世にいう筑後十五城とは、筑後各地に盤踞する有力な国人衆を指す言葉である。
この十五城の一角に問註所鎮連(もんちゅうしょ しげつら)という人物がいる。
筑後北部の長岩城を居城とする問註所家は、鎌倉時代から続く由緒ある名家であり、大友家とのつながりは深く、長い。当主鎮連は反大友勢力がひしめく筑後にあって、同じく筑後十五城のひとりである柳河城の蒲池鑑盛と並んで大友家への忠誠を堅持し続ける硬骨の士のひとりであった。
ただ、一口に筑後十五城といっても蒲池家と問註所家の力には大きな開きがある。
蒲池家は分家も含めれば二十万石に届こうかという大身であるのに対し、問註所家は一万石に届くかどうかというところ。これは問註所家がきわだって小さな家というわけではなく、筑後における蒲池家の勢力がそれだけ巨大であるということであり、だからこそ国人衆の大半が大友家に背を向けているにも関わらず、筑後はいまだ大友領であり続けているのである。
石高の大小は兵力の多寡に直結する。問註所家の所領は筑前と隣接しているが、今回の戦いで鎮連は筑前に援軍を送ることはできなかった。それをすれば自領を守る兵力に不足をきたすことが火を見るより明らかだったからである。
一日、長岩城の一室で問註所鎮連は重々しい声で言った。
「――そのことは筑前のお味方も承知してくださっている。立花山城の立花道雪どの、岩屋城の高橋紹運どの、他いずれの城からも当家に援軍を求める使者は来ておらん。くわえて府内からの命令も届いておらぬ以上、当家はこれまでどおり城を守って動かず、筑後の他勢力の動向に目を配るべきであろう」
この鎮連の言葉を聞き、鎮連の前で端座していた人物はこくりとうなずいた。
鎮連の嫡子である問註所統景(むねかげ)である。
大柄な父とは対照的に身体は小さい。長めの髪は動きやすいように頭の後ろで団子状に結い上げており、双眸は筑後の山野を照らす陽光のように明るくきらめいている。そういった外見と、動作の端々から伝わる躍動感が、統景の活動的な人柄をあらわしていた。
その統景は父を前にして、しかつめらしい表情をつくって口を開いた。
「大叔父さま(問註所鑑景)にくわえて星野に黒木、おまけに毛利の後援を得た秋月と、当家をねらう敵は枚挙に暇がありません。そのどれをとっても当家と同等かそれ以上に強大。この状況で筑前に兵を出せば即座にこの城を奪われてしまうことは疑いないでしょう。此度の戦において、問註所家が所領を守るのに汲々として他に何一つ為せなかったとしてもそれは仕方のないこと……」
と、ここで統景は円らな目でうかがうように父の顔をのぞきみる。どこか悪戯っぽさを感じさせる仕草だった。
「――などと考えていらっしゃるのなら、それがしをこの場に呼んだりはなさらないですよね。前置きが長いのは父上の悪い癖ですよ?」
統景のあっけらかんとした物言いに、鎮連の表情が渋くなった。
「無用な言辞を弄しているわけではないぞ。唯々諾々と命令に従うより、意義を理解して動いた方が力を尽くせるというものではないか」
「それはそのとおりと心得まするが、時と場合によりましょう。宝満城が落ちたとの噂、それがしの耳にも届いております。兵を出すのなら、急いだ方がよろしいかと」
「我が家が集められる兵は千にも届かぬ。この城に篭って守るならば知らず、出でて戦うにはとうてい足らぬ。よほどに無理をしても筑前に出せる兵力は百が精々。この寡兵では戦局をかえようもない」
そういった後、鎮連は、しかし、と付け加えた。
「飛び交う蚊が熊を眠らせぬこともある。また、敵と渡り合うことはできずとも、落ち延びたお味方をこの城に迎え入れる手助けくらいはできるかもしれぬ」
統景は表情をあらため、しっかとうなずいた。
「そのいずれにせよ、小を活かすためには筑前のくわしい情報が欠かせない。そのためのそれがし、ということですね」
