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一人の女がいる。
望まれなかった命、災いを呼び込むだけ生を彼女は授かった。
多くに蔑まれ呪われた彼女の出自。
悲しみを呼び込み、不幸を撒き散らす顛末。
しかし、それでも彼女は命を与えられてしまった。
どれほど悲しみが彼女を襲うのだろうか?
どれだけの憎しみを彼女は背負うのだろか?
しかし、それでも彼女は生きることを望まれてしまった。
何故?
そんな簡単な事でさえ、彼女には理解出来ない。
だって、彼女が彼女である限り、それは当たり前の事実だから。
だって、彼女が彼女である限り、それは当たり前の罪悪だから。
語り継がれる詩の全てに、彼女は悲しみで輝くだけだ。
少なくとも俺には、彼女の悲劇を、彼女の願いを知ることしか出来ない。
単純明快な話し。
崩れた砂のお城を俺に戻す術は無い。出来るのは、その虚しい名残を小さな腕で、浚う事だけだったのだ。
ただ、彼女がもう少しだけ強ければ/ただ、彼女がもう少しだけ弱ければ。
脆いお城は崩れなかっただけ、それだけだ。
ただ、俺にもう少しだけ力があれば、いや、きっと俺には救えないか……。
悲しいけれど、彼女の願いは叶うことは永遠に無かった。
“永遠”………なんて安っぽい言葉、そんなのものに意味は無い。
だってそうだろ?
彼女の願いは永遠だけれど、彼女の終わりは刹那でしか無かった。
望んだ夢は、永遠に夢のまま。
彼女の願いは夢のまま、世界に謳われる幻に霞む。
だからコレは昔の話。
――――――――――そう、美しすぎた一人の女がいたんだ。
FATE/HAPPY MATERIAL
第三話 パーフェクトブルー Ⅱ
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「………うまい」
心からの賛辞を込めて俺は口を開いた。同時に、零れだす幸せ。
眼前にこれでもかと広がった魚貝料理の花園に箸をつけ、数少ない俺のボキャブラリーの内、最も気の利いた感嘆詞、感動詞を検索した。にもかかわらず、ヒットした言葉はなんとも薄っぺらな物だ。
「へえ、確かにな。こいつは美味い。オレご用達の料亭にだって負けてない、幹也はどうだよ」
海老のお頭が悠然と顔を覗かせる味噌汁椀に手をそえ、式さんがご機嫌に続いた。
俺はおろか式さんまで唸らせるとは、この料理はどうやらかなりの出来らしい。対抗心も沸かぬほどの味。舌鼓を打つにたる料理であった。
「美味しいよ。さすがは和美ちゃんお勧めの旅館だね」
赤くはれ上がった首もとを擦りながら、幹也さんは式さんに同意した。
流石に一日目から騒ぎすぎたか?
日焼け止めを付けていなかった俺と幹也さんは全身をシャープペンシルで刺されたかのような痛みを味わっている。
姦しい昼食を楽しんだ後、俺たちは日が沈むまで駆け回った………だけなら良かったのだが、海の家の代名詞、まずいラーメンにご不満だったイリヤは俺を親の敵の様に虐めてきたのだ。
だけどさイリヤ、何も魔眼で金縛りにすること無いだろう?
