注意 今回、少々グロテスクに書いてしまったかもしれません。そういった耐性がない方は、読む時にお気をつけください。
ハイアに攫われたと言うのに、フェリは自身の身を一切心配していなかった。
その理由は確かな信頼。レイフォンならば必ず助けに来てくれると言う確信。
フェリはレイフォンを信じているからこそ慌てず、騒がず、こうやって冷静に助けを待つことが出来た。
念威繰者であり、錬金鋼を取り上げられたフェリにはそれしか出来ないとも言えるが、なんにしてもフェリは待つ。最愛の人が、レイフォンが助けに来てくれるのを。
そして、助けは思ったより早く来た。フェリが待つと決意したその日の内にレイフォンが現れ、ハイアはフェリをレイフォンの前に連れ出す。
そんなフェリを出迎えたレイフォンは、包み込むように優しい笑顔を向けてくれた。彼女の無事を心から喜び、安堵した笑顔。その表情に思わず癒されるフェリだったが、次の瞬間レイフォンの表情が一変した。
「さて、要求は呑んだんだ。今すぐ俺っちと戦えと言いたいところだが、マズはこいつらを病院に連れて行かないと……」
ハイアのこの言葉が引き金となる。
レイフォンは笑顔を浮かべていた。だけどその表情は、先ほどの笑顔とはまったく質の異なるもの。
意地の悪い、悪人のような笑みを浮かべていた。
「ああ、ハイア。さっき言ったことだけど……」
フェリは気づく。レイフォンの鋼糸によって貫かれ、拘束されている傭兵達の存在に。
おそらくは彼らを人質とし、レイフォンはハイアと交渉したのだろう。
それは理解できた。理解することは出来たが……
「ごめん、アレは嘘だ」
「はあ?」
ここから先の出来事は、フェリの理解の範疇を超える。
レイフォンは歪んだ表情で鋼糸を操り、傭兵達を切り刻んだ。
手足が飛ぶ、血飛沫が舞う。鮮烈な光景にフェリの表情は引き攣った。
「くくくっ、ははは!」
「は、え……?」
レイフォンの笑みが理解できない。フェリの表情はハイアと同じように青白く染まり、背筋に悪寒が走る。
ガタガタと体が震える。怖い、愛しい人相手に、レイフォンを前にして、フェリは恐怖を感じていた。
「安心しろ、ハイア。切ったのは手足だけだ。まだ生きている。だけど、このまま放っておいたら間違いなく出血多量で死ぬね」
「ふざけろぉぉ!!レイフォンっ!」
レイフォンとハイアの会話に現実味が感じられず、悪い夢でも見ている気分になる。
思わず自分の肩を抱きしめたフェリは、新たに地に倒れている少女の存在に気づいた。
「みゅん、ふぁ……?」
ハイアに好意を寄せ、先ほどフェリと談笑していた少女、ミュンファ。彼女は胸を貫かれ、力なく地面に突っ伏していた。
誰がやったのかなんて考えるまでもない、レイフォンだ。レイフォンが他の傭兵達と同じように、ミュンファを襲った。
「ふぉん、ふぉん……」
声すらも震える。本当にアレはレイフォンなのかと、フェリは我が目を疑った。
「ぐがっ!?」
レイフォンの強烈な一撃にハイアが吹き飛ぶ。
今の一撃で、純粋な力技で、武器破壊などの剄技を一切使わずにハイアの錬金鋼は致命的なダメージを受けていた。
「このっ、化け物が……」
ハイアの言葉は、まさに今のレイフォンを表しているようだった。
自分が愛した人は、我を忘れて暴れまわる化け物、汚染獣のように見える。
「よそ見していていいのか?」
「っ……そうか、そう言う事か!レイフォォォォン!!」
ハイアに追撃をかけるレイフォン。そんな彼の背後にいる存在が、そんな考えに拍車をかける。
「廃貴族を……」
黄金の牡山羊、廃貴族。狂った電子精霊は、今まさに狂っているレイフォンを現しているようだ。
次の瞬間、視認することすら不可能なほどに速い斬撃がハイアに襲い掛かる。
「らあぁっ!」
気合一閃。レイフォンの叫びと共にハイアの左腕が宙を舞う。