かしこまりました、と統景は軽やかにうなずいた。重苦しささえ感じさせる父の言葉とはいかにも対照的である。
それを見て、鎮連の謹厳な表情に沈痛さが加わった。
「……言うまでもないが危険な役目ぞ。山野を駆けること猿(ましら)のごとく、河川を泳ぐこと河童のごとしといわれるそなたであってもだ」
「危険は覚悟の上でございます。その危険をおしてでもやらねばならぬことだから、父上は他の誰でもなくそれがしにお命じになったのでしょう。ご心配には及びませぬ。問註所を継ぐ者として、立派に務めを果たしてご覧に入れます――ですが、その前にひとつ」
「む、なんだ?」
不意にぷっくりと頬をふくらませた統景に、鎮連は怪訝そうな視線を向けた。
「……父上。仮にも年頃の娘に対して、猿だの河童だのというたとえはいかがなものか、と思います」
「ぬ? 山を駆ける猿に人は及ばず、川を泳ぐ河童に人は届かぬ。それだけそなたが誉め称えられておるということであろう。喜びこそすれ、厭う名ではあるまいが」
「いえ、そういうことではなくてですね…………はぁ、ごめんなさい、なんでもないです」
「??」
不思議そうに首をひねる武辺一徹の父を見て、統景は諦観と共に溜息を吐くのだった。
その後、いくつかのやりとりを経て統景は生まれ育った城を離れた。
鎮連は護衛として手練の家臣をつけようとしたのだが、これは統景が断った。今は一兵であっても貴重であり、武に長じた者となれば尚のことそうである。くわえて、単純な武芸であればともかく、険阻な地形を踏破することにかけて統景に優る者は家中にいない。情報を集める目的であれば、ひとりの方が何かとやりやすいと考えたのである。仮に敵兵に見つかったとしても逃げ切れる自信が統景にはあった。
そうして筑後川を越えて筑前に入った統景が最初に行ったのは、宝満城の陥落が事実か否かを確認することだった。統景は問註所家の使者として宝満城に赴いたことがある。当時、城主は大友家に仕えていた頃の高橋鑑種であったが、城の堅い守りに感心した記憶が残っている。あの堅城がこの短期間で落ちるとはどうにも信じられなかったのだ。
しかし、耳に入る噂はすべて落城を肯定するものばかり。統景は憂い顔で小さく息を吐き出した。
「――あの鑑種さまが毛利にくみして宝満城を落とす、か。ほんとう、一寸先は闇だね、人の世は」
かつて宝満城で言葉を交わした鑑種の顔が思い浮かぶ。
鑑種は物静かな為人で、言葉遣いも丁寧であり、目下の統景にも礼儀正しく対応してくれた。その姿は歴戦の武将というより古刹の名僧のようで、あの鑑種が主家を裏切り、毛利の走狗となった事実を、統景はいまだにうまく消化することができないでいる。
それほどまでに主君の行いが許せなかったのだろうか……と、そこまで考えかけた統景は、軽くかぶりを振って物思いを断ち切った。
「それは私が考えても仕方ないことだね。一度謀反に踏み切った鑑種さま……は、もうまずいか……謀反に踏み切った鑑種どのが今さら返り忠するはずもなし、戦うしか道は残されていないんだから」
統景は現在の筑前の状況を脳裏に思い浮かべつつ、考察を続けた。
「立花山城は毛利に囲まれている。古処山城は秋月が落とした。宝満城が鑑種どのの手に落ちて、このうえ岩屋城の紹運さまが敗れるようなことがあれば、もう筑前に大友に従う勢力は残されていないことになる。となると、岩屋城を落とした竜造寺の矛先は間違いなく筑後に向けられる」
筑前を失った大友家に残るのは豊後と筑後のみ。豊後には毛利が、筑後には竜造寺が、それぞれ侵攻するつもりであろう。
そして、竜造寺が筑後に踏み込めば、おそらく筑後の大半はこれに呼応する、と統景は見ていた。
「肥前の方から来る敵は鑑盛さまをはじめとした蒲池のご一族がいらっしゃるからいいけど、北の筑前から来る敵は問註所だけではもう止めようがないなあ……やっぱり、岩屋城で敵を食い止めないとどうしようもない、か」
