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No.11047の一覧
[0] 【ネタ】しにたがりなるいずさん 第一部完+番外編 (ゼロ魔)[あぶく](2011/05/23 00:59)
[1] しにたがりなるいずさん 2[あぶく](2010/04/25 20:18)
[2] しにたがりなるいずさん 3[あぶく](2010/04/25 20:18)
[3] しにたがりなるいずさん 4[あぶく](2010/04/25 20:19)
[4] しにたがりなるいずさん 5 前[あぶく](2009/11/15 22:25)
[5] しにたがりなるいずさん 5 後[あぶく](2010/04/25 20:20)
[6] しにたがりなるいずさん 6 前[あぶく](2010/04/25 20:20)
[7] しにたがりなるいずさん 6 中[あぶく](2010/08/29 14:57)
[8] しにたがりなるいずさん 6 後[あぶく](2010/09/12 16:59)
[9] しにたがりなるいずさん 7の1[あぶく](2011/01/30 18:19)
[10] しにたがりなるいずさん 7の2[あぶく](2011/01/30 18:19)
[11] しにたがりなるいずさん 7の3[あぶく](2011/03/07 23:53)
[12] しにたがりなるいずさん 7の4[あぶく](2011/05/01 22:04)
[13] しにたがりなるいずさん 番外編[あぶく](2011/05/23 01:01)
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[11047] しにたがりなるいずさん 7の4
Name: あぶく◆0150983c ID:adac3412 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/05/01 22:04
 
 ずっと苦しかった。
 私はまるで水の中で孵ってしまった雛、或いは陸に投げ出された魚だった。
 呼吸するたびに感じる、耐え難い苦痛。
 此処に在ること、それ自体に対する、絶え間ない違和感。
 それらは、いつから私のすべてになったんだろう。
 苦痛と違和感。此処に在るべきでないという強い思い。その根底にあるもの。
 ほんとうに考えるべきことはそこにあった。けれどそれに思いを巡らすことなく、私はただ目の前の苦しさから逃れることばかり考えていた。
 それこそが最大の過ちだったのだと、気づいたときにはもう――――取り返しはつかない。






*** しにたがりなるいずさん 7の4 ***






 私達は一緒に歩いていた。いつものようにサイトが先導し、私ははぐれないように、その袖口に掴まっている。
 あたりは大勢の人間が立てる喧騒に包まれ、すぐ前を行くサイトの声もあまり聞こえない。もっとも、正直なところ、今はまだそれでいいと思う。
 ぬかるんだ足下に気をとられているふりをして、私は終始うつむき、黙々と足を動かしていた。
 動かしながら、考えていた。




 大切なもののこと。




 本音を言えば、私にとって大切なものは、ずっと、ちいねえさまだけだった。だいすきなちいねえさまへの思いだけが、私をこの生につなぎ留めていた。
 もし、その唯一の繋がりしがらみが絶たれたのなら、私は即座に願いを叶えていただろう。すべてに背を向けて。
 貴族としての体面、家名に対する義務――そんなものはただ、愛しい姉を裏切らないための、ちょっとした重石に過ぎない。いつかそのときが来るまでの、ちょっとした命綱だ。
 姉以外のものは、すべて等しく無価値。
 そのはずだった。

 なのに、いつのまにか変わってしまった。

 前を行くサイトの背中を見る。生まれてはじめて成功した魔法が連れてきた、私の使い魔。――そう、なにも望まなかったはずのあの日、あの召喚の儀にサイトが現れて……それからなにもかもが狂い出した。

 この、おっちょこちょいで頑固でお人好しな使い魔が、なにもかもを変えてしまった。

 その予想もできない言葉で、ふらふらと死に引き寄せられる私の気をそらし、その突拍子もない行動で、つかの間この目から憂鬱を払った。
 病んだ私を前にしても逃げ出さないで――私が抱く、彼には決して理解できない願望にも気づかないまま――ひたすら私のことを私自身から守り続けた。
 それは強引だったり、間抜けだったり、ときには呆れてしまうようなやり方だったけど……そんな彼なりのやり方で、サイトは私の世界を変えた。ときにあっさりと。ときに鮮やかに。
 どこにもいけなかった私を連れ出し、いっしょに空を飛び、知らない世界を教え――そうして彼に振り回されているうちに、出会いが生まれ、友人もできて――私も、ときにはなにかの役に立てることを知った。

 きっと今ここにいられるのも、姫様のお役に立つことができるのも、なにもかも、サイトのおかげだ。




「ルイズ?」

 視線に気づいたのか、サイトが振り向く。

「ちょっと疲れたな。すこし休憩しようか?」
「そうね」

 促されるまま、木陰に並んで腰を下ろす。ぼんやりと隣りのサイトに寄り添うようにしていると、胸の中から、とくとくとくと普段よりも速い心音が聴こえた。とくとくとくとくとくとく、と。
 それはなにかに似ている。

――なにかしら……?