レイフォンは更なる追撃をかけようと、ハイアに肉迫した。
「達磨の様にしてやる」
「っ!?」
腕を切断された痛みに悶える暇もなく、ハイアは肉迫してきたレイフォンからすぐさま距離を取った。
大量に流れてくる自身の血液の存在すら忘れ、レイフォンを凝視していた。
「なんだそれ……なんなんだそれはさぁ!?」
思わずフェリも凝視する。理由はレイフォンに起こった異変。レイフォンは背中から半物質化した剄を噴射し、翼の様なものを展開した。
それは黒かった。全てを塗り潰すように真っ黒で、夜の闇のように暗い漆黒の翼。
「絶望しろ」
底冷えするほどに冷たい声が辺りに響き渡る。聞いた者、全てを絶望の底に叩き落すような声。
フェリの目の前では、圧倒的な力によってハイアは成す術もなく甚振られていた。
「自分から勝負を望んでおいてその様とは、無様だね」
「……黙れ」
ハイアはレイフォンの冷笑に苦々しく反論する。
実力差、戦力差は圧倒的。ハイアは左腕を切り落とされ、右手1本でレイフォンを相手取らなければならない。
だが、仮に左腕が無事で、両腕を使えたとしてもこの結果は変わらないだろう。膨大な活剄で強化されたレイフォンの身体能力は高く、存分に剄を注いでも壊れない錬金鋼は強力無比な破壊力を持っていた。
速く、鋭く、強烈な連撃。今にも瓦解してしまいそうな錬金鋼では受け止めることが出来ず、ハイアは回避に専念していた。
「くっ!?」
「遅い」
背後に飛び、ハイアはレイフォンから距離を取ろうとする。だが、レイフォンはハイアが下がるよりも早い速度で踏み込み、距離を一瞬で詰めた。
ハイアの身体能力ではレイフォンの身体能力に勝ち目はなく、次のレイフォンの一撃を避ける術はなかった。
「かはっ……」
刀ではなく、強烈な蹴りが再びハイアの腹を襲う。
折れた肋骨は更に粉砕され、粉々に砕けた。臓器に突き刺さったのか、口からは血が逆流してくる。
ハイアは数十メルほど吹き飛ばされ、受身すら取れずに地面を転がった。
「がはっ……ごほっ……ざけろよ、レイフォン……」
血を吐き出しながらもハイアは起き上がり、ギロリとレイフォンを睨みつける。
「今……切ろうと思えば切れただろうが……殺ろうと思えば殺れたはずさ……なんで切らない?なんで殺らない!?」
切れる隙があったと言うのに、殺れる隙があったと言うのに、レイフォンはそれをやらなかった。斬撃ではなく、あえて殺傷力の低い蹴りでハイアを吹き飛ばした。
問い質されたレイフォンは、冷酷に言い放った。
「そんなの決まっているだろう?簡単に死なれたらつまらないからだ。自分から殺してくれと願うまで弄んで、その上で殺してやるよ」
「はっ……やってみろ」
レイフォンの言葉を一笑し、ハイアは構え直した。
左腕がないと言う違和感に戸惑いながらも、未だに勝利を諦めずにハイアはレイフォンに立ち向かう。
力の差は歴然としている。だが、ここまできて今更引き下がるわけにはいかない。せめて、一矢報いてやろうとハイアは策を巡らせた。
「ああ、やってやるよ」
だが、レイフォンはそんなものなど真正面から破ってくる。力押しで、強引にハイアの策を潰す。
数十メルほどあったレイフォンとハイアの距離だが、レイフォンは目にも止まらない速さで詰めた。いや、正確には目にも映らない速さだ。
ハイアはレイフォンが何時動いたのか理解できずに、何も対策を取ることができずに接近を許してしまった。
旋剄や、サイハーデン刀争術の水鏡渡り(みかがみわたり)とは比べ物にならない移動速度。それは音を置き去りにし、レイフォンが通り過ぎた今更になって地面を踏み砕いた音が聞こえた。
音速を超える速さ。レイフォンは最初の一歩だけ地面を蹴り、膨大な剄の塊である背中の黒い翼から衝剄を飛ばし、驚異的な加速を生み出した。
同じように背中から衝剄を飛ばし、加速する背狼衝と言う剄技があるが、これは発する衝剄の量や加速力が比べ物にならない。
