/ others.
「ボーイ。んー、どうだったかね? ターゲットと接触してみて。今回の要はあのお嬢さんだ、極東の協会長の孫娘、退魔組織トップの娘、そして、世界でも指折りの魔力保持者。彼女なくして君のシスターの願いを叶えるのは無理なのだよ」
赤ら顔の男は、愉快そうに口を開いた。
肥大した肉饅頭みたいな顔に小さな鼻がめり込んでいる。卑猥な顔を歪ませ、禿げた頭を撫でる男の表情は見るに耐えず、少年は何時ものように直ぐ視線を逸らした。
ワゴンの車内に満ちた男の腐った口臭が少年の鼻腔を侵している。効きすぎた暖房は男の加齢臭を助長させ、車内は腐乱し、少年、鏡の表情を歪めさせた。
「……そうだな、二人ほど厄介な奴が護衛についてるけど、何とかなるね。手はず通り、アンタの準備が出来次第決行するよ」
先ほどの丁重な言い回しはそこにはない、捨て鉢に言い切った彼の台詞はこれ以上話を続けたくないと言うアクセントを含んでいた。しかし、そんなニュアンスに気付かない愚鈍な感性を持つ醜い男性は、愉快そうに分厚い唇を歪める。
「そうだね、撒き餌は此の時の為にばら撒いていたのだ、君の一言も実に頼もしいな。ひひ、そうともなぁ、ようやくミスミヤコの念願は叶おうとしているのだ。君も心躍る気持ちであろう?」
鏡は答えない。何故、どうして姉さんがこんな奴に助力を求めたのか? 彼は未だ信じられないでいたのだ。だが、他の魔術師の助けがいることは鏡も充分に理解している。
理由は明白だ、都、鏡には魔術、形式的に神秘を行使するための下地が無い。
故郷の炎上。
鏡の親愛なる姉の願いを叶えるためには、古にあった大魔術式を“解除”する必要がある。故に、助力を求めたのは道理だ。だって二人には解呪の術式など使えないのだから。
「――――――――それで、姉さんは?」
仕方なく、彼は話を続けることにした。
不愉快極まりないと、彼は心の内で頬を顰める。
「彼女は龍界寺の守りについているよ。魔術式は粗方解除したし、後はミスコノカの魔力を注ぎ、楔を放てば良い。それで道は開く。解呪の影響で“魂食い”がこの街に多数発生しているが、まあ大気中のマナの濃度が高くなってしまっているし、仕方が無いか」
「ふん、ソレもアンタの計画の内じゃないか。そのための魔術だろう?」
「んー、まあね。異なる世界への道を創るのだ、コレくらいのリスクは甘んじて受けるべきだろう。まあもっとも、それを受けるのは私たちでは無い大多数の他者であるわけだが。―――――ひひ、しかしこんな極東の地で、あれほどまでの優れた魔術式に触れられるなんて想いも依らなかったなあ。今宵も、君の姉君にも感謝を忘れることが出来ないよ」
「そうかい。でもな、馴れ馴れしいよ、お前。アンタは僕たちの命令だけこなしてくれればいい、下手なリップサービスはいらないんだよ」
「んー、厳しいな。まあいい。しかしな、私の力なくして、君たちが復讐を果たせないということも、肝に銘じたまえよ。どうも、私の価値を軽んじられている気がしてならない」
「被害妄想だよ。それは」
動く密室は、この手の話し合いには実に有益だ。
助手席の鏡は、魔術師の詰まらない話などを聞いてはおらず、そんなことをぼんやりと考えていた。
今回の帰郷。目的は言うまでもない、復讐だ。
鏡が拾われてから既に五年。都の悲願は、この下品な魔術師の入れ知恵により、もう直ぐ成ろうとしている。
そう、魔術師の思惑が別のところにあるとも知らずに。
「ひひ。さあ、早く戻ろうか? シスターも待っているよ」
「そうだね。どちらにしろ、動くのは今夜じゃない」
そして二人は、口を噤む。
沈黙の縁で、鏡は夕闇の金閣ですれ違った紅い髪の男に奇妙な憎悪を抱いたのを思い出す。
だが、その感情を彼は履き違えていた。
その心のうちから零れた不快感を、彼は計画への焦りと捉えた。
「大丈夫、姉さんは救われる、彼女の願いはきっと叶う。この街はきっと赤く臭い立つ。それだけを叶えるんだ、僕にあるのはそれだけ、姉さんの願いを映す鏡。ソレが僕、ソレが鏡、ソレが僕、――――――――ソレが、鏡。姉さんの、鏡」
そう、鏡は気付かない。
夕焼けの出会い。そこで出逢った自分と同じ偽者は、だけど自分とは違う、確かな本物を担っていたことに。
そう、鏡は知らない。
彼は、いつだって彼女と共に過ごせるその幸福のみを望んでいると言うことを。
Fate / happy material
第二十六話 願いの行方 Ⅲ
/ 5.
