/ feathers.
「ねえせっちゃん。さっきは何を話たん? 衛宮君と」
このちゃんの賑やかな声を背に受けて、少し肌寒い初秋の夜風を肌に晒す。藍色のジャージは通気性がよく、鍛錬を始めたばかりの体を良く冷やす。
時刻も十一を追い越しているのだ、それも当然か。
「――――――――何も。としか答えられませんよ、このちゃん」
少し重めの竹刀を一つ振り下ろす。このちゃんに感情を見せず答え、神経を引き伸ばしたまま、二つきり上げ、三つで呼吸を整える。
私は常の日課である鍛錬を、今日も欠かさず行っていた。
ただ、剣を振り回すだけの単調な研磨。
私たちの住居であるアパルトメントから、十分もかからぬ公園は人の気配がなく、人知れず励むにはうってつけのロケーションだった。
「そうなんか? 詰まらんなぁ~」
だった。
と言う過去形なのは、今晩に限り、何故かこのちゃんが着いてきたからだ。彼女はブランコを軋ませながら、興味本位のイジワルい顔を私に向ける。
あの顔は暫く見ていなかった。
ネギ先生達と分かれてからお嬢様はあの様なお顔を滅多なさらない。やはり、彼女は衛宮を見ていると思い出すのだ、何もかもが楽しかった、あの頑張り屋の少年と過ごした日々を。
普段はチカチカと点滅を繰り返し、役に立たないブランコ脇の外灯が、今日はやけに張り切っている。どうやら、今晩は明るい光の下での鍛錬になりそうだ。
「つまらなくて結構。しかし、いいのですか? お嬢様。この時間は貴方も鍛錬の筈でしょう。こんなところで油をうっていては、ロンドンで頑張っている明日菜さんに、おいていかれてしまいますよ?」
「酷いなぁせっちゃん。今日くらいええやん、多めにみてぇな。それと、またお嬢様って言った」
頬を膨らせた彼女は、ぶーたれながらブランコを大きく揺らす。
「ふふ、まあ良しとしましょう。しかし、このちゃんも本当に魔術が上手くなった。大した物ですよ、人払いの結界をこうも見事に張れるのはね」
私は先ほどの言葉とは裏腹に、幼い頃からの親友に優しく言う。
素振りを休めた体が秋風に当てられた。
木枯らしは朝霧の様な汗をすっと心地良くぬぐってくれた。
「ありゃ? 気付いてたん、おかしいなぁ、結構上手いこと敷けたと思ったんやけど」
「充分見事ですよ。ただ、結界の縛りが甘い。このちゃんの課題は兎にも角にも魔力制御ですから。剣を持ったとき感じました、このちゃんから漏れ出す微細な魔力をね」
逆に言えば、剣を持ち精神を緊迫させるまで気付かなかったという事だ。お嬢様が魔術を研磨なされてまだ四年、才能があるとは言え本当に感心する。
「しかし、どうしてまたこんな真似を?」
それはさておき、お嬢様はどうして人払いの結界なんかを張ったのか、理解に苦しむ。私は器用に「分かりません」と顔を作って彼女に尋ねた。
「分からんの?」
私は首を横に振って答えて見せた、だが、お嬢様はやれやれと肩を持ち上げた。
「たまには親友と二人きりでお話ししたいやん。こんな綺麗な月の夜は特に。な?」
お嬢様は私とは異なる艶のある黒髪を靡かせてブランコを囲う鉄枠に腰を落ち着ける。彼女の白いガウンは、外灯の光を反射し、その美しい黒をより一層漆黒に染め上げていた。
「やれやれ。今夜は本当に月見と縁がある様だ」
お嬢様は綺麗になられた。女の私でも見惚れるほどの艶やかさ、羨ましい限りだ。
そう納得し、自身の汚い黒色の髪に触れ、頷いた。
「こらせっちゃん。なんやその疲れた友人みたいなお座成りな態度は? 衛宮君とも二人きりで月見したんやろ? もうウチのことは飽きてしもたん? 親友のことも楽しませて~な」
私の仕草を気遣うように、このちゃんは姦しく秋の夜空に澄み渡る言葉を放つ。
透き通る十月の寒さは、少しも感じられない。むしろ、埃を巻き上げる夜風は心地良いくらいに私の髪を撫で付けてくれた。
「はい、分かりました。月の綺麗な夜は、それも良い。そうですね、このちゃん?」
私このちゃんの隣に腰を下ろし、彼女と一緒に退屈な時間を過ごす事にした。
黒髪と白のお召し物を纏う我が親愛なる姫君。
隣に控えたジャージの従者。
自身の滑稽な状況を想像し、薄く微笑んだ。それにこのちゃんも気付いたのか、彼女も微笑む。
きっと衛宮が今日この街に訪れなければ、ありえなかったであろう絵空事の語らい。頼りない正義の味方が運んでくれた小さな退屈を、今夜、もう一度。
■ Interval / 白い二の羽 Ⅱ ■
私はこのちゃんの右手、彼女のそれよりも錆付きの酷いブランコに揺られて息を吐き出した。
アレからどれ位このちゃんと話していたのだろうか?