それに音速以上の速度で動くと言うことは、それだけで周囲に計り知れない被害をもたらす。
レイフォンは超音速で動くことにより空間を切り裂き、とてつもない衝撃波を生み出していた。
故にただ通過しただけ。通り過ぎただけで不可視の真空の刃がハイアに襲い掛かった。
「ぐっ、がぁ……!?」
避ける術もなく、ハイアは真空の刃によって体をズタズタに切り刻まれる。
全身に走る切り傷。飛び散る血。ハイアの左腕から流れる血も合わさって、彼の全身は真っ赤に染まっていた。
「あ……今の技で制服がボロボロだ。これ、結構高いんだ……よ!」
「がっ!?」
超音速で動いたために、その余波でビリビリに破けてしまった制服を気にしながらレイフォンはもう一度蹴りを放つ。
ハイアは上段回し蹴りを頭部に喰らい、ボールのように飛んでいった。飛ばされた先は傭兵団の放浪バス。硬い車体に背中を受け止められ、ハイアは血塗れで咳き込む。
「かはっ、ごほっ……」
「その右腕、いらないよね?左腕もないんだし、バランスを考えて切断しようか」
レイフォンは淡々と言い放ち、刀を振りかぶった。
ハイアは今までのダメージが蓄積し、避けるどころか立っていることすら困難な状況だ。そんなハイアに遠慮など一切せず、レイフォンはギロチンのように刀を振り下ろした。
「あ゛あ……っ!?」
「ははっ、無様だね。本当に無様だ」
右腕までもが飛ぶ。両腕を失い、刀すら握れなくなったハイアは苦痛に染まった表情で悶えていた。
それだけではない。レイフォンの太刀筋は背後にあった放浪バスまでも見事に切断していた。硬い装甲を持つ放浪バスが、まるでケーキのように容易く両断されていた。
「レイ、フォン……」
ハイアは地面に倒れて悶える。自身を切り刻まれた痛みだけではない。放浪バスを、家を壊されたことによる痛みが彼の心に走っていた。
衣食住をこの中で過ごし、傭兵達と、今は亡き師であるリュホウと共に都市間を旅してきた。
その放浪バスが破壊された。レイフォンの手により、真っ二つに両断されてしまった。
「ぐっ、ぁぁ……レイ、フォン……」
だが、ハイアは痛みに悶えるだけで起き上がれない。
今すぐにでも立ち上がり、刀でレイフォンに切りかかりたい。だけど、刀を握るための手がもうない。
全身の出血が止まらず、もう洒落にならないほどの血液が流れている。こんな状況では、剄を満足に練ることすらできない。
それだけではない。この大量の出血はハイアの熱を、体力を奪っていく。声を張り上げるのすら辛くなり、ハイアは掠れた声を上げながらレイフォンを睨むことしかできなかった。
「負け……る、わけには……いかない、さ……」
「負けるわけにはいかないって、もう既にボロ負けだと思うんだけど?」
冷ややかに投げかけられるレイフォンの言葉。
だが、ハイアの瞳には未だに闘志が宿っていた。
「お前なんかにわからないさ……当たり前のように天剣を授かり、なんの戸惑いもなく全てを捨てる……天剣も、サイハーデンの刀も……」
ハイアはレイフォンに嫉妬していた。天剣授受者になったのにサイハーデン刀争術を捨て、あまつさえは天剣まで捨てたレイフォンのことを。
「俺っちだって……俺っちだってサイハーデンの継承者だ……リュホウの弟子だ!」
そんなレイフォンに自分が劣っているとは思えない。師であるリュホウが、レイフォンの師であるデルクに劣っているとは思えない。
ハイアは掠れた声で精一杯叫んだ。
「だからどうした?そんなことがフェリを攫った理由になるか!!」
だが、レイフォンにはそんなこと関係ない。ハイアの言葉に心底どうでもいいと思いつつ、フェリを巻き込んだハイアに向けて怒鳴る。
「証明するのさ……俺っちの生き様を、傭兵団として過ごした日々が無駄ではなかったことを……」
