その男は、南蛮軍でも屈指の巨躯を誇っていた。どれほどの大きさかといえば、彼に合う甲冑が軍に一つもなく、仕方ないので一つ一つの部品を手ずから調整して、なんとか格好を整えているほどである。
男はまた巨躯に相応しい膂力の持ち主でもあり、手に持っている巨大な長槍は、これまた特注の大業物であった。
その長槍を手に男が敵陣に突進すれば、敵兵の群れは巌にぶつかる波濤のごとく左右に砕けていく。
今、男の足元に倒れ伏す異国の敵兵の死屍は、そうして砕け散った波濤の一片であった。
男は周囲の仲間たちに気づかれないよう、肌身離さず持っている十字架を片手に握り締めながら、そっと祈りの聖句を唱えた。つい先刻まで命がけの殺し合いを演じていた相手である。一歩間違えれば、倒れていたのは男の方であったろう。それでもこうして決着が着いた今、その冥福を祈らずにはいられなかった。
男は仲間たちからエルファと呼ばれている。これは本名ではなく『象』からとったあだ名であり、男の人間離れした巨躯や膂力を称えて名づけられたものなのだが、それ以外に、戦闘以外の諸事における動作の鈍さや、相手が異教徒であっても戦うことをためらう軟弱な気性を揶揄する意味も少なからず込められていた。
エルファの周囲では、同じ部隊の同輩たちが勝利の興奮さめやらぬ様子で、口々に雄たけびをあげ、今なお逃げ続ける敵兵に追撃をかけようとしている。
もう勝敗は決したであろうに、とエルファは思う。これ以上は戦闘ではなくただの殺戮であり、神が望むものではない。しかし、一介の兵士風情が作戦に口を出せるはずもない。
ましてエルファは敵の本拠地である城(イチウジ、という非常に言いにくい名前であった)を陥とすために編成された部隊、その先鋒に加わっている。戦いの手を止めるなど許されるはずもなかった。
せめてこれまでのように速やかに逃げてくれたら、とエルファは思う。
しかし、本拠地を直撃されることを悟った敵は必死であった。進軍を続ける南蛮軍の前にあらわれたのは、これまでの奇襲部隊とは一線を画した規模の敵部隊。その動きは兵卒であるエルファから見ても、明らかな動揺が感じられた。あるいは敵は、南蛮軍がこうも早くに彼らの本拠地を突き止めるとは考えていなかったのかもしれない。
この部隊はエルファたち重装槍兵が先鋒となって撃退したのだが、敗れた敵軍はこれまでのように蜘蛛の子を散らすような逃げ方はしなかった。南蛮軍の圧力に抗しきれず、徐々に退きつつも、これ以上の侵攻を許さぬとばかりに苛烈な逆撃を加えてくる。
しかし。
そんな敵の反抗も、南蛮軍の銃兵によってあえなく蹴散らされた。
銃兵はおろか砲兵まで動員した六百名の先鋒部隊は、千人を越える敵軍を半刻たらずで撃ち破ることに成功したのである。
すでに敵は全面的な潰走に移っている。組織的な抵抗を試みる部隊は、さきほどエルファたちが撃ち破った部隊で最後であったようだ。なおも抗戦を試みる敵兵がいないわけではなかったが、それは個人の勇に留まり、部隊として戦う者たちはもうどこにも見当たらない。
指揮官であるニコライ・コエルホから「油断するな」との命令を受けていた南蛮軍であるが、この敵の潰走が偽りであるとは思えなかった。また仮に罠であったとしても、なにほどのことがあろう、との思いもある。ここで敵を見逃して、これまでのように昼夜の別なく奇襲を受けるのは面倒であり、不快でもあった。
つまるところ――
「全軍、追撃せよッ!」
先鋒部隊の長の号令に応じた将兵の猛々しい喊声こそが、南蛮軍の総意だったのである。
かくて、エルファは槍先を鮮血と肉片で覆いつつ、同輩たちと共に戦場を駆け続けることになった。
当初は追撃しつつも陣形を組んでいた南蛮軍であったが、散発的な反撃に対応しているうちに、徐々に陣形は崩れはじめていた。もっとも、兵士はおろか指揮官たちでさえ今は追撃を優先している。
隊形を整えていれば、その隙に敵主力を逸することが確実だったからである。
