「そういえば、明日から夏期休暇ね――」
頁をめくる手を止めて、私はふと呟いた。
「ああ。でも帰省はしないんだろ?」
「ええ、面倒だもの。それより、あんたはどうするの?」
体をひねって背後の使い魔に尋ねれば、洗濯物をクローゼットにしまっているところだったサイトも手を止めてこちらを見た。
「俺?」
「ひこうき、また飛べるようになったんでしょう? 『東』に行くなら早くした方がいいわよ」
「あー、まあ、そうは思うんだけどさ」
「?」
「あてがないんだよ」
ぽりぽり、と頭をかく。
サイトの国は、このハルケギニアとは遠く離れた、『違う世界』にある、らしい。召喚ゲートをくぐって飛び越したその距離を、再度戻るには普通の方法では難しいだろう、とサイト。
たしかに、ただ漫然と旅をしていて行き着けるものではなさそう。
「ゼロ戦もそんなに長距離行けるわけじゃないからさ。せめてなにか目当てがあればいいんだけど」
それに、途中で“がそりん”の補充も考えないといけない、か。
「たしかにもう少し計画的にした方がいいわね」
行くべき先もわからないまま見知らぬ土地へ飛び立つ馬鹿はいないわ、と思っていたら――実はこの使い魔、実際にひこうきに乗り込むところまで行って、ようやくそのことに気づいたらしい。
――無鉄砲というか、考えが浅いというか……。
『東』というのも、あくまでイメージ、とのこと。なんか適当ねぇ。
「しかたないだろ、皆目見当がつかないんだから――あーあ、また、あの銀色の鏡が出てきてくれればいいんだけどなー」
「あんたの世界から誰かが召喚魔法を使えば開くかもね――あ、でも今は私の使い魔になってるから駄目か」
二重契約はできない。できるなら、私だって全財産をつぎ込んでもフレイムを貰っている――。
「使い魔、止めてみる?」
私の提案に、サイトは憮然と答えた。
「俺に死ねと?」
「……嫌ならいいけど」
「……あのな」
サイトはハア、とため息ひとつ。
「とりあえずこの休暇の間に、ゼロ戦見つけたとこにもう一回行ってみるつもりだよ――。でも、どっちにせよ、先立つものがないとなぁ」
異世界渡るのも金次第か、と世知辛い。
「それより、もっときちんと調べたら? そうだ。あんた、文字読めたわよね? ちょうど夏休み中はフェニアのライブラリーを――」
使わせてもらえるから、そこでその異世界とやらの手掛かりを探したらいい、と言おうとしたときだった。
開け放していた窓から、ふくろうが飛び込んできた。
「手紙?」
差出人を見て、即座に封を切る。一読。――無意識に、前髪をかきあげていた。
「休暇は取消ね」
「え?」
祈祷書を取り上げ、適当な頁の間に手紙を挟みこみ、そして私はサイトに告げた。
「王都に行くわ。ちょっと手伝って」
*** しにたがりなるいずさん 5 前 ***
――ああ、死にたい。
手紙は陛下からの命令書だった。私に、王都で平民にまぎれて働き、情報収集を行うように、とある。城下の不穏な動きや噂話などを集めて報告しろとのお達しだ。
つまり、間諜――のようなもの。どうせ素人ふぜいが集められる情報なんて、治世に対する正直な愚痴不満くらいだけど。
――死にたいな。
「君、見ない顔だね。新人かい?」
「え? ええ――」
――死にたい死にたい死にたい。
「初々しいなぁ。こういう仕事は始めてかい? じゃあ、僕がこつを教えてあげるよ」
私は近づいてきた手から体を離し、代わりにワインのボトルを差し出した。
――そうだ、このグラス爆発しないかしら。
「動かないでいただけますか? 不慣れですから零してしまうかも」
有無を言わさず、注ぐ。酔漢はすこしばかり驚いた様子で、グラスを支えた。
「あ、ああ、ありがとう。それで――」
「お料理の追加はいかがです?」
