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慇懃なオレの嘲笑を否定して、幹也さんに振り向いた。
「ただ恋をした、それだけなのに――――――――――」
振り返る視線の向こう、思わず息を呑んだ。
微笑んでいる筈の幹也さんの貌が、怒りに歪んでいるように感じられたから。
「そうだね、それだけだった」
しかし、返す幹也さんの声は穏やかだ。
俺の向こう側、張り裂ける程に広がった大海を見据え、彼は言い切った。
「―――――――だったら!」
そうだ、俺は彼女の物語なんて認めない。
全ての悲劇、その原典。遥か古に生きた悲しい神話。
――――――――そんなの、嫌だ。
血がにじみ出るほど拳を握り締めて、俺は幹也さんを睨み返す。
幹也さんは優しい人だ、なのに、なんでこの人は、―――――。
「僕はね士郎君、彼女の生涯が間違いだなんて、悲しみしか無いなんて思わない」
「――――――――どうしてですか、どうして幹也さんは!?」
――――――――彼女の生涯を知って、そんな穏やかな顔でいられるんだ?
叫びだしそうな喉笛を必死に押さえつけ、語尾の震える強がりを吐き捨てる。
俺は焦点も覚束ない曖昧な瞳で、果てなく黒い彼の瞳に挑んだ。
Fate / happy material
第六話 パーフェクトブルー Ⅴ
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「ねえお兄ちゃん、アレは何?」
温泉街の喧騒の中、イリヤは興味津々に白い煙を噴出す蒸篭を指差した。「行ってみるか?」と尋ねれば、テケテケと駆け足に向かって行った。揺れる三つ網がしっぽを振って喜びを表現しているようで、面白い。
イリヤには大分大きいダブダブで無地のTシャツ。俺が貸したそれと、薄い水色のジーパンと言う彼女にらしくない出で立ち。だが、ボーイッシュな魅力、とでも言えば良いのか随分と似合っている。
「じいさん、温泉饅頭ふたつな」
ガラス張りの向こう、この暑いのに頑張って饅頭を蒸かす切符のよさそうなおじいちゃんに指で示す。やや身長の足りないイリヤには視ることが叶わないだろうが、蒸篭の中には深い褐色が艶やかな甘味に溢れていた。
イリヤと俺の不釣合いな組み合わせに何を思ったのか、じいさんはかかかと豪快に笑った後、饅頭を一つサービスしてくれた。イリヤの事をどこぞのお姫様かと思ったのかもしれないな。
俺の兄馬鹿も大した物だと、一人笑いながらイリヤにはチョッと大きい饅頭を手渡した。
空は晴天。相変わらず暑いけど、まあいいか。
炎天の下、出来立ての饅頭をイリヤと一緒に歩きながら頬張る。
「歩きながら食べるのは、お行儀が悪いんじゃないかしら?」
「でもさコレも一つの楽しみ方だよ、気にしなくても良いんじゃないか?」
言って、俺は饅頭を丸々飲み込んだ。
イリヤは小さい口で行儀良く饅頭を楽しむ。
「それにな、さめると不味くなる、早く食べた方が美味しいだろ。それが作ってくれた人に対する礼儀じゃないかな?」
饅頭と姫さま。なんともミスマッチだ。
そんな事を考えながら、ゴツゴツとした岩肌が除かせる歩道を二人で歩いていくと、道行く人が俺とイリヤの似合わないカップルを少し不思議そうに見送る。
唯でさえ目立つ組み合わせを饅頭という際立つアイテムがより一層引き立ててくれることだろう。
「あら、随分ね。騎士(ナイト)っていうのはいつもそう、自分の礼節が誰にでも通用すると思っている。騎士道精神なんてよく言ったものよ、品行方正、その言葉に一番嫌われているのは貴方達だって分かっているのかしら?」
送られる注目を当たり前に受け止めて、イリヤは俺の狼狽に冗談めかせて笑う。そしてそのまま、口を大きく空けて饅頭に噛み付いた。
俺の真似をしたらしいが、上手くできなかった様だ。結局、イリヤは二つに分けて甘露を楽しんだ。
「厳しいな、イリヤは」
つーかアイツは猛反発しそうだな。時代が時代だけに、イリヤに手袋を投げつけていたやもしれぬ。
「淑女としては最もな希望だと思うけど? 私は絵本の中のお姫様みたいに、綺麗なだけのつまらない女とは違うのよ、振り向いて欲しければシロウももっと頑張りなさい」
「はは、努力するよ」
苦い微笑をイリヤに向ければ、彼女は嬉しそうに前髪をつまんでクルンと回す。
