2. / snow white.
回路の起動。
わたしの始動キー、回路のスイッチは“杯”を満たすイメージだ。
魔術行使における最初のステップ、回路の切り替え。
全ての家系、全ての魔術学校ではじめに習うその工程も、“願う(せいはい)”という魔術特性を殆ど失った私には難しいことだった。以前のわたしは、回路の起動すら願うだけで成していたから。
「Wassernymphe. elf---Saulengang(水の精霊、十一柱)」
魔術師として赤子同然からのリスタート。
トウコに魔術を習い始めた最初の一週間は酷い物だった。魔術行使は愚か、回路の起動すら満足に行えない。欠陥品もいいところだ。
シロウの前では平気な顔をして見せたが、それこそ死に物狂いに鍛錬した。
だって悔しかったから。
わたしはシロウの大事なところにいるアイツみたいに、彼を守れないって、怖くなったから。いつまでもシロウに守られてばっかりで、彼が傷つくのをただ見ているなんて絶対に嫌だったから。
だから、私は頑張れた。
せめてアイツが、シロウと一緒に視る筈だったその全てを、わたしが代わりに受け止めてあげたかったから。それは、約束にも似た嫉妬の想いだ。だってわたしは、シロウが好きなアイツの事を嫌いになれるはずが無いのだから。
だから、ゼロからのスタートでも一生懸命になれた。
シロウみたいに、わたしにも望みが在ったから。
いつまでもシロウの隣にいるために、強かったアイツみたいに、いつかシロウを守れるように。
だってそれが“お姉さん”って奴だ。
きっと、永遠に口には出さないと思うけど。
「Versammlung sich herleiten; beruhen auf …(集い、踊りて)」
それでもまだまだ、わたしの魔術は力が弱い。
“水”を扱う以外の魔術は、まだ余り使えない。基本所を一応押さえたって程度だ。知識だってシロウと一緒に勉強しているから、それなりに象にはなってきたけれど、やはりリンやトウコには及びもつかない。
“イリヤスフィール(聖杯)”には遠く及ばない、干からびたイリヤ(わたし)。
でもそれは、わたしが初めて魔具ではなく、魔術師として神秘を行使出来る事の証明に他ならない。
リンやトウコ、そしてシロウと同じ魔術師として、今わたしは同じ地平に立っている。
今はまだ未熟でも、わたしはシロウの隣に立っている。
それは、たまらなく嬉しいことだ。
「―――――――Weihwasser Pfeil(水の矢と成れ)」
突き出したわたしのか細い右手を握り締める。
教科書通りの簡単な呪文と術式、世界に拡散し、根源には程遠い世界の基盤にわたしの回路が命令を伝え、決まりきった神秘が実行される。
大気中の水分がきゅっと音を立てるように凝縮され、わたしの周りに矢として象どられた。形成は成功だ。水の魔術とはいえ、回路の起動、魔力の練り上げ、大気中に拡散したエーテルへの接続、式の構築、全ての工程はパーフェクト。わたしってやっぱり凄い。
「どうかしら?」
わたしはふよふよと、気持ち良さそうにオフィスの中を旋回する水の矢を指差してトウコに振り向いた。
空色の髪を掻き揚げた彼女、オレンジ色のピアスが少し揺れた。デスクに腰掛けたまま、彼女はじゅっと浮遊する水溜りでタバコの火を消す。
「ふむ、流石だね。言いつけどおり、水の魔術も工程をキチンと踏んで式を構築している。文句なしだ。半年かそこらの鍛錬で、よくもまあ大したものだよ。衛宮の奴にお前の爪の垢でもくれてやれ、……いや待て、足りんな。どうせならイリヤスフィール、食べられてしまえ」
わたしの感動的な魔術行使の後に、この女は何てことを言うのだろう。
それは嬉しいわねと、素直な兄妹愛を飲み込んで、わたしはオフィスで仕事を続けていたコクトーとソファーで寛ぐシキと一緒に、ジト眼をプレゼント。
「………所長」
「おまえ、サイテーだぞ」
「なに、冗談だよ。よくやったぞ、イリヤ。花まるだ」
やれやれ。さも自分が被害者みたいに振舞う彼女は、そんな言葉を捨て鉢に漏らす。だけど、トウコの言葉に、わたしはしたなくも小さくガッツポーズ。
結ったわたしの銀糸が、軽くオフィスの真ん中で嬉しそうに跳ねた。
優しく握ったわたしの右手は、きっと、頼りない約束を僅かながらでも掴んだはずだ。
■ Interval / 伽藍の日々に幸福を Ⅱ ■
3. / snow white.
