その日、呪いをかけられた。
***
私は、うとうとと夢を見ていた。
屋敷の中を幼い私が駆けている。――いくつのときのことだろう。何をして遊んできたのか、なんだかひどい格好だった。スカートのすそは破れているし、まるで茂みにつっこんだかのように顔にはひっかき傷をつけている。
それでも、私は笑っていた。何が楽しいのか、唇の端をつりあげるようにして笑ったまま、ぱたぱたと軽い足音をたてる。
おてんばな少女は、その両の手を胸の前で重ねるようにして、大事に大事に『なにか』を持っていた――何を持っているのか、夢を見ながら考えるが思い出せない――。
そんな格好で、そんなに急いで、母や長姉や家庭教師達に見つかったらどうするつもりかしら。きっとひどく叱られて、鞭でその手をぶたれてしまうだろうに。
けれど懸念は外れ、幼い私は無事、誰にも見つかることなく目的の場所にたどり着いた。
そこは次姉の部屋だった。“だいすきなちいねえさま”のお部屋。
両手がふさがっている私は――すぐに声をかけることをせず――、まずはそっと扉の隙間から中を見た。暗い廊下から、やせっぽちの子供の鳶色の瞳が覗き込む。
中には姉がいた。だいすきなちいねえさまと、それに姉様が。
はりついていた笑顔が崩れ、むぅ、と唇が尖る。そう言えば幼い頃の私は、その厳格で物言いのキツイ長姉のことが大の苦手だった。
――もう、ちいねえさまだけにおつたえしたいのに。
不満顔で思う。そう、私は次姉にごあいさつをするつもりなのだ。たいせつなごあいさつを。
その素敵な思いつきを思い出して、再び私の顔は笑みをかたどる。
――ちいねえさまに、はやくおつたえしたいな。あのね、わたし、きめたのよって。
うふふ、と笑いながら、両手を自分の胸の前に持ち上げる。まるでお祈りをするような姿勢で笑う。
――るいず、しんじゃうの。そうきめたのよ。
見開かれたままほとんど瞬かない鳶色の瞳と、ひっかき傷が残る血の気が失せた白い頬。
――ちいねえさまはびっくりして、きっと、どうして、っておたずねになるわね。そうしたら、なんておこたえしようかしら?
ふわふわと浮かれた様子で考えながら、もう一度室内を確認する。ああ、はやくでていかないかしら。邪魔者はいつまでも、ちいねえさまの枕元で腰掛けている。ちいねえさまはベッドから体を起こして、その邪魔者とお話中だ。
――なにをおはなししていらっしゃるのかな?
焦れながらそう考えたとき、その声が聞こえた。
だいすきなちいねえさまの声、まるで小鳥のさえずりのように可憐な声だ。いつも私をなぐさめ、励まし、そしてゆるしてくれる。優しくて甘くて、あたたかい声――なのに、扉の向こうの私はその声を耳にした瞬間、びく、と身を震わせた。
(「ねぇ、お姉様。いつまで私はこうなのかしら?」)
(「カトレア」)
(「お姉様、私、怖いの。私――」)
(「××××××」)
――ぱっ、と目が覚める。
「ルイズ! ちょっと聞いているのかしら!?」
「ふえ、」
その瞬間襲いかかった、びりびり、と耳を破るような剣幕に私は振り向いた。途端に金髪の女性の吊り上った鳶色の瞳に刺される。決して狭くはない馬車の中で、なぜか私のすぐ隣まで迫っている彼女――。
「な、なんでしょうか、エレオノール姉様」
我が長姉だった。
その迫力におされて私は元々顔をつけていた窓へと、さらに身を押しつける。けれど所詮、無駄なあがき。
「なんでしょうか、じゃないでしょう! まったく相変わらずぼんやりとした娘ね!! 私の話はまだ終わってなくてよ!!」
言葉とともに、のばされる白い手。諦観を覚えるより早く、長姉の指は、しか、と私の頬をつかみ、そして、揉んだ。
むにむにむにむにむにむにむにむにむにむにむにむにむにむに――と。
――痛い。
***しにたがりなるいずさん 6 前 ***
王都のアカデミーで働いているこの長姉が、学院を訪ねてきたのは今朝方のことだった。
休暇でもないのに、一緒に実家に帰れと言う。入学以来一度も帰省せずにいたのが、さすがにまずかったのか。でも。
――遠いのよねえ。
