大友家の家督を巡って起きた大乱――『二階崩れの変』
戦乱の世にあって、親兄弟で権力を求めて争う話は枚挙に暇がない。
それは大友家のように実力、名分共に兼ね備えた大家であっても例外ではなく――むしろ大家であるからこそ、その巨大な権力を巡る争いはより熾烈に、酷薄になっていくのかもしれない。
大友家の先代当主義鑑は、自身が家督を継ぐ際に後継争いを経験している。結果として、義鑑は一族の大友親実を退け、第二十代大友家当主として立つことが出来たのだが、しばらくは乱の影響で国全体が不穏な状況に置かれ、他国の侵入を招きかねない事態に至ったという苦い思いを味わった。
この経験を鑑みて、義鑑は早い段階から後継者に意を用いた。
幸いというべきか、義鑑には義鎮(宗麟)という正嫡の跡継ぎがおり、幼い頃から聡明さと情け深さを併せ持った傑物であると評判が高かった為、跡継ぎを誰にするかに関しては悩む必要はなかった。
後は内外に義鎮が後継者であることを明らかにし、他者が付け入る余地のないようにしておけば、家督を譲る際の混乱は最小限で済むであろう。義鑑はそう考えたのである。
この義鑑の行動は大家の当主として称揚されてしかるべきものであった。もし家督相続が穏便に進められていたのならば、大友家の勢力を伸張させた功績とあいまって、大友義鑑の名は類稀な英主として、大友家の歴史に刻まれたに違いない。
だが、義鑑はある時を境に娘である義鎮に家督を継がせることを危惧するようになっていく。
その切っ掛けは、義鎮が南蛮神教の洗礼を受けようとしたことにあった。義鑑は南蛮神教に対して寛大な態度をとりつづけてきたが、それはあくまで交易の利を得るためであり、南蛮神教の教えに関しては無関心――というより、むしろ嫌悪していた。義鑑の目には、神を唯一絶対のものとする異国の教えは、日の本という国、ことに武士や大名の在り方とあまりにかけ離れていると映ったのである。
だからこそ、娘が南蛮神教の洗礼を受けることを義鑑は許さなかった。これが市井の民であればともかく、次代の大友家を継ぐべき人間が異国の教えを奉ずるなど見過ごせようはずがない。
大友家に仕える者の多くは、仏教をはじめとした古来より日の本に根付いた教えを、ごく素朴に信仰している。そんな彼らの上に、南蛮の教えを奉じた人間が立つと知られれば、家臣や領民の動揺は避けられず、最悪の場合、謀叛に到る恐れさえあったのである。
結果として、この時、義鎮は洗礼を許されず、大友宗麟の誕生は後年へと持ち越される。
この出来事に直接関わったのは、義鑑、あるいは義鎮に近しい者たちであり、彼らはこの話が家中に広がらないように腐心しなければならなかった。次代の大友家を担う者が、洗礼を望むほどに南蛮神教に傾倒していると知られれば、その影響は計り知れない。
だが、当の義鎮はこの時、洗礼をうけることを断念したわけではなかった。ただ父の強硬な反対にあったために一時的に希望を抑えていたに過ぎず、この後も度々洗礼のことを口にするようになったため、いつか家臣のほとんどが義鎮が洗礼を望んでいることを知るに到っていた。
この義鎮の振る舞いが、また義鑑にとっては不快であった。異教への傾倒ぶり、みずからの言動が家臣たちへ与える影響を理解していないと思われる娘の振る舞いを目の当たりにした義鑑。その胸中に、今後の大友家を娘に託すことへのはっきりとした危惧が生じたのはこの時であったのかもしれない。
それまで大友家の父娘の間には、諍いらしい諍いが起きたことはなかった。だが、この洗礼騒動は父と娘の間に大きな歪みを生じさせる。その歪みは時を経るごとに少しずつ、しかし確実に大きくなり、やがて誰の目にも父娘の不仲は明らかなものとなっていく。
家督相続は、大名家のみならず、その家臣たちにとっても無視しえない一大事である。それまで権力を振るっていた重臣が、新たな主君に疎んじられ、遠ざけられるなど珍しい話ではない。
逆に言えば、それまで冷遇されていた者たちにとって、家督相続は絶好の挽回の機会でもあった。新たな主君の寵愛を得られれば、重臣の地位さえ夢ではないのである。
それゆえ、大名家の後継ぎの周囲には、次代の権力を欲する者たちが引きも切らずに訪れる。当然、現在の重臣たちも、次の代にも自身の権勢を維持するべく行動する。これらの争いが高じれば、家を割った争いへと発展しかねないのだが、前述したように大友家の当主である義鑑は、家督相続に関して混乱が起きないように磐石を期し、義鑑と義鎮の親子仲も良好であったため、目立った諍いは起きていなかったのである――これまでは。
では、これからは?
