ザアアア……
雨が降っていた。大粒の雨が、立ち尽くすレイフォンの全身を濡らしていく。
濡れた髪がべっとりと張り付き、少々うっとうしい。だが、この雨が汚れを洗い流してくれてもいた。
レイフォンのいる場所は……半壊しかけたルッケンスの屋敷の庭先。
「ははは、いいねいいね、最高だよレイフォン! ずいぶん仕上がってきたじゃないか!」
「フォンフォン!!」
屋敷の半分ほどが破壊されたとはいえ、無事な方の屋根の上から、レイフォンを見下ろす男がいた。
サヴァリスだ。サヴァリスはフェリを小脇に抱え、レイフォンを挑発するかのように悪辣な笑みを浮かべている。
「君は素晴らしい、本当に素晴らしい! 情け容赦ない斬撃! 自分で言うのもなんだけど、グレンダンの武芸の名門とうたわれたルッケンスの門派が皆殺しだよ!」
レイフォンの足元には人が転がっている。いや、人だったモノが転がっていた。
惨殺され、バラバラになった胴体に手足、そして頭部。周囲の地面を赤く染める血溜り。
それが雨によって垂れ流されて行き、広範囲に広がっていく。
「……フェリは僕のだ。フェリのお腹の中にいるのは僕の子だ!! 渡さない、誰にも渡さない!!」
「僕はそんなのちっとも興味ないんだけどね。親父が愉快な勘違いをしてたみたいだから、あえて正さなかったけど」
事の発端はこうだ。サヴァリスが連れ帰った少女、フェリ。
それをサヴァリスの恋人と勘違い。そして妊娠しているという事実。
血筋、実力からしてサヴァリスは、ルッケンスの武門、後継者の第一候補。しかし彼は戦闘にしか興味がなく、浮ついた話のひとつすらなかった。
家を、武門を継ぐには血筋が重要、つまりは子こそ宝。だからルッケンスの頭首、サヴァリスの父は喜んだ。
サヴァリスが、あの戦闘狂の息子が、嫁と子供(妊娠中)を連れて帰還したことを。
これでルッケンスは安泰だと、まさに天にでも昇るような心地で喜んだことだろう!!
……まあ、実際に、天に昇ってしまったわけだが。
レイフォンの手によって、ルッケンス頭首、サヴァリスの父は殺害された。
それどころか、この場にいたルッケンスの門派皆殺しだ。
フェリを取り戻しに来たレイフォンと、ルッケンスの宝としてフェリを守ろうとしたルッケンス門派。激突は必至。
フェリをさらわれ、邪魔をする養父すら手にかけ、荒みに荒んだレイフォンの理性にもはやブレーキなど存在するはずがなく、レイフォンに立ち向かったルッケンス門派は全滅してしまうこととなったわけだ。
こうしてグレンダンに長い歴史を刻んで来たルッケンスは……今日、この日をもって滅ぶこととなる。
残るルッケンスはツェルニにいる、未だ未熟な武芸者、ゴルネオ。もはや彼1人ではルッケンスを立て直すことなど不可能だろう。
そして正真正銘、ルッケンス最後の一人サヴァリス。
「サヴァリス、お前を殺す!!」
「喜んで! さあ、かかってきなよレイフォン!!」
度重なる怒りによって、今にもサヴァリスに飛び掛からんと憤るレイフォンと、それを心より歓迎するサヴァリス。
両者は互いににらみ合い、じりじりと間合いを図っていた。
「………」
「………?」
だが、戦いはなかなか始まらない。
怒りで今にでも殺しにかかってきそうな熱くなっているレイフォンだが、意外にも冷静だ。彼から攻めてくる様子はない。
サヴァリスはレイフォンを待ち受け、カウンターを決める予定だったのだが……ふと、あることに気づく。
「ああ、そうだったね。僕と君が、本気で戦うためには、彼女は邪魔だ」
「………」
未だサヴァリスが小脇に抱えている存在、フェリ。
もしレイフォンとサヴァリスが本気で戦うことになれば、フェリは無事では済まない。
念威繰者であり、身体能力が一般人と大差ないフェリにとって、廃貴族を携え、もはや天剣授受者すら凌駕する2人の争いに巻き込まれることは死を意味する。ぼろ雑巾のようにズタボロになるだろう。
いや、もはや……この2人の争いに巻き込まれて、無事で済む存在の方が稀有かもしれないが。