魔術を習う理由云々はひとまず脇においておき、わたしは練り上げた魔力の矢を空中で霧に戻すことにした。パスを切り離すだけで、三十センチ台の水の針は砕けるように空中分解されていく。
「いつみても凄いなぁ。イリヤちゃんが超能力者なんだって、改めて驚かされるよ」
霧散した水の矢に向けて「手品みたいだ」と手を叩くコクトーは子供みたい。
どうやら、大分落ち着いたみたいだ。多少額に影が残っているものの、彼の真っ黒いトレーナーとトラウザーはそれを目立たなくしている。
「コクトー。何度も言うけどね、超能力じゃないってば。魔術よ魔術、あんな反則技と一緒にしないでよね」
その無邪気さに憤懣やるかたなく、腰に手をあてコクトーにメッと指を立てる。わたしの発言に、シキが眉をひそめた。
「悪かったな、インチキで。後生だから勘弁しろよ」
くっ、と冗談を溢す式はソファーで寝返りを一つ。
オレンジ色の和服にしわを作る。
「ちっともすまなそうに聞こえないんだけど………」
欠伸をしながらのシキの言葉に、今度はわたしがオデコをしかめる。
“聖杯”だったわたしが言うのもなんだけど、稀有な才能は他者を卑屈にさせるものなのだ。
時に、お兄ちゃんはいつもこんな不公平な世の理不尽と戦っているのだろうか? だとしたら、今度からは優しくしてあげよう。
「おいおい、イリヤスフィール。君の魔術の才覚だって立派に反則だよ。私や衛宮にしてみれば嫉妬の対象に他ならないんだ。そこらへん、察してくれよ」
「そうなの?」と目配せしながら、魔術行使の疲労によるものか少しだけ喉が渇いたので、オフィス中央のガラステーブルにキープしておいたわたしの茶碗でお茶を一口。少し温いが、喉を潤すには丁度いい温度だ。
「そうなの。まったく、基本なんてからっきしだった癖に、今ではどうだ? 協会が指定している魔術学校の基礎課程を半年とかからず修了させるは、魔力容量、回路共に聖杯で無くなった今でもハイスペック。いい加減、教えるこちらが嫌になる」
だが、言葉とは裏腹に彼女の態度は平静そのものだ。
嫉妬や妬みといった、負の感情はミリグラムも無い。彼女もわかっているのだ、魔術、神秘を成すモノの真価は、それだけでは無い事が。
リンやトウコから感じる、魔術師、一人の人格として完成されたその魅力は、シロウではないが正直に憧れる。大人の色気なのよね、やっぱり。
「え? 基礎課程ってアレだけ? 簡単すぎるわよ、あんなのっ」
悔しいので絶対に言ってやらないが、それはそれ。わたしはトウコの話で気になった所には遠慮なく切り込んでいく。
段々と朱を帯びるオフィス。ツルベオトシの冬の日は、わたしは中々に好きなのだ。
シロウがこの色にどんな感傷を抱くのかは知らないが、わたしは赤が好き。だってなんだかこの色って、お兄ちゃんを思い出させるから。
「まあ、魔術学校には学年もないし、基礎課程を修了したら卒業と言ういい加減な物だ。内容もそう濃くは無いが………簡単ではないだろう」
苦笑を漏らすトウコは、薄っぺらい胸のポケットからタバコケースを取り出す。
「時計塔よりの魔術師は余り馴染みが無いが、彷徨海、いわゆるヨーロッパの魔術師によって運営される複合協会に所属している家系は主に魔術学校を利用しているし、その例を見れば分かるように、内容はキチンとしたものだ。君の様な幼年者にしてみれば中々に高度な内容だった思うぞ?」
「内容はまあ置いておいて。彷徨海って、ええと……たしか、三大部門だっけ? 魔術学校って、時計塔だけで運営されている訳じゃないんだ?」
