花火が上がる。歓声が沸く。順調に盛り上がる、降臨祭の晩。
私のまわりでは、一足早い葬式が始まっている。
「………………」
「そんなに落ち込まなくても、」
「………………………………」
「あの……聞いてる?」
生きているうちから腐乱が始まってしまったらしい、はた迷惑な半屍体と化した私の傍で、お義理で参列してくれているギーシュは困惑しきりで呟く。
それでも隣に留まっているのは、私を周囲の客から隠すため、だ。それくらいサイトが去った後の私は「ひどい顔をしている」そうだ。
だから私もしっかりと顔を伏せて、そのおぞましいモノを皆に見せないように努めた。
「売り言葉に買い言葉で、ちょっと言い過ぎてしまっただけじゃないか。お互い頭を冷やせば、」
「………………………………………………」
「うーん、参ったねこれは」
そうぼやきながらも、私がまだ生きているかのように、彼は話しかける。
「君の言い分はそんなに間違っていなかったと思うよ。彼は貴族じゃないから、わからなかったみたいだけど。ここに来た以上、覚悟を決めないといけないのはたしかだし――」
椅子の上で膝を抱えた私は――生半な慰めに生き埋めにされている気分で――顔を伏せたまま、ぽつぽつと言葉を返す。
「……覚悟だなんて……私が無理やり引っ張り込んだのに……」
「無理やり?」
「そうよ、無理やり……勝手にあっちへこっちへ連れ回して……イヤだなんて言わせなかった……ううん、訊きもしなかった……」
「そうなのかい? でも本気でイヤなら、あいつが従うかなぁ?」
薄目で伺うと、ギーシュは手持ち無沙汰に薔薇の杖を回している。
「もうすこしサイトの言い分を聞いてみたらどうだい?」
「……もう聞いた……死にたくないって、言ってた……」
「いや、それこそ売り言葉に買い言葉で――」
「……私も……死なせたくない……だから早く……解放しないといけないと思ったのに……」
「解放?」
「……帰してあげないといけないって……思ったのに……」
私はぎゅっと膝を抱いて、さらに小さく背中を丸める。もっと小さくなりたい。この世のどこにも場所を取らないでいいように――。
「ちょっと待ってくれよ、ルイズ。まさか君、サイトを本気で帰すつもりだったのかい? どうして?」
「どうしてって……聞いていたでしょ? サイトは死にたくないのよ。だったら、こんなところにいちゃだめだわ……だから早く、ここから帰してあげないと……」
言ってから、再び、後悔と自己嫌悪の沼にずぶずぶと身を沈める。
「……図々しいわよね、いまさら……そんなことで赦してほしいなんて……でも、これ以外に思いつかなかったの……」
サイトの怒りはもっともだと思う。
勝手に連れてきたあげく、間違いだったから帰してあげる、だなんて。身勝手過ぎる。それに……そうだわ、私、ちゃんと謝りもしなかった。……最低。
無意識のうちに、テーブルの上を探る。でも、この喉を掻き切ってくれるナイフが見つからない。
――これで、いけるかしら……。
木製のスプーンを片手に鬱々と思案する私に、戸惑いきった声でギーシュが呼びかける。
「えーっと、ルイズ。ちょっと、いいかな?」
「…………なに?」
「僕はさっき君が、サイトに向かって『いらない』と言ったと思ったんだが――」
「え?」
「『役に立たない、やる気のない使い魔にはもう傍にいてほしくない』と言っているように聞こえたんだけど…………違った?」
「……は?」
――なに言ってんのこのひと。
と思わず顔をあげると、ギーシュと目が合った。ごく真面目に、心底から戸惑ったその表情に、私はぽかんと口を開けて――――――――――、
(「帰りなさい」「もう十分よ」「ただの荷物」「もう」「戦わないでいい」)
ザッ、と音を立てて血の気が引くのを聞いた。
「ち、ちちち違うわよっ!!」
跳び上がる。ガタンッと椅子が後ろに倒れた。
「そそそんなこと言ってないっ!! そんなこと言うわけないじゃないっ!!」
とんでもないことを言う彼に詰め寄り、その襟首を掴んだ。
「あわわわっ、わ、わかったっ。わかったよ! 誤解、僕の誤解だっ――」
ぐえ、と声を立てるギーシュ。
「ま、まさか、サイトもそう思ったの? だから、あんなに怒ったの!?」
「んーーー!? んんーーっ!?」
「そんな、でもっ」
――そんなつもりじゃなかったのに! これじゃあ、怒って当然じゃない!!
戦争へ連れてきて、任務に無理やり参加させて、それに反抗したから「もう帰っていい」? 自分に従わないから、「いらない」?
