「次の十字路を右に曲がってください。その後は右手に小さな庭へ続く鉄扉の所まで直進で着きます」
「おっけー!」
静音性に優れた船外機のお陰で、ひどく静かに航行する一艘のゴンドラ。
最新のスクリューは殆ど波を立てず、まるでただ水の上に浮かべているかのように、わたし達の乗るゴンドラは深夜のネオヴェネチアを進んでいた。
立ち並ぶ家々の屋根の隙間から時々AQUAの二つの月を望むことが出来る。
マンホームならルナ1・・・・・・真ん丸とお団子のように丸い一つの月が望めるのだろうか?
アルヴァンさんが指示してきた場所は、普段はあまりゴンドラの通らない静かな路地裏(水路裏?)だった。
月光と彼ら3人が持つ端末からの光だけがこの狭い路地を照らす。
薄らとあらゆる物を分け隔てなく照らす自然の月の光と彼らの顔とわずかな範囲だけを照らす人口の光、全く別の二つの光が織りなす不思議な空間。
いつもと違う顔を見せるわたしの知らないネオヴェネチアの姿がわたしの前に広がっていた。
第一話 『機械之戯妖 ~後編~ 』
片腕のウンディーネと水の星の守り人達 第二章 『ある一日の記録』
「よーし、停止用意ぃー・・・・・・エンジンストップ。アルヴァン、作業開始。アリソン、モニタリング頼むわ」
「わかった」
「了解?」
アルヴァンさんが指定したポイントへ案内すると、彼らは船を止め揺れないように錨の代わりに『ベクタード』装置(水流制御装置)を入れ、船を水上に固定し、アンバーさんの指揮の下作業を開始した。
ネオヴェネチアのゴンドラサイズ規定ギリギリのサイズのわたし達の船に搭載されたコンテナから、アルヴァンさんが水中作業用と思われる黄色いマシンを取り出す。
彼はそれに背負っていたケースから何重かにシールされたカプセルを搭載し、水中へ沈めた。
それをアンバーさんは確認すると、端末を操作してマシンを水路の奥底へ潜航させる。
いつもは見慣れたネオヴェネチアの水路ですが、その端末に表示される水路の様子はとても新鮮に感じられた。
水面で屈折した月光は、波が無いために殆ど拡散されることなくレーザーのように暗い水の中を切り裂いていた。
「作業項目チャーリー、確認・・・・・・完了?私とアルヴァン、アンバーの作業ID?」
「はいはい、カタタッと入力!んでっ、送信!」
「受信確認、第1ロックの解除を確認?第2ロックへ?認証キーのパス、今回はどんなのかな?」
「えっと、今回のパスは・・・・・・『ヘミングウェイにはアカザエビのリゾットを』。20世紀の文豪、アーネスト・ヘミングウェイがヴェネチアにいた時に好んだ、彼縁の料理、ね」
「彼はこれを『薬』だと呼んでいたらしい?」
「ふーん、薬ねぇ・・・・・・ま、私達がやろうとしていることもこの街にとっては確かに薬には違いないけどさ。まったく、相変わらず担当の人は洒落てるというか」
「そうだねぇ、よく毎回毎回考えるもんだとつくづく思うよ。『ヘミングウェイにはアカザエビノリゾットを』・・・・・・っと。おっけっ、送信完了」
彼らは幾つかの作業項目を軽口をたたきつつも手早くこなし、パスワードでしょうか短文を入力すると、端末に表示される水中に変化が起こる。
今まで煉瓦の壁にしか見えなかったところがパクンと観音開きして、どこか違和感を感じる壁面が現れると、その壁面からネジのように回転しながらシリンダーが上昇してくる。
「よし、認証された。作業項目エコーへ」
「ん?投入システムのエラーチェック・・・・・・完了、異常なし?」
「カプセルのシールを投入レベルまで開封、投入準備よろし」
「それじゃ先も長いことだし、サクッとやっちゃおっかな。作業項目フォックストロット、投入するよー」
アンバーさんがマシンへ命令を下す。
その命令を受け取ったマシンは自身の機内に取り込むようにシリンダーを固定する。
するとシリンダーの一部がスライドしぽっかりと暗い空洞が広がり、そこへマシンは器用にアームを駆使して持ってきたカプセルをカチリと収める。
マシンが離れると、シリンダーは再び螺旋状に回転しながら元の位置へ戻り、扉が閉まった。