だが、その岩屋城は二万の敵に囲まれており、問註所家の百や二百の手勢でどうにかなる戦況ではない。
筑前に入る前からわかっていたことではあるが、あらためてそのことを実感した統景は嘆息した。
が、それでも統景の足は止まらない。
これからどう動くにせよ、岩屋城の様子は確認しておかなければならない。最悪、城が落ちたとしても、父が言ったとおり、紹運や麾下の兵士が城外に逃れでてくれれば、これを助ける機会はあるかもしれないのだ。
統景は竜造寺家の重囲に苦慮しつつ、なんとか城の状況を確かめようと歩き回った。途中、何度か竜造寺の兵に発見されそうになったこともあったが、山の狩りに慣れた統景にとって彼らを撒くのは難しいことではなかった。おかげで竜造寺兵の間には、岩屋の山中には天狗が出るという妙な噂がたったりしたのだが、統景はそのことを知らない。
そうして統景が岩屋城の様子をさぐりはじめてから二日後のこと、木立の陰で残り少なくなった干飯をまずそうに食べていた統景の耳に刀槍の響きが飛び込んできた。
駆けつけた統景が見たのは一方的な戦いの場であった。
追われる者たちは、顔といい甲冑といい汚れていない部分はない、という有様で反撃もままならない様子である。岩屋城から脱出してきたのか、あるいは宝満城の敗兵が岩屋城に入り込もうとして見つかってしまったのか。いずれにせよ、追われる側が大友兵であるのは間違いないと判断した統景は、背負っていた短弓を取り出して矢を番える。
短弓は通常の弓と比べて射程は短いが、小さくて使い勝手がよく、引く力も小さくて済む。長弓であっても問題なく引ける統景にとっては速射も容易な得物である。統景は狩猟はもとより戦の際にも好んで短弓を用い、扱いに習熟していた。
統景はたちまちのうちに討ち手の兵を数人ばかり射倒してのける。敵が寄ってきたら弓から刀に持ちかえるつもりだったのだが、相手はあっけなく散り散りになってしまった。それを見て統景は拍子抜けして呟いた。
「竜造寺の兵ではないね。血の気の多い連中が群れて落ち武者狩りをしていたのかな」
こうして追われていた者たちを助けた統景は、ほどなくして、自分が救ったのが宝満城から逃れでた高橋家の重臣尾山種速であることを知るのである。
◆◆◆
……ざっと今日までの事情を語り終えた統景は、一連の説明を次の言葉で締めくくった。
「それから今日まで、尾山さまや配下の方々と共になんとか城に近づけないかと試みてきたのですが、竜造寺の堅陣に穴を開けることができませんでした。かえって敵方に目をつけられ、狩り立てられようとしていたところ、今日、お二人に助けていただいた次第です」
その言葉にうなずいたのは、つい先刻、その竜造寺兵を蹴散らした丸目長恵である。
「なるほど、事情はよくわかりました。それにしても妙な縁ですね。問註所さまが尾山さまをお助けし、その問註所さまの窮地にわたしたちが駆けつけるとは。この調子でいくと、次に窮地に陥るのは私たちということになりますか」
二度あることは三度あると言いますし、と物騒なことを口にする長恵に、吉継は渋面で応じた。
「不吉なことをいうのはやめてください。大前提として、竜造寺に見つからないように岩屋城の様子を探るのであれば、動ける範囲は限られます。その意味では、このあたりで大友方の人間が助け、助けられるのはおかしな話ではないでしょう」
たがいに竜造寺なり毛利なりの罠ではないか、との疑いがなかったわけではないが、その疑いは吉継と尾山種速が互いの顔を確認した瞬間に霧散した。
吉継は尾山種速、萩尾麟可といった高橋家の重臣たちと親しくつきあっていたわけではないが、紹運の傍らにいる彼らを見たことは何度もあった。これは種速にしても同様で、吉継の特徴的な外見は一度見ればそうそう忘れられるものではない。
