「……この部屋で終わりですね」
「ほっ」
虱潰しに部屋を回り、地図の空白全てを埋めたフェリ達。
フェリは最後の部屋を確認して淡々と呟き、ミュンファは心の底からの安堵と共にぎゅっとユーリを抱きしめる。
「さて、帰りましょうか」
「出会えませんでしたねぇ」
「出会えなくってよかったです」
帰ろうとするフェリに対し、エーリはとても残念そうに言った。だが、エーリにとっては残念なことでも、怖がりなミュンファからすれば喜ばしいことだった。
もう一度ほっと胸を撫で下ろし、部屋から出て廊下の窓に視線を向ける。
「長居しましたね」
砂埃で汚れた窓の外には、生徒会棟の尖塔を見ることが出来た。尖塔は時計台にもなっており、それで時刻を確認した。
既にこの肝試しが始まってから、二時間以上の時が流れている。
「ふふふ、もうこんな時間ですか」
「はふっ……」
「ユーリちゃん、眠そうだね。おんぶしてあげようか?」
思ったより時間が経っていたことにエーリは驚く。ユーリは小さな欠伸を漏らし、とても眠そうだった。既に時刻は真夜中。子供はとっくに寝ている時間だ。
見ていて辛そうなユーリにミュンファが申し出て、彼女をおんぶする。気弱そうに見えてもミュンファは武芸者。一般人と比べて遥かに強靭な肉体を持っているため、少女一人のおんぶなど何の苦にもならない。
「ユーリちゃんもおねむですし、早く出ましょうか」
「そうですね。不毛な作業に随分と時間がかかりました」
ユーリはミュンファの背中に顔を押し付け、こくこくと舟を漕ぎ始めていた。それを微笑ましく重いながら、ミュンファとフェリは出口へと向け歩き出す。
「そうですね。残念ですが、会長達も戻っているかもしれませんから、急いで戻りましょうか」
その足が、エーリのこの言葉で止まった。
「ミュンファ。そういえば、ここに来るまであなた以外誰とも会いませんでしたね」
「そう、ですね……」
この建物には入り口が三つあった。本当はもっと多いのだが、崩れているために使用できるのが三つ。
今回このイベントに参加したのは二十名ほど。それが二人一組になったので、大体十組。それぞれがそれぞれの入り口からこの建物の中に入っていったはずだ。現に、フェリの前にはミュンファたちを含めて三組が先に入った。
地図を確認する。入り口からここまで、行ける場所は全て行った。地図に記されている崩壊部分は本物で、この先にはいけないことも確認した。隅から隅まで確認したのだ。
それなのに、ミュンファ以外の先に行った人物とは一度も出会わなかった。これはかなり妙だ。
「広いですから」
「そ、そう、ですよね……」
エーリの客観的な言葉に、ミュンファは顔を引き攣らせながら頷く。それでもフェリは、淡々と事実を述べた。
「広いだけでは説明が出来ませんね」
「ぐ、偶然ですよ偶然。ほら、その、とにかく偶然なんですよ」
「そうですよ。それにもしかしたら、夢中になっててお互いに気づかなかっただけかもしれませんし」
「……………」
現実から目を逸らそうとするミュンファと、あくまで客観的なエーリの言葉にフェリは考え込む。そもそも、夢中だと言ったエーリだが、フェリはそこまで夢中に放っていなかった。というか、馬鹿馬鹿しいと思っていたのでかなり投げやりだった。
常に周囲に気を張っていたわけではないが、それでも周囲にいる人達を見逃すとは思えない。その人物が殺剄を得意とする武芸者なら話は別だが、そんなことはまずないだろう。
今回、このイベントに参加している武芸者の数は四人。レイフォンとハイア、ヴァンゼとミュンファだけのはずだ。
(まさか、本当に幽霊が出たのでしょうか?)