おそらく敵は多数の怪我人を抱えているのだろう。朋輩とおぼしき者たちに肩をかしながら、懸命に逃げ続ける敵兵の姿を、エルファは何度も目撃した。その彼らはことごとくエルファの同輩たちによって討ち取られ、無念の形相を浮かべながら野に屍を晒している。
エルファたちが『その場所』に着いたのは、間もなく西の稜線に陽が隠れようかという時分であった。
日が暮れれば追撃も終わる。いつか、その時を心待ちにしていたエルファの視界に映ったのは、窪まった盆地のただなかを逃げ続ける敵軍の姿であった。
おそらく殿軍を務めていると思われるその敵の数は、おおよそ百名といったところか。一際立派な甲冑を身につけた騎士と、それを取り囲む兵士たちの姿が見て取れる。おそらく敵の有力な将軍なのであろう。
良き獲物、と左右の兵士たちが勇んで突撃していけば、エルファも遅れるわけにはいかなかった。
背後から迫る喊声を聞き、敵軍は南蛮軍の追撃が思ったよりもはるかに早く接近していたことに気づいた様子であった。
しかし、おそらくもう抗戦する力は残っていなかったのだろう。彼らはこれまでのように抗戦しようとはせず、エルファらに背を向け一目散に逃げ始める。その姿は、肉食獣に追われた草食獣さながらであった。
南蛮軍は嘲笑を浴びせつつ、追撃を開始した。戦意の失せた相手を後ろから討ち果たすほど楽な戦いはない。
しかし、エルファは動かなかった。より正確に言えば動けなかった。
エルファはこれ以上の戦いは無益だと考えており、追撃もやめたいと願っていた。これまでエルファは何十、何百もの敵兵を討ち取ってきたが、そのすべてが泣きたいほどに嫌な記憶であったから。
だが、エルファのような一介の兵士が感情のままに自侭な振る舞いをするなど許されるはずもない。エルファもそれは十分に承知していた。だから、気が進まずとも、自軍の先頭に立って駆け出すつもりであり、実際、ここまではそうしてきたのだが――
エルファの足は主人の意図を裏切り、先へと進むことを拒み続ける。それは人殺しを厭うエルファの優しさゆえであったのか、あるいは戦士としての本能が危険をかぎつけていたのだろうか。
そのいずれにせよ、エルファが大きく出遅れたことは間違いなかった。当初は軍の先頭に位置していたエルファであったが、彼がためらっている間にも後続の南蛮軍の兵士たちは次々に左右を追い抜いていっており、気がつけば南蛮軍の先頭はすでに敵軍の最後尾を捉えようとしていた。
その南蛮軍の先陣に向けて、退却していた敵軍から銃火がほとばしる。
筒先を揃えた一斉射撃ではない。数人の兵士たちが火縄銃の狙いを南蛮軍の指揮官に定め、撃ち放ったのだ。
いずれも優れた技量の持ち主であるらしく、一発が板金鎧の隙間をぬって命中し、部隊長の一人が顔をおさえながら地面に倒れる。
だが、銃兵はそれを見ても喜ぶ素振りさえ見せず、抜刀して追撃部隊の前に立ちはだかってきた。数百名の追撃を、たかだか十人たらずの人数で防げるはずがない。にも関わらず、抜刀して斬り込んで来る兵士たちに迷いは感じられなかった。
味方を逃がすための、文字通り必死の防戦である。
この退却方法が捨て奸(すてがまり)あるいは座禅陣とも呼ばれていることを、エルファも南蛮軍も無論知らない。だが、味方が退却するためのほんのわずかな時を稼ぐために、みずからの命を路傍の小石のごとく投げ捨てる敵兵の恐ろしさは、すべての将兵が思い知らされていた。南蛮軍がここにいたるまで、敵主力を討つことが出来なかったのは、彼らのような死兵に幾度となく追撃を妨げられてきたからなのである。
だが、いかに効果的な足止めとはいえ、繰り返せば対応の方法も見えてくる。
敵の銃のほとんどは南蛮軍にとって旧式のものであり、数も少ない。よほど至近距離から撃つか、さもなくばいましがたのように、運悪く顔などの露出部に弾丸が命中しないかぎり、なかなか致命傷になるものではない。白兵戦に至ってはなおのことである。この国の武器では南蛮兵にろくに手傷を負わせることも出来なかった。
要は冷静に対処すれば、何とでもなるということである。気をつけるべきは、南蛮兵から見れば無駄死にとしか思えない行動を、平然と繰り返す敵軍の異様なまでの錬度と士気の高さであった。