言いながら空の皿を取り上げる。あまり沢山は持てないから、汚れた食器はほとんどテーブルに残ってしまう。
――今すぐテーブルが倒れて、このナイフが喉に突き刺さればいいのに。
「それじゃあ後ほど、お持ちいたします――」
――それか足を滑らせて、頭を打って――
「あぶない!?」
――そして、この天井が落ちてくるとか。
「大丈夫かね。床で滑ったのか? 気をつけたまえ」
髭をたくわえた紳士的な貴族が、気取った仕草で私を立ち上がらせる。腰にさげた、レイピア風の杖。衛士かしら。
――いいなあ、よく切れそう……。
「君?」
「あ。えっと、大丈夫です。その、ごめんなさい――」
「ああ、よいよい。それよりも――ほんとうに妖精かと思ったぞ。まるで羽のように軽いな」
「もしも私が羽なら、今頃は風に飛ばされて空の彼方ですわ」
――そして、そこからまっさかさまに墜ちるの。
「そうしたら私が『フライ』で追いかけてあげよう。――君、名は?」
「あ――」
男の言葉で仕事を思い出した。二の腕に触れようとする手を、押し戻す。
「ごめんなさい、急がないと。後でお伺いいたしますわ」
そうそう、フライ・ド・フィッシュを運ばないと――それから――
テーブルと椅子の間を縫うように歩き、厨房へ。なぜか持ち場を離れて入口に立っていた使い魔に出迎えられた。手を背に背負ったデルフにかけている。邪魔。
「……なあ、ルイズ。お前、なんかすげー馴染んでね?」
「…………サイト? 頭に『発火』食らうのと股座に『錬金』かけられるの、どっちがいい?」
「ご、ごめんなさい」
――ああ、鬱だわ。鬱鬱鬱鬱鬱。頭を撃ち抜いて死にたい。
サイトの間抜けな顔を見たせいで、我慢も限界になった。勝手に厨房の壁に寄り掛かって、休憩をとる。もう、歩きたくない話したくない息もしたくない。
そもそもどうして私がこんな目に遇わないといけないのか――ああ、愚問ね。生きているからに決まっているじゃない。そうよ、やっぱり生きているのが悪いんだわ――
「ル、ルイズ。そろそろ休憩時間だから、な。 な? フロアに戻ろう? それかせめて、お、おおお願いだから、包丁片手に薄笑いを浮かべるのはやめてくれ!」
使い魔の悲鳴じみた諫言を無視して、私は自分が身につけている『布』を見下ろす。――フリルのついた白いキャミソール。背中は大きく開き、腰で幾重にも結わわれたリボンによって、コルセットのようにぴたりと体のラインに沿う。
チクトンネ街随一の酒場、魅惑の妖精亭のすてきな御衣装。
「……ねぇ、サイト。私、がんばったわよね?」
「う、うん?」
「だから、もう、いいわよね? がんばんなくて――」
「ル、ルイズ?」
だって、苦しいのはイヤなの。辛いのもキライ。
「あ、こらっ! やめろ!! やめなさいっ!!」
「止めないで! もうヤなのよ――こんな格好!!」
「だからって、そんなもんで紐を切るなっ! ああっ、服を脱ぐなぁっ!!」
「締めつけられるのは嫌ー!!」
「お前のからだのどこに締めつけられる要素があんだよ!!?」
さりげなく失礼なことを言って、使い魔は私の手から包丁を取り上げた。
「ううっ……」
頭が痛い――割れ鐘のように鳴り響く――割れないかな。
「すこし落ち着けよ。な? 店長に言って、今日はもう上がらせてもらうから」
「だめよ。しごとはちゃんとやらなきゃ……」
「無理すんなって」
その頭に、ぽんぽんと軽く叩くように手のひらがのせられる。そして私は――ようやく自分の『異常』の原因に気がついた。
――そっか。薬、きれちゃったんだわ。
俯いたまま、首に提げていたペンダントを取り出す。ぱかり、と開き、その中から白い錠剤をひとつ。指で砕きながら手近なグラスの中に落とし、ワインを注いで、ぐーるぐる。
そして――
「う、うわああああっ」
ガシャン!!
