/ book markers.
「―――――――――――ゆえ、どの本?」
のどかの強い言葉が小さい私の背中に澄み渡る。
土煙の拡散と共に、巨大な怪虫と赤髪の少年が再び血肉の饗宴を開始していた。
「自由七科(リベラルアーツ)の算術書(アリスメティカ)を。容赦なんて無しなのです」
時間が惜しい。
衛宮さんは三分間、それこそ死に物狂いで稼ぎ出してしまう。
彼の姿見は、かつて私たちが恋したあの少年の背中と鏡合わせの様に重なるから。
「うん。――――――来たれ(アデアット)、“移り気な算術書”(アリスメティカ・デュオ)」
本契約により、のどかが手に入れたアーティファクトは十一冊の魔術書。
“いどの絵日記”や、私が以前研鑽を共に磨いていた“世界図絵”を筆頭に、“自由七科”を象徴する魔導書、そして二冊の“グリム童話”。
本の属性に特化した彼女は、“マスターピース”とも称される最高位の魔術を駆る、私にとって至高のパートナーだ。
「それでは始めるのです。――――――契約執行、三分間」
私は自らの回路を起動させる。
イメージは“本を開く”、ただそれだけ。
たったそれだけで、私の微細な回路が、のどかの召喚に応じた“算術書”に飲み込まれた。
ラインは繋がった。私の回路は“本(のどか)”を経由し、異なる神秘と接続する。
「夕映の従者、のどかが命ずる。数の神秘よ、時の魔力を代価に和乗の法を成せ」
小さい、されどハッキリと響くのどかの一声に、青く分厚い冊子が翻る。
世界にも稀有な神秘をその内に宿す彼女。
彼女は本を媒介に、様々な魔術で“主(わたし)”をサポートしてくれる。今回、彼女が召喚した“数術書”は字の如く“数”の神秘を内包している。のどかの召喚する魔術書は、それぞれが異なる属性、異なる神秘を成す外付けの魔術回路。召喚する神秘に応じ、宮崎のどかは様々な“本”へとその身を変えるのです。
「―――――オッケーゆえゆえ。後は……」
彼女の隠れた目元が緩んだのは間違いない。
数の神秘、本の魔導の呪は成った。
私は“読み手”のどかは“本”。
故に、私たちは本の神秘において最高の相性を誇るのだ。
「はいなのです。後は、待つだけなのですよ……」
三分間、私の魔力はのどかの魔術書に食われ続ける。
その疲労を思うと正直気分が悪くなるがしかし、そうも言ってはいられない。
私は、必死の思いでお化けタガメの攻勢を凌ぐ少年の背中を探した。
彼のことだ、懸命な表情で私たちとの約束を果たそうと……。
「ひい!!? うわ!? ちょっ、しぃぬぅ~!!! まだかぁ! 綾瀬ぇ!!」
ええ、それはもう死に物狂いで逃げ踊っていた。
息も絶え絶え、軋む体に鞭を入れながら時間を稼ごうと必死になって逃げ惑っている衛宮さん。なんと浅ましい……もとい、仕事熱心な人なのか。
「衛宮さん、大丈夫だよね?」
のどかはやはり戦闘行為そのものに嫌悪を感じるらしく、倒壊した遺跡の影に隠れ衛宮さんを気遣いながら身を潜めている。彼のあのスマートさの欠片も無い一心不乱の有様は彼女には届いていなのだ、それはせめてもの救いか。年頃の男の人として、もっとこうかっこよさげに出来ないものなのでしょうか。
「…………大丈夫なのです。あの逃げっぷりなら、全然平気でしょう」
と、いいますかむしろ帰りましょう、あの人を置いて。
衛宮さんの面白い顔と、吸い出される魔力も相まって私は一気に脱力した。
残り一分と三十秒、果たしてそれで勝負がつくのでしょうか?
Fate / happy material
第二十一話 本の魔術師
/ 12.
「――――――――はっはっはっはっはっはっは………っ!?!?!」
臓物が重たい。
俺は転げ回り擦り傷だらけの身体を即座に起こし、頭上から降る巨大な追迅を躱す。
体力は底をつき限界はとっくに突破、既に底板は破壊された。大事なものを色々と垂れ流しながらの必死の防戦は、果たしてどこまで続くんだっ!
