(うわ、カオス……)
ルドクがアルフィナに数歩遅れて天幕に入ったとき、そこはもはや手のつけられない状況に陥っていた。
視線の先には、シェスティリエの腕を抱え込むように抱きついているイリがいて、イリは、シェスティリエににこやかに話しかける青年にあからさまな警戒心を向けていた。
いや、それは警戒心を通り越して既に敵意に近いかもしれない。
だが、青年はまったくイリをスルーしてしきりにシェスティリエに話しかけ、傍らの護衛の聖騎士が顔を真っ赤にして怒鳴っている。
(あー、怒鳴ってないで、止めましょうよ、その人を)
思わず心の中でつぶやくが、声には出せない。
それがルドクの性格だ。
シェスティリエに関わらない限りこれ以上彼に近づくつもりもなかったのだが、どうやらルドクが思っていたようにはいかないらしい。
視線を移動させれば、シェスティリエが笑っているのが目に入った。
(……笑ってる……)
思わずぼーっと見惚れかけ、そしてハッとした。
(いやいやそんな場合じゃないから)
だが、その表情はルドクが見たこともないくらいにこやかで、思わずどきりとした。
ルドクは高鳴る鼓動を沈めるように深呼吸を一つする。そして、少し早口でたずねた。
「イシュラさん、なんであんなことになってるんですか?」
「あ~、あれな……」
ルドクの問いにイシュラは生温い笑みを浮かべた。
「あのバカぎみ……じゃねえ、えーと、若君がだ、話してるうちに姫さんに膝まづいて求婚しやがったんだよ。そこにちょうどイリがきてな……想像つくだろ?」
「あ~、はい。……何となく、わかりました」
その説明だけで、ルドクには目の前の光景に納得がいった。
(シェス様が世界の全てなイリだもんな……)
シェティリエはイリにとって、『主』であるという以上に、イリの『世界』である。
そんなシェスティリエの前に急に現れた得体の知れない相手に、イリが敵意を抱かずにいられるはずがない。
「……止めなくて良いのですか?」
アルフィナが不安げな表情で二人を振り返る。
イシュラとルドクはお互いに横目で互いの顔を見合った。
仕方なく口を開いたのはイシュラだった。
「誰を?」
イシュラは生温い笑みにも似た表情のまま、軽く首を傾げる。
この軽く首を傾げるしぐさというのはシェスティリエがよくやるもので、いつの間にか、一緒に旅する全員にうつっていた。
「えーと……イリを……」
そう口にしたアルフィナ自身、その答えに自信がなかった。
イリを止めたところで、既にこの騒ぎがおさまるようには見えなかった。
「イリの主は姫さんで、姫さんが止めないからいいだろ」
「でも、イリがあの身分の高い聖職者の方に咎められたら……」
「大司教だってよ。本人がそう言った」
「フィリですか……」
「そう。あのバ……若君が、従者であるイリを咎めるとしたら、それは姫さんを咎めることなわけだ。でも、あのバカ……じゃね、若君は、姫さんに求婚してるわけで、常識的に考えて姫さんを咎めることはないだろ。そもそも、あいつのバカバカしい求婚が、イリのあの態度の原因なわけだから止めようがないと思わねえ?」
「でも……」
「まあ、俺が止めるとしたらあのバカ君だな」
「ですよね」
「だろ」
二人は互いに強くうなづきあう。アルフィナにはさっぱりわからなかった。
イリを注意したほうがいいのかと思いつつも、あの中に割り込む勇気はアルフィナにはない。
「イシュラさん、バカ君って……聞かれたらまずいでしょ」
「あー、それ一応秘密な。でも事実だろ。あんなちびっこい姫さんに求婚するなんて……誰だって正気を疑うだろ」
イシュラは「バカなことはおっしゃらないで下さい!」とか「ご身分をお考え下さい!」とか「目を覚ましてください」等と怒鳴っている聖騎士を目で示す。
「いや~、シェス様は類い稀な美貌の持ち主ですし……」
「けどよ、膝まづくにはあと5年……いや、10年は早いだろ?」
「イシュラさん、世の中青田買いってものがありましてね……」
イシュラはため息を一つつき、改めてルドクに向き直り、ぽん、と肩に手をやる。
「あのな、どう言葉を取り繕うとも、本当に求婚してるんだったらただのロリコンだっての。いや、ロリコン通り越して変質者でもいいかもしれん」
「……たぶん、彼は、次期枢機卿に一番近いと言われる大司教様ですよ?」
商人にとって情報はある意味、金にも等しい価値を持つ。
ルドクもその端くれとして、あらゆる情報に通じていられるよう常にアンテナははりめぐらせているつもりだ。
彼はこれまで得られた情報を整理して、すでに彼の名前も身分もあたりをつけていた。