サイトが突然叫んで暴れ、わたしのすてきなしろいおくすりは、グラスとともに床に飛び散った――
「何してるのよ? また給料差っ引かれるわよ?」
なんか醒めた私は、叱るというよりも忠告のつもりで告げた。私と違い、純粋にお金稼ぎ(アルバイト)に来ている彼。本業は用心棒とはいえ、お皿洗いも大切な役目だ。それでマイナスを稼いでは目も当てられない。
けれど落ち着かない使い魔は叫ぶばかり。
「お、おおお前こそなななな何してんだよっ!! 何入れた何!?」
「何って、ちょっと、絶望に効くクスリ(抗鬱剤)を――」
「ク、ククククスリ、ダメ、絶対っ!!」
「そのへんの怪しいポーションと一緒にしないで。ちゃんとしたやつなんだから」
休暇前にモンモランシーに頼んで作ってもらったのだ。おかげでなんとか衝動を抑えられている。ちょっとテンションがおかしくなったりもするけど。
そう告げると、
「……また、あの縦ロールか……」
サイトが、ゆらり、と踵を返した。手は再びデルフにかかっている。
「――どこに行くの?」
「いやな、ちょっと――あの女の頭、丸刈りにして塔のてっぺんから吊してこようかと――」
「ダメよ。あの娘今忙しいんだから。――それより仕事したら?」
私は新しく注いだワインを飲みながら、上目遣いにサイトを見つめた。するとなにやら使い魔は青い顔に。胃が痛いらしい。大丈夫?
そのままふたりでぐたぐだしていたら、店長の娘に、サボるな、と叱られた。
ハア。
そもそもなぜ私がお役目のためとはいえ、こんなところで働いているかというと――話は休暇初日に遡る。
陛下の命令を受け取った私は、とりあえずタバサに近場まで送ってもらい、王都に入った。買い出しなんかで偶に王都に来ているサイトに街を案内してもらい、それらしい服を買ったり――そこまでは順調だった。
「で、後は? 何がいるんだ?」
手紙の指示には、平民のふりをして宿をとり、花売り等をして目立たないように暮らすように――とある。
「というわけで、花街に案内して」
「おう!任せとけ――え?」
それまで自信満々に私の手をとって街中を引っ張りまわしていたサイトが、急に停止。
「花?」
「ええ。仕事仲間に連れていってもらったことくらいあるでしょう?」
「あ。ああ!お花屋さんか!」
「……なにボケてんのよ。花街って言ったら男が女を買うところに決まってるでしょうが」
サイトが口をぱくぱくさせた後、よくわからない動きで、ぐるぐると両手を動かしたり体をひねったりし始めた。新しい芸?
「お、おおお前っ!? 何しらっとした顔ですっとぼけたこと言ってんのよ!!?」
「だって『花』を売れって――」
「あ、あのな! どこの世界にたかが噂集めのために親友に身売りをさせる姫様がいる!! 花売りって言ったら、あれだろ? 道で籠に花入れて売ってる――」
ああ、あれもそうね。確かに花を売っているわ――
「もっと素直に考えろよ!」
「考えたわよ?」
「じゃあもう考えんな、感じろ!……ていうか、どんな世間知らずだ、おい」
「なんでよ? 街の情報を集めるなら色街が一番ってお父様も仰ってたわ」
「……娘になんつー教育をしとんじゃ、お前の親父さんは」
「ただの世間話よ」
貴族としての心得や領地経営における心構えなんかを説いている途中――嫡男がいないので、その代替としてだろう、父は時折そうした話を娘(わたし)にした――ちょっとした流れでそんな話になっただけだ。
もっとも――たしかにそのお話をした翌日、杖も持たずにお空高くまで遊覧飛行『させられて』たけど……。
「そうか、お前、あれだな」
「なによ?」
「あれだよ、本ばっか読んでわかった気になってる『頭でっかち』」
「なっ!」
「気をつけろよー。箱入り育ちのお嬢様にはわかんねーだろうけど、社会ってのはアブナイんだからな……。下手なとこに迷い込んだら、お前なんかカンタンに騙されてほんとに売られちまうぞ」
「う、うううるさいわね。余計なお世話よ」
