/ Outer.
耳障りなコール音が、とある関東圏のホテルの一室に反響している。既に日は頂点まで昇っているというのに、季節はずれな白雨の様に降る淡い木漏れ日が薄いカーテンに遮られていた。だが、飾り気の無い部屋はそれだけで随分と洒落て見える。
そんな室内、女はベッドの中から病的なまでに白く、艶かしい細腕で枕元に置かれた自分の携帯電話を取り上げた。10回目のコール音はついに鳴ら無い。
硬いシングルベッドが一度だけ軋しみ、女の肩からはだけた薄いブランケットの衣擦れの音と絡み合う。そんな雑音すら妖艶に聞こえてしまうのは、女の美しさ故なのだろう。
「……なにか?」
女は、裸体を顕に一度だけ紫苑の髪を掻き揚げ眠たげに呻く。声には不機嫌な響きがあった。それは、間違いなく受話器の向こう側にも伝わった筈だ。
どこでも通信可能なその発明品は利便性に優れているものの、やはり好きになれない。縛られる事には慣れているはずの女だったが、やはり、今はいない妹達以外に自分の時間を犯されるのは不愉快だと、そう内心をささくれ立たせたから。
「よう、起きてっかメリッサ? 俺だ」
そんな彼女の不機嫌を知ってなお、受話器越しに聞こえる男の声は陽気で賑やかだった。メリッサは軽く下唇を甘噛みして、それから普段の表情を取り戻そうと薄い眼鏡を小さな鼻に乗せた。
化粧台の大鏡で、女は表情を確認する。冷淡で鋭い微笑を讃えた二十台前半の瑞々しい魅惑の美貌が、そこで初めて露になる。彼、クロムウェルには自分程度の吐く毒では十二分に痛めつけられないと分かっていたから、即座に思考を切り替えたのだ。
「おはようございます。今しがた貴方に起こされましたが、朝から気分が優れませんね。最低と言っても良い。野蛮な声がモーニングコールなのですから、仕方が無いと言ってしまえば、ソレまでなのですが」
「そいつは難儀だね。俺はココ最近、お前と顔を合わせてなかったから、すこぶる快調だったのに。最も、この番号にコールするまでの僅かばかりのものだったわけだが」
それでも、吐き出された女の毒。やはり男は飄々とそれを受け流す。乾いた土みたいに、クーはメリッサの苦言を飲み込み、愉快だとばかりに笑い声すら滲ませている。
お互いにお互いを理解する気がさらさら無いわけだから、そこに不満や軋轢が生じるはずもない。そもそも、歩いている地平が異なっているのだ。
空と大地が交わることなど無いように、二人の距離は永遠に変わらない。その意味で、二人はパートナーとして確かに噛み合っていた。
メリッサは、嫌いでもなければ好きでもない、自分でも測りかねる男の立ち位置にやるかたない苦笑漏らす。
彼、クロムウェルはトラフィム一派にその席を置いてから百に近い時を生き、そして台頭した人物だ。魔術協会、聖堂教会の電話帳よりも分厚いブラックリストには、二十七祖の項から二三ページ後ろに、彼の名が掲載されていると聞く。そんな、若輩ながらも吸血鬼の重鎮と自分の様な新顔、若手の魔術師がこうして対等に談話を交わすというのも到底可笑しなものだ。そう、同時に彼女は思考する。それも彼女の微笑みの原因だったのだろう。
最も、女とて百の暦を生き残ってきた死徒の青年に僅かばかりも劣っているとは思わなかった。“封印指定”。女はこの若さで既に魔術協会から名誉の烙印を与えられているのだから。
彼女の運命をそれなりに揺るがせたその称号を持って、一人の女は死徒の王に仕える宮廷魔術師となった。
だが、彼らがトラフィムに仕えると言うのは些か語弊がある。
死徒の王に仕えるモノ。それは言い換えるならば傀儡、もしくは囚人か。
白翼公が軍門にくだり、彼の庇護下に置かれてその欲望を満たす。だがそれは、言うなれば豪華な監獄と同じだった。王の僕と成ったモノは例外なく彼の領地に囲われ、その行動を著しく制限される。裏側に形成された社会において、吸血鬼の王を自称するトラフィムの絶対的な権限と、彼から与えられる圧倒的な力を後ろ盾にする代価は、そう安くは無い。矮小な存在、モノとしての全ての在り方がその等価。だが、それを支払ってでさえ、白翼公に平伏す者が後を絶たないのも渾然たる真理だった。
