/ flame.
私は異常だった。
日本。
普通の家庭に、極当たり前の夫婦の間に生まれた私。
しかし、だからこそ私は異常だった。
異常と日常。その定義は、その境界は酷く曖昧なものだ。
大多数が日常、その中から弾き出された少数が異常。
異常と正常、ソレを決めるのは自分ではなく、常に自分とは関係の無い他人の集まりだったから。
私がいくら自らを外れモノでは無いと叫ぼうが、決めるのは私ではない。
よって、私は異常だった。
人道から外れた訳でもない、何か間違いを犯したわけではない。
ただ、私の中には人でない“血”が混じっていただけ。
パパでもママでも構わない。
唯人であった二人の祖先は、かつては“魔”と呼ばれる類のモノだったのだろう。
その僅かに息づいていたその歪んだ血脈が、私の中で不幸にも覚醒してしまっただけだ。
何度、この血を憎んだことか。
何度、この身体を引き裂いたことか。
何度、この心を傷つけたことか。
日常に発生した異常は、そこに存在するだけで奇異だった。
何度、自分を否定した事か―――――――――――――。
疎まれ、蔑まれ、過ごした日々。
振り返れば、私が本当の意味で外れたのは誰でもない、大多数の日常の所為かもしれない。
もしも私を、日本に息づく混血の組織が私を見つけてくれたなら。
もしも私が、それら異端の中に生まれていたのなら。
もしも私に、人外であることを認めてくれる人がいたのなら。
もしも……。もしも…。もしも………。
数え切れないもしもの果てに、私は日常に絶望した。欲しいものなど、誰も与えてはくれないと、気付いたから。
一体私がいくつの時か?
私はそのあり方を認めた。その時から、私の中で何かが反転したのだろう。
あれだけ溶け込む努力をした日常を、私は唾棄していた。
歯車は狂ってしまったのだろう。
違うわね―――――――――きっと、狂っていた歯車が回りだしただけ。
きっかけはなんだったのだろう?
きっと、私を見る両親の視線に耐え切れなくなったのだ。
思い起こせば、それが直接の原因だった。何て笑い種、ただ私は彼ら日常の呵責に耐え切れなくなっていた、ただ心が摩滅した、それが所以。
「私を、そんな眼で見るな。―――――――――――」
焼いた。
両親の焦げる匂いは、それなりに甘美で魅惑的だった。
吐き気を催すほど、笑ったのを覚えている。
普通のダイニング、どこにでもあるシステムキッチンと両親が無理をして買ってきた豪華な欧風のテーブル。そんな生活臭漂う空間で、炎上した肉達磨が炭化する光景は、貴方たちが私に望んだ異常そのものでは無いのか?
そうだ、鼻をついたあの匂いを初めて知ったのは。
あれは、誕生日だった。誰も、何も与えてくれない十八回目の聖誕祭。
生みの親をこんがりと香ばしく、そして上手に焼き上げてから、私は不夜の街に飛び出した。丁度霜が降り始めた、古都の夜明けに私は唇をゆがめて繰り出していたんだ。
そこで。
私を恐れた人間を、焼いた。
私を蔑んだ人間を、焼いた。
私が信じていた人間も、焼いた。
皆、皆、皆、焼いて、焼いて、焼き尽してあげた。
私を虐めた奴、私を否定した奴。
兎に角、人間が憎かった。
人間を焼いて、ニンゲンを焼いて、私の狂気の夜が明けた。
退魔組織。
私がコレほどまでに憎む人間を守る、気にいらない偽善者の集まり。
そいつらが私を捕縛しに来た、呈のいい言葉は要らない、素直に殺しに来たって言えば良いのに。
だから、こいつらも焼いた。
大したこと無い、人では化け物に勝てないのだ。
化け物に勝てるのは、それこそ同じ化け物か、正義の味方、俗に言うヒーロー位なものだろう。
ただ、私は人間を焼きすぎた。
それなりの自衛力を持つ退魔組織の力を見縊りすぎていた私は、彼らの追随を振り切るために極東の島国を捨てた。
私が辿り着いたのは魔術、神秘に傾倒する自衛団体だった。
日本からの逃亡、そしてパリの貧民街で碌でもない生活に飽きてきた時候。まだ成人もしていない混血の私を拾ってくれたのはそこに所属していた一人の老魔術師だった。哀れな慰めの精神、私を慈しんでくれたその老人を最大限に利用し、私は魔術を学んだ。
とはいっても、私が学んだのは契約魔術。パクティオーと呼ばれる彷徨海の系列に位置する秘伝だけだった。それ以外にこの老体の魔術に魅力を感じなかったし、私もその全てを受け継げるほど、魔術の才能があったわけではない。
そうして私は、気付けば大人になっていた。誰も何も、与えてくれないまま。
魔術師、彼らの常識では人の命など本当に安かった。師に価値を見出せなくなった私は、彼をあっけないほど簡単に焼いてあげた。確か焼き加減はミディアムレア。
私が思う、最高に苦しい地獄を送った。“私を救った”と言う彼の自己満足の哀れみや達成感が本当に私の癇に障ったから。そんなもの、私が欲しかったモノじゃない。
「魔術の研鑽の元、私の師を犠牲にしました。誰にも迷惑をかけていないし、問題ないでしょう?」
晴れて独り立ち。
私は魔術師として彷徨海に所属することとなる。
魔術協会に所属し幾年かの月日は直ぐに流れた。
―――――暫く人を焼いていない。アノいい匂いを、嗅いでいない。
段々と、そんな欲求が高まっていく日々の中で、私はガランドウの少年に出会った。
戦争があったのだ。
私の知らない異国の地で、小さな宗教抗争が起きたらしい。
そんな話を耳に挟み、暫く味わっていない人のジューシーな香に、鼻腔を刺激されに行こう。そう考え、小さな街であった廃墟に赴いていた。
実際はつまらない仕事、どうして、こんな組織に今でもしがみ付いているのだろう。与えられた事の無い自分が、与えられた仕事をこなす。だけど、どうして誰かの■■を願えるのか?