だが、結局のところ、それとても銃火の前では意味をなさず、反撃の銃弾の前に敵兵は次々と地面に倒れていくしかなく。
こうなれば恐れるべき何物も南蛮軍には存在しない。これだけ追い詰めたのだ。眼前の殿軍を鏖殺し、しかる後、今度こそ敵の主力部隊を撃滅してみせる。
南蛮軍が必殺の気概もあらわに敵軍に殺到していく――『その時』
ようやく。
『場所』と『時』が重なり合った。
次の瞬間、凄まじいまでの轟音が盆地一帯に響き渡る。
これまでの銃火を雹か霰で例えるならば、今回のそれは宙空を切り裂く霹靂に等しい。
一瞬、南蛮軍はまた例の捨て身の戦術か、と疑ったのだが、今回の銃撃は規模も破壊力も、これまでの反撃とは完全に一線を画していた。
なによりも――
「ぐ、ああああッ?!」
「腕が、ああああ、俺の腕があああッ!!」
「いてえ、いてえよッ、なんだ、いきなりなんなんだよッ?!」
地面に倒れ伏し、驚愕と激痛にもだえる将兵の数が、これまでとの違いを克明にあらわしていた。
鉄砲の数だけではない。放たれた銃弾は、装甲の薄い部分であれば板金鎧さえ撃ちぬいていた。
その威力は決して旧式の銃では出せないものである。だが、どうしてこの地の敵兵が新式銃を保有しているのか。
混乱する南蛮軍の将兵は知る由もなかった。
『他国の者にわざわざ自国の武力を詳らかにする為政者などどこにもいません。まして得体の知れない異国の宣教師などに、秘中の秘を見抜かれるような愚を、この私がおかすとでも思っているのですか?』
彼らが目的地としている城の一室で、一人の少女がそう言って冷たく眼差しを光らせていることを。
もっとも。
たとえそれを知らされたところで、誰一人として感謝する者はいなかったであろう。
何故といって、そんな疑問に拘泥している余裕を、南蛮軍は与えられなかったからである。
動揺しずまらぬ南蛮軍の只中に向けて、続けざまに第二射が放たれた。
地を穿つ銃火の雨が轟音を響かせるや、南蛮軍の兵士たちは絶叫をあげながら、血泥とともに地面に倒れ伏していく。
こうなれば、もう追撃どころではない。銃弾が飛来する方向から推測するに、新手は木立にまぎれて山の斜面から南蛮軍を狙い撃っているようだ。
先鋒部隊の指揮官たちは陣形を立て直し、新たな敵兵に備えようとした。不意を撃たれて混乱を余儀なくされたが、南蛮軍にも銃兵はいるし、大砲さえ預かっているのだ。きちんと隊列を組むことさえ出来れば、いかに銃兵とはいえ重装槍兵の壁はそうそう破れるものではない。
指揮官たちの考えは、この時点では決して間違ってはいなかった。
だが。
敵――島津軍は、そんな南蛮軍の思惑を容赦なく打ち砕く。
第三射、第四射、第五射。
雷神がたけり狂ったかのような続けざまの轟音は、紛うことなき銃火の霹靂である。
だが、南蛮軍の将も兵も、すぐにそれを信じることが出来なかった。何故といって、こんな短い間隔で鉄砲を放つことは不可能なはずであったからだ。
いかに新式の銃とはいえ、一度、弾を発射すれば、筒内の掃除から次弾の装填まである程度の時間が必要となる。これは鉄砲という武器の不可避の欠点でもあった。
南蛮ではこの欠点を克服すべく、様々な試みが為されており、実際、幾つもの成果が出ていた。銃兵たちが持つ弾薬(銃弾と火薬を詰め込んだもの)は、装填時間の短縮のために編み出された技術の一つである。
無論、弾薬といっても筒内に入れれば即座に次弾が放てるような便利な代物ではない。装填の工程を幾つか短縮することが出来る程度ではあったが、それでも弾薬を用意しているか否かで、次弾の発射までにかかる時間は大きく左右された。だからこそ、有用な技術として銃兵の正式な装備に組み込まれているのである。
しかし、その南蛮軍の銃兵でさえ、今しがたの敵軍のような連続した射撃は不可能であった。
この国は連発する銃でも開発したというのだろうか。
ありえない。こんな東のはずれの蛮人たちが、南蛮国ですらいまだ成功していない技術を開発するなどありえない。だがしかし、それならば、今なお止まない轟音は、一体なんだというのだッ?!