だからハイアは、レイフォンに戦いを挑んだ。
戦って、勝利し、証明するために。
「そしてリュホウは、俺っちの親父は、決してデルクなんかに劣っていなかったと言うことを!」
師は、彼の父親は凄かったと証明する。
「リュホウは……ずっと気に病んでいたのさ。サイハーデン継承の務めをデルクに任せ、自分は勝手に外の世界に出てしまったことを。だからこそ……デルクの弟子が天剣授受者になったことを知った時、心から喜び、本当に嬉しそうな顔を見せた」
リュホウは喜んでいた。デルクが自分の代わりに、サイハーデン継承の役目を立派に成し遂げたことを。
弟子が天剣授受者になる。師として、これ以上ない誉れである。
だからリュホウは心から喜び、まるで自分のことのように嬉しそうな顔をしていた。
「でも、それじゃ駄目なのさ。リュホウの重荷を払ってやるのはお前じゃない。親父に笑顔を与えるのは、俺っちじゃなきゃ駄目だったのに!」
それがハイアには悔しかった。顔も知らない相手が師に、義父に認められ、彼が長年抱えていた重荷を取っ払ったことが。それは自分の役目のはずだ。
彼の息子で、弟子である、このハイア・サリンバン・ライアの役目のはずだ。
「今となってはもう……お前を倒すことでしか親父の期待に応えられないのさ。だから俺っちは……お前を倒さなければいけないんだ!!」
ハイアの必死の叫びを聞いたレイフォンは冷静で、冷酷で、冷笑を浮かべながら、
「どうでもいい」
そう断言し、ハイアの腹部に刀を突き刺した。
「………っ!?」
もはや痛覚が麻痺していた。刺されたのに痛みを感じず、苦痛の声すら満足に上げられない。
刀を抜いたレイフォンは、もう一度ハイアの腹部に刀を突き刺す。
「どうでもいいんだよ、そんなこと。答えにすらなってない。だから?それがどうした?そんなどうでもいいことでフェリを攫ったのか?殺すよ」
何度も何度も、ハイアの腹部に刀を突き刺し続ける。
痛覚を感じないハイアの反応は次第に薄くなっていき、意識が朦朧としているようだった。
それでもレイフォンは手を止めない。ハイアを突き刺し続け、憎悪に染まった表情で言葉をつむぐ。
「お前がどう思っていようと勝手だが、それに僕を、フェリを巻き込むな。サイハーデン?天剣授受者?今の僕にそんなものはどうでもいい。そもそも倒す、倒さない以前にこんなにもハッキリと実力差が現れているだろう?」
レイフォンの本気を前に、ハイアは成す術もなく敗北した。
廃貴族が憑いているレイフォンには大きなアドバンテージがあったが、別に廃貴族が憑いていなくともこの結果は変わらなかっただろう。
刀を使う要求を呑む、呑まない以前に、ハイア相手ならば鋼糸を使って遠距離から一方的に弄ればいい。
「わかるか?お前じゃ僕には勝てない」
「……………」
レイフォンの問いかけに、ハイアは答えない。いや、この場合は答える力すら残っていないと言うのが正しい。
刀を突き刺し続けているのに、ハイアはまったく反応を示さなくなった。
飽きを感じたレイフォンは、舌打ちを打って突き刺す手を止める。
「もういいから……死ね」
倒れているハイアに向け、レイフォンはまたも刀を振り上げる。
またもギロチンのように刀を振りかぶり、今度はその刀でハイアの首を両断しようと構えるレイフォン。
間違いなく止めを刺す気だ。
(これは、死ぬかも……)
手は既になく、ぴくりとも体を動かせない。
痛覚すら感じない体に違和感を感じつつ、ハイアは霞んだ視線でレイフォンを見つめた。
情けなんて微塵も期待できない、本気で殺すような視線。
「っ………」
もはや、この現実は避けようがない。ハイアは覚悟を決め、瞳を閉じた。
だが、不意に痛覚のなくなった体に違和感を感じる。優しく抱きしめられるような感触であり、レイフォンではないだろうと言う事は理解できた。
なら、この違和感は、感触は何だ?