ネギ先生が赴任してきた頃の話から始まり。
このちゃんと私の転機となった修学旅行。
そして、楽しかった日々の終わり。
確かに幸せだと感じた、だけど何かが止まってしまった日々。
衛宮と知り合い、何かが終わって、何かが始まった錯覚。
頼りない正義の味方と初めて出逢った時の話。
そして。
「―――――――似てるよな、衛宮君て」
どうしても重なる、彼と彼、――――その、曖昧な話。
きいっと一際大きく揺れたこのちゃんのブランコ。果たしてその音色は、私のものなのかも知れないが、結局分からず仕舞いだ。
「はい」
私はこのちゃんの突然の、いや、きっと待っていたその言葉に頷いただけだった。
近くに自販機でもあれば、手持ち無沙汰な今の空気に間を持たせる事も出来るのだが、生憎、閑散としたこの公園の近くにはそんなモノは無い。
辺りでざわつく木々の茶色は、どこか落ち着きがなく風に揺れている。
「ネギ君と衛宮君、年齢も性格も、勿論顔つきだって全然違うのに、なんでこんなに似とるんやろね?」
恐らく気付いているだろうその答えを、このちゃんは私に真剣に問いだした。
それが妙に可笑しくて、思わず顔が緩んだ。
「そんなの、簡単ですよ。このちゃんも、分かっているんでしょう?」
零した私の本音に、このちゃんは何故かきょとんとしたような顔を私に向けた。
どうしてだろう? と思考する間も無く、彼女は私に聞き返してくれた。
「せっちゃんは分かるん? どうしてネギ君と衛宮君が重なるのか?」
否定の同意を求めた先ほどの問いは、いつの間にか興味の疑問へと赴きを移していた。
しかし意外だ。このちゃんも、気付いていると思ったのに。
「はい、それは、―――――――」
答えを口にするその逡巡、先ほどまで懸命に光を放っていたオレンジ色の街灯は急に頼りなく瞬いた。麻帆良の街には珍しい、造詣をまったく凝らしていないありきたりの街灯は、どうやら直ぐにでも事切れてしまうようだ。
「それは?」
私は口に出す言葉に一瞬の戸惑いを感じたが、このちゃんの妙に優しい顔を見ているうちに、そんな思考を切り捨てていた。
私は、元気良く足を蹴り上げブランコを揺らし、空を仰ぐ。
「それはきっと、ネギ先生も衛宮も一生懸命だからですよ」
なんて単純な答え。
それを、私は秋の夜空に放り投げる。
頼りなくて、優しくて、女性に甘くて、真直ぐで、上げればきっと無数に重なる彼と彼。
だけど、二人の根底にあるものはきっと一つだけ。
辿り着けないその背中を。
辿り着けないその願いを。
辿り着けないその理想を。
誰よりも一生懸命に信じぬく、その、子供みたいに無邪気な瞳が。
誰よりも一所懸命に追いかける、その、綺麗過ぎる尊い瞳が。
私には勿体無い位、―――――――――――――眩しくて。
「だから、あの二人は。こんなにも、誰かを惹きつけてしまうのでしょうね」
吐き出した靄は、私に感傷を飲み込む間も与えず、紅に染まりかけた樹木が囲った夜空にかすんでいく。
私の隣、ブランコをゆるりと止めたこのちゃんは、優しいその微笑を崩さずに瞳を閉じた。
彼女を囲み、その数を増やしていく木の葉の衣擦れの如き音色。
夜天をにぎわす枯葉の散り行く様は、なんと綺麗なことか。
それは黒い世界が、決して一色に染められてはいないのだと感じさせてくれる。