「でぇい!」
先ほどの薄ら寒い綾瀬の視線は何だったのか。
大体想像はつくが、今この状況でかっこつけて余裕ぶれるほど、俺は大物ではないのです。
先ほど叩いた大口を後悔しつつ、汗に纏わりつく砂の不快感を堪能する。
いい加減、ムカついてきたぞ。
「この野郎っ、馬鹿にしやがって―――――――!」
三半規管は限界に達しているにも関らず、毒づいた言葉は割合大きく響いた。
残り少ない体力を魔力に還元し、再度脳内に剣の銃弾を装填する。果たして幾つの撃鉄を引いたのか、そんなものは分からない。少なく見積もっても四十の弾丸がこの銃身を焼き付けていた。唯の刀剣とは言え、兎にも角にもそぞろ俺の魔力が限界である。
「投影、開始。―――――憑依経験、共感終了」
コレで恐らく最後。
ありったけの薬莢を詰め込んで。
二十を超える弾丸を用意し、撃鉄を下ろす。
「工程完了。―――――――――全投影、一斉層写!!」
鈍い音を残し、散弾していく俺の幻想。
やはり、効果は望めない。
俺の魔術は所詮対人の域を抜け出せないのだ。
コレほどまでのデカぶつにはこの程度の銃弾など、焼け石に水だ。
「はあ、はあ、はあ、はあ……も。げ、限界だ…………」
奴が怯んだ隙に、何とか距離を稼ぎ出したが、それだけ。
肉体的にも精神的にも、もう無理っす。
乳酸が耳の穴から出てきそうだ、正直、立っているのがこんなにしんどいなんて久々だ。
「……追いかけっこは終わりだ、おとなしくしてやるよ」
俺は眼前に構えた、黒光りする巨虫に向けて疲れた半眼で睨みつける。
勝ち誇るように、近づくお化けタガメに、俺は嫌味ったらしく口元を吊り上げた。
掲げられた鎌を前にして、俺に死の恐怖は無い。
何故なら。
「三分。――――――衛宮さん、後は寝ながら視ているのですよ」
既に勝負はついているのだから。
「ああ、――――そうさせて貰いたいが、生憎、俺も男の子なんでね」
最後の意地を通し、俺は膝に両手をついて振り返る。
首だけを回せば、俺の後ろには4Aサイズの青色、古びた基調に何度も重訂されたタイトルの陳腐な本を開き控える宮崎と、普段の無表情で顎を上げる綾瀬がいた。
チョコレート色のコートにフォーマルな同色のタイを靡かせる二人の女性は、知的にして不敵、そんなイメージを俺に叩きつけていた。
「大丈夫ですよ、衛宮さん。下がってください、後は私とゆえゆえの仕事ですから」
にこりと、前髪を両にまとめた宮崎。
今、彼女の顔がハッキリと笑顔に変っていた。初めて直視した彼女の笑顔に、不覚にも道を明け渡していることに気付く。……やべ、百年の恋すら色褪せてしまいそう。
「むしろ、近くにいられると迷惑なのです、少し派手にいきますので」
綾瀬の言葉に、俺は何も言うまいと、二人の後ろに控えさせてもらう。
俺のため息に、無貌をほころばせた彼女は、余裕さえ伴い、か細い右腕を高く掲げる。
「さあ、いきますよ。――――――――のどか!」
数秒とかからぬ遣り取りの後、お化けタガメは俺達に向かって飛翔する。
俺が稼ぎ出した距離など、僅かなものだ。
空気を振動させる羽音は俺たちの直ぐ正面にある。
巨大な黒色は、威圧感さえ漂わせこちらに迫っている、だというのに。
「了解ですっ――――――数紋法第三項、相乗、三倍算!」
宮崎の言葉に、手にする魔導書が魔力を帯びる。
自動的に開かれた本の項に、二人の回路が収束する。
宮崎を基点に、魔術書そして綾瀬がひとつの魔術として具現した。
数秘術。
それはいかな神秘か、されど、この眼に刻み込まれた才覚がそのプログラムを看破する。
その理は実に明快、“魔術の強化”。