その良い例が麻帆良に現れた吸血鬼だ。彼は宝具すら御しきる多大な力の代価として、一切の存在を公に捧げていた。欲望と言う最大の本能を許容され、瑣末な理性を持って公により与えられた責務を果たす。
死徒の王を名乗る最古の祖は、今や化石ともいえる封建制を、その絶大な力で現代まで維持する、喩えようもないほどの威光を具えた王だった。
――――――――――――だが、それ故に。
クーとメリッサ。二人は決して王の僕と呼べるものでは無かった。二人は、死徒の王の下に在りながら、その存在を、その意味を捧げてなどいないのだから。
だが、それこそが白翼公より“騎士”の称号を与えられた謂れか。
確固たる力は、もとより彼等自身が勝ち得た栄光。頂くべき王から与えられた力など、どうして誇れよう。どうしてそれを許せよう。
彼らが欲するのは力ではなく、常に唯一つの誉。己が意思と力を持って、その欲望を満たすのみ。独歩にその生を謳歌し、貫くべき義を信ずる。ただ、その道が白翼公の凱旋と交わっていただけなのだ。
在り来りに語るのであれば彼等は、クーとメリッサは、自身の望むままに生き、その結果トラフィムの元に辿り着いただけだった。彼らが求めるその意義は、王の下に在ることにこそ、都合が良かったから。
王の僕と異なるのは一点のみ。力を得るために意義を捨て王を頂くか、意義を得るために力を振るい王を頂くか、ソレだけだった。
結局のところ、この奔放な騎士達と王とを繋ぐモノなど何も無いのだ。だがそれでも、彼らは己が意思で王と共に在ることを望んでいる。
守り、信じ、義をもって我を尊ぶ。その関係を衛宮士郎ならばきっとこう評する。
独立した意義、目的。それでも共に生きるその在り方を、その絆を―――――――。
それはきっと、紛れも無い“騎士”の在り方そのものではないのか?
■ Interval / 朱い杯 ■
「まあ良いでしょう。それで、どうです? 脱走した魔術師の行方は掴めましたか? 今回の来日でトラフィムの命令は二つ。その片方は、出来ればサッサと済ませたいのですが?」
気だるく甘い声で、女がいった。
真夏の、鮮血の船上でも語られた二人の目的、その二つ目。いや、目的と言うのもおこがましい、ある児戯。王の下より離反したその魔術師の発見、抹消は彼らにしてみれば暇さえ潰せぬ雑務に等しかった。
彼らがこの任を受けたのは暗に気まぐれ。日本に赴くにたる意義を見出せたから、そのついでにと、王からこの仕事を引き受けてやったのだ。
「……だったらお前も手伝いやがれ。なんだって俺が一人で。……ちんけで小物な魔術師だったとは言え、王様に力貰ってんだから結構面倒くせー仕事だってーの」
一度だけ深く呻ってから、男はいった。
受話器の向こう側、クーはきっと硬い髪を掻き揚げているのに違いない。あきれ返った時の男の仕草は、いつも同じだから。
彼らが捜索する、魔術師。あえて言う必要も無いだろうが、遠上都と行動を共にする、あの男。
稀にいるのだ。件の魔術師のように、公から力を借り受けるために偽の忠誠を誓い、そして裏切る。無謀と勇気を履き違えてはならない。愚かしき蛮勇、その行いをした者の末路など決まっているのに。
「またそれですか……。冬木に入る前に、出来る限り“聖杯戦争”とそれに関る魔術師の情報を集めたい、貴方がココを発ったときに話したではないですか。マキリ……いや、間桐でしたか? 堕ちたとは言え、かのアインツベルンと並ぶ名家に出向くのです、細心の注意は不可欠でしょう? 私たちの目的を考えればね」
情報には鮮度がある。
日本に来日する以前より、聖杯戦争に関して、それに関する知識や記録を調査し、それなりに“例の魔術儀式について”大外回りを理解していた彼女。しかし、卓越した魔術師である彼女は日本でしか手に出来ない聖杯に関する情報の重要性も殊更に理解していた。
