ルドクは、運の悪い青年だった。
(小さい頃は別にそんな風に思わなかったから……期間限定なのかもしれないけれど……)
生家は、地元ではそれと知られた穀物商だった。裕福な家庭で充分な教育を受けることができたのは、今でもとても有難く思っている。
高等教育を終えたルドクは、王都の卸も兼ねている大きな穀物商で修行をすることになった。仕事の段取りや、呼吸というものを覚えたら、故郷に戻って家を継ぐことになっていた。
だが、この修行期間中に父が亡くなってしまったのだ。
これが、ルドクの不運の始まりだった。
慌てて故郷に戻れば、葬式もロクにせぬまま父は葬られ、家と穀物商の鑑札は、後妻に入った義母と連れ子の弟に売り払われた後だった。
ルドクの手元に残ったのは、故郷を出るときに父から渡された母の形見の耳飾だけ。今となっては、それが母だけでなく父の形見ともなってしまった。
不運はまだ続いた。
ルドクが故郷に帰っている間に、勤めていた商家がお咎めを受けたのだ。後ろ盾となっていた貴族の失脚に伴うもので、店は規模の縮小を余儀なくされ、王都に戻るなり、ルドクはクビを言い渡された。
渡された半月分の給金は、これから苦しくなるお店からの最後の心尽くしだったから、文句を言う事はできなかった。
そして、トドメの不運は、彼が仮住まいしていた安宿が家事で焼け落ちたことだろう。
宿に置いておいたルドクの全財産は炎の中に消えた。ちょっとそこまで買い物に行くだけというつもりだったから、持っていたのは当面の生活費の入った財布だけ。首から下げた守り袋にいれた耳飾りが無事だったのが、せめてもの慰めだった。
王都では基本的に、紹介状のない人間は雇い入れてもらえない。だが、お咎めを受けた商家の紹介状ではどこにも勤められなかった。皆、係わり合いを恐れたのだ。
(心機一転、運勢を変えようと思ったんだよな……)
国境ならば保証人がなくとも勤められると聞いてやってきたこのリスタの街では、聖堂にお世話になりながら日雇いの仕事をしていた。
大概が荷運びだ。でも、時々、臨時で聖堂の世話役をしている商人の家でパーティーの給仕なんかの仕事もさせてもらえる。パーティーの給仕は食事つきで、かえりにも何かお土産を持たせてくれるからとても割がよい。
週に一度の外食を楽しみに、毎日、爪に火をともすようにわずかな給金を貯めているのは、いずれ行商をやりたいと思っていたからだ。
あともう少し貯めれば、ちょっとした小商いくらいはできるだけの資金ができる。
(……なのに、不幸は手をつないでやってくるってほんとだな……)
人が良いとか、お人よしとよく言われるルドクだった。怒ったことなどほとんどないし、不運が続いても誰かを恨んだ事も無い。自分のめぐり合わせをほんのちょっとだけ嘆いただけだ。
だが、目の前で薄ら笑いを浮かべている男たちの集団を見ていると、神様というのは血も涙もないんじゃないかと思えてくる。
(毎日、ちゃんとお祈りしているし、心をこめて掃除もしてるんだけどなぁ……)
「へへへへ……」
「ここを通りたければ、通行料を置いていきな」
決まりきったセリフに、思わず溜息がこぼれる。
聖堂から町の中心へと至る細道の両側を、柄の悪い男たちが塞いでいた。中には刃物を手にしている男もいる。
これみよがしで、いかにも……な様子なのだが、そうは思ってもルドクはこういった荒事がまったく苦手だった。
ケンカもしたことがない。
ルドクは懐の財布に手をやる。あの火事以来、全財産を必ず身につけるようになった。だから、これは今の彼の持つすべてだ。
(でも、命にはかえられないからなぁ……)
お金は働けばまた稼げる。痛い目に遭うのは嫌だし、ケガをするのも嫌だ。どんなに抵抗しても、きっとルドク程度では痛い目に遭うだけで奪われる結果は変わらないだろう。
(でも……)
たとえそうだったとしても、やはり何もせずに奪われるのは口惜しかった。
その時だった。
「おい兄ちゃん、昼メシ、おごれや」
そうしたら、こいつらシメてやんから、と、頭上からのんびりとした声がした。
振り仰げば、道の東側の崖の上に二つの影が立っている。
「お、おごりますっ!リスタ一おいしい、名物の壷焼きシチュー!」
「へえ、壷焼きシチューが名物なのか。……三人前な!」
「は、はい!」
「よーし、決まりだ」
何を言ってやがるとか、貴様―っとか、いかにもそれしいセリフが飛び交う。その、騒いでいたチンピラ達の上に、影が降って来た。
(……え?)