時間と魔力を対価に、秘儀をもって神秘を高次へと濾過させる。
「プラクテ、ビギナル。炎よ(アールデス)」
綾瀬は迫る脅威に眉一つ動かさず、告げる。
彼女の仔細な回路と魔力が、“本(宮崎)”の中で混ざり合い、対価とされた時と魔力が融解する。
天を向く綾瀬の細い右手はさながら断頭台。
宮崎を介在させ、融合した魔力がそれを取り巻く神秘として混濁し、そして。
「――――――――――――灯れ(カット)」
パチン、っと。
赤い奔流は、軽快に鳴らした中指の音と共に決壊した。
人間大でしかなかった火花は、一帯の酸素を喰い尽くし、煌々たる朱を纏う。
炎上する黒い塊。
爆砕にも似たその天象。
巨大すぎる昆虫を飲み込んだより強大な焔。
轟々と猛る紅蓮は、止まる事を知らず、ただ哀れな巨虫を食らうだけだ。
恐らく対軍、対城に分類されるであろう大魔術は、遠坂の血と汗とお金の結晶一個分の威力を内在していた。
「――――――――な」
――――――――なんて火力。
正直、開いた口が塞がらない。
“火をおこす”と言う原初からあり、最も細分化した魔術行使。
火の属性を持つ綾瀬、専門の使い手といえども、現代においてこれほどの火炎を一工程で……いや、遠坂の宝石魔術ならばそれも可能だろうが、アイツみたいな天才は例外だからおいておく。
兎に角、こんな非常識な神秘を顕現させるのは、神秘が拡散した今の世の中、不可能に近い。
だが、それを可能にしたのが“数秘術”、いや“魔術書”か。
足りなければ補う、それが魔術師。
遠坂のように宝石を介在させ、秘儀をもって神秘をより崇高なものへと頂かせる様に、彼女達もまた、“本”と呼ばれる秘儀をもって奇跡をなした、それだけだ。
「ふう―――――――もうすっからかん、おけらなのですよ………」
「お疲れ様、ゆえゆえ」
満足げに汗を拭う綾瀬に、宮崎が気持ちの良い笑みを送る。
アレだけの事をしておいてそれだけか?
もはやお化けタガメは、綾瀬の言葉通り唯の消し炭。ただ、着火した炎が休まる気配は無く、辺りが灰色の匂いが満ちている。俺たちの勝利だ。
「………凄いな。驚いたぞ、二人の魔術には」
身体に圧し掛かっていた疲労の色は、綾瀬と宮崎の魔術行使を前に吹き飛ばされていた。
麻帆良の魔術、パクティオー、その真髄ここに見出せりって感じだ。二人の合体技、まったく大した物である。
顔を綻ばす俺に、宮崎も笑顔で迎えてくれた。
おお、二人の距離が縮まった!? やっぱり勝利の後には友情が芽生えるものだなぁ。
「えへへ、それほどでも。凄いのはやっぱりゆえゆえですから」
「それは謙遜なのですよ、のどかの魔術補助無しに、先ほどの神秘は成り立ちません」
顔を赤くし、前髪で顔を隠してしまう宮崎と、すまし顔で煤を払う綾瀬の対照的な態度に、俺は余計に顔を綻ばす。
「凄いのは二人だってば、助けられた俺が保証する。かっこよかったぞっ」
ぐっと拳を突き出して、互いにそれを受け取らぬ二人に多謝の思いを押し付ける。恥ずかしげに拳に触れる綾瀬と宮崎の小さな拳骨。拳の大きさはこんなに違うのに、二人の魔術師は俺以上の活躍をしちまったんだ、頭が下がるばかりである。
俺は、二人の成した神秘の残り香、黒く沈んだお化けタガメを一瞥し先ほどの魔術についての疑問を投げてみた。
「それでさ、さっきの魔術、ありゃ何だ?」
薄れた危機感の中で、俺は小首をかしげて尋ねる。
何度も言うが、危機は去ったのだ。人間様の大勝利である。
「私は単に発火の魔術を行使しただけですよ。衛宮さんも視ていたでしょう?」
俺は頷く。