「それで? 次はどこに連れて行ってくれるのかしら」
イリヤの言葉に「そうだなぁ」と頷き、和風に外装を施された甘味処の前、漫画みたいにデフォルトされた「温泉町案内板」とやらに目を移した。
海沿いに群がるようにある旅館の密集地域から大体一キロ南に移動したところにある大きくもなければ特に小さくも無いという半端な観光地。この温泉街にもきちんとした名前があるらしいのだが、覚えていない。きっと、それほど印象に残る物ではないのだろう。
「どっかでお茶にでもするか? 聞き込みやらなんやらで疲れたし、時間も…いい頃合いだと思うぞ」
腕の時計に目をやれば3を目の前にした短針が小腹の隙間を刺激してくれた。
饅頭を食べたりなんだりで観光も満喫していたが、聞き込みだってきちんとやっていたのだ。イリヤが興味を持つ店入った店で俺は聞き込み三昧。正直、俺が休みたいのが本音である。
「そうね、コレといって面白い話は聞けなかったけど休憩しても文句は言われない位、働いたものね」
「だな、先生に視て来いって言われた廃墟の場所も分かったし、食費位、経費で請求しても構わないだろ」
「働く人の為の御茶代だもの“経費”で間違いないわ、うん絶対そうよ」
言ってイリヤは目の前のお店の暖簾をくぐる。
案内板にはお勧めの喫茶店としてこの店が紹介されていた。
俺は「目ざとい奴だ」と一人ごちて、彼女の真っ白い三つ網に続いた。…………しかし、使途不明金やら使い込みなんて物が、世の中から無くならない理由を垣間見た気がするなぁ。
「奇遇だねぇご両人、デートの途中かい?」
和菓子特有の甘い香りに便乗し、耳慣れた賑やかな声が聞こえた。
辺りを見回せば、家族連れの皆様でほぼ満席状態。どうやら声の主との相席は決定事項らしい。
「そうよ、うらやましい?」
特に気にした様子もなく、イリヤは朝倉の目の前に腰を下ろす。そして、彼女は勢いもやおらに早くも朝倉と舌戦を開始した。
互いに千日手の不毛な争いだ、勝手にやらせておくに限る。
「…………はあ、合い席、構わないか?」
(ええ、どうぞ。私達もまだ注文していませんし、ご一緒しましょう)
深くついたため息は、イリヤと朝倉には効果が無かった様だ。まったく、唯一の救いは、ストッパー役の四葉がこの場にいてくれる事だけだ。
何にしても、この店の中では疲れをとるどころでは無いのだろう。
(ここ、ところてんがお勧めなんですよ)
四葉からメニューを受け取りざっと流し見る、特に興味を引かれる物も無かったので直ぐに閉じた。俺は和服姿にエプロンのお姉さんにところてんを四つ注文してほっと一息。少しの元気を取り戻した俺は、意を決してイリヤと朝倉の織り成す銃撃戦(マシンガントーク)の最前線(フロントライン)へと飛び込んだ。
「なあ朝倉。お前、幹也さん達と一緒に資料館の方に行くんじゃ無かったのか?」
先生たち伽藍の堂オリジナルメンバーはこの町の役場、そして資料館へはしごしながら件の“幽霊”についての資料を探しに行った筈だ。それにこいつも着いて行ったと思うのだが?
「ん~、幹也さんが遊びに行っても良いって言うからね。お言葉に甘えさせて貰ったのよ。四葉と会うのは久しぶりだったし」
「そうなのか?」と四葉に視線を送れば、彼女も頷いた。
「のけ者一人ぼっちは悲しいしね。四葉も暇そうだったし、二人で遊びに来たのだ」
遊びに来たのだ、の言葉が表すようにその風貌は昨日の旅館の時と違ってややお洒落だった。朝倉はワインレッドのカットオフジーンズに胸元が協調されるタイトなVネックシャツ。対する四葉はピンクのニットキャミと淡いブルーのハーフジーンズ。
「それでさ、衛宮っちはどうよ? 例の幽霊さんには会えたのかい?」
丁度運ばれて来た四人前のところてんを朝倉が受け取り「しゃれじゃないよ」と言葉を繋いだ。
俺は、向かいに座った彼女に首を横に振って答えて見せた。
「ま、情報って奴は気まぐれだからね」
妙に納得した表情で朝倉は笑った。
(なんのお話しですか?)
「サツキは知っているかしら? この海の近辺に出るって言う幽霊の話し。私とお兄ちゃんはね、その幽霊について調べて回っていたのよ」
イリヤは運ばれて来た半透明の長モノに怪訝な顔を向けたものの、次の瞬間には驚きと一緒に珍妙な喉越しを楽しんでいる。
(ああ、例の御伽噺ですか。夜な夜な叫び声と一緒に現れるってゆう?)