勝利の確信に満ちていた、つい先刻からは考えられないほどの混乱と怒号と絶叫が南蛮軍を覆おうとしていた。
先頭に位置していた重装槍兵らは慌てて踵を返す。周囲に倒れている朋輩たちに手を貸す者もいたが、飛来する銃弾は容赦なく彼らを撃ちぬいていく。頑丈な板金鎧は多くの南蛮兵を致命傷から守ったが、それはかえって苦痛の時間を長引かせるだけであったかもしれない。
地面に倒れ伏した槍兵たちは、腕や足を貫いた銃弾の痛みに耐えながら、いつ首や顔を撃ちぬかれ――あるいは切り裂かれるかと恐れおののくことしか出来ずにいた。
◆◆◆
そんな南蛮軍の惨状を見下ろしながら、惨状をもたらした当の本人は忌々しげに舌打ちしていた。
一見、童とみまがいそうな小柄な体格と幼い顔つきをしたこの男性、名を新納忠元という。薩摩島津家の重臣の一人である。
忠元は今、不機嫌な表情をあらわにしながら、眼下に視線を注いでいる。忠元の目には、南蛮軍の姿がとても醜いものに映っていた。
「たかだか数度、銃撃を浴びせただけではないか。肝付や伊東の兵でさえ、ここまで見苦しい姿は晒さぬぞ」
所詮は武器の力に頼っただけの無法者の集まりか、と忠元は吐き捨てる。
「これでは油断を誘うという筑前の策も、本当に必要であったかどうか疑わしいわい」
唸るように不満の声を押し出した忠元であったが、無論、忠元はわかっていた。南蛮軍が島津軍を侮りきっていたからこそ、予期せぬ反撃に遭っただけで、南蛮軍がここまでうろたえているのだということが。
ことのはじめから正面きって戦っていれば、いかに島津軍が敵の予測を越えた大量の鉄砲を抱えていようとも、南蛮軍は堅陣のうちにこもって容易に突き崩すことは出来なかったであろう。少なくとも、今、忠元の眼前に広がっているような惨憺たる敗走をすることはなかったに違いない。
それがわかっていて不満の声をもらしたのは、薩摩の国を、そして島津の家を守るための策が、大友家の家臣の頭脳から出たものであることが口惜しいからに他ならぬ。
それは本来、島津の家臣が考えねばならなかったこと。他国の手をかりて島津家を守るなぞ『親指武蔵』の名が泣くというものだろう。
ここは是が非でも南蛮軍を撃ち破り、島津の武のなんたるかをしらしめてやらずばならぬ。南蛮軍に対しても、そして大友家に対しても。忠元はそう決意していた。
決して、決して頭の働きで劣ったから、腕の働きで見返してやる、などという子供じみた対抗心はない。断じてないのである。
小柄な身体に、大きな志と小さな対抗心を秘めた島津家随一の猛将は、麾下の鉄砲隊に視線を向けた。
もし、この場に島津家以外の武将がいれば、その陣形を見て眉をひそめたかもしれない。
三十名の鉄砲隊が横一列に並び、その後ろに同人数の鉄砲隊が同じく横一列に並んでいる。それがあわせて五列――計百五十名の鉄砲隊がこの場に集っている。
しかし、この陣形では敵陣に鉄砲を撃てるのは一列目の三十人のみ。一列目を座らせたり、あるいは隙間を縫って撃てば二列目の兵士も撃てないわけではないが、それでも精々六十人である。部隊の半ば以上が遊兵と化す奇妙な陣形であった。
だが、これこそが島津家が新兵器たる鉄砲を存分に活用するために編み出した新しい陣形であった。
すなわち一列目の兵士が筒先を揃えて敵を銃撃するや、最後列の五列目が一列目の前に移動し、続けざまに敵に銃火を浴びせる。そして五列目が撃ち終われば、今度は四列目がまた前に出て敵を撃つ。撃ち終わった兵士はただちにその場で次弾の発射準備を整え、順番が来ればまた前に出て銃撃する――これを繰り返せば、弾と火薬が尽きないかぎり、敵は絶えず銃弾を浴び続けることになる。