そう考え、フェリは一瞬で馬鹿馬鹿しいと首を振った。そんなわけがない。この世に幽霊なんて非現実的なものが存在するわけがない。
さっきは確かに廃貴族と幽霊は似ているかもしれないと思ったが、このような異常事態が幽霊の仕業とは思えなかった。
(でも、そういえば……)
否定をしようとした。だが、ここで思考が一巡する。これは幽霊の仕業ではない。だが、これがもし、廃貴族の仕業だとしたら?
廃貴族は現に、レイフォンの姿をこのツェルニから消した。正しくはマイアスに移動したらしいのだが、人が消えたというには辻褄が合う。あの時は本当に参ったものだ。
レイフォンがいなくなり、フェリは最悪の想像をしてしまった。生きる気力を失い、自殺未遂を起こしたほどだ。あれからいろいろあって、無事にレイフォンも戻ってきたわけだが、またあんなことがあってはたまったものではない。
廃貴族に人を集団で移動させる力があるのかは知らないが、またレイフォンがいなくなったりすればフェリは泣いてしまう。レイフォンにもしものことがあるとは思えないが、今の彼には廃貴族という不確定要素が取り憑いた状態であるため油断は出来ない。確か、レイフォンはハイアと共にこの建物を回っているはずだ。
フェリはレイフォンの安否を確認するついでに周囲を探索するため、スカートの下、太ももに隠して巻いていた剣帯から錬金鋼を抜き出す。
私用の時には錬金鋼を持ち歩いてはいけない。そんな校則があるが、それを守っている者はほとんどいない。あの堅物のニーナもそれを守っていない。むしろ、校則違反をしているという自覚がないのかもしれない。
それほどまでに錬金鋼は武芸者にとって必需品で、あって当然と言う存在なのだろう。それでもフェリは、申し訳程度にスカートの中に隠していたわけだが。
とにかく、錬金鋼を復元し、周囲に念威端子を展開していく。
「うわぁ……」
「きれい……」
フェリの花弁のような端子は淡く発光し、まるで散っていくようにヒラヒラと宙を舞う。それは見るものからすれば、感嘆の声を上げるほどに美しかった。
フェリの念威が周囲を探索し始める。それとほぼ同時に、いや、僅かに早く異変が起こった。
「わわっ!?」
ミュンファが耳を押さえ、目を白黒させながら取り乱す。響く轟音。周囲を揺らす振動。都震かと思ったが、その揺れは本当に一瞬ですぐに収まった。
今の揺れで埃が舞い、煙ったさが周囲を覆う。一体何が起こったのだろう?
フェリはこの原因も探るため、すぐさま念威端子を飛ばした。エーリも言っていたが、この建物は広い。また、錬金科の多種多様な実験に耐えるために設計された建物だ。強度は一般のものより遥か高めに設計されているはず。それをここまで壊したのだから、一体どんな実験をしたのかと呆れてしまう。
周囲は誇りまみれで、建物の外部の壁は保護塗料が剥がれていたが、建物内部は腐食していなかった。壁や廊下もそうだ。これは建物の強度を証明すると共に、耐圧耐衝撃耐熱など、ありとあらゆる異変に対処できるように設計されている。それはつまり、念威を通しにくい材質でもあるということだ。
フェリは実際に念威を通し、この違和感に眉をひそめる。それでも順調に、素早く周囲を調べていく。
念威を阻害するもののない外はすぐに調査が終わった。何名かが既に探索を終えて外にでていたが、その数はこのイベントの参加者である二十名には遠く及ばない。
またレイフォンとハイア、ヴァンゼや愛好会会長の姿もない。ならばこの建物の中にいるということだろう。なので改めて、フェリは建物の内部を探索する。
『きゃああああああ!!』
「え?」
その時、フェリの念威端子は甲高い悲鳴を拾った。その声はミュンファにも聞こえたのだろう。彼女の肩がびくりと震える。
フェリは念威端子から送られてきた声紋を記憶と照合する。女性の声だ。だが、会長ではない。集合時、何気なく交わされていた周囲の雑談に合致するものがあった。
フェリはその雑談に参加しておらず、適当に聞き逃していたがそれでも記憶に残る。これが念威繰者だ。フェリはその中でもかなり上位の能力を持っている。
その能力をもってして、声の聞こえてきた方に念威端子を近づける。
「なんですか……これは」
そこは一階だった。一階の廊下部分。だが、そこにはぽっかりと大穴が開いており、暗い空洞が広がっていた。
こんなもの地図には載っていないし、そもそもこのイベントの最初の方にフェリ達が歩いた場所だ。その時はこんな大穴などなかった。ならばその後にこの大穴は開いたということか?