 目を閉じて考える。けれどその答えを思いつくより早く、サイトは落ち着かない様子で立ち上がってしまった。

「俺、先の様子を見てくるよ。すぐ戻るから」
「……うん」

 そして足早に去っていく。
 ひとり残された私は所在なく、空を仰ぎ見た。冬の冴えきった青空。手をかざせば、はめたままの指輪に陽の光が反射する。




 その光に、姫様のことを思い出す。




 最後に会ったのは、ここへ発つ直前、王城へ挨拶に伺ったときだ。すこし青ざめた顔をした幼なじみに、私は、てっきり戦の準備に追われて疲れているのだと思った。けれど、別れ際に抱き寄せられ、勘違いに気がついた。
 わななく声で小さく「ゆるして」と囁いた彼女。
 その短い言葉にこめられていたのは、『おともだち』を戦争の道具にすることに対する深い慚愧と。それを口に出さずにいられない彼女の弱さ。

 全部わかっていて、それでも、私はそれに曖昧な言葉で応えることしかできなかった。赦しを乞うのは私の方だと、言うことはできなかった。

 ……たぶん私達はよく似ているのだと思う。その浅はかさや弱さまで全部。だから、お互いにお互いの過ちを突きつけ合うこともできない。
 上っ面だけのいびつな関係……なのかな。
 少なくとも外からはそう見えるんだろう。だから、サイトにさえ理解してもらえない。

 それでも、アンは私にとって『おともだち』だった。誰になんと思われていようと……大切な親友だった。

 だって、あの娘は私のたったひとりの幼なじみだから。幼い頃、家族以外で私を必要だと言ってくれた、たったひとりの『おともだち』。




 雲ひとつない晴れ渡った空を見上げる。この空の向こうに、姫様がいる。姫様が治める国がある。
 私の国がある。




 高すぎる空は、故郷を、生まれ育った公爵領を思い出させた。
 あまりに広すぎて、どこにも行き場のないように思えたあの場所。閉ざされた世界で、幼い私は毎日、逃げ出すべきなのか隠れるべきなのかわからないまま、さ迷っていた。自分の家だというのに、どうしても馴染めなかった。それがいつも辛くて苦しくて哀しくて恥ずかしかった。

 それでも、あそこが私の家だった。あそこには私の家族がいた。

 お父様は、私に貴族の務めを教えてくれた。土地を治めること、王家に仕えること、民を守ること。その中には魔法ではできない、魔法ばかりでない、貴族たるための務めがたくさんあることを教えてくれた。
 練習のやり過ぎで倒れた馬鹿な私を、家まで運んでくれたのは、いつもお母様だった。きっとずっと、その無為を見守ってくれていた。
 上の姉様は、強情っ張りの私が間違えるたびに、それを正そうとしてくれた。不器用な力づくでも、決して諦めずに私を叱り続けてくれた。
 そして、いつも変わらず、幼い私を優しく包んでくれたちいねえさま……。

 皆、あの場所でそれぞれに私を愛してくれていた。そのすべてを受け止めるには私はあまりに小さすぎて、逃げ出すことしかできなかったけれど。
 本当はちゃんとわかっていた。




 私の国。私の大切な人達がいる国。




 家を出て知り合った人達もいる。学院の先生方と同級生達の顔を、覚えている限り、ひとつひとつ思い浮かべる。それから、一緒に旅をした友人達のこと。いつのまにか、そばにいてくれた人達。皆で食事もした。王都でサイトと働いた、失敗ばかりで叱られた、すこしだけ褒められたあのお店。親切な店長、厳しいジェシカ、明るい同僚達――。

――……そういえば、皆はどこにいるのかしら。

 右往左往する人の中に姿を探すけれど、見つからない。心配になって、探しに行こうかと腰を浮かせたとき、不意に遠くから声が聴こえた。私を呼ぶ、




「ミス・ゼロ」と。




 そのとき、雷に打たれたように、私は理解した。無意識に指をのばし、肩に提げていた祈祷書をそっと撫でる。

 『ゼロ』と『虚無ゼロ』――それは私を表す最も適した名。そして、王家の血がなぜか傍系の私に授けた、始祖の力。

 正直なところ、今まで私にはこの力の価値がまるでわからなかった。もちろん、この第零の系統が『伝説の』『奇跡の』と称されるべきことは知っている。でも、それがこの身に宿っていると思うと、とたんにその仰々しさが可笑しくなってしまうのだ。
 だってそうでしょう? たとえコレがどれほど偉大なモノだったとしても、それを扱うのはこの『私』なんだもの。しょせん、ただの『死にたがり』。なにがあっても、それが変わるわけじゃない。『ゼロ』は『ゼロ』のまま……。
 そう思っていた。