「そうだよ。大体、時計塔が魔術の総本山と呼ばれるようになったのはごく最近だ。もともとは各地に点在した様々な組織、家系がその土地を取り仕切っていたものを、近年、最大派閥のいわゆる“三大部門”から抜きん出た時計塔のロンドン協会が統括するに至ったに過ぎない。世界各地に設立されている魔術学校の運営には最小限の連携も必要さ」
紫煙を吹かす彼女は、深く専用の柔らかそうな備え付けの回転座椅子に沈む。
立ちんぼは足が浮腫むので、わたしはコクトーのデスクに腰を落ち着けた。彼はシキの隣で詰まらなそうにお茶をしているしね。
「時計塔、ここでは仮に協会とするが、彼らは君の知るスタンダードな魔術師だと思ってくれて構わない。それともう一対、彷徨海の魔術師は……そうだね、麻帆良よりとでも言えば分かりやすいか? 複合協会の名の通り、様々な形態、思想で運営されている。面白いぞ、協会の奴等以上に人間を辞めているキチガイもいれば、人助けやらなんやらに手をだす馬鹿もいる、正に混沌だ。ふむ、言いえて妙だ。かの十位もここの出身だったな」
トウコにしてみれば、人助けも人殺しも、馬鹿と一括りにされているらしい。
さて、わたしは一体誰を哀れむべきかしら?
「それで、話が逸れたが。魔術学校の運営は時計塔と先にもあげた人助けを主張する魔術師の集まり、彷徨海の穏健派に運営されているのが通例だな」
長い話はコレで終わりだと、彼女は短くなったタバコを灰皿に押し付けた。
「とにかくだ、魔術学校は援助をする組織の特徴が顕著に現れるが、基礎課程の魔術は彷徨海、時計塔の魔術師たちが組み上げた信用あるカリキュラムなのだ」
「ふうん」とわたしは半分も聞いていなかったトウコの退屈な話に相応しく欠伸を漏らす。
結局の所、魔術学校の運営は彷徨海の連中が主立って行っているって事が分かればそれで良いわ。わたしの覚えた魔術が時計塔じゃなくて彷徨海よりって事も分かったし、多少有意義ではあったけど。
「おいこら、イリヤスフィール。なんだその態度は。キチンと聞いていたのか? もう一つ薀蓄を言わせて貰えばだな、彷徨海の複合団体は半数以上の組織が“人助けのための魔術”、いわゆる君が訪れた麻帆良の主張を唱えている」
ポケットからも一本、いや、もう三本ほど取り出して机にそれを投げ出すトウコはまだまだしゃべり足りないらしい。彼女の説明好きには正直うんざりだが、教養は教養で必要なのである。注意もされてしまったし、真面目に聞いてあげよう。
ライターの火はトウコの背負う夕焼けに紛れてよく見えない、しばたいた瞳を一度こすって、きぃ、と硬いコクトーの椅子を軋ませた。
「コレはね、麻帆良を創設したあの爺が彷徨海の複合団体からロンドン協会に鞍替えをしたからだ。麻帆良のトップは中々の野心家で、それでもってとんでもないお人よしでね。今は交流の廃れた三大部門の橋渡し役を買って出た」
口にくわえたタバコの吸殻を落とさぬように、トウコはデスクの机から私が彼女との授業で使っている“魔術史”の教科書を投げて寄越した。
「近代史の項目だ。はい、朗読」
先生みたいに振舞う彼女は、どこか艶っぽい声で言う。
いつの間にやら魔術の鍛錬から魔術史の講義へ、わたしは渋々ページを開く。
「ええと………近世…大戦、じゃないわね。この少し前かしら? えっと」
目的のページを発見する。
過去にあった大きな戦争の前、麻帆良学園の創設と神秘を日常に組み込んだ大々的な魔術都市、その設立者である……コノエコノウエモン? 協会、教会の勢力が介入しにくい極東の地に設立されたその魔術都市は近世における最大の要地である。麻帆良は交流の廃れた三大部門、そして極東の地を繋ぐ協会唯一の支部として確立された。
