/ 6.
「―――――――――凄いな。壮観だ」
湖のど真ん中に浮いた一つの孤島。
俺は近衛と桜咲に案内されて、世界中の本を一箇所に集めたんじゃないかと錯覚する巨大な図書館の中にいた。以前麻帆良を訪れたときにも気にはなっていたんだが、まさかこんな立派な図書館だったとは。
見渡す限り本の山。正直、それ以外に適当な言葉が思いつかない。
「本当凄いね。サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会を髣髴させる外観にも驚いたけど、中はそれ以上だ」
「さん、じょじょじょ、―――――何だって、幹也?」
幹也さんは舌を噛んだ式さんにゆっくりとリピート。結局、式さんは繰り返すのを諦め幹也さんを睨むだけだ。
「早口言葉みたいだな、その、三女る序、―――――――言えん」
吐き出す疑問は、口下手も相まって言葉にならなかった。
適温の暖房が厳かな空気を満たす高い天上の図書館で、俺の様な人間は実に不釣合いだ。
「サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会よ、シロウ。イタリアのヴェネツィア、十六世紀に建築されたパッラーディオの設計で知られる島全体を修道院にした建物のことね。それよりも、意外なのはコクトーよ、貴方、博識なのね」
俺の舌足らずな言葉からキチンと意思の疎通をしてくれたイリヤは、言葉の通り控えめな驚きを幹也さんに送る。なんでお子様がそんな事知ってんだ? 俺にはそっちの方が驚きですよ。
「はは、そうかな? 所長のおかげで色々手広く調べ物をさせられたしね、そのおかげかも知れないね」
少し嬉しそうに微笑んだ幹也さんは、前を行く近衛たちに追いつき、声をかけた。
「それで木乃香ちゃん、刹那ちゃん。今日はどこに案内してくれるのかな?」
二人は振り返り、俺たちを見渡す。
「はいな。今日の麻帆良ツアーはなんと、――――――」
連れてこられたのは巨大な木製扉の目の前。自分の身の丈を遥かに超える本棚の森を抜けて連れてこられたその場所で、桜咲と近衛は楽しそうに微笑んだ。
「今日ご案内す「ドキ☆ポロリもあるよ、図書館島探検や!」」
まあ、とにかく。今日も退屈はしなさそうだ。
Fate / happy material
第十六話 スパイラル Ⅲ
「つまりだ、ある種ダンジョンみたいなこの図書館を、皆で探検しようと。そう言うことだな?」
近衛のやたら分かりにくい説明を稚拙な頭で翻訳してみたところ、大体の辺りはつける事ができた。俺は確認の意をこめて、黒いタイと茶のロングスカートと言ういでたちの桜咲に回答を求める。
「―――――――はい、お手間を取らせました。衛宮」
こめかみを押さえて髪を垂らす桜咲。
その疲れた友達具合がまた素敵だぞ。
俺の思考に気付いていないだろう桜咲は、「うんっ」と咳払いを残して顔を上げる。
「皆さんはご理解いただけたでしょうか? この図書館島地上一、二、三階は通常の蔵書ばかりですが、この扉から閲覧が可能な地下の保管区、特に地下十階以降には“こちら側”の蔵書が所狭しと並んでおります。一応一般人でも閲覧可能ですが、そのためには様々なトラップを掻い潜らなくてはなりませんので、唯人が進入できるのは精々地下五階までといったところでしょうか? それより先は私たち魔術師、もしくはこちら側の人間以外は侵入できない仕組みになっています、皆さんはその例に当てはまりませんので特に問題ありませんね」
俺と桜咲の遣り取りから、状況を飲み込んだ伽藍の堂の面々もやっとのことで頷いてくれた。それはさておき、今桜咲は聞き捨て為らない事をのたまわなかったか?