◆◆
入田親誠(いりた ちかざね)という人物がいる。
ある意味で、二階崩れの変が勃発する原因ともなった人物である。
洗礼騒動によって大友父娘の間に生じた間隙は、その実、決して修復不可能なものではなかった。乱後、義鑑が自身の意思で義鎮へ家督を譲った一事からもそれは明らかである。
父娘の間隙を自らの利のために拡げ、深め、ついには流血の事態にまで至らせた要因こそ、この入田親誠であった。
もっとも、親誠が大友家の実権を狙い、事態のすべてを影で操っていた黒幕であった――というわけではない。
入田氏は大友宗家から杏葉紋を許された同紋衆の一。その当主であった親誠は加判衆の一角に名を連ね、義鑑の信頼篤い重臣であった。
その信頼がどれほどであったかということを端的に示す一事として、親誠が義鎮の傅役であったことが挙げられる。
傅役とは幼少時の養育係であり、その人物が長じて成人した後の重臣候補でもある。大友家の世継ぎである義鎮の傅役に任ぜられるということは、すなわち将来における大友家の筆頭重臣の地位を確約されたに等しいのである。
それゆえ、親誠があえて二階崩れの乱を起こす必要はなかった。そんな危ない橋を渡らずとも、ただ待っていれば大友家の実権を得ることが出来るのだから。
義鎮は傅役である親誠を信頼し、何事につけてもその助言を仰ぎ、その言を尊重した。洗礼騒動においても、最終的に義鎮が断念したのは親友ともいえる吉弘菊の諌めと、守役である親誠の強い諫止を受けてのことであった。
騒動の後、義鎮は父へは隔意を示したが、親誠にはこれまでとかわらない態度で接した。親誠の諫止が、あくまで大友家の安定を願ってのことであり、父に加担し、義鎮の願いを押しつぶしたわけではないと考えたからである。
無心に親誠を慕う義鎮が大友家の家督を継げば、親誠の政策に首を横に振ることはないだろう。それはすなわち、親誠が実質的に大友家の頂点に立つことを意味する。
ゆえに親誠がするべきことは、父娘に生じた間隙を消すことであるはずだった。この時点で義鑑は、義鎮を廃嫡し、晩年になって授かった塩市丸という男児を世継ぎにすることを考えてはいたが、義鑑と義鎮、二人の信頼を得ている親誠であれば、両者の仲を取り持つことは決して難しいことではなかっただろう。
だが、入田親誠は義鎮の傅役たる立場を放棄し、塩市丸擁立の姿勢を明らかにする。無論、はっきりとそう宣言したわけではないが、その言動はいっそあからさまなほどに義鎮を貶め、塩市丸を称揚するものであった。
その胸中にどんな思いがたゆたっていたのかを知る者は当人以外にいない。
主君である義鑑の意を重んじたのか。義鎮の純真すぎる為人に危ういものを感じていたのか。大友宗家に動乱の臭いを嗅ぎ取り、みずから独立する野心を滾らせていたのか。それとも――
ともあれ、大友家に時ならぬ嵐が訪れたことは疑いないことだった。
多くの家臣にとってはまったく予想だにせぬ宗家の混乱である。戸惑うばかりの者、黙して動かぬ者、胸中の野心を隠すためにうつむく者――
狼狽と動揺の陽炎が家中を包み込む中、真っ先に明確な動きを見せた者がいた。
その人物の名を一万田鑑相という。
親誠と同じく同紋衆にして加判衆の一角に名を連ね、主君の寵愛という点では親誠に優るとも劣らない鑑相は、先年、義鑑から一つの命令を受けていた――大友塩市丸の傅役たるべし、と。
この鑑相が自身の立場を鮮明にしたことで、事態は次の段階へと進むのである。
◆◆◆
豊前国門司城。
城内の一室で話を続けていた道雪殿が、小休止を告げるように小さく息を吐いた。それに促されるように、俺もゆっくりと息を吐き出す。知らず、息を詰めて話に聞き入ってしまっていたらしい。
道雪殿が一旦話を止めたのが、ここまでの話に疲れたためなのか、それともこれから語る本筋を口にすることへの躊躇いのためなのかはわからない。
俺にわかったのは、ここで話を急かしてはならないということだけだった。
二階崩れの変についての俺の知識はといえば、精々が大友家の御家騒動程度のもの。義鑑や義鎮の名はともかく、入田親誠などは正直どこかで聞いたことがあるかな、と首を傾げるくらいにおぼろげな記憶しかなかった。
最後に出てきた一万田鑑相の名は明確に覚えているが、それは元の世界の知識としてではない。俺はつい先日、別の件でその名を耳にしたばかりであった。あれはたしか――