かくて、双方が疑心暗鬼にとらわれる事態は避けることができたのである。
こうして予期せず行動を共にすることになった一行は、安全な場所で互いの事情を説明しあった。もっとも、種速と統景はともかく、吉継と長恵はすべての事情を説明することはできなかった。すべてを語るには時間が足らず、また語ったところで信じてもらえるはずがないからである。
しかし、何の説明もなしではこれから先の協力に支障をきたす。
尾山は吉継が雲居筑前の義理の娘となった一件を紹運から聞いており、その雲居が戸次家に加わり、高千穂遠征に従軍したことも知っていた。そのため、吉継は高千穂遠征以降に起きた出来事をなるべく簡略に話すことにした。
ただそこまで配慮しても、吉継の口から出るのは南蛮軍の侵攻やらなんやらと現実味を欠く出来事ばかり。聞きおえた種速が絶句し、統景が大きな目を丸くしているのもむべなるかなというべきだろう。
吉継はほぅっと息を吐き出した。
ややあって、種速は気を取り直したように口を開いたが、やはりというべきか、その声には隠しきれない困惑が含まれていた。
「――ふむ。大谷どのや、噂に名高き肥後の刀匠どのの言葉を疑うわけではないのだが……」
吉継は種速のはきつかない言葉に苛立ちを感じることはなかった。吉継とて、いま自分が口にしていることを他人の口から聞かされたら、まず信じることはないと思う。
そんな内心を素直に言葉にあらわした。
「にわかには信じられぬ、とのお気持ちはよくわかります。率直に申し上げて、私も他者から聞かされれば容易には信じられぬと判断したことでしょう。しかしながら、長恵どのの剣の冴えはお二方はご自身の目でご覧になったはず。かの剣聖丸目長恵どのが、私のごとき小娘と行動を共にしている――この一事は、私の話を裏付ける証左のひとつです。極秘であるはずの立花さまのムジカ行きを知っていることもご考慮くださいませ」
尾山の下には宝満城から逃れでた三十人あまりの兵がいる。統景は種速と合流してから長岩城に使いを出しており、問註所家の兵百人もほどなく到着する見込みであるという。
両方をあわせても百三十。竜造寺の二万の大軍とは比べるべくもない寡兵であり、この寡兵が義父の岩屋城救援の策にどれほど益するのか、吉継は明確に見定めることができていない。
だが、どんな寡兵であれ、無いよりも有る方が良いに決まっている。種速らに明確な救援策があるのであればともかく、そうでないのならば天城と協調して兵を動かす方が得策である。それが吉継の主張だった。
吉継の言葉を聞き、種速は無精ひげの伸びたアゴをさする。
その顔には困惑を上回る疲労が色濃く浮きあがっていた。落城から今日にいたるまでの肉体的な疲れはもちろん、紹運からあずかった宝満城を奪われ、主君の戦略を台無しにしてしまったという心痛が絶えず種速を苛んでいるのだろう。
「……岩屋城が敵に囲まれて、すでに十日以上経つ。今日までもちこたえているのは紹運さまなればこそだが、それでも限界はある。一刻も早く助勢しなければならないが――」
元々、種速は自身の手勢を率いて岩屋城に戻り、紹運と生死を共にするつもりだった。これに統景を付き合わせるつもりは毛頭なく、問註所家の兵を招いたのは統景の判断である。
統景の方は山野に伏して竜造寺と戦い、少しでも岩屋城にかかる重圧を減らそうと考えたわけだが、種速はもちろん統景の考えも岩屋城の窮地を切り開くものではない。落城の時をわずかなりとも伸ばすことはできるかもしれない。しかし、落城そのものを回避することはできないだろう。
そのことは二人ともわかっていた。
だから、ここは動かずに天城を待つというのも一案ではあった。種速は先の筑前戦における大友軍の作戦行動を主導したのが誰であるかを知っており、天城の能力に疑いを抱いてはいない。