 でも、そんなのは間違いだった。彼らはちゃんと私を変えてみせた。

 もしかしたら、それは皮肉かもしれない。魔法は私を今の『私』たらしめた、はじまりのひとつでもあるのだから。
 それでも、今は素直に感謝したいと思う。

 彼らは本当に大切なものを教えてくれた。今まで私が背を向けてきた世界。友人。家族。たくさんのものがここにあること。
 そう、目を向ければ、ここに。大切なものがたくさん……。




 気づけばもう、約束した答えは出ていた。
 在るべき場所。なすべきこと。いちばん、大切なもの。
 だから――、




 再び呼ばれ、求められるままに立ち上がった。歩き出した私はもう、うつむいてはいない。ただ真っ直ぐに前を見て、急かされるままに足早に人々の群れを通り抜けていく。




 なすべきことをなすために、在るべき場所へと向かって。




***




――ねぇ、ルイズ・フランソワーズ。


 胸のうちでひとりごちる。


――たとえどれほど偉大なちからがあっても、たとえ世界中の人がそれを称賛しても、ね。きっと私はあんたを認めない。あんたは『死にたがり』。矛盾だらけの半端者。卑怯で臆病でわがままなろくでなしよ。


 でもね、とかすかに笑う。


――そんなあんたを、あの人達は大切だと言うの。私の大切な人達はあんたを愛していると言うの。だから、私もすこしだけ信じてあげる。


 うそぶきながら、告げる。


――死にたがりは止めましょう。それよりもずっと大切なものが、ここにあるんだから。


 見つめる先には、自分の手。小さく、非力なその手を。
 挑むように、睨みつける。


――私のいちばん大切なものを、あんたに預けるわ。だから、最後まで守りきりなさい。




 そして私はこの手に、司令官代行が差し出す最後の命令書を受け取った。




***




 仮設司令部の天幕を出ると、あたりは混乱の只中だった。それもしかたない。なにせ敵軍に追われて必死の逃走をしている最中なのだから。

 奇襲があったのは、まだ降臨祭の期間のことだった。王都まであとわずかというところで、一体何が起きたのか――司令部でさえ、いまだにきちんと把握できていないらしい。私もさっき初めて司令官が戦死されていたことを聞いたくらいで――わかったのは、あの日突然、万単位の味方が寝返り、同時に敵襲を受けたことくらい。

 そして今、その数万の敵軍は再び迫りつつある。

 数日前までは勝利を確信していたはずなのに、なにもかもがひっくり返っていた。兵達は皆、最初の奇襲とその後の強行軍のために、身も心もぼろぼろだ。怒号がそこかしこで響き、罵声がそれに応える。規律は瓦解し、統率は崩壊。無秩序な喧騒の中で『名誉』はとうに消え去り、エゴがむき出しになったその姿が彼らの本音を訴えている。“死にたくない”と、誰も彼もが叫んでいる。




 そんな中で、私のまわりだけがひどく静かだった。




 人の流れに逆らって歩みながら、改めて命令書を開いた。今一度、記された文字を瞳に映す。
 オーダーはシンプルだ。

『友軍の撤退を援護せよ』

 つまり、フネが逃れるまでの時間稼ぎ。街道にて敵兵を足止めしその場を死守せよと、その方法も細かく指示されている。
 殿しんがりね、と私は頷く。名誉の殿。名誉しかない御役目だ。降伏はない。撤退もない。

――でも、これは死ぬために逝くんじゃないわ。

 無意識に命令書を握りしめながら、自らに言い聞かせる。

――これは、守るために行くもの。大切なものを守りたいから、行くの。

 ゆっくりと噛み締める。
 あたりは不思議と静かだった。周囲の声も音も、なにも聞こえない。その静かな中で――――――カチカチと小さく、私の歯が鳴っていた。カタカタと小刻みに、体が震えていた。

――……………………怖い。

 いつのまにか呼吸は浅く、早くなっていた。手の中では命令書がくしゃくしゃによれている。わななく両手。それを止めることもできないくらい、私は動揺していた。心底、怖くてたまらなかった。