それ故の別行動。動ける人員が自分以外にもう一人いるのだから、仕事を分担するのは当然だ。
だって効率がいい。女は愚考する、そんな単純な事にさえ、私と応答するこの男は理解しないのかと。
表情には出さないが、女は細い眉が痙攣するのを必死に隠しているようだ。
「そらそうだが。別に向こうさんだってそんな警戒しねぇだろ? 一応手ぇ貸すって話で、冬木なんてガイドブックにも載ってない田舎町に出向くんだぜ? ま、あの性悪王様がわざわざ、嘘八百にそれらしいこと並べて、そのマキリってのに話をつけてくれたんだ、どうにかなるだろ。そんな訳で、お前も手伝えって」
「嫌ですね、何度も言わせないで下さい。私とて調べ物で忙しい。そもそも、貴方だって役割分担に納得してくれたでではありませんか? ゲイシャガールだ何だと浮かれて、京都に行きたいと騒いだのは貴方の方ですよ? それに、トラフィムは脱走した魔術師に魔術でマーカーをつけているんですから、発見は容易はずだ。そのための魔術礼装だって渡しているではないですか」
「……お前って正論ばっかで本当つまらねえのな」
にべも無い女の言葉に、ソレでも食い下がるクー。丁寧な語調が余計にクーの癪に障るのか、今更の愚痴を彼は吐き出していた。
「そう言う貴方は、矛盾ばかりで実にユーモラスだ。ただ、私には理解できないのが残念です。――――――それで結局のところ、貴方は何が言いたんです? 無駄話がしたいだけなら、切りますよ」
納得した、きっと女は情とか容赦とか、そんな愛らしいモノを捨てちまったんだなと、クーは無駄な抵抗を断念する。
「ちっ、分かったよ。……で、例の魔術師の件な。京都に潜伏しているのは間違いないんだが………ちょいと今、厄介なことになっている。お前もある程度掴んでいるんじゃないのか?」
神妙な声色。彼の野太い声が、突然ぎらつく槍の様に鋭くなった。
「例のマナの異常増加ですか? 九月ごろから観測していましたが、そこは日本最大の霊地です、誤差範囲でしょう?」
剣気にも似たその色調を、事も無げに応答した女。やはり表情に変化は無かった。
それに乾いた笑いを向けるのはクー、受話器越しですら男の太い眉が嫌味ったらしく釣りあがるのを感じる。メリッサは、それを容易に想像できる位にクーとの付き合いが長かった。まあ、それがちっとも嬉しく感じられないのは仕方の無いことだろう。だって彼らは、そういうモノだから。
「鈍いね、どうせ昨晩は調べ物に没頭して気にならなかったんだろう? たっく、昨日から状況は一変してんだ。あの年増から預かったアイテム、ココの瘴気に当てられて仕事しなくなっちまった。畜生、いい加減なもん渡しやがって」
「彼女が造った礼装が壊れる? まさか、ありえませんよ。彼女の作成する魔術礼装がそんな柔な筈が無い。彼女は私と同格……いや、“創る”事に関しては彼女の方が一枚も二枚も、上手の魔術師だ。最も、生態的な神秘の作成において、その限りではないでしょうが」
受話器の向こう側、ブラウン管の壊れたテレビみたいにザーザーとノイズを走らせる騒音が漏れ出して、メリッサは端正な顔を怯ませる。恐らくは手のひらサイズのナビゲーターを、クーが受話器に押し当てているのだろう。
メリッサとは対照的な魔術を有する、彼女の、彼の名門メディチ家の血統を有する天才。錬金術、武器としての側面を色濃く残すかの秘伝を、魔術と機械的に融合させ行使する彼女の辣腕を自分以上に理解できるものなど、世界に三人だけ、かの“人形遣い(ドールマスター)”位しかおるまいと、メリッサは皮肉る。
“機械仕掛けの魔法使い”その異名を取る彼女の魔具が、よもやその程度で壊れるなどと。
「――――ふん。在りえない」
抱いた懸念を払拭しようと、再度その否定を繰り返したメリッサ。
「あん? 何かいったかよ?」