百五十の鉄砲隊が一斉に敵兵を撃つ方が、無論破壊力は勝る。だが、一発撃っては装填に時間をかけ、また一発撃っては時間をかけ――それよりは、三十の鉄砲隊が絶え間なく撃ちつづける方がはるかに敵にとって脅威になる。敵軍に接近を許さないという意味で、防御にも優れていると言えるだろう。くわえて、この陣形であれば機動力に難がある鉄砲隊であっても、隙を見せることなく敵陣に向けて前進できるのである。
ひとたび戦況が不利になれば、動きを逆にして後退すれば殿軍の務めを果たすことも難しくない。
鉄砲という新兵器の欠点を補い、利点を増幅させる新しい陣形にして戦法――漸進射撃戦術を編み出した人物の名を島津歳久という。
歳久はこれを『車撃ち』と名づけ、早い段階から将兵に訓練を施してきた。
それは大友家からの使者が訪れるずっと以前のことであり、すなわちこの戦術の考案に歳久は誰の手も借りていない。
島津の鉄砲隊は、そんな卓越した軍事的才能を誇る歳久によって選ばれ、編成され、鍛え上げられてきた虎の子の最精鋭部隊なのである。そして、その鉄砲隊を指揮するのが島津家随一の将たる新納忠元である以上、島津軍を侮りきって押し寄せた南蛮兵に勝機など寸毫もあるはずはなかった。
無論、忠元は敵にまだ鉄砲隊、弓隊が残っていることは承知している。それどころか大砲なるものまであるらしいことも。
だが――
そこまで忠元が考えたとき、不意に彼方から鬨の声があがった。元々、追撃の余勢でくずれかけていた敵の陣形は、逃げ崩れる槍兵によってさらに乱れ、鉄砲隊や弩兵隊の陣列は混乱に陥っている。その敵陣めがけ、山の斜面の半ばあたり――丘陵状になっている地点に展開していた島津の弓兵隊が、猛然と矢の雨を浴びせはじめたのである。
この絶妙な間による攻撃は、島津の末姫、家久の手になるものであった。
元々、銃は長弓に比べて有効射程距離(単純な飛距離ではなく、殺傷力と命中率を共に保持できる距離)に劣る。そしてもう一つ、南蛮軍が使用しているクロスボウ――日本でいうところの弩もまた単純な飛距離はともかく、有効射程距離においては長弓に及ばない。
それはつまり適切な距離を保つことさえ出来るならば、ただの弓隊であっても南蛮軍の銃兵やクロスボウ部隊に十分に対抗できるということを意味する。
くわえて、銃兵は長槍兵のように重装備で身を固めているわけではない。常であれば長槍兵が楯となり、敵との距離を詰める援護をするのだが、島津軍の鉄砲隊に撃ち崩された槍兵にその役割は望むべくもない。
結果、南蛮軍の投射兵(銃兵と弩兵)は降り注ぐ矢の雨の中で右往左往することになり、次々にその数を減らしていったのである。
そして。
投射兵が崩れたことで、南蛮軍の戦列は完全に崩れたった。
それを確認した島津軍は、最後の兵力を投入する。山間から姿を現した騎馬兵が南蛮軍めがけて突撃を開始したのである。
より正確に言えば、南蛮軍めがけてというわけではなく、弧を描くようにして巧妙に南蛮軍の退路を塞ぐ進路をとっていた。
軽装の騎馬兵は、銃兵や弩兵の的であるが、すでに南蛮軍の指揮系統は乱れに乱れており、新たにあらわれた敵兵の動きに対応しきれていない。おまけに付近の地理に精通した騎兵の機動力は、重装備の南蛮軍の及ぶところではなかった。
完全包囲。
それが島津軍の作戦目的。
何のためか。無論、南蛮軍を完膚なきまでに撃滅するためである。
そこに思い至った者は、南蛮軍の中にも少なくなかった。過酷な戦況の中にあって、彼らは敗北を免れるために懸命に打開策を探るものの、敵の行動は迅速を極め、すでに包囲は完成されつつある。
事ここにいたり、戦局を打開する方策は一つしかない。南蛮軍にとっての切り札――砲兵である。
五門もの大砲を一斉に撃ち放てば、人も馬もひとたまりもない。鉄砲を新兵器と捉えているこの地の人間には、そも大砲が何なのかさえ理解できず、恐怖のあまり逃げ出すかもしれない。