めんどうがっていると、姉も同調するように、息を吐く。
「相変わらずのようね、ちびルイズ」
「はあ。姉様もお変わりなく――」
ぴり。
私の言葉に、鳶色の目を普段以上に鋭くして、姉は言った。
「貴女、しっかり勉強はしているんでしょうね?」
「はい。それが務めですから」
「そう。――ところで、どうしてそんなに離れているのかしら?」
「ええっと――それでは、準備をして参りますね」
私は姉との間にある3メイルほどの距離をさらに後ずさって拡げながら、そそくさとその場を離れた。
ぴり。
首筋を無意識に手で撫でながら、自室へ向かう。面倒だろうと何だろうと、こうしてあの姉が出てきた以上、逆らっても無駄なことはよくわかっていた。抵抗するだけ、体力と時間がもったいない。
――ああ、そうだわ。
私はたまたまやってきた使い魔をつかまえる。
「よお、ルイズ。あの女の人って――」
「サイト、実家に行くの。一緒に来て頂戴」
「へ? 実家?」
「ええ、家族に紹介したいから」
一瞬、変な顔になったサイトに目をすがめる。
「妙な期待はしないでよ?」
田舎だから面白いものはないわよ、と釘を刺す。
「わ、わかってるって」
「そう。じゃあ急いで――」
そうして私達がそそくさと荷物をまとめたころには、姉によって侍女の手配も済んでいた。その姉が選んだ学院のメイドとサイトを先導の馬車に乗せ、私は家紋がついた馬車に姉と乗る。
学院からラ・ヴァリエール領内の実家までは、片道で都合二日はかかる。その長い道のりでできることと言えば、姉のおはなし(私への苦言と姉の職場でのあれこれ)を聞くくらいだ。
窓の外には田園地帯――懐かしいような、知らないような、広くて、閉じている風景。延々と続くそれをぼんやり眺めているうちに、だんだんと警戒を忘れて、うっかりうたた寝してしまったようだ。
――迂闊だったわ。
頬をつかまれたまま、反省。馬車の中だと逃げ場がないのよね。
***
「……ほうひへば、あでひゃま。てひゃみはひょんでくだひゃいまひたか?」
「何を言っているかわからないわ。ちゃんと言いなさい、ちびルイズ」
――手を離してくださればいいのになぁ。
と思いつつ、私は言う。
「てひゃみでふ」
ようやく伝わったときには、姉の眉間には深いしわが刻まれていた。
「あれが手紙ですって? レポートの間違いでしょう!」
またすこし力が強くなった指で、私の頬を、むにぃーとひっぱる姉様。うーん、いくら伸び縮みの良い私の頬でも、そろそろ本気で痛いです。
とにかく、フェニアのライブラリーを漁る中で見つけた、いくつかの古い症例や治療法に関するレポートは、ちゃんと姉のもとに届いたらしい。アカデミーの水治療の専門家に託してくださったそうだ。
「まあ。学生風情のレポートなんてたいしたものではないでしょうけど――」
そう言って、肩をすくめる姉。ようやく解放された私はこれ以上捕まらないように、頬を両手で押さえながら、頷いた。
「はい。すべて、私の自己満足です。煩わせてごめんなさい」
「……わかっていればいいのよ」
姉の言うとおり、そんなことで問題が解決できるなら、とうの昔に父母やこの姉が見つけているだろう。諦めることはないけれど、期待しすぎても辛いばかり。年長者の意見には、素直に頷く。
それからはレポートの内容や私が持ってきた本について話をすることで、なんとか平和に道のりを消化できた。のだけど――、
出発して二日目の昼。ようやく領内に入って旅籠のある村に着いたとき、また、やらかしてしまった。いつの間にか疲れて、注意力散漫になっていたらしい。村人達の話が中途半端に耳に入った私は、次姉からの手紙にあった『あること』を思い出した。ああそういえば、と、深く考えもせず彼女に呼びかけてしまった。
「そうだ、姉様、」
「なにかしら?」
カップを口に運んでいた姉が手を止めて、こちらを見てくれたので、私もしっかりと瞳を見て、笑いかける。そして、
「ご婚約、おめでとうございます――」
心からの祝辞を口に出した途端、びりびりびりと皮膚に違和感が走った。あれ? なんで皆、息を呑んでいるのかしら――?