だとすれば、先ほどの轟音はその時のものなのかもしれない。一体何があったのかと考えながら、フェリは念威端子を空洞の中へと入れる。どうやらこれは地下室のようだった。
地図には記されていないどこかにこの地下室への入り口があるのかもしれない。
「何かがあったみたいですね……」
「ええ……」
異変に顔をしかめ、フェリが言う。ミュンファはおっかなびっくりとそれに頷いた。
「とりあえず下に下りてみましょうか」
「ええ、行くんですか!?」
「ここにいても仕方ないじゃないですか。行きますよ。ミュンファ、エーリさん」
とりあえず、ここでじっとしていても仕方がない。念威による探索を続けながら、フェリは下に下りることを決意する。
ミュンファはなにやら渋っているようだが、自分ひとりでここに残るのは論外のため、すぐにフェリの後に続いた。
「エーリさん?」
フェリが足を進める。だが、そのすぐ後に異変に気づいた。エーリがいない。
「エーリさん!」
「ど、どこに行ったんですか……」
廊下の左右を見渡すが、エーリの姿はどこにもいなかった。周囲に散らばるフェリの念威端子でも姿を捉えることが出来ない。
大声で呼びかけてみるが、その声は周囲に空しく響き渡るだけだった。
「こんな時にっ!」
「あ、待ってください!」
フェリは走った。ミュンファは出来るだけ揺らさないように、既に寝息を立て始めたユーリを起こさないように気をつけながら静かに走ってフェリの後を追う。
フェリは地下室の探索とエーリの捜索用に念威端子を分け、現場へと向かった。もしもの時のために念威端子の何割かを念威爆雷に変換させておく。
念威繰者であるフェリは直接の戦闘手段を持たないので、用心が必要だ。とはいえ、若干頼りないところがあるものの、あの元サリンバン教導傭兵団の一員であるミュンファが一緒にいるのだから、その心配は杞憂なのかもしれない。
本当に頼りなく、まだまだ未熟者であるミュンファだが、それでもその素質は高い。前に傭兵団がツェルニの教導をしていた時、当時団長だったハイアがミュンファに教導を押し付けて出かけたこともあった。つまり、ミュンファはツェルニの武芸者に教えられるほどの腕を持っているということだ。
また、気の知れた友人であるために、フェリはミュンファのことを信用している。いきなり走り出したフェリを、こうやって心配し、ちゃんと後を追ってくれている。
そのことを嬉しく思いながら、フェリは大穴の開いた一階へと走った。
†††
「ハイア、お前がちょろちょろと逃げ回るからだ」
「黙れ。逃げなきゃ死ぬだろうさ」
「殺すつもりだから問題ないんだよ。本当に死んでくれないかな、ハイア」
「ヤだね」
地下室。そこではレイフォンとハイアが背中合わせで、憎まれ口を叩き合っていた。
「ったく、この建物はかなり頑丈にできてるはずだろ。いくら廃墟とはいえ、その床をぶち破るなんてどんだけ衝剄を込めていたさ」
「お前を確実に殺せるだけだよ。避けなかったら殺せていたのに」
「はっ、とろいんだよ、レイフォン君」
「よし、殺そう。今からお前を殺す」
一階の廊下に大穴を開けたのはレイフォンの仕業だった。戦闘を始めたレイフォンとハイアだったが、ハイアは未だ体調が万全ではなく、また元天剣授受者であり、廃貴族の洗礼まで受けたレイフォンが相手では分が悪すぎる。
すぐさま劣勢に追い込まれ、逃げに徹することしか出来なかった。そのドタバタの最中に、レイフォンが放った衝剄をハイアがかわし、この大穴が出来る原因となった。
地下は薄暗いが、一階部分の窓から入ってくる月明かりが周囲をうっすらと照らす。その明かりが、あるものを映し出していた。それはこの世のものとは思えないほどの美だった。
「それはさておいてレイフォン、これを見てどう思うさ?」
「これだけは言えるね。フェリの方が美人だ」
「こんな時に嫁自慢は聞きたくないさ~」
