/ 15.
見上げるのは、空に伸び上げた階段。
この景色を俺は良く知っている。コレで果たして何度目になるのだろうか。二度目、いや、三度目か。それ以上でもあるように感じられるのは、俺、衛宮士郎にとって、天へと続く階は、どうやら因縁があるからだろう。
きっとこの先には、倒さなくてはならない、乗り越えなければならない何者かがいるはずだ。
桜咲、そしてイリヤのことを、今は考えまい。俺に出来るのは信じることだけだ、俺には、俺の戦いがある。俺には、俺のなすべきことがある。
だから、想いのたけをそのまま伝えた。
「あの、アイツとは、俺一人でやらせてくれませんか?」
式さん、詠春さん、そして俺。目だった外傷は無いが、群雄割拠する人外の群れを突破してココまで辿り着いたのだ、三者三様に、疲労の色が強い。
遠く山門を睨み付けたまま、左右に控えた二人に振り返らずに……振り返る余裕を見せずに、言った。
俺の我侭に、しばしの沈黙。
背中で感じる困惑は、一人だけ。詠春さんだ。
「衛宮君、それはどう言―――――」
「いいよ、別に。行って来いよ」
欠伸が出るような長閑さで、式さんは詠春さんの当惑をシャットアウト。
だけど、それに納得できよう筈も無い真人間、詠春さん。式さんの一言に抗議を上げようとして。
「あのな、両儀の。私達は遊び―――――」
「どうせ、このコンクリ頭は一度言い出したら何をいっても無駄だよ、詠春。聞く耳なんざとっくに切り落としてる。それに別にいいじゃんか、男のタイマンは、ある種のロマンなんじゃないの?」
にべも無い式さんの言葉に、詠春さんはあっけなく押し黙った。今の発言で納得してしまう様な性格しているのか、俺って。
男のロマンについての間違った認識を後で幹也さんに正してもらわないとな。悠長な事を考え肩の力を抜きながら、小さく会釈する。
「ありがとうございます、それと、我侭言ってすみません」
「まったくだよ。ついでだ、理由くらいは、いってけよな、それが、筋ってもんだ」
踏み出し、石段に足をかけたところで、式さんが尋ねる。俺は振り返らない。
「なんで、アイツと戦いたいんだ? 正直、アイツはつまらないだろ、殺しあってもさ。オレは、どうにも理解に苦しむ」
心底分からない、と式さん。起伏の無いぼやけた声調での問い掛けに、逡巡、考えを巡らせた。どうして、俺はアイツと剣を交えたいのだろう。
そして、直ぐに思い至る。別段、考える必要もなかったから、この瞬間まで、然したる動機を持っていなかった。
まったく順序が逆じゃないか。行動してから、理由が分かるなんて。
「多分、同族嫌悪だと思います」
「あん?」
「似てるから、でしょうね。自分を見ているみたいで、ムカつくんですよ、アイツ」
式さんが息を呑んで驚いた。なんでさ?
「へえ、ムカつく、ね。お前でも、そんな風に思うこともあるんだな。コイツは、面白い発見だよ、実に意外」
ぬう、俺としては意外でもなんでもないのだが……なんて言うか、心外だ。
「まあいいや、で? それ以外にも理由、在るんだろ?」
今度こそ本当に意外。参った、降参。ケタケタと笑っていた式さんから突如として振られた真摯な声に、俺は鼻の頭を軽く掻いた。そういえば、式さんと出会って、もう半年になるんだよなぁ。
微かな微笑苦を浮かべて、俺は呼吸する様な自然さでいう。
「アイツに、本当の意味で“勝利”出来るのは、俺だけですから」
そう、確かに、式さんや詠春さんが戦えば、結局、二人が勝つのは道理だ。だけど、そうじゃない、そんな克ち方じゃ駄目なんだ。そんな勝利は、間違ってる。
言葉にして、体がギチリと軋んだ。魂が、鉄を打ったかの如く響いた。あいつには負けちゃいけない、あいつには勝たなきゃならない。
俺の誇りが訴える。偽者達が、咆哮している。だから、――――――。
「ふうん、なんだ。結局は見栄が張りたいだけかよ。弱いくせに、変なところで一端だね、お前」
やれやれ、なんて肩を竦めているであろう式さん。つーか見も蓋も無い。
首をもたげる以外に、俺にどうしろと。
「――――兎に角、いってきます」
肩を落としながら、それでも俺は階段を登るため胎に力を入れる。気の抜けた遣り取りもいい加減終わりだ。戦いに赴くため、精神を高揚させる。身体を締め上げる。
しっかりしろ、衛宮士郎。京都の街の現状を思い出せ。正義の味方にあるまじき我侭をのたまったんだ、ここで破れようものなら、責任の取り様が無い。久方ぶりの身勝手は、どうやら高くつきそうだ。
意気込み、貌を頂上に向けた途端。