自分だって学院に来るまでは奉公にも出ていなかったくせに、妙に年長ぶる使い魔が腹立たしい。ぎりぎりと歯をかみ合わせて堪えていると――殊更にため息をついたりする。
「不安だ激しく不安」
「いいから、さっさと適当な店に連れて行きなさい」
「適当って――」
「宿があって働けて、『お役目』に適う場処。代案がないなら最初の予定通りよ」
「阿呆、それは諦めろって。そもそもお前のその年齢不相応な体型でだな――」
なにか非常に失礼なことを言いかけた使い魔は、
「あ」
唐突に呟いた。そして、ぱっと顔をほころば……にやけさせる。
なにかロクでもないことを考えているらしい。私はその胡散臭い顔を見つめる。すると彼はわざとらしく咳をひとつした後、表情を改めて重々しく告げた。
「あー、実はな、チクトンネ街に、前に同僚のコに教えてもらった店があるんだ」
「どんなとこ?」
「まあ、食事処だな。酒も出す。そんで、若い女の子を給仕に雇っている。たくさん」
「……なるほどね」
まあまあ良さそうだと考えた私は、さっそく案内させることにした。すると――再び私の手を掴んだサイトが一言。
「やっぱ、カンタンじゃん」
その意味は、店長との面接後、採用が決まって職場に案内されたときに理解した。
「……主人を身売りするなんて、ほんと最低な使い魔だわ」
「おにーちゃん、だろ?」
「『フライ』、逝っとく?」
毎日平民に混ざって働いているせいか、あるいは『兄妹』という設定(ウソ)に乗じて軽口の増えた使い魔のせいか、最近言葉遣いが荒くなっている気がする。
私は髪に櫛を入れながら、すこし反省。
そうね、この衣装は、パーティ用のドレスだと思おう。
コルセットじみた服も、そう思えば慣れたモノ。むしろ動きやすさを考えれば、丈が短い分、実家で着せられていたものに比べればずっとラクだ。そう、ヒールで動き回るのも、ダンスの練習だと思えば――。
自分を誤魔化しながら、狭い室内で、今日も身支度を整える。
家出のワケアリ『兄妹』を名乗るふたりに、与えられた住居は屋根裏だった。元は物置だったらしい天井の低い空間には鏡台と、申し分程度に傾いだベッドがある。そこにぼけっと座って、私が着替えるのを見守っていたサイトが話しかけてきた。
「でもすこしは慣れたみたいじゃん」
「まあね。だいぶ粗相は減った、と思うわ――あいかわらず話すのは苦手だけど――」
くるくると表情を変えながら基本笑顔で、様々なお客の不条理としか思えない言動に、易々と対応している店の女の子達は、ほんとうにすごいと思う。
これが正式の席なら私も相応に振る舞えるんだけど――『公爵家令嬢』として、冷笑して拒絶すればいいだけだから。
今はせいぜい笑みを浮かべながら、睨みつけるくらいだ。
これなら、話なんかしないで体だけ差し出していればいい郭の方がどれだけラクだったか。
――あ、でも、そこで情報を手に入れるなら話しかけないとだめよね。ここなら耳を澄ませていればいいわけだし。
客には貴族もいれば平民もいる。酔えば口もゆるむし、乞わなくても話したがる連中ばかり――そう考えると、なんだかんだで、この店はお役目に最適なのかもしれない。
私は渋々ながら、それを認めた。頭でっかちの箱入りと言われるのもしかたない……かもしれない。
「まあそんなに気にするなよ。人気も、ちょっとだけだけど、出てきたみたいだぜ。なんか妙な迫力があるって――」
「なにそれ?」
「さあ? でもそのうち、馴染み客とかできるんじゃないか?」
お客の顔なんていちいち覚えていないわよ、と言うと、サイトに笑われた。
「とにかく、これならレースもいいとこいけるんじゃないか?」
「チップレースのこと? 関係ないわよ」
「でも優勝者には『魅惑のビスチェ』が貸し出されるって――」
レースの説明のときに店長が着ていた優勝賞品を思い浮かべる。ぱっと見には単に可愛いだけの黒いビスチェだけど、実際は『魅了』の魔法がかけられた特別製だ。そんなものを着て店に立てば、チップが稼ぎ放題になるだろう。でもね、
「あのね、私にそんなものがいると思う?」
何のためにここにいると思ってるのかしら。