ハイアの問いかけに対し、レイフォンは自信たっぷりで言い返した。
そこにあったもの。それは少女だった。闇のように黒い髪と、雪のように白い肌の少女が眠っている。大きなガラスの筒、重傷者を収納する治療ポッドのようなものの中で。
中は緑がかった液体で満たされており、淡い光を発していた。緑色の光がより少女を幻想的に、美しく映し出す。また、少女は裸身だった。緑がかった液体が大事な部分を隠してはいるものの、少女の美しい身体(からだ)全てを見ることができた。
その様はまさに芸術品。そんじょそこらの安物ではなく、美術館で厳重に保管されている国宝級のものではないかと思わせる美しさ。
先ほどレイフォンが名を挙げたフェリも確かに美人で、ミスツェルニというこの都市一の美女の座を与えられたらしいが、それでもこの少女を前にするとかすんでしまいそうだった。
レイフォンの場合は自分の妻に対する贔屓目があったのかもしれない。それでもレイフォンはフェリの方が美人だと本気で思っている。人の感性はそれぞれだが、それでもハイアはこれだけは確信する。自分はこれほどの美女を未だかつて見たことがない。
「それはそうと、余所見をしていていいの? 死ぬよ」
「おわっ!?」
少女に魅入っていたハイアに向け、レイフォンの刀が振り下ろされる。それをギリギリで回避したハイアには、レイフォンのものではない新たな攻撃が仕掛けられた。
「ったく、さっきからしつこいさ~」
「なんなんだろうね、これは」
レイフォンとハイアが話している間も、この怪物達は絶えず攻撃を仕掛けてくる。
数はおおよそ数十匹。それらがレイフォンとハイアを取り囲むように包囲していた。
「汚染獣?」
「見た目からして蛇……虫か?」
怪物達は極端に長い、奇妙な足をしていた。細く、頭部の辺りについた触覚のようなもの。この八本がおそらくは足なのだろう。
胴体は蛇のように長く、くねくねと動いている。太さは人の腕と同じくらいだろうか。
丸みを帯びた頭からは球体のような目が飛び出し、それはまるで虫の複眼だった。
線を引いたような細く、大きな口。あの口ならば人を丸呑みすることも出来そうだ。鱗も甲殻もない胴体は湿り気があり、鰻や穴子のような魚介類を連想させる。
「ま、どっちでもいいけどね。こいつらをこのまま放置したらフェリに危害が及ぶかもしれないから、ハイアごと殲滅する」
「なんでその中に俺っちが入っているさ~?」
レイフォンはハイアの抗議を無視し、部屋の隅でへたり込んでいる少女へと視線を向けた。
「そこを動かないで下さいね。うろちょろされると目障りですし、ハイアと間違って殺してしまうかもしれませんから」
「は、はい……」
この少女はあの怪物達に襲われていたのだが、レイフォンとハイアのやり取りで偶然救われた。
下手に動いたら巻き添えを食らう可能性があるので、守る側としてはじっとしてもらった方が守りやすい。とはいえ、少女はこの状況に驚いて腰を抜かしているのだから、そんな心配は必要ないだろう。
「じゃあ、死ね」
「うわっと!?」
一太刀目からハイアを狙うレイフォン。ハイアは慌てて身を屈め、頭上を通り過ぎていく刀を見上げた。
「ちっ」
レイフォンはあからさまな舌打ちを打つ。ハイアを殺せなくて残念と気落ちするものの、初撃から流れる動作で今度は怪物のうち一体を強襲する。
ハイアとは違って避けることの出来なかった怪物は、長い胴体を両断されて体液を撒き散らした。
「ハイア、邪魔」
「俺っちを踏み台に!?」
身を屈めていたハイアを踏み台にし、今度は上の方にいた怪物を両断する。
怪物達には羽らしきものが見当たらないのだが、どういった理屈か宙に浮いていた。そのことを少々不思議に思いつつ、レイフォンは更なる標的に向けて刀を振るう。
「おわっ!?」
「ちっ」