 ひとつの可能性が頭から離れない。

――もし失敗したら……どうしよう……。

 もしここで私がしくじったなら、きっとこの兵達は皆、殺されてしまうだろう。ううん、それだけじゃないわ。そんなことになったら、きっと祖国にだってその累は及ぶ。
 この軍を揃えるのに姫様がどれだけ無理をしてきたか、私は知っている。これだけの兵を一度に失って、私の国にはどれだけの力が残るだろうか。

 もしここで私が皆を守れなければ、きっと私の国は負けてしまう。
 大切なものがみんな、無くなってしまう。

 だから落ち着かなきゃいけない、しっかりしなきゃいけない、と思うのに。
 恐れと焦りばかりがどんどん積み上がって、私の体を重くした。“失敗するかもしれない”“大切なものを守れないかもしれない”。そんな不安が次々と浮かんで、私の心を押し潰す。

――苦しい。

 なのに。死ねばいいと。死ぬべきだと。死ぬためなのだと。そんな言い訳はもう通用しない。口の中は渇ききって、ひざはみっともないくらい震えている。



 けれどそれは、とても正しいことのように思えた。



――こういうことだったのね……。

 唇を噛みながら、私はかつてのデルフの言葉を思い出していた。

 以前、私がサイトの怖がっているものが「わからない」と訴えたときのことだ。剣はそれを、私がオーク鬼に立ち向かったのと同じ理由だと言った。
 そのときはただ『死への恐怖』のことを言っているのだと思った。(だから咄嗟に過剰に反応して、拒絶してしまった。ただ自分のことだけを考えて、死の誘惑に乗りかけたことを恥じていたから。)

 でも、デルフが本当に言いたかったのはそうじゃなかった。
 今、ようやくわかった。


 考えるべきは“死を求めた”ことじゃなくて、それでも“まだ生きている”その理由。


 あのとき、私が踏みとどまったのは――サイトの声がしたから。ルイズ、と叫んだ、その必死な声を背中に聴いた瞬間、わかった。私がここで逃げ出したら――次はサイトが殺される――だから――私はあのとき杖を振った。


 サイトが死んでしまうのが“怖かった”から。


 緊張に青ざめた頬に、思わず笑みがこぼれる。

――デルフ、すごいわ。私でもわかっていなかったのに……みんな、知っていたのね。

 そして、私は本当になにもわかっていなかった。自分のことさえわかっていなかった。

――でも、もう大丈夫。


 私はしっかりと顔を上げると、頼りない足を叱咤して、もう一度歩き出した。



***



 指示に従って、馬を借り受けた。用済みの命令書はきちんと折りたたんで、祈祷書の間に挟み込む。それから、高くなった視点を最大限に活用して、周囲を忙しく探した。
 すぐに目的のものが見つかったので、ほっと息を吐く。
 ちょうど、あちらから駆けてくるところだった。目が合うと向こうも「やっと見つけた」と言いたげに息を吐く。


「ルイズ!!」


 その声に、また、心臓がとくとくとくと動き出していた。私の意思と無関係に、とくとくとくとくとくとくと勝手に騒ぐ。
 まるで、と私は思う。

――胸の中のいちばん柔らかいところに、臆病な小鳥をつめこまれたみたい。

 活発な心臓に促されて指先に熱が戻り、肩がすこし軽くなる。でも息を整えるのは、なかなかうまくできない。

「サイト」

 向き合った彼は、むっつりとした顔で上目遣いに私を睨んだ。

「なにしてんだ、そんなもんに乗って。どこに行くつもりだよ」
「――どこにも行かないわよ。あなたを探していたの」

 そう言って馬から下りる私を、納得いかない様子で見つめるサイト。怒っているように見せたいみたいだけど、その顔はあからさまに不安げに揺れていて――私を心配していた。
 そんな不器用な優しさがくすぐったくて、つい微笑ってしまう。

――……変な感じ。サイトの顔を見たら、怖いの、どこかにいっちゃったわ。

 こんなときまでほうけてしまえる自分がおかしくて、バカみたいで、でも、嫌いにはなれなかった。

 そんな私に、サイトが顔をしかめる。

「なんだよ?」
「なんでもないわ。そんな怖い顔をしないで――話があるの」


 どこか静かに話ができるところを探して、私はすぐそばにあった教会へ彼を促した。


「……なんにもないわね」
「ああ、ずいぶん前にみんな逃げちまったみたいだな」

 きょろきょろと無人の内部を見ながら、言い合う。
 もっとも、さびれてはいても、荒んだ印象はなかった。古いステンドグラス越しにきらきらと光が降り注ぐ空間には、特有の、全てから切り離されたような静けさが残っている。
 無条件で人を敬虔にさせる、そんな場所だ。