「いえ、何も―――――――兎に角その礼装は壊れてなどいませんよ、暫く待ってみてください。言ってしまえばマナの高騰による、磁気嵐に当てられたようなものだと思います。私も彼女の機械的な神秘に関する知識は持ち合わせてはいませんが、私とて錬金術を少々齧っているのは知っているでしょう? よもや、もうあの時の会話を忘れてしまったのですか? 六度目の問答は出来ればしたくないのです」
とは言っても、メリッサの知識は生体錬成に偏ったものである。
メリッサは思考する、錬金術の原理を生態的に魔術理論として組み上げた私と、彼女は本当に対照的だと。持ちえる知識は殆ど変わらないというのに、その方向性はなんとも乖離していたから、メリッサは少しだけ唇を持ち上げる。
しかしその微笑は、古今東西の魔術論理を極めつくし、その先に新たな魔術体系を組み上げたメディチ家の才媛と、生態的な魔術原理しか行使できなかったメリッサでは、“魔術師”としての格が違うのも事実だと知っている、そんな疚しい感情に起因したモノでもあったわけだが。
「まあ、それが分かればいいんだ。用件はそんだけだったんで、俺はこの礼装が回復次第例の魔術師の捜索を続けるわ。知ってるか? 最高に面白れえ町に様変わりしているよ。心変わりでもしたんなら来てみるといいぜ? 日本風の死都だよ。ここはさ」
「そんな気色の悪い場所に、誰が好き好んで行くものですか。それは兎も角として、裏切り者の処断についてはお願いします。冬木に出向くのが一月上旬に予定されていますから、早くこちらの件は処理しないと」
ようやく一段落した二人の談話。
きっと今夜にも幕が上がる古都の舞台劇。そこに、一人の役者が加わるのは間違いなさそうだ。
そんな予感に身を焦がされたためか、クーは受話器の向こう側でチリチリとうなじを焦がしているに違いない。戦いへの高揚を無理に押さえつけようと、意向を返すように、クーには珍しい事情をメリッサに振った。
「ああ、冬木の件もそうだが、最近は魔術界全体にわたって情勢が変化しつつあるからな。真祖の姫さんが完全に寝込んじまうわ、十位、それに番外位が完全消滅しちまうわで、仕方がないっちゃ仕方ないんだが……俺たちだって、そうのんびり遊んでもいられねえ。 王様、乗り気なんだろ? 俺は詳細しらねえが、やっぱりさ」
嬉々に声を震わせて、クーはいった。
一年前になるのか。夜の世界の勢力図に、大きな揺らぎが投じられてから。収まりが付かない、戦争が始まってから。
「ええ、勿論です。野心家、王を気取るトラフィムが、例の“ゲーム”に乗らないはずが在りません……貴方のいう通り、十位と番外の件が大きく関係していますしね。まったく、困ったものですよ、オチオチ魔術の研究もしていられない」
「まぁ、そう言ってやんな。なんつっても王様、真祖狩りの提唱者なわけだしな。番外の件は知らんが、十位が極東の島国で果てたのはウチの王様に非が無いわけじゃない。……だけど、その尻拭いはもうとっくに終わったんじゃないのかよ? アルトージュ、ヴァン、リタの派閥を含んだ祖のトップにそれぞれ王様の宝物を献上してさ」
「そうですね。しかし、だからこそ“ゲーム”に参加するのは絶対なのでしょう。十位の件で傾きかけた威光を再度知らしめるためにも」
十位と番外位の完全消滅。
裏側に響き渡った、誰しもが予想さえしないだろう悪夢のような事実。しかし、それだって世界と言う規模で見れば大したことは無い、一介の存在が世界から消えただけの事件、世界のいたるところで起きる些細なニュースに過ぎない……筈だった。
投じられた小石のようなこの事件は、一年後、大きな揺らぎとして世界の情勢に大きな波紋を呼び込んでいた。
その際たる例が領地を廻る、吸血鬼同士の諍いだ。呼び込まれた波紋は広がり、既に戦争は始められていた。北欧、欧米を中心に人心が乱れ、吸血気達が跋扈する夜にだけ現れる閉じられた地獄。
普通の人間には分からないだけで、夜の世界では、熾烈極める権力抗争が勃発しているのだ。