その合間合間にハイアを襲うことも忘れない。三回に一回の割合でハイアに向けて刀を振るい、ハイアはそれをことごとくかわす。
「相変わらず避けるのだけはうまいね」
「お前、遊んでるだろ?」
「なんのことかな?」
「がっ!?」
ハイアの問いにレイフォンは首をかしげる。その動作と連動するように、ごく自然な動きでハイアの足を払った。無様に床を転げるハイアを見て、レイフォンの口元がニヤリと吊り上る。
「こんなところで寝られると邪魔なんだけど」
「ぐえっ」
新たな怪物を退治すると同時にハイアの背中を踏みつけた。潰された蛙のような声を上げるハイアを下にし、レイフォンは今まで使っていた刀を床に突き刺す。刀はハイアの頬を掠めるように突き刺さり、ハイアの頬からはうっすらと血が滲んでいた。
そして、怪物達はいつの間にか全滅していた。
「ハイア、こういうプランはどうかな? 正体不明の怪物に遭遇。交戦し撃退したものの、その際にお前は死んだ。これで僕は何の咎もなくお前を始末できる」
「ない頭をずいぶん使ったみたいだな。けどレイフォン君、その場合目撃者はどうするさ?」
レイフォンの足の下で、ハイアは苦々しく言い放つ。隅にはおびえている少女が一人。つまり目撃者だ。
レイフォンのプランは、当然だが目撃者がいると成立しない。いかに完全犯罪と自負しても、目撃者がいれば水泡と化してしまう。
「そうだね、この間読んだ推理小説なんかじゃ目撃者は消すに限るらしいけど、僕にも良心があるからそんなことはしたくないし……」
レイフォンは微笑みを浮かべて少女に視線を向ける。顔は笑っているが、明らかに目は笑っていない。
威圧の込められた視線を向けられ、少女の体が一際大きく震えた。今までの出来事でも十分に刺激的だったというのに、レイフォンの視線がさらに少女の恐怖心を刺激する。
「このことは黙っていてくれないかな? もししゃべったりしたら、僕は君を殺さなきゃいけなくなるから」
その言葉に、少女はまるで壊れたおもちゃのように首を縦に振る。ぶんぶんと、ちぎれそうなほどに激しくだ。
その言葉に込められた威圧、『殺気』というものに戦う術を知らない、力を持たない一般人の少女は心をへし折られた。生まれて初めて感じた死の恐怖。それは少女の口を固く閉ざすには十分すぎるほどのものだった。
「物わかりがよくって助かったよ。それじゃハイア、そろそろお別れしようか」
床から刀を引き抜き、レイフォンはそれをハイアの頭部に向ける。あとはこの刀を下すだけでハイアは死ぬ。
『フォンフォン、なにをしているんですか?』
「……………」
だというのにレイフォンの手が止まった。背後から聞こえた声。音源はレイフォンの後ろで漂う念威端子。そこから聞こえたのは最愛の人であるフェリの声。それだけでレイフォンの動きが止まるのは十分だった。
「あ、ふぇ、フェリ! あの、これはですね……」
『言い訳はいいですから、とっととその足をどけてください」
「はい!」
いつもならその声を聞くだけで嬉しくなるレイフォンだったが、今回は間が悪すぎた。
まるで悪戯を咎められた子供のようにレイフォンの背筋は伸び、素直にフェリの言うことを聞く。
「命拾いしたさ~」
『すいません、ハイア。大丈夫でしたか?』
「呼び捨てかよ? 一応俺っちは嬢ちゃんより年上さ。まぁ、それは別にいいんだけど。飼い主ならちゃんとペットは躾とけ。おかげさまで死ぬとこだったさ」
命拾いをしたハイアは、パンパンと埃を払いながら起き上がる。
そのついでに少々の嫌味を念威端子の先にいるフェリとレイフォンに向けたのだが、その次の瞬間、再び床を転げ回ることとなった。
「呼び捨ての何が悪いんだ? というか、本当にお前は自分の立場がわかっているのか? フェリがいなければお前は既に死んでいた。むしろお前がフェリ様と尊敬の念をこめて呼べ。額を地面にこすり付けて、お前の存在自体を悔いろ」