「……フェリを返せ」
「僕としてはもう用はないんだけどね。でもそうだね、せっかくだから、もう少し盛り上げてみるかい?」
今すぐにでもサヴァリスを斬りたい、倒したい、殺害したい。だというのに、フェリがいるために戸惑ってしまうレイフォン。
その様子に満足そうながらも、まだ足りないとばかりに、更に笑みを深くするサヴァリス。
「さあ、合図だ!」
「え……?」
「なっ!?」
上からサヴァリス、フェリ、レイフォンの声。
悪戯心、いやもはや悪意満載に言うサヴァリスと、視界が反転したことによって間の抜けたような声を上げることしかできなかったフェリ。
フェリはサヴァリスの手によって、軽々と数十メートル上空に投げ出されてしまったのだ。何度も言うが、一般人と身体能力が大差ないフェリにとって、落下は大怪我必須。最悪死んでしまいかねない。
レイフォンは驚愕の声を上げるなり、大慌てでフェリを助けに向かおうとするが……
「おっと、余所見はいけないよ、レイフォン」
「っ!! ふざけるなよお前!!!」
それを阻止するかのように、レイフォンに飛び掛かってくるサヴァリス。
手甲からの強力な一撃を剣で受け止めるレイフォンだが、正直、今はこんなことをしている場合ではない。
すぐにでもフェリを受け止めに行かなければならないのだが……それを許すサヴァリスではない。
「さあ、戦おうよレイフォン! 本気で僕と殺し合おう!!」
「言われなくてもやってやる! けど、今はそれどころじゃ……」
「はっは、聞く耳持たないね!」
焦るレイフォンと、知ったことかとばかりに笑い飛ばすサヴァリス。
更には追撃の蹴りを放ってくる。それを避けようとするレイフォンだが、それよりもフェリの方が気がかりで仕方がない。
「隙だらけだよ! 戦闘に集中しなよ!!」
「ふざけるな!!」
今すぐにでもフェリを助けに行きたい。だが、サヴァリスが組み付いてくる。
錬金鋼を鋼糸に変換させ、それでフェリを受け止めようとも思ったが……このような状況でそんな精密な操作が出来るのかと戸惑われる。
そもそも、目の前のサヴァリスがその隙すら与えてくれない。
「さあ、こっちを見ろ、レイフォン! 殺意に煮えたぎった瞳でさあ!!」
「フェリいいいい!!」
今すぐにでもフェリの元へ駆け寄りたい。だが、だが、サヴァリスが邪魔だ。
この間にも、フェリは地面へと落下していく。それを止める方法は、今のレイフォンには……
「ちょおおおおお!!? 何やってるさああああ!! ふざけんじゃねえぞ! マジ洒落になんないことやめるさああああ!!」
「!!?」
レイフォンは間に合わなかった。だが、落下するフェリはしっかりと抱き留められ、地面への激突を、最悪の状況をまぬがれた。
「お前ふざけんなよ! なんで、なんでこんなこと!? 嬢ちゃんにもしものことがあったら、あいつが、あのイカれ野郎がどんな暴走すっかわかんねえだろう! 巻き込まれるこっちの身にもなるさ!!」
「ハイア……?」
フェリを受け止めたのは、壊滅したサリンヴァン傭兵団の元団長、ハイア・サリンヴァン・ライアだった。
顔に半分、刺青の入った彼の表情は引きつっており、冷や汗だらだらだ。
前にフェリを誘拐してしまったために、レイフォンの逆鱗に触れ、殺されかけ、そして今でも隙あらば命を狙われる。そんなトラウマ級の被害と実害を受けたハイアにとって、フェリの負傷はよろしくない。大変よろしくない。
心情的にもそうだが、レイフォンに八つ当たりでもされたら、今度こそ本当に殺されるかもしれない。あと、なんか最近ミュンファとフェリの仲が良いので、まあ、ミュンファのためと言えなくもない。
「フェリさん!」
「ミュンファも……どうしてここに?」
この場に現れたハイア、そしてミュンファ。
ハイアに抱き留められていたフェリは、驚きつつも友の姿に安堵する。