ハイアは訝しげに瞳を開け、その正体を確認した。
ハイアの目の前には、見慣れた眼鏡と大粒の涙を浮かべた幼馴染の顔があった。
「みゅん、ふぁ……なにしてる、さ……?」
声を出すのが辛い。それでもハイアは必死に声を絞り出し、ミュンファに問いかける。
問いかけられたミュンファは歯を噛み締めてハイアを抱きしめた。これが違和感の正体だ。
そして、彼女の後ろにはレイフォンがいる。
「……逃げるさ」
レイフォンは自分を殺そうとしている。あんなことをしたのだ、それも当然だろう。
勝負にも負け、死ぬのは仕方がない。だが、それにミュンファを巻き込むつもりなんてなかった。
腹部を刺された彼女だが、まだ生きている。生きているなら、ハイアにしか興味がないレイフォンが相手なら、ミュンファは逃げることが出来るはずだ。
だけどミュンファは、必死に首を振ってハイアの言葉を拒否する。
「……いや」
「……む、ちゃを…言うな、さ……」
「いやです!」
ミュンファは叫ぶと、更にきつくハイアを抱きしめた。
「ハイアちゃんとは離れない!もう決めたんです」
ミュンファの意外な決意に、ハイアは愕然とした。
先ほど、彼女が言っていた言葉を思い出す。
『私も……一緒に行きます』
傭兵団を出て、当てのない旅をすると言ったハイアにミュンファが言った言葉。
その言葉が、決意がとても重いものだと知り、ハイアは無性に嬉しくなった。
「みゅんふぁ……」
だけど彼女を巻き込みたくない。死なせたくはない。
これは自分とレイフォンの問題で、ミュンファには関係がない。
ハイアはかすれた声でもう一度、逃げるように言う。だけどミュンファは首を振り、ハイアから離れようとしなかった。
「邪魔」
「あうっ!?」
「みゅん、ふぁ……!」
そんなミュンファに向け、レイフォンは容赦なく彼女の顔に蹴りを放った。
力は抑えているが、それでもミュンファの体は吹き飛び、眼鏡が割れて地に落ちる。
レンズの破片で切ったのか、彼女の額からは血が流れていた。
「本当にさ、フェリを誘拐して何やってるの?見せ付けるようにラブコメを展開しちゃって……なに、君も死にたいの?」
レイフォンは刀をミュンファに向け、淡々と言う。
冗談や脅しなんかではなく、アレは本気だとハイアは確信した。
「おぃ……やめ……みゅんふぁには……手を、出すな……」
ハイアは手のない体で、這うようにしてレイフォンににじり寄る。
その動作はまるで、蛇のようだった。
「みゅんふぁは……かんけい、ないさ……」
「関係のないフェリに手を出したお前が言う台詞か?それとすっかり忘れていたけど、お前は義兄さんにも手を出していたな……」
ハイアの言葉にカリアンにも手を出していたことを思い出したレイフォンは、にやりと表情を歪める。
面白いものを見つけたというようにミュンファに歩み寄り、刀を突きつけた。
「そんなにラブコメがやりたいなら、あの世で一緒にやるか?」
「ふざ、けんな!れい、ふぉをん……」
ハイアの全身が悲鳴を上げるが、痛覚なんてものは当の昔に麻痺している。体に鞭打ち、ハイアは立ち上がろうとした。
手がない、刀を握れない。だが、それがどうした?