『フォンフォン!』
フェリに軽率な口を利いたと、レイフォンはハイアの顔面を殴りつけた。ハイアは顔面を押さえて転げまわり、フェリはそんなことをしたレイフォンに刺々しく言う。
『今度ハイア・ライアに手を出したら、私は絶対にあなたを許しませんからね』
「ごめん、ハイア。ちょっとだけやりすぎた。立てる?」
フェリの言葉に180度姿勢をひっくり返し、レイフォンは薄っぺらい笑みを浮かべてハイアに手を差し伸べる。
ハイアはその手を取らず、自分の力で起き上がって言った。
「なぁ、レイフォン。お願いだから一発殴らせてくれないか? 一発だけでいいからさ~」
「いやだよ」
互いに表面上は笑っているが、その笑みが上っ面だけで非常にぎすぎすしたものだということは嫌でも伝わってくる。
両者共に仲良くする気なんてない。というか、したくてもできないし、する気もない。まさに水と油。
レイフォンとハイアが仲良く手をつなぐなど、例え移動都市(レギオス)が崩壊したとしてもないだろう。
『ハァ……子供みたいな意地の張り合いはそれくらいにしてください。どうやら、今はそんなことをしている場合ではないようなので』
「あ、そうですね。なんか変なのがでてきましたし。フェリ、すぐに合流しましょう。今はどこにいますか?」
『待ってください。まずはその人の保護が最優先です』
「あ、そうですね……」
フェリの言葉で一旦は冷静になり、合流しようとするレイフォン。だが、まずは少女の保護が最優先だと言われ、レイフォンは部屋の隅で怯えている少女に視線を向けた。
「じゃあハイア。お前はこの人を連れて外に出ろ。僕はフェリのところに行く」
「なんでお前に命令されなきゃ……まぁ、こんな状況じゃ仕方ないかさ~」
少女はハイアに押し付け、レイフォンはそのままフェリとの合流に向かうことにした。
レイフォンにとって、例え何があってもフェリが最優先。正体不明の怪物が出たこともあって、フェリの側から離れているのが不安だった。
ハイアは手負いとはいえ、それでも傭兵団の元団長。レイフォンには劣勢に追い込まれていたものの、あの程度の怪物に後れを取るとは思えない。レイフォンからすれば存分に後れを取って欲しいところだが。
何はともあれハイアは少女を保護し、レイフォンはフェリ達と合流するために走ることとなった。
『ところでフォンフォン』
「はい、なんですか?」
レイフォンは走る。とはいえ、全力ではない。ここは室内だ。しかもボロボロの廃墟。そんな場所でレイフォンが武芸者の身体能力をフルに使って全力で走れば、この建物がそれに耐えれず崩壊するだろう。そうなれば中にいるフェリが危ない。
なのでもどかしさを押さえつつ、それでも一般人の全力疾走を遥かに超える速度でフェリの元へと向かった。
『あなたはさっき、ハイアと共に何かと戦っていましたね?』
「は……い?」
なにかとは、フェリにしてはひどく曖昧な質問だ。レイフォンは彼女の念威の能力を良く知っている。才能だけならばグレンダンのデルボネに匹敵するほどだ。
故に信頼も厚く、レイフォンがフェリの念威を疑うことはない。
『何と戦っていたのですか?』
「え……?」
そのフェリの念威が、あの怪物達を捉えることが出来なかった。確かに見た目からして異彩を放っていたが、それでもフェリの念威が通じなかったというのが到底信じられない。
いや、前にもこんなことがあったはずだ。レイフォンは後から聞いた話だが、前にツェルニが暴走した時、ツェルニを襲った汚染獣の集団について。
ハルペーと名乗るしゃべる汚染獣が現れ、その配下であろう汚染獣がツェルニを襲った。ハルペーには念威を阻害する何かがあるらしく、またその配下である汚染獣も似たような能力を持っていたとか。
ならば、あの怪物達も似たような能力を持っているということだろうか? だとすれば、あの怪物達は汚染獣?