「ちょっと待ちなさいよ!? 今貴方“こちら側”の蔵書、って言わなかった!? いいえ、それよりも魔術関連の本が閲覧可能な書庫内に一般人の入場が許可されるって、貴方たち正気!?」
俺が口を出すその前に、イリヤが俺に変わって勢い込んで口を開いた。
だが、その問いに動じず、アトラクションを前にはしゃぐ子供を嗜める様に、近衛が朗らかにイリヤに言葉を送る。
「そうやね、だから言うたやん? 一般人が進入できるのは地下十階までやって。ほらせっちゃん、説明の続き、続き」
納得いかないっと表情で訴えるイリヤを尻目に、近衛は自身の相棒へと軽やかなウィンク。頷く桜咲は、テンポ良く説明を継ぎ足した。
「常時は“図書館探検部”と称される学園合同のサークルと、この図書館に配属された魔術師によって運営、管理されていますので、一般人が地下十階を越える心配はありません。地下上層部は図書館の司書、まあ魔術師と説明した方が早いですね。彼らによって用意された様々なアトラクションとしての罠が張り巡らされているだけですし、魔術関係の蔵書といってもオカルト本とそう大した違いも無いものばかりですので、ご安心を」
「何よ、それならそうと言いなさいよね。それじゃ、今日私たちが見学できるのは地下十階よりも下の階層を見学させて貰えるのかしら?」
「はい。その心算です。一般人の不可侵領域とは言え、十一階、十二階程度であれば私たちのレベルならば問題なく探索できますから、気楽になさって下さい」
桜咲はイリヤに目を細める、例によって視線で語るのが実に上手い。
「納得いただけましたか?」
その緩やかな謙遜を、イリヤは当然の様に受け取り、三つ網を右手で流す。
いい従者といい主人は、鞍替えをしてもキチンと型に嵌る物だと感心してしまう。
「それに、今日は図書館島専属のアドバイザーも一緒やし、何の問題もあらんよ」
近衛は話が的纏まったところでタイミング良く目の前の扉を開ける。
彼女の白いガウンが一時埃にくすむと、途端、当たりは先ほどよりも濃い本の匂いと沈黙に包まれた。
「アドバイザー? 木乃香ちゃん達の知り合いかい?」
俺と幹也さんは目の前に開けた仄暗い図書室の空気に触れる。
等間隔に設置されたランプはぼんやりとだけ辺りを照らし、ちょっとしたお化け屋敷みたいだ。眺め回せば、生ぬるい空気が呼吸を繰り返している。
本棚の背が高いのは相変わらずで、窮屈に俺たちを圧迫する。その閉塞的な雰囲気は、正に迷路を思わせた。
「そうや。私たちと同い年、中学の頃からの同級生で、昔は一緒にこの図書館を探検した仲なんよ。あ、ちなみに二人もこっち側の人間だから気にせず近うなってやってな」
いまさら、こちら側の人間もくそも無いだろうと苦笑を飲み込みながら、徐に本棚から手時かなモノを手に取ってみた。埃を被ったまま放置されっぱなしだったであろうそれは、確かに売れそうも無いただのオカルト本だ、なにか先生も持っていた様な気がするは気のせいだ、気のせいに違いない。俺と幹也さんの労働力は有意義に使用されているに決まっているんだから。
「もちろんだよ。木乃香ちゃん達の友達だもの、きっといい子だろうしね」
「そんなこと無いよ~。黒桐さんは世辞がうまいなぁ~」
俺の葛藤を余所に、幹也さんと近衛は独特なほんわか空間を形成しながら迷路の中に朗らかな笑みを撒き散らしている。
どうせなら、俺の目の前で物凄い嫉妬の虫になっている式さんにも、その空気を分けてやってください。
「シキは寂しがり屋ですもの。コクトーが自分以外の女に優しくするのが気に入らないんでしょう」
俺の顔色を興味深く観察しながら、桜咲の隣に、イリヤがぐいっと割り込んだ。彼女は「ぬふふ」と怪しく微笑みそんな事を零す。
「何故そうお思いになるのです? 私の見たところ、両儀さんと黒桐さんの関係は心地よい信頼で成り立っている、一体何を憂う必要があるのでしょう?」