さて、豪華な夕食を最初に通された座敷で堪能した後、お楽しみのチャンバラタイムに突入しようとしている。
衛宮邸の道場を十倍にしないと対抗できない広さの板張りの空間に、俺と式さん、そして桜咲は通されていた。今日の夜は些か冷えるものの、都心の突き刺さるような寒気はそこにない。木々や山々に囲まれ潤いを含んだ冬の冷気は、滑らかで気持ちが良かった。
式さんは空色の着物一枚だけだし、桜咲とてシャツにスパッツと言う簡単な格好だ。それでも寒くないのは京都の外気故か、それともやはり、鍛錬を前に精神が高ぶっているからだろうか?
「さて、刹那君と両儀の、君たちは竹刀でいいのかな? それと、衛宮君。……君は」
紅いジンベエを羽織った詠春さんは、長閑な微笑で式さんと桜咲に竹刀を手渡す。
だけど、どうして俺の前で戸惑うのか? 不自然な空白。俺はどうしていいか分からず、首を掻く。
「えっと、俺も竹刀を。出来れば二刀がいいんですけど、一刀でも全然構いませんよ?」
そう言って、俺は竹刀を受け取ろうと手を差し出す。
それでも、どこかぎこちなさを拭いきれない近衛の親父さん。
「剣……そうか、君は違うのか」
「はい?」
違うって、何がさ?
何かを思い出すように顎を擦った彼は、はっと誤魔化す様に口を滑らせた。
「ああいや、なんでもないよ。君、なんて言うか飛び道具向きの身体つきというか、あまり剣士っぽくないんだ、それでね」
焦る詠春さんは、俺に竹刀を手渡す。
しかし……心外だぞ。俺はコレでも剣を持って打ち合うのは好きなのに。
「詠春の目利きも中々だ。オレもそう思うぞ」
「そうですね、衛宮は草食動物みたいですから」
………チョッと待て。桜咲が頓珍漢なこと言わなかったか? 草食動物と剣士の向き不向きってどんな関係があるのさ?
「確かにな……なんて言うのか……アルパカ?」
式さん、冗談ですよね。
アンデス山脈に生息する家畜と剣の鍛錬、何も関係ねえ。ああ、つまりアルパカが剣を振り回すくらい俺は剣士に向いて無いって事か、それは?
「ぷっ」
おい、そんで持って桜咲。お前のネタ振りだぞ。
俺の顔を見て噴出すのは勘弁してくれ。軽く心に傷を負うから。
「―――――はは、いや若者はいいねぇ。」
いやいやいや、さすが近衛の親父さん。
近衛のあの素晴らしく荒唐無稽な性格は貴方の所為でございましたかっ。なんかこのままだだっ広い道場の隅っこでのの字を書きたくなってきた。
「……もう何でもいいですから、剣の鍛錬しましょうよ」
そうして、始まった鍛錬。
果たして、無事に明日の朝ごはんを食べることが出来るのか……っ!
「は、は、は、は、は」
腕が重い。
あれからどれくらい打ち合っていたのか、トレーナーが汗を吸いすぎて甲冑のように重く感じる。頬を伝う水滴を拭い、呼吸の仕方を思い出そうと努めるも、意味は無かった。
もう駄目だと、俺は諦めてその場に尻餅をつく。
俺たち三人を相手に、未だ一本も許さないあの人は、本当に人間か?