そんなの、彼が道具扱いされたと思って、当然だ。
私は、自分がようやく誤解されていたことを理解した。あのときサイトが私を怒った理由を理解した。そして、“自分が決定的に嫌われた”ことも理解した。
もう元には戻せない。
「そんな…………」
急速に無力感に襲われ、膝を床につく。
「けほっげほっ……なんで僕はいつもこんな役回りなんだ……――――ルイズ?」
ギーシュが、すがりついた私の手をそっと外した。
「大丈夫?」
「大丈夫……な、わけ……ない……」
震えた声で呟く。事実、情けないくらい私は混乱していた。
――どうしたら、いいの……?
まるで、閉じた部屋の中にいるのに気づかず、何度も壁や窓にぶつかる鳥みたいだ。右往左往しては追突して、墜落して、じたばたと床の上を滑稽にもがく。
そこから抜け出す方法をだれかに教えてもらったはずなのに、思い出せない。いくら考えても、わからない。思考は行き詰まり、行き止まり、どこにもいけなくって――、
「まあまあ、そんなに思いつめることないって」
与えられたのは唯一、ギーシュのお気楽そうな言葉だけだった。
「とりあえず、原因がわかったんだ。もう一度、サイトときちんと話をしてみたらいいじゃないか。今度は君が思っていることを全部、ちゃんと言葉にして――」
「無理よ」
――話なんて、もう聞いてくれないに決まっている。
「それでも、なるべく早く仲直りをした方がいいだろ?」
「無理よ」
――きっと、会うことだってできない。
汚れた床を見つめたまま繰り返す。硬直した屍みたいに凍りついて動かない。そんな私に、それでもギーシュは辛抱強く語りかけた。穏やかに、まるでひどく年上のような態度で。
「ねえ、ルイズ。これは君達の友人として忠告するんだよ」
*** しにたがりなるいずさん 7の3 ***
「ぷっはぁーっ。おおっ、シャバだ! シャバの空気だ! うんめぇー!!」
「……ルフ」
「なんでも聴こえる、なんでも喋れる。ああ、これぞ自由。ステキ――」
「デルフリンガー」
「げっ、娘っ子!? な、なんだ。まさかまだ俺様から自由を奪う気か――……って感じでもなさそうだな。どうしたよ? なまっちろい顔をして…………ん?それは雪かい?」
「お願いがあるの」
「雪見の誘いなら喜んでつきあうぜ?」
「もし……たぶん、ないと思うけど……でも、もし……」
「……なんだい?」
「あのね。サイトが戻ってきたら、ここで待っていてくれるよう伝えてほしいの」
「相棒が? 何かあったのか?」
「お願い。私はもう行かないといけないから――」
「おい、娘っ子!?」
外はまだ雪が降っていた。先ほどは白い花びらのようだと思ったけれど、今はただの冷たい灰にしか見えない。暗色の雲が支配する空から降り積もるそれに、道も屋根もうっすらと覆われて――。
銀世界? 今の私にはただ邪魔なだけだ。
目や頬については解ける水滴を袖口でぬぐいながら、私は視線を走らせる。道向かいにそれを見つけて、駆け出した。ぬかるんだ足元が泥はねを作る。でもまだ足を取るほどじゃない。
「ルネ!!」
「うわっ――と、どうしたんだい、その格好は?」
「サイトを見なかった?」
「いや、見てないよ。どうして――ああ、そういや君らまた喧嘩したんだって?」
「見かけたら教えて。お願いよ!」
「オーケー、いいよ。それより、そんな格好で寒くないの?」
ルネ・フォンクの間延びした声を背中に聞きながら、私は次の通りに向かって走り出す。顔に当たる雪を振り払いながら、大通りと妖精亭と宿の間をぐるぐると廻る。
心当たりなんて呼べるところはそれくらいしかなかった。
でも、どこにもサイトの姿はない。どこへ行ってしまったのだろう? わからないまま、でも、もうこれ以上時間を無駄に潰してしまうわけにもいかなくて、雪の都をぐるぐると駆け続ける。
「だーかーらー、何度来ても一緒だよ。戻ってくるとしても、明日だって」
「ええ、わかったわ、ジェシカ。だから、戻ってきたら教えてね」
「ほんとにわかってる?」
「ええ。ごめんなさい――」
慌しく言葉を交わし、四度、妖精亭から出て行こうとしたときだった。
背後から、がしっと力強い手に掴まれた。
――サイト!?