確かに、吸血鬼同士が争うことは珍しくなど無い。しかし、それは王である祖の後継を目指すためのものであり、言ってしまえば内輪揉めだ。
けれど、現在の情勢は毛並みが違っていた。そもそもこの争いは、十位、番外位、この後継を狙わんが為に発生した戦争だったのだ。魔術師上がりの二人の特異な祖、ネロとロアは、互いに後継者たる吸血鬼を選抜していなかった。他の欠番の祖の様に、後継が今も祖の座を争っているのなら、事は大きくならなかった。だがそもそも、自身の目的を探求することにしか意義を持たない彼らが、後継などを用意している筈も無い。
故に、その席は今なお空白。しかも、先代の縁者は誰一人として残っていない。
このたびの戦いは、言ってしまえばこの座を廻る二十七祖同士の、そしてどの派閥にも属さぬ吸血鬼たちの“椅子取りゲーム”だった。
自身の派閥より二十七祖の十と番外の座に相応しきモノ選出するために、あるものは自身が新たな祖として名乗りを上げるために、世界規模の闇色の闘争。祖の派閥が組織規模で争い、異なる派閥をこのゲームから扱き下ろし、最後に残ったモノこそが勝利者。そこに明確な始まりは無く、明確な終わりも用意されていない。
それでも、コレは戦争だった。―――――――ただ、表の世界に存在しないだけで。
「けどなあ実際、“ゲーム”介入に関してはトラフィム派の領主でも結構騒いでなかったか? 内部でも統率が取れてない現状で、その“ゲーム”で勝算はあるのかね? 祖の派閥にも属していない田舎領主なんざはモノの数では無いだろうが、アルトージュ派は勿論の事、スミレやリタ、それにフェムの爺の勢力だって馬鹿に出来ないぜ? 今でこそフェムとは協定を結んじゃいるが、あの好々爺、実際のとこ王様嫌いだろ? いやまあ、王様はさ、人は愚か吸血鬼にだって好かれる奴じゃないけどよ」
そんな現状に終止符を打つために、提案されたのがクーとメリッサの語る“ゲーム”だった。
「戦争? おや、クー、貴方は今回の“ゲーム”について何も知らないのですね。確かに今海を隔てた向こう側の両大陸では吸血鬼による戦争が開始されています。それはいいですよね?」
互いの食い違いに気付いたメリッサは、少しだけ間を取り言う。
努めて冷静に、それでいて冷淡に。そう言ったメリッサの色調に、クーは恐らく目を丸めてそれを受け取ったことだろう。
「あん? だからオレらの王様も“戦争(ゲーム)”に本格参戦するんじゃないのかよ? だからこそ、王様が色々と戦力増強の手練手管を用いて戦力強化に努めてんだろ? 確か夏あたりだったか? どこぞのド三流魔術師をだまくらかして、時計塔から“宝具”を盗み出そうとしたりさ。今だって、使えねぇ吸血鬼に世界各地に散らばった概念武装の回収や探索吸血鬼の補充をさせてるみたいだしな。ああ後、あの三つ子も声かけてたよな、悪趣味極まりない」
受話器越しに通るクーの太い声には、僅かながらの困惑が紛れている。
それすら楽しそうに受け取るメリッサに、軽く舌を鳴らしたクー。それは、メリッサの嫌味な微笑を増徴させるだけだったのだが。
「違いますよ。あ、いえ、確かに戦力増強は貴方の言う通りなのですが。私が言う“ゲーム”とは戦争ではなく正真正銘の“ゲーム”、お遊戯です。いやまあ、戦争と言えば戦争なのですけどね」
「ああんっ、どう言うこったよ?」
いい加減、回りくどい言い方にいらだつクーは、受話器を叩きつけてしまいそうな勢いで、メリッサに問いだしていた。
「様は代理戦争にしようと言うことですよ。二十七祖すら巻き込んだ稀に見る吸血鬼同士の諍いなんて久しぶりらしいですからね。被害の拡大を防ぐ意味でも例の“座”を廻って戦争ゲームをしようと言うのですしょう。分かりやすく言うのであれば、……そうですね、それでは、既に祖の最高議会で決められた最初の“ゲーム”を例に、少しだけお話ししましょう」
ふっと、紫苑の髪が軽く垂れてメリッサは受話器を持ち直した。クーのがなり声に、薔薇の様に映えるルージュを吊り上げて、女がいった。