「―――――――っちい。刹那、左だっ」
「っ! 両儀さん、右ですっ―――――」
目前では未だ式さんと桜咲が、一人の剣客にその刃を翻している。
それでも、翻弄されるのは二人。詠春さんはあしらう様に払い、その攻勢を躱す。
「そら、今のは惜しいぞ。―――――――――」
直線の加速で迫る式さんと、円を描き追い詰める桜咲。即席とは言え、二人の息は一分の空きもなく噛み合っている。いつかは対照的に火花を散らせた二人の刃が、今は踊るように融けあい、お互いの閃きを高めあう。
「――――――――――――調子に乗るなよ」
「その通り、今夜は一本もぎ取って見せます」
上手い。
一瞬の気の緩みか、詠春さんの左右。二人が詰め寄り、不可避の檻をかたどる。
上段の式さんと、下段の桜咲。瞬きの間に三人の距離は零に―――――。
「百烈、桜花斬」
ならない。
唯一振りだ。後僅かの踏み込みが、果てしなく遠い。左右から同時に放たれた必殺は、回転の軌跡に絡め取られた。
弧を描いた真横一文字の秘伝が、肉薄した間合いを再度開く。
舌打ちは二人、なれど、その俊足が止まることは無い。式さんは一呼吸を置いて。桜咲は息つく間も無く。
重なる必殺の機会は、類稀なセンスをもって絶妙なタイミングで僅かにずれ、今度は直線の檻を成す。
桜咲が先駆ける、初太刀から渾身。その螺旋の一刀は放たれた。
「神鳴流、――――――斬鉄閃」
届かない。
至妙の間合い。衝かれたその刃は、詠春さんの皮一枚を掠め僅かに届かない。
だが、彼女たちは未だ止まることなど知らなかった。必殺と思われたその一刀は、その実、唯の囮でしかなかったのだ。
「――――――とった」
桜咲の真後ろ、遅らせたタイミングで――――――飛び込む。
その様は早馬、桜咲の矮小な体躯を軽やかに追い越し、飛翔からの落下でその追迅を叩きつける。
この必殺は躱せない。俺は二人の勝利を確信した、そう、所詮俺の拙い経験則では詠春さんの底を知ることなど出来なかったのだ。
「百花、繚乱―――――――――――」
季節はずれの東風が凪いだ。
直線に重なる二人に、一筋に結ばれた風の如き秘剣は放たれる。
「っつ!?」
「なっ!?」
こわばる二人の体躯。その隙は、瞬きにも満たないというのに。―――――――――気付けば、幾重の閃きが冷たく、緊張した大気を裂いていた。竹刀の弾ける軽快な高音は、その鋭さを否が応でも教えてくれる。
この攻勢を一太刀で防ぎきった詠春さんも流石だが、その逡巡、彼の二刀三刀を捌いた二人の才覚にも舌を巻く。一体いつの間の攻防だったのか、詠春さんは間合いを開く二人に詰め寄り、撓る断頭の面を桜咲に、腸を抉る胴を式さんに返していたのだ。
「ほう、今のを防いだ? コレはコレは。誠、大したものですよ」
開けた間合いは五間。
まみえる三人の剣客にしてみれば、その距離は無いも同じだろう。
だがそれでも、―――――遠い、遠すぎる錯覚があった。
外野で尻餅をつく俺でもそう感じるのだ、実際に立会いを続ける二人はなおのことその距離を感じて―――――。
「当然だろう。さあ、まだまだ行くぞ、こんなに楽しいのは久しぶりなんだ、つまらない言葉で水をさすなよ。刹那、次はもう一つ呼吸を上げていく、合わせろ。本気であいつの首を吹っ飛ばす」
「御意。長、今度は殺す気で踏み込みます。出来ればお怪我をなさらぬ様、ご自愛を」
――――いる訳、無いか。