「へえ、それはそれは。大層な事を考えたモノね、このおじいちゃん」
教科書の右上に掲載されたしゃがれたおじいちゃんを眺めながら、そう息をつく。
声に出したためか、トウコの話を唯聞くよりもキチンと頭にのこっていた。
「まあね、閉鎖的な魔術師の交流を深めようとする、その思想はまあいいさ。ただね、そう上手くはいかないんだよ」
顎で「次のページだ」と示した彼女に頷き、薄い教科書をめくった。
ええと、何々……。
「なによ、結局機能してなんじゃない」
鳴り物入りで設立されたのはいいが、大戦終了後、思想の食い違いや利害の錯綜、その他の外交的、金策的な諸問題が多数持ち上がる。
今なお現行の協会日本支部、そして彷徨海穏健派の思想を受け継いだ組織として運営されてはいるが、“日本の魔術組織”としてしか機能してはおらず三大部門交流の中心とはとてもじゃないが言えない状態みたいだ。
「まあね、それが現状だ。最近日本の呪術協会長、いわゆる退魔組織のトップと血縁的な交流も深まり麻帆良と退魔組織の関係には光が見え始めたが、それだけ。いつぞやに起こった、魔術合戦のメディア放映に関係する怨恨も深く、協会との連携も失われている今、かつての思想通りに運営することは難しいだろうな」
わたしはトウコの話が終わるのを待ってから。パタンと魔術史の教科書を閉じる。魔術界の仕組みについて触れられて、少しは小利口に成れたのかしら?
彼女の説明やら薀蓄やらに付き合っていたら、朱色の空が黒ずんできてしまった。シキとの鍛錬も出来れば日があるうちに済ませたいし、そろそろ止めにしなければ。
「魔術師といえど大人たちはやっぱり色々あるのね。俗世を捨てて、人で或る事を否定する彼らが何よりも人間に縛られている、皮肉って奴かしら? ま、何にしても今日の授業も面白かったわ、わたしはこれからシキと鍛錬しようと思うんだけど、いい?」
「ご自由に」あからさまに肩を萎めたトウコは薀蓄を堪能して満足そうだ。
わたしはコクトーの膝枕で転寝をする猫のようなシキに椅子を回し、跳ねるようにそれを引く。灰色の腰掛が邪魔しちゃいけないと、金切り声にも似た摩擦音を残した。
「チョッとシキ、日が落ちる前に折角だからチャンバラしましょうよ。コクトーに甘えているところ悪いんだけど」
きしし、とリンの真似をして意地悪くシキを揺する。
わたしはシロウに会えないのに、シキばっかりエネルギーを充電できるのってずるいじゃない。
「ん? ……ああ、そうだな。…先、屋上に行ってろ、………竹刀を取ってくる」
普段の彼女なら無防備な醜態を晒したことに戸惑い、顔を赤らめるのに、寝ぼけ顔の幸せ新妻さん(仮)にはあまり効果がない。っていうか効いていない。あれ? すっごい悔しいのはなんでさ?
「……その前に口元のよだれを拭いてから来てね。それじゃ、待ってるから」
ありもしない狂言をプレゼントし、シキがぼけっと口をこする痴態を堪能してから、わたしは屋上へ。勿論、三階の工房、シロウが好んで利用する立派な炉心が備え付けられた部屋に保管しているわたしの愛刀も忘れない。
屋上続く階段を軽快に駆け上がる。
殺風景なその階段は、その頂点、ドアも何も無く、見上げれば差し込む紅と仄暗い黒色が満ちている奇妙な天上に直通している。階段を登りきれば、そこは腰の高さまでしかないボロボロの壁面に囲われた屋上みたいな空間。
さて、シキとの鍛錬。
幸せに寝息をたて、好きな奴との一時を満喫したあの若奥さんに、今日ぐらいは一矢報いても構わないだろう。
4. / snow white.