ただでさえ当初の目的とは外れて、順調に貯/溜まっていくチップと精神力には辟易しているというのに――。
「…………あー、たしかに。要らないな、お前にゃ」
たっぷりとこちらを見つめた後、ようやく頷く使い魔。最近寝不足だとかで、どうも、反応が鈍い。前も着替えを手伝わせていたら、なんか顔を真っ赤にして熱を出していたし。
――私に付き合ってアルバイトなんかしなきゃいいのに。
休暇はどうしたのだろう、と内心思いつつ、私は鏡台に向き直った。最後の仕上げに髪を高く結い上げる。
***
タバサとモンモランシーが店にやって来たのは、ちょうど徴税官ご一行か店を占領してたっぷりと飲み食いして帰った二日後のことだった。
ずいぶんと気前のいい客で、私もご相伴にあずかり、けっこう高級なお酒をいただいた。最後の支払いで少々トラブルが起きたみたいだけど――金貨がないなら、悪趣味な時計と服と帽子と杖を置いていけばいいのに――最後に、サイトが女王陛下からの任官状を取り出し、説得。無事、一件落着した(サイトは「さすが『アオイの紋所』」とかなんとか)。
その結果、なぜかチップレースでは私が優勝してしまい、優勝賞品の代わりに一日分の休みをいただいた。用心棒としてきちんと働いたサイトも、同じく休みをもらって。
けど、私はサイトにしこたま怒られた。
どうも酔っぱらって、無意識に杖を出してしまったらしい。そういえば目の前で中途半端に残った髪の毛が目障りだったから、きれいに吹き飛ばしてしまったような――。
しかもお客の膝上に乗ってた? ああだから、目についたのね。
「とにかく!お前は酒禁止!!いいな!!」
というわけで、薬に加えてお酒まで絶たれた私は、彼女達が来たとき、少々不機嫌だった。
「ヴァ、ヴァリエール? そ、そそそその格好は――」
「ルイズって呼んでちょうだい。それより、モンモランシー。差し入れがほしいの」
「な、なに?」
「象も一瞬で眠り込んで耳元で行軍ラッパが大合奏しても起きない眠り薬。液体と錠剤両方ね」
挨拶代わりにお願いしたら、顎を落として硬直してしまった。
「冗談よ」
とりあえずそう誤魔化すと、毒を含んだような表情できょときょとと視線をさまよわせる。
「ね、ねえ、どうしてこんなところで働いているの? まさか借金でも――」
「違うわよ。ただの暇つぶし」
私ではなく、陛下の、だけど。
――ほんと、こんな迂遠ないやがらせをするくらいなら、さくっと刺しに来てくださればよろしいのに。
嘆息しつつ注文を訊き――おごり、と知ると遠慮ないのは平民も貴族も変わらない――タバサから手渡された『差し入れ』を抱えて、厨房へ戻る。
ひょこ、と顔を出したサイトが首を傾げていた。
「あいつらにここで働いていること言ったのか? 秘密じゃ」
「大丈夫よ。口止めはしてあるから――」
今日は二人にお願いしていたことの中間報告に来てもらったのだ。
「なんだ? 夏休みの宿題でも頼んだのか?」
「いいえ、もっと個人的なこと」
「ふーん?」
タバサにはその読書量を見込み、フェニアのライブラリーの調査を――同じような内容に関心があるらしく、私の代わりにとライブラリーの閲覧許可をあげたら、快諾してくれた。
そして、モンモランシーには魔法薬の知識と、なにより代々『水の精霊』の巫女を務めたモンモランシ家の一人娘という立場を見込んで、情報収集を――ポーション実験のための資金と一緒に、きちんと笑顔で頼んだら、やっぱり二つ返事で頷いてくれた。
モンモランシーへの『お願い』はともかく、ライブラリーに関しては、夏期休暇を使って自分で調べるつもりだった――そのために学院長に頼み込んで普段は入れないライブラリーの閲覧許可をもらったのだ。
けれどすべて、気紛れな姫様のおかげでご破算になってしまった。
――ほんと、タバサがいてくれて、助かったわ……。
ついつい我慢できず、渡された『レポート』をぱらぱらとめくりながら思う。そう言えば――
――あの娘はどうして『水』の先住魔法に興味があるのかしら?