おかげで日光が照りつける砂浜の上、日が沈むまで俺は鯵の干物状態だったんだぞ。
どうやら今晩は仰向けで眠れそうも無い。
「~~~~♪」
俺の憂鬱などどこ吹く風と、嬉しそうに俺の隣で箸を伸ばすイリヤ。鬱陶しそうに浴衣の袖を引く姿が可愛らしかった。
「昼食はアレだったけど晩御飯は最高だわ。本当、良い旅館を見つけたわね」
初めての浴衣を器用にも着こなし、お刺身を口に運ぶ。
式さんは勿論のこと、イリヤにも浴衣姿がはまりすぎていた。
まるで亡国のお姫様が、お忍びでご旅行をなさっている様である。外国人に浴衣ってのもかなり絵になるんだな。や、イリヤ限定かもしれないけどさ。
「でしょ? ここの旅館、外装も内装もイマイチだけど、料理の味は保障できるからね、私のチョイスにミスなんか無いよ」
自慢げに鼻を鳴らし、朝倉もイリヤに頷く。
オーソドックスな畳敷きの十畳間に部屋風呂とトイレ、冷暖房完備。式さんが持ってきたお香の香りだろうか?夕食を運び込まれた部屋の中には落ち着く香りが漂っている。
俺と幹也さんの部屋よりも広いのは女性、イリヤに式さん、朝倉と先生が泊まるのを考えれば妥当な物だ。見回す室内は高級感に欠けるものの、宿泊費を考えれば十分に豪華だといえる。
「……コレだけ美味い料理を出せるんだから、もっと繁盛しても良さそうなんだがな」
だというのに、この旅館には宿泊客が余りに少ないときたもんだ。
辺りの静けさがやけに耳に残る。
ホタテのバター焼きを口に運び、真剣に自らの疑問を吟味した。ぬぅ、隠し味だろうか? 白胡麻の風味が堪らない。脳内メモに書き込んで、帰ったら早速チャレンジしよう。
「衛宮っちの疑問も最もだけどね。それには勿論、理由があるのさ」
朝倉が箸を左に右に振り回し、学校の先生じみた咳払いで俺の疑問に相槌をうった。
それが子供っぽく映ってしまうのは、やはり彼女の担任がお子様だったからなのだろうか? その答えを、俺に知る術は無いのであった。や、ただ単にコイツがやんちゃだってお話しですよ。
「だってここの旅館、料理の不味さで肩に並ぶ物は無いってくらい有名だもの」
っておい!? 馬鹿にしているのか? 少なくともこの旅館の料理人は半端な腕じゃないだろ。
俺は勿論のこと、食卓につく全員の顔が朝倉に集まった。
「冗談のつもりかしら? だとしたら大物よね、貴方って」
どこまでも冷たい瞳でイリヤが朝倉を射抜く。大きく頷いた俺は、追い討ちとばかりに問いかけた。
「と言うかだ、矛盾しているぞ。朝倉は料理の味が保障できるからこの旅館を選んだんだろ? なんでそれが料理の不味さで有名になるのさ」
思わず、箸を進めるのを止めてしまった。
ああ、小魚の煮こごりが俺を呼んでいるというのに。
「それはね士郎君、ここの板前さんが夏の間だけ違う人だからだよ」
事情を朝倉から聞いていたのだろうか?
幹也さんが大人の余裕で朝倉の言葉足らずを補ってくれた。ニコニコ顔もそのままに式さんとおかずの交換などを楽しみながら、彼は続ける。
「何でも和美ちゃんの同級生がここの旅館でアルバイトをしているらしいんだ、今はその子が台所を預かっているからこそ、ここの料理は美味しいんだってよ。その子の紹介、そして勿論、和美ちゃんの伝もあって僕達は格安で今回の小旅行を満喫できるわけさ」
少し浴衣の襟元を正し、幹也さんは朝倉に居直り、
「感謝してるよ和美ちゃん。今回の旅行は随分助けて貰っちゃったね」
穏やかな感謝の言葉を贈った。