レイフォンにはわからない。そもそも、あれこれと思考を巡らせるよりも何も考えずに戦う方がレイフォンにはあっている。
考えるのはそれが得意な人にやらせるべきだ。自分が思考を巡らせてはろくなことにならないとこれまでの経緯で学習した。
レイフォンが優先するのはフェリの安全。そして、あの怪物達はフェリの安全を乱すもの。ならばレイフォンがやることはただひとつ。怪物達の殲滅。今はそれだけわかっていればいい。
『それにあちらも気になりますね。治療ポッドのようなものの中に入っていた、あの女性です』
あの芸術品のように美しい少女。あちらの方は、フェリは念威でしかと確認していた。
「フェリの方が美人ですよ」
『あの、フォンフォン。その言葉は嬉しいですが、今はそういう話ではなくてですね……』
あの少女は本当に美しかった。女性であるフェリでも、思わず見とれてしまいそうなほどに。
あんな少女が何故、治療ポッドのようなものの中に入れられ、あそこに放置されているのだろう?
まず生きているのだろうか? それとも死んでいる?
生死すら読めない謎の少女。その存在に頭を悩ませるフェリだったが、レイフォンはフェリの方が美しいと関係のないことを断言する。
その言葉と気持ちは嬉しいのだが、フェリからすればもう少しちゃんと考えろと言いたくなってしまう。
そもそも、今は考えるだけでは駄目なのだ。まず行動を取らなくてはならない。
姿の見えないイベント参加者達。いなくなったエーリ。姿を見せない同好会の会長と武芸長ヴァンゼ。まずは彼らを探し出す必要がある。
『いました』
そして、まずは一人。フェリの念威端子が探し人を捉えた。
武芸長のヴァンゼだ。彼は何かと戦っている。レイフォンとハイアの時と同じ、フェリが感知できない何かと戦っていた。
「フォンフォン」
「フェリ」
それとほぼ同時にレイフォンとフェリは合流した。フェリの後ろには涙目のミュンファと、その背中で夢の中にいるユーリがいる。
ひとまずは無事に合流できたことに安堵し、レイフォン達は次の行動に移った。
「ヴァンゼのところに行きます。彼なら何か事情を知っているかもしれませんし。ミュンファ、遅れないように」
「は、はい」
フェリはレイフォンに抱えられ、ヴァンゼの元へと向かった。ミュンファもその後に続く。
とんだハプニングの怪奇愛好会イベント。しかしそのイベントも、ついにはクライマックスを迎えようとしていた。
あとがき
レイフォンのハイアに対する殺意が相変わらずのフルスロット。もうどうにもなんないかな?
今回は後編のはずだったんですが、何故か予定より長くなって中編になりました。
いや、レイフォンがいるんで、原作ではヴァンゼ程度が梃子摺った怪物なんか瞬殺ですし、ならば数を増やすかってことで、しかもあの人も出そうってことで今回色々オリジナル要素入れてこんな感じになりました。
次回こそは正真正銘、肝試し編完結の後編を上げたいと思います。
それはそうと最近更新遅くてすいません。昔のように更新速度を保てない……
現実が忙しくって。オリジナルの執筆もまったく進まず……
ゲームの時間削るかなと真剣で悩むこのごろです。