けれどレポートの内容に、すぐにその疑問は失せた。
さすが学年一の読書家、いい仕事ぶりだ。ハシバミ草は大盛りにしてあげよう。
「じゃあ、キュルケとギーシュは?」
「?」
サイトに指さされて気づいた。あら、一緒に来てたの?
「あんたって、とことんマイペースよね!」
「別に無視したわけじゃないわよ。目に入らなかっただけで」
「同じ事でしょうが!」
ぷりぷりと怒り、私を自分の隣に座らせるキュルケ。酌をしろっての?
「ええ、そうよ。これで私は、ラ・ヴァリエールに酌をさせた最初のフォン・ツェルプストーになれるわ」
「はいはい。私ももらうわよ」
「こら!」
――ちっ。
手酌は、目敏い使い魔に阻まれた。さらに事情を聞いた友人一同は――私から一斉にグラスとボトルを遠ざける。
「ちょっと、なんで」
「――あんたねぇ、サイトを虐めるのもほどほどにしなさいよ」
「はあ?」
「混ぜるな危険」
「なによ、タバサまで……」
キュルケは思いのほかまじめな口調、モンモランシーは青ざめて口をつぐみ、ギーシュは彼女を慰め、タバサはじっと私を見ている。その視線は……なんか、重たい……。
居心地の悪くなった私は、大人しく椅子の上で身を丸めた。そこへさらに、こんこんと説教を垂れるキュルケ・フォン・ツェルプストー。
どうやらこの扱いは惚れ薬の一件が原因らしい。それについては忘れたふりをしているので、うまく反論できないのが歯がゆい。
たしかに“ああ”なったのを全部クスリのせいにして、適当に誤解されるように仕向けたのは私だけど……。
傍目にはせいぜい“笑顔が増えた”程度だったはず。なのに、どうして皆が皆、そこまで怯えるのかしら――?
「だいたいね、あの件はあんたも悪いのよ? 気安く他人の『いちばん』に手を出して、いっそ殺されても文句は言えないわ」
――そんなことは、わかってるわよ。
とは言えず、顔を背ける。自分でもあのやり口は悪趣味だった自覚があるので、反論できない。けど――『事故』で片がついたものをいまさら蒸し返されてもね。と、もう一方の当事者を伺うと、なぜかそこには顔が真っ赤なのと、きょとんとしたのがいた。
「あ、あああの、そそそそういうことを当人の前で言うのはちょっとやめてほしいんだけど――」
「……『いちばん』?」
「「バカップル貴族は黙ってろ」なさい」
息の合ったキュルケとサイトに、モンモランシーとギーシュは黙らされた。
そんな感じでなんとなく悪くなった空気。それを変えるためか、次第に場の話題は当たり障りのない、学院の昔話へと流れた。
私は適当に仕事もしながら、聞き役に回る。彼らと知り合ったのは進級してからだから、一年の頃の話題となるとまるでわからない。ところが、話がキュルケとタバサが友人になったきっかけに及んだとき、なぜか私の名も上がった。
『微熱』のキュルケと『雪風』のタバサ――ぱっと見正反対ながら妙に息の合った親友同士。そんなふたりも、入学当初には色々といざこざがあって、仕舞いにはちょっとした誤解からすわ決闘か、というところまで仲が拗れたことがあるらしい。
けれど私には、そのいざこざの場となった入学式も新入生歓迎パーティもまるで記憶がない(たぶん見えない鬱と戦うのに忙しかったんだろう)。なのになぜ私が関わるかというと――、
「その決闘中に、ルイズが『降って』きたのよねぇ」
「「「は?」」」
「……そう、だっけ?」
なんでも、二人が決闘をするべく中庭で向かい合っていると、不意に空から本が降ってきたのだという。それを咄嗟にタバサがレビテーションで受け止め――何が起きたのかと見上げたところに、さらに私が墜ちてきた、と。
決闘の時に余所見をしてていいの、と思ったけれど、口に出すとまた叱られそうな気がしたので、やめる。
――そういえば、そんなこともあったわね。
以前、塔で居眠りをしていたときと同じような話だ。たしか、あのときは本を読んでいて手が滑って――窓の外に落ちてしまった本に咄嗟に手を伸ばした結果、そうなった。
ツェルプストーにレビテーションで受け止められたことは覚えている。よりにもよって仇敵の家柄に助けられるとは思わなくてずいぶん驚いたから。……そういえば、その時ほかにも誰かいて、スカートの中身を見られたんじゃなかったっけ?