男が飛び降りたのだと理解した時には、取り囲んでいた男たちの半数は呻き声をあげて地面に転がっていた。
彼らにとって、その男は、文字通り天から降って来た最悪の災いとなった。
(……すごい……)
だが、ルドクにとって、男はヒーローだった。
剣は手にしているが、鞘から抜いていない。最小限の動きで、男たちのナイフや拳を避け、叩き伏せる。
チンピラは、五分と経たぬ間に、一人残らず地面に倒れ伏した。
**********
「えーと……僕は、ルドクといいます。ルドク=タウ」
ルドク青年が絶賛した店は、細い入り組んだ小路の突き当たりにあった。
十人入ればいっぱいになってしまうような小さな飯屋で、地元の人間でなければまず来ないだろう。
「あー、オレのことはイシュラって呼んでくれ。こっちはオレの姫さん」
イシュラは、ルドクにリースレイを紹介する。
「リースだ」
にこりともせずにリースレイは言った。愛想はまったくない。リースレイがそんなものを期待するのが間違っている。
エビモスの森の物言わぬ住人達から強制的に提供を受けた品々のおかげで、今のイシュラとリースレイは見た目だけは普通の旅人に見える。
これで旅の商人のほとんどが持っている背負い箱があれば行商人に見えなくもない。
無精ひげをはやしているイシュラは、身なりと口調のせいもあってか、一見して騎士だと思う人間がいないからだ。
だが、それはリースレイの顔を見なければ、だ。リースレイの顔を見れば、絶対に彼女が商人の子供だとは思わない。
(あー、前髪伸ばしてもらうかな……)
髪を伸ばし、目元を隠してもらう。それだけでもだいぶ違うはずだった。
美しいということは必ずしも幸せなことだとは言い切れない。イシュラはそういった実例を幾つも知っている。
「イシュラさん、リース様、このたびは危ないところをお助けいただき、ありがとうございました」
(あー……リース様、ね。うん、まあ、わかるけどな)
ルドクは意識してか無意識か、リースレイ様付けで呼ぶ。何を言ったわけでもないのだが、何か感じるものがあるのだろう。
深々と頭をさげるルドクは、どこか人のいい……育ちのよさを感じさせる青年だった。それほど裕福な生活はしていないのだろうが、きている服はきちんと洗濯されているものだし、その振る舞いには卑しさがない。
「いやいや、姫さんが助けてやれっていうからさ」
ひらひらと目の前で手を振る。
別に親切心からしたというわけではなかった。
「……たんに、つうこうのじゃまだっただけだ」
「それでも、有難かったです。これ、僕の全財産ですから」
ルドクは、服の上から懐を押さえる。
「全財産持って歩くのは、危険じゃねえ?」
「そうなんですけど、前に火事で宿に置いておいた荷物が全部焼けたことがあったから……」
「なるほど……そういうことあると、安心できねえもんな」
「ええ。……今置いてもらっている聖堂は石造りだから簡単には燃えないってわかっているんですけど……でも、聖堂の雑居房はいろいろな人が出入りしますから……」
ちょっとした町の聖堂には、巡礼用の雑居房が必ずある。
リスタは国境だし、関所もあるから、一つの建物をまるまる雑居房にあてていた。
雑居房は、巡礼の人間でなくても宿泊できる。勿論、無料というわけではなくて、いくばくかの喜捨をすることが定められている。その喜捨の額で房内で割り当てられる部屋が決まるのだ。
「特に、僕は大部屋ですし……」
二段の寝台がたくさん並んでいるだけの大部屋はいろいろな人間が宿泊する。行商人もいれば、やさぐれた雰囲気の剣士や、夜逃げをしてきた家族連れなどもいる。ルドクはもう三ヶ月の滞在になるが、何度か物やお金がなくなる騒ぎがあった。
「盗まれる心配もあるってわけだ」
「残念なことですが、そうです」
イシュラは、アツアツの壷焼きシチューにバムと呼ばれるこの地方独特の平べったいパンを突っ込む。ちぎったバムで野菜のとろけたシチューをすくうようにして食べるのが地元の人間の食べ方だ。
「う~め~っ、確かにおまえが絶賛すんだけあるわ、これは」
アツアツのシチューには、良く煮込んだ野菜がとろけている。肉の塊はがっつり二つ。脂身がプルプルに溶けている様子は、食べたときの幸福を予感させる。
「でしょう。しかも値段も安いんです。ここの近所に住んでいるオルじいさんに教えてもらったんですよ」
「…………だれ?それ」
リースレイが口を挟む。
「えーと……道に座り込んでいて、歩けなくなったおじいさんです。家まで送ったんです。オルじいさんは、茶葉を行商する旅商人で、世界中を回ったそうなんですけど、ここのシチューの味は世界で十本の指に入るって」
(……それ、他人って言わね?)