「おぼえておいでですか。石宗様のお屋敷にてお話ししたわたくしの養い子、誾の父の名です」
「はい。たしか奥方の名は吉弘家の菊様と」
「ええ、そうです。紹運の姉君であり、誾にとっては実の母君。生来病弱な方でしたが、心根清く、誰に対しても柔和で優しく、それでいて決して自分を失わない強さを併せ持った……わたくしにとっても得難い友でした」
胸裏に亡き友人の顔を思い浮かべているのだろう。寂しげに目を伏せる道雪殿の顔は、俺がはじめて見るものだった。
そんな道雪殿を見て、俺はためらいを覚えた。
はっきりと聞いたわけではないが、戸次誾という人物が道雪殿の養子となっているということは、実の両親はすでに他界したのだろう。そして、それが二階崩れの変と深く関わっていることは明らかであった。
このまま道雪殿の話を聞くことは、俺が考えている以上に道雪殿にとって苦行なのではあるまいか。
「これまでのことで何かお聞きになりたいことはありませんか?」
そんなことを考えていたため、道雪殿の問いに俺は咄嗟に応えることができなかった。
見れば道雪殿はかすかに目を細めて俺を見つめている。その眼差しには、どこかこちらの心中をうかがうような色合いがあるように思われた。
何故だろう、と考えてふと気付く。二階崩れの変について初めて聞いたはずの俺が、あまりに平静であることが道雪殿の疑念を呼んだのか。道雪殿の目に、俺の態度はすでに事変を知っていた者のそれに映ったのかもしれない。なお悪いことに、それは事実に即していながら、決して口に出せない類のことであったから、俺はやや慌てて口を開かねばならなかった。
「大友の中の事情はおおよそわかりました。しかし、大友ほどの大家が混乱していたのであれば、他国の介入がなかったとは思えないのですが、そのあたりはどうだったのでしょうか?」
話題を逸らすわけにはいかず、かといって大友家内部のことについて問うのはためらわれた俺は、外の状況について訊ねてみた。
すると、俺の問いに対し、道雪殿は困ったようにおとがいに手をあてて吐息する。
俺は予期せぬ反応に戸惑いを覚えたが、道雪殿はその仕草については特に言及することなく、問いに応じた。
「証拠があったわけではありません。ゆえに、おそらく、としか申せませんが……」
介入はあった、ということか。明確な証拠がなかった以上、たとえ周囲に人がいないとはいえ、この場ではっきりと口に出せないのは道雪殿の立場上当然のことだった。加判衆筆頭の言葉が、万一にも外に漏れたら大事になりかねない。
そこまで考え、俺は先の道雪殿の仕草の意味を理解する。こんな答えかねる問いを向けられたら、それは道雪殿も困ってしまうだろう。慌てていたとはいえ、我ながら思慮が浅かった。猛省。
しかし、聞けば聞くほどに厄介極まりない動乱だ。御家騒動などそういうものと言ってしまえばそれまでだが、これでまだ本筋に入っていないのだから、ただ聞いているだけの俺でさえため息をつきたくなる。
かつて俺はある御家騒動の渦中に放り込まれたことがあるが、あの時、他国の介入がなかったことは稀有の幸運だったのだと今になって思い至る。
そうして、俺が脳裏に二人の主の姿を思い浮かべている間に小休止は終わる。
道雪殿は再び口を開き、大友家の命運を左右するに至った大乱の真相、その続きを語りだした。
◆◆◆
洗礼騒動に始まる大友宗家の父娘の仲違いは、一万田鑑相にとって奇貨だったといえる。義鑑が義鎮を廃嫡し、塩市丸を世継ぎとすれば、その傅役である鑑相は大友家中において更なる高みに立てるのである。
それゆえ、塩市丸擁立を目論む者たちは、鑑相が自分たちに与することを疑わなかった。誰よりも義鑑自身がそう考え、塩市丸擁立のために尽力してくれると期待した。鑑相は若くして高い声望を得ており、彼が義鎮廃嫡に賛同を示せば、家中の若者や兵士たちの支持も得られるはずであった。
ところが。
義鑑が娘を廃嫡する内意を漏らした時、鑑相は一瞬の自失の後、それが義鑑の本心であることを確かめた上で、毅然と反対の意思を表明した。
これには義鑑はもとより同席していた入田親誠も内心で仰天する。まず鑑相の賛同を得た上で家中に根回しするはずであったものが、初手から躓いてしまったのである。