流れるように無駄のない作業、マシンもシリンダーもどうやらプログラムされた動きをアンバーさんの命令で実行したようだ。
「都市管理デバイスへの投入を確認?作業項目ゴルフへ?」
「了解、作業項目ゴルフ開始。カプセルのシールを全て開封・・・・・・開封を確認したよ、こちらも異常なし」
「作業項目ホテル。ラストいくよ」
アンバーさんのその指示に、アルヴァンさんとアリソンはなにやら随分アナログに見える鍵を取り出すことで答える。
それらは月光と端末から漏れ出る光でキラリと光った。
頑丈そうなケースに収められた鍵穴へ鍵を差し込むのをアンバーさんは確認すると、自らも差し込み言った。
「3、2、1、回せっ」
回せの一言で3人は同時に鍵を回すと、端末に完了の文字が躍った。
「全システム異常なし、データリンク正常に稼働中。グレムリンは中央制御で都市維持系へ浸透を開始した、浸透速度も問題なし?」
「マシンも引き揚げたよ。自己エラーチェック走らせたけど、異常なし」
「ふぅ、とりあえずは一つ終わったわね。簡易レポートを上に送って」
「了解?」
アリソンが作業の過程に異常は無かったか確認し、アルヴァンさんが水中からマシンを引き揚げコンテナに戻す。
どうやら今までやっていた彼らの仕事が無事に一段落ついたようで、アンバーさんは胸をなで下ろしたようだ。
その作業過程を黙って見ていて、ふと思う。
ネオヴェネチアで見るような光景じゃないような、なんというか、そんな違和感をわたしは感じたのだ。
「よーし、じゃ次いこっか。アッリちゃん、また案内頼むわ」
「あっ、はい」
「次のポイントは―――」
アルヴァンさんの指示したポイントはまたしても似たようなゴンドラの交通量の少ない場所だった。
作業を見守っていたわたしですが、この場所とそして感じた違和感と併せて彼らの言う『仕事』が気になるのです。
たぶん案内しているのだから、これぐらいは聞いてもいいはずだ。
「あの」
「なんだい、アッリちゃん?」
「今までの作業って、なんなんですか?これがネオヴェネチアにとって大事なことだそうですが、どんなことをしているんでしょうか?」
わたしのその問いにアルヴァンさんはエンジンを再始動させながら答えようとしたが、彼が言うには結構長い話になるらしい。
それこそ、AQUA開拓時代―――つまり、火星入植時代だ―――にまで遡らないと、ちゃんとした解説には成らないのだそうだ。
だが、掻い摘んで言えば、彼らのやる仕事の成果は火炎之番人(サラマンダー)や地重管理人(ノーム)のように無くてはならないものらしい。
「そうだなぁ・・・・・・さしずめ私やアルヴァンは、
機械之戯妖と言ったとこかぁ?」
アルヴァンさんやアンバーさんの仕事は、有機的ナノマシンという顕微鏡でも見れるか見れないかという極小サイズの有機素材から作られた機械の制御及び管理等なのだそうだ。
このナノマシン群は建物の建材内で活動し、建材の破損部を修復したり、腐食部を除去しその部分を新造したりしているらしい。
アルヴァンさんの説明もアリソンと同じように専門用語だらけでさーっぱり分からなかったのですが、アンバーさんが苦笑しながらとても分かりやすい表現をした。
―――小さな小さな修理工たち―――
なるほど、それならなんとなく分かる。
つまりはこの街の修理をするナノマシンなのでしょう。
このナノマシン群は、建材を修復したり製造したりする能力は持つが自分たちにそれを実行することは不可能、つまりは自己複製、自己修復はできないのだそうだ。
その理由として、自己複製時のプログラム暴走による事故を防ぐためだとか色々あるそうなのだが、とにかく、自分で自分を治すことはできなく、普通の生き物と同様に寿命が存在しているこのナノマシンはある一定の期間が経過すると死滅し、減少していってしまうのだ。
そうすると、建物の維持管理に影響があるために、こうして一定期間に一度ナノマシンの『子供』、なにも情報が入力されていない真っ新のナノマシンを補充するのだそうだ。
補充されたナノマシンは先代までのデータを勉強(ロード)し、死滅した先代の作業を引き継ぐのである。