「もしかして、一年の時、レイナール達が『天使が降ってきた』とか騒いでいたのはそれのことかい?」
ギーシュがちょっと引きつった顔で尋ねる。
それはふたりの仲違いの原因となった連中で、決闘のときも覗き見していたらしい。結局キュルケにそれがバレて、怒り狂った『微熱』に頭を丸禿げにされたとか。
「でも、天使様を探すんだとかわけのわからないことしか言わなかったから、誰も理由がわからなかったんだ。アレにそんな真相があったなんて――」
――あまりに恐ろしい目にあって、気が触れたのかしら?
「ま、馬鹿どものことなんてどうでもいいわ。とにかく、それでタバサと私は友達になって――いけ好かないヴァリエールの三女が、ドジでおっちょこちょいでお間抜けなルイズ・フランソワーズに変わったのよ」
「そんなオチなんてつけなくていいわよ」
そんな感じで、その後も友人達は私のおごりで私を肴にしてさんざん盛り上がった挙句、宿をとって一泊していった。
――なんて傍若無人なんだろ。
ため息をついていると、サイトが横に来て一言。
「いいダチじゃん。大事にしろよ?」
「……うっさい」
最近、本当に保護者気取りだ。
***
「ほんと、ひでぇ大根だったな。あれ」
――また言ってる。
今日はサイトに誘われて、オペラ座の劇を観に行った。劇場で観るお芝居は生まれて初めてで、よくわからなかったけれど――サイト曰く、あまり出来は良くなかったようだ。
それがだいぶ不満だったようで、店に戻って一日仕事をした今になっても、彼はそれを口にする。
「悪かったな、あんなんにつき合わせて」
「なんであんたが謝るのよ。そんなに悪くなかったわよ?」
なにせ初めてのことだから、役者の技倆は私にはわからない。まあ、結末がわかりきっている筋立てだな、とは思ったけれど――。
「じゃあ、すこしは楽しかった?」
「ええ」
「……そっか、よかった」
ようやくほっとしたように言う。ほんと、何をそんなに気にしているのだろう、と私はすこし可笑しくなった。
「やっぱせっかく出かけるなら楽しい方がいいだろ?――それより、まだ寝ないのか?」
「もう少しかかるわ。先、寝てて」
「ん、」
言いながら、ランプの灯りをすこし細くする。陛下への報告書をまとめているところだった。
後ろで、先にベッドに入ったサイトがもぞもぞと寝返りを打つ。
「なあ――」
「なに? 眠れないの?」
「いや。あのさ。実は俺、ここで働くの、けっこう好きなんだよな。楽しいし」
「へえ、奇特ね。たしかにいいお店だとは思うけど。毎日遅くまでくたくたになるまで働いて、挙句に寝るところはこの埃だらけで狭苦しい屋根裏、ていうのが楽しいの?」
「まあ、学院の寮の方がなんぼかきれいだけどさ。でも、ここには……いるし、」
サイトはうにゃうにゃと呟いた後、もう一度、寝返りを打った。
「で、お前はどうなんだ? 毎日鬱だ何だって言ってるけど――」
私はペンを動かす手を止めた。そして、ちらりと壁に掛けられた衣装を眺める。そうね――。
「――そっか、よかった」
サイトがまた、嬉しそうに呟く。まだ何も言ってないわよ、と言いかけて、丸くなった毛布から出た黒髪に、私は口をつぐむ。
「……おやすみなさい、サイト」
「ああ、おやすみ、ルイズ。お前も早く寝ろよ」
「はいはい」
ほんとうに過保護なんだから、と苦笑しつつ、私は窓を開けて合図を送った。ふくろうがやってきて、私の手紙を持って行く。その代わりに彼が置いていったのは、いつもの百合の封蝋がついた封筒。
