「言い残すことがあるなら聞いてやるぜ」
「……貴様、何者だ」
「顔隠して女襲うような賊に、名乗る名はねえんだよ」
イシュラは嗤ってみせる。
騎士の正式な立会いというのは、名乗りをあげて行う。イシュラがいた最前線においては、そんな悠長なことはしていなかったが、それでも、その力量を認めた敵の名を問うことはあったし、問われて名乗ることもあった。
かつてほど神聖な意味を持たぬとはいえ、『名を名乗る』という行為は特別な意味がある。
礼を重んじる騎士ならば尚更だ。
だが、顔も隠しているような相手に名乗るほどイシュラは物好きではない。
(俺は姫さんの騎士だからな……)
最早イシュラの名はイシュラ一人のものではない。
だからイシュラは男に名乗るほどの価値はないと言い放つ。
それをあからさまな挑発ととったのか、あるいは、名乗るに名乗れぬ我が身の腑甲斐無さを嘆いたのか、男はギリと唇を噛んだ。
(なんだ、まだ牙はあるじゃねーか)
イシュラはニヤリと笑った。
不謹慎だったが心が浮き立った。
目の前の男が、腕の立つ人間だということは一目見たときからわかっていた。
だが、躊躇いながらふるわれるその剣にはキレがなく、精彩に欠けていた。気迫がないといってもいい。
(そんな鈍らな剣が、俺に届くわけがない)
剣の鋭さは、すなわち心の鋭さだ。
その心に屈託があるようでは切れ味が鈍るのは当たり前だ。
(足りねえんだよ)
イシュラが上段から思いっきり叩きつけた剣を、男はかろうじて受け止める。
打ち合わせた刃から、火の粉が飛ぶように光が散った。
イシュラの剣は悪いものではないが、目の前の男のそれに比べると数段劣る数うちの量産品だ。シェスティリエの加護がなければ、とうに折れていてもおかしくない。
対する男の剣は、イシュラがほれぼれするような逸品だった。それこそ、どこぞの貴族が家宝にしていてもおかしくないような品である。
おそらく、目の前の男は王家にかなり近い身であるのだろうとイシュラは推測した。この剣をちゃんと見せれば、もしかしたらシェスティリエならその家名を探し当てることも可能かもしれない。
だが、イシュラにとってそんなことは意味が無い。
(くだらねえ雑念持ち込むんじゃねえ)
何をどう選んでもかまわない。それが誰の命令によるどんな理由でも構わない。
だが、ここで今こうして向き合っているのは……殺しあっているのは、イシュラと目の前の男だった。
そこに他者の思惑が介入することをイシュラは良としない。
所詮、彼らがしているのは殺し合いだ。
目の前に相対したら、互いにその剣に命を賭ける……ただそれだけのはずだ。
なのに、余計なことに気を取られているから、イシュラの刃が簡単に通る。
それがイシュラには、余所見をされているような……真剣に対されていないような気がして腹立たしかった。
横薙ぎに払ったイシュラの剣を男は飛びすさることで避けたが、魔力を帯びたイシュラの剣は、その切っ先が実際に見えているものよりも長い。
浅くその肌を切った感触が手に伝わる。
男の表情が険しさを増した。
(殺し合いは、もっと真剣にやらねえとダメだろう)
イシュラは、男に笑いかける。
楽しかった。
こう言うと誤解を招くかもしれないが、ワクワクしていた。
戦場で暮らしてきたイシュラは、感情が麻痺しているようなところがある。麻痺させなければ生きてこられなかったのだと、まだ少年だった頃のイシュラを診た医者が言ったが実際にはよくわからない。
そんなこと意識したことがなかったし、イシュラにしてみればどうでも良いことだったからだ。
麻痺していようがしていまいが、はたまた、それが鈍かろうが、敵と対峙すれば心が浮き立つし、強い敵であればあるほど嬉しくなった。
男の鋭い突きが、自分の前髪を掠めてゾクリとした。
(もっと、だ)
イシュラは心の中で念じる。
(もっと…もっと…)
もっと、本気で来い、と祈りにも似た真摯さで、ただそれだけを願う。
今、この瞬間、イシュラは自分が生きているということを何よりも実感できる。
ずっとそれだけがイシュラの全てだった。
他のありとあらゆることは、イシュラにとっておまけにすぎなかった。
酒を酌み交わし大騒ぎをすることも。
声をかけてきた女を抱くことも。
それこそ、食事をすることや訓練する事さえも、イシュラにとっては等しくおまけだった。
戦場に立つためだけに、他のすべてをこなしていた。
逆を言えば、戦場に在る為にイシュラは彼にできるすべての努力を費やしていたと言ってもいい。
だからイシュラは、戦場において本気で相対さない者を腹立たしく思う。
互いに剣をふるい、刃を交え、あるいは、打ちあい……火花が散るたびに、余計なものが削ぎ落とされていく。
目の前の相手が自分を殺す為に、ただ自分だけを望む……その瞬間が、イシュラはたまらなく好きだった。
ゾクゾクと背筋を駆け上がる愉悦……それは、どんな快楽にも勝った。
この一瞬の為に自分は生きているのだとさえ思う。
(いやいや、でも、俺は姫さんの騎士だから、自重しねーと)
イシュラは、戦いに陶酔しそうな自分を押しとどめる。
かつて、イシュラは死神だった。
ただただ愉悦と戦いの陶酔の中で命を狩り続ける死神だった。
だが、今のイシュラは違うのだ。
シェスティリエの騎士である事……それこそが、イシュラの誇りであり、存在意義である。
それを思うと、イシュラの頬はついつい緩む。