滴る汗は光輝を纏い、ほのかに染まった二人の頬が柔らかく微笑みをつくる。張り詰めていく暖冬の匂いは、それでも穏やかで力強さを失わない。
「……はは、怖いな。ソレは」
恐らく冷や汗を隠しながら、詠春さんは正眼に竹刀を取る。
流れが、傾いた。
詠春さんの絶対的な技量で支配されていた空気は、桜咲と式さん、二人の気概に再び衡に揺れている。
高揚していく剣気は、俺の身体に活力を無理やりにでも注入してくれたようだ。
「――――――くそっ、かっこわりぃぞ、衛宮士郎」
いつまで不甲斐無くしている心算だ。俺は落ちそうな膝を持ち上げ、無理やり頬を吊り上げる。目の前では既に、三人がきっと俺ではついていけない鬩ぎ合いを開始している。
それでも、ここで唯眺めているのは性に合わない。勝てないから戦は無いのなら、俺ははじめから剣なんて執っていない。
気付けば、俺は駆け出していた。足手まといでも構わない、かっこ悪くても構わない。
きっとボロボロにされたって、ここで眺めているよりはずっと意味のあることだと思うから。
「――――――頑張りましたね、衛宮」
桜咲が道場の真ん中で大の字を書く俺を見下ろしている。
身体は動かないけど、口腔は未だ生きていた。絶え絶えに息を吸い込み、俺は何とか返すことに成功した。
「……そう言ってくれるとありがたい。結局、俺なんかが加勢したところで詠春さんには届かなかったけどな。悪りい、足引っ張っちまったか?」
二人、潤いが含まれた寒気の中で呼吸がダブっている。
先ほど式さんと詠春さんは汗を流すと消えていった。残ったのは桜咲と、未だ動けない俺だけ。
「そんなことは無い。式さんもとても喜んでいた、衛宮は本当に強くなったと。私もそう思います。貴方は気付いていないようだが、麻帆良で貴方と打ち合ったときよりもずっと力強く剣が振るえていたんですよ」
桜咲は俺のとなりに腰を下ろし、ふっと息をつく。
そうして、手に持っていたやかんを俺の口へ無理やり差込、冷たい水を流し込む。冷えた何かが、火傷しそうだった俺の臓物を冷却してくれた。
「それでも、役に立たなかったのは事実だ。男として不甲斐無いよ、毎日鍛錬してるってのに、この程度の腕前じゃあな」
受け取ったやかんで喉を潤し、天井を見上げる。
「衛宮。それは根底から既に間違えている。大体、貴方が剣を執ったのはほんの一年前だと言うではないですか、それで貴方の腕は大したものです。貴方は自分の事を過小評価しすぎる。謙遜は美徳だが、己を計り間違えるのは唯の馬鹿ですよ」
すこしむっとした様子で、咽込んだ俺を馬鹿だと、桜咲は言った。
呑み損ねた冷水が、やかんの口から零れ、俺の顔面に降りかかる。
「ごほっ……なんか、どんどん容赦がなくなってないか、お前?」
初めて出会った時のしおらしくて礼儀正しい桜咲はどこいった?
俺はぼんやりと天上を眺めながら口を拭い、不思議と嫌ではなかったこいつの悪態を飲み込んだ。………確かアイツとの鍛錬も、終わりはいつもこんな感じだったな。
道場は茫洋とした発電灯の光が溢れ、既に八時をまわった夜の雰囲気をことごとく拒絶していた。発光する蛍光灯を眺めすぎ、白んできた視界の先には、未だ小さな人影が膝を抱えている。
「貴方の言い分が癪に障っただけです。高々一年かそこいらの鍛錬で、私や式さんと同等に立ち会えるなどと、思い上がりも甚だしい。これでも、私は剣に誇りを持っているのです。そんな簡単に追いつかれてしまっては私の立つ瀬も無ければ、このちゃんに合わす顔もないでしょうに」