 だというのに、私の心臓はあいかわらず気ままだった。

「それより、ルイズ。なにか俺に言うことがあるんだろ」

 サイトが私を見る。私の名前を呼ぶ――ただそれだけで、勝手気ままに騒ぎ立て始める。とくとくとくとくとくと。野の鳥のように知らぬ間に棲みついて、高すぎる熱と早すぎる鼓動で私をせき立てる。
 その正体に、私ももう気づいていた。

――……でも、いまは黙っていてね。

 大切な話をしないといけないから、とその子をなだめ、言葉を探す。

「あのね――」

 答えが見つかったの、とそう告げるつもりだった。



 だったんだけど……、



 次の瞬間、口は勝手に動いていた。




















「キスして」



















 はっと我に返ったときにはもう遅かった。


「えっと? あれ? ルイズ、今、何て――……」


 完全に予想外――そう告げるサイトの口調に、私は自分の『失言』に気づいて――みるみるうちに、赤く茹であがった。


「あ、ああ、あああの――――――っ、




















――――――い、いいまのなしっ!!」



















「………………は?」

 ぽかんと口を開けてサイトがマジマジと私を見る。耳まで赤く染めて、肩で息をしている私を。

「あ、ああああああっ、あのっ、そのっ、そうじゃなくって――」

 あうあうとうめく。なんとか言い訳をしようと焦るけど、言葉が見つからない。頭のてっぺんから湯気が出そうだった。首から上も全部真っ赤に茹で上がって――――ああもうっ!

「なしって――」
「いっ、いいいでしょっ! そ、そそのっ、いいいいいまちがえたのっ!」

――って、なによ、その言い訳は!?

 理性が悲鳴をあげる。それでも私の挙動不審は止まらない。なによりも、思いがけず零れてきた本心の、その欲求の直球ぶりが、私を動揺させていた。

――キキキキスとか、なにをいきなり色呆けてるのよ、私は! もっと先に言うべきことがあるでしょうが! ほんとにもうっ!!

 恥ずかしさを誤魔化す為に必死に自分を叱りつけていると――それまでほとんど黙っていたサイトがようやく口を開いた。
 
「ルイズってさ……」
「な、ななななによっ!?」


「けっこう恥ずかしがりやさんだよな。いっつも無防備なのに」


 すごく、しみじみと言われた。

「っ!? どどどういう意味――っ」
「大丈夫か? 声、震えてるぞ?」
「わ、わかってるわよ!」

 のほほんとしているサイトに、思わず噛みつく。普段だったら私と同じくらいテンパっているはずのサイトが、妙に余裕綽々なのが、すっごくくやしい――って、そうじゃないでしょ、もうっ。
 私は、改めて自分を叱りつけた。

――しっかりなさい。今がどういうときか忘れたの? 最後なのよ。こんなバカみたいなことで無駄にしている時間はないの!

 言い聞かせて、もう一度サイトを見遣る。
 すると、さっきの『本心』の出所がわかった。ああ、そっか――……




 キスから始まったのだから、キスで終わるのが正しいと思ったのだ。
 この奇蹟のような出会いを。




(――もちろん、それだけじゃないけど)

 ため息が出そうだった。だって、わかったからと言って、今さら何食わぬ顔でそれを伝えることができるわけもない。
 そう、それは絶望的に難しかった。主にこの性格のせいで。

――ほんとうにどうしてこんな性格なのかしら……。

 頭を抱える私に、サイトが声をかける。

「本当に大丈夫か? どっか具合でも悪いんじゃ――」
「わ、悪くなんかないわよっ」

 この性格以外は――――なんて、自分でまぜかえしていたら、心底、情けなくなってしまった。ああ、穴があったら埋まりたい。決意も忘れて、いますぐ自分を爆殺したい。
 でも、そのどちらもできない私は、うう、と再びうなるしかできなかった。