「フェリさんが誘拐されたと聞いて、十七小隊の方々と助けに来たんです。今は隊長さん達と別れて、手分けしてグレンダン内を探索していたのですが……」
フェリが誘拐された。その事実を知って、レイフォンは単身グレンダンに乗り込んだが……よくよく考えれば、確かにこれはレイフォンだけの問題ではない。
同じ第十七小隊の仲間、そして友、引いては都市の長であるカリアンの妹という立場からして、ツェルニ全体の問題とも言える。
そしてこうして、ハイア達が救援としてここへ駆けつけてくれた。
「ハイアァァァ!!」
「なんだよ? 怒るなよレイフォン! これ仕方ないだろ! 俺っちが受け止めなきゃ嬢ちゃんあぶなかったんだから!」
レイフォンの怒鳴るような声に、ハイアはびくっと肩を震わせる。
いつもレイフォンの怒りと殺意にさらされていたハイアにからすれば、無理なからぬことだった。
「ありがとう、ハイア! 今まで悪かった!!」
「はい……?」
だが、そんなレイフォンから帰ってきたのは、意外にも意外な言葉だった。
「もうお前を殺そうとはしない、今後二度と危害を加えない! 今までのはやりすぎだった、僕も反省している!! 心より反省している!」
「いや、お前、何を言って……」
意外だった、あのレイフォンがハイアに謝罪するなど。
確かにレイフォンは、もはややりすぎというレベルでハイアを敵視していた。それはある意味、フェリに対する愛情の裏返しだったのだろう。
愛するフェリに危害を加えたハイアを許せない、そういった思いがそのままハイアに向かってしまったのだ。
だが、今目の前に、そのハイア以上のことをやらかした人物がいるとしたら?
「一生で一度のお願いだ! お礼はする、何でもする! だから、だから!!」
既にフェリはハイアが確保した。ならばもはや遠慮はいらない。
怒りは既に限界までたまっていたのだ。あとはもう、それを解き放つだけ。
「今すぐフェリを連れて、安全なところまで逃げてくれ!!」
「合点承知ィィィィ!! おい、逃げるさ、ミュンファアアア!!」
「え、ハイアちゃん……?って、きゃああ!?」
ハイアは察した。レイフォンはもう、完全にプッツンしている。このままここにいては自分達も巻き込まれかねない。故にフェリを抱え、ミュンファを携え走った。おそらく、世界一危険なこの場所から逃げるために。
レイフォンの体から強風のように荒れ狂う剄。それがそのまま大気を乱し、強風のように吹き荒れながら渦巻いている。
「くっくっく、思わぬ邪魔が入ったと思ったけど、いい、いいよ、レイフォ……」
「もうお前は黙れ」
「がっ!?」
サヴァリスのにやけた顔に、レイフォンのこぶしが叩き込まれる。
拳を受けたサヴァリスは全身が吹っ飛び、そのまま背後の建造物を突き破る。周辺は住宅街。一軒、二軒、三軒と住宅を突き破りながら吹き飛んで行き……建物を十軒ほど倒壊させ、巻き込みながら、ようやく動きが止まった。
「フォンフォン!」
「大丈夫ですよ、フェリ。すべてが終わったら……真っ先に会いに行きますから」
この場から逃げ出すハイアの腕の中で、フェリはレイフォンの名を呼ぶ。それにこたえるように、レイフォンはこの日初めて笑った。
心の底から、フェリを安心させるように笑った。しかし、それも一瞬……
「ははは、そうでなくっちゃ! さあ、続きを始めよう、レイフォン!!」
瓦礫を破砕する勢いで飛び出し、再びレイフォンに襲い掛かるサヴァリス。
「もう、手加減の必要はなくなった」
「ははは、僕だって! 都市(グレンダン)がどんな被害を負おうと知ったことか!」
年を守るというのが武芸者の務め。天剣授受者の一人、ルイメイすら、都市内での全力戦闘は都市に被害が及ぶからと避けることだろう。
だがもはや、この2人の獣にそんな考えなど、微塵たりとも存在しなかった。
「お前が死ぬのが先か、都市が壊れるのが先かだサヴァリス!!」
「望むところさ、レイフォおおおおン!!」
武芸の本場、無敵の都市グレンダン、そのグレンダン史上最悪の災害はこうして幕を開けた。