『赤の塔』『王族か貴族出身』『大司教』『生母の見舞い』『アルネラバを経由』という情報を組み合わせれば、おのずと答えは導かれる。
(古王国アルマディアスの王弟であるエーダ大司教閣下)
おそらく、それが『彼』だ。
「ルドク、聖職者だからロリコンにならねえって保障はねえ」
「それはそうですが……」
「ま、イリがあんだけくっついてりゃ、大丈夫だろ。……姫さんも滅多なことはしねーよ」
「……心配するのは、やっぱりそっちなんですね」
小さく笑う。
普通は逆かもしれないが、相手が誰であれシェスティリエがおとなしく何かされるとは到底思えない。
むしろ、何かしようとした相手が殺される……あるいは死にそうな目に遭わされる……ほうが、ルドクにはたやすく想像できる。
「あったりめえだろ。大司教様だか何だかしらねえけどな、姫さんがそんなことで手加減してくれると思ったら大間違いだっての」
うちの姫さんは公平だからな、とイシュラはどこかおかしな自慢をする。
それがものすごく得意気なのが、ほほえましく思える。
イシュラのような男をほほえましいと思ってしまうような自分の感性にイマイチ自信がなかったりもするが、それはそれである。
(でも、それってつまり、身分問わず公平にぶちのめすってことですよね)
シェスティリエの気性というのは鮮やかだ。
わかりにくい部分も多々あるが、基本的にはわかりやすい。
その判断はきっちり一本芯が通っていて、それは身分や家名やそういったものではまったく変わらないのである。
(世間一般の正義とは違うかもしれないけれど)
でも、ルドクは納得できるし、それを好ましいとも思う。
「……シェス様ご自身は、本当のところどうなんです?さっきは随分と大司教様と話がはずんでいたようでしたし、見たことないような笑顔なんですけど……」
「あれをはずんでたと表現するとは、おまえも相当イイ感性してるよ」
「違うんですか?」
「まったくもって。……だいたい、姫さんは本気にしてないだろ……求婚については」
「でも、本気にしてないにせよ、悪い気はしてないんじゃないんですか?大司教様は顔もいいですし、お血筋も悪くないですよ」
「ルドク、うちの姫さんが本当にそんなもんに興味を持つと?」
「………すいません。ありえないことを言いました」
ルドクは即座に認識を改め、謝罪の意で軽く頭を下げる。イシュラはそうだろうというように小さくうなづいた。
「だから、あれはそろそろ限界だろ」
見たこともないくらいの満面の笑み……それは、酷く美しく感じられるものだった。
見れば見るほど、何だかドキドキしてくる。
これは自分がときめいているのか、それとも、まったく別の何かなのか……判別はつきにくい。
だが、ルドクは、これまでの経験上後者を選ぶ。
そう。たぶん、どちらかというとこれは危険信号だ。
「あのな、ルドク。姫さんの場合、見たこともないような笑顔ってのは、見たこともないくらい機嫌が悪いだと思っていいぜ、たぶん」
ルドクよりもずっと縁の深いイシュラも断言する。
シェスティリエは、騒がしいことはあまり好まないし、べたべたされることも好きではない。その上、構われるのも大嫌いだ。
イリには通常よりもだいぶ甘いので良いとしても、あの青年大司教の幼い子供の機嫌をとるような話し方はかなりマズいだろう。
シェスティリエは子ども扱いされることが大っ嫌いなのだ。
もちろん、教えてやるつもりはないが。
「あー、イリ、そろそろ姫さん離せや」
姫さん、昼寝の時間だぜ、とニヤリと笑ったイシュラが声をかける。
シェスティリエはむっとした表情をイシュラに向けた。
助けようという心がけは良いが、もうちょっと違う呼びかけがあるだろうと思う。
見た目は子供だが、中身はまったく別物であるシェスティリエは、仕方ないとは思いつつも、子供扱いされることに不快感を覚える。
イシュラはそれをよくわかっていて、こうやって構うのだ。
「もうしわけありませんが、ここでしつれいします、だいしきょうさま」
不快な気持ちを押し殺しながら、シェスティリエは左手を胸にあてそっと頭を下げる。
自分から手を離したイリを連れて戻ろうとするところを強引に腕をつかまれた。
「まだ、なにか?」
「そのような冷たいことをおっしゃらないで下さい、ファナ」
柔らかな金の神の青年は、古代の英雄の彫刻のように美しい顔立ちをしている。シェスティリエが普通の子供であれば、そんな青年に求婚され、特別に扱われればうっとりしていたかもしれない。
(だが、私の中身は子供ではないから!)
