劣勢。衛宮にしてみれば壮絶なハンデだぞ」
これから俺が非日常の世界に生き続けるならば、正義の味方を追い続けるならば、この壁は何としても乗り越えなくてはならない。能力の壁、人としての劣悪が俺の前に厚く聳え立つ。
「―――――――――――――――――」
しかし、沈黙が堕ちたサロンの中不適な笑みで式さんは先生の指摘に切返した。
「――――ああ、知ってるよ。衛宮じゃオレの様な戦いは出来ない。だけどな橙子、こいつは一つだけ。何よりも優れた部位がたった一つだけあるんだ」
思わず顔を上げ、式さんを注視した。
「――――――――――それはな“眼”だ」
俺は式さんの言葉にだらしなく口を空けてしまった。
「気付いて無いのか、衛宮?」
首を横に振り、俺は式さんに返した。
俺も含めた面々も顔を傾げている。
「幹也達はともかく、橙子、お前もか?」
「ああ、初耳だ」
先生は探求者の眼差しで、式さんの言葉を待っていた。
まだ知らぬ境地に足を踏み入れる喜びを噛み締める様に、先生は式さんに先を促す。
「まあ、話すより見せた方が早いか」
式さんはめんどくさそうに立ち上がり、俺を手招き。
何でそんなに冷たく笑っているんでしょうか?
「衛宮、オレんちの日本刀、簡単なので良いから創れ。鞘ごとだぞ」
言われた通り刀を投影し、式さんに手渡す。
不適な式さんの笑みは、更に歪に美しくなり。
「―――――――――――――!?」
刹那の間に投影した刀を抜刀した。
刃が俺の前髪をチラつかせ、数本が風に乗る。
「――――――――――――なんで、オレの刀を避けなかった」
式さんが不愉快そうに俺を睨みつけ刀を鞘に納める。
彼女の突拍子のない行動にイリヤは騒ぎ出すが、そこは式さんと付き合いが長いだけの事はある、幹也さんが冷静にイリヤを取り押さえ、唇に指を沿え沈黙を促した。
「――――――なんでも何も、避けられませんよ」
つーか殺す気ですか。
突然の出来事に腰を抜かしていた俺は、その場にへたり込んで式さんを見上げた。最後の強がりと、声が震えなかったのは上出来だ。凄いぞ、俺。
「―――――だろうな、それじゃ質問を変える。今の一太刀、視えていたか?」
質問の意図が見えない俺は、勢いのままに頷いた。
――――――――その答えなら、Yesだ。
死徒の、人外による一撃でも俺は違える事無く両の眼で捕らえきれた。
でもまあ、見えているから避けられる物でもないんだけど。今の抜刀だって、見えただけで避けるなんて不可能だし。
呆れる式さんは先生に眼を配り視線で遣り取りしている。
「これで分かったろ。運動神経も反射神経も並みの癖に、“視覚”だけはずば抜けているんだよ。他にもこいつ、大抵の距離なら肉眼で殆ど視認出来るってゆう出鱈目さだ」
着物の裾を不機嫌に直す式さんは自分の抜刀を視認されたのが気に食わないのか、雪だるま式にイライラを募らせてこの話しの要点をついた。
……なるほど。
あの戦いで初めて、いや、正確には二回目のランサーの襲撃で、俺が馬鹿みたいに速い槍を避ける事が出来たのはそんな要因もあったのかもしれない。まあ、あくまで可能性の話しだが。
「つまりさ、衛宮の戦闘における最大の利点は“眼の良さ”なんだよ。性格といい身体の作りといい、こいつは剣士じゃなくて弓兵だな」
ぬう………確かに俺は“アーチャー”だけど、釈然としないぞ。
「なるほどね、こいつは盲点だ。しかし式、所詮は“眼”だけだぞ? 人外の動きが視えた所で避けられなくては意味が無いだろう」
「そこまで責任取れるかよ。最低でも視えているんだから、反応位出来るだろ? 致命傷は避けられる筈だ、そっから先は衛宮が自分で何とかするさ」
「確かにな。そこまで我々が心を遣る必要は無いか。では今後の修行内容だが……」
「ああ、それで問題ないだろ。その方が叩きがいがある」
「そうだな、では………」
俺の介入する余地も無く、今後の修行プランが駆け足に決定されている。
どんどん単語が物騒になっていくのは気のせいだ、気のせいに決まっている。
ごめんなさい、嘘つきました。お願いですからあの二人を止めてくれ。
「…………ふむ、眼球の強化位であれば今の衛宮で何とかなるだろ。聞いての通りだ。今後の鍛錬では眼球強化の魔術と変化の魔術を平行で進める、差異は無いな?」
式さんとの話し合いが一段落したのか先生が快感に歪んだ顔で俺を見ている。
今頃先生の脳内には、俺を甚振る阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されているに違いない。
「…………ありません、ご指導の程お願いします」
――――――――頑張れ、俺。
「よし、話しは終わった。幹也、行くぞ」
朽ち果てた俺の背中の向こう側では式さんが幹也さんの首根っこを引っ掴んで余所行きの準備を始めている。
式さん、デートはまだ諦めて無かったんですね。
「そんなに慌てなくても大丈夫だよ、式。――――それじゃ所長、士郎君、イリヤちゃん来週ね」
とは言うものの、幹也さんはシッカリと準備を終えていた。
何を言ったところで、彼も式さんとのデートを楽しみにしていたのだろう。
時刻は未だ九時。
今日は雲ひとつない綺麗な夜空が広がっているし、夜景を眺めながらのディナーは最高だろうな。
「式。レディーだって攻めるとこは攻めなくちゃ駄目なんだからね、頑張りなさい」
イリヤが壮絶に色っぽい顔で式さんにエールを送っている。
………意味分かって言ってるのか? イリヤさん。朝倉の入れ知恵だろうけど、あんまり感心はしないな。
「な、ば、違!? 今日のデートはそんなんじゃ!?」
イリヤの言葉に再度真っ赤になって否定する式さん。
「大丈夫だよイリヤちゃん。それは男の人の仕事だからね」
爽やかな笑顔と共に、耳まで真っ赤にした式さんの手を引いて事務所を後にした幹也さん。
微笑ましい限りだ。そして羨ましいぞ、幹也さん。
「まったく、いつまで経っても進歩の無いことだ」
先生は幸せそうに窓から見える二つの影に視線を落とした。ジッポは勢いよくタバコの火をともし、二人をみおくる。
さて、今日の仕事も終わったし。
明日からの休日、ゆっくり休めればいいんだがな。