ずっと苦しかった。
私はまるで水の中で孵ってしまった雛、或いは陸に投げ出された魚だった。
呼吸するたびに感じる、耐え難い苦痛。
此処に在ること、それ自体に対する、絶え間ない違和感。
それらは、いつしか私にひとつの願望を抱かせた。はじめはおぼろげに、次第にはっきりと。
そしてそれがひとつの明確な夢となったとき、皮肉にも、私の呼吸はすこしだけラクになった。
私の夢、それは――
とっとと死ぬことだ。
*** しにたがりなるいずさん ***
「鬱だ、死のう」
思わず呟くと、目の前の少年がぽかんと口を開いた。その間抜け面を無視して、私はため息をつく。ハア。
――なんで成功すんのよ。
今は私が在籍する魔法学院の進級試験(とは厳密には違うけれど)の最中だった。内容はメイジのパートナー、使い魔の召喚。どうせ失敗するのだから、実技なしの一発不合格で構わなかったのだけど、堅物な監督教師のごり押しで一回だけルーンを唱えることになった。
それがなぜか成功してしまったのだ。
――やっと退学できると思ったのに……。
実家暮らしの煩わしさから逃れるために全寮制のこの学院に来たけれど、一年も経てば飽きるには十分だった。それに、完璧な劣等生である私がこのまま在籍し続けるのは、いくら実家が国一番の名家であっても、流石に無理がある。
だからこそ、この使い魔召喚の儀式には期待していたのだ。
座学成績では誤魔化しようのない、純粋に実技のみの試験。これに失敗すれば、学院も私も退学の立派な『理由(いいわけ)』ができる。そう思ったのに……。
――空気の読めないやつね。
私は召喚ゲートを転がり出てきた少年をジト目で睨みつけた。私の使い魔になるような奴は、きっと面倒がって召喚になんか応じないと思っていたのに……どうやらこいつは違ったみたい。
使い魔が人間なんて前代未聞の珍事だとはわかっていたけれど、それはわりとどうでもよかった。
むしろ脳裏を過ぎるのは、破綻してしまったこれからの計画――公爵家の娘が『退学』ともなればさすがに世間体が悪いから、実家には戻れないだろう。そのときはなんとかして、下の姉の領地に転がり込ませてもらうつもりだった。姉が名前だけの領主となっているその土地は、辺鄙で未開の地が多く、切り立った崖や深い森が其処彼処にあり、危険な野の獣もたくさんいる。
そういう『事故』も悪くはないわよね。なにより、他の命の糧になるというのは、すこし、ロマンチックだ。
――そうよ。せめてこいつが狼とか、野犬とかだったらよかったのに……。
けれど今更取り替える方法も、元の場所に還す手段もない。しかたなく私は淡々とスペルを唱えると、使い魔と一生の契約を交わした。
――長い付き合いにならないといいなぁ。
そんなことを思いながら。
「あ、熱い!」
ルーンが刻まれているのだろう、少年が地面を転がる。
「気にしないで、それで死ぬことはないわ」
もしそうなったら面白いわね、と思いつつ宥める。あ、だめか、使い魔が死んでも主人(わたし)が死ぬわけじゃないものね。
「気にするっての!お前、おれの体に、何をしやがったんだっ!?」
「なにって、契約のキスをしただけよ」
「そっちじゃなくて――」
そういえば、私の使い魔ってことは――
「ねえ、あんた、もしかして――死にたい?」
「はあっ!?」
素っ頓狂な声で、言外の否定。なんだ、主人に見合った使い魔が喚ばれるというから、てっきりこいつも『死にたがり』なのかと思ったのに、違うのね。
がっかりしていると、何故か少年が青ざめて、ぶるぶると震え出した。今度は寒いのかしら? 使い魔になるのも大変なのね……。
地面に尻餅をついたまま後ずさる少年――は置いておいて、私は教師に召喚と契約の成功を報告した。
***
「聞けよ、皆!ゼロのルイズの使い魔が青銅のギーシュと決闘するってよ!!」
状況説明ありがとう、モブ君。
――なんだ、やっぱり死にたがりだったのね。
部屋に人間を飼うスペースはないので、使い魔のことは初日から料理長に預けていた。もちろん下働きとして。