桜咲はイリヤの言葉を生真面目に受け、俺にも視線を送ってくれる。
目的地まで中途半端に残る退屈な時間の中で、俺は一応の思案顔で桜咲に返した。
「それはお前、――――――俺に聞くなよ」
俺と桜咲の遣り取りにあきれ返ったイリヤ。彼女は、お姉さん染みた冷笑で式さんと幹也さんを射抜くように眺めた。
狭い迷路は距離の感覚を曖昧にするのか、前を行く三人の距離がどうにも不確かだ。
「貴方たちは、ほんっっっっとう子供ね。自分でもよく分からない気持ちを、そんな簡単に割り切れる物ではないでしょうに」
イリヤは、俺たちよりもずっと大人びた顔で薄い肩を窄める。
そして彼女は、腰に手を当て人差し指で注意を促した。
「いいシロウ、セツナ。誰だって、好きな人には自分だけを見てもらいたいって可愛らしい醜さがあるのもなの。貴方たちにだってきっとあるはずよ、自分を好きでいて欲しい、自分だけを満たして欲しい、そう思ったこと無いって言い切れる? 私はそんな乙女な意地汚さって、とっても素敵だと思うけどな」
俺は「そんなものか?」と自分でも中途半端な顔だとハッキリ認識しながら腕を組んだ。横に視線をずらせば、妙に納得した桜咲の顔がある。
朴念仁の本領発揮。やはり俺は、乙女チックとはよほど離れた地平にいるようだと改めて噛み締めた。
「――――――お、見えてきたで、あそこが入り口や」
そうして見える、茫洋としたオレンジ色が輝く四方の小部屋。
解析の魔術を走らせれば、あの四方の空間を境に、何かかがずれている奇妙な感覚がある。
どうやらあそこがスタート地点のようだ。
十月、時刻は未だ午前九時前。
秋の風すら届かぬ、本の迷宮。
麻帆良観光。
そして、始まって間もない終日に、せめてもう一度楽しい出会いがありますように。俺はそんな思いでオレンジ色の境界を目指していた。
/ 7.
「紹介するで、右の小っこいのは綾瀬夕映、左が宮崎のどか。さっき話した、私の友達や」
中世の牢獄を思わせる真四角の部屋の中には、一つきりのランタンが橙色の光を満たしている。逃げ場の無い牢獄の内では、澱んだ空気同様、壁面に点々と置かれた燭台の灯が揺らぎ、そしてくすんで感じた。
「どうも、綾瀬です。お話しは木乃香から聞いているのですよ。夏の吸血鬼事件では大変ご活躍なさったそうで」
「あ、あのはじめまして!宮崎のどかです。そのせっつっつはお世話に為りまして!」
その中で、二人の人影は腰を垂れる。
支給された制服なのか二人は同じような格好をしていた。司書さん専用であろう茶のベストと同色のロングスカート、そしてコート。暖かそうなその服装を顧みて、俺が今“図書館”の中にいるのだと再認識。
牢獄の様にしか感じられなかったこの部屋も、暗闇に慣れてくれば、キチンと整えられた本棚が陳列していた。
「こちらこそ。近衛と桜咲から話しに聞いているのなら話は早い、衛宮士郎だ。左が妹のイリヤ、その隣が黒桐幹也さんと両儀式さん。今日は案内宜しく頼むよ」
「こちらこそです。男性魔術師、それも同い年の方とお会いするのは初めてですので色々質問があるのですよ」
「ま、それはおいおい話せる中で、な?」
「そうでした、麻帆良と外の魔術師は勝手が違うのでしたね、私とした事が不躾な事をのべたのです」
俺は軽い挨拶の心算で手を差し出す、それに握り返すのは綾瀬。小さい背中を軽く曲げて、無表情に微笑を作る。
麻帆良の魔術師はコレでもかと言う位にオープンだが、俺たち協会の常識を持つ魔術師はかなりの寂寥である。自身の魔術を他の魔術師に話すなど言語道断。故に、綾瀬はそこらへんのニュアンスを汲み取ってくれたのだろう。
「いや別に構わないぞ。俺も麻帆良の魔術については色々興味があるし、情報交換ならいくらでもする。魔術の基本は等価交換、だろ?」
先生からも麻帆良の魔術師にならば俺の魔術を“端っこ”程度ならば話しても良いと御触れも出ている事だし、問題ないだろう。まあ、協会所属の魔術師には俺の異端過ぎる魔術は隠す必要があるのだろうけど。