しかし、いつ来るかわからない天城を待って時を過ごせば、その間に岩屋城が落ちてしまう恐れがある。仮に天城が岩屋城を救う策を持っているとしても、天城が来る以前に城が落ちてしまえば何の意味もない。
「――拙者が岩屋城に入って内から紹運さまをお助けし、問註所どのは残って雲居、いや、天城どのと共に外から城を救ってもらう。これであれば……」
種速は言いかけて、力なく口を閉ざした。岩屋城に入り込める道がないからこそ、今日まで城外をさまよっていたのである。
考えあぐねた種速は吉継に問いを向けた。
「天城どのが筑前に入るまでどれほど時がかかるのか。大谷どのはそこをどうみている?」
「すべては島津次第です。早ければ明後日、遅ければ――」
吉継はそういって首を左右に振った。いつになるかわからない、という意味だった。
吉継の頭の中では、どれだけ交渉が速やかに進もうとも二日はかかるだろう、との予断がある。それだとて相当に短く見積もってのことで、実際に一週間や十日かかってもなんらおかしくはない。
天城は口癖のように時間がないといっていたから、島津との交渉に時間をかけるつもりはないだろう。だが、交渉ごとは相手あってのもの、島津が大友の都合にあわせる理由もまたないのである。
(島津の姫たちは、大なり小なりお義父さまに恩義を感じている様子でしたが……)
それでも個人の感情で家運を左右する決断をゆるがせにする人たちではない、と吉継は思う。安易な期待を言葉にすることはできなかった。
と、そのとき、それまで黙して聞き入っていた問註所統景が口を開いた。
「大谷どの、ひとつ聞きたいのだけど」
「なんでしょうか、問註所さま?」
「その天城という御仁とはどのように連絡をとるつもりなの? いつ来るかわからないのであれば、居場所ひとつ伝えるのも難儀するように思える」
統景の疑問に対し、吉継はかつて篭城した城の名前を出した。
「ご存知かとは思いますが、私たちはしばらく前に休松城で秋月ら筑前勢と矛を交えました。その休松城の西方にある川を越えた先に古い神社があるのですが、その社を利用しています。具体的にいえば、今後の私たちの予定を記したものを書き置いてあるのです」
吉継たちが筑後を経由せずに筑前に入った理由のひとつは、この神社に立ち寄る必要があったためである。
もちろん、これでは現在の正確な居場所を伝えることはできないのだが、手がかりがあるとなしとでは合流に要する手間がだいぶかわってくる。居場所をかえた時は、その都度、新しい書状を書き置いておけばよい。秋月の勢力圏内にある場所だが、軍事的な拠点ではないので敵の警戒は薄い。そこも天城がこの神社を選んだ理由のひとつだった。
さらにもうひとつ、縁起を担いだという側面もある。
長恵が楽しげに付け足した。
「往古、羽白熊鷲(はじろくまわし)なる者が古処山を中心として強勢を極めたとき、時の皇后陛下はみずから兵を率いてこれを討伐したといいます。この討伐に際して、皇后陛下はこの神社に刀を奉納して軍勢を集めたとか。こたび討つべき熊は古処山ではなく肥前の産ですが、この故事はささやかな験担ぎになるでしょう。薩摩のときもそうでしたが、師兄は日の吉凶はほとんど気になさらないのに、地の吉凶に関しては気を遣われるんですよね」
それを聞き、吉継は疑わしげに首をひねった。
「鳥居の根元に書を隠しただけですので、刀を奉納したという故事とはだいぶ異なりますが」
「姫さま、それは言わない約束です」
長恵は一同をぐるりと見渡した。
「ここで顔をつきあわせていたところで良案が浮かぶわけでもありません。ひとまず明後日の……そうですね、早朝まで待ちませんか?」
長恵があえて早朝といったのは、丸々二日間待てといったところで、岩屋城を案じる種速が承知しないだろうと考えたからである。