「そっか。“一生懸命”……か。確かにそうや、あの二人、一生懸命に頑張っちゃうところがこんなに似てるんやね」
「はい。とっても」
私の感じた幻のようなその世界を、このちゃんは当たり前の微笑で否定し、そして迎えてくれる。それが本当に嬉しくて、私も薄く笑いを零す彼女に、頭を垂らして答えた。
「ふふ、そうやね。危なっかしくて、ほっておけない末っ子属性万点の二人やもんな」
「末っ子属性……ですか? いいえて妙ですね、否定できません」
私は時々飛び出すこのちゃんの不思議な冗談に苦笑しながらも頷く。気がつけば、普段道理に言葉を交わしていた。
「そやろそやろ? せっちゃんもやっぱりそう思うやろ? 特に衛宮君なんて、ネギ先生以上に頑張り小僧なのに、魔術とかの才能無さそうやん? へたれで弱虫で、おまけにへっぽこそうやん? 心配でたまらんよ」
「はいはい、そう思いますから冷静に。ご自分の台詞を振り返って下さい、このちゃん。衛宮が今の言葉を聞いたら、確実に泣きますよ」
私はここにいない衛宮に「ごめんなさい」と繰り返しながら、このちゃんに同意しつつも、一応の体裁を取り繕うよう試みる。だが、それはどうやら失敗に終わってしまった様だ。
そんなたわいも無い遣り取りは、鈴虫の声に加速され、留まることなく秋の夜空に響いていた。
「さ~って。いい加減眠くなってきたし、ウチはそろそろ戻るね」
段々と笑いを落ち着かせたこのちゃんは、ぐ~っと気持ち良さそうに伸びをする。随分と話し込み、ブランコに固定されていたであろうその体がしなやかに反り返った。
「あ。お送りしますよお嬢様」
本当に月見をしただけで満足そうに顔を破顔させた彼女に、先ほど注意された呼び名を使ってしまった。
「ええよ。今日は私と話してくれたせいで、あんまり鍛錬してないんやろ? せっちゃんの唯一の趣味みたいなものやし、続けていいよ」
クルリとお姫様みたいに振り返った彼女は、本当に可愛い。私に向けられるのが勿体無い笑顔だ。
「そうですか。それではもう少しだけ、お言葉に甘えます、――――このちゃん」
「うん。よろしい」
彼女はそう言って走り出す、どうやらキチンと彼女の呼び名を訂正したことが功を奏したようだ。私はブランコに寄りかかったまま、守るべき彼女の背中を見送る。
「あ~。それと、せっちゃあ~ん」
竹刀を探し遊具から腰を上げると、公園の入り口から大きな、だけど聞きなじんだ可愛らしい声がした。
「明日は、衛宮君達を図書館島に連れてくからな。今日の鍛錬は張り切り過ぎたらいかんでえ~」
言葉の裏側にあるものを読み取った私は、彼女に見えるように大きく頷く。
私は今度こそ視界から消えた、大切な親友を見送った。
空が高い。
二人で見上げた夜空は、あんなにも暖かく感じたのに、今はどうだ。
「何を、――――――――私はっ」
曖昧な衝動は必要ない、そう納得し、竹刀を左手で被せる様に脇に抱える。
仮初の納刀状態を得る私の竹刀は、普段よりも冷たく、そして重く感じられた。
「――――――――――---------」
衣替えに伴い色を変えた草木の香を運ぶ夜風。冬の気配が巻く月の下、乱れた呼吸を整え自己を限りなく透過する。
白い翼を隠し続ける私だ、“我”を否定し、止水の境地に埋没することはそう難しいことでは無い。
目前の大木、公地において最も丈夫であり、程よく枯れ木を散らす其れに、私は殺し、研ぎ澄まされた一閃を振りぬく。