――なんで、いつもこうなのかしら? こんな大事なときに、まともに話ひとつすることもできないなんて……ほんと、最低……。

 鬱々と落ち込みだしたら、見かねた様子でサイトが言った。

「ほらほら、あんまり考え込むなって――」

 うつむく私を、よしよしと慰める。

「焦らなくていいから、俺はちゃんと待ってるから。な?」

――……サイト。

 ああ、そうか、と気づく。いつもの私の悪いクセだ。小さなところでつまずいて、ひとりでぐるぐる考え込んで、自分の中から抜け出せなくなってしまう――。

 でも、そんなとき、いつもそこから連れ出してくれる手が、いまも私の頭を撫でていた。

「…………」

 深呼吸。じんわりと熱い頬をまだ少し気にしながら、私はなんとか精一杯の自制心と勇気をふりしぼって、顔を上げた。

「あ、あのね――」

 口ごもりながら、なんとかサイトの顔を見る。できるだけまっすぐに。いつかの彼のように。

「私も、やっとわかったの。ほんとうに大切なもの」
「うん――?」

 余計なものが混じらないように、急いで告げる。




「私の大切なものはね、あなたよ、サイト」




 言えた――その喜びに心臓がとくとくと跳ね回る。ちょっと得意げなその勢いに押されて、すらすらと言葉が零れる。




「前に言ってくれたでしょう、私を大切だって。それと同じようにね・・・・・・・・・、私もサイトが大切だってわかったの」




 自然と笑みを浮かべながら、心から告げる。




「ようやくわかったの――それも全部、あなたのおかげよ。ありがとう」




 それは思いがけず、誇らしい瞬間だった。
 なのに、




「………………そうか」




 そう呟いたサイトの顔は、なぜか今にも泣き出しそうに見えた。

――え……?

  戸惑う私の前で、彼は小さな声で繰り返す。



「そうか……『同じ』か……」



――サイト?

 思わぬ反応に、私はぽかんとしてしまった。

「どうしたの……?」
「うん……?」

 ぼんやりとしたその様子は、いつもの挙動不審とも違っていた。

「うん、じゃなくて…………『そっか』って、それだけ?」
「それだけって…………ああ、いや、嬉しいよ。ほんとに」

 無理に笑っているような、うつろな応えに、私はなんだか自分が悪いことをしてしまったような気になった。(ま、まさか、迷惑だった?)(で、でででも、サイトだって『同じ』ことを――)



 けれど次の瞬間、そんなものは全部吹き飛んだ。




「ルイズ――」




 突然、かすれた声で呼ばれたと思ったら、私はサイトの腕の中にいた。

――……え!?

 サイトが両腕を伸ばして私を抱きよせたのだ、と理解するより早く。ぎゅっと、一瞬息が詰まるほど強く抱きしめられる。




「サ、サイトっ!?」




 思わず、声が上擦る。けれど、サイトはただ黙って、私を抱く力を増すだけで。言葉にならない想いがその腕の力と熱に込められているみたいに――強く、強く――骨が軋みそうなほどに、強く――頼りないこのきゃしゃな体ごと全部――力強いサイトの胸元に閉じこめられるように――抱きしめられる。苦しいほどに。
 耐えきれずに目をつむり、はぅ、とその腕の中で熱い吐息をもらす。溢れるほどの幸福が全身を満たしていた。




「サイト――」




 熱に浮かされるまま、陶然と呼びかける。サイトはますますその力を強めて、私はあっさりと、その力と熱におぼれた。サイトの与えてくれる、その愛情に。我を忘れるほどの、その幸福に。おぼれて――――、










 そこに込められた想いの意味を考えることもしなかった。



***



 それから、どうやって離れたのか(どうして離れられたのか)わからないけど――私はいつのまにか、崩れた祭壇の前で彼と向き合っていた。頭の芯はまだ熱くて、片手もいまだに未練がましくその腕を掴んでいる。


 でも、そろそろ、終わりにしないといけない時間だった。


「ねえ、サイト」
「なあ、ルイズ」


 ほぼ同時に呼び合って、私達は顔を見合わせた。ぎこちない譲り合いの後、結局、私が折れた。

「あのね、私、あなたと仲直りがしたいの」
「仲直り?」
「ええ」

 いままでたくさん傷つけてしまったことに謝罪を。それでもたくさんのものを与えてくれたことに感謝を。
 だから、私は自分の右手を差し出した。『ごめんなさい』と『ありがとう』を伝えるために。

「……なんだ?」
「だから、その、仲直りの握手。……してくれない?」
「………」

 それが、私の乏しい人生の中で一度だけ友人と交わした、仲直りのしるしだった。ところがサイトは手を出すそぶりもなく、じっとその手を見つめるだけだった。

「あ、あの……ダメ、かしら……?」

 その無言につい弱気になると、妙に分別くさい苦笑いが返ってきた。

「いや、俺も仲直りは賛成だけどさー。こんなやり方じゃ、しまらないだろ?」
「え、」
「俺がもっと良い方法教えてやるよ」

 その言葉に、ドキッとする。

「そ、それって、どういう――」

 言いながら、ほのめかされたその『方法』を『推理』して、私は頬を染めた。本当は、私だってもっと別の『やり方』を望んでいた。(キスして)(もっと抱きしめて)(心臓がドキドキして、二度と止まらないようにして――)

――で、でもね! そんなことしてちゃ、ダメなんだからねっ!!