「明後日の早朝まで待って師兄が来ないようであれば、師兄は間に合わぬと考え、別の手を考えましょう。先に尾山さまが仰ったように、尾山さまたちを城内に送り込むのも一案です。私と姫さま、そして問註所さまの三人で陽動を行えば、いかに竜造寺の陣が堅いとはいえ、穴のひとつやふたつ、こじ開けることはできましょう」
要するに長恵は時を区切った上で、種速たちが吉継の提案に従って天城を待ってくれるのなら、それ以後は種速たちに協力しよう、と申し出たのである。
種速はしばらく悩んだが、最終的にこの提言を容れた。どのみち、雑兵とはいえ竜造寺の兵を斬った以上、岩屋城周辺の警戒が今まで以上に厳しくなるのは明らかであり、策の有無に関わらず、一時的にここを離れる必要がある。両手にあまる数の竜造寺兵を屠った長恵の剣技を見たことも種速の決断を後押しした。
統景も異議は唱えなかった。種速の手勢と問註所の寡兵だけでは岩屋城を救えないのは厳然たる事実である。であれば、わずかであれ、可能性のある選択肢に懸けるべきだろう、と統景は考えた。つけくわえれば、天城という人物がどういう策を示すかに興味を抱いたという理由もあった。
岩屋城から休松城までの移動はさして急がずとも三刻かからない。が、それはあくまで平時の話である。竜造寺と秋月以外にも大友家に敵対する国人はいるし、種速らが襲われたように褒賞目当てに落ち武者を狙う者たちも少なくない。
吉継と長恵は警戒を欠かさず、今日まで戦いづくであった種速と配下の兵を気遣って休息を多くとったため、結局、件の神社にたどり着いた頃には、出発時に頭上に輝いていた太陽は完全に稜線の彼方に姿を隠していた。
書を鳥居の根元に隠し置くというのは、天城と相談した際に吉継が出した案である。
神社で働く人々を無用な危険に巻き込まないため――ではなく、単純に彼らに大友家への協力を求めても無駄だろうと考えたからだった。これまでの南蛮神教偏重の大友家の行いをかえりみれば、どこの国の神社であろうと敵視されていると考えた方が自然である。協力を拒まれるだけならともかく、最悪の場合、ご注進ですと秋月家に駆け込まれるかもしれない。それを避けるためだった。
種速らを近くの山裾に残し、吉継は長恵と統景の三人で神社に向かった。
ほどなくして、吉継の視界に小さな篝火に照らされた鳥居が映し出される。
と、その途端、長恵の口から鋭い声が飛んだ。
「――姫さま、さがってください」
言うや、長恵は刀の柄に手をかけ、すべるように吉継の前に立つ。
吉継は頭巾の中で眉をひそめつつ、言われたとおりに三歩ばかり後ろに下がった。よく見れば、鳥居を照らす篝火の明かりは複数の人影を映し出している。
相手はそれほど大人数には見えなかったが、見咎められると面倒なことになる。
統景が緊張した声でささやいた。
「どうやら向こうは武装しているみたいですね。大谷どの、ここは急いで離れた方がいいと思います」
こんなところに味方の兵がいるはずがない。その統景の言葉にうなずき、吉継たちは来た道を引き返そうとした。
だが、かえってその動きが目に付いてしまったらしい。吉継たちの視界の中で、篝火を掲げた一団に慌しい動きが見られた。と、次の瞬間にはこちらに向かって数名が駆け寄ってくる。
「……どうみても話し合いをしようという態度ではないですね」
吉継の言葉に、統景がうんうんとうなずいた。
「ですね。見られてはまずいところを見られたという感じかな」
二人に続いて、長恵が声を発する。めずらしいことに、その声には強い緊張が感じられた。
「姫さまも問註所さまもお気をつけて。かなりの手練です。へたをするとお師様に迫るかもしれません」
その言葉を聞き、吉継と統景は驚きを禁じえなかった。
時といい、場所といい、向かってくる相手が善良な村人などでないことは明らかだったが、長恵に緊張を強いるほどの手練がいるとは予想外にもほどがある。