わたしは自身の武器、蒼白の双剣を強化の魔術で補助されたひ弱な身体で振り回し、軽快な足運びでステップを踏むシキにひたすら切りかかる。
「ほら、もう息が上がってるぞ。頑張れ、イリヤ」
よく言うわ。
竹刀を肩に担いだまま、鼓舞されても嬉しくない。
彼女は模擬刀、わたしは真剣。
けれど、彼女はわたしの振り回すその全てを歩むようにゆっくりと、それでいて皮一枚で躱している。限りある屋上の囲い、その筈なのにシキは一度たりとも動きを止めずに舞っている。
円を描きながら踊るようにわたしを翻弄する彼女は憎たらしいほどにカッコがいい。
「この! 少しは手加減しなさいよ!!」
「してるじゃないか? いつのも通り、こっちからは一切手をだしてない。衛宮だったら、……そうだな、ここまでに三発はいいのをお見舞いされて悶絶してる」
くっ、とくぐもった笑みを溢す彼女に、わたしは右手の短剣、三十センチの弧を描いた刃渡りを滑らせる。薄い藍色、鍔も無く何の装飾も施されていないわたしの青が左から一線。
それをシキは口笛さえ吹いて躱してくれる。おまけにだ、流れたわたしの足元を引っ掛けるのも忘れてはいなかった。
「――――っつ!?!? ああもう! 腹が立つわねっ!!」
大きく体勢を崩されたわたしは何とか踏ん張り、思いっきり身体を捻って一回転。青と不揃いの対剣、白色の倚天をがむしゃらに切り返す。
ただ、青とは対照的な直線の刀身、刺突に趣を置かれているその剣は僅かにシキに届かない。真後ろに、とん、っと跳ね、シキはそれを簡単に避ける。
「 !? っととっつ」
奇天を振り回した反動で、わたしの身体は大きく流される。
シキとの鍛錬時にはコクトーに持ってきてもらった女物の赤ジャージを愛用しているのだが、すでにそれはぐっしょりだ。
赤かった空は申し訳程度にしか残されておらず、辺りは水増しする寒さと共に更けていく。
冷えだす身体を一度抱きしめて、5メートル以上はシキとの距離があることを確認しながら、わたしは呼吸を整えた。
「今日こそは眼にモノ見せてくれるんじゃなかったのか?」
竹刀を杖代わりに、「よっ」ともたれるシキ。………なんで貴方は汗一つかいてないのよ。
「うっさいわね。………これから見せるんだから、わたしの大活劇はカミングスーンよっ!」
酸素不足で頭がどうかしてしまったのか、タイガみたいな減らず口を叩いている。
だけど、不思議。なんかチョッと元気になった。
「延期されないことを切に願うよ。でもな、無理はするな。いつも通り、コレは衛宮の様な鍛錬じゃなくてあくまで体力作りなんだから。なんていったかな、エアロビクス……だっけ? 流行ってるんだろ、最近」
シキにはほとほと似つかわしくないその言葉に思わず噴出す。
彼女もどうして、女性同士の時は女の子らしい思考ロジックに切り替わるものだ。
「ええ。そうね、そうだった。綺麗に磨きをかけて、かえって来たシロウを驚かせないとね」
わたしは肩を持ち上げ、青い短剣を右で順手に、白い短剣を左で逆手に構える。
わたしがシキとこなすのはあくまで美容と健康のための体力づくり。それと誰にも言っていないが、いずれ大きくなったら、世界中を駆け回って正義の味方業に精を出すであろうお兄ちゃんについていくための下準備だ。
「分かってるならいいさ」
気だるく竹刀を担いだシキに注意を払いながら、握り締めた双剣に視線を落とす。魔術師ならば必ず一つは保持している魔術礼装(ミスティックコード)。
宝具の様な限定礼装を所持するモノ、リンの宝石の様な補助礼装を所持するもの、様々だ。
一般の魔術師は主に補助具的な役割をもつ後者を好むのだが、わたしもその例に漏れず、握り締めた蒼白の短剣は魔術を補佐するためのモノである。
「それじゃ、魔術の実践も兼ねて何時ものやってみろよ。アレさ、スリルがあって中々好きなんだ」
「スリルね、いつだって一発も掠りもしないじゃない。よく言うわ」
補助具。
外付けの魔術回路。
リンの使う宝石の様な魔力タンクが出来ればベストだった。いや、全ての魔術師にとって魔力を半永久的に蓄積できるその礼装、そして技能は魅力的だろう。
だがそもそも、リンの宝石を使用した魔力の蓄積は宝石という礼装に起因するよりも、遠坂の魔術特性であり万能である転換の魔術に因るところが大きい。
それにそもそも、わたしは転換の魔術が得意じゃない。以前のわたしならばそれも可能だったろうが、今のわたしが使える魔術は魔術学校終了程度の神秘だけ。
いかにシロウとトウコとはいえ転換の式を組み立てられないわたしにさえ、魔力を永久に蓄積させる事が出来る魔術礼装なんて創れる筈が無かった。
「それは結果論だろ? 結構ひやひやするんだぞ、オレだってさ」
式が竹刀をだらりと下げて、何時もの合図を私に送る。
ここからは“なんでもあり”の時間、そう彼女が告げている。
「―――――――――だったら、今日こそはその結果論を粉々にしてやるんだからっ!」
再度強く強く青倚天を握りこむ。
わたしはリンの様な万能型の補助礼装は使えない。よって、わたしが使う蒼白の双刀は“アンテナ”の役割を果たす補助礼装。
シロウとトウコと色々話し合い、数回に及ぶ改良。そして、最良と思われる道具にわたしの愛刀は鍛え上げられた。
「それは、楽しみだ。衛宮をコテンパンに出来なくて最近イライラしてさ。受動的なストレス発散法だが、贅沢は駄目だよな。今夜はいい夜になりそうだ」
貴方が妙に疲れていた原因はそれ(ストレス)かっ!