と振り向いた先には、真っ赤な口紅をつけてマジメな顔のスカロン店長。
「いい加減になさい、ルイズちゃん。そんな格好でこれ以上外を走り回るなんて、このミ・マドモワゼルが許さな――って、こら! 止まりなさい!」
「離して――私、行かなきゃ――」
けれど、たくましい腕は問答無用で私を引き止めた。
「もう! こんなことをして病気にでもなったらどうするの? これ以上サイト君を心配させたいのかしら?」
「でも、でもでもでも――」
「『でも』じゃないわ。いいから、すこし落ち着きなさいな。サイト君ならこの私が後でちゃんと帰らせるから――」
「ちょっと、お父さん」
抗議の声をあげる娘を、店長は視線だけで黙らせていた。腕を取られて動けない私はなすすべもなく、前髪からしたたる雫が床を濡らすのを見つめていた。
――もう行かないといけないのに……。
焦る私を無視して、父娘は話を決めてしまう。
「ジェシカ。ルイズちゃんに着替えを貸してあげなさい」
「はぁい」
止める間もなく、ぱたぱたと裏へ駆けて行くジェシカ。私はといえば、抵抗むなしく控え室のストーブのそばへ連行された。元同僚達に素早く着ぐるみはがされ、タオルを被せられる。
「まあまあ、こんなに凍えちゃって。凍傷になっていないといいけど――」
「もう、無茶しちゃだめだよぉ、ルイズちゃん」
小言を浴びながら、ごしごしと乱暴に髪を拭かれる。
その後、届いたのはいつものキャミソールに、独特の形をした兎毛の帽子と揃いのミトン、それに肩掛けのセットだった。純白色で揃えられたその衣装は、ジェシカの髪色によく映えそうで、特注品だと一目で分かる。
「……借りられないわ。私は毛布があれば十分だから、」
「いいから! これが一番あったかいの! ほら、ぐずぐずしないでさっさと着る!!」
「は、はいっ」
フロアリーダーそのものの口調に気圧され、私は思わずそれを受け取った。そそくさと身につける。最後にかぶった帽子はすこし大きめで、自然と目深になって私の顔を隠した。それが今の気分にはありがたい。
「ほら、これも飲んで。あったまるよ」
うつむく私の視界に、さらに厚手のカップが差し出された。中にはあたたかい湯気を立てた、紅い液体。フルーツとハーブを入れて作った特製ホットワイン、だそうだ。
「これを飲むと絶対に風邪ひかないんですって」
「大丈夫だよ。アルコールはほとんど飛んでるから」
言い添える彼女達の気遣いに押されて、ミトンの両手で慎重にそれを受け取った。一口含めば、先程のスープよりもさらに深く体に染みこんでいく。
そうして、だんだんと自分が生きていることを思い出した私は、ようやく自分の間違いも認めるようになった。
――……みんなの言うとおりだわ。
こんな使えない体で走り回ったところで、サイトを見つけるより前に、息の根が止まってしまうのが関の山だ。それならまだ、サイトがやってくる可能性の高いこの店でじっと待っている方がいい。
それが道理。でも……それでも、焦る心をなだめるのは難しくて、ぎゅっとカップを強く抱きしめる。
「すこしは落ち着いたー?」
「ジェシカ。……ごめんなさい、迷惑をかけて」
「はいはい。言っておくけど、あたしはルイズの味方じゃないからね!」
言いながら、ひょいと隣の椅子に腰を下ろし、細い足を組む。
「だから、これはただの元同僚に対する親切なの。わかる?」
「ええ。ありがとう。本当にごめんなさい」
「……もう、なんか調子が狂うな」
そんな呟きを聞きながら、私は彼女とは対照的に膝を抱えた。先程と同じように、椅子の上に身を丸め、小さくなる。妖精亭デザインの帽子はてっぺんの両端が極端に尖っていて、猫の耳のようだ。だから遠目には、大きな白猫がうずくまっているように見えるかも。
――さっきは半屍体だったことを考えれば、まだマシかしら……?
急ぐ気持ちを抑えるためにどうでもいいことを考えながら、ちびちびとワインを飲み、体温と体力が戻るのを待つ。ぱちぱち、とストーブの火がはぜる音を聞く。
「それで――」
不意に隣のジェシカが言った。
「やっぱり、とられて惜しくなっちゃったの?」
「……え?」
「急に必死になるもんだから、正直びっくりしてるんだよねー」
からかう口ぶりに、私はよくわからないまま、答えた。
「私はただ……サイトに謝りたいと思って。ひどいことをしてしまったから、」
言うならば“嫌われたままでいたくない”。ただそれだけの自分本位だ。それをジェシカはどう受け取ったのか、へー、と頷いて、さらに不思議なことを言う。
「『お姫様』っているんだねー」
「陛下がどうかしたの?」
「…………というより、お子様か」
問いは無視して、ジェシカは手を伸ばし、猫の仔と遊ぶように私の帽子の『耳』をつまむ。……わけわかんない。
でも、不思議と嫌な感じはしなかった。
「しょーがないな。応援もしないけど、邪魔もしないであげる」
「えっと……ありがとう?」
「どーいたしまして」
にししと笑う彼女は、どこかキュルケに似ている。
「それにしても、どうしてあいつなのかなー? ふたりには悪いけど、あたしにはそれがいっちばん謎だわ」
からからと明るく言う。その言動こそ謎だと内心首を傾げていた私は――段々と自分の視界が狭まっていくことに気づかなかった。
***
どうしてももう一度、サイトに会いたかった。それもなるだけ早く。だってギーシュに言われたから。仲直りは早い方がいいって。
あのとき彼は穏やかに、けれど断固たる口調で、臆病な私を打ち破った。
(「こんな馬鹿げた誤解で君達が喧嘩別れするなんて、あっちゃあいけないよ。だから、早く仲直りをしたまえ。それもできるだけ早くね。なぜって……ここはもうすぐまた戦場になるんだから、」)
そのとおりだった。もう時間はない。
だから、早く謝らなくちゃ。誤解されたままで終わらせないために。ちゃんとありがとうと伝えて。せめて最後くらいは仲直りをして。嫌われたまま終わるのだけはイヤだから。
それだけは、どうしてもイヤだから。
――だから、早く探しに行かなくちゃ。
強く心に決めた瞬間、ふっと目が覚めた。……いけない、寝てしまったの?