朝倉は素直な謝辞に慣れていないのか、少し恥ずかしげに幹也さんのトックリに日本酒を垂らす。こんな美人のコンパニオン、滅多にいないんだろうな、やっぱり。
「そゆこと。感謝しなよ衛宮っち、私のお陰でこの旅館に泊まれる、アーンド美味しい料理が食べられる、ああ私ってなんて美女なのかしらん。プリーズ・サンクス・ミー」
だが、ぎこちないのは一時、すぐに朝倉は何時もの調子に戻っていた。
下ろした髪をかきあげて、朝倉がヨヨヨと崩れる。
「朝倉の友達がこの料理作ったのか。後でレシピ聞きに行かないとな」
「そうね。私、この魚の入ったゼリー気に入っちゃった、帰ったら作ってね、お兄ちゃん」
リスみたいに煮こごりを頬張るイリヤに肯定の意味を込めて頭を撫でる。
「――――――って、鮮やかにスルー!? 冷たいよお二人さん!」
照れ隠しってのは分かるけどさ、素直に感謝ぐらいさせろよな。まあ、それがこいつの良いところではあるんだけどさ。
朝倉の後ろではさよちゃんがペコペコと頭を下げていることだろう……見えないけど。
「分かってるって、サンキューな朝倉」
俺とイリヤ顔を合わせて微笑み返す。
俺の態度が気に入らないのか朝倉は頬を膨らせた。
まあ何時もの冗談みたいなノリなのでここは普通に続けさせて貰う。
「でもさ、凄いよな。この料理作ったのは朝倉の同級生でアルバイトさん何だろ? それでこの腕は反則じゃないか?」
俺にはとても真似できないプロの味付け。いや勉強になります。
「ぬふふ、それも当然。四葉の料理は麻帆良じゃ有名だからね。いい機会だったし、皆に麻帆良の味を紹介したかったのさ」
自分の事でもないのに、朝倉の顔は誇らしげに輝いていた。
朝倉の奴然り、近衛、桜咲然り、こいつらは友達の話をする時が一番綺麗だな。それだけ、こいつらの過ごした時間が幸せだったのだろう。
「ああそうだな、自慢したくなるのも頷ける」
素直に零す。
口に運んだ料理が尚更美味しく感じたのは気のせいでは無いのだろう。
「そうでしょ、そうでしょ。衛宮っちも分かってるじゃないか、この料理が麻帆良の味よ」
突然べらんめえ口調で騒ぎ始める朝倉は俺の言葉を料理への賞賛と捉えたようだ。
「うん、ホントに美味いな」
まあ、それも良いか。
何時もと違う一時。
今はその味わいに浸るのも僥倖だ。
楽し過ぎる時間は、緩やかに過ぎていく。
旅行の楽しみと言えば何が上がるのだろうか?
美味しい料理。
日常とかけ離れた開放感。それにかまけたひと夏のアバンチュール、ってのも大いに結構だが、コイツに関しちゃ俺は否定派。恋愛とは云々かんぬん哲学的なお付き合いが重要なのだ。
まあ兎に角、楽しみ方は人それぞれ、千差万別、多種多様、あげればまだまだ在るだろう。
結論。だがしかしだがしかし、俺こと衛宮士郎が旅行に求める物それは、
「最高だぁ~~~~」
日本究極の癒し。温泉しかないのである。
「僕も温泉なんて久しぶりだけど、日本人には必要不可欠な要素だよね」
夕食が終わった後は旅行のお決まりコース。男と女、二手に分かれていざ大浴場へ。
日焼けた身体に絡みつく粘度の高いお湯が実に心地良い。
潮の匂いに紛れた温い風が、竹柵で仕切られた遥か遠き理想郷からイリヤの元気な声を運んでいる。朝倉や式さんも一緒にいるようだが、考えない方向で。理由はまあおいておこう、きっと俺が耐えられぬ。
「っ勿論です。旅行といったらこれは外せませんよ」
肩まで浸かり目を細めながら幹也さんに返す。仕事仲間と裸のお付き合い。実に社会人らしいやり取りである。……正義の味方志望がこんなんで良いのだろうか?