口が、せめて一矢報いるための牙がある。この歯でレイフォンの喉笛を掻っ切ってやろうとハイアは立ち上がろうとする。
「そうがっつくなよ」
だが、ハイアは立ち上がれなかった。
立とうとしてバランスを崩し、無様にも地面に転げ落ちる。痛覚が麻痺していたからこそ、彼は異変に気づくことが出来なかった。
自分の片足を切られ、切断された痛みに気づくことが出来なかった。
両腕どころか右足までも失ったハイアは、地面に頭から突っ込み、視線だけで殺せそうな瞳でレイフォンを睨みつけていた。
「れい、ふぉん……れいふぉん……レイフォン!」
「今のお前に何が出来る?安心しろ、目の前で彼女を無残に殺した上で、お前も同じ場所に送ってやるから」
ハイアの憎悪をサラリと受け流し、レイフォンはミュンファに刀を向け直す。
ミュンファもただでは殺されまいと、必死の抵抗をしようとした。だが、無駄だった。
相手はレイフォンだ。仮にも天剣授受者だった怪物だ。それに廃貴族が取り憑き、手の付けられない存在となっている。
「それじゃあ……」
そんなレイフォンを止められる者など、存在するわけがない。
「死ね」
そう、たった1人を除いて。
「……………」
レイフォンの刀を握る手に感じる違和感。右腕をつかまれ、押さえつけるように必死に握られている。
それはあまりにも弱々しく、普段のレイフォンなら容易く振り払える程度の力だった。
だけどレイフォンはその手を振り払わず、彼の手をつかんでいる人物に向け、優しく微笑んだ。
「どうしたんですか?フェリ」
その表情に憎悪はない。冷たくもなく、怖くもなく、恐ろしくもなく、柔らかさを感じ、暖かさを感じ、安心感を感じる。
先ほどまで感じていた恐怖は飛散し、強張った表情を浮かべていたフェリが僅かに微笑む。
「フォンフォン……もういいですから、もう十分ですから」
「十分?なにがですか?もう二度とこんなことが出来ないように、サリンバン教導傭兵団にはこの世から消えてもらった方がいいと思うんですけど」
だが、まだ違う。まだ、何時ものレイフォンではない。
レイフォンはこんなこと言わない。フェリの好きになったレイフォンは、とてもとても優しいのだ。
「そんなこと、私は望んでなんかいません!もう十分でしょう?気が済んだでしょう?何もそこまでする必要ないじゃないですか!!」
フェリは必死にレイフォンに訴える。
傭兵達を弄るレイフォンに、ハイアを弄るレイフォンに、フェリは恐怖を感じていた。
何時もと違うレイフォンの姿に怯え、近寄ることが出来ずに、声を上げることすらできずに、レイフォンから距離を取っていた。
だが、ミュンファが殺されそうになり、傍観できなくなったフェリはレイフォンの元に駆け寄る。
アレは駄目だ、止めなければならない。レイフォンを止められるのは自分だけだと思い、フェリは必死にレイフォンの右腕にしがみついた。
そして必死に訴え、レイフォンの心を動かそうとする。
「ですが、ですが……今ここでこいつらを殺さないと、またこんなことをするかもしれません。僕独りならどうとでも対処できますが、またフェリを襲われたら?人質に取られたら?僕は、貴方の身に何かあったら生きていけません!」
レイフォンは純粋だ。怒りのままにハイア達を殺そうとしたが、その根本はフェリのため。
フェリを純粋に愛しており、大切な存在だから、彼女に手を出したハイアを殺そうとした。
自分に廃貴族が取り憑いており、それを知った傭兵達が同じ手を使わないか危惧し、この機に纏めて処分しようとした。
誰にもフェリに危害を加えさせはしない。誰にもフェリに手を出させはしない。
フェリは自分のものだ。歯向かう奴が居たら、奪い取ろうとする奴が居たら、そいつは徹底的に痛めつけ、その上で殺す。
そう決意しているレイフォンだからこそ、彼らを見過ごすことなど出来なかった。
だが、それでもフェリはレイフォンを止める。
「こんなに痛めつけられたら、もうそんな気も起こらないでしょう。何も殺す必要はありません。それに、こんなことで貴方の手を汚させたくないですから」
「フェリ……ですが……」
レイフォンの手は既に真っ黒だ。闇試合に参加し、ガハルドを殺そうとして失敗し、武芸者としての恐ろしさを都市民達に知らしめようとした。
その結果天剣を剥奪され、グレンダンを追放された。そんなレイフォンにはフェリしか残っておらず、彼女の言葉は絶対だった。