瞬きの間に思う――ひさしぶりのワインが効いたのかしら(ずいぶん弱くなってるわね。)……でも、もう動けるわ。
「……かなきゃ」
むくっと体を起こしかけたそのとき、
ゴン!
と『なにか』にぶつかって私はベッドに押し戻された。
――い、いたぁ……。
文字通り出鼻をくじかれ、私は呆然と額に手を当てた。(つけっぱなしだったらしい、ミトンが触れる。)なにが起きたのか――寝起きの鈍い頭で悩んでいると、不意に聞こえるはずのない声がした。
「ってぇ……」
傍らでサイトが鼻をおさえて唸っていた。跳び上がるほど、びっくりした。
「ど、どどどうして……っ!?」
「あ」
顔をあげた彼と、ばっちり目が合う。驚きに固まる私。きょときょとと視線をさまよわせる彼。
「あ、あ、あのですね……これは……」
――ほんとうに、サイト、なの……?
「ま、また寝込みをどうこうしたわけじゃなくって……た、ただちょっと猫耳がーじゃなくて! えっと――」
「…………」
信じられない、夢じゃないかしら――とそんな思いでいっぱいで、正直、ほとんどなにも聞こえないまま、私は無意識に手をのばしていた。
と、突然、サイトは“ずささっ”と不思議な動きで後ろへ退き、
「す、すんませんでしたーーっ!!」
「なっ、なななんで謝るのっ!?」
わけがわからない。はっと我に返れば、そこは宿屋の一室だった。いつのまにか部屋に戻っているし。サイトはいるし。でもなんか扉に張りついているし。
とりあえず、このまま逃げるつもりなんじゃ――と気がついた私は、慌てて声をあげた。
「待って!」
毛布をひきはがして、追いすがる。けれど寝起きの手足はとんでもなく役立たずで、私はまともに立ち上がることもできずに、ベッドから転がり落ちてしまった。
「ふぎゃんっ!」
無様な悲鳴とともに、肘と膝をしたたかに打つ。ジーンと痺れる痛みに、床の上で声もなく身もだえする。……い、痛……は、はずかし……。
でもそのどんくささのおかげで、サイトは戻ってくれた。
「お、おい……大丈夫か?」
素に戻った声と、差し延べられる手。私は、とっさにそれに飛びつく。
「サイト!!」
なにも考えないその行動が結果としては最良だった。
「おわっ!?」
両腕で彼の腕を捕まえる。手袋のせいできちんと掴めないから、代わりに胸元に抱え込むようにして。ぎゅっと抱き寄せる。
「行かないで! 話があるの!!」
「ル、ルイズ!? ちょっ――」
「お願いっ! どこにも行かないで!!」
動揺するサイトを見上げながら、私は必死に訴えた。
「あなたに言わなきゃいけないことがあるの。だからお願いっ。すこしだけでいいから、ここにいて!」
一生懸命、誠心誠意訴えた――つもりだった。なのに、
「いやぁっ、あのっ、そのですね――」
困り果てた顔で、サイトは視線を逸らすばかり。いまだに痛むのか左手で鼻をおさえたまま、腕の中の右手は所在なさげに“もぞもぞ”と動かしている。その態度に、私はますます焦って腕の力を強めた。
「お願い。お願いだから! どこにも行かないで! ちゃんと話がしたいの!」
「ああっ!? わ、わわわかった! わかったから! 腕があた――――いや? あたってない? あれ? いや、でも、」
「……サイト?」
「え。あ。…………な、なんでもないです、ハイ」
――なぜ、かしこまる?