最近はナノマシン技術の向上により、一世代の寿命が長くなり昔のように頻繁に補充を繰り返さなくてもよくなったそうですが、それでもしっかりと補充をしなければならないそうだ。
「で、そのナノマシンがどうしてグレムリンって呼んでいるですか?というかグレムリンとは?」
「グレムリンってのは、20世紀ぐらいに伝承が生まれた機械のスペシャリストな妖精で―――」
大抵は機械を弄ったりする悪戯ばっかりらしいのだが、その機械の使用者が危険な状況に陥ったら逆に助けてくれるそうだ。
そこから、彼らのような極小の機械を操るこのナノマシンをグレムリンと呼ぶのだそうだ。
そのナノマシンを操り躾けるアルヴァンさんやアンバーさんのような人々もグレムリンと呼ぶのだそうだ。
もっとも、こんな洒落た呼称を付けられているのはAQUAで活動している人々だけで、マンホームでは、なにやらひどく長くて小難しい名称なのだそうだ。
「おっと、そこのT字路を左へ。そしたらすぐ右の脇道へ入ってください」
「おお、本当に覚えているんだ」
「アッリちゃんだから、当然?」
「なんでアリソンが答えてるのさ?」
「いやぁ~褒められて悪い気がする人はいないですよ。というわけでどんどん褒めてくださいな」
「おいおい、調子乗っていいのかい?」
「大丈夫です、自分のできることは弁えているつもりですから・・・・・・あ、次、少し分かり難いですが入ってすぐ右に細い路地があります、そっちへ」
「わかった」
深夜のネオヴェネチアの水路は真っ暗闇の迷宮で、光に誘われて道を間違えると朝まで抜けられない。
そうならないように、わたしは自分の頭に展開した地図にこれまで通ったルートを記しながら、彼らを誘導していく。
わたしは彼らを第2、第3ポイントと順調に誘導していき、今わたしたちは最後に一番大きくて遠いカナル・グランデの端にあるというポイントへ、事故を起こさないようにゆっくりと向かっていた。
陸地へ溢れ行く水の流れに飲まれないように少し大きめの水路を選択して、ネオヴェネチアのダンジョンを抜ける。
夜遅くまで営業する
立ち飲み酒屋やリストランテ、それにホテルの灯りが水辺へ照らし出される
大運河へたどり着く。
水面にゆらゆら揺らめく人々の営みの光は深夜と言えど、いや街を闇が覆う深夜だからこそ、柔らかく温かみがあった。
「うーん、文明の光って素晴らしいね!」
「確かに?明るいのは、やっぱり心が落ち着く?」
「はは、気を抜かないで最後もしっかりやらないとね」
「うーん、眠たくなってきたのです・・・・・・」
カナル・グランデに出てしまえば、あとは水路通りに進んで行けばいいだけなので余裕が出てきて眠くなってくる。
ここまで案内して来た以上、彼らの作業を彼らを案内した人間として、なんとなく責任のような物を感じるので最後まで見届けたい。
だから、わたしは睡魔に負けぬように、あの手この手で踏ん張るのですが。
ゴシゴシと目を擦ったり、苦手ですけどコーヒーを飲んだりアリソンの端末を覗き込んだり・・・・・・。
眠気覚ましに、作業風景をぼんやりと眺めていて思った疑問について聞いてみることにした。
「質問なのですが、そのナノマシン群・・・・・・グレムリン達は、どんなふうにネオヴェネチアでは活躍しているんですか?」
マンホームでは大規模な建物になるとこのナノマシン群は用いられるようだが、ネオヴェネチアにはマンホームの摩天楼のように高いビルや町ひとつ包んでしまいそうなドームなどありません。
大聖堂や教会に使われているのかとも考えましたが、どれもかつてのヴェネチアからの移築或いは複製した建材で建築されたと覚えていたので、それは少し違和感が残る。
では、どこで活動しているのだろうかと思ったのだ。
「さっきの作業時に投入用のシリンダーを見たよね?あれは地下深く―――
地重管理人の住まう空間よりは上だけど―――の、このネオヴェネチアの街並みを支えている土台に繋がってるんだ」
「ということは、このネオヴェネチアの建物の建材自体には使用されていないんですか?」