日当は私が管理し、卒業するときにでも渡してその後の生活の元手にさせるつもりだった。特に本人の希望は聞いていないけど、もしも私の死後もこの国に留まるつもりなら、それなりの暮らしを用意してあげるのが主としての務めだから。
実家には無駄に広大な領地をあるので、どっかの村に平民一人住ませるくらいどうとでもなるだろう、とそう考えていたのだけど――どうやらその必要はなかったみたい。
「ルイズ、あんた何処に行くの」
「部屋だけど?」
「ちょっと、止めないの!?」
「当たり前でしょう。本人がそう望んでいるなら周囲が口出しするものじゃないわ」
食後の読書もしたいし、そうそう、それに使い魔の葬式の準備もしないといけないわね。
そう思っていたのに、クラスメートになぜか引っ張っていかれた。無駄に活力に溢れている寮での隣人に逆らう気力もなく、引き摺られるままに広場へ向かう。
この娘なんてそれこそ関係ないでしょうに。なんか、私とは対極の性格ね。
驚いたことに、使い魔は剣でゴーレムを倒していた。私の目の前で――というか、私に見せつけるように?――勝ち名乗りを上げた後、血まみれで倒れる。
私は驚いて彼の傍に行った。
「どうだ、見たか、くそ主人」
うぐぐと唸りながら悪態を吐く少年に、私は眉をひそめる。
「ねえ、もしかして、本気で勝つつもりで戦っていたの?」
「あったりまえだろ!」
「……ふーん」
傷だらけの顔で自慢げに笑う少年に、私はすこし――イラッとする。
三日後、昏倒していた使い魔は無事目を覚ました。水の秘薬様々ね。
「どうして?」
秘薬の高価さを知った馬鹿は、びっくりしたように尋ねた。というか、目覚めたときに私が傍にいたことにも驚いているみたい。――別にたいしたことじゃないわ、単に授業をさぼる口実にして、この三日ほど此処に引きこもっていただけだもの。
それにしても、どうして治したか、ですって?
「あんた、私がどんな気持ちだったと思うの?」
間の抜けたことを尋ねる使い魔を睨みつける。とたんに決闘のときの威勢はどこへやら、ビビる使い魔。
「だ、だって、お前、おれのことなんて、どうでもいいと思ってただろ。初日からこっち、全然かまってもこないし――」
「だからなに? あんたは私の使い魔なのよ? それが主人より先に死のうとするなんてどういう了見よ?」
それもあんなすっきりした顔で、嬉しそうに。
「いい? 私より先に死んだら赦さないんだから!」
――まったく、こっちがどれだけ我慢してると思っているのかしら。
つまるところ――大切なお小遣いをはたいてまで、水の秘薬を遣って傷を治してやったのは――ただの腹いせの八つ当たりだ。
私はそれを自覚して、それでもなお、彼を責めるのを止めなかった。
だいたい平民のくせに貴族相手に喧嘩売るなんて、主人の迷惑も考えなさいよね。私、そういう自分勝手なヤツ大嫌い。あんたの上司や同僚にだって咎が行くかもしれないのよ? それ全部私にフォローさせるつもり?
「――って、あんた、なに笑ってんのよ?」
「いや、ありがとな」
「……わけがわかんないんだけど」
私はなんだかイラっとする少年の顔をベシとはたいて、その部屋を出た。
***
「へぇ、ツェルプストーが?」
「お、おう。どうしたらいいかな?」
私は使い魔の給仕で午後のお茶をしていた。あの一件以来、また馬鹿なことをしでかさないように、時々顔を見るようにしているのだ。
そして相談事。なんでも隣の部屋のクラスメート、ツェルプストーから誘惑をうけたらしい。決闘の時の姿に惚れたとか。
――ほんとうに情熱的な娘ね。
素直にすごいと思う。真似するつもりも、できるわけもないけど。
「良いんじゃない。あの娘の家は裕福だし、縁ができるのは悪いことじゃないわ」
「えーっと、でもさ――」
それにゲルマニア貴族は、相手が平民だろうとあまり気にしない。なにせ金さえあれば平民だって爵位を手に入れられる国だ。その辺りのことを、世間常識に疎い使い魔に説明してやる。
「だから、がんばんなさい」
「……はい、」
激励してやったのに、なぜか項垂れて去っていく使い魔。
――もしかして、プレッシャーに弱いのかしら……?