その挙動不審っぷりに、おおいに戸惑う。もっとも、さっきの口論のときみたいな不安になったわけじゃなくて……変な話だけど、私はすこし懐かしかった。
――どうしてかしら……? なんだか、とってもサイトらしい感じがするわ……。
いや、そんなことに安心するのもおかしいんだけど。
「と、とりあえず、腕は離してくれないか?」
「どこにも行かない?」
「う――うん」
ちょっと信用できなかったけれど、これ以上嫌われたくもないので、しぶしぶ腕を体から離した。代わりにその袖口を(手袋のせいできちんと掴めなかったので)両手でぽふと挟む。……これくらいならいいわよね?
いつまでも見上げるのはツライので座ってほしいと言うと、なぜかサイトはベッドの上に正座する。
「サイト……?」
「は、はい!」
――なんで名前を呼ぶだけで怯えるのかしら……?
と思って見つめていれば、だんだんと頬を赤らめて、もじもじし出したりなんかして……ほんと、わけわかんない……。
挙動不審がおさまらない彼に、一度は安心した私もなんとも言えない気分になった。
かける言葉に迷い、なんとなく視線を逸らす。代わりに部屋の中を観察する。いつのまにか戻っていた宿の部屋は、暖炉の熾火ですこしあたたかい。何時くらいなんだろう? 私達以外にひとの気配はない。――あれ? じゃあ、もしかしてサイトがここまで運んでくれたのかしら?
そうだったらいいのに、と思いながら尋ねると、彼はあっさりと頷いた。
「よく寝ているから寝かせといた方がいいって言ったんだけど――」
きっと店長が無理やり連れ帰させたのだろう。でも、うれしかった。ところが、サイトは「ありがとう」の一言さえ素直に受け取ってくれない。
「いや、俺はなにもして……う、うん、ナニモシテナイんで……」
落ち着かないその様子に、私は次第に先程の懐かしさは錯覚だったのだと思うようになった。だんだんとうなだれる頭の動きに合わせて、帽子についた三角耳も垂れていく。
「ねえ、サイト……やっぱり……私のことが怖い?」
「え? へ?」
「……前にも言ってたわよね、怖くてたまらないって。でも、信じられないかもしれないけど……私、サイトのことを傷つけたかったわけじゃないの。そんなこと、一度も考えてなかったのよ」
言って、舌を噛みたくなった。こんなことをくどくどと告げて、自分の無恥をさらして、それでなにが赦されるっていうのかしら……なんて毎度の自己嫌悪を、サイトが止める。
「んなの、わかってるよ! お前、怖いって、そんな風に思っていたのか……!?」
「…………ちがうの?」
「違うって! 俺があのとき言ったのは! 俺が怖いのは――」
勢い込んでいたサイトは、不意にそこで一度言葉を切った。その一瞬の沈黙にまで、不安になる私。でも、
「ごめん!」
突然勢いよく、サイトは頭を下げた。勢いよく、潔く。――私が右手を掴んでいるせいでちょっと不恰好だったけれど、そこにはもうひとつのサイトらしさがあった。
「さっきは一方的に怒鳴って悪かった! 俺もルイズに話があって、戻ってきたんだ。ちゃんと話がしたくて」
「話……?」
「うん。ずっと俺、それをさぼっていたから」
顔を上げた彼は、打って変わって静かで、まっすぐな目をしていた。その視線に圧されて、思わず頷く。
「あの後、頭を冷やしてもらって色々と考えたんだ。なあ、ひとつ教えてくれないか?」
ゆっくりと言葉を選びながら、彼は尋ねた。
「さっき、どうして俺に『帰れ』って言ったんだ?」
真摯な声だった。その態度と視線に、引きずられるように私の心も静かになった。小賢しい悩みを忘れて、ありのままの答えを探す。
――使い魔を守るのは主人の義務だから?
――自分の身勝手な行為を償いたいから?
――サイトに嫌われるのが嫌だったから?
そんな理由も確かに在ったけれど、どれも“違う”と思った。
「あのね、こんなところに連れてきて、いまさらだって思うでしょうけど……」
まっすぐに私を映す彼の目を、私もこんな風にありたいと見つめながら、答える。
「私はサイトに死んでほしくないの」
その答えに、サイトはすこし哀しそうな顔で笑った。そして。
「――俺も同じだ」
――え?