鑑相は傅役として、幼いながら聡明な塩市丸の人柄を愛し、その将来に期待していた。まるで少年のように鑑相は夢見ていたのだ――この幼い主の下で槍を揮い、大友の武威を輝かせる日を。
だが、塩市丸が座るべきは、実の姉の血涙が染み込んだ穢れた席であってはならない。まして、これまで後継者たることを内外に示し続けてきた義鎮を廃嫡するとなれば、混乱は計り知れないものとなる。そんな政治と欲得の濁流に、幼い主を引きずりこむ意思など、鑑相には毛頭なかった。
鑑相は昂然と主君に対して、そのことを口にする。
「誰よりもそれを憂えておられたのは御館様でありましょう。それゆえ、義鎮様にご家督をお譲りすることを、早くから大友家の内外に知らしめたのではありませんか。今この時、その義鎮様を廃嫡なさると触れられれば家中の動揺は避けられず、他国の介入を招くことは火を見るより明らかです。なにとぞ御心を平らかに、一時の御短慮で事を決することなきよう、愚臣、伏してお願いいたしまする」
その言葉は正論であり、それゆえに義鑑は言葉を返すことができない。呻くように口元を引き結ぶだけである。
ここで親誠が口を挟んだ。だが、正面きって義鎮廃嫡を口にすれば、また正論で返されると思ったのだろう。その言葉は明快さを欠くこと甚だしかった。
「一万田殿、御館様にむかって短慮とは無礼ではないかな。御館様が熟慮の上でお話になったことだ。もう一度よく考えて……」
鑑相にとって、親誠は大友家臣の先達であり、上位者でもある。常日頃、敬意を欠かすことはなかったが、この時、この場において鑑相の舌鋒に容赦はなかった。
「古来より、廃嫡の儀を軽々に持ち出すは御家衰退の第一歩。ゆえに無礼を承知で申し上げました。入田殿――」
諭すような親誠の態度を見据える鑑相の目に雷火が走る。
「そも、なぜ義鎮様の傅役たる貴殿がこの席におられるのか。そして何故、義鎮様廃嫡の儀を耳にして一言も反対なさらないのか。まさかとは思いますが、傅役たるべき責務を放棄して、廃嫡に賛同する心算であられるのですか?」
「それは……」
言いよどむ親誠を前に、鑑相は更なる舌鋒を叩き込もうとする。それを制したのは義鑑であった。
「鑑相よ、先ごろの義鎮の騒動、妻女殿より聞いておろう。あれは妻女殿に倣って異教を奉じようとしたそうだからな」
「は、一応の顛末は聞いております」
「であればわかるはずだ。次代の大友家当主たるべき身でありながら、義鎮は友に倣う、ただそれだけを理由で異国の教えを奉じようとしおった。その心根の未熟さは目を覆うばかりである。そのような柔弱者が当主となれば、大友家は間違いなく衰退しよう。わしは、座してそれを見るに忍びぬのだ」
その言葉と表情には焦慮の色が濃い。義鑑が一時の感情で廃嫡のことを言い出したわけではないことを、鑑相は察する。あるいは、もっとずっと以前より考えていたことなのかもしれない。
だが、ここで頷くことは出来なかった。
「お言葉ながら。たしかに義鎮様は時に他者への依存が過ぎる場合がございます。しかし、それは相手の言葉を理解できる聡明さと、相手を信じることの出来る純真さがあってのこと。此度のこと、軽挙の謗りは免れますまいが、事をわけて説明し、忠義をもって諫止すれば、それを等閑にされる方ではございません。事実、此度も洗礼の儀は思いとどまってくださったではありませんか」
まして民や家臣に横暴を働いたわけではないのだ。今回の洗礼騒動のみをもって廃嫡を強行すれば、それこそ大友に大乱を招き寄せるようなもの。鑑相はそう言って、廃嫡に対して改めて明確に否を唱えたのである。
毅然と、また昂然と正論を唱える鑑相に対し、親誠はもとより義鑑も返す言葉をもてなかった。
それが気に障ったのだろうか。義鑑に促され、退室するために席を立った鑑相の後ろから、親誠が皮肉げに声をかける。
「家臣たる者、主の願いに添い、その栄達を願うは当然のことと思っていたがな。そなたは違う考えを持っているようだ」
それは塩市丸を主君にする謀を蹴飛ばした鑑相へのあてつけであり、当然のように鑑相もそのことを理解した。そして――
「塩市丸様を、姉君の血に濡れた席に就かせることが臣下のあるべき姿とでも? その言葉は入田殿ご自身にこそ向けられよ」
その切りかえしに対し、顔を青ざめさせながら口を閉ざす親誠を見て、鑑相は義鎮の傅役がすでにその責務を放棄したことを悟らざるを得なかったのである。