ぱあん、とつんざく様な高音。背中を、式さんに勢い良くひっぱたかれたらしい。
「いぃ!?」
痛みにのたうつ余裕も無い。この痛みを言い表すのに、言葉は何と無力なことか。
のたうち、階段を転げまわらなかったのは、ひとえに、俺が今まで世の理不尽に耐え忍んできたからこそであろう。
「何すんですか!? いきなり!!」
俺の至極当然且つ正当な怒りの矛先は式さん。
俺はそこで、石段前までやってきて、初めて振り返る、初めて、彼女の貌を直視した。
黒い、それでいてどんな漆黒よりも尚深く澄んだ水晶が俺を不敵に覗き込んでいる。
「気負いすぎ。力抜けよ、ヘッポコ」
終に式さんにまでヘッポコと呼ばれる始末である。次はいよいよ幹也さんか? あの柔和な微笑でそんな事を言われた日には、俺は首をくくって昇天してしまいかねない。
「強がる必要なんて無いさ、お前、なんてったって弱いんだから」
怒髪天で向き合ったのもやおら、あっけにとられて、俺はまじまじと彼女の表情を臨んでいる。二十歳前後の顔立ちは、陶磁器みたいに艶やかで、それでいてずっと幼い。
云わんとしている事が、今一不鮮明だ。この期に及んで、俺を虐めて楽しいのだろうか? そんな筈は無い、式さんの深い色の眼には、ふざけた色すら見えてこないのだから。
無言のまま、俺は彼女の不敵な、それでいてたおやかな微笑を受け取る。その笑みはまるで、遠坂の様で、先生の様で、近衛の様でもあった。
「だけど、誇っていいぞ。お前は、ただのヘッポコじゃあ無い。思い出せよな、お前をヘッポコ認定した人間どもを」
式さんらしい捻くれた勲等に、俺は堪らず破顔した。
思い出した、そうだよ、俺にヘッポコ認定をしてくだすった方々に熨斗つけてお礼を言いたい気分だ。衛宮士郎は、ただのヘッポコじゃないんだって。
「ぶん殴って来い、手前のやりたい様にさ」
「うっす、いってきます」
今度こそ、本当に。
俺は、自分でも不思議なくらい爽快な笑みで、貝紫に染まる天上を目指した。
■ interval / 天の階 ■
/ outer.
二つの人影が、奔り出す少年の背を見送った。彼らの後ろには、蠢く怪異。ほんの数刻前には無残に蹴散らされた彼らであったが、またぞろ新たな怪奇が群れとなって、洪水となって彼らの背中に詰め寄ってきた。
―――――――――だが、どうしたことか。その獣は、今まで蹴散らしてきたモノとは一線を画している。どろどろに溶解した狗のような輪郭。立ちこめる妖気が、禍々しい。
「しかし、両儀の。本当に良かったのかい?」
背後に湧き出る数分後の肉塊を侮蔑と共に睨みながら、ため息混じりに、長刀を担いだ男は言う。
古来、皇の宮に跳梁していたその魔物、孔からあふれ出た真性の怪異を前にして、男は幽玄としたまま剣を握る。その瞳には、動揺と言うものは皆無だ。
与えられた仕事を淡々とこなす奉公人、ともすれば、そんな相貌だった。さもありなん、この程度の怪奇、“赤き翼”の仲間と共に、幾度となく蹴散らし、蹂躙してきた剣鬼である。
「何が?」
答えたのは、着物の剣姫。やはり彼女は平静。目前にした妖怪変化共に、なんら感慨も抱いてはいなかった。
「衛宮君を行かせてしまって。そりゃあ、彼の我侭にも困ったものだが、それは良い。切嗣のせがれに、あれやこれやと言い聞かせても無為だろうしね」
「だから、何が?」
両親の呵責に憂う少年の様に、女は再度同じ言葉を苛立ち混じりに繰り替えす。男のもったいぶった物言いが気に入らない。
「僕が言いたいのは、君が満足かって事。いいのかい、これで、連れ立った獲物はいなくなってしまった。群がる雑魚をいくら喰らったって、お腹は膨れないだろう? 暴食は良くないぞ」
すっ、と音も無く男はコイクチを切る。
同時に、滴るような女の吐息が漏れる。
「ああ、そのこと。いいんだ、もう」
詠春の見詰める視線の先、そこからさかしまに、女の艶やかな振袖が揺れた。二人の背中が向き合った。
「もう、とは?」
女の仕草に欲情し、飛び掛る悪漢の様に、二人を取り囲んでいた怪異が雪崩となって押し寄せる。
それは、静かな闇に落ちた緊張に起こった。奔る剣閃、揺れる残影。握る刃は異なれど、描く軌跡は殺意の権化。
血飛沫が咲き、黒い雪崩は一瞬にして赤い洪水に変る。千切れ飛び、弾け、舞う、奇怪な身体。その只中にあって、二人の剣客は澱み無く佇んでいる。
「興味ないって事。だって、――――――――――――――」