「眺めも良いしね。言うこと無しかな」
全景ガラス張りの室内風呂と赴き深い岩作りの露天風呂。
俺と幹也さんは肩を並べて、潮風の漂う星の下、温泉を満喫していた。
そこからは俺たちがはしゃぎまわった砂浜や、激しく波打つ岬が見渡せる。遠くに輝く街の火種が日常との隔離を慮らせ思わずため息が零れた。
「ですねぇ~」
「だよねぇ~」
気の抜けた二人の声が、潮風に溶けていく。
こんなにゆっくり過ごすのは久しぶりだ。聖杯戦争から始まってここ半年、まさに嵐の様な毎日だったからな。
「それにしても所長は何をしているのかな。晩御飯にも顔出さないで」
だがしかし、そんなマッタリ気分もその一言でヘリウムガスをトン単位で詰め込まれた風船の様に破裂した。
「……そうですね、それは俺も気になりました」
先生は一体何してんだ? 別に独断専行が悪いわけでは無い。ただ、先生がそれをするから気が気でないのだ。
「昼間も話したけど、僕達も調査を始めた方が良いのかな?」
ぶくぶくと口元まで浸かり、幹也さんが唸った
「調査って何をです? 先生の目的も分からないのに」
幹也さんと向かい合い俺もぶくぶく。
「だからそれも含めてさ。所長絡みの事だもの、近辺のオカルト関係を調べれば、自然と何かが見えてくるかもよ」
たたんだタオルを頭にのせて、ゆっくりと星を見上げる幹也さん。大方、どうやって情報を集めるか考えているのだろう。
「……結局、先生の思惑に乗っかっちゃうんですね」
はぁ、疲れをとるはずの温泉で疲れが溜まるってどうゆう了見だ?
「まあ仕方ないさ。それじゃ、僕は明日、ここの役場や資料館で所長が好きそうな話しを洗って来るから士郎君は」
「分かっています。地元の人に色々聞いてみますよ、イリヤが温泉街の方にも顔を出したいって言っていたし丁度いいです」
やれやれ、なんて男二人肩で溜め息。
幹也さんは難しい顔で湯船に波打つ自分の影をかき分けた。
式さん、怒るでしょうね。頑張って下さい。
「それじゃ僕はお先に。明日の予定も不本意ながら決まったし、これから式のご機嫌もとらなきゃね」
繕う笑顔に力は無い。まあこの後の情事が克明に想像出来るしな。
「……幸運を祈ってます」
「うん。お互いにね」
去り行く幹也さんにせめてものエールを送り、俺は一人温泉を楽しんだ。
「しかし本当に、先生は何をしてるんだか」
視界におさまる遥か岬をなんとなしに眺め、一人ごちる。
鮮花さんからの電話、コレが先生を動かした動機だ。だが……先生自らが動くほどの何か、一体なんだ? 協会絡み? 神秘の隠匿?―――いや、先生がこんな事で動く筈が無い。
そもそも俺たちをこうやって連れてきたのだ、危険が在るとは考えにくい。だとすると。
「―――――――私利私欲、しかないんだろうな」
自分で言って悲しくなったが大いに有り得る。……師匠のそんなところしか見ていない俺自身を、もっと虐げ嘆く所か、ここは?
まあ何にしても、先生の御眼鏡にかなった魔術品、……ってのが妥当なところだろう。
それなら俺を連れてきたのは勿論のこと、探しものなら幹也さんだって戦力になる
だけど、何で俺たちに話してくれないんだ?
や、俺が一人で考えても仕方ないんだけどさ。
一息と共に思考を止める。先ほどと相まって、辺りには神秘的な雰囲気に包まれていた。
「――――――――――――――」
イリヤ達も風呂を上がったのか、耳に残るのはさざ波の音色だけ。暗闇に染まる海が突然寂しく感じられた。
規則正しく波打つ黒海が、潮風と共に弱々しい楽曲を奏でる。
何故だろうか―――――それが喩えようも無く不快に感じるのは。
「――――――――――――っ」
不覚にも湯船に沈みかけた身体に活をいれる。どうやらのぼせたらしい。
朧げな瞳を深く閉ざし、波打つ風に身体を晒す。
―――――夜靄の中、遠く海の頂に幻想的な長髪が揺らいで堕ちた。
無音の暗がりが俺の感覚を奪ったのか、薄く光が灯る岬には人影など無かった。
練習中とはいえ、眼球強化の魔術を行使し再度岬を遠視してみるも怪しい影など微塵も無い。
「………まさか、な」
気のせいだったのだろうか?
女性らしい朧なシルエットが、雨に濡れたシキさんの華奢な背中に重なった。
微かに残る戸惑いを飲み込み、俺はその場を後にした。