「正確に言えばちょっと違うけど、つまりはそういうこと。だから、マンホーム時代のヴェネチアと一緒で、余り波を立ててはいけないんだ。建物が傷むから」
「ほほう。では、正確に言えば、とは?」
「それがアクア・アルタと深く関係しているんだ」
アクア・アルタが起きるとネオヴェネチア市内は通路と水路の区別がつかなくなるぐらい冠水してしまう。
21世紀のマンホームとAQUAの海の水質は全く違うが、それでも元々マンホームのヴェネチアから移築あるいは再現した建材では水に浸かると傷み劣化していくのは避けられない。
そのため、アクア・アルタが過ぎると建材の状態確認や修復のためにナノマシン群がネオヴェネチアの隅々まで行き渡るのだそうです。
今回のナノマシン群の追加はその作業に万全の態勢を整えるためもあるようだ。
「常時か一時か、コンピュータによる完全制御か僕たちのような存在による限定的手動制御かという違いはあるけれども、ネオヴェネチアを維持している基本システムはマンホームで使われているものと殆ど変わりがないんだ」
「・・・・・・ああ、なるほど」
「ん、どうしたんだい?」
「いえ、少し思ったことが・・・・・・あのシリンダーを見たとき、ちょっと違和感を感じたのですよ。それの理由が、なんとなくですけど分かったのです」
たぶん、あれは普段抱いていたネオヴェネチアの印象と離れていたから感じたのだ。
まるで機械のように仕事をこなす彼らに、この街では普段は見ることのない合理的で機械然としたシリンダーにネオヴェネチアには無い空気、マンホームの気配を感じ取ったのだろう。
それを、わたしは違和感と感じ取ったのだ。
「ふーん・・・・・・だから、かな?アッリちゃんは、私達の作業を少し気持ち悪げに見てたのって」
何か考えるように目をつぶりながら、わたしの感想を聞いていたアンバーさんが、若干険しい表情でそう言った。
「・・・・・・顔に出てました?」
「いや機械バカの二人にはさ、分からなかっただろうけど、私は分かっちゃったかなぁ」
「「機械バカはひどくない?」」
「実際そうでしょうが。で、違和感だけならともかく・・・・・・これでも私やアルヴァンは誇りを持って『グレムリン』をしているんだ、どうして嫌そうな顔をするのか聞きたいな」
決して広くはない船の上で器用に足を組み替え胡坐をかき、言葉を発するアンバーさん。
すごく低くドスの効いた声だけど、その真剣な顔つきはどうやら怒っているものとは違うようで少しホッとする。
「・・・・・・偏見じゃないか、そうは思っているんです。でも、」
わたしはマンホームは人間味を無くすような星のように感じていたのだ。
幼いころマンホームへ仕事で向かった両親がゲッソリとした顔で帰って来て、家に着いてまず言った一言『自分を見失いそうになる』が、ひどく印象に残っていたからだ。
そんなマンホームで使われているシステムがネオヴェネチアにもあるということで、なんだかいずれはネオヴェネチアもマンホームのようになってしまうのではないだろうかと無意識に不安になってしまっていたのだろう。
自分が自分でいられなくなる様なアイデンティティの喪失が、ごく自然に起きてしまう嫌な街にはなって欲しくないのだ。
「なるほどね、なるほど。私ら夫婦はマンホームに住んでいるんだけど、確かにあすこで暮らしていると、自分も歯車になってしまったように感じるから、否定はしない」
「そうかなぁ?」
「あんたは生まれも育ちもマンホームで、しかも機械に囲まれているだけで幸せの機械バカでしょうが!」
「ひどっ」
「まぁアッリちゃんが心配しちゃうのも分かるけどね・・・・・・便利なのも分かるけど、何もかも自動化されてしまうとね。自分が何のために生きているか分からなくなっちゃう奴も多いから」
苦笑しながら彼女はわたしの肩を叩く。
わたしより背が低いために、あまり威厳とかは無かったけれども。
「そういう心配だったら大丈夫。この街はうまい具合に機械と人と自然が共存している。それに、ここにアリソンが住んでいることが一番の証拠」