「……今、何と言ったのかしら?」
「え、あの……?」
気づけば、ひさしぶりの姉様の笑顔だった――口の端がひきつって、眉が吊り上り、こめかみで血管が脈打つ、羅刹女の笑み。
「あなた、知らないの? それとも、知っていて言っているのかしら!?」
がし、と両の頬をつかまれる。え、何が? 何で――?
目をぱちぱちさせていると、姉がその疑問を解消してくれた。一言一言、はっきりと区切りながら、力強く、告げる。
「婚約は・とっくに・解消・よ! か・い・しょ・う!!」
あ、またですか――、と言いかけた途端、思いっきり――限界を超えて――ひっぱられた。
――あうぅ。ごめんなさい……。
「え、と大丈夫、か? ひどい目にあったな……」
「……ん。まあ、わたひがわるひのよ」
ようやく解放された私に、サイトが濡れタオルをくれた。それで、腫れあがった頬を冷やす。頬をしっかりとつねりあげられたまま、長々とお説教を受けたせいで、なんだか顔の形が変わってしまった気がするわ……。
姉曰く、私には気遣いが足りないらしい。ついでに、思慮も足りない、そもそも一年以上帰省もしないなんて何を考えているのか、ひさしぶりに寄越したと思えば手紙は素っ気ない、だいたい用があるなら直接会いに来たらどうなのいえ来るべきよ、云々。
よくよく思い返すと、ほとんど、さっきの失言とは関係ない気もするけど。まあ、それはともかく。
――まさかもう、断られていたなんて。姉様も難儀ね……。
頬をしっかりとタオルにうずめたまま、これで何度目だろう、と考える。
すらりとした細身に、私と違って混じり気のないブロンドを持つ姉は、身内の欲目を差し引いても、美しい人だ。魔法の才、礼節、教養――公爵家の令嬢として欠けるものは何一つ無い。けれど、なぜか、なかなか結婚できないでいる。決まって相手方に断れてしまうのだ。
今では年齢もかさんでいるし、プレッシャーは酷いだろう。それを抉ってしまったのだから、これくらいの報いは当然だ。
――でも、困ったわね……。
「姉様に結婚していただかないと我が家、断絶しちゃうのよね、」
「――あれ? でも、三人姉妹なんだろ?」
「下の姉は生まれつきお体が弱いの。それに、私はゼロだから子を残すわけにはいけないでしょう?」
「……え?」
私は、もう、と唇を尖らす。
「どうして、トリステインの貴族って皆、器がちっちゃいのかしら……」
なんでも婚約破棄の理由は、婚約者が『限界』だからだそうだ。
たしかに美人で優秀な姉には、攻撃的で容赦ない気性がアクセントでついているけど。
――それくらい、男なら受け止めてほしいわよねー。
と思っていると、隣でサイトが、いやいや、と首を振った。
「あのおねーさんに耐えられる人間は、たぶん人間じゃねぇぞ?」
「あのね。あんた、埋められたいの?」
口を慎みなさい、と告げたそのとき、不意に、バタンと音を立てて宿屋のドアが開いた。姉が戻ってきたのかと思って二人してびくっと振り向くと、そこには春風のように優雅にドレスをまとった淑女。私と同じ、桃色がかったブロンドの――。
「ちいねえさま?」
「まあ、やっぱり。ルイズなのね!」
現れたのは、二番目の姉だった。相変わらず、年上なのにまるで年下のように見える、可愛らしい顔立ちで、満面の笑みを浮かべている。私も思わず笑顔になりながら、同時に、頭の片隅で関係のないことを考えていた。
――ラ・ヴァリエールの三姉妹、勢ぞろいね。
***
「わたしの小さいルイズ、ほんとうにひさしぶりだわ。元気だった?」
「ええ、」
次姉もずいぶんとお具合が良さそうだった。陽気な様子で話しかける。そんな彼女に、私はさっそく『お土産』を見せることにした。
「ちいねえさま。私の使い魔を紹介いたしますわ、」
ぼけっ、としていたサイトを姉の前に引っ張り出す。ほら、ちゃんとご挨拶して――。
「まあ、この方がそうなの?」
まあ、まあまあ、と言いながら、気軽に近づく次姉。その顔は予想以上に嬉しそうだった。まるで新しくやってきた子犬を歓迎するように、サイトの顔をぺたぺたと触る。
なんでこんなに楽しそうなのかよくわからないけど――手紙でお話ししたときから、ずいぶんとご興味があったみたいだったし、連れてきた甲斐があったわね、と思いながら、脇に突っ立っていると――。
また首筋が、ぴり、ときた。
「ちょっと、ルイズ。どうしてわたくしには紹介がなかったのかしら――」
「え?」
きょとんと振り向くと、なぜか長姉がご機嫌ななめな様子。あれ?