もう我慢できないと、わたしは回路を走らせる。眼前には歪に笑んだシキ。辺りは既に暗闇が落ち、彼女が背負う夜景はボンヤリと群がるように光の数を増やしていく。
「調子に乗って! 心因負担倍増させてやる!!―――――Einschenken(満たせ)」
回路が魔力で溢れ、杯が毀れる痛みを全身に浸透させる。
心地よい苦痛を感じるのと同時に、両手に握る青倚天、順手と逆手に握る蒼と白を交錯。弾けあう柄、甲高い和音が私の細い指を伝い魔力を振るわせる。
「―――――――――毀るる青は盃を、流るる杯は白を灌ぐ」
カチリ。
撃鉄の音にも似た錯綜音がコンバインされたわたしの握る柄に響く。
両端にヒレを持つ櫂(オール)の様な形状、中央のグリップから両極に伸びる青と白の不揃いの刀身。剣を模倣した蒼白のスカルで、ブンと8の字を描く様に冷えた夜気を凪ぐ。
「―――――いいね。いつみてもその奇剣はさ。本当、衛宮はいい鍛冶屋になるよ」
シキの態度は変らない。
悠然と自若を貫き、竹刀すら未だ構えずわたしの、いいえ、シロウとトウコ、創る魔術師において最高峰とも言える二人が鍛えたわたしの礼装に賞美の言葉さえ送る。
聖杯では無いわたしが、始めて手に入れた魔術礼装。そんじょそこらの刀剣、魔術礼装なんてこいつの足元にも及ばない。
刃物マニアの貴方には悪いけど、コレは死んでもあげないから。
「その軽口、いつまで叩けるかしら?」
「上等。そうこなくっちゃ」
回路とスカルの接続は既に済んでいる。
さあ、準備は良い?
「―――――Wasser Schwert siebzehn(水の射手、十七刃)!!」
わたしはシキから出来る限りの力で跳び引き、魔力の刃を放つ。形成は僅かに五秒。
先ほど、トウコとの前では二工程で放つことが出来なかったその呪文。それをここで成したのが、わたしの礼装の力だ。
わたしの礼装、青倚天は櫂の象に形成されて始めて、その機能を発揮する。
その効果は実に単純、アンテナだ。
外界に働きかける魔術は大気中に拡散したエーテルを如何に術式として再構成させるか、それが最も重要である。その工程は1、パスの接続、2、接続した回路を通じ練り上げた魔力を送り込む、3、式の構築と言った大まかに言えば三工程に分かれている。
わたしは、この礼装を持って第一の工程、パスの接続をすっ飛ばしているのだ。
青がわたしの魔力を回収、伝達し、倚天が大気中のエーテルと常に接続する、故にアンテナ、いわば、わたしの電力をより効率的に伝達するための受信機(青)であり発信機(倚天)なのだ。
「―――――――十七。はっ、なめられてるね」
だが、僅か二工程のアクションで放たれたわたしの刃はシキを前にしては小さな飛沫と変らない。
やはり彼女は竹刀を構えなかった。
ぺろりと乾いた唇を舐めたシキはその場から動きもせずに胴の捻りと、左足を軸に円を描きながら全てを避ける。
「いい気にならないで、これからよ。Wasser Schwert siebzehn」
真上にスカルを振り上げ、再度同じ呪を紡ぐ。
放たれた十七の鋭利な水の刃。
大気中のエーテルに回路を接続しっぱなしなわけだから、魔術行使における手間が一工程分省けたわけだ。
当然、行使速度も増すし、何よりも外界干渉系魔術の成功率が跳ね上がる。
シロウの内界系統の魔術と違い、外界に働きかえる魔術はエーテルの扱いが重要になってくる。大気中に拡散した概念ともいえる架空の要素、エーテルは扱いが難しい。基本にして最重要であるパスの接続からして困難なのだ。