だけど、だけど、フェリに危害を加える可能性のある彼ら(傭兵団)を放って置くことは出来ない。これから障害になるかもしれない存在を、無視することはできない。
今、ここで片をつけてしまいたいというのがレイフォンの本音だった。
「聞き分けが悪いですね……何時ものフォンフォンらしくありません。そんなんじゃ……嫌いになっちゃいますよ」
この緊迫した状況を何とかしようと、フェリが冗談交じりにポツリと漏らす。
が、これが決定的だったようで、レイフォンの表情はみるみると蒼白に染まっていく。
全身から冷や汗を流し、漆黒の翼は霧のように消え去る。手からはカランと乾いた音を立て、刀が地に落ちた。
レイフォンは膝を付き、そのまま手を付いて四つんばいになる。そしてそのまま、地面にヘッドバットをし始めた。
「ちょ、フォンフォン!?」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
いきなり地面に頭を叩きつけ続けるレイフォンの奇行に驚愕しつつ、これ以上頭が悪くなると大変だと思いながらフェリはレイフォンを止めた。
「冗談ですから、だから本気にしないでください。フォンフォンのことは大好きです。ですから、地面に頭を叩きつけるのはやめてください」
「……本当ですか?」
「本当です」
今にも泣き出してしまいそうなレイフォンにため息を付き、フェリはレイフォンを立ち上がらせる。
よほど強く打ち付けていたのか、レイフォンの額からは僅かに血が滲み出ていた。
「もういいですね?こうもボロ負けしたら、流石に歯向かう気も起きないでしょう」
「はい……」
渋々とレイフォンは頷き、フェリの言葉に同意する。
フェリは恐る恐るハイアの方を向き、あまりにもグロテスクな光景に吐き気がした。
「とりあえず、彼を病院に運びましょう。このままじゃ不味いですよ」
「え、このままここに放置しないんですか?」
「しません」
フェリの言葉に意外そうな反応を示したレイフォンを一刀両断し、フェリは念威で救援を呼ぼうと錬金鋼を探す。
傭兵団に没収された錬金鋼は放浪バスの中にあるはずだ。フェリはレイフォンによって両断された放浪バスの中に入ろうとして、横から感じる視線に気づく。それはミュンファだった。
ハイアは激しい出血や外傷によってレイフォンとフェリの会話中に既に気を失っており、そんな彼を庇うようにミュンファが佇んでいる。
先ほどフェリとは仲が良さそうに会話をしていたミュンファだが、レイフォンがハイアを殺そうとし、ミュンファ自身も殺そうとしていたために警戒の色が窺える。
それも当然だろうと思いながら、フェリは何とか笑顔を取り繕って微笑みかけた。
「もう大丈夫ですから、安心してください。貴方の怪我だって、軽くはないでしょう?」
「……………」
レイフォンによって胸を貫かれたミュンファの出血は未だに止まっていない。
それでも気丈に振舞い、ハイアを庇おうとする姿勢は流石はサリンバン傭兵団の一員と言ったところか。
それでも血を流しすぎたようで、ミュンファはフェリ達を睨みつけたまま気絶した。
「ありました」
目的のものを見つけたフェリは、念威を使用して兄の下へ、それと同時に病院へと端子を送る。
それから数分ほど経ち、たくさんの救急車両に乗せられて、ハイアとミュンファを含めた傭兵達は病院に運ばれていった。
「……ここは?」
目を覚ますと同時に飛び込んできたのは、見慣れない天井だった。
天井、壁、そしてベット共に白一色で、病室を思わせる光景。まさにそうであり、ハイアは周囲を見渡す。
「っ!?」
少し動こうとしただけで全身に走る痛み。それも当然だろう。自分はレイフォンに敗北し、あんな目に遭ったのだ。
むしろ生きている方が不思議なくらいだ。
「……………」
そう、生きていた。ハイアはこうやって生きており、病院で治療を受けている。
そのことに驚愕しつつ、ハイアは何とか動く首だけで現状を確認する。
「……これは?」
レイフォンによって切断された両腕、右足だったが、右腕以外はきちんとくっついていた。
もっともこの程度、現代の医療技術なら当然だろう。切断された手足の縫合など、グレンダン以外なら数日で出来る。グレンダンならばその日の内に出来てしまうが。
問題なのは、何故右腕がないのかと言う事だ。
「目が覚めたか」
疑問に思うハイアに声を懸けたのは、白衣をかけた青年だった。彼がハイアを担当する医者なのだろう。
ここは学園都市だ。ならば、彼も学生なのかと思いつつ、ハイアは自由の利かない体で医者の言葉を待った。