拗ねるようにそっぽを向いた桜咲は、ソレでも俺のことを褒めてくれたらしい。左に結った黒髪は、彼女を普段よりも子供っぽくデコレートしてくれていた。艶のない黒すぎる髪は、それでも、よくできたチョコレート菓子みたいに甘い匂いがする。
「そっか悪いな、知らず桜咲や式さんの強さを貶めてた。サンキュウ、教えてくれて」
だからだろうか。香に誘われるまま素直に、そう言った。
そりゃそうだよ、桜咲や式さんが強いのは相応の月日と苦しい鍛錬の果てに出来上がったものの筈なのに。
才能なんて言葉を気にしないように努めるくせに、実は、俺がその言葉に囚われすぎていた。式さんも桜咲も、才能があるから強いんじゃない。きっと二人だって天才以上の鍛錬を頑張ってやりぬいたからこその技量なんだ。
「ふふ――――ああ、貴方は本当に。そうですね、衛宮はそういう人でした。ここは、素直にどういたしましてと、そう言葉を贈れば宜しいですか?」
桜咲はどんな言葉を飲み込んだのか、うっすらと俺に失笑を送る。
ぬう、冗談だったらしい桜咲の言葉に、シリアスしすぎた様だ。ヤバイ、かなり恥ずかしい。
「そうしてくれ、―――――――はあ、にしてもここは空気が美味いな。京都の町はあんなに賑わってごわごわしていたのに、ここは全然違うんだ。何て言えばいいのかな、清涼で瑞々しいんだよ」
話題を変えようと、俺はごろんとうつ伏せから仰向けに体を変える。
腹に当たる木張りの床は気持ちが良い。
「そうですね。ここは古くからの霊山ですし、京都霊脈の連結地点である呪術協会本部は、その霊力の源ともいえる龍界寺とも直結している。大気に含まれた大源の量が下界よりも豊かですから、神秘に身を置く我々は尚の事そう感じるでしょうね」
自身の古巣を自慢げに語る桜咲は、姿勢を崩さない。
代わりに解いた彼女の黒髪、ソレが真直ぐ垂れ、俺が見知る普段の彼女に戻った。
「そういえば衛宮は冬木の出身でしたね。それでは、龍洞寺をご存知ですか?」
「ああ、ご存知ですヨ。何を隠そう友達の家だからな」
実はそれ以上に因縁深い土地ではあるけれども、それは言わないで置く。
だって、俺の脳裏に黄金の何かがちらついたから。
「なら話は早い。龍界寺は冬木の龍洞寺と同じ門派にある末寺です、お話しには?」
「聞いてない。初耳だよ」
でも意外だ。以前遠坂は龍洞寺には実践的に神秘を駆使する坊さんはいないって言っていたのに、それと同じく末寺であるその山は霊山の認定を受けている場所だ何てな。
「それでは少々解説を、明日はこのちゃんがここを紹介したがっていましたから」
覚えの悪い衛宮に事前知識を詰め込んであげますと、桜咲がぴっとひとさし指を立てた。
「龍界寺は古より“魔が湧き出る門”として京の都に建立されていました。確かに大きな力。霊力やマナと称される無色の奔流を垂れ流す蛇口としても法術師たちに利益を与えていましたが、それでも京に蔓延す魑魅魍魎もその“門”からあふれ出してくるのも真実。それを愁いた時の帝は、一人の高名な術者に命じてその蛇口を閉じることにしたのです」
俺はよっと身体を起こして、桜咲の話を傾聴する。
「術者は一人の人柱を巨大な魔方陣の中央に組み込み龍界寺の建立されている霊山に敷き、式を起動。以来京の町に龍界寺より魔が降ることは無くなったそうです」
「………人柱、かよ。あまり聞こえのいい話じゃないな」