 これから大切な御役目があるんだから――なんて、この期に及んでわがままな羞恥心を発揮している私に、サイトは、無造作に片手を突きだした。



 その手には、ワインが一本握られていた。



――……へ?

「さかずきを交わすって言ってな。俺の世界じゃ、仲直りはこうやるんだ」

 呆気にとられる私に、さらにどこから持ってきたのかマグを渡し、とくとくと注ぎ始める。……な、なんでこんなものまで……もしかして、さっきからずっと隠し持っていたの……?


 さすが突拍子のなさには定評のある私の使い魔だった。


「わ、わけがわかんないんだけど……こんなときに酒盛り?」
「そうじゃないって。儀式だよ。同じお酒を飲んで、諍いは水に流して、改めて縁をつなぐんだ」
「縁をつなぐ?」
「お互いのことを許し合って、認め合って、『身内』になるって誓うこと」
「身内……」

 私は、へえ、と陶製の器の中にたまった液体を見つめる。さすが、サイトの国。不思議な習慣があるのね……。
 そう納得しようとするけれど、どうにも違和感があった。

「ねえ、サイト。それって本当に――」

 ところがサイトは、どこまでもマイペースに、戸惑っている私には気づかない様子で言う。

「昔っからの伝統的な方法なんだ。喧嘩した同士が仲直りするときだけじゃない、他人同士が家族になるときもこれをやって誓いをたてる――」
「家族?」
「つまり、結婚式とかさ」
「え、」

 あっさりと言われた言葉に、杯を落としそうになった。

「こぼすなよ」

 素早くそれをおさえつけて、サイトは私にその杯をしっかりと握らせる。その手には妙に逆らえない力があった。私はされるがままになりながら、平静を装って(同時にほとんど失敗して)尋ねる。

「け、結婚式で、お酒を飲むの?」
「こっちじゃやらないか?」
「あ、当たり前でしょ。パーティならともかく、式では飲まないわよ。始祖の名の下に誓いを立てる神聖な儀式だもの――」

 ふと、私は祭壇を飾るステンドグラスを仰いだ。きらきらと降り注ぐ天使様の光。それから、そんな私をじっと見守るサイトの目。

「この世界では、誓いはキスでするの――」

 ささやけば、サイトは笑って頷いた。

「そうか。じゃあ、それもしなきゃな。日本流とハルケギニア流の両方で『仲直り』だ」

 それは、いままで見た中でいちばん優しい笑顔だった。

「俺達らしくて、いいだろ?」

 私は、声もなく、頷いた。



***



 戦争の最中だなんて忘れてしまいそうになるくらい、なにもかもが穏やかだった。私はもう不安も疑問も失って、言葉さえ使うことも忘れて、そのひとときに浸っていた。




 そして、そのときが来る。




 儀式、と言ってもふたりきりだから、ただ寄り添うことくらいしかできない。誓いの言葉だって適当で。それでも、ステンドグラスの光がふたりを照らすさまだけは、唯一、このおままごとを真実らしく見せていた。


「ルイズ。いいか?」


 優しい声に改めて尋ねられ、私の中の『恥ずかしがりや』がまた、はにかんだ。つい、目を伏せた拍子に、手にしたままだった杯に気がつく。

――そういえば、まだ口もつけていなかったわね。

 お酒が入っているくらいがちょうどいいかもしれない。――私はその暗い水面を覗き込んでも、もう先程の違和感なんて思い出しもしなかった。

「ね、先にこっちにしましょう」
「え?」

 私が杯をちょっと掲げて示すと、サイトはすこし困った様子になった。

「かまわないでしょう? なにかまずい?」
「いや、そんなことはないけど……」

 口ごもる彼に私が訝しむと、不意に表情を切り替えて、に、と笑う。

「『あーあ、またアオズケかー』って思ってさ」

 わざとらしい口調に、私もわざと澄まして答えた。

「そんなんじゃないわよ」
「へん、そうだろ。どんだけ俺が『マテ』させられてたと思ってんだ」
「あら、本当にしてないでしょ。その、大抵は。――だいたいいつも、そっちがひとりで気を回していただけじゃない」

 なんて可愛くないセリフで応酬しながら、私は杯に口をつけた。杯を傾け、満たされたその液体をゆっくりと口の中に流し入れる。
 ぼそぼそと言う、サイトの声がかすかに聞こえていた。

「……ほんと、そうだな。俺にもようやくわかったよ。俺がどんだけここで気を揉んだって……結局みんな勝手に決めて、勝手に行っちまうんだ……だったら……」

――サイト……?