結局、何やらあって、虚無の曜日に買い物に出掛けることになったようだ。
「ルイズも行かないか?」
「結構よ」
虚無の曜日は貴重なひきこもりの時間だもの。それに人混みは苦手なのだ。……あ、そうだ。
「はい、お金。向こうが全部出すでしょうけど、さすがに文無しじゃ辛いでしょう」
「え、いや、でも」
気にしないでいいわよ、多少上乗せしたけど、元々あんたが働いて稼いだお金だし。
「残りは出世払いね」
「あ、ああ。ありがとう」
さて、虚無の曜日。私は机に向かって『わたしがかんがえた、いちばんらくなしにかた』ノートを埋めていた。
すると使い魔が意外に早い時間に、錆びたボロ剣を持って帰ってくる。武器屋で面白がっていたら貢がれた? へぇ、やるじゃない。
インテリジェンスソードね、確かに面白いかもしれないけど……
「もうすこしスパッと斬れそうな方が良いわね」
「――なんか、おっかねー娘っ子だな、おい」
「剣のくせに何言っているのよ」
とりあえずノートを仕舞って、お土産に買ってきたというパイで、ふたりと一本でお茶をした。
***
「土くれのフーケ?」
「ええ。あなた、あれだけの音がしたのに気づかなかったの?」
「ええっと――」
不審がる隣人に、私は昨晩の記憶をたどる。昨日はあんまり薬を使わなかったから、眠りは浅かったはずよね――そういえば、外が妙に騒がしかったような――
「い、意外に剛胆ね。寮の建物だってだいぶ揺れていたでしょう」
「そうなの?」
――それで倒壊していたら後腐れもなかったのに。
「巨大なゴーレムで、宝物庫をまるごと引っこ抜いていったのよ」
「乱暴な話ねぇ。――って、もしかして貴女、見ていたの?」
「ええ、」
最初の音がしたときに飛び出していったそうだ。ほんと、どうしてそんなに元気なの、アナタ。
しかもフーケ討伐に立候補したとか……私はほとんど畏敬の念を持って赤毛の少女を見つめた。もうここまで来ると同じ『人間』とは思えない。
まあ……胸とか見ても別の生物としか思えないけど……。
「それで、あなたの使い魔君を借りたいの。かまわないわよね? それとも、あなたも行く――」
「まさか。私はゼロのルイズよ?」
私は、私を表すのに一番適した名を口にする。すると彼女はなぜかきゅっと眉を寄せて、真剣な瞳で私を見つめた。
「ねえ、あなたの使い魔はドットとはいえメイジ相手に勝ったのよ」
「? ええ、そうね」
「そんな使い魔を喚んだあなたが、よ? ただのゼロだなんて私にはもう思えないわ。きっとあなたには才能がある、他の誰にもないすごい才能が、」
熱心な言葉の意図が掴めず、私は首を傾げた。才能がある? それがどうしたというのだろう。
「私は別にそんなことは望んでないわ」
私は笑って、勇敢な人達を見送った。
そして。
無事帰還した三人の報告を聞いた私は、思わず膝から砕けてしまった。
巨大ゴーレムの襲撃、秘書の裏切り、よくわかんないけど使い魔の活躍……。
――ああ、私ってなんて馬鹿なの! こんな明確な死亡フラグに気づかないなんて!!
「鬱だ、死のう……」
私は舞踏会の盛況から背を向けて、バルコニーの欄干にもたれかかってため息をつく。ハア。
――いっそのこともう此処から飛び降りようかしら。
でも、この高さじゃ足りないわ。
どれだけ鬱っていても、どこか冷静なままの頭が、そう判断した。
たとえ『事故』でも、死に損なうわけにはいかないのだ。まして下手を打って、死にたがっていることを誰かに気づかせるわけにはいかない。
私は瞼を閉じて誘惑を振り払う。脳裏に、私によく似た桃色髪の女性の顔が浮かぶ。
やっかいなしがらみだけが、私を踏みとどまらせていた。それさえも断ち切られてしまえば――
そのとき、背後から尋ねる声。
「どうしたんだよ? なんか悪いもんでも食べたのか?」
「別に。――ねえ、どうして給仕なの? 学院長は参加してよいと仰ってたんでしょ?」
私は使い魔の服装に目を留めて尋ねた。給仕服だ。正式な場なのでそれなりの質のものだが――少なくとも参加者のものではない。
「や、働いている方がなんか性に合ってるからさ」
「そうなの? 変な性分ね」
「そうか?」
「まあ、いいわ。――食事の用意をお願い。せっかくだからあんたも一緒に食べなさい」
「あ、うん」
私達は月明りの下、最期から何番目かの晩餐を取った。
*** しにたがりなるいずさん ***
翌日は二日酔いだった。
――うぅ、死ねない頭痛に意味はないのよ……。
頭を抱えながら唸っていると、使い魔が笑いながら熱いお茶を入れてくれた。
< 了 >
いろいろ行き詰っていたら出てきた、ネタ。
ヤンデル話。
テンプレって良いな……
文字修正だけ(211102)