先生曰く発火の術式は五大元素の魔術において初級も初級、基礎の基礎である。
実はそれすら使えぬ俺が言うのもなんではあるが、綾瀬が遣った呪はそれより多少高度な“火炎”の術式で、それほど難しくはない。
「確かに、一小節以下の呪文で人間大の炎を発現させたのはお前の魔術だった。だけど、それから派生した不自然なまでの焔の炸裂。アレはどう説明するんだ?」
一小節で炎と称すに相応しい火力の顕現。
綾瀬の手腕も見事だったが、同時に練りこまれていた不可解な術式。
「はい、衛宮さんの推察どおり数秘術です」
眉を寄せる俺に、宮崎が先回りして答える。
数秘術。俺も知識でしか知らず、視たのはコレが初めてだ。
たしか、この魔術は。
「ピタゴラスが創り上げ、ミハイル・ロア・バルダムヨォンが大きく発展させた魔術体系、数秘術、そして数紋法。実際どんな魔術だったのかは本人にしか分かりませんが、私たちは先ほどの“数や演算の概念”に関係する魔術をそう呼んでいます」
宮崎が、いつに無く饒舌に続けてくれた。
「のどかの持つ“移り気な算術書”は数の神秘を内包した術式が幾つか編み込まれているのですよ。衛宮さんのおっしゃった“不自然な炎の増大”は乗法の法則を利用した魔力の上乗せによって引き起こされたものなのです」
宮崎に続き、誇らしげに綾瀬が付け足した。
数秘術における奥義、数紋法。それが先ほどの魔術だという。
“四則演算の呪”、乗算(スクウェア)の概念を利用したこの術式は使用魔術の効果を倍加させるものだそうだ。通常ならばとんでもない無い大魔術式らしいのだが、何故か彼女の本の中にはその術式が編みこまれているのだ。宮崎はこの“移り気な算術書”に記された数秘術ならば、難なく使いこなしてしまうそうな。
他にも分配法則、交換法則、結合法則、そしてその他の図形や数学的な定理を応用とした詠唱魔術、結界術と先にもあげた四則演算を応用した補助魔術も使用可能。なんでも、本自体がすでに術式(プログラム)を構築してくれているので、宮崎はそれに魔力を流せば行使出来ると言うお手軽っぷりらしい。
正直、眉唾物のアイテム、もとい従者である。
「――――――ですが、そういい事尽くしではないのですよ」
だが当然、強力すぎる能力にはペナルティーが付きまとう。
基本的な制約事項として、宮崎が召喚できる本は常に一冊のみ。
複数の本を同時に使用することは出来ない。
加えて、イドノエニッキにしても、使用範囲の制限、相手の真名を知る必要があるように、“移り気な算術書”にも幾つかの制約が存在する。
制約其の一。
数秘術の補助対象は綾瀬の干渉しうる魔術、神秘のみ。
他人の魔術を強化、補助することは出来ない、少し残念だ。
制約其の二。
常に“時間の魔力”を代価に魔術を補助する。
数秘術とはそもそも、神秘とそれを反応させる“数”によって成り立つ式だ。
反応させるべき“数”を構築し、概念的に神秘と反応させなくてはならない。
その“数”の概念が“魔力を供給した時間”で決定されるのが“移り気な算術書”らしいのだ。
正しく移り気のサラリーマン。気分次第で中々働かないのであった。
一分間魔力を支払えば、“1”。
二分間魔力を支払えば、“2”。
三分間魔力を支払えば、“3”。
タガメを撃退したときには三分間の乗法式だったので、使用魔術の効果は実に三倍だったわけだ。ただ、難しいのは魔力を支払うのは宮崎ではなく綾瀬。おまけに数紋式と魔術式は別払いときたもんだ。魔力を馬鹿食いするのは火を見るより明らかである。
んで、制約其の三。