自然学、生物学、機械工学、情報工学、美術にデザイン・・・・・・ありとあらゆることに手を出して、この世のすべての物が共存して繁栄できる道を探求する探求者、それがアリソンなのだとアンバーさんは自慢げに誇り高く言った。
そういえば、わたしと彼女が出会った時も同じようなことを言ってましたっけ。
営みの中にさりげなく機械がいる、だったか。
たぶん、さりげなくということは違和感なくということだと思う。
そして、この違和感というやつがわたしの感じた不安なのだろう。
「ん、確かに私はそういった共存・共生の研究が目的でこの街に住んでいる?偶然にも、私の目指す理想形に近いものがこのネオヴェネチアだから?」
「機械は影に日向に人を助け、人は己のできることは己でやって・・・・・・だったかな、君の理想形は?」
「機械は人がいなければ働けない、人は機械が無ければ出来ることは限られる?支え、支えられる関係がこの街にはもう出来上がっている?そして、それが崩されることは無いと思う」
「?・・・・・・なぜですか?」
「だって、私が守るから?」
「だってさ。この道の専門家のお墨付きが出たんだから、大丈夫だって」
「頼りにして、いいんですよね?」
「もちろん?人という字は支えあっている二人の人間を表したものだって、私は思っているから?だから、どんどん頼って?私も頼ることがあるから?オッケー?」
「はいっ!」
「さて最後もしっかりやってしまおうか?」
喋っている間にいつのまにやら最後の作業場所へたどり着いていたようだ、アルヴァンさんがゴソゴソ例のマシンを取り出して準備する。
アリソンもスリープさせていた端末を起ち上げて、アンバーさんも同様に。
男たちの笑い声が聞こえてきていたバーカロやレストランの灯も消え、ホテルの灯りもぽつぽつとしか残っていない本当の意味での深夜。
アクア・アルタの始まりを告げる街に潮の満ちていく音だけが、この空間に満ちていた。
「んぅ?」
ユサユサ体を揺すぶられる。
どうもわたしは眠ってしまっていたようだ、ちゃんと最後まで作業を見ようと思っていたのに不覚です。
「はい、目覚ましコーヒー?」
「あ、ありがとうございます」
湯気を立てるカップを受け取る。
黒くて苦いアツアツのコーヒーは、再び眠気に負けそうになる脳をシャンとしてくれる。
「作業は終わったんですか?」
「ああ、お陰でね」
夜空にはまだ星が瞬いているが、先ほどまでの暗さは無くなってきたような気がする。
朝が近づいてきたのだろうか?
「さてとアッリちゃん。僕らの仕事を手伝ってくれてありがとう」
「いえ、そんな。お礼を言われるようなことはしていませんよ。それに、わたし自身試してみたかったんです」
ウンディーネになる夢への道に戻れる可能性が出てきた今、わたしは溜めていた知識が朽ち果てずに、今のわたしも助けてくれるのかを確かめたかったのだ。
アルヴァンさんとアンバーさんはそれを聞くと、同時に言った。
「なら、もっとオートフラップオール、いや『リップル』に頼ってよ」
「え?今だって頼っていると思うんですが?」
倒れそうになった時を助けてもらったり、舟を進む力を貸してもらったりと自分では十分すぎるほどオートフラップオール、そしてリップルには頼っていると思うのですよ。
「送られてくるデータが僕らの予想と大きく違って芳しく無いのとか、オールの使用率も悪いのは、やっぱりアッリちゃんが道具だと考えて使っていたからかな?」
「そうです、ね。確かにそうだったかもしれません」
一月の練習を思い返せば、練習の時以外はリップルの電源は落としていましたし。
「たぶんアリソンはオートフラップオールや『リップル』はあくまで道具、支え杖みたいなものだって説明したと思うんだ」
「したけど?」
「はぁ、やっぱりね・・・・・・あんね、アリソン。私らがAIをアレに搭載した理由は自己学習だけのためじゃないんだよ」
「ええっと?そうだっけ?」
「ほら、アンバー。やっぱりアリソンは忘れていただろ?アリソン、僕が何のためにAIを女の子のグラフィックにしたと思っているんだい?」
AIを女の子のグラフィックに?