…………
………
……
…
「――――――――マジかよ?」
次なる“座”。それを廻る代理戦争。ゲームの概要について理解を示したクーの第一声は、その凄惨さを物語っていたと言っても過言でもない。
だってメリッサは、暗に殺し殺され合えと、言い換えればそう告げただけなのだから。
「マジです。最初に話した内容が十位の座を賭けた“ゲーム”、予定としては来夏に予定されているものです、まあ、“相手”があることですから、正確な時期など分かりませんが。そして、二つ目が恐らく来期の今頃になるでしょうね。今は十四位、フェムがそのための準備をしてくれているらしいです。言うまでもなく、こちらは番外の座を賭けたものですよ」
「はは、しかしさ……そりゃ、確かに戦争(ゲーム)だわ。何が全面戦争は中止だよ、似たようなモンじゃねえか。大体、しょっぱなのゲームなんざ、誰も勝利条件を満たせねえかも知れないぜ? ビンゴブックトップランカーの吸血鬼や、過去の英雄達だってそれが出来るかすら分からん。あそこは、そういう場所だぜ?」
「ですから、何度でもゲームを繰り返すのでしょうね。それすら見込んで、二十七祖達の最高議会では、第三の遊戯も企画しているみたいですから」
「どうせまた碌でもないものになるんだろうけどな。っち。結局、ただの戦争なんてものより、こっちの方が面白そうだからってのが、あいつ等の言い分なんだろうな。全面戦争回避の理由なんざ、それ位しか思いつかねえ。……最低だね、実に陰鬱で変態的だ。いい趣味してる。コレだから不死になんざなりたくねえ。退屈の楽しみ方も分からねぇなんて、くそつまらない」
事務的な口調で淡々と告げられた女の言葉に、男は声を震わせる。果たしてそれが恐怖ゆえのものなのか。愚問だ。彼を知るものが、どうしてそのような事に思い至る。
「それには大いに賛同しますよ。―――――しかし嬉しそうですね、貴方は」
理由など聞く必要は無いのだが、それでも女はベッドに深く腰掛けなおし、決まりきった答えを要求していた。
「当然、他の派閥と争いは厳禁。その不問律を堂々と敗れる機会が廻ってきてるんだぜ?」
返された答えに抑揚は無く、ただ、そう告げることが当たり前のように、男は語る。
その口調に、我ながら可笑しくなる感情を抱いたメリッサは、努めて淡白な言葉で、それに返した。だってどうかしている。見えない、ここにはいない男に逞しさを感じるなど、本当に。
「まあそうですね。しかし今回の目的“新たな祖の選抜ための戦争”をするのに、コレだけ優れた方法は無い。祖としてのポテンシャルを有するに相応しい吸血鬼ならば、条件次第でゲームを単身でクリアすることも可能だ。単純に大量の勢力を持つものが勝利者になるのではなく、純粋な個の能力を測るためのものなのでしょう。まあ、派閥同士の代理抗争としての側面は拭いきれていませんが」
言い終わるやいなや、っはんと、鼻で哂う男の笑声が木霊する。
「んなことはどうでもいいんだよ。そうすっとゲームに参加するのは派閥でも後継格の死徒ってことになるのか? いいねえ、少数先鋭による小規模の戦争か。そすっと、厄介なのはアルト派の白と黒、それに根暗の剣銃、あいつらは祖の癖に間違いなく面白がって参加しやがるな。他は……うーん、そんなところか?」
退屈に感じる話も、なんだかんだで最後までキチンと聞く耳を持つクー。そんな彼の分かりにくい気遣いに、メリッサは苦笑と共に自身の意見を継ぎ足した。
「貴方の言う年増女と彼の従者を忘れていますよ。今は我々の協力者ですが、戦争の動機が動機、内容が内容です。フェムの名のためにも、間違いなく参加するでしょうね。それに今回の勝利条件を考えれば、埋葬機関や協会の執行部、当事者である第七位だって強力な障害だ。それに……」
だがそこで、絶えることのなかった二人の遣り取りに突然、水を打ったかのような緊張と、些細な沈黙が堕ちた。