「右腕がないことについて疑問だろうが、君の右腕はダメージが酷くてな。縫合が大変困難な状況だったんだ。だが、そこは再生手術でなんとかなる。もっともその場合は、回復とリハビリに時間がかかるがな」
どうやらこの怪我は完治するようだ。そのことに安堵を感じながら、ハイアは気になっていることを医者に尋ねる。
「俺っちのなか……傭兵団の奴らは無事か?」
『仲間』と言おうとして言葉を止め、『傭兵団の奴ら』と他人行儀で呼び直すハイア。
そのことを追求はせず、医者は正直に言う。
「酷い状況だったよ。まさか手足でパズルをする羽目になるとは思わなかった。どれが誰の手で、どれが誰の足か判断するのに戸惑ってね」
それでも傭兵達は全員無事で、死人は1人も出ていないらしい。
それを聞いて、ハイアは肩に入った力が抜けるのを感じた。
「ミュンファは?ミュンファはどうしたさ!?」
「さっきから質問ばかりだな。ミュンファと言うのは金髪で君と同じくらいの女の子だろ?彼女も無事だ。目立った傷は胸の傷だったし、それも心臓を外れていたから問題はなかった。今頃、別室で点滴を受けながら眠っているよ」
「そうか……」
安心しきったハイアに向け、医者はゴホンと咳払いして口を開く。
「むしろ君の方が重傷だった。医者の俺が言うのもなんだが、よく生きていたな。四肢の内3本を切断され、全身からの出血による出血多量。肋骨はほぼ全てが粉砕され、複数の刺し傷によって内臓がいくつもいかれていた。そんな状況で生きていると言うのが本当に不思議だ」
心底驚いている医者に、自分もそんな状態でよく生きていたなと驚くハイア。
あの時のレイフォンの姿を思い出し、思わず背筋を震わせる。
「俺っちが運ばれて……どれくらい経ったさ?」
「ん、ああ、まだ日付も変わってないな。と言ってもあと数分で変わるが」
アレから時間は思ったほど経っていないようだ。まだ当日であり、明日が都市戦。
もっとも医者の話では、あと数分で日付が変わるようだが。
「さて、目が覚めて早々悪いが、君の目が覚めたら呼んでくれと頼まれていてな。今、看護士がその相手を呼びに行っている」
医者の言葉にハイアは覚悟を決める。
自分はこの都市の長である生徒会長に手を上げ、その上妹であるフェリに手を出したのだ。
これは許されない罪であり、都市外強制退去もありえる。訪れるのは十中八九都市警察の関係者だろう。
犯罪者としての烙印を押されるのかと思ったハイアだが、その心は何故か清々しかった。
傭兵達は無事で、ミュンファも無事だ。敗北はしたが、レイフォンとも勝負が出来た。まったく手足が出なかったのは悔しいが、あんな化け物に勝てるとは思えないし、もう二度と戦いたくもない。
故に心残りは何もなく、ハイアは訪れる人物を待った。
「やあ、元気にしてるかい?」
その人物は、にこやかな笑みを浮かべて陽気に入ってくる。だが、それが上辺だけのものだとハイアは理解できた。
相手はこの都市の長、生徒会長のカリアン・ロス。彼に付き添う形でレイフォンが共に入室し、ギロリとハイアを睨んでいた。
ハイアはサリンバン教導傭兵団の団長としてではなく、ただの少年、ハイア・ライアとして彼らと対面する。
あとがき
そんなわけで、フォンフォン一直線更新です。
前回はネタの件で色々ありました……
そちらの方向に関しては修正版、ネタ版と分けたいと思います。一方さんの口調使うのは流石にやりすぎでしたね。
ですが、黒い翼についてはそのままで生きたいと思います。これは廃貴族憑いたので、せっかくだからオリジナル剄技が欲しいなって事で生まれた作者の妄想です。
元ネタは例の如く一方さんの黒い翼ですが、実際に書いてみてなんだかんだで気に入りましたので(汗
さて、今回の内容は……レイフォン暴走です。これはレイフォンの一方さん化以前にヤンデレと言う内容上仕方ないと思います。
フェリを攫われて完全に切れ、ハイアを殺そうとしています。フェリが止めなかったら歯イアはミュンファと共に死んでいます。
なんにせよフェリに止められ、しぶとく生き残りました。それでもかなりのダメージを負ってますが、レギオス世界の医療技術は並外れているので次の都市戦までには余裕で完治する予定です。大体、全治1ヶ月くらい?
なんにせよ、次回はハイア、カリアンとの対談です。それをちょっとだけやったら都市戦へGo!
マイアスは本当にご愁傷様ですね。で、次回が都市戦ということはついにあの人が……
更新頑張りますので、これからもよろしくお願いします。