それを口に出して言えたらどんなに良いだろうかと思う。
だが、中身が伝説の魔導師の生まれ変わりだと宣言するエラそうな態度の五歳児……これはもう間違いなく笑い者だ。笑い者になるくらいならまだマシで、下手したら頭がおかしい子扱いだろう。
そんな扱いは、彼女のプライドが許さない。
そして、そんなシェスティリエの目から見て、この青年は非情に胡散臭い。
(なんていうか……本格的に狙われてる気がする)
性愛の対象という意味ではない。たぶん、彼はロリコンではないだろう。
だが、彼女がまだ5歳の幼さでなければ、目の前の男は自分の美貌をエサにベッドまで持ち込み、抜き差しならない事態にまで彼女を追い込んだに違いない、と思える。それくらい、彼は自分を望んでいる。
だが、彼の目的がわからない。
彼が自分の何を狙っているのかがわからないのだ。
(幼女趣味とも思えないし……私が帝国貴族の娘であることを知ってるとも思えないし……)
知っていたとしても、それが彼の狙いであるとは到底思えない。
目の前の青年は王族、あるいはそれに匹敵する貴族の生まれだ。彼は、幾つかの単語で、そういう階級の人間しかしない発音をする。
そんな人間が、彼女が受け継ぐかもしれなかった領地や爵位についてどうこう考えるとも思えない。
「おはなしください」
やんわりとその手を振り解いた。
「わたくしは、ちょうしょくもいただきたいですし、すこしねむりたいですし、ふねのてはいもありますから」
「朝食はぜひご一緒に。それに、どうぞ私どもの船に一緒にご乗船を。ファナが眠っている間に、すぐに皇国に着くことでしょう」
「……おことばはありがたくちょうだいいたしますが、どうかこのままで。とくべつあつかいはこのみませんし、なによりもわたくしたちはじゅんれいでもあるのですから」
だから自分たちで行くと告げる。正直、眠さも限界だったし、うっとおしかった。いろいろ丁寧口調で話すのも面倒くさいものだ。
「私に奉仕させてくださらないのですか?」
「ファナにほうしするフィリなどきいたことがありません」
まだ何の位もない聖職者である『ファナ』。これからすべての位の可能性があるということで、ある意味特別な扱いをされる地位ではあるが、大司教位である『フィリ』とでは比べることすらおこがましい。
「いいえ、ファナ。あなたは特別だ。私の目にはそれが見えます。私の求婚を冗談とお思いにならないで下さい。私は本気です。本気であなたに求婚しています。求婚している者が奉仕することについては誰も咎めることは出来ません」
「……ほんきなら、わたしもほんきでいいます」
シェスティリエはその瞳をまっすぐと見つめる。
(どう見ても、惚れたって言う目ではないと思う)
確かに真剣ではあるが、そこに熱はない。
前の世において、そちらの方面には大変鈍いとの太鼓判をおされていたシェスティリエではあったが、それでも目の前の相手が自分に本気で惚れているかどうかくらいはわかる……たぶん。
「すっごく、めいわくです」
だから、はっきりきっぱりと告げた。
こういうことははっきりと告げたほうが良い、と経験上わかっている。
曖昧に告げると、脳内で勝手に補完されて自分勝手に勘違いをされかねない。
だが、あまりにもはっきりすぎたのか、場が凍りついた。
(あれ?何か間違っただろうか?)