コレが一番の問題だ。魔力供給、つまり“時間”を支払っている間、術者は他の魔術行使が一切使用不能。ペナルティーを受けている間は、まるっきりの硬直状態と言うわけだ。
これらのことから総合して、正直、この魔具。
「…………微妙だ」
俺は綾瀬の宮崎の話を聞き終え、唸る。
実に使いどころが難しい。
今回は俺が時間を稼いだからよかったものの、こいつら二人だけの時は一体どうするのか非常に興味がある。
「うるさいのですよ。確かに戦闘に向かない能力なのは認めますが……」
ふんと鼻を尖らす綾瀬に、宮崎が苦笑を凝らす。
「魔術師とは兵士ではなく探求者ですから。私の算術書は自宅での研鑽や魔術の研究時にはとても助けられるって、ゆえも言ってくれています」
ふむ、最もな意見だ。
俺は彼女の言葉に大きく頷いた。
満足げにそれを見送る宮崎は、「ふう」と息をついた。
「説明は終わりですし。もといた場所に戻りませんか? 遭難したときは一箇所に留まって助けを待つのが基本ですしね」
「そうだな、それがいい」
俺は大きく伸びをして、自分たちの状況を思い出した。
そういえば、俺たちって遭難したんだっけ? あまりのハプニングに、置かれた状況を蔑ろにしていた。
俺は宮崎と苦笑を交換し、白い浜辺に向かい、瓦礫の空間を後にしようとした。
其の時。
突如俺の身体は空中に持ち上がった。
脳が揺すられて気持ちが悪い。一体、なんなのさ?
「………」
「………」
見下ろす二人が、眼を点にして何かを凝視している。
いやだなぁ、俺を掴んでいる硬くて黒いこの………。
「―――――――――って!? まだ生きてたのか、こいつはっ!!」
俺はお化けタガメの鎌に捕らえられ、身動きが取れない。
やばい、凄くやばい。
魔力は既にスッカラカン、完全な不意打ちに綾瀬と宮崎も硬直状態。
見たくも無い奴の鋭い牙、サメの歯だってあんなに痛そうではあるまいと、大きく開いた奴の口に近づく恐慌し錯乱した俺の意識。
「たぁすぅけぇてえぇっっっ!!!」
ああ、取り乱す俺の身体とは正反対に過去を冷静に振り返る震えた思考。
ごめん、俺はここまでだ。脳内を廻る走馬灯に漏らす。
でも、怪獣に敗れるなら、正義の味方としてそれも本望か………。
もしかしたら帰ってきたときは、どこと無くパワーアップしているかもしれないしね。
特撮モノの定番だろ、やっぱりそれってさ。
だが、それは無意味な杞憂、何故なら。
「よお、随分と楽しそうじゃないか。そいつ、オレが殺しても構わないよな、衛宮?」
救いの死神が現れたからだっ!!
おいいしいっ、おいしすぎるぞっ、式さん!!
颯爽と現れた藍色の着物と翻る鮮やかな血色のジャンパー。
式さんは振りぬいた銀色の一穿で俺を捉えた奴の大鎌を寸断した。
俺の剣弾が蚊ほどにも効かなかったその外殻を、詰まらなそうに切断した彼女のナイフが、獣の敏捷性でお化けタガメの懐に肉薄。右に流れた式さんの身体は、降り落ちる凶刃を皮一枚の挙動をもって駆け抜け、残る節々を分解していく。
其の瞬きを、あ~れぇ、とお姫様宜しく落下する俺は見守っていた。
受身を取る暇も無く砂の海に叩きつけられるはずの俺は。
「衛宮。ご無事で?」
「――――桜咲?」
白馬の王子様宜しく、お姫様抱っこで桜咲にキャッチされた。
俺は目を白黒させ、近づく彼女の顔を注視した。
「怪我は、――――殆ど無いようですね、よかった」
少し恥ずかしげに顔を逸らした彼女は、視線の先、宮崎と綾瀬を介抱するイリヤと近衛に鋭さをもって言う。
「それでは、私も両儀さんに加勢してきますので、このちゃん、妹さん、後は宜しくお願いします」
「はいなぁ~、いってらっしゃい」