できれば逃げたいところだが、剣聖級の追っ手から逃げ切る自信はないし、両手を挙げて話し合いを求めるのは危険が大きすぎた。問答無用で殺される恐れもあるのだ。
となれば、戦って切り抜けるしかない。三人が一斉に刀を抜き放つと、その響きが消えないうちに、相手からも抜刀の気配が伝わってくる。
吉継はまだ相手が刀を抜いていなかったことを意外に思った。一瞬、早まったかもしれないという思いが脳裏をよぎったが、今さら刀をおさめて話し合いを求めても無駄だろう。こうなってはもう仕方ない、と覚悟を決める。
――しかし、幸いにも両者の激突は未遂におわった。吉継と統景を守るために前に出た長恵と、同じように相手方の先頭に立っていた人間が同時に声を発したからである。
「――長恵、ですか?」
「――お師様、です?」
◆◆◆
無事に吉継たちと合流を果たした俺は、開口一番、頭を下げて謝罪した。
「申し訳ない! まさかこんな時間にやってくる人なんていないだろうとタカをくくってたら、あにはからんや、なにやら怪しげな人たちがやってくるじゃないか。どこの誰かは知らないが、こんな時間にそこらの村人が人気のない神社にやってくるはずもないし、騒がれたらまずいとおもって秀綱どのに捕らえるように頼んだんだ。まさか吉継たちだったとは」
「怪しげで悪かったですね――と言いたいところなのですが、先に刀を抜いたのはこちらの責です。申し訳ありませんでした」
吉継はそういって頭を下げてから、訝しげに俺の顔を見上げた。
「しかし、それはそれとして、どうしてお義父さまがここにいらっしゃるのですか? どう考えても到着が早すぎます」
「ああ、それはだな――」
その疑問はもっともだったが、二言三言で説明できることではない。どうしたものかと考えていると、傍らでなごやかに語り合う二人の剣聖の声が聞こえてきた。
「お師様ならばあの剣気も納得です。いや、冷や汗をかきました」
「すみませんでした。私も、まさか長恵とは思わなかったもので――それにしても、あなたが成長したことはわかっているつもりでしたが、一時とはいえ対峙してみると、よりはっきりと上達具合がはかれますね。この戦が終わった後、正式に立ち合ってみましょうか」
「は、望むところです! そうと決まれば一刻も早く、師兄の携えた起死回生、捲土重来、一発逆転な奇策を拝聴しなくてはなりませんッ」
なにやら俺の知らぬところでむやみにハードルを高く設定されている気がするが、それはさておき。
「吉継、そちらの方はどなたなんだ?」
さきほどから吉継と長恵の後ろでじーっと俺を見つめている人物に視線を向ける。
体格が小柄なせいもあって性別はいまひとつ判然としない。くるりとした目や、頭の後ろで団子状に結わえられた髪、さらには全体的なやわらかい雰囲気から推して、たぶん女の子だろう。
見覚えがない人物だが、吉継たちが戦とは何の関わりもない人間を連れ歩いているはずがない。おそらくは大友軍の将であろうと思われた。
吉継にうながされて前に出た少女はぺこりと頭を下げた。その名乗りを聞き、俺は自分の考えが正鵠を射ていたことを知る。
「はじめまして、天城颯馬どの。それがし、筑後長岩城主 問註所鎮連が嫡子 統景と申します。父鎮連の命により、筑前の情勢を探っていた途中、ご息女と丸目どのに窮地を救われ、以後、行動を共にしている次第です」
「これはご丁寧に。天城颯馬と申します」
俺の自己紹介がものすごい簡素になってしまったのは、吉継たちがどの程度俺のことを話しているかがわからなかったからである。向こうが天城颯馬の名を出したといっても、雲居筑前云々のことまで知っているとは限らないわけで、細かいことはすっ飛ばすことにした。どのみち、後で詳しいことを語らざるを得なくなるだろうし。
俺はあたりを見回してから言った。