前線の将兵は知らず、砲兵は戦闘の開始からずっと後方に配されており、いまだ敵軍の実力をはっきりとは認識していなかったため、そんな楽観が脳裏をよぎっていた。
無論、彼らとても味方が崩れていることは承知しているが、それでも大砲の威力をもってすれば、戦局を覆すことは可能だと信じた――より正確に言えば、そう信じたかったのである。
だが、大砲は鉄砲とはくらべものにならないほどに装填に時間がかかる上に、たとえ装填が完了したとしても照準やら弾道の調整やらが必要となり、すぐに発射できるものではない。
すなわち、護衛となる兵がいなければ、たちまちのうちに敵に接近を許してしまうのである。そして現在、護衛となる兵士は数えるほどしかいない。ここで大砲を使用すれば、敵の注意を自分たちに向けた挙句、多数の敵兵になぶり殺されることになりかねぬ。
その危惧が皆無ではなかったから、指揮官から一斉射撃の命令が下った時、砲兵部隊の初動はわずかに遅れてしまった。もっともそれは本当に些細な遅れであり、本来であれば気にする必要もなかったはずのものである。
しかし――ことのはじめから、島津軍は砲兵部隊の存在に気づき、その危険も承知していた。
騎馬隊の一部は大砲を鹵獲するため、すでに動いていたのである。
砲兵部隊が示したわずかなためらいは、その部隊にとって十分に付け入ることの出来る隙であった。
◆◆
その兵士が倒れた時、まるで地震が起きたかのように地面が震えた。
大砲を奪われるのを防ぐためか、あるいは逃げ崩れる味方の将兵の退路を守るためか。今となってはその兵士――厚い甲冑をまとった、見上げるほどの大男――が何のためにこの場で抵抗していたのかは定かではない。しかし、いずれにせよ、その兵士が倒れた瞬間に南蛮軍の抵抗が潰えたことは確かであった。
人の背丈ほどもある長槍を縦横無尽に振り回し、暴風のように荒れ狂った兵士の武勇は、ただ見ていることしか出来なかった俺でさえ、背に悪寒を禁じえなかった。男は南蛮軍の中でも屈指の勇士であったに違いなく、まともにぶつかれば、いかに強兵を誇る島津家といえど、無視できない被害が出たであろう。
実際、退路を塞ぐと同時に大砲を鹵獲する、という島津軍のやや(?)欲張りな作戦行動は、前線近くから馳せ戻ってきたその大男一人によって妨げられる寸前であった。
――そんな勇士が、一人の女性の手で討たれたのである。その情景を目の当たりにした南蛮兵が、こちらに抵抗することさえ忘れて呆然と立ち尽くしたところで、何の不思議があったろうか。
そして俺はそんな敵軍の隙を突いてこの場を制圧し、大砲の確保に成功する。
すでに他の部隊によって南蛮軍の退路は塞がれつつあり、忠元の鉄砲隊と、家久の指揮する弓隊によって南蛮軍は壊滅しつつある。
それにくわえて、こうして敵の虎の子である砲兵を無力化した今、この戦局が覆ることはもうないと断言して良いだろう。
「長恵」
そう判断した俺は気遣いを込めてその名を呼ぶ。
すると、相手は小さく微笑みながら、軽く手をあげてきた。
その顔にはめずらしく、明らかな疲労と憔悴の色が浮かんでいる。
つい先刻まで繰り広げられていた死闘は、剣聖の力をもってしても決して易しいものではなかったことが、その表情からうかがえた。
その口から出たのは、嘆息にも似た感嘆の一言であった。
「やっぱり『人』というのは、どこにでもいるものですね、師兄」
俺は満腔の同意を込めて、長恵に頷いてみせる。
その巨躯に相応しい剛勇はもちろんだが、こちらの奇襲に先んじ退路を守ろうとした戦術眼や、守りきれぬとみるや、迷うことなく敵軍の指揮官(つまりは俺のことだが)に狙いを定め、一直線に此方へ向かって突撃してきた状況判断能力は、敵ながら見事の一語に尽きた。
惜しむらくは、男が一介の兵士であったことか。味方の援護があれば、あるいは――
「おーい、筑前さん、長恵さーんッ」