瞬く私に、彼はゆっくりと繰り返す。
「同じなんだ。俺もルイズに死んでほしくない」
まっすぐに、言葉をつむぐ。
「だから、怖かった。このままここにいたら、お前が死んじまうんじゃないかって、怖くてたまらなかった」
***
「最初は俺もわかってなかったんだ。ここに来たのも、ルイズがあんなに熱心に頑張っているんだから、俺も手伝ってやりたいって。それくらいしか考えてなかった。
いや、本当のことを言うとさ、お前の家族や周りの連中を見返してやりたかったんだ。ここで手柄を挙げて、お前のこと認めさせて、そうしたら、お前の中のその変なコンプレックスも消えるんじゃないかって、思ってた。
でも、最初の作戦で中隊のみんながやられていくの見て……ようやく気がついたよ。そんなもんじゃない、これは戦争なんだって。
……ほんと、馬鹿だよな」
淡々と呟く。相槌さえ打てずに固まっている私に気づいているのか、いないのか。サイトは話し続ける。
「あの後、お前まで気を失っちまって、もう目を覚まさないんじゃないかと思って、あんときは本当に怖かった。ひとりきりで空を飛んでいて、どこに帰ればいいのかもわからなくなりそうだった。
なのに、必死で帰ってきたら、お前は任務を果たして死ぬのを『名誉の戦死』だなんて言うし。生きて戻ってくるのをまるで悪いことみたいに消そうとするし。メシもちゃんと食べないで、軍人連中の言うことばっか聞いて。お前がすげーへばっているのにも気づかないような連中なのに。そんなヤツラの言いなりになって。どんどん顔色は悪くなって、無理ばっかして――」
ぎゅっと眉を寄せ、拳を握りこむ。
「なんでそんなに投げやりなんだって思って、ムカついた。任務が何だ、名誉が何だ、そんなもののために、俺のいちばん大切なものを粗末にすんのかよって――」
そこで一度、サイトは感情的になった自身をなだめるように言葉を止めた。おかげで、ようやく口を挟むことができる。
「待って……。サイトのいちばん大切なものって……?」
思いもよらない話に混乱する頭で、ひとつだけ思いついた質問だった。けれど、返ってきた答えは、もっと思いもよらないもので。
「お前だよ」
私は思わず尋ね返していた。
「……どういうこと?」
「どうって、それは……その、身勝手かもしれないけど……」
サイトはなぜか、しょんぼりと背中を丸める。
「俺はこんなにルイズが好きで、なによりも大切に思っているのに、当のお前が自分のことをどうでもいいものみたいに扱ってるのが、本当に嫌だったんだよ……」
――え?
「……なのに、俺はそれを止めることもできないし……」
固まった私に気づかず、サイトは話し続ける。
「そんな自分が情けなくって、しんどくって、落ち込んで……それで、お前にまで当たり散らしちゃって……ほんと情けないよな……」
それでもまた、背筋を伸ばす。真摯に、言葉をつむぐ。
「でも、本当は俺も知ってたんだ。ルイズもそうだったんだよな。国を守りたい、役に立ちたいって真剣に思っていて――貴族としての義務を本気で大切に考えていて――」
真摯に、誠実に。でも、もう耳に入らない。入れてなんていられない。
「ま、ままま待って!」
その腕を引っ張って無理やり注意を引く。
「ん?」
「…………好き? 私のことが?」
「へ?」
きょとんと私を見返したサイトは、やがて、こくんと子供じみた仕草で頷いた。
「うん」
――……って、あんた………………『うん』って…………………………………………………………………………え?
呆然としていたら、サイトの顔もひきつり始めた。すこし青ざめる。
「あ、あれ? そこ?……もしかして、気づいていなかった? ぜんぜん?」
私は先程と同じ真剣さで頷いた。
「うん」
「『うん』って……そ、そうか……」
サイトはなんでもない風に頷いたけれど、全然隠せていない。その様子に、私はなんだか急いで言い訳をしないといけないような気分になった。
「だだだって! あなた、一度もそんなこと言わなかったじゃない!」
「い、言わなくたって、感じないか……?」
「な、なによそれ! そんなのわかんないわよ!」
悪い癖が出て、思わず居直ってしまう。けれど言い返してくるかと思ったサイトは、
「そんなに俺って……男として……アリエナイ……かな…………」
がっくりと肩を落としていた。
――なんでそうなるの!?