「ここで話し込んでいると神社の人たちに見咎められるかもしれない。今はここを離れよう。俺に同行しているのはこの場にいる人たちだけなんだが――」
内訳は剣聖ひとりと、道雪どのにつけてもらった戸次家の精鋭十名。ムジカを出たときはこの五倍くらいの人数がいたのだが、他の人たちは道中で別れた。宗麟さまと道雪どのの書状を豊後各地の家臣たちに届けるためである。
俺が吉継を見やると、吉継はこちらの意図をさとって口を開いた。
「こちらは私と長恵どの、問註所さま、後はすこしはなれた山裾の森に高橋家の尾山さまと、配下の方が三十名ほどいらっしゃいます」
「……ちょっとまってくれ。尾山さまというのは、宝満城の尾山種速どののことか?」
「はい。城が落ちてから岩屋城の高橋さまの下へ行こうとして果たせなかったとのことです。今しがた問註所さまもおっしゃいましたが、尾山さまと問註所さまが竜造寺の兵と争っていた場に私と長恵どのが居合わせ――」
「以後、行動を共にするようになった、ということか」
思わず俺はうなった。
聞けば統景も似たような状況で種速に出会ったのだという。
竜造寺に見つからないように岩屋城を探ろうとすれば、必然的に味方の行動範囲は限定されるとはいえ、吉継たちが出会えたのが僥倖であるのは間違いない。
吉継らが掴み取ったこの僥倖は、俺にとって大きな意味を持っていた。
今回の戦いでは、竜造寺軍には最低限こちらが毛利との決着をつけるまで肥前でおとなしくしていてもらわねばならない。そのために必要な手札はできるかぎり揃えてきたつもりだが、残念というか当たり前というか、穴は幾つも存在した。
尾山種速がいれば、この穴を防ぐ一手を打つことができるのである。
なにしろ種速はつい先日まで宝満城の城主だった。彼ほど宝満城を攻めるに相応しい人物はいない。この際、兵力はわずかでもかまわないので、そこは問題ではない。問題があるとすれば、それは天候だった。
「吉継、明日以降の天候はわかるか?」
「……雨の気配はまったくありません。少なくとも、明日から三日は昼夜とも晴れると思います」
「風はどうだ?」
「少しは吹くでしょうが、軍勢の動きを隠しおおせるような強風は望めないかと」
吉継の声はどこか力ないものだった。おそらく、俺が風雨に乗じた奇襲なり夜襲なりをたくらんでいると考えたのだろう。
その吉継の推測はある意味で正しく、ある意味で間違っている。雨もなく風もないとなれば奇襲には不向きの天候というしかないが、こと今回にかぎっていえば、絶好の奇襲日和といってよい。むしろ雨が降ると言われた方が俺は困っただろう。
情勢は確実に大友軍に好風を吹かしはじめている。自然、口元に笑みが浮かんだ。
「――転機というのはあるもんだな。こういう時は少しばかりカッコつけて、風が変わった、とでもつぶやきたいところだ」
風雨がないと聞いて笑みを浮かべる俺を不思議に思ったのか、吉継はじっとこちらを見つめる。すると、俺の表情に何か感得するものがあったのか、吉継は訝しげな表情を引っ込めると、淡々とした調子で言葉を紡いだ。
「何を仰りたいのかよくわかりませんが、お義父さまが風変わりな方であるのは承知しています」
「こんなときに頓知(とんち)を働かせないでよろしい。とにかく詳しい話は尾山どのの所にいってからだ」
俺がそう言うと、吉継はこくりと頷いた。そして、何気ない様子で俺の腰にある刀に視線を向ける。
「腰に立花さまの佩刀を差している理由も、その時に教えていただけるのですよね?」
「――ああ、もちろん。しかし、よく気づいたな?」
「お義父さまの刀の拵えが変われば、気がつかない理由がありません」
「そういうものか」
「そういうものです。尾山さまがいらっしゃるのはこちらです。案内しますので、ついてきてください」
そういうと、吉継はどこか軽やかな足取りで歩き出した。