血臭と硝煙の臭いが立ち込める戦場のただなかにあって、場違いにも感じられる明るい声音が耳朶を打つ。
無論、俺も長恵もその声の主が誰であるかを知っていた。
「あら、家久殿」
「長恵さん、遠くからですが見てました、凄かったです! さすがは『天下の重宝』ですねッ」
軽やかに馬を操ってあらわれた家久は、興奮したように手綱から手を離し、両の拳を握り締めながら、長恵の勇戦を称える。
家久の左右に控えている島津兵たちも、こくこくと同意の頷きを示していた。武勇を尊ぶ島津家の将兵の目から見ても、やはり長恵の武芸は卓越しているようであった。
まあ、その長恵を完膚なきまでに――これでもか、これでもかえいえいとばかりに(長恵談)叩き潰したのは、この小柄なお姫様だったりするわけだが、一応陣営を同じくしている今、そんなささいなことは忘れた方が互いにとって幸せなのだろう、きっと。
それに、そんなことよりも先に言わなければならないことがあった。
「家久様、まだ戦が終わったわけではありません。どこから狙われているとも限りませんし、後方に下がってもらえませんか。家久様の身に万一のことがあれば、俺が新納殿に殺されます」
「あはは、大丈夫大丈夫。見たところ、もう刃向かう気力が残っている兵はいないみたいだし、それにね、忠元はああ見えて、結構筑前さんのこと気に入ってるんだよ?」
「……新納殿は、気に入った相手を毎日のようにぶんなげるのですか?」
稽古と称して。
俺の反問に、家久は困ったように、たははと笑う。
「うーん、忠元なりに、筑前さんに思うところがあるんだろうねー。でもほら、もし本当に嫌ってたり、疑ってたりするようなら、筑前さんに島津の兵を預けたりしないでしょ?」
「……ふむ、それは確かにそうかもしれませんね」
まあ実際は「口を出すだけなら童でも出来るわい」といって、尻を蹴られるように前線に放り出されたわけだが。
表向きは、猫の手も借りたいほどに多忙を極める今の島津家中にあって、遊ばせておける人材などない、ということになっていたが、もしかしたらあれは忠元なりの信頼のあらわれであったのだろうか――うーむ、単に策士然とした俺を前線に送り込んで、その慌てっぷりを酒の肴にしようとした、と考えた方がはるかに説得力に富むような気がするなあ。
あるいは南蛮軍を撃退する、というこちらの覚悟と真意を試す意味もあったのかもしれない。戦場で俺がおかしな動きを見せれば、何処からか銃弾が飛来してきた可能性もないわけではない。
無論、俺は島津軍を罠にはめるつもりなどない。それどころか、南蛮軍の戦力を自分の目で確かめるのは望むところであったから、忠元の提案に渡りに船とばかりに頷き、こうしてこの場にいるのである。
なにしろ報告だけではわからないことがあまりに多い。南蛮軍の実際の兵力はどの程度のものなのか。兵の錬度は、装備は、士気は、陣形は――なにより、島津家だけで勝てる相手なのか。
今回、俺がもっとも危惧していたのは、攻め寄せてくる南蛮軍の規模と装備がまったく分からなかったことである。九国全土の戦力を糾合しても勝てないほどに巨大である可能性も、決てないわけではなかったのだ。
幸い――というべきかどうかはわからないが、南蛮軍の戦力は俺の予測を越えるものではなかった。かぎりなく最悪に近いものではあったが、それでも決して勝てない相手ではない。それは眼前の光景が証明している。
無論、ここにいたるまでに多くの将兵が血を流し、命を投げ出した事実を忘れてはいない。島津以外の勢力であれば、ここまで持ってくることさえ難しかったであろうことも。
その意味で薩摩の国を治めるのが島津家であったことは、日の本にとって、こちらは疑いなく幸いであり――同時に南蛮にとっては不幸であったといえる。
そして、重要なことは南蛮軍の不幸がまだ始まったばかりであるということだった。