だって概念的な要素であるわけだから、当然視えない、イメージが重要な魔術においてそれは結構致命的だ。故に、エーテルを扱う魔術はパスの接続が全てといっても過言では無い。エーテルは粘土みたいなものだし、回路を接続してしまえば構築する式はそう難しいものでは無いのだから。
「―――――――――へえ、はやいな。でも駄目だ、それじゃオレは捕まらない」
放たれた私の水刃の速さを評したのか、はたまた詠唱魔術の早さなのか。
それは分からないが、どちらにしてもコレが決め手になるなんて私も考えていないわよ。
「ふんだ、後悔するわよ!!―――――――――――杯を廻す」
類感により属性の派生、水を火の属性に反転。
わたしの魔力を吸収する青が僅かに赤く染まり、置換された魔力を倚天に流す。
あくまでわたしの礼装が補助するのは大気中のエーテルへの接続のみ。強化、類感、変化といった工程はやはりこちらで処理しなくてはならない。当然、式から構築するし魔力もそれなりに持っていかれる。
「----------WasserSeele rotes Siegel tropfen, Feuer schwert einundfunfzig (水霊、朱色に滴る、火炎の射手、五十一刃)」
わたしの魔力一割強を使った魔術行使。だが、それに見合うだけの火力は用意できた。カッと暗がりが白く染まる。
そして穿たれた炎の剣、十七の刃を回避した直後だ、この数は流石にやばいんじゃないかしら? だ、大丈夫よね、きっと。死にはしないわよ、多分。
「いいね。これでなきゃ、―――――――」
わたしと視線を絡ませ、迫る炎の剣弾を前に低く腰を曲げるシキ。
彼女は嬉しそうに唇を吊り上げ、そして――――――――。
「え?」
―――――――そこまでが、わたしの捕らえきれた全てだった。
叩きつけられた熱波。
反転したネガポジみたいにわたしの視界は弾けた火炎にあてられブラックアウト。
瞳の力を取り戻した私は、焦りながら僅かに焦げた前髪を振り払った。
そこに、―――――――――彼女はいない。
見渡す屋上、八方に意識を伸ばしても、そこは伽藍。伽藍の天上だ。
「なんでよ!?―――――――――どこに!?!?」
シキを見失ったのを火炎の余波の所為にして、金切り声を張り上げる。
彼女はいない、どこにもいない。
わたしは頭が取れるんじゃないかと思うほど、ためつすがめつ首を廻した。だけど、捉えられたのは真っ黒な夜の大気と、その先に映る目障りな都会のネオンライトだけ。
「まさか、――――――消し飛んじゃった?」
それは不味いと、ごちる。
だが、僅かに黒ずんだ伽藍の屋上に視線を戻したその瞬間。
「それこそまさか。お前の視界から、って言葉が抜けてるよ」
頭上から、そんな憎ったらしい鈴声の如き嘲笑が落ちてきた。
すっかり忘れていたが、“なんでもありの時間”はシキがわたしに一太刀入れた時点で終了する。毎回毎回、ぽこんっと優しくも情けないその音色に正直うんざりしているのだ。
今日は、もう少しだけ粘ってやる。
だけど、つがえたスカルでシキのゴリラな一撃を防ぐなんて出来るわけが無い。
そして同時に。思考する余憤も、ない。
ならわたしは、シキの一太刀を防げる何かを、一秒に満たないその瞬きで練り上げるだけだ。
魔力の矢に続く、基本魔術。優れた魔術師ならば、自動的に形成されるその神秘。それをわたしは、言葉と言う一工程の最速をもって彼女の凶刃に対抗する。
「―――――――――――水楯っ!」
頭上に纏われた水の塊が、バアンっと鋭い何かを受け止めた。
弾けた冷たい飛沫。