あれ、それって・・・・・・
「自分の趣味?」
アリソンがズバッと言った言葉に、アルヴァンさんはコケて(器用にも船の上で)、アンバーさんはやれやれと首を振る。
アルヴァンさんは小さくため息をつく。
ちょっと意外ですが、全くもって否定しない所を見ると、彼は所謂ヲタクというものらしいです。
アルヴァンさんは一度首を振ると、確かにそれもあったれどもと言い、続けて言った。
「自身の相棒、パートナーとして受け入れやすいように。自身の半身としても機能して欲しいとも、僕達はある意味思っている」
「どういうことですか?」
「アッリちゃん、『リップル』は自己学習能力があるけど、もう一つの機能があるんだよ」
「それは、疑似感情の進化。共に前へ進めるパートナーとしての機能よ。貴女の感情をデータ化して蓄積して・・・・・・いずれは貴女を支える優秀な相棒へと成長する」
今の感情データは冗談を言ったりすることは出来ても、アリソンの作った初期の人格データのままらしい。
それではAI『リップル』の性能は十全には働かず、そうするためにはAI『リップル』をわたしが連れ歩いていろんな感情に
触れさせて、成長させていく必要があるのだそうだ。
共に支えあい、共に成長していく次世代の機械。
彼ら二人の説明が進んで行くたびにアリソンの顔がだんだん普段は見られない険しい顔へなっていく。
「そりゃあアリソンの思想とは反するよ、機械は人に非ず、人は機械に非ず。でも、これは私達のチームで出した一つの答え」
人は機械にはなっては駄目だし、機械は人になっても駄目、なぜならそこには『営み』が無いから・・・・・・アリソンはそう考えていたから、機械は機械のまま、人は人のままでお互いに共存できる道を探っていた。
『アンドロイドは電気羊の夢を見ない』のだと彼女は言った。
「それは分かってるし理解している、疑似的なものはあくまで偽。所詮コンピュータだ、つきつめれば0と1で表せれる」
「だったら、なぜそんな機能を?私だってあの『子』のことは好きだけど、「そこだよ、アリソン君!」・・・・・・えっと?」
「僕達はこう考えたのさ、機械が人のようになるならば、『機械』って種族を作ってしまえばいいんじゃないのかなってね」
彼らは機械であることを自覚した人のように振る舞える機械と人との関係は、人間同士の関係に近づける・・・・・・そこには『営み』が生まれるのではないだろうかと考えたのだ。
それは『人と人』という関係では偽かもしれないが、『人と機械』という関係では偽ではない。
なぜならば、それは新しく生まれた関係だからだ。
いや、案外新しくないかもしれない。
機械が生まれて、いや道具が生まれてから人は、なぜか道具にも魂の入った別の種族と見ることが幾度となくあった・・・・・・『人と人』のように絆を感じることさえ。
その結果生まれた物の中には、グレムリンもいたのだ。
そこまで聞いてアリソンは少し考えるように目をつむる、口からこぼれ出る呪詛のような呟きは頭の中を整理しているのだろうか?
しばらくして、彼女は柔らかな微笑みを浮かべて言った。
「・・・・・・OK、理解したし納得もした?」
先ほどの険しい顔が嘘だったようにそう言う彼女。
結構怒っているようにも見えたのに、一体どういう事なのだろうかと首を傾げるとアルヴァンさんがわたしに小声で説明してくれた。
アルヴァンさんが言うには彼女の長所は、柔軟にこうやって自分の意見とは違うものを受け入れれることが出来ることなのだそうだ。
「でも、その機能を使うかどうかはアッリちゃんが決める?」
「へっ?わたしですか?」
「アッリちゃんが使うもののことだから?」
いきなりわたしに振られた話題、正直先ほどのアルヴァンさんらとアリソンの口論はどちらかと言えば議論であり、互いに理論を語っていたのでわたしにはサッパリでした。
わたしに使わせたい物の事だからか、ちょくちょくアンバーさんが解説を入れてくれたものの、やっぱりよく分かりませんでした。
ふむ、どうしましょうか?
「・・・・・・そうですね、面白そうですし。その機能使わせてもらいますよ」
「アッリちゃんはそれでいい?」
「いいかと言われても、良い悪いは分かりませんので。難しい話は任せるのですよ。ただ・・・・・・新しい種族の誕生に付き合える、そう考えると面白そうじゃないですか」
「なるほど?アッリちゃんがそう決めたなら、おっけー、アルヴァン君アンバーちゃん『リップル』をアップデートして?」
「・・・・・・もしかして、今すぐに?」
「当然?私だって、確かに興味があるし善は急げともいうし?」
実に楽しそうなアリソン、なんだかんだ言っても自分の理論とは違う理論の実験を楽しみにしているようです。
・・・・・・って、つまりわたしは実験動物ですかい。
そう考えるとちょっと嫌だなぁと思いますが、ニコニコ笑顔のアリソンとアルヴァンさんを見ていると・・・・・・うーむ、まるで新しい玩具を手に入れた子供のようで、いまさら拒否しづらいのです。
「まったくあの二人は・・・・・・根っからの研究者だねぇ」
「あれ?アンバーさんも研究者では?」
「ああそうだけども。元々はアルヴァンにAIの拡張を別視点から考えてくれないかって言われてアリソン達の研究グループに入った、全く別の畑の人間だからさ私は。ちょっち離れた視点で見れるんだわこれが」
「・・・・・・そうは言っても、目が楽しそうですよ?」
「あはは、やっぱり?理系と文系、畑は違えど気になるもんは気になるのよ。ま、あの『子供』らの手綱は握っとくから、『リップル』を任せるよ」
そう快活に笑うアンバーさんはわたしに顔を近づけそう言った。
『子供』ねぇ、全く同じことを彼女は考えたんですかね。
「ところで、わたしは何をすれば?」
「ああ、名前を付けて普段持ち歩いてくれるだけで十分だから」
「と言われましてもオールは重いですよ?」
現在『リップル』が入っているのは、あのオートフラップオールの柄にあたる部分です。
あのオートフラップオールを持ち歩けと言うのか?