店に出入りする人間達は、何やかやと皆、ルドクに声をかけていく。ルドクはその一人一人に丁寧に言葉を返していた。
ルドクは人好きのする性分らしい。単に常連客同士の親密さであるというだけでない何かが、そこにはある。
「へえ……」
「イシュラさん、食べ方上手いですね。前にも来たことが?」
「いんや。でも、ギスタっつー、古王国アルマイディスのシチューみたいなのも、バムみたいな平べったいパンで食うからな」
「……ギスタはえびいりのからいのがすきだ」
ぼそり、とリースレイが言う。
「おっ、姫さんは海鮮ギスタか。オレはやっぱり肉がっつり入ってるのだな。薄いスープみたいなのはダメだ。ドロドロの濃いのじゃねえと!」
イシュラはあっという間に最初の一壺目を空にする。
「さすが名物だな。……姫さん、熱いのか?」
「ん」
リースは、壺から小さな器に取り分け、更に木匙にふーふーと息を吹きかけて冷ましながら食べている。
ルドクの目には無表情にしか見えないかもしれないが、イシュラにはわかる。これでかなりのご機嫌状態だ。その証拠に話をちゃんと聞いているし、ちゃんと会話にも参加している。
「このとろーっとした肉も最高だけど、野菜の味のしっかりしたシチューの味が絶品だな。絶妙なとろ味加減が最高だ!」
「でしょう。壷焼きシチューの店はたくさんあるんですが、その中でもここが一番だと僕は思ってるんです。イシュラさん、結構、食いしん坊ですね」
「おうよ。ぜ……楽しみは食いもんくらいしかなかったからな」
前線での楽しみは食い物だけ、と言おうとした言葉を飲み込んで言い直す。
運ばれて来た二壺目は、一壺目より盛りが良かった。
台所の方を見ると、頑固そうな親父は無言で鍋をかきまぜていた。その背中には、料理人としての誇りがにじみでている。
「姫さん、足りない荷物を買い揃えたいから、今日はリスタに泊まらないか」
「かまわないぞ。ならば、せいどうにしゅくはくしよう」
「聖堂にですか?」
「そうだ。やどでもよいが、しさいとはなしがしたい」
「司祭さまと?」
ルドクが軽く目を見開く。
「べつに、じょさいでもかまわない。れきしやちりのはなしがききたいんだ」
いつの世も、聖職者はインテリ層に属する。手っ取り早く広範な情報を集めたいと思ったら、聖職者を訪ねるのが一番だ。
「えーと……イシュラさんとリース様はいったいどういう方なんですか?」
「わたしはぼつらくきぞくのむすめで、イシュラはわたしにつかえるきしだ」
さらりとリースレイは言った。
「ああ……そうなんですか」
ルドクは納得した。思わずイシュラもうなづく。
リースレイの説明は、なかなか絶妙だった。
イシュラがリースレイに仕える騎士であることは確か だし、リースレイが貴族の姫であることも確かだ。
強いて言うならばまだ没落はしていないが、両親を失った現況だけを言えば、そう言っても間違いではない。
それに、没落したと言えばなかなかそれ以上は突っ込みにくいものだ。幼い子供相手では尚更に。
ルドクは、リースレイが幼いとは思っていてもまさか五歳だとは思っていないだろう。
(あれ……なんか大事なこと忘れてる気がすんぞ……)
イシュラはクビを傾げる。リースレイの家というか、そういった関係の事で何か大事なことを聞いたことがあるような気がした。
だが、元々、イシュラは貴族とか政治とかそういうことにさっぱり興味がない。
(まあ、いっか……)
イシュラは、思い出すことを諦め、シチュー壺の底を綺麗にぬぐったバムを頬張った。
2009.09.03更新
2009.09.22修正
2010.03.14修正