「姉様も興味、ありましたか?」
尋ねた途端、またまた眉が吊り上る。うわ。
「――っ、貴女ね!」
声をうわずらせる長姉に、咄嗟に頬を押さえたまま後ずさる。するとそこへ、お姉様も一緒にご挨拶すればいいじゃない、と次姉がのんびりと笑って口を挟んだ。
――それはいいですけど……。
あんまり構いすぎると使い魔が怯えるんで、ほどほどにしてくださいね。
それから次姉の馬車に皆で乗って、屋敷へ向かった。次姉の馬車は大きく、中ではいつものようにたくさんのペット達が遊んでいる。ちいねえさまの動物好きも相変わらずのようだ。さまざまな種類の犬や猫が遊びまわっていたり、むっくりとした小熊が長姉の隣に腰掛けていたり……。
姉のペット達は皆、賢く大人しいので、特にキケンはない。けれど、
――太ももよりも太い蛇が天井から落ちてきたら、そりゃ驚くわよね。
慣れない娘には酷だったわ、と思いつつ、気絶してしまった哀れなメイドの介抱をサイトに任せて、私は前の席で寝そべっていた虎のところに行く。
悠々と欠伸をする、その口を覗き込む。真っ赤な口の中に、鋭く並んだ牙が、ひぃ、ふう、みぃ……。
迷惑そうな『彼』を無視してそんな風に暇を潰していると、白くて細い手がのびてきた。
「まあ、ルイズ、そんなところにいないで。姉さんの傍に来て頂戴。お話をしましょう」
「ちいねえさま」
子猫のように襟首をつかまれて、優しく招かれる。そのまま、私はすっぽりと次姉の腕の中におさまった。華奢だけれど柔らかであたたかい感触に包まれる。ラ・ヴァリエールの女の中で、なぜかこの次姉だけは、ちゃんとふくらんだ胸を持っていたりするのだ。
――それに、いい匂いがするのよね。いつも動物に囲まれていらっしゃるのに。
すん、と鼻を鳴らすと、次姉はくすぐったそうに笑った。優しくて甘い、その香り。
「ねぇ、ルイズ。私、最近つぐみを拾ったのよ」
「そうなの?」
楽しそうに話しかける姉につられて、私も笑いながら、おしゃべりに応じた。
結局屋敷に着いたのは夜、晩餐の時間だった。待っていてくれた母に姉妹三人で並んで挨拶をし、ついでに無沙汰を詫びる。父は明朝、帰るらしい。長姉が私のことを、しっかり叱ってもらわなきゃ、と言う。
――何を?
私は首を傾げる。けれど長姉は視線を合わそうとしない。尋ねるのは面倒なので、放っておくことにした。
――ま、何かあるなら向こうから言ってくるでしょう。
そう思いつつ、席に着く。後ろにサイトを控えさせ、複数の給仕達が音もなく料理を運んでくるのを待つ。生まれたときから慣れ親しんだ、実家の晩餐だ。学院と違って社交は義務でないので――食事中は終始、無言。
私は普段以上に作法を意識しながら、ふと、胸の内で首を傾げる。名門公爵家の晩餐、もちろん、饗される食材も調理も厳選された上等なものだ。でも。
――学院の食事の方が、美味しかった、かな?