二人とも、ある吸血鬼の存在を失念していたから。
「――――――――福音か――――――――」
沈黙を破ったのは自信と高揚、そして欲望に満ちたクーの声だった。
「ええ、まだ彼女が生きているのならば必ず。劣化した真祖。蔑まれ、姫の名は愚か祖の称号すら与えられなかった最高位の吸血鬼が、今回のゲームに参加しないはずが無い」
かつてアルクエイド、真祖の姫君によって滅ぼされた筈の真祖はしかし、いまなお発生し続けていると聞く。
朱い月の固有結界。彼が滅びた常世でさえ稼動しているためなのか、真意は定かではないが、劣化品とはいえ真祖が発生していると言う事実は確かに存在していた。
真祖、世界の触覚。形を持たされた世界の抑止力――――――その別の可能性。呼び名は様々だが、詰まる所神霊、或いは精霊の類だ。
そして“彼女”は、その特異な可能性の中で生まれた新種の真祖、それこそがクーとメリッサの語る“福音”だった。
人として生れ落ちた身の上で在りながら、更なる高次、精霊の位階へと進化した変異種としての真祖(ハイディライト・ウォーカー)。その出生、そして区分はどうあれ、“福音”が優れた吸血種であり、存在としての格が桁違いなのは間違いなかった。
彼女が消息を絶ってから随分と経つのだが、近年、ソレらしき存在が稀に確認されているのも真実。最も、その存在規模の小ささから、ただの噂と言う声も少なくない。現在、千の呪文の男と称される現代世界の英雄によって討伐されたとの、福音の死亡説が有力ではあるが、彼女、福音を知るモノにしてみれば上位の祖に匹敵するポテンシャルを持った彼女が、そう簡単に消滅するはずがない事は自明の理だ。
「ハッ、堪んないね。それを聞いたら尚更お仕事に気合が入るってもんだ」
目の前にぶら下げた餌に必死に喰らいつこうとするクー。それが喩えようも無いほどに、忠実で愛らしい猟犬を連想させてしまう。子供様に破顔させるクーを思い浮かべて、メリッサも思わず微笑んでいた。
「そうですか、それは良かった。私の話も、無駄では無かったと言うことです」
そんな笑みを悟らせぬよう、平坦な鈴声でメリッサはいった。さりげなく窓際の置時計に目を遣ると、クーと話し込んでから一時間以上も経っている事に気付いた。
「さて、そんじゃもう切るわ。礼装の方も機嫌を直してくれた様だしな」
「はい、御武運……は願わない方が宜しいですね。貴方ときたら、絶望的なスリルをいつだって楽しみたいんでしょうから」
最後に、クーの乾いた冷笑がメリッサの鼓膜を甘美に撫でた。
「京都………マナの異常増加ですか」
クーとの遣り取りを終えると即座に、メリッサはラップトップのスイッチを軽く押す。鈍い放電音が乾燥した室内に伝わり、液晶画面には昨晩まで彼女が纏めていた“冬木の聖杯”についての調査資料、及び彼女自身の考察を加えたレポートが所狭しと現れる。
「聖杯……起動式とその方法は」
薄っぺらな機械を前に腰を落ち着けたメリッサは、膨大な量の資料を流し見ながら呻っていた。
様々な言語や碑文で記された資料が、彼女の指がマウスの上でスクロールするたびに無常にも消えていき、そして次々と現れる。
だが、その睨み合いは結局長くは続かなかった。深く息をついたメリッサは目頭を押さえ、自嘲気味に身体の緊張を解いていたのだ。
「なるほど………。京都での異常も、全てはこのためですか。やってくれますね、トラフィム。頭が足りないくせに、中々どうして、知恵が回る。……いや、そもそもやはりフェムの入れ知恵ですかね。セイハイの魔術式、そしてゲームへの関与……なるほどいい手際だ。全てを繋げますか、侮れませんね、あの老体は」
嘆いた言葉にどれ程の万感を込めたのか、それはメリッサにしか分からない。しかし、華奢な細腕に隠れた彼女の美貌は。
「しかし、哀れですよトレイター(裏切り者)。結局、貴方は自分が踊っていることにも気付かないんですね」
―――――――確かに哂っていた。