それが、目の前の男の目には余裕と映ったらしい。
向けられる視線にこめられた強い殺気に、ゾクゾクした。
「来いよ」
まるで遊びにでも誘うかのように言った。
イシュラにとってそれは遊びと変わらなかった。戯れという意味ではない。イシュラにとって楽しい行為であるという意味でだ。
「……参る」
男は短く告げ、そして、男の持てる全てでもってイシュラに立ち向かった。
「楽しそうですねぇ」
「そうだな」
視線の先には、刃を交わす二つの影。最初はじりじりと動かずに互いに様子を見ていたが、ある一線を越えた瞬間、激しい打ち合いに突入した。
(介入しても良かったんだが……)
予想以上に魔力の消費が少なかったので、まだだいぶ余力はあった。
だが、シェスティリエはそれ以上の魔術の行使をやめて、軽く自分とルドクの周囲に守護の結界を張るだけにとどめる。
(守られることも仕事のうちだからな)
己の騎士が、己の為に戦っているのを見守ることもまた主の義務だ、と一人うなづく。
まあ、えらそうな理屈をこねてみたものの、つまるところ、イシュラが楽しそうにしているものを自分が介入して台無しにしてしまったら可哀想だろう、というのがシェスティリエの素直な心境だった。
「なんか、綺麗ですね」
どちらもその技量が並外れているだろうことが、見ているだけの二人にもわかる。
彼らが刃を打ち合わせるたびに、火花が散る。
夜の闇の中で、それは何だかとても美しく見えていた。
「あれは、ことなるまりょくどうしがぶつかってとびちっているんだ」
「イシュラさんって、魔力があるんですか?」
「ちがう。イシュラのつるぎはわたしのまりょくをおびていて、もういっぽうのつるぎは、つるぎじたいがまけんなんだ」
「魔剣?そんなこともわかるんですか?」
「まりょくのしつでわかる。……しかし……」
「何か?」
イシュラと対峙している男こそが、いまや最後の一人である。他の襲撃者の脅威がないせいでルドクも彼らの戦いを見守る余裕があった。
「いや……イシュラは……あれではもうあそびといっしょだとおもってな」
その声音にやや呆れた響きが入り混じっているのを、ルドクは敏感に聞き取った。
少し離れた場所で打ち合っている二人は、舞っているかのように無駄な動きがなく、その刃はどこまでも研ぎ澄まされていた。
「遊び、ですか?」
「そう。……ごかいするなよ。なぶっているわけではない。むしろ、イシュラはしんけんだ。あいてがどんなによわくともイシュラはしんけんにたいするだろうし、つよければさらにしんけんになるだろう」
それが戦いを選んだ者の誇りであるだろうから、とシェスティリエは言う。
「戦いを選ぶというのはどういう意味ですか?」
「『せんし』というべきなのか、『ぶじん』というべきなのかはわからぬが……イシュラは、せんじょうでしかいきられないおとこだということだ」
「……一流の剣士だとは思いますけど」
旅の間に、その技量を何度も間近で見せ付けられた。
正直、同じ男として憧れを覚えた。
剣をふるうイシュラは、幼い頃、ルドクが夢見た英雄そのものだった。
「そう。けんにいきるものだ。……で、あるからして、イシュラはあんのんとしたへいわのなかではいきられまい。やすらぎやおだやかさ……そういったもののなかでは、きっとたいくつしすぎて、じしんがあらそいのたねになるだろう」
「……えっと……」
何かその様子を簡単に想像できてしまったルドクは、言葉に詰まる。
「イシュラがわたしといることがここちよいのは、わたしのしゅういがやすらぎやおだやかさとはむえんだからだ」
「そんなことは……」
「あるんだよ、ルドク。……べつにそれについてわたしはとくにもうしのべることはない。たんにじじつにすぎないからな」
「でも、シェスさまは別に何か問題をおこすようには……」
「わたしはイシュラとはちがうぞ」
むっとした表情で咎める。
「す、すいません」
「よい。……あのな、ルドク。わたしはそもそもそんざいじだいが『いしつ』なのだ」
「異質、ですか?」
「そう。『いしつ』であるから、そこにいるだけでしゅういになみかぜをたてる……たとえば、わたしはこのねんれいにはふにあいなちしきやはんだんりょくをもつ。わたしにとってそれはもはやふつうだが、それをふつうとおもわぬものはおおい」
人というのは、普通でないモノや自分とは違うモノを排除したがる習性があるんだよ、と続ける声音に、ルドクは言葉がなかった。
ルドクには思い当たることが幾つかあったし、想像をすることもたやすかった。
何よりも、シェスティリエは確かに異質な存在だった。
見た目はまったく普通の幼い少女のように見えるのだが、中身がまったく違っていた。
そして、その差異はこれからどんどん大きくなるんだろうと思えた。
「イシュラは、そんなわたしがみをまもるためのつるぎだ」
いささか切れ味が良すぎるようだがな、とつぶやいた視線の先には、崩れ落ちる黒ずくめの襲撃者の姿があった。
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2010.11.27 更新
2011.01.17 修正
感想他、ありがとうございます。
とっても励みになっています。
漢字、かなの表記揺れはいずれまとめて訂正させていただきます。
内容があんまり進まなかったので、次の更新は1週間以内に。