舌が落ちたのかしら、と疑問に思いつつ、淡々と目の前の食事を口に運ぶ。
晩餐の後は、乞われて次姉の部屋へいった。寝台にそろって腰をかけ、髪の梳かしっこをする。母ゆずりの姉の髪は、櫛を入れるまでもなく、淡い桃色に輝いている。私は、ほれぼれとしながら、呟いた。
「ちいねえさまの髪はお綺麗ね、」
途端に姉は、ぷっと、可愛らしく吹き出した。
「まあ、ルイズ。あなたと同じ髪じゃない、」
「ううん。色は一緒でも、ちいねえさまの方が綺麗だわ」
「おかしなことを言うのね、何も変わらないわ、ほら――」
姉の手が、私の髪をゆっくりと丁寧に梳かす。私はそれをじっと受け入れる。
「ねぇ、ルイズ。学院のおともだちのお話を聞かせてくれる?」
「ええ。もちろんですわ」
姉のお願いに、約束だもの、と私は頷いた。
そもそも、あのトリステイン魔法学院に通うのを私に勧めてくれたのはこの姉だった。姉自身はお体が弱いので、領内から出たことがない。だから私が通って学院の話を聞かせてほしい、とそう仰ったのだ。
「あ。でも、手紙で送ったことの繰り返しになっちゃうかも」
「かまわないわ、あなたの口から聞きたいの。ね、お城に閉じこもっている姉さんに外のお話を聞かせて頂戴」
「ええ、それじゃあ――」
「――フォン・ツェルプストーのお嬢さんって楽しい方ね。いつかお会いしたいわ」
「うーん、此処に連れてくるのは難しいかも」
「そうね、きっとお父様達に反対されちゃうわね」
「うん。私も……ツェルプストーと友人になったなんて言ったら勘当になるかな?」
「まあ。娘におともだちができたことを怒る親なんていないわ」
姉はくすくすと笑いながら、私の頭を撫でた。
いつまでもこども扱いね、と少し不満に思うけど、それを振り払う気にもならず、私は大人しく顔を下げる。
「ああ、そうだわ。ねぇ、ルイズ。わたしの新しいおともだちを紹介するわね」
「あ、うん」
不意にそう言って姉が示したのは、白い布の上に寝かせられた小鳥だった。羽には丁寧に白い包帯が巻かれている。馬車の中で話していたつぐみだろう。力なく、啼く。
その弱々しい姿に、きゅっと胸が詰まった。
「……羽、折れてしまったの?」
「ええ。でももう大丈夫よ」
すぐに飛べるようになるだろう、と言う。この手のことに関する姉の見立ては正確だ。私はほっと息を吐いた。
なんでも――馬車で通りかかったとき、羽を傷つけて苦しんでいるこの子の声が聞こえたのだという。森の様々な鳥の鳴き声の中から、それを聞き分けて気づく。そんなことができるひとを私はこのひとしか知らない。
「ちいねえさまはやっぱりすごいわ! この子はちいねえさまに見つけていただいて幸せね、」
「ふふ。持ってみる?」
「ううん、いいわ」
姉に微笑み返しながら、私は両の手を体の後ろに回すと、そっとその子から離れた。姉は小鳥の籠を元に戻すと、今夜は一緒に寝ましょうね、とまた私の頭を抱きしめた。
その言葉通り、私はその晩、昔のように姉に抱かれながら眠った。優しくて甘い香りに包まれて――。
そして夢の続きを見る。
広い屋敷の中を、幼い私がとぼとぼと廊下を歩いている。しょんぼりとした様子で小さな頭を傾げながら、ぽそぽそと呟いている。
(「……にたいのに、……たくないの?」)
呟きは小さく、声は外には響かない。ただ口の中だけで言葉を転がしている。
(「……んでしまえばいいの。だってわたしは……だから、きっとよろこんで……もう……しくないし……ちいねえさまも……でも、ちいねえさまは……っていう……きっとわたしが……っていったら……ちいねえさまは……」)
ぐるぐると言葉は回る。混乱した私は、痛む頭を押さえようとした。そして、手がふさがっていることを思い出す。
立ち止まり、そっと胸の前で両の手を開く。やわらかく握りしめていた“それ”が、鳶色の虚ろな瞳に映る。
(「……どうしたらいいの……?」)
けれど、答は返らない。
素晴らしい天啓のように思えたその考えは、この日得たもうひとつの言葉によって、すっかり塗りつぶされてしまった
いつまでもいつまでもぐるぐるとその言葉が、私の頭を流れ続ける。だいすきなちいねえさまの、小鳥のさえずりのような可憐なお声が。
(「姉様。私、怖いの。死ぬのが怖い。『死にたくない』の」)
その日、呪いをかけられた。
呪いの名は『死にたがり』。
かけたのは私のだいすきなひと。
*** つづく ***
(211129)