「そうそれ。でもね、どこで聞いた話も同じような物ばっかりなのよね、嫌になっちゃうわ」
イリヤは指折り聞き込みに訪れたお店の数を上げていく。最も、その殆どが食べ物屋さんなのはお兄ちゃんだけの秘密だ。
「ふーん、その似たような話しってのは何なんだい? 御伽噺の概要は私が話した通りなんだろうけどさ、気になるね」
「それなら簡単だぞ、全員が全員“美女”を見たんだと、実際は又聞きだろうけどさ。件の幽霊ってのは、やっぱり朝倉が話してくれた御伽噺の彼女みたいだな」
幽霊が現れる時間帯、地域それらは全てまちまちだったのに対して、幽霊の特徴は全て一致していた。どうやら、俺の“視た”あの幽霊も彼女だったのかもしれないな。
朝倉の仕草に習って俺は肩を竦めて見せたのだが、その言葉に朝倉はところてんをすする箸を止め、急に真面目な顔で考え込んでしまった。
突然の不意打ち。彼女の雰囲気の変化に俺も箸を休める。
「ねえ衛宮っち、その“美女”を見たって目撃証言何だけどさ、ちゃんと容姿なんかは一致していたのかい?」
「 ? なんでさ。そんなのが関係あるのか?」
「あるんだな、コレが。証言の整合なんて物は情報を扱う人間にしてみれば初歩の初歩だよ。しかもそれが“美女”なんて抽象的な証言ならなおさらだ。それでさ、どうなんだい、衛宮っち。彼女の特徴、その他具体的な容姿の裏づけは取れているのかい?」
「………………何も無いな」
「と言うよりも、そんな事気にも留めていなかったわ」
「だったらさ。今度はそれを調べてみるといいんじゃないかな? 確信は無いけど、違うものが見えてくるかも知れないよ」
大きく頷いてやると、朝倉はニヤリと頬を緩ませる。
しかし、こいつがやり手だってのがしみじみと感じられたな。やっぱり、じょしこーせーで情報屋ってのは伊達じゃ無いのだろう。
「そうそう、素直で宜しいよ。大体“美女”なんて観念、人によってまちまちじゃないか、そんな曖昧な情報を鵜呑みにしちゃ駄目だぜ、旦那」
「これだから素人は」なんてち、ち、ち、と指を振る彼女は鼻息を荒げて腕を組んだ。
そんな仕草でさえ、どこかかっこよく見えるのは、きっと自分自身の誇り故のものなのだろう。こいつもやっぱり“いい女”ってやつらしい。
「人類共通認識の“美女”なんて言ったら、朝倉和美その人しかいないんだからさ」
だがしかし、それもやっぱり気のせいだ、絶対に気のせいだ。
「(「………………………………」)」
豪快に笑う朝倉に氷点下の視線を向けて、俺たちはただところてんをすするのだった。
/ 8.
「で、どうだった衛宮っち、何て言ってたんだい」
喫茶店で小休止を終えた俺たちは、朝倉、四葉を加えて先ほど訪れた店舗に再度足を運び直していた。まだまだ明るいが、時刻はそろそろ五時、例の廃墟に向かうので在ればここらで聞き込み作業を切り上げなくてはならないだろう。
今後の行動指針を決定した俺は、先ほどの証言を店舗の前で構えている朝倉、イリヤ、四葉に答えた。
「ここも証言が食い違っていたな。美女は美女みたいなんだけどさ、容姿が全然違うんだ」
これで五店舗目になる反芻作業は先ほどとは違う進展を見せていた。
朝倉の助言に従って、幽霊の特徴を具体的に聞いて回ればその証言の差異に驚かされた。ある人がその幽霊を金髪のねーちゃんだったと言えば、ある人は黒髪の日本美人だったと言う。
俺が視た“彼女”と符号するものが無いも等しいし、一体、どういうこと何だか。
(不思議ですね、一体何故なんでしょうか)
俺の顔色を読み取った四葉が、言葉の通りの顔で零した。
「さっぱりね。カズミはどう? プロのご意見をお聞かせ願えるかしら」
「現時点じゃ何ともいえないよ。で、衛宮っち、その顔から察するに、所長さんが話してくれたって言う廃墟に行くのかい?」
立ち止まって話すのも邪魔になるので、俺たちはなんと無しに歩みを進める。
グリルオーブンの様だった太陽光は段々とその角度を緩め、夜も近づき過ごしやすくなって来ていた。
朝倉の問いに頷いて返した俺は、彼女達の前を先行して廃墟への道行きを探した。
「それじゃついて来なよ、私が案内したげる」
だが、俺の頼りないコンパスぶりに我慢なら無いと、朝倉はズンズンと元気良く目の前に飛び出した。どうやら彼女は例の廃墟の場所を知っている様だ、侮りがたし自称・美少女パパラッチ。やっぱり、餅は餅屋だな。
「あ、待ちなさいよねカズミ。貴方ばっかり良い格好して、お兄ちゃんの株を上げようなんてさせないんだから」
それに小走りに続いたイリヤはあっという間に朝倉に追いついてしまった。
二人は取っ組み合いをしながら、ズンズンと人通りの少なくなった温泉街を抜けて行。彼女達の影では、さよちゃんが心配しながら二人の掛け合いに右往左往しているのだろう。
(イリヤちゃんと朝倉さんは何時もあんな感じなんですか?)