「だから、これをね」
手渡されたのは群青のシンプルなピン、アイリーンに貰ったリボンの色によく似た色だった。
彼らはわざわざアイリーンのリボンと同時に着けてもあまり目立たないような色とデザインにしてくれたようだ。
投影機能と通話機能に簡単な記憶領域が内蔵されているそれは限界まで肉抜きして軽量化し、更に人体工学に基づいた形状なために長時間つけていても特に疲れや違和感は感じさせない作りなのだそうです。
「で、これがあれば持ち歩けると」
「持ち歩けるし、もちろん会話もできる」
ただ小声が一番いいらしいですが。
そりゃそうか、投影せずに『リップル』と会話を続けているとはた目には何やら怪しい人にしか見えないですからね。
さて、と。
名前、ですか・・・・・・。
「むぅ・・・・・・」
ずっとわたしは『リップル』をリップルと呼んでいたので、考えたことは無かった。
彼らが言うにはこれから現状の『リップル』をアップデートすることによって、それによって感情の進化を促す機能を追加して、わたしの相棒とするらしい。
「ずっと思っていたことがあるんです。リップルの瞳って、青いじゃないですか」
そう、可愛らしい少女にデザインされたそのAIの瞳は突き抜けるような群青、空の色だった。
たとえ人によってデザインされた人工的な物でも、わたしには引き付けられるものがあったのだ・・・・・・自然には発生しえない不思議な色だったからだろうか?
「うん、そうデザインしたけど・・・・・・特に意識した覚えはないけど、嫌だったかな?」
「いや、嫌とかじゃないんです。変更とかしないか確認したいのですけど」
「君の相棒になるんだ、デザインの変更の有無も君が決めることだ」
「だったら・・・・・・今これよりわたしのリップルは『シエロ・オキオ』と」
だからわたしは、リップルを『シエロ・オキオ』、『空の目』、『SkyEye』という名で呼ぶことにします。
自分でも安直だとは思いますが、直感で決めた方がいいと思うので。
「ふむ、いい名前?」
「なはは・・・・・・そうですかね?」
「それじゃあアップデートするとしようか、名前は『シエロ・オキオ』でっと」
「ん、ちょっと手際よすぎ?」
手早くアップデートを進めていくアルヴァンさんを見てアリソンがジト目で彼を睨み付ける、アリソンが言うには前もって機能は組み込んであったんじゃないか、とのことです。
どうやら『リップル』を彼らが生んだときにはもうこの機能は考えてあったようですね彼は。
それがアリソンには気に食わないようですね、まぁ自分が主導していた物に他の物が混ざってることは職人としてもやはり嫌なことなんでしょう。
と、アルヴァンさんの作業の手が止まる。
「おや?朝かな・・・・・・」
水平線の向こうから光が伸びてきて、次に太陽が顔を覗かせ朝日でわたし達を照らす。
「ってみんなひどい顔ですねぇ・・・・・・」
「そういうアッリちゃんも?」
照らされる顔にはひどく黒い隈が出来ていた。
「研究室にいた頃は2、3日の徹夜ぐらいどうってことなかってけどねぇ・・・・・・年かしらねぇ」
「お互いもう30越え、もう数年で40歳だからねぇ・・・・・・」
「ははは?」
「アリソンはいいよねぇ、飛び級してきて研究室だからまだ20代だしねぇ・・・・・・」
しみじみしみじみ呟く顔はなんだか見ていて悲しい気持ちになってきますね。
アリソンの顔の隈がアルヴァンさんとアンバーさんに比べて薄いのがより痛々しい。
「さぁてと・・・・・・送信。これで、次起動したときから君に預けた『リップル』はシエロちゃんだね。大事に育ててくれ」
「そっ、そう言われると、なんだか小恥ずかしいですね・・・・・・」
体が何だかムずかゆくて、ついつい頬を掻く。
「これで今日の仕事は全部終わりっ!」
アンバーさんが疲れたように首を捻りながら言い、アルヴァンさんも伸びをしながらそれに同調して頷く。
ふと気づけば街はすっかり水浸し、水路と道路の区別がおよそ付きません。