「外法と兵法との間、今一段あると為し、―――――――」
炸裂音は一瞬の内に収まらず、掻き消える。
流す二の太刀。
捉えるのは二十四の舞い落ちる枯れ葉。
「刀を鞘より抜くと打つとの間髪、絶えざる事を戦塵と仕出し」
瞬きの間に叩き落すこと実に十五。
神鳴流。
京の深山に秘して伝わるこの秘剣は、剣術よりも抜刀術に近い。
野太刀より鋭くのびる一刀は正しく神速。居合いの其れと変わらぬ必殺だ。
しかし、其れだけが我が流派の極意には在らず。
圧倒的な閃きで繰り出される初撃、その加速を纏ったままの二刀。そして三刀。
抜刀により放たれた圧倒的な走駆を止めず、鍛え抜かれた強靭をもってなおも追迅を引き絞る。
残る枯れ葉は、―――――九。
「是、秘史たる御剣と号し、一刀に舞を以て、―――――――」
剣術と抜刀術の混濁、魔を殺戮す魁の剣。
必殺にして殺陣。
繰り出す一刀は必ず見敵を屠り、止まらぬ剣に終わりは無い。
だが、人を守り、救うために生まれた私の秘剣。
その極意はまだ先だ。
剣術と抜刀術の融合、そして退魔剣術に昇華された私の秘剣は、まだ届かぬ先がある。
私は二つを残し、舞い散るそれらを回天の七刀で塵に返す。
「魔を敷き、皇頂く秘剣也、――――――――」
再び象る、抜刀の型。そして、――――――。
「人心果たせし身命。終の閃、弐ノ太刀をして、―――――――――“神鳴”となす」
振りぬいた一刀。
其れは真っ二つに舞い散る二葉を寸断した。
「―――――――ふう」
私は大木に体を預け、見事なまでに寸断された枯れ葉を、ぬばたまの視界に捉えた。
億劫な体をずるりと沈ませ、寄りかかったまま腰を下ろす。
「―――――――――やはり、私では」
今宵も励めど成果は一向に上がらず、か。
無様に分かれた枯れ葉を手に取り、冷たい風に其れを流した。軽く、重さを感じさせないそれらは、瞬きのうちに私の視界から夜の雨戸に消える。
どうやら、明日は雨の様だ。変わりやすい秋の空、分厚い雲が空を隠す。
神鳴流における最後の奥義、――――――弐の太刀。
人を傷つけず、悪しきのみを断つ秘奥の剣。
その本質は、“悪意”あるモノを絶つ人の願いの象。
天然自然と人を守り、魔を敷く剣。故に本来であれば、私の放つ刃が枯れる二葉を寸断する道理は無い。
熟達の剣士であるのならば、己が意思で任意の“悪”のみを屠れようが、残念だが、私には未だそんな芸当は出来ない。
そもそも、私が弐ノ太刀を放てた事など、一度も無いのだ。
重い腰を上げて、埃を叩く。そしてごちた、認めたくない、だけど認めなくてはならぬ、鏡の如き私の言葉。
「混血、―――――――か」
果たして、魔を継ぐ私にこの刃を振るうことが出来るのか。
人の退魔意思。
七夜のそれほど奇異にして特出してはいなくとも“業/技”として昇華された神鳴流、最後の一太刀。血統とは異なる体系で受け継がれる、人の意思を、果たして混血の私が。
「担うことが、出来るのか、―――――――――――――」
吐き出した問いには、どんな想いが込められていたのか。
答えなど無い、きっと誰も答えてなどはくれない。
夜空は時機に衣を変える。
滴る雨が頬を濡らす前に、このちゃんの所に戻ろう。
最後にふと思う―――――守られているは一体誰なのだろうか?