しょんぼりと背中を丸める彼に、あわてて首を振る。ぶんぶんと掴んだままのサイトの右手を振り回す。
「そ、そそそそういう意味じゃないわよ! ちょ、ちょっとびっくりしただけでっ! だだだだだから、そそそその――」
声の震えが止まらない。急にものすごく恥ずかしくなって、私も顔を伏せた。
「……わからなかったのよ。ほんとうにただ、その……わかんなかったんだもん……」
なにを言ったらいいのかわからず、とりあえずの逃げでいじけてみせたら、
「あ! そ、そうだよな。そのっ、ごめん!」
謝られてしまった……。ますます、いたたまれない気分。
「謝んないでよ。あなたは悪くないわよ」
「いや、ほんとごめん。ちゃんと言えなかった俺が悪いんだ」
「……を見習わなきゃな、」となにやら小さく呟いたサイトは、またあの目を私に向ける。ただそれだけで心臓が、ズキ、と小さく痛んだ。
「改めて言ってもいいか?」
変な確認。ちょっと間が抜けている。でも、今の私には小さく頷くのが精一杯だった。
「……う、うん」
なんだか、サイトに見られていると、呼吸のしかたを忘れてしまうみたい。絞め殺されるような息苦しさに小さく震える。苦しい。けど、“この苦しいのをもっと感じていたい”……なんて。
馬鹿みたいに惚けていた私は、とうのサイトに叩き斬られた。
「俺はルイズが好きだ。いちばん大切だと思っているし、失いたくない。だから――」
「俺は絶対に帰らない」
目を見開く私に、サイトはどこまでも真摯に、一方的に告げた。
「心配してくれてありがとうな。でも、決めたよ。死ぬのは怖い。けど、ルイズを失うのも同じくらい怖い。だから、俺はここから離れない。お前になんと言われても、戦場に残ってお前を守る。そう決めた」
「……そんな……」
そのとき、まっさきに感じたのは『罪悪感』だった。そして、それはすぐさま強烈な焦燥と義務感に換わった。“説得しなきゃ”とそれは言う。
なんでこんなことを……。きっとなにか変な思い違いをしているんだわ。教えなきゃ、そんなのアリエナイって。馬鹿げてるって、気づかせなきゃ。
彼の葛藤も決意も無視して、私は思う。
だって、私は気づいていた。前提が違うことに、サイトは気づいていない。私が『死にたがり』だと、気づいていない。
その私を“守る”ために留まるだなんて、あまりにも馬鹿げていて、タチの悪い冗談だ。
――そうね、『冗談』だわ。間違っても真面目に受け取るようなことじゃない。
そう決めつけ、少しだけ楽になった私は、うっすら笑みさえ浮かべた。(早く、それをサイトにもわかってもらわなきゃ――)
「もう、なにをいきなり言い出すのよ、サイト。馬鹿なことを言わないで」
明るく、ことさら朗らかに放った声。けれど、どこか神経に障る。節々ににじみ出るのは隠しきれない本心――焦り、苛立ち、怖れ。
「そんなの理由になるわけがないでしょう。そんなものが“いちばん大切”なわけが――」
ないわ、と歌うように言いかけて。サイトの表情に私は黙らされた。
「お前にとっては馬鹿でも、俺にとっては違う」
「サイト……」
傷つけられた感情を無理やり押し殺しながら、彼は言う。
「あのさ、同じなんだよ。お前が『名誉』をいちばん大切なものだって思うように。お前が『名誉』を守るために戦うように。俺にはルイズがいちばん大切で、だから、お前を守るために戦うんだ」
私はうつむき、奥歯を噛みしめる。そうでもしないと、なにかが溢れてしまいそうだった。
「ちがう、ちがうわよ。『名誉』とか、そんなのどうでもいい、私はそんなものが大切なわけじゃないの」
「……『名誉』じゃないのか?」
うつむく私を彼は覗き込む。
「じゃあ……ルイズのいちばん大切なものは何なんだ?」
「それは、」
言葉に詰まる。私の、いちばん大切なもの……?
――どうして、そんなひどいことを訊くのよ……?
ふと見れば、私はまだサイトの右腕を捕まえていた。急に怖くなってそれを離す。あわてて、この身を遠ざける。(さわっちゃダメ)
なのに、サイトは無分別にも手をのばして、この肩を掴んでしまった。
「なあ、ルイズ。もしルイズの大切なものが『名誉』じゃないなら、それなら、お前のほんとうに大切なものを俺に教えてくれよ。そうしたら俺、それも一緒に大事にするから」
あいかわらず真摯で真剣で、強引で身勝手だった。
――なにを言っているのよ。
なにも知らないくせに、と顔をしかめる。それがまるで泣くのをこらえているようで。
身を縮めれば、サイトはさらににじり寄ってくる。私はいつのまにか、枕元まで追い詰められていた。イヤイヤと駄々をこねるように身をよじれば、彼の両腕が包み込むように逃げ道をふさぐ。
その胸元に掌をあてて押し返そうとするけれど、びくともしない。
「離して」
と命令するために顔を上げる私。けれど、
――あれ……?
途中で固まってしまった。
――なんか、顔がすごく近い……。
睫毛の先が触れそうな距離に、サイトがいた。ドクン、と痛いほど大きく心臓が跳ねた。
――ちょっちょちょちょっとっ? これ、近すぎるんじゃない……っ!?
胸の内で上げた声は悲鳴じみていた。急に頬が熱くなる。
「サ、サササイト……」
あわあわと慌てる私。なのに、サイトは気づかない。まっすぐな目のまま、目の前のことだけに集中して……もしかして、本当に他にはなにも見えてないんじゃない?