「なのです。それだけは変わらぬ常識のようですね。道中いろいろ聞かせて頂きますのですよ、衛宮さん」
変な言葉遣いの女の子だと、一人苦笑を浮かべて綾瀬に頷いた。
魔術師と言えども歳相応の女の子の様に微笑んだ彼女は、魔術師なんて殺伐としと物言いよりも、魔術に興味をそそぐ女子高生そのままな感じである。
遠坂や先生を魔術師のステレオタイプだと思っていたのだが、一口に魔術師と言っても色々タイプがあるみたいだ。
まあ、その色物筆頭の俺に、一体何が分かるのか甚だ謎ではあるが。
「それと、隣は宮崎だったか? よろしくな。お前も魔術師なんだろ?」
俺が綾瀬との遣り取りの間、幹也さん達は宮崎と簡単な言葉を交わしていた。彼らと入れ替わり、俺は宮崎に手を差し出した。
伸ばした前髪で顔色は窺えないが初めて出会った頃の桜の様な雰囲気に、俺は不思議と親近感を覚えてしまった。そのせいで、少し馴れ馴れしくしてしまったのも認める。だけどさ。
「―――あ、あの、そそその、ごめんなさい!!!」
いや、もんの凄い勢いで拒絶するのはホワイ!? 俺の心の慟哭を知っているのかいないのか、空を切る、居場所を失った可哀想な右手。
宮崎はおどおどしながら近衛と桜咲の後ろに隠れてしまった。
コレは、あれだ。もしかしなくても拒絶されていますか、俺?
「―――――俺、何か変な事したかな?」
それだったら即座に謝りますんで、そんな怯えた目で俺を見ないで下さい宮崎さん。
呆然と立ち尽くし、震える宮崎。近衛を盾に取り、より一層縮こまる彼女。俺と宮崎の遣り取りに、近衛と桜咲はただ乾いた笑いを送るだけだ。
「俺さ、―――――嫌われてる?」
初対面の女性に、生理的な嫌悪感とかをひしひし与えちゃったりしましたか?
だとしたら凹む。
男としてそれは痛すぎる。
「いいいいいいえ。そんな嫌いとかじゃなくて、私、その、あの、男の人が苦手で……」
狭い天井を見上げれば、頬を伝う一筋。
そんな俺を哀れんでくれたのか、宮崎は力の篭った声で俺の思考を否定してくれた。
言葉尻が小さくなっていくのは、この際気にしないでおく。何事もポジティブスィンキングが重要なのですよ?
「でも、のどか。さっき黒桐さんとは普通に話せてたやん。どうして衛宮君とはお話し出来へんの? なあせっちゃん、せっちゃんもみとったやろ?」
「はい。てっきり私は、宮崎さんの男性嫌いは既に矯正されているものだとばかり……」
「いえ、私もそれは不思議なんですけど、何故か幹也さんとは普段通りにお喋り出来て」
不思議そうに顔を見合わせる近衛と桜咲。
宮崎のおどおど振りはなりを潜めた様だが、何にしても俺とはまともに会話を成立させるのは難しそうだな。
「まあ、駄目な物は仕方が無いかな。そのうち慣れてくれればいいさ」
「はい。その、すみません」
未だ近衛の影から出てこない宮崎に、俺は綾瀬に向けたのと同種の笑みを送った。それにどうにか答えてくれた宮崎の口元は、やはり桜に似ている。
弱虫で気弱なくせに、強情で芯がある。あって間もないけれど、桜と言う前例があるので、俺は宮崎の内面を少しばかり理解できていた。そのためか、彼女の態度も割りとすんなり納得出来ている自分に気がついた。
「さ~って。それでは皆様、自己紹介も粗方済んだところで、そろそろ行くで~」
近衛は、寄り添う宮崎をそのままに右手を高らかに揚げて出発を宣言。
彼女の朗らかな声が、狭い図書室に木霊する。
近衛が何かを囁くと、室内の本棚がまるでパズルの如き様相でスクロール。そして現れたのは、張り巡らされた魔力線が顔を除かす重そうな鉄製の扉。
先ほどまで本棚に埋もれ、見ることも叶わなかった、恐らくより下層への階段が隠れているであろうその扉。
俺達は、近衛と桜咲、そして綾瀬と宮崎。
本の魔術師達の背中を追うように、その螺旋の階段をくだった。