冬の夜の冷たい大気から凝縮されたその水の盾は、シキが振り下ろした馬鹿みたいな衝撃で波打ち毀れ、二人の顔をひんやりと濡らしてくれる。
「ちぃっ!?」
っと、シキが舌打ち。そして着陸と同時に一瞬で離陸した。その言葉が適当なくらい、彼女の跳躍は飛行染みている。
再び開いた両者の距離、わたしは壁際で片膝をついてこの瞬間の安堵を噛み締め、シキの心地よい歯軋りに耳をピクリと振るわせた。
「――――――ど、どうよシキ? わたし、結構やるんじゃないかしら?」
あ、あぶなかった。実際は冷や冷やモノである。
わたしは水飛沫に濡れる顔を拭って立ち上がり、不満そうに口を尖らすシキに余裕を装おおとして失敗した、可愛くない笑みを向ける。
「ふうん。それ、前は使えなかった筈だよな? 視たのは今夜が初めてだ」
滴る水滴もそのままに、ゆっくりと彼女は立ち上がった。
「でも面白いよ、叩き甲斐があってさ。意外と頑丈なんだ、水って」
不機嫌だったその顔は、ちゃっかり歪に微笑んでいる。彼女ぐらいの美人さんのああいう顔って、出来れば見たくないっす。
コクトーに後で注意してもらおう、そう思考を切り上げ、わたしは自分の新しい魔術に送られた賞賛を当然の様に受け取り、返す。
「それはありがとう。だけどお生憎さま、そう何度も楽しませてあげないわ」
わたしは一息に言い切って、青倚天を目前に掲げ握りこむ。
今日の鍛錬、わたしの調子は絶好調だ。
わたしの礼装のもう一つの能力。“もう一つのアンテナ”としての力を上手く使えば、もしかしたら本当に。
「――――――一泡拭かせて、やれるのかしら?」
思ったことが口に出る。
不味いわね、シロウの癖がうつっちゃったのかしら?
「へえ、まだ言うか。それじゃ、もう一段階ギアをあげてみよう。衛宮の奴はいつもこのレベルで鍛錬してる。実際どんなものか、体験してみるのもいいかもな」
にやりと真向かいに竹刀を構えたシキ。
ちょっとちょっと、初志を忘れちゃったの?
「―――――――――痛いのは嫌だからね」
それでも、彼女の歪んだ思いやりを拒めない優しくも可哀相なわたし。
「安心しろよ。エクササイズだって」
でもほら、わたしのそんな感情を敏感に読み取った彼女は。
「ほら、構えろよ。今日はもう少しだけつきあうからさ」
かっこよく、夜の闇と光る遠くの夜景を見上げながらそう言った。
シキの言葉にひるんだわたしは、どうやら獲物を下げていたらしい、慌ててそれをシキに姿勢などを注意されながら構える。
「はいはい、っとこれでいいかしら? それじゃ、やるわよ。まだ魔術を使ってもいいのかしら? つまり、何でもありの時間継続ってこと」
右手で掴む青と白の櫂、それを突き出し中腰に。
「ああ、当然継続中。さ、いってみようか」
シキが少しだけ嬉しそうに竹刀を担いだ。
だけど、先ほどとは明らかに違う雰囲気、シロウはいつもこんな緊張感にまみれているのだろうか。
今はここにいない彼と重なる奇妙な連帯感にくすぐったい感情を覚えながら魔力を練り上げる。
夜は緩やかに深く沈み、都会の光をより一層強い輝きに陥れていた。
きっと今日とて何も変らず、手に入れた日常は終わってしまうだろう。
トウコと、シキと、コクトーと、そして今夜も回る月の様に。
「―――――――――――満たせ」
意味の無い、だけどその呪を再度唱える。
腰を落とし、スカルをつがえる。
わたしという杯が今日も日常に満たされる。
シロウのいない日常。
だけど、いつもと何一つ違わないそんな夜。
彼のいないそんな非日常。そんな逆月の夜は今日も、廻る。