出会いは、本当に唯の唯の気紛れだった。
焦げ付く廃墟。錆付いた赤色が瓦礫を犯すこの場所で、死に体だった彼に手を差し伸べていたのは。
「お姉さん、ダレ」
軽い身体を持ち上げてやれば、少年、とは言っても十三、四といったところの男の子はそう答えた。
現地の子供では無い。紛れも無い、そして久しく耳にしていなかったその言語で、少年はそう問いかけた。
だから。
「私? そうね、人食い鬼さんかしらね」
誰も見ていない、仲間は他の地域の救助活動に勤しんでいる。だから、本当のことを言ってやったのだ。
はは、最高。
笑ったらならば焼いてしまおう。助かったと安堵の表情を浮かべたのならば焼いてしまおう。騒ぎ出したならば煩いし焼いてしまおう。
いい加減、誰かを焼かないと心が落ち着かない。
辺りには焦げ付いた肉塊しかないのだ、もう一つ位人間大の炭が転がったところで問題は無いと。そう歪めた私の口元。だけど、ソレをなぞった少年は。
「―――――――なんで、貴方は泣いているのよ?」
だけど、私が見てきたどの人間の表情よりも痛々しく、苦しそうだった。
さっきまで無愛想だった少年は、本当に辛そうで、一筋の熱い水滴が彼の頬を伝っている。
「僕。表情、忘れちゃったみたいで」
抑揚の無い日本語。
だけどそれでも、隠し切れていない上品なアクセントに、彼がそれなりに裕福な暮らしをしていたのが窺えた。
「だから、真似をする事位しか出来ないんです」
ああ、と。私は理解した。この子はここで死んだんだ。
ガランドウのこの子にあるのは、ソレだけだったのだと。
話しくらいは聞いたことがある、起源の覚醒だ。
死に傾倒した彼は、きっと自分の原因に触れている。
「真似って、誰のよ?」
今、この子は鏡なのだ。
ガランドウ、何も詰め込まれていない彼は、きっと誰かを模倣することで自身を確立しているのだと。
そして、私はようやく理解した。
人が憎い、人を燃やしたい。その衝動に駆られて、初めて人を焼いたあの夜。
あれはきっと喜びでは無かったのだと。
「誰って、―――――お姉さんのですよ」
私は諦めたんだ。
混血、人外であること、人に受け入れられない、不幸の顛末に抗うことを諦めた。
「へえ、そう。コレは、正直な鏡を拾ってしまったものね」
だから、私は決意した。
この空虚な鏡に、私の憎悪を詰め込んであげようと。
私が味わってきた、救われたかった私の心を犯した、あの苦痛を。
私が生まれたあの街で、私を狂わせたあの街を。
「それで、貴方名前は?」
真っ赤な焔で焼いてあげよう。
「思い出せないんですよね、名前」
「そう、なら良いわ。ここで生まれたんですもの、ソレが当然よね」
湧き上がったのは、憎しみだった。
私は、諦めるしか無かったんだ。
混血、蔑まれてきた私。それに頑張って耐えてきた私。そんな私に、諦めるなんて選択肢しか与えなかったあの街を、あの人間たちを許しはしない。
快楽によって炎を統べる私は、その時から手綱を変えた。
「貴方の名前は“鏡”。今日から私のパートナーよ」
紅い、赤い、朱い享楽が見える。
あの街を私の色で焼き尽くす。きっと、堪らなくいい匂いだ。
「はい。――――――それで、お姉さんの名前は?」
与えられた名前を反芻した少年は、そう問うた。
手ごまは一つ、伽藍の少年は中身を手に入れた。
だから、だからこそ私は強くその名を響かせた。
それなりに過ごした人生の中で、コレほどまでに自らの名前に意味を感じたことは無い。
「遠上(えんじょう)……。遠上 都(みやこ)」
さあ、焼き尽くそう。奏でる指は、もう止まらない。
後は簡単だ。そうして、私は日本に舞い戻る。まずは、その下準備。
私は協会所属の魔術師だ、情報を集める手段、方法は揃っている。
仲間がいる、最低後もう一人。どうやって、あの街を焼き尽くす。
いいさ、時間はある。
「はは」
―――――――――――――――――――焔の饗宴を、送ろうか?
/ out.
つまりは、それから五年後の喜劇。
■ Interval / 願いの行方 了 ■
「遠上、都よ。貴方は?」
女は、暗闇の中で男に言った。
それは、初めて手を伸ばし、与えられたモノ。
「黒桐、幹也です」
男は、暗闇の中で女に言った。
それは、退屈なまでに彼が持っていた、在り来り。
「ああ、これで。名残惜しさを感じることが出来ますね」
最後に、最後に男は微笑んだ。
つまりは、それから五年と四日後の終幕。