けれどそんな雑念も、耳元で名前を囁くように呼ばれて、一瞬で霧散した。
「ルイズ」
全身の熱が一気に上昇して、ぼっと音を立てる。熱だけじゃない。厚手の手袋越しにサイトの鼓動を感じて、私の中でも、ドッドッド、とへんな音が響きだしていた。
――あ、あれ? どうしよう、これ……。
急に熱が上がりすぎて、変になっちゃったみたい。頭の中がぐるぐるする。なんで、こんなことになってんのかしら、私……? うまく考えられない。……ええっと……考えないといけないことがあるのに……なんで、こんな、ええっと……。
熱くてぼわっとする頭と勝手にどきどきする心臓を、私は完全にもてあましていた。状況を整理しようとしても、まるでうまくいかない。胸が痛いほどに激しく脈打って――、
――と、とととにかく、離れなきゃ……。
そう決心して、両手に力をこめる。離れないと――(そうよ“サワッテハイケナイ”)――早く手を離さないと。
そう思うのに、うまくできない。だって……それよりももっと……“もっとそばで感じていたい”だなんて思ってしまうから…………。
「……」
(すこしだけわかった気がした。)
「なあ、何か言ってくれよ、ルイズ」
「……さい、と」
必死に絞り出した声は、かすれていた。身を縮こめたまま、私は彼の胸元にふたつの掌を押しつける。
「ルイズ?」
「おねがい……はなれて……」
「あ」
サイトがぴたと固まった。熱にうるんだ私の瞳にはもう、その表情まではわからないけれど、彼ののどがゴクと小さく音を立て、肩を掴んでいた手が1サントだけ、浮き上がるのがわかる。
「あの、おれ――」
「おねがい……サイトが、そばにいると……むねがドキドキして、なにも考えられなくなるの……だから、おねがい……すこしだけ、はなれて……」
「あ、あうぇ……?」
「ちゃんと考えたいの……私の、いちばん大切なもの……」
サイトは黙って、ゆっくりと身を離してくれた。熱くて重かったその体が離れ、私はぽっかりとしたさみしさを覚える。
その矛盾を、心に留める。
「ありがとう」
意識的に呼吸をしながら言うと、サイトはふるふると首を振った。
「いや、こっちこそ……。ありがとうな。答え、待ってるから。聞かせてくれるか?」
「うん」
私が約束すると、サイトはそろそろと寝台を下り始めた。そしてそのまま、ずりずりと後ろ向きに動きながら、慎重に遠ざかる。どうしたのかしら? と訝しがっているうちに、その背中がぴたりとドアに張りついた。
――……行っちゃうの?
哀しく思っていると、サイトが告げた。キリッと真面目な表情で。
「ちょっとボクはこれからオモテで頭を冷やしてきたいと思います」
「…………はい?」
「なので、ルイズさんはきちんと休んでいてください」
なんなのその(キモい)口調――とツッコむ間もなく、彼はがちこちと、魔力のきれかかったガーゴイルみたいな動きで、踵を返した。
そして、自分の開けたドアに、ガン!と顔面からぶちあたる。
「だ、大丈夫!?」
「な、なんでもないっ!」
そうは言うけれど、また鼻をぶつけたみたいで片手で押さえている。首の後ろは真っ赤だ。鼻血でも出たんじゃないかしら……。
けれどそう心配する私をサイトは頑なに振り払い、そのままばたばたと飛び出して行ってしまった。それはもう、雪の中に頭からつっこむような勢いで――。
――なんで?
答えはもちろんなく、私はそれを見送るしかできなかった。
そして、沈黙。
一転して痛いほどに静かになった部屋の中、私は先程の姿勢のまま、サイトが出て行ったドアを眺めていた。ちゃんと閉めていかないから、すきま風が火照った頬にあたる。
「あーあ、結局逃げ出しちまいやがって。相棒はほんとヘタレだねぇ……」
ぼうっとしたまま、いつまでも動かない私に、同じく置き去りの剣が笑いを含んだ声で言った。
「……デルフリンガー」
「でも、なかなか頑張ったんじゃねーか、相棒のわりにはさ。娘っ子もこれで少しはわかっただろ?」
「…………」
「どうしたい?」
「デルフ……。どうしよう、私……」
「さて……俺様にはなんとも言えないがね。もう答えは出ているんじゃないかい?」
知ったような口ぶりの剣を、私はか細い声で否定した。
「ちがうわよ、そういうことじゃなくて……」
「うん?」
私は唇を噛み、ぎゅっとミトンの中の手を握りしめ、告げた。
「腰が抜けて、立てないの」
直後、狭い部屋の中いっぱいにデルフリンガーの馬鹿笑いが響きわたった。
***つづく***
(初投稿:230306)
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いつもご感想ありがとうございます。また、毎度更新が遅くてすみません。
一応次話で一区切りをつける予定で、その後には番外編をひとつ書くつもりです。
よろしければまたお付き合いください。