中を読み、ふと――そう言えば子供の頃、姫様もよく『お芝居ごっこ』をしたがったな、と思い出す。なりたがる役はいつもお姫様。現実でも王女様であるのに、おかしな話だと思ったものだけど……。
「やっぱり今もお好きなのね、姫様は」
独りごちた後――もう一度頭から読んで中身を全て覚える。そして封書ごと、ランプの火につけて燃やした。すべて灰になったのを確認して、ランプを消す。
それから、私はいつものようにベッドへ――サイトの隣へと潜り込んだ。
数日後。
私は最初の日に購入した衣装に袖を通していた。お役目のために、と選んだものの、ずっと放置していたやつだ。店の衣装より、さらに頼りない布地。その代わり、締め付けが少ないのがいい。
「よお、どこに行くんだい?」
「デルフ」
刀身に布を巻かれただけでベッドの足下に立てかけられていた錆び剣が、不意に声をかけてきた。
「やれやれ主人のお出かけってのに、相棒はねんねか。情けないねぇ」
「たまにはいいでしょう。最近眠れてなかったみたいだから――ゆっくり寝かしておいて」
どうせ耳元で行軍ラッパが大合奏しても起きやしないけど。
私はベッドでぐっすりと眠りこけるサイトの黒髪をくしゃりと撫でた。そして、枕元からグラスを片づける。
「そうだ。後で起きたら、こいつにコレ、渡しといてくれない?」
「何だい?」
「今まで稼いだチップと姫様からの今回の活動資金の余り。私には要らないものだから」
「自分の手で渡したらいいじゃねーか。そもそも俺様剣だから、『渡す』とかできないしな」
「はいはい」
私はうそぶく剣の言葉を聞き流し、彼の枕元にそのずっしりとした袋を置いた。
いつもこんなものしかあげられない主人で申し訳ないけど――まあ、お金はあって困るものじゃないしね。
「あ、あと、伝言もお願い」
「なんだい?」
「『あのときは、キスしてごめんなさい』って伝えてくれない?」
「ハ。それこそ自分で言えよ。きっと――ぶん殴ってもらえるぜ?」
「……え。そう?」
意外な言葉にきょとんとしてしまった私に、錆剣は自信満々に告げた。
「ああ、間違いないね。いくらどーしようもなくヘタレでチキンな相棒でも、んなこと言われたらきっとキレるよ。ブチっとキレちまうよ」
「そう、」
「…………まあ、好きにすればいいさ。どうせ俺達はただのモノだからな、」
その言葉に、私は、六千年この世界に在り続けたという剣を見る。錆びついた刀身。彼も時には**たいと思うことがあるのだろうか?
なんとなく、それを尋ねるのは失礼な気がして私は口をつぐんだ。代わりに、告げる。
「ねぇ、デルフ。私、あんたのことけっこう好きだったわ」
「剣だから、だろ?」
「……まあね」
苦笑い。私は祈祷書と紙の束をまとめて手にとると、眠り続けるサイトを残し、ひとり、店の裏口から街に出た。
***
それから――王城の方へと向かう。
王城のほど近くには、人目を忍ぶように一台の馬車が停まっていた。周囲には衛士達。私はそれらが見える位置に行くと、そっと口の中でルーンを唱える。
虚無魔法の難点はなによりも、ルーンが長大で詠唱に時間がかかることだ。一方、その利点は、四大系統のどれにも属さないために、四大では見破ることも防ぐこともできないこと。
そんなことを考えながら、出来上がった魔法を衛士達に囲まれた幼なじみへ向けた。
<続>