 私は、かすかな戸惑いとともに、口の中のワインを飲み込んだ。






「…………」






 ふと見ると、サイトはぼうと突っ立ったままだった。
 私は笑いながら、促す。

「どうしたの? サイトも飲んで。そういうものなんでしょう?」
「あ、ああ、うん――」

 やがて目をつぶって、自分の杯を傾ける。その様子をじっと見つめながら、私ももう一度自分の杯に口をつけた。片手でそっと、胸元の彼にもらったペンダントを握りしめたまま、そのときを待つ。
 そして――、
























 サイトが杯から口を離すのと同時に、私は不意打ちのキスを贈った。






























 最後のキスを。



















(手からこぼれた杯は床の上で、かしゃん、と軽い音を立てて壊れた。)











*** しにたがりなるいずさん 7の4 ***











(「ルイズ――……」)


 身のうちから響いた声にならぬ声に、私も声を出さずに囁き返した。

――バカね。こんな弱い薬じゃ、効かないわよ。

 そして、口の中にわずかに残っていたワインを床に吐き棄てる。それから、胸元のペンダントを痛いほどに握りしめて、眠気を払う。
 そう、長い間の習慣で、私の体にはすっかりこの手の薬に対する耐性がついていた。逆に、私が彼に口移しで与えたのは、モンモランシー特製のアレだ。
 きっと夢も見ないで眠り続けるだろう。

 そう思いながら、崩れ落ちる少年を抱き留める。

――……最初から気づくべきだったわ。サイトが私にお酒を飲まそうとするなんて、普通に考えたらアリエナイんだから。

 それにしても、どうしてサイトは気づいたのだろう。命令書はしっかり隠しておいたのに、と不思議に思いながら、私は床に散らばった破片で傷つかないように、すっかり寝入ったサイトの体を支える。

――……重たい。

 よっと勢いをつけて脇にどかした。


(――鼻をかすめる、少年の匂い――)


 それから、床に落ちていた祈祷書を取り上げる。手にしたとたん、それは風もないのにぱたぱたとめくれ出した。求めてもいないのに、そこに記された無数のルーン達がきらきらと光を放つ。

 かわいいものね、と思う。それは小さな子供が声をあげるさまに似ていた。

『みて、みて!』『ほら、ぼくをみて!』『ぼくはこんなことができるよ!』『こんなにやくにたつんだよ!!』
『だから、みて!』『ほめてよ!』『ひつようとしてよ!』『すてないで!!』

 そう、ずっと彼らは私に訴えていた。自分の有効性を。私の可能性を。……きっと、そうして私を生かそうとしてくれていたんだろう。
 私を守ろうとしてくれていたんだろう。

 でも、もう遅い。

――ごめんなさい。はやく次のご主人様を見つけてね。

 指輪を外し、本とともにサイトの懐にしまう。手を離せば、輝きはとたんに失せた。


(――外には、竜をつれた青年――)


「やあ」

 外に出ると、傍らに愛騎を従えて、気の良い中隊長がいつかのように手を挙げた。

「ルネ」

 私がその名を呼ぶと、にこにこと笑いながら尋ねる。

「どうだい? 仲直りはできたかい?」

 視線をそらす。

「……わからないわ」
「なんだい、冴えないなぁ」

 ぼやく彼に、私は用件を告げた。

「ねえ、お願いがあるの。これを、陛下の元までお返ししてくれないかしら。とても『大切なもの』なのよ」

 すると、あらかじめ知っていたみたいに、竜騎士の少年はあっさりと頷いた。

 すべてを託した竜はすぐに己の翼を広げると、音もなく空へ舞い上がる。私は、地上に取り残されたちいさな一粒となって、それを見送った。


(――竜が――でも――)


 ……それから、馬に乗って再び移動した。目的の場所にはすぐに着いた。すこしだけ実家のあの練習場所にも似ているその丘で、私は馬を放つ。どこへなりとも自由に生けるように、と。
 私のためになにかが命を落とすなんて、あってはいけないことだから。


(――正しい理屈。けど、なにかが間違っている――)


 私はささやかな物思いを振り払うと、己のなすべき役目に立ち戻った。
 丘の上でひとり、杖をタクトのように構える。待ちかまえる七万の『聴衆』に向けて。













 それは不思議な感覚だった。

 いつもなら唱えるほどに失い、放つほどに無くなっていくはずなのに。
 今はただ、失うほどに満ちていく。無くすほどに増えていく。
 身のうちはあたたかく。私を包む世界には、ただのひとつの足りないものなどなくて。

 そして――――――、


















(私は満ち足りた夢の中でその声を聴いた。)

























(「――ごめん、ありがとう、さよなら」)
















< 第一部・了 >










 とぅびー、おあのっととぅびー







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