建物の建材の隙間隙間から浸透していく水の分子は、建材を劣化させ腐らせていってしまうでしょう。
ですが、あの先ほど投入されたばかりのナノマシン群によって、ゆっくりとだが劣化するスピードより若干早く修復していくのだそうだ。
科学の力ってすごいですね・・・・・・。
「ま、それも限界があるんだけどねー」
アンバーさんは言う。
やはり最後は人の能力にかかってくるのだと、あらゆることが機械で済ませれるマンホームでもそうなのだそうだ。
機械を整備する機械がいて、またそれを整備する機械がいて・・・・・・終わりはどこかと聞かれれば、それは人であると。
機械とは人とは・・・・・・なんだか深い気がしてきます、実際深いのでしょうけどわたしには分かりません。
そういったことはアリソン達のような学者先生に任せますよ。
「ところでですが、役目を終えたナノマシンってどうなるんですか?」
「ああ、そう言えば言ってなかったね。海の底を覗いてみれば分かるかな?」
アルヴァンさんが言うまま、増水したネオヴェネチアの海を覗き込む。
アクア・アルタでも相も変わらず綺麗なままのその海の底には普段は何もなく、いやそもそもたとえ浅いところでも意識して見た事なんて無かったわけですが。
そしてわたしは息をのむ。
「あっ!」
星空が広がっている。
空から消えていく星々を取り込むかのように海の底で増え続ける無数の光の点々。
あれが老朽化し役目を全うしたナノマシンのなれの果てなのだという。
「役目を終えたナノマシンは放出され、自然界に流れ出る。そしてこの有機ナノマシンの構成は宇宙食に使われる合成物や動物プランクトンと組成がほぼ一緒・・・・・・ここまで言えば、後は分かると思うよ」
「つまり、魚たちに食われてそれをわたし達が食べると」
このシステムはネオヴェネチアで主に用いられ、2世紀近い昔から改良を重ねられ運用されてきたそうです。
また、設置から今までに健康被害を出したことは無いから、体に関して心配することは無いとはアルヴァンさんの談です。
「不思議でしょ、街を支える機械が巡り巡って私達の体を作る物にもなる。まるで太古の昔から続けられてきた自然の営みのようにね」
「確かに・・・・・・不思議ですね」
体をなんとなしにペタペタと触る。
この体もある意味機械達でできているのだろうか?
・・・・・・そうか、だからアリソンはこの街を拠点にしているのか。
そして、それを守るためにもこの仕事を手伝っているのではないだろうか?
「うん?終わった打ち上げにてこちゃんのケーキ屋さんに突撃する?」
「おお、あのおいしいお店かっ!?」
「それは楽しみだね」
「てこさんのケーキですか、楽しみです」
ワイワイと眠気もどこへやら打ち上げを考えるわたし達の姿は静かな海面に長く長く伸びて、街の幾つかの影と混ざり合っていた。
およそ8時間、夜を徹して行われた作業はこうして終わったのでした。
彼らはその後、他の都市へも同様の作業があるからと打ち上げが終わるとすぐ、この日に運航する数少ない便に飛び乗っていきました。
なんだか慌ただしい別れでしたが、ヴァーチャルでならいつでも、リアルでもまたいつか会えますね。
さて次一緒に漕ぐことになる『Re;サナダ』は果たしてどっちかな?
そして長い夜が終わり、わたし専用のAI『シエロ・オキオ』もまたこうして誕生し、わたしと一緒に色々な困難に遭っていくわけですがこの時はまだ只のAIでした。
:今日の日記 あくあ歴74年 ○月△日です。
今日はアクア・アルタの前日です。
アリソンと二人でたくさんの荷物を片づけ、明日に備えていました。
夕方ごろに、わたしはここのアバター達の一人『Re;サナダ』のユーザーと出会うことになりました。
彼らとアリソンの会話、さすが研究者と言ったところかわたしにはサッパリでしたけれども。
行動を共にした時に見せた彼らの楽しそうな横顔が、すべてを語ってくれそうでした。
:追伸
わたしのAIに名前が付きました。
『シエロ・オキオ』です。
お見知りおきをお願いしますね。