「……あー、姫さん、もうちっと言葉を選ぼうや」
「おまえにいわれたくない」
不機嫌さを隠さずに言い放つ。
「私の何がお心に添いませんか?ファナ」
「ぜんぶ」
気温が氷点下に下がった、と、この時この場にいた人々は後に語った。
「あの、シェス様……少し好みではなかったとしても、多少は目をつぶってさしあげるべきです。人間、完璧に好みに合うなんてことありえませんから」
フォローのつもりでアルフィナは口にしたようだったが、それがフォローになっていたかは疑問だった。
むしろ、胸に手をあててよろめいていた青年をみれば、逆にダメージを与えていたのかもしれない。
「あー、シェスティリエさま、どこが気に入らないんですか?」
ルドクが人のよさそうな表情で尋ねる。
だが、これは善意からというよりは、トドメをさすためのものだとイシュラはちゃんと知っていた。
「いちいちあまったるいこえではなしかけられるのもイヤだし、それに、おなかがへっているのにまったくそういうきづかいができないのもダメだし、じゅつをつかったからねむいのに、どうでもいいことをごちゃごちゃうるさいんです。ぜんぶイヤ」
最後の一線までブチ切れていない証拠に、言葉遣いだけはちゃんと丁寧だ。
だが、言葉使いが丁寧であるからといって口にしている中身の辛辣さが緩和されるわけではない。
むしろ邪気のない子供を装っているからこそ、その言葉は余計に辛辣さを増しているとも言える。
「こ、この小娘っ!こともあろうに大司教閣下に向かって、何たる無礼っ!」
「フィリの身分を盾にファナを脅されますか?そうであるのならば、僕は、本山に訴える用意があります」
すかさずルドクが追い討ちをかける。
「いや、そんなことはしないよ。やめろ、ベルノ」
「しかしっ、閣下がお甘いのを良いことに、この小娘はっ……」
またしても手のつけられない騒ぎに再突入である。
だが、それはそれほど長くは続かなかった。
「……姫さん」
イシュラの声に遮られ、みなの視線がシェルティリエに向かう。
ぎゅっとひきしめた口元、握り締めた拳、そして、その目元にもりあがった雫……。
泣き出す前の一瞬の表情に、そこにいた全員が見惚れた。
そして次の瞬間、シェスティリエは広げられたイシュラの腕の中に飛び込んでその胸に顔をうずめる。
誰もの胸の中に罪悪感が込み上げた。
シェスティリエの表情はあまりにも稚く頼りなげで、それを目にしただけで、自分が何だかとてもひどいことをしたような気にさせられた。
「ひどいです、幼いシェス様を脅すような真似をして」
アルフィナが非難をこめた眼差しを向け、イリにいたっては、視線だけで相手を射殺しそうなほど。
「い、いや、私は……何も脅すつもりなど……」
「幼い子供には大きな声を出すだけで恐ろしく感じるんですよ」
アルフィナはきっぱりと言い切る。
「もういい。話は終わりだ。……そこの護衛隊長、おまえは二度と俺の姫の前に顔を出すんじゃねーぞ。姫の前に現れたら、問答無用で俺は抜くからな」
イシュラは、宥めるようにそっとシェスティリエの背をなでる。カチャリとその腰に下げた剣が何かに触れて小さな音をたてた。
「イシュラード殿……」
大司教である青年は、イシュラの本気に、困惑した表情を向けた。
シェスティリエを泣かせてしまったことは申し訳ないと思うのだが、イシュラに問答無用で剣を抜くと言われたら、おそらく彼の護衛の中で最も腕のたつベルノであってもまったく歯がたたないだろう。
イシュラが切り殺した多くの襲撃者達の遺体を見たベルノが、報告の時に自分で申告したのだから事実だ。
「大司教だか何だか知らないが、あんたとも顔を合わせたくない。うちのこのちびっこい姫さんに求婚?何の冗談だって誰でも思うだろうよ。年齢だけのことじゃねえ。姫さんは、ファナになる時にすべてを捨てた。その中には婚約者ってのも入ってるんだ。当分、そんなのはお呼びじゃねーんだよ」
「すまない、イシュラード殿」
抑えた語調ではあるが、イシュラの言葉の一つ一つが怒りを帯びている。
「いいか、どんなにしっかり見えても、姫さんは幼い子供なんだ。その幼い子供を捕まえてあんたらは何だ。グダグダグダグダと夜を徹してしつこく問いただした挙句、いきなり正気を疑うような求婚?その側近はそれを止めないばかりか、姫さんが悪いようなことをぬかす。……それともあれか?さんざん尋問して判断力が低下したところを狙って求婚にうなづいてもらおうって魂胆なのか?」