俺は四葉の歩調に合わせて目の前の二人を追う。
なんだかあの二人を見ていたら、藤ねえとイリヤ、今は懐かしい冬木での日常を思い出してしまった。
「元気良いだろ? 俺もさ、まいってるんだよな。毎日あんな感じだし、心の休まる暇も無い、若白髪が生えてきたらどうしてくれるんだか」
アーチャーの髪の毛、白かったもんなぁ。気苦労の絶えない人生だったのだろう、今だけは同情してやるよ。
(ふふふ、でも二人とも仲がよくって、少し妬けちゃうんじゃないですか?)
温泉街の喧騒が段々と遠のいて行く中で、四葉は俺の言葉の裏側を読み取ってくれた。昨夜も思ったけれど、なんだかお母さんみたいだ。
(衛宮さん、イリヤちゃんも朝倉さんも大好き見たいですから)
そんな台詞を真顔で言われたので、赤面してしまった。
思わず顔をぷいっと逃がしてやれば、自然と心の裏側に置き去りにされていた俺の言葉が放り出された。
「少し…………か。まさか、大いに嫉妬しているよ、俺はさ」
自分でも気付かない心の垢。こんな風に心が暴かれるのが心地良いなんて、初めてだ。
段々と空に朱色がさしていく、そんな中で彼女はくすりと笑った。
(それじゃ、白髪も多くなっちゃうでしょうね。知っていますか? 若白髪って幸福な人ほど多いんですよ)
そう言って、四葉は前の二人に視線を向けた。
海沿いの道路。潮風を背中に受けて進んでいくイリヤと朝倉。
なるほど、あいつらに囲まれて過ごす日常はきっと幸せなのだと信じたい。
空の朱色に侵食されて、右手に開けた海がキラキラと赤いガラス片を反射する。
チクリと、心に微細な棘が食い込んだ。
「………幸福、ね。そうだな、俺は今、幸せなんだよな」
真っ赤に燃える俺の髪の毛を撫で付けて、海を仰いだ。
幸せ、それを与えられる権利を俺は持っているのだろうか?
いや、それ以前に、俺はそれが何であるかも分からないと言うのに。
「なぁ四葉」
赤い、紅い、火のような海に囚われたまま、俺は口を開いた。
どうやらノンビリと歩きすぎてしまった様だ、潮の香りが遠くに響いたイリヤの声を運んでいる。
視線の縁に残った影は駆ける様に伸ばした足を休めて、俺に振り返った。
「お前さ、“幸せ”って、なんだか分かるか?」
俺の問いに目を丸めた彼女は、ポンと両手を合わせて、
(随分突然ですね。何かのクイズですか?)
にこやかに質問を返した。
まあそうだよな、突拍子も無さ過ぎる。
俺はかぶりを振って遠くで立ち止まる二つの影に視線を戻した。
「―――――いや、悪い。変なこと聞いたな。忘れてくれて良いぞ」
まったく、出会って間もない女の子に、イキナリ何を聞いているのだか。
「お~い、衛宮っちぃ。早くしなよぉ~もう直ぐ着くよぉ~」
朝倉が遠い視線の向こう、大手を振ってジャンプしている。
きっとその横では「年頃の女性がはしたないわ」と、我が妹君が必殺の口癖を零していることだろう。
(クイズの答えはまた今度ですね。急ぎましょうか)
俺と四葉は寂れた漁港を抜けて、イリヤと朝倉に並ぶ。
夜が近づく。
悲しい叫びが深淵より確かに響いた。
俺には遠すぎた答え、そして誰しもが近づきすぎて見えない答え。
そこに辿り着くのは、どうやらまだまだ先のことらしい。
俺は視界に映る古びた洋館を俯瞰し、歩みを進める。
潮風に揺れるイチイの木々たちが、俺の背中を押していた。