「さっさと片付けて来なさい。アレ、正直見るに耐えないもの」
俺を優しく床に伏せた桜咲は、彼女には大きすぎる野太刀を担ぎ、疾風の様に砂を巻き上げる。そんな雄姿も束の間、一刀をもってお化けタガメの頭蓋を穿ちぬいた。恐らく“気”によって鋭さを水増しされたその抜刀に、嫌な奇声を轟かせ黒の鎧が剥がれ落ちる。
「それでシロウ、貴方は大丈夫?」
「ん? ああ俺は大丈夫。でも遅いぞ、大海(オーシャン)を使ってから結構経つ、一体何してたのさ?」
テケテケとこちらに歩みを進ませ、イリヤが中座で足を伸ばす俺の隣に控えた。
俺は式さんと桜咲の色彩豊かに仕掛ける剣の乱舞を眺め、イリヤに不満を漏らす。
「そうなの? 私たちが大海の叫び声を聞いたのはほんの数分前よ? それからここまで飛んできたんだからね」
それに返されたのはイリヤの憤懣。
「数分前? それって………」
俺は言われてポケットから大海を取り出す。
より深い青色を帯び、僅かに熱を持ったそれは、僅かな魔力の流動を感じさせた。
第三者に使用者の危険を知らせる宝具、それはどうやら、あの巨虫に襲われた時、初めてその効果を発揮したようだ。
なるほど、と頷き、もはや虫の息? で式さんと桜咲の攻勢に耐えるお化けタガメに首を回す。俺とイリヤの短い遣り取りの内に、既に勝負はついていた。俺があれほど苦戦した相手が、二人掛りとはいえ女の子にやられている。なんか、酷く惨めな気分だ。
「――――――せいっ!」
桜咲が鞭のように繊(しなやか)な螺旋の一閃で巨虫の最後の足を?ぐ。
ズンと鈍い音を残し、砂利の大地にめり込む黒い鎧。
タイミングを計っていたのか、人間ではありえぬ跳躍を以って挙動を奪われた黒い巨体の中央に式さんが飛び込む。
「―――――――――終わりだ」
黒い外殻、その頂点。式さんの軽い刺突があっけないほど簡単に奴の外皮を貫通した。
俊敏な猫のように巨躯の中心より軽やかに離脱、弧を描き彼女は刃を収めた桜咲の横に着地。
そして、ざらりと。
恐らく“点”を突かれた巨大な鎧が、砂のように風化し崩れていく。
それを見守る二人の剣客は、異様なまでに綺麗だ。
こと戦闘において、俺や綾瀬、宮崎よりも頭二つ三つ飛びぬけた二人の実力。それを改めて実感した。
「―――――――倒したのですか?」
俺の背後から綾瀬の声が。
彼女は焚き木の後の灰山のように崩れ、砂塵に帰したお化けタガメを注視する。
と、その山から飛び立った一匹のタガメ。
「なあ、あれって…………」
俺はあわただしく羽をはためかせ、俺と綾瀬の間を抜ける黒い昆虫を流し見て尋ねる。
「はい、恐らく先ほどの。……大方、力在る魔術書でも噛り付き、身体を変態させていたのでしょう。タガメは何でも食べますし………」
綾瀬は自分の苦言に、頬を釣る。
そっか、と俺も苦笑を漏らし、奇妙な安堵感に身体を落ち着かせる。
「とにかく、―――――――――――――助かったぁ」
俺は式さんが創り出したであろう、壁面の大穴をぼんやりと眺め大きく吐き出す。
近衛やイリヤの苦笑を気にする肉体的余裕は既にない。
崩れた遺跡が煩雑するこの砂浜の上、俺は身体を投げ出した。
「――――――――――――――生きているって、素晴らしい」
式さんと桜咲とは絶対にガチで喧嘩なぞせぬと誓いを立て、この日の記憶を心に刻んだ。
「それじゃ、帰りましょうシロウ。コクトーが地上(うえ)で待っているわ」
俺は身体を起こし、差し伸べられた其の手を掴む。
そう、この日。
俺は確かに掴んだんだ。
―――――――――初めて魔術が楽しいと知った、このしあわせを。