「ええ、コレは表向きには公表されていない。当然、裏側の話しです。明日はこのちゃんが表向きの話を面白おかしく……多分それなりに愉快に話ししてくれると思いますので、私は私の得意分野のお話をと思ったんですが、………すいません、殺伐としていて」
しゅん、縮こまる桜咲は乾いた笑顔で肩を落とす。
大方、女の子らしくないとか、可愛げが無いとか、そんなくだらないことに心痛めているんだろう。
「なんだよ、話自体は面白かったんだから気にすんな。ほら、お前も近衛みたいに何も考えないであっけらかんとニコニコしてりゃいいんだよ、その方が女の子は可愛いいんだぞ」
うむ、女性経験は豊富ではない。情けないがアイツぐらいしか知らないけど、コレは真理だ。切嗣、お前もそう思うだろう? 思うに決まっている。
「……はい、努力してみます。あと、このちゃんを悪く言ったら夕凪、叩き込みますよ?」
いや、別に努力とか根性とか要らないから。それとマジでその笑顔怖いです。
桜咲の聞いたらいけない台詞をスルーして、思考を颯爽と切り替えるように勤める。あれだ。どうも自分の容姿とか性格に偏見を持っている桜咲は、イリヤの特別授業が必要みたいだ。
「ああ、まだここにいたのかい、桜咲君、衛宮君」
一応の決着をみた俺たちの遣り取り、後に繋いだのは詠春さんだった。
「長? 如何なさいました」
すっと畏まる桜咲。流石だ。
「ああ、楽にしていい。別にそんな堅苦しい用件ではないんだ。ちょっと衛宮君に用があってね」
「俺に?」
頷く詠春さんは藍色の浴衣を流し着て、未だ起き上がれない俺に肩を貸してくれた。
「うん。両儀のに聞いたんだが、君、いい眼を持っているんだろう?」
ここでは恐らく鑑定眼の話だろう。
目利き、確かに自信はある。と、いいますか。俺はそれ位しか自慢できるものが無いのです。俺はよれよれの身体を踏ん張らせ答えた。
「ああはい。それなりに」
「なら、少しだけいいかな? ちょっと見てもらいたいものがあるんだ」
俺と桜咲は目をあわせ、そして長さんのやや緊張した背中を追った。
連れてこられたのは倉庫。
衛宮邸の土蔵の五倍強のでかさ、そういえば伝わるのだろうか。俺の隠れ家と比べるのもおこがましい位のでっかい蔵の中に俺と桜咲はやってきたため、ここを蔵と一括りに呼ぶことすら憚られる。
天井にある電燈はやや頼りなく、部屋の隅まで光が届いていなかった。その所為もあり、ここが武器庫であると気付くのに時間がかかった。
「ああ、来たか衛宮」
石油の匂いが鼻につく、どうやら先客らしい式さんの横で、ブーンと音を立てて古臭いストーブが彼女の足元を照らしている。式さん、……着替えていない? どうやら鍛錬の後はずっとここにいたらしい。
「何やってんです、こんなところで?」
埃を被る彼女の横に並んで聞いた。
辺りには鞘から抜かれた日本刀や、抜き身の短刀、柄の無い裸の刀身が転がっている。
「見て分からないか? 骨董品の検分さ、ココの蔵にどんな上物が眠ってるのか、前々から気になってたんだ」
日本呪術協会本部、そこに保管された名刀妖刀の数々ね。
式さん曰く、ココにはそれら神秘を管理するための保管庫だと言う。
「それは分かりましたけど、どうして俺を?」
「なんだ、冷めてるな衛宮。まあこれを見ればそんな口は聞いていられないぞ」
凄いだろうと見せ付けられた刀は、―――――。
「コレ、―――――小狐!?」
藤原通憲が後白河天皇の前で佩いていた家伝の太刀か!? 凄いな、保元の合戦って一体何年前の話だ?