「いや、そんなつもりはまったくない。ただ、私はファナの魔力が類稀であるから……」
「姫さんに魔力があるからって、何で即座に求婚なんだよ」
呆れたようなイシュラの言葉に、慌てた声で答える。
「ファナほどの魔力の持ち主は、私の知る限り独りもいない。それほどの魔力だ」
「あんたらそんなに魔力が大事かよ」
「当然だ」
はっきりきっぱりと青年は言う。
「いいか、私たち聖職者は魔力がすべてだ。そりゃあ、地位も血筋も多少は影響するかもしれぬ。だが、結局のところ、聖職者としての価値は魔力で決まるのだ」
熱を帯びた口調。求婚したときよりもよほど気合が入っている。
「だからって、姫さんはまだこんなちびっこいんだぞ」
イシュラの腕の中のシェスティリエはまったく反応していない。おそらく既に寝入っているのだろう。わりと禁句である『ちび』を連発してもまるっきり反応がないのだから、本気で意識が落ちている。
術の行使と徹夜は幼い身体によほど堪えたに違いない。
先ほどのあの表情も、おそらくは眠さをこらえていただけで、別に本気で泣きそうだったわけではない。ただ、そう見えただけだ。
イシュラはわかっていて訂正しなかったし、おそらくルドクもわかっていただろう。
「何を言う、魔力の有無に年齢が関係あろうか。魔力というのは、成長と共に増えることこそあれど減ることなどありやしない」
「……そうなのか?」
「そうだ。ファナの魔力はこれから増えることこそあれ、減ることなどない。そして、ファナの魔力は我らにとって、とても魅力的なものなのだ」
「5歳児に求婚するくらいに?」
「そう。……は?5歳」
うなづきかけた大司教は、信じられない単語に首をかしげた。
「ああ。姫さんは、まだ生まれて5年だ」
イシュラは自信を持ってそれを断言できる。
たとえ、世間一般の五歳児とかけ離れていても、常日頃はそんなことを忘れ去っていてもだ。
「いや、さすがにそれは……」
「……じゃあ、どんだけ自分が正気を失ったことしてたか理解したか?」
「理解しました」
改まった表情で青年はうなづいた。
「姫さんが、これから何を選ぶのであれ、あんたの求婚は邪魔だ。本気で求婚するほど姫さんが欲しいなら、もうちっと頭使えや」
「……ですが、イシュラード殿」
「言っとくが、俺は味方なんかしねーからな」
ふん、とイシュラは鼻をならす。
「そうだな、姫さんに求婚するなら、まず俺を倒してからだな」
イシュラはそれがいいと、一人うなづく。
「イシュラさん、それはちょっと……」
ルドクは控えめに反対意見を述べる。
「なんでだよ。俺より弱っちいヤツに渡せるわけねえだろ」
「……自分の強さがどれだけ化け物じみてるか考えましょうよ」
「いいや、男ならそれくらい乗り越えるべきだろ!」
大司教の縋るような眼差しに、護衛隊長のベルノは絶望の表情で首を横に振る。
「いやいやいや、無理です!絶対無理!イシュラさんに対抗できる人間なんて思い当たりません!」
「俺だって無敵じゃねーよ。……ま、これから姫さんが年頃になるにつれてどんどん敵が増えてくるだろ。俺も怠りなく修行するからな」
「敵って違うでしょう。っていうか、ちょっとは手を抜きましょうよ」
「バカ言うな。俺は姫さんの騎士なんだぞ」
「イシュラさん、どこのバカ父だよって感じになってるんですけど!」
「俺は、姫さんの親父からも姫さんを守るように頼まれたんだよ」
だから、これは俺の正当な権利だ!と言い切る。
(イシュラさん、僕も協力する)
「よし、イリ、えらいぞ。おまえには俺が稽古をつけてやるからな」
(はい)
こくんとイリは素直にうなづいた。熱意は一倍だ。おそらく上達も早いだろうとルドクは眩暈を覚える。
「ダメだこの人達……」
この日、本人のまったく預かり知らぬところで、シェスティリエが嫁かず後家になることが決定していたのだが、寝入っているシェスティリエがそれを知ることはなかった。
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2011.01.17 更新
あけましておめでとうございます。
新年最初の更新。遅筆な自分が憎い。。。