今回は勝ったとはいえ、まだ緒戦である。敵の先鋒を打ち破ったにすぎず、後ろには南蛮軍の主力部隊が控えているのだ。これをも撃ち破るために、危険をおかして敵の退路を塞いだのである。
ここで先鋒部隊を完全に壊滅させておけば、本隊が戦況を把握するまでに時間がかかる。それまでに南蛮軍が保有する大砲や銃、クロスボウといった武器を奪い、戦力を向上させる。南蛮兵が着込んでいる金属製の甲冑も鋳直せば有用な資源に変じるだろう。弾丸とか、刃物とか。
やってることは強盗そのものだが、残念ながら敗者に礼を尽くすような余裕はない。降伏した捕虜を養う余裕がないように。
では降伏した兵士はどうするのか。これを軍議の席で討議したとき、処刑を口にした者は多かった。他国に侵略行為を働いた以上、敗れて殺されるのは当然の末路でもある。南蛮兵とて覚悟はしているだろう。
だが、俺は反対した。
侵略してきた南蛮兵を殺すな、という俺の意見に、周囲の視線が疑惑と不審を帯びたのは当然のことであったが、無論、俺の意見は慈悲とは対極に位置する心情から出ている。
すなわち――
「南蛮の人たちに、不和の種をばらまくため、だったよね」
家久の声に、俺は頷きで応じる。
「降伏した兵士を殺そうが殺すまいが、遅かれ早かれ情報はもれます。六百人近い部隊をことごとく殺しつくすのはまず不可能。どれだけ完全に包囲したとおもっても、必ず逃げおおせる兵士は出てくるでしょうからね。であれば、降伏した兵士を殺して敵に決死の覚悟を決めさせるよりは、適当に縄でしばって山の中にでも放っておく方が面倒がありません」
助け出された兵士は、常勝不敗であるはずの神の軍勢に相応しからぬ敗北を喫したとして、周囲から排斥されるだろう。あるいは生かされたことで、蛮人たちと何かの取引をしたのではないかと不審の目を向けられるかもしれない。
いずれにせよ、勇戦した末に生き延びた兵士の処遇としては業腹ものであろう。
こちらの思惑に反して、よくぞ生き延びた、とあっさり受け容れられてしまう可能性もないではないが、その時はこちらから不和を煽ってやればいい。
府内や堺ほどではないにせよ、坊津にも南蛮船は訪れる。当然、異国の言語に通じた者はおり、そのうちの幾人は、今も一宇治城に控えているのである。
「ともあれ、家久様、急ぐことにしましょう。異変を察した本隊が急進してくる可能性もあります。それに銃はともかく、大砲に関しては野戦での扱いは難しいでしょうし、下手に持ち運んで取り返されては元も子もありません。今のうちから梅北殿のところへ送っておいた方が良いかもしれませんね」
「そうだね、国兼も本物があった方が計算もしやすいだろうし」
その家久の言葉を皮切りに、島津軍は撤収の準備にとりかかった。
勝利したとはいえ、島津軍の被害も少なくない。とくに囮となって敵を引き付けた部隊は多数の死傷者を出している。彼らに治療をほどこし、明日以降の戦のために再編成を行い、一宇治城で薩摩全軍を統括している歳久に勝利の報告を送り――あと、個人的なことだが、人質扱いで城に残っている吉継に無事を知らせる。
やるべきことは山のようにあり、そのための時間は有限である。のんびりと勝利の余韻にひたっているような時間は、どこを探しても見つかりそうもなかった。
南蛮軍本隊を率いるニコライが先鋒部隊の壊滅を知ったのは、日が完全に沈み、空が一面の星明りに覆われた時刻である。
先鋒部隊からの連絡が途絶えたことを不審に思ったニコライが確認のために兵を派遣し、戦場から命からがら逃げ出してきた敗残兵と出くわしたのである。
彼らの報告を聞くや、ニコライはわずかに上体を揺るがすと、右の手で口を覆い、瞑目した。
その口から命令が発されるまでかかった時間はわずかであったが、かすかに震えるその声が、短い間にニコライの内心に吹き荒れた嵐の大きさを物語っていた……