眼を輝かせる俺に、満足げに頷いた式さん。ココに刃物好きのマニア心をくすぐられ、にやける危ない奴二人。
「それだけじゃないぞ、ココにあるのはどれも名刀ばっかしだ」
段々と眼球が暗闇に馴染んでいく。
さっきまでぼんやりとしか感じられなかった鉄の息遣い。古びた鋼の匂いが目に見えるように深くなっていく。式さんには珍しく、彼女は嬉々の表情を隠そうとしなかった。
「どうだよ、感想は?」
友切、壺切をはじめ、日本古来の宝刀、名刀が俺の視界を埋め尽くしている。
宝具、尊い幻想へとあと一歩。最高位といえる概念を内包した幾多の剣が、ココには息づいているんだ。
「おおおおおおおおおお、すげーーーー」
咽び泣きそうっ。本気で涙を流しそうな五秒前、俺は叫んでいた。ああ、京都に来てよかったあ~。
「…………ああ、喜んでもらえて嬉しい限りであはあるが、両儀の。こんな事の為に衛宮君を呼んだんじゃないのだろう?」
――――――――――は。俺は一体どこにトリップしていたのかっ。
やや後ろに引きながらの詠春さんと桜咲の痛々しい視線で我に帰る。それは式さんも同じだったようで、耳まで真っ赤にして。
「クソっ。衛宮お前が悪いんだぞっ。恥かかせやがって」
俺に責任転嫁っ。
ジャイア○張りの、切り返しだぞ、それは。いやまあ、可愛いから別にいいけど。
苦い顔をする俺は、はいはいと頷く。一応の満足はいったのか、落ち着きを取り戻した式さんは、俺を呼んだ理由を持ち出した。
「………まあなんだ、兎に角。お前を呼んだのは他でもない、ちょっとお前に目利きしてもらおうと思ってさ。悔しいが俺じゃこいつの真贋が判断できない」
「そうなんだよ。下位組織から献上された骨董品なんだがね扱いに困ってしまうんだ」
二人が難しい顔で手渡したのは黒塗りの、和弓、……いや、洋弓、か? 判断しかねる。
だが、弓の定義で言えばこいつは間違いなく洋弓だ。握りが矢の中央にあるし、和弓に特徴的な下寄りの部位が上位部より短い形状が見られない。素材はイチイの木と竹が複合され、上から漆を引かれ黒光りしている。和弓の様な洋弓、洋弓のような和弓。
――――――そうか、形状ならばアイツの国で生まれたロングボウだ。
だが、弦の張りがしなやかだし、必要とされる膂力はそれ程でもない。全く検討のつかないその弓、和洋折衷の形状、そして打ち方。無国籍風の黒い長弓。
だけど、俺はその弓を良く知っていた、だって。
「アーチャーの………」
間違いない、いつか見たあの野郎の弓だ。
違いは一つ、こいつにはアーチャーの詰め込んだ想いが無い。
誰にも担われなかった、裸で空っぽの弓。恐らく後付だったのか、こいつにはナックルガードが装着されていなかった。
だけどコレは、紛れようも無いあの野郎が使った弓だ。
俺は眉を顰める。
まさかこんなところでアイツの弓に出会うなんて。まさかこの弓が、こんなに素直な弓だったなんて。
投影出来ない筈だ、コレは余りにも変わりすぎちまってたんだな。
……あの野郎、あそこまで捻くれた想いを詰め込みやがって、今度あったら絶対侘びを入れさせてやる。
「どうだい、衛宮君? わたし達はそれがフェイルノートでは無いかと考えているんだ」
「ああ、形状は洋弓だし、打ち方だってしっかりしたもんだ、ソレも相当古い。年代的にもいい線いってる筈だ。どうだよ?」
はっと、再び沈んだ意識は覚醒した。それと同じくして、二人の頓珍漢な言葉にあっけに取られる。
フェイルノート? コレが? 無駄無しの弓? あの名弓?
まさか。だってコレは。
「――――――――――――いや、唯のばったもんです。コレ」
うん、だって何も“詰め込まれていない”。さっきも感じたが、空っぽだもの。
「………そうなのかい? 残念だな。それは」
「まったくだ、期待させやがって」
あからさまにがっかりする二人に、俺はちょっとだけむっと来た。
暗がりでさえ映える漆黒、こいつはそんな落胆が似合う弓じゃない。
「でも、すごくいい弓ですよ、コレ」
神話最高の名弓、ソレに挑んだ唯の模造品。
担い手などいない。
だけど弓を鍛えた人間(想い)がいる、担い手を望み続けた月日がある。
たとえ真作に及ばずとも、コレは一つの幻想としてココにあるんだ。