裁断された肉片が、赤黒い中空に煩雑する。肉の雨、と喩えられなくもないだろう。細切れのミンチ肉が降りしきる中、女の、桜色の唇が歪む。萌える花弁が開くような微笑は、雨上がりの華のそれ。
恍惚とした女の顔、黒い真珠の様な瞳の先、悦楽の極みが槍を携えている。
「よお、いい夜だ。どうだよ、俺も混ざっていいかい?」
だって、目前に、こんなにも心蕩かす殺意があるのに。
式の微笑みは、貌に走る亀裂にとってかわっていた。
彼女の眼に映るのは、屈強な体つきの男。真冬の最中、薄いレザージャケットと同色のパンツを身に着けて、その貌には狂犬染みた喜色が張り付いている。
男は怪奇の渦中にあって、身じろぎ一つ見せず、ゆっくり女に一歩一歩と歩み寄る。右手に握られた殺意の結晶、薄鉛色の大槍が、その度に小さく弧を描いて揺れた。
「はは」
ささやかな嬌笑が、式から綻んだ。
最高だ。自らが憔悴するほどの殺意、底冷えするほどの狂喜を、久しくお目にかかっていなかったから。伝う冷や汗と身震いする身体の感覚、磨耗する精神のなんて心地よい。
思考が融ける。男と女。これは、果たしてどちらのモノなのか。
「――――――ふむ。吸血鬼かな、視たところ………まいった、君は、遠上都の連れかい?」
そんな二人の内面を余所に、詠春が一人、冷静に問いかけた。
「はあ? しらねえな、俺は別件でね。まあなんだ、アンタ達の目的はなんだか知らねえけど、ちょっとした暇つぶしさ、付き合ってくれねえ?」
詠春は男の回答に思考を巡らす。―――嘘をついている様には見えない、男が件の犯人との関連性を持たないのは、それなりに信頼足りえるだろう。
「それではもう一つ、付き合う、とは? 生憎立て込んでいるのは分かるだろう。時代錯誤の申し入れならば、後日にしてはもらえないのだろうか?」
大槍の男の目的が何であるかは、あえて直接問わなかった。闖入者の殺伐とした雰囲気から、詠春は彼奴の目的がなんであるか位、容易に分かる。まったく、子供の喧嘩じゃ在るまいに。ああでも、今ではそんな気骨者も、存外少なくなったものだと、何処かしらの関心と共に笑む。
「そいつも知らねえなあ、悪いが、聞けねえよ。それに、となりの彼女は、随分と殺気立ってんじゃないか。ひく理由が、何処にある?」
笑みを休め、これ見よがしにため息をついたのは、詠春。
「なるほど、興味が無い……か。こういうことだったんだね、ほとほと、恐れ入る。いつからこの男の事に気がついていた?」
「ついさっき。まあ、視線を感じたのは、お前が派手な一発を繰り出した時だけどな」
完結に、これ以上語る暇が惜しいと、肉塊を踏みつけて、両儀式は一歩、大槍の男、クーに近づいた。
「まったく、君達と来たら……京都の危機的状況を、本当に理解しているのかい? 驚天動地の現状を、勝手に私事にしないで欲しい」
「オレにだけ言うな、不公平だろう? 衛宮やイリヤ、お前んとこの子飼い剣士にも良く言い聞かせておくんだな」
悲壮とした表情が、詠春の心理を代弁している。最早何も言うまい、神鳴流最強の剣士、近衛詠春も語るに落ちたと、肩を竦めて式の背中を見送る。
「詠春、手は出すなよ。……丁度良い、ワラワラと雑魚が湧いてきたし、お前はそいつらの掃除でもしててくれ」
沸き立つ怪奇を見遣りながら、簡単に式はいった。
なんとも、勝手極まる置き土産を残してくれる。黒桐君と言ったか、彼には同じ男として賞賛を禁じえない。
詠春は有耶無耶のまま首肯するも、当の両儀式はそんな彼の仕草など、眼中に無かった。
後に訪れる殺戮に、身体が紅潮していくのを感じていたから。
「よお、話は纏まったのか? コレでも、悪いとは思ってるんだ。随分と立て込んでるのは分かるしな」
「いいさ、気にするな。それに、オレはこれでも嬉しい。退屈が、これでようやく紛れるからな」
間合いは十メートル。地を向き構えられたクーの槍と、無為のまま垂れ下がる式の短刀。
ふっ、と微笑が重なった。
「名乗りは、必要かい?」
槍が、一段と深く沈む。
「いいよ、別に。アンタの名に、興味は微塵も無いから」
呼応するかの如く、逆手に握られた短刀が式の目前に掲げられた。
「違いない。行きずりってのも、悪くないよなあ。いい退屈しのぎに、なりそうかい?」
朗らかに微笑んだ男の赤い眼光が、先手をくれてやる、そう云わんばかりに垂れ下がる。
「ああ、多分な」
女の華奢な矮躯が、それに纏われた振袖が、静かに舞う。疾走と同時に、亀裂の走る美貌で、彼女はいった。
「―――――――――それとついでだ。暇と一緒に、潰してやるよ」
さあ、殺し合おう。