愛おしくその弓を撫でる。俺はどこか嬉しそうに目を細めた詠春さんの視線に気付かなかった。
「―――――良かったら貰ってくれないか、その弓」
「-――――――え」
俺は握り締めた弓から顔を上げる。
どうして。
そう尋ねる前に、顎を撫でた詠春さんは腕組みを解き、そして続けた。
「いやね、ただ同然で手に入れたものだし、そんな顔で弓を見つめられてはね。一介の武芸者として、いい使い手にはいい獲物を送りたいじゃないか」
嬉しそうな微笑に、俺は再度俯き、手に握る黒い黒い弓を“視る”。
最高の弓に恋焦がれ続ける空っぽの贋作、そして和洋の造り。ふっ鼻で笑い、俺はどうしてアーチャーがこの弓を使っていたのか思い至った。我が事とは言え、ロマンチストだよ、畜生。
イングランドと日本の弓の特徴を混ぜ合わせたガランドウの模造品、か。そうだよ、愛着が湧かない方が可笑しいんだ。
だから。
「―――――いえ、遠慮しておきます」
迷い無く、そう答えた。
「いいのかよ? お前がモノ欲しそうな目をしたの初めて見たんだぜ、オレ。お前。絶対こいつが気に入ってる」
意外そうに式さんが口を挟んだ
だけど、俺が首を縦に振ることは無かった。
「いいんですよ、俺はそいつに相応しくない。それだけいい弓だ、いつかちゃんとした“担い手”が見つけてくれます。其の時まで、もう少しだけ空虚なままで居させてあげてください」
残念そうな顔をしたのは、逆に詠春さんだ。
それでも、俺はこの弓を受け取れない。こいつは本物になれる贋作だ、だからこそ、俺が使ったらいけない幻想。
だってさ。
「それに、そいつはちゃんと“ココ”にいます。俺はそれで充分ですよ」
俺が担うのは、いつだって偽者だけなんだから。
身体の中央、胸をトンとついてそう告げた。いつか本物になったその日に、今度はそいつを引いてやろう、そんな約束と一緒に。
「そうかい、なら仕方ないか。衛宮君のお眼鏡かなった贋作だ、私が責任をもって管理しておこう」
それでも、少しの名残惜しさと一緒に、詠春さんに黒い名弓を手渡した。
俺から受け取ったそれを、無作法に扱い一番目立つ棚に押し込む詠春さん。
俺にはそれが嬉しかった。骨董品や貴重品を扱うのではなく、武器として、一つの弓として、その名も無い贋作を扱ってくれた事が、ただ無性に。
お前がもう一度俺の目に触れるときは、もうお前は贋作なんて呼ばれていない。二度目の死を迎え、棺に置かれた黒い弓をもう一度眺めて、俺は詠春さんに頷いた。
「そいつのこと、宜しくお願いします」
「ああ、勿論だ」
弱くも無い、強くも無い。当たり前の肯定が、頼もしく感じた。
しかしふと、彼の、詠春さんの表情が突然砕ける。何を思ったのか、彼は低くくぐもって笑みを溢したのだ。
「しかし、貴社を拒むのはコレっきりにしてくれよ。全く、お前ときたら私達の好意をいつも無碍に扱ってくれる」
「――――――――――は?」
俺は目をぱちくり、彼に似合わぬその笑みに反応できなかった。
それが尚のこと可笑しいのか、一層微笑みを遡らせる。深くなる口元のしわは、それでも何故か若々しく感じた。
「いやなに、コレも宿怨だと諦めてくれ。終ぞ言う事の無かったただの愚痴だよ」
そうして、深く瞳を閉じる詠春さん。
彼はそれだけ言って納得したのか、踵を返しながら告げた。
「さて、今晩は此の位にしておきましょう、両儀の、それに刹那君も。いい加減汗を流さなくてはね。婦女子がそれは頂けない」
蔵の扉を開き、月の光が薄く暗闇に伸びる。差し込まれたのは月光だけでない、冷たい風が錆付いた空気を甦らせ、吸い込む息吹が新鮮になった。
先ほどまで嗅覚を麻痺させる鉄の匂いは無くなり、変りに無色の冷たい大気が頬を撫でていく。それが、式さんや桜咲に今まで気付かせなかった汗の匂いを感じさせたらしい。二人はやや顔を伏せがちに、扉に向かう。
そんな事気にする必要ないと思うけど、いい匂いなんだし。口に出したらパンチされそうなので止めておくけどさ。
「さあ、衛宮君も行こうか。我が家自慢の露天風呂へご案内するよ」
俺は“ほこり”っぽい空気をもう一度大きく吸い込み、この場所を後にした。
願わくは、眠る幻想達に新しい出会いがありますように。
古の都、そこで過ごす最初の夜は。
月が、―――――――本当に綺麗な夜だった。